順平「またタルタロスが出た訳だが」 (39)

「本日は人身事故の為に大幅にダイヤが乱れており……」

 ヘッドホン越しに聞こえる車掌のマニュアル化された無感動な声に少年は溜息を吐いた。本当ならば21時過ぎには今後世話になる学生寮に着いていた筈だ。それがどうだろう。携帯電話に映る角ばった数字は大分前から23を継続表示して久しい。

 車窓からは暗闇。灯りはぽつぽつとしかなく、既に街は眠りについている。

「初っ端から、門限ぶっちぎりか……」

 少年は呟いた。その声はしかし、内容ほど悲観な響きが篭ってはいない。

 言うなれば先ほどの車掌のアナウンスの様な、無関心の冷たさを持っている。

「どうでもいい」

 そう言ってヘッドホンの音量を上げる。全てを拒絶するように天井知らずで音は大きくなる。ヘッドホンをはみ出して雑音が外に漏れるが、彼の知った事ではなかった。彼は世界と自分を隔絶することを選んだのだから。

 少年……結城修は世界が基本的に嫌いだった。


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 五月九日、影時間。学生寮の最上階、作戦室と呼ばれる部屋の中央で山岸風花が蝶のように華やかなる自身のペルソナを展開していた。

『シャドウ反応を確認しました。桐条先輩の想定通りの――大型です』

「山岸、場所は?」

『えっと……桐条先輩とゆかりちゃん、お二人の記憶のままですね。海の上だから……はい、間違いないと思います』

 情報戦特化型ペルソナ「ユノ」の腹部、ガラス製の金魚鉢にも似たその中から風花は決して小さくは無い街一つをまるごと監視してみせる。

 伊織詩子はその力に心中で静かに驚愕していた。

 「巌戸台全域をカバーするって簡単に言うけど、実際それをやるのにどれだけの有効範囲が必要だと思ってんのよ。まったく、ホントこの人たちは出鱈目だわ」。そう、彼女は思う。

 詩子にも情報戦がまるで出来ない訳ではない。しかし、彼女の場合では自分を中心としての十メートルが索敵の精々だった。そしてそれは戦闘においても、またタルタロス内部の探索においても十分に実用範囲であると自負している。

 それでも、けれどペルソナ使いとしての圧倒的なレベルの違いを少女がそこに感じるには風花と、そして彼女の駆るペルソナの性能は十分過ぎた。

 勿論、完全特化とそうではないペルソナの差は頑としてそこに有るだろう。それにしても、百倍は下らない差を詩子は風花に現在進行形で見せ付けられているのだ。

 それはタイプ以上に実力、ペルソナ使いであればつまり心の強さがかけ離れている事を意味していた。

「それって、海上交通『あねはづる』ですよね、やっぱり」

「ああ、リターンマッチという訳だ」

 岳羽ゆかりと桐条美鶴、二人の女性は顔を見合わせて頷き合う。彼女達にはこの状況に覚えが有った。詩子も義父、伊織順平から「モノレールのシャドウ」についての話は聞いている。

