伊織「私はアイドル」 (18)



「デコちゃん、おはよ」

馴れ馴れしいを通り越して失礼な呼び方。
でも、美希にいくら言ったところで効果がない。
デコちゃんはデコちゃんなの、と返されるのが関の山。
私は諦めきった顔でおはようと返す。
最近は仕事が忙しいから、美希がこうしてここで寝ているのは珍しい光景かもしれない。

「デコちゃん、今日はお仕事?」

仕事じゃなきゃ、なんで事務所まで出てくるのかと言い返すと、美希はそれもそうなの、と言ってまた寝始めた。

「デコちゃんとゆーっくり話す時間が少なくなって、ミキ、ちょっと寂しいな」
「そう」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1399644364


素っ気の無い返事を返すと、美希が頬を膨らませて、デコちゃんはつめたいの、と抗議をしてくる。

「むー、意地悪なの、デコちゃん」
「…で、アンタは今日は何なのよ」
「ミキ?ミキはね、今日新しいシングルのジャケット写真の撮影なんだ」
「…それって、午後からじゃなかったかしら?」
「うん」

こんなに早く来ても、事務所のソファで昼寝をしているだけじゃない。
そう言おうとすると、美希は私の顔をじっと見つめてくる。

「…デコちゃん、何だかイライラしてない?」
「…えっ?」
「何かよくわかんないけど、そんな気がするの」
「…べ、別に。アンタの気のせいじゃないの?」
「…そうかな」
「おーい美希、そろそろ行くぞー」
「はーいなの。じゃーね、デコちゃん」


イライラなんて…別に。
美希に言われた一言が引っかかったまま、私は一日の仕事を終えて屋敷に戻った。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、新堂。お父様は?」
「今朝、イギリスへ発たれました」
「そう…」

お父様は、水瀬グループのトップとして、日本中、時には世界中を飛び回っている。
お母様も同じようなもので、趣味の部隊観賞や旅行で、家に居ることはめったに無い。
一番上の兄は、水瀬グループのとあるコンサルティング企業の代表、二番目の兄は海外留学中。
これだけ広い屋敷なのに、実際に住んでいるのは私と、住み込みのメイド達だけだ。

「お嬢様、どうかなさいましたか?」

その使用人たちを束ねる、水瀬家の執事長、新堂。
私が生まれるよりももっと前からこの水瀬家に仕えていて、お祖父様の若い頃も良く知っている人物だ。
私が生まれてからは、普段家に居ない父や母に代わって、この新堂が親代わりをしてくれていた。


「なんでもないわ」
「…そうですか、それならば良いのですが。ご夕食になさいますか?」
「ええ、そうするわ」

新堂には、私の様子がおかしいことが気付いている節がある。
でも、それが何なのか私は良く分からない。

「…新堂、何か気になることでも?」
「…お嬢様、何かお悩みでもあるのでしょうか?」
「えっ?」
「…お父様のこと、ですな」

新堂の言葉は、私の無意識の中にあった筈の苛立ちの原因に突き刺さり、それを表層に引き出してきた。

「…お父様やお兄様が、まだまだお嬢様のことを認められていないというのは無理からぬ事です」


竜宮小町、いえ、765プロが芸能界で実力を付けてきたとはいえ、まだお父様やお兄様は、私の事を認めていない。
何故なら、水瀬の一族として、まだまだ私は未熟と考えているからだろう。
私自身もそう思っている。
だけれど、それは正しい事なのだろうか?

「…水瀬だから、水瀬の価値観だけにとらわれる…それが私は嫌なのよ」
「水瀬が水瀬たるのは、その価値観だけでしょうか?」
「どういう事?」
「それは、きっとお嬢様が一番よく分かっているはずですよ」

新堂は、私に微笑むだけ。
いつも彼は、私が自分で答えを出すように仕向けてくる。
家に居ないお父様やお母様にかわり、私に色々なことを教えてくれたのは新堂だった。

「私が?」
「ええ、お嬢様なら」

新堂の言葉を何度も何度も繰り返しながら、食事と入浴を終えた私は寝てしまった。



「おはようございます、お嬢様」

多くの使用人達がそうであるように、新堂も朝早くから動き出している。
皺ひとつ無い折り目正しい服装は、まるで産まれたときからその格好であったかのように、新堂のごく自然な姿に映る。

「お嬢様は、今日は何時頃のお戻りですか?」
「そうね…8時には」
「今日は、旦那様も夜にはお戻りのはずです」

もっとゆっくりしてくるかと思えば、

「どういう風の吹き回しかしら?」
「さあ、私にはなんのことやら?」

とぼけてみせた新堂の顔を軽く睨みつけておく。
相変わらずこの老執事は勘が尖い。

「では、行ってらっしゃいませ、お嬢様」



「…なんなのかしら」

なぜ、私はこんなにも苛立っているのだろう。
竜宮小町は順調に活動している。
いや、竜宮だけではない。
他の子達だって、それぞれトップアイドルへの階段を登りつつあるのに。
私は何が不満なのかが全くわからなかった。

「おはよ、デコちゃん」

いつもの様に、美希は事務所のソファに寝そべっている。
まだ次の仕事までには時間もあるし、話してみようか。

「ねえ、美希。アンタは私を見て、どう思う?」
「デコちゃん、今日も綺麗なおでこなの」
「違うわよ」

美希の正面のソファに腰を下ろすと、私は美希の目をじっと見つめる。


「私は、水瀬伊織は、アンタにはどう見えるの?」
「デコちゃんはデコちゃんだよ?」
「…はぁ、もういいわ、アンタに聞いたのが間違いだった」
「デコちゃんは、どう見えてほしいの?」
「えっ?」
「デコちゃんは、皆からどういうデコちゃんに見えて欲しいの?」

美希の質問に、私は答えられなかった。
どう見えて欲しいか。
アイドルだから、可愛く、時にはカッコよく。
それでいいと思う。
だけど、それは美希の求める答えじゃない。

「なんかデコちゃんらしくないの。どうしちゃったの?」
「…別に、何でもないわよ」

美希が心底不思議そうに私を見ている。
私は、どう見られたいの?
私を、どう見て欲しいの?
私って、何?
美希の一言がぐるぐると頭の中を駆け回る。


「伊織ー、そろそろスタジオに向かうから準備してねー」

律子の声に、堂々巡りの思考を停止して立ち上がる。
結局、仕事の合間に考えては見たものの、その答えは出なかった。
モヤモヤとした気持ちのまま仕事を終えて家に帰ると、何時もの通り、新堂が玄関で出迎えてくれた。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

今日はあずさたちと夕食を済ませてきたので、早速私は父の居場所を新堂に聞いて、部屋に向かった。



「お父様の部屋、変わらないわね」

もう、どれくらいだろう。
お父様の部屋を訪れたのは、遥か昔の事のように思えた。
そもそも、訪れたとしてもお父様がこの部屋に居ることはまず無かった。
水瀬家の当主として、日本全国を飛び回っている以上、それも仕方のない事だった。

「…伊織、お前はどうしたいんだ」

お父様は、窓を背にして執務机に座っている。
その表情は、何時もと同じ、人の心の奥の奥まで見透かす様な鋭い物。
伊達に水瀬のトップを務めあげている訳では無いようだ。

「…どうしたいって、どういうこと」
「アイドル、続けるのか」
「ええ、もちろん」

父の問いかけに、私は即答していた。


「お前は、アイドルになってどうしたいんだ」
「…私は」

お父様の言葉が突き刺さる。
私は、アイドルになってどうしようとしたのだろうか。
私は、お父様やお兄様達に認めてもらいたくてアイドルになった。
でも、今はそれだけでは無い筈だ。

「いずれ、お前も水瀬の名を継ぐことになる存在だ」
「…それよ」

その一言が、朝事務所で美希に言われた言葉に繋がって、一気に答えを引きずりだした様な気がした。

 
『デコちゃんはデコちゃんだよ?』


美希の言いたい事はそう言う事だったのか。
私はようやく合点がいった。


「ん?」
「私は、水瀬伊織よ。だから水瀬の名を継いで、お兄様達の様に、お父様の様に、水瀬が発展する事を誇りに思って、生きていく…それだけかしら」
「…」
「それだけで良いのかしら。私は、私にしかできない事がある…そう思うのよ」

私は、水瀬グループの伊織じゃない。
水瀬伊織と言う一人の、まだ未熟な所もある人間だ。
そして、トップアイドルを目指しているアイドルの一人だ。

「それは、一体なんだ」
「…まだ、分からない」

私がアイドルをする事が、どれだけの意味があるかは分からない。
最後まで、分からないかもしれない。
でも、私達が舞台に出ることを喜んでくれる人が居る。
楽しみにしてくれる人が居る。


「…まだ、か。成程」
「…私は、お父様やお兄様の力を借りずに、自分の力でやれるところまでやってみたい。私が、私であるために、水瀬グループの令嬢じゃなくて、水瀬伊織としてどこまでやれるのか」
「…そうか」

お父様は、驚いた様な顔で私の顔を見ていた。
それも一瞬の事で、いつの間にか元の表情に戻っていたが。

「…好きにすれば良い。私はそれを、見ているだけだ」
「…ねえ、お父様」
「…何だ」
「私が、アイドルを辞めてたら、どうしたの」

部屋を出ようとして、お父様に背を向けたまま、私はそう聞いてみた。


「それだけの事だ。お前は水瀬の令嬢として、水瀬グループで働き、水瀬グループの後継者一族として、経営に参画していった。それだけだ」

予想通りの答えが返ってきた。
そう、私はきっと、水瀬の箱入り娘のまま終わっていたのだろう。
それは、私には耐えがたかった。
父の御膳立てで、その一生を終えることが。

「お前のしたいようにするがいい。私はそれにとやかく口出しはしない」

結局、お父様の掌の上だった、という事だろうか。
だとしても、一杯喰わせることが出来たのではないかと思う。
私はそのままお父様の部屋を後にした。




あれから、どのくらいが経ったのだろう。
遂に、私達765プロダクションは、一つの節目に立っていた。
皆で円陣を組んで、手を合わせる。
765プロ、ライブの前の恒例行事だ。
春香の音頭に合わせて、手を高く上げる。

合言葉は、決まっていた。

「目指せ!トップアイドル!!」

ステージへと登り、一曲目のイントロが流れ出す。
緞帳が上がり、サイリウムの海が広がるアリーナが、私達の前に姿を現した。
これが、私の目指した物?
いいえ、そんなもんじゃないわ。
まだまだ、今から、これからが私のトップアイドルへの…水瀬伊織の進む道なのだから。







遅くなったけど伊織、お誕生日おめでとう!

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom