とある都市の生物災害 Day2 (796)

・禁書とBIO HAZARDのクロスですが、禁書のキャラしか出ないのでバイオハザードを知らない人でも問題はないと思われます

・内容が内容だけに死人が大量にでます。好きなキャラが死ぬ、もしくはそれ以上に酷いことになる可能性が高いです

・閲覧は自己責任

以上を二度読みしていただき、それでも一向に構わんという方のみお進みください


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1402590485







それはありきたりの九月だった。
人々に立ち向かう勇気さえあれば……。

学園都市は『科学の発展』という題目の元、あらゆる非人道的な実験を行う実験場。
この街にそれを壊せる人間は存在しない。
統括理事会はそれを推し進め、警備員も、風紀委員もそれに感付いていながら放置している節さえある。
学生たちはこの街の『闇』に何も気付かずに、ただ科学という恩恵を享受し続けている。
それが破滅への選択なのに。

愚かさのつけを払うことになるだろう。
赦しを乞うには全てが遅すぎる。

運命が流れ始めた時、それを止めることは出来ないだろう。
誰にも―――……。

最後の九月が過ぎ去ろうとしている。
それを理解しているのは彼らだけだ……。












               バイオハザード
―――とある都市の生物災害―――






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→1.上条当麻 / Day1 / 20:46:18 / 第二一学区 貯水ダム『ゼノビア』
とある都市の生物災害 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1388326016/)
2.No DATA
3.NO DATA
4.NO DATA
5.NO DATA


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【biohazard】

生物災害を指す語。
人間や自然環境に対して脅威を与える生物学的状況や、生物学的危険を言う。






このSSには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています










九月一四日 朝
September 14,morning.

今はもう逃げ惑う人々の悲鳴もない
The monsters have overtaken the city.

しかし……
Somehow……

彼らはまだ生き延びている
They're still alive.







Day1 / 09:04:38 / 第七学区 路地裏

佐天涙子と初春飾利は逃げていた。
何から、と問われれば答えに詰まる。強いて言うなら―――陳腐な言い回しにはなるが、ゾンビと答える他ないだろう。
それ以外にあれを形容する言葉を知らなかった。そしてそんなことはどうでもよかった。
今優先しなければならないのは、生き残ることなのだから。

「う……初春。大丈夫……?」

「さ、佐天さんこそ……私は、だい、じょぶですよ?」

強がりの一つも言わなければ今すぐにでも発狂してしまいそうだった。
二人の声は聞き取りが困難なほどに震えていた。
そもそも佐天は無能力者であり、初春は低能力者だ。
二三〇万の人間が暮らす学園都市、今では死者の席巻するこの街を生き抜くにはあまりに戦力に乏しい。

だから、逃げていた。弱者でしかない彼女たちにはそれしか能がない。
せめて超能力者や大能力者の彼女らがいてくれれば多少は気も休まっただろうが、二人とは一向に連絡が取れない。
そこに最悪の想像がよぎるも、それはないと佐天と初春は否定した。
単純な願望もあるが、何より二人は彼女らの実力の片鱗を知っているつもりだ。

じめじめした路地裏。隣接する壁を為している飲食店からゴミでも流れたのか、鼻をつく嫌な臭いが漂ってくる。
しかしそんなことは言ってられない。これでもあの死者たちの腐敗臭より遥かにマシだ。
現在二人はそこに身を潜めている。辺りに死人の姿は見られない。
とはいえいつまでもこんなところに篭っているわけにもいかない。

「ど……どうしましょう佐天さん。御坂さんたちを探そうにもどこにいるか見当も……」

「と、とにかくあたしたちだけでいるのはまずいよ……。誰でもいいから、誰か探して―――」

初春が俯き、視線を地面に向けたまま小さく問う。
正直に言って、二人とも現在の学園都市を動き回る勇気などなかった。
しかしだからといってこのまま死を待つだけというのもゾッとしない。
結局のところ、動くしかないのだった。

佐天も同じく震える声で呟く。いつもの快活で活発な少女の姿はどこにもいなかった。
だがその声は途中で不意に途切れ、「佐天さん?」と呟きながら初春は顔をあげる。

そして。


「――――――え?」


つい少し前まで怯えてはいたものの確かに生きていた佐天涙子の頭に。
鋭く長い爪のようなものが突き立てられていた。


「――――――、」


思考が何も追いつかなかった。
目の前の現実を理解できない。理解する余裕がない。
化け物。いつの間にか、佐天の背後に化け物がいた。

まるでノミが人間の大きさまで巨大化したかのようだった。
二本の足に四本の腕。その全てから鋭利な刃物のような爪が伸びている。
全身に渡ってところどころ外皮が裂けており、そこから内の赤い筋組織が覗いているグロテスクな姿。
目は昆虫のような複眼で四つあった。白く染まったそれはまさに昆虫そのもの。

その長い爪が佐天の頭部に容赦なく突き立てられ、頭蓋が砕かれていた。
当然、それほどまでの傷を受けて人間が生きていられる道理はない。
滝のように鮮血を散らし、どさりと糸の切れた人形の如く倒れ込む。

佐天涙子は死んでいた。

初春飾利の思考はそこまでだった。
突然録画中のビデオカメラを叩き潰したように記憶はそこで途絶える。
そして、そういう結果になったならば当然その原因があるはずだ。
だというならば、記憶が途絶えた原因はきっと―――初春の首元に突き刺さった大きな爪、なのだろう。

ドクドクと血を垂れ流し、初春は倒れる。
意識が急速に闇に沈んでいくのが分かる。抗えるはずもない。
大口を開けて待ち構える『死』に初春は為す術なく、呑み込まれた。
だが、あるいはそれは幸せだったのかもしれない。
佐天涙子という親友の死を嘆く暇もなく初春も同じところへ旅立ったのだから。

二人の女子中学生に詰まっていた鮮血の作り出した湖の中で、巨大なノミのような化け物は奇声をあげる。
そして化け物は初春の死体の頭部に噛み付き、管のようなものを口内から伸ばして頚椎にまで刺し込み、初春の血や髄液をまさにノミのように吸い始めた。



悲しみよ、我に来れ
悲しみは我が友
絶望を歓びとして美しき死を讃えよう



上条当麻 / Day2 / 05:05:39 / 第八学区 教会

上条当麻の意識は急激に覚醒していた。
耳を劈くような悲鳴。辺りを見回せば視界に入るのは赤、赤、赤。
死んでいた。上条が寝ている間に入ってきたのだろう人間、その全員が全身から血を噴出して死んでいた。

(―――なっ、なに、何が……っ!?)

上条はこの教会の二階に身を潜めていた。
寝ていたと思ったらガラスが割れる音がして、あっという間にこの惨劇だ。
何かが外から侵入してきたのは分かる。それがこの光景を作り上げたことも。
ただ、それは一体どれほどの化け物なのか。

そいつは天井や壁に張り付き、体をくねらせながら徘徊していた。
完全に人間の形から離れ、四足歩行を行っている。
全身の皮膚は消え、赤い筋組織が全身に渡って完全に露出しているため真っ赤だった。
長い舌を遊ばせ、その頭部には本来それを覆っているはずの頭蓋がなく脳髄が露出している。

完全に化け物だった。その化け物が、確認できただけでも三体いた。
それがこの地獄を作り上げた張本人。ゾンビなどとは比べ物にならぬ剣呑な化け物。
極めて短時間の間に一〇人ほどの人間を惨殺してみせた事実がその恐ろしさを何よりも物語る。

上条は動けない。僅かな間に科学の教会は血と肉片に塗れてしまっている。
そんな化け物に真正面から立ち向かったところでたちまち殺されてしまうだろう。
何ら力を持たぬ無能力者の身で、あのような醜悪な悪魔に抗おうとする方が無理がある。
唯一の特別である『幻想殺し』もこの状況では何の役にも立ちはしないのだ。

(―――逃げ、ないと……)

だから、上条当麻にできることは逃げることだけだ。
視線を周囲に向けてみればどこを見ても血がべっとりと塗りたくられており、肉片がこびりついている。
少し前まで生きていた人間の。しかしそれを見ても以前ほど動揺していない自分に気付き、上条は愕然とする。

たしかにこの状況では仕方ないことであろうし、その方が良いのかもしれない。
だが、それでも―――人の死に慣れたら終わりだと上条は思う。
これだけの燦々たる有様。にも関わらず、自分の心は怖いほどに冷静だった。
いや、動揺はしている。間違いなくショックを受けている。
しかしそれは本来普通の人間が感じるそれと比すれば軽いものであることも確かだった。

だが、今はそんなことを考えている余裕はない。
とにかく脱出しなければならない。それも、あの化け物共に見つからぬよう。
これほどの残忍さと凶暴さを持った怪物だ。見つかることと死はイコールで結べるだろう。
だから上条はゆっくり、ゆっくりと動いて、

「――――――ッ!?」

思わず叫びそうになった。
目の前。すぐ目の前の壁に張り付いている四足の化け物が、じっとこちらを見つめていた。
いきなり見つかった。上条は思わず死を覚悟する。
あんなのに襲われれば無能力者の上条などひとたまりもない。
あっさりと殺され、辺りに散らばった肉片に仲間入りしてしまうだろう。
だが、

(―――……え?)

化け物は上条のことなど見えていないかのように、体をくねらせて去っていった。
どういうことだ。退化した眼球は既に存在しなくなっていたが、あの化け物は確実に自分を捉えていた、と思う。
だというのにあろうことか上条を無視した。

まさか見逃したというわけでもあるまい。
あんな化け物にそんな慈悲深さがあるとは思わないし、何より現にあれは多くの人間を惨殺しているのだ。
にも関わらず上条には見向きもしない。何かがおかしい。
死体を堆く積み上げる化け物が自分だけを逃した理由。

(……もしかして)

一つの仮説を立てた上条は、この化け物共が暴れた時にできたのだろう小さな瓦礫を手に取る。
そしてそれを遠くに投げる。放たれた小石は綺麗な放物線を描き、こつんと音をたてて床に落下した。
その瞬間。静まり返った教会に、化け物共の呻き声しか聞こえない教会に、小石が床を打つ小さな音が響いた瞬間。
三体の化け物は弾かれたように迅速に動き出し、誰もいない小石が落下した場所に飛び掛りその長い爪を振るった。
だが当然そこには誰もいない。払われた爪は虚空を掻く。それだけで十分だった。

(こいつら、やっぱり……目が……!!)

上条の仮説を裏付ける結果。
この化け物は盲目なのだ。そして失われた視力を補うように聴力が異常発達を遂げている。
目が見えないから全てを音で判断している。だから、上条に気付かなかった。
で、あれば。そこに付け入る隙がある。

(静かに、静かに移動すれば……)

この盲目の化け物に気付かれずにここを脱出する。
そのためには一切の物音を立ててはならない。
ゆっくり、ゆっくりと。上条は少しずつ移動する。

床が軋めばそれで見つかるかもしれない。咳やくしゃみの一つでも出ればそれで終わるかもしれない。
じっとりとした嫌な汗が背中や額に流れるのを感じる。
周囲には三体の盲目の化け物。それぞれが自在に壁や天井を徘徊し、余計な音を少しでもたてれば即座にその死神の鎌を振るってくるだろう。

物音をたてれば死ぬ。見つかれば死ぬ。
極度の緊張と恐怖にがちがちと鳴りそうになる歯を必死に抑え、上条は進む。

床に落ちたガラス片の一つでも踏んでしまえばジャリ、という音が発生するだろう。
音を殺し、気配を殺し、まるで闇に同化するが如く。
それは普段の上条当麻の生き方とはかけ離れたそれであり、故に慣れぬ不安と緊張が上条を押し潰す。
ほんの僅かのミスも許されない。許せば、それはゲームオーバーへと直結する。

天井をくねりながら移動する化け物を見て、上条の体は恐怖に縛り上げられる。
鋭く長い爪。別の生き物のように長くくねる舌。そのどちらもが、人間を絶命せしめる必殺の凶器だ。
低い、地を這うような盲目の化け物の呻き声。そこに他の音が混じれば。
何か一つ。何か一つでもミスがあれば―――。

上条はたっぷりと時間をかけ、一階へと下りる梯子の前へと辿り着く。
ここを降りて、出口まで。距離的には短いが、上条には遥か彼方まで続く果てのない道に見えた。
ゆっくりと体勢を変えて梯子に足をかけ、一段ずつ下りていく。
上条の左手が梯子を掴み、そして―――。

極度の緊張のせいでじっとりとかいた手汗でぬるりと手が滑り、その下の段にガン、という小さな音をたてて手を強かに打ち付けた。

(あっ!?)

思わず声に出しそうになるが、寸でのところでそれを呑み込む。
だが遅い。既に、上条は音をたててしまったのだから。
上条は梯子に張り付いたまま振り向き、梯子ではなく教会の中心の方へとおそるおそる顔を向けた。

「キィシャァァアアアア!!」

叫び声をあげ、三体の盲目の化け物が身構える。
腹を壁や天井にべったりと貼り付けて這うように移動していた化け物が、四つんばいになるように体を突き上げて臨戦態勢を取る。
ピン、と一瞬で極限まで張り詰められる緊張の糸。殺意があっという間に膨張し教会を埋め尽くしていく。

(ま、ず―――!!)

すぐ近く。上条の頭上にあたる位置の天井に張り付いていた、一体の化け物。
そいつが二本の足で天井に自身の体を固定したまま、ぶらんと体を宙に踊らせる。
頭を下に向ける、上下逆さまの格好。重力に引かれて落下しないのはその足が化け物の全体重を支えているからだ。

目の前。そう、目の前だった。
盲目の化け物の顔は、上条の鼻先にあった。
鼻の頭からおよそ三〇センチ先。そこに盲目の化け物の顔が上下逆さまにあった。

(……ッ!? ―――、――――――!!)

思わず叫びそうになる。恐怖と嫌悪感に泣き叫びたくなる。
だが、そんなことをすれば今度の今度こそ殺される。
故に上条は耐え忍ぶしかない。

「ハァァアァァァア……」

鼻を突く強烈な臭い。
眼前には全ての体皮が剥がれ新たに構成された赤い筋繊維。露出した巨大な脳。一瞬で人を殺せる槍のような舌。ぽたぽたと流れ落ちる化け物の涎。
それが、文字通り目と鼻の先にある。悪夢のような光景だった。

上条は呼吸をしない。この距離では呼吸音すら聞き取られる恐れがあるからだ。
そもそもここまでの近距離では吐息や鼻息が化け物にかかってしまうだろう。
いくら目が退化して失われていようとも、その他の四感は生きているはずだ。
だから上条は呼吸をすることすら許されない。

盲目の化け物は上条を品定めするようにじっと見つめる。
勿論、この化け物は視力を失っているのだから正確にはそれは錯覚に過ぎない。
だがそれでも、粘つくような、舐めるような悪寒を上条は確かに感じていた。
この化け物の、外気に晒されている大きな脳髄。
人と変わらぬその脳のグロテスクさに、上条は思わず目を瞑る。

化け物の生温かく明らかな異臭のする吐息が頬にかかる。
まるで自分の命が死神の掌の上で転がされているような感覚。
腕を伸ばせば届いてしまうほどの近距離で、化け物は上条を見つめ続けていた。

バクバクと心臓は早鐘のように激しく鳴り、このままショックで死んでしまうのではと上条は本気で思った。
あまりにうるさい心臓の鼓動の音すらも聞き取られはしないかと恐怖し、その恐怖が更に拍動を加速させる。

どれほどの時間が経っただろうか。一〇秒か、二〇秒か。
流石に呼吸が苦しくなり始めたころ、ふっ、と化け物の気配が唐突に消え失せる。

(…………?)

上条はそっと目を開く。真っ暗だった視界に光が差し込み、急な刺激に瞳孔が一瞬収縮する。
だがそこに、盲目の化け物の顔はなかった。
見上げてみればその化け物は再び天井に張り付き、辺りを徘徊していた。
見てみれば他の二体の化け物も臨戦態勢を解き、同じように彷徨っている。

(……たす、かったのか)

何とか気付かれずに済んだ。
全身を包み込む安堵感に上条は思わず脱力し、梯子から落下してしまいそうになる。
慌てて体勢を整え、同じ轍を踏まぬように気を張りながら梯子を下り終える。

(……出口は、そこか。でもどうしたってドアを開ける時に音がする。とすれば……)

上条が目をつけたのは近くの窓だ。
おそらくこの盲目の化け物共がここに侵入した時に割ったのだろう、窓ガラスは粉々に砕けてしまっている。
だが好都合だ。おかげで窓を開ける必要がなくなった。
あの窓を乗り越えれば音をたてることなくここから離れることができる。

しかし、上条から一番近い窓のすぐ傍に一体の盲目の化け物が張り付いていた。
それは目が見えないのだから、無音のままに行動すればすぐ近くを通ったところで気付かれることはない。
だから無視することも理屈の上では可能だ。
だが実際問題として、少なくとも上条はそんなところを通ろうとは思えなかったし、また上策とも言えないだろう。

とはいえ他の窓は少し離れているため、そこを目指すとなると移動距離が増える。
時間をかければそれだけ危険も比例して高まっていく。
上条の精神力や集中力とて無限ではないのだ。この極限の緊張は彼の精神を激しく削っている。
だから、上条は足元に落ちている大きめのガラス片を拾い上げ。
目的の窓から離れた場所に向けて全力で投擲した。

投げられたガラス片はやがて壁に勢いよく激突し、バリィン!! という大きな音をたてて砕け散る。
細かくなったガラスの欠片がぱらぱらと床に落下し、また小さい音を連続で発生させる。
これに即座に反応したのは三体の盲目の化け物だ。
奇声をあげ、三体の化け物は瞬時にガラス片が砕けた場所へと飛びかかっていく。

その時、既に上条は窓まで走りその体を外へと躍らせていた。
教会からの脱出を果たした上条はすぐにその場を離れていく。

あの化け物は非常に残忍で恐ろしいが、やはり視力を失っているというのは欠点だ。
先ほどのように意図的に音をたててやればその行動を誘導することも難しくはない。
この極限の状況下で冷静にそれを分析し、実行に移せたのはやはり上条の度重なる戦闘経験のおかげであろう。

(……でも、まだ何も安心できねぇ)

一つの窮地を脱したところで、それを包含する更に大きな危機を抜けていないことに変わりはない。
この最低で最悪の悪夢は、まだ終わっていない。

最初の投下終了

Day2に突入した生物災害、残すところあと二日
ラストまで決して短くはないけどもうそんなに長いわけでもないかと(予定では)
できればこのスレで終わりたいところ

次回は浜面シナリオと美琴シナリオの予定です

>>24

サイレンならだめだった

バイオならあるいは

結局大して書き溜め増えなかったのですが、投下します

>>29
サイレン漫画化楽しみですね
……サイレン3や1、2のHDリマスター出してくれないかな









汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate
















                        THE DEAD WALK!!










あまりに遠くの先を見ようとしたために
今では後ろ向きで 後ずさりしながら道を歩くようになってしまった



浜面仕上 / Day2 / 05:18:45 / 第二三学区 航空宇宙工学研究所付属衛星管制センター

夢を見ていた。それはとても幸せで、とても儚い夢。
人に語るにはあまりに恥ずかしいけれど、自身の内に大事に秘めていたいと思える、そんな夢。

浜面仕上と滝壺理后は夫婦となり、その間に一人の可愛らしい男の子を授かっていた。
夫婦円満、順風満帆。幸せそのもの。
浜面が仕事から帰宅すれば幼い息子が出迎えてくれ、妻が温かい食事を用意してくれる。
たまの休みには絹旗や麦野たちと出かけ、皆息子を可愛がってくれている。

時には上条や美琴と出くわしたり、垣根たちと飲みに行き少ない愚痴をこぼし合う。
けれど自宅へ帰すればやはりそこには浜面を心の底から温めてくれる愛しい女性の笑顔があるのだ。
人並みの幸せ。誰もが一度は夢想するだろう幻想。
人には語りたくないが、そんな絵に描いたような家庭は浜面の理想そのものだ。

―――無能力者のレッテルを貼られ、けれどそこから何糞と死ぬ気で努力するほどの根性も意思もなく、物事を明るく捉えられもしない。
卑屈だった。自分には才能がないのだからと延々と言い訳を繰り返し、けれどならば努力すればいいと誰かが言う。
努力すれば必ず成功するとは限らない。だが努力しないのなら成功する可能性はゼロだ。

それが分かっていながら挙句には自分には努力する才能がないなどと吐き気のするような言い訳をし、自身の弱さを無理矢理に正当化した。
諦めてしまえば良かった。能力者と自分を完全に割り切ってしまえれば良かった。しかし浜面は何もしないくせにそれすらできなかった。

超能力者の双璧を成す一方通行や垣根のように、他と隔絶した圧倒的特別性があるわけでもない。
低能力者から超能力者まで駆け上がり示唆された『可能性』を現実のものとした美琴のように、確固とした意思の強さや信念があるわけでもない。
適材適所を体現する初春のように、自身にできることを行おうとする柔軟で効率的な考え方があるわけでもない。
そのくせ上条のように、力の有無なんて関係ないと言えるほど割り切った考え方もできない。

何もできない。何もしない。自身に許される最大の努力すらやろうとはしない。
なのに一丁前に努力して力を伸ばしてきたであろう能力者たちに醜い嫉妬を剥き出しにし、浜面は傲慢な考え方を他人にぶつけて生きてきた。

けれど自分と同じ無能力者の少年とぶつかったあの時から確実に何かが変わった、と思う。
その少年に言われたことが全く正しかったと気付き、滝壺理后ひとりを守るために強大な超能力者に立ち向かった。
暗部組織の抗争があった時、ある超能力者に手も足も出ず、努力もしようとしない怠惰な心を見透かされ、ボロクソに言われたことがある。
何一つ反論ができなかった。そんな浜面を見て、その超能力者はこう告げた。


――――――『悔しいか? 俺にここまで言われて、反抗心が湧いてくるか? だったらそれはテメェの武器だ。
       何もねえテメェが唯一突き立てられる牙だ。そいつを悔しさと怒りで研ぎ澄ませてみせろ!!
       後生大事に抱え込んで、磨き込んで、いつか俺にその牙を突き立ててみせろよ無能力者!! あァ!?』


……勿論、一〇〇満点だなんて言えるはずもないが、それでも滝壺を守って来れたと浜面は思っている。
どれだけ惨めな思いをしようと、どれだけ情けない真似をしようと、たった一人の少女のために。

誰かに言われた。力なんてものは扱う者次第で善にも悪にもなると。
誰かに言われた。力とはそれ自体が重要なのではなく、それを使って何を為すか、何が為せるかだと。
誰かに言われた。力を得るから変わるのではない、変わったからこそ手に入るのだと。
やっと実感した。力というものは、分かりやすい学園都市製の能力のようなものに限らない、見えない意思の力があると。

……だから浜面にとってそんな夢は、そんな家庭は一つの完成形だった。
滝壺を全ての脅威から完璧に守り抜き、それでいて彼女を脅かす脅威を排除できたことの証。
浜面仕上の人生のゴールとすら言っても過言ではない。
目標。到達点。夢。終着点。理想。

浜面仕上は、だからこそ。
そんな笑ってしまうような恥ずかしい夢を守るために。
滝壺理后というたった一人の少女を守るために。
絶対に、こんなところで倒れるわけにはいかないのだ。

「―――……ん?」

浜面仕上の意識は揺れ、一家三人幸せに過ごしている光景が溶けるように消えていく。
惜しい、と思った。いつまでだって見ていたい。
それは現実を捨て妄想の中に閉じこもって生きていくに等しい行為ではあるけれど、あるいはそれでも構わないと思えるほど浜面にとっては輝いていた。
とはいえ、実際本当にそうなるわけにも行くまい。
浜面は渋々といった様子で薄く目を開く。

目に入ったのは滝壺の顔。酷く焦燥したような、余裕のない顔。
耳に入ったのは鎖の音。ジャラジャラという鎖が擦れる音。

「――――――!?」

浜面の意識は一瞬で冷水を浴びせられたように覚醒した。
ここには浜面と滝壺の二人しかいない。
だから二人は交代で見張りと就寝をしていたのだ。
ならばこの鎖の音は一体何だ。
しかもよく耳を澄ましてみると、鎖の音に混じって妙な呻き声までが聞こえる。

更に言えば、気のせいでなければそれは段々こちらに近づいて―――?

「い、くぞ、滝壺……!!」

「う、ん……!!」

リサ=トレヴァー。かつてそう呼ばれていた少女。
今では何かを求め学園都市を徘徊する、異形の化け物。鎖の化け物。

浜面の行動は迅速だった。故に彼女と顔を合わせることはなかった。
また一つ、浜面は試練を乗り越えた。これからも乗り越え続けなくてはならない。
愛しい少女を全てから守るために。

Files


File28.『誰かに宛てた手紙』

愛するリサへ

日に日に私が私でなくなっていく……。そんな感覚が確信に変わり始めています。
あの注射のおかげか、体の痒みは幾分か収まってきたみたい。
今日も「栄養剤だ」と言われ、白衣の男たちに注射を打たれました。
注射をされると、意識がはっきりしてくる。
意識が戻ってくると、何も考えられなくなっていた自分に気付いて、愕然としたの。

全てを忘れてしまう感覚に襲われ、あなたのことやあの人のこと……。
どんな性格で、どんな顔だったかすらも意識の闇に覆われてしまう。
ああ、リサ、私も今すぐでもあなたに会って、あなたを抱き締めて確かめたい。
そうしないとあなたも、あの人も消えてしまいそうで、とても怖い。

……このままでは駄目ね!! 早く逃げ出さないと!!
いい? リサ、チャンスは多分、次に一緒にあの実験室に行く時!!
二人して意識のない振りをするの。
そしてあの白衣の男が隙を見せた時が逃げ出すチャンスよ!!
外へ脱出したら、お父さんを一緒に探しましょう!!

この手紙にあなたが気付いてくれますように

Sep.4,20XX
ジェシカ=トレヴァー


御坂美琴 / Day2 / 06:23:50 / 第一二学区 高崎大学構内

「……んぅ……?」

「起きた? そろそろ行くわよ。ここも危なくなってきたわ」

眠そうに目を擦りながらむくりと起き上がった佳茄に、美琴は静かに告げる。
床に座り込んだまま壁に背中を預け、休息をとっていた美琴もゆっくりと立ち上がる。
結局、睡眠は僅かしかとっていない。ろくに眠れるわけがない。
そんな大きな隙を晒せばそれは容赦なく死に直結するのだ。

「あ、お姉ちゃん……ごめんなさい、私、寝ちゃってた……」

佳茄は必死に寝ないようにはしていたのだが、やはり疲労のたまった七歳の女の子。
抗うこともできずに途中からすっかり寝入ってしまっていた。
だが美琴は困るどころかむしろ好ましくさえ思っていた。
人が最も無防備になる睡眠時。その姿をいくら疲労しているとはいえ晒してくれるのは、それだけ佳茄が自分を信頼してくれているからだと。

「ん。気にしなくていいわよ、そんなこと。むしろちゃんと寝とかないと、ね?」

ありがたい、と思う。
もはや佳茄だけが美琴の心の支えだった。
この少女がいるから、この少女を守らなければならないから、この少女を守りたいから。
あれだけの惨劇を味わって尚御坂美琴は戦える。
たとえば今、佳茄が死んでしまうようなことがあればそれは同時に美琴が死ぬ時でもある。

醜い生き物だ、と美琴は静かに自嘲する。
結局のところ、全てを佳茄に押し付けているだけなのだ。
自らの行動理由、存在理由。佳茄がいるから。
自分が自身の精神を保たせるために、心が死んでしまわないようにするために、美琴は佳茄に依存する。

だから、もはや佳茄は美琴の全てと言ってもいい。
勝手に全てを小さな少女に押し付けたのだから。
滑稽だった。佳茄を守るため、という大義名分すらも馬鹿馬鹿しい。
これでは結局自分のために戦っているのと何も変わらない。
……あるいは、それが自分の本性なのかもしれないと美琴は思う。

けれどそれでも構わない。
醜かろうと何であろうと、とにかく佳茄を生きたままこの街の外へ―――安全なところへと連れて行く。
実際は自分のための自慰行為であっても、少なくともその行動そのものは否定されるべきものではないはずだ。

もう自分自身に関してはどうでもよかった。
腹黒でも鬼でも悪魔でも鬼畜でも殺人犯でも何とでも呼べばいい。
それを否定するつもりは全くないし、そんな最低の呼び名がきっと自分にはお似合いだ。
口では友情を謳っておきながら、結局三人もの親友をこの手で殺した自分にはきっとそれがお似合いなのだ。

「でもお姉ちゃんは……寝て、ないよね……?」

「大丈夫よ。ちゃんと寝たし佳茄に心配されるほど私はヤワじゃないわ。ほら、なんたって私超能力者だし? この街で一番強いんだから」

一言で、吐き捨てるように嘘を吐いた。
実際、ほんの僅かにしか睡眠などとっていない。
それでも少しは寝ていたのは美琴が能力の弱点を把握していたからだ。

学園都市製の能力は、それが超能力者であろうと例外なく使用者の演算能力に大きく左右される。
それが意識的か無意識的か、そのいずれかにせよ。
激痛や疲労などによって演算式をまともに組めなくなれば当然それは能力の使用状況に如実に表れてくる。

現に美琴はそれをその身で体験している。『絶対能力者進化計画』、それを止めんと一人戦っていた時に。
だから睡眠不足は能力者の大敵なのだ。もっとも集中力の欠如という点で言えばそれは何事にも当てはまることではあるのだが。

それでも少しは眠りもしたし、あの時だってほとんど飲まず食わずの状態で連日昼夜を問わず動き続けていた。
まだ大丈夫だ。少なくとも、現在のところはまだ戦える。
しかしそれはいつまで続くのだろうか。この惨劇はいつまで続くのだろうか。
もしも何日も同じような状況が続けば、末路は明らかだった。

「それより佳茄、大丈夫? 寒くない?」

「うん。……あれ? このお洋服、トキワダイのセイフク?」

佳茄はいつの間にか美琴の着ていた制服、そのブレザーを着ていた。
彼女が寝ている間に美琴が着せたものだ。
雨に濡れた佳茄が風邪を引かぬようにと着せたそれは流石に佳茄の身長には合っていない。
膝の上辺りにまで届く常盤台のブレザーは佳茄が着るには些か大き過ぎる。だが、

「あげるわ。幸運のお守りよ」

「……ありがとっ、お姉ちゃん」

顔を綻ばせる佳茄に、美琴は優しく笑いかける。
いつしか佳茄に対してはこうやって笑いかけることしかできなくなっていた気がした。










空は相変わらず分厚く黒い雲に覆われていて、温かい日の光が遮断されてしまっていた。
朝とは思えぬ暗さ。昨日と同じで夕方かと見紛うほどであるが、それでも雨は既に降り止んでいた。
ぐっしょりと濡れた地面や切れ切れの黒雲から差し込む一筋の光に照らされて煌く建物だけがその痕跡を残している。
ブレザーを脱ぎワイシャツにサマーセーターのみとなった美琴には少々肌寒いが、我慢できないレベルではない。

「足元に気をつけるのよ」

「大丈夫だよ!」

ぬかるんだ地面は気を抜くと足をとられてしまいそうだ。
もっとも、足元以上に気をつけるべきものがそこら中にいるのだが。
佳茄を見失わぬよう、しっかりと手を繋いで歩く。
そこから伝わる温かさだけが美琴に戦う力を与えてくれる。

「―――佳茄。下がってなさい」

そう、戦う力だ、生きる意思だ。この世の存在ではない異形共に屈せぬ勇気だ。
だから御坂美琴は戦うのだ。たとえそれが、死んでいるはずの亡者であっても。
―――たとえそれが、かつての顔見知りであっても。
今の美琴には倒れるわけにはいかない理由が、守るべきものがあるのだから。

「……うん。気をつけてね、お姉ちゃん」

指示に従い後ろに下がる佳茄を尻目に、美琴はそいつを視認する。
流れるような美しい金髪は血と膿に塗れ汚れきって、かつての艶は完全に失われていた。
気品に溢れていた常盤台中学の制服も、同様に汚物に汚れていた。
純白の網目模様の施された手袋もその輝きは失われていた。

「――――――ああ―――」

いつも持っている鞄は持っていなかったが、まさか見紛うはずもない。
美琴は、こいつが好きではなかった。けれど本気で嫌っているわけでもなかった。
何かとちょっかいをかけてきていたのもある一人の少女に端を発するものであると知ってからは、特に。
彼女とは共闘したこともあるし、何だかんだで一つの関係を築いていたとも思う。

「―――そう。死んだのか、アンタ」

けれど。今の食蜂操祈はもう、人ではない。
その証拠に彼女の肩口は制服ごと失われ、赤黒く生々しい腐肉を晒している。
一切の光のない淀んだ眼窩と、肉がこびりついた骨が飛び出している足はどう見ても生者のものではない。
生前の面影を残す呻き声をあげながら、足を引き摺りながら、食蜂は少しずつ近寄ってくる。
その行動原理は、今の食蜂を駆り立てるものは食欲だけだ。そこに人間らしいものは何もない。

仕方ないのだろう。
如何に超能力者といえど、彼女の能力は他とは少々毛色が違う。
信念、記憶、恋慕。おおよそ『心』と呼べるものの全てを犯し、蹂躙し、殺し尽くす悪魔の如き力。
それは第一位だろうと第二位だろうと不可能な芸当で、食蜂操祈のみに許された禁忌だ。

どれだけの力で蹂躙されようとも唯一守ることのできる最後の聖域。そこを食蜂だけは存分に踏み荒らすことができる。
思想や信条すらも夕飯の献立を考えるような気軽さで書き換えてしまえる彼女は、ある意味ではまさに神の如き力を有していると言えるだろう。

しかし。そんな究極の悪夢も、相手がまともな人間でなければ意味を成さない。
食蜂操祈はこの狂った世界において無力だったのだろう。
だから、死んだ。だから、再び起き上がった。だから、ここにいる。

「―――食蜂」

美琴はすっ、と手を伸ばし、静かに目を閉じる。
バヂッ、という小さな火花が弾けるような音と共に、突然美琴は軽い頭痛を覚える。
美琴の展開する電磁バリアが精神系能力を弾いた時特有の感覚。

『心理掌握(メンタルアウト)』。第五位の超能力。
食蜂だったものは無差別に、何の指向性もなくただ力を撒き散らしているのだろう。
まるで全てを汚染するように、その絶大なる力を垂れ流しながら。

当然、それは美琴には届きはしない。第五位では第三位には届かない。
だが問題はそこではない。美琴の後ろには佳茄がいる。
小さな少女には『心理掌握』なんて恐ろしいものに抗う術はない。
たちまちにその心を、精神を、頭を破壊されてしまうだろう。

加えて食蜂だったものは特定の目的にではなく、ただただその力を垂れ流している。
一体それをまともに受けた時、どうなるのか。全く分からなかった。

美琴の広げる電磁網が的確に『心理掌握』の広がりを感知する。
その勢力圏は徐々に拡大し、間もなく佳茄がその領域に取り込まれてしまう。
そうなったら最後だ。劣化を考慮しても、佳茄は内から蹂躙され壊れてしまうだろう。

「……気をつけなさい」

美琴は目を開き、そして雷光が瞬いた。
放たれた天をも穿つ白雷は、あまりの熱量に空気を膨張させ攪拌しながら瞬間で空間を疾駆する。
青白き雷神の一撃はズドン!! と食蜂と呼ばれていたものの胸に突き刺さり、その体を紙屑のように吹き飛ばした。
あまりの衝撃。あまりの破壊力。あまりの熱量。その全てが食蜂を完全に破壊し、確実な死へと至らしめる。

「……え?」

それを見て思わず呟いたのは、美琴ではなく佳茄だった。
今までのものとは明らかに破壊力の桁が違った。
それはこのイカれた世界にあって尚、美琴が撃つことを良しとしなかった限界ラインを容易く振り切った一撃。
仮にこれまで美琴が亡者共に撃ってきたものを五とするなら、今のは一五以上。優に三倍を超える破壊力は有していた。

「―――お姉ちゃん?」

それはリビングデッドの活動を停止させるに余りある。『殺す』には十分すぎる。
食蜂を殺した美琴は、そいつが起き上がらないことを確信すると佳茄へと振り返る。

「……お姉ちゃんの、おともだちだったの……?」

「え? ああ、友達っていうか……何ていうか。難しいんだけどさ。とにかくもう大丈夫よ。さあ、行きましょう」

佳茄は、酷く幼いにも関わらず亡者共やその衝撃に慣れてしまっていた。
あるいは、その逆。どうしようもなく幼いからこそ、その活動に重大な障害を起こしかねないダメージを無意識下にシャットアウトできているのか。
故に佳茄が気にしているのは見ず知らずの食蜂ではない。この地獄にあって佳茄が気にするのはいつだって美琴のことだ。

優しい笑顔を向けてくれる美琴に、佳茄は不確かな思考の中でこう思っていた。


―――もしかしたら自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない―――と。


Files


File29.『食蜂操祈のメモ書き』

どうしてこんなことになったのか。
そんなことを考えるのに意味はないと分かっていても、やっぱり考えてしまう。
過ぎた力は身を滅ぼす。神に反逆するバベルの塔たる科学の都市は、その科学力によって破滅した。

天罰か神罰か、それとも人罰か。
実際のところは多分、ただの事故力かテロなんでしょうけどねぇ。これ多分薬品か何かのせいだろうし。
もう大パニックよぉ。あのジーサンみたいな連中はもしかしたら嬉々として観察力を発揮してるかもしれないけどぉ。
アレには私の『心理掌握』が効かないし、自分で自分に干渉力を使わなかったらこんな冷静でいられないわよねぇ。

私はもう諦めたっていうか、流れに身を任せるっていうか。
必死に駆け回ってどうにかなる状況でもないし、私そういうキャラでもないしぃ?
第一、私運痴だし。ねぇ、御坂さん。

あなたはきっと諦めたりしないでしょうねぇ。あの人とあなたはそういうとこそっくりよねぇ。
ま、きっとあなたたちだけじゃないわよね。あの人は当然として、第一位さん、第二位さん、第四位さん、第七位さん。
精神系の私以外の超能力者は簡単には負けないでしょうしぃ、他にも交戦力を出してる人はいるはずよねぇ。
あのチンピラみたいな無能力者の彼とか。第二位さんあたりが「イレギュラー」とか言ってたかしら?
ごめんね、名前忘れちゃった☆

……なんて、おどけてられるのも自分に『心理掌握』を使用してるから。
でも最期の最期には素のままでいたい。
Fear of death is worse than death itself―――第二位さんの彼女さん(付き合ってはいないらしいけどぉ)がいつか言ってたわねぇ。
それを抑え込めてるだけ、私は救済力がある方なのかも。

―――……汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ。
ウェルギリウスもいない中で、地獄を彷徨うのはごめんよねぇ。

勝手で悪いけど誰か、もし変わり果てた私を見たら是非止めを刺してちょうだいねぇ。

投下終了

次回は浜面シナリオと垣根シナリオ
上条さんは早く誰かと合流できるといいですねほんと
リサについては知らない方はFile21参照、それと今回のファイルを合わせれば大体分かるかと

投下します

書き溜めが絶滅の危機に瀕している、だと……?



Into the darkness,all will fall.



一方通行 / Day2 / 12:27:26 / 第三学区 路地裏

番外個体の前髪が紫電に弾けた。
打ち出されるは億を超える超高圧電流。
そんな莫大な電撃を受けて耐えられるわけもなく、異形の化け物は奇声をあげてどうとその場に倒れ込む。

化け物のトンボのような頭には大きな複眼が二つ。
長い胴からは左右三本ずつの足が伸びており、その二本の前脚の先には鋭い鎌があった。
鋸のような刃がずらりと並んだその鎌。その化け物を形容するなら二メートルほどの蟷螂というのが一番近いだろう。

「ッ、あと一体!!」

「腹ァ一杯食らっとけ!!」

一方通行の構えるショットガンが激しい音と共に火を吹き、飛びかかってきた蟷螂型の化け物の柔らかい腹部に散弾が次々に突き刺さる。
身動きの取れない空中で銃撃を受けた化け物はバランスを崩し、着地もできずに地面へ叩きつけられる。
一方通行は昆虫の鳴き声をあげて足を蠢かせる化け物の頭部に、確実な一撃を追加でお見舞いする。
それで化け物の生命活動は停止した。

「……終わったか」

彼らが始末したこの化け物は今ので一一体目。
ひたすらに戦闘を繰り返し、しかし二人は一切の傷を負わずに、そしてバッテリーも使うことなく勝利した。
だが流石に疲労は少なくない。壁に背中を預けて地面に座り込む。
そして深く息を吐き、吸って、呼吸を整える。

ずっとこんなことを繰り返していた。
戦って、殺して、逃げて、戦って、殺して、逃げて。
もう何のために自分が動いているか忘れそうになるほどに。
事実、既に一方通行の希望は失われているけれど。

天真爛漫に笑う幼い少女の、太陽のような笑顔。
その眩しさを、温かさを、優しさを、心地良さを忘れることができない。
あの少女こそが一方通行の全てであり、あの少女のためなら何だってできた。
彼女さえいてくれれば、今だっていくらでも―――。

(……何考えてやがンだ、クソが)

もう打ち止めはいない。二度と笑うことはない。
一方通行の心には大きな孔が空いていた。何をしても埋めることのできない空洞が。
自身の命にも優越する彼女を失って、尚一方通行が動いているのは番外個体を生きてこの街から出すためだ。
逆に言えばそれさえ果たされれば彼はどうなるのだろう。

「……どうかした?」

「……いや。何でもねェ」

座り込んで、壁に背中を預けたまま一方通行は小さく返した。
―――番外個体はどうなのだろう、と一方通行はふと考える。
番外個体は打ち止めを喪ったことにどれほどの孔をその心に空けたのだろう。

長い日常の世界に浸り、彼女の悪意は多少なりともなりを潜めていた。
素直に感動したり、人間らしく悲しむことを覚えた。
だがそれが致命的に仇になってはいないだろうか。
白銀のロシアで出会った時のように、悪意の塊であった方が苦しまずに済んでいたのだろうか。

下らない思考だと思う。
そんなことを考えて何になるというのか。
無意味なたられば話に結論を見出すことがこの状況を打開するきっかけになるとでも言うのか。
だがそれでも。項垂れるように俯いていた一方通行はゆっくりと頭をあげ、

「―――番外個体。オマエならこの場合、どォする?」

一方通行は嗤う。その嗤いはどうしようもない事態に追い込まれた時、思わず零れてしまう種類のものだった。
番外個体が何かの気配を感じて背後を振り向く。そしてそれを見た瞬間、番外個体の体が短時間だが確実に、石になったように硬直した。
仕方がない。そこにいたのは単なる生きた死者だ。今の学園都市に蔓延っている、無限とも思えるほどの軍勢の一人だ、
だがその人物は彼らにとって決して小さくない意味を持つ者であった。

「……ああ。いや全く。悪意に満ちた人間としか話したくないなんて考えてたこともある性悪のミサカだけど、流石に、もう、いい加減にしてほしいかな。
最初っから分かってたことだけどさ、……どうしようもないね、全てがさ」

白衣を纏った女性だった。その黒い髪は肩に届くかどうか、といった長さ。
彼女は学園都市でも優秀な人材であり、専門は薬学や遺伝子工学などのクローン技術関連で、軍用の量産型能力者計画にも一枚噛んでいた人間であった。
だがそれらは全て過去形で表される。彼女はかつて女性だった。優秀な人間だった。研究者だった。人間だった。
芳川桔梗。その身は既に人ではない、この世のものではないものへと変貌してしまっているのだから。

「アァ ぁ あ ぅ ゥゥ……」

清潔さを漂わせていた白衣は血と肉と膿に塗れている。
頭皮の一部は頭髪ごと剥がれ落ち、その内部を外気に晒している。
伸ばされた腕は肉が腐り落ち、その骨までが露出していた。
足元はふらふらと泥酔しているように覚束なく、服に隠れて見えないその足もきっと腕と同じようになっているのだろう。
どこか優しい光を湛えていた目は白濁としていて、そこからは何の感情も読み取れない。

芳川は自身のことを優しいのではなく甘いのだと、いつもそう言っていた。
だが彼女の一方通行や打ち止め、番外個体を見る目には確かな優しさと愛があったように思う。
かつては違ったのかもしれない。しかし現在は子を見守る母親のような、教え子を見る教師のようなものを多少なりとも宿していたと思う。

口で何と言おうと一方通行はまだ子供で、黄泉川や芳川の経験したことのない愛情や優しさがくすぐったくて、どう反応したらいいのか分からなかった。
だから彼ら彼女らは心の奥底では二人に感謝しつつも、口や態度では真逆を示すことが多かった。

「……芳川。それでも俺は、オマエに―――感謝してた。いつか礼を言おォと、そンなことを考えてた」

素直になれない少年の複雑な心。そこには超能力者も第一位もない。
年頃の少年少女なら誰もが抱える心の機微。思春期。子供から大人へと成長する狭間にある不安定さ。
いつかは礼を言おうと、そんな悠長なことを考えていたらこのザマだ。
もう芳川桔梗には何も伝えることができない。好きも嫌いも彼女には二度と届かない。

黄泉川愛穂、芳川桔梗。変わろうとする一方通行を支えてくれた二人の母親。
二人とも失った。死んでしまった。死んでいるが生きている。生きているのに死んでいる。

「もォ、休め」

――――――から。
一方通行は静かに再度拳銃を取り出し、構える。
腕は震えず、銃口はぶれず。ただトリガーを引き絞る人差し指に力を込める。

そこでふと思う。
芳川は生と死の狭間に囚われた。これから自分がそこから解放する。
しかし黄泉川もまた、永遠に続く螺旋に絡めとられている。
もしかしたらまた、リビングデッドに身を落とした黄泉川と対峙することがあるのだろうか―――?

「……あなたがやらないならミサカがやるよ。ミサカだって、その人には思うところがあるんだし。……せめて、眠らせてあげたい」

一方通行の思考を迷いと見たのか、番外個体がそんなことを口にする。
母を持たぬ命、あり得るわけがない、存在してはならぬ禁忌の存在。
生命の系譜から外れた命の中でも、更に埒外にあった番外個体。

そんな彼女に対しても母たらんとしていた芳川桔梗。
だからこそ殺すのだ。どうしようもない矛盾、しかし今更そんなことを論じても何にもなりはしない。

「―――あばよ」

余計な思考を払い、一方通行は今度こそ引き金を引く。
放たれた銃弾は空を裂き死という名の永遠の安息を彼女に届ける。
狙いは正確に、彼女を光なき世界へ。芳川桔梗と呼ばれていたものの脳天に血飛沫と共に突き刺さり、小さな小さな鉛玉がその生命活動を確実に停止させた。

その事実に、一方通行は特に何の感慨も湧かなかった。

その事実が、一方通行がもう終わっていることを端的に示していた。



Files

File30.『芳川桔梗の記録』

この未知のウィルス、専門外ではあるのだけど冥土帰しと協力して調べていくうちに分かってきたこともある。
感染経路の広さがまず厄介ね。どうやら空気感染、経口感染、血液感染、おおよそほぼ全ての経路で感染していくみたい。
ただ変異性も高いようで、広がるにつれて感染性も比例して下がっていくのは救いなのかしら。

たとえば空気感染するのはごく初期段階のみみたいで、今学園都市にいる生存者たちが空気感染によってこのウィルスに犯されることはない。
ただ感染者たちを見る限り、アレに少しでも、それこそかすり傷一つでもつけられると容易に感染してしまうようね。
感染から発症までの時間は個人差はあるものの年齢や性別による差は見られず。

ただし、感染者の肉体の活性度だけはウィルスの侵食速度に大いに影響を与え得る。
肉体が弱っていればそれだけ感染から発症までの時間ま短くなる。
アレに襲われて瀕死の重傷を負ったりしたケースでは、極めて早期に『発症』する。
逆に空気感染や水を媒介するなどしていたって健康な人間が無傷のままに感染した場合、これも個人差はあるものの長いケースでは数日は保ち得ると予想されるわ。
これはやはり個人によってこのウィルスへの抵抗力に差が大きいためね。

このウィルスは感染者の新陳代謝を急激に


記録はここで途切れている。
ノートの下部に、読み取れないほど乱雑に書き殴った文字がある。

『生きなさい』


御坂美琴 / Day2 / 11:00:34 / 第六学区 旧セントミカエル時計塔

「……大体、死にかけね」

美琴はそれらを見てぽつりと呟いた。
悲惨な有様だった。

そこにいるのは数人の大学生ほどに見える少年たち。
見る限りでは五、六人の集団のようだが、その内の四人ほどは誰もが決して浅くない傷を負っていた。
止まらない出血にわき腹を押さえている者、首から血液をドクドクと垂れ流して動かない者、腕の噛まれた傷跡をなかったことにしようと必死に拭っている者。
床にはそれぞれの血が流れ、混ざり合い黒ずんだ模様を描いていた。

「ケガしてる……」

もう慣れてしまった死の臭い。それが肺を満たすのを美琴は実感する。
佳茄でさえも僅かに表情を変えるだけだった。
そんな程度の反応を見せながら美琴はぐるりと周囲を見渡す。

一つだけ気になることがあった。
傷を負っている者たちとは少し離れたところに、血を流して死んでいる男がいる。
壁に背中を預けて座るように死んでいるその男は、抱きしめるようにしてもう一つの死体に腕を回して抱えていた。
随分と小さい死体だ。血で汚れているものの、その死体はスカートを履いているので小さな女の子なのだろう。

死体が死体を抱くようにしている。
一体彼らはどんな最期を遂げたのだろうか。

「……また……生存者か……」

男の一人が小さく呟く。どうやらこの茶髪が目を引く男は無事、もしくは軽傷のようでゆっくりと立ち上がる。
それにつられるように黒髪の男も立ち上がり、美琴をじろりと見つめる。やはり無事か軽傷なのだろう。
品定めするような視線に美琴は不快気に眉を顰めるが、男はそれに気付いているのか気付いていないのか変わらぬ視線をよこし続ける。
やがて黒髪の男はふん、と鼻を鳴らし、

「結構な上玉じゃねぇか」

「いや待て……こいつ……この顔は……、っ!?」

茶髪の男が何かに気付いたように息を呑むが、それを無視して黒髪の男はあっさりと言う。

「よお、ヤッちまおうぜ」

「―――な……っ、何言ってんだお前!? 正気か!?」

「何綺麗ごと言ってんだ、お前だって興味あるんだろうが? もう法なんて消え失せてんだ」

「そういう話じゃない!! こんな時に何を考えてるんだお前!! もっとやるべきこと、考えるべきことがあるだろ!?」

二人の男はヒートアップし、他の重傷を負っている者たちを無視して激しい口論を始める。
この二人はもう美琴を無視し、佳茄に至っては存在すら認知していないのではないかという勢いだった。
そんな彼らを美琴は冷め切った目で静かに見つめ、佳茄はおろおろしながらも美琴にくっついていた。

「やるべきこと!? 考えることだと!? なら聞くけどな、一体何を考えて何をするってんだよ!!
もう助からねぇって分かってんだろ!! どうせみんな死ぬんだよ!! だったら最期くらい楽しみたいんだ!!」

「違う!! よく聞けよ、こいつは常盤台の超電磁砲だ!! 七人しかいない超能力者の第三位だよ!!」

「は……はぁっ!?」

益々熱くなる二人の声もどんどん荒くなり、その声だけが辺りに響き渡る。
自暴自棄になっている黒髪の男がわめいていたが、茶髪の男の指摘にばっと美琴を振り返る。
黒髪の男は冷水を浴びせられたかのように静かになり、やがて喜びを滲ませながら呟く。

「……助かる、の、か?」

「そうだ。一人で軍と戦えると言われる超能力者、それが味方につくんだ。
こうなりゃ百人力、怖いものなしさ。あんなゾンビ共なんて敵じゃない」

その言葉にぱぁっと黒髪の男の顔が明るくなる。
絶望の底で全てを諦めていた時に突如現れた希望の光。
彼らがそれに手を伸ばさないはずがなかった。
しかし、それは随分と……。

「……勝手な言い分ね」

歪んだ感情を向けたと思ったら、次は無条件でボディガード扱い。
その呟きは聞こえていたのか聞こえていないのか、黒髪の男が笑みさえ浮かべながら安堵する。

「よし、助かるんだ……俺は助かるんだ……死ななくて済むぞ……!!」

「なあ、あんた。超電磁砲……御坂さん、だったかな? 頼む、助けてくれないか。こっちはもう限界なんだ」

たしかに、美琴と共に行動するようになればこのままでいるよりは生存率はグンとアップするだろう。
しかしこれは美琴に断ると言われてしまえばそれで終わってしまう話だ。
ただ、茶髪の男には勝算があった。有名であるだけに知っていたのだ、美琴はどういう人間か。
困っている人間を放っておけない、いわゆるお人好しであることくらい。

「実は、さっきも君と同じく生存者の男女二人組が来たんだけど……。協力断られちゃって。もう後がないんだ、お願いだ」

更に見捨てられたことを話すことで美琴の同情を誘う。
男には美琴が憐れんで喜んで引き受けてくれるという確信があった。
それを受けて、美琴は一つだけ問うた。

「……一つ、いいかしら。その男女二人組みとやらは何て言ってたの?」

その質問は予想外だったようで、男は少々まごつきながらも素直に答えた。

「あ、ああ。そんな余裕はない、生き残る確率が低くなるって」

「そう」

美琴はその答えにすっと目を細め、静かに呟いた。
怪訝な顔をする男を無視して美琴は素直に思う。

「―――いい判断、いい心がけね」

「え?」

戸惑う二人の男に美琴ははっきりと宣告する。
それが彼らにとってどれだけの重さ、絶望になるのかを理解した上で。
それでも、容赦なく。

「なら、私も同じ理由で丁重にお断りするわ」

たったそれだけの言葉を、突きつける。

「……え、ちょ、はぁっ!?」

「おいどういうことだよそれ!!」

その全く予想外の言葉に二人は驚き憤る。
まさか美琴がそんなことを言うとは完全に考えていなかっただけに、二人は焦っていた。

「おいふざけんな!! お前……、お前……っ!!」

対する美琴はどこまでも冷静に。足元にしがみつく佳茄の手の力が強くなったことに気付きつつも言葉は止めない。

「ふざけんな? そりゃあそっくりそのまま返してやるっつーの。
そもそもさ、何で『助けてくれて当然、自分たちを守れ』って態度なのかってのも聞きたいけど。
一体どうして私がアンタたちを助けなきゃいけないわけ? それで私たちに何の得があるっての?」

よく見てみると、倒れている男たちは誰もが重傷を負っているかあるいは死亡しているというのに、この二人の男だけは不自然に傷がなかった。
それはつまり、そういうことなのだろう。

「なっ……え、と、得だと……?」

その言葉も男の予想外だったのだろう、呆然としたまま立ち尽くしていた。
誰かを救うのに、得か損かを考える。それ自体が彼らの考える御坂美琴像からはずれていたからだ。
しかし。“そう考えること自体が、そもそもずれている”。

「アンタたち、“この状況がまるで分かってないのね”」

そう告げる美琴の言葉に感情は乗っていなかった。
ただ、冷たかった。

「私が守りたいものはたった一つだけ。それさえ守れれば何でもいいしどうでもいい。
そしてそれは間違ってもアンタらじゃない。私に邪魔な荷物を背負って歩く趣味はないのよ。そんな余計な力を割く余裕もない」

生きているかどうかも分からないあの少年だったら、こんな時どうするのだろうか、なんてことを頭の片隅で思いつつ。
向けるのはまるでゴミを見るような凍てつく瞳。見つめるだけで人を凍死させられそうだった。
二人の男はひたすらに呆然とする他なかった。それしか許されなかった。

美琴のその言葉に殺意や憎悪といった負の感情は一切込められていない。
にも関わらず、だからこそ、二人の男はまるで動けなかった。

「だから、まあ、そういうことよ」

もはや美琴の凍える眼は二人を見てさえいなかった。
歯牙にもかけぬと言うように。眼中にもないと言うように。
ただ、その絶氷の如き無感情を言葉にして吐き出した。

「勝手にしなさい。存分に足掻いて、存分に玉砕するといいわ」

話は終わりだ、と言うように美琴はくるりと背中を向ける。
佳茄と二人でここを出ていく。中に彼らを残したまま、どこかへと行ってしまう。
消えていく。彼らにとっての最後の希望が。垂らされた一本の蜘蛛の糸が。
これを逃したら次は絶対にないだろう。何が何でもしがみつかなければならなかった。だから。

「―――ふざけんなッ!!」

茶髪の男が怒りと絶望に怒鳴る。美琴は振り返りすらしなかった。
だから男は走り、美琴ではなく―――ヘッドロックのように佳茄の首に腕をかけて拘束した。

「ぁ、やだっ!! 離してよぉっ!!」

暴れる佳茄だが、所詮は七歳の子供。大の男の力に敵うわけがない。
男がその気になれば佳茄の細い首も折ることができるだろう。
佳茄の命はこの男の気分一つで決まる。つまるところ人質だった。

「さあ、交渉開始と行こうじゃねぇか、超能―――」

男の言葉は最後まで紡がれず、途中で途切れた。
何故か。巨大な落雷のような怒号が全てを切り裂いたからだ。




「その子に触れるなぁッッッ!!!!」




先ほどまでの機械のような無感情さとは正反対だった。
分かりやすいほどの怒りに濡れた雄叫びに、思わず男の力が緩む。
咄嗟に佳茄はその隙を突いて男から逃げ出すと、一目散に美琴の元へと向かっていく。
男の顔が死人のように蒼白になり、ガタガタと震え出す。

しかし美琴は無視した。佳茄が男から離れると同時、その右手を振り翳しブン、と扇のように振るう。
その動きをなぞるようにズバァ!! と雷撃が大蛇のように激しく荒れ狂い、弧を描くように床や近くの壁、天井をあっさりと滅茶苦茶に破壊していく。

「ふーっ、ふーっ……!!」

破壊の中心点にあって、それでも男は生きていた。
だが超電磁砲としての力の一端の一端を見せ付けられただけで、もはや完全に体が恐怖に硬直していて言葉すら話せなくなっていた。
ぱくぱくと口を動かすだけで、それ以上の反応をすることができなくなっていた。

佳茄の手を今度こそ握ったまま、美琴は最後に二人の男を静かに見つめた。
その眼は絶対零度をも下回るほどの冷たさに凍っていて、再び一切の感情が消えていた。
何も込められていないことの恐ろしさに固まる彼らを無視して、言葉もなく美琴と佳茄はどこかへと去っていった。

男たちは、殺されなかったのが奇跡だと本気で思った。
その時。彼らの足を突然に何かが掴んだ。
粘着質な感触と死人のような冷たさ。
心当たりが、一つだけあった。

「ま、まさか―――」

そこで彼らが見たのは、這いずったまま大きく口を開ける仲間の姿。
重傷を負っていた四人ほどの仲間たちが次々と変貌していた。
濁り切った淀んだ目、爛れ落ちた体皮。顔を覗かせる赤黒い腐肉。
それらを晒す狭間の者たちはただ、目の前のご馳走に齧り付く。

直後、二つの絶叫が誰もいない時計塔に響き渡る。
やがて、それはクチャクチャという何かを咀嚼するような音へと変わっていった。



Files

File31.『学生の手帳』

俺たちが集団で動き始めてから三時間ほどしか経ってないが、生き残っているのはたったの七人程度。
全く想像を絶する。死人共の数があまりにも桁違いだ。この街はとっくに死んでいる!! もう生きては帰れないのか。

生き延びるために神経を研ぎ澄まし、ついに時計塔に辿り着くことができた。
俺たちは必死だった。生き残るために傷ついた仲間や警備員の死体から武器を奪いとり、他人を囮にして危機を切り抜けた。
俺たちはそうやってこの地獄を何とか生き残ってきたんだ。

その俺の前にひとりの女の子が現れた。この街の生存者だ。
女の子は俺の目の前で、俺に勇気が足りなかったせいで食われて死んでしまった妹に瓜二つだった。

あてなんかなかったが、俺はすぐにでも脱出するつもりだった。
しかし女の子にはその気がなかった。母親の眠るこの街を離れないと言ったからだ。
俺は何とか女の子を助けたい。だが、俺たちのリーダー格の二人が「俺たちだけ生き延びられればいい!!」と怒鳴った。
ああ、いつもならそうするさ。しかし、今の俺には……。

この時計塔も既に危なくなっている。
だが、もう二度と同じ過ちを犯したくない。

投下終了

その子が園子になってるのに直前まで気付かなくて危うく蘭姉ちゃんになるとこだった
次回は上条さんシナリオと浜面シナリオ


時計塔の男女の死体は3だったか?

アレイスターはどうなってるんだろうな

投下します

>>91
3ですね、初めてプレイした時は小学生だったので追跡者はトラウマでした
なおその直後にプレイした4ではリヘナラドールがトラウマになった模様

>>94-97
アレイスターは死んでませんし、最後まで死ぬことはありません
どうしてるかとか何を思ってるかとかは特に考えてないので想像にお任せします





それが偽りの顔を被っている真実であったとしても
できるだけ口を閉ざしておくべきだろう
たとえ過失がなくとも 恥辱にまみれることがあるのだから





上条当麻 / Day2 / 11:09:09 / 第八学区 廃ビル

もはや当てすらなく、ただひたすらに上条は走っていた。
だが今は、この時は違う。上条は明確な目的を持って、その眼に意思を宿らせて走っていた。
その手には瓦礫の破片が握られている。疲労に足を縺れさせつつ、それでも足を止めることはしない。

「今、助ける!!」

上条の視線の先には二つの人影があった。
一つはゆらりと揺れながら泥酔しているかのような足取りで歩き、もう一つは地面をずるずると這いずって迫る影から逃げている。
歩いている人影は女性だった。露出度の高い服を着ているのはいいとして、腹からは臓物まで露出させている。
生きながらの死、死にながらの生に囚われたそれはただ飢餓感を満たそうと眼前の獲物に迫る。

這いずっている人影も同じく女性だった。おそらく上条より一つか二つほど年上と言ったところだろうか。
腹部や足、肩など至るところに重傷を負っており、止め処なく滝のごとく血が溢れ出していた。
まるで深雪に刻まれる足跡のように、その夥しいほどの血が彼女の辿った道のりをはっきりと描き出している。

亡者共の足は決して早くはないが、それでもあの有様では逃れることはできないだろう。
仮に逃げられたとしても、この街には亡者以外の化け物も溢れている。いずれにせよ避けようのない死が待っているだろう。

「させ、るかぁっ!!」

何とか少女が食い殺される前に辿り着いた上条が、手に持った瓦礫を振りかざす。
そして眼前の女性のゾンビの後頭部目掛けて、振り下ろす。

(……ごめん!!)

ガツン!! と。重たい衝撃が走る。
糸が切れたようにばたりとアンデッドの体が倒れ込むが、まだその指先がぴくぴくと動いている。
時間が経てばまた立ち上がるだろう。上条は急いで倒れている少女を助け起こした。
見れば見るほどに酷い怪我だ。全身は既に赤黒い血に染め上げられていて、その命が風前の灯であることは明らかだった。

「おい、おい!! 大丈夫か!! しっかりしろ!!」

しかし状況は絶望的だ。上条には特別な医療の知識など持っていないし、何の道具も持っていない。
無能力者である上条は目の前の少女を助けられる能力など持っていない。唯一の右手もこんな時では何の役にも立たなかった。
もたもたしていれば先ほどのゾンビがまた起き上がるかもしれないし、別の亡者に嗅ぎ付けられる恐れもある。
しかもこの傷では下手に動かせばそれだけで命の危険さえあった。

(ちっくしょう!! 打つ手なしかよ!! 何か、何かないのか。この状況を一発でひっくり返せるような、起死回生の一手は……っ!!)

「あ、あな、た、は……?」

息も絶え絶えに少女が訪ねる。
いかにも搾り出すのが精一杯という力のない弱りきった声だった。

「喋っちゃ駄目だ。口を開くと傷口が……っ!!」

上条は咄嗟に羽織っていた制服の上着を脱ぎ、無駄と分かっていてもそれを彼女の体に巻き止血を試みた。
しかしあまりに傷が多すぎて、まずどこから塞げばいいのかすら分からない。
それでもと上条が腹部の傷を塞ごうとすると、

「む、無駄よ……。もう、手遅れだわ……」

ゲホゴホガホ、と少女は激しく咳き込み、同時に口から大量の血が吐き出される。
その血が上条の頬に付着し、上条はいよいよ実感する。分かりきっていたことを、さらに強く。

(―――死ぬ)

目の前の少女は。

(これは本当に、死ぬ)

ギリ、と上条は砕けるほどに歯噛みする。
何の力も持っていない自分が情けなかった、悔しかった、許せなかった。
吹寄も、青髪ピアスも、姫神も、インデックスさえも。誰も彼も救えない自分を殺してやりたかった。

「認められるか……」

上条は手早く制服の上着を少女の体に巻きつけた。
驚く少女を無視してさっさと結んで少しでも流れ出る血を止めようとする。
しかし全くと言っていいほどに効果はない。その僅かな隙間から赤黒い液体が変わらずドクドクと溢れていた。

「なに、してるの……。早く、早く逃げなさい……!! わた、しはもう、直に私じゃ、なくなる……!!」

「クソ、認められるか!! こんなもんを認めてたまるかっ!! なんだってこれ以上、こんなふざけたことで一人だって死ななくちゃならねぇんだ!!
死なせない。もう誰も死なせたくない。頼むよ、生きてくれ。お願いだから、もう駄目だなんて言わないでくれ……っ!!」

滅茶苦茶なことを言っているという自覚はあった。
それでも、叫ばずにはいられない。どうしてこれ以上尊い命が理不尽に奪われなければならない。
一体何の権限があって、何の正当性があってこれだけの人間の命を奪っていくのだ。
せめて目の前の人間だけでも救いたい。そんな上条の願いは現実を何も変えはしなかった。

上条の叫びを聞いて、震える体を見て、少女は小さく微笑んだ。
死が大口を開けてすぐそこまで迫っているというのに。
いや、死ぬことすら出来ずに自分の体がひとりでに起き上がる ということを知っていながら、それでも。
最期の最期にこの少女は笑って見せたのだ。

「―――優しい、人ね……」

上条当麻はこの少女の命を救うことはできなかった。
ただ、最期の笑顔をこの少女に作らせたという事実には気付かなかった。

「ありが、とう。こんな、時でも、そう言ってくれる人が、いる、って、だけで……十分。
さあ、年上の言うことは、聞くものよ。急いで、ここから、逃げ、なさい……。私は、あなた、を、殺し、たく、ない……」

後半はもう何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。
声は掠れ、彼女の命の蝋燭が消えかかっているのが嫌でも分かった。

「……わた、しは、柳迫、碧美、っていうの。ありがと、う、ツンツン頭の、誰かさ―――」

もう上条にできることなど何一つなかった。
目の前の少女が死んでいくのをただ見ていることしかできない。
そして。少女の伸ばされた手が、上条に届く前に。
すとん、とあっさりと落ちた。

「――――――なんで」

心のどこかで思い上がっていたのかもしれない。
別に誰も彼もを救えるなんて思ってなかった。
何もかもを右拳一つでひっくり返せるなんて思ってなかった。
見返りだって求めてなんかいなかった。

それでも、上条が拳を握って戦う度に人の輪は大きくなり、何かを獲得していった。
中には妹達の一〇〇三一号のような僅かの差で救えなかった者もいた。
しかし一〇〇三二号は、上条が間に合った妹達は守ることができた。

心のどこかで、思っていたのかもしれない。
その場に居合わせれば救える。どんなに絶望的だって最後には何とかなる、と。
たしかに、目の前の少女だって上条がここに来た時には既に死ぬ寸前だった。けれど、確かにまだ生きていたのに。
上条は何一つ少女にしてやることができなかった。

分かっていた。この惨劇の幕が上がってしまった時点で、最初からノーミスクリアへの道なんて閉ざされていることくらい。
何の力もないくせに、何もできないくせに、ただ認めないだの死なせないだの勝手なことを子供のように喚いていただけ。
上条当麻なんてその程度だと、思い知らされた気がした。
知らずの内の錯覚を見透かされ笑われた気がした。

「―――クソったれ」


――――――『愉快なヤツだ。今まで、どれだけの人間のために立ち上がってきた。
       どれだけの事件を解決するために、その拳を振るってきた。本当に、お前は愉快なヤツだよ』


「……ちくしょう」

ガッ、と。上条の足首を何か冷たいものが掴んだ。
確認なんてする必要があるわけがなかった。最初から、少女はこう言っていた。
間もなく自分は自分でなくなる、早く逃げろ、と。
だから、こうなるのは分かっていた。何も驚くようなことではないのだ。

「あ ァぁ ぅうゥ ぅウ……」

この惨劇を生み出した悪魔のウィルスの侵食速度は感染者の健康状態に大きく左右される。
極めて重度の負傷をいたるところに負っていた彼女が、それに乗っ取られるのはあっという間だった。
これが結果だ。上条当麻の行動の先に出た、『救えなかった』という結果。


――――――『お前は自分の行動が本当に正しいことだと、確信を持っているのか?』


「……ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

強引に死人の腕を振り払い、上条は走る。

この惨劇の果てで、多くを救ってきたはずの少年は誰も救えない。

たった一人も。たった一つも。


浜面仕上 / Day2 / 11:41:11 / 第四学区 路上

それは、明らかに異様だった。
三メートルほどの身長。全身をくまなく覆う病的に白い皮膚。
心臓には何か赤いものが隆起していて、異常発達を遂げた左手にはそれぞれ一メートルはあろうかという長さの爪が伸びていた。
しかし、どこか『未完成』というイメージを感じさせた。

この街を席巻する化け物共とは違う。
浜面と滝壺は物陰に隠れ、それが過ぎ去るのを待っていた。
それは竜巻や台風といった自然災害と同じ。
抗う力も持たぬ彼らは、ただ怯えて身を潜めて待つしかない。

「…………」

ひたすらに耐え忍び、やがてその化け物は二人に気付かずにどこかへと去っていった。
浜面と滝壺は緊張に震えていた全身の力を抜き、ふうと深く息をつく。
溢れる亡者であれば、鉛弾をぶち込むことで動かなくしてやれる。
他の化け物も、一部例外を除けば殺せないことはない。

だが今の化け物は別だ。
あれは手持ちのおもちゃでどうこうできる相手ではないと嫌でも分かった。
超能力者でもあれば違うのかもしれないが、彼らにとってはどうにもならない化け物だったのだ。

「……なんなんだ、あれは」

「……自然に生まれたって感じじゃないね。多分あれは誰かが―――」

そこで不意に滝壺が言葉を切る。
何も言わず、まるで何かを思案するようにしている滝壺を怪訝に思った浜面が何事か口にしようとする。
すると滝壺はその白くほっそりとした陶磁器のような人差し指をぴんと立て、そっと浜面の唇の前に添えた。
黙っていろ、というジェスチャーだ。

それを受けて浜面が耳を澄ますと、何かのうめき声のようなものが聞こえてきた。
それはまともな人間の出すような声ではなく、まるで人ではない異形から発せられているようなもの。
現在の学園都市においてもっとも妥当な可能性は人肉を貪る生ける屍だが、

(……じゃ、ねぇな)

浜面はそれを否定する。
この声は狭間の者とはどこか違う。
かといって他の動物型の化け物のものとも違う。

「……今まで遭遇してない何か、だね」

滝壺が小さく呟く。聞いたことのないうめき声を発する何か。
現れる。新たな存在が。未知なる異形が、未知なる恐怖と脅威を引き連れて。

「――――――あ、あぁあぁぁあ……」

どこからか震える声があがった。
それは浜面のものだった。現れた『それ』を見て、浜面仕上が思わず漏らしてしまった声だった。
滝壺は『それ』を見て、ぴくりと顔の筋肉が動いた。抑えようとしたものの、表情が変わってしまった動きだった。

その異形は、腐肉を晒す亡者とは明らかに違っていた。
その身体は頭から足の指先まで半ば溶けるように崩れかけていて、水死体のように白くふやけてしまっている。
頭部には眼球はなく、その口には唇は存在せず、露になった上の歯茎からは顎に届くほどに発達した、もはや牙と形容すべき歯が三本伸びている。
手足は鉄球のような大きな肉塊に変質していて、指はなくなっている。しかし代わりのように鋭い棘が何本か伸びている。

……ただし。それらは、“左側の話”だ。
それの体は縦に見て右側と左側でまるで違っていた。
左側は白くふやけた水死体のような皮膚で覆われているが、右側は侵食されてはいるものの比較的人間の肌に近い。
おそらく今まさに変異の途中なのだろう。あまりにアンバランスなそれは、それ故に一つの現実を示していた。

比較的原型を留めているといえるそれの右側半分の顔。
それは郭という少女のものだった。髪は茶色で、生前は化粧も濃かったのだろう。アクセサリーもあちこちにつけられていた。
知り合いだった。服部半蔵に執着していた、いわゆる忍。しかしどこかずれていた少女。


――――――『け、けけけけけっけけ消さっ、浜面氏を消さないとォォおおおおおっ!?』


――――――『まっ、待って!! 待ってください!! うああ、そんなに哀しそうな目で走り去ろうとしないで!!
       わ、わわわ分かった!! 見せます!! おーっし、お姉さん今から見せちゃうぞー忍法!!』


――――――『ちょっ待て脱ぐな脱ぐな!! 目的なき色仕掛けは際限のないエロ地獄にしかならない!!』


「くっ……、ちくしょう……!!」

浜面の声は震えている。
こういう可能性だって、考えなかったわけではない。
それが分からないほど浜面は馬鹿ではないし、経験不足でもない。

では何が浜面を止めたのか。
答えは一つ、実感だ。

たとえ頭の中で最悪の状況を想定していても、どんなに決意したつもりでも。
いざその時になると簡単に止まってしまうなんてのはよくある話だ。
問題だったのは、その不足。浜面は昨日の朝にリビングデッドと化した半蔵と遭遇して以降、“一度も変異した知り合いと遭遇していない”。
そして一度も変異した知り合いを手にかけてもいない。それが致命的だった。

とはいえ、浜面の覚悟は揺るがない。
滝壺を守るためならばたとえ知り合いだろうと引き金を引く。
それはもう彼の中で決定していることで、相手が郭だって殺してみせる。
ただ。ただ、最後の一歩を踏み切るのが難しいだけで……。

「 ゥあ ぁぁぁ うゥゥ……。ハぁまづラ、シぃ?」

郭が、郭だったものが、人の言葉を発した。
ここまで変わってしまって尚、かろうじで人としての理性の搾りカスが残っているのか。
いずれにせよそれは浜面や滝壺にとって何もプラスをもたらしはしない。

「―――やめろ……」

その声は掠れていた。

「 はぁ まヅ らァ しィィィ?」

「やめろ……やめろ……っ!! 頼む……!!」

「 ハ まぁづ」

「俺の―――名前を呼ぶなぁぁああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

どうしてもこれ以上聞いていられなくなって、黙らせるために浜面は力に訴えた。
ショットガンを容赦なく郭に向けて放つ。その引き金を引く。

結果は明らかだった。
轟音と共に放たれた散弾は次々に郭の全身に突き刺さる。
その莫大な衝撃に後方へと大きく吹き飛び、そのまま地面へと叩きつけられた。
あちこちから体液を垂れ流しながらぴくぴくと震えるそれに、浜面はどうしようもないほどの衝動に襲われた。

「ぐ、うぅっ……!! ううぅうぅぅううぅぅぅううぅぅ……」

浜面仕上は無力感に打ちひしがれていた。
心のどこかで驕っていたことに気付かされた。
浜面は無能力者だ。何の特別な力も持っていない、ただの雑兵だ。

けれど、彼は間違いなく守ったのだ。
第二位の超能力者率いる『スクール』との衝突から始まる暗部抗争、そして度重なる第四位との死闘。
人類の三度目の過ち、第三次世界大戦。その中心地点で戦い続けて、それでも滝壺理后を守りきった。
それどころか、敵対して殺し合っていた麦野沈利さえも救い再び『アイテム』を結成するにさえ至った。

それだけの力がある。それほどの可能性を秘めている。
間違いなく浜面は無能力者であって、そこに疑問を差し挟む余地はない。
だが、それがイコールで戦えないことには繋がらない。何かを守れないことには繋がらない。
実際に結果を出している。誰かを、“滝壺以外の誰かすらも、救ってみせるという結果を”。

それだけのことを為しながら、それができるだけの力を持っていながら、誰かを見捨てることは正しいのか。
それだけの力があるのなら、もっと多くのものを守れるのではないか。
浜面仕上という人間はそれができる人間なのではないか。

そんな考えが自分でも気付かぬ深層に眠っていたのだろう。
こんなことになる前、誰かが目の前で危険な目に遭っていたら浜面はそいつを滝壺ではないからと見捨てていただろうか。
きっと手を差し伸べていた。いや、実際に誰かを助けたことがある。
自分はもうただの雑魚Aではない。変わったのだ、と。

では、今目の前に転がっているものは一体何だ。
この郭という名前だった少女はどういうことだ。
この惨状に、この現実に、浜面は震える。そしてその事実に、震える。

「ああああああああ……っ!!」

目の前の少女―――だったもの―――は滝壺理后ではないのに。
どうしても浜面は自身の震えを止めることができなかった。
知り合いの少女の悲惨な有り様に、思考が掻き乱されていく。

浜面の思考は混濁し、混乱し、混沌となる。
何がなんだか分からなくなったものが滅茶苦茶に溢れかえり、脳内を埋め尽くす。
思わず体勢がふらりと崩れ、倒れそうになった浜面を何かが抱き止めた。
滝壺理后だった。

「―――大丈夫だから」

何が大丈夫なのだろうか。分からない。
ただ滝壺は何かを言わずにはいられなかったのだろう。
たとえそれが何の意味もない言葉であっても、何かを口にしないではいられなかったのだろう。

滝壺が口を開いたのはその一度きりだった
浜面仕上と滝壺理后。二人はどんどんと仮面が剥がされていくのをひしひしと感じていた。


Files


File32.『書き捨てられたメモ』

神様、いるなら応えてください。これは現実か。それとも地獄か。
逃げ場なんてない。周りはイカれたの化け物だらけ!!
皆やられてしまった。生きている人間なんてもう誰も……。
半蔵様も見つからず、浜面氏も、誰も見つからず、もう動けない。
くそ。あんな奴らの餌食になるなんて!!

投下終了

今回の二シナリオは同じような路線になっています
密かに碧美さんの能力とか気になっているのですが、革命未明でも明かされませんでしたね
いつか明かされる日が来るのだろうか

次は美琴シナリオ

おつ
碧美さん密かに好き

一つ言い忘れてましたが、今回の郭ウーズは例によってT-ウィルスの突然変異という設定です
ただ原作ではウーズはT-ウィルスによるものではなく、T-アビスという別のウィルスによるものです

投下します

>>115
碧美さんいいですよね、もっと出番を……
原作超電磁砲でちょっとでも出てくれないかな



――――――『自分より先に絶対能力者が生まれンのが許せねェのか? それともこンな実験の発端を作っちまったことへの罪滅ぼしかァ?』


――――――『妹だから。この子たちは私の妹だから。ただそれだけよ』






現世で死に 天上で生きることを嘆く人があるとすれば
永遠の雨のさわやかなさまを ここの上でまだ見たことがないからに相違ない





御坂美琴 / Day2 / 14:31:24 / 第七学区 総合病院

「…………」

完全に壊滅しているその病院を前に、美琴は何も口にはしなかった。
分かっていたことだ。この悪夢にあってここだけが無事などまずあり得ない。
小さく温かい佳茄の手をしっかりと握り締め、美琴は粉々に割れ砕けた自動ドアから中へと入る。

この病院がかつて最大に機能していた時、ここには一人の凄腕の医師がいた。
『冥土帰し』の異名を取るその初老の男性は「神の手を持つ」とさえ評されるほどで、美琴も何度もその世話になったことがある。
患者のためなら何でもし、どんな手段を使ってでも患者を救う。
そのためならば清濁を併せ持ち、彼が敗北したことはたったの一度しかない。

だからこそ、だ。そんな彼がこの街を襲った未知の奇病について何も調べていないはずがない。
冥土帰しが存命ならば一番、そうでなくても彼の研究の痕跡が何か残っているはず。
あの冥土帰しがあの状況でもしものことを考えなかったはずがない。必ず何か残しているはずだ。
そう考えて美琴はここにいる。一縷の希望にかけて。

(……全く、まるで墓荒しね)

佳茄の手を引き、美琴は一歩院内へ踏み込んだ。
照明は砕け、窓ガラスは悉くが割れ、壁や天井すら一部崩れてしまっている。
観葉植物は倒れ、何らかの書類があちこちに散乱しており、能力を使用した痕跡や銃痕もいたるところに見える。
この病院内で感染が広がりパニックが広がり、戦闘が行われたのは明白だった。

「お姉ちゃん……? どうしたの……?」

頭に浮かぶのは『彼女たち』のこと。
ヘタクソな笑顔を零し、その生まれ方故存在そのものを禁忌とされながらも精一杯生きる彼女たち。
彼女たちは今、どうしているだろうか。


―――考えるまでもないだろう、御坂美琴。


「……ううん、何でもない。ちょっとボーッとしちゃった。さ、行きましょう」

硲舎佳茄。守らなければならない幼い少女。
他のことを考えている暇などない。とにかく今は佳茄だ。
そう、この少女が全て。だからその他は切り捨てる。
そう決めたはずだった。なのに、彼女たちだけは、

「絶対に離れちゃ駄目よ」

「…………」

佳茄がどんな顔をしていたのか、どんな目をしていたのか、美琴は気付かなかった。
だが隅に転がっている死体の異常さには気付いた。
佳茄は気付いていないようだがゴミのように放置されている複数の女性の死体。その全てが顔の皮が剥がされて真っ赤に染まっている。
強引に皮を剥がれている。それも顔面の。その異常性に美琴は戦慄する。

(……どういうことよ)

そして更に気付いた。
廊下の先、視界の最奥の辺りに蠢くものが見える。
美琴はそれを知っている。既に出会ったことがある。
両手を手首のところで大きな拘束具によって拘束されていた。
足首にも同様のものがついており、ボロボロの布着れを纏っており、その顔には何かよく分からないものが何重にもべたべたと貼り付けられている。

鎖の化け物。存在しないはずの『多重能力者』。
リサ=トレヴァーが、そこにいた。『ママ』と呟き、学園都市を徘徊する異形が。
そしてリサの前に女性の死体が転がっている。リサはその死体の顔を両手で掴み、

バリバリ、とその皮膚を強引に剥ぎ取った。

「―――ッ!?」

思わず美琴は息を飲む。
だが、リサはそこで止まらなかった。
剥ぎ取った顔。奪い取った顔。その皮膚を、

べたり、べたりと自分の顔に貼り付け始めた。

(まさか……まさかまさかまさか……あいつの、顔に何重にも貼り付けられてたあれは……っ!!)

