傭兵「この世で金が一番大事」僧侶「じゃありません」 (948)

* * *

傭兵「七百万だ。それ以上はまからん」

 目の前の傭兵さんは言いました。きっぱりと。そりゃもう、きっぱりと。
 酒場の椅子に座って、体はこちらに向けていますが、左手は丸テーブルの上のエールのジョッキから決して離そうとはしていません。飲酒を続けたいがために適当な返事をしているのではないはずです。……たぶん。

 ひとを何人か殺しているふうな顔がわたしをじっと見るものですから、思わず錫杖を握る手に力を籠めました。
 だめです。しっかりしてください、わたし。この方がこの辺りでは最も腕が立つと、斡旋所の方もおっしゃっていたじゃありませんか。

 酒場は殆どのテーブルが埋まっています。こちらに意識を向けている人はいません。いたとしても、傭兵さんの一睨みでそっぽを向いてしまうのでした。
 誰かに助けてもらおうだなんてこれっぽっちも思ってはいませんでしたが、流石に少し、心細くもなります。

僧侶「そっ、それにしても、七百万なんて!」

傭兵「一日七十万。十日で七百万。寧ろ安いもんだと思うがな。十日を超えたらその分は差っ引いてやるって言ってるんだ」



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僧侶「ただの護衛ですよ!?」

傭兵「『ただの』とあんたが思うなら、俺以外を雇うといい。こなしてくれるだろうさ」

僧侶「それは……」

 上ずった声だと自覚しています。どすの利いた声と顔つきに委縮しているのです、わたしは。自覚はあるのです、そうです。
 でも、怖すぎます。
 懺悔に来た盗賊の方だって、もっと優しい声をしていました。

傭兵「七百万だ。それ以上はまからん」

 同じことを傭兵さんは繰り返しました。七百万。傭兵事情に疎いわたしでも、それが法外な値段だということはわかります。
 にべもない対応に唇を噛み締めます。このひと、足元を見ようとしているのでは。心を覆うのはそんな疑惑の雲。

僧侶「聞きしに勝る金の亡者ですね……」

 斡旋所のおじさんが渋っていたのはこういうことだったのですね。実力は折り紙つき、されど性格に難あり。

傭兵「金を大事にして何が悪い」

僧侶「度を弁えるべきではと申し上げているのです」

傭兵「この世で金が一番大事だ」

僧侶「違います。お金で買えないものだってあります」

傭兵「少なくとも俺の腕は金で買える。貧乏人のあんたには手が出ないかもしれないけどな」

 厭味ったらしい笑みをこちらに向けてきました。わたし、自分の眉根が寄るのを理解しました。


傭兵「どうした、貧乏人。払えないか」

僧侶「……はい」

 家財を売り、魔法銀行から貯金を下ろし、文字通り全財産がわたしの鞄の中には入っています。それでも金額は三百万程度。倍以上足りません。

傭兵「いいか、あんたはラブレザッハに行きたい。そうだな」

僧侶「はい」

傭兵「普通にいけばぶらり旅だ。街道沿いをずっと北上すればいいんだからな。が、今は事情が違う」

 エルフたちと魔王軍が小競り合いをしているから、でしょうね。

 傭兵さんは不満足そうに鼻を鳴らしました。ふん、と。

傭兵「道中大森林を抜けなきゃならん。あそこはエルフの村が点在している。魔物と間違われて殺されるなんてのはごめんだし、魔物に襲われて殺されるのもごめんだ。だから誰も通りたがらない。通りたくない」

僧侶「……はい」

 藁をもすがる思いでやってきたのです。
 誰よりも金に汚く、誰よりも無茶な依頼をこなす、このひとのところへ。


 大陸を東西に横断し、人間の居住地域を南北に分断する大森林。そこが通れないとなれば、交易にも、派兵にも、大きな影響が出ます。というか、事実出ているのです。
 小麦は北部からの輸入ですから、当然パンの値段は高騰します。市場に流れる魚の種類も大きく減りました。隣国がこの機に乗じて攻め込んでこないとも限りませんが、兵力の投入だって難しい状態。

 名うての冒険者はそれでも大森林に足を踏み入れますが、良い噂はあまり聞きません。
 それでもわたしは。

僧侶「大森林を抜けたいのです」

傭兵「なら、あんたは俺を頼らざるを得ない。さぁ、さっさと金を払え。俺は忙しいんだ」

 お酒を飲むのに、でしょうか。

 そうです。確かにわたしは傭兵さんを頼らざるを得ません。が、無い袖は振れないのも確かなのです。

傭兵「金がないなら死ね。俺は貧乏人を相手にしない」

僧侶「そこをなんとか」

傭兵「俺に今まで『そこをなんとか』と言ってきたやつは何人もいる。だが、引き受けたことは一度だってないね」


 ついに傭兵さんはわたしからエールへと視線をずらしました。それを一気にごくごくと呷れば、あっという間にエールは空になってしまいます。そして、おかわり。
 店員さんが新しいジョッキを持ってくるや否や、傭兵さんはそれに口をつけ始めました。

僧侶「お金はなんとかして必ず用意します! だから……」

傭兵「キャッシュだ。俺はキャッシュしか受け取らん。現物しか信用しないたちでな」

傭兵「それでも俺を納得させたいなら、現実的な支払計画を持ってこい。そこからスタートだ」

僧侶「……」

 わたしは覚悟を決めます。
 懐からお財布を取り出しました。中を改めても、当然七百万という大金があるはずもないです。

 それを勢いよくテーブルに叩きつけました。

 振動で跳ねたエールの水滴が、僅かに傭兵さんの顔に跳びます。彼は相変わらず不機嫌そうな、人相の悪い顔をわたしに向けてきていますが、そんなことは気にしていられません。

僧侶「いつまでこの街に滞在していますか」

傭兵「さぁな。根無し草だ。新しい雇い主が見つかれば、すぐにでも出発するさ」

僧侶「ということは、まだフリーなんですよね」

傭兵「……何を考えてやがる」

 ここで初めて傭兵さんは怪訝な……わたしと対等な目線で見てきました。


僧侶「とりあえず、これがわたしの手持ち全てです。これを手付金として渡します。ですから、三日。三日だけいてください。その間に残りの四百万、稼ぎます」

傭兵「どうやって。カジノか? 悪いが博才にあふれているようには見えないな」

僧侶「体を売ります」

 ざわ、と酒場中の視線がこちらに向けられるのを感じました。

僧侶「街の東南、角にある一体、娼館ですよね。あそこで何とかしてみます」

傭兵「……本気で言ってるのか?」

僧侶「神に仕える者が、こんなこと言ってはおかしいですか?」

傭兵「あんたの神様は女衒だったりするのか?」

僧侶「背に腹は代えられません。わたしはラブレザッハに行かなければならないのです」

 なんとしてでも。
 どんな手を使っても。

 でなきゃ、沢山の人が死んじゃうから。


傭兵「正気とは思えんな」

僧侶「並行して周囲の魔物も狩っていきます。斡旋所で手配書も見ました。近くにオークの棲家がありますね。少しは足しになるでしょう」

傭兵「ますます正気とは思えん!」

僧侶「支払計画を持ってこいと言ったのはあなたです」

傭兵「俺は『現実的な』と言ったんだ!」

 ついに傭兵さんは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりました。百八十はあるような長身に、図らずとも見上げる形に。三十近い身長差はそれだけで威圧感があります。

 負けじと見返しました。ここで負けるわけにはいかないのです。
 右手をすっとあげます。

僧侶「この酒場にいる皆さんの中で、誰か私の処女を買ってくれる方はいませんか?」

傭兵「なっ……バカ!」

僧侶「どんな要望にも応えます。後ろでだって、複数だって、犬とだっていたしますが」

傭兵「脅すつもりか」

僧侶「傭兵さんに通用するはずがないのはわかっていますよ」

 なるべく厭味ったらしく、にっこりとほほ笑んでみます。


 と、そのとき、背後からずんぐりむっくりとした熊のような男性が向かってくるのがわかりました。足取りこそ荒っぽいですが、その指には豪華な宝石のリングがいくつも嵌められています。さぞかし成金なのでしょう。

熊男「おい、お嬢ちゃん。今の話、本当かい」

僧侶「お嬢ちゃんなんて。今は一人の女として見てください」

僧侶「それで――わたしを買ってくださるのですか」

熊男「まだ買うと決めたわけじゃない。が、なに、きみの態度ひとつで変わるというものだ。俺たちはまだお互いのことをよく知らないしねぇ」

??「やめときなよ」

 毛深い手とわたしの肩の隙間に細い刃が差し込まれました。危うく四本の指を落としそうになった男性は、ひっ、と短い声を上げて後ずさります。

??「そういうのは人間のする行いじゃないね」

??「欲深は罪業だよ。金のために春を鬻ぐのもまた然り。買うなんてもってのほかだ」

 騎士風の格好をした煌びやかな青年が立っていました。均整のとれた顔立ちに流れるような金髪。どこからどう見てもいいところのおぼっちゃまです。

傭兵「誰だ、てめぇ」

 言葉を取られました。誰でしょう、この人。


騎士「僕は単なる騎士だよ。ちょっとばかりおせっかい焼きの、ね」

傭兵「おせっかい焼きなのはわかる。で、なんだ。あんたがこのちんちくりんを買ってくれるのか」

 なんと失礼な。ただ年齢相応の成長なだけじゃありませんか。

騎士「まさか、そんなつもりはないよ。僕はきみたちを説得に来たんだ。人が争っているのは見ていて気持ちのいいことじゃないからね」

 傭兵さんが小声で「ばーか」と呟きました。わたしに言ったのではないでしょう。恐らくこの騎士さんのハニースマイルが甘ったるすぎたに違いありません。

 だけど、このときばかりはわたしも傭兵さんと同じ気持ちでした。邪魔しないでいただきたい。

傭兵「争いじゃねぇよ。それともお前が七百万支払ってくれるのか?」

騎士「まさか。交渉したいんだ」

傭兵「交渉?」

騎士「あぁ。きみに決闘を申し込む。もし僕が勝ったら、相場通りの額で引き受けてあげるんだ」

傭兵「なんだこの自意識が肥大したナルシーおぼっちゃんは。お前の知り合いか」

 わたしは黙って首を横に振りました。それを見て傭兵さんは大きくため息をつきます。


 わかります。こういう、困っている人を見過ごせないおせっかいな人はどこにだっているものです。

 僧侶と言う職業上、わたしだってよく施しを行いますが、ここまで見境なしじゃあありません。ありがたくはあるのですが、余計に事態を混乱させているだけのような気もします。

傭兵「俺が勝ったらあんたは何してくれるんだ」

騎士「この銀貨をあげよう」

 騎士さんの手の中で鈍く光る銀貨。一本の剣と、天使の両翼が刻印されています。
 ……わたしの記憶が間違ってなければ、これ、王家の紋章じゃないですか?

 周囲の人間はみんな凍り付いています。この銀貨を持っているということは、分家筋、もしくは直下の貴族に連なる超エリートなのでは?
 売っても値段のつくような代物じゃありません。いや、値段をつけられる代物ですらありません、とも言えます。

 傭兵さんは目をまんまるくしていましたが、やがて満足そうににやりと笑いました。その表情には、けれど依然驚きが残っているようにも見えます。

傭兵「……お前、バカか」

騎士「何とでも言いたまえ。要は負けなければいいんだろう?」

 容易く賭けるにはあまりに重要すぎる品物です。贋物でしょうか……いえ、王家の紋章を偽造するのはあまりにハイリスク。こんなところで見せびらかせるものではないはずです。

騎士「さぁ、外に出たまえ、傭兵くん。騎士道精神の人のなりと呼ばれた僕の実力を見せてあげようじゃないか」

 言葉を受け、傭兵さんはにんまりと笑って、唇をぺろりと舐めました。

※ ※ ※

騎士「ばかな……有り得ない……」

 がっくりと肩を落とし、地面にひざまずいた自意識肥大ナルシーおぼっちゃんは、俺に負けたことが依然信じられないようだった。愚か者め。
 悪くない太刀筋だった。魔法の詠唱も速い。人並みが相手であれば完勝もできただろうに。

傭兵「俺の勝ちだな。銀貨は頂いていくぞ」

騎士「くっ……」

傭兵「騎士は嘘をつくのかな? それがお前のいう騎士道精神なのかな?」

傭兵「いやぁこの国の騎士道精神は俺の知っているそれとはだいぶ違うようだ、がっはっは、まったく残念だよ!」

 煽る煽る。話をこんがらせてくれたお礼位はしてもバチはあたるまいさ。

 騎士は憎らしげに俺を見ていたが、余裕ぶった笑顔をようやくその顔に取り戻す。

騎士「わかった。銀貨をあげよう」

 懐から王家の紋章が刻まれたそれを獲り出し、そして手渡す。

僧侶「え?」

 ちんちくりんに。


傭兵「おい」

騎士「話が違う、かい?」

傭兵「舐めてんじゃねぇぞ」

騎士「僕はあげる、としか言っていない。誰に、とまでは明言していないはずだよ」

傭兵「ガキか」

 まるで子供の言い分だった。

 騎士道精神の人のなりはどこへ行ったよと思う。が、そもそも確証もなしに安請け合いをしたのが間違いだったのだと今更悔やんだ。よもやこんなこすい手を使ってくるとは。
 聴衆に訴えかけるか? ……いや、酒場にいた人間はみなちんちくりんに同情的だ。彼女の肩を持つことを明言はしないにせよ、だからと言って俺を助けちゃくれないだろう。

 なら、やはりいつもどおりか? 約束破りには剣を抜くか?

傭兵「冗談もほどほどにしておけよ、ガキ」

騎士「僕と同じくらいに見えるけれどね」

 剣すらまだ抜くつもりはないにせよ、圧力を存分にこめて騎士へと近づく。が、奴は怯んだ様子もない。
 頑固なタイプだ。すぐにそう判断した。そして自己陶酔が過ぎる。こういうのが相手にして一番靡かず、面倒くさいことを俺は知っている。


僧侶「いいんですか?」

 素っ頓狂な声をあげる僧侶だった。あいつの手に銀貨が渡るのは、業腹だが赦そう。しかしあれを売り払われると困る。
 欲しいのはコネクションで、銀貨はその証左となる。この世は金が全てだが、後ろ盾のない金は危険に過ぎるからだ。まさかこんな辺鄙な酒場で僥倖が転がり込んでくるとは、と甘い期待は打ち砕かれたけれど、一度見てしまった銀貨を手放すのは、流石に惜しい。
 しかし、まだチャンスは残っているというべきだろう。

 限りなく癪だが。

傭兵「わかった。その銀貨と引き換えだ。お前に雇われてやるよ」

 七百万を積んでも銀貨は手に入るまい。銀貨の価値は人それぞれで、ちんちくりんには全く用をなさないと思われたが、俺には喉から手が出るほど欲しいのだ。

 ちんちくりんは――いや、雇い主をそう呼ぶのは流石にまずいだろう。僧侶はこちらをじっと見つめている。
 足元を見られるか、と一瞬躊躇したが、なんてことはなかった。彼女は俺に気軽に銀貨を渡し、にっこりとほほ笑む。

僧侶「これからよろしくお願いいたします」

 そして自ら名乗った。

 大陸南側によくある名前だった。
 ありきたりで、不思議と語呂のいい、転がるような音だった。

傭兵「……こちらこそ、雇い主サマ」

 俺は名乗らなかった。


* * *

 お礼を言おうと振り向いたところ、あの騎士さんはいなくなっていました。周囲の人に聞けば、いつの間にか消えていたということで、私は忘我を悔やみます。このご恩はいつか返さないといけません。

僧侶「それで、名前は?」

傭兵「あ?」

 眉を顰められました。が、尻込みをこらえて尋ね返します。

僧侶「それで、名前は?」

傭兵「……」

 ぷい、と変な方向を向く傭兵さんです。名乗りたくない、ということなのでしょうか。
 このご時世珍しくは有りません。名うての傭兵の彼と言えど、その実流浪し漂着したものに違いはないのです。きっと口にはできぬ事情もあるのでしょう。

 ひとまず納得した私は彼を手招きし、私の宿屋へ連れて行くことにしました。とにかく契約は成立です。ならば今後のプランを話し合わなければいけません。

 六畳の板張りの部屋に、ベッドと机を置いただけの質素な部屋です。黴臭さが気になるのか、傭兵さんはしきりに洟をすすっています。


 床に直に腰を下ろした傭兵さんは、懐から羊皮紙を取り出しました。紐解けばそれはどうやら地図のようです。しかもかなり詳細な。これだけで余程の値段はするでしょう。

傭兵「まず契約の確認だ。俺はお前をラブレザッハまで連れて行く。いいな」

僧侶「はい」

傭兵「その前にまず確認したいことがある。『連れて行く』の定義だ。『連れて行く』という言葉には当然護衛も含まれるという解釈であってるか」

僧侶「……そうですね。はい」

傭兵「お前はどれくらい戦える?」

僧侶「え?」

 予想もしなかった質問が飛んできて、わたしは思わず声を挙げました。
 しかし傭兵さんは、逆にわたしのその反応こそが予想していなかったと見えます。怪訝そうな瞳をこちらに向けてきます。

傭兵「お前を護衛するのはいい。が、お前自身もある程度――それこそ俺の足手まといにならず、自分の身は自分で守れないと、大森林を抜けるなんて到底無理だ」

 到底無理でもやるんだろうけど、あんたは。傭兵さんはぼそりと言いました。そのとおりです。

傭兵「俺はお前に雇われてるし、任務としてお前を護衛する。が、四六時中じゃない。それとも風呂に入ってる時、用を足してる時、俺も一緒にいるか?」

 わたしはぶんぶん首を振ります。そんな羞恥に耐えられるはずがありません。


 大きく息を吸って、吐きます。
 戦えるかと傭兵さんは尋ねました。自衛できるか、と。ならば答えはイエスです。

 かばんの中から重厚な鉄の塊を取り出しました。
 ひんやりとした鉄の冷たさ。血の通っていないものが、人間の手によって血の通ったものになるという点では、信仰と似ているのかもしれません。

傭兵「……拳銃か。何とも物騒だな」

僧侶「物騒な世の中ですから」

傭兵「武装くらいはすると。僧侶でも」

 一瞬韻を踏んだジョークなのだか迷いました。傭兵さんは真面目な顔をしているので、わたしは曖昧に笑っておきます。

傭兵「じゃあ魔法はどうなんだ。回復、解毒、解呪、一通りは使えるんだろう?」

 わたしはまたも曖昧に笑いました。

僧侶「あの、それが、言いにくいのですけど……」


※ ※ ※

傭兵「はぁ? 使えない?」

 いましがた聞いた驚愕の事実を俺は信じられないでいた。
 この僧侶――いやちんちくりん、回復も解毒も解呪もできないだって?

傭兵「そんなのは僧侶じゃねぇ。ヤブだ。モグリだ」

 俺の知り合いにも僧侶がいたが、落ちこぼれのそいつでさえも、回復呪文は使えたぞ。

僧侶「ちっ、違うんです! 使えますけど、かけることはできないといいますか!」

傭兵「はぁ?」

 ますますわからん。

僧侶「ですから、使えるんです。でも、他人にはかけられなくて……」

傭兵「なんだそりゃ。僧侶なんだろ。他人にかけられないなら、僧侶じゃなくて僧兵だな。あの自己鍛錬しか能のないバカどものお仲間ってわけか」

 ちんちくりんはただでさえ小柄な体をさらに恐縮して正座する。どうやら怖がらせてしまったらしい。が、しょうがないだろう。こんなのは予想外だ。
 いや、落ち着け、俺。こんななりでも雇い主だ。それに戦闘力の無い金持ちを護衛したことなんて一度や二度じゃない。要領は変わらないのだ。よし、よし、うん。

僧侶「わたし、魔力を外に出す才能が決定的に欠けてるらしくて……」

 遠慮がちに僧侶は言った。


僧侶「縫製はできます。維持も充填も、自慢じゃないですけどアカデミーではトップでした。けど、放出がどうしてもできなくて」

 魔法の理論に詳しくない俺でも、縫製、維持、充填、放出の四項目くらいは聞いたことがあった。
 縫製――魔力を編みこんで特定の性質を与える。
 維持――与えた特定の性質を維持する。
 充填――体内の魔力経路を巡らせる。
 放出――魔力経路から魔法を放つ。

 僧侶は放出ができないという。放出が欠けるということは、魔法を体内に巡らせ、自身に働きかけることはできても、他人に恩恵を与えられないということに他ならない。そしてそれは、僧侶としては致命的に過ぎる。

 間を開けず、「だから」と僧侶が続ける。

僧侶「これなんです」

 そう言って拳銃を指し示す。オートマチック式の、何の変哲もない拳銃である。

僧侶「この拳銃にはわたしの魔力経路を模した構造を組み込んであります。その構造を通して、わたしは弾丸に魔法を装填して、撃ちだすことができるんです」


 なかなか面白いじゃないか、と素直に思った。
 マジックアイテムのワンオフ化だ。魔力を通せば誰でも固定の呪文が使えるあれらとは異なり、柔軟性を持たせてある。回復の際は回復呪文を、解毒の際は解毒呪文をそれぞれ装填した弾丸を撃ちだすのだろう。

 ……撃ちだす?

傭兵「聞きたいんだが」

僧侶「はい」

傭兵「銃で頭を撃ち抜かれたら、普通の人間は死ぬよな?」

 僧侶は俺の質問の意図を理解しきれていないようで、頭の上に疑問符を飛ばしながら、それでも頷く。

僧侶「死ぬと思います、けど」

傭兵「頭じゃなくても、手でも足でも、撃たれたらすっげぇ痛いよな?」

僧侶「やっぱり痛いんじゃないですか」

傭兵「回復呪文を籠めた弾丸で撃たれたらどうなる?」

 僧侶はない胸を張って答えた。

僧侶「大丈夫です! 痛覚の少ないところを狙って撃ちますから!」

 そういうことじゃねぇよばか。

僧侶「それにですね、撃たれた分も含めて治癒しますから!」

 そういうことじゃねぇって言ってんだよ。


 叫びださないのが奇跡だった。奇跡のような努力の賜物だった。
 ということはなんだ。つまりあれか。こいつは他人を治すとき、いちいち拳銃をぶっ放して、他人に弾痕を作らないといけないわけか。
 撃たれたところも結局治るからいいやと。

 あほすぎる。

傭兵「わかった。お前は戦力には数えない」

僧侶「な、なぜですか!?」

 そこまで銃の腕に自信があるなら簡単には死なないだろう。魔法も、話を聞く限りは自分に対してなら問題なく使えるようだし。

 いまだに僧侶はどうしてどうしてと尋ねてくるが、俺はそれをまるきり無視した。話がわき道にそれている。軌道修正をして、今後のことを話し合わなければいけない。

 俺は羊皮紙を指さした。

傭兵「大森林までは街道を通っていくのがいい。一度南下して街道に合流、北上したのちに大森林だ。大森林を抜ける街道は農道、山道、沿岸道に大別できるが、この場合は農道を抜けていくことになる」

僧侶「でも」

 僧侶が俺を見やる。その意図を察し、頷いた。

傭兵「そうだ」

傭兵「大森林とこっちの領土の境目に、敵の砦がある」


 大森林にすむエルフは決して人間に対して友好的ではないが、少なくとも敵対してはいない。彼らの技術力や資源は俺たちにとって必要不可欠で、人間側――特に隣接し直接取引をする俺たちの国は大々的にエルフへの援助を申し出ている。
 が、当然魔王軍がそれを許すはずはなかった。交易の要衝となる地点には砦が立てられ、人間側とのにらみ合いが続いている状態にある。

 砦の数や魔物の質は魔王領のある西域に近づくにつれて上昇する。残念なことに俺たちが現在いる地点はかなりの西寄りだった。覚悟を決めなければ。

僧侶「どうにかかわしていけないでしょうか」

傭兵「幸いこっちは少人数だ。山越えの要領で行けば、案外何とかなるかもしれんが」

 それは希望的観測だろう。決して現実的な展望とは言い難い。

傭兵「あそこの砦はオークが住んでいる。数だけは多いが、練度は大して高くない。この辺りは田舎だからな、気も緩むさ」

僧侶「知ってるんですか?」

傭兵「一度な」

 意図的にずれた答えを返して、俺は地図上を指でなぞる。

傭兵「エルフの方には伝手がある。大森林に入ってしまえばこっちのものだ。あそこ全てがエルフの領土と言うわけでもない、とやかくは言われないだろう」

 人間の村落も点在しているはずだ。うまく安全地帯を渡り歩けば、抜けるのはそう難しくない。


 そこは完璧に運次第であって、不安要素もそれなりにはある。が、決してゼロにできない不安要素に頭を悩ませるのも徒労だろう。

僧侶「魔王軍とエルフたちの争いはどうなってるんでしょうか……」

傭兵「聞いた感じだとエルフが有利らしいな。けど、どうやら決め手に欠ける。泥沼化するだろう」

僧侶「早く終わればいいのですけど……」

 恐らく彼女の都合だけを考えて言っているのではないのだろう。なんとなくそんな気がした。

傭兵「ラブレザッハに着いたら契約は終了。それでいいな。引き換えに銀貨を頂く」

僧侶「はい、その条件でいいです。どうせこの銀貨、わたしには必要のないものですから」

 なら今すぐ俺にくれよ、とは口が裂けても言えない。

僧侶「あと、付け足しがあるのですが」

 意志の強い瞳がこちらを向いた。

 これだ、と俺は思った。
 この瞳。身売りを自ら言い出した時と同じ、梃子でも動きそうにないこの頑なな態度。これがこいつの本質であろうことはすぐに察しがついた。


 決して利口ではないはずだ。不器用で、鈍くさい。算盤を弾けず、融通が利かず、曲がることのできない愚かしさを内包している。
 けれど、それは同時に曲がらない強さの証左でもある。

 強かな女とは程遠い。それでいて強い女。

 俺の苦手なタイプだ。金で転ばない人間は嫌いだ。

 俺は「は」と口から漏れたのを、自分の耳で聞いて初めて知覚した。

傭兵「どうせ断れない立場さ、俺ァ」

僧侶「そうですか。それは助かります」

傭兵「それで」

僧侶「旅の途中、わたしがすることに、黙ってついてきてほしいのです」

 不穏な言葉だ。

傭兵「……どういうことだ」

僧侶「わたしは、多分、誰かを助けてしまうと思うんです」

 まるで自分の悪癖を懺悔するかのような僧侶だった。

僧侶「子供のころから路頭に迷う人たちを見てきました。苦しむ人たちを見てきました。彼らの一助になりたいのです。子供のころは非力で無力でしたけど、でも、今のわたしなら、少なくとも何かはできるはずです」

僧侶「困っている人を放ってはおけません。なんとかしてでも、どうにかしてでも、肩を貸して、手を差し出して、足を運んで、口をきいて、なんとかしてあげたいと思うんです」

 思ってしまうのです。


 僧侶はそこまで一気に捲し立て、だから、と続ける。

僧侶「傭兵さん、あなたの噂は聞いています。守銭奴。金の亡者。高い金額を吹っ掛ける、資本主義の手先」

 資本主義の中で生きているやつから「資本主義の手先」と言われるのは、ダブルスタンダードな気がしないでもないが。
 まぁ、聞き流すことにしよう。言われ慣れている。それに、自覚だってある。

僧侶「わたしは全く理解できません。腹が立ちます。気持ちが悪いです。きっとあなたも、わたしのことをそう思っているのかもしれませんが」

僧侶「けれど、今の雇い主はわたしです。わたしが誰かを助けたくなった時、助けなければいけない誰かに出会ったとき――遭遇してしまったとき、あなたの力も借りたいのです」

 高潔な生き方だ。笑い飛ばすにすら値しない。
 くだらない。

 が、しかし。

傭兵「雇い主はあんただ。付き合うさ」

僧侶「ありがとうございます」

 深々とお辞儀をする僧侶。
 こんな守銭奴にだって、こんな金の亡者にだって、こんな資本主義の手先にだって。
 嘘がないから嫌になる。俺の力を借りたいことも、俺のことが嫌いなことも。

 空気を入れ替えたかった。物理的ではなく、心理的な。


 腰を上げる。

傭兵「それじゃ、いつ出発する? 一通り準備をしてからでいいか?」

僧侶「いえ、すぐに発ちましょう。必要になりそうなものはある程度用意してあります」

 それは用意のいいことで。

 宿屋をチェックアウトして外へ出る。快晴。俺は太陽に目を細める。
 これが行く末の暗示であればいいのだが。

―――――――――――――――――――
今回の更新はここまでとなります。
書き溜めぶんが四万字ほどありますので、次回更新は比較的早くできると思います。

また主人公格がキチガイになってしまった……。

二人の珍道中をよろしければ見守りください。

これ有言実行の人か
超期待


* * *

 日もとっぷり暮れて、松明の明りが遠くにぼんやりと見えてきました。街……というよりは村、もしくは集落といった規模でしょうか。
 助かりました。あと一時間歩いてもつかなければ野宿になるところだったのです。想定通りのペースで進めているようです。

傭兵「よかったな」

 ぼそりと傭兵さんが言いました。わたしの考えを見透かされたのでしょうか。

僧侶「傭兵さんは、野宿は慣れてますか?」

傭兵「まぁな。街から街を渡り歩いてれば、自然と身に着いちまう」

 最初の町を出発してから六時間は歩いたでしょうか。最中、何度か会話を試みましたが、傭兵さんはぶっきらぼうな返事をするばかりです。
 性格と言うのもあるのでしょうが、それ以上に、「俺はお前の話し相手として雇われたんじゃない」という意味が強いように感じられました。これを職業の矜持と受け取っていいものか、わたし、悩みます。

 いえ、でも、会話をしなくて正解なのかもしれません。わたしと傭兵さんのスタンスの違いは、最初の出会いからしてよくわかっています。剣呑な雰囲気にともすればなってしまうことを考えれば……。
 お金が大事だというのはわかります。お金がなければ宿屋にだって泊まれないわけですから。けど、お金が全てだと言って憚らない傭兵さんは、どうしても好きになれません。


傭兵「止まれ」

 前を歩いていた傭兵さんが手でわたしを制します。何かを睨みつけるような視線。
 わたしもそれを追うと、松明の明りが空中に浮いているのが見つかりました。

 ……違います。浮いているのではありません。櫓です。畑を挟んでぽつぽつ点在している民家のエリアを集落とするなら、集落をぐるりと囲むように、八方向に櫓が立っているのです。

僧侶「なんでしょうか、あれ」

傭兵「わからん。が……嫌な感じだ。嫌な感じがする」

 その「嫌な感じ」はわたしにもわかります。空気が帯電しているのです。そして肌で破裂しているのです。思わず身を竦め、足を止めさせる何かが、あそこにはあります。

傭兵「引き返すぞ」

 素早い決断でした。
 それはたぶん、傭兵としての彼の経験がそう判断させたのでしょう。彼の生存本能が警鐘を鳴らしているのです。

 ですが、

僧侶「承服しかねます」

傭兵「はぁ?」


僧侶「もし何かがここで起きているのだとすれば、わたしたちにも何かができるかもしれません」

 夜道をさらに進もうとしたわたしを傭兵さんは止めます。

傭兵「あほか。こんな早々に時間を喰ってられるかよ」

僧侶「それでも、です」

 わたしは傭兵さんを見つめました。傭兵さんもまたわたしを、その存外にきれいな瞳で見つめています。
 折れたのは傭兵さんでした。心苦しくもありますが、雇い主はわたしで、出発する前に交わした取り決めがあります。ここは我慢してもらわないと。

傭兵「わかった、わかったよ」

傭兵「とりあえずお前は俺の後ろにいろ。なにがあるかわかったもんじゃねぇ」

 傭兵さんの広い背中に隠れながら、わたしたちは集落の中へと入っていきます。

 ひゅおん、と風を切る音。
 同時に傭兵さんがわたしを突き飛ばします。花の咲き始めた芋畑に頭から突っ込みました。

 なるべく素早く体勢を立て直せば、見えるのは地面に突き刺さった一本の矢。

??「誰だ。それ以上近づくな」

 女性の声でした。熱情が声からにじみ出ています。
 傭兵さんは剣の柄から手を離し、無抵抗を示しました。


傭兵「俺たちは旅のものだ! 宿を借りたい!」

 どこに相手がいるのかわからないので傭兵さんは声を張り上げます。
 僅かな間。そして、ざくざく土を踏みしめる音。

??「手荒な歓迎、申し訳ない」

 姿を現したのは弓を背負った女性です。褐色の肌。灼熱色の耳飾り。何より、獲物を目敏く探しているかのような瞳。
 狩人。一瞬でわたしのなかにその文字が浮かんできます。

狩人「諸事情あって厳戒態勢を敷いている。どうか許してほしい」

傭兵「いや、気にしないさ。あの矢は当てるつもりじゃなかったようだし」

 遅れて遠くから数人の人影が見えました。男衆。一人だけおばあさんもいます。

狩人「長老」

 長老と呼ばれたおばあさんは笑みを崩さずに歩み寄ってきます。

長老「この時期に、こんな場所に、旅の方とは珍しい」

傭兵「宿を借りたいんだが」

僧侶「お力になりたいんですがっ!」

 わたしは叫びました。遮蔽物の無い平地では、わたしの声がどこまでも響いていきます。


 眼をまん丸くしている狩人さんと長老さん。いち早く復帰した狩人さんが、訝りながら尋ねます。

狩人「力……?」

僧侶「えっと、その、何かがあったんじゃないんですか?」

狩人「何を言ってるんだ、お前たちは」

僧侶「だから――」

 あぁもう、なんでわかってくれないんでしょうか。
 すると、わたしを押しのけて傭兵さんが前に出ました。

傭兵「こいつは僧侶。俺は傭兵。で、こいつは俺の雇い主。趣味が人助けなもんで、ちょっとでいいから話をきかせちゃもらえませんかね。もしかしたら、何かお手伝いできるかも」

 意外でした。傭兵さんが自ら、こんな儲けの無い、旨味の無い話に首を突っ込むとは思っていなかったもので。
 しかし狩人さんの訝り顔は戻りません。

狩人「……あたしたちのことはあたしたちだけで解決する」

僧侶「で、でも」

狩人「宿は貸そう。が、手は借りん」


 傭兵さんが笑います。それも、にやぁと。

傭兵「そういうことらしい。じゃ、しょうがねぇなぁ。お言葉に甘えようか」

 傭兵さん。

傭兵「いやぁ残念残念。ほら、行くぞ」

 傭兵さん。

傭兵「自分たちのことは自分たちでやる。これも一つの生き方だな」

僧侶「傭兵さん!」

傭兵「なんだ」

僧侶「町を出る時に言ったはずです!」

傭兵「確かにな。けど、この人たちは俺たちの力は必要としていないらしい。だから俺たちも手を貸さなくていい。お互いがハッピーだろ」

僧侶「だからって見捨てていけると思いますか?」

傭兵「見捨てるとは言い方が酷ェな。自分のことは自分でやる。素晴らしいじゃねぇか」

僧侶「それにしたってこの警戒態勢は異常な事態です」

傭兵「非常事態だからな」

 あくまで楽しそうに傭兵さんは言いました。人を喰った態度。いけ好かない態度です。


狩人「あの」

僧侶「あ、はい!」

 すっかり忘れていました。これから宿に行かなければならないのです。というか、それが目的だったのに。

長老「……」

 長老さんが片目だけでこちらを見ています。気になりますが、なんと言えばいいのかもわからなくて、わたしたちは宿屋へと向かいました。


 通された部屋は当然ながら個室でした。こういう言い方はよくないのでしょうが、粗末な部屋です。物置が近くにあるのかどこか饐えた臭いがします。
 わたしは荷物をおろし、一息つくのもそこそこにして、疲れた足をなんとか動かします。

 宿屋の主人は恰幅のいい女性でした。彼女に長老さんの家を尋ね、礼を言って向かいます。

 傭兵さんはきっと手伝ってはくれないでしょう。発つ時こそああ言ってはいましたが、本心は嫌で嫌で仕方がないはず。しつこく頼めばあるいは、というところだとは思いますが、無理強いをするつもりもありません。
 彼の仕事内容はわたしを目的地まで護衛すること。それ以外はお金にならない仕事なのですから。


僧侶「お金。お金、お金、ですか」

 思考が口の端から漏れていきます。

 お金は必要なものです。しかし大事なものではありません。
 言うなれば必要悪。

 お金がなくなったって人は死にません。飢えて死ぬのです。
 もしくは、貧すれば鈍す。心が死にます。

 満ち足りたお腹と心のために、人はどうして醜く争うのか。

 強欲。

 七つの大罪。

 打倒すべき存在。

 社会の癌。


 取り留めのない思考を打ち破ったのは、ぬっとあらわれた狩人さんでした。

狩人「おい、あんた」

僧侶「え、あ……なんですか」

狩人「旅してるって言ってたな。この先に用があるのか」

僧侶「はい、ラブレザッハまで」

 狩人さんの眉が動きます。

狩人「ラブレザッハ……大森林を越えて?」

僧侶「はい。そのつもりです」

狩人「そうか。どおりであの男を連れているわけだ」

僧侶「知り合いですか?」

狩人「知り合ってはいない。一方的にあたしが知っているだけさ」

 確かに、傭兵さんのことを語る狩人さんの口調は、決して友好的なそれではありません。

 あぁ、そっか。わたしは一人納得しました。

狩人「話には聞くよ。よくね。金のためなら何でもする、最低のくそやろう」

僧侶「実力がある分手に負えない、ですか」

 悪評ぷんぷんですもん、あの人。
 それでも依頼があるということから、実力は推して知るべし、なんでしょうけど。


狩人「正直なところね、あんたらには手伝ってほしいんだ。けどあの男がいる。どんだけ吹っ掛けられるかわかったもんじゃない」

狩人「大森林を抜けるつもりなら、魔王軍とエルフたちの戦争事情は、ある程度知っているんだろう」

 わたしは頷きます。調べて調べて、その結果一人じゃ無理だとわかったから、傭兵さんを頼ることにしたのです。

狩人「この集落からちょっと離れたところにゴブリンの棲家があってさ。戦争が始まって少ししてからかな。多分、物資が不足してるんだろうね。あたしらのとこまでやってきて、作物を荒らしたり、蔵を襲ったりするようになった」

狩人「追い払えないわけじゃない。でも数が多くて。ただでさえ大森林が抜けられないからひもじい思いしてるっていうのに、困ったもんだよ」

僧侶「わたしも手伝います」

狩人「冗談はやめときな」

僧侶「冗談じゃありません」

 狩人さんは目をまん丸にして、一拍の空白の後、笑いを噛み殺しました。

狩人「くっくっく。気持ちだけもらっておくよ」

僧侶「ほ、本当に冗談なんかじゃ――」

狩人「お嬢ちゃん、脚が震えてるじゃない」

 確かにわたしの脚は震えていました。


――そこからどうやって宿へと戻ったかは、あんまり覚えていません。
 ただ無性に悔しくて悔しくて、拳を固く握りしめていました。

 魔物と戦ったことがないわけではありません。瘴気に中てられた猪や犬のほか、低級の魔物……スライムとか、それこそゴブリンだって退治したことはあるのです。
 ですが今度のそれは退治ではなく、討伐。人が聞けば言葉遊びだと笑うでしょうか? それでもわたしには、その間には深く大きな川が流れているように思えて仕方がないのでした。

 わたしは宿に戻ったその足で、自室ではなくその隣、傭兵さんの部屋の扉をあけました。ノックもせずに。
 どうやら剣の手入れをしていたらしい傭兵さんは、最早体に沁みついた動作なのでしょう、剣の柄を握ってこちらに構えていました。

傭兵「……なんだ、いきなり」

 そう言って剣の手入れを続けます。

僧侶「ゴブリン退治を手伝ってください」

傭兵「あぁ、棲家があるんだってな」

僧侶「知ってるんですか?」

傭兵「さっき聞いた。長老のばあさんからな。お前と同じことを言っていたよ」

僧侶「……それで」

傭兵「断った」

 でしょうね。


傭兵「よりにもよって金がないとかぬかしやがる。ま、確かに金はなさそうな集落だがな。金がないなら用はない」

僧侶「……あの人たちは、困っています」

傭兵「どうした。歯切れが悪いな」

僧侶「助けてください。お金なら、なんとかします」

傭兵「断る」

僧侶「だって人が困っているんですよ!?」

傭兵「お前は!」

 わたしの声をかき消す怒声に、思わず身を竦ませます。

傭兵「……人が困っているのがここだけだと思っているのか?」

 まるで泣き出しそうな傭兵さんでした。

僧侶「……」

 ……わたしは考えます。
 考えて、それでもやっぱりその問いの意味が分かりません。

 すでに傭兵さんの顔つきは元に戻っていました。

傭兵「いいか、お前のお遊びに俺をつきあわせるな。お前は俺の雇い主であって飼い主じゃない」

傭兵「消えろ」

僧侶「……」

傭兵「消えろ」

 流石に部屋を出ないわけにはいきませんでした。


 翌日も快晴でした。農村の朝は早いです。窓からは芋畑に繰り出す人々の姿が見えました。
 朝食はすでに済ませてあります。トーストとふかしイモ、根菜のスープ。いつ出発するかを傭兵さんと話そうと思いましたが、彼はすでにチェックアウトしたようでした。

 一声かけてくれればいいのに。

 主人に聞けば、どうやら長老のところへ向かったとのこと。わたしも向かってもいいのですが、昨日の今日のことで、あまりにも顔が合わせづらいです。
 逡巡して散歩することにしました。

 道具屋で消耗品を買い揃え、水を汲もうと川の方へと足を運びます。農道を歩けば長閑な風景。ただ、少し上を向けば、櫓の上に人がいるのが見えるのだけ非日常でした。
 川はきらきらと細かく輝いていて美しく、けれど残念ながら、いまのわたしにはその光景に酔いしれるだけの余裕はないです。

狩人「なにやってんの」

 重たそうな甕を二つ担いだ狩人さんでした。背中には弓、腰には大きめの笊が括り付けられています。彼女も水を汲みに来たのでしょうか。

僧侶「川を……」

狩人「川?」

僧侶「はい、川を、見ていました」

狩人「川」

 繰り返して、狩人さんはもう一度、「そっか、川か」と呟きました。


狩人「今日にはここを出るの?」

僧侶「そのはず、ですけど……」

 どうしても言い切れません。心残りがあります。

狩人「あたしらのことは気にしなくてもいいよ。傭兵も言っていたろ。自分たちのことは自分たちでする」

 見透かされたような物言いに――いえ、事実見透かされているのでしょう。わたしははっと狩人さんを見上げ、逸らします。

 自分たちのことは自分たちでする。そう言われてしまえば、わたしは何もできません。傭兵さんは喜ぶのでしょうが。

「いーや、その必要はないぞ」

 ぬっと長身がわたしたちの間に割って入りました。
 傭兵さんです。

狩人「なに言ってるんだい、あんた」

僧侶「だって傭兵さん、昨日は……」

傭兵「昨日は昨日、今日は今日だ。光栄に思え。お前らのために、俺のこの手をふるってやろう、がっはっは!」

 わざとらしく大口を開けて笑う傭兵さんでした。だいぶ似合ってます。


狩人「長老か」

傭兵「そうだ。あのばあさん、俺にしつこく頼みやがる」

狩人「あんたの悪評は聞いている。いくらだ。うちにそんな金があるはずがない」

傭兵「三十万」

 指を三本突き出して、傭兵さんは言いました。

僧侶「さんじゅう……」

狩人「……まん?」

 驚きでした。それじゃあまるで正規の料金じゃないですか!

狩人「……驚いたな。あんたは金にがめついと聞いていたけど」

傭兵「何を言っている。俺ほど誠実な人間はいないぞ」

 欲望にね。

傭兵「追加料金も一切ない。三十万ぽっきりだ」

 狩人さんはしばらく傭兵さんの意図を読もうとしていたらしいですが、じきにそれを諦めます。肩を竦めて、

狩人「まぁ、長老が言うなら仕方がないね。あたしの出る幕じゃないさ」

 そう言って去っていきました。


僧侶「……」

 じっと傭兵さんの顔を見ます。じっと。恨み節を精一杯こめて。
 気づいていないのか無視されてるのか――恐らく後者でしょうが――傭兵さんはあっけらかんと「どうした?」と聞くのです。

僧侶「……大した心変わりですね。宗旨替えですか」

傭兵「はっ」

 鼻で笑われました。不愉快です。

傭兵「何を言ってんだ。俺に一切ブレはない」

僧侶「なら、なんで手伝うなんて。しかも三十万って。わたしのとき、七百万吹っ掛けた人のセリフとは思えません」

傭兵「馬鹿め。いい言葉を教えてやろう。世の中には先行投資という言葉がある」

僧侶「これが先行投資だと?」

傭兵「お前にはわからないかもしれねぇがな」

 当然だと思いました。わたしは金の亡者ではないのですから。
 依然わたしと傭兵さんの間には不理解という大河が流れています。けれど彼はそれで説明責任は果たしたというふうに踵を返し、悠々と歩き始めます。
 慌てて後を追いました。

僧侶「わかりました。一緒にゴブリンを倒すなら、文句はないです。ですが準備は? 日時は? 計画はあるんですか?」

傭兵「阿呆。ゴブリンの棲家を強襲するのに大した準備も計画もいるかよ」

 あっさりと言います。ただの傲慢なのか、経験に裏打ちされた歴戦のそれなのかは判断しかねました。
 傭兵さん個人の戦いぶりは一度、騎士さんと戦ったのを見ただけです。実力のほどはわかっていますが、どうでしょう。

傭兵「さくっとやっちまおう。落ちてる金は拾う主義だ」

――――――――――――――――――――――
今回の投稿は以上となります。
やはり原点回帰のこてこてファンタジーは楽しいですね。

>>31
ば、ばれてる……!
読んでいただいてありがとうございました。

面白い 期待
前作のurl貼ってくれるとありがたい


※ ※ ※

 決行は深夜だと伝えておいた。二日泊まるのは予定外だったが、これは僧侶も望んでいること。文句は言われないだろう。
 剣を研いでいると扉がノックされる。俺を尋ねるのは僧侶しかいない。短く促す。

 静かに入ってきたのはやはり僧侶だ。小さな体をいつも以上に小さくしてこちらを窺っているように思える。

僧侶「あの」

傭兵「なんだ」

僧侶「わたしも連れて行ってください」

傭兵「いいぞ」

僧侶「やっぱりそうですよね……え?」

 断られると思っていたのだろう。信じられないという顔をしていた。

傭兵「一緒に来い。俺の視界の中にいろ。どうせ着いてくるんだろう」

 俺はかねてからそう決めていたのだ。
 この僧侶の意志の強さをもってすれば、俺の制止など聞くはずが――効くはずがないのは明らかだった。変なところでうろちょろされても困る。こいつは俺の雇い主であり、俺はこいつを目的地まで送り届ける義務がある。
 勝手に死なれるのは厄介だ。

 僧侶は明るく笑った。まるで満開の花のようだ、と俺は思った。


傭兵「さぁ行くぞ。もうそろ準備も終わったころだろう」

 伴って宿屋を後にする。櫓の上には依然として見張りが立っていた。けれどその数も今は少ない。
 ならばどこへ行ったのか。当然、俺が集めたのだ。

 集落の端にはバリケードがあった。とはいっても、それはかなりお粗末な簡素な代物で、ゴブリンでさえ簡単になぎ倒せてしまうだろう。
 そのバリケードをさらに進むと緩やかな傾斜があり、小高い丘がある。薄の広がる丘である。

 そして、丘を越えた盆地の中央、川の水を引き込んで作ったため池のそばに、ゴブリンたちの棲家はある。
 ゴブリンは狭いところが好きだ。薄暗く、身をさっと隠せればなおよい。それが種族として頑強でないゴブリンたちの処世術なのだろう。

 薄に紛れて村人たちの姿があった。
 先頭に長老のばあさん。後ろに弓を持った狩人。その後ろに、たくさんの男衆。

長老「頼む。なんとしてでも、あの憎きゴブリンどもを追い払ってくれ……!」

狩人「あんたのことは信用ならないけど、実力はあるんだろう。頼む」

傭兵「やることは簡単だ」

 俺は一面の薄を見やって、




傭兵「燃やせ」



「は?」



 一同、斉唱。


 僧侶もばかみたいな顔をしていた。

傭兵「だーかーら、燃やすんだよ」

狩人「……どういうことか、説明をしてくれないか?」

長老「そ、そうじゃ。この辺り一面が大火事になってしまう。それは困る!」

傭兵「燃やすと言っても焼け野原にするわけじゃねぇ。ある程度刈入れて、延焼しないように準備を整えたうえで、火を放て」

傭兵「風上はこっちだ。まずゴブリンたちを燻す。盆地は煙が溜まる。棲家から出てくるだろうし、火を消し止めるためにこっちに来るかもしれない。どのみち、そこを狙い撃ちだ」

傭兵「皆殺しだ」

 ぐるりと周囲を見回す。
 全員が唾を飲み込んだ、気がした。


 結果から言えば作戦は成功だった。
 泡を食って飛び出してくるゴブリンたちに対し、農民は即座に矢を射かけ、そうでないものは農具を持って応戦していく。
 突然側面から飛び出してきた農民たちにゴブリンはひとたまりもない。要所要所では応戦するゴブリンたちもいたが、それも次第に数を減らしていく。

 僻地の魔物はそもそもヒエラルキーが低いから僻地に飛ばされているのであって、当然強さも、士気も、大したものではない。
 簡単な作業だ。

 状況は明らかに優勢。俺が見守っている必要も、最早ない。

傭兵「行くぞ」

 小声で僧侶に声をかける。

僧侶「え、どこにです?」

 その声を無視し、俺は薄の中を縫いながら、ゴブリンの棲家に近づいていく。
 限りなく、こっそりと。

 何かがあるといけないから棲家には決して近づくなと釘は挿してある。第一、農民たちだって自らは行かないだろう。やつらにそこまでの実力はない。

僧侶「よ、傭兵さん?」

傭兵「うるさい。黙ってついてこい」

 もしも俺の予想が当たっているならば……

傭兵「面白いものを見せてやる」


 棲家はまるで洞穴だった。ゴブリンたちがひっきりなしに、何事かと飛び出していく。
 俺は全く無警戒に入っていく。

僧侶「危険ですって!」

 なわけあるか。

 ゴブリンが目の前に現れた。二匹……さらに後ろから三匹。細長い耳と鼻。醜悪な吐息。見るからに邪悪そうな面構え。実に魔物然としている。
 ゴブリンは彼らの言語で喚いていたが、意見は一致したらしく、手にした棍棒で向かってきた。

 俺は棍棒を掻い潜り、一瞬のうちに二匹の首を落とす。
 狭い棲家では血なまぐささを避ける術はない。俺は甘んじてゴブリンのべたつく血液を浴び、それでも真っ直ぐに、後方の三人へと躍り掛かる。

 初撃はぬるい。ワンステップで悠々に回避できる。耳元を武器が掠めて行く音も、今となっては心地よさすら感じる。
 首を刈って一匹。

 二匹目は一匹目の陰にいて厄介だ。とはいえ、大上段からの振りかぶりを回避するのは難しくない。剣でいなし、腹を裂いて二匹。

 三匹目はすでに切迫していた。眼と鼻の先。俺の剣先とあちらの棍棒、どちらが先に到着するか、際どいところだろう。


傭兵「邪魔だ」

 閃光が迸った。俺の指先から放たれた衝撃はそのままゴブリンを吹き飛ばす。
 地面を転がっていったそいつの顔面を蹴り上げ、胸を串刺しに。三匹目。

傭兵「さっさと行くぞ」

 振り返れば、僧侶が拳銃を握り締め、構えたまま立っていた。
 今にも泣き出しそうな顔をしている。

傭兵「……どうした」

僧侶「っ……なんでも、ない、です」

傭兵「そうか」

 明らかに何でもない風ではなかったが、本人がそう言うならば、俺にはどうでもいいことだ。

 ゴブリンたちはこぞって出て行ったのか、それからあまりエンカウントすることはなかった。もし仮に出遭ったとしても瞬殺ではあったが。
 僧侶はびくびくしながらもついてきているようだった。血や死体を見て倒れられなくて本当に良かった。

 棲家の最奥、松明で照らし出された入り口がある。そこの壁や地面だけが、それまでの通路よりも随分と整備されている。

 大将のお出ましだぞ。


 気を引き締めて部屋へと転がり込んだ。中にいたのは、体躯こそそれまでのゴブリンと何ら変わりないが、顔中に傷跡を刻み込んだゴブリンだった。
 無骨な鎧を着こんでいるそいつは、闖入者である俺たちをちらりと一瞥しただけで、まったく慌てる様子を見せない。

 下から上への切り上げを、ゴブリンの長は錆びた鉄の剣で受け止める。容易く折れるかとも思ったがそうはいかない。俺は一旦後ろへ下がる。

ゴブリン「人間。お前のせいか、この騒ぎは」

ゴブリン「殺しに、きたか。俺たちを。だろう」

 呻くような声だった。傷のせいかもしれない。

ゴブリン「仕方が、ない。生きていけない、俺たちは。喰わねば、餓える」

 鉄の剣をゴブリンの長が握りなおす。
 あわせて、俺も剣の握りを確かめた。

ゴブリン「恐らく、勝てない。俺は、お前に。だけど、だめだ。そうだ、やるしかない」

ゴブリン「例え、見放されていても。魔王様に。俺にも、ある。矜持」

ゴブリン「誓った、かつて。変えると。世界を」

ゴブリン「背けない。その誓いには」

ゴブリン「――行くぞ」

 ぐ、と力を貯めこんだ。


 ゴブリンの長が地を蹴る。速い。そして重い。小柄な体躯が大きく見える。

傭兵「ギラ」

 閃光は鎧の表面で弾ける。しかし、効果は微々だ。衝撃で僅かに体幹をずらしただけ。
 横薙ぎの剣。これもまた速い。が避けられないほどじゃない。しゃがんで、そのまま足を払う。
 ゴブリンの長は跳んだ。剣の上でさらに跳ね、天井を掴んで何かを放る。

僧侶「――傭兵さん!」

 うるせぇ、わかってるよ。
 マジックアイテム――爆裂弾。

 注ぎ込んだ魔力を爆裂呪文に改変する機構の組み込まれた、一般的な戦闘兵器。

 球体が明滅し、僅かな間を置いて、轟音と共に爆裂する。

ゴブリン「やった、か?」

傭兵「んなわきゃねーだろ」

 砂煙に紛れて背後からゴブリンの長の脇腹を突き刺している。鎧と鎧の隙間を縫うように、刃は綺麗に内臓を抉った。
 ゴブリンの長は口から一筋の血液を漏らしつつ、自らの腹に生えた刃を撫で、そこでようやく俺に負けたことを理解したようだった。短く何事かを呟き、刃に手を添えたまま頽れる。絶命したのだ。

僧侶「ぶ、無事ですか!」

傭兵「無事に決まってるだろ」

 あんなゴブリンに後れを取るものかよ。


 大体、爆裂弾の威力などたかが知れている。あれは一般的だが、一般的過ぎる。最早慣れっこなのだ。
 だが、しかし、これで俺の推測が半ば正しかったことが証明された。

 思わず笑みがこぼれる。僧侶を振り向けば、爆裂弾の煙を吸い込んで咳き込んでいた。なにやってんだあいつ。

僧侶「それにしても、やっぱりお強いんですね」

傭兵「いまさらか。騎士の時も見てだろうが」

僧侶「いえ、そうなんですが。……あの人が、弱かったのかな、と」

 あいつもそこそこ強かったのではあるが。
 可哀そうに。

 俺は僧侶を無視することにして、部屋の壁をこつこつと叩いていく。
 爆裂弾で机や武装などが吹き飛んだため、非常に歩きやすくて助かる。

僧侶「なにやってるんですか?」

 こつこつ。

僧侶「あの」

 こつこつ。

僧侶「傭兵さん?」

 しつこいな。


傭兵「ここは洞穴だ。その奥で爆裂弾を使えば生き埋めになりかねん。が、あのゴブリンは迷わず使った。その意味が分かるか」

僧侶「えっ? ……大丈夫だと思ったんじゃないですか?」

傭兵「あぁ、そうだろう。じゃあなぜ大丈夫だと思ったのか。ここは長が住むところだから、特別頑丈に作られている……それもあるだろうが、もっと重要な理由があると、俺は思った」

 僧侶は俺の顔を一瞥し、答える。

僧侶「お金ですね!」

 縊り殺してやろうか。
 とはいえ、事実であるから怒れない。それとも俺のことをよくわかっていると喜ぶべきところなのだろうか。

傭兵「あぁ。金庫、宝物庫……それに類するものがあると思ってな」

 集落の長老は、ゴブリンたちが略奪していくと言った。ならば略奪したものを保管する場所があるはずだ。しかしこの洞穴にそういったところは見つからない。
 ならば、あとはここしかない。

 こつこつ、こつこつ。
 ごん。

 ごん、ごん。ごんごんごん。

 当たりだ。


 壁には、よく見ればうっすらと紋章が刻まれている。恐らく魔術的なロックがされているのだ。
 ふむ、どうしたものか。

僧侶「あ、わたし、これならわかります」

 ……なんだと。

僧侶「ちょっといいですか?」

 扉に手を合わせ、僧侶は目を瞑った。魔方陣を走査して詳細を探っているのだろう。
 走査自体は十秒ほどで終わった。僧侶は振り返り、息絶えたゴブリンの長を指さし、

僧侶「あの人の手、らしいです」

傭兵「楽でいいな」

 即座に右手を切断する。凝固していない血液が飛び散って、僧侶は存外かわいい声を出しながら跳び退いた。
 手を壁に這わせると、かちりと術式の解除音。音もなく壁は開いた。

傭兵「ゴブリンのくせに、そこそこな魔術じゃねぇの」

 呟いて、一歩踏み出そうとして、

傭兵「……」

僧侶「どうしました?」


傭兵「僧侶、お前先に行け」

僧侶「えっ、なんでですか!」

傭兵「罠があると困るだろうが、ほら」

僧侶「はぁっ!? 雇い主ですよわたしは」

傭兵「いいから」

僧侶「うう……主従逆転現象ですぅ……」

 文句を垂れながらも僧侶は部屋の中へと足を踏み入れる。
 一歩入れば自動的に照明が点いた。同時に、眼を潰すかのような金色の光。
 俺も僧侶も思わず目をつぶった。

僧侶「な、なんですか、これ」

 大したものはなかった。否、大してものはなかったと言うべきだろう。僅かな食料や武具の中で、主張の激しい黄金色が鎮座している。

傭兵「どう見ても金塊だろう」

 インゴッド。形成もきちんとされておらず、打刻もない。真っ当な手段で生産、流通したものではない。
 僧侶は怪訝な目で俺を見ている。どうして驚かないのか、この黄金に見当があるのか、そんな視線だ。


傭兵「先行投資の結果がこれさ。なかなか悪くない仕事だ」

「残念だけど、それは返してもらうよ」

 背後から声――何より、殺気。

 ふん。僧侶を前にやって正解だったな。

 狩人は右手にナイフをちらつかせながら剣呑な表情をしている。

狩人「それはあたしらのものだ。あんたらのもんじゃない」

傭兵「あんたらのものだという証拠は?」

狩人「裁判をやってるんじゃあないんだよ」

 まったくその通りだった。
 俺は金塊を渡すつもりはないし、狩人は狩人で、俺たちに金塊を渡すつもりはないのだろう。だとすれば奪い取るしか選択肢はない。
 平和的解決など誰も望んでいない。恐らく僧侶を除いては。

僧侶「あ、あの、どういうことですかこれ。なんで狩人さんが、え?」

 当惑している僧侶。説明する時間などない。すまんが混乱していてほしい。

傭兵「こんな狭いところじゃお得意の弓矢も使えんだろう。さっさと退け」

狩人「ほう」

 狩人が眉根を釣り上げる。

狩人「試してみるかいっ!」


 魔力の波動が狩人から迸る。それは空気を震わせ、壁を、地面を、そして俺たちの体を舐めていく。
 そしてそのあとに広がるは花畑。一面の菜の花。限りない丘陵と野原。朗らかの体現。

傭兵「結界……お前、もしかして!」

狩人「その通りさ! あたしはエルフの血を引いてる!」

 身体的特性は人間の方が優性だ。純血種のエルフと違って、ハーフエルフは目立たない。とはいえ魔術的な特性が潰えるわけでもない。
 人間は自らの内から魔力を捻りだし放つが、エルフたちはこの世界に遍く――と言われている。何しろ人間には感じられないのだ――精霊たちの力を借りて魔法を行使する。
 属性に偏りはある反面、何よりも負担が少ない。嫌な相手だ。

 狩人は弓を抜いた。

 僧侶は……いる。俺の背後でおろおろしている。そのまま頭を抱え込んでくれていたらなおいいのだが。

 彼我の距離はおおよそ十メートル。矢を引き絞り、放つよりも先に、俺が喉笛を掻き切るほうが早いか? 微妙なラインだ。


狩人「最後の通告だ。その金塊を、渡せ。それはあたしらのもんだ」

傭兵「そうだろうな。ここまで採取するのに一体何年かかった? あの川に毎日通い詰めて、数年じゃ利かないだろう」

狩人「あんた、わかってたのか」

僧侶「川?」

傭兵「そうだ。あそこの川は砂金鉱がある。小さな粒でも、集めて鋳造すれば、インゴッドくらいにはなるさ」

僧侶「……だから、輝いて見えたのか」

 僧侶がぼそりと呟いた。

狩人「交渉決裂だ」

 狩人が弓を引き絞る。俺は一も二もなく駆けた。

狩人「知ってしまった以上、あんたらは生かして帰せない!」

 直線的な矢の動きを見切るのは決して難しいことじゃない。どんな動作も、基本は視線の先に狙いがある。
 狩人の視線は真っ直ぐに俺。その殺意に惚れ惚れとする。


 狩人が弦を離す――一度に放たれる三本の矢。

傭兵「人間業じゃねぇな!」

 って、こいつは半分しか人間でないのだっけ。

 一本、二本目を回避し、三本目もまた、なんとか回避する。

傭兵「んなっ!?」

 三本目の陰に隠れた四本目!
 限りなく人間業じゃねぇな!

 剣で叩き落とす。が、衝撃は大きい。腕が大きく跳ね上げられた。

 そこへ追加の鏃。身を翻してなんとか懐へ。

 一閃と同時に矢が放たれる。

狩人「くっ!」

 刃は狩人の腹部を掠っただけだった。血が僅かに滲む程度で、薄皮一枚程度しか切れていないのだろう。生半な相手であれば今の一撃で決まっていたはずなのだが。
 俺は左腕に刺さった矢を抜きながら考える。
 最後に放った矢の狙いは正確だった。

僧侶「二人とも、もうやめましょうよ! こんな無益な争いはありません!」

 無益だと? 何を言ってるんだか。

傭兵「あの金塊を見てもまだ無益だって言えるのか、お前は」
狩人「人も殺したことのないお嬢ちゃんにはわかんないだろうさ」

傭兵「……意見が合ったな」

狩人「困ったもんだわ」


「死ね」

 言葉がハモる。
 流石にこれは意見が合わざるを得ないか!

 狩人が弦を弾く。途端に顕現する矢。その数……あぁもう、数えるのもまだるっこしい!
 数多の矢が俺を狙っている!

狩人「聖霊よ! 我に力を貸せ!」

 降り注ぐ雨を横っ飛びで回避する。しかし油断はできない。どんな手品かわからないが、完璧に避けたはずの矢が、Uターンしてもう一度こちらに。

傭兵「くっ!」

 抜刀。剣を振り抜くたびに、矢の刺さった左腕が痛む。そのせいでわずかに速度が下がった。
 一振りで三本を落とすのが限界だ。残りは地面を転がりながら、せめて最小限の被害で済ませる。降り注ぐ矢が次々と地面へと突き刺さる。
 と、俺はその時確かに見た。矢のそれぞれに跨った精霊の姿を。

傭兵「下級の精霊に操らせてんのか」

狩人「へぇ、見えるんだ。心のきれいなやつにしか見えないはずなんだけどね!」

傭兵「お前は心がきれいってか! 驕るねぇ!」

 挑発の返事は矢。拡散するかのようにてんでばらばらの方向へと跳ぶそれらの軌道は、けれど空中で急に変化する。矢の背中に乗った小さな小人たち――精霊が、狩人の意思に従って狙いを俺に定めなおす。

 回り込むように飛来する矢を完全に避けきるのは至難だと思われた。それでも慌てることはしない。ここまでは想定の範囲内だ。


狩人「あれはっ、あの金はっ、あたしらの金だ! あたしらのもんだ!」

狩人「あんたみたいな薄汚れた手で触っていいものじゃない!」

傭兵「おいおい、そりゃ酷い言い草だな!」

傭兵「金(かね)は天下の周り者だ! おとなしくあの金(きん)を寄越せ! 俺がもっと有用に使ってやる!」

狩人「黙れ」

 懐に潜り込めばこちらが有利だが、そもそも狩人は近づかせてくれない。相当に熟達している。弓矢の腕前が、というよりも、弓矢を使っての戦闘に。
 しかし遠距離主体の相手との殺し合いを俺だって何度も経験してきた。懐への潜り込み方はすでに体に沁みついている。

 最小限の被害で最短距離を突っ込んでいく俺に対し、狩人が苦虫を噛み潰す。

狩人「死ねぇえええっ!」

 鏃の驟雨が全力で俺の命を奪いに来る。思わずぞっとする密度だった。

 視界は矢で埋まっている。視界の範囲外もそうだろう。数は推定八十から百――全てに精霊が宿っていると考えておかしくはない。
 僧侶が背後でなにか叫んでいるのが耳に入った。まったくうるさいやつである。

傭兵「もうちょっと目を鍛えるべきだったな」

 矢に囲まれていた俺の姿が一瞬で霧散し、代わりに狩人の眼前へと姿を現す。

狩人「なっ――!」

 驚愕の表情。それだけ驚いてもらえるなら、幻影の像も感無量だろう。


 俺は剣を抜く。狩人は柄に手を駆けるよりも早く後ろへと跳んでいる。その回避能力は秀逸だ。頭が理解するよりも早く、体が危機に反応する、本能的な素晴らしさ。
 しかしそれでも俺の刃の方が早い。

 狩人の胸から腹にかけて大きく斜めに切り裂いた。血飛沫の花が咲き、花弁の上に点々と散らされる。

傭兵「ちっ」

 手応えの軽さを感じていた。僅かに浅い。ただしそれは俺にとって致命的ではなかった。
 狩人が膝を落とす。四肢の末端への痺れが来ているのだろう。そういう毒を刃先に塗ってある。効果の時間は短いが、その分作用までの時間は一瞬、そんな毒だ。
 毒で殺すのではない。殺すための毒である。

狩人「いつ、のまに」

 幻影の像と入れ替わったのか、ということだろう。

傭兵「お前が結界を展開した時にな」

 ただただ相手のフィールドで戦うことなどよしとできるものか。重要なのは準備をすること、保険をかけておくこと。
 俺は一歩歩み寄る。

僧侶「……!」

 僧侶が俺の前に立ちはだかっていた。こちらを涙目で睨んでいる。


傭兵「……なんだ」

僧侶「どうする、おつもりですか」

 疑問文の形を呈してはいるが、問うてはいなかった。僧侶は恐らく俺が何をするかを理解している。
 でなければ俺の行く手を阻むわけがない。

傭兵「首を刎ねる」

僧侶「――ッ!」

僧侶「もうこの方は戦えません。あなたの目的が金塊である以上――いや、金塊であるからこそ! ここでこの方を殺すのは無益です!」

傭兵「これは契約の範疇外だ。お前の出る幕じゃない。でしゃばるなよ」

僧侶「それでもっ!」

狩人「そのとおりさ」

 視界の端で狩人が弓を引き絞っているのが見える。狙いは僧侶――違う。僧侶を狙うことで、間接的に俺を狙っている。
 癪だが、仕方がない。俺はこのような状況下でもきわめて冷静だった。

 僧侶の前に飛び出す。それと同時に矢が放たれ、俺の鳩尾を食い破った。

傭兵「がっ、く……っ!」


僧侶「傭兵さん!」

 エルフは耐毒性もある、か。かなりいい代謝をしている。本来ならあと十分は効いているはずなのだが。

僧侶「どうして……!」

 それは果たして俺に向けられたものなのか、それとも狩人に向けられたものなのか。
 前者なら答えは簡単だ。「俺は傭兵で、これは仕事の一環だから」。

狩人「あんた、甘ちゃん、だね」

 僅かに舌の痺れを感じさせる口調で狩人は言う。

狩人「あたしゃ、敵だよ。殺すさ。見逃すとか、見逃してくれたからとか、そういうのはない。ないんだ。ないんだよ」

狩人「その金塊が、何よりも大事だから」

僧侶「なんで? なんでみんな、そうやってすぐに、金、金、金って言えるんですか?」

僧侶「恥も外聞もなく! 醜く争えるんですか!?」

 銃を構える僧侶。脚も手も震えているが、今の彼女なら引き金を引けるような……引いてしまえるような、気がした。

 俺は僧侶の叫びに、なにより怒りに対して応じる言葉は持っている。けれど彼女に納得させる言葉は持っていない。それほど俺と僧侶、そして狩人の間には川がある。俺と狩人の対岸に僧侶は住んでいる。
 コミュニケーションの折に触れての微かな共通了解が、もしかしたら砂金なのかもしれないと思うほどには、全てが不全だ。


狩人「生きるにはとかく物入りになる。新天地となればなおさらだ」

 そうだろうな、と思った。そのあたりだろうな、とは思っていた。

傭兵「捨てる、のか。あの村を」

 治癒魔法が効いてきた。治癒とは名ばかりの、痛みを誤魔化すだけの魔法だ。今も血は流れ続けている。

 狩人は口元を歪めた。醜悪なツラをしていた。

狩人「そうだよ。あたしはいずれあの村を捨てる。その時のための、金だ。あたしの未来のための金だ」

僧侶「そんな……酷い」

狩人「酷くない!」

 叫ぶ狩人。今の僧侶の一言が、彼女の琴線に触れたらしかった。

狩人「酷いのはあたしじゃない! 税しか課さないあのクソ領主の野郎さ!」

狩人「作った作物の半分は持っていかれて、今日食べる分も苦労するありさまだってぇのに、何をするにも課税、課税、課税!」

狩人「金が足りなきゃ畑を売れ、畑がないなら体を売れ、だ! 自作農辞めて小作農になった人間がどうして暮していけるよ!?」

 そこで狩人はとても悲しそうな顔をした。信念の炎が、けれど俯いた顔には宿っている。


狩人「……あたしは、もう、そんなみんなを見てられないんだ。だから村を捨てる。何も見なかったことにする。それしかもう!」

狩人「心の平穏は得られない!」

僧侶「でも、だって、ですが、そんなの!」

傭兵「僧侶、耳を貸すな。こいつはただ見て見ぬふりをしたいだけに過ぎん」

 僧侶の口を制して前に出る。
 体を動かせばそのたびに鳩尾から血が噴き出すが、それは決して俺が動きを止める理由にはならない。こいつの信念は燃えている。確かに燃えているが、あまりにも安い。下の下だ。

傭兵「見ていなければ無いのと同義だ。真実と目に蓋をして、現実から逃げたい卑怯者の言葉を聞くな。耳が腐る」

狩人「黙れよ、部外者」

 矢を番える、放つ――動作は熟達、速度は神速。正しく狩人。そして獲物は俺だ。
 しかし、信念に燃えた彼女の瞳は濁りきって、既に何も見えていない。

 目の前の問題から目を逸らす人間が、どうしてこの俺を捉えることができようか。

狩人「……あ、ァう?」

 ごぶり。吐息と言葉は血のあぶくとなって、音声として入って来ない。
 驚愕に目を見開いた狩人が、己の肩越しに俺の姿をようやく認識した。彼女の右脇腹から胸部にかけて大きく刃が抉りこんでいる。そして俺の体に怪我はない。
 その表情のまま前を向いて、鳩尾を負傷した俺の幻影が雲散したのを目の当たりにし、ようやく一言「あぁ」とだけ聞き取ることができる。

 そうして倒れた。


 今度こそ本当に息絶えたのだろう。彼女の魔力によって形作られていた花畑が遠くからさらさら崩れ去っていき、代わりにやってきたのは薄暗くひっそりとした洞穴の姿である。
 宝物庫の中心では狩人が死んでいる。
 その傍らの金塊が、争いなどどこ吹く風で、ともすれば下品ともとれる輝きを放っていた。

 その対比。

僧侶「あ、あ……」

 かちかちと歯の根を噛みあわせていた。無理もない。それは誇れる美徳でこそあれ、貶されていいものではないと俺は思った。
 だから言葉はあえてかけない。そこは俺の仕事ではない。金を貰っているならば、慰めることも吝かではないが……しかし、それは機微のわからない人間のすることだろう。そして俺は野暮ではない。

傭兵「……」

 手を差し出すと素直に僧侶はその手を取った。少しばかり予想外で、危うく僧侶の重みに負けそうになる。

僧侶「……こんなことって、あんまりです」

 それきり僧侶は喋らなかった。

――――――――――――――――――――――
今回の投下は以上です。
基本的に一人称の切り替わりで投下を終えたいと思っています。

>>51
過去作は二つあります。
勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
少女「有言実行、しましょうか」
です。


※ ※ ※

 宴が開かれていました。わたしたちが宿泊した宿屋、そこのホールに、皆さんが集まってエールを飲み交わしています。

 幸いにして死者は一人しか出ていないようでした。
 そして、死者が一人でも出たという事実に、「幸い」という冠をつけて語ることこそが何よりも恥ずべき悪徳のような気がして……。

僧侶「……はぁ」

 ためいき。

 みなさん頬を上気させています。楽しそうです。愉快な笑い声があちこちから聞こえ、決して体調が万全と言えない人もいるのに、包帯でつるされ固定された片腕を器用に使ってジョッキを持ち上げていました。

村人A「よぉ! お嬢ちゃんは飲まないのかい?」

僧侶「わたしは未成年ですので」

村人A「大丈夫だって! あんたらのおかげでなんとかなったようなもんなんだ、俺たちに神様の罰があたっちまう!」

 神様もわたしたちの善行を照覧している、と?
 思わず薄い笑みが零れました。酷薄だと自覚のあるそれを、けれど村人の男性は好意的に解釈したらしく、ジョッキをわたしのグラスに打ち付けて、一息に飲み干しながら去っていきます。


 狩人さんを殺したのはわたしたちなのに?

 村の人たちには、狩人さんは、ゴブリンの長と戦って死んだと伝えました。わたしたちの危機を身を挺して救ってくれた、とも。
 そしてそれを疑う人はどこにもいません。そうでしょう。わたしたちは村の恩人なのですから。

 思考が深く暗い底へと落ちかけていきそうでした。崖っぷちに伸ばした手は、代わりにエールのジョッキを掴みます。

僧侶「……」

 覚悟を決めて、いち、にぃ、さん!

 にが!

 思わず眉根が寄るのを感じながらも一気、一気、一気。ごくごくごくと嚥下。

 僧侶「ぷは」

 口についた泡を袖で拭って、勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけました。近くに座っていた村人が「いい飲みっぷりだねぇ」と褒めてきますが全然嬉しくはありません。


 ひっく。

 嗚咽ではありえない痙攣を横隔膜が行います。自分の体すら意に反して動くのに、誰かの生き死にを自分の意のままにしようだなんてのは、きっと恐ろしくおこがましいに違いありません。
 それでもわたしは、みんなが幸せになる方法を採りたいのです。

 餓えることのない世界を。虐げられることのない世界を。
 実現したいのです。

 あぁ。

 気が付けば二杯目が底を尽きかけていました。うっすらと残ったものを飲み干して、フチについた泡を舐めとり、ほうと一息。

 ……なんだか、暑いですね。
 時期的に仕方がないんでしょうけど?

 ていうかあの傭兵野郎はどこへ消えたんですか。最初に村人全員から感謝の言葉を受けて、営業スマイルで受け流していた彼の姿を、わたしはそれ以降見ていません。雇い主をほっぽりだして、今わたしが狙われたらどうするんでしょうか。
 立ち上がったわたしの体はいつもより重かったです。脚で自重を支えきれず、二、三歩蹈鞴を踏んで、

村人B「大丈夫かい?」

 受け止められます。お礼を一つして、

僧侶「あのぉ、傭兵さ……うちの傭兵、見てませんかぁ?」

村人B「傭兵さんかい? そう言えばとんと見てないなぁ」


村人C「長老と何か話してたよ。外に出て行ったのは見たけどねぇ」

 通りがかった女性がそう教えてくれました。外。風に当たるのもいいでしょう。ついでに、あの人に文句の一つでも言ってやらなければなりません。
 わたしは一歩一歩地面を踏みしめるようにして外へと向かいます。

僧侶「わぷっ」

 扉を開ければ人の胸板がわたしの鼻にぶつかりました。見上げれば、それは傭兵さんです。

僧侶「あ。どこいってたんれすか?」

 傭兵さんは怪訝な顔をして、ぽつりと一言。

傭兵「お前酒臭いぞ」

 そんなはずはないです。そもそも女性に面と向かって「臭い」だなんて、デリカシーがありません。

傭兵「……まぁいいか。外に行くぞ、ついてこい」

僧侶「にゃにするんれすか」

傭兵「……大事な話だ」

 外に出ます。酒場に充満していた熱気が扉から抜けて、火照ったわたしの体をゆっくりと鎮めていってくれました。それでも体内に十二分に熱は残っていましたが。


村人C「長老と何か話してたよ。外に出て行ったのは見たけどねぇ」

 通りがかった女性がそう教えてくれました。外。風に当たるのもいいでしょう。ついでに、あの人に文句の一つでも言ってやらなければなりません。
 わたしは一歩一歩地面を踏みしめるようにして外へと向かいます。

僧侶「わぷっ」

 扉を開ければ人の胸板がわたしの鼻にぶつかりました。見上げれば、それは傭兵さんです。

僧侶「あ。どこいってたんれすか?」

 傭兵さんは怪訝な顔をして、ぽつりと一言。

傭兵「お前酒臭いぞ」

 そんなはずはないです。そもそも女性に面と向かって「臭い」だなんて、デリカシーがありません。

傭兵「……まぁいいか。外に行くぞ、ついてこい」

僧侶「にゃにするんれすか」

傭兵「……大事な話だ」

 外に出ます。酒場に充満していた熱気が扉から抜けて、火照ったわたしの体をゆっくりと鎮めていってくれました。それでも体内に十二分に熱は残っていましたが。


 傭兵さんに連れられて酒場の裏手へとやってきます。

僧侶「!?」

 人が倒れていました。見たことのあるシルエット。長老さんです。
 介抱しようと咄嗟に駆け寄ろうとしたわたしを傭兵さんが制します。

傭兵「待て。そいつは放っておけ」

僧侶「い、いったい何があったんれす!」

傭兵「叫ぶな。ばれるとまずい」

 わたしは言葉と空気を飲み込んで、深呼吸。酩酊のせいか僅かに鼓動の音が大きく聞こえますが、次第に頭はクリアになっていきました。

僧侶「傭兵しゃんが、やったんれすか」

 まだ口がうまく回りません。

傭兵「殺しちゃいねぇよ。気絶させただけだ」

 でも、なんで。わたしの視線を受けて傭兵さんは頭を掻きます。

傭兵「お前はおかしいとは思わなかったか。この辺りは一帯が農業地帯だ。だからといって全員が農業従事者というわけじゃあないが、あんな手練れの狩人がいるのは普通じゃない」

僧侶「でも、それは近くに大森林があるからで」

 言ってから、わたしも「ん?」と思いました。
 狩人さんはあの時確かに「村を捨てる」と言いました。その表現には、狩人さんなりの村への愛着や、村人への愛が感じられます……結果は、ともかくとして。
 彼女が村の一員だとするならば、ハーフエルフの彼女はどこからやってきたのか。


傭兵「話を聞く限り、狩人は長老が連れてきた孤児らしいな。本当に孤児かどうかすら怪しいもんだが、まぁ、それは今はいいだろう」

傭兵「この村で十年……気の長い計画だな。よほど出ていきたかったと見える」

僧侶「じゃあ、全部長老さんら、裏で糸を引いていはってこと……?」

傭兵「ゴブリンに関しては偶然じゃないか。あいつらが金塊を持って行ってしまった。集落総出でゴブリンを攻め落とせば、金塊が明るみに出る。だから長老は部外者に頼みたかった。タイミングよくやってきたのが俺たちだ」

僧侶「れ、れも、なんで、そんにゃことを」

傭兵「狩人が言った通りさ。新天地で暮らすには金がかかる。金塊一つぶらさげてけば、かなりの額だ。四六時中畑を耕して、税金を領主におさめなくてもいい程度にはな」

傭兵「金塊のことを話したら、このばばあ、血相を変えて俺に掴みかかってきやがった。あることないこと言いふらされるとまずい。所詮俺たちはよそ者だからな」

僧侶「じゃあ……」

傭兵「あぁ。今晩中にでも発つぞ」

 きっと傭兵さんの言っていることは全て真実なのでしょう。彼はお金に忠義を誓っています。ゆえに、そのためならば真実を捻じ曲げることすら厭わないはず。けれど今、彼はわたしの傭兵です。
 唇を噛み締めました。長老さんが全ての元凶だと断ずるのは容易く、実に容易く、途轍もなく容易いことです。それで全てが解決し、すっきりすとんと胸に落ちるのであれば、いくらでもそうしますが。
 
 とるものもとりあえず、わたしたちは喧噪に包まれる酒場を背後に、足早に集落を後にしました。

――――――――――――――――――――
短いですが、今回の投下はここまでです。
冒頭の記号が間違っています。※ではなく、正しくは*です。ご迷惑をおかけいたしました。

◇ ◇ ◇

 空気の抜けた音がして、視界の先に小さく映る敵影が、ゆっくり倒れる。
 残存勢力の動きがより一層慌ただしい。周囲はぐるりと取り囲まれた。このまま包囲網を狭められてしまえば、見つかるのは最早時間の問題と言える。

「減るどころか増えてるすねぇ」

 男は照準器を覗きながら息を吐く。

「残弾は」

 男の隊長が口を開いた。随行して数日になるが、彼と口をきいたのは初めてだった。
 二人以外の隊員はみな魔物に獲って喰われたか連れ去られた。喋る相手がいないのだから、それは当然の帰結と言えた。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……六発すかね。あ、いや、五発す」

「一つどうした」

「これ、彼女からもらったやつなんですよ。使えないです」

「……そうか。元気だといいな」

「こないだ死にましたよ」

「……そうか」

「殿を任されたって喜んでたんすけどね」

 引き金を引く。一体の頭部が破裂。残り四発。

「尻についた火を消せなかったか」

「魔族も結構ガチすよね」

 引き金を引く。左足を吹き飛ばした。残り三発。


「でなきゃわざわざ俺たちが派兵されん」

「エルフのみんな元気すかねぇ」

「無事に逃げてるだろうさ」

「殿なんかするもんじゃないすよ」

「難しいもんだ。火を消すのは」

「隊長、敵影いくつ確認できるすか」

「十八」

「こっち十二す」

「残弾は三か」

「うい」

「一発で四人殺せるか」

「一応、頑張ってみるす」

「やめとけ。無駄だ」

「あなたが言ったんじゃないすか」

「命令だからってなんでも従うな」

「命令ならなんでも従えと習ってきたすから」


「……なら、命令だ」

「『絶対に死ぬな』すか?」

「……」

「うわ、当たっちゃったすか。冗談のつもりだったんすけど」

「……生き残るぞ」

「もちろんすよ。こんなところで死んでられないす」

「……俺の死場は戦場だと、ずっと思っていた。思っていたが……死ぬのは、いやだな。少なくとも、ここは、いやだ」

「ここは、クソの掃き溜めすからね」

 引き金を引く。弾丸が二体の魔物の頭部を吹き飛ばした。予想外の一石二鳥であった。
 残り二発。

「死にたくないすねぇ」

 引き金を引く。大きく外れて木の幹を穿った。狙撃を外したのは初めてだった。
 自分の指先が小刻みに震えているのを、男はそこで気が付いた。

「隊長」

「なんだ」

「最後の一発になっちゃったす」

「そうだな。俺も、あと二発だ」

 そう言って発砲。魔物の右ひじから先を引き千切る。致命傷とは言い難かった。


「自殺するってのはどうすか。俺、魔物の拷問、うけたくねーすよ」

「……好きにしろ」

 男は曖昧に微笑んで、腰から短銃を取り出す。それを口に咥えて、

「すんません。一足お先に」

「逝かれちゃ困る!」

 傍らには二組の男女がいた。


* * *

 あー、もう!
 まったくもう!

 傭兵さんが大声を出すから、魔物たちが、あんなにたくさんのあれが、
 こっちを向いて!

 見られた――ばれた――死ぬ!
 や、死にはしませんけど!

 全体的に手段が荒っぽいというか、むちゃくちゃというか、省みる事柄が少なすぎるんですよ、あの人。やりたい放題。勝てば官軍。誰に迷惑をかけたっていいや。そんな思考がもろ見え。

 隠された隧道の先には、エルフのみなさんが仰っていた通り、兵士さんたちがいました。話によれば十人一組の小隊だったはずなのですが、残り八人の姿は見えません。
 その意味がわからないほど、わたしは愚かではありませんでした。

傭兵「お前ら、魔法は使えるか」

隊員「え、あ、いや」

傭兵「そうか」

 短く言って、駆け出していきます。魔物の軍勢はこちらに完全に気付いていました。オークと魔道士の混成部隊。一際体の大きく、また無骨な鎧を着けているオークがいます。恐らくあれが大将なのでしょう。

隊長「あんたらは、なんなんだ?」

 歴戦の強者といったふうな男性でした。この現状を受け止めているようですが、まだ嚥下はしきれていない様子。

 わたしは短く答えました。

僧侶「旅の者です」

 おまけににこりと微笑んで。


僧侶「大森林の向こうに用事があるのです。わたしは彼を雇って、森の中を進んでいました。エルフの一団に出くわしまして、何やら様子がおかしい。近づけばあなたたちのことを助けてやってくれとのことでした」

 次第に表情筋が疲れてきました。交渉のことを思いださなければ、これほど気持ちのいい人助けもないのですが。

 珍しく傭兵さんは金銭を要求しませんでした。代わりに、エルフの酋長に会わせろと、それだけ。
 酋長は別働らしく相成りませんでしたが、確約は取り付けました。それが果たしてどんな意味を――傭兵さん的に言えば「利益」を生み出すのか、わたしにはわかりませんけど。

隊長「……あいつ、強ェな」

 マスケット銃を構えた壮年の男性がぽつりと漏らしました。視線の先には一人で包囲網を突破ならぬ叩き潰そうとしている傭兵さんの姿があります。
 まさに鬼神のような戦いっぷりでした。持参した剣は既に使い物にならなくなっていて、切り伏せた魔物の帯びた剣や鋭い牙、爪を奪いながら戦っているのです。

 接敵し、切り捨てて、離脱。そしてその先にある敵をまた切り殺す。
 一方的な虐殺です。

 自らが切られたことに気付いた時にはすでに傭兵さんは別の敵に向かっていて。
 仲間が切られたことに気付いた時にはすでに傭兵さんはそいつへ切りかかっている。

 切り落とされたはずの腕は幻影で。
 囲まれれば火炎魔法が吹き飛ばす。

 見る見るうちに魔物はその数を減らしていきます。大将のオークが指を向けて何事かを叫ぶと、部下たちが一斉に傭兵さんへと飛びかかっていきますが、僅かな隙間を縫って突破。と同時に魔物たちの首が刎ねられます。

 ともすれば剣を振るより先に首が飛んでいるような錯覚さえしていて。


 心底彼が味方でよかったと思いました。性格こそひん曲がっていますが、いえ、ゆえに、そんな性格でも生きてこられた彼の技量なのです。

僧侶「お怪我は有りませんか?」

 二人はこぞって首を横に振りました。視線はわたしの右手にある拳銃へと注がれています。
 そんなに手荒な真似だとは思わないのですが……。

隊員「そろそろすよ」

 若いほうが声を挙げました。見れば、死屍累々の中にオークの大将と傭兵さんが向かい合っています。

 あくまで傭兵さんは自然体でした。緊張の中にあっての脱力。それが達人の域に達してなお習得が難しいものであることを、わたしはなんとなくですが知っています。
 ただただ傭兵さんは立っているだけなのに、オークはじりじりと後ろに下がっていきます。気圧されているのです。武の路を歩んだことのないわたしでさえ彼の強さがわかるのですから、オークに至っては猶更でしょう。

 後ろに下がり続けたオークのかかとがようやく木にぶつかりました。そこで退路がないことを悟ったのか、地面を強く強く蹴り上げ、土塊を巻き込みながら突進。
――速い。


 力とはすなわち速度であると換言できます。つまるところ還元されるのです。
 力があれば速く動ける。速く動ければ、その分破壊力も増す。

 限りなく単純な図式。そしてそのある種純粋な強さをオークは持っている。

 のですが。

 棍棒の打ち下ろしを紙一重で回避し、次撃もスウェーで避けた傭兵さんは、一歩踏み出すだけでオークの懐に潜り込みます。
 長身の傭兵さんをして見上げるオークですが、まるで意に介さずに抜刀。一振りで棍棒を持った腕を肘から切断しました。

 残った腕をオークが狂乱交じりに振り上げますが、それが振り下ろされるよりも先に、喉を切っ先が貫いて。

 その瞬間にオークの巨躯が一瞬だけ停止しました。傭兵さんは柄に力を籠め、蹴りながら刃を引き抜きます。
 ぐらりと揺れ、地響き。
 血の雨が降る中を平然としているその姿はおおよそ同じ人間と思えません。強さもまた然り。

 ……悪評ぷんぷんでも、いくら恨みを買ったとて、平然としていられるのはこの強さがあるからなのです。人間を相手取るときよりもずっと容赦がありませんでした。

 わたしたちはその光景をぽかんとしながら見ています。なんですか、あれ。呆然と見ているだけしかできないとはまさにこのことでしょう。
 こんなにあっさりと包囲網を突破してしまうと、死を覚悟したお二人の立場なんてありません。傭兵さんにとっては包囲でも網でもなかったのですから。


 まぁ、彼にそのあたりを弁えろ、慮れと言う方がどだい無理な話でしょうが。金を払うならともかくとして。

傭兵「その顔は俺の悪口を考えている顔だ」

 いつの間にか近寄られていました。鼻をひくつかせれば血生臭さが顔を顰めさせます。脂と鉄の混ざったにおい。不快なにおいです。けれど大事なにおいでもあります。

僧侶「……お疲れ様です」

傭兵「は。疲れやしねぇよ。肩慣らしにもならねぇ」

 言い捨てます。二人の兵士は居心地悪そうに笑いました。

傭兵「おい、あんたら。俺の仕事はここまでだ。ここから先は知らん。野垂れ死ぬも、祖国に帰って報告するも、勝手にしろ」

隊長「……助けてくれたこと、感謝する」

傭兵「なぁに、気にするない。これも仕事だ。謝礼を払いたいってんなら払ってもいいんだぜ?」

 軽口を叩いたようでしたがその実大真面目です。謝礼が払われたなら、きっとほくほく顔で受け取るに違いありません。

隊長「残念ながら今は持ち合わせもない。代替になるようなものもない。が、このお礼はいつかさせてもらう」

僧侶「気にしなくていいんですよ?」

隊長「そういうわけにもいかないな」


隊長「我々の現在駐屯地はボスクゥ。本隊は、これは軍規に当たるため詳細の説明はできないが、数日のうちはラブレザッハにある。もしあなたたちがそのどちらかに来れば、尋ねてきてほしい。これを預けておくから」

 階級章でした。重要なものではと思うのですが、様子を見ている限りは特にそうでもないのでしょうか。

 駐屯先はボスクゥ……ボスクゥは大森林を抜けた先にある交易都市です。大きな湖があり、水資源が豊富で、陸路だけではなく海路も充実していると聞いたことがありました。
 そして本隊がラブレザッハ……わたしの目的地。軍自体は王都にありますから、一団がラブレザッハ、そしてさらにそこから別れて各個大森林へ、という流れなのでしょう。
 しかし、ですが、うーむ……これは、もしかするともしかして、少々まずいことになったのかもしれません。

傭兵「おう、ありがたく」

隊員「……あんた、アレすよね」

 そう言って青年は傭兵さんの名前を挙げ、

隊員「金にがめついとは聞いてたすけど、それもやむなしの強さすね」

傭兵「褒めても金は出ないからな」

 青年は苦笑して手をひらひらと振った。

隊長「それでは、我々はボスクゥへと帰還し、報告を行う。それでは、また。神のご加護がありますよう」

僧侶「はい。御武運を」


 壮年の男性が十字を切ったのはわたしが僧侶だからでしょうか? それとも彼自身が敬虔な信徒なのでしょうか。
 二人はわたしたちが通ってきた隧道を引き返していきます。駐屯地まで戻る際に魔物と遭遇しないとも限りませんが、誰もそのことを言い出しませんでした。二人はきっとこれ以上わたしたちの世話になるまいと考えているからで、傭兵さんは……金にならないからですね。

 その背中を見送りながら、わたしたちもゆっくりと歩き出します。

 あの集落を逃げるように発ってからすでに半日以上が経過しています。大森林の中は鬱蒼と木々が生い茂り、昼でも薄暗い。それでもところどころにスポットはあったりして、別段恐怖は感じませんでした。
 魔物の類とは幾度となく遭遇しましたが、それもまた問題は有りません。オークすら鎧袖一触できる傭兵さんがどうしてそれ以下の魔物に後れを取りましょうか。

 問題はただ一点。ただただ歩きにくい地形と、変わらない景色、そしてそれらが齎す疲労。

 ……有体に言ってしまえば、わたし、もうへとへとです。

傭兵「……休むか?」

僧侶「べ、別に、大丈夫です」

 いましがた戦いを終えたばかりの傭兵さんが休息を必要としていない以上、見ていただけのわたしが休むわけにもいきません。


 そういうと傭兵さんはわたしにでこぴんを一発して、

傭兵「雇い主が疲れてたら休むんだよ。敵が強襲してきたとき、疲れて満足に逃げられなかったらどうする」

傭兵「お前、ラブレザッハに行く気がないのか?」

 わたしはぶんぶんと首を振りました。勿論横に、です。
 すると傭兵さんはどっかと腰をその辺の石に下します。そして自分が持っていた道具袋をわたしへ投げて、一言「座れ」。

僧侶「え、でも」

傭兵「どうせ大したものは入ってない。敷け。座れ。休むときはきっちり休め。それが鉄則だ」

 言われるがままに道具袋をお尻の下に敷きました。地面の硬さや冷たさなどが、確かにこれ一枚でだいぶ緩和された気がします。
 優しいんですね、などとは言いません。そもそも思っていません。これは彼なりのプロ意識なのです。わたしが、懺悔に来た人間ならば分け隔てなく受け入れるのと同様に。

 腰を下ろせばどっと疲れが噴き出してきました。膝が笑ってます。眠気も襲ってきました。集落を出てからは歩きどおしで、睡眠はとったといえ、殆ど仮眠のようなものです。物音にびくびくしながらの就寝でしたから。

傭兵「寝るなら俺が見張りをしておくが」

僧侶「悪いですよ」

傭兵「そういう気遣いは無用なんだよ。どうせ今夜も野宿だ。すぐ目ェ覚ますんだろうから」

 ……ば、ばれてる!


僧侶「……じゃあ、すいませんけど、ちょっとだけ」

傭兵「おう。何かあったら蹴り飛ばす」

僧侶「普通に起こしてくださいよっ!」

傭兵「大丈夫、だーいじょうぶ」

 これほど不安になる「だいじょうぶ」なんてめったにありません。

 強がりもそこまででした。魔王よりも強大な睡魔がわたしの意識を深淵に引きずり込んでいきます。

――――――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
書き溜めがそろそろ消化されようとしているので、更新がおそくなることがあるかもしれません。
気長にお待ちください。


 ※ ※ ※

 日は変わった。しかし景色は変わらない。
 どこまでも続く大森林の光景は、いくら俺でも聊か精神に来る。終わりが見えないのは焦燥感を煽るし、どこから敵が現れるかわからないのもまた同様だ。
 僧侶は俺の背後でふらふらになりながらも懸命に脚を動かしている。視線はぼんやりと上空へ向けられていて、ほぼ無心だ。余裕の「よ」の字もない。

 休もうか、とは言わなかった。今度こそは僧侶も首を横には振らないだろう。そんなにちまちまと休んでいたらいつまでたっても目的地まではつかない。無理のし過ぎは当然禁物として、多少の無理は通さなければだめだ。

 本当に厳しくなったらそれこそ気絶させてでも休ませよう。護衛自体は珍しいことではない。気の使い方も、よほどの場合も、心得ている。

傭兵「……?」

 いや……。
 俺は鼻をヒクつかせる。確かにする。水の匂いだ。

傭兵「水場だ。少し寄っても大丈夫か?」

 水はまだ十分あるとはいえ、補給できるときに補給して損はない。瘴気に汚染されている可能性や、同様に水を求めてやってきた魔物に出会う可能性もなくはないが、そのときはそのときだ。

僧侶「あ……はい、大丈夫、です」

 声に力がない。だいぶ参っている。普段から鍛えてないからこうなるのだ……とはいえ、一介の僧侶に強靭な足腰と体力を求めるのは無謀か。
 嗅覚を頼りに五分ほど歩けば川に行き当たった。沢もないような小さなせせらぎだったが、そのまま下っていくと、やおら急に幅が広くなり、小さな池のようになっている。

 人がかつて使った形跡は有れど、居住の気配はない。誰かがここを拠点に活動しているわけではなさそうだ。


 俺が水を汲んでいると、背後で僧侶が水面を眺めていた。単にぼうっとしているわけではないようで、なんだか羨望のまなざしである。

傭兵「水浴びするか?」

 あてずっぽうで言った言葉が正鵠を射たらしい。僧侶は一瞬赤面し、俺から視線を逸らした。
 こいつも女子だ。あの集落の宿では風呂に入ったのかもしれないが、それから森の中を歩き通しで、不快感を覚えているのだろう。
 慣れている身としてはどうでもいいのだが、年頃の女子にはそれは、もしかすると何事にも代えがたい苦痛かもしれない。

傭兵「安心しろ、見張っててやる」

僧侶「……覗かないで、くださいね」

 覗くか、ばか。

 木陰で脱いだ僧侶は池へと身を沈める。ちゃぽん。ちゃぷ、ちゃぷ。ざぶん。ばっしゃん。背後で水の跳ねる音が断続的に響いていて、どうやらお気に召していただけたようでなによりだ。

 魔物の気配も今はない。こうなると俺も手持無沙汰。

 退屈を紛らわせるために背後へと声を投げる。

傭兵「どうだ?」

僧侶「気持ちいいですよ!」

 ばしゃばしゃと水音。はしゃいでいるようだ。これで疲れや眠気もある程度は飛んでくれるだろう。


傭兵「お前僧侶らしいけど、宗派はなんなんだ? そう言えば聞いてなかったよな」

 広い大陸に宗教は沢山ある。新興のそれまで含めたらきりがない。
 基本的には商人に信仰されているもの、農民に信仰されているもの、騎士に信仰されているものに大別できるだろう。分派は様々だが、どの町に行ってもこれら三柱は教会が存在する。

僧侶「わたしはカトリアンです。あんまり一神教って好きじゃあなくて」

 カトリアン……農民に普及しているカトル教を信奉している者たちの呼び名だ。他の二つの巨大宗教、商人の信じるプロトニック教と騎士の信じるダバラモ教は厳格な一神教なのに対し、カトル教はアニミズムである。
 宗教には明るくないが、教義くらいは知っている。カトル教はこの世の遍く存在に魂が宿ると説き、一人では何事もなせず、協働を通して魂を研鑽することでいずれ昇天できると教えている。

 なるほど、確かにこいつにはぴったりだな。他人を放っておけないところなんか特に。

僧侶「傭兵さんの宗派は?」

傭兵「俺か? 俺はマーナセン教を少々な」

 俺の言い方がおかしかったのか、僧侶は笑いを噛み殺した感じで応じる。

僧侶「少々って……それにしても、意外ですね」

傭兵「何が」

僧侶「傭兵さんが信徒だったことにです。しかもマーナセンって。わたしも知識があるわけじゃないですけど、土着信仰ですよね、それって確か」


傭兵「信じちゃいねぇよ。ただ、無宗教を名乗っていれば、熱心な奴らから受けが悪い。それに、験を担ぐくらいは俺だってするさ」

僧侶「験担ぎ、ですか」

傭兵「なんたって俺は傭兵だからな」

 あまりのくだらなさに言って自分で笑う。
 僧侶は暫し無言でぽかんとしていたけれど、少ししてその意味を察して、

僧侶「傭兵、マーセナリー、マーナセン、ですか」

傭兵「そのとおり」

 僧侶の顔は見えないが、きっと呆れ顔のことだろう。

僧侶「まだ大森林は入ったばかりなんですよね」

 話題を切り替えて聞いてきた。短く「そうだな」と答える。

傭兵「普通に行けばあと五日くらいになる。間に合いそうか?」

 そこが問題だ。
 僧侶は曖昧に笑った。いや、もちろん背を向けているため顔は見えないが。

僧侶「昨日の兵士さんが言うには、ラブレザッハには現在軍の本隊が駐留しているとのことです。今行くのはちょっと危ないかもしれませんね」

傭兵「そうか? 一般人の入国が問題になるとは思えないが」


僧侶「州総督はきな臭い噂の絶えない人です。御膝元のラブレザッハを守るのは、そもそも彼の私設軍。そこに傭兵ないし王立軍が駐留する理由はわかりませんが、国王と州総督の確執があると見て間違いないでしょう」

僧侶「となれば、決して雰囲気はよくないはず。入国は厳格化されるでしょうし、内部でのいざこざも、もしかしたらあるかもしれません」

 この国は大小さまざまな村・町・都市から成る。大きな都市はそれひとつで、小さな町村はいくつかまとまって統治が行われている。
 最小の政治的な単位をそれぞれ州といい、州を治める者は領主、そして領主たちを束ねるのが州総督だ。

 現在の州総督は僧侶の言うようにあくどいと評判だ。そのため、立場的にやつの下についている領主たちも、重税を課したり徴兵をしたりと横暴も甚だしい。

 それとは別に王都があり、そこには直系で連なる王族貴族がある。王族一派の支配権は王都アシェンティアと彼らの自治区だけにのみ及ぶが、対外的な活動は全て握っている、ある種の国の象徴だ。
 必然的に王族と州総督は互いににらみを利かせる関係にある。それが一方の暴走を防ぐブレーキとなることもあり、また今回のように、不和の原因となることもある。

傭兵「一体何の用があるんだか……」

 依頼人の意図を汲むのは俺の仕事の範疇だが、だからといって不必要に首を突っ込むのは双方に利益がない。僧侶はラブレザッハに行きたい。俺は金を貰って連れて行く。それこそが互恵関係。
 しかし、見たところ十五、六程度の少女が、なぜ全てを擲ってまで向かおうとするのか。知りたいわけではないが、気になりはする。しかもあいつは自らの体を売ろうとまでしたのだ。


傭兵「道中、こいつに死なれでもしたら、最悪に寝覚めが悪くなるな。くそ」

 そうさせないために俺が雇われたのだ。金を貰った以上は働かなければ。

 と、やけに背後が静かだと思った。

傭兵「……僧侶?」

 応えはない。

 脳裏をよぎるのは敵勢。しかしすぐそばでは俺が歩哨を務めていた。依然として敵影はない。気配もない。

傭兵「僧侶」

 強めに発声。やはり応えはなかった。

傭兵「悪く思うな!」

 我慢の限界だった。俺は、最悪びんたの一発でも二発でも喰らう覚悟で振り向く。
 池では僧侶が倒れていた――いや、眠っていた。石に腰かけた状態で、頬杖を突き、時折こくん、と舟を漕ぐ。
 そしてそのままバランスを崩して落ちた。

 俺は振り返った勢いのまま跳んだ。
 なぜ、と問われると困る。完全にその場の流れだった。

 決して僧侶の裸体が見たかったからだとか、触れたかったからだとか、そんなよこしまな気持からではない。断言できる。ちんちくりんには興味がないのだ。つるぺたすじまんは対象外なのだ。
 十も離れたガキに欲情しない。していたら最初の晩に襲っているはずだろう。

 これは俺にあるまじき善意。もしくは、契約に含まれている「僧侶の身を守ること」。俺は悪くないし、裸体を見てしまったのも、あまつさえ溺れかけた僧侶を抱きかかえたのも、その際に胸やら尻やらを触ったのも、全て不可抗力だ。

 だから許せ。


僧侶「……」

 と言うようなことを小一時間かけてのべつまくなし撃ち続けても、僧侶はこちらを向く気配がなかった。
 膝を抱きかかえ、帽子を目深にかぶり、「見られた見られた見られた……」と呟いている。

傭兵「大体お前、自分の処女売ろうとしてただろうが」

僧侶「それとこれとは話が違いますっ!」

 思春期の気持ちはとうに忘れてしまった。いや、昔日は春を思う余裕などなかったような気もする。

僧侶「傭兵さん!」

傭兵「なんだ」

僧侶「この辺りに魔物の巣や砦はないのですか!?」

傭兵「あったらどうする」

僧侶「ぶっ潰しましょう! こういう時こそ善行を積まなければなりません!」

 確実に八つ当たりだった。
 結果としての善行を神様が照覧してくれるものかは全くわからない。というか、寧ろ魔物の方に同情したくなりさえする。

傭兵「あほか。エルフたちとの小競り合いの真っ最中だぞ、警戒されてるに決まってる。死ににいくつもりか」

「物騒な話ですよねぇ」


 茂みをかき分け一人のエルフがやってきた。いつぞやのハーフエルフとは違う、純潔のエルフだ。細長い耳、金髪碧眼、すらりとした長身にそれが見て取れる。

 エルフは弓と短剣こそ携えているが、それを抜く気配は見せなかった。

 そして俺はその理由を知っている。

傭兵「……この辺りだっけか。お前の棲家は」

エルフ「やーですねぇ、『棲家』だなんて表現をされるのは。クラン、と言って欲しいです」

傭兵「前はもっと奥の方だったろう?」

エルフ「うわぁ、シカトですよ。ドン引きー」

僧侶「……お知り合い、ですか?」

 凛と引き締まった風貌、雰囲気からの、この口調である。僧侶は得心のいってないような顔をしている。

傭兵「エルフに伝手がある、と言ったのを覚えてるか? それがこいつだ」

エルフ「初めまして。『大いなる神々に愛されしクランの装具工代表の未来豊かな第三子』と言います。以後お見知りおきを」

僧侶「……え?」

 戸惑う僧侶。無理もない。俺も最初はそうだった。


 エルフはからからと笑って、

エルフ「からかってるわけじゃないんですよ? 人間には、わたしたちの名前は可聴も発音もできないんですよねぇ、言語が違いますから。今のは、もし人間の言葉になおすなら、ということです」

エルフ「――――」

 エルフは確かに口を動かした。けれど彼女の口からは、どうやっても何かが生まれているようには見えない。

エルフ「ほら、ね。そもそも、こうやって話せるのも、変換魔法があるからだし?」

傭兵「いい加減俺の質問に答えてくれ」

エルフ「あはは。ごめんねぇ。でも、ま、傭兵くんの想像通りだと思いますよ」

傭兵「魔王との戦いに駆り出されてるのか」

エルフ「そりゃうちのクランは一員総戦闘員! みたいなところあるしねぇ。戦力の足りないところへ随時派遣されてるんだよ」

傭兵「てことは、この辺りは前線なのか?」

エルフ「やー? そういうわけじゃないよ。でも、いつ前線になってもおかしかないねぇ」


傭兵「一つお願いがあるんだが」

エルフ「高くつくよ?」

傭兵「金ならある」

エルフ「あはは。お金なんて人間の世界でだけ通用するものさー。そんなものに頼らないと信頼すら築けないんだね、相変わらず」

僧侶「傭兵さん……?」

 不安そうな目で僧侶は俺の後ろに隠れた。

傭兵「安心しろ。悪意はないんだ」

 俺も最初は苛々したものだ。こいつらエルフは他人の文化や風習を貶めこそしないが、確実に、ほぼ確実に、見下している。
 自分たちができ、他人ができないことを、素直に「どうしてこんな簡単なことをできないんだ?」と口に出してしまえる。

 種族の壁は高く、厚い。そもそも、偶然知能が高いから友好的な交友が可能なだけであって、俺たちとの差はゴブリンと同様にあるのだから、理解できないのも当然と言えた。

傭兵「宿を貸してほしい。軒下でもいいんだ。というか、こいつが安心して寝られる場所さえありゃいい。心当たりはないか」

 こいつ、で僧侶を指さす。


 僧侶は途端に慌てふためいて、「いえいえそんな」だとか「結構です」だとか異議を申し立ててくるが、すべて却下だ。また沐浴の最中に眠られても困る。

 エルフは顎に手を当て、芝居がかった動作とともに、俺と僧侶を見比べる。

エルフ「ふむふむ。ほーお。へぇ。はいはい」

エルフ「傭兵くんてロリコンだったっけ?」

傭兵「違ェよ」

 わざと間違えてやがるなこのくそたれ。

エルフ「あはは。知ってるよ。傭兵くん一人なら、大樹の穴倉の中だろうが蝙蝠の棲家の洞穴だろうがいくらでも教えてあげられるんだけどねぇ、雇い主サマも一緒だとなると、多少は気も使いたくなる」

エルフ「よし、わかった! 今晩はうちに泊りなよ。狭いところだけど、雨風は凌げて横にはなれる。十分でしょ?」

傭兵「悪いな」

エルフ「なーに、傭兵くんには借りもあるしね」

傭兵「俺だってお前に借りがある」

エルフ「そう! 損得勘定なんてのは人間のすることさー。それがただでさえ短い人生をつまらなくすることだってのに気付いちゃいない。うちらエルフとは正反対さね」

 この神経を逆撫でするような言動……いや、辞めよう。犬が粗相したのを本気で怒らないように、エルフたちの言動を窘めることに意味はない。

 僧侶がこちらに視線をやってきている。エルフの人柄に対してのものというよりは、俺とエルフの関係を問う意味合いが強いような気がした。勿論それについて言及はしない。


エルフ「とりあえずうちは哨戒の続きをしてくるから、二人は川を遡上すればいいよ。クランがあるから、友好の証、まだ持ってるよね? それ見せれば悪いことにはならないはず」

 俺は懐から一本の枝を取り出した。トネリコの葉。これがエルフたちとの友好の証なのだ。
 エルフは満足そうにうなずいて去っていった。その後ろ姿がまるで嘗てと変わっていなかったので、図らずとも寂寞の念に駆られる。

僧侶「なんか……凄いひとでしたね」

 僧侶はたった一言それだけ漏らした。それは事実だと思うし、的確だ。
 すっかり裸体を見られたことを忘れてしまっているようなので、これ幸いと川に沿って遡上していく。

 なるほど、確かにクランが存在しているようだ。その姿はまだ見えないが、通りやすいように木の下枝が打ち払われているし、藪も踏み固められている。
 よく沢に降りているであろうあたりの土は少し剥げていて、生活痕が点在している。

 嫌な予感がした。
 そしてその予感は事実と言う形で鼻孔を突く。

 濃密に香る血のにおい。

 俺は剣の柄に手をかけた。
 一拍遅れて、僧侶も顔を顰める。


僧侶「傭兵さん、これって……っ!」

傭兵「俺の後ろに隠れてろ。絶対に、何があっても、顔を出すな。俺が死ぬまでは守ってやる」

 木の影から奥を窺う。乱立する樹木の中はあまりにも静かで、静かすぎて、呼吸も鼓動も俺と僧侶の分しか感じられない。
 目を凝らせば確かにいくつかの住居が見える。百メートルほど先だ。動くものの姿は捉えられない。エルフも、敵も。

 それは限りなく最悪に近いイメージを想起させたが、最悪ではなかった。エルフのクランを一つ壊滅させるほどの敵がまだ居座っているのだとすれば、それは恐らく、俺の手に負える存在ではない。

「わかってるのぅ」

 頭上から声。

 死んだ。

 と思った。

 殺意がない。気配がない。音もない。影も形もない。
 違う。ないのではない。俺が単純に悟れなかっただけだ。それほどまでに実力差は乖離している。強いとか弱いとか、同じ秤に乗せていいものではなく、そもそも強弱の俎上に載せていい存在でもない。

 しかし体は動いた。そのための訓練をずっと積んできていて、何より背後には僧侶がいる。俺は僧侶に殉じるつもりなど毛頭ないが、金にだけは。


 幻影でもう一人の自分を生み出しながら火炎魔法を唱えてめくらまし。その一瞬の間に僧侶の腕を取り、勢いに任せて逃げ出した。

僧侶「なんですかあれ! なんなんですか!?」

 僧侶も彼我の実力差を悟ったのだろう。半ば狂乱状態で叫んだ。

傭兵「俺も知らん! とにかく喋るな! 舌噛むぞ!」

 幻影を追加。今度は俺だけでなく、僧侶もセット。逃げる俺たちと同様に逃げる幻影を三つ、ばらばらの方向へ向かわせる。
 これで少しでも時間が稼げれば!

「かっかっか! 愛い奴愛い奴!」

 またしても声が頭上から降ってくる。

 不可視の力場が俺を僧侶ごと吹き飛ばした。木に激突し、全身が軋む。
 怯んでいる暇はどこにもなかった。立ち上がって剣を抜くも、既にその埒外な存在は俺の懐に潜り込んでいて、品定めの如く俺を上下左右から見て回る。

 俺は体が動かない
 息すらもできない。

 果たしてそれが敵の能力によるものなのか、純粋な恐怖であるのかは、現時点では判断がつかなかった。


僧侶「傭兵さん!」

 僧侶は既に拳銃を構えている。脚と腕が恐怖で震えている状態でどこを狙うつもりだ、あのばか!

傭兵「てめぇは逃げろっ!」

僧侶「そういうわけにも!」

 僧侶の言葉は半分正論だった。ここで彼女が逃げたところで、襲撃者が彼女を見逃してくれる可能性は少ない。彼女がきちりと生き残る術は、ここで二人で襲撃者を無力化するしかない。

 が、それができるものならとっくにその選択肢を選んでいる。

「む……よい瞳じゃ。実によぉい瞳じゃあぁ……」

 赤ら顔の山伏。
 高下駄を穿き、椛を象った団扇を持っている。
 何より、その高く、高く、高い鼻。

 風貌だけは噂で聞いたことがある。
 なんでこんなやつがこんなところに。

傭兵「役小角……」

「ほう、儂の真名を知っておるか……」

 魔王軍四天王、第六天魔王・大天狗。
 またの名を役小角。


傭兵「うぉおおおおああああああっ!」

 裂帛の気合いで金縛りを――何より恐怖心を――吹き飛ばした。四天王相手にそう何度も必殺の機会が巡ってくるとは思えない。俺はこの一撃にかける思いで剣を振るう。
 しかしたった十数センチの距離が光年にまで引き延ばされている。近づくたびに刃が風化し、最早残っているのは柄だけだ。

 炸裂音が耳を劈く。僧侶の拳銃だ。理解はできたが、それもまた大天狗には届かない。勢いをそのままに方向転換、圧倒的な重力に負けて全て地面へと突き刺さった。物理反射の障壁がいつの間にか貼られている。
 地面で睡眠を誘発する光が迸る。弾丸に込められた睡眠呪文が発動したのだ。

 大天狗は団扇を振るった。一振りで光すらも掻き消し、タイミングを合わせて踏み込んだ俺へと視線を向けている。
 赤く、長い鼻を撫でた。

傭兵「ぐっ、が、ふぅっ……!」

 腹へと石柱がめり込む。視認できる速度を超えた呪文の発動に対処の仕様などあるはずがない。胃の中身を全てぶちまける。

 同時に俺へ助太刀するべく僧侶が発砲した。大天狗は一瞥し、つまらなさそうにもう一度団扇を振るう。不可視の力場が一瞬で生まれ、結果は先ほどと同じだった。

 そして大天狗の意識がそちらに向いた一瞬、俺は一歩を踏み出している。
 懐からナイフを抜き、投擲。
 ナイフが銃弾と同様に弾かれる。不可視の力場は複数設置可能で、生半な攻撃では貫けない。それだけで既に圧倒的だ。加えて圧倒的な反射速度。癪だが、この盾を貫ける矛は、俺たちには存在しない。

 ゆえに、数の利。


 もし仮に勝機が――というよりもやり過ごす術があるとするのなら、それは数の利を活かした挟撃以外にありえない。数での有利を打ち捨ててまで勝てる道理はなかった。
 それも今の攻撃で仕留められなかったのだから推して知るべしだ。

 再度ナイフを投擲しようとするが、懐に手を差し入れた時点で、既に大天狗は俺の首根っこを押さえに来ている。咽頭が圧迫され物理的に呼吸ができない。頸椎に、ともすれば折れてしまうほどの力が加えられている。
 が、感じたのは何よりも慈しみだった。繊細な硝子細工を丁重に扱う時のような慈しみを、大天狗は俺に向けているのだった。

傭兵「ごぅ、ぁう……」

 これは、やばい。落ちる。

 天狗の背後で僧侶が拳銃を構えていた。だから逃げろと言っているというのに!

大天狗「童……なかなか強いなぁ? どうだ、儂の弟子にならんか、ん?」

 僧侶の発砲に大天狗は今度こそ一瞥すらくれない。不可視の力場が全ての外敵から大天狗を守る。

 俺は明滅する意識の中、縺れる舌をなんとか操って、一言。

傭兵「遠慮、させて、もらう」

 俺は密教になぞ興味はない。金を稼がなければならないのだ。


大天狗「かっかっか! 死の間際でそんな口が利けるか、肝の据わった男じゃのぅ!」

 大天狗は呵呵大笑する。まるで生まれて初めての経験のように。

大天狗「なら死ね」

「傭兵くん!」

 魔力を籠められた矢が大天狗を襲う。しかし大天狗は瞬きだけで障壁を生み出し、矢の全てを受け切って見せた。

エルフ「もういっちょ!」

大天狗「生き残りがおったか」

 黒翼を背中に生やし、大天狗は大きく羽ばたいて距離を取った。矢は全て打ち落とすが、五十を超える本数の矢の前では、さすがの大天狗もおいそれと反撃には移れない。とはいえ窮しているわけでもない。
 あくまで軽い調子のままエルフは手をひらひらと振った。それが俺たちに撤退を促しているのだということがわからないくらい、俺たちの間柄は浅くない。と同時に、簡単に見捨てられるほども。

エルフ「あはは。いいのさー。今やってるのは戦争で、それは魔王軍とエルフの戦争だ。うちらの戦争だ。人間の戦争じゃない」

エルフ「この戦争はうちらのものだ。うちらだけのものだ。他の奴らに渡したりなんかするもんか。そうだろう? 傭兵くん」


 戦争戦争と繰り返すエルフの口の端から涎が滴っていく。
 実に楽しげだった。待ちに待ったバースデープレゼントを開く子供の笑顔。遠足が楽しみで眠れない子供の笑顔。それがいっぱいに彼女の顔面に張り付いている。

僧侶「でも、そんなことしたら、エルフさんが……!」

傭兵「逃げるぞ」

僧侶「傭兵さんっ!?」

傭兵「ここにいたって無駄死にだ! 安心しろ、あいつは俺くらいには強い!」

 それは事実であって、文法が滅茶苦茶だった。
 俺くらいに強いのならば、あの大天狗には決して勝てない。だからこの場合の「安心しろ」は限りなく誤答である。
 しかし他にどんな声をかければよかったのだろう。それとも声なぞかけず、有無を言わさず連れ出せばよかったのか。

僧侶「だけど、だめです!」

エルフ「早く! 巻き添えにしても、知らないかんねっ!」

 エルフの周囲を光が包み、数多の煌めきはそのまま矢へと形を変えていく。

傭兵「ちっ!」

 俺は僧侶の鳩尾を打った。昏倒させ、ぐったりと力の抜けた僧侶を抱えると、一目散に走り去る。
 背後で大爆音が響く。振り向きたい衝動を必死にこらえながら、俺は走り続けた。


傭兵「はっ、はっ、はっ!」

 一体どれだけ走っただろう。足の裏の感覚がない。傭兵も含めて冒険者生活は長いが、ここまで走ったことも、また走れたこともなかった。俺の脚を止めないのは体力ではなく、気力でもなく、必死感。
 どこまでがあの大天狗の決死圏なのかわかったものではないから。

 それでも限界は来る。自分の意思とは全く無関係に折れた膝。そのまま肩口からぬかるんだ地面へと激突した。なんとか僧侶だけは放り出さないですんだが、それだけ。全身が軋んで動かない。
 心臓がうるさいくらいに働いている。いや、これはきっとオーバーワークからくる文句に違いない。春闘だ。もっと給金を挙げろと叫んでいるのだ。

 しかし心臓は俺のもので、俺のものであるのだから俺の指示と意思に従ってもらわなければ困る。

 からんからんからん、と音が薄暗い森に響く。
 何かを脚にひっかけたのだった。恐らく侵入者警報代わりの鳴子。本来ならば慌てる場面かもしれないが、今回ばかりは事情が違う。鳴子があるということは、人間がいるに違いないから。

 魔物たちのものでは断じてない。なぜなら、あちらにそこまでの知能はない。

 静寂。いや、その中で確かに、微かに、衣擦れの音が聞こえる。
 俺は両手を空にして挙げた。無抵抗のポーズだ。きちんと体を動かせているのかは甚だ疑問ではあったが。


 暗がりから人影が現れた。戦士と盗賊……どちらも男。戦士が前衛で剣を構え、盗賊が後衛でボウガンを構えている。パーティとしてはバランスを欠いている。見えない位置から魔法使いあたりが様子を窺っているか?

傭兵「こっちは旅の者だ。敵意はない」

 敵意もクソもこんな状態ではあったものじゃない。
 二人は僅かに視線を合わせ、頷いた。そして得物を下ろす。

戦士「どうした。怪我をしているようだが」

傭兵「大森林の中で四天王に遭った。第六天魔王、大天狗、役小角だ」

盗賊「……大天狗だと?」

 マスクで隠れた盗賊の顔、その唯一晒されている切れ長の瞳が、大きく開かれた。
 戦士も驚愕の表情を作っている。疑わしい――しかし本当であれば捨て置けない。その判断を頭の中でしているのだろう。

戦士「それは、どこで」

傭兵「だいぶ走ったから正確な距離は覚えてないが、ここから二、三十分程か? エルフのクランがあった。そのあたりだ」

盗賊「エルフのクランは知っている。たまに取引があるからな」

 取引? なんのだ? 気になるが本題はそこではない。

傭兵「そこが大天狗に襲われて壊滅した。一人のエルフが大天狗と応戦しているが……勝ち目は薄い」


戦士「……そうか。とりあえず、ご苦労だった。町に来るといい。大したものはないが、体を安静にできるくらいの施設はある」

傭兵「町?」

戦士「あぁ。採石の町、ゴロン。聞いたことあるかい?」

傭兵「寡聞にしてないな。この近くなのか」

戦士「近くと言うほど近いわけでもないさ。数時間歩けば、ってところだ」

盗賊「俺たちは大森林の調査のために派遣された傭兵だ」

傭兵「争いの渦中の大森林で? 命知らずだな」

戦士「だからこそ、さ。魔王軍のやつら、容赦なく瘴気を振りまくもんだから、汚染の進行が速い。自浄を越えてる」

 魔物は瘴気がなければ生きていけず、死してなお瘴気を生み出し版図を広げる。地脈の浄化作用で本来は拮抗するものの、行き過ぎれば人間には毒だ。
 まだ大森林の浅いところだから俺たちも実感は湧いていないが、これがさらに深部だと、もしかすれば不調も出てくるのかもしれない。そうでなくとも魔物はより凶暴に、強力になっていくだろう。

 いや、こいつらの様子だと、僅かに町の方にも影響が出ているのかもしれなかった。

戦士「これ以上進行すると危ないってんで、特に瘴気の濃いところを探してるのさ。争いのさなかでも、いや、だからこそ採石は必要になる」


盗賊「おい、魔法使い、出てこいよ。こいつは安全みたいだ」

魔法使い「……」

 寡黙な様子で魔法使いが現れた。ローブに身を包んで、樫の杖を持っている。存外若い風体で、片眼鏡が特徴的だった。

戦士「旅の者と言っていたけど、その女の子も?」

 そこでようやく三人は俺の背中の僧侶に視線をやった。僧侶は少々眉根を寄せて苦しそうにしながらも、おとなしく眠っている。

傭兵「人攫いに見えるかい?」

盗賊「随分とな」

 真面目くさった言い方だった。盗賊如きに人攫いに見られてはたまらない。俺は苦笑して戦士を見てやった。

戦士「すまんな、こういうやつなんだ」

傭兵「俺はお前らの同業者だ。こいつは雇い主。大天狗に襲われたって言ったよな。エルフを見捨てていくのを拒んだ、だから気絶させた」

 驚くべきことに一番大きな反応を示したのが魔法使いだった。寡黙なのは変わらずだが、何かを思うところがあるのか、目を潤ませて俺たちから――否、僧侶から視線を逸らす。

傭兵「悪いが、とりあえず案内してくれないか? 俺もそろそろ限界なんだ」

―――――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。
四天王とか序列とかって言葉の響き、いいよね!

そして次回から「採石の町、ゴロン」に舞台は移ります。よろしくお願いします。


* * *

 物音がして目を覚ましました。

僧侶「だれっ!」

 反射的に拳銃を向けると、掃除婦さんが「ひっ」と短い悲鳴を上げて後ずさり、倒れます。

 ……拳銃?
 ……掃除婦?

 見れば宿屋の一室でした。わたしはベッドの上にいて、そこそこ上物の絨毯が敷かれている部屋はそれなりに広く、品のいいテーブルや椅子、小さいですがクローゼットもあります。
 そして部屋の隅に傭兵さんとわたしの荷物が固まっておかれていました。傭兵さんの折れた剣やナイフも。

 わたしは謝罪しながら拳銃を下ろしました。どうしてわたしは拳銃を持っているのでしょうか。

――フラッシュバック。

僧侶「……そうか」

 あの恐ろしすぎるまでに恐ろしい大天狗。あれに襲われて、傭兵さんに気絶させられて……でも今傭兵さんの姿は見えません。そしてこの宿屋。事実に頭がおっつかないのです。


僧侶「あの、連れはどこにいるか、わかりますか?」

掃除婦「申し訳ありません。傭兵様の居場所は私も存じておりませんで……」

 優雅な身のこなしで掃除婦さんは傭兵さんの衣服だとか、部屋の足跡だとか、そういったものを処理していく。

掃除婦「僧侶様はどうなさいますか? お着替えをお手伝いいたしましょうか」

僧侶「え? いえ、けっきょうでしゅ!」

 盛大に噛んだ。着替えを手伝ってくれるなんて、それにこの部屋のランクを見てもわかるように、かなりいいところに泊まっているらしい。そんなお金があったのでしょうか。それとも傭兵さんの持ち出し?
 あの人がそんな殊勝なことをするとは到底思えませんけど。

 それにしても、傭兵さんの居場所がわからないことには、わたしも動くに動けません。伝言は預かっていないようだし、書置きも……うん。部屋の中にはありませんね。
 逆説的に、これは傭兵さんが短時間で戻ってくることを意味しています。あの人がわたしをおいて長時間いなくなるなんてことは、今までなかったのですから。

 そこまで考えて、わたしがあの守銭奴にそれなりの信用をおいていることに気づき、少し落ち込みました。
 いえ、わたしは彼の戦闘力に信用をおいているのであって、決して、決して、人間性に信用をおいているわけではないのです。と自分に言い訳をしておきます。

僧侶「あの、ここはどこなんですか?」

 掃除婦さんに声をかけると、彼女は少しきょとんとして、けれどこちらに不快感を与えないような優雅なしぐさで、

掃除婦「採石の町、ゴロンでございます」

 と言った。


 採石の町、ゴロン……聞いたことがない。いや、わたしたちは大森林にいたはず。であるならば、この町も大森林の中にあるのだろう。聞いたことがないのも当然だ。

掃除婦「もしお暇でしたら探しに町に出られては? それほど大きな町ではありませんし、今日は礼拝日、教会に行けば見つかるかもしれませんよ」

 あの人が礼拝なんてするはずはないのですが、わたしは軽くお礼をして、ベッドから這い出ました。僧服からネグリジェに変わっています。サイズもぴったり。
 森の中を歩きまくったどろどろの服で寝られないのはわかりますが、眠っているうちに着替えさせられたことを思うと、顔から火が出るほど恥ずかしいです。まさか傭兵さんがやったのではないと思いますが。

 見ればテーブルの上に畳まれて置かれていました。洗剤のいい匂いが鼻孔をくすぐります。ふわふわとした柔らかな手触りはいつまでも触っていたいくらい。
 するりと袖が通っていきます。心地よさを感じながら着替えを終わらせ、鞄を背負い、僅かに悩みましたが拳銃を入れて、部屋を出ます。勿論書置きは残して。

僧侶「『もし帰ってきていたら、教会まで来てください』と」

僧侶「……あれ、教会ってそういえば――」

 なに教のなんですか、と聞こうとして振り返れば、既に掃除婦さんは仕事を終えていなくなっていました。音も立てず。プロの仕事です。
 まぁ外に出ればわかるでしょう。わたしは別段引きこもりではないのですし、そもそも門外不出は性に合いません。

 そうして外に出ます。

僧侶「うわぁ……」

 端的に、凄い、と思いました。


 町の中心に大きな竪穴があります。大きなとは、本当に大きな、です。小さな集落ならすっぽりと収まってしまうくらい巨大な竪穴が町の中心にあるのです。
 わたしはついさっき聞いた言葉を思い出します。「採石の町、ゴロン」。採石なのですから、つまりあれは鉱石の採掘場なのでしょう。中心に向かって渦巻き状になった道を、一輪車を押した人たちが上下しているのも見えます。

 町は竪穴を中心にできているのでした。わたしが泊まっていた宿も、石屋も、装具屋も、食べ物屋も、住居も、竪穴をぐるりと囲む螺旋状、竪穴の壁面に建てられています。
 宿は竪穴がよく見える、恐らくメインストリートなのでしょう、一際大きな道路――いえ、通路と言ったほうが正しいでしょうか?――に面していて、もし先ほどの部屋の窓からのぞきこめば、もっと高い位置から竪穴を見ることができたはずです。

 下を見れば竪穴があって、そして上を見れば、今度は精錬の煙があちこちから立ち上っているのが見えました。白、黒、黄色、様々な煙が見えます。
 わたしは鍛冶には詳しくないのですが、きっと使っている鉱石や、工程の違いなんでしょうね。

肉屋「この光景が珍しいのかい?」

 振り向けばお肉屋の店主さんがわたしを見ていました。どうやらきょろきょろしているところを見られてしまったようです。
 店先のディスプレイに並ぶのは、オーソドックスな豚や牛ではなく、魔物の肉が主でした。勿論豚や牛も並んでいますが、どれも割高です。大森林の中にある町ならそれも仕方がないのでしょう。
 本来なら瘴気で食べられないはずですが、もしかすると血抜き同様に瘴気を抜く術もあるのかもしれません。


肉屋「この町に初めて来た人間は大抵そんな顔をするよ。で、どうしたんだい。お嬢ちゃんは何か用かい?」

僧侶「あ、教会の場所を教えてほしいのですが」

 店主さんは怪訝な顔をしました。

肉屋「教会ィ? そりゃ教えてやるけどさ、お嬢ちゃん、カトリアンだろ? この町にゃプロトニックの教会しかないぜ?」

 そうでした。わたしはカトルの僧服を着ているのです。別段カトルとプロトニックは敵対してはいませんが、他宗派の教会にこの僧服を着ていくのは無礼なことでしょう。
 仕方がありません。一度宿屋に戻って私服に着替えてくるしかないですね。

 プロトニックは商人に信仰されています。「労働こそ神から与えられた天命であり、全ての職業は天職である。正しく働くことによって神からの加護がある」と彼らは信じています。
 わたしは正直、その教義に対しては半信半疑でなりません。

 半信は前半の部分にです。労働自体は尊いものだとわたしも考えます。職業に貴賤は有りません。わたしの僧侶としての職務と、傭兵さんの職務、どちらも同じくらいに重要なことです。
 しかし、わたしは後半部分に半疑します。正しい労働とは一体何なのか。この世の中にきちりと「正しい」ものがあるならば、それこそ神の教えなどいらないのではないか。

 それになにより、プロトニックの教義が正しいとするならば、正しく働く者こそが富める者になっているはずです。
 しかし、現実はそうではない。例えば州総督のように。

 背理法。


 お金には地位や権力が付随します。そしてそれらにはどうしても権謀術数が付随して、必然的にプロトニックの教義からは遠ざかっていってしまいます。
 わたしはそれが、現実との乖離に思えてならないのです。

 正しい労働に価値を見出すのか。

 金銭に価値を見出すのか。

 後者であるならば、きっと、それは神など最早どうでもいいのです。
 彼らにとっての神様は、紙幣であるに違いありません。

 資本主義の犬め。

僧侶「……っ」

 体を思わず震わせました――奮うのを堪えて。わたしの中の激情が鎌首をもたげたのを、何とか押しとどめます。
 今は、まだ。


 着替えを終えて教えていただいた教会へと向かいます。教会は螺旋の上の方にあって、少しばかり足腰が痛くなりますが、我慢我慢。
 上層へ行けばあとは探すまでもありませんでした。今日は言った通りの礼拝日。信者で溢れてごった返しています。人の波に埋もれてしまいそうです。

 見れば親子連れが多いようでした。みなさん、少しばかり重たい表情をしているのが気になります。
 教会の中に入るまでには多少の時間がかかるでしょう。教会の内装には大いに興味があります。が、わたしの目的は傭兵さんを探すことで、こんなごった返したところに傭兵さんがいるはずはありません。
 書置きを残しているとはいえ、この中では傭兵さんがわたしを探すのも一苦労でしょう。

 ……仕方ありませんね。やっぱり帰りましょう。

 と踵を返そうとしたその時、肩をつつかれました。

僧侶「え?」

魔法使い「……」

 ローブを身に纏った女性でした。年齢はわたしより五つくらい上でしょうか。銀髪に片眼鏡が特徴的です。

僧侶「礼拝、するんですか?」

 か細い、かわいい声でした。
 わたしは首を傾げます。この人とどこかで出会ったでしょうか。


魔法使い「……あ、そうか……」

魔法使い「これ……」

 女性は一枚の手紙を差し出しました。受け取ると、そこには傭兵さんの走り書きでわたし宛のメッセージが書かれています。

『用事を済ませたい。二時間くらいで宿に戻る。魔法使いに護衛を頼んだから、一緒によろしくやってくれ。宿代は俺持ちだから、これくらいは許せ』

 ……はぁ?
 なんですかこれ。なんなんですかあの人。職務放棄ですか。
 少しでも信頼したわたしがばかみたいじゃないですか!

僧侶「で、あの、魔法使い、さん?」

魔法使い「……うん。なに?」

僧侶「魔法使いさんは、えっと、いいんですか?」

魔法使い「いい。かわいい女の子は、好き、だから」

 含みのある言い方でした。なんとなく背筋にさぶいぼがたちます。

魔法使い「礼拝、する? いこっか」

 自然と指を絡ませてきます。びくっとしてそれを振り払ってしまいました。
 傷つけたかな、と思ってみれば、魔法使いさんはわたしを真っ直ぐに見て、

魔法使い「……残念」

 ……相当に不思議な人のようです。一応、警戒をしておきましょう。


僧侶「よろしくやってくれって、そーゆーことじゃ、ないですよねぇ……?」

魔法使い「?」

 言いたいことはいろいろありましたが、最早戻るのが億劫なほど進んできてしまいました。人の中をかき分けながら、教会の中へと進みます。

 高さは有りませんが奥行きの広い教会でした。いくつかの部屋に別れていて、礼拝堂、懺悔室、説法室、図書室などがあるようです。礼拝堂ではゴスペルの真っ最中で、殆どの人はこれを聞きに来たのでしょう、一番人がいます。

 人の少ない説法室に行きました。中には子供たちが十人ほどいて、司祭様に質問をしたり、逆に司祭様から子供たちにプロトニックの教えを授けています。

司祭「――ということを、我らが主はおっしゃったわけです。だから私たちも、この採石の町でやっていけるわけですね。労働に貴賤はなく、真面目に働くことが、よりよい人生を形作るのです」

司祭「ですからみなさんも――あれ。魔法使いさんじゃないですか」

 司祭様が魔法使いさんに声をかけると、子供たち、保護者の方も一斉にこちらを見ました。

「すげー、本物だ……」
「お前声かけてこいよ」
「できないよ」
「サインとかもらえるかな」
「ばか、辞めときなって」

 等等、子供たちが大きな内緒話で騒ぎ出します。

 司祭様は苦笑しながら額に手をやりました。


魔法使い「……ごめんなさい、今日は、その、デートだから」

 ……ん? 今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしましたが。
 魔法使いさん、顔を赤くしてどうしました。

 その後、なんとか無事に説法の時間も終わり、子供たちは保護者と一緒に三々五々散っていきます。その際も魔法使いさんは人気で、子供たちがみんな手を振ったり、中には握手を求める子供もいたりして。

僧侶「魔法使いさんって有名なんですね」

魔法使い「そんなこと、ない」

司祭「ふふ。魔法使いさんはそういうけどね、実際有名人なの。あなたはこの町の人じゃないみたいね」

僧侶「はい。その、えーと」

 大天狗のことを話すべきか迷って、やめました。不穏なことを迂闊に漏らすべきではないでしょう。

僧侶「旅をしていて」

司祭「旅! 懐かしいわぁ。私も昔は旅をしていたものよ。って、そんな話はいいかしら」

司祭「魔法使いさんは採石事業を担っている会社の研究員なの。彼女が来てから採石の効率は凄くアップしてね、暮らしも並み程度にはなったし、落盤事故の数もぐっと減った。司祭の私が言うのもなんだけど、町にとっては神様みたいな存在よ」

魔法使い「そんな……神様なんて」

 伏し目がちに魔法使いさんは言いました。褒められたり、そういうのがあまり得意ではないのでしょう。恥ずかしそうです。


司祭「でも、もう五年になるのか……時が経つのは早いわねぇ」

 遠い眼をする司祭様。勿論わたしにはその意味がわかりません。しかし、嘗てのこの町の状況と、そこから這い上がるための努力の歴史を垣間見ることはできました。
 きっと、だからなのでしょう、この町にプロトニック教しか存在しないのは。

 大森林に囲まれた採石の町。そして、採石の町といえば聞こえはいいですが、その実採石「しか」ない町だったのでしょう。そこから這い上がるためには現実的で即物的な欲望が必要だったに違いありません。
 即ち、金銭。

 成りあがってやると言う目標。

 勿論労働者が皆そうだったとは思いませんし、司祭様もまたそうであるとは思いませんでしたが。

 まぁ、なぜこんな危険極まりない、言ってしまえば人間の領土外の町ができたかということが何よりの疑問なのですけれど、きっと金のにおいを嗅ぎつけた人がいたのでしょうね。

司祭「そういえば、次にお医者様が来るのはいつなのか知ってる?」

魔法使い「確か、再来週って言ってたと思う」

司祭「そう……長いわね」


僧侶「お医者様がおられないんですか、この町」

司祭「いないわけじゃないけど、月に一度、魔法使いさんのところ……カミオインダストリーのお医者さまが来てくれるの。ここは大森林で、今は何かと物騒でしょう? 瘴気に当てられる人も出てるから、専門家に来てもらっているの」

僧侶「瘴気に当てられた人がいるんですか?」

 それは一大事です。大森林の中を思えば仕方がないことなのかもしれません。いくら魔術的な結界を張っていても、瘴気はゆっくり浸み込んでくるのですから。
 もしかしたら子供連れが多かったのも、あまり浮かない顔をしていたのも、それが原因なのでしょうか。子供は体が小さい分蓄積率の上昇が早いと聞きますし。

 やはりカミオインダストリーのお医者様も診察料を取るのでしょうか。ふと気になりましたが、無論、聞けやしません。気持ち悪がられるのが関の山。
 ただ、もしそれで医療すらも満足に受けられない貧困層がいるのなら、それは彼らの問題ではなく、社会の罪業なのです。

 わたしたちはそのあと少し談笑し、次の説法の時間が来たために退出しました。入れ替わりにやってきた子供たちが、やはり魔法使いさんに手を振るのを見て、心が少しだけほっこりします。
 わたしもあのような人格者になれるでしょうか。


 教会の裏手には墓地があります。恐らくは土地面積の問題で、個々人のお墓が軒並み連なっているのではなく、一つの大きな石碑がある共同墓地。新しく書き連ねられた名前に、享年が五つや八つのものがあることに、少しばかり心が痛みました。

 少し離れたところでは、下から見上げた色とりどりの煙を吹き出している煙突が多数見えます。あそこが鍛冶屋や装具工の集まる区域なのだと魔法使いさんが教えてくれました。

 そこから道路を下っていけば比較的大きな洞穴があって、そこはどうやら居住区のようでした。

 洞穴を抜ければ竪穴の下層で、何やら物々しいパイプが何本も突き出た建物があります。タービンの回る音。ひっきりなしに出入りする人々。ここが魔法使いさんの職場。
 当然中に入ることはできませんでしたが、そろそろ二時間が経ちます。一応宿屋に戻っておいた方がいいでしょう。遅刻すれば何を言われるかわかったものじゃありません。わたし、雇用主なのに。

魔法使い「……そう。残念」

僧侶「といいますか、魔法使いさんは傭兵さんのお知り合いなんですか?」

魔法使い「それは、なんていうか……今更?」

 なんとなく場の雰囲気に流されて、その話題すらも流してしまっていましたが、わたしはこの人のことを何も知らないのです。


魔法使い「大天狗と戦ったあとの傭兵に、私たちが出会った。彼は怪我をしていたし、一般人のあなたを背負っているし、だから町まで案内しようって」

僧侶「『私たち』?」

魔法使い「そのときいたから。仲間が」

僧侶「それにしても凄い町ですね。採掘場が町っていうか、町が採掘場って言うか」

 何言っているんだかわかりませんが、そこはニュアンスです。雰囲気さえ伝わってくれればいいのです。
 魔法使いさんは真面目に頷きました。

魔法使い「採掘場が町、かな」

 てくてくと道を歩きながら、魔法使いさんはどこを見ているのか、上空をぼんやり眺めながら歩きます。

魔法使い「開拓初期からいたわけじゃないから、資料だけで知った知識、なんだけど」

魔法使い「ここで採掘される鉱石は珍しいだけでなく純度も高い。だから、大森林の中だろうと、放っておかない人はいたみたい」

魔法使い「最初に採掘場ができて、そこにいろんな人が住み着いた。住居ができて、食料品店ができて、お偉いさんが視察に来るようになったら宿屋も作らないといけなくなった……らしい」

 だからあの宿屋は大森林の中にあっても十二分だったのでしょう。


 さながら誘蛾灯ですね。町の生まれる経緯なんてものは、実のところみんないっしょくたにして鍋に放り込んでしまえるものなのかもしれませんけど。
 砂漠でオアシスの周りに町ができるように、人は魅力的なものに誘引されますから。

僧侶「で、今は採掘事業を魔法使いさんの会社がやっている、と」

魔法使い「そう。鉱石の採掘、精製及び卸売まで、いろいろ。ご時世的に、需要はある」

 少し悲しそうに言う魔法使いさんでした。

僧侶「魔法使いさんは研究職なんですよね。魔法の専門ってなんなんです?」

魔法使い「……機密事項、に、抵触するから」

 あぁ、そういうのもあるんですか。わたしなんかが知る由もない世界ですね。

僧侶「……? あれは、なんです?」

 変に長蛇の列ができていました。赤ちゃんを抱いた女性が、もしくは両親が、ずらっと並んでいます。
 またも魔法使いさんは悲しそうな顔をしました。

魔法使い「あそこは、病院。魔法的な外傷を取り扱ってる。会社のお医者さんが持ってきた、瘴気に関わる疾病の薬は、大体あそこにある。だから」

 ……子供はより瘴気の影響を受けやすい、か。


魔法使い「この町に住んでる以上、仕方がないことなのかもしれないけど。あの子たちに、罪はない、のにね」

僧侶「どうにかできないんでしょうか」

 聖なる術式を用いたとして、瘴気による汚染をどうにかできるのは短期間。この土地を離れるか、大本の魔物を殲滅しない限り、また瘴気に汚染される。
 わかっていても問わずにはいられません。

魔法使い「ん……無理じゃないだろうけど、途方もない、かな。それこそ、戦争になる。生体からの瘴気の除去は、それ自体は研究されてるけど、実用化には遠い、し」

 戦争になる――魔物の殲滅、ということでしょう。

魔法使い「カトル教の僧侶としては、やっぱり、みんなで力を合わせてどうにかしなきゃ、って思う?」

僧侶「なんでそれを――」

魔法使い「さっき言った。あなたが気絶しているとき、カトル教の僧服着てた、から」

 なるほど。
 わたしは魔法使いさんの問いを解釈して、考えて、答えを出そうとして、いや、やっぱり違うと首を振って、考えて、答えを出しました。

僧侶「僧侶としてのわたしが、力を合わせてどうにかしなきゃって思ってるんじゃないんです、きっと」

僧侶「力を合わせてどうにかしなきゃって思うことのできるわたしだからこそ、カトル教の僧侶なんです」

 採石場が町なのか、町が採石場なのか。それと同じで。
 「わたしの信念」はきっと、「僧侶の信念」よりも先立つべきだと思うから。


 魔法使いさんはここで初めて明確に笑いました。

魔法使い「私はずっとプロトニック。でも、神様の教えは、難しいね。わからないことだらけだよ」

僧侶「それこそ司祭様に聞けばいいじゃないですか?」

魔法使い「うん。まぁ、そうなんだろうけど」

 何かを言おうか迷いましたが、それより先に宿の前についてしまいました。それじゃと去っていく魔法使いさんの後姿にありがとうございますと声をかけます。
 いいってことだよ。そう風に乗って飛んできました。

僧侶「さて、傭兵さんは戻ってきてますか――」

僧侶「――ねっ!?」

 地盤が大きく揺れました。
 同時に、爆発音でしょうか、お腹の奥底にずしんと来る重低音が、螺旋の最下層から響いてきます。それも一度ではなく断続的に。

 事故という言葉が頭をよぎりました。周囲の人々は慣れているのか、そそくさと家の中へと戻ってゆきます。

 どぉん、どぉん。少し間をおいて、どどぉん。

 なにかとてもよくないことが起こっているような気がしました。


 わたしは宿の部屋へとなだれ込みます。

僧侶「傭兵さん!」

 しかし傭兵さんはまだいませんでした。一度帰ってきた気配もありません。あの人はいったい何をしているんでしょうか。買い物にしたって長すぎます。
 外では依然として断続的な揺れと重低音。けれど途中から、勿論それらも継続してはいますが、三点鐘の音が混ざってきました。

掃除婦「お客様」

 掃除婦さんが部屋の前に立っていました。

掃除婦「どうやら最下層、採石場において魔物が出現したとのことです。ですがご安心ください。ここと距離はありますし、採石場には衛兵たちが常駐しておりますから」

掃除婦「ただ、危険なことに変わりはありませんので、くれぐれも宿から外には出ないようお願い申し上げます」

 魔物――採石場に。この揺れと音の原因は、その魔物か、応戦している護衛たちのものなのでしょう。
 掃除婦さんの様子から、魔物が出ることは決して非常事態でないことがうかがわれました。それとも、非常事態であっても、彼女はお客様を不安にさせないように同じく振舞うのかもしれませんが。

僧侶「あの、わたしは僧侶です。癒しの魔法も、少しではありますが、使えます。傷ついた人を助けたいのですが」

掃除婦「お客様」

掃除婦「我が町の自警団は屈強です。また、カミオインダストリーの衛兵の方々も、歴戦の強者揃い。医療班も充実しておいでです。失敬ですが、お客様がお出来になられることはないかと……」


 それでも、と喉まで出かかった言葉を飲み下します。ここでのやり取りに意味なんてなく、そして掃除婦さんが言うことももっともです。わたしはおとなしく引き下がります。
 掃除婦さんはにこりと優雅に微笑んで、

掃除婦「落ち着きましたらお呼びいたします。それまで、お部屋でおくつろぎください。出られませんのはお客様の安全確保のためですので、何卒ご寛恕を」

 もしかすると傭兵さんは戻ってこないのではなく戻ってこられないだけなのかもしれません。
 わたしはベッドに腰を掛け、後ろ向きにダイブしました。やわらかなベッドはわたしを優しく包んでくれて、それは今までのどんなものよりもよい質のものでしたが、胸騒ぎは止みません。

 わたしはこっそりと抜け出しました。


 町はひっそりとしています。人っ子一人いないゴーストタウン。みなさん家の中で地響きが止むのを待っているのでしょう。
 わたしは断続的に破られる静寂の中を駆けていきます。

僧侶「!」

 正体不明が這いずっていました。

 それは闇夜のように暗く、油のような粘度を持ち、洞穴から吹き荒ぶ風のような声を上げていました。大きさの違う白い穴が二つ、ぽっかりと空いています。

「う、お、お」
「ぐ、う、ぇ」
「あ、ご、ぐ」

 意思の有無さえもあやふやな音が、わたしの鼓膜と脳に不快感を擦り付けていきます。

僧侶「これが、魔物?」

 おどろおどろしい存在でした。『それ』はべちゃり、ぐちゃりと、遅々とした歩みでわたしに近づいてきます。わたしは一秒後に忘我から目覚め、二秒後に銃を取り出し、三秒後に『それ』へと銃口を向け、

僧侶「――ッ」

 引き金を引こうとしたところで、わたしの心が止めました。
 それは理屈ではなく、寧ろそれとは反対に位置するものです。ゆえに、心。


 だめだ、と思いました。『これ』は撃ってはならない。不幸なことになる。それも、『これ』が悪さをするのではなく、もっと壮大で、曖昧で、純白な何かによって。
 思考を単純化するなら、こうです。

 撃ってはいけない。
 なぜなら不敬であるから。

 その思考を自覚した瞬間にわかりました。『これ』は叫んでいるのではありません。呻いているのでもありません。
 助けを求めているのです。

僧侶「ひっ……」

 思わず声をもらしました。
 『これ』の醜悪さにではなく、事態の醜悪さに。

 『これ』は土地神なのでした。土地神のなれの果てなのでした。

「お客様」

 と、声がかかります。

 振り向けば掃除婦さんと――掃除婦さんと、わたし、が。
 え?

僧侶?「……」

 掃除婦さんの隣にいるわたしがどんどん実像を失くしていきます。どろどろに溶け、残ったのはわたしの靴だけ。
 わたしの代えのブーツです。それがぱたん、と倒れました。


掃除婦「お客様、私、言いましたのに。宿から外に出ないように、と」

僧侶「それは、すいません」

 不穏な気配がわたしの脚を地面に縫い付けています。

掃除婦「他にも言いました。出られないのは、お客様の安全確保のためである、とも」

掃除婦「お外は危険なのです、お客様。他の住人の方々だって、今は家の中におります。彼らはわかっているのです。どれだけお外が危険なのかと言うことを」

僧侶「この、土地神様が危険だ、と?」

 掃除婦さんは一瞬途轍もなく凶悪な顔をしました。笑みに細めた目の奥の光が、貪欲に、わたしの全てを食らいつくすがごとく。

掃除婦「……気づいてしまったのですか。それでは、なおさらですね」

 その言葉だけは独り言のように聞こえました。
 そしてわたしに向き直って、

掃除婦「お外は危険なのです。魔物も、土地神も、最早狂ってしまいました。それに何より――」

 掃除婦さんはスカートを広げました。するとどこに収納していたのか、ぼとぼとぼとぼと、重たい音を立てながら、靴が。
 数多の靴が。

 地面へと転がって。

 立ち上がり。

 脚が、腰が、腹が、胸が、肩が、頭が。

 形作られ。

掃除婦「――私がおりますから」


「逃げろ僧侶!」

 ナイフが掃除婦さんを襲います。しかし、実体化した人々が壁になり、ナイフは少しも掃除婦さんの脅威とはなりません。

 傭兵さんでした。

傭兵「遅くなって悪かったな。追われてた」

僧侶「追われたって誰に!?」

傭兵「こいつのお仲間だろうな」

 傭兵さんを前にしても掃除婦さんは決してほほえみを絶やさず、余裕の態度も崩しません。その立ち居振る舞いは優雅そのもので、それが逆に恐ろしくあります。

掃除婦「傭兵さん、あなたのお名前は聞き及んでおります」

傭兵「はっ。そりゃ光栄だ」

掃除婦「カミオインダストリー所属、序列第十四位、『足跡使い』。参ります」

傭兵「こっちにゃ名乗る名はねぇな」

掃除婦「さぁ、お掃除の時間です」

―――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。
戦うメイドは良い。それが強ければなおさらです。

読んでくださってありがとうございました。


 ※ ※ ※

 僧侶は一目散に駆け出した。それを視界の端で捉えながら、とりあえず人心地ついた気分になる。勿論そんなはずはないのだが。
 目の前の悪鬼から生き延びなければいけないから。

 あちらは掃除婦を含めて七人。軍用ブーツから軍人が、草鞋から侍が、足甲から騎士が、それぞれ顕現している。
 忍者。魔法使い。儀仗兵。遠距離や搦め手も万全だ。

 俺は剣を抜いた。

 先ほどの名乗りを信じれば、敵は大企業子飼いの揉め事処理屋。金を貰って仕事を請け負う俺たち傭兵とは異なり、彼らの居場所は常に企業の傘下だ。
 過去に何度か利益相反でぶつかりもしたが、それらは全て近距離特化の剣闘士まがいばかり。魔法使い、しかもカミオインダストリー級ともなれば、どれほどの手練れなのか想像もつかない。

傭兵「ふっ!」

掃除婦「しっ!」

 俺のジャブ数発に対し掃除婦はカウンターで応戦する。俺の拳は掃除婦の髪の毛を打ち、掃除婦の拳は俺の真横を切った。
 これくらいは避けずとも、また能力に頼らずともよい、か。大層な自信だ。

 同時に六人がこちらへ攻撃体勢を取る。


 一番槍は軍人。両手にナイフを逆手で持ち、体勢を低くしながら軽いフットワークで近づいてくる。速さはないが執拗にこちらを追い詰める蛇のような動きだ。
 その背後から侍が一撃必殺の構えで刀を構え、騎士が広い範囲をカバーするランスを握っている。
 さらにその背後では忍者がスリングを持ち魔法使いと儀仗兵が詠唱。

 多勢に無勢。
 圧倒的に不利だな。

 戦力判断と同時に敵の能力の種を解明しようと試みる。魔法の種別は召喚魔法の類に違いない。つまり掃除婦はサモナーというわけだ。
 サモナーは本体を叩くのが常套手段であるが、中々に掃除婦が遠い。彼女自身がかなりの使い手であり、さらに行く手を阻む六人がいるのでは、そう簡単にはいかないだろう。

 召喚の媒介は靴。召喚形態は自律型で、召喚しているのは靴の持ち主のコピー、だろうか。掃除婦が戦いを焦っていない以上、時間制限があるとは考えにくい。
 考えれば考えるほど絶望的だが、召還、使役しているのが人間のコピーであるのが幸いだった。上位のサモナーには魔物や、果ては空想の生き物すら召喚できる存在がいる。
 そういうやつらは押しなべて条件が厳しかったり媒介が特殊であったりするようではあるが……。

 交錯法気味に狙ってくるナイフの刃をワンステップで避ける。屈んだ軍人の背中の上を通ってランス。肩口をやられる。

侍「ちぇえええええすとぉおおおおおおっ!」

 強引な唐竹割。しかし威力は本物だ。浅く踏み込んでいたのが功を奏し、瞬時に体勢を変えて離脱することに成功する。
 が、体のバランスと言う、払った代償は大きかった。スリングから放たれた鉄弾が俺の右目を掠めて行く。それに意識と視界を奪われ、できた隙を的確に魔法使いと儀仗兵が魔法で支援。

 こちらの攻撃は連携によって通らないのだからジリ貧以外の何物でもない。俺はそもそも攻撃魔法は初歩的なものしか使えないし、幻影魔法もこう全員に注目されていてはすり替わるタイミングを掴めずにいた。


 方針変更。俺は体の向きを変えた。
 勝てないのなら、負けないまで。

 七人に背を向けて走り出す。

掃除婦「やはり、逃げますか」

掃除婦「追いなさい」

 六人がそれぞれ散開しながら追ってくる。真っ直ぐに動くのではなく、包囲するように寄せ、一気に出口をふさぐつもりなのだ。
 スリングの鉄弾を弾きながら最下層を目指していく。

 何かがこの町で起こっているのは明白だった。なぜ住民が一人残らず出てこないのか、なぜ僧侶が襲われていたのか、あの魔物の正体は一体なんなのか、答えは何一つ見つからないが。
 採石の権利を有しているのがカミオインダストリーであり、掃除婦の雇用主もそこであるから、全てを知っているのはそこ以外有り得ない。

 住民が出てこないのはあの魔物が原因だろう。とするならば、僧侶が襲われたのは、外を出歩いていたから? 俺も合流するまでは衛兵に追い回されていたし、有り得るかもしれない。
 なぜ外に出てはいけないのか。あの黒い魔物が危険だ、というのが素直な考えだ。しかしそれにしては掃除婦をはじめとするカミオ側の対応が荒い。激しすぎる。寧ろあれを見た人間を始末――

 始末。

 始末、だと。


 そうだ。確かに俺たちは始末されようとしている。なぜ? ――見てはいけないものを見てしまったから。触れてはいけないものに触れてしまったから。
 あの黒い粘体の存在を知ってしまったから。

 あれが瘴気に侵された魔物であるとするならば、採石場の内部では違法な工程、魔法、薬品のいずれか、あるいは複数が用いられている。そして企業はそれを隠したい。だからこその始末。

 俺は鼻をすんと鳴らした。

 金の、匂いがする。

 とにもかくにもまずは僧侶との合流を果たさなければいけない。このような事態になるのであれば、予め合流地点や符丁を決めておけばよかったと今更ながらに後悔する。
 まぁ、後悔先に立たず。人の気配のない今のこの町では、探すのはそう難しくないだろう。

 と、思っていた俺は、すぐにその浅はかさを知ることになる。

 ぞろぞろと。
 ばたばたと。

 人の足音――足音?

 まだ三点鐘は鳴り続けている。どういうことだ。最早隠すことを諦め――いや、違う。


 これは。

傭兵「これはっ!」

 ゴロンの町は活気を取り戻していた。
 靴より顕現した数多の人で。

 足跡使い。

 靴を媒介にするサモナー。

掃除婦「逃がしませんわ、お客様」

 住民が全員、ぎょろりと首だけで俺を見た。

 おいおい、マジかよ……。

掃除婦「帰りたいのなら、先にお代を払って頂かないとなりません」

傭兵「何を払えばいいだなんて、尋ねるまでもねぇな」

掃除婦「えぇ、えぇ、そうです。お代は当然――」

傭兵「俺らの命ってか」
掃除婦「お客様の命でございます」

 屋根の上に掃除婦が立っている。俺の周囲には、戦闘力こそ皆無に近いが、とにかく雑多な人の肉壁。そしてさらにその向こうから、確実な足取りで六人の手練れが近づいてきているのがわかった。
 この数――そして何より狭い戦場。脚を殺されれば圧死するだけだ。


 だから止まらない。止められない。

 剣をしまって右手にナイフ。息を止めて俺は跳ねた。
 とりあえず身近にいた男の胸ぐらを掴み、首を掻き切ると同時に盾にする。びくんびくんと痙攣する男を投げつけ、視界を塞いだ瞬間にナイフの投擲。眼窩に埋まって女が死んだ。
 倒れるよりも早く駆け寄ってナイフを引き抜く。ここでようやく攻撃の第一波。俺に伸びてくる亡者の手。

 近寄る手は片っ端から切って捨てる。速度、反応、見てくれこそ人間のそれと同一だが、切っても血が出ない部分だけが異なっている。

 精神的に楽でいいな!

 鉄弾が俺の頬を掠めて行った。僅かに反応が遅れ、町民の指がシャツの襟にかかった。
 手ごとナイフでもぎ取り脱出。後ろに跳び退き、そこにいた子供の顔面へ蹴りを叩き込んで、三角跳びの要領で高く飛び上がる。

 火炎弾と鎌鼬が炎の竜巻となって襲いかかってきた。魔法使いと儀仗兵のものだ。俺は肘当てで魔法の起動を逸らしながら、その方向へと町民の顔面を蹴り砕きながら進む。


 立ちはだかったのは侍と騎士。刹那だけ侍の方が先に足を出した。最小限の動きで最大限の距離を移動するその独特な歩法で、するするするりと距離を縮める。
 急加速。一瞬で互いが必殺圏内に入り、侍の唐竹割。視認は不可能だが軌道は読める。とはいえ不可能なのは防御もまたそうである。構えた刃ごと叩き切られる剛の剣相手にできることはそれほど多くはない。
 腕の肉を僅かに献上して懐へ突っ込んだ。

 タイミングを合わせて――寧ろずらして、ランスが牽制に数度突き出される。接敵はならない。ランスの射程距離を測るように小刻みに回避し、同時に背後から迫ってきた軍人のナイフを掻い潜った。
 右から左の切り付け。返す刀で突き、突き、ハイキック。それを受けてのこちらの反撃は予想の範疇だったらしく、軽いステップで後ろへ跳ばれた。
 逡巡。押すか退くか――押す。退いている時間もない。長丁場だとジリ貧だ。

 地を蹴った瞬間に悪寒が走った。説明できない嫌な感覚。俺は反射的に体勢を崩し、地べたを転がるようにしてそれを避ける。
 毒針が地面に突き刺さっていた。


 無論そんな俺を見逃してくれるはずはない。町民が一斉に俺へと飛びかかってくる。太陽の光が遮られ、肉の天蓋となって、俺を圧死させようとしている。
 単純な物量はだからこそ強力だ。小細工であれば看破もできよう。陥穽ならば機転で立ち向かえもしよう。けれど、こと物量に至っては、真っ向勝負の力押し以外に対処法はない。

 手が、手が、手が、手が。
 手が!

 髪の毛を、襟を、袖を、鞘を、喉を、手首を、腹を、脚を、
 俺の全身を目がけて伸びてくる!

傭兵「うぉおおおおおおおおおっ!?」

 切断、切断、そして切断。切っても切っても手の大群は怯む様子を見せない。当然だ、彼らは町民の形をしてこそいるが人間ではなく、行動はあっても意思はない。企業の犬の、さらに犬。

傭兵「っ!?」

 手首が地面に縫い付けられる。魔法使いか、盗賊か――いや、そんなこと今はどうでもよくて、くそ!
 ナイフが動かせない。町民が雪崩れ込む。


 蹴りと左手でなんとか一線は超えさせないが、可動域の問題、なにより手数の問題でどうしようもない。頭が押さえつけられ、肩が押さえつけられ、だんだんと俺の体は俺のものではなくなっていく。

 ――仕方がない、か。

 懐からそれをとりだし、放り投げてやる。

 爆裂弾。
 自分ごと周囲を巻き込んで、ここから脱出を図るしかない。

 光と火炎が視界に満ちた。

傭兵「くっ! ……ちくしょうが」

 口の中に入った砂利を血ごと吐き捨てる。周囲には靴だけが大量に散らばっていて、脱出には成功したようだ。
 四つん這いから立ち上がった。体中が軋みを挙げている。

掃除婦「お客様、ご自愛を」

傭兵「黙れよ、殺すぞ」

掃除婦「おぉ怖いです。御寛恕ください」

 ぱた、ぱたと音がした。


 倒れた靴が起き上がっている。そうして足元からゆっくりと実態が顕現し、たったいま吹き飛ばしたばかりの町民が、全て立ち上がりなおしている。
 まるでゾンビだ。死してなお動く亡者どもよりは、確かに罪深くはないのかもしれないが、性悪なのには変わりない。

掃除婦「お掃除の続きを始めましょうか」

傭兵「……これは、やべぇな」

 ぼそりと呟く。俺が死ぬまで戦い続けるつもりなら、待ち受けているのは俺の死だけだ。サモナーが召喚を停止するのは魔力の枯渇によるもののみ。しかしそれまで粘るのはどだい無理がある。
 全身の調子を確認しながら剣を構えた。これくらいの距離が開いた今ならば、リーチの長い剣のほうが具合がいい。重さと速度に任せて一振りで数人を斬り飛ばす。

傭兵「っ!」

 殺気とともに短刀が頭上から降ってきた。

 忍者は生気の宿っていない瞳で俺を見た。攻撃を外したことに対する感情など微塵も見えず、地を這うように接近してくる。
 剣では遅い。そう判断し、即座にナイフへ持ち替え。

 忍者の十の手数に対して六の手数で応戦する。忍者単体なら辛勝できるだろうに、同レベルが他に五人、しかも肉壁もわらわらいる状況となっては、戦いにくいことこの上ない。
 短刀の乱舞をワンステップで回避し、一度忍者と距離を取る。その先には魔法使いと儀仗兵の遠距離組。


 当然阻まれる。前に立ちはだかるは騎士。甲冑のため動きは鈍重だが、ランスのリーチは俺の剣よりも長く、突破は容易ではない。
 騎士の旋回は足元の小さな動きで成るが、俺が騎士をかわすための旋回は、大きな弧を描かざるを得ない。当然の数学の話で、だからこそそれは厳然たる大きな壁となって立ちふさがっている。

 だが足踏みをしている暇はない。
 真っ向勝負を挑んだ。ランスは突きの武器。一度避けてしまえば、引き直すまでにラグがある。

 脇腹の肉を少量持っていかれた。激痛が走るが骨も内臓も恐らく無事。勢いに任せて騎士の関節へ刃を走らせ、隙を見計らって巨躯そのものを駆け上る。

 当然魔法が飛んできたが、火球は剣で両断し、鎌鼬は前回と同様肘当てで逸らす。余波が俺の顔を斬りつけていくが、視界に問題はない。
 第二波。流石にこれは防げなかった。腹へと火球が直撃し、次撃の鎌鼬こそなんとか避けるも、勢いに負けて地面を転がる。危うく螺旋状の下へと落ちそうにすらなってしまう。

 好機と見た軍人と忍者が左右から迫る。忍者の方が動きが速い。しかし刃物の熟達は軍人だ。一瞬だけ思考し、最早勘ともいえる何かを手繰って軍人へと向かう。
 背後からスリングの風切音。鉄弾が俺の外耳を穿っていく。意識を無理やりに痛みから軍人へと向け、二本のナイフを的確に捌く。


 右、左、右、右、左、左、そしてまた左。ナイフの連撃に反撃を差し込む余地はない。スリングの鉄弾を身を逸らして避け、崩れた体勢に飛んでくるナイフ。その隙は俺も織り込み済みなため、地面へ倒れこみながら靴の裏で受けた。そのまま体を捻って刃を折る。
 そして火球。転がって避けた先にランスを合わせられる。回避不能。判断は正しく、来る激痛に耐える準備だけをした甲斐はあった。至近距離に儀仗兵を捉えることに成功する。

 儀仗兵が詠唱を始める。しかし遅い。

 と、儀仗兵の姿が掻き消えた――忍者とともに、一瞬で移動している。

 気づけば俺の周囲から一斉に敵が離れていた。

傭兵「な――」

 これは、まずい。
 これはまずい!

 視界が急速に狭まっていく。膝を地面につけ、精神を集中し、居合の構えをとった侍の姿しか見えない。
 距離にして五メートル。しかしあの斬撃は、それが十メートルだって届くだろう。

掃除婦「そこです!」

傭兵「ちっ!」


 銃声が俺の体を吹き飛ばした。

 斬撃が体の真横を通っていく。

 空気の流れも、人の動作も全てが止まった世界。俺だけがゆっくりと動き、色もグレースケールで描かれた視界の中で、唯一拳銃を構えた僧侶だけがカラフルだった。

 同時に、体に力が満ち満ちていく。
 銃撃で吹き飛ばされた腹部は既に修復が始まっていた。鎮痛魔法が効いているのか、痛みはない。

 今だけはお前が天使に見えるぞ。

 僧侶。

 俺は地を踏みしめた。弾丸に込められていた魔法――治癒、鎮痛、そして何より倍化。身体能力の向上魔法。
 体が軽い。

 ちんちくりんのガキが僧侶をやれていた理由も、アカデミーを首席で卒業できたわけも、今実感した。確かに魔法の才能があの少女にはある。それをひしひしと感じさせる、この魔法の力強さよ!


 他の亡者どもには目をくれず、一目散で掃除婦を目指す。屋根の上にいようが、今の俺には関係ない。壁を蹴り上げながら一気に空へと舞いあがった。
 無論それを呆然と見ている六人ではない。不可視の力場を魔法使いが生み出し、残り五人がそれを踏み台にして俺へと追いすがる。

 しかし遅い。

 掃除婦は呆然とした表情を浮かべていて、けれど同時に愉快そうな顔も浮かべていた。そして短く呪文を詠唱する。

掃除婦「バックトラック」

 掃除婦の姿が瞬時に消えた。バックトラック――足跡追い。どうやら逃げられたようだった。

 ぱたぱたと音を立て、靴たちが一斉に倒れていく。
 掃除婦が効果圏内から離れたのか、それとも単に召喚を止めたのかは定かではなかったが、ひとまずこれ以上戦いを続ける必要はなさそうだ。
 俺は一気に肩の力を抜く。

僧侶「傭兵さん! 大丈夫ですか!?」

傭兵「あぁ、なんとかな」

 本当になんとかだった。本当に危機一髪だった。僧侶には感謝してもしきれない。
 反対に、俺のそばに駆け寄った僧侶の脚は震えている。疲労から来るものでも、ましてや武者震いでもないだろう。それはすぐにわかった。


傭兵「お前、どうし」

 「た」は出なかった。僧侶は幽鬼の類を見たかのような――いや、それよりももっと恐ろしいものを見てしまったような、知ってしまったような、陰の落ちた表情をしている。
 信じられなかった。俺の知っているこいつは決してこんな顔をする女ではない。勿論、たった数日の付き合いで何を知っているんだと言われるだろうが、それでも。

僧侶「だめです、傭兵さん、だめなんです」

僧侶「逃げないと、ここから、早く、だめです、傭兵さん」

僧侶「傭兵さん、傭兵さん、逃げないと、傭兵さん、早く、だめです」

僧侶「逃げないと、逃げないと、早く、逃げないと!」

 狂乱だった。この世の恐ろしさの最果てを垣間見た少女は、俺に媚びるような笑みさえ形作って、俺の手を引く。逃げましょう、と。だめです、と。早く、と。

 そして、聞きもしないうちから、彼女が見た全ての汚濁を俺に話し出す。

―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。
「採石の町、ゴロン」編はあと40レスほど続くと思われます。引き続きご愛顧ください。


 * * *

――わたしは傭兵さんに説明します。傭兵さんと別れてからの出来事を。

僧侶「!?」

 急に町の人々が現れ、思わず走っていた脚を止めてしまいます。

 町の人々は生気のない顔に生気のない瞳を持ち、ゆっくりとした歩みで徘徊を続けています。向かうは上層。わたしのことが見えているのかいないのか、一瞥すらしません。
 何が起こったのかはわかりませんが、掃除婦さんによるものだということはすぐにわかりました。そして彼らの行先が傭兵さんであることも。
 戻りたくなる気持ちを押し殺して最下層に向かいます。戦闘で大した役に立てないわたしにできることは、この事態の全てをとはいかないまでも、出来うる限りを収拾――否、収集することです。

 息を切らしながらも最下層へと駆けていきます。坂道につんのめりながらも、息があがっていても、わたしは速度を落とすことは有りませんでした。

 気になることが多すぎました。気になることばかりでした。なぜ土地神が汚濁に塗れた姿なのか。なぜ掃除婦さんはわたしたちを襲って来たのか。ひいては、この町で一体何が起こっているのか。

 最下層にたどりつけば、そこには目を見張る光景が広がっていました。

 巨大な、巨大な、黒い粘体。
 それと対峙する兵士たち。その背後に陣取るは魔法使いさん。


 鋭く見咎めた兵士の一人が大声を張り上げます。

兵士A「誰かがいるぞ!」

 わたしは咄嗟に身を隠そうとしましたが、その一瞬、確かに魔法使いさんと目があいました。魔法使いさんは驚いたような顔をしましたが、すぐに顔はなんでもないふうに戻ります。
 兵士たちの集中が切れた瞬間に黒い粘体――怒れる土地神は彼らをなぎ倒します。流石に兵士たちも土地神に集中すべきと判断したのか、声を上げて剣を向けました。

魔法使い「……私が、見てくる」

 そう言って魔法使いさんはわたしの方へと歩き出しました。逃げようと振り返りましたが、理性がそれを止めます。ここで逃げてはこの事態の解明など遥か遠く及びません。ここは、リスクを承知でリターンを取るべき。
 そう思ったわたしは兵士たちに見えない位置で魔法使いさんと相対しました。

魔法使い「……どうしたの? 掃除婦が、止めたと思うけど」

僧侶「掃除婦さんは、傭兵さんと戦ってます」

 魔法使いさんは顔色を変えません。小さく「そう」とだけ呟きました。

 そして、魔法使いさんは掃除婦さんのことを知っています。それも、掃除婦としての彼女のことをではなく、掃除人としての彼女のことをです。
 やはり言っていた通り、この件の根っこにはカミオインダストリーがいるのでしょう。

僧侶「何が起こっているんですか」

魔法使い「……素直に教えると、思う?」


僧侶「無理やりでも聞き出します」

 銃口を向けました。それでも魔法使いさんは微動だにしません。事態を切り抜ける術があるのか、わたしが撃てないと思っているのか。

 魔法使いさんは「くふ」と軽く吹き出しました。

魔法使い「……面白い、ね。撃てる?」

 後者でした。わたしは一瞬息が止まります。嘗て狩人さんにも指摘されたそれを、この町に来てもまた言われるとは思っていませんでした。
 ぐ、と唇を噛み締めます。撃てるのです。撃ちます。だって、ここはそういう場面でしょう。撃てなきゃ脅しにもならなくて、脅しにならなきゃこの事態のなにも知ることができなくて、そんなのはごめんなのです。

 一際強く魔法使いさんを睨みつけます――睨みつけられている、はずです。

 魔法使いさんは肩を竦めました。明らかに舐められていると感じました。

魔法使い「……あれは、土地神。正確には、土地神の成れの果て。あれはもう、だめ。狂ってる。瘴気によって汚染されて、正気でいられない」

僧侶「どうしてそんなことに」

 土地神。土地の守り神。そこに住むものの足元に住み、地盤を安定させ、作物を実らせ、発展に寄与する原初の神々のうちの一柱。
 わたしたちが生きる上で土地は、ひいては地面はなくてはならないものです。空を飛べないわたしたちは、地面にへばりついて生きていくしかありません。つまり土地神は最も密接な関係にあると言っても過言ではないのです。


 それが汚染されている。汚辱に塗れている。見ていられないほど酷い光景でした。
 何より、神の叫び声が、不憫で不憫で。

魔法使い「……」

 魔法使いさんは答えません。それが殆ど答えのようなものでした。

 土地神が瘴気に汚染される。そんなことは本来あってはならないことです。

僧侶「答えてください、魔法使いさん」

魔法使い「……」

僧侶「答えてっ!」

 言葉を押さえてもいられませんし選んでもいられませんでした。
 だって、だって、許せるわけがない。
 ただの一企業が、土地を汚し、あまつさえ神を穢し、遍くモノの尊厳を打ち捨てているだなんて。

僧侶「土地神が瘴気にまみれているのは! 採石場の開発が原因なんでしょう!?」

 理由はわからない。理屈もわからない。けれど、それは恐らく事実で、真実で。
 そう思わせるに足るできごとが今日一日だけでもたくさんあったから。

僧侶「あなたは全て知っているはずです! あなたが来た五年前から採掘の効率が大幅にアップした、落盤事故も減った――それと時を同じくして、子供たちに瘴気の影響が出始めたのなら!」

僧侶「あなたが行った何かがこの事態を招いていると、気づいていないはずはない!」

 瘴気に塗れた土地神は、狂った土地神は、性質と特質の全てを反転させる。野菜は全て毒をもち、それを喰った野生動物の肉は腐臭を漂わせる。水も、空気も濁り、じわじわと体内を蝕む。
 そしてその影響を真っ先に受けるのは子供たち。

その影響を真っ先に受けるのは子供たち。

 瘴気に関する疾病の権威をカミオインダストリーが招聘している? そんなばかな話があってたまるか。その原因はカミオインダストリーが生み出しているのに?
 なんていうマッチポンプ。

 このままではこの土地はいずれ草木の一本も生えない不毛の大地となる。住まう人間は病床の中で息を引き取り、死に絶える。だから問題がないと嘯くのなら、そんな人間こそ
死んでしまえばいい。
 きっと地獄絵図に違いありません。誰も何も知らないのなら、そこに罪業は存在しないのでしょうが、利益のために見て見ぬふりをするというのなら――地獄を作ることの罰など、きっとこの世に存在しないでしょう。そういう意味では裁けないも同義です。

 けれど、裁かれないことが即ち無実の証明だと、ましてや救済の証左だというのは詭弁に過ぎます。

 許せない。許せません。
 これを誰が許せましょうか。例え神が許したとしても、わたしは決して許せそうにありません。

僧侶「答えろ!」

魔法使い「……今日、あなた、聞いたよね。私の魔法の専門。私の専門は、瘴気の研究。瘴気の除去、分解、利用に関する研究」

魔法使い「採石にあたっては様々な問題が出る。まず、魔物。次に、自然の瘴気。深部では動力の確保も重要になってくる。私の研究は、それらを全部一挙に解決できる、スーパーウルトラテク」

僧侶「……」


魔法使い「大体、察しがついた? 私は、瘴気からエネルギーを抽出して、採石の動力に、使ってた。研究途中の機構で、勿論いろいろな問題はあったけど、一番の問題は排ガス……エネルギーを出したあとのカス」

魔法使い「瘴気を絞った後のカスは、当然、超高濃度の瘴気……普通に吸い込んだら、一発で即死。ワンパンKO。そんなレベル。それががんがん出る。垂れ流しになんてできなかった、から」

 その時点でわたしはわかってしまいました。この話のけったくそ悪いオチを。
 思わず手に力が入ります。奥歯も、がり、と削れた音がしました。
 魔法使いさんを撃たないことが、この場で何より努力のいることでした。衝動に身を任せてしまえば、今度こそ引き金は引けたのかもしれません。




魔法使い「だから、全部地面に埋めた」



僧侶「あなたはっ! あなたって人はっ!」

 怒りで目の前が真っ赤に染まります。ちかちかちらちら明滅する視界の中で、銃口と、その先にある魔法使いさんの顔と、トリガーと、わたしの指だけが輝いて見えます。

魔法使い「社長が言うから。社長の指示、だから」

僧侶「社長の指示なら何でもするんですか、この土地のことも、この国のことも、全て捨て置いて!」

 それほど超々高濃度の瘴気が長期間にわたって排出、滞留すれば、この町以外にもいずれ影響が出るのは明白です。また、他の採石場などで同様の技術が使われれば、事態に拍車がかかります。
 そうなれば、今度こそ本当に地獄絵図の誕生です。この国に人の住めるところはなくなり、破滅するだけ。

僧侶「あなたたちは自分で自分の首を絞めていることに気が付かないんですか!」

魔法使い「この国のためだって、社長は」

僧侶「どうしてそれを信じられるんですか! こんな、全てを冒涜するやつが――!」

魔法使い「州総督だから」

 え?
 と、声に出せたのかどうか、わかりません。


魔法使い「知らなかった? うちの社長、州総督。だから、大丈夫。問題なし」

魔法使い「あくどくて、私腹を肥やすことに余念はないけど、あの人はあの人なりに、国のことを考えてる、から」

僧侶「な……そ、んな」

 言葉が出ない。国王と権力を二分する人間が社長で、それだけならまだしも、こんな悪行に手を染めているだなんて。
 途方もない巨大な気配が、唐突に魔法使いさんの背後に現れた気分でした。

 いや、でも、しかし。
 なぜこの町が無名なのか。大森林の中にあっても十分に生活できているのか。この惨状が外部に漏れ出ないのか。
 州総督の庇護下にあるから?

僧侶「あなた、は。魔法使いさん、あなたは、良心が痛まないんですか。罪もない子供たちが苦しんで、いずれこの町の人たちはみんな汚染されて死んでしまうんですよ」

 だって、あなた、言っていたじゃないですか。
 「あの子たちに罪はない」と。

 もしあの言葉が嘘だったなら、あなたはどんな気持ちであの言葉を吐いたのですか。

魔法使い「あの言葉は、本心」

魔法使い「でも、私は、こうも言った。この町に住んでいる以上、仕方がない、と」


僧侶「それは――」

 後ろ向きな言葉ではあっても、そこまで後ろ向きだとは思ってませんでした、が。

魔法使い「この町に住んでいる以上、仕方がないの。この町は採石で成り立ってる。それはつまり、うちの会社で成り立ってるって、こと。だから」

 何をしても許される、と魔法使いさんは言いました。
 まるで子供のように、無邪気に、罪悪感の欠片も感じられない口調で。

魔法使い「それに、ね。私は、かねてからずっと不思議だったことがあるの」

魔法使い「どうしてみんな、ここを出ていかないんだろう、って」

魔法使い「だって、そうでしょ。こんな不便な大森林の中の町。娯楽は全然なくて、瘴気のせいで段々体は蝕まれていって、肉も野菜も粗末で、生きてて楽しいだなんて、私、どうしても思えない」

魔法使い「僧侶ちゃん。誰も逃げちゃダメなんて、言ってない。みんなが好きでこの町にいる。自己責任。いやなら出ればいいのに。でしょう?」

 それは正論でした。限りなく無責任な正論でした。
 けれどなぜでしょう。わたしはどうにも苛々してしょうがないのです。何もわかっていないような魔法使いさんに、わかったように正論を言われるのが、わたしはとても業腹なのです。

魔法使い「全部、みんなの自由なの。やりたいことを、やりたいようにやる。あなたたちがここから逃げるのも、自由。職業選択の自由。経済活動の自由。移動の自由。それが実際のところ、神様が与えてくださった天命で、天職」

魔法使い「プロトニック教では、そう教えているから」


――と、わたしがそこまで喋ったところで、傭兵さんは笑い始めました。

傭兵「はぁーっはっはっはっは! あは、あはははっはっは、ひひ、ひははは、ひゃははっ!」

 わたしにはわかります。傭兵さんは怒っているのです。怒り狂っているのです。人間、本当にどうしようもないとき、笑いしか出ないということを経験上よく知っています。

 反対に、わたしは、怒りを通り越した無力感に苛まれていました。信じられないほど強大な敵、信じられないほど無力な自分。そして信じられないほど価値観の違う人間。

 ここにいて何ができましょうか? この小さな世界は、わたしの理解できない理屈で満ち溢れています。他者が恐ろしいのではありません。わたしの中の常識では、どう考えてもおかしいことが平気でまかり通るこの町が、どうしようもないほどに反吐が出るのです。

僧侶「傭兵さん、もう逃げましょう。この町はおかしいです。わたしたち二人じゃあ、どうにもならない、どうしようもない事態になってしまってます!」

 町も人も狂ってる。

 哄笑はしばらく続きましたが、やがてぱたりと止んで、凪の顔で周囲を見回しました。

傭兵「二人なら、確かに無理だろう」

 含みのある口調でした。
 と、同時に、周囲の家屋から人々が姿を現します。一瞬掃除婦さんの手先かと勘繰りましたが、瞳に光がありました。

傭兵「けど、これだけいればどうだ?」

 傭兵さんは大きく手を広げ、


傭兵「お前ら、聞いていただろう。カミオインダストリーは、採石事業に際してこの地を汚染していた。土地神は汚れ、大地も、水も、動物も、最早まともではいられない。長く住み続ければ、子供だけじゃない、全員が死ぬ。それでいいのか!」

傭兵「今こそ立ち上がるときじゃないのか!? 州総督が怖いというなら、王都に直接出向いて、直訴する気概を持って行動する時が来たんじゃないのか!」

傭兵「立ち上がれよ! お前らがこの土地を守らなくてどうする! 命を賭しても守らなきゃならない、動かなきゃならない時があるとするなら、いま、ここ以外にないだろうが!」

 心を打つ言葉でした。熱く滾る言葉でした。傭兵さんにどのような意図があるかはわかりませんが、それは確かに本心からで、何よりの咆哮でした。

 しかし。

町民「やめてくれよ」

傭兵「……は?」

町民「やめてくれよ」

町民「いいんだ、もう」

町民「そういうのはいいんだ」

町民「俺たちはもう、そういうのは、いいんだ」


 だめなのです。

 それでも、いや、だからこそ、彼らの心には届かないのです。
 最早彼らの体に流れているものは、誇りでも信念でもなく、もっと下卑たものだから。
 酸素を運ぶのはヘモグロビンでなく札束に置き換わっているから。

 魔法使いさんとの会話を思い出します。

僧侶『だ、だったら、この事実を町のみなさんに公表します! そうすればきっと!』

魔法使い『違うんだよ、僧侶ちゃん。そこがあなたの、大きな、とても大きな勘違いなの』

魔法使い『私たちは何一つ強制しちゃいない。おおっぴらには言ってないだけで、たぶん、みんな、この土地の現状を――惨状を、知ってる』

魔法使い『それでも出ていかない』

 信じられないことでした。それでは自殺と同じです。緩慢な死を座して待つのみではないですか。

魔法使い『だって、彼らには行くべきところがない。お金もない。寄る辺もない。ここを離れたら生きていけない』

魔法使い『労働者はみんな元農民。自作農から小作農に没落して、そこからさらに落ちてきた、底辺中の底辺。弱者中の弱者』

魔法使い『社長が囲い込んで、労働者として雇って、手厚い保護を与えてるおかげでみんなは生きていける』

魔法使い『だから、彼らはここから逃げない』


僧侶『で、でもあなた、魔法使いさん、さっき、どうして逃げないんだろうって――』

魔法使い『言ったよ。言った。うん、言ったね。でも、普通そう思うじゃない? 土地がなくたって、お金がなくたって、体一つあれば何とかなる――他に一緒に誰かがいるなら、なおさらもっと、やっていける。そう思わない?』

 またしても正論でした。何よりそれは美しい言葉でした。お金などなくとも、土地などなくとも、みんなで一緒に頑張ればきっと何とかなる。まるでお伽噺の世界の出来事を、魔法使いさんは諳んじているのです。
 それが難しいことを、そして理想であることを、誰しもが知っています。だからこそそれは甘露で、誰もが憧れ夢見るエルドラドなのです。

魔法使い『私は、そう思うんだけどね――誰も、そうしようとは、しないんだぁ』

魔法使い『だから私は不思議だったの。言ったでしょ?』

魔法使い『でも、一つだけ、しっくりとくる、すとんと落ちる、解は得たかな』

 にこやかに魔法使いさんは喋ります。
 わたしが絶対に聞きたくない言葉を。

 耳を防ぐことは叶いません。まるで金縛りにあったかのように、わたしの体は動かなくなっているのです。


魔法使い『きっとみんな、楽して生きていたいんだよ』

魔法使い『現状が最悪なことはわかってるけど、努力してまで、この「大したことせずとも生活できる」生活から逃げようとは思ってないんだよ』

魔法使い『罪もない子供が蝕まれているっていうのに』

魔法使い『いずれ自分たちも蝕まれるっていうのに』

 とどめに、一言。

魔法使い『本当、救いがたい衆愚』

 あぁ、そうなのです。衆愚なのです。
 愚かで、愚かで、愛することすらどだいできそうにない愚かさなのです。

 狂っているとしか表現できないほどに。


 全てを聞き終えた傭兵さんは、黙って柄へと手をやります。

町民「なぁ、あんた。頼むから揉め事を起こさないでくれ。俺たちはなにも、なんにも困っちゃいねぇんだ」

町民「あんたがかき回すことは、誰のためにもならねぇ。だから、頼むよ。この通りだ」

 そう言って町民の男性は手を合わせて傭兵さんを拝みます。そして、「この通りだ、この通りだ」と拝み続けるのです。
 それに合わせて傭兵さんの瞳の温度が一気に下がっていくのがわかりました。

 男性に他の町民も追随します。「この通りだ」「お願いします」「後生だから」。そんな――そんな、気持ちの悪い、気持ちの悪い、気持ちの悪い言葉のオンパレード。
 あぁ、神様、申し訳ありません。この苛立ちを隠すことはできそうにありません。

僧侶「あ、あ、あなた、あなたたちねぇっ!」

傭兵「僧侶!」

 だん、と剣の鞘で地面を叩きつけた傭兵さんは、打って変わって笑顔で――けれど瞳の奥は炎が燃えていて。
 その場が静まり返ります。

傭兵「……僧侶、俺は金が好きだ」

僧侶「……はい、知ってます」

傭兵「どうして金が好きか、言ったことはなかったな」

僧侶「……たぶん」


傭兵「俺は金が好きだ。金は目的じゃなくて手段だからな。使い方によっていくらでも応用が利くってのがいい。逆に言えば、僧侶。俺は応用の利かないのが嫌いだ。一辺倒という言葉には反吐が出る」

傭兵「俺は金の有用な使い方を知っている。それは俺の才能だ。凡人どもは百万あっても碌な使い方をできねぇが、俺が百万持っていたらずっと意味のあることに使ってやれる。即ち金ってのは有能かどうかを図るバロメータみたいなもんだ」

傭兵「だから俺は金をうまく使えないやつも嫌いだ。投資ができず、浪費しかできないやつなど死んでしまえばいい。こんなやつらが金を持っていたっていいことはない。碌なことに使いやしない。そうだろう」

僧侶「……」

 逡巡。傭兵さんが怒りに打ち震えているのはわかりますが、話の流れがわかりません。
 ただ、傭兵さんへの好悪を度外視すれば、言っていることに同意はできます。

 だから。

僧侶「……はい。この人たちに使われるお金が、可哀そうです」

傭兵「やっぱりお前もそう思うか」

 そう言って傭兵さんは剣を抜きました。それだけで拝んでいた人たちは波が引くように後ろへと下がります。


傭兵「お前らは安易に生きるべきではなかった。楽な方に、楽な方に、流れるべきではなかった。澱んだ水は腐って濁る。金の浪費しかしない」

 下がった町民の中から、一人、最初に拝み始めた男性が一歩踏み出してきます。

町民「あんたさっきから金、金って言うけどね、俺たちにとっちゃ違うんだ」

町民「この世で一番大事なのは金じゃない」

町民「俺たちはプロトニックの教えに沿って労働に勤しみ、みんなで助け合い、一日一日を生きることに喜びを見出してるんだ」

町民「なぁ、そうだろう!」

 男性は振り返りました。すると、後ろの集団から、小さくですが「そうだ、そうだ」と聞こえてきます。

 あぁ、きっとそれは素晴らしい節制の日々です。美しい日々の過ごし方なのでしょう。わたしだってそう思います。わたしだってそういう生活がしたいものです。
 ですが、今この場に至っては、そんな美しい日々は途端に絵空事へと劣化します。あまりにも滑稽なのです。

傭兵「金なんだよ全ては!」

 傭兵さんはついに爆発しました。わたしは最早それを止めようとも思いません。


傭兵「お前らが本当に! 真の意味で! 幸福で安寧な人生を、生活を求めているならば! それは決して、絶対に、のんべんだらりとした中で手に入るものじゃないんだ!」

傭兵「みんなで助け合う!? 一日一日を生きる!? そりゃ素晴らしい、随分と立派な考えをお持ちだ! だけどなぁ、その生き方はてめぇらが掴みとったことなのかよ! てめぇらが選び取ったことなのかよ!」

傭兵「違うだろうが!」

傭兵「てめぇらはその生き方を掴みとったんじゃない、選び取ったんでもない! 与えられたものをただのうのうと享受してるだけだろうが! みんなで助け合わなきゃ生きていけない、一日一日を生きるので精一杯、そう正しく言えよ!」

傭兵「金なんだ! どうしてそれがわからない!? 土地がない、金がない、それはわかった。それで結構。なら、なぜ、どうして、買い戻そうとしないんだ! 買われた土地と誇りを、もし本当に取り戻したいと思うなら、それは死にもの狂いで金を作った先にあるんじゃねぇのか!」

傭兵「奪われたものも、失われたものも、少しでも惜しいと思うなら、悔しいと思うなら、その倍額、三倍、相手の顔面に叩きつけてやれよ! それが誇りを取り戻すってことだ、そうするしかないんだ!」

傭兵「でなきゃお前ら、死んだガキになんて言うつもりだよ!」

 わたしは、共同墓地の石碑に刻まれた名前を思い出します。

 ……。
 沈黙。それは実に、心を揺さぶる、心地よいものでした。

 わたしは決して多くは語りませんが。


傭兵「僧侶」

僧侶「はい」

傭兵「行くぞ」

僧侶「はい」

 どこに、とは訊きません。訊く必要もありません。わかっていますから。

僧侶「州総督に喧嘩売るなんて、馬鹿ですね、傭兵さんは」

傭兵「そうだな、馬鹿」

僧侶「えぇそうです。わたしはいいんです。馬鹿ですから」

 ずっと前から。
 取り返しのつかないくらいに。

僧侶「傭兵さん」

 わたしはすっと傭兵さんを見ました。

僧侶「わたしはあなたの雇用主です。あなたはわたしの剣であり盾。そして、犬です。わたしの願いを叶えるのが役目」

 傭兵さんも佇まいを直し、片膝をつきます。

傭兵「何なりとおっしゃってください。あなたの幸福こそ我が幸福。命に賭けても遂行して見せます」

僧侶「では、命じます」

僧侶「あなたの好きなようにやってください」

 息を吸い込んで、覚悟を決めて、わたしは言葉を吐く。

僧侶「わたしは、あなたを、信頼します」

 傭兵さんは面喰った顔で一瞬わたしを見ましたが、すぐに真面目な――似合わない、実に似合いません――顔に戻りました。
 そして笑いが混じった声でこういうのです。

傭兵「御意」

――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。
次回で採石の町、ゴロンとはお別れです。

どこまでも冒険させられるとなると、必然文章量が増えるのは、きっと自分の悪癖なのでしょう。
いつ終わるとも知れませんが、今後ともよろしくお願いいたします。


 ※ ※ ※

傭兵「……止めないのか」

 ぴったりと背後についてくる僧侶に向かって俺は言った。けれど僧侶は寡黙に頷くばかりである。
 これが業務を逸脱していることは百も承知。それでも感情は止められない。抑えられない。
 もし、怒りを抑えられないまでも、行動を抑えてくれる存在がいるとするならば、それは雇用主である僧侶以外にはいないはずだった。しかし寧ろ彼女の方が乗り気であるように見える。

傭兵「止まらないのか」

僧侶「はい」

 ここで初めて僧侶は明確に意志を示した。

僧侶「やっと気づきました。傭兵さん、わたしはあなたのことが、やっぱり、どうしても、好きになれないのです」

 嫌い、ではなく。
 ここでその単語を使わなかったこと、代わりに別の単語を使ったこと、その事実に気が付かないほど愚かではなかった。そしてそれが包含する意味を。

僧侶「先ほど傭兵さん、あなたは言いました。金なのだと。金が全てなのだと。わたしはやっぱり、どうしても、その主義主張が正当であると――正統であると、認めるわけにはいきません」

僧侶「お金は必要悪です。社会も人も未成熟だから必要なだけなんです。人間は本当は、金銭を媒介にするのではなく、信用や信頼を通過にできるはずなんです。一致団結して生きていけば、お金が必要なときなんて、そう簡単には生まれません」


僧侶「それでも、先ほどの傭兵さんの言葉は、少なからずわたしの心を揺さぶりました。間違っているはずなのに、お金が全てなど、そんなことあるはずないのに――わたしはどうしても、傭兵さん、恥ずかしげもなく晒してしまえばですね、傭兵さん」

 俺の名前を数度繰り返して、僧侶は意を決した。

僧侶「わたしは感動してしまったのですよ。あなたの、間違っているはずの言葉に」

僧侶「さぁ、行きましょう。金の亡者の金の生る木を、人を人とも思わない鬼畜生の棲家を、徹底的に駆逐しましょう」

傭兵「おう、来い」

 僧侶は俺に拳銃を向けていた。

 たった今、僧侶は「信頼」と言った。むず痒い言葉だ。照れくさい言葉だ。それだのにどこか仄暖かさを感じる言葉だ。
 僧侶はどうやら俺のことを信頼してくれているらしい。信頼。それは金ではないが、金に通じるものがある。信頼さえあれば飯も食えるし服も買える。何より、信頼は手段だ。結果として得られる信頼に意味はなく、信頼をどう使うかが個人の価値を決める。

 口には出せないが、出せっこないが、俺もまた僧侶に、一定のそれをおいていた。
 だからこいつに銃口を向けさせることだって厭わない。
 「お前は戦力に数えない」なんて最初は言っていたはずなのに。


 炸裂音。銃弾は綺麗に俺の肩を抜けていく。一瞬だけ激痛が走ったが、すぐにそれは緩和される。血液も止まり、代わりに全身に充実感が生まれた。

傭兵「気をつけろよ」

僧侶「大丈夫です。傭兵さんがいますから」

 はっ!

 俺は地を蹴った。これまでの怪我と疲労が嘘のように体は軽い。羽が生えたようにどこまでも走っていける。

傭兵「目的は採石機構の停止。目標は魔法使い。任務は魔法使いの殺害。これで構わないな」

僧侶「……はい」

 きっぱりと前を見据えた僧侶だった。
 いい顔だ。

兵士「誰だおま――へぶぁっ!」

兵士「敵襲、てきしゅ――!」

兵士「なんだ、なんだこ――!」

兵士「はや、つよ、にげ――!」

兵士「助け――!」

兵士「う――!」

兵士「――」


「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」「――」

 最早誰にも負ける気がしない。

 鎧袖一触、すれ違いざまにほぼ全ての兵士の命を奪っていく。斬りつけ、折り、蹴り飛ばして、俺たちは最下層、カミオインダストリーの採石場入口までやってきた。
 周囲には大量の黒い粘体と、その残骸。そして兵士たちの死体が折り重なっている。俺が殺した者はそのうち半分くらいで、残りは恐らく土地神にやられたのだろう。自業自得である。

 上層を見上げれば町民が不安そうにこちらを覗き込んでいた。が、俺が見上げていることを知ると、すぐに顔を引っ込める。

 すべて失った後に後悔して、絶望の中で死ねばいい。

傭兵「掃除婦あたりが再度出張ってくるかと思ったが、どうやらそれはないみたいだな」

僧侶「この先で待ち受けているのかもしれませんが……どうでしょうね。ここまで大事になってなお、なんのアクションもないとなると、この町は既に見捨てられたのかもしれません」

傭兵「トカゲの尻尾きりか。大いに有り得る話だ」


僧侶「社長が州総督と魔法使いさんは言っていましたが、それが表立ってのものなのかは、正直疑問が残ります。火の粉が自らに及ばないような細工は当然してあるでしょうから」

傭兵「ここはその程度だったってことか」

 富めるものは選択肢も豊かだ。貧しければ、本来取るべきではない、取りたくもない選択肢を取らざるを得ないことも多々ある。
 ここの町民は土地を持たず、金も持たず、ここで「生きさせてもらっている」人々だ。この町がなくなれば、彼らは餓えて死ぬだろう。もしくは森に出て魔物に食われる。そういう運命だ。

 しかし本当に彼らにとって必要だったのは、選択肢などではなかったのだと思う。もっと根源的なもの。選択肢を生み出すために必要なもの。
 彼らには牙がなかった。彼らには牙が必要だった。

 剣を握る手に力が籠る。対象が不明瞭な怒りが確かに腹の下に溜まっていた。

戦士「昨日の友は今日の敵、だな」

盗賊「助けた命を奪うのは悲しいものだ」

 採石場の内部から二人が現れた。こいつら二人も掃除婦と同じように企業お抱えの揉め事処理屋なのだろう。

戦士「お前が暴れてくれるから怒られちまったよ。町に招いたのは俺たちだ。てめぇのケツはてめぇで拭けとよ」

盗賊「悪く思うな。俺たちにもあとはないものでな」

傭兵「うるせぇ」

 盗賊の手首を捻る。軽々と盗賊はその体を一回転させ、地面に叩きつけられる。
 呆気にとられた顔をしていた。俺は全く頓着せず、ナイフを一閃。

 血の飛沫が顔にかかる。熱い。生命の温度。


戦士「なっ、てめぇっ!」

 剣の振り下ろし。半歩下がって避ければ、剣先は俺ではなく盗賊の胸部を叩き割った。骨や臓腑があたりに飛び散ってぷんと死のにおいを漂わせる。
 僧侶は顔色を悪くしていたがそれでも背けることはない。恐らく、それが彼女の覚悟なのだ。

 隙だらけの戦士の手首を上から踏みつけ、橈骨及び尺骨を粉砕。声にならない悲鳴を挙げる戦士は最早俺のことを見ていない。あさっての方向を向いた己の手のみを注視している。

 剣を使うまでもなかった。顔面を蹴り上げれば脳を揺らして戦士は昏倒する。
 詰めは誤らない。首の骨を折って、きっちりと殺す。

 そのまま採石場内に飛び込んだ。恐らく内部の衛兵たちの大半は、外で起こった一件を知らなかったのだろう。まだ土地神と戦っている者もいれば、土地神との戦いを終え、一息ついている者もいる。
 そいつら全員を殺す。

 入り口付近にいた衛兵数人は気づかれる前にナイフを滑らせて黙らせた。俺たちと言う闖入者にやっと気づいた衛兵が襲ってくるが、はっきり言って練度が足りない。大ぶりの斬撃を避け、切る。
 頽れる衛兵のさらに後ろに数人控えている。ナイフを投擲し顔面を破壊、そいつが進行の邪魔になっているところを、そいつごと剣で後ろを突き刺した。腹を蹴りながら刃を抜く。


 姿勢を低くすれば二つの死体が陰になって俺の姿を正確にとらえることは難しい。地面すれすれを走り、回り込んで背後へ。振り向きざまに脇腹から背中にかけてを切り裂いた。
 最後の一人はようやく忘我から戻ってきたようで、剣を構えてはいるが、明らかに重心が踵に寄っている。突撃すると見せかけてさらに後ろへ傾けさせ、脚を払って地面に押し倒す。

 喉元にナイフをかざした。

傭兵「魔法使いはどこにいる。この採石場は研究所も兼ねているはずだ。道を教えろ。でなければ命はない」

衛兵「き、貴様、こんなことをしてただで済むと」

 時間が惜しい。ナイフを首に突き立てて飛び跳ねる。

 視線の先には見張りの交代にやってきた衛兵二人組。この状況が理解できていないのだろう、脚が止まっている。
 火炎魔法で遠距離からまず一人を打ち倒す。火球が顔面に直撃して遠くまで吹き飛び、採石場の壁に頭から突っ込んだ。肉の焼ける臭いが嗅覚を、頸椎の折れる音が聴覚を、それぞれ過ぎ去っていく。

 もう一人は柄に手をかけていた。狙ってくれと言わんばかりだ。当然切り落とす。
 そのまま流れで胸を突き刺した。勢い余って壁に磔にしてしまう。

傭兵「ちっ、もう剣を壊しちまった」

 今日買ったばかりだというのに。
 仕方がないので衛兵の帯びていた剣を抜き身で奪うことにした。

傭兵「で、お前は教えてくれるか?」


衛兵「ひ、ひっ!」

 尻もちをついた衛兵が隅で後ずさっていた。しかし既に背中を壁へと擦り付けている。これ以上どう後ろへ下がろうというのだろうか。
 剣をちらつかせながら近づいていく。

衛兵「うわぁあああっ!」

 狂乱のままに逃げ出そうとした衛兵をぶん殴って馬乗りになる。拳を口の中に突っ込んで、残った手でナイフをかざして見せた。
 見れば僧侶と同じくらいの年齢のガキだった。幼い顔を、涙と洟でぐずぐずにしている。

傭兵「お前、研究所の場所知っているか。魔法使いの居場所を知っていればなお良い。イエスなら一回、ノーなら二回、瞬きしろ」

 瞬きは一回。

傭兵「知ってるのは研究所の場所か。魔法使いの場所か。前者なら一回、後者なら二回」

 また、一回。魔法使いの居場所はわからない、か。
 まぁ研究所さえ潰せれば次善は為せる。そこに魔法使いがいる可能性も高い。

 俺は衛兵の口の中から手を引き抜いてやった。

傭兵「変な真似をしたら殺す。行き方を教えろ」

 衛兵は自分の懐を指さした。どうやら新米の身分であるため、そこに採石場内の地図が入っているらしい。


 杜撰だ、と思った。そんなものは本来一介の衛兵に持たせていいものではない。危機管理と言うものが存在しないのか、ここは。あまりに杜撰すぎて逆に罠だとすら思えてくる。

 地図を受け取る。……おかしなところは、ぱっと見た限りでは見当たらない。

傭兵「僧侶、今後魔法的な罠が仕掛けられてたら、教えてくれ」

僧侶「専門的なことはわかりませんよ?」

傭兵「変な魔力の流れを感じたら、でいい。魔法の才能はお前の方がある」

僧侶「わかりました」

傭兵「おい、お前」

衛兵「はいっ?」

 声がひっくり返っている。少々驚かしすぎたか。

傭兵「ありがとよ」

 ナイフを振り下ろした。

傭兵「行くぞ」

僧侶「……」

 返事はもともと期待していなかった。
 俺たちは歩いていく。


 幸運にも研究所までは一人の衛兵にも出会うことはなかった。
 研究所の入り口は銀色の扉で、土と埃に塗れた薄暗い採石場内にあって、まるで異世界への扉のようだった。実際それほど間違ってはいないようにも思える。ここから先はエリートの巣窟に違いないのだから。
 そう、エリート。採石場内で働く者とは、ましてや町民とは決定的に、徹底的に、身分としての差がある人々。

 だから彼らは自分以外の者を下に見ているのだ、だから彼らは臆面もなく瘴気を垂れ流せるのだ――そんな知ったふうなことを言うつもりは全くない。どんな階層でも漏れなく腐ったやつはいるし、できたやつもいる。
 が、少なくともこの中にいるのは企業の犬で、州総督の走狗で、俺が途轍もなく気に食わない。

 俺が研究所の扉を開けると、換気の利いた清涼な空気が流れ込んできた。これもまた採石場内とは天と地ほどの差がある。

魔法使い「待ってた」

 ぼんやりと魔法使いは言った。研究所内には最早魔法使いしかいない。

 そりゃああれだけ暴れれば気づかれもするだろう。寧ろ魔法使いが残っていたことの方が驚きだった。

傭兵「お前は、逃げないのか」

魔法使い「逃げないよ。逃げるな、って言われたから」

傭兵「州総督にか」

魔法使い「うん、そう」


僧侶「なんでですか?」

 ここで僧侶が声を挙げた。悲痛な声だった。
 俺はここで魔法使いを殺す。研究所の機材も、資料も、全て焼く。魔法使いはそれを恐らく悟っている。それでも抵抗の様子が見えない。僧侶はそれが信じられないのだろう。
 慮っているのだ。俺はその感情を甘さだとは言いたくなかった。なんとしてでも、僧侶のそれは優しさであるのだと思いたかった。

僧侶「そこまでして何がしたいんですか? あなたは何に命を懸けてるんですか?」

魔法使い「言ってることが、よくわかんない」

魔法使い「命なんて懸けたことないよ」

僧侶「……あなたは、ここで、わたしたちが」

 息を止め、つばを飲み込む音が聞こえた。

僧侶「……殺します」

魔法使い「うん、知ってる。別にいいよ。私の役目は、終わったから」

 やはりだった。トカゲの尻尾きりであると同時に、魔法使いが持っていた知識や技術は全て持ち出されている。一般化されている。法則化されている。最早彼女自身に、有能な一研究者以上の意味はなくなっているのだ。


魔法使い「でも、これだけは覚えておいてほしいな。どこに問題があるのか、私は結局、今もそうなんだけど、わかんないや」

魔法使い「この世の至上は自由だよ。町の人たちが逃げなかったのも自由。なんでなんだろうね?」

 自由。それは選択肢があって初めて成り立つ概念だ。恐らく魔法使いはそれがわからない。自分に選択肢があることを――町民に選択肢がなかったことを。
 だから、疑問に思う。だから、わからない。逃げる選択肢などあるはずないのに、どうして逃げないのだろう、などと嘯ける。

 そして、俺は町民をも思う。やはり彼らはどこまでも愚かだった。教科書通りの衆愚だった。牙を抜かれ、鎖で繋がれ、黙っていれば餌が出てくるのに満足し、生物として堕してしまった。
 彼らは死にもの狂いで金を稼ぐべきだったのだ。

 それが最低限、この資本主義社会において「生きる」ことだったのだ。

傭兵「だから俺たちがお前を殺すのも自由だな」

魔法使い「……うん。そう。そうだね。自由だよ」

魔法使い「だから、私が抵抗するのも、自由」

 剣を抜く。魔法使いも樫の杖を抜いた。


 空気が振動して四つの立体が生まれる。半透明で、一辺が三十センチほど。それが魔法使いの周囲を旋回している。
 俺は手を握りしめた。僧侶からもらった身体能力強化の魔法はまだ十分に効いている。

 そうして地を蹴る。最速で魔法使いへと躍り掛かった。

 刃は立体によって阻まれる。固い手応え。大天狗が用いた障壁と同種の対物理障壁だ。全力を出せば切断できるだろうか……難しいか?
 僅かに後退、反動をつけて身を翻す。しかし残り三つの立体がこちらへと迫ってくる。隙間はあるが、それが明らかに誘っているふうで、逡巡した。あそこに身をすべり込ませてもいいものだろうか。

 ナイフを引き抜いてその空間へと放り投げる。何もなければ魔法使いに突き刺さるコース。
 立体のうち一つが発光した。ばちん、と激しい音を立てて、落雷がナイフを襲う。

魔法使い「流石に、ひっかからない、か」

魔法使い「エレメンタルキューブ」

 二つの立体がそれぞれ発光した。俺の足元に、空中に、魔方陣が計四つ現れる。明らかに不穏な気配を感じて横っ飛び。
 盛大な破砕音。たった今までいた場所を襲う落雷、そして火炎。

 跳び退いた先にもまた魔方陣が。無理やり壁を蹴って方向転換。そのせいで書類棚に激突したが、そのほうがまだましだ。
 魔方陣からは冷気が吹き出し、巨大な氷柱が突き出ていた。方向転換していなければ串刺しになって死んでいただろう。


傭兵「っ!」

 いつの間にか足元に魔方陣が現れている――岩に埋まった俺の右脚。

 残り三つの立体が発光を始めた。同時に俺の周囲に魔方陣が浮かび上がる。

 炸裂音。

 魔法使いの腹部が爆ぜた。立体の光が消え、それどころか立体自体が掻き消えていき、俺の脚を束縛していた岩もさらさら崩れていく。
 魔法使いは驚愕の表情で自らの失われた腹部に手をやった。真っ赤に染まった手を見て、その後ゆっくり顔を挙げる。その先には――僧侶がいる。

 僧侶は依然硝煙が立ち上る拳銃を構えたままだった。その眼には涙を溜めているが、まだ頬を伝うまではいかない。唇を噛み締めてなんとか耐えているようにすら見える。

僧侶「わたしのこと、忘れちゃ、いませんか」

 涙声だった。震えている。

魔法使い「あー、やー、これは、意外だった、なぁ」

 ごふ、と血を吐く魔法使い。
 僧侶は目を袖で拭ってまっすぐに魔法使いを見た。赤く染まっている魔法使いの姿、そこから目を決して逸らさない。恐らくそれが彼女なりの責任なのだろう。やったからには最後まで。
 一歩一歩、ゆっくりと、けれど確実に魔法使いとの距離を詰めていく。


僧侶「ごめんなさい」

魔法使い「あ、はは、は。そう、思っちゃうなら、やめとけば、よかったのに」

僧侶「……」

 無言のまま魔法使いの頤に銃口を突き付けた。そこから先は俺の仕事のはずだったが、しかし、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。口を出してしまえば彼女の覚悟を無駄にしてしまうと思ったから。
 引いたトリガーが招いた結末は、それを引いた本人が最も間近で見るべきなのだ。
 もしこれで僧侶がやはり殺せないというならば、それはそれ、俺は謹んで拝命しよう。

僧侶「……」

魔法使い「ど、したの」

傭兵「僧侶」

 声をかけると僧侶はもう一度目を袖で拭い、首を横に振った。

僧侶「いえ、大丈夫です」

 ひときわ大きな音が響いて、魔法使いの体が研究所の床に横たわる。
 赤い海がじわりじわりとその勢力を拡大していき、僧侶の靴を汚していく。硝煙のにおいと鉄の匂いが鼻孔を衝いた。
 顔面蒼白な僧侶はそれでも気丈に唇を噛み締めている。

傭兵「……爆弾をセットするぞ。手伝え」

僧侶「……はい」

――それから数十分後。
 振動とともに崩落していく採石場を背に、絶望に彩られた町民の中を、俺たちは抜けていく。
 表面上は変わらない足取りで。

――――――――――――――――
>>206 
「通過」→「通貨」でした。

今回の投下はここまでです。
これで採石の町、ゴロンは終了。少しのインターバルをおいて交易都市ボスクゥへと舞台は移る……はず。

今後ともよろしくお願いいたします。


 きしり、きしりと軋む音。
 心が軋んでいる。鋼線に巻きつかれ、ぎりぎりと悲鳴をあげている。

 後悔……で正しいのかも定かではありませんでした。一時の感情に身を任せ、採石の町ゴロンを崩壊に追いやったのは、間違いなくこのわたしなのです。
 実際に手を血に染めたのは、その殆どが傭兵さんでしたが、彼はわたしの剣であり盾にすぎません。持ち主はわたしなのです。剣を振るったのはわたしなのです。

 わたしは正しかったのでしょうか。それとも間違っていたのでしょうか。
 いや、もしかしたら正誤を考えることすら間違いなのかも。

 傭兵さんは全く変わらない調子で先行します。変わらない調子とは、ペースもそうですが、ふるまいも。採石場で虐殺の限りを尽くした人間とは思えませんでした。

 採石の町、ゴロン。カミオインダストリーの――ひいては州総督の治める町。あれは最早所有物と言っても過言ではないでしょう。誤解を恐れずに言えば、もっとひどい表現がいくらでもできましょうが、今のわたしにその権利があるのかどうか。
 あの町はもう存在できないでしょう。州総督から見捨てられ、庇護下から離れてしまった以上、残されたのは寄る辺の無い人間と採石場の成れの果てだけです。牙の無い彼らには、たぶん、生きていくだけの力もありません。

 そしてそんな弱い生物を檻から解き放ってしまったのは他ならぬわたしたちなのです。

 義憤に駆られたといえば聞こえはいいでしょう。義を見てせざるは勇無きなり。つまりわたしたちには勇気があったと、そういうことにもなるのかもしれません。
 ただ、仮にそこに勇気があったとして、正義が介在していたかどうかまでは……。


 行動の動機として、そこに正義があったことは否定しません。繰り返しますが、わたしは義憤に駆られました。州総督を許せないと怒り、魔法使いさんを酷いと憎み、町民を愚かと断じました。
 その結果がこれです。目的は果たせたはずなのに、この世の汚濁は潰したはずなのに、齎された結果がわたしを苛んでいるのです。余計なおせっかいだったのでは、と。

 無知のまま瘴気に汚染されて死んでいくほうが、彼らにとっては幸せだったのでは?

 そんなはずはありません。ない、はずなのです。
 けれど魔法使いさんの言った言葉が、わたしの胸に突き刺さって仕方がないのです。

魔法使い『きっとみんな、楽して生きていたいんだよ』

魔法使い『現状が最悪なことはわかってるけど、努力してまで、この「大したことせずとも生活できる」生活から逃げようとは思ってないんだよ』

魔法使い『罪もない子供が蝕まれているっていうのに』

 わたしの行為は誰も幸せにしなかったのではないか。
 だとしたら、誰かを殺してまで、悲しませてまでやった行いは――

傭兵「僧侶」

 呼ばれて傭兵さんの方を向きました。彼は岩場に足をかけ、わたしの方を見ています。
 そこで初めて、わたしは自分が足を止めていたことに気が付きました。

僧侶「あ、……すいません」


 わたしは傭兵さんが指示した窪みとでっぱりに手足をかけ、時に木の枝にロープを巻き、岩場を登っていきます。

傭兵「人を殺すのは初めてか」

 枝の強度を確かめながら傭兵さんは尋ねてきました。わたしは頷いて、「はい」と答えます。
 傭兵さんは「だろうな」とだけ言って、慣れた様子で岩場を登っていきます。わたしはそれについていくだけでも精一杯でした。

傭兵「なんで銃を選んだ? もっと殺傷力の低いものは沢山あったろうに」

僧侶「魔方陣を、その構造に組み込みやすかったから、です」

 手が汗で濡れて滑る。服で手のひらを拭いて岩を掴みなおします。

傭兵「それだけか?」

僧侶「……わたしは、誰かを守りたかったんです」

 と言って、過去形になっていることに気が付いて訂正します。

僧侶「わたしは、誰かを守りたいんです。権力者、資本家、そういった、力にものを言わせて他人を隷属させようとするやつらから、みんなを」

僧侶「そのためには、最悪、敵対する人を殺すことも視野に入れなきゃいけないと、思いました」


傭兵「だからお前はカミオインダストリーが嫌いだったのか。州総督も」

僧侶「……はい。自分だけがよければいいなんて、認めたくありません」

傭兵「病的だな」

 端的に傭兵さんはわたしをそう評しました。わかっていることです。わたし自身、その自覚はあります。
 最初は単なる努力目標だったそれは、今では優先順位が逆転して、至上命題となっています。昔はこんなに狭量ではなかったはずなのに。

傭兵「お前に似た神父を知ってるよ。無私、と言う言葉が似合いすぎるくらい似合うやつだった。ただ違うのは、そいつは守りたいとは言わなかったな。救いたい、とは言っていたけど」

 守ると救う。その差は些細なようで重大です。守るとはつまり前に立って大きく手を広げることを意味していますが、救うは背中から押してあげることを意味しています。
 前後の差。
 そうです、わたしは誰かの前に立ちたい。だから拳銃なのです。後ろにいては、その人ごと撃ち殺してしまうから。


僧侶「その人は、どうなりましたか」

傭兵「死んだよ」

 僅かに傭兵さんの声が強張ります。

傭兵「金も力もねぇくせに人望だけはあったからな。それを、どっかのお偉いさんに利用されて、ボロ雑巾みたいに使い捨てられた。ひでぇ話だ。人間を消耗品だと思ってやがる」

僧侶「……」

 わたしは何も言いませんでした。いや、言えませんでした。

 気持ちが焦っていたからでしょう、足場を踏み外してわたしの体が大きく傾ぎます。
 一瞬体が重力から解き放たれ、視界が岩場から一転、木々とその隙間から見える青空へと変わります。
 落ちる、と思った次の瞬間には、わたしの手は傭兵さんに捕まえられていました。

傭兵「気ィ抜くな」

僧侶「……すいません」

 傭兵さんの手は無骨で、そしてあったかかったです。

 わたしを岩の上に立たせてから彼は前を向きました。どうやらここが岩場の頂上らしく、あとは下っていくばかり。

傭兵「人を殺せる要因なんていくつもある。金もそうだ。恨みつらみなんて腐るほどある。人間どこで、知らないうちに不興を買っているかわかったもんじゃねぇ」

 傭兵さんの唐突な語りにわたしは少し戸惑いましたが、その瞳が随分と真剣みを帯びているので、自然とこちらも聞く体勢になります。


傭兵「僧侶、大事なのは信念だ。金や恨みで殺すクソッタレと一緒になるな。俺は信念で殺す。信念で斬り、信念で刺し、信念で撃つ。わかるか」

僧侶「……全然わかんないです」

 嘘です。ちょっとくらいはわかりました。
 ただ、この人の言うことを素直に聞くのも、なんていうか、癪じゃあないですか。

僧侶「でも傭兵さんはお金をもらったら人を殺すんでしょう」

 それはお金で人を殺すことになると思うのですが。

傭兵「殺すよ」

 あくまで楽しそうに傭兵さんは言いました。先ほどの真面目なトーンはどこへやら、宝物を自慢する子供の顔です。

傭兵「この世で金が一番大事だ。俺はその信念に則って殺す。わかりやすいだろ」

僧侶「それは言葉遊びじゃないですか」

傭兵「かもしれないな」

 はぐらかされました。シリアスにしてればそれこそいいことを言っていると思うのですが、惜しむらくは彼の真面目な顔は数秒しか持たないのです。

傭兵「殺すなら信念で殺せ。動くなら信念で動け。荒事の世界で生き延びるコツだ」

僧侶「信念、ですか」


 きっと傭兵さんはわたしを元気づけようとしてくれているのでしょう。大きなお世話で余計なお世話ではありましたが、その好意を受け取るのは吝かではありません。
 ふふん。傭兵さんも少しはわたしに気を使う甲斐性がでてきたようですね。

僧侶「感心感心」

傭兵「何言ってんだボケ。さっさと行くぞ」

 傭兵さんは斜面を駆けおりていきました。わたしは慌ててそのあとを追います。

 それにしても、信念、ですか。
 たぶん、後悔しないように、ということなのでしょう。誰かのせいでもなく、誰かのためでもなく、自分の信念がわたしにあのとき引き金を引かせた。そうした自分をこそ信じてやれよと言外に傭兵さんは言っているのです。
 確かに、そうでなければ生き抜くことなど容易ではないのかもしれません。

 これから先、撃たねばならないことが多々あるでしょう。わたしはラブレザッハに辿り着かなければいけないのです、なんとしても。
 でないと、みんな死んじゃうから。

 自分なりの答えはいまだ出ませんが、色々なことが収まるべき場所に少しでも近づいたような気がしました。

 考え、悩み、溜息をつくことはあるでしょう。魔法使いさんを撃ったことにも、そもそも採石場をぶっ潰したことにも。
 けれど、あんな汚濁を放置するのは、わたしの信念に悖るものです。

 だから後悔はしない。

 それが原因で誰かに殺されたとしても。

 どうせわたしの人生は後戻りなんてできないのですから。

―――――――――――――
今回の投下は以上です。
インターバルその一。短めですがご容赦を。

交易都市ボスクゥまではおよそ30レス弱を予定してます。


※ ※ ※

 さて、どうしたものだろう。
 魔物避け、野生動物避けの焚火を見ながら俺は考えていた。

 炎は燃焼し、空気を膨張させ、ぱちんという小気味よい音とともに爆ぜる。生み出される光は太陽のそれより赤く、柔らかかった。
 俺は手元の小枝を三つに折って投げ入れる。手持無沙汰にかまけてくべすぎてしまっているが、それでも。
 というか、こうでもしないと気を紛らわせそうになかった。

 俺の脚を枕にして僧侶が寝ている。

 頬が柔らかい。


 基本的に火の番は俺の仕事だ。夜通し起きて脅威に対して警戒し、日が昇って僧侶が起きてきたら俺が代わりに就寝する。これまではそのパターンだったし、今日もそのパターンのはずだった。
 テントなんていう便利なものはない。あっても嵩張る以上持ち運べない。だから布を引いた上に寝袋で寝ることにしていた。実際、今も僧侶は寝袋にくるまっている。

 違ったのは僧侶の寝つきが悪かったことだ。いつもは疲れからかすぐ入眠するのだが、今日は少し違ったのか、それとも体力がついてきたのか、石に座った俺のそばへとやってきたこう言ったのだ。「お話しましょうよ」と。

 当然いいから寝ろと言った。僧侶は「なんか眠たくないんです」と言った。俺の隣に座った僧侶は上目使いで快活に笑って、自分のアカデミーのころの話なんかをしだした。俺は完全に聞き手だった。


僧侶「わたしは南部の生まれなんですけど」

 そうだな。名前は南部地方にありがちなそれだもんな。

僧侶「両親はどっちも神職で、北部でずっとお勤めしてたんです」

 だとすればラブレザッハに向かうのも関係あるのだろうか。

僧侶「わたしは両親の留守中アカデミーの寄宿舎に放り込まれてまして、楽しかったなぁ」

 確かこいつはそこで主席だったんだったか。

僧侶「みんな元気にしてるのかなぁ。色んなところにみんなお勤めに行っちゃって、中には勇者様と一緒に旅してる子もいるんですよ!」

 等等、声にこそ出さないが色々と思うことはある。そしてこいつはそんな俺の気持ちなど露知らず、やれ友達とどこどこに行っただとか、誰々がこんな失敗をしただとかで勝手に盛り上がっていた。
 その顔を見る限りは普通のガキだ。細かいプロフィールは知らないし興味もないが、おおよそ十五、六の女子が大森林を越えてラブレザッハに向かう理由が気にならないはずはない。

 恐らくそれ相応の何かがあるのだろう。きっと、この年齢相応の笑顔の奥に、凄絶な何かが存在しているに違いない。
 最初俺に頼む際、こいつは家財道具をすべて処分し、銀行から全ての金を下ろしてきていた。つまりこいつに帰る家はもうないのだ。


傭兵「……ちっ」

 らしくもないことを考えてしまった。俺は傭兵だ。こいつの剣であり盾。しかし保護者じゃない。どうにも、それっぽい考えが脳裏をよぎってしまう。
 両親はどこに行ったのだとか、少しばかり気を回してしまう自分自身に腹が立つ。

僧侶「……」

 すやすやと眠っている。話したいだけ話すと糸が切れるように寝てしまった。まるでガキだ。まったくガキだ。それだのにいっちょまえに俺に文句を言ったりする肝を持っているのだから手に負えない。
 こいつの金嫌いは筋金入りだ。勿論金が大事だと理解したうえで、金など必要ないと思っている。

 ある種矛盾染みた思想だが、矛盾ではないのだ。彼女にとって金は必要悪で、他人の善意によって社会が成り立つことを、本当は希求しているのではなかろうか。
 ばからしい。
 と一蹴するのは簡単だ。ただ、それはあいつの人生を知らない俺が言っていい言葉なのだろうか、疑問が残る。

 なんとなく頭に手を触れてみた。
 淡い水色の髪の毛は、大森林の中にあってもするすると流れていく。先端の方だけ少し軋んだ。これだけ気持ちいい髪質なのに、勿体ないことだ。


傭兵「……」

 おい、待て、俺。今、何を考えてた。
 寝ている人間の頭を撫でて、髪を梳いて、あまつさえ気持ちいいとは――まるで変態の所業だ。有り得ない。到底許されることではない。
 地獄に落ちてしまえ。

 大きく呼吸して思考を切り替える。

 あと丸一日……ペースによっては一日半、歩けば大森林は突破できる。ゴロンを出立して以降、魔物に襲われたりだとかは何度もあったが、雑魚ばかりだったのが幸いだった。あれが大天狗だとしたら……。
 いや、やめよう。あれは悪夢以外の何物でもない。考えるのは精神衛生上よろしくない。

 しかし、泣き言も言わずに僧侶もよくついてきたものだ。依頼主は僧侶なのだから、まぁ泣き言を言わないのは当たり前なのかもしれないが、途中で根をあげると思っていた。あと三日はかかると踏んでいたのだが。
 とはいえ大森林を出たあとも旅は続く。俺は羊皮紙の地図を取り出し、焚火の明りに照らし出す。

 岩場は本日抜けた。このまま北上するよりは一度東へ向かって街道に入ったほうが道も整備されていて歩きやすい。が、街道沿いには柵や罠が数多く仕掛けられているはずだ。俺一人ならどうとでもなるのだけれど。
 ただ、かといってこのまま北上しても、いずれは魔物の巣に行き当たる。交易都市ボスクゥが擁する湖、そこに繋がる支流は大森林を通り、ケルピーや河童の棲家となっていた。
 ケルピーも河童も特別危険度が高いというわけではないが、寧ろ河童の遊びに付き合わされる方がよっぽど厄介だ。


 結局はどちらかを抜けなければいけないということなのだが、いまだに俺はそれを決めかねていた。僧侶が起きるまでに決めてしまわないといけない。道を先導するのは俺の仕事だから。

僧侶「傭兵、さん」

傭兵「どした」

 と答えてから寝言だということに気が付く。僧侶は依然俺の膝を枕にして気持ちよさそうに眠っていた。暢気なものだ。

傭兵「……違うな」

 眠っているときこそ暢気でいるべきで、何より、暢気でいられるべきなのだろう。
 僧侶だけのことではない。夜が恐ろしくておちおち寝てもいられない世界なんて俺はごめんだ。

 その時である。

 からんからんと鳴子が鳴った。
 膝の上の僧侶など一瞬で頭から消え、反射的に構える。僧侶が転がり落ちるが知ったことか。

僧侶「いったぁっ! なんですか傭兵さん――」

傭兵「寝ぼけてんじゃねぇ、誰かが来た」

 決して暗闇から目を逸らさない。概算で約十メートル。位置は前方。炎が揺らいで木々を光で舐めていくが、誰の姿も見えなかった。


僧侶「……銃、取りますか」

傭兵「一応そうしておけ」

??「ねぇ、もしかして……僧侶?」

 素っ頓狂な声が闇夜の中から聞こえてきた。黄色い声。少し気の強そうな人物像を感じ取れる。年齢は、僧侶と同じくらいか。
 魔物ではなく人間だったらしい。そして、同時に僧侶の知り合いでもあるらしかった。それはこいつの顔を見ていればわかる。

僧侶「もしかして、赤毛ちゃん?」

 赤毛と呼ばれた声は、暗闇の中にあってもわかる喜びの色を声に多分に含ませ、「やっぱりだ!」と叫んだ。それを受けて僧侶も「やっぱり」と嬉しそうにつぶやく。
 ややあって暗闇から一人の少女が姿を現した。想像通り僧侶と同じくらいの年のころで、眼鏡と、燃えるように真っ赤な赤毛が照り返しで輝いている。確かにこの髪の毛は特徴的だ。

 どうやら旧友――級友らしい。本来ならば大森林で感動の再開となるのかもしれないが、そうは問屋が卸さない。俺は二人の間に割って入った。
 剣の切っ先を赤毛の少女に向ける。

赤毛「なっ、なにを」

僧侶「傭兵さん!」

傭兵「てめぇは黙ってろ。こいつが無害と決まったわけじゃねぇ」


 悪党ほど善人面が得意なものだ。一般人は決して菩薩の顔をしない。菩薩の顔をするのは、真なる者か、でなければ夜叉。そして俺は目の前の赤毛の少女が真なる者であるとは信じきれなかった。
 魔物の中には心を読み取り、親しい人物の姿を投影して取って喰らう厄介な種もいる。念には念を入れておくに越したことはない。

 僧侶は黙った。そりゃそうだろう。何か言いたそうにしていたが、結局口を噤んだ。

傭兵「いいか、そのまま一歩ずつ、下がれ。五歩下がったら話を聞いてやる」

??「待ってくれ!」

 またも声が闇夜から響いた。次から次へと……面倒くさい。
 次に姿を現したのは優男だった。と言っても俺とそう歳が違うわけでもあるまい。軽鎧に二刀を携えた器量良し。
 俺は思わず犬歯をむき出しにする。眼を見張るものがこの優男にはあった。

 決して筋骨隆々というわけではない。シルエット自体は細身で、どこにでもいる青年だ。しかし俺にはわかる。この優男、軽鎧の下には強靭で無駄のない筋肉を持っている。
 歩き方ひとつとってもそうだ。動きの全てに無駄がない。洗練と言う言葉が似合う。


傭兵「……なんだ、こいつは」

 思わず呟いた。そして、それを耳聡く聞いた赤毛の少女が、俺に噛みつくように吠える。

赤毛「は!? あんた知らないの!?」

 いや、確かに知らないが、俺が呟いたのはそういう意味ではなくて。

 赤毛はけれどそんな俺のことはお構いなしだ。まるで優男を知らないのが非国民であるかのようにがなりたてる。

赤毛「この人こそ! 国王様が選びし勇者様よ!」

勇者「まぁ三代目ですけどね」

 勇者。
 ……勇者ァ!?

僧侶「……傭兵さん、本当に知らないんですか?」

 信じられないといった顔つきで俺のことを見てくる僧侶。その視線には軽蔑すら籠っているように見える。
 馬鹿にするな。勇者くらい知りすぎてるほどに知っている。ただ、当代の勇者の見てくれを知らなかっただけで。


僧侶「……本当に?」

 疑わしい人間を見る眼だ、それは。一歩間違えば人間を見る眼ですらなくなってしまう。
 勇者は人間の希望を一身に背負って立つ身。正しく英雄の路を歩いている者なのだ。神格化されるのはしょうがないとはいえ、知らなかっただけでこんな視線を向けられるとは。

赤毛「はぁ、信じられない。勇者様と言えば国を挙げての闘技大会優勝者よ? 全人類の希望よ? 顔を知らないだなんて……」

 赤毛の言い方はいちいち癪に障る。こんなガキに本気で怒るのは大人げないとはわかってはいるが、礼儀をわきまえない子供を叱り飛ばすのも年長者の仕事だろう。

傭兵「とりあえずてめぇ、黙れ。お前らが何者だろうと、こっちゃどうだっていいんだ。用がないならさっさとどっかに消えろ」

赤毛「ちょっと、あんたねぇ!」

勇者「赤毛ちゃん」

 勇者に窘められ赤毛はぶすっくれた顔をした。勇者がこっちを向いたのを確認し、思い切りあっかんべーをしてくる。
 これほど苛立つのも珍しい。

勇者「おやすみのところ悪かった。鳴子を踏んでしまったのは偶然なんだ」

傭兵「そうかい。じゃあさっさと行けよ」


勇者「まぁそう言わないでくれ。ここであったのも何かの縁。情報交換位してもバチはあたらないだろう?」

傭兵「……俺は傭兵だ。こっちは雇い主の僧侶。ラブレザッハまでの旅をしている」

勇者「ラブレザッハ? あそこは今、いろいろややこしいことになってるぜ?」

傭兵「あぁ、聞いた。王国軍と私設軍が同時にいるんだろ。けど、こいつが行きたいって言う以上、俺は連れて行くのが仕事だ。そっちは?」

勇者「俺は仲間を探して旅している。魔王討伐の任を帯びていてね、そのためにあと二人、仲間が欲しい。今は全国を行脚して、仲間にするに足る手練れ、そして正義感の持ち主を見つけなきゃならない」

傭兵「そうか、大変だな」

 心のこもっていない言葉だったが、勇者はそれを爽やかな笑顔で受け止めて、

勇者「本当だよ。でも、少しでも戦力を揃えないと、魔王軍がどう出てくるかもわからないからね」

傭兵「腹の探り合いはもうやめよう」


 一瞬勇者の爽やかな笑みが固まった。赤毛は「勇者様になんてことを」だとか言っているが、俺にしてみればばればれだ。先を急ぐ人間がこんな傭兵相手に打算もなく時間を潰すものかよ。
 大丈夫、不穏なものではない、はずだ。勇者の手に力が籠っていないのがその証左。殺りあうつもりなら、この辺りで二刀に手をかけているだろう。

勇者「なんだ、御見通しか」

傭兵「これでも、一応修羅場は潜ってきてるからな」

勇者「わかった。悪かったよ。俺たちはボスクゥに向かってるんだが、なんせこのご時世だ。二人だけだと心許ない」

勇者「ラブレザッハに行くのならボスクゥには寄るだろう? いや、そりゃ寄らないルートもあるかもしれないけど、普通は寄るはずだ。違うか?」

傭兵「寄るつもりはあるさ。会いたいやつもいるしな」

 俺はポケットの中で、いつぞや兵士からもらった階級章を弄びながら答える。

勇者「なら話は早い。ボスクゥまで一緒に、どうだい」

 ちらりと僧侶を見た。僧侶は柔らかく微笑んで、言外に「お任せします」と言っている。
 ふむ。闘技大会優勝などはどうでもいいが、そんな肩書とは全く無関係に、この勇者という男の強さは本物だ。不慮の事態が起こることを考えても損はあるまい。


傭兵「わかった。ボスクゥまでよろしく」

勇者「こちらこそ」

 と勇者が手を差し出してくる。俺は肩を竦めて僧侶を指した。

傭兵「俺はしがない傭兵だ。雇い主はこっち。握手ならこっちとしてくれ」

 そこで勇者は初めて僧侶をまじまじ見て、僅かに驚愕に目を見開いたかと思うと、視線を逸らさずにもう一度手を差し出した。

勇者「……よろしく」

僧侶「はい、こちらこそ」

 握手。
 しかし、なぜか解かれようとはしなかった。
 勇者はじっと僧侶を見ている。

 見惚れている、と言ってもいいくらいに。

傭兵「……」

赤毛「……」


僧侶「……あの、勇者、さん?」

 一同に注視されていることを今更に気付いたのか、勇者ははっとして手を解いた。ごまかし交じりの笑いとともに軽い謝罪の言葉が入る。
 俺はなんとなく面白くない感じを覚えたが、当然そんなものは外に出さず、子供二人を追いやって勇者に近づく。

傭兵「俺たちは少しルートの話をする。お前らは友達なのか? ちょっと遊んで来い」

 夜中だけど。

 二人も単にお遊びをしているわけではない。俺と勇者が話す内容に心当たりがついたのだろう、邪魔にならないようにと自ら距離を取った。その間から、既に「久しぶり」「なんでこんなところにいるの」などの嬌声が聞こえてくる。
 最近は辛いこと続きだったから、僧侶にとっても級友にあえるのは素直に嬉しいのだろう。
 勇者もそんな顔で赤毛のことを見ていた。お互いに保護者染みている。それは大変に業腹であったが。

勇者「アカデミーの友人、なのかな」

傭兵「じゃねぇの。よくわからんが」

勇者「まぁ、何にしてもよかった。大森林に潜りっぱなしで、精神的に辛そうだったからね」

傭兵「どれくらいここにいる?」

勇者「二週間くらいになるかな。任務は一応極秘だから喋れないけど」

傭兵「別にいいさ。興味はない」

 それに、わざわざ知る必要もない。


 国の期待を一身に背負った勇者様を大森林に放り込む理由は、エルフと魔王軍の戦争への介入、その一点以外にありえない。

 王族貴族はエルフと魔王軍の戦争については消極策を貫いている。即ち、直接的な介入はせず、後方支援、それも補給がらみにのみ手を貸すということだ。
 反対に州総督をはじめとする各領主は、それぞれがそれぞれのやり方で積極的に介入を試み、利益を生み出そうとしている。

 勇者と言えば、つまるところは王族貴族が祀り上げた国家代表戦士である。州総督の一派と対立するからこそ、彼らと同じ土俵に立って行動する人間が必要となる。勇者が行っているのは、そういうことだ。
 戦争が激化すればするほど州総督たちは儲かる。だから彼らは戦争の長期化を望む。採石の町ゴロンを司っていたのがカミオインダストリーであり、黒幕が州総督であったように、採石事業や武具の製造販売を行っているから。

 そして、勇者はそれを防ぐ役割があるのだ、恐らく。彼自身が魔王軍と戦うことによって。

傭兵「大森林から抜けても大丈夫なのか?」

勇者「言ったろ、仲間を探してるって。ボスクゥは今王国軍が駐屯しているらしいし、王都に戻る前に、有望な人物がいないかなと思ってね」

傭兵「ラブレザッハまで僧侶を送った後、手伝ってやろうか」

勇者「ははは、ありがたいけど勘弁しておくよ。俺は貧乏なんだ」

 どうやら俺の顔は割れているらしかった。評判も、聞き及んでいるのだろう。


傭兵「期待を背負った勇者様でも金欠かい。世知辛いねぇ」

勇者「金がなくても何とかやっていけてるよ。今は国全体が慌ただしいからね。そのことを考えれば、どうってことないさ」

傭兵「お前もか」

勇者「え?」

傭兵「や、なんでもねぇよ」

 こいつもだ。こいつも、金がなくとも愛や友情や、そういった美しくて素晴らしい概念さえあれば、満腹中枢を満たせる人間だ。

勇者「それで、ルートはどうする? 街道を通るか、川を遡上していくか」

傭兵「街道だな」

勇者「いいのか? 確かに街道の方が早く着くだろうけど、絶対に何かあるぞ」

傭兵「問題ねぇよ。それに、お前さっき言ってたろ」

勇者「?」

傭兵「貧乏だって」

勇者「あ、あぁ、そうだけど」

傭兵「奇遇だな。実は俺も金が欲しいんだ」

 * * *

>>239 
根をあげる→音をあげる です。

今回の投下分は以上です。
インターバルその2。次回のインターバル3を経て、ボスクゥに至ります。

今後ともよろしくお願いします。

作者です
諸事情あって現在ホームレスでSSどころじゃない感じになってしまいました
落ち着きしだいまた更新します、しばしお待ちください


 * * *

赤毛「元気だった? 一年ぶりなのに、なんかもっと会ってない気がするよ」

僧侶「ほんと。勇者様との旅はどう?」

赤毛「えー、それ聞いちゃう? 聞いちゃう? うふふふ」

僧侶「楽しそうで何よりだよ」

赤毛「だって勇者様ったらすっごい強いんだよ! それに加えて優しいし、かっこいいし……憧れちゃうよねぇ」

 確かに勇者様は瑕疵の無い人です。それは一瞥しただけでもわかります。
 品行方正文武両道眉目秀麗。そんな人間がそうそういるとは思えませんでしたが、彼はまさにその十二字の具現だと思いました。
 傭兵さんも少しは見習ってくれればいいのに。

赤毛「僧侶ちゃんはラブレザッハまで向かってるんだっけ?」

僧侶「あ、うん。一緒にいた人は傭兵さん」

赤毛「あの人ねぇ、感じ悪いよね。大丈夫なの?」

 言いにくそうなことでもずばずば言えてしまうのが、この赤毛ちゃんの特徴であり、同時に悪いところでもあります。わたしは困った顔をして「まぁ……」と口を濁しました。
 確かに傭兵さんは最低な人間です。お金に貪欲で、そのためなら他人を犠牲にし、そして自分をも擲つ覚悟を持っています。口も悪くてすぐに人を煽ります。常に鼻をヒクつかせお金のにおいを探っていることもしばしば。


 ですが、なぜでしょう。赤毛ちゃんに傭兵さんことを悪く言われるのは、少しだけ心がざわつきます。だって彼はわたしの傭兵であって、彼女のものではないのですから。

 確かに赤毛ちゃんの言っている感じの悪さは事実なのですが。

赤毛「ラブレザッハに行くのはやっぱりあれなの? お父さんとお母さんを追って?」

僧侶「うん、まぁ、そんなとこ」

 嘘は言っていません。恣意的に解釈しているだけで。

僧侶「そっちはやっぱり世界平和?」

 アカデミーにいたころから彼女はそればかりを繰り返してきました。世界平和。戦争撲滅。そのための努力で勇者様に見初められ認められたのは、素直に驚嘆です。
 赤毛ちゃんは言動こそ普通の女の子ですが、その実途方もない量の魔法力を擁する、一種の天才。魔力貯蔵庫が人の形を成したもの、と冗談交じりに呼ばれるくらいは。

 わたしの首席という肩書は事実ではありますが、単に学業成績が良かっただけ。魔法を使えはできても放てないわたしにとっては、彼女の生き方はいくら憧れても不可能なことですから。

 わたしだって世界平和を希求してはいますが、アプローチは当然異なります。

 赤毛ちゃんは猫に似た表情を輝かせて頷きました。

赤毛「あんまり喋っちゃいけないみたいなんだけどね。魔物の討伐と、違法な工場の破壊工作とかがメインかな」

 違法な工場。
 破壊工作。

 心拍数が跳ね上がります。なんだか、それはあまりに直近の出来事過ぎて。


僧侶「そ、っか……お互い頑張ろうね」

赤毛「うん。頑張ろうね」

 二人で指切りをしていると、ようやく話し合いの終わった二人が現れました。

勇者「お待たせ」

傭兵「てめぇら随分楽しそうだな」

赤毛「勇者様、大丈夫でした?」

傭兵「大丈夫ってなんだ」

僧侶「傭兵さん」

 顔を顰めた傭兵さんの裾を引っ張ります。傭兵さんは大層楽しくない顔をして、木へと背中を預けました。

傭兵「ボスクゥまでは街道を通っていく」

赤毛「街道? 危険じゃないの?」

勇者「あぁ、そのことなんだけどね、傭兵くんがどうしてもって」

僧侶「……」

 嫌な予感が。
 とても、とっても、嫌な予感がします。


僧侶「よ、う、へ、い、さ、ん?」

傭兵「んー? なんだよ、雇用主殿」

 嫌な笑顔してる!

僧侶「説明してください。街道は確かに近いかもしれませんが、強盗団、罠、魔物の襲撃などいくらでも考えられます」

傭兵「あほか。だからだよ、だぁかぁらぁ」

傭兵「ボスクゥは交易都市だ。着いたのに素寒貧じゃ味気ねぇ。こいつらも貧乏な旅してるって言うからよ、ならやることは一つだろうが」

 ぴんと来ました。わなわなと体が震えます。
 この人、どこまでがめついんですか!?

 二人はよくわかっていない顔をしました。わかってしまう自分が少しだけ悲しくなってきます。

僧侶「つまり、追剥を逆に剥ぐと」

傭兵「そのとおり」

 そこでようやく合点の言った二人は、傭兵さんの言っていることがまるで信じられないという風に、口をあんぐり開けています。
 先に口を開けたのは赤毛ちゃんでした。


赤毛「ばっ! あんた、そんなことが許されると思ってんの!?」

傭兵「襲いかかってくる方もそれくらいの覚悟をしてるはずだろ」

赤毛「じゃなくて、命がいくつあっても足りないって言ってんの! 釣りでもやってるつもりなの!? 餌にするのは自分の体だけにしてよ! 馬鹿じゃないの!」

傭兵「てめぇこそ馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺と勇者がいて、万に一つも負けはありえねぇ」

 ともすれば自信過剰にも聞こえる言葉でした。ですが、確かに、とわたしは思います。
 一体どれほどの手練れが出てくれば、傭兵さんと勇者さんに傷を負わせることができるでしょうか。決して傭兵さんの言葉は大言壮語ではありません。

傭兵「それとも嬢ちゃん、てめぇは勇者様を信じてねぇってのか?」

赤毛「馬鹿にしないでよね! 勇者様がそんじょそこらの魔物に負けるわけないでしょ!」

 言質を取ったぞ、と傭兵さんは手をぱちんと叩きました。

傭兵「勇者様も、問題ねぇよな」

勇者「問題は大ありだが……まぁ、いいだろう」

赤毛「いいんですか……?」

勇者「路銀が足りないのは事実だし、一般人を、しかもこちらから襲うわけじゃあないんだ。ぎりぎり許容の範囲内だろう」

傭兵「流石勇者様だ、話が分かる。それでこそ民草の声も聞けるってもんだ」

 傭兵さんはにかっと笑って。

傭兵「さぁ、眼に物見せてやろうぜ。勿論代金は要求するけどな」

 そうして街道に飛び出したわけですが……結論から言えば、襲った方が可哀そうになってくるくらいでした。

 最初は普通に歩けていても、数分進めば歩哨に立っていたらしい犬型の魔物が襲って来たり、ナイフをぎらぎらとちらつかせたゴブリンが集団で立ちふさがったり、まさに世紀末。
 そしてそれらを意に介さないように千切っては投げ千切っては投げしていく、我らが傭兵さんと勇者様。
 私と赤毛ちゃんは自分の身を守るだけで精一杯だというのに、二人は軽口を叩いたり、果ては倒した敵の数で賭けをしてさえいるのです。

傭兵「お前これで何匹目だ!」

勇者「だから! 俺はやらないって、言ってるだろ! 三十五匹目!」

傭兵「ははっ、ちゃんと数えてんじゃねェか! 四十三!」

 息を整える暇もなく、軍隊ガニの大群が現れました。傭兵さんはゴロンで衛兵から奪った抜き身の剣を振り回し、力任せに外殻ごと叩き切っていきます。
 力強い攻撃なのに、傭兵さんの動作はかなり軽やかで、まるで背中に羽が這えたみたいでした。わたしの魔法的な補助もなく。


 反対に勇者様は二刀を細かく回しながら、自分の身だけではなくわたしや赤毛ちゃんも周囲も警戒しているようでした。片刃の小太刀と脇差。ステップを踏みながら戦う姿はさながら舞踏のよう。
 わたしたちに気をやっている分だけキルスコアは傭兵さんがリードしていました。かくいうわたしは、たった今五匹目を倒したところ。
 拳銃じゃあ軍隊ガニの甲殻には歯が立ちませんよっ!

赤毛「僧侶ちゃん、大丈夫!?」

 魔力に任せて赤毛ちゃんは周囲の軍隊ガニを爆発で吹き飛ばしていく。巻き添えを喰いそうになりましたが、そのあたりは彼女も加減してくれているのか、爆風がわたしの髪をなびかせるだけで済みました。

 わたしは足の裏でしっかり地面を捕まえながら、軍隊ガニの目を撃ち抜きます。

僧侶「なんとか、ですね」

勇者「背中は任せて。二人は自分の前だけを」

 そう言いながら勇者さんは自分の眼前の敵も薙ぎ払っていきます。
 怒涛の勢いで切り伏せていく傭兵さんたちを見て、軍隊ガニの大群は叶わないことを悟ったのか急いで退却していきます。そこを追いすがる傭兵さんの姿こそ、追剥そのもの。

 血と脳漿とさまざまな肉片が撒き散らされた街道を、わたしたちは突き進んでいきます。


傭兵「っはっはぁ! いい運動をしたな!」

 傭兵さんは一息つきながら汗と血液を拭いました。とても満足そうな笑顔です。
 きっと「いい運動」の「いい」は、運動自体にかかっているのではなく、「お金が稼げたから」にかかっているに違いありません。

 これだけ暴れればもうわたしたちを襲ってくる命知らずはそうそういないでしょう。それこそ、いつぞやの大天狗クラスでもなければ。

傭兵「結局俺の勝ちだな」

勇者「は? あれはノーゲームだろう」

傭兵「ノーゲームもクソもあるかよ。俺は五十一。お前は四十二。この数が全てだ」

勇者「俺が手足捥いだ奴らを根こそぎぶっ飛ばしたのはどこの誰だ」

傭兵「ちまちまやってるからだろうが。巻き添えのことなんて考えてられるか」

勇者「サポートがなきゃ軍隊ガニも倒せないのか?」

傭兵「ほう、言うじゃねぇか」

勇者「やるか? 買うぞ」

赤毛「ストーップ! ストップです、勇者様!」

僧侶「傭兵さんも煽らないでください!」


 なんだかんだ楽しそうな二人でしたが、流石に止めに入らざるを得ません。
 わたしたちに間に入られようやく事態は沈静化の兆しを見せます。どうやら賭けは保留ということになったようです。男の人ってどうしてこう子供っぽいんでしょうか。

赤毛「どっちも、ガキね……」

 そう言いながらも勇者様を見る赤毛ちゃんの目は変わりません。あれはまさに恋する乙女。

勇者「もう大森林も抜ける。そうしたらボスクゥはもう少しだ。そう考えると元気も湧くね」

赤毛「まだ頑張れますよっ」

勇者「はは。無理したら元も子もないよ。俺たちの目的はまだまだ遠くにあるんだからね」

勇者「僧侶ちゃんも疲れたかい?」

 そう言って爽やかスマイルを向けてきます。
 わたしも旅の最初と比べてだいぶ体力はついたほうだと思いますが、連戦に次ぐ連戦では脚も棒になります。石に腰かけているだけで、じわじわした疲労が脚を起点に上っている感覚があるのです。

傭兵「おい、そろそろ行くぞ」

 そして躊躇なく声をかける傭兵さんでした。
 ちょうどわたしが休まる頃合いを見計らって声をかけてきているのが、なんというか、もやもやします。恥ずかしいというか、癪に障るというか。

勇者「はい。手」

 差し出された手を、少し躊躇して、でも断るのも悪いので握りました。そのまま腕に力が入って立ち上がらせてくれます。

僧侶「……ありがとう、ございます」

勇者「どういたしまして。それにしてもちっちゃい手だね」

 そうでしょうか? 小柄な体格でしょうけど。

赤毛「勇者様、それじゃあ私の手がでかくて骨太みたいじゃないですかぁ」

勇者「いや、それは悪意に満ちてるよ……」

傭兵「お前ら、楽しそうだな」

 そう言って傭兵さんは前を指さしました。
 光が見えます。木漏れ日ではない、横から差し込む陽の光。

 それが大森林の終わりだと気付くのは、一瞬で。

 わたしはつい拳を握りしめていました。


※ ※ ※

 交易都市ボスクゥには領主がいない。ここは交通の要衝であり交易の中心、そして他国との最大の連絡口である。従って、王族貴族派にも州総督派にも縛られない立場が必要となるためだ。
 ボスクゥは商人ギルドの会合によってさまざまな政治的判断が為されている。金のために動く彼らは、この町は、俺の趣味にとても合う。そして同時に苛烈だ。

 金と信頼が何より大事なのは商人も傭兵も同じ。僅かばかり違うのは、商人は物品をやり取りし、傭兵は命をやりとりする。
 全てが道具として扱われるのは非人道的であるが、故に心地よさを感じることができる。道具をうまく使える人間は有能なのだ。そして有能な人間に使われる道具もまた。

 ボスクゥの周囲にはぐるりと城壁がある。いや、ボスクゥは城ではないのだから、城壁と言うのは間違いなのかもしれないが。
 大型の貨物馬車が悠々通行できる、巨大な門扉。そばには衛兵が四人立っている。とはいっても厳格な規制が敷かれているわけではなく、門扉からは人がひっきりなしに出たり入ったりしている。
 商人の町は今日も活気があるようだった。

 城壁越しからでも見える尖塔がいくつもあった。商人は自らの権力を示すため、より高みを目指して館を、店舗を建てる。結果として生まれる競争の結果の林立。
 それを見て僧侶はため息を漏らしていた。わかりやすいやつである。


傭兵「お前らはどこに用事があるんだ?」

勇者「とりあえず斡旋所行って……あぁ、その前に商人ギルドの長に会って、挨拶しなきゃ」

傭兵「勇者サマは大変だねぇ」

勇者「しがらみってやつだね。面倒くさいとは思うけど、仕方がないさ。そっちは?」

傭兵「こっちゃ宿の確保が最優先だ。あとは駐屯所に顔を出してくる」

勇者「あぁ、それも必要だな」

傭兵「同じ宿じゃねぇだろうな」

勇者「だめか?」

傭兵「他にもいっぱいあるだろうが」

勇者「探すの面倒くさいしなぁ」

 俺と勇者が前、僧侶と赤毛が後でボスクゥの街中を歩いていく。
 入って真っ直ぐはメインストリート。荷馬車が往来できる中心部、人が歩く外側部に白線で分けられている。面した店舗は交易都市を象徴するかのように雑多なもので溢れかえっている。
 パンを焼いているいい匂いが鼻孔を突くと思えば、東の国の宝石細工が眼に痛い。その隣では大陸中の果物を台に並べて男が必死に呼びかけており、道路を挟んだ向かい側では骨董品を取り扱っている。


 人の往来も激しい。荷馬車に乗った男。子供の手を引く母親。手をつなぎ、果物を齧る男女。人相の悪い人間もいる。道化師がはずれで大道芸をしていた。
 物や人をごたまぜにして煮詰めた町だ。この都市は国が交じり合っている。よく聞けば、言語は一応俺の国のものに統一されているようだが、訛りの強かったり明らかに不慣れな話者の存在を知ることができた。

 あの小さく強靭な体の壮年男性は北方の民族で、黒い肌は南方の海洋国家から来ている。エルフもいれば、獣耳の生えた亜人もいる。
 まるで別世界だ。

 ここに王国軍が駐留しているのは外交関係の問題があるのではないか、と思った。
 大森林はそのほとんどが我が国の国土に食い込む形になっている。魔王軍とエルフがドンパチを始めれば国に波紋が生まれるのは子供だってわかる。
 だからこその王立軍。この機に乗じた不審な動きがないように、盾としての役割。

勇者「お、ちょうど宿があるな。おい、傭兵。ここにしようぜ」

 見上げた宿は手ごろな様子だった。高級すぎもせず、かといって埃臭さもない。
 悔しいがよいチョイスだ。

 俺が何も言わないのを見て勇者は赤毛と二人で宿屋に入っていく。


僧侶「ご一緒するんですか?」

傭兵「どっちでも、いい、が……お前はどうしたい?」

僧侶「わたしも、どっちでもいいです。でも、もうちょっと赤毛ちゃんとお話はしたいかなって思います」

 俺はため息をついた。仕方がない。僧侶の意向を汲んで、今晩はここに泊まろう。
 宿屋に入れば受付で勇者と赤毛が待っていた。なんというか、こいつらには危機感が足りないと感じる。俺たちが刺客だったらどうするんだ。
 いや、観察眼もまた勇者足りえる素養なのかもしれない。もしくは、人好かれのする見てくれ、雰囲気、その他もろもろとか。
 もしそうだとするなら、なるほど、俺は勇者には向いていないな。

傭兵「どうした。待っててくれなんて言った覚えはないぞ」

赤毛「私もあんたを待つつもりなんてなかったんだけどね。勇者様が……」

勇者「まぁまぁ、赤毛ちゃん。そう言わないで」

僧侶「何かあったんですか?」

勇者「部屋が二つしか空いてないらしい。俺たちは基本的に別部屋だから、二人が泊まれる場所がなくなっちゃうなと思って」


赤毛「……私は別に、いいんですけどね」

勇者「はは。年頃の女の子がそんなこと言っちゃだめだよ」

僧侶「……朴念仁」

 ぼそっと僧侶が呟いた。俺もそうだと思う。
 勇者は、けれどあまりにも鈍感なのか、赤毛の言葉をそういうふうに捉えたわけではないらしかった。ジト目で赤毛が見ていることにも気づいているのかどうか。

傭兵「部屋がいっぱいならしょうがねぇだろ。俺たちは別の宿を探すことにするさ」

勇者「そんな急くなって。俺とお前で一部屋、赤毛ちゃんと僧侶ちゃんで一部屋、こうしないか?」

勇者「魔物を倒して金は稼げたけど、あんまり浪費もできないし。そっちがいいなら問題ないんだが」

 待っていたのはそのためか。
 まぁ男同士、女同士なら問題も起こるまい。僧侶も赤毛と話したいと言っていたし、不都合はなかった。
 俺たちが了承すると早速勇者が手続きに入る。


赤毛「一緒にお泊りなんていつ以来だろうね」

僧侶「研修が最後じゃない?」

赤毛「あぁ、そうかも。北の山に探検にいったんだったよね。なっつかしいなぁ」

 子供らしい会話をしている二人の会話を盗み聞きしていると、勇者がカギを二つ持ってやってきた。子ども組と大人組の部屋は隣接している。都合がいい。
 荷物を部屋において、鍵を受付に預け、流石にこれ以降は一緒に行動できない。手を振って別れた。

赤毛「またねー! 夜、一杯話そー!」

僧侶「わかったー! 旅のお話とか聞かせてねー!」

 勇者が親指を立ててきたので、俺はそれをさかさまにして、地獄へ落ちろとジェスチャーしてやった。

傭兵「楽しそうだったな」

 やっぱり友人と会えるのは嬉しいものなのだろう。

僧侶「えぇ。旧友と会えるのは、懐かしい気持ちになります」

傭兵「旧友がどうとか言える歳じゃねぇだろ」

僧侶「十六だろうが六十だろうが、旧友はいるものですよ。傭兵さんにはそういう人いないんですか?」

 俺は僅かに自分の過去を振り返って、途中で気分が悪くなってきたのでやめた。クソみたいな昔日を振り返ることがどだい辞めておけばよかった話なのだ。
 しかしそのクソみたいな昔日でも俺の土台にはなっている。そう考えれば軽々しく投げ捨てることもできない。


 俺が押し黙ると、僧侶は呆れ顔で溜息をついた。

僧侶「まぁそうですよね。子供のころから守銭奴だったんでしょうし」

 とても失礼な考えをされているのはわかった。
 俺は腹立ちまぎれに僧侶の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱してやる。

僧侶「あっ、あっ、なにすんですか! なにしてくれてんですか!」

 抵抗に遭うもそもそもの腕力が違いすぎる。為す術もなくとっちらかる僧侶の髪の毛。

僧侶「……傭兵さんって結構子供っぽいとこありますよね」

傭兵「童心を忘れてないだけだ」

 僧侶からの視線が痛い。

僧侶「で」

 と話題を切り替えてきた。俺もそれに乗って頷く。

傭兵「そうだな、駐屯所に向かうぞ。……と、いいたいとこだが」

僧侶「まぁ、そうですねぇ」

 照れくさそうに頬を掻きながら僧侶。

 同時に、俺たちの腹が盛大に鳴る。周囲の人間が思わずこちらを振り向くほどに豪快なそれだった。


 ここ数日大森林の中を歩きどおしで、食べた物と言えば木の実や果実、野生動物の肉、でなければ携帯食糧だけ。最後に「料理」を食べたのはゴロンでだが、立地的にその内容は十分とは言えなかった。
 そう、俺たちは今、非常に欲している。貪欲に求めている。食事を。料理を。飢餓状態の脳髄を満たしてくれる七色の何かを。

傭兵「例えば、肉」

僧侶「にく……」

傭兵「例えば、野菜」

僧侶「やさい……」

 じゅるり、と僧侶が唾をすすった。はしたないなどとはこの際言っていられまい。

僧侶「あ、傭兵さん! あそこ! あそこからいい匂いがします!」

 僧侶が指さしたのは宿屋と酒場と食事処がいっしょくたになっている店だ。一階が大きなラウンジとなっていて、いくつも並んだ丸テーブルに屈強な男や羽振りのよさそうな肥満体がそれぞれ陣取っている。
 そして恐らく二階が宿。活気のよい町では、このような形態の店は珍しくない。

 少し値は張りそうな気はしたが、道中の魔物を倒したことで懐は温かいし、なによりこの空腹を中途半端な料理でごまかしたくないというのも事実。
 僧侶を見れば同じ気持ちだったらしく、唇を引き締めて頷いた。


 扉を押すと鈴の涼しい音色が俺たちを出迎えてくれる。そして、店員の明るい「いらっしゃいませ」を受けながら、俺たちは空いている丸テーブルについた。
 なかなかに店は盛況で、これは料理にも期待できそうだ。金のあるところには人も来る。当然有能な料理人だっているだろう。

僧侶「わっ、傭兵さん! エンダナゴ牛のステーキですよ! 北の海で取れたサーモンも!」

傭兵「お、酒も多いな。清酒、ワイン、エール……」

僧侶「お酒はだめです」

 釘を刺されてしまった。

店員「お待たせしました、お水とおしぼりでございます」

 女性が流れるようにその二つをおいていく。水は僅かに酸味が効いていた。レモン水なのかもしれない。

店員「ご注文はお決まりですか――あ?」

 いや、まだだと返そうとしたところで、変な語尾が店員についた。
 お盆が音を立てて床に落ち、金属の音色を響かせる。
 からん、からんと回るお盆。その動きが止まったときには、あれほど盛況だった店内が、いつの間にか静まり返っていた。


傭兵「……?」

 店員と入れ替わるように、剣をぶら下げ、鎧に身を包んだ男たちがテーブルからこっちへとやってくる。

 四人。恐らく、立ち居振る舞いを見るに同業者。しかも、元ごろつきと言った風貌だ。
 店の用心棒? いや、それにしては格好が粗雑。それに俺たちがタブーを犯したとも思えない。どういうことだろう。

ごろつき「おい、てめぇ、傭兵だな」

傭兵「……何か用か」

 ごろつきが剣を抜いた瞬間に僧侶の首根っこを掴み、離脱する。

 丸テーブルが叩き割られた。水が飛び散り、店内が騒ぎに包まれる。
 他の客の悲鳴や歓声。

 宙に浮いた備えつけのフォークを投げ、一人の目を潰す。絶叫に背を向けて逃げ出した。

傭兵「走れ!」

僧侶「ど、どうなってるんですか!」

傭兵「知るか! 俺もなにがなんだかわかんねぇ!」

ごろつき「追え! 絶対に逃がすんじゃねぇぞ!」

 怒声が響いた。扉を蹴り破るつもりで往来へ飛び出し、人ごみの中へと紛れ込む。
 周囲の好奇の視線が痛い。目立つのはまずい。早めにどこか、路地裏などへ身を潜めなければ。

 十字路があった。一旦右に行き、そう見せかけてから直進する。人を跳ね除けながら、一本ずれた裏通りへと身をすべり込ませる。
 薬や日用品などの雑貨、露天商などが営んでいた。彼らは騒ぎなど眼中にないのか、客の応対を変わらずにしていたり、眠っているのか微動だにしない者もいる。


傭兵「一応……撒けたか」

僧侶「です、ね。でも、一体、どうして」

傭兵「わからん。が、嫌な感じはするな」

僧侶「……はい」

 確実あのごろつきたちは俺たちを狙ってきていた。それは、絡んできた、とは一線を画す.。俺たちを俺たちと認識した上でのあの暴挙。しかしこっちには心当たりがない。
 いや……、ないわけではない、が。

傭兵「くそっ。最悪だな」

僧侶「思い当たりましたか」

 俺は逡巡する。言っていいものか迷ったからだ。
 しかし言わなければならないだろう。俺はこいつをラブレザッハまでつれていかなければいけない。そのための障害はいくらでも取り除くが、障害の存在は伝えなければ。

傭兵「州総督だ」

僧侶「え?」

傭兵「州総督が俺たちに……いや、俺に、だな。指名手配をかけてきている」


僧侶「それって……賞金首、ってことですか?」

 犯罪を行った者、脱走者、その他さまざまな理由から人探しは出ている。理由が様々なら金額もピンキリで、専門に狙う賞金首狩りすらいる始末だ。先ほどのごろつきも、そちら寄りの傭兵稼業なのだろう。
 掃除婦だ。あいつはバックトラックで逃げた。そうして、カミオインダストリーに――ひいては州総督に、ことの一部始終を伝えたに違いない。そして州総督は俺に対して手を回した。報復として。

 実を言えば、採石場を強襲した時点でこのような未来な想定できていた。とはいえ、手配書を用いて俺の首を刈りに来るのは、少しばかりことを大袈裟にしすぎなのではないか。それとも、あの採石場はそれほど重要だったか。

 いや、であるのならば、もっとレベルの高い護衛をつければよかった。序列十四位の掃除婦ではなく、一桁台の化け物どもを。採石場と研究所を捨てる判断も速かった。
 牙を剥く者は徹底的に――州総督の対応からはそのような意図を読み取ることができる。

 像は蟻の一噛みすら気にはしない。が、気付きはするし、案外鬱陶しいものだ。だから、二度とこんなことをしないように、見せしめの意も兼ねて、圧死させようとしている。

傭兵「恐らくはな。探せば手配書も見つかるだろ」

僧侶「そんな……」

 大々的にはおおっぴらになってないはずだ。つまり、俺が大犯罪者として広く周知せしめられている、というわけではない。匿名の誰かが俺に賞金を懸け、それにつられたやつらが俺を狙っている程度の事態。
 ただ、恐らくは莫大な額が動いている。


 笑えない。金を第一に考え、金を仰ぎ、金のためにやってきたこの俺が、あろうことか金に狙われているだなんて。

 州総督の管理下にないボスクゥで寧ろよかった、僥倖であったと考えるべきかもしれない。これが他の都市であれば、町でおっかけ回されるどころか番兵に門前払い、そして手錠をかけられる。
 向かって来た人間は切り倒せばいいが、結局問題の根幹を潰したことにはならない。州総督に話をつけるしか方法はないが、その術と言えば、ボスクゥの採石場を脅迫のタネにする程度だ。

僧侶「……っ」

 見れば僧侶の手が震えていた。あれだけのことを仕出かして無罪放免とは本人も思っていなかったろうが、現実の危機に直面するのとはわけが違う。

傭兵「安心しろ。お前は何としてでもラブレザッハまで送り届けてやる」

僧侶「でも、傭兵さん……」

傭兵「手配を受けてるのは俺だけだ。お前が捕まることはねぇよ」

 それはあてずっぽうだったが、間違っているとは思わなかった。あの店でごろつきは俺だけを標的にしていたし、採石場襲撃の実行犯も、掃除婦と戦ったのも全部俺。僧侶が狙われる理由はない。


僧侶「でも、傭兵さんは大丈夫なんですか?」

 俺はそこで呆気にとられた。なんだ。こいつ、自分の心配じゃなくて、俺の心配してんのか?
 笑って見せる。何言ってんだ、というふうに。

傭兵「そんじょそこらのチンピラに負けたりやしねぇよ」

 悪名高いにはそれなりの理由があるもんでな。

傭兵「ただ、とりあえずこのままじゃあ不味い。俺と一緒にいるところをお前は目撃された。いつ標的に加わるかもわかんねぇ。一旦別行動で、あとでまた落ち合おう」

僧侶「……はい」

 気丈に頷く。いい顔だ。実にいい顔をしている。

傭兵「日の入りまでに駐屯所だ。もともとは自警団のもの。そして現在は王国軍がいる。どっちも州総督の下から離れてるから、それほどひどいことにはならないだろう」

傭兵「前に大森林で遭った二人、兵士を頼りにする。お前はこの階級章を持って、すぐに向かえ。俺も別ルートで行く。話をすればわかってくれるはずだ」

僧侶「傭兵さんもちゃんと来てくださいね」

傭兵「おう。幻影呪文もあるしな」

 僧侶は一瞬不安そうな顔をしたが、「早く行け、時間がない」と無理やり押し出す。
 途中でこちらを一瞥し、大通りに戻って人ごみの中へと消えて行った。


 俺は壁に背中を預け、空を見上げて嘆息した。

傭兵「はぁああああ……」

 頭が痛い。

 決して自分は頭が悪い方ではないという自負はある。地頭と、経験で培ったもの両方が、備わっている。ただし頭脳は、戦力の決定的な差を埋めるには、少々力不足だ。
 僧侶にはああ言ったが、決して大丈夫な状況ではない。ボスクゥだけならいくらでも逃げおおせよう。しかし、大陸北側に存在し、かつ州総督の息のかかった都市全てが範域に含まれるとなると……。

 絶望的だ。

 しかも僧侶が目指すのはあろうことか州総督の御膝元であるラブレザッハ。衛兵の目を掻い潜り、誰とも問題を起こさず、街中を歩くのはおおよそ不可能と言っていい。
 それでも諦めるという選択肢はない。皆無だ。金こそ受け取っていないが、俺は傭兵で、僧侶は俺の雇い主。引き受けた以上は遂行してみせよう。それに、あの紋章も、喉から手が出るほど欲しい。

 だからこそ考えなければならない。戦力の決定的な差は埋められなくとも、抜け道を発見することはできる。残された手段はそれだけなのだ。


勇者「お前何やらかしたんだよ」

赤毛「斡旋所にでかでかと貼ってあったわよ、手配書」

 路地の向こうから二人がやってきた。とんだ偶然もあったものだ。
 呆れ顔の二人は、けれど真面目な顔である。どんなに和やかでも勇者とその一行には違いない。気を抜いていい場面と抜いてはいけない場面、それぞれ理解している。
 あの眼は人を斬る眼だ。もし俺が悪と断じたなら、己の障害と断じたなら、一切合財の躊躇なく斬り捨てることのできる眼だ。

傭兵「……州総督に、喧嘩売った」

 短く説明してやった瞬間、勇者と赤毛が破顔一笑、手を叩きながら大笑いする。
 赤毛に至っては腹を抱えながらこっちを指さしてやがった。

勇者「ぶっはははははっ! マジで? マジかよ」

赤毛「あははは! あんた最高! すっげぇばか! あははは!」

 二人はひとしきり笑った後、眼尻に浮かんだ涙を拭いて、「頑張れよ」と俺の前を通り過ぎていく。恐らくこれから商工会議所の長へと挨拶をしてくるのだろう。

勇者「それじゃあ今度こそ、本当にさよならだ。もう少し話してたかったけど、しょうがない。さっさとこの町から逃げることをお勧めしとくぜ」


傭兵「手伝うつもりはないか。金なら弾むぞ」

 果たしてそれをジョークと受け取ったのだろうか。勇者は不思議な顔をして「くっ」と短く、だが確かに笑いをかみ殺す。

勇者「悪ィな、金よりも大事なものがあるんでね」

傭兵「世界平和、とか?」

勇者「わかってるじゃないか。取り急ぎは兵器の工場でもぶっ潰そうかなって」

傭兵「……」

赤毛「あんたのことは好きじゃないけど、ま、無事を祈ってるわ。ラブレザッハまではね。ちゃんと僧侶のことを届けてあげてよ」

 言われなくとも、それは完遂しよう。
 僧侶はラブレザッハまで連れて行く。俺は俺の目的を遂げる。そのためならどんな謗りだって受けるし、どんな障害だって打ち砕く心積もりはある。
 誰が相手だって負けたりするか。

勇者「じゃあ、俺たちは行くよ。死ぬなよ」

傭兵「……サンキュー」


 俺は二人を見送って、思考する。

傭兵「……」

 思考する。思考する。思考する。

 様々な角度から論理を組み立て、可能性を測り、どうすればいいのかを考える。
 俺の目的。僧侶の目的。金。そして、ラブレザッハ。補給なしで辿り着くのは不可能。しかし軽々に町へと足を踏み入れられない。元凶を断つことも叶わない。ならば。

傭兵「……」

 これしかない、か。

 単純な話だ。何よりも単純な話。癌に侵された部分は切除するように、邪魔な存在は切り殺すように、今回もただ、そうというだけ。そこに障害はあっても問題はなく、神が許さずとも金が許してくれる。
 
 一石二鳥、一挙両得。もともと傭兵家業など汚れ役だ。下種扱いも慣れている。落ちに落ちたり最下層、これ以上堕落の余地が残されていないなら、いっぺんの躊躇も存在しない。

 しない、はず。

 ただひとつの心残りすらも強靭な精神力で押しつぶす。心残りはすなわちエゴだ。そしてエゴなど許されない。
 あいつに嫌われたくないなどとこの際言っていられない。 

 ひとまずの算段はついた。俺は幻影を二つほど生み出し、散開させる。そして俺自身も走り出した。


* * *

 特に問題もなく駐屯所に辿り着くことができました。世界は変わらず活況の様相を呈していて、まるでわたしと傭兵さんのことなど、誰も気に留めていないかのようです。
 もしそうであるのならばどれだけよかったことでしょう。

 わたしは信念に則った行動をしました。採石場はこの世の汚濁です。不善を正すことに躊躇は有りません。容赦もいりません。勿論賛否両論あるでしょうが、わたしはわたしを貫きました。

 その結果がこれです。州総督に狙われる――いえ、それは傭兵さんだけですけれど。
 だからこそ苛むという側面もあるのかもしれません。わたしの尻拭いを傭兵さんが行った結果、全ての罪を彼にひっかぶせることになったのですから。
 傭兵さんはきっと「それも俺の仕事だ」と嘯くのでしょう。彼は強情な人です。良くも悪くも、自らの信念に従って行動しています。それを動かすのは生半なことではありません。

 が、わたしだって譲れない部分はあります。自らの激情に身を委ねておきながら、その始末をつけさせてもらえないというのは、どうにもすとんと落ちません。

 わたしは掲示板に張ってあった手配書へと目をやります。

 傭兵さんの顔写真と本名が乗っていて、見つけ次第カミオインダストリー本社、または支社まで連れてきてほしいとの旨が記載されています。そして注記として「生死問わず」――デッドオアアライブ。
 傭兵さんは強者です。そう簡単に負けるとは思いません。それは奇しくも彼自身が言ったことです。ただ、掃除婦さんの時を思い出せばわかるように、彼とて全能ではない。数の前には負けることだって有り得ます。


 わたしはきゅっと手を握り締めました。

 駐屯所の中は兵士さんたちがひっきりなしに動いています。入ってすぐにロビーのような広いスペースがあり、受付の女性に階級章を見せ、この方にお会いしたいのですがと声をかけました。女性は少々お待ちくださいと後ろに引っ込んで、それっきり。
 手持無沙汰はよくありません。思考がどんどん回って、どつぼに嵌っていく錯覚にすら陥るからです。

 傭兵さんの身の安全だとか。
 これからの旅のことだとか。

 そもそもラブレザッハにたどり着けるのか、とか。

 あー、もう!

 頭をぐしゃぐしゃにかき乱しました。周囲の人が横目で伺ってきますがそんなこたぁ知ったこっちゃありません。余裕がないのです。

隊長「お待たせ。悪いね、だいぶ待ったろう?」

 声の主はいつぞやの隊長さんでした。大森林で会ったときよりも幾分か血色がよさそうに見えます。それは気のせいではないはずです。

僧侶「いえ、そんなことは……」


兵士「おーい、隊長、ついに女の子にまで手を出すようになったか!」

兵士「自警団に見つからないようにしろよ!」

兵士「お嬢ちゃんも、危なくなったらすぐに大声を出すんだぞ!」

隊長「うるせぇ! お前らはいいから警邏していろ!」

 通りがかった兵士さんたちと隊長さんは軽口を叩きあいます。
 ばつが悪そうに頭を掻いて、隊長さんがわたしを案内しました。ここは騒がしい、適当な部屋で話そう、と。

僧侶「傭兵さんを待たないといけないんです」

 その名前を聞いて隊長さんは顔を顰めました。

隊長「あー、それのことなんだが、な」

僧侶「手配書が出回っているんですよね? 知ってます。ついさっき、襲われたばかりですから」

隊長「……そっか。とりあえず、傭兵がついたらこっちに案内するように言っておくから」


隊長「あいつは……いや、君たちは何を仕出かしたんだ」

 周囲を窺いながらもわたしは隊長さんに事の次第を説明しました。採石の町ゴロンと、そこであった汚濁のこと。カミオインダストリー。州総督の関係。全てを洗いざらい。
 だんだんと隊長さんの顔色が曇っていきます。真剣みを帯びた表情……正義の顔です。

隊長「そういうことか。とりあえず、ひとまずは安心していい。ここは王国軍。州総督の管理下にも指揮下にもない。下手な真似はできないよ」

隊長「ただ、内部に州総督派の人間がいないとも限らないからね」

 はい、それは予想できています。

隊長「俺たちはきみらに助けられた。だから、その恩に報いるために、なんでもしよう」

僧侶「その申し出はありがたいのですが」

隊長「すぐに発つかい?」

僧侶「それもあるかもしれません。道案内は傭兵さんに一任することにしているのです。あの人が発つと言えば発ちますし、あの人があなたがたに願い事をするのなら、それはわたしは止められる立場にないのです」

隊長「……変わったな」

 目を丸くしている隊長さんでした。
 わたしはそれを素直に受け取るのも恥ずかしく、視線を逸らします。

隊長「前会ったときは、もっとこう、冷戦状態みたいな気がしたんだけど」


僧侶「今も冷戦状態ですよ。わたしとあの人は、どうしたって分かり合えませんから」

隊長「……そうか。まぁ、いい。少しゆっくりしていくといい。疲れてるだろう」

僧侶「……そうですね。お言葉に甘えます」

隊長「なに、気にしないでくれ。命を救ってもらったんだ。これくらい当然さ」

僧侶「……隊長さんたちはどうしてボスクゥへ?」

隊長「軍規に差し障る。大したことは説明できないけど、いいか」

僧侶「はい」

隊長「一つは不安の解消だな。ここは大森林にほど近い。魔王軍とエルフの戦争はまだ当分終わらないだろう。市民や商人から不安の声があがっている。ここは経済的にも外交的にも重要な都市だからね、支障が出ても困る」

隊長「もう一つは……これは内密にしてほしいんだけど」

隊長「大天狗が目撃された」

 大天狗。
 魔王軍四天王――第六天魔王・大天狗。
 またの名を役小角。

 エルフさんの仇。
 傭兵さんが敵わなかった唯一の魔物。


僧侶「そ、れは……」

隊長「勿論大森林の内部で、だ。ただ、場所が不味い。瘴気の限界域ぎりぎりで、ボスクゥに近い位置。魔物は瘴気の発生していないところでは生きていけないが、四天王レベルともなると、それもどうかはわからない」

僧侶「ボスクゥまで襲ってくる、と?」

隊長「確証はない。が、そのために俺たちは呼ばれたんだ。人間が唯一四天王に勝ちうる手段があるとするなら、それは個々の力じゃあなく、組織の力だ」

 確かに、あのような規格外の神通力を擁する魔物に、個人が勝てるはずもありません。恐らく、勇者様であったとしても。

僧侶「わたしも手伝います」

 考えるより先に出てしまっていました。
 大天狗は恐ろしい魔物です。どんな生物があれに勝てましょうか。それは、間近で見て実感したわたしだからこそ言えます。 けれど、同時に、実感したからこそあんなものを野放しにしておくわけにはいかないのです。

 隊長さんは言いました。アレに唯一勝ちうるのは組織の力であると。個の力ではなく、集団の力であると。ならばわたしもその集団に加わりたいのです。それで一人でも死者を減らせるのならば……。

隊長「ははは。これは俺たちの仕事だよ」

僧侶「わたしは本気で言っているのです」


隊長「だからこそ、さ。きみが本気で俺たちや、他の皆のことを考えてるってことくらい、眼を見ればわかる」

隊長「だからこそ、だめなんだ」

僧侶「……なんでですか」

隊長「仕事ってのには矜持が必要だ。守る――」

傭兵「おい、ここでいいのか」

 扉を開けて傭兵さんがやってきました。顔には玉のような汗が滲んでいて、息も上がっています。超絶体力の傭兵さんがです。これ以上珍しいこともありません。
 どこに敵がいるかもわからないというのにふてぶてしい態度。獲物を探す鋭い目。わたしを一瞥してぷいっと隊長さんを向く傭兵さんからは、道中襲われたようには見えませんでした。

隊長「……」

傭兵「どうした」

隊長「それは俺が訊きたい」

僧侶「……?」

 よくわからないやりとりが繰り広げられています。すっかり落ちこぼれてしまいました。


 隊長さんは息をひとつついて何かを諦めたようです。

隊長「お前は、なんていうか、いいタイミングでやってくるよな」

 話の腰を折られた隊長さんはけれど少し楽しそうでもありました。
 反対に傭兵さんは言葉の意図がわからないようで、僅かに眉根を寄せます。悪い人相がこれ以上悪くなったところで、という感じですが。

隊長「とにかく、お疲れ様。ここはそれなりに安心できる。いきなりとっつかまったりはしないはずだ」

傭兵「そりゃいいな。街中を歩くのも落ち着かなくて困ってた。はっ、冗談じゃねぇよ、本当に」

隊長「俺にできることならなんでもするぞ」

傭兵「ま、命の恩人だからな」

隊長「そのとおりだ。俺の階級は二尉。下士官だが、仕官候補だから、それなりに融通は利く」

 二尉、ですか。記憶が確かなら、下士官は一尉まで。三佐以上が仕官で、中隊ないしは大隊以上を率いられる権限をもつとか、なんとか。

傭兵「所属部隊はなんだ。それによって手伝わせることも変わる」

 利用する気満々の傭兵さんでした。まぁそうでなければわざわざ駐屯所まではきません。すたこらさっさと逃げ出す暇を捨ててまで、ここまでやってきた理由――やってこねばならなかった理由が傭兵さんにはあるのです。


隊長「所属は補給部隊だな。兵站もするが、どちらかといえば人がメインだ」

僧侶「人、ですか」

隊長「あぁ。今は特に森林周辺に部隊を散らせてるからな。どのあたりにどれくらいの規模の部隊を手配し、欠員が出たから補充して、ということを担ってる」

傭兵「そこまでするようなことが?」

 あぁ、そうでした。傭兵さんは事態を理解していないのでした。
 隊長さんが傭兵さんに説明します。住民の不安と大天狗の出没、その両方に対処するために一団があてがわれたことを。

 傭兵さんは渋い顔をしていましたが、中途中途で視線を上下へと移動させ、何かを考えているようでした。しかしわたしには、彼の遠謀深慮を窺い知ることなどできません。

傭兵「いや、なんでもない。それで、お前に頼みごとがひとつ、あるんだが」

隊長「かまわねぇぞ。存分に利用してくれ」

 と、そのとき。

 駐屯所内に警報が響きました。

 うーうーと鳴るサイレン。赤いランプが部屋の隅でめまぐるしく点灯し、訓練の賜物なのでしょう、椅子を吹き飛ばす勢いで隊長さんと――さすがです、傭兵さんも立ち上がっていました。
 わたしはその光景をぼんやりと眺めているばかりで、椅子が倒れた音で初めて緊急事態とわかりました。


傭兵「俺も手伝おう」

 眼光鋭く言う傭兵さん。完全に仕事モードに入っています。
 ……ですが。

僧侶「?」

 なんなのでしょう。いつもの金に目がくらんだ瞳の輝きというか、どぶ川の照り返しというか、暗渠に垣間見える僅かな煌きというか、とにかくそんなどす黒さが彼から消えていました。
 それは信じられないことでした。彼が彼でい続ける限り、お金と縁が切れるはずもないのです。だのに、今の彼はまるで全うな人間の色をしています。そんな彼の姿は出会ってからの数週間で初めてで。

僧侶「どういうことなんですか?」

傭兵「何がだ」

僧侶「目が」

傭兵「目ェ?」

 言うべきか言うまいか逡巡しましたが、ええい、ままよと口にします。

僧侶「まともな人のそれです」

 傭兵さんは一瞬驚きに目を見開いて、少しの間を置いた後、自らの頬や目や眉をぺたぺた触り始めました。鏡があれば覗きこんでいたでしょう。それほど面白い行為で、面白い顔を、彼はしていました。
 やがて何かを自覚したふうな笑みを作って、一言。

傭兵「俺も焼きが回ったんだよ」

 ?


 迂遠な言い回しです。いや、わたしに伝わるように言ったのではないのでしょうから、迂遠というのは実のところ間違った表現です。

隊長「悪いが、時間がない」

傭兵「あぁ悪いな。俺も向かう」

隊長「すまんな、いろいろ」

傭兵「気にすんな、こっちにとっても渡りに船だ」

隊長「……? よくわかんねぇが、まぁ、あれだ」

隊長「お前は、なんていうか、本当いいタイミングでやってくるよなぁ!」

僧侶「ちょっと待ってください! いったい何が起こったんですか!?」

 部屋を走り去っていく二人に追いすがります。もしやこの二人、わたしをほっぽってどっか行っちゃうつもりじゃないでしょうね!?
 勘弁してください。そんなの蚊帳の外じゃないですか!

傭兵「はぁ? お前、まだ理解してなかったのかよ」

隊長「そう言ってやるな。――僧侶ちゃん、今しがた話したばかりだろう」

 ということは、まさか。
 顔が引きつります。


傭兵「そのまさかだ。大天狗がついに現れやがった」

傭兵「リベンジマッチと行こうじゃねぇか」

僧侶「あ、あんなのに、勝てるわけが――!」

隊長「勝てるんだよ。勝つんだ、俺たちは」

僧侶「でも!」

隊長「勝つんだ。絶対に」

僧侶「……傭兵、さんは」

傭兵「ん? 勝てるに決まってんだろ。じゃなきゃわざわざ出向くもんかよ」

 嘗て一度ぼろ負けし敗走した人間の台詞とは思えませんでした。
 しかしこの二人が言うのですから、何も無策とは思えません。わたしのような素人が考えるよりもずっと深い策が――もしくは逆に単純な真理が存在しているのでしょう。

傭兵「俺はどこへ行けばいい? あとこいつは」

 こいつ、でわたしを指差します。

隊長「お前は第十四歩兵部隊に合流してくれ。そこにあいつ……お前が助けたもう一人がいる。行けばわかるだろう」

隊長「僧侶ちゃんに関しては、どうするかな。前線に立たせたくない。後方支援。だと、医療チームになるか」

傭兵「あ、こいつ治癒魔法使えないから」

隊長「え? 僧侶なのに?」

 ばつが悪いです。こればっかりはどうしようもないことなのですが。


傭兵「けど、後方支援がいいのは同意だな。兵站のほうに回せるか? 肉体労働でいい」

僧侶「ちょっと、勝手に決めないでくださいよ!」

 わたしだって前線に立ってですね。

 却下と言外に告げるチョップがわたしの額に直撃しました。走っている最中にやめてください、すっ転びでもしたらどう責任とってくれるんですか。

隊長「兵站経路や倉庫の場所は機密だからな、部外者に軽々しく明かすわけにも……」

傭兵「なら、警邏だ。住民の避難と誘導」

隊長「だな」

 勝手にわたしの眼前で、わたしの意見など丸無視で、わたしの処遇が進んでいきます。何か一言くらい言ってやりたいのですが、この二人に対して発言できることなど皆無です。こっちはずぶの素人なのですから。
 意地を張っても仕方がありません。足手まといになっても困ります。分不相応を邁進しても、誰も得をしません。

隊長「よし、じゃあ僧侶ちゃん、駐屯所の門扉の前に向かってくれ。そこに女兵士がいるはずだから、そいつが自警団と王国軍の折衝を担ってる。俺の名前を出せば何とかなる」

僧侶「わかりました!」

隊長「俺と傭兵はこのまま裏手に回って部隊ごとに行動だ。大丈夫か」

傭兵「おう」

僧侶「傭兵さん! 死なないでくださいね!」

傭兵「何を言ってんだ、てめぇは」


 まるで馬鹿なことを言っている自覚はあります。金に命を懸けている傭兵さんはわたしをラブレザッハに連れて行くまで死にません。理屈がおかしいことは重々承知、その上で彼を、なんだかんだ信じているのです。
 王家の紋章が刻まれた銀貨はいまだわたしの手の内にあります。値札すらつけられないくらいの代物ですが、わたしには無用の長物。そして傭兵さんの目的でもあります。

 傭兵さんは死にません。死んでもらっては困るのです。
 だから信じる。これほど単純で利己的なものもそうそうないでしょう。

 ついに通路が二手に分かれました。傭兵さんたちは直進、わたしは右に曲がらなければなりません。怯えはなく、あるのはただの使命感のみ。ここで人を救わねばという。
 警邏? 住民の避難と誘導? けっこうじゃあないですか。大天狗の討伐は傭兵さんたちに任せ、わたしはわたしの成すべきことを成しましょう。

 駐屯所はごった返していました。それも当然です。いまや警戒レベルはSランク。王国軍がボスクゥへ呼ばれた本懐を遂げる間近なのです、寧ろ昂ぶって然るべき。
 小銃のぶつかり合う音、点呼の声、サイレン。軍靴が硬質な床を叩いて空気を震わせます。わたしは人の波に乗り、時には逆行し、門扉へとたどり着きました。

女兵士「あんたは……えーと?」

 隊長さんが言ったとおり、女兵士さんが帳簿を持って点呼を取っている最中でした。眼前にずらりと人、人、人。自警団から警邏隊まで、その数はざっと見積もっても七十はいるでしょう。
 それぞれ一列ないしは二列にならび、各列のリーダーらしき人がひっきりなしに状況を女兵士さんに伝えていきます。そして彼女はそれを受け、何かを記帳する。その繰り返し。

僧侶「わ、わたしは、隊長さんから指示を受けてやってきました、僧侶といいます!」


 思わず敬礼してしまいそうになるくらいの雰囲気を女兵士さんはもっていました。男女差別といわれても困りますが、女だてらに荒くれをまとめているわけではないようです。

 わたしの言葉を受けて女兵士さんは合点がいったらしく、じゃああっち、と最右列をさしました。多少奇異の視線を受けながらも、足早に右列後方を目指します。

女兵士「よし! じゃあ揃ったところから順次出発! 対象の出現場所は東南東一キロの地点! 避難場所は都市の西側に集中させるように!」

 はい! と威勢のいいこえが響き渡ります。わたしもあわせて叫んでみましたが、あまりの人の数にかき消されるばかり。とてもじゃないですが響いたとは思えません。
 そうこうしているうちに、わたしの列も立ち上がり、出発を始めました。周囲の人の人相や服装を見ている限り、わたしが配属されたのは自警団、それも互助会に近い列のようでした。屈強な男性ももちろんいますが、それ以外にも恰幅のいい女性や若い女性、壮年男性などもいます。

 突如として起こった慌しい動きに、ボスクゥの人々も不安がっています。それでも決して店をたたもうとしないのは、やはり交易都市、商人の根性が為せる業なのでしょうか。
 現時点で何が起こっているのか都市の人々は知らないはずです。そして、恐らく知らされることもない。ボスクゥが危険であると噂が流れれば、齎される損失は他の都市の比ではありません。

 人の口に戸は立てられませんが、それでも口の数を減らすことはできます。だからこそ可及的速やかな避難が要求されている。
 お金目的が絡んでいるというのは少しばかり気に食わないですが、人々の安全もまた重要。そして前者は擲てても、後者を擲てないのはわたしのサガ。

 さぁ、いっちょ華麗な避難誘導をご覧に入れましょうか!




――勇者様と赤毛ちゃんの死体をわたしが発見するまで、時間はそうかかりませんでした。


――――――――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。

お待たせいたしました。やっとこさ復活です。
家がないってすげー不安なんですね。

やけくそでストック全部使い切ってしまいました。これからは書いた先から投下していくスタイルになるかと思います。
もしくはストック溜めの時間をください……。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。


※ ※ ※

 大天狗の出現場所は東南東一キロの地点。順序だてられた陣形、そして行動によって、兵士達は皆そつなく移動を開始する。無論俺もそれに続いた。
 俺が叩き込まれたのは自警団寄りのグループで、それを率いるのがかつて助けた若い方の兵士。彼は俺を見てすぐに敬礼しようとしたが、周囲の手前ぐっと堪え、ぺこりとお辞儀するだけに留めた。懸命な判断だ。

 自警団であるがゆえ、当然直接大天狗と戦うことは想定されていない。俺達に任せられたのは後方支援で、前衛と後衛の緩衝役。それでも重要な仕事だ。お世辞等ではなく、そう思う。
 けれどそんなもので燻っているわけにいかないのもまた事実である。兵士からも隊長からも許可は得ている。頃合いを見計らって離脱し、大天狗に牙を剥くつもりだった。

 全てが俺の想定通りだった。驕るつもりはないが、俺の手の平の上でことが進む。そういうふうに動いたからというのもないわけではない。しかし、究極のところ、運がよいのだろう。
 こんな俺でも神様は照覧してくれているというわけだ。

 笑えない。
 笑えないのに笑いが込み上げて来る。

 こんな俺でも、俺なのに、神様に愛されるだなんて。


 遥か前方で轟音が響いた。魔法によるものと、火薬によるもの、その両方。ついに交戦が始まったのだ。
 と理解すると同時に俺は走り出していた。くすねてきた大業物をしっかり握りしめ、ちんたらした動きの自警団を追い抜いて、草原をひた走る。

 人が吹き飛んできた。
 それを反射的に受け止める。やはり人だ。内臓がひしゃげているのか口から大量の血を流し、目もあらぬ方向を見ている。すでに絶命していた。

 生きていればどうにかする手もあったが、死んでいるのならば肉塊に過ぎない。放り投げ、一秒も惜しいとばかりに強く地面を踏み締めた。

 目標はまっすぐに大天狗。
 俺だけではない。何十何百という兵士たちも今、大天狗へと踊りかかる。

 大天狗は腕を組み、高下駄を履いて、俺たちを睥睨している。その様子には少しの焦りも見られない。虚勢ではないのだ。生まれながらの強者である大天狗だからこその自然体。

 鬨の声とともに雪崩れ込む。一番槍は最右翼。槍を持った一団が突っ込んだ。
 穂先が軋む。大天狗の前には不可視の障壁が張られている。それに激突した数十の槍と拮抗し、吶喊の威力を大幅に殺いでいた。それどころか槍が勢いに耐え切れず、たわみ、折れようとまでしている。


 すかさず詠唱が入った。儀仗兵たちの凛と通る声での詠唱。

儀仗兵「日の色。万物の癒し。激情の揺らめき。揺籃。胎動。生れ落ちる一瞬の輝き。即ち火の色」

儀仗兵「ベギラゴン!」

 大天狗を囲むように地面に光線が走り、大きな魔方陣を形作る。そしてその陣内を埋め尽くすように、閃光と激しい爆炎が迸った。
 儀仗兵数十人分の火炎。まともに食らえば炭化は免れない。
 が、しかし。

 風が吹いた。

 風は魔法人の中心から巻き上がり、うねって、炎を絡めとっていく。炎の竜巻の中心は当然大天狗で、彼は息苦しそうにはしているものの、その山伏姿のどこにも乱れはない。
 背後から歩兵部隊。得物はばらばらだが殺意は一様。兜の下から覗く眼光は、大天狗しか見ていない。

 火炎竜巻が彼らをなぎ倒していく。その中から四人、仲間の背中を踏み台にして飛び出した兵士たちがいた。大上段から振りかぶって剣を叩きつける。
 障壁を張りながらも、ここで初めて大天狗は攻撃を避けた。半月型の軌跡が俺の目にまぶしく映る。


 追撃は止まない。

 足払い。と同時に下段から上段への切り上げ。回り込んでの斬戟。大天狗の放つ真空波を剣の腹で防ぎ、その間に仲間が挟撃。だがそれも避けられる。
 強く地を蹴りこんでの切迫。速度は十分。背後には三人が控えている。速度をずらして追撃の二人と、左から回り込む一人。当然儀仗兵たちも追加の詠唱に入っている。
 剣戟。勢いの乗ったそれは障壁で防がれる。先頭の兵士はあっさり剣を捨て、さらに一歩を踏み込んだ。両手を伸ばして頭から障壁に突っ込んでいけば、感電の音と、肉の焦げる悪臭が撒き散らされる。

 抜け切ったあたりで兵士がくずおれた。手もつかず、顔面から地面に倒れる。
 命を賭してまで開けた障壁の隙間を後続の二人が突破。同時に空間中に魔方陣が展開され、空気の温度が急激に低下する。水分の凍結する音と喉を凍らせる吸気。世界に極めて二次元的な瑕疵が走った。

 氷山が展開。澄んだ甲高い音とともに障害などを全て無視して、対象の命を閉じ込めようと暴れた。
 大天狗も今度こそは扇で防ぐことは叶わなかったと見える。大きく地面に風を当てての緊急離脱。一本足の高下駄でもバランスを崩すことなく着地し、その長い鼻を撫でた。


 背後に兵士。
 白刃が煌いてまっすぐに大天狗の首を狙うが、軌跡は扇で停止する。人外の膂力に勝てるはずもない。吹き飛ばされるより先に兵士は自ら後ろへ飛んだ。
 そこへ火炎弾。

 扇が起こした風で進路を変えられ、歩兵の集団に直撃する。しかし大半はそれより先に散開を済ませており、被害は微々たるものだ。円状にとった兵士の数は全部で二十人近く。そして俺を含めた歩兵部隊も続々と集結しつつある。
 圧倒的な数の暴力。これこそが、人間が魔族に勝利する唯一の方法。

 踏みとどまっている時間も気合をこめる時間も惜しい。指揮はなくとも統率の取れた行動で、一糸乱れぬ踏み込みを見せる。槍、剣、棍棒――さまざまな武器を持ち、一気に距離をつめた。

大天狗「ぬるい!」

 大天狗が拍手を打った。

 突如として大天狗を中心とした力場が発生し、急激な膨張を見せる。力場自体は障壁と同様全くの不可視であったが、薙ぎ倒される草木や武器を見れば、その速度、巨大さ、威力は判断できた。
 二十余名の兵士たちが軒並み吹き飛ばされ、あるものは木々に叩きつけられ、またあるものは地面を転がっていく。

 九字を切られる。碁盤の目状に切られた印の、各交差点に火が灯り、大天狗の周囲を回転する。

儀仗兵「防壁展開!」

大天狗「ぬるいぞぉおおおおおおおっ!」


 指向性を持った爆裂が相対する全ての存在を根こそぎ消し飛ばした。地面は抉れ、焦土と化し、倒れていた兵士の姿は焼け跡と同一して発見できない。

 それでもこちらは負けていない。

 心は折れず、ゆえに足が止まることはなく。
 恐怖は確かにあった。こんな埒外な存在を相手にしてなお揺るがない心など俺は持っていない。しかし、だからこそ、というのもまたあった。埒外な存在「だからこそ」、俺たちはここでこいつを殺しきるのだ。
 殺しきろうという高揚が齎されるのだ。

 先にたどり着いた十名ほどが地を蹴った。捌かれ、打ち落とされ、障壁で防がれる。勢いに任せて裏へと回った数名が即座に反転、剣をしっかり握りなおし、吶喊。
 大天狗の反応は即座。最小限の動きで障壁を展開、剣を絡めとる。
 兵士たちの反応もまた即座だった。得物が使い物にならなくなったことを悟ると、瞬時に手を話して退却。同時に儀仗兵が剣目掛けて落雷を打ち込み、そこを中継点として大天狗を狙った。

 しかし激しい音を立てて落雷が消失する――おそらく、障壁。

 そこでようやく俺は大天狗へと躍りかかった!

傭兵「うぉおおおおおおっ!」

 大天狗の障壁さえも真一文字に切り捨てて、俺の刃はようやく初めて衣服の一部を切り飛ばした。本体には届いていないが、大天狗は驚きの表情で俺を見て、にやりと笑う。

大天狗「ほっほぉ! 貴様はいつかの童! 奇遇じゃのぉ!」

 くっちゃべってる暇など与えない。更なる踏み込みにあわせて儀仗兵の詠唱が入り、俺の背後に兵士たちが集った。


兵士「傭兵! 金にがめつい貴様がどうしている!」

 見たこともないやつから罵られるのも最早慣れっこだ。

傭兵「いいから続け」

 障壁の展開――切捨て、開けた道へと火炎弾が着弾。火柱をあたり一面に振りまきながら濛々と煙を巻き上げる。
 果たして目隠しになるだろうか? いや、期待しないほうがいい。大天狗の神通力をもってすれば千里眼などお茶の子さいさいだろう。
 それでもかまわない。俺たちにできることは前に進むことだけなのだから。

 真空波が飛んでくる。肩が切り裂かれるが薄皮一枚。背後で数名の悲鳴が聞こえるが、無視だ。気にするやつもおるまい。

 煙を抜ける。大天狗は泰然と立っている。

大天狗「ふっ!」

 扇を一振りすれば岩石の霰が降ってきた。儀仗兵が瞬時に詠唱、水を放って押し流す。
 一旦身を屈めて水流の下を潜り抜けた。上体を起こす反動とともにより強く地面を踏みしめ、跳ぶ。


 重力からの開放。

 筋肉をねじ切らん勢いで体をひねり、剣の柄をきつく握った。俺と大天狗の距離はきっちり二メートル。
 今度こそはその肉を。

 腕が掴まれる。

傭兵「な」

大天狗「ぬるいぬるいぬるいぞぉおおおおおおっ!」

大天狗「その程度かよっ、人間!」

 ぎりり、と音がするほどに硬くきつく握り締められた大天狗の拳へ自然と視線が向いてしまう。
内臓と骨格全てを抉り出す、人外の拳が俺の意識を刈り取っていく。

傭兵「――っ!」

 嘔吐――それより先に意識の明滅。落ち込んでいく意識を呼び戻すのは激痛と生への執着。しかし生命の脈動を感じた瞬間に最も死へ接近する。
 こみ上げてくるのは血なのか、吐瀉物なのか、それとも悲鳴なのか判断がつかない。


 後頭部と頚椎が同時に接地。激しい衝撃とともにバウンドし、掴まるものがない俺は、そのまま激しく転がっていく。口の中に入った砂が寧ろ心地いい。気付け薬にすらなって、まだ自分が戦えることを知る。
 視界の端で、兵士たちが大天狗へ飛び掛っている光景が、僅かにひっかかる。

兵士「絶対に距離を置くな! 常に一太刀浴びせられる距離を保て!」

 そうだ。そうしなければまずい。距離をとればまた九字を切られる。いくら大天狗といえども、無詠唱、無準備で使える神通力にも限界がある。
 大天狗は兵士たちの波状攻撃を小刻みに障壁を展開させることで防ぎきっている。遊んでいるのだ、恐らく。魔王軍四天王がいくら無詠唱でもあの程度の障壁しか展開させられないわけでもあるまい。

儀仗兵「用意ッ! てぇー!」

 号令とともに兵士たちが後退、入れ替わるように火炎弾が計五発、重なり合うように大天狗を襲う。四発目でついに障壁を砕き、五発目が大天狗へと直撃する。
 その好機を見逃すはずはない。畳み掛けるように儀仗兵が氷結魔法を詠唱、兵士たちも切りかかる。

 大天狗はバランスを崩しはしたがけれど無傷。礫弾を放射状に放って牽制するが、それらは最前線の兵士の四肢をこそ捥ぐけれど、戦意を捥ぐには至らない。死をも恐れぬ肉壁と、それを楯に突っ込んでくる後衛たちの勢いは、決して衰えない。
 流石にまずいと判断したのか、大天狗はそれでも楽しそうに笑いながら後退。がそこを狙って氷結呪文が放たれる。背後に氷の壁、そして足元を固定しようとトラップも仕掛けられている。


大天狗「させんぞ」

 大天狗が九字を切った。

傭兵「させねぇよっ!」

 痺れる四肢を無理やり駆動させ、そこへと割り込む。

 動くたびに内臓がかき回され、視界も時たま揺れる。
 軽症だ。

 展開される障壁ごと九字の印を切断した。印はその輝きを失って宙に霧散。
 大天狗の背後には氷の壁と氷結の罠。こちらは俺と、同列上に大量の兵士が犇いている。刃が届かないとは思わなかった。

 俺の一閃は捌かれる。返す刀を用意する間に、二の太刀、三の太刀が兵士たちから放たれた。
 大天狗はまず二の太刀を拳で打ち砕き、三の太刀を左腕で掴むと、兵士の腕を掴んで己の下へと引き寄せた。そして次々向かってくる兵士たちの大群へ、その兵士をまるで弾丸のように射出、巻き添えにして根こそぎ吹き飛ばす。

兵士「怯むなぁっ! 押せ! 押せ! 押すんだっ!」

「ヤー!」

 裂帛の気合と混じった応答が響く。


 速度では当然大天狗が勝る。打ち砕き投げ捨てても次々と向かってくる兵士たち相手に大回転、紙一重で回避し腹を打ち、真空波を飛ばす。

 落雷がそれを打ち消した。

 大天狗の眼前に揃った十名の兵士。どれもこの瞬間を待っていた者たち。
 砂埃の中を突っ切って、彼らは剣を振るった。

大天狗「侮られたものじゃ」

 大天狗が高下駄を踏み鳴らす。

 神通力によって顕現したのは大地そのもの。大地が隆起し、それは全てを防ぐ壁となり、同時に全てを打ち落とす腕となって、十人をまとめて叩き落した。
 大地の前では人間など木の葉にも等しい。人間が作った刃などは言うまでもなく。

傭兵「うぉおおおおおおおおっ!」

 だから俺はその上を超えてゆく。
 大地は踏みしめるものだ。蹴り飛ばすものだ。だから、大地が俺の行く手を阻むなんてことは、到底許容できることではない。
 隆起したそれに足をかけ、岩石の腕を駆け上り、すれ違いざま刃で切り裂いて、大上段に構えた。


大天狗「臨兵闘者皆陳列在前」

 大天狗がにやりと笑った。
 すでに九字は切られている!

 視界が白ばむ。印が地面に転写され、それが発光しているのだった。

 印を切るか!? それとも光を切るか!? ――だめだ、時間がない。もし間に合ったとて、大天狗は確実に俺へと突っ込んでくる!
 それでも、

傭兵「切るしかねぇかっ!」

 莫大な魔力の奔流が俺を、俺の命を飲み込もうとしてくる。力任せにその光を切り裂くも、切った傍から光は押し寄せ、とどまるところを知らない。
 剣で魔力の直撃をこそ緩和しているが、落下する先に大天狗が拳を構えている。

 ここが限界。

傭兵「いまだ!」

 合図とともに背後から兵士たちが飛び出してくる。俺と同様に隆起を駆け上がった彼らは、俺の後ろに陣取ることで、印の直撃を避けたのだ。


兵士「てめぇはどうして切れるんだよ! 無茶苦茶なやつだ!」

 印を結んだばかりの大天狗には背後の兵士たちを見抜く余裕はない。この奇策で殺せればよし、殺せずともせめて一太刀浴びせることができれば――

大天狗「ようやく出番じゃ」

 めぎ、と空間が歪んだ。
 俺たちが数メートルを落下するよりも早く、地面に二つの魔方陣が生まれ、そこから何かが現れる。
 腕だった。筋骨隆々の、黒々とした腕が、魔方陣から現れている。人間の腕の太さとは段違いである。それを基準とするならば、恐らく背丈も何もかも、二倍から三倍近くはあるだろう。

 何よりその腕が放つ圧力だけでも、肌を粟立たせる。

大天狗「前鬼、後鬼。たらふく食え」

 腕は地面に手をついて、力を籠め、いまだ魔方陣の中に埋まっている体を引きずり出そうとしている。そのたびに体にかかる圧力は大きさを増し、それだけで体が千切れ飛んでしまいそうだった。
 儀仗兵たちが援護として火炎弾を、落雷を、氷塊をぶつけてくるも、全て大天狗の障壁の前では無力だった。

兵士「全軍! 突っ込めぇえええええっ!」

「ヤー!」

 号令がかかる。捨て身の号令が。

 それは愚かな将の判断ではなかった。自殺覚悟の特攻でもなかった。唯一勝機を繋ぐとしたら、まだ辛うじて「地獄が始まっていない」今しかないのだ。
 


「く、くくく、うははははははっ!」

 獰猛な笑い声があたり一面に響いた。

 魔方陣が空中に展開する。莫大な数――おおよそ五十。だが俺たちに気にしている暇はない。自由落下に任せて、一秒にも満たない時間後にやってくる衝突の時に備え、意識を集中させる。

 主の危機を察知したのか前鬼と後鬼の腕が慌しく動く。兵士たちが何人か吹き飛ばされ肉塊と化すが、一瞬の接触の際に剣を突き立てることだけは怠らない。そうして僅かに動きの鈍ったところを、俺はすかさず切り裂いた。
 前鬼の手、親指の付け根から中指までをごっそりと切り落とす。瘴気が舞い散る中息を止めて大天狗へついに切りかかる。

 同時に魔方陣から顕現するは鏃。黄色く煌く光の矢。

「戦争だ、戦争だ、戦争だ!」

「これは私の戦争だ! 逃がすもんか、渡すもんか、機会を手放してなるもんか!」


 鏃が一斉射出され、前鬼後鬼の腕、魔方陣、大天狗、彼を囲んでいた全ての隆起、氷の壁、一切合財全てをまとめて破壊する。
 巻き添えを食って兵士が二桁単位で引きちぎられる。血の噴霧。砂埃。魔力片が瘴気と混じって呼吸をするだけでも頭がくらくらしそうだ。

 その中にあってようやく俺と、生き残った兵士の刃は大天狗へと届く。

 反射的に生み出された障壁を俺が切り払えば、左右から飛び出した二人の兵士の刃が、それぞれ腕と腹部に切り傷を入れることに成功する。羽を羽ばたかせて飛翔しようとした大天狗だが、それを光の矢の掃射が抑え付けていた。

傭兵「てめぇちったぁ手加減しろよ!」

エルフ「手加減して勝てる相手だって!? うははっ! 随分余裕だねぇ!」

 戦争気違いは随分と楽しそうに言ってのけるのだった。
 体の至る所を欠損させてなお。


 エルフの特徴である長い耳は両方失われ、頬を真っ赤に染めている。金髪も血で赤く染まり、毛先で金色が残っているところなどない。
 四肢は健在だが切り刻まれ焼かれて見るも無残。辛うじて機能こそ残しているようだが、動かすたびに軋み、激痛が走っていることは想像に難くないだろう。自動回復も止まっている。簡単な止血魔法だけが貼り付けられていた。
 韋駄天を齎していた靴は焼失し、裸足で飛び回っているため足の裏が切れてこちらも血まみれ。地を蹴り、樹上で飛び跳ねるたびに赤いスタンプが押されていく。

 それでも展開される魔方陣。射出される光の矢。
 同じくらいに輝く瞳。

兵士「あ、あれは、一体なんなんだっ!?」

 動揺ももっともだった。そうしている間にも前鬼後鬼は復活しようとしているし、大天狗も以前のような余裕はない。それはつまり本気のやつを相手取らなければいけないということで。

傭兵「エルフだよ、見ればわかんだろうが! あいつは仲間だ! けど、見境がねぇ! 自分の命は自分で守れ!」


 兵士はそれで納得したようだった。理解できなくとも状況を飲み込めるのは、それだけで才能である。喚かないだけ僧侶などより随分都合がいい。

兵士「全員構え! 光の矢に注意を払いながら、目標は変わらず大天狗! 撃墜用意!」

兵士「儀仗兵は戦力分散! 四分の三を召喚に向けて防ぎ続けろ! 残りは障壁の破壊と退路を塞ぐのに徹し、直接は狙わなくてもよい!」

「ヤー!」

大天狗「しつこいやつだの!」

エルフ「うひゃははははっ! よく言われるよぉー!」

傭兵「まさか、てめぇ、大天狗がここに来たのって!」

エルフ「かもしんない! 気にしたこたないもの!」

 頭がおかしいとしか思えなかった。エルフは俺たちを逃がしてから約一週間、大天狗と戦い続けていたということになる。そして軍の動きと時系列から見て、こいつは森の中にいた大天狗をボスクゥの近くまで追い詰めてしまったのだ。
 なんて面倒なことをしてくれたんだてめぇは!


大天狗「ふんっ!」

 剣をへし折り正拳突きで顔面を吹き飛ばす大天狗。しかしそうしている間にも他の兵士が怯むことなく向かってくる。その兵士を倒しても、今度は背後から。その次は左。右。前。背後。
 飛び上がる動作は全て事前に察知され、エルフによって打ち落とされる。障壁で防ぐもその隙を見逃さず儀仗兵たちが魔法を挟み、満足に距離を取らせてもらえない。

 扇を一閃させ周囲に竜巻を展開、その勢いでもって兵士たちを吹き飛ばす大天狗。生まれた距離は数メートルだが、九字を切るには十分だろう。
 だが、そうはさせない。

 俺とエルフがすでに接敵を済ませている。エルフは魔法で竜巻を打ち消し、俺は剣で切り裂いて、それを潰しにかかる。

 大天狗の速度は圧倒的だ。障壁こそ切り裂けるが、攻撃自体は足と目で殆ど回避される。反撃を食らわないのはエルフの援護があるからで、その点では一進一退の攻防とも言えた。
 横一閃はバックステップで回避。扇を薙いでの真空波は光の矢が打ち落とし、そよ風の中を俺は突っ切って飛び掛る。突きを半身で避けられ腕をとられそうになるが、反射的に蹴りを入れて防いだ。


 礫弾が放たれる。全てを回避することは叶わない。体をなるべき縮こませ、ぎりぎりまでひきつけて切り抜けた。
 エルフへ大天狗が向かうのを確認し、最短距離を往く。一足飛びで駆け抜けると同時に、空中で切る前動作は済ませていた。伸ばされた左腕を切り落とすつもりで振るうが、右腕で弾かれる。
 二歩分詰める。大地の隆起でバランスを崩したが、光の矢の援護で追撃はない。

 開いた距離をそのままにしておくのは圧倒的に不利。光の矢で釘付けにする。そして俺は突っ込んだ。
 障壁と礫弾で光の矢を相殺し続ける大天狗は俺をその赤ら顔でぎょろりとにらみつけ、扇で一際大きく扇ぎ、俺を突風で吹き飛ばした。

 エルフが俺を受け止めてくれる。彼女は決して俺へと視線を向けず、犬歯をむき出しにしながら大天狗へと飛び掛っていった。無論俺も後を追う。

エルフ「懐かしいねぇ傭兵くん! 昔はよく三人で暴れ狂ったものだっけ!」

エルフ「戦争三昧――そう! 文字通りの戦争三昧で! うひっ! くくっ、うひひひゃはははっ!」

エルフ「楽しいよぉ! 涙が出てきちゃう! 嬉しくって濡れちゃうよぉっ!」


大天狗「なんじゃこいつ! 頭がおかしいんじゃあないか!」

 それにはおおむね同意する。

 放たれた光の矢を大天狗はまとめて握り潰し、純粋な魔力の塊をこちらに向けて投擲してくる。どういう理屈なのか全くわからないが、通った道が跡形もなく消失するだけの密度を誇る、埒外に相応しい振る舞いだった。
 それを受け止める勇気はない。傍を通っただけで皮膚がめくれ上がる感覚を堪え、怯え竦む本能を組み敷いて、勇気と度胸の一歩。

 障壁の展開にあわせて儀仗兵から援護が入る。しかし人数が減った攻撃程度では障壁は小揺るぎもしない。だが、兵士たちが復帰する時間を稼ぐ程度には役に立った。

兵士「突撃ィイイイイイイッ!」

 全兵力をかけた最後の突撃。裂帛の気合とともに兵士が全員まっすぐに、剣を握って大天狗へと向かう。

大天狗「させるかぁあああああああっ!」


 大天狗の全身から魔力の光が迸る。人によってはそれだけで気を失いそうになるほど強力な波動だ。しかし覚悟を決めた兵士たちにはまるで通用しない。
 みしり、と空気が、大地が、震える。

儀仗兵「も、保ちません! 生まれる!」

 儀仗兵たちの楔すら突き破り、魔方陣が強く、強く、輝き出す。急激に前鬼と後鬼の腕が激しさを増し、大きく空へと伸び、地面を叩いた。
 大地に立つもの全てが大きく歪み、吹き飛ぶ。それは俺も、エルフも、兵士たちも例外ではない。

 まさに鬼だった。太い四肢。黒い肌。瞳はなく、ただ目の位置に白い穴が開いているだけ。吐息は高濃度の瘴気。生半な物理や魔法は遮断できる力場が体表面に薄く張り巡らされている。
 それが、二体。

  単純な戦闘力では大天狗には及ばないだろう。だが、現状はまずい。俺たちが大天狗相手に全滅を免れているのはエルフの助力と数の利があるからで、ここに鬼が二体加わるとなれば、戦力の統一は図れない。
 戦線の崩壊。それは即ち敗北を意味する。

前鬼「――――――ッ!」
後鬼「――――――ッ!」

 形容しがたい咆哮が鬼の口から迸った。


 誰しもが呆然として目の前の状況を眺めている。
 心が折れた音が聞こえた。

「うひゃはははははははははっ!」

 そして、折れた部分を補修するかのように、壊れた笑いが響く。

傭兵「エルフ……」

エルフ「やっぱり懐かしいねぇ傭兵くん! あの日を思い出す! あのときを思い出すよ!」

エルフ「四天王に挑んでボロ負けして、魔王に出会うことすらできず、命からがら逃げ出して、いやぁ惨めだった! 虫を生のまま食べて、木の根を齧って、泥水を啜って、やっと繋いだこの命!」

エルフ「あのころはまだ傭兵くんも傭兵じゃなかったっけ! どうして傭兵なんかに身を窶したんだい!? やっぱり、強大すぎる敵を前にして、思うところがあったのかな!」

 ぱき、ぱき。エルフが指の骨を鳴らすと、半球のドーム上に、魔方陣が展開される。その中心には前鬼、後鬼、そして大天狗がいる。

エルフ「そこんとこ、生き残ったら教えてほしいんだ! ねぇ――」




エルフ「勇者くん!」



 エルフは跳んだ。目から、耳から、鼻から血を流し、魔力が枯渇していることは明白。一週間も戦い続けて今の今までこうならなかったほうが寧ろ奇跡だったのだ。

 懐かしい、とエルフは言った。懐かしいものか。魔王に挑もうと乗り込んで、四天王にぶちのめされ、小便を漏らしながら逃げ帰ったあの数日を、懐かしいなどとはどうしても思えなかった。
 この状況はあの日の再現だ。四天王。強大すぎる敵。エルフ一人で勝てるはずはない。俺が一人で勝てるはずもない。俺たち二人で勝てるはずもない。

 俺はあの日、あの時、わかったのだ。敵として戦える相手の限界を。
 そして、限界以上の相手と戦うには、それなりの戦い方があるのだということを。

 俺は泣いていた。無力感をもう二度と味わいたくはなかった。端的に言えば、エルフに死んでほしくなどなかった。無駄死にだけはごめんだった。

 だから俺は勇者をやめたというのに。

 個人の力で世界を救うなんてできっこないのだから。


傭兵「全軍、突撃だ」

傭兵「無駄死になんかさせない」

傭兵「大天狗は今、ここで、殺しきる」

 返事を聞かずに俺は走り出した。
 光の矢の掃射。秒間三十発の速射砲。撃てば撃つだけ前鬼を、後鬼を、大天狗を、確かに削っていく。エルフの命も。

 しかし鬼たちはそれをものともせずにエルフを取り囲む。豪腕が四本。いくらエルフが高速で移動できるからといっても、傷ついたその体で避け続けることなどどだい不可能。
 エルフを掴んだ後鬼の腕を切り落とす。衝撃でエルフが倒れこみ、そこへ前鬼が襲い掛かった。

 助けにいこうとした俺を真空波が襲う。左腕に深い裂傷が入り、血が足元を濡らす。
 動かないわけではないが……パフォーマンスの低下は著しい。

大天狗「……そうか、思い出したぞ。お前五年前の……」

傭兵「いまさらかよ」

大天狗「わしの真名を知っているのも当然か! 人間の執念、天晴れじゃ!」

大天狗「だがそれもここまで」


 大天狗の指が、縦、横、縦、横と動いていく。一本一本、確かめるように、力を籠めるように、ゆっくりと。
 九字。

 交点に炎が灯り、地面に転写される。嘗て見た二回の印、どちらとも異なる。そしてどちらとも似ている。

 交点の大地が隆起した。

大天狗「噴火しろ。煉獄火炎」

「ぜんぐぅうううううん! とぉつげぇえええええきっ!」

大天狗「――な」

 地面が揺れた。

 それは大地の隆起が齎した地震ではない。
 整列した兵士たちが一斉に踏み出した一歩が、全てを抑え付け、大地を揺らしたのである。

 九字の印にかぶさる様に魔方陣が展開、即座に地面が凍結する。

儀仗兵「持って五秒です!」

兵士「じゅうぶん!」

 生き残っている兵士は五十名強。五体満足はそのうち三十名弱。全員が得物を持ち、大天狗へと突っ込んでくる。
 大天狗は驚き信じられないという顔でその光景を見ていた。それもそうだ。やつにとって、この攻撃は捨て身どころか自殺以外の何ものにも映っていないだろう。いや、俺にだってそう見える。
 だけど、俺はどこかで望んでいた。四天王に勝てる術があるのなら、それは、これしかない。


大天狗「前鬼! 後鬼!」

エルフ「これでこそ戦争! 私が望んだ、傭兵くんが望んだ! うひゃはははははひゃひゃ!」

 光の矢を連打。兵士たちの群れへと向かった前鬼をエルフは決して逃がさない。自分と戦争をするのだ、と彼女は強制する。口から血をぶちまけながら。
 撃つ、撃つ、撃つ。前鬼の豪腕を避けながら、防ぎながら、もろに喰らいながら、それでも決して攻撃の手を緩めることはない。
 左足が捥げても矢を左足代わりにし、持ち前の機動力が半減しても木々を飛び回り、一撃必殺、前鬼の頭を狙い撃ち。

 前鬼はそれを左腕で防御。突き刺さった矢を逆に投擲する。それでエルフの右腕が弾け飛んだが、彼女は一顧だにしない。呪文の詠唱を続けて魔方陣を追加で展開、射出する。
 左腕に光の矢を大量に突き刺した前鬼の動きもついに鈍っていく。治癒能力より鏃の驟雨のほうが圧倒的に早かった。

 反対に後鬼は俺が引き受ける。見るべきは両腕。少しでも掠れば即ち死。振りかぶりを回避し、切り裂きながら腕を駆け上がる。
 撃墜をワンテンポ早く読んで離脱、地面の破壊を伴う振り下ろしの圏内から距離を置き、小さく傷をつけながら後鬼の周囲を旋回、意識をひきつける。


 真空波を放つ大天狗。しかし兵士たちの先頭を走るのは攻撃を捨て、防御に特化させた兵士だ。死んだ仲間の鎧をこれでもかと身に着けた彼らは、例え息絶えてもその足を止めることはないと思われるほど気迫に満ちている。
 二発目で先頭の兵士がくぐもった声を上げてぐらついた。そのまま前のめりに倒れこみ、予め仕込んであった爆弾とともに自爆、障壁を粉々に砕く。

「うぉおおおおおおおおおおっ!」

 兵士たちは止まらない。仲間の死が彼らを後押しする。速度は落ちるどころか増すばかり。

大天狗「天晴れ! まこと、天晴れ!」

 大天狗は引きつった赤ら顔で叫んだ。転写された九字の印が輝きを増し、押さえ込んでいた魔方陣を上回る。

大天狗「煉獄火炎!」

儀仗兵「フバーハ!」

儀仗兵「マヒャド!」

 超高温度の炎が、空気の幕も、降りしきる氷塊も、全てを消失させてゆく。一気に解けた水分が膨れ上がり、濃密な水蒸気となる。


 剣が、剣が、剣が、剣が、剣が、ついに大天狗の制空圏へ侵入する。

 突き、薙ぎ、振り下ろし――大天狗は退くのではなく突っ込んだ。まるでそれが四天王、魔王の眷属、魔族の矜持であるかのように。
 剣を折り、投げつけ、兵士の顔面を抉る。死体を引っつかんで投擲、それを避けた兵士の攻撃を扇で受け止めカウンター一発で命を奪う。
 掴まれた腕を逆に掴み返して地面に叩きつけ、接敵を許せば風で吹き飛ばす。それでも兵士たちは次から次へと重なりあい、押し寄せてくる。

 背後からの一撃が大天狗の羽を切り裂いた。深くはないが、生まれた一瞬の隙を見逃す素人はこの場にはいない。そちらへ向いた一瞬の意識の死角を衝いた兵士の攻撃が、更なる傷を大天狗につけていく。
 礫弾が二人の兵士の命を奪う。次いで大地の隆起で尖った岩石を召喚、突っ込んできた兵士たちを根こそぎ串刺しにする。

 勢いは止まない。死体を踏みつけ、足場にし、飛び掛ってくるのだ。

傭兵「死ねぇええええええ!」

 後鬼の腕を蹴って反動をつけた俺は、神速で大天狗へと切りかかる。
 しかし大天狗の反応もまた神速。片腕を犠牲にしても、と真空波を生み出しながら、交錯の中で俺の命を奪いに来る。
 
 真空波が直撃した俺の姿が一瞬にして掻き消えた。


大天狗「げ、ん――!」

 この人数を相手にして、流石に判別する余裕はなかっただろうさ!

傭兵「後鬼の相手で精一杯だっつーの……」

 殺意に反応し大天狗は振り向く。しかし間に合わない。障壁をいくら展開しても、最早おっつかないほどの数の兵士が、射程距離内に侵入していた。

大天狗「爆裂しろぉおおおおおおっ!」

 大天狗の前方が爆裂する。
 ほぼ同時に、数多の剣が大天狗を貫いた。

 腕に一本。腹部に二本。胸に一本。

大天狗「まさ、か、な……」

 ごふ、と大天狗が血を吐いた。口の周りは本来の赤みよりも黒ずんだ赤で汚れている。

 至近距離で放たれた爆裂の被害は甚大。しかし、十数名がゆっくりと、剣を支えにして立ち上がった。

 前鬼と後鬼が消滅する。最早召喚を維持できないほどに大天狗も消耗しているのだ。
 この好機を見逃すわけには行かない。俺はなんとか剣を握って向き直ろうとしても、体が言うことを利かない。重力が強すぎる。太ももから下の感覚がなく、気づけば膝を突いていた。


大天狗「天晴れ……天晴れ……」

 片方の羽だけを羽ばたかせ、扇を一振りすると、大天狗の姿は風に紛れて消えていった。逃がしたのではない。やつも逃げざるを得なかったのだ。

兵士「……やった、のか?」

 勝ちではないが負けでもない。それを「やった」と表現できるかは、難しい。四天王を退けたという時点で十分偉業ではあったが、ここでやつを倒しきれなかったのは、正直悔しいものがあった。

兵士「傭兵、お前、生きてんのか……」

 名も知らぬ兵士が倒れ付したまま聞いてきた。俺は返事する体力もなかったので、親指を立てるだけで返事としてみる。

エルフ「よう、へい、くん……? 元気……?」

 これで元気だったら人間じゃねぇな。それか、お前の目が腐ってるか。

エルフ「そんなこと、言わない、でよ。もう、目が……さ」

 見えない、か。
 魔力の枯渇か、失血が原因か……両方のあわせ技だろうな、きっと。それでも満足そうに見えるのは不思議なことだ。

エルフ「不思議、か、な? じゃない、よ」

エルフ「やっぱ、り……きみと、組んで、よかった」

 さいですか。

エルフ「ん。……ばいばい」

 最後に俺へと手を伸ばし、それを俺がとるより先に、エルフの体から力が抜ける。
 なんだか途轍もなく大事なものが喪失した感覚があった。別種の大事なものが去来した感覚も、また。
 それでも涙は流れない。エルフの死は、間違っても無駄死にではないと思ったから。

 それとも、それもまたおためごかしだろうか? 自分の気を楽にするだけの言い訳にすぎないだろうか?

 苛む思考は自然とシャットダウンされる。意識が端からゆっくりと黒く塗りつぶされていく。大丈夫、これは死ではない。そう確信できるから、俺はその暗黒に身を委ねた。

―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。

実はボスクゥ編はあと一回か二回で終わるんだってさ……。

物語はあと半分とか三分の一くらい残ってます。
今後ともよろしくお願いします。


* * *

 ベッドの上で傭兵さんが眠っています。すやすやと、その穏やかな顔だけを知っていれば、随分と印象も違うのでしょうが……。

隊長「僧侶ちゃん」

僧侶「ちょっとだけ、あとちょっとだけ、待ってください」

 傍らの隊長さんにお願いしました。忙しい時間を使ってまでここにきてくださっているのです。申し訳ないとは思うのですが、わたしにだって、どうしても譲れないものはあります。

隊長「……わかった。出発は明け方だから、今晩は待てる。けど、あんまり遅いと、紛れ込ませるのも大変になる。なるべく早く来て欲しいかな」

僧侶「わかりました」

 そういうと隊長さんは静かに部屋を後にします。
 現在、宿屋の二階、傭兵さんと勇者様の部屋です。……勇者様はもう、この世にはいませんが。

僧侶「傭兵さん、傭兵さん」

 眠ったままの傭兵さんに声をかけます。

 伝聞ですが、聞きました。大天狗との戦い。エルフさんの乱入。多数の死者。前鬼と後鬼。そして、勇者と呼ばれたということも
 わからないことだらけです。あなたは結局、わたしにたいして、殆ど自分のことを喋ってくれませんでした。わたしはあなたの本名すら知らないのです。


 自分のことを喋らないのは、それはもちろんわたしだってそうかもしれません。だからお互い様といえばお互い様です。けど、あなたの行動は、思考は、わたしには遠すぎるのです。わたしの数段上を行き過ぎていて、遥か彼方を見据えすぎていて。
 理解できない。それは、怖い。

 ねぇ、傭兵さん。

僧侶「なんで二人を殺したんですか?」

傭兵「……」

 目が合いました。

僧侶「……」

傭兵「……」

僧侶「……おはようございます」

傭兵「……おはよう」

僧侶「聞こえちゃいました?」

傭兵「聞こえちゃったな」

 そんな言い方をするものですから、なんだか面白くって、噴出しそうになりました。
 に、似合わない!


僧侶「……」

傭兵「……」

僧侶「……で」

傭兵「……おう」

 いろいろと、準備とか空気とか、覚悟してたものが崩れた――ずれた気がしますけど、それでも。

僧侶「なんで二人を殺したんですか?」

傭兵「お前、隊長から聞いたか?」

僧侶「え?」

傭兵「隊長から聞いたか、って聞いてるんだよ」

 質問に質問で返されました。とはいえ意味はわかります。
 はぐらかされた感じがとってもしますが、ここは一応従っておくことにします。

僧侶「……はい、聞きました」

僧侶「人員補充に紛れてラブレザッハに行く、と」

 そうです。避難誘導を済ませたわたしに、隊長さんはそう言ったのです。傭兵さんからの言伝だと断って。


傭兵「出発はいつだ。俺にかまってる暇なんてねぇだろ」

僧侶「明朝といってました。まだ時間はあります。……いろいろ、話せるくらいには」

傭兵「いろいろ、か」

僧侶「はい。いろいろ、です」

傭兵「……この結末は、見えてた」

僧侶「結末?」

傭兵「あんだけやらかしてなんともないとは思ってなかった。こんな迅速に、しかも金をかけてくるのは予想外だったけどな」

僧侶「……」

傭兵「だから、まぁ、なんだ。その……ボスクゥに来た時点で、決まってた。というより、このために来たんだ。俺の仕事を終わらせるために」

僧侶「終わり、なんですか」

傭兵「あぁそうだ。全部終わりだ!」

 傭兵さんは上体を起こして大きく伸びをし、そのままベッドに倒れこみなおしました。

傭兵「俺の仕事はお前をラブレザッハまで連れて行くことだ。そのお膳立てはした。これ以上俺にできることは、なーい!」


僧侶「……でも」

傭兵「でもじゃねぇよ。お前はラブレザッハまで行きたい。俺は連れて行く代わりに報酬をもらう。それだけだ。それこそが互恵関係だ」

傭兵「軍隊についていけば間違いない。こんな守銭奴の下種い傭兵家業よりゃよっぽど信用できるってもんだ。違うか?」

僧侶「ちが、います」

 力なくとも首を振ることができました。
 傭兵さんのことがわからなくとも、傭兵さんにわからせることができずとも、それだけはできます。だってわたしは彼に命を預けたのです。後にも先にも、命を預けたのは傭兵さん、あなたきりなのです。

僧侶「前にも言ったじゃないですか。傭兵さん。わたしは、あなたを信頼してるんです」

傭兵「……馬鹿だな」

 はい。馬鹿なんです。
 どうしようもないほどに、馬鹿で、取り返しがつかないほどに、愚かで。

傭兵「俺はお前の足手まといになる。俺と一緒にいるだけで、お前は州総督から狙われる。だから、お前は俺を切れ」

僧侶「……傭兵さんは、大丈夫なんですか?」

傭兵「はっ!」

 傭兵さんは目に見えてわたしを嘲りました。

傭兵「お前が俺の心配か。いいご身分だな、いつからそんなに偉くなったよ」

傭兵「ラブレザッハに行きたいんだろうが!」

傭兵「いくら金を払っても、体売ったって、行きたい理由があるんだろうが!」


 わたしの胸倉を掴んできます。鼻と鼻がぶつかるほどの距離に、傭兵さんの顔がありました。
 存外綺麗な瞳が見つめてきたので、わたしも見つめ返します。

僧侶「あります」

 曲がらないものがあるとすれば、それはわたしのあなたへの信頼と、唯一無二の目的くらい。
 もちろん、前者を口に出すのは憚られますが。……結構口に出しちゃってる気も、しますけど。

傭兵「なら、いいだろ。お前は行け。ぐだぐだしてる時間も、実際、あんまりないんだろうさ」

僧侶「わたしの質問に答えてください」

傭兵「……」

僧侶「傭兵さん」

傭兵「わかった! わーかったから!」

 お手上げだ、とジェスチャー交じりに傭兵さん。


傭兵「考えをまとめる。五秒だけ目ェ瞑ってろ」

僧侶「絶対答えてくださいね」

傭兵「絶対答えてやるから。ほら」

 わたしは目を瞑りました。口に出して数えます。
 いーち、にーい、さーん、よーん、

僧侶「ごーおっ!」

 目を開けました。
 傭兵さんの姿はベッドの上から消えています。

 開いた窓からは夕方の涼しい風と陽光がやんわりと飛び込んできていて、穏やかに一日の終わりを告げていました。

僧侶「……」

 ……だ、騙された!?
 逃げられた!?

 あのくそやろう!

――――――――――――――――――――
短いですが、投下はここまでです。
ターニングポイント。舞台はもうすぐラブレザッハへ。

2人の物語から、1人と1人の物語へ変わっていきます。
もうしばらくお付き合いください。


※ ※ ※

 ミスった。
 盛大に、ミスった。

 勇者殺しに気づかれただけでなく、それを知った上で俺を信頼するだなんて、どんだけ人がいいんだあいつ!
 本来ならばもっと素直に僧侶が別れてくれるか、勇者殺しに気づいて激昂し、喧嘩別れ――それを狙っていたのに!
 まさかあんな実力行使で逃げる必要がでてくるとは思わなかった。

 俺はパンを一齧りし、牛乳で流し込む。全方位が敵という状況下でエールを飲む気にもならない。
 まだボスクゥに駐留していた。とはいっても、それは隊長と手筈の確認をするためであり、それが終わればすぐにでもここを発つつもりだった。いつ襲われるかわかったものではないのだ。おちおち長居もできない。

 顔を隠して酒場に入り、軽く昼食だけをとっている。僧侶から逃げて一晩は裏路地での野宿で過ごした。戦い、目を覚まして以降何も胃に入れていなかったので、我慢できなかったのだ。

 エルフの遺体は仲間のエルフ族が追って引き取りにくる手筈となっているし、僧侶はすでに出発した。この都市ですべきことはもうない。
 俺はこれで晴れて自由の身。小うるさく言われることも、もうない。

 とりあえずそのあたりの始末の如何だけを隊長から確認したかったのだが、まだ来ていない。あいつも事後処理に追われているのだろうが、あまりのんびりしている暇もないというのに。

 今後傭兵家業を続けていけるかどうかは難しいところだった。あそこまで手配書が出回ってしまえば、俺に依頼をする人間よりも、俺を捕まえに来る人間のほうが多くなるだろう。それでは商売上がったりだ。
 まぁ俺は傭兵で生きていくと誓いを立てたわけでなく、日々の糧はこの腕で掴み取る。その気になれば州総督に雇われにいったっていいくらいである。


 わかっている。強がりだった。

 すっかり調子が狂ってしまっている。あのちんちくりんの僧侶のせいだ。
 俺は、昔はこう、もっとぎらぎらしていたという自覚があるのだが。

 思わず頭を抱えてしまう。だめだ。こんなのは本当の俺じゃあない。

 昼食の時間としては少しばかり遅いからか、酒場の中に人は疎らだ。エールを飲んでいる兵士もいれば上等な肉を食べている成金風情も見えるが、店内は静かである。
 新聞を広げながら相場の動きについて話し合ったり、景気の動向だとか、昨日の避難についての感想を言い合ったり、商人たちの話題としてはその程度。大天狗に関してはきつく緘口令が敷かれているので、一行商人程度ではわからない。

 酒場の隅では映像受信機がニュースを垂れ流していた。金と銀、銅の値動きが発表されている。昨日よりもわずかにあがったらしい。
 金銭は、通貨は、何物にも代え難い。全てに兌換できるからこそ、代え難い。誰もがそれを重要視するから。
 果たしてそれは矛盾だろうか?

 とりあえず、当面は身を隠せる場所の選定を優先しよう。落ち着けるところが見つかり次第金を稼がなければいけない。まだ俺は、目標額の半分程度しか稼げていない。

隊長「よ、待たせたな」

 椅子を引いて隊長が座る。やってきた店員に珈琲を注文すると、おしぼりで顔を拭いた。

傭兵「おせぇぞ」

隊長「事後処理がやばいんだよ。俺は紙の兵隊だからな」

 紙の兵隊――後方支援で補給や輸送、物資管理などを行う事務方兵士の総称。


傭兵「で」

隊長「エルフと僧侶ちゃんのことだろ。安心しろ、万事抜かりはない」

隊長「エルフに関しては、そもそも人間とエルフ族の間で協定が結ばれてるからな。クランとも連絡がついたし、数日のうちには遺体を引き取りに来るだろう」

傭兵「……そっか」

 よかった。心底そう思う。
 嘗て共に視線を潜り抜けた仲間だ。生きているときは戦争に魅せられた人生だったのだから、こうなってしまったときくらい、安らかに眠ってもいいのじゃないか。勿論やつはそんなの認められないんだろうが。

隊長「僧侶ちゃんに関してはそろそろ到着するか、もう到着してると思う」

傭兵「随分早いな。出発は夜明けだろ? 丸一日はかかると踏んだが」

隊長「王国軍謹製の転移魔方陣があるんだよ。それを使えばあっという間……っつーわけにはいかないけど、だいぶ短縮できる」

傭兵「は。便利なもんだ」

隊長「お前はこれからどうするんだ?」

傭兵「どうもしねぇよ。生き方なんて変えられない。金を溜めるだけさ」

隊長「うちに来るつもりはないか?」

傭兵「冗談じゃねぇよ。安月給で働いてたら、時間がいくらあったって足りねぇ」

 笑い飛ばしてやると隊長も自嘲気味に笑った。

隊長「ま、生き方は変えられないけど、心変わりはありうるぜ。そんなときは連絡をよこしてくれ」

 珈琲を一気に飲み干して立ち上がった。どうやら忙しいというのは本当らしい。

隊長「じゃあな。『勇者様』」

 ……ちっ、嫌味かよ。


 酒場へと新たに五人の壮年男性ががやってきた。趣味の悪い指輪を肉のたっぷりついた指にいくつもつけているあたり、大方相場師か、うまく儲けてあぶく銭ができた商人たちなのだろう。
 本当の金持ちは身に着けているものもごてごてしていない。上品で、決めるとき、決めるところをきちんと決める。なにより悪趣味な装飾を見せびらかそうとするのは客商売ではご法度。酸いも甘いも噛み締めた大商人のスタイルではない。

 人が増えてくるのは厄介だ。気づかれても困る。俺は牛乳を流し込むと席を立った。

「緊急速報です!」

 と、映像受信機の中で、女性が急ぎ、紙を読み上げている。

「ラブレザッハで――州総督官邸を狙ったクーデターが発生! 占拠され、現在州総督が人質となっています!」

「クーデターを行った一派は『世界共産主義統一党』を名乗り、まだ名声の発表はしておりませんが、各州領主および国王へ要求があるようで――」

 全員が映像受信機へ釘付けになっている。
 ラブレザッハでクーデター。しかも、直接州総督を狙って、占拠。それはあまりにも突飛な、命知らずな行動だ。実際に成功させてしまっているのが猶更始末が悪い。

 俺は思わずよろけて、牛乳の入っていたカップを盛大に割ってしまう。

傭兵「おいおい」

傭兵「そういうことかよ」

 画面の中では、州総督に拳銃を突きつけている僧侶の姿が映っていた。

-――――――――――――――――
やったー! 書きたかったところにようやくやってきたぞー!
今回の投下は短いですがここまでです。

次回から舞台はラブレザッハに移り、僧侶オンリーの話になるでしょう。

今後ともよろしくお願いします。

出ないことはないだろうけど、しばらくはオンリーになるってことじゃないか?

>>363
傭兵は出ます。>>367の解釈が正しいです。
正確に言えば「ラブレザッハ編=僧侶ちゃんのクーデター奮闘記なので、傭兵さんの出る幕はないです」という感じ。
あんまり言うと展開読めちゃうから言いませんが。


* * *

 幸せだった記憶はあんまりありません。

 お母さんもお父さんも神職についていました。人助けが趣味のようなものでしたから、休みも返上で教会に通い詰めて、孤児院に寄付したり、浮浪者に職を斡旋したり、そんなことばっかり。
 もちろん両親は人徳がありましたし、それについて誇らしくもありました。アカデミーに入ったのも二人のようになりたい、二人の力になりたい、そんな気持ちがあったからです。

 わたしがアカデミーに入ると同時に両親は北部へと移り住みました。今までの功績が認められ、今後はより重要なポストに就いて、慈善活動を行ってほしい。そんなことをお偉いさんから言われたと手紙には書いてありました。
 誇らしいことです。実に、誇らしいことです。その話を聞いた特、少しの寂しさは覚えましたが、それ以上に喜びがありました。両親のやっていることは立派なことだと認められたのですから。

 わたしもわたしでアカデミーは忙しく、落ちこぼれないようにするだけでも精一杯。幸いわたしには魔法の才能があったらしく、放出が極めてできないという無視できない問題はありましたが、それ以外は何とか修めることができたのでした。

 あのころは楽しかった。周りには同年代の友達がたくさんいて、頼りになるお兄さんも、わたしを頼りにしてくれる妹分も、世界平和を掲げる赤毛ちゃんも、先生も、友達も、全てが満ち足りていたのです。


 起床は七時。七時半からご飯を食べて、八時半までに教室に入っていなければ遅刻になります。殆どの生徒が寄宿舎で生活していたため、朝は仲のよい友達と揃って目覚ましをかけ、ご飯を食べ、教室へ向かいました。
 魔法の理論と実践がアカデミーでは主でしたが、それ以外の座学も当然行います。「知無き力は空である」と当時の先生がおっしゃっていたのが、いまだに頭に残っています。

 読み書きは当然として、科学、地理学、歴史学なども平行して学びました。神学はもちろんわたしの独壇場。テスト前には勉強会なんかも開いたりして。
 逆に赤毛ちゃんなんかは科学全般に強くて、不思議と歴史にも詳しくて、そっち方面ではお世話になりました。


赤毛「だからさ、今の政治は二つに別れてるわけ」

僧侶「州総督と国王?」

赤毛「そう。国王派は権威とか正統性に拠って権力を手にしてるよね。州総督は逆に利権を集めてる」

僧侶「利権っていうと?」

赤毛「そりゃまずは土地でしょ。食べ物と水は人が生きるのに必要だから、それを確保して」

僧侶「あー、やだやだ。そういうのは好きじゃないです」

赤毛「あんた争いとかに耐性ないもんね」

僧侶「そりゃそうですよ。平和なのがいいです。みんなが何事も無く平和に暮らせるなら、それ以上はない。でしょ?」

赤毛「まぁねぇ」

僧侶「節制は美徳ですよ。人間は愚かですからね。お金にしろなんにしろ、あればあるだけ使っちゃうから」

赤毛「あはは、耳が痛いよ」

 こんな風に少しまじめっぽい話をするときもあれば、


赤毛「ね、ね! 聞いた!?」

僧侶「何をさー」

赤毛「戦士さんと賢者さんが付き合ってたんだって!」

僧侶「あぁ、こないだ手を繋いで歩いてるとこ見ましたよ」

赤毛「え、マジ?」

僧侶「うん。マジ」

赤毛「いやぁ美男美女カップルっていいよね! 私にもいつか格好いい彼氏できないかなぁ」

僧侶「赤毛ちゃんならできるよ」

赤毛「そう言ってくれるのは僧侶ちゃん、あんただけだよぉ」

僧侶「気になる人はいないんですか?」

赤毛「いない! だってみんな私より弱いんだもん。女の子に生まれたからには、やっぱり守ってもらいたいよね」

僧侶「赤毛ちゃんより強いって、同レベルじゃいないと思いますけど」

赤毛「あ、僧侶ちゃんにはいないの、好きな人」

僧侶「いませんよ。大体、わたしは身も心も神様のものですから」

赤毛「ちぇ、つまんなーい」

僧侶「つまんなくないですー」

 みたいな、所謂コイバナに花を咲かせるときなんかもあったりして。


 楽しいことばかりでした。友達は多くて、ご飯はおいしくて、授業は大変でしたがためになって、充実したアカデミー生活だったと断言できます。
 ただ、最初は週に一回だったはずの手紙のやりとりが、いつからか十日に一回となっていたことが気がかりでした。

 毎週日曜日は礼拝日です。正式な僧侶となるのはアカデミーを卒業してからですが、アカデミー内にある礼拝堂でのお手伝いをわたしはしていました。
 アカデミーにはさまざまな宗派の方がいらっしゃいます。流石に全ての宗教について礼拝堂を設立するわけにはいかないので、カトル、プロトニック、ダバラモの三大宗教についてのみ、礼拝堂はありました。
 わたしがお手伝いしていたのは勿論カトル教です。司祭様は優しいかたで、人徳もありました。礼拝日に限らずさまざまな悩みを抱えた生徒の話を聞き、包み込んでくれる、まるで慈母です。

 彼女はなんとわたしのお父さんの元で修行した過去があるらしく、だからわたしと彼女の仲は他の生徒よりも随分とよかったと思います。わたしは昔のお父さんの話を聞いたり、逆にお父さんの話をして、盛り上がったものです。


 そのころ、手紙の頻度が二週間に一度へと変わっていきました。
 手紙には大きな事業を任されて忙しい、手紙を書く時間が余り確保できない、申し訳ない、そんな旨が書かれていました。
 少し……いえ、だいぶ残念でしたが、大きな事業を負かされたのならば仕方がありません。それは貧しく虐げられている人々を助けるという両親の願いの第一歩。わたしが間違っても口を出せるはずなどなくて。

 しかし、今でも思うのです。あのときわたしが口を出していれば、両親は死なずに済んだのかもしれないと。
 けれど、やはり思うのです。あのときわたしが口を出していても、両親はどの道殺されたのかもしれないと。


 何事もなくアカデミーでの生活は続きます。アカデミーは六年制。わたしはそのとき五年目で、名実共に主席の座を確保していました。
 依然として魔法の放出はできませんでしたが、そのころから進路やスタイルも細分化されてきて、わたしは謹製の拳銃を手に入れたこともあり、大したハンデではなくなっていました。

 魔力の絶対量では赤毛ちゃんには逆立ちしても叶いませんでしたし、体力や運動神経では前衛の方々に叶いませんでしたが、曰くわたしは「バランスがいい」らしいのです。
 五年目には研修旅行があり、わたしと赤毛ちゃんは十人ほどの集団で北の山へと向かう計画を立てていました。この計画に、先生たちが個別に目標を設定し、それを達成し次第帰還していいというものです。

 わたしはそのことをうきうき気分で両親に報告しました。そのころすでに手紙は一ヶ月に一回くらいしか返事が来ませんでしたが、それでも一週間に一度は送っていましたし、何かあればその都度送っていました。
 北の山へ出発するより先には手紙は届かず、悲しさは覚えましたが、気丈に笑ってしかたがないよねと思ったものです。

 結局、返事が来ることは二度とありませんでしたが。


 その辺りの出来事は記憶があんまりなくて、覚えていても単発で、前後関係とか時系列とか、誰が何を言ってわたしが何をどうしたとか、そういうことは一切合財全部まとめてあやふやな暗闇の中。
 ただ、久しぶりに見た両親の顔は花に包まれていて、信じられないほど白くて。
 そして、げっそりと痩せていて。

 死因は栄養失調。

「ありえるか!」

 何かが吹き飛びます。わたしの部屋の中にあったなにか。正体は意識の外。
 もしくは、わたしの中にあったなにかが吹き飛んだのかも?

「この現代社会で! 死因が! 栄養失調だなんて!」

 手が、足が、いろいろと薙ぎ倒していきます。
 感覚がない。折れたのかな。

「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんなああああああっ!」

 わたしを止める存在はどこにもいません。
 たった一人の我が家。わたしの家。わたしの部屋。

 ひとりぽっち。

 おとうさん。
 おかあさん。

 どうして?


 信じられませんでした。栄養失調で死ぬなんてことがありえましょうか。いや、ありえるとしても、両親がそんな世界の住人だったとは到底信じられません。
 お医者様の話を信じるならばそういうことになるのです。ただ、いくら権威あるお医者様の診断でも、納得できることとできないことがあります。

 説明ではこうでした。両親は教会で働く傍ら恵まれない人々に支援を行っていた。それはいいです。わかります。そうでしょう。あの人たちは今までそうでしたから、これからもそうである。単純な話です。

 そして、次第に支援の度が過ぎていった。

 教会の運営費に割り当てられている「支援費」から出している分は問題なかった。しかし、口減らしで捨てられた孤児は依然多く、また領主に土地を買い上げられ自作農から小作農になり、没落した農民も数を増すばかり。
 支援費は足りなくなる。けれど状況は一向によくならない。えぇ、それはわかります。そりゃそうでしょう。国王派の福祉政策を凌駕するほど州総督派の巻上げが酷いんですから。

 だから、両親は支援に私財を投じた。


 英雄だったそうですね、北の地方では。自らの財産を削り、寝食を惜しんでまで恵まれない人々のために尽くした傑物。とてつもない人望。限りない人徳。どんな勇者だってできることではないと絶賛されていたそうです。
 葬列の参加者の数も納得です。徽章を身につけた教会のお偉いさん方も当然沢山、誇らしげな顔をして並んでいましたが、それよりも襤褸を身にまとった子供や老人の数といったら!

 ずらずらずらりと五百人。
 いや、一千人はいたかもしれません。

 実際に助けた人はもっと、もっと多いでしょう。そしてそれだけの人数を助けるのは、私財を擲っても不可能。両親にはパトロンがついていたことになります。
 州総督。
 顔と名前は座学で習っていました。彼はノブリス・オブリージュとして、両親を通して間接的に、支援を行っていたことになります。

 十割の善意ではなかったのでしょう。そんなものがあるはずはありません。大方、民衆からの支持を得たかった、そんなところのはずです。しかし両親にはそんなことどうだってよかったに違いなくて。
 州総督から得たお金で両親は支援を続けました。やっぱり、寝食を惜しんで。身を削って。全てを擲って。




 そうして、両親は死んだのです。
 死んだ、そうです。
 死んだそうですよ?





 ……は?



 いや、おかしいでしょ。おかしいって。

 論理の飛躍。
 説明の乖離。

 それじゃあまるで、両親が本能の欠けた人間みたいじゃないですか。
 どこの世界に自分の食べるパンすら全部与えて餓死する人間がいるってんですか!?

 ついに放り投げるものも叩き落とすものもなくなって、それでも籠められた力は解消せずにはいられず、ひたすら壁を叩き続けます。鈍い音がするたびに脳裏をよぎるは二人との思い出。
 親としては決して褒められたものではないのでしょう。子供を放って慈善活動に勤しんでいたのですから。
 それでもわたしは。

 わたしは!


「おやめなさい」

 振り上げた手が掴まれました。はっとして振り向くと、そこにはアカデミーの司祭様がいらっしゃったのです。

僧侶「な、なんで……」

司祭「私もあなたのお父様にはお世話になったから。葬列に参加していたのよ? 気づいていなかったかしら」

 ぜんぜん気づいてませんでした。

司祭「……残念、だったわね」

僧侶「もう、わたし、何がなんだかわかんなくって……!」

僧侶「だって、だって、死んじゃったら駄目じゃないですか! 死んじゃったらなんも、なんもかんもなくなって、出来なくなっちゃうじゃないですか!」

僧侶「お父さんもお母さんも誰かを助けたくって、でも死んじゃったらそれすらできなくなって、そんなことわかんないはずないのに、でも死んじゃって、なんで!?」

僧侶「司祭様! なんで!? 教えてください、なんで、なんで、なんでですか!?」


 わたしは司祭様の胸の中で泣きました。
 わんわんと。
 恥も外聞もなく。 

 神様なんていません。この世界に神様なんていやしません。
 もしプロトニックやダバラモが教示するように、この世界に全知全能の神様がいるのだとしたら、もっと世界はよくなっているはずなのです。
 両親が救いの手を差し伸べるより先に、神様が恵まれない人たちに合いの手を差し出しているはずなのです。

 仮に神様がいたとして、そうしないということは、神様はこの世で一番の性悪なのです。普く不幸を酒の肴にワインを飲んでいるに違いありません。
 ならば神様なんていないほうがいい。
 いないと信じるほうが、精神的にいい。

 この世に存在するのは人。そして魂。八百万に心があって、それだけ。
 全てが調和していないだけ。


司祭「……神父様たちはね、殺されたのよ」

 言葉は衝撃となってわたしの体を貫きました。

 神様がわたしの両親を殺したのでないなら、人が、人の魂がわたしの両親を殺したのです。そうです。当然の帰結です。

司祭「教会は腐敗しているわ。やつらにとっては、信仰なんて金の生る木みたいなもの。そして一番のパトロンと繋がって、片方には権威を、片方には金を、流している」

司祭「神父様たちはその犠牲。生贄よ。僧侶ちゃんには悪いけれど、使い捨ての駒のようなものだったの」

僧侶「……やめてください」

 そんなことは到底信じられることではありません。許容できることではありません。

司祭「やめないわ」

僧侶「やめてください!」

司祭「ご両親はパトロンである州総督に使い潰され、権力機構の道具となって死んだの! あいつらは二人の奉仕の心を利用して、命の雫を搾り取り、それで私腹を肥やしたの!」


僧侶「聞きたくありません!」

司祭「聞きなさい! 本当にあなたが悔しいなら! 世界をよりよい方向に進めたいと思っているのなら!」

 もういやなのです。なんでわたしがこんな目にあわなきゃならないのか。

 あぁ、でも、わたしの深奥では怒りの炎が燻っています。両親が死んだ理由を、両親を殺した何かを、見極めてやろうと思っています。
 両親の心残りをなんとかしてやらなければ、と思っています。

 世界をよりよい方向に進めたいと思っています。

司祭「この世は革命されねばならない!」

司祭「資本家の富と権力の独占を許してはおけない!」

司祭「ブルジョワジーによって保たれているこの社会構造は換骨奪胎されなければならないのよ! 私たちプロレタリアートの手によって!」

司祭「そう! 今こそ革命のとき!」

司祭「労働者による全世界同時革命! 世界のステップを上げなければ、真の平和と幸福は訪れない!」

司祭「僧侶ちゃん! あなたは今、立ち上がるときなの! ご両親の遺志を継ぎ、この世の中に存在する全ての恵まれない存在を救い出せるのはあなたしかいない!」

司祭「あなたが導くの!」


 司祭様のびいだまのような瞳がわたしを見つめています。

司祭「私の手をとって! 僧侶ちゃん!」

 もう、何も考えられませんでした。

 あんなに優しく、他人のことを想っていた両親が、どうして死ななければならなかったのか。何が二人を殺したのか。それ以外を考えることは、無駄なことです。

僧侶「……あぁ」

 存外簡単に答えは見つかりました。

 両親を殺したのはこの世界なのです。
 もっと噛み砕いて言うならば、社会システムなのです。権力構造なのです。
 お金なのです。権威なのです。

 欲望なのです。

 復讐しなければいけません。

僧侶「そっか」

 だからだったのですね。


 だから教会のお偉いさん方は誇らしげな顔をしていたのですね。協働を掲げるカトル教の面目躍如。いい看板になってくれた。そう思っているから。信者獲得に一役買ってくれた、とすら思っているのかもしれません。
 やつらは豚です。人の面の皮を貼り付けた、肥えた豚です。信仰心を金に変え、金を腹の贅肉に変えた、人面獣心の何者か。

 州総督も豚です。己の私利私欲を満たすためだけの道具として権力を利用する不届き者。自分さえよければ他人がどうなってもいいゴミ屑。あいつがいなければ、農民たちの土地が奪われることはなかったはず。
 人の命さえ金勘定のひとくくりにしてしまう最低最悪の人種。いえ、豚なのですから人ではありません。汚らわしい、鳴き声の耳障りなクソ豚。

 屠殺しなければ。


 お金という潤滑油がなければ回らない現代社会も、社会構造も、また破壊されなければなりません。

 現代社会はお金がなければ生きていけない。欲望を満たすためのお金の価値を、資本主義社会では論じるまでもないでしょう。
 しかし、だめです。
 人間はお金などに頼ってはいけないのです。

 そんなものに頼らずとも生きていける社会を目指さなければいけません。そうしないのは、怠惰。思考停止。
 資本家に飼い殺されているようなもの。

 欲望は否定しません。欲望は社会を推し進める原動力。わたしのこの感情だって「よりよい世界を造る」という欲望なのですから。

 問題はお金。そして権力。
 資本主義社会におけるお金と権力は、必要悪。悪はいずれ滅されなければいけません。

 わたしの手は自然と動いていました。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
「僧侶ちゃんのクーデター奮闘記その1」でした。

俺、こんなSS書いて、公安に目つけられたらどうしよう

今後とも一層のご愛顧をよろしくお願いいたします。


* * *

僧侶「……教えて。お父さんとお母さんが死んだときのことを」

州総督「……」

僧侶「だんまり、か」

僧侶「顔のでっぱりが一つ二つなくなれば、話す気にもなる?」

司祭「僧侶様」

僧侶「わかってるよ。あと、僧侶様って呼び方は、どうにも」

司祭「それは仕方ありません。あなたは私たちを導く存在なのですから」

 わたしはなぜか敬称付けで呼ばれていました。なんでも、お父さんお母さんの娘であるから、とか。
 なんとなく嫌でした。呼ばれなれていないというのも勿論ありますが、それ以上に、敬称付けからは権威のにおいがしたのです。

 お金や権威を否定するわたしたちが自ら権威を傘に着る。それは最も避けなければならないことでした。

 全てをフラットに。言行一致。そうして初めて信頼が得られるのです。


州総督「こんなことをしてどうなるかわかっているのか?」

 まるで小物の発言でした。わたしは鼻で笑ってやります。

僧侶「わかっているからこそやったのですよ。こうすることの破壊力を、影響力を、わたしたちは見込んだからこそ実行したのです」

 州総督は余裕のある笑みを崩しません。本当にどこかの出っ張りを削ぎ落としてやりたいくらいでしたが、こいつに危害を加えるわけにはいきません。大事な交渉カードなのです。
 先ほどは小物と断じましたが、拳銃を突きつけても平然としている辺り、肝は据わっているようです。海千山千を越え、いくつもの権力闘争を勝ち残ってきたのでしょうから、それも当然なのかもしれませんが。

 この様子は中継で全大陸に放映されているはずです。愉快。実に愉快です。まさに今、わたしたちの悲願の第一歩がなされようとしているのですから。

こんこんと部屋の扉がノックされました。司祭が応じると、「失礼します」の声と共に数人がやってきます。

 一人は兵士。彼は農家の五男で、学も無く、半ば追い出される同然に兵士となりました。既に農地は奪い取られ、その家庭で実家は崩壊、両親が首を吊っています。
 一人は研究者。彼女は水の浄化に関する技術の研究をしていましたが、学閥には属していなかったため、全ての功績は彼女のものではなく主任研究員のもとへ。
 一人は少年。彼は生まれつき片目が見えず、右腕が満足に動きませんでした。物心つくころには両親は既におらず、読み書きはできませんし、ごみ漁り以外の生きる術を知りません。


兵士「同志僧侶! 館内及び敷地入り口、中庭、堀まで全て制圧完了しました!」

研究者「同志僧侶! 館内の電気設備、排水設備等、全て掌握完了しました! また下水からの侵入を防ぐため、現在鉄柵の設置を急がせてあります!」

少年「同志僧侶! 捕まえたやつはみんな食堂にいるよ! 言われたとおり手足を縛って、口に布をかませてある!」

僧侶「ご苦労様です。引き続き、警戒を怠らず、任務を続行してください」

「「「御意! 私の身も心も、全て新たなる世界のために!」」」

僧侶「えぇ。新たなる世界のために」

 三人は各々の持ち場に向かって走り去っていきます。
 わたしは兵士の背中に声をかけました。

僧侶「同志兵士。州総督の私設軍や私兵の動きはどうなっていますか?」

兵士「は! 同志僧侶! 州総督邸内の制圧は、ホットラインなどを全て遮断してから行いました! また邸内にいた私兵は全て粛清の対象であり、現在拷問にかけている最中であります!」

兵士「恐らく、既に動き出しているとは思いますが、指揮系統が混乱しているのは明白であります!」

僧侶「わかりました。ご苦労様です」

兵士「ありがたきお言葉! それでは同志僧侶よ、私は持ち場に戻ります!」

 兵士らしくびしっと敬礼を決めて、兵士は部屋を後にしました。


僧侶「州総督閣下。この国の誰よりも裕福で、この国の誰よりも権威を持つあなたが、どうして今拘束され、拳銃を突きつけられているかわかりますか?」

州総督「……」

僧侶「わたしたちには沢山の同志がいます。あなたのような、金と権力で繋がった関係ではありません。魂で固く結ばれた同志が」

僧侶「誰もがこの国の未来を憂う憂国の戦士。どんなところにも彼らは存在し、水面下で長いこと連絡を取り合ってきました」

僧侶「ついに彼らを虐げ続けたツケが回ってきたのですよ」

 あの日以来わたしは『世界共産主義統一党』の一員となり、この日のための計画を綿密に練り上げてきました。

 組織には様々な人材がいました。それこそ、現代社会においてはエリートと呼ばれる層から、「えた・ひにん」と呼ばれる層まで、様々な階級の人が己にできる役割を全うしようと努力を続けていたのです。
 この組織では貴賎がありません。兵士には兵士だからこその役割が与えられ、浮浪者には浮浪者だからこその役割が与えられました。

 だからこんなにもクーデターが速やかに、かつ何の障害も無く行うことが可能だった。


 州総督のスケジュールは彼の側近から明らかになりました。邸内の見取り図は召使の目測と歩幅によって丹念に精査され、建築家によって図面に起こされます。
 それをもとに襲撃計画を立てるのは兵士や傭兵。仲間を募り、情報収集を行うのは浮浪者や教会のメンバーが主です。そして、可能な限り人を集め、全員による突入が行われたのでした。

 構造上弱い部分や老朽化して修復されていない場所などは一目瞭然。衛兵の交代間隔も、配置場所も、人員も、全てが筒抜け。序列持ちが邸内にいないことも確認済み。失敗するはずがありません。

 そう。わたしたちは成功するべくして成功したのです。

州総督「こんなことをしてどうにかなると思っているのか」

僧侶「またそれですか」

 しつこい男は嫌われるのですよ。
 既に蛇蝎のごとく嫌われているこの男としては、全く気にならないのかもしれませんが。

州総督「何が目的だ」

「それは僕から説明しましょう」


 現れたのは四十前後の男性です。高い身長と整えられた身なりからはダンディズムを十分に感じることができます。
 スーツにネクタイ。見れば単なるサラリーマンですが、わたしは知っています。この方の野望に燃えた瞳の色を。

司祭「党首様」

 そう。この方が『世界共産主義統一党』の党首。わたしたちのブレイン。

党首「同志司祭。それに僧侶様。ついにここまでやってきたな」

司祭「いえ、ここからがスタートです」

党首「そうだ。ここから世界が新しくなる。僕たちの手でそれを成し遂げるのだ」

党首「きっとご両親もそれを望まれているはず。そうだろう、僧侶様」

僧侶「……そうですね」

 あまり両親のことに触れてほしくはありませんが。

州総督「ここがスタートだと? 馬鹿め。ここが終わりだ。貴様らの墓場だ」

僧侶「撃ちますか?」

党首「まぁ、落ち着きたまえ、僧侶様。彼は大事な人質だ」


党首「……州総督、貴方がいる限り、むこうも荒っぽいことはできないでしょう。なに、危害を加えるつもりはありません。僕らと一緒に来てほしいだけなのです」

州総督「どこにだ。この世界のどこにも、貴様ら共産主義者、アカの手先の楽園などは存在しない」

党首「えぇ、えぇ、そうですとも。ですが」

 党首様が司祭へ目配せしました。司祭はうなずき、一歩前に出ます。

司祭「存在しないのならば、作ればいいのです」

 司祭が広げたのは羊皮紙の地図。傭兵さんが持っていたものと同じ、細かく街道や川、国境の書き込まれた詳細なもの。

司祭「北部に連なる山脈の麓には広大な小麦畑が広がっています。また、州には属していても、実質人が住んでいないようなところは多々ある。あなたは我々にその土地を譲っていただければよいのです」

 そういいながら司祭は羊皮紙の地図に線を引いていきます。

司祭「ボスクゥの傍にあるマレチ湖を遡上し、北部山脈の西端ロロジーロ連峰の麓。州で言えばアッバ州になりますね。そこに数年前から耕作放棄地があるはずです。理由は、盗賊が現れるから」


州総督「そうか。あれも貴様らの差し金か」

司祭「さぁ? 私たちのあずかり知らぬことですわ」

司祭「まぁとにかく、州総督にはアッバ州の領主に口添えをし、世界共産主義統一党にその全権利を譲ることを認めさせればいいのです」

州総督「……お前ら、戦争狂か?」

 思わず人差し指に力が入りました。一瞬先に党首様がわたしの前に入りますが、照準は依然、まっすぐ州総督に向いています。

僧侶「だめです。やっぱりこいつは殺します」

 農地を奪って生きる場所を、大地を汚して尊厳を奪い、人を殺し続けてきた首魁に言われるのだけは断固として許せません。

司祭「僧侶様、落ち着いてください」

州総督「そんなことをしてみろ、すぐに他国からの介入が入る! 共産主義が広まったら困るのはどこの国だって同じだ!」

僧侶「臭い吐息をぶち撒かすな豚ァッ! 黙れっつってんのがわかんねぇんですか!」

党首「落ち着きなさい、僧侶様。大丈夫。僕の一言で終わるよ」

 党首様はぐっと州総督に顔を近づけて、一言。

党首「僕たちは独立する」


 独立――つまり、州ではなく国になる、ということです。

 勿論そんなものは横紙破りにもほどがあります。州が独立し国家に、だなんてのは、本国は当然認めるはずがありませんし、パワーバランスが崩れるのを嫌がる他国も認めやしないでしょう。
 本来なら。

 わたしたちには力づくでもそれを成し遂げるための人手と覚悟があります。

 既に他国の高官を数人抱きこんで、その重鎮のスキャンダルはあらかた入手済み。わたしたちは平穏に暮らしたいだけで、共産主義を伝播させるつもりなど毛頭ない。それさえわかっていただければ、首を横には振らないでしょう。
 お金と権力が何より大事な豚だからこそのクリティカル。これもある種の復讐ではあります。

 そして、一度国になってしまえばこちらのものです。
 当然、わたしたちの国は我が国の領土に囲まれているということになります。すると、他国が攻め入る際には、必ず我が国を通らなければいけない。この防御力は何物にも比肩し得る外交の盾。
 さらに、王族派と州総督派で別れている我が国は、迅速に意思決定を行えない。軍隊の指揮系統が違うからまとまって行動もとりにくい。

 既成事実を作ってしまえばこちらのものなのです。

 仮に国が独立を認めないとしても、他国が独立を承認――内戦だから内政干渉はしないと物見遊山を決め込んでしまえば、わたしたちは悠々自適に国家造りを行える。
 その最大の鍵となる州総督を抑えられた以上、わたしたちに最早負けはありませんでした。


少年「同志僧侶! 演説の準備が整いました!」

 数人の兵士を連れて少年が部屋へとやってきます。兵士たちは州総督を手荒く掴んで部屋の外へと追い出しました。危害は加えられないでしょうが、少々怖い思いはするでしょうね。

僧侶「……本当にいいんですか、わたしなんかが」

司祭「いいんですよ、僧侶様。あなただからこそなのです」

党首「そのとおりです、僧侶様。我々はみな、あなたのご両親に助けられた者ばかり。その遺志を受け継いだあなたになら、誰だって従いますとも」

少年「そ、そうです! 同志僧侶! あなたなら間違いありません!」

少年「ぼくは生まれてすぐに教会へと捨てられました! 二人がいなければ、きっと雨の中で息絶えていたはずです! この命、あの二人のために、そしてあの二人の無念を晴らすために使っていただいて問題はありません!」

少年「二人の遺志を継いでください、同志僧侶!」


僧侶「……」

 わたしは目を瞑りました。今までの人生が蘇ってきます。
 お父さんの笑顔。お母さんの声。アカデミーでの生活。そして、二人の死。絶望。慟哭。激情。何より、決意。

 わたしは両親を殺した全てのものに復讐をしなければならないのです。

僧侶「……」

 一瞬だけ、本当に一瞬だけ、傭兵さんの顔がよぎりました。それを意識的に握りつぶして、わたしは顔を上げます。

僧侶「いきましょう。皆さんが待っているのでしょう」


 州総督の邸宅は広く、豪奢で、ありとあらゆる贅の限りを尽くしたという表現がまさにぴったりのつくりでした。
 わたしはそのうちの一つ、正門に相対するきらびやかなバルコニーに出ます。

 二つの景色が広がっていました。

 一つは綺麗な景色。まっすぐ目を向ければ、そこにはラブレザッハの整理された町並みと、碁盤の目状に交差する道が、柔らかく弧を描きながら一つの消失点に向かって小さくなっていきます。
 遠くには山々の稜線に雲がかかり、青空とのコントラストはまさに白砂青松と同じ趣。そこへ暖かい陽光や爽やかな風、耳に優しい小鳥の声が聞こえてくるのですからたまりません。

 もう一つは凄まじい景色。視線を下にずらせば、敷地内にずらりと人があふれかえっています。富める者も貧しい者もみな一様にこちらを向き、手を突き上げていました。
 数え上げるのが億劫なほど大量の人です。わたしたちの同志が大半でしょうが、それでもあそこまでいなかったはず。理念に共感してくれた方々が駆けつけてくれたに違いありません。

 門扉には兵士さんたちが立ち並び、州総督の私兵とにらみ合っていました。僅かに後方に王国軍も少しだけいます。そしてそれらを取り囲む報道陣。市民も事の成り行きを見守っています。

 跳ね回っている心臓を抑え付け、わたしは口を開きました。


僧侶「原初、人々はみな平等でした」

僧侶「全ては共有されていました。食料、水、住居……そのような物質的な話ではありません。感覚的な話です」

僧侶「食料が取れないときは誰もが同じでした。自分の空腹は誰かの空腹でもあったのです」

僧侶「悲しみも、喜びも、悔しさも、怒りも、幸せも、全てが共有されていたときが、この世界には確かにあったのです」

 全てが静まり返ったかのように思えます。自分が何を言っているのかさえ、わたしの耳には届いていないのです。

 ただ、口は動きました。勝手に言葉は出てきました。

僧侶「しかし今はどうでしょうか。共有などとは程遠いのが実情です。暖かい暖炉の前で、家族揃ってポトフを食べているその前の道路では、孤児が寒さに凍えながら生ゴミを漁っています。原初の平和な世界などは跡形も無く消え去ってしまいました」

僧侶「感覚も同様です。わたしたちは自らの幸福を得る手段として、誰かの不幸を見つけることを知ってしまいました。誰かが悲しんでいるのを見て、相対的に幸せだと感じる。誰かを蹴落として利益を得る。それがこの世界の姿です」

僧侶「そんな世界が果たして本当にいい世界だといえるでしょうか?」

僧侶「わたしはそうは思いません」


僧侶「両親は様々な人に救いの手を差し伸べてきました。集まってくださった皆様方の中にも、施しを受けたかたがいらっしゃるのではないかと思います」

僧侶「人によっては、なんと愚かな行為だと断ずるかもしれません。しかし、その生き様こそが至高であり、崇高であるものだとわたしは信じています。そうでなければこの世は血で血を洗う地獄じゃないでしょうか」

僧侶「それでも両親は死にました。殺されたのです。金と権力を食べてぶくぶく肥え太る豚どもの犠牲になって!」

僧侶「立ち上がるのなら今、ここにおいて他にはありません! 剣を、鍬を、拳を突き出して、立ち上がるのです!」

僧侶「誰かに期待し、誰かに託したところで、幸せなどが訪れるはずはないのです! 自らの幸せを願うなら、そして、隣人の幸せをも願うなら! それはあなたたちが掴み取るしかない!」

僧侶「そのためにわたしたちはこうしているのです! 共に戦う仲間を欲しているから! 苦汁を舐め、辛酸を舐めている人々と手を取り合い、世界を刷新したいから!」


僧侶「民衆よ! 決起するのです! そうすることでしか、真の平等はやってこない!」

僧侶「真の幸福はやってこない!」

僧侶「Ураааа!」

「Ураааа!」

僧侶「Ураааа!」

「Ураааа!」
「Ураааа!」
「Ураааа!」
「Ураааа!」

 熱狂でした。熱狂の渦が官邸の周りを取り巻いているのでした。
 
 ウラー、ウラーと叫び声は伝播し、終わる様相を見せず、その姿に貧富の差は無く。
 跳びはね、拳を天高く突き上げ、服を脱ぎ。
 今ようやく、人類はまた一つになれたのです。

 私兵たちも、王国軍も、ただ呆然と見ていることしかできませんでした。

 お父さん! お母さん! わたし、やったよ!

―――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります。
僧侶ちゃんのクーデター奮闘記その2

イメージとしては中国ではなくロシア。

今後ともよろしくお願いします。


中国だと腐敗した途端に見せ掛けだけの独裁的資本主義な状態になっちゃうからね…

>>413
基本はソ連型社会主義を踏襲しているという設定
ただ、この世界は産業革命以後の生産力と産業構造を持っているとはいえ、近代レベルだよなぁ
農村及び農民が多いなら、ソ連の革命形式をそのまま当てはめられないのにプロレタリアート云々言わせちゃってる…

みたいなことを考えながら読んでください。


* * *

「どうです? 進捗状況は」

「A-1からB-3ブロックまでは整地、開墾が済んでます」

「特に問題はありませんでしたか?」

「現時点ではありません。……あー、いや」

「どうかしましたか」

「私の管轄外ではあるのですが、D-6ブロックで巨大な石が埋まっていたとのことです。それが開墾の妨げになっていると」

「それは初耳ですね。わかりました、伺います」

「ありがとうございます。いまは別ブロックをとりあえずやっているようです」

「はい。それでは引き続き開墾をお願いします、同志農夫」

「ご自愛ください、同志僧侶」

「そちらこそ自愛ください」

 メモ帳に現状をかりかりと書き込んで、わたしは額の汗を拭いました。
 いい天気です。晴れやかな青空。目に痛いほど燦燦と降り注ぐ陽光。まさに労働、という感じがします。生きているという感じがします。


 D-6ブロックで巨石が埋まっているということでしたので、わたしは気持ち小走りで向かいました。まったく、何かあればすぐ連絡してくださいって言っているのに!

「みなさん、おはようございます!」

 わたしが声をかけると開墾作業を続けていた農夫さんたちがみな顔を上げ、額の汗を拭いました。

「おぉ、同志僧侶」
「僧侶ちゃん、おはよう」
「見回りですか」

「なにか気になることでも?」
「お疲れ様」
「おいしいジャガイモがあるけどいるかい」

 揃って声をかけてくるものですから耳がおっつきません。わたしは苦し紛れの微笑を顔に貼り付けて、ペンでこめかみをぐりぐりとやりました。
 もともと耕作地として麦を主に作っていたアッバ州ですが、数年前から耕作放棄地となっていました。わたしたちがやってきたときには雑草は伸び放題、地盤は固くなっていて、まずまともに農業を営める状態ではなかったのです。

 よって、まずは開墾からはじめなければなりません。どうなることかと最初は思っていましたが、党員の大半は農民というのもあり、人手に不足はありませんでした。


 わたしたちの作る新しい形の国家には宗教の入り込む余地はありません。宗教は腐敗の温床です。神に祈ることは非生産的なのですから、それも当然でしょう。
 ですから、わたしは神職を辞し、各地に赴き進捗状況をチェックする役職につくことにしました。いろいろな人と出会い、話し、笑いあうのは実に有意義です。

 最早わたしは僧侶ではないのですが、それでもみなさんは「同志僧侶」「僧侶様」「僧侶ちゃん」と呼んでくださいます。それは多分、わたし自身を見てそう言っているのではなく、わたしが両親の娘であるからゆえの呼称なのでしょう。
 それについて思うところはありますが、この国をうまくまとめるためであるのなら、その程度は些細な問題です。甘んじて受け入れましょう。

「なんか、巨石が見つかったとか聞いたんですけど」

「あぁ、掘ってたら出てきたんだぁ」
「んだ。俺たちじゃどうしようもなくって、ほっぽってある」

「そういうことはすぐに言ってくださいよぉ……人手回しますから」

「はっはっは、すまんなぁ、僧侶様」
「ほら、喉渇いたべ。水やるか?」

「気持ちだけ受け取っておきます。三日以内にはなんとかしますね」


 D-6に「済」と赤く丸をつけます。今日中にこの辺りの農地は全て回って、役所に戻ってブリーフィングが待っています。
 断っても断っても水とジャガイモを持たせようとしてくるので、ついに折れました。ビニル袋一杯のジャガイモはなかなか重量がありましたが、腕力強化で対応します。
 竹筒の水筒に入った水ももらって、笑顔で農道を歩きます。

 農夫のみなさんが手を振ってくれているので、わたしも手を振り返しました。
 がさがさ。ビニル袋が音を立てます。

「やぁ、僧侶様! 今日もあっついですねー!」

 商人の娘さんでした。空の荷車を引いています。

「あぁ、娘さん。お元気そうで何よりです」

「何言ってるんですか、あたしが元気じゃないときなんてありませんよ! うはは!」

 楽しそうに笑います。太陽のような人だなと思いました。
 商人という生き物は基本的に資本主義の走狗ですので、我が党においては彼女のような存在は貴重です。他国の商人との折衝や流通の管理などは勿論政府主導で行っていますが、実行するのは彼女の仕事なのでした。
 「商い」自体が我が国では殆どあってないようなものなので、彼女は「商人」ではありません。名誉職として流通委員が割り当てられています。


「他国との関係はどのようになってます?」

 報告は逐一あがってきていますが、実際に聞くのは、それはそれで有意義なものです。

「やっぱり睨まれますよ。脅されたりね。無理やり裏路地に連れ込まれそうになったことも、二度や三度じゃききません」

「……大丈夫だったんですか?」

「そりゃもちろん! 有能な護衛がついてますから!」

 娘さんは当然護衛つきです。わかってはいるのですが、外界がまさかそんな物騒な世界だったとは思いませんでした。
 やはり腐敗している証左なのでしょう。くわばらくわばら。
 今度から護衛の数を増やしたほうがいいのでしょうか?

「大変な仕事をさせてしまって申し訳ないです」

「うはは! 気にしないでくださいよ。こりゃああたしがやりたくてやってることです。こんなことで挫けてたら、そもそも手を上げてないっつー話しで」

「各国の情勢は?」

「んー、慌しいってか、警戒してる感じはありますかねー。あたしらにって言うか、第二第三のあたしらに? みたいな?」


「利権を守るのに精一杯なんでしょうね。愚かしいことです。品物の値段などはどうですか?」

「鉄製品の値段が騰がってますね。あたしはその辺りは専門じゃないから、自信を持っては言えねぇんですけど、ほら、あたしらが州総督を拉致してるから」

「州総督の保有していた各地の鉱山、採石場がその機能を弱めていると?」

「その可能性は高いですねぇ。州総督が鉱石の採掘から流通、武器防具、兵器の製造までの一連を牛耳ってたのは、あたしらの間じゃ暗黙の了解っしたから。ただ、この隙に他のやつらが出張ってくる可能性は高いと思いますが」

「それは……まずいですね」

「ですよねぇ。今のうちに兵器とか仕入れようとは思ってますけど」

「いえ、それもありますが、こうしている間にも州総督の既得権益が他の誰かによって奪われているのだとすれば、やつの人質の価値は暴落します。交渉のカードが腐ってしまう」

 わたしたちが他国を牽制できているのは州総督の身柄を確保できているという側面が大きいのです。勿論それに胡坐をかくつもりはなくて、経済的食料的自立とともに軍事力の増強も急ピッチで行ってはいますが……。
 計画の前倒し、ペースを早めることを軍事省に打診したほうがいいでしょう。私設軍や私兵が乗り込んでくる可能性だって零ではありませんから。


「僧侶様はちっちゃいのに偉いですねぇ」

「ちっちゃいって言わないでください!」

 ちんちくりんと呼ばれないだけマシなのかもしれませんが!

 思わずあの男が脳裏をよぎりました。離別してから一ヶ月も経つのに、まだあの男はわたしの頭の片隅を占拠しているのです。まったく、腹立たしい。
 既にあの男との契約は打ち切っています。気にする必要なんてないのに。

 ……あれ? そういえばわたし、報酬の銀貨、渡してなくないですか?

 あっちゃあ……。

「どうしました?」

「あぁ、いえ、なんでもないです。気にしないでください」


「でも僧侶様はいっつも僧服ですね。歩きづらかったりしないんですか? 暑かったりとか」

 僧服は黒い布を何重にも体に巻きつけたシルエットで、布には金糸で小麦と、あとは細やかな刺繍が入っています。
 今日のような天気のいい日は確かに少し暑いですが、これで冒険を続けていたこともあって、不便とかそういうことを考えたことはあんまりありませんでした。

「あ! 今度可愛い服仕入れてきますよ! そういう伝手もあるんです、あたし!」

「え、えぇ? いや、いいですよ、悪いです。そういうのは違います」

「なにが違うってんですか! 年頃の女の子が肌も髪の毛も弄らず、その上服も僧服それだけって、干からびちゃいますって!」

「干からびるって何ですか! いいんですよ娘さん、わたしはこれで!」

「まぁまぁ、指導者がそれ一張羅ってのもあれですよ! 今度買って来ますから! うはは!」

 楽しそうにわたしの頭をかき乱す娘さんでした。

「あ、でも、本当に嫌だった? ごめんなさい。調子乗っちゃって」

 急に態度を変えられてもどぎまぎします。わたしは首を横に振りました。
 そりゃわたしだってお洒落に興味がないわけじゃないですけど、そういうのにとんと縁のない生活を続けていたものですから、よくわからない上にこっ恥ずかしいのですよ。


 そう言うと娘さんは自信満々に笑って、

「お姉さんに任せなさい。これでも女ばっかり四人姉妹の長女なんだから。安く、かつお洒落な服を見繕う力はあるよ!」

「あ、妹さんたちがいらっしゃるんですね。心配されてませんか?」

「心配してない、てか、できないよ。死んじゃってるからね」

「……すいません」

 わたしたちの革命に賛同の意を示している人たちは、当然それなりの背景を持つ人ばかりです。その中でも特に、家族が死んだり売られたり、そういう人たちが多くを占めています。
 笑顔が多かろうと少なかろうと、みんな精一杯に生きているのでした。

「うはは、なんもだ! なんもだよ、僧侶様。ま、妹みたく見てるのは本当だけどね」

「いえ。引き止めてしまってすいませんでした」

「気にするなってことさー! うはは」

 荷車を娘さんが引いていきます。栗毛色の髪の毛が風にさらさらと揺れていました。

 けれど途中で振り返って、

「あ、そうだ。僧侶様は本とか読む人?」

「読みますけど」

「だったらさ、今度うちに来てよ。妹たちの本があるんだけどさ、あたし、計算はできるけど読み書きはあんまり得意じゃないんだよねー。あげるよ」


「でも、そんな大切なもの」

「いいって。読んでもらったほうが、きっとみんな幸せになるよ」

「……わかりました。お言葉に甘えて、今度受け取りに参りますね」

「ん。頼んだよー」

 そう言って、手を振り振り、今度こそ荷車は止まらずに道の向こうへと消えていきました。

 真っ直ぐそのまま道を歩きます。整備されていないのは畑だけではなく、道路も。優先順位は低いでしょうが、いずれ舗装しなければなりませんね。


「同志僧侶! 道に迷われましたか!」

 遠くから駆け足で二人の兵士がやってきました。小銃とナイフを持っているその様子から、二人が国境警備隊であることを察します。

「道に迷ったってなぜですか! 説明を求めます!」

「え、だってこの間役所の場所がわからないって……」

「そうですよ。送り届けたの俺たちじゃないですか」

 なんと。覚えてるとは不覚でした。
 いえ、あれはわたしのせいではないのです。司祭が描いてくれた地図に、あまりにも絵心が欠けていたのが原因なのであって、わたしは何も悪くないです。

「違います。民草の声を聞くのも指導部の仕事ですから、目と耳で確かめている最中なのです」

「そうでしたか。それは失礼しました」

「こちらに向かって歩かれていたということは、国境警備隊に、これから?」

 どうしましょうか。特に差し迫った次の予定があったわけではないのですが、こう言われて断るのもなんだか悪い気がします。
 まぁ予定がないのならば、足の向くまま気の向くまま。

「……そうですね。向かいましょうか」


「本当ですか? いやぁ、みんな喜ぶぞぉ」

「何を言っているんですか」

「本当ですって! 同志僧侶は、いわばアイドルなのですから!」

「ただでさえ女っ気がありませんしね、国境警備隊」

 アイドル――偶像とはまた皮肉なものです。そのような一神教じみた存在はもう金輪際ごめんだと思っていたのですが。
 しかし、確かにわたしは偶像なのでしょう。この革命を起こすにあたって、民衆を一つにまとめるための象徴。人望に篤い両親の忘れ形見としての役目を期待されているのです。

 それでもいいのです。目的が同じであれば、見据える先が同じであれば、わたしは幸福の渦中にいられるのですから。

「……あ、でしたら、これをどうぞ」

 水とジャガイモを兵士にあげました。いらないかなと一瞬思いましたが、二人は存外喜んだようで、俺のものだ、いや俺だ、と取り合っています。

「……分け合ってくださいね?」

「「はい! もちろんであります!」」

 ……本当でしょうか。


 とか何とか言いながらも、内心ちょっとだけ嬉しかったりもします。ちやほやされるのが――というよりは、やっぱりわたしだって年頃の女の子なのですから、可愛いと言ってもらえたら好感度だってあがります。
 えぇ、あがりますとも。
 あの人はそういうことをお世辞でも言いませんでしたからね!

 ……自己嫌悪。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもないのです。本当です」

 本当ですよ?

 アッバ州の北は海、東はロロジーロ山脈とそれに連なる森林が広がっています。こちらは攻め入られる心配をしなくていいものの、西は川を隔てて森林都市ザイツォと、南はポブ州と隣接していました。ここは放置するわけにもいきません。
 それを警備するのが国境警備隊の役目です。実際のところは、国境をはさんで互いの警備隊が睨み合っているだけなのですが。

 いえ、だけといっては失礼ですね。彼らはわたしたちにとって大事な壁であり盾であると同時に、第一の矢でもあるのですから。


「おーい、交代の時間だぞー」

「お前ら遅刻だぞ、遅刻」

「なにやってんだよ」

「悪い悪い。いろいろあってさ」

「いろいろって……あ! 僧侶ちゃん!」

「え? うわ、本当だ! どうしたんだよ!」

「お前ら敬称つけろよ! 不敬罪で殺されっぞ!」

 急に慌しくなる国境警備隊の面々でした。実際の国境はもう少し遠くにあるとはいえ、こんな様子で大丈夫なのか、わたし、少し心配です。

 わたしがおろおろしている間にも皆さんはわたしの呼称で悶着しているようでした。そんなのどうだっていいように思えるのですが、彼らにとっては一大事なようで、


「同志僧侶は黙っていてください!」
「いや、断然俺は『僧侶ちゃん』派だね!」
「だからそれはフランクすぎるだろ? 『僧侶様』だっつーの」

「『ちゃん』づけとかお前の妹じゃねぇんだからさぁ……」
「守ってあげたいオーラが」
「少女に『様』で呼ぶほうがリビドーに来る」

 不穏な言葉が聞こえた辺りで拳銃を抜きました。弾丸が装填されていることを確認し、安全装置を解除し、銃把をしっかり握り締めます。
 球に篭める魔法は凍結呪文。

「全員整列してください。それとも頭を冷やしますか?」

「「「……」」」

 全員が首を横に振ります。一人、それでも嬉しそうな顔をした兵士がいるのが気になりますが……。

「全員持ち場に戻って任務続行」

「「「……」」」


「復唱!」

「「「同志僧侶! 我々はただ今より持ち場に戻り任務を続行するであります!」」」

「よろしいです。ものわかりがよくて助かりました」

「「「……」」」

「駆け足!」

「「「はい!」」」

 兵士たちは敬礼をした後三々五々に散っていきます。
 ……ふぅ。
 疲れなくていい部分で疲れてしまったような気もしますが。

 わたしは来た道を引き返しました。まぁ、あの方々はあぁ見えて職務には忠実です。見ていないからといってサボったり怠けたりすることはないでしょう。


司祭「あら、僧侶様」
党首「ご苦労様。熱心だね」

 二人が並んで歩いていました。恐らくこれから役所に戻って事務仕事を行うのでしょう。
 わたしも自分にあてがわれた事務はありますが、今日は慰労の日。事務仕事は明日以降にしましょう。

僧侶「これくらいはへっちゃらですよ。そちらは?」

党首「交渉も順調に進んでいる。開墾の進捗状況も上々だ」

司祭「ただ、やはり州総督がらみが心配ですね。彼の私兵が動いているという情報を耳にしました」

僧侶「国境警備や付近の哨戒を増加させますか?」

党首「それもいいが、人数に限界があるからね。うまく割り当てることができればいいが、開墾や建設の部門で人手が足りなくなっても困る」

 難しい問題ですね。
 わたしたちの国はいまだよちよち歩きのひよこです。理念に賛同してくれた人々が奮ってやってくると当初は期待していましたが、他の国からこちらへ通行の規制がされたため、亡命者は思ったよりも多くはありませんでした。
 特にこの段階に経っては、国力とは即ち人口と言い換えてもいいほどに重要です。人口が増えない限り、あまり大々的な采配は振るえません。

 そして、州総督の私兵の存在もあります。軍ならば防衛戦を行える関係上こちらが決して不利にはなりませんが、掃除婦をはじめとする州総督の私兵は、個としての強さを持っています。侵入されると厄介です。

 嘗てゴロンにおいて傭兵さんを苦しめた掃除婦でさえ序列十四位。あれよりも上位の存在が十三人もいることを考えれば、警戒しすぎるということはないでしょう。


僧侶「お二人は私兵の詳細を知っていますか?」

司祭「私は詳しくはわからないですね。私設軍とは別に十五人の精鋭がいて、州総督の指示に従って様々な工作や敵勢力の排除を行っているというくらいしか」

党首「コードネームだけならいくつか聞いたことがあるな。『足跡使い』『飼い犬』『ガトリング』とか、そんなところだったか」

僧侶「『足跡使い』なら会ったことありますよ。丁寧口調で掃除婦の格好をしてました」

司祭「警備の人員配置はともかくとして、検閲は強化しましょう。こっそり潜入されて内部から掻き乱されるのが厄介です」

党首「そうだな。出入りする人間ももう一度洗ったほうがいいかもしれないな」

 お二人と今後の進行についていくらか話をし、わたしは別れました。そのまま足を研究所のほうに向けます。
 研究所では新型の耕運機を作っているはずです。それができれば、一気に農作業の効率化は進みます。資源も人手も足りずとも、技術競争で勝てば、それはわたしたちの優秀さを明らかにすることに他なりません。

 様々なところを見て歩き、それを逐一書き留め、報告するのがわたしの役目。まだまだ周るところは残っています。
 がんばらなくっちゃ!

―――――――――――――――――――
今回の投下はここまでとなります
僧侶ちゃんのクーデター奮闘記改め建国日誌その1

会話主体のシーンはあまり得意ではない。バトルが書きたい

次回の更新をお楽しみに

僧侶ちゃん
話を書くモチベは出ないが絵を描くモチベはある!

次回投下は明日か明後日か…


* * *

 わたしの世界に何かがあっても、世界は変わらず回り続けます。

 わたしたちは国の名前を「プランクィ」と名づけました。共産国家プランクィ。命名者は党首様で、これは嘗て巨大な竜を倒すために一丸となって戦い、ついに打ち倒すことに勝利した神話上の集落からとっているそうです。
 まさにわたしたちにぴったりじゃあありませんか! 打ち倒すのは資本主義という巨竜。手と手を繋ぎ、一丸となって剣を振り下ろすのです。

 そして「共産」という響きもいいです。実にいい感じです。共に産むと書いて、共産。わたしたちは食料から機械から、全てを共に生産していくのです。
 人類の歴史は発展の歴史。それは単純に技術だけではなく、思想や、社会構造にまで及びます。党首様はこの「共産主義」という新しい社会構造を生み出した偉人。司祭の手をとり、党首様の手をとったことは、運命そのものです。

 この国の俯瞰的巨視的な立地は嘗て確認したとおりですが、国家内部の配置を見ていくと、他国と隣接する西と南には当然駐屯所を多めに置いてあります。
 その関係もあって、現在人口が密集しているのは南西部。北は海からの潮風のためか耕作に適した地ではなく、東は少しばかり瘴気が濃いという理由で、開発は後回しです。


 まずは南西部の開拓及び人員配置、防衛をきっちりした後に残りの部分に手をつけていこうというのが党首様の言い分でした。わたしはそれに同意します。何よりもまず、わたしたちは自らの立場を守らなければいけません。
 国家は国民をその矢面に立って守らなければなりませんが、残念ながら今は逆。国民が国家を守り、大木に成長させてあげなければ。

 けれど大木に成長させるのだって生半なことではありません。本当の植物ならば、育てるのに必要なのは水、光、土あたりでしょうか? それを国家に当てはめるとするならば、水は人口、光は経済力、土はそのまま国土、とか。
 そして身を守るための農薬が武力と、そうなるでしょう。

 わたしたちの国家は特色として経済に頼りません。重要となるのは生産力と平等の理念。光が無くてもやっていける、いまだ世界に類を見ない、新たな形の植物。それがわたしたちなのです。

僧侶「ま、なんやかんや言っても、問題は山積みなんですけどねぇ」

 事務仕事をしながら前髪をくるくるとやりました。いまいるのは役所の二階、執務室。嘗ての役所をそのまま転用しているので、椅子やデスクのサイズは全て大人用で、わたしはかぶりつくように書類へ目を通しています。
 せめてもう少し椅子が高ければ――いえ、そうすると今度は足が地面から浮きます。デスクの足をちょん切るのが一番スムーズな解決法でしょう。
 ……スマートとはいえませんが。


 深く腰掛けて偉そうに読むのがそれっぽくはあるのですが、如何せんその「偉そう」というのが鬼門です。プランクィは完全なる平等の国。貴賎は存在してはいけません。

僧侶「よしっ!」

 気持ちを引き締めてもう一度書類に向きなおします。

 『食料生産計画について八訂版』……農作物の作付面積と種類に関するデータと、それを基にした食料生産計画が三ヵ年ごとのPDCAを交えて記載されています。
 一通り目を通して、承認。気になるところといえば経済作物が多いように感じるところでしょうか? 藍や綿花はもう少し抑えてもいいような気がしますが、口頭諮問で対応しましょう。

 『第二次防衛計画』……対外脅威と部隊運用についてまとめられています。
 手元にある想定戦力比と見比べると、数点納得できない部分がありました。人頭配置と部隊運用自体にはさほど問題は見受けられませんが、魔法に対しての意識が低すぎます。特に汎用魔法以外への対策が書かれていないのは問題外。
 こんなのは却下です。炎を出したり氷を出したりが魔法の全てではないのですから。

 『基底配給提要』……内容は栄養学、でしょうか。子供と大人、男女それぞれの必要カロリー、栄養素がまとめられており、最低限摂取するべき食物、その組み合わせなどが記載されています。
 この食物が各家庭にいきわたるようにするのが食料生産計画の目標になるのでしょうか? だとするなら、もう一度八訂版を見直さないと。

 そこで扉がノックされました。あぁ、もうそんな時間ですか。
 気分が重くなりますが、仕方がありません。ここは遣り通さなければいけない部分です。

 ノックに応じると、扉を開けて五人、やってきました。

 一人は護衛の兵士。軽鎧に剣を帯び、直立不動で警戒態勢を崩しません。
 その前に司祭と党首様。
 兵士を挟んで後ろに農協組合長と商人ギルド長。

 部屋の隅にあったソファへとわたしたち三人は腰掛けます。ローテーブルを挟んだソファに組合長とギルド長。
 どちらも年齢は四十後半の男性。組合長は角刈りで日に焼けた浅黒い肌。ギルド長は逆に白くでっぷりとしたシルエットに豊かな髭を蓄えています。

僧侶「今日はこちらの要請に従っていただいてありがとうございます。わたしは幹部を勤めてます僧侶です」

党首「同じく、幹部の党首です」

司祭「同じく司祭です」

組合長「わーってるよ、んなこたぁ。放送でなんぼも見た」

ギルド長「本当はもっとはやぁく会いたかったんだけどねぇ」

僧侶「それについては申し訳ありません。人の移動、対外活動、いろいろ詰まっていまして」

組合長「わかったわかった! 腹の探りあいは俺の趣味じゃねぇ」

ギルド「だからアンタんとこは儲け度外視って言われるのよぉ? 今は農業だって経済の概念を取り入れての……」


党首「集まっていただいたのは他でもありません。あなたたちのお力が、我々には必要なのです」

 党首様が割って入ります。二人は大きく息を吐いて、こちらに向き直りました。
 ぎらりと瞳が輝いています。こちらの素質を、考えを、何より度量を測ろうとしているのだということはすぐに知れました。

組合長「いきなり俺らの州に乗り込んできて、村々の実権を勝手に奪ったやつらに、力を貸せってか」

ギルド長「箱があなたがたのものになったからといって、中身まで手に入れた気になっちゃ困るのよぉ?」

 この二人はもともとアッバ州に住んでいた実力者なのです。

 わたしたちが譲り受けたアッバ州ですが、当然それ以前からの居住者もいます。実権がわたしたちに移り変わるということは、彼らにとっては寝耳に水の出来事。
 そして単に「領主が変わった」だけではありません。何故ならわたしたちは社会機構を共産主義という全く新たな形のそれにしようとしているのですから。
 更にそこへ大量の党員がやってくれば混乱は必至です。現状、一般市民には国境封鎖だけで対応し、生活自体に梃入れはしていません。ですが将来的なことを考えれば、市民側の中心人物をこちらに引き入れることは前提になるでしょう。

 急いては事を仕損じる。わたしたちは何よりも確実に共産主義を達成しなければいけません。
 市民は今までと変わらない生活を送っています。兵士たちの多くは不安を抱えていますが、幸いなことに小競り合いすらおこっていません。急で強引なやり口は彼らの反発を招くでしょう。


 いずれやってくる大変動の足がかりには、まず影響力の強い人物を落とすことが必須。
 そして選ばれたのが経済と農業という重要な要素の取りまとめ役。なんとかわたしたちの味方になっていただけるように説得しなければなりません。

 ですが、不安はあります。というか不安しかありません。
 農業はともかく、商人ギルドの長がわたしたちに靡いてくれるとは到底思えませんでした。わたしたちがやろうとしていることは、言うなれば彼らに唾を吐きかけるような行いだからです。

僧侶「わかっています。ですから、まずわたしたちのことを理解して頂こうと、この場を設けたわけです」

組合長「とりあえず、お前らの目的だな」

ギルド長「そうね。独立して共産国家プランクィを作った。その目的は政府に対する声明の発表で何度も聞いてるけど、もう一度説明がほしい」

僧侶「わたしたちが目指すのは資本主義の打倒です。その手段として、共産主義を用います」

組合長「共産主義ってのは?」

僧侶「この方……我が党党首が考案した、極力金銭に頼らず、貧富の差を解消するための社会システムのことです。詳細は彼にお願いします」

 わたしがふると党首様は頷いて、

党首「僕たちが目指す社会はベーシック・カロリーの考えを基にしています」

党首「ベーシック・カロリーについて説明しますと、まず基底栄養素というものを算出します。これは各年齢と性別から求められる、最低限必要なカロリーと栄養素です」

党首「全国民がこの基底栄養素を必ず摂取できる状態を常態化すること。これがベーシック・カロリーの概念と考えてください」


党首「経済活動、及び農作物の作付に関しては、この概念の達成が第一となります。まず腹を満たすこと。でなければ国を維持することなんてできませんからね。そして、達成のために配給制にし、全国民が無償で受け取れるようにします」

党首「真なる平等が僕らの目的です。真なる平等のもとでは格差など存在しません。誰もが飢えず、誰もが仲良く手と手を繋げる社会のために、最低限食料の供給は必要だと考えます」

党首「また、格差が存在するのは富める者と貧しい者が存在するためです。しかし考えてみてください。市役所に勤め判子を握る人と、畑に出て鍬を握る人。どちらも同様に欠けてはなりませんよね」

党首「格差の原因はその殆どが金銭に行き着きます。よって、賃金に関しても一律同額とします」

 そこで反応を示したのは、さもありなん、ギルド長でした。

ギルド長「賃金が一律同額? それはつまり、どれだけ安く仕入れてどれだけ高く売っても意味ないってことぉ?」

 自らの実力がそのまま反映される商人としては見過ごせない部分だったのでしょう。
 党首様はけれど焦らず、咳払いを一つ。


党首「はい、そういうことになります。従来、国民は自らのために働き、自らのために稼いできました。商人は買値と売値の差額を自らの懐に納める。農家も効率的な栽培を確立して、なるべく安い費用で価値の高い作物を作る。それが資本主義の経済です」

党首「しかし、繰り返しますが、それは格差を生みます。持つものと持たざるものを生んでしまう。芽生えるのは確執です。僕は――いえ、僕らは、それが許せません」

党首「僕らが目指す国では、国民は国のために働きます。正確に言えば、一人はみんなのために働くのです。国のために働くことによって、国に住まう全てのものが恩恵を受けることを、全員が等しく理解している国であってほしいのです」

 そこで一旦党首様は言葉を切りました。
 二人を見回します。

 ギルド長は眉根を寄せていました。恐らく彼の人生の中にはいまだ嘗て存在しなかった概念なのでしょう。価値観なのでしょう。
 彼を資本主義の手先だと断ずるつもりはありませんが、わたしたちの理想と相反する立場にいるのは明白です。彼をどうにかすることで芋蔓式に傘下の商人たちも寝返ってくれる――そんな都合のいい考えはありませんが。

 組合長は特に表情を変えずに目を瞑っています。考えているのでしょうか。大きな動きがないのが逆に怖かったりもするわけですが。

組合長「……俺ァ構わん」

 先に口を開いたのは組合長でした。


僧侶「本当ですかっ!?」

組合長「落ち着けよ嬢ちゃん。あんたらのことは信用ならねぇ。なんたって国家に反旗を翻した稀代の反逆者だ。警戒して当然だわな」

組合長「が、しかしだ。国家に反旗を翻したその意志。行動理念。だからこそ、信じられることもある。と、俺ァ思う」

組合長「とりあえず全部見せろ。党首っつったな。そこまで言うからには当然策があるんだろう? 具体的なやつが。 それを判断して可能かどうか見極める」

組合長「俺にゃあ政治だの社会システムだの小難しいことはわからねぇし、信念だの平等だの理解する頭もねぇ。俺にわかるのは土と太陽のことだけだ。いまさらこの土地を離れようとも思わねぇしな」

組合長「ま、住みやすいほうが誰だっていいわな。もうこの国の領主はいなくなっちまった。あんたらの下にあるってんなら、それに従ってやるよ」

 心の中に暖かいものが生まれてきます。思わず涙が出てくるのを堪え、わたしは全身全霊のお辞儀をしました。

僧侶「ありがとうございます! ありがとうございます!」


ギルド長「ちょっと止めてよ、そんなの目の前で見せられた上で断ったら、アタシが人でなしみたいじゃない!」

司祭「……ご協力はいただけない、と?」

ギルド長「そうは言ってないけどねぇ。あなたたちの理念はわかった。達成するための方法も、まぁいいわ。それでもアタシたちは商人なの。自分たちの目で、感覚で、生きてるの。報酬は単なるお金じゃないわ。それが正しかったことの証拠なの」

ギルド長「原理的に自分のために生きてんのよ。右から左に流す仲介業だろうと、一から自分で手に入れて売る採取屋だろうと、知識と目利きが全ての骨董屋だろうとね。納得するやつはあんまりいないでしょ」

僧侶「それが国益のためであっても、ですか」

ギルド長「そもそも商売に国なんて関係ないわ」

僧侶「人を生かすことの誉れを知る人間が欲しいんです」

ギルド長「……」

司祭「僧侶様」

党首「……任せよう」

 ありがとうございます。


僧侶「あなたがたの正しさで、人を生かして欲しいのです。その正しさを誉れとして、国は報酬を与えます」

僧侶「雲霞で人は生きていけません。わかっています、仙人ではないのですから。誉れでお腹は膨れません。懐も暖かくなりません」

僧侶「ただ、あなたたちが自らの正しさを信じているのなら、その正しさをこれまで虐げられていた人のために使って欲しいのです」

僧侶「自らを正しいと信ずればこそ! 正しきことに手を貸していただきたいのです!」

僧侶「……お願いします」

 我慢。我慢です。我慢しなさい!
 ここで泣いてはいけません!

 涙を武器とするのは正義に悖ります!

 自らを正しいと信ずればこそ!
 どこまでも真っ直ぐな言葉の矢で! 槍で!
 目の前の大商人を突き刺すしかないのですから!

僧侶「……」

 ぐ、と手に力がこもります。


 ギルド長はわたしを見据えていました。
 全てを見透かすように、視線が突き刺さります。

僧侶「……」

 それからどれだけ経ったでしょうか。わたしはそのとき初めて時間が引き延ばせるのだということを知りました。

ギルド長「……ま、話はするさ」

 その言葉を聴いて、一気に全てが弛緩します。
 空気も、筋肉も。

 ついに堪えきれなくなって、視界が一気に歪みました。まだ何も始まっていないのに。スタート地点に立っただけだというのに。

ギルド長「ちょっとアンタ、やめてちょうだいよ。あたし、そういうの苦手なんだから」

 そこでようやく、わたしはギルド長さんがオカマ言葉を話すのがどうにもツボに嵌ってしまって、お腹の奥底からかみ殺しきれない笑いがこみ上げてきました。
 く、くく、くくく。歯を食いしばっても収まってくれそうにありません。


ギルド長「言っておくけどね!? あたしは口を利くだけで、乗るかどうかはギルド構成員次第――って、大丈夫かい?」

司祭「僧侶ちゃん、一回出ましょう」

党首「あぁ、そうだね。落ち着いたらまたきなさい」

 恐らく勘違いされているのでしょうが、この場合は好都合でした。笑っている場合ではないのに、わたしだって笑いたくはないのに。もうこの体は制御できません。気が抜けてしまって、四肢にこそ力は入りますが、それだけなのです。
 司祭がついてくるのを拒んで、わたしは部屋を出ました。公務員たちがこちらをちらちら見てくる中、小走りで駆けて屋上へと向かいます。

 鉄扉をばんと勢いよく開け、陽光と爽やかな空気の中に飛び出しました。

 途端に、ついに四肢からも力が抜けて、その場にへたり込みます。
 汚いなんていっていられません。屋上に横たわって太陽に向かい直りました。

 わたしはやったのです。

 スタート地点に立てたのです。

 この世界を変える一歩を踏み出せたのです!

僧侶「ぃやったぁああああああっ!」


 ガッツポーズ。
 雄たけびは家屋を舐めて遥か彼方まで飛んでいきました。立地的に山彦こそ聞こえませんでしたが、上体を起こせば、道を歩いていた女性の方がこちらを振り向くのが見えます。

 恥ずかしい。

僧侶「……ん?」

 遠くから馬車がやってくるのが見えます。うちのではありません。幌のデザインが半楕円のトンネル状になっています。うちの馬車は全て角形の幌のはずです。
 ですが馬車の周囲にまとわりついているのはプランクィの兵士たち。まとわりついているといっても、ゆっくりとした馬車の速度にあわせ、囲いながらこちらへ向かってきているだけですが。

 護衛といった感じではありません。もっとぴりぴりした……いうなれば、包囲。

 その緊張感が周囲の町民にも伝わっているのでしょう。誰も彼もみな遠巻きに眺めるばかりで、それどころか動こうとさえしません。馬車の支配圏から逃れてようやくそそくさと立ち去るばかり。

 不審者を捕まえた? それとも……。


 わたしは飛び出しました。鉄扉をもう一度勢いよく開閉し、そのまま一段飛ばしで階段を駆け下りていきます。
 途中の踊り場でバランスを崩しながらも一気に一階へ。
 扉を開け放って馬車へと駆け寄りました。

僧侶「一体どうしたっていうんですか!」

兵士「近寄らないでください!」

 先頭で人払いをしていた兵士が叫びます。
 わたしに近寄ってきて、

兵士「……本国――いえ、今はもう別の国でしたね。東の国アルカネッサからの使者です。プランクィの指揮を執っているものに話しがある、と」

 そう耳打ちされました。

 指揮を取っている者とは、恐らくわたし、党首様、司祭のことでしょう。
 これまで彼の国は大してこちらへコンタクトを取ってきませんでした。州総督を人質にしている関係上、各州領主連名での抗議文、国王の蜜蝋で封された書簡など、細々とこちらに「今すぐやめるように」といった文章はきていましたが。
 理由はわかります。手荒なことをして州総督に危害を加えられては困る各州領主と、州総督なぞ毛ほども気にしていない王族一派で、この件への対処が分かれたからでしょう。


 となれば、対処が決まった? 宣戦布告の文書を持ってきた?
 ……どうでしょうか。国際的にはプランクィはいまだ承認されてはいません。表面上は内戦状態であり、独立を申請している最中。他国に攻め入る際は宣戦布告が必要だと定められていますが、内戦の場合、奇襲で一気に大砲をぶっ放してきてもおかしくはありません。

 アルカネッサがこちらに使者を送ってまでコンタクトがあるとするならば、何らかの申し出を送りつける必要に駆られたから。それも、内部で何かが決定したというよりは、外圧がかかった。

 ふむ。

僧侶「通しなさい。アルカネッサの使者を出迎えるに値する部屋は残念ながらありませんが、役所の会議室へ」

 そうして、馬車からは三人の使者が降りてきました。女性、女性、男性。一番偉そうに見えるのは真ん中に座っていた女性です。溢れるような金髪と高い上背、真っ赤な唇。身に着けているものは厭味がないようにコーディネイトされています。
 男性は背が低く、金髪の女性と比べると頭一つ分くらいの差がありました。わたしはこの人を見たことがあります。確か、財務大臣補佐官だったはずです。

 最後の一人だけ空気が違いました。凛とした張り詰めた雰囲気を身にまとっています。
 相当の強者だ、と思いました。傭兵さんや勇者様と同じなのです。隙が見当たりません。
 腰には刀を差しています。反対の腰には沢山のナイフ。恐らく二人の護衛なのでしょう。周囲を警戒しながら、いつでも二人を守れる位置に陣取っています。


補佐官「いやはや、突然な訪問すいませんな」

 見てくれも話し方も全てが狸でした。信用なりません。しかも財務大臣だなんて、金勘定しか能のない役立たずじゃあありませんか。

補佐官「わしは財務大臣補佐官。で、こちらの方が、今回の件の担当をしております外務省特別担当大使です」

 けったいな、そして大仰な肩書きです。放っておけば人間はどこまでも肩書きを増やしたがります。長くしたがります。まったく愚かなことです。

補佐官「それにしても、こんなお嬢さんが指揮を執っているとは……」

 確実に舐められてますね。馬鹿にされていますね。
 まぁ、いいです。思いたいだけ思っていればいい。

僧侶「残る二人、党首様と司祭は、現在取り込み中です。三十分ほどお待ちになると思いますが」

補佐官「えぇ、かまいません。アポも取らずに来た我々が悪いのは重々承知しておりますよ」

大使「……」

 会議室に通しても、依然女性二人は喋りません。不穏な気配を感じながらも交渉のテーブルにつきました。


司祭「まぁ、謝罪には及びませんわ」

党首「今日は忙しい日ですね」

補佐官「おや。お早いお着きで」

僧侶「二人とも、会談は!?」

党首「あぁ、きりのいいところで終わらせてきた。資料だけは渡して、また別日に話し合おうということでね」

党首「こんなに部屋の外が騒がしくちゃ、おちおちゆっくり話もできない」

 そういって、扉を閉めます。

 向かい合うようにわたしたちは座りました。二対三。護衛は二人の背後に立ち、万全の体制で様子を窺っています。
 入り口には兵士が数人。わたしたちの傍にも数人。

党首「それで、一体なんでしょうか。アポもとらずにとは珍しい」

補佐官「何度も封書を送っても一向に返事が来ないからな」

党首「全面降伏を促すような書状ばかり送られても困りますね。それほど暇なのですか?」

補佐官「ちっ。貴様は変わらんな。そのニヤケ面も、掴めん物腰も、全てが」

 この補佐官は党首様のことを知っているのでしょうか?


補佐官「まぁいい。今回わしには大した権限はない。この特別担当顧問殿に全て任せてある」

 言うと、特別担当顧問の女性は軽くお辞儀をし、自らの両指を組みました。

大使「単刀直入に言います。あなたがたは即刻州総督を解放し、武力を全て放棄した後に、領主より譲り受けた全権限を王国へ委譲してください」

僧侶「……」
党首「……」
司祭「……」

 「またか」という気持ちと共に、「ついにきたか」という思いもありました。

大使「先日、我が国に対し他国二八国の連名で事態の対処に当たるよう布告が為されました」

大使「共産国家プランクィの独立承認はする。しかし、それは東の国アルカネッサが独立を承認したのちであるという旨の答弁はすでに頂いてあります」

大使「そして我が国は独立を承認するつもりなど毛頭ありません。あなたがたの政治思想なぞはどうでもよいのです。ただ、国家に反旗を翻す存在をそう易々と認めては、治安維持などあってないようなもの」

大使「第二、第三のあなたがたが現れても困ります。ですので、あなたがたのクーデターですが、ぶっ潰させていただきます」


 金髪をかきあげました。高級そうな香水のにおいがこちらまで漂ってきます。

大使「つまるところこれは宣戦布告なのですわ。尻尾を巻いて逃げるなら、それもよし。既にあなたがた三名を筆頭として、加担したものたちの多くは指名手配の準備をしています。すぐに降伏すれば、減刑もしましょう」

僧侶「心根の優しいことですね」

 たっぷりの厭味を加えてあげたのですが、大使は全く気にした様子もなく、

大使「どんな逆賊でも国民には変わりません。これは国王様の寛大な慈悲だとお思いください」

司祭「国王と今おっしゃいましたね。ということは、あなたは王族派の人間なわけですか。こちらには州総督もいますが?」

大使「州総督なぞ所詮役職に過ぎません。彼には汚職の疑惑も大量にありますし、ここでボロが出てくるようならそれもよし。どの道私たちに関係はありませんわ」

司祭「各領主が黙っていないのでは? 彼らは州総督の、いわば走狗ですから」

大使「犬なんて殺してしまえば同じでしょう?」

 あぁ、この人、生粋のタカ派なのですね。
 州総督派と王族派に分かれる中、穏便に穏健に物事を進めようとする立場とは異なり、王族に権力を集中させようとしている。そういう一派がいるのは聞いたことがありますが……。


 酷薄な笑みを浮かべる彼女からうそのにおいは感じ取れません。本心で、州総督に連なる領主たちなぞ皆殺しにしてしまえばいいのだと思っています。

司祭「暴論ですね。むちゃくちゃですわ」

大使「は。むちゃくちゃやってクーデター起こしたあなたがたには言われたくはありませんが」

大使「――で、どう? ここでお返事ほしいものだわ。ごめんなさいと謝ってくれれば、こちらにも対処のしようだってあるのですから」

党首「……わかりました」

 党首様は懐から一枚の封筒を取り出しました。

党首「いつかこんな日がくるとは思ってました。お渡しいたします。お読みください」

 大使はその裏表を確認します。何の変哲もない茶封筒です。厚みからして、中に大したものが入っているようには見えないのですが……。
 糊がされているのか、その茶封筒の上部を引き裂きます。

 光,

 が。

 全ては一瞬でした。
 大使が封筒の上部を破りとった瞬間その封筒の内部から光が満ち、指向性を伴って、大使の頭を。

 衝撃で椅子が倒れます。

 頭部を失い、バランスを崩した肉体もまた。

 焦げた肉片が壁に張り付く中、真っ先に反応したのは護衛。即座に飛び上がり、刀を抜きます。テーブル越しにでもこちらの命を刈り取る――刈り取れる動き。速度。

 彼女もまた光に包まれ吹き飛びました。


 腰から太ももにかけてを大きく失い、恐らくは一瞬で絶命したのでしょう、床に打ち捨てられた彼女はぴくりとも動きません。
 その事実を頭が理解してようやく、その場にいた全員――わたしたちの護衛のための兵士ですら、ようやく反応ができました。

僧侶「な――!」

補佐官「ひぃいいいいいいいっ!」

 叫び声をあげて補佐官が椅子を走り出します。椅子が倒れ、がちゃんと音を立てました。
 兵士たちが追い縋りますが党首様が「いいですよ」と制止します。

 前につんのめり、自らの足に引っかかって転びそうになりながらも、補佐官は会議室の扉に手をかけて一気に開いてそして

 爆風が全てを薙ぎ倒していきます。

 熱風がわたしの肌と髪の毛を焦がしていきます。勢いよく椅子とテーブルが倒れ、近距離にいた兵士たちも巻き込まれて倒れこみました。
 補佐官の腰から上は消失しています。高温で一気に焼かれたからか、血液すら出ていません。

僧侶「……」

 何が起こったのか、全く理解できませんでした。

 ただ、誰かが起こしたのかは……。

党首「犬を殺していいというのなら、あなたたちも同じですね」

 党首様はにこやかに笑みを浮かべます。
 そのスーツの襟に血が跳んでいるのを見て、初めてわたしは、この人に得体の知れない恐ろしさを感じたのでした。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
僧侶ちゃんの建国日誌その2

ちょいスランプっぽい感じ? あと仕事決まったので物書きの時間があまりとれなくなるかもです。
気長にお待ちください

なお>>439は酒に酔った勢いなのであんま気にしないでください。

今後ともよろしくお願いします。


◇ ◇ ◇

「交代の時間だ」

「あいよ」

「異常はないか?」

「まぁな。なんにも起こらねぇ。それがおかしいっちゃ、まぁそれ以上におかしいこともないんだけど」

「平和に勝る幸せもなし、か」

「そういうことさ」

「それにしても、いきなり警備計画を変えるだなんて、僧侶ちゃんたちもどうしたのかね」

「僧侶様、だろ」

「わかった、わかったよ」

「……おい、ありゃなんだ」

「ん?」

「あれだよ、あれ。ほら、あっちからこっちに」

「……あぁ、流れてきてるな。浮かんで……なんだ?」

「気球か? いや、違う。違うな。気球はもっと真っ直ぐ動いて……あんなふらふらとはしてないな」

「報告するぞ」

「おう。いやな予感がする」

 瞬間、破壊の波動が上空から降り注ぎ、あたり一体の生物を軒並み薙ぎ倒した。
 敵も、味方も、区別なく。

 焦土と化した無人の国境線に、ややあってから何個もの集団が乗り込んでいく。

 国王の直轄軍であった。


◇ ◇ ◇

「第一小隊から第十六小隊まで、各員散開しながら突撃!」

「ヤー!」

「敵は国家に反旗を翻した不届き者たちだ! 有象無象の区別なく、一切合財を叩き潰せ! 他の国民に見せ付けるのだ! 国に逆らうということが、どういうことかと言う事を!」

「ヤー!」

「反乱軍と原住民の区別をつける必要はなし! ゲリラ戦に回られると厄介だ! 命乞いなど聞くな! 見敵必殺を第一の信条とし、限りなく迅速に制圧せよ!」

「ヤー!」

「ただし事前に通達のあった幹部については、これを可及的速やかに拿捕することが求まれている! 手足の一本や二本は捥いで構わん! 命さえあればよい!」

「目標は以下の三名!」

「組織全体の情報統制・操作を行っていた、司祭!」

「組織全体の計画立案を行っていた、党首!」

「そして!」

「組織全体の精神的支柱であり、反乱軍の実質的リーダーである、僧侶!」

「彼我の戦力差は圧倒的であるが、くれぐれも油断しないように!」

「ヤー!」

「なお! 敵勢力は人質として州総督の身柄を拘束している! 州総督の解任決議は州総督派の抵抗によって難航しているのが実情である! 依然として州総督の身柄には効果があると判断される!」

「しかし! いいか、みなよ! よく聞け!」

「ここは戦場である! 不慮の事態こそが戦場の本質! 戦場ではいかなることも起こりうる! そしてそれは、戦場にいる限り、自己責任である!」

「意味がわかるか!」

「ヤー!」

「よぉし! 州総督の私兵や私設軍の介入、各州領主の介入も考えられる! 小隊規模の逐次投入を続けるが、最終的な判断は全て各部隊に一任する! 定期連絡だけは欠かすな! 以上、何かあるか!」

「ありませんであります!」

「てめぇらどっちだ!」

「ありません!」

「では進め! 正義は我々にあり!」

「いくぞぉおおおおおお――」

 最初の一人が国境を踏み越えた瞬間に、第一小隊から、続いていた第五小隊までが爆炎に飲み込まれてその姿を失した。
 熱波が大地を舐め草木を焼く。加熱された空気は息を吸うだけで気管を焦がし、酸素は奪われ数十人が酸欠で足元をふらつかせる。

 最前線の一人の意識がふっつりと途切れて膝を着く。

 その僅か十数センチ背後にいた男はなんとか存命していたが、目の前で起こったことの全容を把握しきれない。
 被害甚大――兵士としての使命感が脳裏にその言葉を点滅させる。しかし、体は動かない。

「……なんだよ、これ」


* * *

司祭「先刻の時点ではこのように」

党首「ふむ、ありがとう。とりあえず痛みわけ、といったところかな」

僧侶「……痛みわけで済むような被害ではないと思いますが」

 心がきりきりと締め付けられます。
 王国がこちらに兵を差し向けるのは規定路線でした。本来はこんな争いなど望んでいないのですが……互いの進むべき道が交わるのならば、それしかありません。

 先制攻撃を喰らうことがわかっていても、こちらから攻撃はできません。国力で遥かに勝る相手を前に、それは玉砕にしか過ぎないからです。わたしたちにできるのは抗い、受け流し、泥沼の戦争に引きずり込んでやるだけ。
 そのために先日からずっと準備をしてきたのです。秘密裏に。

 国境警備隊の皆様はある種生贄でした。肉壁にすらなってくれないだろうと党首様は考えていて、そしてそれは事実そのとおり。
 党首様の考えどおりということは、つまりこちらの手のひらの上で敵は動いているということです。喜ばしいことのはずなのに、どうしてでしょう、悲しくってしょうがないのです。

 人を自らのために利用するのは、わたしたちが蛇蝎のごとく嫌う資本主義の真髄のはずでした。
 それとも彼らは、何も知らされずとも、国のために喜んで死んでいったのでしょうか?

党首「想定どおりの進行だ。司祭、準備はどうだい?」

司祭「主要箇所に仕掛けた『眼』は滞りなく機能しています。国境にて敵の半数は削れました。残り半数が現在散開していますね。村落の位置はアッバ州のときと変わっていませんから、辿り着くのは時間の問題でしょう」


党首「住民の撤退は」

司祭「現在七十八パーセントが避難を完了しています。食料の処分も既に済ませ、各村落が渡っても問題はありません」

党首「残りの住民にも避難を急ぐよう指示してくれ。既にゲリラ前線基地の構築は済んでいるんだろう」

司祭「はい。ただし、民衆から不安の声が上がっていることが、能率を下げていると考えられます」

僧侶「……」

 当然です。彼らの前に立ちはだかるのは、嘗ては彼らを庇護していた存在なのですから。
 わたしたちの思想に賛同してくれる者の割合は増加の一途を辿ってはいましたが、それでも十割ではありませんし、命を危険にさらすくらいならと考える人たちがいてもおかしくはありません。

 わたしたちの思想が彼らを殺すのです。それに殉じることのできる人間こそが本当の仲間。とはいえ、簡単に自らの死を受け入れてしまう弱い人間もまた仲間としては必要ないのです。
 明確な意志の基に行われた行為こそが一際輝く。わたしはその覚悟をしていますし、みなさんにも覚悟をして欲しいと願っているのですが、なかなかどうにもうまくいきません。

 ただ、強制することが誤りであるとわかる程度には、わたしはいまだ冷静でした。


 資本主義への憎悪がまず先にたちます。何よりも最初にわたしを形作っています。
 それと喧嘩をしているのが、誰にも死んで欲しくないという願いなのです。

 その願いは本当は出発点でした。わたしは誰にも死んで欲しくないからこそ、資本主義を打倒しようとしているのです。それだのに、その願いが結果として人死にを誘発している事実は、酷くわたしを苛んでしょうがなくて。

 ぐ、と拳に力が篭ります。

党首「僧侶様」

 党首様がわたしの肩に手を置きました。

党首「僕もわかりますよ、そのお気持ちは。しかし仕方がないのです。大事を成す前の小事。この戦いを乗り越えて、僕たちの結束は一段と強くなる。違いますか?」

 違いません。違わないのです。この戦争でいくら人が死のうとも、最終的にトータルでの死者を減らせるのならば、迷わず選択すべきです。
 そうです、畢竟この迷いは、惑いは、わたしの心が弱いから生まれてくるのです。わたし自身が自信を持てていないからなのです。

党首「それに、この戦いで僕たちの負けはありません」

司祭「そうですよ、僧侶様。私たちは決して負けないのです」

 希望的観測のようには見えませんでした。ですが、彼我の予想戦力差は十倍近くにもなる中で、いくら策があるとはいっても、そこまでの大言壮語は理解できません。


僧侶「どういうことですか?」

司祭「たとえ僕ら三人が死に、民衆が全滅したとしても、それは決して僕らの負けではない、ということですよ」

党首「そもそも論点がずれているのですよ、資本主義の豚どもは。やつらにとっては、僕らは稀代の反逆者。そしてだからこそ、僕らを殺しさえすれば、確保さえすれば、全てが終わると思っている」

党首「その考えが愚かなのです。やつらがそう思っていたとて、僕らにとってのこの争いは、もっと大きな意味を持ちます」

 ようやく党首様の言葉の先を理解することができました。

 党首様はこう言っているのです。

僧侶「資本主義と共産主義の覇権争い」

党首「そのとおり」

 よくできました、とでも言いたげな党首様。


党首「豚にとってのこの戦争が治安の維持だったとしても、僕らにとっては覇権争いだ。だからこそ僕らに負けはない」

党首「思想は決して潰えないから」

 思想は決して潰えない。正論です。これ以上の正論がどこにありましょうか。

 わたしたちの敗北はわたしたちの思想の敗北。仮にわたしたちが死のうとも、思想が生き残っている以上、負けていない。
 と、そこまで考えて、ようやくわたしは全てを飲み込めました。党首様と司祭の楽観視を。二人が笑みすら浮かべているのは、単に敗北を考えていないからだけではありません。実際、二人は勝てると踏んでいるのです。
 思想として。主義として。社会のありようとして。

 共産主義は資本主義を駆逐できると。

 この戦争すらもそのための一手なのです。

 恐らく、この戦争の様子は、司祭様が召喚した「眼」を通して全世界に中継される――もしくは既にされているのかもしれませんが――のでしょう。
 ここでわたしたちが奮戦奮闘することによって、全世界へ共産主義の連帯を示し、種を植え付けようというのです。
 そして、資本主義に立つ側がわたしたちを攻めれば攻めるほど、残虐な行為に及べば及ぶほど、わたしたちの連帯は強くなる。それこそわたしたちに賛同しない人たちの思想が変わるくらいに。


 泥沼のゲリラ戦法をとるのも、何もそれしか勝ち目がないからではありません。厄介な相手だと認識されること。それが何よりの抑止力となります。
 そしてわたしたちには――わたしたちの思想には、それを完遂させるだけの膂力がある。
 わたしはそう信じています。

 拳銃を握り締めました。

 司祭様の「眼」から通達。前方に敵戦力およそ百。対するこちらは二十名弱。

司祭「時間のようですね。武運長久を祈っています」

党首「生きてまた会おう」

 二人の映像が掻き消えます。


 わたしは振り返りました。
 視界の中に、わたしに命を預けてくれた十六人が、それぞれの武器を構えて立っています。

 死命は時間稼ぎ。
 この町の住人五八七人の避難が完了するまで、一歩も立ち入らせやしません。

 ここで五八七人が生き延びれば、彼らは五八七人のゲリラ兵として、五八七〇人の敵兵を殺してくれるでしょう。五八七〇〇人の敵兵を傷つけてくれるでしょう。
 たとい命を擲つとしても、十分な価値があるではないですか!
 無論誰だって死ぬつもりはないのですが。

 なぜわたしが最前線に出張っているのか。それは単純なことです。単純すぎて、単純すぎることです。
 答えは、わたしが単純だから。

 思想に殉ずる覚悟を持っているから。

 そして、それに付き合ってくれる「おばかなひとたち」十六人。

僧侶「皆さん。大事な人をひとり、頭に思い浮かべてください」

僧侶「恐らくその人は既にこの世にいないかと思います」

 十六人全員の顔が歪みました。涙を堪えて歯を食いしばっているようにすら見えます。


僧侶「恐らく、みなさんの敵はあまりにも強大だったはずです。社会。国。システム。そんな眼に見えない敵が、みなさんの復讐心を少しずつ削り取っていったでしょう」

僧侶「ですが、それでは駄目なのです」

 畑の向こうからやってくる集団が見えました。

 わたしは銃を掲げます。

僧侶「皆さんが本当に! 真の意味で! 幸福で安寧な人生を、生活を求めているのであれば! それは決して、絶対に、のんべんだらりとした中で手に入るものではないのです!」

僧侶「奪われたものも、失われたものも、少しでも惜しいと思うなら、悔しいと思うなら、その拳を握り締め、高く振り上げて、相手の顔面に叩き付けてやるしかありません! それが誇りを取り戻すということです、そうするしかないのです!」

僧侶「でなければみなさん、大切な人になんと謝るつもりですか!」

 答えすら聞かずにわたしは一番槍と化しました。全身に魔力を充填し、活力に満ちる両手足を精一杯に稼動させ、迫る百余名へと向かっていきます。

僧侶「うぉおあああああああっ!」

 咆哮。傭兵さんの気持ちが、今はわかりました。
 心の奥底から滾って込み上がってくるものをなんとかするためには、叫ぶしかないのです。


 背後から同様の咆哮とともにみなさんが飛び出します。気分はさながら「民衆を導く勝利の女神」。

 先頭の敵兵が振るう剣を跳んで回避。あまりの遅さに、振られている最中の剣の腹に飛び乗って、それを踏み台に跳躍すらできました。
 空高く舞いながらの射撃。弾倉は一つで十二発。それを一瞬で撃ち尽くし、腰から新たな弾倉を取り出し、充填。

 先ほどの銃撃で頭を吹き飛ばされた兵士たちが倒れていきます。

 重力に身を任せて落下しました。敵に囲まれた形になりますが、そこはみなさんが突っ込んできて、道を切り開いてくれます。

 剣戟、剣戟、剣戟!

 鋭い音と甲高い音が交差し、交互に響き渡ります。
 それでもぬるい。

 傭兵さんの剣捌きは、体捌きは、そんなものじゃなかった!
 あの鋭い太刀筋に比べたら!


僧侶「死ね、死ね、死ねぇええええええっ!」

 わたしの体を後押しするのは怒り。お父さんを殺された、お母さんを殺された、どうしようもない、救われない、掬えない、どうしようもない、わかっているけど、だって、でも、そんなこと言われたって!

 加速。
 思考と肉体の両方とも。

 恨めしい。
 憎い。

 お金が。

 権力が。

 資本家が。

 この世の汚濁が。

 既存の社会システムの全てが。

 破壊したくて堪らない。

 体が止まらない。




 お金なんて大事じゃない!



 全員死んでしまえばいいのだ。死んでしまえばいいのだ。死んでしまえばいいのだ!

 この世の中には黄金色に光るそんな金属よりももっと、ずっと大事なものがいっぱいあって、いくらでも刷れる紙切れなんかじゃ手に入らないものだって山ほどあって!

 あるはずなんだ!

 あるんだ!
 
 みんな知らないだけなんだ!

 だからわたしが教えてあげるしかないんだ!

 だからわたしが皆を導くしかないんだ!

 だから!
 だから!
 だから!

僧侶「邪魔する衆愚は全員消えろぉおおおおおおおおおっ!」


 銃撃。頭を吹き飛ばして殺害。斬戟を避けるとその背後から火炎弾。瞬間的に凍結魔法を弾丸に篭め、火炎弾へと打ち込みました。着弾と同時に半径一メートルほどの魔方陣が複数展開、氷塊を振りまいて火炎弾ごと兵士を飲み込みます。
 槍の踏み込みよりもバックステップのほうが幾分か速い。空振ったところにあわせて前へ出て、左手で柄を掴んでこちらへと引きずり込みました。
 そのまま銃把の底で顎を打ち抜くと兵士は昏倒します。勢いを利用して半回転しながらこちらに迫る兵士たちへ的確に銃弾を見舞いました。一発、二発、三発。弾切れの三発目が着弾して爆裂魔法が発動し、多くの兵士を巻き込んで吹き飛ばします。

 弾倉を交換している隙を狙われるのは当然といえました。四方八方から向かってくるのは様々な武器。しかし、身体能力向上魔法を行使しているわたしにとって、それらはさほどの脅威でありません。
 拳銃で刃を弾き、生まれた隙間に体を滑り込ませます。皮膚を食い破っていきますが、骨にすら到達しない攻撃に、一体どんな意味があるというのでしょうか。

 全身を苛む激痛。ですが止まっていられません――否、止まれません。最早この体は全自動。沸騰した血液と脳みその支配下に置かれてしまっています。


 血しぶきが視界をいくつもよぎっていきますが、果たしてこれはわたしのものなのか、それとも敵兵のものなのか。
 視界の端でみなさんが倒れていくのがわかります。志願してきただけあって、みなさんかなりの強者でした。十倍の数の兵士を相手にこれだけ戦線を維持できたのですから、それだけで百人は救えたことになるでしょう。

 しかし足りません。まだ時間は稼がなければいけません。半数救えてもあと二百人以上が残っている計算になります。このまま敵兵を町へと雪崩れ込ませるわけにはいかないのです!

 また一人、倒れました。州総督の官邸で出会った、農家の五男の兵士。彼は左足を切り飛ばされ、倒れながらも持っていた剣で敵の喉笛を貫いていました。

 涙で視界が滲みます。

 みんな死んでしまう。
 みんな殺されてしまう。
 資本主義の豚どもに!
 
 それは、それだけは。


僧侶「くそ、くそ、なんで! そんな!」

 おかしいと思いました。だってわたしたちはみんなのために戦っているのです。恵まれない人々のために、貧しい人々のために、蔑まれている人々のために戦っているのです。
 そんなわたしたちが負けるはずがない。

 だってわたしたちの戦いは護るための戦いだから。

 世界をもっとよくするための戦いだから。

 自分たちの懐のために戦っているやつらなんて。
 私利私欲のために戦っているやつらなんて。
 わたしたちの目指す輝かしい栄光の未来社会の前にはひれ伏すしかない。

 それが道理。

 神様なんていやしないから、わたしたちの正しさを証明してくれるのは、わたしたち以外に存在しなくて。
 だから。

僧侶「こんな豚どもに負けるわけがない!」

 そうだ。そうでなければ理屈がおかしい。話が噛み合わない。
 正義は必ず勝つ。
 勝つんだ!


僧侶「みんなはわたしが守ってみせる!」

 みんな。みんな、みんな、みんな。みんなだ!
 誰も彼も問わず、貴賎の区別なく、上下も貧富も関係なしに、みんな!
 この世に全ての人間に幸せを与えるために!

 わたしはこの銃を取る!

僧侶「雁首揃えて大人しく、この美しき地上から去ね!」

 みちみちと全身の肉が悲鳴を上げています。 魔力経路が膨らみ肉を裂き、内側から破裂してしまいそうでした。
 しかし押さえ込みます。こんなところで死んでどうするというのでしょう。わたしにはまだやるべきことが残っています。まだまだやるべきことが残っています。
 それは即ち死なないということです。

 結果が確定している以上、過程に意を注ぐのは無意味。

 銃把を握りました。

 魔力を充填。肉体を引き裂くほどに練られた魔力は経路を通して銃弾に流れ込み、一つの魔法を構築。
 そしてそれを地面に向かって撃ち出します。


 魔方陣が展開。光が満ち、それまで人と血と肉塊と、そして僅かな硝煙しかなかった空間に、「何か」がゆっくりと顕現していきます。
 それは召喚魔法でした。本来、召喚魔法はその名のとおり、魔力を自らの対外に放出することが大前提となっている魔法です。それゆえ、魔力を放出できないわたしとの相性は最悪のはずでした。

 だからわたしは探したのです。裏路を。隠し技を。
 全てはこの日、このときのために。

僧侶「わたしが!」

 他でもない自分自身が!

 この手で!

 幸せな未来を!

僧侶「貴様らは豚だ! 優先順位を履き違えた、眼の腐った豚どもだ!」

僧侶「空気を汚す権利すら金で取引し! 命に値段をつける社会に! 最早存在価値などあるかぁあああああああっ!」


 現れたのは黒く長い化け物。

 Kord重機関銃。重量八十キロ。発射速度は毎分750発。わたしの殺意を吐き出す怪物。そして銃把はその手綱。

 引き金を引きました。

 まるでエンジンのような音を響かせ、響かせ、響かせ続け――排出された薬莢が辺りへ飛び散り、顔を掠め、舞い上がる砂埃が眼に入っても、わたしは全てを止めません。

 指に力を篭めることも。
 人が穴だらけになる瞬間を見続けることも。

僧侶「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 わたしは叫びました。叫んでいました。何も悲しくはないのに、悲しくはないはずなのに、どうしてか叫びを抑えられないのです。戦いを始めたときと同じような、それでいて少し違う、心をがりがりと削り取る何かが胸のうちで暴れまくっているのです。
 涙も止まりません。
 力を篭めすぎて奥歯が音を立てています。

 死ね、死ね、死ね!
 死んでしまえ!

 この世をよりよくするために死ね!


僧侶「死ね! 死ね! 死ね!」

僧侶「死ねぇええええええええええええ――っ!」

 お父さんもお母さんも犠牲者だ。腐って破綻したシステムの歯車に轢き殺されたのだ。そのシステムは途轍もなく厄介な代物で、人がそれを巧みに利用しているように見えて、その実システムに利用されている。
 何よりこのシステムの狡猾なところは、その不完全さに気がついた人間を、気がついていない人間が排除する部分にある。利口な人間を、システムの奴隷が貶め、爪弾きにするから。

 黄金の上に成り立つバベルの塔。そんなもの、わたしはいらない。

僧侶「……ぁ、あ?」

 喉が枯れて声が出なくなり、痛いくらいの静寂が耳を劈いて、ようやくわたしの視界が機能しだす。

 誰もいない。

 違う。それは不正確だ。
 正しくは「誰も立っていない」。

 みんな死んだのだ。
 わたしが殺したのだ。

 眼前には砂埃が舞っていて、状況の詳細な把握ができない。それでも人の気配や息遣いが感じられないのはこの疲弊した体でも十分にわかって、であるならば砂埃のむこうには誰もいないはずで。
 ただ肉片がばらまけれているだけで。

 こみ上げてくる衝動。それは、どこまでも黄色い衝動だった。


僧侶「死ね! 死ね! 死ね!」

僧侶「死ねぇええええええええええええ――っ!」

 お父さんもお母さんも犠牲者だ。腐って破綻したシステムの歯車に轢き殺されたのだ。そのシステムは途轍もなく厄介な代物で、人がそれを巧みに利用しているように見えて、その実システムに利用されている。
 何よりこのシステムの狡猾なところは、その不完全さに気がついた人間を、気がついていない人間が排除する部分にある。利口な人間を、システムの奴隷が貶め、爪弾きにするから。

 黄金の上に成り立つバベルの塔。そんなもの、わたしはいらない。

僧侶「……ぁ、あ?」

 喉が枯れて声が出なくなり、痛いくらいの静寂が耳を劈いて、ようやくわたしの視界が機能しだす。

 誰もいない。

 違う。それは不正確だ。
 正しくは「誰も立っていない」。

 みんな死んだのだ。
 わたしが殺したのだ。

 眼前には砂埃が舞っていて、状況の詳細な把握ができない。それでも人の気配や息遣いが感じられないのはこの疲弊した体でも十分にわかって、であるならば砂埃のむこうには誰もいないはずで。
 ただ肉片がばらまけれているだけで。

 こみ上げてくる衝動。それは、どこまでも黄色い衝動だった。


 轟音が背後から響いて、同時にやってきたあまりの衝撃に、わたしは大きく吹き飛ばされました。
 地面を転がって、ぐしゃぐしゃに踏み潰された作物の上を転がって、肉片に口付けをしながら、強か体を打ちつけながら、ようやく土手にぶつかって止まります。

僧侶「……あ、は」

僧侶「あは、あはははは……」

 なにこれ。

 冗談でしょう。

僧侶「なんで?」

 なんで、町の各所が爆散しているの?
 町の人々はどうなったの?

僧侶「わたしが守りたかったものは、どこ?」

 もしかしたら、そんなものははじめから、どこにもなかったのかもしれませんでした。

――――――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。遅くなって申し訳ありませんでした。
「僧侶ちゃんの受難その1」。彼女に平穏のときは訪れるのか。

こっち書けよと言われるかもしれませんが、彼女欲しさあまって短編恋愛もの書いてます。
投下した暁にはよろしくお願いします。

次回投下も間隔開きそうですが、お待ちください。


* * *

 口からこぼれたのは弱音ではなくパンとスープ。
 今日の昼食。胃の内容物。

 昼に食べたものよりも随分酸味の付加されたそれは、引っかかりもなくするすると喉を通ってわたしの胸元を汚していきます。

 町からは依然として黒煙が立ち上っていました。時折崩壊の音も聞こえます。
 ここから逃げなくては。後続がやってきてしまう。頭ではわかっているのですが、体が一向に動きません。四肢に鉄球つきの鎖を巻きつけられ、それが地中深く埋められているかのような錯覚が、確かにあります。

 町にはまだ人がいたはずです。避難中の人々が、きっと、恐らく、少なく見積もっても百人、多ければ二百人強はいたでしょう。彼ら全員の生存は、絶望的。

 なぜ? 疑問よりもそれは絶望の色彩を帯びていました。疑惑は紫ですが、絶望は闇の色。
 全てを黒く塗りつぶしていく色。

 口を袖で拭い、唾を肉片の上に吐き捨てます。ぴりぴりした感触が口の中に残留していました。

 どうすればいいのか、前後不覚になりながらも、決して倒れるつもりはありません。前方に進むべき道がないのなら、自らで開拓していくしかないのです。
 それが生きるということなのだとわたしは学んだのです。

 党首様にも司祭にも連絡はつきません。この異常事態、あちらにも何かが起こったと考えるのが普通でしょう。何者かの襲撃を受けている可能性は十分にあります。
 助けに行くべきでしょうか? 僅かに考えて、首を横に振りました。誰かが見ているというわけでもありませんが。

 恐らく逆の立場であれば、わたしはきっと助けて欲しいなどとは思わないはずです。それどころか逆に見捨ててくれとさえ思うでしょう。
 仲間に望むことは、彼らが彼ら自身の仕事をきちんと成し遂げてくれること。それをおいて他にはありません。それに言っていたではありませんか。大事なのはこの戦いそのものではなく、わたしたちの思想の勝利なのだと。

 ならばわたしも思想の勝利に向かって邁進しなければなりません。
 しなければならないはずなのです。


 思考を回します。

 爆発は一体なぜ起こったのでしょう。王国軍が秘密裏にセットしたという仮定は真っ先に来ます。しかし彼らは剣を持っていました。腰には拳銃も身に着けていました。わざわざ町に爆弾を仕掛ける必要などないはずです。
 更に言えば、仕掛けて回る時間すら、彼らにとっては惜しいはず。
 つまり国王軍があの爆発の首謀者とは考えにくい。

僧侶「……第三勢力?」

 十分にありえる話でした。他国か、それとも州総督派かはわかりませんが、首を突っ込んできてもおかしくはないはずです。
 
 軋む膝に手を当てて、杖にしながら立ち上がります。巻き付いている僧服の布すら重く、腰に戻した拳銃のせいでしりもちをつきそうにもなって。
 前言撤回をしたい。もう力を抜いてずっと座っていたい。思想の勝利へ邁進しなければいけないと自分で言っておきながら、本能が告げる原初の欲求に、どうしても体が逆らうことができないのです。

 疲れたら休む。人として当然の営為。

 みんなが死んだからといって、わたしたちの戦いが終わったわけではありません。守っていたはずのものは全て手をするりと抜けて溶けていきましたが、まだわたしが守りたい人は、助けたいことは、沢山あるのです。
 あるはずなのに。

 どうして体が動かないのか。


 燦燦と降り注ぐ太陽の下で、喉はもうからからでした。四肢は痺れ、喉の奥から血の味がします。
 慣れないことをしたせいでしょう。肉体強化も、召喚魔法も、それらを用いての殺し合いも。魔力は枯渇に近づき、体力も殆ど消え失せ、酷使の反動で肉体は骨や筋肉はぼろぼろ。情けない。

僧侶「……ほんと、情けない、です……っ」

 まだまだやるべきことは残っているのに。
 為さねばならない大義があるというのに。

僧侶「わたしに、何ができるのか、わかりませんけど」

 それでも。

僧侶「やらな、くちゃ」

 立ち上がらなくちゃ。

 たとい守るべきものが最初からなかったのだとしても、わたしの行いが徒労だったのだとしても、それは全てが終わってからわかることであって、今決め付けていいことではない。

 守りたいものは探しに行けばいいのです。

僧侶「そうだよね、お父さん、お母さん」


 燦燦と降り注ぐ太陽の下で、喉はもうからからでした。四肢は痺れ、喉の奥から血の味がします。
 慣れないことをしたせいでしょう。肉体強化も、召喚魔法も、それらを用いての殺し合いも。魔力は枯渇に近づき、体力も殆ど消え失せ、酷使の反動で肉体は骨や筋肉はぼろぼろ。情けない。

僧侶「……ほんと、情けない、です……っ」

 まだまだやるべきことは残っているのに。
 為さねばならない大義があるというのに。

僧侶「わたしに、何ができるのか、わかりませんけど」

 それでも。

僧侶「やらな、くちゃ」

 立ち上がらなくちゃ。

 たとい守るべきものが最初からなかったのだとしても、わたしの行いが徒労だったのだとしても、それは全てが終わってからわかることであって、今決め付けていいことではない。

 守りたいものは探しに行けばいいのです。

僧侶「そうだよね、お父さん、お母さん」

 もし本当に第三勢力がひそかに介入しているのだとすれば、恐らく目的は州総督でしょう。でなければメリットがありません。
 とすれば、考えられる勢力は三種類。

 一つ。他国が州総督の身柄を確保し、有力者を保護した恩をこちらに売ろうとしているか、もしくはそれをネタに脅そうとしている可能性。

 二つ。各領主が州総督を保護しにきた可能性。

 三つ。州総督の私兵、ないし私設軍が保護しに来た可能性。

 州総督の殺害は基本的に考えなくともよいでしょう。なぜなら、王国軍が攻めてきている以上、彼らが州総督をどさくさに紛れて確保しようとするのは誰の眼にも明らかだからです。
 国の誰よりも巨大な既得権益を持ち、それゆえに磐石な支持基盤を得ている州総督を追い落とすのは、生半可なことではありません。州総督と敵対する勢力にとっては、今が千載一遇の好機であることは明らか。

 ならば……。

僧侶「とりあえず、行き先は……決まりましたね」

 やはり休んでなどいられないようです。


 わたしはそのまま重たい体を引きずりつつ、州総督の囚われている牢屋を目指します。
 そこは一見すると古ぼけた農具小屋が入り口になっていて、更には司祭による撹乱魔法もかかっているため、ちょっとやそっとでは見つかる心配はありません。しかしかけた魔法は解かれない道理はありません。敵もそれくらいは準備しているでしょうから。

僧侶「どうすればいい……? どうすれば……」

 ぶつぶつ呟きます。でなければ意識が吹っ飛んでいってしまいそうだったので。

僧侶「ゲリラ作戦は依然続行でしょう……森に潜み、掃討中を狙って殺す……町には大量の罠や爆弾が仕掛けてあります、井戸にも毒を流してあるから、それで、なんとか……」

 兵士たちから奪った携行食糧を齧り、水筒の水で流し込みながら、わたしは土手の傍を身隠しに使いつつ歩き続けます。
 牢屋まではあと三十分程度。それまでに思考をまとめておかなければ。

 州総督は切り札です。わたしたちにとっては彼の存在が楯であり、不在が矛。岩の隙間を突き崩す槍に他なりません。

僧侶「敵は、全員殺さないと……」

 拳銃を握る力もどれだけ残っているかわかりませんが。

 きっとお父さんもお母さんもそれを望んでいるに違いないから。


 箍が外れてしまったのでしょう。爆発と共に、心の中にあった人として重要な要素が、どこかへ吹き飛んでいったのでしょう。
 大事なものがあって、それをわたしは失い続けてきました。失って、失って、失いまくって、ここまで来てしまった。

 いまさらそれらを取り戻そうなどとは思っていません。そこまで強欲にはなれませんでした。
 だけど、だからこそ、守りたいのです。
 そのためなら全ての障害を撃ち殺すことも躊躇わない。

 一度守れなくても次がある。二度守れなくても次がある。
 だって、そう思わなくては。

僧侶「最終的に、勝つんだ。わたしたちが。わたしたちの、思想が。社会が」

僧侶「勝つんだ」

 金とか権力とか、そういった醜いものを打倒して。


 ふらふらしながらも入り口である農具小屋へとたどり着けました。周囲をこそこそ窺いますが、どこにも敵影は確認できません。
 ロックを解除し体を滑り込ませます。

 農具小屋の中には、当然農具が転がっていました。鋤、鍬、千歯扱き、筵といったオーソドックスなものから、おおよそ何に使うのか判断のつかないものまで。
 その中の一つ、農具を入れる箱をどかせば、地下の牢屋へと降りる階段が見つかるのです。

僧侶「……?」

 箱がどけられていました。

 反射的に隠し階段を開きます。饐えた空気が鼻腔を直撃。噎せ返る臭いに顔を顰めながらもわたしは一目散にその暗闇へと身を投じます。
 石の階段を駆け下りていくと、饐えた空気を上書きする生臭さが充満していました。

僧侶「……」

 嫌な予感、が。

 電気に触れました。ぱぱぱ、と明滅し、僅かに間をおいてから一気に暗闇が照らし出されます。


僧侶「っ!」

 二つある牢屋の右に州総督がいたはずですが、今やその姿はありません。開け放たれた牢屋の鉄格子は傷一つなく、鍵を使って開けられたのでしょう。
 そしてその鍵を持っていたはずの見張りは、牢屋の中央で爆死していました。
 両手の手首から先と、顔面が吹き飛んでいます。

 酷い臭いでしたが胃の中身は既に出尽くしてしまっていて、これ以上吐瀉はしません。胃が引き攣ってえずくだけですが寧ろそちらのほうが肉体には効きました。

 靴が血を踏み、ぐちゃりと音を立てました。

僧侶「どう、いう……?」

 拳銃を抜いて安全装置を外します。

 血が乾いていないということは、兵士が殺されてからそれほど時間は経っていないはず。争った形跡はなく、また上階の農具小屋も荒らされた形跡はなかった。複数人が入ってきた跡も。
 この牢屋がそう簡単に見つかるとは思えない。この位置を知っているのは党でも上層部だけで、その中にスパイがいたとしても、外に部隊単位の痕跡が残るはず。


 事実わたしが交戦した兵士は百人程度いて、あれが複数の小隊の連合だったとしても、やはり敵軍は小隊単位で動いていることは明白です。見張りの爆死、そして農具小屋の様子などから察して、小隊規模の存在は見えてきません。

僧侶「……」

 歯の根がかちかちと鳴ります。視界が明滅を繰り返すのは、決して電灯の調子が悪いからではないはずです。

 頭が痛い。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 考えたくない。

僧侶「だって、それはつまり――」

「……間に合わなかった、か」

 声がして振り向きました。
 電灯の明かりに照らされて、鼻と口を手で押さえながら、司祭が立っています。

僧侶「……どうして、ここに?」

司祭「党首様から要請を受けまして。何かあってからじゃあ遅いから、州総督を移送しようと思って……たんですけど」

僧侶「……そう」


司祭「それにしても、王国軍も酷いことをしますね。爆殺だなんて、惨たらしい」

僧侶「……」

司祭「やっぱり、あいつらの正体は人の皮を被った豚なのでしょうね。人を人とも思わぬ人でなし。本当、許せないです」

僧侶「……」

司祭「あんな国に騙されている民衆の目を私たちが早く覚まさせてあげないといけませんね」

僧侶「……」

司祭「……僧侶様?」

僧侶「わたしたちの敗北は、思想の敗北」

司祭「……? 確かに、そう言いましたが……」

僧侶「ならば、わたしたちの勝利は、思想の勝利なのでしょう」

司祭「僧侶様? なにを仰られているのです?」
僧侶「『わたしたちの敵』を『民衆の敵』に仕立て上げるほうがよっぽど早い」

 わたしは真っ直ぐに司祭を見ました。彼女が逃げられないように。


僧侶「あなたたち、この国すらも犠牲にするつもりですね?」

司祭「……」

僧侶「……」

 時間と空間が凍りつきます。呼吸すらもできないほど張り詰めた空気を、やっとこさといった様子で、司祭が破りました。

司祭「は、はは。何を仰っているのですか。私たちが同志を殺すはずが」

僧侶「あなたたちならやります。やれます。思想の勝利のためには、どれだけの犠牲を払ってもかまわないと、あなたたちは信じているから」

僧侶「……だから、何人でも殺せる」

司祭「僧侶様! 先ほどからおかしいですよ!? 目を覚ましてください!」

僧侶「いいえ、わたしはおかしくなぞなっていませんよ。理解しただけです。えぇ。きっとわたしは、考えが甘かったのでしょうね」

僧侶「あなたたち二人のほうが、恐らく、遠くを見ていたのです。そんなわたしに二人の考えを詳らかにできないのは、ある種必然だったのかもしれません」

司祭「……僧侶様」


僧侶「司祭。わたしを州総督のところへ案内しなさい。もう迷いません。何人を犠牲にしてでも、国民をいくら犠牲にしようとも、思想の勝利のために、わたしは力添えをする所存です」

 そう。あの町を爆破したのも、この牢屋から州総督を連れ去ったのも、党首様と司祭がやったことなのです。
 大事なのは思想の勝利。資本主義を打倒し、共産主義が可及的速やかに達成されるためには、わたしたちだけの力では及びません。民衆が蜂起し、革命によって現政権を打ち崩さない限り、真の革命はなりません。

 わたしはそのことに気がついていなかった。
 それでは、二人が手の内を明かすことを恐れるわけです。

 二人の考えはこうです――この町で起きる虐殺、及び大量殺戮を全て王国軍の蛮行に擦り付け、国際社会から、そして王国の民衆自体が王国を忌避するように促す。そしてそのための足場作りは既に終えているに違いありません。

司祭「……そうですか。気づいてしまわれたのですか」

 舌打ちが聞こえて、

 銃口が、ぽっかりと、

僧侶「――え?」

司祭「なら殺すしかないか」


 パンを切らしているから米を食べよう。そんな気軽さで、引き金が引かれました。

僧侶「――っ!?」

 炸裂音が脳内で反響します。外耳が吹き飛び、激痛が全身を揺らす。回避できたのは奇跡といってもいいでしょう。身体能力強化の残滓がなければ、脳髄をぐちゃぐちゃにされて死んでいたはず。

僧侶「何を!」

 返事は銃弾。二度、三度と引き金が引かれ、冷たく暗い地下牢をマズルフラッシュが一瞬だけ照らし出します。

 理解が追いつきません。

 ただわかるのは、司祭は冗談でなく、わたしを殺そうとしている。

司祭「驚いた。なかなかに反応速度が高い。アカデミー主席なだけはある」

僧侶「……なぜ、撃ちますか。仲間では、なかったと」


司祭「さっき自分で言ってたけどさぁ、そういうところが甘いっていうか、考えが弱いんだよなぁ。優等生。世間知らず。まぁ、そんな感じ?」

司祭「気づかれなかったら、捨石になるまで放っておくつもりだったけど、しゃーないやね」

司祭「党の象徴、僧侶の遺体が地下牢で見つかる。犯人は王国軍。州総督を連れ去ろうとしたところを見つかり、交戦になった。同志僧侶は果敢にも立ち向かうが、あえなく戦死、と……こんな筋書きでどう?」

僧侶「ここでわたしを殺す必要がないでしょう!」

司祭「命乞いかい?」

僧侶「違います! 本当に共産主義のために動くなら――」

司祭「あぁ」

 と司祭は手を打ちました。

司祭「それ嘘」

 銃弾がわたしの腹を貫いていきます。
 弾丸の衝撃か、言葉の衝撃か、わたしは壁に強か打ち付けられ、息をすることができません。

司祭「共産主義なんて信じるやつぁいないわよ」


 ……え?

司祭「本当、おめでたい娘。騙されてるやつらもみんなそう。おめでたい。どうせ行き詰まることが見え見えなのに、目先の平等に飛びついて……」

司祭「愚かよね」

 拳銃が向けられました。

 それよりも、いましがた司祭の言った言葉が、ひたすらリフレインし続けていて。

僧侶「だ、……だま、した、のですね」

 口から自然と漏れた唯一の言葉がそれでした。

司祭「そうよ? 騙してたの。カリスマ性っていうの? 民衆を纏め上げる傀儡っていうの? そういうのがね、ちょうど欲しかったのよ。数年前のあの日、あのときに!」

司祭「全ては州総督のため! あの方の敵を一掃し、あの方がこの国を牛耳るため! そのためには国王一派なんて邪魔なだけだもの!」

司祭「あなたはよく踊ってくれたわ」


 司祭の人差し指に力がこめられて初めて、ようやく全てを理解しました。

 全てが仕組まれていたということに。

 最初から最後まで、党首と司祭の手のひらの上で踊らされていたことに。
 こいつらは州総督の手先。民衆を操り、敵にぶつける扇動者。アジテイター。

 そのための甘言が共産主義。
 擁立するシンボルとして目をつけられたのが、わたしの両親と、悲劇のヒロインとしてのわたし自身。

僧侶「……」

 あぁ、なんという愚かさでしょうか。
 衆愚衆愚と資本主義の下で生きる人々を馬鹿にしていたわたし自身が、誰よりも愚かだったのです。資本主義の豚と罵っていたわたしこそが、浅慮な家畜だったのです。

 やはり守るものなどはじめからどこにもありはしないのでした。わたしの背にあったものは、空虚な、どこまでも無色透明な、なにものでもないなにか。

 がらがらと崩れ去っていきます。

 夢とか。
 希望とか。

 


 お父さん。
 お母さん。
 ごめんなさい。

 仇を討ちたかったのに、報われない二人になんとしてでも餞を贈ってあげたかったのに、それすらできず、寧ろ敵にいいように使われて。
 この有様。

 怒りはありませんでした。それを圧倒的に上回り、塗り潰すほどの諦観が、どっしりと心の奥を陣取っています。
 もうどうにでもなってしまえばいいのです。
 どいつもこいつも自分のことしか考えないのなら、生きていく価値はありません。その結果全人類が滅亡したとしても、それこそが運命。それこそが思し召し。

 神なんていません。いたらこんな酷い世の中を作るはずがありません。
 ならば、わたしの蛮行を見咎める存在だっていやしないということになります。

僧侶「――――」

 死んでしまえ、とうまく呟けたかどうか。

 弾丸よりも速くわたしは飛び跳ねました。
 まるで跳弾。一気に加速し、もう一発飛んでくる弾丸を拳銃で逸らして、一気に司祭の懐へと飛び込みます。


司祭「な――っ!」

 驚愕の表情。
 一秒たりともその顔を見ていたくはありませんでした。顔面にこぶしを叩き込み、上半身が揺らいだところで足払い。そのまま後頭部を勢いよく石へ叩き付けます。

 ごぐ、という鈍い音がしました。
 馬乗りになって、どうやら既に絶命はしているようでしたが、許せないので顔面を中心に弾丸がなくなるまで拳銃を撃ち続けます。ばん、ばん、ばん、ばん、ばん、ばん、ばん、ばん、ばん。その次の十発目で弾切れになりました。

 もう、どうにでもなぁれ。

僧侶「あぁ……州総督の居場所、聞くの、忘れてた、な」

 殺す前に聞き出して置けばよかったです。

 大切だったもの。守りたかったもの。それらは全部まやかしで、指の中から零れ落ちていって。
 残されたのは輝かしい過去だけ。

 現在も、未来も、わたしには存在しない。

 奪われてしまった。
 人だけでなく、現在や未来まで、あいつはわたしから奪っていく。


 誰にも泣きつくこともできず。
 叫んだってどうしようもないのなら。

 がらんどうなわたしの心。

 それを埋める何かを探して。
 全ての元凶を血祭りに挙げて。

 心を満たす以外に、満たされない。

 トートロジーとして間違っているでしょうか?




「大間違いだな」



 ……幻聴が聞こえました。

 あは。あははははは。もうだめだ。だめになっちゃってるや。
 あたまおかしくなってる。
 わけわかんなくなってる。

 でもいいや。いいんだ。いいんです。
 つかれたもん。

 どうせこんなところにあのひとがいるはずないし。
 あの人はお金のもーじゃだから。
 わたしを助けにきてくれたりなんかしない。

 もう、わたしは傭兵さんのやといぬしでもなんでもないんだから。

 ぼうっとわたしがあの人を見上げていると、あの人の大きな足が、わたしのお腹をいきおいよくけりあげたのでした。

 すっごい痛みがおなかから全身へとかけめぐって、わたしはかたい地面のうえを、ごろごろごろごろころがっていきます。

 ……わたしのしっている傭兵さんは、わたしを蹴ったりはしません。
 だから、これは、敵なのです。
 あいつの仲間なのです。

 州総督の仲間は、殺さなくちゃいけません。

 殺そう。

――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
「僧侶ちゃんの受難2」

誰か僧侶ちゃんを幸せにしてくださいマジで。

それでは、次回の投下までお待ちください。


* * *

 あぁ……。
 目的と行動を決めたら、拡散していた意識が収束していきます。

 しゅわしゅわと頭が発泡して世界が泡だらけ。ぱちぱちんと弾けて飛び出る虹色の噴霧。
 それまで冷たく暗かった地下牢が一気にメルヒェンになっていきます。
 傭兵さんが色とりどりなんて本当に面白い。

 州総督の手先だなんて残念です。
 殺さなきゃいけないなんて残念です。

 冷たい右手の銃。左手には換えのマガジンを用意して、私はこつこつと二回、石の地面をタップしました。

 縫製――枯渇している魔力を、それでも体の隅々から掻き集め、一本一本丁寧に魔法を編んでいきます。詩歌を諳んじるのにそれは似ていて。

 維持――期間は永続。傭兵さんの命が尽きるのが早いか、わたしの魔力が尽きるのが早いかの勝負。わたしの命が尽きる? ありえませんね。

 充填――体中に巡らせます。全身の魔力経路を通って、仄かに暖かい光が満ち足りていく心地よさがありました。それだけが唯一、人心地つける瞬間でもあります。

 放出――はできません。必要ありません。


僧侶「全身治癒」

 弾丸の通り抜けた部分や、これまでの戦闘によって負った数々の傷跡が、治癒の煙を噴出しながら休息に直っていきます。力んでも破れない程度まで血小板を凝固させ、疲労も消しました。
 両手を開いて、閉じて、感触を確かめます。

 よし。問題はないです。

 更に残りの魔力を四肢に送り込みました。眼には決して見えませんが、確かにわたしには、体が魔法の輝きを放っているのがわかります。

僧侶「脚力倍加」

 軽く跳ねるだけでわたしの見る景色は吹き飛んでいきます。一般人には目で追うのも精一杯な速度でしょうが、相手はまるで一般人ではないので、あわせて剣を振るわれました。
 勇者様から奪った、障壁すらもたやすく両断できる剣。素早く弾を装填してカウンター気味に撃ち込みます。
 根元を素早く動かして、二発、どちらも防がれました。刃の勢いは止まらずに狙いは脚。こちらの機動力を殺いできます。

 絶妙なタイミングと間合い。回避は叶いません。わたしはそう一瞬で判断し、銃の上辺で受けました。同時に弾丸を発射しながら。

 鉄の塊であるはずの拳銃が、まるで果物のように小気味いい音を響かせました。綺麗に真っ直ぐ、銃身の先端から中ほどまでが落とされます。
 はためいた僧服の足元が大きく切り裂かれ、のぞくのは下着。


 恥らっている暇はありません。銃を犠牲にしましたが、それで脚の一本が買えたと思えば安いもの。

 それに、銃はここにもあるし。

 落ちてくる拳銃をキャッチしました。
 多用はできませんが、一度や二度なら、拳銃の召喚くらいは。

僧侶「守備力倍加」

 傭兵さんの蹴りを左腕で受けます。鉄のように硬くなったはずの体なのに、それすら超越する彼の攻撃の重さといったら、わたしの体の芯をしっかりとぶらしてくるのです。
 そのせいで銃口が逸れました。偶然に弾丸が傭兵さんに当たるだなんてありえません。射線が一致していたとて、彼は指の動くタイミングを読み、回避できるでしょうから。

 ……あれ? わたしの目の前にいる傭兵さんは、本物じゃないのではなかったでしたっけ?
 だれがそういっていたのだったか……。

 あぁ、もう、どうでもいいや?

僧侶「?」

 なんで疑問系なんですか?

傭兵「知らねぇよ!」


 頭の中を読まないでください。
 あなたの頭の中も読んじゃいますよ?

 む。
 むむむ……!

僧侶「むーりー」

 なら脳みそを調べればいいんじゃないでしょうか。

 ないすあいでーあ。

僧侶「流石わたしです?」

 だからなんで疑問系なんだっていうね?

 そういうお年頃ってやつなのかもしれませんけど。

 思考がてんでばらばらなところへとお出かけしていってしまいます。一つの束にしなければいけないのに、そうして初めてわかることが、思い出せることが、しゃんと胸を張れることがあるかもしれないのに。
 あったはずなのに。


 統一された信念と意志によって初めて大義を成すことは可能になります。
 わかっているのです。わたしはいままでその二つをぶらさずにずっと生きてきました。そのつもりでした。

 それを、もう疲れたと擲とうとするわたしがいて。
 涙を湛えて必死に離すまいとするわたしもいて。

 鬩ぎあいの中で、傭兵さんと鬩ぎあっています。

 倍化された脚力はわたしの移動を旋風にします。ひゅおんと風を切り、通り過ぎてからごおぅと風を巻く、超高速移動。
 ですが傭兵さんの眼の前には意味を成しません。そもそも彼は、わたしが地を蹴るよりも早く、そのつま先の向きと重心のかけ方とこちらの思考パタンを読んで、予め待ち構えた位置を陣取ることができるのです。

 だから、もし現状を客観的に見ることができるのだとすれば、まるでわたしが傭兵さんに向かって突進しているようにも見えるでしょう。傭兵さん大好きですと胸に飛び込んでいるようにすら見えるかも。

 甚だしい。


僧侶「腕力倍加ァッ!」

 拳は空を切って鉄格子ごと壁を大破させました。腕が壁に埋まりますが、礫を傭兵さんに向けて見舞います。
 避けきれない弾幕すらも最小限の動きで無傷。こちらに真っ直ぐ突っ込んできます。
 銃弾は全て回避され、反対に避けようとしたわたしの背中に壁の冷たい感触。意図的に追い込まれたに違いありません。

 倍化された守備力はわたしの全身を鋼鉄にします。硬く、重く、決して曲がらない、わたしの信念そのもののわたし。
 ですが傭兵さんの剣の前には意味を成しません。彼の剣の詳細は知りませんが、かなりの業物であることは明白です。障壁を切れることから何らかの魔術的処置も施されているのでしょう。それに傭兵さんの腕が加わった結果が先ほどの拳銃。

 翻る僧服がざくざくと刻まれていきます。脚力倍加とあわせてなんとか紙一重で剣戟の回避を続けますが、回り続ける傭兵さんの刃を避け続けることも、ましてや受け続けることもできるはずがなく、わたしの身体は次第にその体積を減らしていきます。

 甚だしい。

 苦し紛れに、闇雲に手を振るったとて、あたりの鉄格子や牢屋の壁を粉砕していくだけ。傭兵さんには掠りもしません。そうしてがら空きになった胴体へ、拳や爪先があっさりと叩き込まれていくのです。
 敵ながらも惚れ惚れするほどに美しい動作でした。


 倍化された腕力はわたしの両腕を戦鎚とします。触れたものを全て粉砕する赤い鉄槌。それは迅雷の如く資本主義に鉄槌を下すというダブルミーニングでもあります。
 ですが傭兵さんの足の前には意味を成しません。リーチの問題よりも、もっと根源的なもの。わたしの腕を振る速度より、傭兵さんがステップを踏む速度のほうが圧倒的に早いのです。傭兵さんの懐に何とか潜り込んでも、瞬きした次の瞬間には、彼はわたしの背後にいます。

 圧倒的でした。攻撃は遠距離近距離を問わずに悠々と回避され、防御をすり抜けて打撃が体を強かに打ち据えます。治癒魔法でも治癒しきれない鈍痛が全身を駆け巡り、体を僅かに捻るだけでも涙が滲む始末。
 それでも手加減はされているのだとわかります。最早傭兵さんは剣すら抜いていません。抜くとしても銃弾を弾くときくらいで、後は全て徒手空拳。

 傭兵さんの拳は十分に熱くって、血の通った人間のそれでした。

 意識はすでにどこかへ吹っ飛んでしまっています。ぐらぐらぐらつくわたしの精神。信念は鋼鉄ですが、それを結わえ付ける土台が腐っていれば、そりゃぐらつきもします。
 精神の鬩ぎあいは終わりを迎えそうにありません。


僧侶「って、誰が腐ってるんですか!」

 人をゾンビみたいに言ってからに!

傭兵「……お前はちったぁ人を疑うことを覚えろ。だからそんなふうになっちまうんだ」

 「そんなふう」? そんなふうとは、一体全体どんなふうですか?
 この煮立ってばかになってしまった頭?
 それとも、騙されたこと?

 人を疑う、ですか。確かにそれができれば、いまのわたしはなかったかもしれません。
 いや、そもそも両親が騙されていなければ、もっと幸せないまがあったのかも。
 言っていることはわかります。わからいでか。でも、それはつまり、現実を見据えるということです。

 州総督のように偉い人間は上澄みのおいしいところだけを啜って。
 両親のように心優しい人間は淀んだ悔しい気分だけを味わって。
 その現実を見据えて、認めて、それを乗り越えて生きていくということです。生きていかなければいけないということです。

 えぇ、確かにそれは理想的な生き方です。人間としてすばらしい生き方。前向きで、ポジティブで、明るく、爽やかな、上等で模範的な選択。聖人と揶揄してもいいくらいに。

 そんな現実、絶対に直視してやるもんか。
 そんな選択、絶対に選んだりするもんか。


僧侶「わたしは! 現実から逃げる! 逃げ続ける!」

 その先にあったのが共産主義。

 ならば新しい現実を作るしかないじゃないですか。

 州総督を殺し、名実共にわたしが全てを引き継ぐ――乗っ取って。

 銃弾を撃ちます。傭兵さんはそれを剣で難なく弾き、一瞬でわたしとの距離を詰めました。
 相変わらず腐った眼をしていますが、僅かに光が宿っているのが見えます。どぶ川に落ちた宝石のような、赤いルビーの輝き。

傭兵「逃げ続けてどうする」

 容赦なく顔面を殴られました。鼻っ柱ではなく、頬。舌の端を噛んで痺れが口腔内に広がります。

僧侶「ただわたしは! みんなを守りたいだけなんです!」

 理想的じゃなくたっていい。素晴らしい生き方じゃなくたっていい。前向きでもポジティブでも明るく爽やかでなくともいい。上等で模範的な選択をできなくとも、聖人として生きられなくとも、別にいい!

 現実が貧しい人々を作り、虐げられる人々を殺すというのなら!
 そんな現実の門に下るわけには、猶更行かないのです!


僧侶「傭兵さん、あなたは言いました。この世でお金が一番大事と」

傭兵「あぁ? 覚えちゃいねぇよそんなこと。……まぁ、言ったかもしれねぇが」

僧侶「やはりあなたは間違っています。間違っているのです!」

傭兵「なにがだ」

僧侶「この世で一番お金が大事じゃありません」

傭兵「『金よりも大事なものがある』か?」

僧侶「違います」

僧侶「『この世で一番』『お金が大事じゃありません』」

 「この世で一番お金が大事」「じゃない」のではなく。

 言葉遊びと笑うなら笑えばいいのです。しかし、ですが、だけれども、わたしはその言葉遊びの中にこそ物事の本質があるのだと思っています。

僧侶「だから全部ぶっ壊すのです。恵まれない人を守るのです!」


 思考が纏まっていきます。束になっていきます。
 殴られすぎて蹴られすぎて疲れすぎて魔力も枯れていて頭がぼやけて朧なのに、不思議と思考は回りました。
 それまでばらばらになっていた全てが、窮地を悟って手を繋いだかのようでした。

 わたしは傭兵さんの顔を見上げます。

 懐かしい顔でした。皮肉屋で性根が捻じ曲がっているこの男の顔なんて、もう二度と見たくないと当初は思っていたはずなのに、わたしは今、彼がこの場にいることを、ひどく嬉しく思っているのです。

 わたしの振り下ろした拳は傭兵さんには届きません。カウンターで鳩尾へ膝が入ります。

 猛烈な嘔吐感。胃の中身は空っぽですから、収縮する痛みとつらさだけがありました。

 拳銃を向けますが人差し指を動かす前に足が払われました。銃弾は天井に突き刺さり、石の破片を降らせます。
 その右腕を足で踏みつけて、傭兵さんはわたしを見下ろしています。

僧侶「恵まれない人を、守りたかった、のに……!」

 騙されて。
 輝かしい未来は、指先が触れる瞬間に、脆く儚く掻き消えて。


 跳ね起きようとした全身を蹴り飛ばされ、鉄格子の残骸へと背中を強打。肺の空気が押し出され、呼吸が数瞬止まっている間に、傭兵さんはわたしと目と鼻の先まで迫ってきていました。

 ……あぁ、やはり傭兵さんは強いです。
 いくら身体能力を強化しても、もともとの強さの差が絶望的なのですから、この結果は当然といえました。

 体が動きません。体力の消耗、魔力の枯渇……そして何より、こんなことは口が裂けてもいえることではないのですが、どうやらわたしは、彼の姿を見て安堵してしまったようなのです。
 張り詰めていたものが弛緩し、ついには立てなくなってしまったようなのです。

 涙が溢れました。それが、わたしの夢が終わってしまったからなのか、彼ならばなんとかしてくれると思ったからなのか、自分でもわかりません。

僧侶「傭兵さん……」

傭兵「なんだ」

僧侶「助けてください」

傭兵「……何をだ」

 何を――わたしを、社会を、王国を、共産主義を。
 そのどれかであり、どれでもであり、そしてどれでもないような気もしました。

 ただ、わたしにはきっと、これ以上手の打ちようがなくなってしまったのです。それだけはわかります。愚かすぎるわたしでも、いや、愚かすぎると自覚ができたからこそ、そんなわたしに事態の収拾がつけられるはずがないと絶望しているのです。
 あなたに縋りたいのです。


 野に放たれた共産主義者は止まりません。既にゲリラの方向性は与えられました。この戦争における虐殺や無体を、州総督や党首は王国の蛮行だと大々的に報じるでしょう。
 大義は我にありと騙された人々が王国へ牙を剥くのにそう時間はかからないはずです。

 資本主義は屑です。その認識はいまさら変えられやしません。ですが、結果として対立を煽ることになったわたしもまた屑なのです。
 こんな未来は目指していたものとは違います。

僧侶「責任を、とらないと」

傭兵「そうだな」

 傭兵さんが強くわたしの足を踏みつけました。骨の軋む激痛にわたしは思わず拳銃を取り落とします。
 それを拾って、マガジンを交換すると、迷いもなくこちらへ向けました。

僧侶「……」

傭兵「悪いが、お前の頼みは聞いてやれない」

傭兵「俺はお前から金をもらっちゃいねぇからな」

 思わず噴出しました。どこにいたって傭兵さんは傭兵さんなのです。どこでも変わらない、強く折れない芯を、彼は持っています。
 彼はお金でしか動きません。ただ働きをさせることは、きっと神様にだって不可能でしょう。

傭兵「じゃあな」

 そして傭兵さんは、躊躇いなく引き金を引いたのでした。

―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
僧侶ちゃんの受難3はこれにて終了。次回から久々の傭兵視点に移るはず……

夜にもう一回投下できなければ、更新はまた来週になると思われます。暫しお待ちください。


※ ※ ※

傭兵「……」

傭兵「……く、くく」

傭兵「くひゃ、ひゃはは、あっははははははっはっはっはっは!」

 目の前で呆然としている僧侶の顔に俺は笑いが止まらなかった。

 俺が撃ったのは空砲である。わざわざ用意してきたものだ。
 でなければ拳銃のマガジンなど持っているはずがない。

 笑ってはいけないと思えば思うほどに殺しきれない笑いがこみ上げてくる。僧侶はそんな俺を目の前にしてなお、ぽかんと口を半開きにし、現状を飲み込めない顔をしていた。
 面白すぎる。

傭兵「ひっははははは! お前、僧侶、お前なんだよその顔、うっははははは!」

 横隔膜が痛い。引き攣っている。い、息が、息ができねぇ!

 そのまま暫し笑い続けていると、頬に衝撃が走った。
 立ち上がった僧侶が俺の横っ面にびんたを食らわしたのだ。

僧侶「よ、う、へ、い、さ、ん?」

傭兵「お目覚めのようだな、クソお姫様」

 怒りは特になかった。悪気があってやったのだ。悪がぶったたかれるのは当然と言える。
 それでも、悪気こそあったが俺は決して悪びれない。共産主義者の首魁、悪の枢軸、資本主義を堕落に導く女悪魔と世間で言われたい放題の目の前の少女に比べれば、所詮一介の守銭奴に過ぎない俺なんて、とてもとても。


 頭一つぶん以上差があるのに、僧侶は真っ直ぐ俺を見てくる。首が痛くならないのだろうかと心配になるくらいに。
 なかなか堂に入った眼光と迫力であるが、数多の視線を潜り抜けてきた俺には何の意味もない。それに、そもそもこの反応まで全て手のひらの上だ。マガジンを持ってきたのは単なる遊びではないのだ。

 さて、そろそろお遊びを続けているのも限界のようだ。首を捻り、調子を確認してから、息を吐いた。

僧侶「なんなんですか。なんなんですかあなたは……!」

 静かな怒りが見える。殺して恨まれることなど珍しくもないが、殺さないことで恨まれるのはかなり珍しい状況といえた。
 僧侶の考えは痛いほどにわかる。だが、だめだ。こいつをこんなところで失うわけにはいかないのだ。

傭兵「要領を得ねぇ質問だな」

僧侶「あなたはわたしをどうしたいのですか!」

 どうしたい?
 ……どうしたい、か。

僧侶「わたしは、わたしはっ、責任を取らなければいけないのです!」

傭兵「なら取ればいい」

僧侶「気安く言わないでください!」

 激昂だった。努めて取っているこの軽佻浮薄な態度もそれの後押しをしているのだろう。


 だがそれでいいのだ。それでいいのだと俺は思っている。
 体の奥底にたまった毒素は一度出し切ってしまうのが、将来のことも鑑みれば、最もよい選択なのだ。

 大天狗と戦ってぼろ負けして。
 血反吐を撒き散らしながら、糞尿を垂れ流しながら、それでも必死に、みすぼらしく、生へしがみついていた俺たちのように。

僧侶「やれるものならさっさとやってます! だけど、でも、じゃあどうしろっていうんですか! 仲間もいない、力もない、体力も魔力も枯渇寸前、そんな小娘にとれる責任だなんんてたかが知れてるじゃないですか!」

僧侶「それだったら! それだったらもう、遺書の一枚でもしたためて、自決したほうが万倍マシってもんでしょう!」

 小娘と自称したとおり、確かに僧侶は小娘だ。自他共に認める、ただの小娘に過ぎない。
 彼女の華奢で細っこい体躯には、恐らく、彼女の理想は重すぎた。それでも、なまじ体躯に見合わない精神性だけがぶっとく一本立っていたのが――立ってしまっていたのが、不幸の原因なのだろう。
 そしていま、自らの柱に潰されようとしている。

傭兵「逃げだとしても?」

僧侶「そうですよ!」

 やはりわかっていないはずがないのだった。

 僧侶は聡明だ。頭もよく回る。融通の利かないきらいがあるが、その欠点を補って余りあるほど様々なことをわかっている。
 この世の仕組み。自分を取り巻く環境。出来事の原因と経過。そして自分自身の感情も。

 ただ、この世の仕組みや自分を取り巻く環境やその他諸々が、決して理解していたとてうまく折り合いとケリをつけられないように、こいつ自身の感情も、同じものなのだ。

 逃げだとわかっていても。
 聡明な彼女には、自分が既に「詰み」の状況に置かれていることがわかってしまう。

 人を疑わないからこうなるんだ。それは俺が先の戦闘中に言ったことではあるが、しかし、まぁ、それは人間の美徳である。疑わない人間と、疑わざるを得ない社会、どちらが素晴らしいかといえば……考えるまでもないだろう。
 僧侶が僧侶であるまま生きていける世界は、きっと高潔で、理想的な世界に違いない。しかし残念なるかな、人間はいまだそのステップへと移行できない。そこまでの精神性は持ち合わせていない。

 かといって僧侶がこちらがわにあわせるのも業腹だ。それは、なんというか、俺が負けた気がするのだ。
 なにに、と言われても説明はし辛いのだが。


 あぁ、わかっている。実に「らしくない」。
 俺は俺のことを金の亡者だと思っているし資本主義の奴隷だと思っている。だからこそ大声で「らしくない」と言ってしまえる。

 僧侶を見ていて胸に影が落ちるのは一体どうしたことだ。

 今俺がやっていることは、突き詰めてしまえば僧侶の愚痴に付き合っているだけだ。一銭にもなるまいに、どうしてか。

僧侶「もう疲れたんです! 頑張って、頑張って、頑張ってきて――それでこの結果ですよ! それとも、傭兵さん、あなたはまだわたしに頑張れと言いますか!? わたしの頑張りが足らなかったのだといいますか!?」

 頑張ったよと言うのは簡単だ。だが、そう声をかけるのは親の役目であって、単なる傭兵に過ぎない俺にはその言葉をかける権利などない。

僧侶「頑張らなきゃいけないのに! わかってるのに! ――もう、体が……!」

 動かない。
 単に体力が、ということではないのだろう。体の芯を立たせるものは体力ではない。

 ぼたぼたと涙を零しながら、僧侶は自らの顔を両手で覆った。
 気丈にも膝はつかないままで。


傭兵「楽になれると思ったか?」

 思っただろう。思ったはずだ。

僧侶「……」

傭兵「俺から銃口向けられて、やっとこれで楽になれると、そう思ったろ」

僧侶「……えぇ、そうですよ。思いました。思いましたとも」

僧侶「全てが終わるんだと思いました。悔しくて悔しくて、情けなくて、無念で……心残りはいっぱいあるのに、まだなにも終わってない、なにもできてないって痛感してるのに」

僧侶「所詮わたしは屑です。楽なほうへ楽なほうへ流される」

 自嘲して、僧侶は瞳を袖で一度力任せに拭うと、真っ赤になった瞳を足元へ向けた。

僧侶「でも、そうですね。わたしがばかなだけだったんです。わたしは傭兵さんにお金を払えません。助けてもらえないのですから、そりゃ当然、楽にしてもくれないでしょう」

 それだけ言うと、僧侶は拳銃を俺の手からひったくり、脇を抜けていく。
 どこに行くのだと声はかけなかった。行き先などわかっているから。


傭兵「州総督のところか」

僧侶「はい。座して死を待つくらいなら、戦って死んだほうがマシってもんです。傭兵さんはそれを教えにきてくれたんじゃありませんか?」

 一度死んだと思えばなんだってできる。そのつもりで言ったわけでは、当然ない、はずだ。

傭兵「買いかぶりすぎだ」

僧侶「じゃあ、そういうことにしておきます」

 なんとも腹の立つ顔をするやつである。

傭兵「行く前に俺に報酬を渡せ。ラブレザッハまでの護衛代だ。銀貨、持ってるんだろ」

 鼻で笑って僧侶が銀貨を投げてくる。王家の紋章が刻印された銀貨。渡されずじまいだった俺の報酬。
 それを受け取って、流れる動作で僧侶の肩を掴んだ。

僧侶「……なんですか」

傭兵「そのままじゃお前死ぬぞ」

 眉を動かしたのがわかった。俺の言っていることがわからないでいるのだ。イラついているのは明白だった。
 そしてそのイラつきは大いなる誤解に基づくものだ。どう説明したものか……いや、実際に見せたほうが早いかもしれない。

傭兵「おい、もう出てきていいぞ」

 俺は靴を投げ捨てた。


「了解しました」

 すぐに応答が返ってきて、その靴から即座に人影が浮かび上がる。
 地下牢に見合わない給仕服。薄暗い中でも輝く金髪。柔らかな物腰。そして野犬を髣髴とさせる眼力。

僧侶「なんで、あなたがここに」

掃除婦「説明している時間も惜しいのですが、仕方がありません」

 掃除婦は憤懣やるかたなさを全く隠さず髪を掻き揚げた。

 手馴れた動作で司祭の靴を脱がせると、瞬く間に靴が立ち上がり、生前の司祭の姿を顕現させる。眼に光が宿っていない、焦点も定まっていない、採石の町で見た掃除婦の傀儡である。
 それは僧侶を押しのけて階段を上っていく。そして、隠し扉をあけた瞬間に、爆裂した扉に巻き込まれて呆気なく消失する。

 ぱらぱらと砂埃や地面、木材の一部が俺たちに降り注いでいく。

 僧侶は引き攣った笑みを浮かべていた。

僧侶「爆弾、が、仕掛けられていた……?」

傭兵「だから言ったんだ」

 どうしてこうも猪突猛進なのか。


 目の前で起こったことを嚥下しようと僧侶は努めている。だが掃除婦は僧侶の自然な理解に任せておく時間ももったいないと、石の階段をこつこつと鳴らしながら上っていく。

掃除婦「繰り返しますが、時間もありません。その話は道中、おいおいしていきたいと思うのですが、どうでしょうか?」

僧侶「……わかりました」

 僧侶がいいなら俺に否やはない。大人しくついていく。

掃除婦「序列第六位、『機会仕掛け』」

 最早用を成さない、焦げ臭い隠し扉を抜けながら、掃除婦は唐突に言った。

掃除婦「あなたが党首と呼ぶ人物の正体です」

僧侶「機械仕掛け?」

掃除婦「『機会』です」

掃除婦「爆破魔法を専門している工作魔術師。オリジナルの呪文系統として『物体機雷化』を開発、習得しています」

掃除婦「機雷の爆破条件は『開く』『放つ』『破る』など、何かを開放する動作と連動しています。ゆえに、『機会仕掛け』の二つ名がつきました」

 火薬も導管も必要なく、投擲も操作も必要ない。
 万物を完全なる全自動で爆殺する機雷と化す。それが序列六位、『機会仕掛け』の能力。

 例えば、国境線を機雷化し、「破った」兵士たちを軒並み爆殺したり。


 恐ろしいのは扉などの物体だけではなく、国境線と言う概念までも機雷化できるということだ。眼に見えるものが機雷化していれば対処法はまだあるが、無色透明な、そもそも実体のないものが機雷化しているとなれば、警戒の仕様がない。
 掃除婦と手を組む際に尋ねた限り、「約束」を機雷化した上で誰かがその約束を「破った」場合、爆殺される可能性が高いという。

 「物体機雷化」とは名ばかりで、実際は物体以外も機雷化できるという、何よりゲリラと親和性の高い厄介な相手だった。

僧侶「……もともと司祭も使い捨てるつもりだった、と」

掃除婦「そういうことになります」

 やはり僧侶は聡明だった。既に彼女の中では、党首――「機会仕掛け」によって描かれた絵図の全容が把握できているのだろう。

 地下牢の隠し扉の爆発が単なる爆弾ではないと仮定するならば、それは党首の能力である「機雷化」によるものだ。
 そして、なぜ党首は隠し扉を機雷化したのか。司祭を地下牢に送り僧侶を殺そうとしたのは党首の命令である。司祭の勝利を信じているのなら機雷化するはずはなく、僧侶の敗北を懸念していたのならば、そもそも司祭を送り込まなければいい。

 よって一つの結論が導き出される。どの道党首は司祭をも始末するつもりだったのだと。

 やつにとっては全てが手駒だったのだろう。僧侶も、司祭も、当然自らを慕ってくれる人々も。

 実に親近感が沸く。
 同属嫌悪だ。


掃除婦「ここからは想像でしかないのですが、恐らく党首の目的は、州総督が持っていた全ての奪取。金銭も権力も利権も、全てひっくるめて自分のものとするために」

僧侶「話の流れが正直読めないのですが。そもそも、なぜ掃除婦さん、あなたが傭兵さんと組んでいるんですか? 一体何をしに?」

掃除婦「単純な話でございます。最初は州総督様、そして司祭と『機会仕掛け』の三名で描いた絵図なのです。州総督様が国王一派を黙らせ、この国の権力を手中に収めるために、一芝居二芝居打とうと、そう話し合われたのです」

掃除婦「しかし土壇場で『機会仕掛け』は裏切りました。州総督様を誘拐し、恐らく、権利書や内密の情報を絞れるだけ絞ってから殺すつもりなのでしょう」

掃除婦「それは――許せません」

 凄絶な笑みを掃除婦が浮かべる。思わず空恐ろしくなってしまうほどの。

僧侶「じゃ、じゃあ、他の序列のかたは?」

掃除婦「勿論おりますとも。総勢十名、現在各地で王国軍と依然戦闘続行中でございます」

傭兵「道理で進軍速度が遅いわけだ」

掃除婦「えぇ。州総督様は拉致られてしまっておりますが、依然としてお出しになられた指令は継続中。全戦力を傾け、王国をボロボロにしてしまわなければ、背くことになります」


掃除婦「だからこそ傭兵様が呼ばれたのですわ、僧侶様。お恥ずかしい話ですが、私は『足跡遣い』。一人で百人を相手にすることはできますけれど、百人力の一人を相手にすることは、不慣れですの」

 確かに、こいつの「靴を媒介に持ち主を召喚する」魔法は、このような戦場でこそ輝く。死んだ相手の靴を脱がして召喚すれば、それこそ倍々ゲームの成立だ。

掃除婦「ですから、彼に」

傭兵「あぁ、俺に」

「「依頼内容は、『州総督の救出』及び『党首の抹殺』」」

僧侶「あぁ、だからこの人が」

 わざわざこんな戦地まで出向いてくるわけですね、と僧侶は呆れ顔で言った。

 当然だろう。こんな危険極まりない場所に、俺が何の目的も報酬もなくやってきて、偶然お前と出会うかよ。
 掃除婦から俺に提示された報酬は総額千万。手付金で一千万、成功報酬で四千万。断る理由などどこにもなかったのだ。


掃除婦「それでは、お願いしましたよ」

 ざく、ざくと靴が地面を踏みしめる音と共に、周囲から兵士たちの亡霊が集まってくる。掃除婦の指示に忠実な不死の兵団。掃除婦がいれば、少なくとも数時間は戦列を保ってくれるだろう。
 視線の先にはこちらへ向かってくる王国軍の一団がある。掃除婦はここを橋頭堡とするつもりなのだ。無論、俺たちが速攻で党首へ追いつき、これを撃破できれば、それも必要ないことになるが。

傭兵「は」

 俺たち、か。

傭兵「僧侶」

僧侶「なんですか」

 王国の軍勢を見据えながら、語気も鋭く僧侶は答えた。

傭兵「助けてやろうか?」

僧侶「お金ないです」

 即答だった。瞬殺でもあった。
 思わず苦笑がこぼれてしまう。僧侶に言わせればこれこそまさに自業自得というやつなのだろうが、金を貪欲に求めることが業だというのなら、この社会そのものが業の坩堝ということになってしまう。
 いや、こいつはそう公言して憚らないのだったか。


傭兵「なぁに、気にするな。体で払ってもらうさ」

 党首を殺せば四千万だ。サポート役に十分の一払ったとしても四百万。十分すぎるくらいの額だろう。

僧侶「体ッ!」

 素っ頓狂な声を上げる僧侶だった。相変わらず変な女である。
 あわあわ言っている変な女をとりあえず無視し、挨拶代わりに手を挙げた。

傭兵「じゃあ、任せてくれ」

掃除婦「お願いいたします」

 敵軍儀仗兵の放った火球が掃除婦の傀儡を薙ぎ倒していく。それが会戦の合図だった。
 俺は僧侶の腕を引いて、傀儡の壁の後ろを駆け抜ける。背後からは次々着弾と剣戟の音が届き、州総督の敵を撃滅する喜びに打ち震えている掃除婦の歓声までも届くが、走り続けていればそれも自然と掠れていく。

僧侶「ば、場所は、場所はわかっているのですか!?」

傭兵「大体のあたりはついてる。そこから先は、手探りだな」


 党首はすぐに州総督を殺さないだろう。掃除婦も言っていたが、州総督には利用価値がある。情報を絞れるだけ絞るまでは州総督の命は保障されている。
 尋問、ないしは拷問をどこで行うのか。地下牢でそのまま行った可能性もあったが、踏み込んだ状況を見る限り、その可能性はなさそうだ。司祭と党首が連れ出し、現在も同行していると見るのが妥当だろう。

 ならばある程度時間をかけて、かつ安全に尋問を行える場所を虱潰しに探せばいい。南と西には国境線があり王国軍の警戒もきつく、そちらに向かったとは考えられない。よって向かった方向は北か東に絞られる。
 海に面した北部か、山林が横たわる東部。海から先はなく、あるとしても国外へ脱出してしまえば、折角苦労して手に入れた州総督の権利や財産の全てが有耶無耶になってしまう。それをよしとはしないだろう。

 東しかない。森を抜け、山を越え、もしくは山の裾野を大きく回りながら州の境を抜けるのだ。国内で国王派を転覆させようともするだろう。

「もしもし、傭兵か。生きてるか」

傭兵「おう、僧侶も回収した。掃除婦は交戦中。俺たちは州総督を追っている」

 隊長だった。州総督と党首の居場所が判明次第、俺に伝えるよう予め連絡をしていたのだ。


 掃除婦を始めとする州総督直属の揉め事処理屋たちが首を突っ込んだ以上、そう簡単に均衡は崩れないだろう。そして国王軍としては、なんとしても党首と州総督が逃げるのだけは阻止したいはず。
 そう読んで、俺は隊長に持ちかけたのである。このWin-Winを。

傭兵「東にいるか」

隊長「あぁ、想定どおりだ。探知魔法によれば、生体反応がふたつ、東へ向かっている。幸いに移動中。いま地図を送る」
 俺の脳裏に魔法によって念写された地図が送りつけられる。僅かな不快感とむず痒さを伴ったそれに、眼を細める。
 二つの光点は確かに東へと向かっていた。速度はそれほど早くない。徒歩ではないが、魔術的な移動手段を用いているわけでもなさそうだ。馬車の類だろうか。

傭兵「僧侶、この方角に、部屋数の大きな建物はあるか」

僧侶「部屋数の大きな? なんでですか」

傭兵「あほか。こいつの能力が機雷化で、その起動が『何かの開放』という動作にあるなら、部屋数が多ければ多いほど敵の戦力を削げるだろうが」

 追跡されるのは党首も覚悟の上だろう。それに対していくつもの罠を張ってくるはずだ。


僧侶「ん……このあたりにあるなら学校ですね。三階建ての、中規模なものが一つあります」

傭兵「よし、そこだ」

隊長「……本当にやるのか」

傭兵「当然だろうが。四千万をふいにするのは、流石に惜しい」

隊長「はぁ……わかったよ。じゃあ、ま、頑張れよ」

傭兵「おう」

 それだけを告げて通信は途切れる。

僧侶「なら、早速向かいましょうか、傭兵さん」

傭兵「……」

僧侶「……傭兵、さん?」

 俺は自分の口角が上がるのを堪えられなかった。

―――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
物語も終盤になると、毎回山場を設定できて、構成のし甲斐がありますね。

次回投下は未定ですが、なるべく早く投下したいと思います。お待ちください。


※ ※ ※

僧侶「傭兵さん、どうか……しましたか?」

傭兵「……」

僧侶「なんか、怖い顔してます、けど?」

 あぁ、多分それは、

傭兵「気のせい」

 じゃない。

傭兵「だろ」

僧侶「……そうですか」

傭兵「お前は、どうするつもりだ」

 俺の曖昧な問いに、けれど僧侶は困ったように笑って返してくる。

僧侶「正直、わたしも困ってます。どうしたものか……どうしたら、いいのか」

傭兵「殺すんじゃないのか?」

僧侶「そのつもりでした。し、そのつもりです。ただ……わたしがそうしたら、傭兵さんは止めるでしょう?」

傭兵「当然だ」

 考えるまでもない。


僧侶「ならきっと、わたしには州総督は、殺せないんだと思います」

傭兵「それでいいのか」

僧侶「そう言うなら護衛しないでくださいよ」

 僧侶は笑った。年齢相応の笑いに見えた。
 だから、少しだけ心が痛んだのは、内緒だ。
 罪悪感からじゃあない。俺は金が好きだ。少なくともこんなちんちくりんよりはずっと。

 そうじゃなくて、こいつのこれまでを思うと、どうしたって不憫には思うさ。

 言い訳染みたことを言い聞かせ、隠すかのように俺は鼻で笑ってやった。

傭兵「そうは行くかよ。党首は殺す。だが州総督は殺させてやらん」

僧侶「わかってますよ。わたし一人じゃ、どうせ党首を殺すことだってできやしないんですから」

 実力と言うよりは、戦い方の相性という面が大きいのだろう。
 僧侶が武器に拳銃を使っている限り、どうしても動作に「銃弾を放つ」という部分が含まれる。党首相手には拳銃は役に立ちやしない。引き金を引いた瞬間、自分の右手を吹き飛ばすだけだ。

 ただ、それでも……。

僧侶「それでも、その場にいたらどうなるか、わかったもんじゃありませんが」


 実質的な親の仇を目の前にして、平静を保っていられるほど、こいつは冷めた女ではない。土壇場で引き金に力を篭める可能性は、決して低くないだろう。
 それを俺の目の前で言ってしまうあたり、馬鹿というか素直と言うか、こいつの性格がよくわかる。

傭兵「安心しろ。そんときゃ俺が、お前を殺してでも止める」

僧侶「ま、そうなるでしょうね」

 言う僧侶の口ぶりには悲観は篭っていない。吹っ切れたとは違うだろうが、腹は括ったようだ。

僧侶「わたしはもう傭兵さんの雇い主でもありませんし。寧ろ、わたしが傭兵さんを一方的に頼っているだけですし。文句を言うのは筋違いですね」

傭兵「……お前、そんな殊勝だったか?」

僧侶「な! 失礼な! いままでわたしのどこを見ていたんですか!」

 このちんちくりんに特筆すべき見る箇所などないような気もするが。


僧侶「まったく。数ヶ月経っても、全然変わってないんですね」

傭兵「数ヶ月で人間が変わるかよ。俺がお前みたいな金嫌いになってたら、それはそれで嫌だろうが」

 そんな俺、想像したくもないが。恐ろしい。

僧侶「完璧じゃないですか」

傭兵「完璧?」

 やはり変な女だ。

 僧侶はひとつわざとらしい咳をして、「口が滑りました」と視線を逸らす。

僧侶「ま、まぁとにかく、わたしは傭兵さんのサポートに回りますよ。独断専行はしません。誓います」

傭兵「体力も魔力もないその状態でか」

僧侶「うっ……」

 図星を疲れた顔を露骨にした。そもそも、俺と戦っていたときからふらふらしていただろうが。それを俺が見逃すと思っていたのか。
 体力の回復は安静にしていればある程度までの回復はすぐだが、魔力はそうはいかない。そんなのはわかりきったことのはずなのに。


僧侶「……まぁ、でも、なんとかしますよ」

 なんとかなるものでもあるまい。魔法に詳しくない俺だって、それくらいはわかっている。

 俺は懐から小瓶を取り出し、放り投げようとして思いとどまる。流石に万一があっては洒落にもならない。

傭兵「手ェ出せ」

 僧侶の差し出された右手首を掴んで固定。確かにきっちりと小瓶を渡す。

 中でちゃぽんと液体が揺れた。

僧侶「なんですか、これ」

傭兵「エルフの飲み薬だ。大事に飲めよ」

僧侶「えるっ!?」

 驚きのあまり取り落としそうになったものだから、俺も一気に肝を冷やす。
 すんでのところで小瓶は僧侶がキャッチしたものの、こいつ、まさかわざとやってるんじゃねぇだろうなぁ。

僧侶「超貴重品じゃないですか! わたし初めて見ましたよ!」

 だろうな。魔法を殆ど使わないことを抜きにしたって、俺だって初めて見たのだ。


 魔力を完全に回復してくれる、脅威の秘薬がこのエルフの飲み薬である。これ一つ売れば五人家族が一年暮らしていけるとか、井戸で薄めれば儀仗兵一個師団を補えるとか、手に入れるために十年交渉を続けた商人がいるとか、逸話は様々ある。
 僧侶は今度こそそれを取り落とさないように、けれど興味津々と言った顔つきで、ためつすがめつ見回している。

僧侶「こんな貴重なもの、どうしたんですか……?」

 不安げにこちらを見てくる。

傭兵「安心しろ、違法な手段で手に入れたもんじゃねぇ」

僧侶「じゃあ、どうやって」

傭兵「エルフの遺品だ」

 言うべきか言うまいか迷っていたが、話をさらりと流せなかった以上、最早言うしかあるまい。

僧侶「あ……」

傭兵「あいつも曲がりなりにもエルフだったからな。秘薬の一つや二つは持ってたってわけだ」


 これをもらったのはあいつの弔いの際だ。クランの長で、あいつの育ての親から託された。「今度こそ魔王を倒してくれ」と言われて。
 今度こそ。俺にとっては耳に痛い言葉だ。トラウマと言い換えてもいい。
 しかし、魔王軍との最前線に立って戦っているエルフ族の言葉は必死で、無視できるものではなさそうだった。

 まぁ、そんな話は今はいいのだが。
 僧侶にこちらの事情を慮られても、それはそれで厄介なことになる。こいつは誰にだって同情的だから。

僧侶「わたしなんかが飲んでもいいのでしょうか……」

傭兵「どうせ俺は飲まないしな。それに、これ以上飲むべきタイミングが、早々巡ってこられても困る」

僧侶「それは、そうですけど」

 数秒小瓶を見つめていたが、意を決して僧侶は蓋を開け、中身の液体を一気に煽った。量としてはたいしたものではない。小柄な僧侶でも一息だ。
 幼い顔が渋く歪んだ。口には出さないが、どうやらそれなりに不味いらしい。

 僧侶はぎゅっと目を瞑っていたが、やがて「あ」と短く声を上げた。

傭兵「どうだ」

僧侶「うわ、凄いですよ、これ。眉唾なんかじゃない……」

 外から見ているぶんにはまったく変化が見られないのだが、当人がそういうのだから、恐らく内部的にはとても複雑な効果が駆け巡っているのだろう。


傭兵「なんとかなりそうか」

僧侶「なんとかしてみせます」

 根性論が好きな僧侶サマだった。

僧侶「さ! 早く行きましょう! 党首に逃げられてしまいます!」

 元気も溌剌と言う風に僧侶が東を指差した。俺は伸びをしながら「おう」と応じるが、その実まだ出発するつもりはなかった。
 あと二分……いや、一分あれば、どうだ。

僧侶「傭兵さん? どうしましたか」

傭兵「……お前には一つ、謝っておかなくちゃいけないことがある」

僧侶「え」

 謝る義理なんて本来はないのだけれど。
 それでも、俺はこいつに負い目を感じるのは嫌だったから。


傭兵「俺が勇者としての任を帯びていたってのは、お前は知っているんだったな」

僧侶「あ、え? いや、大天狗と戦ったって、そのときの人伝、ですけど」

傭兵「それは事実でな。道中で会った勇者が三代目なら、俺は言うなりゃゼロ代目……お試し版さ」

傭兵「極秘の任務だ。たった一人で魔王倒して来いって、馬鹿みてぇなこと押し付けられて……当時の俺は今と違って正義感に燃えててな。酒もやらない、金にがめつくもない、好青年だったんだが」

傭兵「なまじ他のやつより強かったから、義憤に駆られたわけだ。俺が魔王を倒さないといけない。そんな責任感も、あったしな」

僧侶「……それが、謝罪と、どう関係が?」

傭兵「俺はよぉ、結局勝てやしなかった。っつーか、恥ずかしい話なんだが、魔王の姿すら見てねぇ。大天狗に半殺しにされて、そこで無様に逃げ帰ってきた」

傭兵「魔王城の周囲は強敵ばっかりでな、満身創痍の状態じゃあ立ち向かえるはずもない。逃げに逃げたよ。生きてたのが今でも不思議に思えるくらいだ」

僧侶「結局人間は魔物にゃ勝てないんだよ。違うな。魔物には勝てても魔族には勝てない。もし人間が魔族に勝つ方法があるのだとしたら、それは勇者の存在によってではなく、大したことのない一般人が力を合わせて成し遂げるしかない」

 そういう意味では、結局俺もお前と同じなのかもしれないな、と思った。


傭兵「俺の任務は終わってない」

傭兵「王国が忘れても。送り出した人たちが忘れても」

傭兵「エルフも神父も死んじまったが――いや、死んじまったからこそ、残された俺がその責務を全うしなきゃならん」

僧侶「しん、ぷ……?」

 あぁ、そういえばこいつには、そのことを伝えていなかったのだったっけか――こいつの親父との旅の思い出でも、いつか語ってやるべきなのかもしれない。
 全てが終わったら。
 どれだけ僧侶の親父が子煩悩だったか、聞かせてやりたい。どんな顔をするだろうか。

 しかし、今はその時間はない。俺の見立てではあと十数秒。

傭兵「そのためには、俺は何だってする。してきた。合法非合法問わず金を掻き集め、時には人を殺し、奪ってきた」

傭兵「ここでも変わらん」

傭兵「だから俺はお前に謝らなくちゃならん」

 十三秒が経過。

 俺たちの遥か後方で、連鎖に次ぐ連鎖、大爆発が、地平線沿いに起こる。


僧侶「――」

 僧侶は絶句している。無理もない。あの爆発の方向にあるのは俺たちが今から向かおうとしていた校舎で、俺たちの最終決戦の場所となるはずだった地点で。
 いや、最終決戦の場所にこれからしにいくのだけれど。

傭兵「露払いは済んだ。行くぞ」

僧侶「ど、ういう、なにが――!」

傭兵「さっきの隊長との通信な、あれ盗聴されてたんだわ」

僧侶「……ぅえ?」

 素っ頓狂な声を僧侶はあげた。

 隊長は職務に忠実だ。義理堅く、まじめで、融通が利かない。俺が探知で得た情報を流すように要求したとき、やつは恐らく、かなり迷っていたことだろう。本来は敵方である俺に汲みしてよいものかと。
 やつには兵士の性根が染み付いている。兵士は個の利益ではなく全体の利益を考えるものだ。だから、断るとしても自らの中で握り潰したりはしない。
 絶対に上層部へ通す。そう踏んだ。

 上層部は、ならどうするか。当然俺や僧侶を利用すると考えるはずだ。王国視点、俺は有用な戦力であり、そして僧侶と党首は第一級の犯罪者。囚われの身の州総督は眼の上の瘤。始末できる限りを始末できるなら。
 そう思うはず。
 思わずにはいられない。

 王国軍は州総督の能力を知らない。うまく誘導してやれば、必ず引っかかる。


 恐らく忘我から蘇った僧侶はこう俺に尋ねるだろう。そんなことをする必要があったのですか、と。
 あったのだ。

 こうしなければ州総督を守れない。
 僧侶だって、出されている指示としては殺害ではなく確保だろうが、それもどうなるかわからない以上、決して王国軍と鉢合わせるわけには行かなかった。

 だからこその誘導。
 だからこその爆殺。

 州総督も僧侶も、俺にとってはここで失うわけには行かない存在だから。

 遠隔地での爆発は依然と、断続的に、続いている。

傭兵「行くぞ。これだけ爆発が起きていれば、前方の安全は確保されたも同然だ」

僧侶「……はは。あなたって本当、人でなしですね」

傭兵「……なんで泣く」

僧侶「……泣いてる? 泣いてます? 泣いてますかわたし」

 眼から溢れ出た涙が、たったいま零れ落ち、頬を伝って顎まで流れた。

 僧侶は自らの頬に、眼に触れ、そこでようやく泣いていることを理解したらしい。「おかしいな。おかしいや」と言いながら袖で眼を擦っている。
 それでも涙は止まらない。次から次へと溢れてくる。

僧侶「……なんで?」

 僧侶自身にわからないことが俺にわかるはずもなかった。

―――――――――――――――――――――
短いですが、今回の投下はここまでです。
インターバルというか、なんというか。

次回の更新は一週間後になります。
今後もよろしくお願いいたします。

>>573
僧侶ちゃんが庸平の代弁してるぞww

エルフの飲み薬とか久々に聞いた
神父も傭兵の仲間だったのか

>>581
……これは酷いですね。脳内変換お願いします。

>>582
読み返していただける機会があれば、序盤のほうから匂わせてはいます


※ ※ ※

 血のあとは見えない。何人も、何十人も機雷化した扉にぶっ飛ばされ打ち付けられ四肢があらぬ方向へ曲がり捥げ息絶えたはずなのに、それ以上に全てが爆散していてそれどころではないのだった。
 三階建ての校舎は平屋と化していた。二階以上は爆破の余波で吹き飛び消えた。
 随分と陽が射すようになった校舎で、なんとか生き残った――生き残ってしまった八人の兵士と、党首が向かい合っている。

党首「おやおや、しぶといですね」

兵士「……許さん」

 真っ直ぐな殺意を八人は放っていた。党首はそれを理解しているだろうに、まるでそよ風の前の柳のように受け流している。
 自らのうちから湧き上がってくる怒りに耐え切れなくなったのだろう。戦闘の兵士が剣を抜き、剣戟を「放った」。

 爆裂。

 剣を握った右手と、近接していた腹部が根こそぎ抉られ、刃は党首へは届かない。

党首「機会仕掛けの威力はどうです?」


 反射的に残りの七人も飛び掛った。前列三名の手元が爆破されるが、さすがに三人もそれを予測はしていたようで、機敏な反応で爆発に巻き込まれるよりも早く剣を党首に向けて投擲する。
 党首は感心したように笑みを浮かべた。後退しながら飛来する剣を指差すと、光が迸って爆発呪文が行使される。

 砕けた破片や黒煙を突っ切って、徒手空拳で前衛三名は党首に躍りかかった。屈みこんだその一瞬の隙間を狙って、三人の頭上を越え後衛の剣戟が援護する。

 僅かに切っ先は届かない。しかし、その僅かなぶんを埋めるかのように、前衛三人は更に一歩踏み込んだ。
 党首が指を差し向け爆発が数度。そのどれもが致命傷には至らず、爆炎の中を掻い潜って、ついに三人の拳が党首を捉えた。

 一人は胸倉を掴み。
 一人は顔面に拳を叩き込み。
 一人は腹へ膝をぶち込んで。

 大きく党首の体が跳ね上げられる。だが胸倉を掴まれているため距離は開かない。そこへ残った六人が群がった。

党首「あぁ、気をつけたほうがいいですよ」

 勢いによってスーツのボタンが弾け跳んだ。

党首「縫い付けが甘いので」


 スーツの前が大きく「開かれる」。
 胸襟から噴出した爆炎が前方の二人を巻き込んで吹き飛ばす。反動で党首も勢いよく吹き飛び地面を転がっていくが、寧ろ今は距離をとれたアドバンテージのほうが多いだろう。

 残りは四人。怒気を十分に孕ませた顔と、力を存分に篭めた拳を携えて、けれど決して急くことはなく、党首を追撃する体勢に入る。
 対する党首は大きく咳き込んで血を吐いた。殴打されたためか、自らの爆裂を受けたためかは判断がつかない。それに伴って大きく足がふらつく。
 無論そこを見逃すような兵士たちではなかった。即座に瓦礫を蹴り上げて加速。

党首「流石歴戦の兵士たち、怠けてばかりいる魔法使いじゃ、格闘戦では勝ち目はないですね」

 言いつつも余裕綽々の笑みを見せ、党首は手当たり次第のものを指差した。そのたびに爆発が起きて煙幕が張られていく。
 爆発そのものは小規模だったが、それによって吹き飛ばされた瓦礫や鉄筋などが高速で弾き飛ばされ、兵士たちの皮膚を切り裂く。致命傷とならないそれらに怯む兵士たちではないが、視界の悪さを懸念して更なる加速。

 黒煙から飛び出した彼らの視界に目一杯映る党首の姿。


 反射的に彼らは剣を抜こうとして、つい先ほどの三人の惨状が咄嗟に脳裏を過ぎり、すんでのところで剣戟を「放つ」ことを推しとどめた。しかしそれは同時に躊躇でもある。生まれたコンマ数秒の遅延は、この交錯においては見逃せるものではない。
 必然拳での応酬となるものの爆発で大きく体の芯をずらされる。当たらない。当たっていても掠った程度だ。難なく党首は兵士たちの隙間を抜けていく。

 あまりにもリスキーな動きだった。兵士たちも不穏な何かを感じ取り、一瞬でアイコンタクトを済ませる。

 だが遅い。

 既に二者の距離は「開いて」いる。

 党首の軌跡をなぞるかのように、一筋の煌きが空間を流れた。
 爆裂が四人を巻き込んだのはその数瞬後。
 当然のように巻き込まれて党首もまた吹き飛んだが、傷は大きく頬に擦過傷が見える程度。


 ……ふむ。

 と、物陰から隠れてその光景を見ていた俺は、ようやく重たい腰を上げた。
 話にしか聞いていなかった「機会仕掛け」……その能力の深淵が、ある程度ながら掴めた気がする。

僧侶「……」

 傍らで全く不機嫌になっている少女がひとり。理由はわかっている。あの八人の兵士を結果的に見殺しに、捨石に、生贄にしてしまったことに納得がいっていないのだ。甘ちゃんめ。
 だが、まぁ、あいつはそれでいいのだと思う俺も確かにいる。

 傭兵とはそもそも誰にもできない仕事か、誰もがやりたくない仕事を引き受ける職業であって、つまり汚れ役というわけで。
 子供が住みやすい世の中を作るのも大人の役目であるし。

傭兵「……」

 誰に言い訳しているのだかわからなくなって、俺は苛立ち紛れに舌を打った。右手には勇者から奪い取った破邪の剣を持ち、左手は不測の事態に対応できるよう手甲のみの自由な状態を保つ。
 破邪の剣は鞘から既に抜いてある。「機会仕掛け」になるべく機会を与えぬよう、何かを「開放する」に繋がる懸念のある動作は、全て事前に済ませておいた。


 無論抜刀から斬戟という一連が「剣戟を放つ」と解釈され機雷化されるのはわかっている。僧侶の拳銃など機雷化してくださいと言っているようなものだ。自然と攻撃は徒手格闘が主体とならざるを得ないだろう。 
 確認した限りでは投手の身体能力は一般人のそれと大差ない。まさか兵士八人を相手にして気を抜いていられるほどの達人とも思えない。
 本当に手練と相対したときは空気で伝わってくるものだ。筋肉が衣服を押し上げ、武や戦いに明け暮れた年月がまさしく重みとなってこちらにのしかかってくるのである。

 幻影を二つ展開。僧侶に目配せをすると、あちらも身体能力向上魔法の術式展開を既に終えたようだ。悲痛な表情はまだ残っているが、たやすく折れそうにない顔をしている。

 俺たちは駆け出した。

 途端に視界が赤く染まった。

 衝撃で足が地面から浮く。灼熱感が全身を襲い、そのままの勢いで地面へと叩き付けられる。なんとか受身を取って衝撃を逃がすが、それにも限界があった。
 骨が軋み、肺腑が攪拌。
 全身を襲う言いようのない不快感。

 僧侶も傍らに倒れていた。守備力倍加で被害はもしかしたら俺よりも少ないかもしれない。それでも衝撃から即座に立ち上がるといったことはできなさそうだ。
 二人とも損傷は軽微。僧侶は守備力倍加があるし、俺は反射神経のできがそもそも違う。機雷の爆裂を知覚してからの緊急回避が間に合うのだ。それ自体は先ほどの兵士たちもやっていたことではあるが。

 ……これでまた一つ確信を得たな。


 爆発したのは地面。恐らく学校の境界線を「破って」侵入してきたと解釈されたのだろう。その事実自体は予想外ではある。何故なら、境界線は本来「破る」ものではないからだ。
 敵勢力が自らの領土に侵攻してきて始めて境界線は「破」られる。この場合、学校の所有者が党首でなければいけないはずなのだが……まぁ、相手はこの国を動かしていた人間だ。都合をつけることは容易いだろう。

党首「おや、まだ誰かいらっしゃいましたか」

 知っていてわざと言っているのか、はたまた違うのか。柔和な微笑を絶やさずに党首がこちらへと振り向く。
 視線が合った。

 反射的に構える。僧侶もまた。
 最大の怨敵に違いないのだ。やつを倒せば全てが終わる。その「全て」とはとりあえずの全てであり、俺にとっても僧侶にとっても徹頭徹尾の全てでこそなかったが、少なくとも全身全霊を懸けるに値する敵。
 命を懸けることはできないまでも。

 党首の能力は基本的に受動だ。こちらが行動を起こし、その行動が機雷の爆発条件に合致していた場合に初めて攻撃が起こる。党首自身が積極的にしてくる攻撃は位置指定爆破であるが、この距離なら回避もたやすい。


 俺たちの姿を捉えた党首の顔が固まる。

党首「……ほう」

 固まっているということは微笑が崩れていないと言うことだ。俺はそれが酷く奇妙に感じたし、手繰り寄せて党首の苛立ちを想像した。

党首「僧侶さんに、……傭兵さん、ですか」

傭兵「俺なんかをご存知たぁ光栄だね」

党首「勿論存じておりますよ。あなたは有名ですから」

 悪評渦巻くその中心で息をしているもんでな。
 それとも州総督が発した指名手配のことを指しているのだろうか。

党首「会いたくない人間と、会ってみたかった人間が一緒に来るだなんて、運命とは数奇なものですね」

僧侶「わたしはあなたに会いたかったですけどね。あなたを止めなければ、枕を高くして眠れそうにありませんから」

 穏やかに言う僧侶の背後で殺意が積乱雲のように膨らんでいくのがわかった。ぼこぼこと音を立てながら重力に逆らい積載を重ねていく。


党首「僕は会いたくありませんでしたよ。あなたのような甘ちゃんにはね」

 愚か者め。そこがいいんだろうが。

党首「前々からムカついていたんですよ。僕が内心を押し殺して笑顔を保つのにどれだけ腐心していたと思っているんですか?」

党首「口を開けば、やれ協働だ、やれ皆で力を合わせようだ、やれ金なんて不必要だ、そういった言葉にはほとほと反吐が出る。どこまでこの世界をぬるく見てるのか、頭の中は脳みその変わりにお花畑が詰まってるんじゃないですか?」

僧侶「……よぉく、わかりました。あなたはわたしをそう言う風に見ていたのですね」

党首「だからそう言っているではないですか。僕は、僧侶さん、傭兵さんの隣にいるのがどうして僕ではなくあなたなのか、はっきり言って理解できないんですよ」

傭兵「……てめぇ、ゲイか?」

党首「ははは、まさか。衆道になど興味はありませんよ。ただ、傭兵さん、あなたの生き様と強さにはとても、とても、興味があります」

党首「資本主義の権化。守銭奴。金の亡者。いい響きだ。僕もそんな風になりたいと羨み、憧れていたのですよ。かねてからね」

党首「やはりこの世に生まれた以上、金を稼ぎ、掻き集め、だれよりも高みに! 裕福に! なろうと思うじゃあないですか! ならなければならないじゃあないですか!」


傭兵「お前は僧侶を恐れてたんだな」

 考えがするりと口から出てしまっていた。
 俺の言葉を聴いて、党首は今度こそ表情から全てが抜け落ちる。図星を疲れた人間にありがちな、能面。

党首「……何を根拠に」

傭兵「疑問には思っていたんだ。どうしてお前は僧侶を殺そうとしてたのか。仮にも幹部だ。そして共産主義のアイドルだ。簡単に殺すのは、惜しい。しかも完全にこいつはお前のことを信じきっていた。裏切る可能性は万に一つもなかったはずなのに」

傭兵「お前は、きっと、恐れていた。こいつに予想外すぎるほどの人徳があったことに、まさかここまでうまく共産主義が立ち上げられることに、そして僧侶を中心に民衆がまとまりつつあることに」

傭兵「そりゃ殺すしかないだろうな。僧侶を殺さないと全てがご破算だ。共産革命が成立したら、これまで築いてきたもの、これから手に入るものが意味なくなっちまうもんなぁ!」

 党首は苦し紛れに微笑を作り直したが、その顔は僅かに引き攣っている。


党首「僕はね、お金が好きなんですよ。愛していると言ってもいい。金、金、金! 所詮この世は金じゃあありませんか!」

党首「金があれば何も困ることはない! 将来への不安は吹き飛び、豊かな現在を謳歌できる! 夜毎寝場所を探す必要も、ゴミを漁って腐った食べ物を無理やり口に突っ込む必要も、病気が即ち死である恐怖に怯えなくてもいい!」

党首「――僕はもうあの生活に戻るなんてごめんなんです」

党首「そして、更なる豪奢な生活をしたい」

党首「欲望には果てがありませんから」

党首「おいしい食事、肌触りのいい衣服、広く天井の高い家。汗水たらしてあくせく働くなんてのも真っ平ごめんですし、他人からの尊敬も集めたい。誰だってそうでしょう? あなただってそうでしょう?」

党首「傭兵さん、僕と一緒に来ませんか? 州総督の財産を奪い、僕たちがこの国の頂点に君臨するのです。そして贅の限りを尽くそうじゃありませんか。僕の機雷化とあなたの戦闘技術があれば決して不可能じゃありません」

 そう言って党首は遠くから両手を差し出してきた。

党首「さぁ! 僧侶さんを切り殺して、僕のもとへ!」


 剣呑なことを口走られているのに、僧侶はびくりともしなかった。ただ冷たい視線で――いや、中途半端な視線で、つまらなさそうに党首を見ている。

 ……。
 はぁ。

 俺はため息をついた。

 なんだこいつは。あまりにもステレオタイプな金銭感覚。まるで群集。その他大勢。背景の書割。
 威厳のかけらもありゃしない。

 あぁ、だがしかし、俺はこいつを批判できないのだ。こいつはありきたりであるが故に、広く大衆に蔓延した意識の代表格でもある。こいつを批判することはそのまま大衆批判に繋がってしまう。それはまずい。俺はそこまで人間ができちゃいない。
 そりゃそうだ。党首の言っていることに間違いはない。威厳のかけらもない代わりに、矛盾のかけらもない。そこを突き崩すことは用意ではなく、寧ろ不可能と言っていいだろう。

 誰だって金が好きだ。

 誰だって将来の不安から解放されたい。
 誰だって現在の苦難から解放されたい。

 誰だってうまい飯は食べたいし誰だって広い家のほうがいいし誰だって暖かい服のほうがいいし誰だって働かずに生きていきたいし誰だって尊敬されたい。
 誰だってそうだ。

 俺だってそうだ。

 資本主義を否定している僧侶だってそうだろう。


 金は大事だ。
 金はとても大事だ。

 党首はそんな当たり前の行動理念に従っているに過ぎない。
 だから俺の敵は党首であって党首ではないのだ。
 党首は敵であるが、その思想ではない。

 この社会において「金なんて大嫌いだ!」と叫ぶほうが圧倒的にマイノリティだから。
 「金が大好きだ!」と叫ぶ人間もマイノリティではあると思うが。

 俺は普通に叫べるけれど。

 しかしそれでも俺は自然と剣を握る右手に力が篭ってしまうのだった。党首の思想は平凡で普遍的だ。敵ではない。敵ではないのだが――ぬるい。ぬるすぎて腹が立つ。
 そんなに金が大好きだと叫べるのに、それ以外の部分があまりにも凡庸すぎて。

僧侶「……」

 僧侶がこちらを見ていた。一言いいですか? と瞳で語りかけてきている。俺は首肯し先を促した。

僧侶「この人に使われるお金が、可哀想です」

 嘗て、あまりにも愚かな、愚か過ぎる町民たちへ向けた侮蔑の言葉を、僧侶はまたも口にした。
 自然と口角が上がってしまう。


傭兵「――あぁ、そうだな」

 俺は剣を突き出した。真っ直ぐ、地面と水平に。その切っ先の向こうには馬鹿みたいに立ち尽くした党首の姿がある。
 背中合わせになるように僧侶も構えた。半身になって、サウスポー。右拳が今にも党首の眉間を捉えようとうずうずしているのがわかる。

 触れ合った背中がこそばゆく、暖かい。衣服を通していても薄皮一枚の隔たりもないように思えた。

 金が大好き?
 自分のためにしか金を使えないと言うのに?

 笑わせる。

 守銭奴としては下の下。そんなやつと話すことなど何もないし、語らうなぞ寧ろ害悪ですらある。
 
傭兵「その程度の金銭感覚で俺に同意を求めるんじゃねぇ」

 俺たちは跳んだ。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
インターバル的ななにか2

そろそろ終わりが見えてきた、かな?
最後までお付き合いよろしくお願いいたします。


※ ※ ※

 全く気に食わない。あぁ、気に食わないとも。
 俺と党首を同列に語られるのが、これほど気に食わないとは、俺自身びっくりだ!

 一塊の砲弾となって突進する俺と僧侶に対して党首が指をさした。それを合図に分裂、地面が弾け跳んだのを見届けてから前へと視線を戻す。
 俺が党首の左、僧侶が右から向かっていく。対する党首は後退しながら両手で俺たちを指差し、爆破攻撃を続けてきた。

 地面や木、瓦礫が爆破され、熱風や破片が頻りに襲ってくる。致命傷に至るだけの破壊力はない。それが「まだ」ないのか、党首の深奥を見切れていない俺としては、慢心してはいれなかった。
 とりあえずこの程度の爆破ならば俺は対応できるし、僧侶だって守備力倍加で無理やり防ぎきれているようだ。

党首「……ちっ」

 舌打ちが聞こえた。彼我の距離はそれほどまで縮まっている。

 爆破の勢いに負けて僧侶が僅かにたたらを踏んだ。交差し防御体勢をとった両腕の隙間から、憎憎しげに党首を睨んでいる。

 足を止めては爆破の餌食。その認識はこの場にいる誰もが持っていた。党首は右手の二指を僧侶に向け、僧侶は党首の腕が動いた時点で既に横っ飛びの姿勢をとっている。そして俺は意識の死角をついて一気にそこへと飛び込んだ。
 党首の左脇腹の影へと潜り込む。じり、とブーツの底が砂利を踏みしめる音と共に、捻りを加えた剣戟を「放――


 光が俺の右手に生まれた。

 本能から漏れた警報が俺に剣から手を離させる。同時に地面を強く、強く蹴り上げ、俺は可及的速やかに爆裂圏内からの逃走を試み、

 距離が、

傭兵「っ、く!」

 「開く」!

 追撃の爆裂が俺の体を打った。即死の距離からは離れたが、脹脛を大きくやられた。ひん曲がった鉄板入りの脛当てが服から大きく露出し、赤熱している。
 転がった勢いのままに立ち上がり、片足でそれを蹴り飛ばす。

 激痛。それを無理やり捻じ伏せた。痛みを感じているうちは大丈夫。そのうち痛みさえも掻き消えていくことを俺は知っているのだから、寧ろ安心の材料にすらなる。
 熱を帯びているのは決して脛当てだけではない。赤熱こそしないまでも脳髄の奥から四肢の末端までが熱い。
 中心から湧き出してくる活力と、外から突き刺すように侵食してくる灼熱。今は背筋に走る悪寒すら熱い。頬を伝う冷や汗すら滾っている。吐息で陽炎が生まれ、水分の蒸発する音が耳へと届く。

 爆破自体は回避できるが、それはぎりぎりなんとかという紙一重、まともに喰らえば五体満足の保証はない、か。


 視界の端では二指爆破を潜り抜けた僧侶が党首と近接格闘を繰り広げていた。腕力倍化された僧侶の拳は鉄筋を捻じ曲げ瓦礫を砕く。しかし戦闘の素養がまるでない。
 軌道のばればれな大振りなど俺でなくとも回避は容易である。回転力こそ確かにあるが、党首は冷静に一発を見極め、要所要所で爆破を挟んできっちり対処している。僧侶は爆破を守備力増加と気合で踏ん張って耐えていた。
 結果的に距離こそ開かないでいるため機雷は起動していないようだが、隙あらば党首は「距離」を機雷化してくる。改めて「概念の機雷化」という概念が埒外なものだと、俺は賞賛の笑みすら零す。

傭兵「だが死ね」

傭兵「だから死ね」

 人権など知るか。お前は俺にとっての四千万。

傭兵「そっ首貰うぞ、金の亡者め」


 一指爆破で僧侶を牽制し、突っ込む俺に対して三指が向く。指の本数と破壊力は比例する。一本二本ならまだ回避も防御もおっつくだろうが、三本となると、どうだ?
 時間的猶予のない中で弾き出した結論は直進だった。距離の機雷化を懸念していたと言うのもある。党首と積極的に距離を開くのは悪手だ。

僧侶「やぁああああっ!」

 獣の咆哮を挙げ、獣の瞳で僧侶が党首を打った。スウェーで間一髪で回避しながら、けれど三指は俺からぶれていない。

僧侶「脚力倍加ッ!」

 一気に加速。三指の斜線上へと僧侶が移動し、俺も党首も舌打ちをした。胸元へ手が伸ばされるのに対応して党首は狙いをずらし、僧侶の足元を爆破する。瞬間的に空気が膨張し、高くまで爆炎の上がる、巨大な爆発だ。

僧侶「きゃああっ!」

 悲鳴とともに僧侶の華奢な体が舞い上がる。

傭兵「防御姿勢とれ!」

 追撃が、と口に出そうとした時点で既に党首は移動を始めていた。こちらに二指を向けつつ素早く後退。爆破が二回、足元と校舎の残骸を大きく吹き飛ばし、一瞬俺の速度を鈍らせる。
 そして機雷は爆裂する。僧侶と党首の間の空間が連鎖的に爆発を起こした。


 鼓膜を震わせる爆音が響く。視界を奪う白い閃光と、息もできない熱を伴う火炎が僧侶を飲み込み、彼女が吹き飛ぶ速度より早く新たな連鎖が。
 三回の爆裂を受けて僧侶はようやく地面との接触を果たす。ただし肩口から高速で、その勢いのままに地面を跳ねるという形であったが。
 ぴくりとも動かない彼女だったが、俺は無理やりそれから視線を剥がし、二指爆破をさらに数度回避して一気に党首との距離を詰める。

十数回に及ぶ敵の攻撃を通して、爆破、および機雷化のおおよそは掴めて来た。その理解は勿論全てが俺にとって都合のいい現実ではなかったし、寧ろ序列六位の強大さを目の当たりにしている最中ですらあった。

 それでも勝つのは俺なのだ。

 爆破が俺の足元を焦がし、吹き飛んだ礫が肌をいくら傷つけていっても、突進が止まることはない。
 既に党首は射程圏内。バックステップで距離を「開こう」としてくるが、やつの後退よりもこちらの前進のほうが圧倒的に早い。

 三指がこちらに向けられる。けれど俺の心は微動だにしない。腕が最短距離で党首の胸元へと往く。

党首「はは! 爆死が怖くないってのかい!」

 党首はそう嘯く。が、僅かに眉の端が下がっている。動揺している人間にありがちな表情だった。

傭兵「ありもしない可能性を恐れる必要はねぇな」


 伸ばした手は弾かれる。それでも依然俺の有利は変わらない。党首の体捌きは魔法使いとしては卓越しているが、戦場における戦士のそれでは決してなかった。オーソドックスで凡庸。フェイントでさえも教科書どおり。
 二指で足元が爆破された。瞬間的に爆ぜた熱量が俺の腹部に直撃する。それすら俺は踏み越えて、黒い煙のカーテンの中、ついに党首の胸倉を捕らえることに成功する。

 上等なスーツの襟が「開かれた」。

傭兵「読み筋だ」

 閃光が迸るよりも早く横っ飛び。たった今俺が立っていた地点を爆風が根こそぎもぎ取っていく。
 距離は「開いた」――つまり、だが、しかし、それすらも。

傭兵「読み筋ィッ!」

 爆風に後押しされる感すらあって、通常の倍のストライドで、大きく駆けた。
 勢いのあまりブーツの底が摩擦熱で溶ける。ゴム特有の鼻を衝くにおい。顔を顰める労力すら惜しくて、ただただ拳に力を篭め、遠心力を伴った一撃を「放つ」。

 大きく弾かれる右腕。皮膚が焼け爛れ、血すら蒸発し、肉が炙られ、骨が軋む。爆発を読みきってもこの威力。力加減を調節し間違えたが、構わない。
 既に攻撃は終わっている。


党首「……あぁ、いやぁ、これはこれは……」

 黒煙が晴れていく。

党首「何年ぶりだろうね。本当に、何年ぶりだろう」

 棒立ちの党首は、首筋から滴る一筋の血を親指で掬い取り、舐めた。

党首「最後に血を流したのはいつだったかな」

傭兵「外したか」

 黒煙の中、手探りで首を狙ってナイフを投げたのだが、流石にそううまくはいかないようだった。
 だが収穫はあった。「確かに」。俺は今、強くそう思っている。いくつかの確信を得ている。

 まず一つ。党首は罠を張る。それがやつの戦い方だ。自らが手を下すのではなく、自らが作った落とし穴に敵が落ちることを待つ。やつがやるのは落とし穴を作ることと、敵をそこまで――底まで追い詰めること。
 逆説的にそれはやつは自らの手によっては人を殺せないことを意味している。無論やつとてそんな回りくどいことをせずとも、手当たり次第に瞬きのみで爆殺の限りを尽くせればいいと思っているに違いないが、世の中そううまくはいかない。
 指で位置を指し示しての爆破は直接攻撃できないのだ。


 質量の問題なのか、材質の問題なのか、もっと根源的なものなのかはわからない。だが、党首の爆破は万能ではない。威力こそ爆殺に十分ではあるけれど、狙えるのは専ら足元や瓦礫。
 恐らくバランスなのだろう。割り振り、と言い換えてもいい。概念すら機雷化できるもう一つの能力とあわせて考えれば、自ずと納得もできる。位置指定爆破は所詮副砲にすぎないのだ。

 そして、俺がわかったことを党首もわかった。
 別段難しいことではない。嘗て党首と戦った腕利きの中にも、その答えにたどり着いたものは何人もいるだろう。そもそも能力の完全秘匿自体が絵空事だ。実力者は、能力の正体が割れても役に立つからこその実力者である。
 余裕然としているのは余裕があるから。このような状況から敵を爆殺したことなど数え切れないほどあるのだろう。

 序列六位は伊達じゃあない。

党首「……」

傭兵「……」

 睨み合う。先に動いたほうが負け――そんなものは御伽噺だ。急がば回れには同意するときもあるけれど、先手必勝は大概どんな場面にも当てはまる有効手段。
 それでも動けないのは互いの手の内と胸の内を無言のままでも探り合っているからに他ならない。


 党首としては自ら攻めるよりも俺の攻撃をカウンターで爆殺するほうが有効で、位置指定爆破も使い所を考えなければ単なる煙幕にしかならない。
 俺としても、さきほどから機雷化への有効な対抗策を思考してはいるのだが、どれもうまくない。並みの対抗策など党首に看破され利用されるだけだ。それだけのリスクを払うのだから、一撃必殺できる策を弾き出さなければ大損をこく。

 だがあまり時間をかけていられない理由もまたあるのだった。俺たちの目的は党首の殺害であるが、党首は俺たちを殺す必要はない。僧侶を殺害して後顧の憂いを消したいという考えはあるかもしれないが、それよりもまずは州総督と脱出することを選ぶだろう。
 時間をかければかけるほど戦況は均衡へと近づいていく。並み居る兵士たちに追いつかれては、さしもの党首といえど、逃げ切れはしない。
 俺もまた四千万を失う。

 互いにそれはなんとしても避けたいシナリオだった。

党首「……」

傭兵「……」

 そして、僧侶。
 位置指定爆破、からの機雷化による追撃を直撃したあいつは、どうなっている。どうして物音がしない。生きてるなら動け。応えろ。頼むから。


 僧侶。

傭兵「――っ」

 意識が引っ張られた。

 まずい、と思った次の瞬間には、俺は目の端で地面に横たわる姿を確認していた。
 確認してしまっていた。

 時間にしてコンマ以下。僅かな雑念。誰しもが研鑽し、研ぎ澄まされた一振りの刃と化しているこの場において、それは圧倒的な不純物である。

傭兵「ミ、ス……ッ!」

 視線を投手に戻したときには、俺の眼前に高速で何かが飛来していた。
 回避行動をとりながらそれが単なる瓦礫であることを確認する。何の変哲もない瓦礫。しかし、拳大ほどのそれが、命を奪うに足る死神であることを俺は知っていた。
 党首がこちらに指を向けている――瓦礫へと。四本の指を。

 体の筋肉がぶちぶちと千切れている。急激な加速と回避行動は体に鞭を打つ動きで、だがそうしなければいけないという警鐘に素直に従っている。必ず殺すと書いて必殺であり、必ず死ぬと書いて必死。
 俺の眼前にある瓦礫には、そう文字が書かれている。


 ぴりりとした魔力の波長を感じた。ほぼ同時に瓦礫が一瞬発光し、その質量がまるまる爆薬となったかのような、猛烈な存在の膨張が起こる。
 光と熱、そしてエネルギー。この世に普く全てから開放されたそれらは歓喜し、踊り狂いながら強か俺にぶつかってくる。

 意識がぶつりぶつりと断続的に途切れ、激痛と言う糊が無理やり精神のコードを修復する。地獄だ。拷問だ。熱風で肌は焼かれ、呼吸してしまったために気管も燃えた。地面を数度跳ねたせいで肩は脱臼。陽炎が揺らめいているのか視界も不明瞭。
 回避行動はぎりぎり間に合ったのだと言ってもいい。生きているのがその証左。弾かれた体は止まる気配を見せず、勢いに任せて俺は地面を滑っていく。ついでで肩も無理やりはめた。

 幻影を二つ展開。本体がわかっていてもこの際文句は言えない。

 三指がこちらを狙っている。反応して回避に移るがダメージは甚大で思うように体が動いちゃくれない。肌が癒着しているのか、火傷による水ぶくれのせいか、足の皮膚が引き攣っていた。
 それでも脳は足に指令を送ることをやめようとはしない。全霊を篭めて蹴り上げろと叫んでいて、そして、そんなスパルタにも耐える健気な俺の四肢。申し訳なさでいっぱいだ。

 足元の爆発で大きくよろめいた。背筋の力でなんとか足だけは止めず、バランスを崩しながらも前進、前進、前進。


党首「……やはり、あなたと戦いたかった」

傭兵「戦ってるじゃねぇか! いま! こうしてよぉ!」

 わかっている。単なる言葉遊びだ。
 党首は俺と戦いたくなかった。そして俺と戦いたかった。何も矛盾はない。

党首「どうしてあなたは僕に向かってくるのですか! 四千万!? その程度のはした金、僕に協力してくれれば、それが四億だって出せるって言うのに!」

傭兵「豪気だなぁ! 実に豪気だ!」

党首「真面目に答えてください!」

 爆破に依然煽られ続けながら、懐へと手を突っ込んだ。同じ動作を二体の幻影も行う。
 引き抜いた手にはナイフが二本ずつ。計十二本。

 それを投手に向けて「放った」。

 当然のような機雷の爆裂。当然読み筋であり、回避行動もとったが、その威力はとても減衰しきれるものではない。余波で幻影が掻き消える。
 俺も左の上腕が大きく抉れた。焼け焦げたため血液すら出てこない。代わりに激痛は通常の倍以上で、大地を踏みしめなければ思わず叫び声を挙げているところだった。


 十二本のナイフはその半分が吹き飛んで、残った六本も位置指定爆破によって容易く弾かれる。届かないのは百も承知。ただ、煙幕は張ることができた。
 位置指定はこれでできない。俺の姿が見えない限り、指を向けることはできない。

傭兵「聴いたことくらいあるだろうよ」

 これは決して強がりではなかった。

傭兵「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」

 お前には一生わからんだろうさ。語り聞かせたところで、絶対に理解し得ない。
 俺とお前じゃあ、守銭奴の程度が違うのだ。

党首「……わかりました。もういいです」

党首「口を『開く』な」

 果たして怒りを買っただろうか。


 黒煙を突っ切って攻撃。数回左拳で距離を測り、フェイント気味の正拳から左回し蹴り。腕で受けられ位置指定爆破が飛んでくる。それを直前に読んで、後退、距離が「開いて」の追撃も読めている。なんとか回避。

 瓦礫。

傭兵「っ!」

 瓦礫瓦礫瓦礫。

 瓦礫が瓦礫が瓦礫が礫が礫が礫が礫礫礫が礫がが礫ががががが

 空から降ってくる。

 あの時!
 黒煙で位置指定爆破を防いでいた時か!

「させませんよ」

 凛とした強い声が横から割り込んでくる。

 安堵と驚愕が同時にやってくるのはまったく不思議な感覚だった。生きていてよかったという思いと、お前何をやっているんだという思い。
 脚力倍加によって一気に僧侶は俺へと切迫し、手首を掴む。そうして一度その場でぐるんと回転した。多大な遠心力が俺にかかって――そのまま投げ飛ばされる。目標は党首。
 党首が逡巡したのがわかった。位置指定爆破で、俺と僧侶、どちらを狙うのかを迷ったのだろう。

 そのコンマ以下が命取りなのだ。


 最終的に党首は自らの命を守ることを優先した。突っ込んでくる俺を避けながら、二の矢の僧侶に対し、一拍遅れた位置指定爆破を行う。
 その瞬間俺は完全に党首から自由となった。

 接地。
 傍に破邪の剣が落ちているのを、俺は知っている。

 戦闘の序盤に放り投げたそれを再度握り締める。

 確信を得た二つ目は、党首の機雷化についてだった。
 党首を序列六位足らしめている絶対的な罠であるそれは、間違いなく第一級、いやそれすら超えて特級の魔法である。物質だけでなく概念まで機雷化し、破壊力は十二分にあって、爆裂の条件も緩い。

 強い。
 強すぎるほどだ。

 だから、俺が何よりもすべきなのは、強すぎる能力の果てを知ることだった。

 なにができるのか。どこまでできるのか。俺が兵士たちを見捨てたのは、カウンターを喰らうとわかっていながら機雷を起爆し続けていたのは、それが全てといってもいい。
  報告を受けた限りでは国境線を爆破し町を爆破した。その場に党首自身はいなかったとの話も聞いている。即ち、機雷化について、有効射程という概念は存在しないか、あったとしてもこちらが戦術に組み込めるほどではないということだ。
 どこにいても機雷化できるというのなら、では何を機雷化できるのだろうか。物質。概念。定義として括るにはあまりにも大雑把。距離が関係ないということは、つまり見えていなくてもいい、ということである。油断ができない理由はここにあった。


 距離は無制限。見えていなくてもいい。能力に死角はないのか――そんなはずはないのだ。絶対的な無敵の能力。そんなものは人間のキャパシティを超えている。
 常識的な判断。恐らく、党首自身が知覚していないものに関しては、機雷化できないという想定。
 位置指定爆破と同じだ。機雷化についても、魔法を行使するにあたって、機雷化する対象を設定しなければいけないのは当然だろう。その対象として認識の外にある物体、概念は機雷化できない。

 だから、この斬戟もまた。

 一瞬でも党首の意識が、認識が、こちらへ向くより早く、俺は刃を振りぬいた。

傭兵「……っ!」

僧侶「……!」

党首「く、ぐ、ぅ……っ!」

 右肩から左脇腹にかけての袈裟切り。手ごたえは十分。皮も、肉も、骨も、切断したのは確実。
 だのに。

 党首は笑っていた。

党首「は、はは、僕の、負け、ですか?」




党首「僕を『破って』しまったんですね?」



 それは殺意ではなかった。殺意はもっとどす黒く、でなければ濃い紫色をしているものだ。夕日に照らされた川面のように輝いているはずは、決してない。

 生への執着を、恐らく俺は叫んでいた。何を言っているかはわからない。五感など最早無用の長物だった。そんなものを感じている余裕すらも惜しい。とにかく危機感が全てを押しのけて、押し寄せて。
 踏み込みの力強さに最後の一線を越え、膝が砕ける。そんなことは知るか。気にしていたら死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬのだ。

僧侶「傭兵さ――!」

 敗北と言う概念の閃光から俺が逃れる術はなかった。

―――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです
VS党首1

次回の更新をお楽しみに


* * *

 爆破の種である瓦礫が降り注いでなお、わたしは視線を上空へと向けることなく、閃光、爆裂、そしてぐらりと傾く傭兵さんの姿を見据えています。
 爆音に紛れて肉が引き千切れる音は聞こえません。傭兵さんはその驚異的な反射神経で、左腕を犠牲にして被害の軽減を試みました。しかし結果は推して知るべし、機雷の爆裂の前では肉の壁なんて紙切れみたいなもの。

 傭兵さん、とわたしは叫んでいました。

 彼は最早たたらすら踏めない。踏みとどまれない。全身の脱力が遠目からでもわかって、
一度大きく体が傾いだかと思うと、そのまますとんと膝から崩れ落ちます。

 助けなければ。

党首「させませんよ」

 五指がこちらへと向けられていました。反応するよりも早く、わたしの周囲で瓦礫が次々爆破されていき、熱、爆風、破片が容赦なく肉体を削り取っていきます。
 守備力倍加すら容易く打ち抜く破壊力。衝撃で大きく体がぐらつき、一際大きな爆破がわたしを横から殴りつけました。勢いに負けて顔面から地面に倒れこみ、地面を引っかいて止まった瞬間、足元が爆破を起こして打ち上げられます。

 ぶちまける胃の中身はありませんが代わりに口から血反吐がどばどば漏れていきます。頭が痛い。顔が痛い。四肢も胴体も全てが痛い。

 脚力倍加と守備力倍加の連続使用でなんとか党首の爆破に先んずるか、でなければおっつこうと思いはするのですが、傭兵さんがそれを成せていたのは人間離れした反射神経があったから。必然的にわたしはいい的でしかありません。
 素早さと硬さで無理やり爆破をしのぎながら、地面を一歩一歩踏みしめて、それでもなんとか党首との距離を縮めようとします。相手だって傭兵さんの攻撃を受けて瀕死のはずなのですから。


 呼吸が続かなくなりました。爆風と黒煙の中ではまともに吸い込める酸素など高が知れています。そして空気の温度自体が人体に有害です。口腔内と気管を焼き焦がす温度。
 たまらず爆破を振り切ると日中の日差しすら涼しく感じます。落ち着いて息を吸いました。体中に熱がまとわりついているような錯覚にさえ陥っていて。

 
党首「厄介な傭兵さんは、もう使い物になりません。僧侶さん、あなた一人くらいなら、どうとでもなる」

 懐から瓶を取り出し、中に入っていたミントグリーン色の液体を一気に飲み干すと、党首の傷が見る見るうちに癒えていきます。特効薬……しかも、超強力な。エルフの飲み薬とためをはる世界樹の雫?
 いえ、そんなことは今はどうでもよいのでした。党首は復活し、対するこちらは傭兵さんが瀕死の重症。その事実だけが何よりも重くのしかかってきます。

党首「これでもう負けはない」

傭兵「……僧侶、逃げろ」

僧侶「いやです」

 傭兵さんの言うことでも、聞けることと聞けないことがあります。


傭兵「……なに、言ってん、だ」

 どうやら意識はあるようでしたが目の焦点が合っていません。左目はそもそも白目をむいています。

僧侶「助けますから」

傭兵「いらねぇ」

 喋るのも精一杯でしょうに、傭兵さんはそこだけきっぱりと言いました。
 そして、子供に言い含めるように――事実彼にとってはわたしなど子供に違いないのですが――続けます。

傭兵「すぐ、戻れ。そして、掃除婦と、他の序列、つれて来い……このままじゃ、だめだ」

傭兵「俺、は、やれる。まだ、やれる」

 まるで自分に言い聞かせるかのようでした。事実そうなのでしょう。この人は頭がいいくせに、頑固で、強情で、意地っ張りで、金にがめつく、自分なら何とかなると思っているのです。
 自分が犠牲になればいいと思っているのです。
 気にいりません。

党首「まだ、立ちますか」

 驚きと呆れの入り混じった顔で党首は呟きました。
 正確には「立とうとしている」です。傭兵さんは自らの腕と剣を支えにして立ち上がろうとしていましたが、バランスを崩して倒れこんでいました。

 状況は絶望的。わたし一人で党首に勝つことは、恐らく不可能でしょう。ずぶの素人に負けるような人間が序列上位にいるはずがありませんから。
 それを、この場にいる全員がわかっています。だから傭兵さんは逃げろと言ったのですし、党首は戦闘態勢を放棄しました。わたしだって、まともに勝とうとは思っちゃいません。


党首「左腕が捥げ、顔面の左半分がその機能を喪失している。足だって折れてるでしょう、それも一箇所や二箇所じゃあない。僧侶さんに掴まっていなければ立ってもいられないあなたが、僕にどうやって対処すると」

傭兵「やって、みなけりゃ」

僧侶「わかるに決まってんじゃないですか」

 物理的に不可能です、そんなこと。精神論でなんとかなる相手じゃないってことくらい、わたしより、傭兵さん、あなたがずっと、ずっとわかってるはずじゃないですか。
 どうしてそんなに全てを背負おうとするんですか。約束ですか。義理ですか。任務だからですか。そのために傭兵さん、あなたが死んでしまったら何にもならないってこと、わかってないはずがないのに。

僧侶「それでも」

 それでも、誰かが党首を止めなければいけないと言うのなら、残されたのはわたししかいないじゃないですか。
 勝てないからと言って諦めるのは性に合わないのです。

 精神論で何とかなる相手じゃない? 舌の根も乾かぬうちに? なんのことですかそれ。


 なんて嘯いてみたりもしなければ恐怖を克服することなんてできそうにありませんでした。勇気と使命感が勝手に体の歯車を回してくれますが、恐怖が歯止めとなって噛み合わせを狂わせます。
 無理やりに出力を上げて噛み砕くしかないのでした。

 拳を握りました。傭兵さんに比べたらちっちゃいかもしれませんが、それは確かに、立派な拳。
 党首の横っ面を捉えるには十分。

僧侶「絶対に逃がしません」

党首「やめて欲しいな。他の序列のやつらが来たら、僕としては困るんだ」

僧侶「だからです」

 党首にはわたしと戦う必要はありません。彼にとっての脅威は傭兵さんのみであり、わたしは眼中にないのです。それどころか、殺すことは損にすらなるかもしれません。
 遅かれ早かれ王国軍はここまでやってくるでしょう。掃除婦さんたちにも限界があります、取りこぼしは必ず出てくるはず。党首は絶対にそれより先に逃げなければならないし、ここでわたしたちにかかずらわる余裕はないのです。
 そして足止め役としてわたしを利用しようと、そう考えているはずでもあります。

 なんたって、わたしは稀代の反逆者なのですから。
 躍起になっている王国軍が見逃してくれるはずなんてない。


 だから。だからこそ、わたしがここで党首の前に立ちふさがることには意味があります。
 たとい共倒れになったとて、党首を釘付けにすることは、単純に勝敗がつくよりももっと、ずっと、多大な影響を齎すのです。

党首「……面倒くさいな」

 三指がこちらに向きます。わたしは傭兵さんを抱きかかえて一気に逃げました。脹脛の後ろを爆破が炙って激痛が走りますが、足を動かすこと自体に問題はありません。
 
傭兵「だ、から、逃げろ、と」

僧侶「わたしを心配してくれてるんですか」

傭兵「お、前には、」

 勝てない。恐らくそういうつもりだったのでしょうが、言葉を紡ぐよりも先に、傭兵さんは意識を失しました。浅く短い呼吸。血液はいまだに失った左腕を中心として流れ出ていて、わたしの腕すらも染めていきます。
 まだ体は温かいですが、この体温があとどれくらい保ってくれるのか、医者でないわたしには見当もつきません。五分? 十分? 三十分も保つでしょうか?

僧侶「拳銃をぶち込めれば、それが一番、いいんですけど」


 だめだ。党首が生存し「機会仕掛け」である限り拳銃は封じ込められている。治癒魔法はわたし自身には効果を及ぼすけれど、傭兵さんにかける手段は……。

 力が篭って歯噛みしました。本当にわたしは無力です。こんな時に何もできないだなんて。

 陳腐な言葉ですが、これは贖罪なのです。誰に対してだとか、何に対してだとか、あまりに広範囲すぎて対象を絞りきれないほどの。
 謝って許してもらえるわけはありません。自己満足だと謗りを受けることはわかっています。ただ、これだけはわかって欲しいのですが、決してポーズではないのです。騙されたことは数あれど、わたしは一度たりとも誰かを騙そうとしたことはなかった。

 誰かの不幸で自らを満たそうとしたことはなかった。

 それだけは胸を張って言えるから。
 これから先、一生ごめんなさいといい続ける人生はきっと過酷で、辛くて、報われなくて、地獄に落ちたほうがいっそ楽になれるのかもしれませんが、それすらわたしは勝ち取る必要があるに違いないのです。
 これまで負け続け、何一つ勝ち取れてこなかったわたしが。

 今ここで勝ち取ることができたのならば、それはきっと、こんなわたしも誰かの幸せに寄与できたのだと思えるから。


 傭兵さんをそっと降ろして党首へと向き直りました。同時にわたしの周囲で爆破が起きます。わたしを打倒することが目的ではないその攻撃は、威力など高が知れているものでしたが、肌を焼き喉を焦がすことには変わりません。
 足元で爆破が次いで起きますが、わたしはそれを気合と根性で踏み潰します。
 拳を握り締め、力強く一歩、遅々とした歩みでも、確かに党首に近づいて。

僧侶「他人なんてどうでもいいって、どうして思えるのか、わたしにはわかんないんです」

 自分の荘園を増やすために、農民たちに多額の税金を課し、土地を奪っている領主たちの気持ちなどわかりたくもない。
 喰うために稼ぐのならばそれは真っ当でしょう。しかし、おいしいご飯を喰うためのお金を他人の財布に求めるのは、果たして真っ当といえるでしょうか。

僧侶「幸せに生きるってどういうことですか。人を不幸せにしておいて、どの口がそんな台詞を吐けるんですか」

 金をせっせと集め、隠していたあの二人は、仮に無事にあの村を捨てられたとしても、幸せになれたとは到底思えません。罪悪感、もしくは捨ててきた村人の影に怯え、不幸せに生きていくしかないのだと思います。


僧侶「お金が大事だってのはわかります。わたしはそれを否定したいんじゃないんです。わたしがぶっ壊したいのはそんな上辺じゃなくて、もっと、もっと、醜い部分なんです!」

僧侶「手の中の黄金に目が眩んで、自分の足元を疎かにしたやつらをこそ、わたしはぶっ壊したかったんです!」

 そうしなければ生きていけないのなら、いっそのこと死ぬべきなのです。
 土地を汚染しなければ採石が成り立たないのなら、そんな町は滅んでしまえばいい。子供が瘴気で蝕まれているのに正気を保てているというなら、それは最早正気でないのです。

僧侶「わたしはっ!」

僧侶「みんなを幸せにしたかった!」

 伸ばした手は空しく党首の傍を通り過ぎていきます。


 足が縺れる。意識が拡散していく。これが実力差なのだとはっきりわかりました。わたしは傭兵さんのように咄嗟の判断力もなければ反射神経もない。愚直に、ただただ愚直に爆破を踏み越えながら党首へと向かっていくことしかできません。
 当然そんなのはいい的なのです。いくら党首がわたしを直接爆破できないとはいっても、幾度と爆破をこの身に浴びせかけられ続けては、守備力倍加も脚力倍加も粉々になっていきます。

 心は粉々にならないから、それでもまだ、真っ直ぐ前を向いていられる。
 いっそ一思いに殺してくれ、なんて昔のわたしだったら思っていたのでしょう。けれど逃げるのはもうやめました。死にたがりのわたしは、あのとき地下牢で死んだのです。
 傭兵さんに殺してもらったのです。

 死ぬまで死ぬつもりはありませんでした。

 だから体も動く。
 動かしてやる。

 既にわたしの四肢は焼け爛れていて、感覚もありません。僧服は大半が消し飛んでいるし、髪の毛だってぼさぼさで、使い古した雑巾のほうがまだ見てくれはいいでしょう。
 吸う空気は何より熱く喉と肺をひたすらに苛め抜きます。人間の吸う温度ではないと本能が噎せることを強要しますが、それすら踏み潰して。
 動き続ける体が酸素を貪欲に欲しているから。


 爆破でわたしの腹部に衝撃が走り、胃の内容物をぶちまけながら、わたしは大きく空中へ投げ出されました。
 既に足は動きません。太ももから下の感覚がない。普通なら、痛いとか、熱いとか、そうでなくともびりびりしたりじんわりしたり、そういうのがあるはずなのに。
 いや、そもそも感覚というものがまるっとどこかにすっぽ抜けていってしまったみたいです。

 ぐぱぁ、と犬歯を剥き出しにして息を吐きました。そこだけが、熱い。

党首「――――」

 党首が何かを言っています。引き攣った顔。余裕があるはずのほうが追い込まれた顔をしているのは不思議でなりません。
 きっと、結果的に、わたしのこの鈍重さが功を奏しているのでしょう。鈍亀のような振る舞いでは「放つ」だなんてほどの速度の乗った概念行動はできないのですから。
 だから、党首の必殺である機雷化も、わたしには通用しない。

 爆破を左手で押しのけると骨が軋んで小指が千切れました。腕は二本とも存命ですが、肘から先の感覚がないので、激痛は感じなくて済んでいます。治癒魔法は継続してかけていますが、それを上回る被害というのが実情です。
 黒煙のむこうから党首が見えてきました。思わず口角があがってしまいます。標的を捕捉したならば、あとは突っ込むだけ。
 
 じり、と土を踏みしめる音だけが、妙に耳に残るのでした。


 引き攣った顔のまま党首が五指を向けてきます。閃光が迸り、わたしの周囲の地面が軒並み爆炎を噴出しました。前傾姿勢でバランスを崩さないように保ちながら、体のどこかがまた欠損したんだろうとやけに他人事らしい気持ちで前を見据えます。
 瞬きも忘れてひたすらに前へ。度重なる防御に使いすぎて、両腕の皮膚が火傷を通り越し炭化していることにいまさら気がつきました。質感が生体のものとはかけ離れてしまっています。

僧侶「……」

僧侶「……あは、あはは」

 黒煙が晴れてわたしが見たのは、踵を返して走り去っていく党首の姿でした。

 逃げるな。逃げるな。逃げるな!
 逃げるんじゃない!

 そう叫びたかったのですが喉が引き攣って声が出ません。いや、もしかしたら出ている上でわたしの鼓膜が破れているだけなのかも。
 追おうとしたところでバランスを崩して倒れてしまいます。痛みはないのに。どうして。そう思って足を見れば、右足首がざっくりと抉れていて、殆ど切断されている状態でした。皮一枚で繋がった足が、ぷらんとぶら下がっています。

 あぁ、もうだめだ。


 なんてことは思いません。

 わたしにはまだ希望が残っています。そうです、諦めないと誓ったのです。死ぬのは死ぬそのときまでお預けなのです。

僧侶「よ、う、へい、さん」

 炭化した両腕で這いずりながらも、わたしは依然意識を失っている傭兵さんへと近づいていきます。
 わたしの懐には拳銃がまだ入っています。これに治癒呪文を最大の力でこめ、傭兵さんにむけて撃てば、きっと彼は全快――とまではいかないかもしれませんが、かなりのところまで回復するでしょう。
 その代償としてわたしが爆死したとて、構いません。

 これは決して自殺ではないのです。どうせこのまま死ぬのであれば、わたしは、傭兵さんに希望を託して逝くのです。まだ見ぬ春を太陽に馳せながら、息絶えるのです。人はそれを自然の摂理と呼びます。

 なんとか傭兵さんの傍まで這いずって、彼の顔を覗き込むと、真っ青な顔をしていました。周囲は既に血だまり。一刻の猶予もありません。
 彼の顔を見ていると自然と涙がこぼれてきました。太陽、とわたしは彼のことをたった今評しました。図らずとも浮かんできた言葉。そしてとても正鵠を射た言葉。
 彼はわたしの太陽なのです。希望なのです。


 そこでようやく、わたしはここへ向かう前の彼の告白、嘗て勇者として生きた彼の半生を聞いたときに、なぜ涙がこぼれたのかを理解しました。

 わたしは彼のことがかわいそうだと思ったのです。

 同情ではありません。上から目線のつもりもありません。ただ、かわいそうだと思ったのです。
 彼の人生に対してではありませんでした。いえ、広義では彼の人生というカテゴリに収まるでしょうが、それは生物というカテゴリで人間と植物を同列に語るようなものです。わたしの涙の理由はもっと具体的なもの。

 彼はきっと、誰も犠牲にしたくなかったはずなのです。
 狩人さんや魔法使いさんなど、彼に刃を向けてきた人々についてはわかりません。が、例えばこの学校へと乗り込んでいった兵士さんたちを、きっと傭兵さんは見殺しにしたくなかったに違いありません。
 人の痛みをわかる人間です。それだのに、悪ぶります。進んで汚辱を被りにいこうとします。それしか他に方法がないから。理由はどうであれ、それを選ぶことが最も効率がいいと、目的を成すためには最短経路だとわかっているから。


 自分のためなら他人などどうなってもよいと思っている人間は死ねばいい。ですが、これはわたしの欲目なのでしょうか、傭兵さんがそういう人間であるとはどうしても思えないのです。
 他人を生贄に捧げられる人間が、ゴロンの町で、あんなことを叫べるとは思えないのです。

 傭兵さんは屑です。どう見たって捩じくれています。人間的な長所を全て金儲けのために使っているような人種です。それでも決して、ひととしての道を違えることのない人です。
 歩んできた道のどんなに険しかったことか。

僧侶「傭兵さん」

 できればこれからも、あなたと同じ道を、歩んでいきたかった。

 ぽた、ぽたとわたしの涙が傭兵さんの顔に落ちていきます。

傭兵「……あったけぇ」

 目を覚ます様子はありませんでしたが、無意識のうちに呟いているようでした。それほどまでに彼の体温は低下しているのです。
 早く、助けなければ。

 わたしは懐から拳銃を取り出し、なけなしの魔力を弾丸に充填しようとして、


僧侶「……」

 天啓が。

 ……いえ、これは、果たして、その、天啓と、いえるのかどうか。

 考えたこともないことが、いきなり降ってくるからこその天啓なのです。自らの正気を疑い、同時に成功確率を試算して、納得しました。

 心臓が一回、大きくどくんと脈打ちます。

 こうしている間にも傭兵さんの命は失われていきます。悩んでいる暇なんか、ない。
 傭兵さんを助けることがわたしの至上命題なのですから。

僧侶「……」

 覚悟を決めて。

 わたしは傭兵さんに口づけしました。
 

―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです
VS党首2
最近寝ても覚めても僧侶ちゃんのことを考えている気がする

脳内では既に終わりが見えてきました。思えば遠くへ来たものです
最後までお付き合いよろしくお願いいたします


※ ※ ※

 目を覚ましたら勃っていた。

 わけがわかんねぇ。

僧侶「よ、傭兵さんっ!? 目を覚ましたんですか!」

傭兵「あ、あぁ、なんとかな……」

 食い入るように僧侶がこっちを見てくるが、俺と目が合った途端に顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
 なんだ? 俺が何かしたか?

 まぁ、いまだ制御の利かない下半身を見られることもなくて都合がいい。
 ……ていうか、俺の下半身を見て顔を背けたわけじゃ、ねぇだろうな。

傭兵「……」

僧侶「……」


傭兵「……悪い」

僧侶「え、あ、いや、こちらこそ……」

傭兵「『こちらこそ』?」

僧侶「あ、ちが、じゃなくて、その、違うんです、間違えました、噛みました」

傭兵「噛んだのか」

僧侶「はい、そうれふ」

傭兵「……」

僧侶「……」

 あほなやり取りをしていると、次第に俺の下半身も治まってきた。一体なんだってんだ。エルフのような戦闘狂――否、あいつは戦争狂か――の気はなかったつもりなのだが。
 人間、死に瀕すると子孫を残そうという意識が高まるらしいが、それの延長線上なのだろうか。


 いや、そんなことはどうでもいいのだ。頭を切り替えろ俺よ。未来の話ができるのは平和なときだけだ。
 俺は笑いながら未来の話を誰でもできる社会を目指しているだけであって、今は寧ろその対極に肩までどっぷりと使っている。しかも党首に逃げられたというおまけつきで。

 僧侶を責める? ばからしい。冗談じゃない。

 状況の確認はするまでもなかった。僧侶が生きているということは党首が逃げおおせたということだ。ここで僧侶がやつを倒したという選択肢をとらないのは、僧侶には悪いが、順当な判断である。
 そして同時に、俺があの重症で生きているということは、僧侶が俺に治癒魔法を施してくれたからに他ならない。

 ……ん?
 どうやって?

 僧侶は生きている。いや、もしかしたらここが死後の世界だというのなら話は別だが、だとしたって田園の遠景と瓦礫の山は天国だろうが地獄だろうが殺風景過ぎる。
 何より、俺と僧侶が同じ場所に辿り付ける筈がない。
 俺の進むべき道は地獄で、こいつの進むべき道は天国。それが因果応報というやつだ。「報われる」ということだ。

 俺と僧侶の進むべき道が交わることなんてあってはならないのだ。


 そこまで考えて苦笑してしまう。どうしたのだ俺は。さっきから何を考えているのだ。まるで熱病に浮かされているようじゃあないか。
 衝撃で頭の螺子が吹き飛んでしまったか? 最早とうに失していたと思っていた人の心というやつが、僅かに搾り滓程度でも残っていたらしい。まるめてゴミ箱へ叩き込むのも億劫になるほどの残滓が。

 頭を振って切り替えた。新鮮な空気を吸う。肺の中に爆風で舞い上がった塵芥が、黒い煙が、悪い空気がたまっていれば、そりゃあ変なことも考えてしまうものだろう。
 深呼吸を二度もすれば、すっかり、ほら、元通り。

 俺は立ち上がる。

傭兵「助かった。礼を言う」

僧侶「……どういたし、まして」

 女の子座りをしたまま僧侶は俯いている。決してこちらを見ない。
 違和感の塊がそこに鎮座ましましている。だが、俺は気にしないことにした。それは確実に考えたって金にならないことだ。そもそも女なんてのは男がいくら考えたって理解しがたい部分を持っている生き物でもある。


傭兵「けど、お前、俺の言ったことを無視したな」

 確かに言ったはずだ。掃除婦なりに助けを求めろと。俺を置き去りにしてもいいからと。
 俺は生きている。それについては礼を言わなければいけない。こいつは命の恩人ということになるのだから。けれどそれとこれとは話が別だ。作戦の成功率を考えれば、どうしたって怒らずにはいられない。

僧侶「……」

傭兵「……」

 いや、やめよう。怒るのも時間の無駄だ。

傭兵「立てるか。俺の顔は見なくていいから」

 そう言った瞬間に、僧侶の肩が、体が、大きく震えた。まさかばれていないとでも思っていたのだろうか。だとしたら相当におめでたいやつである。

傭兵「……」

 いや、そういえばこいつは相当以上におめでたい思考の持ち主である気もしてきた。

傭兵「とりあえず急いで追うぞ。党首はまだ校舎の敷地から出ていないはずだ。地下を虱潰しに探すぞ」


僧侶「ど、どうしてそんなことが! わかる、ん、ですか……」

 一度はこっちを振り向いたが、また顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
 途轍もなく調子が狂う。

傭兵「まぁ、なんだ。党首は校舎にいた。つまり州総督から情報は完全には引き出せていないってことだ。州総督も海千山千の男だし、そう簡単に口を割るまいとは思っていたが、流石だな」

傭兵「で、校舎にいて、かつ州総督と自分が無事なところつったら、素直に考えれば地下だろうな。心当たりはあるか?」

僧侶「……恐らく、食物庫、かと。ここは緊急時の避難所でもあります。麦や米、その他食物を保存しておくための蔵が、半地下になってます」

傭兵「緊急時の避難所がこの状態かよ。笑えねぇな」

 笑うつもりもなかったが。


「手を挙げろ」

 魔法的に拡散された声が俺の、恐らくは俺と僧侶の鼓膜を揺らした。迷彩魔法を解いて、銃を構えた兵士が総勢十八名、俺たちを取り囲んでいる。

傭兵「……このタイミングでこれかよ」

兵士「私語は許可していない!」

 背後にいた兵士の銃口が背中に押し付けられた。俺もこれには黙るしかない。

 兵士たちは俺よりも寧ろ僧侶にご執心のようだった。当然といえば当然の話。こいつらから見れば、主の目的は僧侶であって、俺は単なるおまけにすぎないのだろう。
 反乱分子の幹部と護衛、そういう風に見られているのかもしれない。それは昔の事実であるが、今は違うのだといっても、聞き入れてはもらえないだろう。

兵士「僧侶! 自らがしたことの重大さをわかっているな! 本来ならばここで極刑に処したいのだが、あいにくそれは許されていない!」

 乱暴に僧侶が腕をつかまれ、無理やり立ち上がらされる。大のおとなと小娘の腕力では到底太刀打ちできそうになかった。
 危うく手が出そうになるが、この人数相手に勝ち目はない。十人倒せたあたりで撃ち殺される。


僧侶「ま、待ってください!」

兵士「黙れ! 悪魔め!」

 兵士の一人が僧侶を殴りつけた。腕が拘束されている僧侶は無防備に拳をその顔面にくらい、倒れることすらない。変な方向に負荷のかかった腕が悲鳴を上げていた。
 それでも僧侶は諦めない。闘志の灯った瞳で、兵士たちに必死に訴えかけている。

僧侶「党首がこの先にいるのです! 州総督を連れて、情報を聞き出してから殺すつもりです! わたしはどうでもいい、ですから、あいつは、あいつだけは!」

僧侶「どうしても逃がしてはいけないのです!」

兵士「貴様の言葉を誰が信じるか!」

 もう一発、拳が鳩尾にぶちこまれる。僧侶はあまりの衝撃で悶絶し、心はいくらでも言葉を紡ぎたがっているのだろうが、体がそれを許しはしなかった。

 ……殺してやろうか。
 と殺意が一瞬で膨れ上がるけれど、俺は自制する。勝てない戦いはするべきじゃない。それに、こいつらには利用価値がある。


兵士「問答無用! 対象確保! つれていけっ!」

 背中の銃口が俺に歩けと言外に伝えてきた。俺は交戦の意志がないことを両手を挙げて表し、「なぁ」と声をかける。

兵士「私語を慎めといっているだろうがっ!」

 銃床が側頭部を打った。衝撃と刺すような激痛が走る。眠気覚ましにはちょうどいい。なにしろこちとら目を覚ましたばかりなのだ。

傭兵「……俺の胸ポケットを漁れ。俺は国王からの密使だ」

兵士「はっ、誰がそんな言葉を信じるか!」

傭兵「信じる信じないじゃねぇよ、確かめろっていってんだ」

兵士「口答えする気かっ!」

傭兵「俺は国王から密命を受けて、共産主義者の幹部を仕留めるためにここにいる。お前らと仕事の内容は同じだ。その証拠に、国王から授けられた銀貨もある」

傭兵「ポケットに手ェ突っ込めっていってんだよっ! それともなんだ、現場判断で済ませてもいい案件だってか!」


 噛み付くように叫ぶと、兵士たちが声には出さないまでも不安そうな雰囲気を醸し出した。九割は虚言だと思っているのだろう。だが、一割が一厘だったとしても、こいつらは恐れずにはいられない。
 組織に染まってしまった人間は、それゆえに強いが、それゆえに弱い。
 そして今回の重要なところは、理由など殆ど全てでっちあげだが、事実として銀貨を持っているということである。

 だから、俺の胸ポケットから銀貨を見つけた兵士たちは、いかに俺が胡散臭かろうとも敬礼をせずにはいられない。

兵士「ま、まことに申し訳ありませんでしたぁっ!」

 俺は離されるが僧侶は流石にそうはいかない。俺だってそこまで求めちゃいない。

傭兵「この先に党首がいる。半地下の食物庫にいる可能性が高いと、そこのちんちくりんが言っていた」

傭兵「詳しくは知らんが、仲間割れだそうだ。党首はそもそも共産主義になど興味はなかった、と。全ては金と権力のため。州総督の全財産をこのドサクサの中で自分のものにするために打った狂言だ」

傭兵「俺たちは、お前たちも、その狂言に踊らされたんだ」

 兵士たちの間に走るのは衝撃なのだろう。これについては信じるも信じないもどちらでもよかった。俺が欲しいのは頭数だ。少なくとも、真偽がどうであれ、こいつらは党首を倒すのについてきてくれる。


兵士「……こいつの言うことが全て真実だとは、思えんな」

兵士「あぁ、党首の仲間という可能性は十分にありうる」

兵士「しかし、銀貨を持っています。それは事実です」

兵士「とりあえず僧侶は拿捕しました。ここで退くべきでは?」

兵士「この先に党首が隠れているかもしれないのにか? 末代までの笑いものだぞ」

兵士「僧侶とこいつを隊の中心におき、案内させるとか」

 兵士たちは十数秒ほどそうして悩んでいたが、その懊悩を破ったのは一本の通信であった。唐突に鳴った通信機に兵士たちはみな耳を当て、数秒の短い間があいた後に、揃って俺を見た。
 そして不承不承といった体で頷く。

兵士「……たったいまお前の面が割れた。いいだろう、信用しよう。この先に党首がいるんだな」

 面が、割れた?
 面が割れただと!?


 ばかな。それはつまり、そういうことか? 俺が元勇者であると知られたということか? 今の連絡は知っていた何者かからの連絡だということか?
 隊長……いや、あいつは俺が勇者という事実こそ知っているが、見たところこいつらに直接どうこう連絡をつけられる立場ではない。なら一体誰が。

 と、そこまで考えて、雷に打たれたような衝撃が走る。
 自然と銀貨を握り締めていた。
 怒りではない。脱力でもない。相反するそれら二つが交じり合った、どこまでも奇妙な感覚だ。いうなれば「してやられた」というところか。

傭兵「そういうことかよ……」

僧侶「傭兵さん……」

 僧侶もまた開放されていた。こいつが共産主義者たちのリーダーだったことは紛れもない事実。であるのにこんな簡単に開放されるのは、やはり連絡の主の手回しによるものなのだろう。
 一体どこまで知っているのやら。

僧侶「どうなってるんですか?」

 心配そうな顔でこちらを見てくる僧侶。俺は頭に手をやって、その水色の髪の毛をくしゃっとかき乱してやる。

傭兵「安心しろ。もうすぐ終わらせてやる」

 僧侶の長かった旅も。
 俺の長かった旅も。

 どちらも、長くは続かない。

 僧侶は満面の笑みを形作って、

「はいっ!」

 不覚にもどきっとしてしまった。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです
VS党首3

僧侶ちゃん可愛いと考え続けてたらタイピングが止まらなくなりました。これがクレイジーサイコラブ

次回は恐らく日曜になると思います
これからもよろしくお願いします


* * *

 兵士さんらは九名ずつに別れ、わたしたちを挟み込むような縦列陣形となって、行軍を開始しました。傭兵さんは解き放たれていますが依然警戒され、わたしはそもそも縛られています。
 当然十八名にとっては、上からの命令とあってもそう易々と心を許せるはずがないのでしょう。彼らにとっての圧倒的な敵方であるわたしと行動を共にしていたことが、これ以上なく心象を下げているに違いありません。
 
兵士「それで、食物庫はいったいどこにあるんだ」

僧侶「厳密な場所を知っているわけではないのですが、敷地内にあるのは確実です」

傭兵「幸い怨敵自らが見通しをよくしてくれたんだ。そう時間もかかるまいさ」

 軽口を叩く傭兵さんに兵士さんたちが険しい視線を向けます。真面目も不真面目も一緒くたにして笑い飛ばせてしまう傭兵さんと、お国のために反乱分子を鎮圧しようとやってきた彼らとでは、根本がまるで違いました。
 金か国か、もしくは守るべきもののためかという問題なのでしょう、きっと。だなんて上から目線で知ったような口を聞ける身分ではありません。曖昧に笑っておきます。

兵士「……お前、どうして傭兵なんかに身を窶した」

 元勇者なのに、ということでしょう。
 傭兵さんはそれを受け、多少は厭味ったらしい笑顔を作りました。

傭兵「あんた、そりゃ職業差別ってやつだぜ」

 果たして「勇者」が職業であるのかどうかには疑問が残りますが。


兵士「僧侶と顔見知りである理由も知りたいもんだな。裏切ったのか。マッチポンプか」

傭兵「俺が金のためにそんなことをするような男だと?」

兵士「そういう男だとは有名だ」

 噂話には際限のない尾びれ背びれが当たり前だと思ってはいますが、ことこの件に関しては、限りなく事実だと思います。
 傭兵さんもきっとそう思ったに違いありません。心底面白そうな顔をしました。
 この人は自らの生き様を愛する加減を図り間違えています。盛大に。はっきり言って溺愛しすぎなのです。

 ですがそれを指摘するのはダブルスタンダードというものでしょう。これもまた、わたしには何も言う資格はありません。
 共産主義に望みを託し、裏切られ、うらぶれてしまった現在においても、その世界を願って止まないわたしには。

傭兵「こいつとは少し前からの顔馴染みさ。まぁ、罪悪感は感じないこともない。こいつをラブレザッハまで護衛したのが俺だ」

兵士「は、なんだよ、あんたも利用されただけなんじゃないか」

兵士「さすが悪魔の女だ。女狐め」

 ぐい、と手首を縛る縄が強く引っ張られました。決して柔らかくない縄が肉に食い込み、痛みに思わず声が漏れます。

傭兵「おい」

傭兵「捕虜は丁重に扱えよ。国際法違反だぞ」

 懐からナイフをちらつかせる傭兵さんでした。


兵士「……国として成立していない。法律上は、ただの内乱だ。僧侶は捕虜じゃあない」

傭兵「犯罪者だとしても同じことだろう。違うか」

兵士「……」

 傭兵さんの眼光に気圧されたのか、手首の縄が少しだけたわんだ気がしました。

僧侶「珍しいですね」

傭兵「なにがだ」

僧侶「傭兵さんがお金にならないことをするだなんて」

傭兵「馬鹿言え。義を見てせざるは勇なきなりと言うだろうが」

 うわぁ胡散臭い。
 でも、ちょっとだけ嬉しいのが業腹です。彼にというより自分自身に。


兵士「とりあえず、お前らが知ってる党首の能力を教えてくれ。州総督お抱えの揉め事処理屋はブラックボックスだ。ここぞと言うときにしか出てこないから、俺たちにも情報が殆ど降りてきていない」

傭兵「序列六位、『機会仕掛け』。殆ど純粋な魔法使いだな。徒手格闘もできなくはないが、練度は低い」

傭兵「やつは独自の爆破呪文を会得している。一つが位置指定爆破。もう一つが機雷化。前者でこちらの進路を制限し、後者で爆殺を狙ってくるな」

兵士「回避や防御はできるのか?」

傭兵「位置指定爆破については、人体そのものを爆破することはできない。地面や瓦礫を爆破して、間接的にこちらを狙ってくる。ただ、威力はそれでも高い。直撃したら死ぬ程度にはな」

傭兵「そして機雷化だ。これは物質だけではなく、概念も機雷化できる。そして『開放』に類似する動作をキーとして起爆する。機雷化に必要な動作はない。タイムラグも、恐らくない」

兵士「……正直、想像がつかないな」

 一人の兵士さんが言うと、残りのかたもそれに追随しました。
 初歩的な魔法なら、手馴れた人間にかかれば一瞬で行使できます。しかし人を容易く殺傷できるほどの威力をもった魔法を、しかも事前の準備や動作もなく、瞬時に人知れず行使できるのは埒外と言うことはありません。人知を超越しています。
 そして起爆条件もまた曖昧で、広い範囲をカバーしているのが厄介なのです。そのような敵を相手にしたことは兵士さんたちにはないでしょう。


傭兵「起動してから防御、もしくは回避は、並大抵のレベルじゃ間に合わん。俺でぎりぎりなんだ。お前らには無理だろうさ」

 それは一見自慢のようにも感じられましたが、違います。傭兵さんはただ厳然たる事実を述べているだけなのです。
 彼は無駄に誇りません。戦いに関しては猶更。そこに油断を挟んでいたら、彼は今頃ここにはいなかったでしょうし。

 そしてここにいる兵士さんたちも、傭兵さんとの力量差を肌で感じ取っているからこそ、苛立ちの視線を向けたりはしないのです。既に場はブリーフィングへと変わっています。

傭兵「お前は体大丈夫か」

僧侶「はい。全身にガタが来てますが、やれます。戦えます」

兵士「……ちょっと待て。こいつも――僧侶も、戦うつもりなのか?」

 怪訝な顔で兵士さんたちがこちらを見ました。
 全部で十八個の訝る視線。想像したこともない光景に、わたしも傭兵さんも、思わずきょとんとしてしまいます。


傭兵「始めからそのつもりだが」

僧侶「だめなんですか」

兵士「馬鹿か! だめとかいいとか、そういう次元の問題ですらないわ!」

兵士「そうだ! お前は党首の仲間だろうが! 誰が縄を解いたりするかよ!」

兵士「都合からお前も連れて行くことになっているが、本当なら四肢の拘束と五感の剥奪をされても文句は言えない立場なんだぞ!?」

 両手首に縄だけで済んでいる状況が奇跡、ということですか。
 あぁ、言われてみれば確かに当然ですね。兵士さんたちがこちらの事情を知らないように、わたしたちも彼らの事情を鑑みることをすっかり忘れていました。

 だって……

僧侶「あいつらを殺さないことなど頭になかったものですから」


 党首は殺す。絶対殺す。必ず殺す。何が何でも殺す。
 わたしを裏切ったことは瑣末な話です。問題ですらありません。それはよいのです。わたしなどいくら蔑ろにしたって構わないのですから。
 しかし、数多の民草を裏切り、同胞を無残に爆殺した償いは、きっちりと支払っていただきましょう。甘い汁を啜るだけ啜って、得た全ての利益を自分だけが甘受しようだなんて、到底受け入れられるはずがありません。

 お金が可哀想過ぎます。

 資本主義など滅びてしまえばいい。ですがお金そのものが悪いわけではないのです。それを扱う人間と、今ではすっかり主従関係の逆転してしまった、社会システムが癌というだけであって。

 州総督に関してはわかりません。あいつに対しての殺意は確かにあります。寧ろ単純な量で考えれば容易く党首を上回るほどの殺意が。
 その理由は直接的な恨みであり復讐という単純なものですが、ゆえに強くもあります。姿を見れば確実に拳銃を構えるでしょうが、それを傭兵さんが許すはずもないでしょう。


僧侶「信じてもらえなくても構いません。わたしは、本当に、ただ誰もが幸せになる世界が欲しかったのです。貧富の差もなく、上下の区別もなく、誰もが平等に……そして幸せに暮らせる世界が」

僧侶「結果はこれですけどね。方法が悪かったのか、それとももっと別の、もっと別の何かが、悪かったのか」

僧侶「わたし個人の償いはします。ここまで事態を大きくしたのは、間違いなくわたしが原因の一つでしょうから」

僧侶「ですが、党首にも償いはさせます」

 拳を握り締めました。

兵士「……何がきみをそうまでさせる?」

 今まで黙っていた兵士さんたちの中から一人、中年の男性が声をかけてきました。

兵士「子供ってのは、そんな殺気の篭った瞳をもってないもんだ、普通は」

僧侶「だとしたら、わたしが普通じゃないってことですよ」

 そしてそれは幸せなことでもあります。わたしみたいな境遇が普通の世の中になってしまえば、最早取り返しなどつくはずもありませんから。


 逆説的に、取り返しのつくうちに何とかする必要があるのです。
 鉄は熱いうちに打て、だと少しばかり意味合いが変わってしまうでしょうか?

僧侶「両親が使い捨てられたのです、州総督のクソ野郎に」

僧侶「誰よりも優しく、誰よりも他人に施してきた、最も尊敬する両親が」

僧侶「金のために、人気のために、使えるだけ使ったらポイですよ。所詮人なんて消耗品なのだと、言うかのように」

僧侶「……あなたたちは兵隊ですから、それでもいいのだと、言うのかもしれませんけどね」

 それは決して一般的な感覚ではない。

 わたしは自分の言葉を噛み締めていました。いや、噛み締めるように言葉を紡いでいた、というほうが表現としては正しいのでしょうか。
 どちらにせよ、わたしはそのとき、確かに自分の足跡を確認したに違いないのです。自らの出発点と、歩んできた山河と、そして現在地を指でなぞって線を引き、点を打ったのです。

僧侶「あなたたちがなんと言おうと、わたしは戦います。党首の喉笛を喰いちぎるのは、両親の仇をとるのは、わたしがやらなければならないことですから」


兵士「……もしかして、きみのお父さんというのは、神父さんかい」

 ひとり、やや若いかたが恐る恐るというふうに尋ねてきました。わたしは何事もないかのように頷きます。そりゃそうです。なんら恥ずべきところのない、最愛のひとなのですから。

 動揺が兵士さんたちの間に走ったのをわたしは見逃しません。

兵士「……そうか。そう言われてみれば、面影があるような気も、するかな……」

 先ほどの中年兵士がぽつりと呟きました。面影、あるのでしょうか。だとすればそれは嬉しいことですし、何より誇らしいことでもあります。

兵士「俺、馬鹿だからさ、学がないからさ、お嬢ちゃんの言ってる大義だとか理想だとか、ぜんぜんわかんねぇんだよな」

 恐らくこの中では一番若いのであろう兵士さんが言います。

兵士「ただ、わかんない中でも、ちょっとくらいわかることはあるよ。多分、お嬢ちゃんは優しいんだ。だから、きっと、お嬢ちゃんが目指す世界は、優しい世界なんだと思う」

僧侶「はい」

 この返事はおかしかったでしょうか。
 ただ、それ以外に返事の仕様がないのも事実だったのです。

兵士「けど、この世界って、優しくないんだよなぁ」


 誰に言うでもなしに吐かれた言葉は大気に溶けて消えました。終着点が与えられなかったゆえに、昇天する前に霧散します。

僧侶「はい」

 わたしは、また、そう返事をしました。

 と、手首の締め付けが一気に緩くなりました。今までわたしを拘束していた縄が解かれたのです。

僧侶「……いいのですか」

 思わず尋ねてしまいました。
 わたしの背後で縄先を握っていた兵士さんは、縄をその辺に放り投げ、困ったような顔で笑います。

兵士「まぁ、大丈夫っしょ。いいですよね?」

 他の方々に振り返って訊いても返事はやってきません。曖昧な笑いを何人かはしていましたが、わたしにはその意味がわかりませんでした。
 ただ、黙って聞いていた傭兵さんが、小さく「人たらし」と呟いたことだけが印象的でした。


傭兵「……さて」

 傭兵さんが剣の握りを確かめました。
 その動作を見て、わたしも全身に魔力を巡らせます。腕力、脚力、守備力、ともに倍加。どんな動きにも対応できるように踵を浮かせ、拳を握り締める。

傭兵「おでましだぞ」

 百数十メートル先に、党首と、それに引き連れられた州総督の姿がありました。州総督は先ほどまでのわたしのように縄で縛られ、けれどそれほど消耗してはいないのか、自らの足で歩いています。
 党首はあからさまに嫌そうな顔をしました。距離は離れていてもしっかりわかるくらいですから、よっぽどなのでしょう。その顔を見ただけでも追った甲斐があるというものです。

 ですが、まぁ、それは当たり前なのです。仕留めたと思ったはずの傭兵さんがほぼ万全の状態で復活し、わたしまで生き長らえ、そして十八人の国王軍兵士を引き連れてやってきたとなれば、気分がよくなるはずもありません。

兵士「見つけた……っ」

傭兵「慌てるな。機雷の餌だぞ」


僧侶「すいません、無理です」

 この体が猛って仕方がないのです。
 それに、この中で囮役を引き受けられるのは、守備力倍加と回復魔法を使えるわたしくらいのものでしょう。
 大した戦力にならないのですから、せめてこれくらいは。

僧侶「ね?」

 傭兵さんの制止を振り切って飛び出しました。即応で足元や周囲の木々が爆破され、一気に視界が悪くなります。
 何度も浴びた爆風。灼熱。肌が焼け、髪が焦げ、気管が煤で汚されていきます。
 ですがそんなのもう慣れました。

 人間に必要なのは屈強な肉体ではなく強靭な精神なのです。より正確に言うならば、物事を成すべしという覚悟なのです。それこそが人を前進させるのだということを、わたしはここ半年の長くない時間でよく知りました。
 事実、わたしを動かしてきたのはいつだって覚悟で。
 今だってそう。

 理屈とかはどうだってよくて。
 今はただ、党首が憎い。


 結局わたしはどこまでも利己的な人間なのです。どこまでも自分の憎悪に振り回される人間なのです。感情を保留し、宥め、自らを律することができない人間なのです。
 しかし傭兵さんは言ってくださいました。大事なのは信念であると。金や恨みで殺すクソッタレにはなるなと。傭兵さんの基準に照らし合わせれば、わたしはもうクソッタレなのでしょうか? 憎悪に突き動かされて人間を堕した畜生なのでしょうか?

 あぁ、でも、理屈とかはどうだっていいから、そんなことを考えるのは無駄で、だから、自己犠牲は決して自己陶酔の産物なのではなくて、つまり、それでも。
 ですが、こう考えることもできるのではないでしょうか。どうせわたしはこの後、兵士さんたちに捕まって投獄されてしまうのですから、やりたいことをやったほうがお得なのでは? 

 ……熱された頭で考え続けるのも、どうやら限界でした。
 党首に近づけば近づくほど、この男を引き千切ってやりたくてたまらなくなってしまいます。

僧侶「今度こそっ! 逃がしませんっ!」

党首「ちっ、まるで飢えた狼ですね」

 それは狼に失礼というものでしょう。
 気高い生き方をする彼らはあくまで動物です。この身に宿る醜悪な畜生とはまったく異なります。


 党首は州総督を突き飛ばしました。流石にここで州総督を連れていては足手まといにしかなりません。ですが、やつをおいて一人逃げるつもりでも、ないようです。
 そこは無論党首にも意地と矜持があるのでしょう。ここまで入念に準備をし、国を敵に回してまで彼は金と権力を手に入れようとしました。そうして手に入れたそれらに一体どれだけの価値があるのか、わたしには全くわかりませんが。
 ただ、人生を擲つ、それこそ「信念」に裏打ちされた行動なのでしょう。つまり党首の人生と同じ重みなのです、金と権力は。

 安い。

 あまりにも安い。

 州総督の全資産がどれだけなのかは想像もつきません。十億? 五十億? もしたら百億はあるんでしょうか。だとしても、たった百億を自由に使うための人生だなんて、カスみたいなもんです。ゴミみたいなもんです。

 爆破を全て集めてまとめて投げ捨てて、後退して距離が「開く」よりも速く接近し、わたしは吼えました。

僧侶「――――!」

 人ならぬ叫び。今のわたしは一個の弾丸です。使い捨て。戻ることなんて――元の社会に戻ることなんて、ちぃとも考えていない鉄砲玉。


 大振りの拳は回避されました。勢いあまって転倒し、強く踏み込んでうつぶせの状態からクラウチングスタート。それこそ弾丸のように党首へと突っ込んでいきますが、四指爆破で角度をそらされました。

僧侶「党首ッ! あなたは、絶対に、許しません!」

党首「陳腐な言葉だ。許さないからどうだというのです」

党首「それに、誰かに許しを乞うたことなどない!」

 うるさい。喋るな。あんたの言葉なんて聴きたくはないのだ。ただ、許さないという誓いを立てただけ。
 裁くなんて物言いはできません。だってそれじゃあまるでわたしが神様みたいじゃないですか。そんなのはだめです。この世には神様なんていやしないんだから、表現は間違っているのです。

僧侶「あなたが、憎い」

 憎悪。

 何も知らない者を、善意で集まってきた者を、自分の私利私欲のためだけに利用する。両親を使い捨てた州総督のように。
 許せない。
 殺す。

僧侶「殺す。殺します」

 絶対に。

 世界のために。

 人間失格のわたしには、それくらいしかできることがないから。


傭兵「そんなことはない」

 わたしの肩を掴んで押しのけて、傭兵さんが飛び出していきました。

傭兵「お前の言葉には信念がある。誇れ」

傭兵「それに感化された人間だって数え切れないほどいるはずだ。お前はいつだって、世界のことを考えていた。そうだろう」

 党首へと飛び掛るその僅かな時間が、まるで永遠にも感じられました。

僧侶「……はい。……はい!」

傭兵「世界を救うぞ」

僧侶「はい!」

 党首を倒したって世界は救われやしません。しかし、傭兵さんが言ったのは、そういうことではないのです。言うなれば信念の補充。覚悟の充填。これまでの道しるべと、これからのランドマークを見つける作業。
 ですが、傭兵さん。ちょっとだけ訂正したいと思います。

 わたしの言葉に信念がある?
 それは、わたしがあなたに向けて言いたいくらいですよ。


 既に党首には十八人の兵士さんたちも追いついていました。爆破で大きく吹き飛ばされる彼らでしたが、それでも中衛以降の人たちは踏ん張って耐えています。ぐ、と足に力をこめ、党首に向かって突っ込んでいきました。
 剣と槍を初めとする猛攻に、党首は爆破だけでは耐えられません。必死に後退を試みていますが徐々に距離は詰められていきます。

 そもそも彼の魔法は事前に情報がばれていては効果を十全に発揮などできないのです。それも近距離で、この人数を相手にしては、猶更。

 党首は舌打ちを一つして懐から封筒を取り出しました。それを一気に引き「破り」、自らを巻き込んだ大爆発を起こします。
 兵士さんたちのみならず、接近していた私たちもまた大きく吹き飛ばされました。直接のダメージはありませんでしたが、勢いよく地面を転がります。

 立ち上がった党首にダメージはそれほど見られません。爆破耐性のある装備を身に着けているのでしょう。当然と言えなくもありませんが。
 しかし、こちらの被害もまた軽微。即座に立ち上がって武器を構えました。

 合図などはなくても心は通じ合っています。ほぼ同時にわたしと傭兵さんは左右に跳び、あわせて兵士さんたちも突撃を開始しました。
 速度の十分に乗った攻撃を、党首は爆破と体術を用いて、なんとか紙一重で回避していきます。王手を巧みにかわしていくような体捌きでした。横薙ぎをスウェーで避けると、続く突きは爆風で逸らし、傭兵さんとわたしが突っ込んでくるのを見るや否や自爆覚悟で距離を開きます。


 即応した兵士さんたち数人が爆裂で壊滅しました。攻撃を「放とう」としたところを狙い撃ちされたのでしょう。肉片が降り注ぐ中を、生き延びた方々は更に強く地面を踏み込むことを弔いとして、一気呵成に攻め立てます。
 太ももを槍が貫きました。そして、恐らく傷が「開いた」からなのでしょう、爆裂が起こって槍の持ち主を吹き飛ばします。
 残りは十三人。

 十三人が裂帛の気合と共に党首へと突っ込みました。

 傭兵さんが刃を振り下ろす瞬間に機雷が爆裂し、その体を飲み込みます。けれどわたしは慌てません。拳を一際強く握り締め、党首へと掴みかかりました。
 黒煙の中を突っ切った傭兵さんは五体満足。超人的な反射神経は爆裂を察知してからの防御や回避を間に合わせます。勢いを限界まで落とすことなく走りこんでくる彼とわたしの位置は対角線上で、挟撃の形。
 回避行動をとろうとした党首の顔が歪みました。太ももは槍に貫かれているのです。

 拳が党首の腹を打ちます。同時に数多の槍と刃、そして傭兵さんの振るった剣が、党首の全身へと突き立てられました。

傭兵「全員、伏せろおおおおおっ!」


 叫ぶよりも早く爆裂が全てを薙ぎ倒していきました。党首を破ったことによる機雷の起動。先の戦いでも見たそれは、流石にわたしたちには通用しませんが、不意打ちでなくともその威力は絶大です。

 強か全身をサイロの壁に打ち据え、臓腑に衝撃が与えられて数度呼吸さえ止まりましたが、それでもわたしは生きています。バネ仕掛けのように飛び起きて黒煙の中へと身を投じました。
 視界が晴れると、既に傭兵さんと兵士さんたちが、党首に踊りかかっているところでした。

 党首の傷は治癒の煙を噴出しながら再生しています。足元に転がっている空瓶――恐らく、世界樹の雫。

 と、そこでわたしは、得体の知れない悪寒を覚えます。
 党首が顔色を悪くしながらも、勝利を確信した笑みを形作っていたからです。

僧侶「ようへ――」

 理屈と膏薬はどこにだってつきます。この叫びだってそうで、何が危ないのか、どうして危ないのかという理由より先に、まず行動が来ていました。
 しかし彼らの動きは止まりません。止まれないのか、そもそも聞こえてすらいないのか。


 校舎は全て瓦礫の山と化しました。景色は変容しきっています。であるなら、いま、わたしたちは本当に学校の敷地内にいるのでしょうか――そうです、サイロにぶつかったことが、わたしの疑問の原因なのでした。
 サイロ? なぜ? ここは学校のはずなのに。

 党首は概念すらも機雷化できます。国境線も。町も。それで人が爆殺されるところを、わたし自身見たではないですか。彼の陣地へと、その境界線を「破って」侵入してきた人間たちは、みんな……。

 ならば。

 もしやというには確信がありました。党首がひたすらに自爆を繰り返し、移動をしていたその理由。

 距離はあと数歩。時間にして、コンマ数秒。

 いない神には祈れません。信じられるのは自分だけ、とまではいいませんが、社会システムが間違っていて、神様もまたいないのならば、困ったときに縋れるのは人間なのです。
 汚い人間もいます。悪い人間もいます。騙し騙され、裏切り裏切られ、そんなことばかりの世の中でも、きっとなんとかなるはずなのです。幸せな世界は、わたしたちがわたしたちの力で勝ち取らなければいけないのです。
 であるのなら、信じましょう。わたしを。ひとを。

 お願いします、わたしのからだ。これまで何度と繰り返してきたこの動作、せめてあと一度、間に合わせて欲しい。

 拳銃を引き抜きました。


 狙いをつけている暇はなく。

 それでも、外す気配はなく。

 党首はようやくわたしの気配に気がついたようでした。愕然として、顔を引き攣らせて、逡巡して――逡巡? いまさら何を悩む必要があるってんですか?
 あなたは殺す。わたしも死ぬ。仲間割れとしては、これ以上なく妥当な帰結ではないですか。

僧侶「……」

 お願いします、傭兵さん。魔王を倒して、困っている人を助けて、この世の中をもっと平和に、幸せに。

 おかしな話です。機雷化をわたしは回避も防御もできませんし、つまりそれは死ぬということなのですが、だのにまったく怖くはないのです。傭兵さんがいるということ、そして傭兵さんに託せるということ、それがこんなにも心を穏やかにするものだとは。


 いろいろ、言いたいことはあったのですが。

 とりあえず、まぁ。



 さようなら。


-――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
VS党首4

次回投下分も実は出来上がってるんですよねぇ…
深夜か明日か、早いペースで投下したいと思います

* * *

 鼓膜が震えます。

 概念が爆裂します。

 熱。光。

 吹き飛ばされる人々の声。

 わたしは生きていました。

 なぜ?

傭兵「ぁあああああっ!」

 爆炎を乗り越えた傭兵さんの右手に握られているのは、破邪の剣ではなく一振りのナイフ。それがたったいま、党首の首に深々と突き立てられました。勢いのまま倒れこんで、党首へと馬乗りになっています。
 呆然としているわたしの眼には、それが光景としては入ってきていても、事態の理解には結びついてはいません。

僧侶「……へ?」


 限りない速度と膂力を篭められ、ナイフはさながら竜の牙の如く、党首の喉を食い破っていきます。それは切断ではなく、刺突。的中部位の消滅を伴う。
 血すら飛沫となって吹き飛ぶばかりで、激しい出血すらもなく。

 党首の腕から力が抜けたのが、確認できます。

 思わず地面へへたりこんでしまいました。
 これ、どういうこと?
 全身に力が入らないのは、生きている喜びが云々ではなく、単純に覚悟が大きく空振りをしてしまったからなのです。最早これまでと、南無三とすら、思っていたのに。

 筋肉が弛緩しすぎて涙まで出てきました。危うく失禁すらしそうになって、慌てて全身に力を篭めます。

傭兵「お疲れ様」

 極めて軽く、あっけらかんと傭兵さんは言いました。随分余裕ですねと返そうとしましたが、寸前でがくんと膝が折れます。そのままバランスを崩してこちらへ倒れてきました。
 なんとか受け止めますがわたしだって力が入らないので、二人して地面に寝転がるかたちになります。傭兵さんの顔がちょっと近くて、空は青くて、なんだか思わず笑いがこぼれてきました。


僧侶「って、違う!」

 跳ね起きました。

僧侶「あの、あれ、どういう、なんでわたし、生きて、え!? ねぇ!」

 口が回りません。いや、回っていないのは、きっと頭でしょう。

僧侶「なんで生きてるんですか!?」

傭兵「俺に死んで欲しかったってか」

僧侶「あぁもう、違います!」

 こちらの質問意図を明確に理解して尚この言動なのですから、余計たちが悪い!

僧侶「どうしてわたしが生きてるんですか!?」

傭兵「……」

僧侶「……」

 叫んで一拍置いてから、そもそも傭兵さんがその原因を知っているかどうか、確証はないことに気づきました。
 そして同時に、傭兵さんなら原因を知っているだろうと、確証はないのに信じられました。


 わたしが生きているのは不自然なことです。そして、この身に起きる不自然なことには、 傭兵さんが関わっているのです。わたしはそのことをよく知っています。

傭兵「お前の拳銃、それ、空砲だぞ」

 ……え。

僧侶「あ」

 そうだ。そうです。そうでした。

 地下牢で傭兵さんがわたしを一度殺すときに使った空砲。そのマガジンは、ずっと拳銃の中に入れっぱなしで、だから当然先ほどのときも。
 ということは――ということは?
 わかることは唯一つ。仮にあそこで発砲できていたとしても、党首の息の根を止めることはできなかったということです。

 ……いや、もしかして。

僧侶「傭兵さん、ここまで読んでましたね」

 断定的にわたしは尋ねます。

傭兵「当然だ。ただ、賭けでもあった。分が悪いわけじゃなかったから採用したが、正直心臓に悪いな」


 限りなく嘘くさくはありましたが、先ほど足が震えていたのを見れば、そうは言えません。確かにこの人は内心びくびくしていて、けれどそれを外には決して出さず、机上に振舞っていたのでしょう。
 まったく。なんていう胆力ですか。

僧侶「読み違えてたらどうするつもりだったんですか」

傭兵「そんときゃお前が死んで俺が党首と相打ちだ。最低限の目的は果たせる。党首が世界樹の雫をもう一つ持ってるかもしれなかったし、そうでなくとも別途回復手段は想定してあった」

傭兵「結果オーライだろ。こりゃ日ごろの行いだな」

 この人の行いを神様が助けてあげたいと思うようなら、きっと資本主義の神様ですね。市場には神の見えざる手が働いているといいますし、多分それです。

傭兵「機雷の爆裂条件は『何かの開放』……概念で言えば『破る』『放つ』『開く』あたりだろう。じゃあ逆に、それが失敗したらどうなるのか、ってな」

 そう。それらの行動がもし失敗した場合、一体どうなるのか。
 爆裂するのか、しないのか。


 傭兵さんは賭けといいました。確かに二者択一ではありますが、これもまた傭兵さん自身が言ったように、分の悪くはない賭けです。
 普通に考えれば、党首が「機会仕掛け」である限り、機雷は機会がやってこなければ爆裂しないはずなのです。行動の失敗は、機会に当然先んじます。行動が起きていないのに爆裂してしまえば、それは即ち機会を重んじる必要などない。

僧侶「ん? ……あれ、でも、どうして傭兵さんの攻撃は、爆裂しなかったんですか?」

傭兵「ナイフの攻撃は刺突だ。『放つ』もんじゃあない。それに、万が一のために予防線も張ってあったしな」

僧侶「予防線、ですか」

傭兵「気づいてなかったか。党首の機雷には設置上限があんだよ。詠唱の必要もない、設置場所の指定もない、設置上限もないじゃ万能すぎる。少なくともどれか一つにはなんかあるとは踏んでた」

傭兵「三つ。それが党首の限界だ。僧侶の拳銃、領土の境界線、そして俺と兵士たちの攻撃……全部で四つ。防ぎきれない」

 でも、拳銃は空砲で。
 わたしの拳銃に銃弾が入っていれば、わたしは確実に死にましたが、同時に確実に党首を殺すことができたはずです。分がよくても賭けは賭け。傭兵さんならば間違いなく確実な手段をとると思いましたが、今の話を聞いて、違和感です。
 ……わたし、勘違いしちゃいますよ。


 理由を聞こうとしてやめました。どうせ答えてくれるはずなどありません、と自分の中で結論付けておくことにします。

僧侶「……党首は」

傭兵「ん」

僧侶「最期に何か、言っていましたか?」

 謝罪でも、命乞いでも、自らの正しさを語るのでも、なんでも。
 聞いてどうするというのでしょうか。全く意味なんてないのに、なぜだかそれが無性に気になりました。それとも自分とまるで正対する人間だからこそ、でしょうか。

 傭兵さんは首をふるふると横に振りました。

傭兵「いや、なんも。なんもだ。また自分を機雷化されても困るからな、発動の隙間すら与えず、一瞬で殺った」

僧侶「そうですか」

 思いのほか落ち着いた声でした。残念だとも、ざまぁみろとも、思いません。今は底までの余裕がないだけなのかもしれませんでしたが。
 心の中心を埋めていた大きな欠片が剥離して、はらはらと崩れて消え去っていくのがわかりました。喜びは確かにあります。ですが、一息ついたという感のほうが強くもあります。これは結局尻拭いにすぎないのですから。


 本来ならばわたしがこの手で始末すべき人間なのです。と、そこまで考えて、今までわたしが党首へと抱いていた憎悪が、もしかするとそれは憎悪ではないのかと思いました。義務感というか、責任感というか、罪悪感というか。
 ここまできてしまえば最早確かめる術はありません。党首は死にました。殺したのは傭兵さんです。わたしにできることは、自らを情けなく思うことと、彼に感謝をするくらい。
 まぁ、自分を卑下してしまえば、傭兵さんはきっとすかさず似合わないフォローを入れてくるのでしょうけど。たとえば、「お前が拳銃を向けてくれなかったら、どうなっていたかわからない」とかなんとか。

 ですから、あくまで真っ直ぐに彼の眼を見て、誠心誠意頭を下げるだけに努めました。

僧侶「ありがとうございました」

傭兵「どういたしまして」

 謙虚です。いつものこの人なら、お金くらい請求してきてもおかしくないのですが。
 いえ、この人だって、たまには守銭奴の暖簾を下げるときもあるでしょう。今日は珍しい定休日。そう思っておくことにします。


傭兵「俺は州総督のところに行くが、どうする」

僧侶「……殺して、いいなら」

傭兵「だめだ」

僧侶「……」

 動悸が高まります。脳に送るべき血流を必死にまわしているのです。
 憎悪。殺意。その二本柱が州総督とわたしの意識を固く連結して離してくれません。わたしの両親を襤褸雑巾のように使い捨てた悪党。どうして許しておけるでしょうか。
 でも、きっとそれは傭兵さんだって同じなはずなのです。彼の言うことを信じるならば、お父さんは嘗て、傭兵さんたちと旅をしていたことになります。仲間を使い捨てにされた恨みは傭兵さんにだってあるでしょう。

 何が正しい行動なのか、とっくにわたしにはわからなくなっていました。お金なんていらない。お金なんて悪だ。そう思っていたわたしの行動は、全て裏目に出ました。この瞬間考えていることが、しようとしている動作が、裏目に出ないと誰が言い切れるでしょう。
 わたしが特別なのではなく、誰にだって保証はない。そうなのでしょうが、だけど、それでも、そんなことは知ったことではないのです。

傭兵「ま、勝手にしろ。殺させはしないけどな」


 わたしは結局、とぼとぼと彼のあとをついていくことにしました。兵士さんたちがちょうど州総督の身柄を確保しているところでしたが、まぁ殆ど特権というか、顔パスです。彼らも傭兵さんの功績をわかっていますから、素直に避けました。
 州総督は地面に胡坐をかいたままむすっとした様子でこちらを見ていました。暴行のあとは見えますが、重傷のようには見えません。党首は魔法使いであって拷問官ではないのですから、不得手であった可能性は十分にあります。

 五十代後半の男性。ここ数ヶ月の生活のせいかだいぶ痩せましたが、鋭い眼光はそのままです。

 手が自然と拳銃へ動きました。が、意志の力で捻じ伏せます。大体拳銃はマガジン全部空砲で、何より傭兵さんがわたしの動きを察知して尚、見送ったから。
 見送ってくれたから。

傭兵「よう。実際に会うのは初めてだな」

州総督「……」

傭兵「だんまりかい。ショックや拷問で口が利えねぇ、ってわけでもねぇんだろう。あんたがそんなタマかよ」

州総督「……」


傭兵「まぁ、いい。そっちが喋りたくなくても、こっちは用があるんだ」

傭兵「党首を殺せと依頼がきた。お前の子飼いの揉め事処理屋からな。手付金が一千万、成功報酬が四千万。まぁそれはいい。それに文句はない」

 「が」と傭兵さんは続けました。

 あ。

 すっごい悪い顔してます。

傭兵「五億」

傭兵「お前を救出した礼金を俺に払うのが筋ってもんだろう? なぁ」

 ご?

 ごおく?

 五億って、いくらでしょうか。
 それはお金の概念というよりは、大きさや重さを表す概念に近似しているのでは?


州総督「……馬鹿か、貴様は」

傭兵「お、いいねぇ。命の恩人に向かっての最初の一言が、辛辣な悪罵! さすが稀代の傑物だ」

州総督「金などない。俺にはなにもない。今回のどさくさに紛れて、どうせハゲタカどもが食い荒らしているに決まっている」

傭兵「残念だがそうはいかねぇんだ。こっちも世界の平和がかかってるもんでな」

州総督「ない袖は振れん」

傭兵「そこをどうにかしてきたからこその州総督の地位だろうが」

傭兵「協力してくれねぇんだったら、俺はこれを売りにいく。五億にはとどかねぇだろうが、まとまった金にはなるだろうさ」

 懐から取り出したのは薄い紙の束でした。タイトルは……「採石の町、ゴロンにおける瘴気の利用技術に関して」。


州総督「なっ……! 貴様、それを、あのときに……!」

傭兵「手癖は悪いほうでな。俺はこれと同様のものを、あと三十は確保している。証言者もたっぷりいるぜ。なんせ町一つ分だ」

傭兵「これを国王一派にばらまく。マスコミにも。有力な領主たちに売りつけたっていい。そうしたらお前はおしまいだ。ゼロじゃない。マイナスになる」

傭兵「わかってるだろ、俺の言っていることが」

 にやぁ、と傭兵さんは笑いました。
 完全に、悪役のそれでした。

 ……わたし、この人を本当に、その、……いいんでしょうか? なんだか不安になってきたんですけど。

 でも、愕然としている州総督を見ていたら、ちょっとはすっきりとした、かも。


兵士「お疲れさん」

 声をかけられ振り返れば兵士さんたちが揃っていました。生き残りは全部で八名。党首との戦闘はほんの十数分でしたが、その間で半数以上が命を落としたことになります。
 彼らはそれでも職務に忠実で、顔を引き締め、わたしのことを見ています。

 ……あぁ、そういうことですか。

 さすが、職務に忠実ですね。逃げようとは思ってもいませんでしたが。
 少しその顔に申し訳なさが宿っているように思えるのは自意識過剰でしょうか? わたしの手首に、今度は縄でなく固い手錠をかけるとき、できるだけ優しくしてくれたような気がするのも。

兵士「国家騒乱の罪で、逮捕する」

 がちゃり、と手錠が連結されます。

傭兵「……」

 こいつら殺すか? 傭兵さんが剣呑な視線を投げかけてきますが、わたしは苦笑しながら首を振って断りました。責任は、とります。それくらいの矜持はわたしにだってあります。


 わたしが傭兵さんに対して振り向くことを、いくら兵士さんたちでも止めはしませんでした。後ろ手に手錠をかけられたことを、少しだけ幸運に思います。
 だって、そっちのほうがまだ、可愛く見えるでしょ?

僧侶「傭兵さん。いままでありがとうございました」

僧侶「わたし、あなたのことが」

 息を大きく吸い込んで。

僧侶「大嫌いでした」

 うん。間違ってないし。

 傭兵さんは口を手で隠して笑っています。困ったように。苦笑い。

 すぐにこちらを向いて、中指を立ててきました。下品です。

傭兵「俺もだよ」

 




――これで、わたしと傭兵さんの物語はおしまいです。
 願わくば世界に、幸多からんことを。


―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです
さよなら僧侶ちゃん

ここで僧侶と傭兵さんの物語は一旦おしまいとなります
なお、次回から新章が始まりますので、よろしくお願いいたします

結局、傭兵はなんで勇者(3代目)と赤毛を殺したんですか?

>>715
さすがにそこ放置で終わらせはしません
新章は200レスほどのエピローグもどきを予定しており、これまでが僧侶編と呼べるなら、
必然的に次にスポットライトが当たるのは……ということですので、
引っ張り続けてすいませんが、もう少しお待ちください。
一応伏線は張り終わってますので、精読すればわかる(はず)だと思います。


夏の月 第六日

 今日からわたしは日記をつけることにしました、とここに記しておきます。

 理由はいくつかあります。一つは、単に暇だったから。だって牢獄の中ではすることが限られすぎています。しかもわたしは政治犯。独房ですし、新聞は読めませんし、可能な限り誰とも接触しないように仕組まれているのです。
 それをぼやいても仕方がありません。逆の立場だったらわたしだってそうするでしょう。自分で言うのもあれですが、わたしは単なる政治犯ではありません。国家転覆を企図し殆ど成功させてしまった大悪党なのですから。
 しかも現在の資本主義を否定し、新たに共産主義などぶち上げる始末。いつ思想を蔓延させるかもしれない人間を、そうやすやすと誰かと一緒にはしないでしょう。

 若干十六で残りの人生全てをここで過ごすことになるとは、まさしくお先真っ暗。でも悲観してはいけません。だってこれは全て自らが招いた結果なのです。謹んで罰は受けましょう。死刑にならなかっただけ儲けものです。
 まぁ死刑にならなかったのは超法規的措置というか、本来なら即日結審翌日執行コースなのですが、わたしを殺せばゲリラたちの反抗が一層激化する可能性が高いためだそうで。
 本当に彼ら彼女らには悪いことをしました。ゲリラは見つかり次第即射殺。それなのに、首謀者であるわたしはこうやって生き長らえているのですから。

 ゲリラに身を窶すことを選択したのは彼らの意思ですが、その火薬に火を放ったのはわたしと司祭と党首の三人。二人は死にましたが、わたしは生きています。残りの人生で到底償えるはずもないのに。
 あ、やば。だめ。涙。

 なんか、疲れました。消灯時間も近いですので、ここで筆をおくことにします。


夏の月 第八日

 早速日記を書けませんでした。三日坊主どころではありません。有限不実行ここに極まれり、です。
 なぜ昨日書けなかったといえば、物理的にできなかったからです。体が痛くて痛くて、とてもじゃないですがペンなどもてなかった。
 いやぁ、あるんですね、あんな体罰。王国に喧嘩売ったせいでしょうか。それとも、独房にぶち込まれても平静を保っているからでしょうか。知っていることはとっくに全部包み隠さず喋ったのに、まだわたしから情報を絞ろうだなんて。

 「顔はばれるからやめてやる」だなんてお決まりの台詞を言ってました。そのせいで、こぶしは全部体へ。胸を触りましたね、セクハラです! なんて言える余裕もないほど本気で殴られました。
 正直自分の体を見たくないです。人間って、あんな青くなるんだとびっくりしました。
 それに、ほんと、下っ腹はやめて欲しい。子供産めなくなったらどうするつもりですか。

 全てが終わってほっと一息ついて、生理が戻ってきたと思った矢先のこれですよ。最低最悪。訴えたら確実に勝てます。今の世の中、犯罪者の人権だって保障されていますから。
 なんて愚痴を書いているのが見つかったらまた殴られるのでしょうか。憂鬱。


夏の月 第九日

 何かを書き忘れていると思ったら、日記を書くにいたったもう一つの理由を書いていませんでした。だから書くことにします。

 もう一つの理由は、わたしがまだ、不完全燃焼だからです。悶々としているからです。
 わたしの理想は破れました。内側から食い破られました。ですが、わたしのなかで、まだそれは決着がついていないのです。「それ」というよりは、もっともっと拡大して、わたしにまつわる「全て」と言い換えても誤謬はないでしょう。

 この社会をよりよくしたかった。いえ、よりよくしたいと今でも思っています。そのための手段としての資本家に対する革命、また金銭や市場経済の放棄が間違っているとは思いません。
 夢破れたいま、燻った思いをどうするべきか、行き損なっています。袋小路です。
 思考を整理するための手段として、やはり文字に起こすことは有益でしょう。

 党首を、州総督を、わたしがこの手で殺せていれば、こんな悩みもないのでしょう。けれど結果的にわたしは誰も殺せていません。人を殺せなくて悔しいなど語るに落ちた外道の考えですが、なるほど確かにわたしは道を外してしまったのかもしれません。
 わたしの終点は庸  あの人によって先延ばしにされました。業を代わりに背負った、なんてのはきっとセンチメンタルに過ぎるのでしょう。庸  あの人はお金の亡者ですから、そんなことを考えているはずがないのです。
 广

 書き損じむかつく
 なんでペンしかないの
 鉛筆と消しゴムがほしい



 幸いたっぷりと考える時間はあります。宙ぶらりんになってしまったわたしの思考をまとめることが、残りの人生においてできる、精一杯のことです。それを閲覧するのがたとえわたしだけだとしても。
 そのための日記でもあるのです。

 それにしても、亠



 寝る


 夏の月 第十日

 昨日の分を破ろうかと考えて結局破らなかった。それは負けた気がする。四連敗したけど。
 ペンじゃなくて鉛筆と消しゴムが欲しいといったら殴られました。理由はきっとないのです。むかついたから足に唾を吐きかけてやりました。蹴られそうになったので腕で防御しましたが、腕ごと蹴られました。まだずきずきします。あいつ許さない。

 今日の夕食はサラダがついていて、久しぶりに緑色をした野菜を食べることができた。嬉しい。おいしかった。でもやっぱり、わたしたちがあの国で作っていた野菜のほうが、もっとずっとおいしかったと思う。
 普通、囚人には割り当ての仕事があるはずなのに、わたしにはいまのところお呼びがかからない。拘束着も窮屈だし、そろそろ太陽の光が浴びたい。このままじゃあキノコが生えてきそうで困ります。
 でも、そういったらまた殴られるんだろうな。やめとこ。


 夏の月 第十一日

 今日は看守がいつもの人と違ったので、勇気を出して本の購入申請を出してみた。驚いたことに殴られなかった。いや、それが普通なんですけど、なんだか新鮮。ちょっと涙が出てくるくらいです。
 看守は紙を受け取って懐にしまい、「通るかはわからないけどね」と言いました。検閲も厳しいのでしょう。容易に想像がつきます。外部とのやり取りには警戒しているでしょうからね。

 どうやらこの看守はある程度良心が残っているようでしたので、この際に色々と聞きました。割り当ての仕事の話とか、月に二回の司祭の訪問日とか、わたしの今後についてとか。

 割り当ての仕事に関しては、まだできる作業がないそうです。わたしは他の人と一緒にできないため、一人でできる仕事を用意しなければならないのですが、それがまだないとのこと。
 それでも一週間から数週間以内には準備が整うそうで、わたしがこの独房を出ることができるのは、もう少しあとになりそうです。

 司祭の訪問日は三日後らしいです。カトリアンのかたがわたしのところには来ると。他の僧職に就いている方々は、わたしの現状をどう思っているのでしょうか。両親の最期も。
 少しだけ気になるところではあります。

 一週間も経っていないのに、この生活に飽き始めていました。それもまたわたしの償いです。亠  あの人が世界を平和にしてくれれば、心残りなんてないのですけど。

 負けた


夏の月 第十二日

 どうやら検閲済みの新聞なら読めるらしい。早速明日読みたいな。

 今日のスープに蝿が浮かんでいました。仕方がないから箸の反対側を使ってとって、飲んだ。これくらいで死にはしないでしょう。

 晴天でも外に出られないというのはストレスがたまります。


夏の月 第十三日

 今日は風邪気味で体調が悪い。蝿スープのせいではないと思いたいですが。
 明日は司祭の訪問日。本当に会わせてくれるのでしょうか。


 夏の月 第十四日

 今日はいっぱい書くことがある。
 久しぶりに新聞を読みました。広告欄は全部黒塗りされてましたが。多分、その中にわたしや他の受刑者へメッセージがあったら困るから、でしょう。
 だったら新聞の記者が本文中に暗号を仕込んでいる可能性もあるんじゃないのかと思いましたが、そんなことしたら墨塗り新聞どころではありません。一面真っ黒です。

 わたしが逮捕され、裁判を経て投獄されるまでの約一ヶ月、世界は相変わらず回り続けているようでした。州総督の復帰、激化するエルフと魔王軍の戦争、それに対して支援をすることの賛否が問われています。
 そして、わたしたちが起こした事件の影響はやはり甚大らしく、ゲリラたちは依然資本主義に対しての苛烈な攻撃の手を休めようとはしませんでした。王都での爆弾事件が一ヶ月で八件。死者十一名、負傷者三十二名を出しています。
 心が痛みます。けれど、わたしにできるなど何もないのが実情です。メガホンを持って、「みなさんやめてください」と声をかけて止まるのであれば、いくらでもそうするのですが。

 もしかしたら、あの人も討伐作戦に参加しているのかもしれませんね。たった一人で潜伏地を割り出し襲撃して全滅させるくらいならできそうです。
 しかし、きっと、優先すべきは魔王、及び四天王の討伐でしょう。守銭奴ではあっても自らの目的を忘れることはない人です。深遠なるその考えの先を結局わたしは見通せませんでしたが。
 今日も元気にお金を集めているに違いありません。そうであって欲しいと、切に願います。

 当然平和なニュースもありました。各国対抗の運動競技会でこの国が二位に入ったことだとか、他国へ行くための新たな道路の建設に着手されたとか、違法な兵器業者が新進の総合商社に食い潰されているとか。
 いいことばかりが続かないように、悪いことばかりも続きません。頭ではわかっているのですが、こうして紙面を見ていると、いいことと悪いことが本当に一つの国でまぜこぜに起こっているのが不思議に思えてきます。

 新聞を読み直しながら書いていたら消灯時間になってしまいました。命令違反だと殴られでもしたらたまったものではありません。続きはまた明日。

 おやすみなさい。

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今回の投下はここまでです。
新章は傭兵編と言ったな! あれは嘘だ!

……えーと、新章突入です。傭兵編ですがある程度は僧侶の日記形式で進んでいきます。
一度の量自体は少ないですが、かわりに比較的早いペースで投下できると思います。きっと

このスレで終わらせるつもりです。ご愛顧よろしくお願いします。


夏の日 第十五日

 昨日は司祭との訪問日でした。だからそのことを書きます。

 司祭は三十少し過ぎたくらいの人でした。柔和な顔つきで、優しい人なのだとわかりました。優しさは盲信の原料でもあり、そして猛進の燃料でもあります。こんな辺鄙な場所にある刑務所まで足を運び、教えを説こうというのですから、並大抵ではありません。
 ですが、そんな人でも、わたしのことは警戒しているようでした。一体わたしのことをどこかの殺人鬼と思っているのでしょうか。互いが席に着いて第一声を発するまで、そこにはまるで切り結ぶ直前のようなぴりぴりとした空気すらあったのです。
 それはまさに邪教を相手にするときのそれでした。十字を胸に力強く抱き、普く八百万の神々の存在を感じることで、なんとか自我を保とうとするのです。

 わたしは決してそれを笑い飛ばそうとは思いませんでした。宗教――そう、宗教です。資本主義に基づく生活様式はとっくの昔に信仰の対象となっていて、お金持ちが偉ぶったり、敬われたりするのは、神様の化身だと思われているから。
 その点で共産主義に傾倒するわたしなんかは、そりゃもう邪教も邪教、邪教オブ邪教でしょう。
 そんな人間を相手にしようとするのは信心深い人間だと相場が決まっています。そして、わたしが思うに、信心深い人間には二種類いて。

 一人は「殺す」ひと。他宗教は全て敵だ、問答無用で殺してしまえ、そのためには一人一殺、自分の命を引き換えにしても構わないという狂信者。
 もう一人は「飲み込む」ひと。我が宗教はこんな宗教だ、ここが素晴らしい、是非とも信じなさい、敬いなさい、奉りなさいと徹底攻勢を仕掛け、こちらがうなずくまで決して帰らないという狂信者。

 前者も後者も自らの行いや所属する組織、信仰が間違っているはずがないと思っているところに最大の面倒くささがあります。彼らの行いは、彼らの中では絶対的な正義であり善意なのです。

 結果から言えば、やってきた司祭は「飲み込む」ひとでした。覚悟を決めた顔をするや否や猛烈な勢いでわたしの共産主義がどれだけ馬鹿げているか、神の思し召しに背いているか、社会を不安定に陥れるかを説明しだしたのです。
 同時に自分たちの行い、教義、神様がどれだけ優れているかを滔々と、悦に入った恍惚の表情で述べだし、わたしに入信するよう求めてきたのです。そうすれば全てが救われる。全ての問題がまるっと収まる。要約すればそういうことでした。
 一応わたしも同じカトリアンですが――でしたが、ここまでガンガン行くひとには出会ったことがなく、思わず半分以上聞き流してしまいました。

 とても疲れました。とても、とっても、疲れました。
 まるで異星人と会話をしているようだったのに加えて、最後に司祭は「また来るから」といって去っていったのですからたまったものじゃありません。もうあんな人、顔も見たくないですよ。

 仮病でも使おうかなぁ。


夏の月 第十九日

 今日から軽作業が始まります。昨日わたしを殴らない方の看守がやって来て、作業の手順をまとめた紙の束をおいていきました。A4判で二枚ぶん。まぁ、軽作業というくらいなのですから、こんなものなのでしょう。
 内容は極めて単純です。縄を編む、ただそれだけ。乾燥させた藁を継ぎ足しながら、三編みの要領で一本の縄にする作業。何に使われるのかなど知る由もなく、わたしはひたすら黙々と縄を編んでいました。

 正直、きついです。
 だんだんと指先は痛くなってきます。藁は存外硬く、それを揉み解しながら編んでいくのですが、そのため指先の皮がむけていくのです。作業が終わった暁には、きっとわたしの指紋は消えてなくなっているに違いないと確信しました。
 また、誰もいない静かな部屋でひたすらに藁を編むだけどというのは、精神にも多大な影響を与えます。とにかく時間の経つのが遅いのです。軽作業とは名ばかりで、これでわたしを自殺に追い込もうとしているのではないかと勘繰るくらい。

 一日のスコアは、終わってみればおおよそ三百八十。最初にしてはまぁがんばったほうではないでしょうか。

 この作業が今後もずっと続くと考えると頭が痛くなってきますが、これもわたしに課せられた責務であり、罰の一環。厳粛に受け止めることにしましょう。


夏の月 第二十三日

 今日は大雨でした。雨音と言えればまだ風情があるのでしょうが、バケツをひっくり返したような雨は、さながら機関銃のように激しく窓を、壁を、打ちます。ばちばちばちばち。水の硬さというものが、このときばかりは実感できます。
 雨の日は嫌いではなかったのですが、ここに収容されてから宗旨換えも已む無し。なんといっても晴耕雨読ができないのですから。

 それに、雨が降ればどこからともなく虫がやって来ます。雨宿りをしに来たのかもしれませんが、お生憎様、住民がいるのです……と言っても聞いちゃくれません。最近でこそこちらからの一方的な敵対関係は解けたものの、必要以上のスキンシップはノーです。

 湿度も高く、肌が、髪の毛が、ベタつきます。こういうときに限ってお風呂の日ではなかったりもして。
 気を紛らわせる方法が増えたのはこのところ最大の変化であり幸福でした。以前は読みものが新聞だけでしたが今わたしの手元には購入した本があります。財産が凍結されていなかったのは僥倖と呼んで差し支えないでしょう。

 なけなしのお金で購入したのは、小説が一冊、経済と農業に関する学術書が一冊ずつ。学術書ははねられるのではないとひやひやしていましたが、手元に無事に渡ってきて一安心です。
 当然新聞も毎日欠かさず読んでいます。手に入る情報は限られていますが、それでも外の世界――最早こう呼ぶべきでしょう――が相当に切迫した状況になっているのはわかりました。
 エルフたちの優勢が続く中で、ついに四天王や魔王がその重い腰をあげたというのです。

 数や戦略、集団戦では勝るエルフたちですが、個々の力は魔族には遠く及びません。積極的にエルフたちを襲う四天王の機動力には叶わず、敗走を繰り返し、戦況はイーブン。人間たちの支援を得てとんとんといったところ。
 魔王軍は人間たちへとエルフへの支援を打ち切ることを要請し、断った場合は断固とした態度をとるとの声明を発表しました。
 そして別れる人間たち。対極すれば積極開戦派と消極中断派の二つがあります。とはいえ、支援を打ち切ったからといって魔族がはいそうですかと約束を守ってくれる確実性もない中で、積極開戦派、ないしは支援続行派が大きな勢力であるそうです。

 その中で新たにPMCが現れ精力的にエルフたちの支援を行う中、庸兵ギルドや商人ギルドもこれを好機と見て各々の利益を最大化するために行動しています。
 動乱です。世の中が大きく胎動しています。
 わたしに何ができるでしょうか。

 あの人は元気にしているでしょうか?


夏の月 第二十七日

 今日、魔物の集団が刑務所を襲ってきたとのことです。ここは辺鄙な場所ですから、魔物も出るでしょう。
 襲った理由は食料でしょうか? それとも、犯罪者を野に放つことで、市井の混乱を狙った? どちらにせよ上位の存在を感じます。基本本能に従って生きている魔物にとって、ある程度の社会性を有しているとはいっても、戦略的に行動する種は珍しいですから。

 魔物自体は質、数ともに大した程度ではなかったため、程なく撃退されたようです。詳しくはわかりませんが、戦闘において負傷者が数名、そして死者が一名出てしまったと聞きました。

夕暮れの月 第二日

 男性たちの仕事が内部の防衛がらみに代わったのだと風の噂で聞きました。わたしは少女ですし、何より魔法を使えば容易くここを脱出できるというのもあって、自由にはさせてもらえません。
 最近、あの比較的温和な看守が来ないなと思って尋ねれば、拳五発の代わりに教えてくれました。どうやら先日の襲撃で死んだ一名とは彼のことだったようです。
 だからわたしを殴る回数も、数も、一際だったのですね。このクソ暴力野郎にも仲間思いの一面があるだなんて驚きでした。

 優しかった人が死ぬのは、悲しいことです。


夕暮れの月 第四日

 どうやら人間たちはエルフと正式な同盟を組んで魔王軍と戦うことに決めたようです。大森林は橋頭堡。エルフの次が自分たちでない保証はどこにもない、ということでしょう。懸命だと思います。
 こんな中にあっても、きっと庸兵さんは楽しそうにお金を掻き集め、嬉しそうに勘定しているに違いありません。まったく困った人です。



夕暮れの月 第十三日

 また魔物に襲撃されました。今度は先日より敵の数が多く、多くの囚人たちが借り出されました。刑務所側もある程度戦力を強化していたようで、なんとか水際で食い止めることには成功しましたが、一部施設が破壊されました。
 わたしの軽作業はとっくの昔に藁編みから復興作業へとシフトしていて、魔法を使わずの運動なんてそれこそ大森林を抜けたとき以来のものですから、予想以上の疲労です。
 こうして日記を書いているだけでもうつらうつらしてきて、体力の低減に思考が、脳が、引っ張られているみたい。


夕暮れの月 第二十六日

 ちまちまと魔物の偵察部隊がやってきては攻撃を仕掛けていく。看守たちは夜も眠れない日々が続いている。わたしを殴る気力もないようだった。
 いつ終わるとも知れない攻勢はこちらの数よりも精神を殺いでくる。明らかに全力を出せていない。こちらにも腕っ節のごろつきは多いけれど、指揮官がいない。ばらばらで戦ったって勝てるわけがない。だめだ。
 いや、だめだなんて言っちゃいけない。わたしも頑張らないと。



夕暮れの月 第三十日

 最近、食事が粗末になった。仕方がないとは思うけど。
 献立は玄米と白米が混じったものに、漬物、薄い味噌汁。あと焼き魚が半分にサツマイモをふかしたやつでした。


夕暮れの月 第三十一日

 篝火の光が窓から入ってきて眠れない。



黄金の月 第二日

 三度目の襲撃。みんなの戦いの声が聞こえる。
 呼ばれた。きっと治療できる人が足りないのだ。
 行ってきます。

黄金の月 第六日

 牢屋のベッドも毛布も怪我人で一杯だ。王国に申請をしてないのだろうか。衛兵が足りない。医療用品も足りない。食料も、時間も、全てが足りない。
 これじゃあ助けられない。
 外壁の修復もおっつかない。

 この状態で、もし第四波が来たら。



黄金の月 第七日

 怪我は治る。けど、欠損は戻らない。
 それが悔しい。
 不安なことが多すぎて眠れない。日記を書くのも、苦しいことばかり思い出してしまう。やめようかな。

13日

 大規模な敵勢力の進攻を確認 壊滅状態
 この世の地獄

 ひどい

 たすけて誰か

 身を隠すしか
 庸兵さん




 ……日記はそこで途切れている。
 部下の前だ。俺は努めて表情には出さずに、しかし剣を握る手には力を篭めた。


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今回の投下は、短いですがここまでです
余裕がないのに実験的なことをしてしまう。書きたいネタが多すぎます

今後ともご愛顧をよろしくお願いします


※ ※ ※

 考えられることは二つある。だが、どちらにせよ俺の行動は変わらない。この腐れた魔物どもを殲滅するのは依頼主からのオーダーであり、人助けでもある。二つが噛み合ったときの気持ちよさは凄まじい。
 金が手に入るだけでも天にも昇る気持ちなのに、そうして感謝されるなら、幸福の度合いは累乗で増加していく。そう思っているのはどうやら俺だけではないらしく、引き連れてきた五名の部下たちも、いつもの仕事に臨む表情とは違う。
 プロなのだから私情を挟むな、といつもなら叱責の一つでもするところだ。だが、わざわざやる気を殺ぐ上官はいない。

 やりたくないことも、やりたいことも、等しく淡々とこなせなければいけない。それが戦場に生きる人間に何より必要な資質である。
 それでも、自分の心に嘘をつかなくてもいいというのは、やはり楽なのだ。気軽なのだ。こんな傭兵稼業でも、俺たちは結局、誰かの役に立ちたいという心を捨てきれない。

部下「ボス、周囲のクリアリングは終了しました。取り逃がした魔物がいます。恐らく、刑務所の奥に集まっているのではないかと」

傭兵「ボスという呼び方をやめろといっているだろうに」

 独りでやってきた俺にとって、誰かの上に立つというのは、こそばゆくて仕方がない。


 それでも少尉は邪気のない顔で笑いながら「でも、ボスはボスですから」と言うのだった。傷だらけの顔が快活に笑うのはまったくイメージ違いだ。
 まぁ、大尉と呼ばれるよりはよっぽどましかもしれない。

 部下たちはみな強面の偉丈夫ばかり。数で圧倒的に勝る魔物たちを前にしても、微塵も恐れることのない、歴戦のつわものたち。俺が率いる直属部隊。
 できてから日が浅いとは言え、ここ二ヶ月魔王軍との前線にどっぷりと漬かっていたこともあり、共にすごした時間の密度は高い。戦力としては自らの次に信頼してもよいやつらである。

 俺を含めて六名はみな元傭兵だ。いや、肩書きにこだわらないのならば、今でも俺たちは傭兵である。伍長から大尉まで、中尉を除いて色々いるけれど、肩書き自体に意味はないのだとひしひしと感じる。
 どうせ王国軍と連携して作戦を行うことなんてないのだから、と嘗て掃除婦に愚痴を零したことがある。そのときの彼女の返事は覚えていないが、にべもなかったことだけは確かだ。


傭兵「魔物の種類、取り逃がした数、生存者の報告を」

部下「魔物の種類はばらばらですね。低級な魔物の混成軍。それでも一般人には十分脅威な質と数を用意していたようです」

部下「殲滅数はトータルで六十前後。取り逃がしたのは目算で十八。交戦時の魔物たちの動きを見ている限り、約五十の残存勢力があると考えていいと思われます」

部下「生存者は、現時点ではゼロです」

傭兵「絶望的だな」

部下「はい。まだ確認していない箇所もありますが、見取り図と重ね合わせて見る限り、仮に逃げ込んでも魔物の襲撃を避けられません」

 ふむ。……つまりこれは、果たしてどういうことか。

傭兵「少尉。ここの刑務所を魔物たちが襲うメリットは」

部下「ありません。ブリーフィングでも申し上げましたが、俺には考え付きませんでした」

傭兵「他のやつらもか」

 見回すと、残りの部下も全員うなずいた。


 既に立地や環境についての事前学習は済ませてある。この刑務所は大森林に近く、魔物の通り道となる可能性は前々から指摘されていたが、襲撃の懸念はされていなかった。なぜならここを襲うメリットが魔物たちにはないからである。
 以前の魔王軍なら見境なく集落や建物を襲うこともあったが、戦いが激化し四天王、ひいては魔王が動き出している現時点で、そんな統率の取れてない行動があるとは思えない。
 つまり、統率が取れていないように見えて、その実この刑務所を襲撃することには意味があったのだ。

 王国は動かなかったため、にっちもさっちも行かなくなった刑務所側が、逼迫している財政を切り詰めてでも俺たちに頼った。それが三度目の襲撃の時点である。間に合わなかったのは、申し訳ないとしか言いようがない。
 それでも一度は引き受けた依頼だ。依頼主がいなくなっているとしても、何より魔物が相手であるならば、動かないわけにはいかない。 
 勿論金はとる。人頭費や武器の整備費がとかく嵩張るのだ。がめつく奪えるだけ奪って悪いことがあるだろうか。刑務所にさして期待もできないが、魔物を倒せば金を落とすので、それで勘弁してやろう。

 俺は考えるふりをして日記を背嚢へと押し込む。

傭兵「敵が何らかの意図を持ってここを襲撃しているのは明らかだ。そして、そうであるならば、敵の本拠地は『必死の塔』であると推察できる」

 必死の塔――数多の魔物たちが棲家にする、高い、高い塔。魔族の大物が住んでいるという噂はあれど、確かめに行った者も、討伐に向かった者も、誰一人帰ってくることはなかった。
 その逸話から、ついた名前が必死の塔。


 部下たちからは特に意見は出てこなかった。否やはないのだろう。考えていることは同じと言うことか。

傭兵「……敵の意図は依然不明である。であるならば、まず俺たちがすることはなんだ。准尉、答えろ」

部下「はい。我々への依頼は当該刑務所を襲撃している魔物の殲滅、及び根絶であります。そのため、この刑務所の残存勢力を打ち払うことが最重要かと判断できます」

傭兵「そのとおりだ」

 俺は口の端を吊り上げながら答える。

 不思議と心は静かだった。波一つない。穏やかなものだ。
 しかしわかっている。これが嵐の前の静けさだと言うことは、自分が一番、よく知っているのだ。

傭兵「推定六十前後の敵影だ。容赦なく殺せ」

 僧侶に手を出した報いは受けさせなければならん。

傭兵「金を稼ぐぞ」


 部下たちは「ヤー」と口々に応じ、即座に三々五々、散っていく。伍長と少尉、軍曹と准尉のツーマンセル。准尉は逃げる敵を遊撃しながら、魔法によって各々の位置把握、及び情報転送に努める。いつものパターン。
 そして当然の如く俺は孤軍奮闘だ。俺の立ち回りに着いてこれる部下がいないのだから仕方がない。困ったものである。
 だが、このときばかりは助かったと言うべきかも知れない。このふつふつ湧き上がる怒りのままに敵を切り伏せていけば、敵と見方の区別もできないだろうから。

部下「凄い顔してますよ、ボス」

 引き攣った顔で准尉が言う。俺はあえて応えず、行き先を別った。

 跳ぶ。跳ぶ。跳ぶ。
 地面は蹴るものだ。そして、壁と天井も、蹴って跳ねるものなのだ。二次元の戦いで慢心していてはいけない。前後左右だけでなく、上下まで用いた空間戦闘。
 法律や良心には従ってやるが、重力にまで尻尾を振るつもりは毛頭なかった。
 違法技術を接収した甲斐があったというものだ。

 重力抑制の魔道機構が試験的に組み込まれた軍用ブーツで、俺は螺旋状に空間を跳ね回りながら刑務所内を突っ切っていく。接敵は即殺である。遊撃要員の准尉には悪いが、一匹だって通すつもりはなかった。


 角で魔物が邀撃に待ち構えていた。魔道士、トロール、巨大な類人猿……魔物の混成軍。報告どおりの数と質である。
 魔道士が呪文を詠唱、火球を数個展開し、一気にこちらへと撃ち込んで来た。それが開始の合図。

 口元が歪む。

 そもそも螺旋軌道を火球の単純な動きでは捉えきれない。立体的に動く俺に火球は一つも当たらず、魔道士が第二波を詠唱している間にその距離を十メートルまで縮めている。間に合うものかよ!
 後衛を守るかのようにトロールが前に出てきた。振りかぶった一撃は俺の着地を狙っている。太い腕による、これまた太い棍棒の打ち下ろし。それを腕ごと切断してトロールの醜い腹を突き刺し、階段代わりに駆け上る。

 倒れる直前にまた跳んだ。放たれた火球がトロールの頭を吹き飛ばす。直前に引き抜いていた剣で魔道士を一閃、下半身と上半身を分離させる。
 奇声を上げながら突っ込んでくる類人猿の連打。一発目を剣の腹で受け、二発目で手首を落とし、三発目を掻い潜って首を刎ねた。
 四発目はやってこない。

 どすんと倒れる二つの巨体の後ろに増援が確認できた。魔道士、トロール、類人猿。それ以外にもスライムやらキメラやらごちゃまぜだ。全員が目を血走らせながら俺に向かって一直線に向かってくる。
 そいつらの体が血にまみれていて、口の周りに肉片もついていて、そんな有様だったから、最早俺は止まる術を持たなかった。


 地を蹴ると同時に剣を振りぬく。真っ先に突っ込んできていたキメラの羽を切り落とし、そのままの勢いでスライムの目玉を左手でくりぬく。異形の植物が俺の四肢を拘束しようとするのを見て、逆にこちらへ引きずり込んだ。
 触手を掴んだまま火球の楯にし、類人猿へと投げつける。そのまま植物ごと類人猿の頭を潰し、壁を走って跳躍、重力を無視した天井への三角跳びを敢行、トロールの胸から顔面にかけて大きく抉る。

 更にやってくる大量の援軍。恐らく死を覚悟で突っ込んできているであろうキメラの軍勢、そのくちばしが俺の体を次々弾丸のように穿っていくが、残念ながらそれは幻影である。
 既に俺は軍勢の背後に陣取っていて、着地の際の摩擦でブーツの底が焦げる異臭に顔を顰めながら、反転。十数匹の背中を一斉に切り伏せていく。
 振り向く際の体勢は極めて無防備だ。どう振り向くにしたって、反転中は片腕しか相手のほうを向いていない。両腕で俺に勝てないような魔物どもが、片腕で相手になると思っているのか。

 笑わせてくれる。
 しかし、笑ってすませる範疇を、とっくに越えているのも確かなのだ。

 僧侶に手を出しやがったな。
 僧侶に手を出しやがって。


 俺にはわかる。敵の意図が。
 これは俺をおびき出すための餌なのだ。エルフと魔王軍との戦いに、突然介入してきた厄介な存在――人間。その筆頭である俺を叩きのめすために、魔王軍が仕組んだ襲撃に違いない。
 僧侶と俺の関係――といっても、特別なものではない。単に迷惑をかけられたというだけの些細なものですら、やつらは利用しようとした。

 わかっていてみすみすやってくるなど、なんて愚かなのだろうと人は言うかもしれない。俺だってそう思っている。だが、あいつが、俺と関わっていたことでその身に危害が及ぶようならば、それは俺の責任なのだ。
 俺が助けなければいけないことなのだ。

 だが、愚かなのは俺だけではなかった。敵もまた愚かだった。
 この程度の軍勢で討ち取ろうだなんて。

傭兵「たった百だとか二百で! 俺を殺そうだなんて!」

 おおよそ三十の魔物を薙ぎ倒した先に、一際強い圧を感じた。それでも怯むことなく、その先の部屋、恐らく談話室として使われていたのであろう場所に転がり込む。
 真っ先に目にしたのは死体の山だった。足がひしゃげ、腕が捥げ、内臓が軒並み貪り尽くされた死体たち。それが談話室中に散らばっていた。
 そしてその中心に鎮座する一匹の白い獣。

 白沢。


 聞いたことはある。魔物と魔族、その分水嶺を司る幻獣だ。上位の魔物、下位の魔族と考えられているが、さにあらず。魔物の本能と魔族の理性を合わせ持つ、武闘派だと。

 白沢が吼えた。
 共鳴するように口の中から巨大な火球が、そして角へと雷が蓄積され、膨らんでいく。

 発動と回避は僅かに回避のほうが勝った。寸前まで立っていた地点の真上を炎が焼き、雷が撃つ。爆炎を基とする突風がおき、雷の閃光で背景が白く輝くが、そちらに意識を向けている暇などどこにもなかった。
 まるで鈍重そうな巨体が一瞬で消える。それにあわせて剣を構えられたのは殆ど奇跡と言う名の努力の賜物だった。意識よりも先に体が動いたのだ。

 白沢の爪で刃が軋む。三代目勇者から奪った謹製の破邪の剣。化け物かこいつは。いや、見てくれどおりの化け物だった。
 またも姿が消える。今度は体に意識を委ね、背後からの斬戟を迎撃。カウンターで一太刀入れるも鋼のような体毛相手ではもう僅かに踏み込みが足りないようだった。表皮を切り裂いただけだ。


 痛いのか、それとも愉悦からなのか、再度白い獣が吼える。火炎と雷の連射が追尾してくるのを、壁と天井をひたすら跳ね続けて回避、回避、回避。
 落下の勢いを利用して、今度こそきっちりと刃を食い込ませる。一振りで首を落とすことは叶わなかったが、鋼毛に守られた背中から脇腹にかけてを大きく、真っ直ぐに切り裂いた。
 幻獣でも血の色は赤い。致命傷ではなかったようで、飛沫を振りまきながら白沢はこちらと距離をとる。振り向いたその口と角には、当然の如く火炎と雷。

 それを放つかと思われた瞬間、白沢は俺に向かって突進してきた。二度の回避を見てか当たらないと判断したのだろう。四足による全力の踏み切りは途轍もない加速を生み出し、あっという間に俺との距離を縮めてくる。
 数多の瞳が超高速の中でも俺の姿を捉えている。対応して距離をとるが、瞬発力の差は覆らない。至近距離で火炎と雷を浴びせられる。

 少しでも激痛から逃げるように背後へ逃げた。壁に叩き付けられる前に死体の山へと着地、血と臓腑と脂まみれになりながらも軽傷で済んだ。
 酷い臭いだった。腐敗のそれではなく、死自体が生み出す、限りなく不快な臭い。

 視線を上げれば白沢が火炎と雷をそれぞれ溜め、二度目の突撃の準備をしている最中だった。即座に剣の柄を掴んで立ち上がる。
 同時に白沢の蓄積が終了。四足で地を蹴って一陣の風と化す。
 あわせて俺も前に出た。気流が火炎を、雷を、白沢の後ろへと次々流していくのが見える。恐ろしい速度なのだと改めてわかる。


 交錯は一瞬。白沢が刃のように鋭い爪でこちらの喉笛を狙ってくるのを刃で逸らす。がら空きの脇腹へと刃を叩き込もうとするが、その隙を狙って雷撃が放たれた。破邪の剣でも打ち消しきれない衝撃を、しっかと地面を踏みしめることで無理やり堪える。
 意識と視界が掠れても記憶と経験は身体へ残る。斬戟を白沢は空中での姿勢変化でもって回避を試みるが、こちらの速度のほうが僅かに速かった。後ろ足の付け根に深く傷をつける。

 互いに反転。火球が三発、一メートル級のものだ。
 いまだ痺れの残っている四肢に必死に指令を出し、剣を構えなおす。

傭兵「死ね」

 驚くくらい冷徹な声が出た。

 火球を三発、全て膾切りにして、火の粉の中へと身を躍らせる。
 眼前に迫るのは白沢の角だ。前傾姿勢をとって倒れこむようにそれを回避。先端が頬を掠めていって、頬の肉が少量抉り取られるが、動きに支障はない。
 壁を蹴った。白沢のあとを追うように高速で肉薄、追撃。怒りに打ち震えた白沢の絶叫が髪の毛を、衣服を震わせるが、身体にはまるで効果がなかった。

傭兵「お前より怖いものなんて沢山あるさ」

 後ろ蹴りを切断し、更に一歩踏み出す。
 返す刀で胴体をぶった切った。

 鋼の体毛をものともせず、腹から入った刃は背中から抜けていく。白沢は大声を上げながら火炎と雷を連射しているものの、激痛の中で殆どむやみやたらの撃ち方だから、次々天井や壁に穴が開いていった。
 最早俺の姿も見えていないのかもしれない。

 せめてもの手向けとして、暴れる白沢の首を一息に落としてやった。


傭兵「……」

 ふぅ。
 呼吸も久しく忘れていた感があった。意識的に吸って、吐いてを繰り返し、ようやく人心地つくことに成功する。
 敵襲はない。敵影も見えない。どうやら殲滅に成功したようだった。

傭兵「おう、准尉。他のところはどうなってる」

 虚空に向けて声をかければ、脳内に直接准尉の声が飛び込んでくる。

部下「あ、終わったんですね。たったいま他のところも終わったそうです。だから向かわせようと思ってたんですけど」

傭兵「あれくらいはどうにでもなる。今から帰投するぞ」

部下「ヤー。残党がいないことは確認してます。のんびりどうぞ」

傭兵「そういうわけにもいかんだろうが。じゃあ、通信切るぞ」

部下「ヤー」

 魔法的な手段で繋がっていた回路が閉じられる。盗聴の恐れがないとはいっても、頭の中に声が流れてくるこの感覚は、どうにも慣れない。きっと一生慣れることはないのだろう。

「傭兵さん……?」


 俺が談話室を出ようとしたそのとき、か弱い、か細い、聞きなれた声が聞こえた。
 水色の髪の毛。薄汚い囚人服。薄幸そうな顔立ち。全体的に小さいシルエット。見間違うものか、それは俺が探していた人物のそれだ。

 僧侶。

傭兵「お前、無事だったのか」

僧侶「……はい、なんとか」

傭兵「よく白沢がいて平気だったな」

僧侶「あれ、白沢っていうんですか。……あいつがやってきて、ここは負傷した人の救護室でした。だから、沢山の人がいて、成す術なく食べられていって……でも、それがわたしを救ったのです」

僧侶「幸運にも、血と、臓腑と、脂のにおいに紛れて、隠れていたわたしが見つかることはありませんでした。……他に生き延びた人は、いないのですね。その表情だと」

傭兵「あぁ。他のやつら次第だが、今のところは、そうだな」

僧侶「他のやつら? 誰かと一緒に来ているんですか?」

傭兵「いろいろあってな」

 俺のその短すぎる、あっさりとしすぎる説明に、僧侶は僅かに顔を顰めたが、すぐに取り戻す。


僧侶「助けてくださってありがとうございました。傭兵さんには本当にお世話になっちゃってますね。助けてもらってばっかりで……」

傭兵「気にするこたぁねぇよ」

僧侶「そう言われても、気にするものは気にするのです」

傭兵「じゃあ金だ。金を払え」

 そういった俺に僧侶は目に見えて苦笑した。変わりませんねぇ、と言いながら。
 当然だ。そんな簡単に人間が変わってたまるか。

僧侶「まぁ、そうなんでしょうけど」

傭兵「変わるってことが即ちいいことじゃあねぇよ」

僧侶「傭兵さん、お世話ついでに一つ、いいですか?」

傭兵「……なんだ。聞くだけは聞いてやる。言ってみろ」

 僧侶は逡巡したが、決心したように口を開く。

僧侶「わたしを連れて行ってもらえませんか?」

傭兵「連れて行くって、お前、俺がいま何をしてるのか知ってんのか」

僧侶「知りません。知りませんけど、察しはつきます。世界をよりよい方向にもっていこうとしているのでしょう?」

 わたしはそのお手伝いがしたいのです、と僧侶は言った。
 相も変わらず真っ直ぐな瞳で。

傭兵「……」

僧侶「……傭兵さん?」

傭兵「……そうだな、そういうのも、ありかもしれん」

僧侶「本当ですか!」

 わーい、やったーと飛び跳ねる僧侶を尻目に、俺は大きく息を吐いた。

 そしてナイフで彼女を突き刺す。


僧侶「……え?」

 がふ、と僧侶は口から血を吐き、地面にそのまま倒れこんだ。
 刺された腹を押さえ、蹲るようにして。

僧侶「な……んで」

傭兵「僧侶はどこだ?」

 倒れたそいつの喉元に切っ先を突きつけながら、冷たく尋ねる。

僧侶「よ、うへ、い、さん……?」

傭兵「三文芝居を見るのも飽きた。さっさと終わらせようや」

傭兵「お前ら魔王軍の目的が俺をおびき出して殺すことなのだとすれば、この魔物の量も質も圧倒的に足りん。果たしてお前らがそれをわかっていないってことはあるだろうか。ねぇよな」

傭兵「なら、別のアプローチがあるはずだ。白沢? 違うな。あいつでも足りん。そうした中で、生存者がゼロのところで、お前は怪しすぎる。せめてもう少し、生き残りを作っておくべきだった」

傭兵「そして、お前はさっき、俺の手伝いがしたいといった。確かにあいつならそう言うかも知れん。が、だめだな。違う。もし本当の僧侶だったのなら、あいつはまず、こう言うはずだ」

傭兵「『わたしの尻拭いをしてください』と」


傭兵「その言葉が出てこない時点で、てめぇは僧侶じゃねぇ。僧侶に似ている何かだ。俺の知っているあいつは、確かに世界を平和に、社会をよりよくするためにもがいていたが、それだけの女じゃない」

傭兵「自分がしでかしたことの影響がまだ世の中に残ってるっていうのに、知らん振りするような女じゃない」

傭兵「あと、もう一つ」

傭兵「お前、漢字間違えすぎだ」

 剣を振るその瞬間に僧侶が――僧侶であった何者かがにやりと笑った。突風が吹きつけ俺は砂塵で思わず目を瞑ってしまう。

「ひゃーはっはっは! ばれちまったら仕方がねぇ! 確かにちぃと、演出過剰気味だったかもしれねぇなぁ!」

 僧侶の顔を歪ませながら醜く笑う何者か。姿形は僧侶だが、今はその背中から、一対の羽が生えている。

??「俺は魔王軍幹部! その名も『無貌の――」

 言葉の途中で背後から首を刎ねた。

 僧侶の顔で汚い言葉を吐かれるのは、実に不快だった。


 さらさらと魔法で貼り付けた粒子が解けていき、僧侶の姿が次第に悪魔のそれへと戻っていく。

傭兵「手間かけさせやがって」

 しかし、そのおかげでわかったこともあった。僧侶は確実に生きている。
 相手の姿形を模倣し、かつ記憶をコピーできる魔物の存在はかねてから知っていた。恐らくこいつがそれであるのだろう。
 この種が姿形を模倣できるのは、その持ち主が生きている限りである。こいつが僧侶を模倣できていたのなら、即ち僧侶は生きている。しかし同時に、それはこいつの死が僧侶の死に繋がっているともいえる。

 こいつが僧侶に成り代わって背後から俺を刺そうとしていたのなら、任務が失敗した時点で僧侶に価値はない。速やかに殺すだろう。
 それはまずい。大きな問題だ。

傭兵「准尉、目標が敵に捕らえられていることがわかった。すぐに出るぞ」

部下「目標って、僧侶が? どうしてわかるんですか?」

傭兵「俺の記憶を読め。ロックは外しておく」

部下「……ふむ、なるほど。了解しました。これは確かに、急いだほうがいいですね。全体に回します」

傭兵「頼んだ」

 目標と言う表現に誤謬はない。僧侶は俺たちが求める最重要人物のひとりであり、目的達成において欠かすことのできない存在である。

部下「全体に連絡つきました。生存者の捜索を中止、全員帰投します」

傭兵「補給後すぐに出る。僧侶は絶対に殺させるわけにいかねぇぞ」

 私情とか任務とか関係なく。もしくは、それらがないまぜになった、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃのマーブル模様。
 それはとにかく本心だった。
 どこまでも本心だった。

―――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
ちょっとだけセルフオマージュ。

今後もよろしくお願いします。


* * *

 あー、なにやってるんでしょう、わたし。

僧侶「こんな塔に連れてこられて、閉じ込められて……」

 みなさんは、大丈夫なのでしょうか。

 無理やり連れ去られて初めて、あの一連の襲撃が、最初からわたしを狙ったものだったということに気がつきました。なぜ狙われることになったのか、それまでは理解の範疇外でしたけれど。
 その事実は酷く、強くわたしを苛みます。またです。またわたしの巻き添えを食って、色んな人が辛い目にあっているのです。犠牲になってしまったのです。

 責任がないなんて思えませんでした。

 因果応報だとかそういうことではないのです。きっとわたしは悪くないのでしょう。ですが、それは多分、責任がないのとイコールではないはずです。
 わたしさえいなければ。そう思うのは自意識過剰でしょうか? 自罰的すぎるでしょうか?

 ただし、ここで死ぬことは逃げでしかありません。嘗てわたしは一度死にました。二度目の生で成すべきことは決まっています。
 責任を果たす。それだけ。


 逆らうつもりがないのではありません。従順なのはルールだとか法律だとか良心だとか、そういうものに対してのみでって、特に運命に対してはどこまでも抗ってみせましょう。
 わたしに巻き込まれて沢山の人が死んだというのであれば、その倍、いや、三倍、四倍の人を幸せにする。その責任があるのです。

 でなければただの疫病神ではないですか。

 ……いいえ、そうでした。

僧侶「この世に神様なんていないのでしたっけ」

 これは、まったき朗報です。疫病神だって神様の端くれなのですから、こうなってしまえば畢竟わたしは疫病神ではないことになります。ふはは、ざまぁみさらせ、どんなもんだい。

 ……ひとりで盛り上がっていても侘しくなるばかり。不安を掻き消すために一芝居打ってみても、どうにもうまくいきません。

 わたしがいるのは石の牢屋。採光用の小さな窓がひとつだけついた、粗末な部屋です。魔法封じなどはかかっていないため、その気になれば各種身体強化は行使できますが、現時点では得策でないでしょう。
 脱出という選択肢はとても魅力的です。しかし、ここが敵の本拠地であるならば、考えなしに突破は不可能。
 仮に傭兵さんばりの戦闘術を身に着けていれば、大した消耗もなく倒しきれるのかもしれません。が、ないものねだりをしても仕方なし。わたしは身体能力を向上させ、力づくで突破するしかない、所謂脳筋ですから。


 まぁ、もともとわたしは戦闘なんて想定していません。こんな事態になるのならもっと適した選択もあったのでしょうけれど。

僧侶「それこそないものねだりですね」

 過去は変えられないのですから。
 そのぶん、未来を何とかしてやらないと、と頑張るしかないのです。きっと。たぶん。

僧侶「……?」

 物思いに耽っていると、牢屋の入り口のところに、三人のオークがやってきました。確かこいつらは看守役を務めていたはずです。
 中央にいる毛並みの違う一匹が古ぼけた鍵をもっています。

 やおらに嫌な予感がしました。不幸続きの人生ですから、とかくこの嫌な予感というものはよく当たるのでした。それを回避できないときに限って。

 オークたちは魔物の言語で何かを喋っていました。もそもそと、ごそごそと。
 彼らの手にそれぞれ手斧が握られていることが、何より恐ろしくて


 無情にも牢屋の鍵は開きました。わーい、やったーと喜べるほど幸せなおつむはしていません。これで素直に出してくれると思えるのならば、わたしはもっと、不幸でも幸福な人生を歩めていたでしょう。
 即座に脚力と腕力を倍加。裸足のままに床を蹴りつけ、低い体勢のままオークの一匹に近寄り、そのまま蹴り飛ばしました。
 オークはそのまま鉄格子に激突し、動かなくなります。

 無論追撃です。一匹の手斧を避け、懐にもぐってコンパクトに回転しながらの肘打ちを鳩尾に叩き込みました。「く」の字に体が折れ曲がり、悶絶してその場に膝を突きます。

 毛並みの違う、恐らくボス級と思しきオークと向かい合います。倒した二匹と異なる威圧感。脇を縫って逃げられそうもありません。
 軽く腰を落として左右にフェイント。オークは腰をしっかり落として、安易にこちらに追いつこうとはしません。巨躯から繰り出される一撃は見た目に違わぬ重さでしょうが、そのぶん速度はこちらに分があるはず。

 左から抉りこむように飛び掛ります。敵の反応は素早く的確で、手斧では間に合わないと判断したのか、開いている右手で動きを止めにきました。
 掴まれれば即ち死。方向転換で機敏に回避を交えつつ、攻撃を数発入れてみますが、腰の入ってない拳で倒れるほど低いタフネスはしていないようです。


 今度は打って変わってオークが前に出てきました。距離を詰めてからの足払い。わたしを確実に殺すための攻撃です。
 手加減はない。遠慮もない。躊躇もない。これはやはり、わたしがもう用済みになったことをあらわしていると考えていいでしょう。一体何のためにここへと連れてこられたのかはわかりませんが。
 であるのなら、猶更使い捨てられるわけには行きません。

 足払いを跳んで回避し、そのままオークの顔面に跳び蹴りを食らわせました。衝撃に仰け反りますが、しかし、にやりとその醜悪な口元が笑います。

僧侶「っ!?」

 ありえない方向からの攻撃がわたしを薙ぎ払いました。背後からの一撃は全く予想もしておらず、そのため石壁に頭を強く打ち付けます。
 額が切れ、血が視界に入り込んだせいで、左目が利かなくなりました。それどころか脳が揺らされたのか前後不覚ですらあります。
 歪んだ視界の中で、最初に倒したオークが既に立ち上がっていて、また二匹目もゆっくりと意識を取り戻しているのが見えました。

 流石に、頑丈ですね。


 立ち上がろうとしてふらつき、そのまま石の壁に激突します。壁に手をつきながら全体重を預け、せめてもの闘志を見せ付けようとしても、オークたちは一向に意に介しません。
 視界は悪くとも、下卑た笑みはわかります。にやにやと、ぐちゃぐちゃと、臭い吐息と共に笑っているのです。
 ……ただ殺すだけじゃ物足りないとでも思ってるのでしょうか。

 豚に陵辱されるのだなんてごめんです。人間だったら誰でもいいとか、そんなことでもないですが。

 一陣の風が頬を撫でました。

 僅かに遅れて、ここは屋内じゃなかったっけ、と思いました。

「大丈夫か」

 傭兵さんの声ではありませんでした。
 と、なぜそこであの人の名前が出てくるのか全然、まったく、これっぽっちもわからず、怒りすら込み上げてきて、だけど、そんな場合ではないのです。

僧侶「なぜ、あなたが、こんな真似を……?」

 体を無理やり奮い立たせます。身体能力強化は切れていません。まだ、まだやれる。
 拳を握り締め、真っ直ぐ目の前の存在を握り締め、わたしは叫びます。

僧侶「大天狗!」

大天狗「なぁに、じきにわかろうさ」

 オークの死体を踏みつけながら、大天狗は呵呵大笑しました。


※ ※ ※

 この世は金だ。金が全てだ。
 金だけが全てを解決する唯一無二の存在である。だから漢字だって似ているのだ。

 辛いことも、苦しいことも、全部金さえあれば解決できる。

 違う。

 辛いことも、苦しいことも、全部金さえあれば解決「してやれる」。

 どいつもこいつもそんな単純な事実に気がついていないのだ。それが腹立たしくて腹立たしくてしょうがなかった。どいつもこいつも私腹を肥やすことにしか興味がなくて、その使い方なんて一顧だにしちゃいない。
 それがどれだけ愚かなことか、恐らく本人たちは幸せに包まれているから、自らの愚かさや無知を知らずに一生をすごすのだろう。それはある意味で幸せな人生かもしれなかったが、けれど、到底許せることではない。

 あぁ、例えばその筆頭が党首なのだ。あのくそやろうは結局、最後まで自分自身のために金を使うことしか考えていなかった。権力も、金銭も、全て自分に還元するつもりで、あの騒動を引き起こした。
 それだのに、その程度の守銭奴なのに、あいつは俺と自らを同一視した。ふざけるな。冗談じゃない。俺をお前と一緒にするな。
 結局今わの際まで俺の言ったことを理解はできなかっただろう。僧侶の言葉を借りれば、あれが本当の資本主義者であり、システムの奴隷なのである。

 金を使っているように見えて、その実金に使われている。


 俺はわかったのだ。魔王に挑み、そもそも辿り着けすらせず、大天狗に敗れて命からがら逃げ帰ったとき。なぜ、どうして、負けたのか。
 自らの弱さに帰結することは容易かった。俺が弱かったから。もっと鍛錬をつみ、装備を整え、準備を万端にすれば、いずれ牙は四天王を突き抜けて魔王に届く。そう思えればどれだけ楽だったろう。
 だが実際はそうではない。魔族は個人の鍛錬など誤差にしか感じない。十年、二十年の訓練すら、やつらにとっては「今日は随分調子がいいな」程度のものなのだ。

 それを理解したとき、俺は努力を諦めた。

 誤解してもらっては困る。努力は諦めたが、鍛錬はそれまで以上の密度で行っていた。ただ努力のベクトルが変わったというだけなのだ。
 魔族を、魔王を、倒すための努力ではない。多対一の戦闘を想定し、いかに程度の低い魔物や人間を相手どるかという努力。魔王に挑んで破れてからの十年以上を、俺はひたすらその訓練に費やした。
 ものの数年で俺に勝てる人間は殆どいなくなった。と同時に、俺は地下へと潜った。金が必要だったからだ。途方もなく莫大な金が。途轍もなく埒外な金が。国家予算すら上回るほどの金が。

 全ては魔王を倒すため。
 個人の力ではなく、今度は集団の力で。


 俺が負けたのは、単純に数が足りなかった。戦力が足りなかった。ただそれだけなのだと知ったから。
 そして、数なら、戦力なら、金で掻き集めることができる。
 なにより、掻き集めた戦力を、様々なことに使ってやれる。

傭兵「だから、あぁそうだ」

傭兵「リベンジマッチと行こうぜ、大天狗」

 塔の入り口で腕組みをしている大天狗に向かって、俺は言い放つ。

傭兵「俺が世界を救うなんてのは、驕りだった」

傭兵「俺たちが世界を救うんだ」

 もし世界を救える傑物がいるとすれば、社会をよりよくできる存在があるのだとすれば、それは世界に、社会に住んでいる誰かに他ならない。
 逆説的に、誰でもそうなのではないか。
 そう思った。

 思ってしまった。

 嘗ての俺を褒めてやりたい。


大天狗「ほう。それが此度の、お前の刃か」

傭兵「そうだ。これが、俺の刃だ」

 カミオインダストリー傘下、PMC――民間軍事会社所属の兵隊たち。
 転移魔法で続々終結する、その数一二〇〇人。

 装備は全て最新のもので固めてある。兵器を違法に製造していた業者を全てぶっ潰し、その技術を接収、及びクリーンな形で実用化した近代化兵装。
 魔法も独自で開発されたものを、性能はなるべく落とさないようにしつつ、悉皆修練させている。兵装へ試験的に組み込んだものも多岐にわたる。

 金が必要だった。
 権力も必要だった。

 州総督を僧侶に殺させるわけにはいかなかったし、勇者たちに頑張ってもらうわけにもいかなかった。
 弱みを握る必要もあった。違法兵器についての知識もなくてはならなかった。当然各方面へのコネクションは大前提。
 様々なハードルを文字通り死に物狂いでクリアして、今俺は、ここにいる。

 わかるか。金の正しい使いかたってのは、こういうことを言うものなんだ。
 誰とも知れない誰かに向かって俺は内心呟いていた。


傭兵「で、援軍を呼んだのはいいが、聞いてなかったな。どうしてお前がここにいる?」

傭兵「僧侶はどこだ。返してもらおう」

傭兵「あいつは俺にとって必要だ」

大天狗「一度に二つの質問をするものではあるまいよ。かかかっ! だが、儂にとっては造作もないこと。いいだろう、まとめて答えてやろう」

大天狗「おぬしとそろそろ決着をつける頃合かと思うてな!」

大天狗「十数年間、研ぎに研いできたおぬしの刃! このときをもって儂へと見せい!」


大天狗「――うまくやれよ? でなければ、あの童の命はないぞ」

傭兵「――猶更負けるわけにはいかねぇな」




大天狗「――うまくやれよ? でなければ、あの童の命はないぞ」

傭兵「――猶更負けるわけにはいかねぇな」


―――――――――――――――
あれ、なんか被ってしまった…気にしないでください

今回の投下はここまでです。短いですが、助走ということで

次回はVS大天狗
因縁の大ボスは王道としては外せないでしょう

今後ともよろしくお願いします。

作者です。仕事が休みなく、まとまった時間が取れません。
ちまちま書いてはいますが、次回投下までは少し時間がかかりそうです。最悪あと一週間程度間隔が空くと思われます。
ここにきて申し訳ないのですが暫しお待ちください。
なお、スレが残り少ないということもあり、この報告に対するレスは結構です。こちらもまとめてご了承ください。

これの前スレってあんの?


※ ※ ※

傭兵「全軍、構え」

 号令一つで背後の兵隊たちが武器を構える。剣とナイフ、拳銃が主装備である。あとは個人の好みに合わせて自由なカスタマイズが成されている。

傭兵「標的、大天狗」

 背後から怯えは感じられない。いいぞ。いい覚悟だ。給料に見合うだけの働きはしてもらわなければ困る。
 いや、給料のためだけではない。金のために命をはれる人間はキチガイだ。もしそう見える人間がいたとしても、きっとそう見えるだけ。本当はその先、金の先にある人それぞれの何かのために命を張っているのだ。
 例えば平和。例えば命。例えば、柔らかい毛布とスープを百人分。

傭兵「殺せ」

 背後で無言の応答。膨れ上がる殺意。
 対する大天狗は赤ら顔をにやりと歪め、扇を抜いた。

傭兵「とつげぇえええええええきっ!」

 叫んで先陣を切った。速度は端から最大。これ以上ない初速だった。
 しかしそれはあくまで人間の範疇での話である。渾身の力で振り切った刃を、大天狗は容易く扇で受け止めてみせる。
 障壁を使うまでもないという余裕の現れか。それとも、少しでも魔力を温存しておこうという用心の賜物か。


 二の太刀、三の太刀と続く連激すらも、大天狗の前ではなんら意味をなさない。一本足の高下駄という限りなく戦闘に向いていない足元だというのに、大天狗の足運びは軽やかで、地面の上を滑っているようにすら見える。
 前進の速度と後退の速度はほぼ同じ。俺とやつの距離は縮まらない。背後から援護射撃が入っても、弾丸は全てやつの装束の上を滑っていく。

 大天狗が後退と同時に扇を一振りする。一瞬、僅かに吸い込まれる感覚と共に、大天狗の前の空間が歪んでいるのが確認できた。
 空間を歪ませているのは密度の異なる空気の層である。圧搾と収斂。大天狗の神通力の中で最もオーソドックスな、大気を操る能力。無色透明な必殺の砲弾。

 回避指示を出す暇などなかった。何よりもまず自らの回避行動が最優先。
 無論、部下たちだってなまくらではない。言われるまでもなく、大天狗の攻撃の危険性は理解できている。散開しつつある前衛、その背を踏み台に切りかかる中衛、相殺のために障壁を展開する後衛と、己がすべき役割はわかっている。

 三つの風の砲弾が、直線状にいた兵隊たちを無残な肉塊へと変えた。

 防具も防御も意味を成さない。触れた部分はそのまま大気に巻き込まれ、圧搾し収斂されて塵と化す。まるで獰猛な肉食獣である。
 一拍置いてから肉塊が地面へと落下した。聞くに堪えがたい不快な音と共に。
 俺たちはその音から逃げるように、更に一歩踏み込む。


 たとい仲間がいくら削られようとも士気は下がらない。敵前逃亡などそもそも不可能だということを、全員残らず理解しているからである。彼我の戦力差はそれほどに、いや、それ以上にある。
 だからこそこの手段なのだ。ひとりでは勝てず、三人でも勝てなかった。ボスクゥでは殺しきれないまでも、その喉元へ刃は届いた。俺たちはこの手段が間違っていないことを知っている。大天狗を殺しうる手段なのだと理解している。

 後ろ向きと前向きの同居する不思議な理由だった。決して勝てない相手に対し、勝てると思いながら殺し合いを挑んでいるのだ。

 追い縋る。追い縋る。追い縋る。
 大天狗の行き先を儀仗兵たちが魔法で狭めながら、隙を無理やり作るように前衛が特攻し、僅かな間隙に中衛が刃や弾丸をねじ込んでいく。大天狗が指を振るだけで兵隊たちの首が落ちるが、圧倒的に手数が足りない。
 プレッシャーが足りない。

 大天狗も埒が明かないと踏んだのだろう、空間を歪ませる密度の風の砲弾が俺たちに向かって発射されるが、あわせて背後の儀仗兵団が障壁を展開した。風の砲弾に対しての障壁は、百人が二百人だって力不足に違いない。

「それでも、『はいそうですか』って言えるわけがない!」

 儀仗兵の一人が叫んだ。風の砲弾と障壁が接触するその瞬間に、障壁は角度を変え、削られながらも砲弾の着地点をずらす。
 稼げたのは数メートルの距離と一秒足らずの時間。だが、前線でコンマ以下の切り合い刺し合いを演じている俺たちにとって、その時間は全財産をはたいても惜しくない。
 時は金なり。全体の損害は軽微。


 着弾点から猛烈な烈風が吹き荒れる。砲弾が弾ける際の風圧ですら人を容易く殺傷せしめるレベルだ。息が詰まる突風に、重心を低く保つことで精一杯対抗した。

部下「目標ロストしました!」

 脳内に通信が響き渡る。逃げた、なんてことはない。ならば事実はもっと単純で、あちらがこちらの索敵網を突破できるだけなのだろう。
 数十人がかりで構築している魔方陣をだ。

部下「負傷者は後ろへ下がって! 救護隊に合流し――」

 通信途絶。理由は考えるまでもない。

傭兵「先に、そっちを狙うか!」

 回復を潰すのは当然の戦法である。大天狗ほどの魔族がそんな単純なことを知らないはずがない。
 振り返れば視界の中で救護兵の頭をねじ切り放り投げている大天狗がいた。全身に魔力の波動をまとい、それが起こす緩やかな微風は、けれど死へ誘う呼び水である。

掃除婦「させませんよ?」

傭兵「全員障壁展開!」


 生きとし生けるもの全てを地から引き剥がす風圧の乱舞。幾重にも重ねた障壁と、そして掃除婦の肉壁によって、それを完全に封じ込める。ミキサーにかけられた靴ごとまとめて障壁は叩き割られたが、こちらに被害はない。
 僅かな隙を見せずに兵隊たちが突っ込んでいく。至近距離に特化したものはナイフを両手に、そしてその背後から剣持ちと射手、儀仗兵が僅かな間隙を縫うように攻撃を加えていった。

掃除婦「さすが四天王。化け物ですね」

傭兵「怖気づくんじゃねぇぞ!」

掃除婦「無論です。契約ですから、ボス」

 俺たちがそうであるように、圧倒的な手数を前にしても大天狗は決して怯まない。突きも切りかかりも全て扇で受け、もしくは回避し、細かな動作で的確にひとりずつ打ち倒していく。
 背後にも目があるかのようだ。不用意に近づけば、風の砲弾が渦を巻いて肋骨と内臓を滅茶苦茶にかき乱す。倒れた兵隊を乗り越えて剣が振り下ろされるが、それを掻い潜って腕を掴み、周囲の人間を弾き飛ばすように大きく振り回す。
 肉と骨が断裂し、振り回された人間は片手を失って地面を転がっていく。

 仲間を武器として使われた怒りが復帰をより迅速なものとした。裂帛の気合を口から迸らせ、兵隊たちは立ち上がる。そして俺も遅れまいとすぐさま前傾姿勢。

 突撃。


大天狗「成程! 嘗ての戦法をそのまま昇華したか!」

 まるで師匠のようなことをいう大天狗だった。その声音には、確実に喜色が宿っている。

大天狗「確かに貴様が一番じゃ! 童よ、貴様が一番魔王の喉元に近い!」

大天狗「だからこそここで討ち取らせて貰う!」

 大天狗は啖呵を切って両腕を広げた。

 限りない上からの目線。だが苛立ちよりも歓喜のほうが強い。ここまできたのだ、と純粋に思える。大天狗が脅威に見るくらい、確かな強さを俺たちは手にすることができたのだ。
 それは嘗ての俺が願って止まなかったもので、それでも手に入れることができなかったもので、今俺の手の中にあること事態が奇跡のようなものである。手放してなるものか。失ってなるものか。俺は世界を平和にするのだ。

傭兵「俺たちが! お前をここで、ぶっ殺す!」

 大天狗が印を結んだ。
 九字ではない。空中にたった一文字。

 鬼、と。

大天狗「ぜぇえええええええんき!」

 地面に「鬼」が転写された。それは瞬時に発光し、光の柱を文字の形に浮かび上がらせそして。

 退避行動に移る暇もない――否。与えてくれない。


 物理的な干渉は一切なかった。地は地のまま、木は木のまま、空は空のままそこにある。ただ、戦場にいる人間だけを綺麗に薙ぎ倒して、黒い鬼が印から現れる。
 それは全て圧力だった。前鬼の登場によって解放された瘴気と破壊が地上へと勢いよく噴出し、兵隊たちを襲ったのだ
 攻撃ではない。微動だにしていない。ただ現れただけで、この被害。

儀仗兵「高濃度の瘴気を確認! 浄化魔法、いきます!」

 柔らかな光が空から俺たちを包み込む。ゴロンを初めとした採石場の資料から開発した、対瘴気魔法。従来の魔法のように瘴気を遮断するだけでなく、瘴気を取り込み、魔術的な変性を用いて人体にとってプラスの作用を齎す物質にするのが特徴だ。
 戦場においてはそれは治癒と身体能力の向上である。儀仗兵たちが聖なる魔法を得手とすることとも密接に関わっている。

 一二〇〇人のうち剣を持ち前線で戦う人員はおおよそ七百名弱。その数をさすがにカバーはしきれないが、ないよりはマシだ。大天狗相手に軽傷など望むべくもないというのもある。
 掠っただけで四肢を根こそぎ持っていかれるのだから、覚悟を決めて突っ込むしかない。治癒は前線に戻すために行使されるのではなく命を辛うじて繋ぎとめるために行使される。

掃除婦「私がいきましょうか」

 あくまで冷静に掃除婦が言った。しかし、沈着に見える彼女の額には汗が浮かんでいる。軽く唇も噛んでいて、緊張なのか悔しさなのか、とにかく気に入っていないようなのは確かだ。
 小さく口角を挙げて見せた。それを肯定と捉えたのだろう、掃除婦は短く「御意」と答え、周囲に兵士の亡霊を多数展開、軽やかに駆け抜けていく。


傭兵「よぉしっ! 第一隊から第十二隊までは引き続き大天狗! 残りは前鬼を狙え! 適宜目標のスイッチをしても構わん!」

大天狗「ほう」

 風に紛れて朗らかな声が聞こえた。それは俺の脇を通り抜けていって、背後、兵隊たちの中心で炸裂を起こす。

 震動――烈風。

 ぼたぼたと何かが散らばって、こびりついて、一拍遅れて落ちていく。ぐちゃり、ぐちゃりと柔らかい物体。それが何かなんて考えるまでもなく。
 震源で大天狗は振り返り、その長い鼻を撫でながら、赤ら顔をにやりと歪める。

大天狗「一二〇〇ぽっちを引き連れて、それをみすみす分断し、それで勝てると?」

大天狗「驕るなよ、人間」

 大気が渦を巻いて大天狗を囲んでいる。瘴気と魔力の練りこまれた大気は、単なる気体とは一線を画す。大天狗の指先一つで剣にも楯にも姿を変え、あまつさえ獰猛な獣にすらなる、攻防一体の万能兵器。
 そして、そんな天津風さえ、大天狗の一般兵装に過ぎない。やつの能力は風を操ることではない。長い年月の中で限界まで高められた修験の法、神通力こそが本懐である。障壁も真空波も、鬼の召喚だってその枝葉。


 改めて勝てるはずがない強敵だと感じる。勝てない要素を並べればきりがなく、それはイコール敵の強大さであり、結局三十を越えた時点で数えるのをやめた。
 それでも勝たねばならないのだ。でなければ、俺が殺した人々に申し訳が立たない。
 無論彼らは、俺がどんな大義の旗印の元に、どんな偉業を達成しようとも、決して許しはしないだろうが。

 背後では掃除婦――なお、彼女の階級は中尉である――を筆頭として前鬼と戦っている最中だった。二本の腕が極度に発達したそのフォルム、気炎を上げながら拳を振り回す怪物相手に、なんとか善戦しているように見える。
 もどかしい思いをしながら大天狗と距離を測る。離れた地点から儀仗兵たちの詠唱。じり、じりと砂を踏みしめ間合いを最適化しているのは俺だけではない。

 対する大天狗は数百人に殺意を向けられて尚泰然としている。そしてその裏で莫大な魔力が渦を巻き、大気に流れ込んでいるのもわかる。

 大気が収縮して大天狗の足元にまとわり着いた。それが合図だった。
 背後から飛び掛った兵隊たちを爆裂でまとめて吹き飛ばし、その反動を使って空を翔る。


 眼前に大天狗。自動で氷塊の迎撃呪文が空間にいくつも浮かんだが、大天狗は扇を一振り、魔方陣そのものをぶった切って難なくこちらの勢力圏内に攻め入ってくる。
 剣を振るった。刃が扇とかち合って弾かれ、その勢いを利用して再度攻撃を繰り返す。一秒間に二発の手数。小刻みに足の位置を微調整し、力の流れを整え、体重をかけて踏み込む。その繰り返し。
 風の刃が俺の首を狙う。のけぞって回避、バランスを崩した隙を狙ってくるが、読めている。そのまま重力に任せてわざと姿勢を崩し、背後から兵隊たちの通る道を開けてやった。

 兵隊たちの動きは重力を振り切れる。大天狗の風の砲弾や刃を回避しながらの接敵。周囲の木を蹴り上げながら、三次元的に刃が迫る。

大天狗「面に這い蹲っていろっ!」

 高下駄を一際強く踏み鳴らした次の瞬間、桁外れの突風がそのまま兵隊たちを地面へと叩き落した。不可視の腕によって頭上から殴りつけられたように、骨の砕ける音が重なって聞こえる。
 しかしその間に俺は体勢を立て直し、大天狗の懐へと飛び込んでいる。

大天狗「ごぉおおおおおおおおきっ!」

 衝撃と共に地面から黒く太い腕が迫ってくる。一息に刃を向けるが、壮絶な硬さだ。俺の刃ですら半分ほど進んだところで食い込んで止まった。
 そのまま腕に体を持っていかれてしまう。空中で何とか体勢を立て直し、力任せに剣を引き抜く。


 そうしている間に後鬼はその巨躯を顕現しきっている。前鬼と殆ど同じフォルムの黒い巨人。唯一の違いは、前鬼が一本角であるのに対し、後鬼は二本。それ以外は変わらない。強さも、脅威の度合いも。
 一個大隊を軒並み壊滅させられる程度の存在の追加は、けれど最早大した問題ではなかった。既に戦場は飽和している。閾値は突破している。どこまでいっても「死と隣り合わせ」という言葉で片付けられてしまう。
 あぁ、なんという自虐だろう。死地で踊っていることを笑っているのは単なる強がりに過ぎないのだ。

部下「準備できました! 離れて!」

 儀仗兵の集団から通信が入る。なんの合図かを考える余裕はなく、すぐさま後退、その際にちらりと黒く輝く魔力の塊が移った。
 前鬼、後鬼、及び周囲の瘴気を魔力に変換しているのだ。数多の魔物の住まう必死の塔、その傍であるのなら、生み出される魔力は膨大だろう。破壊力もまた比例してうなぎのぼり。

 恐らく破壊力だけならば党首の機雷化にも匹敵するであろう黒い光球。推進力もまたそのエネルギーであり、膨大な魔力が生み出す速度からは、回避行動をとる暇など与えない。
 直線状にある全てを薙ぎ倒し、巻き込みながら黒い光球が大天狗へと向かっていく。後鬼が身を挺してブロックに回ったが、左腕を失って弾き飛ばされる。威力の減衰は僅か。速度の衰えもない。


 大天狗までの着弾推定時間は一秒を切る。無理に動けば隙ができる。波濤のような押し寄せる攻撃が、大天狗を打ち倒す唯一の手段に違いなかった。
 一人ではできないことこそが、現状の打破に必要なのだ。

大天狗「ふんぬぅううううううっ!」

 大気が蠕動した。練りこまれた魔力とあわせ、これまでのそれよりも格段に分厚く、巨大な障壁が大天狗を守る。
 着弾、そして爆裂。黒い光球はその慣性に任せてやつの背後を軒並み消し飛ばした。
 おおよそ五百メートルにわたって、森が焦土と化す。大天狗を鋭角とした二等辺三角形の焼け野原。

 いくら大天狗でも今の攻撃を完全に防御するにはかなりの労力を必要としたらしい。歩兵部隊の踏み切りは、大天狗のそれよりも早い。

 前に立ちはだかるのは後鬼。俺は頭部へと飛び掛った。部下たちに邪魔が入るのはなんとしてでも避けたかった。
 後鬼は迫る俺に反応するとすぐさま失った腕を再生させ、その膂力でもって叩き潰そうとしてくる。轟音と共に唸りをあげる右腕。刃をふるって指二本を落とし、手のひらを巻き込みながら飛び乗った。
 木の枝すら今の俺には足場になる。しなるそれを器用に蹴り上げ、後鬼の攻撃を辛うじて回避していく。


部下「ボス! 俺たちも加勢――」

傭兵「うるせぇ! いいから大天狗を狙え!」

 所詮前鬼も後鬼も召喚されているに過ぎない。一度倒しても二度目がある。三度目がある。大天狗を殺すことこそが、唯一無二の、根本的な対処法。

 後鬼の動作は機敏ではないにしろ、鈍重とも言いがたい。回避し続けることは可能だろうが、それは攻撃を捨てた場合に限る。あの硬くみっちりと詰まった存在そのものに刃を突き立たせるには、やはり危険を承知で懐へと潜り込む必要があった。
 一撃離脱ではあまりにも時間がかかりすぎる。戦力の逐次投入は愚策だと判じ、現在PMCに存在する全人員をまとめて投入しているが、漸減しつつあるのが現状だ。のんびりやっている暇はない。
 一二〇〇対一でこれなのだ。やはり化け物。俺は改めて大天狗の強大さに辟易する。

 勘違いしてもらっては困る。俺は戦争が好きなのではない。戦うのが好きなのではない。そんなのはあの戦争キチガイのエルフに任せておけばいい。

 俺は平和が好きなのだ。


「戦力、九五〇を切りました!」

「対前鬼部隊八〇余名、戦力拮抗! 援護の必要なし!」

「次撃符展開完了! 詠唱終了まで三秒半!」

「大天狗の瞬間移動、パターン解析試みます!」

「右翼八名戦線離脱! 救護部隊、頼んだ!」

「ヤー! 大天狗を釘付けしてください! その隙に救護に入ります!」

「それができりゃあ苦労はしねぇよ!」

「っ! ……少尉の死亡を確認、以後指揮系統は俺が引き継ぐ!」

「儀仗兵、中央から左翼にかけて戦線が乱れてる! 援護射撃を頼む!」

 脳裏に次々と声が飛び込んでくる。見てもいない景色が目に映る。それと同時に後鬼を相手にしなければならないのだから、脳みそのオーバーワークも甚だしいことこの上ない。沸騰してしまいそうだ。
 業腹なのは戦力の漸減そのものではない。恐らく大天狗が本気を出していないのに、という一点につきる。その証拠に、やつはボスクゥ郊外で放った大災害――煉獄火炎すら用いてきてはいないのだから。


 前衛たちの連続突撃。前後左右に加え上からも襲ってくる三次元的な連撃である。大天狗は慌てこそしないが、当初の綽綽とした余裕は既に消え失せ、一心不乱に突撃を捌き続ける。

 前方からは八方向からの斬檄。かまいたちと風の砲弾とで邀撃しつつ、それを潜り抜けた刃は大きめにとった障壁でまとめて防いでいる。
 たといひとりが倒れても、その屍を乗り越えた後列がすぐさま間を詰め、剣を振るってくるのだ。大天狗にしてみればたまったものではないだろう。猛烈な波状攻撃に、手ぬるい反撃は強烈な一撃を食らうというのもある。

 前衛に魔力軽減装備を多めにとった軽装歩兵が、その後ろからは障壁貫通装備を多めにとった重装歩兵が、左右に陣取っている。彼らは己が身に降りかかる脅威はきっちりと受け流し、大気と障壁の隙間を突きながら、槍でひたすらに大天狗を狙っている。
 無論いくら武装で固めたとはいえ相手は四天王の一角である。役小角の真名を頂く第六天魔王・大天狗。その膨大な魔力の前では、そう容易く無傷を保てるわけがなかった。負傷の大部分はこの部隊から出てしまっている。
 それは逆に、この部隊が壁になってくれているから、前衛たちの一撃離脱と回避がなんとか機能しているということでもあった。


 背後は手薄であるが、儀仗兵を初めとする遠距離部隊が焦土の上に陣地を構築しつつある。迎撃魔法を仕掛けながら魔力の回復を図り、同時に瘴気を分解、変換する。
 巨大な火球の形成、及び氷塊の嵐の詠唱を依然儀仗兵たちは続けており、少し離れた位置では援護部隊が前衛部隊の隙を埋めるように魔力の塊を放っている。

大天狗「なかなかどうして、人間とは面白い」

 風の乱射。数人が吹き飛ばされて四肢を欠損。伸ばした腕を刈り取ろうと兵士たちが迫るが、大天狗は大気を操作し周囲をまとめて吹き飛ばす。そこへ降り注ぐ火球と氷塊。
 熱と冷気は互いの温度を保ったまま、大天狗を逃さない独自の軌道を描いて落下する。障壁と風の砲弾がそれらを根こそぎ砕いていくが、先ほどの黒い光球と同様、慣性までは打ち消せない。大気操作の余裕もまたない。
 熱と冷気が渦を巻いて一気に水蒸気が立ち込めた。白い靄の中を突っ切って、我が身など構わず兵隊たちは気概の折れる様子など微塵も見せず、ただひたすらに大天狗へその切っ先を向ける。


 いや、彼ら自身が一振りの刃に違いない。触接が即ち傷であり、死であろうという心がけ。その境地に、みな既に至っているのだ。
 でなければここについてこないだろう。俺だってつれてきやしない。
 PMCにいる人材はどいつもこいつも金の亡者だ。断っておくが、特段そういったやつらを好んで集めたわけではない。ただ、信頼できるに足る人物を探したとき、金で動く人間が俺は一番信頼できたというだけの話。
 
 自らの理想を追い求める手段として、金を追い求め続けたやつらを俺は評価している。
 それだけの話。

 俺に迷惑をかけることしかしないどこかのちんちくりんは別次元である。あいつは金で解決できないこともあると堂々と嘯く。そんなものはなく、仮に俺が知らないだけだとしても、この世を構成する要素としてはあまりにもちっぽけに過ぎないのに。
 いや――ちっぽけというのは、結局量の問題なのだ。質とは無関係。だから、俺は、自らの思考を撤回する。その言い方は誤謬を孕んでいる。

 正しくはこうだ。金は全てを、ちんちくりんの要素を加味するならば、この世の殆どの物事を解決できる。そしてもし仮に「金で解決できないこと」がこの世にあるのなら、「金でしか解決できないこと」がこの世にある証左でもある。
 逆とか対偶とか、そういった面倒くさい論理は擲って、考えた結果。


 金で解決できないことが尊く、高潔だというのなら、金でしか解決できないことだって尊く高潔なのだ。そのはずなのだ。

 飢えた人間を救うのは金であって優しさではない。
 そう思っている人間を、俺は信頼している。


 後鬼の咆哮。それは音ではなく、衝撃波の領域に片足を突っ込んでいる。体の奥から服の端に至るまでがびりびりと震えるのだ。
 剣が押し返されるのを感じる。そんな馬鹿な話しあってたまるか。自然とこぼれる戦慄の笑みを顔に貼り付けたまま、汗を払う暇すら惜しく、水滴を頬や額に貼り付けながらも俺は跳んだ。

 再度体を芯から震わせる咆哮と、二本の豪腕が俺を狙ってくる。そのまま咆哮を切っ先で切り裂いて、膂力の塊に真っ向から対峙。片腕を受け流しながら回転、その勢いでもってもう片方の腕を切り落とした。
 瘴気が噴出し散っていく。それを更に魔力へ転換、動力として足元へ送り込みつつ、空中を踏みつける。

 更なる加速。両腕が伸びきった後鬼に対する術はない。せめて咆哮を挙げようとしたのか、大口を開けたが、いい的にしかならなかった。剣をそこへ目掛けてぶち込んでやる。
 刃は脳天を穿って後頭部から突き出た。ぐらりと揺らぐ間もなく、機能停止した後鬼の体が粒子となって崩れ去り、最後に魔方陣の欠片が割れ、ついに消滅する。

傭兵「次こそ、大天狗。てめぇだ」


 空気の震える音が聞こえた。

 背後で気配。
 鬼の咆哮。

大天狗「果たしてそうかの?」

 豪腕が振るわれる。なんとか防御こそ間に合ったものの、それだけだ。打ち所を勘案する余裕はなかった。
 左肩から右の腰へと衝撃が抜け、そのまま吹き飛んで全身を痛打。最終的には友軍もろとも木に激突する。一瞬以上意識が追い出されていたが、骨折はない。頑丈な体に感謝をしよう。

 視界の中では後鬼が復活を遂げている。突如としての復活に驚いているのは俺だけではない。兵隊たちはみな驚き、後鬼に対応せねばと足並みが乱れている。
 前鬼後鬼は驚異的な相手であるが、所詮召喚された存在であることは前述した。やつら自体をいくら潰しても終わりはない。とはいえ、鬼を召喚する際に生まれる隙や魔力の消費は決して無視できないレベルだと考えていたのだ。
 そんな考えをあさはかと笑うような、大天狗の声音。

大天狗「もっともっと想像力を働かせよ! それこそが人間の特権じゃろう!?」


傭兵「……自動召喚かよ」

大天狗「そのとおり。いちいち召喚などしていられるかよ!」

 魔法には詳しくないが、鬼を召喚する際に、破壊を再度の召喚と関連付けているのだろう。党首が開放行為と爆裂を関連付けていたように。

掃除婦「厄介ですね」

 少ない表情で掃除婦が傍らに立っていた。肩で息をし、僅かに顔色も悪い。
 会話だけならば通信で事足りるというのに、掃除婦はわざわざ俺の前へと姿を現した。その意味を少し考え、至り、嘆息する。

掃除婦「これまで以上に鬼を倒すことに意味がなくなりました」

傭兵「だけど、放ってはおけない」

掃除婦「無論でしょう。あんなものを野放しにしておけば、背中から挽肉にされます」

傭兵「なら、どうする」

掃除婦「私が行きましょう、引き続き」

 言うと思った。嘆息の理由はこれだ。


 行かなくてもいいんだぞと思ったが、言うわけには行かない。掃除婦がここで出撃するのが最も効率的だから。そして彼女自身もそれを理解している。
 たった独りで、前鬼と後鬼を相手にするのが、最もよい。一人で百数十の人員を生み出せる掃除婦ならば、勝利を完全に放棄してしまえば、やってやれないことはないだろう。

 それは自らの命を削りながらの敢行である。掃除婦も魔力と体力の限界が近づいてきている。所持していたはずの回復薬はどうやら全て使った上で、あとには引けなくなっているのだ。
 掃除婦は州総督からの貸与であり、厳密にはPMCのメンバーではない。ここまでする義理もないだろうに、全く不思議な人間である。

掃除婦「あんなよい子を放っておくわけにはいきませんから」

 にこりと掃除婦は微笑んだ。
 言葉を聴いてぴんとくる。

傭兵「お前もあいつに絆されたタイプか」


掃除婦「そんなつもりはないのですけどね。ただ、一生懸命なこどもを助けるのは、年長者の役目でしょう?」

傭兵「あいつの場合は一生懸命をこじらせてるけどな」

掃除婦「それにしても、『お前も』、とは」

傭兵「たっくさんいんだよ。生き残ったら教えてやる」

掃除婦「あらあら。弱気ですね、珍しい。生き残ったら、ですか」

傭兵「魔力枯らすなよ」

掃除婦「なんとかなるでしょう」

傭兵「それじゃあ」

掃除婦「えぇ」

掃除婦「序列十四位、『足跡遣い』。命を賭して、拝命しますわ」

 掃除婦はスカートの中から靴を計六つ、地面に落とした。
 そこから生まれてくる人影――軍人、侍、忍者、騎士、魔法使い、儀仗兵。嘗て俺が、俺と、戦ったコピー人間。それらを引き連れて、悠々と掃除婦は二体の鬼のちょうど中間くらいへと歩いていく。
 去り際、こちらを振り向いて、ぺこりと一礼した。


傭兵「……全員、前鬼後鬼との戦闘を中断。全戦力を大天狗に向けろ」

「……正気ですか。鬼は、どうしますか」

 通信がざわついた。一二〇〇人全員の思考が流れ込んでくることはないが、繋がっているのは事実。心の機微くらいなら伝わりもする。

傭兵「掃除婦が保たせてくれる」

「無理です!」

傭兵「だろうな」

 俺はあっさりと言う。無理なのはわかっている。それでも、仮にここで大天狗を殺す手段があるとするならば、それは全身全霊でやつの顔面をぶん殴ってやることしかない。
 戦力の全力投入。鬼にぶれている余裕などは、どこにもない。

 今まで様々なことを、ものを、ひとを、自らの目的のために犠牲にしてきた。犠牲にし続けてきた。金のためなら犯罪すれすれでも迷いなく行ったし、詐欺も、簒奪も、いくらでもしてきた。
 最初の村での村長と狩人。ゴロンの町民。エルフ。王国兵士。直近だけでもこれだけ思い出せる。そして俺は一切悪びれてはいないのだ。悪びれるものか。罪悪感など感じていたら、心がいくらあったって足りやしない。
 そうだろう。そうなのだ。世界を平和にすると決めたのだ。金があればなんだってできる。世界を平和にもできる。魔物も魔族も打ち倒し、恵まれない人々に施しを与え、戦争の早期終結すらも買える。


 全て延長線上だ。必要な犠牲なのだ。

 泣いてはいない。
 泣いてなどいられない!

傭兵「あいつの命は競売にかけた。その金で何が買えるか……わかってるだろう。俺たち次第だ」

「……ヤー。全軍に通達します」

 応答が響くと同時に俺は大天狗へと振り返った。それにあわせて俺へと風の砲弾が放たれる。

傭兵「これで終いにしようや!」

 叫んで突入。俺だけではない。周囲にいた兵士たち全員が武器を構えなおし、大天狗へと突っ込んでいく。

大天狗「構わん! 構わんぞ! 魔王様へ届く唯一の刃、ここで圧し折ってくれるわ!」

大天狗「煉獄火炎!」

 九字が切られた。かつて見た九字。そして十字を重ねて切られた碁盤の目。
 それが即座に地面に転写、光の交点から灼熱の炎が噴出す。
 即応して儀仗兵たちが大量の冷気をぶつけるも魔法の質はほぼ拮抗している。一対数百名の戦力差でこれなのだ。いかに魔族が埒外なのかは推して知るべしといったところだろう。

 そもそも、俺は既に、十分すぎるほど知ってしまっているのだけれど。


傭兵「怯むなっ! つっこめぇええええっ!」

 全員応答。慄いて立ち止まるでなく、恐れ逃げるのでなく、慄き恐れるからこそ、更に一歩を俺たちは踏み出すことができる。
 自分の愛するべきひとや、守るべき存在に、この凶刃が向かうのを防ぐため。

 立体機動も大気には無力である。なぜならそれは大気の中を泳いでいるようなものだからだ。それでもこの数の前での邀撃に限りがあるのは明白。どちらも直感で理解している。
 ある種の駆け引きだ。どこまで迎え撃つのか。どこまで薙ぎ倒すのか。そのバランス感覚を一歩でも間違えば、次の瞬間に体が四散しているかもしれないのだ。

 九字、九字、九字。縦と横に繰り返し線が引かれ、転写、噴火を繰り返す。地面や空気が一瞬で高温化し満足に呼吸をすることもとどまることもできなくなる。
 大丈夫だ。もとより足を止めるつもりはない。呼吸も、有酸素運動なんて暢気していられない。足はとめず、けれど呼吸はしっかりとめて、目を見開き真っ直ぐ大天狗へと吶喊する以外に何があるだろうか。

 先行していた兵隊たちの刃が障壁で受け止められる。と同時にすぐさま後退。彼らが今までいた地点に衝撃波が降り注ぎ、焦土がさらなる荒地へと変わった。


 「煉獄火炎、対処し切れません!」

 響く儀仗兵たちの悲鳴。追加で巨大な氷塊がいくつも突っ込んだが、熱された大気の層によって、その体積を大幅に減らしてしまう。噴火口へ突っ込んでも、火炎を塞き止めていられるのは十数秒程度に過ぎない。
 全体が大きく火炎を回避するように動く。大天狗は俺たちの陣形の薄い部分を食い破るように地を蹴り、一瞬で兵隊二人を屠ってみせた。風が上半身を掻き乱し、生物として主要な
器官を全て磨り潰したのだ。

 回避行動の最中の兵隊たちはバランスを崩している。そこを大天狗の神速で狙われたのだからたまらない。大気をまとった徒手格闘は達人のそれを遥かに凌駕した手数と重さであり、移動速度も視認限界上。その上障壁と遠距離を伴っているとなっては、戦線の壊滅は必死。
 とはいかない。いかせられない。俺を含んだ若干名が、最後の防衛戦になろうと大天狗へ食いついている。

 真っ先に大天狗が俺を狙ってきた。高下駄をものともしない超高速移動。目を凝らせば、背中の羽とは別に、大気の渦が背中にブースターの効果を齎しているのが見える。足元と手にも大気と魔力の混合体をまとわせ、破壊力の向上と摩擦の低減を図っている。
 間に差し込まれるかのように火球が飛来。狙いは性格に大天狗の扇。
 大天狗は一睨みしただけで障壁を展開、火球の群れを打ち落とす。即座に剣を抜いて障壁ごと叩き切った。


 障壁に隠された空気の砲弾が切っ先と衝突して小規模な嵐を巻き起こす。互いに先の先を読んでいる。攻撃が簡単に当たるとは思っていない。二の矢、三の矢を常に用意した戦いは、実力以上に精神力の戦いでもある。
 火球の煌きが追加で大天狗を狙う。おおよそ三十の手数はまたも障壁で防がれるが、今度はただ防がれるだけではなかった。炸裂した火球の内側から、弾けるように幾条もの光の矢が飛び出していく。
 不穏なものを感じ取ったのか大天狗が一歩退く。そこを追撃するのは軽機関銃を携えた歩兵たち。たたたた、たたん。小気味いい音と共に鉛の弾幕が行く手を阻んだ。

大天狗「ふんっ!」

 大気をまとわせた拳を突き出せば、その衝撃で弾丸が風圧に負け散らされた。どんな反応速度と拳速だよ。想定の範囲内ではあれど、苦笑しか漏れてこないのも事実。

 その間に俺を含めた数名が大天狗に切迫している。頭上からは拡散した光の矢が全方位から狙いを定め、大天狗の機動力を殺ぐ。
 剣を抜くと同時に矢が射出。大天狗は応じて大気を解放、息も止まる突風が壁となって俺たちの足を鈍くした。
 しかし止まらない。即座に兵隊たちは列を横から縦へと組みなおし、風の影響を受けない陣形へとなっている。防御を固めた先頭の兵隊の背中、肩と経由して、半重力機構を機動、密度の高い風を蹴り付けての強襲を図る。


大天狗「煉獄火炎!」

傭兵「させるかよっ!」

 九字の印が地面に転写されるのを見越して、俺は既に地面を切っている。さすが四天王、破邪の剣をもってしてもすんなりとはいかなかったが、碁盤の目の一部を欠損させることには成功した。
 印へと魔力が満ち満ちていくが、欠損のために充填がうまくいっていない。輝きが明らかにこれまでと違う。
 結果的に噴火は十全に起こらなかった。激しい爆裂は数箇所でのみ起こり、その火炎は無論空気を焼き大地を焼き、数多の木々を灰にする裁きの火炎ではあったが、密度は薄い。覚悟を決めれば回避行動をとらなくともよいほどに。

 風圧を乗り越えた三人の刃が大天狗を襲う。背後から迫るのは光の矢。機動力を殺ぐ狙いは変わらず、照準は足と羽。

大天狗「天晴れ! 天晴れだ!」

傭兵「楽しそうだなちくしょう!」

大天狗「無論! こんな戦い、何度もあるものではない! まだまだ人間も捨てたものではないのう!」

 俺を殺すのが第一義の目的だろうに、そんなことを笑いながら言う大天狗だった。


 す、とやつの眼差しが一気に氷点下に下がる。

大天狗「なら――これに耐えられるかの?」

 大天狗が高下駄の歯を強く、強く地面に打ちつけた。

 地面が一瞬、まるで鼓動のように力強く打ったかと思うと、次の瞬間には大地が鋭利な槍と化して接近していた三名のどてっぱらを貫いていた。それこそ弾丸のような速度で三人を穿った大地は、それだけでは物足りないと見えて、三人を貫いたまま地面へと消えていく。

「魔力の波動を確認! 位置、真下! 地面を伝っています!」

 通信が入る。言われなくとも想像はついていた。
 大天狗の神通力は、大気だけではなく大地もまた同様に自由自在というわけか。

大天狗「このわしから逃げ切れると思うなよ」

傭兵「逃げるかよ――全体、跳べ!」

 大地が震える。刹那の間をおいて、殺意を伴う大地の隆起が、あたり一面を文字通りの針の筵へと変貌させた。直径数十センチから一メートルほどの三角錐が、おおよそ千、十メートルほどの高さまで隆起している。
 逃げ遅れた兵隊たちは軒並み串刺しにされていた。肛門から脳天まで一突きし、そのまま地面へと引きずり込んでいくのだ。まるで大地自身が生贄を欲しているかのように。
 一滴残らず大地に喰われ、血の跡すら残らない。


 背後からの光の矢を大天狗は無造作に掴み、こちらへと投擲してくる。単純な攻撃だ。それをツーステップで回避、引き続き追撃。光の矢だった魔力の塊は、必死の塔に激突し、根元から大きく揺らす。
 あわせて風の砲弾。剣で受け、炸裂後の嵐に乗って加速した。着地の瞬間を狙って大地の棘がこちらを狙ってくるのを反射的に回避、距離をなんとか離さないようにだけ気を遣い、依然吶喊。

傭兵「全軍突撃体勢維持! 足元にはくれぐれも注意しろ!」

「ヤー!」

 彼我の距離はおおよそ十メートル。ここまで来れば、ほぼ必殺圏内といってもよい。互いの一撃が到達する範囲であり、途端に空気が紫電を帯びたものに変わる。
 地面の隆起。それを直感で回避し、三角跳びの要領で蹴り上げながら、反射反射の繰り返しで大天狗との距離を一気に詰めにかかる。こんな動きに惑わされる大天狗ではないだろうが、単純な動きは大気と大地のいい的だ。

 兵隊たちもその数を減らしながらではあるが着実に大天狗へと近づいていた。斬戟を障壁と高速移動で回避しながら、拳の一撃で必殺を量産していく。高密度で降り注ぐ火球や氷塊、潰された際に生み出される光の矢は的確に障壁で打ち消しながら、人数の差をものともしない大立ち回り。


 だが確かに、そして着実に、俺たちの刃は大天狗に届いていた。袈裟を初めとする山伏の衣服がところどころ切れ、大天狗が動くたびにひらひらと揺れ動く。
 血のついていないところを見るとまだ肉体には届いていないのだろう。しかし、俺たちが徐々に大天狗の動きに慣れてきているのは真実だった。

 太陽と見紛うほどの火球が放たれたのを好機と見て、俺はついに大天狗へと直線で切りかかっていった。速度と重力、そして遠心力を篭めた渾身の一撃。大天狗はそれを障壁、大気、大地の三重防壁でもって威力を減衰し、反撃の風の砲弾を撃ってくる。
 割り込んできた兵隊が刃の腹で普段を受け流した。軽機関銃の援護を受けながら着地、接地すらほどほどにして再度踊りかかる。

 迫り来る太陽でじりじり肌が焼かれていく。それすら戦場にあってはいい気付だ。
 障壁で大天狗が太陽を受け止めた。拮抗。ぎちぎちと魔力同士が衝突し、削れ、火の粉と熱風を撒き散らした。流石の大天狗といえど、今までのようにこの太陽を丸無視はできなかったようだ。
 俺の横薙ぎは扇で払われる。それを二度、三度と繰り返し、風の砲弾を弾いた衝撃で一旦距離が開いてしまう。


 ほぼ同時に太陽が炸裂した。圧倒的な光が満ちて世界が白く染まる。思わず目を閉じてしまいそうになるそんな光景ですら、俺にとってはまた好機だ。剣を構えながら地を蹴る。
 わかっている。真っ直ぐ走って真っ直ぐ剣を振れば、敵を殺せるのだ。それは単純で、間違いなどどこにもない、真理の一つ。

 世界に色が戻ったとき、既に俺の剣は放たれている。

 大天狗の腕が飛んだ。

 同時に放たれた風の砲弾が俺の左足を消し飛ばす。

 大天狗を取り囲む数多の兵士。全員が全員、己の武器を握り締め、あるものは体勢を低くし、またあるものは大きく飛び上がり、大天狗の命ただそれだけを狙っていた。
 超々至近距離で、大天狗が目を剥いているのがわかる。

大天狗「全員、吹き飛ばされるがよぉおおおおおおいっ!」

 障壁が展開。大気がうねりたなびき渦を巻き、注ぎ込まれた魔力によって大きくぶるりと大地が震える。

 風の砲弾。炸裂する嵐。それらから生み出される鎌鼬。
 無色透明の半固体が、飛びかかった兵隊たちを根こそぎ薙ぎ払っていく。


 が。

大天狗「な、だいち、が――!」

「龍脈への介入成功しました!」

 脳内に連絡が届く。

「こちらの魔力を混ぜ込んでジャミングしています! ですが、何秒持つか……!」

 十分だ。それだけで十分すぎる!

 続けて飛来した氷塊が、ついに大天狗の障壁を粉々に破壊する。甲高い、硝子の割れる音にも似た、鼓膜を振るわせる音は障壁の砕ける際の特有の音だ。
 そこへ向かって雪崩れ込む兵隊たち。大天狗は九字を切るが、どう見ても間に合う距離と速度ではない。

大天狗「前鬼ッ! 後鬼ィッ!」

 掃除婦は存命。六人のコピー、及び数多のコピーとともに、悪い顔色を隠そうともせず、時折嘔吐をしながらも戦い続けていた。決して二体の鬼が大天狗の援護に入ることがないように。

 一人の兵隊の刃が、ついに大天狗の羽を裂き、胸を貫いた。

 一瞬で歓喜に染まる心中をぶち壊しにするように、俺の全身がぐらりと傾く。右足欠損のまま戦闘を続けようとしたのが祟ったのだ。バランスを崩して倒れこむのは当然だろう。
 激痛はない。ただ、喉から血液が逆流してきて、それがとにかく不快だった。

 ……は。

 視界の中で、次々と兵士の剣に串刺しにされた大天狗の姿が、幻となって掻き消えていく。

「この程度の幻影が、まさかわしに生み出せないとでも?」

 何者かの声。振り向くより先に、俺は自分から離れた下半身を見た。

 そうして、意識を失う。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
VS大天狗

……長い! 文字数的にも、前回からの間も。
幸運にも本日休みで書く時間とれましたが、来週はどうだろうか、まだわかりません。
もし忙しくなりそうなら報告しますので、そのときはご容赦ください。

今後ともよろしくお願いします。

大天狗さんマジ四天王

途中欠損した足は左じゃなかったか?


* * *

僧侶「あ……あ……」

 石牢の小窓から、わたしは戦局をただ見ていることしかできませんでした。
 いや、それは最早戦局と呼べるものではありません。殲滅。掃討。虐殺。傾いた秤は加速度的にその傾きを増していきます。種族としての戦闘力の差を、社会性という能力で補っている人間にとっては、その傾向は顕著です。
 一人が死ぬたびに残された各人の負担は重くなっていきます。ただでさえ強大な相手が、時間の経過ごとに強くなっていくのですから、その結末はどんな人だってわかります。

 それを覆そうとしたのがあの人なのです。金にがめついあの人が、なぜこの場にいるのかまったく見当もつきませんでしたが、首魁であるのはわかりました。あの人が組織でまともにやっていけるわけないのですから。
 ですからきっと、大天狗と戦う一団があって、そこに傭兵さんがいるのだとすれば、図を描いたのはあの人以外にはいないのです。

 じりじりと漸減していく兵隊さんたちの姿を見て、わたしの足からも次第にゆっくりと力が抜けていきます。目の前で失われていく命に対して、自らの無力をこれほどまでに痛感したことはありません。
 大天狗はご丁寧に封印魔法を牢の扉にかけていきました。梃子でもわたしをここから逃がすつもりはないのでしょう。こんなわたしに一体どんな価値があるのか、魔族の考えていることはまったくわかりません。


 涙で歪んだ視界の中で、大天狗が両手に大気を集め、集団へと叩き付けます。大規模な竜巻が生まれ、恐らく数十人、死傷者が出ました。
 軍勢がまるで大天狗に吸い寄せられるかのように突撃していきます。一糸乱れぬ隊列。素早い行動。あぁ、きっと途轍もなく訓練を施された歴戦の兵隊なのでしょう。遠目からだって彼らの武勇が伝わってくるようです。
 それでも、血と汗に彩られた訓練さえも、大天狗の前では児戯だったに違いありません。それほど彼我の実力差は歴然としていました。

 近寄った瞬間に大地が隆起し、大天狗を中心とした人の波が一気に地面に食われていきます。ぽっかりと、まるでドーナツのように、そこから人が消えるのです。
 残った人々へ向かうのは無色透明の砲弾。もしくは、大天狗自身が一塊の弾丸となって、拳で、爪先で、命を抉り取っていきます。
 兵隊さんたちは善戦しているのでしょう。しかし、善戦に一体どんな意味があるのでしょうか。その結果得られるものがたった数十分の延命だというのなら、善戦も瞬殺も、大した差などないじゃありませんか!

 あの人は、あの人はなにをやっているのですか!
 傭兵さんなら、きっと、どんな劣勢だってひっくり返してくれるはずなのです! 今までだってそうだったのです!


 叫びたい衝動を堪えるのが大変でした。いえ、実は叫んでいたのかもしれません。だって堪える必要などどこにもないのですから。

 と、そのときでした。どかんと一際大きな音が響いて、牢がどんどんと傾斜していきます。塔が傾いているのだと、根元から折れ曲がっているのだとすぐわかりました。
 すわぽっきりいくのかと思いきや、四十五度くらいの勾配で、なんとか傾きは収まりました。とはいえ四十五というのは生半なものではありません。当然真っ直ぐ立ってなどいられませんから、わたしはごろごろと床を転がり、壁に背中を強打しました。
 唯一の幸運はここが石牢だったことです。家具などありませんでしたから、わたしの上に何かが振ってくるなんてこともありません。

 儀仗兵たちか、それとも大天狗か。どちからの魔法が大きく逸れて、この必死の塔を直撃したのでしょう。威力を考えると大天狗でしょうか。
 廊下や階下から魔物たちのけたたましい叫び声が聞こえてきます。消火作業やダメージコントロールに必死になっているようです。


 ぱち、ぱちと弾ける音が耳に届きました。見れば、窓の鉄格子が歪んで壊れ、内蔵されていた魔力の粒子が弾けているのです。大天狗が封印を施したのは牢屋の扉だけ。窓は、違います。
 恐らくいまの衝撃で内蔵されていた魔法が壊れたのでしょう。ここは塔の四階。下は草木が茂っています。
 ……身体強化をすれば、死ぬことはない、と思いますが。

 恐ろしさがないわけでは当然ありませんでしたが、何よりも背中を押すのは勇気でした。責任感でした。わたしは一人でも多くの人を救いたくて、救わなければならないのだという強い意志が、わたしに窓枠へと足をかけさせます。
 拳を握り締めて振り下ろせば、思いのほか簡単に硝子は割れました。

僧侶「……」

 唾を飲み込みます。

 覚悟を決めて、一気に。

 重力からの解放。

 着地までは数秒ほどかかっていたのでしょうが、意識としては一瞬でした。重たい衝撃が全身をかけめぐり、硬く瞑っていたはずの眼が強制的に開きます。
 防御倍加をしていてもこの衝撃。全身が痺れて、少しの間まともに身動きが取れません。生身であれば死んでいたことでしょう。

 止まっていた息を咳で吐き出し、わたしは痺れもそのままに立ち上がりました。僅かに体がよろめきましたが、すぐに平衡感覚を取り戻して、目標を見据えます。
 目的地を見据えます。

 大天狗へと向かっていきます。


※ ※ ※

 あぁ、これは夢を見ているんだなと気づくときがある。明晰夢というものらしい。
 大抵、空を飛んだり深海へ潜ったり、動物と話したり変な超能力をもっていたり、「普通あるわけない」ことを自覚することによって、夢だと気づくという。
 だから、俺の場合はまさにビンゴだった。

 死人が目の前に立っていて、あまつさえこっちに手を振り振りやってくるのだから、夢以外ありえないのだ。

 エルフと神父は、いつもどおりの表情をして、俺の名前を呼んでいる。


 戦争キチガイのエルフは、何もなければ清楚で色白な高嶺の花。上背があり、すらりとした指先は細く、色も白い。細長い耳には金色のピアスをいくつもしていて、流れるような金髪を無造作に垂らしている。
 柔らかく微笑んでいるが、その目は俺を見ているようで見ていない。エルフとの関係は利害の一致の上に成立している。人間など本来歯牙にもかけないエルフ族が唯一見初めたのが俺と神父である……というのは自慢が過ぎるだろうか。
 一応男女の関係でもあるにはあるが、どちらかというと性欲処理のために互いを使っているという感覚である。限りなくドライなものだ。そのあたりも含めて、仲が悪いとは決して言わない。信頼もしている。

 誰よりも誰かの幸福を願う神父は、柔和な笑みを決して絶やすことはない。彼の表情は、言葉は、何よりも優しく誰よりも厳しく、そしてすっと心へと染み込んでくる。そして傷ついた精神を影からそっと支えてくれる。
 他人の幸福のために自分の幸福をおろそかにしている愚か者、とはエルフの弁だ。とはいえ、彼女も彼女で、神父の献身は真似できないと一目置いているのも事実である。
 僧侶と出会っているからこそ、確信できる。間違いなくあいつはこいつの娘だ。顔は母親似なのかさして面影はないが、そのぶんメンタリティは色濃く継いでいるのかもしれない。


傭兵「お前ら、なにしてんだ」

 俺の当然の問いに二人は表情を変えなかった。

神父「まぁまぁ、勇者さん。立ち話もなんですから、座りましょうか」

 というと、さっきまでなかったはずのテーブルと椅子が、俺たちの前に姿を現していた。白い丸テーブルに、三つのスツール。
 俺は促されるままに底へと腰を落ち着ける。

エルフ「羨ましいなぁ。勇者くんばっかり戦争してぇ」

傭兵「おい、犬歯が剥き出しだぞ」

エルフ「うるさい。あー、あの大天狗にもう一発食らわせたい! 食らわせられたい!」

神父「食らわせられたいんですか……」

傭兵「変わらねぇな、お前も」

エルフ「これでも子供のころからだいぶ変わったんだけどな」

傭兵「何年前だよ」

神父「エルフ族の寿命って確か……」

エルフ「んー、大体百五十年位前?」

 これだけ時間の感覚が違うのだから、人間とは価値観が違ったっておかしくはない。寧ろそちらのほうが当然で、正常とも思えてくる。


傭兵「おい神父、こいつを何とかしてくれ。話が脱線してたまらん」

エルフ「わかってるってば。時間がないんでしょ、あんまり怒らないでよねー」

 ごく当たり前のように言ったが、俺はそんなことは初耳だった。思わず聞き返す。

傭兵「時間がない?」

エルフ「ないっていうか、無限っていうか?」

 意味がわからん。

神父「や。まぁ、大したことじゃないんですよ。偶然近くに旧友がいたから、ちょっと声かけて見みうと思っただけで」

エルフ「そうだね。そんなところだねぇ」

傭兵「そうか。でも、悪いな。確かに、時間はあんまりないんだ。やらなきゃいけないことがあるから」

 そこで二人は軽く視線を合わせ、表情に影を落とした。
 ……なんだ? どういうことだ?

神父「勇者さんは健在のようだ」

傭兵「そんなつもりはねぇよ」

エルフ「どっちもどっちって感じ? 勇者くんはもう傭兵くんだもんね」

 それはたぶん、わからない人間にとってはまったく不可解な会話だった。そして同時に、俺にとっては痛いほどよくわかる会話でもある。
 心に僅かな苦しみと、限りない熱さを覚えた。


傭兵「あぁ、俺は傭兵だ。傭兵として、やらなきゃならんことが残ってる」

エルフ「でも、だめだよ」

 エルフが立ち上がろうとしていた俺の手首を掴んで離さない。
 彼女の顔は依然変わらず、笑顔で、俺を労っているようにも、安堵しているようにも見える。

神父「……そうですね。悲しいですが」

傭兵「……なんだよ。やめろよ」

 これが夢だとわかっているからこそ、俺は強く、強く、エルフの手を振りほどこうとする。
 しかし、振りほどけない。どれほどきつく締められているのか、エルフの手は微動だにしない。

エルフ「きみは」
神父「あなたは」

 二人は耳を塞ごうとする俺などお構いなしに、俺が死んだことを告げたのだった。


* * *

大天狗「……なぜ、お主がここにいる? 童よ」

僧侶「わたし、そんなに子供じゃありません」

 ごぐり、と音が響いて、大天狗が兵隊さんの頚椎をへし折りました。
 糞尿を垂れ流しはじめた死体を遠くまで放り投げます。

 戦線は壊滅状態です。累々と積み重なった死体。辛うじて死を免れている人々も、腕や足を失い、血を垂れ流しながら呻き声を上げています。勿論五体満足で立っている人なんて、わたし以外にはいませんでした。
 とはいえ、大天狗も相応の傷を負っていました。純白だった一対の羽、その片方は火球の影響で酷く焼け焦げ、もう片方は先端が槍か剣の攻撃によって著しく欠けています。
 四肢こそ繋がってはいますが、山伏姿のところどころに血が滲み、脇腹と太股にいたっては小振りなナイフまで刺さっています。

 大天狗にとっても決して楽な戦いではなかったはずです。目が充血しているのは魔力の大半を使用したためでしょうし、平然としているようには見えますが、息も僅かに上がっています。
 彼らの戦い方は間違っていなかったのだと、結果は物語っていました。


大天狗「なぜお主がここにいるかと聞いておるのじゃ」

僧侶「それは、どうやって外に出てきたのかということでしょうか。それとも、何しにここへきたか、ということでしょうか」

 足元に掃除婦さんの首が転がっています。
 少し離れた先で、上下に分離した傭兵さんの姿も見つけることができました。

 感覚は麻痺しています。涙も出ません。狂乱にもなりません。

大天狗「何しにここへきた。まさか、わしに戦いを挑むつもりか」

僧侶「そのまさかだとしたらどうしますか」

 真っ直ぐに大天狗を見つめます。大天狗は時間にして僅か数秒、わたしの瞳を同じように見返していました。そしてそこからどんな意図を読み取ったのか、はぁ、と大きなため息をつきます。

大天狗「自殺願望に付き合ってやるほどわしは暇じゃあない」

僧侶「付き合ってもらいます」

 腰を深く落とし、深く精神を集中します。
 丹田に力をこめて、魔力の経路をイメージ。

大天狗「……正気か」

僧侶「いいえ」

 とっくに正気などは失っています。
 両親が死んだあの日から。


僧侶「腕力倍加」

僧侶「脚力倍加」

僧侶「守備力倍加」

僧侶「いざ――!」

 地を蹴った足の裏が地面から離れるよりも先に、大天狗の手がわたしを引きずり倒しました。
 目にも映らない速度でした。比喩でも誇張でもなく、大気を身にまとった大天狗の神速を、わたしは残像すら捉えられないのです。
 消耗した大天狗をしてなお、わたしは一矢報いることすらできないのです。

大天狗「解せんな。というよりも、理解の範疇を超えている。お前のそれは、なんだ? なにがお主をそうさせる?」

大天狗「理解できないのはわしが魔族だからか? いや違うな、どう考えても違う。ということは、やはりお主が正気を失っているだけなのか?」

僧侶「……」

 眉根を寄せて、怪訝な顔をする大天狗でした。その表情を見ている限り、どうやら本当にわかっていないようです。
 所詮魔族。存在として強固だからこそ、彼らにはわたしの気持ちは絶対にわからない。

 大天狗はわたしの首に手をやりました。先ほどみたとおり、人間の首など簡単に折ってしまえるのです。

大天狗「問うぞ小娘! なぜお主はここにきた! お主は一体何がしたい!」




僧侶「わたしはみんなを幸せにしたい!」

 限りない大声で叫んでやりました。



僧侶「何がなんだかわからなくっても! なんでこうなっているのかわからなくっても! きっとこの先に、みんなの幸せがあるってわかるから! だからわたしは、戦わなくちゃならないんだ!」

大天狗「……は、やはりまさしく狂人だったか。過程がわからず、結論がわかるはずがない」

僧侶「わかる!」

僧侶「だって、これは全部傭兵さんが仕組んだことなんだから!」

僧侶「あの人が選んだ手段が、間違っているはずがない!」

 涙が溢れて止まりませんでした。
 死が怖いのではありません。わたしは、涙が普通そうであるように、悲しいから泣いているのです。
 傭兵さんの努力が無駄になってしまうことが悔しくて泣いているのです。

僧侶「あの人は確かに屑だ! 人間の屑だ! 金にがめつくて、そのためなら嘘をつくし人だって殺す! 子供も老人も、誰が何人傷ついたって構わないって言う、最低最悪な人間だ!」

僧侶「だけど、きっとあの人には、そうまでしても叶えたいなにかがあったに違いないんだ!」


 ようやくわかったのだ。あの人はわたしと同じなのだと。
 革命を標榜してまでわたしに叶えたい大義が、大望があったように。

僧侶「そのためにいろんな人を傷つけてでも金を稼いで、そのたびに自分も傷ついて、でも涙なんか見せられるはずもなくて、自分の心に蓋をして、社会のために、この世にために、未来のために、きっと、だって、そうじゃないと、辻褄が合わない!」

僧侶「あの努力がこんなところで潰えていいはずがない!」

僧侶「だって、そんなの、かわいそうじゃないですか!」

 心の中がぽかぽかする。
 熱い血潮が、いまわたしの体内を駆け巡っていることが、はっきりとわかった。
 それは生きている証。わたしは今、確かに生きている。

 あぁ、でも、おかしな話でした。生きているのだから血は流れている。筋肉は動いている。神経は反応している。そこまでは当然として、だのに、魔力が心の臓から溢れて止まらないのです。
 輝ける何かが体の中を駆け巡って、暴れて、困っているのです。

僧侶「幸せにするんだ」

僧侶「幸せにするんだ」

僧侶「幸せにするんだ!」

大天狗「この、小娘……っ!」

僧侶「わたしがみんなを幸せにするんだ!」
 
 光が溢れて世界を包み込みました。
 


※ ※ ※

傭兵「死んだ、か」

エルフ「そうだよー。きみは、もう死んだ。これはもう終わってしまったことなの」

神父「残念だ、お疲れ様、というよりほかにない。一足先に死んでしまった僕らが言うのもなんだけど」

傭兵「いや、わかってる。わかってるんだが、ま、それを噛み締めていたところだ」

エルフ「そっか。よかったよ、取り乱されなくて。そんな勇者くんは見たくないしね」

 と、エルフが俺の腕から手を離す。
 一瞬全員がぴくりと反応した。無論エルフ自身もである。この隙を突いて俺が逃げ出そうとしないかを試したのだろう。
 目があうと、全員苦笑した。考えていることはばればれだ。これでももとチームメイトなのだから。

傭兵「僧侶はどうなる?」

神父「……さぁ、ね。心配だけれど、僕たちにはもう、どうすることもできないよ」

エルフ「ここでのんびり見ているだけさ」


神父「きみには、娘のことで随分と迷惑をかけたと思っていますよ」

神父「同時に、ありがたくも思っている。ありがとう」

傭兵「……別に、お前のためじゃない。あいつのためでもない」

神父「わかっています」

エルフ「勇者くんは昔っからそう言うー」

傭兵「とはいえ一応言っておく。お前に監督責任を追及したいくらいだからな、俺は。お前の娘、ありゃ化け物だぞ。どこをどうねじくれたらあんな正確に育つんだ」

エルフ「勇者くんには言われたくないと思うけどなぁ」

傭兵「俺はお前にゃ言われたくねぇよ」

神父「親の背を見て子は育つ、とはよく言ったものですね。それが勇者さんに迷惑をかけたことについては、謝ります。ですが、ねぇ勇者さん、あなたにとってうちの娘はどう映りましたか?」

 にこやかに痛いところを突いてくる神父だった。俺は何も応えられなくなって、お手上げだ、と肩を竦めてみせる。

傭兵「親近感は沸くよ、正直な。お互い馬鹿すぎる。やれるはずのないことを、やろうとしてるんだから」

エルフ「でも、二人とも成功したじゃん」

傭兵「成功しかけた、だ」

 俺はすかさず訂正する。


傭兵「僧侶は結局失敗した。そして俺も、失敗しそうだ」

 不甲斐ない。
 情けない。
 一体俺はこの十数年間、何をやってきたというのだ。

エルフ「わっかんないなぁ、わっかんないよ、人間の考えることは」

神父「人間は弱いですからね。魔族や、エルフ族と違って。だからこそ社会性が一番発達しているのです」

 エルフはいまだ得心のいっていないような顔をしていたが、神父との会話で自らがやり込められることは重々承知しているのだろう、不承不承といった体で会話を打ち切った。

傭兵「じゃあ、俺、行くわ」

 立ち上がる。今度こそ二人は引き止めなかった。やっぱりなと顔が言っている。

エルフ「無理だと思うけどなぁ」

傭兵「やってみなくちゃわからんだろ」

神父「上半身と下半身分離してるんですよ?」

傭兵「自分のことは自分が一番よくわかっているよ」

エルフ「良くも悪くも、だけどね」

神父「過度な献身は身を滅ぼしますよ」

 それはある種笑えない冗談だったのだろう。だから、あえてそれにのってやって、俺もエルフも笑ったりはしなかった。

エルフ「勇者くん。勇者くんの努力は認めるよ。今までやってきたことが無為に終わってしまうのは、そりゃ誰だってやなことだから。でも、どだい無理なことだったんだよ。人間の身の上で魔族に勝とうだなんてのは」

傭兵「ちげぇよ」

 振り返りながら笑い飛ばしてやる。




傭兵「僧侶が呼んでんだ」


―――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
インターバルとか、そういうの

>>808
前日譚という意味ならありません。別作品という意味なら2つあります。

>>846
あー、欠損部位は誤りですね。大天狗とごっちゃになってました。申し訳ありません。

スレも気づけばもうそろ900。思えば遠くへきたものです。
次回もよろしくお願いします。


※ * ◇

 大天狗は己の間違いを自覚した。だが、一体どこで間違いを犯したのか、それがわからない。記憶をいくら遡っても決定的な分岐点に出会わなかった。
 僧侶を殺しておくべきだったのだろうか。しかし、この小さな少女を、自分が手にかける必要は感じられない。事実彼女は何もできなかった。大天狗に対しても、周囲に対しても。ただ組み敷かれ、涙を零し、大声で叫んだだけだ。

 自分は何も間違っていないと大天狗は確信していた。確信するしかない。なぜなら、過去にそのポイントを見つけることができなかったのだ。それならば帰納的に考えて大天狗にミスはなかったと結論付けるしかない。
 ならばこれが順当な流れの上にあったというのか。圧倒的な数の差を圧倒的な質の差で乗り越え、一二〇〇の倒れ付した人間どもの中心に立とうとも、それが勝利ではないのならばどうやって自分は勝利すればいいのか。

大天狗「何をした。何をした!? 答えろ小娘ェッ!」

 理解不能の極北に大天狗は立っている。彼の頭から四天王のプライドは消し飛んでいた。この世に普く全ての事象を楽しもうとする彼が、いまや僧侶を前に、不快感を露に激昂しているのだ。
 尋ねる大天狗だが、本人である彼自身が僧侶が何もしていないことを知っている。彼に察知されず行動を起こすことは生半なことではない。少なくとも僧侶になど到底できるものではない。

 ならば。ならば、どうして、こんなことになっている。

大天狗「なぜ殺したはずの一二〇〇人が生き返っている!?」

 のそり、のそりと、人々が立ち上がり始めている。
 その瞳の色は輝き、内なる炎を透けて見せていた。


 修繕不可能な損傷を受けていたはずの兵隊でさえそうなのだ。四肢の損傷、頭部への被弾、胴体の分離。致命的なそれらの被害が、まるでなかったかのように戻っている。回復している。
 回復。そう、回復である。それは僧侶を初めとした神職に就いている者の得意分野。ならばやはり、この事態は僧侶が引き起こしたものなのか。
 違う。そんなはずはない。大天狗は自らの思考を自らで否定する。そんな気配はどこにもなかった。大体、死者の復活など、矮小な人間が一人で行えるわけがないのだ。それをこんなにも大規模に、急速になんて!

「僧侶から手を離せよ」

 剣を向けて傭兵が立っていた。大天狗との距離はおおよそ五メートル前後。仮に大天狗が僧侶を手にかけても、回避や迎撃を許さない距離だ。

大天狗「そうじゃろなぁ……そりゃあ、お主も当然、復活しておるよなぁあああああっ!」

 僧侶を引っつかんで傭兵へと投げつけた。それを目くらましとし、大天狗は即座に九字を切る。

大天狗「煉獄火炎!」

傭兵「迎撃!」

「ヤー!」


 傭兵が指示を出すよりも早く儀仗兵たちは応えている。詠唱簡略化のための符を引き抜き、迎撃体勢。百人規模の多重詠唱。祝詞が魔物の棲家の奥深く、必死の塔の根元に響き渡った。
 氷塊が――巨大な、巨大すぎる、どこまでも巨大な氷塊が、転写された九字の印ごと火炎を叩き潰す。遅れて吹き出た火炎と相殺し、あたりは濃霧に包まれる。

 おかしい、と直感で大天狗は感じた。魔法の力が強すぎる。いくら全員が健在だったとしても、こちらの煉獄火炎と容易く相殺できるほど、あちらの魔力は充実していないはずだったのだ。
 おかしいことだらけだ。それは長年を生きてきた大天狗だからこそ、より強く疑問に思う。

 だが、一度消えかかっていたプライドがふつふつと湧き上がってきた。単純な力比べて人間に負けるわけにはいかない。千人が一万人であったとしても、自分は魔王の片腕だ。四天王なのだ。
 僧侶や傭兵に負けられぬ理由があるのだとすれば、同程度の理由が大天狗にもまたあると考えるのが当然だろう。何しろ戦争の引き金を引いたのは魔族なのだ。遊びでやるには、戦争は少しばかり犠牲が多すぎる。

 それは種族の強靭さに対する自負とは異なっていた。天狗という種族にこだわっているのではない。役小角という人格にとって、譲れないものが確かにあった。


 もしかしたら人間にとってはちっぽけなものなのかもしれない、それでも決して妥協できない一線がそこにはある。願い、と言い換えても過言ではあるまい。
 誰もが恐れ、道を開ける大天狗にも、当然のように願いがある。

 だから――そう、だからと言い切ってしまっていいだろう。だから彼は、己が持ちうる全ての力を総動員して、この一二〇〇人を打倒しようと魔力を篭める。

大天狗「煉獄火炎」

 もう一度九字を切った。即座に巨大な氷塊が飛んでくる。変わらぬ大きさの氷塊を見て、先ほどのそれが偶然の産物でないことを彼は確認した。確かにやつらは実力でもってこちらの煉獄火炎を打ち消したのだと。
 ならばもっと魔力を注ぎ込んでやればよい。それこそ、余裕で氷塊を飲み込んでやれるくらいに。

 噴火と氷塊が激突した。濛々と立ち込める水蒸気の中にあって、それでも己が競り勝ったことを確信する大天狗。
 しかし慢心はしない。極限まで発達した五感は、靄の中を突っ込んでくる数百人を察知している。


大天狗「もう一発じゃ!」

 再度九字。転写された交点から、追加の爆炎が兵隊たちを襲う。
 一気に空気が熱を帯びた。火炎は高温の度を越して、赤や橙ではなく真っ白に煌いている。体内を焼き、表皮を焼く、二段の災禍である。

 本能が警鐘を鳴らすのを傭兵だけではなく兵隊たち全員が聞いていた。しかし彼らはそれを理性で押し込む。押し込んで、走り続ける。人間だから。理性で生きているのが人間だから。
 本能と理性の二軸で生物が駆動しているとして、前者に振れているのが魔物なのだとすれば、後者に振れているのは人間である。そしてその溝を埋めるかのように魔族やエルフといった種族がある。
 人間が理性で生きることを強いられているのならば、理性で生きることが賛美される社会で生きているのならば、彼らにとっては理性によってで死ぬことすら容易いのだろう。最たるものが自殺なのだ。

 ただ異なるのは、ここで人間たちは己のそばに佇む死の気配を濃密に感じ取りながらも、全員が全員、死ぬ気がないということだった。それはつまり自殺ではない。
 詭弁だろうか? 崖に自ら身を投じながら、自殺ではないと嘯くのだから。


 しかし、確かに彼らは死のうとしているのではない。生きようとしているのだ。
 思想は統一されている。

 傭兵は僧侶を助けたいと願った。
 僧侶は傭兵を助けたいと願った。
 二人はみんなを幸せにしたいと願った。

 そして「みんな」はその願いに乗った。

 ここで煉獄火炎に突っ込むことが、その助けとなることを知っている。

「とつげぇえええええきっ!」

 前衛を努めるのは重装歩兵の集団だった。その巨躯で持って、彼らは降りかかる火炎の驟雨から後衛を守ってみせる。火炎が一粒触れるたびに、音を立てて鉄鋼が蒸発するのを決して気にしないようにしながら。
 無論その鎧の中は生き地獄である。熱い、という感覚は既にない。皮膚が灼けた鎧に張り付いて剥がれ、神経がほとんど死んでしまったからだ。
 なけなしの力を振り絞って、それでも彼らは地を蹴り上げた。重力軽減機構を作動、慣性をなるべく持続させ、より長時間後続の壁となるべく最期の仕事を果たす。


 一人、また一人と息絶えていく中、ついに灼熱の隧道にも終わりが見える。と同時に、兵隊の集団へと向かってくる大天狗の姿も。

 四肢と背中に生み出された大気によって、火炎がうねりを巻いて立ち上る。拡散、収斂。上昇気流にのったその速度は誰よりも速い。

大天狗「――!」

 裂帛の気合が口から漏れる。一体戦場においてここまで叫んだのはいつぶりだろうか、なんて少しずれたことを頭の片隅で彼は考えていた。
 そんな彼の眼前に突っ込んでくるは傭兵。破邪の剣を握り締め、鬼の形相で大天狗へと迫ってくる。その速度は人知を超えたまさに神速、大気を味方につけた大天狗とためを張る矢も知れない韋駄天。

大天狗「なぁあああああめるなよぅ、小童ァ!」

 対する大天狗の形相もまたこの世のものではない。怒りや執着や必死や、様々な感情がないまぜになったマーブル模様。

 触接の瞬間に四方八方から火球が降り注いだ。氷塊は火炎と相殺しながら縮小する。しかし、火球は火炎と相殺こそしないが、減衰もしない。大天狗に確実に損害を与えたいならば寧ろこちらだった。


 傭兵の戦闘力は捨て置けるわけがない。僅かに集中を途切らせようものならば、その途端に大気の壁も障壁も切り裂いて、その刃は大天狗の首を切り落とすだろう。
 ならば火球をどうにかするしかない。だがそれもまた安易だ。もし立場が逆ならば、火球にこそ何かを仕込むだろうと大天狗は考えていた。

 果たして大天狗の直感は当たっていた。火球の中には封印捕縛の魔法が巧妙に包み隠されており、本来は接近しないと行使できないその魔法であるが、火球の直撃と関連付けることでクリアしようとしていたのである。

大天狗「笑止ッ!」

 左腕の大気が蠕動する。圧搾されていた大気が一気に解放され、数多の風の砲弾と化した。それは火球を打ち消し、迫っていた兵士たちをまとめて薙ぎ倒す。
 流石に傭兵までは倒せていなかった。彼はその類稀なる反射神経によって、至近距離からの砲弾すら回避しきり、既に攻撃態勢へと移行していた。

 傭兵の渾身の一撃は、予想通り大気の壁も障壁も叩き切った。けれど大天狗にとっては何度も見た太刀筋にすぎない。既に軌道は読めている。
 前方の大気を神通力によって圧搾し、クッションとすることで無理やり慣性を押し殺し、移動を停止させる。切っ先は大天狗の眼前を通り過ぎ、剣圧で白髪がたなびいた。


 これを絶好の好機と見た大天狗であったが、傭兵の背後から大量の兵隊たちが押し寄せているの察し、露骨に顔を歪めた。一瞬、彼の脳裏に傭兵と自らを道連れにするという選択肢が浮かんだものの、未練と執着がそれを却下する。

 それにしても、と大天狗は抑えられない疑問について思考する。接敵まではおおよそコンマ八秒、数は二三六名。煉獄火炎と風の砲弾の連射を潜り抜けた人間がここまでいるとは信じられなかった。
 蘇生、回復、そして……身体能力向上。もしかしたら自動回復までついているのかもしれない。
 そんな芸当が可能であるならば、最初から使っていたはずだ。やつらに出し惜しみしている暇はない。ならば。

大天狗「やはり、小娘、貴様か」

 戦闘能力など皆無に等しく見える、事実皆無に等しい僧侶の姿が、大天狗の千里眼ではっきりと捉えられる。依然として彼女が何か特別なことをしたようには見えなかった。
 わからない。わからないことは彼は嫌いだった。山に篭り密教の修行に明け暮れた日々は、既に記憶と記録の彼方で風化しているが、この世の理法を知りたかったのがきっかけであることは鮮明に覚えている。


大天狗「生半な攻撃では倒れぬ。戦意を失わぬ。向かってくる」

大天狗「ならば!」

 踏み込むと同時に脚部の大気を解放、練りこんであった魔力を全て大地へと投入、眠れる龍を叩き起こして従属させる。
 震脚。大天狗の一踏みで大地は飛び跳ね、その姿形を荒れ狂わせたばかりか、肉体を串刺しにする槍にも主人を守る大楯にもなった。
 そしてバランスを崩した集団に向けて、大天狗は右手を放つ。

 拳の一振りがそのまま数百人の中を突っ切っていった。風圧と拳圧だけで、地に足のついていなかった兵隊を百人単位で吹き飛ばす。骨の砕ける音が連鎖しながら、大天狗の前方から扇型に人が消えた。
 無論そこで攻撃の手を休めるような大天狗ではない。踏み込みでもう一度龍脈を刺激し、広範囲にわたっての地殻の槍を顕現、数十人を串刺しにしつつ片っ端から風の砲弾を撃ち込んでいく。

 儀仗兵たちの生み出した障壁が風の砲弾を緩和し、次いで龍脈へ魔力を混入させてジャミング、なんとか槍の追撃は押さえ込んだ。
 拮抗されるのをもどかしく感じた大天狗はすぐさま魔力の供給を止め、大気操作に全てを費やす。
 幻影を顕現してもよかったのであるが――誰かに見られている状況では、幻影の入れ替わりも意味がない。


傭兵「……」

僧侶「……」

 二人は並んで大天狗に向き直っている。慌ててはいない。余裕をもった、しっかりとした重心移動。当然のように、前に出された軸足へ。

大天狗「小娘ェ、貴様、なにをした」

僧侶「さっきからそればっかりですね。わたしは、何も、していません」

 それは俄かには信じがたい言葉であった。何もなくとも死者が復活するのであれば、この世はきっと、天国か地獄になっているだろう。

傭兵「大天狗の気持ち、わからなかぁねぇがな」

僧侶「わたしだっておんなじですよ」

 大天狗と同様、二人もまた事態を理解しきれていない。僧侶にしてみれば、死んだ人間が生き返っているのだ。蘇生魔法は既にこの世から失われて久しい。どういうことか見当もつかない。
 傭兵もまた、自分の身に何が起きたかは呑み込めたが、そこまでである。誰が、どうやってそうしたか、全く理解の範疇外だ。なにせ彼は上下に二分されて息絶えたのだから。

 理解不能の上で構わないとうっちゃえるのが傭兵と僧侶だった。そんなことは矮小だ。そして矮小なことにかかずらわっていられるほど、彼らの人生に猶予は与えられていない。今まさに寿命の短縮源と対峙しているのだから。


 大天狗はそこでふと思った。全く戦場において場違いな、彼自身どうしてそのような思考が出てきたのかわからないけれど、とにかく、彼は思った。
 そして、思った次の瞬間には口から言葉が漏れていた。

大天狗「お前らは海を見たことがあるか?」

 その質問は恐らく二人の耳には届かなかったのだろう。あるいは、大気操作によって生み出された壁に阻まれてしまったのかもしれない。ともかく、二人からの返答はなく、代わりに突進してくる姿があるだけ。
 大天狗は口角を著しく上げながら大気を身に纏った。それでいいのだ。そうでなければ興が殺がれるところだった。

 迎撃姿勢をとる。猶予が残されていないのは大天狗も同じだ。死の気配が、ひたひたと足音を立てながら、戦場に歩いてきているのを感じていた。それが誰の死であるのかまでは、わからないが。


傭兵「重装歩兵!」

 勇ましく返事をして、黒い鉄鋼を身に着けた集団が前へ出る。その数は先の煉獄火炎で大きく数を減らしていたが、寧ろ数を補うかのように、戦意は高揚しているようだった。吼えながら壁となり立ち塞がる。

傭兵「隙ができたら狙え! 遠慮はいらん!」

 その背後から各々の得物を携えた軽装歩兵が素早い動きで追随する。重力軽減機構を組み込んだブーツによる立体戦闘が持ち味だ。大気を操り武器とする大天狗の前では効果は薄いが、刃の一本でも二本でも食い込めば、そこを足がかりにして追撃ができる。

傭兵「右翼は一旦退け! 両側からカバーしつつ穴を埋めるんだ!」

 救護兵は全力で彼らをサポートする。身体能力向上、治癒、状態異常防御の三重詠唱。じわじわと心身を蝕んでいく瘴気からみなを守るのも彼らの仕事だ。削られては直し、死を水際で食い止め、一心不乱に助け続ける。

傭兵「龍脈遮断は続行! 質より量で戦線を補佐してくれ!」

 詠唱で返事のできない儀仗兵は、けれどより強く念じる。火球を、より多くの火球を。氷塊を、より多くの氷塊を。それが仲間のためになるから。勝利のためにも、救命のためにもなるのをわかっているから。


大天狗「負けるものかぁあああああああああっ!」

 大天狗も負けずに絶叫した。

 拳を振れば竜巻が起こる。風の砲弾を同時に発射し、重装歩兵をまとめて薙ぎ倒せば、その後ろからは傭兵率いる軽装歩兵。縦横無尽に向かってくる刃や穂先や銃弾やその他諸々を、大気操作と障壁で受け止め、避け、最悪でも大事な部分は守る。
 地を踏みしめた。ジャミングすらも押しつぶす圧倒的な魔力量に、龍はまたその鎌首をもたげる。揺れ動く大地の中でも兵隊たちは足を止めないが、押し寄せるような石柱と石錘は墓標に近しい。
 その墓標を砕きながら風の砲弾が兵隊たちを襤褸布へと変えていく。高密度の大気は鉄よりも硬く、羽毛より柔らかい。触れた先から肉を、鎧を、抉り取って呑み込む。

 その隙を塗って、けれど人間たちの猛攻は止まらない。その数を減らし、劣勢であるはずなのに、戦意を失うことはなく。
 傭兵と僧侶が雄雄しく犬歯を剥き出しにしながら、何度目かもわからない吶喊を敢行。そしてそれに続かない兵隊たちはいない。


傭兵「うぉおおおおおおっ!」

 大天狗との距離は三メートル――剣戟を受け流す大天狗の懐に潜り込んでの肘打ち――を障壁で受けられる――がそのまま顔面を蹴り上げながら後方へ脱出、反転してもう一度剣を振るう。
 風の砲弾。そして石錘。正面と足元からの多面攻撃も、傭兵の反応速度の前では大した脅威ではなかった。ただでさえ人外に近しい彼の運動神経全般は、いまや未知の能力で強化されているのだから、猶更である。
 反転しても速度は落ちない。寧ろ加速しているような錯覚に、大天狗も傭兵も陥っていた。傭兵にいたっては、自らの肉体が意識よりも先んじて動いているような心持であった。

 大天狗も当然負けていられない。土壇場にあっても精神は落ち着いている。丁寧に魔力を編み上げ、大気を圧搾し解放、その勢いで神速のカウンター。
 傭兵の剣戟は大天狗の胸の皮を薄く切り裂き、大天狗の風の砲弾は傭兵の太股の肉を殺いで消える。ここまでがおおよそ一秒に満たない次元の戦闘であった。


 九字を切り風の砲弾を生成、龍脈に魔力を注いで蠕動させる。周囲から迫る兵隊たちの腕を掴んで振り回し、なぎ払いながら大気の解放、吹き飛ばし吹き飛ばし吹き飛ばし続けて追撃、顔面を砕いて扇で切断、飛び掛ると同時に石錘の森を生み出して数十人を一気に殲滅。
 煉獄火炎を傭兵は破邪の剣で断ち切った。しかし熱はどうしようもない。僅かに破邪の力が弱まったところに無理やり前鬼と後鬼の腕だけを再召喚、無理やりに有利な距離へと持ち込んだ。
 風の砲弾の連打。それに紛れて大天狗も飛ぶ。速度は依然変わらず目にも留まらぬ神速。大気の圧搾と解放は直角に曲がることすら可能にする。兵隊たちの合間を軽やかに縫い、首の骨を折りながら傭兵の命を狙う。

 斬戟。障壁で受けるが切断された。のけぞって回避、無防備な喉元にナイフが飛んでくるが、軽いナイフ程度なら大気操作で問題はなかった。傭兵は舌打ちをしながら体を小さく折りたたみ、大天狗の腹部を蹴り上げる。
 僅かに届いていない。扇が障壁代わりの壁となり、止めとして上から降り注いだ火炎は儀仗兵たちの氷塊がぎりぎりで打ち消すけれど、既に大天狗は傭兵の左腕を掴んでいる。

 拳を振った。傭兵の腹に穴が開き、血の花が咲く。まろびでるのは半壊した内蔵とその破片。


 ずしんと地面が震える。龍脈ではない。もっと力任せの震動だ。
 強く地を蹴り上げた僧侶が、拳を力一杯に握り締めて向かってゆく。傭兵は最後まで彼女に戦うことをやめるように言ったが、勿論聞くような少女では到底なかった。いやですいやですと言い続け、結局ここでこうしている。
 実力は誰にも及ばない。そんな彼女が生存してこれたのは、無論幸運もある、庇護もある。しかし、何よりも、勇気があった。根性があった。最後の最後で一歩を踏み込める、自分の理想に対しての貪欲さがあった。

 みんなを幸せにしたいと彼女は言い続けてきた。手段はどうであれ、彼女はそれだけを願っている。両親が遂げようとした悲願を、代わりに達成しようとしている。
 悲願が傭兵と同一であると知ったいま、彼女の信条は、より強固なものになった。彼女は決して孤独ではない。嘗て裏切られもしたが、本質はどこまでも善性な少女。

 風の砲弾が直撃し、腹部を大きく傷つけながら炸裂。十数メートル背後へ吹き飛び石柱へ頭から激突、砕きながら生き埋めになっても、血まみれの顔で這い上がってくる。そんな少女に対して大天狗は笑うことしかできない。


僧侶「ここで、負けるわけにはいかないのです」

僧侶「大天狗。あなたを倒して、傭兵さんと、帰るのです」

僧侶「そして、世界を、幸せに……」

 自分が何と口に出しているのか、もしかしたら自分でもわかっているのかもしれない。意識は朦朧、目の焦点があっているかどうかもあやふや。だのに言葉だけは力強い。

僧侶「誰も、泣くことのない」

僧侶「飢えることもない、そんな、幸せな……」

 大天狗にとって殆ど呪詛と化した言葉を僧侶は吐き続ける。妄執染みた全世界的平和、全世界的幸福の追求は、誰もが笑い飛ばしてしまう陳腐な夢だ。不可能な願いだ。僧侶を縛り付けているという意味では、彼女にとっても呪詛に違いない。
 だがしかし、彼女は孤独ではなかった。孤独であるときなど、数えるほどしかなかったといっていい。
 恵まれていたのではない。彼女は仲間を作ったのだ。言葉で、態度で、行動で、理想を語って実際やってみせ、誰もが試み失敗した、陳腐で不可能なその願いを、叶えようとしてきたのだ。

 その姿は愚かだ。愚か極まりない。


 今彼女は、同じように愚かな男の隣を歩んでいる。彼らの生き様は平行線で、交わることはなくとも、一生同じ方向に歩んでいられることを、少女は実は喜んでいた。

僧侶「そんな幸せを願ってどこが悪い!」

大天狗「――」

 刹那、僧侶から一陣の風が吹き抜けるのを、大天狗は確かに察した。
 攻撃ではない。回復魔法でも身体能力向上魔法でもない。ただのそよ風に限りなく近い、だけれど僅かに魔力の篭った、微風。

大天狗「魔法を使っておったか貴様ァッ!」

 正体見たり、と大天狗は僧侶へと飛び掛る。

 そんなはずはないのである。確かに僧侶は放出の才能が圧倒的に、決定的に、欠けている。彼女が魔法を体外へ排出することは、絶対的に不可能である。

 だが、蘇生も回復も身体能力向上も、全て僧侶がいるためだった。

 この矛盾――否、矛盾と思っているのは、あとにも先にも大天狗ただ一人。


 それは狭義の魔法ではなかった。僧侶は呪文を詠唱していないし、詠唱破棄のための符も使用していない。特殊な簡略化の手順を仕込んでいるわけでもなければ何らかの行動と関連付けているわけでもない。
 それでも確かにそれは魔法なのだ。僧侶が常に、無意識に、行使し続けてきた、この世で最大最強の魔法。

 彼女が傭兵のことを想っていたように。
 彼のことを、なんとかしてあげたいと思っていたように。

 彼女の必死な声を聞いた全ての人間が、彼女の力になりたいと感じる魔法。
 そのためには死の淵からさえも這い上がってくる力を与える魔法。

 僧侶が魔法の放出をできないと言ったのは正しいが、同時に正しくない。常に彼女は魔法を放ち続けていた。それは誰もが才能を持っていて、けれど習得の難しい魔法だ。まず第一に、真摯であらなければならないから。

 既に失われた蘇生魔法、そして集団完全治癒魔法。僧侶自身が唱えたわけではない。しかし結果として、僧侶はそれを「引き出した」。


 いまこの場にいる誰もが、僧侶を助けてやりたいと感じている。支えてやりたいと感じている。そこに下心は一切ない。当然だ。一生懸命にもがいている人間を助けたいと思わない人間が果たしているだろうか。
 そのためには、生き返ることだってやぶさかじゃない。

 そして、魔族である大天狗には、そんなこと到底思いつきやしない。個体の強靭さは社会性と反比例する。彼にとって唯一存在する社会性の規模はせいぜいが「同属」という血の概念に囚われている。もしくは、目的を一にすれば、あるいはといったところ。
 魔王に付き従えているのだって所詮は序列によるのだ。無論、彼らの目的である生活圏の拡大という相互利益のためでもあったが、決して仲間意識があるわけではない。

 ゆえに戦えば戦うほど大天狗は混乱していく。劣勢に陥るにつれ、彼らの強さが向上しているように思えていたのだ。
 だがそれも人間側の視点から考えればあっさりと理由は知れる。負けそうになった時こそ、強く「負けてやるか」と願うものだから。

 だから。




「俺は何度でも立ち上がる」

「俺たちは、何度でも立ち上がる」



 振り返った大天狗が真っ先にしたことは最大の力で煉獄火炎を打ち込むことだった。ここで逃げるという選択肢が出なかったのは、単に彼にとって、この戦いがそんな軽いものではなくなったからにすぎない。
 殺すか、殺されるか。そうやって決着をつける以外、納得できないと感じたから。

 氷塊の嵐と密集した重装歩兵が火炎を打ち消し、受け止め、相殺していく。

 飛び掛っていく軽装歩兵。大天狗が大気と大地を操作して応戦するが、全くもってその数は足りていない。

 救護部隊は瘴気を魔力に変換し、前衛にブースターとして送り届けている。重装歩兵の火炎耐性もこのおかげである。

 風の砲弾を周囲に展開させながら、大天狗は叫んだ。

大天狗「ふっ、ふはは、ふはははははははっ!」

大天狗「天晴れ! 天晴れ!」

 そして砲弾を放つよりも先に、傭兵の刃が胸元を貫いた。
 一気に横へと引き裂いて、心臓と肺腑を根こそぎかき回していく。

 ぐしゃりと倒れる大天狗。そこへ降り注ぐ火球と、氷塊と、数多の銃弾。仮にも相手は四天王、何があるかわかったものではないと言う風に。

 今わの際、大天狗は小さく、「あぁ」と呟いた。その言葉のあとに何が繋がるのか、わかるのは恐らく本人のみだろう。


 後に待っているのは静けさだった。耳鳴りのするような静寂。煙が晴れるまでは誰しもが警戒を解けず、煙が晴れてなお、警戒は解けなかった。大天狗はそれほどまでに強大な相手であった。
 剣を突き刺した当人の傭兵でさえも「……やったのか?」と呟く始末である。けれど結果的に、彼のその一言が全員の緊張を解いた。疑問系は次第に伝聞調になり、ついには「やったのだ」と断定になる。

 やったのだ。

 ついに、大天狗を倒したのだ。

 これで全てが終わったわけではないというのに、傭兵は溢れ出る涙を止められなかった。全身から力が抜けて、もっとしゃんと胸を張って、天国にいるエルフと神父に誇らしげに宣言してやりたかったのに、体が言うことを聞いてくれない。
 気がつけば僧侶が傭兵を抱きしめ、頭を撫でていた。そんな僧侶もまた、涙を流している。

 恥ずかしかったが、なに、気にすることはない。理性で生きる人間であれど、理性で止められないこともある。
 なにより、その場にいた全員が、喜びに打ち震えていたのだから。

 二人は日の暮れるまでそうしていた。

――――――――――――――――――――
今回の投下はここまでです。
さようなら大天狗

これで一応本編は全て終了です。あとはエピローグのみ、ということになります。
少し早いですが、これまで読んでくださったかたがた、ありがとうございました。

おいおいまだ魔王と残りの四天王がいるじゃないか

僧侶の魔法の原理が少し分からん
はちゃめちゃな魔翌力は実は少しだけ漏れ出してて、それに僧侶の真摯な祈りが周りとその場の死者が呼応して起きたってこと?

僧侶のウイッシュによって
チャームやリザレクション、キュアオール、フィジカルエンチャントが励起されてるのか
凄いな……


※ ※ ※

 松明の炎に照らされ、夜の大森林は十分な光源を確保できていた。
 その中を死体が運ばれていく。

 行き先は様々だ。家族のいた者は家族の下へ、多額の見舞金と共に。家族のいない者は、共同墓地に弔われる。
 PMCなんていう汚れ仕事に望んで就くようなやつらだ、何よりも金が入用な身の上ばかりなのは、入社時の身辺調査であらかたわかっている。遺言をしたためている者も多い。処理はスムーズに進むだろう。
 慣れてきた自分に嫌気が差す。もっと強ければ、死人を減らすこともできたろうに、と思ってしまう。個人の強さを追及するのはやめたというのに。

 僧侶は俺の服の裾を掴んで、けれど視線は運ばれていく死体たちに真っ直ぐ向けられている。どこまでも真摯なやつだ。こいつには直接関係のないはずの数百人に対し、いちいち泣きそうになっている。
 助けられたと、そう思っているのだろう。いや、俺だって彼らに随分と助けられた。でなければ、死体袋に包まれているのは、俺のほうだったのかもしれないのだ。
 そんなこいつだからこそ俺たちは再び立ち上がれたのだろうと、なんとなく思った。根拠もない、推測ですらない、単なる妄想。それでも確かに、こいつのためならば死の淵からだって生き返ってみせようと思えるのだった。それが俺の推測を後押しする。


 死体を運搬する社員を取り巻くように王国軍がいた。こちらから頼んだのではないものの、割かし早い段階から王国軍は大森林における大規模な戦闘を察知していたようで、どうするか判断しあぐねている間に夜になってしまったとのこと。頭でっかちも大変である。
 警護も見送りも俺の会社で足りている。変に貸し借りを作りたくはない。ただより高いものはないのだから。そう言ったところ、大天狗を倒した我が国の英雄たちに対して何もしないなんてことはできないと言われてしまった。
 英雄、ね。俺は様々な感情を一緒に吐き出すつもりで深呼吸する。勇者だとか、英雄だとか、それに類する言葉を金輪際身に纏うつもりはなかったのだが。

僧侶「傭兵さん」

 ようやく僧侶はこちらを見上げた。瞳をうるませ、鼻頭は真っ赤になっている。全く子供の泣き顔だ。
 思わず笑ってしまった。

傭兵「鼻紙やろうか」

僧侶「デリカシーがなさすぎますっ!」

 これでも額ざっくりやって、傷跡が残らないか心配なのに、と僧侶はぷりぷりしながら言った。自らのことを心配できる程度には余裕が出てきたのだろう。僧侶にとっては、逸れはかなりの余裕ということになる。


 確かにこいつはずっと牢屋に囚われていたのだろうし、もしかしたらこうやって外に出て空気を吸うことすら待ちわびていたのかもしれない。それを思えば僧侶の喜びはわからなくはなかった。

 変な空気になってしまったのを避難するように僧侶はこちらをじろりと見てきた。なんだよ、まるで俺が悪いみたいじゃねぇか。
 いや、事実そのとおりなのだけれど。

僧侶「もう、こんな空気で言いたくないんですけどぉ……」

 不承不承といった感じで俺の前に立つ。背の高さはあわないが、見上げるように真っ直ぐ視線を合わせて、

僧侶「ありがとうございました」

 と言った。

 こいつらしいと心底思うと同時に、何を言ってるんだかわからなくて笑ってしまう。

傭兵「そりゃこっちの台詞だ。お前がいてくれたから俺たちは勝てた。お前のおかげだ。ありがとう」

 言い終わるか終わらないかという時点で僧侶は途端に顔を真っ赤にして俯いた。肩がぶるぶる震えている。
 確かに似合わない台詞だと自覚しているが、それにしたって露骨に笑いすぎじゃないだろうか。お兄さん、少し傷ついちゃうなぁ。


僧侶「も、もっかい!」

傭兵「は?」

僧侶「よく聞き取れなかったので! もっかい!」

 ?
 よくわからないこと言う僧侶であった。
 まぁもう一度言うくらいなら全然構わないが。

傭兵「お前がいてくれたから勝てた。お前のおかげだ、ありがとう」

僧侶「ど、どう、いたしまして!」

 やっとのことで挙げた僧侶の顔は表情筋が全く仕事をしていなかった。緩みきって蕩けきっている。湯煎にかけたチーズにすら勝てるだろう。
 こいつは馬鹿なんじゃないかという単純な事実に、俺はここでようやく気がついた。

掃除婦「お取り込み中失礼しますわ」

 甘いものを無理やり喰わされたような顔をしていた。
 掃除婦は露骨にベロすら出して、全く申し訳なさそうな顔をせずにこちらへやってくる。事後処理の話やら今後の話やら、積もる話は沢山あるのだ。それを無視して僧侶とぐだぐだしていたというのに。

掃除婦「いい報せとよくわからない報せの二つがございますが、どちらから聞きますか?」

傭兵「……よくない報せじゃなくてか」

掃除婦「えぇ。よくわからない報せでございます」

 よくわからないのは俺も同じだった。


傭兵「じゃあよくわからない報せから頼む」

掃除婦「傭兵様に客人ですわ。王国軍から」

 王国軍のお偉いさんとは一通り顔を通したはずだが、いまさら誰が俺に会いに来たというのだろう。確かによくわからない。

傭兵「いい報せってのは」

掃除婦「そのお客人からお聞きになってくださいな」

 それは二択の意味がないんじゃねぇか、と口に出すよりも早く、掃除婦はバックトラックで消えていた。どうにもあいつのことはいまだに理解できていない。まぁ高位の魔法使いなんてのは大抵どこか欠落しているものだが。

「やあ」

 と、松明の炎を背に、声がかけられた。

傭兵「……」

 あぁ、そうか。心のどこかでそうなのではないかとうっすら感じていた。

傭兵「久しぶりだな」

 厭味ったらしい笑みを浮かべてやると、困ったように騎士は笑った。


騎士「あぁ、あの村以来だね」

傭兵「てめぇの銀貨のせいでこうなったんだが?」

騎士「ぼくの銀貨のおかげでこうなったんだろう?」

 どちらも正しい。銀貨がなければもっと手順は煩雑化していただろうし、銀貨があったせいで僧侶なんて爆弾を背負い込んでしまった。
 ……いや、違う、か。

 観念する。自分に嘘をつくのはやめだ。無駄にストレスを溜め込むなんてばからしい。

傭兵「わかった、わかったよ。お前のおかげだ。全部な」

僧侶「……あの、どういうことなんですか?」

 不安そうな顔で僧侶が言う。俺は説明すべきか逡巡したが、結局かいつまんでやることにした。でなければこいつはいつまでも不安顔だろうから。

騎士「わかりやすくするために、自己紹介をしておこうか。ぼくは騎士。王国軍の遊撃第三部隊の隊長を務めている。階級は少将」

傭兵「遊撃第三部隊……言うなりゃ隠密工作の専門家だ。しかも、政治よりの」

騎士「なんでもやってこの王国を守ることが使命なのさ。で、まぁ、その、なんだい。そのためにきみたちを利用させてもらった」


傭兵「っつーわけだ。……党首を倒した後、兵士たちに連絡を取ったのもお前だな?」

騎士「そのとおり。あそこできみたちをどうにかしてしまっては、勝てるものも勝てなくなる。ひいては大天狗にもね」

僧侶「……?」

 僧侶はよくわかっていないようだった。こいつはどうして聡明なくせに権謀術数にだけは疎いのだろうか。
 いや、わかっている。みなまで言うな。実直すぎるのがこいつの美徳なのだ。その魅力を潰して欲しいとは俺だって思っちゃいない。思っちゃいないが、流石に頭の一つもはたきたくなる。

僧侶「……傭兵さん?」

傭兵「銀貨を渡せば俺はお前と一緒になる」

僧侶「え?」

傭兵「は?」

僧侶「いえ、なんでもないです。続けて、どうぞ」

 なんだこいつ。


傭兵「そうすれば、ラブレザッハまでお前はたどり着けるだろう。反乱が起きる。こいつらはそれを一網打尽にする算段だったんだ」

騎士「えぇ。地下で動くネズミは捕らえ辛いですから。ただ、まさか党首が序列上位とは思いませんでした。それが唯一にして最大の失敗ですね」

傭兵「というこった。正直、ただで利用されたのはむかつくがな」

 それはつまりただ働きということだ。この俺がただ働きなどあってはならない。神ですら金を要求するのが俺だというのに。

騎士「わかってますよ。だからこうしてやってきたんじゃないですか」

傭兵「……それが、いい報せってやつか」

騎士「はい。いやぁもう大変だったんですから。宥めて賺して利害を話して、それでも首を縦に振ろうとしない上層部には、もう殆ど脅迫ですよ。ここまでしたんだから許してください」

傭兵「いや、わかった。それなら言うことはない」

僧侶「二人ともさっきから空中戦をしないでくださいよ! わたし一人がおいてきぼりじゃないですか!」


騎士「僧侶さん。あなたに対して恩赦が下った」

僧侶「……は?」

 口をぽかんとあけて、頭の悪そうな顔をしている僧侶だった。

傭兵「それだけじゃねぇぞ。アッバ州……プランクィとお前らが呼んでた土地、あそこを丸ごとくれてやる」

僧侶「はぁ!?」

 理解不能がきわまったのか、ついに爆発して声を荒げだした。

僧侶「どういうことですか、どういうことなんですか! いきなり物事がとんとん拍子に進んだって、ぜんぜんわかんないです信じられないですどういうことなんです!?」

傭兵「俺は世界を平和にするといっただろう」

 そう。それこそが俺の行動原理。
 世界の平和を乱す筆頭は魔王軍だけれど、それが唯一無二ではない。姿形のないもので言えば、病気や貧困もまた平和を乱す害悪である。そして姿形のあるものでは、たとえば現在なら、反王国ゲリラが該当するだろう。
 僧侶を助けたかったのは単に私的な理由だけではない。僧侶が俺には必要だった。この世界を平和に保ち続けるための一本の杭として。

傭兵「プランクィを再興しろ。そこにゲリラを全員集めて、もう一度共産主義をやれ。なぁに、お前が全国に声明を発表すれば、すぐに集まってくるさ」


 下手にゲリラ活動に精を出されるよりは、僧侶と一緒に畑を耕してもらったほうが、よっぽど安全と言うものだ。騎士も言ったが、地下のネズミはどうにかして地上に顔を出してもらいたいと言うのもある。

 僧侶は信じられないという顔で俺を見ていた。あ、こいつ泣くな、と感じた瞬間にその瞳に涙が溢れ出す。

僧侶「ようへいさん……」

傭兵「礼なんていらねぇよ。これも仕事だ。ゲリラを潰せと言われたから、一番楽な方法を選んだに過ぎん」

僧侶「ありがとうございます!」

傭兵「だから礼を言われる立場にねぇってんのに……」

 感極まったのか俺に向かって突進してきた。避けられない速度じゃない。大天狗に比べれは遅々としている。
 ……が、ここで避けようものなら、避難轟々は予想に難くない。冒頭でデリカシー云々と貶されたがそれくらいは俺にだってわかる。いや、大天狗と比較した時点でデリカシーなどと口に出せる立場ではないのかも。

傭兵「あー! しゃあねぇなぁ!」

 俺は大きく両手を広げた。


* * *

僧侶「だぁかぁらぁ……依頼された仕事とは関係のない移動、戦闘、家漁りはやめてくださいと何度も言っているでしょう! 事務処理してるわたしのことも考えてください!」

僧侶「はぁ!? 『控えた』? わたしは『やめてください』と言ったんですよ! 言葉がわかりますか!」

僧侶「じゃなくて……もう! 戦果拡張って言葉では絶対ごまかされたりはしませんよ! 十回の出撃で八回戦果拡張してくるってどれだけですか! 先月なんてそっちからの収入のほうが大きかったんですからね!?」

僧侶「だめです! だめったらだめなんです! 違法な会社は正当な手続きによって敵対的買収してください! 金庫を破るのも、集めた証拠で強請るのも、どっちも認めません!」

僧侶「……え? 麻薬? 違法拳銃? ……いや、でもですね。……だって……そんなこと言われても……や、わかりますよ? ですが……はい……まぁ、それなら……うーん、仕方がないとは、はい……今度こそ守ってくださいね?」

傭兵『ちょろいな』

 電話越しに傭兵さんが呟きました。一体何のことでしょうか。


 すっかり毒気を抜かれてしまったわたしは受話器を置いて椅子から立ち上がります。窓から差し込む陽光を浴びながらの伸び。体中の骨がぽきぽきと鳴りました。随分と固まっていたようです。
 そろそろ畑仕事に移りましょうか。そう思っていたところ、扉がノックされました。この元気のいい感じのノックは……。

僧侶「どうぞ」

商人娘「やー、お世話になってます!」

 商人娘さんは以前と変わらぬ快活な笑みを浮かべて、大きく手を上げました。わたしもあわせてハイタッチ。

僧侶「どうですか、商いのほうは」

商人「ぼちぼちですねー。爪弾きものにされてる感じはまだありますけど、口に出されないだけマシですよ。カミオインダストリーの庇護もありますしね。王国だって、下手に刺激はしたくないでしょうし」


 あれから二年たって、新生プランクィには徐々に人が充実しつつあります。最初はどうなるものかと思いましたが、州総督派、国王派両方からの支援もあり、特に大きな混乱もなくゲリラに身を窶していた人々はプランクィへと終結したのです。
 しかし問題はそれからでした。党首との戦闘によって土地は荒れていましたし、何よりわたしたちはどこまでいっても所詮反政府団体です。商人娘さんの言うように、腫れ物扱いは仕方がない側面もあります。
 まずはその悪い印象を取っ払うことが先決でした。風評被害であるならば憤慨もできましょうが、王国に牙を向き、内乱を先導していたのは紛れもない事実。返す言葉もありません。

 まだ完全に悪い印象が消えたと言うわけではありませんが、当初に比べればだいぶましです。最近は計画的に商品作物を作り、他国へ販売などもしています。勿論その利益は国民に還元できるよう、いろいろな人が日夜頭を悩ませているのでした。
 その悩みはたぶん幸せな悩みです。誰かを幸せにできるお金の遣い方があるというのを、わたしは初めて理解しました。


商人娘「あ、そうだ! 前に言ってた可愛い服、仕入れてきましたよ!」

 大き目のかばんからしっかりとした紙に包まれた一塊。そうでした、この間雑談の中で、可愛い服を持ってくると話をしていたのです。
 てっきり話の流れでの冗談だと思っていたのですが……うーん。これを受け取ってしまえば、解釈によっては賄賂になってしまいますし、金銭のやりとりもプランクィではなるべく最小限にしています。
 みんなの先頭に立つべきわたしがそんなでは、この国の規範なんてざるのようなものです。申し訳ないのですが……。

商人娘「もう、お堅いんですねぇ。ま、でも、それくらいじゃないと勤まんないですか」

商人娘「じゃあこれは私がここに忘れていったってことにします!」

僧侶「そういう裏口っぽいのも好きではないんですが……」

商人娘「でも、傭兵さんだってイチコロですよ」

僧侶「なんであの人が出てくるんですかっ!」

 ほんとに、ほんとにもう!
 みんなわたしと傭兵さんの仲を勘繰りすぎです。顔が蕩けている? 声が甘ったるい? そんなわけないじゃないですか! まったく!


僧侶「……」

 ちらりと見えたその服は、ベージュ色の綿でできた貫頭衣でした。カジュアルっぽく、それでいて所々に細かい刺繍が入っていたりして、ちょっとだけガーリーでもあります。確かに、かわいい。

僧侶「……今度買いに行きましょう」

 それが最大の妥協点でした。

 そうして商人娘さんと一緒に畑へと出ます。ちょうどジャガイモの花が咲く季節でした。地面を這う蔓のところどころに白と黄色のかわいらしい花がついています。
 畑の中には何人かの農家のひとびとがいて、少し離れたところには、珍しいことに農協組合長さんと商人ギルド長さんがいました。外部との折衝などで忙しい二人がそろって畑に顔を出しているのは稀です。
 わたしがあちらを見つけると同時に、あちらもこちらを見つけたようです。ギルド長さんは相変わらず艶かしく、組合長さんは無愛想に、挨拶をしてきます。

 のどかな風景です。静かで、楽しそうで。豊かとは決していえませんが、誰も飢えることのない世界。完璧だと胸を張ることはまだできそうにありません。ただ、ここが足がかりなのだと、なんとなく感じています。
 思わず顔が綻んでしまいました。なんでもない光景が一番大事なのだ――陳腐で使い古された表現でしょうが、ある種の真理がそこに潜んでいるからこそ、それは陳腐になり、使い古されているのです。

 ぽかぽかのお日様の下での、こんな平穏が、わたしと傭兵さんが求めていたものなのです。
 維持し続けなければいけないものなのです。

 さぁ、今日も一日頑張りましょう。
 それが世界を幸せにするのですから。


<END>

――――――――――――――――
めでたし、めでたし

これでエピローグも終了です。1スレで終わってよかったと安堵をしつつ、思ったよりレスがついていて、
また過去作を読んでくださっていた方が多く驚きました。

処女作とは構造的に色々意識して作っています。また、執筆中にであった作品に引っ張られたりしている部分も多いでしょう。
バルドスカイとか、相州戦神館學園とか。

後半はライブ感溢れるので色々齟齬に気づいたりもしましたが、それもこういう形式の魅力と思って、特に言及はしないことにします。
読んでくださってありがとうございました。

次回作は傭兵と僧侶がひたすらいちゃこらするだけの短編を予定しています。
それと前後して、いくつか短編を投下したいとも思っています。現時点の構想では以下、
艦これ二次「比叡が沈んで」
オリジナル青春モノ「喪服の少女と白殺のイマジンブレード」
もし見かけましたら一読ください。

重ね重ね、いままでお付き合いくださいありがとうございました。

>>907 >>908
設定的には
「僧侶がみんなを幸せにしたいと強く願う」「誰かが僧侶の願いを叶えてあげたいと強く願う」
この条件を満たした場合において、後者の願いの強さに応じた効果が個々に対し発動する、というものです。

僧侶にできるのは呼び水だけ……というか、両者の協働行使魔法に近いものだと思ってください。
本文中では、僧侶の真摯で一生懸命な姿勢を指し、誰かに強く影響を与えると言う点において「魔法」と評しています。
が、実際にチャーム的な魔法であるわけではありません。

んー、描写が足りなかったかー。申し訳ないです

あと、魔王と残りの四天王出すのは勘弁してください死んでしまいます。出さない前提で能力盛った感もあるので

スレは埋めがてら雑談にでも使ってください。HTML依頼も出してきます。

>>925
思想も含めて僧侶的な魔法だな

つまり、あの場において魔法の効果を最も享受したのは傭兵かな
ってことは効果は一人一人まちまちなんか

僧侶自身にその魔法の効果はあるのか?


これ魔王軍とかどうなったの?倒した後?

いやー面白かった!
ずっと追っかけてきて良かったわー
ところで三代目勇者と赤毛ちゃんが殺されたくだりの種明かしがまだなような

打倒大天狗のために兵器工場を潰させないとかそんな理由ですかね?
結構な手練れのはずの二人がどうやって倒されたのかも気になるとこです

>>929
僧侶自身に効果はないです。あったら多分、周囲に効果は及ばないでしょう。
弱くて力のないものが頑張っているからこそ、助けたいと思うのでしょうし。
そういう意味では意識的に「かわいい」造詣を僧侶に施す必要があったとも言えます。

>>934
その辺は特に考えてないです。2年でどこまでいけたのかは各々の想定で問題ないかと。

>>936
明示してはいませんがそれであってます。
勇者あたりのくだりは料理の仕方を間違えましたね。

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