黒馬と友達(58)

こんなに遠くに来たのは初めてだ。
雨に降られ、風に吹かれ。
崖を行き、森をいくつ越えただろう。

見たこともない景色が眼科に広がり、
友の手が私を強く握る。

その橋は永遠に続くようにも、
すぐに果てるようにも感じられた。

友の名はワンダ。

私の名はアグロ。

これは私たちの命を懸けた物語だ。

ワンダと初めて出会った時、ワンダの背は今の私の膝くらいだった。
物静かだけれど、私を優しく撫で、
「あぐろ、あぐろ」
と覚えたての私の名前を何度も呼んでくれた。

ともに草原を駆け、気づけばワンダは私の背にまたがり、
私はワンダの足となり、風のように駆け回った。
ワンダは私のだいすきな人になった。

ある日ワンダと村を歩いた。
食べものや、雑貨を買いに来た。
帰りしな、手綱がびくんと引かれた。
顔を上げると、太陽のように暖かく、
風のように優しい笑顔の少女が立っていた。

彼女の名はモノ。

ワンダとモノは、それはそれは良い仲になった。
モノとワンダを背に乗せて、
ゆったりと草原を走った。

風と競争するような力強い走りも好きだが、
風と散歩するような、こんな走りも好きになった。

二人と私はずっと一緒だった。
モノが一人で私に跨ったとき、バランスを崩して
モノが私の体に抱きついた。
ワンダは一瞬焦った顔をしたけれど、すぐに大きく笑った。
モノも笑った。
私はモノに抱きしめられながら、
モノも私のだいすきな人になった。

ずっとずっと一緒にいたいなと思った。

ずっとずっと。

きっとそれがいけなかったんだ。

ずっとずっとじゃ足りなかった。

ずっとずっとずっと。
そう願えば良かったんだ。

モノがしんだ。



ワンダは泣いた。
その声は朝も夜もなく、私の耳に届いた。
物静かで、無口なワンダ。
「モノ、モノ」
ただ彼女の名を叫んだ。

涙が枯れたワンダはどこかへ消え、
戻るとモノの亡骸を毛布で来るんだ。
弓を背負い、ワンダは何も言わずに私に跨る。

かける言葉も見つからない。
私にあるのは駆ける足。

途方もない距離を、ただひたすらに駆けていった―――

たどり着いた城の戸が開く。
私は屋上から漂う甘い香りに惹かれていたが、
城の中からこみ上げてきた嫌悪感に震えた。

踏み入れた城の中、小さな池が出迎えてくれた。
奥は天井が高く、いくつもの像が私たちを見下ろす。
それは城というよりも、教会に近い気がした。
ただ、村にあったそれとは違い、
ここにはなにか、弓矢でどこからか狙われているような、
嫌な雰囲気が漂っている。

光の中にベッドのような台が見えてきた。
ワンダは私の背からモノの亡骸を抱き降ろすと、
その台に寝かせ、毛布を剥いだ。
その後ろ姿は、あまりに切なく―――

!!なんだこれは!!
やめろ!!私に触るな!!
ワンダ助けて――

どこから湧いたのだろう。
無数の黒い影が私に迫ってきていた。
ワンダは怯えることなく、前を見据えている。
モノが亡くなった日から変わらない、
深く悲しい瞳で。

ワンダが剣を抜く。
見たことない剣だったけれど、
その剣に照らされた途端、影が消えていく。

同時に雷が響き、天から声が降りてきた。

ドルミン

私が知る中で最も邪悪という言葉が似合う声だった。

怯える私を置いて、ワンダはそいつと会話を進める。
そうなることが分かっていたように。
そうなることを望んでいたように。
ドルミンとワンダは契約を結んだ。

モノの魂。
巨像の破壊。

それが全てで、これが始まり。

ワンダは私の手綱を握り締め、城から飛び出した。
しばらく行くと崖に行き着く。一心不乱にワンダが登る。
不安でずっと見上げていた。

ワンダはどこへ行ったのだろう?
ここで待ってていいのかな。

登り続けるワンダを見つめ、見えなくなって顔を下ろす。
不安で、怖くて、寂しくて。

だけど私はワンダを信じr―――――

「ヴオォォォオォオォ!!!!」

今までに感じたことのない地響きと、雄叫び。
ワンダの登った崖の上からだ!!

ワンダは見えない。

けれど蠢く大きな黒い影は見えた。

それはここから見ても大きい。
怯えて体が震える。

ワンダ・・・!!

待つしかない。
何度も繰り返す地響きと、雄叫びの中、
駆けるしか脳のないこの四肢を呪い、
ただひたすら待った。


「・・・ウォォオオォ・・」

どのくらいの時間が経ったのかはわからないけれど、
今までにないくらい悲痛な雄叫びと、地響きがこだました。
そして静寂に包まれた。

ワンダはどこ!!

帰りをただ待った。
刹那、
あのドルミンの邪悪を感じ、
光の柱が崖の上を照らした。

城の方から何かが砕ける音と、
ドルミンの声が聞こえる。
呪った四肢を全力で振り回し、
城へ急いだ。

城の中には砕けた像と、
傷ついたワンダがいた!

嬉しくて駆け寄る私に目もくれず、
ドルミンから何を聞いたのか、
モノの亡骸を見つめながら、
今まで見たことのない、
とても恐ろしい微笑みを見せた。

あの日から凍りついたワンダの感情。
モノを救えるかもしれないという、
希望を見つけたのだろうか。
あれが希望の微笑みならば、
希望とはそれほどまでに
恐ろしいものなのだろうか。

やっと私に気づき
「アグロ!」
と私を呼んだ。
その声も表情も、さっき見せた微笑みは見当たらない、
モノがいたころのものだった。

私はなんだか嬉しくなって、
あの大きな黒い影のことも、
今思っていた事全て、
一瞬で消えてしまった。

ワンダが呼んでる!!

ワンダは私を撫で、背に跨ると。
再び城から飛び出した。

こうして見ると、ここは駆け回るにはもってこいだ!
いろんな地形があって楽しい限りだ。
あの日からこんなふうに風と競争することもなかった。
すっかり忘れていたけど、やっぱり楽しい!
ワンダがいる!
ワンダを感じる!
嬉しいなぁ!!

ぽっかり空いた大地にかかる、
細くうねる橋を渡って、
穴のそこへと続いてく
これまた細い道を行く。
慎重に慎重に。
危ない道だものね!ワンダ


振り返って見えたワンダの表情に戦慄した。
そこにモノのいた頃の笑顔はなく、
深い悲しみの瞳と、
歪んだ希望の微笑みがあった。

忘れていたんじゃない。
忘れたかったんだ。
ワンダは昔のワンダじゃない。

もうあの頃には戻れないのかな。

いつの間にか穴の底に到達していた。

穴の底は薄暗く、
気持ちをより一層陰鬱にしていく。
壁に洞窟のようなものが見え、
そこに向かって進んでいく。

洞窟には扉のようなものが見えt――――

ドォォン!!・・・ドォォォォン!!

なにかが扉を叩いている・・!!
扉を叩く音と共に、体を突き上げる地鳴り。

ドォォォッッッ・・・!!
「ブオォォォオオォォ!!」


なんだ・・・コレ・・・!!

目の前に現れた大きな黒い影。
大きなという言葉しかないのが悲しいくらい大きい。
生き物なのかはわからないけれど、
城がそのまま動いているような大きさだ。

― 巨像。
ドルミンの言っていた、
崖の上で見た影が、コレだったんだ・・・!!

逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなky・・・!!

今までに聞いたことのない心臓の鼓動。
それが私自身のものだと気づくのに少し時間がかかる。

私の足が動き始めると、手綱は逆に向けて引かれた。

ワンダの顔を見る。
あの恐ろしい微笑みをたたえ、
今までにないくらい強く手綱を引いている。

ワンダは見知ったように、弓を弾き巨像を跪かせる。
跪いた衝撃の大きさに悲鳴をあげる私から飛び降りて、
巨像の背に駆け上がるワンダ。

逃げ惑いながらもワンダを見つめる。
真っ黒な血を体に浴びながら、
ワンダは巨像に剣を突き立てる。
そこにさっきまでの微笑みはなく、
モノを亡くした日の悲痛な瞳が見えた。

ワンダが大きく剣を振りかぶり、
突き立てた。
巨像は、切なく悲しい鳴き声を上げながら、
息絶えた。

すると巨像の中からドルミンに感じた邪悪が
黒い蛇のように溢れ出てきた。
私は体を仰け反らせ怯えそうになる足を地面につきたてる。

ワンダを救わなくちゃ!!

ボロボロになったワンダが巨像のそばで立ち尽くしている。
生気を奪われたような、ボロボロのワンダ。

急いで逃げなきゃ!

ワンダを救わなくちゃ!!


・・・・ズチャッ・・・・!!

ワンダの体がくの字に折れる。
巨像から出てきた蛇のようなドルミンの邪悪が、
ワンダの体を突き刺したのだ。

ワンダ!!!

口から黒い煙を放ち倒れるワンダを、
天空から光が包みこむ。
まぶしさに遮られ、ワンダを見失い、
光が収まるとワンダは消えていた。

城に戻ると、砕けた像とワンダ。

もう、戻れない。

その時その思いは、確信に変わった。

私たちはひたすら駆けた。
風を追い越し、心を殺し。

私の体はボロボロで、
それでも足を振り回す。

ワンダの体もボロボロで、
それでも手綱を握りしめ。

ほとんどワンダ一人の戦いだった。
私ができるのは巨像の断末魔を共に受け止めるだけ。

時には共に戦った。

襲い来る恐怖。立ち向かう狂気。
目の前で潰える巨像の命。
くすんでいくワンダの瞳。

できることなどなにもなく、
戻る場所はどこにもない。
邪悪な希望にすがりつき、

一心不乱に駆けていた。

いつのまにか城の像は、あと一つになっていた。
ワンダは巨像の血を受けて、
体中黒く染まっていた。
ほとんど気力だけで立っているような状態。
私を呼ぶ声もかすれて風に消えそうだ。
それでも私を引く手綱は、どんどん力強くなる。

歪んだ希望を見つめながら、
最後の巨像へと向かった。

最後の巨像へと向かう道程、
ワンダが不意に私を抱きしめた。
抱きしめたのか、バランスを崩したのかわからない。

そして耳元で
「アグロ」
と私の名を
かすれた声で囁いた。

その先の言葉は聞こえなかった。

私はモノに抱きしめられたときのことを思い出し、
変わり果てた私とワンダを想う。

この戦いが終わったら、また三人で過ごせるのかな。
そしたら今度は願うんだ。

ずっとずっとずっと。

変わってしまったかもしれない。
汚れてひしゃげてしまったかもしれない。

けれどどんなに汚れても
形がいびつになったとしても
変わらないものはここにある。

モノへの想い。ワンダへの想い。

また三人で風とともに・・・

そんなことを思っていると、森の奥の扉にたどり着いた。

最後の戦いだ。

また三人で。

歪んだ希望でもいい。また三人でずっとずっとずっと。

そびえ立つ遺跡。

この上に最後の巨像がいる。

足場の悪い橋。ちくしょう最後の最後に。

でも私にできるのは、ワンダを見送ることだけだ。

それならせめて―――

飛び上がる私。

砕ける橋。


届け届け届け届け届け届け届け
届け届け届け届け届け届け届け
届け届け届け届け届け届け届け
届け届け届け届け届け届け届け
届け届け届け届け届け届けとdッ!!