奪い取った人間の、顔。
きっとあの化け物はずっと人間を襲ってはその顔を奪い、自分に貼り付け続けてきたのだろう。
何のためかは分からないけれど、顔を集めてきたのだろう。

リサに美琴と佳茄に気付いている様子はない。リサは二人に背を向け、ゆっくりと病院から出て行った。
美琴は立ち尽くしていた。ただその背中を呆然と見送ることしかできなかった。
裾をぐいぐいと佳茄に引っ張られ、ようやく美琴はハッとする。
ともあれ今は他にやるべきことがある。

「……行きましょう」

強引に今の光景を頭の片隅に追いやり、二人は歩き出した。

この病院には幾度も訪れているから構造も把握している。
荒れ果てて壁が崩れたりしていても道に迷うことはなかった。
ローファーでガラス片を踏み抜き書類を踏みしめ、二人は変わり果てた院内を歩く。
いつもやりすぎなほどに綺麗だった院内はもう見る影もない。
血と肉に彩られた廊下。風紀委員は既に潰れた。警備員は壊滅した。そして病院ももう機能していない。

もはや頼れるものなど何もない。
科学の最高峰、人類の叡智の結晶たる学園都市はその機能を停止している。
生き残りたければ己の手で道を切り開く他ないのだ。

……上等だ。必ず守ってみせる。
美琴は内心呟き、辿り着いた冥土帰しの部屋のドアを開けた。
キィィ――……、と軋むような音をたててドアは簡単に開き、二人をその中へ迎え入れる。
特別変わった部屋ではない。ただのオフィスと変わらなかった。
ただやはり物は部屋中をひっくり返したように散乱しており、その異常さはひしひしと伝わってくる。

「散らかってるね……」

ぴったりと美琴にくっついている佳茄が呟き、美琴はそれに釣られて床に視線を落とす。
散乱した様々なファイルや本。その中に目的の物が混ざっている可能性はないだろうか。
とりあえず目に付いたものを拾おうと屈んだ時、美琴はそれに気付いた。

照明も消えているこの部屋の中で、不自然な人工的な光を放っているものがある。
部屋の隅の方にあるノートパソコンのディスプレイ。起動した状態のままだ。

(……ま、場合が場合だし)

少し失礼してパソコンの中を覗かせてもらおう。
美琴の指先がマウスに触れると起動していたスクリーンセーバーが解除され、ショートカットがぎっしり並んだデスクトップが表示される。
見てみればテキストファイルともう一つ何かが開かれ最小化されている。
とりあえずそれを呼び出し、元のサイズに戻した美琴の目がスッ、と細められる。

テキストの出だしは「これが誰かの目に触れる時、僕は既に死んでいるだろう」。
なんとお決まりの始まりだろうか。
シークバーを下ろして読み進めていく。

この伝染病は未知のウィルスであることを突き止めたこと。
その解析を行うには明らかに時間が足りなかったこと。
ある大学にいる優秀な友人にデータを送り、二人で役割分担して作業に取り掛かったこと。
作業中に院内にもバイオハザードが広がったこと。
妹達に諭され、彼女たちが命がけで時間を稼いでくれている間に必死に作業を進め、何とか終わらせたこと。
友人が解析したデータと合わせれば、ワクチン作成に必要なデータは手に入ること。

「……やっぱり、あの子たちは」

妹達。もはや生きてはいまい。
けれど彼女たちは己の意思で最期まで戦うことを選んだのだろう。
冥土帰しというたった一人の男に全てを託し、その踏み台となることを望んだのだろう。
彼女たちの死は無駄ではなかった。



―――何を言っているんだ、お前は。


「……っ」

頭を振って余計な思考を振り払う。
今考えるべきは、今必要なことはそれではない。
開かれたテキストファイルを閉じ、最小化されていたもう一つのウィンドウを呼び出す。

(ビンゴ。案の定ね)

それは冥土帰しがひたすらに解析し尽したウィルスのデータ。
全てを懸けて、最期の最期まで全身全霊を込めて残した莫大な遺産。
何もかもを破滅へと導いた悪魔の正体。それが膨大な量のテキストや化学式、グラフなどで表されている。

無駄に終わらせはしない。
神の手を持つ男の最後の遺産をこのまま埋まらせなんてしない。

分かってる。これと、友人に送ったというデータを合わせてそこからワクチンを作り上げたとしても。
既に異形となってしまった人間は、二度と、元には戻らない。
この惨劇をなかったことにすることは、絶対にできない。

だが、それでも。誰か一人。それがあれば、たった一つでも尊い命を救うことができるかもしれない。
既に悪魔へと身を落とした自分でも。
そう。もしも佳茄が今後『感染』するようなことがあったとしても、これさえあれば救うことができるのだ。

「―――ありがとう、先生。貴方の残したものを無駄にはしない」

きっとこれは彼の望んでいたもの。
人の命を救う、生を肯定する。そのために人生を捧げた彼の想い。

「……ねぇ、お姉ちゃん。どうしたの……?」

「……ごめんね、佳茄。ちょっと集中させて」

佳茄が先ほどと同じ疑問を口にする。それを美琴は払った。
美琴の瞳にあるのは意思の炎だ。希望の光だ。
やっと、やっと掴んだ。いや、これは全て今は亡き冥土帰しの手柄だ。
それを見つけた自分はこれを有効に活用する義務がある。

不安げに美琴から離れない佳茄の頭にぽん、と手を乗せ。
手を離し、解析されたウィルスデータに視線を戻す。

「―――なぁに。安心しなさい、こんなもの、三分あれば十分よ―――ッ!!」

滝が流れるような速度でデータをスクロールさせ、記された悪魔の正体全てを確実に読破していく。
そのデータ量は膨大に過ぎる。あまりにも情報量が多すぎる。
しかしそんなことはものともせずに美琴は進む。
膨大な量のテキスト、複雑極まる化学式、何を示しているのかすら分からないようなグラフ。

どれか一つでも見逃せば、どれか一つでも誤読すれば、どれか一つでも解釈を誤れば全ては破綻する。
だが美琴は恐れない。己の頭脳の全てを余すことなくフル回転させ、超能力者たるその本領を遺憾なく発揮する。
スクロールは異常なスピードでひたすら下へ。間もなく最後に辿り着こうかというところで。
その時だった。


――――――フフフフ。


「―――っ!?」

どこからか女の笑い声が耳を叩いた。
まるで生きた人間の声。だが人間ではあるまい。
生存者などもうここにいるはずもないし、いたとしてもこんなにも不気味に笑うとは思えない。
背筋から這い上がり脊髄から凍て付かせるような笑い声。

「お、お姉ちゃん……!! 危ないよ、早く行かないと……!!」

佳茄が美琴からもらった常盤台のブレザーを片手で握りしめ、美琴の足に縋りつく。不気味な笑い声はどんどん近づいてくる。
じわじわと、ゆっくりと。恐怖に怯えるその様子を楽しんでいるように。


――――――アハハハハハハハ。


「……大丈夫」

美琴は乾ききった唇を舐める。
既にデータは読破済み。完全に記憶に刷り込むための作業を頭の中で超高速で行う。
笑い声は一層大きくなる。もう、すぐそこにいる。

「お姉ちゃん……っ!?」

「―――っ、もう、終わるから……っ!!」

全て読むのに四五秒。反芻するのに四一秒。自分の記憶と画面を照らし合わせるのに五九秒。
―――完了。

「――――――!!」

美琴が佳茄を抱えてその場を大きく跳躍したのとほぼ同時。
数瞬前まで美琴と佳茄がいた場所の天井を突き破り、上から赤く染まった巨大な腕のようなものが飛び出してきた。
上から伸ばされたそれは冥土帰しのパソコンを完全に破壊し、ずるずると天井へと引っ込められていく。
動くのがもう少し遅かったら貫かれていただろう。

廊下に飛び出し、走る。
無菌室か何かなのだろうか、廊下から中が見れるように一面ガラス張りになっている部屋の前で美琴は一度止まる。
巨大なガラスに手をつくが、その腕は小さく震えていた。
先ほど、得体の知れぬ腕が飛び出してきた時に見えたもの。
あれは、どう見ても―――。













「  見 ぃ ぃィ ツ け ぇ   タ ぁぁぁ」













グチュ、という粘着質な水音が響いた。
一面のガラス張りに、いつの間にかべっとりと夥しい量の血が塗りたくられていた。
ガラスの向こう側に赤い手が押し付けられている。
人影が、見える。

だが。それを、果たして『人』影と表現していいのだろうか。
真っ赤な血と共にガラスに押し付けられた手の内、左手は五本の指を持ち人間の形を止めている。
しかし右手は指が六本に増えており、それぞれが異様に伸び、そして右手は二つに割れていた。
六本の指を三本ずつ半分に分けるように、手から肘のあたりまでが真っ二つに裂けてしまっていた。

そんなあり得ない右手。その中でも特に人差し指は異常極まっていた。
あり得ないほどに太く、長くなった人差し指から枝分かれするように更に三本の指らしきものが伸びていた。
掌から五本の指。木の幹から枝が伸びるように、その中の人差し指から三本の指のようなものが生えている。

その髪は一本一本全てがくっつき、髪全てが一つの大きな塊のようになっていた。
その塊は奇妙な黄土色に変色し、まるでゼリーのように変質してしまっている。
もはや元が何かも分からぬ物質へと変貌したそれは、元々の髪の長さを遥かに超えて伸び、頭から顔に絡みつくように垂れ下がり顔の三分の二ほどを覆い隠している。
足にはぬめぬめとした触手のようなものがぐるぐると巻きついている。

「 お  ォ ぉぉ ね ェサ  まぁぁぁぁぁ ー? ひヒヒヒひひヒひヒヒひひひひヒひヒひヒヒヒひ」

だが。それでも胸から腹辺りの胴体は血に塗れてはいるものの、その原形を留めている。
この異形の化け物が、まだ人間であった時に着用していた衣服が分かる。
学生服。この街のほとんどの住人が着ているもの。
しかしそれは隠せない気品を放ち、それを身に纏っている者がいれば誰もが振り向き、その名を口にする特別な制服。

常盤台中学校。美琴の通っていた学校、その制服。
美琴を「お姉様」と呼ぶ人間。
そして何より、この声。
果たして、この無残な化け物は何者だったのだろう。

「――――――……死んだ、のか。アンタ」

分かっては、いた。分かっていたのだ。
その首から提げられたままの、真っ赤に染まったネックレス。
およそ一万の彼女たちの中にあって、彼女を他の個体とは異なる彼女たらしめるそれ。

「―――お、姉、ちゃん?」

佳茄がガラスに全身を押し付けて笑う化け物を見て、呆然とした様子でぽつりと呟く。
頭頂部から垂れ下がる大きく長いゲルのようなものに顔の三分の二ほどが覆い隠されているも、そこから覗く顔と。
何よりその声は紛れもなく御坂美琴のもので、けれど美琴は佳茄の隣に立っている。

御坂妹。そう呼ばれていた、一〇〇三二番目の美琴の妹。
―――流されるな、と美琴は強く唇を噛む。

お前には全てを守ることなど出来はしない。
だから彼女たち三人をその手で殺す結果となったのだろう。だから彼らを見捨てたのだろう。
全てを捨てて一を守る。お前の細腕では多くは抱えきれぬ。隣にいる幼い少女一人さえ守れればそれでいいのだ。
人の死に悲しむ心など足枷でしかない。親友をその手にかけた瞬間から、そんなまともな感情は捨て去ったのだろう。

「 あ ァ ァぁ そ ぉォ ん デぇ と み サかハ、ふフフふふふフふふフフふフふフふひィひヒヒひヒひひヒヒヒひひヒひヒ」

「……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」




――――――小さい頃、私が泣くようなことは眠っている間にママが全部解決してくれた




妹達。彼女たちは美琴にとって確かに特別だった。
美琴は今まで守るべきものに優先順位をつけてなどいなかった。全て等しく大切なのだから、つけられるはずもなかった。
けれど、それでも尚序列をつけるなら。きっと最優先には妹達が置かれるべきだったのかもしれない。
もはや何でもいい。全てはもう起こってしまったことだ。

だが、彼女がこうなったのは自分に責任の一端があるのではないか。
―――それがどうした。この悪夢の世界にあって、尚守りたいものがあるなら悪魔にだってなれ。
何をまともな人間の振りをしている。一切の感情を殺せ。
冷徹に冷酷に、顔色一つ変えずに誰かを殺せるような、そんな存在になったのではないのか。

「…………ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」




――――――この光景も昨日からの出来事も全部悪い夢で




低く、必死に何かを噛み殺すように唸る。
彼女たちは、特別だった。自分が原因で作り出された歪な命、空っぽの器。
だからこの手で守りたいと、そう思っていたはずなのに。その人間らしい心の成長を見守っていきたいと考えていたはずなのに。

(―――……一体何を、やってんのよ、私)

このザマは一体、何だと言うのだ。

「ミサ かは、イぃひヒひひヒ、みサ、みサカ はミさかの、ごぉォォち そぉ ォぉぉォぉォお!!」













――――――目が覚めたらなかったことになればいいのに












御坂妹だった化け物が、動いた。
その動きは俊敏の一言。のろまな亡者共などとは比較にもならない。
生者が走るよりも早いほどのスピードで御坂妹の形を僅かに残した異形は二人に襲いかかる。
佳茄は動けない。まるで魂が抜けたように立ち尽くしている。
果たして美琴と同じ姿をした御坂妹の名残を残すこの化け物が、佳茄にどれほどの衝撃を与えたのか。

御坂妹の顔は頭頂部から垂れているものによって大部分が隠れている。
その顔が横一文字に真っ二つに割れ、そこから巨大なストローのようなもう一つの口がずるずると這い出てきた。
狙いは佳茄。文字通りの化け物と化した御坂妹が、佳茄を襲おうとしている。
美琴は咄嗟に雷撃の槍を放とうとして、


――――――『まさかクローンなんて死んでも構わないなんて思ってんじゃないでしょうね』


――――――『人殺しみてェに言うなよ。俺が相手してンのはボタン一つで作れる模造品だぜ』


「…………っ、ああああああああああッ!!」

撃つ。雷撃の槍を、激情に濡れた攻撃を、御坂妹と呼ばれていたものへと。
拍子抜けしてしまうほどあっさりと白雷は異形を撃ち抜き、その体を容易く吹き飛ばしあまりのジュール熱に焼き焦がす。
美琴が普段かけている出力限界を遥かに振り切った一撃。人間の命を奪うには十分すぎる一撃。

御坂妹だったものは全身を襲うあまりの痛みに陸に打ち上げられた魚のように激しくのたうち回る。
全身を暴れさせ、立ち上がることもできずに、耳を劈くような絶叫をあげて。

「 イ ぃぃィぃタぁぁい イ ぃィぃイィいい!!!!!!」

かつて御坂妹だったものは痛みに悶えていた。死に直面していた。他ならぬ、美琴の手によって。
御坂美琴の声で。御坂妹が。苦しみのあまり。助けを求めている。

「 や メテェぇぇェ……オぉね がぁい ィィシ まぁぁす、と ミサかは、こわイぃぃ…… だレか だぁすケ でくダさいィぃぃぃ……」


――――――『そろそろ死ンじまえよ。出来損ないの乱造品』


――――――『生きてるんでしょ!? 命があるんでしょ!? アンタたちにも……あの子にもッ!!』


――――――『「妹達」だって精一杯生きてきたんだぞ。全力を振り絞って、みんな、必死に……。何だってテメェみてえなのに食い物にされなきゃなんねぇんだ』


「 サむいィぃ……クル しぃぃイ……」

御坂妹だったものは尋常ではない激痛にのた打ち回りながら、それでも少しずつ、少しずつこちらにずるずると這い寄ってくる。


――――――『あの「実験」は色々間違ってたけどさ、「妹達」が生まれてきたことだけはきっとお前は誇るべきなんだと思う』


――――――『ミサカのために命も捨てようとした困った姉です』


「お イテかないデくだサイィィぃぃぃ……」

二つに割れ完全に変形してしまっている右手で床を掻き、得体の知れないものが絡み付いている足を暴れさせ。
美琴の中の何かがギシギシと締め付けられ、そして。




――――――何でも解決してくれるママはここにはいない




「  お ねぇ サ まぁぁー、すキで ぇ とミさ ヒひひヒひヒヒひフふふフふフふふふフフふフふ、 チ ちょ ォぉォォぉ ダぁァいィぃいィィいィぃぃ?」

どうしようもない化け物と成り果てた御坂妹。
もはや何を言っているのかも分からない。分からないけれど。




――――――困った時だけ神頼みしても奇跡が起こるわけじゃない





――――――『さようなら、お姉様』


――――――『もう一人も死なせやしない!!』


――――――『ミサカにも生きるということの意味を見出せるよう、これからも一緒に探すのを付き合ってください、とミサカは精一杯のワガママを言います』



それを聞いて、美琴の中の何かが決定的に砕けた。

「ッッッ―――――!! ああああ――――――ああァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

美琴の身に宿る超能力者、超電磁砲の力が弾け。

(その声で……その姿で……っ、もう―――……私の前に現れないで―――ッ!!)

雷神の嘆きが天より悉くを飲み込む燦然たる輝きを下ろし、刹那で全てを埋め尽くし。
そしてその瞬間、この総合病院は地図から消滅した。





荒れ果てた大地に、積み上げられた瓦礫の山。
かつて何らかの建造物が存在したことを証明する残骸。
世界の法則の四分の一を統べる雷神の一撃は、病院に留まらず辺り一帯を完全に破滅させていた。

何もない。あるのはただ破壊の爪痕。
それは戦場跡のようで、爆心地のようで、神罰の結果だった。
天を突かんばかりに立ち並んでいた周囲の摩天楼は無数の瓦礫へと成り果てていた。
整然と整備されていた道路も、標識も、店も。付近のものは悉くが形を失っていた。

「―――最っ低だ……」

そんな原子爆弾の投下跡のようなそこに、座り込んでいる人間がいた。
このどうしようもないほどの破滅をもたらした人物。
御坂美琴。形を残しているのは破壊者である彼女本人と、その庇護を受けた硲舎佳茄の二人のみだった。
その他のものは全て破壊され、滅した。

「……上明、大学」

ぽつりと呟く。先ほど確認したそれは冥土帰しの友人がいたという場所。
ウィルスのワクチンを作成するために必要なデータの欠片がある場所。
美琴が行かなければならない場所。

なのに何故だろう。立ち上がる力が一向に湧いてこない。
このまま何百年でもここに座り込んで、そのまま朽ちていきそうな気さえする。

情けない、と美琴は思う。結局揺らいでしまった。妹達だろうと何だろうと、顔色一つ変えずに殺せなくてはならなかったのに。
人を殺せないようでは生き抜くことはできない。命を奪うことを躊躇っているようでは、守りたいものひとつ守ることはできない。
だったら選択肢なんて初めから一つしかなかった。




「――――――……けて、ママ―――……」




ぽつりと、誰にも聞こえない小さな呟きが零れる。その声は酷く震えていて、掠れていた。
泣いているようで、怒っているようで、悲しんでいるようで、笑っているような顔だった。
このどうしようもない世界で、美琴は独り座り込んでいた。


――――――泣き叫んでいたらそれを聞いて駆けつけてくれるヒーローなんていない


当然のことだ。それは世界はそこまで最適化されていないだとか、現実はそんなに優しくないだとかそういう話ではない。
何故なら御坂美琴はこの惨劇の世界において、救われるべきヒロインの立場ではない。
むしろその逆。彼女こそがヒロインを救うヒーローなのだ。ヒロインのロールは硲舎佳茄という名の幼い少女に割り振られている。

美琴自身がそれを選択した。佳茄を守りたいと思ったのは美琴だ。
泣き叫ぶ佳茄に優しく手を差し伸べたその瞬間、彼女は佳茄のヒーローになった。
ヒーローを救うヒーローなど存在しない。もしヒーローを救う存在があるなら、それはきっと。

「……お姉ちゃん。もう―――いいよ」

本来救われるべき、ヒロインなのだろう。
佳茄はその小さい体を限界まで広げ、顔を俯かせて座り込んでいる美琴に抱きついた。
これだけの破壊を行った美琴を恐れる素振りは全くなかった。

「私のことなんて、気にしないで」

泣いていた。佳茄の瞳から宝石のような美しい雫が流れていた。
このイカれた世界を丸ごと吹き飛ばしてくれそうな、そんな輝きを放っていた。

「強くなくたっていい。かっこよくなんてなくてもいいよ!!
もう、私のためなんかに頑張らないで。お姉ちゃんに嫌な目にあってほしくない!!」

佳茄は気付いていた。気付かぬはずがなかった。

「……お姉ちゃんに……あんな顔してほしくないよ……」

食蜂操祈を撃ち抜いた時に見せた、白銀の如き冷徹な瞳。
旧セントミカエル時計塔で彼らに対して口にした、絶氷の如き冷酷な言葉。

そのどちらもが本来御坂美琴が持ち得ぬものであり、持ってはならぬものだった。
美琴は救うべき人間とそうでない人間を線引きしてしまった、それが出来てしまったのだろうと。
実際はここまでしっかりした思考ではないけれど、意味としてはそんなことを佳茄は漠然と思っていた。

「切り捨てる」ことを覚えてしまった。それはたしかにこの狂った世界では必要なことなのだろう。
だが一万の命を救うために一の命を見捨てなければならない状況であるなら、御坂美琴は必ず一万と一の命を救ってみせる人間だったはずなのだ。

誰かを救うために誰かを切り捨てる。何かを守るために何かを壊す。
そんな矛盾を、犠牲を、必要悪を、彼女は絶対に認めない。
それはとある少年と同質の特性であり、ヒーローと呼ばれるものが有するもの。
そうして美琴は生き、戦ってきた。

しかし。何かのために一切を切り捨てないというそのスタンスには、たった一つだけ究極の例外が存在する。
その例外に当てはまった場合、美琴はその犠牲を已むなしと判断する。
即ち切り捨てる対象が己自身のケース。

かつて妹達のために自身の命を投げ出そうとしたのもそうだろう。
今回も同じだ。佳茄を守るために美琴が切り捨てたもの、それは一体何なのだろう。
誇り。尊厳。倫理。人間性。甘さ。希望。きっとそういう類のものに違いない。
端的に言えば、美琴は人であることを放棄した。

助けを求める人間を容赦なく一蹴できる。
一のために何人もの『元』人間を顔色一つ変えずに虐殺できる。
そんな悪魔に身を堕とし、そんな鬼畜の所業を行うことを許容した。
そんなことができる人間はもはや人ではない。

美琴はそのような場面にあっても全てを守り抜き、かつ自身の手を汚さぬ気高さを持っていた。
だが、今度ばかりは、無理だった。親友が脳を剥き出しにした四足歩行の化け物になって、全身を腐敗させたリビングデッドになって。
それと対峙して、『殺意』でも『敵意』でも『憎悪』でもなく、『食欲』を向けられて、尚その気高さを貫くことはできなかった。
一四歳の中学生。全てを完璧に振舞うことなど出来はしない。

その絶対零度の凍て付く眼も。吊りあがった鋭い眉も。
研ぎ澄まされた刃のような言葉も。

「……もう、私のこと守ってくれなくてもいい」

全ては急ごしらえの付け焼刃。冷酷になった振りをしていただけ。
たった一人の妹達に、その仮面を全部剥がされてしまった、
硲舎佳茄に、その仮面の内を全部見透かされてしまった。
畢竟、御坂美琴に悪魔に完全に魂を売り渡すことなど出来なかったのだ。

そして。美琴がそこまでしなければならなくなったのは、佳茄がいたからだ。
この幼い少女を守りたい。いいや―――守らなければならない、その使命感。

佳茄がいるから美琴は悪魔と契約することになった。
佳茄がいるから美琴は背負わなくてもいい余計な重荷を背負うことになった。
佳茄がいるから美琴は味わわなくてもいい苦しみを味わうことになった。

で、あれば。―――硲舎佳茄さえいなくなれば。彼女を守る必要がなくなれば。
そんなことは、佳茄自身が一番分かっていた。
旧セントミカエル塔にて、佳茄が彼らを助けてあげてと美琴に言わなかったのもそれだ。
あの時佳茄が美琴にそう頼んでいたら、もしかしたら美琴の対応も違っていたかもしれない。

けれどそうなった場合、彼らを守ることになるのは美琴だ。佳茄にその力はない。
美琴に頼むのは簡単だ。しかしその結果、美琴に余計な重荷を背負わせるのが佳茄は嫌だった。
大好きなお姉ちゃんの重荷になるのが嫌だから、少女は精一杯の勇気を振り絞ってこう告げるのだ。

「―――ありがとう、お姉ちゃん。私のために頑張ってくれて、ありがとう。
でももう大丈夫。私は一人でも大丈夫だもん。お姉ちゃんは、自分のことに集中して」

お化けだって怖くないもん、私はえらいから。そう言って佳茄は胸を張る。
……怖くないわけがない。たった七つの女の子が、腐肉を晒す生きた死体や形容できぬような化け物が恐ろしくないわけがない。一人で大丈夫なわけがない。
学園都市を跋扈する魑魅魍魎たる異形共。既にこの街は機能を停止している。
そんな化け物が席巻する死の中を佳茄一人で生き抜けるはずがない。きっと、ろくに抵抗も出来ずにすぐに死ぬ。

「えらくない!!」

美琴の声に佳茄は思わずビクッと体を震わせた。
美琴の体も、声も、震えていた。
へ行かなければならない場所があるのに、そんなことを気にする余裕などなかった。

「もうこの街には恐ろしい化け物がうようよしてるのよ!?
子供一人でどうにかなるはずない!! そんなことしたら……ッ!!」

「……お姉ちゃん?」

顔を俯かせて、血が滲むほどに拳を握り締めて震える美琴。
あまりの情けなさに死んでしまいたかった。

自分が不甲斐ないから、佳茄に余計な気を遣わせてしまった。
自分が無様だから、佳茄にこんな決断をさせてしまった。
果たして美琴のこれまでの意思と行動は佳茄を苦しめるためだったか。
自分は何のために戦っている。何を為すために生きている。何を欲して動いている。

自分でも、もう分からなくなっていた。

「―――……そうじゃない……。そうじゃ、ないのよ……違う……」

人間性と同時に捨てたはずの涙が、その目に溢れていた。
悪魔は持たぬはずの、人の証が戻っていた。

「もう嫌……違う……違うのよ……。違う……っ、私は……私は……っ」

そして。同時に何かが壊れた。しかしそれは壊れてはならぬものではない。
きっと壊れて良かったものだ。

「どうして……こんなことになっちゃったんだろう……。ほんの少し前まで、みんな笑って暮らしてたのに……。
私―――……何がしたかったんだろう……。何なのかな……掴みたいものがあって、ただ、守りたくて……」

「……お姉ちゃん……泣かないで……」

美琴からもらったお守りのブレザーを握り締め、佳茄のほっそりとした綺麗な指が美琴の頬を伝う透明の雫を掬う。
まるで罪を懺悔する信者とそれを聞き届ける小さく幼い修道女。

「―――もう、やだよ……。ごめ、ん……。ごめん、なさい……!! ごめん、ねぇ……っ!!」

「お姉、ちゃん……。泣かな、いで、ってばぁ……!! ぅぅぅぅ……うわぁぁあああああああああああん!!!!」

その繰り返される謝罪は、硲舎佳茄に向けたものだろう。
しかしそれだけだろうか。御坂妹。白井黒子。佐天涙子。初春飾利。食蜂操祈。切り捨てた人たち。
あるいはその誰でもない何か。とにかく、美琴はごめん、と繰り返しながら子供のように泣き続けた。
佳茄もまた、ダムが決壊したように延々と泣きじゃくった。わんわんと叫びながら、泣きじゃくった。

二人の迷子の子供は、幾多の亡骸の上でひたすらに泣いた。
帰り道を見失った迷子の子供は、泣くことしかできなかった。
そして。彼女たちはこの惨劇を、そしてこの惨劇を許した世界を呪った。





―――全能の神、憐れみ深い父は、御子神の子の死と復活によって、世を御自分に立ち帰らせ、罪のゆるしの為に聖霊を注がれました。
神が、教会の奉仕の務めを通して、あなたに、ゆるしと平和を与えてくださいますように。






Files


File18.『誰かが書き残した手記』

Sep.05,20XX

注射で頭がボーっとする。
お母さんに会えない。どこかに連れていかれた。
二人で脱出しようって決めたのに私だけ置いていくなんて……。


Sep.06,20XX

お母さん見つけた!!
今日の食事は、お母さんと一緒!! 嬉しかった。

違う、偽者だった。外は同じだけど中が違う。
お母さんを取り返さなくっちゃ!! お母さんに返してあげなくちゃ!!

お母さんの顔は簡単に取り返せた。
お母さんの顔をとっていたおばさんの悲鳴が聞こえたけど、お母さんの顔をとっていた奴の悲鳴なんか気にしない。

お母さんは私のもの。誰にもとられないように私にくっつけておこう。
お母さんに会った時、顔がないと可哀想だもの。

File32.『御坂妹の手帳』

大変なことになりました。得体の知れないウィルスにより、学園都市は壊滅的打撃。
人類の叡智の結晶たる科学都市は、その高度な科学力によって破滅しました。
あの方によるとこのウィルスは自然界のものではなく、人為的に作られたものであるとのこと。
であれば、ワクチンを作り上げることも可能であるはず、とミサカは逸る鼓動を抑えます。

化け物の襲撃、院内からのパンデミックが発生しました。
いつかこうなることは分かっていました。来るべき時が来たのです、とミサカは僅かな合間を縫って自らの生の証を書き殴ります。
ミサカたちのやるべきことは分かっています。先生たちを守り、少しでも時間を稼ぐこと。
簡単にこの命をくれてはやりません。あの人とお姉様に救われたこの命、安くはないのです、とミサカは決意を新たにします。
お姉様とは今度買い物に行く約束をしていますしね、とミサカはめぼしいものをリストアップします。

それにしても。響く悲鳴と絶叫、飛び交う銃弾と血。
まるでバーゲンセールのように人の命が安くなり、瞬く間に幾つもの命が失われていく。
……ふざけるな、とミサカはこの光景にかつての記憶を重ね合わせ怒りに打ち震えます。
よりにもよってこんな光景をこの場所で見ることになるとは。
はっきり言って最低な気分です、とミサカは吐き棄てます。


頭が割れそうな痛み……
片目も取れて見え辛いしとても気分が悪いです。

それに腕もおかしくなってしまいました。
右手が真っ二つに裂けています。






血みどろで骨が見えていますし、






どこかで治さなければ






あとは血で汚れて読めない……

投下終了

みんなのトラウマレイチェル回でした
リベレーションズやったことないって人やそもそもバイオハザードやったことねえって人はこの17分30秒くらいからをどうぞ(自己責任)
このシーンだけは日本語音声の方が怖いと思います

ttp://www.youtube.com/watch?v=mRgdrSKbPBw

これで美琴のターンはとりあえず終わり
次は垣根シナリオの予定

また言い忘れてましたが、もし以前の打ち止め一方通行シナリオで打ち止めを殺すか逃げるかのライブセレクションで逃げるが選ばれていた場合、
今回の美琴シナリオに御坂妹に+で打ち止めor番外個体が追加されていました


美琴達には生き残って欲しい

もうエネミー多すぎてなにがなんだかわからん

ドラゴンボール新作劇場版、神と神の続編製作決定!!
前に言ってた通りならベジータメインに……ベジータが一番好きだから本当楽しみすぎる

というわけで喜びの投下、知った時は叫んだ
禁書か超電磁砲もまた劇場版やってもいいのよ

>>150
なお
いやまだ分からないですけど

>>156
極一部除いて別にどんなクリーチャーかとか覚える必要はないので、最悪色んな種類の化け物がいるよって程度の認識でも問題ないかと





ヴェルトロはすべての家々から獣を狩り出すだろう
獣が地獄へと追いやられるまで
根源的な妬みこそが獣を解き放つのだ





垣根帝督 / Day2 / 10:00:52 / 第八学区 カジノ『セミラミス』

学園都市は科学の中枢であり、世界で最も高度に発達した街だ。
如何な学園都市とはいえあくまで『街』であり国家ではない。
その所属は結局のところ日本だ。

学園都市は日本の一地域に過ぎない。
それはあくまで建前であり、事実上の独立国と言っても過言ではないというのが大多数の見方ではある。
しかしながら表向きそういうことになっているので、日本の法律のほとんどは学園都市内にも適用されていた。

その一つに刑法一八五条および一八六条、賭博及び富くじに関する罪がある。
これにより日本は賭博行為を禁止しているため、国内にカジノというものは設置されていない。
だがいつの世も往々にして決まりに反する人間はいるものである。
半ば独立国家であり、様々な種類の『闇』が蠢くこの科学都市では殊更にその傾向が強いのだった。

「……第八学区にカジノなんてあったのね。知らなかったわ。そういう学区じゃないと思っていたけど」

「第五学区や第一五学区辺りにあるカジノの方が名が知れてて霞んでるが、こっちのも相当デケェぞ。この辺りには偽装した風俗店とかもあるんだぜ」

「……行ったことあるの?」

「ねえよボケ。……なんでちょっと拗ねてんだお前?」

地下へと続く階段を下りながら垣根と心理定規は言葉を交わす。
当然彼らは何もカジノで豪遊しようというわけではない。
ただ安全な通り道として利用しようとしているだけだ。
このカジノは地下に存在しており、いくつかある出入り口は厳重にロックされているため中に死人共はいないだろうと踏んだのだ。

「あっ、」

靴底でジャリジャリと砕けたガラス片や紙屑を踏み抜きながら階段を下りていると、不意に心理定規が足を踏み外した。
ぐらりとバランスを崩した彼女の体は、しかし倒れる前に咄嗟に手を伸ばした垣根に受け止められる。
何やってんだとでも言いたげな垣根に、心理定規はばつが悪そうに顔を背けた。

「……ごめんなさい」

「別にいいけどよ。疲れたか?」

「全然大丈夫よ。ちょっと気が抜けただけ。
……それより、随分大きなカジノね。よくこれだけの規模で摘発を食らわないもんだわ」

垣根から離れて再び歩きながら話題を変える。
その垣根も特に追求するつもりはなく、素直に話に乗ることにした。
考えてみなくとも疲れているなど至極当然のことなのだ。

「ここと、あと第一五学区のもだな。バックに統括理事会の一人がついてやがる。だから免れてんだよ」

「なるほどね。に、しても……本当にこの街の裏側はなくならないわね」

「光しかねえってのもそれはそれで、な。大体なくなってたらそもそもこんなイカれた事態にはなってねえよ」

もっともだわ、と一人呟く心理定規と並んで垣根は一つのドアの前でぴたりと立ち止まる。
これが最後のドアだ。ここを進めばようやくカジノ内に入ることができる。

「……ねえ。やっぱり行くの? 正直すごく嫌なんだけど」

「あの表通りを行くよりマシじゃねえ? なんか見たこともねえ化け物がうようよしてたじゃん。
……いや、俺の読みが外れたことは素直に認めるけどよ」

「もう思い切りあーあーうーうー言ってるのが聞こえるじゃない。大合唱よ」

「腹ぁ括れってことだろ―――行くぞ」

カジノの中はやはり狭間の者共が大量に蠢いていた。
その全てを相手取ってなどいられない。二人は進路上にいる者だけを薙ぎ倒し、強引に突き進んでいく。

心理定規の放った榴弾が腐敗した肉体を破裂させ、ゲル状に変質した血と腐肉がずらりと立ち並ぶスロット台をグロテスクに彩る。
垣根に飛ばされたアンデッドの頭部が、トランプの並べられた緑のテーブルの上にごろりと転がる。
あらゆる方向から伸ばされる死者の青白い腕が突然何かに切断され、二人に届く前に烈風や衝撃波によって薙ぎ払われる。
地獄の中に更なる地獄を生み出しながら、二人はひたすらに突き進んだ。

「っ、ふう……。なんとか、切り抜けたわね……この区画にはあまり連中はいないみたいね」

中腰になって両膝に手をつき、ぜえぜえと乱れる息を整えながら心理定規は呟いた。
額に浮かぶ玉のような汗を拭い、きょろきょろと周囲を見渡す。
どうやらここはカジノの表エリアではなく、裏側……従業員用のスペースや発電などを行っている区画らしかった。

「いいや……まだ、だ」

しかしひとまず力を抜く心理定規とは反対に、垣根は未だ油断なく目を細めている。
それに気付いた心理定規が息を押し殺して耳を澄ますと、それは聞こえてきた。
おそらくは呼吸音。激しく乱れた、不規則で、生物的な声が呼吸に合わせて僅かに感じ取れる。
ハッ、ハッ、ハッ……。まるで全力で走った直後のような不気味な声。

今更これが生きた人間の出す声だなどと眠たいことは二人とも考えない。
来る。何かは分からないが、とにかく警戒すべき何かが来る。
今のうちにここを離れるべきか、背中を向けるのを避けるべきか。
僅かな逡巡に足を止めている間に、それはゆっくりと姿を現した。

全身は灰色一色に覆われていた。穢れ、汚れ、おぞましさ。そういったものを感じさせる黒に近いグレー。
頭の天辺から足の指先までが全て灰色の体表に覆われていた。
目はすぐには確認できないほどに、おそらくは退化している。

そして口は鼻の辺りまで縦に大きく裂けていた。

「 は ァっ、ハ っぁぁ、ハァっは ァ、はッ……」

五本の指先からは例によって鋭い爪が伸び、薔薇の棘のような小さな針が全身から生えていた。
まるで痙攣を起こしているように全身を小刻みに震わせながら、荒々しく不規則な呼吸を繰り返してこちらにゆっくりと近づいてくる。
化け物だった。二人が初めて見る化け物。詳しいことは分からない。分からないが、

「不明なら不明のまま叩き潰しゃあいいだろ」

垣根はすっ、と右手を伸ばし、横一閃に振るった。
その動きに追従するように不自然な空間の歪みが生まれ、それは垣根の意思のままに刃となって撃ち出される。
カマイタチの如きその一撃を食らった化け物は、為す術もなくその上半身と下半身を分断された。
どさり、と鈍い音をたてて体液を散らしながら化け物の上半身は床に落ちる。

「……圧倒的ね」

「……まあ、超能力者なんてのは全員が全員とも怪物染みた力を持ってるからな。
だがそれはそれほどの力を持ってるってだけで、俺たちは紛れもなく人間―――ッ!?」

背後に。
気配。

「―――あ、」

振り返った心理定規の視界に映ったのは、ずらりと並んだ牙のように鋭い歯だった。
それが、大口を開けた先ほどの化け物のものだと……自分に食らい付こうとしているのだと、気付いた時には遅かった。
既に化け物の口はほぼ零距離にある。今から避けることなど出来はしない。
死、という言葉が彼女の頭をよぎったその時だった。

「チィィィィッ!!」

突然心理定規と化け物とを隔てるように、白い何かがせり上がって来た。
壁のようなそれは一瞬で両者を隔離し、化け物の歯は虚しく空を噛む。
その壁……白い翼を操り滑り込ませた垣根帝督は眼前の化け物を睨む。

化け物の体は垣根によって分断されている。再生などされていない。
この化け物は、上半身のみになっても尚活動を続け、その残された体をしならせバネのようにして大きく飛び跳ね、襲ってきたのだ。
油断。その二文字が垣根の中で渦巻く。

分かっていたはずだ。この学園都市にいる化け物共はその体を両断した程度では安心できないと。
そのはずだったのに。……そして。そんな無駄な思考が更なる失態を呼び寄せる。

一瞬、化け物の体が収縮した。そして、弾けた。
化け物の体が風船のように大きく膨張し、同時に全身から生えていた針が一気に二メートルほどにまで伸張した。
文字通り全身に生えていたために、ほぼ全方位へとさながらアイアンメイデンのように鋭い切っ先が向けられる。

「ッ!?」

垣根は『未元物質』によって守られていた。
しかし心理定規は違う。彼女とこの化け物とを隔てる翼を越えて殺意に尖る針は猛烈に突き進む。
心理定規もそれを悟り、咄嗟に体を捻る。だが遅い。完全ではない。
その細身の体に風穴が空くことは避けられたが、彼女の纏う真紅のドレスの、肩口の辺りに針が引っかかる形となった。

だが、それだけで十分だった。
かなりの速度を加えられた衣服に引っ張られる形で、心理定規の体がギュルン!! と強引に回転させられる。
無理な動きによる負荷で体から嫌な音がするのを彼女は聞いた。
勢いそのままにダン!! と床へ叩きつけられた心理定規の顔は苦痛に歪み、口をぱくぱくと魚のように動かしていた。
背中を強打したことで、呼吸が一時的に行えなくなっているのだろう。

大能力者という心理定規に冠せられた称号は何の役にも立ちはしない。
現に、彼女はこうして地面に這い蹲っている。
苦しさのあまり、心理定規の爪がガリガリと床を引っ掻いていた。

「――――――、」

どうしてこうなった。
心理定規は全身にダメージを負ったものの、命に別状はない。
けれどそういう話ではない。こんな事態は避けられたはずだ。
垣根帝督の気の緩み。それが生まなくてもよかったはずの苦痛を生み出した。

「か……っ、は……ぁ、ぁ……っ!!」

心理定規の呼吸は間もなく回復するだろう。
しかし今の彼女は息をすることができず、その苦しみに無様にのたうちまわっていた。
口の端からは、涎さえ垂れていた。
その光景が。その姿が。

(――――――ああ)

垣根帝督は、思う。

(分かったよ)

喉が裂けるほどに絶叫したりはしない。
我を失うほどに荒れ狂ったりはしない。

既にゴーグルの時から分かっていたはずだった。
確実に、一〇〇パーセントの精度で以って、殺す。
一切の文句のつけようがないほどに、殺し尽くす。

だから、垣根は冷静だった。
こういう場面でこそ冷静でいなくてはならないことを、経験で知っていた。
だから。

上半身のみになった化け物は体をくねらせ、奇声をあげながら這いずって心理定規へと近づいていく。
狩りやすい獲物を本能で見分けているのか。
そして。不意に、殺意に濡れた白が化け物の意識と命を断ち切った。





心理定規が呼吸を取り戻すまで、そう時間はかからなかった。
けほけほと咳き込み、呼吸が整うのを待つ。
背中を中心に走る痛みを何とか堪え、壁に手をついてふらふらと立ち上がる。

心理定規の意識は化け物の一撃を食らったところでほとんど途切れていた。
そのあと垣根とあの化け物がどうなったのかは分からなかった。
とはいえあの垣根が負けるはずがないし、結果は容易に予想できた。
だが。目の前の光景は、彼女の予想の外だった。

血の海だった。その中心点に垣根は無傷のままに君臨している。
しかしおかしい。あの化け物の死体がどこにもなかった。
垣根が無傷ということはこの血はあの化け物のもので、なのに死体がない。

「……どう、いう……?」

呟きに反応したのか、垣根がこちらを振り返る。
その表情は先ほどまでと何も変わってはいなかった。

「目ぇ覚めたか。大丈夫か、無理するな。少し休んだ方がいい」

「大、丈夫よ……。それよりあなた、一体……?」

そして、気付いた。
血の海の中に、垣根の足元に、自分の周囲に。
何か小さな小さなものが落ちている。消しゴムのカスのようにも見える、何かが。
黒に近い灰色のそれは数えることなど不可能なほどに散乱していた。

「ああ、こっちは終わらせた。だから少し休憩していくぞ」

「……だから、私は、大丈夫だってば」

「俺が疲れたんだよ」

「……ああ、そう。……勝手にしなさい」

心理定規はそれを見て全て理解した。
垣根帝督の異常なその行動を。
たしかに、相手は未知の化け物だ。両断しても、殺しても死なないような、そんな化け物だ。
垣根はこれまで生きた人間を数え切れないほど殺し、この惨劇においても数え切れないほどの化け物を殺してきた。
しかし。だからと言って。

“人間サイズのものを、一片一片が消しゴムのカスほどの大きさになるまでバラバラにする”など。
いくらなんでも常軌を逸している。
しかも、心理定規の呼吸が回復するまでの短い時間の内にこれを成し遂げたということになる。
それが、何を意味しているのか。それが、何を獲得して何を喪失したことを意味しているのか。

そして。それを引き起こしたのは、その狂った引き金を引かせたのは、誰のせいなのか。

「……分かってる」

「あん?」

「何でもないわ」

――――――彼らはどこまでもどこまでも堕ちていく。二人一緒に堕ちていく。
いつか終わりがやってくる、その時まで。


垣根帝督 / Day2 /13:01:55 / 第一九学区 廃工場

学園都市には二三の学区の学区が存在するが、ここ第一九学区はその中でももっとも寂れた学区である。
人口は圧倒的に少なく、再開発に失敗して街並みは前時代的。並ぶのは蒸気関連などの一部の研究施設のみ。
だがそんな普段注目を受けることないここが、今は他にない利点を有するようになっていた。

「……たしかに、人が少ないってことは死肉狂い共も少ないってことなんだろうけどさ」

浮いた汗を拭いながら心理定規は呟く。
それにしても、だ。

「よくここまで何とかなったもんだ。運も実力の内ってか」

垣根が何の気なしに転がっていた小さな石をつま先で蹴り飛ばす。
僅かに跳ねてごろごろと転がったその石を、誰かの足が上から踏みつけてその動きを止めた。
垣根と心理定規の目がすっと細められる。そこに喜びや油断はなかった。
こんな状況では、生存者同士だからといって味方とは限らないからだ。

「へえ」

その男は賞賛するように言って、二人に目をやる。
たった二人でこの地獄を生き抜いている。
その事実を評価しているように、男は笑みさえ浮かべていた。

「生存者か、やるじゃん。まあ立ち話もなんだ、入れよ。連中に気付かれないとも限らねぇし」

男はそう言ってくるりと振り返り、あっさりと二人に背中を見せる。
余裕の表れか、こちらを舐めているのか。
ああ、と男は呟いて顔だけ二人に向けると、

「俺は黒妻綿流ってんだ。よろしくな、お二人さん」

「……別にあなたの名前なんて興味ないんだけど」

そう名乗った男に心理定規は吐き捨てるも、黒妻はさっさと廃ビルの中へと向かっていく。
見てみればあちこちに即席のバリケードが作られていて、化け物の侵入を防ぐようになっていた。
またいくつかトラップの類も確認できた。バリケードの張り方といい、明らかに慣れているように見える。
が、目の前の男は暗部関係者ではないという確信が垣根にはあった。同業者の臭いなどすぐに分かる。
大方スキルアウトだろうとあたりをつけながら、

「俺らを中に入れてどうするつもりだ? 一ついいことを教えてやる。
俺は第二位の超能力者だ。テメェなんざポケットに手ぇ突っ込んだままでも数秒で一〇〇回はぶち殺せるんだぜ」

「いんや、別に何も物騒なことは考えてねぇって。ただこんな時に生き残り同士でピリピリしてたってしょうがねぇだろ?
……いやいやしかし。第二位って凄げぇなおい。そりゃ超能力者なら生きてるはずだわな」

それならあの子も生きてるかな、と黒妻は呟いて懐から小さなトランシーバーを取り出し、何事か話し出した。
廃ビルの窓から男が二人ほど顔を出し、黒妻に何か合図を送っている。
おそらく垣根と心理定規のことを伝えたのだろう。

「今携帯が使えねぇから、代わりに警備員から拝借したこれでやり取りしてんだ。
警備員製だけあって結構遠くでも会話できるんだぜ」

聞いてもいないことを話す黒妻を尻目に、垣根はさてどうしたものかと思案する。
下手に誘いに乗れば心理定規が危険に晒される可能性がある。
勿論垣根ならこいつらが何をしてもどうとでもしてみせるが、そもそも黒妻についていったところでこちらには何のメリットもない。

「そっちの女の子が心配か?」

「ああ?」

「羨ましいよ。守りたい者が隣にいるんだ。俺だってあいつが……美偉が気になって仕方ない。
でも俺にはこいつらがいる。こんな俺を信じてついてきてくれるこいつらがいる。ここを離れるわけにはいかないんだ」

「お前の語りなんざ誰も聞いてねえんだよ」

「そう言うな」

黒妻は肩をすくませて、くいと親指で廃ビルの入り口を指す。
小さく笑って言う。

「中には食料や水もある。安全は確認済みだ。いくら超能力者ったって人間だ、疲れは溜まるだろ?
そっちの女の子なんか特にな。何なら何も摂らずにただ休むだけでもいい。周囲に人間がいるってだけで大分気は楽なはずだ」

垣根はその言葉に含まれるものを慎重に読み取り、この黒妻綿流という男に悪意はないと判断した。
おそらくは純粋な善意。しかしそれを受けるか否か。

「どうするの? 休んでいく? どうせこいつらなんて私の前じゃ何もできないけど」

『心理定規』という能力を使えば心の距離を調節できる。
彼女を崇拝する信者のレベルにまでだって引き上げられる。
今の学園都市では何の意味もなかった力だが、相手が生きた人間ならば『未元物質』以上に絶対の効果を発揮する。

(……確実に安全を確保する方法があるならここは休むのが最善、か)

たしかに、疲れは溜まっている。それどころかもうボロボロだ。それは二人共否定できなかった。
ならば休める時に休むべし。休息を取ることも戦いの内。恐怖に駆られて睡眠不足に足元をすくわれた奴を暗部で何人も見てきた。

「……なら、お言葉に甘えさせてもらうぜ」

「おお、入れ入れ!! 歓迎するぜ」

垣根のその言葉に黒妻はにっかりと笑って手招きする。
ややうんざりしながらも二人がその後をついていくと、突然何かが上から降ってきた。

ダン!! と地面に叩きつけられたそれは死体だった。男の、血塗れの死体。
その腹部には氷でできた槍のようなものに容赦なく貫かれていた。
それは黒妻の仲間のものだったらしく、黒妻が必死に男に声をかけている間に垣根と心理定規はサッと上を見上げる。

「どうやらこの廃ビルの窓から落ちてきたみたいね。ってことは、何かがこの中にいる」

「ああ。あの氷の槍は明らかに能力。単なる仲間割れなら話は早ぇが……」

どうせそんな簡単な話ではないだろうと垣根は考える。
そしてそれを証明するように廃ビルの中から怒号や悲鳴が響き渡る。

『なんだこいつ!? どこから現れやがった!!』

『どうなってんだ、まともに食らってんのに全く効いてねぇ!!』

『大体、さっきはこいつ氷を作ってたのになんでこいつ今―――がぁぁあああああああああっ!!』

「ちくしょう……」

震えるように呟いたのは垣根でも心理定規でもない。黒妻綿流だった。

「何が起きてんだくそったれ!!」

慌てて廃ビルの中に駆け込もうとする黒妻だったが、その前にビルの三階で謎の爆発が起き無数の瓦礫が辺りに勢いよく四散する。
何とか直撃を免れた黒妻とそれをいなした垣根たちが顔を前に戻すと、そこには崩壊した三階の壁から飛び降りたそれが君臨していた。
顔には何か皮のようなものが何重にも貼り付けられ、全身には衣服とすら呼べないようなボロボロの布のようなものを纏っている。
その両手は巨大な手枷で拘束されていて、足にも同じような鎖がついているために歩くたびにジャラジャラという鎖の音がした。

酷く腰の曲がったその得体の知れない化け物はゆっくりと、ゆっくりと、三人の方へと歩いてくる。
甲高い悲鳴のような奇声を大声で出しながら、ゆっくりと。

「―――下がってろ。お前に手に負える奴じゃねえ」

身構えた黒妻に垣根が告げる。
初めて遭遇した化け物だが、分かる。
あれはそこいらに溢れる他の化け物共とは明らかに違うと。

「だがそういうわけには……」

「超能力者様が戦うっつってんだ。近くにいる内は巻き込んで殺さねえ保障はねえぞ」

心理定規は二人のやり取りを無視した。
即効でグレネードガンを容赦なく叩き込む。
榴弾を受けた鎖の化け物があれで死ぬとは最初から思っていない。
舞い上がった粉塵が晴れる前に垣根がすかさず追撃をかける。

『未元物質』を発動し、六枚の白い翼を展開。
それを見て驚いている黒妻を無視し、その翼を一閃する。
カマイタチのように打ち出された真空波は複雑に絡み合い、網目模様を形成した。
コンクリートだろうと何だろうと容赦なく切断する死神の鎌が鎖の化け物をバラバラにする、はずだった。

「チッ」

しかし晴れた粉塵から現れたのは切り傷を負っているだけの化け物だった。
網目となった真空の刃をその身に受ければ、さながらサイコロステーキのようにコマ切れになるはずなのだ。
だが効いていない。切り傷から血が流れ出しているものの、あの様子では大したダメージはないだろう。

「やはり駄目ね!!」

言いながら心理定規は手榴弾のピンを口で抜き、それを鎖の化け物へと放る。
先の榴弾を大きく超える爆発が巻き起こり、再度粉塵が舞い上がり視界を遮った。
垣根はそれに合わせて音より早く動き、突撃するかと見せかけて鎖の化け物の背後へと回り込む。
相手の位置は散布した『未元物質』が教えてくれる。垣根は単なる殺人兵器として巨大化した翼を一切の加減をせずに叩き込んだ。

「オ、ラァッ!!」

振り回された白い翼は衝撃波や烈風、ソニックブームなどを撒き散らしながら鎖の化け物を紙屑のように薙ぎ払った。
数百メートルも吹き飛ぶ鎖の化け物。まともな人体ならば得られる感触がないことに垣根は僅かに顔を顰めた。
瓦礫の山に激しく突っ込んだ化け物だったが、すぐに変化が訪れた。
その瓦礫が中から噴火のように爆発し、垣根へと何か炎のような水のような電気のような、何とも形容できない力が高速で襲いかかる。

「―――これは……どうなってやがるんだクソが……ッ!!」

盾として前方に展開した翼でその攻撃を遮断しながら、垣根はこの得体の知れない攻撃を解析する。
すぐに事の重大さに気付いた。この力は念動力、発火能力、電撃使い、風力使い、その他マイナーな能力も含めて数十種類の能力で構成されている。
能力者の操る能力は一人一つであり、それは絶対の法則だ。だというのに、

「……『多重能力者』……!! 冗談じゃねえぞこいつ……っ!!」

単一の能力によるものではない。複数の能力を複雑に絡み合わせ、一つにした力。
しかしそれならばこの力の圧の強さにも納得がいった。
強引な力押しでその攻撃を上空へと弾き飛ばした垣根が見たのは、眼前に佇む鎖の化け物の姿だった。
数百メートルも吹き飛ばされたはずの化け物が、目の前に。

(『多重能力者』ってことは……空間移動、か)

そんなことを頭の片隅で考えながらも対応は迅速だった。

「アピールが積極的すぎん、ぜっ……!!」

垣根は即座に六枚の翼を構え、それを無数の羽へと分解する。
それぞれが如何なるものをも貫く槍へと変じ、六枚の翼全てからズドドドッ!! と鎖の化け物目掛けて放たれた。
しかし化け物は死なない。行動を停止しない。全身の至るところを貫かれながらも、尚動く。

「キ……キィアァァアアアアアアアアア!!」

鎖の化け物の全身からうねうねと蠢く触手が無数に伸び、手枷で拘束された両手を垣根へと伸ばす。
その明らかに生きた人間のものではない手に、どんな効果があるかは分からない。
未知数の脅威を前に垣根は舌打ちし、化け物に突き刺さった槍を消すと大きく前方へと跳ねた。
後ろではなく前へ。化け物の頭上を通り越して背後へ降り立つようにして伸ばされた手を回避する。

その時心理定規は落ちていたトランシーバーを拾い、何か話していた。
黒妻は警備員から拾ったものだと言っていた。つまりこれは警備員の間で使用されていたもの。
この音声が放置されているどこか遠くのトランシーバーから流れ、それをまだ生きている誰かが―――仲間が聞いてくれるかもしれない。
そう思っていた心理定規の隣に垣根が降り立った。その体に傷はない。

「おい心理定規。逃げるぞ」

鎖の化け物は垣根に負わされた傷からどくどくと出血しているものの、よく見てみれば垣根が最初に真空の刃でつけた傷が既に完治している。
圧倒的な回復能力。おそらくこの化け物は何度倒してもやがてむくりと起き上がるのだろう。
倒すことはできても、殺すことが難しい相手。そして殺せなければ何度でも起き上がる相手。

「……まるで不死身ね」

このままこの鎖の化け物と戦闘を続けても負けるとは思わない。
完全に殺すことだって不可能だとは考えない。
だがそもそもそこまでしてこの化け物と戦う理由が存在しなかった。

すぐに仕留められる相手ならば、憂いを絶つ意味でも殺しておく意味はあっただろう。
しかしこいつの場合、メリットとデメリットが釣り合わない。
浪費される体力、気力、精神力、時間。それらを天秤にかけて垣根は撤退を選択した。

「あんな野郎をまともに相手したって何にもならねえからな」

言って、垣根の翼が音もなく一気に伸びる。
二〇メートルにも達するその翼を、左右同時に鎖の化け物へとVの字に振り下ろした。
鈍い音が炸裂する。ミチミチと強引に肉を食い破る音がする。
化け物は双方の肩から斜めに胸元までを引き裂かれ、体液を撒き散らしながらどさりと倒れた。

「今のうちだ。行くぞ」

「死んで、ないのか……?」

ずっと黙って戦いを見ていた、いや、見ていることしかできなかった黒妻がぽつりと呟く。
無能力者の彼が介入できる戦いではなかったからだ。
対して心理定規ははつまらなそうに答えた。

「あれくらいで死んだら苦労はないでしょ」

「お前はお前で勝手にするんだな」

二人に黒妻を助けようなどという考えは欠片もなかった。
むしろついてこようものなら容赦なく殺すつもりでさえいた。
余計なお荷物に来られてはたまったものではない。しかし、黒妻の返答は二人の予想を外れたものだった。

「……俺は戦うよ」

鎖の化け物は倒れ伏しているものの、その触手は動いていて体は痙攣している。
未だ生命活動が停止していないことの証。先の回復力を鑑みるに、すぐに再び立ち上がることだろう。

「あいつにたくさんの仲間が殺された。大切な仲間が殺された。俺はあいつを絶対に許せねぇ」

垣根も心理定規も何も言わなかった。それは黒妻の覚悟を感じたから、なんて殊勝な理由によるものではない。
“心の底から黒妻綿流の命などどうでもよかったからだ”。自殺する彼をわざわざ引き止める理由などありはしない。

鎖の化け物はどういうわけか複数の能力を操る『多重能力者』だ。
単なる無能力者の黒妻ではどうひっくり返っても勝ち目など存在しない。
そんなことは彼本人が一番分かっていた。それでも黒妻は拳を握る。

鎖の化け物が、ゆっくりと立ち上がり始めた。
みるみると治癒されていく傷はすぐにも完治するだろう。
その不死性。それこそがこの化け物の最大の恐ろしさだ。

「―――……え?」

突如、呆然と呟いたのは心理定規だった。

「……今、あの化け物……確かに言った。『ママ』って……私の方を見て……」

「……何?」

『ママ』。その言葉の意味を垣根は考えるが、あんな化け物の思考など分かるはずもない。
大体その意味が分かったところでどうなるものでもないとすぐに思考を放棄する。

「何でもいい。あいつが完全に復活する前に行くぞ」

「……ええ」

後ろへと下がる二人と入れ替わるように、黒妻は前に出る。

「生きろよ」

そんな黒妻の言葉に二人は何も言葉を返さなかった。
二人はザッと一気にその場から離れ、黒妻は硬く拳を握り、笑みさえ浮かべて鎖の化け物へと突撃していく。
絶対に勝てない敵へ、未知なる異形へ、恐怖そのものへ。


「お、ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」




―――結局。勝負にならないことなんて、最初っから誰もが理解していた。
一瞬だった。鎖の化け物は、リサ=トレヴァーは、その場を一歩も動くことはなかった。
勝敗など一目瞭然だった。二つの影の内の一つが、全身から血飛沫をあげて倒れた。
勝者はただ、『ママ』とだけ呟いていた。



Files

File18.『誰かが書き残した手記』

Sep.05,20XX

注射で頭がボーっとする。
お母さんに会えない。どこかに連れていかれた。
二人で脱出しようって決めたのに私だけ置いていくなんて……。


Sep.06,20XX

お母さん見つけた!!
今日の食事は、お母さんと一緒!! 嬉しかった

違う、偽者だった。外は同じだけど中が違う。
お母さんを取り返さなくっちゃ!! お母さんに返してあげなくちゃ!!

お母さんの顔は簡単に取り返せた。
お母さんの顔をとっていたおばさんの悲鳴が聞こえたけど、お母さんの顔をとっていた奴の悲鳴なんか気にしない。

お母さんは私のもの。誰にもとられないように私にくっつけておこう。
お母さんに会った時、顔がないと可哀想だもの。


26

お父さん 一つ くっつけた
お母さん 二つ くっつけた

中身はやぱり赤く ヌルヌル
白くてかたかた
ホントのお母さ 見つからない

お父 ん 分からない
また お母さ 今日見つけた
お母さ をくつけたら
お母 ん動かなくなた

母さんは悲鳴をあげていた
なぜ?
私は一緒にいたかただけ

投下終了

そろそろあの主要キャラ二人が合流したり……?
リヘナラドールは初めてやった時倒し方分からなくてトラウマになりました
次回は浜面シナリオ

遅くなりましたが予定通り投下します

バイオハザードリメイク1のHDリマスターにリベレーションズ2、楽しみです
リメイク1は傑作でしたしリベレーションズもかなりの名作だったと思うので期待が高まります
しかも久しぶりのクレア主人公、レベッカは本当に何をしてるんでしょう

サイコブレイクも楽しみにしてます





我を通らば 苦悩の街の道へ
我を通らば 永遠の苦痛の道へ
我を通らば 滅びの人々の中へ





浜面仕上 / Day2 / 13:22:15 / 第五学区 第三資源再生処理施設

元々資源に乏しい学園都市では、その再利用が基本である。
第五学区を中心に周囲四学区からあらゆるゴミを集め、再利用しているのがここ第三資源再生処理施設だった。
普段ならば機械の音で騒々しかったのだろうが、今は静かなものだった。
電気が通っていないのかとも思ったが、どうやらただ電源が入っていないだけのようだ。
スチームなど様々な機械が並んだ中、渡された鋼鉄の通路を浜面仕上と滝壺理后は歩いていた。

「……なあ。さっきの声って、やっぱりそうだよな」

「……うん。ノイズが酷かったけど、それでもあの透き通るような綺麗な声は、めじゃーはーとで間違いないと思う」

やっぱりか、と浜面は乾いた声で呟いた。
今から三〇分ほど前のことだったか。浜面と滝壺は転がった警備員の死体、それが身に着けているトランシーバーから流れる音声を聞いていた。
酷く雑音が混じっていたものの、間違いなくその声を。


――――――『……誰か―――聞こえ―――……第一九学区……―――鎖の化け物……
        攻撃が……効かない……―――不死―――鎖の化け物―――……近づかないで……遭遇し―――逃げて――――――』


心理定規。その少女。かつて暗部抗争が起きた時には、敵対する相手として出会った少女。
しかしそれも過去の話だ。今ではその関係性は一八〇度違う。仲間と言える存在だ。
彼女が生きていることを知ったことで、浜面は全身から安堵感が湧き上がるのを感じていた。

まだ、戦っている仲間がいる。彼女が生きているということは、おそらく垣根帝督も一緒だろう。
どう取り繕っても浜面は不安だったのだ。ずっと麦野や絹旗とも連絡がつかない。
もしかしたらもう生き残っているのは自分たちだけなのではないか。
他の仲間たちは全員死んでしまったのではないか、と。

「かきねと一緒にいると考えてまず間違いないだろうね」

「だな。超能力者様がついてれば心強いことこの上なしってとこだな」

恐ろしいことに、今や浜面はおよそ半数の超能力者と顔見知りである。
その脅威は十分以上に骨身に沁みている。
彼らならばこんなイカれた状況でも生き残れるに違いない。

……そう、一向に連絡の取れない麦野沈利だって超能力者だ。
絹旗最愛もずっと暗部で生き残ってきた大能力者だ。
彼らが死ぬわけがない。あれほど絶大な力を持つ二人が倒れるはずがない。
そんな縋るような希望に、心理定規の声は現実味を多少なりとも持たせてくれた。

浜面は戦う意思を、生き残る意思を一層燃え上がらせる。
銃を握る手にも自然と力が入り、自分が生きているという生の実感を感じる。
命のやり取りをすることによる、鮮烈なまでの生の感触。

それを感じるのは浜面も滝壺もまだ生きているからだ。
人間として生きているからこそ、それを感じることができる。
少なくとも、二人はそう思っていた。

だが。どうやらその考えは間違っていたらしい。

突然だった。二人が歩いていた通路が何かに切り裂かれたかのように轟音と共に崩壊した。
不意に足場を失った二人は為す術なく投げ出され、浜面はすぐ下の通路に叩きつけられる。

「ぐあっ!?」

体を鋼鉄の通路に強打したことで全身に鈍い痛みが走り、思わず歯を強く食いしばる。
同じように滝壺のうめき声も聞こえてきた。しかし彼女の姿は見えない。
どうやら滝壺はここよりもう一層下まで落下してしまったらしかった。

(クッソ、滝壺は無事なのか!? 声がしたから生きてはいるはずだけど……っ!!)

そもそも、どうして突如通路が崩壊したのか。
どう見ても自然には起こりえないそれを、何者が引き起こしたのか。

答えは浜面の目の前にいた。
それを見た瞬間、“滝壺理后のことが頭から完全に吹き飛んだ”。

浜面の頭は空白に塗りつぶされ、思考が全て停止した。まるで世界さえ止まってしまったかのように。
目の前の光景が、浜面仕上には理解できなかった。

『それ』には頭や顔というものが存在しなかった。
首までしか存在せず、その首は水平に切断されたように断面を晒していた。
その首の丸い断面はまるでラフレシアのように大きく広がり、その円周上には鋭い歯がびっしりと並んでいる。
全身は薄汚い灰色の皮膚に覆われているが、何が詰められているのかその胴体は重度の肥満のように膨らんでいる。
その右手の先には薄い歪な円盤状の何かがついていて、それはさながらチェーンソーのように音をたてて回転していた。あれで通路を切断したのだろう。

しかし浜面はそんな筆舌に尽くしがたいおぞましい体など見ていない。
浜面が見ているのはたった一箇所。その体の、たった一部分。
そこだけが問題で、そこだけがおかしくて、そこだけがあってはならなくて、そこだけが間違いだった。

「う、ぁ、ぁあ……?」

思わずおかしな声が漏れる。おかしなものを見ているのだから当然だ。
理解ができない。理解ができない。理解ができない。理解ができない。理解ができない。理解ができない。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

「な、何が、どうなって……? なん、なんで、何……?」


一体何故、この化け物の左肩に、麦野沈利の顔が、ついている?


「これ、は、どういう、ことなんだよおおおォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」

浜面は吠えた。吐き出さずにはいられなかった。
この化け物の左肩から首が伸びている。ラフレシアのような大きく開いた丸い口だか頭だかの他に、もう一つ明確な顔が肩にある。
何がなんだか分からないこの化け物の体と違って、そこだけが明確で分かりやすい形をしていた。
それは麦野沈利と呼ばれていた女性のものに間違いなかった。

麦野沈利が化け物へと変貌した。
たったそれだけの簡単な事実が今の浜面には飲み込めない。飲み込みたくない。
混濁し濁りきった思考は全く働かず、浜面という人間に完全な空白の隙が生まれる。

突然光が瞬いた。見知った輝きだった。
浜面の知る限り、それは美しさや暖かさを感じさせる光とは程遠く、対極に位置する破滅と絶望の光。
触れるもの悉くを滅し無に帰す、無慈悲なる破壊光。
『粒機波形高速砲』、『原子崩し』。それは第四位の超能力者が誇る輝きだった。

かつてその身で幾度も味わった圧倒的な力に、浜面は咄嗟に思考と体のコントロールを取り戻す。
それが放たれる直前、浜面は大きく体を捻って軌道から自身の体を外した。
破壊そのものである光は浜面を貫くことなく、その背後にあるものをいとも容易く薙ぎ払っていく。
体が覚えている、とでも言うのだろうか。もし『原子崩し』ではなく直接襲いかかられていたら浜面はここで死んでいたかもしれない。

しかし随分と分かりやすく悠長な攻撃だ。
チャージから発射までにこんなに時間をかけていては今のように簡単に対処されてしまう。
あんなに分かりやすい安直な軌道では避けてくれと言っているようなものだ。
『麦野沈利』なら、間違ってもこんな生易しい攻撃はしてこない。

その齟齬は『これはもう麦野沈利ではないから』という一点に収束する。
だが同時に『原子崩し』を放ったことはこれが麦野沈利であったことの証明でもある。
これはかつて麦野だった。今は異形に成り果てて、麦野沈利としての命を失った。たったそれだけのことなのだ。
そんなことは今の学園都市では当然で、なのに浜面はどうしようもないほどの極大の絶望を自覚する。


――――――『はーまづらあ。無人の施設を選ぶとはいいセンスだよ。死ぬ時は一人の方がいい』


耳元で囁かれるような、死神の冷たい言葉。かつてこの『原子崩し』にその命を吹き消されかけた時は、いつもそんな言葉をかけられていた。
では、今はどうなのか。その答えは直後に訪れた。

「 た ぁスけ て ェ 」

「―――……っ!?」

たすけて、たすけて。
もはや麦野とは呼べないはずのこの化け物は、麦野の声でそう言葉を発した。
何度も、何度も。助けを繰り返し求め続けていた。



――――――『浜面ァァァあああああああああああッ!! 見下してんじゃねぇぞクソが!! テメェだけは……テメェだけは、何があっても私の手で殺す!!』


――――――『浜面テメェ遅すぎ。っつーか何これ。ちゃんと氷も入れてこいよ!! テメェの手でちょっとぬるくなってんじゃん!! 普通ならこれやり直しが基本のクオリティだぞ!!』


麦野沈利。その女性は、浜面仕上にとってどういう存在だったのか。
その生は、その死は、浜面にとってどういう意味を持つものなのか。

助けて。そう繰り返しながら、その言葉に反するように麦野だった巨体の化け物は右手についたチェーンソーのようなものを振り下ろす。
狙いは浜面。その動きに迷いはなく、躊躇なく彼を両断する動きだった。

浜面は咄嗟に床を転がるようにしてそれを回避し、その化け物へ向けて銃を構える。
そして引き金を引いた。弾丸が当たったのは膨れ上がった胴体。鉛弾が肉を食い千切ってその身を埋めていくも、大したダメージはないようだった。
分かっていた。だからこそ浜面は撃ったのだ。

(ちくしょう。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうッ!! 何だよこれ何だよこれ!! どうする、一体どうすりゃいいんだよ!?)

麦野沈利を、かつて麦野沈利だった異形を殺さなければこの場を切り抜けることはできないだろう。
だが殺せるのか。殺してしまってもいいのか。本当にそんなクソみたいな結末で終わらせてしまっていいのか。
麦野を殺して、滝壺を守って、その先で二人で笑えるのか。
今更何を言っている。これまでも散々大勢の人間を踏みつけにして今ここに立っているくせに。

ぐるぐると浜面の頭の中を滅茶苦茶な思考が回る。
時間はない。結論は出ない。だがその時内から崩壊しそうな浜面を停止させるものがあった。
聞きなれた声。多少変質しているものの、聞き間違えることのない声が、巨体の化け物から聞こえてきた。

化け物は動きを止め、まるで蹲るようにしていた。しかし先ほどの弾丸はほとんどダメージを与えていないはず。
では何故あの化け物は動きを止めている。実はダメージを負っていたのか。心に?
馬鹿な。あんな化け物になってしまったものに心なんてあるものか。
だがあれは元々麦野で、「助けて」と言葉を発していて。


「 やメ てぇェ、やめテェぇぇ  ヤめてぇぇェ 」


そんな言葉が浜面の耳に飛び込んできた。
心臓が、止まるかと思った。

『麦野沈利』は、浜面に攻撃されたことにショックを受けているとでも言うのか?

「やめろよ……」

震える声で浜面は呟く。声は掠れ、何とか搾り出したといった風だった。
どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。

「 やめ てェぇぇ ワタし は人、ヒトぉォぉぉ?」

「やめて、くれよ……頼む、から……」

「 わタシハ  イきてル……にンゲん なンだ ぁァぁ……」













――――――『……どうして、ここまで酷い怪物になっちゃったのかな』












(麦野……お前もう、どうしようもねぇ化け物だよ……っ!!)

どうしてこんなことになったのか、浜面には分からない。
ただ何もかもがおかしくて、イカれてて、狂っているのだろう。

何が詰まっているのか、ぶよぶよした灰色の巨体の左肩にある麦野沈利の顔。
本来顔があるべき場所はラフレシアのように大きく首が開いている。
手の先にはチェーンソーのように変形した何かがあり、おぞましい人語を発している。
これを見て、一体誰がこれを人間だなどと言えるだろうか?

(お前……お前、もうどう見たって人間なんかじゃねぇよ……っ!!)

これがどういう感情なのか浜面には分からなかった。
これが全て夢であったらいいのにと、そんな子供のようなことを本気で考えた。

「麦野ォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!
何なんだよ、なんッなんだよお前はぁッ!! お前は超能力者だろ!! 七人しかいない頂点の一角だろ!! そのナンバーフォーなんだろ!!
それがなんでこんなことになってんだよ!! ふざっけんな!! お前はもう『怪物』じゃなくなっただろうが!! あの大戦の時ロシアで、お前は止まったはずだろ!!
なのにどうしたんだよ!! だって、だってお前もう、化け物じゃねぇかよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

果たしてその言葉は日本語として成り立っているのか。意味の通じるものになっているのか。
腹の底からありのままの衝動が吐き出された。他人に理解させるために言葉として整理される以前の、生の感情が。


――――――『……なんの、つもり……?』


もうこれ以上、浜面にはこの麦野だった化け物を見ていることなんかできなくて。
自らを人間だと主張する化け物が、世界で最もおぞましいものに見えて。
自らを生きていると言い張る化け物が、世界で最も哀れに見えて。
麦野沈利は死んだのだと、理解した。

(麦野……お前もう、どうしようもねぇ化け物だよ……っ!!)

どうしてこんなことになったのか、浜面には分からない。
ただ何もかもがおかしくて、イカれてて、狂っているのだろう。

何が詰まっているのか、ぶよぶよした灰色の巨体の左肩にある麦野沈利の顔。
本来顔があるべき場所はラフレシアのように大きく首が開いている。
手の先にはチェーンソーのように変形した何かがあり、おぞましい人語を発している。
これを見て、一体誰がこれを人間だなどと言えるだろうか?

(お前……お前、もうどう見たって人間なんかじゃねぇよ……っ!!)

これがどういう感情なのか浜面には分からなかった。
これが全て夢であったらいいのにと、そんな子供のようなことを本気で考えた。

「麦野ォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!
何なんだよ、なんッなんだよお前はぁッ!! お前は超能力者だろ!! 七人しかいない頂点の一角だろ!! そのナンバーフォーなんだろ!!
それがなんでこんなことになってんだよ!! ふざっけんな!! お前はもう『怪物』じゃなくなっただろうが!! あの大戦の時ロシアで、お前は止まったはずだろ!!
なのにどうしたんだよ!! だって、だってお前もう、化け物じゃねぇかよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

果たしてその言葉は日本語として成り立っているのか。意味の通じるものになっているのか。
腹の底からありのままの衝動が吐き出された。他人に理解させるために言葉として整理される以前の、生の感情が。


――――――『……なんの、つもり……?』


もうこれ以上、浜面にはこの麦野だった化け物を見ていることなんかできなくて。
自らを人間だと主張する化け物が、世界で最もおぞましいものに見えて。
自らを生きていると言い張る化け物が、世界で最も哀れに見えて。
麦野沈利は死んだのだと、理解した。



――――――『もう、殺し合いなんてやめよう』


「 カぁら だがカッて にィウごぉく、ドう シ テどウシてぇェぇ?」

浜面は顔面をくしゃくしゃにして走る。この時の浜面の顔は、世界で一番みっともなかったに違いない。
麦野の声で滅茶苦茶なことを言う化け物から青白い不健康な色の輝きが追うように放たれるも、ただとりあえず撃っただけのそれは浜面を捉えることはない。
破壊の光が施設を無残に破壊していく中、浜面はそんなことなど気にもせずに動いた。
いつの間にか何故かこの施設の電源が入れられていたようで、騒々しい機械音が響き渡っていることに浜面はそこで気付く。


――――――『……何を言っているのよ、浜面……』


突然足場が死角から『原子崩し』に突き崩され、浜面の体が宙に投げ出される。
またもダン!!と鋼鉄の通路に叩きつけられ、自身の右肩から嫌な音がするのを聞く。

「ぐぁ、がああああああああああああああああああああッ!!!!」


――――――『お前は、滝壺を選んだじゃないか。あいつを助けるために、お前は二度も私を撃ったじゃないか。
        その浜面が、今更こんな私を助けるって言うの……?』


「  だァキ しめ ぇテよ ぉォぉお? 」

死がそこまで迫っている。浜面は左手で右肩を抑えながらふらふらと立ち上がった。
最初に落下した地点に投げ出されていたショットガンを拾うと、覚束ない足取りでそこを目指す。

(麦野……)

終わらせる。



――――――『そうだよ!! 俺は滝壺を選んだ!! 命を懸けて守るって誓った!! そのことは今も変わらない!!
        だから俺は、今更お前のことなんか選び直せない!! 事実は何も変わらない。俺は、滝壺を守るためにお前を見捨てたんだ!!』


浜面は施設に伸びている一本の、丸太ほどの太さもあるパイプを固定している留め金を銃で破壊し、それにしがみついた。
中には高温のスチームが通っているせいでおそろしく高温になっていたが、浜面はその熱と痛みを必死で押し殺した。
ショットガンを決して手放さないよう、パイプから落下しないよう、焼けるような激痛を強引に無視してしがみつく。
その状態のまま浜面が大声をあげると、巨体の化け物もすぐにこちらに気付いたようだった。


――――――『私は、フレンダを殺したぞ。「アイテム」もバラバラに引き裂いた。滝壺の命を狙ったのだって一度じゃない。
        そんな私を、お前はどうやって救うって言うのよ』


浜面を頭上のパイプから引き摺り下ろそうとしているのだろう、巨体の化け物はその右手にある円盤状の刃で鉄のパイプを切断し始めた。
ギャィィイイイ、という音と共にすぐにパイプが切断される。
留め金を破壊され、切断されたパイプはしがみついている浜面の体重で頭を垂れるようにガキッ、と折れ曲がり、パイプの切断口が麦野沈利だった化け物へと向けられる。


――――――『だから、お前は絹旗に死ぬほど謝って、滝壺にも頭を下げて、フレンダの墓の前で涙を流して許しを乞え。そうしたら……』


パイプの切断口から超高温のスチームが勢いよく噴出し、それが化け物の肩にある麦野沈利の顔に直撃する。
どうやらその顔の部分が弱点であるらしく、化け物は全身をくねらせておぞましい奇声をあげる。
だがこれで終わりではない。浜面は折れ曲がったパイプに跨り、それを滑り台のようにして滑り降りる。
その先にあるのは、化け物の肩にある麦野沈利の、顔。



――――――『そうしたら、俺たちはもう一度「アイテム」になれる。必ずなれる!!』


そのまま巨体の化け物の肩に飛び乗った浜面は、苦しむ化け物に振り落とされないようにしながらショットガンを構えた。
当然この間も高温のスチームは噴出しているため、浜面はそれを背中からまともに浴びている形となる。
全身に走る形容し難い熱と痛み。身体に大きな火傷を負いながら、だが浜面はそれを無視した。
そんなもの、今浜面の心と精神を襲っているものに比べれば屁でもなかった。

「 アぁあ ぁァあ 、ヒトッ ひトヒと、 ひとナンだぁ ァぁあ ぁ 」

何もかもが異形の化け物と化した麦野沈利の、唯一の名残。
そこだけはあまりに以前のままで、明確に麦野の顔そのものだった。
そして、浜面は生を主張するその麦野の顔の額にショットガンの銃口を押し付ける。

「……これでさ、『アイテム』はお終いだよ」

浜面仕上はこの無理な体勢で撃つことで肩を襲うであろう激痛も、高温のスチームによる熱傷も。
全てを無視して、引き金を引いた。
銃口からショットシェルが放たれ、散弾する前にその鉛弾が麦野沈利の頭部にめり込んで内から破壊する。
そして。パァン!! とまるで風船のように、麦野沈利の顔が文字通り“弾けた”。


――――――『これが、浜面仕上……。いいや、違うな。これが「アイテム」だ。地獄へ落ちても忘れるな』


ベチャベチャ、と肉片や得体の知れないぶよぶよとしたもの、ピンクがかったものがシャワーのように浜面へと降り注ぐ。
化け物はゆらりとその巨体を揺らし、奇声をあげながら糸が切れたようにその場に沈んだ。
動かなくなった化け物と同様に、振り落とされた浜面も動けなかった。

「――――――……ははっ。はは、は、ははは……」

それは無理な体勢からの銃撃の反動で脱臼したことによるものでも、スチームによる猛烈な激痛によるものでも、鋼鉄の通路に叩きつけられたことによるものでもない。
浜面の全身はボロボロだったが、それ以上に内側が限界に達していた。
麦野沈利は、死んだ。何度も繰り返し戦い、その闘争の果てに勝利でも敗北でもない結末を掴み取ったはずだったのに。
何もかもがあっさりと、夢幻のように消えてなくなった。

「……滝、壺……」

浜面はもはや慣れてしまった激痛を堪えて強引に肩をはめると、ボロボロの体を引き摺って歩き始めた。
口を突くのは愛しい少女の名。口にするだけでいくらでも強くなれるはずの魔法の言葉。
そのはずだったのに。少しでも気を抜けば乾いた笑い声が出そうだった。壊れた笑みを浮かべそうだった。世界の裏側まで届くほど叫びそうだった。
失意と絶望。決定的な挫折に押し潰されかけている浜面仕上は、そこからの出口として滝壺理后を求めた。

滝壺に会いたい。あの顔を見れば戦う力が戻るはずだ。あの声を聞けばもう一度立ち上がれるはずだ。あの手に触れればこの出口のない迷宮から抜け出せるはずだ。
浜面はふらふらと歩く。その場に麦野沈利だったものの残骸を置き去りにして。





……どれほど彷徨い、どれほど迷っただろうか。
死んだような目でただふらふらと徘徊する浜面の姿は、もし第三者が見たら亡者共と間違えられても不思議ではなかっただろう。
それでもようやく浜面はとある一画で滝壺理后と再会することができた。
だと言うのに。浜面の意識は滝壺に向いていなかった。

浜面は目を見開いたまま目前にあるスチール用品をプレスして塊にするための設備から視線を外せず、動けなくなっていた。
床から三メートルくらい掘り下げてある区画だ。左右の長さは大体一〇メートルくらいか。
プレス用の分厚い鉄板が落ちていた。にも関わらず、その鉄板の向こうから呻き声が聞こえるのだ。

その声が。
聞き覚えのあるその声が。
耳に馴染んでいるその声が。
大切な、掛け替えのない仲間の声が。

『アイテム』の一員である、絹旗最愛の声が。
鉄板の下から聞こえていた。

「――――――は、ははは。ははははははははははは!! ははははははははははははははははははは!!!!」

もう笑うしかなかった。何がなんだか分からなかった。今まで必死で積み上げてきた全てが崩壊しているのが分かった。
一体この破滅の痕に何が残るのか。狂ったように浜面は笑った。

プレス用鉄板の下から聞こえる絹旗の呻き声は少々様子が変だった。
散々嫌というほど聞いてきたからすぐに分かった。これは生者の出す声ではない。あの動く亡骸共の出す呻き声だ。
ゾンビと化すことで、人として死亡し異形として生き返った絹旗最愛。
根源的な飢餓に突き動かされて人肉を求めるようになった絹旗は、このプレス機の区画に落とされて押し潰されたのだろう。

では誰がそれを行ったのか。
何者が彼女に永遠の安らぎを与えんとしたのか。

該当者は最初から一名しかない。
その少女は、プレス機のスイッチの前でぺたりと座り込んでいた。
その目はどこか虚ろに見え、顔に表情というものは一切なかった。
貼り付けたかのような無を顔に浮かべ、空の瞳を漂わせる。
少女の全身は痙攣でもしているかのように震え、まるで抜け殻のようでさえあった。

浜面仕上と滝壺理后。麦野沈利と絹旗最愛。
ここに『アイテム』は完全なる終焉を迎えた。

「ははははは、はっははははははははははは!!!! ははは、お、げ、おぇええええええええええええええ!!!!」

びちゃびちゃと浜面は口から吐寫物を撒き散らす。
全身を汚物に塗れさせながら、浜面はそんなことも気にせずに小さく蹲る。
そこで初めて浜面は滝壺の周囲が吐寫物で塗れていることに気付く。
浜面と滝壺は全く同一の失意と絶望に身と心を食われていた。

いつの間にか、絹旗の呻き声が聞こえなくなっていた。
それが意味するところは一つだった。

「ぐ、げぇえええええ……。おぇ、う、ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

浜面は言うことを聞かぬ体をずるずると引き摺り、滝壺の元へと向かう。
その手が滝壺の腕を掴んで、そこで初めてようやく滝壺は浜面の存在を認識したようだった。

「―――は、ま……づら?」

古い機械のように、滝壺はぎこちない動きで首を浜面へ向ける。
しかしその眼は本当に浜面を捉えているのか。眼に光はなく、死んでいる。
浜面はもはや何も言えず、ゆっくりと滝壺を強く抱き締める。痛いのではと思うほどに、強く。

結局、これが現実だった。
浜面のためなら何でもできる。滝壺のためなら何でもできる。
互いが生きていればどうでもいい。そのためなら誰だって切り捨てる。
二人はこの悪夢の中でずっとそう考えてきたし、そう行動してきた。

ところが、異形へと変異した麦野沈利が現れただけで、生と死の狭間に囚われた絹旗最愛が現れただけで。
二人の覚悟と意思はこうも儚く崩れ去った。
互いさえ無事ならば麦野や絹旗さえどうでもよかったのではないのか。
なのにどうしてこれほどの挫折を味わっている。

浜面にとって、滝壺にとって。
麦野や絹旗はもはやただの仲間などではなくなっていたのだ。
それこそ互いにとっての浜面や滝壺に匹敵するほどに大切な存在へと変わっていたのだ。
何を失っても、なんて無理だった。彼女たちを失う痛みは、浜面が滝壺を、滝壺が浜面を失う痛みともはや同等だった。

それを味わって、尚平然としてられるほど二人は人の心を捨て切れていなかった。
もう、嫌だ。どちらかがぽつりと呟いた。

浜面はきつく滝壺を抱擁する。言葉はもうない。
何を言えばいいのかなんて分からなかった。何かを言う気にもなれなかった。
ただ、今は互いが互いを強く感じていたかった。
いつか訪れるであろう終わりの時まで、ずっと一緒に。





トロフィーを取得しました

『十字架を建てる時』
かつて『アイテム』を再結成させた少年が、その鍵になった滝壺理后が、『アイテム』を破滅させた証。夢は所詮儚く消える






Files


File33.『麦野沈利の手記』

ここに一時立て篭もったのは正解だった。食事もあるし生きるには困らない。
時々、扉の向こうで連中が動き回る音が聞こえるけど、ここには入り込めないよう。ざまあみろクソ野郎共。
滝壺が無事かどうかは分からない。でも私は浜面を信じる。私たちも、何としても生き延びてみせる。
また全員揃って笑ってみせる。『アイテム』はもう二度と崩れない。
もう化け物になんてなってたまるか。人間のまま生き延びるんだ。


くそ!! 化け物の侵入を許してしまった。
まさかダクトを通ってくるとは思わなかった。平和ボケしすぎだ、無様も極まってる。
でも私ならあんなのろまな化け物を叩きのめすくらいわけはない。
……問題は不意の一撃に絹旗が負傷させられたこと。休養を取ったらすぐに行動を再開するつもりだったけど、これではそうはいかない。
化け物になんてなってたまるか、させてたまるか!!
これからはおちおち眠り込んでもいられない。


この間のようなことがあっては暢気に休んでもいられない……神経が昂ぶる。
外に出て必死に何か方法を探すが、一向に何も見つからない。
時間がない。私には、絹旗には時間がないんだ。
冷静にならなくては、と分かっていても落ち着くことなんて出来やしない。
話し相手でもいれば少しは気が紛れるんだろうけど。

流石に疲れた、具合も悪い。
風邪でも引くとまずい。一旦休むべきだろう。私がここで倒れては元も子もない。
……でもやっぱりじっとなんてしていられない。
私は今度こそ『アイテム』を守ると誓ったんだ。
浜面、滝壺。待っててね、次に会う時は元気に笑う絹旗と一緒に行くから。

高熱でダウンしてしまっていた。
倒れているところを化け物に見つからなくて良かった。
まだ頭がぼーっとする。感染症? あの子にかまれたからばい菌はいったかも?
首に大きなしこりできた。いたい。こういうとき独りはきつい。さびしい。

今なんじ……?
話しあいてできたよかった。
なかなかイけるやつ。ジョークのセンスもある。おもしろい。わらう笑う。
でも顔、ちかすぎ。ずっとそばいすぎ。むこうもそういってる。けどせまくて動けない。

けんかした。あいつたべものひとりじめ。
よこで肉たべてる。おいしそう。わたしのかおのよこ。すぐすぐよこ。
けどわたしにくれない。おいしそうな肉。
あのコのあたまのおにくおいしそう。

たすてけ
わたしのからだ、よこどり
された
わたし わたしじゃない?
わたしだれ?
たたすけ よばなきゃ
メーデーめーでー

メヘエエエデエエエエ
にくにく たべたべ たべたひいいよおお




File34.『絹旗最愛の遺書』

震える文字で、極めて短い文章が綴られている……。

『浜面、滝壺さん。どうかお幸せに』

少しミスりましたが投下終了

メーデーさんとレイチェルはバイオ屈指のトラウマだと思います
次回は一方通行シナリオと上条さんシナリオ、浜面シナリオ
Day2はもうすぐ終わります、そしたら最終日Day3へ

>>1
リアルタイム初遭遇でひたすら更新押してたわwwww

不意打ちとはいえ意識外からの銃撃すら防ぐ自動防御の窒素装甲破るとか何がダクトから侵入したのか気になる

あと麦野のいうあの子は絹旗でいいんだよな?絹旗に噛まれて感染したって解釈でいいんだよな?

乙乙
本当に絶望しかないな

>>230休養をとったら行動を再開させるって書いてるし、窒素装甲の自動防御が発動しないほど疲弊しきってたとでも考えればいいんじゃない?

投下します
予定が変わって今回は一方通行シナリオと垣根シナリオです

それとファイルのナンバーに間違いがありました、正しくは
File32.『書き捨てられたメモ』

File33.『御坂妹の手帳』

File34.『麦野沈利の手記』

File35.『絹旗最愛の遺書』

です

>>230
絹旗に噛まれて感染、それでおkです
窒素装甲については、ほら……念動力で窒素無視のダメージ食らってその隙にとか、>>232とか……





ある地点からは、もはや立ち帰ることはできない。その地点まで到達しなければならぬ





一方通行 / Day2 / 17:40:50 / 第一六学区 路上

「……あァ?」

緑色の鱗に覆われ、鋭い爪を持った爬虫類のような化け物の頭部を握り潰し、一方通行は疑問の声を漏らした。
視界の片隅、遥か遠方から大きな爆発音のようなものが聞こえてきたのだ。
更に目を凝らしてみれば何か一部が赤く染まっているようにも見える。

「何あれ? 大火事でも発生したのかねぇ」

足元に倒れ付している亡者の頭部に止めの弾丸を撃ち込んで番外個体はそちらを見つめる。
言葉や口調こそ軽いものの、その表情は二人とも疲れきり、重く沈んだものであった。

「……っつーかあなたさ、能力使いすぎ。もう充電器も壊されて充電なんてできないってのに。
投げやりだよ。もう何もかもがどうでもいい、どうにでもなれって感じがする。
もうあと数分しか残ってないんじゃないの? ……気持ちは分かるよ。でも、あなたにはまだ生きててもらわないと……ミサカが困る」

打ち止めが死に、歪な生に囚われた彼女と相対したあの時から。
一方通行は既に死にかけ、ただ空っぽの器になりかけていた。
だから、その時から番外個体が理由になった。
番外個体は自らを守れと告げ、致命的に崩壊した一方通行が生きて戦う理由を作った。

だが、それでも。一方通行だけでなく番外個体さえも。
もう気力が尽きかけていた。限界がすぐそこまで迫っていた。
この狂気に満ちた世界に、全てを食われかけていた。

「……あっちにはたしかデケェ大学だか病院だかがあったな。
なンで今更あンな爆発や炎上が起きてンのか……誰かがいるのか。行ってみるか」

そォいや他の生き残ってるだろう知り合いたちを回収するのが元々の目的だったな、とようやく一方通行は思い出す。
ではこれまで何のために動いていたのだろうか。これからあの爆発の元へ行って、それでどうするのだろうか。
疑問に思って、どうでもいいか、と素直に結論づける。

「……だね。どうせもう行くところもない、気力もない、目的もない、なぁんもないんだから」

一方通行は番外個体の言葉には答えず、淡々と呟く。
二人は何かを諦めたような、自嘲するようなボロボロの笑みを浮かべる。
きっともう、取り返しのつかないところまで崩壊は進んでいた。


垣根帝督 / Day2 / 15:00:49 / 第一六学区 プロムナード

遥か彼方で、見覚えのある燈色の輝きが天へと立ち昇った。
地上から数十メートルも上空まで打ち上がったその閃光。
距離が離れすぎていて薄らとしか目視できないが、垣根と心理定規はその輝きの名を知っていた。

「―――超電磁砲」

呟いたのは心理定規だった。彼方に光る闇を切り裂くような閃光に、彼女は魅入るように視線を外さない。

「……まあ、間違いねえだろうな。サインのつもりか」

「御坂さん……生きているのね……」

仲間の生の証。それを示す閃光は心理定規の心に光を灯す。
これまで変わり果てた友人やおぞましい異形ばかりを見てきた彼らにとって、それは希望だった。
御坂美琴が生きている。ならば他の知り合いたちもきっと生きている。
とっくの昔に消え失せたそんな前向きな思考が蘇っていた。

「ってことは、さっきの馬鹿げた落雷もやっぱり?」

「だろうな。そもそもあんな桁の違う出力を出せる奴なんて第三位、超電磁砲を置いて他にいねえ」

今からおよそ三〇分ほど前。
丁度今のように遥か彼方で巨大な落雷が降り注いだのを二人は目撃していた。
それはあまりに破壊的で莫大な雷。しかもその轟雷が輝いたのは今超電磁砲が撃ち上がっているのと同じ方角であった。

「でも待って。あれだけレベルの違う規模と破壊力よ。あんなものをぶっ放したら間違いなく死肉狂い共も消し去っちゃうはず……」

心理定規のその言葉は、美琴がたとえ相手が生きた死体であろうと殺すはずがない、という確信に基づいたものだった。
だがその言葉は後半は囁くような弱く小さい声になっていた。
彼女は思ってしまったのだ。あり得るのかもしれない、と。
何せずっとこの地獄の中で戦ってきたのだ。その“本質”についても分かっているつもりだった。

「あいつらに遭っちまったら殺るか殺られるか、二つに一つ」

垣根もまたその“本質”には当然気付いている。故に大して驚くことはしなかった。
だが、その表情には確実に何かが含まれていた。

「御坂は選んじまったんだろうな。おそらく、それは防衛本能なんだろうよ。
ここで本当の意味で壊れれば、『自分だけの現実』はグチャグチャになる。そうなれば能力は使えねえ。
そしてそれはそのまま死へと繋がる。それを避けるために、おそらくは本能的に御坂は自分から先に壊れたんだ。
……もしかしたら、今もどうしても守りたいヤツと一緒にいるのかもな。そのためにはどうしても『超電磁砲』を手放すわけにはいかねえんだろうよ」

亡者共と対峙し、手を上げることを拒絶する。
変異した知り合いと遭遇し、泣き叫びながら逃げ惑う。

おそらく美琴も最初はそうしてきたのだろう。
だがそれは極度の疲労とストレスを強いることになる。
そして溜まりに溜まったそれが爆発するような、美琴の信念を根本から砕くような、決定的な何かがあったのだろう。

そうなれば抱えきれぬショックにパンクすることはなくなる。
無理に対峙して受け止めることなく、ただ目の前の光景を受け入れて力を振るう。
それでお終いだ。超能力者たる彼女にとって、不殺という枷が外れれば異形共のほとんどがものの敵ではなかっただろう。

(この狂った地獄の世界の、それが本質だ)

垣根は思う。現在の死んだ学園都市で、最も恐ろしいものは何か。
それは人肉を食らう歩く死者ではない。人知の及ばぬ魑魅魍魎共ではない。避けられぬ死ではない。
それらによる信念や人格の崩壊、その変化。それが最大の恐怖だ。

その人間が対峙したであろう絶望よりも。
それによって人間がこうまで変わってしまっただろうことの方が、垣根にはよほど恐ろしかった。

この惨劇は人の有していた様々なものを崩壊させ、そして歪んだ形で再構築させてしまった。
垣根や一方通行のような人間よりも、真っ当に生きて正当に努力してきたような人間にこそこの地獄は牙を剥く。
ましてやなまじ強い力を持っていると、簡単に相手を殺せるような力があると、その崩壊は更に加速する。

「……そうなってまで御坂さんには掴みたいものが、守りたいものがあったのね。
『自分だけの現実』、『超電磁砲』。大切なものを守るための力を失わないように」

「……だから俺は、最初に上条や御坂は危ないっつったんだ。クソが」

吐き捨てるように垣根は言う。
こうなることが予測できなかったわけではない。
だからそれを防ぐために二人は上条たちを探していたのだ。
だが結局は彼らを見つけられず、こうして手遅れになってしまった。

そこまで考えて、ようやく垣根は自分たちの本来の目的を思い出す。
この無明の地獄に飲まれてもはや目的など忘れ去ってしまっていた。
まともな人間だけではない。それだけ自分たちも危なくなっているのだ、と自覚する。

「……じゃあ、あの『幻想殺し』の彼も……」

「可能性は十分に、な」

上条当麻。あのヒーローも、どこまで行っても人間で、高校生だ。
闇と失意とに飲まれ、変わってしまっている可能性は否定できたものではない。
それほどの狂気と対峙することで壊れ、それほどの狂気を流せる人間として生まれ変わる。

だから、それが建物の影から姿を見せた時。
垣根はもう自分も既に手遅れになっているのだと自覚した。

ああ、と驚くほどにそれを受け入れている自分に気が付いた。
見てみれば心理定規にも、これまでほどの反応が見られなかった。
本来ならそんな程度で済まされていいはずがなかった。
なのに、『そんな程度』で済んでしまっている事実がある。

「ああ、クソ―――なんだ、アンタ、俺の方に来たのか。
アンタは変わってたよな。俺に殺されかけたってのに、アンタは笑ってた。ただの一言も俺を責めようとしなかった」

一〇月九日。学園都市の暗部抗争が巻き起こった日、目の前の人間は垣根帝督によって瀕死の重傷を負わされた。
だと言うのに、その人間は、黄泉川愛穂は垣根を責めることはなかった。
彼女にはその権利があったはずだ。その理由があったはずだ。

「大人は汚え。それが俺の世界の常識だった。実の親だって例外じゃなかった。ガキを使って肥え太ることしか考えてねえこの街のクズ共。
そんな中で、アンタみたいな人間もいるんだと思ったよ。……だが、それでもこの街のシステムを組み替えるほどの力はアンタにはなかったってことか。
ああ、当然だ。当然だと思うよ。何しろアンタみたいな人間は絶滅危惧の希少種。圧倒的少数なんだからな」

人ならざる声をあげ、赤々とした筋繊維を露出させ、酔っ払ったかのような覚束ない足取りで近づいてくる黄泉川愛穂。
子供には銃を向けず、子供たちの平穏と安寧のために戦う心優しい一人の教師。
それが今では飢餓感を目の前の肉の塊で満たすことしか考えられなくなっている。

「―――仕方ねえ。仕方ねえんだ。何がどう狂ってこんなことになっちまったかなんてもうどうでもいい。きっと、全てがイカれちまったんだ」

眼前に迫る死者に対して、垣根は静かに語りかける。
当然その言葉は黄泉川には届かない。心理定規は顔を俯かせたまま、何も言うことができなかった。

「俺も、アンタも。全員が不幸だったんだ。もう、こうなっちまったらそういうことでいいだろ」

だから。

「だから、ここでお別れだ」

あの時のように、音も無く伸びた白い翼がズブリと黄泉川を貫いた。違うのは、今度こそ確実にその命を奪ったこと。
白く輝く聖槍にその身を貫かれた異形の存在はそれで完全に活動を停止し、その場に崩れ落ちる。
動かなくなった黄泉川愛穂。こんな自分たちに手を差し伸べてくれた黄泉川愛穂。その最期はこんなものだった。

「……つくづく世界ってやつは不公平ね」

心理定規も自分たちの致命的な変化に気が付きつつも。
もはやどうすることもできず、どこか諦めたような、どうしようもない表情を浮かべていた。
もう何を言っても意味などなく、二人は静かに立ち去った。
あとにはどろりと白く濁った眼を持つカラスに無残に啄ばまれる、一つの死体だけが残っていた。





そして。しばらくの後、垣根と心理定規は『爆心地』へと辿り着く。
空爆の跡のような燦々たる光景が広がるそこは、かつて『冥土帰し』と呼ばれる凄腕の医師がいた病院があった地だった。
ここに二人が探している少女の姿はなかった。だがその痕跡はしっかりと残されていた。

「ちょっと、これを見て」

心理定規の白く細い指が何かの残骸である大きな鉄板のようなものをなぞる。
その下には何かの文字列が刻まれていた。おそらく砂鉄か何かで強引に刻み込んだのだろう。




『上明大学へ!!』




向かうべき場所は、決まった。

投下終了

次回は浜面シナリオと上条シナリオ
ティザーとはいえPTが怖過ぎてわくわくが止まらない

なんでクレアの声優変えてしまったんや……なんでや……
でも雰囲気は良さげだから期待してます

というわけで投下
PS4そろそろ買わないといけないようだ





真の道は一本の網の上に通じている。その網は、空中に張られているのではなく、地面のすぐ上に張ってある。
渡って歩くためよりは、つまずかせるためのものであるらしい。





浜面仕上 / Day2 / 16:18:47 / 第一六学区 プロムナード

始まりは一体どこだったのだろうか。
ともあれあの日、『スクール』に『アイテム』は敗北した。
どうしようもない力の差があった。努力や工夫でどうにかできるレベルを超えてしまっていた。

第四位の『原子崩し』と滝壺の『能力追跡』の極悪コンボ。絹旗の攻防共に優れた大能力にフレンダのトラップ。
『アイテム』は数ある暗部組織の中でも屈指の実力と功績を誇っていたが、それでもたった一人の男にその全てはいとも容易く蹴散らされてしまった。
そこから『アイテム』は坂道を転げ落ちるように崩壊の道を辿った。
そして『体晶』と滝壺を巡って浜面と麦野は争い、辛くも無能力者の身で超能力者を下すという大戦果を成し遂げた。

だが、その後に。
浜面仕上は再び麦野沈利と相見えることとなる。
麦野は片目を失い、片腕もなくし、全身を得体の知れないテクノロジーで強引に補強している状態だった。
おかしい、と浜面は思った。元々は『アイテム』の仲間で、一人の女性で、ルックスや服のセンスも決して悪くなかった。

それなのにわけの分からない技術の投入で体をボロボロにして、全てを捨てて自分を殺しにかかっている。
歪だと思った。このまま麦野を殺してしまっていいのか、と思った。殺して、その先で笑えるのか、と思った。
だからこそ。ロシアの雪原で彼女と三度対峙した時、浜面は殺し合いを否定して『アイテム』を再結成するという道を選んだ。
フレンダはもういなくても。もはや怪物ではなくなった麦野、『体晶』から解放された滝壺、浜面をサポートし麦野を再び受け入れた絹旗、そして浜面。
新生『アイテム』は血みどろの暗部から脱却し、日常と平穏、青春をその手で掴むことに成功した。

どうしてこうなった。何を間違えた。
麦野と殺し合うことを拒絶し、手を差し伸べることを決めた。
麦野を殺しても、その先で笑うことなんて絶対にできないと思った。
だが、もはや麦野沈利はいない。他ならぬ浜面の手によって完全な死を迎えてしまった。

何が狂った。誰が悪かった。
絹旗とは以前からビジネスライクというよりも友人のような関係を滝壺は築いていた。
『スクール』に追い詰められた時も、学園都市の追っ手に追われた時も、絹旗はサポートしてくれた。
なのに、もう絹旗最愛はいない。滝壺のその手によってこの世を去った。

「…………」

浜面は忘れることができない。
あの異様でグロテスクな姿へと変貌した麦野沈利を。
かつての声で助けを、生を、人であることを主張する光景を。
それをその手で殺した感触を。
絹旗が生きる屍へと成り果て、滝壺によって殺されたことを知った時の衝撃を。

「…………」

滝壺は忘れることができない。
腐肉と骨を晒し、濁り開ききった眼を向けて白く膨れた指先を蠢かせる絹旗を。
かつてのあの声で呻き、あろうことか『食欲』を自身へと向ける友人を。
それをその手で殺した感触を。
麦野が醜悪な化け物へと成り果て、浜面の手によって殺されたことを知った時の衝撃を。

決して。
忘れることができない。

「…………」

「…………」

二人の間に会話はなかった。最後に口を開いたのはいつだっただろうか。
人間の『生』の定義とはどのようなものなのか。
たしかに心臓は動いている。脳は活動し、全身に命令を送っている。

だが目的もなく、生きる意思さえ曖昧に、虚ろな目でただふらふらと足を動かしているだけの空の人間は。
果たして『生きている』と言っていいのだろうか。
今の彼らと辺りに溢れる亡者共の違いは何だろうか。

「…………」

実際のところ、本当に危ないのは自分よりも滝壺の方だ、と浜面は思う。
滝壺の目には浜面以上に光がなく、浜面以上に虚ろだった。
浜面以外に、それと同じくらいに大切なものを全て失った。
それでも滝壺が一応動けているのは、きっと浜面がまだ生きているからだ。

だから。
だからこそ。

「――――――」

目の前に全長一〇メートルほどの大蛇が建物の隙間を縫うようにして現われ。
その口を、その体の大きさからは想像もつかないほどに大きく開き。
牙を光らせて浜面ではなく滝壺へと襲いかかった時。
滝壺が全く反応しなかったのは、不思議ではなかったのかもしれない。

そして。滝壺と同じくらいに大切なものを全て失った浜面が。
もはやどうして自分が生きているのか、何を為すために歩いているのかすら分からなくなった浜面が。
滝壺を狙われて、反応するのが遅れたのも仕方なかったのだろう。
しかしその喪失、その遅れは。何もかもが致命的と評価できた。

「う、ああああ……っ!!」

「――――――ッ!!」

ようやくハッとした浜面が滝壺の体を全力で引っ張る。
だが、遅かった。滝壺の右肩には深々と大蛇の牙が突き刺さってしまっている。
そのまま噛み千切られなかったのは奇跡と言えるだろう。

浜面は肩口からドクドクと大量に出血している滝壺を抱きかかえる。
今まで抜け殻のようだったのが嘘のようだった。
急激に意識は覚醒し、怒りと恐怖と後悔と悲しみが溢れ出てくる。

「ぅ、あ……あ、」

「おい、おい滝壺!! しっかりしろ!! 滝壺ぉっ!!」

血を滝のように流しながら滝壺の体が震えている。
目の前の絶対に許してはならなかった光景に浜面は叫ぶ。
自分の無様さへの憤りに体が震えるのが分かった。
全身の血管が破裂するのではと思うほどに体に力が入る。

(ちくしょう……何やってんだよこのクソ野郎が!!)

自分への怒りに打ち震えながら浜面は咄嗟にジャージを脱ぎ、それを滝壺の肩口に巻きつけて少しでも止血を試みる。
それを終え、浜面はそこで初めて大蛇の姿をはっきりと視界に捉えた。
長さは一〇メートル程度で、それだけなら自然界にもアナコンダのような蛇がいる。
だがその太さが普通ではなかった。さながら巨大な丸太のようにさえ見える。
そして顎はあくびをしているように異常に大きく開いていて、まるで顎が外れているようにも見えた。

頭をもたげ、獲物を品定めするように舌を遊ばせる大蛇。
手持ちの銃を数発撃ち込んだところでこの異形の大蛇は殺せないだろう。
そもそも重傷を負って動けない滝壺がいるのだ。逃げることすら困難を極める。
動かすだけで負担がかかる。しかしこのままでは二人揃ってこの大蛇の餌食だ。
仕方なく浜面が滝壺を抱きかかえようとすると、滝壺は震える小さな声で告げた。

「……私のことは、いいから……。私が、あれの注意を引く。その、間にはまづらは、逃げて……」

やっと口を開いたと思ったら、その口から漏れたのはそんな戯言だった。

「ふざけんな!! いいか滝壺!! 俺がお前を!! 見捨てるなんてできるわけねぇだろうが!!
絶対に死なせねぇ。死にたいっつっても死なせてやらねぇから覚悟しとけ!!」

見捨てない、死なせない。
麦野や絹旗の末路がある限り、そんな言葉に意味などない。
意味などなくても浜面はそう言わずにはいられなかった。
麦野と絹旗が死んでしまったからこそ、今苦しむ滝壺が目の前にいるからこそ、『守る』という決意は一層強くなっていた。

そして滝壺も。意味などないことが分かっていても、現実的な可能性の低さを理解していても。
やはりそう言われるのは嬉しかった。第三資源再生処理施設を出てから、初めて滝壺に表情というものが生まれた。

だが現実は何も変わらない。いくら少女とはいえ人間一人の重さはそう軽いものではない。
加えて大蛇は頭をもたげさせ既に第二撃を放とうとしている。
詰みに近い状況。そんなどうしようもない状況下で、




「お、ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」




―――浜面仕上と滝壺理后は、見知った無能力者の少年の咆哮を聞いた。


「あ、あれは……ッ!?」

「かみ、じょう……?」

二人の視線の先に、大蛇へ向かって突撃してくる上条当麻が確かにいた。


上条当麻 / Day2 / 16:19:26 / 第一六学区 プロムナード

特別な理由なんてなかった。
ただ、たまたま得体の知れない大蛇に襲われている人間を見た。
だから助けようと思った。ただそれだけだった。

上条は吹寄からインデックスまで、多くの仲間を失ってしまっている。
以前には名も知らぬ瀕死の少女と出会い、助けられずに目の前で死なせてしまったことさえある。
だからこそ。今度こそは誰かを助けてみせると、そう思ったのだ。

自分が選ばれた特別なヒーローなどではないことなんて、痛いほど思い知らされている。
誰かを救えるなんて考えは傲慢だなんてことだって分かっているつもりだ。それでも。

警備員の死体から拾っておいた使っていないグレネードガンを手に、全速力で駆ける。
そして大口を開けた大蛇と襲われている二人の間に滑りこみ、その口内へと銃口を向ける。
背後で襲われていた人間が何か言っていたが、上条はそんなことには構わずに引き金を引いた。
こんなものの使い方なんてまともに知っているはずがない。ただ引き金を引けば弾は出る、それで十分だった。

放たれた榴弾は大蛇の口内に着弾し起爆する。
体内からの爆発を受けた大蛇は大きな金切り声をあげ、のたうつようにして身をくねらせどこかへと姿を消していった。
大蛇が完全にいなくなったのを確認し、ようやく上条はふぅ、と息を吐いて振り返る。

「これでとりあえずは安心だ。大丈―――は、浜面!? 滝壺も!?」

「ちっくしょう、なんて完璧なタイミングで出てきやがんだこのヒーローは!! 大将、アンタ最高だよ!!」

大蛇やそれに襲われている人がいるということばかり考えていて、それが誰かを確認する余裕などなかった上条はそこで初めてその顔を見る。
浜面仕上、滝壺理后。二人とも擦り切れたボロボロの表情で、やつれたようにも見えるが間違いなくそれは見知った二人だった。

そして、彼らは上条当麻にとって。この惨劇において初めて出会い、言葉を交わすことができた友人だった。
間違いなく生きている彼らの姿に上条は感極まり、思わず涙が出そうになるがこういう時は違う、と思って上条は笑う。この地獄の果てで、笑うことができた。

「―――久しぶり。またお前たちの顔が見れて、安心したよ。……本当に、安心した」

「……俺もだよ。もし大将が来なかったら、俺たちは死んでた。たとえこの場を切り抜けられても、もう心が死んでた」

そう言って、二人の無能力者は笑った。最後に笑ったのは果たしていつだったか。
だがそれもほんの一時のこと。今は滝壺を何とかしなければならない。

「……かみじょう。無事で……よかった……」

「何言ってんだ、他人の心配してる場合じゃねぇだろ!! 待ってろ。今助けてやる」

上条の力強い言葉と顔つきに、滝壺は愛しい少年の面影を重ねる。
似てるなぁ、などと思いつつ、もう自分の命を捨てようとは滝壺は考えなかった。

「―――ど、く……」

「何?」

二人の少年に肩口の傷跡の処置を受けながら、滝壺は酷く震える声で呟いた。

「さっきの、……大蛇……。毒を、持ってた、ん、だと、思う……。意識が、朦朧と……」

ぐったりと全身の力が抜けている滝壺を抱きかかえながら、浜面は嘘だろ、と呟く。
毒。たしかに蛇に噛まれたのだから毒を受けても何もおかしくはない。
しかし、血清なんて持っているはずがない。焦燥がじりじりと身を焦がす中、

「待てよ……? たしかこのすぐ近くにデケェ病院があったはず……」

「上明大学付属の大病院」

上条当麻は力強い口調でこう言った。

「俺もさっきそこを通ったから知ってる。俺が血清を取りに行ってくる。お前たちは身を隠して安静にしてろ」

浜面はその提案を断ることはできなかった。
事は一刻を争う上、浜面の全身は既にボロボロで、一歩歩くだけで痛みが走る有り様だ。
情けないと思いながらも、上条なら安心して信じることができる、と浜面は思っていた。

こちらに背中を向け、全力で走り出した上条を遠くに見つめ、浜面は手の届かぬ星を見つめるように目をスッと細める。
素直に思った。

「……変わらねぇな」

決して真似のできないその不変性。あれが英雄的資質ってやつなのかね、などと思いつつ浜面は滝壺を抱き上げ、眼前の施設へと入っていった。


浜面仕上 上条当麻 / Day2 / 16:27:29 / 第一六学区 ソラリウム

巨大な屋内プール、その施設内に上条当麻、浜面仕上、滝壺理后はいた。
元々付属病院が文字通り目と鼻の先にあったこと、上条の協力によって何とか毒が回りきる前に血清を打ち込むことに成功していた。
滝壺に教えられた種類の血清を上条に渡され、浜面自身が滝壺に打ち込んだ。

滝壺は大分衰弱してしまっているようで、今は意識を失っていた。
しかしあくまで意識を失っているだけであり、大蛇の毒はこれで取り除かれた。
安堵した二人は大きく息をつき、その場にどかっと座り込む。
周辺にいた数体の屍は上条が戻ってくる前に排除してある。浜面はいつ以来だか分からない安心感を感じていた。

そしてそれは上条もまた同じだった。
次々と変貌した友人らと遭遇し、散々に打ちのめされた中でようやく出会った生きた仲間。
それと同じ空間を共有するという感覚は、想像以上に上条に安らぎをもたらしていた。

「…………」

「…………」

しかし何を話せばいいのか分からなかった。
上条も浜面も、相応の地獄を見てきている。
自分があれだけのものを見てきているのだから、相手も同じようなものを味わっているのは想像に難くない。
そう思うと、普段ならいくらでも出てくる軽口の一つも引っ込んでしまう。

他の仲間のことなど聞けるはずがなかった。
『アイテム』の仲間はどこにいるのか、なんて間違っても上条は聞けなかった。
あの白いシスターや常盤台の超電磁砲は、なんて浜面は間違っても聞けなかった。
それでも何か話そうと浜面が口を開く。

「……悲惨だな」

「……ああ。でもお前たちに会えて本当にほっとしてる。……お前、もうボロボロじゃねぇか」

「俺も、滝壺も大将に会えて救われたよ。アンタがいなかったら今俺たちは生きてないんだ。……本当に、ありがとう」

たしかにもうボロボロだけど、命があるだけ儲けものさ、と浜面は小さく笑う。
―――その言葉に僅かな引っかかりを覚えた。

「それにしたって、ボロボロなのは大将も同じだろ。もう全身限界に近いんだろ、隠してるつもりかよ?
……今だって頭から血ぃ流れてんじゃねぇか。ほら、使ってくれ」

頭部から顔に流れるように出血している上条へ、浜面は白い布を手渡した。
一言礼を言って、上条はその布を傷口に押し当てる。白い布が血液を吸って瞬く間に赤色へと変わっていった。

「ああ、これはさっき頭を打っただけだ。別にあいつらにやられたわけじゃないから、『感染』は……して……ないと……?」

上条の言葉に疑問が混ざる。声は尻すぼみになり、震えさえ窺えた。
それにつられて浜面も呆然とした様子で呟く。

「―――感……染……?」

二人同時にバッと滝壺を見る。明らかに様子がおかしかった。
滝壺の息が荒い。やけに発汗が見られる。額を触ってみると、熱があることが分かった。
『感染』という言葉。滝壺は先ほど異形の大蛇に噛まれた。そして今のこの症状。
導かれる答えは一つだけだった。

「冗談だろ……」

浜面は真っ青になって思わず言葉を漏らす。
ようやく気が抜けたと思っていたらこの仕打ちだ。
もう、一刻の猶予もないだろう。

「あの時……毒だけじゃなく、ウィルスにも同時に『感染』していたって言うのか……っ!?」

上条の声にもまた絶望の色が混ざる。
考えてみれば何もおかしいことではないのだ。
むしろ当然の結果とも言える。この事態を引き起こした得体の知れないウィルス。
それに『感染』した生物に噛まれたのならば、滝壺もまた。

(どうする……。どうするどうするどうする考えろ考えろ考えろよ浜面仕上……ッ!!
テメェのその大したことない脳みそを限界まで回せ!! ありったけの脳細胞を全てつぎ込めよッ!!)

このままでは、滝壺理后は生ける死者の仲間入りを果たす。
あのどろりと濁った目で、腐った体で、食欲を満たすために動くようになる。
そんなふざけた結末を認めるわけには絶対にいかない。

「とにかく、その付属病院に滝壺を運ぼう。移動の危険はあるけどここじゃ何にもできやしねぇ!!」

「……分かった。サポートは俺に任せろ!!」

浜面は姿なき悪魔にその身を蝕まれつつある滝壺を抱きかかえ、再び歩き出す。
道中は上条がサポートしてくれるため、移動に関しての不安はなかった。それは上条への信頼そのままだった。
だが、上条は思う。

(ウィルスのワクチンを作る以外に滝壺を助ける方法は多分ない。
でも俺たちに作れるのか!? 何の特別な知識もないただの高校生二人に!?
滝壺なら作れるかもしれないけど、その滝壺が動けないんじゃあ他に方法は……っ!!)

浜面は思う。

(ワクチンを作る。それしか道はねぇ。でも問題は山積みだ。
そもそも作り方や実際に作れるのかって問題以前に、このウィルスの詳細なデータがねぇとワクチンなんて作れないだろ!?
でもそんなもんがどこにあるって言うんだ。ちんたらやってると滝壺が……ちっくしょうが!!)

時間は無駄にはできない。こうしている間にも、滝壺理后の体内では未知のウィルスが活動しているのだから。
明確な答えを出せぬまま、二人の少年は上明大学付属病院へと向かう。

投下終了

鯖の調子が悪いのか、何度も何度もエラーが出ながら繰り返しやってたせいでえらく時間がかかってしまった
ようやく上条さんと浜面という主要キャラ同士が合流するところまで来ました

次回は多分上条さんシナリオと浜面シナリオ……だと思います、次回シナリオはちょっとまだ未定
久しぶりのライブセレクションが入る予定です

FF15が凄過ぎて夜にしか眠れない
ラウラに殺されてテンション下がった中投下します

事前予告なしですが今回ライブセレクションありです





どうか 複雑に絡み合って困惑させられるこの謎を解いてほしいのです
あなた方は 時が運びし未来の出来事を知っているようですので……






もはやお飾りの肩書きとなった第一位の称号を背負う少年は、番外個体と呼ばれる少女と並んでそこを目指していた。
いくらでも沸いてくる亡者を撃ち抜き、無限に現れる化け物を叩き潰し。
数多の亡骸で舗装された道を歩く。
その時、そこからまた何かしらの轟音が響き渡る。

「……本当に、何をやってるんだか」

「…………」

番外個体のその呟きは、そこと自分たちのどちらに向けられたものなのだろうか。
そこの方面へ視線を向けると、空や景色が赤く歪んでいた。
火の手が上がっているのだ。そして先ほどから聞こえる音。あそこに、何かがある。

けれど。そこへ行って、何になる。そこに何かがあるとして、それがどうなる。
今更何をしたところで打ち止めは帰ってこない。妹達は戻ってこない。黄泉川愛穂も芳川桔梗も生き返らない。

「……くっだらねェ」

呟いて、しかし足はそこを目指して動き続ける。
もしかして、と思っているのだろう。もしかしたら、あそこにある何かは再び戦おうと思わせてくれるようなものなのではないか。
最も重要な柱をへし折られた一方通行に、少しでも戦意を抱かせるものなのではないか。
そんな甘すぎる考えを自覚しながらも。

全てを見失った少年と少女は、会話もなくただそこ―――上明大学へと歩を進める。



道を見失ったであろう少女が、誰かへ宛てて残した一文。
それに従って垣根帝督と心理定規はそこを目指していた。
二人の周囲には幾多の骸が山と積み上げられ、この地獄の中にあって尚異様な光景が出来上がっていた。

「それで本当にそこに行けば御坂さんに会えるの?」

「さてな。御坂に行き先を変更する理由がなく、無事にそこに辿り着け、且つ御坂がそこを離れる前に俺らが着けば会えるだろうよ」

何をしにそこを目指してんのかは知らねえが、と垣根は付け足して足元に転がってきた臓器を靴底でグチャリと踏み潰す。
靴底からじわりと血のような汁のような、何か得体の知れぬ液体が広がっていくのを垣根は興味なさげに感情のない瞳で一瞥する。
その様はかつて暗部組織『スクール』として暗躍していた時のものと似通っていた。

「……でも、彼女だけじゃない。もう誰だろうとみんなに合わせる顔がないわ。こんなことになっちゃって……」

呟きながら、心理定規は倒れている少年の亡者の胸元に突き刺さっているサバイバルナイフを引き抜く。
血が凝固しているせいで派手に血飛沫があがることはなかった。
しかしその高校生くらいの少年だった死者はまだ活動を停止しない。
呻き声を漏らしながら心理定規へと手を伸ばす。

心理定規は、それを見て。無表情にその喉元へとサバイバルナイフを深々と突き立てた。
ずぶずぶと人体を押し割って刃を埋め込んでいく。零れ出した血で刃を染めながら、確かに絶命させた感覚が手に伝わる。
その様はかつて暗部組織『スクール』として暗躍していた時のものと似通っていた。

おそらく、誰よりもぬるま湯の平穏で得たものを手放したくないと思っていた二人。
過去の冷酷な自分に立ち戻ることを強く拒絶していた二人。

「……安心しろよ。誰か知り合いが生き残ってたとしても、そいつももうどんな顔して会えばいいのか分からねえって、お前と同じことを思ってるはずだからな」

「―――そう」

一見普段とあまり変わらぬように見える二人の顔は、だが決定的に変わっていた。
明らかに窶れ、疲れきり、その表情は常に一定。
かつてのように年頃のように笑ったり、自信に溢れた笑みを浮かべたり、それどころか怒りも悲しみもない。
悪意も邪気もなく。ただ無だけを機械的に保ち続ける二人は、死を積み上げながら上明大学を目指す。

もはや廃墟のようにボロボロになってしまっているビルの中に、御坂美琴と硲舎佳茄はいた。
『冥土帰し』の異名を取る凄腕の医師。彼の残した遺産を持ち、二人はそこを目指していた。

戻ってきた第七学区。かつて住んでいたその学区にある、親しみのあるその病院。
そこで美琴は母を呼びながら人間の顔を剥ぎ自身に貼り付ける異形と二度目の邂逅を果たし。
『冥土帰し』の遺産を見つけ、そして、そして―――……。

「…………っ」

ガン!! という鈍い音が響く。
美琴がコンクリートの壁を握り拳で殴りつけていた。
皮膚が破れ、血が流れる。ジンジンと強い痛みが走る。

構わず美琴は殴りつける。何度も、何度も。
どんどんと傷は酷くなり、これ以上繰り返せば骨にも問題が起きそうだった。
あまりに強く噛んでいた唇からも出血が起き始める。
それでも美琴はやめようとはしなかった。

その時、美琴のもう片方の手に何か暖かいものが触れた。
見てみれば、佳茄がその小さい両手で美琴の手を包んでいた。
佳茄は何も言わない。ただ、その温もりを確かめるように。

やがて、美琴の全身から力が抜けた。
かくんと膝が折れ、ぺたりとその場に力なく座り込んでしまう。
顔を俯かせたまま、決して顔を見せず。しかしその体は小さく震えていた。
佳茄はやはり何も言わない。ただ、美琴は密着していても聞き取れないほど小さな声で、呟いていた。

こんなお姉ちゃんで、ごめんなさい。
馬鹿なお姉ちゃんで、ごめんなさい。
守ってあげられなくて、ごめんなさい。
約束を果たせなくて、ごめんなさい。

最低だ。最低だ。最低だ――――――。

きっと、それは自分に向けられたものではないと佳茄は思った。
だからいつまでも待とうと、そう思った。

「―――……佳茄は、まだ小さいから……」

ぽつりと、今度は聞こえるように美琴は言う。

「佳茄が頼れるのは、私だけだから……。
だから、弱音を吐いてるところとか、迷ってるところとか……見せたく、なかった」

でも、と美琴は吐露する。

「でも、無理だ……。こんなことになって、あんな目にばっか遭って、無理だよ、そんなの……」

ごめんね、と謝る美琴。だが佳茄はそんな言葉は聞きたくなかった。

「いい。そんなの、もう、どうでもいいよ。私のためなんかに頑張らなくたっていいから……。
お姉ちゃん、もう自分を苦しめないでよ……」

重い沈黙が辺りを包み込む。
どれくらいの時間が経ったかは分からない。
だが、その時美琴は真っ直ぐに顔をあげた。

「―――私は、御坂美琴よ」

何かの証明のように名乗る。
そして、佳茄にはっきりと告げた。

「佳茄。私は、あなたを守る。私がそうしたいと本気で思う。
だから今度こそ約束する。絶対に死なせないって、絶対に生きたまま無事にあなたを帰すって」

そう宣言する美琴の顔つきは、まさに『御坂美琴』のものだった。
彼女を彼女たらしめる、新たなる強さと信念が明確に宿っていた。
この僅かな間に美琴が何を思い、どのような変化があったのかは分からない。
だが決して美琴の、先ほどの言葉と反するようなその宣言を否定するべきではない。佳茄は何となくそんなことを思った。

「……ゆびきりげんまん?」

「……そうね、約束。約束しましょう」

だから、佳茄も笑った。精一杯に笑った。
すっ、と小指を伸ばす。長さの違う二本の小指が交わる。
そして、口ずさむ。

「ゆーびきーりげんまん、」

「うーそついたーらはーりせんぼーんのーます、」

「「ゆーびきった!!」」

佳茄は自分が死ぬかもしれないとは少しも思わなかった。
まだ『死』という概念を正しく理解できる年齢ではないが、とにかくそういった心配は全くしていなかった。
何故なら佳茄には最強の護衛がいるからだ。最も頼れる姉がいるからだ。
今、硲舎佳茄は世界で一番安全なところにいた。

「それじゃ、行きましょうか」

「うん!」

二人は手を取り合って死の溢れる街へと踏み出した。
壁に背中をもたれて死んでいる女子学生。その壁にはバケツいっぱいの血を撒いたかのような夥しい量の血がこびりついている。
建物に衝突して大破している車の、砕け散ったフロントガラスから数体の死人が車の中の死体を引き摺り出している。
地面に転がっている男性の死体は、ゾンビと化した犬によって食い散らされその『食べカス』が散乱している。
他の死体は目玉をカラスが啄ばんでいて、もう片方の眼窩には眼球はなく、代わりに恐ろしいほどの量の蛆虫が巣くっている。

そんなどこを見ても地獄しかない中を、二人の少女は歩く。
向かう先は一つ。上明大学へ。


浜面仕上 上条当麻 / Day2 / 17:38:04 / 第一六学区 上明大学附属病院

見るも無残に破壊されている病院内を、三人の人影が歩く。
上条当麻、浜面仕上、滝壺理后。
三人ともがボロボロで、三人ともが限界を超えていた。
だがその中でも、とりわけ危機を迎えている人物がいる。

滝壺理后。異形の大蛇により『感染』した彼女は、急速にその身を蝕まれていた。
浜面と上条はろくに当てもないまま気持ちだけが逸る。

「しっかりしろ、滝壺。大丈夫だ、絶対に助けてやる」

浜面がぐったりして動けない腕の中の滝壺に呼びかける。
意識の確認のようなものでもあったが、それに対しての滝壺の反応は極めて鈍い。
先ほどまでは意識を取り戻し一言二言言葉を返したりもしていたが、今では小さく笑みを浮かべるのみ。言葉を発す体力もないのだろう。
ギリ、と強く歯噛みする。その様はかつての『体晶』に蝕まれていた時と酷似していた。

「大体、このあちこちに見える植物は一体何なんだ。うねうねと動いてるとこ見ると生きてるみたいだが」

「さっき俺が血清を取りに来た時にもあったな。これが扉を塞いで入れないところもあったけど……触らない方がいいのは間違いねぇだろ」

この病院のいたるところに張り巡らされた植物のツタのようなもの。
床にも根を張っているそれは足場を悪くし、浜面は悪態をついた。
使われなくなった建造物などが植物に覆われている光景は本やテレビでよく見るものだが、今回は状況が違う。

数日前まで学園都市は正常に機能し、正しく科学を生み出していたのだ。
あまりにも植物の成長スピードが速すぎる。
そこにはこの事態を引きこした得体の知れないウィルスが影響しているのは明白で、ならば警戒はした方がいいだろう。
『感染』した植物が異常成長を起こしたと言うなら、そこからこちらにも影響を及ぼす可能性はある。

「……おい滝壺。滝壺。……滝壺?」

腕の中の滝壺から返答がないことを訝しんだ浜面がその整った顔を覗き込むと、

「……ちくしょう」

滝壺は再び意識を失っていた。それは彼女の細身の体が着実に侵食されていることを証明するものだった。
思わず滝壺を抱える腕に痛いくらいに力が入る。だが滝壺は全く反応を示さない。

「……浜面、もう時間がない。さっきから思ってたんだが肩口からの出血もよく見ると変だ。
多分、“それ”に『感染』した生物に負わされた傷口からは血が止まらなくなるんだろう」

ともあれこれ以上滝壺を抱えたまま歩き続けるのは危険だと判断し、どこかの部屋へと入ろうとする浜面と上条。
だが上階から隙間を通ってあちこちに伸びている植物の根が扉を塞ぎ、入れなくなってしまっている。
ようやく見つけたその部屋は、やはり植物の根が伸びてはいるが他と比べれば遥かにマシだ。
ここは病室ではないため、浜面はベッドではなくソファに滝壺をゆっくりと寝かせる。やはり滝壺は何の反応も返さなかった。

「でも……っ!!」

とはいえ、どうする。
やらなくてはいけないことは明確に分かっている。
だが実際にそれを行動に移すための手段がない。

時間はない。迷っている暇もない。
気持ちだけが逸る中、何もできない苦痛と怒りが身を焦がす。
しかしそんなことには構わず事は悪化する。
部屋に多少侵入していた植物の根。それがずるずると不気味な音を立てて明確に動き始めたのだ。

「あまりにタイミングが良すぎる……」

それを見上げながら呟いたのは上条だった。

「こいつ……、まさかこの部屋に入ってきた俺たちを獲物として認識してるのか!?」

くそ、と浜面は思わず毒づいた。
最悪だ。ただでさえ滝壺を助ける手段が見つからないというのに。
これではたとえその方法が見つかったとしても、これを何とかしなければ落ち着いて処置もできない。
苛立ちを隠そうともせず近くの机にドン!! と拳を叩きつける。

「……ん? これ……」

そこで浜面は初めてスクリーンセーバーが起動したままのノートパソコンと、不自然に整えられた書類に気が付いた。
その書類に見える文字列に、浜面は手を伸ばす。

この植物はやはり未知のウィルスを受けて、宿主の生物がなんであったのか想像することすら困難なほどに異常変異を起こしていること。
この病院の職員たちからは『プラント42』と呼称されていたこと。
その栄養源は二つで、一つは地下にまで伸びた根が水道管に達し、そこに混入した何らかの薬品成分が『プラント42』の急速な成育を促していること。
一つは獲物を感知するとツルを伸ばして触手のように巻き付け、ツルの裏についている吸入器官から吸い取る血であること。
またそれなりに知能を有しており、獲物を得た時や睡眠中はツタを扉に絡ませて外敵の侵入を防ぐこと。
そして『V-JOLT』と命名された薬品を使えば『プラント42』を死滅させられるであろうこと。

浜面はそれらに目を通し、ふと何故自分たちが未だに捕まっていないのか疑問に思った。
しかしその疑問は上条の言葉によって解消される。

「おい……。あれ見てみろ」

院内を彷徨っていたのか、外から入ってきたのか。
数体の死者が伸びたツタに絡め取られ、呻き声をあげながらずるずるとどこかへと引き摺られていた。
おそらく先に捕らえたあちらを優先したのだろう。いずれにせよこれは好機と言えた。

「……とにかく、こいつをどうにかしないとどうしようもねぇ。
手分けしよう。一人は滝壺とここに残って、もう一人がこの『V-JOLT』とかいうのを使ってこいつを始末する」

「……分かった。どっちが残る?」

浜面は考える。自分も上条もどちらもが無能力者に過ぎない。
どちらがどっちに行こうと差は生まれはしないだろう。
だから、浜面は答えた。







1.自分がここに残り、『プラント42』は上条に任せる
2.上条にここに残ってもらい、自分で『プラント42』を処理する






>>290-294まで

1

「……悪いが、大将に任せてもいいか? 何にもできねぇくせに、それでも滝壺の傍にいてやりたい」

「分かってる。俺もそう提案しようと思ってたところだ。やっぱりお前は滝壺についててやらねぇと駄目だ。
ところでさ、その何とかって薬品。どこにあるんだ?」

「自分で作るんだよ」

「……マジ?」

半ば呆然とする上条に浜面は先ほどの書類を見えるように突きつける。
そこには化学式という名の暗号が連ねられていたが、その下に極めて丁寧で分かりやすい解説が書き足されていた。
これなら何とかなりそうだ、と上条は答える。上の化学式は理解できないが、思いの外簡単なもののようだ。

「任せたぜ、無能力者」

「おう、任されたぜ無能力者」

小さく笑って、上条当麻は『V-JOLT』を作るために二階にある書類に記されていた部屋へと走る。
その背中を見ながら浜面は考える。浜面も上条も分かっているのだ。
結局、滝壺を救う手立てなど全く算段がついていない。『プラント42』を枯れさせ、それでどうする。

この手で滝壺に何ができる。浜面はそっと滝壺の額に手を触れる。
先ほどよりもずっと熱い。発汗も酷くなっている。意識を失い、恐怖や苦痛を吐き出すこともできない。
なのに自分はそれを見ていることしかできない。

(―――失いたくない)

浜面は素直にそう思う。絹旗も、麦野も失った浜面に残された最後の光。
きっとこんなことを思うのは身勝手なのだろう。
その手で仲間を殺しておきながら。それでもそう思うのは。
しかし、失いたくないものは失いたくないのだ。何をどう言い訳しても、それが隠せぬ本音なのだ。

かつて『体晶』に蝕まれていた時と似た状況。
あの時世話になったエリザリーナ独立国同盟の盟主の女性。
彼女ならあの時のように今度も滝壺の苦しみを取り除けるのだろうか。

そんな無意味な思考に取り付かれ、そして浜面はふと視界に写った光に目をやる。
発行源はデスクの上に置かれているノートパソコンだった。
もしかして。浜面は地獄に垂らされた蜘蛛の糸を掴み取るようにマウスに手を伸ばす。
起動していたスクリーンセーバーが解除される。開かれたテキストに並べられた文字が画面を埋め尽くしていた。

「もしかして……もしかして……!!」

浜面は必死で目を走らせる。
果たしてそれは半ば期待していた通りのものだった。
ずらりと並ぶ複雑怪奇な化学式。何を示しているのかすら想像もできないグラフや図形。
そんな中でも浜面が注目しているのはテキストの冒頭部分だった。

この惨劇を引き起こした未知なるウィルスの存在。
第七学区の友人である『冥土帰し』と協力し、分析を行ったこと。
彼が明らかにしたであろうデータとここに記録してあるデータを合わせれば、このウィルスの全貌が見えること。
そしてそれを使えばワクチンを作り上げることも可能であること。

テキストにはワクチンの名は『デイライト』とあった。
冥土帰しによる命名であるらしいが、そんなことはどうでもよかった。

たしかにこれは浜面の求めていたものだ。だが、同時に違う。
これではどうにもならない。滝壺理后を救えない。

「第七学区の冥土帰しだって……!? 冗談だろマジかよちくしょう……ッ!!」

浜面は冥土帰しを知っている。彼自身も、その仲間たちも何度もお世話になっている名医だ。
特に上条などは数え切れないほど世話になっており、その腕は確かだ。
たしかに彼ならばこのウィルスの正体を解き明かすこともできたのだろう。

だが。今目の前にあるデータはその半分。
『デイライト』を作成するには冥土帰しのもう半分を見つけてこなければならない。
今から第七学区まで戻るのにどれだけかかる。滝壺の体はいつまで持つ。無事に往復できる保障もない。
そして、仮にそのデータを手に入れたとしても。

「こんな……っ、こんな専門的でわけ分かんねぇ暗号みてぇなもん……理解できるわけねぇだろぉがぁッ!!!!!!」

どうやらこの『デイライト』を作成する難易度は、『V-JOLT』の比ではないらしい。
何も分からない。古代の象形文字でも見ているかのような気分だった。
欠片も理解が及ばない眼前の光景。絶望的だった。
浜面は思わず全力でデスクに拳を叩きつける。

「ちっくしょうがぁぁ……!!」

分かっていたことでは、あった。
滝壺が『感染』していると分かった時から、ただの高校生にワクチンなんて作れるのか、とは思っていた。
しかし。現実にこれを目の当たりして。

浜面は今ほど己の無学を憎んだことはなかった。
スキルアウトなんかに落ちなければよかった。
無能力者であることにコンプレックスを持たなければよかった。
しっかりと授業に出席し、意欲的に勉学に取りかかればよかった。

きっと、滝壺くらい優秀な人間ならこれの意味も理解できるのだろう。
だが滝壺に意識はない。唯一頼れる上条も、自分と同じで勉学はからっきしだ。
データが半分欠けている。それを取りにいく時間はない。あったとしてもまるで理解ができない。
『デイライト』が作れない。導かれる結論は一つ。滝壺理后の、人としての死だ。

そして、滝壺理后の新たな人生が始まる。
死者としての命が。人類が経験したことのない領域へと。

「クソったれがぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」


Files

File36.『有機化学調査ファイル』

このウィルスに『感染』そ、異常成長した植物の細胞に、いくつかの共通の性質が見られることを発見した。
しかし、これらを調べていくうちに更なる事実が判明した。
それは、私たちが開発した『UMB』系の薬品の一つである『UMB No.20』に、これら植物の細胞を急速に死滅させる成分が含まれているということである。
私たちはこの『UMB No.20』を『V-JOLT』と名付けた。

計算では、『プラント42』の場合、根に直接『V-JOLT』をかければ全体が死滅するのに五秒もかからない。
生成は、VP系とUMB系の薬品を、いくつかの法則に従って混合すればいいのだが、UMB系の特徴として有毒性ガスが発生する恐れがあるので、取り扱いには十分な注意が必要である。

UMB系薬品の種類と特徴を簡単に示す。

UMB No.3 赤
Yellow-6 黄
UMB No.7 緑
UMB No.10 燈
VP-017 青
UMB No.20(V-JOLT) 茶褐色

投下終了

原作だとジルかレベッカじゃないと調合できなくてクリスは無理なんですよねたしか
こっちだと上条さんでもできる安心仕様です

バイオ1のHDリマスターの発売も近いですし、リベレーションズ2もありますし楽しめそうです
次回でやっと……

別に1のHDリマスターやってたとかじゃないんだから!
ハードでインビジブルナイフクリアとかいうドMプレイ思いついたけどやろうという気にもならなかった

久しぶりの投下





彼は生者であり ただ一人である
この暗き谷を彼に見せんがために私がいる
必然によってここに来た
遊びではないのだ





上条当麻 浜面仕上 / Day2 / 17:38:04 / 第一六学区 上明大学附属病院

『V-JOLT』の効果は恐ろしいほどだった。
至極簡潔かつ分かりやすく書かれていた説明に従って作ったそれを、露出している『プラント42』の根にかける。
直後、その根は苦しみのたうつように暴れまわると、すぐにそのままぴくりとも動かなくなってしまった。
『V-JOLT』によって『プラント42』が完全に死滅したのだろう。

「……なんつー即効性だよおい」

ともあれ、これで上条の目的は果たされた。
問題は浜面仕上だ。滝壺の体を蝕む悪魔をどうやって祓うのか。
上条にも浜面にも薬学や化学の特別な知識はない。
土台彼らが『デイライト』を生成するなど無理な話だったのだろう。

(……嘆いてる時間はねぇ)

だが、どうにかしなければ滝壺は人間として死ぬ。
それは絶対に認められない結末だ。

(なんとかならなくても、なんとかするんだ……ッ!!)

上条の脳裏に、何もできずに目前で死んでしまった名も知らぬ少女の姿が蘇る。
青髪ピアス、吹寄制理、姫神秋沙、そして、そして―――インデックス。
もう誰も死なせたくない。死んでほしくない。こんなふざけたことでこれ以上命が失われるなんて許せない。

右の拳を握り締めて走る上条は、その時あの声を聞いた。
聞きなれてしまった声。生きる死者の声。死して尚、この世に留まる異形たち。
それらの大群が、数えることなど不可能な死の津波がここへ押し寄せているのが上条のいる三階の窓から見えた。
あの死軍はここへ向かっている。そしてここには、倒れた滝壺理后とそれを救おうとしている浜面仕上がいる。

「させるかよ」

呟いて、上条は階段を駆け下りる。
滝壺のいる部屋へと戻ると、浜面が何かぶつぶつ呟きながら必死にモニターを眺め、紙に何かを書き留めていた。
彼は上条に気付くと振り返ることなくこう言った。どうやら振り返る暇もないようだ。

「……大将。どうやらうまくいったみてぇだな。おかげで『プラント42』とかいう化け物は死んだよ」

「ああ。……何をしてるんだ?」

「たしかに、ここにあるデータは俺なんかにゃ到底理解できるものじゃねぇ。
でもだからって分かるところが一つもないわけでもない。なんとかそこを突破口に……」

……残酷ではあるが、おそらく無駄なことだろう。
そんな程度のことで『デイライト』を作れるのならそもそもこのデータはこんな膨大にはなっていない。
しかし、それは浜面の最後の抵抗だ。この期に及んで尚絶望に折れず、未だたった一人の少女を救うことを諦めない、泥臭い無能力者の決死の足掻きなのだ。
滝壺の命を懸けて抗うそんな姿を見せられて、自分だけ何も懸けないわけにはいかない。

「浜面。気付いてるとは思うが、奴らがわんさかここへ押し寄せてきてる。嗅ぎつかれたんだ。
あいつらは俺が食い止める。だからお前も最後の最後まで絶対に諦めんじゃねぇぞ!!」

「言われるまでもねえよクソったれ!!」

上条はフッと一瞬だけ笑みを浮かべ、二人を残してすぐに駆け出した。
既に破壊されて門としての役割を果たしていない出入り口を越える。
相変わらず空は分厚い黒雲に覆われていて日の光がほとんど差し込まず、夜と変わらないほどの暗さだ。
しかし、それでも分かる。視線の先に何か動くものがちらほらと見える。もうすぐそこまで死人が迫っているのだ。

「さて、どうするか……」

上条当麻は無能力者だ。唯一右手に特殊なものが宿っているものの、今の学園都市ではそれも大した力を発揮しない。
そして上条は炎を出すことも雷を操ることも水を制御することも何も出来ない。
このまま馬鹿正直に突っ込めば、数に押されて食い散らされその仲間入りを果たすことだろう。
だから、上条はすぐ近くにあったそれに目をつけた。

「……使える、か?」

ガソリンスタンド。事は一刻を争う、暢気に考えている時間はない。
急いで調べてみると、どこからか漏れ出した機械油があちこちに染み込んでいる。
リスクはあるが、やるしかない。上条は離れたところから拾ったグレネードガンを構える。
弾数は二発。既に浜面と滝壺を襲っていた大蛇へ向けて一発使っている。これが最後だ。

引き金を引く。比較的緩慢な速度で放たれた榴弾は機械油の溢れたガソリンスタンドへと直撃し、そして容赦なく大爆発を引き起こした。
爆発は単発では終わらず、スタンド内にあった車や周囲に倒れている車を巻き込んで次々と連鎖し、炎と黒煙が全てを舐め尽くす。
当然可能な限り距離を取っていたとはいえ上条もただで済むはずがなく、その爆風に煽られて簡単に吹き飛んでしまった。

「ごっ、がぁぁぁあああああああああああああああああああっ!!!!」

宙を舞い、そのままアスファルトの地面へと叩きつけられる。
咄嗟に受身は取ったものの、既にこれまでの甚大なダメージに悲鳴をあげていた全身が限界だと言わんばかりに叫んでいた。

倒れたまま手で顔を覆い爆風を凌ぎ、この病院へと続く道が激しく燃え盛る炎が壁となって塞がれているのを確認する。
これで完全にあれらの侵入を防げるとは思っていない。だがその数を大きく減らすことはできるはずだ。

しばらくすると、やがて火炎の中に揺らめく人影が見えてきた。
それはゆらゆらと揺れながら、体のいたるところを炎に包まれながらもこちらへ歩いてくる。
最初の死人が炎の壁を突破してきたのだ。

「へ、へへへ……。やるしか、ねぇよなぁ上条当麻!!」

地面に手をついて体を持ち上げる。それだけで腕が裂けそうだった。
それでも上条は立ち上がる。ふらふらの体に鞭打って、滝壺を救うため全力を尽くしている浜面の邪魔をさせないために。
転がっている鉄筋のようなものを一つ掴み、ボロボロの上条は死の具現へと突撃した。

(幸いこいつらは動きは鈍い。数が少なきゃ凌ぎ切れる!!)

死者が呻き声をあげながら爛れた腕を伸ばしてくる。
上条はそれを左腕で素早く払い、右手に持った鉄の棒でその首を殴打した。

「っ、らぁッ!!」

バランスを崩した亡者はその場に倒れ込むが、この程度でこいつらの生命活動が停止しないのはもう分かっている。
だが次々と炎壁を突き破って亡者が現れてきているため、上条の対処がまるで追いつかない。

「はあっ!!」

鉄の棒でその体を殴打する。

「っちッ!!」

咄嗟に足払いをかけて転倒させて追撃をかける。

「くそっ!!」

その頭を掴んで壁に叩きつける。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

上条は滝のように汗を流し、激しく息が乱れていた。
もはや立っているのも厳しく、その体は小刻みにぷるぷると震えていた。

(ちくしょう……完全に読みが甘かった……!!)

顔を上げると、そこには死者で構成された夥しい数の死軍が溢れている。
その圧倒的なまでの数の暴力。常識を遥かに超越したその数の暴力は既にこの街を飲み込んだ。
それと同じ種類の暴力が眼前に迫っていた。おそらく、あの炎の壁で倒れたものなどほとんどいない。
突破できなかったものも、燃え盛りながら地面をずるずると這いずって出てきている。

ある程度の足止めにはなっているが、それまでだ。
無限の軍勢を押し返すことはできない。

上条に特別な戦闘能力はない。街の不良相手だって一対三ならもう逃げるしかなかった。
それが、今目の前にどれだけの亡者がいる? どれだけの『死』が並んでいる?
もはや抵抗することに意味などないのではないか。だって、本当に一体どれほどの数がいるのか……。
あまりにも数が多すぎる。あの炎の向こうには更にびっしりと死人が並んでいるはずだ。

歪な生命に押され、じりじりと上条は後退していった。もう後が多くない。
抵抗は無意味だ。死がほんの僅かに伸びるだけ。だったら早く楽になった方がいい。
死の津波の先頭にいる亡者が上条へとその腐敗した腕を伸ばす。
……直後、その顔を上条の右の拳が全力で殴り飛ばした。

「――――――それでも、絶対に諦めるわけにはいかねぇんだよ!!」

腐敗した体を殴ったために上条の拳に『妙なもの』が張り付く。
それに対するおぞましく、悲鳴をあげたいほどの生理的嫌悪感を押し殺して上条は戦った。
浜面は、諦めていない。なのに自分だけ先に諦めて楽になるなんて出来るはずもない。
だから。だから。最後まで生者として戦い抜くと決めたのだ。

どこからか迫ってきた何かの能力を右手で掻き消し、自分の体を掴んで噛み付こうとしている亡者に全力の頭突きを食らわせる。
だがやはり上条は後退する一方で、いよいよ後がなくなってきていた。
そして状況は更に悪化する。突然いくつかの亡者が血を噴出して倒れたと思ったら、その奥から皮膚が赤く変色し爪が伸びたリビングデッドがこちらへ走っていた。

そう、この死肉狂い共は復活するのだ。
その肉体が活動を休止すると体内の細胞が急激に活性化し、宿主の体組織を再構築して更なる凶暴性と強靭さを宿すようになる。
『V-ACT』と呼ばれるこの現象によって生まれたのろまなアンデッドとは別の生命体は、『クリムゾン・ヘッド』と命名されていた。

(……終わり、か)

この『クリムゾン・ヘッド』に幻想殺しは全く通用しない。
それでいて亡者とはまるで違う俊敏性や凶暴性を持ち、その脅威は段違いだ。
その『クリムゾン・ヘッド』が複数誕生し、上条へ牙を剥こうとしていた。

これまでとはまた段違いの絶望的状況。
いよいよチェックメイト。もはや上条当麻はここまでだろう。
それでも。それでもだ。

(何度でも言ってやる。ここで俺が死ぬとしても、その死ぬ瞬間まで、最後の最後まで……!!)

右の拳を強く握り、自身を奮い立たせるように叫んだ。

「諦めるわけにはいかねぇんだよぉぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

こちらへ走ってくる『クリムゾン・ヘッド』を迎え撃つように上条も走る。
そしてその拳と鋭い死の爪が交差する直前。




「そうね、諦めるにはまだまだ早すぎるわね」




ズバヂィ!! と青白い閃光がどこからか飛来し、それは死者の軍勢をいとも容易く薙ぎ払った。
あっさりと吹き飛ぶ死の軍隊を無視し、上条はただ呆然とそれを放った主を見つめていた。

「よくこれまで保ってくれたわ。しかしまあわらわらとお揃いで。けど、それもここまでよ」


それは少女だった。幼い少女を連れたその人物は、上条の見知った人間だった。
この惨劇の生還者であり、一度上条と擦れ違いながらも上条がその生死を確認することのできなかった、大切な人間だった。


「――――――形勢逆転、ね」


それは学園都市に七人しかいない超能力者の一人であり、第三位という看板を背負った絶対的な実力者だった。
『超電磁砲』の異名を持つその少女は、ただ鮮烈に君臨していた。


電子に愛されし申し子、御坂美琴。


それはこの絶望的な状況を一手でひっくり返せる火力を有した、圧倒的な戦力だった。

投下終了

あと一回か二回でDay2は終了です

絶望からようやく上がってきたな

でもまた堕とすんでしょう?(震え声)

きりのいいとこまでいったので投下

>>316
「……とでも思ってんだろうが」





彼らはそれぞれの悲しい墓に辿り着く
そして血肉が蘇り 姿形を取り戻し 永久に響く審判を聞くのだろう





浜面仕上 上条当麻 御坂美琴 / Day2 / 17:38:04 / 第一六学区 上明大学附属病院

「御坂……」

「アンタ……」

御坂美琴が生きて、そこにいる。
その事実を正しく理解した時、上条は言いようのない歓喜と安堵感に包まれていた。
やはり生きていたのだ。ずっと信じていた。仲間たちが生きて戦っていることを願っていた。
同時に極大の不安や恐怖もあったが、こうして信じ続けた結果が実ったのだ。

「―――私は、信じてたわよ。アンタはきっと生きてるって」

「……俺も、信じてた。お前がこんなとこで死ぬはずがないって」

そう言って、二人は顔を見合わせて小さく笑った。
その目元には涙が薄らと浮かんでいた。

「お兄ちゃぁぁああああん!!」

美琴の後ろに隠れていた幼い少女が駆け出し、上条へ飛びついてきた。
慌ててキャッチしその顔を見てみると、こちらもやはり見知った少女だった。
硲舎佳茄。今の上条は知る由もないが、記憶を失う以前の上条とも関わりを持っていた。

「おっと、お前も無事だったか。本当に良かったよ」

「うん!! あのね、お姉ちゃんがね、ずっと守ってくれたの!! すごく格好よかったんだよ!!」

「そっか。そりゃあ最強のボディガードだ」

いつぶりかに笑う佳茄の頭を撫でてやりながら、上条は美琴に笑いかける。
きっとこの少女は美琴に守られていただけではない。
佳茄自身は知らないかもしれないが、ずっと美琴に戦う力を与え続けていたのだろう。
それくらいのことは容易に想像がついた。

だがいつまでも再会を喜んでいる暇はなかった。
美琴に打ち倒された死人たちが再び立ち上がり始めている。
上条と美琴の目つきが戻る。佳茄を後ろに下がらせ、バチバチと帯電させながら美琴は尋ねた。

「それで? どういう状況なわけ?」

「この病院には今、浜面と滝壺がいる。けど、滝壺は……『感染』しちまってんだ。
中にはワクチンを作るためのデータがあるんだが、俺や浜面には全く理解できなかった。
でも浜面は諦めずに今も全力で足掻いてる。なあ、お前ならそのデータ、理解できねえか?」

「理解も何も」

美琴は適当に電撃を放って軍勢を足止めしながら答えた。

「そのワクチンを作るために、残りのデータを持ってここのデータを回収しに来たところ、よっ!!」

光が瞬く度に倒れていく死人の群れ。
どこからか飛来してくる能力を次々と右手で掻き消しながら上条は叫ぶ。

「―――こんな奇跡みてえな偶然が起きるなんてよ、初めて神様に感謝したくなったぜ!!
いや、感謝するのはお前にだけど……なら行ってくれ!! 手遅れになっちまう前に!!」

周りは上条の起こした炎が次々と燃え広がり、暗い闇が赤く照らされている。
そしてその中に圧倒的な数の死人。炎と死者に囲まれた中心点で少年と少女は戦っていた。

「そうしたいところだけど……私がいなくなったらアンタあっという間に死ぬでしょうが!!」

「持ちこたえてみせるっての!!」

「私が来なかったら今ごろ死んでるくせに!?」

「だったらどうするってんだ!! もう滝壺に時間はねえんだぞ!?」

「だから――――――丁度いい代わりがそこにいるじゃない」

その瞬間。突然吹き荒れた正体不明の力によって紙屑のように亡者たちが吹き飛ばされた。
並大抵の力で起こせる現象ではなかった。この場においてこんなことができるのは御坂美琴ただ一人。
だが、美琴は何もしていない。では誰が。その答えはすぐに現れた。

「よお、屍共。飽きたぜ、いい加減に。テメェらの相手はな」

何かが死人の群れの中に降り立ち、直後やはり正体不明の爆発が巻き起こる。
あっさりと薙ぎ払われていくアンデッド共に、美琴は口笛を吹いて賞賛した。

「流石ね」

「お前―――」

爆発を悠々と切り裂き、一人の少女を連れてその男は姿を現した。
そのどちらもがやはり見知った人物だった。大切な仲間だった。

「――――垣根!? それに心理定規も!?」

「……久しぶり、ね。あなたも、御坂さんも」

「おお、久しぶりだな。変わり……なくはねえようだが、無事で何よりだ」

垣根はちらりと美琴を見てそう言った。
美琴は薄く笑みを浮かべていた。

垣根帝督、心理定規。彼らもまたこの惨劇の生還者だ。
そして巨大な力を有する点においても美琴と共通している。
交わす挨拶もそこそこに、垣根はすぐに本題を切り出した。

「話は聞かせてもらったぜ。ここは俺がやる。
御坂、お前は滝壺のところへ行け。そんで上条、お前は見学してろ」

一方的に言葉を叩きつけると、垣根は返答も待たずに上条の体を掴み強引に引き摺っていく。
何事か喚く上条を無視し、言われた通りに病院の門の近くに隠れていた佳茄のところへ上条を放った。

「お前はそこでそのお嬢ちゃんといろ。はっきり言って足手まといだ」

「はあ!? おい待てよ垣根―――」

「お前の力は認めてるが、あれ相手じゃ相性最悪だろうが。
大体お前の体、多分俺たちの中で一番限界に来てると思うぞ。それに……」

垣根は力が抜けたのか、ろくに立つことも出来ていない上条と佳茄を交互に見て言った。

「それに、その嬢ちゃんの隣にいてやれよ。お前は俺たちが来るまで戦ってたんだ。だったら今度は逆でもいいだろうが」

「…………」

上条は自分の隣にぴったり寄り添ってこちらを見ている佳茄に視線を向ける。
……そう言われてしまったら、何も言い返すことなどできなかった。

「悪いが無駄な時間はかけてられねえ。まあ、そういうことだ」

垣根はそれだけ言うと急いで美琴の元へと戻っていく。
上条はその背中を見送りながら自分の掌を見つめる。
……たしかに、流石に無理をしすぎたかもしれない。

ここは彼らを信じて任せよう。
そう思い、上条はそっと佳茄と手を繋ぐ。
安心したように笑みを浮かべる佳茄を見ると、不思議と上条もまた笑顔になったのだった。





「死の塊が――――――私の前に立つんじゃないッ!!」

美琴がバッと右腕を振るう。それだけで莫大な雷撃が荒れ狂い、死者の軍勢を悉く壊滅させていく。
息を切らしながらも次々に片付けていく美琴に視線をやりながら、心理定規もまたグレネードガンから雨のように榴弾を放ち続けていた。
実際に美琴と再会して、その戦いを見て、やはり。

「御坂さん、あなたは……」

ぽつりと呟く。その直後、垣根帝督が舞い戻り烈風で亡者を切り刻んだ。
それを確認した美琴と垣根の視線が一瞬交差する。一言だけ言葉があった。

「佳茄は任せたわ」

垣根と入れ違いで美琴は戦闘を中止し、病院へと、滝壺理后の元へと全力で疾走していく。

「さて、それじゃあ滝壺の治療が終わるまで―――仕方ねえから遊んでやるよ、亡霊共が」

「勘弁してよね、全く……」

リロードしながら心理定規が愚痴ると、突然パン!! という乾いた音が響き一体も亡者が倒れた。
その額には綺麗な風穴が空いていた。しかもそれは一度では終わらず、パンパンパン!! と連続で音が響き次々と死人が倒されていく。
更には青白い電撃が空間を駆け抜け、容易くアンデッド共を駆逐していく。

垣根と心理定規がそちらに視線を向ける。
そこには一人の白い少年と、美琴とそっくりな顔をした少女が立っていた。

「ははぁ。こりゃまた凄い光景だねぇ。いやホントすっげぇよ、何匹いるんだこれ?」

「……面倒くせェ。能力はもう使うべきじゃねェし」

一方通行、番外個体。彼らもまたこの惨劇の生還者だった。

「テメェが最後だ第一位。随分な重役出勤ぶりじゃねえか、おい」

「……一方通行。それに番外個体。やっぱり生きてたわね」

第一位と第二位。学園都市の双璧を成す頂点は言葉を発しながらも、その手は続々と軍勢を削っていた。

「見たとこどうせもう能力はほとんど使えねえんだろ。役立たずが、わざわざ餌になりに来たか?」

「……うるせェ、黙ってろ。色々……あったンだよ」

普段なら一〇倍にして返すはずの一方通行の返答はそんな程度のものだった。
そうさせるだけの何かがあったのだろう。
一方通行にも、一見いつも通りに見える番外個体にも。

「……色々あったのは、テメェだけじゃねえんだよ。クソッタレ」

無言でひたすらにアンデッドを蹴散らしていく二人の超能力者を尻目に、二人の大能力者は戦いながらも言葉を交わし続けていた。

「私は精神系能力者だから休んでていいかしら?」

「別にいいんじゃない? ただミサカがあなたを痺れさせてゾンビの餌にしちゃうけど」

「……サポートよろしく」

「あいあい」





「浜面さん!!」

「み、御坂!? どうしてここに!? い、いや、お前生きて―――」

扉を大きく開け放ち、突然駆け込んできた美琴に浜面は仰天した。
何故、という疑問はあったが美琴は質問に取り合わなかった。

「全て後にして!! 説明!!」

美琴はこの事態を引き起こしたウィルスのデータが表示されているノートパソコンを凝視しながら、浜面の言葉を聞いていた。
滝壺が『感染』したこと。『デイライト』というワクチンを作れば助けられること。
それに必要なデータが目の前にあること。だがそれが理解できなかったこと。
それでも必死に自分なりにまとめたこと。

「へぇ……意外と悪くないとこ突いてるわよ」

美琴はディスプレイから目を離し部屋中をひっくり返すように漁り出した。
余計な本やら道具やらを全て払うと、何に使うのか得体の知れない機材がいくつか並んでいる。
元は当然別の用途があったはずだが、『デイライト』を生成するのに必要なものなのだろう。
ディスプレイを確認しながら次々に機材を起動させ準備をし、同時にノートパソコンの方でも何かしらの処理を同時並行で行わせる。

「滝壺さん、もう大丈夫だからね」

滝壺からの返答はない。先ほどからずっと意識を失ったままだ。
てきぱきと動く美琴の指示に従って浜面も作業を行いながら、そもそもの問題を切り出した。

「でも、ここにあるデータだけじゃ『デイライト』は作れないはずじゃないのか?
残りのデータは第七学区の冥土帰しのところにあるってあったが……」

「安心して。私が持ってるわ」

「持ってるって……どこに?」

美琴は答えず、黙々と作業を続けながら自分の頭を指先でトントンと叩いた。
流石超能力者といったところだろうか、と浜面は場違いな感想を抱く。
何にせよ今の浜面と滝壺にとっては救世主だ。勿論、上条も。

ノートパソコンを無理やり引っ張り、その暗号のような文字の羅列を高速で読破し、次々と様々な処理を行わせる美琴。
同時並行で様々な準備を浜面に指示し、急ピッチで作業は進められていた。
パソコンと機材を接続し、棚から複数の薬品のようなものを取り出していく。

『デイライト』は生成するために三つの材料が必要とされる。
一つは蜂の毒から生成できる『V-ポイズン』、一つはこの惨劇を起こしたウィルスに感染した生物の血液『T-ブラッド』、一つは特殊薬品『P-ベース』。
ディスプレイに表示されているデータと頭の中にあるデータを統合・理解し、美琴は『P-ベース』を調合していく。

「ところで上条は大丈夫なのか!? あいつ一人で相手してんだろ!?」

「そっちについても大丈夫よ。垣根さんと心理定規さん、あと……一方通行に番外個体もどうやら来たみたいだから」

突然挙げられた四人の名前。当然そんなことなど知るはずもない浜面は驚きの声をあげた。

「は、はあっ!? そいつらが来てるのか!? やっぱり生きてた、のか……」

確かに全員相当の力を持っているし、そう簡単に死ぬとは思えない連中だ。
だがこの状況では素直にそうは考えられなかった。だが、現実に彼らはすぐそこにいるらしい。

(なんてことだよ……。大将だけじゃねえ御坂だけじゃねえ、こんなにも多くの奴らが力を貸してくれてるんじゃねぇか!!)

滝壺理后を助けたい。たったそれだけの願いを叶えるためにそれぞれが尽力してくれている。
だったら、尚更滝壺を死なせるわけにはいかない。
仲間たちの協力を無駄にするわけにはいかない。

「なあ滝壺。聞こえてるか。すげぇなお前、みんなお前を助けたいってよ。
どうするよ、ここまでしてもらって礼も言わずに死ぬなんて許されねぇよな?」

滝壺は答えない。だが浜面はもう心配していなかった。
助かるという確信が生まれていた。ここまでのお膳立てがあって助からないはずがない。

「――――――……みんな、大切なものを失った。みんな壊れた。みんな苦しんだ」

美琴は決して手を止めず、ぽつりと呟いた。

「私も、さ。……この地獄を味わって、信じられないものばかり見て、掛け替えのないものをたくさん失った。
でも、そんな中でも佳茄っていうたった一つだけ守りたいものがあった。だからそれさえ守れればその他なんてどうだっていいと思ってた」

硲舎佳茄。たしかそれは美琴や上条と度々一緒にいた幼い少女の名だったか。
それ以外のものを全て失った。美琴とよく一緒にいるあの三人の少女たちも、もういないのだろう。
浜面も同じだ。あの光景は永遠に忘れることができないだろう。
自身を人間であると主張する、おぞましい異形に成り果てた麦野沈利。生ける屍へと堕ちた絹旗最愛を。

「多分、みんな同じようなものだったんだと思う。もう誰かを助けようとか、そんなことは考えなくなってた。
ただがむしゃらで、たった一つを守るのに精一杯で……。でも、きっと滝壺さんのことを知って、みんな同じことを思ったんじゃないかな」

彼らが失ったものは仲間だけではない。彼らが本来持ち合わせていたもの、人として備えている当然のもの。
何かを切り捨てることに抵抗を覚えない。誰かを踏み台にすることを躊躇しない。
その人格を、この惨劇は侵していた。

「『助けたい』って。ここまできて、それでもまだ他の誰かを助けられるんじゃないかって。
誰かを殺すのには理由があるでしょうけど、目の前の誰かを助けるのに理由も資格も……本来関係ないでしょ?」

滝壺理后は私たち全員をきっと救ってくれた。
そう、美琴は締めくくった。

「だから、これは恩返しみたいなものね」

全てを失い、全てを諦めていた彼ら。
そんな彼らに、どうやら滝壺は本人も知らぬ内に希望を見せていたらしい。

「……ははっ」

本当に、凄いと思った。滝壺だけではない。他の仲間たち皆が。
ああ―――やっぱり、滝壺は死なない。
こんな凄い奴らの力を借りていてそんな結末は起こり得ない。

「言っとくけど滝壺さんだけじゃないわよ。決して諦めずに足掻くアンタも、ね。
特に―――あいつは、相当アンタに影響を受けてたみたいよ?」

「何を言って―――――」

「準備OKよ」

浜面の言葉を遮るように美琴は告げると、浜面に見えるように一つのボタンを指差す。
作業が一区切りしたのだろうか。浜面は美琴に尋ねると、

「だから終わったのよ。あとはこのボタンを押すだけ」

「え、は、もう終わったのか!?」

「時間、ないからね。生成自体は数十秒で終わるはずよ」

美琴はただボタンを指差している。お前がやれ、ということだろう。
全くこれだから超能力者は、と浜面は薄く笑う。
なんと頼れることだろう。

浜面の指先がボタンを深く押し込むと、装置にセットされている試験管のようなものに満たされた液体が振動を始めた。
すぐに小さなシャッターが降り、中が確認できなくなる。
そして待つこと二〇秒か、三〇秒か。一分もなかったはずだが浜面には途轍もなく長い時間に感じられた。

やがて音もなくシャッターが開き、中の密閉された容器が二人の前に現れた。
『V-ポイズン』、『T-ブラッド』、『P-ベース』。その三つを正しく配合させた結果生まれたそれは輝くような白さを持っていた。

「これが……」

「『デイライト』、ね。うん、書いてあった通りの色合いだわ。ここの人と、あの先生が残してくれた偉大な遺産よ」

「これさえあれば……滝壺は……!! ありがとう、本当に……ありがとう……!!」

「言ったでしょ、あくまで恩返しみたいなもの。だからお礼なんて言われる理由はないし、それは外で頑張ってる連中に言ってあげなさい。
ほら、それよりお喋りしてる時間はないわ。いくら『デイライト』でも『感染』して時間が経ちすぎると効果はないらしいわ」

その言葉に浜面は慌てて『デイライト』を取り出す。
専用の注射針をセットし滝壺へと注入する、直前。

赤い光が瞬いたと思ったら、突如病院の一画が轟音と共に崩壊した。
外部からの衝撃。それを理解するのがやっとだった。
突然の振動に浜面の手から『デイライト』が離れ、床をごろごろと転がっていく。

「『デイライト』を!!」

「分かってるっつの!!」

美琴が叫んだ時には既に浜面は動いていた。
再び『デイライト』を拾い上げた直後、入り口の方から何かが吹き飛んできた。
それは物ではなく、人間―――垣根帝督と番外個体だった。
二人はそれぞれ能力を駆使して何とか体勢を整えると、口元から零れる血液を拭う。

「やっほー、お二人さん。ねえ、まだ終わらないのかな? こっちはもう限界なんだ、けど……」

「『あれ』を止めるってのはちょっとばっかしキツいぜ……!!」

そうは言いながら、二人はすぐさま戦場へと舞い戻っていく。
何が起きたのかは分からないが、とにかく相当まずい状況のようだ。
浜面は急いで滝壺に『デイライト』を、打ち込んだ。

容器内の白い薬品がみるみるうちに減っていき、滝壺の体内へと入っていく。
その全てを注入し終え、浜面は空になった容器を放り投げる。
これで滝壺は助かったはずだ。

「滝壺!! おい、滝壺!!」

「いくら『デイライト』を打ち込んだからって、そんな一瞬では意識は戻らないわ!! とにかく滝壺さんを――――」

言葉は最後まで紡がれなかった。
浜面の体が、唐突に視界から消え失せたからだ。

「――――――浜面さん!?」

破壊され吹き飛んできた瓦礫か何かの直撃をもらったらしい。
幸い最悪の事態は避けられたようだが、かなり意識が朦朧としていて動くことなど不可能だった。
どれだけ必死に力を入れようとしても、意思に反して力は入らず体は動かない。
だから浜面はこの場においてもっとも優先すべきことを告げる。

「――――――滝、壺を……たの……む……」

掠れる声で、なんとかそれだけを搾り出す。
美琴は一つ頷くと滝壺を優先し、浜面の元を離れていった。

ありがたい、と思った。情けない有様だが、それでも滝壺だけは何とか救うことができた。
ここら辺が引き際、ということだろう。単なる無能力者にしては健闘賞ものではないだろうか。

そんなことをぼんやりと考えていると、薄れゆく意識の中で誰かがこちらへ走ってくるのが見えた。
幻覚か、などと思っていると何者かが浜面の体を揺さぶり、強引に目覚めさせる。
どうやら幻覚ではないらしい、と何とか顔を上げると、

「……お前……なんで……?」

「私たちが来てることは聞いてたでしょ?
『あれ』が現れた以上あっちにいても足手まといにしかならないから、こっちに来たのよ」

心理定規。薄汚れてしまっている真紅のドレスを纏った少女が浜面を助け起こしていた。
自身の肩に腕を回させ、その腰を支えて浜面を立たせる。

「滝壺さんには御坂さんがついているわ。それより、早く逃げるわよ!!」

「逃げるって、どこに……何が……?」

震える唇を何とか動かして声を絞り出す。
対する心理定規はその質問に対して僅かに押し黙ってしまった。

「――――――『あれ』は……。
……とにかく逃げましょう。辺りは炎と死肉狂い共に包囲されてる。
マンホールを使って地下に逃げるのよ。上条当麻がそう叫んでたから、みんな地下を目指してるわ」

『あれ』も、亡者たちも、上条たちに群がっているおかげでこちらには一体も来ていない。
二人は崩落した壁を乗り越えて最短距離で外に出ると、マンホールから地下へと降りていった。





目の前のものは、何の予兆もなく突然現れた。
大量のアンデッド共を雑草を毟るように排除し、あまりにも巨大な五本の爪を遊ばせる。

上条当麻は、この異形に見覚えがあった。
そう、知っている。ずっと前から知っている。

「グゥオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

咆哮する異形。その魔人の右肩は異常どころではないほどに大きく肥大化し、せり出していた。
骨格から全て生まれ変わったとしか思えないほどに太く、赤い筋繊維が剥き出しになっている右手からはやはり異様に長く太い爪が五本伸びている。
以前纏っていた衣服はもはや上半身には存在せず、下半身に僅かに張り付いているのみだった。
その腹から胸に人間だったころの肌色はなく、浮かび上がった真っ赤な血管や筋繊維に覆われていた。

異常に肥大化した右肩がぱっくりと割れると、そこからは肩幅と同じほどにも巨大な、真っ赤に染まった眼球が覗いていた。
その新しく造り出された頭部はまだ完全には完成していないようで、赤い二つの瞳だけがはっきりと闇に浮かび上がる。

そして。その左肩の辺りには、新たな頭部が生まれるにあたって不必要となった以前の頭部が、その顔がはっきりと浮かんでいた。
それは人間の顔で。それは少女の顔で。それは見知った顔で。

どこからどう見ても、インデックスと呼ばれていた彼女の顔だった。
それは上条当麻が貯水ダム『ゼノビア』で一度出会っている、史上最悪と言える恐怖と絶望の具現であった。

「……う、あ……あ……」

上条は、声も出せずにただじりじりと後退する。
以前に遭遇した時とは形状が違う。もはやインデックスではないこの生物が進化したのだ。
変異でも変形でもない。進化。それはこの新生物の有する最大の特徴であり、最悪の特性だった。

垣根も一方通行も番外個体も、思わず硬直してしまっていた。
彼らがこの魔人と遭遇するのは初めてだが、それでもそれが元々何であったかは嫌でも分かる。
その左肩の辺りにはっきりと浮かんでいるインデックスの顔。それが残酷なまでに分かりやすく事実を伝えていた。

その右肩にある巨大な眼球が一瞬光る。
直後、赤の閃光がアンデッド諸共病院の一画を破壊し尽くした。
インデックスの保有していた一〇万三〇〇〇冊の魔道書。
かつてのような知能はないために本来出し得る破壊とは比べるべくもないが、その行使が可能となっていた。

尤も。一〇万三〇〇〇の叡智など、この新生物は全く必要としているわけではないのだが。

赤の閃光によって動きが止まったところを突かれ、垣根と番外個体が吹き飛ばされた。
それを見た一方通行が即座に動く。番外個体の元へ駆けつけようとしたところで、しかしこの化け物に捕まってしまう。
肩にある巨大な眼球がぎょろりと一方通行を睨む。化け物の右の掌から触手のようなものが伸び、それを一方通行の口内へと侵入させようとする。

「チィ……!! うざってェぞクソシスター!!」

選択の余地なしと判断したのだろう、一方通行は即座に電極を切り替えるとその能力を使用し、逆に化け物の右腕を内から破壊する。
空気を震わせるような叫び声をあげて化け物が一方通行を取り落とすのと、垣根と番外個体が舞い戻ってきたのはほぼ同時だった。

「――――――逃げろ!!」

ようやく我に帰った上条が叫ぶ。
あれを殺すことはできない。上条はそう直感していた。
今のこの化け物は不死身に近い存在なのだ。必要に応じて無限回に進化を繰り返す。
その度にインデックスだったこの異形は新たな領域へと手を伸ばし、いずれ天上にまで辿り着くだろう。

「逃げろ!! 周りに逃げ場はない、地下だ!!」

だがそもそもの話。これがそんな化け物でなかったとしても。
上条に、かつてインデックスと呼ばれていたこれを殺すことはできないだろう。

あの眩しい笑顔は、今もくっきりと頭に焼き付いている。
たとえインデックスが上条のことなど綺麗さっぱり忘れ、全く別の生命体に生まれ変わっても。
上条当麻は、インデックスのことを忘れることなんて出来はしない。

再び魔人が何らかの力を放つ。
咄嗟に上条は先頭に立ち、右手を突き出す。
死人相手には何の効果もない幻想殺しだが、相手が異能であれば絶対の効果を発揮する。

それを右手で受け止めながら上条は仲間たちに目を向ける。
やはり荒事に慣れている連中というべきか、判断と行動は迅速だった。
それぞれがそれぞれにこの場を去っている。
一方通行は少々悩んでいたようだが、番外個体と垣根が共にいるのを見て下手に動くのは危険と判断したのだろう、単独で離脱していく。

(浜面と滝壺は御坂と心理定規が逃がしてくれているはず。あとは―――)

佳茄と自分だけ。
放たれた異能を幻想殺しが打ち砕くと、すぐに上条は行動を起こそうとする。
だが、遅い。既にインデックスだった化け物はその巨体をものともせずに大きく跳躍し、上条へ向けてその爪を振り下ろしていた。

咄嗟に地面を転がるようにして回避するも、その長大な爪はコンクリートを濡れた紙のようにいとも容易く突き破っていた。
ターゲットを上条に絞ったのだろう、一撃でも食らえば間違いなくお陀仏だ。
そしてそのまま地面ごと上条を葬ろうとしているのか、異能の力が発動し大爆発が巻き起こった。

しかし、それは上条にチャンスを与える行動であり、失敗だった。
激しく舞い上がった粉塵により視界が遮られ、上条の姿を見失う。
ようやく化け物の視界が回復した時には、既に上条はどこにもいなかった。

だがそんな僅かな時間で遠くまでは逃げられない。
上条は隠れさせていた佳茄と、見つからないように物陰に身を潜めながらその場を離れていた。

「お、お兄ちゃん。あれ……何……?」

「あれ、は……」

佳茄の言うあれ。それは以前、上条と同居していた少女。
上条はそれを知っている。だから、こう答えた。

「――――あれは、インデックスなんかじゃないんだ。別の……生き物なんだ」

「お兄ちゃん……お姉ちゃんは……?」

「お姉ちゃんは友達と一緒に先に地下に行ってる。すぐに会えるさ」

答えながら、上条はふと疑問を抱いた。

(――――――あれの変異はゾンビや他の化け物たちとは明らかに別物だ。なら一体どうしてあんな……?)



上条当麻に標的を絞ったが為に、他の者たちを逃した。
そしてその上条さえ見失い、全ての獲物を取り逃がした化け物は苛立つように咆哮する。

その雄叫びは聞くものを震わせるには十分であり、地球上の生物に出せる類のものではなかった。
だが諦めるつもりはないのか化け物は辺りを徘徊し、障害になるものは全て破壊していく。
上条を探しているのだ。もしこのまま放置されていたら、地下へ逃げる前に上条たちは見つかっていたかもしれない。

その時だった。どこからか飛来してきた鉄筋が露出している巨大な瓦礫が、突然猛スピードで化け物へと突っ込んでいった。
それは単発では終わらず、そのまま二撃目三撃目が飛来する。
だがその程度では通用しないようで、化け物が軽くその肥大化した右手を振るうと全てが簡単に砕かれてしまう。

「アンタ――――――何よ、それは……」

化け物が襲撃者を見遣ると、そこには一人の少女が立っていた。
御坂美琴。滝壺理后は既に地下へ逃がした。『デイライト』も投与済みだ。
だから美琴は上条が、そして佳茄が安全に逃げ切るまでの時間稼ぎを買って出たのだ。
そしてそれは、無事意識を取り戻した滝壺から頼まれたことでもあった。

「なんで……アンタは――――」

インデックスという少女について、思うところはある。
まさかこんな風に対峙する日が来るなんて、思いもしなかった。
あれは完全にこちらの命を取りに来るだろう。だがこちらはあくまで時間稼ぎに徹する。

新たな標的を見つけた魔神になり損ねた魔人は、その右手から触手のようなものを生やして美琴へと迫ってくる。
その異常に肥大化した右肩にある巨大な眼球がこちらを睨む。
その様はかつての明るいインデックスとはあまりにかけ離れた悪魔的光景で、元であった一人の少女の完全な破滅を表していた。

「……ねえ、インデックス。アンタとはもっと話がしたかった。残念よ―――本当に、残念だわ」

戦う必要はない。ましてや殺す必要なんて皆無で、そもそも美琴では『これ』は殺せないだろう。
だから徹底的に戦闘を拒み逃げ回る。それでいい。

「……ごめん。私たちには、何もしてあげられない」

この新生物の左肩に埋もれているインデックスの顔は、泣いているようにも見えた。





Partner Change!!


上条当麻      →上条当麻・硲舎佳茄
浜面仕上・滝壺理后 →浜面仕上・心理定規
御坂美琴・硲舎佳茄 →御坂美琴・滝壺理后
垣根帝督・心理定規 →垣根帝督・番外個体
一方通行・番外個体 →一方通行








トロフィーを取得しました

『善意ぐらい信じてる』
滝壺理后を姿なき死神から解放した証。彼女を救おうという意思が集った、その結果




投下終了

パートナーチェンジは短い間だけです
原作でのレベッカやシェリー、カルロス、アシュリーを一時的に操作する時みたいな
次はまた遅くなるかもです

支部にも投稿してた人かい???

