妻「結婚して1年が過ぎたとある土曜日」(99)

山無し谷無しオチ無しの日記のようなもの。


AM 5:00
携帯のバイブレーションで目が覚める。
妻「……ん、ぅぅ、ふぅぁ……」
あくびを噛み殺し損ねながらも、起こさないように気をつけて、寝返りを打って横で眠る夫くんの方を向いてみる。
夫くんは、いつもうつ伏せで眠る。枕に半分うずまる寝顔がとても可愛い。
妻「……おはようございます」
決して相手の耳には届かない声量で、朝の挨拶。
夫「……」
規則正しい呼吸に伴って上下する背中。ただの呼吸がこんなにも愛おしい。
気持ち、夫くんの腋の下辺りで、深く深く匂いを吸い込む。
妻「……すー」
夏場は汗の匂いがいっぱいで素晴らしい。
妻「……こんなことやってる場合じゃなかった」

朝起きたら、まず冷たい水で顔を洗って歯を磨く。
歯を磨くと、大体どんなに眠くても目が覚める気がする。目を覚ましたいなら顔を洗うより歯を磨く方が効果的だと思う。
それからほんの少しだけメイクをして、髪の毛に櫛を通し、括って背中に垂らす。
朝の臨戦態勢。キッチンへ向かう。

朝ごはんを作ろう。
毎朝、夫くんのために朝ごはんを作る。幼い頃からの夢を実現できていることがたまらなく嬉しい。
お味噌汁って凄い。大豆の加工品をお湯に溶かして大豆の加工品と海藻入れたらこんなに美味しいんだから。大豆って凄い。
納豆って凄い。大豆に大豆の加工品と芥子入れてこんなに美味しいんだから。良く考えたら冷奴もそうだ。大豆って凄い。
後は鮭の塩焼き……と、昨日の残り物だけど、ホウレン草と煮物。
じゅーという気持ちのいい音を立て、鮭に火が通っていく。
簡単なものだけど、1時間ほどで今日の朝ごはんが完成した。
妻「よしっ」

洗濯物をしよう。
我が家では火曜日と木曜日、そして土曜日と、場合によっては日曜日に洗濯する。
子供が出来たら、きっと毎日洗うことになるだろうと思う。
けど今は、まだ二人きり。夫くんのYシャツは特に綺麗にしなくては。
……洗う前に、顔をうずめてみる。
妻「……すー」
何故夫くんの服はこんなにも良い匂いがするのだろう。
私の語彙ではとてもじゃないけど表現できない匂い。
私はこの匂いが大好きだ。だけど匂いフェチじゃない。
なぜならフェチというのは、生物的要素を完全に排除してもなおその対象に興奮を覚える性質のことらしいからだ。
ゆえに本来、足フェチや手フェチなどというフェティシズムは存在しない、らしい。心療内科のWEB漫画で読んだ。
私は夫くんの匂いが好きなのであって、夫くん以外のものから夫くんの匂いがしていても、夫くんの匂いが単体で浮かんでいても、別段興奮しないし嬉しくない。
夫くんの身体から直接匂いを吸い込んだり、こうして服を嗅いだりするのが好きなだけだ。
だから私は匂いフェチではない。はず。

妻「すー……はぁぁー……良い匂い」
匂いを吸い込みながら、窓から空を仰ぎ見る。
今日は天気も良いし、外に干すことにしよう。
名残惜しさを忘れたことにして、洗濯物を済ませてしまおう。
Yシャツの襟元を軽く前洗いして、洗濯機に投入する。
意味も無く、バスケットのシュートフォームで。
妻「ナイシュー」
妻「ん、あ、もう6時半だ」
そろそろ起こす時間だ。

綺麗なほっぺをしておられる……。
夫くんを起こしに寝室へ戻ってきた私を惑わすのは、朝の柔らかい日差しに照らされた寝顔と、寝癖でちょっぴり跳ねている頭だった。
夫くんは、心の底まで惚れてしまった私が言うのもなんだけど、とても整った顔をしていると思う。
少なくとも私には、夫くんより素敵だと思える男性を想像できないくらい。
あばたもえくぼというけれど、夫くんにはあばたが存在しないのである。
まさにそれがあばたもえくぼ状態だと、友人には言われる。
……なるべく起こさないように、夫くんのほっぺを指でつっついてみる。指先に、ちょっぴりおヒゲの感触。
妻「……おはようございまーす」
夫「……」
夫くんはまだまだ起きそうにない。

他の人にとっては無駄に思えるかもしれないけれども、毎朝のこの時間もまた、私にとってかけがえのない幸せな時間だ。
妻「朝ですよー」
指先で、夫くんのほっぺにくるんくるんと円を描いてみる。
最初は小さく、徐々に大きな円に、渦巻状に。
黄金の回転の比率はいくつだったっけかなー。
円の径が10センチを超えた辺りで、夫くんに反応があった。
夫「……んん゛ッ……」
鼻にかかった、少し掠れた声がたまらん。
出会って実に20年強。
ほとんど一目ぼれ、正しくは一日惚れだったけれども、20年経っても同じ相手に相変わらずドキドキできるっていうのは、きっととても幸せなことだと思う。
……いい加減、ちゃんと起こさなければ。
控えめに夫くんの身体を揺さぶる事にする。

妻「おーい。起きないと、ご飯冷めちゃいますよ」
夫「ぐ、ぅぐー……………………」
犬の唸り声のような音を喉から発しながら、この上なく眠そうに目を開く。この人は昔から朝に弱い。
妻「お早うございます」
夫「……おはよ」
妻「……せっかくのお休みだし、もうちょっと寝てます?」
夫「いや、起きる……ぐ、ぐぐー……はぁ」
身体を伸ばす仕草って、改めて、とても良いものだなぁ。
夫「ああ、味噌汁の良い匂いがするな」
嗚呼。布団がめくれてあなたの良い匂いがします。
妻「今日は、ご飯とお味噌汁と、鮭と煮物とお浸しですよ。お好みで納豆もあります」
夫「おー、いいな。ちょっと顔洗ってくる」
妻「うんっ。ご飯準備してますね」
布団からのそりと立ち上がった夫くんが、目じりに涙を浮かべ、大きく口を開けながら、のんびりと洗面所へ向かっていくのを確認。
30秒だけ、夫くんの温度が残る布団に包まることにしよう。
匂いの残滓を捕食する。

夫「いただきます」
妻「いただきますっ」
毎日のこの瞬間が、たまらなく幸せだ。
夫「休みの日にのんびり美味しい朝ごはんって幸せだよなー」
妻「! まったくですっ!」
似たような感想を持ってくれていることがくすぐったい。
それに、その感想をこうやって口に出して伝えてくれることが嬉しい。
自然と口元が緩んでしまう。
夫「今日お昼どうしよっか?」
妻「あ、何か食べたいものありますか?」
夫「んー……せっかくの休みだし、どっか食べに行こうか?」
デート。
妻「そ、それもいいですね!」
夫「久しぶりにあそこ行こうか、橋超えたところの」
妻「お蕎麦屋さん?」
夫「そうそう」
妻「天ぷらが美味しい」
夫「わさびも美味しい」
妻「ほんと、わさび好きですねぇ」
夫「ああ、大好きだ。大好きだ」

……せっかくだし、少し勇気を振り絞ろう。
妻「あの、ついでにお買い物しませんか」
夫「買い物?」
妻「その……夏服とか。夫さんのも、私のも、そろそろ。……良かったら」
夫「おー良いね。久しぶりのデートだ」
妻「……デートですね!」
いかん。顔がにやける。
デートという単語を日本に広めた人は偉大だ。
デートという単語を口にするだけでこんなにもワクワクしてしまう。

夫「ごちそうさまでした。美味しかった」
妻「ごちそうさまでした。何よりです」
二人で掌を合わせて、ごちそうさま。
この瞬間も、私の幸せにはかけがえの無い必要なもの。
夫くんは椅子から立ち上がると、ぐーっと背伸びをする。毎朝の光景。
たまに、腰の辺りでコキッという音がする。
その音にさえ愛しさを感じてしまう辺り、私も相当色惚けてるなぁと思うけど、治せる見込みもつもりもない。
夫「さて。洗濯物でも干すかなぁ」
これは、いつもと違う光景だ。
妻「えっ?」
夫「ん?」

妻「せっかくのお休みだし、それくらい私に」
夫「いいからいいから。妻だってせっかくの休みなんだし、いつも甘えちゃうけどさ、ちょっとは仕事任せてくれていいんだよ」
妻「……じゃあ、お願いします。その間に食器洗いますね」
夫「うん」
柔らかく微笑んで、洗濯機の方へ向かう夫くん。
胸がきゅんとする、という表現を考えた人は稀代の天才だと思う。
その表現を知っていたら、それ以上にふさわしい表現が見つかるわけが無い。

脱水された洗濯物を籠に入れ、夫くんがベランダに出た。
ちょっぴりぎこちない手つきで、Yシャツをハンガーにかけて干し始める。
私は洗い物を済ませながら、夫くんの背中を見て、複雑な気持ちになる。
……心の底から、休日くらいは休んで欲しいなぁという気持ちが6割。
でもその優しさが嬉しくて嬉しくてしかたないという気持ちが3割。
と、その時、夫くんがくるりと振り返った。
夫「見て見て」
妻「え?」
夫「ねこみみ」
妻「ばっ、馬鹿ですかっ!!!」
その洗濯物の山には私の下着もあるわけで、普通に恥ずかしいという気持ちが1割。

夫「干し終わった」
妻「洗い終わりました」


カチリと扇風機のスイッチを押す。
ブゥーンと音を立てて、ぬるいけれども涼しい風が流れ始める。
夫「我々ハ」
妻「夫婦ダ」
夫「新しい」

夫「扇風機といえばさぁ」
妻「いえば?」
夫「昔、夏休みにスイカ食べてたらオニヤンマが扇風機に突っ込んできたことあったよな」
妻「あー、ありましたねぇ」
思い出して、くすくすと笑ってしまう。
妻「曰く、オニヤンマは羽ばたくものや回転するものをメスと見なして近寄るとかなんとか。光の反射で判断するんだそうですよ」
夫「マジか。調べたの?」
妻「はい、あの後気になって。公園で夫さんと一緒に竹とんぼ回してたら、オニヤンマが突撃してきてバラバラになったこともありましたよね」
夫「あーったあった。あれ目の当たりにしたとき、二人で妙に凹んだよな」
妻「懐かしいですねー」
夫くんは、昔を思い出すようにじんわりとした微笑みを浮かべている。
その微笑みを見ているだけで私は幸せになれるんだから、私の幸せというのも相当安上がりなものだ。エコロジーで何よりだけども。
夫「よし」
妻「?」
夫「童心に帰って昼までゲームでもするか」
夫くんは一枚のパッケージを見せてくる。
妻「良いですね。」

夫「ッ!!ッッ!!ッッッ!!」ガガッ ボッ ガガッ ガガッフッ!フッ!ダーイ
妻「ッッ!!ッッ!?ッッッッああッ!!くっそうッッ!!」ガチャガチャッターンッ
妻「ハメじゃんっ!ノーカン!ノーカンッ!!」
夫「対等な立場から全力を尽くしただけだ! 妻をハメて勝てるなら何度だろうとハメるぞ!!妻が泣き叫んで昇天するまでハメてハメてハm」
妻「ヤメロ下ネタヤメロオオッ!!!」

妻「……マブカプじゃなくてスト4なら私が勝ちますもん」
夫「ほう……?」

夫「ッッ昇竜セビ滅ッ……クッソ読まれたああああッ」ガガガガガ
妻「甘いよっはははっははははははっ!!」ガガガガッガガガッ

夫「あ、11時だ。そろそろ準備しようか」
妻「……はい」
うっすら汗ばむほどに熱くなってしまった。
熱くなればなるほど、言葉遣いが。直したい。
妻「……」
夫「夜は格ゲー以外のゲームでもしようか」
妻「臨むところですっ」
夫「うん。じゃ、着替えるか」

私はおしゃれというものが苦手だ。
中学生と高校生時代は良かったなぁ、服に悩まなくて良かったから。
校則もあったし、せいぜい、髪型を変えるくらいのものだった。
夫くんとのデートも、学校帰りに制服のままって事が多かったから。
えーと……今日はスキニーデニムと、黒のレースブラウs
夫「おーい」
完全に下着姿のところに、にやにや笑いながら夫くんが突撃してきた。
妻「ぅゎあーッ!?」
しゃがみこんでしまった。
既に、自分でも見ることの出来ないところまで見られたこともあるというのに、恥ずかしいものは恥ずかしいのだから仕方が無い。
妻「きがえt、着替え中ですっ!!」
夫「そうやって恥じらいを忘れないとこ凄く良いと思う」
妻「デッ 出てってくださいよっ!!」
夫「ごめんごめん」

顔の熱は冷めやらぬまま、玄関で待ってくれている夫くんの元へ向かう。
妻「……お待たせしました」
夫くんは涼しげなシャツとジーンズというラフな格好でありながら、それがこの上なく似合っていて素敵だからずるい。
夫「お。可愛いな」
いつものように、定型文のように、自然と放たれる“可愛い”であっても、私にとってはクリティカル率100%だった。
ふひっ。喉から変な笑い声が出そうになる。
妻「その……ありがとうございます。ところでさっきは何の用だったんですか?」
夫「いや、ドッキリイベント仕掛けようと思って」
妻「わざとですかっ」
拳を作って、軽く夫くんのお腹をぐりぐりする。
夫「あだだ」
妻「もう!酷いです、犯罪です」
夫「くっくっ、ごめんって」
なおもくっくっと喉を鳴らしながら、夫くんは私の拳を大きな掌で柔らかく受け止める。
そのまま流れるように手を繋いでくる辺り、この人は本当にずるい。
夫「じゃ、行こうか」
妻「……はい」

炎天下に晒され続けていた自動車の中は、茹だるような暑さだった。
夫「うおー車内はさすがに暑い!」
妻「うっ、これは暑い……」
夫「エアコンエアコン」
妻「の前に空気を入れ替えましょう」
後部座席左の窓を開ける。
夫「あ、あれか。伊藤家の」
妻「あれです。伊藤家の」


運転席と対角の窓を開け、運転席のドアを開け閉めすると車内の空気を手早く入れ替えることができるよって伊藤家の食卓でやってました。
夏場はこれやるだけでかなり車内が快適になります。

夫「よし、こんなもんかな」
車内はサウナからビニールハウスくらいの温度に変化した。まだ暑いけど、耐えられないほどじゃない。
サウナといえば小学1年生くらいの頃、夫くんと一緒にサウナに入ったことがあったな。
さすがにその頃の私は夫くんの汗の匂いというものにまだ目覚めてなかったから、惜しいことをしたと思う。
いつか一緒にサウナとか入って汗だくになった夫くんに抱きつきたいと思うのは多分車内の暑さに中てられたせいだ。
思ったところで、実際その状況になったら私は緊張で身動きできないだろうし。
でも私は夫くんのエリート塩だったら本気で食べたいと思う。
妻「あ、大分温度下がりましたね」
夫「よしゃ。行くか」
妻「はいっ」
ガゴッという音を立てて、ギアが入り、滑らかに発進する。
半袖で車の運転をする夫くんは素敵だと思う、特に腕が。

夫「そういえばさー」
自動車は良い、特に好きな人が運転してるときの助手席は。
視線は前方を向いているから、いつもはじっくりと見られない横顔を堪能できる。
妻「はい?」
夫「昔、俺がドッキリイベントされたこともあったよな」
ノールックパスがとんでもないキラーパスだった。
妻「……そんなことありました?」
夫「中学生くらいの時にさー」
妻「覚えてませんねー」
夫「俺がシャワー浴び終わったタイミングでさー」
妻「覚えてませんねー」
夫「あれ実はわざとだったろ」
妻「覚えてませんってば」
夫「妻ちゃんはえろいからなぁ」
妻「えろくありません!」
ギリシア神話の恋愛の神に誓って言うけれども、あれはわざとではなかった。

ギアがRに入り、ぴーぴーという機械音。
私は未だに自動車のバック駐車が苦手だけど、夫くんはとてもスムーズに駐車する。
夫「到着」
妻「ありがとうございました。今日はまだ席がありそうですね」
時刻は11時50分と言ったところ。お客さんの入りは7割前後。
夫「何にしよっかなー」
妻「私は天ざるにします」
夫「天ざるかー。俺もそうしよう」


店内に入ると、冷房の効いた空気が、うっすら汗の滲んだ肌を冷やしてくる。
何度か見たことのある小柄な店員さんがすぐさま駆けつけてくれる。
店「いらっしゃいませー」
妻「2名、禁煙です」
店「はーい。こちらへどうぞ」
壁際の席に案内された。
夫「あ、注文も一緒に良いですか?」
店「あ、はーい。どうぞー」
妻「天ざる2つ。一つは大盛りです」
店「かしこまりました。天ざるの並と大盛りですね」
店「少々お待ちください。お冷とお絞りもすぐお持ち致します」
妻「はい」

ほどなく、お冷とお絞りを持ってきてくれた。
お絞りで顔を拭く夫くん。こういうとき、男の人がうらやましくなる。私もメイクがなければ……。
そういえば雑誌か何かで、デート中に男の人がお絞りで顔を拭くのに幻滅する女性が多いという記事があった気がする。正直幻滅というのは良く理解できない。顔くらい拭くだろ。
あれは多分、女性側には出来ないという嫉妬と羨望を多分に含んだ結果だと思っている。
夫「久しぶりに来たなぁ、いつ振りだろ」
妻「半年ぶりくらいでしょうか」
夫「かなぁ。結婚した後一回来たよな」
妻「」
妻「そうですね」
……未だに、結婚という単語にドギマギしてしまう。
本当に結婚してくれたんだなぁと実感すると、どうしても、否が応でも。
妻「……」
夫「嬉しそうだな」
妻「ここの天ざるは美味しいですからね」

ほどなく、天ざるが運ばれてきた。
店「天ざる大盛りの方~」
夫「はーい」
店「はい、では並の方」
妻「はい」
店「以上でご注文はおそろいですか?」
妻「はい」
店「ではごゆっくりお召し上がりください」

夫「よし。じゃあ、いただきます」
妻「いただきますっ」

夫「わさび貰っていい?」
妻「本当わさび好きですねー。どうぞ」
夫「ありがと。……ん、やっぱ美味しいな」
妻「うん。 お蕎麦も天ぷらも美味しい」

夫「ご馳走様でした」
妻「ご馳走様でしたっ」

満足度の高い昼食を終え、再び車内へ。
夫「美味しかった」
妻「とっても」
夫「さて、じゃあ服見に行くかー」
妻「うん!」
最寄のショッピングモールまで、車で約1五分。
今年の年越し蕎麦には天ぷらを付けようという話をした。我らながら、随分気が早い事だ。


夫「到着」
妻「ありがとうございました。じゃあ、まずは夫さんの服を見に行きましょうか。近い順に」
夫「そうだな」

男性服売り場というのは、ちょっと落ち着かない。
新品とはいえ男性下着が売っていたりするのは、落ち着かない。
別に悪いことをしているわけでは決して無いのに、落ち着かない。
女性服売り場にいる男性も、きっとこういう気持ちなんだろうなぁと思う。
夫「んー……」
しかし、こうして買う服を悩んでる姿まで素敵だから、夫くんは本当にずるい。
すっと細められた目に色気を感じてしまう。
夫「よし。これ、とこれにしよう。ちょっと待ってて、会計してくる」
妻「あ、はーい」
もうちょっと悩んでるところ見たかった、とは言えないし言ったところで意味は無い。
でもそう思うのは自由であって欲しい。

妻「……」
多分男の人からしたら、どっちでも大して変わらねーよ!と言いたくなるニ択。
私が一人で来ていたら、間違いなく私もそう思う。どっちでも対して変わらない。
最後はコイントスで投げやりに決めてもいいくらい、大差ない二択。
そもそも私は夫くんが悩む姿を見るのは好きだけれど、自分が悩むのは好きではないし。
けれども、それが大好きな人からの感情や印象に影響するとなれば話は別だ。
必死にもなる。
殊更、一番評価して欲しい相手が近くにいるとすれば。
その場で間違いの無い評価をしてもらいたくなってしまうもの、なのだと思う。
妻「あの」
夫「んー?」
妻「どっちが、好みですか?」
夫「んー……こっちかな」
夫くんは、私が左手に持っている方を指差した。
これで“どっちでも大差ない”状態から、“夫くんの好み”という絶対的指針を手に入れることができたわけで、私は一切の迷いなく買えるのだ。
妻「へへへ。じゃあこっちにします!」
夫「うん、買っておいで」

こんな事をしておいてなんだけど、いつも会計中に後悔してしまう。
またやってしまった、と。
世の男性たちは今のような二択を迫られることを苦痛と感じるということを知っている。
知っていたはずなのに、はずだというのに、最後の一押し、最終決定をいつも夫くんに委ねてしまう。
妻「はー」


思わずため息が漏れる。

夫「おかえり」
妻「あの……夫さん、つき合わせちゃってごめんなさい」
夫「うん?」
妻「せっかくのお休みなのに」
夫「え?どういうこと?」
妻「……私が得た情報によると、男性は、女性の買い物に付き合う時間が苦痛だと」
夫「え、そんなことはないと思うけど」
妻「……」
夫「自分の好きな人が目の前でファッションショーしてくれるんだぞ。正直たまりません」
これは多分、私に気にするなって言うための方言なのだと思う。
だけど、面と向かって好きな人なんて言われると、どう取り繕おうとしたって照れる。
妻「……そ、そ、ですか」
夫くんが、人差し指の背中で、私のほっぺをすりすりと優しく撫でてくれる。
そのうち私の顔から火が出ると思う。


夫「ついでに水着でも見に行こうぜ」
妻「みっ!水着なんて! 着る予定ないですし!!」
夫「くっくっ。大丈夫、試着だけ試着だけ」
妻「冷やかしじゃないですかっ!!」
夫「水着」
妻「絶対見に行きません!」

駐車場に戻り、車内へ。
日陰になっていたおかげで、今度はそこまで暑くなかった。
駐車場を出て、我が家方面へ進む。
夫「残念だなぁ」
夫くんが、含みを持たせに持たせた口調でつぶやく。
先の水着の件を引きずっているのは明白。
妻「もう、水着なんて着る年じゃありませんし」
夫「えー。まだまだ若いだろ俺たち。25と26だぞ」
どうしても私に水着を着せたいらしい。
でも私はどうしても水着を着たくない。
自分で言うのは酷く自信過剰に見えて嫌だけど、単なる事実としてカップ数で判断すると、私は日本人女性の平均に比べてちょっぴり胸が大きい。
私の母もそうだし、従姉妹もそうだ。そういう家系なのかもしれない。
自意識過剰だと思われても仕方ないけど、男性の視線がそこに行くのは正直とても良く分かる。
あまりいい気持ははしない。

妻「……夫さん以外に見られたくないんですって言ったら萌えますか?」
夫「よしじゃあ室内で着て貰って俺だけが見ようこれならオッケー☆ ウフフ! どこでUターンできる?」
とんでもないカウンターパンチが飛んできた。
妻「ちょ、だッ、ダメです嘘です絶対水着なんて着ませんから!夕飯の買出しも行かなきゃですから!」
夫「えー」

我が家の近くにあるスーパーに到着した。
相変わらずスムーズに駐車をする夫くん。多分私なら2回はやり直してた。
夫「到着」
妻「ありがとうございました。夕ご飯は何かリクエストありますか?」
夫「んー……刺身とか?」
妻「あ、良いですね! じゃあ刺身用のブロック買って行きましょう」
夫「越乃寒梅まだあったっけ」
妻「まだ1本ちょっとありますよ」
夫「じゃあ酒は良いか」
妻「やっぱりお刺身には日本酒ですねー」
夫「だなー」
夫「あとチューペット買ってこーぜ」
妻「好きですねーチューペット」
夫「パキっと割って二人で食べられるし」
妻「パピコは?」
夫「パピコも好きだけどさー」
妻「私はパピコの方が食べやすくて好きです」
夫「えー……でもチューペットのほうが食べてる時えろい」
妻「……馬鹿ですね」
こんな他愛ない話をしながら買い物をするというのもまた、この上なく幸せな時間。

買い物を済ませて、帰路に着く。
夫「今何時?」
妻「4時くらいです」
夫「夏真っ盛りだなぁ、全然暗くない」
妻「私は冷え性だし、夏好きです」
夫「知ってる。俺は冬の方が好きだなぁ」
妻「知ってます」
2秒ほど間があって、二人とも同時にくすくすと笑い出してしまった。
夫「この会話何度目だろうなぁ」
妻「私の記憶に寄れば、夫さんは小学2年生まで夏の方が好きって言ってましたよ」
夫「えー、そうだっけ。ああ、でもまぁ。小学3年からミニバス始めたからなー」
妻「そうでしたねー」
夫「夏場の体育館は灼熱地獄だから嫌いになったんだ、多分」
私が夫くんの匂いに目覚めたのもその頃だったから良く覚えてる。
私が夏を好きな理由も本当はそれ。
冬は冬で、手を繋ぎやすくなって好きだけども。

まもなく、家に到着。
夫「とうちゃーく」
妻「ありがとうございました」
夫「いえいえ」
玄関の鍵を回して、家の中へ。
ちょっと熱が篭っている。
買ってきた物を急いで冷蔵庫に入れて、家中の窓を開けることにした。
それから、砥石を水に浸しておく。
戻ってくると、夫くんは、ぐぅーっと身体を伸ばしていた。
忍び寄って脇腹をくすぐりたい衝動に駆られる……鉄の自制心を発揮しておこう。
一度、くすぐったらとんでもない仕返しが舞っていた。
窒息するかと思った。
妻「今日はありがとうございました、買い物にまで付き合ってくれて」
夫「好きでやったことですから」
妻「あとはゆっくりしててください」
夫「んー……わかった。手伝って欲しいことあったらすぐ言って」
……こうして気を遣ってくれることが、たまらなく嬉しい。
妻「ありがとうございます」

朝、夫くんが干してくれた洗濯物。
触って乾き具合を確かめると、しっかり乾いているようだった。
手早く取り込んで、Yシャツだけ取り分ける。
夫くんは、ソファに座ってじーっとこちらを見つめている。
まずは普通にたためるものをたたんで、それからアイロン台を出してYシャツにアイロンをジューっとかけていく。
私の腕の軌跡に沿って、山が平地になっていくのが、見てて気持ちいい。
夫くんは、ソファに座ってじーっとこちらを見つめている。
妻「……」
夫「……」
妻「……」
夫くんの視線には熱を生む作用があるに違いない。顔が熱くて仕方がないし。

夫「……」
妻「……あの、あんまりじーっと見られてるとやりにくいです」
夫「いやー、なんというか、幸せだなーって思って」
……恥ずかしさを除けば私も同じ気持ちだ、とは、口には出せないけども。
妻「……手元が狂ってYシャツ焦がしちゃうかもしれませんよ」
夫「顔赤くしてる妻の表情の対価ならYシャツの1、2枚ぐらい簡単に捨てちゃうなぁ」
妻「もうっ! 私は良いから、テレビでも見ててくださいっ!!」
夫「テレビよりずっと楽しい」
妻「もうっ!!」

洗濯物をたたみ終わり、クローゼットに仕舞って、帰りがけにそのままお風呂掃除に移行。
我が家のお風呂は、ちょっぴり狭い。
いや、特別狭いわけではないけど、一般的な一人用バスタブだ。
一緒に入れないのが残念だと思う部分もあるけども、お風呂が広いからと言ってすんなり一緒に入れるかと問われると断じて否だ。
何度見られたって、自分の身体を明るい所で見られるのは恥ずかしい。
お風呂をさっと洗い終えてリビングに戻ると、夫くんは、ソファで漫画を読んでいた。
ジョジョ5部。
私はにわかである。スティッキー・フィンガーが好きだ。
欲しいのはパール・ジャムだけど。


パール・ジャムは持っていないけど、夫くんに美味しいと思ってもらえる料理を作ろう。
メインはマグロのお刺身として、白菜とジャガイモのお味噌汁。サトイモの煮転がし。
海藻サラダ。昨日作り置きしておいたひじき煮。キンキンに冷やした冷酒。
よし、今晩はこんな感じにしよう。

後はじっくりお味噌汁と煮転がしに火を通して大体終わり。
そしてそろそろ砥石が水を吸い切った頃合だ。
お刺身を引く前には、軽くでいいから必ず柳刃包丁を砥げと、母に口酸っぱく教えられたことを思い出す。
実は私は、刃物が好きだったりする。
ゴテゴテしたサバイバルナイフなんかは好きじゃないけど、シンプルなペティナイフや包丁が綺麗だなと思う。
かと言って、生きている神を殺したりしないし、殺人衝動も持っていない。
そして刃物の手入れをするのも好きだったりする。
しゃ、しゃ、という小気味良い音を立てながら、無心になって包丁を研ぐ。

時刻はいつの間にか6時半を過ぎていた。
そろそろ良い頃合だ。
妻「夫さん」
夫「ん?」
妻「あと15分くらいで出来ます。ちょっと早いけど、夕ご飯にしますか?」
夫「ん、7時前か。たまには早めの夕食も良いんじゃないか」
妻「はーい。じゃあ、もうちょっとだけ待っててくださいね」
夫「うん。運ぶときは呼んで」
砥ぎ終わった包丁で、マグロの赤身を引いていく。
この包丁、我ながらなかなかの仕上がり。
あとはお刺身をお皿に盛り付けてわさびを摩り下ろしたら、本日のメイン完成。
ご飯とお味噌汁をよそったら、夫くんを呼ぶ。
妻「夫さん、運ぶの手伝ってもらっても良いですか?」
夫「おー。うん、今日も相変わらず美味しそうだ」
コトン、コトンと、食卓にお皿が並ぶ。夫くんが小皿に醤油を注いでくれていた。

手を洗って、外していた指輪を付け直す。料理をするときだけは、指輪を外す。
指輪を見るたびに、やっぱり、結婚しているんだという事実を噛み締めてしまって、どう抗っても勝手に表情筋がゆるんでしまう。
夫くんはいつもそれを見てにやにやしている。
私はいつもそれに気付かないふりをしている。
二人で食卓に着いて、夫くんにお酌をする。
妻「まま、旦那様。まずは一杯」
夫「おぉっと、こりゃありがたい。……おとととと」
妻「ふふふ」
ちょっとふざけながら、夫くんが手に持ったコップにお酒を注ぐ。
夫「まま、お代官様も一杯」
妻「え、私お代官ですか……ふふ、そちも悪よのう?」
夫「良く考えたらお代官様が旦那様呼びっておかしいな」
くっくっと喉を鳴らしながら、私のコップにもお酒が注いでくれる。
こんなわけのわからない小芝居も、夫くんとやるから幸せなんだろう。

私はあまりビール、というより炭酸が得意じゃないけども、日本酒は好きだ。
夫「いただきます」
妻「いただきます」
ちりんと音を響かせて、軽く乾杯。そのまま一口、口の中を湿らせる程度に。
舌にぴりっと来て、鼻に抜ける香りが好きだ。
夫くんは早速わさびを醤油に溶かし、切り身にもまぶし、ぱくり。
いつもいつもとても美味しそうに食べてくれるから、私も作り甲斐があるというものだ。
夫「んーんん。美味しい」
妻「何よりです」
夫「食事の度に思う。日本人でよかったなぁ」
妻「お米とお味噌汁の無い食生活には耐えられそうにありません」
夫「あとわさび」
妻「はいはい」
ゆっくりとした動作で、夫くんがお酒をもう一口。

夫「刺身といえばさ」
妻「うん?」
夫「職場に来たフランスの人と、刺身を食べに行ったんだ」
妻「あ、この前の飲み会の時ですか?」
夫「いや、前の前かな。そのフランスの人、わさび食べたことなかったんだって」
妻「ほほう」
夫「これはなんですか?って聞かれた俺の上司が、笑顔でJapanese Mayonnaise!とか答えたもんだからフランスの人大喜びでわさびを大きな一塊、ばっくりっと」
妻「うひぃ」
夫「二度と食うか!!って言ってた」
妻「わさび初心者が塊をばくりはちょっと……」
夫「でもそいつ3日後ステーキにわさび醤油かけてWaoooo!Amazing!!って言ってたんだぜ」
妻「……用法容量を守って正しくお使いください」

夫「ごちそうさまでした」
妻「ごちそうさまでしたっ」
お酒は控えめに、酔いが回り始めたくらいでやめておくこと。
家でお酒を飲む場合の決まり。
お酒は美味しいけども、飲みすぎて良い事なんて一つもないのだ。
例えば酔った勢いで甘えに甘え、べたべたと絡み、でへへへへへと変な笑い声を上げ、
しかもその記憶が残っているという次の日の朝、心身ともにとてつもないダメージが来る。
記憶が残っていない事にしたけど、多分夫くんは気づいているだろう。

夕ご飯が終わって、時刻は8時少し前。
夫「風呂って、もしかしてもう洗った?」
妻「え? あ、はい。もう綺麗にしてありますよ」
夫「いつの間に」
妻「夫さんがジョジョ読んでる間に、です」
あの時の真剣な表情を思い出し、思わずくすくすと笑いが出てしまう。
多分あの顔は、ミスタが誰かと戦ってる場面だったに違いない。夫はピストルズが好きだし。
夫「言ってくれればお風呂くらい掃除したのに」
妻「私がやりたくてやってるんです。気にしないで良いんですよ」
夫「んー……毎日ありがとう。お湯張ってくる」
妻「あ、はーい。ありがとうございます」
その間に、私は食器を洗ってしまう。
特に今回大活躍だった柳刃包丁は丁寧に水気を取って、食用油を薄く塗ってから新聞紙に包んで仕舞っておく。
鋼製の和包丁はすぐに錆びてしまうから、保管には気を遣わなくてはならない。
一度、母の包丁を錆びさせてしまい、物凄く怒られた事を思い出す。

時刻は8時半。
夫「お。終わった?」
妻「はい。ひとまず一通り終了です」
夫「さて」
妻「さて」
夫「アイスクライマー」妻「スーパーマリオブラザーズ3」
夫「マリブラ3か~」妻「アイスクライマーかぁ」
夫「そっちもいいな」妻「そっちも良いですね」

ここはチョキを出そう。
夫妻「じゃんけんぽん!」


夫「あ、キノコ落ちる落ちる!」
妻「いやぁ!ちょっと待ってください!!ああ落ちてった……」
妻「私が近くに行ってから叩いてくださいよっ」
夫「すまんこここコインだと思ってた」
妻「……今こが一個多かったような気がするんですが」
夫「すまんこ」
妻「…………」
夫「すまんこ」
妻「コラァ!」

夫「おっと、もうこんな時間か」
夫くんの言葉で時計に目をやると、いつの間にか9時半を回っていた。
楽しい時間は本当にあっという間に過ぎてしまう。ついちょっと前に朝ごはんを作っていたような気がするのに。
妻「そろそろ終わりにしましょうか。目に悪いです」
夫「そーだな。……んぐー」
ぐーっと背伸びをする夫くん。
……やはり、これは良いものだ。
夫「先に風呂入って良い?」
妻「もちろんです。ゆっくり入ってください。もうパジャマとタオル脱衣所に置いてありますから」
夫「ん、ありがとう」
妻「!」
あやつ、極々自然に私の頭を撫でてから行きよった。
ますます、ずるい。

夫くんがお風呂に入ってる間に、明日の朝ごはんのおかずを1品作っておく。
今日はポテトサラダを作ろう。
じゃがいもの皮を剥いて一口大に切り、ニンジンを細かく切る。
鍋に水を張って沸かし、良く洗った生卵を一つ入れ、中火で沸騰するまで。
沸騰したら、切ったじゃがいもとニンジンを投入し、それらを柔らかくなるまで茹でる。
その間に、きゅうりをスライサーで薄くスライスして、ちょっと塩で揉んで寝かせておく。
じゃがいもとニンジンが茹で上がったらお湯を切り、ゆで卵は冷水に浸し、
じゃがいもとニンジンはそのまま少し火にかけて水分を飛ばしてから火を止める。
ヘラを使ってジャガイモとゆで卵を潰し、コショウとマヨネーズで味をつける。
隠し味で、わさびと醤油を少し。
きゅうりを混ぜ合わせて味見……。
ほんの少しだけ塩を振って味を整える。
時計を見ると、10時15分になろうかというところ。
そろそろ夫くんが上がってくるタイミングだ。

身嗜みをさっと整えて、髪の毛に手櫛を通す。
髪の毛は、私が自慢に思える数少ない部位だ。
夫くんは多分覚えていないだろうけども、夫くんが小学3年生のとき、私の髪の毛を褒めてくれたことがある。
今思い出しても、表情筋がだらしなくなってしまうくらい嬉しかった。
それ以来、髪の毛の手入れには最細の注意を払ってきた。
その甲斐あって、我ながらなかなか綺麗な髪の毛なんじゃないかなーと思わなくもない。
ニヤニヤしていると、お風呂場のドアが開く音がした。
表情を引き締める。

夫「お風呂開いたよ」
妻「あ、はーい。すぐ入っちゃいます」
夫「ゆっくりしておいで」
……髪の毛がしっとりしてる夫くんもまた良いものだ。

服を脱いで、お風呂場に。
この湯船にさっきまで夫くんが浸かっていたと思うと、なんとなくドキドキしてしまう。
シャワーからぬるま湯を出して、髪の毛を念入りに時間をかけて漱ぐ。
その後、熱いお湯に浸した後に軽く絞ったフェイスタオルで髪の毛を覆って、そのまま身体を洗う。
くしゅくしゅと泡立てたタオルで、足先から、脚、腕、首や肩、胸や背中……全身隈なく漏れなく洗っていく。最後に、デリケートな部分だけ、指で丁寧に洗う。
身体を洗い終わったら、細かく泡立てた洗顔料で顔を洗い、最後にフェイスタオルを外して髪の毛を洗う。
私の髪の毛は、肩甲骨と腰の中間の辺りまで伸ばしている。
このくらいの長さが、いろんな髪型にできて私は好きだ。
夫くんも、ショートよりロングやセミロングが好きと言っていた。
もちろん、もしかしたら私に合わせてくれた解答かもしれないけども。
それから全身泡だらけの状態で、女性ならでは、なのかもしれない日課をこなして、つるつるの身体になってから、湯船に浸かる。
丁度おへそぐらいに湯面がくるようにする。いわゆる半身浴だ。
髪の毛にはコンディショナーをつけ、タオルで湯船に浸からないように上げておく。
思わず、長い長いため息が漏れる。

今日はとてつもない幸せな日だった。
これだけ幸せな日だったというのに、明日もまた休みなのである。
明日に思いを馳せては、この上なくにやにやしてしまう。
半身浴でゆっくりじっくりと汗をかく。私はお風呂が好きだ。
お風呂に限らず、汗をかくのが好きだ。
胸が成長し始めるまでは、バスケットが大好きだった。
まぁ、夫くんがミニバスを始めたから、一緒にやりたくて始めたんだけども。
最後に全身をもう一度シャワーで流してフェイスタオルで水分をある程度ふき取ってから、脱衣所に出る。
下着を着けて、パジャマ着用。
化粧水と乳液、夫くんに愛想を尽かされないよう、スキンケアも欠かさない。
……でも、土曜日は髪の毛をドライヤーで乾かさない。
歯を磨いて、リビングへ向かう。タオルを持って。

夫「おかえり」
妻「ただいま」
夫くんは、ソファに座って雑誌を読んでいた。ネイチャーダイジェスト。
私も夫くんも、理系の道で修士課程まで進んだ身。
二人ともそういう雑誌が好きだ。
妻「あ、ネイチャー。後で読ませてください」
夫「うん」
こちらに視線を移して、少し悪戯っぽく微笑む。
夫「また乾かしてないな?」
妻「……またお願いしても良いですか?」
夫「おいで」
土曜日の夜だけ、髪の毛をドライヤーで乾かさない。
夫くんが乾かしてくれるからだ。

私の背後に座って、丁寧に丁寧に、タオルで髪の毛を挟むようにして水分を吸い取ってくれる。
自分の髪の毛に言うのもなんだか自意識過剰な気がするけども、なんというか、とても愛おしそうに拭いてくれる。
いつの頃からか私たちの間で恒例になってしまった、一週間に一回だけの私のわがまま。
いつも甘えてばかりの私だけども、いつもより堂々と高密度で甘えられる時間でもある。
少しだけ、背後の夫くんに体重を預ける。
夫くんは何も言わないけども、なんとなく今の表情が脳裏に浮かんでくる。
目を閉じてその表情を見ながら、夫くんの手の感触を堪能しよう。

妻「夫さん」
夫「ん?」
妻「……ありがとうございます」
本当は大好きですって言おうと思ったけど、挫折した。
夫「俺も妻の髪の毛触るの好きだから、害の無い利害の一致ってやつだ」
妻「私も、髪拭いてもらうの大好きです」
くすくすと、二人で笑い合う。
凡そ拭き終えたら、タオルを頭に被せたまま、タオル越しにドライヤーで熱風を送る。
これも伊藤家の食卓でやっていた。髪の毛が早く乾く裏技。
夫くんの掌が、タオル越しにくしゃくしゃと髪の毛を弄んでいる。そこに熱風が当たって、じわじわ熱くなっていく。
胸の奥がくすぐったくなる感触だ。顔がにやけてしまう。

夫「乾かすのは終了だな。梳くから、そのまま」
妻「うん」
続いて、ゆっくりゆっくり、丁寧に、私の髪の毛に櫛を入れてくれる。
櫛が頭皮を優しくなぞっていくのが、少しくすぐったい。
最後に掌で少しだけ撫で付けて、お楽しみタイムは終了。
妻「…へへ。ありがとうございました」
夫「こちらこそありがとうございます」
なぜかお互いぺこぺこしてしまう。
時刻は11時を少し過ぎたところ。
夫「そろそろ寝よっか」
妻「うん」
夫くんの後ろに着いて、寝室へ向かう。

夫くんがベッドに寝転がって、タオルケットをお腹に被せた。
私はエアコンを安眠モードでONにして、電気をオレンジ色の電球に切替えて、夫くんの隣に同じように寝転がり、タオルケットを被る。
夫くんの隣で眠るのにも、随分慣れてしまった。
一緒に暮らし始めた初日、引越しの疲れもあるというのに、私は床に就いてから実に3時間強、頭が茹ってしまって全く眠ることができなかった。
隣で早々に眠り始めた夫くん相手にずるいずるいと呪っていたことを思い出す。
今もドキドキすることには変わりないけども、以前よりずっと安らかに眠れるようになった。
さすがに毎日3時間眠れないと死んでしまうけども、こうしてスムーズに眠れるように慣れてしまったことは、ある意味ではとても残念だ。
いつまでも初心を忘れないことも大事だと思う。
あのドキドキは、他では味わえない幸福感だった。
始めて夫くんの隣で眠ったのは、おそらく小学1年生より前のことだけども、それはノーカンだろう。

オレンジ色の視界で、一度だけキスをする。
夫「おやすみ」
妻「おやすみなさい」

おしまい

初SSというかハーフフィクションだけど
感想あってよかったです ありがとう

2時になったら投稿しようと思っていた夜中の話
えろだけど置いて帰ります

夫くんがベッドに寝転がって、タオルケットをお腹に被せた。
私はエアコンを安眠モードでONにして、電気をオレンジ色の電球に切替えて、夫くんの隣に同じように寝転がり、タオルケットを被る。
夫くんの隣で眠るのにも、随分慣れてしまった。
一緒に暮らし始めた初日、引越しの疲れもあるというのに、私は床に就いてから実に3時間強、頭が茹ってしまって全く眠ることができなかった。
隣で早々に眠り始めた夫くん相手にずるいずるいと呪っていたことを思い出す。
今もドキドキすることには変わりないけども、以前よりずっと安らかに眠れるようになった。
さすがに毎日3時間眠れないと死んでしまうけども、こうしてスムーズに眠れるように慣れてしまったことは、ある意味ではとても残念だ。
いつまでも初心を忘れないことも大事だと思う。
あのドキドキは、他では味わえない幸福感だった。
始めて夫くんの隣で眠ったのは、おそらく小学1年生より前のことだけども、それはノーカンだろう。

もぞり、と、隣で夫くんが動く気配。心臓がけたたましく鳴り出す。

……翌日は日曜日で、夜更かししても、お寝坊さんでも、お互い困らない。
洗濯機の中も、土曜日の夜はほとんど空っぽで、シーツもパジャマも洗いやすい。
土曜日というのはそんな日だから、その、つまり、お互い布団を被るまで口には出さないけども、暗黙の了解で、私の都合が合う限り、そういう日だ。
薄ぼんやりとしたオレンジ色の視界で、夫くんの輪郭がぼんやりと浮かんでいる。
顔がとても近い。
何度経験したとしても、こういう事をされると頭に血が上ってしまうのは変わらない。
人差し指の背中で、私のほっぺをすりすりと撫でてくれた。
夫「ごめん。良い?」
妻「は、はい、あの、お願いしmす」
噛んだ。

一度、唇に柔らかい感触がして、離れていった。
1秒も経たずにもう一度、今度は少しだけ長く。
私は口を少し開けて、首を左に傾けて、夫くんの背中に腕を回す。
身体を密着させると、下腹部に、俺はここにいるんだぜ、と主張する感触がある。
夫くんの舌が早速侵入してきて、私の舌をいじめてくる。
お風呂上りの夫くんの唾液の味、今はほんの少しだけ歯磨き粉の味がする。
そのまま舌をいじめながら、左手で、私の胸をパジャマの上からぐにぐにと少し強めに掴んでくれる。
ちょっとだけ痛くて、それが凄く心地良い、と思ってしまうのは、多分そう躾けられてしまったからだ。
夫くんは唇を離して、私のパジャマのボタンを上から順4つだけ外して、私の胸を外気に晒す。
この人は服を着せたままするのが好きな変態なのだ。
特に学校や会社の制服が好きだという変態なのだ。
だから私は未だに中学校や高校の制服を捨てられずにいる。
もちろん当然着たことはないけども、いつか、もし、着てほしいと言われたら。

親指と人差し指で私の左耳をくすぐってくる。
単なる集音器官でなぜこんなに、と思うほど、私は耳が弱い。
夫くんは顔を近づけて、鼻の先で耳殻をすりすりとさすりながら、すぅーっと大きく息を吸い込んだ。耳が少し冷やっとする。
夫「シャンプーの匂いがする」
妻「……あんまり嗅がないでください、恥ずかしいです」
夫「良い匂いだよ」
夫くんは、そのまま私の左耳の耳たぶを摘まんで、ほんの少しだけ、右に引っ張る。
これは、多分私と夫くんにだけしか分からない、右を向けという命令だ。
命令に従うと、夫くんはこめかみの辺りにキスをしてくれる。
そのまま唇をくっつけたまま移動して、耳の近くに来ると、耳殻を舌先でやらしくなぞってから、
今度は左手でパジャマの上から私の太股をすりすりと撫で回し、かと思えば耳の穴に舌を侵入させてくる。
油断してた。喉から変な音が出そうになる。
私の左耳を一通りいじめ尽くした夫くんは、今度は別の場所をいじめるつもりになったらしい。
耳の穴から舌が抜けていく時に聞こえる音は、なかなか文字に表すのは難しい。
でも、あの音が耳の深いところで響くだけでなんというかとてもぞくぞくする。

最後に耳たぶを少し強めにがりっと噛んで、じんじんと熱を持つ耳を再びくすぐるように舐めては、わざと湿った音を立ててくる。
妻「痛い、です……」
夫「こういうのも好きなくせに」
妻「……否定しません」
……大好きです。
耳たぶから首筋を通って肩まで、夫くんは啄ばむような短いキスと、舌先でのくすぐりを繰り返しながら、唾液の道を作っていく。
いじめられてしまった耳は、付けられた唾液のせいで、あるいはおかげで、
外気に触れると涼しくて、他の箇所よりもずっと熱いことがよく分かってしまう。
その事実だけでまた私をぞくぞくさせてしまうのだから、夫くんは心底ずるい。
私の腕を上げさせて、二の腕を唇だけではみはみと甘噛みしてくる。そのまま腋の下まで唇を移動させて、少し強めにキス。
さすがにそれは、ちょっと、かなり、とても恥ずかしい。
抵抗しようとすると、腕ごと抱きしめるように阻止されてしまった。
妻「……夫さん、脇は、あの、あんまり嫌です」
夫「日本語が変だぞ」
すっと細められた色っぽい目が、私の目を射抜いてしまう。
あの視線がある限り、私が夫くんから主導権を奪うことはないと思う。
つまり、一生ないのだろう。

夫くんは、今度は胸元に顔を近づけ、鎖骨の5センチほど下、ブラジャーのすぐ上辺りにかぷりと噛み付いた。
そのまま、ぢゅーっと音を立てて強く吸い付く。
この人は大人しそうな顔をして、キスの痕とか、噛み痕とか、見えないところにそういうものを付けるのが好きな変態だ。
私も、そういうのを付けられると、なんだか自分が夫くんの物だって言われてるみたいでぞくぞくしてしまうのだけども。
自分で言うのもなんだけど、お似合いだと思う。
需要と供給は少なくともマッチしている。
夫「外して良い?」
胸の谷間からブラジャーに人差し指を引っ掛けながら、囁くような声量でたずねてくる。
ここで頷く以外の返答を選べる人はいないと思う。
こういうことを想定したからというわけではないし、夫くんが服を着たままするのが好きだから外しやすいようにというわけでもないけども、寝るときに着けるブラジャーは全部フロントホックにしている。
夫くんは手馴れた仕草で、プツっとホックを外してくれた。
ちょっと汗ばんだ胸が、外気に晒されて気持ち良い。なんて事を考えている暇もなく、再び唇を塞がれる。

夫くんの舌は長い。
平均の長さが何センチかなんて知らないけど、自分の鼻の頭を舐められるくらいには長い。
その舌で、私の舌をいじめてくる。
同時に、右手で私の頭を支えて、左手で胸を優しく触ってくる。
指が先端に触れるたびに、舌が私の口の中をいじめるたびに、ビリッとした刺激がお腹の方に響いてしまう。
胸の先端は、分かる。性感帯の代表みたいなところ。
自分で触ってもビリッとすることはする。
口の中はどう考えてもおかしい。
自分で触ろうが何しようが全くビリッとしないのに、夫くんに触られた場合だけこうなるのはどういうことだろう。
おそらく1分くらい、いじめ続けてくれた。

女性にも個体によっては俗に言う賢者タイムというものと同じものがあるらしい。

一回達した後はしばらく触らないで欲しい人が多いらしい。
私の知り合いがそう言っていた。
しかし私は、どうやら無い個体らしい。
むしろ愚者タイムと呼ぶべきで、そうなるともっと触れて欲しい欲求が湧いてくる。
それから、とても早いらしい。
男性で言うところの早漏というもの、なのかもしれない。
……つまるところ、私はちょっとだけ達してしまった。
口を塞がれている時に達してしまうと、相手の口にちょっと息を吹き込むことになりがちなのは、私だけかもしれない。
夫くんは唇を離して、私の肩を支えながら上体を起こして背後に回った。
先の髪の毛拭き拭きタイムと同じような体勢。
脱力した私の身体を、夫くんの胸で支えてくれている。
違うとすれば、私は半裸で、私のお尻辺りに自己主張するものが当たっていることだ。
パジャマは薄いから、暗闇でも良く分かる。

突然、うなじから左耳にかけて、安眠モードで冷やされた空気が触れる。
夫くんが私の髪の毛を持ち上げたんだと理解する前に、うなじの左側にちょっと強めに噛み付かれた。
ズキッとした刺激は、痛み6割、気持ちよさ4割くらい。
ちょっと涙と変な声が出た。
涙と暗闇でじんわりと滲むオレンジ色の視界で、夫くんの左手の指が私のおへその周りを触れるか触れないかといった距離でなぞっている。
右手が私の胸を下からぎゅーっと鷲掴みにしたのと同時に、さっき噛んだところを、今度はちろちろとくすぐるように舐め始める。
痛みでひりひりするところを舐められるというのは、なんというか、とてもやらしい感覚だ。
弱い刺激と強い刺激が、身体のあちこちで同時に与えられていると、脳とか神経とかそういうものが混乱してしまうんだと思う。
なんかもうどこ触られてもぞくぞくする。
夫「下、触るよ」
妻「はっ、はいっ!……その……お手柔らかに」
私のセリフに、くっくっと笑う夫くん。

左手の指先、というよりも爪の先が、みぞおちの辺りからおへそ、下腹部、そしてパジャマの中へと、肌を淡く淡く引っかきながらゆっくりと降りて行く。
到達した夫くんの指が、女性共通の弱点だと私は思っている、他と比べて少し硬いところを意地悪になぞって、ちょっとだけ弾く。
今までよりも幾分鋭く強い刺激に、私の太股が意志とは関係なく勝手に閉じてしまう。
それは禁止だとでも言うように、夫くんが耳をちょっと強めに噛んで来る。
命じられるがままに脚を開くと、夫くんは右手を私の下腹部に移動させ、五本の指の先でお腹をくすぐりながら、同時に左手の多分人差し指で周りをなぞってからゆっくりゆっくり侵入させてきた。
続いて、中指も。
何度か出たり入ったりして、二本の指に潤滑油をまぶしてる。
並行して、夫くんの右手は下腹部から胸の下までをさわさわと撫で回していて、
耳や首筋、肩をちろちろと舐めたり、唇でなぞってみたり、
ところどころ甘噛みをしたり、噛んだままちゅーっと吸ったりしている。
そのまま、汚れてしまったぬるぬるの左手で、もう一度硬い所をいじめ始めた。

……やっぱり私は早いらしい。
脱力して、夫くんに完全に身体を預ける。
耳元で聞こえる、夫くんの呼吸が少し浅くて早い。
私で興奮してくれてるんだと思うと、私も昂ぶってしまう。
ちょっとだけ怠い腕を伸ばして、背後にいる夫くんの、私のお尻への自己主張激しいそれに触れる。
突然触れられて、夫くんの身体が硬直するのが背中越しに分かる。
夫「ん」
妻「あの……私も……私ばっかりです」
夫「……してくれる?」
何を、とは言わないけども、それはお互い分かっている事だ。

夫くんは壁に背中を預け、私はパジャマ越しにそれに触れる。
パジャマと下着越しだというのに、この存在感たるや……。
身体を折りたたんで顔を近づけて、2枚の薄布越しに息を吸い込む。
当然、鼻から。
私はこの匂いが、嫌いじゃないというか、割と好きだ。
ただの汗ともちょっと違う、表現の難しい匂い。
夫くんの匂いだと思うと、とても興奮する。
左手の親指で、パジャマの上から、おそらくくびれている所の裏側あたりを、すりすりと少し強めに擦る。
擦りながら、右手の五本指を腹筋から胸の方へ這わせつつ、夫くんのおへそをぺろっと舐める。
それから少し強めにおへそにキスをする。
少しだけ汗の味がして、なんというか、美味しいという表現はどうかと思うけど、気持ちが昂ぶる。
夫「えろい」
妻「う、うるさいですよ」
下腹部に噛みついておいた。弱く。

妻「えっと……だ、出しますね」
夫「うん」
パジャマのズボンに指をひっかけて、くっと少しだけ降ろす。
続いて、下着も。
……とても元気だ。
これを初めて見た時は、想像とかけ離れたあまりのグロテスクさに死にそうになったなぁ。
マンガで仕入れた事前知識は黒い線が入っていたし。
こんな血管浮き出た物を入れてってしかも出し入れするとか痛いハズだわ神様ふざけてるのかと思った……実際は、そこまで痛くなかったのだけども。
私の唾液まみれになる前に、目を閉じて、顔を擦り付けながら、深呼吸をする。
布越しの時よりも近いからか、さっきよりもずっと強い匂い。
少し蒸れたような……。
この匂いを文章にするのは不可能だと思う。
もはや匂いの一個別名称とすべき。

口の中に唾液を溜めて、顔を下げて、根本にキスをする。
ところどころを唇だけで啄みながら、ゆっくり上へ。
啄んだ所に付いた、私の唾液。
それを左手の人差し指で、全体に伸ばしていく。
特にくびれている所を重点的に。
男はこれをされると弱いと私の友達の姉が言っていた。事実かは分からない。
でも、もう少し、ぬるぬるにした方が良いというか、
滑りを良くした方が夫くんも気持ちいい事くらい、女性の私にもわかる。
20年も一緒にいるのだし。
そもそも唾液はそういうためのものじゃないし。

都合よく私の太ももを伝っていた、まさにそういうための潤滑油。
指ですくって、私の両の掌にまんべんなく塗り付ける。
そのまま、痛くないように優しく握って、上下に動かしながら、私の潤滑油をまぶしていく。
それは手の中でどくどくと脈打っていて、否が応でもどきどきしてしまう。
夫くんの顔をちらりと見る。
夫くんはそれはそれは素敵な、もとい、意地悪に微笑んでいた。
あわてて、目をそらす。
夫「いつか俺目線の妻ちゃんを録画して見せたい」
妻「やっ、やめてくださいっ!恥ずかしすぎて死んじゃいます……」
夫「物凄くえろい」
妻「……」
せめてもの抵抗として、横から少し強めに噛みつく。
そのまま、唇を離さないようにしながら裏側に回って、くびれている所の裏側に、かなり強めにキスをする。3秒ほど。
まだ唇を離さないように、少し口を開けて、舌先でちろちろとねぶりながらゆっくり根本の方へ下がり、私の潤滑油が足りていないと思った所には、唾液をまぶす。
……最初は抵抗があったのに、今は自分の分泌液を口に入れたところで興奮するだけになってしまった。
もう、単なるしょっぱくてぬるぬるした水だと思うことにする。
特に夫くんの指に付いたものを、舌を押さえつけるように舐めさせられるシチュエーションが好きだ。

根本に到着したら、一回、二回とキスをして、袋状の部分を指先で少しくすぐってみる。
女性の私にはわかりかねるけども、ここはとても大事なところ。
しかもとても痛みに敏感であるという情報は、当然持っている。
しかし、痛みに敏感だということは、優しく触ってあげれば、きっと気持ちいいのだと思う。
私にも、同じような箇所はあるわけだし。
決して力を加えないよう注意しながら、指でころころと少しくすぐる。
舌をめいっぱい使って舐めてみる。
唾液をまぶしてからキスをしてみたりする。少ししょっぱい。
今度は右脚の付け根まで、ちろちろと舌先でくすぐりながら移動して、内腿に甘噛み。
左手の指先で、もう片方の太腿をくすぐる。
先っぽから、透明な液がぷくっと出て来た。キスをして、吸い取る。
ちょっと口を離して、口の中に唾液を溜める。

唾液が零れないようにしながら、ゆっくりと、歯が当たらないように咥える。
くびれている部分にちょうど唇が来るようにして、口の中で舌を動かし、先っぽをくるくると弄って唾液をたっぷりまぶし、裏側を舌でざりざりと擦る。
夫くんが、私のほっぺを撫でてくれる。
気持ち良くなってくれているだろうか。
口を離して、唾液と潤滑油でぬるぬるになった先っぽを右手の手の平に押し当てて、ぐりぐりーっと少し強めにさすってみたり。
左手に潤滑油を追加して、人差し指と親指で輪っかを作って、くびれている所にかぽっとはめて、ペットボトルのキャップを開けるみたいな動きで、ちょっとだけ強めに擦ってみたり。
唾液を追加して、根本から先っぽまで、ゆっくりさすってみたり。
自分がしてる事だけども、なんというべきか、凄くやらしい、湿った音がしていて……私も、いろいろ学んだものだなぁと思ったりする。
私の思い上がりでなければ、夫くんも凄く気持ちよさそうにしてくれている。

夫「ごめん、そろそろ」
妻「あ、で、出そうですか?」
夫「ん、うん」
そのまま、先っぽにもう一度キスをして、今度はゆっくりゆっくり、歯を当てないように、喉の奥を開きながら、出来るだけ根本まで咥えて、唇をすぼめる。
夫くんのは、多分平均より少しだけ大きい。
正確な平均値を知らないけど、13センチだとか、15センチだとか、そのくらい、らしい。
夫くんのは、大体、17センチくらい……か。
昔は半分も咥えられなかったけども、今は練習もしたおかげか、ある程度奥まで出来るようになった。
全部はちょっと無理だし、あんまり奥まで入れると苦しい。
けども、最近の私はその苦しさに何故だかとてもぞくぞくするようになってしまった。
そりゃ口の中触られて気持ちよくもなる。
奥まで咥えている時に唾液を飲み込もうとすると、喉の奥がきゅっと締まって、夫くんのものの形がとても良く分かる。
そういえばこれを、喉の奥で甘噛みしている、という表現をしたら、友達に引かれてしまった。
何度か唾液を飲み込もうとしながら、舌を絡めて裏側や側面を擦る。

私はこれが美味しいと書いてある漫画をいくつか読んだことがある。
断じて美味しいものではない。普通にまずい。
苦いとかそういう単純な味覚で表しにくい味。
そして喉に絡みついて非常に飲み込みにくい。
だけども、夫くんのだから、がんばって飲み込むのだ。
……だって、例えば夫くんが、私のを舐めた後、ぺっと吐き出したら、物凄くショックだ。
男の人も、そういう気持ちは少なからずあると思う。
せめて味だけでも分からないように、舌に触れないよう喉の奥に出してもらう。
一回、二回、三回、少し時間をおいて四回目と脈動して、喉の奥に粘っこくからみつく。
むせそうになるけど、ここでむせたら女が廃る。
腕を回して、夫くんの腰に抱き着くようにさらに奥まで咥え、出るのと同時に気合いで嚥下する。
飲み込む瞬間、ツンとした特徴的な匂いが鼻に登ってくる。
……味も喉越しも最悪だけども、実は匂いはそうでもないというか、とてもやらしい匂いだと思う。
ぶっちゃけ好きだ。

夫「ありがと」
妻「いえその……あの」
肩に、夫くんの手が添えられ、優しく引き寄せられる。
そのまま、ゆっくり顔を近づけてくる。
妻「いっ、今!その!咥えた後ですし!」
夫「そんなの気にするわけないでしょ」
妻「でmッ」
文字通りの口封じ。
たっぷり10秒間、唇を奪われてしまった。

唇を離した夫くんが、私の視界の外で内腿に指を這わせた。
油断してた。
喉が変な風に鳴ってしまった。
夫「まだ眠くない?」
ちらっと視線を向けると、夫くんはまだまだ元気そうだ。
復活が早いというか、もはやしぼんでいないと言うべき。
妻「……うん」
夫「じゃあ、もう一回だけ」

ピッとビニールを破く音。
オレンジ色の視界で、夫くんがもぞもぞしている。
何度も思う。
この時間って、他の人たちはどうしているんだろう。
なんか気まずいのだ。

ぎゅっと抱きしめるように私を支えながら、ゆっくりと私をベッドに寝かせて、ほぼ脱ぎ掛けだったパジャマのズボンを脱がしてくれる。
耳元でぎしりと軋む音。
夫くんは私の頭の横に肘をついて、少しだけ体重をかけてくれる。
重さが気持ちいいと思う事があるなんて、人間の感覚というのはかなり甘口で評価しても狂ってると思う。
……でも夫くんの重さは実際とても心地良いのだから仕方がない。
入口に当てられて、そのままぐーっと押し込まれる。
それに合わせて、私はゆっくり息を吐く。
中というのは、基本的に鈍感だと思う。
他の人は知らないけども、少なくとも私は、単純な弱さで言えば、中は3番目か4番目くらい。
でも、やっぱり入れてくれているという事実はとても昂ぶる。
夫くんの腕が、私を抱きしめる。私も、夫くんの背中に腕を回す。

耳元で聞こえる夫くんの呼吸が、少し荒い。
夫「今日はまた、一段とせまいな」
妻「せっ、せまいとか、言わないでください……」
夫「動いていい?」
妻「……キスしながらが良いです」
夫「ん」
両腕で、頭を抱きかかえるようにして、深く深くキスをしてくれる。
なんていうか……今、私の身体の中では、いろいろなものが分泌されているんだろう。
ドーパミンとか、エンドルフィンとか、アドレナリンとか、潤滑油とか。
ゆっくり、夫くんが動き出す。
私も、夫くんが動きやすいように体勢を少し変えて、身体を密着させる。
お腹を裏側からぐりぐりと擦られる。
中は基本的に鈍感だと思っているけど、敏感な所はもちろんある。
……私の弱点は、もう夫くんに知られ尽くしている。
浅い所の弱い部分はざりざりと角度を変えながら擦られて、突き当りの弱い部分はぐーっと何度も押される。
左手の親指で、固い所も同時にいじめてくる。
舌も、なんとも器用ないじめっ子だ。

……やっぱり、私は早いらしい。
唇を離した夫くんが、私の目尻にキスをする。
夫「ごめん。もうちょっとだけ我慢して」
息も絶え絶えとは今の私の状態みたいな事を指すのだろう。
それくらい、達するというのは体力を使う。
一回繁殖で有名な鮭なんか、そのあとそのまま死んでしまうのだから、生物にとってこういう行為がどれだけ体力を使うのかわかるなぁ、とか、わけのわからない事を考えていた。
夫くんが私の腰をつかんで、弱く引っ張りながら少し早く動き出す。
さっきまでは、私を気持ちよくさせてくれようとする動き方だったのは、私でもわかる。
次は当然私の番だけども、私がそんなテクニックを持っているわけがない。
今も、私の身体に気を遣ってくれている。
せめて、私を気にせず好きに動いてもらおう。
少し怠い腕を伸ばして、夫くんの胸を撫でる。
妻「……っあの」
夫「ん 嫌だったか」
妻「わt、私に気を遣わず……好きに、動いてください」
夫「……ごめん、ちょっとだけな」

ちょっとやらしい匂いが漂う中、脱力する身体で夫くんの左腕に抱き着いて、その肩にキスをする。
右手を伸ばした夫くんが、頭を撫でてくれる。
パジャマとシーツとタオルケットを洗濯機に入れて、シャワーを浴びた方が、明日の朝、何倍も楽なのは分かっている。
分かっているけども、この幸せな疲労感に抗う術はない。……フロントホックくらいは留めておく。
目を閉じて、深呼吸をする。夫くんの匂い。
おでこに、柔らかくて少し湿った感触。
夫「おやすみ」
妻「うん……」
明日起きたら、まずシャワーを浴びよう。それから、朝ごはんを作って、洗濯して、それから……。


今度こそおしまい。

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