絵里「遠くの親類より近くの他人」 (68)


蝉の声が騒がしく響く夏のある日。

ドアチャイムが鳴り響いた時、絵里は心臓が高鳴るのを感じた。
待ちわびた瞬間だった。
扉を開けるときに勢い余って某飛脚の配達員にヘッドバットを食らわせるぐらいには興奮していた。


クーラーの効いた居間のテーブルの上で、AMAZ●Nのニヤケ顔が絵里を見つめている。
ともすれば煽っているように見えるその笑みは、今の絵里には救世主の微笑みだった。

『待たせたな、お嬢さん』

たくましいバリトンボイスが聞こえた気がした。



学校は夏休みである。

三年生は夏期講習で暫く部活参加禁止。
両親は有給も使った海外旅行で暫く留守。
そして妹は友人とお泊りで暫く留守。

エリチカやることない。
おうちかえってもひとり。
さみしくてしんじゃう。


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だがしかしこの絢瀬絵里、これでもクールビューティーで売っているのだ。
友人に「寂しいから泊まりに来て」など言いだせるはずがあろうか。否。


そこで絵里は思い直す。
そう、クールビューティーだ。
女豹の冠は伊達ではない。

ならばセクシーに、ひと夏のアバンチュールに身を焦がすのも悪くないのではないか。
絵里は奮起した。今までコツコツためてきたお年玉やお小遣いはこのためにあったのだ。

絵里の決して多くはない財産のうち、生き残ったのは豚さん貯金箱だけだった。
叩き割るのはかわいそうだからという、おおよそ肉食に似つかわしくない理由だった。


かくしてA→Zの段ボールは絵里の私財を生贄に特殊召喚された。

そして豚さん貯金箱が保護される一方で、彼は無残にもその短い一生を終えた。
無慈悲なロシア式開封法がその全身を真っ二つに引き裂いた。

潤んだ瞳の上目遣いと煽り一歩手前のムカつくスマイルでは、扱いに差が出ざるを得なかった。
顔をシンメトリーに引きちぎられるという、どんなアメコミヒーローも経験したことのないであろう壮絶な最期だった。

『なに、このために生まれてきたんだからいいのさ』

ぐしゃぐしゃになってもなお、彼は笑っていた。
たとえ自分が苦しもうと誰かのために在る、まさに夢のヒーローの姿だった。

絵里はそして、英雄の残骸から赤ん坊を取り上げた。

その光景はまさにライオンキング。
天にいる神に捧げるように、絵里は奇しくも主人公と一文字違いの新入りを抱え上げた。

蛍光灯の神々しい光の中にあって、彼は静かに絵里に身を委ねていた。

それは兄であり、弟であり、父であり、息子であり、そして友人。
それは姉であり、妹であり、母であり、娘であり、そして恋人。
それはまぎれもない、彼女の新しい家族。



「これから、よろしくね」

絵里はアイロボット社製の円盤型お掃除ロボ―――ルンバを優しく抱きしめるのだった。

【幕間】


「にこーっち♪」

「こっちくんな。暑い」

「夏やからね」

「だからべったりしないでって」

「にこっちは冷たいなー二重の意味で」

「あーもう、絵里のとこ行きなさいよ」

「えりちは午前で終わりやって」

「ええいこれだから内申が優秀なやつは」

「だから構ってー」

「ほかのコにしてよ」

「夏期講習は三年だけやん?」

「いやだからクラスのほかのコ」

「………………」

「………………」

「………………」

「……アンタまさかそのキャラで友達いな」

「あ゙ー! あ゙ー! あ゙ぁー!」

「ごめん! ごめんってば!」

「あ゙ぁぁぁぁあ゙ぁぁ!」

「そこまで泣く!?」



次の日。

絵里が買い物から家に帰ってきたとき、ルンバくんは懸命に床を磨いていた。
何度も壁に頭を打ちつけながら懸命に床を磨く姿に、絵里は彼が愛しくてたまらなくなった。

ところが、「御苦労さま」と絵里が声をかけると、それまで一心不乱に掃除していたルンバくんは、
『べ、べつにお前のためにやったわけじゃねーし』と言いながらそそくさと充電器に戻るのだ。

ツンデレである。
そんな時、絵里は決まってふて寝するルンバくんを充電器から引っこ抜いて抱きしめるのだった。


絵里がテレビを見ている間も、料理を作っている間も、ルンバくんは静かにじっとしていた。
彼が次に目を覚ましたのは、絵里が夕飯を食べ終え、風呂に入ろうとした時だった。
居間から出て洗面所に向かおうとすると、扉の向こうでルンバくんの声がするのである。

『あいつがいないうちに、ちゃんとやっておかないとな』

ギュイイ、とけたたましい駆動音を轟かせておきながら、彼はこっそりと掃除をしているつもりなのだ。


素直じゃないんだから。


そんな姿もまた、いじらしかった。


絵里が風呂から上がった時には、ルンバくんはすでに定位置に戻っていた。
『なんだよ、別に何もしてないぞ』と彼のボディが鈍く照り返す。

しかし、そんなルンバくんの足に、金色の長い髪が引っかかっていることに絵里は気付いた。

「ひょっとして、私の髪、欲しかったの?」

少し意地悪に聞いてみる。
ルンバくんは答えない。

絵里は笑って、彼に引っかかっていた髪の毛を指で払った。


明日はもう少し早く上がって、驚かせてあげようかな。
少し冷たくしたら、素直になったりするのかな。

ムスッとして黙っている黒いボディを撫でた。

ねぇ、どっちがいい? あまのじゃくさん。


髪を乾かしながら絵里は思う。

この喜びを誰かと分かち合いたい。
この可愛らしさを誰かに知ってほしい。
だってこんなにも素敵な家族なのだから。


それはペットを初めて飼った人間に必ずと言っていいほど訪れる発作だった。
要するに、彼女は自慢したかったのである。

あ、注意書き忘れましたけど男の子が出ます

【幕間】


「だって、希はいろんなコと話してるじゃない」

「でもみんな、今日のラッキーカラーは何?とか、今日のラッキーアイテムは何?とか」

「あぁ……」

「どうせウチのことなんて朝のニュースの占いコーナーぐらいにしか思ってないんよ……」

「そんなことないと思うけど……?」

「でもいいの……ウチにはえりちと、にこっちがいるもん……」

「えっ」

「えっ」

「あー、うん」

「あ……ご、ごめん」

「いや、その」

「に、にこっちの、きょ、今日の、運勢はねっ」

「良いから! ちがっ、違うから!」

「せやかてうっ占いできんウチなんて、なぁ、なんの意味、もっ」

「友達だから! 大好きだから!」

「えふっ、えふっ、えふっ、えふっ」

「泣きながら笑わないでよ怖いわよ!」




ことりは鼻歌まじりに道を歩いていた。
あの絵里に個人的にお呼ばれされる日が来るとは、思ってもみなかった。
しかも話を聞くところによると、彼女が呼んだのはことり一人のようではないか。

―――新しい家族を見に来てほしい。

ことりは嬉しかった。たとえそれがペット自慢のためだとしても。
だって彼女がことりを選んでくれたことには変わりないのだから。

ことりだったら共感してくれると思ったのだろう。
一対一なら深く語り合えると思ったのだろう。
だから彼女は選んだのだ。同級生の二人ではなく、他の誰でもなく、ことりを。

そんなちょっぴりの特別扱いが、たまらなく嬉しかった。


付け加えるなら、ことりは自慢話も嫌いではなかった。
そんなものはたとえ友人のものでもごめんこうむるという人が大半だろうが、
ことりにとっては大好きな友人が幸せそうにしているのを見るのも、同じくらい幸せなのだ。

目的地にたどり着き、チャイムを鳴らす。
返事をする耳慣れた声はいつもよりこころなしか上機嫌で、それもことりを喜ばせた。



どんなペットなんだろう。
あの絵里ちゃんが自慢したくなるくらいだから、きっとすごくかわいいんだろうな。
わんちゃんかな? ねこちゃんかな?
それとも、おさかなさんだったりして。
楽しみだなあ。

男の子が出るだけならいいんだけど重要なのはその男の子との恋愛があるのかということだ

がちゃり、と扉が開く。
相変わらず美しい金髪碧眼が、極上の笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい。待ってたわよ」
「お邪魔しますっ。お話聞いてからずっと楽しみだったんだぁ」
「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「そんなことないよぉ。それで、さっそくだけど会ってみたいな、なんて」
「あぁ、それならここに」

絵里が道を空ける。
廊下がことりの視界に入る。


ことりは、それに気づくまで時間がかかった。
絵里のペットは動物だという先入観があったから。

「ヴィィィィィィィィ」
「ごめんね、お客さんが来るならどうしても綺麗にしたいって聞かなくて」
「ガガガガガッガガガガガッガ」
「こら、カーペットを巻き込まないの!」
「キュルキュルキュルキュルキュルキュル」
「……るんば?」
「そうよ」
「ほぇー……」
「かわいいでしょ?」

絵里は満面の笑顔で、ルンバくんを抱き上げた。

ことりのるんるん気分は、完膚なきまでに粉砕された。

「紅茶でよかった?」
「うん」
「ジャムはイチゴでいい?」
「うん」

無理やり笑顔を作るということがどれほど難しいか、ことりはこれほど思い知らされたことはなかった。
明日の顔面筋肉痛を覚悟した。許されるのならば今すぐに泣きたかった。
だが絵里の幸せを不用意に壊すことがあってはならないと必死で涙をこらえた。

絵里は嬉しそうに笑って、この円盤型お掃除ロボがどれほど素晴らしいものであるかことりに語るのだ。
それがただの家電自慢なら、ことりはここまでダメージを受けなかっただろう。
しかしどう聞いてみても、それは明らかにペット自慢なのだ。

>>12
無いです
恋愛なんてかけましぇん

曰く、鳴き声が可愛い。

果たして家電がどういう状況で鳴き声を上げるというのか。
彼女はあの騒がしいモーターの駆動音をすらも可愛いと感じるようになってしまったのか。


曰く、意外にツンデレ。

意外もクソも家電がどうやったらツンデレを表現できるというのか。
彼女はよもや自分でスケジュール設定したのを機械の意思だと思い込んでいるのではないか。


曰く、丸みが可愛い。

今日の絵里に対してことりが共感できたのはこの一点においてのみであった。

きっと優等生でいることに疲れてしまったのだろう。
みんなの上に立ち続けることに疲れてしまったのだろう。

もっと支えてあげることができれば、ここまで追い込むことはなかったのかもしれない。
ことりは心で泣いた。



でも、もう遅い。絵里は壊れてしまったのだ。

絵里はうっとりとした表情で腕の中のルンバを優しく撫でた。
母親が赤ん坊にそうするように、絵里はルンバを慈しんでいた。

もう見ていられなかった。

「ごめんね絵里ちゃん。実はお母さんに早く帰ってくるように言われてて」
「あら、そうなの? 残念ね」

あんな状態の絵里を見続けていたら早晩ことりの心も壊れてしまうだろう。
嘘をつくのは心苦しかったが、苦肉の策だった。


絵里ちゃん、ごめんね。
もう少しだけ待っててね。
絶対、助けてみせるからね。

玄関口でルンバを抱えて手を振る絵里に手を振り返しながら、ことりは静かに決意するのだった。

【幕間】


「落ち着いた?」

「うん、ありがとう」

「その……希だったらμ'sのみんながいるって言うと思ってたから、意外だったのよ」

「友達が?」

「そう」

「でも、二人が特別なのもホントなんよ」

「それは……まぁ、ありがたく受け取っとくわ」

「ウチは?」

「え?」

「ウチはにこっちにとって特別?」

「あ、えーと」

「……………えふっ」

「特別! 特別だから!」

「大好き?」

「大好き!」

「愛してる?」

「愛してる!」

「結婚する?」

「いやそれはない」




「うちの猫の方が可愛いもん!」
「いいえうちの犬の方が可愛いです!」

愛玩動物に魅入られてしまった人間は「うちの子が世界で一番」という面倒な思考に陥りがちである。
それは愛を注ぐ上では大変結構なことであるが、ひとたび同志の前で表に出せば戦争の火種となりうるものだ。


真姫の目の前で繰り広げられているのがまさにそれだった。

花陽が珍しく感情をむき出しにして「猫」の可愛らしさを力説し、
海未はそれに張り合うように「犬」の魅力を語る。

単純な猫派犬派の争いのようにも見える。
だが実際はそうではなかった。

「とんこつラーメンを与えたときにどんなに幸せそうな顔をするか見ればわかるはずです!」
「幸せそうな顔で評価するというなら、イチゴのタルトを食べさせれば一目瞭然です!」

完全に惚気です。本当にありがとうございました。


氷だらけで嵩増しされたカフェラテを啜りながら、真姫は平和について考えた。

花畑の中、アハハウフフと手を取り合って海未と花陽がスキップしている。
そして二人の目の前に犬と猫が現れたかと思えば、真姫が瞬きをするより早く殴り合いが始まっていた。

これは違うな、と思いながら真姫はナパームで花畑を焼き払った。

それ以前にこいつらは友人を平然とペット扱いしているが大丈夫なのか。

真姫は背後のテーブルに目をやった。

「凛ちゃんは何飲んでるの?」
「これはねー、ハニー抹茶ソイラテだよ!」
「おぉー! ではお嬢さん、このストロベリークリームフラペチーノと一口交換いたしませんかっ」
「よろしくてよ!」
「はい、あーん♪」
「にゃーん♪」

すぐそばが戦場になっているとも知らず、犬と猫がじゃれあっている。
平和とは、こういうものを言うのではないだろうか。


五人掛けのテーブルが無くて分かれる必要があるのはよくあることだった。

どうして二つ並んだテーブルの中間を選んで座ったんだろう。
どうして平穏に背を向け、戦場に身を投じてしまったのだろう。

真姫は自分の先見性の無さを呪った。


「豆乳を飲むことでちょっとでも女の子らしくなろうというそのいじらしさ! たまりません!」
「何を選ぶにしてもまずは自分の好きなものから! 素直なことはいいことだと思いませんか!」

しかし真姫は思うのである。
戦火が激しさを増している今こそ、民間人が国境を超える絶好の機会ではないのか、と。


真姫は深く息を吸うと静かに椅子を引き、そのままくるりと回転させて穂乃果と凛が座るテーブルに加わる。
ほんの一瞬が、とてつもなく長く感じる。

逃げ込んだ真姫を不思議そうな顔をして見る犬猫。
国境の警備兵は内戦に夢中。
亡命は成功した。逃げ出す真姫を咎める者はいなかった。

真姫は引きつった笑顔で誤魔化した。
穂乃果はそれに向日葵のような笑顔で返した。
凛も笑った。
 
「真姫ちゃん変な顔」

うるさい。


「真姫ちゃんも食べたかったんだね」
「しょーがないにゃー」
「ぅえ?」
「しかーし! 欲しければ対価を差し出すのです! レッツゴー凛ちゃん!」
「あいあいさー!」
「あ、ちょっと!」

そして真姫は、思いもよらない手厚い歓迎に目を丸くした。
彼女は今になって、なぜこっちのテーブルに座らなかったか思い出した。


この二人、テンションが高い上に押しが強く、真姫は為されるがままになってしまうのだ。
実際は真姫が押しに弱すぎるだけなのだが彼女がそれを認めるはずもなく。

抵抗もむなしく、真姫は凛にカフェラテをひったくられた。

素早さを得意げにしていた凛は、タンブラーの軽さに気づくと同時に驚愕の声を上げた。

「少なーい! 真姫ちゃん飲むの早いよー!」
「むっ、じゃあ私が先に!」

言うや穂乃果は身を乗り出して、凛の腕の中にあるストローに食いついた。
ごくり、と喉を鳴らすと、穂乃果は顔をしかめて口を離した。

「うぇぇ、真姫ちゃん、これ苦いよぉ」
「あっ! 穂乃果ちゃんずるい!」
「ほら凛ちゃんも」
「んー……確かにちょっぴり大人の味……」
「あんたたち……」

真姫のカフェラテを飲みながら二人はきゃっきゃとはしゃいでいる。
口では何と言っても、真姫はこの二人の朗らかな空気に癒されていた。


しかし一瞬不純な感じがしたのはなぜだろう。
いやまさかこの二人に限って。真姫は頭を振った。

花陽と海未が鼻血を撒き散らして倒れたのは気にしないことにした。

【幕間】


「まぁそれは冗談なんやけど」

「わかりにくいのよ今日のアンタは」

「えりちもにこっちもぼっちだったからウチ的には親近感があってな?」

「うん。ん?」

「これはウチが相手してやらんとずっとぼっちやろうなぁって」

「ひょっとして喧嘩売ってる?」

「にこっち」

「なによ」

「ウチな、二人に会えてよかったって思ってるんよ」

「……そう」

「にこっちも脱ぼっちでwin-winやん?」

「ねぇ一言多くない?」

「にこっち脱ぼっちってなんかラップ見たいやね」

「アンタ喧嘩売ってるでしょ? 絶対喧嘩売ってるでしょ?」

「それはそうとにこっち」

「あ゙ん?」

「ウチ最近嘘泣きの練習頑張ってん」

「その目障りな脂肪の塊を引きちぎってやるわ」

「そんなことしても、にこっちのは増えんよ?」

「キィィィィィィィ!!」




真姫は悪意に敏感だ。
表面はどう取り繕っていても、そこに悪意が潜んでいれば見抜ける自信があった。

平凡に生きようとするなら、たとえそれを見抜けたとしても波風を立てぬよう振る舞うだろう。
しかし悪意の影がちらつく好意を受け入れるのは彼女の誇りが許さなかった。

人が生きていくうえで、打算と切り離された関係などそうそうあるものではない。
それでも彼女は打算など汚らわしいと撥ねつけ、やがて一匹狼となった。


だが、悪意に敏感な者は、往々にして同時に好意にも敏感である。
そして真姫もその例に漏れなかった。

「はい真姫ちゃん、あーん♪ 穂乃果のフラペチーノだよっ♪」
「真姫ちゃん、ほっぺにクリームついてるよ? 凛がとってあげるね」
「うぇへへへへ」

小さい器に到底おさまりきらない“好き”を何度もぶち込まれて、真姫の理性は決壊した。




真姫は悪意に敏感だ。
表面はどう取り繕っていても、そこに悪意が潜んでいれば見抜ける自信があった。

平凡に生きようとするなら、たとえそれを見抜けたとしても波風を立てぬよう振る舞うだろう。
しかし悪意の影がちらつく好意を受け入れるのは彼女の誇りが許さなかった。

人が生きていくうえで、打算と切り離された関係などそうそうあるものではない。
それでも彼女は打算など汚らわしいと撥ねつけ、やがて一匹狼となった。


だが、悪意に敏感な者は、往々にして同時に好意にも敏感である。
そして真姫もその例に漏れなかった。

「はい真姫ちゃん、あーん♪ 穂乃果のフラペチーノだよっ♪」
「真姫ちゃん、ほっぺにクリームついてるよ? 凛がとってあげるね」
「うぇへへへへ」

小さい器に到底おさまりきらない“好き”を何度もぶち込まれて、真姫の理性は決壊した。

あれ、成功してたのか
>>33は見なかったことにしてください

それは真姫の人生の認識を変えかねないほどの衝撃だった。

もしもこの二人の好意に打算が含まれていようと、これほど好かれているなら別にいいのではないか。

キャバクラ通いを辞められないサラリーマンの気持ちがわかった気がした。
真姫が彼らを汚らわしいものとして見ることはもうないだろう。
この短い間に彼女はひとつ大人になったのだった。

「真姫ちゃん、どうしたの?」

ずっと黙っていた真姫の顔を、不思議そうに凛が覗き込んでくる。

少しだけ見つめ合って、真姫は凛の肩を抱き寄せた。
にゃん、と彼女は小さく鳴いた。

「仲良しさんだねっ」

穂乃果が空いている方の真姫の腕に抱きついてくる。
凛はくすぐったそうに笑って、真姫の首元に頭を擦り付けた。

どうやらこの店、お触りは禁止ではないらしい。

「こッ……これはいったいどういうことですか!」

声に振り向けば、海未が鼻をティッシュで押さえながらわなわなと震えている。

自分にべったりだと思っていたペットが、あっさりと他人に懐いているのを見た飼い主はあんな顔をするのか。
真姫はまた一つ賢くなった。
そして同時に、その表情が大変な愉悦を彼女にもたらすことも知った。

「ごめんなさいね、でもこっちの方が居心地がいいみたいよ?」
「そんなはずありません! そうですよね穂乃果!」
「え? ふたりとも何の話?」

穂乃果がきょとんとした顔で海未を見やる。
その間も彼女は腕を放す気配はない。

「おのれ……おのれ雑食の癖に……!」

ギリギリと歯を鳴らす海未。
いつもならば恐れるところだが今の真姫に恐怖は無い。
悠々と足を組み換え、煙草をそうするようにストローをふかす。

花陽はと言えば、

「寝取られてる……あぁ……寝取られてるよぅ……」

涎を垂らしながら恍惚の表情で写真を撮っていた。

「大変! 大変なの!」

そこに、耳慣れた脳トロボイスが飛び込んでくる。
随分急いできたのか可愛らしい服はじっとりと汗でにじんでおりところどころ透けている。
スピリチュアル助平魔人がいたら真っ先に餌食になっていただろう姿だ。

「ことりちゃん、絵里ちゃんの用事はもういいの?」

穂乃果が真姫の腕を離れる。
海未は待ってましたと腕を広げる。
穂乃果がことりに駆け寄る。
海未はこの世の終わりのように崩れ落ちる。

「ほらことりちゃん、暑かったでしょ? 冷たくておいしいよ」
「えっ、ありがとう」
「はい、あーん」
「あーん……うん、おいしい♪ って違うのぉ!」

差し出されたフラペチーノを美味しそうにほおばったかと思えば、スプーンを握りしめながらことりが吼える。
何とも忙しいものだ。真姫は猫を撫でながら思う。

「大変なの! 絵里ちゃんが大変なのぉ!」

その場にいる全員の―――彼女ら以外の客や通行人も含めた注目がことりに集まる。
あまり騒ぎすぎると追い出されるのではないか、と真姫は彼女を見ながら考えていた。


「私の仕事……」

真姫の視界の端ではレゾンデートルを打ち砕かれた花陽が海未に折り重なってうなだれていた。


【幕間】


「だいたい何食べたらこんなに育つのよ」

「夢と希望とか?」

「タンパク質かしら」

「あとは女性ホルモン?」

「それはあたしの女性ホルモンが少ないって言いたいわけ?」

「ウチはそんなにこっちのためを思ってわしわししてるんやで」

「そんなんで女性ホルモンが出るわけないでしょ」

「出ると思えば出るよ」

「じゃあアンタはいっつも胸を揉まれてるのね」

「ちょ」

「誰かに揉んでもらってるの? 自分で寂しく揉んでるの?」

「あっ」

「いい反発力じゃない、なんか腹立ってきたわ」

「んっ」

「ほら何とか言ったら……何で赤くなってんのよ」

「そ、そんなこと……」

「……残念だけど騙されないわよ」

「………………」

「……そ、そんな顔してもやめないわよ……あたしだっていつもアンタに」

「うん……わかってる」

「……いい度胸じゃ」

「だから、優しくしてね」

「えっ」




終わりは唐突だった。

ちょっとした不手際。
たった一瞬で、ルンバは死んだ。


がしゃん。

残った紅茶を片づけようとして、絵里はポットを取り落とした。
ポットは机の下を徘徊していたルンバが丁度顔を出したところに直撃し、
彼の脳天で炸裂して紅茶を全身に浴びせた。
ルンバの白鳥の歌が甲高く絢瀬家に響いた。


絵里は真っ青な顔でルンバを抱き上げてその全身をくまなく拭き取る。
ポットの破片が指を傷付けるのも構わず、一心不乱に彼から水分を吸い上げる。

「嘘でしょ」

しかし、彼は目を覚まさない。
ぶっきらぼうに光る顔も、たまに聞かせてくれる鼻歌も、くるくる回る前足も、
しんと静まり返って、蛍光灯の灯りを味気なく反射している。

「起きて、起きてよ」

いくつもの思い出が頭の中を過ぎる。
命の重さを初めて腕に感じた出会い。
なかなか言うことを聞いてくれず躾に悪戦苦闘した日々。
やっと彼が一人で歩けるようになって、これからという時だったのに。

「セルゲイ」

いずれ彼に語りかけるときに呼ぶはずだった名前を、
一度も呼ぶことのなかった彼の名前を、絵里は初めて口にした。

雫が彼の上に落ちる。
濡らしてはいけないとわかっているのに、拭いても拭いても新しい雫が彼を濡らす。


これが私に与えられた試練だというなら。
神よ、あんまりではありませんか。


腕の中で命が消える喪失感。
命の尊さを知った夏だった。

ぴんぽーん。


ドアベルが静かな部屋に来客の存在を知らせる。
気が付けば、いつの間にか部屋には西日が差しこんでいた。
絵里は重い体を持ち上げてゆらゆらと歩いた。


誰だろう。ことりが忘れ物でもしたのだろうか。
来客が誰だか確かめるのも億劫で、モニタを無視してドアへ向かう。


おぼつかない足取り。今転んだら立ち上げれないかもしれない。
そうなれば、そのまま眠ってしまおうか。
そんなことを考えながら、絵里はゆっくりと扉を開けた。


「―――あ」


見慣れた6人の姿が、そこにあった。

「穂乃果、野菜もバランスよく食べなくてはダメですよ」
「えぇー海未ちゃん硬いこと言わないでよー」
「判りました、貴女の大好きな春菊を特盛にしてあげましょう」
「苦いのやだ! せめてネギにしてよぉ!」


「凛ちゃんがお肉食べないなんて珍しいね、どうしたの?」
「うん、これすごく美味しいの! ちゅーちゅーするといっぱいおつゆが出て」
「おつゆ!? あぁ! お麩だもんね! そうだね! 美味しいよね!」
「かよちんどうしたの?」



「ごめんね絵里ちゃん……嘘はいけないって、思ってたんだけど」

喧騒から一歩引いたことりが、絵里の隣に座る。
どうやら皆を呼んだのは彼女らしい。

もし絵里に用事があったらどうするつもりだったのだろう。
周到な彼女には珍しく行き当たりばったりな立案だ。
あるいは、そうまでさせるほどに不安感を与えてしまった、ということか。

「ありがとう」

絵里はことりに微笑んだ。
少しだけ驚いて、すぐに彼女も笑った。

事態はあっという間に収束して、あっという間にお祭り騒ぎになった。
がらんどうだった絵里の家は普段より多くの“家族”を受け入れて満足そうに膨れている。


しかし、そこにルンバの姿は無かった。

「パパのコネで修理に出したから、三日で戻ってくるって」

流石に修理代は取るみたいだけどね、と続けながら真姫が茶をすする。
お気に入りのペットが飼い主のところに戻ってしまって、少し退屈なようだ。


思えば、少し歪んだ感情だったのだろう。
絵里がルンバを求めたのは、寂しさを埋めるためだった。
人のような温もりを彼に求めて、自分すらも誤魔化して。

彼が戻ってきた後も、もう前のように触れ合うことはないだろう。

勿論彼のことは大事だし、彼が返ってくるまで少し寂しい。
だからこそ、誰かの代わりではなく、彼を彼として受け止める。
それこそが絵里の責任であると、強く感じた。


どうしようもなく寂しいときは、素直に声を上げればいいのだ。
すこし高い勉強代だったが、絵里は満足していた。

ドアベルが鳴る。
希とにこの声がする。
玄関まで迎えに行けば、二人が並んで立っている。

「いらっしゃい」

絵里は笑った。
希も笑った。
にこは悪態をつきながら、絵里にスーパーのレジ袋を突きつけた。

「夏にすき焼きなんて、頭おかしいんじゃないの」

袋の中を見て、絵里は吹き出した。

まったく、素直さのかけらもない。

大量の肉に穂乃果と凛が目を輝かせる。

にこは自慢げに二人に挟まれている。

海未が無言でにこを威嚇する。

花陽は麩を咥えて恍惚の表情。

ちょくちょく座る場所を変えながら、真姫は居心地のいいところを探しているようだ。

絵里の隣で、ことりがにやにやしながら希に耳打ちする。

ぎょっとして首を触る希の仕草がなんだかおかしくて、絵里はまた笑った。



私の孤独を埋める温もり。
かけがえのない私の居場所。

思いがけない形で気づかされたそれを、絵里は胸の内に抱きしめる。


遠くでルンバの鼻歌が聞こえた気がした。



-おわり-


【おまけ】


「お姉ちゃん、そのアクセサリーどうしたの?」

「セルゲイの退院祝いに、つけてあげようと思って」

「……ルンバ?」

「可愛いでしょ?」

「え? う、うん」

「男の子でもお洒落は大事よね」

「……それ機械じゃ」

「亜里沙もそう思うでしょ?」

「え? う、うん」

「今度一緒に踊ってみようかしら」

「хорошо...」






「ユキホ」

「どしたの亜里沙」

「アリチカおうちかえりたくない」

「何があった」


-おわり-

穂乃果「酒は飲んでも呑まれるな」

ことり「雉も鳴かずば撃たれまい」

の人かな

相変わらずのワードセンスに腹抱えて笑ったわ

上げてしまった…
すまぬ

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年08月18日 (月) 23:58:01   ID: RuvuEk_d

文才あるなあ

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