男「ふつうってなんだろうな」(39)

女「男くんが分からないことを、わたしに訊かれても困るよ」

男「まあそうだよなあ」

男「とりあえず考えてみようか」

女「ふつうについて?」

男「ああ」

男「例えばふつうの人と言うのはきっと積極的に生きる理由を持っているのだろう」

女「そういうものかな?」

男「少なくとも痛いや怖い以外に死にたくないだけの理由がある人がふつうらしい」

女「それをふつうだとするなら男くんはふつうなの?」

男「さあ、どうだろうな。よく分からんよ」

女「例えば、ここに自分を安楽死させることのできるスイッチがあったとして、

 1.押す
 2.押さない
 3.壊す
 4.とっておく

 男くんはどれを選ぶの?」

男「1か4」

女「それは積極的に生きる理由がないってことなのでは?」

男「そうなるかね、やっぱり」

女「ふつうかどうかの定義はそこではないのではないかな」

男「ほかにはどんなものが考えられる?」

女「例えば・・、みんながやっていることや言っていることと同じようにすること、とか」

男「抽象的過ぎる」

女「むぅ。みんなが考えるようなこと。ふつうなこと・・」

女「男女でよろしくやる、というのはどうだろう」

男「ふつうっぽいな」

女「でしょう」

男「だがそれをできるのがふつうだと言うならば、経験のない俺はやはりふつうではないという結論になってしまうな」

女「そうだねえ」

女「男くんはそもそもふつうでありたいの?」

男「ふつうでなくとも構わないけどな」

女「じゃあなんでこんなことを考えてるの」

男「積極的に生きる理由があるのがふつうな人だと言うなら、そうなれた方が楽だろうなと思っただけだ」

女「それなら、ふつうの人を目指すのではなく生きる理由を探したいと言えばいいじゃない」

男「生きる理由が欲しい、よりはふつうの人がどうやってふつうな人になったのか、の方が気になるからな」

女「意味がわからないよ」

男「性悪説というのかね」

女「?」

男「産まれてきたばかりの人間は平等に弱かったはずなのに、どうしてふつうになることができるのか」

男「気になるだろ」

女「そういうもの?」

男「まあ自分が生きてやりたいことはないから、明日死ぬならそれでも構いはしない」

男「けれども、欲求がないわけでもない。鬱陶しいことにな」

女「鬱陶しいって」

男「生き甲斐がないのに欲求だけが湧くのは煩わしい以外の何者でもないだろう」

男「死にたいのに腹が空くなんて、これほど惨めで情けないことはない」

男「そんな欲求のうちの一つだな。人、というかふつうを知りたいというのは」

女「人を知りたいのはなんだかふつうっぽいね」

男「そうだな、たぶん俺はふつうだ」

男「変な人扱いはされるが、そういうのも込みでおそらく全然ふつうだと思う」

女「でも人のことを知りたいと言うなら、こうして思索に耽っていてもしょうがないよ?」

男「その通りではあるが、では一体どんな質問をすればふつうな人がふつうに至った道を得ることができるのだろうか」

女「難しい問題だなあ」

男「どうしてそんな熱心に生きられるのか、なんて恥ずかしくて訊けやしない」

女「恥ずかしいの?」

男「訊き返されたら、自分には何もないと言わなければならないだろ」

女「何もないのって言うのが恥ずかしいんだ」

男「人と違うと思われるのが嫌なんだよ」

女「ふつうっぽい」

男「そうだな」

男「さっきも言ったが、別に決して自分の何もかもが人と違うと思ってるわけではない」

男「というかそんな風に思ってたら恥ずかしくて生きていられない」

女「ほかの人と一緒だから安心できる、ということ?」

男「そうなのだろうな」

女「だからほかの人と同じように、積極的に生きる理由があった方が安心できる」

男「そうだな」

女「でも、そんな風に考えてる時点で"生きる理由"をする理由に"生きる理由がほしいって理由"がつくよね」

男「面倒くさい文だが、その通りだな」

女「男くんは、生きる理由が欲しいからって理由で生きる理由になるような何かが欲しいの?」

男「それはもはや生きる理由と呼べる何かではないだろ」

女「そうは思うけど、どうなの?」

男「そこまで打算的に欲しいとは思ってはいない」

女「じゃあいつか見つかるのを待つしかないのでは?」

男「そもそも俺が求めているのは俺自身の生きる理由ではなく、ふつうの人が何故ふつうの人になれたのか、だ」

女「そういえば話が逸れてたね」

男「逸らされたわけだが」

女「男くんが悪いんだよ」

男「・・そうだな」

女「ふつうの人にどう質問すればいいんだろうねえ」

男「こういうことはそれこそ本当に尻の青かったようなときに人に訊くべきだったなとは思うよ」

女「無理に大人ぶるから」

男「無理はしてなかったが、中途半端に大人ぶって恥ずかしいと思っていたのは事実だな」

男「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とはこのことだ」

女「なら聞きなさいよ」

男「・・、結局それほどに熱心にはなれないのだろうなあ」

女「言い訳」

男「そうでもあるのだろうが、知らないなら知らないで困ることでもないだろう?」

女「男くんの知識欲が満たされなくとも良いならね」

男「俺の欲求なんか満たされずとも、誰も困りはしないだろ」

女「あまりわたしに込み入った話をされても困るよ」

男「そうだな。結局、女は俺に干渉できないもんな」

女「そういう言い方をするといなくなるよ?」

男「そのときはまた呼ぶだけだ」

女「ほどほどにね」

男「ヒマだな」

女「男くんは友達いないの?」

男「いるが友達と遊ぶのは面倒くさい」

女「えぇー」

男「それに女がいるしな」

女「男くんがそれで良いなら良いけどね」

男「俺のこと嫌いか」

女「その質問にどう答えてほしいのか、分からないよ」

男「嫌いだと言えば良いだろ」

女「どうだかね」

男「まあ言いにくいだろうな」

女「気遣いをありがとね」

男「女ともずいぶん長い付き合いだよな」

女「残念ながらね」

男「そうだな」

女「いつになったら男くんのいい人が見つかるんだろう」

男「俺に探す気もないし、仮に見つかったとしたら避けることは間違いないな」

女「男くんは意気地なしだなあ」

男「自信がないんだよ」

女「知ってるよ」

男「だろうな」

男「女との話も昔はもう少し楽しいことを話してたと思うんだがな」

女「そうだったかな」

女「男くんが無理に楽しい話をしようとしてただけでしょ」

男「かわいげもなくなったな」

女「そうだとしたら全部、男くんのせいだよ」

男「・・そういうところが大嫌いだ」

女「そう思うならわたしから独立しなさいよ」

男「どう足掻いても女になるくせによく言う」

女「わたしってそういう意味じゃない」

男「何を言ってるんだかね、女は」

男「女・・は呼ぶ必要もないか」

女「呼んだ?」

男「呼んでない」

女「どうせまたヒマなんでしょう?」

男「その通りだがな」

女「だが?」

男「女なんていなくとも暇潰しはできる」

女「おおー、えらいえらい」

女「それで何をするの?」

男「本でも読もうと思ったが、女が来てしまったからな」

女「呼んだ男くんが悪い」

男「呼んでない」

女「来てるんだから呼んだんでしょ」

男「・・そうだな」

女「読む気なくなったの?」

男「そりゃあな」

女「じゃあお勧めの本を教えてよ、わたしが読むから」

男「女が本を読むとか笑えるな」

女「そう言わずに教えてよ」

男「その辺の本でも読めばいいんじゃないか」

女「ふむ」

男「分かりきってはいたが、結局俺も本を読む羽目になるんだな」

女「わたしだけが読むなんてありえないでしょ」

男「喋りながらだと頭に内容が入ってこない」

女「はいはい、黙りますよ」

男「小説、というか創作の話って嫌いなんだよな」

女「なんで?」

男「いろいろな話があって、いろいろな人間に焦点を当てられて、誰もが主役になれるみたいなのが嫌いだ」

男「誰もが主役になりたいと思ってるって作者のエゴが気持ち悪くて仕方がない」

女「それは思い込みが強すぎじゃないかなあ」

男「主役にってのは言い過ぎだとしても、誰にでも物語があるような言い方をする人はさぞ楽しく生きているのだろうと苛つくね」

女「いや、人の数だけ話があるのはふつうでは・・」

男「誰の意識にも登らず、他人にも自分にもさざ波を立たせることなく生きることが俺の希望だ」

男「誰にでも物語があるという物言いはつまり、俺の希望は絶対に叶わないという宣告だ」

男「それを好きになれ、と言う方が無茶だろ」

女「被害妄想が強すぎると思うなあ」

男「さっさと終わることだけは評価するけどな」

女「長編小説は嫌いなの?」

男「長編と言っても人生をかけて読むような話はたぶんないだろ」

男「長くとも数時間から数日あれば完結するというのは羨ましいと思う」

女「よく分からないよ」

男「現実の面倒くさいことは実際には何日も、何ヶ月も、何年も、ついてまわるだろ」

