ベルモット「一つだけゲームをしない? 脱出、ゲーム」 コナン「脱出ゲーム?」 (392)

 その日、俺、こと工藤新一……いや江戸川コナンはものすごく機嫌が悪かった。
 前日の夜に蘭に言われた言葉。
 それが引っ掛かってムカついて、ずっともやもやしているのだ。
「ごめんねコナン君。明日は私、帰り遅いから……お父さんと出前取って晩御飯にしてくれない?」

【第一話 女子高校生誘拐事件】

 言うまでもないことだが蘭は花真っ盛りの女子高生だ。
 初めは部活の関係の集まりでもあるのかと思ったが、どうも様子を伺っていると部活関係ではなさそうだった。
 友達と二人で出掛ける、と言う。

 俺がもし工藤新一のままで蘭と常に行動していれば、おっちゃん辺りが「あーん? あの探偵小僧とどっか行くつもりかぁ?」なんて軽口を言っていただろう。
 ……だけど工藤新一の中身である俺は、思い切りここに居る。
 なら蘭は誰と出かけるのか。

 園子。一番わかりやすく、かつ安心出来る相手は彼女だ。
 でも園子が相手なら友達、なんて曖昧な言い方はしないはずだし、とにもかくにも蘭の反応がいつもと違う。

『蘭姉ちゃん、どこにお出掛けするの?』
 と尋ねれば。
『あ、……うん、ちょっと、ね』
 なんて頬を赤らめられたものだから堪らない。
 あんな顔すんのはいつも蘭が「コナン」に「新一」の話をする時だけだった。

「くっそ……」
 良くわからねぇけど悔しくて、授業中に頭を掻いていたら休み時間元太に「なんだよコナン、風呂入ってねぇのか?」などと言われてしまう。
「そうね江戸川君、汗臭いわよ」
 灰原まで調子に乗ってからかってくる始末。
「バーロ、昨夜ちゃんと入ってる。……考え事してただけだ」

「考え事ってなーに、コナン君」
 歩美が興味津々で乗り出してきた。
 何と答えようか迷っていると
「きっと新たな事件のことですよ!」
 いつも通りの光彦の反応。

 はー、と息を漏らし、ふと灰原に目をやるとこちらをじっと見ていた。
「事件、じゃないわね」
「……ああ」
「例の怪盗さんが予告状を出した訳でもない」
「……ああ」
「となると、あなたがそんなに頭を悩ませるような事柄ってあの子のことしかないわね」
「……ああ。……って、あ、いや、そ、そのっ」

 しまった誘導された。
 うっと詰まって決まり悪く灰原を見ると、彼女は呆れた顔をしている。
「あの子に何か言われでもしたの?」
 観念して、俺は頬杖を付きながら話すことにした。

「今日、遅くなるから出前ですませろってさ……」
「それだけ?」
「それだけ……」

 俺の言葉に、灰原はますます「呆れた」と肩を竦めた。
 しかし横から反応してきたのがちびっ子3人組だ。
「これは事件の匂いがしますよコナン君!」
 意気揚々としている光彦に、
「そうかなあ、事件かなあ? 歩美は蘭姉さん、デートなんじゃないかと思う」
 歩美が余計なことを言う。

 さすが小さくても女の子……といいたいところだが、歩美の意見は俺が一番考えたくなかった、しかし一番考えてしまった物なので何だかダメージがデカい。
「そっかあ? 俺は一人でうな重食いに行ったんだと思うぜ! だからコナンには出前で済ませろって言ったんだ!」
「それなら出前でみんなでうな重食べた方が早いじゃないですか」
「あ、そっか」
 光彦と元太の漫才もほどなく、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ってしまった。
 慌てて席に戻る面々。

 と、
「で? 尾けるんでしょう?」
「バ、バーロ、蘭のプライベートいちいち詮索しても仕方ねぇだろ」
「デートなんでしょ。あなたが気にしないはずないものね」
 いちいち見透かされてんのはものすごく困る。

 けど確かにそうだ、はっきり言って気になって仕方ない。
「……とにかく尾行はしねぇからな」
「それで帰ってきた彼女の雰囲気がいつもと違って艶っぽくなってて、あなたが更に機嫌が悪くなってるって展開が読めるわ。別に彼女が誰と付き合おうが構わないけど、それで八つ当たりされるのは少し迷惑かしら」
「…………」

 灰原を睨むとそしらぬ顔をしている。
 俺は思い切り息を吸い込んで、でも小声で
「ぜっ・て・え・び・こう・は・し・ねー・か・ら・なっ!」
と強く念押しした。
 灰原はもはや聞いていない、と言わんばかりに次の授業の道具を出していた。




 尾行じゃねぇ。
 外でたまたま蘭を見かけただけだ。
 たまたま、俺の行く先々に蘭が現れるだけだ。
 だからこれは尾行じゃない。

 ポアロの……外がよく見える位置に席を陣取っていた俺は、いそいそとおめかしして出掛ける蘭の姿を確認するとそっと後を尾け、じゃない、同じ方向に歩き始めた。
 ……明らかにめかしこんでる。アイツのお気に入りのワンピースにショルダーバッグ。
 ムカムカしつつも付いて行ってみると、そこは複合商業施設の……中にある噴水の前。

 ここでその相手と待ち合わせしてんだな。
 物陰に隠れてそっと見守る。

 相手が来たら、さてどうしようか……。
 何も知らない振りをして通りがかりを装い、「蘭姉ちゃん僕も付いていっていい?」が王道か?
 いや、それだと追い返される可能性がある。

 じゃあ相手を麻酔銃で眠らせて、そこに出て行って救急車を呼ぶ。
 蘭一人なら相手に付き添いかねないが、俺がいるなら置いては行けないはずだ。
 よし、プランは固まった。
 なんて考えていると

「あっ」
と蘭が声を上げた。

 相手が走ってくる。
 さっそく時計型麻酔銃を起動し、照準を合わせようとしたところで……。
 俺は大きくため息を洩らして銃を下ろした。

 相手は、女性だった。
 蘭と同じ歳くらいの、……いやちょっと待て。

 同じ歳、どころじゃねぇ、……彼女、蘭に似すぎてる……。
 二人揃って何か話し合っているのを見たら、まるで双子みたいだ。
 こんなことってあるのかよ……驚いてまじまじと相手を見てしまう。

 まさか蘭には生き別れの双子の姉妹がいて、…………ないな。もしそうなら蘭の母さんが引き取っているはずだ。
 いや、病院の段階で他の赤ん坊と彼女だけ取り違えられて、最近やっと発見された、とか?
 ……それも無い。そんなこと、おっちゃんや蘭の口から出ないはずがない。

 ってことはだ、残る可能性は従姉妹か、……他人の空似?
 でもなあ。従姉妹に会うならそう言わないか?
 でも他人の空似って言ってもここまで似てると……。
 何だかごちゃごちゃ考えていたら二人が歩き出したので、慌てて着いていく。

「うん、快斗にはマジックに使えそうなハンカチにしようと思ってて。あと快斗甘い物好きだから何かお菓子も一緒に買わないと!」
「そうなんだ。新一なんか甘い物苦手だから、バレンタインでも簡単なチョコしか渡してないのよ」
「でもその簡単なチョコには蘭ちゃんの愛が複雑に詰まってるわけね!」
「ち、ちょっと青子ちゃん……わ、私はえっと、何買おうかな? 新一のことだし派手なアクセサリーは嫌がるわよね」

 照れる蘭の顔を見てなんだかこっちがドギマギしてしまう。
 ……って、え?
 出掛けた目的って、……まさか俺へのプレゼントを買いに来た、……友達と?

 あ、ああそっか、最近事件が少なくてちょっと息抜き出来そうだったから、灰原にものすごく頼み込んで、急ごしらえの解毒薬貰って一日だけ戻るって……蘭に連絡したばかりだった。
 ったく、あの顔はやっぱいつも通り「コナン」に「新一」のこと話す時の顔だったのか。
 なんだ、なぁぁああんだ!
 昨日からの胸のつかえが一気にスーッと取れていく。

 冷静になればそう言えば園子は珍しく誘ってねぇんだな、なんて考える余裕も出てくる。
 しっかし、友達と買い物するってなら出掛ける、なんて曖昧な言い方じゃなくて最初からそういや良いのに。
 いやでも待てよ。

 友達と買い物に行くの
→園子ねーちゃんじゃないの?
→違う人よ
→じゃあ誰?
→コナン君の知らないお友達
→っていうか何買いにいくの?
→うん、ちょっとね

 あーダメだ、どうしても同じエンドにしか辿り着かねぇ。

 と。
「園子ちゃん来られなくて残念だなぁ、会いたかったのに」
「うん……誘ったんだけど園子、わたしはいいわ、って」
「まあなかなか帰って来ない彼氏待つのも大変だよねー……」
 青子、と呼ばれた少女の言葉に俺は自分のことを言われたかのようにドキリとしてしまった。

 が、蘭は困ったように笑って首を振る。
「それがね、違うの。電話で話してて口喧嘩になっちゃったらしくて……口喧嘩って言っても園子の事だから、一方的に怒ってただけみたいだけど」
「そうなの? そんなの青子、快斗といっつもしてるけどなぁ……」

 青子が不思議そうに首を傾げる。
 口調などから、青子は蘭に似ていても性格は少し幼いようだ。
 しかしこの二人……いや園子も含めて三人か、一体どこで知り合ったんだ。
 工藤新一時代の交友関係を思い出しても彼女の存在は浮かんでこない。
 ……ま、いいけどよ。

「誘ったけど京極さんのこと思い出して、腹が立つから行かないって言うもんだから……」
 相当怒ってたから京極さんのことで一日中愚痴言ってそうだし、なとと蘭は苦笑しながら言う。
「そういう時こそプレゼントして仲直りした方がいいのになぁ。今度園子ちゃんにも一緒に遊ぼうねって言っといてね。……あっ蘭ちゃん、あのカフスとかどう? すっごい綺麗!」
「いいかも! でも少し高いかな」
「じゃあもう少し見て回ろっか」

 そんなこんなでうろうろし始めて3時間が経過した。
 空はすっかり暗くなってしまっている。
 女の買い物ってのはどうしてこう長いんだ……と言っても買い物の目的が目的だし、勝手に尾けてるのは俺だから文句も言えない。
 途中で出ていこうか迷ったが、想い人へのプレゼントを選ぶ場面に、……しかも俺宛だし……混ざるのは少し気が引けた。
「もう6時か……いい加減帰らねぇのかな、アイツら……」
 そう思う俺こそ帰ればいいはずなんだが、何故か目が離せないのでずっと付いて歩いてしまう。

 しばらくして。
 二人共買う物がやっと決まったらしく、ああやっと帰るのかと思ったら。
 二人でレストランに入ってしまった。

 うわ、どうすっかな……。
 なるほど、だから出前で夕食済ませろって言ったわけか。
 こうなったら2時間は出てこねぇだろう。
 おいおい蘭、帰り道は一人になるんだぞ? 危ねぇじゃねーかバカ。

 なーんて事を考えるとやはり俺も一人で帰ることが出来なくて、仕方なくレストランが見える位置にあるカフェに入った。
 レジで注文して横のカウンターで受け取るタイプのカフェだ、店員が「危ないから気を付けてねボク」なんて声を掛けてくる。
 コーヒーを頼んでから窓際の席を陣取り、眺める。
 ……しかし張り込みデカみたいだな今の俺……。

 そうして……やはり二時間近く掛かってやっと二人は店から現れた。
 暇すぎて途中寝そうになったから何杯かコーヒーを頼み直している。

 にしても。
 顔だけじゃなくて服まで似たようなの着やがって……。
 商業施設の出口まで来ると二人は手を振り合って別れた。
 あーやれやれ、これでやっと帰れる。

 後はタイミングを見計らって偶然通りがかった振りをするだけだ。
 それとも蘭の事を心配して迎えに来た、健気な子供を演じるか?
 などと考えていると、……あれ?
 やべ、見失っちまった……これじゃ5時間も尾けてた意味ねーじゃねぇか!

 慌てて周辺を見回すと、最初のカフスを見た店の前で大きくため息を吐いているアイツを発見した。
 なんだよ、また店に戻ったのか……だから見失ったんだな。
 安堵していると蘭は再び出口に向けて歩き出した。

 そのまま施設を後にする彼女を、俺はそっと追い掛けた。さて、どの辺で声を掛けようか……。
 蘭が曲がり角を曲がる。
 よし、ここらでいいか。
 そう思って走り、俺も角を曲がった。

まともなのもたまにはいいな

 …………そこには。
 蘭の他に。
 数人の男達がいた。

 どうやっても善人には見えない、ガラの悪い体格のいい奴らばかりで、そのうちの一人が蘭を片腕で抱きしめもう片方の手で口を塞いでいる。
 その場面に俺はカッとなり、思わず叫んで飛び出した。

「蘭!!」
 男どもが一斉に振り向く。
 人数は三人、俺は間髪入れずにボールをベルトから出し、一番手前にいた一人に向けて、蹴った。

>>22
マジキチ物も大好きッス

「!?」
 見事顎に命中。男は悲鳴を上げる前に倒れる。
 次は蘭を拘束している男だ。
 男に向けて、麻酔銃の照準を合わせた、その時。

「なんだこのガキは」
 後ろから、両手首をいきなり掴まれ持ち上げられてしまった。
 しまった、まだ居たのか……。

「く、離せっ」
 ジタバタと暴れる。
 仲間の男達が気絶した男と眠らせた蘭をワゴン車に乗せながら言った。

「たぶんこの女の知り合いのガキだ、いきなり向かって来やがった」
「そいつなんで寝てんだ?」
 俺を掴んでいる男が、ボールで吹っ飛んで気絶した男を見て問う。
「そのガキがすんげぇシュート打って来やがってよう……」

 いいながら、男の一人が転がっているボールを指した。
「は、ガキの蹴ったボール程度で気絶とは情けねぇな。で? このガキどうする?」
 男は油断している。
 その隙に、俺は
「せーのっ」
と声を上げ。男の脛を後ろ向きに思い切り蹴った。

 キック力が上がった状態でのコレはかなり痛かったらしく、男は俺を放り出した。
 俺は受け身を取りすぐさま立ち上がる。
「こ……の、クソガキが!!」

 蘭は車に乗せられてしまっているから、助け出すには全員と格闘しなくてはならない。
 麻酔銃で一人は確実倒せるが……残りの二人をどう処理するかが鍵だ。
 幸い今の男は脛を思い切り蹴ったから動きが鈍いはず、そう思ってまだ元気な一人に目を向けた。
 が。
 頭に当てられた、硬い感触。
「舐めてんじゃねぇよガキが」
「……」
 拳銃か。

 まだ元気だったそいつが、俺の頭に銃口を押し付けていた。
 仕方なく、睨み上げながら両手を上げる。
「……おじさん達、何。そのお姉さんのことどうする気なの」
 すると拳銃男は笑いながら言う。
「ま、ちょっと……この娘の親父に恨みがあってさ。この娘自体には恨みはないんだが……恨みを晴らすのに使わせて貰いたくてな

 恨み? おっちゃんに?
 なるほどな。恐らく刑事時代のおっちゃんにしてやられた犯人が出所してきて、蘭を使って脅そうとしてるってところか……。
 なら。
「おじさん、……そのお姉さんより僕の方が使いやすいんじゃないかな。子供だから運びやすいだろうし……僕もそのお姉さんのお父さんとは知り合いだから」
「ああん?」
 相手が怪訝な顔をする。

「おじさん、毛利探偵に恨みがあるんでしょ? 僕、毛利探偵のところに居候してるから、だから……」
 それを聞いて男達は顔を見合わせた。
 互いに目配せしている。

 蘭を解放してくれるか否か、賭けだが……男達の回答を待つ。
 やがて。
「なるほどなぁ、毛利探偵事務所のところのガキなぁ」
 拳銃男がニヤリと笑った。

 後ろから拘束男が声を上げる。
「そいつ思い出したわ、アレだろ、お手柄小学生! なんて時々新聞に載ってる奴じゃねぇ?」
「ああ……そういや見たことある気がしてきた」

 すると拳銃男が視線だけを仲間に向けながら言った。
「ちょうどいい、こいつも使おうぜ。中森もムカつくが毛利もムカつくんだよな」
 ……え?

 聞こえた今の言葉に耳を疑う。
 中森?
 中森警部?
 そこまで来て、俺はようやく思い出した。
 中森警部が時々会話の中に出す娘の名前、「中森青子」のことを。

 そうか、今車にいる彼女は中森青子で、彼女を捕らえたのは中森警部への恨みってことか……。
 しくじった、いくら似ているからって蘭と間違えるなんて。警部の娘さんだとわかってたら、もっと違う事をコイツらに言っていた。
 自ら毛利の名を出した己の愚かさを呪う。

「ガキ。車に乗れ」
 銃を突きつけたまま、拳銃男が言う。
 俺はため息を洩らして仕方なくワゴンに乗った。

 脛を蹴られた脛男は俺を睨みながら助手席に乗り込む。
 中には仲間に運ばれた気絶男と青子を拘束していた拘束男、薬を嗅がされて眠っている青子、そして運転手が乗っていた。
 五人、か……。

 幸い麻酔銃はまだ使っていないし、キック力増強シューズもある。
 青子は特に縛られることもなく、そのまま後部座席に寝かされている。
 拳銃男は乗り込むとワゴンのドアを締めた。
 銃は俺に向けられたままだ。
「出してくれ」
 その声に応えて、車が発進した。

 サイドウインドウはスモークドグラスで、日が落ちている今の状況では外が見づらい。
 フロントとリアウインドウでかろうじて連れてこられる際の道筋を確認していたが。
 走っている最中、不意に俺の携帯電話が鳴った。

 拳銃男をちらりと見ると「出ろ」と促される。
「言っとくが助け求めたりしたら一発で頭ブチ抜くからな」
 表示を見れば、やはり蘭。
 ついでに時間を確認すると8時半を回っている。

「はい、もしもし……」
『あっもうコナン君! こんな時間にどこ遊び歩いてるの!?』
「えっと、その……阿笠博士のうち……」

 だが蘭は怒ったように言う。
『たった今阿笠博士に会ったばっかりよ。コナン君きっと行ってるんだろうなと思って、迎えにいったばかりなんだけど。ねぇ、変な嘘つかないでちゃんと話して』
 う、しまった……蘭が俺に電話するより先にそんな行動してるなんて。

 かと言って素直に、誘拐された青子姉ちゃんを助けようとしてる最中なんだ、なんて言えるわけがない。
 蘭はパニックするだろうし、第一この犯人達にも釘を刺されたばかりだ。
 どこに居ると言えば蘭をごまかせる?

「ご、ごめんなさい……実は高木……さんの家に居て……」
 妥当な人物が思いつかず咄嗟に高木刑事の名を出してしまう。
 ごめん高木刑事、ダシに使っちゃうけど。
 この時間に上がり込んでいても気を使わない良く知る大人の知り合い、蘭が安心しそうな人物……佐藤刑事やジョディ先生にしても良かったんだが、彼女達なら普通に家まで送り届ける性格だ。

 高木刑事のことを刑事と呼んでしまうと、警察関係にピリピリしているコイツらの神経を逆撫でするのではないかと、敢えて呼称を変えた。
 蘭は呼称の事は特に気にかけなかったようだ。

『高木刑事!? 何で!?』
「晩御飯、出前じゃなくて自分で何か作れないかなーって思って買い物に出かけたんだ。そうしたら高木さんに会って、なんだか佐藤さんと色々あって、愚痴聞いて欲しいって家に連れて来られちゃって……。子供に好きな人の愚痴言う羽目になるってどうかなと思って、高木さんの名誉があるから阿笠博士のところだって嘘ついちゃった……ごめんなさい」

『そ、そう……今夜は泊まるの?』
「うん、たぶん」
『なら高木刑事に変わって。挨拶するから』
 うぐ、次から次へとコイツは。

 って言っても蘭からすれば保護者の役割を果たしてるだけだし、文句を言っても仕方が無い。
 変声機を使って彼の真似をするか、……いや、この男達に怪しまれる。

「高木さん、お酒飲み過ぎて寝てるよ」
『そう……』
 やっと蘭は諦めてくれたようだ。
『明日高木刑事にお礼するから、イイコにしててねコナン君。それじゃおやすみ』

 電話が切れると、拳銃男はひゅー、と唇を鳴らした。
「やけに口のまわるガキだな。察しもいい」
「お手柄小学生って奴だからか?」
 運転手が馬鹿にしたように笑う。

「……僕達を使って何する気なの」
 尋ねると拘束男が後ろの座席から言った。
「まずは中森警部の土下座を要求。出来ればその姿を全国中継していただきたいね。そうして現金を用意させる。それから海外に船で逃亡、それを追ってこないことを約束、だな」
 俺が子供だと思って油断しているのか、奴はベラベラと話した。

 結局は金か、しかし……このままだとまずいことになる。
 船で海外に行くつもりだということは海上に出るまで俺と青子は解放されないはずだ。
 そして、太平洋のど真ん中辺りで……ドボン。
 もしくは外国で売られるかも知れない。
 金を要求するような奴らの事だ、後者の可能性の方が高かった。
 どうやって彼女を連れて突破するか……それに思いを巡らせる。

 更に30分ほど走っただろうか。
 車は港らしき場所にやって来た。
 堤無津港や杯戸港ではなさそうだ……ここはどの辺りだろう。

「降りろ、ガキ」
 車は適当に止まり、言われて渋々降りる。
 しっかしこの拳銃男、ずっと俺に銃向けたままで疲れねぇのか?

 気絶男はとっくに目を覚ましており、拘束男と一緒に青子を抱え降ろしていた。
 眼前の港にやや大きめの貨物船が止まっている。これで逃げるんだろう。

 拳銃男に背中を押されて歩き出し、船の乗降口へ向かった。
 後から二人がかりで青子が運ばれてくる。
 青子は一度目を覚ましかけたところで再び薬を嗅がされ、眠り続けていた。
 くそ、彼女が動けるようにさえなってくれれば何とかなるんだが……。

 どうする。
 取り敢えず誰かに連絡を取りたい。
 妥当なのは博士か灰原。

 先程の演技によって油断しているのか、携帯電話は取り上げられなかった。
 ……いや、この辺りは電波が弱いから敢えて取り上げなかったのかも知れない。奴らは一度も携帯電話を使わず、ずっと無線で通信していた。
 そしてそれは、こいつら以外の仲間が船で待機していることを意味する。
 コイツらのうちの数人は恐らく警部に特に恨みがない人間だろう、金の山分けを条件に声を掛けたんじゃないだろうか。

 俺と青子はズラリと並ぶ船室の一つに押し込まれた。
「ここで大人しくしてな」
 がちゃり、と鍵が掛かる音がした。

 船窓から外を見ると真っ暗だった、海側の部屋か。
 さて、と部屋の中を見回す。
 二人部屋で、ホテルのツインのように並んだベッド。
 その上の壁にそれぞれ救命用の浮き輪とジャケットが張り付いている。

 後はユニットバス、小さなクローゼット、窓際から張り出しているテーブルの上にはテレビと電気スタンド……。
 窓の形と救命アイテムを除けばちょうどビジネスホテルさながらだ。

 救命ジャケットを着て窓を壊し、海に飛び込むか?
 まあそれは最悪の場合の手段にしよう。この季節の海に飛び込んで心臓麻痺を起こさない保証はない。
 俺は携帯電話を取り出して灰原の番号を呼び出した。

 やっばりな、博士がちょっと弄っていてくれるこの電話なら電波を掴んでいる。
『はい。……何かあった? さっき探偵事務所の彼女があなたのこと探して来てたわよ』
「ああ、かなり何かあった。中森警部の娘さんが誘拐されちまったんだ。んで助けようとしたら……」
『一緒に捕まったの? ドジね』
「ぐ……」

 まったく心配しないコイツの反応は予想通り過ぎて、良かったのやら悪かったのやら、思わず苦笑してしまう。
「オメーなあ、誘拐されたダチの心配くらいしろよ」
『こうやって電話出来るって事はまだ余裕があるんでしょ?』
 まぁな、と頷くと灰原のため息が聞こえた。

『……で、どうする? あなたの携帯電話の位置から居場所、割り出す?』
「ああ、頼む。ついでに探偵バッジの電波も掴んどいてくれ。それから、目暮警部に連絡して準備してもらって……ただし俺から連絡するまで動くなって念押ししてな。今は奴らの用意した船の中なんだが、相手が何人いるかわからねぇんだ。取り敢えず最低でも五人……いや、六人確認出来てる」

『下手に警察が駆け付けると、たぶんまずあなたが殺されるわね。そして中森警部のお嬢さんを連れて逃げてしまう』
「さっすが、わかってんじゃん」

 じゃ頼んだ、と電話を切り、省電力モードに切り替えておく。
 電池が無くなったらアウトだ。
 ドアを調べると中からも外からも鍵穴に鍵を差し込むタイプで、鍵がないと開きそうにない。中森青子誘拐の為にサムターンを付け替えたんだろうか。

 ドアに付いている丸窓の向こうは鍵を掛けたことで安心したのか、見張りは居なかった。
 鍵穴を覗く。

 若干複雑か……どこぞの怪盗じゃないから上手くピッキング出来るかわからない。
 取り敢えず試してみる価値はあるだろう、ピッキングに使えそうな物を探してみるか。

 中森警部とおっちゃんに土下座させたい、テレビ中継させたいと言っていた。時間はまだあるはずだ。
 だが行動はなるべく早い方がいいだろう……船が出てしまったら助かる確率は格段に低くなる。
 申し訳ないが、と思いながら青子を強く揺さぶってみた。

「青子姉ちゃん、青子姉ちゃん起きて」
「う……」
 反応があった、よし、と思ったら。

「かいとの……ばかぁ……むにゃ」
 また寝てしまった……おいおい……。
 まあ二度も薬を嗅がされているし、あんまり無理に起こすのも可哀想か。起きても行動時にフラついていては意味がない。

 ……それにしても。
 寝言だとしても、蘭にそっくりな顔で他の男を呼ばれると無性に腹が立つ……、って、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇか。

 気を取り直してピッキングに使えそうな物を探す。
 クローゼットに何かないか? と開けようとして、ふと青子の髪を見てみた。
 ナイス青子姉ちゃん。髪飾り付きのヘアピンを二つ、着けている。
 わりぃけどこっそり拝借して、と。
 後は青子が起きるのを待つだけだ。

 ややあって。
 廊下から話し声が聞こえて来た。
 ドアにピタリと耳を付けて聞き耳を立てる。

「……けどよ、あのガキさっさとバラした方が良くねぇ? 正直毛利はどうでもいいだろ?」
「あの嬢ちゃんは殺すわけに行かねぇが、ガキは奴らがこっちに従わねぇ時の見せしめに、殺すのにうってつけだ。今はまだ生かしとく」
「でも変に頭回るしよ……何だかんだ一人ぶっ倒してるんだぜ」
「探偵事務所んとこのガキだから、普段から訓練されてんだろどうせ。でなきゃ新聞にちょくちょく載るような活躍なんてそう出来ないしな」
「なるほど?」
「まあそれでもガキはガキだ。それにあの位の歳なら男でも買い手がある。出来れば殺さないで売っ払いてぇんだよ。嬢ちゃんと合わせてかなり稼げるぜ」
「わかった。まああのガキには要注意、だな。取り敢えず縛っておくか」

 声は拳銃男と脛男だ。
 俺を殺すと言ったのが脛蹴り男の声、まだ生かしておくと言ったのが拳銃男の声。
 会話が終わると足音がドアの前で止まった。
 まずい、入ってくる。

 慌ててドアから身を離し、ベッドに飛び乗ると同時に男が入ってきた。
「クソガキ、気分はどうだ?」
 コイツは脛蹴り男だ。

 俺は睨み上げながら、
「あんまり良くないね……残念だけど」
「相変わらず生意気なガキだ」
 フン、と鼻を鳴らすと男は青子に視線を落とした。

「ま……二度と日本の土は踏めないだろうがな」
 それを聞いて、俺は息を呑みながら尋ねる。
「……、お姉さんだけでも解放して貰えない?」
「無理な相談だ。むしろクソガキ、てめぇの方がいらないんだよ」
「だったら何で連れてきたの? あの場で殺してれば良かったんじゃない? 毛利探偵のことは、おじさんはどうでもいいんでしょ?」
「ったくああ言えばこう言う。あのな、」

「あの場に殺人の形跡を残したら足がつきやすくなるから、だよね? だからもし僕を殺すなら海の上が一番いい。それに仲間が別の提案をしたから、僕を殺したくても殺せなかった」
 俺の発言に脛蹴り男は目を細め、そしてきつく睨んできた。

「……やっぱりただのガキじゃねぇな」
 そうして、ジリ、と歩み寄ってくる。
「……クソガキ、てめぇ……何者だ?」
 男の言葉に。
 俺は不敵に笑んで、言った。
「さぁ……おじさんに言っても、仕方ないしね」

 瞬間、麻酔銃を奴に撃ち込む。
 奴は抵抗する間もなくその場に倒れ込んだ。
 よし、これで一人。

 服を脱がせ、奴の服を利用して男を縛りあげ猿轡も噛ませる。
 こいつをバスルームに押し込めて、さて。
 他のメンバーの気配はない。船室でくつろいでいるのか、次の計画を相談しあっているのか。
 絶好のチャンスだぜ青子姉ちゃん……。
 だが彼女が起きる気配はない。

 もしこの間に他の犯人メンバーが来て、鍵が開いてるのを知られたら中で何かあったのがすぐにバレてまずい。
 俺は仕方なく男を調べて鍵の束を探し出し、ドアに鍵をかけてやった。

 ったく灰原の奴……服部に話したのか。
 それとも犯人が中森警部にすでに要求を出していて大阪府警にそれが伝わった、それを服部が聞いたか……いや、それにしては服部の行動が早い。恐らく前者だ。

「何って……誘拐事件の調査?」
『アッホやなー自分、とっ捕まる前に何でとっ捕まえんのや』
「っせーバーロ。相手は拳銃持ってんだよ」
『ま、そっち応援に行ったるわ。そっちの犯人の数、ナンボや』
「最低六人、……うち一人は確保した。後五人で終わってくれるといいんだけどな」
『さっすが仕事早いな。どうする? ちっさい姉ちゃんから居場所は聞いとるけど』
「いや、ちっと待ってくれ。中森警部の娘さんの安全を確保しないとまずい。……取り敢えず薬で眠らされてる彼女が起きたら行動開始して、船から脱出する。その時に迎えに来て貰えると助かるんだけどよ」
『つまり……俺らはお前が脱出するまでの時間稼ぎしとったらええんやな?』

 西の高校生探偵と言われるだけあってコイツの察しの良さは助かる。
 若干やかましい面はあるが、灰原がコイツに話したのは正解だと思った。

ごめん、>>46はミス
>>48が正解

『工藤、お前何やっとんねん!』
 西からの着信があって出た途端、開口一番に怒鳴り声。

 ったく灰原の奴……服部に話したのか。
 それとも犯人が中森警部にすでに要求を出していて大阪府警にそれが伝わった、それを服部が聞いたか……いや、それにしては服部の行動が早い。恐らく前者だ。

「何って……誘拐事件の調査?」
『アッホやなー自分、とっ捕まる前に何でとっ捕まえんのや』
「っせーバーロ。相手は拳銃持ってんだよ」
『ま、そっち応援に行ったるわ。そっちの犯人の数、ナンボや』
「最低六人、……うち一人は確保した。後五人で終わってくれるといいんだけどな」
『さっすが仕事早いな。どうする? ちっさい姉ちゃんから居場所は聞いとるけど』
「いや、ちっと待ってくれ。中森警部の娘さんの安全を確保しないとまずい。……取り敢えず薬で眠らされてる彼女が起きたら行動開始して、船から脱出する。その時に迎えに来て貰えると助かるんだけどよ」
『つまり……俺らはお前が脱出するまでの時間稼ぎしとったらええんやな?』

 西の高校生探偵と言われるだけあってコイツの察しの良さは助かる。
 若干やかましい面はあるが、灰原がコイツに話したのは正解だと思った。

「ああ。……奴らの要求が警視庁にもう届いてるどうか、わかるか?」
『もう来とるみたいやな。警視庁の奴ら、今大騒ぎしとるわ』
「なんだオメー、もう東京にいるのかよ」
『まだや、親父から聞いた話でな。そっちへは今バイクで向かっとる。高速途中のサービスエリアでこの電話しとる』
「微妙に呑気だな……」
『まだ時間の余裕あるん、お前もわかっとんねやろ? 勝負は中森のおっさんがテレビ中継で土下座した後や』
「ああ、……さすがに中森警部も出来るだけ時間稼ぎしたいと思ってるはずだ。だからすぐには要求に応じないだろうが……犯人の堪忍袋の緖が切れたらまずい。タイムリミットは恐らく明日の夜」
『明日の早朝には東京に着くで。なんや俺らでやっといた方がええことあったら電話せぇ、工藤』
「ああ助かるぜ。……犯人が来たらまずい、一旦切るな」
『おう』

 電話を切った瞬間、後ろから
「あれ……?」
と声が上がった。

 しめた、やっと起きた!
 俺は身を乗り出して青子に顔を近づけ、肩を揺さぶる。
「青子姉ちゃん大丈夫!? あのね、青子姉ちゃん、落ち着いて聞いてね、今ね」
 と、話している最中に、いきなりガバッと抱き締められてしまった。

「へ? あ、の、青子姉ちゃん?」
 ドギマギして尋ねると青子は頬ずりしながら言う。
「快斗ちっちゃくなっちゃった!! かーわいいー!!」
「……は?」

 目を丸くしていると青子はいきなり俺を抱きしめたまま立ち上がった。
「でもこんな時間にちっちゃい子がうろうろしてたらダメなのよ、青子お姉ちゃんが送ってあげるからおうちに帰りなさい快斗!」
 ……は、はは、だめだこりゃ、完全に寝惚けてやがる……。
 しばらくしたら覚醒はするだろうが……。
 青子は俺の顔を真正面から見つめると、これまたいきなり床に下ろし、俺の手を掴んで引っ張り始める。
 ドアの取っ手を掴んでがちゃりと捻るが当然開かない。

「……変ねえ」
 俺はやれやれと思いながら鍵を開けてやった。
「さっすがマジジャン快斗!」
「あ、あのね、僕、快斗って人じゃないんだ青子姉ちゃん……」

 物言いは随分はっきりしてるのにまだ寝惚けてるのか?
 青子は不思議そうにジッと俺を見つめる。

「……快斗がマジックでちっちゃくなったんだと思ってた。じゃあ君、誰?」
 マジックで小さくなるってどんなキャラなんだよ。
 慄きつつも、はて、と何かが引っ掛かった。

 マジック……。
 俺に似てる……?
 まあ、そのことは脱出してから考えよう。

「……僕は江戸川コナン。探偵だよ。青子姉ちゃんを助けに来たんだ」
「探偵さん?」

 オウム返しに言うと、青子は屈み込んで俺に目を合わせてくる。
 ……こうして見ると本当に蘭に似ている……。

 ……こんな状況にもかかわらず、俺は思わず、彼女の頬に触れてしまった。
 青子は目をぱちくりさせてから。
「取り敢えずよく分かんないけど帰ろっか!」
 すっくと立ち上がり、俺の手を握りつつも廊下に身を乗り出す。
 こんなところは蘭に似てるんだか似てないんだか……。

「……って、ここどこ?」
 見慣れないだろう廊下に唖然とする彼女に声を掛けた。
「僕達、悪い人に誘拐されて来ちゃったんだよ……」
「ウッソぉ!!」
「大丈夫、落ち着いて。僕が青子姉ちゃんのこと守るから」
 パニックで騒ぎ出しそうな彼女に「シーッ」と静止を促す。

「そう言えばコナン君、だっけ? 何で青子のこと知ってるの?」
「お姉さん中森警部の娘さんでしょ? それと蘭姉ちゃんのお友達。二人共僕の知り合いだから、話だけ聞いてたんだ」
 蘭から聞いたというのはまあ嘘だが、それはこの際いいだろう。
「へー」

 彼女は目を瞬かせてから、いきなりテンションを上げ始めた。
「あっじゃあ青子の顔見てなにか思わなかった!?」
「えっ……あ、う、うん、蘭姉ちゃんにそっくりだなって思った」

「でしょ! でしょ! 青子も蘭ちゃんと初めて会った時、びっくりしたんだよ! あのね、園子ちゃんのお父さんのパーティに、快斗と一緒にお呼ばれしてね、その時友達になったんだ。あっ、快斗はね、お父さんがすっごく有名なマジシャンでね、その息子さんならきっとすごいマジック見せてくれるだろうって招待されたんだけど、快斗ったらねー、その時魚料理出されて大騒ぎしてたの! 今思い出してもおっかしー!」

「あ……あの……」
 そんなパーティ知らねぇぞ……あー、でもうっすら記憶がある。確かあれは博士が風邪ひいて、灰原と一緒に世話してた時か?
 ってそれはいいんだが、こんなところで呑気にそんな話してる場合じゃねぇ。

 焦れったく思い、彼女の手を引いて廊下を歩き出す。
「青子姉ちゃん、話は後で! 快斗って人にまた会いたいでしょ?」
「え? えーっ、青子は快斗なんて別にぃ何とも思ってないんだから! って蘭ちゃん、コナン君にそんなことまで話してるの!?」

 今の快斗快斗の連呼っぷり聞いてりゃそりゃわかるだろ、と口の中で呟きつつ。
 彼女の言葉にえへへ、と苦笑して……変なところは蘭に似てるが、こんな時に大騒ぎしているのは蘭に似てないな、などとつい考える。
 ……何だかことあるごとに蘭と比較しちまうな、いけないいけない。

「快斗さんのことはともかく、ここから出、……!」
「コナン君?」
 突然黙った俺を怪訝そうに見る青子を背に、俺は鍵束から目の前の部屋のドアの鍵を探す。
 いくつか試して回るのがあった。
 急いで青子を引っ張り中に入る。
「どうしたの?」
「シーッ」

 ジッとしていると、走る足音が聞こえてきた。
 やがてその音は部屋の前を通り過ぎていく。
 ふー、と息を吐き。

「まずいな……たぶん今の話し声聞かれた」
「ど、どういうこと?」
「階段を降りる足音が聞こえてきたんだ。たぶん犯人の一味。仲間の男の声じゃなくて女の子と子供の声だったから、怪しんで走ってきたんだと思う」
「えっと、……つまり?」

「僕達が部屋から逃げ出したのがバレたってこと。……まだ船は出てないから、早く降り口に着ければ後は警察に連絡して逃げられるよ」
 それを聞いて青子はなぜか首を傾げた。
 なんだ?
「ここ……船なの?」
 そこからかよ。

「そっか、海なら快斗、助けに来てくれないかもなぁ……」
 さっきまでテンションが落ち着かなかった彼女の勢いが急に落ち込む。
 なるほど、快斗って奴がヒーローさながら助けに来るのを期待してたわけか。

「海なら来ないってなんで?」
「快斗ねー、魚が大っ嫌いなのよ。食べるだけじゃなくて見るだけでもダメ。可愛いマンガの絵でも嫌がるくらい。だから本物の魚がいる海なんか絶対嫌がるよね。毎年海に誘っても絶対来ないし。毎年プールになっちゃうし」

 俺にとっては相当どうでもいい情報だったが、尋ねたのは俺だ。
 はは、と苦笑して
「夜だからお魚、見えないと思うよ」
と言ってやるとまた青子の顔が明るくなった。

「そっかー! コナン君頭いいね! そっか、前にセリザベス号とか観に行ってたもんねー、そっかそっか!」
 そういう問題じゃないが、そもそも魚が見えようが大好きだろうがその快斗って奴はここにはどの道来るはずがないんだ。
 だが青子のテンションが無駄に落ちても行動しにくくなるだろう。そいつが来るかもと思わせておいた方がいい。

「この部屋を出たら今の廊下を思い切り走ろう、青子姉ちゃん。そうしたら左手に乗降口があるはずだから、一気に出られれば僕達の勝ちだよ」
「快斗が来るまで待った方が良くない?」
 ……この姉ちゃんは……。

「あのね、……僕達が先にここから出ないと快斗さん、来られないよきっと」
「どーして?」
「僕達が目の前で犯人に人質に取られちゃったら快斗さん、困っちゃうでしょ?」
「…………」
 それを聞いて青子は何か考え始めたようだった。

 話を理解してくれたのか、別のとんでもないことを考えているのか。
 これが蘭ならこんな回りくどい話をしないでもっとサッサと行動出来ているだろう、……などとまたもや蘭と比較してしまう。
 だがそれは彼女に要求しても仕方がないことだ。事件に出会う率がやたら高い人間と、そうじゃない相手を比較してもどうしようもない。
 この状況で怯えて動けなくなってないだけでも大したものだ。

「青子姉ちゃん、快斗さんのことすごく信頼してるんだね」
 黙ったままの彼女に声を掛けると、彼女は嬉しそうに笑った。
「だってアイツさ、困った時いつもなんとかしてくれちゃうの。青子が来てほしいなーって思った時は絶対来てくれるの。だから今回も絶対来るよ」

「…………」
 蘭と違う、決定的なこと。
 それは信頼しているパートナーが、何かあったらいつでも駆け付けてくれると相手に信じられていること。
 ……そして、本人がその気になれば実際に駆け付ける事が可能なこと。

 この状況に置かれているのが蘭だったとして、……俺は工藤新一として駆け付けることは出来ない。

 唇を噛んでいると、青子が言った。
「……でも快斗に頼ってばっかりじゃダメだよね。今回は自分で頑張ってみる。行こう、コナン君」
「青子姉ちゃん……」

 強い意思の瞳。
 蘭の面影が重なる。

「うん」
 頷いてからそっとドアを開ける。
 よし、誰もいない。

「いいよ、青子姉ちゃん」
 小声で言って手招きする。
 青子は頷いてそっと俺の後ろに付いた。
「……いくよ、せーのっ!」

 飛び出、……そうとした、
 その時。

「Checkmated though regrettable, Cool guy」
 ……、血が、……凍った。
 聞き覚えのある女の声。
 冷たい語調に流暢な英語。

 なんで、……なんで、こいつが、こんなチンピラどもと関わってるんだ……?
 振り向けばそこには過去に対峙した、黒の組織に所属するあの女の姿。

「ベルモット……、なんでテメェが」
 銃を突きつけてくる彼女。
 俺は両手を上げて睨み付け、青子を庇うように後退りする。

「アンタが何故この船にいるかはともかく……俺たちの脱走がアンタにバレてたってことか。隣の部屋に潜んで俺達の会話を聞いていた」
「私の狙いはそっちの彼女よ、Cool guy」
 いいながら、銃口を青子に向ける。

「……何なんだよ。彼女は関係ねぇだろ」
「いいえ大有りよ? そのGirlは何の因果か、私の大事な娘と瓜二つ。邪魔、なのよ」
「大事な娘? ……邪魔?」
 怪訝に相手を睨む。
 青子に双子の姉妹やらがいない限り、その「大事な娘」とは蘭の事を指している可能性が高い、……だがもしそうなら理由がわからない。

明日の世界一受けたい授業はコナン君と謎の施設に潜入するらしいですね

 蘭が大事? それに似てるから青子を殺す? 何故だ?

 今それを訊ねても、恐らく回答は無いだろう。
 何か蹴るものはないかと……周囲に視線を走らせる。青子がポーチを持っている、悪いがあれを借りるか?
 ジリ、と足を少しずらした。
 後ろから青子の不安な雰囲気が伝わってくる。

 大丈夫、守るから。

 青子に少しだけ首を向けると
「屈んで。僕の影に完全に入って」
 青子が頷いたのを見て、俺はベルモットに視線を戻した。

「なるほどな……。中森警部に恨みのある人間を探して今回の計画を持ちかける。だがオメーの真の意図は蘭に瓜二つな中森青子を殺すことにあったわけだ。中森警部に恨みある者の犯行、と見せかけることによって、オメーの真の意図は隠されてしまう。間違って、もしくは逆上して殺してしまいました……って言い訳出来る口実を作ったわけだ」

 俺の弁を彼女は黙って聞いている。
 何を考えているのかはわからないが。
 俺は、更に続けた。

「……見つけた途端に殺すように指示してしまうと、間違って蘭を殺す可能性がある。だからひとまず攫ってきてオメーが確認するまで殺さなかった。……拳銃持ってた男はお前の変装だな? 俺を殺さないように、殺さないようにと会話を誘導してただろ」

 そこまで話すとベルモットはクスリと笑いを漏らした。
 ジッと彼女の動向を伺う。
「いい推理ねCool guy……坊やがまさか関わってくるとは思わなかったわ。……いえ、間接的とは言え彼女が関わっているんだものね。坊やの介入を予測出来なかった私が愚か、というところかしら」

「……なぁ、逆に知りてぇんだ。蘭には絶対手を出さない理由はなんだ?」
「……そうね。そこに論理的な思考は存在しない、とだけ」
「……」
 この言葉には覚えがある。
 だがそれは……。
「……お前を倒さないと、この娘は救えねぇみたいだな」

「Cool guy、あなたは殺さないであげるわ。そこを退きなさい」
 俺は両手を下ろした。
 それから彼女を庇うように腕を後ろに向けて伸ばし、言う。
「そう言われて退く奴がいたらお目にかかりてぇよ」

 と、
「あ、あの」
 緊張した空気の中で、いきなり青子が声を出した。

「青子が蘭ちゃんに似てるってだけで殺す理由になるんですか?」
 それを聞いてベルモットがフッと笑う。
「……私には、護りたいポリシーがあるの。それを惑わす顔がこの世に二つあったら、邪魔なのよ」
「……あなたは蘭ちゃんのこと、すごく好きなんですね」

 一瞬。
 ベルモットの瞳が、揺れた気がした。

「蘭ちゃんあんなにいい子だもん。好きになって当たり前だと思う。……それに比べて青子って、快斗にもすぐ子供扱いされるし、ワガママだし、……でもわかってる、蘭ちゃんみたいないい子にはなれないけど、青子も……頑張りたい。だからこんなところで……死にたくないんです……。命乞いとかかっこいいことじゃないけど、蘭ちゃんみたいに誰かを助けたり、お父さんみたいに人の為になることしたり、……青子、全然出来てなかったから、だから……」

「……」
 迷っているのか……蘭と同じ顔の少女に言われて決心が鈍っているのだけは、はっきりとわかる。

>>60
あの番組のコナン君よくキャラ崩壊起こすよな

 今しかない。
 青子の持っていたポーチを瞬時に奪って、俺はすばやくシューズの出力を上げた。
 彼女の視線がこちらに向く。

 が。
 意を決したような強い瞳を見せると。
 ……引き金に掛けた指に、力を込めた。

「Good bye, Fake angel」
 時が、止まって、見える。

 俺が屈んだ瞬間の隙。
 その狭間を縫う位置を狙って。
 弾丸が、飛ぶ。

 引きつった青子の顔に蘭が重なる。
 ……蘭!!
 声にならない声で、叫んだ。

>>64
それでも見てしまう視聴者の心理をわかってるのが悔しい

 目の、前に、鮮血が飛ぶのを覚悟した。

 ……が。
 そこに広がるのは……白。
 一面の、白。
 弾丸が……弾かれている。
 続いて聞こえた、声。

「困りますね。麗しき女性はこの世に誇る大切な宝石。無闇に壊されてしまっては損害も甚だしいというものです」
「かっ……っ」
「怪盗キッド!?」

 目の前に、いた。
 あの、宝石ばかり狙う天下のこそ泥が。
 ……怪盗キッドが、俺とベルモットの間に立ちはだかっていた。

 ふと壁を見ると、トランプが数枚刺さっている。
 まさかトランプ銃で弾に当てて弾道を逸らした……のか?
 ……嘘だろ、と思わず呟いた。

「なぁるほど? 狙うのはFake angelだけでは終わらなさそうね?」
「今宵、盗ませて頂きます。海辺を彩る神秘の青き宝石を」
 そう言うと、キッドはいきなり青子を横抱きに抱き上げた。

 ぽかん、としてしまって状況が理解出来ない青子。
 俺も少しだけ脳の回転が追い付かない。
「ほら名探偵! 行くぜ、甲板に上がれ!!」
 青子を抱いてキッドが階段を駆け上がる。

 追おうとしたベルモットの前に俺はすかさず立ちはだかった。
「俺は……殺さないんだったな?」
 ベルモットが、ふぅ、と息を漏らす。

「殺しこそしないけど、このまま捕らえて売り飛ばす……とでも言ったら?」
「しないな」
「何故……そう思うの?」
 その問いに、俺は少しだけ言葉を溜めて。
 そうして、告げる。

「何となく? ま、論理的思考はそこにはないけどな」
 ベルモットは口の端から笑いを洩らしていたが。
 やがて高らかに笑いだした。

「あまりお人好しだといつか命を落とすわよ。……行きなさい、Cool guy。あなたに免じて二人は見逃してあげる」
「はは、ありがてぇ」
 ベルモットに背を向け、俺は階段を駆け登った。
 背後から、「おい、何かあったのか!」と犯人どもの声が聞こえていた。


 甲板に辿り着く。
 月下の中で、キッドと青子が立っている。

「よ、名探偵。遅かったな」
「銃持ってる犯人の前に置いてくかよ普通」
「だってあの犯人、オメーは殺さないって言ってただろ?」

 まぁな、と頭の後ろで手を組むと青子が駆け寄ってきた。
「良かったコナン君、良かったぁ! ありがとう、青子、コナン君がいなかったら、とっくに殺され、て、……う、ぐす、……っ」

 嗚咽を上げながらきつく抱き締められる。
 やれやれ、と溜息を洩らして抱き締め返し、背中をぽんぽんと叩いてやった。
「青子姉ちゃん、まだ終わってないよ。船から降りて警察に連絡しないとね」
「うん、……ぐずっ……」

 不意に。
 何か凍り付くような視線を感じた。
 なんだろうと恐る恐る見る。

 ………………怪盗キッドが。
 キッドがこっちを、ものすごい形相で睨んでいた。
 は? なんだ?
 睨まれる覚えはねぇぞ?
 え、青子に抱き締められてるから?
 だって俺が女の子に抱き締められたってアイツには関係ねぇし、あっ、アイツも助けたのに感謝されないから腹立ったとか、……いやあの睨み方はそれどころじゃない。

 その、瞬間。
 俺の脳裏をあの発言がよぎった。
『だってアイツさ、困った時いつもなんとかしてくれちゃうの。青子が来てほしいなーって思った時は絶対来てくれるの。だから今回も絶対来るよ』

 まさか。
 まさかまさかまさかまさかまさか。
 ……まさか。
 怪盗キッドの正体は……。


 俺は、カマをかけてみる為に、キッドの方を見ながら言った。
「なぁ、オメーひょっとして魚苦手なの?」
「はて? 何のことやら? 名探偵にしては唐突なことをおっしゃられますね」
 つらっと言う。

 だが確信した。
 アイツ、……否定しなかった。
 しかもアイツらしからぬ、動揺した表情付きで。
 思わず吹き出しそうになるのを堪えていると、

「コナン君、魚が嫌いなのは快斗よ。怪盗キッドじゃないの。あ、快斗、と怪盗、でひょっとしてまぎわらしかった?」
 青子が言ってくる。
 俺は思わずくすくすと笑ってしまってから。
 青子を改めてきつく抱き締めた。

「うん、言葉が似てたから間違えちゃったみたい! そうだよね! 魚が嫌いなのは快斗兄ちゃんだもんね!」
 ねー、快斗兄ちゃん?

 言外にキッドを見やるとわなわなと震えているが、青子の反応を見てもどうやらアイツも彼女に正体を明かせないらしい。
 なんだ、俺と同じじゃねぇか。
 そう思うとなんだか可笑しくなっちまった。
 ……いつも俺に化けて蘭に手ぇ出してくれてる仕返しだ。ザマーミロ。

 そんな視線を投げかけると、キッドが目を逸らしながら言った。
「お嬢さん、……この冷えた潮風は体に悪い。ここから降りるとしませんか?」
「あっ、う、うん……」
 青子は何故か躊躇う。
 正体に気づいてないのはともかくアイツが青子を助けたのも事実だ、この反応は何なんだろう。
 と、いきなり大声が階下から聞こえてきた。

「青子! 青子ぉー!! 無事かぁー! 」
 ……あー、中森警部だ。
 キッドの顔が引きつる。
 なるほど。青子にとってキッドは父親の天敵。
 その天敵に助けられたから、青子自身戸惑ってるんだろう。

「お迎えがいらしたようですし、私の見送りは必要ないようですね。それではごきげんよう、お嬢さんと名探偵。またいつか、月下の淡い光の中で……」
 言うと、キッドは甲板の端に行き、ハンググライダーを広げて飛び立っていった。
 その直後に警官隊が甲板に飛び込んできた。





「犯人グループのボスのみ逃走、残りのメンバーは逮捕、なぁ」
 江戸川コナン……ではなく、工藤新一である俺は、ポアロで新聞を広げながら呟いた。

「もう、新一。こんな時までそんなの読まないの」
 蘭に言われて仕方なく新聞を畳む。
 久々に俺と会えた蘭は、もう相好をこれでもかとばかりに崩しまくっている。

『怪盗キッドからいきなり当夜の……しかもあの船停まってた港での、犯行の予告が来よってな。その犯行時刻にたぶん乗り込みOKや思たから、警官隊突入させるよう警視庁に電話で指示しとったら、ビンゴやったっちゅうわけや。しっかし俺が東京に来た意味無うなったな。東京見物してくからちょっと付き合えや工藤。ああ、あとな、お前の携帯間違いなくあの怪盗に盗聴されとるから一旦バラしとけ』
『それであの場所嗅ぎつけたってわけな……あんにゃろいつの間に……』

 服部とそんな会話をしたのが昨日のことだ。
 そして。

 ……目の前には、チョコレートパフェを平らげる青子と、そして……
 チョコレートパフェを平らげる俺にそっくりな男。
 名を黒羽快斗という。

「快斗君がパフェとか食べてると新一が食べてるみたい、なんだか絶対見られない姿で楽しいー」
 蘭が呑気なことを言う。

 と、今度は青子が
「新一君が魚のキッシュなんて食べてる姿見てると、永遠に有り得ない快斗見てるみたいで楽しいよ!」
「オメーらなあ……」
 思わず二人でハモってしまう。

 俺の前にはコーヒーとキッシュ。
 ……そう、先日蘭に約束した通り、俺は一日だけ工藤新一に戻っていた。
『また耐性が強くなるから次回の新しい薬を作るのに時間がかかるわよ、それは覚悟しておいて』
 灰原にそう言われながら。

「あ、……なあ蘭ちゃん、君のところに居候してるって噂の小さな名探偵は?」
 キッドが俺をチラチラ見ながら言ってくる。こんニャロ。
「今日は阿笠博士のところに泊まり込むんですって」
「ふーん……」

 スプーンを咥えて聞いていたキッドの横から、青子が顔を出してきた。
「そっかー、残念だなぁ。この間のお礼、改めてしたかったのに……」
 青子の言葉に
「礼なんてする必要なくね?」
 キッドが不貞腐れてつっかかる。

「何言ってんのよ快斗! 快斗なんか助けに来てくれなかったくせにねー、コナン君あんな小さな身体ですっごく男らしかったんだよ!」
 青子の抗議にキッドは気まずそうに視線を逸らす。
 が、俺がニヤニヤしてるのを見てあからさまに不機嫌になった。

「だってオメー怪盗キッドにも助けて貰ったんだろ?」
「だってその前にコナン君が頑張ってくれてなかったら、誘拐された時点で死んでたんだもん、快斗わかってる?」
「……う……」

「まあまあ、……それじゃこの後どうしようか?」
 二人の攻防を抑えて俺が尋ねると後方からくすくすと笑い声が聞こえた。梓さんだ。

「梓さん?」
「あなた達、本当に双子同士みたいね」
「あ、はあ……」

 思わず苦笑して青子を見た。
 蘭に似た彼女。
 性格は随分違うが、……芯の強さは似た彼女。
 キッドが彼女を「青い宝石」と呼んだ理由がわかる気がする。
 ……でも、俺には。
 俺にはオーキッド……淡い紫の宝石がある。
 まだまだ充分な工藤新一には戻れないが、せめて江戸川コナンとして、俺はコイツを守りたい。

「ねぇ」
 梓さんが話しかけてくる。
「こんなに似てるんだし、いっそお互いのパートナー交換してこの後遊びに出かけてみたら面白いんじゃない?」
 それを聞いて蘭と青子は困ったように笑いながら顔を見合わせ、躊躇っていたが。
 俺とキッドは同時にテーブルを叩いて、同時にこう言った。

「それは、絶対ダメ!!」





第一話・END

あ、いい忘れましたが全3話構成です
お暇な方はお付き合いいただけると幸いです

晩飯食べるので少し休憩します
22時から再開しますのでお時間ある方はよろしければお付き合いください

よし、呑んだしやるか

【第二話 高校生マジシャン、黒羽快斗】

 黒羽快斗は高校生マジシャンだ。
 これは俺を表すのに最も端的、かつ的確だと思われる表現。
 ……って言いてぇところだけど、でもまだそれで金稼いでるわけでもねぇし、実際は「手品が得意な高校生」が精々だろう。

 それよりも……俺の裏の顔。
 今やこっちが本業になりつつある。
 と言ってもそっちでも稼いでるわけじゃないから、趣味の領域の本業……とか良くわからねぇ状態にはなってんだが。

 放課の時間になってカバンを左手で肩にかけ、教室を出ようとすると。
 外国から戻って高校の授業を受けている、うっぜぇ高校生探偵……白馬探が声を掛けてきた。
「黒羽君。時間はあるかい?」
「無い」

 アッサリ言い放ってすたすたと足を早める。
 すると今度は幼馴染の青子が声を掛けてくる。
「快斗ー、帰りにこの前出来たアイス屋さんに寄ってこーよ」
「おー、いいぜ行こう行こう! 行きたかったけどなかなかチャンス無かったんだよな!」

 で、青子と玄関に向かって歩き出そうとすれば、やはりと言えばやっぱり白馬が肩を掴んで引き止めてきた。
「時間は無い、と言わなかったかな」
「男相手に割く時間はねぇの」

 バイバイ、と手を振り背中を見せるが、白馬は「フッ」と笑うと得意げに斜に構えて、こう言ってきた。
「君の友人、江戸川コナン君に関することだ、と言っても?」
「…………は?」

 思わず振り向く。
「……江戸川コナン? 何だそれ?」
 としらばっくれると青子が横から刺さってきた。

「もー! 快斗、江戸川コナン君ってこの前の誘拐事件で助けてくれた子だって何回も話したじゃない。青子の命の恩人なのに快斗いつも何それ何それって、一体何なのよ」
 んなこたわかってる。

 俺がその名前にしらばっくれる理由がある事を、この鈍感ニブ子は言わなきゃ永遠に気付かねぇだろう、きっと。
「……別に俺が助けて貰ったわけじゃねぇし……」
 ここ最近の俺はその名前を聞くととにかくイライラしていた。

 しかも青子の口からそれが出ると、イライラは最高潮。
 だからここしばらくはキッドとしての仕事もしていない。すればあのガキンチョがほぼ必ず現場に現れるからだ。
 ……ふと、白馬が変な言い回しをしていたことに気づいた。

「しっつけぇなあ本当に……俺とキッドは関係ないっての……」
 呆れて手を振り、しっしっと白馬を追い払う仕草をしてやった。
 すると、
「そうよ白馬君、キッドと快斗は違う人なのよ。あんな泥棒と一緒にしないでよね」
 横からの青子の援護が何故かザクッと心に刺さってしまう。

 俺だってあの時助けてやったのに、ぜーんぶあのクソガキの手柄になってるわけ?
 むしろ俺が行かなきゃお前死んでたんだけどわかってる?
 なんて言いたいところだけど言えない辛さ。

 つかさ、実際行けなかった「黒羽快斗」より実際助けた「怪盗キッド」の方が評価低いのはなんでだ?
 コイツがキッドを快く思ってねぇのはわかってるが……やっぱあのガキに評価が全部行ってるせいか。
 そう考えるともうイライラもムカムカも通り越し、なんだかすっげー疲れてしまった。
 俺は踵を返して、一人で歩き出す。

「青子。アイスやっぱパス」
「えっ……な、なんで快斗!?」
「うっせーな、自分の胸に聞いてみろよアホ子」

 いつもなら「バ快斗のくせに何言ってんのよ!」なんて噛み付いてくる青子が、噛み付くどころか追ってくる気配すらない。
 おかしいなと思って振り向くと、彼女は目にいっぱい涙を溜めていた。

「あ……青」
「何よ、バカ……、わかったわよ一人で行くから! バイバイ!」
 そう叫ぶと青子は俺を突き飛ばして走って行ってしまった。

「……テメェのせいだぞ白馬」
「僕には一方的に黒羽君が悪いようにしか見えなかったけどね……」
「……」

 今追っても宥めるのは難しいだろう。
 少し時間を置いてからにしようと思い、白馬に振り返る。

「で? 江戸川コナンがどうしたって? 一応聞いといてやるよ」
 俺の言葉に白馬は頷くと、真剣な面持ちで語り始めた。
「江戸川コナン君がどうも行方不明になっているようだね」

「……は?」
 意味が一瞬わからなくて、振り返ると奴は厳しい顔つきをしていた。
「は、え……行方……不明?」

 思わず目を瞬かせてから。
「まっさかぁ」
と否定するも、白馬の真剣な表情を見ていると否定しきれなくなってしまう。

「……いや、え? マジ、なのか?」
「ああ。最後の消息は二週間前……青子君が誘拐事件の被害に遭った三日後。周りの人間は海外に行ったと言ってたが、調べたところ出国履歴がない。僕の睨んでいるところでは、本当に海外に行く予定だったが出国前に何かの事件や事故に巻き込まれ、周りの人間がそれを知らないか……それとも本当は海外に行く予定などまったく無く、周りの人間が何か隠しているかのどちらかだ」

「前者なら渡航先で迎えに来る奴から連絡があんだろ」
「そう。だからそこで考えたのが、彼を海外に呼び寄せようとしたのは、何者かの罠ではないかと言うこと」
「……罠?」
「彼はかの名探偵、毛利小五郎の下に身を寄せている少年。そして彼自身も最近手柄を上げている。彼や毛利探偵を狙った犯人に呼び寄せられ、そして出国前に拉致。という可能性も考えられないかい?」
「……」

 コイツの言うそれは、全くありえないことではなかった。
 むしろあの事件体質の名探偵なら充分に有り得て有り得すぎて困る。
「ところでなんで白馬がそのガキの行方探ったわけ?」

 尋ねると、
「先日警視庁で毛利探偵と娘さんに会ってね。コナン君が同伴していなかったからどうしたのか尋ねたら、海外に行ったと言うんだ。……それでいつ頃どこの国に行ったのか聞いても『両親のところに行った』としか言わなくてね、怪しんで調べたってわけさ」
「個人情報保護法って言葉はオメーの辞書にはねぇのか……その事、毛利のおっさんには?」

「話していないよ。よんどころ無い事情で彼らが隠しているだけかも知れないからね。事件性がはっきりすれば話すつもりでいるけれど……その前にコナン君の友人である、君の耳に入れておこうと思って」
「だから俺とアイツは友達じゃねぇっつーの……」

 呆れてため息を漏らしつつも、ひとまずは……と思って頷いた。
「まあ俺とあのガキは何の関係もねぇけど、青子の命の恩人だからな。聞かせてくれてサンキュ」
「事件性がはっきりするまでは青子君には……」
「当たり前だ、言わねぇよ」

 そうして俺は毛利探偵事務所に向かって下校時のまま走り出した。
 青子のことも気になるが今は仕方ない、……ったくあの事件磁石野郎。
 そんなことを呟きながら事務所に飛び込む。

「あら、こんにちは快斗君! この前振りね!」
 俺の顔を見てパッと顔を明るくした彼女に、軽く会釈する。
 少し肩で息をしてから。

「お邪魔しまーす……、あ、あのさ、……名探偵は?」
 うっかり焦りすぎていつもの呼び方で呼んでしまった。
 あ、と思って右手で口を塞ぐ。

「お父さん? お父さんなら依頼があって依頼者と出掛けてるの。私は今日はお留守番」
「そ、そう」

 彼女が勘違いしてくれて助かった。
 さて。
「……じゃあちびっ子の方は? ちびっ子名探偵」
 すると彼女は、ああ、と頷いた。

「そっか、あれからなかなか会えなくて青子ちゃんに話してなかったね。コナン君、外国のご両親のところに行っちゃったの」
 来た、これか。
 俺は更に彼女に問う。
「どこの国? いつ?」
「日にちは……最後に快斗君と青子ちゃんに会った日の何日か後かなぁ。しばらくハカセのとかあろに泊まってたんだけど、ある日急にご両親のところに行かなきゃいけなくなった、ってコナン君から電話があってそれっきり。そういえばご両親ってどこに住んでるか知らないのよね……って、快斗君まで白馬君みたいなこと聞くのね」

 くすくすと笑う彼女だが、白馬の言った事の信ぴょう性が増して俺は冷や汗をかいた。
 二週間も経ってんだぞ、……白馬の考えが当たってるなら、……もしかしてもう……。

 毛利のおっさんのところに脅迫状なりなんなりが来ていないところを見ると、やはり相手は江戸川コナン本人を狙ったと見える。
 ……意地張ってねぇで怪盗キッドとしてすぐに仕事再開するんだった。
 そうしたら名探偵が現場に来てないの見て、すぐに異変に気づけたはず。
 なのに……。
 歯噛みする。

 そんなことは露とも知らない彼女は、父親の机を整理していた。
「あっ、……ごめんね快斗君、せっかく来てくれたのにおもてなししてなくて……。今お茶淹れてくるね、座って待っててくれる?」

「いや、たぶんすぐ帰るから気にしねぇでくれ。あの、それで……ちびっ子はいつ帰ってくるって?」
 冷や汗をかいて尋ねると。
 寂しそうに、彼女は言った。

「まだいつになるかわかんないんですって。……コナン君がいなくなっちゃって、寂しいけど……あんなに嬉しそうに言われたら仕方無いよね。まだまだお父さんお母さんに甘えたい年頃なんだもの」
「……嬉しそう?」

 何だそれ?
 アイツがベタ惚れの彼女から離れるってのに、嬉しそう?

 ……何かがおかしい。
 もしかしてその電話をしてきた奴は偽者だったりしないか?

 江戸川コナンを拉致監禁している人間が声色を使って……いや、アイツ蝶ネクタイ型変声機とかいう変な玩具持ってたからな。
 あれを奪われて携帯も取られて、んで犯人が電話してきたとか。

 俺はつばを飲み込むと、意を決して口を開いた。
「あの、……蘭ちゃん、あのさ、ちびっ子……」

「よう黒羽、どうしたんだ? すげぇ形相で事務所に駆け込んで」
「あっ新一」
「そう、その新一がってええええええええ!?」

 ドアが開き、入ってきたのは……工藤新一。
 東の高校生探偵と言われてる例のアレ、……江戸川コナン、の巨大化した姿だ。
 今、俺がものっすっごく心配していた件の相手が、そこに、いた。

 確かコイツと最後に会ったのは二週間前の、あの事件の翌日。
 あの時は帰り際までずっと工藤新一の姿でいたが……ま、まさか……今日、まで、この姿で?
「あっえっと、……それで、コナン君がどうしたの? ……そう言えば快斗君ってコナン君と会ったことあったっけ?」
「まぁ、色々とちょっと、ご縁が……」

 ちらりと奴を見やれば、ニヤニヤと笑ってこっちを見ている。
「コナンが挨拶も無しに渡航しちまったから寂しかったんだろ? 快斗兄ちゃんは? なぁ?」
 名探偵の言い回しに改めて底意地の悪さを感じつつ、彼女の手前もあるので
「そ、そうなんだよな。アイツ色々マジック教えてやったのに恩知らずな奴だなぁ! ったく事情くらい説明してから行けってんだよな!」
 わざとらしく言いながら皮肉も込めてやった。

 ……が、途端に彼は急に何か難しい顔になっている。
 そうして顔を上げ俺を見た。
「なあ黒羽、積もる話もあるし……ちょっと外に出ないか?」
「ああ。受けて立ってやるぜ」
「勝負じゃねぇっての」

 名探偵に促され、事務所を後にする。
 後ろから、
「積もる話って……二週間しか経ってないのに。変なの」
彼女の呟く声が聞こえた。




 工藤邸。
 俺の正体についても合わせて話すことになるだろう、コイツの自宅が一番安全な会議場だと考えた俺達は工藤邸に来ていた。
 応接間に通されると、名探偵が「何か飲むか? ご希望は?」と声を掛けてくる。
「ああ、ならココアで」
「わりぃな、キリマンかブルマンしかねぇんだ」
「……コーヒーしかねぇってことだろ」

 ひひひ、と笑って名探偵は奥に行って電気ポットのスイッチを入れる。
 ったくコイツは……。
「で? 説明して頂きましょうか?」
 奥から戻ってきた彼に目を据わらせながら尋ねると、名探偵は再び難しい顔に戻った。
 何だってんだ、……何か事情があるのか?
 そのまま黙って見つめる。

 名探偵は厳しい顔つきを俺に向けてきた。
「……話すと長くなるけど、いいか?」
 神妙な物言いにゴクリと意味を呑む。
 頷くと、名探偵は呟くように話し始めた。
「灰原が最後にくれた解毒薬が、完成品に近かったんじゃねぇかと思う。あの日から効果が切れねぇんだ」
「なるほど……」

 やっぱりな、あの時からずっとこの姿なんだ。
 こっそり聞いたところでは一日しかもたない、って話だった気がするが……たまたまほぼ完成品状態だったわけか。
「……」
 そのまま次の言葉を待っているが、名探偵は続きを話そうとしない。
「……なあ、それで?」

 焦れったくなって促すと
「それで終わり」
 ………………。

「すっげー長い話だったな」
 呆れて肩を竦める。
 名探偵はカラカラと笑った。
「けど、灰原が言うにはまだ小康状態かも知れない。また江戸川コナンに戻る可能性もあるから、正体は明かすな……って言われちまってさ」

「だから渡航、か……。ま、わかりやすいな。万が一ガキに戻ることがあっても、帰ってきましたってことにすればいいワケか」
 彼は頷くと、自分の両掌を見つめた。
「ずっと……このままでいられたらいいんだけどな……」
 その様子を見ながらも、俺は探偵事務所の彼女を思い起こして言う。
「蘭ちゃんにちびっ子が嬉しそうに電話してた、ってのは『やったーずっと高校生のままで蘭のそばに居られるぞうれしー』が溢れ出た状態で話してたせいか、わかりやすい奴。様子が目に浮かぶぜ」
 それですべて納得がいく。
 名探偵はそれを聞くとむすっとして、でも照れながら言った。

「……そんなんじゃねぇよ、バーロ」
 それから立ち上がり、コーヒーを淹れて持ってくる。

「インスタントかよ。キリマンかブルマンしか無いんじゃなかったのかよ」
「最近はインスタントのもあるんだよ、少したけーけどな。それともサイフォンでのんびり落とすの待ちたかったのか?」
 オメーがそんなコーヒーの味にうるさい奴だとはなぁ、と嫌味たらしく言うと、再び奥に引っ込んで今度は角砂糖とパウダーミルクを持ってきた。

「俺はいらないけどお前使うだろ。お好きなだけどうぞ」
「んじゃ遠慮なく」
 ドボドボと角砂糖を8個、ミルクを5杯ほど入れると名探偵が明からさまに嫌悪を示している。
「……よくそんな甘いの飲めるな」
「ブラック不味いだろ。俺からすればオメーの方が信じらんねぇ」
「…………」

 人の好みだろ、ほっとけ。
 と互いに視線で会話してから。
 視線を逸らし一口飲んで、ふーっと息を吐いた。

「にしても、なんで急に来たんだ?」
 名探偵から、当然の問いだ。

「白馬のヤローが『江戸川コナンが行方不明になった』とか言うから、ビビって見に来たんだよ」
「何でだよ、海外に行ったって言ってんだろうが」
「どこの国か言わねぇで海外海外しか言わなかったらじゃあどこだよってなるだろ。北海道や沖縄も海外だしな」
「……アホか」
 名探偵は呆れながらコーヒーを飲み干す。
 そうしてカップを置きながら言った。

「……出国記録、調べたんだな。そうか、アイツって父親が警視総監だったっけ」
「らしいな。蘭ちゃんや毛利のおっさん程度なら誤魔化せるだろうが、もう少し念入りに考えた方がいいぜ。アイツ、まだたぶん『江戸川コナン』が犯罪に巻き込まれたと思ってるから」
「それを更に調査されたら江戸川コナンの正体が俺だった、って事実に繋がる恐れがある、か……。サンキュ。教えてくれて助かった」

 俺もコーヒーを飲み終わる。
 さて、と立ち上がった。
「ま、……名探偵が無事だって確認出来たし俺はもういいよ。怪盗キッドの現場にオメーが来なかったら張り合い無いしな。……頑張って白馬の追跡かわせよ、アイツうざくてしつこいぜ」
「了解」

 苦笑する彼にひらりと手を振り、俺は工藤邸を後にし……、ようとした。
 その、時。

「ぐ…………」
 いきなりうめき声が聞こえて、驚いて振り向く。

 名探偵が胸を押さえてうずくまっている。
「お、おいどうした!?」

「……、……む、ねが、くる、し……、」
 俺は慌てて携帯を取り出した。
 が、名探偵はその手を掴んで首を横に振る。

「きゅ……きゅうしゃは、呼ぶな……」
 まさか、この現象は……。

「く、そ、まさか、……オメーが来た、日になる、とはな……」
「……、誰か知り合いに連絡した方がいいか?」
「しなく、て、いい、……何も知らない、一般人、のはずの、オメーの前で、……縮んだって、バレ、ちまう……」

 コイツが心配しているのは、黒羽快斗が怪盗キッドだと、コイツ以外にバレてしまうことなのだろう。
 こんな時まで怪盗の心配するなんて、……バカな探偵だ。
「……わかった。わりぃな、気ぃ遣わせて」

 頷くと名探偵は満足そうに頷き返した。
 そして、手が、足が……縮んでいく。
 工藤新一の面影を残しながら。
 江戸川コナンに、戻っていく……。
 しばらくして。

 工藤新一はまるで溶けて消えてしまったよう。
 服だけが盛り上がり、……微動だにしない。

「……めーたんてー?」
 恐る恐る、声を掛けてみる。
 すると服が、もぞもぞと動いた。
「ぷはっ」
 以前から見慣れたあのチビの顔が現れる。
 何故か安堵してしまった自分に気づいて、俺は自分に驚いた。

「……くそ」
 名探偵は、辛そうに眉を顰めている。
 ……やっと戻れる、そう思った日常が遠ざかり、再び非日常に引き戻されてしまった……。
 それだけならいい、また守っていけると思った彼女との距離が遠ざかったのだ。
 彼の悔しさが伝わってくる。

「灰原の言ってたこと、……当たってたな。さすがアイツだぜ、言うこと聞いといて良かったよ……」
 せめてもの強がりか、そんなことを呟く彼に……俺は敢えて辛辣な質問をぶつけた。

「……なあ。蘭ちゃん、……どうすんだ?」
 おそらく今の名探偵の最大の懸案事項。
 小さくなった名探偵は、俯いて考え込む。
 しばらくしてから。

 思いつめた顔で、彼は懇願するように俺に手を合わせてきた。
「頼む!! 『工藤新一』に化けてくれ!!」
「……はぁ?」
 唐突すぎて意味がわからない、首を傾げてみせると名探偵はまた俯いた。
「いつも、……なんだ。アイツに何も言わねぇで唐突に姿消して、後から変声機通して電話掛けたり……『コナン』が新一兄ちゃんからの伝言! なんて言って伝えたり。……蘭に、ちゃんと『行ってくる』って言えた試しがねーんだよ……。だから別れの挨拶だけでいい、アイツに言ってから居なくなりてぇんだ」
「……」
 コイツの気持ちが痛いほどわかってしまった俺は、
「……わかった」
彼の願いを、聞き入れた。





「ま、俺の方が明らかにいい男だね」
 鏡を見てネクタイを締めながら言うと、後ろからちびっ子の
「言ってろ」
という悪態が聞こえてくる。

 コイツとは顔立ちがかなり似ているから、変装用のマスクは被らなくていい。髪型をアイツと同じにするだけでほぼ見分けが付かなくなる。
 マスクを剥がされる恐れがないのが物凄く助かるもんで、俺はこの顔を時々仕事に使わせて貰っていた。

「……いいか、別れの挨拶だけだからな。蘭に余計なこと言ったり余計なことしたりすんなよ」
「余計なこととは? 例えば?」
 からかうように言ってみると
「別れの挨拶以外のこと」
 名探偵がビシッと言い放つ。

「ったくそれが人にモノ頼む態度かよ……うし、準備OK」
 もう一度髪を撫で付けて完成。

 くるりと振り向くと、ちびっ子が何故かげっそりしている。
「自分と同じ顔目の当たりにしてっと複雑な気分になるな、しかし……」
「俺だって同じだバーロ。本物の工藤新一見てたらうんざりしたぜ」
 などと軽口を叩きつつ。

 名探偵はいきなり帰るとおかしいから、二、三日して彼女に連絡してから探偵事務所に顔を出すと言っている。
 ……考えたら、重い役目引き受けちまったな。
 また日々を待つ彼女の瞳が潤むのを、目の前で見なけりゃならない……。

「……じゃ、行ってくるぜ名探偵」
「ああ。わりぃな、……頼んだ」

「そういやお礼とかあんの?」
「次回の犯行現場に行くのやめてやる」
「……へいへい、それはどうも」

 手をひらひらさせて玄関を出ると、門の前に黒いワゴン車が停まっていた。
 いわゆるワンボックスタイプではなく、天井が低いツーリングタイプだ。
 何だろう、と思っていると……車から黒服の男が数人、バラバラと降りてきた。
 ものすごーく、嫌な予感がする。

 直後、一人に拳銃を向けられて早速嫌な予感が当たった。
「工藤新一だな?」
 あーあ……。

 肯定するべきか、いっそキッドに変身して逃げるか。
 ……逃げたらコイツらはそのまま工藤邸に足を踏み入れて、名探偵にちょっかいを出すだろう。
 まあ任せても何とかなる気はしないでもないが……。
 ここは乗りかかった舟だ、仕方ない。

「……ああ。俺が工藤新一だけど。何か」
「貴様に用がある。一緒に来てもらおう」
「嫌だと言ったら?」
「少し痛い目を見てもらうことになるな」
「へえ……」

 懐に、手を入れる。
 トランプ銃を撃つ隙を伺うが。
「余計な動きをすると頭に穴が開くぞ、両手を上げろ」
「……はいはい」
 言われた通り両腕を上げて頭の後ろで組む。
「そのまま車に乗れ」

 男の一人に促されて、俺はニヤリと笑った。
「悪いけど断る」
 カチリ、と仕掛けが作動する音。
 途端俺の腕時計から煙幕が吹き出した。

「ぐ、……貴様!!」
 息を止め、咳き込む奴らを後にして煙に身を隠し……再び工藤邸に戻って玄関に鍵を掛けた。
 このことアイツに知らせねぇと。
「おい! 名探偵!」
 ほどなくしてパタパタと足音が聞こえ、彼が奥から現れる。

「キッド! 外にいる奴ら……」
「見てたのか。……どうやら名探偵に用があるらしいな。ったく、怪奇・"事件磁石人間"だよな、オメーって」
「変なあだ名付けんな。……キッド、俺の変装解け。アイツらが踏み込んできたらまた間違われる」

「元々が似てんだから解いたって意味ねぇだろ。本物の工藤新一はいねぇんだし」
 髪型を崩して服を替えたところでやはり俺が工藤新一だと思われるのは避けられない。
 なら答えは一つだ、奴らを撃退して捕まえ……警察に引き渡すしかない。
 ガン、ガンとドアを殴りつける音が響く。

 名探偵が冷や汗を掻きながら言った。
「一応丈夫な扉なはずだけど、破られるのは時間の問題だな。裏口から退避しよう」
「バカ言ってんじゃねぇぜ名探偵。今逃げたってまた狙われるのがオチだ。……でもオメーは逃げろ、『工藤新一』じゃないオメーなら逃げられる」

 俺の言葉に名探偵は顔を顰めた。
「……身代わりになるつもりか? カッコつけてんじゃねぇよ」
「そんなんじゃねぇ……自分に降り掛かった火の粉を払いたいだけだ」
「…………」

 名探偵は睨んでくる。
「……なら工藤新一や黒羽快斗以外に変装しろ。そうしたら逃げられるはずだ」
「……お前……」


 なぜだ、……何かがいつものコイツと違う。
 いつものコイツなら立ち向かったはずだ。
 その頭脳を駆使して奴らを嵌めてぶち倒す、それがコイツのポリシーのはず。
 ……なのに今は全面的に逃げることしか考えてない。

「……戦わねぇのか?」
 直に疑問を投げると。

「今はまだ……分が悪い。それにここは阿笠博士んちの隣だからな。離れたいんだよ」
 ……?
 博士を巻き込みたくない、のは……今更じゃねぇのか。

 ……あ、……そうか、もしかして。
 彼の家にいる小さな彼女……それを護りたくて言ってるのか……なるほど、な。

 隣に被害が及べば幼い少女である彼女が一番の被害者になりうる。
 コイツに取って、彼女は幼馴染みのあの娘とはまた違ったベクトルの大事な相手なんだろう。
「……わあったよ、そういうことなら。逃げるか」
 ニッと笑って俺は親指を立てて見せた。

 名探偵が力強く頷く。
「……ただし」
「え?」
「逃げるのは俺だけ、な」

 言った瞬間俺は左腕の時計を奴に近付け、プシュッとガスを噴き出させた。
 名探偵は驚いて、自分の口元を手で押さえながら呻く。
「キッド、テメー……何を」

「いい子は寝る時間だぜ。寝ときな」
「まだそん、な時間じゃ……」
 フラついて、名探偵が前のめりに倒れ込んで来たところを抱き止める。

 さて、この扉の形の障壁はそろそろ限界に近そうだ。
 名探偵を抱きかかえると俺は土足のまま二階へ上がった。

 ドアをいくつか開け寝室を発見する。
 クローゼットを開けて中に彼を押し込むと扉を閉めて、さて、と向き直った。
 玄関のドアが破壊される音が聞こえる。

 俺は寝室から出ると辺りを伺い、それから廊下の端に足音を忍ばせて辿り着いた。
 一階をドタバタと探す足音。
「二階も探せ!」
と聞こえてくる。


 おいでなすったか。

 二人ほどが階段を上がりきった所で、俺の姿を認めて銃を構えてきた。
「発見しました!」
 大声で叫んでいる。
「さっきのガスじゃ誤魔化せなかったか、残念」

 俺が不敵に言うと男の一人が睨みつけて来る。
「来ないというなら少し痛い目を見てもらう」
「出来るかな?」
 逃亡は怪盗の十八番。
 俺は背にしていた廊下の突き当たりの窓に向き、それを思い切り開け放った。
 外から風が吹き込み、奴らが怯んだ一瞬に外の樹に向かってジャンプする。
 鉄棒の要領で、枝を掴んで一回転する。

 それからそのまま塀に飛び移った。
 奴らが驚いて窓から身を乗り出して来る。
「くそ、逃がすな!!」

 銃を撃って来たが、ヒラリヒラリとかわして塀から飛び降り、走り出した。
 阿笠邸から、……いや工藤邸から、出来るだけ離れなければ。
 あの少女だけじゃない。
 ……小さくなってしまった名探偵を、守らなくては。

 そう考えながら、道路に出て走る。
 車で追ってくるのを防ぐ為になるべく細い道、細い道に入る。
 空を飛べたらどんなに楽か。
 だが「工藤新一」が空を飛んだら明らかにおかしい。

 かなり走ってから、目の前にパチンコ屋があるのが見えた。
 肩で息をしながら考える。
 あそこに入るか、……そして別の人間に変装すれば撒ける。
 そう考えて路地から一歩、踏み出した時。
「ゲームオーバー、だ」

 誰かの声と同時に鈍い衝撃が頭に走った。





 そもそも何で狙われたのか、名探偵はたぶんわかってたんだろう。
 犯人の目星が付いていたからこそ逃げる提案をしたに違いない。
 それを何で聞いておかなかったのか、……後悔しながら目を覚ますとどこかの屋敷、応接間らしき部屋のソファの上だった。
 手首はガムテープで後ろ手に縛られている。

「ようこそ、工藤探偵」
「……アンタは」
 頭がまだジンジンと痛む。

 目眩を感じながら上半身を起こすと、そこには……なんかこう、いるだろ、いかにも悪の親玉みてぇな。
 暖炉の前で豪華な椅子に座って、そばには執事みたいのがいて、ガウン着て偉そうに脚組んで、ワイングラス持って。
 歳は四十代前半といったところか……髭は生やさず頬はコケている。
 背は恐らく高め……180センチ台。髪型はオールバック、……普段からの習性でホクロの位置まで確認するレベルに凝視してしまう。

 ったく怪盗ともあろう者が警察でも探偵でもなく、寄りによってこんな奴に捕まるとは。間抜けな話にもほどがある。
「いや、ね。工藤家に隠されているという財産……その在処を聞きたいだけなんだよ」

「隠し財産……?」
 眉を吊り上げて聞き返すと、男はニヤリと笑った。
「工藤優作が脱税した証拠、とでも言い換えればいいかな?」

 工藤優作……? 脱税……?
 工藤優作と言えば世界的な推理作家だ。
 確かにその収入は相当なモンだろうが……彼は推理作家の前に、工藤新一の父親のはず。

 それが脱税してその証拠……つまり一番わかりやすく手っ取り早いのは現金だ、それを隠しているという。
 ……どうにも、あのクソ生意気だが正義感だけはいっちょ前の、天然お坊っちゃんの様子を見ているとその父親がそんなキャラに結びつかない。

「さあ、話してくれ。そうすればすぐに解放してやろう」
「言えねぇな」
 だって知らねーもん。

 知ってたら言ったかどうかは置いといて、本当に知らないんだから話しようがない。
 男は目を細めると、そばに立っていた執事らしき男から何か受け取って歩み寄ってきた。
 その時。

「旦那様」
 部屋にメイドが一人入ってくる。
 ……そうだな、どうせ化けるならこのおっさんよりこっちの娘の方がいいかな……。
 なんて呑気に眺めていると、彼女は旦那様に携帯を差し出していた。

 旦那様はそれで誰かと話し出した。
「……ああ、なるほどな。分かった、連れて来い。……うむ。丁重にな」
 会話に冷や汗をかく。

 男はさっき執事から受け取った物にスイッチを入れ、目の前にチラつかせた。
 ……スタンガンだ。
「君が聞き分けが無いようなら多少キツい目に遭ってもらうが」

 んなこと言われたってなぁ……。

 困って眉を寄せると、男は更に言った。
「それともこれは君ではなく、今ご招待させて頂いたお友達に使った方がいいかな?」
 悪い予感がこうも当たると、凶禍専門の占い師にでもなりてぇ気分だ。
 今の俺の姿は工藤新一。……ということはだ、工藤新一にとっての親しい人間が標的にされたってことだ。

 ……脳裏をよぎったのは青子に似た彼女。
 本物の工藤新一が誰よりも何よりも護りたいと思っている彼女。
 それとも、阿笠邸に居る小さな彼女か? ……いや、あの娘は厳密に言えば「江戸川コナン」の知り合いだ。
 なら、やっぱり……。
 唇を噛み締める。

「……俺にわかることなら何でも話すよ。だからそいつには手を出すな」
 睨みつけながら言うと男は満足げに頷いてスタンガンのスイッチを止めた。
 そうして、俺の前髪を掴んで顔をもちあげる。

「ではズバリ、隠し財産はどこにある?」
「……それについては本当に知らない」
 髪を引っ張られる痛さに耐えながらも言うと、男はムッとした顔になる。
 だが俺はすかさず続けた。

「たぶん俺の自宅にはねぇんだよ。親父のことだ、そんなに簡単に見つかる場所に隠すと思うか? そしてその情報はどこから漏れるか知れない。だから家族である俺やお袋も聞かされてねぇんだと思う」
 我ながらなかなか上手い作り話だ、と思った。
 案の上男は信じているようだ。

 掴んでいた髪から手を離した。
「なるほどな……君に聞いても無駄ってことか」
 そうそう、そうなんですその通り。

 しかしこんなことまでするこの男がこの程度で解放してくれるとは思えない。
 男はしばらく考えてから言った。
「なら君の身柄を盾に取って、工藤優作に交渉すれば? なんと答えると思う?」
 うん、俺の身柄じゃお宝の場所は教えてくれないと思う。

 しかしこんなことまでするこの男がこの程度で解放してくれるとは思えない。
 男はしばらく考えてから言った。
「なら君の身柄を盾に取って、工藤優作に交渉すれば? なんと答えると思う?」
 うん、俺の身柄じゃお宝の場所は教えてくれないと思う。

 とはもちろん言えないので、仕方ねぇな、と溜め息を漏らした。
「……親父から聞かされてはいねぇけど……例えば親父が不慮の事故で死んだりしたら、そのままだとそれはパーになっちまうわけだ。だから万が一の事態に備えて俺とお袋に伝える為の、何らかの手段を講じているはず」

 俺は自分の親父、黒羽盗一……いや……初代怪盗キッドのことを思い出しながら話す。
 親父のことはお袋こそ知っていたが、俺はまったく知らなかった。だが。親父は自分が死んでから、俺に伝える為の仕掛けを講じていた……。

 なら推理作家なんて人間なら余計に同じようなことを考えるはずだ。
 息子同士の顔も同じようなモンだし、ってそれはいいとして。
 男は俺の弁に納得したようだ。

「ならば、君はその仕掛けをどうしたら作動させられると思う」
「それに答えて欲しかったら先に俺の『お友達』って奴を解放しろ。そいつの無事が確認出来たら話してやるよ」
「ふむ……」
 どうすべきか悩んでいるようだ。

 彼女を解放してくれりゃ恩の字だが、下手すると彼女を人質にしたまま、それこそ盾にされる恐れがある。
 俺は男が判断を固める前に口を挟んだ。
「そもそも今の時点で生きてんのか? そこから確認出来ないとな」

 そう言うと、男はジッと押し黙ってから。
 先ほどの携帯でどこかに電話した。
「君、……ああ。そうだ、さっきの……ここに連れてきたまえ。工藤探偵がご所望だ」
 この会話にホッとした。まだ無事らしい。
 ややあって、扉からノックの音が聞こえる。

「入りなさい」
 来たのはさっきのメイドだ。

 そして彼女が入るように促した相手は。
「うっ、そ」
 思わず声を出してしまった。

 どう見てもこれは名探偵の愛しの彼女じゃない。

 これ、名探偵本人だろ!

『何やってんだよ名探偵!?』
 と声に出さず、口だけパクパクさせて見せると名探偵は呆れた顔で自分も口をパクパクさせた。
 読唇術で読む。

『テメェこそ勝手なことやってんじゃねぇよ』

 そう言っていた。
 コイツ、まさか……まさか俺が囮になったのに気づいて……。
 わざと奴らの前に出て捕まりやがったのか……?
 何だよ、あんなに逃げたがってた癖に。

 大体いつ起きたんだコイツ、奴らが俺を追って捕まえるまでの短時間に起きられるはずがねぇ。
 俺を追って工藤邸から全員出たはずだ。もし奴らに捕まるなら奴らが家から出る前の短い時間に自ら飛び出すしかない。

『もしかして眠ってなかったのか?』

 尋ねると
『あんな程度、ちょっと息止めてりゃいいだけだ』

 なんて言ってから。

『バーァァァァァッカ』

 と思い切り見下した表情で悪態をついてきた。
 うわぁ……コイツ最凶にムカつく。

 なんでテメェの為にやってやったのに、んな見下されなきゃなんねーんだよ。
 大体、彼女だと思ったから黙って言うこと聞いてたわけで、人質がこのクソガキだってなら大人しくしている必要はない。
 こんな縛めだって本当ならいつでも解ける。

 むっとして視線を逸らすと、ずっと黙っていた俺達の空気を男が訝しんでいたようだったので、慌てて名探偵に視線を戻した。
「コナン、大丈夫か? 怖かっただろ?」
 我ながらわざとらしい。

「ううん、僕は大丈夫。……新一兄ちゃんこそ大丈夫だった?」
 うわぁ、俺の3倍くらいわざとらしい。作り声まで出しやがって。

 それから彼は男の方に向き直った。
「おじさん、僕、優作おじさんの隠し財産、って物のある場所知ってるよ」

 バッ……何言い出すんだテメェは!
 動揺して冷や汗を流していると男が喜び勇んで名探偵に飛び付いた。
 それからメイドに顔を向ける。

「この子供に話したのか?」
「あ、その……いつでも伺えるようにとモニターで様子を……」
 なるほど、じゃあ全部話は知ってるなアイツ。

 俺はひとまず冷静になり、男に声を掛ける。
 「バーロ、家族でもないそのガキが知ってるわけねぇじゃねぇか」

 すると名探偵は待ってました、と言わんばかりにニヤッと笑って答えた。
「優作おじさんもそう考えたんだろうね。だからほら、僕が知ってるなんて、新一兄ちゃんですら分かんなかったでしょ? けど僕から情報が漏れる可能性はもちろんあるから、……そこに新一兄ちゃんも言った、優作おじさんの仕掛けっていうのがあるんだよ」

「と……言うと?」
 男の問いに名探偵は大きく頷く。
 そして続きを語り始めた。

「まず新一兄ちゃんの家の中に隠し部屋を作るんだよ。そして、優作おじさんが死んじゃった時に初めて鍵穴が現れるように、部屋の仕掛けと優作おじさんの脳波とを連動させておく。で、その鍵は指紋認証式で、僕の指紋で開くようになってるんだ」
「な、なるほどそうだったのか……」
 男がにわかに興奮し始める。

 ……だが、俺にはわかる。
 さっきの話は俺の考えた作り話だ。名探偵はそれに合わせて即興で、辻褄の合うフェイクを作り上げちまったんだ……。
 参るなコイツ、本当に。

 そんな事を考えていると彼は更に続けた。
「でもその部屋に宝物があるんじゃないよ。その中には宝物の在処が書かれた暗号が置いてあって、その内容はとびきり難しいんだって。それを解ける頭脳を持ってるのはたぶんこの世で優作おじさん以外なら新一兄ちゃんだけで、優作おじさんが死ぬまでにそれが解けない程度の能力しか持てなかったら新一にその秘宝はやらん、とか言ってたんだ。僕はその時の為に、隠し部屋の場所だけ教えてもらってたんだよ」
「……」

 これ、……本当にフェイクなのか?

 流暢に話すその内容は実際に工藤優作が講じそうなやり口で、最初に話を作った俺ですら圧倒させられた。
 男が、呟くように言う。

「ではどの道……君達二人の身柄は拘束しておかないといけないな」
 そして男は執事に向き直った。

「工藤優作の暗殺を今すぐ手配しろ。それからこの二人を逃げないように……」
「でもね、待っておじさん」
 名探偵が男のガウンの裾を引っ張る。
 まだ財産の話の続きがあるのかと男は動きを止めた。
「何だね、坊や」
 すると。

 名探偵は、その幼な顔に似合わねぇシニカルな笑みを浮かべて言った。
「僕……ここの場所、とっくの昔に警察に通報しちゃった……」
「…………は?」

 その瞬間窓の外から強烈な光が飛び込んできた。
 続いてドタドタと足音が響き、銃を持った刑事と警官隊が大挙する。
「未成年略取・誘拐監禁の罪で現行犯逮捕する! 神妙にしろ!」
「そんな、まさか、……」

 男ががっくりと跪く横から名探偵が笑顔で声を掛ける。
「未成年誘拐略取、監禁罪。それから暴行、傷害。脅迫、拳銃不法所持、家宅不法侵入、殺人の示唆、教唆……この他にもたぶん色々やってるよね? 大変だねおじさん、優作おじさんが死んじゃうまでに刑務所から出てこられるかなぁ?」
 ニコニコ笑顔でつらつら罪状を挙げるその顔が……俺の目には、悪魔に見えた……。

「あれはフェイクじゃねーよ。ほとんど本当の話。あ、他人の子供の指紋利用したってのは嘘だけどな。登録されてんのは俺の指紋」
「え、じゃあ……」
「怪盗キッドだけあって全部調べ済みなのかと思ったよ、ビビったぜ。あれが当てずっぽうだったなんてなぁ」
 警察の6時間に渡る事情聴取からやっと解放された帰り道。

 俺はまだ工藤新一で、コイツはまだ江戸川コナンだ。
 今はまだ江戸川コナンは外国にいることにしてあるから、目暮警部達とハチ合わせるのはまずいってことで、踏み込んできた刑事に話して幼い彼は先に帰してやりたいと交渉。

 阿笠博士に引き取りに来てもらい、俺の事情聴取が終わった後こっそり外で落ち合った。
 自分に変装させたことで巻き込んだ事に責任を感じたとかなんとか、今はその帰り道だ。

 そして名探偵から例の話を聞いた俺は、自分の作り話が半分当たってたことに、開いてしまった口を塞げなかった。
 そういえば俺もなんであんなことついたのかと思えば、……そうか。まったくの当てずっぽうじゃないんだ。
 親父が俺に遺してくれた「怪盗キッド」としての隠し財産……俺はその話を語っていただけだった。俺の場合は暗号なんてなかったけど。

 ……やっぱ息子の顔が似てると親父も似たようなこと考えるんだな、きっと。
 そこまで来て俺は思い切って、気になったことを口にしてみた。
「なあ……オメーの親父さんってマジで脱税してんの?」
 一瞬の、間。

 名探偵は思い切り大きな溜息を吐きながら、言い捨てるように吐き出した。
「バァァァァカ。脱税ってのは頭がわりぃ奴がやることなんだよ、俺の親父がんなケチなことして闇の男爵の名を汚すと思うか? 仮にやるとしたらぜってぇバレねぇようにやるよ。……それが出来るってわかってるからこそ親父はやらねぇ。絶対に勝てる勝負はスリルがなくてつまらないからな。……しっかし何をまかり間違って脱税してるなんて誤解されたんだろうなぁ、わけわかんねーぜ」

 いや俺、オメーの親父さんよく知らないんだけど……。
 まあでも言いたいことはなんとなくわかる。
 コイツは自分の父親を心から信頼しているんだろう。

 コイツが父親と同じ立場だとして同じ状況になっても、同じ考えに至るに違いない。
『絶対に勝てる勝負はスリルがなくてつまらないからな』

 ……スリルのない勝負は仕掛けない、自分もそうだから父親もしないだろうという自信。
 なるほど、ね。

 毎度現場に来る理由を考えれば、コイツは少なくとも怪盗キッドとの勝負を絶対に勝てるとは思ってなくて、そしてそれを楽しいと思ってるわけだ。
 何となく嬉しくなって顔を綻ばせていると、名探偵が苦笑して見上げてくる。
「ポーカーフェイスが売りの怪盗が形無しだな。何がそんなに嬉しいのか知らねぇけど」
「今は『工藤新一』だからな」

 そう言ってひひ、と笑うと奴も笑い返す。
「……しかし考えたらムカつくぜ。この怪盗キッド様が捕まると踏んでテメーも自ら捕まりに行ったんだろ?」
 思い出した文句を垂れてやると、名探偵は「んー……」と言葉を選ぶように話し始めた。

「『怪盗キッド』なら逃げおおせただろうさ。でも『工藤新一』があからさまにキッドみてぇな逃げ方したら、工藤新一の振りして囮になった意味がなくなる。だからどっかの時点で力尽きるか、それともオメーが自ら捕まるかのどっちかになるだろうってな」
「……さすがは名探偵で」
「いやまぁ、それもあったけどよ。今オメーが逃げ切ってもほっといたらまた奴ら『工藤新一』を追ってくるだろどうせ? だからオメーが捕まらなくてもどの道ぶっ潰すつもりだったから」
「……ハハ」

 この子供こえぇ……あ、子供じゃないのか……。

 さて、やっと工藤邸のそばに来る。
 もう月も高い、……こんな時間に門の前に人影が一つ、あった。
「そういやさ、じゃあ隠し財産って……」
 と聞きかけた途端、

「やべっ」
 人影の正体に気づいた名探偵は、小声でそう呟いて電柱の陰に隠れてしまう。
「……」

 隠れちまったそいつを横目に見ながら人影に近づいてみれば、それは……俺の幼馴染に瓜二つであり、名探偵の幼馴染である彼女だった。

「しん、いち……」
「……」
 黙ったまま近づくと。
 彼女が駆け寄ってきて、強く抱きしめられた。

「新一が、……誘拐されたって、目暮警部から聞いて、心臓が止まりそうになったの…」
「はは、心配掛けちまったな。まあこんな程度じゃ死なねぇよ」
 やっぱこんくらいの役得はなきゃな。

 抱きしめ返して彼女の頭を撫でてやりながらも、顔を見られていないのをいいことについニヤけてしまう。
 後ろから何か視線を感じるが気にしない。

「……また、新一が帰ってこなくなるんじゃないか、ってそんな予感がして……馬鹿だよね、私。今はずっと新一、いるのに。……本当に無事で帰ってきてくれて良かった……」
「ん……」

 俺が今、工藤新一に身をやつしている理由。
 それを言わなきゃ、伝えなきゃならないのに……彼女の震える肩を見ていると切り出しにくくなってしまう。
 アイツが、「ずっとこのままでいたい」と言っていた理由がわかる……俺が黒羽快斗でなければ、きっと工藤新一のままでいたに違いなかった。
 だがそうも言ってられない。

 彼女の両肩を掴み、そっと彼女を俺から離す。
「……今回、俺が関わったことでちょっと大掛かりな組織が浮上してきて……また行かなきゃならねぇんだ……」
「……」
 彼女の表情が歪む。

 行かないで、と言いたいに違いなかった。
 俺は彼女が何か言う前に続けた。
「ごめん、せっかく……またずっとオメーのことそばで守ってやれると思ってたのに、……行かなきゃならねぇんだ。こう言ったら自惚れに聞こえると思うけど、たぶん俺でなきゃ解決出来ない事件だから」
「バカね。私、守られるばかりの女じゃないよ」
 俺の話を聞いて彼女は自分の目元をぐいと拭って微笑む。

「私だって新一のこと……守りたいの。行かないで、なんて言わない。私がついて行きたい。でもそれは出来ないんだろうなってこともわかってる。だから、……約束して。必ず帰って来て。後、またたまに電話してね、それで声だけでもいいから……そばにいて」
 そう言うと彼女は再び俺に抱きついた。

 ……こ、……これはヤバい……理性が吹っ飛びそうだ……。
 思えばこれまでにも何度かあったのだ。彼女を見ていて理性が飛びそうになったことが。
 それは彼女にそっくりな自分の幼馴染と重ねてしまったせいか、それとも……。

 彼女の顎を捉え上を向かせる。
 彼女は察したようで、そっと目を閉じる。
 顔を傾けてゆっくり唇を近づけた…………………………………瞬間。

「蘭姉ちゃん、新一兄ちゃん、たっだいまー!!」
 後ろから甲高い声がしたかと思った次にはいきなり足に物凄い痛みを感じた。

「いってぇえ!!」

「ごめんね新一兄ちゃん、暗くて足元が良く見えなかったんだ」
「コナン君!?」
 慌てて彼女が俺から離れる。

 このクソガキ……。
 じとっと睨んでやると、奴は更にキツイ視線でキッと睨み返してきた。
「びっくりしたー。コナン君が帰って来てるなんて思わなかったもの。連絡くれたら迎えに行ったのに」

「ついさっき成田空港から米花に着いたばっかりなんだ。向こうとの時差で夜遅くなると思ったから明日連絡しようと思ってて。こんな時間に蘭姉ちゃんが、しかも新一兄ちゃんの家の前にいて僕もビックリしたよ!」
「じゃあせめて出国前に、いつ帰るか連絡くれたら良かったじゃない?」
「……連絡しなきゃって思い出したのが飛行機の中だったから、そのー……」

 それを聞いて彼女は可笑しそうに笑う。
 彼女がコイツの正体を知ることが出来れば、さっきみてぇな悲しい顔させずにすむのにな。
「……蘭、取り敢えずもう遅いし送ってくから。ったく危ねぇんだからこんな時間に外に一人でいんなよ。せめて俺んち入ってりゃ良かったのに」

「だって私、新一の家の鍵持ってないもの……こんな時間に博士の家にお邪魔したら迷惑だし」
「鍵……ああ、それ誘拐犯に壊されてっから」
「そんなこと知らなかったわよ……」
 なんてやり取りをしながら毛利探偵事務所へ向かう。

 名探偵は彼女の手を握りつつも相変わらず睨んで来るが、空気を読んでか会話には入ってこない。
 大丈夫、いつもみてぇにボロは出さねぇよ今回は。きちんと工藤新一を演じ切ってみせる。
 彼女に素敵な夢を見せるのもエンターテイナーとしての勤めだからな。
 事務所の前にやってくると彼女が名残り惜しそうに言った。

「それじゃおやすみなさい新一、……またね」
「ああ、おやすみ蘭。また近いうちに連絡する。いってきます」
 そう言って。
 俺は彼女の頭をそっと抱き寄せ、こめかみに口付けを落とした。

「~~~~~~~!!」
 無言の抗議が……いやむしろ殺気を感じるが、こんくらいいいだろ? むしろ俺のためじゃなくて彼女の為なんだよ、なあ?
 一つウインクして見せて、

「そんじゃコナンも時差ボケで夜ふかしすんなよ。おやすみ二人とも」
「あー……おやすみ……新一兄ちゃん」
「新一、おやすみ!」
 テンションの超低い名探偵と超高い彼女のコントラストに笑いながら。
 俺は米花町を後にした。





 隠し財産のこと聞きそびれたなーなんて思いつつも翌朝登校すると青子と目が合った。
 が、すぐに逸らされてしまう。
 あーあ、まだ怒ってんのかよ……こっちは昨夜の事件ですげぇ疲れてんのに。
 と、白馬がこちらにやって来た。
 あーハイハイ江戸川コナンの話な。

「黒羽君、」
「江戸川コナンなら昨夜帰って来てた。取り越し苦労だったんだよ。ったく白馬探偵ともあろう者が調査不足すぎんぜ?」
「……え?」
 目を丸くしている白馬を嘲るように笑ってやると、俺は席に着く。

「海外ってな、沖縄だったんだとよ。お・き・なわ。そりゃ出国履歴なんか付かねぇよなぁ。国内なんだから」
「お……沖縄……」
 唖然としている白馬が面白くて俺はケタケタと笑った。
「ま、あんぐらいの歳のガキンチョには沖縄も十分海外なんだろ」
「そ、そうか、はは、ははは、……そうか沖縄……」

 さすがの僕も子供の心理までは推理出来なかった……そんなことをブツブツ呟きながら白馬は席に戻っていく。
 これでアイツの江戸川コナンに対する調査は打ち切られるだろう。また一つ、貸しが増えたな名探偵。
 さて、……最後に残った厄介事を解決しねぇとな……。

 放課後。
 一人で帰ろうとする青子に歩み寄ると、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「あの、さ……昨日は悪かったな、八つ当たり……しちまって。別にオメーが悪かったわけじゃねぇっていうか……」
「そう……」

 ……なんだ? やけに頑なだな。
 いつもならあの程度の喧嘩なら「自分が悪かったってわかった? 反省したならいいわよ!」なんて生意気な口聞いてくんのに。
「そのさ、お詫びに……」

 いいかけると青子はいきなり目にぶわっと涙を溜めて泣き始めた。
「え? え、え、ええええ!? 青子!?」
 俺が慌てている様子に周りの奴らが
「おい何奥さん泣かしてんだよダンナ!」
と野次を飛ばして来る。

「うっせーな、……青子ちょっと来い」
 慌てて彼女の腕を引き教室を出た。
 外に行こうと廊下を歩いていると、
「お詫びしなきゃいけないのは青子の方なの……ごめんなさい」
 涙声でそんなことを言ってくるので、なんだ? と思って足を止める。

「どうしたんだよ」
 青子は泣きじゃくりながら言った。
「快斗に、……前に買ってもらったヘアピン、失くしちゃって……。たぶんこの前の誘拐された時に……」
「え……」

 ヘアピン……夏祭りの時にあんまり高くもないし、と思って買ってやったヤツ……あれのことを言ってんのかな、気まぐれで買っただけなのに……。
「なぁんだそんなの。また買ってやるよ」
「……快斗、怒ってないの?」
「そんなことで怒るわけねぇだろ。青子が無事だったんだ、ヘアピンだけ無事でもそれを着ける人間が無事じゃなきゃ意味がねぇ」
 途端に青子の顔がパッと明るくなった。

 青子は涙を拭いながらえへへ、と笑う。
「あの日以来ずっと見つからなくてきっとあの時失くしたんだろうなって……そのこと快斗に何て言おうかと思ってたら、昨日快斗、誘拐事件の話の後に機嫌悪くなったでしょ? だからバレちゃったのかと思って怖くなって……逆に怒って見せちゃったっていうか……」
「……」

 そんなことで思い悩んでたのか、可愛いところあるじゃねぇか。
 何となく可笑しくなって笑い声を上げてから俺は一枚の……青子に貰った例のハンカチを取り出した。
「ハイこのハンカチ。見た目はただのハンカチですが、このように貴女の手の上に広げて……」
 青子、両手差し出して、と促す。

 ハンカチを被せて、スリー、トゥ、ワン! とハンカチを退ければ。
「わぁ! 可愛い!」

 そこには花の飾りがついた小さなバレッタ。
「ビックリした、……なんでこんなの持ってたの?」
「このハンカチ貰ったお返しやろうと思っててさ。少し遅くなっちまったけど。なんかいい物浮かばなくてこれにしたけど……髪飾り、的にはまあちょうど良かったな」

 まあ渡しそびれたのはコイツがことあるごとにあの名探偵を褒めてたせいもあるんだけどさ。
 青子は再び涙を溜めて……ただし今度は笑顔で、言う。
「快斗って魔法使いみたい」
「魔法使い? バーロ、俺はな……」
 言いながら。彼女の涙をハンカチで拭ってやった。

「俺は、高校生マジシャンなんだよ」





第二話・END

最終話は明日適当に投下します
読んでくださってる方、ありがとうございます
から揚げ作って寝るよおやすみ

うわ、>>87>>88の間に

「俺とそのガキ、友達になった覚えねぇんだけど」
「へえ? 怪盗キッドと江戸川コナン君は毎度犯行現場で相見えているというのに?」
 ああ、と納得して首を横に振る。

って文章が入らなきゃいけないところが飛んでる……
あと>>122>>123に同じ文章入っちゃってる……>>122に入る側が正解です
微々たるもんだけど脳内で適当に入れ替えしてもらえると嬉しいです

今日の夜8時ごろから、から揚げ喰いながら最終話投下しますんで
お時間ある方読んでやってください

世界一受けたい授業にコナン君来た
着ぐるみがやばい

番組見ながら投下します、よろしくお願いします


 真っ暗な部屋。
 コポ……コポ……と液が入れ替わる音が辺りに響いている。
 その部屋のドアノブに、私は手を掛ける。
 黒ずくめの男……そしてそれに連れられてきたのは、私。

 部屋に入ると、男は培養液の入った透明なケースを指して言う。
「これがお探しの、江戸川コナン……そして、工藤新一、だ……」
「嘘、…………」
 その中には眠った、『江戸川コナン』の身体が浸けられている。
 改めて確認し直した私の口から……自分でも信じられないほどの高い声が。

 ……絹を切り裂かんばかりの悲鳴が、飛び出した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

【第三話 脱出ゲーム】



「どうした蘭!!」
「蘭姉ちゃん大丈夫!?」
 俺とおっちゃんが蘭の寝室に駆け込むと蘭は青ざめた顔で自分の身体を抱きながらガタガタ震えていた。

 時間は深夜……1時頃か。
 彼女は俺達が入ってきたのを見ると青ざめたまま振り向き……そしてベッドから飛び降りて、いきなり俺を抱きしめてきた。
「ら……蘭姉ちゃん? 怖い夢見たの?」

 背中を撫でながら問うと、
「良かった……生きてた、……良かった……」
ボロボロ泣き始める。

「おい蘭、こえー夢ぐらいで高校生にもなって泣くなって」
 おっちゃんも蘭の頭を撫でてやるが……次の蘭の発した言葉に、二人で凍りついた。
「新一、死んじゃったかと思った……良かった……」

「……」
「……寝惚けてやがんなこりゃ」
 おっちゃんが頭をガリガリ掻く。

 本当に寝惚けただけなのか、それとも……。
「蘭、……姉ちゃん」
 名前だけ区切って声を掛けてみる。

 すると蘭はハッと我に返り、涙を拭いながら俺の顔をじっと見て……離れた。
「ご、ごめんねお父さん、コナン君。私寝惚けちゃったみたい……。新一が死んじゃう夢見たんだけどコナン君ってほら、新一の小さい頃にそっくりでしょ? だから、ね」
「こえー夢なんざバクにくれてやれ。おら坊主、寝るぞ」
「う、うん……」

 おっちゃんに促され、寝室に戻ろうとしたが。
「待って」
 蘭に呼び止められる。

「ああん? どうした蘭? 俺と一緒に寝るか?」
 おっちゃんは呆れ声でそう言ったが、蘭は首を横に振って、言った。
「ううん、その……コナン君、一緒に寝ない?」
「えっ…………」





「今日は私よりあくびの回数が多いのはそういうわけね」
「だって……寝られるわけねーだろ……」
 灰原に言われて、はぁ、と昨夜……いや今朝の事を思いだす。

 だってよ、アイツ思い切り抱きしめながら寝るもんだから背中向けてりゃ背中に胸が当たるわ、じゃあと思って向かい合わせになりゃ目の前がダイレクトに胸だし、顔を上げればアイツの寝顔だしで、それこそ俺に死ねとでも言ってんのかと思った。
 身体は小学生でも思考が青春真っ盛りの俺には充分な拷問だ。
 確かに過去何度か一緒に寝た事もあるし、……なんつーか、風呂も一緒に入った事……もあるけど、実際いちいちその度に心臓に悪いわけで。

「で……小学生の特権を利用して彼女にいたずらしたわけ。最低な男ね、見損なったわ」
「……っなわけねーだろバーロッ!!」

 まるで心を読まれた気分になった俺は思わず机を思い切り叩いて大声を出してしまった。
「はいそこ、授業中の無駄話はだめよ」
 小林先生に言われて「ごめんなさい……」とすごすご謝る。

「バカね。本当にしてたら見損なうどころか金輪際口利かないレベルよ」
「……何なんだよ一体……。まあとにかくその辺りは潔白だ。だからこそ眠れなかったんじゃねぇか」
「ま、信じてあげる」

 なんとなく灰原の機嫌が悪い。
 何故かはわからねぇが、あんまり機嫌を損ねてもどうかと思ったので、話題を切り替えることにした。

「そういやさ、この前奇跡的に二週間も工藤新一のままでいられたあの解毒剤……あれなんだったんだ?」
「残念ながらまだわからないのよ。成分の配合率だと思うんだけど……何しろマウスで試しようがないから、どの成分のどれがどう作用したかが解明出来てないわ。あなたで人体実験を続けるしかないの」

「自分だってAPTX4869による幼児化の貴重なサンプルじゃねぇか」
「あら、毒と薬は紙一重って知ってる? 私が実験してもしも毒性に負けて死んだら、あなたはもう元の身体に戻れないわよ?」
「……俺なら死んでもいいと」
「さぁ」

 …………。
 なんだか微妙に食えない。
 たぶん今日は一日このままなんだろうと思い、会話を打ち切ることにする。

 ……あーあ、会話やめたらすげー眠たくなってきたな……。


 うとうとしていると、先生の「こら、起きなさいね」という声が聞こえたが、頭がすげー重くてそのまま起きられなかった……。

 放課後。
 俺は今、職員室にいる。

「コナン君は普段から成績もいいし、先日海外から戻ったばかりで体内時計がきちんとしてないんでしょうから、居眠りしたことは大目に見るけど。給食の時間になっても起きないし、その後もずっと眠ってたから、具合が悪いのかと思って心配したわ。夜ふかしはだめよ、少年探偵団たるもの体調はいつでも万全にしてないとね」

「はい、先生……ごめんなさい」
 ガキの身体はやっぱ不便だ。ちょっと不摂生しただけですぐダメになる。

 もう少し大人になって体力が付き始めれば、多少の夜ふかしなんて大したことはなくなるが、……『江戸川コナン』が大人になっても困る。
 まあ一応、様々な事件の犯人との対決やらに備えてなるべく身体は動かすようにしてるし、普通の小学生よりは体力はあると自負してるけど……夜ふかし、徹夜には少し弱い。翌日テキメンに来る。
「じゃあ今日はもう帰りなさい。今夜は夜ふかししないように、いい?」
「はぁーい」

 廊下に出ると灰原が待っていた。
 手をヒラヒラさせながら近づくと、

「他の三人は先に帰らせたわ。……絞られた?」
「ま、そこそこ。わりぃな待たせて」
「仕方ないじゃない。今からあなたがウチに来るのに、別々に帰ったら非効率よ」
 一緒に帰るのも別々なのも効率には関係ねぇ気がするが、ともかく今日は蘭に釘を刺されていた。

『学校が終わったら哀ちゃんと一緒に阿笠博士の家に帰ってくれる? 私も学校が終わったらすぐに迎えに行くから』
 アイツ空手部の主将じゃなかったっけ、部活とかねぇのかな……。
 そんなことを思いつつも蘭の言うことを聞くことにする。

 帰り道、灰原がポツリと言った。
「彼女、一体どんな夢を見たのかしらね」
「え? だから俺が死ぬ夢って……」

 俺の言葉に、灰原は少し考え込むように視線を逸らしてから。
「どうやって、どんな姿で死んだのかしら」
「……さぁ」

 夢の詳しい内容は聞いていない。
 普通は夢の内容なんて時が経てば忘れるし……悪夢なら尚更忘れたいはずだ。
 話すことによって鮮明になってしまうかも知れないから、俺は敢えて尋ねていなかった。

「少し気になるわね。朝見た時の彼女の様子、少しいつもと違ったから」
「……オメーもそう思ったか」

 少年探偵団メンバーと待ち合わせる場所に行くまでの間、蘭は何故か俺とずっと手を繋いでいた。
 待ち合わせ場所に着いてからは「学校が終わったら迎えに行くから」。
 そして別れ際しきりにこちらを気にしていた。

「なんつーか、いきなり過保護っつーか……」
「普段から比較的冷静で、もう事件には慣れっこの彼女が……悪夢一つであそこまで動揺するものかしら」
「しかも『新一が死んだ夢』なのにアイツの庇護対象は俺になってる。……俺を『工藤新一』の代理、にしてるだけならわからなくはねぇんだが……」

「……バレてるのかも……知れないわね」
 灰原が、背筋がぞくりと来るようなことを言う。

 それには答えず溜息を一つ漏らした。

『新一、死んじゃったかと思った……良かった……』

 本当に寝惚けただけなのか?
 ……確認しておく必要がある。

「……工藤君。わかってるでしょうけど、もし彼女にバレたんだとしたら」
「ああ……。もう探偵事務所から出ていかなきゃいけなくなるし、……工藤新一としても一切連絡は……取れなくなるな」

 キッドに変装してもらった時の「工藤新一」が告げた別れの言葉。
 また連絡する。
 蘭が望んだこと。
 声だけでもいいからそばにいて。
 それが叶えてやれなくなる……。

 でも、蘭が殺されることを考えるくらいなら……嫌われても構わない、冷められても構わない。
 アイツの命を優先したい……。


「工藤君。本当なら今の段階で最早それを実行した方がいいことは、わかってて言ってるのよね?」
「……え」

 灰原の言葉に、ドキリとした。
 灰原は続ける。

「あなたはかなり組織に近づいてきている。そしてピスコやアイリッシュなどのように私達の正体に勘付く者も出始めた。……幸い、色々な事情が相まって組織の上層部に私達が生きていることは知られてないみたいだけど……例えばベルモット。彼女の存在だけでも危険だと、……まさか考えてないとは言わないわよね」

「そ、れは……」
 思わず呻くように声を漏らしてしまった。

 ベルモット、……中森青子誘拐事件でも再会したばかりだ。
 アイツが何故俺達の正体を上に報告しないのか、何故俺と蘭だけは殺さない信条なのかはわからねぇが……理由がわからない以上、いつその信条を翻すのかもわからない。


 灰原の指摘した通りだ、頭ではわかってる。本当ならもう……離れた方がいい。
 けど、まだ、もしバレていないのなら……出来ればもう少しだけ、……。
 そのまま黙り込むと灰原は呆れて溜息を吐いた。

「……私は。あの子がどうなろうが関係ないからいいけど、……もし博士や少年探偵団の子達に被害が及びそうなら、姿を消す覚悟はしてるわ」
 はっと顔を上げた。
 目を細めて灰原を見る。

「子供達はまだともかく……博士はその理論で言ったら危険なはずだ、なのにお前」
「博士を最初に巻き込んだ人が何を言ってるのよ」

 灰原は、クスリと笑う。
「ま、……結局偉そうな事言っても私もあなたと同じね。猶予がある限り、ここにいたいと思ってしまっている自分がいる。本当は覚悟なんて出来ていないのかも」


「灰原……」
 灰原は……思い詰めたような、暗い顔をして続けた。

「……近いうちに何かが起こる予感がするわ。私かあなたが、この街から消えなくてはならなくなるような、そんな予感が」
「……」
「着いたわよ。入りましょ」

 そう言って灰原は門を開け、阿笠邸に入っていく。
 俺は少しの間……そこから動けなかった。

ごめん、>>165-166再投稿

「……やめてくれよ」
「もしそうなら彼女の行動の辻褄が合うと……あなたも思ってるんでしょう?」

 灰原の指摘した通りだ、頭ではわかってる。本当ならもう……離れた方がいい。
 けど、まだ、もしバレていないのなら……出来ればもう少しだけ、……。
 そのまま黙り込むと灰原は呆れて溜息を吐いた。

「……私は。あの子がどうなろうが関係ないからいいけど、……もし博士や少年探偵団の子達に被害が及びそうなら、姿を消す覚悟はしてるわ」
 はっと顔を上げた。
 目を細めて灰原を見る。

「子供達はまだともかく……博士はその理論で言ったら危険なはずだ、なのにお前」
「博士を最初に巻き込んだ人が何を言ってるのよ」

 灰原は、クスリと笑う。
「ま、……結局偉そうな事言っても私もあなたと同じね。猶予がある限り、ここにいたいと思ってしまっている自分がいる。本当は覚悟なんて出来ていないのかも」


「灰原……」
 灰原は……思い詰めたような、暗い顔をして続けた。

「……近いうちに何かが起こる予感がするわ。私かあなたが、この街から消えなくてはならなくなるような、そんな予感が」
「……」
「着いたわよ。入りましょ」

 そう言って灰原は門を開け、阿笠邸に入っていく。
 俺は少しの間……そこから動けなかった。





 玄関チャイムが鳴る。
「来たようじゃぞ」

 博士の家に来てからおよそ一時間後。
 博士が玄関に出迎えに行く。
 続いて三人分の足音が聞こえてきた。

 ……三人?

「やっほ! わたしも一緒に蘭のウチ行くわ」
「あ、園子姉ちゃん」

 明るく脳天気な園子の顔を見ると、少しだけ組織だのなんだのを忘れられて気持ちが軽くなる。
「コナン君、大丈夫だった? 変な人見かけたりしなかった?」
「……? うん、特に何も」

 蘭が心配そうに尋ねてきたが、答えてやるとホッと胸を撫で下ろした。
 すると園子が横から顔を出してくる。

「だーからぁ、アンタなんでいきなりガキンチョの庇護欲に目覚めちゃってるわけ? 新一君が死んじゃったなんて縁起悪い夢見たのはわかるけどさー、このガキンチョまったく関係ないじゃない」
「……うん、そうなんだけど……」

 苦笑する蘭。
 俺は園子を見上げて聞いてみた。
「園子姉ちゃん、蘭姉ちゃんってひょっとして学校でもこんな感じだったの?」
「そ」
 呆れた声を出し、腰に手を当てながら園子が答える。

「『コナン君大丈夫かしら』から始まって、『ほら、あるじゃない。小学校に変質者がのり込んで来て騒ぎを起こしたりとか』とか、『哀ちゃんも小さいし、二人だけで学校の帰り道大丈夫かなぁ』とか、最後なんて酷いのよ。『私いっそ学校辞めちゃおうかな。コナン君の送り迎えしたいし』なんて言い出す始末、どう思う? それで今日心配になって付いてきちゃったんだけどさ」

「はぁ!?」
 思わず声を上げてしまうと、蘭は「ちょっと園子、そんなことコナン君に話さないでよ」と困っている。


 今の言葉が本当だとしたらいくら何でも病みすぎだろ……。
「ら、蘭姉ちゃん……学校は卒業しといた方がいいと思うよ……」

 はは、と笑って言うと蘭も困った眉のまま微笑を返してきた。
「学校辞めるって言うのは冗談。……ただね、コナン君、……」
 そう言うと彼女は微笑を顔から消し、深刻な顔で、言った。

「お願い、私の前から……いなくならないでね」
「……蘭……姉ちゃん……」
 ごくりと息を呑む。

 何なんだ、……蘭をこんなに不安にさせてるものって何なんだ?
 しばらくそばで雑誌を読みながら黙っていた灰原が、雑誌を置いて言った。

「良かったわね。当分追い出されずにすみそうじゃない。例え昨夜のいたずらがバレたんだとしても」
「なっ……灰原てめっ」

 それを聞き逃さず、すかさず園子が刺さってくる。
「いたずらぁ? あ、昨夜蘭と一緒に寝たんだって? まさかアンタ、ガキンチョの癖に最早男だったりするんじゃないでしょうねぇ?」
 ニヤニヤ笑いながら言ってくる。
 コイツ本当に財閥のお嬢様かよ……。

「よくわかんないけどいたずらなんかしてないよ……蘭姉ちゃんと一緒に大人しく寝てたよ……」
 なんだかヤケになりたい気持ちで、それでもどうにか否定すると。
 今度は蘭が困惑した顔になっていた。

 なんだ?
 困惑した顔のまま、蘭は口を開く。

「私って……女としてあんまり魅力ないのかな……」

 ………………………………。

 一同が、……正確に言うと灰原以外の三人が固まった。
 ……蘭のキャラじゃねぇ、いや、そこもそうなんだけど、いや何と突っ込めばいいのか、
「ら……蘭、熱とかないよね?」
 園子が自分と蘭のおでこに手を当てて熱を測っている。

「熱はないわね、……アンタね、いくら旦那がしばらく居たのにまた出張しちゃって寂しくなったからって、いくら何でもこんなガキンチョはないでしょ? わかってる? 小学一年生のガキンチョなのよ、ガキンチョはないわよ、浮気相手にガキンチョは」

 ガキンチョガキンチョうっせーなほんとコイツ。
 諦めたような視線を園子に投げてみる。だがしかし、その実は彼女の言うとおりなのだ。
 蘭の何かがおかしい。

「園子、あのね、私そういうことじゃなくて」
 蘭が顔を赤くして首を横に振る。
「じゃ何よ」
「……例えばね、京極さんが隣に寝てたとして、園子に何もしなかったら、園子はどんな気持ちになる?」
「え? ……えーと、あの人お硬い人だからそんなもんかなって思うわよ。結婚するまでは清いお付き合いで! みたいな感じで、……あ」
 何かにピンと来たらしく園子は口元を手で押さえた。

 この前まで『工藤新一』の姿でいた時のことを何か誤解されてる予感がするが……、そんな事を思いつつ園子を見る。
「……にしてもガキンチョ二人と、一応男の博士のいる前でする話じゃないわよ」
「一応とは心外じゃなぁ」
 博士が苦笑する。

 灰原はバカバカしい、と言わんばかりにソファから降りると、部屋のドアに手を掛けた。
「ガールズトークするなら、ここじゃなくて毛利探偵事務所の方がいいんじゃない? どうせ今から帰るんでしょうし、このまま話してても不毛でしょ」
 そう言うと出ていってしまう。

「っかー、相変わらずクールな娘ねぇ」

「まぁまぁ、とにかくじゃあワシの車で送ってあげよう」
 博士の提案でガレージに行き、愛車のビートルに乗り込む。
 園子が助手席、俺と蘭が後ろ。
 園子がシートベルトを締めながら言った。

「蘭、今日金曜日だしわたし泊まっていい? 何かアンタ、ほんと心配よ」
「園子が心配するようなことじゃないわよ、……あ、でも泊まってくれるのは歓迎よ。それと……コナン君が私のベッドで一緒に寝るけどいい? あ、園子の布団はちゃんと別に敷くけど、一応」
「え……」

 あんぐりと口を開けると園子が再び呆れて言った。
「……アンタだいぶ重症ね」
「えっ、な、何が?」


 戸惑う蘭に園子は続けた。
「あのさぁ、ガキンチョの方が怖い夢見たから蘭姉ちゃん一緒に寝て! とか言うなら一緒に寝たってわたしも普通だと思うわよ。でも高校生のアンタが小学生相手に怖いから一緒に寝て! しかも二晩連続、って……何か変よ?」

 まったくもって園子の意見に賛成だ。
 蘭は考えあぐねて言葉を探している。
「そ、そんなに変かな……」

 それから俺に視線を落としてきた。
「コナン君は私と寝るの、嫌?」
「あっ、えっ、嫌ってことは……」
 むしろ学校に影響ねぇ日なら歓迎かも、っていやいやいやそう言うことじゃなくて。

 蘭は少し俯いて話し出した。

「……夢の影響は確かにあるんだと思う、……怖いの。どうしてかわからないけど……コナン君が居なくなりそうな、おかしな予感が消えないの。それがご両親のところに帰るとか正当な理由なら、寂しくはあるけど怖くなんてないわ。……でも私が今感じてるのは、……正当じゃない理由で居なくなっちゃうんじゃないか、って……」

「正当じゃないって? 例えばどんな?」
 園子が問う。
 俺は……黙って聞いていることしか出来ない。


「朝起きたらいきなり消えてるんじゃないかって。何も言わないで煙のように消えて、朝起こしに行ったら布団がカラになってて……、とか、学校がとっくに終わってる時間なのにいつまでも帰って来ないで、誰に聞いても行方がわからなくなって、とか……そんな消え方」

「いわゆる誘拐ってヤツ? まぁそりゃ可能性はゼロじゃないっていうか、そのガキンチョむしろ自分から飛び込んで行きそうよね。そんで無駄に頭も回るし、誘拐犯ぶっ倒して自力で帰ってくるんでしょどうせ」

 園子がカラカラと笑った。
 いやまあ実際そうなんだけどよ。
 そうなった時心配の素振りも見せなさそうなのはなんだかまぁ、……うん、園子らしくはあるが。

 彼女の言葉にハハ、と苦笑してしまうが、ふと蘭を見るとまだ浮かない顔をしている。
「それは、……コナン君の力が及ぶところだったからなんじゃないかな……。確かにコナン君は普通の子より頭がいいけど、もしコナン君にもどうにも出来ないことが起こったりしたら……」

「……蘭……」
 園子が眉を下げる。
 博士は黙ったままだ、口を挟んでこない。


 蘭は俺に顔を向けて言った。
「ごめんねコナン君、きっと鬱陶しいと思うけど……この変な予感が消えるまで送り迎えさせて欲しいの。きっとすぐ消えるから。……私の自己満足に付き合わせちゃってごめんね……」
「ううん、僕は蘭姉ちゃん大好きだし全然構わないけど」

 ニコリと笑んで見せると助手席からうんざりしたような声が流れてくる。
「うわー……今からこれだと将来が怖いわ、このガキンチョ……。なるほど蘭が新一君思い出すってのもわかるわね、アイツの昔にそっくりだわ」

 園子は俺になんか恨みでもあんのか。
 むーっと睨むが、すでに体勢を戻して前を見ている彼女は気づかない。

 蘭が少しだけ運転席側に身を乗り出した。
「博士にもご迷惑かけてごめんなさい」

「何、ワシは構わんよ。コナン君や子供達が遊びに来るのはいつものことじゃしな。何よりコナン君はワシの親戚じゃ、むしろ蘭君に面倒を見てもらって礼を言うべきはワシの方じゃしな」
「ありがとうございます」

 園子はしばらく黙っていたが。
 やがて、名案と言わんばかりに声を上げた。
「ね! いっそ中森さんも呼んで女子のお泊り会にしない!? こういう時はやっぱりみんなで騒ぐのが一番よ!」
「あっ、いいわねそれ。でも青子ちゃん都合どうかなあ、いきなりだし」
「誘うだけ誘ってダメなら仕方ないってことで」
「うん」

 頷いて、蘭はメールを打ち始めた。


■■■■■■■■■■


 今日も終わった終わった。
 掃除当番の役割もようやく終え、……最後のゴミ出しに時間も取られたが、今日は花の金曜日。
 月曜の夜は晴れらしいし、ハンググライダーも快適に使えそうだ。
 帰ったら予告状出しに行くか。

「青子、帰んぞ」
 幼馴染で同級生の中森青子は、何やら帰り支度をしながらじっと携帯を眺めている。
 ゴミ箱を戻しながら見ていると、青子は嬉しそうに携帯を弄り始めた。

「どーした?」
「うん、蘭ちゃんが泊まりに来ないかって! 園子ちゃんもいるらしいんだ。蘭ちゃんと園子ちゃんと遊ぶの久しぶりだから、楽しみ!」
「へー」


 そういや俺はこないだ会ったけど、青子は少しブランクがあるんだったか。
 園子、って……まあ間違いなく次郎吉のジイさんの親族、かつ鈴木財閥のお嬢様な彼女のことだな……。

 彼女の顔を思い出しながら。
「それ俺も行ってもいいわけ?」
 ニヤッとしながら尋ねると、
「ダメに決まってるでしょ。女の子の集まりなんだし」
「あ、そ」

 なーんだつまんねぇの。
 女の子三人に囲まれてハーレム気分でも味わいたかっ……、
 そこまで思って、ハッとする。

「誰の家に泊まるって?」
「蘭ちゃんの家よ」
「蘭ちゃんの家って言うと毛利探偵事務所だな!? その場合女子会だから、あそこのおっさんと……あとちびっ子は、アレだな、他のところに泊まりに出かけるんだよな!?」

 毛利のおっさんは正直どうでもいい。
 問題はアレだ、あのクソガキ名探偵!!
 アイツが青子を含んだ女子の中でちやほやされてる図を想像しただけで、もういても立ってもいられない。


 青子は首を傾げた。

「あの二人は家族なんだし別に出掛けないんじゃない? 寝る部屋はさすがに分かれてるでしょ」
「いやそれは当たり前だ、わかる、……えーっとな、寝るまでの間女子三人でわいわいやるわけだな?」
「うん」

「どう考えても寝るまではちびっ子も加えて会話するよな?」
「そうね、コナン君の勇姿、二人に改めて話そうかなって思ってるし」

 それを聞いて俺の脳天に雷が落ちる。
 青子騙されんな、アイツはああ見えて中身は立派な男子高校生なんだ!
 女子三人にちやほやされて、しかも寝る直前の女子ってことはパジャマだ、それに囲まれる男子高校生だと!?

 ガキの無邪気さ(本当は無邪気でもなんでもない)を利用して、あっごめんなさい青子姉ちゃん、手が滑っちゃった、とかなんとかかんとか、あああああ!!
 あ、あああああありえねぇー!!


「青子! 俺も行く! オメーが何と言おうと絶対行く!!」
「もー、誘われてない癖にしかも男子なんて絶対ダメに決まってるじゃない。快斗のスケべ」
「もう一匹男子がいるだろうが!!

 え、と青子は一瞬きょとんとしてから。
 くすくすと笑いだした。
「コナン君は男子っていうか子供でしょ? 快斗、コナン君にヤキモチ妬いてるんだ! おっかしー!」

「う……ヤキモチとかそんなんじゃねーよ、バーロ」
 青子はまだ笑いが治まらない様子で、それでも携帯を取り出してメールを打ち始めてくれた。
「一応聞いてみるけど、断られたら諦めてよ」
「お、おう」

 送信が終わり、そわそわと返事を待つ。
 ……数分して。


「ウッソぉ。OK、だって」
「マジか! やった!」
 思わず指をパチンと鳴らすと青子が不思議そうに首を傾げている。
「……どした?」

「OK、の二文字だけなのよ。いつもならもっと色々文章書いてくれるのに。ほら、さっきのメールだって」
 見せてもらうと、どうやら青子が参加したいと返事したことに対する返事のようで

嬉しい、良かった~。
楽しみに待ってる!
夕食はみんなでお鍋にでもしない?
お鍋の内容何か希望ある?
青子ちゃんの都合に合わせるから来る時間教えてね!

 なんて書いてある。
 なるほど。

「これが次のメールだとOKの二文字だけ、ねぇ。なんか取り込み中とか?」
「うーん……まいっか。じゃあ快斗、帰って準備しよ。……言っておくけどエッチなことしたら即追い出すからね」
「わあってるわあってる。快斗様お得意のマジックでみんなを楽しませてやっからよ」
「うん!」

 あれ? 今夜何かやることあったような……。
 まいっか。




 じとーっと、ズボンのポケットに手を突っ込みながら眼鏡の下から睨んでくるその生き物を無視し、俺は青子と共に探偵事務所のあるビルの三階に上がりこんだ。
「お邪魔しまーす」
 おお、ここに入るのは初めてだぜ。

「いらっしゃい、青子ちゃん快斗君」
「中森さん、黒羽君、おっひさー!」

 名探偵の幼馴染の彼女、そして鈴木財閥のご令嬢が出迎えてくれる。
 渋々といった感じで、名探偵も出迎えの挨拶を口にした。
「こんばんは、青子姉ちゃん。……それとオマケの快斗兄ちゃん」


 オマケってコイツ……。
 そんな俺の思いをよそに、青子が嬉しそうに挨拶する。

「こんばんはー! みんな久しぶり。特にコナン君、あの時はほんとにありがとう。ちゃんとお礼出来てなくてごめんね」
「ううん。あれから変なこと無い?」
「うん、大丈夫。コナン君こそ何かない?」
「全然。僕はまったく大丈夫だよ」

 っかー、嘘ばかりほざきやがって。
 工藤新一が狙われたのは『まったく大丈夫』にカウントしていいのか?

 ……そんな事を思っているとクソガキが青子に何かを囁き、二人でクスクス笑い合っている。
 それに何かモヤモヤを感じた俺は、園子と蘭に向き直った。

「この度は、お招き頂き誠に恐悦至極。及ばずながらエンターテイナーの一員として、お嬢さま方にお楽しみ頂けるよう尽力させて頂きます。どうぞ、今夜のショーをお楽しみ下さいませ」
 なんて挨拶して園子と蘭の手を取り軽く口付けすると、視線を二つ感じたがまあ気にしないことにする。


 園子が可笑しそうに笑いだした。
「ったくアンタも相変わらずねー。黒羽快斗か工藤新一か、日本二大キザ高校生で争えるわよアンタ達」
「快斗、招待されたんじゃなくて勝手に付いてきたんでしょ」

 青子がむっとしているが、手をひらひらさせて「硬いこと言わない言わない、OK出てんだからさ」と宥めてやる。
「んで? 今から晩飯の準備すんの? 手伝うけど」
「あ、快斗君と青子ちゃんはお客様だしゆっくりしてて。そうだ、コナン君と遊んでてくれる?」

 蘭の言葉に青子はずいっと身を乗り出し、首を横に振った。
「青子も手伝うよ! 台所は女子の戦場だし、快斗とコナン君は出来上がるの待ってて」
「あそ、じゃあお言葉に甘えて」

 言って俺は名探偵を小脇に抱える。
「ポアロにでも行ってるか」
「……おい、降ろせよ」
 名探偵が睨んできた。
 が、無視してそのまま階下へ向かう。

「出来たら呼びに行くねー!」
 背後から蘭の呼び掛けが聞こえたので「了解」と手を振ってみせる。
「降ろせっつーの!」


 ポアロの前に来てまだ騒いでいるので、そのまま手をパッと離して降ろしてやった。
「あいてっ! バーロ、それは降ろすじゃなくて落とすって言うんだ!」
「いちいちうるせーなぁ。あ、梓さんこんばんはー」

 ドアを開けながら挨拶、バイトの梓さんが「あら、いらっしゃいませ」と会釈してくれる。
 適当な席に着いて、さて、とまるでガンを付け合うように互いの視線を交わした。
「……何しに来たんだ」
 クソガキが呆れたように言う。

「小学生になりきってる男子高校生の、不健全な野望を阻止しに」
 俺の言葉を聞いて、名探偵はものすごく大きくため息を吐いた。

「……俺は関係ねぇよ。園子が勝手に企画したことだしな」
「ふぅん? 園子嬢が勝手に企画したことだから、小学生の自分なら女子の集いに紛れて構わないと? ……あの博士の家に避難する選択はねぇんだ?」
 揶揄を込めていったつもりが、名探偵の表情が暗くなっていくのに気づいて……俺は一旦言葉を止めた。


 が、いきなり名探偵は鋭い視線を向けてくる。
「まず言っとくが」
 言いながら、ビシッとこちらを指し。

「あの晩、蘭にしたことは忘れてねぇからな」
 何したっけ。
 少し考える。

 唇にキスしようとしたこと、……そしてこめかみにキスしたこと。
 まあ間違いなくこの事を指してんだろうな、とは思ったが、そもそも工藤新一になってくれって言ったのはオメーだろうが。
 俺はクソガキの発言にしらばっくれてみる。

「何の話だよ。それに先にした俺の質問に答えてもらってねーんだけど?」
 その言葉に、彼は気まずそうな顔をした。
 それから。

「……あんまり言い訳してもオメーに変に思われるだけだからさ。今夜の様子を良く見ててくれねぇか? その後で、オメーに話したいことがある」
「……お、おう」


 ここがポアロだから多くを口に出来ないのか。
 それとも別の意図があるのか、……運ばれてきたお冷を口にしながら冷や汗をかいた。

 やがて。
 蘭と青子が二人で同時に現れる。
「準備出来たよ!」

 何も注文せずにポアロを後にすることは気が引けたが、梓さんは「次回よろしくね」と笑ってくれた。
 そうして宴の場へ、どうやら鶏の水炊きらしかった。
 わいわいと鍋を囲った後食事を終えて、蘭の部屋でトランプで遊ぶ。

 名探偵は終始俺を見張っていたが、俺が大人しいことに諦めてゲームを楽しみ始めた。
 毛利のおっさんはどうしたのか尋ねたら今夜は友達と飲みに出掛けて帰らないとのこと。
 ますます俺の天下じゃねぇか……まずはマジックを軽く見せて、彼女達の心を解して。

 ……そんなことを考えていたら、園子にいきなり言われた。
「ちょっと黒羽君、出てってよ」
「え、あ」

 何かまずったか、と焦った横から蘭がフォローしてくる。
 照れながら頬を染めて。
「あ、のね快斗君、私達パジャマに着替えるから……その」
「はいはい、男子は蘭ちゃんのお父さんの部屋でパジャマに着替えてね?」
 名探偵と一緒に部屋を追い出され、……俺達は思わず互いに顔を見合わせて笑ってしまった。


■■■■■■■■■■


 どこまで話すべきなのか、迷う。

 おっちゃんと俺の部屋でパジャマに着替えながら、俺は色々考えていた。
 そもそもコイツがこの集まりに参加して来た理由は深く考えないとしてだ。
 ……実のところ、今の蘭の状態はコイツにも原因があるんじゃないかと考えている。

 正確には、コイツではなく……コイツが化けた『工藤新一』。
 あの時の言動が蘭に影響を与えた気がしてならない。

「なぁ。蘭の様子、どう思った?」
「どうって……普通だったような……」
「フシ穴」

 俺が言い放ったことをむっとする奴に横目で目をやりながら、俺は続けた。
「蘭の位置、思い出してみろ」
「位置、ねぇ……」


 食事の時。
 ゲームの時。
 談笑していた時。
 別のゲームを遊び始めた時。

「ずっとオメーの隣にいた、くらいかな……。テーブルに向かう方向や、オメー以外の隣に座る人間は変わってたし……あー、そう言われれば園子ちゃんと青子にオメーが挟まれてた時、わざわざ割って入ってた事があったな。あれは彼女にしちゃ珍しい行動な気がした。最初は名探偵の方が、俺に睨み利かす為に蘭ちゃんの横を陣取ってんだと思い込んでたけど」

「それだよ。なんだ、何だかんだでちゃんと見てんじゃねーか」
 俺の指摘にキッドは首を傾げた。

「でもまあ、蘭ちゃんの保護者役割的には一応普通なんじゃねぇ?」
「それは……そうなんだけどよ……」
 急に歯切れの悪くなった俺を、奴が怪訝そうに見る。

「そもそも俺さ、何で今日の会にOK出たのかわからねぇんだよな。たぶんNOだと思ったからこっそり忍び込むくれー考えてたんだけど」
 悪びれず言う奴に……だがしかし彼の疑問は最もだとは思ったので、何となく視線を合わせないようにしながら答えてやることにした。

「あれは園子だ」
「あ?」


 間抜けな声を出すコイツを置いて、俺は更に続きを話す。
「……蘭はさ、やっぱ男が来るのってどうかと思って返事迷ってたんだよ。そうしたら園子がいきなり蘭の携帯奪って『OK』ってな。……新一君以外の男見たら悩み吹っ飛ぶかもよ、だとさ。ったく……」
「……『工藤新一』が居なくなったことで何かあったのか?」
 キッドの当然の問いに、俺はため息を漏らした。

「今朝……蘭が変な夢を見たらしいんだよ。それから様子がおかしいんだ。……見た夢っていうのが、『工藤新一が死んだ夢』ってやつなんだって」
「ほうほう、そんで?」

 キッドに促され、更に先を紡ぐ。
「そんで、俺に対して異様なほど過保護になっちまってる。どうもその夢で死んだ工藤新一と江戸川コナンを重ねて、失うのを恐れてるらしい、……それが現時点での見解だ」

「それ、って……」
 キッドが息を呑む。
 そうして、言った。

「二人が同一人物だってことが……バレてるんじゃ」


 当然の結論だ。
 だが、キッドはすぐに首を横に振る。
「いや、お前がいる時に俺の『工藤新一』が同時に居たことが何回かあったな、……この前もそうだ」

 そう考える彼の意見を打ち消すように。
 俺は言った。

「……蘭が、『黒羽快斗』と『工藤新一』が似てることに気づいてねぇならそれでいいんだけどな」
「……」

 キッドが黙り込んだので、そのまま続けることにして俺は更に言葉を重ねる。
「……蘭は、工藤新一と黒羽快斗と江戸川コナンが同時に居た場面を一度も見たことがねぇ」

 無理な相談だ。
 江戸川コナンと黒羽快斗、江戸川コナンと工藤新一、黒羽快斗と工藤新一。
 この二人ずつはコイツの手助けと解毒薬があれば存在が可能だが、三人同時は無理だ。

「この前の工藤新一が俺の変装だって勘付いてるって?」
「確認したわけじゃねぇからわからないさ。でもその可能性はある」
「……バレたらまずいんだろ」


 キッドの言葉にコクリと頷く。
「バレてたら、この町を出て行かなきゃならなくなるし……工藤新一としても蘭にはもう連絡出来なくなる」
「そうか……。何か疑惑晴らす方法ねーのかな」
 キッドの言葉に、着替え終わった俺は壁を背にして座り込み、大きくため息を吐いた。

「変装とかで誤魔化せるなら灰原や母さんに協力して貰えばなんとかなるさ。……でもそんな感じじゃないんだよな。まだ同一人物と確信してるのかも確認してねぇし、……そもそも蘭の見た夢の内容ってのが詳しく分かんねぇからなぁ」
「聞き出してやろうか」

「んー……」
 少し迷う。
 蘭のトラウマを掘り返すことにならないか。
「……じゃあ頼むよ。口が上手いオメーなら蘭を傷付けずに聞けるかも知れない。ただし」

 言って、俺はキッドをギラリと睨んだ。
「話してる最中に蘭に変なことしたら殺すぞ」
「……物騒すぎるぜ名探偵」

 キッドがクワバラクワバラ、と苦笑した。
 その折にノックの音が響く。
「もう入っていい?」
 蘭だ。


「うん、いいよ」
 俺はドアを開け、一人ですいっと居間に出た。
「快斗君、トランプマジック見せて欲しいな」
 まだ中に残っているキッドに蘭は声を掛けたが……キッドは部屋から出てこない。

「……快斗君?」
「蘭ちゃん、……ちっと話があるんだ、二人で。少し時間もらえねぇか?」
「え? うん……」
 それから蘭がチラリと俺を見遣ってくる。

「コナン君は私の部屋に行って園子と青子ちゃんと遊んでて。勝手に一人で出歩いちゃだめよ」
「……はぁーい」

 扉が締められ、……俺はもちろん園子達のところには行かず、ピタリと耳を当てがって中の会話を盗み聞きし始める。
「ちびっ子名探偵から聞いたんだけどさ。怖い夢見たんだって?」
「えっ……やだコナン君ったら。快斗君にそんな話なんかして」


「蘭ちゃんが何かに怯えてるみてーだ、って。……子供の僕じゃ力になれないから快斗兄ちゃん、蘭姉ちゃんの支えになってあげて……なんて言われたら気にしねーはずがないだろ?」

 支えになれとは言ってねぇぞあのヤロー……。
 まあいいけどさ……。
「そう、ありがとう。……そうね。快斗君になら話してもいいかな」
 ……蘭のその言葉に、俺は固まった。

 おいおいおい! コイツにならいいって何だよ!
 俺にもおっちゃんにも園子にも、そして工藤新一にも話して来なかったのに……キッドに、あ、いや、快斗君に、なら?

 ど、どどどど、どーいうことだ!?
 俺の心臓がバクバクと、扉の向こうにいる二人に聞こえそうな程……激しく波打ってることなんて当然知らない蘭は、ポツポツと奴に語り始めた。


■■■■■■■■■■


「快斗君は知らないと思うけど……この前、新一が誘拐された事件があったの。快斗君と会った、その直後よ」
 知ってます。誘拐された本人ですから。
 って言葉は飲み込んで、とぼけた声を出してやる。

「そう、か……大変だな、探偵ってやつは。常に事件に関わってるから巻き込まれちまうんだな。……けど無事だったんだろ? そういや今日、姿見てねぇけどどうしたんだ?」
 この段に至って、俺は「工藤新一がまた居なくなったこと」を知らないはずなのに、彼が居ないのを言及してなかったのを思い出して尋ねてみた。

 蘭は首を縦に振る。
「うん、無事だったんだけど……無事を自分の目で確認するまで生きた心地がしなかった。そのあと新一、大掛かりな組織が浮上してきたからその調査に行かなきゃいけないって出掛けていったの。いつもは何も言わないで行っちゃって、後からそんな話を聞くんだけど……今回に限ってちゃんと、面と向かっていってきますって言ってくれて……」


「……なるほど」
 もちろんそれを言ったのは俺自身だから話の全容は知っていたが。
 努めて、初めてその話を聞くような表情を作る。

 すると蘭の様子が急に落ち込み始めた。
「いってきますって言ってくれたから浮かれちゃって、いつものパターンと違うって気づいて急に不安になったのはそれから何日かしてから。そんな時に今朝、その夢を見たの……」

 俯き、今にも泣き出しそうな彼女。
 それ以上を促したらきっとそのまま泣いてしまうだろう……わかってはいるが、聞かなければならない。
 俺はやや躊躇ってから……尋ねた。

「蘭ちゃん……聞くのは酷だってわかってる。でもいっそ吐き出した方が楽になるかも知れねぇ。……一体どんな夢を見たんだ?」
「……」
 蘭は戸惑っている。
 俺は、名探偵から見えてないのを良いことに蘭のそばに寄って……彼女の肩に手を置いた。

「大丈夫」
 頷いてみせる。


 蘭は頷き返すと、夢の内容を語り始めた。

「どこか……建物の中なの。真っ暗で……足元に緑の非常灯が点々と点いていて、ああ、ここは病院なんだ、って何故か思ったわ。私はそれまでずっとコナン君と新一、両方を探してて、何故かそこに辿り着いたみたい。そうしたら、黒ずくめの格好の男が私を奥に案内した。そこに……標本みたいに培養液に浸かってるコナン君がいて、それはまるで眠ってるみたいだったけど、何故か死んでるってわかって……。そうしたら、男が言ったの。『これがお探しの、江戸川コナン……そして、工藤新一、だ』って……」

 ごくり、と息を呑む。
 そして納得した。
 彼女の潜在意識の中にやはり、工藤新一と江戸川コナンは同一人物だ……という考えが眠ってたんだろう。
 それが表面化してきたって事だ。

 だが先日工藤新一と江戸川コナン、同時に会っている。
 だからこんな話をしても変に思われる、だから誰にも話さなかった。


「だから、だからね、……コナン君の顔見る度新一と重なっちゃって、違う人なのに、違うってわかってるのに、もしかしてコナン君が居なくなったら新一も二度と帰ってこないんじゃないか、って、変な考えが浮かんできて、……怖いの、あの子すぐ事件の中に飛び込んで行くでしょう、そのまま居なくなっちゃうんじゃないかって……怖いの」

「……蘭ちゃん……」
 瞳が潤んでいる。
 俺は思わず……そっと頬に手を触れた。
 蘭はびくり、と肩を揺らして俺を見たが、すぐに視線を逸らした。

「おかしいよね。今までならコナン君が事件に飛び込んでいっても何故か必ず帰ってくるって確信があったのに……。あの夢を見てから、コナン君が死んでたあのシーンがずっと生々しく記憶に甦ってきて、……きっと新一のせいよね? いつも黙っていなくなる癖に、今回に限って『いってきます』なんて。まるで逆にもう帰って来ないみたいな、……アイツの……せい、……」

 パタパタと、涙が落ちる。


 俺はその顔を見ているのが辛くなって、そのまま彼女を抱き込んだ。

「……大丈夫だって。工藤新一は必ず君のところに帰ってくるさ。ちびっ子名探偵が心配だってなら俺もそばに付いて君と一緒に護ってやるよ。だからさ、……泣くことなんてねぇんだぜ」
 しばらく嗚咽を上げていた彼女は、やがて落ち着いたらしく……顔を上げ、俺から離れると涙を拭った。

「ありがとう、やっぱり快斗君に話して良かった。……不思議よね、快斗君と話してると新一と話してるみたいにホッとする」
「ハハ、アイツと俺似てっからなあ、外見からして」
 やっと蘭が笑って、俺もホッと胸を撫で下ろした。

 聞いてたか? 名探偵。
 と、ドアに視線をやりながら。


■■■■■■■■■■


「…………」
 蘭の見た夢、ってのがやっとわかった。
 怯えるように俺に付きまとっていた理由も。
 俺には話せなくて、キッドには話せた理由も。

 胸が苦しくなって自分の胸を鷲掴む。
 蘭の為にと思ってやったことが、却って蘭を苦しめてしまった。
 どうしたらいい?
 どうしたらその苦しみを除いてやれる?

 ……そんなもの決まってる、早く工藤新一に戻ってアイツを抱き締めてやることだ。
 早く完全に元に戻って……アイツのそばにずっと居てやることだ……。
 俺は意を決して、扉をノックした。


「快斗兄ちゃん、蘭姉ちゃん……入っていい?」
「あっ」
 と聞こえ、蘭が出てくる。
 蘭の眼が赤い。
 明らかに無理に笑顔を作っている。

 それに気づかないふりをして、俺も笑顔を作った。
「二人とも遅いから待ちくたびれちゃった」
「ごめんね、今行くから。快斗君も行こう?」
 蘭が振り返りキッドを手招きする。

 が。
 蘭は奴が険しい顔付きで俺を睨むように見ているのに気づき、慌てて俺の肩を掴んでキッドから背を向けさせた。
「ほら、早く」


「蘭姉ちゃん、僕トイレ」
 いきなりの俺の言葉に蘭は目を丸くした。
 しかしすぐに頷いて
「わかったわ、終わるまでトイレの前で待ってるから」
と微笑みながら言ってくる。

「えーっ……さすがに恥ずかしいよ」
 眉を下げて訴えると後ろからキッドが声を掛けてきた。

「蘭ちゃん、俺が付いててやるから青子達と先に遊んでてくれよ。コイツ、こんな小さくても一応男だしさ」
「そ、そうね、ごめんねコナン君。じゃあ快斗君、よろしくね」

 パタン、と蘭が友人二人の待つ部屋に入る。
 俺はそのままトイレに行かずに玄関へ向かった。

「どこ行くんだ?」
「事務所のトイレ使う」
 キッドは任務だから、とばかりに後ろに付いてきた。


 事務所に入ったところで声を掛けられる。

「何かくだらねぇこと考えてるだろ」
 呆れた声を出しながら奴が言うが、生憎それに答える気はない。
「別に。何も」

 そっけなく返事をしてトイレへ足を向けるが、キッドはそのまま話を続けた。
「例えば、やっと海外のパパママと一緒に暮らせることになったんだ。だから今までお世話になりました、蘭姉ちゃん。とかな」
「…………読むなよ」
 思わず苦笑する。

「何となく、な。……んなことしたって根本的な解決にはならないぜ?」
「蘭がお守りから解放されるだけでも随分違うだろ。……俺の顔見て俺の死に顔思い出されるなんて、溜まったもんじゃねーよ」

 するとキッドはふう、と小さく息を吐いた。
「蘭ちゃんの『予感』、当てさせちまう気かよ。オメーがここを出て行くってことは工藤新一からも連絡一切入れる気ないってことじゃねぇか」

「……それでも俺が居なくなれば、いつか忘れんだろ」
「そんな薄情な娘なら工藤新一に対してとっくに見切りつけてるはずだけどな」
 しつこく食い下がってくるキッドに、何故か突然ムカムカと来て……俺は奴に向き直って、怒鳴った。

「……っじゃあどうしろってんだよ!! このまま俺がここにいたら蘭の心が壊れちまうじゃねぇか!! 壊れてくのを黙って見てろってのかよ!!」


「ああ。そうだ」
 冷たく……奴が言い放つ。

 それは先ほどまでの、人懐こい黒羽快斗じゃない。
 冷静さとポーカーフェイスを忘れない、怪盗キッドの顔だった。

「ここまで彼女を追い詰めたのはテメェの責任だ。なのにその責任を放って彼女の前から姿を消す? お気楽なもんだな、そうか、逃げてりゃ後はどうなったって関係ないもんな。……ったく随分無責任な探偵さんもいたもんだ。とんだ"迷探偵"、だぜ」
「…………」

 反論出来ない。
 拳を握り締め、冷や汗を流しながら……それでも何も口に出来ず、黙る。
 キッドは可笑しそうに笑った。

「馴れ合いが続いて忘れてるようだけどな、名探偵……俺の本業は怪盗なんだぜ。オメーがグダグダしてるようなら、彼女の心……俺が奪っちまうからな」
「なっ……」


 ようやく、声が出た。
「バーロ、誰がテメェなんかに蘭を渡すか!! 大体なー、オメー青子はどうしたんだよ? 一夫多妻気取るつもりか? オメーがその気なら俺は青子にちょっかいかけんぞ?」
「あ、青子はこの際関係ねぇだろ……つかなんでテメェが青子呼び捨てにしてんだよ!」

 青子の名を出した途端にキッドのポーカーフェイスが崩れる。
 やっぱりな、コイツの弱点は青子だ。
 俺はなんだか可笑しくなって、「は、はは」と笑いを漏らしてしまった。

「……何だよ、結局俺と同じじゃねぇか。他のことなら冷静に見られるのに……一番大事な奴を引き合いに出されたら、冷静になれなくなっちまうんだ。そうだろ?」

「……それは置いといてだな」
 キッドがコホン、と一つ咳き込む。
「……そんだけ元気があるなら何とかなんだろ」


 急に砕けたキッドの物言いに、俺は唖然として口を開けてしまう。
 キッドが「ひひひ」と笑った。

「彼女の心が万が一壊れたとして、それを治してやれるのはオメーだけだ。それに……彼女はそこまで弱くねぇよ。必ず立ち直る。だから、そばでちゃんと見守っててやれよな」
「……んだよ。ハートフル怪盗」

 拗ねた口調で言うと、キッドは苦笑して頬を掻いた。
「まいいや、みんなの所に戻ろうぜ」
「ああ……あ、いや待て、その前にトイレ」
「……行きたいのは本当だったのか……」


 さて用を足し、キッドの後に続いて事務所を出る。
「……」
 なんだ?
 なんだろう、さっきから……。
 わからねぇが、何か変な感覚がある。

 肌がざわざわ、ちりちりとするような感覚。
 階段に出て辺りを見回すが……特におかしなことはない。
「どうした? 名探偵」
 数歩進んでいたキッドが声を掛けてくる。

「あ、ああ、何でもねぇよ」

 慌てて後を追っ掛け、三人の居る部屋に戻ると
「ガキンチョ、トイレ長すぎ! 大だったの?」
と財閥のご令嬢が臆面もなく言ってきたのだった……。


 今夜も蘭が、当初言っていた通り「じゃあ一緒に寝ましょ、コナン君」と申し出て来た。
 それを聞いて呆れ顔の園子と口をあんぐり開けているキッドと、なぜかワクワクした表情の青子。

「……青子?」
 キッドが怪訝そうな表情を青子に向けると、青子はいきなり俺に飛び付いて抱き締めてきた。
「いいなー! 青子もコナン君だっこして寝たぁい!!」
「う、あ、あの、青子姉ちゃ、ん」

 真っ赤になって照れているとキッドが仏頂面で絡んでくる。
「青子あのなぁ、つーか蘭ちゃん、コイツ小さくても立派な男だぜ? いいわけ?」
「えっと」
 蘭が答えようとすると、

「あら黒羽君。じゃあわたしと寝る?」
 園子が横から刺さって更に場を混乱させる。


「あ、じゃあお言葉に甘えて」
「バ快斗のスケべ!!」

「んだよオメーはちびっ子抱いて寝るんだろ?」
「あっ快斗ってばヤキモチ妬いてるー」
「そんなんじゃねぇって言ってんだろアホ子!!」
「うふふ、快斗が子供のコナン君にヤキモチ妬いてる!」

「で、ねぇねぇ黒羽君、わたしと寝るの?」
「ちょっと園子、京極さんはどうするのよ」
「やーね蘭ったら、ただ一緒の布団に入るだけじゃなぁい」
「京極さん硬い人だからそれだけで絶縁レベルだと思うけど……」
「蘭とガキンチョが黙っててくれりゃーいいのよ」

「だめ! 園子ちゃん、快斗と寝たらだめだからね! コイツスケべでエッチなんだから!」
「じゃあ青子もちびっ子と寝るのは諦めんだな」
「コナン君は関係ないじゃない!」
「大有りだ! ありすぎんだよ!!」

「じゃあコナン君真ん中にして青子と快斗で川の字で寝ればいいんでしょ!?」
「で、わたしがその黒羽君の隣に入る、と」
「園子……ベッドそんなに広くないわよ?」
「ツッコミどころがおかしいよ蘭姉ちゃん……」

「俺を真ん中にして蘭ちゃんと園子ちゃんと青子が川の字になれば良くね? で、ガキンチョはおっさんの部屋で寝る、と」
「快斗、漢字わかってない! 小学校からやり直しなさい!!」


 …………………………。

 何なんだよこれは。
 何だかものすごく脱力してしまった俺は、取り敢えず寝る前に水を飲もうと台所に向かった。

 コップに水を注ぎ、少しゆっくり目に飲む。
 ……何となくあの騒ぎの中に戻りたくねぇ……。
 飲み終わり、はぁ、とため息を一つ吐いた時。


 後ろから。
 伸びてきた手に、いきなり口を塞がれた。

「……っ」
 驚いて振り向こうとしたがそのまま抱き込まれて振り向けない。

 続いて、女の声が
「Shhh!」
と耳元で囁いた。


 この声は、……この前の事件で会った……そして黒ずくめの奴らの組織の幹部……ベルモット!
「んっ、……ぐ」

 その手を外そうと口を塞ぐ手を掴むが、女の手なのに存外強い力で押さえ込まれ、外せない。
 一体どういうつもりだ……と、視線だけで彼女を見上げた。

「Cool guy、久し振りね。……騒がないというならこの手は外すわ」
 その言葉にコクリと頷くと、彼女は口を塞いでいた手を外した。

「……何の用だ」
「ちょっとね。交渉しに来たのよ、あなたと」
「交渉?」
 ベルモットは、フ、と笑って俺の頬に指を滑らせる。

「坊や。……私の部下になりなさい」
「……は?」


 その言葉の意図が掴めず思わず間抜けな声を出してしまった。
「何言って……」
「私はね、あなたと毛利蘭を死なせたくないの。……私の部下になりなさい。そうしたらあなたと毛利蘭の身柄は保証されるわ。ボスのお気に入り幹部の部下と、その恋人ですもの。……それに坊やの頭脳なら、組織に入る資格は十分よ」

「そん……」
 いきなり降って湧いたそんな交渉、聞くはずがない。
 はずはないが、……「蘭の身柄は保証される」……その言葉が俺の中に響いた。
 目を伏せて考え込む。
 しばらくして、俺は答えた。


「……ったく、考えるまでもなかったな。誰が人殺しの集団なんかに加担するもんか」
「そう。交渉決裂ね」
 ベルモットが残念そうにため息を漏らす。

「わかったら離せ、よ」
 抱き込む彼女の腕を振り解こうと腕に力を込めるが……彼女の抱き締める力は益々強くなった。
「……おい、離っ」
 再び口を塞がれる。

「っ、う」
「交渉に応じないなら『説得』……するしかないわよね? もちろん私達なりのやり方、で」
 何故か彼女相手だと油断してしまっていた自分の愚かさを恨んだ。
 コイツはやはりどう転んでも組織の人間なんだ、ということを痛感してしまう。

「ぐっ、うぅ!」
 ジタバタと思い切り暴れるが、ベルモットはそのまま立ち上がる。
 ヤバい、何とか部屋にいる誰かに、……いや駄目だ。

 アイツらが出て来たら逆に巻き込んでしまう、アイツらは出てこない方がいい……自力で、なんとか……。
 そう考えて暴れ続けているとベルモットは再び耳元に口を寄せた。
「今日来ているあなたのお友達の中に……この前私が殺し損ねた娘がいるわね」
「……!」


 背筋が凍る。
 そうだ、隣の部屋には……彼女が、中森青子がいる。
 暴れるのを止めて睨みあげるとベルモットはくすくすと笑った。

「そう。大人しくしていればあの子達には手は出さないわ」
「……」

 ベルモットは先ほど「説得」すると言っていた。「私達なりのやり方で」と。
 一体何をどうする気なのか……とにかく隙を見て彼女の腕から逃れて麻酔銃を……あっ、しまった。麻酔銃は着替えた時に外したからそっちの部屋か、上手く取りに行けるだろうか。

 彼女は俺を抱えたまま……周囲を伺いながら、壁を背にして壁沿いに身体を滑らせる。
 よし、とにかく一旦暴れて思い切り蹴り上げて隙を作って……。
 そう考えた刹那。
 蘭の部屋のドアが開いた。


 ヤバい……青子なら殺される!
「……!」
 ドアから顔を出した人物は驚き眼を見張っている。

 ベルモットと来たら、見つかったと言うのに顔色一つ変えず……居間のテーブルの上にあった重い灰皿を、相手に向けて蹴り付けた。
「うわっと!」
 相手がかわす。

 その隙にベルモットは一気に走り出した。
 灰皿をかわした相手はすぐさまこちらを追ってくる。
 口を押さえていた手が緩んだので首を横に振って口を解放させ、叫んだ。


「キッド駄目だ! 来るな、蘭達を守れ!」
 眼鏡が落ちる。

「こんな時に何ほざいてやがんだ名探偵!!」
 階下に車が一台停まっている。
 左ハンドルのその車は運転席のドアが開いていて、ベルモットは俺ごと乗り込み、俺を助手席に投げ出すとすかさずドアを閉めようとした。

 そこにキッドが追い付いてドアを閉める直前に身体を滑り込ませる。
「く、そ名探偵、おい」
 キッドが顔を上げた瞬間。

 彼の額に銃口が当てられた。
「あなたは……」
 キッドの顔を見てベルモットが一瞬怯む。


 その隙を逃さず俺は彼女の銃を持つ腕にしがみついた。
「逃げろキッド!!」
「バーロ、テメェ置いて逃げられるかよ」

 途端、ベルモットに思い切り振り払われ俺は助手席に逆戻りしてしまう。
「……死にたくなかったら坊やの言うように離れなさい、……Kid the Phantom thief」

 その英単語を聞き、キッドの瞳が険しくベルモットを見据える。
 彼女は再びキッドに銃口を向けていた。
「コナン君! 快斗君! どうしたの!?」
 蘭が駆け降りてくる。

 その姿を見てベルモットは舌打ちすると、……キッドの右腕に銃口を向け、発砲した。
「ぐあぁっ!!」
 キッドの身体が後ろに飛ぶ。


「キッド!!」
 身を乗り出そうとした刹那、ベルモットは思い切りアクセルを踏み急発進させた。
 俺の身体は再び助手席のドア側に転がる。

 ベルモットは片手で運転しながら銃を懐にしまい、運転席のドアを閉めた。
 あの至近距離で撃たれて……キッドは無事だろうか。

「ベルモット……テメェ……」
「殺したって良かったのよ。……いいえ、殺すつもりだった。あの子が来なければ」
「……」

 黙っていると、彼女は更に言った。
「彼女の泣く顔は見たくなくて、ね」
「だったら今すぐ俺を解放しろ」

「それは出来ない相談ね残念ながら。Cool guy、あなたはもう組織の、……いえ。私の物よ」
「……ふざけんな」


 どうにか逃げ出すチャンスはないだろうかと車窓の外を伺う。
 スピードは落ちる気配は無く、そのうち車は高速道路に入った。
 料金所のETCゲートをくぐる際にわずかな間スピードが落ち、その時降りようと思ったが……ドアが、開かない。助手席にチャイルドロックを取り付けているのか。

 すぐにまた車のスピードが上がる。
 観念して、ベルモットに尋ねた。
「……どこに行くんだ? ボスのところなら願ったり叶ったりだぜ?」

 武器が一切無いのはいささか不安だが……何とかするしかない。
 それに俺にはまだ「あれ」がある……そう考えながら胸ポケットに触れる。
 彼女はフッと笑うと、慣れた手つきでタバコを取り出し咥え、それからライターで火を灯す。
 そうして言った。

「病院……よ」
「病院?」
 怪訝に彼女を見つめるがベルモットはこちらには目をくれないまま、頷いた。

「あなたを説得する為の、ね……」
「……」
 それ以上……彼女は、何も言わなかった。


■■■■■■■■■■


「ぐっ……いて」
「これで応急処置は出来たけど……でも早いうちに病院に行った方がいいわね。ここじゃ銃創は処置しきれないわ」
 泣きながら俺に縋り付く青子、その横で救急車を呼ぼうとしていた蘭。

 だが俺はあの女にヤバいものを感じ、救急車を呼ぶのを止めさせた。
 代わりに彼女が思い付いたのが阿笠博士だ。

 すぐに博士が迎えに来て彼の車で阿笠邸へ。
 手当てをしながら小さな彼女が「骨をやられなかったのは随分運が良かったわね」なんて皮肉っぽい口調で言ってきた。
 撃たれた位置は右の二の腕……弾道がもう少しズレてたら、骨がやられていただろう。

「この銃創……プロの仕業ね」
「ああ、たぶんな」
 俺はあの女の顔を思い出す。


 あの顔は知っている。
 ハリウッド女優、クリス・ヴィンヤードだ。テレビや新聞によく出ていた。
 ……いや。

 それよりも重要な事実がある……間違いない、アイツは青子を攫った時の犯人の一人だ。
 もしかしてあの女が頭だったのかも知れない。あの後、名探偵が読んでいた新聞に「リーダーは逃げた」とあったらしい。

 横を見ると青子が「快斗、生きてて良かった……」と顔をくしゃくしゃにしている。
 園子は不安げにしながらも蘭を気遣っていた。
 蘭は……手にした名探偵の眼鏡と、そして俺を交互に見て。ため息を漏らした。

「本当に……快斗君が、無事で……良かった、……」
 泣きそうなのを堪えているのがありありとわかる。

「蘭ちゃん、……俺がアイツを守るって偉そうなこと言った矢先に……約束破ってごめん……」
「ありがとう、快斗君。その話は気にしないで、だって、……あんな話をした直後にこんなことになるなんて……誰が思うの? それに快斗君、こんなになるまで頑張ってくれた……私の方こそごめんね……」

 俺達の会話で大体を察したらしく。
 小さな彼女が横から口を挟む。

「ここに江戸川君がいないという事は……この銃を撃った犯人に、江戸川君は攫われたのね」


「……ああ」
 歯噛みする。
 あの時馬鹿騒ぎしていなければ。

 居間で起こっていたおかしな気配に、もっと早く気付けたはず。
 いや、その前に名探偵から目を離して一人にすることはなかったはず……。

 今更考えても宣無いが、蘭のそれはただの悪夢などではなく、予知夢みたいな物だったんじゃないだろうか、と思う。
 そしてもしそれがそうなら、……名探偵が殺される?
「クソ、……どうやって探したら」

「犯人、見たんでしょ? 心当たりはないの?」
 小さな彼女の言葉に蘭と園子は首を横に振った。
 青子は何か考え込んでいる。


 俺は、ふぅ、と息を漏らしてから言った。
「アイツはこないだ……青子を誘拐した犯人グループのリーダーだった女、だ」
「え……」
 小さな彼女が一瞬ピクリと反応する。

 と、青子が顔を上げた。
「青子も……ピストルで撃ってきたからすごく引っ掛かってたけど、やっぱりあの時の女の人が今回の犯人なの? 確かコナン君が『ベルモット』って呼んでた。外人さんだよね。これって手掛かりにならないかな……」
「ベルモット……」

 その名を聞いた途端に小さな彼女と博士は青ざめ、互いに顔を見合わせた。
 この二人……何か知ってる。
 小さな彼女が視線を落としながら言う。

「……黒羽君、だったかしら。あなた慧眼の持ち主ね。救急車を呼んでその後警察沙汰になっていたら……あなた達、今頃殺されてるわよ」
「ハハ、マジかよ……」
 冷汗をかく。


「あなたを撃った銃の弾丸、貫通しているようだから……現場に残っていたはず。それを警察に調べられて、そしてあなた達が証言としてベルモットについて語り始めた時点で……どこからか狙っていたスナイパーがバーン、ってところかしら」

「じゃ、黒羽君が救急車呼ばせなかったのは大正解なわけか。やるじゃん黒羽君」
 園子の褒めに苦笑してみせる。

 ……パンドラを追い、そして俺の親父を殺したヤバい組織と同じ臭いを感じたから……それが止めさせた理由だった。
「今、哀ちゃんが言った落ちてる弾丸、っていうのを拾ってきて、博士に調べてもらえないかしら」
 蘭の提案に博士は「無駄じゃ」と首を振る。
「もう手下が回収しとるじゃろ……」

「そう、ですか……」
 名探偵、何ヤベェ組織に捕まっちまってんだよ……。
 一同が思い詰めた表情をしていると、青子がいきなり「あっ」と声を上げた。


「そういえば快斗が何で青子の事件の犯人の顔、知ってるの?」
 ギクッ。
 しまった、あの時行ったのは怪盗キッドだったじゃねぇか……うっかりしてた。

 何とか頭をフル回転させる。
「坊主が言ってたんだよ、あの時の犯人はハリウッド女優のクリス・ヴィンヤードだった、って。それとさっきの女は同じ顔だった、だから……うん」

「ハリウッド女優が何で中森さんやガキンチョを誘拐しなきゃなんないのよ。何か勘違いしてない? しかも拳銃ぶっ放すとかさ。……単に似てるだけだったんでしょどうせ。名前も違うんでしょ?」
「う……」

 横から園子に盛大突っ込まれて詰まってしまう。
 いやまあ、普通に考えたらそうだ。

 俺達のやり取りを見て、小さな彼女がため息を吐いた。
「女優さん本人かどうかは置いておいて。やり口などから見ても、中森さん……を攫った人物と同じ人間なのは間違いないようね。そしてその人物は、江戸川君にベルモットと呼ばれた。つまり、江戸川君はその人物と知り合いの可能性が高い。……今のところの手掛かりはこんなところかしら」


 彼女がまとめ上げた事実に俺達は顔を見合わせた。
「知り合い……」
 ごくり、と唾を飲み込む。

「知り合いが……あんな強奪紛いのことして連れて行くか、普通?」
 俺の言葉に蘭が沈んだ顔を見せる。
 青子が横から身を乗り出す。

「そういえば、あの人コナン君は殺さないって言ってた。だから……きっと無事だと思うよ」
 その話に、園子はうーんと腕組みをして唸った。

「ますますわけ分かんないわねー。名前知ってて、殺さないって宣言する間柄で、でも無理矢理拉致? 追って来た人を銃で撃って追い払ってまで? 何なのこれ」
 確かにそうだ、彼女の行動は謎すぎる。


「ま、……今夜は考えてても仕方ねぇ」
 俺はすっくと立ち上がり一同を見渡す。
「帰って休んで、一旦頭冷やして考えよう。警察にも頼れなさそうな以上、青子が言う『無事だと思う』を信じるしかねぇな」
 蘭がやや疲労した顔を見せ始めたので、そう提案した。

 頷き合い、再び博士に送ってもらう事にする。
 ぞろぞろと部屋を出ようとすると小さな彼女にパジャマの裾を引っ張られた。
「あなたは残って」
「え、あ……」

 他のメンバーを一瞥し。
「わかった」
 と頷く。


「青子、俺もう少し傷口の手当て念入りにして貰うから先帰っててくれ」
「えっ、じゃあ青子も残るよ」
「いやオメーは、園子ちゃんと一緒に蘭ちゃんについてやっててくれ。ちびっ子がこんな事になって、かなりダメージが来てるみたいだから……友達がそばにいたほうがいいだろ」
「そっか……わかった」

 青子が納得して、帰っていくのを見送ってから。
 小さな女史に向き直る。

「んで? 二人きりでデートでもしたいのかな? お嬢さん」
 少し気取った声で言うと、彼女は眉一つ動かさずに言った。

「あなた……怪盗キッドでしょう?」


 いきなり核心だな。
 苦笑して首を横に振る。

「おいおい、何なんだよいきなり。関係ねぇよ」
 俺の否定を意に介さないように、彼女は更に話を続けた。

「中森青子さん誘拐事件では……怪盗キッドが現場に現れたそうね。江戸川君も言っていたわ、怪盗さんが来なかったら間違いなく危なかった、って。そしてあなたは今日の犯人とその時の犯人をすぐに結びつけた。何故かしら? 伝聞だけでは、人間の脳と言うものはなかなか結論までの正確な像を結べないものよ」

「……オメー何モンだよ……」
 彼女は、クールに笑う。
「江戸川君……いえ。工藤君と同じよ。怪盗さん」
「……」


 なるほど、ね。
 自分も正体を明かしてやるから認めろって意味か。
 それなら話は変わる。洞察力などを見ても名探偵を助け出す為の相棒として、彼女は適任だ。

「……言っとくけど他の奴には言うなよ」
「そんなつもりがないから、ギブアンドテイクで私の事もバラしたんじゃない。……私の方が、世間に知れたら命が危ないのよ」
「それなのに何で……」

 すると彼女は目を細めて眉を顰めた。
「今回工藤君が捕まった相手は、私と工藤君がこの姿になる原因、を作った組織に所属する相手。どんな凶悪犯よりも厄介な組織。工藤君でさえ手を焼いていたのに……その工藤君が奴らの手に落ちたのなら、私一人では太刀打ち出来ない。だから……協力者が欲しいの」

 ふむ、と頷いて、更に尋ねる。


「俺には工藤新一に匹敵する能力があると認めて貰った……てことでいいのかな?」
 するとコクリと少女は頷き。
 腕組みをして、言った。

「能力的には方向性は違うと思うけれど……どんな犯人も見つけ出し、捕らえてきた工藤君が唯一捕らえられない人間、怪盗キッド。あなたがその人なら、……私ではなくて、工藤君があなたの能力を証明してくれているわ」
「それは光栄なことで」

 フッ、と笑んで跪くと、俺は彼女の顎を捉えた。
「でも……俺は協力するとは一言も言ってねぇぜ?」
 その言葉に、彼女は冷やかに笑う。

「協力しないといけない理由が、あなたにはあるはずよ」
「……参ったな」


 彼女の言葉に、顎から手を離して俺はくつくつと笑った。
 それから頭を掻く。

「君の言うとおりだ。俺には名探偵を助けなきゃならねぇ理由がある」
「……一つは友人として。もう一つは……中森さんの為、ね。中森さんは工藤君の幼馴染と顔が似ていると言うだけで、命を狙われた。ベルモットを野放しにしたら、また命を狙われる恐れがある」

 ……どうしてこの娘はいちいちズバズバ物を言うかね。
 思わず大きな溜め息をつく。
「青子のことは関係ねぇよ」

 言うと、彼女は呆れた顔をして首を振った。
「工藤君もそうだけど……周りから見て明らかな青臭い関係を、いちいち否定されるとウンザリしてくるのよね。話が進まないから、あなたが否定してもその前提で行かせて貰うわ」

「……容赦がねぇな、小さなレディは」
 困ったように笑ってみせると、彼女は、つい、と振り返ってパソコンの前に座り端末を起動させた。


 後ろから覗き込む。
 何かのアプリケーションを起動させると、画面には地図、……そしてカーナビに使われるような表示記号がいくつも現れた。
「良かった、探偵バッジは持ってるみたい。何とかなるわ」
 安堵の息を漏らし、冷静に……しかし嬉しさが隠せない口調で彼女が言う。

「探偵バッジ?」
 尋ねると頷きながら答えを返してきた。
「博士が私達の為に作ってくれたトランシーバーよ。発信器が内蔵されてるの……最低限これだけは、寝る時も必ず持っておきなさいって言ってあったのよ。何しろ彼、事件体質だから。ついこの前、追跡眼鏡を博士に少し改造してもらったから……衛星を利用してかなりの距離を追えるはずよ」
「あー……」


 事件磁石人間、とあだ名をつけたのは記憶に新しい。
 ふむ、と頷いた。
 彼女は一旦パソコンの前から離れ、引き出しから何か出してくる。
 見れば名探偵がいつも着けているのと同じ眼鏡だ。

「工藤君が取り落としたのを、彼女が持っていたわね。あれを彼女から受け取ると私達のやってることが不審に思われる……もしくは彼女が首を突っ込んでくる恐れがあるから、こっちを使って」
「これはどうしたらいいんだ?」
 早速掛けてみる。

「横のスイッチを入れてみて」
 言われたとおり入れると、アンテナがするすると伸び……レンズ上に、さっきのパソコンのカーナビ風画面と同じものが現れた。
「へー、なるほどなぁ。阿笠博士ってすげぇな、俺にも怪盗に便利なアイテム作ってくれねーかな」
「博士に自分が怪盗キッドだとバラしたいなら、どうぞ」

 ハハ、……なかなか食えない娘だ。
「じゃいっちょやりますか。哀れな子猫ならぬ、哀れな名探偵救出大作戦を」



■■■■■■■■■■


 本当に、病院だ。
 何かの比喩表現だと思っていたら……かなりの大病院の駐車場に車は停まった。
 やっと助手席側のドアが解錠されたので降りようとすると「待って」と声を掛けられる。

 様子を見ていると、ベルモットが周り込んで来てドアを開け、俺を抱き上げた。
「裸足で歩くと怪我をするわよ」
「そもそも無理矢理連れてこなけりゃ、そんな心配いらねぇんだけどな……」

 呆れて目を据わらせながら睨むが、彼女はどこ吹く風だ。
 高速に乗って4時間は走った。


 乗った道路は東名高速だというのは確認している。
 途中退屈になりうっかりうとうとしてしまったのは……やっぱり俺がこの女に対して油断しているせいだろうか。
 東名高速を4時間というと、モロに名古屋の辺りだろう。……出口の辺りでうとうとしていて出口を確認してなかったのは完全に俺の失態だ、探偵が聞いて呆れる。

 ……にしてもかなり遠くに連れてこられちまったな。さてどうやって帰ろうか……。
 今暴れて逃げ出してもすぐに捕まるだろう、そう考えると無駄な体力は使いたくない。

 ベルモットは受付を通らず、そのままエレベーターに乗った。
 十階建てらしい大病院。
 しかも他にも病棟がいくつかあるようだ。

 どう見ても一般の施設だよな。


 エレベーターが受付のあった棟の最上階に着き、そのまま通路の一番奥にある部屋にやってきた。
 個室だ……広い部屋に大きめのベッドが一つ。

 すばやく視線を走らせると、テレビや冷蔵庫から始まり、クローゼット、ユニットバス、キッチン、電子レンジ、湯沸かしポット、あげくに応接用のテーブルとソファまで揃っている。

 壁紙やカーテンも質のいい物で、ともすればちょっとしたホテルより遥かに設備がいい。
「ここが今日からの坊やの部屋よ。身の回りの世話はすべてナースがしてくれるわ」
「今日からの、って」

 ここで数日過ごさせる気なのはわかる。
 だが、何なんだ、なんで病院?
 混乱する俺をベルモットはベッドに降ろした。


「……何を考えてるんだ?」
 睨みながら尋ねると、彼女は俺を降ろし終わって身を起こしながら言った。
「ここはね……私達の組織員が利用する病院の一つなのよ。もちろん一般の病院業務も行っているから、普通の人間からはこれが大規模な裏稼業を行っている組織の傘下の院には、見えないでしょうね」

「なるほど? スタッフはすべて組織員なわけだ」
 俺の言葉にベルモットは小さく笑った。

「……Cool guy。そこで一つだけゲームをしない? ……脱出、ゲーム」
「脱出ゲーム?」


 訝しげに見るとベルモットは続ける。

「スタッフは全員が組織の人間なわけではないのよ。……その中で、組織員ではないスタッフに助けを求める事が出来、ここから出られたらあなたの勝ち。それまでにあなたが『説得』されたらあなたの負け」
「は、なるほど……面白そうなゲームだな」

 俺は口元で笑って頷いた。
「そっちが本当にそのルールを守る気があるなら……受けてやるぜ? だがそっちのメリットはなんだ?」
「メリット、ね……」

 ベルモットは不敵に微笑む。
「……もう組織の手からは逃れられないことをあなたに自覚して貰う為、かしら。万が一あなたが脱出に成功すれば、あなたの能力をBossに認めて頂く為の口実がまた一つ出来る。どちらにしろ私にはメリットしかないのよ」


「へぇ……なら脱出したら俺の事をオメーらのボスに報告するつもりか。俺にとってはデメリットしかねぇな」
 彼女はそれには答えず、キッチンの方へ足を向けた。
 棚からマグカップを二つ取り出し、続いてインスタントコーヒーの瓶を出す。

「飲むでしょ?」
「敵のアジトのど真ん中で出された物なんか飲むかよ」

 鼻で笑ってみせると、ベルモットは可笑しそうに笑った。
「一般にも開放している病院だと言ったでしょう。この病室も普通のVIP用ルーム。出される飲食物は普通の物よ、安心なさい」
「……ふぅん」

 どこまで信用していいのか……というよりこの女の意図がわからない。
 探る様に睨む。


 彼女がコーヒーを淹れて持ってくる。
「お子様だからミルクと砂糖も必要かしら」
「いらねぇよ、ブラックでいい」

 そう言って受け取るとベルモットは隣に腰を下ろし、自分もコーヒーを飲み始めた。
「なぁ、ゲームのルールをもう少し詳しく説明してくれ。一般スタッフに助けを求めればいい、ってだけなら手当り次第にスタッフに聞いて回ればいいだけだ」

「いいわよ? 手当り次第に助けを求めたって。上手く一般スタッフを見つけて、助けを求めただけで出られるとは限らない。スタッフだけでなく、患者にも組織の者は大勢いる……あなたが上手く立ち回らないと、あなたが助けを求めた一般スタッフは消されるわね」

「……なるほど」
 普通の入院患者の振りをして過ごし、会話の中から一般スタッフを探し出さなきゃならない。
 更にその人に被害が及ばないようにしなくてはならない、……それは果たして可能なのか。


「……クリア条件を追加しておくわね。一般スタッフに頼らなくても、あなたが悪知恵を働かせて、病院建物内から自力で脱出出来た場合。それをもってもゲームクリアと見なしてあげるわ。ただし……それを簡単にはさせない為に、ちょっとあることをさせてもらうけど」

「そっちの方が簡単そうだな。なんだ? 手枷足枷でも付けるつもりか?」
 ニヤリと笑って尋ねると、相手はクスリと笑みを返してくる。

「まあ、似たようなものかしらね。あなたには『病人』になってもらう」
「『病人』に……?」
「そう」

 頷いて、ベルモットは立ち上がる。
 コーヒーを残したままキッチンにカップを置くと、そのままドアに足を向けた。


「まもなく最初の回診に越させるから。それまでに精々策を練っておきなさい、坊や」
 Good luck……そう言い遺して彼女は部屋を出る。

 ひとまずわかることは、アイツは今すぐ俺をボスに差し出す気は無いってことだ。
 脱出後に報告するつもりかどうかも曖昧にされてしまったが……報告する気は無いんだろう、きっと。そのつもりならこんなゲームを仕掛ける必要はないはずだ。
 後からのクリア条件の追加も……何故わざわざこんな所に連れて来ておきながら、クリア条件を緩くする必要がある?

 ……何なんだ、まったくアイツの意図が見えねぇ。俺を組織に入れる為にしても回りくど過ぎる……。
 まあいい、このコーヒーにも何も仕込まれていなかったし、アイツはルールを守る気はあるようだ。

 脱出してやるさ。
 そして早く蘭のところに帰らねぇと。
 ……あれだけ俺のことを心配していた矢先にこれだ、……もしかして蘭はこれを予感していたのかも知れない。
 だとしたら蘭の心労はピークに達しているだろう……。


 飲み終わった俺は、ベッドから降りると取り敢えずスリッパを履いた。
 出たらまず靴を調達してぇな。

 カップをキッチンに置き、胸ポケットに入れていた探偵バッジを取り出す。
 こんな距離じゃさすがに通信機能は役に立たねぇか。だがこないだ博士が追跡眼鏡と一緒に弄ってくれたから、発信機能は生きてるはずだ。

 俺が大阪に出向く事が多いから、位置測定の機能だけなら衛星を利用して600kmくらいまではどうにか、とか言ってた気がする。
 まあ、眼鏡の方は画面が狭いから20km圏内に近付くまでは表示が粗いとか色々言ってたな……それに関しては眼鏡よりも、博士の家にある端末でどうにかなるだろう。

 ……アイツらが灰原か博士に相談してさえくれれば何とかなりそうだが、心配なのは警察に連絡してないか、だ。
 下手に連絡されると逆に蘭達の命の方が危ない。
 信じよう、キッドがいるから多分何とかしてくれるはずだ。

 ……そこまで考えてから俺は自嘲して笑った。


 アイツとは……基本的に敵のはずだ。

『馴れ合いが続いて忘れてるようだけどな、名探偵……俺の本業は怪盗なんだぜ』

 馴れ合い。確かにそうなっていた。
 アイツは基本的に盗んだ物はすぐに返してしまうので、手元に置いておかない。
 だから捕まえるには犯行現場を押さえるしかない。だから、アイツの正体を知っても見逃していた。

 ……だから? だからなのか?
 ただ捕まえるだけなら中森警部に正体を教えて、後は奴の身の回りを張り込ませればいいだけだ。
 ……捕まえたい、けれど捕まえたくない。
 二律背反の感情が、奴との馴れ合いの中で生まれて来てしまっている。

「……怪盗キッド、俺がここを出るまで勝負はお預けだ。だから……それまではオメーに蘭を任せるからな」
 俺は呟いて探偵バッジを胸ポケットにしまった。


 と、ドアがノックされ、医師と二人の看護師が入ってくる。
 そして、……次の瞬間、医師が言った言葉に凍りついた。

「工藤新一君。回診の時間だよ」
「……え?」
 工藤新一、って、……あ、あの女、この名前で入院させやがったのか!?
 江戸川コナンの名で入院させたら足が付くから?
 それとも嫌がらせ?

 それとも……それですらゲームクリアに必要なコマの一つなのか?

 俺は息を呑み、医師に言った。
「先生、僕……工藤新一、って名前じゃないんだけど……他の人と間違えてない?」
 医師は言われてカルテを見直す。
 そうして。


「間違ってないね。君は何か特別な立場にあって、大事な子だから偽名で入院させた、と説明を受けているんだけどな。だから……この病院内にいる時は本名は名乗らない方がいいよ。その話、君自身は聞いていないのかな?」
「ううん、聞いてない……」

 ……なるほど。
 江戸川コナンを名乗りスタッフに当たっていけば、最近時折新聞に載る俺に、心当たりのある者も出てくるだろう。
 その反応を確かめて行けば一般スタッフがすぐに見つかるはずだ、……だが俺が架空の人間の方の「工藤新一」だと院内で認識されているなら。
 恐らく偽名の事実は院内でも上層部しか知らないはずだ。ひょっとしたらベルモットの直属の部下だけが知っているんじゃないだろうか。

 下層部の組織員には工藤新一、という名前だと認識されているのに、江戸川コナンだなどと名乗ってしまったら……一部の組織員がジンの殺し損なった工藤新一と、江戸川コナンの関係性に気付く可能性がある。
 この医師が間抜けなのか、ベルモットが敢えて自分では説明せずにこの医師に話させたのかはわからねぇが……この情報を知らなかったらまずいところだった。


 「工藤新一」の名前そのものはそんなに珍しいものじゃない。
 今のところは、高校生探偵工藤新一という存在を知る者がいてもまさか幼児化しているとは思わないだろうから、同姓同名だと思う程度だろう。
「……わかった。僕は工藤新一、なんだね」

 医師は頷いた。
 取り敢えず分かったことは、今ここにいる医師と看護師は組織員だということだ。
 しかも俺が高校生探偵工藤新一だという事実に仮に気付いたとしても、他に漏らす事のない、彼女に信頼されたスタッフなんだろう。

「じゃあ新一君。さっそくだけどベッドに戻ってくれるかな。君は大変な病に侵されているから、薬で治療しないといけないんだ」
「え……?」

 唖然、とした俺を看護師が抱え上げ、ベッドに寝かせる。
 すぐに起き上がろうとしたが看護師に二人がかりで押さえ込まれてしまった。


「ち、ちょっと待って、僕病気なんかじゃないよ!!」
「いいや、病気だよ」
 医師が注射を出す。

「だから治さないといけないんだよ、時間を掛けてね。……動くと危ないよ」
 看護師の一人が俺の袖を捲る。
 医師が駆血帯を俺の腕に巻く。
 少し俺の腕を叩き、血管を浮き上がらせてアルコール綿で拭く。

「……っ、何を打つ気だ、やめろ!!」
 身を捩って暴れるが二人がかりの力は振りほどけない。
「大丈夫、君の心配するようなものじゃない。単なる筋弛緩剤だよ」

 注射針が……俺の腕の中に沈む。
「……筋……弛緩剤……?」


 目を細めて相手を睨む。
 医師は針を抜いて、言った。
「大丈夫、死なないように調整してあるからね。定期的にこれを打たせて貰うよ。君は腕白で、すぐに病院を抜け出そうとする悪い子らしいからね」

 そうか、……病人になれって言ったのは……この事か……。
 口に人工呼吸器が当てられる。
 身体に力が入らなくなっていく、……この状態なら他の一般スタッフが代わりに回診に来ても、俺はただの病人にしか見えなくなるんだろう。

「く、そ、……」
 鎮静作用があるせいか、意識が遠のく。
 医師と看護師が俺を見下ろして笑っていた気がした……。


■■■■■■■■■■


「黒羽快斗、か。あのちっさい姉ちゃんから聞いとるやろ、俺が西の高校生探偵、服部平次や。しっかしお前、ほんま工藤によう似とるなぁ」
 知ってる。
 関西にたまに仕事に出かけると、出てきて邪魔する高校生探偵。
 日本って高校生探偵多いよな……とうんざりした記憶がある。

 俺が名探偵、と呼ぶのはアイツくらいだが、コイツもかなりの実力は持っているだろう……少なくとも中森警部よりは遥かに。もしかしたら白馬よりやるかも知れない。

 発信器から位置特定したのは名古屋。
 今回の事件解決に当たって小さな彼女が応援を要請したのが、この服部平次だ。


 彼とは名古屋駅で落ち合うことにし、新幹線で向かって……何とか会えたのは名探偵が連れ去られた翌日の昼頃だった。
「アイツ、厄介事に首突っ込んでく癖あるよってな。兄ちゃんは巻き込まれた形んなって苦労かけんなぁ」

「オメーの方が俺よりよっぽど巻き込まれてんじゃん」
 現場にいなかったんだし、と付け加えて俺は追跡眼鏡を取り出した。
「口で説明するより見てもらった方が早い。これが今、あのガキンチョのいる場所だ」

 ……俺が怪盗キッドだという事実は彼には話さない事にした。
 ややこしくなるのは承知だ……だから小さな彼女と示し合わせ、俺は工藤新一の従兄弟だ、と名乗った。
 だから江戸川コナンの正体も知っている、と。
 幸か不幸か、俺とアイツは顔が似ているから彼が疑うことは無かった。

 西の探偵は眼鏡を掛けて位置を確認する。
「なるほど……ここからも少し離れとんな。足が無いとキツイ距離や……なあ、もしや自分ら、俺のこと足代わりに呼んだんやないやろな」

 ピンポーン、当たり!
 と口の中で言いつつ、だが戦力として彼が欲しかったのも事実だ。


「オメーの足があるのは確かに助かるけどよ。あの工藤新一がやられちまうような面倒くさい相手だ……西の高校生探偵って呼ばれてる奴の力が借りたかったんだよ」
「ま、……工藤がヤバいことになっとるみたいやしな、言われんでも来たけど。後ろ、乗れや」

 言いながら西の探偵君は予備のヘルメットを取り出し手渡してくる。
 服部が乗ったところでメットを被って後ろにまたがり、さて。
「……男との二ケツってつまんねぇ……」
「こんな時に何ほざいとんねん……。ほなしっかり捕まれ、飛ばすで!!」

 いきなりアクセル全開で、バイクは走り出した。
「お、おい、こんなスピード大丈夫かよ!?」
「アホ! 俺は日本のニッキー・ヘイデン言われとる男やで、安心して乗っとけ!」
「だ、誰だよそれぇえええー!!」

 俺の叫びが後方に流れていった。




 30分ほどで目的地には着いた。
 そこは郊外にある大病院。
 大学と隣接している大学病院だった。

「……死ぬかと思った」
「あの程度で死ぬかいボケ。にしても……関わっとるのが本当に工藤をちっちょしよった組織なら、長期戦になる恐れはあるやろな。数日近場に泊まりこまんとあかんかもわからん」

「つか……病院? ほんとにここなのか?」
「発信器の場所は確かにここになっとる」

 彼から眼鏡を受け取り掛けてみると、……本当にここだ。
「なんで病院なんかに……」


「隠れ蓑、やろな」
 探偵がニヤッと笑って言う。

「恐らく、いきなり組織本部に連れてけない事情があったんやろ。せやから第二のアジトにでも来た、ってところやな。工藤を殺すつもりが無い、でもって病院。しかも大学病院や。……可能性、思いつかんか?」
「……俺が悪い奴で、その条件なら……名探偵を無理矢理仲間に引き入れる為に洗脳、しちまう……とか」

「当たりや」
 そう言って親指で建物を指す。

「多分表向きは普通の病院なんやろ……怪しげな実験施設にでもブチ込まれとったら、お手上げかもわからんけどな」
「ひとまず入ってみようぜ。もしかして面会出来っかも」
 ヘルメットを渡しながら言うと奴は呆れた顔をする。


「簡単に会えたら苦労せんわ」
「だってよ、まさか名古屋くんだりまで、江戸川コナンの面会に来る人間がいるなんて誰が思う? ぜってー油断してるって」
「……失敗したら名古屋くんだりまで、江戸川コナンの面会に来る人間がいる、ちゅうことバレてまうで」
「そん時はそん時」

 にひひ、と笑うと西の探偵は諦めたようにため息を漏らした。
「ま、ええわ。ほな行くか」

 彼に促され、受付カウンターに出向く。
 患者が多い。老若男女様々だ。
 話し声、呼び出しのスピーカー音……。


 本当にヤバい組織の施設なんだろうか……俺達は特に誰に邪魔される事もなくスムーズに中を歩く。
 面会受付にやって来ると綺麗な事務員のお姉さんがニコリと会釈してくれた。

 鼻の下を伸ばしていると、探偵君が脇腹を突付いてくる。
「面会頼むで」

「はい、どなたにご面会ですか?」
 名古屋の独特の発音ではなく、標準語でお姉さんが問う。

「江戸川コナン、や。小学生のガキ」
 その名を聞いてお姉さんはピクリと眉を動かした……ような気がした。
「エドガワコナン様、ですね。少々お待ちください」

 端末の操作をはじめたのをジッと横から眺める。


 しばらくして。
「申し訳ありません……そのようなお名前の患者さんはいらっしゃらないようなのですが……」
「おかしいなぁ、この病院や聞いて来たんやけど……」

 探偵がとぼけた声を出した。
「もしかしてこの病院ではなく第二病院ではないでしょうか。良くこの第一病院と間違われていらっしゃる方がおられまして」

 どうする。一旦引き下がるか?
 彼に目配せする。
 彼は俺と視線を交わしてから眉を下げて言った。

「アイツんち、事情複雑やからな……ひょっとして江戸川コナン、て名前では入っとらんのかもわからんわ。すまんが入院しとるガキの一覧とか見られんか?」


 お姉さんは少し迷った顔をしてから、再び端末を操作し始める。
「……下の名前のコナン、という単語だけで検索しましたが、該当者はいらっしゃいませんね……」
「いいから一覧見したってや」

 探偵君が食い下がるとお姉さんは困った顔になった。
「患者さんのプライバシーがありますので、一覧はお見せ出来ません……申し訳ありません」

 彼はうーむ、と唸る。
 しかし俺は今の奴の言葉がヒントになって、もしかして、と思った。

「すみませんお姉さん……俺、別の友達に会いに来たんで俺の方の相手、検索してくれませんか」
「はい、わかりました。お名前は?」
 これで予想が外れてたらさてどうするか。

 そう考えながら思い切ってその名を口にする。


「……工藤新一、です」
「……」
 今度は明らかに。
 一瞬だが、お姉さんは眉を顰めた。

 だがすぐに表情を戻して検索を始める。
 ビンゴ、だな。
 隣にいる探偵に目をやると奴もニヤリと笑っている。

「……クドウシンイチと……おっしゃる方は……」
 お姉さんがその先を口にしようとした時。

「何をしとるんだね」


 お姉さんの後ろから、スーツの男性が現れた。
 歳の頃は五十半ばと言ったところだろうか……。
 少しメタボ気味、ついでに頭髪は薄い。

「あ、事務長」
 お姉さんがその男に会釈する。
 だが男は真っ直ぐこちらを見て、何故か少し怒り気味に言った。

「そのような方は入院しておりませんな」
「そっすか。じゃあ俺ら二人して病院間違えたんだな。行こうぜ」
「せやな。すまんかったなぁ、姉ちゃん」

 二人でサッサと病院を後にする。


「間違いない。ここ、例の組織の傘下やな」
 出たところで、西の探偵がやれやれと肩をすくめた。

「……少し動き辛くなったで。さぁて、策はあるんやろな? 黒羽のあんちゃん?」
 やや皮肉を込めて言ってくるコイツに俺はウインクして見せる。
「そりゃあもちろん? 明日からも難なく動けるようにちゃあんと考えてあるぜ。……今日はもうホテル取って休まねぇか、長旅で疲れた」

「ほんまちゃんと考えとんのやろなぁ……」
 呆れ声を漏らす彼を促し、俺達は一旦市街地に戻った。


■■■■■■■■■■


 ……だいぶ、力は入る様になってきた。
 呼吸機がなくても呼吸が落ち着いている。
 俺は呼吸機を外し、よろよろと上半身を起こした。

 くそ、走ったりするのはまだ無理そうだ……。
 ベルモットの出した「クリア条件」とやらが二つあった理由が分かった。

 恐らく、本当は後から追加された方が本命の条件だ。
 それが出来るはずがない、だから一般スタッフを見つけ出してその力を借りて脱出しても「構わない」、という条件の方を先に提示したんだ。

 次の回診が来るまで後どのくらいなのか……なんとかそろそろと、ベッドから降りる。
 ドアに向かって歩く……途中、力尽きて一旦跪いてしまった。
 肩で息をする。


 くそ、身体がだるい……思ったように動かねぇ。

 それでも這うようにドアに辿り着き、引き戸に手を掛けると何とかドアは開いた。
 鍵は掛けられていないようだ。

「ゲーム……だからか」
 声が掠れているのを感じながら呟いた。

 ただ監禁するのならここに鍵を掛ければいいだけだ。
 それをしなかったと言うことは……奴は、俺とのこのやり取りを本当に「ゲーム」として楽しんでいる……そして嘲笑ってやがるんだ、と感じる。
 そう考えた時。


「何してるのボク、ちゃんとベッドで寝てなさい。病気なんだから」
 上から声が降ってきて青ざめながら見上げた。
 さっきとは違う看護師の女性が困り顔で立っている。

 彼女は、どっちだ。
 だがそんなことを考える余裕も無く俺は彼女に抱き上げられベッドに戻されてしまう。

「待っ……て、僕……」
 ちくしょう、声が上手く出ねぇ。
「もうすぐ先生がいらっしゃるから大人しくしてなさいね」

 笑顔を見せ彼女は部屋を後にした。
 クソ……。
 もう一度ベッドから降りると再びドアが開いた。
 今の看護師が戻ってきたのか?

 そう思って相手の顔を見たら……それは、あの医師だった。ご丁寧にあの二人の看護師付きで。
「回診の時間だよ」
 医師が優しそうな笑顔で言った。





 それから、弛緩剤が切れる度にあの医師がやって来て注射を打っていった。
 体調の管理の為に診察していき、記録を取って去っていく。その繰り返しだ。

 だるい、……意思が纏まらない。

 打たれた直後は自発呼吸が出来なくなり、人工呼吸器を付けられるので声を出す事も出来ない。
 もっともそうでなくとも、薬のせいで声なんて出ねぇんだが……。
 あれから何時間経ったのか、考える力が徐々に奪われている気がした。


 ……いや。
 駄目だ、屈するな。
 筋肉を動かす力は奪われても脳には関係ない、考えることは出来るはずだ。

 今回の薬剤が打たれて二時間近くが経過し、再び自発呼吸が戻ってきたので呼吸機を外す。
 それから目を閉じて考えた。

 ……ベルモットの言っていた『説得』とは恐らくこうやって俺に考える力を無くさせるのが目的なんだろう。
 だとしたらこの責苦はここを脱出するか、それとも……『説得』されるまで恒久に続くって事だ。
 冗談じゃねぇ。

 力が入らない身体を無理に起こす。
 まずこの薬がほぼ完全に抜けるまでどこかに身を隠す必要がある。
 周囲を見回した時、誰かが入ってきた。

 また回診か。


 そう思って諦めのため息を漏らすと、
「Hi,Cool guy」
 何時間振りだろうか……あの女の声が耳に飛び込んできた。

「ベル……モッ……ト」
 掠れた声を上げると彼女は哀れみの視線を俺に向けてくる。
「どう? 私の提案、受け入れる気になった?」
 俺は緩く首を横に振る。

「嫌だ」
「そう……さすがね、意志が強いわ。でも病院どころか、まだこの部屋からも出られないみたいじゃない?」
「そんな、の……プランを、練ってた、だけだ……。すぐに……出てやるさ」

 ベルモットはくすくすと笑うと俺の脇の小テーブルにあった菓子を手に取り、口に放り込む。


「食事は? まだでしょう?」
「こんな……状態で、食えるか……」
「そうね。点滴でないとダメね。まあ分かっていたからまもなく点滴を用意したナースが来るでしょうけど」
「……」

 息を、吸い込む。
 言葉がさっきよりは話せるようになってきた。

「……こんなことしたって……無駄だぜ」
「そうかしら。今まで、ぜひ組織に入って頂きたいけど坊やのように意志の強い人間は、こうやって陥落してきたわ。みんなこの拷問に堪えられなくなるらしいわね」
「だから無駄だ。……俺はすぐに、脱出してやるから」

 フ、とベルモットが笑う。
「何故こんな回りくどい手段を取っているのかと思わない?」
「それは思った……何故だ?」


 ベルモットはベッドに座ると、俺の顔を覗き込んで来た。

「これは……ゲーム。微妙にね、隙を作ってあげるのよ。もしかしたら行けるんじゃないか、何とかなるんじゃないかと思わせるような隙を。だからドアに鍵は掛けていないし、一般スタッフに助けを求める事を許可している。上手くロビーに出ることが出来れば電話だって掛けていいのよ? でも、それまで。それだけ条件が揃っているのに逃げられない。無力さを感じさせ、そうしてプライドを粉々にするの」

「……良く考えたもんだな」
 冷や汗をかく。

 そんな事が出来るのも組織の巨大さが物を言っているのだろうし、狙った獲物は必ず仕留めるという自信から来ている物でもあるんだろう。
 ベルモットは続ける。


「今……江戸川コナンという人間はこの世から抹消された状態にある。あなたがyesと言えば、次に工藤新一の存在がこの世から抹消され、もう日常社会に帰れない組織の一員が出来上がり……というわけ」
「さすがテメェの所属してる組織だな……嫌悪感で身震いすらぁ」

 するとベルモットはベッドから立ち上がった。
 窓辺に立ち、外を眺めている。
 外はもう夕方だ……ここに連れて来られてから十数時間経っているのがわかる。

「今日……あなたのお友達が来たみたいね」
「友達……?」

 訝しんで尋ねるとベルモットは頷いた。
「西の探偵の子と……怪盗の子、よ」
「……アイツら」


 服部に応援を頼んだのか……まあ有り得る判断だ。
 探偵バッジを辿ってここにやってきたんだろう、それはいいんだが。
「ったく。来たのいきなりバレてんのかよアイツら」
 ふぅ、とため息を吐くとベルモットは可笑しそうに笑った。

「頭の回転の早い子達ね。あなたが『工藤新一』の名でこの病院にいることを見抜いたらしいわ」
 それを聞いて俺は彼女を睨み付けた。

「……アイツらには手を出すなよ」
「ふふ、彼らが来るのも想定内だもの。今更殺したりはしないわよ」
 そう言って彼女は振り向く。

 夕日のせいで逆光になって表情が見えない。


 ベルモットは、言った。
「すぐ傍に仲間が助けに来ているのに、それでも逃げられないという恐怖を味わいなさい。坊や」
「……、……」

 何を言えばいいかわからなかった俺を置いて、ベルモットはそのまま部屋を出て行った。
 それとほぼ入れ替わりにあの医師と、点滴を持ってきた看護師が入ってくる。

 ……今回のターンは無理だな。
 まだ少し様子を見る必要がある。
 逃げるなら……患者達も寝ている深夜。
 もしかして深夜は回診も一旦やめるかも知れない。

 俺は薬を打たれながらそう考えていた。





 普通はこれだけ頻繁に投与すると常習性、耐性がつくはずだ。
 それがいまだに同じ様に効いてるということは、打つ度に少しずつ、少しずつ薬を増やしているんだろうなということはわかる。

 ……時刻は深夜一時前。
 前回打たれてから五十分経った。
 深夜の回診はあるのか、それとも……。

 俺はベッドから降りると布団をなるべく人の形に盛り上げ、それからベッドの下に身を隠す。
 明かりは点いていない。

 ジッとしていると時間の流れがやけに遅く感じる。
 三十分ほど経った気がする……だいぶ身体が軽くなってきた。
 その時。
 誰かが、ドアを開けて入ってきた。


 息を殺す。
 その人物はベッドに歩み寄ると「睡眠中、と」と軽く呟いてからすぐに部屋を立ち去った。

 ほー、と安堵の息を漏らす。
 ずり、とベッドの下から這い出した。

 今しかない。
 身体もかなり動くようになってきた。
 今日一日ほとんど寝ていたから、この時間でもまったく眠くならない。
 スリッパは履かない……ペタペタ足音がすると不利だ。裸足で行動しねぇと。

 そっとドアを開け廊下に出る。
 暗い廊下……非常灯の緑の灯りが点々としている。
 急に……蘭が語っていた夢を思い出した。

 ……死ぬもんか。


 必ず蘭のところに帰ってやる。
 そう思って廊下をひたひたと歩き出した。
 時折巡回の看護師の足音が聞こえる度に、曲がり角や物陰に身を隠した。
 ……くそ、心臓にわりぃ。

 階段を見つける。
 駆け下りたい気持ちを抑えて階段をゆっくり降りる。

 よし、これで一階まで降りられる。
 一階に着いたら救急用出入口から出てジ・エンドだザマーミロ、ベルモット。

 ……そこまで考えて。
 ああまで自信満々に言ってたアイツがそう簡単に逃してくれるのか?
 という疑問が頭をよぎった。


 いや、余計なことを考えてる場合じゃねぇ。
 また一階分降りたところで、下から上がってくる足音が聞こえた。

 ヤバい。
 その階の廊下に出て柱の陰に身を隠す。
 その足音は俺に気付かずそのまま上がっていき、胸を撫で下ろした。

 ……それにしても体力がキツい。
 まだ薬の作用が微妙に残ってんのか……たったこれだけの距離で息が上がってきた。
 仕方ねぇ、少し休もう。
 周囲を見回し男子トイレの個室に入る。

 洋式便器の蓋の上に腰掛け、さて。と考えた。
 残り後八階。……本当に、建物から脱出しただけで終了にしてくれるのか。


 ……ちっくしょう、腹も減ったなあ。点滴で栄養を送られるのと、何か食べるのは全然違うもんな……。
 ここを出たら探偵バッジで服部達に連絡を取ろう。たぶんアイツらも持ってんだろ。
 その時一緒になんか食うもの持ってこい、とでも言えばいいか。

 よし、そろそろ行くか。
 トイレの個室のドアを開けた。 

 …………その、瞬間。

 心臓が凍る、とはこの事だろうか。
 目の前に大きな人影。
 思わず叫び声を上げそうになったが、それは叶わず俺の口は大きな手で塞がれてしまった。

 続いて相手の脇に抱え上げられる。
 ……あの、医師だ。いつも薬を打ちに来るあいつ。


「ダメだよ坊や、こんな時間にこんなところをうろついてたら。夜は寝ないと」
「うっ……っ……ぐっ」
 ジタバタと暴れるがそのままその階のナースステーションに連れて来られる。

「先生、どうなさったんですか?」
 夜勤の年配の看護師が尋ねる。
「ちょっとこのいたずら坊やが病室を抜け出していてね。大人しく寝てもらう為に鎮静剤を打とうと思って」
「そうですか、わかりました」

「ぐ、……っん、んんっ!!」
 この看護師がどちら側かはわからない、だが今またあれを打たれたら、……ちくしょう、逃げねぇとならないのに!
「悪いね、この子ちょっと暴れん坊でね。押さえててくれないか」


 嫌だ、……やめろ!!
 額に脂汗が滲む。
「う…………」
 くそ、……これでふりだしから、か……。

 打たれてしばらく押さえられていると、全身の力が抜けていくのを感じた。
「ご協力ありがとう、それじゃ」

 ……苦しい、息が出来ねぇ。
 早く、……呼吸を……。
 医師が俺を抱き上げてステーションから去ろうとした時、後ろから看護師の一人が声を掛けた。


「先生……」
「なんだね」
 若いらしい女性看護師は、恐る恐るといった感じで医師に言った。
「その子、十階の特別室に入ってる新一君ですよね? あの……そんな小さな子にそこまでする必要、あるんですか? なんだか可哀想で……」

 どこかで聞いた声だ。
 あれか、さっきベッドの下に隠れていた時に見廻りに来た看護師……あの声のような気がする。
 横から、他の看護師が「ちょっと、岡崎さん! 余計な事言わないの!」と制止する声が聞こえる。

 岡崎、ね。
 医師が何か答えようとしたのを聞く前に、俺は呼吸の出来ない苦しさから意識を失った。


■■■■■■■■■■


「今日の収穫の整理な」
 適当に入った喫茶店で昼食を平らげながら、俺達は調査情報をまとめていた。

「しっかし驚いたなぁ、黒羽が変装の名人やとか。工藤のオカンや怪盗キッドも真っ青やで」
 ハハ……俺がその怪盗キッドですからね……。
 工藤のオカン、ってのが少し気になるがそれはこの際いい。

「マジシャンなもんでまぁ色々と」
 言葉を濁しつつ、さて。


 新人ナースの振りをすれば患者は素直に聞いたことに答えてくれるし、うっかりボケたことを言っても「新人なのでよく分かりませんでした」で誤魔化せる。
「まず、『工藤新一』が入ってる部屋は受付がある棟、十階の一番奥にある特別室。出入りは自由だ。鍵は掛かってなかったから巡回の振りしたら簡単に入れたぜ」

 もごもごとみそカツサンドを頬張りながら得た情報を話す。
「しかし名古屋の店はサービスがいいねぇ、普通に頼んでこんな大盛りとか」
「んなもん大阪の店かてようあるわ。それにこの店、名古屋だけやのうてアチコチに支店あるしな」

 探偵君がムッとしながら言った。
 地元大好き人間なんだな、さすが。

「……それはええとしてお前、昨日だけでかなり調べとんのやな。これなら」


 ストローを口に咥えて話していた西の探偵がいきなり食い付いてくる。
「って! お前まさか工藤のおる部屋、入ったんか!?」
「入ったよ」

 アッサリと言う俺に彼はわなわなと震えた。
「なら何でそのまま工藤連れて来ぃひんのや!?」
「……ちょっとな……思う所があって。それに名探偵、随分高待遇受けてるみてぇだぜ? まるでどっかのお偉いさんのご子息が、療養の為に入ってる感じ」

「……どうでもええけど、工藤指して『名探偵』言うのやめや」
 探偵君がムスッとして頬杖をついた。
 俺は可笑しくなってくつくつ笑う。


「アイツのことからかって名探偵、ってあだ名付けたら癖になっちまったんだよ。気にすんな、西の名探偵」
 それを聞いて彼は少しだけ機嫌を直したようだった。
「……んで? 工藤の様子どないやったんや。鍵開いとんのにサッサと出てこん理由は?」

 クリームソーダを口にしてから、ふむ、と頷いて俺は答える。
「薬打たれてるみてぇだな。と言っても麻薬とかじゃなくて……あれは何だろ。打たれたらぐったりして、人工呼吸器付けられてた」
「となると麻酔薬か……いや、筋弛緩剤辺りか」
「筋弛緩剤?」
 尋ねると、探偵君が腕組みして窓の外を見る。

「まぁわかるやろ。名前の通り筋肉を弛緩させる薬、や。手術の際なんかに麻酔の補助として使うんが多い。あれ打たれると横隔膜なんかもやられるさかい、自発呼吸が出来んようになる」


「そんなの打たれてんのヤバくね?」
 彼の話を苦笑しながら聞くと、彼はコクリと首を縦に振った。

「素人が下手に使うたら、簡単に相手殺せる。しかもや、脳みそは筋肉やないから意識があるまま、でも身体は動かせないまま死ねるんや。ゴッツいやろ? ……っちゅうても普通は呼吸困難なって、死ぬ前に意識無うなるけどな」

「……筋肉を弛緩、ってつまり立って歩くことも話す事も出来なくなるのか」
「まぁな……しかしそんなんするよりふんじばった方が早いやろに、なんでそんなんしとんねやろ」
 うーん、と考えて頬杖をつく。

 組織の人間とは言え医師免許のある人間が投与してるんだから、探偵君の言ったような「下手な使い方」をされる心配は恐らくない。
 殺す気はない。
 洗脳でもしようとしてんのかと思ったが、洗脳作業もしてないように思った。

 目的はなんだ? 飼い殺し?
 何の意味があるんだよそれ。
「隠れ蓑」
 思わず、呟いてしまった。


「は?」
 ミックスサンドを口にしていた彼が首を傾げる。

「昨日お前言ってただろ、『隠れ蓑やろな』って」
「ああ、言うたな。あの病院は世間の目を誤魔化す為の組織の隠れ蓑や、って」

「それが……アイツに取っても隠れ蓑になるとしたら?」
「……は?」

 探偵君はまだわからない、という顔をする。
 俺は眉を顰めてから言った。
「俺の考えが当たってたら……俺達がほっといても近いうちに名探偵は解放されるな。でもって……殺人事件が一つ、起こる」

「なんやて?」
 彼が身を乗り出す。


「当たってるかわかんねぇけど……」
「当たっとらんでええからさっさと続き話さんかい、ボケ」
「待ってくれ、少し考え纏めるから」

 腕組みして状況を整理する。
 そもそもあの女が最初に青子を攫った理由は何だった?
 青子が、あの女が「大事な娘」と呼ぶ少女に似ていて、それが紛らわしくてムカつくから的なニュアンスだった。

 この場合の「大事な娘」ってのは間違いなく蘭だろう。
 名探偵のことは「Cool guy」って呼んでたな。

 そうだ、こないだの夜……あの女は明らかに俺の額を撃ち抜く気でいたはずだ。
 それが、まず俺の顔を見て躊躇った。
 更に蘭がやって来て逡巡してから……撃つ位置を変えた。


 あの距離、あの位置で骨が折れてないなんて……プロの技、以外にいいようがない。
 まだ痛む腕をさすりながら、考える。
 俺の顔を見て躊躇ったのは俺が名探偵……工藤新一、に似てたから? それとももっと別の理由?

 そして今回の病院での入院名や俺との関係性を考えても、あの女は江戸川コナンと工藤新一が同一人物だって知ってる。
 ……俺のことを怪盗キッドだということも……見抜いていた。
 一体あの女にとって「大事な娘」と「Cool guy」は一体どういう存在なのか。

 ……何にも変えがたい特別な存在なんだろう、と言うのだけは、青子を殺そうとした事と……名探偵を殺さない信条でいる事からも伺えた。
 まあ、その辺りの事情はわからねぇが。

「……あの女、組織でどういう立場かは知らねぇけど……。ひょっとして裏切りに近いことやってんじゃねぇのか」
「裏切り……」
 探偵が険しい顔つきになった。


 俺は続ける。
「あの女が名探偵と蘭ちゃんに何故か肩入れしてんのだけはハッキリしてる。だから殺さない。……逆に言えば、彼らを殺そうとする存在がいれば護ろうとするんじゃないか?」

「せやな……」
 探偵君は頷いてから、ハッとした。
「まさかその女……工藤攫ったんは、工藤が他の奴に狙われててそれから護る為、言うんやないやろな?」

 俺は大きく首を縦に振る。
「そしてもしそうなら、あの女は名探偵を狙った相手、って奴を始末しに行くんじゃねぇかな」


「……けどな、それやとやっぱりわからんのや。なんで工藤を監禁せんで拘束もせんで、薬で軟禁なんて緩い状況にしとんのか。それこそどっかに閉じ込めたったらそんな心配いらんやろ?」

「それはそうなんだけどよ……」
 何か情報が足りてないのか、そもそも俺の考えが間違ってんのか……。

「……今夜、また潜入してみる」
「ああ、……けど気ぃつけや。正体バレたら終わりやで」
「そんなヘマしねぇよ。変装した俺の正体見抜けるなんて、元気な時の名探偵くらいだぜ」

 ひひ、と笑うと西の探偵はまたムスッとした。
「俺かて見抜いたるっちゅうねん……」


「おまたせしました」
 そんな話をしていると、頼んどいたデザートを店員さんが持ってきてくれた。

「うは、これ食いたかったんだよな。いっただっきまーす!」
 デニッシュにソフトクリームが載ったそれをがっつく俺に、探偵君は
「工藤が甘いもんに喜んどるようでなんや気味悪いな……」
と呆れ返って呟いた。





 夜勤の仕事なんて新人ナースの仕事だ。
 本来なら夜間の方が救急で駆け込んでくる患者やら、夜中にいきなり容態が急変する患者やらの対応があるからベテランナースの仕事であるべきなんだが。

 生き物ってのは不思議なもんで、昼間活動し夜寝る方が体調が整うようになっている。
 ……つまり、夜勤はキツい。
 担当するはずだったベテランナースが何だかんだ理由を付けて、……先輩としての威厳を笠に着て……新人に無理矢理シフトを代わらせる、なんて光景はこの病院でもあるようだ。


 酷い時はベテランは一人しかいなくて、残り全員ド新人だったりすることもある。
 更に酷いと医者も研修医しか残ってなかったりして、……だが今の俺に取って、それらは全て好都合な材料でしかなかった。

 新人だらけなので互いの顔を見知ってなくてもまったく不自然じゃ無い。
 実在の人物ではなく、架空の人物に扮している現在はこれ以上に都合のいい話は無いわけだ。
 職員名簿を改ざんして、とか色々な準備に少し手間取ったが……潜入は無事成功していた。

 そして今夜唯一のベテランでもある、かのナースは新人に押し付けた他のベテランに対してグチグチ文句を言っている。
 そりゃそうだろう、この病棟で何かあれば全部自分に負担がかかるんだから。
 夜勤は給料がいいから喜んで引き受けるナースもいるらしいが、……まあ今夜のメンバーはいきなりの交代で、このベテランも把握してない人間だらけらしい。


「先輩、巡回に行ってきます」
「えーと……岡崎さん、だっけ。じゃあ頼んだわね」
「はい」

 八階、東ナースステーション。
 俺の巡回担当も八階東エリアだけのはずなんだが、何しろ広い病院だし……夜勤となるとナースの数も少ない。
 だから他のエリアもついでに見て廻っていいことになっている。

 見て廻っていいというか、むしろやれ、というか。
 俺はそのまま十階の特別室に来た。

 そっとドアを開けると……入り口に背を向けて眠っている名探偵が見える。
 足音を忍ばせて近寄り、確認する。


「ちゃんと寝てるみたいね」
 ……わざと、口に出して言った。
 すると。

「寝てねぇよ」
 生意気な声が帰ってくる。
 そうして名探偵は起き上がった。

「……助けに来た癖に『睡眠中、と』やら『ちゃんと寝てるみたいね』やら、様子見ただけで帰ってくって何がしてぇんだよ」
「ははは、さすが名探偵。アッサリ見抜かれたか」
 俺の言葉に名探偵は呆れた顔をした。

「巡回に来るたびに声に出す奴がどこにいる」
「ここにいます」
「……」

 はぁ、と彼は一つため息を漏らした。


 俺はニヤリとしながら尋ねる。
「……なんでこのナースが俺だってわかった?」

「今言った行動が不自然なのもあったが……やっぱり決め手は昨夜のナースステーションでの会話だな。恐らく新人看護師と言えど、『工藤新一』はお偉いさん関係の重要な患者だから部屋から出してはいけない、って通達が行ってるはずだ。あんな同情の声を上げるのはおかしい」

「ふぅん? なら、俺がここまで接近してるのにオメーを連れ出さない理由は?」
 それを問われて名探偵は少し考える仕草を取ったが、すぐに口を開いた。

「まず……俺に命の危険があるわけじゃないから焦る必要はないこと。……もう一つは……お前、……ベルモットに会えるのを待ってる、だろ」


 目を細めて彼を見る。
 首を振ってクスリと笑ってみせた。
「どうしてそう思う?」
「中森青子に手を出すな、そう宣言する為に」
「……」

 黙り込む。
 名探偵は得意そうな顔になって続ける。

「別にいいぜ、オメーの目的が達成されるまで俺はここに居たって。蘭には俺は無事だ、近いうちに帰るって伝えてもらえりゃいいし、オメーの考えてるようにたぶん命の危険はない。……ああ、小学校が無断欠席になっちまうからそれだけは何とかして貰わねぇとな」

「……あの女が名探偵と蘭ちゃんに肩入れする理由はなんだ?」
 俺の問いに名探偵は眉を顰めた。

 しばらくの、間。
 その時。
 引き戸が開いた。


「君。患者の様子を確認したならすぐに他の部屋を見回りなさい」
 いつも名探偵に薬を打つ医者が立っていた。

 今の会話を聞かれていたのか、どうか……。
 冷や汗を掻きながら言う。

「すみません、先生。新一君が眠れないって言うから少しお話ししてたんです」
「そうか……」
 医者は名探偵に歩み寄ってから、目を細めて言った。

「坊や、眠れないなら眠れるお薬をあげるよ」
「ううん。お姉さんと話したら安心して眠くなってきちゃった。おやすみなさい、先生」

 それから名探偵は俺に向けて、言う。
「おやすみなさいお姉さん。また明日話そうね」
「……うん、おやすみ。新一君」


 名探偵はそのまま布団にくるまった。
 俺は部屋を後にする。
 さっきの医者も部屋を出ると、足早に場を去った。

 何であんなに急いでんだ? と思ったが、まあいい。
 あの女……ベルモット、って言ったか。
 恐らく彼女が再びここに現れるのは名探偵を狙う輩を始末した時。

 他人を殺そうって奴が殺されるんだからある意味自業自得とは言えるが……放っておいてもいいんだろうか。
 ほっときゃ名探偵はそのまま解放されるだろう、だが……。

 唇を噛み、俺は階下へ向かおうと足を向けた。
 その、時。
 凍る様な冷たい視線を周囲から感じた。


 ハッとして振り向くが誰もいない。
 ふぅ、と息を漏らす。
 ……瞬間、眼前に。

 黒い影がいるのに気付いた。

 後退ると、影はニヤリと笑った。
「お勤めご苦労様です、看護師さん」
 杖を付き、やたら腰の曲がった猫背の男、……患者衣を来た老いた男。

 患者だとわかったんだから安心すればいいのに……俺の中の何かが警告を告げている。
 おかしい、何かがおかしい。
「……ちゃんと病室に戻ってくださいね。こんな時間にうろうろしてちゃ駄目ですよ」

 声を掛けると、猫背男はニヤニヤしながらこちらを舐めわすような視線を向けてくる。
 気持ちわりぃなこいつ。
「お嬢さんもね。こんな時間にうろうろしてちゃいけませんよ」
「私は、これが仕事ですので……」


 何だろう、乾いた会話。
 サッサと去ればいいのに……足が動かない。
 心臓が、大きく波打った。
 駄目だ、こいつそのまま放っといたら駄目だ。

 怪盗の第六感ってやつだろうか。
 男が廊下を進んでいく。
 俺は後ろから男の肩を掴んだ。

「その奥は特別室です。貴方には関係のない場所ですので、どうかお戻りください」
「いやいや、とても関係があるのですよ」
「……どのようなご用件で」


 冷や汗を掻きながら尋ねる。
 すると、
「ちょっとね。工藤新一君という子に、死んでもらおうと思いまして」
「っ!」

 男が杖を振り回して斬りつけてきた。
 ……斬りつけて、だと?

 間一髪でかわしたが、ナース服の裾が切れてしまう。
 くそ、自分の変装じゃなきゃ燃える格好なんだけどな。
 奴の手には杖に模した刀が握られていた。

「お嬢さん、君も組織員なら下手に口出しはしない方がいい」
「私は……」

「このまま不問にしてくれたら見逃してあげますよ」
 そう言って去ろうとする老人に。
 俺は口元を吊り上げて笑ってみせた。

「私は生憎……組織員じゃないんでね!」


 バッ、と変装を脱ぎ捨て怪盗キッドの衣装に身を包む。
「まさか……」

 老人は予想外の人間が現れた事に驚いたらしく、息を呑んだ。
「怪盗キッド? 何故貴様がここに……何故あの小僧を庇う?」

「人の命を……しかもあんな小さな子供の命を奪おうなんて不埒な輩を放っておくのは、私の主義に反しますので」
「ほう、義理人情に厚い泥棒さんが居たもんだ」
 そう言うと、老人の瞳が鋭く光った。

 彼も変装を解く。
 俺とそう身長は変わらないが、向こうの方が体格は良い。今まで腰を曲げた姿だったから、体格を把握仕切れて無かった。
 ついでに歳も二十歳くらい上か?
 じり、と近づくと男は再度刀で斬りかかって来た。


 ヒラリ、ヒラリとかわすと特別室側の廊下に立つ。
「この先には……行かせませんよ」
「ならお前も殺すまで」
 少し大きめのあの刀を余裕で振り回すと男は上段の構えから振り下ろして来る。

「なるほど」
 俺は呟いて右にかわし、そのまま相手の足を引っ掛けた。
 空振りした男はそのまま前につんのめる。

「しまっ……」
 なんだ、暗殺なんて企てる割にはチョロい野郎だな。

 倒れたソイツの背中をギュッと踏み付け、どうやって拘束したものか考える。
 男がもがいて起きようとしたのでトランプ銃を取り出し、顔の周辺に撃ち込んでやると「ひっ」と短く声を上げた。
 組織員の癖に情けない奴。

 ひとまずこれで縛っとくか、とネクタイを外す。


 しかしこんだけ派手に暴れてんのに誰も出てこないって何なんだよこの病院。
 そんなところから見てもここが普通の病院じゃないのは良くわかったし、……10階には恐らく、あの特別待遇のとある患者以外は、完全に組織員しかいないんだろうってのも分かった。
 深夜にこの階で騒ぎがあっても不問、そんなところか。

 だが、そうなると……この騒ぎを聞きつけて絶対に飛び出してくるはずの奴が一人、いる。

「おい! どうしたんだ!!」
「その部屋から出てくんな名探偵!!」

 俺が叫んだその時、……俺の頬を風が掠めていった。
 掠めた部分に触れると濡れている。
 続いてそこが熱くなってくる。

 足下から聞こえる小さな呻き声、そして……男は動かなくなった。


「おい! キッド!」
 名探偵が走ってくるが、俺は今何が起きたかを先に確認した。
「……」

 屈み込んでヤツを覗き込む。
 ……絶命している……。
 頭のど真ん中に正確に撃ち込まれた痕。
 撃ったのは……誰だ?

「キッド……」
 肩で息をしながらやって来た彼に振り向くと、彼も男の死体に目を見張った。

「オメーが……殺ったんじゃねぇな」
「ったりめーだバーロ」
 名探偵は壁の時計で今の時刻を確認した。
 俺もつられて見る。午前2時5分。


「……もう一人、いる」
 俺の呟きに名探偵は目を細める。
「名探偵の命を狙ってる奴が、もう一人……いる」
「こいつが一人目ってことか。二人目がこいつを殺した?」

 ふむ、と顎に手を当てて名探偵は考え込みはじめた。
「……命の危険はねぇと思ってたが、悠長なことは言ってられなさそうだな。……おい」
 そう言いながら手を出してくる。

 なんだ?
 握手してやると

「ちげーよバーロ!! 俺の探偵グッズ!! ここまで乗り込んできたからには持って来てんだろ!!」
 怒鳴られた。


「…………無い」
「あ?」
「持って来てない」
「……はぁあ?」

 思い切り呆れた声を出すと、名探偵は壁に手を付いてがっくりと項垂れた。
「先に渡したら回診の時に取り上げられるから、とかそんな理由で渡してこねぇのかと思ってたのに……」
「オメーとこんな風にまともに接触出来るなんて思ってなかったんだよ、仕方ねぇだろ。大体助けに来てやった相手にその態度はなんだ」

「俺を助けるのが二の次になってるオメーに言われたくねー。つーか自分の怪盗衣装は御丁寧に持って来てんのな」
「オメー助けたら西の探偵君に任せてちょっと名古屋で仕事してこうと思っててな。せっかく来たんだし」
「それじゃどっち道帰れねぇじゃねぇか、俺……」

 もう一度呆れた声を出す名探偵に俺は笑ってみせたが、すぐに笑いを治めて彼を見た。
「……なんて呑気に話してる場合じゃねぇな」
「ああ」


 天井を見上げた。
 もう、気配は無い。
 さっきの弾丸は角度から考えて明らかに天井の裏から撃たれた物だ。

「……俺が潜入してなかったらコイツか今のヤツに殺されてたんじゃねぇか、名探偵」
「さぁな……。だがおかしい。この病院にいる組織員には俺は殺すなと、ベルモットから指令が入ってるはずだ」
「その女とは別口のヤツからオメーを殺せって命令されたとか」

 俺の言葉に名探偵はまた考えはじめる。
 さて、どうしたものか。
 その女との逢瀬は……今回は諦めた方が良さそうだ。


「……ああ、そういやこれだけならあるぜ」
 そう言って彼に追跡眼鏡を手渡した。

「何もねぇよりマシか……」
 受け取り、顔に掛けるとそのレンズを通して天井の穴を再び見ている。

「で、どうする名探偵。俺の個人的な意見では今すぐ脱出した方がいいように思うんですが。絶好のチャンスだし」
「……」

 コイツまさか。
 何故か今コイツが考えたことが透けて見えた俺は、名探偵の首根っこを持ち上げた。
「おい、何すんだ降ろせ!」

「囮になってそのもう一人炙り出してとっ捕まえよう、とか考えてんじゃねーだろうな。もしそうなら、俺もう付き合い切れねぇぞ?」
「バーロ、付き合ってくれなんて誰が頼んだ。一人でやるからオメーは帰れ」


「敵のアジトのど真ん中で何ほざいてんだ? 探偵グッズとやらもねーくせに」
「オメーが持ってこなかったからだろうが!!」
「持ってきてくれなんて頼まれてませんー」
「あの状況で頼めたわけねぇだろ! あーハイハイ、それ言ったらなぁ、俺だって助けに来てくれなんて頼んでませんー!」
「……こんのクソガキ」

 思い切り睨むと、俺は名探偵をボトッと落とした。
「いてっ」

「ほんっきで付き合い切れねぇ。帰る」
「ああ。勝手にしろ、帰れ帰れ」
「勝手にしろはこっちのセリフだ」

 名探偵に背を向け、階段に向かう。
 これで「俺が悪かったよ」なんて言ってくれば可愛いもんだが、あのプライドの塊なヤツがそんな事を言うはずがない。
 ひたひたと、名探偵が自分の部屋に帰ろうとする足音が聞こえた。
 急に脳裏に蘭の泣き顔が浮かぶ。

 ……ったく。
 テメェの為じゃねーからな。彼女の為だからな、勘違いすんなよ。
 俺は下の階の男子トイレに入ると、再び新人ナース・岡崎に変装した。


■■■■■■■■■■


 あークソ、あのヤローすんげぇムカつく。

 頼んでねぇよ。
 ヤバい組織のど真ん中に乗り込んで来いとも、暗殺者から守ってくれとも頼んでねぇ。
 アイツの担当は窃盗だろうが。誘拐、殺人は担当外だろ、しかも助ける側って。

 ……巻き込まれてオメーが死んじまったら青子になんて説明したらいいんだよ。

 ベッドの中で寝返りを打つ。
 眼鏡は横の棚に置いた。


 帰ってくれ、頼む。
 これは俺が片付けなきゃならねぇことだ。
 あのプライドの塊なヤツのことだからあんだけ言えば帰ると思うが……。

 はぁ、とため息を漏らす。
 アイツが看護師に変装して入り込んだのに気付いた時点では、悔しいが助かったと思った。
 アイツの力を借りればいつでも脱出出来る。
 そう思って高をくくっていた。

 だが今は状況が違う、……暗殺者がやって来ている。
 だったら今脱出しても無意味だ。

 ……いや、無意味どころじゃない。ソイツを放ったまま帰ってしまえば、蘭達まで巻き込んでしまう。
 何故俺を狙っているかはわからねぇが、キッドは確かに言っていた。
『名探偵の命を狙ってる奴が、もう一人……いる』


 一人目はキッドの足下で死んでいた奴。
 もう一人はその男を殺した奴。
 それが俺の命を狙ってるんだとしたら、何故あの時すぐに撃ってこなかった?

 そういやあの死体もどうしたもんか……何しろあの組織の病院だし、警察には連絡しねぇで内密に片付けちまうんだろうな。
 そしてさっきの騒ぎで誰も顔を出さなかったところからも、10階と9階は完全に組織員しかいねぇんだろう。
 ……もしかして他の階も全員そうだったりして、なんてゾッとしないことを考えてみる。

 まさか一般スタッフに助けてもらえってのは……キッドが変装して乗り込んで来るのを想定してた、のか?
『ふふ、彼らが来るのも想定内だもの。今更殺したりはしないわ』

 もしそうなら何から何までベルモットの掌の上で遊ばされてることになる。
 クソー、何だかムカつくな。


 ……つーか、あの死体のことを警察に連絡したらどうなるんだ?
 ふと思い立って部屋から出た。
 ここ二日でわかったことだが、夜12時を過ぎると回診は来なかった。翌朝9時から回診は再開し、それから二、三時間ごとに薬を打たれる。

 深夜に逃げるチャンスを作らせてるのか、それとも一日中投与を続けると俺の身体がもたなくなることを考慮してか……。
 打ちに来る医師と看護師も固定だから、その辺りの関係もあるのかも知れない。

 そんなわけで今はすっかり薬が抜けて身体が自由だ、やっぱり動けるってのはいい。
 先ほどの死体の場所に行……こうとしたら、数人の警備員が死体を取り囲んでいた。
 騒ぎが治まったから様子を見に来て死体を回収しよう、ってところか。

 一人が俺に気付く。
「ボク、部屋に戻りなさい」
「眠れないんだ。おじさん達何してたの?」


「子供が見る物じゃない。眠れないなら先生を呼んでこようか」
「死体でしょ?」
「…………」

 警備員は目を丸くした。
 俺は彼を押し退けて前に出る。

「だってこの人、僕を殺しに来た人だもん。他の人に殺されちゃったけど」

 警備員達は顔を見合わせて困った様に眉を下げている。
 うち一人が、輪を離れて携帯を取り出しどこかに電話を始めた。

「ボク、ひょっとして特別室の工藤新一君かい?」
 質問の意図がわからないが……「うん」と頷くと警備員達は再び顔を見合わせ、いきなり俺を抱え上げた。

「ボク、責任者の人に連絡するから。部屋から出てきちゃいけないよ」
「え、でも……」
 抗議するが当然受け入れてもらえず、そのまま部屋に連れて来られてしまう。


「先生から指示があるまでここから出ちゃダメだよ。たぶん明日には転院することになると思うけど」
「……教えてよ、何で僕は殺されそうになったの? それに今度は別の殺し屋がこの部屋に来るかも知れないし、怖いよ」
「……」

 警備員が黙る。
 俺は更に続けた。
「ねえ、おじさん達もさっきの人も、同じ組織の人だよね? どうして僕を守る人と殺そうとしてる人がいるの?」
 俺を運んだ警備員が何か言おうとしたが、後ろに付いてきていた警備員が彼の肩を掴み、首を横に振って止めた。

「すまないね、ボク。君は色々事情通のようだけど……おじさん達からそれは説明出来ないんだ。その代わり今夜は厳重体制で見張るから」
「そう……」

 ベルモットに聞くしかねぇって事か……。
 諦めてベッドに戻る。
 転院させられたら面倒くせぇな、もうキッドもいないし帰るのに苦労しそうだ。


 ベルモットは次回はいつ来るんだろう。
 よし、と決めた。明日こそは回診が来るまでにこの部屋から抜け出してやる。
 眠くはないが、目を閉じて横になってるだけで体力の回復は違う……そう思って目を閉じたら、いつの間にか眠ってしまっていた。


 翌朝起きたら、八時。
 いい時間だ、ベッドから這い出る。
 廊下を覗きこむと警備員は居なくなっており、看護師や患者がうろついていた。

 廊下に出る。
「あっ」
 少女の声が聞こえたかと思うと、俺の方にボールが飛んで来た。


 それを追ってやってきたのは四、五歳くらいの少女。
 ボールを拾ってやって手渡してやる。
「ありがとうお兄ちゃん」

 ツインテールの、笑顔が可愛い娘だ。
 こんな少女が組織員とは考えにくいが、灰原のように両親が組織員……というパターンかも知れない。
 まあそうでなきゃ単なる一般患者なんだろうが。

 さて、と廊下を歩こうとしたら今の少女が「お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」と腕を引っ張ってくる。
「いや、俺は……」
 断ろうとして……ある考えが浮かんだ俺はコクリと頷いた。

「いいよ。その代わりっていっちゃなんだけど、ちょっと頼みがあるんだ」
「なぁに?」
「君の部屋で遊ばせてくれない?」
「うん、いいよ。マコ達の部屋に行こ!」


 少女に付いてやってくると、途中その友人らしい男の子が二人合流してきた。
 ちょっとデブった体格のいい少年、それから痩せぎすの少年。

 三人を見てると少年探偵団のアイツらを思い出す。
「マコー、もうボール遊びしねーのかよ」
「うん、お部屋でゲームしよ」

 言いながらマコと言う少女は俺をちらちら見てきた。
 ……頬が染まってる、これは、うーん。

 と、同じく気づいたらしい少年二人が俺を睨んできた。
 ったくこんな歳で色気づきやがってこいつら。
 思わず苦笑してしまう。

「お兄ちゃん、お名前なんて言うの? あたし、茅ヶ崎真琴。マコって呼んでね!」
「お兄ちゃんはね、」


 ……言いかけて、どうしようか迷ってから。
 俺はこちらの名前を口にした。

「……江戸川コナン、っていうんだ」
「かっこいー! 外人さんみたい!!」
「ハハ、……」

 さて三人に連れられてやって来たそこは八階で、入った部屋は四人部屋だ。
 なるほど……十階には少し広い場所があるからわざわざ上がって来てたわけか。
 ふーむ、と部屋を見回してから窓に寄る。

 この三人がちょうど入っている部屋らしく、ベッドは一つ空いていた。
 俺は少女に振り向いて尋ねる。


「マコちゃん、この部屋にお父さんお母さんって来る?」
「ママなら毎日会ってるよ!」
「マコんちはいいなあ。うちはもうずーっと来てないぜ」
「ボクのうちもだよ」

 組織員だから頻繁に顔見せ出来ないんだろうか、仕事で来られないだけの普通の親なんだろうか……どちらにせよ、この歳の子供達には少し酷な気がした。
「じゃ、ゲームしようか」
「うん! マコ、トランプ持ってる!」

 ……そんなこんなでババ抜きやら神経衰弱やらを遊んでいると九時を回った。
 そろそろ俺の部屋に回診が行ってる頃だが……。

「みんな、体温測りましょうね」
 ノックして入ってきた相手を見て俺は固まってしまった。
 こ、コイツ……!

「あっお姉さんおはようございまーす」
「おはよー」


 あのキッドが変装した、岡崎とかいう看護師!
 コイツ帰ってなかったのかよ!
 ジトっと睨むと、ヤツは一瞬こちらを見たが……すぐに笑顔に戻って子供達に顔を向けた。

「じゃあみんなこの体温計脇に挟んでね。……それから眼鏡のボク、君はこの部屋の子じゃないと思ったんだけど……ちゃんと先生の回診受けた?」
 受けてたら薬打たれてるからここにいるはずねーだろ、わかっててわざとらしく聞いてくる。

「うん、受けたよ」
 とぼけた声で答えるとキッドは「そう」とだけ素っ気なく頷いた。
 ……なんか。怒ってんだよなこれは、やっぱ。

 怒ってんならどうして帰らなかったんだよ、なんでまだここに居るんだよ。
 それともこれってキッドの変装じゃなくて本物の岡崎サン、なのか?
 口に出して尋ねたい気持ちを抑える。


 キッド? は子供達の体温を記録すると、ポケットから飴を四つ出して俺達に手渡してきた。
「それじゃみんな、いい子にしててね」
「はーい!」

 去っていく。
 手渡された飴に小さなメモが一緒に付いていたので開くと。

『バ─────カ! オメーがムカつくからオメーの言うことなんか聞いてやらねーよ! 帰ってなんかやらねーからなクソ探偵!』

 ……キッドのトレードマーク付きだ。
 アイツ……。
 なんだか可笑しくなって……俺は思わず大声で笑ってしまった。



■■■■■■■■■■


 夜勤だから朝8時で上がりの予定だったんだが、残業を申し出て9時まで居残り。
 あのクソガキがまた薬を打たれ始める時間が9時のはずだ、だから様子を見に行ったら部屋に居なかった。
 担当の医者とナースが困ってうろうろしていたので、俺は夜の事件について知っているか尋ねた。

「それはもちろん聞いているよ。だからそろそろ転院の準備をしなくてはならなかったんだ、君、まだ病院から出てはいないと思うから探してくれないか」
「そんな大事な患者さんなのにどうして監視を付けていないんですか?」

 率直に尋ねると、医者は困った顔をした。
「上司の命令でね……監視をしてはいけないと言われているんだ。私も理由がわからなくてな、監視とは言えない程度に深夜も時折様子を見ていたんだが……」

「そうですか……良くわからない話ですね。わかりました、私も探してみます。あ、でもその前に八階の患者さんのところに行かないと」
「ありがとう、頼むよ」


 表向き普通の病院を装っているせいか、あまり下手な動きが出来ないらしい彼らからは、ベルモットのようなキレは感じない。
 それに昨日の俺の発言で……俺が組織員ではなく一般スタッフの可能性も察しているんだろう。本当なら八階の患者なんか後回しにして探せと言いてぇとこなんだろうな。

 そんなことを考えながら八階に戻ったら、あのクソガキこんなところで遊んでやがる。
 ……顔見たらまた腹が立ってきたが、ポーカーフェイスを忘れずに。
 笑顔で接してやって、ついでにメモで仕返ししてやった。

 ま、クソガキの無事も取り敢えず確認したし、西の探偵君に経過報告すっか。
 暗殺者が現れた件についてはあの後メールしたが……やっぱり直接話が聞きたいと言っていた。
 トイレで変装を解き、病院を出たところで西の探偵君に電話すると、しばらくしてからバイクで迎えに来てくれた。




「工藤らしいな、ほんま」
 呆れる探偵をよそに俺は大皿のヒレカツプレートを一生懸命食べる。
 昨日と同じ喫茶店だ。


 彼はなんだかやたら量のあるコーヒーを飲んでいる。
「命狙われてるから帰らん、お前らは帰れ、か……。そないほざかれて、俺らが帰る思てんのか。アホなやっちゃ」
「そうそう。そのくらいで帰るんなら最初から来てねぇよ」

 ……まぁ先にムカついて帰るって言ったのは俺だけど。

「無理矢理連れてきても良かったんだけどよ。……確かに、その暗殺者問題解決しねーで帰っても周りの人巻き込むだけなんだよな。それこそ」
「アイツが一番守りたい、探偵事務所のねーちゃんに正体バラしてない意味が無うなる……な」

 探偵君はうーん、と唸ってからコーヒーのお代わりを頼んだ。
 どんだけ飲む気だよコイツ。
「……美味いか? ブラックコーヒー」

「あん?」
 首を傾げる彼の手元の飲み物を指すと「まあ悪くない味やな、この手の店にしては」などといいながら飲み続けている。


「砂糖もミルクも入れねぇなんて信じらんねー……」
「何けったいなことほざいとんねや。甘ったるい塊やら入れたコーヒーとか、考えただけで身震いするわ」

「……どっかの東の探偵さんと味覚が似てらっしゃるようで」
 ハハ、と苦笑してサラダを口にする。

「ま、それはええとして。その犯人が工藤狙っとる理由は何やろな。まさか工藤の正体バレた、とかか?」
「……んー」
 考え込む。

 俺の昨日の予想が当たっちまったようなので、じゃあ狙ってる理由は何なのか、だ。
 一番わかりやすいのは今、西の探偵が言ったように組織にアイツが高校生探偵の工藤新一だとバレたってことだ。
 ……でも、そうなのか?


 それならベルモット以外は敵の集団なわけで、そんな中にアイツを置き去りにするか?
「あー、ほんとわけ分かんねー。これが名探偵ならアッサリ理解出来んのかな」
「おい、ここに名探偵がおるやろ」

 探偵君が抗議してきた。
 はぁ、とため息を漏らしてしまう。

「『俺が』名探偵なら、って意味だよ。オメーの存在スルーしたんじゃなくて、単に俺が探偵なら、って意味」
 と解説してやったが……コイツ微妙に駄々っ子だなあ。
 あのクソガキとは別の方向でプライドが高い。

 彼は、ふぅ、と息を漏らすとまた一口コーヒーを飲んだ。
「……なんやっけ、ベルモットとか言うたか。あの女の意図もイマイチ掴めとらんしな。エラリー・クイーンかて、こないな情報少ない状態やと解くのは難しいかもわからん」

 ベルモット……。
 何かがいきなり俺の脳裏に引っ掛かる。


 暗殺者から逃れさせる為に名探偵を攫った?
 でも暗殺者は来てしまってる?

 名古屋……東都から三時間。
 組織の傘下の大病院。
 工藤新一、の名で入院させた事実。

 名探偵の打たれてた「筋弛緩剤」。
 薬を打たれる以外比較的自由な名探偵の行動範囲。
 深夜は回診がない。
 監視は付けてはいけない。

 名探偵が部屋から出てきたのに、撃たなかった天井の暗殺者。
 ……ベルモットは、名探偵と蘭は死なせないように……している……。

ごめん、>>335修正あるの忘れてたので>>337にて訂正


 暗殺者から逃れさせる為に名探偵を攫った?
 でも暗殺者は来てしまってる?

 名古屋……東京から四時間。
 組織の傘下の大病院。
 工藤新一、の名で入院させた事実。

 名探偵の打たれてた「筋弛緩剤」。
 薬を打たれる以外比較的自由な名探偵の行動範囲。
 深夜は回診がない。
 監視は付けてはいけない。

 名探偵が部屋から出てきたのに、撃たなかった天井の暗殺者。
 ……ベルモットは、名探偵と蘭は死なせないように……している……。


「……揃った」
「へ?」
 ニヤリ、と笑ってみせる。

「わかったぜ、西の探偵君。ベルモットの意図も、ついでに犯人も」
「……ほんまか?」
 信じられない、と言った彼の顔。

 俺は口許を吊り上げながら言った。

「……現場を直接見てねぇとわからないピースだらけだ。だから探偵ごっこをするつもりはねぇ、たまたまピースが手に入ったから単にパズルが解けただけなんだよ。ま、そのピース教えたら西の名探偵のオメーにも多分一発でわかる」

「……ならそのピースとやら、はよう話せ」
 今ひとつ納得いかない、という彼を制して、俺はその解答を語り始めた。



■■■■■■■■■■



 部屋に戻ると担当医師が真っ青な顔で食い付いてきた。
「どこに行ってたんだ!」
「友達のところだよ」

 12時。
 昼食が提供されるだろうタイミングで部屋に戻ると、看護師二人はおらず……医師一人のみが待っていた。

「先生、今から注射打つの?」
「ああ、そこに寝なさい」
 心無しか焦っている……いや、心無し、じゃない。完全に焦っている。


「……先生。僕、もう逃げないから注射は打たないで。あれ打たれるとすごく息が苦しくなるし、嫌なんだ」
「いや、しかしそんな訳にはいかないんでね」
「じゃあ逃げていい?」

 そういうと彼はキッと俺を睨んでから入り口を塞ぐように立った。
「いかんよ腕白は」

「……逃げねぇよ。逃げても意味がねぇからな」

 先ほどまでの作り声をやめ、低い声で言うと医師はハッと息を呑んだ。

「拷問の為にその薬を投与してた……それは最初信じてたよ。けど考えれば考えるほどおかしかった。閉じ込めたいなら軽い麻酔じゃ駄目なのか? 枷じゃ駄目なのか? 言うことを聞かせたいなら麻薬でいいんじゃねぇか? なんで危険な筋弛緩剤なんだ? なぜ鍵は掛かってなかったんだ? 深夜は回診が止まってた理由は? ……監視を付けてない理由は?」


「…………」
 医師は、口を噤んだまま聞いていた。
 俺は更に続ける。

「ベルモットが俺にしていった説明は、今の俺の疑問すべてが氷解する、納得させられる話だった。けど、俺を殺そうとしてる奴がここに現れた理由に気づいた時……あれが全部フェイクだってわかったよ。彼女の意図は別の所にあった。俺を組織に入れようとしたんじゃねぇ、俺を囮に使ったんだ……ってな」

「ベルモット……とは何だね」
 しらばっくれる医師に、俺は笑ってみせる。

「おいおい、アンタの上司のコードネームも忘れちまったのか? ……いや、忘れちまったんだろうな。本当の上司じゃねぇもんな。それこそフェイクの上司……だ」

 俺の言葉に医師はギリ、と歯軋りする。
 その表情に俺は確信を深め、更に話した。


「筋弛緩剤の投薬量を徐々に増やしていって、最後……何かの拍子に呼吸器が取れてしまいました。もしくは量を増やしていくうちに、心筋にすら影響する量まで増やしてしまいました。それでベルモットからの命令違反無く、簡単に俺の殺害が完了だ。だがなかなかチャンスが生まれなくて、焦れたアンタは下っ端に直接殺させようとした……が、それも失敗し、俺が転院させられると知って焦った。だから今回の投与の分で一気に決めようとした。……そうなんだろ、暗殺者さん?」

 医師が冷や汗をかきながら……言葉を吐き出す。

「……工藤新一君、いや、本名は違うんだったかな。君を少し甘く見すぎていたようだ」


「そーだな」
 耳の穴を小指で掻いてから、ふ、と指に付いた垢を飛ばして俺は続けた。

「アンタは自分から俺の担当を買って出たんだな、きっと。そして筋弛緩剤の投与で病人にしたてるアイディアを出した。ベルモットがオメーの意図に気づいていたかは知らねぇ。もしも医学知識が乏しかったら、単なる麻酔の代わりとしてその案を受け入れたのかも知れない。名前だけなら単に動けなくなるだけみてぇな薬だ。……ま、あの女がそれを知らないはずはねぇとは思うから、わざと乗った振りをしたのかもな。アンタが、ベルモットの不利になる動きをする人員なのか、見定める為に泳がせたんだ。彼女が俺を工藤新一の名で入院させたのもその為。工藤新一、の名に反応する人間を炙り出す為に」

「……そう言うなら私の本当の上司とは誰なんだね」
 彼の言葉に、俺は首を横に振った。


「……アンタの本当の上司が誰かは知らない。だがアンタは、ベルモットに従う振りをしながら、ベルモットが以前、何故か殺さなかった俺を殺せと本当の上司に命令されたわけだ。あの女が俺を殺すべきだった、季節外れのハロウィンパーティーの日。彼女が組織員だと知った俺を殺さなかったのはおかしい話だ、……単に殺し損ねただけかも知れねぇが、アンタの上司はそれをベルモットの弱味と考えた。結構内部では仲悪ぃんだな、オメーらの組織って」

「さてね……」
 言いながら、医師はポケットから何か取り出した。

 目を細めて見ると……あれは恐らくアーミーナイフか。

「まあこうなったらダイレクトに死んでもらうしかないな。なぁに、誤魔化し方はいくらでもある」

 医師の言葉に俺はため息を漏らし。
 そうして……医師の「後ろ」を見ながら言った。


「組織の中に自分を快く思っていない者がいる。それを洗い出す為にお前は俺を囮にした。そうだな、ベルモット!」
 言い切った時。

「Marvelous!!」
 医師の後ろから……銃を持ったベルモットが現れた。
「あなたは……」

 医師が、唸るように声を出す。
「あなたの直属の上司の名を言いなさい? そうしたら殺すのだけは許してあげる。……ま、どの道死より苦しい拷問があるけれど。それとも今すぐ死ぬ方がいいかしら?」
「……」

 医師は黙っている。
 ベルモットは彼の頭に銃を突きつけながら俺を見た。
「坊やには少しキツい目に遭わせてしまったわね。でも助かったわ……さすがはCool guy、ね」
「俺をわざわざこんなところに連れてきたのは蘭から離す為だな?」


 それを聞いてベルモットはニヤリと笑った。
「あのままだと蘭が巻き込まれる。もしかして俺が蘭の前で殺され、更に蘭にも手を出される可能性もあった。それから遠ざける為に……」

「坊や、……あなたの事を組織に入れたいと思ったのは本当よ。……でもあなたは屈しなかった。坊やは中からではなく、外から組織を壊す方が合っているようね……まさしく月夜に輝く、Silver Bulletのごとく」
「……銀の弾丸?」

  眉を吊り上げて尋ねる。
 その、時。
「うおおおおお!!」

 医師が叫んで、俺に飛び掛かってきた。
「っ!」
 俺を押し倒して首を締め上げる。
 そうして、アーミーナイフを喉元に突き付けてきた。

「どうせ殺されるならクソガキ、貴様も道連れだ!!」
「ぐっ……」


「Cool guy!! turns the left!!」
 ベルモットの叫びが聞こえ、咄嗟に左を向いた。
 次の瞬間。

 医師と俺の頭の隙間を縫って、弾丸が一発撃ち込まれた。
 床に穴が開き、硝煙の臭いが漂う。

 途端、いきなり男が重くなった。
 見上げるとベルモットが医師に手刀を入れていた。

「か、は」
 呼吸が戻り息を吸い込んでから、男の下から這い出す。

「……殺さなかったんだな」
「ええ……」
 それから、小さく笑った。

「こんなにお人好しだと私もそのうち命を落とすわね。……まあ、この男からは上司の名を聞き出さなくてはならないから……仕方ないのもあるけれど」
「……」


 変な奴だ。これが組織の幹部だなんて。
「……あなた達の影響ね。危険だわ、あなたも、あなたの恋人も」
「それは……Danger、か? それともHazard?」
 ベルモットは銃をしまうと、フ、と笑ってみせた。

「いいえ。Peril……よ」
 命を脅かす、最大級の危険。
 何となく可笑しくて。
 笑いを、漏らしてしまった。


「……ところで坊や。まだゲームは終わっていないの、気づいてた?」
「へ?」
「この建物から脱出しないとあなたは家に帰れないのよ?」
「おいおい、マジかよ……」

 げんなりして見せると、ベルモットはくすくすと笑った。
 そうして入り口を指す。
「……一般スタッフの手を借りてもいい、って言ってあったはずよ。八階へ行きなさい」
「……」

 去り際に彼女を一瞥してから。
 俺は、八階に向かって走り出した。





 このまま自分の足で出ると何か問題があるんだろうか……。
 そう考えながら八階にやってくる。
 一般スタッフ、て事はナースステーションか?
 まさかまたキッドの変装女がいるんじゃ。

 そう考えて「あのー」と訪ねてみると、30代前後くらいの看護師が「あら」と反応してきた。
「どうしたのボク?」
「あの、……外に出たいんですけど、出てもいいですか?」
「……?」

 看護師が首を傾げる。
「ボクの病状によるんじゃないかしら。先生に確認するからお名前、教えてくれる?」
 言われて工藤新一を名乗ろうとした時。


 看護師の名札が目に入る。
 茅ヶ崎美琴、と書かれていた。
 この名前どこかで……なんて考えた時、後ろから

「あっ! コナンお兄ちゃん!」
聞き覚えのある声がする。

「ママ、この人がコナンお兄ちゃんだよ、かっこいいでしょ!」
 ママ?
「あらそう、あなたが」

 看護師が可笑しそうに笑う。
 そうか……茅ヶ崎真琴ちゃんの母親か。ママなら毎日会ってる、ってそう言うことか……。

「……でも良かったわ。あなた、江戸川コナン君よね? 面会の方がいらっしゃってるわよ」
「は? 面会?」
 江戸川コナン、に?

 そう疑問符を頭に浮かべた時に。
 まるで心臓を鷲掴みするような。
 ここで聞こえるはずのない。
 あの、……声が、した。


「…………コナン、君」
「え……」
 唖然として振り向く。

 まるで永い間、会ってなかった気がする。
 なんで、……なんで居るんだよ。

 ……その人は、泣きはらした顔、真っ赤になった瞳で。
 一歩一歩、俺に近寄って来た。
「……っ、見つけた、やっと……、見つけた!!」

 蘭が俺に飛び付く。
 そのまま俺をきつく抱き締めてくる。


「蘭……姉ちゃん、なんで……ここに……」
「絶対、絶対私が、私が見つけるんだって、……場所が病院だってわかって、……あの夢思い出しておかしくなりそうだったの、……良かっ……」
 それ以上声にならないらしく、蘭は嗚咽をあげる。

「俺の渡した推理文、役に立っただろ」
「オメーら……」
 続いてやって来たのはキッドと服部だった。

「名探偵、ドヤ顔で話してたけどあれってほとんど俺のおかげだよな?」
「アホ、それを組み立てて手紙に起こしてやったのは俺や」
 服部がキッドを睨む。

 にひひ、と笑うキッドがすげぇ腹立つが今は蘭がいるし、あんまり下手な事は言えない。
 オメーらが寄越した推理も少し穴が合ったから穴埋めは自分でやったっての……。
 蘭の背中を撫でながら口の中で呟く。


 看護師、茅ヶ崎が横から割って入ってきた。

「彼女、一階の面会受付で『江戸川コナンって子がここにいるはずだ』ってずっと泣きながら訴えてて……。でも入院者名簿にいないでしょう? どういうことかしらと思ったらうちのマコが、知ってる、この病棟にいるって言うからますます訳がわからなかったのよね」

「僕、偽名で入院させられてたから……」
「偽名?」

 茅ヶ崎が不思議そうな顔をした。
「ま、その辺は気にせんといてや。ほなボウズに姉ちゃん、いつまでもこんなとこおったら迷惑やろ。行くで」
「蘭ちゃん」

 服部の言葉を聞いてキッドが蘭の肩を叩く。
 蘭は目元を擦って立ち上がると俺の手を握った。
「ありがとうございます……お世話になりました」

 蘭がお辞儀をした途端、俺が掛けているものと同じ眼鏡がポケットから落ちた。
 まさか、これは……。
「あ、と。落としちゃった」


 服部がそれを拾う。
「しかしめっちゃ驚いたわ。黒羽の奴がまた潜入したらこのねーちゃんがおるって、大慌てで電話して来よってな」
「そりゃビビるだろ普通」
「ごめんね二人とも」

 蘭はやっと涙が止まったらしく、笑う。
「取り敢えず帰りましょう、コナン君」
「うん……」

 すると脇から声が上がった。
「コナンお兄ちゃん帰っちゃうの?」
 真琴ちゃんだ。
 寂しそうに俺を見上げている。


「……退院するんだ。また、会えたらいいね」
「うん……」
「初恋は実らない、とはよく言ったものね。はいマコちゃん、バイバイしなさい」

 それを聞いてキッドと服部がニヤニヤとした。
「なんや自分、モテモテやんか」
「いやー羨ましいねぇちびっ子名探偵」
 コイツら……。

 蘭までくすくす笑っている。
 それを聞いていた真琴ちゃんが、不思議そうに尋ねてきた。
「コナンお兄ちゃんって探偵さんなの?」

 彼女の問いに俺は。
「ああ。江戸川コナン。探偵、さ」
 そう、答えた。



■■■■■■■■■■


『バーロ! 誘拐犯のところに武器も持たずに単身で乗り込むヤツがあるかよ!』
「だっていてもたっても居られなかったんだもん。何よ、新一なんか遠くにいてこういう時は何にもしてくれない癖に。電話したって全然出てくれなかったじゃない」

『う……。わ、悪かったよ、ちょっと立て込んでて……。とにかく今回はオメーが到着した時には解決してたみてーだし、服部達も居たからいいけどよ。……あんまり無茶すんなよな。本当は……俺だってオメーのところに行きてぇんだからよ』

「じゃあ来なさいよ」
『だから行きたくたって行けねーんだって……ああクソ、身体が二つあったらな!』
「……うん、ごめんね。心配してくれてありがと。取り敢えず今回はそんな感じだったよ」

『そっか……。とにかく無事で良かったな、オメーもコナンも。じゃあちょっとまた調査に出るから切るぜ。またそのうち掛ける』
「うん、またね新一」


 ……名探偵、電話口から声が漏れ過ぎです。
 探偵事務所でそんな電話をしていた彼女を横目に、俺は出されたお茶を啜っていた。
 もちろんクソガキはこの場にいない。

 しかし穴っつーか、彼女があの眼鏡の機能を利用して到着しちまうなんて完全に盲点だった。
 あぶねーあぶねー、もう少し到着早かったら巻き込まれてたぜ彼女。

 今回の全容がわかった俺は西の探偵君に説明した後、彼にその推理の穴を埋めてもらい昼間だけど再度潜入。
 名探偵によるとそれにもまだ穴があったらしいが、まあ命を狙われた当事者じゃねぇんでそこら辺は仕方ない。

 でもってまだ子供達の部屋で遊んでた名探偵に、西の探偵が書いた手紙を渡してサッサと引き上げた。
 盗聴器は名探偵の部屋に仕掛けてあったし、後は仕上げを御覧じろ……なんてな。
 一階のトイレで変装を解いて、さて西の探偵のトコに戻るかと思ったらなんと彼女が来ていたわけだ。

 ……などと回想していたら、事務所のドアが開いてクソガキが入ってくる。


「蘭姉ちゃん、僕も新一兄ちゃんと話したい」
「あっごめんね、もう切れちゃった……」

 なんつーわざとらしい……。
 あれから西の探偵君とはその場で別れ、タクシーで名古屋駅へ。
 よっぽど"仕事"をして行きたかったんだが、蘭から青子が心配してるって聞いたので今回は諦めた。

 あーあ、ベルモットとやらにも会えなかったしあんまり目的達成出来なかったな……思わずため息を吐く。
「快斗君。今回は本当にありがとう。……ごめんね、約束守ろうとしてくれたんだよね」

 蘭がすまなそうに言ってくるので俺は軽く笑ってみせた。
「良かったぜ、約束守れて」

 それからチラリと名探偵を見てニカッと笑う。
 彼は不服そうに俺を見ている。


「快斗君、晩御飯食べてくでしょ? 今買い物行ってくるね」
「あ、ゴチになりまーす」
 蘭が出て行く。

 名探偵が呆れたような声を上げた。
「あの天井裏の暗殺野郎がベルモットだったなんてなぁ。つか変装してずっと院内に居たとか、道理で自信満々に俺は逃げられない、って宣言するわけだよ」

 名探偵が帰りの電車の中でポケットに入れられていた手紙を見つけて、わなわなしていたのを見た時はなんだかちょっと可笑しかった。
 ベルモットからの手紙だったという。

「殺された奴は医者の手下だったんだろ?」
「みてぇだな。何層になってんだよあの組織」
 はぁ、とため息を漏らしている。
 俺はもう一口お茶を啜った。


「あの病院の存在自体を警察に通報したら駄目なのか?」
 尋ねると、
「たぶん無駄だろ。何らかの証拠出すようなヘマはしてねぇだろうし、表向きはただの病院だ。……もしかしたら地元警察抱き込んでるかも知れねぇな」
「そうか……」

 ふぅ、と口の中を冷ます為に息を吐いた。
 しばらく、沈黙。
 ややあって。

「そ、の」
 名探偵がおずおずと口を開いた。

「た、助かった。ありがとう」


 ………………………………。
 何? 今の。
 何か聞き間違えた?

「め、名探偵」
「……んだよ」
 もはや照れたのか視線を逸らしている。
「俺、……生まれて初めて名探偵が可愛く見えた……」

「見えなくていい。男に可愛いって言われたって気色わりぃだけだ」
 言葉とは裏腹に更に照れている。
 俺はものすごく愉快になって、思わず頭をグリグリと撫でてしまった。

「いやー、この性格極悪冷徹大馬鹿事件磁石野郎に、人間の心があったとはねぇ!!」
「テメェ一言どころじゃなく余計な言葉が多すぎんだよ!! 礼ぐらい素直に受け取りやがれ!!」
「あーハイハイどういたしまして! うわぁ、もう動画に撮っときゃ良かった! 名探偵もう一回言え!!」
「二度と言うかバーロー!!」


「あーに騒いでんだオメーらは」
 頭を掻きながら探偵事務所のおっさんが入ってきた。
 眠そうに欠伸をしている……。

 どうやらずっと友人の家で盛り上がって、さっきやっと帰宅したらしい。
 まったく誘拐騒ぎがあったとも知らないで、まさしく眠りの小五郎、だな。
 俺は名探偵と顔を見合わせて苦笑してしまった。

 さて、ご馳走になったら俺も帰るか。
 俺の事を待っててくれるアイツのところへ。
 早く、アイツの元気な顔と声でこう言ってるのを聞きたいもんだ。

「おかえり! 快斗!」

 って言葉を、ね。




END

途中で乙くださった方、待ってたとおっしゃってくださった方
ありがとうございました
読んでくださった方本当にありがとう
えらい長くなってすんません、やっぱおーぷん大好きだ

そんではおやすみなさい

うおー、乙いっぱいありがとう……泣ける
お前ら大好きだ

今度こそおやすみ

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom