【Fate/hollow ataraxia】死ぬまでにするべき3つの事【じゃない】 (85)

【はじめに】

このSSの時系列的は hollow の辺りを想定しています。

しかし hollow 自体が『3ルートいずれの後日談でもない』事から、

その都度都合のいいトコ取り、かつフリーダムに話を進めています。

予めご了承ください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1408168937

閉じていた目蓋をゆっくりと開けると、部屋は薄っすらと明るみがかっていた。

横たわったまま首を回して窓を見る。

秋の弱い日差しが、カーテンの隙間から差し込んでいた。

光量、そして体内時計の具合からして、恐らくは昼過ぎであろう。


━━ 昼。


「しまった、飯を━━━━……」

作らなきゃと言いかけながら、士郎はベッドの上から跳ね起きた。

上体を起こしたその時、左手の指に絡みつく柔らかな温もりに気が付いた。

脇を見やると、そこには静かな寝息を立てて横たわる冬の少女の姿がある。

「イリヤ……」

少女の名前が口から漏れる。

イリヤはあどけない寝顔をこちらに向けつつ、右手の平を士郎の左手の平に重ね合わせていた。

勢い良く体を起こした事を後悔したが、幸いにしてイリヤが目覚める様子は無い。

乱れた寝間着から覗く無防備な胸元が、ゆっくりと上下の運動を繰り返している。

今、自分の置かれている状況を整理する。

まだ少しだけ霞む頭を回転させ、昨夜の記憶を一つ、一つ、呼び起こす。

イリヤと、冬の城で、イリヤの部屋で、同じベッドで━━━━━━。

「そっか……」

再びイリヤの寝顔に目を移す。途端に愛おしさが溢れ出す。顔が無意識に綻んだ。

温もりを確かめるように、絡み合った左手の指に少しだけ力を込める。

士郎はイリヤの顔を覗き込むように体制を変えると、

右手でイリヤの頭をなでるようにして、長い銀髪に指を通した。

「ん」と小さな吐息の漏れる音。

イリヤの胸が規則正しい上下の運動を止めた。

ゆっくりと双眸が開かれ、紅い瞳が士郎の瞳と交錯する。

「すまない、起こしちゃったか?」

士郎は申し訳無さそうな笑みを浮かべた。

その問いに、イリヤは飛びきりの笑顔で言葉を返す。

「ううん。お早う、シロウ」

「ああ。お早う、イリヤ」

イリヤはベッドから体を起こし、乱れた寝間着の襟元を正した。

士郎は窓辺に歩み寄ると、カーテンを開けて部屋一杯に日の光を招き入れた。

「……コレ、どうしよっか?」

イリヤは未だベッドに腰掛けたまま、明るく照らし出された布団に視線を落とした。

視線の先にはめくれ上がった掛け布団。そしてその下から覗く濡れたシーツ。

シーツを濡らすのは大量の汗、体液、そして血。

第三者から見ても、昨夜何があったかは一目にして瞭然である。

さて、ここが衛宮の屋敷であれば士郎自ら洗濯すれば良い。

同居人に見つかるリスクはあるとしても、洗ってしまえばどうとでも言い訳がきく。

しかし此処はアインツベルンの冬の城。

炊事、洗濯、家事一般は侍女のセラ、そしてリズの領分である。

士郎が洗濯しにノコノコと洗い場に足を運ぼうものなら、分不相応として不自然極まりない。

士郎は暫く逡巡していたが、やがて意を決してイリヤの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「洗って貰うように頼めばいいさ。俺はイリヤを幸せにするって決めたんだ。

 だから、やましい事なんて何も無い。堂々としていよう」

改めて語られる士郎の決意に、イリヤは目を輝かせて頷いた。

「うん! セラに文句なんて言わせないんだから!」

だが、士郎は自らの目論見が甘かった事を知る。

「お茶でございます」

サロンで遅めの昼食を取った後、セラが食後の紅茶を運んできた。

差し出された真っ白なティーカップには、深みのあるオレンジ色の液体が注がれ、

湯気と共に立ち登る上品な香りは、それだけで市販品とは一線を画す高級感を知らしめている。

だが士郎は見た。

紅茶が差し出されるその瞬間、セラの親指が士郎の紅茶に露骨に漬けられていた事に。

しかもご丁寧に、指の付け根までドップリと。

さてどうしたものか。

コレを飲むのか? 飲まないのか?

一応毒は入っていないだろう。入っていればすぐに知れる。

盛られてもおかしくはないのだが、そうなればイリヤが黙っていないだろう。

よってコレは純粋な嫌がらせ以外の何物でもない。

確かにセラは何も言わない。

例のシーツを見た時も、引きつった顔のまま黙ってベッドから剥ぎ、足早に洗い場へ直行したのだった。

アインツベルンに使える者として、従者然とした姿勢はあくまでも崩していない。

侍女としてのプライドもあるのだろう。

だが今後、その姿勢を崩すか崩さないかのギリギリのラインを攻め続けてくるかと思うと、

早々に頭痛の種が芽吹いたと言える。

士郎はティーカップに正対したまま、目線のみを滑らせてセラの顔を覗き見た。

勝ち誇っている。セラは勝ち誇った笑みを浮かべて

「さあどうしました? 飲まないのですか? 折角の紅茶が冷めてしまいますよ?」と

無言の圧力を与えてくる。

そんな事は露知らず、イリヤは美味しそうに食後の紅茶を楽しんでいる。

それを思うと、士郎は自分のせいでこの空気を台無しにする事に躊躇いを覚えた。

ならば毒を食らわば皿まで。

士郎は受け皿に紅茶を移すと、盃を煽るように一気に胃の中へ流し込んだ。


…………物理的には、美味い。

因みに紅茶を受け皿に移し替えて飲むのは、本来の受け皿の使い方としては正しい。

昔は紅茶の温度を冷ますにあたり、このような作法を行っていたらしいのだ。

現在のテーブルマナーに則しているかは不明だが、これは士郎なりの意趣返しである。


負けてたまるか。


受け皿を乾かしてテーブルに置く。

士郎は大きく息を吐くと、今度は真っ直ぐにセラの顔に正対した。

二人の視線が交錯するや否や、セラは舌打ちにも似た音を残し、足早にサロンを後にした。

暫くすると、リズがクッキーを運んできた。

食後という事もあって量は少ない。

形の良い丸いクッキーが、整然と皿の上に並べられている。

士郎とイリヤはクッキーを摘みながら、しばし食後の歓談に花を咲かせた。

藤ねえが持ち込んだ土蔵一杯のガラクタの事。

城の中庭に植えられた花の事。

陸上部の愉快な仲間達の事。

地下のワインセラーに出る幽霊の事。

寺生まれのIさんの事。

その間リズは静かに部屋の隅で待機しており、セラはサロンへ戻っては来なかった。

その事が気になり、士郎はリズにそれとなく水を向けてみる。

「なあリズ。このクッキーって、何処かのお店で買って来たのか?」

リズはゆっくりと首を横に振ると、片言の口調で

「私が焼いた。……美味しい?」

少し上目遣いで言葉を返した。

「ああ、美味しいよ。

 そう言えばセラが暫く帰ってこないけど、もしかしてもっと焼いてるのか?」

リズは再び首を横に振ると、

「台所で指、冷やしてる」

「ああ、そう……」

これは勝った、のだろうか?

