とある科学の魔法少女~Die erste Walpurgisnacht~ (171)

とある魔術の禁書目録の学園都市内に主にいるメンバーで魔法少女やったりやらなかったり。

上条さん一方さんがメイン? 超電磁砲組も出したいけど、どうなるか分からん。
当社比ほのぼの路線で行くつもりだけど、うっかりホモになったらごめん。

週1回くらいは更新できるといいな。
携帯とPC半々くらいで書いてるから見にくい部分あると思う。

キャラの口調間違えてたら指摘お願いします。では始めます。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1399668632



「……時間が無いんだ……俺は願いを叶えるまでもたない……俺が貯めた分、全部お前にやるから……お前が、やってくれ」

 雨が降っていた。
 瓦礫の中で仰向けに倒れている少年に、それを上から覗きこむ震える肩に、どんな感傷も許さず平等に、ただ降っていた。

「……泣くなよ……頼む。お前がやるんだ」

 ゆっくりと上げられた手が、覗き込んでいる顔を隠す前髪を無造作にかき上げた。

「お前が……みんなを救うんだ」




 友の額に触れていた手が落ち、ワルプルギスの夜が終わる。









【最初のワルプルギスの夜】






 上条当麻は辛くも二年次に進級した。これはひとえに担任副担任及び関係各位のたゆまぬ努力によるものであり、無残な成績及び出席状況を進呈し続けた学徒当人は海より深く謝意を表明するものである。

「上条ちゃん、今年こそちゃんと授業に出るのですよー」

 謝意を表明するものであるので、勿論上条は反論しない。俺にはどうしようもなかったんですとか、世界がやばかったんですとか、そんな言い訳はしない。項垂れる上条をニヤニヤと見ている二人、土御門元春と青髪ピアスは今年も同じクラスだ。

「はーい。じゃあ、朝礼に戻りますー。あまり転校生ちゃんを待たせてもいけないですしねー」

 小萌の言葉に教室が沸き立つ。毎度のことながらノリの良いクラスメイトたちだと上条は思った。

「喜べ子猫ちゃんたち! 男子は残念でした! じゃあ鈴科ちゃん、入って来てくださいー」

 鈴科。
 聞き覚えのある苗字だと上条は思った。どこで聞いたんだったかと思い出す前に転校生は入って来る。
 白い髪、赤い目、杖で支えられた華奢な体、名前とは裏腹にその容姿は見覚えのありすぎるものだった。

「ア、アクセ――」

 バーンと間抜けな音を立てて、どこか別の学校のものと思しき鞄がウニ頭と激突した。中身がほぼ空だったのでダメージは然程ないが痛くないわけではない。というか、しっかり金具部分が当たるという不幸のせいで部分的には凄く痛い。
 つかつかと杖の音が近付いてくる。それに向かって上条は理不尽を責めようとした。

「おま、何すんだよ!!」
「……今から自己紹介すっから、ちゃんと聞けクソ野郎」

 上条が顔から剥がした鞄に体重を乗せるように手を置いて、学園都市二三〇万分の一、超能力者序列第一位は堂々と嘘を吐いた。

「名前は鈴科九十九(すずしなつくも)。能力はレベル2の肉体強化。……よろしくお願いしまァす」

 最後に取って付けたのは黄泉川が言って含めていたのだろう。彼の背後、教卓で小萌が「よくできました」という顔で見ていた。


『髪と肌と目の色は肉体強化能力を制御できなかった弊害であり、元々あまり動かない体を能力と医療機器とで補助しているのでレベル2とは言っても常人より何かできるというわけではない』

 能天気なクラスメイトに囲まれた一方通行が断片的に答えた情報を総合すると、そういう設定らしかった。投げやりに答えていたように見えて、全面的に嘘でもない辺りそれなりに練られた設定だ。
 考えたのは誰だろう、と上条は彼の同居人の面々を思い浮かべる。悪いが、一方通行は演算能力の高さとは裏腹に、こういうことを考えるのはあまり得意とは思えなかった。
 午前の授業を無事に終えて、彼らは屋上に来ていた。教室の中で居心地悪そうに縮こまっていた一方通行のためでもあるし、話を聞きたい上条のためでもあり、それを面白がっている土御門のためでもあり、つまり三人の利害の一致だった。(青髪ピアスは吹寄と何やら揉めていたので置いてきた。)

「わりとグレーゾーンじゃないかにゃー? お前の学籍はそう勝手に動かせんだろ」

 土御門がからかい口調で探りを入れる。もっとストレートに訊けば良いのにと上条などは思うのだが、それなりの理由があるのだろう。

「ほぼ黒の灰色だが、学籍に関しては先にまずい事やってンのは向こうの方だ。今さらとやかく言われる筋合いねェよ」
「まずいこと?」

 ストレートに訊いた結果、屋上に沈黙が流れた。ちらちらと白髪と金髪の二人が目で会話している。どうでもいいことだがサングラスでよくあれだけ正確に視線が掴めるな、と蚊帳の外の上条は感心した。

「……上条さんは何かおかしなことでも言いましたでしょうか」
「イヤ……」
 そォじゃなくて、と一方通行が言い淀む。いつもぶっ飛んだことばかりしている超能力者の筆頭にしては珍しい反応だと上条は思っていたのだが、殊勝な様子は長くは続かなかった。

「話を変える」
「あれ!? 変えようじゃなくて断定形で来ましたよ!? っつか、ごまかすも努力ゼロか!!」
「オマエ相手に気ィ遣うとか無理なンでェ……」
「俺だけじゃなくて人類全般に遠慮したことあんのかよお前!!」

 隣で馬鹿笑いしていた土御門が収拾をつけた。
「まーまーカミやん、人それぞれ言えないこともあるってこった」

 隠し事の多い土御門が言うと説得力があるな。上条と一方通行の思いが一つになった瞬間だった。

「そういや」
「あン?」
「打ち止めは高校には来ないだろうけど、あの子は? あの、ほら、大きい御坂……」
「そいつの話は」
 すンな、という声にかぶって屋上のドアがガンと開いた。

「第一位ぃぃぃぃぃぃ!! いるのは分かってんだからね!! 出て来い!!」

「デケェ声で呼ぶな!! ってか俺ンとこ来ンな!!」
「ミサカあなたしか知り合いいないもん!!」
「昨日の威勢はどォした!? ってーか、そォ言って絡んでくンなって言ってたのはオマエだろ!!」
「理屈っぽいなあもう! これだから童貞は」
「オマエが言えた立場かよ!」

 黄泉川先生の計らいか、番外個体は別のクラスに転入していたようだ。確かに、家族や親戚は別のクラスに分けるのが普通だよなと上条は納得する。そして
(……家族、か)
 ごく自然に彼らを家族と認識している自分に、ほんの少し驚きを覚える。去年の夏から本当に色んな事があった。この春の先に、また違う夏が来る。それは去年の夏からの記憶しかない上条には新鮮だった。

ホゥ…これは期待!


 当初の懸念を他所に、身分を隠したままの超能力者は何の変哲もないクラスに馴染んでいった。上条は不安に思っていたのだが土御門はそうでもなかったようだ。というより、まずいことが起きる前に土御門が先回りしていることが多いと言うべきか。一方通行が詰まると土御門が手を出すか、土御門の方を垣間見てどうにかなっているようだった。のらりくらりとしているようで、あの猫アロハはバランサーとしてしっかり働いていた。

 学校帰りにクラスメイト数人でゲーセンに寄ろうとお決まりの話を上条たちがしている時だった。いつも面倒だとか用事があるとか言って早々と帰る転入生を今日こそは引っ張って行くと青髪ピアスが息巻いている。繁華街にだいぶ近付いた大通りで上条はピンク色のジャージを発見した。隣にはスキルアウトそのものといった茶髪の青年もいる。

「よお。浜面、久しぶり」

 ごく自然に声をかけた上条に対し、浜面はまず普通のクラスメイト連れの知人から声をかけられたことに驚き、次に第一位が学ランを着ていることに驚いた。顔を見るまで気づかなかったのは一方通行が学ランの下にフード付きの服を着て白髪を隠しているからだろう。杖をついているだけなら血気盛んな学生の街ではそう珍しくない。
 浜面は序列を呼んでしまうという失言をしなかった。空気を読む能力が上条より高い証拠でもあるし、彼の場合、空気を読まないと命が危ない女性陣と同居しているから身についたものかもしれない。

「青ピー、悪い。やっぱ俺と鈴科抜けるわ」
「なんや、カミやんもかいなー」

 文句を言う青髪ピアスを土御門が引っ張って行く。浜面より、連れの滝壺の方が話がありそうだった。ピンクのジャージから伸びる指先が一方通行の学ランの袖を掴んでいる。一方通行はというと、何の他意もなく掴まれてしまって対処に困っている様子だった。

「ふわーってしない?」
「……はァ?」
「あー、第一位、滝壺はちょっと……変わってて……」

 困惑する超能力者に構わず滝壺は話を続ける。

「何かが覆ってるの。でもそれが何か分からないの」
「誰かの大掛かりな能力が展開してるって言いてェのか?」

 滝壺が頷く。
 相変わらず第一位の翻訳能力は凄まじいなと上条と浜面は思った。

「お前、今のでよく分かったな」
「第一位はもう何と会話してても驚かねえ……」

 茶化す無能力者二人を一瞥し、特殊能力者二人は情報交換を始めた。

「危険だと思うのか?」
「ううん……危険とは思わない……でも観測したことない……というかAIM拡散力場かどうかも分からないの」
「新種の特殊能力が暴走してるか、」

 そこで鋭い赤の視線と茫洋とした黒い瞳が上条を見る。

「魔術の可能性だなァ」
「魔術?」

 同じ言葉を復唱した上条と浜面だが、含む意味はかなり違った。魔術も超能力も等しく原理に対しては理解不能と割り切って距離を置いている浜面と、同じく理解はできないものの関わりが深過ぎてある程度の知識は持ってしまっている上条だ。

「インデックスは何も言ってないけど……」
「あの白いシスターは別に感知系ってわけじゃねェだろ。魔術師にはそンな系統ねェのかもしンねェけど」

 確かにそうだなと上条は思う。これまで見てきたことからの憶測でしかないが、魔術師が目や耳に表れない魔術を感知しようと思ったら土御門のようにそのための術式を組み上げる必要がありそうだ。学園都市の能力者たちのように自分の系統の力場から常時影響を受けるという感じではない。

「あくせられーたは何も感じない?」
「俺は最近能力使ってねェし……」

 一瞬、白い手が首元のチョーカーに伸びかけたが、半分ほど上がったところで止まる。無能力者二人は怪訝に思ったが「何か分かったら連絡する」と言った声に深追いを拒まれた。




 他の用事があるらしい浜面たちリア充と別れ、上条と一方通行は駅へ歩く。青髪ピアスたちに引っ張られた結果、学校から若干離れたところに来てしまい、杖をついている少年が歩くのを嫌がったからだ。
 無言で足を動かすことを苦痛に感じるような性格でも関係性でもない二人はしばらく付かず離れずの距離を保っていたが、上条が少しだけ間を詰めた。

「なあ」
「ンだよ」
「学校楽しいか?」

 柔らかい声音に足が止まりかける一方通行だったが済んでのところで平然とした顔を取り繕う。

「……クッソつまンねェ」
「ははっ。分かりやすい回答どーも」

 上条は隣を歩む転入生が彼らのクラスを気に入っていることを知っている。聞くまでもなく、毎日顔を合わせていれば判るのだ。判らないのは、それを本人がどう脳内で処理しているかだった。

 普通の教室を体験したことの無い人間が高校二年の教室に突然放り込まれて困惑しないわけがない。去年の二学期の上条は体が普通の学生生活を知っていたから、頭から情報が抜け落ちてもどうにか切り抜けられた。今の一方通行はその逆、人から聞いた話や遠目に見た情報で普通の学生生活がどういうものか朧げに知ってはいても、体験したことのない空気に体が馴染まない。どことなく無理をしているのが感じられた。

「学校って疲れるし面倒くさいよな。早起きしなきゃいけねえし、クラスは騒がしいし、授業は眠いし」
「一週間ほど見た感想だが、オマエはもォ少し授業聞かねェとまずいンじゃねェ?」
「ごもっともでございます」

 謝罪会見の重役のような調子で頭を垂れる上条に、一方通行が溜め息を吐く。

「知ってることばっかの授業はたりィし、オマエのクラスのやつらはうっせェし、黄泉川は風紀委員入れとかバカなこと抜かしやがるし」
「風紀委員に入るのか!?」

 驚嘆と歓迎が半々くらいの割合で聞き返す上条を、一方通行は「ンなわけねェだろ」と切って捨てた。

「俺があンなおままごと組織に入ってどォすンだよ」
「そりゃお前から見たらままごとに見えるかもしんねえけどさ」

 上条の知る風紀委員、白井と並んで腕章を付けている一方通行を思い浮かべる。治安維持組織という厳つさより微笑ましさを覚えるあたり、やはり上条の目からも超能力者の第一位が風紀委員というのは真剣味を欠く事態のようだ。

「良いことだと思うぜ。人を助けるのが仕事で、そのために能力を使ってるんだって自負があって」

 上条は笑顔で風紀委員入りを肯定したが、返事は芳しくなかった。俯いた白い頭がぼそりと呟くが上条には聴き取れなかった。

「何?」
「……やっぱイイ」
「えー、何だよ。気になる、教えろよ」

 食い下がる上条の粘り強さが勝敗を決めた。押せば何とかなるという認識ができてしまっているのも問題かもしれないが、都合が良いので上条はそれには言及しないことにした。

「…………能力、使わなきゃ無理だろォが」

 消え入りそうな声なのも頷ける内容だった。上条も認識を改めざるを得ない。
『レベル2で能力では何もできない』という転入当初の設定どおり、一方通行は学校で能力を使う素振りも見せていない。彼が何のために極々平凡な上条の高校などに転校してきたのか、ようやく理解が届き始める。

「使いたくないのか?」

 これにも即答は返って来なかった。歩みも遅くなっていき、ついには止まってしまう。足下に視線が固定されたままで言葉を探しあぐねる姿は、本人に自覚は無いだろうが叱られている子どものようにも見える。もしかしたら自覚どころかそんな経験は無いのかもしれないが。

「……使い、たく……ねェってわけじゃ……」
「別にそれでもいいんじゃないか? お前の能力なんだしお前がやりたいようにすれば」
「俺だけのじゃねェ」

 相変わらず小さい声だったが、そこだけは即答だった。杖を掴んでいない方の手がぎゅうと握られたのは咄嗟に電極を触りそうになったからだろう。

「それでもさ」上条は励ますように付け加える。「お前の能力なんだから、あいつらだって無理に使えとか使うなとか言わねえよ」

 一方通行は答えない。全く響いていないからではなく、頭の中で上条の言葉が反響し過ぎて答えが出せないのだ。

「無能力者の生活も悪くないぞ。能力なんて無くても普通に生きていくのに困ることなんて無えんだから」

 上条の主張はずっと変わらない。超能力も魔術も、あったら便利かもしれないが平凡に生きる分には無くても問題無い。そういうものが必要になるのは普通の人間では対処できないような事態が起こった時であり、その時は一人の突出した能力で解決するより、周囲に頼ってほしいと考えているのが上条当麻だ。

 杖をついていない方の二の腕を軽く叩く。平凡な黒髪と白いフードの二人は再び駅への道を歩き始めた。






 インデックスとの騒がしい夕飯を終え、中身だけ先に布団の中へ飛び立ってしまいそうな頭で宿題と戦い、風呂場の水分を拭き取っている時に上条はようやく気づいた。

「あ、土御門」

 魔術が展開されているなら、この街にあまり詳しくないインデックスより普段から出歩いて情報収集を欠かさない陰陽師の方が頼りになる。隣の部屋が彼の友人の学生寮ではあるが、不在ということも多々あるので携帯電話に連絡した。

「カミやん、遅いぜよ」
 第一声がこれだった。

「俺まだ何も言ってねえけど」
「一方通行が帰宅してすぐくらいの時間には知らせてくれたんでな。もう調べはついてる」

 考えることは同じか、と上条は呻いた。一方通行の交友関係はそう広くない。上条と共通の知り合いが殆どなので充分予想できることだった。

「ついてるって、魔術師だったってことか?」
「潜伏場所までは分からんが該当する魔術系統と疑わしい魔術師のリストまでは挙がったぞ」

 何とも手回しの良いことだと感心する。上条とインデックスの両者に話をするため、五分後に隣人が部屋に来た。片手に持った携帯電話でどこかにかけている。繋がったようだ。

「出ないかと思ったぞ」
『…………ンだよクソ御門……』

 ハンズフリー状態にしたので上条たちにも声が聞こえる。かけた先は一方通行だったが、ひどく眠そうな声だ。

「お前、まだ十一時にもなってないぞ。さっき言ってた魔術の件だ。起きろ」

 電話の向こうでもぞもぞと動く音がする。起きたのか本格的に眠る体勢に入ったのかは分かりかねるが、土御門は話を切り出した。

「結論から言うと、魔術師は学園都市内のどこかに潜伏している。魔術の種類としては幻術になるかな……厄介なことに学園都市そのものが神殿だ」
「……は?」

 上条の理解が追いつかない。インデックスも確認を取る。

「待って、神話の再現に使う神殿が学園都市? 魔術自体が新規に作られたものってことかな?」
「そうだ。この魔術はこのためだけに開発された。改良しても日本以外での行使は現状ほぼ不可能と言っていい」

 日本以外で使えない? 日本固有の神話に基づくものかと考えるも、他の魔術だってヨーロッパで起こった宗教的伝承からのものを世界各地で行使できているようにしか見えない上条に思い浮かぶ神話は無かった。天岩戸伝説にしろ黄泉比良坂の伝承にしろ、特に場所にこだわる必要は無いだろうと素人ながらに考えを巡らせる。

「ところで魔術の効果を話す前に訊きたいことがある」
「何だ?」
「お前さんたち、二人ともだが……身に覚えのないものを持ってたりしないか?」

 突然の質問だったが、言われるままに部屋を見渡してみる。

「いつも持ってる鞄の中とかポケットなんかを探してみてくれ」

 ポケットの中には飴玉の小袋ゴミしか無かったので上条は学校の鞄をひっくり返す。ノートやプリントと一緒に見慣れぬ物が転がり落ちた。

「…………え?」
「あれ? とうま……」後ろからインデックスが呼びかける。「こんなバット持ってたかな?」

 バットを持って首を傾げるパジャマ姿の同居人に、上条も鞄の中から出てきたマイクを見せる。そこに土御門が胸ポケットから口紅を取り出した。筋肉質な男が持っていると、ファンシーな模様が犯罪的な絵面だ。

 どれも独特の模様が描かれ、埋め込まれた宝石が蛍光灯の光を受けてきらきら輝いている。








「おめでとう。俺たち全員、魔法少女だ」







 土御門の重い言葉の後にインデックスの「カナミンなんだよ!」という喜びの声が続く。携帯電話のスピーカーから寝息が響き、「起きろよ……」と呟くアロハシャツの肩が落ちているのを上条は呆然としたまま見ていた。






本日の投下はここまでです。序章+9章あります。
それぞれの変身アイテムと魔法少女になったときの外見は診断メーカー使ったので完全ランダムです。

あと、しょっぱなから『一方さんの名前捏造してます』って注意し忘れてました。すみません。
百合子に近い名前で三文字でって考えた結果、九十九になりました。白いし、まあいいか的な……すみません。


本屋の開店時間になったら10巻買ってくるの楽しみ過ぎて2時から起きてたけどやっぱちょっと寝る。
1週間以内には来たいです。ツッコミとかあるとテンション上がるのでお願いします。

あと見てくれてる人いたみたいでありがとう。>>6

( ´・ω・`)ごめん。クロスじゃないんだ。

クロスってまどマギのキャラが出てくるってことだよね?
まどマギ意識はしてるけど、そっちのキャラは出ないから、期待してる人はサクッと切っちゃってください。

本屋行くぜー待ってろ新刊フォーーーーーーーーーーゥ!!

スレ立て乙乙

バット振り回す魔法少女インちゃん期待

学園都市を見滝原に見立てて内部に魔法少女役(中にいる人からランダムに選出?)と魔女を発生させる魔術かなにかか

方向性を心配してくれてる人がたくさんいるみたいだけど、ありがとう。
ワルプルギスの夜はまどマギで有名になったけど、元々ハロウィンの春版だから
実はこのSS、まどマギの魔女とは何の関係もないんだぜ。
紛らわしくてごめん。

ああいう魔女が出てきてもいいなーとは思うけど書くの難しいしなぁ。ネタに困ったら使うかも?

>>19 予想ありがとう。そういうのも面白そうだな。誰か書いてくれないかな。

>>17 インさんの活躍はまだ先になるので今回は上条さんで我慢してください。

今晩、第2章を投下します。もうちょっと後で。


 性質の悪い魔術だと上条は思った。こんな魔術を考えたやつは頭がおかしいに違いない。学園都市の科学至上主義を改めさせようとした魔術師は過去にもいたが、方法が大問題だ。リドヴィアの使徒十字がまだ穏当と思えるくらいだった。

「なあ……土御門。おかしいよな……俺にはその類の魔術は効かないんじゃ……」
「やってみれば分かる」

 何か確信しているのか、土御門の声に重みがある。もしかしたら既にかかった魔術について実地で確かめてみたのかもしれない。つまり、

「変身するんだ、カミやん」

 できれば一生縁のないままでいたかったフレーズである。

「そのマイクとバットがカミやんとインデックスの変身アイテムってことになるな。それを持ったままで、とにかく変身することを考えろ。変身後の姿を思い浮かべるとスムーズかもしれないな」

 土御門の声の重さが分かった。確信があるとか無いとかではない。

「とうま! 早く!」

 そんなに乗り気ならあなた様だけで変身してください。そう言えたら良いのにと嘆く心を隠し、顔で笑って上条はマイクを手にした。
 変化はすぐに訪れた。

「うお、インデックスの周りがキラキラしてる……」
「とうまの周りも同じなんだよ?」

 そういうことか。上条は得心した。学園都市自体が神殿となっているから術はこの街に居る全ての人間にかかっている。つまり上条自身にかけられなくとも何の問題も無いのだ。上条が変身アイテムを手にしたという合図さえあれば、場は勝手に全体に干渉する。上条の目には自分の姿はいつもどおりに見えるが、土御門が差し出した鏡は術を反映していた。

「良かったにゃー! カミやんだけこのけったいな魔術から逃れるなんて許さんぜよ!!」
「お前やっぱそれが本音か!!」

 土御門が意気消沈していた理由が分かった。これはやる気が根こそぎ削がれる。
 水色の髪に紫の目の少女が鏡の中から覗き込んでいる。変身は上条の方が早く終わったようで、インデックスはまだ光に包まれたまま形を保っていない。

「インデックス、その状態で動けるか?」
「え? んー……無理なんだよ」
「やはりか」

 三分ほどして、インデックスの姿は赤色のショートカットに真っ黒な瞳の少女へと変わっていた。肩の辺りに絵本の中の妖精のようなものが羽ばたいているのを指差すと、インデックスからも指差された。

「とうまにも憑いてるんだよ?」
「狐だな」

 インデックスと土御門が口々に教えるが上条には勿論見えない。

「カミやんの察しのとおり、オレも先に試してみたんだが、何か特殊能力が追加されるってわけでは無いな」
「無いのかよ」

 意味無え、と上条が愚痴る。魔法少女になりきるなら特殊能力くらい付与すればいいのにと思うが、魔術にも限界があったのだろう。ただでさえ学園都市全域という広範囲を覆っているのだ。

「魔術の布教ってより趣味に走ったとしか思えねえんだけど」
「同感だにゃー」

 魔術師が何をしたいのかは分からないが、変身アイテムがランダムに与えられたと仮定して、これを悪用する者がいないとも言い切れない。肉体変化として登録されていない能力者なら治安組織の目を眩ませられる。

「魔術師を早いとことっ捕まえねーとな」

 一先ず土御門は部屋へ帰って行った。携帯電話の向こうの一方通行は最後まで起きなかった。







 翌朝、学校の下駄箱で会った土御門は開口一番にこう告げた。
「悪い報せだ」

「……まさか昨日の今日で進展があるとは……」
「魔術師より先に他の魔法少女がはしゃぎだしやがった」

 適応早過ぎるだろ学生。こんな怪しげなキラキラアイテムはまず疑えよ。
 上条が言えた義理では無いのだが思うだけなら自由だ。ついでに土御門がいつ寝ているのかも気になった。

「その、暴れた魔法少女の正体は分かってねえんだよな」
「ああ、だが特殊能力が付与されないとなると、そいつがしたことはそいつの元々の能力の範疇ってことになる。書庫を漁ればある程度は絞り込めるだろうな…」

 二人が話しているところに大きく欠伸をしながら杖をついて近付く人影があった。後ろには一緒に登校してきたのだろう番外個体がいたが、上条と目が合うとすぐに自分のクラスの下駄箱へ踵を返す。

「昨晩は、よくおやすみの、ようで!」

 土御門が白髪の少年にヘッドロックをかけた。いつもどおりのテンションの高さに思えるが、何割かはインソムニアハイだろう。上条が問いかける。

「あの子、番外個体と一緒に来たのか?」

 ヘッドロックと言っても、土御門もこんなモヤシ体型の細い首を本気で締め上げたりはしない。寝ぼけ眼で杖から重心を離され慌てた一方通行だったが、頭部を押さえつける土御門の腕を逆に掴んでバランスを取った。腕から一人分の体重がかかっても金髪アロハの男はびくともしなかった。

「おお、ついにモヤシがモヤシであることを武器にし始めたか」
「うっせェ黙れ」

 上条が土御門を尊敬する理由の一つに人間との距離の取り方がある。普段から色んな人間の地雷をぶち抜いている上条がこんなコミュニケーションの取り方をしようものなら、二秒後にはミンチ肉が出来上がっていることだろう。

「黄泉川の車で来てンだよ」

 分かりづらくて一瞬の間が空いた。この超能力者はもっと積極的に会話の練習をしたらいいというのが周囲の共通見解だ。それが上条の問いに対する答えだと遅まきに当人が理解した頃には、白い頭は玄関を抜けて先の廊下にいた。同じように靴を履き替えた番外個体が絡んでいるところは兄妹でじゃれているようにしか見えない。

(……外見だけなら番外個体の方が年上に見えるかな)

 そういえば番外個体が学校で何と名乗っているか知らないことに上条は気付いたが、一人称の『ミサカ』が直っていないことからして苗字か名前のどちらかはミサカなのだろうと結論づけた。








 授業の間、上条は昨夜暴れたという魔法少女のことを考えていた。そいつは何を考えていたのだろう。元から鬱憤が溜まっていたところに姿を変える魔法の道具が手に入ったから使ってみた? それとも姿を変えられることが面白くてつい騒いでしまった?
 変身した当人は魔法使いになった気分なのだろう。願えば変身できるのだから、無能力者なら能力者にでもなった気分かもしれない。しかし、この魔術の原理からして魔法少女になる学生は厳密には魔法にかけられている方だ。学生自身は魔力を精製しない。そんなことをすればすぐに血反吐を吐くことになるだろう。変身のためのアイテムは少なくとも持ち主である魔法少女の生命力とは切り離されている。学生たちの動きを感知する術式が街を覆っていることを先に知っていれば、酔狂な誰かの掌の上にいることが分かるだろう。

 しかし分からないのは、その酔狂な誰かの思惑だ。学生たちが魔力を精製しない以上、使われる魔力は魔術師が何らかの手段で調達しているはずだ。しかし街一つ覆うほどの術式を発動させるために一体どれほどの魔力が必要だろう。

(まさかこんなくだらない魔術に聖人とか関わってねえだろうな……)

 上条は全ての聖人と知り合いというわけではない。今までの経験上、関わっているはずがないと言い切れないのが悲しいところである。

 トントン、と机を叩く小さな音がする。

 上条の机ではない。上条の席から桂馬飛びの位置にある一方通行の机だった。授業中は完全に突っ伏してしまっていることの多い白髪頭が今日は上がっていた。隣の席の吹寄から話しかけられている、と思った後に上条は訂正した。

(……注意されてるな、あれは)

 一方通行は最初の一週間ほどは周りと同じようにノートを広げてみたりはしていたものの、二週間目には机の上にシャーペン一つ出さなくなった。どうも最初の一週間ずっと何をノートに取ればいいか分からなかったらしく、真っ白なノートを見ているうちに無意味と悟ったようだ。上条や土御門は転入生・鈴科九十九の正体を知っているから彼がそう判断するのも頷けるが他の生徒は違う。吹寄は不真面目な転入生が試験で落第しないようにと気を配っている。そして一方通行も上手い言い訳は思いつかないらしく、吹寄に注意されるままになっている。言い返さないのは賢明かもしれない。こんな平均的で平凡な極普通の高校に来るようなやつが「この教師より俺の方が詳しい」なんて言っても冗談にしか聞こえないだろう。

(吹寄は手強いぞー。がんばれ)

 そして無責任に応援する上条だった。







 放課後、土御門と彼に捕捉された一方通行そして上条の三人はカラオケルームの一室にいた。一方通行についてきた番外個体はドリンクバーに出て行ったところだ。ついさっきまで白髪とシャンパンゴールドの二色の頭が物珍しそうにカラオケルームの中を見回していた。

「で、こンなとこまで引っ張って来た理由は?」
「人見知りの転校生と交流を深めようと……ゆーのは嘘だにゃー! 無言で電極に手を伸ばすな! 例の魔術のことだ!」

 番外個体がドリンクバーから帰って来た。

「ぶどうメロンサイダーとかあったけど、やっぱり自販機ほどのバリエーションは無いんだねー。ミサカがっかり」
「自販機のバリエーションの半分以上は人間の飲み物じゃねェよ」」

 番外個体が一方通行の前に何かの入ったグラスを置く。自分の口元に運んだものとは明らかに色が違う。

「……一応訊いておく。これは何だ?」
「ミサカのラブ注入した特製ドリンクです☆って言ったらあなた飲むの?」
「オマエの頭からかける」
「濡れ濡れのミサカをお望みなんて親御さんも良い趣味してるぅ」
「待て!! 一方通行! 本気でかけようとするな!」

 上条が一方通行を抑え、土御門がグラスを遠ざけた。ついでにそのまま飲んでみる。サングラスの下の顔が見る間に引き攣った。

「……お嬢ちゃん、何を淹れたか正直に話してごらん。おじちゃん怒ったりしないから」
「おいクソ御門、自分の口調忘れるほどマズイのかそれ」
「えー? まずオレンジメロンサイダーをベースに烏龍茶とリプトン足してカルピスでマイルド感を演出してアクセントにアメリカン珈琲を……」
「カミやん、一方通行、悪いが今からすることはオレの意志ではなく悪い魔術師が操ってるせいだと思ってくれ……」
「おのれ魔術師……って土御門も待て! ガチで殴ろうとするな! 番外個体も来いよみたいなドヤ顔やめろ!」

 お客様の中にツッコミの方はいらっしゃいませんか状態の上条だが、一方通行がすぐに冷めたので抑えねばならないのは二人だ。ソファで我関せずフードメニューを開いた超能力者を見て、世界の基準点と言われし幻想殺しの少年は決意した。

(一刻も早くこいつに常識と人並みの自制心とツッコミを覚えさせよう……!)

 世界の基準点がやや芸人寄りになってしまっているが、ツッコミ不在よりマシだろう。







「就寝時間が今時の小学生より早い第一位に質問たい。最近、身に覚えのない持ち物は増えなかったか?」

 仕切り直した土御門の質問に、白髪頭は一拍置いてポケットを探り始めた。取り出したのは石だった。カッティングされる前の原石のように見えるが、結晶の形にわざとカッティングしたと言われても宝石に疎い上条は納得するだろう。

「いつのまにかポケットに入ってたンだが何回捨ててもまた入ってる」
「何それ、呪いの宝石?」

 番外個体が揶揄するが、あながち間違っていない。

「魔術師からのプレゼントだにゃー」

 土御門の答えに番外個体は宝石を触ろうとしていた手を止めた。彼女は何度か魔術を見ている。

「何? 第一位、本当に呪われたわけ?」

 一方通行は面倒そうな顔をしただけだ。上条と土御門が滝壺との会話から説明することになった。

「へえ……その変身アイテムって本当にランダムに配られてるの?」
「ランダムというか、俺たち全員押し付けられてんだよ。もしかしたら気付いてないだけで学生全員が持ってんのかもしれないけど」
「ミサカたちの中には最近変な持ち物が増えた個体はいないよ?」
「……気付いてねェだけじゃねェの」

 即行で妹達の不注意という可能性を挙げた同居人を睨みつけて番外個体は言った。

「じゃあ、あなたは気付いたっての? ミサカでもおチビでも変な持ち物が増えてたら一緒に住んでるあなたは気付くんじゃない? その変身アイテムってのは顕微鏡で見なきゃいけないサイズってわけじゃないんでしょ」

 番外個体の言うことは尤もだった。彼女らがおかしな物を持っていれば、一方通行が真っ先に気付く。
 上条は知らないことだが、一方通行が見覚えの無い宝石を何度も捨てようとしたのは、その宝石から圧迫感を覚えたからだ。気付くと微弱な魔術の気配がポケットの中にあり、つまり最初から不審物と分かっていたのだ。そして、そんなものを見つけた彼が家族に注意を向けないわけはなかった。

「ランダムじゃなくて何らかの基準で選ばれてるってことか……?」
「単純に目立つ能力者と魔術師を標的にしただけなンじゃねェのかよ」

 投げやりな口調に対し土御門が訊ねる。

「それで、お前変身したのか?」
「はァ? なンで俺がそんなバカみてェなことしなきゃいけねェの死ねよ猫アロハ」

 全くもって同感だったが、上条は緑の目から溢れる期待に勝てなかった。多少のバカな真似で女の子を笑顔にできるならと行動してしまうのは最早、悪癖に近い。

「今後色んな魔法少女が暴れ出す危険がある。一つでも多くサンプルを集めたい」
「オマエ、顔が言葉を裏切ってンぞ」

 白い手がフードメニューをサングラスの下のにやけ顔に投げる。それを小気味よい音を立ててキャッチした陰陽師が表情を改めた。

「モヤシの変身シーン見て腹抱えて笑いたい」
「真面目な顔で言えば良いってもンじゃねェよ」

 このままでは時間が無為に過ぎるだけだと上条は流れを修正する。本音を言えば、一方通行が変身するのは見たかった。昨日の土御門と同じく、堕ちるなら道連れは多い方がという心理だ。たとえ気のせいであっても、周りも同じなら傷が浅いように感じるものなのだ。

「とりあえず、だ。俺たちは暴れたっていう魔法少女を警備員より先に抑える必要があるんだよな?」

 魔法少女が持っている変身アイテムから警備員が先に魔術師に辿り着くのは、可能性としては低いが、何としても阻止したい。対魔術師だと警備員は相性が悪い。

「警備員が取り押さえたとこを横からかっさらった方が効率的じゃない?」

 番外個体が清々しいほど犯罪者思考だったが土御門にしても上条にしても善意の大人と事を構える気は無い。それは一方通行も同じだった。

「黄泉川から奪える気か?」
「……あなたが変身してやれば?」
「変身しても手段でバレるわクソボケ」

 問題点はそこだ。魔法少女になったところで特殊能力が発動することはない。一方通行が能力で被疑者を奪えば、彼を知っている人にはすぐにばれるだろう。上条の予想でも、普段から面倒をみている黄泉川が気づかない可能性はかなり低かった。




「おいクソ御門」
「何だモヤシラレータ」

 険悪な空気が漂い上条の背筋を緊張が走ったが、それも一瞬のことだった。

「……さっさと残りの情報出せ。動くかどォかはその後考える」
「よし、モヤシの協力とりつけた!」

 十中八九、こんな様子見の台詞を言ったやつは動く羽目になるのだが、短い導火線の周りで線香花火をするような真似は辞めてほしい。一方通行の左手を上条が抑えると、土御門が今朝は言わなかった情報を語り出した。

「昨夜の魔法少女の出現場所は警備員の詰め所のすぐ近くだった。痕跡は派手だったから警備員が気付かなかったのは人払いの術か何かがあったと考えていい」
「人払いが自動で発動するってことか?」

 上条が顔を顰める。それではやりたい放題ではないか。

「魔法少女が出現したから人払いが発動したのか、人払いが発動した所に魔法少女が呼び寄せられたのかはまだ不明だぜ、カミやん」
「痕跡が派手だったってンなら能力系統くらい分かるンじゃねェのか」

 発火能力、電撃使い、肉体強化、破壊の爪痕が残されているなら破壊の方法は自動的に割れるものだと上条も考えた。

「複数の痕跡が見つかった。肉体強化と電撃使いだ」

 その二つか、と溜息を吐きそうになる。

「ミサカが言うのも何だけど、その二つで絞り込むってセブンスミストで鬼ごっこするより無理ゲーなんじゃない?」
「レベルは?」
「2以上だろうとしか」
「使えねェ」

 レベル1の能力なんて身体検査ぐらいでしか意味が無い。痕跡を残せるほどなのは2以上だなんて最初から分かっている。

「電撃使いと肉体強化の二人の魔法少女がいたってことだよな……」
「少なくとも二人だな」
「何にも分かってねェのと一緒じゃねェか」

 明らかにやる気を無くした一方通行と番外個体に上条が慌てて付け加える。

「電撃使いと肉体強化でつるんでるやつらってのなら少しは絞り込めるんじゃないか?」
「誰がそンな細かい個人情報調べンだよ」

 上条は金髪の友人を見る。無言で中指を立てられた。

「カミやん、情報はタダじゃないぜよ」
「おいくらでせうか……」
「睡眠時間が削られ正常な思考能力が欠如し、友人の些細な言動に腹を立てて(中略)『ムシャクシャしてやった』とか供述することになるくらいのお値段ぜよ」
「省略されたところで俺はどうなったんだ……」

 魔法少女の正体をつきとめるのは難しい。魔術師を探すにも時間が必要。そうなると、取るべき行動は一つだ。

「……カミやん」

 土御門の熱い視線が突き刺さる。一方通行が半ば同情の目で眺め、番外個体は面白がっている。

「囮、頼むたい」
「どうせ俺はそういう扱いですよね!!」

 思わず天を仰ぐ上条だったが、当然ながらカラオケボックスの天井に懐古趣味のミラーボールが見えるだけだった。

「派手にやってくれ。こっちはその間に魔術師を探る。ああ、言うまでもないことだろうが一応言っておく。警備員の目は引きつけてほしいが、万が一にも捕まるなよ」










 カラオケボックスから上条はインデックスに電話をかける。同じく隣では一方通行が打ち止めに電話して、インデックスが夕飯を食べに来ることを伝えていた。夕飯の財源は一方通行が番外個体に持ち帰らせたブラックカードだ。インデックスの胃袋の底とブラックカードの限度額はどちらが遠いんだろうかと上条は疲れた思考を働かせる。今まともな思考が働いたら負けだと思った。

「付き合わせて悪いな……」
「オマエだけじゃすぐ捕まるだろ」

 人の不幸は蜜の味を地で行く番外個体なら、上条の姿を笑うために残るかと思われたが彼女は帰宅を選んだ。上条への苦手意識の方が優ったらしい。「あなたはいつも憎たらしいけど、そこのヒーローと一緒の時ほど殴りたくなることはないよ」と一方通行に捨て台詞を残して行った。

 二人はそれぞれ家に電話するとカラオケを出た。ちょうど黄昏時。人の顔の区別がつきにくい時間帯であることが上条の羞恥心への唯一の緩和薬だった。これが夜中だったら警備員の殺人的に眩しいライトを当てられた瞬間に憤死できる。

「やること分かってンだろォな」
「変身して警備員を引きつければいいんだろ?」

 上条の反応に一方通行は溜息でも吐きそうな顔をしたが、時間が惜しかったのか答えを正すに留めた。

「警備員が何人いると思ってンだよ。単純に引き付けるンじゃねェよ。昨日暴れた奴よりオマエのが優先度が高ェと思わせねェと意味ねェンだよ」

 全ての語尾に「このバカ」「クソボケ」と心の声が聞こえた。

「……優先度って、つまり危険度だろ? この無能力者に何しろって……」

 ぼやく上条を一方通行が無言で見つめる。まさか、と上条が可能性に思い当たる。

「オマエ、俺が何のために残ったと思ってたンだ?」
「穏便に見守ってくれてたら平和だったろうなあ!! ちくしょう!! そういうことかよ……!」


 こうしてヒーローとダークヒーローの初めての共同作業が始まった。












 腕を上げたら突風を起こす。ジャンプしたら小規模な地震でも起こすか。合図が足りない。指の本数で。エトセトラエトセトラ。
 変身前の打ち合わせは難航した。実際に現象を起こすのは一方通行の能力なのだから彼が普段能力を使う際の動作に合わせたら良いんじゃないかという考えは「俺が疑われンだろクソボケ」と一蹴された。そして一方通行の能力から動作を引き剥がし、日曜朝にインデックスが見ているアニメの知識を足して、上条がどうしても恥ずかしくて出来ない動作は除く、という作業行程を繰り返し、何処かで見たことがあるようで何処にもいない魔法少女像が出来上がった。

「……じゃあ変身するぞ……」

 警備員の詰め所に程近い路地裏で、上条は鞄からマイクを取り出した。持っていることにすら年齢制限がありそうなファンシーなマイクだ。通学用の鞄に入れておくのはエロ本よりも抵抗があった。それを見て、一方通行は少しだけ安堵する。

(あンなアイテム割り振られてたら死ねるわ。やっぱ上条すげェ……)

 同情と憧憬の視線に晒されながら上条はマイクを胸に持って停止している。自分の外見変化に気付けない上条は、インデックスと違って、変身中だからといって動けないということはない。ただ、動いてしまうと変身が成功するかどうかは分からない。三〇秒ほどした頃か、一方通行が「すげェ外見……」と呟いた。お前にだけは言われたくねえよ、と思った上条だが鏡に映った自分の姿を憶えているので反論できない。

「どんなふうに見える?」
「水色のポニーテールで紫色の目で肩にキツネ乗せてる電波系の」
「俺の悪口は止めるんだ!」

 上条さんのライフはゼロよ! と叫んでみるも壁から反響するのが思ったより甲高い声で余計に落ち込んだ。隣でどことなく気味悪そうに見ている一方通行の目も、口で言わない分ダメージが増している気がする。

「変身アイテムって手放したらどうなるンだ? 変身とけるのか?」
「試してない。やってみるか?」

 マイクを一方通行に手渡そうとすると避けられた。

「……おい」
「え」

 一方通行もどうして自分が避けたのか分かっていないようだった。人払いと似た術式でもかかっているのかと今度は地面に置く。しかし屈んでいた腰を上げた瞬間に二人は絶句した。

「……なんで俺、マイク持ってるんだ? 今、下に置いたよな……?」
「ああ……」

 顔を見合わせるが、それで分かるのは互いの困惑だけである。

「手放せないってことか……」

 魔術に満たされた空間にいる実感が今になって上条にも湧いてきた。「そォいえば……」と一方通行が呟く。

「なンて名乗るンだ?」
「は? え? 名前?」

 なんでそんなもの、と疑問に思う上条に一方通行が説明する。

「自己顕示欲が強過ぎて破壊活動に及ンだ、みてェな設定なンだろ? そォいうのって自分の名前言って『憶えとけ』とか言うンじゃねェの?」

 上条の頭に一瞬、御坂美琴が思い浮かんだが流石に失礼なのですぐに打ち消す。

「名前……、名前かー。魔法少女っぽい名前ってどんなだ……」

 腕を組んで考える上条を眺めながら一方通行は既視感に気付いた。魔法少女となった上条はパーツとしては似ていないのに全体で見るとインデックスの面影がある。上条の中の“魔法少女”というイメージがそのまま出たのだろうか。

(魔法少女ホワイトシスター? ダメだろ、携帯アドレスに彼女の名前入れる痛ェ男か。魔法少女上条……カミジョウ…………魔法少女♡上嬢さン)

 どこの違法営業店舗だよ、と自分の思考で噴き出しそうになり必死で堪える。隣の魔法少女は名前を考えるためにCPUを一〇〇パーセント使用しているようで一方通行の動きには気付かなかった。

「あー、思いつかねえわ。その場の勢いに任せる」
「………………そォか」

 不自然な間を怪訝に思う上条だったが、一方通行はさっさと打ち合わせどおりの場所へ歩き始めた。



 二人はビルとビルの隙間から通用口の階段を上がっていく。学ランの薄い背と白い後頭部を見ながら上条は尋ねた。

「名前と言えばさー」

 一方通行から相槌のようなものは無かったが、こちらに意識が向けられているのは分かった。

「鈴科九十九(すずしなつくも)ってのは、お前の本名?」
「……何が訊きてェンだ」

 階段を上り続ける足は止まらない。魔法少女デビューの上条にとっては処刑台への十三階段のようなものだが、安全装置があると分かっていれば後は気の持ちようだ。例えれば、首を括られるので一旦死んで糞尿を漏らした死体になりますが後で必ず蘇生されます、くらいの肉体的には死んでないけど社会的には死亡という気分である。全く問題しか無い。

「そのままの意味だよ。能力者になる前に、お前が親から貰った名前なのかってこと」
「知らねェよ」

 記憶喪失の上条ではあるまいし知らないなんてことがあるかと上条は言いかけたが、第一位はまるで他人事の調子だった。

「書庫から名前を消したら最後、元は何だったかなンて証明できねェンだ。本名も偽名もねェよ。どンな名前を名乗ったところで、俺が勝手に言ってるだけってことになる」

 それは違うと上条は思った。たとえ誰も何処にも証明できるものが無くても、誰かが名付けてくれた過去は事実だ。心に残っている名前があるなら、それは本名だろうと上条は思うのだが、生きてきた環境があまりにも違う超能力者にそれを言うのは躊躇われた。直接聞いたことはないが、黄泉川たちと疑似家族を形成したことから察するに、上条や御坂のように実の親を頼れる状況にはないのだろう。置き去りか、もしくはもっと露骨に生みの親から裏切られている可能性もある。

「じゃあさ」

 であれば今まで能力名で通してきた第一位が鈴科九十九と名乗り転入してきたのは、本人の言うとおり何かへの復帰ではない。

「お前は新しく鈴科九十九っていう人間になるんだな」
「そォいうンじゃ……」

 否定の声は弱かった。当人にも整理の付かない部分なのかもしれない。人間としての名前を捨て、一時は能力そのものになってしまおうとしたやつが、今度は能力を切り離したところにある自分を掴もうとしている。上条は決して能力自体を否定しているわけではない。才能も努力もそれはそれとして評価されるべきだ。しかし、そればかりが価値になってしまうのは違うと思うのだ。

「……一方通行として生きてきたことを今さら無かったことにする気はねェ」
「うん」
「ただ……」

 打ち合わせ時の上条と一方通行の所定位置への分岐点に着いた。上条に背中を向けたまま、学園都市で最も能力の使用に長けた存在が言った。

「俺が何なのか……どンな奴なのか分かンねェと、この力は学園都市の道具にしかならねェ……俺のモノにはならねェンだ」

 さらに上階へ歩みを進める背中を上条は見送る。
 あの実験を止められるまで、打ち止めに会うまで、第一位の超能力者がその能力に乗せていたのは自分の空虚な生活だけだった。他に何も無いからこそ能力に執着した節がある。しかし、今はその能力すら自分以外の誰かに補助してもらい、それで得られた能力の上には自分と自分以外の騒がしい人生が乗っている。能力をアイデンティティではなく、何かを達成するための手段として見直してようやく、彼は同じように彼の能力を道具として使う大人達を疎ましく思い始めたのかもしれない。或る意味で、以前の一方通行が一番己の能力の価値を知らなかった。能力の行使に制限がついたことで全体像が捉えやすくなったということもあるだろう。

 誰かの手でピラミッドの頂点に置かれている機械ではなく、その機械を持った人間として生きようと踠く事を応援しない理由は無かった。

「じゃあ俺は、あいつが自分の能力を客観的に見られるお手伝いと行きましょうか」

 善意を気取ったところで、実際にするのは精巧なコスプレ女装少年が騒ぎを演出するというだけのことだが。

 ……一気に憂鬱になった。上条は首を振る。
 自分で自分の首を絞めるのは辞めよう。開き直って、魔法少女・偽善使い(フォックスワード)とでも名乗ろうか、と肩口にいるらしい見えない狐に笑いかけた。





『準備いいぞ』

 繋ぎっぱなしになっている携帯電話から超能力者の声がした。打ち合わせとは少し違う場所に移動しているようだ。

「んじゃ、魔法少女いっきまーす」

 上条のやる気の無い合図とともに音と光だけは派手な爆発が起こる。上条が立っている二階建てのテナントの屋上と、向かいの警備員詰め所の間、何も無い空間に巻き起こった現象に魔法少女役もびびる。事前には「なンか派手なこと起こして警備員どもを表に出させる」としか聞いていないのだ。

「な、何だ!? 爆発か!? テロか!?」
「おい!! あれ見ろよ! 昨日の不審者じゃないか!?」
「昨日のやつは紫のロングヘアーでバット持ってたって話だろ!」

 へえ、そうなのか。思いがけず昨晩の魔法少女についての情報が得られた。

「そいつの仲間だろ! そう何人もコスプレ通り魔が同時多発してたまるか!!」

 すみません、同時多発する魔術なんです。警備員たちの「仕事増やすんじゃねーよ!」という絶叫の中、上条は右手のマイクを振り上げる。ちなみに、右手に持ったのは一方通行の起こす現象を阻害する可能性を減らすためだ。

「ハロー! 警備員のみなさん! 魔法少女・フォックスワードだよ! よろしくね!」

 携帯電話の向こうから噴き出す音がしたが、上条はめげない。ド底辺の意地ってものを見せてやる、と自分で鼓舞して声を張り上げた。

「いつも働きどおしの警備員さんたちに、お休みをあげにきたよ!」

 マイクを持った手をぐるりと振り回すと空気中の水分が氷結した。どういった原理なのか、空間が割れるような派手な音も一緒だ。「ふざけんなー!」と野次っていた警備員たちの顔色が変わる。

(おい、大丈夫なんだよな、これ、一方通行のいつもの速さで飛ばしたら銃弾と変わんねえぞ!?)

 空中に留まったままの小さな氷の塊が震え始める。ゲームによくある爆発寸前! みたいな分かりやすさに、急かされて上条は指揮棒代わりのマイクを振り下ろした。ファンシーなエフェクトが飛び出す。空気中の分子にどう干渉しているのか考えるのも恐ろしい。

「じっとしてれば痛くないからね!」

 変に動いて当たってくれるな、と心の底からの願いだ。そして警備員詰所に、万はくだらぬ氷の弾丸が突き刺さった。もくもくと水蒸気と建物の破片が粉塵になった空間で上条は小声で問いかける。

「ちょ、本当に人に当ててないだろうな!」
『……俺を誰だと思ってやがンだ。人にも建物が崩れるよォなとこにも当ててねェよ』

 少し間が空いたのは呼吸を整えていたからだろう。声も若干まだ震えている。いっそ笑い死にさせてやろうかこの野郎と上条は決意した。
 至近距離に飛来した弾丸の余波で倒れていた警備員たちが起き上がる。

「くそっ……水流操作のレベル4か!?」
「温度操作のやつかもしれん……誰か書庫を調べろっ」

 警備員の一人が小さな黒いパイナップルのようなものを取り出す。上条が軽くジャンプすると詰所の周辺にだけ地震が起こり、パイナップルは転がり落ちて行った。

「頭が固いなあ~。能力じゃなくて魔法だよ!」

 どうでもいいのだが、さっきからエフェクトが超機動少女カナミンそのものだ。ニチアサ観てる超能力者ってどうなんだよと思ったが、案外他にも観てる超能力者がいそうだ。更にどうでもいい上条の知らない情報を出すと、第一位が毎週楽しみにしているのはカナミンではなく、その前の特撮ヒーローものである。
 マイクを顔の前に地面と並行に持ってくる。ついでに小指も立てた。

「まだやるの? 素直に負けを認めたら?」

 青色のハートのようなエフェクトが出たので、上条は両手を胸元でハートの形にした。ウィンクも付ける。警備員をコケにするというより、標的は第一位である。

「ブルーのハートは希望のしるし! 社会の闇を、貫くぞ☆」
『……ぶふっ、……フレッ……くかッ、ひっ……キ、ゲホッ……っく、ぎひゃ、は、ッ……』

 狙いどおりであるのだが、これだけ馬鹿笑いしていてもしっかり霧を大量発生させて光を乱反射させるあたりは流石だ。そして本気で呼吸困難になったらしい超能力者のしゃくり上げるような音が暫く聞こえていたが、携帯電話の向こうが静かになった。

「おい、息してるか」

 笑わせたのは上条だが、ここでダウンされると魔法少女が非常にまずいことになる。

『…………ひぅ、っく』
「このくらいやっておけば良いと思うんですが」
『………………ッ』

 返答できるような状態ではないらしい電話口の向こうから、携帯電話を爪の先で小突くような音が二回鳴った。了解という意味だろうと受け取った瞬間、上条の体が宙に浮いた。誰も目を開けていられない突風が荒れ狂い、気がつくと何処かのビルの非常階段にいた。地上が遠い。

「……ッ……、……ァ」

 腹を抱えて階段に蹲っている奴がいた。白髪の先が灰色のコンクリートに届き、ぶるぶる震えている。
 さて、このクラスメイトにかけるべき言葉は何だろう。理性的に考えれば、捜査攪乱に協力してくれた礼でも言うべきだ。誰にも怪我をさせなかった緻密なコントロールを褒めるところかもしれない。しかし理性より、上条の男子高校生としてのプライドが上回った。




「歯を食いしばれよ、最強――――――――俺の最弱は、ちっとばっか響くぞ」



 一方通行の回復を待ち、二人は帰路についた。一悶着あったのだが、上条にとってはデルタフォースの日常と何ら変わりない。
 上条の変身は、魔法少女になった時と同じく解除するにも三〇秒ほどかかるらしい。一方通行によれば二十五秒。変身にも解除にも、きっかり同じ秒数がかかっていたそうだ。

 ファミリーサイドと学生寮への分かれ道はもう過ぎた。杖をついている同伴者がいなければ上条の足はそれなりに速い。先ほどまでの遅れを取り戻そうと急いでいた上条は、しばらくの間それに気付かなかった。

(……え?)

 人の気配がしない。覚えがある。これは人払いが発動している。

「どこだ……?」

 近くに魔術師がいるか、特定の条件を満たして自動的に発動するものか、上条一人では判断がつかない。立ち止まり、辺りを見回していると微かに音が聴こえてきた。

 タベタ、タベタ、タベタ、タベタ、タベタ、タベタ、タベタ、タベタ……

 小さな玩具の行進のような音も聴こえる。ふっと背後を何かが通り過ぎる感覚があった。瞬時に振り向くも、そこには何も無い。心無しか、空気が澱んでいる気がする。大きな怪物の牙の先にいるというより、既に胃袋の中に収められてしまったような不快感。現実的な脅威より心理的に忍び寄る恐怖を感じる。
 と、そこに

「待てえええええええええええええええ!!」
「もうちょっと左を狙ってください!」
「っオッケー!」

 ゴバッと街路樹が薙ぎ倒される音がして、上条の目の前に不思議な生きものが現れる。

(猪? いや、ユニコーン? ゴリラ?)

 豚のような鼻とその横から伸びる牙、頭頂部からも同色の角が生え、ゴリラのように黒い体毛に覆われている動物。全体的にずんぐりとしているのに、足の構造は馬にしか見えない。上条がポカンと見ている間に、紫色の髪と白色のバットがすっ飛んできた。

「てえええええええええええええええいいいい!!!」
「いっけえええええええええええええ!!」

 バットが振り下ろされると、その不思議な動物は消えた。チャリーンという音がしてバットが光る。2という文字が見えた。

「たったの二ポイントか……ふっ、またつまらぬものを」
「斬ってねえだろ」

 思わず突っ込んでしまい、二人の魔法少女がこちらを振り返る。
 今、動物に白いバットを振り落としたのは紫色のロングヘアーに桃色の目の少女だ。足下に白蛇が寄り添っているが、上条の狐やインデックスの妖精と同じようなものなのだろう。もう一人は黒髪をお団子にしている紫の目の少女。こちらもピンク色のバットを持って、肩にぬいぐるみが貼り付いている。
 上条が話しかける前に、ぬいぐるみを付けている方の少女が上条を指差して声をあげた。

「御坂さんの……っ」
「え、御坂さんの知り合いさん!?」

 白蛇を足に巻き付かせている少女も反応したということは、二人とも御坂の知り合いかと上条は考える。常盤台の生徒だろうか。

「お前ら、御坂の知り合いか?」

 上条が問いかけると二人は顔を見合わせて、そして慌てて否定した。

「え、そんなことはありませんよ! ねえ、さ……シルクさん」
「そうだよ!! ねっ、う……ガーデナー!」

 御坂に今度、「さ」で始まる知り合いと「う」で始まる知り合いがいないか訊いてみよう。それはさておき、上条は一先ず言っておかねばならないことがあった。

「今の動物何だ? ってか何にしろあんまり危ないことすんなよ。お前ら中学生だろ?」
「む、中学生だからって馬鹿にしないでくださいよ!」
「そうですよ! 私たちは魔法少女なんですから、さっきみたいな敵を倒さなきゃいけないんです!」
「敵?」

 さっきポイントがどうとか言っていたのも関係あるのだろうか。

「……そんなゲーム気分で怪我でもしたらどうするんだよ」
「しませんよ」

 やけに断定する口調だった。不審に思って尋ねてみる。

「あの変身アイテムってただ外見が変わるだけじゃないのか?」
「これのこと知ってるんですか!?」

 二人の目の色が変わる。今まではただの闖入者を見る目だったのだが、一気に親近感が増したらしい。

「……俺の知り合いもそのアイテム持ってるんだよ」

 自分も持っているなどとは言わなかった。さすがに男子高校生が魔法少女に変身するというのは隠したい。

「じゃあ、その人に訊いたらいいですよ。使い魔が教えてくれますから」
「あ、ちょっと待て」


 走り去ろうとする魔法少女を呼び止める。「昨日暴れてた電撃使いってお前か?」

「電撃使い?」

 二人は本当に分からないというように首を傾げた。

「私は能力なんて使えないですし、昨日は宿題が大変だったから外に出てませんよ。ね、ガーデナー」
「そうですよ。別の人です」

 いつのまにか人払いの術式は消えていた。長居は無用とばかりに二人の魔法少女も走り去る。

「……別人?」

 つまり紫色の髪でバットを持った魔法少女が他にもいるのか。変身アイテムのバット率は思っていたより高いのか。

 考え事をしながら歩いていたら上条は学生寮の自分の部屋の前にいた。ドアを開けるとインデックスが部屋の真ん中に座り込んでいる。今日は一方通行のカードで思う存分食べられたから機嫌は悪くないはずだと思いながらも、警戒して上条は自分の部屋に上がる。

「ただいま」
「……あ、おかえりなんだよ」

 部屋の真ん中でぼうっとしていたように見えたのだが、すぐ横にバットを置いている。先ほどの少女たちと色違いで、インデックスが持っているのは銀のバットだ。

「何かあったか?」

 インデックスは困惑した様子で語り出す。

「さっき変身してみたんだよ。とうま、私に妖精がついてたの覚えてる?」
「ああ、いたな。ちっこいのが」

『使い魔が教えてくれます』というさっきの魔法少女の言葉が思い出される。

「その子がね、言ったんだよ。神殿の中にいる獣を倒せ、一番多く難しい獣を倒した者の願いを何でも叶えてやるって」









 何もまだ分かっていない。

 上条当麻は魔術師の考案したゲームに、現時点で巻き込まれてすらいなかった。










本日の投下終了。次も1週間以内に来れたらいいなと思うけど予定は未定です。

御使い堕しとか、オティがやった地球の方を移動させるとかそういう魔術の使い方があるんなら
こんなトンデモ魔術があっても良いじゃないくらいのノリで魔術の説明考えてました。

あと、こんな話を書こうと思ったきっかけが診断メーカーに禁書キャラの名前つっこんでみたことなので
診断メーカーで出た設定には一切、手を入れてません。
完全ランダム一発勝負なので変身アイテムがかぶったり口癖がかぶったり使い魔がかぶってたり外見がかぶってたりします。

紛らわしくなると思うので、そのうち外見一覧表作ります。ではまた。

第3章投下来週予定。

来週とか言ったけど投下してるうちに週が変わる。

投下します。

「えー!? ミサカもカナミンになりたいってミサカはミサカはあなたにアタックしてみる!」
「カナミンじゃねェし。つーか、そンなもンなってどォすンだよ……」

 他の魔法少女との邂逅から一夜明けて土曜日。
 上条は補習帰り、一方通行は土御門に呼び出された。ちょうど黄泉川愛穂が学校に用事があるということで車で来たそうだ。そして休日だから大目に見られたのか、高校まで打ち止めがくっついて来た。

「むむむー、特にこれと言って何がしたいというわけではなく! ミサカは変身したいのだってミサカはミサカは幼女っぽい願望と好奇心を押し出してみる」
「自分で幼女とか。ってか外見十歳で幼女自称すンなよ」
「あれ!? 幼女の定義に関するジャッジが厳しいよってミサカはミサカはあなたの意外な一面にぎゃっ!?」

 頭の上で高速振動していたアホ毛を掴まれて打ち止めが黙る。
「うあうぅ……」
 彼らは今、高校の正門から一番近い自販機前にいる。
 じゃれている二人を平和な光景だなあと見ながら、上条は昨晩の出来事を話すタイミングを探していた。この街にかかっているのは、ただ姿形を変えるだけの魔術ではない。魔術師は学生たちに何かをさせようとしている。

(獣……昨日見た、キメラみたいな動物を倒すことでポイントを得る。そして、そのポイントを競い合う……)

 稀に勘違いされるが、上条は人の善意を何の疑いもなく信じているわけではない。もし信じていたら拳を握ることなど無かっただろう。この状況下で、何が心配されるかということを彼は確かに把握していた。
 誰かが少し間違えば、この魔法少女たちのゲームは互いに足を引っ張り合うどころか、殺し合いになる可能性すらある。

(そこの小さいミサカを巻き込むのは一方通行が許さねえだろうし……)

 実際には許さないどころか、危険を承知で巻き込めば即ミンチである。
 上条もハンバーグにされる趣味は無いので、どうやって打ち止めを帰らせるか考える。そして約一万のクローンを統括する司令塔は、その不躾な視線に気付かぬほど鈍感ではなかった。
 知らぬ間に打ち止めを見つめながら黙り込んでいたようで、打ち止めが丸い目を大きく開けて上条の視線を捉えていた。

 目が合っている。

 どきりとする、というと可愛らしい表現だが実際には背筋に悪寒が走るような感覚だ。どこかと交信しているような、自分以外の目を借りてこの場を見ているような、打ち止めはよくそんな目で上条を見ている。一方通行と話している時は外見どおりの無邪気な少女に見えるというのに。

 だからなのかな、と上条は思う。一方通行と打ち止めが揃っていると安心するのは、二人が人間らしく振舞おうとしているからなのかもしれない。彼らの現在と過去と、どちらが本質かは誰にも分からない。上条にはミサカネットワークも、世界を壊すほどの力を持ってしまった人生も理解の範疇外だ。この状態を、本質が抑圧されていると表現する者もいるだろうが、『皆仲良く』が信条の上条がどちらを歓迎するかなど訊くまでもない。

 打ち止めの携帯電話が震える。一方通行が促して、渋々といった体で少女が画面を見た。

「ヨミカワが帰るから近くにいたら一緒に乗せてくれるって、ミサカはミサカは家主の好意に飛びつけない状況を」
「帰れよ」

 一方通行が少女の逡巡をぶった切り、後は我関せずとばかりに缶コーヒーを呷る。打ち止めの目が悪戯っぽく光ったことに気付かなかったようだ。

「ミサカの帰り道が心配でしょうがないのねってミサカはミサカはあなたの愛情を感じてみたりだけど、キスしてくれなきゃヤあよ♡ってミサカはミサカは要求してみる!」

 ゴフッ。

 ガードレールに腰掛けて珈琲を呷っていた一方通行が噎せた。土御門がにやにや見ている。この手の攻撃はタイミングが重要、今のはパーフェクトだったと言える。ノーガードでタックルを食らったに等しい保護者は冗談として流すタイミングを既に失っている。打ち止めの完全勝利だ。

「ねーえ」
「……げほっ、オマエ……ンな台詞どこで……」
 覚えてきた、と言いかけて、訊くまでもなくミサカネットワークかテレビか漫画だと押し黙る。この少女の情報に対する扱いは空気のようなものだ。常に大氾濫する情報の中で、それを統括するために造られたのだから。

「…………………」

 にやにやとした二対の視線に晒されて気の毒な沈黙が下りる。上条も敢えて助ける気はない。
 一方通行の手が打ち止めへ伸ばされる。

(……お、マジでやるのか?)

 どうせしたとしても額にだろうと上条も土御門もたかを括っている。白い手が少女の前髪を上げ、小さな額が露わになる。と、その時。

 ボン、と爆発音が聴こえた気すらした。一方通行が何か小声で囁き、打ち止めが一瞬で真っ赤になったのだ。

「……ふにゅう……そ、そんな顔したってミサカは流されてあげらりなんか……ってミサカはミシャッ」

 一方通行の表情は長めの髪に隠れて、正面にいた打ち止めにしか見えなかった。打ち止めが目を回した隙に、彼は少女の額を指で弾いた。

「だから早く帰れっての」

 一方通行の服の裾を掴み膨れていた打ち止めだったが、赤い目が指先を見ると手を離した。彼の手で指を一つひとつ離されることを怖れたようにも見えた。

「……約束だからねってミサカはミサカは念押ししてみる」
「ああ」









 一歩ごとに振り返っては遅々として進まなかった打ち止めだったが、曲がり角に差し掛かる前に黄泉川の車がやって来た。行動範囲を把握されているのはコーヒー中毒の一方通行が一緒だからだろう。打ち止めを乗せた車が見えなくなると土御門が訊ねた。

「何て言ったんだ、ロリコン」
「誰がだ。すぐ帰りゃ後で遊ンでやるって言っただけだ」

 上条の笑顔が凍った。台詞はマトモに聴こえるが、打ち止めの反応と合わせると総合的に問題有りだ。

「……お前らが道を踏み外さねえように祈ってるわ……」
「? オマエが一番祈りが届かねェやつじゃなかったか?」
「踏み外しても問題無いぜよ! 自分に正直になぶべらっ」

 珍しく上条が土御門にストレート勝ちした瞬間だった。






 三人は見通しの良い人影の少ない路地に移動する。

「魔術師の所属団体と素性までは分かったぜよ」
「じゃあ解決も近いな!」
「既に所属してた団体から抜けた後だったようだがにゃー」
「……そうか」
「その、抜けた団体ってのは?」

 上げて落とされた上条の横で一方通行が訊ねた。

「『東方より来る叡智(EX oriEnTE.)』っていう、どちらかというとリベラルな集団だな」
「リベラル?」

 上条が尋ねる。一方通行は既に答えを予測して苦い顔をしている。

「科学に寛容って意味だぜい」

 ウニ頭の中に疑問が踊る。学園都市にも他の魔術団体より好意的だったということだろうか。

「団体が科学寄り過ぎて離れたってことか?」
「そもそもどっちの意味のリベラルだ? 自分達でも使うって意味か?」

 グレムリンみてェに。

 上条にもやっと先程からの硬い空気の意味が知れたが、土御門は軽く笑い飛ばす。

「いやあ、東方のやつらは本当に平和的な意味での寛容ぜよ。そして、抜けた魔術師もその方向性と対立してたわけじゃない」
「どういうことだ?」

 ますます混乱する上条の隣で白い超能力者が舌打ちした。

「……確信犯か」
「おそらくな」

 この魔術を仕掛けた魔術師には悪意が無いのだ。純粋に科学の街への好意から今回の騒動は始まっている。

「一番タチ悪ィぜ」
「まったくだ」

 互いに考えは違うも、同じように溜息をつく二人に、上条は昨晩のことを話した。インデックスが聞いたゲームのゴール点、偶然会した二人の魔法少女。

「昨日の撹乱の後で他の魔法少女に会ったんだけど……」
「どんなやつだった?」

 土御門が面白がるように口角を上げる。

「紫のロングヘアーの子と黒髪のお団子の子で、どっちもバット持ってた」
「紫の髪でバットって、前に暴れたっつってた電撃使いじゃなかったか」

 あの距離で聴こえたとか地獄耳だなと上条は横目で見る。

「別の紫髪らしい。俺が会った子は無能力者って言ってた」
「自己申告か」

 赤い目とサングラスの奥の目が用心深く上条の言葉を見ている。

「あと、御坂の知り合いぽかった」

 二対の不信を払拭しようとしての言葉だったが、一人はあからさまに嫌そうな顔をし、もう一人は「がんばれ」と上条の肩を抱いた。

「は? え?」
「……超電磁砲の知り合いだってンなら、当然また接触するつもりなンだろ?」
「ああ。だって何が起こるか分かんねえし危ねえじゃん」

 それが何か? と首を傾げる上条を見る土御門の口元は笑いを堪え切れていない。

「やー楽しみだにゃー! 他の女のこと訊いて中学生にビリビリされるカミやん」
「は? 他の、女?」
「つーか、無能力者ってことは常盤台じゃねェよな。あの女そンなに交友関係広そうに見えねェけどなァ」
「お前さんは見た目どおりだよにゃー」
「うるせェよ」
「あの、お二人とも……」

 全く違う色の目が同じ温度で上条を見返す。

「え? 何でビリビリが? え?」

 何一つ分かっていないフラグ男を見る目はどちらも冷たかった。



 上条が電話すると、休日ということで御坂はコンビニにいるそうだった。駆けていく背を見送り、サングラスのアロハシャツと赤い目の白髪頭という異様に目立つ二人が残る。

「で、あのゲームルールを聞いてもお前さんは参戦しないつもりか?」
「そォいうオマエこそ」

 生ぬるい学生生活では意識することも少ないが、彼らが暗部にいた時ですら、同じグループであっても彼らの間に仲間意識は無かった。利害の一致、互いの力量への信用、そういうものが四人を結び付けていただけだ。そして暗部が解散した今、クラスメイトだというだけで無警戒に仲間だと思えるような相手でもなかった。

「俺はあンなふざけた格好になる気はねェが? オマエは願いが叶うなら、あンくらいやるンじゃねェの?」

 男子高校生としては高くはない身長で、それでも実力者として生きてきた経験が、華奢な少年の見下す顔に違和感を覚えさせない。睥睨する赤い目をサングラスごしに受けて土御門は応える。

「超能力者様は願いくらい自分で叶えるってか。……何でも叶うんだぞ?」

 たとえばお前の損傷した脳を完全に治すことも。

 囁く声は二人の間ですぐに溶ける。この街の頂点に君臨する少年は揺らがなかった。

「意味がねェな」
「そうか」

 そうして二人も帰路に着く。少し歩いたところで白い頭は振り返った。

(……あの猫男は参戦か。ったく、酔狂なこって)










「何よ! 休日に呼び出したりとかしちゃって!」

 怒っているのか顔を真っ赤にしている常盤台のエース様に上条はとりあえず謝った。

「? 悪い。ってか俺がコンビニまで来たんだから別に呼び出してなくねえか?」
「この私がわざわざ待っててあげたんだから感謝しなさいっ!」

 おう、ありがとう。釈然としないまま礼を述べる。ここで彼女が真っ赤になっている理由を他に考えつけば彼の人生は薔薇色に裏返ったかもしれないが、結果としてやってきたことのわりに自己評価が平凡なのが上条当麻である。

「訊きたいことがあるんだけどさ」
「な、なによ!」

 少女の夢を壊すのはいつだって彼女自身の理想の高さだが、この男に限ってはフラグ乱立とフラグ撃破の雨嵐を振りまいているようなものであるから仕方ないとも言える。

「お前の知り合いに『さ』で始まる子と『う』で始まる名前の子っているか?」
「………………は?」
「いや、『は』じゃなくて『さ』と」

 パチッ。

 ヒューズの飛ぶ音。もはや脊椎反射で上条は右手を前に出す。間髪入れずに防犯カメラが余波で飛ぶ程の電撃が生じた。

「うわ、何だよビリビリ……」
「久々にってか初めてかもしれない呼び出しが……」
「え? 何だ?」

 額の上で、まだ紫電を発生させている少女の声は俯いていることもあって、上条には届かない。声自体は小さいにも関わらず、地の底から聴こえるような声だ。警戒心が右手を出せと強く訴えている。

「ナンパ目的かーーーー!! アンタも佐天さん狙いなのね! それとも初春さん!? どっちにしろここで潰す!!」
「は!? ちょ、何でだよ、いや、どこを、どわっ」



 ちなみに襲来したのはローリングソバットだったので右手は機能しなかった。










「それでですね、上条さんは魔術師の被害者かもしれない二人組を捜しているわけですがね」
「……それならそうと先に言いなさいよ」
「言える時間無かったよな?」

 誤解で攻撃をした後の御坂美琴は不貞腐れていた。普段はもう少し申し訳なさそうにはするのになと上条は考える。

「それに、危険なんてあるの? もし危険なら私から言っておくわよ」
「いや、魔術だからな? 畑違いだろ、だいたい」

 お前、魔術の存在自体まだ半信半疑だろうに。

 危険だと説明しても理由が魔術では弱いのかもしれない。頑なに彼女は友人に上条を繋ごうとはしなかった。まさか、とウニ頭の中に閃きが灯る。

「もしかして、木曜の夜に暴れた電撃使いってお前か?」

 勘違いならすぐに攻撃が来るというのが上条の予想だ。攻撃は来ない。一瞬の沈黙の後で、茹で蛸のようになった中学生が否定する。

「だ、誰があんなヒラヒラした格好するってのよ! 私は第三位の超電磁砲よ! 魔法少女なんて子どもっぽいことするわけないじゃない! カナミンなんてとっくに卒業してるわよ!!」
「……お前の変身後がヒラヒラしたカナミンみたいな格好ってのは把握した」

 カマをかけてみたのだが、反応から見て大当たりである。以前、大型モニターで見た水着の趣味からしても、魔法少女のようなフリル地獄の服が本当は好きなのだろう。

「そんな恥ずかしがらなくていいと思うぜ、気にするような年でもねえし」

 少なくとも男で高校生なのに変身した上条からは、自分のフォローも含めて、こうとしか言えない。御坂はというと、どこか不満そうな顔で上条を見ている。

「私の変身姿見たわけでもないくせに」
「え、見せてくれるんなら見るけど」

 沈黙。逡巡。そして遅まきに、想像し終えたらしい思春期の電撃姫による理不尽な怒りが下された。









「だ、誰がそんなもん見せるかッッ!! 死ねッッ!!」











 という顛末を上条は帰宅後に語った。「あいつマジで意味分かんねえ」とボヤく上条の頭にインデックスが軽く噛み付いた。

 誰かがほんの少し大人だったら彼らの関係性は様変わりしただろう。例えば御坂には少女らしい恥じらいを微笑みで迎えてくれる男を、上条には包容力のある寮の管理人タイプのお姉さんを。もしそんな出会いがあったら、彼らは世間に溢れる何の変哲もない恋愛を経験し、そしてありふれた倦怠期を迎え、別れたり踏み止まったりしていったのだろうか。しかし現実に彼らが彼らである限り、そんな出会いも無ければそんな出会いに惹かれることも無い。今の関係性自体が彼らのアイデンティティの一部だ。

「前から分かってたけど、とうまはやっぱり頭の病気だね。一回死んでも治らないタイプの」

 インデックスの見る目も厳しい。神様と婚姻していると宣うシスターにも世間一般の恋する乙女の気持ちは分かるようだ。

「それでこそカミやんだにゃー。期待を裏切らないぜよ」

 義妹が俺を置いて研修に行ったと泣きついてきた土御門も一緒に夕飯を食べている。作戦会議を兼ねているため今日も携帯電話は一方通行に繋がっていたのだが、向こうも黄泉川が呼びに来て夕飯だとかで退席中だ。

「まあ、第三位が任せろって言うなら任せといていいんじゃないか。まだ本気で危なくなったわけでもないしな」
「魔術師は捕まえられそうなのか?」
「もう少しだな。警備員に先手を打たれることはないぜよ」

 囮の甲斐もあったというものだ。実際のところ面白がって囮を任された気もしないではない上条だったが、精神衛生上その考えは黙殺しておく。

「じゃあ他のやつらが獣……魔獣だっけ? あれを捕まえるとか倒すとかいうのは」
「放っといても問題無いにゃー」

 そうか?

