禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」 2 (102)


しかし。

「ここも封鎖してんのかよ!?」

「……ねぇ、これって」

「…………」

嫌な空気が車内に広がる。
それでも、藁にもすがる思いで他の道も確認していく。

全滅。

やられた、と浜面が呟く。
彼が何を言いたいのか、それは上条にもよく分かった。

要は、初めからあの大型車両は囮だったのだ。
わざわざ拡声器でアピールする事で、あちらの存在を意識させる。
そうすれば、大型車両が通れないような狭い道を選択するのは当然といえば当然だ。

逃走ルートを誘導させたら、あとは単純。
ただ、予め配置してあった車両で出入口を塞いでしまえばいい。
狭い道が逆に仇となった形だ。

カランカラン、と軽い金属音が響き渡る。

すぐにそちらに目を向けてみると、何やら掌サイズの円筒がいくつも撒き散らされていた。
そこからはモクモクとした煙が吹き出ている。

上条は恐る恐る口を開く。

「……なぁ、これって催眠ガスってやつなんじゃねえの?」

「ぐぅ」

「ちょっと滝壺さん!? まだこっちまで煙来てませんよ!?」

浜面はそう言うが、もはや時間の問題だ。
こんな密閉された空間では、程なくして煙は充満する。
普通の煙であれば上空へ逃げてくれる事もあるだろうが、重い気体らしくそんな気配はない。

これで終わってしまうのか。
上条はぎりっと歯を鳴らす。何か、何か方法はないか。
そんな時だった。


ズドン! という轟音と共に、煙が一気に払われた。


「なっ……!!!」

目に入ってきたのは、眩しい程の純白の翼。
それはこの闇夜によく映え、空からの雪と相まって見る者の心を奪うようだった。

上条には見覚えのあるものだ。
科学の最先端を行く学園都市で、さながらお伽話のようなもの。
印象に残らないはずがない。

彼は、静かに振り返り、不敵な笑みを見せる。


「よう、助けに来てやったぜ」


垣根帝督。
学園都市で第二位の実力を持つ超能力者が、そこにいた。




***



少しして、上条は学園都市上空を飛んでいた。
夜の街は上空から眺めると、様々な光が宝石のように輝き、そこに空から舞い落ちる雪の結晶も加わって、とても美しいものだ。
ただし、今はそんな悠長に感動していられない。

いくら学園都市といえども、流石に急展開過ぎるような気もするが、すぐ隣の男を見れば全て納得してしまう。
こと応用力に関しては、第二位の能力は第一位をも凌ぐ可能性すらある。

「あんま右手振り回したりすんなよ!」

「分かってる!」

飛んでいるというだけあって風の音が凄く、近くにいても大声で叫び合うような形になる。
現在、上条は垣根に引っ掴まれて空を飛んでいるわけだが、もしも右手で翼を壊すような事があれば真っ逆さまだ。
垣根自身は助かるのだろうが、あいにく上条はこの高さから地面に叩きつけられて無事で済む耐久性はもっていない。

「にしても、すげえ情報力だな食蜂の奴は! 俺にまで自力で接触してくるんだからよ!」

「やっぱ操祈から聞いて来たのか! ありがとな!」

「……何でだろうな」

「え、なんだって!?」

急に垣根の声が小さくなり、上条には聞こえづらくなる。
そして、その表情を見て、どうやら誰かに伝えるつもりもなく、ただの独り言のようなものらしいという事が分かった。

これだけ高く飛んでも、まだ頭上には雪空がある。
それを見上げて、物憂げな彼の表情には、不思議と儚さのようなものを感じられた。
その本質は、正反対に近いというのに。

「こうしてお前を助ける理由を、俺はちゃんと説明する事はできねえ。
 前に迷惑かけた借りを返そうとしてんのかもしれねえし、イイ事してる自分に酔ってるだけなのかもしんねえ。
 一方通行の奴に差を付けたいってのもあるかもしんねえし、それこそ、ただ雰囲気に流されてるだけで、本当は何も考えてないとか、な」

「垣根?」

「でもよ、どんな理由があろうとも、とりあえずお前を手伝いたいって思った事は確かだ。とにかく、今はそれでいいと思ったんだ」

「悪い、何言ってんのか全然聞こえねえよ!」

「お前はこまけえ事気にしねえで、あのシスターに思いっきり告ってこいって言ったんだよ!」

「わ、分かってる!」

上条の返事に、垣根は満足気に笑う。
先程までの表情は、もう消えていた。

「にしてもすげえ奴だなお前も! たかだか一人の女に告るために、何人パシらせてんだよ!」

「パシらせ……い、いや、俺はそんなつもりじゃ……!」

「はっ、分かってるよ! それだけ人望があるって事だろ!
 流石、本物のヒーロー様は人気者で羨ましいな! 昨日の敵は今日の友ってのを素でやっちまってるしよ!」

「……なんか羨ましいってのが嫌味じゃなくて本音に聞こえたけど」

「う、うっせえな!」

上条はそれ程大きくない声で言ったのだが、垣根にはバッチリ聞こえていたらしい。


「とにかく、お前は何が何でもあのシスターをものにすんのと、俺が一方通行より役に立ったって事だけ分かってればいい!」

「対抗心燃やしすぎだろ……いや、でも一方通行も俺にかかってた魔術を解いてくれたしな! あれがなかったら、そもそもインデックスを追う事ができなかった!」

「はぁ!? よし、なら俺がこのまま空港までひとっ飛びで行ってやる! それでとりあえずはイーブンだろ!?」

垣根のその様子は、どこか兄に対向する小さな弟のようにも見えて、上条は小さく苦笑する。
そして、その言葉に答える為に口を開いたところで。

静かな、それでいてよく通る声が聞こえてきた。


「悪いが、それはつまらない。興を削がれるよ」


ガッ! と鋭い音が近くで響いた。

視界がブレた。いや、回転している。
加えて、体の内臓全てを持ち上げられるような、感覚。

そのまま、どれだけ時間が経過しただろうか。
おそらく数秒の事なのだろうが、上条にはもっと長く感じられた。
終わりは、分かりやすかった。

ドガァァァ!!! という轟音と、凄まじい衝撃。

まるで巨体のタックルをくらったように、体全体がギシギシと軋む。
それでも、致命的なダメージは受けていないようで、何とか立ち上がる事はできた。

「なに……が……」

ふらつく膝に手を当てながら、まだぼやけている視界を目を細める事で何とか認識しようとする。

先程まで眼下にあった宝石のような光は、周りを取り囲んでいた。
両足で踏みしめるは、硬いコンクリート。ちょうど上条がいる辺りが砕けている。

ようやく状況が飲み込めてくる。
どうやら、上条はあの高さから地面へと墜落したらしい。
どこか大きな道路の真ん中に落ちたようだが、もしもアンチスキルの交通整理がなかったら大騒ぎになっていたかもしれない。

「……なんで俺、生きてるんだ」

「そりゃ俺が衝撃を逃してやったからに決まってんだろ」

近くから声が聞こえてきた。
すぐにそちらに顔を向けると、そこには垣根が片膝をついて忌々しげに前方を睨みつけていた。

自然と、上条の視線もそちらへ移る。

「なんだ……アイツ」

誰、とは表現しなかった。
それは一応は人の形を模してはいたが、とても自分達と同じ人間だとは思えなかったからだ。

雪降る闇夜によく映える金色の長い髪。
スラリとした長身は女性的には見える。
見た目だけで言えば、人間扱いしないのは失礼極まりないだろう。

だが、上手くは説明できないが、違うと断言できる。
存在感……と言えばいいのだろうか。明らかに人間のそれとは異質なものを放っている。

そして、表情。
全ての感情が合わさったかのような、極めてフラットなそれは、とても人間が真似できるようなものではない。

似たような感覚を以前に抱いた事がある。
そう、あれは。

「その顔を見るに、私がどういった存在であるかという事は漠然と想像できているのかな」

「……天使、なのか?」

「間違ってはいない。だが、聖書に書かれているようなものとは別物だ。……まぁ、この場でそれは問題にする事ではないが」

「分かってるじゃねえか」

答えたのは垣根だった。
真っ直ぐ天使を睨みつけ、一歩足を踏み出す。


「重要なのはテメェが俺達を地面に突き落とした事。それと、ここから先も邪魔するのかどうかだ。
 今すぐどっかに消えるなら、俺の寛大過ぎる心で何もなかった事にしてやる。まだ邪魔するってんなら潰す。選べよ」

「悪いが、今すぐ消えてやる事はできないな」

直後だった。

何の躊躇いもなく、手加減もなく。
垣根は目にも留まらぬ速さで、その純白の翼で空間を薙ぎ払った。
天使を巻き込んだ事を確認する前に、上条の視界は土煙で、聴覚は爆音に支配された。

「私からも君に選択肢を与えよう」

その声はやはり静かで、平坦だった。
話を遮られたとも思っておらず、ただただ単調に続ける。

垣根は追撃を加えなかった。
土煙が晴れるのを大人しく待ち、それでいて瞳には強い警戒の色を宿している。
相手の異質さに対し、まずは話を聞いて情報を収集しようと考えたのだろう。

土煙が晴れると、そこには変わらない姿で天使がいた。
傷一つなく、それが当たり前の事であるかのような印象を抱かせる。

「垣根帝督、君がこれ以上この件に関わらないというのであれば、私は君の要求を飲んで大人しく消えよう。
 だが、あくまでそこの幻想殺し(イマジンブレイカー)に手を貸すというのであれば、私達は戦う事になるだろう」

「…………」

「あぁ、安心していい。戦闘になった場合でも、手加減はするから死ぬことはないさ。ここで君を絶命させたところで、私が楽しめるわけでもないからね。
 ただ、それでも無傷というわけにはいかないだろう。もしかしたら死の一歩手前までいくかもしれない。いつかの一方通行のように」

「おい垣根、こいつが本当に天使なら俺の右手で、もしかしたら――」

「先に行け上条」

上条の言葉を、垣根は遮った。
短く、簡潔な言葉であっさりと。
まるで、少し寄り道をしていくかのような気軽さで。

対して上条は一瞬面食らってしまうが、ゆっくりと確認する。

「……勝算があんのか?」

「さあな。だいたい、俺にはコイツが何なのかってところから分かんねえ。やってみねえと何とも言えねえよ」

「けどコイツ……簡単にはいきそうにねえぞ。だから俺も」

「上条、お前の目的はなんだ。この天使まがいを倒す事か?」

「それは……」

「お前はこんなとこで油売ってる場合じゃねえだろ。それに、俺個人的にもコイツには用がある」

「用?」

上条が首を傾げると、垣根は天使に向かって尋ねる。

「おい、さっき一方通行がどうとかって言ったよな。アイツとも戦った事があるってことか」

「第三次世界大戦の時期に一度、ね」

「勝敗は」

「彼はよくやったよ。だが、あと一歩及ばなかった」

「それだけ分かれば、テメェをここでぶっ倒す理由には十分だ」

垣根のその言葉を聞いて、何やら嬉しそうな表情を見て、上条は理解した。

別に、これは垣根が一方通行の敵討ちをするつもりだというわけではない。
あの一方通行が勝てなかった相手。
それを倒すことで、間接的にとはいえ垣根は彼よりも高い評価を受ける事ができる。

むしろこの場合、上条が共に戦って足を引っ張ったり力を貸してしまう事の方が、垣根にとっては不都合なのだろう。
一対一で戦い、勝ってこそ価値がある。


「……じゃあ、ここは任せるぞ。気を付けろよ、垣根」

「はっ、誰に言ってんだ。俺の事を気にかけてる暇があったら、あのシスターへの口説き文句の一つでも考えとけ」

「ったく、お前はホント口が減らねえな」

上条はそう笑うと、踵を返して走りだす。
背後に、垣根と天使を残して。



***



これで、心置きなく目の前の相手と戦える。

垣根は白い翼を更に巨大化させ、戦闘に備える。
様子見はなし。初めから全力でかかる。
そのくらいの覚悟がなければ、あの一方通行を倒した相手には敵わない。

しかし、相手は微動だにしない。
空から降ってきている雪のように静かに、ただそこにあった。

「私を倒す事で、一方通行を越える、か。なるほど、理屈は通っている」

「……何が言いたい」

「そう尋ねてくるという事は、君自身何か思う事があるのではないかな?
 私から見た感想では、君は理由があったから行動したわけではなく、行動する為に理由が必要だったように思える」

「…………」

「一方通行を越える。それは確かに君の中では目標の一つではあるのだろう。
 ただ、その優先順位はどうかな。君にとってその目標は、私と戦うための理由付けに過ぎない……いや」

違うな、と天使は口の中で小さく呟いて続ける。

「あの幻想殺しを禁書目録に会わせる為……かな」

「…………」

「だが君はその理由を説明できなかった。なぜあの少年に手を貸したいのか。
 理由がないと不安になる、その気持ちは分からなくもない。だから、一方通行という分かりやすいものに理由を求めた。
 戸惑っているのだろうな。君は口で言うほど、“イイ事”をしようとは思っていない。そう思う前に、心が動いている」

「……言いてえ事はそれだけか? 悪いが、俺は気が長い方じゃねえ」

「全てのことに、必ずしも理由がいるわけでもあるまい」

天使は両手を差し出す。
その姿はまさに、人間に知恵と授ける神の使いそのものだった。
周りの、科学的な建物の光が、その後光となっている。


「ここに示すがいい。汝の法を」


直後、二つの影が衝突し、辺りに暴力的な轟音と衝撃が広がった。




***



上条は走りながらケータイを操作し、GPSでとにかく現在位置だけでも把握しようとする。
垣根に掴まれての飛行時間はそれ程長くはなかったが、それでも距離的には第二十三学区に近付いているはずだ。
道に積もってきた雪に度々足を取られながら、ブレる視界に苦戦しながらキーを打っていると。

画面全体に土御門元春の名前が表示された。

「もしもし、土御門?」

『おー、カミやん。まったく、こういう厄介事なら真っ先に俺と連絡をとってほしいですたい』

「お前はいつも厄介事をぶっ込んでくる側だろ」

『ありゃ、そうだったっけ? まぁいいや、とにかくカミやん、今から送る場所の駅に行ってくれ。距離はそこまでないにゃー』

「駅? いや、けどこの時間じゃもうどこも動いてないんじゃねえか?」

『ふっふっふ、俺を誰だと思ってるんだにゃー。ごほっ……その辺りはどうにでもなるぜい』

「なぁ土御門、お前なんか調子悪そう…………」

そこまで言って、上条は気付いた。
ふらつきながら部屋から出て行った一方通行の姿が脳裏に浮かんでくる。

「……お前まさか、何かに魔術使ったんじゃねえのか」

『おぉ、大正解。どうしたカミやん、いつになく冴えてるにゃー』

「魔術を使った能力者を見たばっかだったからな。それより大丈夫か?」

『大丈夫、大丈夫。それより、俺のこの頑張りを無駄にしないためにも急いでくれ』

「……分かった。サンキューな」

『礼はインデックスに会ってから、だろ?』

通話はそこで終わる。
感謝の言葉を軽く受け流してしまう辺り、あの男らしい。

それからすぐに、GPSの位置情報が載ったメールが送られてくる。
上条はそれで駅の位置を確認すると、ケータイをジャケットのポケットにしまって走ることに集中する。
いくら言葉にしてもしきれない感謝の気持ちを力にして、全力で走る。

土御門の言葉通り、その駅は近くにあり、程なくして到着した。

人気はない。
それでも、明かりはちゃんと点いていて、ガランとした空気が漂っている。
いつもは賑わっている駅から、突然人だけがいなくなる。それは人払いの魔術を思い出す光景だった。

とは言っても、そもそもこの時間は本来なら電車は動いていないので、人が居ないのはおかしい事ではない。
それなら、土御門は何に魔術を使ったのだろうか。色々考えられる事が多くて、絞る事は難しそうだ。

『カミやん、今から言うホームまで行ってくれ』

突然聞こえてくる放送。
それは土御門の声だとすぐ分かり、上条は一度だけ頷くと走りだした。
改札はどうしようか迷ったが、余計な記録が残るのは面倒だという事なので、ひとっ飛びにした。

指定されたホームに着くと、そこには十両編成の電車が停まっていた。
上条はその一番前の車両に乗る。気持ちが前に急いている現れかもしれない。

車両内にも、人の姿はなかった。完全貸切状態だ。
あまり経験する事のない状況に、上条は新鮮味を覚える。
ここまでガランとしていると、自分の立ち位置にさえ戸惑った。

座席に座る、という選択肢はなぜか浮かんでこない。

とりあえず上条は、入ってきたドアのすぐ近くの壁に寄りかかった。
ドアは開きっぱなしで、冷たい風に流されて雪もわずかに入り込んでくる。


プツッと、車内放送が入る音が聞こえる。

『悪い、少し待ってくれにゃー。すぐに出す』

「あぁ、頼む……お前どこにいんの?」

『管制室。心細いかもしんないけど、車内にはいないぜい』

「誰が心細いかっての」

普通に答えてみたが、どうやら向こうにはちゃんと伝わっているようだ。

『……にしても、やっぱカミやんはカミやんだにゃー』

「それ褒められてるような気がしないんだけど」

『はは、褒めてる褒めてる。いいと思うぜい、そういうの。
 カミやんが突っ走って、それをみんながフォローする。こんな立場からだと、そういうのってすげえ眩しく見えるんだ』

「悪く言えば人に頼りがちって感じだけどな。ここまで来れたのだって、ほとんど俺の力じゃねえし」

『カミやんの力だって、それも。その右手よりずっと強力な力だぜい。
 それにほら、助け合いって人間社会じゃ基本的な事だし、世界を救っちゃうのも頷けるってもんだにゃー』

「世界を救う……か」

第三次世界大戦の時に、上条は天使と激突した。
確かに、その時は世界を守りたいという気持ちがあった。絶望的な結末を何とか避けたかった。
結果として上手くいったが、それは周りの人達の力無しでは成し遂げられなかった事だ。

フィアンマとの対決に至っては、上条の頭の大部分を占めていたのはインデックスの事だった。
第三次世界大戦を止めるとかそういう事の前に、上条はインデックスの事を助けたかった。
そして、その願いに対してもついて来てくれる人達がいた。

「俺の力ってより、人間の力ってやつなんじゃねえか。みんな良い奴なんだよ。いざという時は助け合う事ができるんだ」

『……それが実際は結構難しい事なんだけどにゃー。まっ、それもカミやんらしい考えか』

土御門はそこで言葉を切ると、よし、と小さく呟いた。
すると、シューという駆動音と共に、車両のドアが閉まる。

『お待たせしました、インデックス行きの列車、出発だにゃー』

「まるでインデックス本人に向かって突っ込んで行きそうだな感じだな」

苦笑と共にそんな軽口を叩く。
とにかく、これで第二十三学区までは一気に行ける。

インデックスに……会える。

その時だった。

『あっ』

「ん、どうした?」

『いや……はぁ、そりゃ来るか……』

「来るって……何が?」


ズガン!!! と、凄まじい震動が撒き散らされた。


明かりが消えた。プツッと通信も切れた。
視界が闇に遮られる、聴覚が轟音に支配される。
あまりの揺れに、上条は手近にあった手すりに必死に捕まった。

「な……何が……!」

揺れや爆音は一瞬だった。

そう、爆音だ。
照明が消えて、窓の外から見える雪が白く目立っている中で。
駅構内が、明るく揺らいでいるのを視認できた。


(何かが爆発したのか!? まさか土御門の奴……!)

上条が電車のドアをこじ開けようとした時、ケータイが鳴った。
土御門からだ。

「土御門!? どうした、大丈夫か!?」

『あぁ、大丈夫大丈夫。俺はピンピンしてるぜい。
 そもそも、これは俺自身を狙ったわけじゃなくて、たぶん送電関係の機器を狙ったものだにゃー』

「送電……だから照明も……」

『まぁ、照明とかそこら辺は予備電源の方で何とかなるんだけど、電車の方がな。
 それよりカミやんは周りに気を使ったほうがいいぜい。たぶん奴が接触してくる頃だ』

「奴って……」


「それはたぶん、僕の事だろうね」


声が、聞こえた。
日常の中の、軽く自然な調子。
とはいえ、上条はその男の日常というものを知っているわけではないのだが。

男は隣の車両から移ってきたところだった。
ゆっくりとした、一歩一歩を確かめるような足取り。
長く黒い修道服をはためかせ、いつもの香水の匂いは心なしかあまり感じ取れない。

男は無表情だ。
いや、そこには何かしらの感情が乗っているのかもしれないが、上条には計り知る事はできない。

魔術師、ステイル=マグヌスは話し始める。

「彼女を追いかけてきたんだね。それもこんな早く。
 君にかけた術式は、たとえ土御門でも解除にはそれなりに時間がかかるはずなんだけど」

「……すげえ奴が多いんだ。俺の周りは」

「知っているよ。僕も言うほど驚いているわけじゃない。
 むしろ、薄々こんな事になる予感はしていたよ。君はいつだって、障害を物ともしないで進んでくる」

「俺がそんな完璧超人なわけねえだろ。一人じゃ日常クラスの障害にだって負けるぞ。
 遅刻しちゃいけねえ日に限って突然目覚ましがぶっ壊れてたり、悪い奴らに絡まれたりよ」

「だけど、こういう本当に大切な事は乗り越えてくる。それが君だろう」

「小萌先生の授業を大切な事じゃないように言うなっつの」

適当に答えながら、上条は目だけで周りを確認する。

ステイルはルーン使いだ。
既にこの場に大量に仕掛けられていた場合は、いきなり不利な状況に追い込まれる。
見える範囲では、それらしきものはないようだが。

それに、逃げ道の確認という意味もあった。上条の目的はステイルを倒すことではない。
こうして電車が動かなくなった以上、いつまでもここに留まっているわけにもいかない。
しかし、ドアは閉まっているので、どうしても外に出ようとすると少しの手間に時間をとられてしまう。

魔術師との戦いで、その少しの時間というのは致命的になりかねない。


するとステイルは小さな笑みを浮かべた。

「逃さないよ」

「このヤロウ……」

「いい目だ。君とは共闘する機会も妙に増えたけど、やはりこういう関係が心地いいね。
 まぁ、本当はこの電車ごと吹き飛ばしても良かったんだけど、あまり大きな破壊は学園都市側もいい顔をしないからね。
 そもそもこの電車、どうやら耐火性の術式が施されてるみたいだし。土御門辺りかな。よくやるものだよ」

「……そっか、アイツはお前が来るかもしれないと思って…………俺の情報は、学園都市の上層部からお前に知らされたってところか?
 科学と魔術の関係がどうとか言ってるくせに、こういう時は協力すんだな」

「あぁ、そうだよ。彼女は、科学と魔術の関係がこじれるのを避けるために、この選択をした。
 それなら、僕がそれを壊すような事をするはずがないし、君をこのまま行かせるわけもない」

「あくまでインデックスのため、か」

「僕はいつだってそうやってきた。これからもね」

ゴォ!!! と、ステイルの手元から炎が吹き上がった。それは一瞬で剣を形作る。

逃げ道はない。つまり、覚悟を決めるしかない。
目の前の魔術師との戦いは避けられない。

いや、こんな状況でなくても、それは元々避けられないものだったのかもしれない。
この男、ステイル=マグヌスは必ず立ちはだかる。
上条当麻は、必ずこの男を倒さなければいけない。そう決まっていたような気がする。

『カミやん! おい、カミやん!!』

手元からそんな声が聞こえてきた。
そういえば、ケータイは土御門と繋がったままだった。

「悪い土御門、なんかこっからバトル展開みたいだから……」

『カミやん、そのまま電車に乗ってろ。どうやら、助っ人が来たみたいだぜい』

「えっ?」


ガコン! と、辺りが揺れた。


上条は反射的に再び近くの手すりに掴まり、ステイルはぐらりと体勢を崩した。
これは冷静に考えれば攻撃のチャンスなのかもしれないが、あまりに突然だったので上条自身も不意を突かれてしまった。

この揺れは身に覚えがあった。
というよりも、ほとんどの人間は経験したことのあるものだ。

電車が動く時の、慣性によるあの揺れ。

照明はついていなく、相変わらず明かりはステイルの炎の剣くらいだ。
それでも、窓から見える景色はどんどん後方へ流れていく。
ガタンガタンと、見る見る内にそのスピードを上げていく。

ステイルの舌打ちが車内に響いた。

「土御門か……? いや、いくらなんでもこんな短時間で……」

上条は、その言葉に答える事ができなかった。

視線は窓に釘付けになっている。
敵が近くにいるこの状況では、対応としてはかなり悪い。相手が相手だったら、命取りになるような事だ。

だが、上条は窓から目を離す事ができなかった。
正確には、その向こうの景色の、ある一点から。

もうそれは、目では捉えていない。
電車は動いているので、景色は次々と移っていく。
既にホームは抜けており、窓から見えるのは夜でも明るく輝く街並みと、空から舞い落ちてその光を反射している雪だけだった。

けれど、例え一瞬でも。確かに視界の中に、入ったものがあった。
角膜にこびりつくように消えない、あの姿があった。


それは気品溢れるベージュのブレザーだった。
それは風にはためくチェックのスカートだった。
サラサラと、雪とともに風になびく綺麗な茶髪だった。その周りを走る、青白い光だった。

表情は見えなかった。
笑っていたかもしれない。怒っていたかもしれない。悲しんでいたかもしれない。
それでも、泣いてはいなかった。なぜかそれだけは断言できた。

ケータイを掴む右手に力がこもる。

『あとは頑張れよ、カミやん』

「……あぁ」

通話はそこで切れた。
上条は静かにケータイをたたむと、ジャケットにしまった。

そして、電車の中央へとゆっくりと歩いて行く。
中央まで行ったら、体の向きを変えて、その男と向き合った。
倒すべき男と視線が真っ向からぶつかり合う。だが決して逸したりはしない。

ステイルもまた、その視線を正面に受けたまま口を開く。
ため息混じりに、

「まったく、君は普段は不幸不幸言ってるくせに、こういう時は幸運に恵まれるね」

「……ホントにな。何が不幸だって話だ」

上条の口から小さな笑いが零れた。

こうやって助けてくれる仲間がこれだけいる。
倒れそうになっても支え、背中を押してくれる。何だってできる気さえしてくる程頼もしい。
こんな自分は、きっと、とてつもなく幸せなんだろう。

それを噛み締める。
みんなの言葉、想い、全てが体をめぐり力となる。


右手を、力強く握りしめた。

「俺だけじゃここまで来れなかった。インデックスを追いかける事すらできなかった。
 今この状況はみんなに作ってもらったものだ。みんなのお陰で俺はここにいる」

「でも、今君は一人だ。頼もしい仲間はいないよ」

ステイルは炎の剣の切っ先を上条に向ける。

「別に自分に自信を持てないのは勝手だけど、彼女が悲しむような事は許さないよ。
 要するに、ここで死ぬなって事さ。もしそんな事があるようなら、僕は君を殺す」

「ムチャクチャ言いやがって」

応えるように、上条も右手を突き出す。
異能の力を打ち消す事くらいしかできない、仲間の力と比べれば取るに足らないその力を向ける。

自信を持って、真っ直ぐに。

「確かに俺は自分の力に自信なんかねえよ。いつだって誰かに助けられてきた。
 でも、不思議だよな。っていうより、単純なのか。やっぱ俺も男だからさ、好きな女の子の事になれば何だってできそうな気がするんだ」

「……分からなくもない、かな。そういう精神論は好きじゃないけど、絶対に負けられない戦いである事には同意するよ」

「あぁ、負けられねえ。負ける気もしねえ。それならシンプルじゃねえか。
 勝った方が、よりインデックスの事を想っている証明になる。一人の女の子を巡った男の戦いってのは、そういうもんだろ」

「色恋沙汰のもつれに過ぎない……というわけか」

「何か不満か?」

「いや、実際そうなんだろうね。科学と魔術の関係だとか何とか言ってても、結局僕と君はお互いに彼女を巡って争っているだけだ」

思えば、上条も随分と遠回りしてきたような気がする。

本当は簡単な事だった。
それでも、簡単で、それでいて身近な答だったからこそ、見えづらくなっていた。
様々な事情が絡み合い、それを隠した。

だけど、もうスッキリした。よく見える。
絡み合ったものは全て解けた。みんなから解き方のアドバイスを貰い、上条の手によって。

二人の声が重なる。


「お前を倒すぜ、インデックスの為に」

「君を倒すよ、インデックスの為に」


あとは、この右手を振り回すだけ。
ここからようやく、いつも通りだ。
迷いのない確かな意志を、突き出した右手に握り込む。

強く、強く。固い拳ができあがる。
これならどんな障害も突き進んでいけそうだと、上条は思った。

今回はここまで
次で最終回。新スレ始まったばっかだけど
完全に俺の投下スピードのせいだわ




***



電車はガタンガタンと、第二十三学区へと突き進む。
照明の消えた暗い車内では、ステイルの炎と窓から差し込む街の明かりだけが、二人を照らしていた。
外の景色は街の光と舞い落ちる雪が合わさって幻想的なものだったが、もちろんそれに心奪われている場合ではない。

上条は数メートル先で構えている魔術師を観察する。
知らない間柄ではない。事前に作戦を立てる事もできる。

ステイル=マグヌスは、ルーンを扱う炎の魔術師だ。
その為、全力を発揮するためにはそれなりの下準備が必要であり、本来は籠城戦の方を得意とする。
とはいっても、自分から攻めることができないというわけでもなく、今彼の手にある炎剣や蜃気楼による幻影などで戦う事もできる。

そして何より、魔女狩りの王(イノケンティウス)だ。
これが上条の右手とは相性が悪く、ルーンの刻印を消さない限りいくら消しても即座に復活してしまう。
向こうも幻想殺し(イマジンブレイカー)についてはよく知っているので、まず使ってくる事は間違いない。

ただ、そうなるとルーンの方を何とかしなければならないのだが、やはり今目に入るところにはそれらしきものは見つからない。

そこまで考えた時、ステイルが炎剣を振り上げた。
口元には楽しげな笑みを浮かべて。

「っ!!」

炎剣が振り下ろされた瞬間、爆炎が真っ直ぐ上条を飲み込もうとしてくる。
まともにくらえば、おそらく骨も残らない。

上条は迷わず右手をかざして爆炎を受け止めた。
瞬間、炎は綺麗に左右に裂け、上条は前方に勢いよく走りだす。
距離を開けられていては不利なのは明確。上条の武器は基本的に右手しかない。

(……いや、武器はあるか)

走りながら考える。
上条のベルトには、一方通行からもらった高性能の銃がある。
つまり、普段とは違って遠距離攻撃の手段もあるというわけだ。

しかし、できれば使いたくはない。
素手ならば相手を殺めてしまう事などまずないが、銃だと違う。
ステイルほどの魔術師が銃で簡単に倒せるとは思っていないが、それでも不安がある事には変わりない。

左手が僅かに銃の方に伸びていたが、途中で止まる。
代わりに、右拳を握りしめ振りかぶった。
ステイルはもう拳の射程圏内にいる。

しかし。

ドガァァァ!!! と、目の前の床が爆発した。

「なっ!?」

上条とステイルの間に出てきたのは、炎に包まれた巨大な腕だった。
それは上条をなぎ払うように、大きく横へ振るわれた。

すぐに後ろへ飛んで回避すると、煽られた熱風が頬を撫でる。

「まさかこれ……!」

続きを言い終わる前に、再び爆音。
今度は背後からだ。

上条は振り返ると同時に、右手を払う。
伝わってきたのは重い衝撃。もう一つの巨大な炎の腕だ。
まともに受けるのはマズイと思った上条は、咄嗟に右腕の角度を微調整する。

その結果、上手く受け流す形となり、巨大な炎の手は頭上を通過した。


上条は小さく舌打ちをして、前方と背後の床から伸びている腕を交互に見る。

「イノケンティウスの腕か……」

「あぁ、そうだよ。この場に全身を出現させるのは流石に動かしづらいからね。
 本来なら障害物とか関係なしに全て燃やし尽くしてしまうところだけど、土御門の術式があるからそうもいかないんだ」

「……なるほどな、アイツの防火術式がなかったらとっくにこの電車も溶けちまってるってわけか」

「ただ、いくらあの男の術式でもイノケンティウスには長くは保たないよ。
 電車を溶かされて地面に摩り下ろされたくなければ、早めに決着をつける事だ」

「はっ、アドバイスかよ。余裕じゃねえか」

「そんな幕切れは肩透かしってだけだよ。君も確実に死ぬしね」

ステイルと会話をしながら、上条は炎の腕を観察する。

腕だけを見てもかなりのサイズだ。
これが全身となると、どれだけ巨大なものなのかは計り知れない。
つまりはそれだけルーンの数も必要になってくるはずなのだが、やはり上条に視界にはそれらしきものは見つからない。

(まぁ、見えてるところに仕掛けてあるわけねえか。とにかく、この両腕に気をつけながら……)

その時だった。
微かな震動、何かが焦げる匂い。
炎の腕に進路と退路を阻まれた中で、背筋に悪寒が走った。

すぐに、後ろへ飛び退く。


直後、三本目の炎の腕が、先程まで上条が立っていた床から真っ直ぐ天井に向かって突き出てきた。


かなりギリギリのタイミングだった為、上条はバランスを崩して床へ転がる。
そこへ、先程から背後に待機していた炎の腕が振り下ろされた。
まるで蚊を叩くかのように、掌を叩きつけてくる。

「くっ!!!」

何とか見つけた。指と指の間だ。
上条は床を転がってその位置まで移動すると、右手を軽く振った。
結果、炎の掌の人差し指を弾き、中指との間のスペースに逃れることに成功する。

ダンッ! と、巨大な掌が床を打ち付ける震動に耐え、上条はすぐに起き上がる。
こんな炎の掌の指と指に間に居ては、挟み込まれて燃やされてしまう。

上条は跳んだ。
ステイルから遠ざかる方、今床に掌を叩きつけている炎の腕の上を飛び越す形で。
流石に助走なしの立ち幅跳びで飛び越せはしないので、吊り革を掴んで距離を稼ぐ。

だが、次の瞬間、今飛び越している最中の腕が起き上がり、裏拳気味に上条に襲いかかった。

(よしっ!)

ここまでは読んでいた。
上条は吊り革にぶら下がったまま振り返って、その巨大な裏拳に右手を合わせると、相手の攻撃の勢いを後ろへの推進力として利用する。
すると上条の体は、そのまま数メートル後方へ吹き飛ばされ、床に叩きつけられた後もしばらく転がり続け、全身を激しい衝撃と痛みが襲った。

だが、燃やされるよりはマシだ。

「っつぅ……!」

「……まったく、つくづく君は器用な避け方をするね。完全に仕留めたと思ったけど」

「ヤバイ状況ってのは慣れてるからな」

ステイルの言葉に応えながらも、上条は辺りを警戒する。

初めに炎の腕が二本出てきたところを見て、イノケンティウスの両腕だけを出しているのだと思っていたが、よく見るとそうではない。
今現在床から伸びている腕は三本。その全てが右腕だった。
つまり、一体のインノケンティウスの両腕ではなく、三体の片腕を出しているというわけだ。

その証拠と言わんばかりに、炎の腕が一本床の下へ潜っていき、直後に上条の目の前に一体のインノケンティウスの上半身が吹き出てきた。


「お前インノケンティウスをそんな何体も出せたっけか」

「人は日々成長していくものだよ。以前までの僕とは思わない方がいい」

ステイルが片腕を上げる。
それに応じるように、目の前のインノケンティウスも片腕を振りかぶっていた。

おそらく、これは囮だ。
こんな分かりやすい、正面からの攻撃でやられるようなら、さっきの奇襲で勝負は決している。
つまり、何かしらの搦め手で攻めてくる可能性が高い。

ブンッ! とインノケンティウスの右腕が大きく振るわれた。

上条は素早く後ろへ跳んで避けることにする。
その際には、周りへの警戒も怠らない。

しかし。

「ッ!?」

振るわれたインノケンティウスの右腕。
そこからゴォ! と、十字架が伸びてきた。

十字架の分だけ上条の目算よりもリーチが長くなり、後ろへ跳んだだけでは避けられなくなる。

「くそっ!」

すぐに右手を前方へ突き出す。
それは何とか間に合い、十字架を受け止める事には成功した。

だが、後ろへ跳んでいる最中だったので、当然両足は地面についていない。

こんな状態でまともに受け止める事ができるはずもなく、上条の体は弾かれて勢い良く後方へと吹き飛ばされる。
そのまま上条から見て後方、つまり電車の最前方まで飛ばされ、操縦室と車両を隔てる壁に全身を打ち付けた。
凄まじい衝撃が走り、一瞬息が止まり、ズルズルと壁を背にして足を投げ出して床に座り込む形になる。

どうやら頭も打ったらしく、ドロッと血が垂れてきて右目に入ってきた。

「……ってぇ」

「さて、万策尽きたかな。いや、君はここから逆転っていうパターンが多いんだったかな」

そう言いながらも、ステイルは余裕の微笑みを浮かべてゆっくりと近づいていくる。
インノケンティウスは一体。上半身だけがステイルの動きと連動しているようだ。

上条は小さく舌打ちをする。

「流石につえーな。一応エリートなんだっけかお前も」

「一応とは心外だね。魔術師殺しが仕事の必要悪の教会(ネセサリウス)に無能はいないさ」

「その中でもインデックスはとびきり有能……ってわけか」

「対魔術の切り札だからね。元々、こんな科学の街にいる事自体が間違っているんだ」

「……切り札、か。そんな勝手な都合で、アイツは今までどんだけ苦しめられてきたんだろうな」

「もうそんな事はさせないよ。彼女を人間扱いしない連中は僕が全て燃やす。
 だから君は安心して彼女を送り出してあげればいいさ。ここから先は僕達の役目だ」

「あぁ、頼んだ」

上条の素直な言葉が意外だったのか、ステイルは若干驚いたように目を大きくする。
そんな彼の表情に、上条はおかしくなって小さく笑う。

「別にお前らを完全に信用してねえわけじゃねえよ。
 ただ、やっぱインデックスの事を良く思ってない連中も混ざってるとは思うしな。特に上の方とか」

「……それは、まぁ、否定はできないかな」

「けど、お前らならきっとインデックスの事を守ってくれるって信じてる。だから、頼んだ」

「なんだ、もしかしてもう諦めたのかい? 彼女のことは僕達に任せて、自分はもう引こうって?」

「インデックスのことはお前らに任せる。でも」


「引くのはアイツに会ってからだ」


上条は素早く腰のベルトに左手を回すと、それを真っ直ぐステイルに向けた。
一方通行からもらった、最新鋭の拳銃だ。

ステイルは銃口を向けられても臆することなく、笑みを崩さない。

「へぇ、君がそういうものを使うのは珍しいね」

「これでも一応立場的には科学サイドだからな。銃くらい使っても不思議じゃねえだろ」

「でも、余計なお世話かもしれないけど、まともに扱えるのかい?
 君が銃器に長けているという情報はこちらにはないし、実際まともに使ったこともないだろう?」

「……まっ、白状するとただの悪あがきなんだけどな」

ステイルの言うとおり、上条には銃器を扱えるスキルはない。
いつだって右手を握りしめて、ほとんど特攻みたいに突っ込んでいただけ。
思い返せば、よくこうして五体満足でいられたと感心するほどだ。

