男「料理をしよう」女「ばっちこい」(41)


女「おとこー! あっさだー! 朝陽がさんさんだー!」

男「すぴー」

女「朝ですね! そうです! ほら、外を見て! 青空!」

男「んー……」

女「すごいね。朝が来たんだよ。こうして一日が始まるんだよ!」

男「……ん」

女「……」モゾモゾ


男「……」

女「……」

男「……あつい」

女「起きよ。朝だよ」ギュッ

男「あつい」

女「もう夏だね。夏の訪れだね」

男「あつい!」ガバッ

女「うひゃうっ!」


男「…………」

女「怖い顔はよくないなあ。彼女が起こしに来たんだよ」

男「その良し悪しは時間によります。今、何時?」

女「四時半」

男「おやすみなさい」モゾ

女「だーめーだーよー、おーきーてー」

男「お願いだからちゃんと朝まで寝させてください。遅くまで勉強頑張ったんです」

女「寝てない自慢?」

男「慈悲をかける心はないの?」


女「寝てないのは自分だけ、と言いたいようですが、それは私だって同じよ」

男「おんなは学校でもしょっちゅう昼寝してるじゃん」

女「わたしも夜は寝れてないんだからね!」

男「それは昼寝がもたらす弊害でしょ」

女「受け答えがしっかりと出来るようになってきたということは、起きたわけだね」

男「このなし崩しをそろそろどうにかしないとなあ……」

女「なにする? 一緒になにする? なにもないなら暇する?」

男「暇をするくらいなら寝ようよ」

女「寝るのは睡眠、二度寝は過眠、三度寝は惰眠。しまりのない惰弱な生活は猛毒です」

男「同じ言葉を昼寝している時のおんなに聞かせてあげたい」


女「睡眠学習を習得したわたしに抜かりなし」

男「先週習った問題です。かっこaぷらすbぷらすcかっことじの三乗を展開せよ」

女「え?」

男「かっこaぷらすbぷらすcかっことじの三乗を展開して。紙いらずでできるでしょ」

女「あ、うーえー……えっと、2――」

男「ハズレ」

女「ふ、不意打ちされたら誰だって詰まるわよ! じゃあ(a+b+c)の四乗は」

男「a^4 + b^4+ c^4 + 4ba^3 + 4ca^3 + 4ab^3 + 4cb^3+ 4ac^3
   + 4bc^3 + 6(ab)^2 + 6(ac)^2 + 6(bc)^2 + 12bca^2 + 12abc^2」

女「……」


男「答えは?」

女「……正解です」

男「ハズレです。12cab^2が抜けてるので不正解」

女「ずるいよね!」

男「答えが限られてる数学でずるいもなにも。これで満足した?」

女「しません。ひっかけばかりであげ足を取って、満足するもんですか」

男「わがままだなあ。じゃあどうすればいいのさ」

女「どうすればなんて知りません。自分で考えなさい」

男「押しかけられて、たたき起こされて、へそを曲げられて……なにこの理不尽」

女「ふんっ」


男「はぁ……そういえば、新入荷の小説が」

グゥー…

男「ぐぅ?」

女「……ぐぅ」

男「なにそれ」

女「ぐ、ぐぅー」

男「なにかの鳴き真似?」

女「ぐ」グゥー…

男「……」

女「違う」


男「一晩中起きてたんだっけ」

女「違うよ」

男「その間は何も食べてなかったのね」

女「違います」

男「お腹空いた?」

女「……うん」

男「それじゃ暇潰し前にすきっ腹を埋めないと」

女「ポテチ?」

男「料理をしよう」

女「ばっちこい」


*

男「はてさて、やって来たは台所」

女「冷蔵庫開けるね」ガチャ

男「あ、こら。勝手に他人の食糧事情を確かめるでない」

女「おー、いろいろ詰まってておいしそう」

男「『朝食は食べました』ってメモ書きしておくか。作られても腹には入らないだろうし」

女「お茶もらうね」

男「いいよ。コップは……」

女「水色のマグカップを借りました」コプコプ

男「それは……」


女「もしかして、借りちゃいけない人のだった?」

男「いや。そういうわけじゃ」

女「誰のコップ?」

男「俺の」

女「ならいいじゃない。お借りします」

男「う、うん。おんなは、その……そういうことを気にしない派?」

女「気にしないってなにを?」

男「いや、なんでもないです」

女「変なの」


男「気にするしない以前に思い至らないのはどうなんだろ。俺が意識しすぎなのかな……」

女「借りたコップは洗っておくね」

男「うん。いや、待って。……お茶入れておいて」

女「男も飲むの?」

男「のど、乾いた、飲む、うん、コップ、俺の、だし」

女「お茶相手になにを動揺していらっしゃる」トクトク

男「お茶、おいしかった?」

女「それはもちろん。いつもより美味しく感じました。どうぞ」

男「そっか、美味しかったか……いただきます」

女「めしあがれ」


男「……」ゴクゴク

女「どう?」

男「いつも、より、美味しい、かも」

女「お茶はすごいわ」

男「すごいね、お茶」

女「水分補給も済んだところで。さて、どんなものを作りましょうか」

男「昨晩の残りがあればひと工夫を加えて似非創作料理と言えたんだけど」

女「キッチンにも冷蔵庫にもそれらしきものは見当たらず」

男「毎食分きっちり計ったように作れるのは主婦のすごいところだよなあ」


女「オムライスを食べたいです」

男「それよりも『しょくざい』でしょ」

女「……罪を償えと」ゴクリ

男「冷蔵庫になにが入っていたかを知りたかっただけです。贖罪の方は好きにしてください」

女「あ、なんだ。そっちね。えへへ、早とちり」

男「前科を溜め込みすぎた心が重圧に悲鳴をあげてるんでしょ。謝ってくれてもいいよ」

女「……」

男「なにその深刻そうな顔。そんな重大ななにかを抱えてるの?」

女「実は……おとこの小説を持ち帰って毎晩読んでました」

男「そんな懺悔は聞きたくなかった」


女「面白かったよ。【煌きの宝剣】を握った勇者が【永遠をつかさどる深闇】を斬り裂いた瞬間とか」

女「【アンラックナンバー13】って呼ばれてる『八首の不滅竜【ヤマタドラゴン】』と賢者が戦う場面とか」

女「そのシーンで究極呪文【エンド・ワールド~久遠の唄聲~】で神の裁きを与えたりとか」

女「読み終わるまでずっとドキドキだったよ! もう手に汗握った!」

男「すっごいや! 俺も心臓がバクバクして変な汗が止まらないよ!」

女「第二十八章で止まってるけど、いつでも続き待ってるからね!」

男「ごめん、無理です。あの続編を書いたら心が死んじゃう」

女「唯一のファンを見捨てるとは……あ、お姉ちゃんも面白いって言ってた」

男「……」

女「うわ、すっごい震えてる。お茶飲む?」


男「ありがとう。もう生涯ずっと家に閉じこもってようかな」

女「お、インスピレーションが湧いたんだね」

男「思考能力すらも投げ出して引き篭もりたいくらいです」

女「それは不健康でよくないから駄目だよ。冷蔵庫の最下段にベーコン発見」

男「笑われて過ごす人生よりかは……ウィンナーとどっち使う?」

女「なにに使うの?」

男「それはもちろんチキンライスに。卵とじだけじゃ味気ないでしょ」

女「どっちにしようね。どっちも美味しいから迷う」

男「ベーコンやウィンナーは味が濃いよね。焼いたのをご飯に乗せるだけで箸が動く」


女「む、このウィンナーはちょっとピリ辛だ。美味しいチキンライスができるかも」

男「辛味は甘みを引き立たせて……食べてるの?」

女「ん? うん」モグモグ

男「ちょっと待って。人の家のものを勝手に、じゃなくてウィンナーは火を通さないと」

女「加熱処理済みのウィンナーだから大丈夫だよ」

女「焼けばぱりぱりほくほくで美味しいけど、焼かないのも好き」モキュモキュ

男「……ほんとに?」

女「うん。マヨネーズつけると美味。食べてみる?」

男「いや、万が一の食あたりが怖いからいいや」


女「むむっ、それは疑いの目だね。こんなにもウィンナーがおいしいというのに」

男「食べてるそのウィンナーでいったん終了ね。食べきられたら困るし」

女「はいはい。んー、冷たいからこそ出るしっとりとしたウィンナーの食感が」

男「野菜室も見ておいて。俺は油とか準備するから」

女「野菜室は新鮮だね。なかなかおいしい」シャクシャク

男「サラダはキャベツを千切りにして……しゃくしゃく?」

男「おんなさん。なんだかそちらから愉快で不愉快なしゃくしゃく音が」

女「ん? セロリ」モシャモシャ

男「……」


女「じっと見つめてなんでしょうか。食べたいの?」

男「なんでセロリをそのまま食べてるの?」

女「なんでって、セロリは加熱しなくてもいいんだよ」

男「凝った料理でない限りはセロリに火を通さないだろうけどもね」

男「俺があなたに尋ねたいのはそうじゃないの」

女「ああ! マヨネーズ忘れてた!」

男「それも違う」

女「違うの? おとこは塩でいただくあっさり派?」

男「俺はマヨネーズ派だけども、そんなことはどうでもいいんです」


女「仕方ないなあ。半分あげましょう」ポキッ

男「いやいや、べつにねだってるわけじゃないからね」

女「むっ、平等に折れなかった。どっちがいい?」

男「どっちがって……短い方で」

女「そっちはさっきまでかじってた側だけど、いいの?」

男「寝起きだし……食児の分の胃袋も空けておかないといけないし……」

女「謙虚は好きです。はい」

男「……」ゴクリ


女「マヨネーズいる?」

男「俺は素材の味だけでいいや」シャクシャク

女「通の食べ方だね。わたしは後乗せマヨネーズと追いマヨネーズ」シャリシャリ

男「ごちそうさまでした」

女「おいしゅうございました」

男「あまりつまみすぎると料理の分がなくなるよ」

女「お腹の計算はまかせて」

男「食欲の心配じゃなくて材料の心配です」


女「オムライスの主役の卵はよっつあるみたい」

男「さすがに全部は豪快すぎるからみっつだね」

女「ひとつだけ残すの?」

男「きっとお母さんが茹で卵にして、お父さんの弁当箱に詰めこむさ」

女「そっか。料理上手だね」

男「主婦に備わる知恵はまったく侮れない」

女「今度からは敬意を払って、『おかあさま』と呼ばさせていただきます」

男「それはそれでややこしくなるからやめて。確実に変な誤解を招く」


女「オムライスといえば、欠かせないのはチキンライス」

男「家庭科で作ったことあったっけ?」

女「あるよ。同じ班だったじゃない」

男「作りかたをすっかりと忘れてしまった。できる?」

女「おやおや、昼寝はよくないとか言ってたのに。包丁握りながら寝てたんじゃないの?」

男「そんな危ないことは絶対にしてないし、まずできない」

女「具材はケチャップとウィンナーとニンジン、オクラ、タマネギ」

男「タマネギは冷やしてはいるけど、念の為に水に浸しておこうか。……オクラ?」

女「ん?」モシュモシュ


男「だからなんで料理を始める前に食材をつまむの?」

女「これはマヨネーズとの相性がすごくよいです」モキュモキュ

男「たしかにオクラはおいしいけどもさ……」

女「食べる?」

男「食べません。没収」

女「ああっ!!」

男「サラダに添えておくからいいでしょ。緑ばかりになるけど」

女「トマトがある」

男「トマトいいね。ミニトマト?」

女「ミニトマトもあるよ」モチュモチュ


男「どんだけ飢えてるの? ご飯きちんと食べさせてもらってないの?」

女「瑞々しさには敵いませんでした。はい、ひと粒」

男「ありがと。……おいしいね」モチュモチュ

女「うん」モチュモチュ

男「そういえば、コーンポタージュがあった気がする」

女「オムライスにコーンポタージュ?」

男「悪くは無いと思うけど」

女「ここは事前に味見して決めるべきよね」

男「そんな言い分がまかり通ってたまるか。これは食事のときにね」

女「ああっ!!」


男「サラダはミニトマトとキャベツの千切り。メインはオムライス」

男「汁物はコーンポタージュと。一食には十分だね」

女「お湯は沸かしておくね」

男「おねがい。さて、ウィンナーを切りますか」

女「切りましょうか?」

男「見学してていいよ。切る仕事は任せてよ。俺はそれ以外は役立たずだから」

女「未来の主婦に頼ってもいいんだよ」

男「……誰の?」

女「だれって、おとこのでしょ。あ、コップにお茶が残ってる。いただきます」

男「ちょっと頑張ってみる。お茶は注ぎ足しておいて」

女「ん、んー」ゴクゴク


男「……」

女「ぷはっ。やはり日本のお茶は香り豊かでおいしいね。おや?」

男「…………」

女「まさかウィンナーの一刀目に手こずるとは。さすがは家庭科音痴さん」

男「すぐ切るから待って。あ……手が……震える……」

女「五教科以外の評価は全て二で甘んじてるからそうなるのだよ。どれどれ、ほい」

男「ほわっ!」

女「おっとと、手を重ねてるのに急に動いたら危ないでしょ」

男「いきなりぬっと出てきて捕まれたから焦った」

女「わたしはお化けか何かですか」


女「最初は半分に切るの。こう」

男「半分って、これちょっとずれてる」

女「多少の誤差には寛容的に。そこまでこだわってると上達しないよ」

女「半分に切ったら、それを並行に置いて、また真ん中を切る」

女「そしてまた平行にして、四分の一サイズを三等分」

男「おお」

女「どうせ均等均一ばかりを考えて分数で計算してたんでしょ。きっちり魔人め」

男「うぐっ。おっしゃる通りです」


女「味と量の感覚さえしっかりすれば計りなんて不要なのに」

男「野菜じたいに最初から切れ込みとかあればいいのに」

女「……そんな野菜を開発すれば?」

男「なんとも手間のかかる」

女「あ、お湯が湧きそー……沸いた」

男「じゃ、ペースあげてオムライス作っちゃおうか」

女「小さく切ったウィンナーもらうね」

男「食べるの?」

女「小腹が空いた時の秘密レシピをお披露目です」

男「秘密レシピ?」


女「お椀とお湯を準備します」

男「まさかお椀の中で茹でるとか……」

女「コンポタを作ります」サラサラトポトポ

男「それはまだ早いよ。今からだとオムライスが完成する頃には冷めきっちゃう」

女「ここにピリ辛ウィンナーを落とします。さっき見つけた粉末パセリも少々散らします」

男「なんだかすごくおいしそう」

女「ピリ辛は甘みをよくひき立てるのだ」

女「これをスプーンでよーく混ぜたら……はい」

男「こちらに向けたそのスプーンの意味は?」


女「あーんして」

男「え?」

女「食べて感想を聞かせなさい。あーん」

男「あ、あーん」

女「辛味と甘みとパセ味のお味は?」

男「もぐもぐ……パセ味?」

女「パセリが持つ独特の味は個別で区分されるべきだと思う」

男「悪くなく、まずくなく。おしいしい?」

女「疑問形?」


男「辛味はいいけどもウィンナーとコーンポタージュの香りが不協和音」

女「そっかー……残念。好きなんだけどなあ」モグモグ

男「でもそこは個人の好みも関わってくるわけで」

女「責任食い」ズズズ…

男「そういえば、そのスプーン」

女「勝手に借りました。青色が誰かのは分からないですが」

男「俺の」

女「お借りしております」

男「いえいえ、どうぞ」


女「ねえ、おとこ」

男「なに?」

女「これでお腹一杯になったら怒る?」

男「まさかそんな。怒らないよ。俺もお腹一杯になったし」

女「ミニトマトとセロリとコンポタだけで?」

男「お茶とセロリの威力がすごかった。次いでコンポタと」

女「そっか小食なんだね」モグモグ


男「それでお腹が膨れるようなら、出した道具とか全部片付けちゃうよ」

女「うん、ありがと」

男「でもそれで腹の足しになるの?」

女「二時間はもつよ」

男「二時間後はちょうど朝食時だね」

女「主婦の知恵の結晶がいただけるわけでございますね」

男「まさかこちらで召し上がりになるつもりですか?」

女「主婦力を養うには本場で見学を行うのが一番かと」


男「ただ眺めてるだけではご飯にありつけないよ」

男「特にいきなり乗り込んでくるような招かれざるお客様は」

女「忙しい朝のお手伝いはできるよ。お洗濯とかアイロンがけとか」

男「主婦が助力を欲しがるのはそこじゃないんだよなあ」

女「ならゴミ捨てやお風呂掃除だって」

男「料理をしよう」

女「ばっちこい」


おわり

いの一番+すりごま+鰹節+醤油多め+お湯+白米 = 美味しい
どんな野菜も俺色に染めちゃう胡麻ドレッシング様マジかっこいい

>>19
食児→食事
いつもは無視してるけど、こればかりは耐えがたい誤字だった

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