速水奏「シガレット・キスのあとに」 (44)


モバマスSS 

喫煙シーンがありますが、喫煙を助長するものではありません。

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仕事を終えて事務所に戻ると、そこには誰もいなかった。
鍵もかけずに全員が外出してるなんて・・・少し無用心じゃないのかしら、と心配になる。

今日はほとんどのアイドルは事務所にくる予定はない。
今日この事務所にいるのはちひろさんともう1人くらいのものだけど、まさかちひろさんが鍵をかけずに出て行ったとは考えにくい。

もう1人のほうなら、たまにフラフラっと外に出ることがあるからなんとなく犯人として想像がつく。
大方、ちひろさんが外に出てる間にいつもの場所に行ったのだろう。

そう読んだ私は廊下へ出て、この事務所が入っている小さな雑居ビルの屋上へむかった。


屋上、と言っても本当に狭い場所ではある。
私達にとっては、たまに風に当たりたくなったときに休憩がてら訪れる程度。

しかし、彼がしばしばこの屋上に足を運ぶのを私達は知っている。
"それ"のために、彼はわざわざ一人きりになれるこの空間を利用する。
アイドルをプロデュースする人間として、彼なりに最低限気を遣ってくれてるってことね。

私が屋上の扉を開けると、彼は手すりから若干身を乗り出すように寄りかかりながら背をこちらに向けていた。
彼が"それ"のためにここにいるのかは背を向けているからまだ分からない。――が、私が扉を開く音を聞いてか、彼はこちらを振り返った。



正解、だったみたい。



私の予想通り、彼の口には彼の嗜好品――煙草が咥えられていた。


私と目があった彼――Pさんは一度その火を強く光らせ、紫煙と共に短く息を吐いてから、私に向き直った。


「奏か。戻ってたのか」

「鍵もかけずに事務所から出てるなんて、少し無用心なんじゃないかしら?」

「5分くらいで戻るつもりだったんだよ、それくらいなら大丈夫だって」

「・・・まぁ、他にこのビルの中に入ってくる人なんていないしね・・・」


このビルにまともに出入りしてるのは実際この事務所くらいのもので、残りのフロアは今はどこもテナントが入っていない。実質、勝手に屋上に出入りしようが誰にもとやかく言われることはないのだ。


「ちひろさんが買い物いったからさ、その間俺もちょっと休憩してただけだよ」


そういいながら、彼はスラックスのポケットから携帯灰皿を取り出して咥えていたタバコを入れた。


「まだ残ってるじゃない。別に消さなくてもいいのに」

「アイドルの傍じゃ吸わないって決めてるからな」


彼は喫煙者だ。でも、毎日定期的に吸わないとダメっていうほど中毒にはなっていないみたい。

曰く、この業界で身につけた自分なりの武器(というよりもツール?)らしい。
TV局の喫煙所なんかで、有名な番組のスタッフさん達が喫煙してる輪の中に煙草を持って飛び込んでいくらしい。

「人と繋がるためのツールとしての役割があるから」なんてことを言い訳にしている。
それがホントかウソかなんて私には分からないけど、実際それで彼はこの業界で色んな人脈を作っているようだ。


彼はとても話術に優れていて、人と親しくなるのがとても上手だと私も常日頃から感じている。
でも、その話術があっても実際に人と話す機会がなければ宝の持ち腐れになってしまう。

だから彼は、喫煙者の多い(私の勝手なイメージだけどね)この業界で、煙草を片手に人の集まる喫煙所に転がり込むのだ。
そして、わざとらしくライターを忘れたふりをして「すいません、火かしてもらえませんか?」なんてありきたりな切り込みから世間話を広げていくのだという。

私はそのシーンをみたことがないけど、彼のことだから上手くやっているのだと思うし、それが私達の仕事に繋がっているというなら、彼に感謝しなければいけないわね。
それにそもそも、彼はそんなに煙草が好きではないとも言っていたし。


「Pさんって、煙草を吸い始めたきっかけはなんだったの?」

「どうした急に」


本当になんとなく、気になっただけ。


「なんとなく、よ。煙草自体はそんなに好きじゃないって言ってなかったかしら?」

「まぁそうだな、普通に煙吸い込んでも美味しいとは思わないし」

「じゃあ、なんで?」


彼は少し唸ってから、


「もとはと言えば、俺が二十歳の誕生日にちょっと吸ってみたのがきっかけだな」


彼と煙草との出逢いを話してくれた。


「俺が大学生の頃な。バイトしてたんだけど、二十歳の誕生日の日にバイトの先輩がくれたんだよ。『試しに吸ってみな』って」


そんな軽い感じだったのね...


「そんで、なんとなく敬遠したんだけど『嫌いなヤツは1本吸ってもハマったりしないから大丈夫』って言われてさ。実際そうだったんだ、煙吸っても美味くもなんともないし。」

「特にハマることもなく、そのまま煙草は全然吸わなかったんだ。吸い方が分かる、程度で煙草はそれっきり縁のないものだったんだけど」

「で、この業界に入ってだ。喫煙所にたむろする番組スタッフさん達をみて閃いたんだよ、俺も煙草持って行けばいいじゃんって」


彼なりに、好きでもない煙草をなんとか駆使してくれてるってことなのね。


「それなら、なんでこうやってたまに独りで屋上で吸ってたりするのかしら?」


好きじゃないなら、そういう場面以外では吸わないものだと思うけど。


「なぁーんかな、冷静にさせてくれるんだよ、煙草吸ってると」

「考え事とか、イライラしてるときに吸うってこと?」

「いやそうじゃなくて・・・んー、説明が難しいんだけど、深呼吸と似たような効果があるんじゃね?って勝手に思ってる」

「そうなの?」

「息を深く吸って、吐いてーってのは同じじゃん? だから、気持ちを落ち着かせてくれる気がするんだよな」

「それってつまり冷静じゃないから吸ってるってことになるじゃない」

「んー、まぁそうなんだけどそうじゃないというか・・・非喫煙者に説明するのが難しい」


まぁ、私は煙草を吸わないからどうでもいいといえばいいんだけどね。


「でも普段は全然吸ってないし、ホントに偶にしか吸ってないじゃん? もしかして奏はやめてほしいって思ってる?」

「そうでもないわ、私はお父さんが喫煙者だったから特に気にならないし」

「そうなのか」

「そうよ。・・・それに、煙草を咥えてるPさんって結構絵になってると思うわ」


実のところ、これが一番の目的だったりする。
私が、数少ない彼の喫煙の場面を見たいって思ってしまうのは。


「別にファッションで吸ってるわけじゃないんだけどな」

「Pさんの喫煙シーンってレアだからね、見れたらラッキーって思うのよ」

「なんだそりゃ・・・」


Pさんが煙草を吸ってるのは何度かこうやってアイドルに目撃されてる。
別に彼は喫煙を隠してるわけじゃないし、他のみんなもPさんが煙草を吸ってるさっきの理由も知っている。

実は、Pさんが喫煙する姿は結構アイドルたちに影で噂になってるくらいだ。
Pさんはジャ○ーズのような甘いマスクの超イケメン、ってわけではないけど、若干顔立ちが濃くて男らしい逞しさがある。顔の薄い如何にも日本人的な塩顔男子より、煙草を吸う姿は様になっているような気がするのだ。

喫煙するPさんをこんな見方してるなんて、私もどうかと思うけど。
もちろん、煙草はやめろーっていう人たちもいる。主にお姉さん組がそう。
でも若いアイドル、特に私くらいの年代の子たちはPさんの喫煙シーンに遭遇すると
我先にと写メを撮ろうとするくらいなのだ。その度にPさんはすぐに火を消してしまい、未だに誰にも写真は撮らせていないけど。

よくこれくらいの年代の女の子が思う、『ちょっとワイルドな感じのする男性にドキドキする』みたいなヤツなんだと思う。他の人の喫煙なんて全然目に留まらないけど、Pさんが吸ってるシーンは私も「たまにはいいかな」なんて思ってしまう。


我ながら単純だと思う。いつも傍にいて私のために尽力してくれる優しいお兄さんのちょっと絵になる様を見ただけでワクワクしちゃうなんて。まるで恋する女の子みたいね。そんなの私のキャラじゃないってわかってはいるんだけど...

気になる異性にドキドキしてる姿なんて見られたくないから、私は普段のトーンを崩さない。


「私はそろそろ帰ろうかしら。事務所に寄ったのもなんとなく、だったし」

「そっか、なら女子寮まで送っていくぞ。ちひろさんそろそろ戻ってくるだろうから、それを待ってからってことにはなるが」


最近はPさんとお話する機会もなかったし、ここは素直にお言葉に甘えておこう。


「なら、お願いしようかしら」

「うん。じゃあ事務所戻ろう」


Pさんが扉に向かって歩き出す。
私の隣を横切ったとき、微かにシャツに染み込んだ煙草の匂いが私の鼻腔をくすぐった。

特に嫌悪感を感じないのは、お父さんの煙草で慣れているからだけじゃなく...



惚れた弱みもあるのかも...なんてね



―――――

―――




助手席で気付かれないように彼を横目で見つめる。
運転してるときの真剣な眼差しを眺めることができるのも、ここに座ったときだけの特権だ。

横目に見る彼の唇は少し乾いている。
さっきまで煙草を咥え、紫煙を揺らしていた口は、今キスしたらどんな味がするのだろう――

もちろん煙草の味がするんだろうけど、それもそれでロマンチックじゃないかしら?
好きな男の煙草の銘柄を覚えちゃったり、挙句匂いまで覚えてしまって。
街中でその煙草の匂いがして、昔の男を思い出す、なんてベタな恋愛映画のような恋も悪くないと思う。

恋愛映画は恥ずかしくなって直視できないから苦手だけど、心のどこかでそんなドキドキを体験してみたいと思う自分がいるのを否定できない。


時代の流れなのか、最近は映画でさえ喫煙シーンを見ることは少なくなってきたように思う。
昔見た映画で、ラストシーンに女が死んだ恋人の煙草に火をつけて終わる映画があった。
煙草も十分、その人を象徴するものと言えるんじゃないかしら。

私からは見えない彼の胸の内ポケットには、彼のパートナー「CASTER」の5mm。
フィルターにバニラの風味が塗布されていて、少しだけ匂いを嗅がせてもらったことがある。

舐めると甘いぞ、なんて言われたけど、恥ずかしくてできなかった。
だって、私が舐めた部分を彼が口に咥えるんでしょう? それってつまり――そういうことじゃない。

・・・発言のせいか周りから「キス魔」なんて呼ばれてるけど、ホントは映画のような甘く、情熱的なキスに憧れてるだけなのにね。

想像するだけで胸の高鳴りが抑えられないあたり、自分でいうのもなんだけど私って相当なロマンチストなのかも知れない。


「ねぇPさん」

「どうした」


私は少し唇を湿らせる。


「キス、しましょ?」

「いきなり何言ってんだお前」


冷静でいるようで、声が若干上ずってるのが分かる。やっぱり彼も結構単純なのね。


「したくなったのよ、キス。いいでしょう?」

「煙草の味するだけだぞ、やめとけやめとけ」


私はそれでもいいのだけれど...


「確かにそうね。ファーストキスは甘くて切ないものがいいわ・・・あ、車ここまでで大丈夫よ」


わざと、女子寮から少し離れた場所に車を止めてもらう。
万が一にも、他の子に見られるわけにはいかないしね。


「まぁホントにキスしてっていうわけじゃないのよ、『シガレット・キス』って知ってるでしょう?」

「なんで年頃の娘がそんなの知ってるんだ」


年頃の娘だから、じゃないかしら。
各々に理想はあるだろうけど、女の子はみんなロマンチックなことに憧れるものなのよ?

煙草に嫌悪感を抱く人はまず知らないだろうし、知っててもやりたいなんて思わないと思う。
けど私は、以前みた映画のワンシーンでシガレット・キスに酷く酩酊したのを覚えている。

片方が火をつけた煙草を咥え、もう片方がその火に咥えた煙草を押し付けて吸う。
ライターいらずの着火方法、文字通り『煙草でキスをしている』ような感覚。


「ねぇ、煙草出してよ」

「未成年の、それもアイドルに喫煙なんかさせてたまるか」

「勿論火はつけないわよ、咥えるだけでいいから」

「・・・いやd」

「咥えてくれるまで降りないわよ」


彼はため息一つ。我ながら強情だと思う。

胸ポケットからソフトケースのCASTERを取り出して、彼は一本口に咥えた。


「・・・こんなの見て何が楽しいんだか」

「楽しい、というよりはドキドキするの」


すかさず私は彼の手の中から一本取り出した。


「あっ!おいおい・・・」

「ふふっ、真似するだけよ・・・」


少し緊張しながらも、それを口に咥えた。
軽いな、と思いつつ舌でフィルターを少し左右に転がしてみる。
すると、ほんのりとバニラの味が口内に広がった。

本当のキスも、こんな風に甘いものだったらいいな。


車内で煙草を咥える成人男性と未成年のアイドル。
なんとも教育に良くない絵だが、私は心のドキドキを隠せない。

きっと人生で一度もやらないんだろうな、と思っていた行為を擬似的にだが彼と一緒に体験する。
その背徳的な悦楽を伴った後ろめたさを、今私と彼は共有しているのだから。


「・・・・・」

「・・・・・」


なにか喋ろうとしたが、煙草を咥えながらだと非常に喋りにくい。
思い切って、無言で私を見つめる彼に顔を近づけた。


ちょこん、とお互いの煙草の先をくっつけた。彼の顔が私の顔のたった10cmほど前にある。

本当にキスをしているみたい・・・いや、してるんだと思う。

間接的とはいえ、二人が"繋がった"という事実が目前の彼の目をみつめることで脳裏を駆け巡る。

・・・酷く、眩暈がした。

私に聞こえるのは、やけに大きい自分の胸の鼓動だけだった。


「・・・っ、はぁっ・・・」


無意識に呼吸を忘れていたようだ。
体が酸素を求めたため、彼との繋がりを解き、大きく息を吸う。

彼はといえば、涼しい顔なんだか困ってるんだかよく分からない表情で私を見つめていた。


「・・・お遊びのキスだけど、これは良くないわね」

「俺もそう思う・・・」


どうやら、彼も同じ事を感じていたようだ。
意外と、こういう経験がなかったりして?

呼吸を繰り返しても、私の動悸は治まる気配がない。


煙草の先が触れた瞬間、背中をよく分からないものが駆け巡ったような気がした。
彼と間接的にでも"繋がった"という事実が、私の中の彼の存在をより大きく意識させてしまう。

顔が赤くなってしまう前にさっさと部屋に戻ってしまおう。
咥えていた煙草をみると、フィルターにうっすらと色つきのリップの痕が残った。


「これ、記念にあげるわ」

「記念って・・・」

「男の人って口紅のキスマークとか、こういう『女と遊んだ証拠』みたいなのに興奮するんでしょう?」

「おいおい、遊びでやったのか」

「そうでしょう? 本当のキスじゃないもの。今のはただのお遊び」


遊びにしては、やけに興奮している私なんだけどね。


車から降りてドアを閉め、女子寮に向かって歩き出す。

数歩だけ歩いて、私の足は止まる。


・・・私だけが記念のプレゼントをあげるなんて不公平じゃないかしら?


澄ました顔で私を車内から見送る彼に振り向き、車に向かって歩き出した。

彼からも、なにか記念にプレゼントが欲しいところだ。

自分に向かって歩いてくる私をみて、彼は運転席の窓を開けた。


「どうした?」

「ううん、別に。ただ、Pさんからもなにか記念に欲しいなって思って」

「・・・まさか煙草が欲しいとか言うんじゃないだろうな」

「そんなのいらないわよ。強いていうなら・・・本当のキスがいいわね」


冗談交じりに誘ってみる。


「するわけないだろ・・・」


まぁ、分かりきってたけどね。

だから私は色々考えずに、さっさと実行に移してしまった。
彼のことだから、本気で怒ったりはしないと思うけど。


「そうよね、じゃあ私が勝手にもらうわね」


「? なに言って―――」


言い切る前に、窓から顔を入れて口を塞いだ。

彼は固まっていた。私もだけど。

ほんの一瞬唇を重ねただけなのに、完全に時が止まったような気がした。


「・・・はい、ありがと。それじゃ帰るわね」


「・・・・・へ?」


彼は呆然と私を見つめていたが、すぐに踵を返す。
憧れていたファーストキスの味なんかかみ締めてる余裕もない、足早に離れようとしたのだが――



「・・・奏」



呼び止められて、振り向く。




「どうしたの?」




「・・・・・」



「トップアイドルになったら、次は俺からするよ」


私は軽く微笑んで、彼に背を向けて歩き出した。

唇に指を触れて、その感触を思い出す。



ファーストキスは甘いバニラの味と、苦い煙の香り。



・・・まるで、恋心のような味なのね。




終わり


ありがとうございました。

悲しい過去を持つ擦れた喫煙アイドルが出てもいいなーと思うんですが、時代がそれを許さないでしょう。
それと、未成年の喫煙は絶対にやめましょう。

過去作品に鷹富士茄子メインの「女神」シリーズなどがあります。


では、HTML化依頼を出してきます。

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