【艦これ】鎮守府の用務員さん (304)

「あ、用務員さん!」

 柔らかい日差しを浴びながら窓拭きにいそしんでいると、私のことを呼ぶ声が聞こえてきました。
 手を止めて声のした方を向くと、二人の少女がこちらに駆け寄ってきているところでした。

「どうされましたか。睦月さん、弥生さん」

 お二人と視線を合わせるために屈みながら尋ねます。

弥生「二階の廊下の、電灯が、点滅していたので……」

「あら、本当ですか? それは教えていただきありがとうございます。すぐに交換しておきますね」

睦月「どういたしまして!」

 元気よく返事をする睦月さんの横で、弥生さんは小さく頭を下げました。

睦月「それじゃあ私たちはこれから遠征なので! お仕事頑張ってください!」

 こんなあどけない少女には似つかわしくない単語が聞こえてきましたが、もう慣れたものです。

「ありがとうございます。そちらもお怪我のないように頑張ってください」

睦月「はーい! じゃあ行こっ、弥生!」

弥生「睦月、別に……その、引っ張らなくても……」

睦月「いいのいいの!」

弥生「……何が?」

 そんなことを言いながら去っていくお二人の後ろ姿を見て、つい頬が緩んでしまいました。

 可愛らしいですねえ。あの様子だけ見ていると、見た目相応の歳の女の子にしか見えません。
 とてもではありませんが、今から遠征に行くとは――ましてあの敵たちと互角に戦える力を持っている戦闘艦艇とは、まるで思えません。

 ……って、あまりにも今さらなことですね。

 私は窓際に雑巾を置き、蛍光灯を交換するために用務員室へ戻ることにしました。

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・視点が艦娘でも提督でもない、「艦これ」ssの亜種まがいの如きssです

・地の文あり

・シリアスも多分あり

こんなのでもよければ見ていってください

******


 十年前、突如海に現れ、瞬く間に世界の海と空を分断した正体不明の敵、通称深海棲艦。
 その機械とも生き物ともつかない敵には既存の兵器による攻撃の効果は薄く、人類は為す術なく陸地に押し込められてしまいました。今では原因不明の通信障害により、隣国の様子すら分からない有様です。

 しかし、半年ほど前に横須賀鎮守府に配備された新兵器により状況は徐々に変わりつつあります。その兵器の名は……いえ、やはり兵器と呼ぶのは抵抗がありますね。

 彼女たちの名は『艦娘』。若い女性の姿と深海棲艦に対抗できる規格外の強さを誇る艦艇――そんな二つの形をとることができる、日本国海軍の切り札的存在です。
 彼女たちの活躍ぶりは目覚ましいものであり、皆さんもその幾つかはご存知のことでしょう。

 そして今日も、深海棲艦の侵攻を止めるべく彼女たちは様々な海域に出撃しているのです。



 ところで鎮守府の華と言えば彼女たち艦娘ですし、他に知名度がある方と言ったら彼女たちを指揮している司令官殿くらいでしょうが、ここで働いているのはその方たちだけでないことはご存知でしょうか?
 例えば司令官に次ぐ役職の副司令官や、さらにお二人の部下として情報処理や事務仕事などをしている方々がいらっしゃいます。また、通常の輸送艦なども入港するので、それらの造修整備をする人間もいます。その他にも哨兵、港務部員、軍医等々、決して少なくない数の人間が働いています。

 その中の一人として、私もこの鎮守府庁舎で働かせていただいています。
 業務内容は、庁舎内環境の整備、その他用務……つまるところ、「用務員さん」というやつです。


******

 蛍光灯を交換を終え、窓拭きに戻ってからしばらく経ったころ、突然「姉さまー!?」という叫び声が廊下に響き渡りました。

 今の声は……あのお二人ですか!

 即座に声のした方へ走り出します。

 今度は何でしょう? あまり大事でなければいいのですが。

 声がしたと思しき場所へ近づくにつれ、水の跳ねるような音が聞こえてきます。
 廊下を曲がると一際水の音が大きくなり、同時に紅白の着物を着た二人の女性の姿が目に入りました。更にその向こうから私と同じように駆けて

きている少女が二人ほど。

「大丈夫ですか!?」

「どうされましたか!? 扶桑さん、山城さん!」

 そこにいらしたのはやはり、扶桑型戦艦一番艦の扶桑さんと同二番艦の山城さんでした。お二人とも髪から水を滴らせ、服をぐっしょりと濡らし

ていて……え? 本当に何が?
 そして私とほぼ同時にここへ来たのは吹雪型駆逐艦の一番艦吹雪さんと同五番艦叢雲さん。元第十一駆逐隊のお二人です。

山城「あの、それがその……突然蛇口が……」

 山城さんが指差した方へ顔を向けると

吹雪「わぁー……」

 お手洗いの洗面台から水が噴き出ていました。それはもう勢いよく。

扶桑「私が蛇口に触れた途端に……はぁ」

 扶桑さんは意気消沈した様子でため息を吐きました。

叢雲「相変わらずね……」

「ま、まあ設備自体は古いですから、ここ」

 それでも触った途端、というのは……このご姉妹ならさもありなん、という感じなんですよね。

吹雪「怪我はありませんか?」

扶桑「ええ、さすがに」

山城「艤装なんて展開してなかったから、ご覧の通りびしょ濡れだけれど」

「それは言っても詮無いことですよ。ずっと艤装を展開していては燃料がいくらあっても足りませんし」

 艤装は艦娘の象徴のようなもので、これを展開していれば人間の形をしたまま限定的に艦艇の形のときの能力を引き出せるのですが――例えば小規模ながら砲撃を行ったり、身を守る不可視の防護壁を張ったり――やはり燃料を使いますからね。基本的に海上での移動時にしか展開はしないこ

とになっています。

「では後のことは私がやっておきますので、お二人は着替えなさってください。……いえ、いったんお風呂に入った方がいいかもしれませんね。体を壊しては大変ですから」

 私がそう言うと、お二人はきょとんとした表情になったあと、クスリと小さく笑いました。

 おお、さすが姉妹艦。息ぴったりです。

山城「私たち、今はこんな姿ですけどれっきとした戦艦ですよ?」

扶桑「水に濡れたくらいで調子は崩さな――」

 扶桑さんはそこで急に言葉を切ったかと思うと、くちゅん! と可愛らしいくしゃみをしました。

山城「姉さま、大丈夫ですか!?」

扶桑「あ、あら……?」

叢雲「前に漣もそんなこと言って風邪引いてたわね」

吹雪「あ、そうだったね。ここが始まったばっかりの頃だっけ」

 扶桑さんは目を丸くしました。

扶桑「私たちも病気になるの?」

「なんでも妖精さん曰く、艦娘は99.89%まで人間と同じだそうですよ」

山城「……何となくですが、どちらかと言うと深海棲艦に似合いそうなパーセンテージですね」

 私も初めて聞いたときはそう思いました。何故でしょうかね?

山城「いったい私たちって――」

 今度はそう言いかけた山城さんが、くしゅっ、とくしゃみをしました。

「あ、申し訳ありません、だらだらと話をしてしまって。ささ、風邪を引かないうちに」

山城「そうですね。では、お言葉に甘えて」

扶桑「蛇口、壊してしまってすみませんでした」

吹雪「扶桑さんはまったく悪くないと思いますけど……」

扶桑「ふふ、ありがとう吹雪ちゃん。……でも、やっぱり不幸だわ」

山城「姉さま、それは私の口癖です……」

 それでは、と身を寄せ合い去っていくお二人を見送ってから、お手洗いの方へ目を移します。

 水はまったく変わることのない勢いで噴き出し続けていました。

 そりゃそうですよね……。まあ、このままでは水道代がもったいないですし、早いところ止めてしまいましょう。

 少々躊躇してしまいましたが、えいやと噴き出す水の中につっこみ、洗面台の下へ身を滑り込ませます。

吹雪「用務員さん!?」

 赤く塗られた元栓を回していくと、水はみるみるうちに勢いがなくなり、やがて水の跳ねる音は聞こえなくなりました。

 やれやれ。

 立ち上がり、蛇口を確認してみると……完全に折れています。どうやら金属が腐食していたようです。

 改装してからは運がよくなったと喜んでいらっしゃいましたが、あまり変わっていないのでは…………。
 と、ともかく、これを私が修理するのは難しそうです。司令官に報告してから業者を呼ぶことにしましょう。

吹雪「大丈夫ですか!? びしょ濡れになっちゃってますけど!」

叢雲「いきなり飛び込んでいかないでよ。というか言ってくれたら艤装展開して私たちが止めたのに」

「あはは、そうですねえ。……でもやっぱり、これは私の仕事ですから」

 叢雲さんは「何言ってんだか」とでも言いたげに呆れ顔をされました。

「まあ、こだわりみたいなものです。それに陸での艤装の展開は原則禁止ですよ」

叢雲「はいはい」

吹雪「あの、用務員さん」

 吹雪さんがおずおずといった感じで手を挙げました。

吹雪「用務員さんもお風呂に行った方がいいんじゃ」

「……そんなに濡れてますか?」

 洗面台の鏡を見てみると……あらあら。確かに私も扶桑さんたちと負けず劣らずびしょ濡れですね。帽子からも水がぽたぽたと垂れています。

「本当ですねえ。ま、大丈夫ですよ、これくらい」

叢雲「さっきの二人と同じくらい濡れてるんだけど。漣の二の舞になるつもり?」

「お二人には念のため入っていただいただけです。大丈夫ですよ。あの頃と違って横須賀もだいぶ暖かくなってきました」

叢雲「まあ、あれから半年も経っているし……」

 叢雲さんは次第に声をすぼめ、少し驚いたような顔をされました。

叢雲「そっ、か……。もう半年になるのよね」

吹雪「十月にここへ来て、今は四月だもんね」

 吹雪さんははにかむようにそう言うと、ついと外に目をやりました。私もつられるように窓に目を向けます。

 外には、満開の桜並木が広がっていました。
 薄桃色の花びらが、ひらりひらりと舞っています。

吹雪「桜も、咲きましたね」

叢雲「……そうね」

「咲きましたねえ……」

 それから私たちは何も言いませんでした。
 ただじっと、その桜舞う光景を見つめ続けました。




 ぴちゃん、と雫が落ちる音で私たちは我に返りました。

叢雲「……柄にもなく感傷に浸ってたわね」

吹雪「って用務員さん! いい加減着替えないと四月でも風邪引いちゃいますよ?」

「そ、そうですね。ちょっと肌寒く感じてきました」

叢雲「お風呂入った方がいいんじゃない?」

「いえ、お二人が使っているでしょうし。それにお仕事も増えましたから」

叢雲「仕事?」

 叢雲さんは一瞬きょとんとした顔になりましたが、私が床を指し示すと「あぁー」と得心のいった様子で頷かれました。

 しばらく使用禁止にするとは言え、水浸しのままというのはいただけません。

 私は早く仕事を再開するために着替えるべく、またいったん用務員室へ戻ることにしたのでした。


******


 翌日。

 朝礼で司令官から艦隊編成の一時的な変更が通達されました。
 原因は扶桑さん山城さん両名が風邪をお引きになったからとのこと。

叢雲「何で風呂に入った二人が風邪引いてるのよ……」

「……やっぱり運気が上昇していないんじゃ」

吹雪「そ、そんなこと言っちゃ駄目ですよ!?」

叢雲「あんたも上がってないとは思っているのね」

吹雪「……あ」

 吹雪さんは気まずそうに目を伏せました。

 あはは……とりあえず、あとでお二人のお見舞いに行くことにしましょう。

こんな感じで書いていきます

更新は不定期でまとまった量も投下できないと思うので、次に投下するときからはsage進行で行こうと思います

レスありがとうございます

sage進行で云々とか言っていましたが、早速前言を翻します。すみません
ちょっとだけ投下します

 はてさて、どうしたものか……。

 そんな風に私が悩んでいたのは、そろそろ桜も見ごろを終える四月の中頃のことでした。

 いやあ、本当にどうしたものでしょうか。

「あの、用務員さん? 無視しないで答えてくれませんか?」

 悩んでいると催促の言葉が飛んできました。
 無視をしていたわけでは、と言おうかと思いましたが、こちらをじっと見上げる茶色い瞳に何も言えなくなります。

大井「用務員さんって、北上さんのこと、好きなの?」

 心なしかいつもよりゆっくりに感じられる口調で、大井さんは再度そう問うてきました。

 これは何とお答えするのが正解なんですかねー……。

 ここは冷静に、どうしてこうなったのかを立ち返って考えてみましょう。


******


北上「おはよー、用務員さん」

「あ、おはようございます。北上さん」

 朝、階段の手すりを修理していると、球磨型軽巡洋艦三番艦の北上さんがいらっしゃいました。
 北上さんはふらふらとこちらに近づくと、そのまま手すり壁にもたれかかりました。

北上「朝から精が出るねえ。私朝は弱くて弱くて」

 そう言うと北上さんはその場で、くあと大きなあくびをされました。

「北上さんは大体何時頃に寝ていらっしゃるんですか?」

北上「ん? 二二〇〇。朝は起床ラッパで起きてるよ」

「では寝不足というわけではなさそうですね」

北上「低血圧とかいうやつかねえ。艦娘がそんなものになるかは知らないけど」

 ふむ、と私はあごに手を当てます。

「そう言えば朝起きるツボというのがありますが」

北上「ツボって……鍼とかお灸とかの?」

「ええ、色々とありますよ。頭とか手とか腕とか足とか」

 指を折りながらそう言うと、寝惚け眼だった北上さんの目が少し輝きました。

北上「ちょっと押してみてほしいな~」

 そう言いながら擦り寄ってくる北上さんを見て、もう完全に眠気は飛んでいらっしゃるなあとは思いましたが、お教えするのはやぶさかではなかったので「構いませんよ」と私は頷きました。

「えーと……何と言う名前のツボかは忘れましたが、まず頭のてっぺんにあるツボですね。両耳と鼻から辿っていったところにあるそうです」

 そう言って私は両手を北上さんの耳と鼻に添えましたが、北上さんは特に動じることなくされるがままになっていました。

 急に顔に手を伸ばすのだから多少なりとも驚かれるかなと思っていたのですが、まったくそんなことはありませんでしたね……。マイペースな北上さんらしいと言えばらしいです。

「ここから伸ばして……ここら辺ですかね? ここを何回か優しく押せば効果があるそうですよ」

北上「お~、何だかそれっぽいね~。用務員さん、そういうの詳しいの?」

「まあ多少は心得が。次は手にあるツボなんですが……少し痛いですがよろしいですか?」

北上「どんと来い!」

 北上さんは胸を張ってそう言いました。その仕草が可笑しく、くすりと笑ってしまいます。

「では遠慮なく。人差し指と中指にあるツボなのですが……」

 そう言って北上さんの手を取った私は一瞬固まりました。

「……北上さんの手、すべすべですね」

北上「え、そうかな? これでも艤装の手入れとかはしてるんだけど」

「いえ、すごく綺麗ですよ。羨ましいです」

北上「経年劣化してないからじゃないかな?」

「あるいは入渠すると治るとか……?」

 何にしろ綺麗な手だなあ、などと思いながら、むにむにとその手を揉んでいると、北上さんが「くふっ」と声を漏らしました。

北上「用務員さん、くすぐったいよ~」

「あっ、申し訳ありません。つい……」

北上「まったくー……。まあ悪い気はしないけどね」

 北上さんはそう言って「ふふん」と笑いました。


******

 その後十分ほどツボ押しは続き、北上さんは「ありがとねー」と言って去っていきました。大井さんがいらしたのはその直後です。

 ……あれ? 本当にどうしてこうなっているのでしょう。大井さんが出て来たタイミングからして、今の回想が関わっている可能性は高いと思うのですが。

 ふと「大井のやつは北上のことが、その……恋愛感情の意味で好きなのか?」という司令官の言葉が頭をよぎりました。

 いやいや、そんなまさか。大井さんが北上さんと仲良くしていた私に嫉妬したとでも言うのですか?
 確かに大井さんと北上さんはとても仲がよろしく、北上さんが来てからというものお二人はいつも一緒にいらしているイメージすらあります。しかしその様子は親しい友人同士といったものであり、お二人ともそういった感情は抱いていないように見えます。特に大井さんはこの横須賀鎮守府で二番目に付き合いの長い方ですので、ある程度彼女のことはわかっているつもりです。……まあそれを言ったら司令官も私と条件は同じはずなのですが。

 ……しかし、この鬼気迫るといってもいい様子大井さんを見ていると、何だかありえる気も。いや、そんなわけ……でも……。
 えーい! これ以上悩んでいてもどうにもなりません。ここはもう素直に思っているままをお答えしましょう。

「北上さんですか? 好きか嫌いかで言えば、それはもちろん好きですが」

 言った直後に「あ、これはやってしまったかもしれない」と早速後悔の念が襲ってきました。

 大井さんがさっと顔を伏せ、かすかに体を震わせ始めたのです。

 えっと、もしかしてこれは先程否定したばかりの同性の愛情のどろどろした感じのアレが原因だったということですか? 司令官の言葉が正しく、私の目は節穴だったということですか?

大井「用務員さん……!」

「ひゃい!?」

 大井さんに勢いよく肩を掴まれ、情けない声を上げてしまいます。

大井「それだったら、お願いです!」

 …………あら?

大井「私といっしょに、北上さんへのお祝いの品を考えてくれませんか! それも、本当の記念日を忘れていたお詫びも兼ねての……!」

 そう私に訴えかけながら顔を上げた大井さんは、若干涙目でした。

「ええと、つまり昨日が北上さんの記念日であることをすっかり忘れていて、今朝そのことを唐突に思い出してどうしようかと焦っていらっしゃったところだったんですね?」

 今一度確認を取ると、大井さんは無言のまま頷かれました。

 なるほど……だからああも尋常でない様子だったのですね。一瞬でもあんなことを疑った自分が恥ずかしいです。

「そういうことでしたらいくらでもご協力いたしますよ」

大井「本当!? ありがとう用務員さん!」

 大井さんはぱっと顔を輝かせると、私に抱きついてきました。

 ……そんなに喜ぶほど追い詰められていたんですか。司令官の考察も完璧に的外れとは言えないのかもしれません。

 私の中で大井さんが「北上さん好きな方」から「北上さんのことが大大大好きな方」へとレベルアップします。
 あと分かってはいましたが、大井さんって胸大きいですね。

「どういたしまして。さ、そうと決まったらプレゼントを何にするか早めに決めてしまいましょう」

大井「そうですね。早くしないと……!」

 大井さんは私から離れると、拳を握りました。

大井「それじゃあよろしくお願いしますっ!」

「はい。頑張っていいプレゼントを考えましょうね」

大井「はい!」

 しかしプレゼントを買いに行くとなると……うーん。大丈夫でしょうか?

 門の詰所で若い哨兵と世間話をしていると、私服姿の大井さんがこちらに向かって走ってきているのに気づきました。

大井「お待たせしました」

 大井さんはあっという間に門に辿り着くと、軽く息を整えながら小さく頭を下げました。

「いえいえ。私も今さっきここに来たところですから。それじゃあ行きましょうか」

 私は先程まで話をしていた哨兵に身分証と外出証を渡します。私が返してもらうと、次は大井さんが。

 哨兵は私のときよりじっくりと見てから、それらを大井さんに返しました。

哨兵「申請時間の一五〇〇までには帰ってきてください」

大井「了解」

哨兵「その身分証は如何なる時でも必ず身に着けておくようにお願いします。艤装の展開は厳禁とします」

大井「了解」

 そこまでは真面目な顔をしていた哨兵が、「あと」と言って苦笑しました。

哨兵「今度から申請は早めにお願いしますね? 係の奴が電話で愚痴っていましたので」

大井「あ……すみません」

 大井さんが頭を下げると哨兵は「いえいえ」と手を振りました。

哨兵「それではお気をつけて」

 敬礼をする詰所の哨兵と立哨に答礼をした私たちは、門の外へと出ました。

大井「さすがに注意されましたね」

「まあ急も急でしたからね。それでも申請を通してくれた司令官に感謝です」

 やはり大事なプレゼントとなれば外で買った方がいいだろうということで基地から出ることにしたのですが……もちろん艦娘にも外出証は必要です。というよりむしろ人間の隊員より厳重です。申請書の記入事項が私たちの倍では済みません。
 それに当日の外出申請なんてよほどの緊急事態以外では聞いたことがありませんでしたから、これは流石になあ、などと思いながら執務室に行った大井さんの帰りを待っていると、受け付けてもらえたとのこと。

大井「提督も融通が利くところあるんだから」

 大井さんはそう言って「ふふっ」と上機嫌そうに笑いました。

「そういえば行先を決めていませんでしたが……中央のショッピングセンターでいいですか?」

大井「あ、はい! あそこだったら何でも一通り揃っているでしょうし」

「大きなところですからねえ」

 私たちは大通りに出て、最寄の駅へと足を向けました。

今回はここまでで……こんな時間に始めた1が悪いのですが、とても眠い……

次回は大井さんとお買い物です
次がいつになるかわかりませんが、それではまた

******


「このヘアゴムなんてどうでしょう。可愛くありませんか?」

大井「いいですね。シンプルだから北上さんも付けてくれそうですし。……あ、こっちの髪留めもよさそう」

「え? 北上さんってヘアピンもお付けになるんですか?」

大井「ええ。外出のときはいつも」

「へえー。じゃあこれもいいかもしれませんね」

大井「絶対似合うと思いますけど……北上さん付けてくれるかしら」

 中央のショッピングセンターに到着してから早一時間。大井さんと私は結構買い物を楽しんでしまっていました。まあ仕方ありませんよね。特にこういうお買い物は楽しいですし。

「そういえば大井さん」

 二種類のバナナクリップを見比べていた大井さんは「はい?」と言って顔を上げました。

「今回は北上さんへのプレゼントですが、他の方にも贈られるんですか?」

大井「え……あ、まあ、はい。同型艦の人には贈ろうと思ってます」

 大井さんは照れた様子でそうおっしゃいました。

「あら? 照れなくてもいいじゃあありませんか」

大井「だってその……私基本的には北上さんと一緒にいるじゃないですか。だから改めて他の姉妹に贈り物って少し気恥ずかしくて……」

 ……私としてはいつも一緒にいる人に改めて贈り物をする方が恥ずかしい気がするのですが。
 まあ構いません。

「そのときもお困りでしたら、いつでも声をかけてくださいね。微力ながら協力させていただきます」

大井「ありがとうございます。でもこういうことはもうないようにしますので」

「そうですね。それが一番いいです」

 私はうんうんと頷き、また商品棚に目を戻し、贈り物を次々と見繕っていきました。


******

 このような調子であったので、プレゼント選びは順調に思えたのですが……。

「意外と決まりませんでしたねえ」

 さらにあれから三十分。特に何も買うことなく、私たちはカフェの隅のテーブルで少し早めの昼食を摂っていました。

大井「何だかこれでいいのかって考えると不安になってきて……すみません」

「あ、謝らないでください」

 そう言って私は手を振ります。

「大切な方への贈り物ですもの。慎重になって当然です。……と言ってもあまり時間がないのも事実です」

 ここは建設的にいきましょう、と言って私は腕組みをします。

「北上さんが何を欲しがっているのかが分かれば一番よいのですが……北上さんのお好きなものってなんでしょう?」

大井「北上さんの好きなもの……魚雷?」

 えーと、それは……。

「それはそうでしょうけど、一体どういうプレゼントをお好みになるのか皆目見当もつかないのですが」

大井「そういえばこの前魚雷ジェンガとかいうものを買ってきていましたよ」

「……どこから見つけてきたんでしょうかね」

 ともかく、これはあまり参考になりません。まさか装備品を勝手にお渡しするわけにもいきませんし。

「では、大井さんは何か貰えると嬉しいものはありますか?」

大井「え? うん、と……さ、最新鋭の装備とか?」

 ……ワーカホリック一歩手前ですよ、それ。

「装備品関連は難しいですねえ」

大井「用務員さんはどうですか? 何か貰えて嬉しいものは」

 逆に大井さんに尋ねられ、一瞬「自動床洗浄機」という言葉が口を衝いて出そうになりました。
 ……私も他人のことを言えません。

「私ですか? そうですねえ……ブランド物のハンカチなんていいですよね。毎日使うものですから少し高級なものを貰えると嬉しいです。自分じゃブランド物なんてなかなか買いませんし、デザインも余程のものでない限り使えますから」

 おお、即興にしては上手いことを言えた気がします。……というか実際貰えたら嬉しいですね。今使っているハンカチもまとめ買いした安物ですし。
 まあくれる人なんていませんが。

大井「なるほど、ハンカチ……他には何かありますか?」

「他? えーとー……ああ。文房具とかも喜ばれるかもしれませんね。昔私の知り合いに万年筆を貰って喜んでいた人がいました」

大井「万年筆ですか」

「ええ。あ、でもその人は男性でしたからあまり参考にならないですね」

 大井さんはそうですか、と言って考え込み始めました。

 ……駄目ですか。
 うーむ、せっかくカフェの隅に来たのですから何かいい案を出したいのですが。
 まあ出したいと思っただけでいい案が出るなら苦労はしません。

 何か切っ掛けになるようなものでも、と思いながらテーブルの上を見ていると、メニュースタンドに目が留まりました。
 その中には「ちょっとした紅茶のおまじない」というタイトルが書かれた紙が入っており、紅茶にまつわるジンクスのようなものがまとめられていました。

 これはいいかもしれません。

「大井さん、お守りなんてどうでしょう」

大井「お守り?」

 大井さんは目をぱちくりとさせました。

「はい。お守り、というと少し重たすぎますが、そういうジンクスも併せ持っているような宝石の類です」

大井「……なるほど。いいかもしれませんね」

 大井さんの目がみるみる生気を取り戻します。

大井「あまり高いのは買えませんが……」

「大丈夫ですよ。よく採れるものならそこまでの値は付かないでしょう」

 ちょうど紅茶を持ってきた店員さんに訊くと、近くに天然石を取り扱うアクセサリーショップがあるとのこと。

「食べ終わったら行ってみましょうか」

大井「はい」

 大井さんは微笑みながらそう返事をされました。

 うんうん。やっぱり綺麗な女の子は笑っているに限ります。

 明るくなった大井さんを見ながら、私は紅茶に口をつけました。


******

店員「いらっしゃいませー」

 カフェを出た私たちは早速そのアクセサリーショップに向かいました。

大井「色々ありますね……。用務員さんは宝石に詳しいんですか?」

「恥ずかしながらこういうことにはまったく疎くて」

店員「何かお探しですか?」

 私たちのやり取りを聞いてか、若い女性の店員さんが近寄ってきます。彼女以外にお店の人らしき人はいません。

大井「はい。航海のお守りになりそうな宝石はないですか?」

店員「コウカイ……海の『航海』ですか?」

大井「ええ、そうです」

 店員さんは少し虚を衝かれたような表情になりましたが、すぐに「少々お待ちください」と棚へ向かいました。

 海はまだまだ船旅ができるような状況ではないですからね……。漁業もほんの少ししか解禁されていません。高校生くらいの容姿の大井さんが海のお守りを求めたことに驚くのも無理はありません。

 しばらくして店員さんは「お待たせしました」と言いながら、幾つかの石をプレートに乗せて持ってきました。


 私たちはそれらの石の説明を受け、ある青色の石のペンダントを買うことにしました。
 選んだ理由は、ムーンストーンやアクアマリンといった有名どころの石が高すぎた、というのもありますが、何よりその石に残る言い伝えが艦娘の皆さんにはぴったりのものだったからです。


 お金を払い、プレゼント用の包装をされていくペンダントをにこにこと眺めている大井さんを見て、ふと気になったことがありました。

「大井さん」

大井「何ですか?」

「昨日が記念日だとおっしゃっていましたが、昨日は北上さんの何の記念日だったんですか?」

 普通艦娘の記念日と言えば進水日のことです。ですが北上さんの進水日は七月の三日だったと記憶しています。
 一体何の記念日なのでしょう?


大井「昨日の四月十五日は北上さんの竣工日ですよ」

「……しゅ、竣工日!?」

 事もなげに言った大井さんの言葉に私は素っ頓狂な声を上げてしまいました。店員さんも手を止めてこちらを見てきます。

 私は「お気になさらず」と愛想笑いをしてから、大井さんに顔を近づけます。

「竣工日は、あまりお祝いしない方がよろしいかと……」

大井「え? どうしてですか?」

 驚く大井さんを見つめながら、私は去年のことを思い出します。

「私も電さんに竣工日をお祝い申し上げたことがあるんです。と言っても本当に『今日は竣工の日でしたよね。おめでとうございます』と言っただけだったのですが……。そうしたら電さんが困ったような顔をされたんです」

 まさかそんな反応をされるとは思ってもいなかったので、その表情はよく覚えています。

「最初は日付を間違えたのかと思ったのですが、そうではないと。では何故かと理由を訊くと、あまり祝ってほしくない日だとおっしゃるんです」

 私は一旦そこで言葉を切り、またすぐに話を続けます。

「竣工日は就役日だから、戦争の道具となったことが確定された日だから。自分が戦うための艦として生まれてきたことが嫌なわけではないし、今もその役割は全うしたいと思っている。でも、少なくとも自分にとって就役日は祝ってもらうような日ではない――と。そんなことをおっしゃっていました」

 あの時の電さんには、何と返事をしてよいか分かりませんでした。私は直接にも間接にも、人間との戦争には関わったことがないのです。

「北上さんもそのような考えなのかは分かりません。ただ、そういう方もいらっしゃるようなので、竣工日は……」

 大井さんはしばらく視線を下げていましたが、やがてその肩を落としました。

大井「言われてみれば、そうかもしれません。北上さんの記念日を初めて祝えるって浮かれすぎてて、何も考えてなかったかも……」

「い、いえ。そこまでおっしゃらなくても……」

 私自身はよく分かっていないので、大井さんの打ち沈んだ様子を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。


店員「あの、どうかされましたか?」

 ペンダントを包み終えてしまった店員さんが心配そうな表情でこちらを見てきます。

大井「実は、その贈り物が七月まで必要なくなってしまって」

店員「まあ……どうされます? 返品されますか?」

大井「……すみません。そうさせていただきます」

店員「畏まりました。七月にはまた是非お越しくださいね」

 店員さんは嫌な顔一つせず、そうおっしゃってくださいました。

 まあ、そうなりますよね……。どうにかして差し上げたいのですが、何か上手い案があれば大井さんの方が先に思い付いているでしょう。私なんかよりずっと、大井さんは北上さんとは長い付き合いなのですから。
 私が北上さんのことについて知っていることと言えば、精々が調べられる程度の史実と鎮守府にいらしてからのことだけです。

 ……あっ。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ペンダントの代金の払い戻しをしようとしていた店員さんと大井さんは何事かといわんばかりにこちらを見てきました。

「少々確認したいことがありまして。返品は少し待っていただけますか?」

店員「は、はあ」

大井「用務員さん……?」

「本当にすぐですから」

 怪訝な顔をする大井さんにそう言ってから、私はボディバッグから携帯を取り出し、ある番号を呼び出しました。

「……お電話失礼します。今はよろしいでしょうか? ……はい。実はお聞きしたいことが……」

 軍関係者であることがばれては面倒なことになるかもしれないので、口を手で覆い声をひそめます。

「……もしもし。どうでしたでしょうか? ……はい。……はい。ありがとうございます。執務中に申し訳ございませんでした。……はい。失礼します」

 電話が切れるのを待ってから、私は携帯をバッグにしまいます。

 ちょうど日も良し、と。

 私は大井さんに向き直ります。

「大井さん。一つご提案があるのですが」

大井「提案? 何ですか?」

 この時、多分私はにんまりと笑っていたことでしょう。

「もう少し、お金を使う気はありませんか?」


******


 準備も終えて手持ち無沙汰になり、部屋の掃除をしていた私は、複数人の声が近づいてくるのを聞き取りました。

 来ましたか。

 布巾をポケットにしまい込むのと、扉が開くのはほぼ同時でした。

大井「すみません、遅くなりました」

「いえいえ」

 大井さんの後ろから「おー」と声が上がりました。

球磨「何かの祝賀会かクマ?」

多摩「飾りでいっぱいにゃ」

 球磨型軽巡洋艦の一番艦球磨さん、二番艦多摩さんがそうおっしゃいながら部屋に入ってきました。

北上「これ用務員さんが飾り付けしたの?」

木曾「凝ってるなぁ」

 さらにその後ろから三番艦北上さん、五番艦木曾さんが入ってきます。

「既製品を飾っただけですので、特にどうということはないですよ? というか大井さん、ここにお連れした理由はまだご説明されていないんですか?」

大井「ええ、連れてきてから言おうと思って」

球磨「そうだクマ。球磨たちをここに連れてきた理由は何だクマ?」

多摩「集めたのは用務員さんにゃ?」

「私はお手伝いしただけですよ。皆さんをお集めしたのは大井さんです」

北上「そりゃそっか。用務員さんだったら大井っち使ったりせずに自分で言いに来るよねー」

木曾「それでどうしたんだ? 何かのお祝いか?」

 球磨型四人の視線が大井さんに集まります。


 大井さんは大きく深呼吸をして、四人を見渡しました。

大井「あのっ……実は今日で、私たちが『この姿』で揃ってちょうど百五十日目なの。だから、そのお祝いをと思って……」

 大井さんがそう言い切ってから、沈黙の間ができました。そして

球磨「そうなのかクマ!?」

木曾「俺たちの中で最後に来たのは……多摩ねえだったよな?」

北上「あー、だったねえ。一人だけやたら来るのが遅かったよねー」

多摩「時の運にゃ。でもあれから百五十日だったかにゃ。時間が経つのは早いにゃ~」

 比較的のんびりとした様子で話す三人と対照的に、球磨さんは「クマー!!」と叫びました。

球磨「完全に忘れてたクマ! というか百日目もスルーしてたクマぁ!?」

北上「球磨ねえ何騒いでんの? ちょっとウザイよ」

球磨「ウザイとか言うなクマ! おめーらのお姉ちゃんなんだからそういうことは球磨がやるべきだったのに、思いっきり四女にやらせてしまったことにショックを受けているんだクマ……!」

木曾「おお……長女の自覚あったのか」

 木曾さんが何気に酷いことを呟きます。

多摩「こんなふざけた口調だけど、意外と球磨は妹思いにゃ」

球磨「口調に関してはゴーヤの次に多摩には言われたくねークマ! というかこんな変人揃いの型の一番艦やってたら嫌でも気にかけるようになるクマ」

木曾「クマクマ言ってる奴に変人とか言われたくねえなあ……」

多摩「俺っ娘眼帯マント末妹が何か言ってるにゃ」

 多摩さんがやれやれと言わんばかりに両手を軽く挙げます。


木曾「おいどういう意味だ!?」

北上「ああもうそこまでそこまで。せっかく大井っちがお祝いの席用意してくれたんだから大人しくしとこうよー」

 北上さんはそう言うと「席座ってもいい?」と大井さんに尋ねました。

大井「あ、うん。もちろん。どうぞ座って、北上さん」

北上「はいはーい」

 北上さんが席に着くと、他の方もそれに続くように椅子に座りました。

大井「えっと、それで……皆に贈り物があるの。あまり高いものではないんだけど……」

 大井さんはそう言って、チェックの小さな紙袋を四つ出しました。

球磨「……何かお姉ちゃん、ものすごく感動してきたクマ。ありがとうクマ」

大井「どういたしまして。それで今開けてほしいんだけど、いい?」

木曾「おう、わかった」

 四人は紙袋を開け、中のものを取り出しました。

多摩「おー! 綺麗な石だにゃ!」

北上「見る角度で全然色が違うねえ。面白いねえ」

 皆さんの指に摘ままれたペンダントの先に付く青い石は、少し動くたびにその濃淡を変えていきます。

大井「その石、アイオライトっていう石なの」

木曾「アイオライト? 初めて聞くな……」

大井「あんまり有名な石じゃないらしいから。でもこの石にはある伝承が残ってて……昔異国の船乗りが色の濃淡を頼りに羅針盤代わりに使っていたんですって。だからこの石は正しい道へ進めますように、っていう意味があるらしいの」

 私はこの話を店員さんから聞いたとき、なんと現状によく合ったお守りだろうと思いました。

 妖精さんが開発した謎の装置「羅針盤」のせいで、目的地に行けないと嘆いている方はよく見かけます(妖精さん曰く、指し示す方向は最善の方向、ということらしいですが)。艦娘の皆さんへのお守りとしては最適のものではないでしょうか?