今のところ
T-ウィルス
G-ウィルス
T-abyss
一方通行達が倒した蟷螂=リーパーならウロボロス

ウィルスこんなに漏れてるのか

メリークリスマス(白目)
あけましておめでとう(白目)
一ヶ月空いてしまいましたが投下します

>>347
支部は利用してないので違います

>>353
あれはリーパーではなく0のプレイグクローラーです
まあ蟷螂ではないんですが、似た鎌があるので
リーパーも登場しますがウロボロスではなく、ここではT-ウィルス辺りの変異体という設定です





パペ サタン パペ サタン アレッペ





上条当麻 / Day2 / 19:12:36 / 下水道 浄水室

下水道。その言葉を聞いて、人はどんな言葉を浮かび上がらせるか。
汚い、臭い、虫が溢れている。いずれにせよマイナスなイメージでしかないだろう。
だが、現実は随分と違ったらしい。

「臭いはほとんどしないし、虫も……少ないな」

上条と佳茄は現在学園都市の下水道にいた。
上明大学の付属病院にて滝壺理后を治療したその後、『あれ』が再び現れたためだ。

「水も随分と透き通っていて綺麗だ。……まあ、どっちにしろ行くしかないんだが」

実は上条の感じた印象は、本来のものとは違っている。
学園都市が正しく機能していた時、この下水道に異臭は一切なかった。
虫の姿など全く見られなかったし、その水質も塩素だらけの市民プールなどよりも綺麗なほどであった。
それがある程度変わってしまったのは、やはりこの異常事態によるものだろう。

「佳茄、絶対俺の傍から離れちゃ駄目だぞ?」

「うん、分かってる」

佳茄と手をしっかりと繋ぎ、ざぶざぶと歩いていく上条。
一歩歩く度にどれほど慎重に歩いても水音が発生してしまうこの下水道というフィールド。
これでは自分たちの居場所をどこに潜んでいるかも分からない異形に教えているようなものではないだろうか。

(……まあ、逆に言えば向こうの居場所が分かるってことでもあるか)

そうは思いつつも、上条は自身の集中力が切れかけていることを自覚していた。
いくら事態が事態とはいえ、人間の精神力や集中力は無限ではない。
それを回復させるには休息が必要だ。また肉体的にも限界に近かった。

「……慌てなくてもいい。ゆっくり歩こうな」

「平気だよ。大丈夫だもん」

また、言葉ではそう返すものの佳茄の歩くペースも確実に落ちている。
上条についていけなくなり距離が離れる。するとすぐにはっとしたように距離を詰める。
手を繋いでいるためにそれがよく分かった。その度に上条も歩くスピードを落としているのだが、それでも着いていくのが精一杯のようだった。

仕方のないことだと上条は思う。
彼女の年齢やこれまで歩んできた道のりを考えれば、体力が余っている方がおかしい。
そして上条自身も、同様に。

しばらく歩くと歩道のような岸が見えてきた。その近くにどこかへと続く扉も見える。
丁度いいと上条はそこへ上り、佳茄に手を貸して引っ張り上げる。
そしてそのドアを開けようとした瞬間、暗い下水道の奥から呻き声のような声が響いた。
地を這うような、人間ではないものの発する音が。

手を握る佳茄の力がぐっと強くなる。やはりここも安全地帯などではないのだ。
上条はゆっくり、ゆっくりと静かにドアノブを回した。

「……お姉ちゃん、大丈夫かな……」

「……やっぱり、心配か?」

「うん……」

壁に背中を預け、床に並んで座ったまま佳茄が呟く。
二人以外には誰も何もいない部屋に声が響いた。

「でも、大丈夫だ。お姉ちゃんは……御坂美琴ってのは、絶対に佳茄を残していなくなったりはしないよ。
お姉ちゃんは佳茄を置いてどこかへいなくなっちゃうような人だったか?」

佳茄は黙って首を横に振る。
上条だって美琴を心配していないわけではない。
美琴に限らず、浜面や滝壺を始めとする他の仲間たちのことも。
だが、それでも。

「―――お兄ちゃんも、頑張ってるの?」

「……え?」

質問の意味が分からず、上条は佳茄の顔を見る。
佳茄はどこか悲しそうな、何かを憂いるような表情を浮かべていた。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんとおんなじ顔してる。
苦しいのに……。頑張らなくたって、いいのに……」

頑張っている。果たしてそうなのだろうか、と上条は傷だらけの自分の手を見つめる。
そう胸を張って言えるだけのことを為しているだろうか。
これまでのことを、思い返してみる。

「……いや。俺は頑張れてなんかいないよ。頑張りたかったけど―――頑張れなかったんだ……」

上条はそっと佳茄を抱き寄せて、消え入るような声で呟いた。


垣根帝督 / Day2 / 19:15:41 / 下水道 第三地下倉庫

「……下水道って言うからには、もっと臭くて汚いのをイメージしてたんだけど」

「学園都市のは特別ってことだ。今の第三世代は全部微生物で浄化してるからな。
食物連鎖の最下層、虫の餌になるものすら定住できねえからクリーン具合は結構なもんだ。
塩素塗れの市民プールよりもマシだと思うぜ。……とはいえ、今は少しばかり状況が違うようだが」

ざぶざぶと躊躇いなく下水を進んでいく垣根と番外個体。
その足取りには淀みがない。

「へえ、そりゃ結構なことだね。ところでさ、第二位さん」

「あ?」

「気付いてる? いつも通りに振舞おうとして笑おうとしたり怒ろうとしてるけど。
……さっきから、怖いくらいに無表情なんだよね。機械でずっと一定に保ってるみたいな感情のなさ。
なのにその目だけは異常に冷たい。昔のあなたはきっとそんな目をしてたんだろうね」

番外個体の言葉に垣根の歩みが止まる。
垣根はゆっくりと振り返ると、親指と人差し指を伸ばし、残りの三指を握り銃に見立てた右手をすっと番外個体に突きつける。
実際に向けられているのは銃口ではなく人間の指。しかしその脅威は銃と変わらない。

何かが光った。瞬間。何かが番外個体の顔のすぐ横を通り、その後方にいた変異した巨大な蜘蛛をバラバラに破裂させた。
緑色の血液と共に様々なものが激しく飛び散った。
それを見て、番外個体は薄く笑う。

「気付いてるか? お前、笑ってるつもりかも知れねえけど、ずっと表情が引き攣ってるぞ。
いつもみてえな悪意がない。下品な笑いがない。無理やりに顔の筋肉を動かしてやっと作ったみてえな」

垣根はそれだけ言うと、行くぞ、と呟いて再び歩き出した。
番外個体はその後を歩きながら問う。

「何を失ったわけ?」

「語る必要があるか?」

「……だね。ミサカたち全員、同じだ」

「―――――“あのクソ野郎が”」

しばらく歩いていると、目前に扉が見えた。
それを見つけた番外個体が、

「ちょっと休もうか。第二位さん、そんな状態で満足に能力を扱えるかな?」

「……それはお前もだろうが。まあ、確かに―――能力暴発させて自滅なんて笑えねえな」

学園都市製の能力は使用者の精神状態や健康状態に大きく左右される。
その回復のためには休養が必要だ。
垣根と番外個体はその誰もいない部屋に入ると、向かい合うようにして床に座り込む。

「まあでも、あなたと一緒ならミサカは安心かな。制限つきの第一位よりもずっと安定した大戦力だし」

「抜かせよ性悪女。お前は守ってほしいってお姫様タイプじゃねえだろうが」

「そうだねぇ、ミサカは自分で魔王をしばくタイプかな。だってそっちの方が楽しいし。
ここら辺はおねーたまの性質だろうし」

「ああ、御坂はそうだろうな。助けを待つより自分で魔王をぶっ飛ばして一人でエンディングを迎えちまう」

極普通に行われる会話。だが一方は僅かの淀みもない無表情で、一方は引き攣った笑みを浮かべている。
それは異様な光景に見えた。

「……実はさ、昨日からずっと『外』の妹達が騒いでるせいでミサカネットワークは大混乱なんだよね」

ミサカネットワークの混乱。そこにはきっと司令塔である小さな少女が消えたこともまた一因であるだろう。
だが番外個体はそれは語らなかった。未だにあの光景は番外個体の脳と網膜に焼き付いていた。
そして何も語らずとも垣根もそれは察していた。一方通行の隣に番外個体しかいなかった時点で、答えは出ていた。

「何人もが『学園都市に向かう』って騒いでさ、みんな調整も放ってこっちに来てる。
止めたって聞きゃあしない。どうせみんながこっちに着くころには、全部終わってるってのに」

「わざわざ死にに来る気か?」

番外個体はわざとらしく肩を竦める。

「さあ。やれやれ、おねーたまが知ったら何て言うやら」

「…………」

「あなたは心理定規が心配なのかな?」

「別に。あいつは浜面と一緒にいる。なら何の心配もいらねえよ」

番外個体の問いに垣根は手を広げて顔を振る。
その言葉にあるのは、浜面仕上への全幅の信頼。
浜面になら心理定規を預けておけるという揺ぎない確信だった。

「以前から思ってたけど、随分評価してるんだね、あの無能力者を」

「あいつは実際に滝壺を守っている。何の力もない無能力者の身分で、この惨状の中で」

それに、と垣根は区切って、

「心理定規もお前と同じだ。ただ助けてもらうだけのお姫様役は趣味じゃねえ。
元々『スクール』時代から精神系能力者なのにグレネードガン持って前線に出てたようなアクティブな女だしな」

「……『スクール時代』……ね」

番外個体はそう呟いて、垣根の顔をじっと見つめる。
垣根が視線を落とすと、番外個体も視線を逸らす。
二人の会話はそこまでだった。音もなく、二人は失った何かを想うように目を閉じていた。


浜面仕上 / Day2 / 19:30:38 / 下水道 第一管理室

浜面に余裕はなかった。浜面の体は上条と並んで甚大なダメージを負っている。
見てみれば全身に火傷の跡も見られ、一人では歩くのもおぼつかない有様だった。

「ほら、しっかりして。ちゃんとつかまりなさいよ。に、しても暗いわね……」

心理定規の肩を借りて、浜面は下水道を進んでいた。
浜面は震える腕でゆっくりと拳銃を取り出すと、それを心理定規に差し出す。

「……持っとけ……。もし、連中が、現れたら……俺を置いて、いくんだ……」

「何馬鹿なこと言ってるわけ? それは滝壺さんにとって最大の地獄よ。
あなたたちが何を見て、何を味わってきたかは大体想像がつく。
あなたはそれと同じかそれ以上のものを滝壺さんに押し付けるつもり?
だとしたら、あの人のあなたへの評価は大幅に下方修正するように言っておかないとね」

心理定規は差し出された拳銃を無理やりに浜面に返すと、その腕をしっかりと自分の首に回させる。
同時に腰の辺りもきちんと支え、ゆっくりではあるが確実に一歩ずつ進んでいく。

「こんなにも可愛くて可憐でおしとやかでか弱い女の子に肩貸してもらってるのよ。
それだけでこんな怪我完治してもいいくらいのご褒美じゃない」

どこか硬直した表情を浮かべる心理定規の軽口に、浜面は小さく笑って答えた。
軽口をたたく心理定規の目は、かつて宿していた冷たい鋭さを持っていた。

「可愛くて、可憐かどうかは……ともかく、本当に、おしと、やかで、か弱い、なら、とっくに、死んでるさ」

「あら本当ね。でもそれは滝壺さんにも当てはまるのよ? ……でもまあ、あの人は」

「言うほど、か弱くもない。あれでも、ずっと、『アイテム』、で、生き残って、きたんだからな」

「そうね。……ちょっといいかしら」

言って、心理定規は一旦浜面をそっと地面に寝かせ、見える範囲にいる、すぐ戻ると言い残しどこかへと消えていく。
その時間は僅か三〇秒ほどか。言葉通り心理定規はすぐに戻ってくると、再び浜面に肩を貸して歩き出す。

「……なんだ、ったんだ?」

「女の子にそういうことは聞いちゃ駄目よ。だからあなたモテなかったのよ」

「それは、悪かったな」

滝壺理后という彼女がいるせいか、そう言う浜面の表情には余裕があった。





浜面仕上と心理定規は無人の部屋にいた。
いつまでも浜面に肩を貸して歩いていては、いざという時に対応できない。
そもそも浜面はすぐに安静にさせるべきだった。そんなわけで、心理定規の提案により二人は手近な部屋に身を潜めていたのだ。

「……この部屋、電気を、管理してるみてぇだな」

浜面が部屋に備え付けてあったコントロールパネルを操作すると、消えていた部屋の電気が突然点いた。
おそらくこの部屋だけではなく、下水道全体に通電が行われたのだろう。

「独立した発電装置を置いているみたいね。
まあいいわ、とにかくしばらくここで休養をとりましょうか」

「心理定規」

「何よ?」

呼ばれ、心理定規が振り向くと視線の先に浜面が笑っていた。

「ありがとな。滝壺を助けてくれて」

「何を言ってるの。滝壺さんを助けたのは私じゃ」

「でも、お前も大将たちと時間を稼ぐために協力してくれた。
滝壺を助けようと思って行動してくれた。だから礼くらいは受け取ってくれよな」

心理定規が言い切らないうちに浜面は言葉を被せる。
滝壺理后の救出は浜面一人では絶対に為し得なかった。
彼らの協力があったから、彼女は人間として今も生きている。

「……はいはい。いいから横になってなさい」

返す言葉に詰まった心理定規は逃げるように顔を逸らし、壁に背中を預けて座り込む。
やはり相当の疲労が溜まっているせいか、一度安心して座ってしまったらもう動きたくないと言うように心理定規は脱力していた。

「欲情しないでよ?」

「しねぇよ。大体お前には能力があるだろ。っつかそもそも動けねぇから俺」

それもそうね、と心理定規は呟き、

「寝込みを襲ったりしたら滝壺さんに言いつけるわよ?」

「だから俺は動けねぇんだっての!!」


一方通行 / Day2 / 19:52:54 / 下水道 第四管理室

ここは暗い下水道だ。どうやら化け物もいるらしい。
一方通行の感想はその程度だった。
そんな程度でしか物事を見ようと思えなかった。

世界は白黒だ。これでも以前は鮮やかに染まって見えていたものだが。
この世界に色をつけて染めていた様々なものが欠落してしまっている。

だが、それでも。世界は白黒だ。白と黒の二色だ。
一方通行自身と、もう一人。単色になっていないだけ、漆黒に飲まれていないだけ、まだマシなのかもしれない。
世界は残酷で、悲劇的で、不平等だ。救世主のような力を持った誰かが正してくれないだろうか。
……本来なら絶対にあり得ない考えだと気付く。どうしてそうなったか考える。……まあ、どうでもいいかと放棄した。

「……ハァ」

ため息をつく。目前を死人が歩いていた。
死者が歩く。その絶対あり得ない光景に一方通行は特に何の感慨を抱くこともなく、音もなく近づいていく。
杖をついたまま、至近距離で反対の手で銃を背後から突きつける。
死人はようやく一方通行に気付いたのか、まるで生きた人間のような動作でこちらを振り返った。
ただし、その顔と体は紛れもなく死者のものだった。

「亡霊が生きた人間のフリしてンじゃねェ。どのツラ下げて歩いてンだオマエら」

躊躇いなく引き金を引いた。下水道に耳を劈くのような音が響く。
頭部に放たれた銃弾がめり込み、確実にその活動を停止させる。
崩れ落ちたゴミを踏み越え、一方通行は歩いていた。

上条当麻と出会った。御坂美琴と出会った。
二人とも一方通行にとって重要な転機となった人間だ。
そして、垣根帝督や心理定規、浜面仕上と滝壺理后。生きた知り合いたちと遭遇した。

「変わらねェ」

そう、変わらない。それでも一方通行の世界は依然として白黒だ。
多少は色合いがマシになったかもしれないが、その程度だ。
彼ら以上に重要な何か。土台を支える何かが失われたまま。

ざぶざぶと清潔な下水を進み、適当に目についた部屋へと入る。
中には何もいなかった。一方通行はドカッと床に座り込み、全身の力を抜く。
何だかんだで、一方通行に立ち止まるという選択肢はない。
彼の世界に白を提供している少女がいるからだ。

その様はとても学園都市の第一位とは到底思えなかった。
まるで物乞いするホームレスのような、そんな雰囲気さえ漂っていた。

「……どォでもいいか」

呟きながら、いつでも即座に拳銃を抜ける体勢は崩さない。
一方通行に戦うことから逃げる選択肢は、ない。


御坂美琴 / Day2 / 19:30:05 / 下水道 ゴミ量調整室

「―――う……ん……?」

「おはよう、滝壺さん」

意識を失っていた滝壺理后が寝起きのような声を漏らした。
それに気付いた美琴が軽い調子で声をかける。

「……みさ、か……?」

「そうよ、御坂美琴。ちゃんと生きてるから」

背負った滝壺を落とさぬように度々持ち上げながら美琴は言う。
考えてみれば、滝壺がいつどのように『感染』したのかは知らないが、美琴が浜面と滝壺の元へ辿り着いた時には既に彼女は気を失っていた。
滝壺からすればいつの間にか突然美琴が現れたような認識なのだろう。

「でもさっき、一度滝壺さん意識取り戻してたじゃない」

「……寝ぼけてた、みたいな感覚……。はまづらは……?」

「浜面さんなら大丈夫のはずよ。心理定規さんが付いてるのを見たから」

やはり最初に気にするのはそこか、と苦笑する。
とはいえ、そういう自分も佳茄が心配なので人のことは言えなかったりする。
上条が付いているのだから大丈夫なのは分かってはいるのだが、気になるものは気になる。

「……私……なんで、まだ生きて……?」

「そっちの疑問を先に感じましょうよ、気持ちは分かるけど。
……『感染』した滝壺さんを助けようと、みんな集まってみんな頑張った。
そして『デイライト』っていうワクチンを作ってね。それを投与することでウィルスを殺したの」

滝壺を背負ったまま、ざぶざぶと下水道を進みながら美琴は質問に答えていく。

「みんな、って……?」

「浜面さんとあの馬鹿、垣根さん、心理定規さん。番外個体に一方通行。生きてたのよ、みんな」

「……そっか。生きて、たんだね。―――ありがとう、みさか」

「一番頑張ったのは浜面さんよ。知識もないのに、それでも絶対に助けるんだって。
他のみんなもいなかったら絶対に助けられなかったし、何より『デイライト』は上明大学の人と冥土帰しが残した遺産。
お礼は、私なんかよりも彼らに言ってあげて」

「――――うん。それでも、ありがとう、みさか」

「……うん」

礼を言われた。感謝をされた。
佳茄を守るために一線を越え、その手を汚し続けたこんな自分に。
何か――――何か、大切なものを一つ取り戻せたような、そんな気がした。

「もう、下ろして大丈夫だよ」

「本当に大丈夫? いくら意識が戻ったって言っても、まだ……」

「大丈夫だから」

クリアな下水の中に滝壺を下ろすと、若干ふらつきながらもしっかりと立った。
とはいえ、まだ無理をさせるべきではないだろう。
『デイライト』の効果を疑うわけではないが、また滝壺の身に何かあれば今度こそ対応できない。
それに、

「……っ」

突然美琴がふらりとバランスを崩した。
倒れそうになる美琴を咄嗟に滝壺が引き寄せる。

「……ちょっと休もう。このまま進んだら危険だと思う」

「……そう、ね」

その時だった。何か巨大な影が、ぬっと視線の先に現れた。
それは八本の足を器用に動かして壁や天井に張り付いて自在に動き回っている、巨大な蜘蛛。
本来の蜘蛛と見た目にそれほど変化は見られない。
ただそれが人間を超えるほどの巨大化を果たしたとなれば、それだけで十分に脅威だった。

「この……っ!!」

美琴が右手を掲げる。それは雷撃の槍の構え。
相手が死人だろうと得体の知れない異形だろうと、お構いなく貫く必殺の一撃。だが、

「――――――、」

「…………?」

その状態のまましばらく静止したあと、美琴はすっと掲げた右手を下ろしてしまった。
不審に思った滝壺が、

「――――みさか?」

「――――あれ。まだ私たちに気付いてないみたい。今のうちに行きましょう」

そう言って歩いていく美琴を見て、滝壺はああ、と納得した。




「ねえ、みさか」

「なに?」

二人以外誰もいない、ゴミ量調整室。
そこで滝壺は問うていた。

「みさかはずっと一人で動いてたの? それとも誰かと一緒だった?」

「佳茄……硲舎佳茄と一緒だったわ」

「あの小さい子だね。やっぱり」

「やっぱりって、何が」

「ねえ、みさか。……寝てないよね?」

滝壺の、そのストレートな物言いに美琴は僅かに顔を顰める。

「いきなり何を……」

「目の隈、すごいよ。それに疲れきってやつれてる」

「それは滝壺さんも同じよ」

「うん。でも私ははまづらと一緒だったから」

滝壺は浜面と行動を共にしていた。
だから休息を取ったり、睡眠をとる時には互いが交代で見張りをしていた。
それはきっと垣根や一方通行たちも同じだっただろう。
だが、美琴は違ったはずだ。

「かなくらいの子供じゃ、どんなに頑張ってもずっと起きてるなんて無理だもんね。
それが出来てたとしても、かなを見張りに立たせて自分は寝るなんてみさかにはできない。
ずっと、ずっと起きてたはずだよね」

「…………」

ただでさえこの惨劇は極限の精神的肉体的疲労を彼らに強いている。
更に睡眠もとらず、しかもいつ何が起きるか分からない不安と戦いながら。

「それに、ついさっきみさかが電撃を撃とうとした時も―――」

「分かった、分かったわよ。降参。……そうよ、確かに私はほとんど寝てない。
何かあった時に私がすぐに動けないと、真っ先に犠牲になるのはきっと佳茄だったから」

「でも、睡眠もとらないといざって時に動けなくなって結局かなが犠牲になるかもしれない」

「そうね。けどいつ訪れるか分からない危機よりも確実に目前にある危機よ」

「……そうだね。でも、ここにはかなはいないよ?」

そう言って、滝壺は薄く笑った。
一切の表情を失っていた滝壺が、僅かではあるが笑みを浮かべた。

「かなにはかみじょうがいる。今、ここにいるのは私。だから寝ても大丈夫だよ?」

「何を……。滝壺さんの能力に直接的な戦闘能力はないじゃない。やっぱり私が、」

「これでも『アイテム』で生き残ってきたから。それじゃあ、こうしようか。
敵が来たら起こすから、そしたらすぐに起きて?」

そう言う滝壺の顔色は表情は穏やかで、それは美琴がこの惨劇で初めて見た表情かもしれなかった。
滝壺理后に戦闘能力はない。そこいらの不良にすら勝てる見込みは薄いだろう。
暗部で培ってきた生存するための術も、常識外れの異形共の前では無意味だ。
加えて彼女はつい少し前までウィルスにその身を侵され、死に直面していたのだ。

だと言うのに、何故か美琴は不思議な安心感を滝壺に感じていた。
どこかで経験したことがあるような、細かい条件を無視した絶対的な安堵感。
一体いつ、どこで経験したものだっただろうか。

「……ありがとう。それじゃあ、滝壺さんのお言葉に甘えることにする。
でも、寝るつもりはないわよ。ただ、ちょっと休むだけ」

滝壺の手が美琴の手を掴む。
その体温は冷たかったが、確実な温かさがそこにあった。

「うん。大丈夫」

会話はそこまでだった。
会話が途切れて僅か一、二分後、ゆらゆらと前後に揺れていた美琴の頭がぽすんと滝壺の肩に落ちる。
美琴は滝壺の肩を枕にして、眠りに落ちていた。
久方ぶりの睡眠を安全領域で貪る美琴の寝顔は、間違いなくこんな惨劇が起きる以前の美琴のものと同じだった。

「……ゆっくりおやすみ、みさか」

こうして年上の女性に甘える美琴は年相応に見えた。
頑張りすぎることもなく、強がりすぎることもない普通の中学生だった。

「――――――マ、マ……」

寝言でそんなことを言う美琴に、肩を貸しながら滝壺は小さく笑う。
まるで隣で眠っている少女を妹のように感じながら、滝壺は美琴の頭を優しく撫でた。

「……頑張ったね」

投下終了

これでDay2は終了、次回からついに最終日Day3です
学園都市市街から下水道へフィールドが変わりましたが、残りのフィールドはこの下水道とあと一つ
まだありますが終わりが見えてきました

土御門とかエツァリとか学園都市内の十字教の人間はどうなったんだろう
生きてるんだとしたらこの惨状が既に魔術サイドに伝わってるのかな

それよかアレイスターの方が気になるな、学園都市こんなんになったらプランも何もあったもんじゃないが…

もう二ヶ月たつだと……
まあエタりはしないからいつかは終わるよね(白目)
近い内に投下します

>>385
海原は死亡してます
ネタだけ考えて書いてはいないですが妹達にやられました

>>386
アレイスターこんなんなっちゃって何の得があるの? ってところは考えてません
でもやっぱり最初から最後までピンピンしてますし、最後の最後で何かそれっぽいことだけ言います

近いうちと言ったな、それは今日だ
投下します





You once again stepped into the world of survival horror.
Good luck……




一人の不幸な少年がいた。
何故不幸だったのかは分からない。その理由は不明だった。
ただ、少年は不幸だった。同年代の子供たちにはお前がいると不幸が移ると石を投げられ、周囲の大人はあの子に関わるなと子供たちに言った。
借金取りに刃物で刺されるなんてこともあった。そんなことが、何度も起きた。

度を超えた不幸の災厄はやがて少年の命を奪う。
そう考えた少年の両親は少年を科学の都へと送った。
そこにあるのは科学信仰。人類の叡智の積み重ねを掲げる、アンノウンに対するレジスタンス。

少年の不幸体質はその科学の街、学園都市でも変わらなかった。
だが、環境は変わり、科学を信仰するこの街では少年を不幸を理由に虐げる者はいなかった。
誰かが言った。少年といると、あらゆる不幸が少年へ向くと。誰かが言った。少年は自分たちを守ってくれる、不幸に対しての盾だと。

それはあくまでも日常会話の一種、冗談の一つであり本気で少年をそう扱っていたわけではない。
しかしそれは事実として起きていたことだった。
自分はもう不幸に対しては慣れているから、それで周りの人間が助かるのなら自分がその分の不幸を吸い取っても構わない。
そんなことも考えたことがあった。

それで大切なものを守れるのなら。自分がいつも通り不幸を引き受けることで、大切な人が笑えるなら。
自分は喜んでその人たちの分の不幸も受け止めよう。自分が引き受けるから、大切な人たちは理不尽な不幸に苦しめられることはない、と。


インデックス / -Day1 / 18:51:08 / 第七学区 路上

「んっんん、んっんん、んっんっん~」

その日、インデックスは上機嫌だった。
ついちょっと前までは大勢の友達とファミレスでわいわいと食べて騒いだ。
そしてこれからは月詠小萌という知り合いの女性の家で焼肉パーティだ。
同居人であり家主である上条当麻は「散々食べたのに焼肉とかあり得ない」だの何だの言っていたが、気にしない。
何故なら、

「焼肉は別腹なんだよ」

呟いて、その光景を想像してみる。
熱々の鉄板に美味しそうな肉が乗る。ジューという音と共に食欲を掻き立てる良い匂いが漂ってくる。
肉汁が溢れ出し、それを口の中に入れるととろけるような……。

「あー!! 早く食べたいんだよ!!」

思わず声に出して叫んでしまい、インデックスは慌てて手で口を抑える。
誰かに聞かれなかっただろうかと辺りを見回し、目撃者がゼロであることを確認する。
ほっと安堵のため息をつきながら、もはや食欲を抑えられなくなったインデックスは早足になる。
早く焼肉を食べたい。その一心で早歩きしていたインデックスは、

「……あれ?」

それを、見つけた。

おそらく、ここが運命の分岐点だった。
この時にインデックスが取った行動次第では違った世界もあっただろう。
しかしインデックスはその先が落ちるしかない断崖絶壁とは知らず、迷いなく外れの五〇パーセントを選んでしまった。

「あなた、どうしたの? 怪我してるんだよ」

この瞬間、レールは確定された。少女の命運は尽きた。
しかし、この二択を用意した神様は心底意地が悪い。
出血しながら息を荒げ、この世の終わりのような表情をしている人間を見なかったことにするなど、インデックスにできるはずがない。

これはある意味選択ではなかった。
もしインデックスがこの男を無視していれば、違う世界があっただろう。
けれど、インデックスという少女の性質を考えれば、そんな選択肢は用意されてないも同然だ。
その意味において用意されていたのは始めから地獄への片道切符一枚のみだった。

「はぁ、はぁ、はぁ……え?」

男は電柱に手をついて激しく息を切らせていた。
その肩を中心に激しく出血し、着衣が赤に染まっている。
インデックスはすぐに理解はできなかったが、肩口に銃撃を受けていたのだ。
その手には大きなアタッシュケースのようなものを持っていた。

「すごい出血なんだよ……。すぐにお医者さん呼ぶからね!! それまで頑張るんだよ!!」

インデックスは必死にろくに扱えない〇円携帯を操作し、助けを呼ぼうとする。
だがこの男にとってはそんなことはどうでもよかったのだ。
病院に運ばれようとどうなろうと、もうこの男の未来には『死』の一文字しかなかった。

男は痙攣する腕を使って何とか持っていたアタッシュケースを開錠し、開ける。
その中に入っていたのは四つの試験管のようなもの。
緑色の液体が満たされたもの、紫色の液体が満たされたものなどがあった。

インデックスはそれを見て、それが何かは分からなかった。
ジュースかななどと本気で考えていた。しかしそれもインデックスには無理のないことかもしれない。
だがそこにあったものは。このアタッシュケースの中身は。
出すところに出せば数千億、数兆という桁外れの値がつく宝の山だった。

男は震える指でその中の紫色の液体が満たされたものを取り出す。
そして男は初めてインデックスへと語りかけた。

「なあ、嬢ちゃん。俺ぁな、ちょっと一儲けしようとしただけだったんだ」

「え?」

インデックスはその話を聞いてしまう。
男の言葉の一つ一つが、自らの命が尽きるまでのカウントダウンだとも知らずに。

「たまたまこれに近づけそうな機会があった。こいつを『外』に売りつければ恐ろしい額がつく。
これを欲しがるところなんざ世界にいくらでもある。それだけの価値がこいつにはあった」

男は語り続ける。

「だから俺は何人かを買収し、ついにこいつのサンプルを一つ盗むことに成功したんだ。
だが思っていたよりも早く俺を始末するための追撃が来た。あまりにも対応が早すぎた。
一発撃たれながらも何とか一度は振り切ったが、もう駄目だ。今すぐにでも奴らは来る、俺を殺すために!!」

男は錯乱したように叫んだ。
インデックスは呆然とした様子で男を眺めていた。

「嫌だ、死にたくねぇ!! こいつを売ろうとしたのが悪かったのか!?
でも目の前にこんな金塊があったら誰だって手ぇ伸ばしちまうだろ!? 仕方ねぇよな!?
……でも、もう駄目なんだ。すぐにでも奴らは来る。もし逃げれたとしても、もう俺に隠れる場所なんかない。
もう街の外にも絶対に出られない。俺は死ぬしかないんだ」

涙を流しながら男は吐露し、手に持った紫色の液体が満たされたものを握り直す。
インデックスには男が何を言っているのかよく分からなかった。
だが、男が非常に価値ある何かを盗み、それを売ろうとしていたのが見つかって追われているというのは理解できた。
泥棒はいけないことだ。だが殺されなければいけないほどの罪ではないだろう。インデックスは口を開こうとした。

だが。
しかし。
けれど。

「だから、嬢ちゃん」

この出会いが、きっと運命の分岐点だった。

「悪いけど」

もしもインデックスがこの男を無視できていれば。

「本当に悪いけどさ」

もう片方の五〇パーセントを選択できていれば。

「俺と一緒に、死んでくれよ」

違う世界があったのだろう

「あんたは『進化』できるんだ、嬉しいよな?」

いきなり腕を掴まれ、ぐいと引き寄せられたかと思ったら首に針が刺さるような、ちくりという小さな痛みを覚えた。
いや、実際に針が刺さっていた。それを通して中に満たされていた紫色の液体がインデックスの体内へと侵入する。
悪魔の種子が、インデックスに根付く。

「なっ、何するの!?」

慌てて抵抗するインデックスだが、もう遅い。
男の拘束から逃れることができた時には既に手遅れだ。

「へ、へへへ、へへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」

狂ったような笑みを浮かべ、男はアタッシュケースの中身を全て地面に叩きつけた。
バリン、という容器の割れる音が響く。中に満たされていた液体が地面に漏れ出していく。
それがどれだけ重大な危機か、インデックスには正確な理解が及ばなかった。

涙と鼻水で顔をくちゃくちゃにし、壊れた笑みを浮かべながら男はどこかへと走り去っていく。
それを追おうとは思わなかった。たしかに、インデックスには目の前のものが何なのか分からない。
あの男がどれほどのことをしたのかもよく分かっていない。

けれど。目の前に溢れている液体と、自らの体内に投与されたあの薬品。
それが本当に恐ろしいものなのだろうということは嫌でも分かった。
正しく理解できていなくても、とにかくまずいということは感じた。

「う、うううううううう……!!」

言い知れぬ恐怖がこみ上げてくるのを感じる。
針を刺された首筋を手で抑えながらインデックスはふらふらとその場を離れた。
あの溢れ出したものの近くにいるのはまずいと思った。

どうするべきか。予定通り月詠小萌の家に向かうべきだろうか。
博識な彼女ならば何か知っているかもしれない。
だが、今のこの状態で彼女の元を訪れてもいいのだろうか。
何が起きたかも分からないこの体で。

(……駄目、だよね)

あの男は『進化』すると言っていた。
その言葉の意味するところは分からない。
分からないが、それが良いものではないことは明白だ。

……こうして、インデックスはその生命を燃やし尽くし。
人の殻を脱ぎ捨てて、傲慢な神への冒涜者となる。
脆き人の子から昇華した新生物と成り果て、無限回の進化を繰り返し。
いつの日か神の領域に踏み込み、神となり、神を超えるだろう。

魔術を極めた結果神の領域に届いた存在、『魔神』。
未だ誰も辿り着けぬ学園都市の金字塔、『絶対能力者』。
ひとりの『人間』が目指す神ならぬ身にて天上の意思に辿り着く者、『SYSTEM』。
ある『救世主』が至った、神と同等の天使から更に進化した神を超えし者、『神上』。
ある少年とその右手に宿る真の意味、『神浄』。

インデックスはそのどれとも違う方法で。
『生命の樹(セフィロト)』の頂点へと迫っていく。

しかしそれはインデックスの望むことではない。
彼女にそんな大層な野望はない。ただいつも通りの日々を過ごせればそれでいいのだ。
上条当麻がいて、たくさんの友達がいて、みんなが笑っていられればそれだけで満足だったのだ。

インデックスは“たまたま”その男と鉢合わせし、“たまたま”その男がウィルスを持ち出そうとしていた男で。
“たまたま”その男は追い詰められ自暴自棄になっていて、“たまたま”インデックスは悪魔の種子を打たれてしまった。
理由はない、原因はない、理屈もない、理論もない、因果がない、目的がない、意味のない、価値のない、全くもって何もない。
結局、単に運が悪かったというだけの話。

運が悪かったから、不幸だったから。
インデックスが悪魔のウィルスを打たれ、完全な化け物に、新生物になって。
死よりも惨い変貌をさせられ、躊躇いなく人間を襲うようになる。
これだけのことが、たったそれだけの言葉で片付けられてしまう。

『不幸』。いつもはあるツンツン頭の高校生を悩ませ、引き受けているそれが。
一体何の悪戯か、この時ばかりはインデックスに降り注いだ。
大層な計画に巻き込まれたとか、世界規模の陰謀の始まりとか、そんなスケールの大きなことは何もなかった。

「うううううう……」

その頭の中にある一〇三〇〇〇冊の魔道書も関係ない。こんなつまらないことが、理不尽にインデックスという少女を終わらせてしまった。

「うううううううううううう……!!」

自分が自分でなくなっていく絶望的な予感を感じ、心優しい少女は涙する。
それは他人のための涙。男の言う『進化』を果たした自分が傷つけてしまうであろう誰かのための、涙。
いつだって自分よりも他人を優先する献身的な子羊のもたらす、最後の優しさ。

そして。世界に、一つの魔人が産み落とされた。





トロフィーを取得しました
『悲劇では終わらせない』
Day3を迎えた証。せめて素敵な悪足掻きを




           The Last Day

          ―――Day3―――


上条当麻 / Day3 / 03:19:27 / 下水道 東側下水道

カチャ、カチャ。
床と何か硬質なものがぶつかるような音を聞いて上条は身構えた。
隣で眠っている佳茄を静かに起こし、全神経を聴覚へと注ぎ込む。

カチャ、カチャ。
一定のリズムで刻まれる硬質な音。
間違いない。上条は確信する。これは足音だ。
死人ではない何かが扉を一枚隔てたところを歩いているのだ。

(……元から戦うなんて無理だ)

多少の睡眠によって少しは体力が回復したとはいえ、未だ全身に負った傷はずきずきと痛む。
幻想殺しも何の役にも立たない以上、下手に動くことはできない。
目が覚め音に気付いたのか、硬直したように動かない佳茄の手を握ってじっと待つ。

そしてどれくらいの時間が経過したか、足音が完全に聞こえなくなったのを確認して上条と佳茄はゆっくりと部屋を出る。
闇の奥から何が出したのかも分からない不気味な鳴き声のようなものが聞こえてくる。
どうやらすぐ近くにまだ潜んでいるようだった。

(静かに、静かにな)

上条は自身の唇に人差し指を立て、佳茄に対して静かにというジェスチャーをする。
佳茄もまたそれを理解し同じく人差し指を唇に立てた。
ゆっくりとゆっくりと下水道を進んでいくと、段々その姿が見えてくる。

全身を緑色の鱗に覆われた生物だった。
地上でも何度か見かけた化け物だ。その爪は鋭く伸び、それで狩りを行うのだ。
その凶暴性は確かで、一撃の下に対象の首を刎ね飛ばしてしまうこともある。
見つかったらまず最期だろう。

そして体を強張らせる二人の耳に突然何かの吐息のような声が聞こえてきた。
ハァー、という息を吐く声。これも聞き覚えがある。
上条が天井に視線を遣ると、そこには骨格ごと全てが変形し、四足歩行で天井にべったりと張り付いている生物がいた。
赤い筋繊維に全身を覆われ、そのグロテスクな脳髄を完全に露出。長い舌を遊びその体をくねらせていた。

とても元々は人間だったとは思えない醜悪な姿だった。
上には一撃で獲物を仕留める化け物、前方にも一撃で首を刎ねる化け物。
どちらもこちらにはまだ気付いていないとはいえ、無能力者の上条にはどうしようもない状況。

だが上条は以前にもこれに遭遇しているためにその性質も理解している。
天井や壁に張り付いている化け物は盲目で、全てを音で判断している。
そしてこの二種類の化け物はまだ互いの存在にも気付いていない。

一計を案じた上条がそれを実行に移そうとした時、無言のままに佳茄が上条に何かを手渡した。
それは何かの瓦礫片か、ただの石だった。
上条は黙ってそれを受け取り、慎重に狙いを定めてその石を放り投げる。

カツン、という軽い音が下水道に響く。
放られた石は化け物にではなく床を叩いていた。
それが引き金だった。緑の鱗に覆われた化け物が敏感に反応し、辺りを見渡し始めた。
だが遅かった。視覚を失い聴覚に全てが注がれていた盲目の化け物は既に動いている。

「ハァ~!!」

まるで槍の如くに硬化した盲目の化け物の舌が、一撃の下に緑鱗の化け物の脳天を刺し貫いた。
ブシュ、と血液が噴出し盲目の化け物の全身を染め上げる。
だが他の緑鱗の化け物が応戦し、容赦のない殺し合いが始まった。

「…………」

上条はそれを形容しがたい表情で見つめ、やがて佳茄の手を取って今のうちにその場を離脱した。
後方からどちらのものかも分からない奇声が聞こえてくる。
自然と二人の足は早足になった。

「……そう言えば、佳茄はなんで俺に石を? 知ってたのか?」

安全圏まで辿り着いたことを確認した上条が訊ねると、佳茄は常盤台のブレザーの端を握り締めて答えた。

「……お姉ちゃんが教えてくれたの。あの怖いお化けにあったら、絶対に声を出しちゃ駄目って。
静かにしてれば大丈夫だって。危なくなったら石を遠くに投げなさいって言ってたから」

……どうやら美琴も盲目の化け物の性質には気付いていたらしい。
しかしその言葉を記憶していて実行に移せる佳茄も佳茄だ。
その凄さが良いことなのか悪いことなのか。
判断がつかなかった上条はただ「そうなのか」、と返すことしかできなかった。


浜面仕上 / Day3 / 03:19:44 / 下水道 南側下水道

「……前から思ってたけど、あなたも大概よね」

暗い下水道を進みながら心理定規が呟く。
電気は通ったものの全ての照明が生きているわけではないようで、この辺りは暗いままだった。

「こちとら無能力者なんだ。気合だけは一丁前さ」

「ゴリラね。ゴリ面仕上」

浜面の傷は当然完治などしていない。
だが無理をすれば歩くことはできるようになっていた。
心理定規が呆れるのも当然なほどの頑丈さだろう。

「ところで、これ本当にいるのか?」

浜面が手に持っているハンドルのようなものをぶんぶんと振る。
先ほどまで二人がいた部屋にあったもので、心理定規の指示によって持ち出していた。

「いるわよ。ほら、すぐそこの排気ファン。見てみたけどそれで止められるみたいよ」

心理定規の指差したところをよく見てみると、壁に梯子が取り付けられていてその先に巨大なファンが回転していた。
その下には何かを取り付けるための接続口のようなものがあり、どうやらそこにこのハンドルを使うらしい。
だがそれに気付いたのは浜面だった。先を急ぐ心理定規の肩を掴んで引き寄せる。

「どうしたの」

「……よく見ろ。あそこ、暗くて姿までは見えねぇがゾンビが一体いるぞ」

よくよく目を凝らしてみると確かに闇の中にゆらゆらと蠢く人影のようなものがある。
心理定規は僅かに目を細め、ありがとう、と一言だけ告げると迅速に動いた。
まるで存在しないかのように音もなく近寄ると、太ももから抜いた巨大なサバイバルナイフを使って背後から一撃の下に亡者を仕留める。
亡者は声を出すこともできずにその場に崩れ落ちた。

「……怖ぇ女だな本当」

その鮮やかな流れに浜面が賞賛の言葉を口にする。
心理定規はハンカチでナイフについた血や肉を拭き取ると、浜面から受け取ったハンドルを差込口に取り付ける。
そのハンドルを回していくと、ファンの回転が遅くなりやがて完全に停止した。

「ほらね、私に間違いはないのよ」

「よく言うぜ。結構外すくせに」

そう返しながら浜面は心理定規が登るのを待つ。
だが一向に登らない彼女に浜面が疑問を感じていると、彼女は笑顔を浮かべて、

「お先にどうぞ?」

「……? おう」

よく分からないが素直に従うことにする。
梯子を登り、巨大なファンが取り付けられていた通風口へと入る。
登ってきた心理定規と進もうとして、

ぞわり、と何かが動いた気がした。

同じことを感じたのか心理定規の動きが止まり、その目つきが変わる。
浜面もいつでも応戦できるように構えた。
だが、脅威は思いがけないところから思いがけない形で現れた。

この巨大な通風口の上部に空いている小さな穴。
そこから黒い何かが一斉に湧き出してきた。
素早く動き回る群れ。その一つ一つが鼠ほども大きかった。
正体に気付いたのは、浜面だった。

「ゴキブリだ……っ!?」

「ゴキブリ!? これが!? 冗談じゃないわよクソったれ!!」

元々クリーンな学園都市の下水道にゴキブリは生息していない。
しかしこの騒動で多少なりとも環境が変わり、どこからか流れ込んできたのだろう。
ウィルスによって変異したゴキブリの主食は鼠。
食物連鎖の逆転。鼠を主食とするまでにゴキブリは巨大化を果たしていた。

このゴキブリたちは人間すら食料と看做しているのか、一斉に二人に襲いかかってくる。
その狙いは主に首。強引に振り払いながら浜面は確信する。
単なる極大の生理的嫌悪感だけではない。こいつらはその巨大で強靭な顎で人間の柔らかい部分を噛み千切ろうとしている。
これはもう完璧に生命の危機だった。

「こんなの反則でしょうが!! 何とかしなさい!!
私を囮にしてその間にあなたが逃げるとか名案じゃない!?」

「え、お前が犠牲になってくれるのか!?」

「ちくしょう間違えた逆だった!!」

「だと思ったよ馬鹿野郎!!」

湧き上がる嫌悪感を全力で捻じ伏せて二人はゴキブリを薙ぎ払いながら走る。
とにかく一刻も早くここを抜けること。それが第一だった。
何とか噛み千切られずに通風口から脱出したものの、飛び降りた二人を追うようにゴキブリの群れも這い出てくる。

「光速で走るわよ!!」

「ちくしょう全身が痛い!!」

ゴキブリなどに殺されてはたまらない。
走って走って走って。ようやく二人はゴキブリから逃れて大きく息を吐く。
がくがくと小さく全身を震わせる浜面を見て心理定規が無言で肩を貸す。
浜面が礼を言うと彼女は興味なさげにそっぽを向いた。

「……おい、あれは何だよ?」

ふと浜面が何かに気付く。
フェンスを隔てた向こう側、そちらにおそらくは女性だったであろうゾンビがいる。
それだけなら気にするようなことでもないのだが、その体がロープや鎖で雁字搦めに固定され鉄筋に括りつけられていた。
アンデッドの捕獲。浜面の頭を解剖等のサンプル素材という可能性がよぎった。

「まあ、私たちには関係のないことよ」

そう言って二人は先に進み、そこに辿り着く。
そこは、

「……嫌な予感しかしないのだけど」

「俺もだ」

投下終了
次はもうちょっと早く来れるかと
次回は一方通行シナリオ、美琴シナリオ、垣根シナリオ、浜面シナリオ
ライブセレクションありです


御坂美琴 / Day3 / 03:21:29 / 下水道 第二水路

ぞろぞろと何かが移動しているのを美琴と滝壺は眺めていた。
白い何か。それらが統率されたように乱れもなく、真っ直ぐにどこかへと移動している。

「白アリ……?」

呟いたのは滝壺だ。普通に考えてこの群れもウィルスとやらに『感染』していると見てまず間違いないだろう。
この数や小ささは下手な化け物を相手にするより厄介かもしれない。
そんなわけで、二人は反応される前にそこを離れることにする。

だがその行く先を阻むものがあった。
カマドウマのような六本足の化け物だった。
彼女たちはこれを知っている。これに既に遭遇し、交戦している。
だから、御坂美琴の取った行動は一択だった。

伸ばされた彼女の手から燈色の輝きが放たれる。
恐ろしいほどの圧を撒き散らしながら光の束は一直線に化け物に直撃し、一瞬でその全てを粉々に粉砕した。
瞬殺。これが交戦の末に美琴と滝壺が導き出した、この化け物に対する最適解だった。

「……これ。数はそこまで多くないみたいだけど、こんなのがどんどん出てきたらまずいね」

まだ表情の優れない滝壺が呟いた。
視神経に作用する毒性ガスを撒き散らすなど高い殺傷能力を秘める化け物。
確かにこいつの脅威は歩く死人など遥かに凌駕しているだろう。

「見つけたら私が砕く。少しくらいは数も危険も減っていくでしょ」

だが、その時。ジャラジャラ、という鎖の音を彼女たちは聞いた。
どちらにとっても聞き覚えのある音だった。そしてやはり聞き覚えのある呻き声が聞こえてくる。
どうやら美琴の放った超電磁砲は化け物を粉砕すると同時、あれも呼び込んでしまったようだった。

鎖の化け物。リサ=トレヴァー。『多重能力者』。
美琴がリサと遭遇するのはこれで三度目か。
リサが甲高い金切り声をあげると、リサの周囲の下水が一つの意思によって操作されていく。
槍のような弾丸のような水はマシンガンのような勢いでこちらへと次々発射された。

「っ、滝壺さん!!」

慌てて滝壺の体を引っ張ってその軌道から外れる。
そう、あの鎖の化け物は『多重能力者』なのだ。
一見ただの水にしか見えなくともその内に何を抱えているか分かったものではない。

「マ、マ ぁぁアぁァァ……」

そして、やはり無理に交戦する必要はない。
ほとんど不死身の化け物を律儀に相手にしたところでデメリットしかない。
逃走しようと滝壺の手を取った、その直後。

眼前にリサの、剥いだ人間の顔の皮膚を幾重にも貼り付けた顔があった。
美琴の行動は迅速だった。元より相手は不死身の『多重能力者』、この程度で驚いていたらとっくに殺されている。
即座に反対の手をリサの眼前に翳す。

爆雷。超電磁砲による凄まじい電流が炸裂し、リサの全身が大きく仰け反った。
バヂバヂッ、バリバリバリィ!! という轟音。
莫大な高圧電流がリサの肉体を焼き焦がしていく。焼けていく臭いが鼻腔に充満していく。

「キ、ィァ、キィィアァァアアァァァァアアア!!」

甲高い金切り声。直後にリサの全身を覆うように何らかのフィールドのようなものが発生した。
美琴の電撃がそれに触れた瞬間に弾かれるようにどこかへと受け流されていく。
誘電力場のようなものか、と美琴は推測を立てる。

(いつかの木山が使っていたものとそっくりね……!!)

電撃が無効化される。だが構わない。
リサの意識が逸れた瞬間に美琴は滝壺を連れて姿を消した。
磁力を駆使して下水道内の壁を走り天井に張り付き、自在に立体的に動き回って距離を取っていく。

「……あれから何か普通とは違うAIM拡散力場を感じる。流れているものが一つじゃない……?」

「化け物になってる上にどういうわけだか『多重能力者』様だから、ねっ!!」

追撃を防ぐための牽制の電撃を時折放ちながら美琴は言う。
『多才能力』ではなく『多重能力者』。木山春生とリサ=トレヴァー。
それは現象としては酷似しているもののその実態はまるでわけが違う。

リサから離れるための更なる一歩を踏み出そうとしたところで、美琴は見た。
全身からいくつもの触手を生やしたリサから、何か鞭のようなものがこちらへと伸びている。
まるで影のように闇そのもののような黒い何か。その正体が何かなど分かるはずもない。

続けて周囲の壁や天井、地面が隆起し槍のようなものが不意に飛び出した。
思わず体を貫かれそうになり、美琴と滝壺は空中でバランスを崩す。
そのタイミングを見計らったかのように伸びてきた黒い何かが美琴の足首を捕らえた。
どうやらこの黒いものに攻撃の性能はないらしく、足首を掴まれた美琴の体がリサの元へと引き寄せられていく。

「みさか!!」

暴れる二人を大人しくさせようと思ったのか、ぐいと方向が変わり壁に勢いよく叩きつけられる。
かはっ、という声が漏れた。咄嗟に滝壺を自身の体をクッションにして衝撃から守るも、背中を強打したことで呼吸が一瞬停止する。
満足に回らぬ頭の中で何とか前髪から電撃を飛ばし、自身を拘束する黒い帯のようなものを焼き切って体の自由を確保した。

地面へと落下しげほげほと咳き込む美琴。
だがリサはそんなことは気にも留めはしない。
見えざる刃がコンクリートを容易く切り裂きながら飛んできていた。
ほとんど転がるようにしてその軌道から外れる。だがまだ続いた。

リサの周囲にごぼごぼと音をたてながら再び水の球体が浮かんでいた。
その数は五〇や一〇〇ではきかない。そして放たれればその全てが人体程度穴を開けてしまうだろう。
やはりマシンガンのようだった。ズドドドッ!! とコンクリートさえ削り取りながら水の球体が撃ち出される。
回避は間に合わない。磁力を最大にした緊急離脱を実行し何とかその命を繋ぎとめる。

「みさか、こっちに!!」

ふらつく体が滝壺に手を引かれて動き出す。
今の緊急回避で一気に距離が取れた。この機を逃す手はない。
走る。逃走する。背後から巨大な炎の塊が二人を追ってきていた。

「流石は『多重能力者』ってところかしら。でもあまり第三位を舐めないでくれるかしらね!!」

音が消えた。『超電磁砲』。その一撃が再度放たれた。
オレンジの閃光は音速を遥かに超えて突き進み、莫大な烈風を巻き起こす。
たったそれだけで燃え盛る炎はろうそくを息で吹き消すように消え去ってしまった。

走りながら後方からリサの叫び声を聞く。
あれはたとえ超電磁砲を直撃させたところで殺すことはできないだろう。
それほどの化け物。だが、

「前に遭遇した時も、『ママ』って言ってたんだ。……お母さんを、探してるのかも」

滝壺の言葉に美琴はギリッ、と歯を噛み締める。
分かっている。今学園都市を彷徨う死人たちがウィルスの被害者であるように、あの鎖の化け物もやはり被害者なのだろう。
それでもどこかにかつての想いが残っていたのか。母を想う強い気持ちが。
三度もあれと遭遇したのは美琴が女性だからか。佳茄を背中に庇って立ちはだかる美琴の姿が、子を守る母に見えたのだろうか。

だが。だが、今のあれは、もう、確実に、化け物なのだ。
この手で終わらせた大切な後輩の、変わり果てた姿を思い出し。
美琴の口の中に血の味がじわりと広がっていた。

Files

File18.『誰かが書き残した手記』

Sep.05,20XX

注射で頭がボーっとする。
お母さんに会えない。どこかに連れていかれた。
二人で脱出しようって決めたのに私だけ置いていくなんて……。


Sep.06,20XX

お母さん見つけた!!
今日の食事は、お母さんと一緒!! 嬉しかった

違う、偽者だった。外は同じだけど中が違う。
お母さんを取り返さなくっちゃ!! お母さんに返してあげなくちゃ!!

お母さんの顔は簡単に取り返せた。
お母さんの顔をとっていたおばさんの悲鳴が聞こえたけど、お母さんの顔をとっていた奴の悲鳴なんか気にしない。

お母さんは私のもの。誰にもとられないように私にくっつけておこう。
お母さんに会った時、顔がないと可哀想だもの。


26

お父さん 一つ くっつけた
お母さん 二つ くっつけた

中身はやぱり赤く ヌルヌル
白くてかたかた
ホントのお母さ 見つからない

お父 ん 分からない
また お母さ 今日見つけた
お母さ をくつけたら
お母 ん動かなくなた

母さんは悲鳴をあげていた
なぜ?
私は一緒にいたかただけ


4

お母さん
どこ?
会いたい

投下終了
下水道フィールドももう少しで終わりです

聖職者の獣さんちょっと手加減して
7、8回は惨殺された

投下します





もし我が言葉が 噛み千切った裏切り者の所業を
世に示す果実の実となるならば
それをお前に語り 共に涙を流そうではないか





上条当麻 御坂美琴 浜面仕上 垣根帝督 一方通行 / Day3 / 05:06:30 / 下水道 処理プール

結局、それぞれがそれぞれのルートを辿りながらも彼らの歩んだ道のりは全てここへと繋がっていたらしい。
最初に『そこで待っていた人物』の元へ到着したのは上条と佳茄の二人だった。
目を見開き驚愕し、一瞬言葉すら失う上条。彼らが言葉を交わしていると、次にそこへ辿り着いたのは垣根と番外個体だった。
次に美琴と滝壺、その次が浜面と心理定規、そして最後に一方通行。

全員が再び集い、それぞれがそれぞれの元へ戻っていく。
佳茄は美琴の姿を見るなり満面の笑みを浮かべ、許可を得るかのように上条を見上げる。
上条が薄く笑い返してやると佳茄は一直線に美琴の元へ走り出し、手を伸ばした美琴の胸へと飛び込んだ。

番外個体は「あなたより第二位の方が戦力的に安定しててあっちがいい」と皮肉るも、一方通行は番外個体の無事を確認すると何も言葉は発しなかった。
浜面と滝壺はどこかぎこちなく目を合わせ、ほんの一瞬だけ小さく笑い合った。
心理定規は垣根の姿を確認すると「あら無事だったのね。知ってたわ」と呟き、垣根は「当然だボケ」とだけ返した。

そして最後に浜面と滝壺が改めて全員に滝壺を救ってくれたことの礼を言った。
笑みを浮かべたりそっぽを向いたり舌打ちしたり無反応だったりと、それぞれがそれぞれの返答を無言で返す。
彼らは互いの姿を確認し、その全員が足りない、と思った。それは白井黒子らであり打ち止めであり『アイテム』の仲間であり様々。
けれど、誰一人としてそのことを口にはしなかった。それがどういう意味なのか嫌というほど思い知っていたから。

「……何も言わねェのか」

一方通行がぽつりと一言だけ漏らした。
その言葉の相手は美琴だった。
美琴は僅かに顔を伏せると力なく呟いた。

「……何を言えってのよ。私に」

全てが一通り終わったところで全員の意識と注意が改めて“そこ”へと向けられた。

「もういいか?」

そう確認されると、上条が答えた。

「ああ。……始めてくれ、土御門」

そこにいた者―――生存者、土御門元春へと。

「……生きてやがったのかグラサン野郎」

呟いたのは一方通行だ。
彼らはかつて『グループ』という暗部組織で共に働いていた関係だった。
確かに、ずっと君臨していて最近ようやくその道を模索し始めた一方通行よりも。
魔術サイドという闇の中の死地を経験し、無力な無能力者として科学サイドの闇をも渡り歩いてきた土御門の方が、よほど生存術に長けているのかもしれなかった。

「んなことよりも。俺を攻撃しやがったのはテメェだな?」

「それに関しては悪かったな。動くものは全て敵という認識で行動していたもんでな」

チッ、と舌打ちする垣根。
続けて番外個体が問うた。

「で、あなたはミサカたちに何を話してくれるわけ?
別に校長先生のありがたいお話とかなら聞きたくもないんだけど」

「そうだな。この惨劇が起きるに至った原因……全ての始まりといったところか。
そして今この街を徘徊しているいくつかの特異な異形について」

土御門のその言葉に彼らは即座に言葉を返さなかった。
おそらく全員が同じ理由で、全員が同じことを考えていたのだろう。
こんな惨劇が起きた理由。たしかに気にはなる。だが、今更そんなことを知ってどうするのだろうか。

誰もがここまでに至る過程でもう何が原因かなどどうでもいいと思ったはずだ。
発端が何であろうとこれはもう既に起こってしまった確定された現実で、覆せない事実。
その原因とやらを知ったところで起きたことは変わらないし誰が帰ってくるわけでもない。
真実は無力だ。真実に事実を変える力はない。

「……聞こう。聞かせてくれ、土御門。
俺は……俺たちはきっと知らなきゃいけないんだと思う。
全てを奪ったものの正体を。何がみんなを……殺したのかを」

それでも、と最初に口を開いたのは上条だった。
少しして、心理定規と滝壺、浜面が賛成する。

「……そう、ね。わざわざ知る選択肢を捨てるのも無駄じゃないかしら」

「……私も知りたい。どうしてむぎのやきぬはたが……あんなことにならなきゃいけなかったのか」

「確かに、な。何もできないにしても、せめてあいつらをあんなにしたものの元凶くらいは……知らなきゃいけねぇ」

美琴は静かに目を閉じて輝いていたあの日々を思い出す。
白井黒子がいて、佐天涙子がいて、初春飾利がいて、上条当麻がいて。
そして思い出す。彼女たちの醜悪な姿を。その命を絶った、おぞましい感触を。

「知りたい。そう、か。いや、そうよ、知らなきゃいけないの。
たとえどうしようもないとしても、終わってしまったことだとしても……」

「……ま、確かにそうだ。わざわざ意味のない真実とやらを調べようとはしなくても話してくれるってんなら聞いていっても損はないんじゃないかな」

「お前たちはどうだ」

土御門が一方通行と垣根に視線をやる。
脳裏に蘇る様々な地獄のような光景。
失われた大切な者の命、その理不尽。

言葉を返さぬ二人を肯定と見たのか土御門は語り始めた。
この最悪のカタストロフの、その真相を。

「まあ、何と言うかだな。一言で言うなら期待を裏切らず『木原』だ」

ギリッ、という歯を強く噛み締める音がどこからか聞こえた。
『木原』。その忌み名に覚えがある者は一様に同じ反応を見せていた。

「カミやんは知らないかな。『木原』ってのはこの学園都市の最底辺、最も深い『闇』で蠢く最悪の一族だ。
揃いも揃って飛び抜けた頭脳の持ち主で、科学の探求のためなら手段なんて選ばない。
どれだけの犠牲が出ようとそれで科学の進歩を促せるなら喜んで飛びつくような、まあそんなマッドサイエンティスト。
この街の暗部に関わっている人間なら皆知っているさ、その名を。そして慄き震える。学園都市でな、『木原』より上なんて“一人しかいないのさ”」

あの『絶対能力者進化計画』を提唱したのも『木原』だ。
あのイカれた連中が、それでも何とか暴走を起こさずに済んでいたのは曲がりなりにも“一人の統治者”がいたからだろう。

「……オレは事が起こってから必死に真実を探し回った。
この騒ぎのせいか何なのかセキュリティレベルは見る影もなかったよ。
オレでも全てを引き出すことができた。知っても意味がないと言えばそうかもな。
まあ、それでもそれなりに死ぬ思いはしたが」

土御門の全身は痛ましいほどにボロボロだった。
大量の出血、内出血もあちこちで起こしていた。
その傷は化け物共にやられたものもあるかもしれないが、そのほとんどは魔術の行使によるカウンターダメージだろう。

「全ての発端はたった一つの発見だったんだ」

土御門は何も変えられぬ真実を話す。
それでも知らなければならない真実を。

「『木原』一族の一人に木原乱数って男がいる。
『木原』の中じゃ中堅ってとこなんだが、こいつが見つけてしまったのさ。全ての始まりを」

何もかもの始まり。その名を土御門は告げた。

  クレイ
「『始祖ウィルス』」

聞き慣れぬ名。だが誰もが口を挟むことなく聞き入っていた。

「正確には『始祖花』。こいつは本来アフリカの奥深くに生える植物だ。
この『始祖花』から創り出してしまったんだよ。RNAウィルス『始祖ウィルス』を」

「じゃあ、その『始祖ウィルス』ってのが……この街を殺した元凶だってことか?」

浜面が訊ねると土御門は否定した。

「いいや。確かにこの『始祖』が全ての始まりだ。
だが『始祖』はそのままではあまりに毒性が強すぎたんだ。
何にしてもたちまちに投与した対象が死んでしまう。
始まりはヒルのDNAと掛け合わせたことだったようだが、そして改良を加えられ、生まれた。
『始祖』から始まったこの街を殺した悪魔が」

土御門は一度区切って、

「それこそが『Tyrant Virus』」

「Tyrant……Virus……」

何かを確認するように心理定規が呟く。
会話の内容は理解できずとも異様な雰囲気を感じ取ったのか、その手を強く握る佳茄の頭を美琴は優しく撫でた。

「通称は『T-ウィルス』。おそらくはオレたちの大切なものを奪ったのは全てこれだ。
わけの分からん化け物共もほとんどがこれによるものだし、一番の問題……生きた死者どももな」

「あいつらは……一体何なんだ?」

訊ねたのは上条だった。
もう見飽きるほどに遭遇してきたリビングデッド。
だがその正体は全く知れたものではない。
生と死、そのどちらに属する存在なのかさえも。

「正式名称はゾンビではなく『活性死者』。『T-ウィルス』に感染した者のなれの果てだ。
皮膚の痒みや食欲の増大などの初期症状を伴い、『発症』に至るまでには健康状態や体質によってかなりの個人差があるようだ。
一定まで進行すると前頭葉が破壊され食欲にのみ基づいて行動するようになる。
異常な新陳代謝の向上によって強靭な耐久性と、それを補うためのエネルギーを求め永遠の飢餓に囚われる。
そして十分にエネルギーを確保し続けられた場合、突然変異を起こし別の化け物へと変貌することもある。
例えば視力を失い四足歩行を行う化け物とかな。脳が露出したやつだ。
あれも変異を起こした『活性死者』。あっちでは『リッカー』と呼ばれていたようだがな」

                    リ ッ カ ー
「『リッカー』……。なるほど、『舐めるもの』ね」

「『活性死者』は死んだ人間が蘇っているわけではないようだ。『T』にそこまでの力はない。
ただ『活性死者』が生きているのか死んでいるのか……それは分からん。一つ言えるのは、あれは医学的には『死亡』しているということだ」

彼らを元に戻す方法は、とは誰も口にしなかった。
そんなことは不可能だと分かりきっていた。
やはり真実は事実を何も変えはしない。

「『活性死者』はそもそも意図的に作り出された存在ではないらしい。
『T-ウィルス』の研究過程で偶発的に生まれたもののようだ。そしてこの『T』はただ悪魔の産物というだけではない。
元々『T』には異なる生物間の遺伝子交配を容易にする性質があり、それによって生物兵器『B.O.W.』…… Bio Organic Weaponの製造が行われた。
だが同時に『T』は正しく使えば治療不可能とされた難病も克服できる可能性をも秘めていた。
抗ウィルス剤と交互に適量投与することで、『活性死者』となることなく緩やかに細胞を再生させる。
先天性の免疫異常や末期の癌の治療……そして筋ジストロフィーとかな。まあそれも長期に渡ると問題が発生したようだが」

ぴくり、と誰かがその単語に身を震わせた。
使い方次第で革命的な発明となり得たもの。世界に希望をもたらす光となり得たもの。
それが『始祖ウィルス』、それが『T-ウィルス』。
だが実際に起こされたのは悲劇。やはり全ては使う側の問題ということなのか。

「『B.O.W.』、その中でも究極を目指して作られたのが『タイラント』だ。
お前たちも既に遭遇しているかもしれないな。だがこいつははっきり言って出来損ないだ。
コンセプトこそ究極の『B.O.W.』だが、超能力者なら仕留めるのは難しくないだろう。
こいつの製造に『木原』は関わっていない。あくまでその周囲に群がった研究者共が作ったものだからな」

『タイラント』。遭遇済みの者もそれがそうとは知ることはなかった。
出来損ないの化け物。だがそれでも並大抵の人間ではまるで太刀打ちできるものではないのだろう。

「さて。ここまで話して、ずっと無言の一方通行と垣根帝督はともかく、全員疑問に思っているんじゃないか」

土御門が一人一人の表情を確認するように全員を見渡す。
そう、確かに疑問だった。

「生物兵器……『B.O.W.』てのは、要するにあの化け物共を軍事利用するってことだろ?」

「おかしいねぇ。いや、おかしな話だ」

上条が呟き番外個体が引き継ぐ。
決定的におかしい話だった。

「……必要、あるのか?」

「学園都市の戦力は量産できる科学兵器群だったはず。
超能力者も含め私たち能力者すら戦力には入っていない」

「……先の第三次世界大戦でさえ学園都市はロシアを圧倒していたよね」

浜面が。心理定規が。滝壺が。疑問を口にする。
その疑問に切り込んだのは超能力者たちだった。

「……多分、あの連中はそういう次元の話じゃないんだと思う」

「……そォ思うのはオマエらが『木原』をろくに知らないからだ」

「そんな実用性なんてあのクズ共が考えてるわけねえだろうが」

学園都市はどこまで行ってもただの街でしかない。
街でしかないにも関わらず、大国ロシアを一方的に蹂躙するほどに科学力の差があるのだ。
それほどの戦力があるのなら『B.O.W.』など必要ないのではないか。
その疑問は至極真っ当であり、真っ当すぎる疑問だった。

「『木原』と言っても一枚岩じゃない。学園都市全体で言えばもっとな。
実際、この科学の街にあんな化け物共なんて必要はない。既に十分な戦力を有しているからだ。
ましてや『B.O.W.』はコントロールの問題もあったし、ウィルスなんて流出でもしたら余計な事態を招く。今みたいにな」

だが、『木原』は。

「だが違ったんだよ。『木原』は科学の発展、そして好奇心に従って行動する。
木原乱数はウィルスに魅せられたんだろうな。取り憑かれたかのように研究に没頭した。
きっと本人は軍事利用なんてこれっぽっちも考えていなかったに違いない。
そんなことを考え実行に移したのはその周りに群がった三下共だろうさ」

土御門は最初に木原乱数を『一族の中では中堅』と評した。
だがそれは木原乱数の能力が低いということでは決してない。
それは『木原』という途方もない母体の中での格付けであり、外の者からすれば凄まじい天才だ。
むしろその母体の中でも中堅に入っている彼の能力の高さは証明されている。

「そしてそれは木原乱数だけじゃなかった。アレクシアもその一人だ」

「……聞かねえ名だな」

垣根が眉を動かす。

「アレクシア。こいつは『木原』の中でも特殊だった。
所謂出来損ない、欠陥品。そういう扱いだったらしい。
それは単に能力が『木原』の中では下位というだけの理由じゃない。
支配欲、選民的な意識が高かったからだ。自らを王とし他の人間は自分に仕えるべき奴隷。
そんな考え方をしていたようだ。そしてそんなものは他の『木原』は持ち合わせていない。
他人を見下すことはあれ、『支配』などおおよそ連中が求めるものではない。
大体他の『木原』はよく分かっている。“真にこの街を統べている者”が誰なのか」

『木原』の中では下位。
だがそれもやはりその母体の中の話だ。
枠の外にいる者からすればそれでも飛び抜けた天才なのだろう。

「『T-Veronica』。一部では『T-アレクシア』などとも言われていたようだな。
アレクシアが創り出したもので、『始祖ウィルス』に女王アリの遺伝子を移植し更に植物の細胞も組み込んだ、全く新しい構造のウィルスだ。
ただ『T-Veronica』は『T-ウィルス』より上位に位置づけられそれ以上の脅威を持つものの、急速に感染者の肉体を蝕み脳を破壊するという大きな欠点を抱えていた。
それを克服し肉体にウィルスを馴染ませる手段として、コールドスリープによって肉体を低温保存しウィルスの侵食速度を抑制する。
もしくは臓器を取り替え続けるか。どちらにしても一五年ほどの歳月が必要なようだが、アレクシアは『木原』の技術を使って短期間でそれを済ませてしまった」

「『ベロニカ』……だと?」

垣根と心理定規がその単語に反応した。
彼らはその単語を口にした存在と一度遭遇している。
あれがそのアレクシアだったのだろうか。

「自分で……自分に、ウィルスを投与したっていうの?」

「そこまでして、そいつは何がしたかったんだ……?」

「『進化』したかったんだろうさ。先に言ったような性分だからな。
上手く『T-Veronica』を馴染ませることができれば人間としての自我を失うことなく新たな生命体へと生まれ変わる。
ここからも『木原』の中でアレクシアがどれほど異端か分かるというものだ」

「『始祖』に『T』、『ベロニカ』……。それだけのウィルスが……」

「流出したのは『T』だけだが、それだけじゃないぜカミやん。むしろカミやんにとってはこっちの方が重要かもしれない。
今挙がった三つのウィルス……おそらくそれらを超える、最高最悪の品が」

「まだあるわけ? ミサカ的にはもう随分お腹一杯なんだけど」

そして土御門元春は告げる。
最後にして最悪の名を。神への冒涜者の名を。

「『G-ウィルス』。Gが何の頭文字かは知らないが……オレは『GOD』だと思っている」

「『GOD』……」

『G-ウィルス』。『GOD-ウィルス』。
これが原因だ。何の?

「この『G-ウィルス』が……禁書目録を変貌させた原因だよ」

禁書目録。インデックス。真っ先に反応したのは上条だった。
土御門に食ってかかるような勢いで彼を問いただす。
そんなことをしても何も変わりはしないというのに。

「……おいどういうことだそれ!! 土御門!!
何だよそれ!! 『G』って……何だよ!! 何でそんなもののせいで……!!」

語調がどんどん弱くなっていく。誰もそんな上条に言葉をかけることはしなかった。
上条が俯いて言葉を発さなくなってから、土御門は冷徹なまでに語り始めた。

「それを説明するにはその前の段階から話す必要があるな。
お前たちも見ただろう鎖の化け物……不死身のリサ=トレヴァーについて」

鎖の化け物。リサと遭遇した者が美琴を始めぴくりと反応を示した。

「リサ=トレヴァー、ジョージ=トレヴァー、ジェシカ=トレヴァー。
元々この一家はウィルス研究の実験台だったんだ。試作ウィルスができる度に投与されてきた。
そんなことを何度も何度も繰り返していれば当然死ぬ。実際、ジョージとジェシカはそれで死んだ。
だがリサだけは違った。ウィルスが定着化し、適応し、生き延びた。
ある段階から意味のある実験データを取れなくなるとリサの廃棄処分が行われたが、それでも彼女は死ななかった。
その辺りから『生き続けるだけの出来損ない』と侮蔑されるようになったらしい」

おぞましい研究の実験台にされ、化け物へ変貌させられ、両親を失った一人の少女。
その悲劇的な末路の末が今この街を徘徊している。
学園都市の被害者。どうしようもなく哀れな人間。

「ウィルスだけではなく能力開発関連の実験台にもされ、『多重能力者』に目覚めた。
脳への負担が大きすぎるために実現不可能……。
おそらくあらゆるウィルスを取り込み説明できないレベルに異形化した肉体を持つリサだからこそだろう。
そしてここで話が戻る。そのリサの体内で変質し覚醒した未知のウィルスが発見されたんだ。
それを木原乱数が実験、改良を繰り返すことで『G-ウィルス』は生まれた」

そしてその後リサの正式な廃棄処分が決定。
その特殊性を鑑みて三日間にも及ぶ入念な死亡確認が行われた。
だが、それでもリサは生きていた。生きて、学園都市を歩いている。

「……その間学園都市はどォしてたンだ。
一部の馬鹿に好き勝手やらせておくとは思えねェが」

「当然な。他の『木原』や上にしたって、全く新しいウィルスに興味がなかったわけではないだろう。
それに何を求めるかはともかくとしてな。だが、やはりここまでになると流石に放ってはおけなくなった。
木原乱数は自身の好奇心のために『始祖』や『T』、『G』の研究に脇目も振らず没頭し、周囲に一切の関心を向けなくなった。
アレクシアは短期間に短縮されたとはいえ、『ベロニカ』を馴染ませるためのコールドスリープに入った。
結果その周囲にいた三流共だけが残り、彼らの研究結果を使って無意味な『B.O.W.』の開発・製造を始めた」

そしてウィルスの研究だけならともかく、それは学園都市に利のない行動だ。
何の申請も許可もなくそんなことをすれば潰されるのは当然のこと。

「本当にすぐ……数日以内にもそいつらは、木原乱数もアレクシアもまとめて始末される予定だったんだ。
だがそれよりも僅かに早く事件が起きた。ある男によってウィルスが持ち出されたんだ。
当然、すぐさま掃討部隊が差し向けられたが……自棄になったのか、あろうことかそいつはウィルスを外に垂れ流しやがった。
同時にその研究所でも漏れ、あっという間に今の有様さ。禁書目録が『感染』した……いや、させられたんだろう。それはこの時しか考えられない」

これが、この街で起きたバイオハザードのつまらない真相だ。
そう締める土御門に誰もが口を閉ざしていた。
本当に、つまらない。あまりにくだらない、こんなことが原因で全てを失ったのか。

だがそれにしたって学園都市の対応が遅すぎるような気がした。
そもそもこの街には『滞空回線』がある。ちょろちょろとした動きも全て見透かされているはずなのだ。

「……少しだらだらと長話しすぎたな」

「……悪い、土御門。最後に教えてくれ。『G-ウィルス』ってのについて」

「……そうだな。『G-ウィルス』は人間の『進化』を促すウィルス……らしい。
出来損ないの『T-ウィルス』とは比べ物にならないとあった。
死者をも蘇らせる力を持つとされ、兵器の概念からも逸脱したものだな。
『始祖』や『T』に『感染』した生物は変異を起こす。ウィルスの遺伝子による構造変化、感染者の遺伝子そのものの再構築。
だがどちらにせよその発動には大抵外的要因が必要な上、その変化はまあ、大体想像の範囲内にあるわけだ」

『G-ウィルス』は未知なる構想の上に成り立っている。
そしてこのウィルスが他と一線を画す理由はここにあった。

「だが、『G』に『感染』した『G生物』にはそういった常識は通じない。
自発的に、突発的に突然変異を続けるため死ぬまで誰にも予測不能な『進化』を繰り返すことになる。
また大きなダメージからの超回復の過程でも同様の『進化』を起こす。劇的な『進化』が断続的に起きることもあり得る。
今の禁書目録の……『G』の行く先は予想することすら出来ないのさ。何十回でも何百回でも『進化』を起こす。
その結果どれほどの高みにまで届くのかは分からない。それ故に究極の生命体、『G-ウィルス』」

上条は最初に遭遇したインデックスの姿を思い出す。
右肩が大きく肥大しせり出して、巨大な眼球状の組織が形成されていた。
だがそれでも一目見て彼女だと分かる程度にはその原型を残していた。

では二度目に遭遇した時はどうだったか。
インデックスの頭部は胸の辺りに埋没し、新たな頭部が生み出されていた。
その姿は一度目の時とは明らかに違っていて、それこそがあれの起こした進化なのだろう。
そしてこれからも幾度でも繰り返す。天上にまで届くほどに。

「『感染』すれば自身の細胞と『G』によって生み出された細胞とをそっくり入れ替えられてしまう。
いいか、あれはもう禁書目録じゃない。『G』という新生物なんだ。
……そして『G』は対象に『胚』を植え付けることで繁殖も行う」

繁殖。その言葉に美琴が呟いた。

「――――『遺伝子は自分の子孫を多く残すことのみを考える』」

「……え?」

「リチャード=ドーキンスよ」

浜面が疑問の声を漏らすと心理定規が答えた。
それは生物としての本能。

「……つまり、『G』は食欲で動いている死人たちと違って繁殖本能に従って行動してるってこと?」

滝壺の問いに土御門は肯定する。

「そうだ。そして遺伝情報が類似している相手でなければ拒絶反応が起き、宿主は死に不完全な『G生物』が生まれる。
もしこの街に禁書目録の血縁者がいたら徹底的に狙われたことだろうな。
早期であればワクチンで処置も可能のようだが、既に別の生物になってしまったものを元に戻す方法は存在しない」

そして彼らは知らない。月詠小萌という一人の教師が『G』によってその苗床とされてしまったことを。
その小さな体を食い破り成長した不完全な『G生物』と、浜面と滝壺は既に対峙していたことを。

そこまで語り、土御門はふぅ、と息を吐いた。
一見何でもないかのように立っているものの、その見た目通り実際には甚大なダメージを受けているはずだ。
本来こうして話すことも億劫だったのかもしれない。

「……さて、長々と話して少し疲れた。以上がこのバイオハザードに関する、オレの知り得た全てだ」

惨劇の真相を知って何が変わった。
どうしようもないウィルスの正体を知って何が変わった。
分かっていたことだ。真実は事実を変えられない。

「……そうか。ありがとう、土御門」

だがそれでも知ってはおくべきだったのだろう。
惨劇の生還者として。この街の一員として。

「……『汝らここに入るもの一切の望みを棄てよ』。ベアトリーチェの祝福はやっぱり受けられないみたいだね」

「ねえ―――……」

心理定規が額の汗を拭い、何かを言いかけた時だった。
ふっ、と。何かの気配を感じた。
誰かが叫んだ。誰かが動いた。誰かが見上げた。

遥か上方から、巨大な何かが落下してきていた。
その何かは動いていた。それがその何かが生物であることを示していた。
一瞬で表情を変えたのは浜面と滝壺、そして上条だった。
知っている。三人はこれを知っている。

「逃げろッ!!」

浜面が吠え、それぞれがそれぞれを連れて散り散りになって逃げ出した。
凄まじい自重と落下の衝撃によって彼らのいた空間が簡単に崩落し、その更に下層にまで落ちていく。
襲撃者の正体は一〇メートルを超えるだろう巨大な蛇だった。
そしてこの大蛇は紛れもなく、浜面と滝壺を襲撃し滝壺に重傷と毒、そして『感染』をもたらしたものだった。





本物の痕跡を見失ったことに、人間はなんと無関心になれることか、なんとそのことに深い確信をもつことができるものか




ごぽっ、っと土御門元春は口から血を吐き出した。

(思っていた以上に……オレの肉体のダメージは深刻みたいだな)

ふらふらと下水道を歩く土御門。
その身に刻まれたダメージのせいで真っ直ぐ歩くこともおぼつかないが、行き先だけは決まっていた。

(さて、カミやんたちはどうなるかな。あいつらなら生還できると信じるしかないが)

ガチャガチャ、ジャラジャラと金属の何かがぶつかるような音が聞こえた。
不死身の化け物、リサ=トレヴァー……ではない。
そここそが土御門が行くべき場所であり、彼が歩き続けている理由だった。
そこまでやってきて、ようやく土御門は歩みを止めて呟く。

「オレは『今のオレの』為すべきことは為した。最後の仕事は終わり。残念なことに無給だが」

この惨劇の真実を掴む。
それを生き残っているであろう上条らに伝える。
ただそれだけが土御門の行動理由だった。
そしてそれは終わった。彼が知っていることは全て伝えられた。

「……だが、オレが本当に全てを知ったとは到底思えない。
なあ、そうなんだろう。オレの取ったこんな行動なんて欠片ほどのダメージも“お前”には与えられてないんだろうな」

土御門は誰かに向かってそう呟くと。
ゆっくりとした動きで懐から一丁の拳銃を取り出した。

「結局本当の意味での真相には手が届かない。オレみたいな半端者はそんな役目ばかりだ。
陰陽の出、魔術師としての力を失い手に入れたのは無能力者の名。
“お前たち二人”の都合に振り回されて下っ端としての仕事だらけ。
……だが。まあ、そんなことばかりでも、悪くはない人生だったとオレは言おう」

上条当麻や青髪ピアスを始めとしたクラスの仲間たち。
彼らと馬鹿騒ぎしている時だけは本来の、年相応の少年に戻っていたような気がした。
そして最も土御門元春に影響を与えたもの。最も大切に思っていたもの。それは。

「――――……舞夏」

その名を口にして、土御門は前方を見つめていた。
一体の亡者、『活性死者』がそこにいた。

鎖や太いロープ、拘束具のようなもので雁字搦めに縛られていて、柱やフェンスに繋がれている。
だが生死の狭間に落ちたそれは拘束から逃れようと全身を動かし、その度に金属的な音が響いていた。
自らの肉体の損壊を一切気にすることがなく、限界を超えた力で暴れる度にロープや鎖がぎりぎりとその身体に深く食い込んでいく。

少女だった。その体は腐り崩れ白く淀んだ眼をしているが、元々は少女だった。
腐肉と血と膿でペイントされたその衣服はメイドのような衣装だった。
頭につけられていたはカチューシャのようなものがまだ残っている。

(……今更、お前一人も守れなかったこんな無能が……かける言葉もなしか)

その少女のかつての名は、土御門舞夏と言った。
土御門元春という天邪鬼な半端者が絶対に裏切らないと誓った、彼の全てだった。

今では少し前まで見せていたはずの笑顔はどこにもない。
ただその血と肉で真っ赤に染まった歯を剥き出しにして、土御門へ食いつこうと暴れている。
結局のところ、この光景が何もかもを物語っていた。

もう時間はなかった。舞夏に、ではない。
土御門が負った傷の中には化け物によって負わされたものもある。
間違いなく『感染』している。現にこうしている今も歩くのも危なくなってきていた。

復讐は、為せない。
土御門元春は完全なる敗北を喫した。
だが、誰かが。誰かがいつか一矢くらい報いてくれるかもしれない。

「全く、他力本願なことだにゃー……」

そして。
直後、乾いた銃声が響き渡りジャラジャラという金属の音が止んだ。
少しして、二度目の銃声が鳴った。


Files

File37.『土御門舞夏の携帯電話』

血と肉に塗れた携帯電話。
土御門元春と土御門舞夏のプリクラが待ち受け画面に設定されている。

事が起きた日、土御門元春宛に数分おきにメールを送り続けていた送信履歴がある。
そのメールが完全に送られなくなってから少しして、数分おきに土御門元春からの着信履歴がある。

投下終了

度々言われていた実はこれまで登場していなかった土御門、密かにお気に入りのキャラです
ネメシス関連やNE-αについてはカット
今回は動きのない話、次回は動くかと
次回投下は数日以内に

投下します

さてこれから何人のウェスカーが出てくるのか





死のもっとも残酷なところ―――見せかけの終末が、現実的な苦痛を生じさせる





上条当麻 / Day3 / 05:06:30 / 下水道 処理プール

『ヨーン』。滝壺理后はこの大蛇をそう呼称していた。
まるであくびをしているかのように巨大で、全てを丸呑みにするように開けられた口。
人間を呑み込むには余りあるそれに捕まれば確実な死に捕まるだろう。

「……ちくしょう……」

怖くない、わけではない。
こんな馬鹿でかい大蛇と対峙して、幻想殺しも意味を為さない化け物を相手にして。
しかもこいつは滝壺を死の寸前にまで一度追いやっている。純粋な物理ダメージに毒と『感染』。
三重の牙はそのどれか一つでも上条を死に至らしめるには十分だった。

大蛇の攻撃はほとんどが一撃必殺。
特に噛み付きを食らえば三重の死を迎えることになるだろう。

動いたのは『ヨーン』だった。
その頭を振りかぶり一気に食らいつく。
しかしその予備動作は比較的分かりやすい。
上条が大きく横へ跳んで回避すると、『ヨーン』の頭が地面に激突し硬い床の方が砕け散った。

細かい破片が散弾のように飛び散り、思わず手で目を覆う上条。
『ヨーン』の尻尾が鞭のように振るわれ、どの方向にどれほど動けばいいのかも分からぬまま上条は後方へと飛び退る。
あと僅かを回避しきれなかった。足払いのように尾に足をすくわれた上条が派手に転倒する。

「ぐっ……」

とにかく身動きが取れなくなればあっという間にやられる。
続く食らいつきを床を転がって避け、背中に硬質な何かがぶつかった。
それが何かも確認せぬままに手に取り飛び跳ねるようにして起き上がる。

大きなナイフだった。サバイバルナイフだろうか。
『ヨーン』に襲撃されたあの時に誰かが落としたのかもしれない。

(幸い元が蛇だからか動きは単純で直線的、読みやすくはある。
頭と尻尾くらいしか攻撃もない。とはいえ一撃の重さは洒落にならない。
こっちの武器は……やるしか、ねぇか)

こんなナイフで『ヨーン』は仕留められない。
そもそも皮膚を貫けるのかどうかさえ謎だった。
となれば自然と狙いは絞られる。

上条は全力で何かのコンソールの近くまで走る。
『ヨーン』の重い一撃で地面に倒れ、配電盤やコードがやられたのかバチバチと電気を漏らしていた。
少しでも位置取りを間違えれば死ぬ。だがそれでもやるしかない。

(……来る!!)

上条が直感した瞬間、『ヨーン』の頭がしなり砲弾のように突っ込んできた。
対してその行動を読んでいた上条は横へとステップして回避する。
一歩、二歩。

(いや、三歩!!)

『ヨーン』の一撃で砕けた床から飛び散った破片が上条の体を激しく叩く。
全身に鋭い痛みが走る。だが上条は無視した。
むしろその散弾の中に突っ込んでいくように大きく一歩を踏み出していく。

「お、ォォおおおおおおおおおッ!!」

叫びと共に握り締めた大きなナイフを突き出す。
その狙いは『ヨーン』の眼球。
おそらくはどれほどの硬度を誇っていても、そこだけは柔らかいはずだった。

(狙うならここしか……ねぇ!!)

迷いのない動きは『ヨーン』が頭を引き戻す前にナイフをそこへ届かせた。
グジュリ、という粘着質な何かをかき混ぜるような音がした。
ナイフの刃が根元まで柔らかな眼球に突き刺さり血が溢れ出していた。
鳴き声のような音をあげながらのたうつ『ヨーン』に、上条はちくりと刺すような罪悪感を覚える。

暴れる『ヨーン』が後退していき、床から落下していく。
その下は処理プール。成功したと上条は思い、それが一瞬の隙を生んだ。
落下していく間際、『ヨーン』の巨大な尾が振るわれ上条の体を薙ぎ払った。
ボールを思いきり壁に投げつけたような、そんな光景だった。

いとも容易く上条の体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
声を出す時間もなかった。そのまま床へ落ちてからようやく上条は悲鳴をあげる。

「ぐぁぁあああああああああああっ!?」

誤魔化しようのない衝撃が全身を駆け抜ける。
視界さえぶれた。ぐわんぐわんと頭の中で音が鳴り響いているような気がした。
体に力が入らない。だが今しかなかった。『ヨーン』がそこから離れない内に。
何とか床を這っていき、漏電している大きな機器を靴底で下へと落下させた。

僅かの後に機器が水の中へと落ちる音が聞こえた。
ほとんど同時に『ヨーン』の断末魔の鳴き声も聞こえてきた。
それを確認した上条は動けなくなり、思わずその場に倒れ込む。

「さ、流石に動けねぇ……。ちっとだけ、休むか」

ずきずきと痛む額に手を当てる。
その手を確認してみると真っ赤な血がべったりと付着していた。


垣根帝督 / Day3 / 05:21:41 / 下水道 第二水路

きっとそれは突然で何の脈絡もないように感じただろう。
だがそれは垣根にとっての話であり、心理定規にとってはそうではなかった。
そんな予感を感じたのはいつだっただろう。気付いたのはいつからだっただろう。
ずっと前だったような気もする。そうではないような気もする。

ともあれ、確実に分かっているのは。
今が『その時』だ、ということだ。

「う、ぅげ、うぇええええ……!!」

びちゃびちゃと不快な音が響く。
心理定規の口から吐寫物が大量に吐き出された音だった。
体をくの字に折り曲げてえづきながら、彼女は呆然としている垣根に精一杯の抵抗をする。

「……ちょっと、お願いだから、見ないでくれる、かしら……」

垣根は答えない。まるで電池の切れたロボットのようにぴくりとも動かなかった。
心理定規はすぐに再び込み上げる吐き気に耐え切れなくなり、何度目かの嘔吐を繰り返す。
その額はとめどなく流れ出る汗に濡れていて髪が張り付いていた。

酷く顔色が悪い。
痙攣したかのように震える手足に必死に力を入れて立ち上がる。
太ももに差していたはずのナイフがなくなっていた。
おそらくあの大蛇から逃げ出した時に落としてしまったのだろう。

「―――『そして冷静を保っているのは自分ひとりであることをはっきりと意識していた』」

一節を読み上げる。そこでようやく垣根が反応を示した。
彼の言葉は、唇は、震えていた。

「……いつからだよ」

「……さあ。いつからだったかしら。
ただ、少なくとも滝壺さんの彼と一緒に行動してた時にはもう分かってたわ」

だから彼女は短時間だが度々浜面の前から姿を消した。
そこで嘔吐し、あるいは自身の体を調べた。
しかしそのもっと前から僅かな兆候は出ていたのだろう。

「そういえばあなたといた時からやけに発汗が酷かったし、息切れも早かった。
その時はまだ疲れているのかと思ったりもしていたけど……こういうことだったのね」

「いつだ。いつだよそれ!! そんな、そんな……っ!! きっかけがないだろうがぁッ!!」

吠える垣根。対照的に心理定規は笑みさえ浮かべていた。

「……そう、私も、そう思ってた。だからこそここまで気付くのが遅れたのよ。
でもね、確信を持ってからゆっくりと、一つずつ、丁寧に、記憶を精査してみたわ。
アルバムを一ページ一ページめくっていくように」

「嘘だろ……」

「そしたらね、あったの」

「あり得ねえ……っ!!」

心理定規。精神系能力の大能力者。
記憶の扱いはお手のもの。だからそれを見つけるのにそう苦労はなかった。

「覚えているかしら。この惨劇が起きてすぐのことよ。
私があなたに電話したらあなたはとても苛立っていて。
この状況が分かってないのか、って言うあなたは私の家まで来ることになった。
そう、その時に、私は、確かに、こう言ったはずよ」


――――――『ええ。おかげさまで喉がカラカラに渇ききったわ』


二人ともが全く気にも留めていなかった何気ない一言。
もしこの時に気付けていたら違う選択もあったのかもしれない。
だが全ては過ぎたこと。今更気付いたところでどうすることもできはしない。

「あの時に、私が水道水を飲んだあの時に、私は『感染』した。
そうとしか考えられないわ。私が今まで保ったのは、きっと無傷の健康な状態のまま『感染』したからね。
彼がさっき言ってたでしょ、『発症』までは健康状態などによってかなりの個人差があるって。
もしかしたらそれに加えてたまたまちょっと強い体質だったりしたのかもね」

だが、それもここまで。
通常感染者によって『感染』させられた時は、噛み千切られたりなどして肉体に大きなダメージを負う。
激しい出血や状況によっては瀕死に近い状態に追い込まれることも少なくはなかっただろう。
肉体が弱っていればいるほど『発症』までにかかる時間も短い。だが心理定規は全くの健康状態での『感染』だった。

「……そんな話は出鱈目だ。お前は嘘をついている」

「何が?」

「お前は、嘘をついている……っ!!」

「何を根拠に? 何の得があって?」

垣根らしからぬ言動だった。
心理定規の短い問いに垣根は答えられず、言葉を詰まらせていく。

「……弾切れね。なんてタイミング」

心理定規は手持ちの銃を下水の中へと投げ捨てる。
生きるために戦うための術を、放棄する。

「ねえ。もう、弾がないの」

心理定規が優しい声音で語りかける。
ただそれだけなのに垣根はびくりと体を反応させた。
まるで叱られた子供のようにも見え、怯えているようですらあった。

「……デ、『デイライト』。『デイライト』を……」

垣根は必死に言葉を搾り出す。
浜面が話していた『T-ウィルス』に対するワクチンの名。
滝壺理后の命を救った救世主。
確かにそれがあれば、もしかしたら心理定規を助けられる可能性も〇ではないかもしれない。

「どうやって? どこで作るの? 今からあの大学まで戻る?
はっきり言うけどそれまで私は保たないわよ。しかもあそこはもう死人の群れに呑み込まれているはず。
大体私たちは『デイライト』の作り方も知らない。材料もない。必要な機材も何もないわ」

丁寧に垣根の希望を折っていく。
現実を突きつけていく。

「ねえ、あなただって分かっているはずよ。
むしろあなたなら私以上によく分かっているはず。
ここまで来たらもう、本当にどうしようもないんだって」

「それは……!!」

心理定規がゆっくりとその綺麗な指先を伸ばす。
ほっそりとした女性らしい指が垣根の頬に触れた。
その指は酷く冷たかった。

「……私はね。人間として生まれて人間として生きてきたの」

だから、と心理定規は。

「私は最期まで人間でありたい。人間として、死んでいきたい」

垣根の目は明らかに怯えていた。
おそらく心理定規を含め誰もこんな表情をした垣根は見たことがないだろう。
心理定規は笑っていた。儚い笑みを湛えて、告げた。

「――――――殺して」

決定的な一撃だった。
垣根は何も言えずにただ頭を左右に振る。
駄々をこねる子供のようだった。

「私を、人間のまま死なせてちょうだい。
あんな醜い姿に私はなりたくない。死にながらにして歩き回るなんて絶対に嫌なの。
お願いよ。どうか私の最後の我がままを聞いて」

「でき、ねえ……ッ!!」

首を振り、後ずさる垣根。
後ずさった分だけ心理定規が距離を詰める。

「私がああなればあなたも危なくなるのよ。
あなただけじゃない。他のみんなだってそう。危険が一つ増えるのよ」

それでも垣根は頭を左右に振り続けた。
おそらく今垣根は正常な思考ができていないのだろう。
ただひたすらに否定することしかできなくなっている。

そしてこれこそがここまで早くバイオハザードが拡大した要因の大きな一つだった。
『感染』した者を殺せない。『活性死者』となって迫り来る知人、友人、親、兄弟。
それらに手を出せず、何もできぬままに食い殺されその仲間入りを果たす。

「何を躊躇うの垣根帝督!! 私はもうすぐ歩く死体になる!! 今の内に、まだ私が私でいる内に、早く殺すのよッ!!」

心理定規が大声をあげると垣根はようやく動きを止めた。
視線が合う。心理定規は決して垣根の目から視線を離さなかった。

「……本当に、もう限界なの。立っているのが精一杯になってきてるわ」

一瞬も目を逸らさずに呟く。
まるでそれによって垣根を縛り付けているかのように。

「『ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した』」

まるでそれによって最後の痕跡を彼に残そうとしているかのように。

「……私はグレーゴルにはなりたくない。私は、人間のまま死にたい」

まるでそれによって最後の記憶を自分に刷り込もうとしているかのように。
心理定規は笑っていた。笑みを浮かべていた。
だがそれでも一目見れば彼女が本当に弱りきっていて、もう限界なのだということは分かった。
死に行く少女からの最後にして最期の願い。

「―――……ちく、しょう……」

垣根の歯が唇の端を噛み切り、じわりと血の味が広がった。
そしてその直後。垣根の背中から左右三対の純白の翼が展開された。
その翼は垣根と心理定規の二人をゆっくりと包み込み、その内に二人を抱える。

「……ありがとう」

この世のものではない翼に包まれて、心理定規は精一杯の笑みと共にそう言った。
垣根の頬を伝って落ちる一粒の雫を彼女の指先が掬い取る。

「……俺は、馬鹿だ。何にも気付けなくて何も出来ないどうしようもない馬鹿だ」

「いいえ、それは違うわ。あなたがいなかったら私は今この時まで生きていないし――――私として死ぬこともできなかったでしょう」

心理定規は垣根の胸元に身を預け、彼の耳元でひとつ囁いた。

「――――――」

「……え?」

「私の名前よ。『心理定規』っていう能力名じゃない私の、名前」

垣根の顔が歪む。
少女はしてやったりといった風に唇の端を吊り上げた。
どうやらかなりのサプライズだったらしい。

「お願い」

少女が呟いた。
それは引き金だった。

「……忘れないさ」

垣根の言葉と共に二人を包み込む翼が動いた。
一瞬で終わる。苦しみも恐怖もなく。きっと満足を残して。
美しく、そして、


「――――――良い死を」


それが少女の最後の言葉だった。
翼が大きくはためく。全てが終わったあと、残っていたものは二つだけ。

ただ立ち尽くし、両手を伸ばした垣根帝督と。
その手に抱かれ、彼の胸に倒れこんでいる、動かない少女の身体だった。





どうかあの日々を、もう一度――――――。




「はいフラッシュ」

私がハートで統一された五枚のカードを放る。
それを見た彼ががくりと小さく項垂れ、ゴーグルはじたばたと暴れ出した。

「ちくしょう……ストレートなら行けると思ったのに……まあいいか」

「あああああああああああ!! またっスか!? またっスか!?
絶対チートですよ心理定規!! 能力使ってますよね!? 白状するっス!!」

「あら嫌だわ言いがかりはよしてくれないかしら」

飄々とした私の言葉にゴーグルはますます騒ぎ出す。
実際のところどうなのか判断はつきにくいでしょうが……まあ使っていない。
リーダーさんなら何となく分かっているでしょうけど。

「何なら第五位でも呼びつけてやるか? あいつがいりゃあ心理定規は何もできねえからな」

「いやいやいや!! そりゃ干渉を防げる垣根さんはいいっスよ!?
でもそれだと俺だけフルボッコされるじゃないスか!!」

精神系能力者が二人……超能力者二人に大能力者一人。
演算能力的にもこれは酷い虐待と言わざるを得ないわね。

「負け犬がキャンキャンと吠えないでくれる?
勝負に負けた以上はさっさと買出しにいってきなさい。いい加減にお腹減ったわ」

「いいや、まだっス!! まだ終わらないスよ!!」

「諦めろよお前もう……」

鍋の食材の買出しに誰が行くか。
それを決めるためにジェンガ、一二文字しりとり、格闘ゲーム、そしてこのトランプと勝負を重ねている。
ここまで縺れ込んだのはゴーグルが毎回騒いだせいであり、その全てにおいて彼は負けている。
往生際が悪いったらないわね。

「これっス!! これなら俺は負けないスよ!!」

そう言ってゴーグルは携帯ゲーム機を取り出し突きつける。

「ポケモンかよ」

「ポケモンね」

そう言えばこの二人はかなりの廃人だったとふと思い出す。
私? 私は勿論純粋なポケモントレーナー。廃人のはの字も知らないわ。
せいぜい個体厳選したりめざパに拘ったりする程度よ。

「なーにがこれなら負けないだよ。受けループ対策いなくてボッコボコにされてたくせに」

「この前も読み負けしまくって三タテされてたわよね」

「あのタイミングで剣舞を舞われた時はどうしようもなくて泣いたっス……」

全く情けないわね。スカガブなら陽気最速一択よね。
まあそんなわけでゴーグルとあの人が対戦を始める。
私はさっきポーカーで優勝したからパスよ。

「さてリーダーさんが勝つか、ゴーグルが負けるか……」

勝負は長引かず、割とすぐに終わったけど。

「勝ったのはゴーグルか、それとも……」

……あれはわざわざ画面を覗かなくても二人を見れば結果は分かるわ。

「負けたのはゴーグルね」

足をばたつかせるゴーグルに彼がげしげしと足蹴りを食らわせ、強引に買出しに行かせる。
ジェンガ、しりとり、格ゲー、トランプ、ポケモン。
ゴーグルは全部に負けたんだから買出し除いてもあと四回、言うことを聞かせる権利があるってことねよし。

そして。
ぐつぐつと沸く鍋を私たち三人は囲んで突いていた。
あっという間に消えていく肉。戦争ね。

「ああっ、俺の肉が!?」

「だってお前全ての勝負で漏れなく惨敗しただろ」

「勝った私たちが肉をいただくのは当然の権利でしょうが」

とは言いつつも私はしっかり野菜や豆腐も確保するのを忘れない。
こんなにも可愛くて可憐でおしとやかでか弱い私の、綺麗なお肌とナイスプロポーションを維持するためには必要なことだからね。
どこかの第五位みたいな女には私は憧れないわ。だってあんなの逆に不自然だし垂れるわよ絶対。
あくまで年齢相応の範囲で、均整の取れた自然な美しい肢体という点で私は満点ね。

「……何よ、なに見てるわけ」

「……いや……何となくお前の考えてることが読める気がしてよ。
見事なまでの自己評価の高さに呆れてるだけだ」

「うるさいわよ。ろくに見たことがないあなたに言われたくないわ」

「えっ、心理定規脱いだら凄いんスか!?」

ゴーグルが箸を口に入れた瞬間にその箸を掌で奥まで押し込んでやる。
ごぶぐふぅあっ!? とかおかしな奇声をあげたゴーグルが蹲って震え始めた。
あら一体どうしたのかしら。よく分からないけど肉を食べられる状態じゃないみたいね仕方ないわねもったいないから私がもらってあげる。

「えっぐいなお前……」

呟く垣根を無視して食べ続けることにする。
こんなのはよくある光景だしね。これからも何度もあることでしょう。
ああ、明日は『アイテム』の彼女たちと出かける予定があるんだった。
楽しいわね、本当。

「仕方ないわねあなたのお肉ももらってあげるわ」

「おい待て仕方ないってなんだやめろ返せ吐き出せぶっ殺すぞコラァ!!」



輝いた毎日がずっと続いていくはずだったのに。
それはきっと、夢のような日々の名残。






YOU ARE DEAD








「There was a friendly but naive king, 」

口ずさんでいるのは一つの歌。
まるで散歩でもしているかのような調子で歌い、歩く。

「who wed a――――」

ぴたり。そこで突然歌が止まり、同時に足も止まった。
視線の先に何かある。そちらへ意識が持っていかれたのだろう。

少女の遺体だった。
死体ではなく遺体、と表現したのはまさしくそう呼ぶべき状態だったからだ。
見た限り遺体に傷は最低限のものしかない。

遺体が直接床に触れることのないよう、どこからか見つけてきたのかタオルのようなものが下に敷いてあった。
体は真っ直ぐで、その両の手はしっかりと胸下で組まれている。
目も閉じられていてその体に汚れや汗はほとんどない。湯灌のように綺麗に拭き取ったのだろう。
折り目が目立ちよれよれになっていたであろう紅のドレスも、可能な限りしっかりと伸ばされていて下着が見えないように丁寧に処置されていた。
そしてその遺体の上から一枚の男物の上着がかけてあった。

死者の尊厳を遵守する手厚い処置の数々。
敬意さえ感じるこの光景。きっとこの少女を大切に思う人間によって為されたのだろう。
そして何よりもこの場所。周囲に亡者は一体もおらず、入り組んだ地形の中にひっそりと安置されていた。
遺体の近くの壁には文字が刻み込まれていた。

『心理定規、ここに眠る』

心理定規。その四字の上にはルビを振るように違う名前が刻まれていた。
おそらくは少女の本名なのだろう。

この少女は運が良かったのだろう。
人間のまま死ぬことができたからこのように葬られている。
生きた死体となった者はこうはいかない。
だからこうも綺麗な遺体となっている。

それらを正しく理解して、少女にかけられていた上着を取り払って放り捨てた。
少女の遺体の、ドレスの胸元を掴んで無理やりにその体を起こさせる。
丁寧に組まれていた両手が離れ、整えられていたドレスが乱れた。
手をその眼球へと伸ばし、二本の指で強引に目を開けさせる。

「へえ。傷も浅い。躊躇ったのかしら。これならまだ何とか“使えそう”」

死後硬直もまだ本格的に始まっていない。
そう時間は経っていないようだ。
この少女を知っていた。面白いことになりそうだと思った。

「『われわれの救いは死である、しかしこの死ではない』」

言葉にし、壁に刻まれた文字を上書きするように同じ言葉を刻み込む。
少女のドレスの胸元を片手で掴んだままゆったりと笑う。

「―――良いものみーつけた」

そしてそのまま歩き出した。
少女の遺体をずるずると引き摺りながら歌う。
がりがりと足や膝、手などが傷ついて皮膚が剥がれるのも気にすることなく。

「There was a friendly but naive king――――」


Files

File38.『心理定規のドレス』

鮮やかな紅のドレス。貴族が身に着けているもののような印象さえ受ける。
内側にプリクラが三枚入っていた。

一つは垣根帝督と心理定規、ゴーグルの三人で笑顔で写っている。
垣根帝督とゴーグルの顔に髭や肉の文字など落書きがされている。

一つは麦野沈利や絹旗最愛、滝壺理后の『アイテム』と写っている。
よく見てみると端に小さく浜面仕上が映りこんでいる。

一つは垣根帝督と二人で写っている。
彼の背中から翼の落書きがされていて、『メルヘン野郎』という文字が書かれている。

投下終了
次回は一方通行シナリオ、美琴シナリオ、上条シナリオの予定

では心理定規、ここまでお疲れ様でした

>>1乙。

垣根ペア確かキスしていたよな…?

ヨーンがボヨーンに見えて[ピザ]なのかと思った

フリーザ、生まれた時から努力なしであの強さなら素質はダントツで一位だったのかも

投下します

>>504
キ、キスはノーカンだから……

>>513
リチャード「とんでもない化け物がいるぜ……」

ジル「ピッツァwwwww」





そしてそこからわれらは 再び仰ぎ見ようと外に出た かの星々を





一方通行 / Day3 / 05:28:17 / 下水道 東側下水道

「……何だ、これは?」

死体が一つ転がっていた。
長い黒髪の少女。カチューシャのようなもので髪を後ろへと流していた。
一方通行はこの少女を知っていた。

名は雲川芹亜。統括理事会の一人、貝積継敏のブレインを務める天才。
言葉や状況を巧みに使う、第五位とはまた違う方向性での心のエキスパートでもある。
そしてそれ故に、第五位と同じく心のないものには何ら対抗する戦力を持たない。

彼女自身、そんなことはよく分かっていたはずだ。
雲川の周辺には常に無数のセンサーやトラップの類が張り巡らされ、有事に対する万全の備えを整えていた。
だが、こうして死んでいる。常識では語れぬ魑魅魍魎の群れに対しては流石に対応しきれなかったのかもしれない。
雲川芹亜が死んでいること自体にはそれほどおかしな点はない。一方通行が気になったのは彼女がつけている腕輪だった。

「こっちの死体も同じのつけてるけど」

番外個体が指し示したのはもう一つの少女の死体。
汚れきった繚乱のメイド服に身を包み、その身体は部分的に異形と化していた。
二人は知らぬことだが、彼女の名は雲川鞠亜。雲川芹亜の妹だった。

彼女ら二人の腕には変わった腕輪がつけられていた。
着用者の状態を調べ、バイタルサインや位置情報などをどこかへ送っていたようだった。

「……まァ、関係ねェことではあるが」

一方通行は考えることを放棄して歩き出す。
どうせ今更何を知ったところで何も変わりはしないのだ。
土御門元春によって語られた真実が事実を変えられないように。
番外個体はそんな一方通行を見て、転がっている死体を見て、自らを見て、深いため息を一つついた。

「……ま、確かに今となっちゃあどうでもいいか。全体的に、ね」

決定的に入った罅に気付きながらもどうすることもできず、番外個体もその場を後にした。
だがすぐに一方通行が水路の前で立ち止まっているのに気付き、その視線の先に目をやる。
水の中に何らかの生物の姿が見えた。四足歩行だが頭部は存在しない、のだろうか?
頭にあたる部分が確認できない異質の形状をした何かが、全身から電気をバチバチと走らせていた。

「このまま入ったら感電死だろォな」

「このファッキンモンスター、ミサカと電気で勝負しようっての?」

呼応するように電気を発生させる番外個体を一方通行は静止する。
くいと彼が指差した先には何かの配電盤のような機械とコンソールが取り付けられていた。

「こいつで水を抜いてやればまな板の上の魚ってな」

一方通行が一つのボタンを押し込むと、閉じられていた各所の排水溝が全て解放され一気に水かさが減り始めた。
しばらくすると全ての排水が完了し、二人が水路を覗き込むとびちびちと暴れまわる化け物がいた。
どうやら水中でしか活動ができないようで、水を抜かれたことで無力化されたらしい。

「ビチビチ跳ねンな、目障りだ」

一方通行が完全に無防備となった化け物に銃弾を数発叩き込むと、すぐに化け物は動かなくなった。

「別に力押しでもどうにでもできたと思うけど。無駄な力を使わずには済んだってところかな」

「分かってンならさっさと行くぞ」

しばらく歩き、二人が辿り着いたのは『ゴミ運搬路』と記された巨大な通路だった。
だが彼らが驚いたのはそんな通路のことではなく、何よりそこに転がっていたものだ。

「……マジか、こいつァ」

「ジュラ紀か白亜紀か何かかよ」

凄まじく巨大な鰐の死骸がそこにあった。
長さは当然のこと、横にも縦にも巨大化したその体はこの通路を埋め尽くしかけている。
学園都市で発生した惨劇を知らなければ、古代の恐竜の復元に成功したのかとも疑っていただろう。
だがその巨大な顎は上顎の部分が吹っ飛ばされ消失してしまっていた。

「こんなのに不意に襲われてたら五体満足じゃいられなかったかもね」

「この派手さはどォせ第二位辺りの仕業だろ。何にしろくたばってるならどォでもいい」


御坂美琴 / Day3 / 05:28:28 / 下水道 第五水路

突然だった。ゴゴゴゴ、という低い音を美琴と佳茄は聞いていた。
一体何の音かと美琴は警戒したが、遅い。
突然佳茄が何かに引き摺られるように、短い悲鳴を残して水中へと沈み姿を消した。

「佳茄っ!?」

いくら子供とはいえ人が一人沈むほどの水かさはない。
そこで美琴はようやく音の正体に気付いた。

「水が……排水されてる……!?」

全ての排水溝が開き、そこから水が激しく流れ出ている。
当然排水溝は水以外のものまで呑み込まぬように設計されているが、この騒ぎで壊れてしまっていたらしい。
何故急に排水が始まったのかは知らないが、佳茄は水と共に排水溝に流されてしまったのだ。

チッ、と思わず美琴は舌打ちした。
佳茄は無事なのか。どこに流されたのか。流された先に化け物はいないか。
不安を挙げればキリがなく、そしてそんなことを考えている余裕はない。

「――――すぐ、助けにいくから!! 絶対に死なせないから!!」

聞こえているはずがないことなど分かっていながら、美琴は佳茄が呑まれた排水溝に向かって叫ぶ。
そして弾かれたようにどんどんとなくなっていく水の中を全力で走り出した。


硲舎佳茄は流された果てにゴミ集積場へと辿り着いていた。
頭ががんがんと痛み、意識が揺れる。
どこかを打ち付けたのか、立ち上がることはおろか体を動かすこともままならなかった。
薄らと目を開ける。明滅する視界に映るものではここがどこかを特定することは叶わない。

だが、ぼやけた視界の中に何か大きな動くものがあった。
明らかにそれは人間ではなく、生と死の狭間の者でもない。
正常な機能をまだ取り戻していない佳茄の目ではそれが果たしてなにものであるかは分からない。
ただ、そんな中でもその肩口にあるあまりに巨大な眼球だけははっきりと確認できた。

その何かはゆっくりとこちらへ歩いてくる。
粘着質な水音をたてて肩にある巨大な眼球の瞳がぐちゅぐちゅと動く。
目は顔にある二つだけだ。それくらいは佳茄だって知っている。
だがこれには三つ目がある。それどころか、よく見てみると腕の数も二本ではないような……?

何かが佳茄の目の前までやって来て、こちらを見下ろしているのが分かる。
それはゆっくりとその異形の腕を佳茄へと伸ばし始めた。
何をされるのかは分からないが、

(……痛いのはいやだな)

佳茄は注射が嫌いだ。だが決して泣かない。泣いたことは一度もない。
いつも父親や母親が近くにいてくれたから我慢できた。

ぐっと強く目を閉じる。その手はお守りとしてもらったブレザーを握り締めていた。
ここには両親はいないが、姉からもらったお守りがある。
きっと泣かないでいられるだろう。

直後、佳茄の口から何かが体内へと侵入し、その小さな体に悪魔の種子が根を張った。


上条当麻 / Day3 / 05:28:59 / 下水道 ゴミ集積場

ありがちなラブコメの始まりに、パンをくわえて走っていたら曲がり角で女の子とぶつかるというものがある。
それはまさに似たような偶然だった。

「御坂!?」

「ア、アンタ……」

御坂美琴がそこにいた。だが一緒にいるはずの少女の姿はどこにもない。
会話はほとんどなかった。目が合って少しすると、美琴は上条を無視してどこかへと走り始めた。
その様子を見て、何かまずいことが起きていると感じた上条はその後を追いかけ、併走しながら問いかけた。

「おい、一体どうしたんだよ!? あの子はどこにいるんだ!?」

聞かれて、美琴は喋る時間すら惜しいとばかりにスピードを上げて吐き捨てるように答えた。

「排水と一緒に流されちゃったのよ!! 多分ゴミ集積場辺りにいるはず……!! 悪いけどお喋りしてる時間はない!!」

そうか、と上条は一言だけ呟き、直後二人の走るスピードが更に上がった。
走って、走って、走った。時折姿を現す異形の存在は無視するか高圧電流によって一瞬で薙ぎ払われた。

二人がゴミ集積場で佳茄を発見するまでにかかった時間はどれほどだろうか。
雪崩に埋もれた人間を救助するタイムリミットは一五分、溺れた人間なら五分。
今回のケースでは何分か。分からないが、とりあえずは間に合わなかった、ということになるのだろう。

「佳茄、佳茄!! しっかりして!!」

「落ち着け御坂!! あまり揺らさない方が……」

発見した佳茄の体に目立った傷はなかった。
近くに異形の存在も確認できない。最悪のケースは免れたようだが、二人はすぐに知ることになる。

「――――お姉、ちゃん……? お兄ちゃん、も……」

意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がる佳茄。
慌てて上条と美琴が手を貸すが、どこか様子がおかしかった。
佳茄の顔色は決して良くはなく、その両手は自身の腹を抱えていた。

「どうしたんだ? どこか痛いのか?」

佳茄は小さく頷いた。どうやら相当の苦痛のようで、老人のように腰が曲がっている。

「お腹が……痛いよ……」

「見せてちょうだい」

美琴が佳茄のシャツを胸下まで捲り上げて腹部を確認してみるも、何の外傷も確認できなかった。
ここで明確な傷があった方が楽だっただろう。
目に見えない内からの痛み。こちらの方が遥かに厄介だった。

「何か覚えてることはないか? 何か変なものを見たとか」

「……変なの、いた……。目が三つあって、近づいてきて、怖くて……」

「目が、三つ……? ねえ佳茄、それってもしかして肩のところに大きな目があった?」

美琴が自身の肩を指差して聞くと、佳茄は頭を縦に振った。

「大きな目のお化け? そのお化けに何かされたの?」

佳茄が再び頷くと、美琴はギリッと歯を噛み締めてすぐ近くに落ちていたゴミを消し炭に変える。

「最っ悪ね……」

「まさか、これって……」

「間違いないわ。『G』よ。『胚』を植えつけられたのよ……」

「『G』……」

上条は呆然とした様子で呟いた。
『G』が現れた。『G』が佳茄を害した。そしてその『G』は……。
何故だろうか、上条は無性に叫びたくなった。
もう何度覚えたか分からない無力感と後悔に苛まれ、心がささくれ立つ。

会話の意味が分かっているのかいないのか、佳茄が不安そうな顔を見せる。
それを見た美琴が宥めすかすように頭を撫でた。

「大丈夫、お薬があるの。すぐに良くなるからね」

頷く佳茄を尻目に、二人は内心凄まじい焦燥感に駆られていた。
薬があるというのは嘘ではない。土御門元春が言っていたことだ。
初期段階であればワクチンでの治療も可能、と。
だがそもそもそのワクチンがどこにあるのかも分からない。

滝壺理后の時と似た状況。
とにかくこんなところでいつまでもいるわけにはいかない。
恐怖や混乱は容易く伝染する。こちらが不安を見せてどうすると上条は心の中で喝を入れ、苦しそうな佳茄を背負って歩き出した。

「ごめんなさい……」

幼い少女からの謝罪の言葉。
それは一体何に向けてのものなのか、と上条は笑う。

「なに謝ってんだ。何も心配しなくていいんだよ。
――――必ず助けてやる」

こうやって、何の根拠もなく約束してしまうのが自分の悪い癖だなどと思いつつ。
上条も美琴もその約束を破る気はこれっぽっちもなかった。


上条当麻 御坂美琴 浜面仕上 垣根帝督 一方通行 / Day3 / 06:48:40 / 下水道 ロープウェイ乗り場

下水道を越えた先に、ロープウェイがあった。
そこで彼らは再び合流し、浜面が出発準備を整えてくれている間に上条と美琴が佳茄の事情を話す。
話を聞いた滝壺がおいで、と佳茄に語りかけその体を抱擁した。

「痛いよね。でも大丈夫。私もあなたみたいになったけど、ここにいる人たちが助けてくれたから」

発射準備を終えた浜面が全員の顔を確認して、

「垣根はまだ来てねぇのか」

「くたばったンだろ」

一方通行のその言葉は本気とも冗談とも分からない上に馬鹿馬鹿しいと一蹴もできないものだった。
だがその心配は杞憂だったようで、垣根はすぐに現れ車両に乗り込んだ。
垣根帝督、一人だけが。

「……心理定規は?」

番外個体が何かを察した様子で問うと、垣根は沈痛な面持ちで一言だけ呟いた。

「……あいつは、来ない」

一瞬で列車内を息苦しいほどの沈黙が支配した。
上条の吐き捨てるようなクソッ、という言葉だけが空間を漂う。
心理定規は来ない。何時間待っても何年待っても姿を現すことはない。
その意味くらい説明されなくても理解できている。

誰も細かい事情を聞こうとはしなかった。
だから浜面はそうか、とだけ呟いて、

「出発するぞ」

ガコン、とレバーを倒すとぐらぐらと不安定に揺れながらロープウェイは動き出した。
少ししてから上条がふと思い出したように問うた。

「……待てよ、土御門はどこにいるんだ」

「心配すんな。あいつも来ない」

即答したのは浜面だった。確認したからな、という彼に上条は床を殴りつける。
失ってばかりだった。守れたものなどいくつあるのだろう。
佳茄を、ここにいる皆を、守れるのだろうか。
上条は思わず逃げるように立てた膝と胸の間に顔を埋めてしまった。

「……で、このロープウェイはミサカたちをどこへ運んでるわけ?」

「……決まってんだろ」

ロープウェイはすぐに停止した。
次々と列車を降り、そこへ足を着ける。

「学園都市の広大な地下空間に蜂の巣みてえに張り巡らされた巨大研究所。
おそらくウィルスの研究をしてたのもここだろうな」

彼らは一つの巨大な扉の前に立っていた。
その扉の上部にこの施設の名が記されていて、横には開錠のための電子ロックコンソールが取り付けられている。
美琴が強引にクラッキングして突破すると、扉はゆっくりと開き始めた。
カツ、と彼らは一歩そこへと足を踏み入れる。

「――――ここが『ハイブ』だよ」

『ハイブ』。学園都市に数多ある研究機関の中でもダントツの広大さを誇る施設。
ウィルスの研究が行われていた、まさにその場所。
美琴に付き添われ、上条に背負われた佳茄の身体は少しずつ蝕まれていた。

投下終了

やっと最終ステージへ到着です、ようやく終わりが近く

投下します





嫌悪の対象としてわたしをせせくる針の先で、善へと転がされ、突っつかれ、押し込まれるとしたら?
わたしは一歩退き、おとなしく、悲しく、その間じゅう背後でわたしの決断を待っていた悪の中に沈む





上条当麻 御坂美琴 浜面仕上 垣根帝督 一方通行 / Day3 / 08:00:16 / 『ハイブ』 警備室

「……お腹、まだ痛い?」

「うん……」

一人どこかへ離れていた美琴が戻りそう訊ねると、佳茄は小さく頷いた。
『ハイブ』と呼ばれる施設の警備室。そこに備え付けられていたベッドに佳茄は横になっていた。
佳茄の体は『G-ウィルス』によって侵されている。何とか、しなければならない。

「……どうする」

「決まってんだろ」

浜面がぽつりと呟くと上条が即答した。
美琴も力強く頷き、

「大丈夫、大丈夫だから。今お薬取ってくるからね」

「……うん。心配しないで大丈夫だよ、だって私にはこのこーうんのお守りがあるもん!」

美琴からもらった常盤台中学のブレザーを示し、佳茄は精一杯に笑っていた。
湧き上がる未知の恐怖に抗う力をそこから得ているのだろう。

「でもどうするわけ? 流石にこのおチビちゃん一人にしとくのはまずいっしょ」

「……問題はねえよ。俺が残る」

進み出たのは垣根だった。その隣に心理定規の姿はない。
一体どういう心境で立候補したのかは誰にも分からなかった。
だが同時にその言葉に異論を唱える者も誰もいなかった。

「じゃあ、行こうか」

学園都市の地下空間に広がる『ハイブ』は広大だ。
そこからワクチンのある場所をノーヒントで見つけ出すのは困難を極めるだろう。
だから、彼らはここにいた。

「……一度だけ、研究所をたらい回しにされてたころに来たことがある。
この中のことならコイツに聞くのが一番早ェはずだ。素直に答えるたァ思えねェが」

目の前にあるのは床からせり出した柱のようなもの。
その先端に投影機のような装置が取り付けられているのが確認できた。
一方通行の指示通りに準備を進め、最後に浜面がスイッチを押す。
すぐにそれは現れた。

装置から放たれた赤いレーザー光が虚空に人間……女性の姿を描いていた。
そしてこれこそがこの『ハイブ』の代理管理者。
『ハイブ』を知り尽くしている存在。その名は、

「お目覚めかしら、『レッドクイーン』」

学園都市の最先端技術によって作られた超高性能AI。システムの管理コンピュータ。
『レッドクイーン』と呼ばれるそのシステムは、空間に浮かんだ女性の形をした赤い光は、人間と変わらない調子で言葉を発した。

『止められなかったわ』

「『感染』を?」

滝壺の言葉に『レッドクイーン』は無言の肯定を返す。

『……まあ、私にできることには限界があった。
「本当の上」の作った流れを変えるようなことはどうやってもできないの。
真っ先にこの施設を閉鎖して、隔離したけどもはや何の意味もなかったわね』

「……そうやって、お前は『ハイブ』にいた人たちをここに閉じ込めたんだな。
すぐに避難させれば助かったかもしれないのに。助かった命があったはずなのに!!」

『ハイブ』の権限は基本的に全て『レッドクイーン』が掌握している。
正確にはその上に『木原』や統括理事会の存在があり、彼らから委託されているとでも言うべき形ではある。
あるのだが、『レッドクイーン』が『ハイブ』の支配権を持っているという表現は間違いではないだろう。
そして『レッドクイーン』の下した決定によって、ここにいた人間は皆生ける屍となった。

助かった、かもしれなかった。
ただの可能性の話ではあるけれど、確かに存在した可能性なのだ。
それを冷徹に摘み取った『レッドクイーン』を上条は睨みつける。

『彼らは既に「感染」している可能性の方が遥かに高かった。
確かに「感染」していない人間もそれなりにいたはずだけど、彼らを出すことは外に「感染」が広がる危険性に優越しない。
数え切れないほどいた人間の中から「感染」していない者を選別する余裕もなかったし、その時は外でもウィルスが漏れていたとは知らなかったから』

大を救うために小を切り捨てる、合理性を追求したその考え。
それは機械仕掛けの頭脳が下すには『らしい』決断だったのかもしれない。

「そんなことはどうでもいいの。聞きたいことがあるわ。
……『G-ウィルス』に『感染』した、いや、正確に言えば『胚』を植えつけられた人がいる。
それを取り除くためのワクチンがどこにあるか教えなさい」

『……脱出ルートではなく?』

「当然、そっちもだ」

美琴と浜面の言葉に、『レッドクイーン』は何か考えるような間があった。

『確かに、「G」のワクチンというものはあるわ。
名前は「DEVIL」。あるというより作るものだけどね。
……脱出ルートの方もこの『ハイブ』から直通のものがある』

「……亡本の野郎か」

『当たり。そういえば第一位はその辺りに関わったことがあったんだったわね』

学園都市の都市伝説の一つに、止まることなく延々と地下を走り続ける列車というものがある。
そのモデルとなったのが統括理事会の構成員の一人である亡本裏蔵だ。
常に列車で移動し続けることで秘匿性と安全性を確保していた亡本。
その使用していたものの一つがこの『ハイブ』を通っており、そこから学園都市の『外』へも出られるのだという。

『……教えてもいいわ。ただ条件がある』

女性の姿を形作っている赤いレーザー光が空間に雑な地図を描き出した。
広大な『ハイブ』の中の、たった一部屋だけが赤く点滅している。だがその正確な位置はよく掴めない。

「……何だ?」

『あなたたちの中にいる「感染者」を殺しなさい。そうすれば教えてあげてもいい』

ガン、という硬いものを蹴りつけたような音が直後に響いた。
その音の主は美琴だった。

「話にならないわね」

そもそも佳茄を救うためにここまで来ているというのに。
『レッドクイーン』もそれは分かっているだろうが、その無機質な言葉は変わらなかった。

「どうしてだ。ワクチンがあるんだろ? それを打てば助かる、外に出たって問題はないはずだ!!」

「……それにしたって確実じゃあないから。どう、ミサカの言葉は間違っているかな」

『その通り。だから殺しなさい。あなたたちが助かりたければそれしかないわ』

その時、バチバチという紫電の走る音が空間に鳴った。
脅すように美琴の手に雷が走っていた。

「……分かってないわね。これはお願いでもなければ交渉でもないの。命令よ。
断るなら、今すぐにでもアンタを吹っ飛ばす。
その上で引っ張り出せるだけアンタの中から情報を引っこ抜いてやるわ」

『やめた方がいい。言ったでしょ、殺しさえすればいい。あなたたちの中にいるふ――――』

「答える意思はなし、と」

『レッドクイーン』の言葉はそこでぷつりと途切れた。
美琴はもう待たなかった。容赦なくバリバリと女性を浮かび上がらせている装置や、そのメインコンピュータに電撃を流し込んでいく。
空間に浮かび上がった赤い光の女性の像が不安定に揺れ始める。
その姿が完全に消える直前に、『レッドクイーン』に投影された女性が六人を見つめ、吐き捨てるように言った。

『――――あなたたちはみんなこの中で死ぬ』

ボン!! という小さな音が響き、それで女性の像は消え『レッドクイーン』は沈黙した。

「それはどうも」


浜面仕上 / Day3 / 09:17:23 / 『ハイブ』 アレクシアルーム

浜面仕上と滝壺理后は不気味な部屋へ迷い込んでいた。
隣に面した部屋にはバベルの塔を彷彿とさせるような巨大なアリ塚。
この部屋にはどこからか植物がしっかりと根を張っていた。

『レッドクイーン』を破壊した後、それぞれがそれぞれのルートで行動を開始。
硲舎佳茄が『G生物』となる前に『DEVIL』を入手しなければならない。
その道中で立ち寄ったのがこの部屋であるのだが……。

「……なんだ?」

子守唄のようなメロディーが室内に流れていた。
机の上に置いてある小さなオルゴール。どうやらそこが音源らしい。

思わず滝壺が手を伸ばし、オルゴールに触れるとどこかに指が触れたのか、カチッというスイッチの入るような音がした。
それがトリガーとなったのか、壁に取り付けられていたモニターに映像が流れ始める。
同時にオルゴールから流れていた音楽が歌詞つきで流れている。

『There was a friendly but naive king――』

美しい女性がトンボの羽を一枚一枚もぎ取っていた。
全ての羽を失ったトンボは飛ぶ術を失い、惨めに地面を這う。

『The king was loved but,the queen was feared.
Till one day strolling in his court.
An arrow pierced the kind king's heart.
He lost his life and his lady love』

ろくに動けぬトンボに、大量のアリが群がり始めた。
アリの餌と消えていくトンボを、羽をもいだ女性が恍惚とした、邪悪そのものといった表情で見つめていた。
この女がアレクシア、なのだろう。

映像が終了するとゴゴゴ、と小さな音をたててモニターが右方向にスライドした。
モニターがあったところの裏側には小さなくぼみがあり、そこに一枚のカードが置いてある。
学園都市とは思えない古風な、変わった仕掛けだった。

「いつの時代だこのカラクリ」

「本気で隠そうって気はなかったんだろうね」

『木原』にもこんな遊び心があったのか。
そんなことを考えながら浜面がそのカードへと手を伸ばした。
だが。そもそも、今の学園都市に安全な地など存在しない。
いつどこから何が起きてもおかしくはない状況で、余計な思考に気を取られれば死に直結しかねない、そんな状況なのだ。

であるならば。
今浜面が僅かとはいえ気を抜いたことは、致命的と評価されるのだろう。

「……っ!?」

気がついた時にはもう遅かった。
何かが、得体の知れない液体のような何かが浜面目掛けて飛来してきていた。
それを肩から胸にかけて浴びた浜面は、一瞬で全身を貫いた激痛に耐えかねて絶叫した。

「ぐぁぁあああああああああああああああああっ!?」

「はまづらっ!?」

思わず膝をつき蹲る浜面。滝壺はそこでようやく襲撃犯の姿を見てとった。
植物だった。通常の生物で言えば頭部にあたる位置に大きな赤いつぼみを持った植物が、ツタを器用に動かし自立歩行していた。
これが初めてというわけではない。滝壺は昏睡していたが、『プラント42』の例もある。
だが、それにしたって植物が明確な意思を持って自立歩行しているその光景は異様だった。

頭のように振りかぶったつぼみから吐き出されたのは消化酵素液だろう。
そのツタを腕のように伸ばし、浜面を絡めとろうとしている。
まずい、と滝壺は思った。相手がアンデッドならば頭部を撃ち抜けばいい。
けれどこの化け物を迅速に仕留めるにはどうしたらいいのだろうか……?

「しっかりして、つかまってはまづら!!」

考えることを放棄した。意味がない。必要がない。
滝壺はこの化け物を殺すという選択肢を却下し、伸ばされたツタをナイフで切断し浜面に肩を貸してこの場からの速やかな離脱を選択した。
浜面の足はおぼつかず、そのスピードは遅い。ただでさえ彼は全身に重傷を負っていたのだ。
本来なら安静、だが幸い元が植物だからかその移動スピードは極めて緩慢であり、今の二人でも十分に逃げ切ることができた。

問題はそこではない。
問題はそこではない。
問題はそこではないのだ。

「はまづら、はまづら!!」

「う、ぁ……ああ……?」

液体の付着した部位の皮膚が失われ、抉られているようにさえ見えた。
目を背けたくなるようなあまりに痛々しい傷がそこに刻まれている。
だが、それすらも今は問題ではない。一番に問題にすべきなのはただ一つ。

浜面仕上は『T』に『感染』した、という単純な事実だけだ。


垣根帝督 / Day3 / 09:22:20 / 『ハイブ』 ターンテーブル

「はぁ、はぁ、はぁっ……」

この程度はかすり傷だ。
垣根は肩口から流れ出る血を片手で抑えながら距離を取る。
元より何の代償も払わずにどうにかできる相手だとは思っていない。

『G』は、更なる進化を果たしていた。
二本の補助腕が生まれ通常の腕と遜色ないまでに発達を遂げ、本来の二本の腕は背中に大きく張り出している。
その腕の数は合計で四本。背中に張り出した巨大な二本腕は有翼の悪魔を連想させるシルエットを作り出していた。

胸部は異常なほどに隆起し、おそらくはそこに巨大な心臓があるのだろう。
循環器系にも異変が起きていることが予想された。
以前の少女の顔はもはやどこにも残ってはいなく、『G』として創り出された、新たな灰色の頭部に蠢く赤の瞳。
本来の右腕には巨大な、赤い眼球がぎょろぎょろと蠢いているが、増殖した『G』細胞が下半身にまで到達し、その眼球状組織が新たに左大腿部にも発生していた。

(化け物が……!!)

『G』という、全く未知の生命体。ヒトの枠には到底収まらない究極の生物。
おそらくもう殺すことはできないだろう。遅すぎたのだ。
もっと最初期の段階に、手に負える内に、殺さなければならなかったのだ。

『G』の眼球状組織が赤く発光する。
空間に歪みが生まれ、方向も掴めない衝撃が垣根の全身を叩きのめした。
間段なく振るわれた『G』の腕を何とか白い翼で受け止めるが、勢いを殺しきれずに弾かれビリビリと衝撃が体を走る。

「……よお。お前が苗床にしたその体は元々他人のモンだ。
ちっとはあのシスターについて思うこととかねえのか」

無意味な問いだった。垣根は口の端から垂れ出したねちゃりとした血を拭う。
当然『G』は何の返答も返すことはなく、一歩一歩近づいてくる。
だがその瞬間、

「お前のモンじゃあねえ。だから、もらうぜ」

音もなく。純白の槍が背後から『G』を貫いた。
その正体は『未元物質』。垣根を発生源として、コードや柱を逆流していくように白い『未元物質』が展開されていた。
そこから飛び出した聖槍。それは『G』の生命活動を停止させるには至らずロンギヌスにはなれなかったが、その腕の一本を根元から千切り取る。

ぼとりと巨大な腕が床に落ち、『G』は咆哮した。
切断面から血を撒き散らしながら『G』は垣根から離れ始め、下層へと飛び降り姿を消していった。

(何とか、なったか……)

やばかった、と垣根は思った。
これで『G』が退かなかったら垣根は今ここで死んでいたかもしれない。
……だが、果たしてそれにどんな意味があるのだろうか。
既に何もかもが破滅して、心理定規も失い、かつての冷酷な自分に戻っているというのに。

ゆっくりと後方にある部屋へと戻っていく。
そこには意識を失った一人の少女がいる。
硲舎佳茄というその少女は、生還者である彼らから託された存在。
せめて、その義務くらいは全うすべきなのだろう。

「不埒な無礼者は、追い払ってやったぜ。ったく、不安のないツラしやがってこのガキ……」

何となくその様子に常に余裕を持った表情をしていた心理定規を思い出し。
垣根は出血する傷口を抑えてその場に座り込んだ。

「ちくしょう……痛ぇなあ……」


御坂美琴 / Day3 / 09:54:00 / 『ハイブ』 メインシャフト

メインシャフトのすぐ近くにあったモニター室。
美琴は何気なく、もしかしたら何かの情報が得られるかもしれないとそのモニターを点けた。
そこに映し出されたのは、

「何よ……この木偶の坊は……」

三メートルはあろうかという白の巨体。
心臓の部分が隆起し、赤く浮き上がった血管が頭部から胸にかけて走っている。
その爪は異常なほどに肥大化し、その一つ一つが死神の鎌を思わせた。
『タイラント』。そこに映っていたのは学園都市の研究者の生み出した化け物だった。

「こんな奴もいたのね……」

もしかしたら交戦することもあるかもしれない。
美琴がモニターを凝視しこの化け物の情報を探っていると、耳に残るあの音が近くから聞こえてきた。
ジャラジャラ、ジャラジャラ。それは鎖の音。この地獄で何度も聞いてきた音。

(リサ=トレヴァー……!!)

直後。美琴が弾かれたように動き出すのとほぼ同時、モニター室が何らかの攻撃によって爆発を起こした。
炎と噴煙に包まれたメインシャフトで『超電磁砲』と『多重能力者』は四度対峙する。

「…………」

顔に貼り付けられているのは剥ぎ取った女性の顔の皮膚。
その猟奇的な行いによって隠された顔からは何も読み取ることはできない。
だがその行動も、その姿も、その特異性も、その『多重能力』も、全てはリサが望んで得たものではない。
学園都市の悪魔の如きおぞましい実験によって変貌させられてしまったのだ。

両親を奪われ、尊厳も心も奪われた学園都市の被害者。
執拗に美琴と佳茄の前に姿を現したのも、二人が母と子として見えていたからだろう。
――――つまりジェシカ=トレヴァーと自分自身、いつだって自分を守ってくれていた愛する母に。

「マ、マ ぁ……」

母の死を受け入れられず、その幻影を追うばかりに全ての女性が母親に見えてしまう。
だがやがて中身が違うことに気付き、母の顔を持った偽者として認識し、母と再会できた時に返すためにその顔を剥ぎ自らの顔に貼り付ける。
……学園都市は何という悲しきモンスターを生み出してしまったのだろう。

捕まっていた時の拘束具の鳴らす鎖の音と共にリサが一歩近づいた。
愛する母親の元へ。そして直にそれがジェシカではないことに気付く。
その時点でリサはもう何度繰り返したかも分からない猟奇的な行動に再び走るだろう。

「……ごめん。私はあなたのママじゃない。あなたのママは、もう――――……」

バヂィ!! という音が響いた。双方から放たれた電撃が中間で激突。
それが開戦の狼煙だと言わんばかりにリサは甲高い声で咆哮する。
しかし二人の電撃が壁や一部の床を薙ぎ払ったことで舞い上がった粉塵に紛れ、美琴はすぐさまその場を離脱していた。

背後から次から次へと雨あられとばかりに能力が飛んでくる。
美琴はそれらを回避しながら距離を取り、

「……っ」

それを自覚し思わずバランスを崩すも、確かな足取りで移動していく。
残された時間は多くはないのだ。『DEVIL』。何としてでも手に入れ、佳茄に投与しなければ彼女もまた『G生物』と化してしまう。
だが同時に、リサ=トレヴァーとの決着は必ず着けなければならないだろう。
悲劇の異形との決着を、必ず。

投下終了

あと6回くらいの投下で完結です
今のペースだとそれでも結構かかるのでペースを上げていきたいと思います

トドメか隠しボス的な感じで『追跡者』出てきたりしないかな・・・。

結局一ヶ月近く経っているという
FF7リメイク楽しみです

投下





ああ アニュール
これほどの変わりようとは!
今のお前は一つとも二つとも言いようがない





上条当麻 御坂美琴 浜面仕上 一方通行 / Day3 / 10:15:39 / 『ハイブ』 P-4レベル実験室

上条が目をつけたのはこのP-4レベル実験室だった。
後に一方通行と番外個体が合流。御坂美琴、浜面仕上と滝壺理后。

「ここでこのワクチンベースを元に『DEVIL』を生成できるはずだ」

「よく分かるな」

「さっき電算室でちょっとな。『レッドクイーン』から一部だが引き抜いた情報が役に立った」

上条の言葉に答えながら一方通行は手早く機材を起動していく。
その近くで美琴がモニタに表示された文字列や化学式、そしてこの部屋に備えてあったマニュアルを穴が開くほどに見つめていた。
絶対に失敗は許されない。その一字一句を徹底的に頭に叩き込んでいく。

「はまづら……」

不安げに呟いた滝壺を浜面が無言のままに目で制す。
自分が『感染』したということを浜面は今は話すつもりはないのだ。
『DEVIL』の生成というこのタイミングで余計な事を起こしたくはない。
そして滝壺もまたそれが分かって、だからこそ考えていた。

(ウィルスはワクチンとセットで初めて価値が出る。
『T』が作られていたここなら……この近くに、必ずあるはず)

浜面の息は切れ、その額には激しい発汗が見られた。
その体が急速に蝕まれているのだ。心理定規の時とは違い、彼の身体は元々酷いダメージを負っていた。
加えて消化酵素液によって受けた目を背けたくなるほどの傷。
もう一刻の猶予もないだろう。

「さあ、始めようぜ。あの子が待ってる」

気だるい体に鞭打ち浜面が呟く。
しかし作業を始めようとした美琴の手は不意に遠くから響いた物音によって止められる。
『DEVIL』の生成作業はデリケートだ。万一にも想定外の妨害があっては失敗もあり得る。

「……連中、かね?」

「俺が見てくる。どうせここにいても俺に手伝えることなんてなさそうだしな」

「……アンタ一人で行くのは危険すぎるわ。私も行く」

「あいあい、じゃあミサカも」

『DEVIL』生成に必要な知識を持ち、もうバッテリーの余裕もない一方通行。
もはや動くことすら億劫になってきている浜面。
その傍を離れるわけにはいかず、それなりの知識もある滝壺。
この三人がここに残り、上条と安定した戦闘の行える美琴と番外個体が様子を見に行くこととなった。

「……もしアンタたちだけで何とかなりそうだったら、悪いけど私はあっちに戻らせてもらうわ」

「ま、何とかおねーたまなしでも乗り切るよ。これでも軍用なんだし」

番外個体がそう言うと二人を置いて一人駆け出し、彼らを嗅ぎ付けてわらわらと姿を現した化け物に退くことなく切り込んでいく。
軍用の大能力者。どうだと言わんばかりにその実力を発揮し、次々に異形の化け物や生ける亡者を蹴散らしていった。
それを見て焦り出したのは上条だった。

「お、おいおい!? あれじゃみんな死んじまうぞ!?」

「――――――」

美琴は上条が何を言っているのか理解できず、数秒の間呆気にとられたように上条をただ見つめていた。
上条もその言葉を口にした後、すぐに沈んだ表情になって唇を噛み締めた。
ああ、そうか、と美琴はようやく理解した。上条が気にかけたのは美琴でも番外個体でもなく、死肉狂いと化した彼らなのだ。

そう言った後の上条の態度を見るに、上条自身もそんなことを言っている場合ではないというのは分かっているのだろう。
だがそれにしたって、どれだけの葛藤があろうと、この後に及んでまさかそんな言葉が出てくるなんて、思いもしなかった。考えもつかなかった。

「――――アンタは……前に会った時と、全然変わらないのね……」

きっと上条のそんな考えは今のこの学園都市で生き延びるには足枷でしかないだろう。
それはどうしようもなく甘くて、馬鹿みたいで、邪魔で。
だがそれでも、手放してはならない何か大切なものを上条は決して見失わなかったのだ。

「……『血の川にここまで踏み込んだからには、たとえ渡りきれなくても戻るのもおっくうだ、先へ行くしかない』」

もしかしたら……もしかしたら、上条はこの惨劇においてただの一体もあのリビングデッドを、かつて人間であったものを殺してはいないのかもしれない。

「本当に、変わらない……」

「御坂……」

静かな声色で、その頬に雫を伝わせて美琴は呟く。
それが何に対して流されたものなのかは美琴自身にだって分からなかった。

二人の間にそれ以上の言葉はなかった。
番外個体の勢いが落ちてきている。アンデッドではない、もっと厄介な化け物が集まりだしているのだ。
いつまでも油を売っているわけにはいかない。
上条と美琴は同時に化け物の群れへと突っ込んでいった。

美琴と番外個体が薙ぎ払い、撃ち漏らしを上条が手にした鉄パイプで沈め、どこからともなく飛来する能力を的確に右手で打ち消していく。
命を懸けた戦闘の最中。美琴は手を必死に動かし続けながら、番外個体に言った。
上条には聞こえていないのを確認した上で。

「ねぇ、番外個体。お願いがあるんだけど――――」




「――――……正気?」


垣根帝督 / Day3 / 10:26:19 / 『ハイブ』 B4通路

何かの接近に気付いた垣根帝督は佳茄のいる警備室を出、近くでそれと向き合っていた。
第二位の超能力者の体は震えていた。
それは恐怖にであり、悲しみにであり、悔しさにであり、怒りにでもある。

身長は三メートルはあるだろうか。その全身は爬虫類のような気味の悪い緑色に変色してしまっている。
背骨が肥大化し後部にせり出し、腕も足も胴も、その全てが膨れ上がり化け物のそれとなっていた。
しかし、その顔は原型を留めている。人間であったころの、心理定規の顔を。
化け物と化したその顔は、どこか悲しみに歪んでいて涙を零しそうにさえ見えた。

『「未元物質」。面白い素材をありがとう。お礼の感動の再会よ』

天井から吊り下げられるように備え付けてあるスピーカーから女の声が流れた。
垣根はその声を知っている。アレクシアと名乗った、土御門の話にも出たあの女のものだ。
そして死して尚心理定規を弄んだ存在。

「……テメェが、やったのか。テメェが、暴いたのか」

確かに、あれは墓だなんて呼べるような上等なものではなかった。
ただタオルの上に寝かせ、土葬も火葬もできずに形だけをそれらしく整えた程度のものでしかなかった。
だがそれでも、間違いなくあれは心理定規の眠る場所で。最期まで人間であることを選んだ彼女の果てだった。

『「G」とちょっと組み合わせると、あれくらい綺麗で新しい死体なら何とかなるのね。良い発見だったわ』

自分が甘かったのか。足りなかったのか。
その四肢を切り落しておけばよかったのか。その心臓を抉り出せばよかったのか。
その頭蓋を砕いて脳髄をぶちまければよかったのか。その腹を裂いて片っ端から臓器を抉ればよかったのか。
それほどに彼女の亡骸を傷つけて、『使えなく』しなければならなかったのか。


――――――『私は最期まで人間でありたい。人間として、死んでいきたい』


「う、」

歯ががちがちとうるさい。
その体の酷い震えを止めることができない。

『……「われわれの救いは死である、しかしこの死ではない」』

アレクシアは笑い。

「うぉぉおおおあああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

何かを振り払うように絶叫し、垣根帝督と心理定規だった化け物は衝突した。
それはもはや戦いと呼べるものではなかった。お互いに防御や回避など一切取らなかった。
脳を破壊され理性を失った化け物と、荒れ狂う感情に呑まれ正常さを失った超能力者。
ただひたすらに叩く。双方から血が噴出し、喉が裂けるほどに叫びながら、何も考えず、力を振り回した。

悲惨だった。だが決着の時はすぐに訪れた。かつて心理定規だったものの腕が垣根のわき腹の一部を抉り。
同時、振り下ろされた純白の翼がソレを両断した。
即座に死に直結するほどの傷ではない垣根とは対照的に、ソレは真っ二つに両断され血や臓器を零しながら沈んだ。

『……ああ、可哀想なグレーゴル』

慈愛に満ちたような声色だった。垣根は何も言えなかった。
殺した。死ねなかった。望みを叶えてやれなかった。詰めが甘かった。
どんな表情をするのが正解か分からない。何を言うのが正解か分からない。どんな感情を表出させるのが正解か分からない。

「あ、あぁあぁぁあ、ぁ、うぁぁぁああ……!!」

グロテスクに彩られた、少女だった化け物の残骸の中で青年は声にならない叫びをあげていた。





トロフィーを取得しました

『グレーゴル・ザムザ』
変わり果てた少女に第二位の青年が終わりを与えた証。闇と絶望の広がる果て、結局彼には誰も守れない





上条当麻 浜面仕上 / Day3 / 10:38:53 / 『ハイブ』 動力室

『DEVIL』は、完成した。
これが『G-ウィルス』に対する唯一の切り札。
彼らは何かに引き込まれるように『DEVIL』を見つめていた。

「……時間がないよ。行くなら早くしないと」

番外個体のその言葉に皆が頷いた。倒れ付している亡者共の体が僅かに動き始めている。
その体内で『クリムゾン・ヘッド』への変異……『V-ACT』が起こり始めているのだ。
彼らによって蹴散らされた大量の骸を踏み越え、硲舎佳茄の元へと急ぐ。
しかしこの『DEVIL』は非常にデリケートで、温度変化や衝撃で簡単に変質してしまうという厄介な特性を持つ。
可能な限り速やかに、激しい戦闘も不可能。その道中、気付いたのは浜面だった。

「……待てよ。滝壺が……滝壺がいねぇ」

滝壺がいつの間にか消えていた。いつからいなくなったのかは分からないが、おそらくそれなりに時間が経っているだろう。
それに気付かないなど本来ならあり得ない。浜面の体を蝕む、甚大なダメージとウィルスのせいか。
だが一体どこへ行ってしまったのか、その目的は浜面には分かる。
滝壺は『デイライト』にあたるところのワクチンを探しに行ったのだ。浜面仕上を助けるために。

「悪いけど……」

「分かってる。お前らは先に戻っててくれ!!」

「あっ、おい!! 浜面だけじゃ危険だ、俺も行く。あの子のことは任せた!!」

滝壺の後を追う浜面と、更にそれを追う上条。
美琴と一方通行は『DEVIL』を持って佳茄の元へ。
二手に分かれる彼らの中で番外個体は超能力者二人ではなく、無能力者二人につくことにした。

「迷子さんを見つけたらミサカたちもそっちに行くよ」

「……あァ。油断はするなよ」







巨体の化け物の腕が振るわれる。それだけで容易く部屋を隔てる壁が突き破られた。
反応の遅れた滝壺のわき腹に瓦礫が叩きつけられ、声を出す間もなく床に伏す。
それでも滝壺は絶対にその手にあるものを離しはしなかった。

「や、っと……見つけた……!!」

抗『T-ウィルス』剤。ウィルスとセットで元々製造側で用意されていたもの。
これさえあれば。これがなければ。

「あなたなんかに……邪魔は、させない……!!」

悠々と接近してくる三メートルを超えるかもしれない白い巨体。
『タイラント』。その胸は大きく隆起しており、きっとそこに心臓がある。
手に大きめのナイフを構える滝壺。その程度の玩具でどうにかなる相手ではないのは分かっていた。
しかしもうこれしかない。この体では『タイラント』から逃げ切ることなど到底不可能だった。

ゆっくりと近づいてくる『タイラント』。滝壺は静かに不退転の覚悟を決める。
だが、その時だった。パンパンパン!! という音が響く。銃声だった。

「……演算銃器でもあれば少しは楽だったんだけどね」

発砲したのは番外個体。撃たれた『タイラント』は身じろぎの一つもなかった。
それでも注意を引く程度の効果はあったようで、『タイラント』は番外個体をその何も宿っていないような白濁の瞳で見つめていた。

「みさかわーすと!?」

「よお……。ちょっとそこの木偶。ちゃんとあの無能力者の許可を得てからその彼女に手ぇあげろコラァ!!」

咆哮する番外個体。『タイラント』は狙いを滝壺から番外個体へと変更。
だがその腕が、その爪が番外個体を貫くことはなかった。
その前に巨大な何らかの機材が『タイラント』の頭部に直撃し、その巨体を僅かに揺らした。
更なる襲撃者に『タイラント』は苛立ちにも見える何かを滲ませてその姿を確認する。

「……ったくどっちもさっさと突っ走りやがって」

「かみ、じょう……」

上条当麻と番外個体。二人が『タイラント』を挟み込むようにして立つ。
滝壺もまた唯一の武装であるナイフを手放さない。
浜面の容態は一秒を争うが、同時にこの化け物を何とかしない限り治療を行う暇はない。

動いたのは『タイラント』だった。その丸太のような足を鳴らし上条へと突撃していく。
対する上条は冷静に、その左手に持っていたガラス片を『タイラント』の顔面へと投げつけた。

「消し飛べ!!」

『タイラント』はそれを腕で払おうとするが、そのタイミングで番外個体が雷撃の槍を撃つ。
そちらへの対処を優先したのか、放たれた雷撃の槍は『タイラント』の腕に払われ易々と霧散してしまう。
だがその隙に上条の投擲したガラス片がその顔面へと直撃した。

砕け散るガラス片。その更に細かい破片が目に刺さり、『タイラント』は思わず動きを止める。
好機と見た上条が『タイラント』へと飛びついた。振り払おうと暴れるが上条は決して手を離さない。

「もう一丁食らっとけ!!」

右手の方に持っていたもう一枚のガラス片を、『タイラント』の目玉へと容赦なく突き刺す上条。
目玉を潰された巨人はこれには流石に堪らず、地を這うような低い声を漏らした。
その隙に滝壺がドスッ、とその大きなナイフを心臓に突き立て刀身を全て体内へと埋め込んだ。
そのままグリッとナイフを強引に回転させ、傷口を大きく広げていく。

滝壺が下がると、更にそこに番外個体が追加で爆雷を放つ。
肉が焦げるような嫌な臭いが立ち込めていく。

「これなら少しは痛ぇだろ……!!」

だが。直後、突然振るわれた腕に叩きつけられ上条の体が吹き飛んだ。
薄いガラスに叩きつけられ、そのままガラスを叩き割って隣接する部屋へと転がっていく。

「ぐっ……ぁ、はっ……!?」

憤怒を表すように臨戦態勢を取る『タイラント』。
上条や番外個体、滝壺の攻撃は単に怒りを買っただけだった。
究極の『B.O.W.』を目指して製作されながらも、出来損ないと評された『タイラント』。
それでもそれは超能力者でもなければ満足に戦うことすらできない化け物だった。

「かみじょう!?」

「チッ……まだかよ早く……!!」

何とか立ち上がった上条に声をかけ、三人は移動を始めた。
とはいえこんな状態で逃げ切ることなど出来はしない。
彼らより速いスピードで追ってくる『タイラント』。元より狙いは逃走ではなかった。

「ここは……」

「……なるほどな。熱湯風呂に叩き落してやろうってわけか」

「どんなリアクションをしてくれるか楽しみだけど。ミサカたちじゃあ多分、無理だね」

一歩そこへ入った瞬間に体を焼くような熱気が立ち込めていた。
眼下にあるのは脈打つように暴れる加熱処理用熔鉄プール。
ここへ落ちれば絶対に助かりはしない。

「……ああ。とにかく、もう少しだけ持ち堪えねぇと……」

「……それより、はまづらはどこ? はまづらにはもう、時間がないの……!!」

必死に訴える滝壺。
その手にはしっかりとワクチンが握られているが、投与すべき相手がいないのでは話にならない。

「あの化け物を確認した時点で、ね。来るよ。心配しなくてもあいつはもうすぐ来る。だけど……」

「浜面、急いでくれ……!!」




その時、浜面仕上はそれを前にしてぽつりと呟いた。

「見つけた……!!」

『Anti-Uncontrollable B.O.W.』

絶対にあると思っていた。あんな生物兵器を製造していた場所だ。
それが暴走した時の策がないはずがない。それも、特別な能力のない研究者たちでも扱えるようなものが。
その下に、以下の文字列が記されていた。

『“Paracelsus_Sword”_For_FIVE-Over_Modelcase_“RAILGUN”』

投下終了

>>554
追跡者だけでなく、サドラーなど人間系は無理でしたが女王ヒルやタナトスも最初は出る予定でした
処理に困って結局没になりましたけど、ラスボス系以外ではU-3やスティンガー、ブラックタイガー辺りも出る予定でした

脳幹さん強すぎぃ!
上里くんは一体何者なのか

投下します





神の復讐 ああ なんということだ
読むがいい 我が手に刻まれしものを そして恐怖に慄くのだ





御坂美琴 一方通行 垣根帝督 / Day3 / 10:42:19 『ハイブ』 警備室

『DEVIL』を手に戻ってきた御坂美琴と一方通行が見たのは、崩れ落ちている垣根帝督だった。
その体に傷を負っているが、何よりもその眼。
失意と挫折だけを灯したようなその暗い眼に、二人は何があったのかなんて聞けはしなかった。

「…………」

一方通行はその抜け殻のような様に自らを重ね合わせる。
あの時の。あの姿の。あの光景の。あの絶望の。

「……垣根、さん。ワクチンを、持ってきたわ」

その言葉に垣根が僅かに頷いた。
そんな程度の反応。だが十分だった。
もうそれ以上の言葉をかけることはせず、一方通行は残ったが美琴は警備室の中へと入っていった。

この部屋だけは外とは違っていた。
血の跡も、戦闘の爪痕もない。綺麗に保たれている。
そして部屋の端にある簡易ベッドには一人の小さな少女が横になっている。

自分たちが外れている間、ここで何があったのかは分からない。
だがそれでも垣根は頼んだ通りにここを、佳茄を守ってくれたのだろう。

一言感謝の言葉を漏らし佳茄の額に手を当てる。
熱い。四〇度はあるだろうか。只事ではない発汗も見られる。
少し前まで酷い腹痛を訴えていた佳茄。その身を蝕む『G』に、細胞を入れ替えられ始めているのだろう。

「認めないわ」

ようやくだ。ようやく、佳茄を救うことができる。
美琴は意識を失っている佳茄に『DEVIL』を、投与した。
その全てが体内へと入った。間違いなく作成は成功している。あとは祈るのみだ。

「……お願い、もう一度、もう一度目を覚まして……!!」

またあの声を聞かせてほしい。またあの笑顔を見せてほしい。もう少しだけ、戦う気力と力を分けてほしい。
必ず助けると約束した。指きりもした。
美琴が『DEVIL』を投与した佳茄をその背中に背負い、歩き出した時。

「バッテリーは……能力使用モードに換算して残り一分三〇秒」

一方通行が呟いて、あと僅かとなった時間に思いを馳せていた時。
ふらふらと垣根がようやく立ち上がった時。

ビー、ビーという甲高い警告音が『ハイブ』全域に鳴り響き。
三人の超能力者は続けて流れたそれを聞いた。




『Self-destruct sequence“Regia Solis” has been initiated.
All personnel,evacuate immediately.
This sequence cannot be aborted.
Deactivating and releasing all locks.
Repeat,self-destruct sequence“Regia Solis” has been initiated.
All personnel,evacuate immediately.
This sequence cannot be aborted……』





浜面仕上 / Day3 / 10:45:53 / 『ハイブ』 動力室

上条当麻、番外個体、滝壺理后。その誰もが肩を大きく上下させ、その息を激しく切らせていた。
対して立ちふさがる『タイラント』に疲労の色は見られない。
潰れた片目をはじめとして三人の負わせた傷が各所に見られるが、それが果たしてどれほどのダメージを与えているのかは謎だった。
自分たちではどうにもならない、と彼らは素直に思っていた。だから、待っていた。

「ぐっ……!!」

『タイラント』の攻撃を転がるようにして何とか回避する上条も。

「チッ!!」

ほとんど効かぬと分かっていてなお雷撃を放つ番外個体も。

「これだけは、絶対に離さない……!!」

その手に持つ抗『T-ウィルス』剤を握り締めたまま息を荒げる滝壺も。
全員が、ただひたすらに。
この瞬間を待っていた。

突然だった。全長五メートルはあろうかという巨大な蟷螂のような形状をした駆動鎧。
装甲から飛び出した半透明の羽を残像を残すほど羽ばたかせて、空に浮いていた。
その機体には文字が彫りこまれている。

『FIVE-Over_Modelcase_“RAILGUN”』

オリジナルとなる超能力者を純粋な工学で再現・超越しようとするファイブオーバー。
その第三位の超能力者を元としたもの。

「……これでお仕舞いだよ。木偶の坊」

機体から男の声が響く。それが誰の声かなど考えるまでもなかった。
上条たちは痛む体を引き摺って既にそこから離脱している。
全てを浜面仕上という一人の無能力者に任せて。

前脚の先端にある透明な保護カバーが開いた。
三つの銃身を一つに束ね、回転するように設計された巨大な砲身。
そこには本来『Gatling_Railgun』という文字が刻まれているはずだった。

「こいつはテメェを地獄へ叩き落すために用意された特注品さ。
存分に味わえよ、化け物」

だが違う。そこに刻まれていた文字列は『“Paracelsus_Sword”』。
『タイラント』が本能で危険を感じ取ったのか、宙に浮くファイブオーバーを凝視して明らかに警戒の動きを見せた。
これまでに上条たちが何をしてもそんな反応を取らせることはできなかった。
だが。しかし。そんな『タイラント』の行動は無意味だった。

ッッッッッッ!! と、音さえ消え鋼の暴風が巻き起こる。
『タイラント』の防御の上から突き刺さったあまりに理不尽な暴力の嵐はその巨体を軽々と突き破り吹き飛ばした。

今の『パラケルススの魔剣』に本来のガトリングレールガンほどの速射力はない。
しかしその分を補うように純粋な破壊力が高められている。
未知なる『B.O.W.』が暴走した際、確実に粉砕するために作られたレールキャノンだ。

「おおおおォォォオオオオオオオオオオオオオッ!!」

本来莫大な電力を食らい入念な準備の末に放たれる巨大なものだったが、それを小型化し第三位のファイブオーバーに搭載したものがこれだった。
それにより手に入れた機動力は今、浜面の手によって十分に生かされている。
元々『パラケルススの魔剣』は開発途中のものであり、投入にはまだ早い。無理をしてでもまともに使用できるのはこの一度きり。
だがそれで十分すぎた。この化け物を消し飛ばすことさえできれば何も問題はない!!

『ハイブ』の一画の形から変わっていく。全てが吹き飛ばされる。
『パラケルススの魔剣』の性能は絶大で、その証明はすぐに為された。
撃ち尽し動かなくなった『パラケルススの魔剣』。もはやただの鉄の塊と化したファイブオーバーを着地させ、降りた浜面が見たものは。
噴煙の中に見えるのは。上半身が完全に消滅した『タイラント』が、消えた足場から加熱処理用熔鉄プールへと落下していくところだった。

「……俺の女に手ェ出すとこうなる。よく覚えとけ、地獄に落ちても忘れるな」

そう言って、浜面仕上はピッと中指を突き立てるのだった。
だがそこまでだった。浜面の体がゆらりと揺れ……そのままその場に受身も取れずに倒れ込んだ。
がふがふげほっ、と激しく咳き込む浜面。何か赤いものがその度に吐き出される。
立ち上がろうとするも腕どころか全身に力が入らない。流れ出る汗は止め処なく、体は震え激しい吐き気までもがこみ上げる。

(くそっ……。やっぱ、こう、なるかよ……)

ファイブオーバーを操縦する際にも浜面は気力を振り絞ってやっとのことで動かしていたのだ。
どうやら自分で思っていたより『T』の侵食は進んでいるようだった。
この先に待っているのは異形としての新たな生。

「それだけ、は……ごめんだぜ、流石に……」

ふらつきながらも何とか立ち上がり、だがすぐにバランスを崩して膝をつく。
少しずつ遠のいていく意識の中で浜面はドタドタと駆け寄ってくる複数の足音を聞いた。
彼らは浜面の近くで立ち止まり、目を見開いてその様子を見つめる。

「まさか……アンタ、」

番外個体の言葉を無視して一番に駆け寄ったのは滝壺だった。
力の入らない浜面を抱き起こし、素早く準備を済ませワクチンの投与を始める。

「『感染』……してたのか」

「……大丈夫。きっとはまづらはこれで大丈夫。そのために探し出してきたんだから」

「わ、るい……な……たきつ、ぼ……」

抵ウィルス剤を投与し終えた滝壺は浜面に肩を貸して立ち上がらせる。
浜面は一人では歩くことも既にできなかった。

「そう、か。でもワクチンを打ったならこれで大丈夫だな」

「……だといいけどね」

ぼそりと誰にも聞こえない声で番外個体が呟いたその時だった。
ビー、ビー、という警告音が『ハイブ』にけたたましく鳴り響いた。
緊張と警戒に身を固める彼らをよそに女性の声の警報が流れる。

『Self-destruct sequence“Regia Solis” has been initiated.
All personnel,evacuate immediately.
This sequence cannot be aborted.
Deactivating and releasing all locks.
Repeat……』

その只事ならぬ事態に上条と滝壺に支えられた浜面が思わず顔を見合わせる。

「何て言ってるのか分からねぇ」

「……俺もだ」

もっと英語の勉強をしておくべきだった、などと嘯く上条とは対照的に、番外個体と滝壺は硬直していた。
一体何がその引き金を引いたのかは分からない。『パラケルススの魔剣』で動力室諸共吹き飛んだのが原因だったのか。
だがもはやそんなことはどうでもよかった。差し迫ったこの危機を何とかしなくてはならない。

「自爆装置の起動を、確認……」

「このプログラムを停止することは……不可能!?」

『レギア・ソリス』。そう呼ばれる何かが、静かに学園都市に標準を定めていた。


上条当麻 御坂美琴 浜面仕上 垣根帝督 一方通行 / 11:04:45 / Day3 / 『ハイブ』 メインエレベーター

彼らは再び合流し、行動を始めていた。
浜面仕上を滝壺や上条が支え、意識のない佳茄を美琴が背負って。
真っ先に話に上がったのは当然今も流れ続けている警告音と警告文についてだ。

「『レギア・ソリス』ってのは……一体何なんだ?」

「たしかむぎのから聞いたことがある……。人工衛星についてる太陽光を使ったエネルギー供給のシステムだったはずだよ」

『レッドクイーン』から引き出した情報では、細部までは不明だがここからいける地下に脱出用のプラットフォームがあるはず。
彼らはそのメインエレベーターの前で立ち止まっていた。

「何これ、開かないんだけど!?」

「これを、使ってみて、くれ……」

苛立つ番外個体に浜面が一枚のカードキーを渡す。
それを脇についていたリーダーに通すとエレベーターは静かに彼らを迎え入れた。

「太陽光集積システムか。ってこたァだ、軍事転用ができるわけだな」

「……集積の度合いを上げて地上の一点に集中させれば、宇宙から超高温度で対象を瞬間で消滅させられる。
この程度の規模の都市一つ、簡単に消し飛ぶぞ」

「『滅菌作戦』……ってわけ?」

言いながらエレベーターのパネルを操作するが、マスターキーの類がなければ下には降りられないらしい。
だがそんなものは持っていない。取りにいっている時間もない。というわけで、

「はいはい、そういうのいいから」

美琴は能力で強引にエレベーターを動かした。
ぐんぐんと下に降りていく途中でも、あの焦燥を煽る警告音は聞こえてくる。

「っつか全てのロックを解除じゃなかった? 全然解除されてねぇじゃんハゲが」

何故かハゲにあたる番外個体を尻目に滝壺が呟く。

「……何にしろ、時間はあまりないってことだね」

全員に静かな緊張が走る。
それを最後に会話は切れ、やがてエレベーターは小さな音と共にその扉を開く。
そこは確かにプラットフォームだった。
すぐ目の前に大きな列車が止まっている。これが亡本裏蔵の使っていたものなのだろう。

「とにかく早く乗り込もう。ゆっくりはしていられない」

列車内に乗り込んだ彼らはまず佳茄を床にゆっくりと寝かせた。
未だに意識は戻っていないが『DEVIL』は既に投与済みだ。
美琴はその小さな手をぎゅっと握り締める。

「もう少し。もう少しで終わるからね」

だが浜面は横になることを拒否し、ふらふらと操縦席に向かうと機材を弄り出した。
すぐに気付く。この列車はこのままでは動かない。

「……こいつを、動かすには電力の供給と、ゲートの解放が必要らしい。そう、表示されてる」

「面倒だな。でもやるしかないってわけか」

「どこに何があるかなんて分からないから、手当たり次第いくしかなさそうかな」

「私は……残ってもいいかな」

滝壺はろくに動けずに膝をついている浜面を見て言う。
浜面と佳茄。最低この二人は動けないからこの列車に残ることになる。
となればその護衛が必要となるだろう。誰もその提案に異議を唱えることはしなかった。

「……上条、お前も残れ」

「な、なんでだよ!?」

垣根の言葉に上条は咄嗟に反論する。

「お前がその二人除けば一番ボロボロなのは一目で分かんだよ」

「それに……オマエはすぐ後ろに守るものがいた方がやれるだろォが」

上条は尚も何か言いたげだったが、こんなことに拘泥して時間を浪費することほど無駄なこともない。
渋々といった様子で上条は引き下がり、一方通行と番外個体、垣根、美琴が列車の外に出る。

「話は決まったみたいで。時間はない、急ぎましょう」

ばっ、と弾かれたようにそれぞれがそれぞれへと散り散りになる。
彼らは適当に目星をつけて移動し、その結果。
全てがスムーズに上手くいくなんてことはなく、あるいは偶然、あるいは必然的にそれと遭遇することになる。

御坂美琴は制御室にてジャラジャラという鎖の音を聞いていた。
ぬっと姿を現したのは全身から触手を生やしたリサ=トレヴァー。異形の『多重能力者』。
学園都市の生み出した悲哀のモンスター。それがまたも美琴の前に立ちはだかった。

「リサ=トレヴァー……」

「マ、マぁぁぁぁあああぁぁああぁあぁああぁああ……」

リサの辿ってきた道のりは悲惨でしかない。
だが今はもう化け物で、生き残るためにも、列車を無事に動かすためにも、リサの苦しみに満ちた歪な生を終わらせるためにも。

「――――どうやら、決着をつけるしかないみたいね」


垣根帝督は電力室前にて待ち構えていた異形の存在と対峙していた。
アレクシアと呼ばれていたそれは、垣根の姿を確認すると妖艶に笑う。

「あら。どうだったかしら、私の優しい心遣いは?」

「…………」

垣根は無言のままにその背に六枚の翼を展開させる。
明確な殺意の意思表示。アレクシアの表情は変わらない。

「あなたたちを殺して、私は『T-Veronica』を更に覚醒させる。私は更なる高みへと昇華していく」

「……俺が、全てを失った俺がどうして動いてここまでやってきたか知ってるか」

『未元物質』の白い翼がしなっていく。ギチギチ、と軋む音を立てて莫大な力を蓄えていく。
その力の使い道はたった一つ。

「俺は!! 心理定規を弄んだテメェを殺すために!! そのためだけにここまで来たんだクソ野郎がッ!!」


一方通行と番外個体はカーゴルームにて――――『G』と、遭遇していた。

「オマエ……」





そして『ハイブ』に鳴り響く警告音と共に、新たな警告文が追加される。


『Five minutes to detonation.』




投下終了

ペースを上げたいんですが7月いっぱいは忙しいのでちょっと厳しいです
量的にはもう少しなんですが……

乙 ここまできて脱落者が出たら悲しいな

今回は早めに投下します

>>588
「……まだ期待してんのかよ」(青ピ低音ボイス)





ある彷徨い。そっとうかがいながら、不安げに、期待をもって、<答え>は<問い>の周りを忍び歩く
絶望して問いのうかがい知れぬ顔色を探る
そして無意味きわまる道を、つまり答えからできるかぎり離れ去ろうとする道を、あちらへこちらへと問いにつきまとう





垣根帝督 / Day3 / 11:05:11 / 『ハイブ』 プラットホーム

垣根帝督の姿が突然消え、超高速でアレクシアへと突撃した。
その速度は音速には届かない。だがそれは今の垣根の出せる最大スピードだった。
対するアレクシアは自らの血液を発火させ、壁としながら宙を舞いそれを回避する。

……アレクシアは、明確な変化を起こしていた。
見た目は異常でありながらも人間の形状を保っていた以前とは違う。
第二位から受けたダメージの回復の過程で『ベロニカ』が想定を超えて活性化し過ぎたのか、その下半身がアリ塚のようにも繭にも見える卵管へと変化。
更に卵管を破壊されたことで『羽化』または『脱皮』するように、上半身が変異した下半身から分離・独立。
今では羽アリのような四枚の羽を持ち、下半身には植物の根のようなものがある飛行形態と化していた。

「うろちょろとしやがって……!!」

舞うアレクシアに追い縋る垣根。
言葉に対するアレクシアの応答はない。当然だ。
想像を大きく超えて活性化し過ぎた『ベロニカ』によって、アレクシアの理性は既に呑み込まれている。

人間としての自我を保ったままウィルスの力を得るためのコールドスリープ法。
しかし『T-Veronica』というウィルスの秘めたポテンシャルは製造者である彼女の想定すら超えていたのだ。
自らの研究に食われて自我を失いアリのような姿に変異したアレクシアの表情は、どこか自らの末路に対する悲壮感が窺えた。

だからといって垣根帝督は容赦をしない。
この女――今はもう女とは呼べないだろうが――を殺すことは既に確定事項だ。
一息にグンと距離を詰め、その首を白い翼が落とそうとしたその時だった。

「ァ、アアァァアアアァアアアアアアアアアッ!!」

アレクシアが奇声をあげる。それと同時に垣根の頭の中で割れるような痛みが生まれ、浮力を維持できなくなりその体が落下し始めた。
何が起きたか。垣根はすぐにその正体を見抜く。

(キャパシティ、ダウンか……っ!?)

元は特殊な音で能力者の演算を阻害する音響装置。
アレクシアが人間としての理性を保っていた時に、自らの声そのものにその性質を付与したのだろう。
でなければ理性のない今のアレクシアに発動させることはできないはずだ。
もしかしたらその無茶苦茶な方法の成功には『ベロニカ』の力も大きく関わっているのかもしれなかった。

『未元物質』を失い墜落する垣根を鮮血の矢が襲う。
それはアレクシアの体内から解放され空気に触れた瞬間に激しく燃え上がり、業火の矢と化して垣根を貫いた。

「ぐあああああああああっ!?」

炎に塗れて叫ぶ垣根。アレクシアの声による頭痛を無視し、強引に能力を発動させることで全身の炎を消し止める。
その際に軽い能力の暴走が起きたのか、バン、という小さな音と共に垣根の腕から血が噴出した。
次々に降ってくる血炎の嵐を垣根は転がるようにして何とか回避するも、燃え広がる炎によって徐々に逃げ場が失われていく。

「ク、ソ……ッ!!」

いよいよあとがない。大規模な暴走を起こすリスクを覚悟の上で強引に『未元物質』を発動させるしかない。
だが当然そうなればその暴走に真っ先に食われるのは垣根自身であり、アレクシアどうこう以前にその瞬間に自滅する可能性が高い。
とはいえそれ以外にもはや方法はなく、やるしかない。しかし、

「……?」

空中を舞うアレクシアが突如バランスを崩した後、表情が一変した。
苦しげな表情を浮かべ、直後には憎々しげにどこか違う場所を見つめている。

「……っ、らぁ!!」

その瞬間、確かにアレクシアの演算を阻害する声は止まっていた。
垣根は迷わなかった。何が起きたのか考えるのは後回しにした。
六枚の翼を展開し、一瞬でアレクシアに肉薄する。そのスピードも破壊力も随分衰えていたが、今ならそれで十分だった。

アレクシアは突然眼前に現れた垣根に反応が明確に遅れていた。
垣根もそこで気付く。アレクシアの四枚の羽の内二枚が、重ねて何かに貫かれたように穴が空けられていることに。
アレクシアが見つめていた場所が、現在発射準備を進めている列車であったことに。
アレクシアが宙を飛んだことで列車との間に遮蔽物がなくなったことに。転がる垣根を狙っている時は動きがほぼ静止していたことに。
そして、列車の窓からこちらを狙う、銃を構えたボロボロの無能力者の存在に。

(……やっぱりお前はイレギュラーだよ、浜面)

アレクシアが何か動こうとして、

「もう遅せえよ」

ズバン!! という音がした。
垣根の背から伸びた白い翼がアレクシアの四枚の羽を全て斬り落とした音だった。
切断面から大量の血が溢れ、瞬間で莫大な炎へと変わりアレクシアは自らの血炎にその身を焼かれていく。
更にとどめとばかりに垣根はその心臓を正確に貫き、女王アリは堕落する。その墜ちゆく場所は一つ。

浜面仕上も利用した、加熱処理用溶鉄プール。
自ら作り上げたウィルスに呑まれ、羽をもがれ、自らに焼かれ、心の臓を貫かれ。
アレクシアは溶鉄プールへと落下し、消えていった。『木原』の一人として名を連ねた者の末路はそんなものだった。
そしてこの瞬間に垣根の戦う理由もまた幕を閉じた。アレクシアを殺すためにここまで来たのだ。

「……テメェ風に言えば、『廃墟のなかから新しい生が花咲いても、それは生の耐久力よりは、死のそれを証明するばかりである』ってとこか」

だが、垣根は見た。


御坂美琴 / Day3 / 11:06:00 / 『ハイブ』 プラットホーム

その対峙は何度目だっただろうか。
片や異形の化け物、『多重能力者』リサ=トレヴァー。
片や第三位の超能力者、『超電磁砲』御坂美琴。
母を求める悲劇のモンスターは執拗に美琴に食らいついた。

「キィ、ヤァアァァァアアアアア!!」

拘束具で拘束されている両の手を振り上げ、美琴の頭部目掛けて振り下ろす。
美琴はそれを回避し砂鉄の暗殺針によるカウンターをお見舞いしながらも、追い詰められているのは美琴だった。

(……元から持久戦なんて不可能)

リサは驚異的な回復力を有している。どれほどのダメージも短時間で全て回復してしまう。
一方で御坂美琴は人間だ。ダメージを負えばすぐに治ることはないし、動けば動くほど疲労もする。
やるなら短期決戦。一気にたたみかけてしまう以外にないのだろうが……。

(でも、こいつを仕留められるだけの攻撃がない!!)

雷撃の槍や砂鉄程度ではその無限に近いレパートリーを誇る『多重能力』に阻まれる。
食らわせることができても、その程度ではすぐさま回復されてしまう。
美琴の代名詞でもある超電磁砲。それを直撃させたところでリサはその生命を繋ぎとめるだろう。
その程度では回復してしまう。質量を大きくするだけのようなものではない。もっと、何かもっと違う次元の手が必要だ。

攻めあぐねる美琴とは対照的に、リサは自らの損傷を大して気にする様子もなく能力を放っていた。
何か巨大な機材が風の噴出点から発射される形で撃ち出された。『空力使い』。
美琴は磁力を用いた立体的挙動でかわしながらも牽制の電撃を打ち込むが、やはり効果は見込めない。
美琴の出力が大分落ちていることを除いても、こんな程度の攻撃では本当に牽制にしかならない。

(これはまずい、かな……)

その上美琴を焦らせるのはずっと『ハイブ』に鳴り響いている警告音だった。
自爆装置の起動を確認、速やかなる避難を勧告。
このプログラムを停止することは不可能。そして消滅まで残り五分。
それを過ぎれば『レギア・ソリス』によって消し飛ばされることになる。

「……っ!!」

しかしそんな思考の隙を突かれた。
突如何もない空間に現れた光の板のようなものが美琴の腹部を直撃し、その呼吸を一時的に停止させる。
声も漏らせなかった。その小柄な体が小さくバウンドしながら床を滑っていく。
それでも咄嗟に前髪から電撃を放つも、展開された誘電力場によって弾かれリサから赤黒い光が放たれた。

その光の正体なんて分からない。おそらく一〇は超える能力の複合体だろう。
ただその性質は分からずとも、これを食らえばただでは済まないということはすぐに分かった。
しかし元々無理に無理を重ね疲労もダメージも溜まっていた美琴の体は中々言うことを聞かない。
そのグロテスクな光が目前にまで迫った時、

バギン!! という聞き覚えのある音を美琴は聞いた。
見てみれば、右手を突き出している見慣れた少年の背中がそこにあった。

「アンタ……」

「大丈夫か、御坂?」

上条当麻がそこにいて、どう見ても上条の方がボロボロなのにそんなことを訊ねてきた。
全くこの馬鹿、と言おうとして今のダメージや疲労とは“全く別の原因で”美琴は膝をつき、苦痛に顔を歪める。

「お、おい、本当に大丈夫か!?」

「……ちょっと痛いのもらっただけよ。それよりこいつは駄目よ。
どうやったって倒せない。危険だけど、強引に列車を動かして放置するしかなさそうね」

おそらくリサの不死性は『G』に次ぐレベルだろう。
殺しきれない。しかし殺しきれなければ幾度でも立ち上がる、そんな化け物。

「いや、それは分からねぇぞ」

上条はそう言って遠くの空中を指差した。
美琴がそちらへ視線をやると、そこには六枚の翼で宙に浮かんでいる垣根の姿が見えた。
だが無理だ、と美琴は思う。たとえ垣根が加わったところでリサを殺しきることはできないという事実に変化はない。
かつて美しい少女だったリサ=トレヴァーは、今やそういうレベルの化け物なのだ。

しかし美琴はそれを見て、思わずああ、と呟いていた。
思わず顔色が変わる。上条はその右拳をぐっと握りしめ、それまでの時間稼ぎを買って出た。

「頼む」

「言われなくてもね。アンタこそ勝手に死ぬんじゃないわよ」

……実際、上条とリサ、『幻想殺し』と『多重能力者』の相性は抜群だった。
リサがどんな能力をいくつ発動させようとも、どれほど複雑に組み合わせて反応を起こさせようとも。
上条が右手を一振りするだけで幻想殺しは全てを消し飛ばす。

唯一の難点は上条の攻撃も何も通用しないことだが、あくまで目的は時間稼ぎ。
リサから紫色の炎が噴出した。どんな恐ろしい効果があるかは分からない。だが、

「確かに威力はスゲーんだろうが、それが異能なら……!!」

バギン!! と音をたててやはり消滅。変異した化け物や亡者には効果の薄かった幻想殺しだが、リサが相手ならばワイルドカードとなる。
見えない衝撃波も、精神能力も、水流操作も、念動力も、全てが右手一つを突破できない。
そして、美琴の準備は完了した。

「……オーケー、行くわよ」

上条が時間を稼いでくれたおかげで、それは既にいつでも撃てる状態にある。
リサから伸びた黒い影のようなものを右手で破壊した上条が美琴とリサの直線軌道上から外れると、美琴はその引き金を引いた。

「これで、終わりよッ!!」

カッ!! という純白の輝きが瞬き空間を光で埋め尽くした。
放たれたのは超電磁砲。ただしその色は輝く白。純白の超電磁砲だった。
その弾体となったのはゲームセンターのコインなどではない。
この世に存在しない物質である『未元物質』だ。

「ギキィ、キィアアァアアアァァアアアアアアアア……!!」

砂鉄でコーティングすることで弾体とすることを可能にし、生まれたかつてない一撃。
『超電磁砲』と『未元物質』の掛け合わせ。この世界に存在しない超電磁砲。
燈色ではなく純白の輝きを撒き散らしてその超電磁砲はリサを完全に光の中に飲み込んだ。

「You lose,little girl.」

リサの肉体が消し飛んでいく。剥がれていく。
だがリサはもはや抵抗すらせず、ただそれを受け続けむしろそれを望んでいるようにさえ見えた。
歪な生命の鎖から解放されることを待っていたのか。それとも愛するジェシカの元へ行けるからか。
それは分からないが、リサは純白の超電磁砲の中で逃げるどころか前進さえしていた。

「マ、マ……」

リサがぽつりと呟いて。
美琴にもそれは聞こえていて。

「――――――……疲れたでしょう。ゆっくりおやすみなさい、リサ=トレヴァー」

その言葉と共に、リサはどこか満足げに消滅した。
あとに残ったのは遥か遠くまで破壊された『ハイブ』の光景だった。

「……こんなんで、よかったのかよ。こんな道しか、なかったのかよ……」

上条は拳を握り締めて震えていた。
そんな言葉が出てくることが上条が上条である所以であろう。

「……分からない。でも現実問題として、リサを元に戻す方法はない。
終わらせてあげたいとは思った。いつまでもお母さんを探して彷徨って、その過程でたくさんの命を奪って……。
こんなに悲しくて虚しくて、理不尽なことはないわよ。きっと」

ちくしょう、と上条は小さく呟いた。
結局のところリサは上条よりも美琴よりも、誰よりも被害者でしかなかった。
言葉を失う二人だったが、先に口を開いたのは美琴だった。いつまでもこうしているわけにはいかない。

「……時間、ないわよ。もう」

「……ああ。分かってる」

そのころ、滝壺理后は列車内にいた。
意識の戻らない硲舎佳茄、無理をして垣根の援護射撃を行った浜面仕上。

「……かみじょうも、行っちゃったね」

滝壺はふと、何故こんなに必死になって生き延びようとしているのだろうと思った。
全てを諦めてしまえばすっかり楽になれるのに、何故こんな血反吐を吐くような思いをしてまでわざわざ苦難の道を選ぶ?
自分も、浜面も。先ほど飛び出していってしまった上条も。

何故、彼らは人間として戦っている。
何故、彼らは人間の側に付く。

滝壺は、けれど馬鹿馬鹿しい、と突然湧いた疑問を否定する。
番外個体がいつの間にか回収していた“それ”を見つめて思う。
これにしたって、人間だからこその行動なのだろう。

「当然、なんだよね。私たちは人間だもの」

人間だから感情がある。人間だから自分の命よりも優先するものがある。
人間は愛する者も持ち。人間はそんなもののために戦える生き物で。

生きたい、と願う気持ち。滝壺理后は一度だけ見た『G』を思い出す。
インデックスという一人の優しい少女だったはずなのに、何の理由があってかあんな変貌をさせられてしまった。
そして生まれた『G』という新生物。進化を繰り返し、遺伝子を残そうとする存在。

「生きたいんだよね……。だってせっかく生まれたんだから。
どんな形だろうと一度確かに生まれたからには、生きたいよね」

何の罪もないインデックスを犠牲にする形ではあったけれど。
確かに『G』という生物はこの世に生まれ落ちた。
であれば、その生存のために動くことは当然で。
たとえ誰かを傷つけても。たとえ何かを踏みつけにしても。

「でも……それは、私たち人間も同じなんだよ」

どんな形で生まれるかを選ぶことはできない。
しかし生まれたのなら生きたい。誰だって、何だって。
だから、と滝壺は呟き。

「あなたが生き延びるか……。私たちが生き延びるか……。それが、答え……!!」


一方通行 / Day3 / 11:05:43 / 『ハイブ』 カーゴルーム

第一位の超能力者、最強の超能力者はあまりのダメージに全身を震わせていた。
肘から先のない左腕を庇いながら、口から滝のように血を吐いてその場から飛び跳ねる。
その背中からは巨大な、黒い翼の形をした墨のようなものが激しく噴出していた。

「ハァ、ハァ、ハァ、ぐっ……。クソッ、タレが……」

……一方通行と番外個体の前に現れたのは『G』だった。
垣根帝督の前に現れた時から多少の変化が見られたが、そこまで大きな変異ではなかった。
この脅威を前に一方通行は能力を全解放してこれに応戦。
苦戦を強いられるも、黒い翼を顕現させることで『G』に勝利した、はずだった。

だが本番はそこからだった。
更なる強敵に対応するため、生命を繋ぎとめるため、その生命の危機に『G』は超回復を伴う『進化』を起こす。
二本の足では自重を支えきれなくなったのか、あるいは二本足歩行での進化に限界を見出したのか。
『G』はついに獣型の四足歩行(新たに創り出された二本の補助腕があるため正確には六足歩行だが)に移行。
肩や背にも眼球状組織が更に生成され、頭部と一体となっている胸部の大顎には牙……でいいのだろうか? それがハリネズミのように鋭く、びっしりと存在している。

『G』はまた生命危機を克服し、強敵に対応し、更に一段上のステージへと上がった。
獣型になったことで『G』は二足歩行の時にはなかった高い運動性能を獲得。
全身をバネのように撓らせ、『G』は高速かつ正確な動きで一方通行を襲撃。
対して一方通行は背中の黒い翼を振るいこれを迎撃しようとした。

だが、そもそも。
今の『G』に、一方通行の黒い翼なんて通用しなかった。

黒い翼によって生命の危機に追い込まれ、それを克服するために起こした進化。
一方通行の振るった翼は『G』の大顎に捕らえられ、そのままバツン――――!! と噛み砕かれた。
驚愕し、隙の生まれた一方通行に『G』はそのまま突進し、何とか咄嗟に回避するもその左腕の肘から先を食い千切られた。

「第一位!!」

「来るンじゃねェ!!」

叫ぶ番外個体を一方通行は制止する。
元々その頭に収められていた一〇三〇〇〇冊のおかげか、それとも『G』として獲得した性質のおかげか。
一方通行の誇る『反射』は通用しない。そしてその切り札である黒い翼すらも。

(……まずい)

一方通行は素直にそう思う。勝ち目が見えない。
何をしたところで通用する気がしない。仮に大ダメージを与えられたとしても、そうなれば『G』は更なる進化を果たすだろう。

「グォオオオォォォオオオ!!」

唸るような咆哮と共に『G』が決定的に動く。
一方通行はベクトルを操作することによって周囲のものを強引に引き千切り、恐ろしいスピードで『G』へと投擲する。
だが『G』はそれすらも足場とし、空中で飛び跳ねそれを伝って一方通行へと接近する。

「こっちのことだって忘れないでほしいね!!」

だが突然『G』を一筋の紫電が打った。
放ったのは番外個体。その程度の一撃は『G』に何のダメージも与えない。
しかしそれでも僅かにその意識を逸らさせる程度の効果はあった。

(こいつで……どォだ!?)

第一位はその隙をみすみす見逃さなかった。
背中から伸びる黒い翼が大きく伸び、一気に一〇〇以上に分断。
あらゆる方向から檻のように取り囲むと満身の力で『G』を襲った。
凄まじい爆発と爆音。カーゴルームがあっけなく破壊され、地形そのものが変えられていく。

激しく立ち込める噴煙を一方通行はその赤い目で凝視する。
これで『G』が死んだなどと考えるほど一方通行は楽観主義者ではない。
しかし、

「がっ、ばぁっ!?」

何か赤いものが光った。そう思った時には既に現象は終わっていた。
一方通行の細身の体が宙を舞い壁に叩きつけられる。全身から血が噴出していた。
『G』は全身の眼球状組織を赤く輝かせ、噴煙を切り裂いてその姿を現す。
ダメージがあるのかないのか、それすらも謎だった。

「だっ――――」

おそらく番外個体は第一位、と言おうとしたのだろう。
だが、言葉はそこで途切れた。『G』が爆発的な加速と共に番外個体へと一瞬で肉薄したからだ。
極限まで時間が引き延ばされた錯覚の中で、『G』は大顎を開いて番外個体へと襲いかかる。
それを見た一方通行は何かを考えるより先に動いていた。

(――間に――合え――――!!)

考え得る全てのベクトルを片っ端から操作し、己の推進力へと変換。
背中の黒い翼を羽ばたかせ常識外のスピードを瞬間的に叩き出すことで強引に『G』と番外個体の間に割って入る。
間に合った。それを認識し終えたその瞬間、

ピー、という小さな電子音を一方通行は聞いた。
それは脳に障害を負った一方通行が動くために必要な電極のバッテリーが切れた、そのサインだった。
最強の超能力者から最強の能力が失われ、その身がただの無能力者へと堕ちた印だった。

「……あ?」

だから、一方通行の体が『G』の大顎に噛み砕かれ。
水風船を叩き割ったように血を噴水の如く撒き散らして沈み込んだことに、何の不思議もなかった。

「……は、」

そしてあまりに一瞬の出来事に、番外個体が声にならない声を漏らしたのも。
反射的に弾けた前髪からの電撃を無視して突撃した『G』の、その一撃で首から上が消失したことも。
何も不思議なことではなかった。血に濡れた『G』は雄叫びをあげる。あるいは歓喜の声を。

一瞬すぎて何も思う暇もなく二人は絶命する。
一方通行が命を失うその直前、白い翼のようなものが伸び最期の最期に『G』を薙ぎ払いぐちゃぐちゃにした。
まるで道連れだと言わんばかりに。しかし一方通行に思考する理性はなく、もう一秒だって生き延びるゆとりもなく。
一方通行と番外個体は『G』によってあっという間に命を落とした。

何かを残す暇も、思いを吐き出す時間も、言葉を交わす余裕すらなく。
こんなにも呆気なく二人は倒れた。最も大切なものを失いながらもここまで戦ってきた果ての最期。
分かっていた末路だった。あの変わり果てた少女と対峙した瞬間から、最後にはこうなることは分かっていた。
だから二人は抵抗することもなく、静かに訪れた安息に身を委ねていった。





どうかあの日々を、もう一度――――――。




俺が起きる時は、大体決まってこれだ。

「おっきろー、朝だーってミサカはミサカはあなたにダイブ!!」

……うざってェ。あまり強く振り払うわけにもいかず俺はとりあえずベッドから蹴落としてみる。
この程度では退かないのがこのガキの面倒なところなンだ。
俺はただ惰眠を貪りてェだけだってのに。

「むーっ、あなたはいつもこれなんだからってでもミサカはミサカはめげないんだから」

やっぱりだ。クソウゼェ。これ以上騒がれてもたまらないから俺は仕方なく起き上がることにする。
ぶすっとしてるだのなンだの言われるが朝は誰だってそォじゃねェのか?
低血圧一方通行としてリビングへ出ていくと、黄泉川と芳川が声をかけてくる。

「おう一方通行、おはようじゃん」

「おはよう。……あなた、全国何か不機嫌でとりあえず眠いんだけどまた寝に戻るのも面倒くさいオーラを醸し出す選手権があったら優勝できそうな顔してるわよ」

わけ分かんねェよニート。

「何だその長ったらしくて意味不明な大会は。オマエは全国ニート選手権があったら優勝できそォだがな」

「私は『落第防止』とかをやってもいいかなってちょっとだけ思ってないこともないような気がしないでもないの。働く意思のある人間をニートとは呼ばないのよ」

覚えておきなさい一方通行、と言って芳川は優雅にコーヒーを一口飲む。
……コイツ、本当に大丈夫なのか? 少しだけ不安になる。

「驚くほど全体的にふわっとした表現だなオイ」

「それより早くご飯にしようよーってミサカはミサカは思ってるんだけど……」

「はいはい、今できるじゃん。打ち止め、これ持っていってくれる?」

「はーい!!」

打ち止めと黄泉川が食器をテーブルへと並べていく。
今日のメニューは典型的な和食だった。味噌汁に焼き魚に卵焼き。
こォいうのが出るのは珍しいな。まァいちいち献立にまで文句つける気はねェが。

ついでに言えば手伝うつもりもあまりない。
とりあえず洗面所で歯を磨き、冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを一つ空ける。

「寝起きによく一本まるごと缶コーヒー飲めるなぁ」

「うるせェ、好きなンだよ」

まァ、特別美味いコーヒーってわけじゃねェンだが。
このメーカーはとりあえず没だな、と空き缶をゴミ箱へ放り捨てる。
席についてからふと気付いた。

「……そォいや番外個体の奴はどこ行った?」

「朝早くに出て行ったよってミサカはミサカは思い出してみる」

「『買い食いはワルの基本』だとか何とか。まあ適当な時に帰ってくるでしょう」

「とりあえずあいつの分の昼飯夜飯がいるのかどうかだけでもはっきりさせてほしかったじゃん」

番外個体が早起きして出かけるなンてのは滅多にない。あいつも俺みてェに惰眠を貪るタイプだからなァ。
なのにそこまでして出かける理由……どォせあいつだろォな。
黒夜海鳥っつったか。俺の演算パターンを移植した『暗闇の五月計画』の生き残り。
『新入生』だの何だのってハシャいでたのが嘘みてェだなもォ。

「どう、美味しいか?」

「……食えなくはねェ。っつゥかオマエ、まさかこれも……」

「おう、炊飯器製じゃん?」

そう言って黄泉川は何故かぐっと親指を立てる。
何のサムズアップだそりゃ。
いやそれよりこれを炊飯器で作ったってのはどォいうことだ何の能力だそれとも非科学か?

「もしかしたらオマエ、とンでもねェチカラを身に着けちまったのかもしれねェな……」

「まあ美味しければなんでもいいのよって桔梗は桔梗は気にしないのだけど」

「真似しないでよー!! ってミサカはミサカはミサカのアイデンティティの危機に戦慄する……」

「芳川オマエもォ一度それやったら叩き潰すぞ」

「桔梗、無理すんなじゃん……」

黄泉川、オマエもな……と口から出そォになって咄嗟に押し止める。
たまにどォいうわけか精神系能力者ばりの読心能力を披露しやがることがあるからな女ってのは。
と、俺の携帯に番外個体から何かの画像が送られてきた。どォせアイツのことだ、ロクなモンじゃねェことは間違いねェが……。

「……なンだこれ」

思わず呟いていた。見覚えのあるガキの頭が何かヤベェことになっていた。
しかもこの女、よく見ると目に涙を滲ませてやがる。
番外個体の野郎、一発ブン殴ってやらねェと駄目かもしれねェな。捕まるわアイツ。

「なになに、何が送られてきたのってミサカはミサカは興味津々」

「やめなさい打ち止め。教育上よろしくないわって桔梗は桔梗は理解のある女として生暖かく見守るわ」

「よォしオマエちょっと歯食いしばれコラ」


ミサカがこうやって朝早くに外出することは珍しい。
第一位の顔面で迷路を書くってのも捨てがたいプランだけど、最近はこっちなんだよねぇ。

「ちーっす、元気してる?」

「……またお前かよ」

げんなりとした様子で黒夜海鳥は呟く。
最近はこいつで遊ぶのが楽しくて仕方ない。
能力こそ大能力者の『窒素爆槍』でそこそこの力を持ってるけど、サイボーグ化してるのが致命的なのさ。

「今日はどんなプレイがお望み? 二四時間耐久コース? それともウサミミつけてのお散歩コース?」

ミサカはわざわざ店で買ってきたコスプレ用のウサミミをちらつかせる。
黒夜の頭にその恐怖を刷り込んでおく。さあさあどんな嫌々が出るかなオラワクワクするなぁ。

「……オマエもよォ。もォちょっと気をつけるべきだったな」

その口調が明確に変わった。これは埋め込まれた第一位の攻撃性が表面に出た時のサイン。
おっとヤル気かな。いいぜカモンベイビー。

「オマエの立ってるその場所は!! 私のこの腕を使えば!! とっくに射程圏内だって言ってンだよォ!!」

黒夜の腕がこちらへ向けられ、そこから『窒素爆槍』が撃ち出される……ことはないのだぜ。
ほいビリビリっと。

「ぎゃあああああああああっ!?」

「んん? もしかしてこの距離なら『窒素爆槍』の方が先に届くと思った?
ミサカがそんな不用意に踏み込むとでも思ってたのかにゃー?」

「痛い痛い!? 馬っ鹿お前そこはやめだからやめろって!! 金具が擦れて痛覚神経にノイズがぁ!?」

こうして自信満々の悪を思いっきり上から踏み躙って、そのお山のように高い矜持を靴裏で踏みつけるこの快感。
これって本当に甘美な感覚だよね。こいつってば実に踏み躙り甲斐がある。
イイ反応してくれるぜいやっほー。

「だあああああああっ!? やっぱオマエ駄目だ!!
クローンがどォとか植えつけられたのがどォとかじゃねェ!! オマエは根っからの悪党だわちくしょうが!!」

「いいじゃんいいじゃん、ドブみたいな目をした者同士仲良くしようよ?」

そうやって黒夜で遊んでいると、突然知らない人に声をかけられた。

「ちょ、ちょっと、一体何をしてるんですか!?」

「んん? どこのどいつだ今イイトコなんだけ……うげっ」

最悪だ。そこにいたのは一人の女の子なんだけど、その腕にはあの腕章がある。
ミサカのだいっ嫌いなあのマーク。風紀委員の紋章が。
その目はミサカと違って凄く綺麗で澄んでいる。真っ直ぐな目をしている。
このミサカとは違う。ミサカにはできない目。だから、ミサカは……。

「チッなんだ良い子ちゃんかよ」

「いきなり舌打ちしないでください!? ……あ、あれ? あなた、御坂さんに……?」

やべっ!? こいつ、おねーたまの知り合いだ!?
どうにかしないといけないよねこれ、さあどうしようか。

「……言っておくが、私が手伝ってやる義理はねぇぞ?」

「ミ、ミサカを裏切るつもり!?」

「どの口がほざいてんだ!? それとテメェ演技下手すぎんだよ!!」

チッ、駄目か。

「……まあ、でも今回は手伝ってやる」

「お? いいねぇそうこなくっちゃ」

「だってそいつ良い子ちゃんみたいだし」

「よーしさー口封じだ口封じ」

腕をぐるぐる回しながら言うと、良い子ちゃんはひぃ!? と露骨に怯えた反応を見せる。
ミサカ的にはこういう小動物的なのを虐めてもあまり面白くないんだよねぇ。
こう、高慢ちきでいかにも悪党って感じなのを屈服させて頭下げさすのがイイんだけど、今回は仕方ないでしょ。

「や、やめてくださいー!?」

「ここにこれを入れて、そしてこうっと……」

「いやいや、それはこっちだろ。お前のそれだと何かシンメトリーになってんぞ」

ミサカたち二人でこの子の頭を愉快なプランテーションにしたあと、携帯でその画像を一枚撮影。
まあ元々花畑だったから問題ないよね。それにミサカ生後数ヶ月だから、多少のお茶目は許容されるべきだよね。

「あなたはミサカのことなんて何も知らないし会ってもいない。ドゥーユーアンダスタン?」

腑に落ちないような顔をしながらも良い子ちゃんが頷いたのを確認して、ミサカは早々にその場を離脱。
去り際に通りがかった他の風紀委員と良い子ちゃんが黒夜を追いかけて、逃げながらミサカへの愚痴を零していたような気もするけど見なかったことにしよう。
とりあえずさっき撮った画像を第一位に送った後、ミサカは適当に街をぶらつくことにした。

「なーんか買い食いしたら帰るかなー。やっぱワルってのは買い食いに始まり買い食いに終わるよね」





それはきっと、夢のような日々の名残。








YOU DIED





垣根帝督 / Day3 / 11:06:58 / 『ハイブ』 プラットホーム

アレクシアを仕留めた垣根帝督、リサを眠らせた美琴と上条。
彼らはゲートの解放と電力の供給を済ませ、列車の発射準備を完成させていた。
そして美琴と上条よりも早く列車の近くまで戻ってきていた垣根は、そこで足を止めた。
止めざるを得なかった。そこにいたのは、

「……ハッ。なっさけねえなあ、おい」

垣根の口からそんな言葉が漏れる。心からの嘲笑だった。
あまりに無様で、笑えてくる。全てが無様で、自分も、何もかもがどうしようもなくて。
ただ分かったのはあれを放置しては、列車は無事に発車できないだろうということで。

「……イイぜ。あの時の続きといこうじゃねえか、一方通行」

全身から血を噴出して、人間ではないものの目となって、異形のものへと変異した腕を伸ばして。
背中からはあの時も見た黒い翼のようなものを噴出して、学園都市最強だった存在がそこに立っていた。

何故一方通行がこうなったのか、そんなことは考えない。
どうでもいいからだ。とにかく今のこの一方通行だった何かは、彼らの障害となる。
排除しなくてはならない。誰かが、どうにかして。

「リベンジマッチだ」

垣根は呟いて、六枚の白い翼を展開させて。
刹那の躊躇も逡巡もなく、全力で一方通行へと突っ込んでいった。

……黒い翼が振るわれる。垣根はこれを回避する。
今の一方通行はもはや一方通行ではない何かだ。その理性も知能も搾りカスしか残っていない。
その単純かつ無駄だらけの動きは、注意していれば避けることは不可能ではなかった。

垣根の翼が真っ直ぐに一方通行を狙って伸びる。
横からぬっと現れた黒い翼に容易く翼をもがれるが、垣根は瞬時にそれを再生成。
僅かに開いた空間に全身を捻じ込んで距離を詰めていく。

一方通行の黒い翼が突然割れるように分断され、いくつにも分かれる。
絨毯爆撃のような勢いで迫る黒き死を垣根は飛び上がって乗り越えようとするが、逃げ切れない。
ボンッ、という呆気ない音がした。少し掠っただけで、垣根の右腕と右足がまとめてもぎとられていた。
……構わない。垣根は突撃を尚も敢行する。

(それがどうした)

この勝負では、最初から垣根に失うものなど何もなかった。
全てを失い、やるべきことは果たし。だからこそ第二位は神風特攻隊の如くあらゆる損傷を無視して突き進む。

あと僅かで確実に捉えられる射程圏内だ。分かたれた黒い翼の一部が背後から迫る。
咄嗟に身を捻るも、そのわき腹をごっそりと抉り取られた。
大きすぎる傷口からは臓器が零れ落ちたが、その時には既に垣根の目は確実に一方通行を捉えていて。

ザン、と。垣根帝督の操る『未元物質』が少し前まで一方通行だった何かの首を落としていた。
あらゆる損失を無視した特攻が刃を届かせた。
……ところで、車は急には止まれないという言葉をよく耳にすることだろう。
車はブレーキを全力で踏んだところで、停止するまでには時間がかかる。

だから。それを操るものが絶命したところで。
既に振るわれていた黒い翼はすぐには停止できなかった。
振るわれた時の勢いをそのままに、対象を殺すことを最優先にしたことで動けぬ垣根を捉え。
ズッ、と。濡れた和紙を破るような気軽さで、垣根帝督の右半身が丸ごと消失した。

「……ぐっ」

防御というものを捨てて落とした、この化け物の首の代償。
縦に見て右。脳天から股下までの半身を失いその切断面からぐちゃぐちゃと臓物や血が堰を切ったように次から次へと溢れ出す。
床に醜悪な死のプールを作り出し、垣根の命が消えていく。

「――――……ったく、やってらんねーよ。ホントに」

そして、その命を閉ざした垣根の体が自ら作り上げた臓器と血の池に沈み。
そのまま静かに絶命した。


……その光景を、最期の瞬間を、列車に戻ってきた上条と美琴は目撃していた。
列車の中にいた滝壺理后も、また。
誰かがそれを見て絶叫した。やり場のない怒りに震える声だった。

上条当麻は、走り出そうとした。その行為に意味はない。
既に垣根も一方通行だったものも、どちらも命を落としている。
何もできることなどないのに、抑えられない衝動に駆られていた。

だが時間はない。間もなく『レギア・ソリス』が学園都市目掛けて照射され、『滅菌』が行われる。
美琴と滝壺に必死に抑えられ、上条は引き摺られるようにして列車へと入っていく。
そこまできて、上条は全身の力が抜けたかのようにその場に崩れ落ち。
意識のない佳茄と浜面、何も言えずに立ち尽くす美琴と滝壺、そして上条を乗せた列車は、ゆっくりと動き出した。





どうかあの日々を、もう一度――――――。




ムカついた。

「おい、確かに奢ってやるとは言った。言ったが、少しは遠慮ってものがあるだろ」

俺の言葉が聞こえているのかいないのか、浜面は次から次へと料理を注文していく。
しかもご丁寧に値段の高いものばかりを選んで、だ。
……まあ、ここは高級な店でちっとばかり値段が張るとはいえ、こんなものいくら頼んだって俺の財布は少しも痛くない。
だがあのシスターじゃあるまいし、明らかに食いきれない量を人の金だと思って頼みまくっているのがムカつく。

「いやいや、だって俺こんな店来たことないぜ!? つか外食でこんな美味いモン初めて食ったわ!!」

ここは俺が密かに気に入っている店で、ドレスコードもなければ特別なマナーも要求されない。
それでいて味は超一級品なのだから浜面の野郎を連れて行くには丁度いいかと思ったんだが……。

「お前ら超能力者って麦野とかもそうだけど、いつもこんな美味いモン食ってんのか?
不平等!! 不平等だ!! このブルジョワ共め!!」

うるせえよクソボケ。

「別に誰もかれもがそうってわけじゃねえだろ。俺だっていつも高けぇモン食ってるわけじゃねえ。
一方通行のクソは知っての通りそこらのファミレスで食うし第四位だってシャケ弁食ってんだろ」

「御坂とか第五位とかは?」

「あいつらは知らねえが、御坂もよくファミレスで駄弁ってたりするだろ。
普段の昼食なんかは学校の学食だしな」

「常盤台中学の学食……半端ねぇんだろうなぁ……」

そう言って遠い目をする浜面。
こいつこんなに食い物に執着する奴だったか?
ブルジョワに憧れでも持ってんのか?

「……お前、常盤台の学食の平均額知ってるか」

「いや、知らねぇけど……」

知らないと言うので教えてやると、浜面の奴はぶほっと飲んでいたものを吐き出した。
汚ねえだろうがこの野郎。というかそんなに驚くような値段か?

「……今分かった。お前らは俺とは違う世界の人間だ。同族じゃねぇ」

「大袈裟だろ」

「大袈裟じゃねぇよ!! 大将の食生活知ってんのか? この間なんて大量のモヤシでかさ増しして凌ぐ生活が三日目に突入したって言ってたぞ」

「ウソだろおい」

……今度上条にも飯くらい奢ってやるか。
あのシスターが馬鹿食いするだろうが別に痛くはねえしな。

「というか無能力者っつったって生活に困窮しない程度の奨学金は出てるはずだが……。
あいつのことだ。カードが認識されないだのつまづいてドブに落としただのそんなのばっかなんだろうな」

「俺はそこまでではねぇけどよぉ……」

「お前は滝壺のヒモだからな」

「ヒモじゃねぇ、ヒモじゃねぇっつってんだろ!!」

浜面も最近ちょっとした仕事を始めたようだが、残念なことに滝壺の収入とは天と地の差があるはずだ。
まず無能力者と大能力者ってだけで奨学金の桁が違げぇからな。
いいじゃねえか楽な生活で。

「必死になるのは分からなくもない。だが、お前はどう見てもヒモだ。受け入れろ」

「くっそ……。格差社会ってのは残酷なもんだな……」

まあ今はこいつも働いて金を入れているわけだし、結婚しているわけでもない。
多分ヒモとは言わねえんだろうが、その方が面白いからそういうことにしておこう。
この学園都市でレベルの違いは財力の違いに大抵直結するからな。正直どうしようもねえところではあるだろうが。
そういや心理定規の奴は小遣い稼ぎとやらはまだやってるんかね?

「ま、ある種不可抗力なところはあるだろ。仕方ねえっちゃ仕方ねえ」

「いや、もっと頑張って少しでもヒモの汚名を返上しないとな……麦野や絹旗にも散々弄られてるし……」

「そうかい。ま、良い心がけなんじゃねえの」

「というわけだから、また今度食事お願いします第二位様」

「結局飯はたかるのな」





それはきっと、夢のような日々の名残。








YOU DIED




投下終了

というわけで一方通行、番外個体、垣根帝督、退場となります
お疲れ様でした
次回投下は一月以内にしたいと思います

とうとう敵も味方も主力やボス級ほぼ壊滅か……
一方・垣根の壮絶な死にっぷりは正直驚いた


ここで表だったらエンディングだったよな
裏では


残るはインデックス第5形態だけか
レールガンで対応できるのか

>>1です、遅れましたが予定通り投下します

>>619
そうですね、表ならエンディングです
当然裏ですけどね!

>>620
もう超未元電磁砲もできませんし、難しいでしょうね





トロフィーを取得しました

『おお、母よ聞き給え、懇願する子らを』
亡き母を求め彷徨うリサ=トレヴァーに永遠の眠りを与えた証。子供にとって母親は神と同じ






生きるとは、生の中心にいることであり、わたしが生を創り出したときの眼差しで生を見ることである





上条当麻 御坂美琴 / Day3 / 11:07:33 / 『ハイブ』 貨物列車

列車は無事に発進した。
小さく揺れる列車内には数人の人間がいる。

上条当麻。硲舎佳茄。浜面仕上。滝壺理后。御坂美琴。
学園都市にて発生した悪夢の如き惨劇の、バイオハザードを生き抜いてきた者たち。
少し前まで、ここに更に三人の名前が連ねられていた。もう少し遡れば四人の名前が。

「…………」

「…………」

「…………」

意識を失っている佳茄と浜面を除いても、呼吸さえ止まるほどの濃密で重い沈黙が場に下りていた。
ここまで辿り着いて、終焉が見えたことを喜ぶ者はたったの一人もいなかった。

『Self-destruct sequence“Regia Solis” has been initiated……』

遠くから聞こえてくる警告文と警告音。列車の立てるガタゴトという僅かな音。
それ以外に何も響かぬ空間で、最初に動いたのは美琴だった。
番外個体が残した“それ”を持って隣の車両へと移動していく。
失意に沈み、俯いている上条は気付かなかった。あるいは意識の端の端の、ほんの端で認識した程度だった。
滝壺はそれを見て何も言うことはなかった。

ガタン、ゴトン。列車は進んでいく。学園都市から遠ざかっていく。
それから少しするとそこに小さな、だが間違いなく違う音が混ざった。

「……ん……あ、う……?」

はっ、と上条と滝壺が素早く反応する。
小さな声を漏らしたのは佳茄だった。佳茄はゆっくりと上体を起こし始めていた。

「……ここ、どこ……? 私……あれれ?」

「き、気がついたのか!?」

「安心した……もう、大丈夫そうだね……」

立ち上がり駆け寄る上条に思わずほっとした笑みすら零す滝壺。
声を聞きつけた美琴もすぐに現れ、時間が止まったかのように唖然としたような表情で佳茄を見つめる。
一方現在の状況が全く呑みこめない佳茄は戸惑うばかりだ。

「へっ?」

がばっ、と突然佳茄の小さな体が美琴に抱きしめられた。
その腕に力が入っていく。その体の温かさを、その心臓の鼓動を、その生の感触を確かめるかのように。
ついに硲舎佳茄は『G-ウィルス』の侵食から解放されたのだ。

「良かった。本当に……良かった……。良かった……!!」

「い、痛いよ、お姉ちゃん……」

良かった、と繰り返す美琴。腕に力が入りすぎ佳茄がそんな声を漏らす。
佳茄を離して美琴は笑う。本当の笑顔を。

「ねえ、佳茄。もうお腹、痛くないでしょ?」

「……ほんとだ。でもなんで……?」

きょとんとする佳茄の頭を、ズキッとした鋭い痛みを堪えて美琴はゆっくりと撫でる。
こうするのも随分久しぶりなようにも感じられた。

「お薬が見つかったの。もう治ったのよ。……そのお守り、効いたでしょ?」

佳茄に着せた自分の常盤台のブレザーを示して笑う。
それを受けて佳茄も満面の笑みと共に力強く頷いた。

「……良かったな。なあ、もう大丈夫だからな。もうすぐパパとママにも会えるからな」

「お兄ちゃん!! うん、ありがとう、お兄ちゃんも!!」

上条の表情にも笑顔が浮かぶ。それを見て上条は何となく、これまで美琴を動かせてきたものを理解できた気がした。
佳茄はウィルスのことを除いても相当の肉体的・精神的疲労が蓄積されているはずだ。
しかし全てが終わったと思っているのだろう、佳茄はひと時疲れを忘れ上条の腕に飛び込んでいく。
上条にも頭を撫でられ満足げな佳茄。そんな三人を見て、しっかりこちらにも礼を言われ、滝壺もまた何か温かいものに満たされる感覚を覚えていた。

「これでまたお姉ちゃんたちやお兄ちゃんと――――」

それは突然だった。何の前触れもなく列車が大きく揺れる。
まるで巨大な何かが飛び乗ってきたかのような衝撃に佳茄の言葉は途中で途切れ、何事かと周囲を見渡し始めた。
上条、美琴、滝壺の顔にもう笑顔はなかった。彼らは知っているのだ。
こんな異常が起きた以上、それが列車が石を踏んだとかそういった甘いもので済んでくれることはないと。

「……来る」

誰かが呟いた。きっとこれが最後だ。
最後に乗り越えなくてはならないものが、彼らの生存を許さない何かが現れる。
三人の頭の中に、共通して一つの名前が浮かぶ。

「佳茄、下がってろ!!」

全身を刺すような得体の知れぬ悪寒と、どうしようもないほどの破滅的な予感。
震えさえしている上条の声に佳茄は何も言えず、ただ言われた通りにするしかなかった。

ドックン

上条当麻が。

ドックン

御坂美琴が。

ドックン

滝壺理后が。

硲舎佳茄が感じ取ったものと同じ、破滅的で絶望的な予感に身を震わせる。

ズガン!! という轟音と共に列車の最後部、その一部が吹き飛んだ。
直後だった。そこから列車へと入り込んできたものがあった。
四人は見た。異形の姿へと具象化した、己の『死』そのものを。

視線の先にいたのは『G』だった。死すべき運命さえ捻じ曲げる新型ウィルスにより変貌させられた者。
上条当麻との交戦を経て、『G』はぎょろぎょろと蠢く眼球状組織を備え、異常に肥大化した右腕を持つ姿から変貌。
巨大な爪が伸び、一人の少女のものだった頭部は埋没し新たな頭部が生成され始めていた。
御坂美琴との交戦を経て、わき腹からは本来あり得ぬ第三、第四の補助腕を生成させ完全に機能させた。
以前の頭部は『G』細胞の中に埋没し、代わりに脊椎部から盛り上がった深海魚の如き頭部を有するようになった。

垣根帝督との交戦を経て、異常の起きていた循環器系までも更に変化。『G』細胞は下半身にまで到達し、新たな眼球状組織が形成。
その巨大な心臓が位置する胸部は異様に盛り上がっていた。
一方通行との交戦を経て、『G』はついに二足歩行から獣型に移行。無数の牙を剥き出しにした、血に飢えた叫びを放つ六本足の巨獣へと変異。
だが白と黒の翼を携えた超能力者は、『G』に更なる変異を起こさせるまでに追い込んでいた。

その先へと踏み込んだ『G』の姿はこれまでと比べても異様であった。
もはや得体の知れぬ肉塊だった。異常なまでにその質量・体積を増大させた体は二足歩行でも六足歩行でもなくなっている。
ズズズ、ズズズとまるでナメクジのように列車を埋め尽くす巨体を這わせて侵入してきている。
四本あった腕は触手へと変化し、この列車は『G』の体よりも小さいという点も、狭い場所にも器用に侵入できる軟体動物のような身体を獲得したことでこれをクリア。

おそらく『ハイブ』内に溢れていた亡者や化け物をエネルギー源として大量に取り込んだことが、このような質量を得るに至るのを促進したのだろう。
だが、これは『G』が度重なる強敵との戦闘を超え、最強の白と黒の翼さえも克服した姿。
それは紛れもなく、彼らの逃れようのない『死』だった。

「ッ!?」

『G』の異様な巨体から伸びた触手、その一本から赤い光が放たれた。
咄嗟に右手を突き出した上条の前にその光は霧散するも、上条はビリビリと激しく痺れる自らの右腕に顔を歪める。
『G』の力が幻想殺しの消去可能な範疇を完全に超えている。今のは挨拶代わり程度のものであることは分かっていた。

「どきなさいッ!!」

怒号と共に有無を言わせずに第三位の超電磁砲が放たれた。
空間を切り裂き、凄まじい烈風と衝撃波に列車の一部を巻き込みながら、その一撃が『G』へと突き刺さる。
だが。燈色の閃光は『G』の頭部と一体化している、六足歩行形態時にもあった巨大な大顎にいとも容易く噛み砕かれた。

美琴はギリ、と歯を噛み締める。今起きた現象に対しての驚きはなかった。
もはや既に『G』は手に負えないレベルに達していることを理解しているからだ。
『G』から放たれる赤の閃光を、全て上条が右手でいなしていく。
まともには受け止められない。絶叫しながら全力で、表面をなぞるようにして受け流す。

「う、ぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!」

上条の心は荒れていた。これまでに多くの死を見てきた。多くの悲劇を経験した。
その中でも最も上条を苛む、最も上条の人生に影響を与えてきた、インデックス。
貯水ダム『ゼノビア』で遭遇し、上明大学で遭遇し。
未だに心の折り合いのつけられない存在だった。

インデックスと出会ったことで、きっと全てが始まった。
以前の自分が何を思ったかなんて分からないけれど、それでも記憶を失ってでも守りたいと思った相手。
まっさらになった上条当麻に、当たり前に世界を見せて当たり前に光を当ててくれた少女。
きっとインデックスは上条当麻という存在の、一つの柱だった。その世界を支える重要な要素だった。

「……インデックス」

そう呟く上条の声は、きっとこれまでの人生で最もみっともなくて情けないものだった。
目の前にインデックスはいない。そこにいるのは『G』だ。
必死に呼びかければ僅かに残ったインデックスの意識が答えてくれる、なんて都合の良いことはない。
分かっていても。分かっているのに。

『G』の巨体は列車を重量で押し潰しながら迫ってくる。
眼球状組織を赤く輝かせ、次々に放つ閃光を上条はどうすることもできず、ただ右手で受け続ける。
上条がそこから動けない間に『G』から四本の触手が伸び、そこからも種種多様な力を放ち始めた。
そちらは美琴が対処に回る。座席などを引き抜いて盾にしたり雷撃の槍で吹き飛ばしたりと奮戦するも、どうしても防戦一方だった。

「ま、まだ、なの……ッ!?」

美琴は歯軋りし、それに気付く。今美琴は『G』の触手から放たれる攻撃への対処で手が離せない。
許せば列車自体も彼らも辿る道は一つだからだ。上条も同様に。その状況でそれは起きていた。

「はま、づら……?」

何か思いついたのか、動き出そうした滝壺の肩を意識を失っていたはずの浜面が掴んだ。
みしり、という音をたてそうなほど強く掴まれ思わず滝壺の表情が僅かに歪む。
ついに浜面仕上が意識を取り戻したのか。一瞬だけならそう思ったかもしれない。

しかし、滝壺の頬にかかる浜面の吐息には明らかな異臭があった。
普通ならあり得ないはずの臭い。腐臭が多分に含まれていた。
そして浜面仕上はゆっくりと立ち上がる。いや、その表現は正確ではないだろう。
かつて浜面仕上という名で呼ばれていたものが、ゆらりと立ち上がった。

「――――あ」

滝壺理后は、目の前のものの淀み濁りきった白い目を見た。
……ああ、駄目だったのか。滝壺はあっさりとそんなことを思った。
ワクチンの投与は遅すぎた。もう『T』の侵食は歯止めが効かないところまで進行していたのだ。

助け助けられ、この地獄のような世界を歩いてきた。
最後の最後で失敗した。絶対に失敗してはならない局面で失敗した。
浜面仕上を助けられなかった。命よりも大事で、世界の全てよりも大切なほどの人間を。
その結果が今目の前にある。

「あ ぁ ゥウ ぅあぁ あ ァぁ……」

言葉にならぬ音を漏らしてそれは滝壺へと腕を伸ばす。
その腕は抱擁に使われるのではない。その頭を撫でるためでも、頬を撫でるためでもない。
ただ滝壺を拘束し食しやすくするために。

足元には浜面が持っていた拳銃が一丁落ちている。
滝壺理后は動けない。

「――――やるのよ。やりなさい、滝壺さんッ!!」

殺せ、と美琴が叫ぶ。自分がどれほど残酷なことを言っているのかは理解していた。
その叫びに上条も事態に気付いたようだったが、『G』は余計な行動を取らせない。
……果たしてどちらを叫ぶのが正解なのだろうか。愛する者を殺せというのはおぞましいほどに恐ろしい。
だが何もせずに食い殺されて、大人しく亡者の仲間入りを果たせというのもこれほど悲劇的なこともそうないだろう。

「浜面さんは自分のそんな末路なんて絶対に望んでなかった!! やりなさい!!」

上条は『G』と対峙しながらちくしょう、と絶叫することしかできなかった。
やれと言うこともやめろと言うこともできない。美琴の言葉にただ賛成はできないが、止めることもできない。何も、言えなかった。
正解なんて最初からない破滅的選択肢を前に、滝壺理后は動けない。

「浜面仕上はもう――――――……死んでいるのよッ!!」

当然、美琴だってこれが正解だなんて思っていない。
こんなことしか口にできない自分が情けなくて仕方なかった。
以前の美琴だったら絶対にこんなことは言えなかった。だが選ぶしかないのだ。

「……決めたよ。ううん、とっくに決めてた」

そして、だから、滝壺理后は選んだ。その選択肢を。
滝壺は上条の葛藤も、美琴の葛藤も、どちらも十分に理解できている。
上条が何も言えないことの絶望に打ちひしがれていることも。美琴がやれと言った理由も、その言葉を正解だと思って口にしているわけではないことも。
愛する少年が既に死していることも、それでいて尚生と死の境界に絡め取られていることも、全部全部理解している。

「ねえ、はまづら。私はね――――……」


――――『私は大能力者だから。無能力者のはまづらを、きっと守ってみせる』


ごめんなさい、と滝壺は呟く。そして涙を流しながらその両手を、浜面だったものの首へときつく回した。
ぬちゃりと血や腐肉が付着する。意識を失いそうなほどの強烈な腐臭と死臭。
だが構わない。目の前の存在を胸にきつく抱きしめる。亡者はただ本能のままに、何も思うことなく滝壺の首の付け根の辺りに食らいついた。構わない。

(はまづら)

上条と美琴が何か叫んでいる。だがぐわんぐわんと揺れる意識の中で正しくその音を聞き取れなかった。
滝壺の肉を噛み千切ったそれはくちゃくちゃと咀嚼し、それでは満足せずに更なる肉を求めてまたも食らいついていく。
滝壺は自分の最も愛する者が、自分の人肉を噛み千切り、咀嚼し、嚥下していく恐ろしい光景をただ見つめていた。
それでも滝壺は手を離さない。きつく、きつく浜面だったものを抱きしめ続けていた。

(はまづら)

……この少年が大好きだった。この男を愛していた。
浜面仕上のために燃え尽きる。そう決めていたはずだったのに、助けられなかった。
ならばせめて滝壺理后という女は浜面のために死のう。たとえどんな姿になろうと、ずっと愛し続けよう。

自分の首からスプリンクラーのように鮮血が噴出し、列車の天井や壁をべったりと紅に塗りたくっていく。
意識が闇に沈んでいくのが分かった。それでも回した腕は絶対に放さなかった。
だが。美琴の言っていた、浜面は自分がこんな醜悪な姿になることを望んでいなかったという言葉。それは紛れもない事実だった。

(はまづら、もう休もう。もう、終わろう)

ぐい、と滝壺は最後の力を振り絞る。浜面を押し倒すような形で二人は倒れ、その身体は列車の破壊されてなくなった扉から外へと投げ出された。
高速で走行している列車からのダイブだ。大根おろしのようになるのか、何にせよ助かるはずがない。
上条と美琴がまたも何か叫んでいる。ごめんね、もう耳も聞こえないや、と滝壺は笑い心の中で謝罪する。

ちらり、と『G』の姿が視界に入る。
『進化』を繰り返すことで常に新たな次元に手を伸ばし続けるもの。

(ごめんね、いんでっくす)

今はいない少女へと告げ、『G』へと告げる。

(……言ったよね。誰だって生きたい。生まれたのなら生きたい。
あなたが生き残るか私たちが生き残るか、それが答えだって。
でも、私とはまづらがいなくなってもまだ三人あそこには残ってる。簡単にはやられてくれないような人が)

だから、と滝壺は究極生物に心の中で吐き捨てる。

(まだ、あなたが勝ったわけじゃない……!!)

そして。そして。そして。
自分の肉を食い千切る、白濁とした眼をした浜面仕上だったものを見て。

(……はまづら、今までありがとう。ごめんなさい。あなたが好きだった)

列車から投げ出された滝壺理后と浜面仕上だったものの体が地面に触れ。
当たり前の現象が当たり前に襲いかかってきた。
それで、終わりだった。





どうかあの日々を、もう一度――――――。




「だーから言ってんじゃねぇか!! んな映画絶対クソだって!!」

「はぁ、これだから浜面は超浜面なんですよ。この映画は臭いです。超C級の臭いがプンプンしやがります」

だがそれがいい、と絹旗は胸を張る。
駄目だ、俺には理解できねぇ。
絹旗のこの趣味は以前からで俺も何度か連れてかれてるが、楽しめねぇよいやマジで。

「アンタもよく飽きないわね、そんなに映画ばっか見て」

「ちっちっち、麦野もまだまだですね。私の境地にはまだ超至っていません」

「いや至りたくもないんだけど。別に至りたくないわよ。至れなくていいわ」

「超何故に三度も言うんですか!?」

今だけは麦野に同意するぜ。はっきり言って麦野に同意できることは少ないが、こればかりはな。
まあどっちにしても麦野を絹旗の映画鑑賞に連れて行くのは危険すぎる。
だってあの麦野だぞ? 麦野沈利だぞ?

「麦野はクソ映画なんて見せられたらそのままスクリーンに原子崩しぶち込みそうだもんなぁ……」

「あら、なにリクエスト? 別に構わないわよ原子崩しでプチっとしてほしいなら」

ひぃ!? こいつはマジでやりかねん!! 浜面仕上の人生はこれからも続くんだ!!

「た、助けてくれ滝壺!!」

「うわ、超情けないです浜面、超キモいです吐き気がします」

「浜面ェ……」

絹旗お前ちょっと言いすぎだろ泣くぞ。麦野もそんな目で俺を見るな。
でもいいもん俺には滝壺がいるんだもん。

「大丈夫だよ、はまづら。私はむぎのにプチっとされるはまづらを応援してる」

「滝壺さぁん!?」

「ぷっ、ざまぁないですね」

「よーっしいくわよ浜面ー」

うおおおおおい!? マジでその光をこっちに向けないで!?
それトラウマなの!! 軽くトラウマだから!!
ああ駄目だ次回、浜面死すとかになるんだもう嫌。

「むぎの、だめ」

ああ来世は超絶イケメンのスポーツ万能運動神経抜群の男に生まれ変わりたいなぁでも美少女に生まれ変わるのもいいかなぁとか考えてると、天使の声が聞こえてきた。
やっぱり滝壺はマイエンジェル。マジエンジェル。

さっき潰されるのを応援してるとか聞こえたのは幻聴だったんだな、よかったよかった。

「チッ。命拾いしたわね」

麦野も滝壺の言葉だけは俺や絹旗が言うよりも聞くんだよな。
やっぱりあれか、滝壺は正義なのか。この世の真理そのものだったか。

「……なにニヤニヤしてるんですか超通報しますよ」

なんでだよ。

「まあ? まだまだ未熟な絹旗には? 分からないかもしれないけど?」

「ぐぬぬ……。浜面のくせに超生意気な!! というかあなたが滝壺さんと付き合うなんて生意気なんですよ超釣り合ってないです」

それを言うなよちょっと気にしてるんだからさぁ!!
……まあでも、実際絹旗に男ができたとか聞いたらちょっと複雑かもしれん。
こう、妹を嫁に出す気分というか。ああ駄目だ、こんなこと知られたら俺はきっとハンバーグになっちまう。

「でもはまづらにだっていいところあるよ?」

「そうだぞお前ら。滝壺、どんどん言ってやれ」

「浜面にいいところねぇ……。たとえばどんなところ?」

さあ滝壺存分に語ってくれ。
そしてこいつらに知らしめてやるんだ、俺の魅力を。

「はまづらは……」

「うん」

「…………」

「滝壺さん?」

「…………」

た、滝壺?

「……早い、かな」

「滝壺さぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」

「ぶほっ」

ちょあなたなんてこと言ってるんですかねもっとあっただろ俺のいいところそんなにないかぁ!?
麦野ぉぉぉぉ!! お前も噴出すんじゃねぇ飲み物吹け腹抱えて爆笑しないで頼むから!!

「超、浜面……!!」

え、なんで絹旗はそんな強く拳握り締めてるの!?

「浜面ァァァァ!! 滝壺さンに何してやがンだテメェぶっ殺してやンよォ!!」

うわああああああああ!! 絹旗がマジモードになったアクセラスイッチ入ってるぅ!?
躊躇なく振るわれた絹旗の拳を全力で転がって避ける。間にあったテーブルとかなんか色々余裕で塵になりました食らったら即死です本当にありがとうございました。
麦野は痙攣しそうなほど爆笑してるし、原因の滝壺はジュースを飲みながら「南南西から信号がきてる……」とか呟いて外をボーッと眺めていた。

「いやあああああああああっ!?」

思わずオカマみたいな声をあげて俺は逃げる。だってあんなの食らったら一発でミンチだし!!
つかさっきから俺うるせぇ!! 俺の心の中叫んでばっかりだちくしょう!!

「何超逃げてンだ浜面ァ!!」

「あったりまえだろうが逃亡は弱者の生きる道なのです!!」



「……はまづらが、悪の道に走ろうとしてる!!」

そんな信号を南東の方角から拾った。
これは黙って見過ごすわけにはいかないね。おしおきしないといけないかもふふふ。

「あ、めじゃーはーと」

「あら滝壺さん。どうかしたの?」

「なんとなく、はまづらが悪の帝王になろうとしてた気がして」

「あら、彼なら少し前までここにいたけど」

はまづらはいなかった。
でもめじゃーはーとと何を話してたかちょっとだけ気になる。
まあ多分どうでもいいような話なんだろうけど……。

「はまづら何か言ってた?」

「そうね、彼から愛人になってくれって言われちゃったわ」

……はぁまづらぁ。

「待って待ってごめんなさいただの冗談なの。あなた何か凄まじい重圧を発してるわよ」

「分かってるよ、めじゃーはーと」

そう、最初から冗談だなんてことは分かってる。
めじゃーはーとは大丈夫、はまづらをとったりはしないって。
きぬはたやむぎのの方がめじゃーはーとと比べたら危ないかもしれない。

「ねえ、めじゃーはーと」

「ん?」

「めーちゃんかスティーブンかケイン郷田って呼んでいい?」

「いきなり何!?」

めーちゃんが大きく目を見開かせて驚いている。
どんどん押していこう。

「めーちゃんかスティーブンかケイン郷田って呼んでいい?」

「だから誰なのそいつら!? どこの連中よ!?」

「選んで」

じっとめじゃーはーとの目を見つめる。
前から思ってたけどめじゃーはーとって綺麗だよね。可愛いというより美人。
その綺麗な眼にもちょっと憧れる。交換してほしいくらい。

「……あなた、私のことめーちゃんって呼びたかったの? ……まあ滝壺さんだしね。好きに呼んでちょうだい」

「ううん、ケイン郷田って呼びたかったの」

「ごめんそれは流石に勘弁して。というかマジで誰それ」

勝った。私は心の中でガッツポーズをとる。
だってめじゃーはーとってちょっと長いし、何かいいあだ名ないかなって考えてたんだ。
とりあえず少しだけかきねに対する優越感を覚えておこう。

「じゃあめーちゃんで。よろしくね、めーちゃん」

笑ってそう呼びかけるとめーちゃんは明らかに顔が少し赤くなりだした。
照れてるみたい。こうしてると可愛いね。

「う……やっぱり、恥ずかしい、わね……その呼び方」

「恥ずかしいの?」

「だって慣れてないのよ、こういうの。仕方ないじゃない」

「じゃあ練習しようめーちゃん。めーちゃん、めーちゃん。めーちゃんめーちゃんめーちゃん」

「ちょ、ちょっとストップストップ!!」

わたわたと手を振るめーちゃん。あまり見れるものじゃない。
私はこっそり心の中でシャッターをきっておくことにする。

「や、やっぱり少し恥ずかしいから……二人の時だけにして?
他の誰かがいる時はこれまで通り心理定規って呼んでちょうだい」

「えー」

「た、滝壺さぁん!!」

露骨に不満げな声を漏らしてみると、めーちゃんはまた普段は見せないような反応を見せてくれた。
顔立ちは美人だけど結構可愛いんだね、めーちゃん。
めーちゃんはパン、と両手を合わせてお願いしてくる。ちょっとだけイタズラしたい気分になったけど、可哀想だからやめておこうかな。

「分かった。仕方ないからはまづらとかがいる時はめじゃーはーとにしてあげる」

「ありがとう。とりあえずホッとしたわ」

「でも今は二人だから。じゃあめーちゃん、ごはんでも食べにいこうよ」

そう言ってめーちゃんの手を引っ張って歩き出す。
めーちゃんは困惑しながら何かぶつぶつ言ってたけど、その顔はどう見ても笑ってた。
嬉しいんだね。隠そうとしなくてもいいのに。

「めーちゃん、やっぱりたまにはケイン郷田って呼んでもいい?」

「だから誰なのよそいつは。いやマジで誰よ。絶対に駄目だからね」

「えー」

「ぶーたれても駄目なものは駄目」

まあ、いいか。意外な一面が見れたし満足した。
それより何を食べに行こうかな、めーちゃんは何がいいのかな。

「早く行こうめーちゃん」

「はいはい。今行きますよっと」





それは本当に、夢のような日々の名残。








「よお」

可憐な容姿に似合わず粗暴な口ぶりだった。

「ああ、話なら聞いてる。しっかし、とりあえずは統括理事会の『ブレイン』なんて立場に収まってる私にだぞ?
まさかアンタみたいなのが連絡してくるなんて思ってみなかったわけで。あいつの方なら分かるんだけど」

地に足をつかず浮き上がり、長い黒髪に時代錯誤な十二単。
そのあらゆる調和を無視し、強引にパーツごと組み替えたかのような、世界に存在しない黄金比を描いたスタイル。
少女漫画のような不自然極まる肢体をした少女は軽い調子で言う。

「まあまあ、ずっとこの『無重力生態影響実験室』とかいう名の檻の中にいるのも退屈だし、歓迎と言えば歓迎だけどさ」

天埜郭夜という名のこの少女がいるのは学園都市ではない。
というより、そもそもこの惑星ではない。
学園都市が打ち上げた、全長五キロにも達する衛星『ひこぼしⅡ号』。つまりは宇宙空間にいた。

「オーケーオーケー、『滅菌作戦』の準備は完了しておいたよ。
で、何だったか。HsMDC-01『地球旋回加速式磁気照準砲』だっけか? それとも軌道上防衛兵站輸送システム『S5』だっけか?
……はいはい分かってるよ、ちょっとからかっただけ。そんなに怒るな。え、怒ってないって? 何でもいいよもう」

既に標準は定まっている。
対宇宙線や対デブリを備える分厚い窓の向こうでは、何か巨大なものが蠢いていた。
それこそが。

「んじゃ、『レギア・ソリス』――――全部消し飛ばせ」




浜面仕上と滝壺理后の最期を、ただ隠れていることしかできなかった佳茄は全て見ていた。
自分を助けるために頑張ってくれたのであろう人が。
目の前で死んでいった。しかも滝壺は自分から死を受け入れた。リビングデッドと化した浜面を最後まで抱きしめていた。
血飛沫をあげて列車を鮮血で染めながらも、彼女は笑ってすらいた。

その光景は、その行動は、その意味は、小さな子供には到底理解の及ぶものではなかった。
何か得体の知れない恐ろしいものを見てしまったような気がして、佳茄の許容量を超えた何かがその中に溢れ出す。

「あああああああああああ!! うああああああああああああああああああっ!!」

頭を抱えて佳茄は叫んだ。そうしなければその心がばらばらになりそうだった。
佳茄は全部終わったと思っていた。ようやくあの恐ろしい世界から抜け出せたのだと思っていた。
何が起きているのか少女には理解できない。今、目の前で何が起きた?

「佳茄っ!?」

美琴と上条が佳茄に視線をやる。
そして上条は『G』に視線を戻す。おぞましい巨体を得た化け物を。
一体これはいくつの命を奪ったのだろう。いくつの心を壊したのだろう。
インデックスの体を使って。どれほどの死を積み上げたのだろうか。

「イン、デックスゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

そう思った時には上条は走り出していた。
真っ直ぐに『G』の元へ。迎撃の輝きをみしりという音をたてながらも何とか右手でいなし、僅か数歩で辿り着く。
そして。上条はその右手を、その右腕を、『G』の巨大な大顎の中へと突っ込んだ。
ズブリ、と右腕が根元まで『G』の大顎の中へと沈み込む。

「何を――――!?」

美琴がその行動に声をあげるが、上条は無視した。
『G』は苦しむ様子の一つもなく。飛んで火に入る夏の虫とばかりに、ただ自分から突っ込んできた獲物を噛み千切った。
ブチッ、という小さな音がした。あまりにも抵抗なく呆気なく、巨大な力によって右腕は切断される。

「――――!!」

上条の顔が苦痛に歪む。当然だ。右腕が一本丸ごと失われたのだ。
そして切断面から大量の血液が溢れ出し――――それだけでは、なかった。
轟!! と見えない何かが断面から吹き荒れた。それは特定の形も取らずに暴走し、『G』を体内からズタズタに引き裂いていく。
『G』は巨体をのたうち抵抗したようだったが、体内で吹き荒れる力にはどうしようもなかったらしい。
その凄まじい質量を持つ体から力が抜け、走行する列車に振り落とされる形で落下し姿を消した。

「……なに、あれ」

それを見ていた御坂美琴は佳茄を抱えながら呆然と呟いた。
今一体何が起きたのか。美琴には一つだけ心当たりがあった。
大覇星祭での一幕。上条の右腕が千切り飛ばされたあの時も、確かに異様なことが起こった。
八体もの竜が突然に飛び出した。今回は竜は出現していないようだが、それでも異常事態が起きたのは疑いない。

そして。『G』が落下したことで解放された上条の右腕は、確かにそこにあった。
『G』によって噛み千切られた右腕が元通りにあった。あの時と同じだ。
なんだ、と美琴は改めて思う。あの右手は一体何なんだ、と。

だが何であれ脅威は去った。そう思った美琴だったが、すぐにそれは甘い考えだったと思い知る。
上条がじっと外を眺めていることが気になって、そちらを見て、驚愕する。
ぐちゃぐちゃに破壊された『G』の肉体が蠢いていた。その生命を繋ぎとめていた。

「……まだ、動くのかよ……」

震える声で上条が呟いた。何もかもが異常だと美琴は思った。上条の右手がどういうものかなんてことは分からない。
けれど、あの中に宿る力はあまりに莫大だ。今の『G』ならあれで消せたのではと思える。
竜が出てこなかったからか、何か条件があったのか、『G』が想像を超えていただけか、あるいは威力は十分でも範囲が足りなかったのか。

しかしさしもの強靭さを誇る『G』も、そのままでは生命を維持できぬレベルの損傷がその身に刻まれたらしい。
次なる強敵に対応するため、『G』は絶叫と共に更なる変貌を遂げ始めた。
遠ざかっていく彼らの視界の奥で、骨格までもが瞬時に組み変わっていく。
それはいつの日か神をも凌駕するであろう、傲慢とも言うべき急激な進化だった。

「ま、まだ成長……いや、進化するって言うの!?」

それが『G』。科学が世界に産み落とした究極生物は『生命の樹』の頂点へと迫っていく。
流石に今度ばかりは『G』の変貌にも時間がかかっているようだが、いずれにせよ進化が完了すれば『G』はまたもこちらへ牙を剥く。
だが、その時。まさにその時だった。

「……ああ」

御坂美琴が、小さく呟く。

「……終わった」

その言葉はこの絶望的状況に対しての諦めではない。
『G』に殺される運命しかない自分たちへの悲観ではない。

「御坂……?」

その様子に上条が。

「お姉ちゃん……?」

佳茄が訝しむ。
走り続ける列車の中で美琴は一つの笑みを零した。
だがそれも一瞬のこと。美琴はすぐに真剣な面持ちとなり冷静に状況を告げる。

「……いい、よく聞いて。『G』は見ての通りまだ生きている。それどころか更に進化を始めている。
もうあれは私たち人類にどうこうできるような存在じゃない。でも、『G』をどうにかしない限り私たちは死ぬしかない。
でもね。この列車を守りきるために、『G』を滅する方法が一つだけ、ある」

『G』はもはや人間が太刀打ちできるような相手ではない。
そう理解した上で御坂美琴は『G』を殺す方法があるという。
それは思いがけずもたらされた朗報のはずだった。
だが上条の顔に笑みはない。佳茄の顔にさえ。

言い知れぬ不安が上条の心をちりちりと焼いた。
佳茄も同じものを感じたのか、美琴の服の裾を強く掴む。

「それはね――――……」

ダン、という音がした。上条が列車の壁に拳を叩きつけた音だった。

「ふざっけんなよ……」

ギリリ、と歯噛みする。確かに、それならばもしかしたら何とかなるかもしれない。
だがあまりにも失うものが痛すぎる。上条は絶対に認めたくなかった。
たとえそれしかないのだとしても。こんなものは簡単に頷けるものではない……!!

「何なんだよ、それは……。そんな方法、はいそうですかって認められるわけがねぇだろうがぁ!!」

「だったらどうするの」

思わず声を荒げる上条とは対照的に美琴の声は冷静だった。
あまりに短いその問いに上条は答えられない。

「もう時間がないことは分かっているはず。それに、悪いけどこれにアンタの許可がどうかは関係ない。
やるしかないのよ。これしか方法はないんだから。『G』が世界に放たれてみなさい。世界は滅ぶわよ」

もしかしたら、世界中の軍隊を結集するなり非科学なりで撃退するくらいはできるかもしれない。
しかしそうなればなるほど、時間をかければかけるほど『G』は突発的に予測不可能な進化を果たしていく。
世界を打ち砕くほどに。世界を食い潰すほどに。
だから、『G』はここで滅ぼさなくてはならない。滅ぼせる程度の存在である内に。

「だからって……!! こんな結末ありかよ!! ここまで来て!?」

「悪いわね」

上条の嘆きをよそに美琴の声の調子は軽い。
そして一言そう言うと、美琴は突然ばっと服を脱ぎだした。
ぎょっとする上条の目の前で、美琴は恥らう様子もなく常盤台のサマーセーターを脱ぎ捨てワイシャツをめくり上げる。
胸の辺りまでめくり上げられたことで下着も完全に見えていたが、美琴は恥らわない。上条また、そんなものなど欠片ほども意識に入っていなかった。

下着も柔肌も気になるはずがなかった。
眼前に何かに切り裂かれたような傷跡があって、尚且つその傷がぐちゅぐちゅと蠢いていれば。
誰だってそれにしか目がいかなくなるに決まっている。

あまりにグロテスクな傷だった。ただの傷ではないことなど一目で分かった。
こんな醜悪なものが外見上はそのままである御坂美琴についているということが信じられなかった。

「な、んだ、よ。これ……」

「この傷ね。変異してるの。とはいっても、変異が始まったのはそう以前でもないけど。
これはほら、上明大学。あそこで『G』と軽く一戦交えた時にね」

気持ち悪いでしょ、私も早くこんな傷消したいのよ。
そう言って美琴はやはり笑みすら浮かべていた。
つまり『G』がいなくても、このまま脱出できたとしても、美琴に未来はない。

あまりの衝撃に言葉を失う上条。
おそらくは話のほとんどを理解できていないであろう佳茄が、とにかく何となく理解できた最大の問題を問う。

「お姉ちゃん、いなくなっちゃうの……?」

その声は震えていた。美琴はその場にしゃがみこんで視線を合わせる。
佳茄の期待には答えられない。この少女を悲しませなければならない事実に、美琴は心を抉られるような罪悪感を覚えた。

「……そうよ。ちょっとやらなくちゃいけないことがあるの。分かってくれる?」

馬鹿げた問いだと美琴は思った。
佳茄は涙を流しながら嫌々をするように激しく頭を横に振る。

「分からないよ!! イヤだよそんなの!! お姉ちゃんもお兄ちゃんもいなくちゃやだ!!」

「佳茄」

そっと伸ばした手はパン、と佳茄に振り払われてしまった。
ぽろぽろと涙を流しながら少女は必死に訴える。それ以外にできることなどなかった。

「嘘つき!! 私を守ってくれるって言ってたのに!! どうしていなくなっちゃうの!?
私が悪いことしたから? 私が悪い子だからお姉ちゃんいなくなっちゃうの!?
ごめんなさい……。良い子にするから、ちゃんと嫌いなトマトも食べるし算数も勉強するから、どこにも行かないでよぉ……!!」

そっと佳茄の頬へ手を伸ばす。今度は振り払われなかった。

「いいえ、佳茄は良い子よ。とっても良い子。
ごめんね。私のわがままなのかもしれない。悪い子なのはきっと私。でも、それでも、やらなくちゃ」

「分かんないよ!! お守りなんか、全然効いてないよ……!! お姉ちゃんがいなくなっちゃうんじゃ意味ないよ!!」

ぐっと佳茄を抱き寄せる。強く、強く。
最後の佳茄の命の鼓動をその身に刻んでいく。

「佳茄。――――……グラタン、作ってあげられなくてごめんね」

その言葉に佳茄の体が硬直したように一瞬停止して。
その顔が涙に塗れ、ぐしゃぐしゃに歪められた。

「……元気でね、佳茄」

「お姉ちゃんの……馬鹿……」

バチッ、という小さな小さな音がした。
美琴の手から温かな優しい光が瞬いて、佳茄の全身から力が抜けた。
ぐったりとした佳茄をゆっくりと床に寝かせ、美琴は言葉を失っている上条へと向き直る。

「……なんて顔してんのよ、アンタ」

上条の口の中に鉄の味が広がった。
あまりに強く噛みすぎた下唇が切れていた。
ここで美琴を止めたところであの傷は消えない。どうすることも、できない。

「いいの。アンタが気にすることなんて何もない。アンタは本当によく頑張ってくれたと思う」

ゾワッ!! という身の毛がよだつようなおぞましい気配を二人は感じた。
進化を完了させた『G』が凄まじい速度で追ってきている。その姿は以前の巨体とはまるで違っていた。
まるでこれまで進化させてきたものを一度徹底的に破壊し、それによって新たなフェーズへと手を伸ばしたかの如く。

『羽化』したかのようにその体はスリムで細身のものに。形状としては鳥に近い、飛行形態へと変異していた。
全身の眼球状組織の白目にあたる部分は、まるで銀河群や星々の輝く宇宙空間のようなものが映し出されている。
そしてその大顎を抱える頭部の上には、ガシャガシャと軋む音をたてながら緩やかに回転する輪が浮かんでいる。
その輪の中心には形の整っていない一つの針のようなものが浮かんでいた。

それは、『G』が更なる領域へと上り詰めたことの証。
『生命の樹』の頂点を視界に捉えたことの証明。
逃れようのない『死』が、迫る。

「来たわね」

美琴の呟きに上条は身を震わせる。
もうできることなんて何もない。このままではインデックスは『G』の苗床にされたまま世界を食い潰す。
御坂美琴もまた異形の存在へと変異してしまう。
だからって本当にこれが最善策なのか。無意味な問いに縛られた上条は動くこともできなかった。

「ねえ。最後にアンタに伝えたいことが、あるの」

その言葉を口にすることはきっと許されないのだろう、と美琴は思う。
これから死ぬ自分がそれを伝えたところで上条には何の幸福もきっと訪れない。
むしろその言葉は、その想いは、永遠に続く呪いとなって上条を苦しめ続けることだろう。
御坂美琴がいなくなってもその影が上条を蝕んでいく。

しかし、これが最後なのだ。本当の本当に最後。
最後くらい素直になったっていいのではないか。つい意地を張ってしまう殻を脱ぎ捨てるべきなのではないか。
たとえそれが苦しみを生むことになったとしても。この少年を幸せにしないとしても。
御坂美琴という人間としての心の底を、晒してもいいのではないか。

相反する二つの葛藤に囚われ美琴の決意は揺れ動く。
だが『G』はもうすぐそこまで迫っている。躊躇う時間はなかった。
だから、美琴はそれを。





1.上条当麻に想いを打ち明ける
2.何も伝えず想いに蓋をする




>>648-652まで

1

「……私、は」

ぐっと拳を握り締めて。今はそれどころではないことを十分に理解した上で。
最後の最後に御坂美琴は虚勢を捨て、全てを晒すことを決意した。

「私は、アンタのことが――――ずっと好きだった」

「――――――え?」

その言葉に。苦しみと絶望に沈んでいたはずの上条がそんな気の抜けた声を漏らした。
自分が何を言われたのか、その理解に遅れが生じているのだ。
少しずつ、少しずつ。言葉の意味を呑み込みはじめ、そして上条はそこで初めて御坂美琴の気持ちを知った。

「……みさ、か」

「佳茄を、よろしくね」

だがそこまでだった。これ以上は本当に限界だった。
美琴は笑顔を浮かべたまま列車から身を投げ出し、上条の眼前からその姿を消す。
上条が自分の名前を呼ぶ絶叫が響き、そして二人の距離は無限に開いた。

一人路線に降り立った美琴はすぐにも現れるであろう『G』を静かに待つ。
その時、美琴の頭の中によく知った声が聞こえてきた。

『お姉様……。本当に、よろしいのですかとミサカ一九八八〇号は全ミサカを代表して問いかけます』

「……いいの。後悔なんてない。全部、終わらせなくちゃ」

『ログからの復元作業に時間がかかってしまい申し訳ありません。準備は既に完璧に整っています、とミサカ一〇五〇五号は報告します』

『お姉様。どうか、どうか今からでも考え直してはいただけませんか、とミサカ一九九九九号は張り裂けそうな痛みを堪えて懇願します。
……これが、悲しみというものなのですね』

『しかしお姉様が決めたことです。ミサカたちは今こそ全てを賭してミサカたちを生み、ミサカたちを守ってくれたお姉様に報いる義務があるとミサカ一二三七一号は考

えます』

『……その通りです。お姉様を想うならやらなくてはなりません、とミサカ一六八二〇号は決意します』

次から次へと溢れてくる。大事な大事な妹たちの、温かな想いが。
番外個体に頼み、『学習装置』で脳波をチューンし、能力で微調整して強引に同期したミサカネットワークを介して。

「……ありがとう。でもアンタたちこそ本当にいいの? だって私は、大切な妹を……」

『むしろ、お姉様は歪んだ生に捕まった一〇〇三二号を救ってくれたとミサカたちは考えています、と、ミサカ一四〇〇〇号は伝えます』

『あの個体は、学園都市にいる全てのミサカは、あのような姿に成り果てることを何よりも恐れていました、とミサカ一一三四六号は断言します』

『これはネットワーク上にも残っている単純な事実です。きっとあの個体に理性と言語能力が残っていればお姉様にこう言ったはずです。
「ありがとうございます」と、とミサカ一八一〇二号は同様にミサカとして断言します』

『母なき歪んだ命として生まれ、しかしその歪みはお姉様とあの少年によって肯定されました。
だからこそ、あのような歪んだ生に再び囚われるのが何より恐ろしかったのです、とミサカ一三七九三号は告白します』

『……だから。だから、ミサカたちはお姉様の願いに答えます。
それがどれほどミサカたちにとって苦痛であろうと悲しみであろうと、それこそが全ミサカの意思、と全てのミサカたちは己の意思によって行動します』

「……ありがとう。本当に、ありがとう。そしてごめんなさい」

本当に。本当に、彼女たちはへたな人間よりもよほど人間らしくて。
その眩しいほどの命と意思の輝きは美琴には抱えきれないほどで。
戦う力をいくらでももらえる気がした。どこまでだってやれる気がした。

だから、御坂美琴はそれを睨む。
頭上の輪を緩やかに回転させ、宇宙空間のようなものをその眼球状組織の内に映し出し、進化を続ける究極生物を。
この世界にあらゆる枠組みに規定されず、『はみ出したモノ』として無限に階段を登り続ける邪な神を。

「……アンタだって、生きたいのは分かってる。でも……悪いけど、ここまでよ」

『G』が咆哮する。だがその声すらも以前の血に飢えたものとは違う。
この世界では表現しきれないような、まるで質の違うものとなっていた。
最後だ。これで何もかもを終わらせる。

「シィィィスタァァァァァァァァズ!!!!!!」

叫ぶ。彼女たちを。最後の最後で苦痛を負わせてしまう彼女たちを。
返答はたったの一言、しかし力強い調子で返ってきた。

『了解しました』

あの時とは違い己の意思によるものとはいえ、負担は避けられないはずだが躊躇いはなかった。
得体の知れない力が、黒い何かが、世界中の妹達から伸びる。
それは一瞬で御坂美琴の体の中へと流れ込み、そこに眠るものの目覚めを呼び覚まし、そして、

『……お姉様、大好きです。と全てのミサカは全ての想いを一言に集約します』

「……うん。私も、大好きよ」

『G』がその大顎の前に黒いエネルギー球のようなものを生成し始めた。
どんな馬鹿でもあれを見れば嫌でも分かる。とにかくあれは駄目だ、あれはヤバい、と。
あれが一度解き放たれればそれだけで何が起きるのか予想すらつかない。しかし。

カッ!! と光が瞬いた。そこにいたのは御坂美琴なのか、そうではないのか。
いずれにせよその姿は普通の人間からはかけ離れたものだった。
彼女は突発的に進化を繰り返す。『G』と呼ばれる究極生物の、対になるように。

『レギア・ソリス』が学園都市を跡形もなく消し飛ばすまであと一分もない。
『滅菌』に関してはそちらに任せていいだろうが、この『G』は絶対にその程度では消えない。
滅びという言葉を知らぬ神に滅びを与えるためにこの力を。

(――――――……ごめんなさい、インデックス)

御坂美琴は上り詰める。『生命の樹』を、『G』を上回るスピードで。
その姿も同時に変異していく。その辿り着く先にあるのはきっと言葉では表せない世界。
世界の全てを消し飛ばすほどのどうしようもない破滅が訪れる。御坂美琴はそれを全ての力で抱え込み、何とか学園都市一つ分にまで圧縮する。

この時。間違いなく御坂美琴は学園都市の本懐を遂げ、神の領域を刹那だけ垣間見た。
過去においても未来においても唯一の、『絶対能力者』が瞬間的に世界に誕生した。

そして……。





どうかあの日々を、もう一度――――――。




「御坂さん、おっそーい!!

「はぁ、はぁ、ごめーん!! ちょっと頼みごとされちゃって……」

「んまっ!! 黒子に言ってくださればお姉様の手となり足となり雑用など引き受けましたのに……」

「はいはい、もうどうしてアンタはいつもそうかな」

この子は決して悪い子じゃあない。それどころか私の知ってる人の中でも一、二を争うほど正義感の強い立派な子だ。
……でも、一つだけ大きな欠点があるのよね。

「またですか白井さん。盛りのついた犬じゃないんですから」

「初春、言うようになりましたわね……」

一体黒子はどこで道を間違えたんだろう。え、まさか私のせいじゃないわよね?
……そうよね?

「まあとりあえず。……テスト、どうだったの?」

今日はようやく終わった期末考査の報告会。言い出したのは私じゃないわよ?
大方の予想通りだと思うけど、言い出しっぺは佐天さん。なんでも今回のテストはよくできたみたい。

「じゃあ言い出しっぺの法則ってことで。あたしから行きますよ」

「佐天さん、あんまりハードルを上げると……」

初春さんの言葉も佐天さんにはどこ吹く風。そんなにできたのかな? お手並み拝見ってところかしら。

「ふっふっふ、これが余の英語のテストなのだ!!」

バン、とついに姿を現す返却されたテスト用紙。あちゃー、といった感じに頭を抱える初春さん。一方それを覗き込んだ私と黒子は……。

「あー……」

「ん、んんー……」

言うべき言葉が見つからなかった。だってその点数は68点。
決して悪くなんかないけど、言うほど素晴らしい点というわけでもない。
正直、一番反応に困るラインの点数よね。

「さ、佐天さん……!! そりゃこうなりますよ。反応しづらいですよこれは……」

初春さんはこうなるのが分かってたみたい。そう、これ自信満々に良い出来だったから、と二日間から散々ハードルを上げられたあとよね。普通に68って言われてたら問

題なかったんだけど……。

「ええー? でもこれあたしにとっては会心の出来なんだけどなぁ」

「……ちなみに、数学の方はどうでしたの?」

黒子がぽつっと聞くと佐天さんは露骨に体を震わせて冷や汗を流し始めた。
……佐天さん、分かりやすすぎ。

「ちょ、ちょっと何言っているのか分からないんですけど?」

その言葉にはぁ、とため息をつく黒子。
あはは、と笑う初春さん。ちなみに初春さんは平均的に安定して取れていた。

「佐天さん? 次のテストで平均点を越えられなかったらわたくし監修でみっちり数学と仲良くしてもらいますわよ?」

ぎゃー、と頭を抱える佐天さんに私も引きつった笑みを浮かべる。
黒子は元々凄く優秀だけど、中でも数学に関しては光るものがあるのよね。
本当に頑張らないと黒子はあまり容赦してくれないわよ?

「嫌ですよそんなの!! だって白井さんてば数学の鬼みたいな感じがしますもん!!」

「だぁれが鬼ですって? ま、でも数学が得意なのは確かですわよ。
能力者は一つの例外もなく演算を行っていますが、わたくしのような空間移動は演算の複雑さが他とは段違いですので。
ですので安心してくださいな佐天さん。レッスンが終わった時、あなたは数学なくしては生きてはいけない体になっていると思いますので」

そんなの嫌ー!! と駄々をこねる佐天さんを見て、何故だか黒子は矛先を初春さんにも向けた。

「初春、あなたも一緒にどうですの?」

「なんで私まで!?」

「あたしは教えてもらうなら御坂さんがいいですよぉー……」

「わ、私?」

「だって御坂さんは分かりやすく丁寧に手とり足とり教えてくれそうですもん」

突然のご指名に流石に面食らう。そりゃ私だって別に数学苦手とかじゃないわよ?
でもなんでそんな過大評価されてるんだろう……。

「お姉様が手とり足とり腰とり教えてくださると申しましたか 」

「申してねえよ」

結局、本当に私が教えることになってしまった。ちなみにそれでも平均点いかなかったら黒子コース。
佐天さんは私がついてくれれば学年一位もちょろいとか言ってるし……責任重大よね。

「さてどんな風に進めていくかな……」

帰り道、ちょっとこれからのプランを考える。やっぱり基本からしっかりやっていくべきか、なんてことを考えていると。そこにそいつはいた。

「……なんつー顔してんのよアンタは」

もはやいつものように声もかけられない雰囲気だ。こいつは世界の終わりのようなオーラを醸し出している。
なんからしくないわね。

「……御坂さん」

「な、何よ」

「俺に勉強を教えてくださいオネシャス!!」

は!?

「もう、もうあとがないんです……」

……要するに、こういうことだった。
こいつの出席日数は絶望的。その上今回のテストの点数もお察しだった。
しかし慈悲深い担任の先生は追試というチャンスを与え、そこで満点近くの点数を取ることができれば望みは繋がるということらしい。
何ていうか……何ていうか。

「アンタ……なりふり構わなくなったわね」

「構ってられるかそんなもん!! 留年なんかしてみろ。吹寄とかはまだいい、青ピなんかに後輩扱いされるのは耐えられん……っ!!」

いや別に知らんけど。
でもこいつには借りもあるわけだし、断る理由も特にないのかな。
ていうかもしかしたら丁度いいタイミングだったりする?

「いいわよ」

「ほんとか!? 神様女神様御坂様!!」

「ただし、佐天さんと一緒に数学からね」

「え……っ? 佐天さんって、あのお前の友達の……」

「そう。中学一年の佐天さん。アンタも一緒に受けてもらうわよ。どうせ基礎の基礎からやり直しになるんだから」

「それは何か嫌だぁぁああああああ!?」

ギャーギャーとわめくあいつを私は珍しく勝ち誇った態度で見つめていた。
別に嫌なら嫌でそれでいいのよ? ただ、留年しても知らないけどね。
さーてこれからは立場逆転よ日ごろの鬱憤を数学という形で存分にぶつけてやるわ。

「さー始めましょー」

「おい待て今からかよ!?」







『絶対能力者』という存在への昇華。その代償として御坂美琴という存在と精神は消滅し。






『G』という邪なる神と、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着いた『絶対能力者』の力が激突し、






「おなかへった」

「唖然、何を言う。先ほど食べたばかりではないか」

「おなかへったって言ってるんだよ?」

「……憮然」

「むー、あうれおるす!!」

「……仕方ない」

結局、あうれおるすって押しに弱いかも。
でも仕方ないかも、だっておなか減って死んじゃいそうだし。

「あうれおする、あうれおるす、私はあれを食べてみたいんだよ」

「……愕然。カニクリームシューだと。何だこのゲテモノは」

全く、そうやって食べる前から悪く言うのはあうれおるすの悪い癖なんだよ。
食べてみるまで何も分からない、だからとりあえず珍しいものとか美味しそうなものはどんどん食べてみるんだよ。
うんうん、そうして新しい発見があって世界が広がっていくものかも。

「美味しいんだよ、凄く美味しいかも!!」

ほら、やっぱり食べてみるまでは分からないんだよ。
あそこにあるハンバーグドリアンロールケーキとかいうのも美味しいのかな。
きっと美味しいよね。食べてみたいかも。

「敢然。これはどうしたことだ。何故このような見事な味わいに……」

「ねぇねぇあうれおるす。次はあそこにあるハンバーグドリアンロールケーキっていうのを食べてみたいかも」

「泰然。インデックス、どう考えてもそれは今のとは比較にならぬゲテモノの中のゲテモノだ。やめておいた方がいい」

だからそれが悪い癖だって何度言えば分かるのかなあうれおるすは!!
私はあうれおるすの腕を掴んで強引に進む。あんな変わったものきっと今を逃したら出会えない。
真に美味しい食べ物は一期一会なのかも。

「ほら、早く早く!!」

「ま、待たれよインデックス。そもそももう資金が……」

「店員さーん!! 二つお願いするんだよー!!」

「……愕然。終わった……」

あ、これ普通にまずいかも。







インデックスと御坂美琴が、






『G』と『絶対能力者が』、






「おなかへった」

「君は何を言っているんだ」

「おなかへったって言ってるんだよ?」

「……インデックス。先ほど食べたばかりではないですか」

「むー、すている、かおり!!」

全く二人は酷いんだよ。あれだけのフィッシュ&チップスで足りるわけがないかも。
でも今はかおりがいる。すているは押して押して押せば割と折れてくれるけど、かおりはそうもいかないんだよ。

「お願いなんだよかおり、ちょっとだけ!!」

「駄目です。我慢しなさい」

「すている!!」

「そ、そうだね。確か昨日の夕飯の残りが少しあったはず……」

「ステイル」

ゾワッ、とかおりから何か凄いプレッシャーが溢れる。
こわいからやめてほしいんだよかおり。

「インデックス、食事ならさっきとったはずだ。駄目に決まっている」

すている……。

「ほらインデックス。これならあげますから」

そう言ってかおりが差し出したのは赤っぽい何か。
何なのかな、これ?

「これは梅干といって、日本の食べ物です。私も個人的に気に入っておりまして」

「おおー、これが噂のじゃぱにーず・ウメボシ……」

「そ、そいつは……」

すているはウメボシを見ると何故か途端に顔を青くしてた。
どうしたのかな。昔ウメボシをたくさん投げられるいじめとかあったのかな。

「いただきますなんだよ」

とりあえず食べてみる。……何か凄い味がするかも。
でも、でも。うん、悪くないんだよ。

「ちょっと美味しいかも」

「ふふっ。そう言っていただけると私も嬉しいです」

「ありがとうなんだよかおり!!」

そう言って私はかおりに思い切り抱きつく。
こうするとかおりはいつでも優しく抱きしめ返してくれるから気に入っている。
かおりの腕に抱かれながら、私はウメボシをもう一つもらって、

「ねえすている。すているも食べてみない?」

「い、いや、ぼ、ぼ、ぼ、僕は遠慮しておくよ」

なんだか声が上ずっている。あやしい。
これは何かあるかも。

「ほら口あけてー」

とりあえず強引に口の中にウメボシを捻じ込んでみる。
きっとすているもすぐにその美味しさに気付くと思うんだよ。

「ちょ、インデッうううううううううううっ!?」

あ、倒れたかも。







交差して、






全てが弾け、






「おなかへった」

「あなた様は何を言っているのやら」

「おなかへったって言ってるんだよ?」

「さっき食べたばっかりだろ」

むー、とうま!! あんなモヤシで露骨にかさ増ししたもので足りるわけがないんだよ!!

「大体ね、とうまが悪いんだよ。昨日もこの間も、お金を川に落としたとかカードが通らないとか何とかで……」

「あれらは全部上条さんが悪いんじゃありません!! 悪夢的不幸が悪夢的タイミングで狙い済まして降りかかってきやがるんだ!!」

言い訳は聞きたくないかも。
何にしてもそのせいで食べられたはずのごはんが失われていることに代わりはないんだよ。

「……でも、ないものは仕方ないかも……」

流石にそれが分からない私じゃないかも。
だから何か考えなくちゃ。何か良いアイディアは……。

「はっ!!」

その時インデックスに電流走る――――!!

「とうま、とうま!! じこあんじーって知ってるかな」

「自己暗示のことか?」

「てれびーでやってたんだよ。温かい温かいってじこあんじーすれば寒くないって。
これを使えばもしかしたら……!?」

もしかしたらこれは世界を揺るがすほどの発見かもしれないんだよ。
時代は私なんだよ、素晴らしい発想かも。

「これは肉、牛肉、A5ランクの和牛……」

「これはお肉、美味しいお肉。肉汁たっぷりに焼けてきて……」

私ととうまはその前でしばらくこんなことを呟いて。

「……なあ、インデックス。俺たち、テーブルの上に並べた肉サイズの紙の前で何やってるんだろうな」

「……今、最高に惨めな気分かも」

せめてお肉の焼ける臭いくらいは楽しめるかと思ったのに。
やっぱりじこあんじーってダメダメなんだよ。
でもこのままじゃ私たちは飢え死にしてしまうかも……。

その時でんわーがいきなり鳴り出して、とうまがそれに出た。
何か嬉しそうに喋ってるけど、と、止めなくちゃ!?
だってあのでんわーは話す度にどんどん寿命が縮んでいくって……!!

「喜べインデックス!! 今から小萌先生の家で焼肉パーティーだ!!」

「焼肉パーティー!?」

何か全部吹っ飛んだかも!! 最高なんだよこもえ、じゃすてぃすなんだよこもえ!!
あの不幸なとうまのところにこんなお誘いが来るなんて、今日は最高にラッキーな一日なのかも?

「よーし早速行くぞインデ」

バキッ。そんな音が聞こえたような?

「……不幸だ」

あ、けいたいでんわーが砕けてるかも。







そして、






そして、






そして、






そして。



















                                                                        .







































                                                                        .


Files

File39.『御坂美琴の遺書』

なんでこうなったとか、その理不尽とか、そういうのを書くのはやめておこうと思います。
みんなが大好きだった。この街が、色々な不満が消したいところはあるけど、好きだった。
とても残念よ。でも、きっと佳茄は御坂美琴の名に懸けて助けられたはず。
そうよね? もし助けられてなかったら許さないわよ、御坂美琴。
他にもきっと生き残っている人はいるでしょう。あの馬鹿とか多分いるんじゃないかしら。死ぬなんて許さないわよ。

……でも、私はそこにはいない。終わらせなくちゃいけないと思ったから。
ママ、パパ、勝手なことしてごめんなさい。でもこれは私が自分で決めたことなの。
あの子たちには迷惑をかけるけど、『G』をこのままにはしておけないから。
眠らせてあげないといけないと思ったから。……ママ、パパ。今までありがとう。好きだよ。

リサを見てて思ったの。やっぱり母親や父親って必要なんだよね。
子供にとっては絶対で、神様みたいなものなんだよね。
親にとっての子供もきっと似たようなものなのだと思う。
だとしたら、ますます謝らないといけないけど……。でも、それでも。

終わらせる。この惨劇を。







しかし ふたたび夜が天を覆いつくしてきた
さあ 立ち去る時期だ
私たちはすべて見たのだ――――――








トロフィーを取得しました

『絶望の底からも救い給う』
硲舎佳茄を悪魔のウィルスから救った証。果たしてその先にあるのは希望か次なる絶望か


『死より強いもの、それは理性ではなくて、愛である』
滝壺理后が死した浜面仕上に身を委ねた証。彼女に恐怖は欠片もない


『神浄の討魔』
右手の奥にあるものが『G』に致命傷を与えた証。しかし究極生物は無限に進化し、いつか神に追い縋り、追い落とす


『神ならぬ身にて天上に辿り着く者』
誰も辿り着けぬ地平の果てにある『絶対能力者』へと成った証。『G』という滅びを知らぬ神に滅びを


『悪夢の終着点』
惨劇の街を脱した証。生き延びた彼らにとって生は幸福なのか

投下終了

浜面仕上、滝壺理后、御坂美琴、退場です
これまでお疲れ様でした
上条当麻、硲舎佳茄、生存確定です
おめでとうございます

個人的に浜面滝壺コンビは頑張ってたイメージが まあみんなそうですけど

次回投下は来週か再来週の土曜日の22時ごろを予定しています
今回も大概な長さでしたが来週の投下分も長いです

乙すぎる
すっげーおもろい

前回、前々回と一気読みしたからメインキャラ続々退場に戦慄しっぱなしだわ
そして雷神御坂がssで出てくるのって初めて見た気がする

乙です

生き残ったのは上条さんと佳茄だけか
これって選択肢によっては生き残るキャラが増えたりしたのかな

ラストを間近に控えてペースアップ、投下します
がっこうぐらしってただの日常系だと思ってたらバイオハザードものだったんですね

>>675
レベル6化美琴もですが、個人的には少しでも天埜郭夜さんを出せて満足です

>>679
生き残るキャラは変わりませんが、浜面と滝壺だけはもう一つ死亡パターン分岐がありえました
タイラント相手にあれやこれやで、最後には「俺と滝壺の命でこいつ一体、高すぎる買い物だ」とか「アレルヤ」とか
ちょっとかっこいいこと言ってタイラントもろとも自爆する展開ですね





精神の世界以外には何も存在しないという事実、これがわれわれから希望を奪い取って、われわれに確信を与える。




その報を聞いて、レイヴィニア=バードウェイは珍しく膨大な情報を頭が処理し切れていなかった。
学園都市で発生した悲劇、そして消滅。確認されている限り生存者はたった二名。
上条当麻と硲舎佳茄。後者は聞いたことのない名だが、その少女も今後否応なしに様々な勢力に狙われることになるだろう。

テーブルの上には新聞が投げ出されていた。
その一番上に、嫌でも目に入るように大見出しがでかでかと踊っていた。

『THE DEAD WALK!!』

世界は大きく揺らいだ。凄まじいほどに。
たった一つのニュースから広がった波紋は爆発的に拡大し、世界を包む。
学園都市の一件、どうやらそれは単に敵が消えて良かったね、で済むほど簡単な話ではないらしい。

もうこうなってしまったら、『明け色の陽射し』としても黙って見ているというわけにはいかなかった。
たとえ本来その役割が魔術結社なんてものではなかったとしても。

「これは一体どういうことだ……」

言葉にしたというよりは思わず漏れてしまったという風な呟き。
その声は僅かだが震えてさえいた。
状況がバードウェイの理解の外にまではみ出てしまった証だった。

科学サイドの、崩壊。
それは即ちその王の崩御とも言い換えられる。
だが、そんなことがあり得るはずがないのだ。
バードウェイは知っている。その王の名を。その恐ろしさを。その絶対性を。

「アレイスター……。貴様は、何を考えているんだ……っ!?」

「彼の手から、状況が零れたということでしょうか……?」

「……あり得ん……」

マーク=スペースが呟くが、バードウェイは即座にそれを否定した。
そこにあるのは負の信用。無論、アレイスターとて全知全能完全無欠の存在というわけではない。
計画が複雑で綿密に組まれているほどにふとしたボロが出る確率だって高くなるだろう。
だが、それにしたってこんな決定的で、破滅的な綻びをアレイスターが許すとは思えなかった。それも彼の統治する学園都市で。

アレイスター=クロウリー。この男については魔術師ならば誰でもよく知っていて、そして誰も知らない。
彼が最強最高の魔術師として存分に名を馳せていたころの話であれば、真偽はともあれ情報はいくらでも転がっている。

魔術に傾倒していたころのアレイスターは知っている。しかし全てを、ではない。
彼が科学に走った経緯、そしてその後のことは全く分からない。
そんな情報不足の状態で正確なプロファイリングなど不可能だった。

いいや。情報の足りる足りないの問題ではなく。
根本的に、アレイスター=クロウリーという人間は“バードウェイ程度”に計りきれる存在ではないのだろう。

(私の手には流石に余るか……底知れん奴め)

『明け色の陽射し』などという名がどこかの誰かにつけられる以前の話。
人の上に立つ者……カリスマの挙動や機能の条件を探ることをその組織は目標に掲げていた。
そして、そんな彼らにとって一九世紀後半、奇跡とも言える集団が現れた。
突出したカリスマ性を備える魔術師たちが集った世界最大の魔術結社、『黄金夜明(S∴M∴)』の出現である。

当然、人の上に立つ者を調べていた組織はその内部に潜入することで彼らを調べようとした。
だが、そこで逆に染め上げられた。長年強いカリスマ性を持つ者を調べていた組織はそれに対して強い耐性を備えていた。
それでも、呆気なく丸呑みにされてしまった。それほどに『黄金夜明』は、そこに集った連中は常軌を逸していた。

そして。そんな『黄金夜明』にある時一人の魔術師が加入した。
名はアレイスター=クロウリー、備えるものは伝説級、そのたった二桁の活動によって数千年を超える魔術の歴史を塗り替えたほどの異常者。
『黄金夜明』に加入する条件は十分すぎるほどに満たしていた。
それからのことだ。アレイスターが加入してからほどなくして、世界最大の魔術結社『黄金夜明』は破滅した。

アレイスター=クロウリーという存在は、計り知れないほどの影響を及ぼした『黄金夜明』でさえ抱えきれなかったのだ。
持て余した。振り回された。御しきれなかった。受けきれなかった。それほどの極大のカオスを彼はもたらした。

『明け色の陽射し』の名を冠す以前の、その本領を有していたころの組織でも『黄金夜明』には呑み込まれた。
その組織を呆気なく呑み込んだ『黄金夜明』すらアレイスターは手に余った。
それほどの才能。それほどの特異点。それほどの異常者。

で、あれば―――『黄金夜明』を内側から破滅に導いたその男を。
『本来の力』も忘れた今の『明け色の陽射し』が、そのトップ程度のレイヴィア=バードウェイが、語れるはずもない。
とはいえ。それは何も抗戦ができないということではないが。

(第三次世界大戦と右方のフィアンマによって奴の『プラン』に大きな誤差が生まれ、現状迂闊に動けないと踏んでいたが……。
読みを誤ったか、それともこれすらも『プラン』の内なのか)

そもそもアレイスターは生きているのか、死んでいるのか。
それすらももはや定かではなくなってしまっていた。
まあまず間違いなく生きているだろうが、とバードウェイは呟き、

「上条当麻の方は。既にイギリス清教傘下の天草式十字凄教が接触を図ったと聞いたが」

「あくまで友人を心配して、という体の接触です。とはいえ、本人もその目的だったようですが」

ふむ、とバードウェイは美しい金髪を後ろに流して考え込む。

「……迂闊に動けないのはこちらもだったな」

上条当麻が生きていたのは、個人的には喜ばしい。
バードウェイは意外と上条のことを気に入っていたし、有り体に言えば好んでもいた。
だが、起きた事態が読み取れない以上下手な手を打てば何を呼び込むか分かったものではない。
それに……これは推測だが、今の上条はまともに会話をこなせるような状況ではないだろう。

(……待つしかない、か)

上条当麻。いかな彼といえど、今度ばかりは二度と立ち直れなくても不思議はない。
異能によるものでも、作られたものでもなく。本当に、どうしようもなく現実で起きてしまったことだ。
あらゆるものを喪い、魔道書図書館、禁書目録―――インデックスさえも失った。
だからバードウェイは上条に何も言えない。何も強要はできない。接触するつもりもない。

(もしあいつが立ち上がれなかったなら――――その時は、私としても本気で潰させてもらうぞ)

それでも、状況は彼や見知らぬ少女を放ってはおかないだろう。
大きな陰謀からチンケな三下集団まで。幾多の勢力が彼らを強引に巻き込もうとするだろう。
バードウェイには、再起に失敗したなら上条に何も要求はできない。
そのままひっそりと暮らしてほしいと思う。だから、そんな上条たちを狙う者には一切の容赦も躊躇もしない。

そう、たとえその相手がアレイスターであったとしても。
バードウェイは全力で噛み殺す。
そして、それと同じほどに不気味なイギリス清教最大主教の存在。

「……パトリシアは?」

「……塞ぎ込んでしまっています。パトリシア嬢は学園都市を大変に好み、常々あの街で学びたいと口にしていましたから」

「そうか。……後々私が行く。それまで護衛の目は放さないようにしておけ。
この世界規模での大混乱だ、それに乗じて何を企む輩がいても不思議はない」

マークは了解、と一言返すとその場を去っていった。
結果的に妹を学園都市にやらなくてよかったが、パトリシアのその願いを叶えてやりたいとは思っていた。
滅多に我がままを言わない大切な妹の願いだ。
だが『黄金』系である『明け色の陽射し』のトップの妹が科学サイドに渡り、しかも能力者になってしまうと非常に面倒な事態になる。

そのためにバードウェイはパトリシアの願いを叶えてやることができなかった。
そんなパトリシアには何の関係もない魔術のしがらみで彼女の道を縛るのは心苦しかったが……。

(そんな心配も、もはやなくなってしまったな。……嬉しくない決着だ)

下手な行動は取れないが、やらなければならないことは山積している。
その筆頭に最も気になるものがある。
黄金色に輝く陽射しを前に、レイヴィニア=バードウェイはこれまで以上に先行きの見えなくなった未来を思って呟いた。

「さて、これから訪れるものはなんだろうな。世界中でバイオテロ、なんてことにはならんように願いたいものだ」

世界中の大物たちが困惑と動揺を隠し切れなかった。


「……が、学園都市が消滅だと? それにバイオハザードの発生……」

「……こんな冗談はB級映画の中で留めてほしかったな」

その報を聞いて、アメリカ合衆国大統領ロベルト=カッツェの声は震えた。そしてその補佐官ローズライン=クラックハルトも。
彼らの声色には信じられない、といったニュアンスが含まれていた。
当然だ。学園都市と言えば他とは隔絶した科学力を持ち、国家未満の一都市でありながら第三次世界大戦では大国ロシアさえ圧倒した街。
それがまさかこんな結末になろうとは誰が想像し得ただろうか。

「二〇〇万を優に超える死亡者……ぞっとするな。まるで戦後の報告を聞いている気分よ」

ローズラインの言葉。思わずくらっとしてしまうような数だった。
これは大国同士の戦争による死亡者の数ではないのだ。
ただ、あの街で起きた惨劇によってこれだけの数が。

「……アメリカとしてはとりあえず混乱からの自衛を考えた方がいいだろうな。下手に首を突っ込まずに」

ロベルトとローズラインはその裏にあるものにまでは考えが至らなかった。
アメリカという国は科学サイドと魔術サイド、どちらかに明確に所属しているわけではない。
だからこそ、一番中立的にこれからの世界を見ていけるのかもしれない。




『そちらの調子はどう、エリザ?』

「……突然連絡してくるのはやめてほしいのだけれど」

その報を聞いてエリザリーナ独立国同盟、その盟主であるエリザリーナは深く椅子にもたれかかる。
この部屋にいるのは彼女一人だ。電話も使っていないが、その会話の相手は遠くフランスにいる。

「どうもこうもないわよ。学園都市の一件はこの独立国同盟にまではそれほど影響はなし。
ロシアの方は流石に混乱は避けられてないみたいだけどね」

『まああなたの国は大きくない上にあなたの目が届いてるのもあるでしょうね』

「そういうそちらはどうなのよ」

エリザリーナは独り言を呟いているのではない。
会話の相手は『傾国の女』と呼ばれているフランスの重鎮だ。
同時にこの『傾国の女』はエリザリーナの姉でもある。

『……フランスも、荒れていますよ。表面上はそれほど変わりのないように見えますが、所詮は見せかけです』

予想通りの返答にエリザリーナは大きく息を吐く。

(あの事件は、やはりそれほどの……)

遥か遠く。極東の島国で起きた世界を揺るがす事件。
今のところはここには影響は薄いが、これからも世界、特にロシアが荒れればこの国も無関係ではいられないだろう。
今のうち打てる手は打ち、考えられる策は考えておくべきか、とエリザリーナは水を一杯口にして、

「……ところで一体何の用事があったわけ?」

『おや、エリザ。姉が妹の心配をしてはいけませんか?
あなたのことですからそろそろ過労で倒れるころかと思ったので』

「余計な心配よ」


「……何が何やら、頭が追いつきませんね」

「大丈夫、大丈夫よ。私が体でわかぐぶはぁっ!?」

その報を聞いてロシア成教総大主教クランス=R=ツァールスキーは思わずそんなことを呟いていた。
突然おかしな声をあげて倒れたワシリーサを見つめるクランス=R=ツァールスキー。
ワシリーサをパールで殴り飛ばしたのは殲滅白書のサーシャ=クロイツェフだ。

「……何をしているのですか?」

「第一の解答ですが、下品な言葉を発するのが目に見えていたのでその前に黙らせました」

こんな時でも変わらない、とクランスは思わず笑う。
だが世界の様子は変わる。あっさりと、停止することなく。

元々ロシアは第三次世界大戦の主な戦場となった国だ。
自業自得な面はあるものの、何にしてもその被害によって国はまだ立ち直りきっていない。
荒れた国土に賠償金。問題は山積みだった。そこに来て、今回の一件。
ただでさえぐらついていたジェンガを思い切り蹴り飛ばされた気分だ、とクランスは思う。

「様子はどうでしょう?」

「第二の解答ですが、今日は一二件の無視できないレベルでの魔術的事件が確認されています。
補足説明しますと、これは魔術的事件の話であり魔術の絡まない事件を含めるとその数は更に増えます」

一二件。少なく聞こえるかもしれないが、これはロシア国家として、あるいはロシア成教という枠組みで見ても無視できない事件の件数だ。
このままではとても対処が追いつかない。どうするべきか。
さしあたりロシア成教の体制の見直し・組み直し、他国との協力関係構築の段取りなどを頭の中でシミュレートしていたクランスだったが、

「んもぅ。坊やは余計なこと考えなくてもいいのよ、やるべきことだけやってくれれば」

いつの間にか起き上がっていたワシリーサはそう言ったあと、クランスには聞こえない声で呟く。

「……裏方で手を染めるのはこっちで全部済ませるから」

サーシャはその呟きを拾っていた。この点に関してはワシリーサに同意できるのか、小さくこくりと頷く。
一方で呟きが聞こえていないクランスは立ち上がり、

「国内の建て直しは火急。しかし国際的な協力関係も可及的速やかに必要でしょうね……」

世界は変わる。たった一つの事件から、こうも簡単に。


その報を聞いて、マタイ=リースは言葉を失った。
確かに学園都市の存在は快く肯定できるものではなかった。
しかしだからといってこんな結末を迎えていいというわけでもない。
それに、そもそもあの街の住人は神を知らぬ身のはずだ。

「一体、何をどうしたらこんなことが起こるのだ……」

「あら、何か問題でもあるワケ?」

背後から女性の声がした。ジャラ、という鎖のような音も聞こえる。
マタイが振り返るとそこには見知った顔があった。
黄色い服にピアスをいくつもつけた派手な見た目。だがそれは相手の悪意を呼び起こすための手段に過ぎない。

前方のヴェント。元ローマ正教最暗部『神の右席』にて前方と土を司る者。
ヴェントはにやりと笑ってマタイを否定する。

「学園都市が消えたのよ、もっと素直に喜びなさい」

「あの街の住人全てが罪人だったわけではない。
受け入れるかはともかく、神を知らないまま生を終えるのもまた悲劇だ。
それに……何であろうと、人の命だ」

はぁ、とヴェントはため息をついてこつこつと近くを歩き出した。

「少なくとも、私にはこれ以上ないほどの朗報。
私は科学が嫌い。科学が憎い。久しぶりに最高とも言える気分だわ」

「ヴェント」

「……アンタが頭抱えてどうするってんのよ。アンタは今や教皇を退いた身。
今の教皇はペテロだかペトロだか何とかってヤツでしょ。そいつに全部任せときゃいいのよ。
成功しようと失敗しようとそいつの責任、教皇なんだから当然でしょ」

確かにそうなのかもしれない、とマタイは考える。
マタイ=リースは既にローマ教皇を辞している。
しかし、今の騒乱を鎮めるには世界中が協力する必要があるはずだ。
どの国もまずは自国の混乱を収拾することに躍起になっている。それは当然だ。

だが、同時にそれだけでは根本的な解決にはならない。
そこからもう一歩踏み込む必要がある。
こうなっては教えを信じる者も信じない者も必要なく手を取り合わなければならない。
マタイがそう語ると、

「……くっだらない」

ヴェントはそう吐き捨て、虚空よりハンマーのようなものを取り出した。
そしてそれを一振りすると突然竜巻が発生しヴェントの姿を覆い隠す。
それが晴れた時、既にヴェントの姿はどこかへと消えていた。

「……とても心から喜んでいるようには見えなかったぞ。
お前なりに何か思うところがあったのではないのか? ヴェント……」


「――――以上が我々の調査によって知り得た全てです」

その報を聞いて、英国女王エリザードはこれからの指針を考え直していた。
学園都市でバイオハザードが発生? 死者の歩く街に変貌? 学園都市が正体不明の極大の力によって消滅? 魔道書図書館が死亡?
どれか一つだけでも耳を疑うようなショッキングな情報が一気に雪崩れ込んでくる。
だがイギリスとしての一番の問題はおそらく、

「禁書目録の、あの子の喪失だな……」

エリザードが小さく呟いた。
魔道書図書館はイギリスの宝だ。それが敵対勢力の手に渡るなど論外だが、失われるのもまた大きな損失に違いない。

「……ですが。あの禁書目録は果たして、イギリスにとって本当に不可欠な存在なのでしょうか?
私としては以前から、常々疑問に思ってきたのですが」

英国第一王女リメエア。彼女はインデックスの必要性について疑問を投げかけた。

「ええ、ええ。ここではあの少女についてではなく、つまりあの少女という人間やその人権についての議論は脇に置いておいて。
そもそも本当に魔道書図書館はイギリスに必要なものなのか、という点について話しています」

「そーいえば禁書目録が作られた経緯などは聞いたことがないの」

リメエアと英国第二王女キャーリサの言葉にエリザードは考える。
無論エリザードだってそのことについて考えたことがないわけではない。
このイギリスという魔術大国では毎日のようにいくつもの魔術的事件が起こっている。
そのほとんどがいちいち注目するに値しない取るに足らないものだ。

だが、中には無視のできないものもある。
果たしてそういう時にインデックスを呼び寄せてその知恵を借りたことがあっただろうか。
一度もなかったわけではない。キャーリサがクーデタを起こす前のユーロトンネル爆破事件などでは彼女の知恵を借りた。
しかし一体他にそんなことが何件だっただろう。そう、思い出してみるとそんなことはほとんどないのだ。

エリザードはもうとっくに気付いている。禁書目録は、インデックスは、イギリスという国家のための存在ではない。
イギリス清教最大主教。ローラ=スチュアートの考えによって、彼女自身の目的のための存在なのだろう。
……とはいえ、今考えるべきはそのことではない。

「あの子が我が国にとって必要不可欠であろうとなかろうと、損失には違いない」

「……あの少年が聞いたらブチ切れそうな会話だな。そーだ、あいつは今どーいう状況なんだ?」

キャーリサの言葉を受けて脇に控えていた騎士団長が説明を始める。
その表情には疲労と困惑の色さえ見て取れた。

「……あの少年については日本国内の病院に置かれています。
何らかの妨害が入っているようで正確な位置については、まだ。
むしろ厳重な監視下にあるのは彼と一緒にいたという少女の方です。名は硲舎佳茄といったかと」

「あの少年、上条当麻は現在どういう状態にある?」

「……聞いたところによれば廃人にも近い状態。かつての様子は全く見られないそうです。
それほどの致命的な精神的ダメージを受けたのでしょう。これからどうなるかは、彼と状況次第かと」

端的に言って上条当麻は優しい人間だった。
それが親しかった人間、昨日まで談笑していた人間たちが生きた死体に変貌したのを見れば。
それを救えない自責の念、右手で壊せない絶望、その上インデックスまで失ったとなればいくら彼でもそうなるのはおかしいことではない。
上条当麻が再び立ち上がれるか否か。それは現時点では何とも言えないところだった。

「その少女もあの少年も災難ね。これからも、色んな連中に狙われるのでしょうし」

上条にはクーデタの際に借りもある。このまま世界のいざこざとの関わりを断ち切ってもいいはずだ。
そもそも本来、彼のような一学生が踏み入るような世界ではなかった。
……硲舎佳茄という少女についてはどうだろう、とエリザードは思う。
顔も知らぬその少女が今回の事件を通して何を思い、これからどうなっていくのか。そればかりは流石に読めない。

「……では。学園都市が消滅したとされる時間に観測された、あの極大の力については?」

騎士団長が答えようとした時、背後のドアが開いた。
この部屋は指定された者が以外は立ち入れないようになっている。
特に今のような時には魔術的に防護が施されているため、入ってきた者の予想はついた。

「ウィリアム」

「遅くなりました」

ウィリアム=オルウェル。元ローマ正教最暗部『神の右席』所属。
かつては『後方のアックア』という名で動いていた男だ。

『聖人崩し』によって神の子と聖母の両方の身体的特徴を持つという二重聖人の性質を失った。
そしてロシアにて大天使『神の力』……ミーシャ=クロイツェフの力をその身に取り込んだだめに通常の『聖人』さえ失い、現在では何の力も持たぬ身。
しかしそれでも彼が鍛え上げてきた技術は並大抵のものではなく、今でもこうして必要があれば駆り出される立場となっている。
そもそもロンドンの処刑塔に幽閉されている身であるキャーリサがここにいるのもそういうことなのだった。

「我が人徳娘はどうした?」

「疲労がたたり、酷く顔色を悪くされていました。それでも絶対に休まないというものですから。
……これ以上は危険と考え、眠りの刻印を」

エリザードに対するウィリアムの返答にキャーリサは僅かに笑みを浮かべる。

「おいおい、仮にも人徳の英国第三王女ヴィリアンに対して魔術を行使したのか。
まー、あの馬鹿はその人徳を生かして少しでも国内の混乱を収めるべく走り回っていたからな」

「体調管理もできないとは、やはりまだまだ未熟ね。若すぎるのも問題なわけだけど」

「……報告に入ります。あの力はやはり理論上の『魔神』のものと類似性が確認されました。
あまりに一瞬のことで十分なデータがあるわけではありませんが……」

そこでウィリアムは僅かに言葉を切り、

「――――ただ、あの力はこの世界を残らず消し飛ばすに十分な破壊力を秘めていた可能性がある、とのことです」

「……それは、確かなのか。ウィリアム」

その言葉にぎょっとした顔を見せたのは騎士団長だ。
ただでさえ異常極まるあの事件だ。そこで実は世界を砕くほどの力が発生していたかもしれないなど。
一方で二人の王女と一人の女王は大して動揺した様子はない。

「『魔神』ね。まさか学園都市で、タイミングで『魔神』が誕生したというわけでもないでしょう」

「そもそも『魔神』なんて今のところ理論上の存在でしかないの。その辺りを知っている者がいるとすれば」

「上条当麻に硲舎佳茄、というわけであるか」

この二人の名前については表向きには伏せられていて、魔術サイドでも一部の人間しか把握していない。
ここにいるような世界の重鎮たち、彼らと親しかった者、何らかの理由で知る必要があると判断された者。
基本的にはそういった者たちだけだ。しかし時間が経つにつれてその秘匿性が薄れていっている。
特に上条は悪い意味でも有名人だ。魔術サイドでも彼を快く思わない者は多い。

「だがあらゆる意味で彼らに話を聞けるような状態ではあるまい。
その辺りはとりあえず捨て置くべきだろうな」

「ええ。今はこの国の体制を建て直すことが先決かと」

騎士団長の言葉は尤もだ、とエリザードは思う。
本当に多くの問題の種をあの事件は世界に振り撒いた。
この国に限定してもだ。元々この魔術大国では様々な企みを持つ輩が潜んでいる。
それらが好機到来とばかりにこのタイミングで表に表れ、国民たちもパニックと日本の事件の異常性に慄き、恐怖と不安が表出している。

ヴィリアンがどれだけ駆け回ったところで一人では限度がある。
まず何にしても国としての足並みを揃えなければどうにもならない。

「……というわけで、だ。入ってきていいぞ」

エリザードの突然の言葉に誰もが怪訝な顔をする。
他に誰かいたか、という疑問の答えはすぐに現れた。

「……こ、こんにちはー」

「お初にお目にかかります、英国女王(クイーンレグナント)」

「…………」

「…………」

入ってきたのはレッサー、ベイロープ、ランシス、フロリス。
魔術結社予備軍、『新たなる光』だった。
ガチガチに緊張して喋れなくなっているランシスとフロリスの代わりにレッサーとベイロープが声をあげる。

「なんだこいつらか。よーするに手駒、意外性もない人選。つまらないの」

「そこっ!! 露骨にがっかりした顔をしないでください!!」

「ば、馬鹿っ!?」

はぁ、とため息さえつくキャーリサにレッサーが抗議するも、すぐにベイロープに取り押さえられる。
英国女王だけでなく王女二人まで揃っているのだ。その態度にはひやっとするものがあったのだろう。

「お前らもさりげなくいつでも斬り捨てられる位置に移動しなくてもいいぞ、ウィリアム、騎士団長」

いつの間にか移動していた二人にランシスとフロリスは更に身を震わせ、口からは何と言っているのかも分からない音だけが漏れる。
その様子にリメエアが呆れたように頭を抱え、キャーリサはけたけたと笑う。

「それでだ。『新たなる光』の腕と愛国心はよく分かっている。
そんな『新たなる光』のために一仕事頼みたいんだが、どうだ?」

エリザードが薄く笑って問うと、彼女たちは弾かれたように綺麗に並んでぴんと背筋を伸ばす。
その威勢のいい返答にエリザードは満足する。そう、まずは何よりもイギリスの混乱を収めるのが先だ。
しかし、

(……禁書目録の件については、調べておく必要があるかもな)


その報を聞いて、ブリュンヒルド=エイクトベルはクレイモアを握った。
彼女が巨大なクレイモアを一振りする。ズオッ!! と凄まじい衝撃波とソニックブームが場を制圧し、暴虐の限りを尽くす。
あまりにもシンプルで、だからこそどうしようもなかった。それだけで後天性ワルキューレはいとも容易く吹き飛ばされる。

実力の差は決定的だった。だがそれは何も後天性ワルキューレが特別陳腐なのではない。ブリュンヒルドが異常なのだ。
元々、ブリュンヒルド=エイクトベルは十字教圏における特異体質『聖人』を有する者。
加えて、彼女は同時に北欧圏における特異体質『ワルキューレ』をも兼ね備える世界に二人といない逸材。
二つの力は拮抗し、月の満ち欠けのように切り替わっていくのだが今は時期的に見て何の問題もない。

「そんな程度か」

ブリュンヒルドが吐き捨てる。心底退屈そうな声だった。
彼女の巨大な剣と、後天性ワルキューレの細身の剣が激突する。拮抗すら生まれなかった。
単純な腕力、単純な切れ味とも違うものも付加されたそれに細い剣は切断され、そのまま容赦なく叩き潰されるように両断される。
弾けたように、もはや冗談のように血や臓器が弾けていった。

「そんな程度で、私やあの子の首を取る気でいたのか」

ブリュンヒルドが小さく何かを呟くと、クレイモアにべったりと張り付いていた血や人間の欠片が小さな音と共に弾け飛ぶ。
そしてそのままたった今斬り潰した後天性ワルキューレの剣、その刃先側を手に取る。
その時、後天性ワルキューレの一人は敵わぬと見て唯一の勝機へと手を伸ばしていた。ブリュンヒルドの唯一最大の弱点へ。
セイリエ=フラットリーという少年へと。

「残念だ」

だが、それを許すブリュンヒルドではない。手に取った刃先をその後天性ワルキューレへと投擲する。
それだけで空気が激しく震えた。彼女の凄まじい腕力から繰り出されたそれは、音速を超えて正確にその心臓へと突き刺さる。
あの少年にだけは手を出させない。それはブリュンヒルドの揺るがぬ信念だった。

残りの後天性ワルキューレたちを見据えて、スッと目を細める。
ドンッッッ!! という爆音が炸裂した時にはもう遅い。ブリュンヒルド=エイクトベルは音速超過での精密な挙動を可能とする。
現在のブリュンヒルドの『モード』は『ワルキューレ』。彼女は記録上、『聖人』として力を行使したことがない。
それはおそらく北欧圏に属するにも関わらず『聖人』という記号を持って生まれたこと、またそれによる一連の悲劇に端を発するのだろう。

ブリュンヒルドが一体の後天性ワルキューレの頭を鷲掴みにする。
『ワルキューレ』の性質からもたらされる単なる握力。それがその頭を握り潰してから他の後天性ワルキューレたちが反応した。
数を生かし、複数でブリュンヒルドを取り囲み音速を超えた戦闘を繰り広げるが、まともにぶつかればまずブリュンヒルドが勝つ。

(……世代は更新しても、所詮は模造品か。
だが……殺せる内に殺しておくのが最良ではあるだろう。厄介な欠点を抱える身の上であるのだし、な)

ブリュンヒルド=エイクトベルは基本的に遊びを入れない。
冷静に、冷徹に、冷酷に、殺せる時に殺すのが彼女の基本方針だ。余計な遊びを入れて後で後悔はしたくない。
更にブリュンヒルドは『聖人』と『ワルキューレ』という希少体質を同時に兼ね備える存在。
その二つの力は月の満ち欠けのように、天秤のように流動するのだ。

『聖人』の力が極大になれば『ワルキューレ』の力はゼロに等しくなり、『ワルキューレ』の力が極大になれば『聖人』の力はゼロに等しくなる。
だが、どちらの力であってもブリュンヒルドは絶大な力を振るう。問題なのは半々の時だ。
『聖人』と『ワルキューレ』、双方の力がぴたりと釣り合う時、ブリュンヒルドは全ての力を喪失する。
三ヶ月の中で数日だけ、普通の人間と同レベルにまで堕ちる。

勿論、そのことは知られていない。以前に北欧系魔術結社に捕らえられ、おぞましい拷問にかけられ、あの少年と出会った時も。
結社がブリュンヒルドが全ての特別性を喪失する、そのタイミングで来たのは偶然だっただろう。
しかし偶然だろうが何だろうがその時を突かれればそこまでだ。彼女はそれを経験からよく理解している。
だからこそ。ブリュンヒルド=エイクトベルに基本的に遊びはない。

ヂッ!! という音が響いた。ブリュンヒルドのクレイモアが後天性ワルキューレを押し返していく。
速く、鋭く、重く、『洗練』という言葉に集約される一撃。たとえ相手が『聖人』であろうともそれをまともに受け止めることはかなり難しい。
神裂火織というイギリス清教の『聖人』と交戦した時もそうだった。彼女の剣は『聖人』だの『ワルキューレ』だのといった特別性によるごり押しではない。
そこに甘んじず、更なる弛まぬ鍛錬を積み重ねたからこそ、これほどまでの斬撃が生み出される。

「どうした。終わりか?」

後天性ワルキューレの振るう剣を真剣白刃取りの要領で片手で掴み取り、凄まじい勢いの蹴りが後天性ワルキューレの体を破裂させる。
背後から迫るもう一体をクレイモアの柄で吹き飛ばし、返す刀で残りに対して鋭角的に斬り込んでいく。
その中で一体。ある一体の持つ剣にブリュンヒルドは異常を感じ取る。様々な魔術の重ねがけで切れ味を大幅に増幅させているのだ。
他に混じり一つだけ強力なものを。隠しているつもりのようだが、ブリュンヒルドの目は騙されない。

「さて――――」

後天性ワルキューレの剣とブリュンヒルド=エイクトベルのクレイモアが激突する。
結果は明らかだった。同様に攻撃用の術式を重ねがけしたクレイモアによって、ガンッ!! と後天性ワルキューレの剣が砕け散る。

「……万策尽きた、と見てもいいのか?」

それで終わりだった。ブリュンヒルド=エイクトベルの圧倒的な破壊が、最後の後天性ワルキューレを呆気なく粉砕した。
一通りの戦闘行動を終わらせたブリュンヒルドは、つまらんな、と一言吐き捨てる。
それは今の戦闘に対してではない。それを包含する一連の状況そのものに対してのものだ。

――――学園都市が消滅した。その知らせはブリュンヒルドの耳にもすぐに届いた。
今、魔術サイドはかつてないほどの混乱に陥っている。
そして世界が荒れればそれに乗じてよからぬことを企む輩も大量に出てくる。
そのレベルは様々だ。国家レベルでの策謀のやり取り、組織レベルでの不穏な動き、集団や個人での凶行。

それぞれがそれぞれに、好き勝手にこの好機に己の目的を果たそうという動きが起きている。
ブリュンヒルドの想像通りの予想図だった。今、ブリュンヒルドやセイリエを狙って後天性ワルキューレが差し向けられたのは何か巨大な一つの陰謀ではない。
同時並列で世界中で多発する事件。混乱に乗じて動き出した、星の数ほどある事件のほんの一つに過ぎないのだろう。

(世界は、これから加速度的にますます荒れるな)

後天性ワルキューレを差し向けた者の目的は分からない。
もしかしたらあの時の五大結社のように、北欧圏の純度を薄める『混ぜ物』たるブリュンヒルドを殺そうしたのかもしれない。
セイリエを利用してブリュンヒルドを手駒としてコントロールしようとしたのかもしれない。
だが、大きな陰謀であろうと事件の一つであろうと、目的が何であろうとセイリエ=フラットリーというあの少年に危害を加えようとしたことに間違いはない。

ブリュンヒルドは基本的に遊びを入れない。
『基本的に』は。あの少年に関する事柄、それだけが唯一の例外だ。
いや、正確にはそれは遊びではない。『話せば分かる』人間であるブリュンヒルドの、たった一つの悪趣味。
今回の首謀者の所属を様々な視点からの分析で絞込み、どんな地獄的苦痛を味わわせてやろうかと思考を巡らせながらブリュンヒルドはそこへ戻ってきた。

「あ、おかえりなさいー。どこ行ってたの?」

「……いつまで寝巻きでいるつもりだ。早く着替えるといい」

「その前にココア欲しい」

「……仕方がないな」

ブリュンヒルド=エイクトベルはこの少年を守り抜く。
世界の情勢に興味はない。学園都市で発生したというバイオハザードもどうでもいい。科学サイドの核の崩壊も気にしない。
彼女の気にするたった一つは、ここにある。

新雪に足跡が刻まれていく。辺りを見回しても視界に入るのは雪とそこから伸びる森林程度。
ザッザッ。未踏の雪にその道のりをはっきりと残しながら歩いていく。
どこを目指しているというわけでもなく、何を目指しているというわけでもない。
ただ、この刺すような冷気が少しは頭を冷やしてくれるような気はしていた。

ふと立ち止まり、空を見上げる。あるのは夜の闇に浮かぶ星々で、それ以外は何も見えない。
次に自身の右肩に視線を遣る。そこには何もなく、何の力もない。
それこそがあの少年が生きている証だ。

――――その報を聞いて、右方のフィアンマは事の意味を考えた。
学園都市の消滅、アレイスターの思惑。上条当麻の生存。
その中でも、フィアンマにとって最も重要なものは決まっていた。

「ふん。勝手に野垂れ死にはしなかったようで一安心だ。
……俺様はお前への恩をまだ返してはいないのだからな」

かつて、『右方のフィアンマ』という名を持つ以前。
貧困にあえぐ幼い少年と出会った。親に捨てられ、住む場所もなく、泥をすすって生きるような生活を送っていた。
当時まだ魔術師としても人間としても完成していなかったフィアンマは、純粋な善意からいくらかの額を少年に渡した。
少年は多いに喜び、礼を言った。これをきっかけに少しでも社会に戻れるといいとフィアンマは笑った。

その翌日のことだった。少年の元へ訪れたフィアンマが見たのは、死体となった少年の変わり果てた姿だった。
犯人はすぐに捕まった。犯行の理由は自分が少年に渡した金を奪うためだった。

かつて、『右方のフィアンマ』という名を持つ以前。
特に環境の劣悪なストリートチルドレンたちに最低限の、しかし十分な食料や生活用品を渡した。
現物にしたのは過去の過ちを防ぐため。
フィアンマは今の生活から抜け出すための知恵や方法を語り、少年少女たちは救世主の登場に沸いた。フィアンマも笑っていた。

その翌日のことだった。フィアンマの元に一つの報が飛び込んだ。
彼らの間で殺し合いが発生した。その理由は物資の奪い合いだった。
それでも奪い合い殺し合いに勝利した子供たちは、満面の笑みで救世主に礼を言った。フィアンマは笑えなかった。

かつて、『右方のフィアンマ』という名を持つ以前。
貧困に食糧不足、そして病に苦しむ村に立ち寄った。
フィアンマは自分から物を与えることはせず、病に対する正しい知識や対処法、食料の生産等の知識を語り根本的な解決を図った。
人々は救世主の登場に歓喜し、フィアンマは笑った。彼のアドバイスを元に時間をかけてじわじわと立ち直っていった。
村を救ったフィアンマは人々に惜しまれながらそこを去り、どこかの地へと発っていった。

その数年後のことだった。
再びその村に立ち寄ったフィアンマが見たのは、荒れ果て荒廃した村だった。
その理由は豊かになった村に対する、武装勢力による侵略と略奪だった。

かつて、『右方のフィアンマ』という名を持つ以前。
世界で最も貧しいと言われている地方の一つに足を運んだ。
既に世界でもトップランカーに名を連ねていたフィアンマはその指導者と会い、種種の改革案や体制の変革を提案した。
指導者は彼の言葉に従って改革を推し進め、それはその地方のみならず国全体に波及しGDPも上昇し始めた。

その数年後のことだった。
フィアンマはその国が隣国によって併合されたという報を聞いた。
その理由は資源の獲得だった。

フィアンマの実力は世界全てを見渡しても並ぶ者がいないほどになった。
そして時期を同じくして彼は笑顔を見せなくなった。
救えないと理解した。一人の子供から始まって、子供たちに、村に、地方に、国に。
根本から変えなくてはとどんどんとスケールを大きくしていったが、それでも駄目だった。

彼は『神の右席』の指導者となり、『右方のフィアンマ』へと名を変えた。
そして決意する。何かを救うにはその原因から解決しなくてはならない。
それには環境を変え、地域を変え、国を変え、そして世界を変えなくてはならない。

幸いフィアンマにはその力があった。現実的にそれを成し遂げられるだけの莫大な力が。
何の罪もないはずの人々が理由なく苦しんでいる一方で。
少し目を違うところに向ければ何トンもの食糧廃棄が行われていて、蛇口を捻れば綺麗な水が手に入る。肥満などというあり得ない問題すら浮かんでいた。

だから彼は決意した。属性のズレだけではない、この歪んだ世界を救う、全ての根本を変革すると。
人々を苦しめるものを取り除き、この右腕で理想の世界を実現すると。

――――――フィアンマは、世にある理不尽な不平等を正したかった。
差別をなくしたかった。貧富の差を解決したかった。戦争をなくしたかった。
悪夢的な偶然が起こす悲劇を食い止めたかった。みんなを幸せにしたかった。
みんなの笑顔が見たかった。平和を実現したかった。間違いを正したかった。
人種、宗教、生まれ、男女、肌の色。そんな小さな問題を消したかった。

発想それ自体は何ら珍しいものではなく、子供だって思い描くような理想。
何も非難されるような目標ではなく、あくまで理想でしかない理想。

そしてフィアンマは本気でそれを実現させようとした。
それを可能にするだけの途方もない力が、彼には宿っていた。宿ってしまっていた。

自身の右手を完成させ、第三次世界大戦を引き起こし打ち滅ぼすべき世界の悪意を定め、『世界を救う力』を解放し、そして救済を為す。
フィアンマの発想は、理想は、何も間違ってなどいないはずだった。
誰だって戦争はない方がいいし、平和が欲しい。
貧富の差は是正すべきだと考えるし、差別は撲滅するべきだ。
怒った顔や悲しんだ顔よりも笑顔が見たいし、間違いは修正されなければならない。

たった一つ。ただ、きっとフィアンマはやり方を間違えた。
世界中が手を取り合い、団結し。そして上条当麻の手によってフィアンマの願いは打ち砕かれた。
世界を救ってやるなんて考えてる奴に、この世界は救えない。
世界なんてものをくまなく回ったことがないのなら、これからお前が救いたかった世界を知っていけばいい。

そう語ったあの時、上条当麻は世界の誰にも追いつけない場所に立っていた。
上条はただの一度もフィアンマの願いを否定はしなかった。
ただやり方が間違っていただけなのだと語り、こんな自分にチャンスを与えさえした。
約束、したのだ。絶対に彼らのような人々を救うと。この世界を救うと。

(だから俺様にはお前の与えてくれたチャンスを生かす義務がある。
それまで―――勝手にお前に死なれては、困る)

馬鹿野郎が、とフィアンマは呟いて。
その視線を空から右方向の闇の奥へとやった。

「いつまで盗み見しているつもりだ? 良い趣味とは言えんぞ」

「……やれやれ。バレていたのか」

闇を切り裂いてぬっと現れたのは金髪の青年だった。
オッレルス。息絶えかけていたフィアンマを保護した人間であり、一時的に行動を共にしている相手でもある。

「気付かれないように結構その気で隠れていたんだけどね」

「あの程度でか?」

フィアンマは鼻で笑った。それを見て、オッレルスも薄く笑った。

「参考までに、いつから?」

「お前が現れたその瞬間から、ずっと気付いていたよ」

「……これはやられたね」

オッレルスは雪に新たな足跡を残しながらフィアンマと並び立つ。
魔神になるはずだった男は、ふとフィアンマに問いかけた。

「どう思う?」

「知らんよ」

あまりに冷淡なフィアンマの返答にオッレルスは苦笑する。
その言葉の意味を自分なりに解釈したオッレルスは言った。

「私には、今回の出来事が最初からアレイスターの『プラン』に組み込まれていたようには思えない。
至極シンプルな話だ。学園都市を捨て去るメリットがない」

「あえて出来上がったものを一度破壊することで次のフェーズへと昇華する、という方法論も存在するがな」

「出来上がったもの、か。本当に学園都市は完成していたか、そもそも科学に完成なんてあるのか、という疑問は残るが」

答えの出ない問いを繰り返す。
少しでも本質に近づこうと繰り返す。

「まあ、ないだろう。学園都市製の天使の存在は各界へ歪みを生み、魔術の制御に強い悪影響を及ぼす。
しかし見たところあれはまだ未完成だった」

「科学の天使、ね。私も話には聞いたことがあるが、実際に見たわけではないからな」

学園都市製の天使。ヒューズ=カザキリ。風斬氷華。
〇九三〇において前方のヴェントを迎え撃つために起動し、彼女に必要以上の苦戦を強いた存在。
そして第三次世界大戦においても彼女は友達を守るために出撃し、大天使『神の力』と熾烈な戦闘を繰り広げた。
科学の天使と魔術の天使。どこか似ていてどこか違っていた。

「俺様はあの時『神の力』と五感をリンクさせていたからよく分かったさ。
あれは明らかに未完成だ。あれが完成し、世界を覆った時には界の圧迫によってあらゆる魔術が滅亡することになるだろうな」

「それがアレイスターの最終的な目的だと? だが……」

「だが、奴がその程度で終わるとは思えん。
魔術を滅ぼすなんてのはあくまで手段の一つ、あるいは目的を果たす際の副産物。そんな気がしてならん」

「そもそも、魔術を極め頂点に立っていたにも関わらず科学に傾倒した奴のことだ。
魔術だけでは果たせない目的があったということだ。だが、そうなると気になることが出てくる」

アレイスターは世界最強最高の魔術師だった。
であれば、どんな目的を目指していたにせよ科学を必要とする理由などないはずだった。
子供の夢のようなものに、十分に手が届くところに立っていたはずなのだから。

「何故アレイスターは大仰な『プラン』など計画しているのか、という話か」

「魔術を極めた者は魔神になる。水道から出る水をオレンジジュースにしたいなんて子供の我がままも全てが通るようになる。
本来アレイスターは回りくどい方法論を採る必要などないはずなんだ。
魔神になって、目的を叶える。たったそれだけで全てが終わるんだから」

「奴の伸ばす手の先は魔神程度の存在では掴めないものなのだろう」

フィアンマは思い出す。雪原の大地にて対峙したあの魔術師を。
アレイスターは、間違いなくフィアンマの更に上の領域にいた。違う次元に立っていた。
それでも上条との戦いを経たフィアンマはアレイスターには一〇〇年かかっても分からないもののために立ち向かい、そして敗北した。

だが、もしかしたら―――もしかしたら、アレイスターもフィアンマには一〇〇年かかっても分からないもののために戦っているのかもしれない。
何となくそんなことを思った。だとしても、フィアンマは上条をアレイスターより下に見るつもりはないが。

「世界に大きなうねりを生み、あの『黄金夜明』でさえ受け止められず滅びに導いた男。
その考えるところなど私たちの想像を超えるということか。
だが世界を意のままに歪める魔神でも届かない目的でも、科学の力を使えば……あるいは魔術と組み合わせれば叶えられると?」

「それほどのものでなければアレイスターは求めんだろうということだよ。
それにあの力場の反応。少しは覚えがあるだろう? ある意味では一番、な」

「勿論だ。だが何かが違っていたように思うが、確かにあれは『魔神』のものと似通っていた」

「世界を消し飛ばすには十分な力だ。ところが実際に消し飛んだのは学園都市という小さな街一つ。
あの力を行使した何かがその力を丸め込み、抑え、その規模にまで何とか落とし込んだのだろう。
とはいえ、学園都市を消滅させたのはその力の他にもう一つ、何らかの破壊兵器も使用されていたようだが」

「しかし一方で、あの状況の学園都市で『魔神』が生まれるなど考えられない。
『魔神』に類するような何かがあの時あの街にあった。そういうことだろうな」

学園都市。その目的。『魔神』。それに近いもの。

「だが俺様は感じたぞ。『魔神』に似た何かと同時に、もう一つ得体の知れない莫大な力が弾けたのを。
こちらについては曖昧模糊としていて判然としないが、感じたことのない類の力だな」

「……やはり、君は必要な人材だ。君の誇る力や叡智だけでなく、奴と直接接触した君は世界の真実に最も近づいていたはず」

オッレルスがそう言った直後、彼らの遥か後方から極かすかな叫び声のようなものを聞いた。
フィアンマはニヤリと笑い、オッレルスは困ったような半端な笑みを浮かべる。

「シルビアが呼んでいるぞ。早く行ってやれよ、旦那様」

「えー……ああなったシルビアは怖いんだぞ?」

「言っておくが、俺様は助けんからな」

この冷血漢!! などと愚痴りながらも、オッレルスは素直に引き返して行った。
これ以上シルビアを放置しておくと更に恐ろしいことになると理解しているのだろう。
オッレルスが完全に消えたのを確認した後、フィアンマは一人黒に染まった空を見上げる。

「―――科学と魔術、か」

フィアンマはふと考える。その二つを隔てるものは何なのだろう。
魔術とは、そして学園都市製の能力とは何なのだろうかと。

専門外なので詳しいことは知らないが、能力とは『自分だけの現実』とやらを観測しそれを現実世界に適用。
世界の法則を捻じ曲げることで超常現象を起こす力だと聞いた。
そして魔術は異世界の法則を無理やりに現実世界に適用し、様々な法則を飛び越えて超常現象を起こす力。

どこか似ているように思えるのは、果たして考えすぎなのか。
〇九三〇で前方のヴェントが界を圧迫された状況下で魔術を行使した際の症状。
それが能力者が魔術を行使した際の拒絶反応に酷似しているように思えたのも、気のせいなのか。
そしてにも関わらず能力者に魔術は使えないという制約自体、科学と魔術を切り分けるための装置だと考えるのも。

学園都市はその至上の目的として『絶対能力者』の創造を掲げているという。
その詳細は知らないが、理論上はあり得るとされながらも実際には誰も辿り着けないのではないかと噂される金字塔。
それは魔神と似たようなものなのではないか。
そして実際、学園都市が消滅したとされる時間に観測されたあの世界が消し飛ぶほど極大の類似した力。

『絶対能力者』と『魔神』、そして――――『SYSTEM』。
科学と魔術、それは本当に相容れない対極のものなのか。
その到達点は案外に似たようなところなのではないか。

「そして――――右手と右手」

フィアンマは呟いて、自身の存在しない右手を見つめる。
右方のフィアンマに宿る『世界を救う力』、そして特殊な右手。
生まれた時から当たり前のように持っていて、科学でも魔術でも説明のできない特異な力。
上条当麻の右手に宿る『幻想殺し』。生まれた時から当たり前のように持っていて、科学でも魔術でも説明のできない特異な力。

『神上』と『神浄』。
アレイスターが何を為そうとしているかまでは分からないが、あの男は世界のシステムそのものを組み替えようとしている。
神の手から離れたエイワスを手にし、それを糸口に神の定めた運命を切り崩す。
神の作り上げた世界の根幹たるシステムに人為的に干渉する。



――――――『君のやろうとしていたことは、基幹となっていたフォーマットが古すぎたということを除けば、私のプランと似通っていた。
        君は、自らの行動を別の視点で捉え直すだけでいい。それだけで、あの力の本質を理解できていたはずだ』


ホルスの時代を探れるか。アレイスターの先に回れるか。
結局、フィアンマには未だあの時のアレイスターの言葉の意味が理解できていない。
何か決定的なピースが欠けているのだろう。

(だが、覚悟しろ)

フィアンマは止まるわけにはいかない。
あの男がどれほどの怪物だったとしても、フィアンマは退くわけにはいかない。
無駄かどうかなんて問題ではない。勝ち目があるかどうかなんて関係ない。

特殊な右手や『神上』を宿し、アレイスターとの邂逅も果たしたフィアンマはアレイスターに対抗するにあたって相当に重要な存在となる。
……もしかしたらアレイスター=クロウリーの目的は阻止されるようなものではなくて、むしろ賞賛を受けるようなものなのかもしれない。
壮大な目的などただの建前で、それを為すことでもっと身近で小さな目的を果たそうとしているのかもしれない。

しかしだとしても、あれはやり方を間違っている。かつての自分と同じように。
そのために上条当麻や世界を巻き込むというのなら、立ち上がろう。

(――――――踏みにじらせるわけにはいかない)

右方のフィアンマは再び誓う。
たとえ相手が正真正銘の怪物であったとしても。

(あの男が命を懸けて救った世界を、あの男を、これ以上踏みにじらせるわけにはいかない)

上条当麻は自分に生きろと言った。
遠くが見えすぎたあまり、遠くを見据えすぎたあまり手段を違えた自分に。
上条は、おそらく現在は絶望に呑まれていることだろう。
だが、もしも上条が再び拳を握れる時が訪れたのなら。

「あいつが生き残ったのはお前の計画通りだろうが―――――同時に最大の障害にもなるだろうな」

そしてもしも上条が拳を握れなくとも。
わけの分からない計画に彼を利用することは自分が許さない。
いずれにしても、今回はアレイスターの勝ち、ということになるだろう。だが。

「これが最後だ。もう貴様の思い通りになどさせはしない。貴様の幻想を粉々に打ち砕いてくれる」

右方のフィアンマは、静かに宣戦布告した。
その胸に刻んだ魔法名を口にする。救済を意味するその名前を、世界のどこかに存在する『人間』に向けて。

過ちは繰り返さない。目指すものは決まった。
さあ、世界を救おう。
かつてとは違うやり方で、かつてとは違うものを見据えて。



――――――私の信じる世界など、とうの昔に壊れているよ。



その報を聞いて、オリアナ=トムソンは言葉を失った。
ぐっと拳を握り締め、ただ暗雲漂う空を睨む。

「どうして……こんなことになっちゃうのかしら」

オリアナは一度学園都市を訪れたことがある。『使徒十字』を使用するために。
だが、それは何も学園都市を消し去ってしまいたいとか科学の住人を傷つけたいとか、そんなことを考えていたからではない。

ただ、絶対の基準が欲しかった。
善意での行動が裏で人を傷つけていたり、正しいと思っていたことが悲劇を引き起こしたり。
そんなふざけたことをなくしたかった。だからオリアナは誰もが幸せになる、共通の基準を欲した。
それだけだったのだ。オリアナは別に学園都市という街は嫌いではなかったし、そこで暮らす人々に対しても同様だった。

「……なのに、どうしてこんなことになっちゃうのかしら、本当」

もう一度同じ呟きを繰り返す。
魔術師には学園都市を敵視し、毛嫌いする者が多い。それは当然と言える。
魔術サイドと科学サイドは相容れない。魔術師は科学サイドを嫌悪する。

だがオリアナは実際に学園都市を訪れている。学園都市の人間に触れている。
少なくとも自分が関わった人たちは、学園都市外の人間となにも変わらなかったとオリアナは思う。
ただ信じるものが違うだけで、普通に笑って普通に話して普通に悲しむ人間だった。
オリアナたちの計画を打ち砕いたのだって、大覇星祭という体育祭を成功させようとする一人一人の力だったのだから。

「泣けるわね」

あのリドヴィア=ロレンツェッティもあの惨劇を知った時には涙を流して崩れ落ち、ひたすらに祈りを捧げていた。
リドヴィアもまた、学園都市の住人を殺し尽くしてしまおうなどと考えていたわけではない。彼女なりの考えに従って彼らを救おうともしていたのだ。
生きる活力を漲らせ、人生に一度の青春を駆け抜け、笑っていた沢山の人たち。
その末路はあまりにも理不尽だ。まさに悲劇というしかない。

(……あの坊やも、ね。下手をしたらあの子も死んでいた方がマシだったのかもしれない。
そんなことを本気で考えるくらいのものがあの時あの街には溢れていたはず)

しかも最悪なのは事態はそれだけで留まらなかった、という点か。

「ごめんね、お姉さん、今すこぶる機嫌が悪くてイラついてるの。
だからちょーっといつもより痛くしちゃうかもしれないわ」

オリアナ=トムソンは突然取り出した単語帳のようなものを一枚口で咥えて、破る。
それは『速記原典』と呼ばれる使い捨ての即席魔道書、ページに記された文字は『Wind Symbol』。
その行動の意味はすぐに示された。

ゴッ!! という激しい光がオリアナの後方で炸裂した。
誰かがその光に呑み込まれている。オリアナの術式によって吐血しながら吹き飛ばされている。
だが直後、敵方からの反撃があった。相手は単独ではない。

どこからか現れた火球の連発をオリアナは時にはステップで、時にはバック転で、時には魔術で、踊るようにして全てを回避する。
オリアナは全てをやり過ごすと即座に単語帳を噛み千切る。
一定範囲内で最後に魔術を発動した者に対してカウンターを叩き込む魔術。
実際にはその威力や精度には多少の難もあるが、それらを上手くカバーするに十分な実力を持ち、決して表には出さないのがオリアナだ。

「……ただでさえ荒んでるお姉さんの精神に波を起こしてくれちゃって」

あっさりと襲撃者を返り討ちにしたオリアナは、彼女にしては珍しく露骨にその不機嫌さを顔に表していた。
オリアナは魔術的にどこかへと連絡を取ると、強い口調で現在地を教えたあと用件を伝える。

「またどこかのお馬鹿さんが二人現れたわ。のしておいたからさっさと回収して背後を洗ってちょうだい。
手いっぱい? そんなこと分かってて言ってるの。一つ一つ処理していかなくちゃ」

半ば強引に要求を突きつけた後に一方的に通信を切る。
世界の混乱の中で僅かに見え隠れするようになった一つの組織名。

(……こんなの、本来お姉さんのお仕事じゃないはずなんだけど)

オリアナ=トムソンは『追跡封じ』と呼ばれる凄腕の魔術師だ。
しかしその本分から外れた行動もやめてしまおうとは思えなかった。

「あの子たちも……もういなくなってしまったのでしょうね」

学園都市に足を踏み入れた時に、こちらの不手際と焦りによって傷つけてしまった罪のない二人の少女を思い出す。
オリアナは基本的に人のためになることを行うが、特別博愛主義者というわけではないし正義を叫んで戦うようなタイプでもない。
だが、今回は引き下がれなかった。数え切れないほどの命を奪い、更には世界にまで混乱を広げたあのバイオハザード。

「――――そんなものを利用して好き勝手暴れる連中が、どうも“私”は死ぬほど気に食わないみたい」


その報を聞いて、神裂火織は全身の動きと思考が完全に停止したことを自覚した。
わなわなと唇が震え、自分がどんな声をあげてどんな行動を取ったのかすらも曖昧だった。
様々な思考の嵐が彼女の頭を埋め尽くす。だがその最初に来るのはたった一つだ。

「イン、デックス」

ぽつりと声を漏らす。もう何度同じことを考えただろうか。
それでも消えないのだ。たとえ少女は覚えていなくても、神裂火織の胸には強く強く、何よりも輝く記憶として刻まれているのだから。

コン、コン、というノック音がした。
神裂が何も言わない内にドアが開けられる。

「……失礼、します」

ゆっくりと顔を上げるとそこにはいつもの少女がいた。
手にはトレイ、その上には美味しく温い、いつもの食事がある。

「ご飯、持って来ました……」

「……すみません。ありがとう、ございます、アンジェレネ」

「いえ……。あ、あの……」

アンジェレネは何か言いかけるも、すぐに顔を伏せて言葉を切ってしまう。

「また、来ますから……トレイは、ドアの外に置いておいてください」

ぺこりと頭を下げ、アンジェレネは部屋を出て行った。
神裂は小さくため息をつく。

神裂火織は、しばらく部屋から出ていない。
備え付けのベッドの上で膝を立て、顔を俯かせ、ただそうしているだけの生活。
長い黒髪もとくに整えられず放置されている。

「…………」

部屋に運ばれた湯気をたてる食事を見る。
こうして死人のようになっている自分の元へ、アンジェレネは毎回食事を運んでくれる。
申し訳ないとは思っている。こんな風にただ呆然としていても何にもならないことも分かっている。
ただ、何か決定的なものが消え失せてしまったかのようだった。神裂火織を突き動かす何かが。

「……救いようのない、大馬鹿者です、私は」

皆に心配と心労をかけ、時間を浪費し、腐っているだけの自分。
『必要悪の教会』の仕事だって神裂に回るはずだったものはその分他の誰かに回っているのだろう。
今、世界は荒れている。仕事なんていくらだって回ってくる。
『聖人』たる神裂の不在は組織にとって痛手のはずだ。

インデックスはもう帰って来ない。
上条当麻もどうなるか怪しい。

(……白くなれ)

それでもそれは動かない理由になるのだろうか。
自分にできることはあるのだろうか。いや、違うのだろうと神裂は思う。
自分にできることを、自分で見つけていかなくてはならない。
それはただ『必要悪の教会』から回ってくる仕事をただこなすだけの話ではない。

試しに腕に力を入れてみる。思ったよりも腕は動いた。
足を動かしてみる。想像以上に言うことを聞いた。
神裂火織はまだ動ける。混乱に満ちゆく世界ですることがある。
壁に立てかけてある七天七刀をその手に掴む。驚くほどに自然とその感触は手に馴染んだ。

「……せっかくの食事が冷めてしまいますね」

神裂はトレイを手に持ってドアを開ける。一歩踏み出す。
久しぶりに見る何の変哲もない廊下を確かな足取りで歩んでいった。

「……大変なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

階下に現れた神裂火織を女子寮の皆は温かく歓迎してくれた。
その優しさが身に沁みて、同時に罪悪感も湧いてくる。
頭を下げる神裂を責める者は一人もいなかった。

「まあ、仕方ねぇっちゃ仕方ねぇですよ。……あなたはあの禁書目録と色々ワケありみたいですし」

「……そう、ですね。こうしてまたお顔が見られただけでも嬉しいのでございますよ」

「……本当に、すみません」

アニェーゼとオルソラ=アクィナスの言葉を受けて、尚神裂は謝罪の言葉を口にした。
それがシェリー=クロムウェルには気に入らなかったらしい。

「うざったいわね」

「え?」

「もう謝るなっつってんのよ、うざったい。
アンタに事情があることは分かってる。でもアンタはこうしてまた姿を見せた。十分よ」

だから謝るな。シェリーはそう言って紅茶を一口飲む。
ルチアも同じことを言った。迷惑をかけ続けた自分に断ることはできない。

「では、ありがとうございます。アンジェレネ。あなたには特にお礼を言わなくてはなりません」

「い、いいんです、そんなこと。ほら、それよりご飯を早く食べないと冷めてしまいますよ!!」

アンジェレネに促され、皆に見つめられ、神裂は食事を口に運ぶ。
身に沁みるものがあった。純粋に美味しいと心の底から思えた。
それは、単にオルソラの料理の腕が優れているというだけで生み出されるものではない。

「美味しい、です。やはり食事は一人部屋で食べるより、こうして皆で食べる方が遥かに良いものですね」

「はい、私もそう思うのでございますよ。食事とはただ空腹を満たすためだけのものではございません」

「勿論一人部屋で食べても美味しかったですよ、オルソラ? わざわざ私の分を毎回オルソラが作ってくれていたのは気付いていました」

「あらあら、そう言っていただけるととても嬉しいのでございます。私としても作り甲斐があるというものです」

「こ、このウーメボシもどうぞ。わざわざ頑張って用意したんですよっ。私は絶対に食べませんけどね!!」

そう言ってアンジェレネが差し出したのは梅干だった。
神裂は市販のものでは満足できなくなり自家製のものを常備しているが、これは彼女たちがどこからか手に入れたものらしい。
その気遣いはありがたいが、神裂がただそれをじっと見つめているのはそれが理由ではなかった。

「どうかしたのですか?」

「……い、え。なんでも、ありませんよ」

ルチアの問いに言葉を返すも、ちゃんと発声できていたかは怪しかった。
梅干を見て、神裂はいつかのあの日を思い出す。何も特別なことなんてなくて、ただ過ぎ去る日常の一つでしかなくて。
しかし神裂にとっては何よりも大切な一つの瞬間を。

(……私がお腹が減ったと騒ぐインデックスに自家製の梅干をあげて、それを美味しいと言ってくれて。
そしてインデックスが梅干を一つ強引にステイルに食べさせて……ステイルは倒れてしまったでしたっけ)

もう戻らない日々。輝いていた日々。

「……そういえば、これからは勿論アンタも復帰するってことでいいのよね?
戦力不足、人手不足にイギリス清教はドタバタと忙しいわよ、今」

「……いえ。また迷惑をかけてしまい申し訳ありませんが、よほどのものでなければ他の方たちにお任せしたいと勝手ながら考えています」

神裂は梅干を一つ口に放り込んで答える。
そう、ただ回ってくる仕事をこなすだけでは駄目なのだ。
それではきっと何も変わらない。

「と言いますと、何か考えでもありやがるんですか?」

「はい。世界は大変に乱れています。ただそれに乗じて騒ぎを起こす者をその都度叩いていったところで根本的な解決には至りません。
私は私にできることをしたい。ただ敵対者に対して武力を行使するのではなく、違った形で私の魔法名を示してみたい」

それが勝手な考えであることは理解していた。
それはきっとオルソラのような人間のやることで、『聖人』である神裂に期待されているのは莫大な戦力だ。
自分にできることを、と言うなら言われた通りに戦え。きっと上にはそう言われることだろう。
だが、ここで神裂は違う道を歩いてみたいと思った。力を振るうにしても、今までとは違った形でこの力を使いたい。

「……とてもいい考えだと思うのでございますよ。こうした試練に直面した時こそ私たちは試されているのでございますよ。
安易な武力に頼るか、否か。力で黙らせるのは簡単なのでございます。
いえ、力に対して力で対抗するというのも確かに解決のための一つの手段だとは思うのでございます。
しかし、それだけが手段の全てなのでありましょうか。本当に他にできることはないのでありましょうか」

オルソラ=アクィナスは世界の混乱を、その始まりとなった学園都市で起きた未曾有の惨劇を、酷く悲しんでいた。
あの時。事が明らかになったあの時だけは、その筆舌に尽くしがたい悲惨さが伝わった時だけは。
魔術師たちも皆、祈りを捧げた。学園都市に住まう者たちのために、信仰を持たぬ科学サイドの人間たちのために、科学を強く嫌う者でさえも。
オルソラは今でも毎日欠かさずに、顔も知らない学園都市の住人たちのために祈っている。

「その通りだと思います」

思わず思考に耽り言葉を失う彼女たちの中で、神裂はご馳走様でしたと告げて席を立つ。
オルソラはどんな暴力に遭遇しても、その思想や信仰を拒絶されても、決して武力に頼らず教えを広めてきたエキスパートだ。

教えを広めるわけではないのだから彼女と同じ道を歩く必要はないが、彼女のようにうまくはいかないかもしれない。
だが神裂はその力を、単に暴力を暴力で鎮圧して終わりとするのではなく、事の表面をなぞるのではなく違う形で生かしたい。

「……広い視野で見なくては」

インデックスはもういない。けれど、それでもインデックスに恥じない生き方をしたい。
争いを好まなかったあの少女が見て、笑ってもらえるような世界にしたい。

(見ていてください、インデックス)

口の中で小さく己の魔法名を呟いた。『Salvere000』、救われぬ者に救いの手を。
もう十分に絶望した。十分に涙を流した。十分に嘆いた。十分に足踏みした。
だからこそ、神裂火織は新たな一歩を踏み出した。

「戦いだけでは作れない、未来もあるのです」

その報を聞いて、ステイル=マグヌスは自らがどす黒い炎に焼かれるのを感じていた。

「……灰も残さずたちどころに滅してくれる。生まれてきたことを、生き延びたことを心の底から後悔させてやる!!」

それは瞬く間にテレビ、新聞、ラジオ、インターネット、あらゆるメディアを通して全世界へと広がった。
魔術サイドは今、かつてないほどに混乱を極めている。
学園都市の消滅。科学サイドの核の崩壊。それに乗じた新たな騒乱。

しかし、はっきり言ってステイル=マグヌスに言わせればそんなことはどうでもいい。
魔術サイドがどれほど混乱しようと、科学サイドがどうなろうと、究極世界がどうなろうと関係ない。
インデックスという一人の少女。それがステイルの世界の全てだ。
彼女を守るためならステイルは迷わず世界の敵になるし、神にだって喧嘩を売る。だから。

(――――――上条当麻。気には食わないが、ある意味信用はしていたが)

インデックスを守る。今その役目を負っている少年が、それを果たせなかったとなれば。
当然、上条当麻はステイル=マグヌスにとって消去すべき絶対の敵となる。

だが、そう。信用はしていたのだ。
初めて出会い、自分たちにはどうしようもなかった楔を打ち壊し、インデックスを救ってみせたあの時から始まり。
道具にされた彼女を助けるために自分を護衛につけさせ、単身世界大戦のど真ん中であるロシアに向かい、一人では勝ち目のない王へと無謀にも挑んでいった。
そして見事インデックスを二度解放し、この惑星を救うために大天使へと立ち向かい、北極海へと消えていったあの少年を。

残念だと思う。酷く残念だ。
だが、もう駄目だ。インデックスは死んでしまった。上条当麻は守れなかった。自分は守れなかった。
その報を聞いた時から、もう既に十分すぎるほど叫んだ。嘆いた。怒った。無力さに打ち震えた。
あとはやるべきことをやるだけだ。

「焼き尽くす」

上条を殺しても、インデックスは帰って来ない。
そこから何が始まるわけでもない。
それでももう収まらない。自分の中でのたり暴れ狂うどす黒い殺意の衝動が身を焦がす。

「あの子を死なせた貴様を、あの子を守れなかった貴様を」

そして、守れなかった自分を。
ステイルは立ち上がる。これは完全な私情であり、勝手な行動だ。
あとで何を言われるか分かったものではないが、そんなことは構わない。

「葬ってやる。死後貴様などがあの子と同じ場所に行けるなどと思うなよ!!」

揺るがぬ殺意を胸に秘め、ステイルは発つ。
行き先は日本、上条当麻の元へ。しかし、

「あらステイル。一体どこへ行くつもりにつきなのかしら」

一つの凛とした声がその動きを縫い止める。
いつの間にか、それはそこにいた。そう、いつの間にかだ。
この空間には間違いなくステイル一人しかいなかった。
何も感じられなかった。現れた、のではない。いたのだ。まるで何時間も前からそこに立っていたかのように。

一体いつからいたのか、その時間をステイルには過去形で表現できない。
引き摺るほどにも長い、流れるような美しい金髪。見た目は一八歳ほどに見えるが、実際のところは知れたものではない。
ローラ=スチュアート。イギリス清教最大主教。世界を舞台に遊ぶプレイヤーの一人。

「何の用だ」

しかしステイルは怯まない。この女の恐ろしさは骨身に沁みている。
それでも彼は立ち向かった。

「その口の利き方は置いておくとして、もう一度問うことにしたるわ。
一体どこへ向かうつもりにつきなのかしら?」

「日本へ」

「何のために」

「殺すために」

「誰を」

「上条当麻」

「何を求めて」

「僕自身のために」

ローラ=スチュアートは妖艶に笑う。
その仮面の奥はいつだって見透かせない。
ずっと彼女はこういう人間だった。

「それは許可されたりておらぬ行動よ」

「それがどうしたと言うんだ」

毅然とした態度で、苛立ちと憤怒を滲ませるステイル。
一方のローラはまるで対照的だ。穏やかな水面のように一定で、落ち着いている。

「やはり子供ね、ステイル。激しい感情に抗う術を持たぬ少年。
けれどそれは恥ではなかりけるのよ、ステイル。お前は可哀想な少年でありしなのだから」

「何が言いたい!! 僕は……少年じゃない」

「もう少年ではいたくない? けれどそれはお前自身が否定したりている。
お前の感じる怒りも悔しさも無力感も、全て正しい。それはお前が正しく人間である証であるのだから」

ローラは薄い笑みを絶やさない。その言葉には不思議な力があった。
まるでこの空間そのものを包み込み、ステイルの体の中に浸透していくような感覚が。

「されどそれを短絡的に殺すなどという結論に繋げてしまいけるその思考。
それが子供の思考でありけるのよ、ステイル」

ローラの言っていることは正しいのかもしれない。
だがステイルの知るローラ=スチュアートはこんなありきたりな正論を振り翳すような人間ではない。
そこには本当の目的が潜んでいるはずだ。

しかし同時に、ローラは一般に善とされる行いと一般に悪とされる行いを同量行う存在でもある。
どちらかに傾くことは決してなく、常に天秤は釣り合っている。
だからこそどうしようもなく性質が悪く、その行いがどういう思考によって行われているのか見抜くことが難しい。

「されどそれは羨ましくもありしなのよ」

「羨ましい、だと?」

「そう。そうして利害関係などを一切考えずに感情で動く子供というのは、一定のラインを超えてしまいければ実に御し難い。
そうした子供たちがどれほど力を持つかは学園都市を見れば明らかであろうよ。
子供のみが能力の開発を受け付け、子供のみが学園都市製の能力を振るうことができる。強固な『自分だけの現実』。ああ恐ろしい」

「ふん、確かに貴様には無縁だな。だがそれがどうした」

微妙に話を掏り替えられていることに気付く。
この女の言葉には不思議な力があり、その使い方は実に巧みだ。
まるでアダムとイヴを唆した蛇のような狡猾さがある。飲み込まれるわけにはいかない。

「子供は時に大人には予想もつかぬ力を発揮したることもある。
されどその行動は行き当たりばったりで、思いもよらぬ悲劇的な結末を招くことも少なくはなし。
……可哀想な少年。お前の中の少年は行けと命じたりている。お前の中の大人は退けと命じたりている。
ステイル、お前は少年ではなしにつきなのでしょう?
だと言うのであるのなれば、それらの激情を堪えて飲み干すこともまた必要。
まあ、そもそもお前ではかの少年は殺せぬであろうけれど」

「あまり僕を舐めるなよ。たしかにあの右手は脅威だが、そこにさえ気を付ければ……」

「そういう意味ではなしにつきでありけるのけれどね」

ローラは妖艶な笑みを絶やさない。
ステイルの苛立ちが募る。そもそも、一体何故この女はこうも余裕でいられるのだろうか。
インデックスはイギリス清教の誇る世界一の魔道書図書館。それを失ったというのに。
こんな風にこの女狐と話せる機会などまずない。ステイルがその疑問をぶつけると、ローラはやはり笑みを絶やさなかった。

その変わらぬ仮面の下に何が眠っているのかは分からない。
ローラのその仮面を剥がせるのは、おそらくは世界に二人だけだ。

「そうね、可哀想な少年に少しだけお話をしたるわ。
……世界の支配者は時代と共に移ろうてきた。遥か古代は恐竜であり、私たち人類の祖先であり。
もっと“違うもの”であったこともあったわ。そして今現在は現生人類……人間が世界を支配している。
古代ではホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐したこともありたように、新たな支配者が現れると以前の王はその座を降ろされてきた」

されどね、とローラは変わらぬ笑みを浮かべ続ける。
全く違う話になっていることを分かっていながら、ステイルは何かに魅入られたように話に聞き入ってしまっていた。

「人間たちが支配するこの世界に、人間たちのこの物語に、一つだけしつこくこびり付いた時代錯誤のものがありけるのよ。
それが何か分かりしかしら、ステイル?」

「――――――神」

ステイルは魔術師であり神父でもある。
神を侮辱するような物言いには思うところもないわけではなかったが、それはこの際捨て置いた。

「大正解。やはり優秀ね。神話の時代はとうに過ぎ去った。神々の物語は終わった。
それでも神はしつこくも世界に残留したりている。信仰も、魔術も、教会も。
それらを禊し、浄化せんとす『人間』がいる。人間と神、どちらが今の世界の支配者となるか。
どちらの唇が物語を紡ぎゆくのか。どちらが生き残りたるのかを賭けて」

ローラの言う『人間』。それが誰を指すのかはステイルには分からなかった。
分からないが、それはきっとこのローラ=スチュアートと同等かそれ以上の存在であり、世界を舞台にした遊びの対戦相手なのだろう。

「『人間』の相手は世界の深奥に蟠る『彼奴ら』のことではなかりて、より上位。
一般に抽象的で男性原理を有し、全知全能の創造主とされる神々。
とはいえ、『彼奴ら』もまた放置はしておけぬようでありしけれど」

「『彼奴ら』……?」

ステイルが疑問の言葉を漏らすも、ローラは説明を追加しなかった。
話すつもりはないということらしい。

「しかし、神々だと? 魔神や天使のような存在ならともかく、そんな正真正銘の神が今この時代に存在するわけがないだろう。
仮に存在するとしても、ましてやそれに挑もうなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある」

人間では神には勝てない。あるいはそれが人が成り上がった魔神ならまだ打つ手もあるのかもしれないが。
それとは違う、そんな本物の一神教の神を相手に人間に何ができると言うのだ。

「ところが存在したるの。そして『人間』は本気でそれに戦いを挑み、大真面目に勝つつもりでいたるわ。
そのために大仰な『プラン』を組み、世界最強最高の名を捨てて人間の力を手に入れた」

「……待て。まさか、まさか……?」

世界最強最高を捨て、人間の力―――科学を得た。
ステイルは知っている。世界中の魔術師が知っている。
その最悪の魔術師の名を。しかし、あれは死んだはずだ。
学園都市にいるあれは偽名または同姓同名の別人という結論が出ていたはず。

「何故『人間』がそう考え行動するに至ったのか……それは私も知らぬこと。
されど私は『人間』がそれを成し遂げる可能性は低くないと考えたりているわ。
科学サイドと魔術サイドという括りを生み出し、科学の都を作り上げた、その執念。
きっと私があらゆる手を使いて『人間』をイギリスの片田舎で追い詰めてからも、何かが起こりたのでしょう」

イギリスの片田舎で倒れた。間違いない、とステイルは確信する。あの魔術師だ。
しかしそれを為したのがローラだというのは初めて知ったことだった。

「あれが『ドラゴン』と出会い知識を授けられ、人間から『人間』へと成った時には。
あれの辿る道はとうに決定されたりていたのでしょう。
どこまでも人間であることに拘るあの男の戦いが」

魔術を極め科学を統べる『人間』。双方の頂点に立ちながら、人間であることに執着する『人間』。
人間たちの物語を、人間たちの世界を守るために正真正銘の神へと挑む存在。
そしてそんな途方もない存在を語るローラ=スチュアート。

いつの間にか、ステイル=マグヌスは世界の真実に触れていた。
決して踏み入ってはならぬ領域にとうに踏み入ってしまっているのが分かる。
この二人は一体どんな視点で世界を見ているのだろうか。

「……よく知っているな、あの男のことを」

何故ローラがここまで知っているのか。
そして、何故そんなことまで自分に話すのか。
ローラの浮かべる穏やかな笑顔からはやはり何も読み取れなかった。

「あの『人間』をどう思いて、ステイル?」

「……魔術サイド全てにおいて、もはやあの男の名は忌み名だ。
魔術の頂点に立ちながら魔術を捨てて科学へ走った裏切り者。
世界で最も魔術を侮辱した魔術師。それが奴だ。娘が死んだ時も顔色一つ変えずに実験を続けていたとも言われている。
あの男の為した功績は確かに計り知れないが、やはり言われている通りあれを表すなら『最悪の人間』だろう」

「日記のこともある、その情報は正確なものではないのでありけれど」

ローラの表情は崩れない。

「かの『人間』を神様気取りと揶揄する者もいるわ。人の運命を弄ぶ冷酷な悪魔だと言う者も。
たしかにあれは最悪な人間だった。されどそれだけではなし。
あれは世界の誰よりも人間の力と可能性を信じている。人間が、そして科学が正真正銘の神を上回れると、本気で信じたりているわ」

「…………」

「人工的な界の生成もその準備の一つであろうが……さて、ステイル。
あの『人間』が、目的を為すために最も重要視しているものはなんだと思いけるかしら?」

「……知るわけないだろう、そんなもの。お前たち化け物にはついていけない」

ステイルは超天才魔術師だが、言ってしまえばそれだけだ。
目の前の女のような存在の考えることなど分かったものではない。
だがローラの回答は予想外のものだった。

「お前もよぉく知っているはずなのだけれど。……かの少年、上条当麻」

「―――なんだって?」

「お前は一度垣間見たはずではないのかしら? あれの奥底に眠りたるものを」

ローラの言葉の意味が分からなかった。
何のことを言っているのか分からなかった。
だが上条当麻には確かに特殊な力がある。

「……幻想殺し。あらゆる異能を触れただけで消滅させるもの。
あれが本物の神殺しのキーとなるとでも言うつもりか?」

そう言うと、ローラは何が楽しいのか小さく笑った。

「その程度の尺度であれを考えるのは愚かではありしけれど、とても利口で普通のことでもありけるわ。
しかしあの少年を語るには欠かせない要素が一つ。少年の物語が始まる端緒となったもの」

それが何を指すかは明白だった。

「……貴様の目的は何だ。あの男の勝手な戦いに世界が巻き込まれていることは分かった。
ならばそれに対する貴様は何を為したいんだ。そして、あの子は」

「簡単なことよ。とても簡単。私はあの『人間』とは違ってそのような大層な野望など抱きてはなかりけるの。
簡単で、醜くて、勝手な私情。今のお前と私はその意味では似たりているわ、ステイル」

「……ならば」

「ええ。禁書目録はそのための方法だった。単なる魔道書図書館だなんて、よもや思いはせずよね?
ならば考え、動き、一〇〇年程度で死んでしまう人間に覚えさせたるメリットもなし。
このようなことになりて、私の方も大幅に軌道修正する必要が出てきたるのよ。
“あの子”を失った時の保険もありしけれど……そういう問題ではなしにつきなのよ、“あの子”は」

「――――――『Fortis931』。我が名が最強である理由をここに証明する!!」

ステイル=マグヌスが魔法名を名乗る。大量のルーンカードがいたるところに貼り付けられていく。
魔術師にとっての魔法名とは誇りと願いそのもの。そして魔法名は、殺し名とも呼ばれる。
それをローラに向けて名乗った意味は簡単だ。

     イ ノ ケ ン テ ィ ウ ス
「『魔女狩りの王』!!」

紅の巨人が顕現する。教皇級の大魔術だ。
そこいらのエリート程度では一生かかっても召喚すらできないだろう。
それにステイルは手が届く。

「お前が何を為したいのか、本当のところは分からない。彼女に一体何を込めていたのかも。
だが、今更―――今更、お前がインデックスを『あの子』などと呼ぶなッ!!」

彼我の戦力差は、何となく分かっているつもりだ。
ここまでの大魔術でもローラは歯牙にもかけないだろう。見向きもされない程度でしかないだろう。
だが、もし。もし、ローラに少しでも心と誇りがあるのなら。少しでもステイル=マグヌスに対して評価するところがあるのなら。

「――――――よいわ」

応えるはずだ。魔術師が魔法名を名乗ることはその生涯をかけた誇りを突きつけること。
それを受け流すことは双方にとって最大の侮辱。
名乗られたのなら、名乗り返すのが礼儀。

「お前たち二人のわけの分からない争いに、世界を、僕たちを、あの子を巻き込むなッ!!
ふざけるなよローラ=スチュアート。いいか、僕はお前を絶対に許さない。お前たちを許さない。
お前たち化け物同士の勝手な争いがなければ、インデックスは魔道書図書館なんて首輪を嵌められることもなかったはずなんだッ!!!!」

何度も彼女を殺してきたのはステイルも同じ。
しかしそもそもそうなる状況を作ったのはこの女だ。
理解不能な目的のために、ローラの私情のために。

ステイルの言っていることは正しい。
様々な背景はあるものの、それを語ったところで言い訳にもならない。
それを認めて、ローラは相対する。

「ステイル、やはりお前は少年よ。今の私に似ている。
されどその抑えられぬ怒りや悔しさは人間だけが持つ力でありて、神をも殺す力になり得るもの。
その感情を忘れてはならぬわよ。それさえ忘れなければ、お前はきっといつか私たちにも届く」

「黙れッ!!」

いつの間にか顕現している『魔女狩りの王』が三体にまで増えていた。
本来ステイルにそこまでの力量はない。以前にも三体の『魔女狩りの王』を操ったことはある。
だがあの時は霊装による外的補助を受けてのもので、自力ではそこまでの芸当は不可能だった。

しかし今この時、ステイルは何の補助もなく三体の『魔女狩りの王』を行使していた。
以前に一度経験しているというのもあっただろう。だがこれこそが、ローラや『人間』の言う人間の力、可能性なのだろう。

「――――――『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』」

ローラは口ずさみ、魔法名を名乗ったステイルを敵と認めた。
しっかりとステイルを見て、一人の敵対者として、明確に。

「全てが終わった暁には、お前の手で殺されるのも悪くはなかりけりね。待っていたるわ、ステイル=マグヌス。
それまでにしっかりと私を殺せるまでに牙を研いでおきたることね」

そして、ローラ=スチュアートは名乗った。魔法名を。
生きる目的を。その誇りを。その生涯の、究極の到達点を。

「――――――――――――!!」

決着は、速やかに着いた。
ローラから放たれた全てを飲み込むような白い閃光が空間を埋め尽くす。
光はやがて収束し、それが完全に消え去った時には既に事は終わっていた。

そこにあったのは跡形もなく消滅した三体の『魔女狩りの王』と倒れ付しているステイル=マグヌス。
そして静かに立っているローラ=スチュアート。


“それだけでは、なかった”。

「……実際のところ、私もあの男の全てを知っているわけではなし。
だからこそ問いたかったのもありけれど、今一番分からないことは他にありけるのよ」

ローラは呟く。それは相手のいない無意味な独り言では、ない。

「分からない。今回の一件が貴様にとってどのような意味を持つのか」

ローラは目の前を真っ直ぐに見て、話していた。


「――――――ねぇ、『人間』アレイスター=クロウリー」


異様な魔術師が存在した。
腰まで届く、色の抜けた銀色の髪。
表情の窺えぬ端正な顔。緑色の手術衣だけを纏った格好。
男性にも女性にも、大人にも子供にも、聖人にも罪人にも見える奇妙な雰囲気。

知っている。ローラ=スチュアートは、この『人間』を知っている。

「それを君が知る必要はないし、説明するつもりもないが……まあ面白いことは分かった」

今では科学を統べるかの王が、ローラ=スチュアートの目の前に存在した。
一体いつ現れたのかは分からない。ローラの放った白い光に紛れてだろうか。

違う。何時間も何日も前からそこにいたような感覚があった。
そもそもこの場所は徹底的にあらゆる防壁が施されているはずだ。
とにかく分かっているのは、間違いなくこの男は今目の前にいる……ということだ。

そして二人のいるこの場所はローラによって世界から隔離されていた。
何者であろうとここを覗き見ることは叶わない。
世界から隔絶された地で、最も安全なところで、彼と彼女は言葉を交わす。

「やはり貴様はその領域に至りていたか。〇と一では表せぬ域に、人間のままで」

「疑問に思うようなことは何もないと思うがね。君とて自らを人間にとどめている身だろう」

『生命の樹』の最上部は人間には理解のできないものであるとして意図的に省かれている。
人間という殻から抜け出せばその領域に辿り着くことは可能ではあるし、ローラにもその方法についていくつか心当たりがある。
しかし、『人間』アレイスター=クロウリーは人間のままにその領域へ到達してしまっている。
アレイスターの実力が、というだけの話ではない。その次元の領域に人間を保って踏み込んでいることが異常なのだ。

「貴様は今どこにいたるの」

「私は今も変わらずあそこにいるよ。だが同時にここにもいる。それだけのことだ。何もおかしなことはない」

「あの『窓のないビル』は、学園都市が消滅したあとも唯一無事に残っていたと聞く。
されどいつの間にか、『窓のないビル』は初めから存在しなかったかのように消え去っていた」

「そもそもあれは『窓のないビル』などではないのだがね。分かっているだろう」

アレイスターは退屈そうに呟く。
この『人間』は何も嘆いていない。本当に困ることなど何も起きていないとでも言うように。

「まず断っておくが、あれは私の意思によるところではない」

「されど、貴様はあれが起こることを許容した。違いけるかしら?」

アレイスターはゆったりと微笑むだけで、肯定も否定も返さなかった。
アレイスター=クロウリーの君臨し監督する学園都市で、あんな事態が起きるはずがないのだ。
止めようと思えばいくらでも止められたはず。

「貴様ならば『ロールバック』することも出来たはず。
……何故あれを許容したるの。学園都市は消滅し、科学の進化は足踏みする。
貴様の大仰な『プラン』に必要な『第一候補』も失われ、どうしようもなく貴様に利はなしにつき。
そのはずでありしなのに、『ロールバック』もせず……何か、それ以上のものがあれで得られたとでも?」

「話す必要はないと言ったはずだがね。まあ、実際のところ『プラン』が大幅に修正・変更されたのは事実だ。
収穫は確かにあったが……ともあれ、彼が生き残ってくれて何よりだった」

「科学的な神の紛い物の製造」

世界最強最高の魔術師にして、世界最大最高の科学者、アレイスター=クロウリー。
彼を最も理解している者がいるとすれば、その一人には必ずローラの名前が挙がるだろう。

「あれは面白かった。全く違うアプローチの仕方で生まれたにしては及第点と言ったところか。
あれを神と呼ぶには些か語弊があるが、あれの繰り返す進化、その行き着く先は私にも想像がつかなかった」

『G』。インデックスのなれの果て。
従来の方法論とは全く違う手法。魔術の一切絡まない方法論。
それでいて、アレイスターにすら想像のできない進化を繰り返す究極の生命体。

「一人、かの少年と共に少女が生還したと聞きたるわ。もしやあの少女の体内には……」

「その通りだ。あの少女、硲舎佳茄は本来何の特別性も持たぬ人間に過ぎなかった。
路傍の石、アスファルトの隙間から伸びる雑草、捨てられた煙草の吸い殻。まあ、そんな程度の存在だ。
それが今では世界で『G』と『G』抗体を宿す、代えの効かない唯一無二の人間。やはり人生とは分からないものだな」

硲舎佳茄を確保するべきか、とローラは一瞬考える。
しかしこの男に対して、果たして『G』が有効なカードたり得るだろうか。
アレイスター統括下の学園都市で生み出されたものである上に、その行動を自分が取る可能性はこの男だって分かっているはずだ。

加えて、硲舎佳茄に手を出すと上条当麻を表立って敵に回す可能性も出てくる。
今はもはや廃人状態と聞くが、彼女に何かがあれば再び立ち上がる可能性も否定できない。
それではまずい。まだその時期ではない。今は、まだ。
アレイスターが貴重なサンプルとして彼女を確保しないのは『G』にそこまでの価値を感じていないのか、それとも同じ理由か。

「……何故。何故、あの子を拠り代に選びた。答えなさい、アレイスター=クロウリー。
一〇三〇〇〇冊を誇る魔道書図書館と掛け合わせることで更なる進化を生もうとでもしたりけるの?」

「繰り返すが、あれは私の意図した事態ではない。よって当然魔道書図書館が宿主となったのも私の意思ではない。
あれを形容するのならば、『不幸』という言葉を使うしかあるまい。理不尽だと思うかね?
思い返してみればゲテモノ共の運命論に振り回される以前の、私の出発点もたった一つの『不幸』だった」

淡々と語るアレイスターに、ローラの眼に怒りが灯る。
それは至極珍しい光景だった。ステイルもこんなローラは見たことがないだろう。
ローラの仮面が剥がされた。それを可能にする者の一人がこの男だった。

「とはいえ、確かに禁書目録が宿主となったことは面白い効果を生んだ。
全く新しい方法論による無限の進化と、『魔神』に至るだけの材料の宝庫の融合。
まさしく『G』だ。あの子でなければこれほどのものは見れなかっただろう」

瞬間、ゴッ!! と再び純白の閃光が爆発的に広がった。
輝きが収束した時、そこにいるのは対峙するローラ=スチュアートとアレイスター=クロウリー。
仮に今の“一連の流れ”を目撃した者がいたとしても、まるで理解が及ばなかったはずだ。
今起きた現象はそういう次元のものだった。

「そして『幻想殺しの奥にあるもの』がその異形の神を飲み込むことも確認できた。
尤もいくつかの条件が決定的に欠けていたあの状況では、完璧に浄化するには至らなかったようだが」

「貴様……っ!! まさかそれを、『神浄』を確かめたるためにあの事態を……!? されど学園都市と力場は消え去り……」

「何度も言わせないでほしい。語る必要はないと言っている。それに『神浄』が成るのはまだ当分先のことだ。
加えて言わせてもらうと、君はあの街の本当の形をまるで理解していない」

結局のところ、アレイスターの真意は不明だ。
そして何故ここに現れ、何故こんな話をしているのかも。
聞いたところでこの『人間』はまともに答えはしないだろう。

「貴様、は……ッ!!」

感情的になっていることを自覚する。やはり今の自分はステイルと似ている。
この男はローラの穏やかな水面に石を投げ入れ波を起こす。
それでも他の会話ならばどうにでもなった。ローラはそれほど安く感情を表沙汰にする程度の存在ではない。
だが、この話だけは違う。

世界が、隔絶されたこの空間が、啼いた。
空間が歪む。世界が歪む。その全てを呑み込むが如くに大きく口を開けた空間の裂け目。
アレイスターがいつの間にか握っていた『衝撃の杖』。現実世界には存在していないのに、未分類情報によって空間に滲み出たように見える杖。
ローラが伸ばした手を世界を握り潰すかのようにグッと握り締めた。同時、アレイスターが『衝撃の杖』を振るう。

「やめておいた方がいい。世界が保たないぞ?」

バツン―――ッッ!! という音が響いた。
裂け目が閉じる。変化は訪れなかった。アレイスターは数秒前と何ら変わらぬ様子で口を開く。
ローラもまるで何事もなかったかのように、息の一つも乱してはいなかった。

「……生憎その程度で壊れるような処置を施した覚えはなしにつきよ」

『彼奴ら』のような連中ならこの程度であれば力押しで押し割ることもできるだろうが、はっきり言ってあの連中は置いていいだろう。
勿論恐ろしい脅威ではあるが、『魔神』などという分かりやすい概念に縋ったおかげで打つ手はいくつかある。
放っておいても見下していたはずのアレイスターにいずれ処理されることだろう。
そもそも上条当麻がああなっても何の介入もないのはアレイスターが何か処置を行ったからとしか考えられなかった。

「……『彼奴ら』……まさか、貴様『理想送り』は……!!」

「さて、どうだかね。レディリー=タングルロード、フロイライン=クロイトゥーネ、鳴護アリサ……。
君もよく知っている通り、そういった特異な存在ともあれはまた違う。正直に言ってこれからの状況は『理想送り』がどう動くか次第なところがあるな」

やはり、問題なのはこの『人間』。人間だからこその脅威。
『理想送り』については先を越されたのだろうか。
おかしい、とローラは思う。ローラはアレイスターを相手にしても負ける気はしなかった。
そのために計画を立て、それなりには順調にいっていた。致命的な問題は発生していなかった。
『魔神』、アレイスター、上条当麻、『理想送り』。それぞれに思考を巡らせ盤上を操作し、己にとっての最適解を導き出していた。

全てが今回のバイオハザードで狂った気がした。
インデックスの喪失。あまりに大きすぎるそのダメージに加え、この一件を境にアレイスターの思考が読めなくなった。
同時にこれからの展開も全てが様変わりすることになる。ローラは急速に組み変わっていく盤面を思いながら憎憎しげに呟いた。

「貴様はこれから多くの人間に狙われることになる。
せいぜいその底力を知り震えたるがいいわ。貴様はどうせ一番に望むものは手に入らぬ星のもとに生まれたのだから」

「何を言っている。分かっているだろう?
人間の力を私は信じているよ。恋慕、友情、親愛。
憎悪、殺意、嫉妬。正にせよ負にせよ感情の力は時に思いもよらぬ巨大な力をもたらす。
君もそのことをよく知っていると考えているが」

「……その通り」

「“最大の復讐者”が生まれることだろう。それも面白いことではある。
無論、『プラン』の進行上“あれ”がどうしようもないほどのイレギュラーになれば何らかの手は打つが……。
もし“あれ”がそこまでの存在になるのであれば、それはそれで人間の力の、まさにその証明となる」

まあ、ささやかな抵抗はさせてもらうがね、とアレイスターは言う。
そんなことは承知の上、ということ。
そして様々な感情が想定外の結果を生み出し得ることも理解した上で。

「――――不幸が許せないかね?」

学園都市で起きた惨劇。アレイスターが意図的にあの事態を引き起こしたわけではない。
意図的にインデックスを『G』生物に変貌させたわけではない。
それは真実だろう、とローラは感じていた。
しかし。単に不幸だったでは、あまりにも……。

「不幸も幸運も、誰しもに降りかかる。あれは『魔神』がいなくてもそうだ。
ロシアンルーレットを回避し続ける者もいれば、じゃんけんで十連敗するものもいる。
かの少年のように何度くじを引いても外れしか引けない者もいれば、『聖人』のように何度引いても一等しか引けない者もいる。
そうした偏りは完全に根絶することはできない。正確に言えば、してはならない」

語るアレイスターの表情に色はない。
分かってはいたはずだ。だが実際にそれを目の当たりにしてしまうとどうしようもない衝動に駆られる。

「奇跡のような偶然が積み重なる幸運、悪夢のような偶然が積み重なる不幸。
それをなくしたいと考える者は多い。誰もが一度は考える。そう考えること自体は間違いではないだろう。
実際、それを為そうとした者もいただろう? 第三次世界大戦の時に、世界を救うことで。
ああ、そう言えば彼の『神上』もあの時は面白い反応を見せた」

アレイスターは続ける。

「だが、それが成されてしまったらどうなると思うかね?
不幸が絶滅し、幸運しか存在しない世界。生まれに差はなく、貧富も平等。
確かにそれで救われる人間は多いだろう。人類全てが全く同じ条件で、その全員に一切の差がない世界。
だがそうなってしまったら人間は滅びたも同然だよ。人間は差があるから努力し、勝ったり負けたりする自由も得ている。
今ある不幸な逆境から抜け出すために、今の心地良い状況を維持するために、それぞれに異なる形の幸福を掴むために、人間は尽力する。
良くも悪くもそういった競争が人間の歴史を紡いできた。だから人間たちの世界は成り立ち、人間たちの物語が続いている」

だから人間が人間であるために、幸運も不幸もあるがままに受け入れるしかないのだと。
アレイスターは言う。

「そうまで人間に執着したるか、アレイスター=クロウリー。
人間はそこまで価値ある種でありけるかしら?」

「時代は流れ世界は移ろう。命は滅び種は生まれる」

アレイスター=クロウリーは歌うように言う。
当たり前の常識でも語るかのように。

「この惑星、この世界において人間は害虫にも等しい。星の寿命を削りとりながら私たちは今を生きている。
これまでも幾度も天変地異が起こり、数多の生命が興亡し、それぞれがそれぞれの物語を積み上げてきた。
しかし流れそのものが止まったことは一度としてない。人間が滅んだところでそれは取り立てて騒ぐようなことではないということだ。
人間が滅びることと世界が滅びることは決して等号では結びつかないのだから」

だが、とアレイスターは区切り、

「かつて世界を跋扈した数多の生命と違い、人間には力がある。
この惑星の生き死にさえ左右する力がある。それが正にせよ負にせよ、いずれの方向にしても。
加えて心や感情といったものを持ち、行動と思考が噛み合わないことも珍しくない。
人間は蒙昧な生き物だ。だが同時にこれほど面白く、興味を惹かれる種もいない」

喜怒哀楽の全てを内包した顔で、『人間』は語る。

「……理解したるわ。善悪や優劣の問題ではなく、好悪の話というわけ。
しかし――――“本当に、それだけでありけるのかしら?”
全く自分勝手で迷惑な男ね、人のことは言えぬ身でありけるけれど。
……そもそも魔術師という生き物は総じてそのような存在でありしわね」

「生憎上から監督し審判する役割は本来のところは趣味ではなくてね。
これからの遥かな時代、人間に代わるものが世界に満ちるだろう。これまでの歴史がそうであったように」

「別にこれから永遠に人間が世界を支配しようなどと考えているわけではなしに。
ただそうであろうとも、今この時代は人間たちの物語……というわけでありしかしら」

「役者たちが踊っている中に、既に劇を終えた者に舞台に上がられては迷惑だろう?
つまりはそういうことだ。物語を紡ぐのはどちらかという簡単な命題だよ。
しかし私は断言しよう。私たちが生きているこの時代は、人間たちの物語だ。
私は私が人間であることを肯定し――――――最後の最後まで、私は人間として歌い続けよう」

結局は、それがアレイスター=クロウリーという『人間』のスタンス。
世界を支配する神や王といったものからは、本来対極に位置する者。

「……いかにして貴様がそのような思考に至りたのかは不明なれど、『あの時』……私もその詳細は知らぬが、無関係ではなかろう?
されど貴様にとって、あの子は……あの子は、」

「そうだとも」

ローラの言葉は途中で割り込まれた。
そこに喜怒哀楽の全てを内包するアレイスターという男の、本質のような何かが垣間見えた気がした。

「しかし先ほど言ったように、幸運と不幸の極端な偏りをある程度均すことくらいは出来ても、それを滅ぼすわけにはいかないのだよ。
人間が生きた人間であるために。ただそういうものとして在ることを許容し、引き受けるしかない。
私もまた、かつてそうであったように。……相手が君だから認めるが、私は『あの時』、確かに崩れ落ちて嘆くことしかできなかった」

「……貴様はもう少しばかり無感情で冷酷な化け物だと思うていたわ」

実際、アレイスターは間違いなく冷酷な化け物だろう。
最悪の人間、やはりその一言に尽きる。どうしようもない怪物だ。
そして自分もまた、そうであるとローラは思う。
しかし。アレイスターがここに姿を現した理由。それが自分の考えた通りであるならば……。

「私は存外感情的な生き物だ。それもまた、人間の特権であるがね」

言って、アレイスターは薄く笑う。
だがそうだとしても、容赦をする理由にはならない。
だからローラは止まるつもりはない。

アレイスターの姿が空気に溶けるように消えていく。
『人間』が完全に消え去る前に、ローラ=スチュアートは問いかける。

「アレイスター=クロウリー。今この場で全ての真実を明かせるとは思うてなしにつき。
いつか必ずそれを為し、私は私の目的を果たすつもりでありたるわ。
されど……今は無駄だと理解したりていても、こうして対峙してしまった以上聞かずにはいられなし」

だから、ローラはその言葉を吐き出した。
ローラの人生の全てが詰まったかのような声で。
ローラ=スチュアートはただ、知りたかった。

「――――――あなたにとって……私は何であったの……?」

『人間』はやはりゆったりと笑い。
告げる。

「――――――『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』」

そしてその姿が完全に消える直前に、ローラの問いに対してアレイスターはこう返した。




「                          」




アレイスター=クロウリーは消えた。空間に静寂が戻る。
ローラとアレイスター。その二人にしか理解のできない会話が終わる。

ローラは全身から力を吸い取られたように座り込む。
ちらりと端に視線を遣る。ステイルは丸一日は起きないだろう。何せ自分がやったのだ。
このまま床に寝かせていては風邪を引いてしまうかもしれない。

ローラが口の中で何かを呟くとステイルの体がふわりと宙に浮いた。
意識のないステイルを連れて、ローラはその場を去っていく。
ステイルが意識を取り戻した時、彼の記憶から先ほどの一連の会話は綺麗さっぱり消えているだろう。
それでいい。アレイスターが追われるように、ローラもまたただでは済まない。

ローラ=スチュアートという魔女を狩る者。
それはきっと無謀にもローラに挑み、呆気なく敗北し倒れたこの少年になるだろう。
息を潜め、牙を砥ぎ、ルーンの天才は必ずもう一度彼女の前に立ちはだかる。
ローラの表情は何とも形容しがたいものだった。

ローラ=スチュアートの頭の中を、アレイスター=クロウリーの最後の言葉がいつまでも反響していた。





トロフィーを取得しました

『鋼と電子の街を築き上げた男と古びた大聖堂の奥で薄く微笑む女』
シークレットを閲覧した証。世界に大きなうねりを生んだ二人の、再会の時




投下終了

このSSではオティヌスは今の世界に満足(我慢)しているため、原作のように動くことはありません
それにしてもギャグ、日常ならあるんですがシリアスとしては初めて書く魔術サイドだったのでつい長くなりすぎてしまいました
ローラの口調の難しさ、サーシャの面倒さは異常

次回、本編最終回です
そのあとちょっとだけおまけ・舞台裏的なものがあります

おまけ・舞台裏

表舞台に出てこなかったキャラの死に様がついに見られるのか

魔術サイドってこれまで出たことあったっけ

では最終回、投下します
ところで今回の事件が世界に与えた影響を知りたいと言っていた方がいましたが
前回投下の魔術サイドの面々でそれに答えられているでしょうか

>>725
あまり期待はしないでください……
最期までしっかり書いてるのは一部だけですし

>>731
こちらが行き詰った時に息抜きをかねてこれら違うのをちょっと書いてました
あくまで本編であるこのSSの息抜きであって内容はお察しレベルですけどね!
美琴「ありがとうと言いたくて」
インデックス「布教を始めるんだよ!」
ステイル「よく考えてみると、神裂の服装は性的すぎるな……」
フィアンマ「俺様はこの世界を救う。学園都市の治安もな」

人が抱きうる見解の相違、たとえば一個の林檎について――――――
テーブルの上の林檎をもっとそばで見ようと首をのばさねばならぬ小さい男の子の見解と、その林檎を手にとって食卓の全員にいくらでも渡してやれる家長の見解と



空はどこまでも暗かった。希望のない世界を映しているかのように。
降り注ぐ雨は冷たかった。壊れてしまった心を映しているかのように。

大雨が降りしきる中、サイレンの音とその赤い光が辺りを照らしていた。
上条当麻は毛布にくるまり救急車に腰掛けていた。
上げられた扉が傘となり冷たい雨を遮断する。佳茄も近くの救急車にいた。
二人とも顔をあげなかった。あげられなかった。ただ、俯いていた。

救急隊員が優しく声をかけながら温かい飲み物を渡してくれる。
だがその声すらもほとんど二人には届いていない。
上条当麻と硲舎佳茄の表情は虚ろだった。心には孔があった。
惨劇は終わった。だが終わったのはそれだけではなかった。

救急隊員や警察の言葉が飛び交っている。
学園都市の跡地には底の見えないほどの巨大な穴ができており、まさに消滅したというべき様相だった。
だがその跡地には誰も近づけなかった。まるでバリアのように莫大な力の残滓が、痕跡が未だその地に渦巻いていた。
それがどういうものなのか。何によって生まれたものなのか。知っている。

――――『生きるとは呼吸することではない。行動することだ』。
少し前に、あの地獄の中で足掻いていた時に聞いた言葉を思い出す。

で、あれば。果たして彼らは『生きて』いるのだろうか。
確かに生命活動は維持できているし、心臓も脳も動き続けている。
だがそれだけだ。それだけなのだ。それ以上のものが何もなく、何も生み出されない。
ココロを失った抜け殻を生きていると形容していいのだろうか。中身のない肉の容れ物を生きていると言っていいのだろうか。

それはある意味でリビングデッド。
これまで彼らが散々目にしてきた異形の存在と、質こそ異なるものの意味的には似たようなものなのかもしれない。

「通してください!! 通して、通してください!!」

もはや叫んでいるかのような声が聞こえてきた。
佳茄に反応はないが、上条はその声には聞き覚えがあった。
そこで初めて上条は僅かに顔をあげる。

「当麻!!」

「当麻さん!!」

激しく息を切らせて駆け寄ってきたのは二人の成人男女。
上条の両親である上条刀夜と上条詩菜だった。
よほど急いできたのだろう、特に刀夜などは呼吸すらおぼつかないようだった。
傘もさしていないせいで全身がずぶ濡れになっていたが、気にした様子はなかった。

「と、当麻!?」

「当麻さん……無事だったのですね、良かった……本当に……」

二人は上条の姿を確認すると全身の力が抜けたかのように崩れ落ちた。
突き抜けるような安堵感に緊張の糸が切れたのだろう。
愛する息子が生きてそこにいる。それだけで刀夜と詩菜はもう十分だった。

「当麻、もう大丈夫だ。終わったんだ。悪い夢は、終わったんだ……」

「傍にいてあげられなくてごめんなさい、当麻さん。
……帰りましょう、あなたの、私たちの家に。もう、終わったのですから。疲れたでしょう。ご飯は、どうしましょうか」

刀夜と詩菜に上条は強く抱きしめられる。
確かな温かさがあった。優しさがあった。愛情があった。
離れていようと記憶がなくなっていようと関係のない、強い強い親子の絆があった。
……しかし、それでも上条当麻の心の孔は埋まらない。

全く口を開かない息子を二人はあれこれと追及したりはしなかった。
ただその心と愛が伝わると信じて抱擁した。
佳茄はそんな彼らを見向きすらしていなかった。

「通してください!! お願いします、そんなことしてる場合じゃないんです!! クソッ、いいから通せっつってんのよ!!」

「さっさとどけ馬鹿野郎が!! あとでいくらでも提示してやるから邪魔すんじゃねぇ!!」

身分確認をしようとする警備員を強引に振り切って二人は走ってきた。
やはり全身はびしょ濡れで、呼吸が危うくなるほどに息を荒げ、そこに御坂旅掛と御坂美鈴がいた。
……その姿を見て、上条は明確な反応を見せた。何かに怯えるようにその体をびくりと震わせる。

「当麻? どうかしたのか?」

父の自分を気遣う言葉もろくに耳に入らない。ただ丸まって震えている。

御坂美鈴は少しの間必死にあちこちへと視線を走らせていたが、上条の姿を見つけると慌てて走り寄ってきた。
旅掛もまた少し全身の力が抜けたようにも見える。

「か、上条くん……? 無事だったのね、良かった……!!」

「御坂さん……?」

「上条さんも!!」

美鈴と詩菜のやり取りの裏で刀夜と旅掛も互いの存在を認識し、驚きを見せていた。

そして。

次に。

御坂美鈴は。

こう、言ったのだ。

安心したような声で。

多少の落ち着きさえ取り戻したかのような様子で。

「“でも君が無事ここにいるってことは、美琴ちゃんも大丈夫だったのね……”」

その一言で、上条当麻の様子が明らかに変わった。
まるで過呼吸を起こしたように小さな音だけが漏れる。
そしてその言葉に初めて佳茄がゆっくりと顔をあげた。

「美琴ちゃーん!? どこにいるのー!? もう終わったのよー!!
帰りましょう? 美琴ちゃん? 美琴ちゃーん!?」

美鈴は娘の名前を口にしながら辺りを歩き出した。
旅掛はそんな美鈴と上条を交互に見つめていた。その表情に安心はなかった。

「美琴ちゃーん? おーい!? みーこーとーちゃーん!?」

少しして。いつまで経っても応答を得られなかった美鈴は戻ってきた。
土砂降りの中で彼女は立ち尽くす。

その顔色は酷く真っ青だった。それは寒さによるものなどではなかった。
その声は小さくて、激しく震えていた。その言葉を口にすること自体が恐ろしい禁忌であるかのように。


「ねぇ――――……。美琴は、どこにいるの……?」


たったそれだけの言葉に。
御坂美鈴の胸の中に渦巻くものが詰め込まれていた。

「美琴、いないの……。ねぇ、美琴が、いないのよ。美琴はどこにいるの、どこにいるの……」

上条当麻は震えていた。ホラー映画を見た子供が布団にくるまって夜が明けるのを待つように。
どこにいるの、どこにいるの。迷子の子供のように美鈴はただそれを繰り返していた。
旅掛は明らかに異常な上条を見て、

「……当麻くん。美琴のこと、何か知らないかい?」

その問いに悪意はなかった。にも関わらず上条は一層に震え上がる。

「当麻……? 何か知ってるのか?」

「当麻さん……?」

だが、口を開いたのは上条ではなかった。

「お姉ちゃんは……」

硲舎佳茄。少し離れた場所にいる少女に全員の視線が集まる。
佳茄は震える声で、小さな声で、呟いていた。

「……もう、いなくなっちゃったよ……」

致命的な言葉だった。美鈴と旅掛の喉から小さい音が漏れる。

「え……は……? ウ、ウソ……でしょ? ウソだって言ってよ、ねぇ、君……」

「あい、つは……俺たちを、守ろ、うと、して……」

そこでようやく上条も言葉を搾り出す。
次の瞬間、上条の頭をガン!! と激しい衝撃が襲った。
旅掛に顔面を殴り飛ばされたのだと気付くのにしばらくの時間がかかった。

刀夜が息子の名前を呼び、詩菜が思わず口を手で覆う。
御坂旅掛は……泣いていた。その拳を、体を震わせながら涙を流していた。

「美琴はどこにいるのよ……あの子に会わせて……。
わた、私の、子供なのよ……。お願いだから顔を見せて、声を聞かせてよ、美琴……」

何が何だか分からないというように。
ただどこまでも呆然とした様子で美鈴は呟く。
旅掛はどうしようもない怒りと悔しさと悲しみに身を焼かれ、それを放出する手段を言葉に求めた。

「自分が、今、どんなに最悪な、ことをしたかはよく、分かってるつもりだ。
多分、君は娘を守って、くれていたんだろう。支えに、なってくれていた、んだろう。
ただで、さえ、今の君は危うい状態だ、っていうのに、そんな人間を、殴り飛ばすなんて非常識、どころじゃない、んだろう。
だから、あとでどれだけ、殴り返してくれても、構わない。勿論、当麻くんのご両親も、どれだけ俺を詰っても、殴っても、構いません」

ただ、と旅掛は言う。
嗚咽に消えそうになる声を何とか絞り出して。

「……俺、たちは、あの子の傍に、いてやれなかった。守って、やれなかった。
そんな俺に、君を責める資格、なんて、ないんだろう。事件を聞くまで、何も、知らずに、いた俺の方が、責められるべきなのかも、しれない。
それ、でも。……それでも、娘は、美琴は、やっぱり何よりも大切なんだ。
俺たちは親で、あいつは俺たちの子で、たった一人の、かけがえのない娘で、宝で、すまん、当麻くん、でも、俺は……」

そこまで言って旅掛はがくりと地面に膝をつく。
失意と絶望に屈したかのように。
そして、叫んだ。


「どうして――――美琴を、助けてくれなかったんだ――――――ッ!!」


旅掛は自分が滅茶苦茶なことを言っていることなんて分かっている。
どれだけ理不尽なことを言っているかも分かっている。
八つ当たりでしかないことも分かっている。
こんなことを叫べば上条を更に追い詰めることになるのも分かっている。

それでも。御坂旅掛は父親だ。御坂美琴の父親なのだ。
こんなことで愛する一人娘を失った男は、父は、叫ばずにはいられなかった。
ああああああああああああああああああッ!! と叫びながら旅掛は全身が汚れに塗れるのも気にせずその場に蹲り、地面を叩き、掻き毟る。
どうしようもないほどに、何もかもを壊してしまいたい衝動が旅掛の中で溢れ出していた。

御坂美鈴は。激しい雨に打たれながら、突然に。


「――――――嫌ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」


頭を激しく振り、両手で顔を覆い、ダムが決壊したかのように涙を零し、ただその場に崩れ落ちた。
父親と母親は愛する我が子を失い、ただそうすることしかできなかった。
喉が裂けるほどに叫び、ただ二人はごめんなさい、と助けられなかった愛娘にもはや錯乱したように繰り返していた。

「私たちの子よ、私たちの、私の娘なのよ――――!!」

上条当麻と硲舎佳茄に言葉はなかった。ただ、震える体を抱きしめて顔を俯かせるだけだった。
詩菜は泣き叫ぶ美鈴を優しく抱きしめていた。詩菜もまた涙を流し、体が震えていた。
刀夜はただ上条と旅掛を見つめ、どうすることもできずやり場のない理不尽への怒りに泣きながら拳を握り締めていた。

雨はざあざあと降りしきる。佳茄は世界なんて、こんなものか、と思った。
もうどうしようもない。何も救えない。誰も二人に声をかけられないまましばらくして、旅掛が顔をあげて上条へ問いかけた。

「――――……なぁ、当麻くん。一つだけ、教えてくれ。美琴は、君たちを守るために、死んだんだな?」

旅掛の全身は泥まみれだった。目は真っ赤で、声は枯れてすらいた。
それでも彼は我が子の最後を問うた。
上条は何も言うことができなくて、ただこくりとだけ頷いた。
最後に御坂美琴に告げられた言葉と気持ち。今になって上条の中をぐるぐると回りだす。

「そう、か……流石、俺たちの子、だ……」

「ええ……美琴は、自慢の、娘よ……」

多くの死があった。多くの物語が終わった。
御坂美琴だけではない。浜面仕上、滝壺理后、垣根帝督、一方通行、番外個体、心理定規。
そして数え切れないほどの学園都市の住人たち。

御坂旅掛と御坂美鈴の悲痛な声以外には誰も言葉を発せなかった。
ざあざあと降り注ぐ雨はまるで僅かに残った想いさえも押し流そうとしているかのようだった。

佳茄の両親も遅れてやってきた。
娘の姿に喜び、安堵し、抱擁したがすぐに気付く。
佳茄はもう、以前の佳茄ではないことに。以前のような無邪気で無垢な女の子には、決して戻らないことに。

「それでも、佳茄は私たちの子供よ……」

父と母の娘への愛は揺らがなかった。虚ろな目をした我が子を強く抱きしめる。
ようやく会えた大切な両親。それでも佳茄の表情に大きな変化はなかった。
その精神に決定的な破滅が訪れていた。

またしばらくすると救急隊員によるバイタルサインの確認が行われた。
上条と佳茄だけの予定だったのだが、念のためと旅掛と美鈴、刀夜と詩菜も受けることになっていた。
上条一家や美琴、美琴、とうわごとのように娘の名を呟く美鈴がチェックを受けている間、既に終わっていた旅掛はふらりとどこかへ離れていく。

皆から少し離れた場所で、誰にも聞こえない場所で、御坂旅掛は恐ろしい形相で呪いの言葉を撒き散らしていた。
たまたま。そう、たまたま風に乗って佳茄はそれを聞いた。聞いてしまった。
ふらふらと佳茄は旅掛の後ろから近づき、気付いていない旅掛は呪詛のように呟き続ける。

これが、未来を変えた。少女を変えた。
世界のどこかにいる『人間』の予測した通りに。

旅掛の吐く恐ろしい怨嗟の言葉の、たった一つ。その一単語に佳茄は反応した。
佳茄はその意味を吟味するかのように小さく呟いた。

「アレイ、スター……?」

旅掛の出したその単語の意味は何なのだろうか。食べ物の名前かもしれない。
地名かもしれない。国名かもしれない。ゲームの名前かもしれない。本のタイトルかもしれない。

「アレ、イスター……」

――――いいや、これは人名だ、と佳茄は思った。何故だかは分からないが確信さえあった。

「アレイスター、クロウ、リー……?」

そう。これは絶対に人名だ。美琴の父親である旅掛がああまで罵る相手。
だから悪者に決まってる、と佳茄は思った。きっと悪者で、原因なのだ。

「アレイスター=クロウリー……」

旅掛が罵っているのだから悪者だ。原因だ。こいつがいなければきっと美琴がいなくなることはなかったのだ。
絶対にそうだ。そうでないと駄目だ。アレイスターという人間はそういう悪人であるべきだ。
この怒りと絶望と心の悲しみをぶつけられる相手がいなくては困る。
アレイスターというのは絶対悪で、全ての原因で、こいつがいなければあんな惨劇自体絶対に起こらなかったのだ。

「アレイスター=クロウリー……アレイスター、アレイスター、アレイスター……」

硲舎佳茄の幼い心は逃避を求めた。分かりやすい、思う存分に憎み、心に溢れる感情を叩きつけられる絶対の敵対対象を望んだ。
実際にアレイスターという存在がそうなのかは分からないが、そうであるべきだ。

――――黒くなれ。

アレイスターさえいなければこんなことにはならなかった。アレイスターがいたからあんな惨劇が起きた。アレイスターがいなければ美琴は死ななかった。
こいつだ。こいつが美琴を殺したのだ。それだけではない、学園都市の全ての人間が。
アレイスターとは全ての怒りと憎しみを思う存分叩きつけられる、何もかも無条件に全ての原因であるような存在なのだ。

「アレイスター=クロウリー……ッ!!」

そして、この時この瞬間。
少女は単なる少女ではなくなり、執念の復讐者が、羽化する。





「殺してやる――――――ッ!!」










汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
Lasciate ogne speranza,voi ch'intrate
















『大変悲しいニュースをお伝えしなくてはなりません――――。
致命的なウィルス汚染によって住民の生存を絶望的とみた学園都市統括理事会は、自らの街に対する「滅菌作戦」を実行に移しました。
この作戦により学園都市は地上から消え去り、事件の犠牲者はおよそ優に二〇〇万人を越えると予想されます……。
戦争と見紛うほどの犠牲者の数、犠牲者の大半が未成年の子供たちであること、そして何よりその事件の異常性・猟奇性。
これらから三度の世界大戦をも上回る「人類最大最悪の過ち」とする考えも多く、世界中に波紋が広がっています。
バイオハザードに対する関心が高まり、特に各国ではBSL4の施設を中心にウィルスの保管体制などの安全面の全面的な見直しに取り組んでいます。
またバイオテロへの対策についても各国では議論が活発になり、三ヵ月後の緊急サミットではこの点が主な主題となりそうです。
一部の国では「審判の日」とも呼ばれる学園都市での悲劇に、世界中が黙祷を捧げその冥福を祈りました。
歴史の一ページに刻まれる人類の過ち、それにより犠牲になった数多の尊い命に、今この場を用いて皆さんと黙祷を捧げたいと思います――――……』














『鳥かごが鳥を探しにやってきた
A cage went in search of a bird.


しかし鳥は消えてしまった
But now the bird is gone.


鳥は、変わったのだ
The bird has changed』














               バイオハザード
―――とある都市の生物災害―――















―――――――――いつもどこか焦っていた君にしては、珍しいな




―――――――――その必要があるならば。これが最善などとは決して言えないが、ルートは一つではないからね




―――――――――『あの時』にその柔軟性があれば良かっただろうにね。私が君に授けられたのは『知識』だけだ




―――――――――エイワス




―――――――――おや、これは失礼。先の彼女との一幕もそうだが、やはり君は実に人間だ。それが君の良いところであり、私の興味を惹くところでもある




―――――――――でなければ、意味などない。さあ、人間たちの物語を歌おうか




―――――――――ふふ。では私は特等席で観劇させてもらおうか。楽しみだよ、アレイスター






          CONGRATULATIONS!!

                RESULT

      RANKING        C

      TOTAL TIME      10:35:04

      NUMBER OF SAVES 19



『クリア特典1』

WEAPON GET!!

『ロケットランチャー(無限弾)』を解放します

『シカゴタイプライター』を解放します

『七天七刀』を解放します


以下のものは指定の条件を満たすことで解放されます

『FIVE-Over_Modelcase_“RAILGUN”』
ランクS、セーブ回数0、5時間以内に難易度NORMAL以上でゲームクリア

『主神の槍(レイドモード専用)』
救急スプレーを一度も使用せず、ランクA以上、難易度HARD以上でゲームクリア

『ハンドキャノン』
ランクA以上でゲームクリア

『チョーカー型電極(バッテリー残量無限)』
セーブ回数0でゲームクリア

『アンの盾』
5時間以内にゲームクリア

『カーテナ=オリジナル』
難易度INFERNALでゲームクリア


『主神の槍』を除きこれらのおまけ武器はストーリーモードでのみ使用可能です
レイドモードやマーセナリーズでは使用できません
またおまけ武器を一度でも使用した場合クリア後のランキングがCに固定されますのでご注意ください


『クリア特典2』

COSTUME GET!!

『上条当麻 レオン・スコット・ケネディ(BIO HAZARD4)コスチューム』を解放します

『上条当麻 アルバート・ウェスカー(BIO HAZARD CODE:Veronica)コスチューム』を解放します

『上条当麻 スティーブ・バーンサイドコスチューム』を解放します

『御坂美琴 ヘレナ・ハーパーコスチューム』を解放します

『御坂美琴 クレア・レッドフィールド(BIO HAZARD Revelations2)コスチューム』を解放します

『硲舎佳茄 シェリー・バーキン(BIO HAZARD2・6)コスチューム』を解放します

『硲舎佳茄 アシュリー・グラハムコスチューム』を解放します

『浜面仕上 クリス・レッドフィールド(BIO HAZARD)コスチューム』を解放します

『浜面仕上 バリー・バートン(BIO HAZARD)コスチューム』を解放します

『滝壺理后 ジル・バレンタイン(BIO HAZARD3)コスチューム』を解放します

『滝壺理后 レベッカ・チェンバースコスチューム』を解放します

『垣根帝督 ビリー・コーエンコスチューム』を解放します

『垣根帝督 ジェイク・ミューラーコスチューム』を解放します

『心理定規 エイダ・ウォン(BIO HAZARD4)コスチューム』を解放します

『心理定規 マヌエラ・ヒダルゴコスチューム』を解放します

『一方通行 アルフレッド・アシュフォードコスチューム』を解放します

『一方通行 ハンクコスチューム』を解放します

『番外個体 ジル・バレンタイン(BIO HAZARD Revelations)コスチューム』を解放します

『番外個体 モイラ・バートンコスチューム』を解放します

『クリア特典3』

レイドモード・マーセナリーズモードにおいて以下のキャラクターを解放します
ストーリーモードでは使用できません

『神裂火織』

『ステイル=マグヌス』

『オリアナ=トムソン』

『ブリュンヒルド=エイクトベル』

『レイヴィニア=バードウェイ』

『キャーリサ』

『トール』

『土御門元春』


『クリア特典4』

土御門元春が真相を掴みに動き、上条らに伝えるまでのシナリオ『THE ANOTHER STORY 背中刺す刃』を解放します

極めて限定された状態で指定地まで辿り着く高難易度ミニゲーム『THE 3rd SURVIVOR ――豆腐――』を解放します

レイドモード・マーセナリーズモードにおいてゾンビやクリーチャーではなく、湧き続けるサンジェルマンと戦う特別ステージ『ダイヤノイド』を解放します

『HARD』を超える難易度『VERY HARD』を解放します

最高難易度『INFERNAL』を解放します

全ての敵が透明となり視認不可能となる『インビジブルモード』を解放します

メニュー画面より閲覧可能な『UNDER_LINE』を解放します

これにて投下終了、同時に本編終了です
長かったですね……まさかここまで時間がかかるとは思ってませんでした
一番書いててきつかったのは丁度今回投下した親サイドですね
バイオハザード0のHDリマスターが出ることですし、バイオ2リメイクの噂もありますしバイオシリーズをやったことがない人も
是非バイオ1のHDリマスターもありますのでプレイしてみてはどうでしょう

このあと少しだけのおまけ・舞台裏を投下したら本当に完結になります
投下日は未定ですが、遠くはならないと思います

あ、プレイ時間やセーブ回数は適当です
それと統括理事会が学園都市を消すことを決定~というのは表向きの情報ですね

乙です

そういえばこの場合だと学園都市外にいる御坂妹たちは生きてるのかな

乙です。>>744のフランツ・カフカの詩でゾクッときた。
もしイージーモードだったら何人生き残れたのだろうか…。

最後の投下をします
バイオ2リメイク正式決定おめでとうございます、かなり楽しみです

まずは続編の妄想から
あくまでもこれは「妄想」であって、「実際に書く予定は全くありません」
本当にただの妄想です それから舞台裏を
レベッカがいるのはバイオ0HDリマスター記念ということで

>>756
外にいた妹達は生きてますね

>>758
あのナタリアは何で回収されるんでしょうか
リベ3かナンバリングか……
イージーモードだったら全員生存だったんじゃないでしょうか
何せイージーっていうくらいですしね、いや知らんけど





後悔しない者が許しを得られるわけがない
後悔と願いは相反する
ささいな矛盾として見逃すことは出来ないのだ




「妄想予告」


学園都市の消滅。その世界を揺るがす事件から年月が流れた。
それでも世界は未だ荒れていた。落ち着く兆しを見せない。
正確に言えば、各種魔術機関の働きで一度は鎮まりかけたのだ。
だがそこに現れた一つの組織。それが盤面を狂わせた。

「もし我が言葉が 噛み千切った裏切り者の所業を
世に示す果実の実となるならば
それをお前に語り 共に涙を流そうではないか」

――――テロ組織『ヴェルトロ』。それが始まりだった。

硲舎佳茄は忽然と姿を消した。両親にさえ何も告げず。
しかし厳重な監視下にあった佳茄が自力で抜け出せるはずがない。
そこにはある男の助力があった。

「……アンタ、何者?」

「お前と目的が一致している者だ。俺様の名など、名乗るだけ無意味だろう。
……アレイスター=クロウリー。お前は奴のことを何も知らんはずだ。
意思や覚悟は十分でもそのための手段がない。それを俺様が用意してやろう。こちらにも事情があってな」

硲舎佳茄は荒れた世界の流れに身を投じる。
全てはたった一つ。アレイスター=クロウリーを殺すため。

「……っ!?」

「ど、どうしたのですか?」

「ごめんなさい、神裂さん。……グラタンは。グラタンだけは、どうしても、食べられないんです」

「……そうでしたか。ご両親はあなたはグラタンが好きだと言っていたのですが……」

何を見ても、何を言われても、佳茄の意思はぴくりとも揺らがなかった。

「最悪この惑星を砕いてでもヤツをあぶり出す」

「そんなことをすれば、上条当麻もお前の両親も死ぬぞ。
憎悪で目が曇っている。……そういう奴は数え切れんほどに見てきたが、お前ほどにブッ飛んでしまった奴は初めてだ。
質問だ。答えろ。全ての始まりとなった『ゼロ』……学園都市が消えたあの瞬間、一体何があった?」

『ヴェルトロ』は突如バイオテロを世界へ予告。
標的となったのはアメリカのトールオークス。
そしてその準備運動とでも言うかのように通称『黄道特急事件』が発生。

「……君は?」

「『テラセイブ』より依頼を受けました、レベッカ=チェンバースです」

「これは……!! 真の狙いは、上条当麻か……!!」

そして、時を同じくして第二の学園都市と言われる『テラグリジア』という都市が海上に完成された。
その裏には何者かの影があった。

「……アンタ、そのふざけたツラは何のつもり? 何者なの。答えによっちゃ殺すけど」

「ミサカはお姉様の妹です、とミサカは自己紹介します。あなたのことはよく知っています。
お姉様のあなたへの気持ちは、ミサカネットを通じたあの時に知りましたから、とミサカは説明します」

そしてその『テラグリジア』で佳茄はある男と遭遇する。

「硲舎佳茄。君は、新たな天地を望むか?」

「笑わせないでくれる」

そして、

「いいのかい、上条当麻。このままだと硲舎佳茄は確実に行くところまで行くよ。腐っている暇、あるのか」

「……俺は、あいつに、頼まれたんだ……!!」

そして、

「……私の帰りたかった世界は、こんな世界だったか?」

そして、

「好機は今。硲舎佳茄に、上条当麻も動き始めた。このチャンスを逃す手はなしにつき。
やはり貴様にはもう一度問いたださなければならぬわね……!!」

そして、混乱の果てに硲舎佳茄はアレイスター=クロウリーの元へと辿り着く。

「こんにちは、アレイスター=クロウリー。会えて嬉しいわ」

「初めまして、と言うべきなのかな。わざわざこんなところまでようこそ」

「――――――アンタを、殺しに来た」

硲舎佳茄がそう言うと。『人間』はゆったりと微笑んだ。
突然佳茄の目の前に小奇麗なテーブルとイスが出現する。その上には温かな飲み物も置かれていた。

「――――――まずは紅茶でも、淹れようか」











               バイオハザード
―――とある都市の生物災害―――






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『UNDER_LINE』

生体認証完了。接続を確認。
お帰りなさいませ、アレイスター様。

問答型思考補助式人工知能は入力されたタスクに従って活動を開始します。
およそ五〇〇〇万ほどの『滞空回線』の中から以下をピックアップしました。


『UNDER_LINE_NO.42609541』


Now Loading……


『私、今度ばかりはいまいちよく分からないんですけどねぇ……』

木原唯一はうーん、と分かりやすく考え込むジェスチャーをしていた。
そんな彼女の呟きに答えるものがあった。

『考えても無駄だろう。あれは時にそういうものだ』

見た目はゴールデンレトリバーだが、違う。
木原脳幹。演算回路を七人の始祖に外付けされた彼は葉巻を咥えながらそう返す。

木原唯一と木原脳幹。学園都市の最暗部、その深奥、その真実に極めて近い位置に立っている二人。
だがそんな彼らでも届かない存在がこの街にはおり、今二人が話しているのはまさにその存在についてであった。

『あの「人間」についてはあまり深入りしようとしない方がいい』

『はいはい、私だってその程度の線引きはできてますってー。
でもあの統括理事長、先生にまで何も話してないんですね。何考えてるんだか』

それは確かにそうだ、と木原脳幹は思った。
木原脳幹とてアレイスター=クロウリーの考え、その「プラン」を一から一〇まで全てを知り尽くしているというわけではない。
だが、「人間」の思想にはゴールデンレトリバーは賛同していた。
単に木原脳幹を含め「木原」ではどうやってもかの王に敵わないから従っているわけではない。その至極人間的で好悪で言えば好ましい思想故に、だ。

では、これはどうなのだろう。
今回は「人間」の考えが読めない。ゴールデンレトリバーは頭の中で統括理事長への回線を繋ぐ。
これまで二度ほど試みていたがいずれも応答はなかった。だが、今回は接続されたらしい。
「人間」の声が届く。その語られた言葉と、そこに秘められたものを理解して。

『……ああ』

犬はそんな声を漏らした。「木原」にしては珍しく不要な破壊は避けるべきと考えている木原脳幹だが、どうやら今回はそうもいかないらしい。
とはいえ既に手遅れなのだが、と呟いて、

『唯一君、何をしている?』

『いやー、ほら、アレクシアっていたじゃないですか。あの残念な。
あれ自分に「ベロニカ」でしたっけ、そんなのを打ち込むことで自らの肉体を上位に昇華させようとしてたじゃないですか。
でも保険にもう一つ並行して予備策を進めていたんですよ。自分より上位の存在を自分にする、乗っ取るってヤツ』

『擬似的な不老不死。つまらない、人類の夢などと言われているがロマンを感じないよ。不老不死なんてものには』

『でっすよねぇー!! どこの馬鹿だって感じですよね、先生!!』

首に腕を回してくる唯一から身を捻って逃れながらゴールデンレトリバーは納得する。
アレクシアらは近日中に処分する手筈だった。だが対応が遅い。わざわざ後日に後回しにする理由もなかったはずだ。
あの「人間」が利用したということなのだろう。

『それでですね、「器」の選別のためにこんなことしてたみたいなんです。
全く勝手なことばかりして……』

『それは我々「木原」が言えたことではないがな。特に唯一君、君はね』

そう言うと唯一はびくっと体を震わせ、わざとらしく手をぱたぱたと振って否定する。
それにしても、とゴールデンレトリバーは考える。

アレクシアの考えた二つの方法。自らの肉体を上位に作り変えること、自分より上位の存在の肉体を自分にすること。
彼女は前者を今まさに実行中であるわけだが、その保険としての後者の存在がある。
尤も前者の方法に夢中になりすぎて後者の方は半ば放置されているようではあるが、その準備は行われていた。

曰く、肉体の乗り継ぎ。あるいは寄生。
己の精神や記憶……いわゆる人格を電気信号として取り出し、それを新たな「器」、対象に叩き込んでしまう。
対象の持っていたその精神と記憶はやがてアレクシアのものに塗り潰され、自己を失い「新たなアレクシア」として目覚めることとなる。
自らの肉体を放棄し、新たな肉体を手に入れる。彼女の精神と記憶だけが転々と「器」を乗り換えて存在し続ける。

だがここで問題となるのが「器」の質だった。
誰でもが「器」となり得るのではなく、「器」たり得るものには条件があったのだ。
異質な他者が自らの内に侵入してくること、そしてしばらく体内に己と他者、二つの精神、記憶、心が並列で存在するという「恐怖」に耐えられる存在。
そうした「恐怖」に対して強い耐性を持っている者。それこそが「器」の条件だった。

『その選別がこれというわけか。……で、繰り返すが君は何をしている?』

『いやー、別にこっちには興味があるわけじゃないんですけど。
ここまで目の前に準備されてたらやってあげないとかな、と思いまして。
ほら、みんな何の説明もされてないから困り顔ですよ』

この精神や記憶を他者に宿らせる方法はアレクシアにとって保険だった。
つまりこの方法を使う時には前者の、自らの肉体を昇華させる方法が失敗した時ということになる。
それはつまりもう自分の肉体が限界にきているということで、早急に次の「器」へ移動しなくてはならない状況だ。
生命を繋ぐための転移。従って今回は対象が自分より上位の存在である必要はないわけだが、

『しかしこの人選とは。基本的には裏の人間のようだが、どこに何を見出したのやらな。まあ彼らには手を出せなかったようだが』

どういう基準かはアレクシア本人にしか分からないが、何らかの“恐怖”への耐性、「器」としての適性を持つ可能性ありとされた者たち。
純粋な精神力、正義のために身を粉にして尽力できること、憎悪のために全てを切り捨て一つを為すために自分自身さえも捨てられること。
表面上は何も見えなくても極限状態において見え隠れする素質、その奥深くに根ざしている本人さえ無自覚でいるかもしれないもの。
何らかの“強さ”を自身でも気付かない内に持った、求められる「器」の条件を満たし得る者たち。

『とはいえそれらの性質が発揮されるかは守る対象がそこにいるかとかの条件次第だと思いますけど、まあ、私たちが選んだわけじゃないですしね。
とにかく折角目の前にあるんでやってあげましょう。あれに合わせて演じてあげますよ』

そこまで言って木原唯一は振り返ると、

『今気付いたんですけど、もしかしたら私、凄く優しい人間かもしれないです』

『いきなり何を言っているんだ君は』

唯一は不気味に笑って、芝居がかった調子で話し始めた。


『UNDER_LINE_NO.1033674』


Now Loading……


雲川芹亜と雲川鞠亜は学園都市の下水で目を覚ました。
当然、彼女たちはこんなところで暮らしているわけではない。
誰かがここまで連れてきたのだ。だが雲川芹亜はあらゆる防備を拠点に固めている。
それらをすり抜けて、こんな芸当を成し遂げられる人物となると自然に数も限られてくる。

『しかし、とんだ失態だな……。何故か我が妹までいるのが解せないところではあるけど』

『……解せないのはこっちもだ。……それにこの腕輪。いつの間に? 分からないことだらけだな』

二人の腕には奇妙な腕輪が取り付けられていた。そこにあるライトが緑色に光っている。
外せない。強引に外そうとすれば何が起動するか分からない。

『さてどうするか……』

これからの方針を決めかねていた二人の耳に、小さな電子音が響いた。
発信源はすぐ近く。咄嗟に辺りを見回すが、違う。もっと近いところからだ。
二人がつけている腕輪。そこから女の声がした。

「――――夜の恐怖、夜ではない恐怖」

その言葉に二人は顔を顰める。

『これは、何だ……?』




『UNDER_LINE_NO.945282』


Now Loading……


『……何が、起きてるってんだ?』

学園都市第七位の超能力者、削板軍覇。
腕にいつの間にかつけられている腕輪をじっと見つめる。
更に削板の注意を引くのは、鉄錆の臭い。

血と死の臭いが鼻腔を満たしている。
いつ、何があったのかは分からない。気がついたらこういう状況になっていた。
だが、どうやら自分の身だけでなくこの街自体に何かがあったらしい、と彼は考えた。

『……笑えねぇな』

ナンバーセブンの顔にはいつものような笑みも余裕もない。
常人とは隔絶した力を持つ超能力者の第七位でさえ、本能的にかつてない危機を感じ取っていた。
頭の中で何かがガンガンと激しく警鐘を鳴らす。気を抜くな、神経を張り巡らせろ、一つのミスが死を招くと。

「あなたたちは選ばれた」

腕輪から女の声が聞こえた。とにかく異常な事態が起きている。
削板軍覇の予感は――――ゆらりと姿を見せた生ける屍の姿が、証明した。
それを見た瞬間から、彼の腕にある腕輪のライトの色が緑からオレンジ色へと変化していた。


『UNDER_LINE_NO.14806955』


Now Loading……


加納神華は震えていた。気付いたら、ここにいた。
体をゆっくりと起こす。近くの案内板には『ダイヤノイド』とあった。

『な、なんで、ぼく、こんな……?』

今日は特に予定もなく、ただ家でだらだらしていたはずだ。
どこかに出かけるつもりなんてなかった。
しかし現に彼はここにいた。ダイヤノイドというその名前に聞き覚えはある。
確か第一五学区にある巨大複合施設の名称だったはずだ、と加納神華は思い出す。

とはいえ思い出せるのはそこまでだ。
やはりどうして自分がここにいるのか、という点については決定的に記憶が欠けている。
自然には起こりえない事態。つまり何者かの手によるもの。

『でも、一体誰がどうして……』

加納神華には自らが狙われる理由が分からない。
何の特別性もない、ただのちっぽけな少年でしかない。
そう呟いて、初めてそこで腕にはめられたおかしな腕輪の存在に気が付いた。

『ぼくのもの、じゃない……』

外れない。そこにつけられているライトが緑色に光っている。
何とか外せないものかとしばらく奮闘していると、

『……?』

今、加納神華がいる部屋の外から。
何か、ぐちゃぐちゃという粘着質な音が聞こえてきた。
それはまるで何かをかき混ぜているようで。あるいは、咀嚼しているようで。

そして彼は聞いた。この世のものとは思えない、人間の出すものとは思えないそのうめき声を。
のそりのそりと緩慢な足音と共に外を徘徊する何か得体の知れないものの存在に気が付いた。
思わずひっ、という小さな声が漏れる。直後、その腕輪の色がオレンジへと変化する。

「ねぇ、教えて。その“恐怖”を。今どんな気持ち?」

突然に腕輪から声が流れた。
聞いたことのない女性の声が。


『UNDER_LINE_NO.573』


Now Loading……


そしてもう一人。加納神華と並んで学園都市の裏側とも縁のない、不幸な少女がいた。

『えっ、えっ……な、何が……?』

秋川未絵。長袖のセーラー服、軽いリップクリームに薄い透明のマニキュア。
一般的な女子中学生として平均的と言える容姿。
だが、そんな平凡な生活だけを望む平凡な未絵は異常事態に遭遇していた。

『ここは、どこ……?』

記憶がなかった。ただ、ここにいた。
秋川未絵は痛む頭を押さえて立ち上がる。
そこで自分の腕に妙な腕輪が取り付けられていることに気付いた。
緑色に光っているそれに見覚えはない。

物置と言うべきか倉庫と言うべきか。
薄暗い場所だ。あまり長い間いたいと思えるような空間ではない。
すぐにここから出ようとして、やめる。

何故かは自分でも分からなかった。ただ、予感がする。虫の知らせとでもいうのだろうか。
チリチリと焼けるような感覚。本能が危険を知らせる。
視界には危険なものなど何もない。にも関わらずじわりと汗が一筋流れ出る。緊張に体が固まっていた。

親に電話してみよう。未絵はそう思い至り、携帯を取り出して母親へと電話をかける。
しかし繋がらない。通話を切り、今度は父親へとかける。繋がらない。
心臓の鼓動が早まりだした。その時、腕輪から女性の声がした。

「その腕輪は“恐怖”を感じると色を変えていく。ねぇ、あなたの色は何色?」

それが誰かは分からなかった。しかしそこで未絵は腕輪の色が緑からオレンジへと変わっていることに気付く。
それ以上あれこれと考える時間はなかった。突然にこの部屋の出入り口となる扉がバン、と開け放たれる。
びくりと体を震わせてそちらを見る。そこには、どろりと白く濁った眼に腐り落ちた肉、露出した赤黒い筋繊維や骨、血と膿に塗れたものがいた。

『……っ!?』

声が出なかった。その姿は、まるで、ゾンビ。
フィクションの中だけの存在であるはずの人肉を食らう歩く死体。
それが現実にそこにいて。叫ぶことすらできずに未絵はもう一つのドアへと走り出した。

(なにあれなにあれどうなってるの意味が分からない夢でしょこんなの――――!!)

足を縺れさせながら、あちこちへと体をぶつけながら。
ただここを逃げ出し、両親の無事を確かめるために。
秋川未絵の逃走劇が幕を開けた。


『UNDER_LINE_NO.38911107』


Now Loading……


海原光貴はその体を汚物で汚してしまっていた。
いつの間にか移動していた。やはり彼にもまたここに至った記憶はない。

『……さて、どうしたものでしょうか』

丁寧な口調。常盤台中学の理事長の孫のもの……では、ない。
その仮面を被ったアステカの魔術師は腕にある得体の知れぬ腕輪を見る。
先ほどからの女の言葉を聞く限り何かしらの実験台にされているとみるのが妥当だろう。

だがこの街の上層部は今までこんなやり方はしてこなかった。
何故、今回に限ってなのか。それとも全くの別口なのか。
その手の中には黒曜石でできたナイフのようなものがあった。

「ようこそ絶望の“恐怖”へ」

腕輪から流れる聞いたことない女の声。
とはいえ、そんなことはどうでもいいことだ。
海原は既に知っている。学園都市が今どういう状況にあるかを。
一目見ればそれで諦めがついた。

『何がどうなってこうなったのかは知りませんが……考えることにすら、意味はなさそうですね』

ただ唯一気になるのは強さと優しさを持った一人の少女のことだが、そちらに関してはあの少年と約束を交わしている。
ショチトルも今はこの街にはいない。『グループ』のメンバーに関しては思い入れなど欠片ほどもない。

『…………』

そこまで考えて、海原はふと疑問に思った。
僅かに小首さえ傾げていた。

一つ一つ整理していった結果浮かび上がった、単純な事実。
どうやらもうこれ以上、自分という存在が無理に生き延びる必要はないらしい。

『まあ実際、悪くはないと思っていますよ』

掲げていた黒曜石のナイフ。『トラウィスカルパンテクウトリの槍』を下ろす。
持っている『原典』にも少しだけじっとしていてもらうことにする。
それらを駆使すればこの状況を切り抜けることは可能かもしれない。
だがもはやそこまですることに意味などない。

『貴女たちに殺されるのであれば、自分の死を飾るには上等すぎる』

その海原の言葉に偽りはなかった。強がりなどでもなかった。
ただ目の前にあるそれを、変わり果てた二人の妹達を見つめて呟く。

生ける屍と化した彼女の動きは鈍い。
手の中にある黒曜石のナイフを適切に掲げれば迅速にその腐敗した肉体を崩すことだろう。
しかし海原はそれをしない。むしろナイフはカランという軽い音をたてて地面へと落ちた。

直後だった。美しい閃光が弾けた。
その眩い輝きは距離などないかのように、一瞬以下の内に海原の体を貫く。
高圧電流をまともに浴び海原の筋肉は弛緩する。膝をつき、その体が崩れ落ちていった。

獲物の動きを封じた妹達だったものはゆっくりと近づいてくる。
その進みの遅さはまるであえて焦らし、これから訪れる死の恐怖を演出しているかのようでさえあった。

しかし海原に恐怖はなかった。自らの人生とその終わり方にそれなりに満足しているようだった。
特に不満はない。だから海原は迫る死に抗おうとはしない。
ただ海原はゆっくりと必死に頭を起こし、そこにいる死の具現を見つめ、

震える声を絞り出す。
そこにいるものは彼の心惹かれたあの少女ではない。
それを分かった上で彼は何を思ったのか。ただこう呟いた。

『……自分を、見て、ください……』

手で顔を覆う。すぐに変化は訪れた。
海原光貴という借り物の仮面は失われ、その下にある素顔が晒された。
だが当然、二体の亡者はそんなことなど気にも留めない。
それでもエツァリは静かに笑っていた。

そして。
新鮮な肉の詰まった容れ物に狂喜し、かつて妹達だった二体のそれはエツァリのその喉元と腹部に噛り付いた。


『UNDER_LINE_NO.882408』


Now Loading……


元『白鰐部隊』相園美央は舌打ちする。
やはり彼女もまたここに至るまでの記憶がなかった。

学園都市中を巻き込んだ、西東颯太という善人すぎる教師を巡る事件。
一人のお人好し超能力者と共にその行方を追った一件。

それが終わってからというもの、相園は彼女との約束通り警備員に出頭。
大人しく捕まっていたのだが、気が付いたらこの状況だ。

『……無意識に脱獄した、なーんてわけありませんよねぇ』

自らの異常性は十分に認識しているつもりだが、そんな夢遊病かDIDのような行動は流石に取らない。
そもそも、今の相園美央にそこまでして外に出たいと願う理由もない。
何の抵抗もせずにただ捕まっていた。であれば、これはどういうことなのだろうか。この女の声の主は何者なのか。

『この腕輪……まーた学園都市お得意の悪趣味な実験、か』

腕輪の色は今のところ緑。声は腕輪は“恐怖”を感じると色を変えると言っていた。
おそらく緑は正常を表すカラー。何を求めてかは知らないが、つまりこれからこいつは“恐怖”とやらを与えてくるのだろう。
そしてその“恐怖”が極限に達した時に、何かが起こる。

『フランツ・カフカ……ですか』

相園美央はまだ学園都市の状況を知らない。
死の渦巻く街へと変貌していることを知らない。
だから“恐怖”を与える仕掛けがどういうものかは分からなかった。

相園がぽつりと呟いた直後。
腕輪から再びあの声が流れた。

「自己を振るい落とすことなく自己を食らい尽くすこと」




『UNDER_LINE_NO.20400693』


Now Loading……


『チッ』

柊元響季は己の不注意に苛立っていた。
とんだ失態だと思っていた。腕にある腕輪の光は緑。
おそらくまだ正常を保っている証だろう。

この女の正体なんてどうでもいい。
何をしようとしているのかも興味がない。
ただ自分を巻き込んでいることだけが気に入らない。

『……一ムカつく』

しかし、

「必要なウィルスはあなたたち被験者一人一人に既に投与済み」

その流れた声はこれでもかというくらいに見下した様子だった。
まるで籠に入れられた虫を観察する人間のように。

『……二ムカつく』

このまま逃がしてくれるなんてことはないだろう。
面倒なことにこの状況を何とかするにはこの女の話を聞く必要がありそうだった。
いや、もしかしたら桜坂風雅ならこの腕輪の構造や発信源さえ特定できるかもしれない。

そう思った直後だった。ガラスの砕ける大きな音が響き渡る。
咄嗟に柊元がそちらへ視線をやると、割れた窓から歩く死者がいくつも侵入してきていた。
柊元の思考が停止する。あれは、何だ? その姿はゾンビとしか形容できない。
現実世界に存在するはずのない、馬鹿馬鹿しい空想上の産物。だが確かな腐臭と死臭を持って何体もそこにいる。

『三ムカつく』

静かに、無意識に一歩後退していた。柊元は必死に思考を切り替える。
『微細構築』。この能力があればこんな化け物に簡単にやられることはない。
当座の目標は桜坂風雅の発見。柊元響季は動き出した。


『UNDER_LINE_NO.78053』


Now Loading……


『…………』

藍花悦は不満そうに顔を顰めていた。
その腕には緑の光を放つ腕輪。何故こうなったのか、その記憶はない。
手の中で使えない携帯を弄びながら舌打ちする。

「……全ての苦しみ、その“恐怖”は始まったばかり」

腕輪から聞こえる声。
藍花悦。学園都市には“何人もの藍花悦がいる”が、ここにいるのは正真正銘の超能力者。序列は第六位。
厄介ごとに巻き込まれることには慣れているが、今回は少々事情が違うらしい。

思考を巡らせる。そして何か思いつきでもしたのか、あるいは考えなどないのか。
とにかく、藍花悦は歩き出した。地獄の街を、立ち塞がる死を蹴散らしながら。


『UNDER_LINE_NO.504185』


Now Loading……


結標淡希は困惑していた。
何が起きたのかは分からない。腕輪の声の女が何者かも。
しかしこれが悠長にしていられるような事態ではないということは分かっていた。

『一体、何なのよ、アレは……ッ!!』

ギリリ、と強く歯噛みする。街中を徘徊する異形の存在。
どう考えても死んでいるはずの人間がそこにいる異常。
ゾンビとでも言うべきものが溢れている。

結標は自分の体が小さく震えていることに気付いていた。
腕輪の色はオレンジ。まずい、と結標は思う。

声の女の目的は不明だが“恐怖”という言葉を多用している。
そしてこの腕輪は“恐怖”に応じて色を変える。
それが最大になった時何が起きるのか。少なくとも楽しいことではないだろう。

『落ち、着かないと……』

息を大きく吸って吐く。二度ほどゆっくりと深呼吸すると少しは冷静になった気がした。
問題なのは「ウィルスは投与済み」という点。鉄錆と死の臭いに包まれた学園都市、その元凶となったのも何らかのウィルスなのかもしれない。
人間をリビングデッドにするウィルスなど映画の中だけのもののはずだが、解答としてはあり得そうではあった。
そんなウィルスが既にこの体の中にある。そう思うと吐き出したい気持ちにもなる。

『いや……』

おそらく既に投与されてしまったウィルスはこの街を殺したものと同一ではない。
先ほど女は「あなたたち被験者一人一人」と言った。結標以外にも何人かいるのだろう。
わざわざ人数を集めてこんな実験染みたことをやっているのだから、すぐに歩く死体になるウィルスを打つ意味はない。

『“恐怖”に、反応するのかもしれないわね……』

そこまで推測を立てて、結標は聞こえているかも分からない相手へと問うていた。

『答えなさい、あなたは何者なの……!?』

意外にも答えはすんなりと返ってきた。

    オーバーシア
「私は“監視者”。その“恐怖”を見届ける者」

“監視者”と名乗ったこの女。ここまでのことをやれる存在は学園都市の中でも限られてくる。
その裏にいるのは誰かを考えて一番最初に頭に浮かんだのは、あの存在。
何度かこの目で見て、会っていながらその内が欠片も読み取れない王。

『……アレイスター』

本当にそうかは分からない。だが、もしアレイスターが本気で潰すつもりでいるのなら終わりだと結標は思う。
この惑星すら使い捨ての道具。あれは、とてもじゃないが、結標淡希なんて人間が及ぶ相手ではない。
怯えが僅かに顔を覗かせる。アレイスターという存在の影を感じただけで。
とはいえ最大の問題は他にある。今結標が最優先でやらなければならないこと。

『お願い、無事でいて……!!』

第一〇学区にある一つの少年院に囚われていた仲間たち。
今では解放されている彼ら。それは結標が命を捨ててでも守りたいもの。
そのために結標淡希は死の街を駆ける。


『UNDER_LINE_NO.8951』


Now Loading……


結論から言って、桜坂風雅は見つかっていなかった。
柊元響季の苛立ちは極限に達しようとしていた。

『ちくしょう……!!』

どこを見回してもあるのは死ばかり。
歩いているのは死体だけかと思えばわけの分からないような化け物までうろついている。
何をどう考えたところでこの街がもう死んでいるのは明らかだった。

桜坂風雅は見つからない。見つけて、腕輪の女を発見したとして、それが何になる。
そこから何が繋がる。もう全てが壊れてしまっているというのに。
思考の方向性が危うくなっていることに、柊元自身気付いている。それでも止められなかった。

這い寄る生きた死体にうんざりしていた。
終わりが見えない。出口のない迷路を彷徨っているような感覚に吐き気さえ覚える。

彼女の目の前には奇妙なものがあった。
真っ白に固まった巨大なオブジェ。凍えるような冷気を放つ、柊元の身長よりも大きな三メートルはありそうなそれ。
長く鎌のような刃を持つ、サソリのような尾。鋭いその指は両手それぞれ三本ずつしかない。
その目は煌々と光を放っているが、今はその動きを停止している。

この化け物は他とは比にもならない恐ろしさを有していた。
攻撃も、防御も、速度も。この場所にうまく誘導して液体窒素を利用できていなければ、どうにもならなかったかもしれない。
ただ亡者だけではない。中にはこんな化け物まで存在している。

……異常なのはどっちだ、と思う。
世界でうまく生きていくには多数派であることが必要だ。
だから同性愛者は偏見を持たれてしまうし異端とされた宗派は迫害される。
今の学園都市の多数派はどちらか。少数派はどちらか。生者か、死者か。

ちらりと腕輪を見る。彼女を縛り付ける腕輪。
壊してやりたい。何だか柊元の中で突然そんな衝動が湧き上がってくる。
まるでこれを破壊することが第一歩であるかのように。
当然腕輪の女も何らかの対策は講じていると考えるべきだろう。
だが柊元は解放されたい衝動を抑えられなくなっていた。

『こんな、もの……っ!!』

歯噛みして、半ばやけになって演算を始める。
『微細構築』を発動させる。この腕輪を破壊する。全てはそれからだ。

柊元の思考は虚ろだった。
僅かに残された思考はこの状況に対する苛立ちと破壊衝動に呑まれていた。
だから、この時の彼女に、周囲をしっかり警戒するなんてことは、できていなかった。

『……?』

ずるり、と何かがずれるような感覚。
柊元は疑問を覚えた。視界が激しく揺れ、痛みと共に映る景色が目まぐるしく入れ替わる。
少ししてその景色が固定された。そこには自分の体があった。
巨大な化け物は未だ凍結していて、ほとんど身動きがとれていない。

何が、と呟こうとした。しかし声が上手く発声できない。
自分の体を見上げるようにあり得ない位置から見つめている。
いつの間にか赤い液体に塗れた柊元の体が、やがてどさりと地面に倒れ込む。
その傍らには同じく赤い液体を浴びて鎌のような爪と尾を遊ばせる、同じ化け物がもう一体立っていた。

柊元響季はようやく事態を理解して。
抵抗することもできず、またそのつもりさえなく、ただ冷たい安らぎに身を委ねていった。


『UNDER_LINE_NO.6891446』


Now Loading……


結標淡希は呆然と立ち尽くしていた。
               オーバーシア
ウィルスとやらのことも“監視者”のことも頭から吹き飛んでいた。

目の前にあるのは、赤い部屋。
目の前にあるのは、血。
目の前にあるのは、失意。

ここに結標の仲間がいるはずだった。
確かにいた。いや、あったというべきなのかもしれない。
真紅に染め上げられた緋色の絶望。人間の死体がいくつも転がっていた。

『――――は……、え、あ……?』

言葉すらでてこなかった。
あってはならない光景。夢でも許されない光景。

彼らのために結標は動いてきた。彼らのために『グループ』として活動してきた。
なんだ、これは。怒りも悲しみも湧いてこない。それよりもただ困惑と理解の否定が先行している。
この光景が分からないのではない。分かりたくない。
自分の全てがこんな風に失われていることを受け入れられない。

『あ……うぁ、く、は……っ!!』

呼吸がおかしい。吐き気が込み上げる。結標の腕輪は赤色に輝いていた。
結標は気付かなかった。目の前にある死体の状況に。
焼け焦げているもの、欠損しているもの、凍結しているものさえある。その上、まだ温かい。
それが何を意味しているのか。あるいは気付かなかったのではなくどうでもよかったのか。

直後だった。鋭い感覚が結標の全身を貫く。
腹部から広がる焼けるような尋常ではない痛み。全身の神経一つ一つを断たれているかのよう。
ごぼり、と口から血の塊が吐き出される。結標の体が赤に染まる。

『あ、ああぁぁあああああ……っ!!』

明滅する視界の中で自らの腹部を見る。
脇腹から中心辺りまでが綺麗に抉り取られていた。

背後からの奇襲。結標は動かぬ体を必死に動かして振り返る。
そこにいたのは、仲間を殺した存在。そこにいたのは、襲撃者。そこにいたのは、死。そこにいたのは、悲劇。
ジャラジャラという鎖の音を結標は聞いた。その顔には何か皮のようなものが幾重にもべたべたと貼り付けられている。
両手を拘束する手枷と両足首から引き摺られている鎖。学園都市を徘徊する亡者とは明らかに異質なもの。

『……あ、ら。どうせなら、お迎えは、可愛らしい天使が、良かったのだけれど』

朦朧とする意識の中で呟いた。
これからの展開は分かっている。抗おうとも思わなかった。
結標淡希が全てをなげうってでも戦わなければならない理由は既に消えてしまった。
もう生に執着する理由がない。欲を言えば最後に仲間を殺したこの化け物を殺してやりたかったが、どうやらそれも無理そうだった。

全てが吹き飛びそうなほどの痛み。だがそれでいて即座に命を落としたわけでもない。
目を背けたくなるほどの重傷。だがそれでいて全く喋れないわけでも少しも動けないわけでもない。

『――――殺すの、下手ね、あなた』

とはいえ、今まさに闇に呑み込まれていることに変わりはない。
結標淡希の意識が急速に落ちていく。腕輪は赤く輝いているが、その眼からは光が失われていく。
死なのか気絶なのか。それは分からなかった。

ただ結標淡希が最期に見たもの。
それは何をするつもりなのか、結標の顔へとその手を伸ばす化け物の姿だった。


『UNDER_LINE_NO.10965748』


Now Loading……


加納神華は震えていた。もうろくに立てなかった。
目尻からは涙が流れ声も出ない。自分の手を見てみれば面白いくらいにがたがたと震えている。
その腕輪の色は赤。“恐怖”が足音もなく静かに迫っていた。

加納神華の持つ“強さ”は出てこなかった。
確かに少年はある種の“強さ”を間違いなく有している。
しかしそれはこんな状況の中に一人放り出されて発揮されるような類のものではなかった。

『はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……!!』

息が荒い。その心臓が張り裂けそうなほどにうるさい。
ほんの些細な風の音にさえ勝手に全身が激しく反応してしまう。
もし今頭上に水の一滴でも落ちてこようものならそれだけで絶対に死ぬと彼は本気で思った。
もう動けない。ここからたったの一歩でも動くことができない。

『な、んで……こんな、ことに……』

それは何度繰り返したかも分からない問い。考えることに意味などない問い。
この状況から解放してほしい、今この瞬間にも目が覚めたらベッドの上であってほしい。
ただそんな願望だけを心の内で延々と並べていた。

 オーバシア
“監視者”と名乗った腕輪の女の話からして他にも同じ目に遭わされている人間が何人かいるはずだ。
その人たちはこんなにも恐ろしい悪夢に耐えられているのだろうか。

『ぼくには、無理、だ……』

呟く。たったそれだけを口にするだけでも大変だった。
諦めが心の中でじわりと広がり始める。精神を侵食する。

『フレンダ……』

一つの名を口にした。少しは勇気が湧くかと思った。
だが次の瞬間に、何もかもが吹き飛んだ。

ガンガンガン、という音が周囲から一斉に鳴り響く。
加納神華が今いる部屋、その出入り口や窓という窓に白く膨れたグロテスクな指先が押し付けられていた。
思わず視線を逸らす。そこで淀み濁りきった目や眼球が零れ落ちているものを目撃してしまう。

『うわああああああああああああああああああっ!?』

頭を抱えて叫んでいた。その醜悪な姿と既に鼻を刺激する腐臭に死臭。そしてその音。
それらが全て彼に明確な死をイメージさせた。
そして。バリン!! という破滅的な音が響いた瞬間に、“恐怖”が限界を超えた。

ビー、ビー、という警告音のようなものが流れる。
その音源である腕輪を見てみると、赤い輝きが激しく点滅していた。
装着者の感情の変化。大量に分泌されたアドレナリンやノルアドレナリンに既に投与されていたウィルスが反応する。

『が、ぐ、ごああぁぁぁああああああああああああああッ!!』

変化は迅速に訪れた。加納神華という人間が『T-Phobos』によって塗り潰されていく。
そして加納神華は加納神華ではないなにものかへと変異した。


『UNDER_LINE_NO.48933066』


Now Loading……


『……初めから無理があったんですよ』
                             オーバーシア
全ての“恐怖”、あらゆる“死”を見届けた代理“監視者”……木原唯一は呟いた。
それは出来の悪い生徒に対してのような調子でさえあった。
振り返るとそこにはゴールデンレトリバーの姿。木原脳幹。
どうやらどこかと通信しているらしかった。

『――――というわけだが、どうかね?』

「まあまあ、ずっとこの『無重力生態影響実験室』とかいう名の檻の中にいるのも退屈だし、歓迎と言えば歓迎だけどさ」

通信相手の声が僅かに聞こえてくる。
その声には聞き覚えがあった。

「オーケーオーケー、“滅菌作戦”の準備は完了しておいたよ。
で、何だったか。HsMDC-01“地球旋回加速式磁気照準砲”だっけか? それとも軌道上防衛兵站輸送システム“S5”だっけか?
……はいはい分かってるよ、ちょっとからかっただけ。そんなに怒るな。え、怒ってないって? 何でもいいよもう」

木原脳幹と軽い調子で言葉を交わしている相手。
正直なところ、木原唯一は少しばかり彼女を快く思っていなかった。
その理由としては、

『せーんせーい、わざわざ天埜郭夜なんか通さなくたってやりようはあるんじゃないですか?
正直ちょっとあいつ偉大な先生に対して馴れ馴れしすぎると思うんですけど』

だがそのゴールデンレトリバーはといえば全く気にしていないらしく、

『言葉など瑣末な問題でしかない。それより、そっちは?』

『ああ、やっぱり駄目でしたよ。本気でやるつもりなら、それぞれがその“強さ”を発揮できる個別の状況を用意するべきだったんです』

『……あのやり方はやはり悪趣味だ。まあどっちにしても手遅れではある。それより早くしなさい』

『ああっ、待ってください先生ってばー!!』



木原唯一と木原脳幹は静かにそれを見つめていた。
学園都市の科学者の中でもその頂点と言ってもいい位置にいる彼ら。
そんな彼らが何かに魅入られたようにそれを凝視していた。

彼らのいる場所は既に学園都市ではない。
学園都市は既に消滅した。予定通りに。

やがてはぁ、と木原唯一が大きく息を吐く。

『「絶対能力者」。一瞬なのは残念でしたけど、確かに「開いた」みたいでしたね』

『あの耄碌爺もさぞ喜んだことだろう。……尤も、「人間」の目指すべきはその先なのだが』

『「絶対能力者」の創造は「SYSTEM」へ至る第一歩に過ぎない、でしたっけ』

唯一は大きく伸びをすると何でもない朝であるかのようにコーヒーを淹れ始めた。
先生もいりますか、と訊ね拒否されると大袈裟に肩を竦めてみせる。
その様子だけを見ればどこにでもいるような女性にしか見えなかった。

『いやー、それにしても「G」とぶつかって「開いた」時、加納詩苑の砕けた粒子と何か反応してくれるんじゃないかと思ったんですけどね』

『「シルバースターの奇跡」を起こしたあの男のロンドネットと、ミサカネットを競合させたように?
生憎だが、「G」と「絶対能力者」に対して加納詩苑の粒子にそこまで求めるのは酷というものだよ。性質そのものも違うというのもあるが』

『いやあ、分かってはいたんですけどね。加納詩苑があそこで出てくる理由もなさそうですし。
そもそもあれの粒子ってまだ残ってるんでしたっけ? あれ? 回収された?』

一人困惑し始めた唯一を尻目に、ゴールデンレトリバーは背後から視線を感じて振り返る。
そこにいたのは車椅子に乗ったパジャマ姿の女性だった。

『脳幹ちゃんは相変わらずみたいですねぇ』

『君もな。何にせよ、盗み見とは感心しないな』

木原病理。暗い目を湛えたその女性は静かに笑う。
彼女だけではない。他にも何人かの「木原」がこの場所にいた。
しかしこの部屋にいたのは木原唯一と木原脳幹だけだ。

『ああっ、怒らないでくださいよ脳幹ちゃん』

追い払われ、不満そうにしながらも部屋を後にする木原病理。
その後姿を見つめていた唯一がふと思い出したかのように言った。

『上条当麻についてはどうするんです?』

『当面は放置と言ったところか。……あの「人間」もしばらくはそうだろう』

『了解です。……硲舎佳茄の方は』

『ああ。「芽吹いた」ようだな』

硲舎佳茄。その名前が彼らの口から出てくることが異常だった。
彼女は本来ただの登場人物A。こんなところで名前が挙がるような存在ではなかった。
だが、今は違う。こうなることは分かっていた。「人間」は、予測していた。

『あれはもう、死ぬか目的を果たすまでは止まらない。
その正当性などもはや彼女にとって問題ではない。極大の憎悪は翻って美しいとは誰の言葉だったか』

『あの爺さんですよ。……では、今のところはゴールドのタグと言ったところですかね。
先ほど私が演じていたアレクシア風に言うなら、こうでしょうか』

唯一は薄く笑って、

『鳥かごが鳥を探しにやってきた』

笑う唯一を見て、木原脳幹はため息をつき仕方がないというように引き継いだ。

『しかし鳥は消えてしまった』

『鳥は、変わったのだ』

そして。彼らは立ち上がった。
新たな世界を歩く。学園都市はとりあえずなくなった。それでも、




『ああ、今日も世界は科学で満ちているなぁ』




これにて完全に完結です
今回のキャラ選は本編に出たキャラは当然使えないので、他から選択した結果こうなりました
アレックスさんは出せませんでしたがその魂は引き継いでもらうことに
最期が書かれなかったキャラですが、軍覇は多分負傷した原谷とか横須賀辺りを背負ってたら噛み付かれて感染とかじゃないでしょうか?
未絵は多分恐怖に負けて、雲川姉妹は普通にやられてしまったんじゃないでしょうか、予想ですけど
相園さんと藍花悦は……分かりません

本当に長くなってしまいましたが、ようやく終わりです
読んでくれた方ありがとうございました
しばらくはリアルも忙しいので休憩しながらたまに平和なほのぼのでも書いて精神回復させていこうと思います

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年06月21日 (土) 20:45:18   ID: sGjxzWXD

期待してます(ノ´∀`*)

2 :  SS好きの774さん   2015年06月07日 (日) 18:48:26   ID: 4X51ttK5

期待♪

3 :  SS好きの774さん   2020年01月12日 (日) 10:58:02   ID: YXbkP5ft

面白好き!!

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