男「その点、創作ではただの数行で問題が解決される。これほど羨ましいことはない」

女「男くんは本当に面倒くさがりだなあ」

男「面倒なことになった」

女「どうしたの?」

男「人と登山することになってしまった」

女「あらら。インドア派な男くんにはしんどいねえ」

男「雨天中止とか、当日体調不良でキャンセルとかになれば良いんだが」

女「男くん、そのあたりの運は人よりずっと良いもんね」

男「望まない方向に転がることは運が悪いと言うんだ」

男「本当に何もかも運が悪い」

女「そういうものかなあ」

男「道が通らなければ諦めて終われば良いだけなのに、望みもしない道が通るから止まることもままならない」

女「その道は他の人が望んでも通れなかった道かもしれないじゃない」

男「望みもしない人間に道を奪われるようヤツはクズなんだ」

女「そもそも望まない道なら通らなければいいじゃない」

男「それ以外の道を知らないし、おそらくどの道も望むところには続かない」

女「・・」

女「話戻すけど、登山くらいは断れたでしょ」

男「相手がしつこくてなあ」

女「自分のしたいこと、したくないことくらいはっきり言った方が良いよ」

男「それを言っていいなら、何もしたくない」

女「ああいえばこういう」

男「昔からそうだろ」

女「そうだけどさあ」

男「だいたい疲れることが好きなヤツは頭がおかしいんだ」

女「そこまで言わなくても」

男「疲れればするべきことをするのが億劫になるだろ」

女「休めばいいじゃない」

男「自分の意思で疲れることをしておきながら休むなんてことを許すのか」

女「だって疲れてるんだし・・」

男「疲れるようなことをするのが悪い」

女「それは結果論でしょ」

男「少なくとも俺は、休みたいって意思とは無関係に頭と身体を使ってきた」

女「それは男くんが勝手にやったことじゃない」

男「・・そうかもな」

男「期待に答えられなければ責められ、期待に答えられれば次の期待に答える場を与えられる。

 そんな中で責められるのが怖いと思っていた俺がわるいんだな」

女「責められるって・・被害妄想だと思うなあ」

男「期待に答えられないことを怖いことだと思っていたことと、期待に終わりがなかったことは事実だ」

女「・・そっか」

女「男くんは相変わらず今でも生きるのが嫌いなの?」

男「生きてても望むものがないからな」

女「幸せになりたいとか」

男「他人の言う幸せなら事足りてる。飯も寝る場所も服も役割もあるんだからな」

男「その上で何かを言うのは贅沢だそうだ」

女「それは他人の言うことでしょ。男くんは何を幸せだと思うの?」

男「自分の幸せの形なんて考えたこともないし、考える必要もない」

女「なんでよ」

男「独りよがりでふつうからかけ離れた幸せなんて、迷惑極まりないだろ」

男「社会で生きるなら、幸せの形は他人の言う形に収まらなければならない」

男「よって、自分に見合った幸せを探す必要はあるが、自分だけの幸せを考える必要は一切なくなる」

女「じゃあ見合った幸せを探しなさいよ」

男「人の言う幸せを散々見たが、どうでもいいとしか思わなかったよ」

男「非常識な望みならあるけどな」

女「どんな?」

男「女と一つになりたい」

女「それはまた難しいことを言うね」

男「だから非常識だと言っただろ」

女「考えとくよ」

男「できもしないくせに」

女「おはよう」

男「・・今回は間違いなく呼んでないぞ」

女「呼ばれてないからね」

男「焼きが回ったかね」

女「男くんのね」

男「そういうつもりで言ったんだよ」

女「ふふ、自覚があるならいいよ」

男「で、なにしに来たんだよ」

女「男くんの望みを叶えに」

男「……ああこの間のな。女にそんなことができるのかよ」

女「たぶんね」

男「言っておくが、俺は痛いのや怖いのは嫌いだぞ」

女「女の子みたいなことを言うね」

男「それが平気なら俺はとっくにここにいない」

女「そうだね、知ってるよ」

女「大丈夫、痛くないしすぐに終わるよ」

女「だからもう少し眠ってて?」

男「起きるまで待ってたヤツの言う台詞か」

女「一言言ってからの方が良いと思って」

男「それはありがたいがな」

男「じゃあおやすみ」

女「ん、おやすみ」

男「・・わた、いや俺……か」

男「うん大丈夫そう、だな」

男「・・わたしは君の期待に答えたいから、それだけでふつうに生きられるから大丈夫」

男「大丈夫、だよ」

終わり

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