 しかし、大井さんはそうは続けませんでした。


大井「だから、今度こそ正しい道を進んで……誰一人欠けることなく、この戦いが終わったらいいなって思って」


 大井さんはそう言って、少し恥ずかしそうに頬を赤くしました。

球磨「…………クマー!!」

 突然球磨さんが大井さんに飛びかかりました。

大井「きゃっ!?」

多摩「ついに闘争本能が抑えきれなくなったにゃ!?」

木曾「それは多摩ねえだろうが! だいたい闘争本能を掻き立てられるような場面じゃなかっただろ!?」

 そんな妹たちの声など聞こえていないらしい球磨さんは、大井さんの頭を抱きかかえ、ぐりぐりと撫で始めました。

球磨「本当にできた妹だクマー! 褒めてやるクマよ~しよし!」

大井「ちょ、球磨姉さん……! 髪がぐしゃぐしゃになるって!」

北上「あ、大井っちが阿武隈みたいなこと言ってる」

木曾「自分が撫でられるのは嫌いなくせに……」

多摩「そんなもんにゃ」

 そう言って誰も球磨さんをお止めせずにいると、大井さんは自力で球磨さんの腕から逃れました。

大井「も、もう! いきなり何を――」

球磨「大井、ありがとうクマ」

 球磨さんはそう言って大井さんを、今度は柔らかく抱きしめました。

球磨「大井が球磨の妹で、本当によかったクマ。球磨は嬉しいクマ」

 大井さんは少しの間、驚いたように目を瞬かせていましたが、程なくして優しげな表情で「うん」と頷かれました。


北上「あ、アタシもアタシもー」

 北上さんはそうおっしゃると、割り込むように大井さんに抱きつきました。

北上「ありがとねえ、大井っち。今度は一緒に最後まで生き残ろうねー」

大井「今度こそ沈まないわ、北上さん」

 お二人はそう言い交わしたあと、ふふっ、と笑い合いました。

 北上さんはゆっくりと大井さんから離れると「へいへーい。木曾と多摩ねえもかもんかもん」と何故か平仮名英語で手招きをします。


木曾「ん……そうだな」

 木曾さんも立ち上がり、大井さんの前で仁王立ちになると不敵な笑みを浮かべました。

木曾「俺たちがいれば勝利は確定されたも同然だ。それにこの石があれば獅子に鰭といったところだな」

 木曾さんは「絶対に生きて勝つぞ」と言うと、右の拳を挙げます。

大井「ええ。提督に最高の勝利を与えましょう」

木曾「おい、人の台詞を取るなよ……」

 大井さんと木曽さんはそう言って拳をこつりと突き合わせました。

多摩「最後は多摩かにゃ。見事にここへ来た順になったにゃ」

 木曽さんと入れ替わるように大井さんの前に多摩さんが立ちます。

多摩「最後のせいで姉と妹に言いたいこと全部言われてしまったにゃ。だからまあ、そうだにゃ……ペンダント、ありがとにゃ。勝って勝って、最後の最後まで勝ちきるにゃ。よろしく頼むにゃ」

 多摩さんは手を差し出しました。大井さんはその手を固く握ります。

大井「多摩姉さんって語尾に騙されがちだけど、意外と武人っぽいわよね」

多摩「別に騙してなんかないにゃ。多摩だって軍艦にゃ」

 多摩さんはそう言ってからもう一度「にゃ」とおっしゃいました。


 二人が手を離すと、球磨さんが「乾杯だクマー!」と高らかに宣言しました。

 あ、やっと私の出番です。
 と言ってもジュースをグラスに入れて、配るだけですが。

 グラスが五人に行き渡ると、球磨さんは「おほん」と咳払いをしました。

球磨「それでは、球磨型全艦が配備されてから百五十日記念の祝いと全艦揃ったまま勝利することを願って……乾杯クマー!」

 皆さんは『かんぱーい!』と互いのグラスを触れあわせ、それを一気に飲み干しました。

多摩「……んー」

球磨「どうしたクマ?」

多摩「よく考えたら球磨型の中でまっさきに沈んだ艦が不沈の誓いとか何の伏線にゃ。縁起悪すぎにゃ」

球磨「クマっ!?」

北上「アタシが音頭取ればよかったのかね?」

球磨「今度こそ沈まないという意気込みも兼ねてだクマ! だいたい北上の音頭とか確実に気が抜けるクマ!」

大井「……姉さんといえども北上さんのことを悪く言うのは許しませんよ?」

球磨「さ、さっきまであんなに優しげな顔をしていた大井が……!」

木曾「おーい、そんなことよりあれ、ケーキの箱だろ? 早く食べようぜ」

 先程の静けさはどこへやら、そんな仲睦まじく言い合いをする様子を見て、そろそろ頃合いかな、と思います。

 ただの脇役はここらで退場させていただきましょう。

 私は五人がケーキの取り合いを始めたのを見ながら、そっと部屋から出ていきました。


******

 掃除を再開してしばらくした頃、司令官へのお土産を買っていたことをはたと思い出しました。

 来客用のお茶請けなんかにもちょうどいいだろうと思って、焼き菓子の詰め合わせを買っているんでした。艦娘の皆さんの分はもう食堂に置いてきたのですが。いけない、いけない。ついうっかりです。

 用務員室に戻り、お土産を抱えた私は執務室へ向かいました。
 執務室の扉が見えるところまで来たとき、その扉が静かに開きました。

大井「失礼しました」

 出てきた方は大井さんでした。いつもの制服姿に大きめの手提げを持っています。
 大井さんは一礼して扉を静かに閉め、振り返ったところで私と目が合いました。

大井「あ、用務員さん」

 駆け寄ってきた大井さんは、ぺこりと頭を下げました。

大井「今日は本当にありがとうございました」

「いえいえ! それより祝賀会は終わりましたか?」

大井「はい。無事終了しました。飾り付けの方は私が預かっているので」

「えっ? す、すみません。そのままにしていただいて結構だったのですが」

大井「私たちのお祝いですから。片付けくらいはさせてください」

「……そうですね。ありがとうございました。あとで取りに行かせてもらいますね」

大井「了解しました。あ、それからもう一つ……」

 大井さんは手提げから小さい紙袋を取り出しました。

大井「プレゼントです。今回もそうですけど、いつもお世話になっていますから、そのお礼に。どうぞ」

「ええっ!? そ、そんなお構いなく!」

 私は反射的に手を振ってしまいました。そんな私を見て、大井さんはくすっと笑います。

大井「貰ってください。用務員さんのために買ったんですから」

「は、はい。ありがとうございます」


 貰ってから紙袋をよく見ると、有名なファッションブランドのロゴマークが描かれてありました。

 はっとカフェでの話し合いを思い出します。

「大井さん、もしかしてこれ……」

大井「はい。ハンカチです。よかったら使ってくださいね」

「ありがとうございます! 大切に使わせていただきます!」

 私は紙袋を胸に抱き、大きく礼をしました。

「でも、いつの間に買ったんですか?」

大井「お手洗いに行ったときに、こっそりと」

「……ああ、なるほど」

 そういえば長時間お手洗いから帰ってこないタイミングがありました。ああいったショッピングセンターのお手洗いは、それこそ休みの日ともなれば長蛇の列となることも珍しくないので何とも思いませんでしたが。

大井「ところで用務員さんは何をしにここへ?」

「司令官へのお土産です。すっかり忘れていまして」

 苦笑しながら紙袋を掲げると、大井さんは「そ、そう」と少し目を泳がせました。その様子に首を傾げてしまいます。

「どうされました?」

大井「いいえ! 何でもないです!」

 大井さんはぶんぶんと首を横に振ると、気を取り直すように大きく息を吐きました。

大井「それじゃあ、私はこれで」

「はい。素敵なプレゼント、ありがとうございました」

大井「こちらこそありがとうございました」


 大井さんが去っていき、その姿が見えなくなったあとも、私はしばらくその場に立ち尽くしていました。

 ああ、なんて嬉しいことなのでしょう……。感謝されるために働いてきたわけではありませんが、いざ目に見える形でお礼を受けるとこんなにも嬉しいものなのですね。
 ……っとと。いつまでも感動に打ち震えているわけにはいきません。

 私は執務室の扉を叩きます。中から返答があり、入室の許可が下りたので扉を開けます。
 中には司令官と、今日秘書艦を務めている鳥海さんがいらっしゃいました。
 敬礼をしたのち菓子折りを持ってきた旨を伝えると、司令官は破顔しました。

提督「ありがとう。来客用の菓子も三日ほど前から切らしていてな。ちょうどよかった」

鳥海「三日前……言ってくださればよかったのに」

 鳥海さんは書類整理の手を止めて、少々呆れ顔をされます。

提督「まあいざとなれば間宮の羊羹があったしな。でも助かった。ありがとう」

「そう言っていただければ幸いです」

 私は司令官に菓子折りが入った袋をお渡ししました。そのとき机の上にあるものが目に入りました。

 散らばった包装紙に細長い木のケース、それから……万年筆?
 あらあら、もしかして。

「司令官。その万年筆、もしかして大井さんから頂いたものですか?」

提督「ん? ああ、そうか。君は知っているのか」

「いえ、司令官にも贈り物をしているとは知りませんでした」

 執務室前での反応を思い出し、つい相好を崩してしまいます。

 大井さんも可愛いお方です。


提督「そうなのか。いや、何でも球磨型が揃って百五十日の記念のついでだそうだ」

 司令官は真新しくつややかな万年筆を手に取ります。

提督「大井には嫌われているかと思っていたが、そこまででもないのかもしれないな」

 司令官はそう言ったあと「自惚れかな」と続けましたが、その表情は嬉しそうなままでした。

鳥海「そんなことはありません。口では色々言う方もいますが、司令官さんのことが嫌いな人なんてこの艦隊にはいませんよ」

 書類の端を机で揃えながら、鳥海さんはそうおっしゃいました。

提督「そうか?」

鳥海「はい。一度沈んだ私たちを、誰一人沈ませることなく戦わせてくれているんですから。少なくとも私とって、これ以上の幸せはありません」

提督「……そうか。ありがとうな、鳥海」

 司令官は椅子にもたれかかり、余韻に浸るようにじっと目を瞑りました。

提督「……よしっ。それじゃあ仕事を再開……いや。休憩にするか。鳥海、いったん休んでお茶にしよう。茶請けも手に入ったことだし」

鳥海「はい、了解しました。用務員さんも飲んでいかれますか?」

「いえ、私はこのあと用事が入っておりまして。これで失礼させていただきます」

 私はもう一度敬礼をして、執務室を退出しました。


 さて、大井さんのところへ行って、飾り付けを引き取らなければ。
 まあ、万年筆のことは……知らないふりをしておきましょう。

 部屋を訪ねたときの大井さんの様子が容易に想像でき、私は一人笑みを浮かべながら廊下を歩いていきました。

見切り発車よくないです
まさか後半丸々話を変える羽目になるとは……

次は間宮さんが出てくる話か、島風さんの話、そうでなかったら金剛さんの話になると思います
ネタが出てくるのが>>1の持っていない艦娘ばかりです
それではまた

おつおつ
魚雷ジェンガってアンソロのあれかね

「駆逐艦は最高だー!!」

 そんな声が聞こえてきて、振り返ると長門型戦艦一番艦の長門さんが何人かの駆逐艦の方を抱えて廊下を走っていました。

 ……えっ? はい!?

長門「なあ用務員さん! 駆逐艦は最高だなあ!」

 いつの間にか私の横に立っていた長門さんは満面の笑みで私にそう言います。

「な、長門さん!? 何をおっしゃっているんですか!?」

長門「何をも何もそのままだ! 駆逐艦は最高だ!」

 長門さんは初霜さんを高々と持ち上げると、その場でくるくると回り始めました。

 長門さんは普段かなりクールでかっこいい方なんですが、えっ、えぇ!? 何が、いったい何が!?
 というか何故初霜さん!? 確かに可愛らしい方ですが、容姿に反して結構大人っぽく、高い高いなんてものをされて喜びそうなタイプではありませんよ!?

「あー、まずい。爆発するわ」

 突然真後ろから聞き覚えのある声がしました。

陸奥「第三砲塔かしら、やっぱり」

 振り返ると、やはりそこには長門さんと同型艦の陸奥さんが……ってえ!?

「何か白い煙がたくさん出てますよ!?」

 今までどうして気がつかなかったのか分からないほど、陸奥さんの艤装から大量の煙が噴き出していました。

「って何で艤装展開してるんですか!? そしてどうして壊れかけなんですか!?」

陸奥「あー、これは爆発ね。間違いないわ」

「聞いて下さいー!?」

 その時、ピッ、ピッ、という音が聞こえてきました。その音が鳴る間隔は徐々に短くなっていきます。

陸奥「そろそろね。爆発する合図だわ」

「時限式!? 事故じゃないんですか!?」

 あの爆発は陰謀だったんですか!? 敵兵の工作だったんですか!?

 私の言葉などお構いなしに音の間隔はどんどん短くなっていきます。
 長門さんの笑い声響く中それはほとんど連続して聞こえるようになり、そしてついに陸奥さんから閃光が溢れ出し目の前が真っ白に……


******


 はっと私は目を開きました。

 薄明りの中、まず目に入ったのは見慣れた白い天井でした。横から先程聞いたばかりの電子音が鳴り響いています。
 何も考えず反射的に手を伸ばし頭の横を叩くと、小さな手応えとともに音は止みました。
 首を回すと私物の目覚まし時計が「04:50」という表示を光らせています。

 えっと……ここは私が寝泊まりしている部屋。私は今その部屋の布団の上にいます。現在時刻は〇四五〇。これは私の普段の起床時刻です。


 つまり――あれは夢、ですか。


 そのことを自覚するや否や、私は思わず顔を手で覆いました。

 どうしてあんな酷い夢を……。私、長門型のお二人に恨みでもありましたっけ? というかあれはもう別の誰かでしたよね。
 ともかく……申し訳ありません、長門さん、陸奥さん……。

 朝から罪悪感に囚われ布団の上で丸まっていた私は、その日の清掃開始を五分ほど遅らせることになりました。


******


 〇五二〇。少し遅れはしましたが、朝の掃き掃除は無事終了しました。
 私はすぐには庁舎に戻らず、掃除をしてきた門の方を見遣ります。

 四月もそろそろ終わり。桜はもう完全に散ってしまいました。少し寂しいですが、掃除は楽になるのでありがたいです。
 もうこの時間にもなれば外はすっかり明るいですが、起床時刻までまだ四十分ほどあるので哨兵以外に人影も見当たらず、辺りは静かなものです。

「Good morning! 用務員さーん!」

「ふぃよっ」

 などと思い耽っていた矢先に背後から声が。突然のことに変な声が出てしまいました。

 若干の気恥ずかしさを覚えつつ、私は振り返ります。

「おはようございます、金剛さん」

 私に声をかけた方は予想通り、金剛型戦艦一番艦の金剛さんでした。いつでも明るく元気な方で、イギリス生まれのためか恰好に似合わず少々日本語が片言です。
 朝早くにも関わらず、今日も白装束とスカートをきっちり着こなしています。髪もセットされているようですが、いつものように一か所だけ撥ねているのはご愛嬌です。

 そして予想外にもう一人、同じく戦艦の、いえ、航空戦艦の方がいらっしゃいました。

「伊勢さんもおはようございます」

伊勢「おはよー、用務員さん」

 こちらも一番艦、伊勢型の伊勢さんです。少しとぼけたところもある穏和な方で、早くから艦隊にいらしたこともあってか駆逐艦の皆さんにもとても慕われています。
 伊勢さんの方はほとんど寝起きのままで来たようで、浴衣姿で髪も下ろしていらっしゃいます。

 お二人ともこの艦隊に初めていらっしゃった戦艦の方です。

「こんな時間にどうされました? 何かお困りごとでも?」

金剛「No,no. 今日は私が秘書艦の日だからネー。気合が入り過ぎて早くに起きてしまったのデース。だから時間を潰すために散歩をしに来マシター」

「なるほど」

 司令官が好きな金剛さんらしい理由です。

「伊勢さんは?」

伊勢「私はいつもこのくらいの時間に起きてるよ。顔を洗いに行った帰りに廊下で金剛と会ってね。話してる内に私もちょっと外に出たくなっちゃって」

 伊勢さんはそう言ったあと「にしても」と続けました。

伊勢「この三人だけで集まったの、久しぶりかしら」

金剛「Oh, 言われてみればそうデース」

「最近お二人ともお忙しいですからね」

 以前はよく、この三人でお茶をしたものです。

伊勢「それは嬉しいことなんだけどね」

 伊勢さんは「うーん……」と腕組みをします。

伊勢「何だか久々に金剛の紅茶、飲みたくなっちゃったわ」

 伊勢さんがそうおっしゃった途端、金剛さんの顔が輝きました。

金剛「It's a great idea! 私も久しぶりに二人と tea time したいデース!」

伊勢「おぉ……散歩はいいの?」

金剛「No problem! 紅茶を飲みたい人と一緒に紅茶を飲むことの方がずっと大事ネー!」

 満面の笑みでそう答える金剛さんを見て、勢いに押されていた伊勢さんも自然と笑顔になりました。

伊勢「本当に紅茶好きね。用務員さんは大丈夫? 仕事中?」

「いえ、先ほど終わったところですよ。このあとは朝礼まで特に予定はありません」

 私がそう答えると、金剛さんは「では行きマショー!」と私たちの手を取りました。

伊勢「おわわっ。そんな引っ張んなくたって逃げないって!」

金剛「伊勢は足が遅いからネー。早く行くには私が引っ張らないと」

伊勢「高速戦艦の方が珍しいわよ。っていうかこの状態でそんなに違い出るはずないじゃないっ」

金剛「私の実力、見せてあげるネー」

 お二人がそんな風に掛け合いながら、私たちは庁舎に入っていきます。

 ……艦娘の皆さんは、どうしてこうも手が柔らかいのでしょうね。

 私はついついそんなことを考えてしまい、結局伊勢さんと一緒に部屋の前まで手を引かれ続けました。


******


伊勢「そういえばさ、用務員さん」

「はい、何でしょうか?」

 紅茶の準備をする金剛さんの背中から伊勢さんに目を移します。

伊勢「私たちが来るまで掃除してたみたいだけど、毎朝あの時間に仕事してるの?」

「ええ。朝から来客があったときに道が汚れていてはみっともないですから」

 そう頷くと伊勢さんは「はあー」と声を上げました。

伊勢「用務員さん、働き者だね。ちゃんと休んでる?」

金剛「それは私も心配デース」

 金剛さんが肩越しにこちらを振り向きます。

金剛「ここに来てから用務員さんが仕事していない日を見たことがない気がするネー」

「それは言い過ぎですよ。大丈夫です。睡眠時間は六時間は確保していますし、週に一回お休みの日もいただいています」

 私は苦笑しながら応えました。

 軍といえどもお役所です。後から色々言われないよう、そういうところはしっかりしているものです。

伊勢「え、週一で休んでるの? まったく気付かなかったわ……」

金剛「それでも多い気がシマース……」

 金剛さんはそうおっしゃったあと、お盆を手に持ち「HI! できましたヨー」とテーブルに戻ってきました。


伊勢「やっぱりミルクティーなんだ」

金剛「Of course! 紅茶はミルクティーが一番デス」

 ……言われてみれば、金剛さんの紅茶はミルクティーしか飲んだことがないような気がします。

金剛「どうぞ飲んで下さいネー」

伊勢「いただきまーす」

「では、いただきます」

 紅茶は熱いのですが啜るわけにはいかないので、まずは一口だけ飲みます。

「……ん。おいしいです」

伊勢「うん。金剛の紅茶が一番おいしい気がするわ」

金剛「Thank you」

 金剛さんはそう言ってにこっと笑います。

伊勢「あー」

 伊勢さんが息を吐きながら、椅子にもたれかかりました。

伊勢「こうやってると昔の暇してた頃を思い出すなあ」

金剛「昔って……まだ半年も経ってないヨー」

 今度は苦笑する金剛さんに、伊勢さんは「え?」と声を上げます。

伊勢「……あ、そっか。何だか大分昔のことみたいに感じちゃった」

金剛「前と違って最近は出撃続きだからネー」

伊勢「うんうん。活躍できるようになって本当によかったわ。最初はどうなることかと……」


「あの時は大変でしたね」

 私がそう言うと、お二人とも微苦笑されました。

伊勢「あの時期は本当に暇で暇でしょうがなかったわ」

金剛「二人とお茶できなかったら退屈に殺されていたかもしれないデース」

「予想外の戦艦二隻で、完全に資材不足に陥ってましたからねえ」

 私がそう言うと、伊勢さんははたと何かにお気付きになったような顔になりました。

伊勢「私たちって戦艦を建造しようと思って建造された艦じゃないんだっけ?」

金剛「Ah, 私も聞いたことがありマース。詳しい経緯は知りませんケド」

 伊勢さんが好奇心に満ちた目でこちらを見てきました。

伊勢「ね、ね。折角だからさ、教えてよ。用務員さん知ってるでしょ?」

「知ってはいますが……そう大した事情でもありませんよ?」

 先程伊勢さんがおっしゃった通りの事情しかありません。

金剛「だったら時間を潰すにはちょうどイイネー」

 ……なるほど。確かに。

 紅茶を片手にこちらを見つめてくる二人に向かって、私は口を開きます。

「金剛さんと伊勢さんが建造される前日のことなのですが――」

とりあえず今回はここまでで
金剛さんの話になるとはなんだったのでしょうか……

>>52
はい。舞鶴のあれです

新調したルーターさんの調子がよろしくない……
もしもしで投下してみます


******


提督「火力が足りないな」

 司令官が唐突にそんなことを言ったのは、鎮守府設立から一ヶ月ほど経った、ある日の夕食時のことでした。

雷「ちゃんと火は通っているように見えるけど。私のと交換する?」

 雷さんが司令官の食べさしの魚を見て、そうおっしゃいます。

提督「いや、今日の鯖のことじやなくてだな……戦闘のことだ」

天龍「おいおい、何だよ。オレたちじゃ力不足ってかぁ?」

 その日秘書艦を務めていた天龍さんが、横から司令官を覗き込むようにねめつけます。

球磨「どう考えても力不足だクマ。この三日間で何回深海棲艦の奴らに返り討ちにされたと思ってるクマ」

天龍「む……」

 球磨さんの言葉に、天龍さんは不満げな顔をしながらも何か反論することはありませんでした。

 確かにここ最近、出撃をしては半数の方が中・大破して帰投する、ということを繰り返しているように感じます。
 筑摩さんと大井さんを除くと、軽巡洋艦と駆逐艦の方しかいらっしゃらないという状況に無理が生じてきたようです。

時雨「うん。それは僕も思っていたよ。提督、もう少し改装した艦が増えるまで今の海域への出撃は控えた方がいいんじゃないかな?」

夕立「新しい海域の制圧より、制圧した海域で練度の上昇も兼ねた殲滅戦をした方がいいっぽい?」

 時雨さんの提案に、夕立さんが首を傾げながら物騒な内容の発言を続けます。

 夕立さんって無邪気な顔で時々怖いことをおっしゃるんですよね……。


提督「そうしたいのはやまやまなんだが……」

 司令官は束の間、渋い顔で口を真一文字に結びました。

雷「どうかしたの、司令官?」

提督「……実は上から早くあの海域を制圧しろとせっつかれていてな。まだ難しいと言ってはいるんだが、どうにも聞き入れてくれそうにない」

 静かな食堂に司令官の声が響きます。いつの間にかここにいる方全員が司令官の言葉に耳を傾けていました。

天龍「……大丈夫なのか?」

提督「今は中将殿が抑えてくれているが……このままだと私の指揮官としての能力に疑問を持たれるかもしれないな」

時雨「それって……」

 時雨さんは言葉を詰まらせました。皆さんも不安そうに囁き合い、食堂があまりよくないさざめきに満たされます。

 その時「フンッ」と鼻を鳴らした方がいました。

曙「ほんと、あいっかわらずクソね!」

 それは曙さんでした。いつものように険しい視線で司令官の方を睨みつけています。

提督「すまない。私の力不足のせいで君たちに――」

曙「クソ提督のことじゃないわよ! 上よ、上!」

 謝りかけた司令官を、曙さんは一喝します。

曙「現場の声なんて聞く気のない阿呆がいるか、クソ提督を自分の息のかかった人間に挿げ替えようとしているか、ともかくロクでもない奴の仕業に決まってるじゃない! それくらいクソ提督でも分かってるんでしょ!? それをアンタと来たら……何でもかんでもほいほい謝るんじゃないわよ、このクソ提督!」

 曙さんはもう一度フンッ! と鼻を鳴らすと、何か返事をされることを拒否するように、そっぽを向いて湯呑みに口をつけました。

 ……ふふ、可愛いお方です。


漣「まあ要するに『アンタはよくやってくれてるんだから堂々としときなさい。……ありがと』ってことですよ、ご主人様」

 お茶を飲んでいた曙さんの喉から形容できない音が鳴り、曙さんは思い切り咳き込み始めました。すかさず隣の潮さんが背中をさすります。

潮「だ、大丈夫?」

曙「え、ええ。ありがと、潮。……って漣ぃ! なに人の声色使ってんのよ!」

漣「似てたでしょ?」

 漣さんがとぼけた調子でそうおっしゃると、曙さんの顔はいよいよ真っ赤に染まります。

曙「誰もそんなこと訊いてないわよ! 声色真似てまで何言ってんのってことよ!」

漣「曙の本当の気持ちですが何か」

曙「何勝手に代弁してんのよ! 私は上層部の奴がムカついただけで、このクソ提督を励ます気も、ましてや感謝する気なんて毛頭ないわよ!」

漣「はいはいツンデレ乙」

曙「え、は、つん……? ああもう! 日本語喋りなさいよぉ!」

 漣さんはたまに何を言っているか分からなくなることがあります。インターネット上で使われる言葉らしいですが、そういうものに疎い私にはよく分かりません。

提督「そうか……。ありがとうな、曙」

曙「ち、違うって言ってるでしょこのクソ提督っ!!」

 曙さんは、恐らく先程とは違った意味で顔を真っ赤にすると、またそっぽを向かれました。

 本当に可愛いお方です。


 顔がにやけていないか触って確かめていると、「で、提督〜」という間延びした声が聞こえてきました。

北上「どうすんの? 新しい装備でも開発する?」

提督「いや……今までよりも資材を多く配分して、重巡洋艦を建造しようと思う」

 司令官がそう言った途端、食堂にざわめきが走りました。

白露「建造で重巡?」

時雨「一度だって出たことないよね」

涼風「それどころか最近まともに艦娘の建造にすら成功してねぇぜ?」

五月雨「そういえば私たちの強化用素材ばっかり開発しちゃってるような……」

夕立「資材の無駄遣いに終わりそうっぽい?」

村雨「提督、幸薄そうだしねー」

 ……まあ、そういうことなんですよね。

 単なる技術の問題なのか、村雨さんが言うように司令官の運が悪い所為なのか、艦娘の建造成功率は五割ほどなのです。
 そんな状況で、出たこともない重巡を狙って建造するなどと言えば……皆さんの反応も納得がいくというものです。

提督「君たち、なかなか辛辣だね……」

 白露型の皆さんの会話が耳に入ったようで、司令官は顔を引きつらせます。

叢雲「今までの失敗具合を考えたら当然よ」

提督「まあ、それはそうだが……」


初春「筑摩さんや、これなら重巡ができる、という配分は分からんかのう。こう重巡洋艦特有の勘のようなもので」

筑摩「うーん……ちょっと難しいかしらね」

 筑摩さんは・に手を当てて苦笑します。

 ……ふむ。

 今の今まで黙っていた私は、口の横に手を添えました。

「妖精さーん」

「はいよー」

 間髪を容れず返答があり、小さな小さな人影が隣のテーブルに降り立ちました。

荒潮「わ。びっくりしたわあ」

満潮「とてもびっくりしたようには見えないわね……」

 平時と変わらずおっとりとした声を上げる荒潮さんに呆れたように応じる満潮さんの横で、朝潮さんが不審そうな目付きでこちらを見上げてきました。

朝潮「……待機させていたんですか?」

「いえ、そんなことはしていないはずなんですが……」

 まさか呼んだ直後に上から降ってくるとは思いませんでした。

大潮「いつからいたんですかー?」

妖精「……いたと思ったときから」

 妖精さんは自分でそう言って首を傾げました。


 この珍妙な生き物――かどうかすら分かりませんが――は私たちから「妖精」と呼ばれている存在です(ちなみに国が決めた通称です)。
 随分とファンタジックな名前ですが、それに勝るとも劣らない不思議さを妖精さんたちは兼ね備えています。
 妖精さんたちのやることなすことは、あと百年経ったとしても人類には真似できなさそうなことばかりなのですが、その最たるものに『艦娘を建造できる』というものがあります。妖精さんたち曰く「自然発生の条件を整えて降ろしてきているだけ」とのことですが、何を言っているのかよく分かりませんし、何をしているのかはさっぱり分かりません。

 ともかく妖精さんは艦娘を生み出すことができます。この艦隊の約半数は妖精さんが生み出した子たちです。

妖精「それで、何か御用で?」

「あ、はいはい。そうでした」

 妖精さんに話しかけられ、私は我に返ります。

「実はお聞きしたいことがありまして」

妖精「はいよ」

「重巡洋艦を建造できる資材配分って分かりませんか?」

 私がそう言うと、妖精さんが何か言うよりも早く、司令官が「ああ」と声を出しました。

提督「それは駄目だよ。私も以前訊いてみたが、分からないと言われた」

「あら、そうでしたか」

 まあ、よくよく考えてみれば訊いていないはずがないですよね……。少し考えが足りませんでした――

妖精「分かりますが?」

 食堂がシン、と静まり返りました。

提督「……何っ」


 司令官が遅れて立ち上がります。

提督「前に君たちに尋ねたときは分からないと言っていたじゃないか」

妖精「はあ。あの後統計取って計算してみたらすぐに分かりまして」

 事もなげに言う妖精さんに、司令官はこめかみを押さえます。

提督「分かった時点で教えてほしかった……」

妖精「訊かれなかったので忘れとりました」

提督「……ああ、うん。そう」

 力なく椅子に戻る司令官の背中を、天龍さんは優しく叩きました。

 妖精さん……。まあ、妖精さんらしいですけど。

「……あ、えっとそれで、分かるんですね?」

妖精「確率は最高で六割程度ですが」

 妖精さんは首を縦に振ります。

提督「六割か。それは凄いな」

 あ、司令官が立ち直りました。

提督「資材配分の方はどうなっている?」

妖精「ちょいとお待ちをー」

 妖精さんはどこからか小さな紙とペンを取り出すと、何か書きつけ始めました。
 しばらくして「計算しゅーりょー」と声を上げ、妖精さんはペンの先で紙を二回叩きました。すると紙はふわりと浮きあがり、独りでに司令官の元まで飛んでいきました。

提督「……驚いたら負けだな、これは」

 司令官はそう呟いたあと、手に取った紙に目を落としました。


天龍「うへぇ。結構使うなあ」

 横から紙を覗きこんだ天龍さんが眉をひそめます。

提督「まあ、これで二回に一回以上重巡が来てくれるなら安いものだな。……君、重巡洋艦の建造にはどのくらいの時間がかかるんだい?」

妖精「へえ、まあ一時間から一時間半くらいかと」

 司令官はふむ、と呻ったあと、すぐに口を開きます。

提督「では明日の〇五三〇より、この配分で二隻の艦娘の建造を開始してくれ」

妖精「今から始めないので?」

提督「新人が来ると色々とやることができるからな。今から始めると終わる頃にはもうすっかり夜だ。都合が悪い」

妖精「なるほどー。では明日の〇五三〇より二隻ですなー」

提督「ああ、しっかり頼む」

妖精「らじゃー」

 妖精さんは日本軍には似合わない返答をするとすぐにテーブルから飛び降りました。咄嗟に床に目を遣りましたが、その姿はもうどこにもありません。本当に神出で鬼没な方たちです。

 それにしても……新しい艦娘ですか。それも恐らく重巡洋艦です。筑摩さんを見るに、比較的大人っぽい方がいらっしゃるのでしょうか?
 何にしても明日が楽しみですね。

 私はまだ見ぬ方に思いを馳せながら、鯖に箸を入れました。

今回はここまでで

途中まで慣れないスマホからの投下でいつもより誤字が見受けられますが、気にしないでいただけたら幸いです……
>>71で筑摩さんが手を当てているのは「頬」です

ルーターの調子もよくなったようなので、次回はスムーズに投下できると思います
ではまたの機会に


******


 翌日〇七〇〇、私は司令官たちとともに工廠に向かっていました。

 名目は掃除です。新しくいらっしゃる重巡洋艦がどんな方なのか気になり、少々無理を言ってついてきました。

由良「誰が来るのかな? 高雄型か青葉型の人が来てくれたら話も合うかな」

筑摩「やっぱり私は利根姉さんに来てほしいわ」

提督「とりあえず誰が来ても歓迎だからな」

 本日の秘書艦の由良さんと、重巡が来るならとご本人たっての希望で筑摩さんが、司令官の横について歩いています。

提督「さて、と。到着だ」

 「工廠」というプレートが打ちつけられている扉の前で、司令官は立ち止まります。
 司令官は扉を二回拳で叩くと、横に大きく開きました。

提督「失礼する。もう完成しただろうか?」

 司令官がそう言いながら工廠に入っていきます。私も由良さんと筑摩さんに続き、中へと入ります。

妖精「うわ、まず……」

妖精「時間だった……」

妖精「どうするです?」

妖精「……あれを使いましょか」

 ……嫌な予感しかしないというか丸聞こえです。


提督「……君たち、一体何を」

妖精「少々お待ちをー」

妖精「もうできまーす」

 手前にいる妖精さんたちが必死で手を振りながらそんなことを言う中、艦娘を建造するブラックボックス、通称「ドッグ」の横へ何かを持ってこそこそと駆けつける妖精さんが数人いらっしゃいました。これも丸見えです。

提督「君たち誤魔化さなくていいから怒らないから、おい何をっ……!」

由良「あ、高速建造材……」

妖精「えいっ」

 由良さんがその正体に気付いたのと同時に、妖精さんたちはドッグにそれらを放り込みました。

 たちまち轟音が鳴り響き、ドッグから炎がちろちろと漏れ出てきます。

「わあ!? だ、大丈夫なんですか!?」

由良「高速建造材を使ったらいつもこんな感じ!」

筑摩「でも一体どうしたっていうの!?」

 ガズバーナーの音を何十倍にも大きくしたような音のせいで、大声を出さないと会話もできません。

 しかし十秒も経つと、その音も止み、また辺りはすっかり静寂を取り戻しました。

提督「……君たち、資材は、こと高速建造材といった君たちでも増やせない資材に関してはこちらの許可なく使わないという約束だったはずだが」

妖精「いやあ、一時間から一時間半でできると言ってしまった手前……」

 なははー、と笑う妖精さん。


提督「……どういうことだ?」

妖精「百聞は一見に如かずですな。おーぷん」

妖精「らじゃ」

 ドッグ横の妖精さんはそう返事をすると、司令官が止める暇もなく、二つのドッグの扉を開きました。

 中には目を瞑った若い女性が立っていました。見た目の年齢は、どちらの方も二十歳前後、といったところでしょうか。どちらの方も和装のようですが……艤装が今まで見た方々に比べて段違いに大きいです。特に片方の方なんて体中が砲塔の艤装で覆われているような状態です。

提督「ああっ……まったく」

 司令官は新しくいらした方を驚かせてはいけないと思ったのか、それだけ言うと、妖精さんを叱るようなこともなく、ドッグに歩み寄ります。

 そうするとドッグの中にいる方が、二人ほぼ同時に目を覚ましました。

 私たちと目が合い、きょとんとした表情でこちらを見てきます。

提督「……すまない。訳が分からないだろうが、まずはそこから出て来てくれないだろうか」

「え……あっ、了解!」

「わ、分かりマシタ」

 二人は少々ぎこちない足取りでドッグから出てきました。

筑摩「あの砲塔は……」

提督「どうした?」

筑摩「い、いえ……」

提督「そうか? まあ、言いたくなったら言ってくれ」

 司令官は筑摩さんから再びお二人に向き直りました。


提督「各々、名前を教えてくれないだろうか。自分でもおかしいとは思うだろうが、思い浮かんだ自分の名前をそのまま言ってほしい」

 司令官がそう言うと、最初二人は呆気にとられた表情をしていました。しかし次第に目を丸くしていき、ご自分の体を見回したり、手のひらをじっと見詰めたりなどします。

提督「君たちが艦であることはこちらも承知している。混乱しているだろうが、教えてくれ。君たちの名前を」

 司令官が再度言うと、お二人ははっとこちらに向き直りました。

「は、はい! 伊勢型戦艦一番艦、伊勢です!」

「こ、金剛デース! 金剛型戦艦のlead shipデス!」

 ……………………はっ?

 私たちは揃って固まりました。時間でも止まったのかと思うほど、ぴたりと動きを止めました。
 先程まで格好よく決めていた司令官でさえも、驚きの余り口が半開きになっています。

 ただ、そこは流石司令官。まっさきに硬直から回復すると、唇を一度湿らせ、口を開きます。

提督「……わ、分かった。伊勢と、金剛だな。では、少し待ってくれ。――総員集合!」

 司令官の号令がかかり、私たちは慌てて司令官の元に集まります。


提督「戦艦だと!? 聞いていないぞ!」

 小さく円陣を組むと、いのいちに司令官が小声で叫びます。

筑摩「重巡が来るんじゃなかったの?」

妖精「六割弱の確率で来るはずだったのですがなあ」

由良「まさか残りの四割の確率って……」

 由良さんの言葉に妖精さんは「うむ」と頷きます。

妖精「さっき計算してみたら、四割弱で戦艦が来る配分になっとりました」

 そんな馬鹿な。都合がよすぎます。
 などと言っても事実いらしているので仕方がありません。

「で、でも司令官。これは凄いことですよ! これ以上ないくらい火力の増強に繋がったはずです」

 私は「だからそういうことは……」と頭を抱える司令官に言います。

 現代でこそ主流ではありませんが、当時の高火力艦といえば戦艦です。目論見は外れましたが、目的は達成できているでしょう。

「それに、少し古めとはいえ先の大戦でも多くの活躍を見せた『金剛』に、ほぼ終戦まで生き残った『伊勢』ですよ?」

 そう言って、同意を求めるため艦娘のお二人に目配せをします。

筑摩「そうですね。お二人とも凄い方です。……レイテも生き延びたはずですし」

 筑摩さんはそう言ったあと「ふふふ……」と虚ろな目で笑いました。

由良「終戦かぁ……。遠いなあ」

 由良さんも遠い目をなされます。


「あ、いえ、すみません。そんなつもりじゃ……」

 ああしまった気遣いが足りなかった、と後悔しながらそう言うと、由良さんは何かを振り払うかのようにぶんぶんと頭を振りました。

由良「ううん、気にしないで。こちらこそごめんなさい。……ともかく、戦艦が来てくれたのは心強いかな」

筑摩「ええ。同じ重巡が来てくれなかったのは残念だけど、今までよりもぐっと戦いやすくなると思います」

提督「……そうだな」

 司令官は大きく息を吐きました。

提督「急なことに少し混乱していた。すまなかった」

由良「ううん。でもこれで提督さんの運が悪いなんて誰も言えなくなったんじゃない?」

提督「だといいがな」

 司令官はそう言うと、腰を伸ばし、再度伊勢さんと金剛さんに向き直りました。
 そして不安そうにこちらを見るお二人に、司令官は話しかけます。

提督「待たせてしまったな。ではまず、軽い自己紹介と、君たちの現状について説明したいと思う。私はこの――」

******


「……とまあ、ここからはお二人もご存知の通りです」

 私はそう言って、紅茶に口をつけます。うん、飲みやすい熱さになってちょうどいいです。

金剛「とても大したことデース!?」

 金剛さんが珍しく、音を立ててながらカップを置きました。

「え?」

金剛「私たちが来なかったら、提督は提督じゃなかったのかもしれないのデース!」

 金剛さんは両腕を振りながら言います。

「ああ……。それは確かに大したことですが、金剛さんたちがいらしたのは妖精さんのうっかりが原因ですから」

 そう言うと、伊勢さんが「んふっ」と吹き出しました。

伊勢「私たちってうっかりでここに来たんだ。何だか面白いわね」

金剛「ンー……うっかりは嫌デスネー……」

 金剛さんは納得のいかなさそうな顔をされます。

金剛「……Yeah! 運命デース! 運命がいいデース!」

伊勢「運命?」

金剛「そうデス。私は提督と出会う運命だったのデース。It was my destiny.」

 金剛さんは手を合わせて満足げに微笑みます。


伊勢「金剛らしい結論ね」

 伊勢さんはそう言って紅茶を飲んだあと、急に何かに気付いたような表情になりました。

伊勢「……でもだからかー。あの後、ほとんどすぐに実戦だったのは」

「ああ、恐らくそうですね」

 お二人は異例の早さでの実戦投入でした。本当はもう少し演習などを重ねるところなのですが、余裕がなかったですからね。

伊勢「で、新海域の制圧は完了したけど、私と金剛が中破して深刻な資材不足に陥ると」

金剛「Oh....思い出したくもないネー」

 伊勢さんが続けた言葉に、金剛さんはげんなりとした顔をなされます。

 あの時の資材消費量は私も見せてもらったのですが……戦艦とは色々な意味で恐ろしいものだと思いました。

伊勢「修理はしたけど燃料ないから補給できないまま港に留まるなんて、ほんと晩年を思い出したわ」

 そう言って伊勢さんはあははー、と笑います。

 ……えーと、どう返事をしていいものやら。

金剛「伊勢、笑えないジョークは止めるネー……。用務員さんも微妙な顔をして固まってマース」

伊勢「あ、ごめんごめん」

「い、いえいえ」

 私がそう言って首を振った時、庁舎に軽快なラッパの音が響き始めました。


伊勢「あ、起床ラッパ。もうそんな時間?」

 私は腕時計に目をやります。

「〇六〇〇。ぴったりですね」

金剛「では部屋を出まショー。片付けは後で私がやっておきマース」

「すみません」

伊勢「よーし、じゃあ食堂に行きますか」

 伊勢さんがそうおっしゃいながらドアを開け、廊下に出ます。

「あ、でも――」

「ひえーっ!?」

 私の言葉は、すぐさまそんな特徴的な叫び声に遮られました。
 声のした方を見ると、すぐそこでこちらを見てわなわなと震えている方がいらっしゃいました。

 ショートカットの茶色い髪に、少しあどけなさの残る顔。そして服装は金剛さんとほぼ同じであるこの方は……

金剛「Oh....比叡、これは」

比叡「どうして金剛お姉さまのお部屋から!? 一晩を共に過ごしたんですか!? 消灯後も語り合ったりしたんですか!? ガールズトークとかしたんですか!? 私でもお泊りなんてしたことないのにー!!」

「あの、私はもうガールという歳ではないのですが……」

伊勢「用務員さん、訂正するところそこじゃないから」

 伊勢さんに冷静に言われてしまいます。しかしとうの昔に成人式もすませた女がガールを名乗るのはちょっと……。


 今私たちの目の前で地団駄を踏んでいるのは金剛さんの姉妹艦のお一人、二番艦の比叡さんです。
 金剛さんには三人の妹さんがいらっしゃいます。どの方も金剛さんのことをとてもお慕いなさっているのですが、比叡さんはその中でも特に金剛さんのことを好いている方です。噂では司令官にライバル宣言までしたとか。家族愛と男女間の愛は別物だと思うのですが、はて……。

金剛「比叡、落ち着くネー。別にそういうワケでは――」

比叡「お姉さまー! どういうことですかー!」

金剛「Ah, 話を聞いてくれないネー……」

 比叡さんに揺さぶられ、金剛さんは諦めたように呟きます。

「朝から騒々しいな……」

 金剛さんと比叡さんを見ながらどうしたものかと思案していると、そう言いながら後ろから来る方がいました。

伊勢「あ、日向。おはよー」

「おはようございます、日向さん」

日向「ああ、おはよう。……用務員さんがこんな時間にここにいるとは珍しいな。伊勢、お前また何かしたのか?」

伊勢「どうして私がやらかしたことが前提なのよっ」

 いらっしゃったのは、今度は伊勢さんの同型艦、伊勢型二番艦日向さんでした。容姿はとても伊勢さんと似ていらっしゃいますが、伊勢さんとは対照的に落ち着いた雰囲気を持つ方であり、どこか哲学者然としたところもあります。しかし、実は結構自信家であるという話もちらほらと。

伊勢「金剛の部屋でお茶飲んで、出てきたところを見た比叡が勘違いしているだけよ」

日向「ふーん……三人でお茶?」

伊勢「そうよ」

日向「そんな間柄なんだ」

 日向さんは表情を変えずに私たちを見回しました。


 あまり興味がなさそうに見えますが、元より感情の起伏を顔に出す方ではないので、外見からでは判断がつきません。

伊勢「私が来たばかりのことなんだけど……ま、その内話してあげるわ。今は食堂に行きましょ。金剛の方はまだ時間がかかりそうだし」

 そう言って伊勢さんは歩き始めました。って、いやいやいや。

「伊勢さん、駄目ですよ」

伊勢「えっ、何で?」

 伊勢さんが驚いた顔で振り返ります。

日向「伊勢、その恰好で朝礼に出るつもりか?」

伊勢「……あっ」

 伊勢さんはご自分の恰好を見下ろして、ようやくお気づきになりました。

 私たちは庁舎の入り口で会ってから金剛さんの部屋へと直行させられたので、服はもちろんその時のものです。
 つまり、私はともかく、伊勢さんは寝巻の浴衣のままなのです。

伊勢「うわ、まず。着替えてくるっ」

日向「ふむ。遅れたら、伊勢は部屋を散らかし過ぎてついに扉も開けられなくなったと伝えておこう」

伊勢「ちょっとぉ!? 悪質な嘘吐かないでよ! それ本気で怒られるから冗談でも言わないでよ!?」

 そして「先に行ってていいから!」と言いながら、伊勢さんは自室に勢いよく駆け込んでいきました。

日向「まったく……仕方のない奴だ」


 日向さんは短く息を吐くと、廊下の壁にもたれかかりました。
 そしてすぐに私の方を向き、小さく首を傾げました。

日向「……何故私の方を見て、笑っているのだ?」

「えっ? わ、笑っていましたか? すみません」

日向「いや、別にいいのだが……こう、微笑ましいものを見るような目だったからな。気になってしまって」

 ……簡単に読み取られていますね、私。

「あー……えっと、ちゃんと伊勢さんのことを待ちなさるんだな、と思いまして」

 私がそう言うと、日向さんはまじまじとこちらを見つめたあと「ふむ」と小さく呻りました。

日向「まあ、一応姉妹だしな」

「……そうですね」

 私はそう言って笑いました。

 伊勢さんと金剛さんとお茶をする機会が減った理由に、お二人とも忙しくなったから、ということも確かにあるでしょう。
 しかし、それよりずっと大きな理由に、姉妹艦がいらしたから、というものがあると私は思っています。事実、設立時からいらっしゃる方の中で、あえて仲が一番良い方同士を選ぶとしたら、同型艦の吹雪さんと叢雲さんであるように思います。

 何とかしようとおろおろしていた榛名さんに代わり、金剛さんから比叡さんを引き剥がす霧島さんを見て、私は一抹の寂しさを覚えつつ、同時に当然のこととしても受け止めていました。

 ……やはり兄弟姉妹というのは、大切なものですからね。

 そうして私は皆さんを待つために、日向さんと同じように壁にもたれかかりました。

今回はここまでで

私事ですが、先日2-4をクリアしました。もっと苦労するかと思っていたのですが、意外とすんなり一発クリアできました
北や西は今までより格段に難易度が上がると聞くので……さーて、またちまちまとレべリングしなければ

次は島風さんが出てくる話になります
ではまた

>>76 やはり「妖精さん」というとイメージがそちらに引っ張られて……

>>90 >>1の表現不足でした。申し訳ないです


「おっそーい!」

 そんな元気な声が聞こえてきたのは、夕食も終わりしばらく経った一九〇〇の頃でした。
 タッタッタッ、と軽快に床を蹴る音が近づいてきます。

 こちらに来るようですね。

 私が作業の手を止めて声のした方を見るのと、その方が廊下の角から出てくるのは同時でした。

「あ! 用務員さーん!」

 そう言って頭につけた大きなリボンを揺らしながら私の横へ駆け寄ってきたのは、島風型駆逐艦一番艦――といっても島風型は彼女しかいませんが――の島風さんでした。
 私は手に持っていた画鋲を掲示板の適当なところに刺し、島風さんと向かい合います。

「こんばんは、島風さん。どなたかと競走されている最中ですか?」

島風「うん! 暁型のみんなと駆けっこしてまーす!」

「あら、それはいいですねえ」

 嬉しそうな顔をする島風さんを見ていると、なんだかこちらの気分も弾んできます。

 来たばかりの頃は少々心配でしたが、もうすっかり馴染まれているようで……本当によかったです。

「どちらまでですか?」

島風「二階の柱時計まで!」

「ではあと少しですね。他の方とぶつからないようお気をつけ下さいね」

島風「はーい!」

 島風さんが元気よく手を挙げたそのとき、彼女の横を黒い影が風を切って駆け抜けました。


 驚いてその影が走り去った方向に目を向けると、階段を少し上ったところでキュッと音を立てながらターンをして、自慢げな顔でこちらを見下ろす方が一人いました。

「こんなところでお喋りなんて余裕ね、島風。でも一人前のレディなら何事にも最後まで手を抜かないものよ! この勝負、暁が頂いたわっ!」

 そう言ってビシッと指を突き付けてきたのは特型駆逐艦二十一番艦……いえ、彼女はこの言い方を好みませんね。特III型、もしくは暁型駆逐艦の一番艦、暁さんでした。今日も黒のローファーが眩しいです。

 ところで言っていることはその通りだと思いますが、そもそもレディは駆けっこをしないのでは?
 とは言ってはいけないんでしょうね。

 相変わらず暁さんは背伸びしている姿が可愛らしいですねえ。

 そんな微笑ましい気分になっていると、お隣から「にひひっ」という笑い声が聞こえてきました。見ると島風さんが下を向いて笑顔を浮かべています。

島風「暁ちゃん、それで本当に勝てたと思ってるの?」

暁「ど、どういう意味よ」

島風「だからー……」

 島風さんはたじろぐ暁さんに向かって顔を上げました。

島風「島風からは、逃げられないってこと!」

 島風さんは弾丸の如くその場から飛び出しました。気付けばもう階段に足をかけています。暁さんもこれはまずいと思ったのか、慌てふためき手をジタバタさせながら階段を駆けのぼっていきました。

 ……かっこいい台詞ですけど、やっぱり駆けっこのことなんですよねー。


 さてお仕事再開しましょうか、と一枚の張り紙を手に取ったとき、またばたばたと廊下を走る音が聞こえてきました。

 振り向くと、暁さんの姉妹艦の方々が勢ぞろいで走ってきていらっしゃるところでした。

雷「用務員さん! 暁と島風を見なかったかしら!」

「こんばんは、雷さん。お二人でしたら先程階段を駆け上がられたところですよ」

響「やっぱり行ったあとのようだね」

電「さ、さすがにもう追いつけないのです」

 三人はそろってスピードを緩め、私の横で足を止めました。

「追いかけなくてよろしいのですか?」

響「ここまで水をあけられるとね。島風もいるし、もうお手上げだよ」

 そう言って肩をすくめたのは暁型二番艦の響さんでした。外人さんめいた容貌と落ち着いた雰囲気が相まって、その動きはとても様になっています。

雷「水雷戦隊にいたときから分かってたけど、やっぱり島風は速いわね。競走じゃ敵わないわ」

 三番艦雷さんも腰に手を当てて口を尖らせました。普段は面倒見のよいしっかりとした方ですが、こういう子供っぽい仕草もとてもお似合いです。

電「でも駆けっこに誘ってくれるくらい仲良くなれてよかったのです」

 そう優しく微笑む四番艦の電さんは姉妹の中でも一際幼い姿をされていますが、こう見えて鎮守府最古参組のお一人です。同じく設立時からいた身としては色々とお話もしやすく、ついつい頼ってしまうこともあります。


「それは皆さんが――」

 カシャンッ、と。
 突然ガラスの割れる派手な音が耳に飛び込んできました。手元が狂い、持っていた貼り出しが破れます。

 あ、那珂さんのライブ告知のビラが……。いえ! それよりも今は先程の音です!

 とりあえず床にポスターを置き、階段に向かって駆け出します。
 階段を一気に駆け上がると、廊下の角でへたり込んでいる島風さんと、その傍で棒立ちになっている暁さんが見えました。

「どうされまし……!?」

 お二人の元まで走り、角の向こうが見えた私は息を呑みました。

 外に面した窓が大きく割れていました。

 そして、泣きそうな顔をした三隈さんと左腕を赤く染めた最上さんがいらっしゃったのです。

「最上さん!? どうしたんですか!?」

最上「ああ、用務員さん。大丈夫大丈夫。これくらいかすり傷だよ」

三隈「嘘おっしゃいなさい! これのどこがかすり傷なの!」

 三隈さんがほとんど悲鳴のような声をあげました。びくっ、と島風さんが横で身を竦めます。

 ……なるほど。だいたい事情は呑み込めました。

「わかりました。とりあえず最上さんは医務室へ――」

 私がそう言いかけたとき、唐突に「最上っ……!」と言う声とともに飛び込んできた方がいらっしゃいました。

最上「あ、日向さん……」

日向「大丈夫か? ……結構派手にやったな」

 いらしたのは日向さんでした。本当に珍しく、取り乱した表情をしてらっしゃいます。


日向「傷はそこまで深くもなさそうか……。また誰かと衝突したのか?」

 またびくりと島風さんが身を縮めました。日向さんがそれに気づき、顔を島風さんに向けます。

日向「ん? 島風がか?」

島風「ぁっ……ぅぁ……」

 島風さんは口を開きましたが、何を言えばいいか分からない様子で唇を震わせるだけです。

 これはいけません。

 お二人の間に入ろうとしたその瞬間、島風さんが這うような姿勢で駆け出しました。

「し、島風さん!?」

 名前を呼んでも止まりません。いつものような綺麗なフォームではなく、足をもつれさせるように走り、それでも島風さんは速く、あっという間に見えなくなってしまいました。

日向「……どういうことだ?」

最上「日向さん、あれは怯えちゃいますよ……」

日向「……そうか?」

 日向さんは最上さんの腕を取ったまま、頭を小さく傾けました。

 そのとき島風さんが走り去っていった方向から複数人の足音が近づいてきました。


雷「今、島風がもの凄い速さで……ってどうしたの最上さん!?」

電「はわわっ!? 大変なのです!」

 いらっしゃったのは響さん以下暁型のお三方でした。雷さんと電さんが慌てる中、響さんは棒立ちになっている暁さんに目を向けます。

響「暁、何があったんだい?」

暁「え、あ、えっと……島風が、最上さんに衝突しちゃって、そのあと逃げ出しちゃって……」

響「……なるほどね」

 響さんは「まったく……」と呟いて、視線を下げました。

電「え、えっと、あの! 島風ちゃんは混乱しただけだと思うのです! 本当は怪我させた相手に何も言わずに逃げ出すような性格ではないので、あの、あの……!」

最上「大丈夫だよ。分かってるって」

 最上さんは笑いかけ、電さんの頭にぽんぽんと手を置きました。

最上「島風がそんな悪い子だなんて思ってないから、安心して。ね?」

電「は、はい。……ごめんなさい、気を遣わせてしまって」

最上「ううん。そんなことないさ。……というか島風は大丈夫かな。心配になってきたよ」

 最上さんはそうおっしゃって眉を寄せますが……。

「あの、最上さん。お気持ちは分かりますが、そろそろ医務室へ行ってください。島風さんは私が絶対に見つけますので」

 血はほとんど止まったようですが、痛々しい傷はそのままです。


三隈「そ、そうよモガミン! 早く軍医に診てもらわないと」

最上「うん……まあ仕方ないかー。じゃあ用務員さん。島風に会ったらボクは怒ってないよって伝えておいてくれないかな?」

「了解しました」

 私が頭を下げると、最上さんは「ありがと」と微笑みました。

最上「それじゃあ行くとしますか」

 最上さんがそう言って立ち上がろうとした途端、すかさず日向さんがその背と足に手を回し、羽毛布団でも持ち上げるかのように軽々と最上さんを抱き上げました。

最上「うわっ!? 日向さん!?」

日向「私が医務室まで運んでやろう」

最上「大丈夫ですって! 自分で歩けます!」

 顔を赤くして足をばたつかせる最上さんでしたが、その横で三隈さんがくすりと笑いました。

三隈「怪我人は安静にしておくものよ、モガミン?」

日向「そうだぞ。大人しく私に運ばれておけ」

最上「ああっ、もう。恥ずかしい……」

 最上さんは片手で顔を覆います。
 日向さんはそのまま一歩踏み出した後、その足を止め、顔だけをこちらに向けました。

日向「私も特に怒っていないと、島風に言っておいてくれ」

「……あ、はあ。はい、了解しました」

 日向さんは「うん」と頷くと、また前を向いて歩き始めました。


 ……存外気にしていたのかもしれませんね。

 何か話しながら去っていく日向さんたちの後ろ姿を見ながら、そんな感想を抱いていると「ねえ!」と呼びかける声がありました。

雷「島風を探すの、私も手伝うわ!」

 雷さんが手を挙げながら、元気よくそうおっしゃいました。電さんもその後ろで「私も……!」と胸の前で拳を握っています。

 お気持ちは嬉しいのですが……。

 私は首を振りました。

「大丈夫です。実を言うと島風さんの居場所の見当はついているんです。それに、あまり多くの人数で行くのもよろしくないでしょうし」

 雷さんはじっとこちらを見つめましたが、しばらくして「そうね……分かったわ」と首肯しました。

雷「それじゃあ私たちは……ガラスの片付けをしておこうかしら?」

「いえいえ! それはちょっと危ないです!」

 私は慌てて止めます。

 これ以上怪我人が出ては大変です。
 と言ってもまた雷さんの厚意を無碍にするのもどうかと思いますし……本来は私の仕事ですが、お任せしてしまいましょう。

「でしたら、下に落ちた窓ガラスの周りにカラーコーンを置いていただけないでしょうか。コーンは通常船舶用のドックの西側に置いてありますので」

 そう言うと雷さんは「了解したわ!」と笑顔を浮かべてくれました。

電「あの、島風ちゃんのこと、よろしくお願いするのです」

「もちろんです」

雷「じゃあ行くわよ!」

響「……ほら暁。行くよ」

暁「あ、うん……」

 暁さんは後ろ髪を引かれるように何度かこちらを振り返りながら、響さんに連れられ階段を降りていきました。

 私はそれを見送ったあと、踵を返します。

 では、島風さんを迎えに行くとしましょう。

今回はここまでで

読んでくれていた大半の方は用務員さんのことを男性だと思っていたのかもしれませんね
>>1の表現力のなさを痛感します……

あと一応>>92>>1の酉忘れです

それでは

血だらけのもがみんか……有りだな……


******


 庁舎の一番奥にある人気のない階段。私はその階段を静かに降りていました。
 一階まで降りると、私はすぐに階段の下へ回り込みます。
 足音ですでに気付いていたのでしょう。階段下の空間で三角座りをしている島風さんと目が合いました。

「やっぱりここでしたね。……お隣、よろしいですか?」

島風「……うん」

 か細い声でしたが、島風さんは頷いてくださいました。

 私はそう大きくないスペースに体を潜り込ませます。

 ここも少し懐かしいですね。

島風「あ、あの、用務員さん」

「はい、どうされました?」

島風「その、最上さんは……大丈夫?」

 島風さんは不安そうな、それでいて申し訳なさそうな顔で尋ねてきました。
 私は島風さんに微笑み返します。

「ええ。ほとんど血も止まっていましたし、もう日向さんたちと医務室へ行きましたから。そう大したことにはならないかと」

島風「そっか……」

 島風さんは安堵のため息を吐いたあと、またすぐに固い表情に戻り、膝にあごを乗せました。

島風「逃げたのに、容体を聞いて安心するなんてちゃんちゃらおかしいよね」

 何かを堪えるように、声に抑揚をつけず島風さんは言います。

島風「どうして、逃げちゃったんだろ」

 ……ふむ。


「何故逃げ出してしまったのか、分からないのですか?」

島風「……うん。最上さんの怪我を見たら頭が真っ白になっちゃって、日向さんに訊かれてぐちゃぐちゃーってなって、気が付いたら……」

 島風さんの頭がずるずると膝と胸の間に沈んでいきます。

島風「やっぱり、一人でいた方がいいのかな」

 恐らく独り言のつもりだったのでしょう。ともすれば聞こえなさそうなほどの声で島風さんは呟きました。
 どうしようかと思いましたが、少し考えてから私は口を開きます。

「言い方は悪いですが、これしきのことでそこまで思い悩む必要はないと思います」

 島風さんが「えっ」と弾かれたように顔を上げました。

島風「……聞こえてた?」

「聞こえましたねえ」

 そう頷くと、島風さんはこちらをじっと見つめた後、ゆっくりと目を下に向けました。

島風「だって、私が暁ちゃんたちと駆けっこしようなんて思ったから、最上さんは怪我しちゃったんだもん」

「誰かを傷つけてしまうことなんて誰にでもあることです。思い詰めることはありません」

島風「でも、それだけじゃない……。私、何も言わずに逃げたんだよ。最低だよ……」

 島風さんはまた抱えた膝に頭を埋めます。

 ……ああ、もう。

 私は少しためらいましたが、ついに島風さんの方へ手を伸ばし、その頭を撫でました。
 島風さんはびくりと体を強張らせた後、ぽかんとした表情でこちらを見上げてきました。

「申し訳ありません。皆さんが私なんかよりずっと前に生まれた方だとは分かっているのですが」

 普段であれば、こんなことはしません。しかし島風さんにこんな弱った姿でいられると……。

 ああ、いけない。これはいけません。
 そう思いつつも、私の手は島風さんの頭に乗ったままです。


島風「……ううん、いいよ。どうせ私すぐに沈んじゃったし……。ただの駆逐艦だった頃と合わせても、用務員さんより年下だもん」

 けれど島風さんはそう言って、私の手を振り払うことはありませんでした。
 私はもう一度だけ島風さんの頭を撫でました。

「島風さんが逃げたことを最低だと思っているのなら、島風さんはまったく最低なんかじゃあありませんよ」

 手を引いた私は、まずそう切り出します。

島風「どうして?」

「悪いことは悪いと分かっているからです。これは逃げてしまった理由にもつながるのですが、ただ少し感情のコントロールが上手くいかなかっただけです」

島風「感情のコントロール……」

「はい。でもそれはまだどうしようもないことだと思います。島風さんがそのお姿で生まれてきてから半年も経っていないのですから。私も長年生きてきていますが、いまだに感情に任せて動いてしまうことは多々ありますし」

 そう笑ってみせると、ほんの少しですが島風さんも笑い返してくださいました。それを見て私は内心ほっとします。
 島風さんは黙ったまま前に向き直りました。私もそれに倣います。

 元よりあまり使われない階段なので、辺りは静まり返りました。どこからかプロペラ機の音が小さく響き、遠ざかっていきます。

島風「どうしたらいいかな」

 唐突に島風さんが言います。

島風「最上さんに、どうやって謝ればいいかな」

 そう、真剣な顔で言う島風さんを見て、私はつい小さく笑ってしまいました。

島風「えっ!? 今どうして笑ったの!?」

「ふふ、すみません」

 ついに三角座りを解き、詰め寄ってきた島風さんに、私はなおも微笑みながら謝ります。


「島風さんと初めてお話しした時とそっくりだなあと思って、何だか懐かしくて」

 島風さんは「あっ……」と息を漏らすように声を出しました。

島風「そう言えば似たようなことを言ったような……」

「あの時は『曙ちゃんに、何をすればいいかな』でしたね」

島風「わーっ!! 言わなくてもいいの!」

 島風さんは恥ずかしいのか、顔を赤くして私の膝をぺしぺしと叩きます。
 私は「すみません、すみません」と笑って言いながら、当時のことを軽く思い出しました。

 あの時、島風さんは曙さんと喧嘩をされていたんですよね。何でも島風さんの口癖「おっそーい!」を発端とする口論だったとか。
 その口論で言い負かされる形に終わった島風さんは、先程と同じようにここで一人座り込んでいました。ただその日は今日とは違い、たいそう寒い日でした。空調が効いているとはいえ、床に座り込んでいればくしゃみの一つや二つは出るものです。まして島風さんはあの恰好ですからね……。
 それを庁舎内のドアに油を差して回っていた私が偶然聞きつけ、ここへ来て涙ぐむ島風さんを発見した、というわけです。

 それが三ヶ月ちょっと前のことですが、ここ最近は特にトラブルもありませんでしたし、皆さんとも打ち解けられてきたので、こうして相談に乗るのは久々に感じます。

 ……さて、それでは久しぶりに相談相手の真似事をしましょう。

「島風さん」

 名前をお呼びすると、島風さんはぴたりと手を止めました。そして少々不思議そうな顔で「何?」と問い返してきました。

「でも、あの時と同じですよ」

島風「あの時……?」

「曙さんの時と、です。何をするべきか。私は同じだと思います」

島風「えっと……えっ? 『怪我させちゃってごめんなさい』って最上さんに言うってこと?」

「ええ」

 頷くと、島風さんは面食らったようにしばらく口をぱくぱくとさせました。

島風「で、でも、私最上さんに怪我させちゃったんだよ!? ……それに、今回はどう考えても私が全面的に悪いし」

「それでもです。他人を傷つけてしまったら、まずは言葉で謝らないと。それ以外のことはその後です」


 島風さんは軽く目を伏せ、じっと何かを考えるように固まっていましたが、やがて恐る恐るといった体でこちらに目を向けました。

島風「……それで、いいの?」

「これでも島風さんより長く生きています。どう償っても取り返しのつかない過失は存在しますが、今回のそれは違います。ですから、まずは謝りに行きましょう。ね?」

島風「……うん」

 島風さんは小さく頷きました。そして少し時間を置いてから、もう一度「うん」と確かめるように頷きました。

「それでは、行きましょう」

 私が立ち上がり手を差し伸べると、島風さんはその手を取りました。ただ……。

 震えて、いますか……。

 仕方のないことでしょう。艦娘の皆さんは艦娘として生まれてきて、長い方でもまだ七か月ほど。圧倒的に人生経験が足りません。血を見るような怪我をさせてしまった相手に会うのは怖いものでしょう。というか私だってそんな状況は怖いです。

島風「だ、大丈夫。行こ」

 島風さんが笑みを浮かべながらそう言ったときでした。
 ほぼ真上からばたばたと足音が響いてきました。いったんそれは遠ざかったあと、今度は横から近付いてきます。

暁「島風っ!」

島風「暁ちゃん……?」

 私たちの元に走り込んできたのは暁さんでした。息を切らし、肩で息をしながらもまっすぐに島風さんの方を見ています。

暁「最上さんに、謝りに行きましょう! 暁も一緒に行って謝るから! そうしないと、何と言うか……駄目! すごく駄目なことになるわ!」

 暁さんは必死な様子でおっしゃいます。

 ……私如きがあれこれ言うまでもなかったのかもしれませんね。


 自然と笑みが浮かんでくるのを感じながら、私は島風さんの手を離します。
 どうしたのだろう、と言わんばかりに目をぱちくりとさせる島風さんの背中を、私は優しく押しました。

「暁さんと一緒に行ってください。私では一緒に謝ることはできませんから」

島風「……うん。分かった。でも、後ろにいてね」

「了解です」

島風「……ありがと」

 小さな声でそう言うと、島風さんは暁さんの方へ小走りに行きました。暁さんはすぐさま島風さんの手を取ります。

暁「それじゃあ行くわよ!」

島風「暁ちゃん、声が上擦ってるよ」

暁「そ、そんなことないわ。レディは狼狽えない」

島風「そうかなあ……」

暁「いいから!」

 島風さんと暁さんは歩き始めました。私もその後を追います。


 あ、そういえば。

「暁さん」

暁「何かしら?」

「空母の方をこんな短時間で説得するなんて流石ですね」

暁「そ、そうかしら」

 暁さんはそう照れたように言ったあと、はっと口を押えました。

島風「どういうこと?」

 島風さんは首を傾げます。

「実は私、島風さんがあそこにいるとは誰にも伝えていなかったんです。それなのに暁さんは一直線にやってきましたから。どうして島風さんがいる場所が分かったのだろうと思って考えてみると、一度プロペラ機の音がしたなあと思い出しまして。もう日も暮れているので艦載機を使った訓練ということはほぼないでしょうし、島風さんを探しに来た偵察機かな、と」

島風「へー。そうなの?」

暁「……司令官には言わないでくれるかしら! その空母の人にも『提督には秘密やでー』って言われてるの!」

 ……動揺しすぎて、名前を伏せた意味がなくなっていますよ。

「はいはい大丈夫ですよ。言いませんから」

 そう答えると、暁さんは安心したように息を吐きました。

島風「……暁ちゃん」

暁「うん? なあに?」

島風「島風のこと心配してくれて、ありがと」

暁「……と、当然よ!」

 暁さんは突然の感謝の言葉に一瞬呆気にとられ、慌てたように胸を張ります。


暁「島風は暁より年下で第六駆逐隊も所属していた第十一水雷戦隊にいたんだから、まあつまり暁の妹みたいなものだし」

島風「……いや、そのりくつはおかしい」

暁「い、いいじゃない」

島風「私が配属されたときはもう暁ちゃんいなかったし、そもそもそれだと暁ちゃん、雷ちゃんとかの妹になっちゃう――」

暁「細かいことは言いっこなし! 暁が一番艦なんだから!」

 島風さんは暁さんのことをじっとりとした目付きで見ていましたが、やがてため息を吐いて言いました。

島風「というか暁ちゃんの妹はなあ……」

暁「な、何よ!」

島風「姉妹艦は欲しいけど……暁ちゃんはお姉ちゃんって感じじゃないなあ」

暁「も、もう! じゃあ何なのよ!」

 暁さんがそう言うと、島風さんはしばらく黙りこくりました。

暁「……島風ー?」

島風「……ち」

暁「はい? 何て言ったの?」

 暁さんが問い返すと、島風さんはそっぽを向きました。

島風「……友達が、いい」

 あら可愛い。

 暁さんはきょとんとしていましたが、すぐに仕方ないなあという表情で微笑みました。そしてお返しとばかりに小馬鹿にした顔でため息を吐きながら片手を肩の高さまで持っていきます。響さんと違い、あまり似合ってはいませんでした。


暁「友達は元々よ。それが大前提」

島風「……そうなの?」

暁「そうよ。そうに決まってるじゃない。島風はそうじゃないの?」

島風「……ありがと」

暁「どういたしまして。じゃあ島風は私の妹みたいな――」

島風「それは違うと思う」

暁「どうしてそこは認めないのよ!」

 暁さんは「もー!」と声を上げ、怒ったようにぐいぐいと島風さんを引っ張りました。島風さんは何も言わずにそれに歩調を合わせます。

 私はそれを見て、傍目から見れば姉妹に見えないこともないかもしれません、と思いました。
 まあ、どう贔屓目に見ても、妹は暁さんですが。

 私は一人でくすりと笑いながら、歩調を早めました。


******


 結局島風さんと暁型の皆さんが最上さんに謝ることになり(逆に最上さんを恐縮させていましたが)、この件には決着がつきました。
 その後軍医に「元気な奴は出てった出てった」と医務室を追い出され、私は割れた窓ガラスの応急処置をしていました。

島風「ねえ、用務員さん」

 どうしても手伝うと言って聞かなかった島風さんが、ダンボールを抱えたまま呼びかけてきます。

「何ですか?」

島風「暁ちゃんたちが私に話しかけてくれるようになったのって、用務員さんのお蔭だよね?」

 あまりに唐突で、予想だにしていなかった質問でした。
 手が滑り、ガムテープがおかしな方向に貼り付きます。

「ど、どこでそれを!?」

 慌てて振り向きながら尋ねると、島風さんはいたずらっぽく笑いました。

島風「半分鎌掛け」

「……これは一本取られました」

 気まずさを誤魔化すために、私は空笑いをします。

島風「用務員さんと話すようになってから急に暁型の皆が話しかけてくるようになったんだもん。少しは関連性を疑うよね」

「そうでしたか……。あ、でも今はそんなことは関係ないと思いますよ? 切っ掛けがそうだっただけで……」

島風「大丈夫。流石に暁ちゃんたちが義務感だけで私に何か月も話しかけてくれているとは思ってないから」

 島風さんは首を振ります。


島風「むしろ用務員さんには感謝してるし……そう、そこなの」

「……と、言いますと?」

島風「用務員さんは、どうして私にそこまで構ってくれるの? だってこんなにわがままで、空気読めなくて、面倒臭い奴だよ……」

 そう言いながら、島風さんはどんどん表情を暗くしていきます。頭のリボンも徐々に下がっています。

「ああっ、自分で言って落ち込まないでください!」

 参ったものです。これはできれば言いたくないというか、自分でも何とかしなければならないと思っているところなのですが……。
 ただ、言わなければ納得してくれそうもありません。気の利いた嘘も思い付きませんし……。
 できるだけ、言葉を選ばなければ。

「艦娘の皆さんのサポートは私の使命だから、なのですが……実は島風さんに対してはもう一つ非常に個人的な理由がありまして……」

島風「個人的?」

「はい。実はその……えーとですね……島風さんって、よく駆けっこしようっておっしゃているじゃありませんか」

島風「うん。言ってるけど……どうしたの?」

「あー、そのぉ……私、妹によく駆けっこをせがまれまして……少々島風さんと重なってしまったというか……」

 島風さんは、私が思わず頭を撫でてしまった時と同じ表情になりました。


島風「……用務員さんの妹さんと、私を?」

「はい。すみません、本当に……」

島風「ううん、それはいいんだけど。用務員さん、妹いたの?」

「ええ、まあ、一人だけ」

島風「どこにいるの? 近く?」

「いえ、家族はかなり遠くにいまして」

島風「そっかー……。最近会ったのっていつ?」

「……しばらく会っていません。私もこちらで色々とやることがあるので、これからもしばらく会えそうにありませんね」

 興味深げに訊いてくる島風さんに、私は淡々と答えます。

島風「ふーん。……用務員さん」

「はい」

島風「私、用務員さんの妹やろっか?」

 そう言って島風さんは「にひひっ」と照れ隠しのように笑いました。

「いえいえ、とんでもありません。暁さんに嫉妬されてしまいます」

 私は即座にそう冗談っぽく返します。

島風「あー、そっか。確かにそうかも」

「きっとそうですよ」

 そう言って笑顔を浮かべながら、私はもう一度ガムテープを貼り直します。

 ……うん、これでよし。

 私は最後にダンボールをそっと押しながら、そう一人頷きました。

今回はここまでです

近々イベントがありますが、新米提督な>>1は参加できるかどうかもわかりません。資材を十万単位で貯めるなんてどうすればいいのやら……

次は間宮さんが出てくる話か、綾波さんや加古さんが出てくる話になると思いますが、予定は未定です

それではまたの機会に

>>107
今回の話は流血表現注意と先に書いておくべきでした
申し訳ありません

 私は残ったごみを箒でちりとりに収めました。

「よし。これで終わりですね」

 ちりとりを支えてくださっていた割烹着姿の女性が立ち上がります。

「はい、そうですね。お疲れ様でした、間宮さん」

 私が軽く頭を下げると、その女性――間宮さんも小さくお辞儀をされました。

間宮「ええ、お疲れ様でした。それじゃあ適当なところに掛けておいてください」

「いつもありがとうございます」

間宮「いえいえ」

 間宮さんは柔らかく微笑み、厨房へ歩いて行きました。
 私はちりとりと箒を片付け、手を洗ってから厨房の出入り口に程近い席に腰を下ろします。

 昨夜少し遅くまで起きていたせいか、いつもより疲れていますね……。

 寝る前にサスペンス物なんて読むんじゃありませんでした、と若干後悔しつつ、はしたないとは思いましたがテーブルの上に倒れ込みます。
 頬をつける形で突っ伏せると、誰もいないがらんとした食堂が、見慣れた光景として私の目に映りました。

 ……間宮さんのお手伝いとはいえ、掃除した回数は何気にここが一番なんですよね。見慣れた光景にもなるはずです。

 しかし何故だかそのことがとても可笑しく感じ、私はその恰好のままくつくつと笑いました。

******


 艦娘の方々の中には、ここ横須賀港からただの一度も出港をされたことがない方が何人かいらっしゃいます。……いえ、できない、と言った方が正確なのかもしれません。
 彼女たちは艦娘であるにも関わらず、艦艇の姿に戻ることができません。更に装備を取り付けることもできないため、艤装展開の状態であっても砲撃等の攻撃手段を持ちません。彼女たちは仮に出港したとしても、単身で水の上を移動することしかできないのです(それだけでも凄いことと言えばそうなのですが)。
 司令官は妖精さんたちにその原因を定期的に尋ねているそうなのですが、「目下調査中でして」「原因究明に全力を尽くしとりますが未だ分かりませぬ」「何か進展あり次第お知らせいたしますー」と、不祥事を起こし記者会見を開いた会社の社長や重役のような答えが返ってくるばかりだそうです。
 しかし彼女たちは出港できないからといって何もしないわけではありません。それぞれの得意分野を活かし、艦隊を陰から支えていらっしゃるのです。

 給糧艦の間宮さんもそのお一人です。間宮さんは給糧艦であるお蔭か、一度に大量の料理を作ることに長けています。そのため彼女は開設以来ずっと鎮守府の食堂を任されています。間宮さんはほとんど一人で鎮守府の食を取り仕切っていらっしゃる、なくてはならない存在なのです。


******


間宮「あらまあ。お疲れですか?」

 物思いに耽っていると、そんな声が降ってきました。慌てて体を起こします。
 いつの間にか間宮さんがお盆を持って目の前に立っていらっしゃいました。にこにこと笑みを浮かべて私の方を見ています。

 完全に油断していました。

「これはみっともないところを……」

 私は恥ずかしさを紛らわすために頬をかきました。これは本当に恥ずかしいです。

 間宮さんは口に手を当てくすくすと笑うと、お盆をテーブルに置きました。

間宮「今日はそんなお疲れの用務員さんにぴったりのものがありますよ」

 そう言って間宮さんが私の前に置いたそれは……。

「間宮羊羹ですかっ!」

間宮「はい。間宮羊羹です」

 間宮さんは心なし得意げな面持ちで頷きました。


 出ました。間宮名物「間宮羊羹」。間宮さんは普通の料理もさることながら、お菓子作りもたいへんお上手です。中でも「間宮羊羹」は「間宮アイス」と並ぶ人気を誇る逸品で、売店に出るとすぐに売り切れてしまうそうです。

「ありがとうございます。今日はどうされたんですか?」

 もちろんいつもはお茶だけです。考えられるとしたら余りものですが、まさかあの間宮羊羹が余るはずもありません。

 そう思いながら尋ねると、間宮さんは「ああ」と苦笑されました。

間宮「固めている最中にへらを落としてしまったものなんです。味に問題はないんですけど、流石に売店に出すわけにはいかなくて」

「ああー、なるほど」

 いわゆる「訳あり」というものですか。

 得心のいった私は皿を引き寄せました。

「それではいただかせてもらいますね」

間宮「はい。どうぞ召し上がってください」

 私は添えられていた竹串を手に取りながら、自然と口の端が持ち上がるのを感じていました。

 実は私、間宮羊羹を一度も食べたことがないんですよね。かねがね噂は聞いていましたから、期待も高まるというものです。

 竹串を羊羹に差し込むと、かすかな弾力ののちしっとりとした感触が手に伝わってきました。
 小さく切って持ち上げると羊羹の滑らかな表面が淡く光を反射し、まるでビードロのように見えます。

 玉と蝋石の雑種のようとはよく言ったものです。

 ついそんな風に感心しながら、私はそれを口に入れました。
 噛むと、しっかりとした甘さが口の中に広がります。さすがは海の上の食べ物といったところです。しかしその甘さはまったくくどくなく、飲み込んでしまうと後に引くことはありません。舌触りも良いのでお茶で洗い流す必要もなく、それどころかすぐにまた二口目を食べたくなってしまうほどです。


 私はつい頬に手を当ててしまいました。

「ん~……これは美味しいです」

間宮「ありがとうございます。そんな風に本当に美味しそうに食べてくれると、作っている身としては嬉しいですね」

 間宮さんはにこやかにそう言って、ご自分の分の羊羹を口に入れました。
 私はもう一口食べたあと、このままがっついてはもったいないと思い、いったん湯呑を手に取ります。

「間宮さんはすごいですね。料理もお菓子作りも上手だなんて。憧れてしまいます」

間宮「すごいだなんて。練習すれば誰にでもできることですよ」

「そんなことはないと思いますけどねえ……」

 そうぼやくように言ってお茶をすすったとき、外から声が聞こえてきました。私が振り向くのと入り口に二つの人影が現れたのは同時でした。

 一人は長く伸ばした髪に赤と白を基調とした袴を着ていらっしゃる方です。もう一人の方は髪を短くサイドテールにして、先程言った方の服の赤の部分を青にしたような服に身を包んでいます。

「私もそれにしようかしら。……あら、間宮さんに用務員さん。こんにちは」

「こんにちは、加賀さん、赤城さん」

 まったく表情を動かさずに挨拶をする加賀さんに、私は目礼をしました。


 いらっしゃったのは正規空母の赤城さんと加賀さんでした。お二人は同型艦ではありませんが――それどころか名前からも分かる通り、起工時には艦種すら異なっていました――帝国海軍時代、同じ航空戦隊に配属されていました。そのため艦娘になった今もよくご一緒に行動されています。

 加賀さんはクールビューティと言う他ない方で、常に冷静沈着、声を荒げたり表情を崩したりすることはほぼありません。というか私は加賀さんが無表情でないところを見たことがありません(司令官は「加賀は結構笑うぞ?」とおっしゃっていましたが)。

 赤城さんは加賀さんと比べると随分と明るくおっとりとした方に見えますが、実は平時でもよく戦闘のことを考えている方で、窓を息で曇らせ、兵棋のようなものを書き込んでは腕を組み、首をひねっている姿をしばしば見かけます。

赤城「こんにちは。あ、間宮羊羹ですか?」

 赤城さんが目敏くテーブルの上にある羊羹を見つけました。流石空母。

間宮「はい。赤城さんたちもいかがですか?」

赤城「えっ、いいんですか?」

間宮「ええ。この羊羹、固めるときに形が崩れてしまって売りに出せなかったものなんです。なので食べていただけるとむしろ助かるのですが」

赤城「加賀さん、どうします?」

加賀「……ラムネはまた今度にしましょうか。せっかく間宮羊羹をいただけるのだから」

間宮「それでは持ってきますね。少し待っていてください」

 間宮さんはまた厨房へと戻って行きました。

今回はここまでです

短くて申し訳ありません。イベントにかまけてすっかり書き溜めをサボっていました……
イベントには参加してみてよかったです。E2まではクリアできました。E3? ……戦艦棲姫の耐久があと4低ければ突破できていたんじゃないですかね

次回は赤城さんと加賀さんと少し真面目なお話をするかもしれません

それではまたの機会に


赤城「すみません。何かお話ししている最中でしたか?」

 赤城さんが隣に座りながら言いました。

「いえ、ただの雑談です。休憩していただけですから」

 私は手を振って答えます。

加賀「休憩? ……ああ、ここの掃除をしていたのね。お疲れ様です」

「……あ、はい。ありがとうございます」

 私はワンテンポ遅れて返事をします。

 あまりに静かな調子で語りかけられたため、労いの言葉と分かりませんでしたよ……。

 そんな私の心情を読み取ったのかどうかは分かりませんが、横で赤城さんがくすりと笑いました。

赤城「それにしても用務員さんって本当に庁舎中の掃除をしていますよね」

「一応許可が下りている場所は一通りやっているつもりですが……。もし掃除ができていないところを見つけたらいつでもおっしゃってください。ローテーションに組み込みますので」

加賀「仕事熱心なのね」

 加賀さんの何気なさそうな言葉に、一瞬返答に詰まります。

「あ……まあ、私にできることはこれくらいしかありませんから」

 私がそう言い終わるのと同時に、「お待たせしましたー」と間宮さんが厨房から小走りに出てきました。

間宮「はい、どうぞ。まだまだたくさんあるので、もっと食べたければ遠慮なく言ってくださいね」

 そう言いながら間宮さんが小皿を置くと、赤城さんと加賀さんは「ありがとうございます」と会釈をしました。
 そうしてお二人は口々に「いただきます」と言って手を合わせると、早速羊羹を一口食べました。


赤城「……ふう。美味しいですね、やっぱり」

加賀「ええ。羊羹は間宮さんが作ったものが一番ね」

間宮「そんな、言い過ぎですよ」

 間宮さんはお茶を注ぐ手を止めることなく、嬉しそうに笑います。
 お茶を注ぎ終わり、急須をテーブルに置いたところで、間宮さんは「そういえば」と首を傾けました。

間宮「ところで二人はどうして食堂に?」

赤城「ああ、実は……あ、お茶、ありがとうございます。えっと、実は自動販売機へ飲み物を買いに来ていたんです。それでも飲みながら加賀さんと反省会議をしようと思っていて」

間宮「そ、そうだったんですか? すみません、邪魔をしてしまって」

加賀「構わないわ。間宮羊羹を食べられたのだし。反省会議は後からでもできるわ」

 加賀さんはそう言ってから「ありがとう」と言って湯呑を手に取りました。

「反省会議というと……今朝の出撃ですか?」

赤城「はい。勝ったことには勝ったのですが、敵駆逐艦を一隻取り逃がしてしまったんです。雷撃も爆撃もことごとく回避されてしまったので、あの回避行動への対策を私たちも考えた方がよいと思って」

 赤城さんは、その駆逐艦の動きを表そうとしているのか、竹串を振りながらおっしゃいます。

加賀「提督は次までに策を考えておくとはおっしゃってくれたけれど、助言くらいはしたいですから」

 加賀さんもそう言って、お茶をすすりました。

間宮「ことごとくですか……。練度の高い駆逐艦がいたんですね」

加賀「実際は一、二発当たったのだけれど、不発だったみたいで」

「深海棲艦にも雪風さんみたいな幸運艦がいるんですね」

 言った直後、しまった、と思いました。
 これは否が応でも、あの根拠のない噂を想起させる言い方です。


「す、すみません! 失言でした」

加賀「構わないわ。気にしていません。……というより本当のところ、どうなのかしらね」

 私は顔を上げます。

「本当のところ?」

加賀「深海棲艦の正体」

 加賀さんは手元の竹串を見つめながらおっしゃいます。

加賀「日向さんではないけれど……私たちは何者で、一体何と戦っているのかしらね」


*******


 深海棲艦の正体。

 それは初めてその存在が確認されてから十年が経った今も判明していません。鹵獲しようにも最期の最期まで抵抗してくるので近づくのも危険です。曳航なんてもってのほか。かといって沈めるとものの数十分で泡のように消えてしまうので、調査が進むはずもありません。
 それゆえ深海棲艦の正体として唱えられている主張はすべて憶測なのですが、それはもうたくさんの説があります。

 初めの内は新たな生命体だ、いやどこかの国が秘密裏に開発してきた兵器だ、などいう比較的常識的な見解が主流でした。
 しかし、下手をすると深海棲艦以上に謎の存在である妖精さんが私たちの前に姿を現し、その不可解極まりない技術のお蔭で何とか生活水準を保てるようになった辺りから雲行きが怪しくなり、あまつさえ帝国海軍の艦船が人の形を取って現れ始めるようになってからは、非現実的な意見も存分に幅を利かすようになってしまいました。

 例えば、深海棲艦は海に沈んだ人間の残留思念だ、とか、海洋生物に宇宙人がウイルスのようなものを植え付けたのだ、とか。異世界人説や終末説も聞いたことがあります。国も大真面目に議論を交わした末、秘密裏にとある神社の神主を呼んで神事を執り行ったことがある、という噂が同僚たちの間でまことしやかに流れていたことすらあります。まだその頃は艦娘は現れていませんでしたが、すでにその有様でした。

 そんな有象無象のオカルト説が巷にはあふれ返っていますが、その中でも有力視されている考えの一つに「艦娘と深海棲艦は同一の存在である」というものがあります。要するに敵も味方も船の亡霊なのではないか、というものです。
 確かに深海棲艦は艦娘と多くの共通点を持っています。奇怪な姿とは言え、人型と艦船型の姿を取れますし、人語を解している個体もいるそうです。

 ですが私はこの話を信じていません。というより海軍では基本的にこの説は支持されていません。

                                          ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 一度見れば分かります。両者はとてつもなく似通っていますが、同時に決定的に異なっています。


 これは具体的にどこがどう違うと示せることではなく、そうとしか言えない直感的なものです。
 ……まあ、「艦娘」という名称とその活躍の一部しか知らされておらず、海に近づくことも制限されている一般人に「一度見れば」を求めるのは酷なことですが。


*******


「先程はあんなことを言ってしまいましたが、私は同一説を信じていませんよ」

加賀「分かっているわ」

 一応弁明すると、加賀さんにあっさりと頷かれました。

加賀「それを信じていて積極的に私たちに接することができる人はいないと思うから」

「……確かに」

 深海棲艦自体を特別恨んでいるわけではありませんが、流石に笑顔を向けることはできなくなりそうです。

加賀「でも、私たちとかなり近いものではあるでしょうね」

間宮「私にはできませんが、艦娘と深海棲艦ができることは酷似していますからね」

赤城「それに十年ほどずれがあるとは言えほぼ同時期に出現したわけですから、無関係というわけにはいかないわね」

 考え込むようにあごの辺りに手を添えていた加賀さんが少し赤城さんの方へ身を乗り出しました。

加賀「ねえ赤城さん。ついこの間の大規模作戦の時にいた敵を覚えている?」

赤城「……もしかして、泊地にいた?」

 赤城さんは少々歯切れ悪く言います。

加賀「そう。少し言い方はおかしいけれど……似ていると思わなかった?」

赤城「……ええ。違うところの方が多いはずなのに、直感的にあの艦だと思ったわ」

間宮「あの艦?」

 間宮さんが首を傾げると、加賀さんは少しの間目を伏せ、それからこちらを見ました。


加賀「私が沈めた、米軍の艦よ」

「……ということは、敵艦説ですか?」

加賀「……敵艦説?」

 今度は加賀さんが首を傾げる番でした。

間宮「えっと、深海棲艦は連合軍の艦船が元になっているっていう説ですよね」

 間宮さんが両手を合わせながらフォローを入れてくれます。

「はい、その通りです」

赤城「確かに今のところ艦娘は大日本帝国海軍の艦船しかいませんからね。敵対する相手としてはぴったりだと思いますが……」

加賀「少し安直ではないかしら」

 おおう。ばっさり言いますね、加賀さん。

「あ、でも根拠はあるんですよ? 四年前に起きた『ロ級深海棲艦座礁事件』は……ご存知ないですよね」

 加賀さんはともかく、他のお二人からの反応も芳しくなかったので自己完結します。
 私は一度咳払いをしてから口を開きました。

「四年前の七月三十日、日本海側の機雷原を一体のロ級が突破してきました。……と言っても深海棲艦からしたらいくつ触雷したところでまったく問題にならないんですが」

 これも謎の一つなんですよね。なぜ深海棲艦は本土を襲うことがないのか。

 ……もちろん、ゼロではありません。漁村が丸々一つ地図から消えたようなケースも、確かに存在します。

 しかし深海棲艦が総力を挙げて攻めてくることはありません。そんなことが起きていたら、艦娘の出現を待たずして日本という国は消滅していたでしょう。


 そんな縁起でもないことをちらりと考えながら、私は話を続けます。

「そのロ級も目立った被害もなく、なぜか艦船の姿のまま舞鶴方面に進路を取りました」

赤城「舞鶴ですか。今でも軍港なんですよね」

 赤城さんの艦娘らしい質問に私は「はい」と首肯します。

「ですので軍もすぐに多数の艦艇と航空機を迎撃に向かわせました。若狭湾への侵入は許しましたが、何とかそこで決定打を与えることに成功。浸水が始まり、あとは沈没するばかりと思われていたんですが、ロ級は突然加速して近くの栗田半島の海岸に艦首から乗り上げ沈黙。しばらく様子が見られたのち、軍は調査隊を突入させました」

間宮「そんなことがあったんですか。……でもそれならもう少し深海棲艦についての詳しい情報があってもよさそうなものですけど」

 腑に落ちない表情で呟く間宮さんに、私は苦笑します。

「ところが乗艦してから五分足らずでロ級が溶け始めたので大した調査はできなかったそうです」

間宮「それは残念ですね……」

「でも調査隊の一人が興味深い報告を上げたんです。不正確な情報ではありますが、これが唯一の成果らしい成果だと言われています」

 そう言いながら私は人差し指を立てます。

「曰く、28ミリ対空機銃らしきものがあった、と」

 私はこれを聞くたびに、とんでもない軍事マニアが交じっていたものだな、と思ってしまいます。ほとんど時間もなく慌ただしい中、一目見ただけでそれだと分かったのでしょうからね……。


赤城「28ミリ? 知らない規格ですね……」

「ええ。日本にそのような兵装はありません。それどころかそんなものを開発、運用していたのは……かつてのアメリカ軍のみです」

 しばらく食堂は静かになりました。時計の針の音がやけに大きく聞こえます。

 その沈黙を破ったのは加賀さんでした。

加賀「……なるほどね。でも、おかしくはないかしら」

「そうですね。矛盾が出てきてしまう説でもありますから」

 私はすぐさま同意します。

 そうです。この説には色々と穴があります。

間宮「矛盾ですか?」

「ええ。例えばチ級のことですね」

間宮「チ級……あっ、そう言えばそうですね」

 間宮さんは納得したようにふむふむと頷きました。

 海軍で八番目に確認された深海棲艦の一種、チ級。艦船型のときに確認される甲板上のおびただしい数の魚雷発射管は、どう見ても重雷装巡洋艦のそれです。

 重雷装巡洋艦。それはかつての日本にのみあった艦種です。造ったときにはすでに時代遅れなコンセプトになり、以後造られることはありませんでした(艦娘となった今、重雷装巡洋艦に改装された北上さんと大井さんは大活躍をしていますが)。
 もちろん連合軍はおろか、日本以外の国でこのような艦は一切造られていません。チ級の存在は敵艦説では説明できないことの一つなのです。


赤城「うーん、確かに……。沈んだ船の怨念そのもの、みたいな噂もありませんでしたっけ?」

加賀「その場合、私たちは何者なのか、という話になるけれど」

 加賀さんの即座の返しに、赤城さんは腕を組んだまま「あー……」と呻りました。
 そのまま四人揃って黙り込み、しばらくした頃赤城さんが疲れたような表情で両手を挙げました。

赤城「やめましょう。大体十年間調べられても分かっていないのに、私たちがちょっと話し合ったくらいで分かるはずがありません」

加賀「ん……それもそうね」

間宮「ついつい真面目に考え込んでしまいましたね」

「話の種にするくらいで止めておきましょうか」

 赤城さんの言うことも至極もっとも。私たちは笑い合いながら――加賀さんは除きます――すぐにその言葉に賛同しました。

赤城「それに深海棲艦の正体が何であろうと、今の私がしなければならないことはただ一つです」

 赤城さんは三分の二ほど残っていた羊羹に勢いよく竹串を刺します。


赤城「日本を害するものを排し、日本を守ること。それだけです」


 赤城さんは「前の戦争より随分と分かりやすくていいですね」と言ってにっこりと笑うと、羊羹を一口で頬張りました。


赤城「……はふ。深海棲艦の正体なんて小難しいことを考えるのは苦手ですね。戦術を練る方が性に合っています」

加賀「そうね」

 赤城さんは「ふぐっ」とくぐもった声を上げ、胸を押さえたあと、加賀さんに向かってよろよろと手を伸ばします。

赤城「か、加賀さん。そう、面と向かって全肯定されると流石に傷付くというか」

加賀「違います」

 加賀さんはあくまでクールに赤城さんの言葉を遮ります。

加賀「私たちがやるべきことの方よ。私も、深海棲艦の正体が何であろうと手心を加えるつもりはないわ」

 そう言って、加賀さんも残りの羊羹を口に入れました。こちらはいつの間にか一口分になっていました。

「そう考えると、むしろ深海棲艦の正体は知らない方がいいのかもしれませんね」

赤城「そうですね」

 赤城さんは苦笑気味に頷きます。

加賀「……ご馳走様でした」

 羊羹を飲み込んだ加賀さんが手を合わせて言いました。

加賀「ありがとうございました、間宮さん」

間宮「……あ、はい! お粗末様です」

 間宮さんは慌てたように会釈をします。

加賀「とても美味しかったわ。それじゃあ赤城さん、行きましょう」

赤城「ええ。間宮さん、ごちそうさまでした」

 お二人は立ち上がります。

 時計を見れば結構な時間が経っていました。支障が出るほどではありませんが、いつまでもだらだらとしているわけにもいきません。


 私も少し残っていた羊羹を噛みしめ、お茶を一気に飲みます。

「羊羹、ありがとうございました。私もそろそろ仕事に戻りますね」

間宮「はい。皆さん、午後からも頑張ってくださいね」

赤城「間宮さんこそ。いつも美味しい料理をありがとうございます」

 赤城さんが椅子を片付けながら言います。

間宮「いえいえ。私ができることなんて、皆さんの食事を作ることくらいですから」

 間宮さんは静かに笑いながら手を振りました。

赤城「それが凄いんじゃないですか。今日の晩御飯も楽しみにしていますね」

間宮「はい。楽しみにしていてください」

 私たちはもう一度間宮さんにお礼を言うと、食堂をあとにしました。

 一航戦のお二人は赤城さんの部屋で反省会議をするとおっしゃって、居住区画の方へと歩いていきました。

 さーて、また一頑張りするとしましょう。

 誰もいない廊下で私は大きく伸びをして、用務員室へと足を向けました。

今回はここまでで

まだ明石さんも大淀さんも戦闘に参加できず、伊良湖さんも出てきていないころのお話です

次は敷波さんが出てくる話か北上さんとのお話、もしくは川内型のお三方が登場するお話になると思います

それでは


 五月の最終日。どんよりと曇った空の下、私は雨樋の修繕をしていました。

 よし。これで終わり。

 余ったテープをはさみで切り、一度全体を眺めます。

 ……うん。問題ないでしょう。

 私は脚立の上で背中を反らしました。

 これで全部ですね。何とか梅雨入りには間に合いました。

 意外と時間がかかってしまったなあ、と思いながら脚立から下りるため体を回すと、岸に腰掛ける人の姿が見えました。

 あれは……北上さんですね。

 何をしているのだろうと思ってよく見ると、釣竿を握っているのが見えました。傍らにはたもやバケツなどもあります。
 北上さんの意外な趣味を見つけてしまいました、などと思いながら何となく眺めていると、麦わら帽子を被った北上さんの頭がゆらゆらと揺れていることに気が付きました。

 波止釣りなのに舟を漕ぐ。これいかに。

 そんな下らないフレーズが頭をよぎったその時、北上さんの首が大きく前に倒れました。体のバランスが崩れ、岸壁の向こう側にその姿を消します。

 …………へ?

「うわああああああ!?」

 危うく脚立から転がり落ちそうになりました。間一髪で踏桟に掴まりほっと一息ついた後、こんなことをしている場合ではないと思い出し、慌ててそこから飛び降ります。


 き、北上さんが落ちた!? 落ちちゃいました!?

 私は波止場に向かって駆け出します。
 がむしゃらに走り、波止場の手前まで来たところでもんどりうって転びそうになりました。

北上「あ、用務員さーん」

 こちらに気付いた北上さんが、少し照れたように笑いを浮かべながら呼びかけてきました。

 海面に立ったまま。

 ……うん。そりゃそうですよね。当たり前です。

「びっくりしましたよ、もう……」

 私は北上さんのいたところに屈みます。

 服もまったく濡れていないところを見ると、落ち切る前に目を覚まし艤装を展開したようです。

北上「いやー、見てた?」

「ちょうど雨樋の修理をしていたところでして……脚立から降りようとしたときに見たものですから、こっちも落ちそうになりましたよ」

北上「ははは、ごめんごめん」

 北上さんはそう言って頬をかきました。

北上「まさか居眠りして落っこちるとはねえ。この北上、一生の不覚。ガクッ」

「はいはい。早く上がってこないと港務部員に見つかって司令官に報告されてしまいますよ」

 笑いを含みながらそう言うと、北上さんも「おおっと、それはマズいね」と顔を上げます。


北上「しっかしどうしますかね~。ここ結構高いんだけど」

 北上さんはふーむと呻りました。

北上「……真下で魚雷を爆発させて、その勢いで」

「飛び上がっても波止場が吹っ飛んでますよ、それ」

 どこからつっこむべきか迷いましたが、とりあえずそう言うと「冗談冗談」と北上さんは手を振ります。

「あっちに階段が設置されている場所があったと思いますから、そこから上がってくるのが一番妥当かと」

北上「まぁそうなるよね~。それじゃあ行ってくるね」

 北上さんは釣竿を肩に担ぎ直し、私の指差した方へ滑っていきました。

 手持ち無沙汰になった私は、海がよく見えるところに座り込みました。

 ……あ、船です。遠くてよく分かりませんが、海軍のものではなさそうですね。このご時世軍以外で航行できる船は限られていますが……海上保安庁や水上警察といった公的機関の船か、操業を許可された漁船あたりが妥当な線でしょうか。……ああ、そういえば無許可の漁船が漁をしていることが問題になっていると聞きます。もしかするとそんな船かもしれません。

 何にしろ随分と平和になったものです。一年も前であれば軍の艦船ですら海に出るのは命懸け、まして対艦兵装も積んでいない船で出港するなど自殺行為に等しかったのですから。

 ほんの少し前までありえなかった穏やかな海を見つめている内に、自然とため息が漏れました。

 でも、あと少し――。


北上「どうしたの、ぼーっとして」

 突然横から声をかけられました。おもむろに首を回すと、いつの間にか戻ってきていた北上さんが腰を曲げてこちらを覗きこんでいました。

北上「何か面白いものでもあったの?」

「面白い、とは違いますが……」

 私は海の向こうを指差します。

「船が、見えますか?」

北上「あー、あるねえ。民間船?」

「少なくとも、軍の船ではありません。あんな船がまた海に出られるような時代が戻ってきたんだな、と思って」

 私は北上さんに向き直りました。

「本当にありがとうございます。皆さんのお蔭です」

北上「あー……なるほどねー」

 北上さんは私の横にすとんと腰を下ろし、額に手を当て遠くを眺める恰好を取りました。

北上「そっかあ。うん、そうだねえ」

「どうされました?」


 しきりに頷く北上さんに訊くと、北上さんは「いやあ」と前を向いたまま言います。

北上「アタシたちも役に立っているんだなあ、ってね」

「あ、当たり前です! 深海棲艦を相手取って攻勢に出られるのは皆さんだけなんですよ!」

 思わず声が大きくなりました。そんな私に北上さんは苦笑を向けます。

北上「もちろん分かってはいるんだけどさ、実感が湧かなかったんだよね~。でもそっかー。こういうのもアタシたちの成果なんだよねえ、うん」

 そう言って北上さんはまた前を向きました。相変わらず船はそこにあります。

北上「いいねえ。うん、実にいいよ」

 北上さんは満足そうにそう言ったあと、エサ入れに手を伸ばしました。

北上「驕るのはよくないけどさ、あれを見て悦に浸りながら釣りをするくらいならいいよね」

「ええ。皆さんの戦果ですもの」

 そう答えると北上さんは「ふふふ」と嬉しそうに笑いました。


北上「あ、そうだ。用務員さんって釣りできる?」

「え、はい。それなりには」

北上「お、いいねえ」

 北上さんは口に手を添えると「妖精さーん」と声を上げました。

 しばらく間がありましたが、返事はありません。

北上「あれー? おかしいなあ。いつぞやの用務員さんの真似をしてみたんだけど」

「これはまた懐かしいことを……」

 私がそう言ったとき、下の方から「はいよー」という声が聞こえてきました。
 驚いて下を見るといつの間にか海の上に、砲が一門だけ付いた小さな小さな船のようなものが浮いていて、その砲の上に付いているハッチからヘルメットを被った妖精さんが顔を出していました。

妖精「遅くなりましたー」

「いえ、言うほどではないと思いますが……というかその船なんですか?」

妖精「よくぞ訊いてくれましたー」

 妖精さんがどこか誇らしげに胸を張ります。

妖精「特二式内火艇改ミニチュアモデルです。はっはー」

北上「また微妙なものを……。いや、アタシが言うのも何だけど」

 北上さんが呆れたように言います。


 特二式……内火艇?

「えっ、これが内火艇……? 今のものとはかなり違いますね……」

北上「んー? 今でも内火艇ってあるんだ。やっぱり戦車の転用?」

「戦車ぁっ!?」

 私は素っ頓狂な声を上げてしまいました。

「こ、これ戦車なんですか!?」

北上「え、うん。だって上陸作戦用だし。陸のことはよく分かんないけど、制圧には戦車がいいんじゃないの?」

「え、えぇぇ……」

 要するに水陸両用車両……。名前が一緒なだけで別物じゃないですか。あ、でも言われてみれば確かにあれは戦車の主砲っぽいですね。

妖精「微妙というなかれ。改造を加えたこれは本来のカミ車とは一味違いますぞー。まず問題であったエンジン音をですな――」

北上「それはまた今度ねー。適当に釣竿一本用意してくれない?」

妖精「あいっあいさー」

 妖精さんは軽くあしらわれたのにも関わらず気分を害した様子もなくそう言うと、ハッチを閉じながら中に引っ込みました。


「……私もするんですか?」

北上「あ、ダメ?」

「……まあこれも仕事の内ですね。大丈夫です」

北上「仕事?」

 首を傾げる北上さんにいたずらっぽく笑いかけます。

「皆さんの心のケアも私の仕事です。一緒に釣りをすることが北上さんの望みなら、私は喜んでお供いたしましょう」

 そう言うと北上さんもくすくすと笑いました。

北上「いいのー、それ? ま、ありがとね」

「いいえ。それに仕事も一段落ついたところでしたし」

 カコン、と下から音がしました。見るとハッチが開き、また妖精さんが顔を出しています。

妖精「そろそろ来ますなー」

「と言うと、釣竿がですか?」

妖精「そうですが」

 どこからですか、と訊こうとしたそのとき、パタパタパタパタ、というヘリ特有の音が突然近づいてきました。
 振り返ると、玩具のような大きさのヘリがこちらへ一直線に向かってきていました。……ってまたおかしな形ですね。左右へ張り出すように二つのローターが付いた、前部がやたらと丸っこいヘリコプターです。
 そのヘリに釣竿が一つ吊り下げられていました。風に煽られ前後左右にゆらゆらと揺れています。

 釣竿一本運ぶのにやたら大掛かりですね……。それとも妖精さんのサイズだとこの輸送方法が一番楽なのでしょうか。

 ヘリは私の真上でちゃんとホバリングをしたかと思うと、釣竿を切り離しました。手を構えるとその上にぴったりと収まります。
 そして釣竿を落とすや否や、ヘリはあっという間に庁舎の方向へ飛び去っていきました。うわ、あんななりしてかなり速いですよ……。


「妖精さん、あり……」

 海にいる妖精さんにお礼を言おうと思ったら、すでに内火艇ごと影も形もありませんでした。

北上「おー、いつの間に」

「……気にするだけ無駄ですね。妖精さんですし」

北上「だねー」

 北上さんは「よーし」というと釣竿を立てて持ちました。

北上「いやー、正直誰か経験者と釣りをしてみたかったんだよね。適当にやってたからさ」

「いえ、私も助言できるかどうかは……。漁港の町出身なので釣りをしたことがあるだけで、私もかなり適当ですよ?」

北上「お、期待できるね~」

 そう言いながら北上さんはエサ入れの蓋を開け、イソメを取り出し手早く針に付けます。北上さんはそれを眺めたあと、ちょいと後ろを見ながら竿を振りかぶり、海へ緩やかに投げ込みました。仕掛けは吸い込まれるように波間へと消えます。

北上「と、今のでまずいところあった?」

「あー、えっと、そう竿を振る感じじゃなくてですね……」

 手元の竿を見ると何もかも準備はされていたので、私も針にエサを付け、立ち上がって構えます。

「こう、左手を引きながら右手を押し出す感じで……」

 そう言いながら久々に仕掛けを投げ込みます。思ったよりも上手く飛び、北上さんより遠くの海面に落とすことができました。

北上「おー、すごーい」

「あはは……どうも。まあ、次からはこんな感じでやってみてください」

北上「ほーい」

 私たちは揃って座りました。

 投げ釣りは投げてしまえばあとは基本待つだけです。積極的に釣っているわけでもないので置き竿を用意する必要もありません。
 私たちは釣竿を握ったまま、静かな海を見つめました。


*******


北上「あ、そういえばさ」

 しばらく時間が経ったころ、北上さんが突然言いました。

北上「さっきお礼言ってくれたけど、あれはまだ取っておいて」

「えっと……?」

 私が首を傾げると、北上さんは「ほらあれ」と言います。

北上「軍の船以外でも海に出られるようになったっていうの」

「ああ! どうしてですか?」

 北上さんは「にしし」と笑いました。

北上「アタシは見たことないけど、十年前の海に戻すからさ。お礼はそのときに言ってほしいなあって」

 そう言って北上さんはもう一度笑いました。今度は照れ隠しのように見えました。

「……そうですね。まだ早かったみたいです」

 そうです。十年前の海に戻す。それは私のたった一つになってしまった願いです。今の状況で満足するようなことがあってはいけないのです。

北上「そうそう。きっと戻すからさー。……って言っても主に活躍するのは戦艦やら空母のお姉さま方だろうけどね~」

「いやいやいや。魚雷で深海棲艦を吹き飛ばしまくって大活躍されている人が何を言っているんですか」

 北上さんの戦果は拝見したことがありますが、それはあまりにも謙遜がすぎるというものです。

北上「そう? まあそうだとしたらさ、重雷装艦が活躍できるような世界なんだから油断しなければ余裕だよ。まあ見てなってー」

 そう言って北上さんはぽんぽんと胸を叩きます。その動作が可笑しく、私は笑みを浮かべました。

「ええ。頼みました。私に戦う力はありませんが、皆さんのことを全力でサポートさせていただきますので」

北上「うん。まあ頑張るね~」

 そう言いながら前を向いた北上さんにつられるように私も沖に目を向けると、最初に見たのとは別の船がありました。

 願わくば、これからはもう、深海棲艦という存在のせいで悲しむ人が増えることがありませんように。

 私は一瞬だけ目を瞑ったあと、きりりとリールを回しました。

明けましておめでとうございます

もう少し長くすればよかったです……。急ぎ過ぎた感があります

次は加古さんが出てくる話か、那珂さんが出てくる話か、最上さんたちか……

それではまたの機会に


「あら?」

 梅雨に入ったにも関わらず、からりと晴れた六月のある日。私は中庭の木の剪定をしようと、脚立やら枝切りばさみやらを抱えて中庭に通じるドアの前まで来ました。
 するとそのドアはわずかに開いており、そこからビニールのコードが伸びていました。それを辿ると、こちら側ではプラグがコンセントに差し込まれています。

 何の電気コードでしょう……?

 私はとりあえず目の前のドアを押し開けました。すると……。

「あ」

 ドアのすぐそばに座り込んでいた二人の内、一人の方が振り返り、そう声を上げました。

「あら、こんにちは。綾波さん、敷波さん」

 色々と予想外で少々驚きましたが、私はお二人に挨拶をしました。

 中庭にレジャーシートを敷いて、その上で湯呑を持って正座していたのは綾波型駆逐艦一番艦の綾波さんと二番艦敷波さんでした。

 綾波さんは非常にゆったりぽやぽやとした穏和な方で、長く伸ばした髪をサイドテールにして結んでいます。一方お顔立ちは似ているのですが、少し釣り目でちょっとだけ不機嫌そうにしているのが敷波さんです。髪は短いですが、綾波さんと同じように横でくくっています。二人とも濃い茶と白を基調にしたセーラー服を着ていらっしゃいます。

「ところで……お茶ですか?」

 電源コードの正体は、湯沸かし器のものでした。お茶を淹れるために引っ張ってきたようですが……まずどうして外でお茶?

 そう思って尋ねると、敷波さんが綾波さんに食ってかかりました。

敷波「ほらやっぱりおかしいと思われてるじゃん!」

綾波「まあまあ。ちゃんと説明すれば分かってくれるに違いないわ」

敷波「説明されたあたしはいまだに分かってないんだけど……」

 ぼやく敷波さんをスルーして、綾波さんは微笑みをこちらに向けます。


綾波「用務員さん、梅雨の最中なのに今日はとてもいいお天気ですね」

「ええ、そうですね。どうしたんだろうってくらい晴れましたね」

 見上げても、薄靄のような雲しかありません。太陽の光もよく降り注ぎ、外で動き回っていればすぐに汗ばんでしまいそうです。

 だいぶ暖かくなってきましたね……。

「えーと、それで?」

 私が続きを促すように言うと、綾波さんは「はい」と返事をしました。

綾波「今日みたいな日は、外でお茶を飲みたくなりませんか?」

 綾波さんは「ね?」とでも言う風に首を傾けます。

「…………な、何だか風流ですね!」

綾波「ありがとうございます」

敷波「今のかなり無理矢理褒め言葉を捻り出してくれただけだと思うんだけど……」

 い、いや、そんなことは……はい、すみません。
 まあ綾波さんはとてもお茶がお好きだそうですからね。だから、えーと……これ、理由になっていませんね。

 ともかく、本当にただお茶を飲んでいるだけのようです。

敷波「で、用務員さんは……梯子?」

「あ、はい。木の剪定をしようかと思いまして」

 私は剪定の道具が色々と入っている箱を揺らしながら答えます。


敷波「へー。用務員さんってそんなこともするんだ」

「ええ。他にする人間も見当たりませんし、多分」

敷波「た、多分なんだ……」

 敷波さんに言われてしまい、私は笑うしかありません。

 業務内容がかなり曖昧なんですよね。

 まあ、そのお蔭で何とか皆さんのお役に立つことができているのですが。

綾波「今から剪定ですか……。では綾波たちはここから出て行った方がよろしいでしょうか?」

「あっ、いえいえ! 綾波さんたちが構わなければ、私はまったく大丈夫です」

 湯呑を持ったまま小首を傾げる綾波さんに私は慌ててそう言います。

綾波「そうですか?」

「はい。目障りかもしれませんが、少しの間ご辛抱願います」

敷波「あたしたちは全然構わないよ。ね?」

綾波「ええ」

 私は「ありがとうございます」ともう一礼してから、木の根本まで歩き、そこに脚立と箱を置きました。

 そのときでした。


「うおぁっ? っとぉ!?」

 突然叫び声が上がったかと思うと、木を挟んで向こう側に何か大きなものが――いえ、人が落ちてきました。

「いっ……たたたた。っかぁー、やっちゃったよ……」

「か、加古さん……?」

 落ちたときに打ったらしく、腰をさすりながら起き上がったその方は古鷹型重巡洋艦二番艦、加古さんでした。おへそが見える短いセーラー服をさらにめくり上がらせ、いつもはねている髪をいっそうぼさぼさにしています。

 加古さんは顔をこちらに向け、いくらかほっとしたような表情になりました。

加古「なあんだ、用務員さんかあ。焦って損したよ……」

 加古さんはため息を吐きながら立ち上がりました。

「あ、あの、お体は大丈夫ですか?」

加古「平気平気。そこそこ丈夫だからね」

 加古さんは手を振りながら言います。

敷波「えっ、加古さん!? 木の上にいたの!?」

 敷波さんが目を丸くしながら言うと、加古さんは髪をぐしゃぐしゃとかき回しました。

加古「んーいやぁ、木の上にいたというか……」

「うん……?」

 私は木の葉の間に何か白いものがあるのを見つけました。よく見てみると……。

「ハンモックですか」

加古「あははー……まあ、時々ね?」

「いえ、特に責めるつもりはありませんが……」


 加古さんはよく寝る方です。朝礼のときも毎回半分眠ったまま一番艦の古鷹さんに手を引かれてやってきますし、作戦会議中にもいびきをかいて寝始めることもあるそうです。執務中にも寝落ちして、よく司令官が起こしているのだとか。

 寝る子は育つと言いますが、艦娘は成長するのでしょうか?

綾波「あら? でも今日は確か加古さんは非番ではありませんでしたか? 見つかっても焦ることはないと思いますけど」

加古「そうなんだけどさ、よく起こされてるせいで眠りが浅いときに人が近づいてきたら飛び起きるようになっちゃってるんだよね~」

 加古さんはまた「あははー」と笑って頭をかきます。

敷波「危ないよー、加古さん……」

加古「いやー、どうにかしないとね。で、用務員さんは……まさか剪定?」

 加古さんは私の手元を見つめて言います。

「あ、はい。というわけで申し訳ないのですがここで寝るのはしばらくの間我慢していただけるでしょうか?」

加古「あー、まじかー……。まあ仕方ないよねぇ。用務員さんも仕事だし……。ちょっと待ってて。ハンモック片付けるから」

「お手数おかけします」

加古「いやいやこっちこそ」

 加古さんは器用に木に登るとちょいちょいと手を動かしあっという間にハンモックを外してしまいました。

加古「ほい。いいよー」

「ありがとうございます。できるだけ早く終わらせますので」

加古「あいあい、どうもー」

 加古さんはそう言うと、綾波さんたちの方へと行きました。

 さてと。早く終わらせなければ。

「何してんの?」「お茶を飲んでいます~」という声を背で聞きながら、私ははさみを構えました。


*******


 少し切っては全体を見てまた少し切る、という繰り返しをさほどしない内に「ねー用務員さーん」と加古さんに呼びかけられました。

「はい、どうしました?」

 私はいったん手を止めて尋ねます。
 加古さんはいつの間にか湯呑を手にレジャーシートの上でくつろいでいました。堂に入ったくつろぎっぷりというか……。

「ああ、もう……。スカートなのにそんなに足を投げ出しちゃいけないですよ」

加古「ん? まあいいじゃんいいじゃん。女しかいないんだし」

 加古さんはけらけらと笑います。

加古「そんなことよりさ、用務員さん大変じゃない? それも用務員さんの仕事かどうか怪しいんでしょ?」

「んー……まあ大変じゃないと言ったら嘘になりますね」

加古「提督に言ったら? 人員増やしてもらえるでしょ、流石に」

「そんなに簡単にはいきませんよ。皆さんに何かあってはいけませんからね。ここにいる人間はほいほい増やせないんです」

加古「そんなもんかね~」

「……上の方の派閥争いもありますからね」

 声をひそめて言うと、加古さんはいかにも「くっだらねー」とでも言いたげな顔をしました。
 私はそれを見て少し笑いながら続けます。


「それに、これはただのわがままですが……皆さんのお役に立てる機会が減るのは、正直嫌です。私としては、もっと皆さんのサポートができるようになりたいくらいです」

加古「……大丈夫? それ最近流行りとかいう過労死ってやつになるんじゃ……」

「あらら」

 脚立から滑り落ちそうになりました。

「いや、そうじゃないんですけどね……というかどこでそんな言葉を」

加古「この前漣が言ってたんだ。『ここにいる人、ご主人様含め働きすぎじゃね?』とか。あとブラック企業? だとか何とか」

「漣さん……」

 漣さん、今の世に適応しすぎです。少なくとも最初の八人の中では間違いなく一番世情に通じていますね。

「大丈夫です。これくらいでは死にはしません。昔はもっと過酷な生活を送っていましたし。それこそ漣さんが言うように司令官が一番大変なのでは」

敷波「あー、確かに」

 まっさきに敷波さんが声を上げました。

敷波「司令官に割り振られた書類って恐ろしいほどあるのにほとんど一人で片付けちゃうし、そのくせ秘書艦は絶対二十二時までには帰して夜遅くまで仕事してるし……出撃もあるのに、その内体壊しちゃうよ……」

 手に持った湯呑に視線を落としながら、敷波さんは憂いを帯びた表情で言います。すると綾波さんがふんわりと笑みを作りました。

綾波「司令官のことが心配でたまらないのね」

敷波「うぇっ!? い、いやそういうわけじゃないんだけどさ……」

綾波「あら、綾波は心配よ?」

 綾波さんがそうさらりと言うと、指をもじもじと絡ませていた敷波さんの動きがぴたりと止まりました。
 そしてすぐにぷくりと頬を膨らませると、綾波さんの方を上目遣いになって睨みました。


敷波「綾波、ずるい……」

綾波「今のは敷波が悪いと思うのだけど」

敷波「うぅ……」

加古「あっはっは! まあ素直なのが一番ってことよ!」

 加古さんがばしばしと敷波さんを叩きながら言います。

敷波「うっ……あたし、素直じゃない、よね。うん」

綾波「お世辞にも素直とは言えないわね」

加古「満潮とかあそこら辺ほどじゃないけどねえ。ま、素直じゃあないなぁ」

敷波「ふ、二人して言うなよぉ!」

 敷波さんが顔を真っ赤にして叫んでも加古さんも綾波さんも笑うばかりです。

加古「まあでも確かに提督働きすぎだよなあ」

 ひとしきり笑った加古さんは頭の後ろで手を組みながら言いました。

加古「たまには休み取りゃいいのに……というか休日あんの?」

「ええ、それはもちろん! ただ……」

綾波「ただ?」

 私は三人から少し視線をそらします。

「お休みの日も、自主的に働いているようで……」

 そう言うと、加古さんが「はぁー!?」と声を裏返しました。


敷波「それって、要するにただ働きってこと?」

「まあ、そういうことに……」

加古「いよいよブラック企業ってやつじゃん。何だっけ? サービス残業? 休日出勤? 労働基準法違反?」

「軍の人間に労基法は適用されないので……。そもそも司令官、強制されてやっているわけではありませんし」

 ……あれ? どうして私が管理職の言い訳のようなことを?

敷波「えっ、ちょっと待って。もしかして司令官、ここができてから休み取ってないの?」

綾波「確か用務員さんって最初からここにいらしたんですよね? どうなのでしょうか?」

 答えるまでに少し間を置きましたが、思い返すまでもないことです。

「……私が知る限り、見たことはありませんね」

加古「うわー、まじかよー……。二百日以上連続勤務とか、提督本気で死ぬぞ」

敷波「ええ!? ど、どうしよう!?」

綾波「今すぐ死ぬわけじゃ……でもどうしましょうか」

 おろおろする敷波さんの横で、加古さんは鼻から息を吐き出しながら腕を組みました。

加古「その分だと休めって言っても聞いてくれないんだよね」

「ええ……吹雪さんや叢雲さんはよく言っているそうですけど、軽くいなされるそうで」

加古「うーん……初期からいたやつらでそれならあたしたちが言っても無駄かねえ」

綾波「……どうしてそんなに働くのでしょう?」

 綾波さんが湯呑をシートの上に置きながら言いました。

綾波「確かにここは深海棲艦を安定して倒せる唯一の組織です。でも休みの日に休んでいたからといって有事の際には結局呼び出されますし、それほど影響はないと思うのですが……」


 ……ああ、そうか。

「んー……それは少しだけですが、分かる気はします」

 私は木に目を戻しながら言いました。

敷波「え、どういうことなの?」

 敷波さんが目をぱちくりとさせながら訊いてきました。

 質問に答える前に、一度だけはさみを動かします。小さな枝が一つ、音もなく落ちていきました。

「……皆さんが来るまでの九年間、人類は負け続けていましたから。万全の態勢を敷いた上で、勝ち負けを言うこと自体がおこがましいほどの大敗をくり返してきましたから」

 ちゃきん、ちゃきん、と音をさせながら枝を切っていきます。

「皆さんの力があれば、もうあんなことはないでしょう。でも……」

 私は三人に向き直りました。

「予測がつかないようなことが起こるかもしれない。そのとき私がいなかったから、私の指示が遅れたから――そんな風に、司令官は思っているのかもしれませんね」

 最後に「もちろんあくまで推測ですが」と私は付け加えます。


加古「……もうちょっとしっかりしなっくちゃなー」

 加古さんはごろんと寝転がりながら呟きました。

加古「提督を不安にさせちゃあ駄目だよなあ」

綾波「そうですね」

敷波「……あたし、もっと頑張るよ」

加古「ん、そうだね。頑張んないとね」

 加古さんは「よし!」と言いながら飛び起きました。

加古「これから仕事中に居眠りは一日三回までにする!」

敷波「いや、そこはもうしないで起きましょうよー……」

加古「いきなり高望みはよくないかなーって。長続きしそうにないし」

敷波「高望みって……」

 はっはっは、と高らかに笑う加古さんに敷波さんは呆れたような視線を送ります。

「まあそう気負わなくとも大丈夫ですよ。皆さんは誰よりもこの戦いの功労者なのですから。それだけでも十分すぎるというものです。……流石に公務中の居眠りはやめた方がいいと思いますが」

加古「おぉ……用務員さんに言われるってこれ相当だね……」

 あ、あれ? 予想外にショックを受けていらっしゃる……?

「え、そ、そんなに深刻に捉えなくても! ……というか私が言うと相当ですかね?」


 私が訊くと、綾波さんが手を合わせながらにこりと微笑まれました。

綾波「用務員さん、基本的に綾波たち艦娘には甘いですから」

敷波「綾波、甘いって……うん、まあでも確かにあたしたちのこと絶対に怒んないよね」

加古「そうそう。提督も副司令官も軍医も哨兵も港務部員も整備士もあたしたちのこと怒るけど、用務員さんだけは怒ったところ見たことないよ」

敷波「それは加古さんが怒られすぎてるだけじゃ……」

綾波「港務部員さんって怒るんですか? まったく見たことがないのですが」

加古「……あれー?」

 首を傾げる加古さんを見て、お二人は顔を見合わせ笑いました。私も少しだけ笑みが漏れます。

「ふふ。ともかく司令官のことはただの推測ですし、適宜休憩は挟まれているようですから今すぐどうこうしなければいけないほどではないと思います。司令官のサポートをするにしても、少しずつでいいと思いますよ」

加古「はいはーい、了解。何でも少しずつってことだね」

敷波「いやでも居眠りは……」

加古「少しずつ少しずつ! 敷波も少しずつ素直になるんだよ。いきなり素直になろうとしたら反動でそうだからね」

敷波「なっ……!」

綾波「うふふ、そうですわね」

敷波「だからどうしてあたしばっかりからかうんだよー!」

 顔を赤くして怒鳴る敷波さんを見て微笑ましい気持ちになってから、私はまた剪定作業に戻りました。


******


提督「あ、君」

 中庭の木の剪定をした日から五日後。いかにも梅雨らしい雨の日、私は廊下で司令官に呼び止められました。

「はい、何でしょうか」

提督「彼女たちに何か変わったことがなかったか知らないだろうか?」

「変わったこと? 特に存じ上げませんが……どうされました?」

 ダンボール箱を抱え直しながら尋ねると、司令官は「うぅん……」と呻りました。

提督「ついこの間から様子がいつもと違うように感じてだな。突然敷波が執務室に来て私の肩を揉んだり、加古が内ももをつねりながら作戦会議を寝ずに聞いたり、あと綾波がやたらと張り切っているようで三日間で戦艦二隻、重巡七隻を撃沈していてな……」

「わ、わぁー……」

 皆さん頑張っていますね。綾波さんがそこまで意気込んでいるとは知りませんでした。……というかあの方駆逐艦ですよね? 戦艦駆逐艦とかいう新たな艦種ではありませんよね?

