「君が好き」(60)

『ぼんやりしている心にこそ 恋の魔力が忍び込む』



ふと、耳に言葉が残る。
大講堂の正面で、マイクに向かって独り言のように呟かれた言葉。


『これはかの有名なシェイクスピアの言葉だが、彼は生涯で作中外を問わず多くの言葉を残し…』


続けて、長ったらしい講釈がはじまる。

この講義は、これさえなければ面白いのに。


たくさんの多くの名言。
それらを人間心理学の範疇に収めて、仰々しく語る教授の姿には辟易する。


本当に素敵な言葉なら、説明などしないでほしい。
自分の思うように、必要なように呑み込むから。

手元のノートに、最初に聞こえた言葉と シェイクスピアの名前だけを書き込む。
そしてその後は、いつも通りの退屈な講義を聞き流している。

頬杖をつくと、ななめ前に座る女のノートが見えた。


【  「      恋の魔力が忍び寄る」<シェイクスピア>】


「・・・・・・ああ」

きっと俺と同じように、ろくに講義を聴いていなかったのだろう。
前半部分を空欄にした、不完全な名言が書き記されている。

いらただしげにペンを投げ、頬杖をつく女。

退屈な講釈を我慢してまで聞いて、聞きたいところを聞き逃したとあっては
それはイラつくのも無理はない。
その気持ちはよくわかる。
何故なら俺も、よく同じように思うから。


90分の講義はもうすぐ終わる。
忘れていた事を思い出すようにして教授がホワイトボードに書き出す単語。
その中から好きな言葉を選び取って、時々写すだけの退屈な時間。

この講義は出欠を取らない。
試験もレポート提出のみで、提出すれば単位がもらえる。
さらに教授はおしゃべりで、自分の講釈に酔っていて、学生の態度などには目もくれない。

そのせいで非常に人気が高く、受講者数は学内でもダントツだ。
600人程度が受講しているという噂だが、大講堂は600人収容ちょうど。

それでも時には、いや、大体の場合は講堂は閑散としている。
今日みたいに。

終了時刻を知らせる鐘が鳴ると、
教授は急に我に返ったように使い古された分厚いノートを閉じた。
次回の講義内容を一言だけ伝えると、学生の質問も待たずに講堂を出て行く。