リズが入れ直してくれた紅茶をすすりながら、士郎は口休めに今後の事を思案した。

『イリヤを守る。イリヤを幸せにする』

それが今の自分に課した、そしてイリヤ本人と結んだ誓いである。

イリヤは「自分はもう長くない」なんて言う。

それは聖杯の器として生を受け、様々な調整を受けたが故の反作用。

発育不全に加え、短い生涯を宿命づけられているのである。

さらにイリヤは聖杯戦争中、崩壊してゆく自我に苦しんだ。

いや、苦しみだけなら以前から。

その前の聖杯戦争からずっと、苦しみに耐え続けてきたのではなかろうか。

その一端は間違い無く、士郎の義父、切嗣にある。

時は第四次聖杯戦争。

切嗣はアインツベルンを裏切り、聖杯を破壊した。

ならばその罪滅ぼし━━━━ なんておこがましいかもしれないが、

切嗣が出来なかった事を引き継ぐのは間違った選択ではないと思う。

イリヤは幸せに生きる権利がある。

しかしその権利は、聖杯戦争の名の元にないがしろにされてきた。

ならば聖杯戦争が終結した今、イリヤの命が尽きるまで、

これまで苦しんだ分、目一杯幸せに生きてもいいじゃないか。

きっかけはそれだった。

切嗣が出来なかった分、自分が代わりにイリヤを幸せにしたい。

しかし今は違う。

姉と弟の関係を超えた、違う種類の愛情が士郎の心を満たしている。


━━━━ 俺は、切嗣の代わりなんかじゃない。


一人の男性として、一人の女性を愛している。

一人の男性として、一人の女性の愛を渇望する。


━━━━ 俺は、俺自信のためにも、イリヤを幸せにしたい。

士郎はホウと息を吐き、飲みかけの紅茶をテーブルに置いた。

どれ程ふけっていたかは分からないが、

湯気が見えなくなる位にはカップの中身が冷めていた。

ふと視界の隅に何かの気配が。カップを見つめる視線をそちらへ移す。

そこには頬を膨らませ、士郎の顔を覗き込むイリヤがいた。

「レディとお話してる時に上の空なんて失礼だよ!」

プリプリしながら、士郎の袖をグイグイ引っ張る。

突き刺さる視線に射抜かれ、士郎はここでようやく我に返った。

「す、すまない。ちょっと考え事してたんだ」

頬を掻きながら取り繕う。

「ふ~ん、誰の事?」

『何の事?』と聞かない鋭さにドギマギしながらも、

嘘は付きたくない一心から、士郎は正直に答える事にした。

「イリヤの事と、親父の事、なんだけどさ…………」

「キリツグの事?」

「ああ……」

しかしそこから先が続かない。

切嗣の件は、イリヤの心の傷でもある。

それをどう持ち出したら良いものか。言葉は慎重に選ぶ必要がある。

既に「親父の事」と言ってしまった手前、その中で何か無いかと頭を捻った。

そこで出た答えは、過去ではなく、未来に目を向ける事だった。

既に変えようのない暗い過去より、これから紡ぐ明るい未来の方が

話が弾むと言うものだ。

「もし親父が『俺とイリヤが結婚する』なんて聞いたら、一体何て言うのかな」

一応、祝福してくれる事を願うばかりだが、そうでない場合も考える。

いや、もしかすると後者の確率が高いかもしれない。

そもそも娘を持つ父親にとって、娘の結婚相手は憎しみの対象と言っても過言ではない。

蛇蝎の如く忌み嫌い、唾棄すべき相手だ。

何せ愛する人を奪われるのだから、当然の反応である。

娘を持つ父親にとって、その結婚前夜は人生のおける重大なな試練の一つである。

ある者は泣き、ある者は嘆き、ある者は酒に溺れて自我を失う。

またある者は魂の抜け殻のようになり、

別のある者は旦那を再起不能までに殴り倒し、

違うある者は藁人形に五寸釘を打ち付ける。

共通して言える事は只ならぬ状態であるという事であり、

穏やかに、仏の如き心境で過ごす者は恐らく少数派であろう。

では切嗣においてはどうだろうか。

そもそも法律上では、血の繋がらない姉弟は結婚できる。

かと言って、それを父親が許すかどうかは別問題だ。

士郎はその姿を知らないが、「キリツグは典型的な魔術師だった」とセイバーからは聞き及んでいる。

つまりは目的の為なら手段を選ばない。殺す必要がある相手は躊躇なく殺す。という事だ。

ならば十中八九殺される。

切嗣に会うなら死後だろうが、その場合は魂の根本が消されかねないレベルで殺される。

『あの世で顔向けできない』とは正にこの事である。

その結論に達するや否や、士郎はすくりと立ち上がると足早にサロンを後にした。

後ろから呼び止める声がしたが、既に士郎の耳には届かなかった。

情報提供者のL氏によれば、ヤツはここ最近、港で釣りを勤しんでいるらしい。

本日は快晴なり。

潮風が流れるままに波止場を歩くと、すぐにヤツの後ろ姿が目に付いた。

赤い帽子。その後ろから覗く白い髪。

袖無しの赤いジャケットから伸びる、褐色で筋肉質な太い腕。

黒のズボンに包まれた両足は、海に向かって波止場の淵で仁王立っている。

手には高級そうな釣竿を構え、波に屈さず明鏡止水の佇まいを見せている。

アーチャーに間違いない。

士郎はわざと音を立てながら近付き、その後ろ三歩手前で足を止めた。

「何だ? お前の方から用事とは珍しい」

アーチャーは海を見つめたまま声を向けた。

まともに取り合わないのは承知の上だ。

ならば最初から本題をぶつけ、ヤツを話の土俵に引っ張り上げる。

「単刀直入に聞く。何故お前は英霊になった?」

「それは今更聞くまでもないだろう? 切嗣の意思を継ぎ、正義の味方を目指した結果だ」

その返答は予想通り。

しかし今の士郎は、それが偽りである事を知っている。

「嘘だ。お前はあの世で爺さんに会うのが怖かったんだ。

 だから英霊になって、死の世界から切り離された存在になりたかったんだ。違うか!」

「……さて、何の事だ?」

士郎の詰問に、アーチャーは相変わらずの姿勢を崩さない。

声色に変化は見られなかったが、動揺は何処かに有るはずだ。

それを見破るには目を見たいが、今の位置からでは死角である。

士郎は目を細め、アーチャーの一挙手一投足に注意を払った。

とは言え、アーチャーの静然とした姿勢に変化を見つけるのは難しい。

手足が震えている事も無ければ、体にブレも見られない。

次に士郎は細めていた目を開き、今度はアーチャーの全身を視界に収める。

「あ」

そこで捉えた。

アーチャーの意思に反してフラフラとたゆたう、竿の先端の大きな動きを。

手元に発生した僅かなブレは、遠く離れた先端に顕著になって現れる。

これは長物を扱う際には必然の理であり、剣を扱うアーチャーがその理を知らないはずは無い。

「竿先に動揺が現れてるぞ」

その指摘をするや否や、アーチャーは迷う事無く釣竿を海に放り投げた。

「……さて、何の事だ?」

我が事ながら、ここまで露骨だと清々しい。

「しらばっくれるのもいい加減にしろ!」

離していた間合いを詰め、士郎はアーチャーの胸倉を片手で掴んだ。

正面から顔を睨みつけると、アーチャーの目は死んでいた。

死んだ魚の様な目を浮かべ、フラフラと宙を泳いでいた。

これならドブ川で釣った魚の方がもう少し活きが良いだろう。

だが、これでハッキリした。

「教えろ! お前はどうやって英霊になった! 一人だけ逃がしてたまるか! さあ言え!」

矢継ぎ早に畳みかける。

最初はアワアワ言っているだけのアーチャーであったが、

そのうち観念したのか、死んだはずの目に少しずつではあるが光が戻った。

「……お前は知らんのだ。イリヤが死んでからの地獄の日々を。

 生きている間も地獄、英霊になってからも地獄。

 ならばそうなる前に、自身の手で引導を渡してやるのが私なりのケジメだったのだ……」

呟くように吐露を漏らす。

「それは前にも聞いた。だが俺は英霊になる覚悟を決めて此処に来たんだ!

 後悔はしない。今更地獄なんて恐れていない。

 恐れているのは━━━━、あの世で爺さんに会う事だけだ!」

「……ならば良いだろう。喜べ、衛宮士郎。お前が英霊になる手助けをしてやる」

諦めにも似た長嘆息と共に、アーチャーは外していた視線を士郎と交えた。

その答えに士郎は半歩下がると、胸倉を掴んでいた手を放した。

アーチャーは乱れた襟元を整えながら話しを続ける。

「そもそも英霊になるからには、それなりの力が必要だ。

 魔術師見習いの小僧では万に一つの可能性も無い。

 ならばお前が第一にすべき事は、お前自身の魔術を完成させる事だ」

その理屈は正しい。

世界と契約する資格を得るには、少なくとも守護者としての役割を果たせる程度には

実力を伴っていなければならないだろう。

「分かった。つまりお前が投影の手ほどきをしてくれるって事だな?」

今の士郎でも投影をある程度は使いこなせる。

しかしアーチャーに比べれば、大人と子供以上に開きがある。

英霊になるにはまだまだ力不足だ。経験の差も大きいだろう。

これを未来の衛宮士郎が直々に教えてくれるなら、

それは回答を見ながらテストを受ける行為に等しい。

少々ズルい話ではあるものの、そこに至るまでの早道だと思えば悪くない。

「そういう事だ。が、

 こんな言葉を知っているか? 『実践に勝る経験は無い』」

その刹那、士郎は首筋に走る悪寒に身を引いた。

胸元を一閃が掠め、シャツに横一文字の亀裂が走る。

「先に断っておく。万一の場合は手元が狂うかもしれん。

 その場合は別に殺してしまっても構わんのだろう?」

やけに素直だと思ったら!

士郎は引いた身をさらに後方へ跳ね飛ばし、夫婦剣を投影して迎撃の準備を整える。

「━━━━ 同調、開始(トレース・オン)」

着地と同時に腰を落とす。

左手の黒刀、干将の切っ先をアーチャーに向け、

右手の白刀、莫耶を脇に構える。

だが士郎の両手は、早くも自身の汗で夫婦剣を取り落としそうになっていた。

その理由第一。

サーヴァントとマスターがぶつかる事自体、聖杯戦争のセオリー外である。

そして第二。

消耗しているならいざ知らず、今のアーチャーは十全である。

そもそも英霊とは、人間がまともに戦って敵うような相手ではない。

仮にサーヴァントが戦いや魔力不足で弱っているなら、

マスターにも付け入る隙はあるかもしれないが。

さらに言えば、アーチャーはこちらの手の内を知り尽くしている。

奇策で裏をかく事も不可能だ。

従ってこれは一方的な戦い。いや、そもそも戦いにすらなりはしない。


━━ 殺される。


脳裏を己の末路が横切った。

「精々足掻け!」

まず先手を取ったのはアーチャー。

喉元に向けられた士郎の干将に、アーチャーの莫耶が上から押さえるように割って入った。

そして懐に飛び込むと同時に干将の一振り。上から真っ直ぐ、士郎の額を割りにかかる。

士郎は脇に構えていた莫耶を頭上に横たえ、アーチャーの一撃を鎬(しのぎ)で流す。

恐らくは士郎の動きを見越していたのだろう。

アーチャーの剣筋は、次なる連撃へと流れるように移行した。

莫耶を頭上に構えて開いた脇腹、

そして干将を押さえられている事により無防備な上腕。

それぞれ逆ハの字の軌跡で両断せしむ。

士郎は後ろに飛んで威力を殺しつつ、ハの字の構えで迎え撃つ。

唸る剣撃、痺れる両手。

同時にガラスの割れる音が響き、士郎の夫婦剣が霧散した。

士郎の守りは貫通され、一対の剣撃が襲いかかる。

後ろへ飛んだがまだ足りない。咄嗟に身を捻って足掻く。

風を斬る音が耳を抜けた。悪足掻きでも功を奏したらしい。

剣圧で皮膚から血が飛んだが、両断されるよりはマシだ。

アーチャーの猛攻はさらに続く。

距離を取りたい士郎に対し、軸を合わせて刺突で追う。

喉、そして心臓。

正確無比な急所狙いは、どちらか一方でも死に至る。

「同調、開始(トレース・オン)!」

夫婦剣を投影しつつ、体(たい)を裁いて軸をずらす。

そして上から諸手を振り降ろし、アーチャーの攻撃を力任せに叩き落とす。

「チッ……」

舌打ちの音が聞こえ、アーチャーの体が動きを止めた。

その隙に士郎は地面を蹴り、五歩の間合いまで距離を取る。

口から大きく息を吸い、乱れた呼吸を必死に正す。

士郎は攻撃を受けるだけで手一杯であり、僅か三合の間に肩で息を弾ませていた。

「思ったより粘るな。とっとと斬られた方がお前の為だ」

アーチャーのうそぶきは余裕の笑みを浮かべていた。

それは同時に「次は無いぞ」と宣言しているようでもある。

そもそも士郎にとって、今までの立ち合いは同じ剣筋を持つからこそ成立したに過ぎないのだ。

その気になればフェイントを混ぜつつ、士郎の読み外す事は容易い。

そうなれば最期、実戦経験の差が顕著になって現れるだろう。

再びアーチャーの体が揺らいだ。

二本であるのはず夫婦剣が、まるで四本、いや六本となって襲いかかる。

フェイントどころの話ではない。何処を守る?

━━ 胸か、
━━ 足か、
━━ 頭か、
━━ 腕か、
━━ 喉か、
━━ 腹か、

瞬刻の迷いが、致命的なまでに防御の遅れに繋がった。



「止めて!」

四つの剣が動きを止める。

その内の一本、アーチャーの右手に握られた剣の先は、少女の眉間まで一寸の位置で停止していた。

「止めて。

 こんな人目に付きそうな場所で戦闘なんて、貴方も随分余裕が無いのね。

 それに今のシロウを殺したって意味が無い事くらい、貴方だって分かってるでしょう?」

イリヤだった。

イリヤは両腕を広げ、士郎を庇うように立ち塞がっていた。

「……そこを退け、イリヤ!」

アーチャーの脅迫を、イリヤは首を振って拒絶した。

灰と紅の双眸が、間で激しく鎬を削る。

「いいんだイリヤ。これは俺が言いだした事だ。

 この戦いは、英雄になる為には必要な事なんだ」

士郎はイリヤの背中に言葉を投げた。

するとイリヤは切っ先を突き付けられた状態のまま、士郎に向かって踵を返した。

「シロウは私を幸せにするって言ってくれた。

 でも私もそれと同じ位、シロウには幸せになって欲しいの。

 シロウが英雄になっても絶対に幸せになんてなれっこない。

 だからお願い、分かって……」

士郎を真っ直ぐに見つめる紅い瞳は、その奥に哀情の色が浮かび上がっていた。

これ以上続けるなら泣いてしまいそうな。

それを想うと士郎の心がチクリと痛む。

「止むを得ん…………、か」

アーチャーは誰に言うでもなく言い、構えを解いて剣を納めた。

どうやら心境は士郎と同じらしい。

首筋にかかる緊張が解け、イリヤは二人の間から身を退ける。

「ところで何でこんな事になってるの?

 そう言えばシロウ、キリツグの話をしてから変だったよ?

 もしかしてキリツグに会いたくて喧嘩してたの?」

「いや、まあ、その……」

実際はその逆なのだが。

しかしこのように話が転んだ以上、

イリヤに相談する機会は今をおいて他に無い。

「まさか、親父を生き返らせる事ができるのか!?」

それが出来るなら願ったり。

もし切嗣が生き返れば、イリヤとの結婚に許可を貰えば良い。

最初は拒否されるかもしれないが、命ある限り説得に努めるつもりだ。

これで死後は安泰となる。

「それは無理よ。死者蘇生は魔法に匹敵する奇跡なの。

 『時間旅行』『並行世界の運営』『無の否定』。最低でもいづれかの手段が必要だから」

「そう、なのか……」

力無く肩を落とす。

魔法レベルの奇跡とあっては諦めざるを得ない。

「案ずるな。私は既に答えを得ている」

「本当か!?」

「えっ?」

思いがけない助け船に、二人の視線がアーチャーに集まる。

「死者蘇生が駄目なら……、『降霊術』がある」

「降霊術……。確かにそれが一番の可能性ね。

 私は今更キリツグになんて会いたくないけど、シロウが会いたいなら……、いいかな」

イリヤは顎に人差し指を当てながら、雲一つ無い秋空を仰いだ。

「リンに協力を仰ぎましょう。トオサカの師、ゼルレッチは降霊術の大家なんだから」

そういう事なら話は早い。

三人は早速、遠坂邸に足を運んだ。

「はぁ、お父様に会いたい、ねぇ……。突然何で?」

「すまない遠坂。その理由は聞かないでくれ」

「凛、私からも頼む」

阿吽の呼吸で封殺する。

「……まあいいけど。でもちょっと時間をちょうだい。

 私だって本格的な降霊術はやった事ないんだから」

そうしてイリヤと二人で地下室の階段を降りていった。

降霊術には門外漢の士郎である。

応接室で待つばかりの身では、流石に暇を持て余した。

アーチャーは霊体となって既に何処かへ消えている。

折角なのでと、士郎はイリヤと凛のいる地下室へ行ってみる事にした。

薄暗い階段を降りた先には、大きな両開きの扉があった。

両手で力強く押すと、扉は軋みを立てながら、ゆっくりと来訪者を招き入れる。

そこで士郎を出迎えたのは、武骨で剛健な魔術礼装の数々であった。

ダンベル、バーベル、サンドバッグ、エキスパンダー、ウォーキングエクササイザー、

ボディブレード、バランスボール、それにぶら下がり健康器やフラフープまである。

流石は遠坂。抜かりは無い。

降霊術には一体どの礼装を用いるのだろう?



なんでさ。

気を取り直して辺りを見渡す。こんな礼装があってたまるか。

すると部屋の隅で高積みになった本の影から、赤い影がチラリと覗いた。

凛だ。

どうやら本の山から魔道書を取り出し、一つ一つを紐解いているようだ。

ここからは死角になるが、恐らくイリヤも一緒だろう。

耳をそばだてると、時折ページをめくる軽い音がする。

何だか邪魔をするのも気が引けてきたので、士郎は扉を閉めて応接間へ戻った。

ついでに見てはいけなかったモノを振り払っておこう。

計画は決まった。

まず、降霊場所は柳洞寺の墓地。

その理由は

一つ目、柳洞寺は冬木有数の霊脈である。

二つ目、柳洞寺は鬼門に位置し、あの世との交信に都合が良い。

三つ目、柳洞寺には切嗣の墓があり、本人の遺骨は最高の触媒となる。

以上。

これほど切嗣の降霊に適した場所は無い。

草木も眠る丑三つ時。四人は柳洞寺に続く山道前で落ち合った。

石階段を使うのは途中まで。そこから先は木々を掻き分け、上へ上へと登ってゆく。

山門を迂回するのは、門番に鉢合わせないようにする為だ。

アーチャーは『単独行動』できるため、この進入ルートで問題無い。

外壁を乗り越えて境内に到着した時には、アーチャー以外は全員汗だくになっていた。

墓地は境内の奥、即ち柳洞寺の裏側にある。

林道を抜けて墓地へ向かう途中、

「お墓参り……ね」

そんな声が聞こえた。

切嗣の墓に到着すると、早速アーチャーと二人で墓石をずらし、遺骨を取り出した。

何だか罰当たりな事をしているが、これも全ては目的の為。

「本当は降霊対象は血縁者の方がいいんだけど、まあ関係の深い人なら大丈夫かしら」

「で、それは誰なのだ?」

うそぶくアーチャーに凛が人差し指を突き付ける。

「貴方以外に誰がいるのよ。用があるのは士郎とイリヤなんでしょ?

 ほらほら、さっさと準備なさい」

言いながら、渋る背中をグイと押した。

その横に遺骨を並べ、降霊の準備は完了である。

凛が一冊の書を取り出し、何やら呪文を唱え始めた。

門外漢の士郎には何をやっているかサッパリだが、

目を閉じて佇むアーチャーの体が淡く光り、そして消えた事だけは見て取れた。

降霊は完了したのだろうか。

アーチャーの目がゆっくりと開いた。

そして首を左右して辺りを見渡す。

「ここは……、墓地?」

それは間違い無く切嗣の声。

士郎は唾を飲んだ。

アーチャー、もとい切嗣は、暫く状況の把握に努めていた。

しかし目の前の少女を認めた時、その表情に驚愕の念が浮かび上がる。

「そこに居るのはまさか……イリヤ! それに士郎か」

ついにこの時が来た。後は己の信じた道を行くのみだ。

士郎は意を決して口を開いた。

「爺さんを呼んだのは他でもない。俺、イリヤと結婚するんだ。

 だから、爺さんにそれを認めて欲しい」

しん、と。

水を打ったような静けさとはこういう事を言うのだろう。

士郎とイリヤは固唾を呑んで切嗣を見守り、

切嗣は何処から取り出したか煙草に火を付けてふかしだした。

凛はと言えば、目と口を丸く開いて茫然自失と呆けている。

「…………そうか」

沈黙を破ったのは切嗣だった。

切嗣は最後に大きく白い煙を吐くと、煙草を捨てて靴の底で踏み潰した。

「ごめんよイリヤ。僕は何処かで士郎の育て方を間違えたみたいだ。

 すぐに終わらせる。そこで待っていてくれ」

そして右手を真っ直ぐに突き出す。

突き出した右手の中には、次の瞬間キャレコの短機関銃が握られているではないか。

「投影!?」

迂闊だった。思えば煙草のところで気が付いておくべきだった。

今は切嗣が乗り移っているとはいえ、その体と魔術回路はアーチャーのものである。

切嗣の専門は投影ではないはずだが、アーチャーが力を貸せば話は別だ。

衛宮士郎を殺すために。

士郎は身を翻し、手近な墓石の影に滑り込んだ。

半秒遅れて着弾の衝撃が鼓膜を貫通。

誰の家とも知らない墓石は、弾雨の前に刻一刻とその身を粉にされてゆく。

塔婆が穿たれ、蟷螂が砕け、ロウソクが吹き飛び、線香が折れ、

提灯が燃え、団子が弾け、砂糖菓子が砂と化し、花が散り、

水鉢が飛沫を上げ、砂が舞い、囲いが削れ、石畳に大きく亀裂が入った。

ありとあらゆる有形が無形に帰してゆく様は、悲惨を通り越してもはや圧巻の域である。

切嗣は9ミリ弾をフルオートで撃ち続けている。

それなら装着された50発用の弾倉は、数秒とかからず空になるはずだ。

が、

10秒が過ぎ、20秒が過ぎた今でも、

その弾雨は衰える事無く士郎を的確に狙い続けている。

「クソッ! これも投影か!」

士郎は墓石の影で遣り切れない気持ちを吐きだした。

未だ弾倉が尽きないのは、投影の仕業に違いない。

そうでなければ説明がつかない。

キャレコの弾は、撃ち出すそばから次々と弾倉に装填されているのだ。

つまりは無限。

アーチャーの魔力が尽きるまで、キャレコはその力を最大性能で発揮し続ける。

仮に銃身が焼け付いたところで、本体ごと取り換えてしまえば問題無い。

迷う事無く進む息子殺し。

その展開の早さにイリヤは狼狽を禁じ得なかった。

先の聖杯戦争の折、イリヤでさえ士郎を殺す事に一片の迷いも無かった訳ではない。

しかし切嗣は士郎の話を聞いて、数分も経たずに行動を起こした。

驚くべき決断力。

さらに切嗣は右手でトリガーを引きながら、

時折左手で煙草を投影しては白煙を口の中でくゆらせている。

その姿はまるで、士郎を殺す事など作業の一部とでも言っているようだ。

「キリツグ、止めてよ……」

イリヤは消え入る声で訴えた。

しかしその願いは銃声で掻き消えてしまったのか、はたまた端から聞く気が無いのか、

切嗣は相変わらずトリガーに掛ける指の力を緩めない。

強化の補助も空しく、士郎の隠れるその墓石は、既に不出来なチーズの様に穴ボコだ。

「止めてキリツグ! シロウが死んじゃう!」

イリヤは拳を握り締め、より一層強く声を張った。

しかしここまで言っても変わらない。

変化があったとすれば、切嗣が左手で煙草の灰を落とした事くらいである。

イリヤは俯いて頭を垂れた。地面を睨み、呪言じみた言葉に声を震わせる。

「キリツグなんて……、キリツグなんて……」

ついにイリヤの目から涙が落ちた。

息を肺腑の限界まで吸い込み、呼吸を止めて力を溜める。

心の堰(せき)が切れ、溢れる感情が喉の奥まで込み上がる。

放つは一言。

その一言に全てを託し、腹の中のモノ、思いの丈、その一切合財をぶちまける。



「 キ リ ツ グ な ん て 大 っ っ っ っ 嫌 い !!! 」

「ぐはぁっ!」

切嗣は盛大に血を吐き出した。

娘を持つ父親にとって、それは一撃必殺、死の宣告。

切嗣は文字通り魂が抜け、フワフワと天へと帰っていった。

南無帰依仏、南無帰依法(なむきえぶつ、なむきえほう)。

南無帰依仏、南無帰依僧(なむきえぶつ、なむきえそう)。

士郎は両手を合わせて一礼すると、その姿が見えなくなるまで天を仰いで見送った。

そして消滅と同時におりんを投影。チーンという小気味良い音が、墓場の夜空に鳴り響いた。

全てが片付いたその時、

後に残ったのは白目を剥いてヨダレを垂らし、茫然自失と呆けるアーチャーであった。

「シロウ!」

イリヤが士郎の胸に飛び込んだ。

肩を震わせ、声を上げ、小さな子供のように泣きじゃくる。

士郎はその気持ちが収まるまで、肩を抱きながら静かにイリヤの頭を撫で続けた。

結局、切嗣に許しを得たのかは分からないが、

あの様子ではこれ以上の下手はしないと思う。



たぶん。

「あ、いたいたー!」

突然の声に振り向けば、大小四つの影がある。

「シロウ、あの話は本当ですか!」

「先輩、どういう事か説明して下さい!」

「サクラが心配なので」

「切嗣さんに会えるって聞いたけど?」

どういう経緯かは知らないが、四者四様の説明を受けて来たらしい、

セイバー、桜、ライダー、そして大河。

さらにその後ろには、見覚えのある紺色のローブがフワフワ宙に浮かんでいる。

「他人の城に忍び込んで、何やら興味深い事やってるじゃない?

 お友達も呼んでおいたから、ゆっくりと楽しみなさい」

お前かキャスター!

そのうちイリヤの呼吸が落ち着いてきたらしく、

腕の中で震えていた肩は、ゆっくりと規則正しさを取り戻した。

胸に埋めていた顔が上がり、上目遣いが士郎と合った。

「でも良かった。これでシロウも安心だね。

 私の初めてはもうあげたんだから、結婚式は何時にする?」

イリヤはその他の外野など目に入っていないらしい。

士郎の胸を掴んでいた腕を、腰に回して笑みを浮かべる。

それは悪魔の勝利宣言。

その宣言は、速やかに闘いのゴングへと姿を変えた。

「衛宮くん!? 私結婚なんて聞いてないんだけど!?」

「シロウ! この身を捧げると誓ったのを忘れたのですか!」

「先輩っ! そんな小さな子となんて、不潔ですっ!」

「サクラ、取り合えず落ち着いて下さい」

「切嗣さんドコー?」

「あらあら、坊やはモテモテねぇ」

焚き付けるなキャスター!

士郎は背中の産毛が総毛立つのを感じながら、

港で聞いたアーチャーの言葉を今更ながらに思い出した。


『……お前は知らんのだ。イリヤが死んでからの地獄の日々を』


アレは英雄としての道のりを示したものではなかった。

衛宮士郎の女性関係を示していたのだ。

つまり、士郎がすべき事は死して英霊になる事でも、

ましてや死後切嗣に許しを請う事でもどちらでもなかった。

むしろ生きている間に、人間関係の整理に勤めるべきであったのだ。

果たして今から間に合うのか?



士郎の運命やいかに。



━━ END ━━

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

Vita版の hollow を予約しましたが、本体が無いのでムシャクシャして書きました。

反省はしていますん。

色々と粗や推敲不足があると思いますが、楽しんで頂けたなら何よりです。

まさか >>1 からしてミスがあるとは……

> このSSの時系列的は hollow の辺りを想定しています。
  ↓
このSSの時系列は hollow の辺りを想定しています。

ですね

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