間に合わない。と思うよりも先に体が反応していた。

首を反らせ、その反動で思い切り手綱ごとワンダを壁に投げつけた。

砕けた橋とともに、落ちていく私。

遠くなる空。

痛みばかりの日々。

だいすきな人。

目を閉じた私の前に

少し前の思い出が蘇る。

走馬灯を馬である私も見るのか。

――――いつだったか巨像を探しているうちに、
なぜか海岸にたどりついたことがあった。

ただ巨像だけを求めていたワンダが
唯一あの時ふっと肩の力を抜いた。

そして私から降りて駆け、
振り返りながら

「アグロー!」

と私を呼んだ。
その顔には少しだけ、
三人の頃の笑顔が差し込んでいて。
私も水をバシャバシャと弾きながら
風と競争した。

ああ。そうだ。あの時少しだけ戻ったんだ。

二人だけだったけど、戻れたんだ―――

ッパーン!!

体が水で貫かれるような衝撃とともに、
深く深く水のそこに押し込められていく。
かすかに私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

意識が遠のいていく。

ワンダ・・・モノ・・・

私のだいすきな人。

ずっとずっとずっと。

一緒に。

―――アグロ―――

なぜだろう。闇の中の水泡の奥から
モノの声が聞こえた気がした。

水面が見える。

戻れるんだ。

私たちは。

四肢をぶん回して水上へ向かう。

そうだ。願ったんだ。

今度はずっとずっとずっと三人で。

無我夢中で川岸を探す。
足に鋭い痛みが走り、下半身が水中に飲み込まれそうになる。
いつの間にか降り始めた雷雨の中、
必死に川岸を目指す。

ワンダを悲しませたくない。

モノを悲しませたくない。

何より私は

だいすきな二人に会いたい!!

痛みを抱えた足を、川から少し入った林の中で休ませる。
あれだけ当たり前に使っていたけれど、もう私の足じゃないようだ。

風と競争はかなわないかなぁ。
でも三人だったらゆっくり散歩もできるよなぁ。

雨が止んだらゆっくり城に戻ろう。

そしたらワンダもモノもいたりして。。。


一本使えないだけでこうも動けないのかと、
からだの不思議を感じながら、
二人の待つであろう城を目指すアグロ。

やっと見えてきた、すでに郷愁すら感じるドルミンの城。
不意に城の方から凄まじい光と突風が吹き、
アグロはかがまずにはいられない。
なにかが崩れる音が続く。

聞きなれない音や光にアグロは、

「きっとワンダが最後の巨像を倒したんだ!」
「そしてモノの魂の儀式が行われたんだ!!」

と感じずにはいられない。
傷ついた足をかばいながら、なんとか城にたどり着いた。

階段を登りきると光に照らされた白い衣がなびく。

太陽のように穏やかで風のように優しい、
ずっと会いたいと望み、願った人がそこにいた。

「アグロ・・!」

自身の命を救ってくれたその声と、
ずっと願っていた優しい手のぬくもり。

歪んだ希望は、
あまりにも美しく
尊い現実を与えてくれたのだ。

不思議と城の邪悪さは消えていた。
像はすべて壊されていた。
像以外の床や壁も壊れていた。
何かがおかしい。
アグロは感じていた。

いつもそこにいたはずの
いつもそばにいたはずの

ワンダがどこにもいなかった。

何かがおかしいと私は感じていた。
すると城の奥から、

・・・おぎゃぁ・・・

小さな泣き声が聞こえる。

入口にあった小さな池の方からだ。
モノとともに歩いていく。
私のあゆみに合わせて、
支えてくれるように共に歩いていく。

この声はきっと。

痛みをこらえながら、確信めいたその希望に手を伸ばす。

池の中は干上がり、中に小さな赤ん坊がいた。

モノが死んでから、

ワンダがここに来てから、

ワンダとドルミンが契約を結ぶ間、




私は願っていた。

ずっとずっとずっと三人で。

私はあの甘い香りのした屋上へ向かう。

傷ついた体を休めるために。

優しい光の中で、変わり果てたワンダとモノと私。

ずっとずっとずっと三人で。

また風と散歩するように駆けよう。

これは私たちの命を駆ける物語なのだから。

【完】

はじめてで、書き方よくわからなかったので、
読みにくくてごめんなさい。
ありがとうございました。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom