京太郎「操り人形よ、糸を切れ」 (353)

 咲とメガテンシリーズの設定を借りた二次創作になります。
 ほとんど京太郎しか出てきません。
 メガテンシリーズの設定を借りているので時々戦闘描写が出てきます。
 抑えた表現にしてありますので、それほどグロテスクにはなっていません。
 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1399607373

五月中旬、地方新聞に小さな記事が出た。
 記事の内容は清澄高校に通う男子高校生がひき逃げにあい、意識不明の重傷を負った。清澄高校近くの商店街に向かう交差点で、倒れているのを通行人が発見して、病院に担ぎ込んだ。発見が早かったおかげで命をつなぐことができた。内容は大体このようなものだった。
 現場の状況から男子高校生を引いた車の運転手はまったくブレーキを踏んでいないことがわかった。ブレーキ跡がなかったのだ。

金属がひしゃげるような大きな音が商店街近くから聞こえていたこともあり、人がいないと思って突っ込んできた車に男子高校生が引かれてしまったのだと警察は予想を立てていた。犯人がどこへ消えたのかはわかっていない。
 男子高校生の意識が戻ったのは、事故から三日後である。まったく事故なんて起きたのかわからないという様子で、男子高校生は目を覚まし、自分の体に巻きついている包帯みて笑っていた。金髪に近い髪の毛をしていたのだが、事故のショックで色が抜けてねずみ色になってしまっていた。

男子高校生が目を覚ましたとき両親は涙を流して喜んでいた。医者が両親に語っていたのだ。
「もしかしたら二度と意識が戻らないかもしれない。体の傷というのは元に戻るけれども、脳に強い衝撃が与えられている可能性がある。そのときは覚悟をしてもらわなくてはならない」
と。言葉を濁してはいたものの、何がいいたいのかというのは両親にもわかっていた。だからこそ、男子高校生が目を覚ましたとき、何よりも両親は喜んだのだ。髪の毛の色が灰色へと変わったことなど、まったくどうでもいいことだった。
 両親は男子高校生に事故の話しをして聞かせた。事故の前後の記憶を息子が失っていたからだ。
 両親にこのように尋ねた。
「どうして俺は病院にいるのだ」

両親はすべてを察した。両親はこれまでのことを話した。
 行方不明になった男子高校生を探しにいくといって電話をかけてきたこと。いつになっても帰ってこなかったこと。心配していると朝早く電話がかかってきて、そこで息子が事故にあったと知ったということ。病院で警察が両親のことを待っていて、そのときにノーブレーキで走ってきた車にはねられて、そのまま放置されたこと。本当ならばそこで終わっていたはずだが運がよかったのか、すぐに発見され、病院へと担ぎ込まれたということ。 
 男子高校生は神妙な表情を浮かべた。両親はそれをみて混乱しているのだろうと思った。意識失ったら、いきなり病院だったのだ。そしてひき逃げされたなどというのだから、混乱してもしょうがないことだと。

事故にあった男子高校生と同じくらいの年齢の男子高校生が二人病室に入ってきた。友人を探してくれと頼んだ生徒が一人。そして探し出した生徒が一人である。
 二人は涙を流しながら京太郎にお礼を言った。依頼をした生徒は
「自分が頼まなければ、こんなことにはならなかった。すまなかった」
といって涙を流していた。本当に申し訳がないという表情であった。思いつめて悲惨な結末を選びそうだった。男子高校生が探し当てた生徒は
「あなたが見つけてくれなかったら僕はきっと帰ってくることはできなかった。本当にありがとう。見ず知らずの僕のために、命をかけてくれる人がいるなんて思いもしなかった。何度お礼を言っていいのかわからない。本当に、ありがとう」
本当に言葉にならないのだろう。何度も何度もお礼をいっていた。

事故にあった男子高校生は
「そっか、大丈夫だったか。ならいいんだ。記憶が飛んでいて、最後にどうなったわからなかった。でも、元通りになったのなら満足だよ。俺は」
といって微笑んだ。
 両親は一人息子が少しだけ大人になったと思った。まだ小さな子供だと思っていたが、友人たちへの振る舞いの中に、何かを成し遂げた人間の厚みのようなものを見た。
 両親は何を成し遂げたのかを息子にたずねたりはしなかった。生きて帰ってきたこと、そして成長したこと、それだけあれば十分だったからだ。しかし無茶をしたことを少しだけ愚痴ることにはした。心配した人間がいたのだと伝えておかなければ、どこかに飛んでいきそうだったからである。

そうしていると病室に警察官と老人が入ってきた。警察官は両親よりも年上の男性である。男子高校生に、事故にあったときの状況を聞きたがったのだ。もう一人は警察官よりもさらに年上の男性。老人だった。身長が高く、不思議と頼れる雰囲気をまとっていた。若い時代は、さぞかしもてただろう。
 警察官はすぐに病室から出て行った。男子高校生が事故にあう前の記憶を失っていることがわかったからである。医者からもすでに説明を受けていたので、根掘り葉掘り聞くことはなかった。それに、老人からも話を聞いていたので、特に男子高校生から話を聞く必要がなかったのである。
 見知らぬ老人が、病室に入ってきたのは老人が男子高校生を助けてくれたからだ。両親が男子高校生に教えてくれた。
「この方が見つけてくれたから命を拾うことができたんだ」

早朝、散歩をしていると金属が引きちぎれるような音が聞こえ、音がしたほうへと向かうと男子高校生が交差点で倒れていたという。
 老人に対して頭を下げてお礼を言った。
「ありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら、俺は生きていられなかった。友人も、あなたなのおかげでしょうか。もしそうなら、そのことについてもお礼をいいます」
 老人はうなずいた。
「察っしのとおりだ。交差点で君を見つけ、君が見つけた友人も私が助けた。よく、見つけられたね。感心するよ。そして最後まで、あきらめずに立ち向かった君の友人も」
 男子高校生は老人に尋ねた。
「失礼ですが、お名前を教えてください。俺は、須賀京太郎。いつまでも恩人の名前を知らないままではいられません」

老人は答えた。
「私の名前は葛葉ライドウ。隠居だよ。昔は探偵をやっていた。退院できたら私の友人に紹介したいとおもう。事故で傷ついた心を癒すことができる人物が知り合いにいるのだ。気晴らしを用意しよう。京太郎君さえよければの話だがね」
 京太郎は老人に答えた。
「もちろん、ありがとうございます」
 京太郎が退院したのは、それからさらに三日ほど後のことである。その間彼にお礼を言っていた男子高校生が二人、毎日彼の病室に通い、学校の話をしてくれていた。時々、病室から抜け出して中庭に出て、そこで野良猫と遊ぶ京太郎の姿が目撃されている。野良猫は真っ黒な猫で、印象的な緑の瞳をしていた。

新学期が始まってすぐのことだ。
 リュウモンブチにかよう男子高校生が執事から外出禁止を言い渡された。
「敷地から出てはいけない」
しかし彼は禁止を破ってしまった。友達と遊びたかったのだ。

 
 五月に入ったあたりから、京太郎は悩みを抱えていた。彼の悩みとは、心の中にある微妙な空白である。
人間誰しも、心の中に問題をかけているものである。
欲望なのか、それともまったく別のものなのかは、人それぞれ。
思春期の男子高校生ならば、悩みがあってもまったくおかしなことではない。
 彼自身もそのように捕らえていた。この胸の中にある微妙な空白は、おそらく世間で言うところの思春期のせいなのだと。
 誰もが感じている空白なのだ。
きっと時間の流れが解決してくれる。
 
胸の中の空白を感じるようになった京太郎は一生懸命になることが多くなった。
できる限り勉強をして、できる限り友達と会話をし、できる限り部活動に出て行くようにした。
 先生から荷物を運ぶ仕事を頼まれてみたり、部活動で先輩の命令を聞いてみたりしてできる限り動いてみた。
動いていたら、心の空白が埋まると思ったのだ。
そうすることで、何かが見つかるかもしれない。そう考えた。


しかし京太郎の胸の空白は広がっていった。
人のお願いを聞いてみても、まったく何も答えが出てこなかった。
一生懸命になって動いてみても、まったく心が埋まらない。
空白が広がるばかりで、何も得るところがない。
まったく理屈などない。
しかし自分の心がどんどんかけていくのが、京太郎はわかった。
 京太郎の中学時代からの友達が京太郎に言う。

「何をあせってんだよ。動き回ってよ? 
そこまで人の仕事を手伝う理由があるのか? 
金でももらってんのか?」

 京太郎は友達に答えた。
「わからないけど、なんとなく落ち着かないんだ。
だからとりあえず動いてみようかなって。
人の役に立ってれば、見えてくるものがあるかなってさ、そんな気がするんだよ。それだけ」
 友達が言う。
「だったらよ、運動系の部活にでも入ればよかったじゃねえか。
人のお願いを聞くなんてあほらしい事をやらねぇでよ。
体もでかいし、センスもある。
何でマージャンなんだよ。室伏が将棋やるようなもんだぞ。
動いてなきゃやってられないならさ、無理せずに自分にあったことをやればいい。
お前そんなにミーハーじゃねぇだろうが。はやってたら飛びつくタイプじゃねえだろ。
いくらマスコミが持ち上げてもよ、結局マージャンじゃねぇか。一部のマニアが騒いでるだけ。
お前も知ってんだろ? 一回でも卓に座ったらマージャン人口に加算して発表してるって話。
やめとけやめとけ、お前にはあわねぇよ」
友達は、中学時代からの付き合いがあるので、京太郎の才能が運動に向いていることを知っていた。頭も悪くないのもしっている。

頭が悪くないといって、将棋だとかチェスのような室内で遊ぶものに熱中できるという話でもない。
仮に世界で一番頭のいい人間がいたとしても、興味を持たないのならばいつになっても技術は伸びない。
続かない。
やる気がないから先を見ない。
 飛ばせてもらえない鷹。
情熱と才能がかみ合っているという、のどから手が出るほどうらやましい幸運がある。しかし、それを生かす環境にいない不幸な現状。それが友達から見た京太郎だった。
 しかしこれは、まったく京太郎を知らない人間から見てもすぐに同じ事が分析できただろう。
マージャン部にいるときの少年はあまりにも空気がかみ合っていない。
 だから友達は、無理をしてマージャン部に入ってストレスが沸いているのだと考えた。
魚が空で生きていけるか?
 京太郎が飛ぶには、広い空が必要なのだ。

京太郎はいった。
「そういうことじゃないんだよストレスって感じじゃないと思う。
たぶん。
心の中が真っ白になるっていうか。
そういう感じ。
それにマージャン部はしょうがないんだよ。
人数がたりないからってさ、頼まれたんだ。
知ってんだろ、副会長。
それに高校生になったら、勉強もやらないといけないから運動系は無理だ。
だから、ちょうどいいかなって」
すると友達がいう。
「ああ、中学時代に世話になったってんだろ。
わかってるよ。
俺も世話になったからな。
いい先輩だと思う。
だからって何の義理もないやつのパシリまでやる必要はないと思うけどな。
幽霊部員で十分だ。
そうだろう。
名前だけ貸してやればいい。
毎日部活に出て、いいようにされる理由にはならねえよ。

俺たちの耳にも届いてんぞ、お前の扱いは。
宮永が入ったら余計に扱いが悪くなったこともな。
そこまで義理立てする必要はねえよ、マジで。
義理を立ててるのは副会長さんにだろう。
副会長さんもパシリなってくれとはいってねえはずだ」
こういって冷たい表情を浮かべた。
 京太郎は答えた。
「しかたがないだろ。
一応部員だし、俺だけしか男子がいないし、上下関係がある。
しょうがない」
 友達が言う。
「お前がいいならそれでいいさ。
お前の問題だからな。
それは俺がなに言っても仕方がねえさ。
お前の好きなようにすればいい。
でも、俺だけじゃないぜお前の事を見て、もったいないと思ってんのは。
鷹はネズミとは暮らせねえよ。
しんどくなったらいつでも相談してくれ。
力になるよ。
これでもお前の友達だと思ってんだ。
でもまあ、好き勝手いって気を悪くさせたな。
すまなかった。でも、本気で心配してんだぜ。
そんじゃあ、そろそろ昼ごはんの時間にしようぜ。
宮永はどっかいったみたいだし、俺たちは、食堂へ、ゴー、だな京太郎」
そういって京太郎と友達は食堂へ向かった。

食堂に人は少なかった。
注文を入れるとすぐにお目当てのものが用意された。
普段より五分くらいは早かった。
 広々とした食堂で、昼ごはんを食べていると、女子生徒たちの会話が聞こえてきた。
「スマホにさアブリをいれるわけよ。
そうするとクピドが好きな人と自分を引き合わせてくれんの」
と切り出す
「おまじないじゃん。
高校生にもなってさぁ」
といって切り返し、
「これが効くんだよ。
私も結んでもらったんだ。
試してみたらいいよ。
無料だし」
とさらに切り返す、
「まあ、そこまでいうなら試してみるよ。これかな」
といって携帯電話を操作する。そうして
「なんか変な契約書みたいなのが出てきたけど、大丈夫なのこれ。
面倒なのはごめんだわよ」
というと
「ああ、契約者は契約相手を傷つけないってやつでしょう。
問題ないよ。
みんな何もなかったし。
私も何もなかった。
せっかく結ぶんだから仲良くやれってことでしょ、たぶん」
というと相手側の女子生徒は、
「たぶんってあんた。
まあ、そうだろうね。
傷つけたらだめだわね」
といって、アブリを携帯電話にインストールしていた。
「お、なんか男前のスタンプゲット。なにこれ?」
というと、おまじないを進めた女子生徒が言う。
「その人が結び付けてくれるのよ。
拝んどきなさい、ありがたいらしいから」
「ありがたいのか」
すると女子生徒たちは軽く目をつぶりムニャムニャと拝んでいた。
 珍妙な光景である。
 


 女子生徒を横目に見ながら、京太郎と友達は昼食をとっていた。
友達がいう。
「なんか、はやってんな。
昔からかわんねえな女子ってのは。
あんなことやってる間に告白すれば楽勝だろうが。
男子高校生の性欲をなめんなっての」
 京太郎が
「そうだね」
とやや棒読みの返事をした。
 京太郎の皿の上に友達のから揚げが移動した。
友達が、京太郎に差し出してきたのだ。
どういうつもりかと京太郎が友達を見る。
「頼みがある」
と友達が言う。
から揚げはお願いを聞いてもらうための支払いである。
 京太郎は少し緊張した。
「何だよ」
友達があまりにも真剣だったからだ。
 友達は
「行方不明になった俺の幼馴染を探してほしい」
といった。さらに続けた。
「正直、俺の話を真面目に聞いてくれるのはお前だけさ。
そうやってすぐに真剣になってくれるのもな。
だから頼みたい。
俺も必死で探しているが、幼馴染がどこへさらわれたのかがまったくわからない。
警察に話してみてもきいてくれない。
笑われたよ。ほかの友達に話しても同じだった。
もしもお前にまで笑われたらと思うと怖くて言い出せなかった」



 京太郎はすぐに答えた。
「どんな顔だ。
見つけられるかはわからないが、探す相手がわからなきゃ見つけられねえ」
 このとき京太郎はまったく何も考えていなかった。
おそらく後から考えても理由はわからないだろう。
 友達は言う。
「茶化さないでくれただけで、お前が友達でいてくれてよかったと思う。
みんな俺がうそを言っていると思って、すぐに薄笑いを浮かべるんだからな」
つづけて、
「俺の幼馴染が悪魔にさらわれた、四日前の話だ。
悪魔はマネキンみたいな姿だった。
俺と幼馴染が久しぶりに遊んで帰っているときだった。
急に雨が降り出した。
まったく周りがどうなっているのかわからないくらいの勢いだった。
そうしていると雨の向こう側から、人間の形をした何かが現れた。
やっと何が歩いてきていたのかがわかったとき、悲鳴も出なかった。
ショッピングモールに突っ立っているマネキンがさ、人間みたいに動いて、男子高校生を担いでさらっていくんだぜ。
頭がおかしくなったかと思ったよ。
何とか動き出して、邪魔をしたが、まったく手も足も出なかった。
俺が足にしがみついているのに、まったく問題ないってな具合だった。
俺は振り払われて終わりさ。
何もできなかった。
雨がやんだとき、幼馴染は消えていた。
夢でも見ているのかと思った。
地面は乾いていたからな。
でも消えてしまった幼馴染と、びしょびしょになった俺の服が夢じゃないと教えてくれた。
警察にあわてて連絡した。
幼馴染の家にも電話して聞いたよ。
でもな、全部笑われた。そんなことがあるわけないってな。
幼馴染は家出したことになった。
それが自然だからって。
それで通された」
 京太郎は黙っていた。
確かにおかしな話だからだ。
悪魔などというのは存在しない。
そんなものがいたのならば、世界は混沌としているからだ。
 しかし人が消えうせるなどということもない。


友達が力なく笑った。
「やっぱりうそ臭いか。
しょうがないよな。
自分でもそう思うよ。
こんなことあるわけがない。
あっていいわけがない。
マネキンが男子高校生を担いでさらっていくなんて、小さな子供の悪い夢じゃないかってんだろ。
そうだよな。
たぶん、たぶんな俺の頭の中がおかしくなったんだ。
何かの病気にかかったんだと思う。
脳みそなのか、心なのか。
みんなそういう。
俺もそうだと思う。
ありがとう京太郎。
お前くらいだよ、笑わないで最後まで聞いてくれたのは。
病院にいけってさ、いわれたんだ。
そうするよ。本当に、きいてくれてありがとう」
 京太郎の携帯電話が鳴った。
携帯電話はマージャン部の部長からだった。友達が
「いいよ」
というので電話をとった。


 軽い挨拶を交わす。
そうするとすぐに部長が本題を切り出してきた。
お願いだ。
京太郎はまたかと思った。
「備品がなくなったから買出しに行ってくれないかしら。
後、ついでに買ってきてほしいものもあるの。
合宿で使うのよ、用意し忘れちゃってね。
放課後は練習だから、須賀くんにお願いしようと思って。
あと、ユウキがほしいものがあるらしくってね。
知っているかしら最近はやっているパ」
京太郎は胸の空白がうずいた気がした。
暗い顔をしている友達を見る。
 京太郎は部長をさえぎって言った。
「お断りします。
用事があるので当分部活には顔を出しません。
合宿の用意は自力でお願いします。
失礼します」
電話越しに部長のあわてる声が聞こえてきた。
京太郎は電話を切る。
そして机の上に見えるようにおいた。


 京太郎は友達に言う。
「お前のことを信じるよ。
もしも嘘だったとしてもかまわない。
それならそれで納得するよ。
俺の見る目がなかったってだけのことだと思うようにする。
うそなら今、すぐに言ってくれ。
怒ったりしない。
笑って流す。
でも、お前が本気なら、探す相手の写真を俺に見せてくれ。
俺はお前の妄想に付き合って、行方不明になったお前の幼馴染を探す」
 友達は涙ぐみながら、携帯電話を取り出した。
「写真ならある。
久しぶりに会ったときに写真を撮ったんだ。
携帯に送っておくよ」
京太郎の携帯が震えた。
友達からのメールだった。
メールの内容を見ると、さわやかな男子高校生が微笑んでいる写真が貼り付けられていた。
学生服が京太郎たちのものとは違っていた。他校の生徒であることがわかる。
「リュウモンブチだったか、この学生服は」
 京太郎はつぶやいた。
 


 京太郎は商店街に向かった。
友達の幼馴染がさらわれたのが商店街だったからである。
友達は何度も商店街を捜したらしいが、何も見つけることができなかったという。
「せっかく買ったカツサンドは雨で台無しになった」
といって力なく笑っていた。
 奇妙なマネキンとも二度と出会っていないという。
友達は別の場所を探し、京太郎は商店街を探すことに決めた。
友達は
「疲れたらさっさと引き上げてくれたらいい」
と京太郎に言った。
自分自身を信じきれていないのだ。
 京太郎は友達に言った。
「俺が見つけたらどうする」
まったく、疑がわない。
そういう調子だった。
続けていう。
「見つけたとき、それでおしまいってわけにはいかないぜ。
貴重な男子高校生の時間を使うわけだからな」
 友達は京太郎の心遣いがうれしかった。
 京太郎に答えた。
「一ヶ月昼飯をおごってやるよ。
一番いいやつだ。
それとサンキューな京太郎。
信じてくれてありがとう」


 商店街に向かう道のりに、交差点がある。
見通しがよく、まっすぐに伸びた道が四つ重なり十字を二つ切った形になっている。
 交差点で京太郎は声をかけられた。
老人だった。
背が高い、それに非常に整った顔つきである。
若いときにはずいぶんもてただろう。
老人が京太郎に言う。
「すまないが、リュウモンブチまでの道を教えてもらえないかな。
このあたりに土地勘がなくてね」
老人のそばに黒猫が控えていた。
緑色の瞳をした印象的な猫だった。
黒猫は京太郎を見てニャーンとないた。
 京太郎は老人に地図を描くことにした。
リュウモンブチまでの道のりを言葉で説明するのが難しかったからだ。
そもそも清澄からリュウモンブチまでは歩いていける距離ではない。
京太郎は思いつく限りの手順をノートに書き記して、老人に渡した。
 どうして地図を描こうと思ったのかはわからない。
なんとなく助けようと思っただけのこと。
人を助ける理由をいちいち必要としない性格である。

京太郎の手作りの地図を受け取ると京太郎に御礼をしたいと老人がいい始めた。
「ここまで親切にされると、さすがにまったく何も礼をしないわけにはいかない。
よかったらこいつを持っていってくれ。
なに、たいしたものではない。
雨が降りそうだろう。
君はどうやら傘を持っていない。
私のことは気にしないでいい。
電車に乗っていくからね。
君はこれから探し物をするのだろう。
雨にぬれて探し物をするよりはいいはずだ。
なんてったって防水加工もされている」
そういって、老人はどこからかマントを取り出した。
百八十センチを越す京太郎の体でもすっぽりと隠せる大きさだった。
 このマント少し昔の時代のデザインをしている。
袖を通すものではない。
ポンチョのようなものだ。
大正時代の学生が着ていたのをどこかで見たことがあると京太郎は思った。
 京太郎は断ろうと思った。
そこまでのことはしていないからだ。
そもそも地図ひとつでこんないいものをもらうのは無茶がある。


 しかし京太郎は受け取ってしまっていた。
よくわからないが、いつの間にか受け取っていたのだ。
記憶がはっきりとしない。
何か、心の中で揺れ動くものがあったのかもしれない。
しかし不思議なことだった。
気を失っていたのかとさえ思うくらいだった。
 猫が老人に対して、攻撃を仕掛けていた。
何か気に入らないことがあったのだろう。
「人探しがんばりな心優しい少年。
その意思、大切にしなよ。
あんまり怒るなゴウト、これも仕事だ。
行くぞどうやら間違いないらしい」
 京太郎がぼんやりとしている間に老人は姿を消していた。
強い風が吹いたように京太郎は感じた。
 交差点には京太郎一人だけである。
 京太郎は反射的にマントを羽織っていた。
雨がほほをぬらしたからだ。
そこでやっと京太郎の意識がはっきりとした。
 京太郎は少し申し訳がないという気持ちになっていた。
老人からあまりにも過ぎた対価を受け取ってしまった。
そんな気持ちがわいていた。
 しかし便利なものは便利である。
これで雨にぬれずにすむ。
京太郎は商店街へと走って向かった。


 雨が少しずつ強くなっている。
 シャワーでも浴びたかのように京太郎の髪の毛はぬれてしまった。
 「おかしい」
雨にぬれながら歩く京太郎は、自分がどこを歩いているのかがわからなくなっていた。
迷ったわけではない。
商店街への道をしっかりと歩いているはずだった。
道に迷うなどということは高校生になってあるわけがない。
迷うにしても通いなれた道を迷うわけがあるか。
しかし京太郎は道に迷っている。
 道に迷ったことがおかしいのではないと京太郎は感づいていた。
景色が違うのだ。
今まで自分が立っていた場所、息を吸っていた場所と微妙に違った場所に自分が立っている。
まったく科学的ではない。
理論的ではないけれども、どこかから間違いなく違った世界に巻き込まれてしまっている。


 脳裏に走るのは雨とともに現れたマネキンの話。
 あまりにもファンタジーな感覚が、理論を越えた世界を予感させている。
怪物、悪魔たちの世界。
 しかしそんなものがあるのか。
現実的ではない。
あまりにも荒唐無稽ではないか。
 もしかしたらただの勘違いであるということもある。
恐ろしい話を聞いた後には、何を見ても恐ろしく感じるのと同じ理屈。
その延長線上に自分がいるのではないか。
気の迷い。
そうだったのならばいっそ。
そう思っているところで、答えが出てきた。
 彼の頭の中からではない。非常にわかりやすい形、肉体を伴って現れたのだ。
怪物である。
 悲鳴も出なかった。降り続いている雨が怪物の足音を消していたのだろう。水滴にゆがむ景色の中に、明らかに人間ではない背格好の生命体が現れたのだ。悲鳴を上げるような余裕はなかった。心臓が一段下に下がるような寒気が彼を包んだ。
 「地獄に迷い込んだか」
と彼はつぶやいていた。


 額にへばりついている前髪を一気にかき上げる。
そしてしっかりと怪物をにらんだ。
その姿を彼は文献の中で見知っていた。
地獄でもがく畜生。
人間の腰あたりまでの身長で、満たされない魂を抱えて苦しみ続ける罪人の姿。
 ガキ。
人間の形に近い。
しかし人間のように見えるだけであった。
ガキの両目には何も入っていない。
暗闇があるだけだ。
生命体なのかすら怪しい気配に心が折れそうになった。
 彼を見つけたガキは、腹を抱えて笑っていた。
うれしいらしい。
ガキは常に腹をすかせている。
いくらものを食べようとしても食べることができないからだ。
水を飲もうとすれば水がガキから逃げる。
ものを食べようとすれば口に入ることはなく燃え尽きる。
地獄で攻められるとは恐ろしいこと。
地獄ならばそうなっていただろう。
 しかしここならどうだろう。
地上ならばその罰を受けるのだろうか。
おそらく受けない。
なにやら口元に食べ残しがついている。
カラスの羽である。


「あれが自分の未来の姿」

 ガキを前にした彼は一目散に逃げ出した。
頭が動かなかったのだ。
戦うなどとは思わなかった。
ただ、危険から遠ざかりたかった。
 勇気なき行為、しかし彼の行動は正解だった。
彼が逃げ出した直後に彼がいた空間が火を噴いたのである。
彼はその熱量を背中に感じていた。
そしてその熱量が与える危機感は、命を奪うのに十分な威力を予想させた。
おそらく彼がそのまま立ちすくんでいたとしたら、人間の丸焼きが出来上がっていただろう。
 何も考えずに彼は走り続けた。
考えられなくなっていたのである。
心臓のなる音がうるさい。
怪物との出会い、命を奪いにきた何かの力。
命の危険を連続して回避したことで、いよいよ考えることがあできなくなっていた。
彼の肉体は本能に従って、危険から遠ざかりつづけた。


 しかし、終わりではない。
ガキも必死である。
何せ食べることができない世界から食べられる世界に来て、一番に出会えたのがあんなにもおいしそうな獲物なのだから。
「逃げて結構ですよ」
といって、見逃す理由がない。
彼よりもずっと身長が低いはずなのに、足も折れそうなほど細いのに、野生動物のごとき勢いでガキは彼の背中に迫っていた。
 京太郎は逃げ切ることができなかった。
目の前に大きな川が迫っていたのである。
何日も雨が降り続いた後のような、濁流ができていた。
こんなところに川があるわけがない。
ここにあったのは道路のはず。
 見たことのない川が出来上がっていたことも、ありえないほどの水量なのも、京太郎はどうでもよかった。
背中に激痛が走る。
追いかけてきたガキが彼の背中に飛び乗ったのだ。


 ありえない思考が彼の頭に流れた。
「戦う」
背後から迫る気配が何者であるかなどというのはどうでもいいこと。
しかしおそらくどうにかしなければ自分が助からないのは紛れもない本当。
終わりたくない。
人間世界のあらゆる倫理観と感情が、終わりへと向かう極限の瞬間でもって完全に破壊された。
薄っぺらな常識は本能の爆発の前に砕け散り
「生き残る」
単純明快な真理が人間という畜生に京太郎を変貌させた。
 背中にのるガキが京太郎の肩に噛み付いた。
ご馳走を前に怪物はしとめるという行動を取れなかった。
生きたまま腹に収めるつもりだ。
 京太郎は背中のガキを跳ね飛ばした。
恐るべき生命力の力。
死に接した肉体が、限界を超えて力を発揮する。
自分に乗りかかった怪物を、背中の力、肩の動きを利用して宙に浮かせる。
あまりにも見事な肉体操作術。
恐るべき肉体操作センスである。
 肉体の限界を軽々と超えるその膂力は自分の肉体を壊してなお動く。
出力の限界を取っ払った筋肉が骨を削る。
神経は痛みを忘れた。


 跳ね飛ばされてもなおあきらめきれないガキは京太郎に向かって突っ込んできた。
勢いよく突っ込んでくる怪物の体を、尋常ならざる力で京太郎は受け止めた。
命がつながりさえすればいい。
この一瞬だけのため、すべてがささげられている。
肉体など後でいい。
 そのまま、ガキの首を脇で締め上げて勢いよく地面に京太郎は倒れこんだ。
これを人間に行えば、首の骨が折れる。
してはならない技。
今までの京太郎ならば思いもつかない行動である。
しかし、何よりも優先される自分自身の生存のため、彼は何の良心の咎めもなくたやすく命を刈り取りにゆく。
 しかしそれは失敗だった。
ガキは自分もろとも火炎を放ったのである。
彼の体に火がついた。
京太郎の服が燃え上がり髪の毛がいやなにおいを発する。
視界が一気に失われていった。
眼球が焼けたのだ。


 締め上げられながらガキが笑った。
これで終わりだろう人間、俺には耐性がある。
しかしお前は何もない。
このままエサになるがいいと。
 火炎に包まれた京太郎だったが、ひるまなかった。
生きるのだという執念が彼を突き動かしていた。
あきらめれば終わり。
なんとしても生き残る。
それだけが、戦闘続行のエネルギーなのだ。
彼は雄たけびを上げた。
彼の肉体に力が満ちる。
 ガキの首を脇に挟んで閉めたまま、彼は川へと飛び込んだ。
後のことは考えない。
今このときの命をつなぐのだ。
あまりにもシンプルな思考が、冒険の火蓋を切った。
どちらが生き残るのか、激流にたずねよう。
少なくとも今このときに終わることはない。
賭けに出たのだ。
京太郎とガキは濁流に飲まれた。
二つの姿は消えうせた。

 今日はここまで。
 続きは来週の土曜日にあげていきます。
 
 葛葉ライドウシリーズの未来に咲の世界があるという設定で話を作っています。
 設定に関してはガバガバなので怪しいところがあると思います。申し訳ありません。
 

続きからはじめます


「生きている」

目覚めた彼が一番に思ったことだった。

完全に自分は死んだと思っていたのである。

あのような異常な状況で命をつなぐなどということができるわけがない。

しかし、幸運にも考えることができている。

胸の奥に不思議な達成感があった。


 次に考えたのは、

「自分はどこにいるのだろうか」
だった。

 目覚めた彼の目の前に悲惨な光景が広がっていた。

見渡す限りのゴミの山だ。

空はよどんでしまって動かない。

ごみの山を作っているのは生ごみの類ではない。

何かの部品のようなものがたくさん捨てられている。

素人の目で見ても何のごみなのかさっぱりわからない。

しかし、歯車のようなもの、ばねのようなものやたらと人工的な輝きの部品が見える。

工芸品の残骸だろうと京太郎は当たりをつけた。

機械のようなものの集まりのはずなのに臭いがひどかった。


 雨は降っていない。


 彼は自分の状態を確認して頭を抱えた。

何も身に着けていなかったからである。

靴もなければ、ズボンもない。

当然下着もない。

理由はすぐにわかった。

あの怪物の火炎である。

あの火炎で何もかもを焼かれてしまったのだ。


 彼ははっとして髪の毛の感触を確認した。火炎で焼かれたのならば、髪の毛はひどいことになっているはず。



髪の毛を触ってみて彼はほっとした。

まっすぐな髪の毛の感触が帰ってきたからである。

京太郎は、おかしいとは思わなかった。

火達磨になったという客観的な事実というのは、京太郎本人ははっきりと理解していないのだ。

知っていれば、おかしいと思っただろう。

何せ、眼球まで焼かれたのだ。

髪の毛が無事なわけがない。


 しかし彼は歩き出した。

戦いを経験したことで頭がパニックになっているのだ。

そして目的が見つかったというのも大きな理由だ。

とりあえず身に着けるものを手に入れたい。


 生まれたままの姿のままでは心もとない。

できれば服を見つけたい。

まともなものがないにしても、せめて急所を隠すことができるものがほしかった。


「ごみの山にあればいいのだが」


 彼がごみの山を探し回っているとき驚くことがあった。

声が聞こえてきたのだ。

また、怪物の類だろうか。

彼はそう考えた。

しかしどうやら違うらしい。

「助けてくれ。動けないんだ」

なんとも不思議な声だった。

声なのかそれともきしんでいる音なのかわからない声。

発泡スチロールがすれているような奇妙な音が声に重なって聞こえるのだ。


 何かの罠かもしれない。

明らかに怪しい。

怪物と一線交えたあと聞こえてくる奇妙な声。

近づきたいと思うものはいないだろう。

そして知恵のある怪物ならば相手を誘って食らう行動も取れるだろうと彼は考えた。


しかし冒険せねば成らないときもあると彼は考える。


「もしかしたら自分と同じように襲われた人間なのかもしれない」

そのもしかするとを考えたとき、捨てておくわけには行かなかった。

襲われたのならば、また戦うしかないだろう。

彼はごみの山から、武器になりそうな、先端がとがった鉄パイプを拾った。

そして恐れながら声のするほうへと歩いていった。


 声はごみの山からきこえていた。

ごみの山に近づいて

「誰かいるのか」

と声をかけてみると、

「きてくれたのか。

生きているものの波動を感じて、声を出してみたんだ。

近づいてきてくれてありがとう」

と返ってきた。

 声の主がごみの山に埋もれていることに京太郎は気がついて、ごみをどかしていった。

ごみの山には、金属のかけらのようなものが引きちぎられてばら撒かれていた。

折れた剣の残骸もあった。

物騒な場所である。

 彼は声の主の姿を見て驚いた。

人形だったからである。

細かい飾りはついていない。

ポーズをとらせて人の動きを見る人形があるが、それとよく似ていた。

それが口をきいていたのだ。


人形は小さかった。

彼の手のひらに収まるほど小さい。

それに壊れている箇所がいくつもあった。

右腕と、左足にひびが入っている。

胴体もひどい。

そして心臓の部分に穴が開いていた。


 人形にも計り知れぬ事情があるのだろう。

京太郎が、神秘体験をしてきたように。

「助けてくれてありがとう、少年。

お前がここにきてくれなかったら、俺は死んでいただろう。

少年はなんて名前なんだ。

俺も名乗りたいが、名前が思い出せない。

名前を交換できないのが残念だが、少年の名前を知りたいと思っているんだ。

だめだろうか、恩人の名前を聞かせてもらいたいんだ。

教えてくれるか?」

といい、彼の手のひらで人形が震えた。

声を発しているらしい。

そして今も人形からは命が抜け続けているのが京太郎にはかんじられた。

感覚的なものだ。

何か大切なものが失われつづけているのがわかる。

 彼は名前を教えた。

「須賀京太郎だ」

うそを言うような気分にはならなかった。

頭がまわらなかったといったほうがいいだろうか。

怪物との戦いはまともに考える力を弱めていた。


 名前を答えると彼の体から力が抜けていった。

少し気分が悪くなった。

体が若干重たくなる。

人形が震えはじめた。

何事かと思っていると、人形が話し始めた。

「どうやら少年と俺はつながってしまったようだ。

抜け落ちていたマグネタイトが少しだけ満ちてきた。

やっぱ、人間のマグネタイトはいいな。

おいしいわ。

あと、少年。

どうやら少年は俺の主人になったらしいぞ」

能天気な調子だった。

「これで、外に出て行ける!」
人形は喜んだ。


 京太郎はそれどころではなかった。

力が抜けたことに問題はない。

目の前に敵が現れたことに問題があるのだ。

 ガキが現れたのた。

それも二体。

京太郎を見つけて、笑っている。

 京太郎は覚悟を決めなければならないかと静かな覚悟を固めつつある。

しかしあきらめきってはいない。

とがった鉄パイプを相手にぶち込む構えである。

 しかし、勝てるとは思っていない。

なにせほんのついさっきぼろぼろにされた相手、しかもそれが二つ。

勝てるわけがない。

 あきらめかけた京太郎を励ますものがいた。

手のひらの人形だ。

「まて、あきらめるな。

まだ早い。

まだ俺たちは少しも戦っていない。

まだぴんぴんしてるじゃないか」

そういって、人形が震えたのである。

そして早口でさらに励ました。

「よくきけよ。

少年と俺は今や一心同体といってもいい。

お前が終わったら、俺も終わる。

俺は外に出たい。

自由を手に入れたい。

このチャンスを逃したくない。

だからあきらめるな」

無機物も死にたくないらしい。

命があるかは知らないが。
 
 しかし戦力差は歴然としてある。

根性でどうにかできるのも限界がある。

相手は奇妙な業を使う。

さっきは運がよかった。

しかし今はどうしようもない。

裸で、怪物と向かい合う。

終わったも同然ではないか。
 
「あきらめるなっていってんだろ!」

と人形が輝いた。


 輝きからほんの少し遅れて強烈な破裂音がごみの山に響いた。

 京太郎の目には見えていた。

人形から稲妻が発せられたこと。

その稲妻が、二体のガキを打ち据えたこと。

 襲い掛かってきたガキ二体がしびれて動けなくなっている。

「いい魂を持って生まれたな少年。

いい技を引き出せた。

稲妻の奇跡ジオだ。

俺と交わった少年ならば、こいつを自在に操れるようになるだろう。

さあ、ぼさっとせず、さっさと止めを刺せ。

すぐ立ち直って、襲い掛かってくるぞ」

どうやら、戦力差は埋められそうだった。

二体のガキは完全に沈黙していた。

しびれて動けないらしい。

彼はとがった鉄パイプを、しびれているガキのひとつに突き立てた。

怪物でも急所はあるらしい。

頭と体をつなぐ細い首にとがった鉄パイプを突き入れると動かなくなった。

 残った敵は後ひとつ。

痺れから回復してきたが、何が起きたのか理解できていない。

右往左往している。

パニックだ。

人間風情にやられるとは考えもしなかったのだろう。


 人形が彼に言う。

「呪文を唱えろ、ジオだ。

俺が手伝ってやる。

マグネタイトはいただくけどな。

ガキに狙いをつけろ」

いわれるままに、ガキに手のひらを向けて京太郎は狙いをつけた。

そして呪文を唱えた。

「ジオ!」

強烈な光、破裂音。

そして倒れる敵。

とどめは必要ない。

稲妻はガキの命をとった。

ここにある命は京太郎と人形だけだ。

 どうやら彼は生き残ったらしい。

襲い掛かってきた敵はもういない。


「よくやった。

どうやら筋がいいな。

戦士としての素養がある。

魔術は俺が補助をしてやらないでもすぐに使えるようになるだろう。

そしておめでとう。

成長したみたいだな」

人形が手のひらで震えていた。

何のことなのか京太郎はわからなかった。

しかし、胸の奥で何か熱いものがこみ上げるのを感じていた。


 京太郎は考えない。

 なぞは多い。

ごみの山の存在、自分が今どこにいるのか、そして自らに起きている変化について。

 しかし考えたところで意味などない。

 真実を見つけたとしても何も手に入るものがない。

仮に怪物がどこから生まれてきたのかだとか、この世界で生れ落ちたものなのかと考えていく。

 そして答えを見つけたとする。

しかしそれが何になるのか。

命がつながるというのだろうか。

 また、自分自身におきた超能力の習得。

それがどのような理屈で行われているのかを解き明かすことにも意味がない。

 道具は道具として機能すればそれでよく、理屈を解き明かすことに意味などないからである。

車を車として使用できるのならば車の中身を理解する必要などないという考え方だ。

 それは興味を持った人が調べればいいこと。

 それよりもまず身の安全を確保するのが重要だった。

ごみの山に怪物たちが暮らしているのは間違いない事実なのだから。

 命があるというのが京太郎の一番なのだ。


たまたま京太郎は命をつなぐことができた。

しかし何度も幸運に恵まれるとは限らない。

もしかすると、自分よりもはるかに強い怪物がどこかに潜んでいる可能性もあるのだ。

ぼんやりと立ち尽くしているわけにはいかない。

 道を示してくれたのは手のなかに収まっている人形だった。

人形はいった。


「この近くに安全な場所があるようだな。

マグネタイトの濃度がものすごく薄い場所がある。

悪魔たちはそこに近づかないだろう。

人間的にいえば、空気がない場所ってことだからな。

少年なら関係ないだろう。

一応人間だからな。

そこへ行って休めばいい。

道なりに歩いていけば見つかるはずだ。

細かい道は俺が教えてやろう。

くそみたいに汚い異世界だが、ピクニックだ。

楽しくやろう」

京太郎が人形に対して尋ねた。

「どうして俺を助けてくれるのか」

人形は少し馬鹿しにしたような調子で答えた。

「さっきも言ったが、俺と少年は一蓮托生。

少年が終わったら俺も終わる。

少年はわからないかもしれないが、そういう関係なのさ。

俺は外の世界に出たい。

どうしても自由になりたいんだ。

そのためには少年が外に出てくれないと困るわけだ。

今の俺はまったく自力で動けない。

少年ががんばってくれないとどうにもならないのさ。


 そして俺には少年の体力が下がっているのがわかる。

魔力も限界に近い。

このままガキどもと戦いつづければ近いうちに破滅するだろう。

最高のスポーツカーでもガソリンが入ってないとただの鉄くずだからな。

ならば休んで、力を蓄えなくてはならない。

そして力を身につけたのならば、俺と一緒にここを抜け出そう。

まあ、信用できなくたっていいさ。

外に出られたらそれでいい」
 


京太郎は

「わかった」

といった。

難しいことは考えなかった。

お互い利用する価値がある。

それだけがあればよかったのだ。

難しいことを考えるのは、余裕ができてからでいい。

生き残ったあとで、考えればいいのだ。

 
今の彼は今までの彼とは違っている。

しかし気がつかない。

自分の姿を自分の眼球で捉えることができないように、本人はいつになってもわからない。

鏡の前に立つか、教えてもらうかしないとわからないのだ。

 心の空白が満ちたことに京太郎は気がついていない。

 
 道なりに歩いている間に彼はさらに消耗することになった。

ガキの集団が、彼を襲ったからである。

まったく衣服を身につけていない彼にとって、ガキたちの攻撃というのは非常に危険だった。

 しかし、人形から授かった力で持って、彼はガキどもを退けることができた。

光の速度で敵を打ち倒す稲妻は、猫のごとく飛び掛る怪物なんぞ問題としない。

 しかし稲妻の支払いとして、体から何か大切なものが抜け落ちていくのを感じていた。

体力でもなく、魔力でもない。

もっと根本的なものが抜けているように感じられた。

彼がその不調についてもらすと、人形が答えてくれた。


「それはお前のマグネタイトが減っている証拠だ。

力を使う代償に体力、魔力、マグネタイトを使用している。

非常に効率の悪い戦闘状態だ。

ジオ一発にありえないほどの消耗を強いられている」
 
「回復する方法はないのか」

問うと

「今はない。

しかし落ち着いたのならば回復する方法を試すことができる。

それを待て」

と人形は答えた。

何はともあれ、死ぬことはないとのことだった。


「生きている限り人間はマグネタイトを生み出せる」

と人形が教えてくれた。


彼は人形の導きに従い、道を歩いていった。

ごみの山を抜け、汚らしい腐った川を渡っていった。

この世のものとは思えないほど汚れている世界を見て、ためいきがでる。

息をするのも苦痛である。

漂ってくる腐った臭いが非常に気分の悪いものだからだ。


 せめて、空が晴れていたらよかったのにと思う。

めまいがするほど青い空を見たい。

心のそこからそう思った。

 そしてガキの集団戦を二度ほど経験し、彼は目的地に到達した。

 そこは何もなかった。

ごみの山もなければ、汚らわしいものもなかった。

ただただ、地面があるだけ。

空は曇っているとも晴れているともつかない状態。

フィルターをかけたような空である。

 彼は目的地が、懐かしい場所のように感じられていた。

彼はここが、自分がつい先ほどまで暮らしていた世界なのではないかと感じていた。

人形に感想を述べると、人形は


「そのとおり、ここは現世に非常に近い場所だ。

しかし現世ではない。

かといって異界でもない場所。

いうなら境界線上の世界だ。

世界の肌と肌が触れ合っている場所、はっきりとしていない場所だ。

あいまいなものしか、ここには入ってこれない。

だから、この場所に入ってこれるのは人間か、人間と契約している悪魔くらいのものだろう。

普通の悪魔には感知することもできないからな。

人間世界にいる人間が、悪魔を見つけられないのと同じように。


理屈を話してやってもいいが、なれないことをして疲れているはずだ。

今は休め。

俺が見張っておく」

といって彼に休むよう促した。


彼が腰を下ろして休み始めたとき

「そういえば、どうして少年はこんなところに来てしまったん?」

と人形がやさしく話しかけてきた。

「こんなところに来る人間なんてめったにいない。

自分から命を捨てるようなものだからだ。

見るからに人生をあきらめたってやつならわからなくもない。

手の込んだ方法だとは思うがな。

しかし少年はそうじゃないだろう。

いったいどうしてここに流れ着いた」
 
「友達の友達が行方不明になったから探していた。

そうしたらガキに襲われて、ここに流された」

と正直に答える。

人形が心底驚いていった。

「友達の友達なんて赤の他人じゃないか。

どうしてそんなやつのために一生懸命になったんだ。

何か見返りがあるのか?
 女か、金か」

といってたずねてくるので、京太郎は少し考えてから答えた。

「友情のため」
 
すると人形が

「マジかよ」

といって笑った。

「俺はうそをよくつくから、本当か嘘かすぐわかる。

少年はどうやら、本当に友達のためにここにきたみたいだな」

といって、それ以上は何もたずねてこなかった。

人形は楽しそうに笑っていた。

「そういうのは好きだぜ、俺は」

というので京太郎は不思議だった。
 


現世と異世界の境界線で、しばらく彼が体を休めていると人形が大きな声を出した。

「少年、誰かがここに近づいてくる。

人間じゃない。

おそらく使役されている悪魔だ。

どうするやれるか」

 使役される悪魔とはいったいなんだという疑問が沸いていたけれども京太郎はぐっとこらえ

「勝ち目はあるか?」

といって人形にたずねた。

まず命を守ることが重要だったのである。

もしも勝てないようならば、逃げなければいけない。

しかも京太郎は素っ裸のうえ武器はとがった鉄パイプ一本である。

 いい状態ではない。


 「大丈夫とは言い切れない。

しかし俺がさらに力を引き出せば、もしかするかもしれない。

しかし消耗がさらに増える。

どうする? 

お前がいいというのならば対価として呪文を深化させて見せよう」

と人形は答えた。


 まだ京太郎の知らない神秘の能力がこの世界には存在している。

そしてそれを身に着けている存在がいて、引き出せるものがいる。

 命を買うことができるかもしれない。

 彼はうなずいた。

命をつなぐことこそ何よりも重要であると判断したのである。

 彼の体から力が抜けていった。

マグネタイトを人形が吸い上げたのだ。

その代わりに、新たな力が彼の体の底から湧き出してきた。

どうやら支払ったものの対価のようである。


人形は彼に言った。

「やはり相性がいい。

ここまで簡単に力を引き上げられるとは思わなかった。

目覚めた雷の力は、今の取引をもってさらに成長した。

ジオンガ、少年の新しい呪文の名前だ。

よく覚えておけ。

しかし何度も打ち込めない。

今の少年では四発が限界だ。

よく考えて使えよ」
 
人形の説明が終わるかどうかというところで、境界線上の世界に見慣れない姿をした怪物が現れた。

一言で言ってしまえば、マネキンである。京太郎ははっとする。

「こいつが、誘拐犯か? もしくはその一味」

 京太郎のこの疑問、答えを出してくれるものはない。

 京太郎の眉間にしわがよった。

しわを作らせた原因は、マネキンだ。

 このマネキン非常に奇妙な姿かたちをしていた。

つるつるとしている質感の中に、生々しいものが見えた。

 マネキンの背中から女性の手足が投げ出されている。

ブランコでもこぐような姿勢をとっているのではないだろうか。

女性の体を包むようにマネキンの外殻が作られている。

少なくとも京太郎の目からはそのように見えた。

 無理やり異物を埋め込んだせいで歩くたびに体が極端にゆれる。

それこそブランコがゆれるように、一歩歩くたびにバランスが崩れるのだ。

その崩れたバランスを立て直すために無理やり体を動かす。

しかしそのバランスを直す作業がまたバランスを崩す原因となるので、いつになっても安定しない。

 京太郎の印象は、

「ガキよりも醜悪」

だった。


見た目の美しさの話ではない。

マネキンの姿かたちは、美術館で展示されていても十分鑑賞に堪えられる。

背中から伸びる女性の手足も解釈しだいでは現代美術的といえるだろう、悪趣味ではあるけれども。

 しかし汚れていると京太郎は思う。

見るに耐えない姿かたちである。

ガキのように醜いといういみではない。

心だ。

このマネキンは心が醜い。

何を思って作り出したか。

作者の悪意が透けて見える。

この悪意のにおいが少年の美意識を刺激した。

 手のひらの人形が楽しそうに笑っていたが、京太郎は気がつかなかった。

「高ぶっているな。

いわなくてもわかる。

倒したいよな。

いいぜ。

ぶっ潰そう」

醜悪なマネキンが叫ぶ。汚らしい高音だ。その音で人形の言葉はかき消された。

言葉を吐き出す知能がないのだ。

窓ガラスをこするような音はマネキンの雄たけびらしい。

相手もやる気満々だ。

 怒りの表情を浮かべた京太郎の

「ジオンガ!」

の呪文で戦闘が始まった。

 京太郎の魔力で打ち出せる稲妻は後三発。

 稲妻が、マネキンを捕らえる。

マネキンを捕らえた稲妻は、マネキンだけでは飽き足らず、地面を這い回り、ひびをいれた。

 すさまじい威力である。


この戦いが始まったとき、京太郎は自分自身を不思議に感じていた。

 「頭の悪い行動だ。

逃げたほうが簡単に命をつなげられるのに、まったく後悔していない。

何なのだ、この気持ちは」
 
答えは出ない。

しかし今はそれでよかった。
 
 彼は自分から発した信号を信じた。

人形に頼った行動ではない。

自分自身の強い願いから行動を開始した。

この事実ひとつあればいい。
 


悪魔を打つ稲妻のちからは最高だった。

ジオとは比べ物にならないほど強力な稲妻がマネキンを打つ。

光の速度で迫る稲妻は到底回避できない。

空気を引き裂く音は耳を押さえたくなる。

 マネキンにぶつかった稲妻はまだ壊したりないと地面に喰らいついていった。

地面を四方八方に走る稲妻が地面をえぐる。

地面には蜘蛛の巣のような傷ができた。

 人間から発するエネルギーなどとは思えないほどの威力は、人形の言う

「奇跡」

との評価をまったく曇らせない。

 しかしまだ、マネキンは動いている。

稲妻の余波で地面が傷ついたというのにマネキンはほとんど傷ついていない。

表面にひびが入ったくらいのもの。

巻き上げられた砂埃で汚れた位のものだ。

 マネキンは一気に距離をつめてきた。

つるっとした顔面が近寄ってくるのは気持ちが悪い。

 攻撃するつもりだ。

体をひねり、右手を振り上げようとしている。

しかし体の中に埋め込まれている何者かがいるため、動きの重心がずれて行動がぎこちない。

 それがどうにも気持ちが悪い。

 しかしその状態であっても稼動速度は、ガキとは比べ物にならないほどすばやかった。

 威力も桁違いだ。

大きく振りかぶられた右腕が空を切る。

かすりもしない。あまりにもわかりやすい攻撃だったからだ。

「今から殴ります」

といわれておいて、回避行動をとらないわけがない。

そしてよけられないわけもない。

 回避直後、京太郎の体に小石がぶつかる。

何事かと小石が飛んできたほうを見る。

視線の先には十センチほど爆ぜた地面がある。

 何が起きたのかを推測するのはたやすいことだった。

マネキンの不恰好な攻撃が地面をたたいたのだ。


恐ろしすぎる威力。

しかしこの威力を誇ることもないマネキン。

マネキンは今、崩れた姿勢を整え次に備えようとしている。

 京太郎は青ざめた。

「一発でもまともに食らったらどうなる」

自分の肉体は地面よりも硬いだろうか。

 装備品のひとつでもあれば話は変わるのかもしれないが、あいにくの全裸である。

武器はとがった鉄パイプ一本しかない。

頼みの綱のジオンガも効果が薄い。

何度目かの命が失われるという恐れがはしる。

 この後もなんどか攻防を行った。

京太郎の目は相手の攻撃を完全に見切っていた。

絶対に攻撃を受けたくないという気持ちが、集中力を高めたのだ。

もう簡単に相手の攻撃を受けるようなことはない。

とんでくる小石さえ体に当たらない。

 少しばかり余裕が出てきたときわずかな疑問が浮かぶ。

京太郎は思う。

「どうして、溝に引っかかる?」

 マネキンはやり取りの中で何度か体勢を崩したのだ。

体勢を崩したことに問題があるわけではない。

たまたまバランスを崩すことは誰にでもある。

それに加えてもともとバランスが取れていないマネキンなのだから、おかしなことはひとつもないはずだった。


 崩したことに問題があるのではない。


 崩れるにいたった原因が問題なのだ。


「なぜ自分が作った溝に足をとられて、ぐらつくのか」

 京太郎はおかしいと思った。

ありえない話だ。

自分が作った穴に足を取られるなどというのは。

一度くらいなら、ドンくさいといって笑えるかもしれない。

しかもそれが、何度か続いた。

 そのたびに疑問が頭に上ってくるのだ、どうしてと。

「見ればわかる溝に足を取られるやつがあるのか。

それも命の取り合いをしている今に」

 しかし疑問がわいてきても答えは出てこない。

相手はおしゃべりができないマネキンなのだからたずねたところで教えてくれるわけもない。

 そんな時、左手の中で収まっている人形が京太郎に助言を送ってきた。

「あいつの中に入っている誰かを引っ張り出せ。

どうやらマネキンのなかみが、稲妻に耐性を持っているようだ。

しかし、完全にマネキンのお友達ってわけでもない。

少年への攻撃を内側から妨害している。

助け出せば、力になってくれるだろうよ」

続けていった。

「何度も言うが、俺とお前は一蓮托生だ。

絶対にあきらめるなよ。

お前が終わったら俺も終わりなんだ。

俺は絶対に外に出たい。

だからがんばる。

弱点を探すし、作戦も考えよう。

だから、脳みその入っていないマネキンなんかであきらめるな。

いざとなったら逃げればいい。

少年のほうがずっと動くのが早いからな」

といって左手の中で震えていた。


この助言の後、京太郎はマネキンから距離をとった。

一息で三メートルほど後ろに飛ぶ。

人間離れした肉体の力。

京太郎は自分の能力をおかしいとは思わない。

 人形がいう。

「びびったか!」

 悪魔の弱点を見抜いても京太郎の目からおびえが消えていることに人形は気がつかなかったのだ。 

京太郎は呪文を力強く唱えた。

助言で得た情報と、自分の頭の中にある仮説を試すためである。

「ジオンガ!」

 呪文は後二発。

 稲妻は見当違いなところへ落ちた。

マネキンと京太郎を一本に結ぶ直線、その真ん中あたりに落ちている。

 大きく土煙が上がる。地面に直接ぶつかったため、大量の土が空に舞い上がった。

しかし、無機物には関係がない。

そもそも眼球なんぞついていない。

マネキンが、土煙の向こうから追いかけてくる音が聞こえる。

 人形が大きな声を出して励ました。

恐れで、手元が狂ったと思ったのだ。

「びびるな! 

いざとなったら逃げればいいだけだ! 

思い出せ! 

生き延びれば次がある!」
 
勝たなくてもいい。

生き延びさえすればいい。

いざとなれば逃げればいいという考えが人形にはある。


 京太郎はあきらめてもいなければ、逃げるつもりもなかった。


京太郎が狙うのは罠だ。

稲妻は地面に打ち込まれた。

そして地面を深く抉り取った。

ジオよりもはるかに強力なジオンガの威力ならば、地面をえぐるなどというのはたやすいことである。

ジオンガの作った穴は深さ三十センチセンチ直径一メートルほど。

 はっきりいって落とし穴と呼べない。

あまりにも雑すぎて「みぞ」と呼ぶのがいいだろう。

 こんなものたいした問題にはならない。

ガキであってもらくらく飛び越えてくる。

 攻撃にはならない、無意味な行動のはずだ。

 マネキンと京太郎の間にできた落とし穴。

普通の人間であっても、この穴を避けて通るはず。

京太郎もそうする。

簡単に避けられるはずだ。

 しかし京太郎はマネキンの行動から罠になると考えた。

相手は自分で考えて動いていない。

「お前は俺さえみていない。

なにかしらの決まったパターンを常になぞっているだけだ。

自分で作った穴に引っかかるようなお前に、この落とし穴は避けられない。

俺を追いかけるしかないお前にはな。

そうだろ?」

 推測は正しかった。

目標を追いかけてたたくしか行動のパターンがないという京太郎の推測どおり、土煙を抜けてマネキンが突っ込んできた。


そして京太郎を狙いまっすぐ進んでくる。

マネキンは拳を振り上げていた。

京太郎とマネキンの間には大雑把な「みぞ」がある。

罠にならないような穴である。


 しかしマネキンにとっては有効な罠になっていた。


マネキンが落とし穴にはまる。

はまった瞬間立て直そうとするができない。

攻撃姿勢に移っていたため、簡単に姿勢を戻せなかったのだ。

 マネキンは無様にこけた。

 無様をさらしたマネキンを見て京太郎は左手の人形を地面にすてた。

人形はここから必要ないからだ。

とがった鉄パイプを握り締めた。

 マネキンとの距離を一気に京太郎はつめた。

これから賭けに出るためだ。

 人形は放り投げられたのにもかまわずに

「うまい!」

と叫んでいた。

 体勢を元に戻そうとする五秒ほどの無防備な時間。

しかし獣のごとく駆け回るものたちには長すぎる時間。

 マネキンの背後に京太郎は回りこんだ。

埋め込まれた何者かを引きずり出すためだ。

引きずり出すことができさえすれば、もしかするとこの危機を乗り切ることができるかもしれない。

 多少無理をしたとしても命が拾えるのならばそれにかける。

 マネキンの背中に生えた何者かの手足を京太郎は見た。

胸が震える。

怒りだ。


手足が生えている部分に、マネキンのつなぎ目が見えた。

無理やり押し込めたのだろう、マネキンの背中はひび割れているような模様がジグザグにできてしまっている。

 マネキンの背中を京太郎は鉄パイプで殴りつけた。

全力での攻撃で、鉄パイプがへし曲がった。

もう武器としては使えないだろう。

 しかし背中のつなぎ目がほつれた。

目立たなかったひび割れが、はっきりと見えるようになった。

そしてひび割れの間にわずかな隙間ができた。

 京太郎は両手をひび割れに突っ込んだ。

無理やり両手をひび割れに突っ込んだせいで、皮膚が切れた。

しかし気にしない。

そのまま、力任せに背中を引き裂きにかかった。

 京太郎を引き剥がそうと必死でマネキンはもがいた。

マネキンに死の恐怖が迫っていたからだ。


 マネキンが暴れる間、何度も彼の体をマネキンの手足が襲った。

背後にいある相手に攻撃を加えることはできないはず。

しかしマネキンにはできるのだ。

 人間ではかなわないような挙動も、マネキンだから許されていた。

人間をマネた怪物であるけれど人の限界に付き合う必要はない。

 しかし攻撃はできるが、攻撃に威力がない。

地面を削るほどの力はでていない。


 しかし人間の肉体を痛めつけるのには十分すぎた。

殴打によっ京太郎の肉体がひび割れた。

ひび割れから血が流れた。

当たり所が悪いところは骨が折れていた。


しかし京太郎は止まらなかった。

止まれば終わるからだ。

痛みをこらえる必要はない。

感じないからだ。

戦いの興奮が忘れさせてくれている。

いまはただ引き裂けばいい。

 雄たけびを上げていた。

全身全霊を持ってマネキンの背中を引き裂きにかかったのだ。

彼の命は風前の灯である。

しかし赤々と燃え上がっていた。

 勝利したのは京太郎である。

 マネキンが断末魔をあげた。

生存本能に任せた救命活動がマネキンの生命活動を停止させたのだ。

しかしこの結末は奇跡ではない。

人形は後になって教えてくれた。

「どうやら悪魔をエネルギーにして動いていたらしい。

少年がエンジンを引き抜いたから、マネキンはただのマネキンに戻ったってわけだ。

よくやった。

格上あいてにいい戦いだった。

人間らしい野蛮な戦いだったよ」
 

助け出したものが何者かというのは京太郎にはわからない。

 マネキンの中には人間のようなものが納まっていた。

何かいいようのない液体で体がぬれている。

液体に対して悪い印象を京太郎は受けなかった。

かといってあまりいいものであるとも思わなかった。

ただ、何か懐かしいもののような気がした。


 京太郎は朦朧としていた。

マネキンの攻撃は京太郎をしっかりと痛めつけていたのだ。

 しかし人間のようなものはしっかりと引っ張り出せた。

 それだけあればいいと京太郎は思う。


そしてひとつだけわかったことがある。

助けた存在は人間ではないということだ。

背中に羽が生えていた。

 放り出した人形を拾い、助け出した何者かを引きずって、現世と異世界の境界線上に京太郎は歩いていった。

もう限界だった。

ただ、安全なところへ行かねばならないという気持ちだけが支えてくれていた。

 血液も流れて、意識が持たない。

活動できているのはアドレナリンが出ているからである。

興奮が痛みを忘れさえてくれている。

体が冷えれば、痛みが襲ってくるだろう。

忘れている疲労も襲い掛かるに違いない。

 彼は境界線上に入り込んで、意識を失った。

 人形が笑っていた。

「危なっかしいやつだが、面白いやつだ。

外に出るという俺の目的が達成できればいいと思っていたが、どうにも愉快なことになるかもしれないな」

助けた悪魔も京太郎も気を失っていたので、このつぶやきは誰にも知られなかった。

 
 今日はここまで。 

 来週の土曜日に続きをあげていきます。


続きをあげていきます


京太郎が目を覚ましたとき、彼は肉体から痛みが引いていることに気がついた。

指の痛みもない。

たたかれてひび割れた肉体も回復している。

何事が起きたのだろうかと不思議がっていると、人形が彼に教えてくれた。

「あの天使がお前の傷を癒したのさ。

奇跡の技には、命を助けるものもある。

雷だけが奇跡ではないからな」
 
見知らぬ人物が京太郎の近くにいた。羽が生えている。

京太郎が引っ張り出した人物が、元気に動き回っているのだ。

人形によると天使らしい。

 天使は京太郎が目覚めたのに気がつくとかれのそばによってきた。

そして、天使が彼にお礼を言った。

「助けてくれてありがとうございます。

あなたが助け出してくれなければ、私はマグネタイトをすべて消費して、消えてしまうところでした」
 
そして

「あなたさえよければ、あなたの仲魔になりたいのですが、どうでしょうか。

サマナーなのでしょう? 

装備は見当たりませんけれど」

といってきた。

人形がそれを聞いて、彼に伝えた。

「俺と同じ状態なのさ。

マグネタイトが失われてしまったせいで存在が危うくなっている。

命をつなぐために契約したいってことさ」

 彼は契約を結ぶことに決めた。

断る理由がないからである。

戦う人数が多ければ、命をつなげる可能性が広がっていくのは明白である。

人員は多いほうがよい。

 契約を結ぶとき、彼の体に激痛が走った。人形と契約をしたときには感じなかった痛みである。人形はいう。


「俺と違って実体があるからな、容量が多いのさ。

お前がマグネタイトを分け与え、仲魔が力を貸す。

もっと楽に契約する方法もあるが、正当な訓練をつんでいないお前にはできない。

何より素っ裸だからな、何も持っていない状態ではどうしようもない。

しょうがないから少し古い方法で、魂をつながせてもらっている。

その痛みは魂の痛みさ。よく覚えておけよ、その痛みが力になる」

激痛の後、彼の体には見たこともない模様が刻まれていた。

現代では使われていない文字のようだった。

しかしそれはすぐに彼の体の中に沈み込み、消えていった。

 痛みが去った後、彼の体が鉛のように重たくなった。

天使が喜びの声を上げた。

「あぁ、失われていた力が満ちてくる!」

京太郎は何を言っているのかがさっぱりわからなかった。

しかし魂が結ばれたことを実感していた。

何か奇妙なつながりがある。

 痛みと、鉛のような重さが去ってから、彼はとりあえず身につけられるものを探すことに決めた。

 積極的に服を見つけようとする理由は二つ。

 怪物相手に裸は無理があること。

そして、新しい仲魔の性別。

 一つ目の理由。

身を守るものがまったくないという無防備な自分自身というのが精神的にはいただけない。

怪物がうろちょろしているのに、裸一貫というのは頭がおかしくなりそうになる。

できるのなら戦車の中にでもこもっていたいのが本当の気持ちだ。

 二つ目の理由、京太郎にとってはこれが一番大きな理由である。

天使の存在だ。

いまさら不思議の国の住人がいることに混乱しているわけではない。

問題なのは性別である。

天使は女性であったのだ。

女性であるというのに加えて見た目が問題だった。


 見た目がきれいだというのが問題ではなく天使の服装が問題なのだ。

身に着けているものがまったくないといっていいような珍妙な服装だったのだ。

肉体を隠せていない。太い革のベルトのようなもので体を締め上げているだけなのだ。

この装束で町の中を歩き回ったら一発逮捕である。

昔こういう格好をして歌っていた男性歌手がいたが、あれよりも少し面積が少ない。


人形が天使について説明をしてくれて京太郎はさらに驚いた。

「天使は基本的にこの格好だぞ。

あんまり俺は好きじゃないけどな。

もう少し面積を減らしたほうが、センスがいいとおもう」

などというのだ。

悪魔のセンスにはついていけないと京太郎は思った。


 正式な服装であるからといって刺激がなくなるわけではない。

 なにより自分の裸を女性にみられることに少年は羞恥心を感じていた。

彼は露出狂ではないのだ。

 
 身に着けるものを探したいという人間らしい願いは思いのほか簡単にかないそうだった。

 正直に話をするわけにもいかないので、オブラートに包んで話をした。

「身を守るものがほしい。

正直、戦いを乗り切れない可能性が高いようなきがする。

防御面に不安がありすぎる」

という話をした。

すると天使が彼に教えてくれた。

「それならいいところを知っていますよ。

私の見立てどおりならこの異界はブラウニーたちのような戦う意思のない悪魔たちの暮らしている世界。

彼らは力は弱いですがそこそこ文化的な暮らしをしています。

ですから交渉すれば服を手に入れられるはずです。

 うわさで聞いたことがあります。

ごみの山に侵食された世界のブラウニーたちが特殊な金属を生み出す鉱山に身を寄せていると。

おそらくこの世界のことでしょう。

私がさらわれてからどのくらい状況が変わっているかはわかりませんが、うわさどおりなら鉱山に集まっているはずです」

 それを聞くと、京太郎はすぐにブラウニーたちの集落を目指して移動を始めた。

契約の痛みは薄まりつつある。

歩けないほどつらくない。

 世界と世界の境界線上も安全ではないというのが人形の意見でもあったので、すぐに移動することになった。

 移動中に何度かガキの群れに襲われることになった。

しかし不思議なことにまったく脅威ではなかった。

天使が戦列に加わったこともある。

天使はどこから引っ張り出したのか弓矢でガキたちを攻撃して戦った。

ガキたちは天使の弓矢攻撃でほとんど一発で命を失っていく。

頼れる仲魔である。


しかしそれ以上に京太郎自身も成長していた。

ガキの動きを遅いといい、ガキの肉体をやわらかいと感じるようになっていた。

拳を一発叩き込むと、ガキはただの肉の塊になった。

 そして奇妙な感覚が自分自身に身につきつつあると京太郎は気がついていた。

きっかけはゴミの山の暗がりからガキが襲い掛かってきたときである。

完全に死角から飛び出してきたガキの攻撃を京太郎は見もせずに迎撃したのだ。

今まで生きてきてこれほどまで勘が鋭くなることなど京太郎にはなかった。

 しかもこの勘の鋭さは道中、何度も発揮された。

不意打ちをたくらむガキをたやすく見破り、ガキに囲まれようとまったく問題なく戦い抜けた。

偶然ではなく確かな感覚として京太郎は何かを手に入れているのだ。

 成長といっていいのか、この変化を京太郎は不思議に思った。

いくらなんでもこんな変化が起きるとは思っていなかったのだ。

「俺はいったいどうなっている」

 しかし人形はおかしくないといった。

「あれだけ戦えば誰だって強くなれるさ」

 意味がわからない京太郎が説明をお願いした。

 人形は京太郎のお願いを聞いて説明し始めた。

「命がけの戦いは、魂を成長させるのさ。

そして魂の成長に伴って、肉体は魂の力で満ちていく。

 今の少年なら、ガキがいくら襲ってきても相手にならないだろう。

少年は今、御伽噺の中にいるのさ。

戦えば強くなる。

おとぎ話のヒーローさ。

まあ、死なない限りだけどな」

 その説明を受けた京太郎はさらに疑問に思う。

戦ったら強くなるというのならば、おかしくないかと。

そして疑問を解決するため人形にぶつけた。

「それだと、ほとんどの人間が強くなっていないとおかしくないか。

軍人とか、格闘家とかさ。

みんながそうだとは言わないけど、戦いはどこでも起きているはずだから」
 
人形が笑った。

「命がけっていってんだろう。

弱いものいじめは修行にはならないの。

 人間が主導する世界でいくら生き物を倒しても弱いものいじめにしかならないさ。

人間同士の戦いも同じさ。

全身全霊をかけて戦えるチャンスなんてまずない。

弱肉強食のルールが人間世界では死んでるのさ。

 だからといって山にこもっても意味がない。

人間が野生動物に負けるってのは油断とか事故扱いだろ?」


 人形が続ける。

「そういうのじゃないのさ修行ってのは。

本当に独りぼっちになって格上と戦うのが修行さ」

 
「そんなものか」

 奪い合いの経験をした京太郎は修行の意味が実感できていた。

これまで自分が行ってきたような経験、そのものだったからだ。

嘘偽りのない弱肉強食のルールに巻き込まれ、試練を乗り越え力にする。

結果が今の京太郎なのだ。自分自身が証明をしているのだ。

疑う理由がない。

 京太郎たちは会話をしながらブラウニーたちが暮らしている鉱山へ歩いていった。

 鉱山への道にもごみの山がついてきた。

どこまでもしつこいごみの山である。

臭いもきつい。

 京太郎は少しだけ不思議に思った。

「金属だとか、工芸品みたいなもので作られたごみの山のはず。

だがいったいどこからこのなまごみのような臭いがするのだろう」

 ごみの山にはやはりガキが暮らしていて、京太郎たちを襲ってきた。

もしかすると、ガキのにおいかもしれない。

 ごみの山のガキたちは京太郎たちを阻むことはできなかった。

京太郎はすでにガキの力をはるかに超えて成長していた。

 
 
 ガキたちよりも汚らしい空。


 汚れた地面。

 ごみの山から発する生ごみのような臭い。

 さっさとこの場所から離れたいと京太郎は思う。

耐え切れない光景耐え切れない悪臭である。

 そんな気持ちをやわらげてくれたのが、仲魔たちとの会話である。


天使が教えてくれた。

「実を言うと私、この世界に生まれて十年くらいなんですよね。

でも心配しないでください。

一応天使の常識は持って生まれてます。

 でもそれだけなんです。

頭の中にもともとあった状態で生まれてきたんです。

 情報はしっかりと入っていて、いろいろなことを知っている。

便利だなって気もしますが、私思ったんです。

 それって、つまらないなって。

 頭の中にデータはあるけど、実感がないなんてつまらないでしょ?

 ですから、現世に下りてみたんです。

実感したいと思ったんです。

 でも意気込んで現世に下りてはみたもののマグネタイトを補給できないのを忘れていましてね。

おなかがすいてふらふらになっちゃいまして。

 そんなときです。

いいにおいが漂ってきたんです。

焼きたてのパンの匂いでした。

これはいいなとおもって、匂いのするほうに歩いていったんです。
 
そうしたらマネキンに襲われちゃって、抵抗できずにそのままつかまっちゃいました。

 そんで、いつの間にかマネキンにつめられていたんです」

 特に大変なことが起きたわけではない調子で話をする天使だった。

 人形は話を聞いてあせっていた。

「こいつ、ちょっと散歩するくらいのノリで堕天してるじゃねえか」

 人形も話をしてくれた。


「なあ少年よ。

俺をただのデッサン人形だと思っていないか。

それは勘違いだ。

 聞いて驚いてくれ。

実はもう少しマグネタイトが戻ってきたら自力で移動できるようになる。

いつまでも少年の手の中で収まっているつもりはないぜ。

 まあ、少年のおこぼれに預かれているだけなんだけどな。

お礼を言っておくよ。ありがとう。

 いまはこんななりだがもとは自由自在に動けてたんだ。

力がなくなってこんなことになってるけどな。

 俺は、空を飛ぶのがすきなんだ。

特に、人間の世界を飛ぶのが。

だから今の状況はどうにも耐えられない。

 少年の手の中はそんなに嫌いじゃないがな、やはり空を飛びたい。

自由になりたい」

 その話のついでに人形が京太郎をほめた。

 「少年のマグネタイトはおいしいぞ」

 京太郎はなんともいえない顔をした。

吸血鬼にお前の血液はおいしいぞといわれたような気がしたからだ。

 人形がいう。

 「一応ほめてんだぞ。

マグネタイトは命が生み出すエネルギー。

悪魔にとっては悪魔そのもの。

マグネタイトで肉体をつくるのだから、いいマグネタイトで作りたくなるのは人情だろう。

悪魔だけどな。

マグネタイトにも良いマグネタイトと悪いマグネタイトがある。

人間にはわからないかもしれないけどね、あるのさ。

いいワインと悪いワインがあるようにな。

当然だが悪魔はいいマグネタイトをほしがる。

何せ自分の肉体のよしあしに直結する問題だ。

ちなみに少年のマグネタイトはワイン味かな。

うまいぞ。もうちょっとこっちに流してくれてもいい」

 京太郎的にはどうでも良かった。

目の前で吸血鬼が自分の血液をテイスティングしているような気分になった。

どうでもよかったので京太郎は天使に話をふる。


十センチくらい地面から浮きながら移動している天使が答えた。

「私はどちらかというと、日本酒みたいな味に感じますけどね。

感覚器の違いでしょう。

あと、私のことはアンヘルと愛情をこめて呼んでください。

天使なんて他人行儀な呼び方は嫌いです。

私たちはもう魂までつながってしまったんですから」

 天使改めアンヘルの発言が微妙に頭に引っかかる京太郎だった。

しかし突っ込まないことに京太郎は決めた。

突っ込んで聞いてもわからないだろうし、突っ込んで聞いてもいい方向に転ばないような気がしたからである。

 
 ブラウニーの集落に京太郎たちはたどり着いた。

鉱山の周りに小さな掘っ立て小屋がいくつも立ち並んでいた。

 掘っ立て小屋は非常に小さい。

人間が生活することは難しいだろう。

できなくはないが、腰を曲げて暮らすはめになる。

 その小さな掘っ立て小屋が集まって、集落を作っている。

集落を視界に納めた京太郎はたくさんの煙突と、煙突から煙が空に上っているのを見る。

この煙は生活の火が生み出した煙である。

 ここでは小さな悪魔たちが身を寄せ合って暮らしているのだ。

 集落に近寄っていくとすぐにブラウニーたちの歓迎をうけた。

ブラウニーたちは武器を用意して構えている。

武器が狙う先には京太郎たちがいた。

 ブラウニーたちは京太郎を威嚇してきた。

「来たな人間。

俺たちはお前たちのようなものには屈しない。

この世界は人間たちの世界ではないのだ。

この世界から出て行くがいい」

どうやら、侵略者であるように思われているらしかった。

人形が震えた。


「誰かと勘違いしている可能性があるな。

見ろよ、あの目を。

少年ではない何かを見ておびえている。

攻撃はするなよ。

あれはただおびえているだけだ。

俺たちを誰かと重ねてる。

俺が推測するところでは、こんな心理状況だろう。

『俺たちを襲った人間と同じように、お前たちも俺たちを襲うのだろう。

俺たちにもいじがある。

簡単にはやられてやらない。

時間稼ぎ位してやる』

とな。

どうする、気に入らないか?

 弱いものが調子に乗っていると見るか?

 たたかうか?」

 京太郎は、目を閉じた。少し考えるためだ。

 妖精たちは大きな声を出して、京太郎を威嚇し続ける。

「近寄るな!」



「帰れ!」

の大合唱が始まった。

 小さな妖精が使う武器など、おもちゃと変わらない。

それを必死に京太郎に突きつけている。

 その剣幕はすさまじく戦いは避けられないのかと思われた。

小さな悪魔たちも生きるのに必死だ。

 しかし警戒はだんだんとゆるくなっていった。

怒声がどんどん小さくなっていくのである。

 警戒を解いた原因は京太郎である。

目を瞑って考えた京太郎は、戦わないことを選んだのだ。

京太郎は自分とブラウニーたちが同じだと思ったのだ。

生きるのに必死なのだと。

わかるからこそ、戦う理由がない。

 京太郎は警戒を解いてもらうために両手を挙げてブラウニーたちの前に進み出た。



 彼は静かだった。

自分に敵意を向けるブラウニーたちに微笑みさえ浮かべる余裕があった。

人形はアンヘルに渡しておいた。

 無防備以前の問題として京太郎は真っ裸である。

天使をつれているがあまりにも無防備。

武器と防具を持って戦いに出てきている妖精たちは、その姿に毒気を抜かれた。

 ブラウニーたちは考える。

「どうして真っ裸なのか?」

「なぜ、微笑んでいるのか」

油断させるにしても真っ裸になる必要はない。

ブラウニーたちは知っている。

人間は服を着て生活をすることを。

ガキのように裸でいることはめったにないことを。

もともと人の生活によくかかわる悪魔である。

人の事情をよく知っているのだ。

 そして冷静になり始めた。

「サマナーにしても真っ裸になるやつがあるか?

 召喚機もハーモナイザーも持ってねえぞ」

もしかして勘違いなのではないかという思い。

もしもという可能性を考えられるようになってしまうと自分の行動を省みるようになる。

そして冷静になってしまえば、恐れおののき惑うこともなくなる。

 威嚇の声は消えた。

 しかし疑問は残る。

「何ゆえ、全裸なのか」

悪意のない人間だとして何ゆえ全裸なのか。

考えても理解が追いつかない。

 妖精たちの中から京太郎に質問をするものが現れた。

わからないのならば聞いてみればいいとの判断である。

「どうしてここにきた。

ここは異界。

人間がいる世界ではないはずだ。

悪魔とともにある少年よ、なぜ真っ裸なのか」

 この問いかけに対して、正直に京太郎は答えた。


「ガキに襲われて川に飛び込んだ。

流れ着いたのが、この世界だった。

服はガキに燃やされた。

俺が今生き残れているのは仲間のおかげだ。

ここにきたのは、あなたたちならば身に着けるものを持っているかもしれないと知ったからだ。

あなたたちに危害を加えるつもりは一切ない。

おびえさせて申し訳ないと思っている。

しかし俺も切羽詰っているのだ。

せめて下着だけでもいい。

譲ってもらえないだろうか。

俺のマグネタイトでよければ交換としてもらいたい」

うそを伝える意味がなかった。

疚しい気持ちなど一切ない。

少しもやましいところがないと表現するために急所さえ京太郎は隠さなかった。

 ブラウニーたちと交渉する自分たちの主人を背後から見守る仲魔たちは思う。

「勇ましい」

凶器を突きつけられて囲まれているというのに少しの恐れも見せずに交渉する姿。

これが仲魔たちには頼れる姿に見えていたのだ。

 しかし、そんな仲魔たちとは裏腹に京太郎の頭の中では何度も同じ言葉が繰り返されていた。

「露出狂ではない。

俺は露出狂じゃない。

決して見せて喜んでいるわけではない」

 
 彼がそのように答えると、ブラウニーの集団の中でもいっそう小さなブラウニーが現れた。

小さなブラウニーの手には男用の下着が握られている。

ずいぶん昔の時代の下着に見える。

いわゆるふんどしといわれるものだった。

小さなブラウニーは彼に下着を差し出していった。

「これでいいか?

 その代わりにマグネタイトがほしい。

マグネタイトをくれるか?」

 京太郎はすぐに答えた。

「もちろん。ありがとう」

 彼は小さなブラウニーの手を軽く握った。

つないだ手からマグネタイトが失われていくのがわかった。

体が重くなる。

 小さな体のブラウニーがいう。

「変わった味のマグネタイトだ、人間には珍しい混じり物のある酒の味。

しかし悪くない。
ありがとう少年。

約束を果たそう」


京太郎は、下着を手に入れることができた。

彼は着慣れない下着をなんとか身につけて、少しばかり心に余裕を持つことができるようになった。

 彼が下着を身につけている間に、ブラウニーたちは完全に落ち着いていた。

下着とマグネタイトのやり取りを見て、京太郎の言葉を嘘ではないと判断したのだ。

悪魔には悪魔のルールがある。

そして常識があるのだ。

 京太郎が何とか裸ではないといえる状態になった。

京太郎はほっとする。

 京太郎がほっとしてすぐ、人形が大きく震えて彼に注意を促した。

「少年、また来るぞ。

こいつらを狙っているのか、それとも俺たちなのかはわからない。

やるってんなら、やるしかないだろうな。

ふんどし締めたんだ。

気合入れな、しっかり戦えよ」

 注意のすぐ後、ゴミの山の方向からマネキン二体が走ってくるのが見えた。

先ほどの天使入りマネキンよりも高性能らしい。

まったくつなぎ目がなく、生きた人間のような滑らかな動きをしていた。

 「うっとうしい限りだ」

と京太郎はためらわずにジオンガを放った。

稲妻はマネキンを捕らえた。

天使が入っていたから稲妻がききにくいと人形が話しているのを京太郎は覚えていた。

そのため、天使が入っていないだろう人形に対して、遠距離からの攻撃で始末しようとたくらんだ。

 衝撃でマネキンたちが三メートルほど吹っ飛んだ。

しかしすぐに行動を再開していた。

しびれているようにはみえない。

 相手が悪いというのが彼の感想だった。

生きていない怪物には、電撃はたいした意味がない。

今の攻撃ではっきりした。

天使が入っていなくとも、効果は変わらなかったのではないかと京太郎は考えた。。


稲妻が通用しにくいという事実がある。

しかし京太郎は不安ではなかった。

彼は恐れのない目で、マネキンたちを見つめていられた。

今回は一人ではないからだ。

頼れる仲魔がいる。

アンヘルだ。

大きな白い翼で羽ばたいて、アンヘルは空を飛んだ。

空を舞うアンヘルはツバメよりもずっとすばやい。

 空に舞い上がったアンヘルは、マネキンたちを上空から攻撃し始めた。

どこから引っ張り出してきたのか、弓矢を構えている。

そして上空から次々と矢を当てた。

弓矢での攻撃は簡単にマネキンたちの体にヒビをいれた。

 致命的ではない。ひびが入るだけ。

 しかし京太郎にとってはとても頼もしい攻撃だった。

ヒビが入れば、それをたたけばいいだけのことだからだ。

ヒビが入って壊れかけているのなら素手で壊すのは簡単だ。

 今回は完封できると京太郎は考えていた。

油断ではない。

マネキンたちは京太郎たちに対応できないのだ。

 まずマネキンたちは京太郎しか攻撃できない。

手が届く範囲にいるのが京太郎だけだからだ。

アンヘルは空を飛んでいる。

空を飛ぶ存在を打ち落としたいというのなら、京太郎のように魔法を使うか、飛び道具が必要だ。

しかしマネキンはどちらもない。

 ならばと、手の届くところにいる京太郎を狙うが京太郎自体が非常にすばやくマネキンには捕らえられない。

今の京太郎にとってマネキンの動きは遅すぎた。

近寄るのも、追いかけるのも遅い。

戦いを乗り越えた結果だ。

 しかし京太郎が一番の弱みと見たのは、マネキンの運動パターンのすくなさだった。

京太郎が争った天使入りのマネキンと行動パターンがおなじなのだ。

滑らかに動くのが余計に動きの読みやすさにつながっている。

バッティングセンターで次の玉を待つような気持ちである。

 京太郎は終わりまでの流れが見えていた。

ここまではっきりと動きが読める上、援護射撃がある。

むしろひっくり返されるほうが難しいだろう。

ほとんど戦況はつんだ状態だったのだ。

 


 すみやかにマネキンは始末できた。

あっけなく二対のマネキンは京太郎の鉄拳とアンヘルの弓矢の前に倒れた。

 ブラウニーたちが歓声を上げた。

 観戦していたのだ。

命がけのはずなのだが、祭りの余興でも見ているような調子である。

何か、マネキンたちに恨みでもあるのだろう。

 しかしすぐに悲鳴が上がった。

京太郎が見たこともない図形のパターンが鉱山の集落から、二百メートルほど離れたところに浮かび上がったからだ。

悪魔たちはそれが何のパターンなのかを知っていた。

人形がいう。

「追加戦力を呼ぶつもりだ。

サマナーなのか?
 
戦い方がへたくそなやつだな。

一気に物量で押しつぶすのがサマナーのセオリーだろうに。

まあいい、馬鹿ならそっちのがいい。

少年、どうやら相手がやる気になったらしい。

腹くくれよ」

 命がけなど今に始まったわけではないと京太郎が減らず口をたたこうとしたが、残念ながらできなかった。

強くなったとは思っていたが、上には上がいる。

奇妙な図形のパターンから現れたものはまたしてもマネキンであった。

 二百メートルほど集落から離れたところにマネキンは姿を現した。

 それもどうやら天使入りマネキンと同じ中にエネルギー源をつんでいるタイプある。

人間をモデルにしているマネキンのシルエットとしてはおかしな形だった。

背中から人の手足のようなものがみえている。

アンヘルのときと違うのは、おそらくエネルギー源はばらばらにされているというところだろう。

腕と足の配置からどうやっても中身が無事ではないと推測できた。

 非道であるとイラつくような気持ちが京太郎にはわいてこなかった。

いまさらいってもしょうがないのに加えて異様なエネルギー量を感じていたからだ。

どうやら力の桁が違うらしい。二百メートル近く離れているのに、異様な圧を感じていた。


人形が悲鳴を上げた。

「ブラウニーを見捨てて逃げたほうがいい! 

身につけるものも後で探せばいい。

あれには勝てない。

マグネタイトが、少年の千倍近い。

どこから引っ張ってきやがった。

上級悪魔のエネルギーを積んでやがる。

感覚がぶれやがる!」

 悲鳴を上げたくなる気持ちは京太郎もわかっていた。

一見すると先ほど完封したマネキンと変わらない。

しかし、受ける圧力がまったく違う。

自分が小さなアリのように感じられた。

あのマネキンは巨大なゾウだ。

踏み潰されて終わるだけ。

 しかし彼は逃げなかった。

正義感からではない。

勇気を振り絞ったわけでもない。

当然、ブラウニーたちを思ったからでもない。

 生きる道は前にあると叫ぶものがいたからだ。

この叫びは京太郎だけに聞こえる叫びだった。

自分自身の内側から届けられたものである。

前に進む道は命を削る道に違いない。

人形のいう言葉も間違いではない。

 しかし、彼の本能が叫ぶのだ。

「ゆけ!」

 京太郎は目覚めた本能に従ってマネキンに向けて走り出していた。

少しでも生き残れる可能性がある道を選んだのだ。


 「聞こえなかったのか! さっさと逃げろ!」

との人形の叫ぶ声は京太郎には届かなかった。

生き延びるためには戦うべしという京太郎にとって逃げるという道は死の道である。

叫びは聞こえている。

しかし選ぶつもりがない。

 

 
京太郎が前に進むか逃げるかを悩んだ時間は、一秒もないほど短い。

本能に従って生きる獣そのものといっていいほど早い判断である。

事実、京太郎はほとんど獣同然の根拠しかもっていない。

そしてその根拠にしたがって動いた。

 しかし非常に短い迷いの時間にマネキンは準備を完了させていた。

鉱山に広がったブラウニーたちの集落をマネキンは射程距離に収めたのだ。

射程距離およそ百八十メートル。

すでに呪文を唱え終わっていた。

 異界の曇り空を破り火が降ってきた。

一つや二つではない。

雨だ。

火の雨が鉱山を打つ。

 ブラウニーや京太郎たちはまったく回避することができなかった。

火の雨なのだ。

雨をよけて歩くことができないように、この攻撃をよけきることはできない。

 空からふる火の雨を受けたブラウニーたちはあわてて姿を隠していた。

地面にもぐるものもいれば、集落に駆け込むものもいた。

ほとんどは、地面に穴を掘って、火の雨をしのいでいた。


 雨が降るように空から火が降ってくるこの修羅場において、京太郎は落ち着いていた。

強力なマグネタイトを宿すマネキンをまっすぐにらんで、少しも道を火の雨に譲らない。

それは彼が目の前の相手に勝機を見出していたからである。

人形はまったく勝利することなどできないように感じていたというのに。

 二人のどちらにも非はない。

人形が悪いわけでもなければ、京太郎が悪いわけでもない。

 これは、両者のものの図り方の違いがあるだけなのだ。


人形は悪魔としての一般常識に頼った。

マグネタイトが多ければ、それだけ強いという常識である。

悪魔というのはマグネタイトを頼りにして肉体を作る。

ということはマグネタイトが多ければ多いほど肉体は強いものになる。

マグネタイトの質というのももちろん肉体のよしあしに関係してくる。

しかし悪いマグネタイトでも大量に所有できているというのならばそれだけで強いと判断してかまわない。

人間の感覚で言えば、身長が大きく筋肉がついているのならば強かろうという発想とよく似ている。

人間の場合も大体それで正解である。

悪魔の常識を持つ人形にとって目の前に現れたマネキンというのは身長五十メートルをこえる巨人のようにしか見えないのだ。

 一方で京太郎は自分の本能に頼った。

 理屈などないのだ。

ただ、そんな気がした。

物影から襲い掛かるガキどもをなんとなく打ち落とせたように、なんとなくこの行動を選べるのだ。

しかし不思議ではない。

この感覚は誰もが持つものだからだ。

京太郎は生き残りたいという一身で戦いに赴く獣である。

この異世界にたどり着いてから京太郎はただ命を拾うために戦ってきた。

命がけの戦いは文明社会に生きる人間の獣としての本能を目覚めさせた。
 
この六感は生き延びるために必要な行動を察することができるという誰もが持つ動物的直感である。

 結果、人間としての本能を選ぶ京太郎と、悪魔としての常識を選ぶ人形の行動の違いにつながった。

 空から振ってくる火の雨を受けながら京太郎は確信した。

彼は独り言をいう。

「初めて火であぶられたときよりもずっと弱い。

痛みこそあるが、それだけだ。

命が奪われるようなあの独特の感覚がない」

続けて、

「予備のガソリンを積み込んだ原付だ。

ぜんぜん怖くない」

といって体を焼かれながらマネキンめがけて加速した。

 京太郎は勘違いをしている。

マネキンの放つ火はガキの火よりもずっと強い。

それをシャワーのごとく浴びても平気でいられるのは、京太郎が成長したからである。


「マスター、いったい何を考えているのです!」

と火の雨からブラウニーを助けていたアンヘルが叫んだ。

彼女は身近にいたブラウニーたちを翼の下に隠して逃げる時間を稼いでいた。

アンヘルも人形と同じく悪魔の常識に従って相手の力量を判断している。

そのため京太郎の行動は自殺志願者にしかみえなかった。
 
 火の雨をその身に受けながら進む少年に対してアンヘルは支援行動をとった。

火の雨は少年の体を焼き続けている。

癒さねば命は失われるだろう。

そして契約を結んでいるアンヘル自身も終わる可能性が非常に高い。

それを防ぐために、肉体回復の魔法ディアを連続して京太郎にかけ続けた。

 一方的に攻撃を京太郎は受けていた。

まだ京太郎の拳が届く距離ではない。

後二十メートルほど離れている。

火の雨はいまだやまない。

 しかし、おびえてはいない。

マネキンはもう目の前だからだ。

頭がおかしくなりそうなほどマグネタイトを所有していようが京太郎には関係ない。

目の前にいる相手を殴れないわけがあるか。

まずはやってみなければわからない。

単純な考えしか今の京太郎にはない。

 いよいよ京太郎の射程距離五メートルにマネキンがはいる。

戦闘開始から六秒ほどしかかかっていない。

そして射程距離に収めたことで確信する。

「こいつは張子の虎だ。水風船だ」

と。

 降り続く火の雨に焼かれながら京太郎は攻撃した。

大振りに振りかぶった右ストレートがマネキンの頭部パーツに打ち込まれる。

マネキンが大きくぐらつく。

マネキンの頭部にひびが入る。

ひび割れからマグネタイトが噴出した。

小さな器では巨大なエネルギーをとどめきれないのだ。

「マグネタイトが漏れ出しやがった」

と彼の左手の中で人形が呆然とつぶやいた。



人形は本当に勝てないと思い込んでいたのだ。

エネルギーを把握できるため相手と自分たちの力が天と地ほど離れていると信じた。

しかしそうではなかった。

ただの思い込みだった。

やる前にあきらめていただけだ。

おびえてしまっていた。

 人形が震えだし、叫んだ。

一蓮托生などといっておいて、この有様。

役に立たねばすまないという心があふれたのだ。

恐れるなといった自分が、何より恐れていたことを恥じた。

「少年、俺を使え!
 
俺の空っぽの器にマグネタイトをほうりこめ。

奪い取って俺たちのものにするんだ。

右手でこのグロマネキンを押さえ込め。

後は俺がやってやる!

 いいとこみせるぜ!」

 ふらついているマネキンを京太郎は地面に転ばせた。

ふらついているマネキンに勢いをつけてラリアットをかましたのだ。

とんでもない勢いでラリアットを頭部にかまされたせいでドミノでも倒すようにパタンと倒れた。

しかし常識はずれの腕力でたたきつけられたため勢いが死なない。

バスケットボールのように何度かはねたのだ。

そのときに背中に埋め込まれている手足が邪魔をして、マネキンがひっくり返った。

背中を見せている状態である。

 京太郎はマネキンの背中に馬乗りになった。

そして人形のいうとおりに右手でマネキンのうなじを押さえ込んだ。

卑怯といいたければいうがいい、プライドなど命の前には意味なしとの構えである。

 人形が呪文を唱え始めた。

耳には届いてくる。

しかしどこの国の言葉ともわからない。

 呪文が終わると、京太郎の右腕とグロテスクなマネキンの間に霊的なつながりが生み出された。

奪うためにはつながらねばならない。

ガソリンと同じである。

パイプでつながねばやり取りはできない。

 人形が叫んだ。

「吸魔!」


直後、京太郎の右腕が激しく痛み始めた。

上級悪魔の上質なマグネタイトの奔流が彼の霊的な回路を駆け抜けているのだ。

 神経が悲鳴を上げた。

霊的なエネルギーのやり取りを修羅場の真っ最中に行うのだ。

痛くないわけがない。

 加えて、グロテスクな人形が激しく暴れ始めた。

命の危険にあることを感じ取っているのである。

強力な上級悪魔のエネルギーだけがマネキンの優位を支えてくれているのだ。

相手がマグネタイトを奪う方法があるというのならば、敗北は確実である。

言葉にしなくともマネキンもすぐに理解しただろう。

心臓を握られているのだ。

この少年を引き剥がさねば、自分は終わりだ、と。

 背中に乗っているはずの京太郎のわき腹にマネキンの腕が突き刺さった。

押し倒された状態でありえないほどの出力である。

ありえない挙動である。

しかし、無機物であるため人間の常識は通用しない。

関節はおかしな方向に曲がる。

ありえない姿勢からありえないほどの出力を出せる。

 たとえ部品が壊れようとも、勝てばよしの構えである。

ありえない挙動をしたために、グロテスクなマネキンの右腕は京太郎のわき腹につき刺さったまま折れてしまった。

別に困らない。

後で付け直せばいいだけのことだから。

 続いて左腕も限界を超えた攻撃を加え、少年のわき腹に突き刺さって壊れた。

部品がいくら壊れてもかまわないのだ。

勝利できればそれでかまわない。

 「勝利した」

とマネキンのサマナーがこの光景を見ればそう考えただろう。

状況が勝利を約束している。

何せ腹部に腕が突き刺さっているのだ。

一本でも命が失われるのに、二つも刺さっている。

しかもマネキンの腕の中には何もない。

空洞なのだ。

腹に刺さればどうなる。

京太郎とマネキンの周囲が赤く染まるのだ。

 京太郎はまだ人形のうなじを押さえつけていた。

目は真っ赤に充血し、全身から脂汗が吹き出ている。

彼の口元が真っ赤に染まる。

意識が遠くなるのを、下唇をかんで耐えているのだ。

京太郎はここで耐えることが命をつなぐことにつながると信じている。
 


京太郎は追い込まれてもなおマネキンから離れなかった。

覚悟のためである。

尋常ならざる覚悟が、即昇天の攻撃を受けてもマネキンにしがみつかせた。

リミッターをはずした筋肉の作用で、マネキンを押さえ込んでいる右腕は骨が砕けつつある。

意識は腹部に与えられた衝撃で途切れかけている。

しかしそれでも生きるために彼は修羅場の中で命を賭けつづける。

 だがこの光景は彼の力だけで作られているわけではない。

彼の仲魔の仕事が彼を支援しているのだ。

今、グロテスクなマネキンからマグネタイトを吸い上げている人形。

この人形が少年の魂を、肉体に縛り付ける杭の役割を果たしている。

 攻撃の衝撃で、彼の魂が飛んでいくことはないだろう。

 それに加えて、ブラウニーの集落近くで待機しているアンヘルが肉体回復の奇跡ディアをかけ続けている。

仲魔の仕事が、京太郎の魂と肉体をこの世につなぎとめる結果を生んだ。

 しかし状況は最悪だった彼の肉体をアンヘルの力で回復させても出血が止まらない。

突き刺さった二つの腕が彼のわき腹から抜けることがないのだ。

命は失われ続ける。

 我慢比べの形になった。

京太郎の覚悟と仲魔たちが押し切るか。

それともグロテスクなマネキンが取り込んだ上級悪魔のマグネタイトが振り切るか。

上回ったほうが勝利する。


 このまま状況が硬直するのかと思われたとき、火の雨がやんだ。

京太郎の勝利ではない。マネキンの魔力が高まっていく。

すべての力を少年を排除するために使うつもりだ。

 グロテスクなマネキンが呪文を唱えはじめた。

とめる方法などない。

 機械で合成された声が聞こえてきた。

「アギダイン」

少年の左手のひらに収まっている人形は怖気だった。

この呪文の威力を知っていたからである。

グロテスクなマネキンと少年の周りに熱が集まってくる。

魔法が発動する準備段階であっても、肌を焼くのに十分な熱が集まってきていた。

 しかしこの状況でも京太郎はあきらめていない。

まだ命が残っているからだ。

命があるのならば戦いは終わっていない。

生き延びるため、更なる力が振り絞られる。

 完全に京太郎の右手の骨が折れた。

彼はマネキンのうなじを握りつぶしたのだ。

死にたくないという一念が肉体の不可能を可能に変えた。

 


しかし遅かった。

呪文は唱えられている。

仮に術者の命が消えたところで発動が止まるわけではない。

トリガーを引かれたら、銃弾は飛んでいく。

魔法も同じだ。消えたりしない。

 強力な熱が集まり、一気に爆発した。

あまりにも強力な火だった。

強く燃え上がるため周囲の空気を断末魔の火は暴食し始めた。

ナパーム。

この魔法を見たものはそう例えるに違いない。

燃え上がるためにはるか彼方の酸素まで奪い取り、熱で命を奪うよりも酸欠で命を奪い取る恐るべき兵器。

 それがたった一人の命を奪うために使われた。

 離れたところで支援を行っていたアンヘルは天高く火が燃え上がるのを見て、終わったと思った。

どうあがいても逃れられる威力ではない。

目標物であろう少年を焼いてもなおたりぬと、空を焼きにかかり、周囲の空気を食い尽くす。

そしてまだ足りないと、ブラウニーたちの集落あたりの空気さえ奪っていく。

 力の弱い悪魔たちは気分が悪くなったのだろう、地面に座り込んでしまった。

 
 しかしそれでも少年は生きていた。

アンヘルは自分に少年のマグネタイトが供給されているのに気がついたのだ。

いまだ爆心地のはっきりとしない視界の中にいるだろう少年に肉体回復の魔法ディアをアンヘルはかけ続けた。

生きているというのならば魔法をかけて肉体を再生できるからだ。

 視界がはっきりしたところで意識を失って倒れている少年をアンヘルが見つけた。

すすまみれになっていた。

わき腹に刺さっていたマネキンの腕はきれいに焼失している。

いったい何が起きたのか。

アンヘルが急いで少年の元へと飛んでいく。

 そこには人形をしっかりと握った少年と、少年とマグネタイトの交換をした小さなブラウニーがいた。

ブラウニーも少年に負けず汚れていた。

少年はすすだらけだが、ブラウニーは泥だらけだ。

少年は気絶しているが、ブラウニーは元気そうだった。


「いったいどういう理屈なの」

といってブラウニーに問う。

するとブラウニーは壊れた鏡の破片と地面の穴をアンヘルに見せた。

「穴掘りは得意なのさ」

と小さなブラウニーが答えた。

 京太郎が助かったのは魔道具、魔反鏡の効果のおかげである。

異世界にはほぼすべての魔法を跳ね返す魔法がある。

この魔法を使うことができる悪魔は魔法で命を奪われる可能性がほとんどゼロになる。

この魔法を使うためには大量の魔力が必要になるため、力の強い悪魔しか使うことができなかった。

 力の弱い悪魔たちは、この魔法の存在を知っていた。そして考えた。

「もしも自分たちがあの力を使えるようになったのならば」

と。

 しかし弱い悪魔たちには、魔法を習得する技量も使うだけの魔力もなかった。

肉体を作るマグネタイトをやっと維持できる弱い悪魔たちには手が届かない。

 しかし弱い悪魔たちはあきらめなかった。

生き延びるためだ。

 弱い悪魔たちは道具を生み出すことで魔法を跳ね返す魔法を再現した。

人間が空を飛ぶために飛行機を生み出したように道具を作ることで成し遂げたのだ。

 この道具は使用すると、魔法を跳ね返す壁を作ることができる。

しかし常に壁があり続けるわけではない。

一瞬、そして一度きりだ。

一度きりの使い捨てだが、その効果はとんでもなくすばらしい。

一回だけほとんどすべての魔法を跳ね返す。

もしも一瞬でも相手がひるめば、その間に逃げ延びることも、倒しきることもできる可能性が生まれる。

 力の弱い妖精たちはこの鏡を用いて、弱肉強食の世界を生き抜いてきた。

 生き延びるための道具が京太郎を救った。


アンヘルは不思議そうに尋ねた。

「どうしてマスターを助けたの。

逃げればよかったのに」

弱いのならば、逃げるべき。

それを悪いというものはいない。

生きるための大切な手段の一つだ。

しかしあえて残った。

何か理由があるのか。

命はたった一つ。

それは悪魔も人間も変わらない。

 小さなブラウニーは答えた。

「恩返し。

この無鉄砲な小僧が注意を引いてくれたからみんな無事に逃げ延びることができた。

命の恩人を見捨てておいて平気でいられるブラウニーはいない。

俺たちはそういう悪魔だからな。

それに恩人を素っ裸のままにしておくこともできないね。

天使の姉ちゃん、小僧を連れてついてきな。

ブラウニー印の服とお守りを用意しよう。

また、素っ裸になられたら困る」

 そういうとブラウニーは集落にむけて歩き始めた。

 京太郎をひょいと肩に担いでアンヘルは後をついていった。

京太郎を休ませるのならば少しでも安全な場所のほうがいいと判断したのだ。

かりに裏切られたとしてもブラウニー程度ならば自分だけでも対処が可能であるともアンヘルは考えていた。

 少しばかり油断が過ぎると思われてもしょうがない。

 しかし油断するのもしょうがないこと。

何せ今まで感じたこともないような力がアンヘルの体の奥から沸いてきていたのだから。

その原因が肩に担いでいる京太郎であることは間違いなかった。

 集落にはブラウニーたちが戻ってきていた。

復興作業をはじめようとしているのだ。

壊れたのならばまた作ればいい。

ブラウニーは前向きだった。

今日はここまで。

続きは来週の土曜日に

きりのいいところまで


戦いから一時間後、京太郎は目を覚ました。

 京太郎は布団の上に寝かされていた。

アンヘルが京太郎を運び、ブラウニーたちが布団を用意してくれたのだ。

 しかしサイズが合っていなかった。

京太郎は人間のなかでもかなり身長が高い部類に入る。

小さな体のブラウニーたちとは規格が違う。

そのためどうしても手足がかなりはみ出てしまう。

京太郎が使っているのはブラウニー用の布団なのだ。

 京太郎の肉体は力でみなぎっていた。

切り裂かれていたはずの腹部も、すっかり元通りである。

意識もはっきりとしていた。

そして不思議な実感がある。

京太郎は気絶する前の自分よりも強くなっていると感じていた。

人形のいう成長した状態である。

 目覚めた京太郎はこんなことを考えていた。

「今度こそ、気を失わないようにしよう。

無様に気を失ってしまったが、今度こそは意識を保ったまま勝利したい」

 逃げたいとは京太郎は思っていない。

京太郎の胸の中に充実感があるからだ。

この充実感は弱肉強食の充実感である。

一度味わえば、離れられなくなる。

 もしも今の京太郎がこの実感を友人知人に語って聞かせたのならば、間違いなく京太郎に考え直せというに違いない。

何せこの充実感はあまりにも獣的である。

危険すぎる。

命がいくつあっても足りなくなるだろう。

 冷静になった京太郎が思い返せば危険な状態だったと思えるだろう。

京太郎は馬鹿ではない。

命はそういう使い方をするものではないからだ。

 しかし今の京太郎にはこの充実感から離れられない。

生きるために戦い、勝ち取る。

このすばらしい流れ。

満たされる自分の空白。

試練を乗り越えたことで身につく圧倒的な力。

何もかも素敵すぎた。

 戦い、生き残ることが京太郎のすべてになりつつあった。

今まで感じたことのないこの感覚に京太郎は浸っているのだ。

だから思い出せないのだ。


目覚めた彼に一番に声をかけてきたのは人形だった。

京太郎が寝かされている部屋のテーブルの上に人形が座っていた。

人形が座わっているテーブルの上には着替えが用意されている。

近くには、アクセサリーのようなものが見えた。

 人形の様子が少し違っていた。

今まではかすれていた声がはっきりと聞こえるようになっているのだ。

ぼろぼろだった人形の表面に活力が戻ったように見える。

生き返ったようだった。

しかしまだ、壊れたところが多すぎる。

「今回も生き残れたな。

少年と一緒にいると本当にどきどきさせられるね。

俺たち悪魔にはあんな無茶はできない。

マグネタイトが自分の何百倍もある相手に挑むなんて、ありえないことさ。

それに調子のいいことを言っておいて、少年には恥ずかしいところを見られちまったな。

それで、どこらあたりまで覚えてる?

少年はあの不細工なマネキンを倒したんだぜ、わかるか?」

 京太郎は

「燃やされたところまで。

焼かれる前にうなじを握りつぶしたのは覚えている」

と正直の答えた。

京太郎が意識を失ったのは、断末魔の火が周りの空気を奪ったからだ。

火で死なずにすんだのは、ブラウニーの仕事である。

 すると人形が体を震わせていった。

「そこまで覚えているのなら上出来だ。

少年はその後気を失った。

グロイマネキンはあの後消し炭になった。

ブラウニーの援護のおかげでな。

援護射撃はあったが、少年の手柄だよ。

がんばらなかったら、あの結末はなかった」

そして続けていった。

「どうやら少年はブラウニーたちに気に入られたらしい。

もともと世話をするのが好きな悪魔たちだ。

お前見たいな無茶な人間は好かれるもんさ。

世話をしてやらないとだめになりそうな人間を見ると、悪魔の本能を抑えられないようになる。

それにマグネタイトの支払いもいいしな。

お前のために服を用意してくれたみたいだ。

ありがたくもらっておけよ。

それと雷の力を高めてくれるアクセサリーまで持ってきてくれている。

お前の力にしてほしいそうだ、お礼を言っておけよ」

 


京太郎が布団から抜け出して机に近づいていった。

人形が据わっている机の上には、人間用の服が一式と不思議な輝きを宿したアクセサリーが用意されていた。

外敵を退けてくれた京太郎へのお礼である。

 ブラウニーたちが用意してくれた人間用の服とアクセサリーは京太郎には珍しいものばかりだった。

机の上にたたまれておかれている人間用の服は、ぱっと見たところ着物だった。

そしてそのそばに置かれているアクセサリー。

このアクセサリーというのがエキゾチックな印象のピアスと腕輪。

そしてひときわ目を引く、植物の蔓を編んで作った指輪だった。

どれもこれも、京太郎には見慣れないものばかりだった。

着物も、不思議なアクセサリーも京太郎の周りにはないものだったのだ。

 腕輪もピアスも見たことのない物質で出来上がっているのが京太郎にはわかった。

腕輪は金属のように見えるが金属特有の冷たさがない。

それはピアスの金属も同じだった。

表面にはこれまた見たことのない模様が掘り込まれていた。

文字ではない。

何かの怪物をイメージして掘り込まれている。

どこかエキゾチックな印象がする形だった。

ピアスに関しても同じことが言えた。

おそらく同じ怪物だろう。

 指輪は少しだけ事情が違うようだった。

 指輪だけが事情が違うというのは見た目の話である。

この指輪というのが指輪らしくない。

植物の蔓が絡み合って、指輪の形を作っているだけなのだ。

しかもどうやら植物は生きているらしい。

触ってみると京太郎はマグネタイトが流れているのに気がついた。

この指輪は無機物ではなく、命がある。

 しかしブラウニーたちが用意してくれたのだから

「うそではないだろう」

と、ほかのアクセサリーと服と同じように京太郎は身に着けていった。

裏切られるなどとは少しも京太郎は考えていなかった。

霊感のためではない。

ただの馬鹿である。

 着心地は最高だった。

ものすごく体に合うのだ。

単衣を着てみて、はかまをはく。

ブーツを履いてみて、アクセサリーをつけてみる。

少しもおかしなところがない。

きれいに収まるのだ。

何もかもが。

 


 しかし少しだけ問題があった。

ファッションセンスが古かった。

百年近く離れている。

どう見ても大正時代のファッションである。

上下が和服で足元だけが、ブーツ。

どうにも時代錯誤の印象があった。

 人形がいった。

「たぶん、デザイナーのセンスが大正時代で止まってんだろうな。

悪魔が人間世界でデザインの勉強なんて、なかなかできないことだ。

そのあたりは勘弁してやれよ」

 京太郎の単衣とはかま、そしてブーツはきっちりと体に合っていた。

これは京太郎が眠っている間にブラウニーたちが採寸したからである。

お手伝い妖精にこの程度の仕事は朝飯前なのだ。

 アクセサリーに関しては、特別な問題はなかった。

腕輪をつけて、ピアスを耳につけて、指輪を右腕の中指にはめた。

 ピアスの穴は開いていなかったが、京太郎は無理やりに耳たぶに装着した。

痛みはなかった。

少しばかり血が流れていたが、すぐに止まった。

肉体を傷つけることになったがためらいがない。

それは生き延びるのに役立つからである。

 指輪は特別な指輪であった。

植物の蔓で出来上がった指輪は、彼が指にはめたとき、彼の指に食い込み、彼の力を吸い上げ始めた。

これには京太郎もうめき声を上げた。

マグネタイトをすわれたのだ。

鈍い痛みが京太郎を襲う。

痛みはすぐに引いていった。

 指輪は彼の指におとなしく納まっていた。

京太郎のマグネタイトに満足したのだ。

少し雰囲気が変わっている。

 とげが生えていた。

何がおきたのかわからないと不思議がっている京太郎に人形が説明をした。

「そいつは少年のための武器だよ。

魔法使いの杖みたいなもんさ。

相性のいい植物が、少年の力をさらに引き上げてくれる。

武器を持って戦うよりそっちのほうがいいだろう。

大事に使えよ」

 


そして人形はうれしそうにいった。

「最高の話題を提供してやろう。

力が戻ったおかげで、俺は空を飛べるようになった」

そういって机の上に座っていたぼろぼろの人形が宙に浮いた。

 ふわふわと浮いて、歩くくらいのスピードで部屋の中を飛び回った。

京太郎に見せるためだ。

人形の願いがひとつかなったことになる。

喜ばしいことだ。

 京太郎は、素直に感想を伝えた。

「すげえ怪しい」

呪いの人形としか言いようがなかったのだ。

力が戻ってうれしいのか、笑いながら飛んでいるのも薄気味悪さに拍車をかけている。

 人形が彼の顔にぶつかってきた。

抗議のためである。


 京太郎が部屋から出た。

部屋の外が騒がしかったからだ。

 部屋の外にはブラウニーたちが待ち構えていた。

京太郎の目覚めを待っていたのだ。

京太郎を見つけたブラウニーがいう。

「おっやっと目が覚めたか。

 
助けてくれてサンキューな小僧! 

それにしてもどうだ俺たちの仕事は? 

いい仕事ぶりだろう? 

びしっと決まってるな! 

うんうん、いい感じだ。

着物もしっかり合ってるしブーツもしっかり合ってる。

ピアスも腕輪も問題なし! 

一時間でいい仕事をした!」

 そして続けていった。

「俺は自分の仕事を確かめるためにきただけなんだがよ、どうにもオヤッサンが小僧に話があるみたいなんだ。

ちょっと俺についてきてくれよ」

 ブラウニーはこういうとさっさと歩き出していくので、京太郎はあわててついていった。

ブラウニーは小さいのにやたら動きが早いのだ。

それに加えてまっすぐに京太郎は立てない。

ブラウニーたちの家が京太郎の体のサイズとあっていないのだ。

急がないと完全においていかれること間違いなしである。

質問をする暇などなかった。

 ブラウニーの案内で京太郎は少し大きな部屋に到着した。



案内をしてくれたブラウニーが言う。

「小僧は体がでかいからな。

宴会場で話をするほうがいいだろう」

 京太郎と人形がおとなしく待っているとアンヘルが現れた。

 アンヘルをみて京太郎はおかしいなと思った。

どうにも印象が違うのだ。

理由はすぐにわかる。

つい先ほどまで豚箱確定な服装だったのが、清楚なお嬢様のような服装に変わっていたのだ。

しかし大正時代のファッションである。

ハイカラさんで通りそうだった。

話を聞くとブラウニーたちに服を着るように言われたのだという。

「お母さんみたいな口調のブラウニーにひっぺがされました。

一応抵抗してみたんですが、だめでした」

 といって頭をかいたみせた。

「今まで着ていた天使の正装はブラウニーたちが弓矢に改造してくれてます」

アンヘルがいう。

しかしどういう技術なのか京太郎はわからなかった。

 アンヘルは京太郎にこのように伝えた。

「ブラウニーの代表者は、もう少ししたらここにくるそうですよ。

それまでは、おとなしくしてましょうね。

あと、少しいいたいことがあるのですけれども、マスターには本当にドキドキさせられます。

マスターがやられちゃったら、私も終わりなんですよ。

ちょっとくらい気をつけてください。

まだ私、人間世界を探索しつくしてないんですから」

といって笑った。

続けて

「人間と一緒になるのはすばらしいことですね。マスターのおかげで少し強くなりました」

といった。

 なにやらアンヘルは興奮しているようだったが、京太郎は何がなんだかわからなかった。

 しかし何かうれしいことがあったのだとしかわかった。

 アンヘルが興奮に任せて話をしていると、ブラウニーの代表者が現れた。

ほかのブラウニーたちよりもふけていた。

昔話に出てくるおじいさんのような長いひげを生やしている。

ブラウニーの代表は京太郎にこのように話しかけてきた。


「お待たせして申し訳ない。

復興作業をしてまして」

続けてこういった。

「まずはお礼を言わせてください。

あなたが戦ってくれたおかげで被害が最小ですみました、ありがとうございます。

私たちはここを離れなくてすみます。

そして、疑ったことを謝ります。

申し訳ないことをした」

 京太郎はこのように返した。

「いや、こちらこそありがとうございます。

こんなにいい物をたくさんもらってしまって、本当にありがとうございます」

戦ったのは自分のため、生きるためであったのだ。

恩を着せるつもりなどない。

当然、お礼を言われる筋合いなどない。

たまたまブラウニーたちが生き残った。

それだけのこと。

そんな気持ちが京太郎の中にはあった。

報酬を求めたわけではないのだ。

ほめられる必要もない。

むしろ、自分がもらいすぎたのではないかという気持ちがあった。
 

 京太郎はそのままブラウニーの代表と話しをすることになった。

人形が、ブラウニーたちと話がしたいといったからだ。

人形が京太郎に教えてくれた。

「情報収集だよ。

情報はあったほうがいいからな」

 人形がブラウニーに質問した。

「いつから、こんなことになったんだ。

もともとこの世界にマネキンはいなかったんじゃないか?」

 ブラウニーの代表は答えてくれた。

「数ヶ月前にマネキンの怪物たちが現れました。

すぐに消えうせると思っていましたが、どうやらマネキンたちは私たちの存在が邪魔らしい。

私たちのような悪魔を徹底的に追い込んでいきました。

私たちが敗北を重ねるにしたがい、ごみの山の範囲は広がり、いつの間にか何もかも汚されてしまいました。

できる限りほかの種族と連携をはかりあらがいましたが、今はこの鉱山に集まっているものたちだけです。

この場所が私たちの世界のすべてです」

 この答えを受けて人形がブラウニーの代表者に

「ゴミの山を守っている者たちがいるのではないか」

と質問した。


人形の発言の意味が京太郎にはわからなかった。

 人形の質問はどうやら問題になるらしくブラウニーの代表はいったん話を中断してブラウニーたちで会議を始めた。

 ブラウニーの会議中に京太郎に人形がこっそり教えてくれた。

「あのごみの山はこの世界の色とあまりにも違っている。

見ればわかるよな。

見た目も悪けりゃ、においも悪い。

シンデレラの世界に宇宙船が出てくるわけがないのと同じさ。

世界には世界の色がある。

あまりにも色と合わない異物は自然と排除される。

この世界のもとの色はかなり牧歌的な色のはず。

ブラウニーのような戦う力のないものが集まる小さな世界なのが証拠だ。

戦いの気配というのがない。

ということは狂気に触れている産物が転がっているなどということ自体が不自然なのさ。

わかるかな、自然の流れとして排除されるってのが。

人間でも同じようなやつらが集まるように世界もそうなる。

当然そうなるべき流れというのがある。

しかしそれがなされていない、ってことは川の流れを止めるダムのごとき存在があると推測できる。

そしてこういうときには流れを止めるために結界が使われる。

結界は悪魔の力で張ることができる。

となればごみの山にもいるはずだろう。

ごみの山の守護者が」

 ブラウニーたちの会議が終わったようで、代表者が答えてくれた。


「そのとおり、ゴミの山の四方を囲うように四体の悪魔が守っております。

人形殿が言うようにこの世界をよどませているのでしょう。

しかし恐ろしく強い。

私たちが力を集めてもまったく歯が立ちませんでした。

おそらく、あなたたちでも勝ち目はないでしょう。

 私たちはあなたを危険にさらすつもりはありません。

悪魔の世界は弱肉強食。

強いものが弱いものを好きにしてかまわない世界。

そういうこともあるのだと思い、どうか現世へとお帰りください。

悪魔のことは悪魔が決める。

それが自然の流れでしょう」

 京太郎は何も言わなかった。

どうしたらいいのかがわからなかったからだ。

京太郎の胸の奥でもやがかかる。

久しぶりの感覚。

そして流されてきて初めて感じる感覚だった。

 体を震わせながら人形が言った。

「少年、こいつらのいうとおりさ。

こういうこともある。

自然の流れが壊れることはある。

流れが止まったとしても、それはそれでしょうがないことさ。

力が弱ければ、食われていくだけ。

そういうこともある。

それでいいと暮らしているやつらが言う。

それなら、それでいいのさ。

わかるだろ。

人には人の事情がある。

悪魔には悪魔の事情がある。

それでいいのさ。

わがままは言ってくれるなよ、こいつらはそれでいいといったんだ、俺たちが口を出していいことではないさ。

助けてほしければ、助けてほしいというさ。

 それとも、こいつらを無視してたたかうか?

 それはこいつらの意思を無視した振る舞いじゃないか?」

そういうこともあるだろう、そういうこともある。

それだけのことだと人形が笑った。


京太郎が決断を下そうとしたときに、建物が揺れた。

ブラウニーたちが悲鳴を上げた。

何者かによる攻撃である。

 京太郎は動き出していた。

本能が刺激されたのだ。

対応しなければならない相手が外にいると。

 京太郎は心を切り替えた。

戦うためだ。

狭い掘っ立て小屋を中腰になりながら急ぎ、外に出て行った。

 集落の入り口付近に人影があるのを京太郎は見つける。

京太郎とは八十メートルは離れていた。

そこには、スーツをきた鈍色の長い髪の女性と、フードで顔を隠した男性が立っていた。

女性はブラウニーの住居に向けて火炎を打ち込んでいる。

建物のゆれは、この二人の仕業である。

どうやら、敵対者であるらしい。

 京太郎の決断は早かった。

「ジオンガ!」

を打ち込んだのである。

四の五の言わずに先手を取る。

交渉するつもりなど京太郎の頭にない。

戦い、命をつなげることが京太郎の一番になっている。

 稲妻は先ほどの戦いよりもさらに力を増していた。

稲妻は攻撃対象者に着弾。

しかしそれでもまだ噛み付き足りないと周囲一メートルを蹂躙した。

かつての稲妻とは格がちがっている。

京太郎の成長と、雷の力を増幅するアクセサリーの作用のためだ。

 魔法を唱えていた女性は、魔法攻撃をやめた。

魔法を唱えていた女性の体が帯電している。

稲妻の副作用で、体の自由が奪われているのだ。

 京太郎が追い討ちをかけようとしたとき、フードの男が彼に話しかけてきた。

「この鉱山までかぎつけていたかヤタガラスよ!

この生ごみ漁りが得意な害獣! 

権力に尻尾を振る狐! 

いつも俺の商売の邪魔をしやがって! 

いや、しかしさすがというべきか最強のサマナー葛葉ライドウ。

ヤタガラスのサマナーを偽装して送り込んでくるとは。

しかも雷の異能力者とは! 

まあいい。まあいいさ。だがな、俺たちの商売は邪魔させない。覚悟しろヤタガラス!」

何かと勘違いしているらしかった。

 興奮のためだろうとんでもない早口だった。


京太郎は攻撃を続けなかった。

自分の後を追って出てきた仲魔たちに戦闘体制に入るよう合図を出す必要があったからだ。

京太郎は狭い掘っ立て小屋から飛び出てくる仲魔たちにハンドサインを送る。

細かい合図を決めていたわけではない。

しかし、指先の動かし方で京太郎が距離を離せと命じているのがわかる。

 頭からフードをかぶった人物は女性に命じた。

「後のことは任せた。

キヨスミの小僧はお前が始末するのだ。

中級呪文しか使えないのなら何とでもできるだろう。

なんとしてもこの世界から出すな。

俺は仲間と一緒にライドウを始末する」

 そして一瞬で姿を消した。

 京太郎の後ろでぷかぷかと浮いている人形が教えてくれる。

「魔道具を使ったな。

一気に安全地帯まで撤退したようだ。

少年のことをライドウの仲間だと勘違いしているらしい。

理由は知らないが、ヤタガラスが動いているみたいだな。

ヤタガラスに目をつけられるとはよほどたちの悪いことをやっているらしい。

 まあいい、俺たちには関係のない話だ。

歴代最強と呼び声高いライドウが出てきているのなら、早いうちに追い込まれるだろう。

 今は喜ぼう。

自分からサマナーの有利をすててくれたことに。

俺たちが生き残る可能性が増えていいかんじだ」

 頭からフードをかぶった男を人形は馬鹿にした。

戦いに卑怯も何もないのだから、サマナーの本領を発揮して数で押しつぶせばいいだろうという発想である。


空中に浮かんでいる人形は京太郎に忠告してきた。

命令を言い渡された女性についてだ。

「少年、残念だがあの女は人間じゃない。

美人だが悪魔だ。

俺みたいなのにはすぐにわかる。

人間とは違った気配がある。

しかも今までの悪魔とは格がちがう。

マグネタイトの量はたいしたことないがマネキンや、ガキみたいにバカじゃない。

しかも結構気合がはいってる。

少年、女と思って気を抜いて戦ったら本当の天国に送られちまう可能性大だ。

油断すんなよ」

 京太郎は油断などしていなかった。

何せ彼の信頼できる感覚が、今までにないくらいに警戒しろと騒いでいる。

おそらくグロテスクなマネキンが束になってかかってきたとしても、これほどに心臓が冷え切ることはないだろう。

「見た目なんて何の判断材料にもならねえよ」

 スーツを着た、鈍色の長髪の女性悪魔がいう。

「もう、よろしいですか。では、はじめましょう」

といって動き始めた。

黙って話をさせていたのは、女性悪魔が京太郎たちを分析していたからだ。

そして分析した情報から戦術を練っていたのである。

猫のような目が京太郎を捕らえている。

美しい目だった。

しかし光がない。

 悪魔の唇が呪文を唱えた。

聞き取れなかったが、間違いなく邪悪なものであった。

真っ黒な気配が京太郎を包み込んだ。

しかし痛みはない。

 何がおきたのか京太郎にはわからなかった。

京太郎には神秘についての知識がない。

 京太郎は呆然とした。

理解が追いつかなかったのである。

彼には戦術を練ってくる相手との戦闘経験がない。

力押しばかりが戦いで無茶をすることがすべてだった。

頭を使って追い詰めてくる相手がいるという発想自体が消えていた。

そのため自分が何をされたのかと考えてしまった。

この思考が、隙になった。

 相手は獣、自分も獣、それだけが京太郎の勝負の形だった。

そういう経験しかしてこなかったため、そのように、思い込んでしまったのだ。

みんなそうだろうと

 しかし今は違う、それでは追いつけない。今のままなら人間が獣たちを追い詰めたように京太郎は追い詰められていくだろう。


人形が叫んだ。

「ぼうっとするな!」

 スーツを着た悪魔が一気に距離をつめてきていた。

隙を見逃すわけがない。

電車二両分の距離があったが、すでに半分に縮められている。

 アンヘルが援護射撃を行う。

しかしあたらない。

弓矢での攻撃を、軽いフットワークで女性悪魔は避けたのだ。

 次の援護射撃をアンヘルは用意できない。

京太郎を巻き込む可能性が非常に高くなるからである。

 女性悪魔が京太郎の射程距離に入った。

ここまで一秒かかっていない。

今まで出会った悪魔とはまったく比べ物にならないほど移動が早い。

瞬きひとつが致命的な隙になるだろう。

 京太郎が集中した。

恐るべき速度を持つ女性悪魔である。

しかしあきらめるには早い。

まだ戦いは始まったばかりである。

稲妻の射程距離に入っているのはもちろんのこと、京太郎の拳での間合い約五メートルにも女性悪魔は入ってくる。

まだ始まったばかり。

ここから本番である。

隙を生み出したことにこだわるのではなく、次を見なければならない。

 京太郎に慢心はない。

女性悪魔がみせた動きの数々。

足の運び方。

視線のあり方。

戦術の組み立て方。

どれもこれも京太郎よりも上を行っている。

慢心できる要素などどこにもない。

 京太郎は稲妻を叩き込む算段である。

有利を生かす。

自分が唯一相手をしとめられる可能性。

それにかける。

戦いを長引かせる気持ちなど京太郎にはない。


稲妻を放つべく構えた瞬間、京太郎の視界が鈍色の髪の毛で埋まった。

女性悪魔の長い髪の毛が移動の勢いで翻って京太郎の視界を埋めたのである。

京太郎の視界右端に女性悪魔の頭の先から、肩のラインが見える。

京太郎は懐に入られたのだ。

 慢心などないはずだった。

相手が自分よりも強いことはわかっている。

命がけなのもわかっている。

油断させてくれるものなどない。

 答えは、とても簡単だ。

目で追うことさえできなかった。

それだけである。

それほどこの敵対者の動きは早い。

 悪魔の両腕が軽々京太郎に届く距離、京太郎が気がついたときには女性悪魔の攻撃モーションが始まっていた。

京太郎は攻撃の予備動作から相手の狙いを察する。

あごだ。

京太郎のあごを狙っている。

相手も戦闘を長引かせるつもりはないのだ。

 状況を正しく理解した京太郎の背筋が凍った。

「いつ、つめられた?」

 まったく反応できずにここまで接近を許すことなど京太郎は一度もなかった。

始めて怪物と戦ったときでも、動き自体は見えていたのだ。

それだけ京太郎のセンスが優れていたということである。

 だからこそ、震えてしまう。

高い肉体操作センスを持つ京太郎だからこそ、相手との力量差を正確に理解できてしまった。

ぼんやりとした力関係ではなく、ひっくり返せないほどの差。

そんな相手と命の取り合いをしなければならない現実。

これらが寒気に変わった。

 彼は両腕を使った防御行動に入った。

よけるのは無理と判断したのだ。

このまま攻撃をあごに受けたらどうなるのか。

考える必要はない。

ざくろだろう。


「うぬぼれていた」

と京太郎は後になって反省した。

「防御さえすれば問題ないだろうなどと、甘く見積もっていた。

魔法でなければ命を持っていかれることなんてないなどと。

上には上がいるな」

 京太郎に慢心はなかった。

 単純な力量差があっただけのことだ。

 京太郎が吹っ飛ばされた。

百八十センチを超える男の体が、野球の内野ゴロのように地面を転がっていく。

女性悪魔の拳での攻撃が単純に強かった。

京太郎のガードなどまったく問題にせず、そのまま打ち抜いた。

打ち抜いた衝撃で京太郎の体が吹っ飛んだのだ。

 十メートルほど地面と水平に吹っ飛んで地面に転がされている京太郎の姿を見ても、アンヘルと人形には状況が把握できていなかった。


アンヘルは呆然。

人形は何が起きたのかわからずあせっている。

なにせあっという間に女性悪魔が移動していて、京太郎が吹っ飛ばされたようにしか仲魔たちには見えていない。

二人のやり取りが早すぎるのだ。

 仲魔たちは血の気が引いていた。

京太郎の死を予感したのだ。

 一方で地面を転がる京太郎はほっとしていた。

攻撃を防いだにもかかわらず腕から伝わる衝撃で京太郎の意識が空中で途切れかけたためである。

地面に転がされている自分がいる。

京太郎は意識があることで生きていることを確認した。

そしてまだ戦えると思った。

まだ命をつなげられる可能性につながる。

それを喜んでいた。

 
しかし状況は悪かった。

攻撃を防いだ両腕の骨が内側に向けて折れていた。

骨の折れ方が悪かったのだろう骨が腕を切り裂いている。

女性悪魔の攻撃が強すぎるのだ。

 しかしすぐに京太郎は立ち上がった。

戦うためだ。

京太郎は両腕を使わずに、転がる勢いを利用して立ち上がった。

京太郎は女性悪魔を見る。

 京太郎に痛みはない。

アドレナリンの作用である。

 京太郎は自分の状況を他人事のように感じていた。

「たしかアドレナリンだったはず。

教育テレビあたりでやっていたな」

強烈な一発が京太郎の頭を冷やしたのだ。

生き延びるためには獣であることを捨てなくてはならない。

そう思うようになった。

 悪魔は再び距離をつめてきた。

自分の攻撃で吹っ飛んでしまった京太郎にもう一発、女性悪魔は食らわせるつもりだ。

 女性悪魔はもう一度、拳で攻撃を仕掛けてきた。

京太郎の状況を見ての攻撃だった。

京太郎は今両腕を上げられない。

一発目の攻撃で両腕が完全に壊れているからだ。

女性悪魔は思う。

「これで終わり」

と。

 ガードができないという予想は正しかった。

京太郎が両腕を動かそうとしても両腕は反応を返さない。

骨だけではなく神経まで損傷していたのだ。

 しかし問題はない。

京太郎は悪魔の攻撃にあわせて

「ジオンガ!」

と叫んでいた。

 狙いはつけていない。

つける必要がないのだ。

京太郎が狙ったのは自分自身である。

動きを追いきれないなら、追わなければいいだけのこと。

かつて京太郎自身が受けたガキの自爆攻撃。

自分ごと獲物を狙うあの方法ならば、すばやい悪魔であっても巻き込めると考え実行した。

 京太郎の体がスパークした。

稲妻が京太郎自身から発せられる。

稲妻が京太郎を噛む。

 そして京太郎の顔面に向けて攻撃を仕掛けていた悪魔の動きが止まる。

自爆攻撃に巻き込まれたのだ。

 自爆攻撃に巻き込まれた女性悪魔の体に稲妻が噛み付く。

稲妻が直撃したのは京太郎だ。

しかし稲妻はそれだけでは満足しない。

有り余る力で周りにいるものに噛み付いていく。

地面にも噛み付く稲妻が京太郎だけで満足するわけがない。

 京太郎は不思議に思った。

「思いのほか、痛みが少ない」

 自滅覚悟の稲妻だった。

手加減をすれば、負けると京太郎は思ったのだ。

自分がガキの火から生き延びれたように。

 しかし、思ったよりも威力が弱かった。

京太郎の体にはわずかな痺れしかない。

 しかし女性悪魔は身動きがとれずもがいていた。

稲妻の力である。

 女性悪魔と京太郎の症状に差が出ている。

この差は雷に耐性を持つかどうかの差である。

魂を変質させて雷の力を手に入れた京太郎にとって雷は恐れるものではない。

 京太郎と悪魔の肉弾戦から離れたところから、アンヘルが彼に支援を送る。

「死ぬ気ですか!」

奇跡の技ディアが発動し、彼の肉体を癒す。


しかし完全に回復することはなかった。

両腕の損傷がひどすぎるのだ。

彼の両腕にはまだ痛みが残っていた。

しかしこぶしを握ることはできた。

 無茶な行動を取った京太郎に怒るアンヘル。

 アンヘルのそばで現状把握に努めていた人形が彼に伝えた。

「そいつは呪文でお前の能力を下げている! 