拳銃の引き金にかかった指に、力が込められる。
上条の目が細められ、照準を合わせる事に集中する。


バンッ! と、銃声が一度だけ響き渡った。


「……ハズレ、か。まったく、防ぐ必要もなかったみたいだね」

「はは、やっぱ慣れねえ事はするもんじゃねえな」

弾丸はステイルにもインノケンティウスにも当たることなく、ただ彼の後方へと飛んでいった。
その結果は予想していたものでもあり、上条はさして悔しがる素振りも見せずに、壁に手をついてゆっくりと立ち上がった。

ギシギシと体全体が軋むのを感じる。
こちらは想像以上にガタがきているようだ。

(何とか持ちこたえてくれよ……)

「今度はなんだい? やはりいつも通りの特攻をする気になったとかかな」

「あぁ、その通りだよ。結局は、俺にはこの右手を振り回してるのが一番合ってるみたいだ」

上条は拳銃を床に放ると、右手を固く握りしめる。

「これで最後だ。決着つけようぜ、ステイル」

「もう君の負けは見えているように思えるけどね。
 それとも、せめて悔いの残らないように、最後まで全力で向かって行きたいっていう話なのかな」

「そんなわけねえだろ。俺は最初からずっと本気でお前をぶっ飛ばそうとしてる。
 言っただろ、これは色恋沙汰のもつれに過ぎないってよ。これはインデックスの隣に立つための戦いだ」

「考えてみればそれも勝手な話だよね。彼女には彼女の気持ちがあるっていうのに。
 そもそも、これが今生の別れというわけではないだろう。いつの日か、魔術と科学の交流が戻ってくる日がくるかもしれない」

「そうだな。これは単なる自己満足でしかねえ。
 でも、ここでアイツをそのまま行かせちまったら、その日がきても笑い合ってアイツの隣に立てない。そう思うんだ」

「……いいのかな。ここでこのまま君が僕に負けたら、それはつまり君は彼女の隣に立つ資格がないっていう事になるよ」

「それなら、勝てばいい」

簡単な問題を当たり前に答えるように、上条は即答する。

この右手は万能ではない。
今までだって、色々なものを掴んできたが、また色々なものを落としてきた。
それは当然の事であり、あらゆるものを掴みとる事ができる手なんかは存在しない。

それでも、上条は掴もうとすることを忘れない。
落としそうになりながら、時には本当に落としてしまっても、何度だって掴もうとする。
一番大切なのはそういうことだ。

インデックスにも様々な想いがあって動いているだろう。
そして、目の前のこの男も同じように。
それを理解した上でなお、上条は正面からぶつかっていく。


電車の震動が一定のリズムを刻む。
照明が消えていて薄暗い中、二人を照らすものはインノケンティウスの炎と窓から入り込んでくる街の光だけだ。
そして、そんな中で。


不意に、雪の粒がひらひらと、車両内に入り込んできた。


ステイルの表情に怪訝なものが浮かぶ。
それと同時に、上条は足に精一杯の力を込めて、一気に走り出していた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


真っ直ぐ、最短距離でステイルに突進していく。
その間にはインノケンティウス。
だが、上条はそんなものは見えていないかのように、ただ突き進む。

ステイルは一瞬、どこからか舞い込んできた雪に意識を取られていたが、すぐに注意を上条に戻す。
右手を大きく振り上げると、インノケンティウスもそれと連動して動いた。

直後、上条の右手とインノケンティウスの右腕が激突した。

「くっ!!」

「……なに?」

かなりの衝撃に、上条はあらん限りの力で踏ん張る。
右手を弾かれても、足にガタがきても終わりだ。
ガギギギッ!! と、まるで金属同士を競り合わせているかのような音が耳元で響く。

一方で、ステイルの表情も優れない。
困惑。そして焦り。
状況だけ見れば、追い詰められているのは上条のはずなのに。

「何をした?」

「何のことだよ」

「とぼける気かい。僕が気付かないわけがないだろう」


「どうして、インノケンティウスの出力が落ちてきているんだ」


その通りだった。
今受けているインノケンティウスの圧力はかなりのものであることには間違いない。
しかし、弱まっている。今この瞬間にも。

そもそも、ステイルはこうして上条の動きを止めた後、更にインノケンティウスを追加して追い詰めればいいはずだ。
だが、彼はそれをしない。いや、できない。

上条は一歩踏み出した。
それはつまり、インノケンティウスをその分押し返している事を意味する。
そして空いている左手の親指で自分の後方のある一点を指し示した。

そこには、先程床に放った最新鋭の拳銃が落ちている。

「…………まさか」


ステイルがゆっくりと、肩越しに振り返った。
また雪が一粒、車両内に舞い込んでインノケンティウスの熱気に当てられ消えていく。

後続車両が、消えていた。
ステイルがルーンを設置していた車両が丸ごと、切り離されていた。

上条は、また一歩インノケンティウスを押し返す。

「ルーンは相手に見つからずに、なおかつ破壊されない場所に設置する。それが仇になったな」

「あの拳銃の一撃は僕を狙ったものではなく……初めから連結パネルを狙っていたのか……?
 いや、だけど、そんな都合良く一撃で上手くいくものなのか。それに、君にはそんな銃の腕も……」

「あぁ、都合が良すぎる銃なんだよアレは。なにせ学園都市製だしな。
 ああやって銃を構えた瞬間から、頭の中ではマニュアルが流れるし、腕の位置とか色々勝手に補正してもらったから、もはや自分で撃ったとは言えねえ。
 ご丁寧にターゲット候補なんてのも頭の中で次々に展開されていってたから、連結パネルがどれなのかもすぐ分かったしな」

「異能の力が働かないものであれば君にも作用する……か。ベラベラ話してたのも、僕を後ろの状況に気付かせない為かい?」

「それもある。悪いな」

ステイルのルーンには有効範囲がある。
ルーンを設置した後続車両と、上条達がいる先頭車両が離れていくにつれて、次々と効力が失われていくというわけだ。

ステイルは舌打ちをするが、もう遅い。

「うおおおおおおおおおああああああっ!!!」

上条が大きく右腕を横に振り抜くと、ついにインノケンティウスがぐらつき、倒れた。
ズゥゥンという震動に多少よろめきながらも、上条はすぐに前方へ走りだす。

もう、障害物は何もない。
目の前には、ステイル=マグヌスただ一人。

最後の武器はもちろん銃なんかではない。
科学でも魔術でもない、一人の少年の右手だ。
それを固く固く、握りしめた。右手首に巻かれたタンザナイトのブレスレットが小さく揺れる。

「俺がお前に負けて、インデックスの隣に立てないって言うなら――」

ステイルは素早く炎剣を生み出し、上条に向かって叩きつけた。
同時に、上条の右手が勢い良く打ち出される。

二つはぶつかり、炎剣が砕け散った。

右拳は勢いをそのままに突き進み。
そして。


「――まずは、その幻想をぶち殺す!」


幻想殺しはステイルの顔面に突き刺さり、その長身をなぎ倒した。




***



第二十三学区。
その空港内を、上条は全力で走って行く。
人気はない。おそらくこれも上層部が何か手をつくした結果だろう。

照明だけが点いた、ガランとした空港はなかなか新鮮だ。
離陸場に面する壁はガラス張りであり、変わらず降り続く雪の結晶と、出発を待つ飛行機が見える。

上条の足が止まった。
今この場において、彼の足を止める要因は一つしかない。

会いたいと願っていた少女が、そこにいた。

彼女は、物憂げな表情でガラス越しに外を眺めていた。
その目が捉えていたものは、舞い落ちる雪の粒か、それとも自分がこれから乗るであろう飛行機か。
たぶん、どちらでもないのだろうと、上条はぼんやりと考えた。

「よう、インデックス」

「とうま……」

彼女はゆっくりとこちらに体を向けた。
その身は、いつもの白い修道服に包まれている。
その表情は、やはりいつものような穏やかな笑みが浮かんでいる。

それでも、上条は知っている。
彼女の本当の笑顔は、こんなものではないことを。

「やっぱり、来たんだね」

「分かってたのか?」

「何となく。途中で一方通行にも会ったし。
 でも、そういうのは関係なしに、このまま逃げられるとは思わなかったかも。とうまの諦めの悪さはよく知ってるんだよ」

「褒め言葉として受け取っておくか」

「ほとんど呆れてるんだけどね。例のごとくボロボロだけど、大丈夫?」

「平気平気。上条さんの耐久性を甘く見んなよ」

浜面なんかに言った言葉とは正反対だが、それでも女の子の前では格好つけたくなるのが男というものである。
ふふ、とインデックスは口元をほころばせる。

「それで、どうしたのかな。私の計画とか何やらを色々メチャクチャにしてくれちゃってさ」

「ん、いや、別に大したことじゃねえよ。ただ、これからしばらくお別れなんだから、見送りなしってのは寂しいだろ。お互いに」

「寂しがり屋のとうまと違って、私は平気なんだよ」

「そうですかい」

そう答えながら、上条はゴソゴソとジャケットのポケットをまさぐる。
ボロボロになった右手は、それを確かに掴んだ。

「にしてもあれだな。見送りの言葉ってのもスラスラ出てくるようなもんじゃねえな」

「向こうに行っても元気でやれよ、みたいな感じでいいんじゃないのかな?」

「あぁ……まぁ、そうか。あとは向こうの奴等によろしく、とかな」

「うん、そうだね。とうまと会えなくなるのは私だけじゃないからね。天草式の五和とか寂しそうにしていたかも」

「あー、天草式にはかなり世話になったからな。何かしらの形で恩返しできればいいんだけど」

「天草式も天草式でとうまに救われたところもあるし、お互い様だと思うよ? 天草式だけじゃなくて、他の人達もね」

「そっか……それならいいんだけどな」

そこで、会話が途切れた。
辺りには沈黙が漂い、動いているものはガラス越しに見える外の雪だけ。


上条は、それを握りしめる手の力を強める。
まだ核心はついていない。一番伝えたいことが残っている。

小さく息をついて、話し出す。

「あのさ、インデックス」

「だめ」

「えっ?」

「ここからは時間延長料金が発生するんだよ。7000円」

「キャバクラか何かか!? 分かった、ちょっと待て、そのくらいなら何とか出せる……ってギリギリ足りねえ!?
 まさかインデックス……お前、俺の財布の状態をそこまで把握してるのか!?」

「ふふん、とうまの甲斐性の無さくらいよく知ってるかも」

「ぐっ……」

ドヤ顔で言い放つインデックスに、何か反論したいのは山々な上条だが言葉はでない。

そして、彼女が言いたいことも伝わってくる。
彼女はこの空気を望んでいる。
つまり、上条が伝えようとしている言葉は望んでいない。

それが何を意味するのか、考えるだけでも苦いものが体の中を埋めていく。
それでも、上条は立ち止まっているわけにはいかない。
彼の選択は、もう決まっているから。

「向こうに行く前に、一つ聞いてほしいことがあるんだ」

「やだ、聞かない」

そう言って、インデックスは両手で耳を塞いだ。

上条はそれを止めたりはしない。
ただじっと、彼女を見つめるだけだ。

そのまましばらく沈黙が漂った。
インデックスはゆっくりとその手を耳から離す。

「……私の精神状態が安定しなくて、遠隔制御霊装に不具合が出た。だからここに戻ってきたっていう話は知ってるよね」

「あぁ、そうだったな」

「今はそれも安定していて、このままイギリスに戻ればきっと上手くやれるはずなんだよ。
 でも私は、とうまの一言一言でどうしようもなく揺らいじゃう。だから、あまりかき乱すようなことは言ってほしくないかも」

「ごめん、インデックス。いくらお前の頼みでも、それは聞けない。
 恨んでくれてもいい。こんなのは自分勝手だっていうのも分かってる。それでも、俺はお前に伝えたいことがある」

「私がとうまを恨むことなんてあるはずがないよ」

彼女はキッパリと、一言。
そして、続けた。何でもないことのように。


「だって私は、とうまのことが大好きだから。人としても、男の子としても」


いつものその笑顔に、上条は息が止まるかと思った。

一瞬、彼女の言葉が理解できなかった。
あまりにも自然に、普段通りに話すものだから、それがどんな意味を持っているかということがすぐに頭に入ってこない。
さながら、大して頭を使わない、日常の何でもない会話のように。

インデックスはあっさりと言ってのけてしまった。
先回りされた。


「お、おい、ちょっと待て。それは」

「返事はまた会う日に聞くね。それじゃ、さよなら」

「だから待てっての! 自分の言いたいことだけ言ってさっさと行くんじゃねえ!」

「それ、とうまが言えるのかな?」

「うっ」

慌てて彼女の細腕を掴む上条だったが、ジト目と共に放たれた言葉に何も返せなくなる。
しかし、そこで押されるわけにはいかない。

「……確かに俺が一方的に言うのも勝手だったな。でもこれでお互い様ってことだろ」

「はぁ……やっぱりダメだよね」

そんな、彼女の諦めの色が滲んだ小さな声の直後。
上条の胸元に、暖かいものが飛び込んできた。
それは心理的なものではなく、物理的なもので。

インデックスが、上条の胸元に顔をうずめて、抱きついてきていた。

突然のことに、何も反応できずにただ呆然と立ち尽くす上条。
その両手は下がったまま、力も入らない。

「責任はとってほしいんだよ」

「……女の子のその言葉は、男としては相当なプレッシャーを受けるものだな」

「いつだって自由気ままなとうまを何度でも許せるほど、私も良くできた女の子じゃないんだよ。自由には責任がついてくるものかも。
 それに、半端な責任じゃないよ。もしとうまの言葉によって私の精神状態が乱れて、とうまから離れられなくなったとしたら、ずっと一緒にいてほしい。
 とうまが言ったように、世界中から追われたとしても、あらゆるものを巻き込んでも、ずっとずっと一緒にいてほしい」

「…………」

「そうなった時は、まずはイギリスかな。最大主教(アークビショップ)の持ってる遠隔制御霊装をとうまに破壊してもらう。
 その後は、世界中を敵に回した逃避行。別にとうまは初めてでもないから、案外平気なのかな?」

「いや、あんなもんは人生で一度経験すれば十分だけど……まぁ、いいよ。
 インデックスのためなら、そのくらい喜んでするよ。考えるまでもねえ。けど、その辺りは心配しなくてもいいと思うけどな」

「どういうこと?」

インデックスは上条の胸元から顔を上げ、潤んだ瞳で見上げてくる。
そんな彼女を見て、ようやく上条の腕の力が戻ってきた。

だからすぐに、彼女の背中に腕を回して、その小さな体を抱きしめる。

「俺の言葉を聞いても、そんなとんでもねえことになったりはしねえよ。というか、させねえ」

「……私はきっと、とうまが思っている以上に弱い人間だよ」

「でもさ、自己評価が全てっていうわけじゃないだろ。案外周りの方が自分自身のことを知っていたりするもんだ。
 まぁ、これは受け売りみたいなところが強いから、俺もそんな偉そうには言えねえんだけど」

「そういう……ものなのかな……」

「あぁ、そういうもんだ。お前を信じる俺を信じろ」

「流石に私でもそれはパクリだって分かるかも。伊達にゴロゴロしてテレビばっかり観てたわけじゃないよ」

「その無駄な自信は出てくるんだな……」

そこで緊張の糸が切れたのか、どちらからともなく、二人は笑い出した。

元々、何も心配することも、恐れることもなかった。
彼女は今こうして、ここにいる。笑っている。
そしてイギリスへ行ってしまって、しばらく会えなくなったとしても、そこで終わりなんかではない。

お互い離れていても、決して絆が消えることなんてない。
フィクションの物語によく出てくるような言葉ではあるが、だからといってその言葉もフィクションであるとは限らない。
それを綺麗事だと切り捨てるのは、現実を知ったようなつもりになっているだけだ。痛みからの逃げだ。


確かに現実は空想の物語ほど優しくはないかもしれない。
理不尽なことで満ち溢れているし、ご都合主義というのも許されない。
だけど、足掻き続けることにはきっと意味はある。

上条自身もまだ子供に過ぎず、これが世の中の真理だなんて大それたことは思っていない。
それでも、ここで彼女との絆が途絶えるのだと言う者がいれば、何度だってそれを否定する。

その上で、上条は一歩踏み出す。
長らく動いていなかった、その重い重い一歩を。


「俺はインデックスのことが好きだ」


その言葉は確かな質量を持って、口から出て行った。
上条の中にある想いの全てを凝縮して、一つの言葉という形にしたようだった。

気恥ずかしさというものはない。
むしろ、今までこれが言えなかったことに対してむず痒くなるくらいだ。
こんなことは決して大仰なものでも何でもなく、ただ当たり前なことだった。

インデックスはじっと、上条の目を見ていた。
その瞳は、大きく揺らいでいる。

「……それは家族としてとか、そういう意味じゃ」

「流石にこの状況でそんなオチは用意してねえよ。あー、あれだ、異性としてっていうか、女の子として……で……」

「ふふ、ここまできて照れるんだね」

「う、うっせえな、慣れてねえんだよこういうの」

そこまで突っ込まれるとやはり少しは気恥ずかしさも感じる上条。
インデックスのからかうような微笑みから目を逸し、頬を掻く。

彼女はそんな上条に抱きつく力を強める。

「ありがとう、嬉しい……すごく嬉しいよ。これで両想いだね」

「あぁ、そうだな。なんつーか…………よろしく?」

「あはは、何それ。いきなり改まっちゃって、ちょっとおかしいかも」

「いや、ほら、これで俺達……恋人同士ってやつだろ?」

「そうなの?」

「えっ、ちげえの!?」

「冗談冗談、そうだよね。うん」

なぜか先程からからかわれっぱなしな上条。
なんというか、彼女の方が大人っぽい余裕を感じる。
といっても、構図としては彼女が強く抱きしめて離れず、それを上条が受け入れているというものなのだが。

……というか、インデックスの抱きつく力が強く、少し痛いくらいだ。

「あ、あの、インデックスさん? そんなひっついてくんのは正直結構嬉しいんだけど、万力みたいに締め上げるのはやめてほしいんですが……」

「とうまの耐久性ならこのくらい大丈夫だよ」

「だからどいつもこいつも俺の耐久性を過信しすぎなんだよ」

「さっき自分で『俺の耐久性を甘くみんなよ』って言った」

「うっ……まぁ、そうだけどよ……」

「……ごめん。でも、怖いんだよ」

インデックスの声に影が落ちた。
上条を抱きしめる力は弱まるどころか、より一層強まる。
ぶるぶると、腕の中で彼女の小さな体が震えているのも分かる。

まるで怖い夢に怯えた少女のように。
彼女は上条から離れない。


「私は今とっても幸せ。だけど、ここでとうまから離れたら、次はもういつ会えるのか分からない。
 それが嫌……なんだよ……。離れたくない。ずっとこうしていたい。毎日当たり前のように……会いたい」

「インデックス……」

「だから、怖いんだよ。とうまから離れた瞬間、急速に精神状態が悪化してイギリスから連絡が届くかもしれない。
 本当は私だって、とうまを巻き込んで世界から逃げたくない。とうまにはとうまの、普通の学校生活を送ってもらいたい」

「……インデックス、お前にプレゼントがあるんだ」

渡すならこのタイミングしかない、と上条はジャケットのポケットに手を突っ込む。
そこから出てきたのは、一つの小さな箱。

大して値打ちのあるものではない。
それでも、想いはありったけ込めている。

インデックスはそれを宝物か何かのように大事に受け取った。

「開けてもいい?」

「おう、もちろん」

「…………これ」

上開きの箱を開けると、紅い石がはまった指輪が姿を現した。
この前の旅行先で買ったパワーストーンを浜面に加工してもらったものだ。
宝石ではなくパワーストーンであるところが高校生らしい。

パワーストーンはガーネット。
古い伝承では再会の誓いにも用いられ、変わらない絆を意味する。
そして、一途な愛、とも。

当然、インデックスはそういったことは知っているようで、頬を赤く染めていた。

「あの、え、えっと……」

「や、やっぱ重いか? い、いや、俺もちょっとどうかなとは思ったんだけどさ。
 これ付けさせるってのも、なんかすげえ束縛してるっぽいし、まぁ、なんつーか、男よけみたいなつもりもあったし……」

「……とうま、女の子としてはこういう時は堂々としていてほしいかも」

「ぐっ……わ、分かったよ」

その上条の反応が面白かったのか、インデックスはクスクスと笑う。
ただ、その頬は今もまだ赤いままだが。

彼女は指輪を取り出し、はめた。
左手の薬指に。

「どう……かな?」

「あぁ、すげえ似合ってる」

「ふふ、ありがと。とうまも、私のブレスレットつけてくれてる?」

「おう。ほら」

そう言うと、上条は右腕の袖を少し上げて見せる。
そこにはインデックスのガーネットとは対照的な、深いブルーのパワーストーンが光っている。

「これなら、私も指輪にすれば良かったかな。実は、私もはまづらにガーネットを勧められたりしたんだよね」

「あー、でもこれも結構気に入ってるぞ俺は。それに、俺の場合は別に指輪で女避けする必要もないし」

「それって私が浮気しそうって言いたいのかな」

「ち、ちげえよ! けどほら、インデックスは男惹きつけやすいじゃねえか。ステイルとかアウレオルスとか……」

「それ言ったらとうまの方がずっと心配かも」

「俺はインデックス一筋だから大丈夫だ」

「……そ、そっか。ふーん」

インデックスは照れた様子で、それを見られないように上条の胸元に顔を埋めた。
その可愛らしさに、抱きしめたまま頭を撫でくりまわそうという気持ちが湧き上がってくるが、彼女は子供扱いを嫌うので思い留まる。


その代わり、背中に回した腕でポンポンと叩く。
先程の、インデックスの不安に対して答えなくてはいけない。
こうして彼女が離れない状態というのは嬉しいものだが、いつまでもというわけにはいかない。

「俺の告白で、インデックスは離れたくないっていう気持ちが強くなって、霊装に不具合が出るかもしれない……っていう話なんだよな?
 それはつまり、インデックスにとっては、俺の言葉はかなり大きな力を持つって思ってもいいのか?」

「うん……それは、そうだよ。私の好きな人なんだから」

「そっか……ありがとな、そう思ってくれるのはすげえ嬉しい。じゃあ、インデックス。これから言う事を良く聞いてくれ」

上条はここで言葉を切り、小さく息を吸い込む。

ここで何を言えば正しいのか、どうすれば全て丸く収まるのか。
そんなものをすぐに導き出せるほど、上条は有能ではない。
色々なことに躓いて、迷って、時には立ち止まって、常に手探りで進んでいる一人の高校生にしか過ぎない。

ガラス張りの向こうに見える舞い落ちる雪が、とてもゆっくりに見えた。
上条は多くは考えずに、彼女を抱きしめたまま、ただ自分の想いを口にする。
いつものように。


「――インデックス。寂しいと思ってくれるのは嬉しいけど、これが一生の別れなんていうことには俺が絶対にさせない。
 だから、悪い。今はまだいつ会えるかとかそういう事は全く分からない、もしかしたら何年もかかっちまうかもしれないけど……それまで我慢してくれねえか。
 俺はずっとお前のこと想ってるからさ。例え何年経っても、この気持ちは変わらないって断言できる。インデックスとの未来を、いつも考えているから」


本当に出来る男であれば、もっと短い言葉で格好いいことを言えたのかもしれない。
だが、今の上条にはこれが精一杯だった。
高校生らしい拙い語彙を駆使して、出来る限り自分の気持ちを伝えようと言葉を尽くして。

それでもやはり、ちゃんと伝えきれたかは不安で。
だけどインデックスの心の負担を少しでも和らげることができたなら、と祈る想いで体を引いて彼女と向き合った。

彼女は、微笑んでいた。
そして、綺麗な碧眼からは涙が一筋、頬を伝っていた。

「ここで私と別れたあとも、とうまはこれから沢山の人と色々な思い出を作っていくと思う。
 新しい出会いもあるだろうし、今までのみんなの知らなかった部分とかもよく見えてくると思う。
 みこととか、みさきとか……きっとこれからの生活で、もっと良い子だって思うようになっていくんだよ」

「あぁ、そうかもな」

「それでも、とうまは私のことを想い続けてくれるの? 一緒にいられない私のことを……ずっと……」

「えーと……インデックスは向こうに行ったら、俺のことを想い続けるのは難しいって思ってるのか? いや、決して責めてるわけじゃないんだけど……」

「そ、そんなことないんだよ! 何があっても、この気持ちは――」

「俺も同じだよ」

「あっ…………う、うん。って何かな、そのニヤニヤは!」

何と言われれば、彼女の慌てっぷりと、その後の意表を突かれた様子に、微笑ましくなったというわけだ。
それは彼女にとっては不服だったようで、少しの間頬を膨らませていたが、すぐに楽しげな笑顔になる。
もう、その目に涙はない。

それからしばらく、二人はただありふれていて楽しげなことだけを話した。
その内容はカナミンの放送を途中までしか観られなくて残念だとか、次に会うのが何年後かだったとして、まだ上条が高校生のままだったらどうしようだとか。
後者の方は正直上条にとっては洒落になっていないのだが。

彼女とはどんなことを話していても楽しかった。
端から聞けば退屈で、つまらない話だったとしても、少なくとも上条にとっては面白くて仕方なかった。
一言一言話して、彼女の声を聞く度に、心が満たされていくのを感じた。

だが、いつまでも甘えているわけにはいかない。

やがて。

インデックスはゆっくりと後ろに下がった。
上条から、離れた。


「そろそろ、時間かな。ねぇ、とうま」

「ん?」

「……私も、ずっとずっと、とうまのこと想ってるよ。少しでも早く会えるように、頑張る。
 いつまでもとうまに甘えていられないから、私だってこれを一生の別れにはさせない」

「あぁ。科学サイドと魔術サイド、両方から二人で頑張れば、案外すぐ会えるかもな」

「うんっ」

雪は依然として降り続いている。
ただ、その様子は心なしか先程までとは違い、優しく世界に舞っているように見えた。
空港内からの光に照らされて、より輝いて見えた。

周りからすれば、それは単なる気休めだと思われるのかもしれない。
だが、上条達にとっては、本気の決意であり、またきっと実現できると思っている。
偽りのない確かな希望がそこにはあった。

見つめ合う二人。
時間はもう残されていない。
そんな中で、彼女は上条を見上げたまま、静かに目を閉じた。

それが何を意味するのか、流石の上条もすぐに分かった。

だから速鳴る鼓動を感じながら、一歩踏み出す。
彼女の小さい肩に両手を添えて……そして。


ひらり、と。


白い羽が舞い落ちてくるのが分かった。
それは二人を祝福するかのように、さながら結婚式のフェザーシャワーのように。
ここは空港内なので、単なるイメージに過ぎないのだろう。この状況でこんなものが浮かんでくる辺り、自分はかなりロマンチストなんだと思う。

……しかし、その認識は次の瞬間粉々に砕け散った。それも、文字通りに。

舞い落ちる白い羽。
それが上条の右手に触れた瞬間、バキン! と派手な音と共に砕け散ったからだ。
かなり大きな音だったので、目を閉じていたインデックスも、驚いてその綺麗な碧眼を見開く。

嫌な予感がした。
とてつもなく嫌な予感がした。
いくらなんでもスルーはできない。だから。

ゆっくり……ゆっくりと頭上を見上げた。


そこには、背中から純白の翼を生やした、イケメンホスト風の少年が飛んでいた。
簡単に言ってしまえば、学園都市第二位の能力者、垣根帝督だった。


口があんぐりと開いたまま固まる上条。
中々脳内での処理が追いつかない内に、ふとこんな声が聞こえてきた。

「だああああああ! だから言ったじゃねえかバレるってよ! 演出だか何だか知らねえが、何考えてんだあのメルヘン!!」

「はまづら、インデックスの指輪羨ましい。私も欲しい」

「浜面にそういうの期待しない方がいいんじゃない。給料三ヶ月分とかいっても大したもん用意できなさそうだし」

「滝壺さん的には気持ちが超大事ってことなんじゃないですか。
 それにしても、私としてはあのシスターさんが偽物でした的な展開を期待していたのですが、結局王道パターンでそのままいっちゃいましたね」

「ありゃ王道パターンって言っていいのか? あのタイミングで翼生やしたホストもどきが登場とか、十分喜劇だと思うけどな」

近くの植え込みから顔を出すのは、麦野達アイテムに黒夜……もとい、はまづら団。

「ちっ、あと少しでカミやんとインデックスのキスシーンまで撮れたのににゃー」

「ぐぬぬ……まさかカミやんが……フラグを立てるだけ立てて回収しないことに定評があったカミやんが……彼女をおおおおおおお!!!!!」

「も、もう、だからこんな覗き見はダメですって先生は……」

クラスメイトの金髪と青髪。
それになぜか顔を赤くして一番ウブな反応をしているピンク髪の先生。


「まったく、最後まで締まりませんねぇあの人は」

「おいエツァリ。なんだかお前、覗きが板についていないか?」

「え、い、いえ、これは任務とか色々で自然と身についたもので……」

「気持ち悪い、もう話しかけるな」

「誤解ですよ!!!」

一見兄妹にも見える褐色の少年少女。

「も、もしかしてこういうシチュエーションなら、あの照れ屋さんもあんなことしてくれるのかな!? ってミサカはミサカは期待してみたり!」

「どうでしょう。そもそもあの少年少女であれば問題ありませんが、あなたと一方通行の場合は条例に引っかかる危険性があるのでは、とミサカは指摘します」

同じ顔をした複数の少女と一人の幼女。

「よしっ、セーフ! ふふ、運命力は私に味方しているようねぇ」

「運命力ってか、ただの第二位のポカでしょ」

「あらぁ? なんだか格好良くアシストしてあげたくせに、結局こうして覗きに来ちゃってる御坂さんが何か言ってるわぁ」

「う、うっさいわね!」

常盤台の制服に身を包んだ金髪と茶髪の少女。


バッ! と凄まじい勢いでインデックスが離れた。
元々顔は赤くなってはいたが、今はもう耳までゆでダコのようになってぷるぷると羞恥に震えている。

そして上条は。


「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」


とりあえず頭を抱えて叫ぶしかなかった。



***



その後はもう散々だった。
上条からしても、とんでもなく恥ずかしくて、これは黒歴史として一生残っていくことを確信する程だった。

そして、インデックスの方はそんなものではなかった。
顔は赤くなりすぎて湯気が出るんじゃないかと思うほどで、言葉もどもりまくりでまともに紡げない。
そんな状態で、他の皆との別れの言葉もそこそこに、隠れるようにしてさっさとゲートの向こうへと行ってしまった。

結局、上条には「またね」の一言だけ。
何とも味気ない別れのように思える。

だけど、同時にそれでいいとも思った。

お互いの気持ちは分かり合えたし、不安もない。
また会えると確信しているからこそ、ここでの別れ方にはそこまでとやかく言うつもりはない。
遠隔制御霊装に不具合が出たというイギリスからの報告も来ていないので、何も問題はない。

まぁ、それは置いといても、垣根をぶん殴ることを忘れるわけはなかったが。

インデックスの後には、上条に負けず劣らずボロボロなステイルも続いた。
この男も他の皆と同じように、上条とインデックスのやりとりを覗き見ていたのかもしれないという可能性は頭をよぎったが、そこは触れないことにした。
上条はただ、その長身の背中に「よろしくな」とだけ声をかけた。

返事は、その手が面倒くさそうに上がっただけだったが、彼にしてはよく反応したものだと思う。

それからはもちろんお説教の時間だ。
とはいえ、これは魔術サイドとの関係もかなり深いので、上は上で勝手に適当な落とし所をつけてくれたようだ。
上条達は数日の謹慎、浜面達に至っては今や学園都市にとって存在自体がアレなので、もみ消されることも十分考えられる。



というわけで、インデックスがイギリスへ行ってから数日後。
外はあの日とは打って変わって雲一つない青空の下、春の訪れを感じられる柔らかい日差しが降り注いでいる。
最近はゴタゴタしていたので、こういう日はのんびり昼寝でもしたいところだったが、それを許さない存在がテーブルを挟んだ先にいる。

担任教師である月詠小萌先生だ。

「はいはい上条ちゃん、課題の追加ですよー」

「多っ!? ずっと思ってたんですけど、もしかして先生……ドS?」

「そ、そんなことはないですー! 何言ってんですかー!!」

小萌先生は顔を真っ赤にした後、気を取り直して、

「上条ちゃん達がいないとクラスも静かで寂しいのです。
 でもやっぱり、一番寂しいのは上条ちゃん達の方だと思いましたので、こうして課題を出して学校気分を味わってもらっているのですよ」

「俺的にはこの課題で味わうのは頭痛だけなんですけど……」

「それは普段から上条ちゃんに勉強という習慣がついていないからなのです。
 元々学生である以上やらなければいけないことなんですし、どうせなら慣らした方がいいと思いますよー?」

「出た優等生理論……ぶっちゃけ学生の半分以上は、いかに少ない労力でテストを乗り切るかしか考えてないですって」

「むぅ、確かにそういう所はあるかもですけど…………あっ、それなら上条ちゃん」

そう言って思い出したように、ごそごそと鞄からプリントを取り出す小萌先生。
また課題の追加かと思って思わずげっそりする上条だったが、

「もう、何ですかその心の底から嫌そうな顔はー。大丈夫ですよ、勉強の課題ではありません。進路調査票なのです。
 高校生活はあっという間です。こうして最初の一年が終わった段階で、漠然とでいいので将来のビジョンを……」

「しあわせになりたいです」

「それは前に聞きましたー! 別にそれが悪いということではなくて、もっと具体的にしてほしいのですよ!
 そもそも、誰だって進路というものは幸せを目指して決めるものです。上条ちゃんは将来……えーと……どうしたいのです……?」

「何かメチャクチャ心配されてる!?」

とはいえ、小萌先生の気持ちも分からなくもない。というか分かりすぎる。
高校一年目からこの惨状なわけで、そんな少年の将来ともなるとどうなるか想像もつかない。
とりあえず世界大戦のど真ん中で戦ったり、全世界を敵に回したりなどは既に体験済みだ。

将来に関してはインデックスにも尋ねられたな、とふと思い出す。
その時もやはり具体的な答えは出てこなかった。
インデックスと一緒に必要悪の教会(ネセサリウス)で働くというのも、理想的ではあるがハッキリとしたビジョンがあるわけではない。

ぼんやりと、窓から見える澄み切った空を眺めながら考える。
進路は幸せを掴む為のもの。
それならば、上条にとっての幸せとは何か。

すぐに出てくるのはインデックスだ。
彼女と共に歩む未来。それは上条にとってこの上ない幸せだと言えるだろう。
それを手に入れる為に進むべき道。そう考えるべきかもしれない。

彼女との未来。
今現在それを難しいものにしているのは、科学と魔術の微妙な関係だ。
両者の隔たりを埋めない限り、上条は彼女と会うことさえできない。

よって、上条が両者の関係を取り持てばいいということなのだろうが、そんな簡単な話でもない。
だいたい、今までどんな経験をしてきたところで、上条は一人の高校生に過ぎない。
少年の言葉で心を動かせた者はいたが、本来政治的な力は何もないのだ。

必要なものは、立場。
同じ言葉でも、上条が言うのと、アメリカ大統領ロベルト=カッツェが言うのとでは大きく違う。
世間へ向けた力は、その責任の重さから生まれる。

それなら、と。

急に、閃いた感覚だった。
そしてそれはまるで数学の答えのように、ハッキリとした正解であるようにも思えた。


進むべき道が決まれば、あとは動くだけ。上条にとってそれは得意なことだ。
思わずぐっと右手を握りしめる。
その手首では、インデックスから貰ったタンザナイトのブレスレットが、外からの優しい日差しを受けて青い光を揺らす。


「――――その進路希望って、具体的なら何でもいいんですよね?」


続いて上条の口から出てきた言葉に、小萌先生は目を丸くして呆然とするしかなかった。



***



穏やかな春の日差しが窓から差し込み、聖ジョージ大聖堂を明るく照らす。
その食堂で、白い修道服に身を包んだ、魔道書図書館と呼ばれる少女インデックスは静かに紅茶を口にしていた。
時間帯の関係で、今この場には彼女一人だけだ。

上条との別れから二年。
背はほとんど伸びてはいないが、落ち着きだけは少し出てきたように見える。
というのも、その立場の変化からくるものが大きい。

主にステイル=マグヌスや神裂火織を始めとする者達の主張により、インデックスの扱いは格段に良くなっていた。
元々が悪すぎたので、今でも諸手を上げて喜べるようなものではないが。
ともあれ、今現在彼女はその能力に応じた役職、最大主教(アークビショップ)の補佐として動いている。

中には、時期最大主教にという声も多いのだとか。

ただ、その分仕事の量は増えていた。
以前までは現地での仕事がほとんどだったのだが、今では事務的なものから外交的なものまで様々だ。
これも現最大主教が、結構いい加減なことからきたりする。

その為、こうしたオフも中々取れないので貴重なものとなっている。

「インデックスじゃないですか。今日はオフですか?」

「うん……って、あれ、どうしたの?」

パコパコと、静かな食堂に厚底の靴音を響かせて、アニェーゼ=サンクティスは近付いてくる。
後ろには長身猫目の女性ルチアと、そばかすの小柄な少女アンジェレネ。
更にはおっとりとした豊満な体のオルソラ=アクィナスまでいる。

一時期はイギリス清教に身を置いていた彼女達は、今ではローマ正教の下に帰っている。
その体制も大きく変化しており、以前までとは違う。
これも全て、争いを生まない為のものだ。

とにかく、今日彼女達はローマ正教からの使いとして、最大主教と会うことになっているはずだ。
それなのに、ここにいるということは……と考えてインデックスは苦い顔をする。

アニェーゼはやれやれと首を横に振って、

「どうしたもこうしたも、そっちの最大主教がどっか行っちまってるみたいで」

「……ごめんなさい」

「いえ、まぁ、あなたに文句言いに来たわけではねえですよ。あの人のことは何となく分かってます。
 ただ、待ってるのも暇なんで、こうして食堂で休んでいようかと思っただけです」

「実はジェラートを持ってきているのでございますよ。インデックスさんもいかがですか?」

「えっ、食べる食べる!」

「シ、シスター・オルソラ! この人に食べ物は危険です、全部無くなっちゃいます!!」

「シスター・アンジェレネ。あなたもそろそろ、その食い意地をどうにかした方がいいと思いますが」

こうしていると、彼女達がここに居た頃と何も変わらない時間が流れていく。
インデックスに対抗して食べまくるアンジェレネに、それを咎めるルチア。微笑むオルソラ。
オルソラのジェラートはやはりというべきか、絶品だった。

と、そこでアニェーゼがスプーンを口に運びながら、ふと思い出した様子で、

「あ、そういえば上条当麻との遠距離恋愛はどうなってんですか?」

「ぶっ!!!」


いきなりの直球質問に、インデックスはむせてしまう。
そして、まさにそれをトリガーにするように身を乗り出したのはアンジェレネだ。

「私も聞きたいですそれ! 離れていてもずっと想い続けるっていうのは中々難しいと思いますけど、その辺りどうなんですか!?
 噂によりますと、ステイル=マグヌスとも何か事情があって、ドロドロ展開も期待できるという情報もあるのですが!」

「落ち着きなさい、それでもシスターですかあなたは」

「うふふ、あのお方も女性に気に入られることが多いですので、そちらの方も心配でしょう」

「む、むぅ……どうしてみんなそういう事を嬉々として聞いてくるのかなぁ……」

「そんなの面白いからに決まってんじゃないですか! ほらほら、吐いちまった方が楽になりますよ?」

インデックスは静かに息をついた。
流石にこういうことも少しは慣れてきて、以前と比べれば随分と落ち着いて対応はできる。
それでも、照れくさいことには変わりない。

事実から言ってしまえば、あれからインデックスは一度も上条と会っていない。
魔術と科学サイドの関係の見直しは、二年の間に進展はしているものの、解決を見ているわけではない。

それでも、彼女はまだあの温もりを覚えている。
左手薬指にはめられたガーネットの指輪は、窓から入り込む日差しに照らされて柔らかく光を放つ。


そして、嬉しいニュースも確かにあった。


「あのね……」



***



しばらくして、ようやく最大主教が現れたので、インデックスはそこで解放された。
その間に根掘り葉掘り聞かれまくったので、精神的にはかなり疲弊したが。

今、食堂は若干賑やかになっていた。
それは天草式の面々が任務から帰ってきて休息をとっているからだ。
やはりこうした雰囲気の方が、彼女にとっても落ち着くものだった。

任務明けにも関わらずぎゃーぎゃーとふざけあっている天草式を微笑ましく眺めていると、神裂火織が近くまでやってきた。

「楽しそうですね、インデックス」

「うん、天草式は皆仲良くて見ているだけでも和むんだよ」

「え……あぁ、そういうことですか。私はてっきり、上条当麻のことで楽しそうなのだとばかり……ほら、今度の学園都市の……」

「またそれ!?」

インデックスのうんざりした声に、神裂は首を傾げる。
無理もない、神裂は先程までのアニェーゼ達とのやりとりを知らないからだ。

そして、その声に耳聡く反応したのは建宮斎字だ。
神裂の声は決して大きなものではなかったので、この中でよく聞こえたものだと半ば感心してしまう。
だが、その後の言葉はやはりからかうようなもので、

「お、女教皇(プリエステス)とインデックスが上条当麻を巡って修羅場なのよな!」

「ばっ、何を言っているんですかあなたは!!!」

「マジでマジで!?」

「やっぱ女教皇もあの少年の事が!?」

「あーもう! 何度目ですかこのやり取り!!」


そんな感じに、一斉にからかいの的にされる神裂。
インデックスはというと、ここは我関せずを決め込んで見物に徹することにしていた。
あまりリアクションをとると、よりエスカレートしていく可能性もある。

一方で、とても無視できない光景もあった。

「……あはは、程々にしてあげましょうよ。女教皇困ってるじゃないですか」

「え、えっと……五和?」

「はい、何でしょうインデックスさん」

「なんだか笑顔が固いっていうか、怖いっていうか……」

「そんなことないですってー」

そんなことはあった。
特にインデックスの左手薬指に視線が固定されているのが恐ろしすぎる。

これは分かっていたことだが、上条とインデックスのことがあって五和はかなりのショックを受けていた。
しかし、そこでインデックスが慰めるわけにもいかないので、その役目は天草式に任されることとなる。
そこで先頭を切って張り切るのが建宮だ。真面目に慰めたり、時には冗談も交えて彼なりに気を使ってはいたが、五和は一筋縄ではいかなかった。

正確な描写は彼女の沽券に関わるので省くが、酒なんかも入って凄まじい暴走っぷりだったとだけ言っておこう。
それが今ではここまで落ち着いてきたのだから、十分な進歩とも言えよう。

やはりインデックスには、五和に対する負い目のようなものもあった。
もしも逆の立場だったらどれだけ辛いか、想像するだけでも胸が痛くなる。
だが、それを気にし過ぎるというのも、良くないと思った。

上条は自分を選んでくれた。
それならば、その幸せを噛み締めることが、五和だけではなく他に上条に想いを寄せていた者達への取るべき態度というものだろう。



***



日もすっかり落ちた夜。
インデックスが大浴場に向かうと、そこには任務から帰ってきたシェリーがいた。
彼女はいつものように、ネグリジェ姿で彫刻造りに励んでいた。

「お疲れ様」

「ん」

顔も向けずに短く答えるシェリー。それだけ熱中しているようだ。

思えば彼女は魔術と科学を完全に隔てようと、学園都市を襲ったことがある。
つまりは、今の状況は彼女にとっては望むものなのかもしれない。

だけど、シェリーは再び魔術科学両サイドの関係を戻すことに反対はしていない。
インデックスを筆頭におおっぴらに動いているにも関わらずだ。
それはあの時から彼女に変化があったということなのだろうか。

そんなことを考えていると、今度は彼女の方から話しかけてきた。

「そういや、あいつ。ステイル」

「ステイルがどうかしたの?」

「いや、なんか任務で集中しきれてないっていうか、それでしょーもない怪我してさ。
 あんた仲良いでしょ。仕事が一緒の時とか面倒くさいから、適当に話とか聞いてあげなさいよ」

「け、怪我って……分かった、ちょっと行ってくるね!」

「別に今すぐにとは言ってないけど」

「でも心配かも!」

インデックスはそう言うと、慌てて外に飛び出していく。
背中にシェリーの呆れたような溜息を受けながら。

すぐに向かった先は聖ジョージ大聖堂だ。
任務中の怪我であれば、ここで治癒魔術を受ける可能性が高い。
そして、その読みは当たっていたようで、通路でバッタリとステイルと鉢合わせることができた。

辺りは薄暗く、窓からの月の光だけがこの場を照らしている。

「……どうしたんだい、そんなに慌てて」

「ステイル、大丈夫? シェリーから怪我したって聞いたんだよ」

「余計なことを……別に、問題ないさ。こういう荒っぽい仕事だというのは君も知っているだろう。こういうこともあるさ」

「集中力に欠けていたとも聞いたんだよ。何かあったの?」

「それもあの女かい? まったく、適当なことをペラペラと。
 そんなことはないよ。僕はいつも通り仕事をしたけど、ミスをしてしまっただけだ。人間なんだからそういうこともある」

「…………」

インデックスの真剣な眼差しに、ステイルはわずかに顔を背ける仕草をした。

これは確証があるわけではなく、何となくといった勘に過ぎないのだが、インデックスにはシェリーの言う通りステイルの様子が普段とどこか違うように見えた。
ただし、だからといって問い詰めることもできない。
上手く説明できないことを押し付けて、何かを聞き出そうというのは相手にとっても不快だろう。

だから、こうして言葉を発しないで、反応を伺うという方法をとった。
それが功を奏したようだ。ステイルはゆっくりと話し出してくれた。


「学園都市での会合が決まった……それに若干意識をとられたのかもしれないね」


それはインデックスにとっても大きな意味を持つ出来事だった。

度重なる話し合いの末、二年ぶりに魔術師が正式な手続きに則って、学園都市に入る。
両サイド間の関係改善という面から言えば明確な進歩だ。
ここからきっと、更に両サイドの溝を埋めることができる、埋めなくてはいけない。

だが、そういった大局的な視点の前に。
やっと……インデックスが学園都市に行けるということでもある。

あの街で、上条と会える。

しかしステイルはそのことに関して不安なことがあるのかもしれない。

「もしかして、学園都市側が何か仕掛けてくるとか心配しているの?」

「……そういうことではないんだけどね。インデックス、一つ聞いていいかな」

「なに?」

「今でも君は、上条当麻のことを想っているのかい? 二年前と変わらずに、ね」

「…………」

またもや上条のことだ。
こういう状況なので、それも仕方ないことなのだろうが、それにしたって多い気がする。
いや、彼女にとっては、自分と上条をセットで語られるのは決して嫌だというわけではないのだが。

それだけ周りから上条との関係が深いものだと思われているのなら、それはそれで嬉しいことでもある。

そして、ステイルの今の質問。
これに関しては、照れなどなく真っ直ぐ答えられそうだ。


「うん、この想いは少しも変わってないよ」


ステイルは短く「そうかい」とだけ言った。
その表情は、先程よりもどこか晴れたようにも見えた。

ステイルとの事も、周りから色々と聞こえてきたりはする。
今はもうインデックスの頭の中にはない、様々な思い出もあっただろう。

でも、インデックスは彼の頭の中は何も知らない。
知ろうと思えば魔術で知ることもできるが、そんなことはしない。

彼の中にどのようなものがあったとしても、インデックスの中にあるものは変わらない。
ステイル=マグヌスは頼れる大切な仲間。
それは決して揺らぐことのないものだから。




***



「あ、あの、この前のアステカの魔術結社『翼ある者の帰還』との会合で少々トラブルが……」

「……上条当麻か」

「はい……ちょっと熱くなってしまったみたいで、向こうの代表の方と口論に。手は出してないようですけど、かなり激しい感じで」

「…………」

「くくくっ、ちゃんと後始末はしておかないとなアレイスター」

「分かっている。だが、例のサプライズとやらは考えなおす必要があるかもしれない」

「えっ、ダメですって! インデックスも楽しみにしているんですから!」

学園都市第七学区の中央に位置する窓のないビル。

そこには変わらず巨大ビーカーの中に逆さまに浮かんでいるアレイスター=クロウリーがいて、その表情には珍しく苦々しいものが見える。
そして、それを楽しげに見ているエイワス、心配そうな風斬氷華。
学園都市の中核とも言える者達だ。


上条当麻とインデックスの別れから二年。
今や上条は学園都市統括理事会の一人に名を連ねていた。


上条自身も、まさか自分がこんな立場になるとは、あの高校一年生の冬の騒動を経験する前は夢にも思っていなかっただろう。
なにせ、高校一年目といえば、夏休みの宿題も結局できなくて課題を追加されたり、出席日数が足りなくて補習の連続だったりしたのだ。
上条には七月二十八日以前の記憶はないが、おそらくその前だって同じ気持ちだろうとは思う。

明確な目的があれば、案外上条は何でもできる。
この場合目的というのは、インデックスとの再会であり、それを成すために科学と魔術の関係を修復する。
ゆえの、統括理事会への加入。

まぁ、インデックスのことがなくても、今までの体験から統括理事会には一言では済まないほど言いたいことがあったのも確かだったはずだ。

人選は統括理事長が行っているが、親船最中や貝積継敏といった上条と面識のある者達が、その働きを根拠に推薦した。
加えて、風斬氷華やエイワスまでもが上条側につき、彼を推した。
今まで上層部に歯向かった事も何度かあった上条だったので、それはとてもありがたいものだっただろう。

そこまでいって問題になってくるのは、やはり教養面だった。
もうそれに関してはとにかく頑張ったとしか言えない。今でも彼がよくそこまで出来たものだと感心する。
これが目的を持つことの強みなのだろうが、アレイスターもそこは彼の伸びしろを見誤ったと言ってもいい。

といっても、そこには一方通行、垣根、美琴、食蜂といったレベル5の面々による個人指導という恵まれすぎた環境があったわけで。
結論としては、相変わらず様々な人達に支えられて、どうにか今の立場を手にすることが出来たというわけだ。
それこそが上条が統括理事会に入るべき理由と言って歓迎したのは、雲川芹亜だったか。

そんなこんなで上条は高校生にして統括理事会入りを果たしたわけだが、会合への出席を許可し始めたらこの始末だ。
それならば他の面倒見の良いメンバー、親船なんかを一緒に行かせるという手もあっただろう。
しかし、仮にも統括理事の一人にそんな保護者のような者を同伴させるなどということは、学園都市としての沽券に関わることだった。

相手の中に顔見知りであり宿敵でもある、アステカの魔術師エツァリがいたこともあるだろうが、まだまだ大人の対応というものが難しいらしい。

「やはりどうにかして奴を解雇する口実を考えるほうが有益か」

「そ、そんな、ほら、まだ上条さんも経験浅いですし、仕方ないですって!」

「そうだぞアレイスター。君だって若いころはとんでもない過ちを犯したものではないか」

「…………」

ジロリと睨むアレイスターに対しても、エイワスは楽観的だ。

「随分と感情を表に出すようになったものだ。しかし、君だって最終的には上条当麻の統括理事会入りを認めただろう?
 それは何かしら彼に期待を持ってのことではないのか? 私はようやく君がデレたのかと思っていたのだが」

「デレたって……」

案外今時の言葉を学んでいるエイワスに、風斬も苦笑いを浮かべる。
一方でアレイスターの方はちっとも面白くなさそうだ。


「そんなポジティブな理由ではない。もしも私が上条当麻の統括理事会入りを頑なに認めなかった場合、また面倒なことになりそうだと思っただけだ。
 あの男単体の力などはたかが知れているが、それに賛同する者達の力を総合すると洒落にならない。どうせそこの二人も彼の下に加わるのだろうからな」

「ふむ、まぁ、君の言う通りかな。私としても彼には権力というものを与えて、この世界をどう動かしていくのか見てみたいというのはある。
 君とローラ=スチュアートの企みを止め、ある意味では時代の勝利者となった彼が望むものは果たして実現できるのか、という辺りを特にね」

「私はそういう小難しいことは考えてないですけど……ただ単に、上条さんならきっと幸せな世界を作ってくれると思ったからです」

「そう上手くいくはずはない。あの男が語っているのは大半が理想論の綺麗事だ。
 この立場に立ってみれば、それがいかに無力なものか思い知ることになるだろう」

「おや、体験談かな」

「……エイワス、あなたはここ最近輪をかけてウザくなってきているが、それもあの男の影響か?」

「さてね。自分の成長というものは自分自身が一番分からないものさ」

そう言うエイワスは実に楽しそうで、活き活きしているように見える。

上条当麻が統括理事会入りをして、上層部も随分と変わった。
まず裏で悪どい行いを働いてきた連中は追放、もしくは改心させられた。
その際にも随分と色々な騒動があったわけだが、そこを説明するときりがないので割愛する。

そして何より空気……雰囲気だ。
以前までの統括理事会というのは、互いが互いの手の内を探って利権を争っていくようなものだった。
しかし上条当麻が来てからは、互いに手を取り合い、何よりも学園都市の生徒のことを考えるようになってきた。

もちろんそれら全てが上条によるものではなく、同じ統括理事会の先輩にあたる親船や貝積といった善人の力も大きい。
それでも、上条の存在がそういった動きの起爆剤になったことは確かだった。

風斬はこの窓のないビルでも微笑むことが多くなっていた。
それはいくつもの言葉にするよりも、この変化を如実に表しているとも言える。

「あ、そうだそうだ、また上条さん並びに親船さん、貝積さんなどから一つ提案が出ていますよ」

「聞きたくない」

「職務放棄は関心しないなアレイスター。世界最高とも言われた魔術師が今やニートというのもぞっとしないだろう」

「人間の機能の内、機械に任せられるものを全て任せて、必要最小限の労力で生きているのが今の私だ。
 当面の目的を失った今となっては、もう何もかもすべて任せて働かないというのもまた、私が取り得る一つの選択肢としては妥当なところだろう」

「ニートの戯言だ。ヒューズ=カザキリ、構わず話してしまえ」

「了解です。なんでも、統括理事長が全く姿を表さないのは不気味なので改善を求めたいとのことです。
 具体的には、第十三学区の保育園、及び小学校への訪問から始まり、大覇星祭での挨拶など……」

「…………」

「なるほど、それはなかなか良い提案だと思うね。
 イギリス国民がイギリス女王を、アメリカ国民がアメリカ大統領を、日本人が内閣総理大臣の顔も知らないというのはありえないことだ」

アレイスターは少しの間黙り込んだ。
その頭の中では、幼児に囲まれる自分や、体操服を来て挨拶する自分が浮かんできていた。

「つまりは、私を外に引っ張り出して羞恥プレイを楽しみたいということか」

「い、いや、そんなことはないと思いますけど……」

「もうこの引きこもり生活も十分楽しんだだろう、アレイスター。そろそろ外の空気でも吸ってみたらどうだ?
 そういえば、第五位辺りが引きこもり相手のメンタルケアも行っているというじゃないか。君もそこから始めてみればいいだろう」

「…………」

「あ、そうだ。あと体力的な不安があるようでしたら、第七位の方の根性トレーニングというものに付き合うのも良いとのことですよ」

「…………」

確かに上層部の空気は変わっていた。
それが良い変化なのか悪い変化なのか、この際ここで論ずることはやめておこう。
とにかく、現時点で一つ言えることは。

また一つ、アレイスターには試練の壁が迫っているということだった。




***



雲一つない青空によく映える、美しく咲き誇る満開の桜。
こういった光景を見て、日本に生まれて良かったなぁと思うのは何も上条だけではないだろう。
それは昔から人々を魅了してきたことからも伺える。

だが一方で、桜はこの時期に見るからこそ、より綺麗に見えるのではないかとも思う。
一月は行く、二月は逃げる……そして、三月は去るというように、日本ではこの時期は年度末。
十二月よりも一年のまとめという印象を受ける時期でもあり、別れの季節でもある。

感傷的になっているからこそ、美しい光景は心に染みて更に美しく見える、という考察だ。

緩やかな春の風に乗って、桜の花びらが人々を祝福するかのように舞い落ちる。
この花びらが落ちる速度が秒速5センチメートルというのは、とあるアニメで知った知識だ。
内容に関しては、上条の状況的に若干不安になるようなものではあったが。

インデックスと別れてから、もう二年が経つ。
上条は留年することもなく、無事三年で高校を卒業することとなった。
そんなのは当たり前のことだと言われるかもしれないが、この少年に関して言えばこれは奇跡に近い。

上条のツンツン頭は相変わらずだ。
一方で、より一層ボロボロになった学ランと、それなりに伸びた身長、そして若干大人びた顔立ちが月日の経過を感じさせる。

卒業式を終えた面々は、校舎の前でぎゃーぎゃーとふざけあっていた。
別れを前にしたしんみりとした空気はない。
というか、ここで一旦別れた後は、当然のごとく吹寄プロデュースの打ち上げがセッティングされていた。

卒業式の最中は号泣していた小萌先生も、今はもうすっかりいつも通りだ。

「まさかあの上条ちゃんがまともに卒業できた上に、統括理事会の一人だなんて。
 正直、二年前の進路希望を聞いた時は、ついに大事なネジがぶっ飛んじゃったんじゃないかって心配したのですよー」

「ちょっと先生? 割とグサグサ言ってますけど、あれですか、今までの補習の連続の恨み辛みの放出っていうんじゃ……」

「うふふ、ごめんなさい。もちろんそんなつもりはないのですよー。
 もちろん先生は、上条ちゃんのことをやれば出来る子だってずっと思っていましたよ。ちょっとバカなだけで」

「……ど、どうも」

この先生は上条に対して割と直球に辛辣に言うところもある。
「バカだから補習ですー」などというのはしょっちゅうだった。
といっても、嫌な気はしない。むしろよく見てくれていると嬉しくさえ思うほどだ。別にマゾとかそういう意味ではなく。

一度冗談で「もしかして先生、俺のこと好きなんじゃ」とか言ってみて動揺させてみたら、それを青髪ピアスが目撃。
その後真っ赤になった先生の前で青髪ピアスと本気のバトルを繰り広げた末に、吹寄にダブルノックアウトさせられた苦い経験が頭をよぎる。

「冗談はさて置き、上条ちゃんならこの学園都市をより良くしてくれるって、先生は確信していますよー。
 それはここ最近の働きを見ても分かります。先生も生徒達へのケアが足りないと思っていたのですよ。あとは喫煙スペースが増えればいいのですが」

「はは、褒めてくれるのは嬉しいですけど、正直喫煙スペース追加ってのは結構厳しいですよ」

「むぅ、仕方ないですねー。まぁ、上条ちゃんの場合は、解決しなければいけない大きな問題がありますからね、愛するシスターちゃんの為にも」

「あー、まぁ、その為だけっていうわけではないですけど……」

にっこりと言ってくる小萌先生だったが、上条は曖昧な返事しかできない。
別に否定するようなところは一つもなく、まさにその通りなのだが、中々素直にはいかないものだ。
この辺り、もう少し大人になればニヒルな笑みでも見せて格好いいことの一つでも言えるようになれるのだろうか。

……何となく、そうなった上条は上条じゃないような気もするが。

「ふむふむ、愛の力は偉大ですねぇ。次から他の生徒さん達にも恋愛の素晴らしさを教えるべきなのでしょうか」

「えっ、でも先生独身……」

「何か言いやがりましたかー?」

「何でもないです」

恐ろしかった。
卒業証書を受け取った今となっては、形式的にはもう小萌先生は上条の担任ではないのかもしれない。
それでも、上条にとってはこれからもずっと変わらず小萌先生は小萌先生で、自分の担任なんだろうと思えた。

つまりは、一生頭が上がらないというわけだ。


とにかく言い訳の一つでも探す上条だったが、幸いなことに小萌先生は新たな火種を見つけたようだ。
まぁ、このクラスには火種というのはそこら中に転がっている。

「ちょ、こらそこー!!! 何いきなり卒業証書でジャグリングなんかしてんですかー!!!!!」

「いやいや、小萌先生。そらこんなに投げやすい筒状のフォルムを手にすれば投げるしかないやろー。
 そして、そこには残り少ない時間でも先生に怒られたいっちゅうボクの願望も混ざってるんやで!」

「いい笑顔でいい事言ったような感じですけど、先生としてはますますブチギレたくなるのです!!!!!」

「あっ、ヤバイ青髪ピアス、吹寄だにゃー!」

「へっ――」

「最後まで先生を困らせてんじゃないわよこのバカ!」

ゴンッ! という鈍い音が辺りに響き渡る。
もう何度も見た光景、吹寄のヘッドバットが青髪ピアスに炸裂する音だった。
ここまで見慣れたやり取りが目の前で続いていても、もう明日からは同じ教室で顔を合わせることもないと思うと、少しの寂しさも覚える。

と、感傷に浸っていた上条だったが、そんなものを吹き飛ばすことが起きる。

青髪ピアスがジャグリングしていた、何本かの卒業証書の筒の内の一つ。
その先端の部分がスポッと外れ、中にあった卒業証書そのものが、まるで大空を飛ぶ鳥のようにバサバサと宙を舞う。
しかしもちろん飛び続けることなどできなく、グシャと桜の花びらが積もる地面へと墜落した。

落ちた場所は、丁度クラスメイトがはしゃぎ合っていて。
結果、卒業証書は見事に踏まれ蹴飛ばされ、見るも無残なことになっていった。

何となく、察しはついた。
これは学園都市らしい超能力というわけでもなく、ただの長年の経験に寄るものだ。
上条はゆっくりと、グチャグチャになり所々破れて悲惨な状態になっている紙切れに近付く。

上条当麻。
右を高等教育の全過程を修了したことをここに証する。


「…………」


それを足蹴にしてしまったクラスメイトは「わ、悪い……」と謝ってくるが、上条は軽く手を上げて責める気はないことを伝える。
ここで彼らを責めるのはいくら何でも酷であろう。

「ドンマイ」

姫神秋沙の言葉が心に染みる。
大きな声ではなかったが、それはハッキリと上条に届いた。

そして、青髪ピアスも言う。

「ドンマイ!」

元を正せば、ノリで自分の卒業証書を青髪ピアスに渡したことに関して、上条にも落ち度があった。
少し考えれば、こういった危険性も十分予測できたはずだ。
だが、今はそんなことは関係ない。

この右手は便利だ。
なぜなら、今目の前にいる憎き男をぶん殴ることができるのだから。


「このクソヤロウがあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」




***



学校を後にした上条は、カエル顔の医者の病院を訪れていた。
高校生の間、ここにも随分とお世話になったものだが、最近はその頻度も減ってきた。
これは成長と言っていいのか、更生と言うべきなのか。

今回ここに来たのは、私的な用事ではなく公的なものだ。
学園都市でも指折りの医者がいるこの病院の状況の把握と、要望の受付。
それは書面だけで済ますべきことではないと思っている。

「しっかし手伝っておいてなんだが、未だに信じられねえな。上条が統括理事会の一人とかよ」

「うるせーな、みんなして。分かってるっつの、自分でも違和感ありまくりだ」

「早いとこ慣れとけ。オマエも分かってるとは思うが、上から見ると増々この街の腐ってるところが見えてくンだからよ」

病院内で出会ったのは、制服姿の垣根と一方通行だった。
ブレザー姿の垣根というのは初めから様にはなっていたのだが、一方通行に関しては未だに違和感を拭い切れない。
流石にこの時期ともなれば、最後まで拭い切れなかった、と表現するのが正しいのかもしれないが。

上条はふと二人の制服姿を眺めながら言う。

「長点上機はまだ卒業式じゃないんだっけか?」

「おう、もうちょい後だな。ただ、内定は決まってっから、こうしてちょくちょくあの医者を手伝いにきてるっつー話だ」

卒業後、二人共あのカエル顔の医者の下で働くことになっていた。
一方通行は妹達(シスターズ)の命を可能な限り伸ばす研究のために。
垣根はその能力を最大限に活用する役目を探すために。

カエル顔の医者、もとい冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)は医者であると同時に有能な科学者でもある。
その下で得られるものは大きい。

一方通行は忌々しげに垣根を見て言う。

「オマエは邪魔してるっつった方がいいンじゃねェか? 俺に対抗してるのか知らねェが、いつも余計なことまでしてトラブルおこしてンじゃねェか」

「シスターズのことしか頭にねえテメェよりは邪魔してねえよ。
 あぁ、他には打ち止めの中学校入学も心配してんだっけか? はっ、いっちょ前にパパ面してシュールすぎんだろ」

「よォし、表出ろ。ぶっ殺す」

「上等だコノヤロウ。学校の身体検査(システムスキャン)でも勝負つかなかったしなぁ」

「落ち着けっての。お前ら学校でもそんななのか?」

一方通行も垣根も、あれから何だかんだ普通に学校生活を送っていた。
それは上条にとっても嬉しい事で、二人もハッキリと言葉には出さないが、そんな生活を悪からず思っていた様子だった。

ただ、この二人の仲の悪さに関しては相変わらずだ。
上条としてはどこか「ケンカする程仲がいい」という風にも見えるのだが、それを言うと面倒くさいことになりそうなので言っていない。
ともあれ、以前のように心の底から憎み合っているというわけではなさそうではある。

「こいつが悪いんだこいつが。俺はコミュ力ありまくりでクラスの人気者だけどよ、この根暗ぼっちのお陰で教室の空気が悪くなんだよ。
 だからせっかく、この俺が気を利かせてそれとなくクラスの輪に入りやすくしてやってんのに、こいつは完全無視しやがってよ」

「頼ンでねェンだよ」

「あのなぁ、一方通行。俺も垣根の言う通り、やっぱ学校ってのは友達と馬鹿やる方が楽しいと思うぜ?」

「……全員がそういうわけじゃねェだろ。俺は一人で居る方が気が楽なンだよ」

「つっても、段々クラスの奴等もお前に絡むようになってきたけどな? お前もお前で、話し出すと割と饒舌だしよ」

「ぐっ……!」

痛いところを突かれたらしく、一方通行の顔が歪む。
割と誤解されがちだが、この少年は話すこと自体は苦手ではなく、むしろ好きなんじゃないかと思うくらいだ。


そして彼に対して優位に立てているということに、垣根は上機嫌で、

「そういや上条、ここんところずっと忙しかったからまだ話してなかったよな。三年の、高校最後の一端覧祭でこいつが何したか」

「あぁ、一端覧祭も統括理事会の方で忙しすぎて、クラスの方にもまともに顔出せないくらいだったからな。
 つーか、そもそも一方通行から、長点上機に来たら殺すとか言われたんだよな。トップ校の出し物はすげえから見ておきたかったんだけどさ」

「くっくっくっ、そりゃ見られたくねえわな。ウチのクラスは劇をやってたんだ。能力使いまくったド派手なやつをな。
 んで、題目は『ロミオとジュリエット』だったんだけどよ、こいつ……くくっ……!」

「おいオマエそれ以上言ったら」

「まぁまぁ、落ち着けって」

何やら一方通行が不穏な空気を帯び始めていたので、垣根が素早くガッチリと押さえ込んだ。
ここは院内。無闇に能力を使うわけにもいかないので、一方通行もそれを振りほどくことができない。

「おい離せクソッたれ!!!!!」

「……垣根、もしかしてそのロミオが」

「おう、本来なら順当に俺になるはずだったんだけどな、そこで閃いたわけだ。そんなんじゃ普通過ぎてつまんねえ。
 俺は能力的にも裏方で小道具作りとか舞台制作に徹したほうが良さそうだったしな。そんなわけで、一方通行をロミオに当てたわけだ」

「あ、一方通行は引き受けたのかそれ……?」

「周りの奴等もすっかりノリ気になったからな。学園都市第一位主役の劇ってんだから、まぁ期待するしキャッチーだ。
 見た目の方も、普段の凶悪な面構えさえ何とかすりゃ案外いけそうだったし。つかこいつってメイクすれば女装もアリだとか女子が騒いでたぞ」

上条の脳裏に、昔一瞬想像した鈴科百合子が思い浮かび、吹き出しそうになる。

それはともかく、どうやら話を聞いている限りは一方通行も協調性というものを身に付けてきているらしい。
周りから推された結果渋々ながらも引き受けるというのは、以前までの彼であればあまり考えられないことだ。
その辺りは純粋に上条からすれば嬉しいことではあった。

そして、垣根はケータイを取り出して画面を見せてきた。
何やら動画が再生されているようだ。

そこには、騎士風の服を着た少年が一人。かなりの美男子だ。

「えっ……ぶふっ……こ、これ……一方通行なのか……?」

「おう、くくくっ、よくめかし込んだもんだろ。声聞けば分かるぞ」


『ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります』


「「ぶっ、あははははははははははははははははははははははははっ!!!!!」」


動画に入り込んでいる垣根の笑い声と、現実での上条と垣根の笑い声がシンクロした。

いや、笑うようなことではないのだろう。
一方通行はもちろん大真面目だったのだろうし、むしろそれを笑うことは失礼だと言われても仕方ない。

だが、抑えきれなかった。
微笑ましさとシュールさが相まって、為す術なく笑いの渦へと飲み込まれた。
こんなの笑うなという方が無理だ。

「は、腹いてえ……! はは、はははははははっ、い、いや、悪い、でもいいじゃん一方通行!」

「だろ? くっくっくっ、しっかし何度見ても笑える……」


ブチン☆と、何かが切れるような音がした。


上条と垣根が固まった。
垣根は、腕で一方通行を羽交い締めにした状態のまま、ギギギと鈍い音が聞こえてきそうな挙動で、ゆっくりと首をそちらへ向ける。
見たくはない、それでも見なくてはいけないものを確認するために。


一方通行の背中から真っ黒な翼が生えちゃっていた。


直後、病院内に巨大な破壊音が響き渡った。




***



何とか危機を脱した上条はヘロヘロになりながらも、とりあえずは五体満足で第七学区を歩いていた。
しかし卒業生全員に配られ制服につけていた花飾りが、いつの間にかどこかに吹っ飛んでしまっているのが何とも悲しい。
まぁ、こういうことは日常茶飯事でもう慣れたものだが。

この第七学区の街並みに関しても馴染んだものであり、どこに何があるかくらいは大体掴んでいる。
風紀委員(ジャッジメント)の白井黒子なんかは、仕事柄一年足らずで路地裏の道まで全て把握していたようで、流石にそこは出来の違いを感じさせる。

とある裏道を入った先の、人気のない一角。
まさに知る人ぞ知るというような場所に、浜面の店はある。
主に車関係のトラブルに対応するが、機械関係であればそれなりに受け付けてくれるなんでも屋だ。

第七学区にしては珍しい静かな場所で、油や錆の匂いが鼻をつく。

浜面は店の前でバイクの修理をしていた。
驚くほどに様になっている。

「ん、上条か。今日は卒業式じゃなかったか?」

「あぁ、その帰りだ。つかやっぱお前、その仕事天職なんじゃねえの。相変わらずすげえしっくりくるな」

「おう、割と楽しくやってるぜ。ただまぁ、統括理事サマの給料と比べれば全然だけどな」

「嫌味ったらしいこと言うなよ、綺麗な奥さんもらってるくせによ」

「確かに俺の滝壺は世界で一番美人だけど、お前だって相当の勝ち組じゃねえか。
 統括理事会の一人で、イギリス美女が恋人で、しかも愛人もわんさか」

「愛人言うな。そんなのはいねえ。どっかのゴシップ誌にでも流すつもりかよ」

「いえいえ、そんなことすりゃ、こんな小さな店一瞬で潰されちまう。権力怖い怖い」

「散々上層部にケンカ売ってきて今更何言ってんだか」

「いつまでもやんちゃできないんだよ。結婚とかすると特にな。
 だから、俺がこれ以上やんちゃしなくてもいいように、頑張ってくれよ統括理事サマよ」

「……へいへい」

こうした期待を皆からされているとは凄く感じていた。
それは重くもあったが、同時に上条を動かす力でもある。
彼らのお陰で今の自分はあり、だからこそその期待には応えたい。

浜面は去年滝壺と結婚していた。
結婚と言っても、周りから見れば二人の接し方が変わったようには見えない。
それでも、彼の中で大きな変化はあったのだろう。その辺りはまだ上条には分からないことだ。

「あ、そうだ、麦野と絹旗からお前に会ったら伝えてほしいことがあるって言われてんだ」

「……あまりいい話じゃなさそうだな」

「まぁな。麦野の方は『警備員(アンチスキル)の動きがいちいちトロすぎる。これ以上邪魔になるようならまとめて消し飛ばすぞ』、だってよ」

「了解。消し飛ばすのは我慢するように言ってくれ」

麦野は今は新しくできた治安維持組織で働いている。
ジャッジメントやアンチスキルだけでは犯罪に対処しきれていないという状況から生まれた、裏ではなく表の組織。
アンチスキルとは違い、教師との兼業ではなく治安維持専業だ。

その構成員は麦野のような暗部あがりも何人かいて、それを彼女がまとめている形だ。
ゆえに、アンチスキルを足手まといのように感じてしまうのも無理は無いのかもしれない。

「あと絹旗。置き去り(チャイルドエラー)の為に映画の上映数増やせってよ。主にマイナー路線を」

「それ完全にアイツの趣味だろ」

「まぁそうだろうな。ただアイツ、自分が面倒見てる子供達に妙な感性刷り込んで、B級映画の世界に引き込んでる節もあるぞ」

「変な宗教かよ」

絹旗と黒夜は自身の境遇というものもあって、チャイルドエラーの保護をしていた。
そういった子供達は、心ない科学者に利用されやすいということは彼女達自身がよく分かっている。
目には目を、闇には闇をというわけではないが、暗い事情を把握している者の方が、そこから身を守る術を知っているということもまた事実だ。


ただし、絹旗はともかく黒夜の方はまだ上手く子供と接することができないようだが。
その辺りは一方通行も通ってきた道だ。

「……にしても、当たり前だけど皆それぞれ大人になってんだな」

「はは、自分だけ成長したつもりだったか? つっても、伸び方だけ見れば上条が一番なんだろうけどさ」

「そんな風には思ってねえけど……つか、立場的には俺より滝壺の方が重要じゃねえか」

「まぁな、自慢の嫁だぜ」

「稼ぎも上だしな」

「それは言うな!」

滝壺は主に能力者のケアを行っている。
壁にぶつかって悩み、そこから悲劇が生まれることは少なくない。
彼女はそんな者達の成長を助けてくれる。アドバイスは的確で、時にはAIM拡散力場に直接干渉して。

何から何まで全部やってくれるわけではなく、あくまで道を開く手伝いをする。
それが彼女のスタンスだった。

浜面はそんな彼女を誇りに思っているが、やはり収入の差は気にしているらしい。
その辺りは男のプライドというやつか。

「まぁまぁ、そういうのってあんま気にしないほうがいいぜ。これからの世の中じゃ特にな」

「お前が言っても嫌味にしか聞こえねえよ。そういや、インデックスの方も向こうで結構な上役やってんだろ?
 それなら、いくらお前が統括理事会の一人でも、俺みたいに嫁さんの方が稼いでるっていうこともありえるんじゃねえか?」

「あぁ、実質ナンバー2みたいな感じだから…………確かに何となく嫌だな」

「だろ?」

浜面には偉そうなことを言った上条だったが、いざ自分に当てはめてみると彼の気持ちもよく分かる。
これはインデックスにとってはくだらないプライドなのかもしれないが、男というのは無駄にそういうことを気にするものだ。
別にお金の為だけに働いているというわけでもないが。

そして、インデックスのことに関してはタイムリーな話題だった。
上条は常に彼女のことを想っているので、いつだってタイムリーなのかもしれないが、最近は特に。

触れたのは浜面の方だった。
彼は頭上に広がる澄み渡った青空を見上げて、


「もうすぐ会えるんだよな。良かったじゃねえか」

「――おう」


二年という時間を経て、やっと彼女との再会が実現しようとしていた。


上条の右手にタンザナイトのブレスレットが青く光って揺れる。
腕の中にあった小さなぬくもりも、まだハッキリと覚えている。




***



次に上条が訪れたのはとある小奇麗な施設だ。まだ建ってから新しいことが分かる。
中では数人の中高生がふかふかのソファーに座って順番を待っているようだった。
一見病院のような光景にも見えるが、彼らの表情は明るく、まるでこれから好きなアイドルと会えるかのように、待ちきれない様子だ。

といっても、ここはそんな場所でもなく、病院のようなという印象の方が正しいと言えば正しい。
要はカウンセリングの施設であり、ここにいる少年少女はそれを受けに来た者達だ。
基本はいくつかの学校に決まった期間人材を派遣するところだが、今のように学期末ともなると本部の方で受け付けることが多い。

こうして待っている者達の表情が明るいのは、それだけカウンセラーの腕がいいということだろう。
ちゃんと彼らの心の拠り所として、信頼の置ける相手になれているのだから。

上条は待合室でも止まらずに、カウンセリング室にも入らず通路の奥へと進んでいく。
ここに来たのは、何も日頃の不幸に精神を病んでカウンセリングを受けるため、というわけではない。
あくまでこれも統括理事会の仕事だ。

少しすると、目の前に木製の立派な両開きの扉が現れる。
ノックを二回。

「どうぞー」

見た目に反して扉はとても軽く、少し力を入れるだけでスムーズに開くことができる。

中はいかにもお偉いさんといった感じの部屋。
奥の窓の前には立派な机と椅子が置いてあり、その前にはガラステーブルを間に挟んで、高級そうなソファーが二つ向かい合わせで並べられている。
ところが、先程声がした部屋の主がいない。

「…………」

「だーれだ?」

柔らかい手の感触と同時に、目を覆われた。
そしてそれ以上に柔らかい双丘が背中に押し当てられている。
声は耳元すぐ近くから聞こえ、吐息もかかる。頭がくらくらしてきそうな、良い香りが鼻孔をくすぐる。

だが、上条は特に心臓を早鳴らせることもなかった。
これは決して枯れているというわけではなく、単に慣れてしまったからだ。
こんなのに慣れたなんてインデックスに知られたら大変なことになりそうだが。

「操祈、お前毎回これやってないか?」

「あはは、そんなことないわよぉ」

視界を塞いでいた手が離される。
やけに楽しげな様子で、彼女は、食蜂操祈は上条の前に回りこんできた。

服装は、白いワンピースに、ふんわりとしたピンクのカーディガンを羽織っている。
彼女にしては簡素な印象を受ける。

「普段は派遣先の制服なんだけどねぇ。私服だと、こういう趣向力の方が受け入れられやすいのよぉ。確かに私の趣味じゃないけどぉ」

「……心を読んだのか? 能力はなるべく使わないことにしたんじゃ」

「使ってませんー、目で『似合ってない』って言ってましたぁ」

「いやそこまでは思ってないけどさ……」

「能力なんかなくても、私にはお見通しよぉ。目を塞がれても、胸の感触と匂いから私だって言い当てた上条さん☆」

「待て、それは全力で否定するぞ。つかお前の部屋でお前の声なんだから、お前以外ありえないだろ」

「それは分からないわよぉ? もしかしたら肉体変化(メタモルフォーゼ)で私に化けてる不届き者かもしれないしぃ。
 だから、ここはあなたの右手で私のことを色々触って確かめることをオススメするわぁ」

「はいはい、ゲンコロゲンコロ」

「ひゃん!」

勘違いしないでもらいたいが、何もやましいことをしているわけではない。
ただ子供をあやすように、彼女の金髪を撫でただけだ。想像以上にさらさらとした感触が掌に伝わる。


「これでいいだろ。そんじゃ、仕事の話するぞ」

「……なんだか女の子の扱いに長けてきたわねぇ、上条さん」

これもまた、インデックスに聞かれればとんでもないことになりそうなセリフであり、彼女の前では言わないよう願いたいものだ。

食蜂は常盤台中学を卒業後、学生のメンタルケアプロジェクトの責任者としてここで働いていた。
このプロジェクトというのも、上条を始めとした数人の統括理事の発案で行われている。

学園都市の学生達へのメンタルケアというものは重要だ。
能力への憧れ、コンプレックスが原因の犯罪というのは数多く存在しているし、そこを突かれた犯罪というものも多い。
スキルアウトという集団も、メンタル的な問題から生まれるといってもいい。

まだ精神的に成熟していない子供が力を持てば、様々な問題が出てくるのは当然だ。
しかし以前までの学園都市は有能な子供達を重視して、それ以外への扱いは酷いものだった。
極端な話、落ちこぼれる者はどうにでもなれといった体制。

そんな中でも、小萌先生のような生徒の面倒をよく見てくれる人はいたが、それでも足りない。
それだけ、この街には数多くの学生が悩んでいる。

二人はソファーに腰掛け向かい合い、一通りプロジェクト関係の話を終えると、少しの雑談モードに入る。

「ふふ、でも私だったら精神系能力を持った人なんかに相談とかしたくないけどねぇ」

「自分でそれ言っちまうのかよ……でも、その辺りは問題ないんだろ?」

「えぇ。なんだかんだ常盤台でも良いお友達ができたし、割とみんな受け入れてくれるわぁ。
 というよりも、疑いたくないんでしょうねぇ。心に余裕がない人程騙されやすいっていうのは有名だしぃ」

「だ、騙すっておい」

「もちろんそんなつもりはないわよぉ。仕事でも能力は全然使わないしぃ。
 でもねぇ、無条件に信じるっていうのも、それはそれで相手のことを全く理解しようとしていないみたいじゃなぁい?」

「まぁ、そうとも言える……のかな」

相手のことを信じたいから疑う。
それは彼女らしい考えであり、理想論や綺麗事ではなくどこまでも現実的だ。

「それでも、お前はちゃんと悩んでる人達の助けになりたいと思ってこの仕事をしている。そうだろ?」

「……なんだか素直に肯定するのは気恥ずかしいわねぇ。大体、上条さんは私の言葉を信じてくれるのかしらぁ?」

「当たり前だろ。俺はお前のことをちゃんと知った上で、信じてる。まぁ、知った気になってるだけ、とか言われると何も言い返せないんだけどさ」

「ふふ、ありがとう。私も上条さんのことは他の誰よりも信頼しているわぁ。結局、あの試みも今のところクリアしたのって上条さんだけだからねぇ」

あの試み、というのは食蜂の目標にも直結するものだ。
すなわち、能力に負けない強い絆。

それを試すのは簡単で、以前彼女がそうしたように、能力で自分を嫌うように命じて反応を見る。
かつて浜面が滝壺にかかった能力を解いたように、上条がインデックスを敵として見る命令を跳ね除けたように。

どうやら上条にもそのテストをしたらしいのだが、それに合格したらしい。
といっても肝心なその記憶が曖昧なので、上条には自覚がないのだが。

「えーと、でもさ、他の人達だってその内……」

「分かってるわぁ。私はもうそんな簡単に人を見限らない。
 この目に確かに本物の絆っていうのを見せられたわけだしね。今でも常盤台の派閥の子達とは仲良くやってるわよぉ」

「そっか、それなら……」

「でもぉ」

妙に甘えた声を出すと、ガラステーブルを迂回してきて、上条の隣に座る食蜂。
そのまま上条に寄りかかるように体を密着させると、その肩に頭を乗せて猫のように擦り寄ってきた。

ふわっと、良い香りが押し寄せてくる。
腕に当たる柔らかい感触はおそらくわざとだろう。


「私にとって上条さんが特別なのは今も変わらないわよぉ?」

「お、俺にはインデックスがいるから……」

「むぅ、強情ねぇ。それなら愛人でいいわぁ。お偉いさんに愛人の一人や二人はつきものでしょう?」

「ぐっ、確かにそんなイメージがあるけど認めたくねえ! 周りはどうか知らねえけど、俺はインデックス一筋だ!」

鋼の心で食蜂の誘惑をかわす上条。
しかし、それを逃さないように、彼女は腕まで絡めてくる。

「私も一途よぉ、ねぇ、ここって防音性が高い部屋なんだけどぉ……」

「よし、もう仕事の話は終わったし、そろそろ行くわ!」

「あっ、ちょっとぉ! そんなこと言ってまた別の女のところに行くんでしょう!?」

「んな誤解を招くような言い方すんじゃねえ! 確かに女だけども!」

上条は慌てて扉まで歩いて行って、逃げるように出ていこうとする。
彼女からのこういった積極的な押しは毎度の事なので、対処の仕方もだんだん分かってきた。
まともに相手にしていたらきりがないのだ。

と、その前に一言。

「……あー、でも俺、お前とはこれからも良い友達でいたいと思ってるからさ。その、これからもよろしくな」

「良い愛人でいたい?」

「友達!」

「ふふ、はいはい。私としてはもっと踏み込んだ関係になりたいんだけど、あなたがそう言うなら仕方ないわねぇ。
 あなたとはこれからもずっと仲良くしていきたいっていうのは私も同じだしぃ」

「あぁ、それなら良かっ」

「あ、でもインデックスさんとケンカとかしたら真っ先に私のところに来てねぇ?」

「行かねえよ!」

上条は最後にそう返し、バタンと扉を閉めた。

このように、彼女とは相変わらず同じようなやり取りを続けている。
そこだけは以前と変わらないと言っていいだろう。

それでも、彼女は彼女で前を向いて、自分の道を進んでいる。
能力を使わず、経験と知識を使い、かつての自分のように能力のことで悩んでいる生徒の助けになろうとしている。
変わらないものと変わっていくもの。それは同時に存在していくものだ。

彼女からすれば、今の上条との関係には若干の不満があるのかもしれない。
それでも上条の意思は尊重してくれていて、それにはとても感謝している。
こういう時は申し訳ないという謝罪の気持ちよりも、ありがたいという感謝の気持ちを抱く方が正しいのだろう。

とはいえ、彼女は彼女で諦めていない様子で、常に上条の気持ちを動かそうとしている。
それはおそらく、目的に向かって一直線という意味では、上条自身とさして変わらない。

つまりは、どちらの目的意識が強いか。
二人の間ではそういった勝負が繰り広げられていると言えるのかもしれない。




***



次に訪れた場所は研究所で、ここが最後だった。
この後は一度寮に戻り、引っ越しの準備をしてから学校の打ち上げに行くつもりだ。

太陽はまだ頭上高くから街を照らしていて、辺りは春の陽気に満ちあふれている。
ここの研究所の前には小さな庭がある。ベンチなんかも置かれた、いわゆる憩いのスペースだ。
研究に根を詰め過ぎてしまう者が多いため、こういった場所でリラックスするように推奨しているのだとか。

ひらひらと、桜の花びらが風に揺れて、肩に乗った。
庭には見事な桜の木が一本あり、思わず上条の足もそちらへ引きこまれていく。
約束の時間にはまだ余裕がある。少しくらい見ていってからでもいいだろう。

その時だった。


「そ、その! 好きです、付き合ってください!!」


ビクッと全身を震わせ、咄嗟に茂みの裏に隠れた。
もちろん、その言葉が自分に対してのものではないということくらいは分かる。
というか、明らかに男の声だったので、それはそれで怖い。

そろーっと、気付かれないように顔だけ出して、声がした方を伺う。
庭の中央付近で、白衣を着た男女が向かい合って、男の方が頭を下げているようだった。
見たところ、どちらもこの研究所の職員だろうか。

いや、今注目すべきところはそこではない。
女の方……年齢的には少女と呼ぶべきで、彼女は思い切り知り合いだった。

「あの、えっと…………ごめんなさい。私、好きな人いるんで」

「そ……そう、ですか…………」

男は分かりやすくがっくりと肩を落として声を絞り出す。
そして一言二言魂が抜けた様子で彼女と何かを話した後、とぼとぼと庭を去っていった。

(ひ、人の告白シーンなんて初めて見た……)

別に意図したわけではないが、結果的に覗くような形になってしまい、罪悪感が胸に広がる。
加えて、フラれてしまった男の、春なのに哀愁漂う後ろ姿を見ていると、舞い落ちる桜の花びらも相まって何ともいたたまれない。

上条自身も告白シーンを大人数に目撃されるという経験を持っているが、もしあの場でフラれていた場合のその後の空気なんかは考えたくもない。
当然ながら、告白というものはいつでも成功するというものではなく、両想いだった自分のパターンなどはとても幸運な例なのだろう。
今では当たり前にインデックスとは恋人同士という関係ではいるが、その幸せをもっと自覚しなければいけないと思った。

とにかく、いつまでもここにいるわけにはいかない。
先に触れたが、告白された少女と上条は知り合いであり、覗いていただなんてことがバレたらとんでもない仕打ちが待っている。

しかし、ここで一つ考えてみよう。

今までも、上条は事前に危険を察知したことはあった。
そしてその度に、それを回避しようと彼は行動したはずである。
その結果はどうだっただろうか。


「……で、アンタはいつまでそんな所で覗いてんのかしら?」


バチン! と強烈な青白い光がほとばしった。
少女から放たれた電撃は、真っ直ぐ上条が隠れている茂みへと向かう。

「いっ!?」

反射的にかざされた上条の右手。
まるで避雷針のように電撃はそこに集中し、まとめて弾き飛ばされた。

いつもの光景だ。

「わ、悪かった! 覗くつもりはなかったんだ!!」

慌てて茂みから転がり出て、全力で謝り倒す上条。
放っておけば砂鉄の剣などバリエーション豊かな攻撃が始まってしまうので必死だ。


目の前の少女、御坂美琴は腕組みをして胡散臭そうに見ていた。
さらさらと風に揺れる茶髪は伸ばしているらしく、背中にまで届いている。服装は科学者らしく白衣。
二年前はあどけなさの残った顔立ちも、今は落ち着いた大人らしさというものも感じられるようになっていた。

そしてなぜか黒縁メガネまでかけている。
オシャレとは程遠いデザインだとは思うが、彼女がかけると妙に様になってしまうところが流石というべきか。

ちなみに残念ながら胸はそんなに成長していなかったりもする。
指摘するわけにはいかないが。

美琴は以前として疑いの眼差しを向けたまま口を開く。

「本当なんでしょうね。なんかアンタ、あの人が告白する直前に都合良く現れた気がするけど?」

「そ、そんなここに来た瞬間からバレてたのかよ……」

「何度も言ってるでしょ、私は電磁波で空間を認識できる。打ち消すなんてイレギュラーな反応があれば、人物まで特定できるわよ。
 ったく、告白の方を止めようかと思ったけど、もう言い出す寸前だったからあそこで止めるわけにもいかないし、ホント狙ったようなタイミングね」

「信じてくれ……本当にそんなつもりはなかったんだって……!」

「……まっ、アンタの不幸とやらも良く知ってるし、とりあえずさっきの一撃で勘弁してあげるわよ」

美琴は諦めたように溜息をつくと、近くのベンチに座った。
前までの彼女であれば、ここから「何でも一つ言う事を聞く」とかに繋げられてもおかしくなかっただろう。
その辺り、彼女も少しは大人になったと言えるのかもしれない。

「アンタなんか失礼なこと考えてない?」

「そんな滅相もないことでございますよ!?」

「言葉おかしいし……とりあえず座ったら?」

上条のオーバーリアクションも受け流し、自分の隣を指し示す美琴。
これではどちらが年上か分かったものではない。
一応上条は今年で車の免許も取れる年齢になったというのに。

とりあえず、彼女の申し出を断る理由もないので、言われる通りに座る。
彼女との距離は人一人分くらいか。これが適切な距離だろう。

「仕事の話でしょ? データとかそこら辺は頭の中に入ってるけど、アンタはここだと困る?」

「あー、いや、問題ない。別にそんな守秘義務の強い話でもないし」

「じゃあ、ちゃっちゃと始めちゃいましょ」

美琴はそう言うと、メガネを外して白衣の胸ポケットにしまう。
そういえば、上条と話す時はいつもメガネを外すような気もする。
これがもし、「上条の顔をハッキリ見たくないから」などという理由であれば、おそらく彼はとてつもなく凹むことになるのだが。

上条は嫌な予想を頭を振ることでかき消し、仕事の話に入ることにした。

ここの研究所は筋ジストロフィーの根本的治療を目的としている。
それは美琴が自分の能力を使って初めて願ったことでもあり、闇への入り口でもあった。

あの時叶えられず利用されただけの願い。
それを今度こそ自分の手で叶えてみせるという想いから、彼女は常盤台中学卒業と同時にこの研究所へと入った。
並行して、妹達(シスターズ)の調整に関する研究も行っていて、上条が訪ねる要件もそちらの意味合いの方が大きい。

研究内容的に、彼女は冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)と会う機会も多く、それはつまり一方通行ともよく会うということだ。
一応は二人共シスターズを救うという同じ目的ではあるのだが、やはりと言うべきか衝突することが多い。
一度ケンカが洒落にならない程大きくなり、上条や垣根が本気出して止めるはめにもなったくらいだ。

まぁ、その辺りは時間のかかる問題だろう。


「でさ、佐天さんとか初春さんとか見ると思うわけよ。
 学年的には一つしか変わらないのに、学生のあの子達と私で比べると、なんか私がすっごく老けてるように感じるのよね」

仕事の話が一段落して、上条と美琴は雑談に花を咲かせていた。
学園都市なだけあって、研究所にも同世代の子供はいなくはないらしいが、美琴は上条を相手にした時が一番言いたい放題言えるので気が楽だとか。
嬉しいんだか嬉しくないんだか、反応に困る言い分だ。


「そこはやっぱ社会人と学生の違いってやつなんじゃねえの? そういや白井達も今年で中学卒業か」

「えぇ。黒子は教師になって警備員(アンチスキル)、佐天さんと初春さんは進学」

「し、白井が教師?」

「変態なところを除けば割と向いてるとは思うわよ。あの子、年の割に凄くしっかりしてるし」

「変態なところを除けばって、とてつもなく心配になる前置きだな……」

「まぁ、あんなことになるのは私に対してだけってことを祈るしかないわね。変な意味とかじゃなくて。
 ただ、まだクラスを持つとかはないみたいで、しばらくはテレポーター専任講師みたいな感じになるみたい」

「あー、テレポーターは数少ないからな。そうやって高位能力者が助けてくれるのはいいな」

「そうね。あの子もその辺りで色々苦労しただろうから。私なんかはよくある能力だから、低レベルの時はいくらでも参考にする人とかいたし」

懐かしそうにそう言う美琴。
低レベルの頃というと、小学生時代なのだろう。
上条としては、一年前のことも遥か昔のように感じてしまう。

それにしても、教師の白井黒子というのは中々想像しにくい。
スーツにメガネでもかけさせればそれっぽく見えるのだろうか。

と、ここまで考えて、ふと美琴に尋ねる。

「そういえば、そのメガネはどうしたんだ? 研究のし過ぎで目が悪くなったとか?」

「あぁ、これ? 違う違う、男避けよ男避け」

「男避け?」

美琴は胸ポケットにしまってあった黒縁メガネを取り出すと、片手でくるくると弄びながら軽く答えた。

「そ。こういうダサいメガネかけてれば男も言い寄って来ないかなって。
 髪伸ばしてるのも同じ理由。鏡見る度に思うけど、やっぱ私って短髪の方が似合うわ、うん」

「……いや、ぶっちゃけそのメガネも結構似合っちまってるぞ? 長髪もそれはそれで、なんつーか、綺麗ってか……」

「ぶっ!!!」

手元が狂ったらしく、メガネがポーンとあらぬ方向へと飛んでいってしまった。
美琴は慌ててそれを拾いに行く。落ちた場所が土の上だったらしく、壊れたりはしなかったらしい。

そしてぽんぽんとメガネについた土を落としながら、今度は荒々しくドンッとベンチに腰掛けた。

「アンタってホントそうやって自覚なしに乙女心を弄ぶわね。言っとくけど、それ直さないといつか刺されるわよ私に」

「こえーよ! 分かった、悪かったって」

「本当に分かってんでしょうね。もしさっきの言葉で私がその気になって、アンタを無理矢理手に入れようとして研究所に監禁とかしたらどうするつもりなのよ」

「もしもし美琴さん? ツンデレからヤンデレにジョブチェンジしてますよ? あと、どうするつもりとか言われれば普通に通報するぞ」

「黒子が揉み消すわ。警備員(アンチスキル)だし」

「学園都市の闇は深いなおい。言っとくけど、俺ってこれでも一応統括理事会の一人だからな?」

「私のパパは統括理事長と繋がってるわ」

「そうだった!!!」

恐るべきミサカネットワーク。
彼女を敵に回せばまず無事では済まないということがよく分かる。

それにしても、美琴も随分と素直に好意を表に出すようになった。
流石に食蜂ほどグイグイきたりはしないが、一度スイッチが入るとこの有り様だ。
こういった話題でここまで落ち着いているのは、それだけ大人になったという証拠なのだろうか。


「……いや、ちょっと待てよ。お前さっき告白された時に『好きな人』がいるとか言ってなかったか?
 それでてっきりお前も新しい恋を見つけたのかって、上条さんも少し安心したところがあったのですが……」

「何言ってんのよ、そんなのアンタに決まってんじゃない」

「えっ、けど俺は」

「分かってる分かってる、インデックスのことを想って毎日枕を濡らすくらい、好きで好きで仕方ないってことくらい」

「流石に枕を濡らしたりはしてない。でも分かってるなら……」

「アンタが悪い」

「はい?」

美琴は何やら決めポーズのように、ビシッと人差し指を真っ直ぐこちらに向ける。
白衣姿というのもあって、妙に様になっているのがどこか悔しい。

「アンタがいつまでも私の中で大きいままなのが悪い!」

「…………」

「言っとくけど下ネタとかじゃないわよ」

「その付け加え余計過ぎるだろ! ちょっとシリアスになった空気が台無しだよ!! 仮にも女子がそんな言葉を平然と言うんじゃありません!!」

「女子に幻想持つなってのー、こちとら研究所のエロジジイのエロ会話に散々うんざりさせられてんだから。
 いい具合に頭のネジが飛ぶと、女のこととかどうでも良くなる科学者ってのも多いんだけど、中途半端な奴等が最悪」

「……は、はぁ」

なんだか随分とスレてしまっている美琴さんだった。
社会というのはそれだけ大変なものらしい。統括理事会の上条がこんなことを思うのも何だが。
セクハラ対策プロジェクトも発案したほうがいいのだろうか。

美琴はベンチの背もたれの上部に頭を乗っけて、春の穏やかな青空を見上げる。
そのまま眠ってしまうのではないかと一瞬心配にもなったが、彼女はそのまま話し出した。

「もういっそ、アンタのハーレム計画の一員でも構わないとかって思えたら少しは楽だったのかしらね」

「俺はそんな計画進めてない」

「そう? でもどっちにしろ、私が入ることはできないわね。
 食蜂なんかはそれでもいいかもしれないけど、私は独り占めしないと気が済まないみたいだから」

「……普通はそういうもんじゃねえの。俺だってそうだ」

「へぇ、アンタも嫉妬とかするんだ? インデックスが他の男と仲良くしてるとイライラする?」

「そりゃあな……信じてないってわけじゃねえんだけど、どうしても、な」

「まっ、その辺りの気持ちは私もよく分かるわよ」

後から思い返してみれば、インデックスや美琴がよく分からない場面で怒っている時もあった。
当時はどうしようもなく何も知らない上条だったから、それを見て首を傾げたものだ。
今なら、それらが好意からくる嫉妬だったのだろうと予想できる。

美琴の現状を上条に当てはめてみるとすれば、インデックスがステイルと付き合っているといった感じか。
想像するだけでも胸が痛くなり、こうやって普通に会話している彼女はきっと、自分よりずっと強いのだろう。

でも、だからといって、上条に彼女を慰める資格なんてあるはずもない。
インデックスを選び、美琴を選ばなかったのは、他ならぬ上条なのだから。


言うべき言葉を見失って黙ってしまうと、美琴は小さく笑いながら、

「ごめん、こういうことアンタに言っても困るわよね」

「いや、俺に言いたいっていうんなら聞くよ。聞くだけしかできねえけど……」

「アンタも相変わらずね。そんな甘やかしてると、夜中に電話かけて延々と愚痴こぼしたりするかもしれないわよ私」

「それは勘弁してくれ」

「あはは、冗談よ。ただ、アンタはそんな悩む必要はないわよ。これは私の問題だし。
 もういっそ、『実は昔、常盤台のレベル5を二人振ったことがあるんだぜ!』とかって自慢しちゃえば?」

「……流石にそれは」

「もしそんなことしたら私が燃やすけど」

「ダメなんじゃねえか!」

美琴はまた楽しげに笑うと、少し勢いをつけてベンチから立ち上がった。
バサッと白衣が翻り、一瞬上条の視界が白一色になる。

「さて、と。休憩終わりっ。仕事仕事~」

「おう、頑張れよ」

そう返して、上条も立ち上がろうとした時。

彼女は少し歩いたところで、立ち止まっていた。

ちょうど桜の木の下。
いくつもの淡い桃色の花びらが舞い、上条と彼女の間でカーテンのように揺れる。
まるで、その間を区切っているかのように。

美琴はゆっくりと振り返った。
その表情には、春の陽気よりも穏やかな笑みが浮かんでいる。
周りの情景も相まって、それはどこかの絵画の一枚であるかのようだった。

上条は立ち上がろうとしている姿勢のまま、硬直してその姿に見惚れてしまう。
もちろん、インデックスへの気持ちは何一つ変わっていない。
ただ、それでも、目の前のその光景は素直に綺麗だと思えた。

美琴は微笑んだまま、言葉を風に乗せる。

「何だかんだ言って、どんな形でもこうしてアンタと一緒に仕事ができるのは嬉しいのよね。
 これからも一緒に、この色々とアレなところも多い街を何とかしていきましょ。お互いの立場からさ」

「あぁ、これからもよろしくな美琴」

「……それ、他の女にも言ってるでしょ」

「うっ」

「ふふ、まぁ、別にいいわよ。それじゃあ行くわね、愛してるわ当麻」

そんなことをさらっと言って、今度こそ彼女は歩き去っていった。

……なんだろうか、あの余裕は。
当然ながら、二年経ったといっても上条が美琴より年上なのは変わらないわけで、彼女だってまだ16歳だ。
それなのに精神的には随分と先を行かれている気がする。

ああいった言葉には、どんな返しをすればいいのだろうか。
少なくとも、こんな風に呆然とするというのは大人の対応ではないだろう。
次までには、何か考えておく必要があるかもしれない。

とりあえず、インデックスの前では言わないようにと釘を刺すことだけはしておくべきだろうが。




***



翌日。
強烈な頭痛に苦しみながら、上条はベッドの上でゆっくりと上体を起こした。
外は昨日と変わらずいい天気で、柔らかな日差しがカーテンの隙間から入り込んでいる。

昨夜の記憶が曖昧だ。
この頭痛もあって、おそらく打ち上げで飲み過ぎたというのは何となく想像はつく。
しかし、小萌先生もいただろうに、よく酒を飲むことが出来たものだ。最後ということもあって、先生も気が緩んだのだろうか。

服装はパジャマではなく、薄手の前開きのシャツにジーパン。
おそらく、帰ってきたままベッドに倒れこんだと思われる。

ぼーっと部屋を見回した。

物が少なく、妙に殺風景。代わりに段ボール箱がいくつか置かれている。
理由は単純で、高校を卒業するということで、上条はこの学生寮から出て行くということになっているからだ。
第七学区は学園都市で最も学生が集まるところであり、学生寮の空きは常に求められている。

記憶を失ってからずっと、ここは上条が帰る場所で。
また、インデックスが待ってくれている場所でもあった。

目を閉じれば彼女の声が聞こえるようだ。
ご飯を催促する声や、テレビを見ながらはしゃぐ声、三毛猫と遊んでいる声。
まるで時の経過を感じさせない程に、鮮明に。

上条は頭を振った。

いつまでも感傷的になっているわけにもいかない。
確かにこの場所は大切なものではあるが、いつまでも立ち止まっていることもできない。
何よりも大切なのは、インデックスがこの場所に帰ってくることよりも、上条の下に帰ってくることなのだから。

出会いもあれば別れもある。
それは人と人だけに限った話でもない。

例え大切な場所を離れたとしても、その思い出は胸の中に残っていく。
大人であれば、そんな風に折り合いをつけるべきなのだろう。


「……よしっ! いい天気だし、布団でも干しとくか!」


とりあえず無理矢理に、形だけでも吹っ切れる為に、そんなことを言いながら勢い良く立ち上がる上条。
二日酔いによる頭痛と気持ち悪さで若干足元がおぼつかないが、気にせず手早く布団を畳んで持ち上げた。

今日の降水確率はゼロパーセント。
天気予報も今では完璧とは言えないのだが、流石に大ハズレということもない。
まぁ、上条の不幸の前では確率というのは何とも心もとない根拠でもあるが。

「空はこんなに青いのに心と体は真っ暗♪」

などと若干わけの分からないことを言いながら、ベランダへのガラス戸を開ける。
もしかしたらまだアルコールの余韻が残っているのかもしれない。

しかし。

「……ん?」

もう干してあった。

雲一つない青空の下、そよ風が吹く春の朝。
ベランダの手すりに、白いものが引っ掛かっている。
だが、上条にはそんな覚えはない。昨日の夜中に酔っ払って干したのだろうか。何の為かは分からないが。

だがすぐに、そんな考えを払拭する動きが起こる。
ここでの動きというのはそのままの意味で、手すりに引っ掛かった白い何かが動いたのだ。

「ん……んん……」

「…………」

段々と上条も冷静になってきた。
二日酔いでぼんやりとしている頭を動かして、目の前の状況を見る。
ちゃんと、視覚からの信号を脳で処理する。


どさっと、手に持っていた布団を取り落とした。

それは女の子だった。
女の子は修道服を着ていた。
修道服を来た女の子は銀髪碧眼の外国人だった。

そしてその声。
聞き間違うはずもない。
なぜなら先程部屋の中で、確かに上条の頭の中で響いていた声だから。


「インデックス!?」


大声で呼びかける上条。
念の為目を擦ってからよく見てみるが、やはり彼女はそこにいる。

その大声で彼女も覚醒したようで、ひょいと顔を起こした。

「あ、とうま。おはよ」

「お、おはよって……」

「おなかへった。お腹いっぱいご飯を食べさせてくれると嬉しいな」

「ご飯……は……えっと……」

「あれとうま、今回は酸っぱい味付けのヤキソバパン持ってないんだね」

「は、ヤキソバパン?」

「ふふ、ううん、こっちの話。とうっ!」

そんな可愛らしい掛け声とは裏腹に、動作自体はアクロバティックなものだった。
インデックスは引っ掛かっていた手すりから真っ直ぐ宙へとジャンプすると、そのまま一回転して上条の前に着地した。
思わず十点満点を出したくなる程綺麗な動作だ。

彼女は上条を見上げて微笑む。
身長は見たところそんなに変わっていない。相対的に見ると、上条との身長差は広がったようだ。

「ビックリした?」

「びっ……そ、そうだ! 何でここにいるんだ!?
 いや、そりゃ会合のことは知ってるけど、それだってもう少し先の話じゃあ……!」

「ちょっとワガママ言って早めに来ちゃったんだよ。とうまを驚かせようと思って。そっちの統括理事長とか、ひょうか辺りは知ってるよ」

「……こうやってベランダに引っ掛かってたのも驚かせるため?」

「うん。まぁ、そこら辺はムードとか、雰囲気とか考えたっていうのもあるんだけどね」

「ベランダに引っ掛かった状態のどこにムードがあるのかが分からん……」

「あはは、分からないんならいいんだよ」

しかし一方で、上条の中ではあの光景に何かが湧き起こるような感覚もあった。
あんな奇っ怪といってもいい状況の中で。
懐かしいというか……妙な感動を受けたのも確かだった。

その理由について上条は知らないし、また知る必要もないのだろうけど。

改めて彼女を見ると、二年前とほとんど何も変わっていないようにも思える。
ここでようやく落ち着いて、上条は笑みを浮かべることができた。

彼女の全てを包み込むような優しい微笑み。
静かに風に揺れる綺麗な銀髪の一本一本に、目を奪われる。

いきなりの奇襲のような再会で意表を突かれたというのはあったが。
今目の前にいるのは紛れも無く、この二年間ずっと会いたいと願っていた少女であり。
上条にとってかけがえのない、何よりも大切な少女だった。

ずっと求めていた幸せの中に、上条はいる。


「身長は伸びてないみてえだな」

「むっ、これでも1センチくらいは伸びてるんだよ! ていうかとうまが無駄に伸びすぎかも!!」

「無駄にって何だ無駄にって。つか俺だって伸びたっつっても10センチくらいだし、大したことねえよ」

「なんだか余裕見せつけちゃって……ふん、人間大事なのは中身かも。聞いたよとうま、アステカの魔術結社との会談でケンカしたって」

「うっ!」

「ふふーん、まだまだとうまもお子様だね。もう立場が立場なんだから、カッとなっても冷静に話し合わないと。
 その辺り、私はもう落ち着いたオトナのお姉さんだからね。相談事とかあったら聞いてあげなくもないんだよ」

「へっ、ベランダに引っ掛かってビックリさせようとする奴がオトナのお姉さんねぇ」

「そ、それはそれかも! オトナっていうのはユーモアも大切で……」

「つーか大事なのは中身っていっても、そんなぺったんこの幼児体型のままで言われても説得力ってのが」

「がぶっ!!!」

「うぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

お決まりの流れ。
結論としては、どちらもまだまだ子供だということになるだろう。

でも、それは仕方ないとも言える。
様々な体験をしてきたと言っても、結局二人はまだ二十年も生きていない。
記憶だけで言えば三年だ。

だから、これから人生というものを学んで、少しずつ大人になっていけばいい。
二人で、一緒に。

「ていうかとうまお酒臭い!」

「仕方ねえだろ、昨日打ち上げだったんだ!」

「まったくもう、二年ぶりの再会なのに雰囲気台無しなんだよ。まぁ、とうまにそういうの求める方が無理なのかもだけど……」

「そんなこと言われてもなぁ」

と、ここで。
きゅぅぅと、可愛らしい音が鳴った。

音源はインデックスだ。
彼女は顔を真っ赤にしたまま震えている。

「……で、雰囲気がなんだって?」

「仕方ないかも! おなかへったんだから!!」

「へいへい。そんじゃとりあえず朝飯にすっか」

そう言って、ベランダから部屋の中に戻ろうとする上条。
「そういや冷蔵庫の中身どうなってたかなー」などと考えながら。

その服の裾を、インデックスが小さく握り込んだ。

がくっと引き止められ、上条は頭に疑問符を浮かべて振り返る。
彼女は俯いて、耳を赤くしていた。

「どした?」

「その、ほら、恋人が久しぶりに会ったら、さ」

「…………あー」

彼女は俯きながらも、チラチラとこちらを見上げて様子を伺っている。
その様子がとても愛らしく、思わず力任せに抱きしめてしまいたい衝動にも駆られる。

だが、そこは紳士上条。
その気持ちはぐっとこらえて、彼女に尋ねる。

「けど俺、今酒臭いし……」

「ん」

彼女は何の躊躇いもなく、人差し指を上条の唇に這わせた。
その柔らかい感触に、上条の全身がびくっと震える。


「な、なんだよ!?」

「魔術。体全体に効果があるものだと右手で消されちゃうから、とりあえず口だけ」

「……やっぱ便利だな魔術って」

「でしょ」

気付けば、口の中にミントの香りが広がっていた。
これで初めてがアルコールの味という悲惨な結果は防げるということだ。

上条はゴクリと喉を鳴らす。

「じゃ、じゃあ……」

「……とうま、目が怖い。言っておくけど、今はまだキスだけなんだよ?」

「今は?」

「も、もう! いいから早くする!」

インデックスは顔を真っ赤にしたまま、背伸びをして目を閉じて、顔を上に向ける。

二年前はぎりぎりのところで出来なかった。
それを彼女も気にしていて、こうして会ったらすぐにしようと思っていたのだろう。

拒む理由はどこにもない。
むしろ上条の方がずっと願っていたと言ってもいい。
これは一つの決着であると、そう思っている。

上条は彼女の両肩に手を置く。

こんなにも近くにインデックスがいる。
目を閉じた穏やかな表情、静かに揺れる銀髪、綺麗なまつ毛が視界を占める。
もう、二人の間を邪魔するものは何もない。

上条はそのままゆっくり、彼女に近づき。
そして。


二つの影は、一つに重なった。



どこまでも続いていそうな透き通った青空の下。
出会いと別れを告げる春の陽気に包まれて。
一人の少年と、一人の少女の物語は終わり、始まった。

これからも、二人の間では様々な物語が繰り広げられるのだろう。
それこそ、この一連の流れよりももっと大変だったり、もっと幸せなことだってあるだろう。

未来なんていうのは誰にも分からない。
だからこそ、人は悩み迷い、時には立ち止まったりもする。
それでも少年は、彼女や、他の沢山の友人達に支えられながらしっかりと進んでいける。

もう上条は、「不幸」という言葉を口にすることはないだろう。
なぜなら、例えどんな理不尽なことに見舞われても、それに勝って余りある幸せがあるから。
本当の幸せというものが、この手の中に、確かにあるから。

ずっと付けていてくれたのであろう、ガーネットの指輪が彼女の左手薬指から光を揺らす。
同じく、上条の右手にも、タンザナイトのブレスレットがある。

通じ合い、寄り添う二つの心。
少年少女が二人で手に入れた幸せは、とある学生寮のベランダで、暖かく光っていた。

そして。


「ん、キスもしたし、あとは朝ご飯なんだよ!」

「切り替えはえーな、もはやそっちがメインになっちまってんじゃねえか……って冷蔵庫何もねえな」

「えー、じゃあ外食で我慢するかも。ふっふっふ、学園都市に私の空腹の相手が務まるのかな?」

「おっ、インデックス、塩あったぞ塩。これと米で朝飯にしよう」

「なにそれ!? ちょっと、とうま、久しぶりに会った恋人に対してそれは男としてどうなのかな!?」

「うるせー! お前が好き放題に外食なんかしたら店にも大ダメージだろ!!
 インデックスと学園都市と俺の財布は全部必ず守る! それが成長した上条当麻だ!!」

「なんか格好いいこと言ってるけど、たぶん一番守りたいのは自分の財布かも! しかも米と塩じゃ私は守りきれてない!!」



――――科学と魔術が交差した物語は、続いていく。

くぅ疲これにて完結
なんかメチャクチャ長くなったけど、ここまで見てくれた人はありがとう

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