 上条は首を捻る。魔法少女たちの変身原理は警備員には明かせない。現行犯で捕まらない限り、何をしても野放しになるに等しいが、魔獣が現れれば人払いの術式が発動する。半端な目撃情報から肉体変化や他の能力者に冤罪がかかる可能性もある。
 友人の心配を見透かして、サングラスの男が笑う。

「心配ならカミやんが参戦すれば良いぜよ。ああ、魔獣の発生場所? 一方通行かインデックス、どっちに訊いても分かるにゃー」








「クソ御門……念押しした上で足枷まで用意しやがって……」
「……面倒かけます」

 そしてまたこの面子である。今度はインデックスもいる。

「ルールを聞いた感じだと、街全体にかかってる魔術の淀んで集中してるとこが魔獣の発生地点だね。黄金系の広域展開できる術式で絞り込むんだよ」

 ちなみにインデックスは既に変身済み。赤色のショートカットに黒色の瞳、普段の彼女ともカナミンともかけ離れた姿に上条が問うと「私はアニメと現実の区別くらいつくんだよ?」とのことだった。あんなにカナミンって騒いでいたくせに。解せぬ。

「この姿、何のイメージか分かる?」

 インデックスがひらりと廻る。赫いスカートの裾が不揃いの円を描き、妖精がその周囲でチカチカ光っている。

「ヒントはね、誰でも知ってる有名な聖人で……」
「ジャンヌ・ダルク」

 上条が考えるより早く一方通行が回答した。焦らして遊ぶつもりだったインデックスが頬を膨らませる。

「とうまとアクセラレータは足して二で割ったらちょうどいいのかも」
「足したところで混ざらねェだろ」
「……そんな気もするかも」

 エントロピー増大の法則で常温の水素と金が混ざるかという勢いだ。

「お前らよっぽど俺を馬鹿にしてるな……」
「そうじゃなくてね」
「面倒くせェからもォそれで良い」

 シスターによる十字教講座が行われ、インデックスの姿は殉教者の炎をイメージしたらしいと二人より何周か遅く上条は理解した。

「赤いからステイルかと思った……」
「ステイル? なんでかな?」

 思いつきもしなかったという顔だ。ステイルが気の毒になった。





 使いこなせば魔神にも届くという知識の宝庫を駆使し、彼らは本日の魔獣の発現場所を特定した。というか、インデックスが場所を特定するのと高いビルの上から街を一望してきた一方通行が騒乱地点を知らせたのはほぼ同時だった。

「派手に騒いでる奴らがいンだが、あれ………………第四位の超能力にしか見えねェ……」

 どこかげんなりとした様子で第一位が呟く。

「第四位?」
「……浜面の同居人」

 上条は第四位と言われても思い当たらないが、一方通行が『派手に』と言うほどなのだから相応の惨状になっているのだろう。

「浜面って彼女と住んでるんじゃなかったっけ」
「彼女と小姑数名とだな。第四位はその中の一人」

 安易にハーレムと言わなかったのは、彼が第四位や窒素装甲の少女に抱く印象ゆえか。
 上条が浜面の携帯電話にかける。コール音しか聴こえない。

「虎穴に入らずんば、なんだよ」

 インデックスが無邪気に爆心地へのゴーサインを出した。








 さて、爆心地の状況を端的に述べておこう。四方八方縦横無尽にビーム光線のようなものが飛び交い、その間を動き辛そうな格好の少女たちが逃げ惑い、一部は反撃に転じていた。少女と言っても魔法少女なので、変身前は男かもしれない。精神衛生のため上条はその辺の思考に蓋をする。

「うっぜええんだよ、虫ケラどもがァッッ!!」

 ビーム光線に見えるのは解説役の一方通行によると第四位の超能力、他に凄い怪力に見える少女は第四位と協力関係にあることからレベル4の窒素装甲、その二人が守っている少女がAIMストーカーという予想だった。
 妙なところで優しい第一位様は言葉を濁していたが、守られている少女のすぐ前に盾のように控えている魔法少女は浜面のようだ。魔法少女なのにレディースものの拳銃を持っている。見た目は可愛い少女なのに立ち方が野郎そのものだ。自分もああだったかと上条は我が身を省みる。

 他方、対戦相手。こちらはチームを組んでいる風ではなく第四位一派を倒すための行動が結果として協力関係になっているようだ。動き方からして男だろうと思われる魔法少女が数名いるが、気にしないことにする。それ以前に第四位様がさっきから吐いている言葉がファンシーな格好とミスマッチ過ぎて怖い。XXをXXしてXXしてやる等。上条はインデックスの耳を塞いだ。彼女は意味を分かっていないようだったが、完全記憶能力で後から単語を調べられた日には上条が焼き殺される。

「……帰らねえ?」
「同感だ」
「何を言ってるんだよ二人とも! 迷える仔羊たちが道を踏み外さないように見守るのが私たちの仕事なんだよ!」
「十字教に就職した気はねェよ」

 現状を整理したい。滝壺は街全体にかかる魔術に勘付いていた可能性が高い。魔術とまでは特定出来ずとも、これが誰かの壮大な仕掛けだとは知っている。その上で参戦するメリット、やはり願いが叶うというのは大きいのだろうか。

「あいつらの場合、危険っていうリスクは考える必要がねェ。戦闘なンざ日常茶飯事だったからな。リスク無しで願いが叶うなら遊び半分でも参戦するだろ」

 このゲームが泥沼になることも見越して参戦するような人間に、一体何を忠告すべきだろう。となると、上条たちが止めるべきは彼女らの対戦相手の方だ。

「つーか、何でこいつら戦ってんの? 魔獣を取り合って、ってんなら分かんねえでもないけど、もういねえし。たんに憂さ晴らしなの?」

 上条の口から困惑が漏れる。一方通行はどうでも良さそうだ。

「最初は魔獣を取り合っててヒートアップして喧嘩だけ続いてンじゃねェの」

 もしくは、魔獣を狩ることより最高得点を獲得する可能性の高い魔法少女を狩ることにしたのか。
 魔獣のポテンシャルが未知数である以上、否定しきれないところはあるが超能力者に喧嘩を売る理由としては安過ぎやしないだろうか?

「相場じゃねェの? 超能力者って肩書きなンざオマエが思うより安いもンだぞ」

 第四位の一派と戦っているバットを持った黒髪のロングヘアの魔法少女と、狼を連れた水色のツインテールの魔法少女は肉体強化系の能力のようだ。

「正体が分かんねえ肉体強化の能力者も調べた方がいいかな……」

 考え込む上条の傍で、白色コンビ――今は紅白セットになっている――が何事か試していた。それに気付いて上条が目で問うと彼らは検証結果を教えてくれた。

「肉体強化の能力者は調べなくていい」
「どういうことだ?」
「体が痛くならないんだよ、とうま。痛覚がおかしいんじゃなくて本当に傷ついてないの。それに」

 えい、と赫色の魔法少女がコンクリートの壁を殴った。上条が止める間も無く、壁が拳の形に抉れた。

「え、何です、何したの? え? お前、空手の有段者だとかいうのじゃないよな? 一方通行みたいな出鱈目なフォームだったもんな」
「うるせェな、埋めるぞ」
「身体能力が全体的に底上げされてるみたいだね」

 上条が最初に会った魔法少女たち、御坂美琴の知り合いも言っていなかったか。――怪我でもしたらどうすんだ。――しませんよ。

「身体能力は上がってるが、超能力に魔術師は干渉できねェ。能力レベルによる差が運動能力で埋められるから」

 魔法少女でいる間は能力者も無能力者もあまり関係無いのだ。このルールに則った上で有利に働く能力も勿論あるが、単純な攻撃能力は躱される可能性が高い。

「それって俺にも適用されてんのかな……」
「変身して左手で壁殴りでもすりゃ分かンじゃねェの」
「俺が怪我をする確率は……?」
「半々」
「お前それで俺が手傷めたら笑うだろ」
「そォだな」

 教室のノリでふざける二人をインデックスが諌める。

「二人とも! ちゃんとするんだよ!」
「ちゃんとって言ってもなあ……」

 急に一方通行が振り返る。周囲から見えないビルの隙間を指差して早口に指示した。

「おいシスター、変身とけ。警備員が来る」
「えっ……あ、そうだね、分かったんだよ」

 赫色の背が暗い路地を照らすように走っていく。またしても上条はワンテンポ遅れて気付いた。

「そうか、人払いが切れてるから」
「こンだけ騒ぎゃ当然来るだろォさ」

 近付いてくる警備員の車両の音が上条にも聴き取れた。

「コスプレ姿のやつらが暴れてンのは見られてっだろォし、あいつらの同類としてしょっ引かれンのはゴメンだぜ」





 インデックスが変身を解除するために必要な時間は三分。警備員が駆けつける寸前に彼女はいつものシスター姿で戻って来た。警備員の車両のうち一台が、魔法少女たちの喧嘩のど真ん中に突っ込んで行った。拡声器から聴こえる声は黄泉川だ。
 魔法少女たちも目敏い数人は逃げようとしていたのだが、原子崩しが飛び交う中では、それを見て交わすのはともかく背を向けて逃げようとするのは至難のわざだった。

「あれ? 黄泉川先生のとこのお子さんじゃないですか。こんな所で何してるんですか?」

 警備員の車両の中から大人しそうな眼鏡の女が話しかけて来た。

「野次馬」
「危ないことは駄目ですからね」

 女はそれだけ言うと仕事へ戻った。先日の上条の一件もあり、彼らの関心は魔法少女に向いている。

「思ったんだけどさあ」
「ああ」
「ゲーム参加者の行き過ぎを止めるには魔獣をさくっと片付けるのが早いんじゃねえかって……」
「変身してか? せずにか?」
「顔が割れてて逆恨みされたら他の参加者に闇討ちされそうだし、変身しなきゃいけないよなあ」

 そこで上条は白い目が向けられていることに気付いた。

「オマエって発想は普通のバカだよな」
「しみじみ言うな。凹むぞ」
「それで参戦すンのってあいつらと何が違ェの?」
「…………俺は人払いを解消させるのが目的で……」

 いかにも疲れた顔で超能力者は言った。

「オマエがどンなつもりで参戦するンでも構わねェけど、正体を明かさずにあの中に突っ込むリスクは考えろよ」
「リスク?」
「上条当麻と名乗らず普段通りにやろうとしたら大火傷だぞ」
「俺より女の子の外見の方が攻撃しづらいだろ」
「どォだかな。他の奴らにはガラスの靴でもオマエには赤い靴な気がすっけど」

 赤い靴?

 首を傾げる上条の隣でインデックスが大きく頷いた。

 魔法少女たちが暴れていたのは開発も遅れて人も疎らな区画だった。喧騒は警備員に追いかけられ遠ざかって行く。「帰るか」と上条が二人に呼びかけた時だった。






















『君たちに夢はあるかい?』
















 どこからともなく声が聞こえる。大人の男の声だ。三人の体に緊張が走った。辺りを伺いながら応える。

「……変な事件に巻きこまれずに無事に高校を卒業することだよ」
「上辺だけの話は訊いていない」

 間髪入れずに否定された。

「魔術師って超能力者より思い込み激しい奴が多そォだな」
「全部一緒にしないでほしいんだよ。能力者と違って魔術師は世界中にいるんだから」
「そりゃ悪ィな」

 シスターと超能力者が声の発生源を特定した。スイッチの切り替わる音。白い靴が地面を蹴りつける動きで五十メートル程先の建物の窓が割れる。

「元気なことだ。この街の学生たちは素晴らしい」

 目が錯覚でも起こしたようだった。広場の中心に幾何学模様のフードマントが現れる。顔は見えないが、年老いた声ではない。二十代か三十代といったところだろう。

「あの猫アロハは何やってやがンだ使えねェ……」

 一方通行がぼやく。今回の土御門は魔術師の確保を最優先に動いていない。

「てめえがこの馬鹿げたゲームの仕掛人ってことでいいんだな?」

 上条が問い掛ける。いまいちやる気は起きないが、ここで捕まえてしまえば魔法少女に変身しなくてすむのだ。

「馬鹿げている?」
「ああ、そうだよ。ふざけた格好に変えて競わせて一体何がしてえんだよ」
「……ふざけた、格好……だと……?」

 落ち着いた調子で話していた魔術師が一変する。

「魔法少女のどこがふざけていると言うんだ!!! あれこそ日本の生み出した最も崇高な文化であり教義だ!!」

 あ、これ駄目な大人だ。

 超能力者と無能力者の思いが一つになった。

「カナミンは現実にはいないんだよ! 目を覚ますんだよ!」
「そんなことは分かっているとも!」

 ヒートアップする魔術師たちの傍で科学の子どもは呟く。

「いや、分かってねえからこんなアホらしい魔術かけたんだろ……」
「もォ話とか良いからあの野郎潰さねェ?」

 脱力する二人の視線の先で男は更に崇めるように演説する。

「科学の街には夢も希望も無いと私は思っていた。しかしジャパニメーションというものを見て悟った! 私はこの街の可能性に気付かなかっただけだと! 世界のどこよりもこの街こそが、究極の魔法少女の誕生に適している! いがみ合ってきた魔術と科学は、今、魔法少女によって一つになるのだ!」

 上条は嫌な予感を覚えた。が、しかし魔術師の口を塞ぐには距離が有り過ぎる。

「この街に仕掛けを施してから幾人もの魔法少女を見た。そして、ついに私は! 運命の出逢いを果たした!!!」
「おい。一方通行、ちょっとあいつフッ飛ばして」
「……さっきからやろォとしてる」

 上条の焦りを嘲笑うように魔術師の歓喜の声が響いた。

「先日、この街の大人達の前でパフォーマンスを繰り広げてくれた水色の髪の少女! 隅々まで溌剌とした英気が漲りながらも手に持つマイクからは愛の言葉が溢れていた! あの年代特有の不可解さ! 彼女こそ私の見たかった希望の象徴だ!」
「おい上条、ご指名だぞ」
「俺の悪ノリの半分以上はお前の出来過ぎたエフェクトのせいだから」

 緊張感の無いやりとりを続けながら、隣に立つ超能力者の声が硬いのを上条は感じ取った。自分には判らぬ危機でも近付いているのかと尋ねかけたところに魔術師の問題発言が響く。

「神よ、感謝します! 学園都市の穢れた科学者の手を取った甲斐があったというものだ! この運命に私は――」
「――っ、科学者……だって?」

 この街の科学者の狂気を知る二人の警戒レベルが一気に上がる。

「……こンなもンのために科学者に頭下げるとはな。オマエ所属してたとこから抜けたンじゃなくて追い出されたンじゃねェの」
「我が崇高な理想を共有できぬ同志など必要ではない。天の国への門を潜るためには犬の姿をも取ろう」

 この魔術師は誰と組んだのか。

 それが目下、最大の問題だ。魔術師と木原に組まれた日にはどんな微笑ましい魔法も惨状しか齎さない。
 焦る二人の横で、木原の脅威を知らないインデックスも不安そうに見ている。再び自分だけの理想にトリップしたらしき魔術師は演説の締めへと戻った。

「さあ、君たちも変身したまえ。たとえどんな魔法少女であろうと、願いある限り夢と希望の使者なのだから」

 最後まで言い終える前にマント姿はかき消え、広場には元通り三人だけが残った。


 三者三様に想うこともあり暫くの間は誰も口を開かなかったが、こうしていても仕方ないと一人が切り出す。

「……科学者の方は俺が調べる。クソ御門は当てになンねェし」
「あれの正体が俺だってばれてないみたいなのが唯一の救いか……」
「とうまの変身した魔法少女は可愛いんだよ?」

 無邪気な褒め言葉に二人は苦笑する。第七学区へ歩き出しながら上条がぼやいた。

「明日も補習か……」
「そォいや、新学期入ってからあったテストってまだ結果来てねェのに何でオマエ補習受けてンだ?」
「上条さんは成績もですが出席日数も問題でしてね……」
「……大変だな」

 先ほどまでの硬い空気が解れていることに一方通行は気付く。上条は無意識だろうが、戦場と日常の往復を彼が日頃からできていた方法の一端を垣間見たように思った。そして、こうして上条やシスターの隣にいるうちは、自分も何の迷いもなく家に帰ろうとすることができるのだろうと――彼にしては珍しいことに何の根拠も無く――信じた。

「お前はテストとか楽勝だったろ。御坂もあんなだけど頭は良いもんなあ……」
「さすがに全部満点とったら悪目立ちするだろォから手は抜いたぞ」
「……そんな台詞、一度でいいから言ってみてえよ」

 学生生活を謳歌するような、虚飾を塗り固めるような、そんな会話で彼らの帰路は締め括られた。






 休日が明け、月曜朝。

「皆さーん、今日は楽しいテスト返却日ですよー。上位の子達は貼り出してあるので大いに自慢してくださいー」
「鈴科くん名前載っとったで」

 青髪ピアスがホームルーム後に話しかけてくる。上条は密かに心配しているのだが、青髪ピアスが上条や土御門に対するのと転入生の鈴科に対するのでは友人としての年数以上に質の違うものがあった。どこか対等でないというと言葉が悪いが、年下の子どもを褒めるような、愛想の無い猫を手懐けようとするような接し方なのだ。

「……あっそ」
「クールやねー。名前貼り出されるのなんて慣れてるん?」
「ンなわけねェだろ。前にも言ったが俺は学校なンてほとンど来たことも――」

 鈴科九十九は病院暮らしが長かった設定だったっけと上条が思い出す。小学校には行ったことがあるが中学には行ったことがなく高校も初めて、という部分が事実なので設定と本人の振舞に違和感は無い。

「じゃあ喜んどき。あれに名前載ったら褒められてええんやで」

 日に焼けた手が白い頭を豪快に撫でる。一方通行は迷惑そうな顔をするものの逃げるのも面倒だからか憮然としたまま席に座っている。杞憂であってくれと上条は願う。彼には青髪ピアスが鈴科九十九に【アルビノ】【病弱】【男の娘】あたりの属性タグを付けているように見えるのだ。

「鈴科ちゃーん、ちょっといいですか」

 小萌が近付いてくると青髪ピアスの注意もロリ教師に向かい上条はほっとする。いつもどおりの青髪ピアスをあしらい、担任教師は補習の予定を告げた。

「上条ちゃんは全教科の補習を受けなきゃだめですー。土御門ちゃんは理系教科をいくつか受けてくださいねー。それで鈴科ちゃんですが……」

 見かけによらず豪快な彼女にしては珍しい、困った視線を転入生へ向ける。一方通行も話の見当がつかないようだ。

「あのですね、もしかしたらテストが初めてだったからなのかもしれないのですけどね、というか初めてだから分からなかったんだろうと先生は思っているのですけどね」
「……なンの話だよ」

 小萌は国語の答案用紙を一方通行の机に置いた。本来ならその教科の時間に担当教師から手渡されるはずのものであるが、担当教師も対応に困って担任の小萌へ頼んだのだろう。

「国語のテストは登場人物の心情を推し量るものであってですね、鈴科ちゃんの解答だと化学のテストになってしまうのですよ」

 上条たちデルタフォースも答案用紙を覗き込む。そして小萌の言いたいことを即座に理解した。

「……鈴科くん、これはあかんで」
「やってくれたにゃー。こんな解答初めて見たぜよ」

 青髪ピアスが呆れて、土御門が笑い転げている。万年補習組の上条にも、この答案が国語としては壊滅的なことが分かった。おそらく国語の教師にしても、教員人生の思い出に残る強烈な一枚になったことであろう。

「あのな、鈴科……国語の答案に脳内物質の化学式とか神経系の物理式は書かなくて良いんだぞ……」

 日本語より圧倒的に数式と構造式の多い答案を提出した超能力者序列第一位は、納得いかないという顔で上条たちと答案を見比べていた。





本日の投下終了ォー。
気付けば資格試験の日が迫ってて次の投下は2週目以降になる予想。

ツンデレが可愛く書けない……原作みたいに意味不明な台詞とともに襲来する美琴が書きたいのに……

超電磁砲組はアニメでしか観てなかったから
佐天さんの一人称が「私」じゃなくて「あたし」だって漫画読んで今気付いた。
脳内修正おねがいします。次から直すorz

寝落ちしそうだけど今更新しとかないと、まや数日先になってしまうから投下する。


「よしっ、魔獣やったぞ!」
『すぐ離脱しろ』

 上条の補習が終わると彼らは合流した。まだ全容の知れない魔術師と科学者に対抗するため、そして次善の策として、一先ずはこのゲームへの理解を深めることにしたのだ。
 魔獣の出現ポイントをインデックスが予測し、一方通行が他の魔法少女たちの極力寄り付かない箇所を絞り込む。魔獣の出現ポイントが当初の予想より多かったことが皮肉にも彼らの行動を手助けた。なるべく他の魔法少女との戦闘を避けること、これだけが現時点で三人の共通する行動理念だった。

 警備員たちを相手どった時と同様、魔獣との立ち回りを繰り広げるのは上条一人だ。インデックスが一方通行という最強の守りと一緒にいる方が上条としても安心して闘える。彼女も一方通行が共に控えていることで“置いて行かれた”ようには思わない。機械に疎いインデックスだけでは携帯電話の通信が切れてしまうこともあったが、その心配も無い。三人は最も効率的な共闘体制にあると云えた。

「シスター、数字見えたか」
「とうまが魔獣をやっつけた時に出たのなら見えたんだよ」

 白いシスターが双眼鏡を覗き込んでいる。一方通行が持って来たものだ。わざわざ買ったのかと上条が訊こうとしたところ、黄泉川が押入れの肥やしにしていたものを拝借してきたのだと彼は説明した。どちらにしろ高価そうな代物なのでインデックスには細心の注意を払うように重ねる上条だったが、金に気を使ったことの無い超能力者様は「借りるとは言ってあるし壊したら俺が同じの買って来るから別にいい」と宣った。「いやこれガチで良いアウトドア用品だからな! 云万円するやつだからな!」「みてェだなァ、黄泉川のやつ一度ハマると入れ込むくせに飽きるの早ェから」買った本人も無くなったところで気にしないだろうという調子だった。

 上条が撤退するのと入れ替わりくらいに他の魔法少女の姿が見える。魔獣を先に倒されたことに地団駄踏んでいるが、上条の後ろ姿が見えたかどうかという距離だった。

「あれ? とうまはどこに行ったのかな?」
「ビルの影に隠れたな。――オイ、上条」

 携帯電話はしっかり繋がっている。

『うしろから女の子の声がしたけど付いてきてないよな?』
「あァ、大丈夫だ。そのまま合流地点へ。変更は無ェ」

 高層ビルの狭間に彼らは降りた。天然の人払いのような効果を発している場所を一方通行が探したらしい。路地裏でよく見るスキルアウトどころか犬猫すら見えない。

「あ、とうま! おつかれなんだよ!」

 走って来た魔法少女をインデックスが労った。

「うっかりそのまま帰ろォとすンなよ」

 面白半分呆れ半分で一方通行が変身解除を促す。

「俺から見ると変身してるかどうか分かんねえんだよ……」

 ぶつぶつ言いながら変身が解かれていく。学ラン二人とシスターは先の魔獣捕獲にあれこれ言いながら歩く。

「前に見た子がバットで攻撃してたんだけど、別に変身アイテムで攻撃する必要無いんだな……」
「マイクとか石とかだと厳しいしなァ……変身せずに倒したらポイント貯まンねェのか今度試してみっか」
「あれ、そういやお前の変身アイテムって何だったんだ?」
「石」
「ねえねえ、じゃあ魔術で倒しちゃってもいいってことなんだよね?」

 口々に好き勝手言い合いながら歩く三対の視線の先に、ヴァイオリンケースを担いだ常盤台の制服が見えた。隣を半歩ほど遅れて歩いていた白いフードの学ランが一瞬、上条の視界から消えた。

「あれ、御坂かな。それとも妹達の方か、後ろからじゃ分かんねえな……どうした?」

 上条が振り返る。陽が沈む前の最後の輝きが目を焼き、ビルの影になった一方通行の顔は上条からは見えなかった。

「………………なンでもねェよ」
「そうか?」

 それ以上は追求せず上条は常盤台の制服姿に声をかけた。


「よお、何してんだ」

 振り返った俊敏な動きから、その少女はオリジナル、御坂美琴だと分かった。少女は下ろしかけていたヴァイオリンケースに手を伸ばしたまま突然の出会いに驚いていたが、上条の背後に白いシスターと因縁のある超能力者の姿を見つけ平静を取り戻した。

「……そっちこそ何してんのよ。学校帰りってわけじゃないんでしょ? その子も一緒なわけだし」
「あれ、一方通行がうちの学校来たのは知ってんのか」
「妹に聞いたのよ」

 ビル陰から抜け出て来た白い超能力者が夕陽に照らされて赤く染まっていた。赤い目が、じいっとヴァイオリンケースを見つめている。

「な、何よ。何かあるわけ?」
「オマエ、その中身ヴァイオリンじゃねェだろ」

 突然の指摘であったが、美琴もこのくらいでは驚かなかった。

「だからアンタは嫌いなのよ」
「そりゃありがてェな」

 憎まれ口を叩きながら、常盤台のお嬢様は三人を見渡して顎でカフェを差す。

「アンタたちも魔術がどうとか言ってたわね。ちょっと話しましょ」

 有無を言わせずに彼女は一人で進んで行く。

「……あンなのが広告塔で大丈夫なンかよ、この街は」
「まあまあ、そう言ってやるなよ」
「心配いらないんだよ。短髪だって女の子なんだから顔を使い分けるくらいできるんだよ」

 白いシスターから似つかわしくない台詞が聴こえた気がしたが、空耳だと彼らは自分に言い聞かせた。

「アンタたち、どのくらいのこと知ってるわけ?」

 カフェで注文した飲み物が来るまで彼らは当たり障りの無い会話をしていた。全く会話をしない二人を対角線上に配し、神経の擦り切れる思いをしているのは上条だけかと思いきや当の二人にも各々想うところはあるようだった。

「……魔術師には接触した」
「ふうん、捕まえられなかったってわけね」

 御坂美琴に協力を仰いで良いものか上条には判じかねた。同じ超能力者でも魔術をある意味で上条より理解している一方通行と魔術の存在にすら懐疑的な美琴では危険の度合いも違う。

「お前も面白半分で首突っ込んでんのか?」
「……面白半分なんかじゃないわよ」

 美琴がちらりと一方通行を見るが、彼は明からさまにメニューを弄び彼女の方へは一瞥もしようとしなかった。そして二人は気が短いことで局地的に有名な超能力者であり、喧嘩の呼び水としては充分な行為だった。

「子どもっぽいことしてんじゃないわよ!! アンタそんなに私と顔合わせんのが嫌なわけ!?」
「じゃあ逆に訊くが、オマエは俺の顔なンて見てェのか」
「……っ、見たいわけないじゃない! けど、アンタにも関係ある話をしてるんだからこっち向きなさい!」

 表面上は何の抵抗も無く、ただ目だけが万感の苦情を述べて白い少年が対する少女に向かい合う。血の色の眼と視線が絡むと勝ち気な少女も微かに肩を竦めたが、すぐに気を取り直して彼女の参戦理由を語り出した。

「誰かの使い魔からルールは聞いたのよね?」
「ああ」

 上条はインデックスをちらりと見る。自分の使い魔は見えないし話せない。今のところ使い魔と話をしたのは三人の内では彼女だけだ。

「魔獣を倒してポイントを貯める。そんでそのポイントを競って優勝したやつの願いが叶うんだったか」
「……ええ。願いが何でもね」

 そこで美琴はインデックスを見た。

「使い魔には何度も確認したけど、アンタにも一応聞いておくわ。このゲームのルールで言われた“何でも”ってのは、どういう範囲だと思う?」
「……なんでも、なんだよ」

 彼女の声で、科学の街のカフェが告解の場になったように錯覚する。普段はあまり見ない彼女の本質、修道女としての顔がそこにあった。

「魔術師が“何でも”って言ったら本当に何でも叶うってことなんだよ。希望を信じていれば信じるほど、人の善性を信じていれば信じるだけ、叶えられる願いへの枷は少なくなるから」

 三人が遭った魔術師は保身を考えるタイプには見えなかった。勝ち残った魔法少女が世界の滅亡を願えばそのとおり叶うのだろう。保険のかけてある確率は低い。

「じゃあ、人の命でも?」


「おい、御坂!」

 上条が隣に座る少女を呼び留める。

「まさかお前、死んだ妹達を蘇らせるとか言わねえよな!?」
「……それも全く考えなかったわけじゃないんだけどね」

 死んだクローンたちを蘇らせる。それは一面のみから見れば、余りにも希望に溢れ過ぎた願いだろう。非人道的な実験の道具として消費された存在に再び命を吹き込むのだと思えば。

「死んだ人を蘇らせるのはやめた方がいいんだよ、みこと」

 インデックスが我が事のように哀しみに満ちた目で諭した。

「一度死んだ人が生きてるってことに、人は違和感を覚えるんだよ。蘇っても迫害される人もいる。死んだって事自体を無かったことにするのも……」

 上条は魔神と二人で見た世界を思い出す。否、正確には妹達の総体も含めて三人か。絶対能力進化実験が行われず、二万人のクローンたちとオリジナルである御坂美琴、そして被験者であったはずの一方通行が笑い合える世界。

「神の奇跡は人に利用されるものじゃない。そんなことしても本当に幸せにはなれないんだよ」
「分かってるわ。前にそこのバカにも言ったけど、私はあの実験を無かったことにしようなんて思ってない」
「……あいつらの寿命か」

 それまで黙っていた一方通行が初めて口を開いた。

「そうよ」

 上条も聞いたことがある。元々実験に消費されるために造られた彼女らは寿命が長くない。何もせずに放っておけば数年も保たない命を、冥土帰しがその手で掬い上げているというのが現状だ。

「このゲームに勝てば何でも叶うんなら、……私は生き残ったあの子たちの命を願うわ」

 真っ直ぐに赤い目を見て美琴は宣言した。シャンパンゴールドの髪と同じ色の眼を見つめて一方通行はやはり興味の薄そうな態度を崩さなかった。

「信じてもいねェ力に縋る前にやる事ねェのかよ」
「……っ、私には」

 もうできることなんて――。

 美琴が両の拳を握り込む。俯き、歯を食いしばり、真剣そのものであったが一方通行は彼女の覚悟を一蹴した。

「オマエが科学を否定しても何にもなンねェぞ」
「否定してなんて」
「DNAマップの時みてェに、また利用されンのが怖くて科学者どもに近付けねェから、こンなモンに手ェ出したンじゃねェのか」
「アンタに何が――」

 激昂し立ち上がりかけた美琴を、隣に座った上条が抑える。寂れた店で助かった、と失礼なことを考える。第三位、常盤台の電撃姫は有名人だ。

「分かンねェよ。好きでこンな街にわざわざ来たやつの考える事なンざ」

 美琴を右手で押さえながら上条は思った。

(……え? まさかこっちもキレてます?)

 こんな所で超能力者大戦を起こされては上条たちも店も大惨事だ。

「利用されたのがオマエ一人だとでも思ってンのか? バカじゃねェの。浅瀬に足首突っ込ンだだけで懲りるぐれェなら二度と近付かねェ方が確かに賢明かもしンねェな」

 もはや誰の目にも彼が怒っているのは明らかだったが、その理由は上条たちには計り知れないところにあるのだろう。彼が見てきた地獄を知っている者が鬼籍の外にはいないからこそ、この白い超能力者は化け物や怪物と呼ばれて来たのだから。

 白い裾が揺れる。シスターの柔らかな手が隣に座る学ランの腕にそっと触れた。あやすようにゆっくりと、何かの合図でも送るように、話しかけるように、彼女は強張った腕に二度触れた。赤い目が自分に触れている指先を見つめ、その持ち主を辿る。緑の目と赤い目が合わさり、それで事足りた。

「……悪ィ」

 すぐに視線は逸らされ、普段どおりの気怠げに話す超能力者へと戻った一方通行は同じ超能力者としては対局に位置する第三位に言った。

「俺はオマエのことなンざ知らねェけど傍から見りゃ随分自由で恵まれてる方だと思う。あいつらが持てなかった真っ当な人生ってのを謳歌できる奴がそれをドブに捨てるよォな真似してンのを見て、それが自分のためだとして、喜ぶとでも思うのかよ」

 話はそれだけか。帰る。
 二言三言と呟くと彼は立ち上がった。その背に美琴は投げかける。

「あの子たちを言い訳にしてんじゃないわよ」
「……そォだな」

 肩越しに赤い目だけがギロリと彼女を睨んだ。


「俺はオマエが気に入らねェ。そンだけだ」

 上条が呼び掛けたが、白いフードをかぶった学ランの背は乱暴に杖をついて出て行った。ウニ頭から溜息が漏れる。

「……お前ら顔合わすなり喧嘩腰なのやめろよ」
「……」
「……御坂?」
「ちょっと黙って」
「はい」

 喧嘩の直後にしては毒気の抜けた声を上条は不思議に思う。事情を知るはずもないインデックスは微笑んでいる。

「あの子たちから聞いた時は半信半疑だったけど、……あいつ本当に人間ぽくなったわね……」
「人間だよ」

 目を閉じたままでシスターが笑う。「みんな最初から人間なんだよ」

 つられて美琴も息を吐く。肩の力がどっと抜けたようだ。「私だってね」

 彼女は話し出す。光の中を歩む第三位とて、この街で何も見て来なかったわけではない。量産化計画や絶対能力進化実験以外にも彼女は関わって来た。それを浅瀬と言われようと、だからと言って海底を全く想像できないほど愚鈍でもない。

「自分が恵まれてるのなんて分かってる。私が超能力者になったことでママやパパを危険な目に合わせてるのも」
 ……パパは元からあんまり変わらないかもしれないけど。

 豪快な父親の顔を思い浮かべて彼女は首を振る。このお節介焼きは両親どちらに似ても免れぬものだ。

「でも、だからって、今持ってるものを大事に抱え込んで何もしないなんて嫌。持ってない人は持つことを一番に考えるのかもしれないけど、持ってるものは使うためにあるって……」

 これは富者の傲慢な言い分だと彼女の声は萎んでいく。

「直接あげられたらいいのにね。私が私の人生をすり減らしてあの子たちの人生に賭けることを、あの子たちは馬鹿な賭けだって言うかもしれない。無駄遣いって怒るかもしれない。……でも、そうしたいんだから仕方ないじゃない」

「そうだな」

 上条が笑う。

「そんなら皆でやろうぜ。俺もインデックスも一方通行も協力できるんだし、独りでやろうとするのはそれこそ無駄に危険に身を晒してるってことになるだろ」

 降って湧いたゲームに固執する必要は無い。クローンの寿命は最初から冥土帰しが対処している。このゲームで解決できればラッキーだが、解決できなくとも元の地道な解決法に戻るだけなのだ。チャンスを逃すまいとすれば足元を掬われる。

「みことはひょうかを助けるときに手伝ってくれた。私だって魔術のことなら手伝えるんだよ」

 インデックスと御坂美琴の協力体制もこの頃では見慣れたものになってきた。

「ありがと。……でもアンタとはちょっと話し合うことがあるからね」
「私も短髪には色々言いたいことがあるんだよ」

 女の子たちの関係は謎だらけだと上条は思った。





「オマエの変身姿も愉快過ぎる出来だったが、青髪の野郎まで巻き込ンだのかよ」
「巻き込んだなんて人聞き悪いにゃー。あっちはあっちで遊んでたから合流しただけだぜい」

 コーヒーを飲もうと立ち寄った店で一方通行は土御門に遭遇した。待ち合わせでもしていたかのように正面の椅子に腰掛けたアロハシャツの男に吐き捨てる。

「このストーカー」
「ん? 海原のやつは今いないぜよ」

 睨みつけてもニヤニヤするばかりで効果は無い。注文していたコーヒーが運ばれて来る。土御門が追加で注文して、また周囲が遠くなる。人の目を気にしなくて良いところが気に入っていたのだが、この猫男と鉢合わせては台無しだ。
 コーヒーカップを持つ手に力が入るも、香りと温度がささくれだった心を鎮めてくれた。

「オマエは遊ぶつもりなンてねェンだろ」
「いやあ、あんな素っ頓狂な格好は遊びでもなきゃできないぜよ」
「繚乱家政だっけか、オマエの妹」
「んー? うちの舞夏をメイドさんとして雇うなら紹介はするが高いぞ」

 街が明滅している。一方通行は努めて意識を逸らそうとした。このゲームが始まってから日々、この街に張り巡らされた地脈の流れが激しくなっている気がするのだ。一度ピントが合うと無意識に拾ってしまう、この能力も不便なものだと彼は考えた。

「随分と研修が多いンだな。しかも学生の一人に的を絞ったやつが」

 上条当麻の周りは魔術の影響が少なく感じる。いかにも平凡そうな、あの幻想殺しの傍にいるときは自分もごく普通の人間になったようだ。

「たった一人の家族を遠ざけて、オマエは何を願う気だよ」

 自分が上条にしていることは、この街の科学者たちが自分にしてきたことと何が違うのだろう、と彼は考えた。ただの能力の塊だと自分を認識していた時には無かった発想だ。他人の能力だけを頼みに友人のような顔で傍にいる、そのことに罪悪感を覚える自分に気付き、なんて人間らしい思考だろうかと笑うこともできない。

 家族と暮らし、学校に行く。この平穏な日々の中で、去年の夏までとは別の閉塞感が漣のようににじり寄ってくる。

「オレが警戒してるのは、あの魔術師どもだけじゃないぜよ」

 閉塞感? 違う。これは閉塞感などという漠然としたものではない。

「まだ他に何かあンのかよ」

 頭の上から爪先まで、神経や思考の隅々まで全てを雁字搦めにする真っ白な糸だ。










「気付かないのか、超能力者……いや、この街で開発された唯一のバケモノ」










 刃。

 彼の魔法名は『背中刺す刃』だったか。
 サングラスの奥から硬く鋭利な視線が刺さる。全ての音が消えたように感じ、それが錯覚だと男の次の言葉で知った。

「思ったとおり、気付いてなかったようだな。お前の能力、去年とは比べ物にならんほど不安定になってるぞ」
「……何を根拠に、そンなこと……オマエに分かるわけねェだろォが」
「カミやんといる時は割合安定してるな。だから一人の時を狙ってみたんだが……」

 土御門がポケットから取り出したものは何かの機器だった。形は見慣れなかったが、そのディスプレイに並ぶ数字には心当たりがあり過ぎた。――研究所で嫌というほど見てきた数値だ。

「……まさかオマエ、ゲーム元の科学者と組ンだのか……ッ」
「オレの役目は科学と魔術のバランスをとることだ。その過程で誰と組むことだってある」

 科学者と直接取り引きしたわけじゃないがなと彼は付け足したが、それがフォローにならない程には元同僚である超能力者は動揺していた。

 MNWに間借りする形になってから身体検査は受けていない。電極を切り替えなければ使えない能力なら暴走の危険は無いと踏んでいたところもある。――しかし現実はどうか。電極からの接続に関わらず自分は能力を使っていることがあるではないか。
 目を逸らし続けてきた因果関係だ。そもそも彼が人間の心を封じた理由は何だったか。人間らしい感情の機微、その細やかなシナプスの瞬きが、世界を滅ぼす可能性を怖れたからではなかったか。

「お前さんが自分の頭で考えようって方向に行ってくれたのは、こちらとしても有難かったんだがな。アレイスターの傀儡でいられると手の出しようがなかった」

 土御門は少し考え、何か決心したように言葉を次ぐ。


「……これはオレの憶測でしかないんだが、お前」

 元から白い顔が比喩でなく蒼白になっている。タイミングを誤ったかと土御門は考えたが、機を逃すわけにもいかなかった。時限爆弾がいつかどこかで爆発するかもしれないなら、それを手元に置いて大切な人から遠ざけるのが彼のやり方だ。





「――脳の損傷が治りかけてるんじゃないか?」






 超能力者は答えない。
 何より恐ろしい現実が、過去が、今すぐそこに迫っていた。











 上条たちの提案は良しとして、美琴は魔法少女のゲームからすぐに降りるというわけにはいかなかった。

「お姉様、その配色でそのフリルはセンスを疑いますわ」
「こういうブランドありますよね。子供服ですけど」
「御坂さんらしいですよねー」

 ルームメイトである黒子には二日目でバレた。先に参戦していたらしい二人とも合流した。しかし美琴は彼女らに自分の参戦理由を明かせない。参戦理由を明かせない以上、降りる理由も説明できない。

「白井さんは魔法少女っぽい名前とか付けないんですか?」
「私はあくまでお姉様のお目付役ですのよ。こんな子どもっぽい真似を率先してするほどの願いもありませんし」

 変身している時はビルの屋上の縁であれ、彼女らに不安は与えない。落ちたとしても着地できるだけの運動能力が与えられているのだ。人海戦術で魔獣の出現場所を探し回っているチームもあるようだが、テレポーターがいるなら見晴らしの良い場所に陣取るのが上策だ。柵川中学コンビで活動していた時は初春が風紀委員の権限を乱用して近場の監視カメラをハッキングしていたそうだ。聞いた時は黒子の鉄拳が飛んだ。

「食蜂の派閥も参加してるみたいね……」

 美琴は頭を抱えたくなる。あの女王様は表には出て来ないだろうが、こちらはこの姿を見られてしまう。

「出ましたよ!」

 魔法少女シルク、もとい佐天涙子が指差す。

「……言いたくなかったら別にいいんだけど」

 ビルから飛び降りようとしている元気な魔法少女に美琴は言った。自分と同じ紫色のロングヘアーで武器もバット。もし自分が集中攻撃の標的になったとき、危険なのはこの勇敢な無能力者の少女ではないだろうか、と彼女は考える。

「佐天さんはこのゲームに勝ったら何を願うの?」

 桃色の大きな眼を開いて、一つ下の友人は美琴を見た。目の色まで同じだ。まるで双子のように見えるかもしれない。

「もしかして御坂さん、私が能力者になろうとしてるって思ってます?」
「う……」

 口に出せなかった疑問そのものを言われて美琴は口ごもる。その反応を見て、年下の魔法少女は姉のような顔で笑った。

「そんなこと望まないですよ。無い才能を景品で貰おうなんて」
「……じゃあ、何で参加したの?」

 自分は理由を話せないという状況が美琴から普段の調子を失わせているが、および腰の質問に対し佐天の回答は簡潔だった。

「これが非日常だからです」
「……どういう意味?」
「お祭りみたいなものなんです。あるはずないことが皆に起こって、普段はできないことができて」
「最初はびっくりしましたけどね」

 初春――今は魔法少女ガーデナーである――が相槌を打つ。びっくりしたところで、起きていることは事実として受け止めるのが学園都市の子供たちだ。彼らは不可思議な現象には慣れている。その原理を知らずとも、危機感が欠如するほどには。どうせどこかの能力者の傍迷惑なおふざけだと誰もが思っている。

「私、最初はすごく嬉しかったです。これって肉体強化の能力者みたいじゃないですか。肉体変化にもなるのかな? 詳しくないですけど。でも、やってるうちに思ったんです。これは私の能力じゃないなって」

 美琴がいまいち腑に落ちない顔をしているのを見て、佐天はごまかすように笑った。

「変ですよね、最初から能力なんて無いのに」
「あ、そういうわけじゃなくて」
「……御坂さんは最初に電気を操れたときのことって覚えてますか?」

 もう何年も前のことだが美琴はすぐに思い出せた。あの時、自分はただただ嬉しかった。まるで自分の存在理由を得たかのように錯覚して、何年もその能力を伸ばすために努力した。

「幻想御手を使って、あたしは自分の能力を知りました。でも多分あの事件がなくても、あたしはこの能力には違和感を持ったと思うんです」

 佐天の言葉に黒子が重ねる。

「それはそうですわ。お姉様が精神系の能力者になるようなものですもの。気味が悪いったらないですわ」
「ですよね」

 初春も笑った。

「能力はその人の自分だけの現実から生まれるんです。それを勝手に変えて使おうなんてしたらショートしちゃいますよ」

 彼女らの頭にあるのは一人の生徒想いの教師の顔だ。幻想御手の時は昏睡した学生たちの自分だけの現実から能力だけを引っ張ってきたようなものだった。そして四人は知らないが、昨年冬には恋査というサイボーグも方法は違うものの能力のみを同様に出力していた。能力者のAIM拡散力場に干渉する能力者もいるが、彼女が学園個人に進化するというのは今のところ仮説であり進化の方向性が違ってくることもあり得る。

「お祭りか……」

 美琴は呟いた。確かにこれは仮面舞踏会だ。他人の良識を信じるしかないが、それは普段の生活にも言えること。自分が近くにいる分、日常生活の路地裏よりは安全かもしれない。

「そうよね、私も今は超能力者じゃなくて、魔法少女パレードよ! 楽しい時だけ遊んで、つまらなくなったら一番に抜けよっか」

 美琴の言葉に三人は笑って頷いた。










「……俺、この指輪をお前にやりたい」
「はまづら、私は使えないし、これがあるから」

 鏡を抱いた彼女にばっさり斬られて浜面仕上は床に手を着く。

「そこの超フられ男、超ウザいんでどいてくれませんか」
「はぁまづらぁ、変身遅いんだから先にやっとけよ」

 同居の小姑たちからも追い打ちがかかる。絹旗はお玉を、麦野は香水を持っている。

「にゃあ、私も変身したいっ」
「あんたは駄目よ。危ないんだから」

 一見するといいお姉さんな麦野だが、振り返って第一声で浜面の心を不毛地帯へと変えていく。

「浜面はこんな事でも遅いんだから夜の方も窺えるってもんよねぇ」
「超浜面に決まってます」
「おい、お前は俺の名前自体を悪口にするの止めろよな!!」

 ぶつくさ言いつつ元スキルアウトの少年は変身する。なぜ自分だけ変身に七分もかかるのか。動けない間、晒し者だと嘆く頭の片隅で他の魔法少女たちの事を想った。
 見つけられるかが問題なだけで、この変身アイテムは学園都市の学生全員に与えられたようだ。滝壺が言っていた違和感もこれのことなのだろう。ゲームのルールについては特に思うところは無い。暗部のデスゲームに比べれば可愛いものだ。

(参加してないだろうとは思うけど、万が一の事が無いとも分かんねえし……)

 浜面の脳裏に、顔見知りの超能力者の面々が浮かぶ。

(麦野の敵になる可能性があるのは……)

 垣根はカブトムシになってからフレメアの遊び相手をしている。たまに会う彼は嘘のように大人しい。
 ハワイに同行した第三位は気性は荒くても表の世界の人間だ。能力的にも今回のゲームで有利とは思わない。
 第一位の超能力者に女装趣味があるとは思わないが、自分が巻き込まれたように周りの女性陣に押し切られるかもしれない。滝壺が接した時の様子から見ても、押しに弱い感触がした。

(あいつとだけは当たりませんように!!)

 魔法少女浜面の願いは喧騒の中に消えて行った。











「おい、どういうことだよ、これは」
「俺に訊かれても分かんねえよ」
「超浜面には期待してませんから!」
「……みんな、操られてるね」

 魔獣を倒した新生アイテム四人は無数の魔法少女に囲まれていた。こちらへの漠然とした敵意は窺えるものの、主体性の見えない動きだ。どこかにこの少女たちを操っている黒幕がいる。

「この規模で精神操作ができる能力者なんて、そういない」
「超そうですよね」

 麦野と絹旗の会話に滝壺が頷いた。

「超能力者」

 心理掌握、常盤台の女王蜂が広げた巣の中に入ってしまったことに彼らは気付く。









「お姉様……」

浜面たちが見知らぬ魔法少女に囲まれていた頃、別の場所では美琴たちも包囲されていた。

「ああああ、もうっっ! 聴こえてるんでしょ、食蜂!? もう魔獣はアンタの手駒がやっつけたじゃない! 何がしたいのよ!」

 虚ろな目の少女たちがじりじりと間を詰めてくる。
 パチッ、と瞬いた紫電に周囲の人影の動きが止まった。電撃を浴びせれば洗脳が解ける可能性はあるだろうが、それでは本末転倒だ。構えたまま互いに静止していると、包囲網の一つから声が響く。

「その子が御坂さんなのねえ」
「そうよ! ここに来て喋りなさいよ!」
「嫌よ。どうしてそんな面倒力と親切力の高いことしなきゃいけないのかしらあ」
「御坂さんは私と喋ってるわあ。それでいいじゃない」

 右からと思えば左から、前方と思った次には後方から。ぐるりと囲む魔法少女たちの口々から食蜂の言葉が囁かれる。いつぞやのように中年男性が混ざっていない分はまだ目に優しい光景かもしれない。

「お互いに目を見て話しましょうって言ってんのよ」
「穴が空くほど目を見たところで御坂さんに私の考えてることが分かるわけないじゃない」

 美琴はすぐ後ろに控える黒子にだけ聴こえるよう囁いた。

「佐天さんと初春さんを連れて離脱して」
「あらあ、ちょっと危険になったらお家に帰ってもらうなんて子どものお守りねえ、御坂さん」

 食蜂の支配下に置かれた少女たちの中に肉体強化の能力者がいたのか、初春たち二人にすら聞かれなかった声を拾われた。柵川中学の二人から視線を感じる。

「御坂さん、その子たちしかお友達がいないからって、ちょっと思考力が足りないんじゃないかしらあ」
「無能力者なんて連れて来て、どうするつもりなのお?」
「友だちがいないとかアンタには言われたくないわよ!」
「あらあ。私はいつもお友達と一緒よ? 知ってるでしょお?」
「アンタと一緒にいるのは取り巻きでしょうが」
「そんなこと言ったら御坂さんだって」

 周囲の魔法少女たちが一斉に右手を地面と平行に掲げた。無数の人差し指が美琴の背後にいる三人に向けられる。

「腰巾着が一人と、そのお友達が二人、ってことになるじゃない」
「黒子たちは自分の意志でここにいるのよ! アンタみたいに操って無理に連れて来たわけじゃないわ!」

 ことん、と魔法少女たちが首を左右に傾げる。花の首を無造作に刈り取ったように、ばらばらな動きだった。

「誤解があるようねえ。ここに私のお友だちはいないわよ?」
「……は?」
「こんな危ない遊びに付き合わせるわけないじゃない。私のお友だちは“変身アイテムなんて気にせずに”いつもどおり過ごしてるわあ」

 完全下校時刻も過ぎてるし、と続く言葉は美琴の耳には入らなかった。

「……じゃあここにいるのは」
「常盤台とは全然関係力の無い人達よお☆」

 美琴と黒子の肩から力が抜ける。強能力者以上しか在籍できない常盤台の女生徒たちの恐ろしさは内部の人間が一番よく知っている。

「アンタねえ、前から言ってるけど人の体を勝手に操るなんてやっていいと思ってんの?」
「なあにその言い方」

 ころころと少女たちが笑う。

「御坂さんは自分の能力を使っていいのに私は駄目って言ってるのお?」
「私は……」
「あなたの方がよっぽど酷いじゃない」

 ぴたりと笑いが止まる。道を埋め尽くすほどの少女たちの中にいて、彼女らの息遣い一つ聞こえない。言葉だけが人波のあちこちから聴こえてくる。

「私は私のお友だちを守ることができるわあ。あの子たちは何も知らない。全部私が操って、記憶も消してる。そして、それを悪い人達はみんな知ってる」
「逆にあなたのお友達は? 危険な目に合わされてるのはどっちかしらあ?」
「私は私のお友だちを守れる。あなたは自衛力の無い人達を突き落とすだけだわ」

 空っぽの少女たちから、その向こう側が見える。美琴は校舎で顔を合わせた時と比べるべくもなく、今この瞬間に食蜂操祈という人間と邂逅を果たせた気がした。

「無力なんかじゃないわよ」
「あらあ、説得力の乏しい発言ねえ」
「無能力者だからって何もできないわけないじゃない。私は何度も助けられたし、能力が無くたってできることはあるわ」
「それはこんなことじゃないんじゃないかしらあ」

 美琴は食蜂操祈とは気が合わない。けれど、性根が腐り切っていると心底思っていようと完璧に敵対しようとは思わなかった。彼女の取り巻きをしている少女たちは本当に無邪気に食蜂を慕っているのだ。たとえそれを食蜂が無意味と思っていようと。

「無能力者には無能力者の居場所がちゃあんとあるわあ。でも御坂さんは自分と同じところまで上がってもらいたいみたい」
「超能力者の中で御坂さんだけが必死でレベルを上げたんだものねえ。レベルへの思い入れ力が一番強いのも、無能力者を一番見下してるのも、あなたよ。御坂さん」






「魔法少女アンラッキー参上!」

 上条当麻が変身して突っ込んだのは異様な光景だった。四、五人ほどの魔法少女を無数の魔法少女たちが取り囲んでいる。人払いが解けていないことから魔獣はまだ近くにいるはずだが、彼女らの誰一人として魔獣に注意を向けていない。

『とうま、風が吹くよ』

 先ほど電話して合流した一方通行の様子がおかしかったが、追求するほどの暇もなく彼らは現場へ駆けつけた。インデックスたちが後方支援する中、上条は突風の隙間を縫って人混みの檻を作っていた少女たちに触れていく。他の魔法少女と接触しないという方針にこだわっている場合ではなかった。すぐ近くにいる知り合いに気付かれないようにというのは難儀に思えるが、その辺りは一方通行がうまくやってくれるだろう。浜面と思わしき魔法少女と目が合った気がするがバレていないことを祈る。

 突風に巻かれて操り人形の糸が切れた少女たちが倒れていく。ランダムに吹いているように見えて計算され尽くされていた風の流れが曲がる。撤退の合図かと思ったが、そうではなかった。

 魔獣だ。

 人混みが撹拌される。囲んでいた少女たちと囲まれていた少女たちが混じり合う。

「滝壺!」

 人混みの中から声がする。

「一方通行! あの魔獣!」

 携帯電話に応じたのはインデックスだった。

『とうま! 気をつけて! あの魔獣、今までのより強いんだよ! 私もそっちに』
「ちょっ、何するんですか!!」

 金髪のお団子の子がお玉を振り回して、周りを吹き飛ばしている。すごい怪力だなと見ていた上条の耳に携帯電話の向こうから舌打ちが聴こえる。

『窒素……』
「え、何だ?」

 周囲のざわめきに紛れてよく聞こえなかったが、一方通行の知り合いのようだ。
 街灯を何かが反射した。鏡だ。上条のマイクやインデックスのバットと似た造型、変身アイテムと思わしき手鏡が宙を舞った。

「返せよ!! それは滝壺の――」

 大きな腕が空を仰ぐように。綺麗な弧を描き、鏡は魔獣へ引き寄せられる。

(変身アイテムが壊れたらどうなるんだ……?)

 上条は考える。変身できない? それだけか?
 彼らの見ている中で、象ほどの大きさの魔獣が鏡を呑み込む。

「うおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 しかし直感的にそれを看過できない者がいた。

「はまづら! やめて!」

 水色の髪を三つ編みにした魔法少女が魔獣の顎の中へと手を伸ばす。赤い飛沫が舞った。魔法少女といえど傷つかないわけではない。魔獣の方へと駆け出していた上条の耳に、腕の筋が引き千切れる音まで届くようだった。

「これだけは、やれねえんだよ!!!」

 何の能力も持たずに修羅場を潜ってきた経験がそうさせるのか、それとも恋人に迫る危機を塵ひとつも見過ごせぬのか、雄叫びをあげながら血塗れの腕が引き抜かれた。すぐに代わる手で鏡を投げ渡す。仲間である黒髪ショートカットの魔法少女がそれを受け取ったのを確認して彼女は、否、浜面は安堵したように微笑んだ。

「馬鹿ッ!! 後ろ――」

 鏡が投げ渡される間、魔獣は動かなかった。何の事は無い。すぐそばに、もう一つの餌があったからだ。
 硬い金属がぶつかる音。
 複数の少女たちの悲鳴が不協和音を奏でる。指輪を付けていた右手、その手首より先が食い千切られた。













「だから何だって言うんですか」

 魔法少女シルクが常盤台の超能力者たちの会話を割った。

「あなたが御坂さんにどんなイメージを持ってようが知りませんけど、人の心の中まで決めつけないでください」
「決めつけねえ……私は事実とほんの少しの推測を話しただけよお? 過剰反応は心当たりがある徴じゃないかしらあ」
「あたしが魔法少女やってることは御坂さんと関係無いじゃないですか! 普段だって別に頼まれたから友人やってるわけじゃありません。あたしはあたしのしたいことをしてるだけです」
「……そおなの」

 美琴は背筋を氷に撫でられたように感じた。食蜂の声だ。本人は高みの見物をしているものと思い込んでいたが、あれは食蜂に似た声だとかそんなものではない。この魔法少女の蜘蛛の巣の中に女王が潜んでいる。

「なら、あなたが危険な目に遭ったとしても自業自得ってことよねえ」

 美琴たち四人が引いていた防衛ラインに、群衆が一気に雪崩れ込む。

「黒子!」
「分かってますわ!」

 操られているだけの彼女らを傷つけずに回避できるのは黒子の能力だけだ。しかし、飛距離と人数を考慮すると彼女の能力で全てを退けることはできない。いっそ怪我をさせるのは覚悟で電撃を撃つかと美琴は考える。しかし操り人形の正体が分からないことが更に攻撃の手を怯ませる。目の前にいるのは、ほんの小学生かもしれない。操られているだけの重病人かもしれない。威嚇のつもりで、美琴は電撃を発生させた。見た目は華々しい、威力の弱いものだ。しかしその試行は完璧に裏目に出た。

 操られている魔法少女は何のガードもせずに電撃に突っ込んできたのだ。動きに気付いた美琴が止めようとするも間に合わない。

 泡の弾けるような音が聴こえ、妖精のように愛らしい少女の顔の半分が焼け爛れた。

「あらあ……?」

 少女の能力が干渉した結果なのか、美琴にも食蜂にも不測の事態が起こった。

「ッッ食蜂!!!」
「なにを怒っているのかしらあ。やったのは御坂さんじゃない」

 怒りが美琴の体を支配したが、それを上回る制止が神経を支配した。美琴がどれだけ怪我をさせないように動こうと、操られている少女たちは最も被害が酷くなる所に来る。

「きゃあっ」
「初春!!」

 ピンク色のバット。初春が魔法少女ガーデナーになるためのアイテムだ。無数の少女たちに抑え付けられた持ち主の手から奪われたバットがシャボン玉のように浮かんでいる。どこからか獣の声。

「言って分からないようなら無理にでもご退場願うわあ」
「こんな野蛮力の高いことは一刻も早く終わらせたいものぉ」

 サーカスで火の輪を潜るライオンのように、人混みから飛び出た魔獣がピンク色のバットを呑み込んだ。













「妖精さん、何かお話があるのかな?」

 あの日、上条当麻の帰りを待っていたシスターは使い魔に尋ねた。使い魔は答えた。


<ルールを説明します、御主人>

















 魔法少女が魔獣を倒すと、変身アイテムに数字が浮かび上がる。魔獣を倒したことで手に入れたポイントだ。


 魔獣は魔法少女以外を襲うことはない。魔法少女とそれ以外を分ける目印は何か。


 では、魔法少女が魔獣を倒せなかったら何が起こるのか。












 雄叫びが上がる。
 トンネルを最高速度で列車が通り過ぎるような、地の底まで続く墓穴に真実を叫ぶような、聞くものの肌をざりざりと削り上げる魔獣の声。
 大きく仰け反り叫び上げる喉のすぐ下が光り、数字が浮かび上がった。





「あれは浜面の――」

「初春のポイント――!」









 魔獣の後頭部、首との付け根が膨れ上がる。真っ黒な花が咲くように広がった翼のようなものは骨格だった。
 新しい形が組み上がっていく。地を這う獣から空を飛ぶ獣へ。進化の過程を早送りするように魔獣がポイントを――つまりは魔法少女に倒された魔獣を――吸収していく。

 視界が黒く塗りつぶされるようだ。それが現実に視界を埋め尽くしているのか、正常な神経が禍々しさから目を背けようとしているのかも判別し難い。

 安否を訊ねようとして上条は気付いた。携帯電話が繋がっていない。

 右手首の千切れたところを抑えて蹲る浜面も心配だが、こちらに来ようとしていたインデックスも心配だ。
 魔獣の進化の余波は暴風というより津波のようだった。油断すると足から力が抜けそうになる。

 浜面の変身が解けていく。右手首を抱え込んだままで魔獣の雄叫びのすぐ足元から動けない。今、攻撃しなければと誰もが思っていながら体は反応できない。その状況に流星のように突っ込んで来た影があった。









 最初に目に入ったのは宝石が翼のように連なる靴。
 一目で変身アイテムと分かった。くるくるとした紫色の髪が無重力の中のように肩から浮いている。

「魔法少女ノーカウント」

 ボーイソプラノのようにも思える声が一言名乗り、甲高い音が響き渡った。





















 目を開ける。その動作で上条は自分が目を瞑っていたことに気付いた。
 何も聴こえない。さっきの高音で聴覚がいかれたようだ。魔獣がいない。浜面は蹲ったまま動いていない。他の魔法少女たちも糸が切れたように倒れている。数人の少女たちが起き上がり、浜面へと駆け寄った。

「この超浜面は!! 何やってんですか! ぶっ殺しますよ!」
「……本気で死にかけてるからな、俺……」
「減らず口が叩けるなら大丈夫ね」

 言葉とは裏腹に皆、浜面から目を離さない。お玉を持っていた魔法少女が応急処置を施していく。彼女らから数メートル離れたところに、その魔法少女は立っていた。
 予期せぬところに来てしまったかのように、ぐるりと辺りを見渡して彼女は言った。

「こんなものか」
「お前が助けてくれたのか?」

 上条は訊ねる。彼には自分が変身している姿が見えないので、気を抜くとすぐに言葉遣いが普段に戻ってしまう。

「ありがとう、助かった」
「助けた? それは愉快な解釈だ」

 インデックス扮する赫の魔法少女が駆け寄ってくるのが見えた。上条が魔法少女ノーカウントから目を離した一瞬の隙に突風が吹き荒れ、彼女は消えていた。

 倒れていた周囲の魔法少女たちが目を覚ますが、誰も自分がなぜここにいるのか分かっていないようだった。携帯電話が着信に震えた。通話。

『上条、引き上げろ』

 一言で通話は切れた。続いてメール受信。――先に帰る。

 じきに人払いも解けるだろう。上条もインデックスと目配せをし、そそくさと騒乱の場を立ち去った。











 翼の生えた魔獣が出現し、余波が落ち着くと彼女らはようやく動くことができた。

「初春!」

 ゆっくりと変身の解けていく花飾りの少女を周囲の魔法少女たちから引き離し庇う。魔法少女シルクが目を光らせる中、檻を形成する少女たちの動きが止まる。糸が切れ、立ち眩みでも起こしたように倒れかけた少女たちに再度、命令の糸が張られる。

「あっぶなぁい。なあに、今の」
「まあいいわあ。他の子も早くそんなもの手放して――」

 バサッ。

 魔獣が漆黒の翼を大きく上下する。羽ばたくためかと警戒した少女たちの前で魔獣はその翼を小さく畳んだ。操り人形たちも糸の主が訝しんでいるためか静観している。息を飲む音が聞こえるほどの間があり、そして魔獣の背にあった翼が鞭のような形で発射された。近づくにつれ、細部がよく見える。脈。葉の形。これは鞭ではない。

「――植物!!」

 朝顔の蔓が成長する様子を早送りで見るかのように、一瞬で伸び上がる暗い枝葉が変身の解けた初春に迫った。途中、美琴や黒子扮する魔法少女がいたにも関わらず、魔獣は初春飾利ひとりを明確に狙っていた。

「っ、なんで――」

 食蜂の操り人形から困惑の声が漏れる。彼女にとってもこの事態は想定外だったようだ。

「変身アイテムさえ無ければ……ポイントさえ無ければ魔獣は襲ってこないはずでしょお……!?」

 大きく開いた顎から鋭い牙が初春へと迫り来るのを魔法少女シルクが白のバットで打ち払う。渾身の力を込めたはずだが純粋な力で押し負け、彼女自身も弾き飛ばされた。
 バラバラの動きを始める魔法少女たちはそれでも人の壁として美琴たちの前にあった。

「食蜂! 殺す気がないなら今すぐこの子達をどかしなさい!」
「……それには及ばないわあ」
「御坂さんは自分の手で掴める分だけ守ってればいいのよ」

 一斉に、軍隊以上に統率された動きで魔法少女たちが動き出した。魔獣の手足を地に縫い留め、縛りつけ、人波をモーセのように割って現れた魔法少女が斧を振り下ろし倒した。
 魔獣のポイントを獲得した少女が食蜂かと注視したが、美琴には違う人間にしか見えなかった。

「御坂さん、よく考えた方がいいわあ」
「アンタにだけは言われたくないわよ」
「そうかしらあ?」
「あなたの手は私よりずっと小さいのよ」

 魔法少女たちは美琴たちに一切関心を向けずに去って行く。食蜂の影を掴もうとする気力も彼女たち四人には残されていなかった。











「あの人が帰ってこないのってミサカはミサカは相談してみる」

 上条の携帯電話に打ち止めからの着信があったのは夜半のことだった。彼女は今日の夕方以降は家にいたが、一方通行は帰宅していないらしい。

(つっても俺も心当たりのある場所なんて……)

 基本的に面倒くさがりの白いクラスメイトが一人で魔獣を狩りに行くとも思えない。非日常では何度も鉢合わせているが、普段は学校への往復の中でしか会わない。共通の友人といえば土御門だが、そいつも部屋を空けている。

(土御門と一緒か?)

 以前からの知り合いのような雰囲気だが、仲が良いという感じではなかった。というより一方通行と仲の良い人間なんて家族としての関係を築いている四人以外は知らない。

 無意識にだろうか。上条の足は或る場所へと向かっていた。手掛かりの無い中で、足を止めてはいけないという勘だけが彼を走らせる。行き着いた先は、彼らが初めて邂逅した操車場。

 風の音も聴こえない。静かな夜だ。
 はたして捜し人はそこにいた。




「俺はここで、初めて負けた」

 膝に手をつき息を整えて、上条は友人へ歩み寄る。資材の積み上がった上に学ランの上からも華奢な体が片膝を抱え込み座っている。

「俺を止められるやつがいるンだって、初めて知った」

 手を伸ばせば触れられるほどの距離で上条は立ち止まる。フードが半分外れて真白い頭頂部が見えている。

 操車場で、彼は上条を待たない。最初にあった夏と同じように、上条が勝手に彼を捜して手を伸ばす。あの日の彼は何も持たない手を広げ、今の彼は抱え込んだものを逃すまいと小さくなっている。

「オマエに言っておく。俺の能力が暴走したら、すぐに俺ごと殺せ」
「何バカ言ってんだ」

 上条も適当な廃材に座り込み言った。

「なんで俺がお前だけ見捨てなきゃなんねえんだよ」
「……壊しちまったら元には戻せねェ」
「それが怖いと思うなら」

 上条は魔神と過ごした世界を想う。たくさん創ってたくさん壊した。あの一つひとつの世界を最早全部は思い出せない自分よりも、
「お前の方が――」
「……?」

 不自然な間が空き、赤い眼が上条を訝しんだ。首を振り、笑う。

「壊れる怖さを知ってるなら生きろよ」

 神様だとか世界の基準点だとか、覆水を盆に返せる御大層な力のある存在より、取り返しのつかないことがあると知る人間の判断を上条は信じたいのだ。

「前にも言っただろ。聞こえてなかったかもしんねえから、もっかい言うぞ」

 上条は立ち上がり宣言する。

「お前が本当にしたいようにしろよ。助けが要るならいくらでも手は貸してやる」

 そして右手を差し伸べた。

「助けるよ、お前も」

 赤い眼が差し出された右手をじっと見る。彼が何を考えているのか上条には分からない。左手で杖を取りあげ、右手で白い手を引っ張る。丸くなった目が一瞬後には据わる。

「返せよ」
「うん、帰ろうな」
「そォじゃなくて、」
「黄泉川先生怒ってたぞ」
「……は?」
「夜間外出禁止令が出るかもな」
「はァ? なンでそンな――」



 強引に手を引いて二人歩く。何者でもない、誰も知らない、夜遊びをしているただの高校生のように。




本日の投下終了ねむい

次の章、原題どおりでやると「この愚かなキリスト教の僧たちを」になるんだ。
十字教に変えた方がいいか、ちょっと迷ってる。
タイトルだけだし本編にはほぼ関係無いだけど……

乙です

魔法少女ノーカウント…一体何者なんだ…(迫真)

>>78
起きてると思わんかったですよ
いつも見てくれて感謝です

第2章書いてる最中にプロットに追加があって
4章からは本筋でもくだらないとこでもフェイントがちまちま入ってきます。

魔法少女の正体は全員診断メーカーだから変更しないけど
それ以外は最終日が4/30っての以外は変更可能なくらいのゆるさ

変身後の姿、こんな感じ。
上条さん(変身後)http://i.imgur.com/XhOrezJ.jpg
文字は診断メーカーで出てきた指定。

描いてみて分かったこと:水色髪に紫目は色の暴力

設定上、上条さんは自分の変身姿を直で見れないし
感覚的にも男の体だから外股っぽくなる。

イン「とうま! もっと可愛くするんだよ!」ニコニコ
一方「上条ー、顔引き攣ってっぞー」ニヤニヤ

上条(潰したい、あの笑顔……!!)

(ちゃんと圧縮表示できてるの確認できたし寝る。)

待ってるよー

>>83
ありがと!
息抜きに総合に野崎君書いたりしてたらシリアスほったらかしになってた
次の章ちょっと長いから先にインさんの魔法少女絵をupることになると思う

ちょっと身内に不幸があってバタバタしてます
週1更新どころか月1更新すら危うくなってるけどエタらせる気は無いので保守

先に禁書目録さん(変身後)http://i.imgur.com/sshjtWH.jpg
インさんがイメージしたのがジャンヌダルクだったから
服が常に燃えてる

あんまり魔法少女っぽくはない。

インちゃん目が邪悪w
本編が読みたいです先生!

接続環境が不安定だから途中で切れるかもしれん

>>91 いつもありがとうございます。お待たせしました。

本編途中にして超科学入ってるけど
J( 'ー`)し ごめんね おかあさん物理くわしくないから


投下します。




 本当はもっと話し合うことがあったのかもしれない。後になっては何とでも言えるものだ。たとえ最善を尽くしても、正しい人生なんてどこにもない。

 春先の空気はどちらつかずだ。動けば汗は流れるが、座っていては肌寒い。

「カミやん、余所見」

 他のクラスと合同体育の時間だった。サッカーボールを追いかける合間に、見学しているクラスメイトを眺めていた。上条のクラスの転入生は杖無しでは歩くこともできないので体育の授業はほとんど見学だ。一見すると熱心に授業の様子を見つめているようだが、上条が眺める視線に気付いていないようなのは考え事の最中なのか。授業が中盤に差し掛かったところで、一方通行の隣に番外個体が現れた。何か言い合いをしているようだが、その空気は教室にいる時よりは緩んでいる。

「あの二人が気になるのかにゃー」
「カミやん、どっち狙いなん?」
「そんなんじゃねえよ……」

 青髪ピアスがわりと本気の目を向けてきて怖い。

(……お前がどっち狙いなんだよ)

 話さなければいけないことがあるのだ。しかし上条にはそれが何なのか分からない。いつだって幻想殺しは最終手段だ。転がり落ちて不幸のどん底でしか使いようのない右手を頼りにする人生など碌なものではない。

「あのさ、お前ら魔法少女やってるだろ」

 なんて真正直に訊けたらなと思うのだが現実には足踏みをするばかり。さすがに毎日顔を合わせる友人のことくらい分かるのだ。すっとぼけてるなとか、面白がってるなとか。
 だから上条が訊ねることができないのは、まだ最悪じゃない状況が自分の行動によって転がり落ちる可能性ゆえだ。

 番外個体が騒ぎ過ぎたのか黄泉川が注意して授業に戻らせる。女子は体育館の中でバレーボールらしい。

「ゴールッッ!!」

 ぼんやりしている間に上条の対戦相手のチームが二点目を入れた。

「上条ー! ちゃんとやれー!」
「わりー!」

 大声で謝る上条だが、少し離れたところにいる青髪ピアスのサボりは気付かれていない。

「今日も百合子ちゃんはかわええなぁ」
「お前の守備範囲の広さは素直に尊敬する」
「カミやんのはバスケットゴール並みに狭いんやなあ……」

 なぜかしみじみと呆れられてしまった。試合終了のホイッスルが鳴り、体育教師のもとへと気怠げに戻り始める。

「後で四階西階段、一人で」

 土御門がすれ違いざまに囁いた。上条は振り向かない。杖に体を預けて立ち上がるクラスメイトへ駆け寄った。




 一方通行は能力で人の寄り付かない場所を調べられるが、このサングラスの男は何年も己に課してきた役割ゆえに孤独な場所を探すのが得意だった。

「土御門……」
「カミやんも隠し事がうまくなったもんだにゃー」
「俺はもともと大嘘つきだよ」

 軽薄な金髪の下で、眉をハの字にして土御門が友人を見た。罪悪感を覚えるうちは嘘つきの地獄にすら行けないことを多重スパイの少年は知っている。

「で、何の用だよ」
「それもすっとぼけてんのかにゃーカミやん。今話すことなんて一つしかないぜよ」

 土御門が同時にいくつの問題を抱えているのか上条は知らない。いつだって彼は知らせるべきことしか知らせないし、腹を割って話すこともない。

「あの魔法少女」

 だから土御門が今その話題を出すなら上条に何らかの行動を期待しているのだ。

「正体は誰だと思う?」

 浜面たちの危機を救った翼の靴の魔法少女。あの時、一瞬で強力な精神系の能力が解け、場の全員が倒れ伏した。そんな真似ができる学生など上条は一人しか思い当たらない。

「あのってどれだよ、土御門」
「ごまかすのは悪手だぜぃ。カミやんだって」
「俺にそれを伝えてお前は何がしたいんだ」

 使われない廊下の埃が昼の光の中を漂う。軽いものしか動かない。深海の底で水圧に押し潰されるように、二人は微動だにせず相対していた。

「俺は」上条が静寂を破る。「あいつが隠したいってんなら暴かねえよ」
「距離を置くか? この街で、お前しか止められない超能力者と」
「誰にだって知られたくないことの一つや二つあるだろ」
「身に覚えがあると途端に及び腰だな、カミやんは」
「距離は置かねえ」

 上条は改めて自分にも言い聞かせる。

「ダチなんだよ。隠し事がいくつあっても、ああ、俺がそうあってほしいからそうするんだ。お前らだって俺の隠し事くらい気付いてたんだろ? 俺だって」

 隠し事なんてしたくはない。したくはなかった。こんなこと、疲れるだけだ。神経を擦り減らして、いつまでも削られ続けて。それでも理由があった。たぶん、あいつにも。
 優しい世界であったらいいと思うのだ。誰にとっても。

「ダチでいたいと思って何が悪い」

 意志の篭った強い視線。誰かに対する敵意でなしに、こんなにも強くなれる人間を土御門はそう何人も知っているわけではない。これは紛れもなく上条当麻という人間の異常性だ。
 肩をすくめ、金髪が黒髪に触れるほどの位置でもサングラスの奥の目は見えない。

「今はある意味、去年の夏以前よりよっぽど悪い状態だぞ」

 何を指しているのか数秒の空白の後に気付く。

「今のあいつの何が悪いってんだよ」
「安定性に欠ける」

 安定性?