さっきお前にかけられたのは能力低下の呪文だ!」

 女性悪魔が雷の力から立ち直ってきた。

美しい顔は少しも崩れていない。

直撃ではなかったためだ。

余波では縛りきれない。

 まったく表情に変化がない女性悪魔を見て京太郎は気に入らないと思っていた。

「少しくらいあせって見せてくれてもいいじゃないか」

 京太郎は自分の心の動きを相手が自分よりも格上だからだと考えた。

及ばない相手に対するくだらない嫉妬だと。

 京太郎はすみやかに計画を実行するつもりだ。

「しびれさせて、命を奪う」

運動能力では相手が上、しかし稲妻の力という有利がある。

ならば有利をいっぱいに使えばいい。

心の動きなど考察する余裕はない。

きりがいいのでここまで

続きは来週の土曜日にあげていきます。

つづきからはじめます


京太郎がさらに攻撃を仕掛けようと構えた。

戦いの算段はついている。

後は動くだけだ。

 しかし、京太郎は攻撃を打ち込めなかった。

あっけにとられたからだ。

女性悪魔は両手を上げて降参のポーズをとったのだ。

そして女性悪魔は五メートルほど後ろに飛んだ。

 拳をどこに落とせばいいか京太郎は迷ってしまった。

やる気満々だったところに水を指されてしまった。

 あまりにも現場の緩急がつきすぎて、京太郎の頭がついていけていない。

戦いはまだ始まったばかりだ。

京太郎も女性悪魔もまだぴんぴんしている。

せいぜい稲妻を浴びただけ。

京太郎の両腕が壊れただけだ。

「どういうつもりだ」

京太郎がたずねると悪魔が答えた。

「私の負けです。

あなたの雷の力は私と相性が悪い。

しかもサマナーらしからぬ運動能力を備えている。

おそらくこのまま戦えば私が敗北するでしょう。

それはとても困ります。

マスターの命令を達成できなくなってしまいます。

しかし交渉の余地があると思うのです。

アナタたちの会話からアナタたちは私たちの敵対者ではないことがわかりました。

マスターは私にあなたをこの世界から出すなと命令しました。

ならば私はあなたたちをこの世界から出さないように働きます。

しかしヤタガラスとは関係がないのでしょう? 

何が目的でこの世界にいらしたのかはわかりませんが、あなたたちは私たちと命がけの戦いをしなければならない理由がないはずです。


ヤタガラスとの戦いが落ち着くまで、おとなしくしていただけませんか。

見逃していただけるのならば、対価をお支払いします」


大きな声を出して京太郎に人形がいった。

「そいつの言うとおりだぞ少年。

俺たちがそいつらと争う理由はない。

せいぜいティータイムを邪魔されたくらいのもんだ。

ブラウニーたちへの義理もない。

むしろ十分なくらい果たしてやったくらいだ。

この交渉の時間も、ブラウニーたちが逃げ延びるためのものと解釈することができるぜ。

どうする、提案をのむか?

少年が望むのならば、お前を現世まで案内してくれるかもしれない。

金もいくらかもらえるかもしれない。

サマナーの財布ってのはいつの時代も重たいもんだ。

そして当然、アンヘルと俺の目的も達成できるだろう。

現世への帰還が果たされる」

 人形は笑っていた。

敵対していた悪魔のやり方に好感を持ったのだ。

勝ち目が薄いと判断すれば、次の手段をさがす。

目的を達成できる別の方法をとる。

そのやり方が趣味に合ったのだ。


自分の心から敵対する力が抜けて行くのが京太郎にはわかった。

頭を使えるほど冷静になった京太郎にとって、この申し出はまったく問題のない話なのだ。

どこにも悪いところがない。

京太郎は積極的に戦いたいわけではない。

弱い悪魔たちを助けたいわけでもない。

命が助かればそれでいいと思っている。

それだけが満足だったはず。

そうだったはず。

それならば、なにもかも理にかなう。

何せ本当に戦う理由がどこにもない。

冷静な自分自身がささやくのだ。

「交渉で命が拾えるのならば、それが一番だろう」

と。

 戦う理由がないのは本当だ。

追い詰められているブラウニーたちは戦わないでいいという。

それが当たり前なのだといってほうっておいてくれといった。

女性悪魔は戦いたくないという。

そのために対価を支払うとさえ言う。

京太郎の仲魔たちは外に出て行けたのならばそれでいいという。

 そして京太郎自身も女性悪魔に悪意がない。

痛みはある。

しかしそれが何だというのだろうか。

戦いなのだから痛みを覚えることだってある。

自分も攻撃したのだから、反撃されたことに憎しみを持つことはない。

戦いはそういうものだとわかっている。


京太郎の迷いを悪魔は見逃さなかった。

女性悪魔は交渉に慣れていた。

京太郎の目から獣の鋭さが薄れていくのを見抜かれた。

「現世への道ならば、私が案内しましょう。

もちろんお金が必要だというのならば、お渡しします。

私には必要のないものですから」

ここぞとばかりに、踏み込んで交渉を始めた。

 「この少年は、命が惜しいだけだ。

生き延びるために戦っていただけ」

と女性悪魔は京太郎の内面をほとんど正しく分析していた。

命が助かるという道を示したとたん京太郎の目の中から勢いが消えたのを見抜いていたのだ。

これだけで分析を完成させたのならばたいしたものだ。

しかしちょっとした視線の変化だけがヒントになっているわけではない。

 この分析を助けているのは、京太郎との出会いである。

女性悪魔は京太郎が自分たちを攻撃してきたときの状況を覚えている。

魔法でブラウニーたちの集落を襲っているときに京太郎が現れて、邪魔をした。

女性悪魔はその行動を解釈した。

「他人を助けるためではなく、自分の命のための行動だったのだ」

と。


女性悪魔が交渉を一気に進めたのは京太郎を流れに乗せるためだ。

 欲望を刺激する対価の話を一番にきってきたのも同じく京太郎を流れに飲み込むためである。

自分の欲望を前に出せない勇気のない人間を助けてやるための行動とよくにている。

「動きたいけれども、動く勇気がない。

誰かに背中を押してほしい」

そんな気持ちを持った人の弱さをついてきた。

「理にかなっているのだから、要求を呑むのは自然なこと。

だって、みんなそうするだろうから。

それが賢いやり方だから、自分もそうすればいい」

そう思わせれば、心は一気に流される。

そして操られるのだ。

 京太郎は心中をほとんど正しく見抜かれていた。

京太郎はこのタイプの知的生命体とであったことがない。

人間の中にもこの程度の策略を練るものはいる。

しかし、出会ったことがなかった。

対策を立てるなどということは思いもつかないのだ。

 加えて、京太郎の頭の中は混乱していた。

戦いと交渉の緩急がきつすぎるのだ。

冷静を装ってはいるが、頭はまだ戦いから抜け出せていない。

冷静に戦える状態ではあるが、冷静に交渉できる状態ではない。


京太郎の心はここで終わってしまってもかまわないという方向に向かっていた。

まったく戦う理由が見当たらない。

弱い悪魔たちも、自分の仲魔たちもそして京太郎も誰もが納得している。

悪魔たちは弱肉強食でいいという。

仲魔は目的が達成できたらそれでいいという。

京太郎は、命が助かれば、それでよいはず。

 京太郎は自分の命をつなげることがこれまでのすべてだった。

悪魔に襲われて、悪魔と戦ってきた。

それは大儀があったからではない。

自分の命が大切だった。それ以外に目的などなかったはずだ。

 そして生き残るという目的だけで十分だった。

生き残ることを目的にしたとき心が晴れたのだ。

生き残ったことで、満足した。

とても素敵な気分にもなったのだ。

それは嘘ではない。

 会話をする前にすでにまとまってしまっていた。

京太郎は命が大切。

仲魔は外に出て行きたい。

女悪魔は戦いたくない。

どこに間違いがあるのか?

 どこにもない。


 会話をする気持ちに京太郎なっていた。

戦闘本能はしぼんでしまっている。

冷静を手に入れたことで現状を把握することができた京太郎は、獣としての自分を押さえ込んだのだ。

命が大切。

丸く収まるのならそれでいい。


彼はまず自己紹介をした。

特に意味があることではない。

ただ、名前を知らないままでは話をするのが難しいと思ったのだ。

「俺の名前は京太郎だ。

あんたの話に興味がある。

良ければあんたの名前を教えてもらいたい」

 すると女性悪魔が答えた。

「私は造魔です。あなたのように」

 といいかけたところで、京太郎がさえぎった。

「ゾウマさんか。よろしく」

京太郎の早とちりである。

 京太郎から離れたところで交渉を見守るアンヘルが苦笑いを浮かべた。

 人形は空中でわらっていた。

「話しは最後まで聞こうよ、少年」

 京太郎にゾウマさんと呼ばれた悪魔は言いかけたことばを飲み込んだ。

猫のような目に少しだけ光がさした。

「まあいいです。

ちょっと驚きましたが、いいです。

私のことはゾウマさんでいいでしょう。

私はゾウマさんです。

ゾウマさんですか。いいですね。

それでは、京太郎さんは何を求めますか。

すぐに用意できるのは現世への道とお金です。

お金に関しては私が動かせる範囲内でお願いすることになります。

ここはお互いにつめていきましょう」

 京太郎が頭を少し働かせた。

ブラウニーたちのことが思い浮かんだのだ。

ついでに助けたらいいだろうという気持ちがわいた。

ブラウニーたちから贈り物をもらいすぎたので、お返しの気持ちもある。

「現世への道と、ブラウニーたちの安寧を約束してもらえませんか。

ブラウニーたちと俺には縁がある」


 京太郎が伝えるとゾウマさんは少し考えて見せた。

ものすごく仕事ができるように見えた。

交渉のためのポーズだ。

初めから答えは決まっている。

じらしているのだ。

「かまいませんよ。

それだけでいいですか?

 お金は必要ありませんか?

 宝石でもいいですよ?

 各種商品券もそろえてますよ?」

 京太郎は首を横にふった。

「別にそういうものがほしくてここにきたわけじゃない。

命が助かればそれでかまいませんよ。

ブラウニーたちも助かるのなら、とくに嫌がる理由もない。

理由なんてない、はず」

 ゾウマさんは無表情を崩さなかった。

ゾウマさんが予想していた結果とほとんど同じだったからだ。

ゾウマさんはブラウニーたちのことを京太郎が気にするとは思っていなかった。

しかしそれ以外はほとんど思ったとおりに話が進んでいった。

 

 京太郎の表情が曇ったことにゾウマさんは気がつかなかった。

交渉がうまくいきほっとしてしまったからだ。


そしてこんなことをいった。

「京太郎さんが話のわかる人でよかったと思います。

提案を聞いてもらえなければ、とんでもない損害をこうむることは間違いありませんでした。


それでは、キヨスミ高校の近くに案内しましょう。

自宅近くに送り届けるよりも安心できるのではないですか?」

これはゾウマさんの油断だ。

もしも戦いになればうまく立ち回ったとしてゾウマさんは引き分け。

戦えば、ほとんど間違いないといえるほどの可能性で敗北する道がゾウマさんには見えていた。

サマナーらしからぬ京太郎の戦法。

京太郎の戦法を支える京太郎の肉体操作センス。

そして京太郎の雷の異能力。

この組み合わせがゾウマさんとは非常に相性が悪かった。

 だから交渉がうまくいって、ほっとしたのだ。

そして口にしてはならない言葉を出してしまった。

 ゾウマさんの提案に京太郎の動きが一瞬止まる。

ゾウマさんの提案に引っかかるものがあったのだ。

京太郎が引っかかったのは

「キヨスミ」

この単語である。

 京太郎は、ゾウマさんから視線をきった。

そして自分の姿かたちを確認した。

京太郎は思ったのだ。

「どこに、キヨスミの学生というヒントがある?」

 現在の京太郎は大正ロマン丸出しの格好だ。

ガキと雨の降る町で出会い、火で焼かれて増水した川に飛び込んだ。

そしてごみくずに占拠された異界に京太郎は流れてきた。

そのときに学生服は完全に灰になった。

素っ裸になりつい先ほどまで困っていたのだ。

今の格好はブラウニーたちがプレゼントしてくれたもの。

どこをどう見ても現代の格好ではない。

この格好で出歩いていたら八墓村で活躍した探偵のコスプレと間違われるだろう。


視線をきったまま京太郎は考えた。

「どこから判断した?

 この辺りにある高校はキヨスミだけじゃない。

そもそも、なぜ高校生だと判断できた。

俺のなりを見て髪の毛を染めている大学生とは思わなかったのか?
 
派手なピアスに派手な腕輪をつけて指輪をはめている。

これが高校生の格好か?

なぜ、キヨスミと判断できた?
 
学生服からか?
 
俺が学生服を着ていたところを見ていたのか?

ならば、どこから見ていた?
 
ガキに襲われたあの場所か?

あの場所は現世だったか?」

 冷えた頭が、疑いを浮かばせた。

 そして疑いの思考をきっかけにして記憶がよみがえってきた。

畳の香りをかいで懐かしい時代を思い出すように、関連した出来事がかすれた記憶を呼び覚ますのだ。

しかし京太郎が思い出す光景はノスタルジーな気持ちにはさせてくれない。

 脳裏にちらつく光景があった。

きっかけの光景だ。

学校の食堂で、何かをしていた記憶。

 はるか昔の出来事のように京太郎は感じた。

かすんで思い出しにくい。

命がけの戦いが記憶をかすれさせているのだ。


しかし、薄れていても思い出せるものがあった。

京太郎の友の姿だ。

笑われるかもしれない覚悟で、馬鹿にされる覚悟で話をしてくれた友達の姿が思い浮かぶ。


 二人の様子を離れたところから見守っているアンヘルと人形が緊張しはじめた。

ゾウマさんから視線を切っている京太郎から剣呑な雰囲気が流れ始めていたからだ。

マグネタイトを供給されているアンヘルと人形には主の心の動きがうっすらと感じ取れるのだ。

 京太郎がゾウマさんに質問をした。

疑惑を晴らすためではない。

確信を得るためだ。


 細かい推論など京太郎には必要なかった。

答えはとっくの昔に出会っている。

あの奇妙なマネキンどもと、京太郎は出会っている。

「なあゾウマさん。ちょっとだけ、話のついでに教えてほしいことがある」

 ゾウマさんは答えた。

「なんでしょう。

質問によりますけれど」

交渉がうまくいったことで油断したのだ。

そして質問を拒否して険悪なムードになることをゾウマさんは恐れた。

 京太郎が質問した。

「ゴミの山を作ったのはあんたたちかな?」

 ゾウマさんは少し考えて答えることにきめた。

ゾウマさんは京太郎を命をつなげることだけが大切な人間であると分析していた。

そのため、道徳的に問題がある行動を自分たちがとっていてもおそらく無視してくれるだろうと考えた。


「そのとおりです」


京太郎がさらに質問した。

確信はすでに得ている。

ブラウニーたちの情報からごみの山とマネキンが関係していることを知っているからだ。

もう一度質問をするのは最後の確認のためだ。

「何でゴミの山を作ったんだ。

ちょっとした疑問だよ。

あんたたちがあのゴミの山を作ったんだろう?

まさか不法投棄がしたかったわけじゃないよな。

秘密かな?」

 京太郎の背後、交渉を見守っていた仲魔たちが身構えた。

京太郎の心が完全に固まるのを感じたのだ。

京太郎は質問の答えがどうなろうと戦いを始めるつもりだ。

 ゾウマさんは京太郎の質問に正直に答えてくれた。

道徳的に問題がある行動をとったとゾウマさんが告白してもまったく京太郎が動じなかったからである。

そのため本当に興味本位で京太郎は話を聞いているのだとゾウマさんは判断した。

 さらにこの判断を導く助けが会話とは関係のないところにある。

それは京太郎が生き残っているという事実である。

悪魔に出会って生き残っている人間なのだから、一本ねじが飛んでいてもおかしくないという思い込みがあった。


「人間を人形に変えるための実験途中にできたごみです。

あのごみ山は実験の残骸です」


 京太郎の予想した答えではなかった。

せいぜい、マネキンに関連した何かがごみの山にあるとしか京太郎は考えていなかった。

雷を操れるようになっても、まだ何でもありの世界になじめていないのだ。

 しかし、いまとなってはどうでもいい。

 この言葉が京太郎のトリガーを引いた。


京太郎の脳裏に稲妻が走った。

 行方不明になった男子高校生の行方。

積み上げられた大量の残骸の正体。

ごみの山からただよう気分の悪い臭い。

人間の持つ正体不明のエネルギーマグネタイトの存在。

悪魔たちの実在。

悪魔たちのマグネタイトを求める性質。

フードをかぶった人間の商売。

ヤタガラスという権力をもつ組織の存在。

ヤタガラスに追われているという情報から推測できる犯罪性。


何もかもがつながっていくが、京太郎は事件の真相などどうでもよかった。



狂人扱いされて何もかもあきらめてしまった友人の悲しそうな笑顔がはっきりと思い出せたからである。


 撤退の二文字が消えた。

 京太郎は冒険の始まりを思い出した。

「お前たちが!」

今までにないくらいに魂が荒ぶった。

 ゾウマさんは一気に京太郎と距離を離した。

さらに十メートルほど後ろに飛んだ。

これは反射行動だ。

交渉の失敗に気がついたからではない。

熱いヤカンに触れたとき、さっと手を引っ込めるように命の危機を感じて本能に任せて後ろに下がったのだ。

京太郎の変貌があまりにも強烈な破壊のイメージをゾウマさんに与えた結果だ。


戦いの再開は

「ジオダイン!」

の一言で始まった。

教えられた呪文ではない。

稲妻が京太郎の意志に応えたのだ。

 深化した稲妻の威力が造る景色は壮観だった。

稲妻が走ると地面が深くえぐれ、それでも足らんと地の果てへ稲妻がかけていく。

打ち砕くのだという強い願いそのものを形にしたような威力だった。

射線上にあったごみの山に稲妻が噛み付いてごみの山がいくつも崩れた。

 稲妻の威力を至近距離で受けたゾウマさんは、全身に深い傷を負っていた。

相性が悪いのも加わって、被害は甚大である。

 しかしまだ生きながらえていた。

スーツはぼろぼろになり、体がしびれて動かせていない。

しかしまだ、命をつないでいる。

京太郎にかかった能力低下の呪文のおかげである。

 次の一撃を打てば京太郎の勝利は間違いない。

 しかし次の一撃を京太郎は打ち込めなかった。

情けのためではない。

ナイフが京太郎ののどに突き刺さっていたからだ。

ゾウマさんの技だ。

打ち込まれるまで京太郎は気がつかなかった。

 のどに深くナイフが突き刺さっても京太郎の戦意は衰えていなかった。

 のどのナイフを抜くと、力任せにゾウマさんに投げつけた。

 ナイフはゾウマさんの肩にぶつかった。

刺さらなかった。

京太郎にナイフ投げの技術はない。

 ゾウマさんはいった。

「びっくりしちゃいました。

まさか呪文を深化させるなんて。

ゾウマさん一人ではもう京太郎さんを倒せないでしょう。

しかしゾウマさんはマスターの命令を実行します。

京太郎さんが戦うというのならばしかたありません。

命令どおり京太郎さんをこの世界に閉じ込めるだけ。

命令を忠実に実行するだけ。

それだけです」

 ゾウマさんはそういうと姿をくらました。

魔道具の効果である。

すでに安全な場所に離脱していることだろう。

追跡は無駄だ。


京太郎はゾウマさんを取り逃がした。

 京太郎ののどから流れていた血液は止まっている。

アンヘルの支援の賜物だ。

 ふわふわと浮きながら人形とアンヘルが彼の元にやってきた。

「どうやらやる気になったらしいな。

それに呪文を深化させるとはたいしたもんだ」

といってふわふわと風船みたいに京太郎の頭の上を人形が飛んで見せた。

 京太郎は二人に謝った。

「わるかったな。お前たちの目的を達成するチャンスだったのに」

 人形は笑った。

「気にするなよ。たいしたことじゃない。

すぐに外に出るのか、お茶して外に出て行くのかって違いしかないさ」

 アンヘルは

「マスターの好きなようにしたらいいです。見ていて楽しいですから。でも命は大事に使ってくださいね」

といって、京太郎の肩に手を置いた。


 京太郎の胸の奥の霧が晴れた。異界でやるべきことが見つかったからだ。
 


戦いの後少ししてから世界の色が変わった。

地面が震えた。

そして生臭い風が吹いた。

異界を埋め尽くすゴミの山から強力な力が生み出されたのである。

 京太郎たちが何事と構えていると、砦のようなものが現れた。

ゾウマさんが京太郎を異界から逃さないために作った砦である。


 砦は遠目から見てもわかるくらい粗末なつくりだった。

ごみの山を一箇所にまとめて、とりあえず砦の形を取っているだけだ。

 ごみの山が異界から消えたが、汚れは消えていなかった。

いまだに空は曇り、大地と川は腐っている。

砦が消えるまでは、汚れもこのまま居座るのだ。

 ごみの砦を京太郎はにらんだ。

ごみの砦を抜くことが京太郎の目的を達する一つ目の関門だからである。

最終的に求めるものは、奪われたものたちを取り戻すこと。

まずはそのために、砦を抜く。

そうしなければならない道。


 京太郎は砦から奇妙なものが空に立ち上っているのを見つけた。

京太郎が見つけたのは赤いおたまじゃくしのような煙である。

一つや二つではない。

何百と赤いおたまじゃくしのようなものが空に向かって上っていくのだ。

しかしおたまじゃくしといっても実体がない。

煙のように頼りない。


京太郎が不思議がっているとアンヘルが話しかけてきた。

「あれはですね、マスター。マガツヒですよ。

無理やり結界の範囲を絞ったせいで溜め込んでいたマガツヒをこぼしてしまったんでしょう。

マグネタイトがガソリンならばマガツヒは原油みたいなものですね。

細かく見ると少し違いますがそれで問題ありません」

 人形が笑って京太郎に言った。

「あそこにいるってことだろうな。わかりやすい。

なあ、少年。

もしかしたら俺たちに申し訳ないって気持ちになっているかもしれないが、気にすんなよ。

さっきも言ったが、たいした問題じゃないのさ。

正直、惜しいことをしたって気はしているが、これで外に出る方法が確定したと捉えることもできる。

もしかしたらさっきの造魔の言葉は嘘だったかもしれない。

もしかしたらライドウが俺たちを助けてくれるかもしれない。

しかし、見逃される可能性もなくはない。

間違いなく外に出る方法が見えたのならそれでいいのさ。

まあ、ちょっとしんどくなったのは本当だがな」

 そういうと人形は京太郎の肩に腰を下ろした。

疲れたのだろう。

 京太郎は砦の中にいるのだろうゾウマさんのことを考えた。

ゾウマさんのことを思い出すと不思議な感覚が胸の奥から沸いてくるのだ。

その心をを京太郎ははっきりと定めることができない。

怒りなのか、憎しみなのか。

さっぱりわからない。

京太郎は思う。


「この心の動きはいったい何なのだろう。この心は」


ゾウマさん襲撃の後、京太郎はブラウニーたちに砦に挑むと告げた。

迷惑がかかるかもしれないからだ。

京太郎が砦に挑み、敗北したとしたらおそらくブラウニーたちにも被害が及ぶだろう。

それを避けるために、京太郎はブラウニーたちに告白したのである。

逃げたほうがいいぞと。

 京太郎がごみでできた砦に向かうという話をすると、ブラウニーたちに手を引かれた。

ブラウニーたちは掘っ立て小屋のおく、鉱山の入り口に京太郎たちを引っ張ってきた。

 鉱山の入り口でブラウニーの代表者が京太郎に教えてくれた。

「どうやら現世に一番近いところを押さえられたようです。

あれは現世とこの異界をふさぐふたの役割をやっているのです。

私たちは困りませんが、あなたはきっと苦労することになるでしょう。

あの砦の中に結界を担当していた四体の悪魔もいるはずです。

あなたの障害となることは間違いない」

 ブラウニーの代表者は悲しげな目でいった。

「私たちに力がないのが本当に悔しい。

あなたを助けることができない。

自分たちを守ることさえ満足にできないのです。

しかしできる限りのことはして差し上げたい、古い時代の業を使うサマナーよ」

そういってブラウニーの代表は京太郎に不思議な金属を渡した。

鉱山の中から泥だらけになったブラウニーたちが現れ、代表者に金属を渡したのだ。

そして代表者が金属の汚れを拭いて、京太郎に渡した。

ブラウニーたちはこの金属を渡すために京太郎たちを鉱山の入り口に連れてきたのである。


なぞの金属をみてアンヘルと人形が驚いていた。

京太郎にはただの金属の塊にしか見えなかった。

少し前衛的な形をしているだけの金属である。

人形が教えてくれた。

「こいつは驚いた、こんな浅い異界で取れるなんて。

少年、いい物をもらったな。

こいつは命をもった金属なのさ。

なかなかお目にかかれない素材だ」

 ブラウニーの代表者が説明してくれた。

「これが鉱山にとどまっている理由です。

私たち妖精族は生き残るためにさまざまな道具を作ります。

その道具の中でもこの金属を使って作る道具は格別の力を持ちます。

たとえば魔法を反射する鏡とかですな。

どうか、お役に立てていただきたい」

 しかし京太郎は困ってしまった。

使い方がわからない。

見たところただの金属なのだ。

 京太郎が困っていると人形が助けてくれた。

「ちょっと待ちな。俺が仕込んでやるよ」

といって京太郎の肩に乗った。

そして京太郎と力のやり取りを行い始めた。

グロテスクなマネキンのエネルギーを奪い取ったときと同じ要領である。

 それに合わせて、京太郎の手のひらの金属がうごめき始めた。

人形が操っているのだ。

うごめいていた金属は、京太郎がはめている右手中指にはまっている植物の指輪に向かって突撃した。

指輪に金属が触れると、どんどん指輪の表面が金属に包まれていく。

そしてついに指輪全体が金属に覆われてしまった。


人形は

「これでいい」

といって肩から離れていった。

人形はこのように説明をした。

「これで少年に合わせて力を使ってくれるようになる。

どんな風に変化するのかは少年しだいだ。

戦いたいと願えば少年にあった形に変わる。

そういう風にした。

生きている金属なんてめったにお目にかかれないからな、少し試してみてくれよ。

うまくできたかは、わからん」

 このように人形が説明をするので、京太郎は試してみた。

 京太郎が戦うのだという意思を持つと、指輪が勝手に姿を変えた。

植物の蔓のようなものが、右手全体を包み込んだ。

植物の蔓はそれだけでは止まらない。

そのまま右腕を駆け上る。

そして背中を通り抜けた。

通り抜けた植物の蔓は、左手に届き、左手全体を包み込んだ。

見事、人形は仕事をやり遂げていたのだ。

 ぱっと見ると両手に有刺鉄線のグローブをつけているように見える。

しかし京太郎は痛くもかゆくもない。

 微妙に有刺鉄線が帯電していた。

彼の得意な属性に染まってしまったからだ。

 その姿を見て、人形は

「問題なさそうだな。

非常によくなじんでいる。

討ち入り前の新撰組みたいだな。

すごくいい。

すごくいいぞ。

なあ、アンヘル。

お前は新撰組を知っているか? 

俺はあの話が好きなんだ。

もしかしたら俺の趣味が出たのかもしれないな」

といって笑った。

京太郎の周りを人形がくるくる飛び回っている。


人形がそういうのでアンヘルが話に乗ってきた。

「しってますよ。

天使人間のサカモトが当時のライドウに討ち取られる話ですよね。

天使の界隈だと有名な話です。

四大天使がでばったのに成果がまったくでなかったって」

アンヘルは当然知っているというような顔をしていた。

常識だといわんばかりである。

人形の言い方にカチンときていたのである。

 人形は言った。

「えっ? なにそれ、どういうこと。きいたことないわ」


 京太郎はあまり興味がなかったので突っ込んでいかなかった。

アンヘルと人形は白熱していた。

 京太郎が戦う意思を引っ込めると有刺鉄線は、指輪の形に戻っていった。

 京太郎は申し訳ないような気持ちになった。

とんでもなく貴重なものをもらったとわかったからだ。

 彼は何度もお礼を言った。

言わなくてはいけないような気持ちがあるのだ。


しっかりと力を回復させてから、京太郎は旅立った。

 休んでいる間、ブラウニーたちがあれこれ世話を焼いてくれたのが、京太郎はうれしかった。

人間世界を思い出して懐かしい気持ちになったのだ。

 休憩中、アンヘルと人形はお母さんみたいな口調のブラウニーに捕まっていた。

「若い女が、あんな格好してから!」

といって肌を見せるなとアンヘルに説教をしている。

人形も一緒につかまっているのは、アンヘルが道ずれにしたからである。

アンヘルの右手が人形をつかんで逃がさない。

助けてくれとアンヘルが目線を向けてきた。

 しかしどうすることもできないのがなんとなく京太郎はわかったので、あきらめるように視線で答えた。

 京太郎はブラウニーたちに別れを告げた。

すっかり回復して、気力も満ちてきたからである。

彼は代表者とブラウニーたちの見送りにこんな挨拶をした。

「皆さんお元気で。

俺、精一杯がんばってみます。

いろいろありがとうございました」

これから戦いに向かうのに、京太郎はとてもさわやかだった。

深く礼をしてから、アンヘルと人形を引き連れてマガツヒが立ち上るごみの砦へと旅立った。


ゴミの砦に向かう間にガキの群れが京太郎たちを襲った。

ガキはどこまで言ってもガキである。

腹が減っているのだ。

京太郎のような若い肉体をみれば食べたいと思うのもしょうがないことである。

しかし無謀だった。

 京太郎は瞬く間にガキの群れを退治した。

この世界に流れ着くときに命を奪われかけたというのに、まったく相手になっていない。

二十近いガキの群れであっても鼻歌交じりに退けるのだ。

それを助けているのは二つある。

 ひとつはブラウニーたちの贈り物である。

両手に絡み付いている有刺鉄線のグローブは京太郎の拳を守るのと同時に、強力な武器になっている。

 もうひとつは京太郎が積み上げた経験である。

修羅場をくぐった経験が、魂を磨き、肉体を力で満たしている。

 ごみの砦に向かう道のりにはガキの死体だけが残された。


ごみの砦へと向かう京太郎はゾウマさんのことを考えていた。

恋愛感情ではない。

怒りでもない。

言葉にできない不思議な感覚が、京太郎の心を乱すのだ。

京太郎はその心の動きを今まで感じたことがなかった。

そのため、どうしても不思議に思ってしまう。

 砦へと向かう道の途中では人形がよく口を開いていた。

「なぁ、少年。

さっきの女悪魔いただろ?

 あれはさ、ゾウマさん、なんて名前じゃないぜ。

作られた悪魔っていう意味なのさ。

アンヘルの種族が天使なのかは怪しいところだが、アンヘルを天使って呼んでいるようなもんさ。

人間を人間って呼ぶようなものだといったほうが感覚的にわかりやすいかもしれないな。

たぶんだが、あの悪魔に名前はないぜ」

人形が話をするのは、間違いを正すためではない。

京太郎のケアのためだ。

ショッキングな事実が判明した以上、京太郎の心には衝撃が届いているはず。

心に衝撃を受けることは恥ずかしいことではない。

誰にでもあること。

問題なのは衝撃を受けて傷つくこと。

そして心の傷が肉体にまで作用することだ。

 今の京太郎には目立った変化はない。

普通に歩いている。

普通に戦えている。

表情も普通だ。

しかし緊張している状態だから気がついていない可能性が非常に高い。

人間は肉体が壊れかけていても心の力で乗り切ることができる。

しかし乗り切ることができるだけなのだ。

戦いの中であるからはっきりと目には見えないけれども、いつ心の痛みが限界点をこえ、肉体に作用するかはわからない。

それを心配したのだ。

戦いの中で限界がきたら終わりしかない。


人形の話に京太郎はこんな風に返した。

「え? それだと困らないか。名前がないと呼びにくい」

 人形が答えた。

「問題ないさ。名前は必要ないのさ」

 京太郎が返した。

「問題あるだろ。名前が呼べなきゃ話がしにくい。おいとか、お前とか言わなきゃならなくなる」

 人形が答えた。

「それでいいのさ。

造魔ってのは大量に作れる消耗品だ。

名前なんて上等なものはない。

番号を割り振られて、名前代わりにしているのが普通だろうな」

 京太郎が質問をした。

「なあ、ちょっといいか? 

悪魔ってのはつくれるのか?

 いや、そもそも常識が成立するほど悪魔と接して生きている人たちがいるのか? 」

 人形が答えた。

「そうだな、少年が思っているよりも人間世界は悪魔とべったりくっついていると思っていいぞ。

金持ちから権力者、宗教家。

当然ながら国家も悪魔と接している。

そもそもヤタガラスってのは公務員みたいなもんだからな。知らないわけがない」


人形が続けた。

「それで、悪魔を作ることができるのかって質問に対しての答えだが、できる。

しかし悪魔に接している人間の誰もが作れるわけじゃない。

悪魔というのは普通に生きて暮らしている。

呼び方が悪魔ってだけでブラウニーみたいなやつだっておおい。

むしろそういうやつのほうが多いのが本当さ。

人間とは少し違っているだけで生命体だ。

それは少年も交流してみてわかったと思う。

それをまず忘れないでほしい。

 悪魔を作るってのは闇の世界でも深いところにある闇なのさ。

悪魔と接するというのが世間の路地裏に入ったくらいだとしたら、悪魔を作るってのは完全にアンダーグラウンド。

あえてそこにいくものは少ない」

 京太郎が質問をした。

「なら、ゾウマさんは闇の中の深いところで作られた悪魔、だから名前がない、でいいのか?」

 人形が答えた。

「いや、あの女悪魔は作られた悪魔の中でも特殊な悪魔だ。

人間の都合のいいようにつくられた悪魔。

フランケンシュタインの怪物の主人に忠実なやつを思い浮かべてもらえたらそれで正解だ」

 京太郎が言った。

「なんとなくわかったよ。

闇の世界には悪魔を作る方法がある。

そして作られた悪魔の中には主人に忠実なやつがいる。

だからか、ゾウマさんがやたらと命令を守ろうとしていたのは」

 人形が「そのとおり」といった。


人形が続けていった。

「十五年くらい前に造魔作りの技術が確立されて、一気に造魔を所有するサマナーが増えたのさ。

そこで話しのはじめに戻る。

サマナーたちは造魔を大量に所有するようになったため、管理するのが面倒くさくなった。

結果いちいち名前をつけるのをやめた。


番号を振って番号で呼んでいる、そんなのはまだましで、おいとかあれとか、それとかいって呼んでいるサマナーのほうが多いってのが今の状況だ

 京太郎が不思議に思った。

「なあ、何で造魔をほしがるんだ?

 別にブラウニーだとかでも悪くないはずだろ?

 ブラウニーたちと仲良くなればいろいろと世話を焼いてくれるし、それこそ御伽噺の登場人物とだって」

 人形が答えた。

「難しいのさ。

契約が、じゃない。

仲良くなれないのさ。

サマナーたちのほとんどは悪魔を使いこなせない。

悪魔も生きているといったな。

悪魔たちにも性格がある。

人間だってそうだろ。

自分が雇われたからといって雇い主に忠誠を誓うことはない。

なぜ働いているのかといえば、報酬をもらっているからだ。

それだけなのさ。

好きで一緒にいるわけじゃない。

悪魔も同じさ。サマナーのほとんどは契約しか結べない。

だからいちいちサマナーは悪魔に命令を出すのさ。

そうしないと悪魔は働かないからな。

最悪なのは命令をしても聞いてもらえないことかな」

 京太郎が人形に言った。

「命令を聞かないくらいなら問題ないだろう? 自分で戦えばいい」


人形とアンヘルが笑った。

人形が答えた。

「はっきりいって少年みたいなのはサマナーとは言わない。

どっちかといえばハンターだろうな。

ほとんどのサマナーは仲魔にまかせて隠れているもんさ。

物量で押しつぶして隠れたところから打つ。

そのほうが安全だからな。

ソロモン王と同じやりかたさ。

下手したら生涯で一回も悪魔を直接、倒していないサマナーがいるかもしれない。

わかるだろ、社長と社員の関係だ。

社長は何とか社員を動かさなければならない。

もしも誰もいうことを聞かなくなったら、社長は終わりだ。

社長とサマナーで違うのは命が一発で失われるかどうか、だな。

サマナーにとって仲魔ってのは生命線なのさ。

命令を聞いてもらえないなんてことがあったら一発アウト。

仲が悪くても命令を聞いてもらえているだけましよ」

 ここで京太郎は納得する。

「ああ、それで問答無用で命令を聞いてくれる悪魔をほしがるのか。

そりゃほしいよな。

有名な悪魔よりも、自分のいうことを聞いてくれる悪魔がほしい。

ということは、お金持ちだとか、権力者のところには造魔が大量に所属しているって発想でいいのか? 

たぶん、一番ほしがるよな、こういう人たちが」


人形が笑った。

「飲み込みが早くて助かるよ。

そのとおり。

というか、開発に金を出してたのはそういうやつらだろうよ。

金があろうと権力があろうと、悪魔はなびかない。

しかし悪魔の力はほしい。

剣にも盾にもなる。

いうことを聞いてくれる悪魔なんてのどから手が出るほどほしいだろうさ」

 京太郎は少し黙った。

今まで自分が見ていた世界が一気に広がったからだ。

カルチャーショックである。

世界には悪魔がいて、悪魔と触れ合っている人間がいる。

そして邪法があり、邪法を自分のために使っている人間がいる。

六時間くらい前の京太郎ならこんなことがあるとも思わなかった。

せいぜい、権力者と金持ちは後ろ暗いことをやっているくらいにしか思っていなかった。

 京太郎が黙っているとアンヘルがいった。

「マスターは大丈夫ですよ。

少なくとも私はマスターのことが好きですから。

たぶん、人形さんも、マスターのことは好きだと思います。

ブラウニーさんたちも好いてくれてましたよ」

アンヘルは京太郎に気を使ったのだ。

黙っている京太郎が自分たちの関係を深刻に捉えているのではないかと思い、誤解を解きたかったのだ。

 アンヘルは正直な気持ちを伝えていた。

アンヘルは京太郎をいい人間だと思っている。

見ていて面白い人間だと。

そして自分と同じような気持ちを人形も持っているだろうとアンヘルは思っている。

 砦までの道は長かったが、それほどつらい道ではなかった。

京太郎の仲魔たちが騒がしかったからである。

今日はここまで。

次は来週の土曜日です

あげていきます

全部終わってもレベル20くらいにしかならないように作ってます。


砦にたどり着いた京太郎たちは困っていた。

砦にたどり着いたのはいい。

しかし、砦の入り口がなかったのだ。

人形がいった。

「そうだよな、結界を壊されたくないわけだから、砦に進入させなければいいだけの話だわ。

門を開いて待っていてくれたりはしないよな」

 砦自体はたいしたつくりではない。

山のような形をしていて、一番高いところでも十五メートルほどしかない。

ただ、ごみ山の裾野が広かった。

 京太郎たちは砦の構造を把握するために砦の周りを歩いてみて回ってみた。

陸上競技をするときに使う運動場を少し大きくしたくらいの面積に、ごみが集まって砦になっている。

見て回ってみても残念ながら入り口になるようなところはなかった。

 ごみの山で作った砦を見て回っているときにアンヘルがこういった。

「雑なつくりですね。

とりあえず境界線をふさいでいるように見えます。

あまり結界には詳しくありませんが、すこしつつけば砂のお城みたいに簡単に崩れそうです」

 アンヘルの意見に、人形がうなずいた。

「そうだな。本当に雑なつくりだ。

おそらくこのごみの山を作ったサマナー自体がこの異界を重要と思っていないのだろう。

とりあえずごみを捨てるためだけにブラウニーのような悪魔たちを押しのけた。

ちょっと結界を絞ったくらいでマガツヒが漏れ出すのを見てうすうすそんな気はしていたが、確定だな。

結界は雑に張られている」


砦の周りを一週回ってきたところで人形が京太郎にいった。

「少年。見て回ってわかったことが二つある。

ひとつは結界が非常に雑に張られていること。

どうやらあの女悪魔の話のとおりこの異界はごみを捨てるために汚されている。

それ以上の理由はないだろう。

二つ目にわかったことは結界の破壊が簡単に済みそうだということ。

試してみないとはっきりとしない

しかしおそらく、結界を担当している悪魔を二体つぶせば、この世界からごみの山は消えるだろう」


 人形の話で少し、京太郎はわからないことがあった。

京太郎は人形に質問した。

「結界を担当しているのは四体の悪魔のはず。二つでは足りないだろう?」

 人形が答えた。

「その疑問はもっともだ。

四つの守護者がいるのだから、四つ抜くべき。

しかし、結界を壊すだけでいいのなら、四つ倒す必要はない。

難しく考える必要はない、囲めなくなったら、結界は壊れるのさ。

結界というのは縄張りのようなもの。

四角形を思い浮かべてくれ。

もしも四角形の角をひとつ取ったらどうなる。

四角形の角をひとつとったら三角形になるだろう。

三角形の角をひとつ取ったらどうなる。

それはもう、ただの線だ。

囲めなくなる。

これはどこで結界を作っても同じことが言える」

 京太郎は

「なるほど」

といった。


人形が続けてこんなことをいった。

「だが、まったく油断する理由にはならないな。

これだけ雑な結界だからこそ必死で守りにくるだろう。

ひとつでも守護者が落ちれば、結界はすぐに破綻する。

おそらく、ごみの山の守護者たちは一番戦闘能力の高いものを一番に出してくる。

ひとつでも落としたらまずいのだから、一発目にすべてをつぎ込んでくる可能性が高い」

 さらに続けて人形がいった。

「少年、やばいと俺たちが判断したらすぐに戦いをやめて逃げると約束してほしい。

俺たちは一蓮托生。

少年が死んだら俺たちも終わりになる。

それはとても困るんだ。

俺たちには俺たちの目的がある。

もしも撤退したら少年の目的は達成できなくなる可能性が非常に高くなるだろう。

少年の人探しは失敗、人攫いを制裁することもできなくなるだろう。

ライドウが動いているからな。

しかし、約束してくれるというのなら俺たちは一生懸命サポートさせてもらう。

絶対に見捨てたりしない。

約束してくれないか?」

 アンヘルと人形が京太郎をじっと見つめていた。

仲魔たちにも目的がある。

その目的を達成するためには京太郎が生きていなければならないのだ。

京太郎が無茶な戦いを続ければ、当然目的が達成できなくなる可能性が高くなる。

そしてこれから立ち向かおうとする相手は仲魔の予想するところによれば、相手側の一番強い守護者である。

もしものときは京太郎の意地よりも自分たちの目的を優先させてほしいというお願いなのだ。


京太郎は少し考えた。

もしも仲魔立場だったらどうするだろうかと考えたのだ。

冷静が考える力をくれていた。

 京太郎は仲魔たちの気持ちがよくわかっていた。

元の世界に戻り空を飛びたいという人形。

人間世界を探索したいというアンヘル。

二人ともこの世界から出て行かなければ達成できない願いである。

その願いを達成するためには契約を結んでいる自分が生き延びていなければならないという話なのだから、命を大切にしろというのは当然の話。


 かといって、まったく命の危険がない方法だけを選んで、外に出て行くことはできない。

何せ、砦が外の世界への道をふさいでいるのだから。

命がけになるけれども、命を捨てるわけにはいかない。

少しでも安全策をとりたいと思うのはしょうがないこと。

 そして仲魔たちが、お願いをしてくるのもしょうがない。

京太郎は自分の戦い方が、頭のいい戦いではないとわかっているのだ。

サマナーらしくない無鉄砲なやり方。

京太郎は自分がアンヘルと人形の立場ならば、おそらく同じことを願っただろうと思った。

 京太郎はこのように答えた。

「わかった。

一番目の守護者との戦いで、どうやっても勝てないとはっきりしたらおとなしく逃げ出すよ。

だが、もしも勝てそうになかったらどうやって外に出るつもりだ? 

ライドウとかいうのを待つのか?」


 人形が答えた。

「ああ、それは気にしなくていい。

時間をかけていけばいいだけのことだ」

 京太郎は人形が何を言っているのかわからなかった。

「どういうことだ?

 時間が解決してくれるって話なら先に教えておいてくれよ」

 人形がこういった。

「熟成させることになるって話だな。

完成するまで修行するってことだよ。

ライドウがこの世界を見つけてくれるとは限らないからな。

自力で出て行けるまでずっと修行する」

 人形に続いてアンヘルがいう。

「そうですね、完成しちゃえばたぶん楽に終わります。

ただ、ブラウニーたちのところに戻っていって、気まずい空気に耐える必要がありますけどね。

修行したいから居候させてくれって」

 京太郎はぞっとした。

送り出してくれたブラウニーたちの集落に守護者にへこまされた自分が戻っていく姿を思い浮かべてしまったのだ。

あまりにも恐ろしい光景である。


京太郎たちの前には問題があった。

守護者を討ち取って結界を崩すという目的を達成したい。

そのためにはまず守護者と出会わなければならない。

しかし守護者は砦の外に出てきてくれない。

中に入ろうと思っても入り口がない。

ものすごく強い守護者が一番手に出てくるだろうという予想がついても、中に入れないのならば、どうしようもない。


 アンヘルと人形が困っていると、京太郎が

「よしわかった」

といった。

守護者を呼び出す方法を思いついたのである。

 京太郎は人形に質問した。

「なあ、どのあたりが一番弱いところなんだ?

 俺にはどこも汚らしいごみにしか見えねぇけど壁が薄いところがあるんじゃないか」

 人形が京太郎に答えた。

「まあ、これだけ雑な結界ならどこもかしこも弱いと思うぞ。

もしも無理に入ろうって話なら、やめておいたほうがいい。

悪魔の張っている結界だからな、見たままの内部構造はしてないぞ」

 京太郎はこのように返した。

「いや、それだけわかればいいよ。

ちょっと試したいことがある。

二人とも砦から離れてくれ」

 京太郎は仲魔を下がらせると集中し始めた。

京太郎の両手を包んでいる有刺鉄線のグローブが強く帯電して火花を散らしている。

 京太郎の後ろで様子を見ている仲魔たちは主人が何をしようとしているのか予想がついてしまった。

見ればわかる。

深く集中することで魔法の威力を高めている京太郎。

その前に立ちふさがる、守護者に合わせたくない砦。

 人形がつぶやいた。

「見逃してもらえないだろうな、たぶん」

 アンヘルが答えた。

「無理でしょうね」


集中を終えた京太郎が呪文を唱えた。

「ジオダイン!」

魔力を集中させることで強烈な火を生み出した怪物のことを京太郎は覚えていた。

自分自身に稲妻を打ち込む技が使えるのならば、魔力を集中させることもできるだろうと考えたのである。

 集中を重ねた稲妻は見事、砦をぶち抜いた。

もくもくと土煙が上がった。

ごみが稲妻で焼けたのか、いやなにおいが漂った。

 稲妻は守護者たちの気持ちなど少しも考えなかった。

稲妻は砦の入り口を作るなどとケチなことをいわず、砦の横っ腹を貫いた。

直径五メートルほどのトンネルが出来上がった。

トンネルはすぐに崩れた。

 砦は半分に切られたケーキのような状態になってしまっている。

 大量の赤いおたまじゃくしがとりでからあふれてきた。

マガツヒである。

雑なつくりで何とか形を成しているだけのところに強力な稲妻をぶち込むのだから漏れ出すのもしょうがないことだ。

 京太郎はとてもすっきりしていた。

崩れかけている醜い砦をみてさわやかな気持ちになっている。

ごみの山が外道の目的のために作られたと知ってから、ごみの山に強烈な嫌悪感を抱いているのだ。


 人形が京太郎に伝えた。

「少年、どうやら向こうから会いにきてくれたみたいだ。

ちょっとノックが強すぎたみたいだな。

くるぞ!」

 ぼろぼろの砦から守護者が現れた。

鎧武者だ。

身長二メートル。

鎧とかぶとを身につけている。

鎧武者の手には四メートルを超える大なぎなたが握られていた。

砦を崩した京太郎を討ち取るつもりなのだ。

京太郎と鎧武者は十メートルほど離れていた。

 鎧武者は京太郎をじっと見つめていた。

 京太郎はすぐにその視線に気がついた。

戦う相手から視線をきることはない。

 京太郎は鎧武者と目を合わせたときに不思議に思った。

「怒りがない?

 こんな無作法をした俺に、何も感じていないのか?」


目の中に力がないのだ。

憎しみだとか怒りだとかがない。

あまりにも感情らしいものがない。

すこしくらい、感情のリアクションがあるはずなのにそれがないのが、不思議なのだ。

 一方で、仲魔たちの動きはすばやかった。

アンヘルと人形は空に飛び上がり、鎧武者から距離をとった。

京太郎ならばまだしも二人の耐久力では一発で命を奪われる可能性が非常に高い。

ゾウマさんと京太郎のやり取りについていけなかった二人が戦場に割り込んでいくのは自殺と変わらない。

 二人の役割は京太郎のサポートである。

邪魔をしないことが二人の役割なのだ。

 二人のサポートを受ける京太郎はすぐに心を切り替えていた。

命の取り合いである。

油断して敗北したら、次のチャンスなどない。

 守護者と京太郎は、見詰め合ったまま動かなかった。

のんきに見詰め合っているわけではない。

二人の距離は十メートル。

二人にとって一歩でつめていける距離である。

 呪文を唱えたいところだが、二人とも唱えられない。

一秒未満の時間が、惜しいのだ。

二人とも一秒あれば、十メートルの距離をつめて相手の首を落とせる技量を持っている。

 かといってむやみに直接攻撃を仕掛けるには恐ろしすぎた。

守護者は京太郎の帯電する両手が恐ろしくみえ、京太郎は四メートルのなぎなたが恐ろしく見えていた。

どうやって攻略すればいいか、二人はそれを考え、動けない。


動きのきっかけになったのはアンヘルの弓矢での攻撃だった。

一対一ならばこのままにらみ合うことになるだろう。

しかし京太郎には仲魔がいる。

アンヘルは京太郎が動けなくなっていることを察すると、相手の油断を生み出すために弓矢での攻撃を仕掛けたのだ。

あたらずともかまわない。

弓矢をさばく、その瞬間に生まれる隙間を京太郎がつけばいい。

 守護者は弓矢での攻撃を回避した。

ほんの少し体を背後にそらして顔面を狙う弓矢を避けたのだ。

 京太郎から視線をきっていない。

切る必要さえない攻撃だからだ。

 なぎなたを使わなかったのは、回避したほうが京太郎に隙を与えないだろうと考えてのことである。

 万全の回避を鎧武者はとった。

 しかし、京太郎はわずかな体のブレを隙と判断した。

わずかな体のブレが、大なぎなたを振るうまでの遅れにつながるからだ。

 普通なら見逃すわずかな動きを京太郎はチャンスにかえた。

わずかに体が揺れたそのときを狙い、間合いをつめた。

京太郎が一瞬でつめた間合い八メートル。

四メートルのなぎなたを振るうには近すぎる距離。

相手の武器がなぎなたである以上間合いをつめてしまえば、満足に武器を振り回すことはできない。

京太郎はそのように考え、ほんの少しの隙が生まれたときには突っ込むと決めていた。

賭けに出る決意があったためにアンヘルの無言の支援を生かすことができた。


しかし京太郎は拳を打ち込めなかった。

守護者のカウンターが決まったからだ。

守護者のけりが京太郎の腹に入った。

守護者は自分の弱点をよくわかっていた。

「懐に入られたら面倒くさいことになる。

しかし問題はない。

懐に入りたいという敵の気持ちを理解した上で行動すればいい」

守護者にはその発想があったため、京太郎が懐に入ってきても簡単にカウンターを打ち込むことができた。

「入ってきやすいのならば、くればいい」

セオリーを狙い撃ちにしたのだ。

 鎧武者のけりを腹に受けて京太郎は六メートルほど吹っ飛んだ。

数十キロの重さがある人間の肉体などあってないようなもの。

怪物の力の前にはたいした重さではないのだ。
 
 京太郎はすぐに持ち直した。

痛みはある。

しかしそれだけだ。

腕が壊れたわけでもなければ、背骨が折れたわけでもない。

そして吹っ飛ばされた位置は鎧武者の攻撃範囲内である。

のんきに転がっていられない。

 即座に持ち直した京太郎を見て、鎧武者が大きな声を出した。

雄たけびだ。

何をしたのかはすぐにわかる。

ぼろぼろの砦から、マネキンの群れが現れた。

その数、十五体。

鎧武者は助けを呼んだのだ。

 マネキンを呼び出した鎧武者の心中は乱れていた。

一見すると鎧武者が優位。

人間では扱えない四メートルの大なぎなたを持ち、射程距離の優位を持っている。

そして京太郎の一撃に足でカウンターを入れる身体能力を持っている。


 一方で、仲魔の助けを借りても京太郎は攻撃を入れることができなかった。

行動を読まれて、きれいに打ち返された。

京太郎が押されていると見える。

それがやり取りの結果である。

 しかしこの結果を出してみて鎧武者は死の予感を覚えた。

「なんとなくいやな予感がする。動きをこれ以上見せたくない」

この予感が、過剰な戦力を用意するきっかけになった。

 砦からマネキンたちがぞろぞろと現れてくるのを見て京太郎は

「少ない」と思った。

要所を守っているというのに、この程度しか用意できないのかと思ったのである。


京太郎は鎧武者に向けて稲妻を放った。

マネキンを鎧武者が呼び出したことで、呪文を唱える隙が生まれたからである。

マネキンたちに稲妻が通じにくいことは京太郎も承知している。

鎧武者が稲妻に対して何かしらの対策をしてきているのだろうと予想もしている。

しかし、一応試してみないことにはわからないことがある。

 これは損傷を与えるための攻撃ではない。


 深化した京太郎の稲妻が鎧武者を捕らえた。

稲妻が走り、大きく土煙が上がる。

土煙で視界が悪くなった。

 京太郎は、自分の予想が正しいと判断した。

「間違いないな。

ジオダインの対策をしてきている。

おそらくゾウマさんが伝えたのだろう」

悪くなった視界の中で京太郎は耳を澄ましていた。

京太郎は敵の動く音を聞いていた。

稲妻が走った後、一秒ほどしてマネキンたちが動く音が聞こえてきた。

少し遅れて鎧武者が動く音が聞こえてきた。

鎧を着ているため、聞き分けるのは簡単だった。

 土煙が晴れると京太郎を囲うようにマネキンたちが広がりつつあった。

京太郎の真正面には鎧武者がなぎなたを構えて距離をじりじりとつめてきている。

マネキンたちが作ろうとしているのは円である。

土俵のようなものを作ろうとしているのだ。

なぎなたの有利を存分に使うための場を用意しようとしている。

 京太郎のサポートに回っている人形が叫んだ。

「少年! 囲まれるな! 詰むぞ!」

 京太郎は囲まれる前に地面に向けて、二つ目の稲妻を放った。

先ほどよりも大きく土煙が上がる。

目くらましである。


人形が悲鳴を上げた。

京太郎が何をしようとしているのか予想がついたからだ。

「やめろ少年! そいつには通じないぞ!」

土煙にかくれて京太郎は鎧武者に攻撃を仕掛けるはずと、人形は考えていた。

稲妻に対策がされた以上、相手の命をとるためには直接攻撃を仕掛けるしかない。

そのためにはなぎなたが邪魔だ。

邪魔ならばどうするのか。

使わせないようにするしかない。

そのためにはどうすればいいか、視界を奪えばいい。

見えなければ当てようがない。

その間に懐に入ればいい。

 この流れを人形はすぐに思いついた。


 しかしそれは、鎧武者も予想がついているだろう流れである。

あまりにもよくある方法だからだ。

 そして予想がついているのならば、カウンターを打ち込まれる可能性が高い。

先のやり取りだけでも鎧武者が高い技量を持っていることがわかる。

こんな方法ならば簡単に対応してくるだろう。

 先ほどは蹴られるだけで済んだが、今回失うことになるのは間違いなく命だろう。

絶好球を見逃すものはいない。

 そして京太郎が目くらましに一工夫するだろうというのも人形は予想していた。

たとえば、周りにいるマネキンを捕まえて、自分の身代わりに仕立てるというような工夫である。

優れた身体能力を持ち、成長した京太郎ならばできるだろうと人形は見ていた。


人形の予想は正しかった。


 鎧武者が土煙を風で払った。

鎧武者を中心にして風が吹いた。

風の魔法

「ガル」

の効果である。

目的は視界を確保するため。

そして、京太郎を迎撃する準備のためである。

 視界がはっきりとしたところで鎧武者が大なぎなたを横に振りはらう構えを取った。

自分に向けて投げ込まれてきたマネキンが、はれた視界の中に見えたからだ。

鎧武者はこれらを空中で断ち切るつもりである。

 投げ込まれてきたマネキンの数、五体。

これをなぎなたの横一線の攻撃で迎撃した。

マネキンたちは真っ二つになった。

 迎撃の勢いを殺さずに、大上段の構えになぎなたを鎧武者は持っていった。

投げ込まれた五体のマネキンの影に隠れて突撃してくるだろう京太郎を両断するためである。

 「懐に入りたいのならば、来るがいい。

こちらはそれを狙い打つだけのこと。

見え透いているのならしっかりと対応するだけだ。

絶好球を前にして力むようなこともない。

われらにそんな上等なものはない。

さあ来い。

回復などできないように両断してやろう」

と鎧武者は考えた。


鎧武者のカウンターに入るまでの流れは見事だった。

しかしすべてが段取りに入っていれば、難しいことではない。

仕事と同じだ。

その場その場で考えて動くよりも、パターンにはまっているもののほうがすばやく動いていける。

鎧武者の予想したパターンに京太郎の攻撃は見事にはまっていた。

 鎧武者が大上段に構えた瞬間、戦場を俯瞰するアンヘルと人形はぞっとした。

京太郎が鎧武者のカウンターを受け、両断される姿が予想できたのだ。

たてに切り裂かれてしまえば、即死である。

回復の魔法「ディア」では対応できない。

 仲魔の横槍は期待できなかった。

京太郎と鎧武者の動きはアンヘルの弓矢よりもすばやいからだ。


 空中で切り裂かれた五体のマネキンたちが地面に落ちる間に決着はついた。

 空を舞うマネキンたちの影から、鎧武者の予想通り京太郎が突撃してきた。

その動きはすばやかった。

突撃してくる京太郎めがけて、鎧武者の大なぎなたが振り下ろされた。

すべてが鎧武者の予想通りだった。

 しかし、大なぎなたは京太郎を捕らえられなかった。

大なぎなたの攻撃を軽いステップで京太郎が避けたのだ。

 それどころか、振り下ろされたなぎなたの刃を京太郎は強く踏み込んでみせた。

地面にめり込ませたのだ。

使わせないようにするためだ。

 一連の流れに驚いている鎧武者を尻目に三度目の稲妻が放たれ、土煙が舞った。

終わらせるためである。

 両断されたマネキンが地面に墜落する音が聞こえた。

 土煙が落ち着いてきた。

 戦いは終わっていた。

鎧武者の首が落ちている。

鎧武者から奪ったなぎなたで京太郎が首を落としたのだ。

 そして鎧武者の敗北のすぐ後、十体のマネキンの首が飛んだ。

京太郎を囲むために集まっていたところをなぎなたで狙われたのだ。


 京太郎が狙っていたのは鎧武者の命ではない。

京太郎が戦いの中で狙っていたのは守護者が持つ「大なぎなた」だった。

命を一番脅かすのはなぎなたであると感覚が叫んでいた。

 なぎなたを何よりも恐ろしいと判断した時点で、京太郎の戦いは薙刀の無力化を目指していた。

命を奪い結界を壊すのは大きな目的だ。

しかしその前になぎなたを奪うことでリスクを減らす努力をした。

仲魔たちのお願いがきいていた。

 ジオダインに対して対策をとっている相手にあえてジオダインを仕掛けたのは、ダメージが相手に通るかどうかを見たのではなく、相手がしびれるかどうかを確かめるため。

 二度目のジオダインを使い土煙を上げたのも、土煙に乗じてマネキンを投げ込んだのもなぎなたを無力化するための行動である。


 三度目のジオダインもダメージを与えるために打ち込まれたものではない。

しびれさせて武器を奪うために行われていた。

人間の腕力では扱えない大なぎなたを扱う力を持っていても、コントロールできないのならば奪い取るのは簡単だ。

 神業じみた回避を取れたのは段取りの中に入っていたからである。

 京太郎は二つ予想を立てていた。

 ひとつは、簡単に懐に入ることができる結末。

投げ飛ばしたマネキンに気を取られている間に楽に鎧武者の懐に入る。

そんな道。

 もうひとつは自分の攻撃を見切りカウンターを鎧武者が仕掛けてくる道。

 京太郎は、おそらくカウンターを仕掛けてくるだろうと思っていた。

一発目の見事なカウンターを受けた感覚からそう判断した。

 しかし実際は、どちらになるのかがわからないので京太郎は、どちらでもいいように心の準備をして突撃した。

心の準備だけしていけばいい。

何もかも段取りに入れた上で動けば、動きは非常に滑らかになる。

 京太郎のあまりにもわかりやすい作戦に鎧武者がカウンターを仕掛けたのと同じように。

 


戦いが終わると、京太郎はひざをついた。

京太郎の顔から血の気が引いている。

仲魔たちがすぐに京太郎のもとへ飛んできた。

人形が声をかけた。

「大丈夫か?

 顔色が悪すぎるな。

おそらく、魔力を使い切ったせいだろう。

上級呪文をあんなにパカパカうてばそうなるさ。

ちょっと待ってろよ、俺の魔力を分けてやる」

 京太郎は少しだけ気分がよくなった。

京太郎に触れている人形が魔力を分けてくれたからだ。

 人形が京太郎に言った。

「これで少しはよくなるだろう。

しかし無理はするなよ。

少年は自分のことだからわからないかもしれないが、戦い続ければ、心が消耗していく。

こればかりは魔法でどうにもできない。

肉体だとか、魔力ならばどうにでもできる。

だが心は別だ。

消耗すれば時間をかけるしか回復させる方法がない。

魔法は万能ではないんだ」

 京太郎は人形に言った。

「わかってるよ。

変な気分だ。

体力は有り余っているが、それだけだ。

感覚と肉体に温度差がある」

京太郎は自分の胸に手を当てた。

言いようのない焦りのようなものを胸の奥に感じていたからだ。

京太郎はこの感覚を、心が消耗するという状態なのだと捕らえている。

 アンヘルが京太郎の肩を抱いた。

安心させるためである。

 人形がふわふわと浮き上がり、京太郎に言った。

「なあ、少年。

落ち着いていないところで申し訳ないが、少し試したいことがある。

思いついたことがあるのよ。

もしかしたらさらに少年の力を高めることができるかもしれない。

そのために少年のピアスと腕輪と、守護者から奪った薙刀が必要になるのだけれども。

どうだろう、任せてもらえないだろうか?」

どことなく、わくわくしているような調子だった。

 
京太郎は

「任せる」

といった。

ピアスと腕輪をはずして、大薙刀を手放した。

ちょっと変わった仲魔だがそれなりに信用しているのだ。

 人形は喜んだ。

「よし、じゃあすぐに始めよう。

こういうことは早いほうがいい。

さっさとやろう。

そうしよう。

少年、ちょっと右手を伸ばしてくれ」

 テンションの高い人形に右手を伸ばした。

 すると人形が呪文を唱え始めた。

人形の呪文にあわせて、右手の中指に収まっている指輪がうごめきだした。

金属の蔓がたこの足のようにうねっている。

 京太郎の右手が痛み始めた。

右手から血が流れた。

指輪に生えている金属のとげが、京太郎の右手に深く刺さっているからだ。

指輪が宿主の血を吸っているのだ。

 右手に収まっている指輪は京太郎の血だけでは物足りないらしく、ピアスと腕輪と大薙刀まで喰らった。

あっという間に、ピアスと腕輪と大薙刀の形が有刺鉄線の蛸足に飲み込まれて消えてしまった


用意した餌をすべて食べてしまうと指輪は元の形に戻っていた。

人形がいった。

「これで出来上がったはずだ。

ごめんな少年。

できるだけ痛くしないようにしたが、その顔じゃあ、大分痛かったよな。

まあ、出来上がったものを見て、許してくれ。

痛みの分だけ強くなっているはずさ。

たぶん」

 少し不安になる言い草であるが、京太郎は人形の言うとおり出来上がったものを見てみることにした。

見てみないことにはどうにもしようがない。

 京太郎が戦う意思を持つと指輪の形が変わった。

金属の蔓がうごめいて、京太郎の右腕を包み込んだ。

先ほどまでと違うのは、有刺鉄線のような金属の蔓は右腕だけしか包まなかったことだ。

 有刺鉄線に包まれている右腕を見て京太郎は怪物の右腕だと思った。

有刺鉄線で作られた右腕は大きかった。

人間の身長というのは両手を広げた大きさと大体同じだという話がある。

もしも有刺鉄線が作った右腕と同じサイズの腕を持つ人間がいたとしたら、身長は三メートル近い理屈になる。

長いだけなら人間にもいるだろう。

問題なのは長さだけではない。

 右手の爪だ。

五本の指には小刀サイズの鋭い爪が生えていた。

人の爪でもなければ、腕でもない。

怪物だ。

 そして京太郎は、奇妙だとも思った。

右腕が自在に動くのだ。

明らかに自分のものでない延長された腕が動くのだ。

しかも自分の右腕のような感覚がある。

おかしなことだ。


人形が京太郎に言った。

「いい具合にチューニングできたな。

ブラウニーたちの贈り物は少年と相性がいいらしい。

まあ、俺の腕がいいってのもあるけどな。

自分でもびっくりしたわ」

 人形がのんきなことをいっていると、砦が大きな音を立てて崩れた。

守護者が失われたため、形を維持できなくなったのだ。

 首を失った守護者に京太郎は視線をやった。

「不思議な相手だった。

ゾウマさんと同じような不思議な目をしていた。

そして、何だろう、この気持ちは。

言いようのない気持ちがわいてくる」

と京太郎は思う。


 守護者のなきがらは光に包まれて消えてしまった。

京太郎は驚いた。

死体がなくなることなどいままでなかったからだ。

京太郎の肩を抱いているアンヘルが教えてくれた。

「造魔は命を失うと、ドリーカドモンに戻るのです。

悪魔の中でも特殊な悪魔ですから、ちょっと事情が違うんです。

見えるでしょうか、守護者がいたところに人形みたいなものがあるでしょう?

 あれがドリーカドモン。

造魔を作るために必要な道具です」

 光が収まったところには、壊れた奇妙な人形が落ちていた。

前衛芸術のセンスを取り入れた人形である。

京太郎の仲魔の人形とは少し趣が違っていた。


守護者のなきがらが消えてしまった後、砦から大量のマガツヒがあふれ出した。

結界を担当する守護者のひとつが落ちたことで、結界の形が保てなくなったのだ。

そして形が保てなくなったため溜め込んでいたマガツヒが流れ出してしまった。


 マガツヒが流れ出すと、風が吹き、よどんだ空に光が差し込んできた。

ブラウニーたちのような弱い悪魔たちが暮らす世界がごみの山を排除するために、動き出したのである。

あるべきものがあるべき形へと戻ろうとしているのだ。


 京太郎の視界が真っ赤に染まった。

砦からあふれたマガツヒの流れが京太郎を飲み込んだのである。

人形が京太郎の胸に飛び込んできた。

そしてアンヘルが京太郎を抱きしめた。


 マガツヒの濁流が収まった後、ブラウニーたちの世界から異物の一切が消えうせた。

曇っていた空は晴れ、よどんでいた水は流れ始めた。

耐え切れない臭いもなくなっている。

ゴミもなければ、マネキンも、当然ガキどももいない。


 そして、京太郎たちもブラウニーたちの世界から消えていた。

今日はここまで

次は来週の土曜日です。

ちょっと早いですが、続きから。


マガツヒに飲み込まれた京太郎が思ったのは

「ひどいにおいがする」

だった。

目の前が真っ赤に染まったすぐの話だ。

京太郎は、目が見えないことよりも、気分の悪くなる臭いがどうしても気になってしょうがなくなっていた。

この臭いがどういうものが発しているのかに京太郎は気がついている。

そのためにひどい臭いだという以上の嫌悪感がわいていた。

胸がざわつく臭いである。


 マガツヒの濁流が視界をふさいでいて見えないけれども、京太郎は気分の悪いごみどもに囲まれているのだ。

 マガツヒの濁流は一分ほどして収まった。

 マガツヒの濁流が収まるとすぐに京太郎は自分がどこにいるのかを確認した。

まずは状況を確認しなければ、どうしようもないからだ。

敵に囲まれているのか。

それとも安全などこかにいるのか。

目が見えなくなってしまったために状況がさっぱりわからないのだ。

これは困ったことである。

次につなげることができない。

 京太郎は周りを見渡してとても驚いた。

今まで自分がいた場所とはまったく違ったところに自分たちがいたからである。

京太郎は自分が動いたというような気持ちがしていなかった。

マガツヒが邪魔をして前が見えなくなっていただけだと思っていたのだ。

体に触れられた気もしなかったのだからおかしなことである。


京太郎たちは穴の中にいた。

穴といっても落とし穴のようなものではない。

ぶち抜かれた縦長の空間といったほうがいい。

四方が鉄で作った壁で囲われている。

壁の高さは三十メートルほど、たてと横の長さはほとんど同じで、一辺が二十五メートルほど。

ゴミ処分場の焼却炉というのを見たことがある人がいれば、それとそっくりなことに気がつくだろう。

 状況をのみこんで余計に京太郎は困った。

状況はわかるが、どういう理屈なのかがわからないのだ。

今までは空があり、地面があった。

しかし今は、上には天井と、つめのついたクレーン。

下にはごみの山、四方は鉄の壁が囲んでいる。理解が追いつかない。

 そんな京太郎の混乱を見抜いて人形が教えてくれた。

「どうやら、的中していたみたいだな。結界が機能不全を起こしたんだ。

四つで安定していたものが、ひとつ落とされて、不安定になった。

何とか取り繕うために三つで安定する形をとった。

だが、あまりにも急いで仕事をしたせいで、周りの者を一緒に連れてきてしまった。

俺たちのことだ。少年」

 京太郎に引っ付いていた仲魔たちが離れた。

もう、離れ離れになることはないからだ。

仲魔たちは結界が壊れたときに離れ離れになる可能性を考えて、引っ付いていたのである。

 京太郎が人形にたずねた。

「もしかして、守護者がすぐ近くにいるのか?」


人形が答えた。

「ああ、近くにいる。

俺たちを引き込んだことにも気がついているみたいだな。

直線距離で二百メートルほど離れたところに、強いマグネタイトの揺らぎを感じた。

さっき少年が倒した守護者と同じような波長だ。おそらく、間違いないだろう」

 続けてこういった。

「休ませてやりたいところだが、無理そうだ。

守護者が何かを送り出してきやがった。

守護者よりもマグネタイトを保有している。

かなりでかいぞ。五メートルくらいか?」

 京太郎は何もいわなかった。

指輪に命じて怪物の右腕を作り出した。

右手の中指に納まっている指輪がうごめいて、京太郎の腕を包みこんだ。

右腕を包み込んだ有刺鉄線が京太郎の腕を延長する。

有刺鉄線が作った右腕の指には小刀のようなつめが五本生えていた。

戦うと決めて、動き出したのだ。

いちいち泣き言などいっていられない。京太郎は思う。

「来るならこい、討ち取ってやる」

 人形がいった。

「これが終わったら、ゆっくり休もう。

少年、俺たちにはわかるんだ、少年の消耗が」

 京太郎は返事をしなかった。

巨大な肉の塊が落ちてきたからである。

落ちてきた衝撃で、足元がおぼつかなくなった。

四方を囲んでいる鉄の壁の高さ、二十メートルほどのところが開いている。

ごみを放り込むための出入り口の役割をしている出入り口だ。そこから落ちてきたのだ。

 京太郎は落ちてきたものをはっきりと視界に納めて、眉間にしわを寄せた。

京太郎は、肉の塊を見て醜いと思った。

肉の塊は、結果的に肉の塊になっているだけで、おそらく少し前は人の形をしていたのだろうと予想がついたのだ。

人の手だとか、悪魔の足だとかがいろいろと固まって、大きな肉の塊を作っていたのである。

京太郎はその大きさと醜さに思考が追いついていかなかった。

 京太郎は吐き気を覚えた。

マネキンに悪魔の一部を突っ込んでいたのを見たことがあったが、あれを突き詰めていけば、こういう形になるのではないかと考えたのだ。


 直径約五メートルの巨大なミートボールが回転を始めてごみを巻き上げた。

回転しながら、ここまで来たのだろう。

 しかしなかなか勢いがつかない。ゴミくずが、勢いを殺しているのだ。


ガゴガゴと奇妙な音が聞こえてきた。

音は京太郎の頭上から聞こえてきている。

 京太郎が、音のするほうを見た。

目の前のミートボールを京太郎は恐ろしいと思っていないのだ。

ガキの集団に襲われたときのような感覚しかない。

だから視線をきるようなことをした。

 肉の塊が飛び出してきた扉が元の形に戻れずにいったりきたりを繰り返しているのを京太郎は見つけた。

無理やりに大きなものが通ったせいで、扉のフレームがゆがんだのだ。


 京太郎は仲魔たちに命じた。

「二人とも、空中から支援を頼む。

あのミートボールの体当たりを食らったら、二人とも一発アウトだろ?」

 アンヘルと人形が飛び上がった。

京太郎の命令を聞いたというのもあるが、言われなくとも二人は自分の役割を理解していた。

そして自分たちの耐久力ではミートボール相手にどうしようもないということもわかっている。

 京太郎は動き出そうとして、少し困った。

足元が悪いのだ。京太郎の足元はごみの山である。地面ではないのだ。

思い切り踏み込もうとしてもごみが崩れて、しっかりとした反応を返してくれない。

ドンくさい巨大ミートボールを切り裂こうとしても踏み込めないのだからどうしようもない。

スピードの有利を生かせそうにないのだ。

 ジオダインを使うことも考えたが、京太郎はうたなかった。

温存したわけではない。魔力が足りていないのだ。

先ほどの鎧武者との戦闘で許容できないほどのジオダインを放っている。

何とか仲魔の支援で行動はできている。しかしやっとやっとの状態である。

感覚的にこれ以上ジオダインを使えば、危険な状態に突入するだろうと京太郎は予想していた。

ひざを突くくらいではすまないことになると。

 巨大な肉の塊が回転の勢いを強めてきた。

やる気だ。

足元が悪かろうが、回転してぶつかれば攻撃となるのだからこんなに便利なことはない。

質量に物を言わせて、勢いをつけて削りつぶすつもりである。


京太郎は肉の塊に跳ね飛ばされた。

つぶされてはいない。

勢いをつけて突っ込んできた肉の塊に右腕をたたきつけて、何とかつぶされることを回避したのである。

しかしダメージを受けている。鉄の壁にぶつかって、衝撃を受けた。


 すぐにアンヘルが回復魔法の支援を送った。

 一方的な展開なのかといえばそうでもない。

高速回転する相手にも京太郎の攻撃は通っている。

ミートボールから血が流れ出している。

 怪物の右腕の攻撃で肉の塊は深く切り裂かれていた。

小刀のような五本のつめと、京太郎の腕力の威力である。

回転と質量に頼った攻撃にも歯が立つのだ。

 しかし見る見るうちに肉の塊は元の形へと戻っていった。

回復魔法「ディア」の効果である。

アンヘルが使ったのではない。

守護者である。二人目の守護者が、離れたところからこの肉の塊に支援を送っている。

二百メートル程度の距離など無いようなものなのだ。

 鉄の壁にぶつかった京太郎は、空中で待機している仲魔に命令を出した。

「二人ともこいつが落ちてきた入り口で待ってろ!」

 アンヘルと人形は京太郎が何をしようとしているのかがわからなかった。

二人の頭はミートボールの攻略に回っていたからである。

 しかしフヨフヨと空中を移動した。命令だからだ。

わからなくとも命じられたら動かなくてはならないのが、契約した悪魔の運命である。

 ミートボールが再び回転し始めた。京太郎をひき潰すつもりである。

ミートボールと守護者は何度でもこれを続けるつもりだ。

とんでもない耐久力を持つ肉の塊と、回復を行う守護者。

これが一番効果的なのだ。やられる身になるとつらい。

 守護者が取れる正しい方法だった。

守護者はなんとしても京太郎と出会いたくない。

京太郎がここにいるのは、一番強い守護者を京太郎がつぶしたという証拠だ。

出会いたくないのはしょうがない。

出会えば間違いなく京太郎に狩られるのだから。

 二回目の攻撃に向けて、回転を高めていくミートボールを京太郎は無視していた。

視線をきって、アンヘルと人形のいる出入り口をにらんでいる。

 何度か鉄の壁を京太郎はつま先でけった。硬さを確かめているのだ。

「よし」

と京太郎は言った。


二回目の回転を伴った突撃が京太郎を狙うが、あたらなかった。

京太郎が鉄の壁を足場にして回避したからだ。

巨大ミートボールは鉄の壁に激突した。

 壁を足場にして攻撃を回避した京太郎は、それだけでは止まらなかった。

京太郎は、ごみに着地せずに、四方を囲む鉄の壁のひとつに着地したのである。

猫のような身のこなしだった。

 めんどくさそうな相手ならば、戦わなければいいだけのこと。

消耗戦をやりたい相手に、付き合ってやるやさしさなどないのだ。

戦闘を回避して、守護者だけを京太郎は狙い打つつもりである。

四方が、鉄の壁で、高いところに出入り口があるというのならば、そこまでいけばいいだけのこと。

 三角とびの要領で壁を足場にして高さ二十メートル先の出入り口を京太郎は目指した。

落ちていく前に重力を振り切って、飛ぶ。

そしてまた鉄の壁に着地して、重力を振り切りさらに高く飛ぶ。

これを繰り返した。

 四方を囲む鉄の壁を足がかりにして、どんどん上っていった。

ダン、ダン、ダンと鉄をたたくブーツの音が聞こえたかとおもえば、あっという間にアンヘルと人形が待ち構えている出入り口に到着して見せた。


戦いを潜り抜けた京太郎に与えられた身体能力が、彼の発想を現実のものにしたのだ。

 人形がいった。

「サルか?」

 呆然としている人形とアンヘルを尻目に、京太郎は下を見た。

厄介な相手がここで終わってくれることを期待したのである。

落ちてくることはできるだろうが、あの巨体では追ってこれまいと。

 京太郎は少しだけがっかりした。

京太郎が、追ってこれないだろうと下を見ていると、頭の上から機械の動く音が聞こえてきたのである。

京太郎が不思議がっていると、天井から大きな鉄のつめが降りていった。

クレーンの一部である。

そして鉄のつめが、肉の塊をしっかりとつかんだ。

ゲームセンターで景品をつかむような調子だった。

そして肉の塊を引き上げ始めた。何を目的としているのかはすぐにわかった。


京太郎はミートボールが通ってきた道を見た。まっすぐな道だった。

ごみを捨てるために使っていたのであろう、傾きがある。上り坂だ。

 京太郎が仲魔にきいた。

「俺が走るのとお前たちが飛ぶのとではどっちが早い?」

 アンヘルが答えた。

「空を飛ぶなら、私たちのほうが早いと思います。

狭いところを飛ぶのなら、間違いなくマスターのほうが早いでしょうね」

 人形も同じ意見だったらしく、うなずいていた。

 京太郎は、二人に命じた。

「二人とも俺にしがみつけ、守護者のところまで走る」

 怪物の右手を引っ込めて京太郎は身軽になった。

ここからは、どれだけ早く守護者にたどり着けるかが勝負になるからだ。

でかい右腕はバランスを崩すのでふさわしくない。

壁を飛び上がっているときに気がついたことである。

 京太郎の背中にアンヘルが子供みたいにしがみついた。

足をしっかりと京太郎の胴体に絡みつかせている。

京太郎が走る邪魔にならないようにしているのだ。

人形はアンヘルの胸元に突っ込まれている。

守護者の下まで走る準備が整った。

 準備が整うとすぐ、京太郎は走り出した。

競争相手の準備を待ってやる必要などない。

 京太郎のスタートから三秒ほどおくれて、ミートボールが出発した。

京太郎をひき潰すためである。
 

 三秒の有利は京太郎の助けになっていた。

京太郎はあっという間に坂道を駆け抜けた。


 坂道を登りきったところで京太郎は不思議な光景を見た。

坂道は外に通じていたのである。

しかし不思議な光景だった。

京太郎が見つけたのは、奇妙な空と、奇妙な病院のような建物である。

病院があるというだけなら特別不思議なことはない。不思議なのはその見た目である。

統一感がないのだ。病院として活躍しているだろう建物をいろいろなところから引っ張ってきたような印象がある。

パッチワークされているといったらいいかもしれない。

 そして空の色である。白と黒が混じらないでよどんでいるのだ。

灰色ではなく白と黒がせめぎあっている。

自然界ではこんな空の色にはならないだろう。

気分が沈んでいる印象派の画家が空を書いたら、こんな空になるだろう。


人形が京太郎に言った。

「少年、守護者はこの病院の中にいる。マグネタイトの波長を、しっかりと感じ取れる。

どうする? 突っ込むか?」

 京太郎が答えた。

「当たり前だ。そうしなきゃ、いつまでも追いかけっこをしなきゃならならん!」

 湿り気を含んだ音が徐々に近づいてきていた。

ごみ焼却場に続く道の向こうから、肉と金属がぶつかる音が聞こえてきている。

肉の塊が追いかけてきているのだ。

 京太郎は病院に突入した。守護者を討ち取るためである。


 パッチワークされた病院の玄関ホールに入った京太郎は奇妙な音を聞いた。

ガシャン、ガシャン、ガシャンと何か重たいものが落ちる音がしたのである。

 気持ちが悪いと京太郎は思った。

たいしたことのない音のはず。物が落ちたというだけのことのはずだ。

しかしたいしたことがないものでも、状況が違えば感じ方も変わる。

心が不安定だと風の音が人の叫び声に聞こえたり柳の木が幽霊に見えたりするようなもの。

人気のない病院の玄関ホールなどは不気味に感じられてもしょうがない。

 アンヘルの胸元に突っ込まれている人形が、京太郎にこういった。

「少年。どうやら守護者は上にいるらしい。階段を探せ。

少年が階段を探している間に、俺は守護者の詳しい居場所を突き止める」

 人形が言ってすぐ、京太郎は走り出した。

背後から追いかけてくるものがいるからである。

直径約五メートルの肉の塊が、湿った音をさせながら京太郎を追いかけてきているのだ。

すでに玄関ホールの入り口まで迫っていた。

 京太郎はすぐに階段を見つけた。螺旋階段である。

まっすぐ上に向かって伸びていた。

簡単に見つけられたのは病院の内部構造がとてもユニークだったからである。

病院の外側を見たときにも奇妙なガラクタの寄せ集めになっているという印象があったのだが、内部もそれに負けないくらいに寄せ集めで作られていた。


 この寄せ集めの建物の内部で、螺旋階段の周りだけが規則正しく配置されていた。

この建物を使っていただろう存在が整えたのだ。


京太郎は階段を一気に駆け上がっていった。落ち着いている時間などない。

大きなミートボールが玄関ホールの入り口を粉砕して、京太郎を追いかけてきている。

湿った音がホール全体に響いて気持ちが悪い。

 螺旋階段を半分ほど京太郎が駆け上がったとき、人形が大きな声を出した。

「ここだ少年! ここにいるぞ!」

 京太郎は人形の導きに従って、守護者が待ち構えているフロアの廊下へ飛び込んだ。

少しも疑わない。巨大な肉の塊が追いついてくる前に、守護者を始末しなければならないからだ。

考えている時間がもったいない。

 京太郎は眉間にしわを寄せた。京太郎は自分の行く道をさえぎる障害物を見つけたからである。

金属の壁が京太郎を守護者に近づけまいとして立ちふさがっている。防火シャッターである。

 京太郎は防火シャッターは三枚あると考えた。

玄関ホールで聞いたガシャン、ガシャンという音の正体に思い当たったのだ。

 アンヘルが京太郎の背中から降りた。

ここからは走る速さよりも、京太郎の攻撃の早さがものをいうようになるからだ。

背中にアンヘルがいると邪魔になる。

 右腕を怪物の腕に変化させて、すみやかに京太郎は防火シャッターへ挑みかかった。

まったく後のことなど考えない必死さだった。

呼吸さえ忘れて右腕を振るった。

当然のことだ。もしも巨大な肉の塊に追いつかれたら、どうしようもなくなるのだから。

 防火シャッターを小刀のような爪があっという間に切り裂いた。

障子でも破くような簡単さだった。

 これを成し遂げた京太郎は滝のような汗を流していた。

心臓は破裂しそうなほど高鳴っている。

ペース配分を考えていないのだ。

 余裕などない。

京太郎の背後、螺旋階段がきしむ音が聞こえているからだ。

 肉の塊が、徐々に距離をつめてきていた。

幸いなのは、螺旋階段の横幅が狭いことだ。

大きすぎる肉の塊の勢いを階段の構造がそいでくれている。

肉の塊が大きすぎて、螺旋階段をうまく通れないのだ。


一枚目の防火シャッターを切り裂いた京太郎は

「やっぱり」

と思った。

京太郎の予想したとおり、二枚目の防火シャッターが下りていたのである。

 京太郎は二枚目の防火シャッターに挑みかかった。

息は切れているけれども、まだまだ気力は残っている。

 アンヘルが弓矢を構えた。守護者が潜んでいるフロアに、肉の塊が到着したからである。

 幸い、肉の塊は勢いが完全に死んでいる。

肉の塊の回転は広い場所でなければ通用しないのだ。

狭い螺旋階段を上ってくるには勢いを殺さなければならなかった。

そして、廊下の天井が三メートルほどしかないのも京太郎たちを助けてくれている。

肉の塊の大きさでは、廊下は狭すぎるのだ。

 アンヘルは少しでもこの肉の塊の勢いを弱めるため、弓矢での攻撃を仕掛けるつもりである。

命令は受けていない。

しかしできることはする。

そう約束した。

 二枚目の防火シャッターを京太郎が切り裂いたとき、肉の塊が一枚目の防火シャッターに激突した。

アンヘルの弓矢での足止めも、尺の足りない天井も、肉の塊はまったく気にも留めなかったのだ。

物量と悪魔の持つ怪力に物を言わせて、突っ込んできた。

しかし勢いは自在に動けるときよりもずっと遅い。

狭すぎるのだ。

 しかし、京太郎たちは無事だった。

すでに三枚目の防火シャッターへと挑んでいるからである。

肉の塊は、一枚目と二枚目の防火シャッターを完全に破壊しなければ、京太郎を押しつぶすことができない。

自分たちが通れるくらいの大きさしか、シャッターを切り裂いていないのだ。

相手が通れるほど大きく切り裂いてやるやさしさなどない。

 三枚目の防火シャッターを京太郎が切り裂いた。

京太郎の腕力と、怪物の右腕がかみ合えば、防火シャッターだろうと切り抜けられるのだ。

命がけなのだから、余計に力も入る。

 京太郎は肩で息をしていた。

呼吸を忘れて、攻撃に徹したというのもある。

しかしほかにも原因がある。


ひとつは怪物の右腕を完全に扱いきれていないこと。

怪物の右腕と出会ったのは、つい先ほどのことだ。

確かに自分の右腕のような気安さがある。

しかし、どうしても重心がずれ、体の動かし方が変わってきてしまう。

新しい靴を履いたときのような違和感が、怪物の右腕を振るうときにある。

靴擦れするように、怪物の右腕を使うたびに消耗してしまうのだ。

 もうひとつの原因は、後ろから迫ってくる肉の塊である。

魔力が切れつつある京太郎と肉の塊はとても相性が悪い。

無理をして稲妻を放つとひどい消耗につながる現状では京太郎の攻撃手段は怪物の右腕だけに限られる。

相手がただのマネキンだとか、守護者ならばいい。首をはねれば終わるのだから。

 しかしこの肉の塊はいくら削り飛ばしても、致命傷にならない。

表面だけが削れて、それだけである。

しかも回復魔法の支援を送られているため、削りきれない。

稲妻で焼きたいところだが、表面を焦がすだけにとどまる可能性が高い。

でかいからだ。

消滅させられなければ、焼けたミートボールにつぶされるだろう。

仮にしびれたとしても勢いまで殺せなければ意味がない。

 こんな相手とはやっていられない。相性が悪すぎる。

そして今のように、狭い場所に入り込んでいる状態だとなおさらである。

 追い詰められたら間違いなくつぶされて、おしまいである。必死にもなる。

この焦りが、京太郎に更なる消耗を強いるのだ。

 
 肉の塊が二枚目の防火シャッターにぶつかった。

一枚目の防火シャッターは、肉の塊の物量と、悪魔の怪力がつくる回転の勢いで壊されてしまった。

 二枚目をすりつぶすために、肉の塊が回転を始めている。

 肉の焼けるにおいが漂ってきた。自分の体が削れたとしても京太郎の命をとるつもりだ。

 三枚目の防火シャッターを切り裂いた京太郎の前には、扉があった。

豪華なつくりである。院長という名札がかかっている。

人形がいった。

「よくやった少年。この扉の向こうに、守護者がいる。気を抜くなよ」

 
豪華なつくりの扉は、あっという間に見る影もなくなった。

京太郎が蹴ってせいだ。ドミノが倒れるようにバタンと倒れて、粉々に砕けた。

 部屋に入った京太郎は歓迎を受けた。

守護者の攻撃である。

スーツを着た男の守護者が拳銃を構えていた。

そして京太郎を狙い撃ちにした。

京太郎の胸に銃弾が六発打ち込まれた。

 決着は早かった。銃弾に京太郎がまったくひるまなかったのだ。

銃弾を受けた京太郎は一気に間合いをつめた。

そして守護者の腹部に怪物の右腕を叩き込んだ。

怪物の右腕は簡単に守護者を貫いた。

攻撃の勢いが死なず、京太郎は守護者を持ち上げる形になってしまっていた。

守護者の口から血が流れた。即死である。

あっという間の出来事だった。

アンヘルの回復が行われたのは、守護者が持ち上げられてからのことだった。

 京太郎と、守護者の目が合った。

右腕を引き抜こうとしたときに、目が合ったのだ。

 京太郎は、

「またか」

とおもった。

「こいつも、ゾウマさんたちと同じだ。まったく何もない。

必死になって俺を遠ざけていたのは死にたくないからだと思っていたが、違うらしい。

何だこの目は。これから死ぬというのに、何もない。

気に入らない目だ」

 息絶えた守護者と見詰め合っていると、廊下から大きな音が聞こえてきた。

肉の塊が、二つ目のシャッターを壊したのだ。

肉の塊はのろのろと回転して、三枚目の防火シャッターへ向かっている。

 京太郎はあわてて守護者の体を引き抜いた。

残った敵を始末しなければならないからだ。

回復を担当していただろう守護者が消えた。

そして肉の塊の勢いが死んでいる。

京太郎に勝機が見えている。

 肉の塊は、三枚目の防火シャッターの手前にたどり着いていた。

これから回転数をあげていき、三枚目の防火シャッターを壊すつもりだ。


しかし肉の塊は、京太郎たちを押しつぶすことはできなかった。

怪物のような右腕を京太郎が槍に見立てて、突っ込んだからだ。

そして、深く突き刺さったところで稲妻を放った。

無理やりに引き出した魔力をつかったのだ。ここが使い時だった。

深く突き刺さった右腕から、稲妻がほとばしり肉が内側から焼けた。肉の塊はもう動かない。


 肉の塊を焼き尽くしたところで、京太郎はめまいに襲われた。

人形が京太郎をしかった。

「無茶をするなっていっただろうが!

 今の行動でマグネタイトまで消費した!

 魔力を補給しても減るものは減るんだぞ!」

 人形が京太郎に触れた。

限界を超えて魔力を解き放った京太郎に魔力を渡すためである。

 息が切れている京太郎をアンヘルが支えて、豪華なイスに座らせた。

休ませるためである。

 守護者のなきがらが消え去っても大きな変化は起こらなかった。

 小さな変化はあった。あたりが真っ暗になったのだ。夜になったようだった。

 ためしにアンヘルが照明のスイッチを入れてみると電気がついた。

どうやら、電気が通っているらしい。

ごく普通の家庭のように電気が通っているのか。

それとも病院に設置されている発電機から引かれているのかはわからない。

 人形がいった。

「一人目の守護者を始末した時点で、結界はほとんど壊れていたのさ。

前みたいに大きな変化はおきないとおもうぜ。

しかし現世にたどり着いたってことではないだろうな。

俺の感覚的には現世によく似た異界ってところだろうな。

空間を曲げていろいろとやっているみたいだし。

 まあ、細かいところはいい。これでほとんど外に出られたようなものさ。

後は現世に近い場所を見つけて、抜けていけばいい。

もちろん、少年の願いもかなえるために働くぜ。

さらわれた人間を見つけよう。そういう約束をしたからな。

でも、俺たちとの約束も忘れんなよ。俺たちがムリだと思ったら、そこで探索は終了だ」

 続けて人形がいった。

「まあ、ちょっと休んでろよ。アンヘルと俺で、手がかりを探してみる。

心の消耗を自分でも感じているだろう? ひどい顔色になっている。

守護者を始末したとき、心が乱れたのを俺は知っているぞ。

余裕がなくなっている証拠だ。

おとなしく休んでおいてちょうだいな。

少年が万全なら、何だってやっていけるさ」

 などといって、家捜しを始めた。


京太郎はおとなしくいすに座って休んでいた。

人形にいわれるまでもなく、自分が今までにないくらいに疲れていることを感じているからだ。

特に肉体よりも心が消耗しているのがわかる。

心がすさんでいるのだ。二人目の守護者を倒したときに心があらぶったのを覚えている。

 雨が降り始めているのに京太郎は気がついた。

音が聞こえてきたのだ。パタパタと窓ガラスを雨が打っている。

 京太郎はいすから立ち上がって、窓に近づいていった。

外を見てみようと思ったのだ。

 しかし外の景色はうまく見えなかった。

外が暗く中が明るい状態であるから窓ガラスが鏡みたいになっている。

 自分の顔に手を当てた。凶悪な面構えの自分が、窓ガラスに映っていた。
 
戦いを潜り抜けた結果だ。ほほがこけて、獣のような鋭い目に変わってしまっている。

自分の顔を見て恐ろしい顔だ、などと思う日が来るとは京太郎はまったく考えもしなかった。

 自分の昔の顔を京太郎は思い出そうとした。

自分顔はこんなに恐ろしい顔だっただろうかと不思議に思ったからだ。

ここまで激変するものかと。

 京太郎は不思議な気持ちになった。

昨日までの自分の顔を思い出そうとすると胸がざわつくのだ。

何か、いやな気持ちがする。

 それ以上考えなかった。これ以上考えれば、更なる消耗につながるだろうと考えたからである。

 イスにおとなしく京太郎は座った。

アンヘルと人形が

「休んでろっていったよなぁ?」

というような目を京太郎に向けていたからである。


 イスに座っている、ぼんやりとした京太郎の耳に、アンヘルと人形の会話が聞こえてきた。

人形が何か見つけたらしい。

「アンヘル、これみてみ」

 人形の見つけたものをアンヘルが調べて驚いた。

「あら、すごいですね。全部そろってます。

オリジナル版の絵本って、結構なお値段するんですよね。

かさばりますし。最近だと電子書籍でそろえるのが普通でしょうに。

ファンなんでしょうかね」

 人形がわくわくしながらいった。

「俺、この絵本好きなんだよ。ストーリーもいいし、登場人物もいい。特にグウェンドリンがすきなんだ」
 
 アンヘルが応えた。

「私はメルセデスちゃんですね。ちょっと影が薄いですけど、かわいいじゃないですか」


さっぱり何を言っているのかがわからない。
 
考えてもしょうがないので京太郎は自分の手が届く範囲にあるものを調べてみることにきめた。

休むにしてもまったく何もしないのは疲れるからだ。

京太郎の目の見える範囲にあるのは、豪華ないすと、机。

そして、少しはなれたところでアンヘルと人形があさっている本棚。後は細かい装飾品があるだけである。

 何かないかなと思い机を探してみた。

机くらいしかいじれそうなものがないのだ。下手に動き回れば、仲魔にとがめられる。

 するとチラシを見つけた。新聞紙に挟まっているようなチラシである。

引き出しの中に入っていて、これだけ何か様子が違った。危機感をあおるようなデザインだった。


 骸骨がヴァイオリンを構えている絵がかかれたチラシを京太郎は調べた。

チラシには文章が書かれていた。内容をまとめてみるとこのようになる。

「最近、デイビットという悪魔が出現するようになってサマナーの被害が続出している。

被害を回避するために、自分たちが作った警戒アブリを使ってみないか。

危険な悪魔が近づいたら大きな音を出して警告する仕掛けになっている。

このアプリがあれば生存率がぐっと上がるはずだ。

特に、一つ目の警告を受けてすぐに立ち去れば間違いなく戦闘を回避できるだろう。

高価なアプリではある。しかし命があってこそだろう?」

 サマナーの世界にも営業の仕事があるのだ。

 サマナーの世界も大変なんだなと思っていると人形が京太郎を呼んだ。

「少年、休んでいるところ申し訳ないが、ちょっと手を貸してくれ。

隠し部屋があるみたいなんだ。俺たちじゃ動かせそうにない」

どうやら本棚の裏に、隠し部屋の入り口があるようだった。

本棚くらいならアンヘルの腕力でどうにかできたようだが、さすがに壁を抜くのは難しいらしい。

 怪物の右腕を呼び出して、隠し部屋の扉を京太郎は切り裂いた。

人形が、「力押しでいいよ」といったからだ。

 隠し部屋は研究室だった。

見たことのない機材が転がっていて、書類が撒き散らされている。

整理整頓はされていないようだった。人形がいった。

「あわててこの場所を放棄したらしいな。

ライドウが現れたという情報をきいて、みられたらまずいものを持って逃げ出したってところか。

少年がつぶした守護者はここの守護も担っていたんだろうな。

まあ、俺たちにはどうでもいいことだな、人攫いどもの事情なんて」

 続けて人形がいった。

「何かあるかもしれない。調べてみよう。

少年は、休んでいたらいい。

俺も大分力が回復しているからな、ちょっと書類をいじるくらいならできるさ。

それにアンヘルもいるしな」

 人形がそういうので、隠し部屋を一周だけ京太郎は見て回った。暇だったのだ。


アンヘルと人形が調べていた本棚を京太郎は見ていた。

隠し部屋の何を調べていいのか京太郎はさっぱりわからなかったからである。

散らばっている書類を見ても、書いている内容がさっぱりわからない。

あまり見て回っても、仲魔たちを困らせるだけだろうと思い、隠し部屋から出てきたのだ。

 本棚を見た京太郎は、ずいぶん辞書が多いなと不思議がっていた。

本棚の中段あたりがすべて辞書で埋まっているのだ。

日本語、中国語、英語、フランス語、イタリア語。京太郎が何の辞書なのかわかったのがここまで。

後の辞書は、そもそも何の辞書なのかがわからなかった。

日本語すら出てこなくなっていたからである。

最悪なのは、見たこともない文字があったことだ。この星の言葉なのかさえ怪しかった。

本の形式から見て、辞書だろうと判断することはできたが、それ以上のことはわからなかった。

そして、不思議なことで、手話の本まで用意されていた。

 京太郎が不思議がっていると書類を持ってアンヘルが隠し部屋から出てきた。

家捜しが終わったのだ。

 京太郎が

「もう一人は?」

とたずねると

「もう少し探してみるそうです。

人攫いの中にネクロマンサーがいるかもしれないらしくて、確証がほしいみたいです」

とアンヘルが応えた。

 本棚の前で考えている京太郎を見てアンヘルがいった。

「辞書が多いのはサマナーの特徴ですね。

マスターから見ると不思議に思うかもしれませんが、特におかしなことではないのですよ。

魔術書を読むのにも辞書が要りますし、契約書を作るのにも、辞書が必要です。

そもそも、言葉を覚えなければ、交渉できませんからね。

日本人が、海外に出て行く前に言葉を覚えるようなものですね。

まずは、言葉を知らなければどうにもなりません。

サマナーたちが一番に試されるのは忍耐力だ、という文句が成り立つくらいに言葉の勉強が必要だったんです」

 京太郎は少し不思議に思った。

「サマナーってのは結構多いって話だったと思うんだけど、みんな勉強家なのか?

 この辞書の数を見ると、何十年勉強しても追いつきそうにないが」

アンヘルが答えた。

「昔はそうだったでしょうね。

でも今の時代はコンピューターがありますから、ぜんぜん勉強をする必要はありませんよ。

辞書の情報量なんて、何十冊放り込んでもたいした量にはなりませんからね。

契約も言語の翻訳も報酬の支払いも機械任せです。

サマナーにとってはいい時代になったんではないでしょうか」
 
 京太郎は少し疑問を持った。

「サマナーが出てくるまではどうやって人間は悪魔とかかわっていたんだ?

 機械が発達する前の話じゃなくて、サマナーという職業が生まれる前の時代の話さ。

 サマナーがいるから悪魔がいるわけじゃないよな?

 悪魔がいたから、サマナーが生まれたって考えるのが自然だ。

動物がいたからハンターという職業が生まれるわけだからな。

 それに辞書を作った人がいるわけだから、サマナーの先駆者みたいなものもいたはずだ。

ジョン万次郎みたいな人が」

 アンヘルが答えた。

「そうですねいいでしょう、少しお話しましょうか。

ちょっと、神話の時代に入っちゃうんですけど、マスターの気晴らしにはいいかもしれませんね。

 マスターの疑問は正しいです。

サマナーというのは最近になって勢力を広げてきた職業なんです。

 特に、この十年でサマナーの数は爆発的に増えました。

これは機械が勉強という面倒を省いてくれたおかげですね。

翻訳も、契約も、報酬の支払いも全部機械がやってくれます。

これはとても便利ですから、みんなこっちにくるわけです。

 面倒な修行が一切省かれるわけですからね。

自転車よりも自動車、自動車よりも電車、電車よりも飛行機みたいな感覚です。

 しかも機械を使うといっても費用がほとんどかかりません。

十万円前後の初期費用ではじめられます。

高校生でもなれちゃいますね。

 質を問わないのならスマートフォンひとつあれば足りますから、修行なんてまともに積む人はめったにいません。

海外にいきたいからといって、体を鍛えて海を泳いでいく人はいないでしょう?」


続けてアンヘルが話し始めた。

 「サマナーが職業として成り立つ前の時代は才能と血縁と運命の世界でした。

今の時代のようなサマナーはほとんどいません。

ものすごく有名なサマナーといってもせいぜいソロモン王程度ですからね。

よほど運がよくないとサマナーにはなれませんでした。

勉強もできませんし、そもそも出会うこともありません」

 ここで京太郎が突っ込んだ。

「ソロモン王ってさ、結構功績を残してなかったか? 大量の悪魔を従えてさ」

 アンヘルが答えた。

「残念ですけど、その程度かって感じになっちゃいますね、比べてしまうと。

 交流する技術が学問として確立する前の時代は、英雄たちに頼っていたんですよ。

神様と人間のハーフの話を聞いたことがあるでしょう?

 俗に言う黄金の時代ですね。

マスターみたいな人たちがいっぱいいた時代があったんです。

神様と殴り合いをしてみたり、芸術で争ってみたり、恋をしてみたり、武勇をたたえて星座を作ってみたり。

そういう時代がサマナーという職業が出来上がる前にあるわけです。

 黄金の時代と見比べてみると現代が暗黒の時代といわれてしまうのもしょうがないことだと思いますね、私は」


 書類の束を机の上において、アンヘルはさらに続けた。

 「私たちが好きなのは黄金の時代を生きている人たちですね。

人としての輝きが違いますから近くにいるだけで元気になれます。

でも、ものすごく少ないんです。

残念ですけど、仕方がありません。

合理的とはいえない生き方ですから」

 アンヘルが続けた。

「マスターが今ここに生きているということが、私の話の証拠でしょうね。

私たちと出会い、生き延びている。

ブラウニーたちと出会い、仲良くなった。

特殊な訓練をマスターは受けたりはしていないのでしょう?

 そういうことです。暗黒の時代に生れ落ちても黄金の時代を生きることができるのです」

 京太郎はうなずいた。

「なるほど、それで辞書が作れたわけか。

昔にも俺みたいなやつがいた。

そういうやつらが、仲良くなった神様だとか悪魔に言葉を教えてもらった、と」

 アンヘルは少し言葉を濁していった。

「まぁ、そうなりますね。

でもたぶん、辞書を作ったのは悪魔と仲良くなった人じゃないと思います。

英雄たちにはそんなもの必要ありませんから。

英雄にあこがれたか、対抗しようとした人が必死になって作ったんでしょうね」


アンヘルがもやっとする言い方をしたすぐ後のこと、人形が隠し部屋から出てきた。

「どうやら間違いないな。人攫いの中にネクロマンサーの技術を持ったやつがいる。

あの肉の塊は、そいつの仕業だろう。まあ、どうでもいい。

少年、わかったことがあるから、聞いてくれ。

話が長くなるから、イスに座ってリラックスだ。」

 京太郎は人形に促されいすに座った。

アンヘルは机をはさんだところにたっている。人形の説明を助けるためだ。

人形の力は回復し始めているが、人間並みの動きをすることはできない。

 人形は、机の上に乗っている。

 人形が話を始めた。

「まず、調べてわかったことは少年が探している人間は生きているということだ。

しかし、人の形をしてはいないだろう。のろわれて、人形に変えられている。

 これは間違いないはずだ。生贄にされてもいなければ、ごみ山に混ぜられたりもしていない。

 人攫いどもは、脅迫の材料にするために人をさらっている。少なくとも今回はそうだろう。

アンヘル、書類を見せてやってくれ」

 アンヘルが京太郎に書類を差し出した。書類には人の名前がずらりと並んでいた。

その中にリュウモンブチの名前もあった。

 人形がいう。

「何を狙いにした脅迫なのか、断言はしたくない。情報が少なすぎるからだ。

 しかし、おおよその予想は立てられる。

 今の時点で考えられるのは二つ。ひとつは金。一番わかりやすい目的だ。

人攫いが主体になって動いているパターン。

人形にしてから誰かに売る。もしくは身代金を要求する。

人形にできた時点で警察には捕まえられないだろう。
 
 もうひとつは行動の支配を目的にした脅迫。

たとえば、サマナーとして戦力になれだとか、逆に、動いてくれるなといって命令をする。

 おそらく、行動の支配が人攫いの目的だろう。アンヘル、次の書類を見せてやってくれ」


書類を京太郎にアンヘルが差し出した。履歴書のような書類だった。

顔写真と、行動パターンについて書かれている。

それが数人分。獲物の数だけあるのだろう。

 アンヘルが履歴書の一枚を指差した。

瞳が赤く髪が長い少女の履歴書だった。

備考欄にクズノハ関係者と書かれてある。

「書類だけでは金目的ではないと言い切れない、と正直思うところだ。

金持ちの関係者もいるだろうからな。

 しかし実を言うと書類などみなくとも、金目的ではないと判断を下せる。

書類はダメ押しさ。

 少年、こいつらの設備というのは度が過ぎているとは思わないか?

 異界にごみの山を作れるほど実験をしてみたり、異界を曲げて、研究施設を作ってみたり。

 つまり、この病院のことだ。

金をかけすぎている。かける費用にたいして見込めるリターンが少なすぎる。

 道楽だろうか。おそらく違う。

 何か仕事をやっている口ぶりだった。

 人攫いは雇われているのさ。とんでもない金持ちにな。アンヘル、次のやつを」

 次の書類を京太郎にアンヘルが差し出した。

始末書と地図である。始末書は何枚かあった。書き損じている。

しかし内容は同じようなものだった。資材を使い切ってしまったことへの反省が書かれていた。

 地図は何枚もあった。どれも違った地方、地名が書かれてある。

 人形がいった。

「なあ少年、人攫いはどのくらい失敗を重ねて、人間を人形にできるようになったんだろうな。

少なくとも一発ってことはない。

 試行錯誤があったはずだ。

 日誌によると、人攫いたちは悪魔を人形にする技術から研究を始めていた。

一ヶ月ほどで悪魔を人形の形で維持できるようになっていた。

 かなり熱心にやっていたみたいで、人形への変化が悪魔で成功した時点で異界がみっつ消えている。

おそらくブラウニーみたいなのが暮らしていたところを狙い撃ちにしたんだろう

 そしてすぐ人間に移っている。しかし人形の状態でなかなか固定できていない。

数十人単位で失敗して始末書を書いているのが証拠だ。

 何がいいたいのかわかるか?

 実験には大量の人間と悪魔が使われたってことだ。

 しかも、失敗続きで研究が止まったのかといえば違う。研究は止まっていない。

それどころか加速しているくらいだった。

 ではいったいどうやって実験の材料をつれてきていたのか」

 人形がいったんきった。そして続けた。


「桁違いの被害者が出ているのに不思議なことにヤタガラスは気がつかなかった。

人が消えるってのはとんでもない事件だ。それに気がつかないのはおかしなことだ。

 ヤタガラスが無能だったからか。警察は見落としていたのか。

それはちがう。非常に静かに気取られないようにこいつらが動いていたからだ。

 ヤタガラスが気がつかなかった理由が少年の前にある地図だ。

 これらの地図はすべて自殺の名所、もしくは準名所の地図。

こいつらは、死にたがりを異界に引きずり込み実験に使っていた。

数年に渡り、自ら消えていく命のいくらかを掠め取っていたのさ。

 だからヤタガラスは気がつかなかった。

 しかしこれはとんでもなく金のかかる方法だ。

人間世界の空間を曲げて、異界につなぐ必要がある。

人の手も借りなくてはならない。大仕事だろうな。

 ヤタガラスの目をごまかし続け、この仕事をするのは難しい。

 しかしこの難しい仕事が長い間ばれなかった。

これはもうとんでもなく大きな力を持った集団の仕事と推測できる。

 人攫いどもは、この大きな集団の一部だ。

ちょっとした身代金なんてほしいとは思わないだろう」

 人形がテンションをあげながら続けた。

 「そしてライドウが動いているという事実が俺の予想の真実味を強くしてくれる。

 ヤタガラスには大量のサマナーがいるからな。

ライドウがじきじきに出てくるなんて事はまずない。

しかし今回は違う。出てきているってんなら、そういうことだろう?
 
 相当でかいのが絡んできているのさ。

 残念なことだが、人攫いのスポンサーの姿は見えてこない。

人攫いも知らないのだろう。下っ端だからな。おしえる必要がない。

ただ、ライドウの追う事件が面倒なのは確かだ。

 サマナーの家族を人質にとり、金では実現できない目的を持つスポンサーがどこかにいるってことだからな」

 ここまで言い切って、人形が明るくいった。


「まあ、面倒なのはライドウに任せよう。

 俺たちは俺たちの目的を達成すればいいさ。

 大切なことは、少年の探している人は生きていて、そして助け出せる可能性があるってことだ。

 強大なサマナーに喧嘩を売るわけだから怪我なんてひとつもない状態だろうよ。

もしも怪我なんてさせたら地の底まで追いかけてくるからな。

そこは慎重に扱っているはずさ。

 研究室の様子から推測できるあわてようなら、まだ逃げている途中だろう。

期待できるはずだ。

百パーセント見つけられる保証はないが、ゼロじゃない。

 さらに、いい報せがある。

回復させる方法が俺には見えているんだ。

呪いは維持するのが難しいからな、奪い返せば楽勝で解呪できる。

先は明るいぞ少年」

 長い話を人形はがんばった。

「やらねばならないこと」

と人形はおもったからだ。

人形は京太郎の心を軽くしてやりたかったのだ。

消耗している京太郎の心を助けたかった。

少し重たい話もあったが、それでも希望を見せたかったのだ。


 話を聞いた京太郎はさらに、決意を固めていた。

こんなことを京太郎は考えていた。

 「つれさられるときには雨が振るのだろうな。前が見えなくなるくらい激しい雨が。

この事件の背後に何が潜んでいようとも、俺にはどうでもいいことだ。

奪われたものを取り戻すと決めた。ならば、何が待ち構えていようと、いけばいい。

それだけあれば十分だ」

 今日はここまでです。 

 来週の土曜日に続きからはじめます。

 

続きからはじめます


人形が事件の真相についての話を終えたとき、ほんの少しだけ京太郎は渋い顔をした。

違和感を感じたのだ。違和感といっても機械が感知しないほど小さなゆれを感じるような気持ちである。

京太郎の状態が限界を迎えつつあることで、精神が鋭く研ぎ澄まされているのだ。

かき消える前にいっそう赤くろうそくが燃え上がるのと同じように。

 「ゆれたか?」と京太郎が声に出した。

京太郎たちが今いるのは、現世ではない。

もしかすると面倒なことが起きたのかもしれないので、一応確認のために仲魔たちに聞いたのだ。

問題がないのならば、それでいい質問である。

 京太郎の確認に対して、アンヘルは「ゆれてないと思いますよ?」と答えた。

アンヘルはさっぱり何も感じていなかったのだ。これはアンヘルの感覚が鈍いためではない。

消耗している京太郎に意識が向いていたので細かい変化を感じ取れなかったのだ。

 また京太郎の確認に対して人形も「ゆれてないだろ?」と答えた。

人形も何も感じていなかったからだ。理由はアンヘルと同じである。

周囲の状況よりも、目の前の京太郎に意識が向いていて気がつかなかった。

 しかしすぐに人形が「まずいことになってる。人攫いどもが本気でつぶしにかかってきた!」と大きな声を出した。

人形は京太郎の違和感をくみ取って、周りの状況を調べてみたのである。

単なる勘違いならば、それで問題ない。

しかしもしも重大な問題が起きているというのならば、それはとても困ることになる。

念のために調べたのだ。

そうすると、京太郎の感じた違和感が、とんでもない状況の余波を感じ取った結果なのだと知ることができた。

 人形があわてていった。

「異界ごと俺たちをやるつもりだ! とんでもないスピードで異界が縮んでいる!

 少年、病院の外に出ろ、状況を正確に確認したい!」

 怪物の右腕を呼び起こすとあっというまに部屋の壁を京太郎は切り裂いた。

 壁の外を見た京太郎は何もいえなかった。奇妙な光景が広がっていたからだ。

夜の向こう側に、何もない空間が広がっていた。

何もない世界というのを京太郎は見たことがあった。

世界と世界の触れ合う場所、境界線上の世界である。

あの何もない世界が、夜を取り囲み、夜を砕いてつぶすために働いている。

そして京太郎は直感する。

「あれは前に見た境界線の世界じゃない。

今回の何もない世界に飲み込まれたら、自分たちも夜と同じように砕かれて消える。

この異界は世界に嫌われている」


人形が大きな声を出した。

「少年! この場所から直線距離で二キロ先に現世への道を見つけた!

 見てみろ! そこから出るぞ!

 崩壊に飲み込まれたら問答無用で終わりだ!

 期待をこめても三分が限界だ! 急げ!」

 真っ暗闇の中に一筋の光が空に上っているのを京太郎は見つけることができた。

地獄にたらされた蜘蛛の糸のようだった。

雨が降る夜、電灯などない異界である。

二キロメートル先のか細い光でも簡単に見つけることができた。

 このときわずかに京太郎の眉間にしわがよった。

体に何かまとわりついたような気がしたからだ。

しかし京太郎はこの違和感を無視した。

考えてもしょうがないからだ。まずは先に進まなくてはいけない。


 「二人は空から支援! 俺は走る!」といって、壁にあいた穴から京太郎は飛び降りた。

死ぬつもりはない。なんとして自分の目的を達成したいと京太郎は思っている。

しかしそのためには生きなければならない。

そして生きるためには崩れていく世界に飲み込まれる前に蜘蛛の糸に手を伸ばす必要がある。

アンヘルと人形のペアは空を飛んでいけばいい。

アンヘルが人形をつれて飛べば楽に距離をつめられるだろう。

しかし京太郎を連れて、空を飛んでいくのは難しい。

腕力の問題ではなく、スピードの問題である。

飛べるだろうが、遅い。それは問題があるのだ。

だから、京太郎は走ることにきめた。生き延びるため、目的を果たすためだ。


 京太郎から少し遅れて、雨の降り続く暗黒の空へ壁の穴からアンヘルと人形が飛び出した。

人形はアンヘルの胸元に突っ込まれている。アンヘルが一人で飛ぶほうがはるかに早いからだ。

 アンヘルは一気に羽ばたいて高度を上げた。京太郎の一歩先を行き、仲魔たちは道案内をするつもりなのだ。

雨が降り続いている上に真っ暗闇の異界である。

現世へと帰還する道がわずかに光を放っているが、それだけしか頼れるものがない。

危ないのだ。こんなところを走るなんて。

しかも時間制限がある。

だから前に出て、京太郎の支援をするつもりである。


銃声が聞こえてきた。「パンッ!」という軽い音だった。

雨の音にかき消されなかったのが不思議だった。

 着地を成功させていた京太郎の一メートルほど横の地面が銃声とほとんど同時にえぐれた。

京太郎が目を向けると、三十センチほどの岩の塊が地面に突き刺さっている。

先端部分が地面に突き刺さって見えないが、銃弾のような形をしているのだろうと予想がついた。

銃弾の向きから考えて、狙撃地点は京太郎の目指すところ、脱出地点だ。

 京太郎はすぐに、弾丸から視線をきった。目的がすぐにわかったからだ。

守護者の残り二人、どちらかの攻撃だ。

見当がついているのなら、いちいち考える必要はない。

卑怯だとも思わないし、怒りもわいてこない。

 京太郎は前を見ていた。覚悟を決めたからだ。

雨が降り続く暗黒の異界を、守護者の妨害をくぐりぬけながら駆け抜ける覚悟である。

成し遂げたい目的を阻むものがいる。

そのものたちは強くて大きいとわかっている。しかしやると決めた。

自分が決めたのだ。

 
「くるならこい。邪魔をするならすればいい。それを乗り越えて、飛ぶ」

すべては願いを果たすためである。


 右腕を元に戻して、体を低くして京太郎はスタートの姿勢をとった。

陸上競技にはクラウチングスタートという姿勢がある。その格好に非常に近い。

少しだけ違っているところがある。

それは京太郎が地面につめを立てていること。

京太郎の握力に耐え切れず地面がえぐれていること。

また、爛々と輝く京太郎の目が獣そのものとしか言いようがないこと。

肉食動物が、獣を狙うときの格好を人が取れば京太郎の姿に近くなるだろう。

はるか彼方、姿の見えない狙撃手を、京太郎は狩るつもりだ。

 奇妙な音が京太郎の体から発せられていた。

降り続いている雨の音よりも大きなギチギチという音だ。

この音の正体は、京太郎の肉体。京太郎の筋肉の脈動である。

ぶっ壊れてもかまうものかと全身の筋肉が動き始めている。

すべては、相手を倒すため。

 また、京太郎の目は夜の闇を見通し始めていた。

わずかな光を逃さないように、京太郎の願いをかなえるように、神経が動き始めている。

暗闇と雨に沈んで見えなくなっていたはずの異界の町が京太郎にはよく見えた。

 すべてが、一秒に満たない時間の中で行われた。

限界に近づきつつあるからこそ、すべての力を出し切ることができるのだ。次のことなど考えていない。

 
 


 二発目の銃声が聞こえた。

 岩石の弾丸は、京太郎を撃ち抜けなかった。

京太郎のはるか背後に着弾して、地面をえぐっただけである。

狙いがまずかったからではない。

二発目の銃声をスタートの合図にして京太郎が走り出していたからだ。

相手の銃弾が打ち込まれるとわかっているのならば、移動すればいいだけのこと。

タイムリミットがある以上、立ち止まってはいられないのだ。

脱出経路が前にあり、脱出経路をふさぐように狙撃手が陣取っているのならば、前によけていけばいい。

脱出ついでに喰らいついていけばいい。


 空を飛ぶ仲魔たちはあせっていた。

降り続く雨と夜の闇で視界が悪い異界の構成が思いのほか奇妙であることに気がついたからではない。

また、守護者が二人がかりで京太郎を狙っていることに気がついたからでもない。

空を飛んでいるはずのアンヘルが、京太郎に追い抜かされたからあせっているのだ。

あっという間の出来事だった。二発目の銃声と同時に二人は京太郎の姿を見失った。

人形があわててマグネタイトのつながりを追いかけてみた。

するとアンヘルと人形の先を京太郎が走っているのを発見した。

 アンヘルがあわてて上空から追いかけていくが、それでも距離は縮まらなかった。

狙撃手が邪魔をしているわけではない。

狙撃手は京太郎を狙い続けている。

空を飛ぶアンヘルよりも京太郎のほうがすばやかったのだ。

 三発目の岩石の弾丸が、京太郎めがけて打ち込まれていた。

 しかし京太郎には当たらなかった。京太郎はジグザグに走ることで回避している。

しかし走るといっても人間らしく走っているわけではない。

ネコ科動物のように全身の筋肉を使って、京太郎は、地面すれすれを飛んでいるのだ。

おかしな表現だが、自分の肉体の力を使い、自分の肉体を進行方向に投げ続けている。

しかも手が触れられるもの、足場になるものに触れるたび加速している。

これはなかなか追いつけない。

 誰もができる移動術ではない。

自分の肉体程度の重量を指先ひとつで投げる力があって始めて成り立つ移動方法である。

 しかしとまだアンヘルには余裕があった。人形がこういったからだ。

「アンヘル、少年の道をさえぎるようにでかい川が流れている。

川幅が四十メートル近くある。俺たちの出番だ。少年の足を止めさせるな。踏み台になれ」

 アンヘルは、「わかりました」といった。

まったく異論がないからである。京太郎の移動速度はとても速い。

しかし空は飛べない。泳いでわたるというのもひとつの方法だ。

しかしできる限りすばやく脱出しなければならない現状では泳いでわたるなどという選択肢はない。

ということは空を飛べるアンヘルを使わなくてはならないということになるだろう。

足場にするとか、抱えて飛んでみるとかの方法である。

 そうなると、アンヘルを待つためにいったん止まるだろう。そこで追いつけるはずとアンヘルも人形も考えた。


そして回復魔法の準備をアンヘルは始めていた。

京太郎が足を止めたところで、狙撃手の攻撃を受ける可能性があるからだ。

 しかしアンヘルの心配は必要なかった。

狙撃手の四発目が外れたからだ。

濁流の前で立ち往生するだろうと思っていたらしく京太郎が止まるだろう場所に銃弾は打ち込まれた。

あたっていたらひどい損傷を与えていただろう。

 
「えっ?」

といったのはアンヘルなのか人形なのか、それとも狙撃手と観測手なのかはわからない。

誰もがその光景を観て、同じ感想を持ったからだ。

川幅四十メートルを京太郎は一気に飛んだのだ。

走り幅跳びの選手のようだった。少しもためらいがなかった。

 しかし残念なことに完全にはわたりきれなかった。

流石に四十メートルを飛びきることは無理だった。エネルギーが足りていない。

かかとが川に触れてしまっていた。

 しかしそれだけだ。すぐに体勢をひくくして地面を手がかりにして京太郎は先を目指して飛んだ。

 アンヘルは必死に飛んだ。完全においていかれたからだ。


 濁流を飛び越えて少し進んだところで京太郎は立ち止まっていた。

恐ろしい光景を前にしていたからだ。

空に向かって伸びる一筋の光に向けて、たくさんの人影が、集まっているのがわかったのである。

よく目を凝らしてみると、人の影ではないことがわかる。

マネキンである。

マネキンどもが光に向けて集まってきているのだ。

かつて地獄にあらわれた蜘蛛の糸もこのような光景を生み出したのだろう。

胸がざわつく光景である。

 さらに京太郎は先に進み、はっきりと何が起きているのかを確認した。

悪夢のような光景であるが、目の前で起きてしまっているのだから、確認せずに済ませるわけにはいかない。

もしかするととんでもなく面倒な問題が生まれているかもしれないからだ。

 数え切れないほどのマネキンたちが、真っ暗闇の中雨も気にせずに光が立ち上るビルに向かっていた。

高さ百メートルほどのビルに向かって、ぞろぞろと、マネキンたちが集合しているのだ。

砂糖菓子に、アリが集まるような調子である。

 京太郎ははっとした。

何を目的としているのかが、察せられたからだ。

目を凝らすとビルの周りにいろいろな残骸が転がっているのが見える。

十メートル近い大きさの巨大マネキンの残骸。

そのマネキンの頭に刺さったブーメランのようなもの。

半分にたたき折られたビルだった建物。数々の残骸は戦いがあったという証拠だろう。

剣呑としか言いようがない爪あとまである。


誰がやったのかというのはすぐに予想がつく。

葛葉ライドウである。あつまったマネキンの軍勢は、ライドウを落とすための軍勢なのだ。

 そして、京太郎の表情が険しくなった。

どうして異界ごと始末するなどという行動に出たのかというのも予想が立てられたからだ。

ライドウをここで始末するつもりなのだ。全戦力が、ここに集まっているのだろう。


 京太郎は笑った。

「どうやら俺はライドウのついでらしい」

鎧武者の配下が少なかった理由に思い当たったからだ。

 五発目の銃弾が京太郎に放たれた。

京太郎が立ち止まって状況を確認していたからである。狙撃手も必死である。

 京太郎を銃弾は捕らえた。京太郎が動かなかったからだ。

 しかし、京太郎はぴんぴんしていた。

雨でぬれた前髪を左手でかきあげている。

たいした損傷は与えられなかった。

怪物の右腕を呼び出して、岩石の銃弾を京太郎が叩き落してしまったからだ。

損傷といっていいのかわからないような汚れが右手についただけである。

 右腕の調子を確認して京太郎はマネキンの軍勢をにらんだ。

 光が立ち上っているビルを目指して京太郎は走り出した。

怪物の右腕を呼んでいるので、先ほどのように進むことはできなかった。

それでも十分早かった。

マネキンが道をふさいでいようが、ライドウが戦っていようが、脱出口に行かなければ、助からないのは間違いないこと。


成し遂げたい目的はこの道の先にある。

ならば走らなければならないだろう。

たとえ、心臓が張り裂けんばかりに高鳴っていたとしても。

 

 空から京太郎を追いかける仲魔たちは驚いていた。

現世へ帰還するための道がビルの屋上から生み出されていることに気がついたからではない。

また、自分たちとは比較にならないほど強大なマグネタイトを持つ多数の存在が、ビルの中で動き回っていることに気がついたからでもない。


五発目の岩石の弾丸と、六発目の岩石の弾丸を京太郎がたやすく打ち落とすのを見て驚いたのである。

 アンヘルが人形にこういった。

 「ちょっとまずいですよね。加減がきかなくなっているように見えます」

 人形が答えた。

「ああ、感覚が麻痺してんだろうな。アンヘル、少年に嫌われる覚悟だけはしとけよ。

脱出可能になったら無理やりにでも現世への道を開く。お前が少年を運べ。俺にはできないからな」



 アンヘルが答えた。

「まあ、仕方がありませんね。でも、無事に守護者を倒せたらの話でしょう。気を抜いたらいけませんよ」


 普通に会話をする二人だったがアンヘルも人形も元気とは言いがたい声の調子だった。

なぜならば、このパフォーマンスを発揮できるほど、京太郎の状態はよろしくないからだ。

京太郎は激戦を潜り抜けてきて疲労が蓄積している。

実際二人目の守護者を始末したとき、京太郎はまともに歩けないほどではなかったか。

ほんの少しの時間、休ませることはできたが、それだけだ。

肉体の損傷はない。それだけである。

内側にあるものがどんどん削られている。

手放しで喜べるような状態ではないのだ。

 アンヘルは黙って空を飛んだ。

わかっていてもやるしかない状況にいるからだ。

パッチワークされている異界ごと始末されようとしている現状で、無理をするなとはいえない。

ここで手を抜けば、終わりである。やめろなどとはいえない。それはできないのだ。


 ビルの上に陣取っている守護者二人をアンヘルと人形が発見した。

ビルの屋上には陣が敷かれている。陣からは光が立ち上っている。

その陣の中心に守護者が二人いた。

京太郎が向かってくる方向に向けてひざを立てて銃器を構えている守護者が一人。

銃口からは奇妙な光が漏れている。

そのすぐそばには、杖を持った守護者が控えている。

上空からならば、戦場の様子を見るのはそれほど難しいことではない。

また、マグネタイトを感知することで状況を把握する人形にとっては、暗黒と雨の障害も、たいした問題ではない。

 ビルの屋上の陣が外へつながっていると人形は看破した。

光が差しているという見た目の問題ではない。

屋上の部分だけが現世に近くなっているのを探知したのである。

 ビルの屋上に陣取っている狙撃手が銃器を抱えて移動し始めた。

 高度を上げてあわててアンヘルはビルから離れた。

自分たちを狙っていると思ったからだ。

 しかし間違いだった。

狙撃手は角度を調整するために陣の中心部分から移動したのである。

高いところから打ち下ろしているのだから、あまり近くによられると銃弾は当たらなくなる。

角度の問題だ。まっすぐ立つと足元が見えにくいようなもの。

ビルに群がるマネキンどもを踏み台にして守護者たちの足元まで京太郎がたどり着いていたのだ。

 七発目の岩石の弾丸が、京太郎に向けて打ち込まれた。


七発目の弾丸は、マネキンに当たった。

京太郎の仕業である。

足場にできるほどたくさん群れているマネキンのひとつをひょいと京太郎が持ち上げて、弾丸にぶつけて落としたのだ。

見え透いている攻撃に対する挑発だ。

 京太郎と狙撃手の目が合った。

高さ百メートルのビルを京太郎が見上げ、狙撃手が見下ろす形である。

お互いが命を狙っていた。
 

 地面を覗き込む形で狙撃手は銃器を構えた。

こうしなければ、銃弾をぶつけることができないからだ。

人間ならば腕力の問題で無理な格好だが、怪物の力を持つのならそれほど難しいことではない。

 京太郎がビルの入り口付近で動きを止めているのを狙撃手は見た。

地面を埋め尽くすマネキンの肩に京太郎は乗っている。

京太郎が動きを止めているのもしょうがないことだ。

ビルの入り口はライドウを始末するために集められたマネキンたちの大群で埋め尽くされている。

入り込むことなどできない。

 八発目の岩石の弾丸が京太郎に向けて放たれた。

ここで弾丸を放ち、足をとめることができれば守護者の目的は達成できる。

足止めが成功すれば、京太郎は異界の崩壊に巻き込まれて終わり。

勝利できなくてもいい。

時間いっぱいまで、ここに引き止めていればいいのだ。

だから当たらないとわかっていても弾丸を打ち続ける。

 八発目の弾丸はビルの入り口を埋め尽くしているマネキンたちを粉々にした。

京太郎には当たらなかった。

標的の京太郎は、ビルの玄関入り口にはいない。

ビルの正式な入り口から入ることをあきらめて、京太郎は直接的な道を選ぶことにきめたのだ。

八発目が打ち込まれる前に、自分の行くべき道を決めて行動した。

その結果、無関係なマネキンが粉々に砕かれる結果になった。

 京太郎は、ビルの側面を走っていた。

コンクリートの壁に怪物のつめを立てながら上を目指して駆け上がっている。

道があるところをいけばいいという考えを、力に物を言わせて行ったのである。

 九発目の弾丸が、京太郎に放たれた。狙撃手はスコープをのぞくこともない。

京太郎の顔がはっきりと見えているからだ。

 九発目の弾丸はかすりもせずにあらぬ方向へ飛んでいった。

ビルの側面を這うようにして移動する京太郎がすばやかったからというのもあるだろう。

しかしこの弾丸は京太郎の命をとるために打ち込まれた弾丸ではないのだ。

京太郎が弾丸の回避についやすわずかな時間を手に入れるための弾丸である。

ほんの数秒の時間を狙撃手はほしかった。弾丸は京太郎の勢いを少しだけ殺すことができた。


狙撃手は急いで陣地の中心へと戻っていった。

ビルの屋上の陣で迎え撃つつもりだ。

 狙撃手は銃器を地面に設置した。

両腕で構えるよりも、地面において攻撃を仕掛けたほうが命中率がたかまるからである。

人間の腕力とは比較にならない力を持っているけれどもそれでも手で持って構えるよりも地面を支えにして攻撃したほうがいい。

 そしてひざを立ててすわり、京太郎が現れるだろう方向に銃口を向けた。

 狙撃手が十発目の弾丸を装填したとき、京太郎がビルの屋上に到着した。

あっという間のクライミングだった。

ビルの屋上まで怪物の右腕は簡単に京太郎を連れてきてくれた。

 屋上に到着した京太郎はすぐに体を低くした。

狙い撃ちされる可能性を考えて、回避運動の準備をしたのである。

 しかし回避運動を京太郎はとらなかった。

狙撃手はまだ引き金に指をかけていなかった。京太郎の到着が少し早かった。

 攻撃がこないとわかると、京太郎はすぐにスタートの姿勢をとった。

京太郎は、十発目の銃弾を回避して獲物をとるつもりだ。

 二つ獲物がいるのに気がついているが京太郎の顔色は変わらない。

両方とればいいだけのことだ。獲物までの距離は約二十メートル。

少し離れてはいるが、京太郎は恐れていなかった。

全力でとびだせば、簡単につめられる距離だ。


 十発目の銃弾が装填されたとき、上空から戦場を眺めていたアンヘルと人形が動揺した。

ほんのわずかだが、マグネタイトと魔力が揺らいだのである。

京太郎は何も気がつかなかった。

京太郎は目で見ることはできるが、目で見えないものを感じ取ることができていない。

しかし、京太郎の仲魔たちは違う。

 人形が叫んだ。

「反射系を張りやがった!」

魔法には、魔法を跳ね返す魔法というのがある。

ブラウニーたちが道具を使って再現していたのを覚えているだろうか。

 そして魔法には、魔法以外の攻撃を跳ね返す魔法がある。

魔法以外の攻撃を跳ね返す魔法を、テトラカーンという。

 この魔法が張られると、魔法以外の攻撃はすべて跳ね返される。

拳での攻撃も。つめでの攻撃も。銃撃も。

 狙撃手の相棒役、観測手がこのテトラカーンを唱えたと人形は当たりをつけた。

なぜならば、狙撃手が暗闇で長距離の狙撃を行えている理屈を見抜いているからだ。


観測手は京太郎に情報分析の魔法「アナライズ」をかけ続けていた。

この魔法というのは名前のとおり相手の情報を調べる魔法だ。

体力の減り具合も、魔力の減り具合も、大体の戦力も見抜くことができる。

それだけなら便利なだけの魔法だ。しかし少し面倒なところもある。

 アナライズの魔法を使うものたちは情報を手に入れるとすぐ移動する。

この魔法を使うと、ほとんど間違いなく自分の居場所がばれるからだ。

この情報分析の魔法「アナライズ」は相手と自分を魔力のラインでつなげる効果がある。

情報分析の魔法であるから、相手に撃ちっぱなしにすることができないのだ。

情報がほしいのならば、相手につなげて、反応を待たなくてはならない。

インターネットと同じだ。

 この特性は、戦いを不利にすることがあった。

情報を手に入れるために魔力のラインを結ぶので、相手に自分の位置がばれてしまうのだ。

不意打ちはできなくなるし、情報を知りたがったということで、相手からの印象もかなり悪くなる。

もしも魔力が見える相手だったとしたら逃げるのも難しくなるだろう。

何せ魔力の糸がつながっているのが見えるのだから。

情報を相手に与えたくないと思っているときには使いたくない魔法だ。

 病院から飛び出してきた京太郎に観測手はアナライズを成功させ、今の今までつなげたままにしていた。

相手の居場所がはっきりとわかるようになるからだ。

ばれてもいいのならば目印代わりに使えるのだ。

そうして京太郎が暗闇のどこにいるのかを観ていた。

 狙撃手はこの魔力の流れに乗せるように弾丸を放っていた。

暗闇と雨が邪魔をする異界では、狙撃は不可能に近い。

はっきり言って無理である。

暗闇と雨に邪魔をされて普通の弾丸はあらぬ方向へと飛んでいく。

しかし、魔力の流れが出来上がっているところに、自分の魔法をあわせるのはそう難しいことではない。

京太郎の姿が暗闇で見えずとも、観測手が発動させている魔力の流れが見えていれば、それに合わせて、自分の魔法をあわせていけばいい。

つながっているのだからあたるだろう。

 京太郎の体にまとわりつく魔力の糸が人形には見えていた。

人形は、目で見ないものを見て状況を把握している。

マグネタイトの流れを感じ、魔力の状況を感じ、何が起きているのかを観る。

京太郎は気がつかないかもしれないが人形にとっては丸見えだった。

 
 