提督「どれもまったく悪いことではないのだが、急にいくつも続いたから気になってね。何か心当たりはないだろうか」

 ……何と言ったものでしょうかね。

 私は少しの間考えたあと、口を開きます。

「……司令官は、心配されているのだと思います」

提督「心配……?」

 司令官が眉を上げます。

「働きすぎではないか、と。そんな風に気にかけている方が何人もいらっしゃいます」

提督「……そうか」

 司令官は制帽のつばをつまみ、引き下げました。


提督「何人も、か……。しかしすべて必要な仕事だからな。怠って彼女たちを危険に晒すわけにもいかない」

「それは分かっているつもりです。休みの日を取れ、と申し上げるつもりもありません。ただ、もう少し艦娘の皆さんに事務の面でも仕事をお任せになれば安心されるのではないでしょうか」

提督「……今でも彼女たちに頼りすぎているくらいなのだがな、私たちは」

 司令官は自嘲を含む、少々投げ遣りな口調で言います。

「……ええ。それはそうですね」

 本来ならば、現代に生きる私たちの仕事ですからね。先の大戦で役目を終え、眠りについた艦艇たちを戦わせているなんて、本当であれば情けない限りです。

提督「まああまり心配をかけてもよくない。そうだな。もう少し仕事をしてもらうことにしよう」

 司令官はそう言うと「ありがとう」と言って、去っていきました。

 司令官のお気持ちも、十分に分かるのですが……。

 私も一礼してから、また歩き始めました。

 そして廊下の角を曲がったときです。

「わっ」

 曲がった先で四つん這いになっている方がいらっしゃいました。

 お顔は見えませんが、長い黒髪にこのセーラー服といえば……


「だ、大丈夫ですか初雪さん!? どこか具合でも!?」

 慌ててダンボール箱を脇に置きながら横に屈みます。

 間違いありません。この方は吹雪型駆逐艦三番艦の初雪さんです。

初雪「……増えた」

「え?」

初雪「お仕事、増えた……」

 あー……。
 初雪さん、労働は基本的にお嫌いでしたね。

 というか聞こえていましたか……。

「……申し訳ございません」

初雪「用務員さんのばかー……」

 初雪さんはそう言って、ついに床に伸びました。

初雪「私も少しだけ、心配はしてたけど……でも、やっぱり疲れるのはやだ……」

「ま、まああの様子でしたら司令官も無理強いはしないでしょうし、大丈夫ではないでしょうか?」

 初雪さんがぱっと顔を上げます。

初雪「ほんと?」

「ええ、多分、恐らく」

初雪「……だったらいいや」

 初雪さんは起き上がると、ぱっぱと服を掃いました。

初雪「まあ、初雪も疲れない程度に頑張る。色々、お世話になってるし……」

「そうですね。それくらいが一番かもしれませんね」

初雪「ん」

 初雪さんは短く返事をして頷かれました。



 後日、話が違うと初雪さんから文句を言われましたが、それはまた別のお話ということで……。

今回はここまでです

アニメの出撃方法すごいですね……。このssでは艤装は艦娘が念じたらどこからともなく湧いてくるものということでどうか一つ

次は那珂さんが出てくる話か一部の陽炎型の方々の話、そうでなければ七駆あたりになると思いますが、新しい艦娘が出てくる話になるかもしれません

それではまたの機会に

すみません
まだ時間がかかりそうです

これ以上空けるのは流石に不味いですね
ひっそりとちょっとだけ投下しよっと……

 六月第二週目の最初の日。外は相変わらずの雨でした。

 このところずっと雨か曇りです。梅雨だから仕方がないのですが。

 外側に雨粒をたくさんつけた窓ガラスを拭きながら、私はふぅと息を吐きました。

 せめて梅雨明けがいつ頃になりそうなのかを知ることができたらいいのですが……深海棲艦が現れてからというもの衛星は使えず、レーダーの効きもいまひとつですからね。中学生の時分とは違い、正確な予報など望むべくもありません。

 私は今日のノルマ最後の窓を拭き切ると、布巾をバケツへ落としました。

「……ん?」

 その時どこからか歌が聞こえてきていることに気が付きました。テンポのよい曲と、それに合わせた歌声です。
 音は左手、階段室の方向から聞こえています。

 私はバケツをその場に残したまま階段へ向かいました。下まで来ると、曲も随分とはっきり聞こえます。

 ……なるほど。

 私は踏面に足をかけ、忍び足で踊り場へと近づきました。

「――あの未来になる♪」

 そこにいらっしゃったのは川内型軽巡洋艦三番艦――那珂さんでした。
 オレンジ色の服に身を包み、いつも通りのお団子ヘアーを崩すことなく、眩しいほどの笑顔で踊り歌っている那珂さんでした。

 傍らにはラジカセが置かれ、そこからあるアイドルの歌っている曲が流れています。どうやら練習の現場に居合わせてしまったようです。

 本当に、ひたむきでまっすぐなお方です。


 曲はもう終盤に差し掛かっていたようで「ヨーイドン!」の声とともに那珂さんがぴょんと飛び上がると、程なくして余韻を残しながら曲は終わりました。那珂さんは人差し指を立てて、ぴたりとポーズを決めます。

 途端に「おぉー」という声と拍手が聞こえてきました。

「やるじゃん、那珂。心配するところないよ。上手上手」

那珂「ホ、ホントに? 変なところなかった? 『好きになりたい』のところとか」

「素人目ではありますが、おかしなところはなかったと思いますよ」

那珂「……やった! ありがとー、二人とも!」

 那珂さんは上機嫌そうにその場でターンし……さらにもう九十度回りました。

那珂「よ、用務員さん!?」

「あ……申し訳ありません。覗き見するつもりはなかったのですが、窓拭きをしていたら歌が聞こえたので何だろうと思って」

 那珂さんが目を白黒させている内に、お二人の方が姿を現しました。

「あ、用務員さんだ。こんにちはー」

「こんにちは。お疲れ様です」

「はい、こんにちは。川内さん、神通さん」

 いらっしゃったのは那珂さんの二人の姉、一番艦川内さんと二番艦神通さんでした。

 セミロングの髪をツーサイドアップでまとめ、涼やかな笑みを浮かべている方が川内さんです。凛とした雰囲気の方なのですが、ひとたび口を開けば「うるさい」と苦情が出るほど夜戦への思いの丈を叫び始める大の夜戦好きです。夜戦狂と言ってもいいかもしれません。

 神通さんは遠慮がちな性格とキャラの濃い姉妹に挟まれていることもあって、陸ではあまり目立つことはありませんが、戦闘となれば重巡どころか戦艦にも引けを取らない獅子奮迅の活躍を見せる最強の軽巡洋艦のお一人です。長い髪を結った緑色のリボンが特徴的な方です。

 そして姉妹で恐らく最も個性的な方が那珂さん。いつも笑顔を振りまくムードメーカーで、トレードマークは二つにまとめたお団子状の髪です。「艦隊のアイドル」は自称ですが、実際に基地内でライブも開催したこともある、まさに歌って踊って砲雷撃戦もできる艦隊のアイドルです。


川内「ねえねえ、用務員さん。那珂の踊り見てた?」

 挨拶を交わした直後、川内さんが目を輝かせながら訊いてきました。

「はい、少しではありますが」

川内「上手いと思わない? 姉の贔屓目かな?」

「いえ。そんなことはないと思います。私もこういうことには詳しくありませんが、ええと……キレがある、というのでしょうか? とても動きが機敏で決まっていたと思います」

川内「やっぱり上手いよね!」

 川内さんはうんうんと満足そうに頷きます。

川内「『艦隊のアイドルになる!』なんて言い出したときはおかしくなったかと思って頭ぶっ叩いてやろうかと思ったけど、意外と嵌まってるよね」

 そう言ってけらけらと笑う川内さんに「いやいやいや!」と那珂さんは猛然と声を上げました。

那珂「思ったっていうか実際に叩いてきたよね!? それも割と容赦なく!」

川内「……あれ? そうだっけ?」

那珂「そうだよ!?」

川内「……さっぱり記憶にないなあ」

 首を傾げる川内さんに那珂さんは「もうー!」と地団駄を踏みます。


神通「ふふ……でも私も那珂ちゃんがここまで真剣だとは思いませんでした」

那珂「神通ちゃんも? もう……那珂ちゃんはいつだって本気だよ?」

神通「ええ、那珂ちゃんは本当にとっても頑張り屋さんです」

 神通さんは手を伸ばし「よしよし」と那珂さんの頭を撫でました。

那珂「……え!? なにこの扱い!?」

神通「えっと……褒めようかな、と思ったのですが……いけませんでしたか?」

那珂「子供扱いなのは納得がいかないかな……」

神通「子供扱いじゃありません。妹扱いです」

 いつもは俯きがちな神通さんがこのときばかりは胸を張りました。

神通「たまには姉らしいこともさせてください」

那珂「那珂ちゃん、本当だったら神通ちゃんのお姉ちゃんになるはずだったんだけどなー」

川内「でもそれ別人じゃん」

那珂「まあ、そうなんだけど……」

 川内型軽巡「那珂」は本来二番艦として起工されたんでしたっけ。しかし震災で建造途中に大破したため三番艦「神通」を繰り上げ二番艦に、「那珂」は新しく別に造り直され三番艦になった、という経緯だったはずです。元の船体は別の船に流用されたとか。


 川内さんはどこか釈然としない表情の那珂さんを見て「ふふーん?」と笑いました。

川内「じゃあ私だったら問題ないよね。正真正銘、那珂の姉なんだから」

那珂「いや、そういう問題じゃ……」

川内「いいじゃん、いいじゃん。那珂はどっちに転んでも川内型だったんだから。ほれ、よしよし」

那珂「ああ、もぅ……」

 川内さんは那珂さんの頭をわしわしと撫でました。神通さんより幾分乱暴な手付きでしたが、那珂さんは不満顔になりながらも抵抗はしません。

神通「……私も正真正銘、那珂ちゃんの姉なのですが。対応に差がある気が」

那珂「じ、神通ちゃん? 顔が怖いよ?」

川内「まあ私が長女であることに間違いはないからね」

神通「私神通も確実に川内型二番艦なのですが」

 那珂さんは向かい合う姉二人の顔を交互に何度も見たあと、慌てたように頬に両手を添えました。

那珂「え、えと……なあに~? 二人ともそんなに那珂ちゃんの頭撫でたいの~?」

川内「そりゃまあ可愛い妹だからね。頭撫でたくもない妹の応援なんてしないって」

神通「撫でたい、というか可愛がりたいです。那珂ちゃん、努力家で可愛いですし」

 おやおや。那珂さんはおちゃらけた調子で言ったのに、真面目な返答が来ましたよ。

那珂「え、ふえ……やめよ! ね、この話やめよ!?」

 那珂さんは手を大きく振ります。そんな那珂さんの必死な様子に私はつい吹き出してしまいました。


「那珂さん、お姉さんたちに愛されていますね」

那珂「用務員さんも乗らなくていいから!?」

神通「可愛い末妹ですから」

川内「そうそう。こんな姿になったんだし、目いっぱい可愛がらなきゃね」

「そうですねえ」

 私はうんうんと深く頷きます。

那珂「……わぁー!!」

 突然那珂さんが叫びました。

那珂「もう恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいぃ! 真面目なトーンで可愛いとか言わないでぇ!」

 那珂さんはそう言って頭を抱えて丸くなりました。

 ふむ。こちらに来てから神奈川の方は褒め慣れ、褒められ慣れているというイメージを持っていたのですが、艦には適用されないようです。
 それにしても褒め言葉に弱いアイドルって大丈夫なのでしょうか?

川内「……あんた自分で『ますます魅力的になっちゃった、きゃは』とか言ってるくせに」

那珂「自分で言う分にはいいの! ――というか何で知ってるの!? それは提督の前でしか言ったことないんだけど!?」

神通「提督がおっしゃっていましたよ?」

那珂「……提督ぅー!」

 那珂さんは金剛さんのような口調で届かない抗議の声を上げました。

本当に少しですこれだけですごめんなさい
書き始めたときは一か月以上は空けまいとか思っていたんですが……

たぶん、次は少しシリアスになるんじゃないかと、はい……ごめんなさい

それではまた


******


 那珂さんは新しくレパートリーに加える予定の曲を練習中だったそうで、私も一つ見せていただけることになりました

那珂「――この指にとーまーれー♪」

 最後にドラムの音が少しだけ響き、曲は終わりました。

 私は自然と「おおー」と声を上げながら拍手をしてしまいました。

「目の前で見るとすごい躍動感ですねえ」

那珂「ありがとー! よかったら次のライブも見にきてねっ!」

 那珂さんはもうすっかり機嫌を直していて、そう言って胸の辺りで両手を振りました。

「はい。それは是非とも」

川内「……今更なんだけどさ」

 川内さんが腕を組みながら言いました。

川内「よく独学でここまで踊れるよね」

那珂「一応ダンスとか歌とかの本は読んだよ? 今はインターネットっていうものあるしね」

 那珂さんが胸を張ると、神通さんが眉を八の字にしました。


神通「インターネットですか……私、いまだにあれはよく分かりません……」

「ある程度使えると便利ですよ。私もそこまで詳しいわけではありませんが」

那珂「そうそう。調べ物のときとか便利だよー? 文字を打ち込むのが少し面倒臭いけど」

川内「……那珂って一番あとに来たのに一番今の時代に馴染んでるよね」

那珂「まあね。アイドルなんだから世の中のこともよく知っておかなくちゃ」

 那珂さんは「きゃはっ」と言いながら横ピースを繰り出します。

神通「アイドルってそういうものなのでしょうか……?」

「まあ、世間知らずなアイドルというのも不味いでしょう。悪い噂はすぐ広まりますし」

川内「確かにこの時代って何かしたらあっという間に全国に広まっちゃうよね。……よく私たちの顔割れないですんでるなあ」

「その辺は徹底してますからね。一般人は基地、というか海岸には近づけませんし、皆さんも陸から十分離れるまで海に出てもしばらくは提督の船に乗ったままですから」

 艦娘の方々がどう見てもただの少女にしか見えないことへの配慮です。
 こうでもしないと皆さんは満足に外も歩けませんし、変な団体が連日海軍省や基地の周囲に押しかけてくることになるでしょう。今でさえ反戦を訴え街頭演説などをしている人間はいますから。

 まったくのもって、暢気なものです。これは戦争ですらないのに。


神通「そんなにすぐに広まるのですか……?」

 神通さんが少々不安そうな表情で訊いてきます。

「ええ。今は誰でもすぐに写真や動画を撮ることができますし、それを全国誰にでも見られるようにすることもとても簡単ですから」

神通「インターネットで、ですか?」

「はい」

神通「……恐ろしい時代です」

 神通さんは戦慄したような表情で呟きました。そんな神通さんに私は苦笑気味に応じます。

「これでも少し昔よりはだいぶ秘密を守りやすくなっているんですけどね」

川内「どういう意味?」

 そう言って小首を傾げる川内さん。私は人差し指を上に向けました。

「上から監視されることはなくなりましたから」

那珂「……偵察機? 気球?」

「いえ、空ではありません。もっともっと上――宇宙です」

川内「宇宙って……高度何メートル?」

「えーと……偵察衛星は500キロメートルくらいだったかと」

那珂「そんな上からで見えるの!?」

「20センチ程度の物体までなら判別可能な衛星もあります」

 私が頷くと神通さんは少し気味が悪そうに上を見上げました。


神通「そんなに上だと撃ち落とすこともできませんね」

「実はできないこともないのですが……まあ今は使用不可能ですし、そこまで気にすることもありません」

川内「ああー……なんか深海に通信妨害されてるんだっけ」

「と決まったわけではありませんが、深海棲艦が初めて人類の前に姿を現した日を境に通信障害が発生していますからね。絶対に何か関係しているはずです」

 境に、と言っても全世界と一斉に連絡が取り合えなくなったのではなく、南米辺りから近隣諸国まで徐々に連絡が取れなくなっていった、という感じらしいのですが。通信が完全に途絶する前まで連絡を取り合っていた国々から判断するに、他国も「地球の裏側から連絡が取れなくなっていった」と同じ状況だそうです。

「通信障害が直るときにはもう深海棲艦もいなくなって戦いは終わっているでしょうし、どちらにしろ心配する必要はないと思いますよ」

川内「戦いは終わっている、か……。ねえ用務員さん」

「はい。何でしょう?」

 私が返事をすると、川内さんは見たことのない儚げな表情をして問うてきました。

川内「この戦いが終わったら、私たちどうなるのかな」

「……え」

 私は川内さんの問いに私は即座に答えることができませんでした。

 深海棲艦との戦いが終わったら、艦娘はどうなる?


「……申し訳ありません。私にはちょっと……」

川内「ん、そっか……っていうかよく考えたら用務員さんに言っても仕方ないよね。ごめんね」

「いえ……あ、すみません。私、そろそろ仕事に戻らないと……」

 最低、です。文字通り、最低です。

川内「お、そうだね。いや、うちの妹が引き止めちゃってごめんねー」

「私も楽しかったですから。那珂さん、ありがとうございました」

那珂「うんっ、また見にきてねー!」

 川内型三姉妹の皆さんに見送られ、私は階下へバケツを取りに行きました。


*******


 バケツを回収した後、私は一度用務員室に戻ることにしました。
 扉の前で先程のことを思い出し、ドアノブを握ったまま大きなため息を吐きます。

 私は……。

「よーむいんさんっ♪」

「ひゃり!?」

 突然横から声をかけられ、その場で飛び上がりました。

「あ、あぁ……那珂さん」

那珂「はーい、なっかちゃんだよー」

 踊り場で別れたはずの那珂さんが、私の目の前で手を振っていました。

「どうされました?」

那珂「うーん、さして用事はないんだけどー……お部屋にお邪魔してもいい?」

「え、この部屋ですか……? 特に何もありませんよ。そんなに綺麗なところでもありませんし」

那珂「那珂ちゃんは全然オッケー! 入っちゃダメ?」

「ええ、まあ構いませんよ」

 人を招き入れる気分ではありませんでしたが、断る理由も出てきません。私は扉を開けました。


那珂「お邪魔しまーす!」

「いらっしゃいませ。先に上がっておいてください。よければ座布団も使ってください」

那珂「はーい!」

 那珂さんは奥まで駆け足で行き、三和土の上で靴を脱ぎ始めました。その間に私もバケツなどを片付けておきます。

「お待たせしました」

 私も畳に上がると、那珂さんはすでにちゃぶ台の前で正座をしていました。

那珂「用務員さん、ここで暮らしてるの?」

「ええ。と言ってもほとんど寝起きするだけの場所ですけどね」

 私は乾かしていた急須を取り上げ、茶葉をすくいいれます。

那珂「……提督にもうちょっと広い部屋にしてもらうように言ってみたらどうかな。起きて半畳寝て一畳を地で行ってそうだよ……」

「さすがにもうちょっと広いですけど……これで十分ですよ。昔はこれよりもっと狭い場所で寝起きしていました。それにここだと仕事もしやすいですから」

那珂「そう……? まあ用務員さんがいいならいいんだけど……」

 そう言ったあと、那珂さんは仕切り直すように「それじゃあ」とちゃぶ台に手をつきました。

那珂「さっきはどうしたの?」

「……はい?」

那珂「踊り場で。帰り際、どう見ても様子がおかしかったよ?」

「……ご用事、あるじゃないですか」

那珂「うん。ごめんね、ちょっと嘘ついちゃった」


 真剣な顔のまま謝る那珂さんを見るとそれ以上何か言う気も起きず、私は湯呑を那珂さんの前に置きました。

 確かに、那珂さんがその目的を言っていたとしたら、私は那珂さんの入室を断っていたかもしれません。

那珂「那珂ちゃんでよければ、聞くよ? 人生経験とかないから聞くだけになるかもしれないけど」

「……那珂さんはお優しいですね」

那珂「えへへ、那珂ちゃんは歌を聴いてくれる人を大事にするアイドルなんです」

 そう言って那珂さんはVサインを出しました。

「あはは……敵いませんね。……本来なら逆なのですが、聞いていただけますか?」

那珂「うん、もちろん」

 そうおっしゃる那珂さんは純然たる笑みで、今の私には眩しいものでした。

「私は……皆さんのことを考えていませんでした」

 少し視線を下げながら、私はぽつりぽつりと話します。

「川内さんに言われて、初めて気づいたんです。私は、深海棲艦がいなくなったあとのことを、皆さんの戦後を考えていなかった。皆さんがそれからも生きていくということを、まったく考えていなかった。……最低です」

那珂「え……どうして? 用務員さんは用務員でしょ? 那珂ちゃんたちの戦いが終わったあとのことなんて」

「ええ、考えたって仕方がありません。私の意思は何の結果も生みません。でも、考えなくていいということには……なりません」

 那珂さんの言葉に被せるように言ってしまいました。
 束の間、部屋は沈黙に包まれました。那珂さんの顔は見えませんが、きっと困惑していることでしょう。


 緑色の水面を見つめたまま、私は再開しました。

「私たちには義務があると思っています。艦娘の方々を支える義務が。だってそうじゃないですか。成り行きとはいえあなたたちを死から叩き起こし、あまつさえ人間の代わりに戦場へ送り出している。こんな所業、なかなかできることではありませんよ。私のような末端から今の総理まで、このことを黙認している人間はもれなく地獄行きでしょうね」

 可笑しくもないのに、私は笑いました。

「他にも色々とありますが、私がこの仕事をしている一つの大きな理由です。……でも、それは深海棲艦との戦いが終わるまでの話でした。そのあとのことなんて考えたこともなかったんです。皆さんを、戦いを終わらせるものとしてしか見ていなかった。まあ、そういうことに気が付いて、それで……」

 私は黙り込みました。

 こうして口に出してみると、つくづく最低です。結局のところ、私は私のために艦娘のサポート役をしていたのです。……いえ、それ自体は悪くはありません。
 そうではなく、私のため「だけ」に仕事をしていた。皆さんのことを慮るふりをしていた。そういうことなのです。

 気付かれないよう、細く長く息を吐きました。手に力がこもり、湯呑を持つ手が白くなります。

 私は地獄でも足りないかもしれませんね……。

那珂「……ねえ、それ本当? 本当にそういう理由なの?」

「だってそうじゃないですか。それ以外に考えらないじゃないですか」

 本当に皆さんのことを考えているなら、むしろサポートが必要になってくるのは戦いが終わったあとだとすぐに分かるはずです。
 しかし私は――

那珂「……那珂ちゃんね、さっき川内ちゃんに訊いたんだっ」

 那珂さんは突然、そう朗らかな声で言いました。
 堂々巡りになっていた私が驚いて前を向くと、那珂さんは「んふふー」と顔をほころばせました。


那珂「『どうして戦いが終わったあとのことを訊いたの? 何かやりたいことあるの?』って。そしたら川内ちゃん、そうじゃないって言うんだ」

 その時のことを思い出してか、那珂さんは嬉しそうな表情を浮かべます。

那珂「『那珂、あんたのことだよ。アイドルしたいんでしょ』って。川内ちゃん、那珂ちゃんのために訊いてくれたんだって」

「……川内さんは、本当に那珂さんのことがお好きですね」

那珂「だ、だからそれはいいってば~!」

 那珂さんは恥ずかしそうに身をくねらせたあと、「でもね」と急に声のトーンを落としました。

那珂「川内ちゃんに言われても全然実感が湧かなかったんだ。戦いが終わったあとの自分の姿を、まったく想像できなかった。訊いてみたら、川内ちゃんも神通ちゃんもそうだった。……当たり前だよね。こんな姿になって、かつての仲間たちといっしょに正体不明の敵と戦う……正直今のことで精一杯、先のことを考える余裕なんてないよね」

 那珂さんは湯呑を両手でつかみ、目の高さまで持ち上げました。私と目が合い、にこっと笑いかけてきます。

那珂「那珂ちゃんはね、用務員さんも同じだと思うんだ」

 ……は?

「お、同じわけないじゃないですか。皆さんは艦娘で私はただの人間。それに今私は戦っていませんし、だから」

那珂「じゃあ用務員さんは自分の未来、この戦いが終わったあとのこと、想像がつく?」

「え……いえ、その……」

 今度は那珂さんが私の言葉を遮りました。私はその問いに答えることができません。

 この戦いが、終わったあとの自分……? ……駄目です。考えられません。だって――


那珂「無理だよね。深海棲艦を撃退するってビジョンが浮かんでこないんだもん。その先のことなんて、ね」

「す、すみません! 皆さんのことを信用していないということでは決してないのですが」

那珂「大丈夫、那珂ちゃんも見えてないからねー。単体で見たとき那珂ちゃんたちの方が強いとはいえ、数が違いすぎるもん。やっぱり時代はたった一人のスーパーアイドルより集団として戦果を挙げるグループアイドルなのか……! ああ、那珂ちゃん悲しい!」

 那珂さんは茶化してくださいましたが、言っていることはその通りです。
 艦娘一人一人の能力は深海棲艦のそれより遥かに上です。しかし数の違いはその能力差を補って余りあるものなのです。
 今のまま戦い続けたとしても、これ以上事態が好転することはないでしょう。

 大仰なポーズをとっていた那珂さんは何も言わない私を見て軽く息を吐くと、姿勢を元に戻して微笑みました。

那珂「用務員さんみたいなこの時代の人は、勝てない勝負を九年間を続けさせられた。深海棲艦の恐ろしさは那珂ちゃんたち以上に分かっていて、それなのに戦い自体は自分の手から離れている。だからこそこの戦いの行く末が気になって気になって、戦いが終わったあとのことを考える余裕なんてないんだと思う」

「そ、そうだとしても」

那珂「でもね」

 またも私の言葉を遮った那珂さんは、もう一度「でもね」とくり返しました。

那珂「それでいいと、那珂ちゃんは思うんだ。戦後処理は上の仕事。現場ではただ自分の命と仲間の命を守るために奔走すればいいんだよ。そうじゃなくても戦いが終わってからのことなんて、戦いが終わってからじっくり考えればいい。――それにね!」

 那珂さんはビッ、と指を天に突きました。

那珂「那珂ちゃんは、いや那珂ちゃんたちは自分の未来を自分で決められないほど柔じゃない! だから心配しなくても大丈夫だよ!」

 ……私は高慢だったのかもしれません。
 この方たちは強い。力だけの話ではなく、ちゃんと一本の芯が通っている。もちろん慣れない世界の慣れない体です。心配がまったく必要ないということはないでしょう。しかし何から何まで面倒を見る必要もないのです。

 力んでいた体から、すとんと力が抜けました。


「……そうですね」

那珂「あ、でも余計なお世話だって言ってるんじゃなくてね? 迷う子もいるだろうから、その時は手助けしてあげてほしいし……!」

 急に態度を変えすぎたせいか、那珂さんは慌てたように手をばたつかせます。

「いえ、大丈夫ですよ。分かっています。ええ、そうですね。もし私がお役に立てるのなら、戦いが終わったあとも皆さんのことを全力でサポートさせていただきます」

 私は深く頭を下げました。

那珂「あっ……うん! ありがとっ、用務員さん」

「こちらこそこんな話聞いていただきありがとうございました。……那珂さん、聞くだけになるかも、と言っていた割にきっちり助言してくださいましたね。そういうものにも向いているんじゃありませんか?」

那珂「いやいや! 那珂ちゃんはアイドルですから! 艦隊のアイドル!」

 必死のアピールに、私は笑いを堪えきれませんでした。

「ふふ、そうでしたね。では、今はそちらも応援させていただきますね」

那珂「ホント!? ありがとう! ファン!? ファンになってくれるの!?」

 那珂さんは見えないくらいの速度で私の手を取り、目をきらきらと輝かせます。

「それは那珂さんがライブをしたときからですよ」

那珂「そうなの!? ありがとー!! ファンならサービスしなきゃね!」

 那珂さんは勢いよく立ち上がります。

那珂「じゃあ那珂ちゃん一曲歌っちゃいまーす! 音源ないけどごめんねー」

 私はわー、と歓声を上げて拍手をします。那珂さんはにこっと笑うと、ゆっくりと胸に手を添えました。

那珂「それでは川内型三番艦那珂、歌います。曲は――」


 その日の夕方、鎮守府庁舎の一角にバラードの歌声が響き渡りました。
 その歌声はとても綺麗で……相変わらず未来のことは見えてきませんが、これは是非にもたくさんの人に聴いてほしいと、そう私は思いました。

遅くなりました。もし待ってくれている方がいたら申し訳ありませんでした

次は漣さんが出てくる話か、新しい艦娘がやってくる話です

ではまた


 私は毎日二一〇〇時になると大浴場の掃除に赴きます。利用時間が基本的に一六〇〇から二〇〇〇と定められているので、その時間に誰かがいることは少ないです。
 しかし利用時間を過ぎているからと言って、ゆっくりと掃除ができるわけでもありません。大浴場はできるだけいつでも利用できるようにしておかなければならないからです。

 その理由は――大浴場にある浴槽が、艦娘の修理用ドックの役割も果たしているからです。

 ……ええ、私も訳が分かりませんが、妖精さんがそのようにしてしまったのだから仕方ありません。一度はその浴槽に浸からなければ、戦闘で傷付いた艦娘の艤装はいつまでも傷付いたままです。逆に、一度でも湯に触れれば艤装は勝手に修復されていくそうです。
 ゆえに大浴場は、その浴槽は常に使うことのできる状態にしておく必要があるのです。

 ちなみに男性はまったく別の場所にある簡易シャワー室のみがあてがわれているという酷い待遇ですが、そもそも泊り込んでいる男性は司令官一人で、その司令官には専用の浴室があるそうなので特に不満の声は上がっていないようです。


*******


 その日の夜も、私はいつものように大浴場・脱衣所等の掃除を終わらせました。
 浴槽の横に備え付けられた四つのタイマーの内、一つだけが動いています。

 まだどなたかが修理中のようですね。

 何となくそれを眺めながらレバーを下ろします。数秒遅れて湯口からお湯が噴き出てきました。十分も経てば浴槽はいっぱいになるでしょう。

 脱衣所に戻り、さあ私もシャワーをいただきますかと用意していた袋を持ち上げたそのとき、外が突然騒がしくなり、脱衣所の引き戸が勢いよく開きました。

川内「あれっ、用務員さん?」

 開いた途端に目が合い、すっとんきょうな声を上げたのは川内さんでした。

「え、用務員さん?」「どうしたの?」という声が川内さんの後ろから聞こえます。そしてぞろぞろと、ひーふーみー……十人もの方が脱衣所に入ってきました。見たところ二組の水雷戦隊のようです。

「えっと……皆さんこんな時間にどうされました?」

 今帰投した、というのならば分かりますが、服にほつれたようなところなどはなく、特に深海棲艦と戦った形跡は認められません。それにこの時間帯に利用があるならば私のところに連絡が来るはずですが、掃除前に確認したときには何も連絡は入ってなかったはずです。

川内「お風呂だよ。今まで夜間演習してたから。……あれ? もしかして今入ったらダメ? 一応使用許可は取ってあるんだけど」

「え!? 本当ですか!?」

 そんなまさか! と思いながらも私は慌てて棚に残しておいた端末を確認します。

「……うわ」

 連絡、入っています。届いた時刻は……二十一時七分。


「申し訳ありません。いつもここの掃除は二一〇〇より始めているのですが、その少し後に連絡が入っていたようで……」

川内「あちゃー」

 川内さんがそう言って額に手を当てると……その頭に手刀が飛びました。

川内「あいた!?」

「どう考えてもアンタのせいでしょ! 反省しなさい!」

 いつものソプラノボイスをさらに高くして叱声を上げたのは――

川内「痛いよ、阿武隈……」

 長良型六番艦、由良型で言うと三番艦の阿武隈さんでした。普段は不安げな色を湛えている目を吊り上げて怒っています。

川内「というか『アンタのせい』? 私はちゃんと使用許可貰ったよ? 演習の申請出したときに」

阿武隈「その申請を演習に行く二十分前に出したりするからでしょうが! 連絡が上手く回らなかったのもそのせいよ!」

 に、二十分前……なぜ司令官も受諾したのですか……。

川内「そ、それはそうかもしれないけど……急に出撃が取り止めになったから仕方なく」

阿武隈「大人しく休みなさいこの夜戦バカ! しかもその演習相手には十分前に事後承諾とかもう意味が分からないんですけどぉ!」

川内「あ、あははは……阿武隈のところも出撃中止になったって聞いて、暇だろうしちょうどいいかなーって」

阿武隈「いいわけないでしょーっ!」

 背の低い阿武隈さんは押し上げるように川内さんに詰め寄ります。流石に形勢不利と見たか、川内さんは胸の辺りにまで手を挙げて「まあまあ」と誤魔化し笑いを浮かべます。


阿武隈「まあまあじゃないわよ! アタシだけならまだしも駆逐隊の子たちにまで迷惑かけて……もう! もーっ!!」

 阿武隈さんは両手で拳を作り、上下にぶんぶんと振ります。

 怒り心頭なのはよく分かりますが、普段から怒り慣れていないせいかあまり怖くありませんね……。

 その時「あ、阿武隈さん……」と言いながらお二人の間に割って入った方がいらっしゃいました。

阿武隈「潮ちゃん?」

潮「もう過ぎたことですし、これくらいにしません、か……?」

 潮さんはそう言って、眉尻を下げながら困ったような笑顔を浮かべました。

 特Ⅱ型駆逐艦十番艦の潮さん。照れ屋かつ少々おどおどしたところがある方ですが、とても心根の優しいお方です。阿武隈さんとは艦の時代から縁があるそうで、よくお話をされている姿を見かけます。その様子は姉妹、というよりは仲のよい親戚同士のようです。

阿武隈「……潮ちゃんがそう言うなら」

 阿武隈さんは川内さんから離れました。

阿武隈「今回は潮ちゃんに免じて許すけど、今度やったらただじゃおかないんだから!」

川内「いや本当にごめんって。もう絶対しないから」

 川内さんはほっとしたように笑うと、私の方を向きました。

川内「それであとどのくらいで入れるのかな」

「ああ、入る分には今からでも……ただお湯がたまるまであと十分弱はかかるかと思います」


叢雲「あら、掃除は終わっているのね」

 川内さん旗下の叢雲さんが少し意外そうな表情で言います。

叢雲「それくらいだったら今から入っても大丈夫そうね。さ、時間は限られているんだから入っちゃいましょ」

 叢雲さんがぱんぱんと手を打つと、皆さんばらばらに返事をしながら棚の前に行きます。

川内「……叢雲、旗艦やってみない? 私より統率力あるよ」

叢雲「どうして健在な軽巡さしおいて駆逐艦が旗艦しなきゃいけないのよ。情けないこと言ってないで入るわよ」

川内「……でもこれ絶対旗艦に対する態度じゃないよ」

叢雲「なに? 何か言った?」

川内「何でもない……」

 川内さんもぶつぶつ言いながら棚の前まで歩きます。

 さて、私も行きましょう。

 袋を担ぎ直し歩き出そうとしたそのとき、「あれ?」という声が。


漣「どこ行くの?」

 声をかけてきたのは潮さんの姉妹艦、特Ⅱ型駆逐艦九番艦の漣さんでした。トレードマークのピッグテールを片方解いて首を傾げています。

「シャワー室ですよ。私も今からなんです」

 もちろん先述のシャワー室とは別の、この建物内にあるものです。

朧「お風呂、入らないんですか?」

 その隣から同七番艦の朧さんが声をかけてきます。特Ⅱ型改という区分では四隻の姉妹艦の一番艦ということもあるためか、そのまとめ役のようなことをよくされる方です。

「ええ、シャワーの方がささっと浴びることができて楽なので」

漣「せっかく自分で洗ったんだから一番風呂もらえばいいのに」

「シャワー室も私が洗ってますよ」

漣「……一番シャワー?」

「ふふ、そうですね。それではごゆっくり」

 私は頭を下げると、シャワー室へと向かいました。


今回はここまでです

こんなに時間かけたのにここまでです                            本当にすみません
……次から片方の水雷戦隊だけにスポットが当たり気味になると思います

それでは


******


 併設された小さな脱衣所で手早く服を脱ぎ、入り口に一番近いシャワーブースに入ります。
 肩を撫で始めた髪を摘まみ、そろそろ切ろうかなあ、と思案していると……また外が騒がしくなりました。

 え!? どうして!?

 私は扉がきちんと閉まっているか確認しようと振り返りました。
 このシャワー室の入口には扉がなく、ブースのドアは肩の下から膝の上までしか隠してはくれません。

 ゆえに振り返れば脱衣所にいる方と目が合うのは道理なのです。

漣「早っ! もう脱いでる!」

「その言い方は少しおかしくありませんか漣さん!」

 私はつい大きな声を出してしまいました。

 いらっしゃったのは阿武隈さん率いる水雷戦隊の方々です。

「どうされたんですか? わざわざシャワー室に来るなんて」

 きっちりと閉まっていることを確認しつつドアに軽く寄りかかりながらそう訊くと、手首に鈴の髪飾りを巻きつけた少女が答えました。

曙「実はあたしたち、一回お風呂入ってるのよね。だからシャワーでいいかってことになって」

 答えてくれたのは朧さんたちの姉妹艦、八番艦の曙さん。少々きつい性格ですが、特定の人間でなければそこまで風当たりも強くありません。むしろ少し人付き合いの苦手な不器用な少女然としていてとても可愛らしい方です。

 ちなみに今ここにいる朧さん、曙さん、漣さん、潮さんは四人で一つの駆逐隊として編成されることが多く、帝国海軍時代の部隊名に倣い『第七駆逐隊』と呼ばれることもあったります。


阿武隈「へぇー、シャワー室ってこんな感じになってるのね」

 阿武隈さんが身体を傾け、奥の方を覗きこみながら言います。

潮「阿武隈さん、こっちに来るのは初めてなんですか……?」

阿武隈「うん。お湯に入れないから来たことなくて」

潮「ああ。阿武隈さん、お風呂に入るの好きですもんね」

 潮さんがまた困ったような笑みを浮かべると(別段困っているわけではなく、これが彼女の普通の笑顔なのです)、阿武隈さんは「うん!」と満面の笑みを浮かべて大きく頷きました。

阿武隈「お風呂は本当に大好き。艦娘になってよかったぁって思うことの一つだし」

漣「そこまでか! うん、まあでも気持ちいいですよね」

朧「いっぱいためたお湯に浸かるだけなのにどうしてあんなに気持ちいいんだろ?」

曙「乗員が風呂好きだったのも頷けるわ」

 皆さんが口々に話し始めたのを眺め、途中であることを思い出し声をかけました。

「まあまあ皆さん。それ以上のお話はシャワーを浴びながらでも。こんな時期に風邪をひくのも馬鹿らしいですし」

 五人とも大浴場に入る準備をしていたからでしょう。




 皆さんは揃って下着姿でした。


*******


漣「でね、風邪ひくと本当に辛いのよ。生きてるってことがよく分かんなかったのに『ダメだ、もう死ぬぅ……』とか思ったからね」

朧「そんなに辛いの?」

漣「一回ひいたら分かるかなー。まったくオススメしないケド」

 横のブースからシャワーの音に混じって少女たちの喋り声が聞こえてきます。

 シャワーを浴びているときに人の声を聞くのは久々ですね……。昔は私も同僚とよく話していたものですが。

阿武隈「みんな、さっきはごめんね」

 おや?

 前の職場のことを思い出していると、突然阿武隈さんが言いました。「何が!?」という声がします。

阿武隈「川内に怒鳴っちゃったこと。ついかっとなっちゃって」

漣「ああー、そのことですか。あれは仕方ないですって」

曙「あたしとしてはむしろもっと早くに怒ってほしかったですけどね」

阿武隈「あはは……ごめんね、曙ちゃん」

曙「ん……まあ、いいんですけど」

 曙さん、普段はきついことを言いますが一歩退かれると途端に弱くなるんですよね。今も少々ばつが悪そうです。

朧「普段しない夜戦演習ができたのはよかったですけど、やっぱり急にやるのはやめてほしいです」

阿武隈「うん、今度は言質取られる前に絶対断るから……。まあ川内もいつもだったらここまではしないだろうし」

朧「ん……? 川内さん、何かあったんですか?」

 朧さんが尋ねると、阿武隈さんは「あー……」と呆れたような声を上げました。


阿武隈「川内、最近夜戦してないらしくて……で、取り止めになった出撃で夜戦することになってたらしいのよ」

 あー……、と誰かが阿武隈さんとまったく同じリアクションを取ります。ここにいる全員が似たような心情でしょう。

潮「川内さん、とても夜戦好きですよね……」

漣「いや、あそこまで行くと夜戦好きというか夜戦狂いだよね」

曙「元はただのモノなのにどうしてあそこまで個性的になったんだか」

 やれやれといった調子の曙さん。
 それに対し、やや時間をおいて朧さんが言いました。

朧「……それ、曙が言うの?」

 思わず笑いそうになり、口を押えます。うっ、泡が……。

漣「あー、これはぼのたん言い返せませんわ」

曙「は、はあ!? ってだからぼのたん言うな!」

潮「でも、確かに曙ちゃんは個性的だよね」

曙「そ、それこそ潮に言われたくないわよ!」

潮「え、私は別に……」

漣「潮ちゃん、その身体で個性的じゃないというのはちょっと無理が」

潮「へ……ひゃあ! も、もう漣ちゃん! 曙ちゃん!」

曙「あ、あたしは何も言ってないでしょ!」

 あー……潮さんは発育いいですもんねー……。


潮「うぅ……どうして私だけこんな……」

漣「まあまああって困るもんでもないでしょ」

潮「結構困るんだよっ? 重たいし邪魔だし……」

阿武隈「……その台詞、一回でいいから言ってみたい」

潮「阿武隈さん……!?」

 いつの間にか言葉を発さなくなっていた阿武隈さんの久々の発言に、潮さんが声を上擦らせます。

阿武隈「あぁ……だって姉妹で一人だけぺったんこなんだもん……。五十鈴お姉ちゃんとは言わないから由良お姉ちゃんくらいは欲しかった……」

潮「あ、阿武隈さんは今のままで十分魅力的ですよ……!」

 潮さんの必死のフォローが入ります。

 阿武隈さんは長良型の中で一番に身体年齢が低そうですし、むしろそれくらいが普通なのでは……。

朧「……えっと、おっぱいの話だよね?」

漣「お、おぉ……そうだけど。直球だね、朧ちゃん」

 阿武隈さんたちを余所に朧さんたちが話を始めました。朧さんは一拍おいて、言います。

朧「漣は欲しいの?」

漣「ううぇい!?」

 あ、漣さんが動揺してます。
 しかし……ふむ。

 私はシャンプーを洗い流し、静観を決め込みました。


漣「え、ま、まあないよかはある方がいいんでないかな!? ねえ曙ちゃん!」

曙「どうしてこっちに振るのよ!」

朧「曙も?」

曙「う……まあ、そうね」

朧「どうして?」

漣「うわー……どうしよう。難しいんだけど」

曙「……逆に訊くけど、朧はどうなの?」

朧「朧は……必要とは思わないかな。あって役に立つとは思えないし」

漣「まあそりゃ戦闘のときには何の役にも立ちゃしませんが」

 漣さんがいつもの調子を取り戻し、軽い口調でそう言います。

朧「じゃあどういうときに役に立つの?」

曙「役に立つっていうか……憧れる、みたいなものじゃないの? 知らないけど……」

漣「ほぉほぉ、曙ちゃん大きいのが憧れ?」

曙「うっさいわね。あんただって小さいのよりはいいと思ってるんでしょ」

漣「んー……そうですなあ。スタイルはよくなりたいけど……。朧ちゃんはそういうこと思わないの?」

朧「えっ……でも朧たち、艦だよ? スタイル……」

 朧さんの困惑した声が響きます。


漣「でも今は艦というか艦娘ですしお……おほん! せっかくだから朧ちゃんもお洒落とかしてみれば?」

朧「お洒落……」

曙「そうね。今度みんなで出かけましょ。服とかアクセサリーとか見て回ったら朧も気が変わるんじゃない?」

朧「お、朧が?」

潮「あ、いいね。みんなでお休み取っていっしょにお店回ろうよ、朧ちゃん」

朧「う、うん……分かった」

 聞き終えた私はボディソープを手に出しました。

 ……なるほど。那珂さんの言う通りです。黙っていて正解でしたね。

阿武隈「朧ちゃんのお洒落姿かあ……。お買い物から帰ってきたら見せてね」

朧「あ、あまり期待しないでいただけると……」

阿武隈「大丈夫! 朧ちゃん元がいいんだからきっと可愛いわよ」

朧「そ、そんなこと、ありませんって」

 朧さんは口ごもりながら言います。照れた朧さんというのも珍しいですねえ。可愛いです。

漣「阿武隈さーん。うちのまとめ役口説かないでくださいよー」

阿武隈「く、口説く!?」

 阿武隈さんが「してないしてない!」と言うと「冗談に決まってるじゃないですか」と漣さんは笑います。

今回はここまで……

こんなに時間かけたのにここまでです……まだ終わりません
次こそ、必ず

では、できるだけすぐに、また

阿武隈「もう……。あーあ。アタシもまたそろそろ外出したいなあ」

潮「お休み、取れないんですか……?」

 潮さんが尋ねると阿武隈さんは「ううん」とそれを否定しました。

阿武隈「取れないことはないんだけど……できればお姉ちゃんたちの誰かと一緒に行きたくて。でもなかなか調整がつかないみたいでね」

曙「……提督に頼んでみたらどうですか。合わせてくれるとは思いますよ」

阿武隈「うーん……提督、いい加減忙しそうだし、そんなことにまで気を遣わせるのは悪いかな」

漣「まあ基地司令兼艦隊司令官の少将、なんて人ですからねー」

潮「あはは、もう聞いただけで……え?」

 乾いた笑い声を上げていた潮さんは、呆けた声を出しました。

潮「……少将? 少将って、将官の? 提督が?」

漣「はれ? 知らなかったの?」

 漣さんがそう言った途端、シャワー室がにわかに騒がしくなりました。

曙「はあ!? あれが少将!?」

阿武隈「提督、そんなに年いってないよね……!?」

 意外と皆さんご存知なかった……ああ、そうか。昔の階級章とはデザインが変わっていますからね。

 腕に泡を広げつつ、私は一人納得していました。


朧「提督って何歳なの?」

漣「ん? そういえば漣も聞いたことないような」

「今年で三十六になられるそうですよ」

阿武隈「三十六!?」

 口を挟むと阿武隈さんが裏返った声を上げました。

朧「三十六で少将……提督、もしかして皇族とか」

曙「ま、まさかそんなわけ」

 曙さんが動揺しています。

「いえ、恐らくそれはないかと」

潮「じゃあ今はそれが普通とか……?」

「それこそまさかですよ」

 あの歳で少将になることが普通であってたまるものですか。

漣「そっかー。じゃあご主人さま三十四で中佐だったんだ。エリートじゃん」

潮「……ふぇ?」

 漣さんの呟きに、潮さんは何とも言えない声を上げます。


曙「ちょっと待ちなさい。……ちょっと待ちなさい」

漣「大事なことだから二回言いました?」

曙「動揺してるの! なに、去年まで中佐だったわけ!?」

漣「そうだよー。提督に着任するときに大佐になって、三方面作戦のときに晴れて少将」

潮「正味数か月で二階級……!?」

曙「一回戦死したんじゃないでしょうね……」

 ……中佐から少将への特別昇進は前例があるだけに笑えませんねー。

漣「あんな元気な幽霊がいるわけないでしょ。ま、漣たちの活躍がそれだけすごいってことですよ」

 そう言って「むふー」と漣さんは鼻を鳴らしました。

朧「嘘っぽい」

潮「うん……」

曙「正直に言いなさい」

漣「流石に酷くね?」

 第七駆逐隊、ばらばらの性格ですが結束力はとても強いです。

漣「……ま、確かに漣たちの活躍だけでご主人さまが少将になれたなんて漣も思ってないけどね」

阿武隈「ぷはっ……まあ英雄になるだけじゃ二階級は上がれないわよね」

 阿武隈さんがどことなくしんみりとした調子で続けました。

潮「じゃあ……上の都合?」

漣「でしょうなあ。ご主人さまそういうこと滅多に言わないから本当のところは分からないけど」

「あの食堂の時くらいですよ」と漣さんは少し呆れたような声で言います。


潮「あの時も上の方から言われてたんだっけ……」

曙「ああ……あったわね」

阿武隈「アタシがまだいなかった頃の話? 提督、無理難題でも押し付けられてたの?」

漣「無理難題だったら今頃ご主人さまは鎮守府にいませんよ。まあ難しい要求でしたけど。あれはご主人さまを辞めさせたい一派の仕業でしょうなあ」

潮「提督を少将にまで昇進させたのは、逆に提督に辞めてほしくない人たちの仕業……?」

漣「たぶんね」

曙「……ほんとくっだらない。同じ国の海軍同士で争ってどうするのよ。しかもこんな時に」

 ……まったくです。司令官が少将になった理由も大方皆さんの予想通りですからね。もちろん皆さんの戦果あってのことですが。

曙「……あれ?」

潮「曙ちゃん、どうしたの?」

曙「そもそもどうしてあのクソ提督が提督に?」

 曙さんが訝しげに言いました。

 いやはや。もう何度も聞いていますが、もう何度聞いても「クソ提督」呼びは慣れませんね。しかもこれ、本人に面と向かって言っているわけですから、曙さんも司令官も大した方であるというか……。
 でも――初めの頃と比べると声が丸くなりましたよね、曙さん。


 そんなことを考えていると、いつの間にか鏡の中の私がにやついた表情を見せていました。手をシャワーで洗い、軽く頬を叩きます。

漣「不満がおありですかな、曙さん?」

曙「そういうわけじゃないんだけど」

漣「そういうわけじゃないんだ」

曙「うるさいわね!」

 軽く頬を叩きます。

曙「そうじゃなくて、最初から将官が提督になっていればこんな悶着も起きなかったはずじゃない」

潮「そう、だね。あの中将さんだっているんだし……」

朧「……不自然ね」

阿武隈「これも何かあったのかしら。漣ちゃんは何か知ってる?」

 阿武隈さんがそう言ったあと、一瞬シャワー室はぱしゃぱしゃと水の落ちる音だけに満たされました。阿武隈さんの問いかけは宙に漂い、そのまま水といっしょにどこかへ流れていきそうになります。

阿武隈「さ、漣ちゃぁん……」

漣「あ、すみません。無視するつもりじゃなかったんですけど……ちょっと答えづらくて」

 威厳の欠片もない声で阿武隈さんが呼びかけると、漣さんはようやく反応を示しました。少々ばつが悪そうです。

潮「やっぱり、知ってるんだ……」

朧「流石は最初の艦娘。……でも答えづらいって?」

曙「もしかして漣が元凶なんじゃないでしょうね」

 また、水のはねる音が場を支配しました。今度はやたらと気まずい沈黙です。


曙「漣……」

漣「いやいやいや! 漣だけじゃないよ!? みんなでやったことだし!」

曙「やっぱりそうなんじゃない!」

朧「何をやったの、漣?」

 朧さんが落ち着いた口調でそう尋ねたため、曙さんと漣さんはそれ以上言い合うことなく静かになりました。

漣「……吹雪ちゃん、叢雲ちゃん、電ちゃん、五月雨ちゃんたちといっしょにやったんだけどね?」

朧「うん」

漣「あー、えーと……ご主人さま提督にしないと戦わないぞーだからご主人さま提督にしてー、って軍令部にお願いしました」

 三度目の沈黙が訪れました。私はシャワーを止め、念のため持ってきておいたタオルを手に取ります。

阿武隈「ぐ、軍令部って……あの?」

 まっさきに沈黙を破ったのは阿武隈さんでした。

阿武隈「作戦の立案とか、指揮とかする」

漣「ええそうです海軍を統帥する超偉い組織ですよ」

阿武隈「……また凄いところへ直談判に行ったんだね」

 阿武隈さんは一周回って気の抜けたような声を出します。漣さんのやけになったような口調には気づいてなさそうです。

曙「というかそれ、お願いというより脅しじゃない」

 曙さんが呆れたような声で言います。


漣「べ、別に12.7cm砲向けて言ったわけじゃないし……」

曙「代わりに魚雷突き付けたの?」

漣「そうそう。酸素魚雷を食らわせるわよ……ってんなわけあるかい! 何も突き付けてないっての!」

 漣さんがノリツッコミをすると、先に冗談を言ったはずの曙さんは「分かってるわよ」と面白くなさそうな声を出しました。

曙「でもあたしたちは深海棲艦を一番効率よく安全に倒せる存在。それが要求呑まなきゃ戦わないとか言い出したら、余程のことがない限り呑む以外にないじゃない。そういう要求を世間一般では脅迫って言うのよ」

漣「……まあ反論はしない」

曙「ついに開き直ったわね……いいけど」

 国としては、艦娘に逆らわれてはどうしようもない、という考えもあるのでしょう。機嫌を損ねて深海棲艦と戦うことをやめられては困る、と。

 ただ、それはごくごく初期の頃の考えで――

朧「あれ? でも提督ってやめさせられそうになったりしてるよね……? どういうこと?」

 今まさに考えようとしていたことを、朧さんが疑問として口に出しました。


漣「……朧ちゃん」

朧「何?」

漣「実際に何か不本意なことをお偉いさんにされて、それへ抗議するために船団護衛の任務とかを無視したりする?」

朧「しない」

 朧さんははっきりと言いました。

朧「自分の都合で他の人を危険に晒すわけにはいかないから」

漣「漣も」

 漣さんは「やれやれ」とでも言い出しそうな口調でした。

漣「そのことが見抜かれてるみたいなんだよね。漣たちも提督が変わっただけで深海棲艦と戦うことはやめないって。あーやだやだ」

 漣さんは多少演技がかってはいましたが、うんざりとした調子も声に含まれていました。

 そう。艦娘の皆さん方の中に、そういったものを見捨ててまで我を通す方はいないのです。
 これは「軍」という組織が持つ役割上、それに属するものは皆ある程度はそうなのかもしれません。国を守ることを放棄すれば、軍に存在意義はありません。武器に正当性など何一つなくなります。
 しかし艦娘は武器そのものです。少なくとも昔はまさにそうでした。ゆえにその性質がより強く出ているのかもしれません。


 朧さんとの会話が終わるのを見計らっていたのか、「ね、ねえ漣ちゃん」という声がありました。潮さんです。

漣「何ですかな潮ちゃん?」

潮「その、お願いした頃って漣ちゃんたち、提督とまだ会ったばかりの頃だよね……? どうして、そこまで……?」

漣「……難しいこと訊くなー、潮ちゃんは」

潮「ご、ごめん」

漣「ううん、いいんだけど……こればっかりはあの時の漣たちの状況であの時の状態のご主人さまに会わないと分からないかも」

朧「どういうこと?」

漣「漣も何て言っていいか……。つまるところ右も左も分からない漣たちに指針を与えてくれたって感じなんだけど……」

曙「どういうことよ」

漣「それが話すと長いのよね」

 漣さんがそう言った瞬間でした。シャワー室にくしゃみの音が響き渡ります。

阿武隈「……ごめんなさい」

 阿武隈さんでした。

 私はタオルを身体に巻きつけると、ブースを出ながら言います。

「あんまりシャワー室に長居しているといくらお湯を浴びていても風邪をひきますよ。お話はここら辺にしてもう一度お湯を浴び直すなりして出ちゃいましょう」

 はーい、と各々のブースから素直な返事があがり、ぱしゃぱしゃとシャワーの音がします。

 私は脱衣所に入ると置いておいた着替えを取り出します。


漣「あ、じゃあ漣はもう出るね。みんなも早めにねー」

 そんな漣さんの声がしたかと思うと、ひたひたとこちらへ向かってくる足音が。

漣「……あれ?」

 至近からそんな声が。振り向くと髪から水を垂らす漣さんと目が合いました。一度その目がぱちくりと瞬きしました。

漣「……用務員さん着るのも早っ!」

「そうですかね?」

 私は相槌を打ちながらベルトを締めました。これでいつも通りの恰好です。

「職業柄素早さは求められますからね。今はあまり関係ないですが」

漣「……確かに。要するに慣れですかね」

 漣さんは一人納得しながらバスタオルを引っ張り出しました。

「……漣さん」

漣「はい?」

 漣さんは髪を拭く手を止め、こちらを見ます。

「詳しいことは存じません。でも……深海棲艦と戦うことを選んでくださり、ありがとうございます」

漣「……成り行きですよ。そんなたいそうな決断があったわけじゃないです」

 漣さんはまた髪をぽんぽんと拭き始めました。

漣「ご主人さまと出会って、力を請われて、気付けば……って感じです。まあ後悔はしてないですけどね」

「そう、ですか」

漣「だって漣たちは戦うために生まれてきたんですから。それも人のために戦えるのなら喜んで戦いますとも」

 そう言って漣さんはにかりと笑いました。


「……ありがとうございます」

漣「あーほら! 辛気臭いのやめ! いつもの用務員さんに戻って戻って」

 漣さんがひらひらと手を振るのを見て、私は溜まっていたものを吐き出すように息をすると、「はい」と歯切れよく返事をしました。

漣「うむ、よろしい」

「あ、髪を下ろした漣さんも可愛いですよね」

漣「あれ? いつも通りじゃなくね?」

「あら、私結構こういうこと考えてますよ?」

漣「まじで!?」

 漣さんは慌てて髪をタオルで隠しました。

「え……べ、別に隠さなくとも」

漣「あ、ごめんなさい。なぜか咄嗟に」

 漣さんがタオルをのけたのを見てなんとなくほっとしていると、くしゃみが一つ飛び出てきました。

漣「おっと。あんなこと言ってた用務員さんが風邪ひかないでくださいね?」

「あはは……面目ないです。実は今、下着を着ていなくて……」

 漣さんがぱかっと口を開けてしばらく固まりました。

漣「――だ、だからあんなに着替えるの早かったのかー!!」

「いつもはちゃんと着けてますよ!? 部屋に戻ったらちゃんと着直しますから……」

漣「しかも忘れたのかよ! 意外とおっちょこちょいですね」

「あはは……」

 私は着替えを入れる袋を後ろ手に持ち、力なく笑いました。



次は陽炎さんが出てくるお話です

 


 蝉のうるさい七月半ばの昼下がり。私は赤色の瓶ケースを持って庁舎内のある場所へ向かっていました。

「あら? 用務員さん」

「はい? ああ、陽炎さん」

 廊下の角で急に呼びかけてきたのは陽炎型一番艦の陽炎さんでした。髪をツインテールにする黄色のリボンは今日もとても映えています。

「吹雪さんも。お二人ともお疲れ様です」

陽炎「お疲れ様!」

吹雪「はい、お疲れ様です」

 そしてもう一人、陽炎さんと並び歩く方が。吹雪さんです。ぺこりと頭を下げ、明るく笑いかけてくださいます。

 あまり見ない組み合わせではありますが、意外としっくりくるものです。お二人ともすぐに誰とでも仲良くなってしまう方だからでしょうか。

陽炎「用務員さんも自販機に?」

 一緒に歩き始めてすぐ、陽炎さんが尋ねてきました。

「ええ。お二人もですか?」

吹雪「はい。演習が終わったあとに陽炎ちゃんから飲まない? って誘われて」

「……飲みに行くみたいですね」

吹雪「え? 飲みますよ?」

 きょとんとした表情で首を傾げる吹雪さん。とても純朴で可愛らしいです。


「って、そうではなくて……お酒を飲みに行くようだなあ、と」

陽炎「ああ、お酒かー。せっかくこんな身体になったんだし飲んでみたいなー」

「えっ? ええと……どうなんでしょうか」

 見た目は間違いなく中高生といったところなので酷い違和を感じてしまいます。

 すると陽炎さんはふふーんと悪い笑顔を浮かべました。

陽炎「用務員さん。私、これでも昭和十三年生まれよ?」

「いや、それは何か違う気が」

 まだ「艦」だった頃の話ではないですか。そこから数えれば問答無用で全員が成人女性です。
 ……そもそも船舶として登録を受けている艦娘に未成年も何もないといえばそうなのですが。

「というか年齢の数え方、それでいいんですか? 結構な歳になってしまいますが」

陽炎「……前言撤回するわ」

 陽炎さんは真顔でした。


吹雪「あの、用務員さん」

 今度は吹雪さんです。「何でしょうか?」と訊き返します。

吹雪「お酒って、そんなに美味しいものなんですか? 昔私に乗っていた人たちも、お酒が好きな人はたくさんいましたけど」

「まあ、粗悪なものでなければそれなりに。でも初めてだと苦いとしか思わないかもしれませんね。ジュースみたいに甘いものもありますけど」

吹雪「苦いんですか?」

「アルコール独特の味を苦味と感じるかもしれません」

陽炎「……美味しいの、それ?」

「美味しいものは美味しいですよ」

 首を傾げていた陽炎さんは吹雪さんと顔を合わせ、二人で揃って首を傾げました。

 こういうところは見た目以上に子供かもしれませんね。

 微笑ましい気分になっていると、すぐに自販機の前に着いてしまいました。


陽炎「吹雪は何がいい?」

吹雪「えっ? そんな、いいよ! 自分で買うから」

陽炎「誘ったのは私なんだし奢らせてよ」

吹雪「で、でも……」

陽炎「いいからいいから」

 本来なら吹雪さんが色々と先輩のはずなのですが、立場が逆転しちゃってますね。

 私は空き瓶で埋まったケースを横へずらし、新しく持ってきたケースを自販機横に据えます。

陽炎「そう言えば用務員さんってお姉ちゃんなのよね」

 私は勢いよく振り返りました。首がぐちっと嫌な音を立てましたが気にしていられません。

「ど、どこでそれを!?」

 取り出し口に手を突っ込んでいた陽炎さんは「え?」と言って振り返ります。

陽炎「島風と話してたらそういう流れになって」

吹雪「へぇー。用務員さんってご兄弟がいらっしゃったんですね」

 ……流石陽炎さん。そんなことまであっさりと話させてしまうとは。まあ口止めをしていたわけでもありませんし構わないのですが。

陽炎「でね、お姉ちゃんな二人に訊きたいことがあるんだけど……姉ってどういう風にあればいいのかしら?」

 瓶の蓋を外しながらそんなことを尋ねてきた陽炎さんは、たいそう真剣な表情をしていました。

吹雪「どういう、風に?」

 吹雪さんが不思議そうに鸚鵡返しをします。


陽炎「そう。今はまだ三人しかいないけど、順当にいけばまだまだ増えるはずなのよ、私の妹は」

 陽炎型は全部で十九番艦まである大所帯ですからね。甲型でくくれば更に十九隻追加です。

陽炎「現状姉として何かできてない気がするのよ。……何かしてあげたいって気持ちはあるんだけど不知火も黒潮も雪風も割と何でもそつなくこなしちゃうし。だから次に妹が来る前に姉として何かできることを見つけたいと思って。吹雪は何かしてる?」

吹雪「……陽炎ちゃん」

 少し演技がかった重い口調で吹雪さんは言いました。「なあに?」と陽炎さんは返します。

吹雪「私、お姉ちゃんとして扱われているように見える?」

陽炎「……見えないわね」

 陽炎さんはきっぱりと言いました。吹雪さんは硬くしていた表情を崩し、苦笑します。

吹雪「多分今の陽炎ちゃん以上に友達感覚だよ、私たち。それに特型って言っても中で結構分かれてて同型艦って意識のある子は少なくなるし」

陽炎「綾波からは綾波型、特Ⅱ型って呼ばれるときもあるんだっけ。暁なんてそれこそ暁型と言って譲らないし」

吹雪「そうそう。暁ちゃんを妹扱いなんてしたら多分怒られちゃうよ。……あ、だからごめんね。私のところは参考にならないかな」

「そっか。いいのいいの。こっちこそごめんね」と手を振りつつ言った陽炎さんはこちらを見ました。

陽炎「用務員さんは? 妹にどんな感じで接してた?」

「……私、妹とかなり歳が離れているんですよ」

 少し視線を逸らしながら言います。

陽炎「どのくらい?」

「中学校を卒業する時に、十五の時に妹が生まれました」

吹雪「一回り以上違いますね……」

「ええ。ですからそのくらいの子供の遊び相手としての姉だったんですよね、私」

陽炎「ちょっと私が求めているのとは違うわね。そこまで幼い子供になるとも思えないし」

 陽炎さんはうむむと呻って腕を組みます。


吹雪「だったら他の一番艦の人にも訊いてみるのはどうかな。今すぐ妹さんが増えるわけじゃないんだし、少しずつ色んな意見を聞いて回ってみてから決めていくとか」

陽炎「……そうね。焦ることないか」

 陽炎さんがそう言って瓶に口をつけた時でした。

 ブツン、とスピーカーに電源が入る音がしました。すぐにチャイムの音がしたかと思うと、大淀さんの声が流れ始めます。

吹雪「……あ、司令官の艦隊、帰ってくるみたいですね」

陽炎「損害は軽微か。よかった」

 司令官率いる艦隊が今より帰投するという報告でした。大きな被害もなく、作戦も成功とのこと。ひとまず安心です。

 私が瓶でいっぱいになったケースを持ち上げたその時、同じことを二度繰り返したスピーカーから『もう一つ重大なお知らせがあります』という言葉が流れました。歩き出そうとした足を止め、思わずスピーカーを見上げます。


大淀『洋上にて艦娘を二人、発見、保護したとのこと。二人はそれぞれ「浦風」「浜風」と名乗っているそうです。繰り返します――』


 ……え?

 私は陽炎さんを見ました。奇しくも吹雪さんと同じタイミングです。

吹雪「陽炎ちゃん……浦風、浜風ってもしかして」

 陽炎さんは何も答えず、まだ一口だって飲んでいないジュースを持ったまま、ただ放心したようにスピーカーを見つめていました。


******


 駆逐艦「浦風」、「浜風」。その名前の意味はどちらも浜辺を吹く風のことです。
 二隻は先の大戦時、第十七駆逐隊に所属する駆逐艦であり、どちらも様々な作戦に従事したという記録が残っています。

 そして二隻は陽炎型の十一番艦と十三番艦……陽炎さんの妹です。



「さて……こんなものですかね」

 私は意味もなく手を払い、その手を腰に当てました。

 ベッドに布団を敷き、カーテンを取り付け……とりあえず最低限の準備はしました。殺風景ではありますが、いずれこの部屋の主が自分好みに彩ることでしょう。

 私は部屋を出るため扉を開けました。するとつい先程別れたばかりの方と目が合いました。

陽炎「よ、用務員さん?」

「陽炎さん。今し方ぶりです」

陽炎「う、うん。ところでそこ、空き部屋じゃ……」

「私いつも空き部屋には出入りしていますよ? 使っていない部屋こそ掃除をしないとあっという間に駄目になりますから。まあここはそれとは別の用事ですが」

 私はそう言いながら腰に提げた鍵束を手に取り、扉に鍵をかけます。

陽炎「じゃあやっぱり」

「はい。あと少しでいらっしゃる浦風さんと浜風さんのお部屋の準備です。隣の部屋も準備はすませていますよ」

 ここは陽炎型の方々のお部屋も近い位置です。ちょうどよいでしょう。司令官には事後報告の形になりますが、まあいつものことです。


陽炎「それにしてもまさかあんな話をしている最中に本当に来ちゃうとは思わなかったわ」

「それはそうでしょうね」

 笑いながら頬をかく陽炎さんに私も笑ってしまいます。

「どんなお方でしょうねえ」

陽炎「できれば話しやすい子がいいなあ……」

「陽炎さんでしたら誰とでもすぐ話せるようになると思いますが」

陽炎「だったらいいんだけど。というかどういう風に接すればいいかまだよく分からないんだけど……」

 陽炎さんは額に手を当て呻くように言いました。
 その時でした。「あ、おったおった」という声がしたかと思うと、「陽炎ちゃーん」と独特のイントネーションで呼びかけながらこちらに駆け寄ってくる方が見えました。

陽炎「あら、黒潮じゃない。どうかしたの?」

黒潮「それはもちろん……あ、用務員はん、こんにちは」

「こんにちは、黒潮さん」

 言葉に関西の訛りがあるこのボブカットの少女は、陽炎型駆逐艦三番艦の黒潮さん。ほんわかとした雰囲気を持つ、気さくで親しみやすいお方です。陽炎さんが誰にでも気兼ねなく話していくタイプならば、黒潮さんは誰からも気軽に話しかけられるタイプです。


陽炎「で、それはもちろん?」

黒潮「さっきの放送や。ウチらの妹、一気に二人も増えるなぁ、て」

陽炎「……そうねえ」

黒潮「ん? どうかしたん?」

 黒潮さんはすぐに陽炎さんの異変に気づき、覗き込むように陽炎さんを見ます。

陽炎「ちょっと今悩んでて」

黒潮「よかったら相談乗ろうか?」

陽炎「……あんたにこの悩みを直接打ち明けていいものか」

黒潮「え? ウチに関係あることなん?」

「いいのではないですか?」

 私は口を挟みました。

「こうなればもう姉妹艦の方に直接尋ねてしまうのもありかと」

黒潮「ええー? 用務員さんには言うたの? 水臭いなー、ウチにも言うてえな」

陽炎「……分かったわよ」

 陽炎さんは大きく息を吐きました。


******


黒潮「はぁー、また妙なことで悩んでるなー」

 陽炎さんの話を聞き終えた黒潮さんの第一声がこれでした。

陽炎「みょ、妙とは何よ。失礼な」

黒潮「だってウチらみんな陽炎ちゃんのこと、お姉ちゃんやと思うてるよ?」

陽炎「え、嘘」

黒潮「嘘なわけあるかいなぁ。というかウチとしては陽炎ちゃんがそんな風に思うとったことが衝撃やで……」

 黒潮さんはショックを受けた表情です。

陽炎「姉に対する態度じゃなかったような気がするんだけど」

黒潮「そんな露骨に態度に出さへんよ。なんや照れ臭いし。でも陽炎ちゃんのことはウチらの頼れるネームシップやと思うてる。知らぬは陽炎ちゃんばかりなり、ってとこか」

 黒潮さんはにしし、と可笑しそうに笑います。

陽炎「……変なの」

 陽炎さんはぽすりと壁に背を預けました。

陽炎「私、あんたたちに何かしてあげられた覚えがないんだけど。艦の頃は四人の中で一番先に沈んだし。それなのに頼れるの、私のこと」

黒潮「陽炎ちゃん、そりゃ勘違いや」

 黒潮さんも陽炎さんに倣うように壁に背をつけ並びました。


黒潮「別に強いからいうて頼るわけちゃう。陽炎ちゃんやったら頼ってもええな、頼りたいな、思うから頼るわけや」

陽炎「何かしたっけ」

黒潮「……陽炎ちゃん、陽炎型の名前に泥塗るわけにはいかん言うていつも頑張ってはるやろ?」

 黒潮さんは見上げながら言います。

陽炎「まあ、ネームシップなんだし」

黒潮「それってつまりウチらに恥かかさんようにってことやん?」

陽炎「えっ!? ……そ、そこまで考えてないわよ」

黒潮「それやったらどうして一番艦やからって張り切るん?」

陽炎「それは……陽炎型の性能を見ようとしたらまず私が見られるだろうし、私はちゃんとしておかないと……」

黒潮「ほらそうやん」

 黒潮さんはにこにことして言います。陽炎さんは何か言い返そうとしたようですが、その顔を見て口を何度かぱくぱくさせると、すぐに閉じてしまいました。

黒潮「他にも色々とウチらのこと考えて行動してくれてる。そないな一番艦見てたら、そりゃ嫌でも姉と認めるで」

「まあ全然嫌やないけどな」と黒潮さんは笑いかけます。

陽炎「……本当に黒潮だけじゃなくて?」

黒潮「え?」

陽炎「だから、不知火や雪風もそう思ってるの、って」

黒潮「思てる思てる。そんな話、何度かしたことあるし。結構頼ってたつもりやったんやけどなあ。陽炎ちゃん、ほんまに気付いてへんかったん?」

 陽炎さんは顔を俯けると、身体をぷるぷると震わせました。

黒潮「陽炎ちゃん?」

陽炎「だ、だって……」

黒潮「だって?」


陽炎「私のことちゃん付けじゃない! 雪風はさん付けだし不知火に至っちゃ呼び捨てよ!? どうやったら姉扱いされてると思えるのよ!」

 陽炎さんは少し頬を赤くしながら大声を上げます。
 黒潮さんはぽかんとした顔をしていましたが、やがてにへら、と締まりのない笑みを浮かべました。

黒潮「なんや、お姉ちゃんって呼んでほしかったん?」

陽炎「い、いいわよ。もう分かったから」

 陽炎さんはもたれかかっていた壁から身を離しました。

陽炎「これから来る私の妹にも、黒潮たちと同じように接するわ。それでいいんでしょ?」

黒潮「そうそう。変に煩わへんといつも通りにしとけばええ。そしたら頼りになるお姉ちゃんの完成や。頼むで、陽炎お姉ちゃん」

陽炎「だから言わなくていいって言ってんでしょ」

 陽炎さんが小突くと黒潮さんは「あいたー」と額を押さえました。

 あらあら。まさか悩みが存在すらしていなかったとは。でもよくあることといえばそうですよね。
 とにもかくにも、これにて一件落着、ということでしょうかね。


******


「こちらとこちらがお二人の部屋です。内装は同じですが、浦風さん、浜風さん、どちらの部屋になさいますか?」

浦風「うちはどっちでもええよ。浜風は?」

浜風「私も特に希望は」

「あー……では右が浦風さん、左が浜風さんでよろしいですか?」

 そう提案すると、お二人とも快い返事をくださいました。

 司令官の説明の仕方がよかったのか元来生まれ持ったものなのか、新たに艦娘として生まれ変わったお二人は、少なくとも表面上は落ち着かれていました。こちらとしてもとてもありがたいです。

 私は鍵束から鍵を外し、それぞれ渡します。

浦風「ありがとうね」

浜風「どうも、ありがとうございます。……あの、この後私たちは何をすれば」

「特にうかがっていませんが……何も言われていないのであれば、夕食時までは自由に過ごしていただいて構わないと思います。いきなりのことでお疲れでしょうし、お部屋でゆっくり休息を取るのはいかがでしょうか?」

浦風「そうじゃねえ。色々頭の中も整理したいし……」

 浦風さんは、んぅ、と恐らく自覚もなく色っぽい声で伸びをしました。

浜風「そうですか。……そうですね、承知しました」

 まだただの印象ではありますが、実直そうな浜風さんはそう言って頷きます。


「あ、それとよければこれを」

 私は準備しておいた袋を渡しました。

「明日にはお二人が今着ていらっしゃるものと同じ服が支給されるとは思いますが、それまでの着替えとしてお使いください。新品の制服です」

浦風「何から何までごめんねぇ。制服って今の海軍の?」

「いえ、陽炎さんたちが着ていらっしゃるものの予備です。陽炎型の方と聞いていましたので」

 そう言うとお二人はぽかんとした表情でこちらを見てきました。

浜風「ほ……他の陽炎型もいるんですか!?」

「……ゑ?」

 せめて姉妹艦の存在くらいは伝えておいてください司令官!

 心の中で叫びながら、その質問に答えようと口を開いた時でした。

 右手側から突然大きな音が上がりました。それに紛れいくつか小さな悲鳴も聞こえます。
 驚いて振り向くと、一つの部屋のドアが開け放され、そこから三人の少女が折り重なるようにしてはみ出ていました。

陽炎「ちょっとあんたたち、後ろから押しすぎ……」

黒潮「ごめんなあ、よう聞こえんでついつい前に行きすぎたわ」

不知火「あの、重いのですが」

 陽炎さん、黒潮さんの二人に加え、二番艦の不知火さんがそこに倒れていました。陽炎さんと黒潮さんに挟まれ、身動きが取れなくなっているようです。表情はいつも通りあまり変わりませんが、声の調子から察するに本気で重そうです。


雪風「大丈夫ですか?」

 そう言いながら室内からひょこりと顔を出してきたのは八番艦の雪風さん。彼女の幸運っぷりはこんなところでも遺憾なく発揮されるようです。

 雪風さんが三人を助け起こしていると、浜風さんが「あの……」と呼びかけてきました。

浜風「あの方たちも、もしかして私たちと同じ」

「はい。艦娘ですよ。皆さん、覗き見をしていたのならお分かりかと思いますが、こちらが浦風さんと浜風さんです」

陽炎「ああ、失敗したわ。今日は二人にはゆっくりしてもらおうと思って隠れて、たの、に……」

 ぼやく陽炎さんはこちらを見て、徐々に言葉を失くしていきました。そして一度下を見てから口を開きます。

陽炎「……私、あの子たちの姉なのかしら、本当に」

黒潮「分かる。その気持ちはよう分かるけど言うたらあかんて! 誤解されてまう!」

 ……どうやら垣間見ている間はよく見えていなかったようですね。

浦風「どうしたんじゃろか。というかどなた?」

 浦風さんが独りごちるのを聞いて視線をお二人に戻すと否応もなく目に入ってきます。


 お二人の見た目の年齢にはそぐわない、どころか女性全体から見ても大きいと思える胸が。


 肉体年齢は私より一回りほど下だと思うのですが、完璧に負けてますよこれ。いわんや陽炎さんたちをや。陽炎さんたちは見た目相応の大きさですからね。


 ――陽炎さんが立ち直り、感動の再開と相成ったのはそれから一分後の話でした。

今回はここまで

関西弁難しい。広島弁に至っては見当もつかないです
間違っているとは思いますが摩耶さまくらいの優しい口調で指摘していただければ幸いです

次は酔っ払いたちの話か、青葉さんが出てくる話か、それ以外か……

ではまたの機会に


 夜も更けて就寝時間まで一時間ほどとなった頃、私は一人廊下を歩いていました。

 あの換気扇のネジ、また緩んでいましたね。ネジ穴自体が駄目になっているのでしょう。取り替えた方がいいかもしれません。

 そんなことを考えてながらドライバーを手の中で弄んでいると、突然進路がドアでふさがれました。

 これは……お手洗いの扉、です。

隼鷹「んあ? おおー、用務員さんじゃん。お晩でーす」

「こんばんは、隼鷹さん」

 ドアの陰から出てきたのは飛鷹型航空母艦二番艦の隼鷹さんでした。怪しい目つきをしていましたが、私を見てへへっ、と笑います。いつものことと言えばそうですが、やたらと上機嫌です。

隼鷹「仕事中? お疲れ様だねえ」

「いえ、もう終わっています。今は帰っているところですよ」

 私はドライバーを上着のポケットに仕舞ってみせます。

隼鷹「あー、そうなの。じゃあ今から暇?」

「ええ、もう仕事は終わりですが……え?」

 手首に何か当たったかと思えば、隼鷹さんに掴まれていました。す、素早い。

隼鷹「じゃあちょうどいいや。ゴーゴー!」

「わわ!? ちょっ、隼鷹さん、引っ張らないで……あっ! 酔ってますね!?」

 隼鷹さんは呑兵衛であることでも有名です。しかしいくらこの基地の軍紀がゆるゆるだと言っても、お酒を飲める場所は限られているはずですが……。


隼鷹「大丈夫大丈夫~」

「ちょっと隼鷹さん! いったいどこへ……!」

隼鷹「ん~? ああ、イローだよイロー、あははは!」

「はい? ……はい?」

 考え込んで、隼鷹さんが「慰労」と言ったのだと気付いた時には、私はすでに食堂の前にいました。

隼鷹「たっだいま~! 隼鷹、お花を摘んで帰ってまいりました~!」

飛鷹「もうみっともない。はしたないことを大声で……あら?」

「こ、こんばんは~……」

 食堂の中には幾人かの方がいらっしゃいましたが、隼鷹さんの声にいのいちに反応したのは姉妹艦の飛鷹さんでした。大きな目を私に向けて、ぽかんとしています。

飛鷹「どうしたの?」

「えっと……」

隼鷹「まあともかく座った座った」

 何を言うべきか悩む暇もなく、私は更に手を引かれ、飛鷹さんと千歳さんの間に座らされます。


「すみません、急に……それで、飲み会ですか、ここ?」

 テーブル上に広げられた酒瓶とおつまみを見てそう訊くとと、飛鷹さんは大きくため息を吐きました。

飛鷹「隼鷹、あんた無理矢理つれて来たでしょ」

隼鷹「いやあ、暇だって言うからちょうどいいと思って。ほら、用務員さんだってたまにはストレス発散しないと!」

飛鷹「お酒嫌いな人だっているでしょうに……。ごめんなさいね、酒を飲んだら何でも解決すると思っているのよ、これ」

「ははは……」

 何と返事をしてよいか分からず、私は笑うしかありません。

隼鷹「まあ飲んでいきなって! さて、あたしも……あれ? あたしの席どこ?」

飛鷹「今あんたが用務員さんで埋めたでしょうが」

隼鷹「あ、そうだった! こりゃ失敗!」

「それでしたら、私はこれで」

千歳「はいどうぞ」

「あ、どうも。……あら?」

 横からコップを差し出され、反射的に受け取ってしまいました。
 渡してきたのは千歳型のネームシップ千歳さん。この方もお酒好きで有名な方です。銀髪を揺らしながら「ビールでいいですか?」と早くも茶色の瓶を掲げています。

 あれ? 完全に私も飲む流れに。


「あの、いいんですか? 私がいては話しづらいこともあるのでは……」

足柄「いいのいいの! 同じ鎮守府の仲間じゃない!」

 端の方で飲んでいた妙高型重巡の足柄さんが、コップを高く上げながら言います。これは結構酔ってますねー……。

那智「おい、足柄。飲み過ぎだ」

足柄「今日くらいいいじゃない、那智姉さん。だって敵の旗艦を二回も撃沈したのよ? 二回! 祝い酒よ! 姉さんだってそんなことがあったら飲むでしょ?」

那智「む……まあ、飲むな」

足柄「でしょー!」

 さ、さすが勝利に目がない足柄さんと重巡きっての酒飲みの那智さん……。明日に響かなければよいのですが。

千歳「はい、というわけでお注ぎしますね」

「わわ……」

 足柄さんたちに気を取られている隙に、千歳さんにさっとビールを注がれてしまいました。

「すみません、お酌なんて……。千歳さんもいかがですか?」

千歳「あら、いいんですか? ありがとうございます」

 私も千歳さんのグラスに日本酒を注ぎます。

「千代田さんもどうですか? グラス、空になっているようですが」

 千歳さんの前の席に座っている妹の千代田さんにも尋ねます。すると千代田さんはむくれた表情で「……ん! もらう!」とグラスを突き出してきました。


「どうされたんですか?」

千代田「……だって千歳お姉が~」

千歳「もう千代田ったら……いい加減機嫌を直してちょうだい、ね?」

千代田「むー……」

 どうしたことでしょう。

 首を傾げていると、ちょうど前の席の陸奥さんが笑いかけてきました。

陸奥「千歳が提督のこと好きって言ったから拗ねているのよ」

千代田「拗ねてません!」

 千代田さんは今入れたばかりの清酒を一気に飲み干すと、グラスをテーブルに叩きつけました。

千代田「だいたい千歳お姉も陸奥さんも、絶対に好きを取り違えているだけですよぉだ……」

隼鷹「なんだいなんだい。あたしがいない間に面白そうな話をしてたみたいだねえ」

 他のテーブルから椅子を持って来ていた隼鷹さんが身を乗り出します。

陸奥「提督のことが好きかどうかって話よ」

 ……ふむふむ。

 私は手酌しながら話の様子をうかがうことに決めました。


隼鷹「へえ。飛鷹は何て答えたんだい?」

飛鷹「ノーコメント。酔っ払いの酒の肴になるつもりはないわ」

 飛鷹さんはすました顔でそう言うと、切子を傾けます。

隼鷹「ちぇっ。でも飛鷹らしいか。で、陸奥と千歳は提督のことが好きなのかい? その、男女的な意味で」

陸奥「そう答えたわ」

千歳「たぶん、かなあ。初めてのことだからよく分からないけど」

隼鷹「……提督も罪な男だね~。こんないい女二人も惚れさせるなんて」

 ししし、と隼鷹さんが口に手を当て笑うと、「だから違う!」と千代田さんが声を張り上げます。

千代田「そりゃ私だって提督のことは嫌いじゃないけど……それは感謝の意味とかであって恋愛感情じゃない! 千歳お姉はそこを勘違いしてるだけなの!」

長門「……確かに」

 そう言ったのは今まで静かに飲んでいた長門さんでした。前を向いたまま、静かな口調で喋ります。

長門「私たちはついこの間感情を持った。だから自分の中にあるものが何であるのか、自分ですら把握できていないのかもしれない」

千代田「そうです!」

長門「だが」

 我が意を得たりとばかりに頷いていた千代田さんが、長門さんの逆説の言葉で動きを止めます。


長門「だからこそ恋愛感情を信頼などと取り違えている可能性も否定できない。先程の私の言葉は訂正させてもらおう。そのような感情はないと言ったが、『現時点では分からない』としておく」

 長門さんは「喋りすぎた」と言うと、ウイスキーを呷りました。

千代田「長門さんまで~」

長門「可能性の話だ」

隼鷹「はえー……長門がこんなこと話すなんてねえ。重巡のお二人はどうなんだい?」

足柄「……えー」

那智「うむ」

 お二人とも露骨に嫌そうな顔です。

足柄「人並みに興味はあると思うけど自分が恋愛してみたいかって訊かれると……うん、ないわね!」

 足柄さんはそう言ってけらけらと笑いました。笑い上戸であることは間違いなさそうです。

那智「私もそんなところだ。司令官に限らず男と交際すると言われてもな……。そもそも色恋のなんたるかがよく分かっていないのだろうが」

隼鷹「そりゃここにいる全員がそうだろうさ。……そうでもなかったか」

 えーと。隼鷹さん、どうしてこちらを見るのですか?

隼鷹「用務員さんはどうなんだい? 提督のことどう思ってる?」

 うわー、来たあ……。まさかこっちにまでお鉢が回ってくるとは。

 私は「いやはや」と苦笑してみせます。


「司令は素敵な方だとは思いますが、恋愛対象ではありませんね」

隼鷹「おっと。なんか小難しいこと言ってきたね。どういう意味?」

「そのままですよ。私は司令を恋愛対象として見ることができない。それだけです」

千代田「……好みのタイプじゃないってこと?」

「そういうことじゃないんですけどね」

 私はそれ以上の質問を躱すようにコップに口をつけます。

陸奥「他に男がいるとか」

 むせました。それはもう思い切り。

那智「だ、大丈夫か?」

「は、いっ……!」

 えほえほと咳上げていると飛鷹さんが背中を撫でてくれました。私は口を押さえたまま何度も頭を下げます。
 ようやく落ち着いたとき、陸奥さんがぽつりと言いました。

陸奥「あら、本当に?」

「……冗談だったんですか」

陸奥「本気じゃなかったわ」

 目を丸くしたままそう言う陸奥さんを見て、脱力しそうになります。反応してしまった自分が恨めしい……。


千代田「ど、どんな人なんですか? 外の人? それともここの人?」

「いえ、その……昔の、一年以上前の話ですから」

 ためらいがちな口調ながらも好奇心を隠せていない千代田さんに、私は言葉を選びつつゆっくりと言います。

隼鷹「ありゃ、もう縁を切っちゃったのかい?」

飛鷹「隼鷹」

隼鷹「……これは失敬。飲みすぎたかな」

 ばつが悪そうにする隼鷹さんに「気にしていません」と首を振りました。私も酔いに負けないようにしなければ。

「そうですね……自然消滅、と言えばいいのでしょうか」

足柄「自然消滅?」

「はい。仕事の、彼は軍人だったのですが、その関係で遠くに行ってしまって。それきりです」

那智「連絡は取れないのか?」

「どうやって連絡を取ればいいか分からなくて。実のところはっきりとした行き先も知らないんです」

 情けない顔になっているだろうなあ、と思いつつ何とか笑顔を浮かべながらそう言うと、那智さんは「ああ」と言って眉尻を下げました。

那智「そうか……。それは、気の毒だな。その方にとっても、用務員さんにとっても」

足柄「家族にすら秘密とか平気であるものね。でも一年以上かぁ……。私たちが言うのも変だけど、軍人って大変よね」

千歳「でも提督のことが眼中にないってことは、まだお好きなんですよね。その方のこと」

「……ええ。そろそろ忘れても罰は当たらないと思うのですが」

 一度息を吸って、千歳さんに笑いかけます。


「まるで冷める様子もなく。本当にどうしようもなく、あの人のことが好きなようです」

 千歳さんは目をしばたたかせ、そしてみるみるうちに頬を染め上げました。

千歳「わ、わぁ……」

千代田「あぅぁ……な、なんかどきどきしてきた。自分のことじゃないのに!」

陸奥「私も当てられちゃったかな?」

「ちょ、ちょっと、やめてください。何だか私まで恥ずかしく……!」

隼鷹「やー、暑い暑い」

飛鷹「それはお酒の飲みすぎじゃない? ……ごめん、水取って」

足柄「なんか、何というか……凄いわね、用務員さん」

那智「あ、ああ」

 長門さんだけは黙々とグラスを傾けるだけでしたが……空けるスピード上がってますよ。

 あんなことを話しておいて、いざ私の番になったらこの反応は酷くないですか!?
 などと言おうといたときにはたと思い至りました。

 そうです。皆さんは艦娘です。見た目こそ恋の一つや二つ、とくの昔に経験していそうなものですが、知識や経験はそこらの子供以下でしょう。見た目通りなのは感性くらいのはずです。これは、仕方がないですね……。

 納得しつつもどこか納得しきれず、私は黙ってコップに口をつけることになりました。


******


隼鷹「ふと思ったんだけどさあ」

 恐らくチェイサーとしてビールを飲んでいた隼鷹さんが唐突に言い出しました。

隼鷹「提督はどうなんだろうねぇ」

飛鷹「何が?」

隼鷹「用務員さんみたく、あたしたちが知らないだけで婚約している人がいたりしてぇ」

 隼鷹さんの言に皆さんはっとした顔になり、食堂は一瞬沈黙しました。

長門「そうだな。あの若さであの地位だ。引く手あまたであることに間違いはあるまい」

千代田「そ、それは駄目よ! 千歳お姉誑かしておいて婚約者がいるなんて!」

那智「……ん? いた方がいいのではないか?」

千代田「なんで!」

那智「いれば普通、諦めるだろう。そうでなくとも諦めさせる説得材料にはなるはずだ」

 那智さんにそう言われ、千代田さんはしばらく口を開けたまま何も言えなくなっていました。が、「とにかく駄目!」と強引に繰り返しました。酒が入っていることもあってか、上手く言葉がまとまらなかったようです。

陸奥「用務員さんは何か知ってる?」

「聞いたことはありませんが……私も司令と知り合ったのはここに来てからですし。そこまで私的なことは、ちょっと」

足柄「そういう人に会ってる様子はないわよね」

那智「まったく外出していないそうだからな。恐ろしいことに」

飛鷹「でも今は昔より簡単に連絡が取れるわよ。一人のときに携帯電話を使えば、誰にも気取られずに話せるもの」

隼鷹「そもそも連絡取ってない可能性もあるしねぇ~」


長門「……面倒だな」

 そう言って長門さんはグラスをテーブルに置きました。小気味のいい音が立ちます。

長門「そんなに気になるのならば、本人に訊けばいい」

那智「ふむ。それが一番手っ取り早いな」

 那智さんも腕を組んで頷きます。
 千歳さんが、え、と声を上げ、恐る恐る尋ねました。

千歳「それって……私たちが訊くの?」

那智「他に誰がいる」

千歳「無茶言わないでよ。できるわけないじゃない」

 千歳さんは珍しく声を上擦らせました。

陸奥「私もそれはできないかしら。あまりにも直接的すぎるわ」

隼鷹「えぇ~? 意識させるにはいい手なんじゃないのぉ~」

 ……かなり回ってきたのか、先程から隼鷹さんの呂律が怪しいです。

陸奥「だーめ。それじゃあさせすぎちゃう。一気にことが進んで結論が出たとするでしょ? どっちに転んだってきっとよくないわ。大きく踏み出すとしたら、何もかも終わってから」

千歳「です、ね」

隼鷹「まじめだねぇぇ……」

 飛鷹さんが無言で隼鷹さんの前に水を置きました。


陸奥「というわけで……長門、お願いできない?」

長門「なぜ私が」

陸奥「言・い・出・しっ・ぺ」

長門「断る」

 長門さんは淡白にそう言い、陸奥さんの唇を尖らせることになりました。

陸奥「もう、けち。可愛い妹のお願いくらい聞いてくれたっていいじゃない」

長門「こういうときだけ妹を主張するな」

 私の隣では姉がお願いを断られていました。

千歳「ねえ千代田」

千代田「やだ! いくら千歳お姉の頼みでもこれはやだ!」

千歳「お願い千代田~」

千代田「いーやーだ! どうして千代田が提督に好きな人がいるかどうかなんて……」

那智「いや、だからそれが分かることはお前にとっては」

千代田「うるさい! そんなに言うなら那智が行けばいいじゃない! 足柄ともども真面目に考察してたでしょ!」

那智「で、できるか! 妙なことを勘繰られたらどうする!」

足柄「あはは! すっごく気まずくなりそう!」

 箸が転んでも可笑しい、と言うと変ですが、とにかく何が起こっても笑えてしまうようで、足柄さんは天板を激しく叩き身悶えています。

那智「笑いごとか! こっちは命を預けているんだぞ! あるかどうかは知らんが!」

千代田「私だって預けてるわよ!」


 私を挟んで千歳さんたちと反対側からため息が上がりました。

飛鷹「私たちが訊いて行き違いでも起こったら、それこそ誰も幸せにならないわよ」

足柄「全員の気持ちが一方通行……劇でやったら悲劇じゃなくて喜劇になりそうね!」

千歳「登場人物としては笑えないわねぇ……」

 千歳さんの陰鬱な声は足柄さんの笑い声にかき消されていきました。

那智「決まらんな」

隼鷹「あー、じゃああれだ、あれぇ。えーと……あれだよ」

飛鷹「まとまってから発言しなさいよ」

隼鷹「いやもう喉まで出かかって……うぷ」

 飛鷹さんが勢いよくこちらに椅子を引きました。

隼鷹「冗談冗談~。えー……ああ、そう! 勝負で決めるのはどぉ?」

長門「ほう、勝負か」

足柄「いいわね! シンプルでいいわ!」

 勝負の二文字で堅実に二名ほど乗り気にさせましたよ、この方。しかも内一名は消極的だった長門さん。酔いどれているのに結構頭回ってませんか? 流石隼鷹さん、飲み慣れているだけあって――

長門「して、その内容は」

隼鷹「そりゃあこれだよこれぇ」

 どん、と隼鷹さんはテーブルの上に置きました。

 大吟醸の一升瓶を。

隼鷹「飲み比べだよぉ」

 あ、これ絶対何も考えていませんね。


******


 私はゴミ袋に最後の塵を放り込み、軽く周りを見渡しました。

 ええ、薄々こうなる気はしていたんですよ。

 辺りの様子は死屍累々というかなんというか……要するに私以外起きている方はいませんでした。

 皆さん、私が来る前から飲んでいましたからね。負けはしないだろうなあ、とは思っていたのですが……開始二十分足らずで全員が潰れてしまうとは予想外でした。
 ……どうしましょうかねー。

「君」

 突然声がしました。振り返ると、入り口に司令と間宮さんの姿があります。

「お疲れ様です」

提督「ああ、そちらこそお疲れ様。……大丈夫か? 生きているよな」

「ええ。呼吸も脈もしっかりしています。皆さんただ本当に酔い臥しているだけのようです」

提督「そうか」

 はあ、と司令は安心半分呆れ半分のため息を吐きました。

間宮「用務員さん、どうしてここに? あ、すみません。掃除をしてくださって」

「いえいえ。実は私も少々飲み食いしてしまっているので……」

提督「き、君もか!?」

 司令が面食らった表情で言います。しまった。誤解されているような気がします。

 隼鷹さんから半分拉致のようなお誘いを受けてここに来たこと。話の流れで飲み比べが始まったことを説明しました。もちろん司令への恋愛感情云々のことは隠して。


提督「そうか。まったく、この酔っ払いたちは」

間宮「だから今日は酔い潰れていたんですね。いつもだったらちゃんと片付けをしていてくれているんですけど」

提督「まあ勤務時間は過ぎている上ここには酒を飲める店もないからな。夜、食堂で酒を飲むのは一向に構わんが……。ともかく酔っ払いの相手、ご苦労だった」

「いいえ。私も久しぶりにお酒を楽しめましたので」

 一礼して空の酒瓶を指に挟んで持ち上げます。

「これはこちらで処分しても?」

間宮「大丈夫です。食堂の方から回収に出しますので」

「とりあえず流し台まで」と間宮さんも瓶を持って歩き出します。司令まで空き瓶を抱えます。

間宮「皆さんとどのようなお話を?」

「え? ああ、そうですね……ざっくり言うと恋愛感情の話が主でした」

司令「なにっ!?」

 司令が泡を食って回り込んできます。

司令「誰がだ!? 相手はどこのどいつだ!」

間宮「父親の反応になっていますよ」

「大家族ですねえ」

 私と間宮さんが笑い合っていると「そんなことより……!」と司令は大変慌てた様子。

「そういう感情とはどういうものだろう、という話ですよ。感情とはどういうものなのか掴もうと色々と考えていらっしゃるんでしょう」

 嘘は言っていないはずです。

司令「そ、そうか……驚いた」

 そのほっとする司令の姿は確かに、ほんのちょっとだけですが、父と重なりました。


「あ、あー。えっと、そう。間宮さんはどうですか?」

間宮「わ、私ですかっ?」

 話の振り方が急すぎました。間宮さんを慌てて考え込みませてしまいます。申し訳ありません……。

間宮「そういったことは考えたことがなくて。いつも献立に追われていますし」

司令「……間宮。やはり厨房に何人か入れたらどうだ? 作る量も最初の比ではないのだから」

間宮「大丈夫です! そういう意味ではありませんので。お任せください。これくらいの数なんてことはありません!」

 間宮さんは笑顔を浮かべながら力こぶを作るポーズをとりました。

司令「……辛くなったらいつでも言ってくれ。すぐに手配する」

間宮「はい。でもこれしか――これは私ができることなので。ところで提督はどうなのですか?」

司令「ん……何がだ?」

間宮「お好きな方、いらっしゃらないんですか?」

 間宮さんは覗き込むようにして司令に尋ねます。

 おや、間宮さんが訊いてくださいました。飲み比べは皆さんほぼ同時に倒れ、つまるところノーゲーム。タイミングもよかったので私が訊いておこうと思っていたのですが。

提督「ああ。私もいないよ。深海棲艦との戦いが続く間はそんなことを考える余裕もない」

 間宮さんは宙に視線をやると、ふんふんと頷きました。

間宮「とっても、らしいですねえ」

「ですね」

 予想通りの返事でした。

提督「おいおい、私をどんな人間だと」

 司令は苦笑しますが、それはもちろん仕事人間だと思っておりますとも。


 私たちは瓶を流しに置いていきます。

間宮「では洗うのは私がやっておきますので……お二人にはできれば酔い潰れてしまった方をお願いできないでしょうか」

提督「了解」

 司令は苦笑しながらそう返しました。

提督「しかしかなり飲んでいるな……」

「そうですか? 飲み比べをしたにしては少ない方だと思いますよ。飲み比べのときだって結局九人で大吟醸四本だけでしたし」

 私がそう言うと、シンクを眺めていた司令は変な表情をしてこちらへ振り向きました。

提督「それは……まあ、いい。それにしても君はあまり酔っていないように見えるな」

「飲み比べのときと、あとその前にコップ五杯程度のお酒しか飲んでませんから」

提督「……彼女ら、部屋まで運ぶか」

「はい。了解です」

 さて。明日にでも早速皆さんに司令のことをお伝えしましょう。恐らくそれだけでは何か変わることはないでしょうが。

 さしあたりどうやって皆さんに部屋まで戻っていただくか考えつつ、流石に億劫なのか渋い顔をしたままの司令とともに私は厨房を後にしました。

今回はここまで

本当に遅くなりました。申し訳ありません。ちょっと色々ありました

次は鈴谷さんが出てくる話か潜水艦がつれてくる話か台風関連の話になるかもしれません

ではまたの機会に

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年02月24日 (水) 03:56:59   ID: bjEZdHTO

更新こーへんかなー(´・ω・`)

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