 目顔で訊ねる上条に土御門が答えた。

「あれは元々戦うことなんて知らんお坊ちゃんだったろ」

 それは上条も憶えている。妹達との実験を巡って衝突した時に実感したことだ。拳の握り方ひとつ知らないやつだった。

「攻撃が最大の防御というやつもいるが、あれは逆に防御が完璧すぎて攻撃と間違われたパターンだな」
「……それで?」
「おーおー、カミやん不機嫌だにゃー。言われることが分かってるんじゃないか?」

 黙って級友を睨む。分かっている? そんなこと理解したくもない。

「カミやんは知らんと思うが、数年前に学園都市の中で大規模な能力の暴走があった」
「能力者の暴走くらい、たまにあることだろうが。……小さい子とか」
「まあ、確かに小さかったな。十歳くらいか」

 誰の話かは言うまでもない。上条の記憶には無い時間。それを以前の自分は知っていただろうか。

「暗部の記録には残ってるんだよにゃー、当時の映像。警備員の黒歴史だぜよ」
「黒歴史?」

 暴走能力者を保護するのは警備員の仕事だろうと上条が訝しむ。土御門は笑った。口の端に憐れみと自嘲が浮かぶ。


「なんせ自分の身を守ろうと逃げただけのガキにミサイル撃ち込んだんだ。黒歴史どころじゃないな」
「…………は?」

 元々早いとは自負できない思考が完全に止まった。空白の数秒間の後に訊ねる。

「どうしてそんなこと……」
「規格外過ぎたんだろうな」

 土御門はあっさりと認める。見たこともない現象に対する恐怖、武力を手にした人間の視野狭窄。

「当時、一方通行みたいな能力は存在しなかった。超能力者って枠はあったが今いる七人ほど強力じゃなかったんだ」

 麻酔銃やガスが通じていた頃にはキャパシティダウンやAIMジャマーは無かった。その必要性が明るみになったのが、あの事件だ。

「記録によれば最初はガキ同士のちょっとした諍いだったらしいな。ガキの拳からミサイルまであっという間に規模がでかくなったのは笑うしかないが」
「けど……」
「ガキに自分の身を守るな、なんてカミやんは言えんだろうにゃー」
「なんでそんなことになったんだよ……」

 絞り出した言葉は先とほぼ変わらぬものだった。

「そりゃあ誰か黒幕はいたかもしれないな。あれの能力を公にしたい誰かはいたかもしれない。だが、それがいったい何になる?」
「……」
「あいつを攻撃したのはこの街の不特定多数だし、これまであいつはそれを何とも思ってなかった。が、これからも同じとは限らない」

 奇しくもそれはロシアで一方通行が番外個体に言われた事と同じ響きだった。

「全く不思議な繋がりだよあいつらは」土御門が独りごちる。妹達の半数を殺した一方通行、一方通行を殺そうとした警備員の制服、打ち止めを殺そうとした番外個体、それらを知りながら黙り続ける研究者、そんな人間が集まって家族を構成しているなんて俄かには信じられないことだ。実際に目にしなければ土御門も出来の悪い冗談だと思っただろう。

「あの孤高だった超能力者サマが本当に人間の心を取り戻したとき、自分を排除しようとしたこの街の人間を赦せると思うか?」

 でも、だけど、否定しようとする意味の無い言葉が空回る。

「俺は、あいつが――」
「今まであれが報復行動に出なかったのは人間としての意識が希薄だったからだぞ」

 上条の反論を土御門が封じる。

「人の良心に期待するのはカミやんの良いところだと思うが、あんまり過度の期待をかけるもんじゃないぜよ」
「お前の言うことだって想像ばっかじゃねえかよ」
「皆が皆、カミやんみたいに博愛主義じゃないってことさ。良心は強制するもんじゃないぜよ」
「……俺が強制してるってのかよ」
「少なくともあいつはそう努力するだろうさ」

 飼い犬の癖でも話すかのように、人間でない種の性質を話すかのように、土御門は呆気なく言葉を並べる。

「世界の基準点。あいつはお前さんを普通の指標にしてる。……カミやん、小萌先生の授業覚えてるか? RSPK」

 さすがに上条でもそのくらいは覚えている。超能力開発の黎明期から知られる現象だ。

「こうあれと必死で頑張ってる時ほど報われず大惨事を引き起こすもんさ」

 話はそれだけだ、と土御門は階段を降りていく。サングラスの奥の目が何を見ているのか上条には計りかねた。











「わ……っと、超失礼しました」

 病室から出てきた誰かとぶつかって絹旗最愛は素直に謝った。アイテムの中では一番の常識人を自負する彼女であったが、ぶつかった相手を見ると丸く口を開けて固まった。

「え? 第一位!?」
「にゃあ!」

 絹旗の後ろから金髪がひょこりと顔を出す。見覚えのある顔を見て、怖いもの知らずの子どもが手を伸ばす。超能力者は一歩退き、保護者代わりの大能力者は襟首を捕まえて制止した。

 何事も無かったように第一位の超能力者は病室に背を向けて歩いて行く。ここは浜面の病室前だ。

(見舞い……? 本当に超いつも行動の分からない人ですね)

 廊下の曲がり角のところで第一位と入れ違いに麦野と滝壺が姿を現した。

「あのクソガキの第一位様、見舞いにでも来てたの?」

 絹旗は病室前で麦野たちを待った。四人で並ぶと妙に違和感がある。去年の春と同じようで、去年の春とは全く違う。ふわふわと長い金髪が揺れ動くたびに、彼女たちは同じ影を見る。

「さあ? 中の超役立たずに訊いてみないことには」

 ここに現れたのが第二位であったら、もっと緊迫した空気がここにあったのだろう。今はほぼ別人とはいえ、一度襲撃された記憶はおいそれと消えはしない。第三次世界大戦後に初めて会った第一位は彼女らの危機感を煽るような人格ではなかった。暗闇の五月計画の時の思考パターンとはまるで別人で、絹旗は逆に自分の頭の中にあるのは何なのかと考え込んだ程だ。麦野はまた違った印象を持っているようだが、敵対していないうちは向こうから仕掛けてくることはない。それさえ分かっていれば良かった。

「はぁまづらぁ」

 ガラリと病室のドアを豪快に開ける。ベッドの上で浜面が呆れた顔を向けた。

「おい、あの第一位ですらノックぐらいしたぞ……」
「そりゃミジンコ級小市民の浜面を驚かさないように配慮したんでしょ」

 息を吸うように浜面を罵倒して麦野は備え付けの椅子へ座った。その隣の椅子に滝壺、ベッドにフレメアが乗り上げ、彼女らの一歩後ろに絹旗が立つ、いつもどおりのポジションだ。

「で。アレ、何しに来てたのよ」

 病室の主は少し考えて「……見舞い?」と語尾を上げた。

「おい、浜面ぁ? やられたのは腕だけでしょうが。頭もやられた?」
「いや、記憶が定かでないとかではなく! 本当に何しに来たのか微妙なんだよ!」

 浜面の話を纏めると、第一位は部屋に入ってすぐに義手となった浜面の右手を一瞥し、状態を訊ねたらしい。体裁を整えるだけの前置きだが、そこまでは普通の見舞いだ。浜面が奇妙に感じたのは次の質問だった。

『オマエ、あの時魔獣を倒したヤツがどこから現れたか見たか?』

 不意をつかれて浜面は暫し黙り『見てねえ』と答えた。麦野たちが、あの魔法少女は第一位だろうと言っていたが、それにしてはおかしな訊き方だ。第一位が本当にあの魔法少女で、それを誤魔化そうとしていると仮定しても、こんな回りくどい言い方をこの超能力者が好むだろうか。

『あんたじゃねえの?』

 思わず疑問がそのまま口をつく。赤い目が顰められ心底嫌そうな顔で『どォしてそォ思う』と訊ねられた。
 それに対し、浜面は確固たる答えは持たない。麦野たちが第一位しかいないと予想していたからとしか。そして思い出す。麦野と絹旗は同意見だったが、滝壺は「分からない」と言っていた。第一位の能力で魔獣を倒したのだとしたら、AIM拡散力場を捕捉・干渉する能力者である彼女に分からないはずはない。

 浜面が黙り込んでいると第一位の超能力者は『俺はあンなふざけた格好しねェよ』と言い置いて病室を後にした。
 何しに来たんだコイツ、と浜面は疑問に思い、入れ違いに同居人たちが入ってきたというわけだ。




「第一位じゃないとか超ありえませんよ!」

 絹旗が即座に否定する。麦野が顎に指を当てて考えている。

「あの時、あの場にいたほとんどが能力によって操られてた。規模からして間違いなく超能力者。予想では第五位の心理掌握」

 あれが第五位の能力か、と浜面は肝が冷える思いがした。精神系の能力者はスクールとの一件で対峙したが、麦野とはまた別の怖さがある。

「常盤台に超保護されてるお嬢様がこんなゲームに出て来るなんて超意外ですね」
「十中八九、あの場には出て来てないだろうけどね」

 二人は第五位についても少しは知っているようだ。浜面には遠い世界の話に感じるが、目下最大の不安要因から目を逸らすわけにもいかない。

「で、その超能力者の能力を一瞬でぶち壊したのよ? 心理掌握が脳内の電気信号に干渉している以上、第三位でも第五位の能力を退けることはできるんでしょうけど……」

 麦野は少し間を置いてから断言した。

「あのお嬢様には複数の人間相手に頭の中身を弄る度胸は無いわ」
「じゃあ第二位は?」

 第二位の能力も浜面にはよく分からない。存在しないものを創り出す能力だとか言っていたが、第一位同様に応用の幅が広過ぎるのだ。

「第二位の能力じゃ、あんな一瞬にはいかないでしょ」

 そう言いつつ麦野とて未元物質を正確に把握しているわけではない。どこか自信なさげに語尾が上がった。
 滝壺は相変わらず茫洋とした目をして浜面の右手を見ている。


「……私が、守るからね」

 ぽつりと落ちた声が病室の床を染めた。





「ちょ、それはもうコスプレでしょ!? ってか、やめてよ、私がコスプレしてると思われるじゃない!!」

 魔獣と魔法少女たちの乱戦の中、青いバットの魔法少女が叫んだ。彼女の視線の先には御坂美琴――を数年成長させたようなそっくりさんがいる。

「えー? その台詞はま・さ・かお姉様? キャハハハ! マジで困ってる顔かっわいいー☆」
「ざけんなやゴルァァァァァア!!!」

 少しの雷撃とほとんど肉弾戦。見た目も中身も女の子だが、二人とも容赦が無い。魔獣そっちのけでの姉妹喧嘩が勃発していた。

「だーってミサカたちクローンは学生に数えられてないみたいなんだもーん」
「は?」
 至近距離で囁かれた番外個体の一言に美琴は固まる。

「このクソッタレな魔術をかけた奴は、紛い物は数に入れなかったみたいなのよねー」
 可哀想なミサカたち! とポーズだけは嘆くものの美琴から見えない口角は上がっている。

「それでなー、一緒に遊ぼうなってことになってん」
 少し離れた所からどこかイントネーションのおかしい関西弁。黒髪のロングヘアーに銀色の目。バットを背に担ぎ、ストラップのようにぬいぐるみを着けている魔法少女が番外個体の隣に降り立った。目が銀色というのは少し怖いな、と美琴は思った。爬虫類の目のようにも見える。

(さっきの『クローン』って一言は聞かれてないわよね……)

 この魔法少女がどこの誰かは知らないが、番外個体が信用できると踏んだのなら口を出すのは余計なことだろうかと美琴は考える。

 今日は美琴の連れはいない。風紀委員の詰所で待機している。魔獣が視界の端に入り、臨戦体勢をとろうとするところに銀色の目の魔法少女が立ち塞がった。

「ちょっと、邪魔よ」
「わいかて百合子ちゃんのために頑張ってんやから、そう邪険にせんといて」

 百合子? 誰だそれは。

 美琴が疑問に思う間に番外個体が電撃で魔獣を仕留めていた。

「あ! アイテムでやらないとポイント貯まらないのに――」

 思わず番外個体に呼び掛けた美琴に、振り返った彼女は言った。
「だからでしょうが。お姉様ぼけてんの?」

 上条は数分前、美琴と番外個体がやりあっている時から場の隅の方にいた。
(やっぱりあれが青ピかよ!! っつーか)

 百合子。

 彼が言った名前が気にかかる。上条が知る限り、その名で呼ばれる人間は――

「お姉様だってもう見てるんじゃないの? 魔獣を倒して得たポイントは魔獣を倒せなければ逆に持ってかれる。このゲームは時間経過と共に難易度が上がる仕組みになってる」

 小さな魔獣に分散されていた力が、魔法少女たちによって集められ、それを喰らう魔獣があり、力は循環しつつ集まっていく。

「まあ、ミサカはそんなのどうでもいいんだけどね。うちの白モヤシがこそこそ動いてるから、嫌がらせ☆」
「お手伝いっちゅーことやな」

 へらりと銀の目の魔法少女が補足する。それを聞いて、やはりと上条は確信した。今日は用事があるとかで一方通行は一緒ではない。

 言い合いをしながら遠ざかっていく魔法少女たちを横目に上条は考える。

(……なんで俺に隠すんだよ)

 元々、上条とインデックスとの三人で魔術師に立ち向かっていたはずだ。それなのに、どうしてこのタイミングで仲間に隠し事をするのか。

 付き合いは長くないが、上条は一方通行の性格を大体は理解している。隠し事は嫌いで忍耐強くもない。頭がいいわりに考える事を面倒くさがるところがある。
 改善しようと努力しているようだが基本的に直情径行で、やらかしてしまってから対策をフル回転で考えるタイプだ。策略を巡らす土御門のような男とは正反対の。

 そんなやつがわざわざ隠し事を? 魔法少女の姿を知られるのが嫌だという理由だけで?

 浜面を救った時、一方通行の能力を行使するために変身する必要は無かった。ゲームが他者の妨害を禁止していないから、なるべく参加を隠す必要があるだけで、一方通行なら他にどうとでも自分がやったとばれないようにする方法はあったはずだ。

(変身するメリットは、ポイントが貯まることだけだ)

 番外個体が嫌がらせだと言っているのは青髪ピアスの言うように手伝いなのか、それとも本当に妨害なのか。何と無くだが前者のような気がする。普段見ている様子からの予想でしかないが、彼女は一方通行自身に嫌がらせはしても、一方通行のすることを妨害しないように思うのだ。

(つまり番外個体が知っている一方通行の方針は魔獣のポイント潰し)

 矛盾する。

 あの翼の靴の魔法少女が一方通行だとすると違和感ばかりが表出する。まるで誰かにミスリードを仕組まれているように。誰かが一方通行をゲームに巻き込もうとしているかのように。



 帰宅するとインデックスが待ち構えていた。いつもどおり空腹を訴えかけて、彼女は上条の様子に気がついた。

「……なんでもねーよ」

 何事か言われる前に上条はスーパーの袋を下ろし、夕飯の支度を始める。

「とうまが今日、私に待ってるように言ったのは、あくせられーたがいないからかな?」

 いつの間にかキッチンの入口にインデックスが立っていた。それに気付かなかったことに自分の動揺を指摘されたような気分になる。

「あー……なんか用事があるとか言ってさ。魔獣のレベルも上がってきたみたいだし、お前ひとりで置いとくのも――」
「私は何でもかんでも首を突っ込んだりしてないんだよ」

 とうまだって知ってるでしょ、と緑の目が伝えるのを上条は直視できない。隠そうとしていることまで見透かされそうで、どうして隠しているのか自分でも分からないままでは。

「あくせられーたと話した?」
「……」

 今日はそんな時間は無かった。というのは言い訳だ。携帯電話の番号も家も知っている。話をしようと思えば、今すぐにでも帰り道ででもできたはずだ。しかし上条はそれから目を逸らすように夕飯の献立ばかり考えて帰宅した。

「……前に、あくせられーたにも言ったことがあるんだけどね」
 インデックスは胸元にスフィンクスを抱えている。旅人を惑わす謎掛けが、怪物を擁する女神から下された。

「とうまとあくせられーたは似てるんだよ。でも似てるからこそ、違う立ち位置にいる時はお互いが見えないんだよ」









――そして同じ場所に立つ時は背中合わせでしかいられないんだよ。











 携帯電話と睨めっこの一晩が明けて登校したとある高校の廊下で、上条は青髪ピアスと番外個体の二人に会った。

「はよ…………なあ、百合子って昨日……」

 魔法少女の格好であの場にいたとか、そういうことをごまかす気ももはや起こらなかった。いっそのこと全てぶちまけて全員の腹の底を引き裂いてやりたかった。
 しかし上条の葛藤に荒れる口調もどこ吹く風と青髪ピアスは至極当然のこととして認めた。

「百合子ちゃんなら昨日は一緒やったで。なあ?」

 青髪ピアスが番外個体を振り返って言う。逞しい背に隠れるように上条の視線を避けている彼女に上条は訊ねた。

「アク……鈴科、昨日お前らと一緒だったのか?」

 心なしか番外個体の視線がきつくなったように見えたと感じたのは正しかった。

「ミサカ、あなたはやっぱり嫌い」

 唐突に言われた言葉にどう返したものかと反応に困った上条に彼女は重ねて告げた。

「最初から苦手だったけど、今は苦手じゃなくて嫌い。あなたは無自覚に人から奪っていく人だよ」
「カミやんは一級フラグ建築士やからなあ」

 青髪ピアスの呑気な声が賛同する。これはいつも教室で言われるような軽口なのか番外個体の態度からは判別できない。

「あなたなんかと話したくない。まだあのモヤシの方がマシだよ」

 そう言って顔を背けてしまった彼女に質問を重ねることはできなかった。
 上条とは別の教室へ入った背中を見送り、自分の机へ向かう。一方通行も既に登校しており、自分の席で突っ伏して寝ていた。

 声をかけることはできなかった。






 番外個体は教室でもそれなりに自分らしく振舞っていると自負していた。夜遊びを繰り返した時のように容姿につられてくる馬鹿な男子生徒を顎で使い、女子生徒ともうまく距離をはかっていた。
 机を囲んで黄色い声でお喋りする女生徒たちの声を聞くのはさほど苦にはならなかった。家に帰ればいつでも世界で一番憎い人間の傍にいたのだ。平和で無知なだけの一般人など、どうということはない。
 転入初日に一方通行を捜して屋上に突撃したことは彼女の中では無かったことになっている。

「隣のクラスに入った男子はミサカの親戚なんだよね?」

 一方通行のことだ。同じ屋根の下に住んでいることをつっこまれないために、そういう設定になっている。一方通行は番外個体が作り出された理由そのものだ。遠からずとも近からずというところだと彼女は思っている。

「あのモヤシが何?」
「いつも機嫌悪そうだけど顔はいいよね」
「えー、好みなの? 怖そうだから、あたしはヤだなー」

 怖がられてやんの第一位ザマァ。番外個体は胸中で毒づく。学校で「第一位」だの「番外個体」だのと言うわけにはいかないのでお互いを呼ぶ時は「モヤシ」「おい」で定着している。

「あ、廊下」

 声につられて見てみると、ガラス窓の隙間から隣の教室の男子たちが見えた。白いフードをかぶった細い学ラン姿が混じっている。金髪アロハシャツや、青髪ピアスと並ぶと白髪も違和感なく思える。そこに並ぶ平凡な黒髪のウニ頭。

 番外個体には分からない。どうしてあの超能力者様は自分を何度も下した相手とつるもうとするのか。そして、まるでただの普通の人間のように振舞って扱われて、それのどこが楽しいのかと詰れない自分に苛立っていた。同じような年恰好の少女たちに混じること自体は彼女にも楽しいと思えるのだ。しかし一方通行も同じように思っているのだと思うと平静ではいられなかった。

(大量殺人を罪に問われることもないバケモノが今更フツーの人間ごっこなんて)

 この高校に入る時も彼女は本人に言った。バカみたい、と。彼は眉一つ動かさず「似合わねェこともやるってロシアから帰ってくる時に決めたンだよ」と宣った。自分一人で勝手に決めたくせに、その原動力の中には番外個体も当然のように含まれているのだ。やってられるかと彼女は思考を投げ捨てた。




 全ての人と協力することはできない。それは、この街の人間に限らずヒトとして生きる総てに共通の事実だ。
 それぞれが真実に迫ろうとする現時点で、最も真実に近いのは誰だろうか。


 魔術師との接触が多く、今回の主犯とも対話した上条当麻か。

 魔導図書館の異名を持ち、主犯の魔術師の夢の一端を見た禁書目録か。

 彼らが魔術に気付く前から街の異変に気付き、情報収集を続けていた食蜂操祈や土御門元春か。

 同様に早くからゲームに参加し、こと能力感知の専門家である滝壺理后か。

 出だしは遅れながらも電子情報戦に於いては無敵を誇る御坂美琴か。

 オリジナルには敵わぬながらも電子戦を得意とし別方向からの助力も受けられる番外個体と青髪ピアスか。



 逆に、主犯者と考えられている者は事の全体を把握していただろうか。

 魔術師は科学者の意図を理解していたか。
 科学者は魔術の先に待ち受ける未来を予期していたか。



 そもそも、この時点での真実に意味などあったのだろうか。









 手が届かない。




 上条は絶望が背筋を撫でるのを確かに感じた。瓦礫が舞っている。当たれば頭蓋骨など粉砕するほどの豪速で唸り上げる。異能の力が働いているのは明らかだった。崩壊するビルの柱が更に被害を拡大させる。一つの崩壊が更に一つ以上の崩壊を引き起こす悪循環。

 こんな状況をつい最近聞いた。金髪にサングラス、アロハシャツという軽薄を絵に描いたように体現する男から。
 見えざる手で弄ばれるように不自然に圧縮と膨張を繰り返す大気が其処此処に光を産み出す。


 瓦礫にもプラズマにも上条の右手は通用しないだろう。それでも彼は手を伸ばした。
 崩壊の中心で蹲ったまま微動だにしない友人に、上条当麻は手を伸ばす。




 しばし時は遡る。

「なんか今日、静かだな」

 土曜日午前のみの補習の帰り道。ツンツンとしたウニ頭を廻らせて呟いた。何が足りないのかと考える。通りの店から聴こえるBGM、遠くの風紀委員の支部が流す放送、口々に囀る小学生の走り回る足音、風の吹く方を眺めれば大きな気球が浮かんでいる。バカ騒ぎをする高校生、ゲームセンターや駅のアナウンス。

 繁華街からオフィス街へと移ろう境の三叉路で、一匹の犬とすれ違う。服を着た犬だった。今時、珍しくもない。すれ違ってから、どうしてか上条は振り返った。

 つぶらな黒い瞳。すぐ後ろで犬も首だけ振り返り、上条を見ていた。


 ――ユーガッタメール! ユーガッタメール!


 代替わりが激しいせいで着信音を設定する気の失せて久しい携帯電話からデフォルトのメール受信音が鳴った。

『xxビルの十階の非常階段』

 一方通行からだ。それを確認して上条が顔を上げた時には、犬はもう揺れる尾を見せて道の先にいた。




「よお、よくこんなとこ見つけられるな」

 一方通行の指定した場所は、いくつもの研究所が入っているビルだった。稼働中のフロアのセキュリティは厳しいが、ちょうど交代中のフロアはセキュリティなど無いも同然だった。一般に公開しているフロアもあるので、それに合わせて全体の警戒レベルは下げられているのだろう。

 呼びかけても一方通行は応えない。高層ビルの犇めく中で、彼らのいる非常階段からは誰の姿も見えなかった。もちろん、少し気合いを入れて覗こうと思えば方法などいくらでもあるだろうが、そこまでの機密事項を話そうとも上条は考えていなかった。

「あー、今日……静かだなあって思ったんだけど、なんか足りなかったりすんのかな」

 上条の振った世間話に白い髪が揺れて振り返る。

「オマエ、あれ聴こえてたのか?」
「あれ?」
 どうやら明確な心当たりがあるらしい超能力者に訊き返す。

「街中に流れてた人間には聴こえねェ音だよ」
「何それ!? そんなのあったのか!?」
「それじゃねェならどれのコトだよ」

 警備員が治安維持の為に街中に流している特定周波数の音が今日は無いらしい。どうせ詳しく説明しても分からないだろうと概要と用途だけを述べた一方通行に上条は問いかけた。

「ちょっと待てよ。それって鳴ってなきゃマズいものなんじゃないのか?」
「そォだな」

 特に危機感を煽られる事でもないのか応えは平坦だ。

「何かしらやらかす気なンだろ」
「誰が……」

 誰かが何か警備員に邪魔だてされたくないことをしている。それだけで動こうと思える人間がこの街にはどれだけいるだろう。一方通行は考える。ロシアから帰って来た頃は、目にした企ての全てを潰そうとしていたが、今日の今この時にそれができるかと言われれば、答えはノーだ。

「例の魔術師と関わりがあるか全くの別件か、どっちにしろ面倒くせェこったなァ……」
「突き止める方法は無いのか?」

 焦りをその相貌に滲ませながら、多くの人間からヒーローと呼ばれているウニ頭の少年が吐き出す。

(コイツはどンだけ余裕が無くても他人のために突っ走れるンだろォなァ)

 それは美徳だと思う反面、現在の一方通行は一時期ほどには彼の美徳を崇めてはいなかった。特に、突っ走った方が後の被害が拡大するだろうと分かっている時は、優先順位というものが自己主張を始める。一方通行は家族とそれ以外が天秤に掛かれば迷わない。

 上条とは土台が違う。最初から世界に手の届く力を持って、それを制御しなければならないのだ。自分の精神の均衡が失われれば起こる惨事くらい知っている。そして、今は自分にも在ったらしい心というものが何に支えられているか主観的にも客観的にも明らかだ。迷う余地が無い。

「俺はこの件から一旦手を引く」
「……は?」

 上条が何かしら考えをまとめる前に全てを言い切ろうと一方通行は間を置かずに重ねた。

「もともと土御門のヤロウの領分じゃねェか。あのクソアロハが動いてる以上、俺のヤることなンざねェよ」

 一方通行が上条と組む羽目になったのだって、土御門が彼ら二人を自分から遠ざけたかったからだ。あの男はこの魔術を利用する気でいるらしい。

(魔術自体というよりは街を覆い尽くす膜として利用してェよォだがな……)

 魔獣の発生を感知するためというだけならインデックスにもできる。一方通行が上条を手伝わねばならない理由など、元から無い。

「……今、手を引くっていう理由は?」
「やる気が失せたから。……それ以上なンか理由が必要か?」

 これ以上なく“らしい”理由だと一方通行は考える。自分はこういう人間だった。無気力で無関心で、そこに家族という存在が加わったところで守る範囲が自分から家族に拡がっただけだ。打ち止めと番外個体は家にいる。芳川は大学。黄泉川は車の中だが、位置は分かっている。

 守りたいのは街でも世界でもなく家族だ。ここから彼女らの安全だけを見届けられれば、他の人間などどうなろうが無視しようと決めていた。それなのに――

「必要だぜ。理由」

 このツンツン頭のヒーロー様はしつこかった。

「俺の意志にまで首突っ込むンじゃねェよ」
「本気で言ってんのか」
「はァ? オマエこそ何言っ――」

 人助けだの街の危機を救うだの、やりたいやつがやるべきだ。その考えは一致しているだろうと一方通行は隣を振り返り、後悔した。


「それはお前の意志なんかじゃねえだろ」

 黒は力強い色だと、いつからか思っていた。狭い非常階段の踊り場で、互いの能力を鑑みれば致命的な近さから、暴力的なまでに強い光を浴びる。

「ハワイの時だって博物館の時だって、お前は自分から来たじゃねえか。できるなら何の関係も無いやつでも助けたいからだろ」
「ありゃバードウェイやクソ科学者の作為あってこそだろォが」
「誰の差し金でも」

 最終的に決めたのはお前だろ。

 ヒーローは大切なことをごまかされてなどくれないのだと思い知るのも何度目だろう。自分の状態が安定していないことはもう分かっている。落ち着くまで一人にしてほしいという一方通行の思いを汲んでくれるような上条ではない。

「何なンだよ、オマエは……」
 相手が敵だろうと人間でなかろうと上条当麻は手を伸ばす。どんな悪人でも救い上げようとする右手に任せてしまうことが最善なのだと信じたい。だが、木原が上条というヒーロー属性にまで研究範囲を拡げている以上、彼に任せることはできない。

「オマエがいたら余計に状況が悪くなるっつっても退いてはくれねェンだろォな」

 その声は上条には届かなかった。

 爆音。携帯の着信音。警報。全てが一斉に彼らの周りを埋め尽くしたせいだ。びりびりと首筋の柔肌が音に震える。

「……! なんだよ、これ……!」

 一つのビルが倒壊し始める。その中層から不自然に飛び出て来る影がある。時代錯誤どころか昨今ではコスプレと間違われても文句の言えない黒いフード。魔術師だ。上条の記憶に齟齬がなければ街全体にバカみたいな魔術をかけた張本人。

 近代西洋魔術のオーソドックスな流派には空を飛ぶというものがない。より厳密に云えば、空を飛ぶ魔術師を墜とす魔術が広く周知されたために空を飛ぶ魔術は廃れた。

 あの魔術師はいつまで不安定に浮いていられるだろうか。いくつかの術式を組み合わせているのか、魔術師の動きは定まらない。ビルの壁を掠り、墜落すれすれのなりで辛うじて降りて行く。

 しかし降りた先にこそ活路は無い。

「魔術に気付いてたのは当然、俺らだけじゃねェよなァ」

 昨年九月に一方通行を暗部へと招いた男は魔術の存在を仄めかしていた。この街には表沙汰にはしないだけで、魔術の存在を知っている者がそれなりにいる。
 その中には自分達の生活を守るために魔術師に必要以上に攻撃的になる輩もいよう。いや、寧ろ彼らの方が自然なのかもしれない。このわけの分からない現象――魔法少女による争乱――が一人の部外者を消すことで収まるなら、こんな手段に出ることは当然想定されて然るべきだったのだろう。

(俺もヤキが廻ったなァ……)

 鳴り続ける携帯電話の音は上条のものだろう。彼は電話には出ようとしない。魔術師の落下を認めてすぐに階段を駆け下り始めた。その背を見ながら、考える。

 魔術師を安全な地上へ下ろすことも、上条当麻をあの争乱の中心へ飛ばすこともできず、ただ見ているだけの自分は何なのだろう。能力に依存しない人格なんてものは存在しないのではないか。超能力を取り上げたら、自分には何も残らない。現に、暴走を怖れて行動しない自分は何者にもなれていない。

 あの日、衆目の中で明かされた能力によって全てが奪われた。それは能力を否定したところで戻ってはこない。

(元の名前なンて名乗っても虚しいだけだろ……)

 上条はまだ地上へは辿り着かない。魔術師はもう地上からの攻撃範囲内だ。非常階段にいる一方通行が臨む地上の其処此処に白蟻が群がり始める。

 間に合わない。上条がどんな奇跡を起こせたところで、いや、奇跡を否定する右手の持主だからこそ、上条当麻は物理的な距離を詰めることはできない。
 第二位のファイブオーバー、量産された翼が地面に芝生のように拡がっていく。魔術師を切り刻む気なのだろう。

(量産されてるとは言っても第二位の能力を出してこれンのは暗部の奴らだ)
(土御門みてェな、最初から自分で選ンで暗部に身を置いてる奴ら)
(武器の痛み、能力の根源も解らねェ連中にアレを使わせておいていいのか)
(あの頭がおかしいだけで悪意の無ェ魔術師が殺されンのをただ眺めているのか)



 十月に、あの大通りで、垣根帝督が黄泉川愛穂を刺し貫いたときのように。




 視界が真っ赤に染まった、と思った次の瞬間には元の景色が見えた。一瞬だけ意識が途切れたような気がしたのは正解のようだ。前後で間違い探しをするまでもなく、差分が激しく自己主張している。
 非常階段に続くドアが歪んで強化ガラスが割れている。真っ直ぐだった手摺が前衛芸術のように波打っている。極めつけに「何だ、今の音!?」と数階下から上条の声が聴こえた。

 音? 一方通行は首を傾げた。体の動作がおかしいと気付く。首の座らぬ赤ん坊かぬいぐるみかのように大仰に視界が傾いている。



(音なンて聴こえナかった)





 魔術師の落下予測地点を自動算出。予想される反撃とその余波を計測、伝達済み。人員の認識する標的と音波の反響に看過不可の誤差あり。

「あの魔術師は幻覚作用を引き起こしていると複数の報告あり。以降、各自オートナビに従え」

 小柄な男が指示を出した。人間の視界を捨ててプログラムに従えと口にした男の頭にもデバイスが覆い被さっている。仲間全ての動きは一つのプログラムに統率されている。各個の能力の使用も含めて、集団として最も効率的に動けるように。状況を開始すれば彼らは一切思考しない。彼らを集めて開始の合図を出した男も同様だ。

 頭の無い集合体が思考する。第二位の能力で創られたデバイスは並列互換型だ。どの部分が脱落しても常に伝達は遅滞なく相互に行き合う。従来の電子機器と違い、電磁能力者の接続にも問題が無い。
 幻術は通用しない。二秒後には白い翼が魔術師を切り裂くだろう。魔術師は第二位やフロイライン・クロイトゥーネのようにヒトを超えた存在というわけではない。あくまで人間であるというところに魔術の真髄がある。それ故に一部の例外を除き、魔術師というものは人間的であるし人間であることに固執する。

 一月ほど前から彼らは魔術師を追っていた。誰より早くあの魔術師に気付いていたのは古株の暗部の人間だった。誰に命じられるでなく、ただ街を愛するがゆえに自ら暗部に身を置いている男だ。
 魔術師が木原の一部に接触したのはすぐに知れた。しかしそれを安心材料と取る暗部はいない。木原を知っていれば当然のことだった。寧ろそれは本格的に魔術師への対処を練る合図となった。
 木原が傍にいる間は手出ししない。木原の恐ろしさを知っているからでもあるが、学園都市内部の潰し合いを防ぐ意味もある。あんな狂気という言葉さえ生温い科学者どもでも学園都市の貴重な頭脳だ。
 そしてやっと木原の目を逃れたのが今日というわけだ。街に張り巡らされた監視網の潰せるものは事前に全て潰した。ナノデバイスにも誤情報を撒き散らす微粒子を撒いて撹乱する。

 《開始。》

 頭部のデバイスが告げる音は自分の声として聴こえるように設計されている。デバイスの指示したことが全て個々の意思であるように認識されるためだ。システムの短所も長所も同じところに帰結する。当人が同意していれば、これはより明晰な頭脳を手に入れるに等しいものだが、同意がなければただの洗脳の道具だ。
 もし誰か地上から見ている者があれば、魔術師の落ちる先で無数の白い鋏が天を向いて刃を広げた光景が見えただろう。
 上条当麻は間に合わない。木原が注目したヒーロー属性というものには彼らも注意している。あの平凡そうに見える高校生が間に合わないのは事前に確認済みだ。
 肉眼にはいくつかの不可解な現象。デバイスが観測した記録では一部の不自然な大気中の分子変動があり、それでも魔術師の体は未元物質の切っ先に刺さり――




 ――ぐにゃり。

 刃の先が熱された飴のように溶けた。プログラムにエラーが起こり、白蟻たちの動作が止まる。魔術師もなぜ助かったか分からずに白い刃の絨毯の中で辺りを窺っている。
 上条もその光景を見ていた。そして、何度目かの携帯の着信音に、やっと気付く。

「はい、上条」

 誰からの電話か分からないのでとりあえず名乗る。

「おっせーよ! 大将! うちの女神様が止めてる間に何とかしてくれ!」

 何がどう作用した結果か上条には理解の範囲外だったが、浜面の知り合いが時間を稼いでくれたということさえ分かればいい。
 残りの階段を駆け下りる。上条が地上に降りた頃、駆動鎧の緊急脱出用の蓋も開き始めていた。この距離では彼らの攻撃が魔術師に届く方が早い。
 水流操作の能力者なのか市販のペットボトルからアイスピックのような刃が形作られ、溶けた未元物質に足を取られている魔術師へ襲い掛かった。

 そして、それを蹴り飛ばして舞い降りる魔法少女がいる。

「魔法少女≪全ての妹メイドはオレのもの≫参上だぜよ!」
「お前もう全く隠す気ねえな!!」

 使い魔であろう狼を連れた水色のツインテールの魔法少女――もとい土御門に上条は全力で叫んだ。上条は変身しても身体能力が上乗せされないが、他の魔法少女は跳躍力や回復力が飛躍的に上がる。息を切らして走りながら自分の体質を恨めしく思う上条だ。

「土御門!?」

 駆動鎧から這い出た数人に動揺が見える。

「……なんで邪魔するか聞いてもいいか、多重スパイ」

 小柄な影が魔法少女に近付く。

「今はこの魔術師が必要だから、だ」
「この争乱を長引かせるリスクを考慮しても優先することか」
「…….あー、ああ。リスクに関しては何より優先するべきことだぜよ」

 彼らが会話する背後でも別の攻撃が魔法少女によって叩き落とされていた。
 見覚えのある翼を模した靴、紫のふわふわとした髪、魔法少女ノーカウントだ。青色の目が上条を無感情に見た。つい最近その目を見たように記憶のどこかが刺激されて上条は戸惑った。

 足元に弾丸が突き刺さる。何の変哲もないごく普通の拳銃による攻撃だ。反応が追いつかなかったのか、乱射された弾丸のうちの一つが魔術師のフードを貫いた。

「…ッこのバカ野郎!!」

 土御門が叫んだ。未元物質は滝壺によって制御とまではいかずとも一時的に停止している。残るは大能力者以下と物理的な攻撃で向かってくる戦い慣れた暗部の連中。土御門と上条、正体不明の魔法少女の三人で退けることができるか上条は考える。

 あの魔法少女は誰なのか。

「オレが冗談で言ってると思ってるのか知らんが、今その魔術師を殺せば例え話じゃなく世界が終わるぞ!」

 黒いフードで分かりづらいが弾丸は当たったのだろう。魔術師は生きているが動かない。
 大気が揺らぎ、雲が早送りで再生されていく。


「おい、土御門、何が起こってんだよ、これ……」
「……街全体を覆ってた結界が解けかけてる」

 半ば独り言のような返答に上条の疑問は膨れ上がるばかりだ。それはこのゲームが中止されるだけではないのか。土御門には何が見えているのか。

「おい、カミやん。あの魔法少女、一方通行だと思うか?」
「俺は違うと――」

 答えは必要なかった。空が薄くなったような錯覚があり、目の前の水色のツインテールの魔法少女の変身が解けていく。同じく、翼の靴の魔法少女の変身も解け始めた。
 彼らの魔法は解けるには一分もかからない。全て解ける前から正体は見えていた。土御門はバカみたいな柄のアロハシャツが、そしてもう一人の魔法少女は――

「……………………え?」

 消えた?

 向こう側の風景が透け始める翼の靴の魔法少女に困惑する面々の前に現れたのは一匹の犬だった。服を着ている。その珍しくもない格好に、上条は見覚えがある。

「客人は死んだのかね」

 犬が話した。どういう喉と舌の構造をしているのか考えるのも恐ろしいが、その犬が確かに話すのを彼らは目撃した。

「――木原脳幹!!」

 一瞬で上条以外の居合わせた面々に理解の波が走る。

「え、有名な犬なのか……? ってか喋る犬」
「まさか学生以外が参加してるとはにゃー」

 学生ってことより前に犬も参加できるのかと目を白黒させる上条を何歩も後ろに追いやって暗部の男達は話を進める。

「そっちのサブカルかぶれの魔術師は出来たら即座に結界を張り直してほしいんだがにゃー。……このままじゃちょっとマズいぜよ」
「さっきからお前、何を焦ってんだ? 魔法少女がいなくなるなら寧ろ――」

 万々歳だろう、という台詞は言えなかった。

 最初に感じたのはどれだろう。
 昼が夜に変わった。
 地面が揺れ出した。
 酷い竜巻が現れた。
 それらは同時に起きたようにしか思えなかった。――少なくとも、まともに立つこともできなくなった彼らに確かめる術は無い。

「……最悪だ」

 土御門がいつものわざとらしい語尾も失っていた。地面に伏してもまだ悪態が吐けるだけマシというものだ。その場に居合わせた半数以上は突然の天変地異に一声も発せない。息すら詰めていた者が、やっとの事で呟く。

「……なんだよ。……何が起こってんだよ」
「お前さん達が引鉄を引いたんだがにゃー」

 サングラスの下の半笑も冷や汗が見えれば状況の悪さを示すものでしかない。

「カミやん、一方通行はこの近くにいるんだよな……?」
「え? ……あ、ああ。でもあいつでもこんなの止められるか――」
「違う」

 地響きに掻き消されて、半ば叫ぶように話し合う。上条の答えも待たずに土御門は断言した。



「これはあいつの能力が引き起こしてるんだ」




 黄泉川がその事態に気付いたのはビルが倒壊し始めた時だった。すぐに車の無線で支部に繋ぐ。砂嵐。学園都市外なら二十年前のテレビの雑音に例えるだろう音が鳴る。やっと繋がった支部の留守役と何度も聞き直しながら状況を確認する。

「とにかく! 現場にこのまま向かうじゃんよ!」
「――! ――!!」

 無線機の回線の向こうから制止の声が聞こえるが黄泉川は回線を切った。携帯で芳川へ連絡を取ろうとするが繋がらない。電話は諦めて短い文面を送る。



 ――子ども達を頼むじゃんよ。




 魔法の解けた犬は冷静に状況を観察していた。この天変地異は確かに第一位の超能力者によるものだろう。明らかに暴走しているが。

(ふむ。何が原因かね……。単純に、期が熟しただけか……)

 科学者全員に死の恐怖が無いわけではない。木原一族には恐怖より好奇心が勝る者が多いが、彼は一族の中でも異端に属している。現時点で自らの死期を延ばす術が無いなら残された時間を有用に使うのみ。科学のための科学は例え次の瞬間に人類が滅びるとしても止まない病だ。それは二進法しか持たない虫に似ている。科学を突き詰めても結局は快と不快しか無い単純な生き物にしかなれない。

 そこに何が無いのか彼らは知らない。興味が無い。彼も敢えて知らないフリをする。無いことは知っていても足りないとは思わない。興味は有っても手に入れようとする程の情熱が無かった。

(結界、と呼んでいたか)

 魔術師の言う結界とは科学者に言わせれば境界線だ。その線を境に、何らかの成分の数値が不自然な差異を記録する。何も変わらないということは無い。現時点で記録できないとしたら、それは記録する装置の性能不足だ。現象が起こるためには連なる因子が必要であり、それを証明するのが科学だ。

 彼は科学者であるがゆえに魔術を否定しない。魔術と呼ばれるものが存在することを知っている。そして超能力と呼ばれるものの本質が未だに解明されてはいないことにも、超能力と魔術との奇妙な類似点や相関性にも気付いている。

(結界の中で修復の完了した第一位の脳が、結界が解かれたことにより認識容量超過の情報を受け取ったのが原因かね……)

 木原脳幹は考える。第一位自身は自分の能力を“触れた”物質のベクトルを操るものと言っていたし、多くの科学者もそう思っている。しかし、それでは矛盾が生じるのだ。
 あの能力は“触れた”部分に発揮されるものではなく認識の届く範囲に発揮されるというのが彼の見解だ。そして、その認識可能範囲は常に拡がり続けている。昨年九月末の超能力としては説明のつかない力、それに駄目押しとして十月上旬に未元物質を解析させてしまったことが解析範囲のストッパーを外したのだろう。

(安全のために本人には本人の能力を知らせない、と主張した研究者がいたが、あれは的を射た言だったな)

 悪意を持って扱われることを怖れてではない。つまりあれは能力が肥大し過ぎて本人の手にさえ負えなくなることを危惧していたのだ。

 超能力は認識の隙間に発生する。では、その認識が第三者の手によって大幅に弄られてしまえばどうなるか。答えは今、目の前にある。

(世界を壊す引鉄を引くという大業を名もない暗部の一学生が為したか。大惨事の引鉄を一市民が引くなど歴史には溢れた記述だったが、人間の営みというのは何とも脆いものだな……)

 そして同時にこうも考えた。なぜこの惨事を前にして魔神どもは手を出してこない?

 状況は最悪だ。まだ大地震程度の被害に収まっているが学園都市とそれ以外の災害対策レベルを前提とすると、学園都市が崩壊すれば一分後には地球の裏側にまで被害は到達するだろう。

(魔神どもにもこの世界は必要な場だと思っていたが、……ただの思い上がりだったか)

 滅びればまた作ればいい程度の認識かもしれない。何にせよ、と木原脳幹は夢想から還る。自分にできることは現時点で何も無いし、これを止めることは自分の管轄でもない。




 上条当麻は半ば這うように足を進めていた。場所は分かる。さっきまでいたビル。五分もかからず駆けた距離だ。揺れる地面に数歩おきに手をつきながら進む。手元は暗い。昼が突然夜に変わったのかと思ったが、それは大魔術の下で起こる現象を見てきた上条の早とちりだった。空のあちこちに穴が空いたように黒いものが浮かんでいる。――いや、“空いたように”というのは語弊がある。それは実際に大気圏に空けられた穴だった。
 いくつもの小規模なブラックホールのようなものが奇跡的なバランスを取りながら存在している。馬鹿げた光景だった。少しでもバランスを崩せば学園都市どころか地球が滅ぶだろう。空気の膨張と圧縮に耐えかねて暗い闇の其処此処で赤いプラズマが光っている。原型を留めていないビルから、瓦礫が引っ張られて飛び回っている。

 世界の終わりのような光景の中心に彼はいた。

「一方通行!!」

 中空を見つめる目に光が無い。声も届いていないようだ。瓦礫の塵がうず高く積もる中で、一方通行の座り込む場所だけが平地として残っていた。

 ――いいか、カミやん。右手でやるな。現象は既に起こってる。収束させるにも能力が必要だ。

 土御門の言葉だ。彼は魔術師の治療をしている。一方通行を、友人を止めるのは上条の役目だ。

 もう一度呼び掛ける。
 手を伸ばす。
 油の切れた人形のようにぎこちなく、白い頭が動く。焦点の合わなかった赤い目が、何度目かの瞬きの後でようやく上条を捉えた。

「…………」

 音を伴わない呟き。しかし確かに上条は自分の名が呼ばれたのを聴いた。

「帰ろうぜ、“鈴科”」

 左手を差し伸べる。ここに居ていいのだと、何一つお前から取り上げるものは無いのだと、そう伝えたかった。差し伸べた手をじっと見つめる赤い目。繊細に造られた指先が痙攣するように動いた。おずおずと、触れることを恐れるように色素を持たない指先が上がり――

 暗転。

 光が戻ると九十度傾いた視界。遅れて上条は理解した。飛び回っている瓦礫の一つが上条に当たったのだと。
 体に力が入らない。眼球のみの動きで友人を探す。いた。伸ばそうとしていた指先を握り込んで上条を見ている。いけない。本能が警告した。錯覚でなく揺れている視界の中で、分かるはずのない仔細が手に取れた。息を呑み、カタカタと震え出す細い体。上条の意識が闇に転がり落ちる坂道の途中で、悲鳴が聴こえた。
 もう誰も助けてくれなくていい。放っておいてくれ、と言っているようだった。


 ――っざ、けん…….な……






 誰かに呼ばれたような気がした。


 今いるのが夢か現かも定かではない。見つめる空は黒いものに覆われている。あれは良くないものだと判るのに取り除こうという気が起きない。あの黒い幕を取り去ってしまったら警備員のヘリが自分を撃とうと狙っているのだ。振り向けない背後にも有事の際にしか使われないような装甲車両が並んでいる。

(……ちげェ)

 それは現在ではなく、数年前の出来事だと頭では解っている。あれから研究所で過ごした数年と所外で暮らし始めた数年があり、思考停止と愚行の果てに色んな人間に出会い、警備員なのに子どもに武器を向けないと豪語する女の存在も知った。

 だからこれはただの妄想だと解っているのに動けない。自分の頭の中で回り続ける演算を止められない。ヘリのプロペラや装甲車両の地響き、警備員のスピーカーの音が聞こえる。どれも今では使われていない型だ。

(……な、ンだ、コレ……)

 数年前の記憶が今リプレイされる意味が分からない。こんなものを後生大事に抱えるつもりは無いのだ。できるならすぐにでも忘れてしまいたい。

 消去を一心不乱に望む傍らで、数年前には気付かなかった感情の存在に気付いてしまう。何度も手の中の灯りを失いかけた今だから分かる感情だ。ロシアの雪原で、垣根との闘争で、木原数多との殺し合いで、遡れば実験で人の形をしたものが二度と動かなくなるのを眺めていた時も、自分はこの感情を抱えていた。

 焦りと恐怖。

 警備員の持つ武器が自分に傷をつけられないことは最初の攻撃で解った。その後の時間はずっと、攻撃した誰かが死ぬのを見ていた。自分はただ死なないだけで、この攻撃を止めることもできなければ、あのヘリを操縦する誰かが死ぬのを防ぐこともできない。自分の存在のせいで多くが死に、都市が屍の山に変わる。

(反射しねェと死ぬぞ)

 斜め後ろから囁く声がして、否定する。

(……それは昔の話だ。今は誰も殺さねェで収められる)

 そう分かっているのに焦りが両肩を強く掴んで動けない。次の一瞬で自分に当たって跳ね返った弾丸が警備員のヘリや車両を炎上させる。それが決まりきった未来のように思える。
 今度死ぬのは黄泉川かもしれない。ヘリの墜ちる場所によっては芳川や番外個体、打ち止めも死んでしまうかもしれない。

(俺が殺すンだよ)
(俺はそンなコトしねェ)
(どォして言い切れる? オマエの意思なンて関係ねェだろォ? 既に弾丸は放たれた。オマエが死ななきゃオマエ以外が死ぬだけさ)
(そンならどっちを選ぶかなンて決まってる)

 最初の邂逅で打ち止めにした話を思い出す。人類が滅びた後の世界で原始人のように洞窟に住む生活など御免だと言った。正直な話だ。今でもそれに変わりはない。自分以外の何もかもが死に絶えた世界で、一度は得た家族すらも失って、正気を保って生きていられるとは到底思えなかった。

(アイツらのうち誰か一人でも死ンだ時点でヤベェかもなァ)

 視覚も聴覚もシャットダウンして、回り続けている演算だけを残す。止めることはできない。しかし、書き換えることなら出来そうだ。

(この規模で蒸発してねェのは距離のせいか……)
 通常、ブラックホールは一定以上の質量を持たなければ瞬時に崩壊する。熱放射によりエネルギーが削られていくからだ。今、学園都市に出現した小さなブラックホールが消えないのは、複数のブラックホールが互いに干渉して熱放射を抑えているのが原因だろう。
(俺を中心にブラックホール同士をぶつけて消滅させる。アレを地表付近まで降ろすのに三〇秒、完全に打ち消しあうための式は初期駆動力が途中で消えるものとして算出に凡そ一六〇秒……)

 我ながら何て馬鹿げた演算能力だろうかと自嘲した。人間のために能力があるのではなく、能力のために人間をカスタマイズした末に出来上がった怪物だ。

「一方通行!」

 能力が呼ばわれる。なぜ呼ぶのだろう。その能力は目覚めてからこれまでで一番働いているところだ。

「――っ鈴科!!」


 名前を呼ばれて彼は目蓋を開けた。それこそ何故そんなものを呼ぶのかと問いたかった。結局のところ能力の付随品で、容れ物でしかなかった体の名前だ。ピンボケの視界を何度目かの瞬きで調節して、自分を呼んだ相手を捜す。


 上条当麻。


(……オマエに殺してほしかったなァ)

 あの右手で無力化されて只の人間として殺されること。それこそが自分を化物扱いした全てへの復讐だった。そして自分を人間として扱ってくれた人達を化物から守る救済でもあった。

(縊られるでも刺されるでも、その程度で死ぬ奴に御大層に金も時間も注ぎ込みやがってって、笑いながら死ねただろォになァ)

 左手が差し伸べられる。「帰ろうぜ、鈴科」と、おかしなことを聞く。

(オマエの帰る場所は打ち止めたちと同じ所だ。俺とは違う。俺はもォ帰りたくなンて――)
 一秒ごとに目の前の人間を傷つけることを怖れて過ごすのか。黄泉川や芳川が無遠慮に子ども扱いして触れてくることも、番外個体がふざけて絡んでくることも、打ち止めが雛鳥のように纏わりついてくることも、全て避ける生活。全てに干渉されずにすんだ能力が戻って、今度はそのせいで干渉を恐れなければならない。真っ平だ。人の好い女どもにはどこか遠くで幸せに生きていてくれと願うばかりだ。

 ――私は絶対にお前を諦めない。そこから必ずお前を引きずり上げてやる。

 そう願うのに気付けば差し出された左手を取ろうとしている。これでは十月の諍いの時と同じだ。

(救われてェのか?)

 首の後ろに貼り付いているもう一人の自分が宣う。



(でも無理だぜ。オマエに近付くヤツは全部オマエに殺されるンだから)



 衝突。

 空白。

 赤と黒。

 上条当麻が倒れている。宙を飛び交っている瓦礫に当たったのだ。誰の仕業かなど問うまでもない。“一方通行”が上条当麻を撃った。

(かわいそォに! オマエなンかを助けようとするから!)

 喉が絞められたように引き攣る。視界が狭まり、皮膚の上を声の手が覆っていく。



(死ンでしまえばいい)
(一方通行も鈴科九十九も全部)
(跡形なく、消えて無くなってしまえ)





 黒いフードの魔術師の応急処置は終わった。本格的な治療はこの状況では見込めない。

「世界の終わりかな?」
「縁起でもねえことは言わないでほしいぜよ……結界は張り直しできないのか?」
「聖書が足りないよ」
「あんたの言う聖書がアニメ雑誌や魔法少女ものの漫画だったらぶっ飛ばすぞ」

 返事が無い。土御門は自分の苛立ちを最小限に収める方向で好意的に解釈した。

「世界がここで終わっていいのか? オレはオッサンの隣で世界の終わりを迎えるとか絶対に御免だぜよ」

 学園都市の外へ研修にやっている妹を思い出しながらクダを巻く。脳裏に浮かぶのは平和で献身的な笑顔だ。生きる目があるなら別れてでも生かしたい。が、どちらも死ぬなら最期は二人でいたいだろうかと多重スパイの青年は考えた。

「……絶対に、御免だぜよ」

 義妹が死ぬなど考えるだけでも血管の幾つかが破れそうだ。それが不可避の未来だというなら悪魔に魂を売り渡してでも止める。その過程で誰を殺すことになろうと、自分がどんなことになろうと一切構わない。

「落ち着きたまえよ」

 いくらか年嵩らしい魔術師が歳上ぶって助言する。

「人々の心が絶望に染まった時こそ、希望の象徴は舞い降りるものさ」
「……結界が無ければ魔法少女も……」

 怪訝そうに土御門は隣を見遣った。魔術師の顔はフードに覆われて窺えないが、どこか得意げな表情をしている気がして土御門の苛つきが二割増した。

「私は結界を張り直していない。しかし、結界が修復されかかっていると言ったらどうする?」
「………………はあ?」

 どういうことだ。もはや隠す気もなく眉を顰める土御門に魔術師が笑う。

「おかしいだろう? あれは私が一人で組み上げた術式だ。同じものを張り直そうとすれば術式の全てを解き明かさねばならない。そんなことが誰にできる?」

 魔神の介入か、と土御門は考えたが次の一言でそれを却下する。

「術式に不可欠の要素である魔法少女への夢と飽くなき探究心! そんなものを持ち得る魔術師が私以外にもいたとは! 神よ!」

 神様も大変だなと同情するが、魔神も含めれば神様の大半は頭がおかしいから「もういいぜよ」と結論付ける。そして、もし結界の張り直しを行ったのが魔神だとすると、今度は必要性が疑問になる。魔神ならば、ただこの世界を救えばいいのだ。奴らにはその力がある。

(この現象だけを止めて世界を救う力は無くて、結界を張り直すことはできるやつ……)

 魔法少女フリークの魔術師のリストはどこで手に入るかな、と土御門は思考を放棄した。




 目を覚まして自分が誰か思い出すために数秒を要した。

(あっぶね……また記憶喪失とか洒落になんねえし)

 すぐに目で距離を測る。まだ世界は終わっていない。真っ直ぐ立てない揺れだが前に進めない程ではない。
 手を伸ばす。
 救うと約束した。お前だけを見捨てはしないと言った。こんなことは望んでいないと知っている。
 瓦礫はまだ辺りを飛び交っている。だんだん地表に近付きつつあるプラズマや暗闇は上条の右手で打ち消すことはできない。地響きと強風が吹き荒れる中で呼び掛けは届かない。

「――!!」

 世界を滅ぼす力を持った奴が最後に何を望むか上条は知っている。放っておいてくれと言っていたのはどう楽観的に考えても明るい意味には取れなかった。
 十歩ほどの距離が詰められない。あのまま進めば暗闇が一人の人間を呑み込むだろう。

(あいつはそれで終わりにしようとしてる)

 声が届いていないのか、もう耳を傾けるつもりはないのか、上条が何度呼び掛けても俯いた頭が動くことはない。

(それで安全は守れても笑顔は無くなるって何で気付かねえんだよ!!)

 自分がいなくなって悲しむ人の存在から目を背けるのは身勝手で傲慢な行いだ。まだ分からないのだろうか。居場所があるということは、そこから消える時に周囲に痛みを残すということなのに。

 想いの強さが力になればと願う。しかし現実にそんな都合の良いエネルギー変換が行われないことも知っている。体重が暴風に負け、足元が浮いて吹き飛ばされる。

「大将!!」

 すぐ近くまで来ていたらしい浜面の声がして視線だけで追った。そこに疑問の色を見て、苦笑しながら背負うもののある男は答えた。

「滝壺が、このままじゃ世界が滅びるからどこに逃げても無駄だってさ」
「……どこにいても同じ」

 浜面の腕に庇われて天変地異の中心を見つめていた滝壺が無表情にスキャン結果を出力した。

「照準が設定された。演算はもう終わってるから干渉も不可能」
「……照準?」

 上条の予感を裏付けする一言だ。

「世界は滅びない。照準は、一人だけ。あの現象は一人を呑みこめば終わる」
「は……? それって……」

 安心すればいいのか戸惑う浜面を横目に上条はもう一度歩み寄ろうとした。脇腹に痛み。平衡感覚が掴めない中で致命的な怪我だった。もう間に合わないのか、と拳を打ち付ける上条は気付かない。
 それを知れたのは滝壺だけだった。

「……『覆い』が修復されてるよ」

 空を見上げても彼らの位置からはブラックホールの闇とプラズマの光しか見えない。だから『それ』は暗闇の中から現れた。

 真っ黒な、人の形をした闇。

 靄のように定まらず、ふわふわと落ちてくる。それが蹲る体に覆い被さる寸前に、上条は見た。
 頭のように思える部分から真っ黒な目が見えた。――いや、目が合ったと思ったからそこが頭部だと思ったのかもしれない。――同時に傍で滝壺も魔法少女の姿になっていることに気付いた。

 時を同じくして、土御門も木原脳幹も、結界の崩壊前に変身状態にあった全ての魔法少女がその姿に戻っていた。

 ふ、と世界が元に戻る。

 体内にまだ揺れの残響がある気がして、浜面は大きく息を吐いた。暗闇もプラズマも消え、硝子と瓦礫の飛び散る、ある意味では学園都市の日常がそこにあった。土曜日の午後だったと上条は不意に思い出す。空がカラリと青い。

「一方通行!!」

 女の声がして意識を地上へ戻すと黄泉川愛穂が駆け寄るところだった。ぐたりと横たわる白い少年の体を抱き起こし、復活した無線で怒鳴りつけるように連絡を取っている。

「――もう保護した! 必要ない! 病院に向かうし、書類も私がやるじゃんよ!」

 口出しするなと言わんばかりに無線を切って、黄泉川は育て子を抱き上げた。

「どうなったんだ……?」

 車へ向かう黄泉川の後ろ姿を眺めながら、浜面が誰に宛てるでもなく問いかけた。滝壺が上空を指差した。

「降りてきたんだよ」
「何が……?」

 滝壺は答えない。ただじっと黄泉川の車を、正確にはそこに運び込まれた一方通行を見ている。


 ガンッと上条が瓦礫まみれの地面を叩きつけた。

「……おいおい、大将までどうした。一応は収まったんだし良いじゃねえか」

 あの大災害レベルの暴走の最も近くにいた自分たちが大した怪我もなく生きている奇跡を思えば、他の面々もしぶとく生き残っているだろう。第三次世界大戦の渦中を渡り歩き、浜面は学園都市の技術力を思い知っていた。この程度の被害であれば明日には修復されている。

(世界大戦の時より、ハワイで見た光景が近いかな……)

 無能力者である浜面には超能力と魔術の違いなど正直分からない。ただ一つ言えるのは、どちらも科学からは程遠いということだ。本来、汎用性こそが科学であり、ファイブオーバーや恋査のように誰にでも扱えるものこそが科学というものだ。

 この街は何を作ろうとしているのか、浜面も考えることがある。滝壺を学園個人にしようとしたのは、まだ頭がマトモな方の科学者だ。本当にヤバい科学者はつまらない保身を想わない。何より発展性を捨てる選択をこの街は取らない。争乱と崩壊の先に、超能力で何処へ昇りつめようとしているのか。

「……助けられなかった」

 上条の呟きに短く返す。

「助かったじゃねえか」

 浜面には上条が何をそんなに悔やむことがあるのか分からない。あの第一位の超能力者は生きていた。見たところ五体満足で損なわれてもいなかった。

「助けるって約束したんだよ。あいつだって手を伸ばそうとしてくれた……」
「……」

 ひどく傲慢な後悔だとしか思えず、浜面はおざなりに言い放った。

「別に何もかもアンタが助けなきゃいけないわけじゃないだろ」

 救える人間と救えない人間がいる。それは浜面のように苦渋を舐めてきた者には常識であり、今更と嗤うべき事だった。これだけ毎日のように救いを求める手に応えていれば、救えなかったものもあるだろう。その全てに、この黒髪のヒーローは何らかの決着をつけてきたのか。もしそうだとすれば、それはもはや人間の立つべき視点ではないと浜面は思う。
 滝壺を守るために麦野を切り捨てると判断を下した時の苦さが蘇る。今でも変わらない。一番大事なものだけを死守して、他は諦める人間の方が多いはずだ。

「アンタが助けようとしたことを第一位も知ってて、それと別の手に助けられたところで何だってんだよ」

 滝壺がいたビルがテロリストに占拠された時に助けてくれたのは第一位だったなと浜面は思い出す。あの時はまさかこんな日常的な付き合いになるとは思いもしなかった。

「大将……、アンタは――」

 その程度で折れるのか。たった一度の有言不実行、それだけで折れてしまえるのか。
 地面を殴りつけたまま、上条当麻は動かない。


 退院して、街をぶらつき始めたらビルが倒れ始めて、第一位の能力が暴走して、ヒーローでしかなかった男が折れて――。今日は何ていう日だろう、と浜面は青空を仰いだ。









 誰かを救う者がいる。その手の先には救われる者がおり、背後には救われぬ者がいる。では、誰かを救おうと手を伸ばす者は救われるだろうか。

 ヒーローは何で出来ている。綺麗な貝と砂糖菓子と蛇の抜け殻と。夢や希望で出来ているとしたら、それはむしろあの魔術師のいうところの魔法少女だ。

 魔法はいつかは解ける。その日に直面するはずの過去の残響が徒らに、肩を叩いて跳ねていった。



全部で9章だからこれで折り返し地点です
ノーカウントさんの正体はそんなに捻ってないからすぐ分かるだろうなーと思いながら書いてた

この話は全員診断メーカーっての以外にいくつか縛りがあって
・ヒーローはヒーローを救えない
・一方通行にMNWの補助が必要でなくなる

他にもあるけど、MNWの間借りは色々思うところがある。
罪や贖罪や救済がそんな分かりやすい形で与えられるとか甘えるなって個人的に思うのと
妹達に生命線を預けても何の贖罪にもなんねえよ?ってのと
自分以外に制御される安心感からいい加減に抜け出せって原作を読んでると思う。

同じテーマで2つ書いてるけど、こっちは鬱エンドじゃない方だから終盤に行くにつれてもっと遅くなります

いま気付いた
凄え!GJ!

>>118
ありがとー。


で、すまんけど冬のイベント終わるまでこっち更新できない

話進まなくて大変申し訳ないが保守っとく

まだかー

>>121
保守忘れてたありがとう
もうちょい待ってください

なんか次の章に難しいとこ丸投げした気がするけど第6章いちおう書けたから後で更新します
6章で魔法少女は全員揃ったはずなんだけど垣根の描写だけ書くとこなくて抜けてます
犬でも変身できるんだからカブトムシでも変身できるんだ……何匹いても一人扱いだけど……



「お姉様、ねえ、おチビの司令塔サマ」

 高校生ほどの年に見えるシャンパンゴールドの髪の少女が小学生ほどの同じ色をした少女へ訊ねた。髪の生え際で頭を抑える手が、引っ張られた弦のように軋んでいる。

「他のお姉様方が大混乱のご様子だけど、これはアンタがまとめなきゃいけないものなんじゃないの?」

 負の感情どころじゃないんだけど、と愚痴る番外個体の目は険しい。ミサカネットワークに渦巻くのは不信の嵐だ。第一位にネットワークの余剰を貸すことは、表舞台には立てない彼女らが世界と繋がることのできる最大の手段だった。それが必要とされなくなってしまえば自分達は何をしたらいいのか。役目を与えられ、使われることに慣れた自意識が居場所を探すように使役者を求め始めている。

「ミサカ、こういう隷属意識ダイッ嫌い☆吐き気がする」

 比喩ではなくせり上がるものが有るように彼女は顔を顰める。

「ねえ、おチビ――」
「ミサカたちはまだ人間には足りていなかったのかなってミサカはミサカは……ああ、もうやめにする」

 特徴的な語尾を中断して、小さな少女は天井を見上げた。

「契約だとかギブアンドテイクだなんて、素直じゃないあの人の建前のためって思ってた。でも、それはミサカたちのためのものでもあったのねってミッ……」
「無理に止めなくてもいいんだよ? お姉たま」

 語尾なんてどうでもいいじゃないのと番外個体が冷めた目で促す。

「ミサカを助けてくれたあの人の心を信じたかったのってミサカはミサカは思い出してみる。助けたいと思ったから助けたのってミサカはミサカは強がりを言ってみる。……助けてほしくて助けたわけじゃないのってミサカはミサカは……」

 ぼろぼろと泣き始めた幼い司令塔を前に、番外個体は一層強い頭痛を覚えた。

「つまり何か、このひっどい不信はアンタのか、おチビ」

 二人しかいないマンションの部屋で、彼女らは温もりなど分け合えない。

「アンタは第一位に捨てられるって思ってんの?」

 嗚咽だけが部屋を水槽のように満たしていた。













 休日の公園に、全く似つかわしくない面々が揃っていた。新生アイテムから小学生を除いた四人、白いカブトムシ、ツンツン頭の学ランの高校生、そして金髪サングラスにアロハシャツの多重スパイ。今から戦争でもするのかという面子だが、実際には戦後処理に近い話し合いのために集められていた。

「本当に、一日で直ったなあ」

 浜面が言うのは街の様相である。あれだけ派手に倒壊していたのに一晩明けてみれば夢でも見ていたのかというほど、あっさり修復されていた。

「一部に私の能力から造られた素材も含まれるようなので、以前より丈夫だと思いますよ」
 上条当麻の右肩に乗ったカブトムシが発言した。右手で触られないためにはどこがベストなポジションか考えた結果らしい。

「また何かあっても、そう簡単に崩れることはないでしょう」
「反応に困る話をドウモ……」
 耐久力は優れているだろうが、人間だった垣根帝督を知る者からすれば『人体でできた家』のような気味悪さがある。

「第一位は?」
「しばらくは超眠り姫ですよ」
 もはや馴染みとなっている病院に訪れた絹旗が答えた。それに麦野が補足する。
「本人が快復しても、あれだけ派手にやらかしたんだから今度こそ上が黙ってないんじゃない?」

 統括理事会の決定が下るまでは冥土帰しの病院与りというわけだ。統括理事会も一枚岩ではない。木原の息のかかった者、木原を危険視する者、利権を守ろうとする者、学生たちを守ろうとする者、それらが睨み合う中で中立地帯として、第七学区の病院は機能していた。
「今は夢も見ない眠りの中ですよ」

 皆が話し合う中で上条だけが暗い顔で黙り込んでいる。それをサングラスの端で見ながら土御門は用件を切り出した。
「で、当面の危機は脱したところで、お前さんらに訊きたいことがある」
 この面々を集めたのは土御門だ。元暗部の実力者たちを揃えるにはそれなりの理由がある。

「これからもあのゲームに参加する意志のあるやつはいるか?」
「はあ?」麦野が片眉を上げる。「そんなこと訊くために集めたのかよ」
「いや、それが看過できることでも無いんだにゃー」

 肩をすくめ、胡散臭い口調で土御門は続ける。

「最初にあのゲームを仕掛けた魔術師はゲーム再開には関与していないらしい」
「……魔術師」
「学園都市とは系統の違う能力者だと考えてくれ」

 アイテムの中で一人だけロシアでの大魔術を目にしていない絹旗が反芻するのに土御門が答える。
「最初のルールどおりに願いが叶うかも分からんし、どんな目的で誰が再開したのかも分からん。そんな状況でもお前さんらは参加するか?」
「変わんないわよ」

 肩にかかる長い髪を払って麦野が彼らの総意を示した。
「元々あんなのただの遊びなんだから。願い事が叶うだなんて本気で思っちゃいないし、ヤバそうなら引き上げる」
「そりゃ安心ぜよ」

 第三次世界大戦後の暗部に引かれた境界線は、土御門の目から見れば一方通行の意図とは違う引かれ方をしていた。暗闇に好き好んで居るなら居ればいいと言うこともできるが、自立するだけの力を持った者だけを救済したとも言える。現状の暗部は他に行き場のない者とワケ有りだけが残ったという有り様だ。やろうと思えば表舞台で生きていける者も多くいるだろう。しかし、自分を信じる力が無いことは何にも勝る不遇なのだ。

「結末まで見るつもりでいるんだな?」
「そう言ってる」

 土御門はそこで上条の右肩に目を向けた。

「私はどちらでも構いませんよ」
 カブトムシは無欲と無関心を全面に押し出している。「ゲームを潰すでもエンディングを見るでも、子どもたちに危害の及ばない方に協力します」
 暇ですから、と年がら年中小学生の相手をしているマスコットの言葉だ。

「木原が関わってるんだ。潰せればそれ以上の安全策は無いぜよ。ただ……」
「木原脳幹は超あの魔術師の協力者だったんですよね?」
「ああ……魔術師に最低限必要なものは提供していたらしいが」
「そこから木原が受け取ったメリットって何なのよ」
 苛ついたように麦野が促す。

「それは魔術師には理解の及ばんことだろうにゃー」
 乾いた笑いがサングラスの下から漏れる。「お前さんらの方が詳しかろう?」
 誰からともなく溜め息が落ちる。木原を理解するのは難易度以前に酷く疲れる行為だ。他より強固な人格を持っているとされる彼らにとっても同様に。

「まだ……使いものになるのか」

 第四位の口から零れた音がどれを指していたのかは察せられなかった。この街は既に超能力者本人を必要とはしていない。ファイブオーバーシリーズは彼ら研究者が次の段階へ進み始めたことの顕れであり、遅すぎる証明書だった。
 しかし表面上は第一位だけのことと受けとり、かつて垣根帝督だった未元物質は言った。

「第一位の恐ろしいのはあれだけころころ人に影響されておきながら能力行使には一切影響が出ないところですよ。あれは自分だけの現実から発現すると言われる超能力とは根本的に違うものにも思えます」
「自分だけの現実って言うけど、人格基盤のはずの肉体すら超越したやつがいるんだから、あんなのもうお題目だろ」

 麦野の言に理解が追い付かず浜面は視線に疑問を浮かべる。元垣根帝督は無表情に、サングラスの多重スパイは口角を上げながら彼らの動向を見守っている。
 望まれている言葉がある。それが科学の街の学生の口から出ることが一つの転機だ。
 麦野は苦虫を噛み潰した顔で認めた。

「私たちの誰も、超能力ってのが何なのか本当のとこは知らなかったってこと」



 彼らの予想に反して、目を覚ました超能力者序列第一位は早々と日常に復帰した。あの崩壊の最中にいた誰とも話されずに、魔法少女のことを知る誰とも無関係に、彼の処遇は大人たちの間で速やかに密やかに取り決めが交わされた。

 上条当麻は教室の扉を開けると同時に大口を開けたまま固まったし、それを見てからかおうとしたサングラスの級友も教室の中を見て表情を繕い忘れた。
 数日間の空白はあったものの転入生・鈴科九十九は彼の席に戻ってきて、何事も無かったように突っ伏して寝ていた。青髪ピアスがしつこく構ってくるのを追い払うために顔を上げた時に、首もとのコードが揺れるのを上条はどこか不自然な心持ちで眺めた。

 土御門は稀有な右手を持つ友人がこの数日ほど塞ぎ混んでいるのを知っていたが、自分からそれを解消させたいとは思わなかった。上条当麻と学園都市第一位があまり近付きすぎても困るのだ。幻想殺しは科学にも魔術にも属さないが、そのどちらにも絶大な脅威である。今のバランスが崩れる可能性は多重スパイとしては避けたい。天秤が傾くことによって真っ先に被害を受けるのは彼自身だ。

 その日は昼過ぎから降りだした雨が放課後までとある高校の上にのさばっていた。傘を忘れる常連である上条は高校の玄関の軒先真で来て立ち止まる。今日は傘を持ってはいるのだが、広げてみると大きな穴が空いていた。上条には覚えがないが、飼い猫であるスフィンクスの爪痕に見える。インデックスに文句を言うべきなのだろうかとしばし考え、実りの無さにすぐその思考を追いやった。

「上条当麻! そんなところで突っ立っているな!」
「お、おお、悪い」
 後ろから吹寄制理が迫っていた。振り返り様にうっかり胸を鷲掴みにしそうになったが上条当麻だとて経験から学習する。今回は危うく難を逃れた。

「お前、走って帰るのか? この雨の中を」
「予報では夜まで止まないと言っていた」
「予報見たんなら傘持ってくりゃいいのに……」
「お前と一緒にするな。私は持ってきたんだ」

 言ってから彼女は怪訝な顔で上条の手の傘を見た。上条は傘を開いて大きな穴を見せる。穴の向こうにもやはり曇天が雨でストライプを作っていた。

「御愁傷様」
「お前もしかして傘ぱくられたのか」

 吹寄の頬が気のせいではなく膨れた。当たりだったらしい。とばっちりを受けぬように話題を反らす。

「もう少し待ってみたらどうだ? 一瞬くらい止むかもしんねえぞ」
「学園都市の天気予報が夜までと言ったら夜まで降るだろう」
「最近はたまに外れるじゃん」

 引き留める上条と雨天強行しようとする吹寄の背後から再び声が増える。

「もォすぐ二十分くれェ止むからそのうちに帰れよ」

 二人が振り向くと、すぐ後ろを白いフードの学ランが通り過ぎるところだった。杖をついて教職員出入口まで軒先を歩いている。駐車場までは屋根が続いているから空模様など気にしていない。

「黄泉川先生の車で帰るのか? 先生今日は警備員の方行かないで直帰?」
「違ェよ、俺も警備員の詰所に行くンだよ」

 面倒くせェ、とぼやく白頭に事情を尋ねようとしたが隣の吹寄に込み入った話は聞かせられない。上条は「そうか」と言うに留めた。






「なあ俺ここに必要なくね!?」
「この中を一人で逃げられるんなら止めないわよ。勝手に死ね」
「死ぬの前提!?」

 行き遭った魔法少女たちの攻撃から逃げ回る浜面を援護する絹旗と麦野、そこに魔獣の追撃が加わる。既に数人の魔法少女を食べているのか魔獣の動きが複雑化している。戦況は芳しくない。今同じフィールドにいるのは電撃系の能力者のようだが補助器具を使っている様子からレベル2か3程度だろう。放たれるのは電撃だが当たると発火する。滝壺がその電撃を敵側の一人のバットへと逸らす。他の魔法少女たちに指示を出していた少女だ。崩せば退いてくれはしなくとも戦況は変わる。

 バチッ。弾くような音と共にバットが燃え上がる。

「よし、超ひとり始末! ……って、なんで変身とけないんですか? まさか、」

 変身アイテムを壊せば魔法少女の変身は解ける。ポイントも消失するか、フィールドに換算される。ポイントが全体をどう回っているのかは解明されていないが、とにかく目の前の敵が魔法少女の姿を保っている理由は一つしか思い当たらない。

「私たちも何人か他の魔法少女を見てきたけど、変身アイテムのバット率が異様に高いのよね」

 バットを持っていた少女が得意気に種明かしをする。くるくるの赤い髪に金色の目、黒猫を連れている。彼女は能力らしい能力を見せていない。無能力者か低能力者の司令塔は無いとは言わないが、レベルに関わらないリーダーシップが発揮されるのは主に暗部であるし、無能力者ではない場合は更に面倒だ。能力を見せれば特定されるほどの稀少能力者には火力重視の第四位や窒素装甲ではやりづらい。

「やっぱり、超フェイクですか」
「アイテムを壊されたらゲームが終わるってのに何の対策もしないほど無謀じゃないのよ」

 足元で寛ぐ黒猫は本物だろう。使い魔を偽装する意味があるとしたら別の魔法少女に成りすます時くらいだ。そこまで気合いを入れてゲームに挑まれると遊び半分の新生アイテムでは分が悪い。

「アイテムアイテムって超紛らわしいです……」

 小声で絹旗がぼやいた。浜面も同感だ。正体が割れるような発言は慎むべきだが浜面が素面でここにいる時点でばれる相手にはばれる。

「紛らわしくてごめんなさい。あなたたちもアイテムよね」
 確認するまでもないという調子。麦野が目を剥く。
「てめえも暗部か?」
「この前騒ぎを起こしたようなやつらとは一緒にしないでね?」
 勿論あなたたちのような仲良しグループとも、と微笑んだまま告げる。

 彼らの脳裡に真っ先に浮かんだのはスクールのドレスの女だ。彼女はスクールとアイテムが最初に崩壊したときの暗部再編で見たっきり。今どんな仲間とつるんでいるのか絹旗たちは知らない。
 そうこうしているうちに彼女らの一人が魔獣を倒す。ポイントはやはり高い。

「あら、もう終わり? じゃあ帰りましょうか」
「こら、喧嘩売ってきておいてそれはねえよな……?」
「第四位は話に聞いてたとおり、柄が悪いわねえ」

 ――とそっくり。黒猫を抱えながら呟かれた言葉は麦野へは届かなかった。彼女らが退却する素振りを見せれば何十本もに分けられた原子崩しが襲うだろう。両者動けない。もし、黒猫をつれた魔法少女が彼女でなければ。
 指揮者さながらに少女は背を向けた。

「無駄よ、またね」

 振り回されたのは指揮棒ではなく懐中電灯。

「――やられた!」
 瞬く間もなく彼女らは消えた。あの指揮者の正体は明白だ。
「スクールのドレスじゃなくて、グループのサラシかよ……」

 暗部の女って怖いやつばっかだなと浜面は思ったが、口に出さなかったのは近年まれに見るファインプレーだった。
「なあ、もう、このゲーム降りた方がよくないか?」
「あ? コケにされたまま降りろっての?」
「……いえ、なんでも」

 平穏な生活が欲しい。しかしポイントが貯まっても麦野はそんな願いは許さないだろう。浜面は遠い目のまま口元が引き攣るのを感じた。









 芳川桔梗は科学者である。一時は教育者を夢見たこともあったが、それは絶望的なまでに彼女の性質には合わなかった。今現在でも、彼女の同居人である超能力者すら呆れて見るほどには科学者の合理性を捨てられない女だ。
 ゆえに、見た目だけは幼い少女が泣いていても彼女が狼狽えることはない。泣くという行為を特殊なクローンである彼女が獲得したことへの純粋な称賛はあれど、慰めるという行為には必然性も合理性も感じない。

 しかし、それは無関心や放任とも違えば家族としての意識が無いわけでもない。少女が人間として生きるためにできることがあれば、当然のように手を差し伸べる。それが罪悪感からか、かつての夢への自尊心からなのかは彼女にしか分からぬことだった。

