男「綺麗な日の出だなあ」(45)

「・・・・・・・」

アパートの一室に、一人の幼い子供が母の匂いが残るブランケットで自分を覆い、居間に座っていた。
子供は愛おしそうに日が沈んで間もない夕方の空を窓から眺めていた。

「じゃあね。大人しくお留守番をしてるのよ。また戻ってくるからね。」

「早く行こうよ。」

「じゃあね。いい子にしててね。じゃあね。」

聞きなれない男の声と共に思いだす母のその言葉を胸に子供は
ただ帰りを待っていた。

「ひっ・・・うぐっ・・・」

やがて暗くなった。
暗くなった部屋の中で子供は懸命に涙をこらえていた。
幼いながらも子供は感じていた。
母は二度とは帰ってはこない。
寂しさと恋しいのとで自然と涙がこみ上げてきた。

その家族は母と父と子供が一人とどこにでもいるような家族であった。
しかし貧困であった。

その子供。彼の父は小さな会社のトラック運転手である。
その昔、彼は社長であった。水産高校を卒業し、大学には進学はせず、その身一つで
海外を飛び回った男である。優秀だったようでさまざまな仕事に従事した後、彼は水産系の事業を起こした。

彼の父と母が出会ったのは、彼の父が事業を起こし、右肩上がりに上手くいっていた時である。

しかし、事業は失敗した。
残されたのは多額の借金のみである。

>>3
無いですごめんなさい

彼はその時に生まれた。
彼が生まれたとき、父は大いに喜んだ。もちろん母もそうだっただろう。

経済的に苦しい中で、父はよく働いた。息子、妻のために。

懸命に。懸命に働いた。

しかし現実は残酷なもので、借金は減らず、明日の食い物にも困るような生活が続いていった。

「私たちが買いたい服も我慢してるってのによくお酒なんか飲めるわね。」

「いいだろう。こんな生活なんだ。一つくらい楽しみがあったっていいじゃないか。」

「楽しみ?私はその楽しみすらないのに?」

「やめよう・・・。こんな話は・・・。」

「あんたと結婚したのが馬鹿だった。こんな男にこんな生活。ハア・・・。」


金の余裕が無くなってくると共に、心の余裕もなくなっていた。
自然と夫婦喧嘩が増えていった。

彼は父と母のそんな姿を見るのがたまらなく嫌だった。
喧嘩の内容はもっぱら金のことばかりである。

「この野郎!!!!」
「殺してやる!!!!!」

「子供がかわいそうよ!!!!」


そんな怒号が母の口から飛び出る。

「俺だって一生懸命なんだ。」
「今は我慢してくれ。」
「ぜったいにまたもとの生活に戻る。」

「子供が見てるだろう。」


父の口からはこんな言葉がよく出た。

その度に彼は悲しく、辛く、泣いた。

「ごめんなさい」

彼は泣くときに、理由もなくこの言葉を口にした。

金のためにまた自身のために父と母が争うことを幼心に感じていたのである。

「・・・・・・」

「ううっ・・・・」

喧嘩は大抵、彼が泣いた後の母のすすり泣きで終わる。


「全部俺が悪いんだ・・・・勘弁してくれ・・・・」

「男・・・ごめんな悪いお父さんで・・・ごめんな」

「うん」

そうして父は外にタバコを吸いに出る。


「男、こっちおいで・・・・」

母は彼を呼び寄せ抱きしめる。

彼はこの母からの愛情を独り占めできるこの瞬間が好きであった。

この時、男は6歳であった。

家賃、水道、ガス、電気。そして借金。それを払ってしまうと、手元に残る金はスズメの涙ほどである。

金さえあれば。父の頭の中には常に借金のことでいっぱいであった。

彼は優秀であった。しかし所詮は高校卒業止まりであり、年齢も37とサラリーマンとして職に就くには
あまりにも年を取りすぎており、また知識も無い。
海外への仕事のコネも事業を起こした際の借金の為にすべて無くなった。
さらに生活のためにと金を無心したおかげでまわりの友人も離れていった。

そんな彼に出来たのはトラックの運転手であった。

コンビニの夜勤労働もやっていた。

今に見ていろ。見返してやる。

家族への愛情と社会への復讐心を燃やしながら彼は働いたのであった。

見慣れぬ男が家に来るようになったのは男が6歳の冬であった。

男が小学校から帰ってくると、母は化粧をほどこし、外出する準備をしていることが多くなった。

母が準備をしているときは決まって夕方の5時ごろにインターホンが鳴る。
その度に母は男に千円札を手に握らせ

「じゃあ、お留守番お願いね。これで晩御飯好きなもの食べなさい。」

そういい残し、家を出る。

母が家を出る際に見える、父親以外の顔を男は今でも覚えている。


嫌いだ。

「zzzzzzzz・・・・」

子供は泣きつかれて寝ていた。

「ううん・・・お母さん?・・・」

子供は夢に出てきた母に愛を求めて起きた。
あたりを見回してみたがなにも見えない。
母の愛のかわりに静寂が子供を包んだ。

「まだ帰ってこないのかぁ」

そうつぶやき。あきらめたように子供は部屋の電気をつけた。
そして強引に自分を納得させてテレビをつけ、寂しさを払いのけるように笑った。


子供の心には永遠にふさがることのない穴が開いた。

父がいつもどおり9時ごろに帰ってきた。

「ただいまあ!」と父がいった。

なにも返事がないことを変に思いながら父は居間をのぞいた

子供はテレビを見ていたが、父に気づき、屈託の無い笑顔を見せながら
「おかえり」といって父を出迎えた。

「おう。男、お母さんは買い物か。」

「うん。」

一瞬わずかに静寂が通り抜けた。

「うん。なんかね。すぐ戻るからいい子にしてなさいっていわれたからね。
待ってたんだけどねっ。」

そうしゃくりあげ、子供はたまらず泣き始めた。
テレビを見ながらこらえていた恋しさ、寂しさ、わけのわからぬ悔しさが一気にこぼれたように
声をあげて泣いた。

「どうしたどうした。うん?」
父は突然の出来事にたじろいだが、息子の涙をみて出来事が大まかに理解することができた。
父は息子が落ち着くまで抱き上げていた。

今日はここまで

父「・・・・・。」

父は机の上に置かれた離婚届の前に悠然と座っていた。
しかし、父の目は怒りと憎しみが渦巻いているようにどす黒く、光が無かった。

父のその異様な雰囲気を纏った姿を子供は見たことが無かった。

父「はぁ・・・。クソッタレが・・・。」

子供はただ黙って居ることしか出来なかった。

父はちらりと子供のほうを見た。

父「男・・・。我慢してくれ・・・。」

そう言うと父はジャンパーの内ポケットからボールペンを取り出し、紙に書き始めた。

もう元の家族に戻ることは無いのだなと子供は父の一言から理解した。

書き終えて、父は判子判子といいながら居間の普段はあまり開かない引き出しに手を入れていた。
判子を手に持ち、机へと戻ってくる途中で子供の頭を乱暴に撫でた。

父「はぁ・・・。」

そうため息をつくと判子の息を吹きかけ、紙へと押し当てた。

父「これで終わりかあっけないもんだな。ふっ。」

今まで好いてくれた人、友人、妻が金が無いばかりに自分からどんどん離れていく。
自分を見限った人間と築いたきた信頼のあっけなさにおもわず彼は笑ってしまった。

彼はまた子供のほうをみた。
不安そうにこちらを見ている子供を見ると我が子に対する憐れみの情で思わず
涙がこみ上げてきた。

子「お父さん大丈夫?」

父「おう・・・。お前こそ何ともなかったのか?」

子「うん。大丈夫だよ。」

父「そうかあ。偉いぞ。」

父「男。よく聞いてくれな。」

子「うん。」

父「・・・。悪いがお母さんは帰ってこない。」

子「うん。」

父「だからこれから先は俺とお前の二人きりだ。」

子供の父。彼もまた家族に縁が無かった男である。
生まれてすぐに両親は別れ、彼は母に引き取られた。
しかしその直後、彼の母は働き始め、彼を姉の家族へと預けた。
家系はみな知識階級であり、彼が勉強が好きでなかったのもあり、母の姉は彼を邪険に扱っていた。

彼はことあるたびに母の姉から馬鹿だから、ウチ家系からこんな子が生まれるなんてといびられていた。
母は母で子供には必要なものだけを与えておけばいいと考えていたので、久しぶりに彼と面会をしても
非常にそっけなかった。それゆえに彼は人に甘えるということが出来なかった。

かといって彼に味方がいなかったわけではない。
義理の叔父さんと同居をしていた祖母はいつも味方をしてくれた。

義理の叔父さんは気が弱い人で叔母さんに尻に敷かれていた。
なので彼がいびられていても見てみぬ振りをしていることが多かった。
叔父さんはよく彼を自らの書斎によびこっそりとお小遣いをくれた。
「すまないなあ。本当に。勘弁してくれよ。」と言いながら。

祖母もまた気が弱い人で叔母さんには何もいえない立場の人であった。
祖母は叔母さんの居ないときには同情の言葉を掛けていた。

今日はここまで

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