 人形の叫びを聞いたアンヘルは守護者に向けて上空からの突撃を仕掛けた。


人形の予想が的中していたら、京太郎の攻撃は、守護者二人に届くことはない。

なぜなら、京太郎が放つことができる攻撃は、怪物の右腕を使う攻撃のみだからだ。

もしも京太郎が守護者のどちらかに攻撃を仕掛けたとしたら、京太郎は自分の攻撃を自分で受けることになる。

そうなったとき、京太郎は生きていられるのか。


 


 無理だろう。即死の可能性が高い。

一撃で守護者の命を刈り取った怪物の右腕は、京太郎さえ脅かす。

怪物の右腕を引っ込めたとしても同じような状況になるだろう。

即死になるか瀕死になるかの違いがあるだけだ。

 胸元に突っ込んでいる人形をアンヘルが引っ張り出した。

守護者が二人いるからだ。二人は、京太郎の代わりにテトラカーンを受けるつもりである。


 姿勢を低くして、スタートの姿勢をとっている京太郎は一瞬だけ目を泳がせた。

困ったのだ。自分の仲魔たちが、空から守護者めがけて落ちてきているのを視界の端に見つけてしまった。

京太郎は二人が馬鹿ではないことをよくわかっている。

二人が特に何の理由もなく死にに来るようなこともないとわかっていた。

だから何かしらの理由があるだろうというのも感じ取れる。しかし、今は修羅場である。

 一瞬、目が泳いだ京太郎だがすぐに狙撃手を注目した。

推理する時間などないのだ。十発目の銃弾が京太郎を狙っているからだ。

考えていたら、銃弾は京太郎を打ち抜くだろう。

岩石の魔法、「マグナ」をかけているため、わずかに弾速が遅くなってはいる。

しかしそれでも、銃弾は銃弾である。

まともに頭にでもぶつかればとんでもないことになるのは見えている。

打ち込まれるとわかっているのならば対応するしかない。

考えたいからといって時間をとめることはできないのだ。

 十発目の弾丸が放たれた。

銃弾で京太郎が終わればそれでよく、京太郎が弾丸を避けて、攻撃を仕掛けてきても守護者たちには都合がいい。

テトラカーンが攻撃を跳ね返すからだ。

 十発目の発射のタイミングに合わせて京太郎は飛んだ。弾丸を避けるためである。

そして回避の後、守護者の首を取るためである。

京太郎は全身の筋肉をばねのように使い、放物線を描いて飛んだ。

山なりの軌道で、守護者たちにぶつかるつもりだ。

地面をけって、ジグザグに避けることもできた。

 しかしやらなかった。

到達まで時間がかかる放物線の軌道を選んだのは、仲魔の奇妙な行動の行方を確かめるためである。

 十発目の銃弾は京太郎を捕らえられなかった。

京太郎が、放物線を描いたからである。

銃器を地面に設置する形で発砲している以上、設置されている地面と水平にしか弾丸は飛んでいかない。

そして、タイミングを京太郎に見切られているのが一番の原因である。

装填から引き金を引くまでのリズムがほとんど同じなのがまずかった。


京太郎よりも少しだけ早くアンヘルと人形が守護者二人に攻撃した。

アンヘルは狙撃手の頭を狙って突撃を行い、アンヘルに投げられて人形は観測手にぶつかっていった。

仲魔の行方を見届けるためにとった京太郎の配慮がきいていた。

もしも機転を利かせずにジグザグに突っ込んでいたら、上空から墜落する二人よりも早く京太郎が到達していただろう。

 二人は、守護者にぶつかることはなかった。

テトラカーンが発動したのだ。二人ははじかれて、屋上に転がった。

 テトラカーンとマカラカーンの魔法には共通する弱点があった。

二つの魔法はとんでもない効果を発揮する魔法である。

ほとんどすべての魔法をはじき返す魔法と、魔法以外の攻撃をはじき返す魔法なのだから、その効果というのは数ある魔法の中でも目を引く。

 しかし、二つの反射魔法には融通が利かなかった。

テトラカーンとマカラカーンの魔法は、どの攻撃をはじき返すのか選ぶことができないのだ。

そういう魔法だからとしか言いようがない。

何でも跳ね返すという魔法であるから、跳ね返すものを選ばない。

 仮にテトラカーンを発動さている人間がいるとする。

もしもその人間に向けて小石を投げてみたとしたら、魔法の効果で小石が跳ね返ってくるだろう。

当然、銃器で攻撃を仕掛けても発動する。

もちろん戦車で攻撃しても、戦艦で砲撃しても同じだ。

弾丸が魔法に跳ね返されて、戻ってくる。

 一度発動してしまえば、攻撃であれば間違いなくはじき返す。

マカラカーンとテトラカーンのすさまじいところである。

 しかしそれは、どんなものにも発動するという弱点になる。

つまりものすごく弱い攻撃でも発動してしまうのだ。

たたくようなまねを小さな子供がしてもテトラカーンは発動する。

マカラカーンも同じである。

静電気程度のジオだろうが、小石程度のマグナだろうが、間違いなく発動して相手に返す。

弱いものは見逃して、強い攻撃だけ跳ね返せなどという融通は利かない。

そして、一度でも発動してしまえば、次はない。

また新しくテトラカーンとマカラカーンを張り返す必要がある。

 二人は弱点を理解していた。

 だからアンヘルと人形は無謀にみえる攻撃を仕掛けたのだ。

京太郎の前に立ちふさがったテトラカーンの効果を剥ぎ取るためである。

二人の攻撃などでは、まったく守護者は動じないだろう。

しかし魔法は反応するのだ。ならばやるべきだろう。

何でもやると約束したのだから。


狙撃手が動かなくなった。放物線を描いていた京太郎が着地してすぐに首をはねた。

 次の獲物を狙ったとき、京太郎の心がざわついた。

観測手が京太郎をじっと見つめていたからだ。無機質な目だった。

光がない。生きているのか死んでいるのかもわからないような目だった。

京太郎はこの目を見たとき、どうしようもなく心がざわついた。
 

 京太郎はすみやかに、観測手を始末した。攻撃のチャンスだからだ。

相手は目で追うのがやっとの状態である。

目が合ったが、体がついてきていない。

京太郎のほうがずっと早い。ならばこの機会を逃さずに命をとればいい。

 京太郎は自分の耳を疑った。

守護者の首をはねたときに京太郎が無意識に叫んでいたからだ。

「その目で、俺を見るな!」と。

 守護者の首をはねた京太郎は、立ち尽くしていた。

自分が何を言っているのか、どうしてそんな言葉を吐いたのか、さっぱりわからなかったからだ。

 怪物の右腕を京太郎は維持できなくなった。

混乱したからだ。

戦う心が消えたため怪物の右腕は指輪に戻った。

 京太郎は、「俺は今、何を言った?」とつぶやいた。

自分を理解し切れていない様子だった。

考えもしていないところから言葉が出てきたのだから、それはもう混乱のきわみだろう。

そして嘘のない自分の気持ちだという直感もある。

自分の限界のところで吐き出された飾らない言葉だったからだ。

しかしだからこそ、わからないのだ。

何が気に入らないのかと。


 雨が降り続いているビルの屋上で、勝利したはずの京太郎が敗北者のようにひざをついていた。

 雨でぬれた前髪を、かき上げることさえしなかった。

できないのだ。限界が訪れたのである。

心臓は激しく脈打ち、雨の振る音をさえぎるほど。

いくら、息をしてみても呼吸が楽になることがない。

全身の筋肉は戦いのあとから、痙攣を起こしている。

今まで闇を見透かしていた京太郎の目は、急激に力を失い、近くにいるはずの仲魔たちの姿さえ、はっきりと映してくれない。

京太郎の顔からは血の気が引き、唇は真っ青になっていた。

 京太郎の命の火が消えようとしていた。消耗だ。

ただでさえ、無理をしていたところに、約二キロメートルの命をかけたレースを加えたのだ。

無事なままでいられるわけがない。

そして、どうしようもない混乱まで襲い掛かってきている。

 京太郎の頭の上にアンヘルが翼を広げた。

京太郎を雨から守るためにかさの役をしてくれているのだ。



消耗を防ぐためである。これ以上消耗させるわけにはいかない。

今の京太郎ならば、雨に打たれるだけでも悪い方向へと進むだろう。

アンヘルには、血の気を失った京太郎の顔がはっきりとみえている。
 
 人形がいった。

「少年、約束をしたのを覚えているか?

 もしも俺たちがこれ以上戦えないと判断したら、そこで冒険はおしまいにするという約束だ。

覚えているよな。

約束したよな?

 俺たちは少年が約束を守ってくれるなら、何だってやるといった。

そして俺たちは少年との約束を誠実に守ってきたつもりだ。

少年の役に立てたのかはわからないが、行動で示したつもりだ。

 少年は、約束を守ってくれるよな?

 俺たちは一蓮托生なんだ。

外に出たいという俺たちの目的を達成するためには少年が生きていてくれなければいけない。

 少年に残されているエネルギーはほとんどない。

ぎりぎり生きているだけの状態だ。

ゆっくりと休まなければならない状態だ。

戦いなんてもってのほかだ。

 少年の戦いはここで終わりだ。

もう絶対に戦わせない。

 今から俺が呪文を唱え、現世へと帰還する道を開く。

もしも少年がこの結末を気に入らないというのならば、命令すればいい。

アンヘルの拘束をふりきって、呪文を唱える俺に、やめろと命令すればいい。

俺たちは少年の命令に従おう。

できないと思うけどな」

 人形はそういうと、呪文を唱え始めた。

京太郎の消耗が限界を超えたのを人形は見抜いている。

仲魔たちには仲魔たちの目的がある。外に出なければ達成できない目的である。

目的を達成するためには京太郎が生きていてくれなければならない。

京太郎は、さらわれた人たちを助けたいと思っているけれども仲魔たちはちがうのだ。

アンヘルと人形は、外に出て自分の目的を達成したいのだ。

そのためには京太郎が生きていなければならない。

この状態で、無理をさせれば間違いなく京太郎は死ぬだろう。

ならば、無理やりにでも外に出なければなるまい。


アンヘルが京太郎の背中をさすっていた。

人形が厳しいことをいったが、誰の目から見ても京太郎の消耗は見過ごせない状態だ。

背中をさするようなちょっとした手当てでさえも必要な状態なのだ。

 アンヘルに背中をさすってもらっている京太郎は何も言わなかった。

もしも先に進みたいというのならば人形がいうように命令を飛ばせば済むことである。

それは本当のことだ。仲魔は命令を守る。

約束など知ったことではないと切り捨てることもできる。

しかししなかった。

声すら出せないほど消耗しているからだ。

 人形が現世への門を開くのを京太郎はぼんやりと見つめていた。

体の力が抜け、目がかすみ、感覚がぼんやりとしてきている。

呼吸さえ満足にできず、意識が朦朧とするのだ。無理をしすぎた結果だ。

そして混乱も心を削っている。

つい先ほどの、自分の言動がさっぱり理解できていないのだ。

理解ができない。

理屈に合わない自分の感情を割り切れず、ほとんど残っていない気力がじわじわと消えていっていた。

 
 アンヘルが京太郎にこういった。

「マスター、後はライドウに任せましょう。

マスターはよくがんばりました。

人攫いにさらわれた人たちのことならば、私たちに任せてください。

ライドウに私たちが手に入れた情報を渡して、助けに行ってもらいましょう。

ここまで一生懸命に戦って、生き残れているだけでもいいと思うようにしましょう。

少なくともマスターはブラウニーたちを救ったのですから、あまり多く求めてはいけません」

 アンヘルがこういったのは、京太郎の心を考えたからである。

限界ぎりぎりまで消耗した京太郎を思いやった。
 
 ビルの屋上からは、異界が崩壊していく様子がよく見えた。

世界がどんどんとしぼんでいくのだ。

雨のふりつづく異界の四方から真っ白い世界が、徐々に迫ってきている。

 人形の呪文が進むにつれて、ビルの屋上から発する光は強くなった。

人形が、現世への道を開きつつあるからである。

 京太郎の表情が少しだけ和らいだ。

光の向こう側に、自分が生きていた世界があると感じられたのだ。

懐かしいような気持ちになった。

 人形が、呪文を唱えているとビルが大きく揺れた。

大きく揺れた後、爆発が起きた。

 
ビルが大きく揺れてから少ししてのことだった、人形が、悪態をついた。

「ライドウの仕事はどうにも、とんでもなく速いらしいな」

ビルの屋上に、きてほしくない人影が二つ現れたからである。

人形は、その人影に覚えがあった。

 二つの人影はひどい有様だった。

ひとつの人影は、ぼろぼろになって足を引きずっている。

服もすすだらけになり、切り刻まれているところがある。

フードだったのだろう部分は、もうない。

戦ったのか、余波に巻き込まれたのだろう。

 もうひとつの人影もひどい有様だった。

高そうなスーツがすすまみれになり、あちこちが千切れてしまっている。

スーツだったのだといわれたら、そうなのだろうなと思う。

しかし、人前に出て行くことはできないだろう。

こんなスーツを着ていたら、人に笑われる。

おそらく戦ったのはいいが、力及ばず逃げてきたのだろう。

 二つの人影が現れてからほんの少ししてから、再び爆発が起きた。

ビルが大きく揺れた。

爆発にライドウを巻き込むつもりなのだろう。

そして屋上に現れたのは逃げ延びるため。

 人形が呪文を唱えるのをやめた。

悠長に呪文を唱えていられなくなりつつあるからだ。

 京太郎を雨から守っていたアンヘルの翼が引っ込んだ。

京太郎の視界を翼がふさいでしまって状況を確認できないからである。

状況が確認できなければ戦うことはできない。

たとえ、限界ぎりぎりの状況であろうとも、生き残れる道を選ばなければならない。

 ビルの屋上にあらわれた二つの人影を京太郎は見た。

京太郎の体力はほとんどない状態である。

しかし、仲魔たちのようすからして友好的な存在ではないとすぐにわかる。

見ることに京太郎は力を注いだ。

かすむ目をこすりながらでも戦う相手を確認した。

 ひざをついていた京太郎は、立ち上がった。

そばにいたアンヘルの助けを借りて、やっと立ち上がれた。

戦えるほどの力がないとしても、戦う姿勢を作らなければならないこともある。

 京太郎は息を整えた。

まだ呼吸は荒いままだ。息をするのがやっとで、声も出したくない状態である。

しかしそうもいっていられない。

弱みなど見せられない。みえみえの虚勢でも張らなければならないときがある。

 二人の人影に向けて京太郎はこういった。

「久しぶり、ゾウマさん」

今日はここまでです。

来週の土曜日に続きからはじめます。

順調に行けば、後二回でいったん完結です。

出来上がったので、続きから


京太郎に名前を呼ばれた人影が一歩前に出た。京太郎の呼びかけにこたえることはしない。

なぜなら、ゾウマさんという呼び方は彼女の正式な呼び方ではないからだ。

一歩前に出てきたのは、自分のサマナーを守るためである。

京太郎が何を目的としているのかというのを、彼女らはしらない。

しかしここまで京太郎が到着しているということは四人いた守護者がすべて討ち取られたという証拠である。

京太郎には戦う意思があり、そして倒せないだろうと思っていた守護者を討ち取る力があるということの証明でもある。

また、京太郎が激しい怒りを自分たちに持つ何かがあるということもよく体験しているので、当然だが、無害な相手であるとは思えない。

たとえ客観的に見て、京太郎の状態が、死に掛けであるとしても、まったく油断ならないのである。

細腕でも地面をえぐるほどの力を怪物は発揮することができる。京太郎も同じだろう。

 ゾウマさんの背後にいた男が、大きな声を出した。

「おい何をしている! さっさと帰還の呪文を唱えろ!

 畜生、何もかもめちゃくちゃだ。研究も、仕事も、仲間も何もかも!

 どこからおかしくなった。完全にライドウの動きは予想していたはずなのに。

あまりに早すぎる。リュウモンブチで一日は時間が稼げたはずなのに、いったいどこでつまずいた?

 おい、早くしろ! 何をしている!」


ライドウにぼこぼこにされたせいだろう。

今まで大切にしてきたもの、手に入れたものをいっぺんに失った。

そして戦いでも敗北した。心身ともにぼろぼろにされたのだ。

少しくらいあらぶってもしょうがないことである。


異変に気がついた人攫いが、京太郎を見つけた。

これから逃げ出そうとしている脱出経路の中心に京太郎とその仲魔たちがいるのだ。いやでも目を引くだろう。

 人攫いは京太郎にこういった。

「お前か? お前が俺たちの計画を台無しにしたのか?

 あぁ!? ヤタガラスの犬が! 異能力者風情が!」

つかみかかってきそうな勢いだった。

 しかしつかみかかってくることはない。

 ゾウマさんの背後から京太郎にアナライズをかけた。

スマートフォンのようなものをポケットから引っ張ってきて、操作し始めたのだ。

サマナーとして生きてきた結果、サマナーらしい戦い方が体に染み付いてしまっている。

とりあえず敵とであったときには相手の戦力をアナライズする。

そしてそれから戦いを組み立てていくという習慣である。

たとえ、ぎりぎりまで追い詰められている状態でも、今まで積み重ねてきた習慣というのはなかなか振り切れないものである。


 分析結果を見て

「はぁ? くそっ! 戦いでぶっ壊れたか?」

と人攫いが言った。

スマートフォンの画面に映し出されている分析結果がおかしかったからである。

分析結果には京太郎たちの状態が映し出されている。マグネタイトをどのくらい保持しているのか。

およその体力と魔力。およその性能。そして種族についてである。

そこに書かれている分析結果には分析できていない項目があった。

種族の部分である。三人とも、種族の部分が文字化けしている。

こんな経験を人攫いはしてこなかったのだ。だからまず、戦いでの余波で壊れてしまったのだと考えた。

 しかしすぐに人攫いは持ち直して、こういった。

「まあいい。脅かしやがって。ぼろぼろじゃねぇか。

体力も魔力もほぼゼロ。マグネタイトにいたっては生きているのが不思議なくらいまで減ってやがる。

仲魔も貧弱そのもの。どういうからくりだ?

 おまえらのレベルじゃ、ここまでくることもできないはずだ。

魔道具でも使ったか? それともまだ、仲間がいるのか? まあいい。いいことを思いついた」

 ビルの屋上の陣が光を強めた。人攫いの仕業である。

「一緒に来てもらおう。一緒にな!」

 ビルの屋上から京太郎たちの姿が消え去った。人攫いもゾウマさんの姿もない。

人形が半開きにしていた陣の力を発動させて、異界から脱出したのである。

京太郎たちは人攫いの脱出に巻き込まれてしまったのだ。


京太郎たちの姿が消えてほんの少ししてから、ビルの屋上に黒猫と老人が現れた。

切り株みたいな頭の悪魔と羽の生えた少女のような悪魔が老人の後ろにいる。

黒猫が鳴いた。老人にはこのように聞こえていた。

「追いかけるぞライドウ。異界も破壊した。くずどももあらかた始末した。あとは、逃げた一人だけだ」

 そしてすぐに老人たちの姿が消えた。

 老人たちが消えてから少ししてからパッチワークされた異界が消滅した。

あるべきではない世界はあるべき世界に嫌われる。

いろいろな場所の異界を引っ張ってきて作られた奇妙な異界は本来あってはならないものである。

保持しようとする力が失われた今、大きな流れがこの世界を許さない。

川の流れが海へ続いていくのが自然の流れであるように、この異界もまたあるべき状態へと戻るのだ。

忌まわしい目的のために生まれた異界は完全に消滅した。
 


人攫いの脱出に巻き込まれた京太郎は、見たことのない部屋の中にいた。

しかしただの部屋というものではない。

とても広かった。

よく、成金がやたら広い部屋を借りていることがあるが、その無駄に使い道のない大きな部屋とそっくりな部屋だった。

少しだけ成金が借りるような部屋と違っているのは、部屋の中にいろいろな研究の資料だとか、何か忌まわしい気配を発する品物が転がっているというところである。


京太郎たちは人攫いの隠れ家、もしくはそれに近いところに引きずられてきてしまったのだ。

 京太郎たちを連れ去ってきた人攫いは、大きなキャリーケースを引っ張ってきていた。

このキャリーケースは少し様子が違っていて、金属で作られている。

そしてやたらとでかかった。このキャリーケースを使えば、一ヶ月くらいは旅行に出ていられるだろう。

人攫いは金庫を開けるとその中から小さな人形を取り出した。

この人形はタバコの箱程度の大きさである。

特に細工がされている様子はない。

十数年前に流行ったケシゴムのフィギュアみたいな質感だった。

この人形を次々と、大きな金属製のキャリーケースに詰め込んでいった。

そして詰め込むと、キャリーケースに鍵をつけ、封印を施した。


 一方で京太郎とゾウマさんは向き合っていた。

二人の距離は三メートルほど離れている。京太郎はやっと立っているという状況。

ゾウマさんは服装こそぼろぼろだが、まったく問題なさそうであった。

京太郎が動かないのは、動けないからである。

体力がもうまったく残っていない。やっと立っているだけの状態。

動くにしてもあと、スリーアクションが限界というところ。

ゾウマさんが動かないのは、命令されていないからだ。

ゾウマさんは造魔であるから、自発的に動くことはない。

契約しているサマナーが望まなければ動かないのだ。

 京太郎の眉間にしわが寄っていた。ゾウマさんと目があっているからだ。

言いようのない不快感が、京太郎の胸の奥から沸いてきている。

そして同時に、胸の空白も感じていた。

 人攫いが何かごちゃごちゃとやっている間に、ゾウマさんと京太郎の間にアンヘルと人形が立ちふさがった。

アンヘルと人形はとても弱い。人形などはガキ一匹倒すこともできないだろう。

アンヘルもガキのようなものならば何とかなるが、守護者に近い相手になると手も足も出ないだろう。

しかし、現状ではこういう形になってしまうのもしょうがないことだ。アンヘルと人形の主、京太郎は本当に限界だ。

しかしおそらく戦いは避けられないだろう。

無残にやられる前にやることをやらなければならないという気持ちで、京太郎の仲魔は動いている。

もしかしたら勝てるかもしれないなどとは考えていない。しかしそれでも、最後までやりるつもりなのだ。


 一仕事終えた人攫いが状況を見てこういった。

「いつの間に命令を出したんだ? まあいい。

いくら作戦を立てても、お前はもう終わりさ。こいつがお前を押さえ込めなかったのは残念なことだ。

まあ、大体どういうことなのかは察しがついている。

大方、何か道具でも使ったんだろう? そうでもしないと、お前みたいなのが生き残れるわけがねえ。

いや、答えなくてもいいぜ。道具がうまく使えるっていうのも、サマナーには必要な才能だからな。

恥ずかしいことじゃない。まぁ、お前の今の状態なら答えたくても答えられないだろうけどな。

アナライズの結果からわかっている。口を利くのもつらいだろう?」

 そして京太郎にこんなことを言った。

「なぁお前、俺のパシリになれよ。ちょっと人手が足りないんだ。

今は、お前みたいな雑魚サマナーの手もほしい。

今の状況がわかるはずだ。お前は俺に命を握られている。

ヤタガラスに雇われているってんならよ、鞍替えしたらいい。

死ぬよりはいいだろ? それともここで死にたいか?」

 京太郎は答えなかった。戯言に答える余裕がないからである。

 人攫いが、ゾウマさんに命じた。

「おい。そいつら邪魔だな。どかせろ」

アンヘルと人形のことだ。本当に邪魔だったわけではない。

京太郎の姿は、はっきりと見えている。話をするのも問題ない。

ただ、力関係をはっきりとさせるためだけに、アンヘルと人形をどかせろと命じたのだ。

そうすることで、京太郎を屈服させるつもりである。

 ゾウマさんは速やかに命令を実行した。

京太郎と自分の間にわって入っているアンヘル、そして人形を平手打ちにした。

造魔というのはそういう悪魔なのだ。命令されたら、命令を果たすように動く。

そこにいちいち意思を割り込ませてくることはない。

 アンヘルと人形がどかされた。丁寧な扱いではない。

人形は叩き落とされて床に転がり、アンヘルはほほを打たれて、床に倒れふした。

二人とも、命はある。しかし回復魔法をかけなければならない状態である。

ただの平手打ちだが、二人にとっては十分な攻撃だった。

京太郎の目にはゾウマさんの動きがよく見えていたが、仲魔たちにはまったく追いかけられない動きであった。


人攫いが笑った。

「やっぱ、めちゃくちゃ弱い! アナライズどおりだ。

何か仕掛けでもあるかと思ったが、そんなことはなかったな。

やっぱりだ。やっぱりこれはお前が道具を使ってここまでやってきたという証拠だろう?

 おそらく、雷の異能力と道具の組み合わせだ。

こいつでこそこそ隠れて進んできたんだ。
  
雷の異能力は便利だからな、これに道具を使えば逃げ延びるのも簡単だったろう。

いや、でもこれではっきりした。やっとわかった。

お前が俺たちの情報をこそこそかぎまわってライドウに渡したんだ。

ということは、お前はとんでもないスパイの技術を持っているってことになる。

信じられない話だ。こんなガキが、俺たちの目をかいくぐるなんて!

 しかし実際にここまで追い込まれたんだから、信じるしかないな」

自分たちの失敗の原因を見つけたと思ったのだ。

人攫いはライドウが自分たちのところに来るまでにはもう少し時間がかかると踏んでいた。

数年間ヤタガラスをごまかせたのだ。信頼できる情報だったのだろう。

しかしそれが簡単に崩れた。しかし、自分たちの行動を見直してみても穴らしいところがない。

まったく理屈がわからない。そんなところに京太郎が現れた。

現れたものだから京太郎を理由にこじつけて、自分たちが追い込まれた理由にしてしまった。

それがどうにもうれしくて推理を京太郎に話した。

 まったく的外れである。人攫いは探偵には向いていない。

しかし部分点はでるだろう。

京太郎が交差点でライドウと出会わなければ、人攫いは逃げ延びていただろうから。

ライドウの情報収集の手間をあの出会いが大幅に省いたのだ。


 人攫いがさらに続けていった。

「さぁどうする。サマナーの命綱が切れたぞ!

 もうお前は俺のパシリになるしか生き残る方法がないぜ!

 どうする、こそこそかぎまわるだけしか能がねぇのによぉ!」

人攫いは、鬱憤を晴らしたいのだ。

八つ当たりといってもいい。

ライドウにぼろぼろにされた自分を慰めるために、京太郎をいじめようとしている。

 サマナーだったらこの対応で間違いない。

また、京太郎が道具を使って生き延びるタイプだったのならばこれでよかっただろう。

サマナーの常識から考えると仲魔がいなくなったのだから絶体絶命である。

脅しをかければ折れるものもいるだろう。

サマナーだったのならば。


 京太郎は答えなかった。

朦朧としていても取り合う必要がない戯言を吐いているのがわかるからだ。

京太郎にしてみれば少しもかすりもしない推理である。

そもそもヤタガラスもライドウも関係がないところで京太郎は動いている。

ライドウにしても、そもそも誰がライドウなのかがわかっていない。

それに加えて人攫いどもの事情など知ったことではないし興味がない。

かすりもしない推理など取り合う余裕がない。

 そんな京太郎を見て、人攫いはこういった。

「はっ! うなずきもしないか。気に入らないな。追い込まれているのはお前なんだぜ。

何もかもばれてんだぞ。少しはへこんで見せろよ。

それに、その目。まだあきらめていないって感じが、余計にむかつくんだよ!

 誰のせいで、こんなことになったと思ってんだ!」

 人攫いはゾウマさんに命令した。

「くそっ! もういい! こいつを始末しろ!」

いくら脅しても表情ひとつ変えない京太郎にいらだったのだ。

 ゾウマさんが拳を固めた。命令を受けたからである。

 ゾウマさんの灰色の長い髪の毛が翻った。

初めて会ったあの時と同じように拳での攻撃を仕掛けてきたのである。


 
 床に倒れ付しているアンヘルが京太郎をじっと見つめていた。

その表情は穏やかだった。すべてを受け入れているような様子である。

残念ながら回復の魔法を唱えることはできない。

それはゾウマさんの一発が気絶に近い状態にアンヘルを追い込んでいるからだ。

急いで回復したいところだが、できない。

集中できないからだ。

できることは、視線を京太郎に向けることくらいのものである。

 間違いなく、これで終わり。

京太郎は、ゾウマさんに頭を砕かれて自分たちは一緒に消えていく。そんな状況である。

 そんな状況だから、視線を京太郎にアンヘルは向けたのだ。

京太郎がここで終わるだろうということをアンヘルは予想している。

ゾウマさんの攻撃を受けて、命を奪われる。そして一蓮托生の自分もまた、終わる。

アンヘルはそれでかまわないと思っていた。うらみはない。情けなく泣くつもりもない。

一度は死に掛けたのだ。それがここまでくることができた。

京太郎を見つめているのは、最後まで京太郎を見ていたかったから。

立つのもやっとなのに、最後まで戦おうとする京太郎を目に焼き付けて消えていきたかった。


 アンヘルは目を見開いた。信じられないものを見たからである。

糸の切れた操り人形のようにひざを突くゾウマさんをアンヘルは見た。

あっという間の出来事で、アンヘルは自分の見ているものを疑った。

しかしそれは、人攫いも、人形も同じ気持ちだっただろう。

しかし何が起きたのかを理解するのはそう難しいことではない。


 京太郎がほんの少しだけ姿勢を変えていた。右手の拳を前に突き出して、わずかに、顔を傾けている。

京太郎の右の頬にまっすぐな切り傷がうまれている。頬が切れているのは、ゾウマさんの拳が掠めたから。

ゾウマさんがひざをついているのは、京太郎がゾウマさんの攻撃を迎え撃ったからだ。

右手の拳をゾウマさんのあごに当てて、カウンターとして脳みそを揺らした。

 人攫いが吼えた。

「ありえねぇ! こんなことがあるわけが!」

京太郎はすでに限界ぎりぎりである。たっているのもやっと。声を出すのも苦しい。それは確かである。

姿勢を変えるだけの行動で、京太郎はへとへとになっている。

しかしそれなのに、ゾウマさんの攻撃を迎え撃つことができた。

これはおかしなこと。理屈に合わない。


 一方で、場を混乱を起こさせた京太郎は少しも表情を変えていなかった。

特に、驚くようなことがおきたわけではないと思っているからだ。

 京太郎は予想を立てていた。ゾウマさんがかつて自分に放ったのと同じような攻撃を放ってくると。

 そしてその予想に自分の命を賭けた。結果、京太郎が賭けに勝った。

京太郎は、それだけのことだと思っている。だから表情が変わらない。

 予想を立てることができたのは

「造魔という種族が命令を守るようになっている」

という話をしたのを覚えていたからだ。

 つまり、サマナーの命令がわかっているのならば、造魔の攻撃が予想できるということになる。

「魔法を打て」

とか

「攻撃しろ」

とかいう命令が、そのまま造魔の行動につながるのだ。

次にどういう行動をとるのかがわかっているのにどうしてカウンターを放てないのだろうか。


 賭けの要素もあった。もしかしたらまったく別の行動を取る可能性がある。

魔法の可能性、足での攻撃。可能性はある。

もしもその行動をとられたら終わりだろう。しかしほとんどないとあたりをつけていた。

それは、京太郎自身があまりにもぼろぼろだから。

こんな状況の相手を前にすると、油断してしまうのもしょうがない。

死にかけの虫のように見えているのなら、手を抜く可能性がある。

実際、人攫いは油断して「始末しろ」としか言わなかった。

魔法を撃てと命じておけば、終わりだったはず。

 あるのかないのかもわからないような根拠の上に出来上がった賭けだ。

しかし賭けるには十分過ぎる状況だった。何もやらないよりはましだった。


 京太郎の力というのはほとんど残されていない。そのとおりである。正しい。

確かに京太郎の肉体には攻撃するだけの能力はもうない。

しかし、体をわずかに、ずらすことはできる。京太郎は攻撃したのではないのだ。

京太郎は姿勢を整えただけ。拳を前に出して、頭を傾けただけ。

ゾウマさんは自分から拳に突っ込んできて、あごを強打し頭を揺らしたのだ。

勢いのついた自動車が電信柱にぶつかったらどうなるのかという話である。

 もしも京太郎が万全であったのならば、ゾウマさんの頭部は消滅していただろう。


 しかしゾウマさんの動きというのは目で追うことができないほどの速度であったはず。

いくらコースを指定されていても、百七十キロのストレートをバッターは打てないはずだ。

特にぼろぼろならば、見送るだけしかないはず。

 それもまた正しい。かつては追いきれなかった。

それは真実だ。ブラウニーたちの集落で、いいようにやられた。

両腕を使えない状況にまで持っていかれた。防御が精一杯だった。

しかしこの件に関して説明など必要ないはずだ。



 試練が京太郎を強くした。これに尽きる。この結末に不思議はない。


 人攫いがまた吼えた。

「いったいどういう仕掛けだ! 道具を使っているのか!」

この結末は人攫いにしてみれば悪夢同然だろう。人攫いは、京太郎を知らなさ過ぎる。

京太郎がただの巻き込まれただけの人間だったということも。

運よく人形と出会えたことも。アンヘルを救い出し仲魔にしたことも。

友達の願いを聞いて守護者たちを真正面から始末してきたことも。

まったく知らない。

ただのサマナーなどと思っている人間には、理解できない光景である。

サマナーは前に出て戦わない。したがって戦闘技術も低い。

それが当然の理解の仕方だからだ。

サマナーと接しているような気持ちで京太郎を見るから理解できないのだ。

そしてわからないから、無様に吼えるようなことになる。

 京太郎は拳を突き出したままの姿勢で動かなかった。

動けないのだ。姿勢を変えるというだけの行動が、京太郎にはとんでもない重労働だった。

無理やりに動かしたことで、いよいよ京太郎は目の前が見えなくなっていた。

視界はもう、ほとんど意味を成していない。白くぼやけている。


 人攫いが呪文を唱えた。すると京太郎の体がしびれた。

体を縛る呪文「シバブー」の効果だ。

京太郎のみならず、回復し始めたアンヘルと人形にも効果が及んでいる。

人攫いは京太郎に動いてもらいたくないのだ。

ゾウマさんの攻撃を打ち落とす人間などに動かれると恐ろしいだろう。

少なくとも人攫いはゾウマさんの動きを目で追うこともできないのだ。当然京太郎の動きも。

 人攫いは、ゾウマさんに命じた。

「おい! そいつにしがみつけ!」

まだ、体の自由が聞かないゾウマさんを京太郎にしがみつかせた。

京太郎の胴にゾウマさんがしがみついてしまった。

京太郎はこれで動けなくなった。なんとしても京太郎には自由になってほしくないのだ。

人攫いは、京太郎が恐ろしくてしょうがないのだ。

 人攫いが、京太郎にこういった。

「ははっ! すげえなお前。どういう仕掛けなのかさっぱりわからないが、すげえよ。

さっきは、パシリにするなって言って悪かったな。

考えが変わったよ。どうだ、俺の部下にならないか。

当然、報酬も支払うよ。ヤタガラスからいくらもらってんだ?

 二倍払おう。三倍でもいい。もちろん、命も保障しよう」

 人攫いの姿が京太郎には見えていなかった。

近くに人攫いがいる。しかしぼやけた視界がはっきりと見せてくれない。

声も遠い。意識を失う限界ぎりぎりのラインで京太郎は踏ん張っていた。


 人攫いに話しかけられている京太郎は、まったく別の幻を見ていた。

その幻は、冒険に出る前の自分の生活の幻だった。

自分にお願いをする人と、それを聞く自分の姿が見える。

限界ぎりぎりのところで踏ん張っている京太郎の意識は眠っているのかそれともおきているのかもわからない状態である。

そのため、今起きている出来事と重なる思い出が、夢を見るような調子で思い起こされているのだ。

すでに、人攫いの話など耳に入っていない。

 京太郎の幻にはいろいろな人が登場していた。

京太郎に、お願いをしてきた人の記憶である。いろいろな人が脈絡もなく現れて消えていった。

 学校の先生が「プリントをはこんでくれ」といった。

 部活動の先輩が「買い物にいってきてくれ」といった。

 自分の両親が「手伝ってくれ」といった。

 友達が、「助けてくれ」といった。

 そして人攫いが「部下になってくれ」といった。

 京太郎の表情は変わらない。お願いされることに悪い気持ちはないからだ。しかしまだ、幻は続いた。


 
 視点が切り替わって、京太郎はかつての自分自身と対面していた。

幻だからできることだ。

幻の中の自分は、生きているのか死んでいるのかも分からないようなうつろな眼でヘラヘラと笑っている。

「気に入らない目だ」

と京太郎は思う。

 京太郎の目に光がともった。

現実と幻想のはざまで、自分自身の胸の空白が何者から生まれていたのかに京太郎は気がついたのだ。

へらへらとした自分の幻を見たとき、はっきりと感じた強い気持ち。

それは守護者たちを前にしたときに感じた気持ちであり、ゾウマさんの目を見ていたときの気持ち。


 
 京太郎は、微笑を浮かべた。

人攫いの提案の裏に潜んでいるくだらない思惑に気がついたからではない。

胸の空白の理由に気がついたから、微笑んだのだ。

「どうして今まで、俺は気がつかなかったんだろう。

やっとわかった。胸の空白は、俺自身が生きる目的を持たなかったから生まれていた。

俺はゾウマさんたちに八つ当たりをしていただけだ。

ヘラヘラと笑って、他人に生きる目的を預けていた自分をゾウマさんたちに重ねていただけだ。

俺に足りなかったのは、俺自身から発する強い願い。

生きる目的」



命がけの冒険であったけれども、満ち足りた時間をすごすことができたことが、答えを見つける手助けになっている。

いきたいと願い。友達の願いを叶えたいと願った。

京太郎の心がしっかりと固まった時間があったからこそ、かつての自分を見ていられなくした。

そして気がつかないうちに自分を嫌った。

そんなときに自分とよく似ている存在を前にしていらだった。


 こんな簡単なことにいままで気がつかなかった自分を笑い。

やっと胸の空白に気がつくことができたことに京太郎は笑ったのだ。

 人攫いなど、眼中にない。


 ただ、京太郎の微笑を見た人攫いは顔を真っ赤にした。

京太郎が笑ったからなのだが少し事情が違う。

京太郎が自分の提案をけったから怒っているのではないのだ。

人攫いは、自分の提案の裏に隠されている、くだらない思惑を見透かされたのだと思い込み、怒りを感じている。

屈辱的だと。

 というのが、はじめから京太郎を助けるつもりなど人攫いにはない。

それは今の状況を見ていたらわかることだ。人攫いは、京太郎を呪文で縛り上げている。

しかもゾウマさんを使ってダメ押しをしている。

 命を助けるような話をしているが、これは少し無理がある。客観的に見れば、脅迫である。

そしてこの人攫いの様子を見て一番に思う印象は、自分の鬱憤を晴らすために、動いているということ。
 
 人攫いは、京太郎をいったん持ち上げておいて、裏切ってやろうとしているのがみえみえなのだ。

そもそも本当に交渉しようとしているのならば、呪文とゾウマさんを解除するのが道理だ。

 実際アンヘルと人形は、嘘だろうということを見抜いてしまっている。

 もしも京太郎が、この提案に乗ってきたら、人攫いはそこで自分の本心を明らかにするつもりだった。

期待させておいて絶望させて、鬱憤を晴らすつもりなのだ。

 それだけの屈辱をライドウと京太郎に受けたのだからやるだろう。


 ただ、京太郎は微笑みで答えた。

この微笑が、少しまずかったのだ。

何せ京太郎は自分の空白に気がつけたことでひとつ成長している。

肉体的にではなく精神的な成長である。そこから漂う自信が京太郎の目に光をともす。

ただでさえ京太郎の目を気に入らなかった人間にとってはたまらないだろう。

 くわえて京太郎の微笑が人攫いのゲスな目的を見抜いて生まれたものだとも取れた。

「お前のくだらない狙いなどすっかり見抜いているぞ」と

 結局、京太郎に非はない。人攫いが勝手に精神的な敗北したというだけのことである。

  それがどうにも人攫いには耐えられなかった。

楽勝だと思っていたところにゾウマさんの敗北と、人間的な敗北の両方を喫することになったのだ。

たまらない。

結果として怒りとしてあらわれたのだ。


 京太郎を人攫いが殴った。何度も何度も京太郎を殴った。

京太郎の唇が切れて、血が流れた。息が切れるまで殴って、やっと殴るのをやめた。

「気にいらねぇえんだよ。お前」

気に入らないからというのも嘘ではない。

京太郎を殴ったのは、精神的に敗北した自分を隠したかったからである。

精神的な敗北というのは自分自身がジャッジする。嘘偽りのない感情が襲ってくるのだ。

自分をごまかしたかった。だから身動きの取れない京太郎を殴った。

自分が勝利しているのだと。殴っているのは自分で、相手は動けない。

これは自分の勝利だろうと。

 人攫いはこういった。

「もういい。お前はここで終わりだ。ここで終わらせてやる。

おい、そのまま動かないようにしとけよ」

ゲスな作戦も発動させることができず、無様をさらしただけの人攫いにできることは、京太郎に死を与えるくらいのものである。

最終的に生き残れるものが正義であればいい。

そのくらいの気持ちで京太郎をつぶすのだ。

 
 人攫いが呪文を唱え始めた。

 呪文を聞いたアンヘルが真っ青になった。

アンヘルには呪文がどのような効果があるものかがわかったからだ。

今、人攫いが唱えようとしている呪文が発動して、その効果にさらされてしまえば、どれだけ強力な肉体を持っていたとしても、意味がない。

そういう魔法である。

 人攫いが呪文を発動させた。京太郎にしがみついているゾウマさんもろともである。

「ムドオン!」

 闇が京太郎とゾウマさんを包み込んだ。

京太郎とゾウマさんを中心にして直径二メートルの円が描かれた。

そしてその円から闇が噴出した。

 京太郎の視界が真っ黒に染まった。

 闇のなかにはたくさんの手があった。命をとるための闇の手である。

闇の手が、京太郎とゾウマさんに絡みついた。

 絡みついている闇の手が京太郎の体にしみこんでいった。

肉体の強さなどまったく関係がない。するすると入り込んでいく。

京太郎の心臓を奪うためだ。

 京太郎の心臓が止まった。

闇の手が、京太郎の心臓に触れ、心臓を止めてしまったのである。

死は平等に訪れる。

京太郎もゾウマさんも、区別はない。

大いなる導きにしたがって、誰もが同じ場所へ向かうだろう。

 しかしまだそのときではない。



 闇の中で、京太郎は食いしばっていた。

心臓は止まっている。後一秒もせず京太郎は死ぬだろう。

京太郎がまだ耐えているのは、京太郎にまだやるべきことが残っているからだ。

まだ終わっていない。まだ、さらわれた人たちを助けていない。

確かに心臓が止まった。このままなら、命が消えるのは間違いない。

ただ、まだ終われない。

 京太郎の混乱はもうない。自分の胸の空白に気がついたからだ。


 京太郎が願った。

 「動け心臓」

 心臓はピクリともしない。

当然だ。ムドオンが完全に決まったのだ。たとえ食いしばっても心臓が動き出さないのなら意味がない。

 京太郎は命じた。

 「動け心臓」

 心臓は当然動かない。ムドオンの呪縛は強い。

 京太郎が右手を振り上げた。拳を硬く固めている。

心臓が動かないと駄々をこねるのならば、無理やりにでも動かすだけだ。

 右手の中指に納まっている指輪に京太郎が命じた。

 「動かせ、心臓」

 指輪がうごめきだした。

迷いのない京太郎の願いをかなえるため。指輪が働こうとしている。

 振り上げられた拳が左胸をたたく。

 指輪が京太郎の右手中指から離れ、心臓に向かって走り出した。

 京太郎がうめき声を上げた。強烈な痛みを感じたからだ。

この痛みは、同化の痛みだ。

指輪が心臓に喰らいついてひとつになろうとしている。


 ムドオンの闇の中で稲妻が瞬いた。


 何千年も前の時代、神様が頭を抱えていた。ほかの神様がやってきて、

「どうしたの」

とたずねると、

「困ったことがある」

といった。神様はこう説明した。

「気に入った人間がいるのだけれども、言葉が通じない。

大雑把な気持ちならば、身振り手振りで伝えることができるが、細かい気持ちを伝えることができない。

自分はもっとあの人間と遊びたいのに、これではまったく遊べない」

 そうして神様たちは悩み始めた。同じような悩みをその神様も抱えていたからだ。

 どうしたらいいかと話していると、また別の神様がやってきて

「自分もそうなのだ」といった。

「すばらしい芸術を作る人間がいるのだけれども、言葉が通じなくて困っている。

作品を持って交流することで何とかやってはいるが、もどかしいものだ。

あの人間と言葉を交わすことができれば、もっと高いところへと、歩いていけるのに」

 神様たちは人間たちと会話ができなかった。人間もまた、神様と会話ができなかった。

なぜなら彼らは別の世界に生きていて、別の文明に生きていたからである。

神様たちは人間たちの言葉を勉強してみた。

しかし勉強している間に人間たちの命は終わり、彼らと出会うことはできなくなってしまうのがほとんどだった。

人間と、神様の命はあまりにも離れすぎていた。

 神様たちがいろいろと作戦を考えていると、

「思いついた」

といってひざをたたいた神様がいた。ひざをたたいた神様は悩んでいる神様たちにこういった。

「魂を混ぜようじゃないか諸君。彼らを私たちと同じものにしてしまえばいいのだ。

私たちと彼らが別の存在だから、言葉が通じないのだ。ならば、一緒のものになってしまえばいい。

そうすれば、もっと彼らと遊べる」

 神様たちはこの思いつきに乗った。

人間と交わるということに対してたいした危機感もなければ、嫌悪感もなかったからだ。

むしろいつの間にかどこかへ消えてしまう人間が、自分たちと同じ存在になるということがうれしかった。

そして、深く理解しあえるようになるだろうというのもうれしかった。

 神様に好かれた人間たちに、この計画をやっとのことで伝えた。

神様たちの作戦はお互いの同意が必要だったからだ。

 作戦は神様たちが身振り手振りで伝えた。

 そうすると、ほとんど間違いなく

「やってみるか。面白そうだし」

というような調子で答えた。神様に愛された人間はあっという間に神様と一緒になってしまった。

もともと神様に好かれるような人間であるから、線が一本切れているのだ。

大きなデメリットよりも、面白そうな小さなメリットに飛びついた。

 これが英雄の始まり。


 しかしこの出会いをよく思わないものたちがいた。神様の中にごくわずか。

人間の中にはたくさんである。理由は同じだ。共同体の邪魔になる。

この自由気ままな生き様は、共同体の中で生きるものたちにとってはあまりにも危険なのだ。

神様たちのほとんどは

「かまわないんじゃない」

というような反応だった。しかしそれは神様たちがそもそも自由気ままであるからである。

 人間は特に英雄を嫌った。なぜならば、共同体がなければ人間は生きていられない。

神様に愛される人間は、そこにいるだけで秩序を乱す。

 「宗教に惑わされることなく、権力に屈せず、金に支配されない」

 神様に好かれる人間というのは共同体に生きる人間にとってはただの脅威である。

自律している人間は、共同体秩序からはただの怪物にしか見えないのだ。

 神様と交渉する技術を共同体に生きる人間たちは身につけはじめた。

英雄たちに対抗するためである。英雄たちは、神様とつながっている。

神様とひとつになっている英雄はとんでもない力を発揮するので、人間の力だけでは対応することができない。

ならば、神様の力を借りればいい。

英雄たちを打ち倒すために英雄をよく思わない神様と交渉し、彼らは力を手に入れるようになった。
 
 サマナーの始まりである。

 しかしサマナーになっても歯軋りをしているものたちがいた。怒り収まらないという様子である。

英雄に何かされたからではない。何もされなかったから怒っていた。

 サマナーたちのことを英雄たちは気にも留めなかった。

もともと自由気ままな精神を持っていた人間が、神様と一緒になったことで余計に自由気ままになったのだ。

「どうしていちいち他人などにかかわってやらねばならないのだろうか」

といって自分の道を歩いていく。

 共同体で生きている人間たちの気持ちなどというのが理解できるわけもない。

自分は自分、人は人。英雄になっても心まで変わるわけではない。

 何か災いを英雄が振りまいたわけではない。普通に生きて、暮らしていただけ。

 それがまずかった。彼らがあまりにも自然体で、あまりにも共同体の人間たちに興味を持たなかったのがわるかった。

嫌いだとか好きではなく、英雄たちは共同体に無関心だった。

だから共同体の人間は怒ったのだ。

「自分たちはこんなにも必死になっているのに見てもくれないのか」

 怒りが収まらなかったものたちは英雄と神様たちを貶める呼び方をはじめた。

神様と英雄が、自分たちを見もしないという屈辱を晴らしたいと思ったのだ。

何とかその屈辱を晴らすために相手に嫌がらせをし始めた。

こんなことをしたところで、何になるわけでもない。

しかしこんなくだらないことでもやらなければ、小さなプライドが生きていられなかった。

 その結果、神様は「悪魔」と呼ばれ貶められるようになり、英雄は「魔人」と呼ばれ恐れられるようになった。

今から何千年も昔の話である。


 今はもう、魔人はいない。ただ、マガタマを残してどこかへと消えていった。
 



 そして現在、新たな魔人が生まれようとしている。



 警告音がなった。危機感をあおる音だった。

人攫いのスマートフォンが大きな音を出したのだ。

ムドオンの闇はまだ、京太郎とゾウマさんを包み込んでいる。

人攫いがスマートフォンの画面を見てみた。すると画面が切り替わっていて、アプリが起動していた。

高い金を払って導入した魔人警告アプリが、魔人の到来を予告している。

 人攫いの顔から血の気が引いた。魔人という存在が現れれば、ただの人間である人攫いに抗うすべはない。

魔人を倒せる人間などほんの一握りしか存在していないのだ。

それこそ人攫いが必死で逃げ回っている相手、ライドウのような人間でなければ討ち果たすことはできない。

もしも人攫いが、魔人と出会ってしまったらどうなるのか。

死ぬ。わかりきった結末である。

 人攫いはあたりを見渡した。

アプリが起動しているということは目に見える範囲、レーダーの範囲に魔人がいるという証拠である。

ということは、警告音がなっている以上、人攫いの借りているマンションのどこかに魔人が潜んでいるということになる。

逃げ出すにしてももしかしたら扉の向こう側、廊下の曲がり角に魔人が潜んでいるかもしれない。

すぐに飛び出てこないのは魔人特有の奇妙な思考があるからだろうと思っている。

魔人の思考回路は、普通の悪魔の思考回路とも人間の思考回路ともかみ合わない。

 人攫いは目を見開いた。

借りている部屋のどこにもいないというのならば、考えられる可能性というのは、今、確認できていないムドオンの闇の中だけであるからだ。

人攫いは、京太郎が何かしらの道具を使い、魔人を呼び込んだのかもしれないと考えた。

魔法の道具の中には自分をいけにえにささげることで、恐るべき存在を呼び込むものがある。

京太郎が、逃れられない結末に覚悟を決めて、人攫いもろとも終わることを選んだのかもしれないと考えたのである。


 人攫いは目を疑った。ムドオンの闇の中で光るものがある。

どうやら、人の形をしているらしい。

しかし光るその姿は、今まで自分の目の前にいた少年の姿とよく似ていた。人攫いはおかしいと思った。

魔人を呼び込んだというのならば、その姿が今のままであるわけがない。

 人攫いは自分の目をさらに見開いた。何が闇の中でうごめいているのかを確認するためだ。

しかしその目は、勇気に満ちているわけではない。恐怖しかない。恐怖が、視線をきることを許さない。

 人攫いの耳に奇妙な音が飛び込んできた。カチカチという音と、ズルズルという音である。

ズルズルという音は、ムドオンの闇の中で動いているものが発している。

音の様子からして、何か重たいものを引きずって、歩いているのが予想できる。

ズルズルという音はどんどん人攫いに近づいてきている。

 カチカチという音は、人攫いの口元から発している。

闇の向こうから現れる存在が、誰を狙っているのか予想がついてしまったのだ。



 二回目の警告音が鳴った。魔人との出会いが、間違いないものに変わったからだ。

 
 死にいざなう闇の拘束を断ち切って「魔人 スガ キョウタロウ」が姿を現した。すべては目的を果たすためである。


 京太郎の様子が変わっていた。

髪の毛が灰色になっている。

目はうつろだ。髪の毛の変化は転生を果たした結果であろう。

そして目に力がないのは限界ぎりぎりのラインをいったり来たりしているからである。

しがみついているゾウマさんも、自分の状態も無視してムドオンの闇から抜け出してきたのだ。

 ゆっくりとだけれども京太郎は歩いていた。京太郎のエネルギーが残っているからではない。

心臓そのものになった指輪がエネルギーを供給しているのだ。

このエネルギーは京太郎から吸い上げていたエネルギーである。

 人攫いが腰を抜かした。魔人が目の前に現れたからだ。

噂話の中でしかきいたことがない、恐るべき存在が今、人攫いの前にいる。

しかもこの恐るべき存在は、自分のことを狙っているのだ。

戦うしかない。しかし勝てるだろうか。

もう、戦力になる悪魔など残っていないというのに。

人攫いの心が絶望に染まった。そして力を失い腰を抜かす無様をさらした。

 人攫いは悲鳴を上げた。京太郎がゆっくりと人攫いに向けて歩いてきたからである。

体力も気力もほとんど残っていないので、その歩くスピードはとんでもなく遅い。

しかしそれが余計に恐ろしかった。じっくりと人攫いを狙っているように見えた。

 人攫いがもう一度悲鳴を上げた。

人攫いの斜め後ろに置かれてある、大きな金属製のキャリーバッグに京太郎がしがみついたからである。

京太郎の行動が自分の命をとるための行動のように人攫いには思えたのだ。

自分を狙ったが、たまたま狙いがそれて後ろのキャリーバックに向かったのだと。

 一方で京太郎は人攫いのことなど見ていなかった。

自分の状況も気にしていない。

京太郎がほしかったのは、人攫いの命ではない。

ほしかったのは、さらわれて人形にされてしまった人たちだ。
 

 京太郎は、ほしかったものを手に入れた。



 人攫いは、泡を食いながら呪文を唱えた。人攫いはなんとしても生き残りたいと願っている。

死にたくない。そんな死にたくないという一生懸命さが、ひらめきを生み出した。

ひらめいた方法とは、戦わずに魔人をどこかへと飛ばしてしまうこと。

逃げられないのなら消えてもらえばいいという発想である。

幸い魔法には、そういう魔法がある。


 豪華なマンションの一室から、人攫い以外の姿が消えた。

アンヘルも人形もいない。当然京太郎もいない。

そしてゾウマさんの姿もない。

人攫いは自分の仲魔よりも、自分の安全を求めたのである。

細かい範囲を決めずに、京太郎をどこかへとはじき出した。

 人攫いが、笑った。

笑ったといっても楽しそうに笑ったわけではない。

引きつった笑いである。恐るべき存在が、目の前から消えうせて、ほっとしたのだ。


 人攫いが借りている豪華なマンションの一室に、猫のなき声が響いた。

人攫いが恐れなければならないのは本来、京太郎ではない。

自分の悪行を追い詰める葛葉ライドウ、その人である。

ライドウは人攫いを逃がすつもりなどない。


 ここまでです。
 
 来週で、完成します。

 

続きからです。


 取り戻した大切なキャリーバッグを京太郎はしっかりと抱きしめていた。

というのが、地上からはるか離れた空中に京太郎は転送されていたからだ。

人攫いというのは、京太郎をあまりにも恐れるあまり、おかしな場所に京太郎たちを弾き飛ばすようなことをしたのである。

そんなことをするものだから、地上からはるか彼方、雲の上に京太郎たちはじき出されてしまった。

もともと京太郎のことが心底恐ろしかったのだから、この扱いでもしょうがないことである。

できるだけ遠くに飛ばしたいという願いを、魔法がかなえたのだ。

結果、空に向かって投げられたボールが落ちてくるのと同じ理屈で、引力に惹かれて落下することになったのである。

京太郎は、目もあけられないくらいに疲労していたが、何かしら起きたのだということを察して、なんとしても大切なものを話すまいと必死になっていた。

京太郎にできることはしっかりとキャリーバッグを抱えるくらいのものだ。

 ほんの少しの間、京太郎は落ちていく感覚を楽しむことになった。

 しかし京太郎たちの落ちていく速度は緩んでいった。

京太郎の頼れる仲魔、アンヘルが京太郎をしっかりと抱きしめたからだ。

仲魔たちには京太郎にはない空を飛ぶ能力がある。

ゾウマさんの平手打ちで気絶に近い状態に陥っていたのだが、それも回復している。

空に弾き飛ばされたのだということがわかってしまえば、やることは単純である。

京太郎に命令されるまでもなく、京太郎を抱えて空を飛べばいい。

かつては京太郎を抱きかかえて飛ぶことができなかったアンヘルだが、今回は時間の制限がないので、まったく問題がない。

ゆっくりと地面に降りていって、それでおしまいである。

 京太郎の脇に手を入れて、しっかりと翼を羽ばたかせてアンヘルはゆっくりと地上に向けて降りていった。

アンヘルは、京太郎の耳元でこういった。

「マスター、やっと戻ってこれましたよ。現世です。ここは間違いなく現世です。

見てください。太陽が昇ろうとしていますよ」

地平線の向こう側から太陽が昇ってくるのをアンヘルはしっかりと捕らえていた。

そしてアンヘルは世界の匂いをかぎわけていた。

腐ったごみのような匂いも、不自然極まりない世界の匂いもないのだ。いやでもわかる。

そして、気がついたからには、伝えなくてはならないだろう。

アンヘル自身が望んだ、目的の達成の喜び。そして京太郎の冒険の成功を。

アンヘルの近くには気絶から回復した人形がふわふわと飛んでいた。

 人形は

「やったー!」

といって叫んでいる。

昇ってくる太陽をしっかりと受けることができたのがうれしいのだ。

現世の暖かい太陽の光を受けて、やっと戻ってくることができたとわかった。

それがどうにもうれしいのだ。

特に、ひどい状況でごみの山に捨てられていたのだから、はしゃぐのもしょうがないことだ。


 十字が二つ重なっている交差点に京太郎と荷物を抱えたアンヘルがゆっくりと舞い降りていった。

ここに降りてきたのは、近くにある商店街だとか住宅街が立っているのが見えたからである。

どこに下りるのも可能だろう。商店街に下りてもいいし、住宅街に下りてもいい。

しかし人に見られると面倒だとアンヘルは考えたのだ。

このご時勢に、羽の生えた人間が空から降ってくるなどというのはちょっと面倒くさいことになりかねない。

朝の早い時間であるから、まだ人気が少ないのが幸いであるということで、交差点に降りていくことにしたのだ。

もちろん人に見られる可能性はある。しかし、商店街だとか住宅地よりはましなのだ。

 地面に足をつけるやいなや、あっという間に京太郎からアンヘルが離れた。

京太郎はいまいち気にしていないが、京太郎にお邪魔虫がついているからである。

ゾウマさんだ。まだ、京太郎の体にゾウマさんが引っ付いている。

これが人形が引っ付いているのなら見逃していただろう。

当然アンヘルだけであったらそのまま引っ付いていたかもしれない。

問題なのはゾウマさんで、はっきり言って敵対者である。

それも先ほどまで戦っていた相手だ。しかも強い。生かしてはおけない。

 アンヘルは弓矢をどこからか取り出して、攻撃の準備をし始めた。

京太郎にしっかりとゾウマさんはしがみついている。アンヘルにゾウマさんは視線を向けるだけだ。

動こうとはしていない。アンヘルは不思議には思っていなかった。

弓矢を余裕を持って構えられるのも、特におかしなことではない。

なぜならサマナーの命令をまだ、ゾウマさんは守っているからである。

次の命令がなければ動かない。造魔というのはそういう生き物だ。

それがアンヘルにもわかっているので、ここで余裕を持った行動を取れるのだ。アンヘルはこう思っている。

「死ぬまで、そうしていなさい」と。

 ゾウマさんを射殺しようとしているアンヘルと、京太郎の目が合った。

京太郎とアンヘルのマグネタイトの供給ラインが微妙に揺れたのを京太郎が感じたのだ。

京太郎はそのゆれで、何事が起きたのかと思い、アンヘルに目を向けたのだ。

「なにか、もんだいでもおきたのか」と。

 目でアンヘルを京太郎が制した。京太郎がアンヘルの目的を察したのだ。

 アンヘルが「どうしてです?」とたずねた。

ゾウマさんはアンヘルを見つめている。両腕は京太郎の胴に回ったままだ。

ゾウマさんは京太郎の命を狙った敵である。たとえ敵のサマナーがいないからといって、

油断できるわけではない。主人思いの仲魔は危険を排除しようとして、行動しているのだ。

今この場で、どうして見逃すことがあるのだろうか。


 何とか意識をつないでいる京太郎が、短く

「俺と同じだから」

とこたえた。この答えは自分自身を自覚したから出てきたものだ。

殺す意味がないと京太郎は思っている。

かつての自分と、ゾウマさんが同じような生き方をしていることに京太郎は気がついている。

自分の生きる目的を持たず、人に生き方を任せる生き方である。

人任せなのだから、そのものを倒したところで、何が生まれるわけもない。

何せ操られているだけだから。いちいちかまっておく必要もない。

操られているだけのものなのだから、価値もなかろうと。

 京太郎の答えを聞いて、アンヘルの表情が露骨にゆがんだ。

「俺と同じ」というのが耳に入ってしまったからだ。アンヘルは京太郎の答えを少し勘違いしてしまった。

「かつての」と京太郎が伝えられたらよかったのだが、それができなかった。そこまでの力が残っていない。

力が足らず、言葉が足らないものだから、まるでゾウマさんと同じような生き様を京太郎がしているから助けるのだというように聞こえてしまった。


「造魔などとマスターが同じものであるわけがないでしょう?」

という気持ちがアンヘルにわいてきたのである。

 かなり不満ありげなアンヘルを尻目に、人形はこういった。

「少年、やっと現世へと帰還することができたな。本当に運よく、人攫いにさらわれた人たちも取り戻すことができた。

上出来だ。そして、アンヘルも俺も、目的を達することができた。

本当にすばらしいことだ」

アンヘルの表情を見たからだ。人形はこう思った。

「面倒くさい勘違いをしているな」と。

現状で、この勘違いをとくのは面倒くさいことこの上ない。

京太郎が元気なら、訂正していく余裕もあるだろう。

しかし今はその余裕もない。人形は後で訂正しようと考えた。

今はやらなくていい。そしてさっさと京太郎の意識が残っている間に話を先に進めることに決めた。

 人形が暗い口調で、こういった。

「しかし少し問題がある」人形が続けていった。

「できるならばキャリーバッグの中身を確かめたいところだ。しかしできそうにない。

どうにも人攫いがかけた封印が解けそうにないんだ。

中身をしっかりと確かめて、それで、終わりにしたいところなんだが、ちょっと難しそうだ。

呪文とかならば俺たちでどうにかできるが、物理的に封じられている。

俺もアンヘルもそこまで腕力がない。確認は、また後でやることにしよう。まずは、少年の回復が優先だ」

人形はキャリーバッグがしっかりと封印されているのを確認していた。呪文と物理的な封印である。

呪文は簡単に解ける。問題は物理的な封印である。残念なことにアンヘルも人形も金属を破壊するほど力が強くない。

京太郎が復活すれば問題がないのだが、今は無理だろう。
 


 もしかしたら、キャリーバッグの中身はまったく求めていたものとは違うという可能性もある。

何せ本当に偶然が重なって手に入ったものである。証拠などというのはひとつもないのだ。

だから確かめたかった。確かめることで京太郎の冒険が報われたのだと伝えたかったのだ。

 そして安心の中で京太郎が体を休められるようにしてやりたかった。

それができないことを、人形は悲しんだのだ。

 そんな時、京太郎にしがみついていたゾウマさんがこういった。

「京太郎さんは、キャリーバッグの封印をときたいのですか?」

命令がなければ動かない造魔であるが、話は聞こえている。

 京太郎は力を絞って答えた。

「はい」

 ゾウマさんが京太郎から少しだけ離れた。

京太郎に絡ませていた腕を放して、京太郎の後ろからキャリーバッグに手を伸ばしていった。

それを見てアンヘルが弓矢を放とうとした。しかし人形がとめた。

ゾウマさんがキャリーバッグに手を触れて、こういった。

「私が、といてあげましょう」

 アンヘルと人形が驚いた。ゾウマさんがマスターの命令もなしに行動したからである。

造魔というのは主人の命令が絶対の悪魔である。

そもそも悪魔というのは契約の関係上、命令されなければ自発的に動くことはない。

特に造魔というのがその傾向が強い。ありえないことがおきたのだ。

稲妻を自在に操る人間が目の前に現れたら誰でも驚くのと同じである。

 金属のひしゃげる音が、交差点に響いた。

ゾウマさんが封印の施されていた部分を、力ずくで引きちぎったからである。

朝の早い時間であるから、やたらと音が響いた。

夜明け前であるから生活の音もなく、車が走る音もない。

遠くから新聞配達でもしているのだろうバイクのエンジン音が聞こえるが、そのくらいのものだ。

夜の闇の中では時計の針がうるさく聞こえるのと同じ理屈で、やたらと大きな音に捉えられた。

 封印のとかれたキャリーバッグをアンヘルが開いた。

封印を引きちぎったゾウマさんの腕が、再び京太郎の胴に絡みついていったからである。

キャリーバッグを開くところまではやってくれないらしい。

そして今まともに動けるのは、アンヘルくらいのものである。

なのでさっさとアンヘルがキャリーバッグを開いて中身を確かめることになった。


 キャリーバッグの中にはたくさんの人形がしまわれていた。

 京太郎が人形たちにふれた。生きているものならば、そこにマグネタイトの脈動があるはずだからだ。

 京太郎のほほを涙が伝った。

キャリーバッグの中にしまわれていた人形たちからマグネタイトの脈動が感じ取れたことではっきりとしたからだ。

京太郎の冒険は無駄ではなかった。

そして、さらわれていた人たちは現世へと帰還することができた。

それがわかったことで、涙があふれたのだ。

達成感から来るものなのか、悲惨な扱いを受けた人たちの無念を感じ取ったのかはわからない。おそらく両方であろう。

 京太郎にゾウマさんがこういった。

「名前のお礼です。京太郎さんしか、呼んでくれませんでしたけど、うれしかったです。

ですから、お礼がしたくて、それで自分で動いてみたんです。喜んでくれますか?」

 何とか力を振り絞って京太郎は

「はい」

と答えた。

 ゾウマさんが微笑んだ。

「そうですか。よかったです。エヘヘ」

 京太郎は少しだけ目を閉じた。

しがみついていた人の体の重さを感じなくなったからだ。

ムドオンの闇はゾウマさんの命も狙っていたのである。

ゾウマさんの姿が消えたところにはドリーカドモンだけが残されている。

 交差点には、京太郎とアンヘルと人形しかいない。


 京太郎の体が、大きくぐらついた。京太郎にはもう、何の問題も残っていない。

今の今まで京太郎が動いていられたのは、「まだやりきっていない」という意識があったからに他ならない。

それは心ひとつでなんとかたもっている状態である。今の京太郎に心を支えるものは何もない。

助けたいものを助け、心の空白を見つけ、満ち足りている。

そして冒険の終わりが来たことを完全に理解したことで、心の糸が切れた。

もともと、限界ぎりぎりのラインで動いていたのだ。

当分休ませなければ、京太郎が目を覚ますことはないだろう。

京太郎に残されているエネルギーはもうない。


京太郎が意識を失うとすぐ、仲魔たちはこの場から逃げ出す態勢に入った。

京太郎のわきの下に手を伸ばして、アンヘルが空に飛び立つ準備をし始め、人形は周囲を警戒している。

大きなマグネタイトを保有している存在が近づいているのを感じ取ったのだ。

ただの人間が表れるくらいなら問題はない。

翼を隠し、普通の人形のまねをするだけで終わりだ。

しかし巨大な力を持つものが現れるのならば、話は変わる。

人攫いの仲間か、もしくはまったく別物なのか。正確に、何物なのかはわからない。

ただ、敵かもしれない。だったとしたら、逃げなくてはならないだろう。

仲魔たちがキャリーバッグに目もくれていないのは、京太郎を助けることが一番であって、人形に変えられた人たちのことは二番目であるからだ。

京太郎は怒るだろうが、優先順位は変わらない。

 交差点に、黒猫を連れた老人が現れた。黒猫が鳴いた。

京太郎を守る仲魔の姿を確認したからである。

普通、悪魔というのは契約した人間が、気絶するとそのままにしておくことが多い。

というのが、サマナーと悪魔の関係というのが割合、冷えていることが多いからだ。

報酬があるから付き合っているだけの関係である。しかし時々、サマナーを守る悪魔というのがいる。

大体そういうものたちは、主を守るために限界ぎりぎりの力を見せて、面倒くさい戦いを繰り広げることが多い。

何せサマナーを大切だと思っているのだ。守るため必死にもなる。で、黒猫はそれを避けたかったのだ。

「お前たちとやるつもりはない」

そう伝えるため、攻撃を仕掛けずに、あえておしえるように声を出したのだ。

 アンヘルと人形、そして老人には、猫の鳴き声はこのように聞こえている。

「どうやらあの少年に、先を越されたようだ。

年はとりたくないものだな、ライドウ。それに、どうやらとんでもない冒険をしてきたらしい。

普通の人間だったはずなのに、一晩でとんでもない存在になってしまっている。どうしたものか」

 アンヘルが翼を広げた。黒猫の「ライドウ」という言葉を聞いたからである。

京太郎たちが何か悪さをしたということはない。しかしアンヘルと人形の状況というのは、あまりよろしいものではない。

少なくとも黒猫に京太郎の状況を見抜かれているのだ。

自分たちが何者かというのもばれていると考えるのが普通であろう。

そしてライドウの性格を知らない以上、このままおとなしくしているというのはよろしくないのだ。

早い話が、警察官だとかの前に、黒に近いグレーゾーンの行動をとった人間がいるようなものである。

ライドウでよかったとは思えない。おそらく逃げても無駄だろうが、努力はするつもりなのだ。



 老人が手でアンヘルを制してこういった。アンヘルも人形もさっぱり話をする準備がない様子を見たからである。

「落ち着きなさい。君たちに危害を加えるつもりはない。

私は、一度その少年と出会っている。

だから、なんとなく何が起きたのかというのも推測することができている。

まったく君たちが知るところではないから、信用してもらえるかはわからない。

しかしその少年の性根が正しいことはよく承知しているのだ。

何せ心を覗かせてもらったからな」

 そして続けてこういった。

「名乗るのが遅くなって申し訳ない。私の名前は葛葉ライドウ。

君たちのマスターと同じ目的を持って、動いていたサマナーだ。

信用してもらいたいのだが、どうしたら信じてもらえるだろうか。

とりあえず、救急車をよぼうと思っているのだがどうだろう?

 それで一応、信用してもらえるかな? 携帯電話は持っていないだろう?」


 この出会いから十分後、救急車が交差点に到着した。老人が、電話をかけたのだ。


そのとき、救急車にはおかしな格好をした女性と老人が一緒に乗り合わせることになったのだが、警察はそのことを知らない。


 目を覚ました京太郎は、自分の周りをきょろきょろと見渡していた。

目を覚ましたとき、見慣れない天井をはじめに見ることになったからである。

もしも見慣れた自分の部屋の天井であったのならば、自分が今まで歩いてきた旅路というのは夢だったのではないかと思うところである。

しかし、目が覚めてみるとまったく知らない天井が入ってきたので、

「やはり、あの冒険は夢ではなかった。しかし何があった。俺は今どこにいる?」

という気持ちになったのである。しかし自分の近くに何か証明してくれそうなものというのがない。

それで何か証明してくれるものはないかと探したのである。

 自分の状況を確認しているときに京太郎は笑ってしまった。

というのが自分の体というのが元気なのにもかかわらず、包帯が巻かれていたからである。

まったく体に痛みなどないというのに、どうしてこんな状況なのかがさっぱりわからなかった。

そしていよいよ、夢を見ていたのではないかという気持ちが強くなってしまう。

何せ、本当にそれっぽいからだ。それで笑ってしまった。

あの冒険は嘘だったのではないかと。自分は長い夢を現実と勘違いしていたのではないかと。

 しかし京太郎の表情に、迷いというのは少なかった。窓ガラスに映った自分の姿を見たからである。

窓ガラスには、髪の色が変化した自分の姿が映っていた。元は金髪だったのが、今では灰色である。

何がどうしてこうなったのかというのは京太郎にはわからなかった。

しかし、これは何かのしるしであるというのはうすうす察することができる。

もちろん完全な証明にはならないだろう。しかし間違いなく何かがあったという証拠ではある。


そのため、まったく疑わないということもないけれども、完全に夢を見ていたということでもないだろうと算段をつけることができたのだ。
 
 どういう状況なのかいまいちわからないというところで、京太郎の両親が現れた。

両親は京太郎が動き回る音を聞いて駆けつけたのだ。

 京太郎が目覚めているのを確認して、両親は涙を流していた。

医者から「目覚めないかもしれない」という話を聞いていたのだ。

もしかしたら永遠に眠ったままかもしれない。それが目を覚ましたのである。うれしいことだ。

 京太郎は自分の身に何が起きたのかを聞いてみた。身の回りを見ての結果である。

何かいろいろとあったのだろうというのが予想がつく。しかしどうにも細かいところがわからない。ではどうするか。

「きいてみればいいじゃないか」

という判断である。

 両親の話を聞いて京太郎は呆然としてしまった。

自分が車にはねられて、そして今までずっと眠っていたというような話をしたからだ。

ということはつまり、今までの冒険というのは夢だったということになる。

悪夢のような冒険であったけれども、本当に悪夢であったとしたらそれはそれで困るのだ。

何がどう困るということはない。しかし、いろいろと失ってしまうような気がしてしまう。


 いよいよ、自分の冒険を京太郎が疑い始めたとき、「見知らぬ男子高校生」を引き連れて京太郎の友達が現れた。

京太郎が目覚めたと両親が連絡を取ったのだ。

すぐに姿を見せられたのは、見舞いに来てくれていたからである。

京太郎に人探しを頼んだ友達は目覚めない京太郎を心配して、ずっと通いつめていたのだ。

そしてやっと目覚めたということを聞いて、自分のお願いを聞いてくれた京太郎にお礼を言うために、病室に入ってきた。

 見たことのない顔の男子生徒というのも、同じように京太郎にお礼を言うために現れたのである。

「見つけてくれてありがとう」と

 京太郎は笑った。さらわれた人の姿をはっきりと見ることができたからだ。

そしてあの冒険は間違いないもので、そして、自分の願いはしっかりとかなったのだと。

 そうしていると、見知らぬ老人が病室に現れた。

ナースコールで動き出した病院関係者のあわてようから、老人は京太郎が目覚めたことを推測している。

老人もまた、京太郎に話したいことがあったのだ。

 老人が現れたとき両親が説明をしてくれた。

誰なのかさっぱりわからないというような顔を京太郎がしていたからだ。

ちょっと失礼な表情だったように両親には見えていた。だから説明をしたのだ、京太郎を見つけてくれた人だと。

この人がいなかったら、京太郎は、死んでしまっていただろうと。
 
 京太郎は老人にお礼を言った。

「ありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら、俺は生きていられなかった。

友人も、あなたなのおかげでしょうか。もしそうなら、そのことについてもお礼をいいます」

 老人はうなずいた。

「察っしのとおりだ。交差点で君を見つけ、君が見つけた友人も私が助けた。

よく、見つけられたね。感心するよ。

そして最後まで、あきらめずに立ち向かった君の友人も」

 京太郎は老人にたずねた。

「失礼ですが、お名前を教えてください。俺は、須賀京太郎。いつまでも恩人の名前を知らないままではいられません」

 老人は答えた。

「私の名前は葛葉ライドウ。隠居だよ。昔は探偵をやっていた。

退院できたら私の友人に紹介したいとおもう。事故で傷ついた心を癒すことができる人物が知り合いにいるのだ。

気晴らしを用意しよう。京太郎君さえよければの話だがね」

 京太郎は老人に答えた。

「もちろん、ありがとうございます」


それからさらに数日間、穏やかに京太郎は過ごした。両親も病院も

「元気だから大丈夫だ」

といってもきいてくれなかったのだ。

数日にわたって目を覚まさなかった人間が、いくら元気であるといってもきいてもらえるわけがない。

もしかした何かちょっとした衝撃で動けなくなるかもしれないという可能性もなくはない。

特に事故の衝撃で意識が戻らなかった患者が言う大丈夫などというのを信じるものがいるだろうか。

「大丈夫だといわれてわかりました。などというものがいるか?」

と、そんな気持ちが両親や病院にはあるのだ。

 元気なのはよかったのだが、京太郎の表情は暗かった。仲魔たちの姿が一度も確認できていないからである。

冒険が嘘のないものであるというのならば、当然だが、自分の仲魔立ちも存在しているということである。

しかし数日の間、まったく仲魔たちは京太郎の前に姿を現してくれなかった。

京太郎はそれがどうにも不安でしょうがなかった。

もしかしたら何か意識を失っている間に、面倒なことに巻き込まれてしまったのではないかと。

特に、人攫いなどをしているような相手にけんかを売っていたのだ。

もしかしたら追っ手に倒されたということもありうる。それがどうにも心を締め付けるのだ。

 気持ちが暗くなった京太郎は病院の中庭で黒猫と遊ぶようになっていた。

中庭にいる黒猫がかまってくれるからだ。

かまっているといっても黒猫が本当にかまってくれているのかというのはわからない。

黒猫が人の言葉を話すということはない。そもそも鳴きもしなかった。

しかし、猫じゃらしを目の前で振ってみると決まって猫じゃらしに飛びついてくれるのだ。

これが心を軽くしてくれる。

ただでさえ気分が落ちているところであるからこういうちょっとした癒しというのが必要だったのだ。

しかし猫じゃらしで遊び終わると黒猫は肩を落としてがっくりとする。

なので、もしかしたら遊びたくないのかもしれない。


 やっと退院が許されたとき、京太郎をライドウがたずねてきた。

退院の準備をするためにいろいろと京太郎が作業をしているところだった。

両親は手続きのために病室を離れていた。ライドウは京太郎に

「君に合わせたい人たちがいる」

といった。

 ライドウの後ろから女性が二人、病室に入ってきた。

一人は、金髪の女性。京太郎よりも頭ひとつ分、背が低い。

もう一人は髪の長い女性。金髪の女性よりもさらに身長が低かった。

二人とも同じワンピースを着ていた。金髪の女性が、ライドウを押しのけて一歩前に出た。

そして京太郎にこういった。

「おひさしぶりです、マスター。私のこと、わかりますか?」


京太郎は

「もちろん」

といった。

「俺の頼れる仲魔、アンヘルだ。でもどうした?

 エンジェルの正装もブラウニーたちからプレゼントされた着物も着ていない。趣味が変わったのか?」

 そういうとアンヘルは頭をかきながら答えた。

「実を言うと正装で参上しようと思ったんですが、ライドウさんたちに止められてしまいました。

リュウモンブチのメイドさんは、ほめてくれたんですけれどね。

ちなみにこのワンピースは、クズノハのサポーターの方からいただきました」

 京太郎が、ライドウに視線を向けた。ライドウはうなずいた。

ライドウのセンスが正常であることに京太郎は感謝した。

ライドウがとめてくれなければ、京太郎は社会的に死ぬところだったらしい。

京太郎はアンヘルにこういった。

「ワンピースも似合ってるよ。そっちのほうが、なじみやすいだろう」

 アンヘルは、「そうですか。ちょっと残念です」といって何度かうなずいた。

どうやらまだ、こだわっているらしい。

 それから、自分の背中に隠れている女性を京太郎の前に引っ張り出した。そして

「では、この人が誰だか、わかりますか?」

といった。

 京太郎は、「もちろん」といった。

「俺の初めての仲魔だ。だが、どうした? 何だが、でかくなっているじゃないか?」

見た目はがらりと変わっているけれども、京太郎には自分の仲魔とのつながりがはっきりと感じられている。

人形の姿からがらりとかわっても、マグネタイトのつながりは切れたりしない。

冒険の中で生まれたつながりは、しっかりとまだ残っている。

 京太郎がこのように答えると、こそこそしていた黒髪の女性の表情がぱっと明るくなった。

「おぉ! よかった。そうだよな。やっぱりわかるよな。

わからないなんていわれてたら、どうしようかと思ったぞ。

そうだ。俺がお前の初めての仲魔だ。そして、やっと復活を果たしたお前の仲魔だ!」

アンヘルとライドウの表情をみれば、楽勝だろうなどと思っていなかったことがわかるだろう。


 黒髪の女性は、京太郎に手を伸ばした。握手の形である。黒髪の女性がこういった。

「少年。俺は、少年と正式に契約を結びたい。俺は、もう少し少年と一緒にやっていきたいと思っているんだ。

今の契約のままでも問題はない。

しかししっかりと結びたいんだ。やっと元に戻れたからこそ、しっかりと。

そして俺は謝らないといけない。俺はずっと少年に名前が思い出せないといって嘘をついていた。

人形の体では、本当の名前を名乗りたくなかったからだ。

自分勝手な嘘をついていた俺を許してくれるか?」

 黒髪の女性の手を京太郎は握った。


京太郎はこのように答えた。

「もちろん」

ちょっとした嘘くらいで、揺らぐような関係ではないと京太郎は思っている。

それに京太郎は、なんとなく嘘をついていることくらいわかっていた。

というより、あれだけいろいろなことを知っているのに、名前だけ都合よく忘れているなどということがあるかという気持ちがあった。

しかしそれはそれでかまわなかった。そして今、正直に告白してくれたのならば、それで十分だった。

 京太郎の答えを聞くと黒髪の女性は微笑んで、自分の名前を名乗った。

「俺の名前は、ソック。泣かない巨人ソックだ。今後ともよろしく。マスター」

 二人はしっかりと握手を交わした。痛みはない。ただの形式的な行動である。しかし大切な行動だった。

 握手をしたまま、京太郎がこういった。

「巨人? 背、低くない?」

 京太郎と比べると、頭二つ分ほど背が低いのだ。巨人という名乗りは正しくないだろう。

 人形改め、ソックがこう答えた。

「昔の時代はこれで大きい部類だったんだよ。それに、今は正装じゃないし」

 そして強く京太郎のてをにぎった。
 
 握手を終えたとき、人形改めソックが京太郎にこういった。

「お友達が迎えに来てくれているぞ。荷物なら、俺たちが運んでおく。

いっておいで。玄関ホール辺りにいたはずだ。あんまり待たせても悪いだろう?

 話したいことはいろいろとあるが、後でいい。時間はあるからな」

 そして京太郎の背中を押した。

 病室の入り口と、ライドウの顔を京太郎は見比べた。

お客さんがきているのに、出て行くのもどうかなという気持ちになったのである。

 ライドウは、

「私のことなら、気にしないでほしい。今日は、君たちを引き合わせるためにここに来たのだから。

いろいろと、ききたいことがあるかもしれないが、時間があるときでいいだろう。

急ぐことでもないだろうから」

といって京太郎を促した。

 京太郎は玄関ホールを目指して歩き出した。友達のところに行くためである。

 玄関ホールの待合でソファにすわる友達の姿を京太郎は見つけた。

その隣には、京太郎が助けたリュウモンブチの生徒も一緒にいる。

学生服で病院の玄関ホールにいたため、非常に目立っていた。

玄関ホールにいる人たちはほとんど私服なのだから。

 友達が京太郎を見つけて手を振った。

 京太郎が手を振り返した。


 友達が京太郎にこういった。

「なぁ京太郎、覚えているか?」

 京太郎が答えた。

「なにを?」

 友達はやっぱりという顔をした。

「昼飯だよ。昼飯。一か月分。見つけてくれたらって話をしたやつ。

しっかり用意させてもらうからな。忘れてくれるなよ。受け取ってくれなきゃ困るぜ」

 京太郎は自分の額をたたいた。完全に忘れていたからである。

そういえばそういう話もしていたという気持ちである。

 友達たちと京太郎が話をしていると、両親が京太郎に声をかけてきた。

退院の手続きが済んだのだ。これから帰るから、用意をしなさいということだった。

 このときに、ライドウと一緒にアンヘルとソックが両親の前に姿を現した。ライドウがこういった。

「ご両親、この二人が京太郎君のカウンセリングを担当する葛葉アンヘルと葛葉ソックです。

二人とも優秀な人材ですから、きっと大丈夫ですよ。すぐに心の傷も言えるでしょう」

 京太郎は仲魔二人に目を向けた。ライドウの話をきいてどういうことになっているのかさっぱり理解できなかったのだ。

 京太郎が見ていることに気がついた二人は、あさってのほうを向いた。京太郎の目が

「お前ら、大切なことを話していないな?」

という目をしていたからである。大切な話を勝手に進めたことを、とがめられたくないのだ。


 両親は、何度もライドウに頭を下げていた。ライドウが専門家を連れてきてくれたからだ。

それが本当に専門家なのかという問題はある。しかし、間違いなく両親の心の救いにはなる。

いきなり家族が事故にあい、数日眠ったまま。目覚めたのはいいが、精神的な問題で、髪の毛の色が変わっている。

しかも心に傷がついたせいだといわれる。困った問題だらけだ。

そんなときに、助けてくれる人がいるというのはうれしいことだ。

 両親は先に病院から出て行った。ライドウとのお辞儀合戦が終わったからだ。

大人の付き合いが終わったのなら、次にすることは決まっている。家に帰るだけだ。

病院から家までの道はそこそこ遠いので、車が必要だ。

そのため、ちょっと京太郎を置いておいて、車を取りにむかったのだ。


 いったんアンヘルとソックと京太郎は分かれることになった。ソックがこういったからだ。

「今は家族団らんを楽しんでおいてくれ。俺たちがいきなり押しかけたら困るだろうからな。

世間体もあるだろう? 後でカウンセラーとして、接触するよ」

いろいろと京太郎にはわからないことがある。しかし突っ込まなかった。

事後報告になるのがわかっているからだ。もう動き出しているのなら、後で説明をしてもらえばいいという気持ちである。

 京太郎は、荷物を持って、病院から出た。玄関前に両親の車が到着したからだ。


 病院から出たとき、京太郎はめまいがした。

空が青すぎた。

病院の薄暗いところから、急に明るいところに出てきたことで、ふらついてしまったのである。

 しかし京太郎はさわやかな表情であった。

いやなにおいも、曇った空もない。とてもいい世界だったからである。


 
 京太郎が病院から出て行ってから、ライドウとソックが話をし始めた。

ライドウが、こういった。

「これで君たちとの取引は完了だ。

君たちが黒幕の情報を提供し、私たちが情報に対して、戸籍と仮の住居を提供する」

そしてソックがこう返した。

「あぁ、助かったよ。昔ならいざ知らず、現代だとどうしても戸籍が必要になるからな。

あんたらと接触できてよかったと思うよ。

細かい配慮までしてもらって助かった。

後のことは我がマスターと話し合って決めさせてもらおう。

一応、クズノハに対してひいきするように話しをするつもりだ。

ただ、もう少し落ち着いてからだな。

いろいろと面倒な話しもしなくてはならないし」

 アンヘルにソックが合図を出した。問題はもう片付いたからだ。

これ以上ライドウと話をする必要はない。

世間話でもしたらいいような関係であったのならば、話もまだ続くだろう。

しかし彼らというのは仲良しな関係ではないのだ。

たまたま利害関係が一致して、うまい具合に話が進んだだけというだけ。

だから話が終われば、さっさと分かれてしまう。

 アンヘルとソックは病院から出て行った。取引で手に入れた住居がまだ散らかっているからだ。

取引で新しいねぐらを手に入れたのはいいが、生活を営むだけの準備がまだ出来上がっていない。

片付いていたのならもう少し余裕を持って動けるのだが、できていないのだからそうもいっていられない。

ということで二人は新生活に向けて掃除を始めることになる。


 病院から二人が出て行った後、ライドウも病院から出た。

会話をする必要がある人物はもう一人も残っていないのだ。

必要もないのに玄関ホールにとどまるのは、ほかの利用者たちの邪魔になるだけである。

京太郎とその仲魔たちを引き合わせることが、ライドウが病院に来た目的なのだ。

目的が済んでしまったら、次に進まなくてはならない。

 病院から出たところで、ライドウに黒猫が近寄ってきた。

やっとライドウが病院から出てきたからである。黒猫がどれだけ行儀よく振舞ったとしても、黒猫は黒猫である。

黒猫が悪いわけではない。犬だとかからすとかでも、黒猫は病院の中には入れなかっただろう。

色の問題でも当然関係ない。少し、不衛生であるからだ。

病院というのはきれいにしておきたい場所である。いくらきれいにしているといっても、やはり獣は獣である。

あまりよろしくない。

 ライドウに向けて黒猫が鳴いた。

「やれやれ、どうにも面倒くさそうなことになりそうだな。

今回の事件もそうだが、まさか新しい魔人が生まれるとは。

一応、あの少年の情報は外に出ないように計らっておいたが、おそらく長くは抑えられないだろう。

何せあの少年が助けた者たちは有力者たちの家族、もしくはそれに近いものたちばかりだ。

情報を管理する立場の者、もしくはさらにその上にいるような者たちが興味を持てば、今回の事件の真相にたどり着けないわけがない。

自分の大切なものを助けてくれた人間がいるということを知れば、間違いなく探すだろうからな。

 それにリュウモンブチは少年のことをはっきりと捉えている。

情報はいやでも漏れるだろう。そして早いうちに、動き出す。

勢力に加えるのか、それともただの興味で行うのかは、わからないがな」

 ライドウは黒猫にこういった。

「だろうな。まぁ、どうしようもないことだ。

京太郎君がどの道を選ぶのかというのは、私たちが決めることではない。

彼が自分で決めた道をいけばいい。しかしできるのならば、私たちの道と重なっていてほしいところだ」

 黒猫がこういった。

「のんきなことをいう。面倒くさい連中が動き出すのが見えているのに。

ただでさえ大きな事件を抱えているのだ、これ以上の面倒は勘弁してもらいたいぞ。

魔人が生まれたというだけでも大騒ぎになるのに、三体も生まれたのだ。

まったく、どうしたらいいものか」

 病院の前から、老人と黒猫の姿が消えた。次の仕事に向かったのだ。

老人と黒猫はいろいろと面倒な事件を抱えている。

そのためいつまでも同じ場所にとどまっていることはできないのだ。


 京太郎「操り人形よ、糸を切れ」

 以上です。

 また何か思いついたら、忘れられたころにあげていこうと思っています。

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