 しかし、一人だけ状況が全く飲み込めていない者が居た。少年は何が起こっているのか、を無言の視線に込めてその場に居る他の四名に投げている。

「んっと、何か言いたそうだね、おさむっち」

「言いたい事は色々有るけど、とりあえず僕の事を『おさむっち』って呼ぶのは止めてくれない?」

「えー。いーじゃん、おさむっち。なんか可愛い感じしない? 親しみ易いって言うか」

 そうあっけらかんと言った詩子に向けて少年は躊躇無く腰のホルスターに掛かっていた銃を構える。その銀色の銃身には「S.E.E.S」と印字されていた。

「次に言ったらこれを撃つから」

「いやいや、弾は出ないって、それ。人畜無害」

「分かってるよ、だから」

 少年、結城修は少女へと向けていた銃口を自分のこめかみへと当て直した。それはまるでこれから自殺をするように見える。

 いや、そうとしか見えはしない、普通ならば。

「だから、こうする」

「え、何? アタシの付けた渾名がペルソナ出すほどヤなの!?」

「酷く不快」

「おわ、君がここまで嫌悪を顕わに出来る人だったなんて正直知らんかった……」

 詩子が両手を挙げて降参のポーズをする。

「ペルソナはマジで勘弁してよ。も、ホント。お手上げ侍」

 高校生二人のやり取りをそれまで眺めていた風花が思わず笑い、そしてゆかりと美鶴は緊張感の無い新人の様子に揃って溜息を吐いた。

「はいはい、その続きはまた明日ね。実戦モードに切り替えて、二人とも」

「ゆかりの言う通りだ。構えろと言うつもりもないが、リラックスも程々が肝要だからな。ああ、山岸、ペルソナはもう仕舞ってくれていい」

「あ、はい」

 ペルソナ「ユノ」が所有者の意思を反映して忽然と消える。まるで夢でも見ていたように。

 ――ペルソナ。

 何度見ても結城にはそのペルソナという存在が不可思議だった。自分自身の身体から実際に出した後も、そしてまたそれを使った実戦を何度も経験しているのに、だ。身体の奥底からえもいわれぬ何かが湧き出す感覚に、どうにも頭が――否、心が慣れてくれない。

 ペルソナとは何なのか。もう一人の自分とはどういう事なのか。どうして頭を撃ち抜く真似事をしなければならないのか。

 彼にはこの寮に来てからというもの、分からない事だらけだった。

 そう、それは例えば――兄は、なぜ死ななければならなかったのか?

 その答えが目前のクエスチョンマークの山、その一番深くに埋まっているような、そんな気がしていた。

 確信にも似た、その感覚だけが今の彼の唯一の頼りだ。

「それで結城、何が聞きたいんだ?」

 美鶴は問いながら、鋭い眼で愛用の突剣を矯めつ眇めつしてコンディションを確かめている。やはりこれから避けられぬ戦いが始まるのだと、それだけは修も理解した。

「色々有ります。強いて言うなら何もかも、です。僕には知らない事が多過ぎる」

「知らない事が、か。……ま、そうよね」

 ゆかりが頷く。新入部員の少年――修の身になって考えるというのがそもそも七年前の自分を思い出すようなものなので、それは中々に困難だったが、しかし彼女に出来ない事では決して無かった。

 忘れえぬ記憶として、あの一年間はゆかりの脳裏に今も眩しく焼き付いていたからだ。

「一ヶ月くらい前、初めて修君がペルソナを出した日の事は流石にまだ忘れてはいないよね」

 修が眼だけで肯定を表したのを見て、ゆかりは続ける。

「オーケー。ならあの時、寮を襲ってきたヤツがタルタロスを徘徊しているいつものシャドウとは色々と違っていたっていうのも分かる? 覚えてる?」

 ゆかりの言う通り、あの夜のシャドウはそれ以降何度も眼にしてきたシャドウとはまるで違っていた。その事を少年は思い返した。

 具体的に何が違うのかと言えば、それは存在感――もっと簡潔に言えば大きさが段違いだった。決して小さくなど無い巌戸台分寮を体当たりで揺らしてみせたのだから、それは文字通りスケールが違っていたのだろう。

「……それが先ほど、山岸さんの言った大型シャドウ、ですか?」

「そう。で、今夜も出てるのよ、その大型が。私達特別課外活動部としてはあんなの放ってはおけないでしょ」

 ゆかりの言葉に美鶴が頷いた。

「だから我々の手で殲滅する。出来るだけ街に被害が及ぶ前にな。正直、こうして問答をしている時間すら我々には惜しい」

 それは単純にして明解な答えだった。

「なるほど」

「敵は今回も新都市交通『あねはづる』のレール上、君達が登下校に利用しているあのモノレールに陣取っているようだ」

 今回も、という美鶴の台詞が修には気になった。が、それを口にするよりも早く桐条の令嬢は突剣を腰の鞘へと仕舞い込み、作戦室のドアノブに手を掛けていた。他の四人を見回す。

 その様子が出撃開始を意味するとは誰の目にも明らかだった。

「結城、他にも聞きたい事は有るだろう。しかし、済まないが事態は急を要する。出来れば現地への道すがらでもゆかりに聞いてくれ。ゆかり、頼んだぞ」

「あ、はい。……ってあれ、別行動? 美鶴先輩は?」

「私は情報戦専用車両に乗って辰巳ポートアイランド駅に向かう。山岸、君は私と一緒に来てくれ」

「分かりました。色々と調整に時間が掛かると思うから、ゆかりちゃん、先に行ってちょっと待っててね」

「情報戦……あー、あの改造アンテナ車ですか。あれ、内部機械やらコードやらでグチャグチャだから人全然乗れませんしね。なら私達は……あれ? もしかして徒歩?」

 ゆかりが言って溜息を吐く。ソファに座っていた詩子が盛大に天井を仰いだ。

「歩きとか、無いわー……項垂れ侍」

「僕らは自転車、かな」

 修が呟く。影時間中は普通の機械が動かなくなる。それはここに居る全員が知っていた。ゆかりの所有している自家用車も例外ではない。

 こんな事ならば新エルゴ研にでも車を送って影時間も走れるように改造しておくべきだったかと彼女は嘆くもそれは後の祭だった。

「二十代中盤にもなって自転車とかマジでかんべ……あ、良い事考えた。修君」

「はい?」

「私と自転車の二人乗りしよう。君、漕ぐ係ね。私、説明役」

 二人分の労働を一方的に言い渡された修には苦笑しか出来なかった。どうやら拒否は出来そうにもない空気だ。

「道路交通法違反ですよー、正義の味方、フェザーピンクさん」

「詩子ちゃん……その言い方、なんか段々と順平に似てきたよ。後、フェザーピンクって言うの止めて。次に言ったら弓の的にするから」

「……マジで?」

 伊織詩子の発音は義父のものに確かにそっくりだと、修は思ったが口には出さないでおいた。それを言えば、恐らく少女は心から嬉しそうに笑うから。

 結城少年は眩しいものが基本的に苦手だ。

 二人分の重量が掛かっているはずのペダルは、なぜかそれほど重たくは無かった。いやむしろ、一人で乗っている時よりも修にはそれが軽く感じる。

「何? 私の体重が軽いって遠回しに言ってるんなら、表現が幾らなんでもやり過ぎてるよ、君。若干引くレベル」

 後部座席で立ち乗りしているゆかりが笑いながら言う。そんなつもりは無い、と修はかぶりを振った。

「お世辞なんてそんな器用な事が言えるようなヤツじゃ有りませんよ、おさむっちは」

 隣で連れ立って私物のマウンテンバイクを運転している詩子が言うが早いか、修は二人乗りにも関わらずハンドルから片手を離して、それを腰のホルスターに手を掛けた。そこには例の銀色の銃が携えられている。

「だから、その渾名止めて。本気で止めて」

「うわ、一々召喚器持ち出さないでよー、怖いから。それとペダルが軽いのは多分、影時間のせいだと思う」

「影時間の?」 

 修の疑問に答えたのはゆかりだ。

「ん? 修君は実感無い? 影時間になると妙に身体のキレが良くなったとか」

「ああ……えーっと?」

「私の場合は弓の命中率が凄い事になるんだよね。昇段試験が影時間中に出来たら私、確実に師範代」

 続くゆかりの説明から影時間中のペルソナ使いは身体能力が飛躍的に向上していると修は知る。そのお陰でシャドウとも互角に戦えているという事も。

「……ってわけ」

「でも、そんなの考えた事無かったな……。言われて今気付いた」

「ええ、マジで? いやいやー……いやいやいやいや、そうじゃなかったらアタシみたいなか弱い乙女がこーんな長い棒を振り回してたりしないからね? 素でやってると勘違ってたんなら、その変な印象は今すぐ直しておいてちょうだい?」

 そう言った詩子は新体操で使われるバトン長の金属製の棒を携帯していた。戦闘時には警棒のように伸び、それは少女の背丈並の長さとなる。

 彼女の持つ棍――それは桐条財閥傘下の研究所による対シャドウ技術の産物であり、そしてまたこれと同じ素材で出来た片手持ちの剣を修は持たされている。

 恐らく、ゆかりの弓もこれは同様だろうと少年は当たりを付ける。そして、それは実際その通りだった。シャドウに通常の武器は効かない、と初めてタルタロスに侵入する際に説明されたのを思い出す。

「それ、重いの?」

「まあ、遠心力とか絡むし、そこそこの重さが無いと武器として機能しな……あ、これってもしや誘導尋問!?」

「見かけによらず力が強いんだね」

「ちょ、タイムタイム! その印象操作は悪意のカタマリですよ、お客さん!!」


「君があの渾名を使わなくなったら考え直すよ」

 無表情に脅迫する修に詩子はがっくりと肩を落とす。「おさむっち、割と良いニックネームだと思ったのになあ」。そんな風に思うも少女にはしかし、自分のイメージの方が余程大切である。

「ううう……分かった。分かりましたよ。新しく、かつ素晴らしいニックネームを今から考えるから。隠れマッチョ呼ばわりは嫌だ……超ヤだ……」

 なら、別に渾名など考えずとも普通に苗字で呼べば良いのに、と少年は思う。岳羽ゆかりなどは、ほぼ初対面同然の間柄であった頃から既に彼を下の名前で呼んでいるのだし、それに倣ったとしても然程の抵抗は彼には無かった。

 識別信号なんて悪目立ちさえしなければ、それでいいと。

 どうでもいい。それが彼の基本スタンス。 

「おさむし……いや、なんかオタクみたいだ。ブフォとかコポォとか言いそう。生理的に無理。おさむらいさん――ん、逆に呼びづらいな、これは。そもそも長いし……」

「伊織さん……無難でいいから、無難で」

 とは言え、ゆかりや順平が彼を「修」と呼ぶのは区別を付ける為。それはなんとなく理解していた。

 兄の友人達にとって「結城」とは修ではなく理なのだろう、と。

「修君」

「はい」

「これから特別なシャドウと戦うんだけど、どう? 怖くない?」

 少年の肩に手を掛けるゆかりの声は、心配をしているというよりも確認をしているように修には聞こえた。そして、彼の返答は彼女の予想通り。

「……別に」

 それは紛れも無い結城の本心だった。

 怖くなどは、ない。

 死ぬことなど。

 死はいつか必ず訪れる終わりであり、決して恐怖の対象ではないのだから。

「そっか。ねえ、怖かったら遠慮無く言ってよ。今回は私も、それに美鶴先輩も作戦に参加するから。だからなんにも心配要らない。大丈夫」

「そうですか」

「うん。そう。だから――だから、いつでもお姉さんを頼ってくれて良いからね」

 ゆかりは思い出の中の少年に瓜二つの、彼の弟に向けてそう言いながら七年前を思い返していた。

 あの夜、頼る側だった自分には頼れる背中が有った。けれど、彼にはそれが無かった。彼が誰かに頼っていれば、助けを求めていれば、助けを請える関係を紡げてさえいれば、七年前の結末は違ったかも知れない。

 ゆかりは月に向けて小さく呟く。

「今度は、私の番だから」

「何か言いましたか?」

「ううん、なんでもない」

 今夜は満月。三人を照らす月は地球までの距離を半分にしてしまったように近く、そして明るかった。

 同じ月光の下、「あねはづる」線路上。三人の男性が照らされて立っていた。

「くそ、天田が当たりを引いたか。まあ、確率は四分の一だったからな。仕方ない。今回はアイツに譲るさ。くじ運だけは昔から悪くていけない」

 スーツの男が残念そうに言う。強い海風がボタンを留めていない彼の上着を何度もはためかせた。

「いや、25%じゃないっす」

 いかにも軽薄そうな柄物のシャツを着た別の男が黒スーツに向けてそう言った。ちなみにもう一人は春半ばという季節に不似合いのロングコートという出で立ちで、以上三名に外見上の共通項は見当たらない。

 強いて挙げるとするならば、彼らは恐らく同年代であろうと、第三者から見ればきっとその程度だろう。もしもロングコートの男のポケットの中が透けて見えていたとしたら、それも違っていたかも知れないが。

 彼らは全員が召喚器を持つ、つまりペルソナ使いだった。

「どういう事だ?」

「考えても見て下さい、真田サン。運行中に『七年前のあの場所』で影時間を迎える電車なら計算すれば大体予測出来るじゃないですか。今日は一日、モノレールの運行に支障が出るような事もなかったし、見事なビンゴだったんすよ」

「最初から天田が本命だったという訳か」

「そうっす。ただ、そうは言っても前後するかもしれなかったんで、真田さんに列車に乗ってて貰ったのは保険でしたと」

 スーツの男がシャツの男を睨み付ける。その眼光はあまりに鋭く、物理的な質量すらそこに伴っていても決して笑えない程のものだった。

 射抜く、という言葉がしっくりと当て嵌まるだろう。

「相手を考えれば確かに悔しいがアイツのペルソナが今回は適格、か。ふん、別に俺でも構わなかったのだがな」

 が、シャツの男はそれでもなお軽薄な薄ら笑いを表情から消す事は無かった。

「氷に弱い特性は直ったんですか、真田さんのカエサル?」

「…………足を掬われるようなヤワな鍛え方はしていないつもりだが、念には念をという事なら納得してやらんでもない。ただし、今回だけだからな」

「あ、やっぱりまだそこは弱点なんスね」

「皆まで言うな。ペルソナの特性ばっかりは努力で変えられるものじゃあ無い。それにしても……なら、どうして俺まで列車に乗る必要が有ったんだ?」

 スーツの男の眼力も、それに臆さないシャツの男の胆力も、双方潜ってきた修羅場の数を感じさせずにはいられない。

 これは二人の経歴が為せる業である。

「と言うか、どうして俺が呼ばれたのかを説明して貰おうか。天田とお前達二人、目当ての列車とその前後ならば三人でカバー出来たはずだろうが」

 沈黙を守っていたロングコートの男がそこで初めて口を開いた。

「そもそもこの馬鹿は列車にすら乗ってねえ」

「なっ、オイ! どういうことだ、順平!」

「ちょ、その言い方は語弊が有りますって。なんかそれだと、俺が楽したいから真田さんを呼んだみたいじゃないですか!」

「違うのか? 俺ァてっきりそうだと思ってたんだがな……」

「マジっすか。長い付き合いなのにそんな眼で見られていた事に若干ショックを隠し切れないっす。……あのですね、俺は俺で、やらなきゃならない下準備が有ったんですよ」

「……下準備?」

「そっす。やっぱ、これがないと始まんないっしょ?」

 シャツの男が腰に提げたホルスターから銀色に光る銃を取り出す。それは美鶴やゆかりが持っていた「召喚器」と全く同じものだった。

「おい、順平。召喚器なら俺は自前のものが有る。お前達もシャドウワーカーなら支給されているだろう?」

「その通りですよ、真田さん。俺が言ってるのは、俺らの分にプラスしてもう一台必要だったって事っす。それと……後、コレ」

 男はズボンのポケットから布切れを取り出した。

「コレは……こんなモン用意してたのかよ、お前」

「ふっ、確かに俺達はコレがないと始まらないかも知れんな。身が引き締まると言うか、あの頃の感覚を取り戻すと言うか。グッジョブだ、順平」

「どもっす。ま、七年前をやり直すってんでも無いっすけど、それでも再集結ならコレは必須でしょうし」

 男達は顔を見合わせると誰からとも無く腕に揃いの赤い腕章を巻いた。一人は溜息混じりに、一人は愉しそうに、そして一人は――。

「そんじゃ始めましょうか。俺達の戦いを」

 言って空を見上げた男の脳に、直接女性の声が聞こえた。耳当たりの良い、愛しい声が。

『順平、聞こえる? モノレールが動き出したわ』

 伊織順平は笑う。

「タイミングばっちりだな。さっすが俺」

 伊織順平は運命を嗤う。

 辰巳ポートアイランド駅の噴水広場に着いてゆかりを荷台から降ろした修が、まず行ったのは駐輪場に向かう事ではなく溜息を吐く事だった。

「おーおー、おっきな溜息吐いちゃってまあ。しあわせが全力疾走して遠のいてくよ、そんなんだと」

 マウンテンバイクに乗ったまま、ハンドルに上半身を預けた詩子が修の様子を茶化す。

「ほっといて」

「ま、気持ちは分からなくもないんだけどね。この光景見てダウナーにならない方が少数派だと思うし。でも、意外とおさむねは繊細なのかな?」

 少女の言う「この光景」は確かに異常だった。安っぽいB級ホラー映画のような、それでいてリアリティだけはハリウッドレベルといった具合の。

「――象徴化、だね」

  象徴化。新都市計画に根差した駅前の、優れた景観を台無しにしているのはまさしくゆかりの言うそれだった。

 見渡す限り疎らに有るものは――棺桶。

 死者を納める棺。普通に生きていれば特定の職種以外は見える機会すらも稀であろうそれは、無機質かつ冷酷な存在感を放っていた。

 それが修の視界には一つや二つではなく、幾つも入り込んでいる。事前知識の無い人間ならば恐怖から発狂、もしくは気絶しかねない。事実として「影時間に目覚めてすぐは精神状態が不安定になる」傾向が有り、それはこの棺桶群に理由の一端が有った。

「影時間に適正の無い人はみんなこうなっちゃうんだよね? で、それをS.E.E.Sでは象徴化って呼んでる」

「そだよん。その棺桶も、あの棺桶も、ぜーんぶ影時間が終わったらヒトに戻るの。っつーか、ここもう深夜だってのに人多過ぎ。棺桶多過ぎ」

「一つや二つならまあ……まあまあなんだけど。これだけ有ると流石に気味が悪い。あーもう、そこのベンチに座りたかったんだけど棺桶が邪魔だし。流石にアレ押しのけたくはないし、そもそもあんま触りたくないし」

 言いながらゆかりは噴水の縁に腰掛ける。

「よいしょっと。修君と詩子ちゃんも座ったら? 美鶴先輩と風花が来るまで一休みしていよう。本番はそれから」

 棺桶に囲まれた中でリラックスなど出来るとは詩子には思えなかったが、しかし修はあまりそれを気にする様子も無い。たった一度溜息を吐いた、ただそれだけでこの状況を受け入れてしまっているように見える。

 となると、これは順応性どころの騒ぎではない。それに気付いた少女は素朴な疑問を少年に投げた。

「おさむね、怖くないの?」

「何が? 棺桶?」

「そうそう。ほら、あんまり影時間中って外出歩かないじゃん。そりゃ、タルタロスは行くけど。だけどさ、こんだけの数いっぺんに見るのって初めてっしょ?」

 実際、少女も二桁数を一時に目にするのは初めてで、頭では象徴化は無害と分かっていながらも心はそこには着いて来ていない。

「うーん……もう慣れた、かな」

「……は? 慣れた?」

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。

「これ全部がヒトだっていうのにはちょっと驚いたけど。辰巳ポートアイランド駅って、夜中でも人が多いんだね」

「驚くポイントがズレてるよ!?」

「そうかな。それにほら、よくよく見てると棺桶が直立してるってのも面白いよね。直立、縦だよ縦。……え、そうでもない?」

 詩子はがっくりと項垂れる。別の星の生命体と話しているような、そんな気分だった。高校生二人の会話を聞いてゆかりが苦笑した。

「――そっくり」

「は? 何がですか、ゆかりさん?」

「修君がお兄さんそっくりだなーって思ったの」

「おさむねのお兄さん……それって、確か――、」

 物音一つしない、光の届かない深海のような駅前に遠くからのエンジン音が聞こえてきたのはその時だった。影時間に通常の機械は動作を停止させる。その中で動いている車となれば、これはもうほぼ一つしかなかった。

「桐条さん、来ましたね」

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