「ヨシカワ、ミサカたちは何なんだろうってミサカはミサカは訊いてみる」
「……家族、じゃないかしら」

 クローンとして造られた子どもたちは家族を知らない。彼女らが求めたのはもっと即物的な庇護だった。ただ一人、それを遠い憧憬としてだけ知っていた真っ白な子どもは『家族』を無意識にではあるが求めていた。

「何の繋がりも無くても家族でいられる?ってミサカはミサカはヨシカワに甘えてみる」
「最終信号、あなたにあまり良くない真実を教えてあげる」

 芳川桔梗は教育者ではない。ついでに言えば、良い母親にもなれるはずもない女だった。

「……なーにってミサカはミサカは期待できない本心を押し殺して訊いてみる」
「家族の繋がりなんてものは全て過去にあるのよ」
「……へ?」
「誰と誰がセックスしたとか、誰が誰を産んだとか、誰が誰を抱き上げたとか、家族を作り上げるものは過去なのよ」
「ヨシカワは家族の繋がりなんて幻想だって言うのってミサカはミサカは恐る恐る確認してみる」

 ああ子どもらしい反応だと芳川は目元が緩むのを感じた。一つひとつの言葉に籠められた短期的なニュアンス、若者らしい感性、本当に年相応の少女のように彼女は反応する。奇跡のようだ。

「幻想よ。それは何より強い、人生すら変えてしまう幻想なのよ」
 そして芳川は幼い家族の髪を梳いた。全てのものは過去になる。未来には望みしか残らない。

「あの子はその幻想を必死で守ろうとしたし、あなたたちには何があろうと消えない過去があるわ」
「あんな過去でも家族になれるのってミサカはミサカは疑ってみる」
「安心なさい。この世で一番愛憎と流血沙汰に溢れているのが家族という関係よ。人が殺されれば真っ先に疑われるのはその家族」
「ヨシカワが自信満々に安心できないことを言うんだぜってミサカはミサカは番外個体の真似をしてみる」
「あまり似てないわね」

 元研究者は懐かしむように笑う。「あなたはどんどん人間になっていくわね」
 それは今はまだ人間ではないと言っているようなものだったが、芳川に悪意などは一切無かった。

「産まれた時から人間になんてなれないのよ。疑い信じ頼り裏切り、そうやって傷付いて、無垢な角が取れて人間になっていくのよ。誰もが同じ早さで人間になるわけじゃないわ」

 芳川が目蓋の裏で見ているのは絶対能力進化実験が行われていた時の一方通行だ。誰にも期待せず信じず、それゆえ疑うこともなく、淡々と言われたとおりに行程を進めていた。動物じみた無垢さ。二進法の子どもたち。実験動物であった妹達と共通する性質だった。

「疑うことを知らなければ信じることは軽い。信じないという経験が無ければ信頼の重さは分からない」
「……だからあの人はミサカの言葉を信じてくれなかったの?ってミサカはミサカは何だか胸がムカムカしてくるのを抑えてみたり」
「あなたの言葉に重さは感じていなかったでしょうね」

 悪びれもせずに女は言い放ち、慈愛を込めて微笑んだ。













 そこには二人の魔法少女がいた。
 一人は鷹を肩に乗せた黒づくめの少女だ。漆黒の髪をポニーテールにまとめ、闇色の眼で他方を見ていた。
 他方は白猫を足下に纏わりつかせた少女。ツインテールにした青色の髪が風に揺られる。橙色の眼は手に持つ魔法のペンを撫でていた。

「あなたを見つけるの、苦労したのよお」

 二人は夜の中心にいた。誰も彼らを見ない。誰も彼らに立ち寄らない。四六時中流れ続ける街の人波の中にありながら、彼らの存在は夢だった。もし彼らの姿を視界の端に留める者があったとして、焦点がずれた瞬間に意識から抜け落ちる。記憶が消去されるわけではない。一度見たものは脳に書き込まれる。そのデータを消すことは至難の業だ。しかし、見たものの優先順位を誤認させることは彼女には平仮名を一つ紙に書くよりも簡単なことだった。留意する必要のないこと、近寄りたくないもの、そう誘導することで彼らは容易く消えることができる。

「ねえ、協力しない?」
「協力?」
「そうよお。だってその方がお互い都合がいいでしょう?」

 提案を持ちかけられた方は訝しげに見ている。提案者は吐息のささやかさで語りかける。そこに好意はなく悪意もなく、ただ無力感と諦観の先に守られるものがあると信じているだけだった。

「あなたがしようとしてること、そのまましてくれたら私も助かるのよお」

 魔法のペンを持たない方の手が相対する少女の胸元に伸びる。白い肌に埋め込まれた黒い宝石に、心臓に直接触れるように爪を立てた。

「だから邪魔なものは排除してあげるわあ」

 夜の底には夢がある。その胃袋の中に絶望も希望も溶け込んで、もう選り分けることなどできないのだ。









「保護観察?」
「みたいなもんぜよ」

 学園都市は日本の中にあって治外法権に等しい。一般的な法律は必ずしも遵守されないし、統括理事会からして日本国憲法を守る気などない。それでも無法地帯というわけではないので、都市に被害を負わせればペナルティが課される。

「黄泉川先生が保護者だろ? なるべく保護者の目が届く場所にいろってだけのぬるーい措置ぜよ」

 苦虫を噛み潰したような顔になった上条の思考が土御門には手に取るように分かった。

「お前さんの言いたいことは分かるが誰が悪いってわけじゃなく適切な処置をしたって形が必要なんだにゃー」
 シリアスは終わりだとばかりにアロハシャツの胸を張り、上条の肩を叩く。放課後の光に照らされて、影が色濃く自己主張した。「今は他に魔術師が潜んでないか調べるのが先だぜよ」

「……いるのか」
「いる可能性は高い」

 学園都市のどこかに一度は消えた結界を張り直した存在がいる。それが理事長のように元から学園都市にいる魔術師であればまた違うが、多重スパイたる自分が気付かない潜入者がいたなんて事態は避けたい。

「ゲームを続行させたからには勝ち上がる気があるんだろうよ。もしくは……」

 木原のようにゲームを観察すること自体が目的か、と口に出さずに土御門は考える。できれば自分から勝ち上がってほしいものだ。掃いて捨てるほどいる研究者の中に潜まれると見つけようが無い。

「あの魔術師みたいにただの魔法少女フリークって可能性は?」
「そんな魔術師が何人もいるなんて御免だにゃー」

 防衛戦である以上は常に最悪の想定をして動けばいい。ただの魔法少女フリークであれば問題はさほどない。既に土御門の想定していた最悪は過ぎたのだ。――そう。学園都市の序列第一位が物理的にこの世を終わらせてしまうことこそ彼が最も恐れていた事態だ。すでに回避したと思って良いと彼は判断した。

 一つだけピースを無理に填めたような気がするパズル。指の一本だけ関節が増えたような違和感の手。見覚えの無い鍵が紛れ込んだキーケース。
 優先順位の下位に置かれた感覚は、そっと海の底で殻を閉じた。



「しばらくはミサカネットワークに繋いだままの方が良さそうね」

 警備員の詰所の一室で医療従事者の真似事がなされるのは珍しいことではないだろう。芳川は自分自身の違和感はさておき、第三者の目から見れば何の変哲も無い行為を終えた。計器はまだデータを処理している。目の前にいるのは待ち時間を潰すことが得意な人間ではないが、芳川が気詰まりを感じる相手でもなかった。
 一方通行は診断結果に不満を口にはしなかった。事実としてはそれが全てだが、全身から不満が立ち上っているのは一目瞭然だった。

 損傷していた脳が元通りになったというわけではない。ただ、繋がるべき部分が繋がってしまったのだ。損傷前の状態と違ったとしても、そこを同じように電気信号が伝播するなら正常に働くらしい。自分の損傷を積極的に治療する気のないまま放置していた第一位は他人事のように結果だけを受けとめた。流れを、ベクトルを、確かに自分の能力は操ることができる。たぶん、本当は、もっと前からできたことなのだ。最初の一手が無理だったとしても、MNWで一時的に復活させた能力で自分の脳内の電気処理を固定させてしまえば良いだけだった。能力を使って吹かせた風は能力を切った瞬間に止まるだろうか。すぐに止まるわけはない。物理現象には慣性が働く。それが頭蓋骨の中であっても、向きを固定していた能力を切った瞬間に流れが止まることはない。擬似的な小さな永久機関の存在に気付いてしまっただけのことだ。

「以前と比べて干渉できる運動の種類が増えているのだから、処理容量に上限のあるミサカネットワークと同期させておく方が安心でしょう?」
「……なンも言ってねェ」
「言わなくても顔に出てるわよ」

 自分が努力すればどうにかなる、という場面で安全策のために他人を頼ることに抵抗があるのだろうと芳川は結論づけた。それなりに付き合いのある仲だ。読み間違えることはない。

「あの子たちはあなたを助けることを嫌がってはいないわ」
「…………誰のこと言ってンだよ」

 妹達を一纏めにした芳川の言葉に低く応える声に苛立ちはない。芳川のスタンスのことは一方通行も理解している。

「私が直接訊くことのできる個体の全てを含む複数名と言っておきましょうか」
 学園都市にいる妹達は全て含まれるのだと彼女は告げた。

「対象が誰かということに関わらず、彼女たちは誰かを助けられることが嬉しいのよ」
「知ってる」

 クローンという出自では一般社会に参入することができない。陰ながら誰かを支えて、その誰かが社会に影響をもたらすことが彼女らにできる精一杯の社会参加だ。それなら同じように社会から遠ざかっている自分よりも相応しい人間はそこらにいるだろうと一方通行は思ったが、そもそも表社会の人間と関わること自体が難しいのだから妥協点としては頷くべきところだった。

「そして対象があなただということにこだわっている子もいるわ」

 芳川は赤色の眼を見つめる。そこに顕われる色を余すとこなく掬いあげることが今の彼女の務めだった。

「最終信号と話をした?」
「そンな時間――」
「あら、作ろうと思えば時間は作れたはずよ。退院してからあなたたちが顔を合わせなかっただけで」

 一方通行は杖を引き寄せた。歩くことにもまだ違和感がある。できるはずのことができない現状に、能力を失った時より遣る瀬なさを感じる。脳を損傷した時は何より明確な理由があった。何をどうしても無理なことがあり、解決策が第三者によって差し出され、選択する必要もないまま生活が始まった。
 今は逆に選択肢が多過ぎて選択肢としての体を成していない。やろうと思えば大概のことはできる。一度失う前とは違って、自分の能力で何ができるか知っている。であるからこそ、問題になるのは一方通行自身の感情だった。自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、いつかは考えなければいけないことだったそれらが否応無く答えを出せと迫ってくる。保護観察処分で黄泉川から離れられないことは、この状況では猶予を貰ったようなものだった。

「あなたはあの子のことをどう思ってるのかしら」
「どォって……」

 ミサカネットワークの司令塔だ。見た目は十歳程度で言動も最近では見た目相応になっている。よく喋る。うるさい。わりと近くにいる。というか、気付けば一番近くにいる。退院してから会わなかったのは向こうが避けていた部分もあるのだろうと一方通行はぼんやり考えた。同じ家にいて顔を見ない不自然さから意図的に目を背けていた自分を知る。そこに疑問が生じた。どうして目を背けたのだ。避けられたからといって何だというのだ。目を背けなければいけない理由なんてあったのか。あのうるさい子どもに避けられたことを認識して、それについて思考を巡らせることが自分を害すると無意識に考えたのか。

(……どォ思われてようと守るさ)

 そこで思考を打ち切ったことが逃避だと別の自分に指摘される前に蓋をして、彼は杖に体を預けた。続きの部屋が騒がしい。巡回に出ていた黄泉川が帰って来たのだろう。部屋のドアが開くまで八秒。沈黙に預けたところで問題のない時間だった。










「聞こえなかったかしらあ?」


 魔獣を一瞬で倒して加算されたポイントは上条たちが今まで見たどれよりも高いものだった。

「ポイントを渡しなさいって言ったんだけど」

 今回の魔獣を倒したのはアンサーとイレイザーと名乗る二人組の魔法少女だった。一人は全身黒尽くめ、もう一人はツインテールの青髪で白猫を連れている。彼女らが乱入してきたのは上条たちが魔獣に手こずっているときだった。矢のように一直線に飛んできた黒尽くめの魔法少女が魔獣をぶん投げ、地面に叩き付けられた魔獣の眼球に青色のツインテールの魔法少女が手に持ったペンを突き刺した。ベルトコンベアの上のパックに蒲公英を乗せるような流れ作業だった。そして呆気にとられている上条たちに向かって彼女は、頭の天辺から爪先まで黒尽くめの魔法少女は言った。ポイントを渡しなさい。

「何言ってんの!? はいどうぞって渡すやつがいると思ってんの!?」

 激昂している紫のロングヘアーの魔法少女は御坂美琴だろうと上条は当たりをつける。姿形が変わっていても話し方で分かる。そして、それは他の面々にも言えることだ。

「御坂さん怖ぁい」
「ア……ンタ、食蜂ね! この前から何様のつもりよ!」
「私たちは御坂さんたちのことを思いやって提案してあげてるだけよお」

 見下したまま話し続ける黒尽くめの少女の横で、青色のツインテールの少女が独り言ともつかぬ言葉を発する。

「私たちが正しい」
「ええ、可愛いは正義よ」

 間髪入れずに噛み合わない台詞を返して黒尽くめの少女は彼女たち以外の全てに宣言する。

「あなたたちじゃ私たちには勝てないわあ。怪我しないうちにゲームから降りたらどうかしらあ」

 二人の魔法少女の自信がどこから来るのか上条は疑問に思う。ここには第三位である御坂美琴の他に、第四位の麦野沈利、第二位の垣根帝督までいるのだ。全員魔法少女の姿だから、彼女らには御坂美琴以外の正体が分からないのだろうか。それとも、第二位、第三位、第四位をまとめて敵に回しても勝つ見込みがあるのだろうか。
 考えている間に一撃目が放たれた。第四位の原子崩しだ。当たれば魔法少女の体だとて無事には済まない一撃だが、当たる直前に二人の姿は消えていた。

「野蛮力が高いわねえ」

 少し離れた場所に現れた二人は何の傷も負っていない。魔法少女の運動能力を以てすれば確かに原子崩しを見切って避けることはできるだろう。それを封じるには飽和攻撃をしかけるべきだが、こちらの連携がすぐには取れない。彼女らはこれを見越していたのかと上条は考える。だが、魔法少女になって運動能力が上がっているのは彼女らだけではない。御坂たちも同じように運動能力が上がっているのだから二人組の魔法少女が勝つにも決め手に欠けるのではないか。
 そんな上条の思考をよそに、黒尽くめの少女の右手が掲げられる。細い指先が魔法少女の姿をした麦野沈利や御坂美琴を差し、命じた。

『印象操作/魔法少女アンサーならびにイレイザーはあなたの味方。彼女らを攻撃するものは優先して排除しろ』
『好悪付加/あなたは紫のロングヘアーが憎い。目に入ったら排除したい』

 原子崩しが第四位の指先に煌めいたと思う間もなく、それは放たれていた。数メートル横にいた御坂美琴もとい魔法少女パレードに直撃するはずだった光は真正面から超電磁砲にぶつかり四散した。原子崩しと超電磁砲が放たれるのはほぼ同時だった。互いを攻撃した姿勢のまま、二人は目をみはり固まった。

「――心理掌握!?」

 ありえない、と御坂美琴はすぐさま否定した。第五位の心理掌握は電撃使いとは相性が悪い。実際これまで食蜂操祈が心理掌握を発動するたびに撥ね除けてきた。外装代脳も無い今、心理掌握が第三位や第四位にまで適用されるなんてことが――

(……まさかとは思うけど)

 第四位の原子崩しを警戒しつつ美琴は一つの可能性を懸念していた。外装代脳の役割を、あれより更に高次元で実現できるものを自分は知っていはしないか。演算能力を底上げし、電磁バリアも力任せに押し切ってしまえるもの。幻想御手と酷似したシステム。

「残念。時間切れねえ」
 警備員の車両の音が彼女らの強化された耳に届く。



『標的誤認/注視すべき対象はあなたの靴だ』



 最初に我に返ったのは上条当麻もとい魔法少女アンラッキーだった。右手で額を掴み顔を上げた時には二人組の魔法少女は立ち去っていた。周りを見回すと何人もの魔法少女が自分の足元を見て突っ立っている。そのシュールな光景は警備員が踏み込む寸前まで続いた。

 二人組だった、と上条はほんの数秒前のことを思い出そうとする。確かに二人組を目にしていたはずなのに上条の記憶に残っているのはコントラストの強い一人の姿だけだった。





 土曜日、春の日差しも穏やかな中で穏やかならぬ剣幕で自分そっくりの少女を捕まえる少女の姿があった。

「お姉たま顔怖いよ?」
「ほっといて! それより答えてよ」

 ミサカネットワークが最近誰かに貸し出されたことはないか。美琴は番外個体に訊ねた。

「いんや。無いよ、お姉様。むしろ貸し出したがってんじゃないかな」
「本当? というか何でよ、暇なの?」
「基本的に年中開店休業だけど、今は内定が一つも無い就活生みたいにナーバスになってんよ」
「何かあったわけ?」

 番外個体は肩をすくめる。答える気の無いことを見取って美琴は質問を変えた。

「アンタたちは魔法少女に変身できないのよね?」
「妹達は誰一人変身アイテムを貰ってないし、第一位の変身アイテムも使えなかったよ」

 自分以外の変身アイテムで変身できないことは美琴も知っている。初春が佐天の変身アイテムで試していたのを見たからだ。

「じゃあ、もう一つ。一方通行は今どこ?」
「学校で欠席分の補習受けてるよ。あんな無意味なことよくやる――」

 ガッと言葉途中で腕を掴まれて番外個体は引き摺られ歩き出した。「ちょっとお姉様、何」「教室の場所を教えて」

 右から左へと文句を聞き流して美琴はとある高校へ向かう。直接確かめればいいことをこれ以上悩むのは嫌だった。










「ちょっと顔貸しなさい!」

 勢い良く教室のドアを開くと、一方通行と上条当麻がそれぞれ違う色を浮かべて美琴を見た。

「おい中学生、来るとこ間違えてンぞ」
「アンタに用があって来たのよ」

 教室の中には補修中の二人の他に土御門と青髪ピアスがいた。常盤台の制服が来て騒ぐようなクラスメイトが残っていなかったのは幸いだ。正門から教室までの間に湧いた野次馬は教室の外にいる番外個体が牽制している。彼女は面倒くさい姉を同居人に放り投げることにしたらしい。

「変身アイテム、持ってるでしょ。出して」

 何をするつもりだと上条たちが見守る中で一方通行がポケットから変身アイテムである魔法の宝石を取り出す。美琴も背負っていたヴァイオリンケースから魔法のバットを取り出した。

「点数開示を要請する。同意して」
「……同意する」

 青色のバットの表面に128と数字が浮かぶ。魔法の宝石に浮かぶ数字は0だった。

 当てが外れたような、重荷を下ろせたような、曖昧な表情の美琴に宝石の持ち主が溜め息を吐く。
「俺は参加してねェし、何を疑ってたンだよ」
「……食蜂と一緒にいたの、アンタかと思ったのよ」

 さすがに視線を逸らして美琴が答える。上条が訊ねた。
「食蜂って?」
「あの黒尽くめの魔法少女よ」

 魔法少女アンサーって名乗ってたやつだにゃーと土御門が教える傍らで美琴は思考に耽る。
 心理掌握の効力を増大させる方法はいくつかある。ミサカネットワークを利用した後で妹達の記憶を消すくらい食蜂には雑作も無いことだ。しかし誤摩化せない人間が一人いる。ミサカネットワークに繋がり、美琴たちと同様に心理掌握を弾くことができる一方通行だ。逆に言えば、一方通行さえ食蜂操祈に協力すれば彼女はミサカネットワークを利用することができる。

 食蜂に同行していた魔法少女は魔獣を倒したポイントを得ていた。一方通行が食蜂の協力者という線は完全に消えたわけではないが、青いツインテールの魔法少女が一方通行ではないということと照らし合わせると彼らの協力関係は不自然なものに思えた。食蜂はそう簡単に対等な協力関係を結ぶ人間ではない。美琴はそれをよく知っている。食蜂は学舎の園の中の友人とも取り巻きともつかぬ少女たちを対等とは決して思っていない。彼女らは女王蜂である食蜂にとって派閥の構成員であり同時に庇護対象だ。協力体制は慎重に結ばれる。勘としか言えないものだが、おそらく協力者は一人だと美琴は確信している。

(あの青色ツインテがただの完全な傀儡だとすれば……いや、それじゃ連れていた意味が無い)

 思い出しても食蜂に同行していた青色ツインテールの魔法少女は魔獣を仕留めたくらいで目立った言動をしていない。ただの飾りを連れていたはずがないのだ。何か意味がある。
 沈思する美琴を横目に一方通行は欠席中の課題プリントを仕上げ、席を立った。

「オマエらもあンま騒ぐンじゃねェよ。こっちはそれなりに真面目に捕まえなきゃなンねェンだから」
「ああ、警備員に協力してるんだっけ」
 美琴が訊くより先に上条が応える。

「傍から見ると本当アホみてェ」「言うなって」
 上条と軽口を叩き合いながら一方通行は教室を出て行った。廊下から番外個体と何か言い合う声が聞こえて、幻想殺しの手はこわばりを解いた。そして胸のつかえが取れたように思う自分を、上条は嫌悪せずにはいられなかった。






「ねえ、あなた。あなたはミサカを対等だと思ってる? ってミサカはミサカはとおせんぼしてみる」



 帰宅した一方通行を待ち構えていたのは仁王立ちする外見年齢十歳の少女だった。

「……この世に対等な他者なンていない」
「そういう哲学を訊いてるんじゃないってミサカはミサカは予想外のごまかし方にあなたの成長を感じてみたり! ……だけどちゃんと答えてってミサカはミサカは胸ドンしてみる!」

 平均的な男子高校生と比べてはいけない薄さの学ランの胸に掌底打ちが決まった。玄関のドアに退路を断たれた状態からの一撃。掌を繰り出す場所が三〇センチメートルほどずれていれば壁ドンそのものだ。

「ッ……ちょっと前に憧れのシチュエーションとか言ってたヤツの亜種をただの物理攻撃にしてるオマエの感性も成長の方向間違えてるよな」

 玄関先で喧嘩に発展するのも煩わしい。一方通行は強引にソファーまで歩を進めた。ずるずると首もとを掴まれて引き摺られながら打ち止めは不満を零し続けている。

「で、何が言いてェンだよ……」

 どっかりとソファに行儀悪く座り込んで一方通行は訊ねた。

「俺は俺にできることをオマエはオマエにできることをやってる。別に比べてどォこォ言おうってンじゃねェンだろ?」
「役割の話じゃないのってミサカはミサカはあなたに説明することの難しさを実感してみたり……」

 同居人である白髪の少年の横に珍しく姿勢の見本のように打ち止めは座った。普段は番外個体に負けず劣らず奔放に振る舞っているというのに、まるで緊張でもしているみたいだと一方通行は眺めていた。
 事実、緊張しているのだろう。活発な少女が静かに話すのを聞くのもずいぶん久しぶりだ。

「あなたのこと好きよってミサカはミサカは思いの丈を打ち明けてみる」
「何度も聞いてる」
「でも伝わってないってミサカはミサカは指摘してみる」

 深くソファーに沈み込んでいる一方通行と姿勢良く背筋を伸ばした打ち止めの視線が交わる。少女が至近距離で強く想いをこめて見つめても、凪いだ赤色の眼が見えるだけだ。望んだ反応が無いことが不満なだけではない。

(ミサカの声は本当に届いているのってミサカはミサカは)

 人間同士ならこんなリアクションではないはずだ。人間同士なら気まずさを感じるはずだ。人間同士なら――

「普通の人間には足りないなんて知ってるもんってミサカはミサカは先回りしてみる」

 知識と体験のアンバランスさ。自分の足で生きてきた人間が経験から得ることのできる勘や感受性、信条というものが無いなら、そこを埋めるためには考えるしかない。たとえ機械のように合理的であろうと、人間らしく生きたいという願いのもとに行われたことだ。

「ミサカ、ちゃんと自分で考えてるよってミサカはミサカは主張する。自分で考えて、あなたが好きであなたを助けたいって……ミサカはミサカは思ってる」
「……必要ねェよ」
「必要とかって問題じゃないのってミサカはミサカは懇願してみる」

 あなたはミサカを見てるの? あなたが見てるミサカはどこにいるの? 一〇〇三一人のミサカを見るために一番近くのミサカを見てるだけなの? ミサカは生きているのに、あの夏から動けないの?

 ぐるぐると回りながら思考が墜ちていく。過去が自分たちを強固に結びつけていることは分かっている。しかし生きているのだ。生きていれば変わっていくのは当然のことだ。あの夏から一方通行の内面が著しく変わったように、それと同様に、打ち止めだとて変わるのが自然なのだ。変わらない一〇〇三一の死より重い繋がりを、変わり続ける自分が作れるのかと彼女は考える。

「ミサカはあなたの一部じゃないってミサカはミサカは考えを改めさせてみたり。そしてあなたもミサカの一部じゃない」

 命を分け合うように繋がり続けた七ヶ月は、彼にとっては仕方のないことだったかもしれないが打ち止めにとっては自分で選んだ生き方だった。切っ掛けは過去にあったとしても、いつだって切り離せるものをそれでも近くにいたいと思い、手を伸ばしてきたのだ。

(ヨシカワはああ言ったけどミサカは“今”で繋がりたい)

 過去ではなく現在で繋がる家族の関係を何と呼ぶのか彼女はまだ知らない。対等であるためには自我と他者をそれぞれ独立した人格として尊重しなければならない。心臓の端を手渡すように、指の先を溶け合わせるように、依存するのは彼女の望みとは違う。
 少女の思考回路の全てを把握したわけもなく、しかし感じるところはあったのだろう。赤い眼は一度覆い隠され、再び露になったそこには揺らぎがあった。

「…………オマエは俺を疑えるのか?」

 少年は問いかける。目の前にいる少女に、そして自分自身に。



「俺はオマエを……疑えるのか?」














 学園都市の全ての『目』が歌う。噛み合わぬままざわめく花々が、昼の風に夜の底に音無き兆しを耳にする。
 最悪への道は既に閉ざされたのだろうか。案外まだどこかでアトラスが、空の重さを嘆いているのかもしれない。





まさかの計算ミスで過分数発生したけど6章投下終了
話が長過ぎるからプロットにあることだけ書いていこうと思ってるのに
プロットに無かった通行止めが当然の顔で割り込んでくるの本当謎

定期的に投下してる他スレ主マジで尊敬する。
延命保守のみ。

仕様変わっててこれ大丈夫か?って思いながら書き込んでる
ワルプルギスの夜までに終わらんかったけど、最後まで書く気はある
あと3章だし

もうちょい保守らせてください

日曜日に何とか更新したいです。
もし今日残業発生したら火曜日になると思うorz

ちょっとマジ眠いんだけど推敲してたら来週になるから投下します

「かつて、魔神に最も近づいた男が魔神の妖精化という術式を編み出した。あれは素晴らしい魔術だった。魔神という、我々とは全く別次元にいる存在を撃ち落とし全く無力な存在にしてしまう。高度な魔術だ。あんなものを編み出すことは彼にしかできなかっだろう。しかし、一度編み出してしまったものが万人の知るところとなれば、あとはコペルニクスが地動説を唱えるよりずっと簡単な話だ。我々は既に其れが在ることを知っている。斯く素晴らしき技術が存在することを知っている。斯く崇高な体系があることを知っている。一つの壁のあちら側にいるものをこちら側に持ってくることができるなら――君は考えてもみないのかい? 壁のこちら側にあるものをあちら側に持っていくこともまた、其の体系に基づき、可能であるのだと。」

 たったひとりしかいない聴衆は彼の感嘆には同調しない。そのことを彼も承知していた。共感するのは相対する人の役割ではない。目の前にいるのは勝者であり、希望の後継者であり、この世の全てに抗う者だ。

「私は新たな神を創造した。私の神の誕生を祝うに相応しい祭を主催した。誰の血も流す気など無かったのだと信じていただけるかな。祝祭に流血が必要だなどというのは前時代的な悪習だと私は常々主張している。」

 ここで初めて主催者とゲームの勝者は会話した。

「つまりあくまで不幸な事故だったと?」
「左様、儀式の経過に不備が在った点は慎んでお詫びしよう。しかし彼女らも危険は承知で参戦したものと思っていたがね。戦乙女の戦死を嘆くは却って失礼ではないか」

 勝者は睨み付ける。雨が止まない。何の共感も生まれないまま、刻限は迫り来る。正しく、天地の創造は独りで成されるものなのだ。もし共感し肩を抱いてくれる他者がいたなら、いったい誰がそんな大仰なものを創ろうとするだろう。

「さあ、神の誕生だ。君も喜んでくれるかな。祝祭の憐れみとして、どんな願いでも叶えてあげよう。新しい楽園のリリスよ」

 リリスとはサブカル狂いらしい人選だと口角を上げながら、唯一の魔法少女であり最後の希望となった者は応えた。

「俺の望みは――」









 胸元に入れた携帯電話からの指示にしたがって上条当麻もとい魔法少女アンラッキーは攻撃を回避していた。右手を使えば楽なのだが、それをすると正体がばれてしまう。今攻撃しているのは御坂美琴もとい魔法少女パレードだ。幻想殺しなんぞ使おうものなら一発でバレる。

「魔獣退治終わったってのに何で御坂はこうしつこく俺を狙うんだ?」
「さァ? 好きだからじゃね?」
「お前一〇〇パー適当に答えてやがるだろ」
「適当なのは事実だが真実じゃないとも限らねェぞ」
「え? うわっ 当たる当たる!」
「がァンばれ」

 一方通行と禁書目録は見晴らしのよい場所から指示を出している。禁書目録だけは何かあったときに備えて魔法少女の姿だ。

「シスター、オマエ魔術に詳しいンだよな?」
「そうだよ? 何か訊きたいことがあるのかなっ」

 好意的に聴こえる台詞とは裏腹に魔導図書館の翠眼には番犬が見え隠れする。この優秀な科学の学徒が魔術に害されること、また魔術が科学の街に侵されること、そのどちらも彼女は看過できない。

「例えばの話だ。俺たちが使う超能力なら大本の能力とそれが起こす現象がある。そこに付随する現象も一定確率で起こるし、痕跡から大本を解明すンのは知識があれば可能だ」

 魔導図書館は概ねの質問内容を理解した。

「あくせられーたが訊きたいのはこういうことかな?」

 獣の赤い眼が修道女の翠と交わる。

「魔術の目的から大本を逆算して、魔術自体を阻害する。または、目的以外の余波が出ないかってところを知りたいんだよね?」
「十全の回答をドーモ。それで? 実際のとこ出来ンのか?」

 翠の眼は一度だけ赤色から逸らされた。それはほんの一秒にも満たず、彼女の方針に迷いがないことは明らかだった。

「魔術師の所属団体が分かっているんだから、術式の傾向は分かるよ。元になった術式の想像もつくんだよ」
「なら、」
「けどね」修道女は溜息を吐く。「この魔術を逆の作用がある魔術で消そうとすると一番に傷つくのは媒介なんだよ」

 媒介、と超能力者は呟いた。街全体にかけられた術、ゲームに参加するかという問い掛け、魔術の表出点。思い当たる節は大いにある。

「この街の全ての学生が媒介ってわけか」

 首肯。嘆息。携帯電話の向こうから疲れきった声が届く。

「撤収すンぞ」

 魔術師を捕まえるかゲームを速やかに終わらせるしかないのか、と彼らは諦める。





「折れないヒーローって、いると思いますか。先生」

 リクルートスーツの女が独り言を漏らす。いや、独り言と思われた質問は傍らの犬によって返された。

「概念上は定義されれば存在するさ」
「そんなことは十も承知ですとも。もちろん、現実に存在するのかって意味です」
「君は科学者のわりにファジーな表現をするな」
「人間の思考を分析するには欠かせない要素でしょう」
「問いには万全を尽くしたまえ。回答者は己の全力を表すことはできないが、質問者は全てを計られてしまうものだ」

 はいはいと軽い相槌のような了承。諦念の滲む目でゴールデンレトリバーは講義する。

「現在過去未来に於いて全てを定義される存在など無い。今、折れていないヒーローは、折れる可能性はあるがまだ折れていない存在としか言いようがない」
「ヒーロー属性の権化も同様と?」

 彼らが指し示すのは主に一人の少年だ。ヒーローになるべくして仕立て上げられた、稀有な右手と精神の持ち主。

「もし、折れないヒーローなどというものが現実に存在すると定義されるなら、それはヒーローより世界が脆かっただけの話だろう」

 既存の実証例をなぞるだけの答えはリクルートスーツの女には不満だったらしい。それを見て、ゴールデンレトリバーは言葉を重ねた。

「しかし、そもそもヒーロー属性というもの自体『折れる』という可能性を度外視したものだ。君も濃淡コンピューターの時の騒動を思い出せばいい。属性を付与された学生たちは自らの正義を疑わなかった。どんな行いも人助けのもと正当化された」
「つまり先生? 折れなかったものがヒーローだと言ってます?」
「ヒーローにしろダークヒーローにしろ、折れなければ行いは軸となる。何にも影響を及ぼさない存在などこの世には無い。つまり、一分一秒でも折れなかった存在を軸に世界は整えられていく」

 女は可笑しそうに口許を綻ばせた。

「先生、それじゃあ私たち木原は誰よりもヒーローじゃありませんか」
「長い目で見れば、そうなる可能性はある」

 ゴールデンレトリバーは微動だにせず言った。

「今日ヒーローと呼ばれる彼らより、我々木原の方がよほど長く世界に影響を及ぼし続けるだろう」

 しかし、と彼は言葉を接いだ。

「我らには悲劇が足りない。孤独も危機も足りない」

 仲の良い教師と戯れるようにリクルートスーツの女は声をあげて笑い始める。犬の声帯から落とされる声は誰にも聴こえないだろう。

「ヒーローは救われない。最後の一人になるまで立っているのがヒーローの役割だ。そこには仲間も、救うべき対象すら、残りはしない」





 紫のロングヘアの魔法少女が警備員の情報集積所に潜り込んでいた。監視カメラのログを遡ると、自分達以外の魔法少女の姿も映っている。この街にこれほど多くの魔法少女が遊び回っていたのかと他人事のように思った。その内の一人に目が留まる。

「……こいつ」

 画面では水色の髪の魔法少女が派手に暴れている。そして記録された現象を起こせる人物に、一人だけ心当たりがあった。

「やっぱりあの水色は――」

 もし彼女が冷静なら、その早計さに気付いただろう。あくまで例え話だ。既に時期は過ぎた。冷静な思考を要求するには遅すぎる。盤面が傾けば、指し手の思慮も駒と共に墜ちていくしかない。




 同程度の悲劇があったとき、一度めと二度めでは、どちらの方がより悲しいだろう。

「人はどんな悲劇にも慣れるものだ」
「人の心は摩耗する。他の器官と同じだ」
「一度めで折れなかったなら二度めも折れなければいいだけの話だ」
「一度は耐えられても二度めは無いものだ」

 誰に訊ねても、経験を積むほど千差万別の答えが得られるだろう。
 悲劇に慣れること自体を哀しみ憤る者もいる。
 超再生される筋肉と同様に、精神も測りにかけようとする者もいる。
 経験を一般論に押し上げようとする者がいて、それを笑いながら眺める者がいる。


「酷ェ現実だな。デキの悪ィ冗談みてェだ。笑えねェよクソヤロウってブン殴ってやりてェよ」


 科学の街には精神を解剖するための研究がある。身体反応を細かに測り、認識と擦り合わせていく気の遠くなるような作業がある。科学者たちは今もどこかで数値を測り続けているだろう。この巨大な実験場で、彼らはこころを腑分けする。


「嘘、だろ……」


 魔術師が主催したゲームの中で最初の悲劇は彼らの知り得ない場所で起きていた。顔も名前も知らない、これからも会うことのない、世界の裏側より遠い他人だった。

 上条当麻が遭った一度めの悲劇は、目の前で知り合いの元暗部の四人組が壊滅したことだった。一人の男が女を庇って死んだ。ありふれた出来事だ。それが知り合いで、目の前で起こったのでなければ。

 過信していたのだろうか。ほんの数秒間で起こった惨劇を前にして一方通行は考えた。仮にも第四位の超能力者に、大能力者の中でも超能力者に近い方の二人、それに無能力者なりに彼らに一目置かれる青年があって簡単に崩れるわけがないと踏んでいた。確かに彼らは強かった。しかし、強者がさらに上位の存在に食われることもある。自分たちも今の平和が訪れる前はその暗闇の中に生きていたというのに、陽の匂いのするバカらしく愛すべき日常に馴れてしまっていたのだと気付く。

 魔獣からの攻撃は彼ら、アイテムの四人には当たらないはずだった。ほんの三〇センチというところだろうか。一人目は声を上げる間もなく魔獣に呑み込まれた。位置が変わったのだと一方通行が気付いたのはその直後だった。魔獣も第四位の超能力者も、一瞬で移動された。そして、彼らが我に帰る前に窒素装甲の少女も呑み込まれる。この時点で残った二人だけでも逃げるべきだったのだ。どんな手を使ってでも。

「むぎ――」

 浜面のすぐ横にいた魔法少女に閃光が放たれた。誰もそれを見間違うことはできなかった。魔獣が原子崩しを行使した。抱えていた魔法アイテムの鏡と共に少女がこの世から蒸発した。
 目の前で浜面が魔獣に喰われようとしている。愛する女の残骸を前にして激昂した青年に勝機を掴むほどの思考は残っていない。戦う理由も、立ち上がる理由も、もはや彼には無かった。

 この場にいない者を想う余裕は無かったはずだというのに、一方通行の脳裏にサラシの女が現れる。理解していた。あの元仲間が既に魔獣に喰われたのだと。
 魔獣が第四位を喰らい、彼女の能力が魔獣に発現した。先に魔獣が行使したのは座標移動だ。空間移動能力者の中に、複数のものを移動できる者は二十人ほどしかいない。その最上位。何度も目にしたことがある。これほど分かりやすいヒントも無かった。

「――ッ上条、今すぐ離脱しろ!!」

 既知の青年を助けるべく、上条当麻は魔獣の手足と闘っていた。木の根がのたうつように魔獣の手足は何十本も伸びる。それらを断ち切るように一方通行は能力を発動させた。
 暴風が荒れ狂う。上条当麻の両足が地面から離れるのと同時に浜面仕上の体も灰色の地面から離され、そして二度と戻ることはない。青年が魔獣に呑み込まれた後には少女の亡骸だけが横たわっていた。


「目ェ逸らさずに見ろよヒーロー。オマエにできることをしろ。オマエの掴める範囲の世界を守れ。オマエが最後まで残らなきゃ、どこに救いがあるってンだよ」






 人払いの魔術が働いていない。

 終電後の学園都市に警備員の乗る車両がありったけ出動していた。そこかしこで魔法少女と魔獣と警備員たちが小さな戦争を起こしている。
 そして小さな諍いはここでも起こっていた。

「何でだよ! 俺は行くぞ。あんな化け物が今は隠れもせずにうろうろしてるなんて」
「だからだって言ってンだろ! あれは能力ごと喰うンだ。原子崩しも座標移動も喰われた。他の能力者がどンだけ喰われたのかも分かンねェ。オマエ無策で死にに行くつもりか!」
「助けに行くんだよ」
「毎度のことだが無謀過ぎるだろ!」

 五分ほど前に「カブトムシ! クソメルヘン! ランドセルのストラップ野郎! 今すぐ来やがれ!」と半ば以上罵倒のみで呼び出された第二位の能力者、元垣根帝督は彼らの言い争いを傍観している。上条当麻が先陣切って魔獣と相対することの損益を並べているのだろう。何も口出ししないのはメリットもデメリットも半々ほどだからだ。既に口喧嘩に発展している彼らも感情論でしか話していない。

「最後に願い事が叶うっていうルール」

 ぽつりと修道女の呟きが落ちる。沈みきった声に、上条当麻が振り返り、それにつられて一方通行も少女を見た。

「そういうことだったんだね。神殿の全てにばら蒔かれたアイテムが蠱毒のように潰し合って、それが神話の役割を果たして結界の魔術が完成するんだ」

 彼女の言葉を理解できる魔術師はそこにいなかった。眉を顰める彼らのために魔導図書館はより具体的な話をした。

「魔獣を倒して一番ポイントを稼いだ魔法少女が勝つってルールだったよね。でもたぶん、このゲームのエンディングを迎えるのは一人だけだよ」

 まるで暴動でも起きているように騒がしい。社会的な主張があるわけでもなく、ただ生命を脅かす化け物と戦う音があちこちから響く。

「魔獣を魔法少女が倒し、勝った魔法少女をもっと強い魔獣が倒す。そうして魔法少女のアイテムと魔獣という神殿に配置された要素が集まっていく過程が神話として魔術を補完する」
「最後に残った一人は神にでもなるってのかよ」
「神になるのか神が生まれるのかは分からないんだよ」
「おい、ちょっと待った……」

 血の気が引くのが分かり、上条当麻は二人の会話を遮った。最後の一人まで?

「魔法アイテムは学生全員にばら蒔かれたんだよな……」
「少なくともIDのある奴らにはな」

 一方通行が未元物質で構成された少年を見る。視線の意味に気付き、垣根帝督の顔が沈痛な面持ちを作る。

「あなたが怖れることは既に現実です。魔法アイテムは小学生にも配られていますよ。そして、変身後の姿から年齢を計ることはできません。先週と比べると学園都市内の学生の数は幼年層を中心に減少しています」
「こンな状況じゃなきゃオマエが小学生の数を把握してることを笑ってやンのになァ……」

 このゲームにクローンが招待されなかったことについて、一方通行は当初は面倒が減って良かったとしか思っていなかった。だが、ここに来て魔術師の独り善がりの選定にいっそ感謝の念すら覚えた。たとえ自分が魔獣に喰われることがあろうと、クローンたちは生き残れる。自分から手を出さなければ、彼女らは狂った祝祭に巻き込まれずに済むのだ。
 大人たちとクローンの少女たちしか残らない街を想像し、首を振る。バカげた妄想だ。少なくとも黄泉川は学生たちを助けに走り回っている。クローンたちとて大人しく隠れていてはくれないだろう。

「……ポイントを譲渡することは出来るンだよな」

 妖精からルールを聞いた少女が頷く。

「学園都市に最初に蒔かれたポイントの全てを一人に集めてしまえばゲームは終わるんだよ」
「最悪、譲渡に同意してもらえない場合はアイテムを壊してポイントを場に還元してしまってもいいはずです。参加資格を失えば安全圏ですから」
「上条、クソ御門の野郎にも連絡しろ」

 逃げる場所はない。やることは決まった。今日のうちに終わらせてやると彼らは決意する。

「魔獣を倒すと同時にポイントの強奪かアイテムの破壊だ」
「人聞き悪ぃな」
「変身した方が効率的ですよ、第一位」
「うっせェ、オマエもだぞ」


 開戦の狼煙が一方で上がると同じ頃、他方では戦いが終わろうとしていた。

「御坂さん、覚えててください。私が参加したのは自分の意志です。御坂さんが参加してるかなんて関係なかったんです」

 最初は四人だった。学園都市の早い終電が発車する頃に彼女たちは異変に気付いた。連絡を取り合い集まった時から一人減って、今は三人の魔法少女が魔獣の攻撃を凌いでいる。初春を取り込んで魔獣は格段に情報処理能力を上げたようだ。縦横無尽に伸びまわる木の根のような足のひとつひとつに目があるように隙がない。白井黒子の能力も無限に発動できるわけではない。呑み込まれた初春飾利を取り戻せないかと奮闘していた時間をもし撤退に充てていれば、彼女ら三人は生き残れたかもしれない。

「私は私がしたいことをやっただけで、分不相応なことに首を突っ込んだのは私のミスです。だから御坂さんはこれ以上、私のために何かする必要なんてありません。私はそんなこと望んでません」
「佐天さん、今はそんなこと言わないで! ……私が、みんなで帰りたいの」

 御坂美琴と白井黒子は学園都市では恵まれた存在だ。暗部で人権を踏みにじられたこともない。帰る場所もある。彼女らの努力はそれでも実を結び、悲惨な経験が実力に結び付くわけではないというある種の冷酷な現実を世界に突きつけていた。

 彼女たちは強い。しかし安全も平穏も、強さは何ひとつ保証しないのだ。

「……お姉様、佐天さん」

 白井は自分があと何回能力を発動できるか冷静に計算した。全員は助からない。既に一人は呑み込まれ、残る三人とて揃って帰れはしないだろう。
 彼女はまず、同年の友人を見る。悔しさの滲む瞳に潜んだ意味は確かに伝わった。友人が頷くと、白井は同室の憧れの先輩に触れる。

「――黒子ッ!?」

 一瞬で視界が変わる。さっきまで居た場所が浮いた足の数メートル下にある。息をつく間もなく、白井は二回三回と連続で能力を行使した。

「黒子! やめて! 私たちだけ逃げるなんて、佐天さんが――」

 細切れになる視界の中に今まさに呑み込まれんとする魔法少女が映る。

「いいえ、お姉様」

 二〇階建てほどのビルの影に辿り着く。直前まで対峙していた魔獣の視界からは逃れた形だ。しかし、この程度の距離はその気があればすぐに詰められてしまう。こんなビルくらい、あの魔獣の手足にかかればケーキを崩すように脆いものだろう。
 しかし風紀委員として数多くの修羅場を潜ってきた少女には、自分の中に決めた優先順位があった。彼女は迷わない。

「逃げるのはお姉様だけですの」

 瞬きより短く、御坂美琴は後輩の笑顔を見た。毎日顔を合わせるわりに同室の後輩と真正面から見つめ合うことは多くなかったと気付く。眩しいものを見る目だった。何よりも、別れを告げる笑顔だった。

 ビルの壁を足場にして白井黒子は全力で蹴りを放つ。魔法少女の底上げされた身体能力でもって彼女は御坂美琴を戦線離脱させた。高層の隙間を鳥のように緩やかに墜ちる影に祈り、白井は自由落下する我が身を改めて確認した。まだ戦える。
 爆発音と衝撃があり、ビルを突き破り現れた木の根のような手足が落ちていく魔法少女に襲いかかった。

「……まだ、私の相手をしていてもらいますわ」








 魔法少女の肉体は頑健にできている。損傷しにくく、治りが早い。御坂美琴は魔法少女の姿のまま一つのビルの窓を突き破り転がり込んだ。気を失ったまま、どれほどの時間がたったのか目覚めた少女に計るすべは無かった。まだ夜は明けないどころか始まったばかりで、しかし後輩や友人を助けるには遅すぎる時間なのだと確信できた。

 割れた窓の外で雨が降り始めたのを通路の床に横たわったまま聴いた。あと数分もすれば動けるようになるだろう、と彼女は考える。でも、何をしたら良いのだろう?

 警備員の鳴らすサイレンが理由もなく焦りを助長させる。何かをしなければいけないのだ。何かをできるはずなのだ。

 ――誰のために?

「……自分のためよ。私は元から誰かのために頑張ってきたわけじゃない」

 ――何のために?

「プライドよ。私が私でいるために、私を支えるために必要だったの」

 尊敬できる存在があり、彼らに支えられ、自分もそうあれたらと望んだ。始まりは些細で、だからこそ根深いものだ。細かなものほど心の奥に溜まっている。土に染み込む雨のように。知らぬ間に自我を形作っている。

 ――誰も守れない自分でも、まだ愛せる?

「私は……」

 見えない耳元で囁く悪魔と話しながら、美琴は自分が正常ではないことを理解していた。大した問題ではなかった。何かを失えば人は変わる。変わらずにはいられない。

「愛してなくても立ち上がるわ。私が愛してなくても黒子やママは私を愛してくれるんだもの」

 サイレンに誘われるように思考は傾く。情報が要る。警備員の情報集積所に行こう。今なら簡単に入れるだろう。






 数分前から何度も訪れる通り雨の理由に、薄々ながら上条当麻も気付きつつあった。既に何人の魔法少女が呑み込まれているのか、残っている魔獣は軒並み強大なものばかりだ。強風が吹き荒れる。敵のものではない。ピンポイントで鎌鼬のように風が通り抜け、地上の人間には危害を加えていない。だが、余波は膨大だった。

「おーい、そこのモヤシは地球環境に少しは配慮しろ」
「明日があるンなら配慮するわクソボケ御門」
「大丈夫ですよ、本当に危機的な状態になれば未元物質で」
「この魔獣片付けたところでまともな明日が来ないことだけは分かった! 不幸だぁぁぁぁあ」

 彼ら四人が全員魔法少女に変身している。禁書目録は既にポイントを上条に譲渡し変身アイテムを壊した。この四人で最後の一匹まで魔獣を倒さねばならない。魔法少女を喰らえば魔獣は能力を吸収して大幅にパワーアップする。対して魔法少女は魔獣を倒してポイントを奪っても基礎の身体能力が上がる程度。味方側の人数は保持する必要がある。
 座標移動を喰った魔獣と遭遇したらどんな状況でも一旦は退避することと上条当麻に堅く約束させて、四人は慣れないチームプレーに徹している。

「思ったんですが、あれが能力を吸収するなら幻想殺しは寧ろ喰わせるべきなのでは?」
「お前善人のような顔でさらっと恐ろしいこと言うな! 上条さんに[ピーーー]と仰いますか!?」
「カミやんの右手なら切ったらまた生えるぜよ」
「前から人間じゃねェとは思ってたが上条オマエ……」
「上条さんの右手はトカゲのしっぽじゃありませんのことよ!? あと一方通行の俺への評価おかしいだろ!!」

 幻想殺しを喰わせて能力が相殺されるか幻想殺しまでもが使役されるか、昨年の恋査の一件からは前者のように思えるが能力吸収の仕組みが異なれば確証もない。確率がひどい手だと切り捨てた者、最後の手段だと留めた者、互いの胸のうちなど知らぬまま魔獣を確実に倒していく。
 コンビニエンスストアより一回り大きい魔獣が倒れ、ポイントの数字が中空に光った。

「今、何ポイントぜよ」
「二〇五一八」
「一七九〇三」
「二一〇四六」
「一八三一〇。ポイント総数が分かれば良いんだが……」

 土御門が苦く呟く声に答えたのは一方通行だった。

「最初にばら蒔かれた魔獣がどンだけいたかなンて分かンのかよ」
「学園都市全体の状況を見ればある程度の予測はつくのではないでしょうか」

 残存している魔獣は現在、総出で暴れまわっているだろう。人払いの魔術が消えたのは最終ステージの合図というのが彼らの共通見解だ。長期戦にする必要はないし、土御門には魔術師として今日が最終日だという確信があった。それを科学の街で育った人間に説明する気はなかったが、今日は四月の最終日――ヴァルプルギスの夜だ。

「一番近いのどこだ?」
「第三学区の方角に向かいましょうか」

 次の標的を定めて移動した先も酷い光景だった。警備員の車両の残骸が散らばり、魔法少女の姿も無い。既に喰われたか、と元暗部の少年たちは結論付けた。

「なンってーか、獣ってよりタイヤみてェだな」

 次の標的である魔獣を一方通行はそう評した。確かに動物的なフォルムではないと土御門は内心で同意する。おそらくは車輪のモチーフだと口に出さなかったのは、軽口を叩くより先に攻撃が来たからだ。タイヤが積み重なったような塊だった獣は崩壊自ら崩壊するような動きを見せ、次の瞬間には分かれたパーツが別々に魔法少女たちに襲いかかった。

「っおい、これもしかして一個ずつ壊さなきゃ駄目なのか!?」
「面倒くささは確実にレベルアップしてンなァ……」

 方々に飛び回るタイヤもどきのせいで乱戦になっている。しかし倒せない敵ではなかった。残る魔獣は力に比例して大型のものばかり、他のものが近付いて来れば察することができる。彼らの警戒が魔獣限定になっていたことが唯一の失点だった。

「――上条ッ」

 チリリと第六感が警戒を伝えた気がして、一方通行はそれが何か知るより先に上条当麻の体を吹き飛ばした。
 その右半身を覆うほど膨大な光が走る。元々上条当麻がいた位置ならど真ん中に当たっていただろう。しかし錐揉みのように墜ちていく上条の体も無事とは言い難い状態だ。そして攻撃のもたらした思考の空隙はより深刻だった。

 光は超電磁砲だった。彼らはまず御坂美琴が魔獣に喰われたのかと考えた。攻撃が来た方を振り返り、そこにいたのが魔獣ではなく魔法少女であったことに一度は安堵した。

 他方、御坂美琴も混乱の最中にあった。彼女は警備員の記録から水色のポニーテールの魔法少女は一方通行だと思っていた。彼には反射があるから当たっても問題はないと考えて、その体ごと魔獣を攻撃した。しかしそれはとんだ見当違いだった。

 濡れた雑巾のように地に倒れた魔法少女の体は右半身が焼け爛れているのに右手首の先だけが綺麗なままだ。それが誰かなど訊くまでもない。
 動かない魔法少女に別の一人が駆け寄る。魔獣の攻撃を把握しつつ対処していた網が壊れた。
 一方通行が土御門を見る。意図はすぐに伝わり、逆に急かされた。

「早く行け」

 動けない上条当麻を連れて一方通行が離脱。土御門と未元物質が残り、被害を抑える。

「おい、お嬢ちゃん! 戦えないなら自分で逃げてほしいんだが、聞こえてるかにゃー」
「……ッた、戦えるわよ!」

 細かく動きまわる敵には土御門と未元物質の方が相性がいいというのは確かに理由の一つだが、土御門は一方通行がどこまで意識的に計算できたか怪しいところだと考える。場に御坂美琴がいる状況で一方通行の正常な判断力が保たれるかという部分が土御門にしてみれば不安要素だった。戦えないなら切り捨てねばならない。上条当麻を攻撃してしまったショックを引きずったままの御坂美琴は戦力として数えられない。

「すぐに断じる必要はありませんよ」

 思考を読んだように何の悪気もない声が隣から呼び掛けた。「どのみち、できることしかできないのですから」
 一拍の無言。土御門は口元を緩めた。

「お前さんは現実主義すぎるぜよ」
「あなたは自分で思うより善人ですよ」

 能力不相応の善意などコップから溢れる水のようなものだ。周りを水浸しにして、布巾を要求し、時には大切な書類を汚す。人の命を繋ぐものも過ぎれば人を[ピーーー]のだ。そんなことは言われるまでもなく知っていると魔法少女たちは敵に向き直る。



 火傷の治りは通常の肉体に比べれば覿面に早かった。朝顔が花開くのをじりじりと待つように、一方通行は待っている。右手が邪魔だと今までとは全く違う意味で考えた。能力の干渉範囲を細かく設定しながら発動するのは通常の肉体に作用させるより困難になる。
 高層ビルの屋上で横たわらせた上条当麻の横に腰を下ろし、地上の音を聴いた。時計の針が進むごとに静かになっていく。

 もし魔法少女が全て喰らわれ最後の強大な魔獣が闊歩していたら、と一方通行は想像した。誰かを巻き込む可能性が無いなら自分は最後の魔獣を倒すことはできるだろう。しかし、倒せてもその後にどうすればいいのかと考えると何も思い浮かばない。打ち止めや番外通行、黄泉川、芳川がいても、この惨状で家路へとつくことは足が拒否しそうだ。

「ちょっと、モヤシの第一位だよね」

 聞き覚えのある悪意を煮詰めた声が頭上から降る。

「あなたも変身したとか本当に切羽詰まってんね」
「うるせェよ。……黄泉川たちは?」
「黄泉川はあの化け物に喰われた学生を取り戻そうと特攻しようとして、同僚にフレンドリーファイヤーされました」
「……で?」
「芳川や打ち止めと一緒に冥土帰しの避難所にいるよ」
「そォか」

 どこかでビルの崩れる音がした。本当によく崩壊する街だと呆れてしまう。この街の外の常識など知らないが、この街が非常識だということだけは分かる。

「ねえ、第一位」
「……なンだ」
「ミサカはあなたを解放してやったりしないから」

 アオザイを着た少女が一方通行の正面に回り込んで腰を下ろした。

「あなたが逃げるならどこまででも追いかけてやるよ」
「……」
「死ぬまで」

 他に何も持たず、迷う余地がなく、彼女は自分で決めたわけでもない確定事項を告げている。一方通行もよく知っている。普通の学校生活を送ってみたのも、たかが一月だ。
 狂った箱の中で生まれつき、狂った関係を続けている。良識的な人間ならどう対処するかと考えるのは逃避だろう。善人ならそもそもこんな状況には陥らない。ただ善良な人間になるにも、結局は環境に恵まれねばならないのだ。

「……オマエ、青髪は? 一緒にいたンじゃねェのか?」
「もういないよ」

 少女の視線が横に逸れ、何かを思い出すように揺れている。

「最期までふざけてた。『百合子ちゃんが無事なら我が生涯に一片の悔いなし』って……時間が無いにしても、少しは語呂とか考えられなかったのかね」

 番外個体は笑おうとして失敗した。彼女が見せた表情に、一方通行は一月の重さを知る。一ヶ月。彼女の世界は拡がった。何も奪われることなく生きてきた平凡な人間の、平凡な優しさを知った。平凡な悩みや平凡な楽しみを知った。

 まだ変われるだろう。生きていれば、得るものがある。自分たちは変わっていけるだろう。

 微かな希望が、確かにそこにある。黄泉川や上条が自分たちをどこへ連れて行こうとしているのか、今までは何も見えず手探りで歩いていた。進んでみてから分かることもある。この一月、導かれるままに歩んだ道のりが次の道しるべとなった。

「――俺は逃げねェ。オマエも諦めンな」
「は? いきなり何言ってんの」

 片膝を立てた胡座を解いて魔法少女は立ち上がった。「上条が起きるまで見てろ。死なせンじゃねェぞ」
 口をへの字に曲げて番外個体は毒づく。

「めんどくさぁい。あんまり遅いとビルから落っことしちゃうよ」
「そンな待たせるわけねェだろ」

 いつもなら小さな竜巻を起こして移動するところだが魔法少女の身体能力であればビルからビルへの移動は楽なものだった。一方通行はビルの縁に足をかける。

「ヒーローは何を曲げてでも街を救いに来るさ。最後の一人なンて最初から決まってる」

 遠ざかる一方通行の姿が見えなくなり、番外個体は屋上に背中から寝転んだ。


「最後の一人になるまで頑張らなきゃいけないなんて、ヒーローってのは不幸なもんだね」



 学園都市に光の双柱が立つ。一方通行の目に映る範囲に、動くものは魔獣の巨体しかなかった。全員地下シェルターに避難していてくれと願う頭の半分で、最後の魔獣に吸収された能力者たちを算出する。未元物質も全て喰われたのだろうか。物理的に不可能な気はしたが、相手は科学の常識の外にいる魔物だったと思い出す。
 目の前にいる巨体は既に獣とは呼べぬものだった。生きものとも言い難い。存在し、何かを消費し、何かを生成するというサイクルに含まれていると思えば生きものと呼べなくもないが、魔術のための舞台装置という認識が妥当に思える。

 あらゆる能力と対峙する。いつか研究者たちが夢見た多重能力者のようだが、能力者というからには人の形をしていなければいけないだろうかと考える。次の防御と攻撃という未来を考える分と同じだけ、過去にも思考が広がっていく。今、自分が背負っている翼と似たエネルギー体を雪原の上でも見た。あれは人には見えなかったが、この最後の魔獣に比べると形だけは人に近かったし、ずっと何事か喋っていた気がする。例えば自分が読心能力者だったら、あの天使と人間同士のように意思疎通をすることができたのだろうか。今ここにいる魔獣とロシアで見た天使、学園都市製の科学の天使、自分。そこにクローンたちや恋査、垣根帝督、フロイライン・クロイトゥーネ、この街の学生たち、魔術師たち、魔神を加えてもいい。

 どこで線を引くのだろう。目の前の魔物が突然「こんばんは」などと言い出しても、自分はやはり[ピーーー]だろう。よく分からないものを[ピーーー]のと会話できるものを[ピーーー]のでは意味合いが異なってくるが、それも結局は自己満足だ。自分が正しいと感じることなど出来ぬまま、ただ仕方がないから戦って[ピーーー]。ヒーローになるには覚悟が足りないのだ。誰かを助けたいと望み行動することはできても、そのために巻き起こされる大規模な破壊と殺戮を、救われる誰かの責にすることなどできない。上条当麻なら言うだろう。たとえ世界中を敵に回しても「お前を助けるために来たんだ」と振り返るだろう。しかし、と一方通行は考える。彼は、自分がそうして助けられたら素直に感謝できるのだろうか。

 遠い記憶がバラバラのパズルのピースのように浮かんでは消える。どこにでもいる平凡な子どもだった。少しばかり優秀だったかもしれないが、同い年の少年たちの中に混じっても良いのだと何の疑いもなく考えていた頃があった。

 あの頃――より細かい時期の指定をするなら一方通行が戸籍に記された五文字を名乗っていた最後の日に――自分が起こしたのと同じだけの崩壊を自分以外の誰かが起こして、それが自分を救うためだったとして、

(…………無理だわ)

 彼は結論付けた。そんな怪物がいたら自分は逃げただろう。怪物が自分だったから逃げられなかっただけだ。あのウニ頭のヒーローは人間の善性を信じているというよりは、何かのビョーキに見える。羨ましく思ったこともあれば気味が悪いと厭わしく思ったこともある。けれど、誰かを中心に世界が回るなら、その誰かは上条当麻がいい。

 行動原理など理解できた試しがないが、あのヒーローの運んでくる結果だけは信じられる。

 夜も深まる時間だというのに辺りは明るい。地中に埋まる送電線はところどころ被害に遭い壊れている。停電区域のど真ん中で、人の顔の判別がつくほどなのは月明かりなどという風情のあるものではなかった。何千と魔獣に降り注ぐ白翼のせいだ。攻撃は当たっている。魔獣の攻撃は一方通行にダメージを与えない。それなのに、魔獣の驚くべき頑健さを前に事態は膠着している。何よりうろちょろと座標移動で動かれてど真ん中に攻撃が当たらないのだ。分厚い外殻を爪で引っ掻くような傷しか付けられない。

 集中力が切れてきているのが自覚できた。魔獣の回避パターンを算出するための計算、周囲の哨戒、どんどん粗くなっている。

 帰りたい。帰るために戦っているのに、戦えば戦うほどに帰れなくなっていくのだ。何もかもを壊し、目の前の最後の一匹である魔獣を倒して、ここに残る自分は何だ。最後の魔法少女。何でも願い事を叶えることができる勝者。世界を滅ぼすことも、世界を救うこともできる者。それは神以外の何者なのか。

(――そンなもンになりてェわけじゃねェ)

 一瞬、完全に集中力が切れた。は、と気がつくと魔獣の攻撃が目の前に迫っている。それは別に構わない。どうせ大した損傷は負わない。問題なのは視界の隅に見つけてしまったことだ。魔法少女。上条ではない。呆然とこちらの戦いを見ている棒立ちの影に魔獣の手足の一つが襲いかかろうとしている。間に合わない。

 ガガガガッ。

 一方通行にぶつかった魔獣の手足が粉砕されるのと、もう一人の魔法少女がいた場所に土煙が上がったのは同時だった。

「……遅かったじゃねェか」

 土煙の中に二人の魔法少女がいる。一人はうずくまり、もう一人が魔獣の足を掴んで止めていた。こちらを見て笑う水色の髪の魔法少女。あの右手が掴んでいるうちは魔獣は座標移動を使えない。
 全力で魔獣の中心へ翼を撃ち込んだ。轟音と振動が治まると、自然と笑みが零れた。

「あとはポイントを統合するだけか」
「そォだな」

 音もなく小雨が降っている。静かだ。上条当麻――今は魔法少女の姿だ――はいつもの人の好い顔で迷い込んだ魔法少女に告げた。

「もう大丈夫だ。変身とけるか?」

 怯えていた魔法少女はぎこちなく頷いた。変身がとけると、そこにいたのは打ち止めより小さい子どもだった。

「アイテムを俺たちに渡してくれ。それさえ無ければ、あの化け物に襲われることはねえから」

 子どもは宝石のちりばめられた香水瓶のようなものを上条に渡した。彼が子どもの頭を撫で、避難所へ行くように言うと頷いて走り去っていく。

「これで全部かー」
「じゃァ早くその瓶壊して、俺のポイントもオマエのとこに移すぞ」
「え、なんで」魔法少女アンラッキーは喋りながら自分の変身アイテムであるマイクで香水瓶を壊した。「お前の方が頑張ってたじゃん」
「俺は――」

 努力を褒められたのがくすぐったく、一方通行は温かな視線から逃れるように身体ごと顔を逸らした。トスッ。何かが刺さる音が聞こえ、ゆっくりと振り向く。今は月明かりの脆弱な光しかない。付近の高層ビルが軒並み瓦礫に成り果てているため辛うじて相手の顔が分かる程度だ。だから見間違えたのかと一方通行は考えた。

 水色の髪の魔法少女の左胸、心臓のある辺りから何か黒い円錐状のものが生えている。ぐらりと少女の身体が傾いで、一方通行の目の前に小さな魔獣が現れる。さっきの子どもの持っていたアイテム――!

saga忘れ。11/12だけ重複します。すみません。


 学園都市に光の双柱が立つ。一方通行の目に映る範囲に、動くものは魔獣の巨体しかなかった。全員地下シェルターに避難していてくれと願う頭の半分で、最後の魔獣に吸収された能力者たちを算出する。未元物質も全て喰われたのだろうか。物理的に不可能な気はしたが、相手は科学の常識の外にいる魔物だったと思い出す。
 目の前にいる巨体は既に獣とは呼べぬものだった。生きものとも言い難い。存在し、何かを消費し、何かを生成するというサイクルに含まれていると思えば生きものと呼べなくもないが、魔術のための舞台装置という認識が妥当に思える。

 あらゆる能力と対峙する。いつか研究者たちが夢見た多重能力者のようだが、能力者というからには人の形をしていなければいけないだろうかと考える。次の防御と攻撃という未来を考える分と同じだけ、過去にも思考が広がっていく。今、自分が背負っている翼と似たエネルギー体を雪原の上でも見た。あれは人には見えなかったが、この最後の魔獣に比べると形だけは人に近かったし、ずっと何事か喋っていた気がする。例えば自分が読心能力者だったら、あの天使と人間同士のように意思疎通をすることができたのだろうか。今ここにいる魔獣とロシアで見た天使、学園都市製の科学の天使、自分。そこにクローンたちや恋査、垣根帝督、フロイライン・クロイトゥーネ、この街の学生たち、魔術師たち、魔神を加えてもいい。

 どこで線を引くのだろう。目の前の魔物が突然「こんばんは」などと言い出しても、自分はやはり殺すだろう。よく分からないものを殺すのと会話できるものを殺すのでは意味合いが異なってくるが、それも結局は自己満足だ。自分が正しいと感じることなど出来ぬまま、ただ仕方がないから戦って殺す。ヒーローになるには覚悟が足りないのだ。誰かを助けたいと望み行動することはできても、そのために巻き起こされる大規模な破壊と殺戮を、救われる誰かの責にすることなどできない。上条当麻なら言うだろう。たとえ世界中を敵に回しても「お前を助けるために来たんだ」と振り返るだろう。しかし、と一方通行は考える。彼は、自分がそうして助けられたら素直に感謝できるのだろうか。

 遠い記憶がバラバラのパズルのピースのように浮かんでは消える。どこにでもいる平凡な子どもだった。少しばかり優秀だったかもしれないが、同い年の少年たちの中に混じっても良いのだと何の疑いもなく考えていた頃があった。

 あの頃――より細かい時期の指定をするなら一方通行が戸籍に記された五文字を名乗っていた最後の日に――自分が起こしたのと同じだけの崩壊を自分以外の誰かが起こして、それが自分を救うためだったとして、

(…………無理だわ)

 彼は結論付けた。そんな怪物がいたら自分は逃げただろう。怪物が自分だったから逃げられなかっただけだ。あのウニ頭のヒーローは人間の善性を信じているというよりは、何かのビョーキに見える。羨ましく思ったこともあれば気味が悪いと厭わしく思ったこともある。けれど、誰かを中心に世界が回るなら、その誰かは上条当麻がいい。

 行動原理など理解できた試しがないが、あのヒーローの運んでくる結果だけは信じられる。

 夜も深まる時間だというのに辺りは明るい。地中に埋まる送電線はところどころ被害に遭い壊れている。停電区域のど真ん中で、人の顔の判別がつくほどなのは月明かりなどという風情のあるものではなかった。何千と魔獣に降り注ぐ白翼のせいだ。攻撃は当たっている。魔獣の攻撃は一方通行にダメージを与えない。それなのに、魔獣の驚くべき頑健さを前に事態は膠着している。何よりうろちょろと座標移動で動かれてど真ん中に攻撃が当たらないのだ。分厚い外殻を爪で引っ掻くような傷しか付けられない。

 集中力が切れてきているのが自覚できた。魔獣の回避パターンを算出するための計算、周囲の哨戒、どんどん粗くなっている。

 帰りたい。帰るために戦っているのに、戦えば戦うほどに帰れなくなっていくのだ。何もかもを壊し、目の前の最後の一匹である魔獣を倒して、ここに残る自分は何だ。最後の魔法少女。何でも願い事を叶えることができる勝者。世界を滅ぼすことも、世界を救うこともできる者。それは神以外の何者なのか。

(――そンなもンになりてェわけじゃねェ)

 一瞬、完全に集中力が切れた。は、と気がつくと魔獣の攻撃が目の前に迫っている。それは別に構わない。どうせ大した損傷は負わない。問題なのは視界の隅に見つけてしまったことだ。魔法少女。上条ではない。呆然とこちらの戦いを見ている棒立ちの影に魔獣の手足の一つが襲いかかろうとしている。間に合わない。

 ガガガガッ。

 一方通行にぶつかった魔獣の手足が粉砕されるのと、もう一人の魔法少女がいた場所に土煙が上がったのは同時だった。

「……遅かったじゃねェか」

 土煙の中に二人の魔法少女がいる。一人はうずくまり、もう一人が魔獣の足を掴んで止めていた。こちらを見て笑う水色の髪の魔法少女。あの右手が掴んでいるうちは魔獣は座標移動を使えない。
 全力で魔獣の中心へ翼を撃ち込んだ。轟音と振動が治まると、自然と笑みが零れた。

「あとはポイントを統合するだけか」
「そォだな」

 音もなく小雨が降っている。静かだ。上条当麻――今は魔法少女の姿だ――はいつもの人の好い顔で迷い込んだ魔法少女に告げた。

「もう大丈夫だ。変身とけるか?」

 怯えていた魔法少女はぎこちなく頷いた。変身がとけると、そこにいたのは打ち止めより小さい子どもだった。

「アイテムを俺たちに渡してくれ。それさえ無ければ、あの化け物に襲われることはねえから」

 子どもは宝石のちりばめられた香水瓶のようなものを上条に渡した。彼が子どもの頭を撫で、避難所へ行くように言うと頷いて走り去っていく。

「これで全部かー」
「じゃァ早くその瓶壊して、俺のポイントもオマエのとこに移すぞ」
「え、なんで」魔法少女アンラッキーは喋りながら自分の変身アイテムであるマイクで香水瓶を壊した。「お前の方が頑張ってたじゃん」
「俺は――」

 努力を褒められたのがくすぐったく、一方通行は温かな視線から逃れるように身体ごと顔を逸らした。トスッ。何かが刺さる音が聞こえ、ゆっくりと振り向く。今は月明かりの脆弱な光しかない。付近の高層ビルが軒並み瓦礫に成り果てているため辛うじて相手の顔が分かる程度だ。だから見間違えたのかと一方通行は考えた。

 水色の髪の魔法少女の左胸、心臓のある辺りから何か黒い円錐状のものが生えている。ぐらりと少女の身体が傾いで、一方通行の目の前に小さな魔獣が現れる。さっきの子どもの持っていたアイテム――!


 何を考える余地もなく、一方通行は小さな魔獣を破壊した。ポイントの数字が中空に光るのを無視して、倒れた上条の怪我を見る。視界からの情報を脳が拒否しているようだ。理解ができない。何だ、何なんだ、この状況は。
 あんな子どもが魔獣を倒したポイントを持っているとは思わず、アイテムを壊した。ポイントはあったのだ。それが場に還元されて、新しい魔獣を作り出した。当然、残っている魔法少女へ魔獣は向かう。一方通行か上条当麻のどちらかだ。そこで反射のある一方通行ではなく上条当麻に凶刃が降り掛かったのは、半々の確立などではなく不幸を運命づけられた上条当麻の必然だろう。
 だからといってこれは――

「上条……!」
「ははっ、これ、さすがに、もう」

 生身ならとっくに死んでいる怪我だ。魔法少女の回復能力をもってしても、無い器官を作り出すことは難しい。心臓が完全に潰されている。
 瓦礫の山に横たわる魔法少女が左手を動かす。震える手にマイクが握られている。

「ほら……やるよ。早く、しろ」

 ポイントの譲渡を急かされている。それは分かるのに、なぜ、どうしてと詮無い言葉ばかりが喉の奥で暴れ回っている。

「……時間が無いんだ……俺は願いを叶えるまでもたない……俺が貯めた分、全部お前にやるから……お前が、やってくれ」

 ゆっくり、ゆっくりと、太陽が地平線から顔を出すように光が学園都市の外周から囲むように湧き出てくる。そのまだ遠い光が小雨を白く照らし始めていた。夜空に図形が現れる。

「……泣くなよ……頼む。お前がやるんだ」
「ッ誰が、」

 確かめるように地面近くにあった手が俯く額に触れた。

「お前が……みんなを救うんだ」

 一方通行の持つ黒い石の上で、光る数字が目に求まらぬ速さで増えていく。『みんな』だとか顔も知らない他人とか、そういうもののために戦ってるわけじゃないと前から言っている。そう文句を言ってやりたい。死にかけているときに笑うな。いっそ嘆き悲しめ。これでは余計に――

 上条当麻の手が落ちた。

 失うことは恐ろしい。上条当麻は家族ではない。たぶん、本人が軽く口にしたように友人というものなのだろう。出会う誰とでも友人になれそうなヒーローと自分とではだいぶ重さが違いそうだが、と一方通行は思った。打ち止めや番外個体たち、自分の家族や自分が守らねばならない者たちは無事に生きているだろう。それ以外の、たとえば携帯電話のメモリに入っている人間やその背景にいる人間。気の合う者も合わない者もいるだろう。喧嘩腰でしか話せない相手も、バカみたいに笑いかけてくる相手もいた。

 彼らを助けたいと思っていいのだろうか? そう願うことは、今助かった家族を危険に晒さないだろうか?

 何が正解かなど分からない。自分はヒーローのように誰もが笑えるハッピーエンドなんて作れない。

「サバトは終わったかね」

 魔術師が辺りを見回しながら歩いてくる。「春の歌に興ずるには、この街には緑が少な過ぎる」
 残念だ、と嘯いて魔術師はひとりで語り始める。今回の魔術の発祥を、彼の理念を。

 もし何の争いもない世界を願えば聞き届けられるのだろうか。誰も泣くことのない、優しい世界に打ち止めや番外個体たちを連れて行けるのだろうか。

 最後の魔法少女は目を閉じた。違う。もう逃げない。諦めることも、諦めさせることもしない。

「さあ、神の誕生だ。君も喜んでくれるかな。祝祭の憐れみとして、どんな願いでも叶えてあげよう。新しい楽園のリリスよ」

 帰るのだ。ひとりで世界を変える必要なんてない。ヒーローにも、怪物にも、神様にもなりたくない。


「俺の望みは、俺が上条を助けるまで、このクソくだらねェゲームが終わらねェことだ」


 魔術師は訝しんだが、一方通行の要求とともに夜空の図形が動き始めた。
「ふむ、時間遡行か。しかし」

 結界の中の全てが歪んでいく中、魔術師は忠告した。

「君の知る過去には戻れんぞ。同じ筋道に帰れば同じ未来に辿り着くのでな」
「重畳。それでいい」

 街の全てを呑み込んで、ワルプルギスの夜が収束する。何もかもが黒い点の中に吸い込まれた、と思えば今度は広がり始める。存在を引き伸ばされるような、固まって石になってしまうような、正反対の感覚に刻まれる。

 目を開いたという動作で、いつのまにか目を閉じていたことを知る。胎児のように丸まっていた身体の緊張を解く。緩やかな落下。漆黒の靄に囲まれているせいで視界は悪いが、見下ろす地上は崩壊している。ゲームの最終日か? と疑問に思った瞬間に膨大な情報が流れ込む。自分が辿らなかった過去での自分の情報だ。真下に蹲っているのが自分だと知る。ふと視線を感じて少し離れた場所を見やると上条当麻がいた。浜面もいる。

 帰ってきた。

 そして意識は闇に包まれた。

9/12もsaga忘れてる……
最後の行だけ↓これです





 能力不相応の善意などコップから溢れる水のようなものだ。周りを水浸しにして、布巾を要求し、時には大切な書類を汚す。人の命を繋ぐものも過ぎれば人を殺すのだ。そんなことは言われるまでもなく知っていると魔法少女たちは敵に向き直る。

というわけで1周目の様子でした。
もうちょい泥沼にするつもりだったけど筆力が追いつかなかった。

仕事の繁忙期と資格試験があるので次も亀更新です。
こういうの亀でいいの? 亀より遅いものって何かある?

保守。
予想はしてたけど夏祭りの原稿の目処がつくまで投下できません。

もうちょっとかかるすみません保守だけ

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom