トール「前と、後ろ。どっちがいい?」フィアンマ「どっち、も」 (84)



・ホモスレ

・雷神(全能)右方

・エログロ有(予定)

・捏造有
   
  

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時計の針が深夜を指す頃、船は既に船内の明かりを全て消していた。
電色無き暗闇の中、閉めたはずのカーテンがふわりと不気味に揺れる。
窓を開けた覚えはない。よくよく見れば、周辺にはガラス片が散らばっていた。

『……?』

胸元のネックレスを握る。
純銀と宝石によって造られたそれには、魔術的な仕掛けを施してある。
近くで魔術が使われている場合には、発熱するように。
不安を紛らわす為に触れたそれは、異様な熱を発していた。
余程の規模が大きい魔術が使われていることは明らかだった。

『……あ』

声が聞こえた。
揺らぐカーテンの向こうには、大人達が居るのだろう。
よくよく部屋を見渡せば、両親も見当たらない。
富裕階級同士で夜会でもしているのかと思うが、どうにも様子が違う。

『いっ、』

ぺた、と置いた手のひらにガラス片が突き刺さる。
鋭い痛みに泣きそうになりながらも、ゆっくりとガラス片を引き抜いた。

『……かあさん? とうさん』

ワイシャツとズボンだけでは心もとない。
薄手の黒いコートを羽織り、数段だけの階段を上がる。
窓の奥、この上には騒がしい音を発する大人たちが複数居るはずだ。

『やめろ離せ!』
『ぶっ殺してやる!!』

男の声だった。
喧嘩か何かだろうか、と僅かに身構える。
だが、『殺せ』という声は徐々に増えていった。
ぐちゃ、という音と共に声が減った事に、意識を向けないようにする。
何はともあれ両親を探さなければ、とフィアンマは不安な心を無理矢理に押さえ込んだ。


『とうさん、かあさん、どこにいるの…?』

ドアを開けた先には大勢の大人が居て。
その誰もがお互いをにらみ合い、傷つけ合い、最後には殺し合う。
見ないフリをして、息を殺して、ひたすら両親を捜す。
両親は自分にものを教えられる程の魔術師だ、一般人には殺されないはずだ。
そんな傲慢な考えが唯一の安心を形作っていた、が。

『……あ…』

一方は左胸―――心臓をピンポイントでテーブルナイフに貫かれ、もう一方は四肢を切り落とされて転がった。
その肉の塊が両親であったとは俄かには信じがたいが、目の前のそれは確かに現実で。
涙を拭うことも忘れて駆け寄り、慌ててナイフを引き抜く。
既に生命活動を停止していたのか、血が噴き出すというようなことはなかった。
ただ、ナイフを引き抜いた手が血まみれになっただけだった。
それも、一部は固体化した黒い酸化済みの血液で。

『あ、あああ、』

大きな声を出せば次の標的にされるかもしれない、と考え直し押し黙る。
細いナイフを手にしたまま、ふらふらと歩き回って元凶を探る。
魔術儀式が関与していることは明らかだった。

『まま…どこぉ……?』

船上で独り、立ち尽くす幼い女の子が元凶だと気がついてしまうのに、そう時間はかからなかった。


自分より強いものを圧倒的にねじ伏せることの何と気持ちが良いことか。

歪んだ愉悦に浸りながら、少年は自分よりも背丈の高い大人を叩きのめしていた。
何人死なせたか覚えてはいないが、この異常事態だ、どこに責任があるかもわからない。
攻撃して初めて自分の存在に気がつく大人達の目は血走っている。
お互いに何の恨みがあるというのか、死体を滅茶苦茶に突き、お互いを殺害しあう。
憑き物、とでも呼ぶべき『何か』が働いていることは明らかだった。

『よっと、』

長い金髪を赤い血液で汚し、少年は船の上で伸びをした。
周囲は既に死体であって、少年の感性は狂ってしまっている。

『……あいつ、あぶないな』

品の良さそうなお嬢様に見えた。
赤い髪は長く、背中で緩くリボンで結ばれている。
昼間、船酔いをした貴族の子供だったように思う。
手にはテーブルナイフがあり、視線の先にはとても小さな女の子が居た。
何かを葛藤している様子を見せる子供は、ナイフを取り落とす。
泣きそうな顔をする子供に、粗暴そうな男が後ろから迫っていた。
少年はそちらへ近寄り、男に足を引っ掛けて転ばせる。
その上で背中に跨り、サバイバルナイフを奪って首を切った。
噴き出す血が若干頬に付着したことを感じながら、品の良さそうな子供を見やる。
自分と同い年程度のその子供は、震えながらも決心したようにナイフを拾い上げ。

『だいじょうぶか?』
『ん、……おわらせるんだ、こんなよるは』

そう言って、今度こそ泣きじゃくりながら――――――。




「………参ったな」

先程まで楽しいケンカにその身を浸らせていた少年―――全能神トールは、静かに天を仰いだ。
というよりも、瓦礫の天井というべきか。
久々に全力を出して戦った結果、いくつもの廃ビルを壊してしまい。
敵を殺すまでは良かったのだが、がれきに塗れてしまった。
幸い息が出来る程度の隙間はあるし、運良く圧死はしていない。
だが、右脚はポッキリと折れてしまっているし、身体に力が入らない。

「くっそ…」

その気になれば魔力は練れる。
だが、この瓦礫の量ともなると退かすまでに多くの魔力が必要だろう。
悩んでいる間に日が暮れてきた。これは非常に不味い。

(仮眠でもして、体力を…)

目を閉じる。
深呼吸を数度繰り返し、自分の精神を落ち着けた。
周囲に人が居れば『絶対に勝てる位置』まで移動出来るのだが、それも叶わない。

「こんなとこでこんな死に方はゴメンだ」

独りごちて、どうにか仮眠を摂ろうと試みる。
だが、極度の緊張状態で眠れる人間などほとんどいない訳で。
お陰に徐々に気温が下がってきたとなると、眠ることも許されない。
思わず大きく長いため息をつきそうになったところで、瓦礫が動いた。

というよりも。

大きな音を立て、トールに覆いかぶさっていた瓦礫全てが遠くへ取り払われた。

「……?」
「……人が居たのか」

のろのろと両手をついて身体を起こすと、少年(?)が立っていることに気がついた。
黒の修道衣で首元まで覆われた格好に、赤い髪。
琥珀色の瞳に白い肌。顔立ちだけ見れば女性に見えなくもない。
その肩からは巨大な腕のような靄がかった『何か』がある。

「……あんた、魔術師か?」
「ということはお前も、」

はっ、とした様子で少年(?)が右手を振る。
赤い靄の腕がしなり、がっちりと瓦礫を掴んだ。
そこまで見ればもう、トールには彼が何をしようとしているかわかる。

「無かったことにしようとしてんじゃねえ!!」

意味のわからなさにちょっぴり怒りが湧いてきた。
怒りという原動力はすごいもので、降りくる瓦礫を粉々に砕く力を手に入れることが出来たのだった。







「助けてくれたのかと思ってたんだがな、こっちは」
「俺様はもう誰も助けない。……瓦礫掃除をしようとしていただけだ」
「すげえ綺麗好きだな。感心するぜ?」
「…そう怒るな」

歳の頃は同じで、性格は大人しめらしい。
『人を救う』ことにトラウマがあるようだ。
その結果が先程のトール殺し(未遂)である。
名乗られた名前はフィアンマ。女性名。
やっぱり性別がわからないがどちらだと聞くのも、と思うトール。

「さっきの『腕』は?」
「あまり話したくない」
「ふうん」

列車の切符を買い、乗り込む。
トールは喧嘩相手を捜す宛もない旅だが、フィアンマはどうなのか。
骨折した脚に治癒術式を施しながら、窓の外の景色をちらりと見やった。
推理しようにも相手の情報なんてほとんど持ち合わせていないトールは、素直に聞いてみる。

「お前は何処に向かってんの?」
「何処にも。…何処でも良い」
「自分探しの旅をするには早すぎるんじゃねえのか?」
「そういうお前は何を目的とした旅を?」

切り返してきた。
あまり聞かれたくない話題だったのか。

「喧嘩相手捜し。ま、そっちと同じ…目的地の無い放浪の旅って訳だ」
「そうか、」

フィアンマが相槌を打ったところで、列車が強く揺れた。
既に発車して二駅を過ぎている。次の駅まで当分距離があるはずだ。
線路に石を置くイタズラか何かに当たったか、とトールは首を傾げる。
バジバジ、という激しい音と共に列車が停電する。
既に夕方を過ぎる頃、車内は薄暗いが、車掌の声もしてこない。
が、列車の速度は徐々に増していく。何も告げぬまま。


「……様子がおかしいな」
「…………」

テロか何かなら、銃声のひとつ位聞こえてきそうなものだが。
無音で事を済ませているのなら、車掌や運転者は殺されている恐れが高い。

そんな物騒なことを考えていると、左手を掴まれる。
手の元を辿ると、青ざめた顔で十字架を握るフィアンマの姿がある。
列車事故を想定しているのか、テロやハイジャック被害の経験があるのだろうか。
何にしろ顔色は酷く悪いし、体温が低い。緊張しているようだ。
先程の瓦礫の件もあるし、パニックに陥りやすい体質をしているのかもしれない。

「、……主よ、…あ、われな子羊を、おす、くいくだ、さい」

ぎゅう、と握りこんだ十字架が曲がってしまいそうに思える。
教会に勤めていない時点であまり信心深い神父には見えなかったが、存外違うようだ。
または、パニックになり易く、弱い自分を変えるために聖職者になったのか。
理由はともかく、恐慌状態の一歩手前に陥っていることは明らかだった。
トールは左手でフィアンマの左手を握り、努めて冷静に声をかけた。
弱々しく握り返してくる辺り、まだ思考力は残っている。

「行くぞ」
「何処、へ?」
「車掌室だよ。問題の原因を特定する。
 既に目的駅も過ぎてるし、このまま脱線事故起こされても困るだろ」
「……俺様も…?」
「一人で震えていたいなら此処に居りゃ良い。止めねえよ」
「……選べない」

えらべない、と再度たどたどしく呟き、フィアンマはトールの手を先程より強く握った。


「………はぁあ…」

流石にため息をつき、トールは手を伸ばす。
そしてフィアンマの胸ぐらを掴んで立たせると、視線を合わせて淡々と言った。

「――――なら、俺についてこい。"わかりやすい危険"からは守ってやるから」

対して、フィアンマは十字架からようやく手を離し。
すぅ、はぁ、と数度自分を落ち着ける為の深呼吸を繰り返した後に。

「……わかった」












――――世界を救う者と世界を統べる神が交わる時、物語は始まる――――


とりあえずここまでです


それにしても、治癒術式の効き目が悪い。
自分の生命力で自分の怪我を治そうとしているのだ、当然というべきか。
楽しく喧嘩をしていくにあたって、もう少し治癒術式について学ぶべきだろう。

「っ…」
「…少し、休憩するか?」

一度"楽しくなってしまえば"気にならなくなる。
だが、普段の痛みへの耐性は常人のそれと大して変わらない。
プロの殺し屋でも傭兵でもないのだ、精神トレーニングも大してしていない。

「は、そうだな、悪い休憩」
「……先程手当をしていたのは右脚だったか」
「ああ。バッチリ折れてやがる、クソッタレ」

ズキズキする、なんて生易しいものではなくなってきた。
治癒する速度に対し、悪化が早すぎるのだ。
知らず知らず体重をかけてしまうのはどうにもならない。

「『主よ、我らが父とその御子よ。
  この者を癒し、その身を起き上がらせん奇跡を我が手に』」

詠唱の内容はあまりわからなかったが、語感からしてヘブライ語だろう。
ぼんやりとトールが判断している内に、フィアンマが廊下へ膝をつく。
右手でトールの右脚に触れると赤い光が淡く灯る。
ぬるま湯にでも浸かるかのような心地良さと共に、痛みが引いていく。

まるで、十字教における神の子のように。

「…たかが詠唱と右手かざすだけでそれか。すげえな」
「天使の力が専攻なんだ。神の如き者を信仰している」
「なるほどね」

『神の如き者(ミカエル)』といえば、右方と火の象徴だ。
火は生命力を司るとの俗説もある程、人間に対応する部分が多い。

「………もう、人は助けないんじゃなかったか?」
「……無言で強要していただろう?」

してはいなかったが、そういうことにしておいてやろう。

トールは立ち上がり、再びフィアンマの左手を、自らの左手で引く。
体重をかけても、右脚はちっとも痛みはしなかった。

「改めて進むか。目的地まで後少しだ」


かちゃっ。

ドアが開くような気軽な音だった。
だが、二人の背に突きつけられたものは冷たい銃口だった。

「…何処から来てた?」
「……俺様にもわからん」
「手を挙げて、武器になりそうなモン全て捨てろ」

視線を向ければ、列車の乗客数十人、車掌までもが猿轡を噛まされている。
用意の良いことで、などとマイナス方向に感心しつつ。

「手袋とベルトはセーフか?」

指ぬきグローブ―――霊装『ヤールングレイプル』を見せ、トールは首を傾げた。
相手方はどうやら魔術に疎いらしく、それならば良いだろうと頷く。

「だがベルトは駄目だ。外せ」
「ケチな野郎だ」

肩を竦め、仕方なしにトールはベルトに手をかける。
しかし、残念ながらこれを外す訳にはいかない。色々な意味で。

「そもそもどういう目的で列車をハイジャックしてんだ?」
「……」

無言で銃口が向けられる。
喋るな、という牽制らしい。
ひっ、と一般乗客の息を呑む声が聞こえた。
がし、と長い髪を一度掻き、トールは余裕ありげな表情で首を傾げる。

「どうせ殺すんだ、教えてくれたって良いだろ?」
「……ふん」


曰く、この世界は歪んでいる。
多くの争いが入り混じり、最早一つずつ解決出来るような範囲ではなくなっている。
今生きている、ただそれだけで人々は不幸に晒される事が確定しているようなもの。

そんな苦難からは、死をもって救わねばならない。

まずは手始めに列車内の人間を殺害し、この真理を伝える。
多くを要求して世間を騒がせ、同時にテロを起こす。
出来る限り多くの人を『救う』事が目的だ、とハイジャック犯達は語った。
童話でも語るかのような、うっとりとした表情で。

(クソみてえな新興宗教だな)

望んでいる信者は『救って』やればいい。
しかし、一般人までをも巻き込むのは賛成出来ない。

「フィアンマちゃんよ」
「何、だ…?」

ベルトから手を離し、トールはフィアンマの方を見やる。

「誰かを助けろとは言わねえから、俺のやりたいことを手伝ってくれるか?」
「………トールがそう望むのならば」
「手始めにまずは、目の前の面倒臭い状況をぶっ叩くところからやっちまおうかね」


圧倒的な暴力。
もはやそれは、『戦争』と呼称すべきものであった。
乗客が居ない事を確認した上で列車を切り離し。
男達数人をねじ伏せた上で骨を曲げ、彼ら自身の骨を曲げて拘束し。
乗客を解放し、近隣駅や警察への連絡を急がせた上で、トールはリーダー格の腹を蹴る。
何も知らない一般客を巻き込んだ上に死こそが救いなどと言った事に腹が立ったからだ。
げしげし、と数度満足するまで蹴った後、トールは気分を切り替えて。

「んで、次の予定のビルってのは?」
「…飛行機で突っ込む……予定だ」
「そうじゃねえ。場所、時間、そういうのを聞いてる」
「誰が言う―――がっ、お゛」
「乗客はみーんな此処には居ねえ。
 フィアンマは目を瞑らせとけば何も言わない。
 人間ってのはなかなか耐久力のある生き物なんだ。
 テメェらの言う『救い』がいつ頃訪れるか、一本ずつ"もいで"確かめてみるか?」

にやにやと笑うトールだが、そんな気はさらさらない。
しかし、男達は先程の圧倒的な暴力を目にしているが故に、身を強ばらせる。
死は喜びであっても、生きながらにして苦しめられるのはご勘弁願いたいらしい。

「い、イギリスの……」
「イギリスか。インパクトで選ぶならロンドンだが、どうだ?」
「そ、そう! ロンド」

ゴベシャッ、という音と共に列車の床が粉々に砕ける。
後数センチズレていれば、男の頭がこうなっていただろう。

「情報どうも。…ビルの倒壊の食い止めか。そこそこの経験値にゃなりそうだ」
「……何かの遊びをしているのか?」
「真剣勝負のつもりなんだけどな、一応」


列車は大幅に路線を外れて進んでいたため、イギリスからはそう遠くない微妙な地点へときている。
この分なら歩いた方が早い、と体力のあるトールは踏んだ訳で。

「……俺様はこれからどうすれば」
「どうしたいんだよ?」

聞いた途端、フィアンマの顔色が悪くなる。
何らかの病気だろう、とトールは静かに判断して。

「もし嫌じゃねえなら、手伝いの続きをしてくれよ」
「俺様が手伝うことで、『経験値』とやらが減ったりはしないか…?」
「大丈夫だろ。そもそも、莫大な『経験値』でもねえし」

じゃあ行こう、と話を終わらせ、トールは車体の断面からひょいと降りる。
フィアンマはというと、そんなトールの様子を不安げに見つめていた。
何処へ行くのかはわかっているが、行ったことがないのだろうと感じる。

「ちょっとばかし歩こうと考えてるんだが、体力は?」
「あまりない」
「だろうな。そういう見た目してる」

鍛えている、とはお世辞にも言えない細い身体だ。
未だに男か女かもつかめない貧相な肢体に持久力を求める方が酷というもの。
抱えたまま歩くというのも疲れるだろうな、とトールは暫し考え。

「責任はとってやるよ。巻き込んだ程度の責任はさ」

腕を引き、選択肢を与えずに抱きとめる。
マシュマロのような甘い匂いがしたが、意識を向けないようにする。

(―――やっぱ女の子か?)

一人称はともかく。
体重を預けてきたフィアンマの身を抱え、トールは足元を蹴った。

「『車引く山羊、雷神冠す我が下に参らん』」

詠唱し、地面からボコボコと湧き出た霊装に飛び乗る。
一度蹴ると、セグウェイ状から馬車状に変化し、その霊装は猛スピードでロンドンへ向かって進み始めた。


ここまでです。
おやすみなさい。


限りなくNLっぽいホモが好きです。








投下。


「ロンドンのビルっていうと、ギネス記録目指して建ててるヤツか…」

襲撃先のアタリを付けつつ、トールは霊装を動かしていた。
一度魔力を通せば、後は方向だけを微調整すればいい。
いつものクセで一人用設計としたため、中は大変狭い。

「………」

未だトールに抱き上げられた状態で、フィアンマは沈黙していた。
降ろしてもらおうにも座るスペースがないし、そもそもトールは自分を気にしていない。
窓の外を見ていると酔いそうになるので、致し方なくトールの顔を見つめた。
中性的なその容姿だが、骨格や声などが性別を主張している。

(…俺様が言えたことでもないか)

自分も、お世辞にも男性的とは言えない身体だ。
頭脳労働タイプだし、喧嘩は嫌いなのだ。仕方がない、と誰にともなく言い訳をして。

「……ん? 何だよ? 俺の顔に何かついてるか?」
「強いて言えば血が付いてはいる」

言いつつ、ポケットに手を突っ込む。
取り出した黒いハンカチで、トールの頬(に付着した血液)を拭いた。
こそばゆそうに片目を閉じ、トールはされるがままに身を任せる。

「…黒? 前に葬式でも行ったのか?」
「……喪に服しているだけだよ」
「……ふうん」

細かくは突っ込まず、トールは霊装の稼働を止める。
急な車体の揺れにぎゅっと彼につかまり、片手間にハンカチを仕舞って。

「着いた。行くぞ」
「他の人間の手は借りなくて良いのか…?」
「匿名でイギリス清教に報告でもしてみるか?」

まどろっこしくなりそうだけど、と付け足す辺り乗り気とは正反対のようだ。


「実行時刻までは今暫くあるな。
 ビル周辺に『人払い』だけ設置して飯食うか」
「そうだな。…俺様も空腹だ」
「ルーン刻んだ経験はあんのか?」
「専門ではないが、かじったこと位はある」

手際よく小物屋で粘土と油性インクを調達し、フィアンマは落ち着いて答えた。
粘土でさっさと『人払い』を意味するルーンを形作り、油性インクを塗る。
スタンプ状にしたルーン粘土をビル周辺に押していけば術式準備はそれで済む。

「効率重視だな。悪くねえ」
「俺様は右回りで行く」

準備を済ませ、彼はすぐさま実行に入る。
人助けをしないなどと言っておいて、意外にやる気なのだろうか。
トールは小さく笑い、左回りにビルを進みながらルーンを敷く。
ビルの中の人間は『とりあえずここから出よう』と意識し、外の人間は『入りたくない』と思う術式の布石。
一人では億劫な作業も二人なら半分の時間で済む。

「後は飯食って待つか」
「全員無事出てくれれば良いのだが」

工事作業に熱中している人間には効力が弱い。
その時は何とかするさ、と応え、トールは周囲を見渡す。

「適当にファーストフードで良いか?」
「あまり食べたことはないが」


何も決められないのかコイツは。

メニューを前におろおろと悩むフィアンマを見、トールはちょっぴりイライラしていた。
決められないのならば『本日のおすすめ』などにすれば良いのだが、それも決断できないらしい。
終いには半泣きになって"食べることを諦める"などと言い出す始末だ。
何らかの病気なのかもしれないが、それでは生活が成り立たないはずで。
今までどんな生活をしてきたのだ、と問いただしてみれば。

「こういった選択肢の多い場所には近づかない」

そんな回答だった。
君子危うきに近寄らず、なんて言葉もあるが、楽な道ばかりで生きていけるものか。

「自分が食うモンにそんなに悩む必要があるか?」
「……味やビジュアルの問題ではない」

列車で『えらべない』と繰り返した時のような発作的なものらしい。
フィアンマは暫くまたメニュー上へ視線をうろうろさせた後、トールを見た。
それから、困り顔でおずおずと遠慮がちに申し出る。

「……決めてくれないか?」
「……わかったよ」

そっちの方が気が楽だ。

即決し、トールは『ラージバーガーセット二つ』と注文するのだった。


「トールは頼りになるな」

ほんわかとした笑顔で言われても。

若干しなびたポテトをつまみつつ、トールはテーブルに片肘をつく。
少しずつハンバーガーをかじる様子は、確かに食べ慣れていない人間のものだ。
炭酸ジュースが口の中で弾ける感触を認知しつつ、トールはフィアンマの様子を観察する。
最初に受けた印象よりも気弱そうな様子に思える。選択肢から選べない辺りも含めて。

「喧嘩相手を捜しているんだったな」
「ああ。限定条件付きで、なかなか見つからねえけど」
「喧嘩は、楽しいものなのか?」
「喧嘩自体、っつーか…俺の場合は『経験値』を得た実感が楽しい」
「いつ頃からのものだ?」
「…ガキの時からか? 気がついたらこうなってた」

自己鍛錬には限界があり、今の強さでは相手を吟味せねばならない。
周囲に被害を出しすぎるのは後味が悪いし、弱すぎる相手ではうっかり殺してしまう。

何歳の時からこうなってしまったのかは、もう思い出せない。
肉汁が付着した指の腹に舌を這わせ、トールは過去に思いを馳せる。
断片的に覚えていることはあるのだが、『あの子』はきっと幻だろう。

「俺の趣味且つ行動理念且つ性的嗜好。きっかけは思い出せねえ、悪い」
「そうか」

相槌を打ち、フィアンマはバーガーをようやく食べ終える。
ポテトに手を伸ばし、黙々と食べ始めた。
交互に食べるということが苦手らしい。迷うのだ、とトールは予測した。

「お前は殴り合いと縁の無さそうな顔してるよな」
「暴力はあまり好きではない。少なくとも楽しいとは感じられない」
「なら、何で魔術師になった?」
「それは、………」


結局言葉を濁され、会話を打ち切られた。
もう少し仲良くなってから聞くべきだっただろうか、とトールは思う。
自分には居ないからわからないけれど、『大切な誰か』のためであったならばそうそう話せない理由だ。

二人は、建設中の件のビルへと戻ってきた。
周囲に人気は無い。
ただ、不自然に速いスピードでこちらへ向かってくる飛行機があるだけだ。

「で、フィアンマちゃんに頼みたいことがあんだけど」
「?」
「これから飛行機を止めてくる。
 正確には、飛行機の軌道を逸らすことしか出来ねえ。
 しがみついて、んで、飛行機に立ち入って『大元』を叩いた後は飛び降りる予定だ」
「なるほど、なるほど。……ん? 飛び降り?」
「その場しのぎの救済措置さえしちまえば後はイギリス警察側がどうにかするだろ。
 緊急脱出装置を使わせてもらうのも悪いし、飛び降りる。
 頼みたいことってのはあれだよ、着地地点の用意してくれ」
「そんなに責任の重い事はできな」
「出来るさ。…さっき、俺に協力してくれただろ? 色々と」

戸惑っているフィアンマに作戦を説明すると、トールは軽い調子で向かってしまう。
着地地点を用意するといってもどうすればいいのだろう、とフィアンマは周囲を見回した。
クッション類を沢山置いてどうにかなるのだろうか。
彼自身魔術で着地の衝撃を減衰させるとは言っていたが、それにしても。

「そもそも、あんな力任せで乗客は無事でいられるのか」

周囲を巻き込む徹底的な破壊を振りまくトールの戦い方で、一般人が助かるのか。
それを思うと、『場所を区切る』事に特化した自分がついていた方が良いような。
しかし、着地地点の用意を任されているというジレンマ。

「……や。…やっぱり、俺様も行く!!」

前者を選んだ理由は一般人、テロ未実行犯の命。
それから、『トールが居ないと寂しい』という個人的なものだった。


ここまで。
おやすみなさい。


(3スレも使いやがってとか怒られるかなって…思って…でも酉戻そう…えへへ…)















投下。


目的通り飛行機に飛び込んだ訳だが、どうにも様子がおかしい。
乗客の姿が見当たらないどころか、音一つない。
墜落していく様子はないことから、操縦者はいるのだろうが。
乗客だけ緊急脱出させたというのなら、手間が省ける。

「……呪符?」

人に呪いをかける際に用いる代物。
ベージュの紙に綴られた言葉に、トールは眉を顰める。
手を伸ばして拾い上げてみると、意外にも魔力は通されていない。

そして、その紙のようなものは。

・・・・・・・・・・・・・・
ほんのりと人肌程度に温かい。

「いや、違う…これは、」
「お気づきのようで」

振り返った先には、ほっそりとした美女が立っている。
ところどころ露出のある改造修道服のようなものは、いっそパーティードレスのようだった。
にこにこと浮かべた笑みからは、悪意しか感じられない。美しく、醜悪な笑顔。

「丁寧に『潰して』『畳んで』『書き込んで』、既に『救う』準備を済ませておきました。
 貴方を呼び込んだ覚えはないのですが、突然の来客をももてなすのが礼儀というものでしょう」

一足遅かった。
否、まだ間に合うというべきなのか。
乗客達は生きた呪符にされただけで、自発呼吸は行えている。
魔術的な手段でならば、救える道が残っているかもしれない。
しかし、この状況では大仰な技や力押しは使えない。
人間の形をした乗客を守るのと、ぺらぺらの紙切れ何十枚を守るのとでは、戦い方が変わってくる。

だからといって、攻撃をしない訳にはいかない。

トールは戦闘に際して実に久方ぶりに手袋を外した。
そして、化粧の濃い女を静かに見据える。

「飛行機に乗り物酔いは仕方がねえことだし、喧嘩に顔面崩壊は付き物だ。
 別に元々綺麗な顔はしてねえみたいだしさ、多少潰れちまっても問題はねえよな?」
「―――誰が綺麗な顔じゃないって?」


ジャンボジェット機というものはよくわからない。

フィアンマは右往左往としながら、トールを探していた。
トールが飛び込んだのは二階部、フィアンマの現在地は一階部である。
もちろん、階段を上がらなければ見つかるはずもなく。

「……乗客が見当たらんな」

空席ばかりだったのか、などとのんきな事を考えながら歩みを進め。
視界に入ったベージュ色の紙に、フィアンマは首を傾げた。

「…ん?」

気にかかる。
トールを探すのが先決だと考えていたが、こちらを優先にすべきか。
座席に近寄り、呪符もどきを拾い上げてみる。
僅かに生暖かい『それ』の本体に気づき涙目になりながらも、フィアンマは深呼吸する。

これは人助けではないし、自分が選んだことでもない。
乗客の命を優先に、と言いだしたのはトールなのだから。

そう自分に言い聞かせ、懐からチョークを取り出した。
時折揺れる飛行機に転びそうになりつつ、魔術記号と円を壁に描いていく。
ありとあらゆるものを『区切る』儀式魔術を得意とするフィアンマにとって、『元に戻す』ことは難しくない。
壺が割れてしまったのなら、破片を溶かして新しい壺を造ってしまえば良い。
流石に人体ともなるとそう簡単な理屈ではいけないので、多少は自分の頭で考えることになる。

「……見られると説明が面倒になるな。ひとまず身体だけ元に戻しておこう」

丁寧に一人ずつ修復していきながら、フィアンマは階段を発見して。

(……おや。…乗ってくる階を間違えた…?)

一人、今更ながら気づくのだった。


退屈で心が殺される。

世界を調整して女を徹底的に痛めつけながら、トールは暇を持て余していた。
この戦い方は便利なのだが、何しろ経験値が貯まらない。
適当に手を振っていて勝ってしまうというのは、あまりにもつまらない。

「はー……ぁぁ。いい加減終わりにしようぜ?
 救いだか何だか知らないけどさあ、求める人間にだけ与えりゃ良い話だろ」
「わ、たしは……私を馬鹿にした奴等に、知らしめてやりたいだけッ、」
「なら自分一人でやれよ、他人を巻き込むな」

どうやらこの女が件の教祖らしいのだが、面倒臭い。
気力だけで粘ってくる割に有効な打撃を一つも当ててこない。
しまいには、自分との戦闘には関係ない乗客を使おうとする始末だ。
だんだんと、心が冷えていく。このまま、殺してしまっても構わないという気持ちになる。

「ッ、!」
「?」

女が一気に後ろへと下がる。
一階部に無事な子供でも居て、親を捜しに来てしまったのか。
気が昂ぶっている女に殺されでもしたら可哀想だ、とトールが動こうとした瞬間。
女は階段を登ってきた人物を捕まえ、指を銃の形にして人物の側頭部に突き付ける。
所謂『ガンド』魔術だ。人に指を向けてはならないとされる元の意味である。
銃の形をした指先からは、人を殺せるだけの威力がある魔力の塊を発射出来るのだろう。

「………俺、待ってろって言ったよな?」
「乗客が心配で。着地地点を作れる自信もなか「それ以上喋れば撃つわよ」あっ、う」
「……………」

とりあえず、フィアンマに怒るのは後にしよう。

冷えていた心が氷点下にまで冷えたことを感じ取り、トールはにこりと笑む。
後の暴力には、もはや女の悲鳴すら遺らなかった。


「い、痛い…痛い……乗客を元に戻したの俺様なのに……」
「勝手に飛び込んできやがって。戦闘向きじゃねえ自覚位あんだろ」

怒り心頭のトールに思い切り頭を平手ではたかれ、フィアンマはぐすぐすと落ち込んでいた。
それなりに良い結果をもたらしたはずなのだが、どうして怒られてしまうのか納得がいかないらしい。

「頭」
「? 頭が?」
「撃たれたりしてねえよな?」
「トールに叩かれたのは今も痛いが」
「赤信号渡ってるガキを叩かない親が居ると思うか?」
「俺様は子供じゃないしトールは親じゃない…」
「物の例えだ馬鹿野郎、」

ようやく痛みが治まってきたため、摩るのを一旦やめ。
フィアンマは周囲を軽く見回すと、トールを見やった。

「泊まる場所は決めたのか?」
「いや、まだ。…って、同じ場所に泊まるつもりかよ」
「寂しいから」

邪気のない笑みを浮かべられても困る。

大変突っぱねにくいので、受け入れるとして。

「先に何か腹に入れておきたい。フィアンマは?」
「俺様はどちらでも。夜は食べないんだ」
「……ダイエット中の女の子か?」
「夜中に胃がもたれて最悪嘔吐する」

病弱過ぎる気がする。病気か何かだろ。

黙ったまま、トールは自分が食べたいものを取り扱う店を捜す事にする。


結局、男だったのか。

白いシャツに黒いズボンという簡素な格好でベッドに転がるフィアンマを見、トールは少し残念に思った。
女の子だったら、初恋の相手によく似ていたのだが。

「やっぱシングル二つ取るべきだったか…」
「人の気配が苦手なのか?」
「いや、気まずいだろ。今日会ったばっかだぜ、俺達」
「ん? 出会った時間から逆算するともう既に一日経過に近いぞ」
「細かい計算の話じゃねえよ」

備え付けのドライヤーで髪を乾かし、欠伸を噛み殺す。
少し、魔力を使いすぎてしまった感じは否めない。
生命力を練り上げて魔力にするのだ、当然日常生活よりも疲弊する。
その上、気分の悪い戦闘しか出来なかったのだ。憂鬱にもなる。

「………」
「……早いな」

ふと気がつくとベッドサイドのライトを消し、フィアンマが寝入っていた。
すぴー、と呑気な寝息すらも聞こえてくる。マイペースな男だ。
髪も乾いたことだし、とトールもベッドに横たわり、電気を消す。
近くに誰かの寝息があるというのは確かに落ち着かないが、悪くはない。
ずっと一人で生活していると、同居人の存在が時々欲しくなったりするもので。

「………おやすみ」

返事はなかったが、トールは緩やかに眠りへ堕ちた。


今夜のことは、俺達だけの秘密だ。
お前は悪くなかったんだ。全部忘れてしまえばいい。

甘い囁きが聞こえる。
自分のせいだったのだと抱え込もうとする度に、思い出す。
沢山の人が死んで、生き残ってしまったあの日。
どうして自分が生き残ったのか、知ってしまった時に言われた言葉だった。

あれからもう、何も思い出せない。

ただ、大きな事故が遭ったんだ。
酷い事故で、偶発的な魔術が原因で、だから誰も悪くなかったんだ。

そういうことにしておこう。どうせ、誰にもわからない。
生き残ったのは俺達だけで、真実なんていくらでも変えられる。
だから、お前が一番傷つかない『事実』が現実なんだと、そういうことにしよう。







(……柔らかい)

犬猫を飼った覚えはないのだが。

さらさらつやつやとした何かを触りつつ、フィアンマは目を覚ました。
覚ました、とはいっても半覚醒状態なので、意識朦朧としている。

「……?」

視線を少し上げてみた。
トールの顔があった。まだ寝ているようだ。
撫でていたのは彼の長髪らしい。

「…………?」

寒さからか、ベッドに入り込んでしまったようだ。恐らくは自分の方が。
何分意識が朦朧としていて、フィアンマの思考回路はきちんと働かない。
もうこのままでいいか、とぬくぬくしながら彼は再び目を閉じた。


今回はここまで。
おやすみなさい。


バッドエンドにしたい病の発作が全身を襲っています。辛い。


















投下。


随分と遠い昔に感じられる、数年前のことだった。
生まれつき孤児だった自分は、上手く大型船に紛れ込み。
貨物に紛れて、出港した船の中に居た。
陸から遠く離れた事を確認して、貨物倉庫から出る。
船の中には子供が二人(自分を含め三人)しか居ない。
だからこそ、堂々として船の中を進んだ。
おどおどとしていれば身分を聞かれるし、最悪船を降ろされる。

『んー…』

とはいえ、航海中何もしないというのも暇で。
しかし、金持ちの大人と話し込めるような感性はしておらず。
同年代は居ないものか、と少年は風に金髪を靡かせて歩き回っていた。
潮風が心地良く目を醒ましてくれる。眠る気分にはなれない。

大きな船の、目立たない裏の部分。
裏デッキというべきなのか、人が居ない場所に、『その子』が居た。

歳は自分と同じ位。
赤い髪は自分と同じ程長く、背中で緩くリボンで結ばれている。
首元には、純銀の細いチェーンに、青い宝石が通されたネックレス。

その子は、酷い顔色で海に向かって嘔吐していた。
子供が体調を悪くしているというのに、大人達は知らないのか。
少年は僅かに環境への不快感を覚えつつ、同情を持ってその子に近寄った。


潮風が冷たくて、震えているのだと思った。
船酔いによって、吐いているのだと思った。

どちらも違った。
その子は、顔と身体にべったりと返り血を付着させていた。
ぼろぼろと際限なく涙を流す瞳は、それでも。
被害者染みた色で、怯えを表現していた。

『………たすけて…』

その一言に、少年はその子が強盗の被害に遭ったのだと思った。
或いは、船に隠れ潜んでいた異常者に両親を殺されたのだと思った。
泣いて、震え怯えて、嘔吐する子供を心配しに来ない両親は、恐らく死んでいるだろう。
両親でなく保護者なのかもしれないが、この際それはどっちでもいい。
少なくとも、その子はひとりぼっちだった。説明されるまでもなく察せた。

『……だいじょうぶか?』

何も考えずに、手を伸ばしていた。
服の袖で、その子の頬を拭う。
吐瀉物と血液が混じった液体が若干付着したが、構わなかった。
軽犯罪で小金を稼いだ日々もあったのだから、汚物など慣れている。

『ぁ、う』

自分の存在に今の今まで気づかなかったのか、その子はいっそう泣きそうな顔をする。
既に泣いているのだが、大声を上げて泣き出してしまいそうだった。


服を着替え、血液の染み付いた衣服を纏め、重しをつけ、海に沈め。
その子はベッドに座ったまま、ぼんやりとしていた。
少年は手をひらひらと、その子の前でちらつかせる。
それによって意識が向いたのか、教会で懺悔でもするかのようにその子が言った。

『……いらないっていわれた』
『…なにが? だれに?』
『かあさんに。…とうさんは、そんなことはないっていってた。
 でも、かあさんのことばをきいて、やっぱりいらないだろうって。
 ふねがついたら、りょうようじょにあずけてにげようって、いってた』

端的な説明で、少年には何の話かわからなかった。
だから、隣に座って続きを促した。

『わたしは、むかしからからだがよわくて』

元は、孤児だった。
というよりも、実の両親に産まれてすぐに捨てられた。
幸運にも養護施設に拾われ、現在の両親に引き取られた。
貴族の家の後継者として、厳しく躾けられた。
一生懸命やっているつもりで、そのストレスは徐々に己を蝕み。
元より病弱な身体はすぐに悲鳴を上げた。
女の名を付けられ、中性的な装いをし、死神が困惑するような容姿になり。

最初こそ、両親は優しかった。
ありとあらゆる医療技術やオカルトに頼り、その過程で魔術師になり、己を救おうとしてくれた。

けれども、何一つ実らなかった。

そればかりか、奇妙なことばかり起きた。
己を可愛がった人間が次々と事故死し、その保険金が家へと入ってきた。
当然、周囲からは蔑まれる。偶然は、三度続けば故意と見える。
段々と、愛されなくなっていった。目障りだと、そう言わんばかりの空気があった。
子を産めぬ身体の若き母親は、冷たく当たるようになった。
父親も根は優しかったが、母親に追従するところがあった。
小旅行だと乗せられた船、ドア越しに聞いた会話は残酷なもので。

あの子は悪魔だった。
あんな子供を引き取らなければ良かった。
船が着いたら、療養所に預け捨てよう。
新しい子供を引き取れば、まだやり直せる。

―――――結局は。

何もかもが体面の為だったのだと、そう思った。


産みの親に拒絶され、育ての親に否定される。
何処にも居場所なんてないと思った。
そして、親と同類の大人達が多数乗るこんな船など。

『……こんなふね、しずんじゃえ』

いいこでありなさい、と常に躾けられてきた。
我慢していた呪いの言葉が口を突く度、自分が嫌になる。

『あ、……う、あぅ、』
『きかなかったことにしてやるよ』

ぽふ、わしゃり。

やや乱暴に頭を撫でられた。
少年は罵倒するでもなく、自分の方を見て微笑んでいる。
思い立ったように、血がついたナイフまで洗ってくれた。

『もしふねがもくてきちにつけば、おまえはつかまるだろうな』

少年の言葉に、それは最もだ、とその子は笑った。
哀しい事情があったにせよ、罪は罪だ。
罰されるべき罪人は、罪と向き合わねばならない。

『わたしはきっと、しけいか、ながいちょうえきけいをうける』

もう、この世界に居場所はない。

だったら、消えてしまってもいい。
どうせならば、今すぐこの船と共に沈んでしまいたい程。


時間の経過と共に空模様は悪くなり、雨雲がこちらに向かってくる。
死体は目立たない物置の陰に隠してあった。
全てを元通りにして、その子は小さく震える。
少年は立ち上がり、一度部屋から出て行く。
そして、貨物倉庫からブランケットを持って戻って来た。

『さむいだろ。これいちまいしかなかったけど』

ベッドの毛布だけでは、その"寒さ"は埋められない。
少年の気遣いに、その子は心から安堵した微笑をようやく浮かべる。
目の前の人間は味方なのだと、人間的な、原始的な安堵に。

『わ…! おかえり。ありがとう…』

お帰り、と。

その子にとっては当たり前の言葉だったのだろうが。
少年にとって、その言葉は特別で、特殊で、心を揺さぶるものだった。
今までずっと独りぼっちで生き抜いてきた少年に、味方は居なかった。
今回のような気まぐれを発揮して誰かを助けても、後ろ足に砂をかけられてきた。
帰る場所も、行く宛もなく、ただ、死ぬには理由が足りないから生きていた。
だけれども、先のただ一言で気がついた。気がついてしまった。

"帰る場所"――――"出迎えてくれる人"が欲しい、と。

そして、それには目の前のその子が適任だった。
少なくとも、自分にとってはその選択肢が一番良い。

『………どし、たの?』

だが、会話の内容を振り返ってみる。
この子は、どう足掻いても自分のものにはならない。
船が通常通り運行を終えれば死体は見つかり、この子は疑われる。
全て露呈すれば死刑、終身刑は免れない。たとえ、持ちうる事情を話しても。


気がつけば。
ブランケットで包み、決して逃すまいと抱きしめていた。
今更自分の行動を自覚してちょっぴり反省しながら、少年は問いかける。

『……もし、もしものはなしだ』
『? うん』
『したいはみつからなくて、おまえはつかまらなくて。
 ぶじにふねをおりてかんぜんにじゆうになったら、どうしたい?』

その子は、とてもとても戸惑って。
悩んで、悩み、悩みぬいた後に、ぎこちなく強請る。

『……かわりなんていないといってくれるだれかに、すきになってほしい。
 ………あいしてもらえればだれでもいい。めのまえにいてくれたら、それだけでいい』

たったそれだけの、ちっぽけな望み。
叶える為には、人一倍の努力が必要な願い。

『じこがおこっても、わたしのせいにしないでほしい』
『なにがおきても、…だいじょうぶだよ、って。……いって、ほしい』

そっか、と少年は言った。

例えば俺でも良いのか、とも言った。
一緒に居てくれるのなら、とその子は頷いた。

だったら、もう理由なんていらなかった。
自分は『帰る場所』が必要で、この子は『愛してくれる誰か』が必要だった。

ならば。

こんな船は、沈んでしまうべきなのだ。






「………」

昔の夢を見たものだ。
眠い目を擦り、目の前の赤い髪を撫でる。

あの子の髪とそっくりの、さらさらとした髪を。

細い首を指でなぞり、顔を近づける。
そして、状況に気がついた。
今は『あの日』ではないし、目の前の人間は『あの子』ではない。

「………おい」

他人のベッドに勝手に入るとは何事か。

トールを名乗る少年は、結構短気な人間である。
カッとなるとすぐに手が出る方の人間だ。

なので。

目覚ましも兼ねて、トールはフィアンマのおでこをべちっと叩いてみた。


今回はここまで。

乙。

半蔵「ニンジャは居ないが末裔なら」

郭「ね」


禁書の属性網羅率ほんとすごいなって。



















投下。


ペットロボット。
そう呼ばれる機械の塊は、きゅんきゅんと切なげな鳴き声を漏らしていた。
本物の子犬の様に、銀色の肢体が愛らしく腹を見せて転がる。
人に撫でられるとセンサーが反応するのか、唸ったり尻尾を振ったりした。
そんな犬型ロボットのサンプルを撫で、フィアンマは小さく笑みを浮かべる。

「永遠に子犬のままで、すぐ懐くのか。愛らしいな」
「そうか? 生き物ってのは成長するから良いんだろ」
「一番愛らしい時を切り取って手元に置いておけるのなら、それは幸せなことじゃないか?」
「……お前、人の親にゃ向いてねえな」
「俺様は聖職者だ、親になることはないだろう」

一番幸せな瞬間だなんて、長くは続かない。
その時間を切り取っておくなんて出来ないから、人々は最善を尽くして人生を送る。
そういった意味では、トールから見てこの少年は人生を放棄していた。
勿論、放棄せざるを得ない程苦痛の多い人生を送ってきたのかもしれないが。

「欲しいのか?」
「んー? いいや、」

すぐ飽きてしまいそうだから、とフィアンマは首を横に振る。

「それよりも、空腹じゃないか?」
「多少な。適当に何かしら腹に入れとくか」


「何故、俺様が魔術師になったのかと聞いたな」
「ああ、聞いたな」

以前の質問を引っ張り出し。
フィアンマはワッフルサンドをフォークで突っつき、紅茶を啜る。

「多くの人を幸せにするためだよ」
「へえ。聖職者らしい目的だな。
 だが、他者を幸せにするのに暴力は必要ないんじゃないのか?」
「……そうかもしれない。だが、俺様には説得力というものや天性のカリスマ性がない」

確かに、ハンバーガー一つ選べない男が決断力を誇示することは出来ないだろう。
政治家をやるのだとしたら、致命的だ。

「人を助けるのが恐ろしいクセに幸せにしようなどというのも、歪んでいるのかもしれない」

自らをそう断じた上で、フィアンマは緩やかに深呼吸する。
何かを思い出しているようにも見えた。

「ただ、…周りの人に笑っていて欲しい。
 争い一つない世界で、幸せを謳歌していて欲しい」
「………俺の目的とは真逆だな」

別に、トールは人々が殺し合う修羅の世界を望む訳ではない。
だが、フィアンマの望む『幸せな世界』とやらでは、自分の目的は達せられないだろうと感じた。
先程のロボットの件でもそうだが、フィアンマとは徹底的に意見が反対らしい。

「トールは、多くの人を苦しめたいのか?」
「強者と喧嘩がしたいだけさ。それ以上でもそれ以下でもない」


だらだらと食事に使っていたフードコートを出て。
建物外に出た二人は、次の目的地について頭を悩ませていた。

「日本にも『聖人』とか居るんじゃねえか?」
「まだ幼い子供だったように思うのだが……」

でも、トールが捜したいというのならば手伝う。
フィアンマは懐から小さな黒い本を取り出す。
聖書だろうか、とトールは首を傾げるが、フィアンマは意に介さない。
彼は目を閉じ、本を開いた。
本に仕込まれている裁縫針で親指を突き刺し、ページに血液を垂らした。
じわじわと赤い液体はページに染み込み、やがて数行の文章を独りでに描き出す。

「便利な霊装だな。予言術式の応用か?」
「神の子の生き様を描いたものが聖書だろう。
 つまり、ここに描かれるのは『人々が求めるもの』の情報だ。
 魔道書の内容を引用、魔道書の場所を検索することなどは流石に不可能だが、それ以外は何でも出てくる」

特に人物関係は、と呟きながらフィアンマはトールに内容を見せる。

「ここから北方向か。そんなに遠くもねえし、一時間もかからない」
「サーチ避けの影響で文字が滲んでいるのによく読めるな」
「これでも、多少は暗号なんかも解けるんだぜ?」

となれば、目的地は決まった。
『聖人』の少女、神裂火織の居場所へ。


天草式十字凄教。
その本部は、山奥にひっそりと佇んでいた。
正確には、一時的に留まる為の庵でしかないのだが。
彼らに、正式な本部拠点というものは存在しない。
何故ならば、江戸時代に迫害を受けたキリシタン教徒の隠れ蓑が母体となっているからだ。
それ故に、生活上必要な道具を魔術に転じたり、隠密を得意とする集団。
彼らの目的は『救われ者に救いの手を』差し伸べること。
強きを挫き弱きを救う、とまではいかないものの、弱者を庇い逃がす事はする。

「階段が整備されてるとはいえ、結構道のり長いな。大丈……」

のんびりと山を登りつつ振り返るトール。
だったが、何故かそこにフィアンマの姿はなく。

「………」

一本道だったと思うのだが、何をどうしたらはぐれるのだろう。
ぐしゃり、と金髪を掻きあげ、トールは眉根を寄せる。
確か十分程前には返事をしていたはずだ。

「アイツ、何処行きやがった…ッ!」





一方。
フィアンマはというと正しいルートから外れ、山の中を彷徨っていた。
熊が出てきそうな雰囲気の中、野兎にまでビビりつつ、フィアンマはうろうろと周囲を見回す。

(何処に行ったんだろうか…)

不安な感情に、じわりと涙が目に浮かんでくる。

「そこにいるのはどなたですか」
「!」

びく、と肩を震わせて振り返る。
そこに、立っていたのは。


「女教皇様、遅いのよな」

よもや、巡回中何かあったのでは。
建宮斎字という男は一人、幼い少女の身を案じていた。
幼い背に天草式十字凄教の全てを背負う、女教皇たる聖人の少女を。
物理的に強者とはいえ、彼女が傷つく事は耐え難い辛さだ。
もちろんそれは、天草式十字凄教全員の見解で。
それ程までに、彼女は組織中から愛されていた。
凛とした眼差し、優しさ、人を救うために必死になるその姿勢。
その全てが、カリスマ性などという言葉では片付かない程の信頼を生んでいた。

「しかし、無闇に動くというのも…」

魔術結社という形を取ると、どうしても組織間の利害というものが出てくる。
利害が反すれば当然根絶やしにしようと襲撃を受けるし、彼ら一人一人は決して強いという訳ではない。
むしろ、集団での強さこそが彼らにはある。

「たどり着いちまったな。どうやら聖人は居ねえようだが」
「っ、」

建宮は即座に戦闘態勢をとり、少年と対峙する。
白い肌、透き通った青い瞳、長い金髪。
そのどれをとってみても、少女的な印象を与えてくる少年だった。
彼は建宮の様子を眺め、それから周囲をぐるりと見渡す。

「前座には興味ねえんだけど。女聖人は何処だ?」
「不穏な輩に会わせる理由はねえってのよ」
 


黒く長い髪をポニーテールにまとめた、少女だった。
年齢にしては抜群にプロポーションが良い。
その腰には、不釣り合いにも日本刀の様なものが下げられている。

「まよわれたのですか? ここはあんぜんではありませんよ」
「あ、…連れ合いを捜していて」
「おつれのかたがまよわれたのですか…すこしまっていてください」

彼女は懐から木札の様なものを取り出し、口を近づける。
それから、不思議そうに首を傾げた。
木札を振り、焦った様子で何度も話しかける。

「たてみや! なぜへんじをしないのですか!?」

少女の声は山に響くが、木札からの返事はない。
通信霊装なのだろうが、そもそも通信に相手が応答していないらしい。

「いったいなにが……、」

言いながらも、彼女の顔色は青ざめていく。
少女はフィアンマを見、素早く近づいて手首を掴んだ。
生まれついての純粋な聖人ながらも、少女は手加減をして掴んでいる。

「あなたのさがしびともおそわれているかもしれません。まずはこちらへ、」
「……いや、恐らくそれは…」

むしろ、騒ぎを起こしているのが自分の捜し人のような。
口ごもるフィアンマの手を引き、少女は一目散に山を駆け上っていく。




「関係の無い弱者までもを叩きのめすのがトールのやり方なのか?」

                  狂気を内包する聖職者―――フィアンマ                   



「別にそういう訳じゃねえよ。前菜だろ? こんなの」

                  全能にして雷神を冠す魔術師―――トール



「たてみや、おきてください……う、うああああああああああああ!!!」

                  天草式十字凄教女教皇―――神裂火織




今回はここまで。


落としこそしなかったものの本当に…あの…すみませんでした…トールくんの魔法名すごい気になる
扇風機は不完全燃焼でした






















投下。


決着がつくのに、十秒とかからなかった。
より正確に表現するならば、決着ではなく『場の終焉』。
トールが術式を行使し、フィアンマが右腕を振るう。
お互いの術式が発動するまでのタイムラグは、魔術記号表明の為のわずかな動作から一秒と無い。
『絶対に勝利する一撃』と『絶対に勝利する位置へ移動する』攻撃同士がぶつかればどうなるか。
簡潔に一言で表現するのなら、相打ち。
衝撃波、などという表現すら生易しい。
激しい攻撃の真正面からのぶつかり合いは激しく火花を散らし、森を薙いだ。
神々が力任せに刃でも振るったかの如く、山が崩れていく。
事実、先ほどの一撃は神様にすら届いていたのかもしれない。お互いに。

「ッ、逃げてください!」

絶叫。
神裂は僅かに迷った後、フィアンマの『行け』というアイコンタクトを受けて跳んだ。

「……ダメだな。いつもこういう戦争レベルになっちまう」

今回は地形が悪かったのだが、と反省しつつ。
どうにも激しさを増していく土砂崩れに眉根を寄せ、トールはフィアンマに近づいた。

「悪かったな。頭に血が上ってた」
「……わかってくれればいい」

ふる、とフィアンマは首を横に振る。
トールが落ち着いてくれさえすれば、何度も周囲を壊す必要もない。

「今の一撃で、俺様の腕は解明出来たのか?」
「多少はな。お前の方は? 俺の使ってる技術は理解出来たか?」
「多少はな」

小さく笑ったところで、土砂崩れに呑まれる。
フィアンマの『腕』は空中分解していたので、トールがどうにかする番だった。



「時々ああなる」

ホテルをとり、一休みしたところでトールがぽつりと漏らした。
苦笑いしながら愚痴を零しているように聞こえたし、悲しみに暮れて呟いているようにも聞こえた。

「我を忘れる、って表現で良いのか。
 楽しくなっちまって、後々どの程度の犠牲が出るのかってことさえ頭の中から消えちまう。
 お前の一発が効かなけりゃ、あの場に居る全員皆殺しにしてたかもな」

今度こそ、後者の響きを帯びていた。
トールはベッドに腰掛けて深々と息を吐き出し、静かにうなだれる。
フィアンマは返答に悩んだ後、冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
蓋を緩めて差し出すと、彼はちびちびと飲む。
酒で酔った酩酊を誤魔化すような挙動だ。

「……」
「……誰でも欠点はあるし、熱中してしまうこともあるだろう。
 それでも、トールは俺様が求めなくたって嘔吐すれば背中を摩ってくれたし、優しい言葉もかけてくれた。
 他の人間にとってはどうであれ、俺様にとっては優しい人間だ。先ほどのは偶然だろう、そんなに気にせずとも」
「楽しいケンカってのは、きちんとお膳立てして、心置きなくやるもんだ。周囲の被害をもっと気にするべきだった」

山が完全に崩れた後、フィアンマが安全確認を行った為神裂達が無事逃げ切ったことは確認している。
だからといって、トールが発端となって生み出した状況は変わらない。
励ましの言葉がこれ以上思い浮かばず、口ごもった後にフィアンマはトールの隣に座る。
言葉を『選ぶ』、と意識すると全身に冷や汗が噴き出すので、極力何も考えない。意識しない。

「……何か、昔嫌なことでもあったのか? 拳を振り上げなければ状況があった、だとか。
 そういうことがあった場合、トラウマとなって現在に及ぶ場合があると聞く」
「………拳を振り上げなければならなかった、か…」

片目を閉じ、トールは過去を振り返ってみる。
血塗られた甘い思い出が胸を締め付けるが、それが原因かもしれないと感じた。
しかし、口にするのははばかられる内容だ。気が狂っていると思われかねない。

「……失恋、…じゃねえか。離れただけだし。好きなヤツのために戦ったことはあるな。
 覚えてる限りじゃ結構な殺し合いだったから、それが原因か?」
「それかもしれんな」

しかし、トールは『あの日』の出来事を何一つ後悔していない。
目の前の愛しい人間を守る為に嘘をついたことも、言い聞かせたことも、全ての乗員を殺した罪を被ったことも。


「あれを忘れるのは無理だな」
「好きだった相手とそんなに関連付いた殺し合いだったのか?」
「ああ。……もっとも、あっちはもう忘れてるかもしれねえが」
「お前に殺し合いをさせておいて、忘れる…?」
「そっちの方が幸せだ。……アイツは強い人間じゃない」

緩く首を横に振り、トールは外へ出る。
ついていこうか行くまいか迷ったが、フィアンマは部屋に残ることにした。
物思いに耽ける時、回想に浸る時は誰だって一人になりたいものだろうから。

「……好きだった、か」

そういえば、自分の初恋の相手はどんな人だったのか。
シャワーを浴びる準備をしながら、思い出そうと努力してみる。

「……確か、青い瞳だった気がする」

長髪で、細い体つきだったと思う。
入浴の準備を済ませて脱衣していると、物思いを中断するように硬い音がした。

「ん?」

何かを落としたらしい。
拾い上げて観察する。ポケットに長い間突っ込んだままだったようだ。
少々汚れてはいるが、元は純銀とアクアマリンの宝石で造られた四角いネックレスのようだ。
無残にも半分に割られているので、ネックレスとして再び使用することは不可能だろうが。

「俺様の持ち物、だっただろうか…?」

思い出せない。
何か、思い出の品であろうことは推測出来るのに。

「………」

暫く悩んだ後、フィアンマは改めてシャワーを浴びることにした。
思い出せないのなら、きっと大したことではないのだと自らに言い聞かせて。


雨が降り出しそうな空模様に若干憂鬱としながら、トールは歩いていた。
ケンカをしたい気分ではないので、裏路地は歩かない。

(濡れてもシャワー浴びればいい)

やがてやってきたのは、宝石店。
多くのサンプルが表に向かって展示してあり、如何に日本の治安が良いかを思い知らされる。

「……アクアマリン…か」

ふと、ストールの内側の存在に重みを感じた。
首にかけたままのネックレスを、誰かに見せたことはない。
半分に割られた、ともすれば無残な―――壊れ気味の、純銀とアクアマリンのネックレス。
過去には魔力を感じ取って熱を発する機能があったが、無理やり割ったことでその機能はとうの昔に喪われている。

『じこがおこっても、わたしのせいにしないでほしい』
『なにがおきても、…だいじょうぶだよ、って。……いって、ほしい』

離すものかと思ったけれど、結局、お互いの幸せを考えて自由にした。
ただ手放すにはあまりにも寂しかったから、半分に割った。

『わたしたち、またあえるかな?』
「……大丈夫だ。また会える」

手のひらの上でネックレスの冷えて尖った感触を楽しんだ後、ストールから手を引き抜く。
衣服を整え、再び歩き始める。

(そういや、あの日も雨だったか?)

その足は、近くのカフェへ向かっていた。


今回はここまで。
この二人全然仲良くなってくれない…

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