後を追う学生などいないのもわかっている。
いつもどおり。


いつもと違うのは、俺がめずらしく積極的な行動に出たことだ。


「ぼんやりしている心にこそ、だよ」

「へ?」

素っ頓狂な声をだして振り向いた女に、説明をしてやる。

「『ぼんやりしている心にこそ、恋の魔力は忍び寄る』。さっき、書き写せていなかったでしょ」

女は、合点がいったという顔をして
しまいかけていた荷物を広げ、空欄を埋めた。

「・・・・・・・・」

「ああ、すっきりした」

ノートを満足げに見た後、また荷物をしまう。
それを見届けて、じゃぁ、とだけ言って立ち去ろうとすると、女が引きとめた。


「まって。どうして、私が聞き取れなかったのがわかったの?」

「斜め後ろの席で、偶然ノートが見えたから」

「じゃぁ、どうしてわざわざ教えてくれたの?」

「こういうのは…あとから調べて空欄を埋めると、すごく安っぽい言葉に見えてくるから」

「ああ。そうね。いかにも予定調和のようになって、魅力がなくなるよね。教えてくれてありがとう」

「どういたしまして」

あまりに端的で、感情味のない言葉。
それでもその言葉は、確かに感情というものを大切にしている者にしか発せない言葉だった。


講堂を出て、ファストフード店が隣接された食堂エリアに向かう。
アイスコーヒーを飲みながら、先程の授業で書いたノート…
いや、メモを取り出して流し見る。

最後の最後で書き足した一文に目が留まる。


【 恋の始まりは 晴れたり曇ったりの 4月のようだ - シェイクスピア - 】


コーヒーを飲み干す頃には すっかり気持ちまで苦くなってしまったようだった。
胸焼けのような違和感が、心の奥に染みを作っている。

まさかそんなことで
恋の始まりを意識してしまうなんて。

----------------第一章 『恋の始まり』 完

のんびりゆっくりやりますので よろしくおねがいします


>>1 「たくさんの多くの言葉」 という重複について。消し忘れです。
-------------------------

「晴れたり、曇ったり。本当に憂鬱」

隣の席から聞こえてきた声に、心臓を打たれた。
顔も上げないまま、気配をうかがう。

「聞こえてるなら、返事くらいしてもいいのに」

意を決して、目線だけを横に流す。
つまらなそうな顔をして、隣の女が覗き込んでいた。

「やっぱり、憂鬱。そう思わない?」

「……意味がわからないね」


一言だけ伝えて、自分の手元のノートを見る。
この一週間で何度も見た、書き込み。

【 恋の始まりは 晴れたり曇ったりの 4月のようだ - シェイクスピア - 】


「わかってるでしょ。こうして、隣に座るくらいなんだから」

「価値観が共有できる。不足分が補い合える。それだけの理由だから」

「そんなの、つまらない」


前回の講義から一週間。
この間に、学内で何度か彼女を目にすることがあった。

目にするだけだ。話しかけたりはしない。
でも、どこにいてもすぐに見つけることができた。

一方で、女はこちらに気付きもしなかった。
6日経って、自分の行動に違和感を覚えはじめた。

食堂横のファストフード店で アイスコーヒーを飲みながら前回の講義内容を見直していた。
シェイクスピアの言葉を見て、自分の心を推し量る。

恋の始まり。
これは本当にそうなのだろうか。

ほんの少しの苛立ちを覚えて、消極的に払拭しようとしていた。
コーヒーを飲んで、思考を中断する程度に。


「ああ。おんなじなのね、私と」


突然、横から顔を突き出されて息が止まった。
マヌケに飛び上がるような真似をしなかったのが唯一の救いだ。

「ねえ。今度から、一緒に授業を受けようか」

彼女は少しだけ笑いながら、挑発的な口調で提案してきた。
意図が見えず、思わず睨みつけていたらしい。

「怖い顔、しないでよ。私、君のことが好きみたいなの」

呆気に取られた。
こちらはこの6日間、何度も君を見つけだしたというのに。
一度も気付くことのなかった彼女は、平然と俺のことが好きだという。

「気のせいだよ」

思わず、溜息と一緒に言い捨てた。
おなじにされてたまるものか。


「気のせいじゃない。だって、ずっと君のことが忘れられなかった」

「どうして、今そんなことを言うの」

「見かけたから」

「先週の講義の後から今日まで 何度くらい君の側を通ったかわかる?」

「通ったの?」

「8回。 君は一度も気付かなかった。それでも好きだといえる?」

「言えるよ?」


もう一度、深く溜息をつく。
無言のまま彼女に背を向け、コーヒーを飲む。


「末広がりね」

「何が」

「8、という数字の意味が。きっとうまくいく」

「……迷信は好きだけれど、それを免罪符にするのはやめて」

「じゃぁ、違う理由ならいいの?」

「どんな理由」

「君は、私が好き。きっとうまくいく」

言葉を失った。
どんだけ自分が間抜けな顔をしていたのかわからないけれど
心底おかしそうに笑って、俺のコーヒーを飲み干す彼女が本気だということはわかった。


そうして今日、こんな事態になっている。
目線をそらしても、気配がまだ覗き込んでいるのがわかる。
居心地が悪い。

一方で彼女は、とても楽しそうに笑っている。
俺の行動を逐一監視するようなその視線には、耐えられそうになかった。


「ねえ。一番好きな言葉は、何?」

あまりに突飛な彼女の質問。
溜息を一つついて、無言のままノートを何枚か遡ってみる。
たくさんの言葉のなかから、一つを選ぶ。

「………これ、かな」


【あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。
      それでもありがたいとは思うがね。 -シェイクスピア-】


指差したその書き込みを見て、彼女は面白そうに笑った。
嫌味がまったく通じていないようだった。


「君、素直じゃないんだね」

「こんなにわかりやすい嫌味を言えるくらいには、素直だよ」

溜息すら出てこない。
じっとりと睨みつけるようにして、彼女を見つめる。

「本当に、素直じゃないね。面白いとおもうの。やっぱり、私はすごく君が好きだよ」

彼女はそういって、僕の手をいきなり取った。
振り払うこともせず、彼女の好きにさせてみた。

彼女はまるで人形遊びをするような仕草で、
俺の人差し指を残して手を握らせた。
そして終始笑顔のまま、その指先をノートの上に置いた。
指先が、文字を撫でる。

しまった、と思ったときには遅かった。
彼女は授業中だというのにケラケラ笑って、言い捨てた。


「それでも、ありがたいと思うなら。やっぱり君は、私のことが好きなのよ」


彼女の握る手はそのままに、反対の手で眉間を押さえる。

無意識に選んだ言葉が、あまりにストンと腹に落ちてきたから。
だからこの胸は 急に胸焼けを起こしたんだと思う。
息苦しいほどに体感させられては、それが事実なのだと気付かざるをえない。

気付かされたんじゃない。
こんなの、無理やり飲み込まされたようなものだ。

急に早鐘を打ち始めた心臓に意識を集中させていると
くぐもったような独特の呟きがスピーカーから聞こえてきた。


『僕は彼女が大好きだが 愛してなどいない。
      一方彼女は僕を熱烈に愛しているが それほど好きではない』


『これは俳優の言葉だ。愛とはなにか、それは彼自身の生き方にも表されるように……』


「……ああ。そうだったの」

「そういうことなんだね」

輪唱するような、独り言。
そのあとに聞こえてきたのは ペンを走らせる二つの音だけだった。


----------------第二章 『類似するもの、対峙するもの』 完


暇なのか癖なのかは知らないが、
教室内の誰かがノートをペンでトットッと叩く音が耳に残る。

リズミカルに、だが不規則に鳴らされるそれは何かの催促のようにも聞こえた。
それに促されるようにしてわざと音を立てて参考書を捲る。

ペラララ、ペラ。
ペラララ、ペラ。

いつも必ず途中で一度止まるのはそこに異物の重みがあるからだ。

「はぁ…」

気が重い。
だが見ないという選択肢はないのだろう。

こういう事は本来、一度気が付くと放っておけるような物ではないのだから。
僅かな躊躇を抑え込んで問題のページを開く。


(……ああもう)

そこにはプリクラが貼られている。
写っているのは俺ともう一人。
照れながらもピースをカメラに突き付けた女の姿。

このプリクラの持ち主だったはずの女。

悪戯の張本人を探し横の席を見る。
いつもこの時間は俺の隣で寝ているのだが、今日は寝ていない。

いや、今日も、か。

ここ数日間で別人のように変わってしまった女。
だがその理由は分かっている。

このプリクラも大分前に貼ったものを今になってようやく気付いただけのこと。


指でそっと撫でると、隅が捲れることに気がついた。
台紙から剥がすときに折ったのか、3ミリほどがドッグイヤーのようになってしまっている。

ちょうどいい摘まみだ。
外してしまおう。
勝手に貼られたのだから勝手に捨てても罪はないだろう。

誰にも問われる事のない責任に免罪符を貼り付けて
ゆっくりとプリクラを剥がした。


「…剥がすんじゃ、無かった」

通路を挟んだ席の学生が、突然の独り言にこちらを向く。
目が合うと、気まずそうな表情で視線を落とした。

仕方の無いことだ。
いい年をしていきなり一人言を呟き、泣き出した男をみたら誰だってそうするだろう。


プリクラの裏には消えかけたような筆跡。
強がりの笑顔の裏に、残された『ごめん。』の文字。

ああ、なんだ。
あいつはちゃんと謝っていたのか。

意固地になって責め立て、喧嘩別れをしてしまった女。
今はもう隣にいない、冷たい目線しかよこさなくなった女。
あまりに素直じゃない、こんなやり方しか知らない不器用な女。

いや、違う。
不器用なのは自分だ。

いつだって催促されるまでは行動が出来ない。
後ろ向きな発言で行動を避けてばかりいる自分。

トットットッ。

音が聞こえる。
先程より早く、急かすように打ち鳴らされる。


それに促され、仕方なく教室をでた。
数人の視線を背中に感じるが、気にせずに進む。

トットットットットットッ。

段々と早くなる音に責められながら校舎を歩き回る。
涙を流しながら彷徨う姿はどれだけ滑稽だろうか。

ほんの少しの後悔が漂い始めた頃、ようやく見つけた。

トクン。

一際大きな音を立てると、催促の音は鎮まっていった。
鼻から大きく息を吸い、はっきりと口を開いた。


「大事なことを伝えるよ。…『僕は彼女が大好きだが 愛してなどいない』。オスカーワイルドだ」

「『愛せなければ、通過せよ』。 …ニーチェだったとおもうわ」


やっぱり、この女も意固地すぎる。
俺が必死に伝えた思いを、即答で粉々にするなんて。
溜息を隠し切れない。やはりここまでで終わりなのだろう。

俺が諦めかけたとき、女の声が胸に届いた。


「……それが、答えなのね」

悲しそうな、泣き出しそうな顔で一言呟いて、女は立ち去ろうとした。
その背中と言葉は、とても素直で可愛らしかった。

なるほど。
不器用な俺は、言葉の使い方を間違っていたらしい。
他人の言葉を 俺の言葉にするのを忘れていたら、伝わるわけがない。

今度は、自分の言葉で伝える。
でも、気の利いた言葉は思いつかなかった。


「愛してなどいないが、俺は君が大好きだ」


一言だけ伝えると
女は泣きそうな眼をぎゅっと細めて、紅潮した笑顔でピースを突き付けてきた。


トットットットットッ。

また、せわしない催促の音が聞こえる。
促され、女を抱き締める。

ああ。きっともう大丈夫なんだろう。
いつだって正しく催促してくれるこの鼓動に身を任せていれば、僕たちは素直になれるのだろうから。


「私も、大事な事をおしえてあげる。君にはきっと、私が必要なのよ」

「必要かどうかまでわからない。大好きなだけだ」

「……『自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。』」

「また、ニーチェ?」

「うん。ああ、でも、私も間違えちゃった」

「聞くだけ、聞いてあげる」



「自己侮蔑という君の病気には、賢い私に愛されるのがもっとも確実な療法だわ」


あまりにも自信に満ちたその態度。
挑発的な目つきで見上げられると、真逆の言葉で逆らいたくなる。

でも、すぐに諦めた。
何も言わずに、ただ抱きしめたままで居た。


「自信」の対義語など、存在しないのだから
自信家な彼女に、対立できる俺も存在しない。

逆らえないのは仕方ないことだろうと 納得した。


----------------第三章 『自信家な彼女』 完

二章から三章の間急に年月が飛んでるのか? それとも別CP?

こういう雰囲気好きだ

>>26
少し時間が経過してますね。描写が足りなくて申し訳ないです
2章と3章の間で二人はなんとなくのまま、しばらく付き合いを続けてきた…
という感じで補完して頂けると幸いです
ありがとうございます。全5章を予定しています


「君が変わらなければ、俺たちは対になれないとおもうよ」

食堂の横にあるファーストフード店。

いつもどおりの席並びで、
いつもどおりのアイスコーヒーを飲み、
いつもどおりの姿勢で、彼女は俺を覗き込んでいる。

そしていつもどおりの、突飛な声かけ。
いつもと違うのは、それが俺から発せられたということだけ。


「なに、急に?」

女は不愉快そうに、指先をチョコンと俺に突きつけて言った。
それをみつめると、寄り目になるのがわかる。

手で払ってどかすと、女がニヤニヤと笑っていた。
その顔をみないように目線をそらすと、苛立ちを隠さない声音で言葉を付け足す。


「だから。君がそういう態度をとっているままじゃ、俺たちは真の意味では『対』になれないって言ったんだ」

「対になる必要があるの? 並べばいいだけのことでしょ」

「これは言葉遊びのつもりじゃないよ。俺たちは友人じゃなく、男女なのだから」

「極論すぎ。型に当てはめようとするなんて、君らしくない。男女でも、交わる必要は絶対じゃないわ」

「劣情を持っていないとは言わないけどね。今はそういう意味じゃないのもわかってるはずだよ」


俺がそう平坦な抑揚で言って見せると
女は、つまらなそうに頬杖をついて指先をクルクルと回した。


俺と彼女は、最初からずっと変わらない関係だ。

正確に言えば、他人から恋人同士にはなった。
でもそれは肩書きだけの変化だ。
僕たちの精神的な距離感は、いつまでたっても平行線を描いている。

彼女のことが大好きだと自覚し、口に出してしまった俺は少し欲深くなった。
肉体的なことも多少はあるけれど、それよりも精神的に彼女を手中に収めたくなった。

ふと、思いなおしてみる。
あのときの彼女の言葉を。


―― 君にはきっと、私が必要なのよ
―― 自己侮蔑という君の病気には、賢い私に愛されるのがもっとも確実な療法だわ


なるほど、彼女はどうやら随分卑怯らしい。
わかってはいたが、頭が垂れ下がるほどに深い溜息がこぼれ出る。


そう。彼女は俺を、愛しているとは言っていない。
もちろん、大好きだなどという言葉も聞いた事がない。

それなのに、いつもこうして俺の側にくっついて、
心の中まで覗き込むような無遠慮さで 媚を売ってくる。

口を開くと、出てくる言葉はいつもどこか俺を馬鹿にしているくせに。
その態度は、鼻につくほどに甘えてすりよる猫のそれだ。

挑発的な距離感。
わかっていながら、苛立ちながら、必死に逆らいながらも
それに呑まれて行く俺がよほどおもしろいのだろう。


「……可愛いげのないやつ」

不器用で後ろ向きな性格をした僕の口は、そんな言葉を捻り出した。
それを聞いた女は不機嫌そうに目を細めて何も言わずに立ち去った。

また、やってしまった。
この間も下らない喧嘩をして、ようやく素直になると誓って復縁したばかりだというのに。

素直になりたいと思っているのに、
どうして僕の口はそれを理解してくれないのか。

遠くなる彼女の後姿を、まぬけにも突っ立ったままで見送った。


構内で何重にも設置された放送機材が次の講義時間を教えてくる。
力強く反響する鐘は、僕の間違いを指摘する警告に聞こえた。

彼女の姿は、坂を上った所で横に折れた。
このままでいれば見失う。
だからと言って追ったところで、この口が一緒では巧く弁解などできないだろう。


「……仕方ないか、それに次の講義に遅れてしまうし」

自分の口を言い訳に行動を起こさない僕は
以前から比べて進歩したのだろうか?

相手に責任をなすりつけて言い訳にしていた頃よりはマシだと信じたい。
誓いを立てたからといって、人は簡単に変われないのだ。

それに、どうせ次の授業は…一緒なのだから。

彼女のことだから、僕に会いたくない程度の理由で
自分のしたい事をやめたりはしないだろう。


案の定、講堂で女を見かけた。
見かけたといってもいつもの席にいるだけだ。

600人収容・自由席のこの講堂においては誰もが自分のテリトリーを持って着席する。
毎回ほぼ決まってそこの範囲へ足を運ぶ。
目に見えなくともそれがわかるのだ。
だから僕もそれに従う。

女の横。

僕のテリトリーはあまりに狭い。
唯一の指定席だ。

はぁ、と大きな溜め息が横から聞こえる。

見ることはしない。
面倒に関わっていくのは苦手だから。

『私の台詞よ』と聞こえて来ると、目は僕の意に反して女を見る。
そして 『睨んでも無駄、事実だもの』と理不尽に貶められる。


僕は口だけでなく目まで素直じゃないらしい。
退屈な講義の最中、女の言葉を反芻してみた。

意味はわかる。
可愛げの無いのは僕だと言いたいのだ。
しかしどうすれば可愛げが出せるかなど知らない。
知っているなら教えてくれ。

教授はまだ鐘もならない内に終了を告げた。
寒い寒いと手を擦り合わせて帰り支度をする女を見る。

仕方がない。
聞くなら今しかない。

僕は女の冷たい手首を掴んで引き寄せる。

驚いて抵抗する女。
また勝手に語り出しそうな口と目を閉じさせ、その冷たい掌に僕の頬を擦り付ける。

動物に見られるおねだりのボディランゲージだが、
目と口を閉ざした僕にはもうそれしか語る術はなかった。

意図に、気付いてくれるだろうか。
「どうすればいいのか、知っているなら教えて欲しい」という、意図に。


あまりに無反応な彼女を訝しく思い
そっと目を開けて彼女を見る。

満足そうな表情で、はちきれんばかりの笑顔を浮かべながら
彼女は僕の瞳を捕らえて離そうとしない。
そうして一言だけ、あの馬鹿にしたような口調で、こういった。

『やれば、できるじゃない』


女の声と同時に終業の鐘。
講堂の唯一の放送機材は今度こそ正解の鐘の音を響かせた。

自分の行動を振り返り、正解を認めたくなくなる。

彼女が変わらないというのならば、俺が変わればいいだけなのだ。

「知っているのなら、教えて欲しい」なんて。
自分が「可愛がられたい」だけじゃないかと、気付かされた。

素直じゃないのは。
可愛げが足りないのは 彼女の言うとおり俺だった。


こうして俺たちは ようやく対になることができた。

一方的に受け止めるもの。
一方的に捧げるもの。

どこかが歪んだ音を立てているのに、
俺たちはそれに気づくことはなかった。

ただ
ようやくピタリとはまった二人の関係に

僕たちは、おぼれていたんだ。

----------------第四章 『自然に不自然な、二人』 完

ありがとうございます。嬉しいです。
次で最終章ですが、投下はまた後日にします。

あ。一人称間違ってますね。>>40 僕→俺です。すみませんでした。

安価 >>37でした…。眠いです。すみません。


「『嫉妬をする人は わけがあるから疑うんじゃないんです。疑い深いから疑うんです』」

「シェイクスピアね」

「正解」


頭を摺り寄せて、答え合わせをする。
彼女はそんな俺の頭を静かに撫でている。

俺たちはいつの間にか、こうして馴れ合いを重ねるまでの関係にすすんだ。
それでも言葉は多くは無い。
多くを語ろうとするのは無粋というものだ。


「『あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものになったことだろう』」


優しく、暖かな手が俺の頬を撫でた。
彼女の問い。
彼女の本音。

誰かの言葉でしか表現されない、とても歪んだ愛情のやり取りが心地よい。

本当に素敵な言葉なら、説明などしなくても伝わるのだから。
自分の思うように、必要なように呑み込むのが、どこまでも心地よいから。


「…それは、ゲーテ。でも違う。君の言葉であって欲しい」

「それはどうかしら?」


クスクスと忍び笑いを含ませて、彼女が俺に抱きついてくる。
それを抱きとめて、触れ合うだけの口付けを交わす。

悪戯な瞳、皮肉な唇。
魅惑的な四肢に、挑発的な言葉。
その全てを受け止めて 俺たちの夜が更ける。

肉体的な距離感はゼロ。
精神的な距離感だけは、浮遊してつかめない。

そんな関係が、どこまでもどこまでも ただ 好きだった。




だから、それに気がついたのは 更に半年も経った時のことだった。


俺たちを出会わせたあの講義も、終に最終日。
教授はホワイトボードの前に立って、自分の講釈に酔っている。

俺と彼女は相変わらずに講義などまともに聞いていない。
机の下で、時々少し手を触れ合わせたり 無言のまま目線をやりとりしたり。

いつもどおり。
いつの間にか、俺たちの日常はそれがいつもどおりになっていた。

それほどまでに濃厚な日々を過ごしてきたつもりだった。
目線を合わせるだけで、芳醇で独特な香りが鼻腔をくすぐるようだった。


「ねえ。この授業がなくなったら、寂しくなるかな」

「どうだろう。授業自体がなくなっても、言葉はなくならないから」

「そうね。永遠に続くのが、言葉だもの。名言だけよ、そんな普遍的なものは」

「同感だ」


その瞬間。
聞きなれたくぐもった声が、スピーカーから放たれた。


『男は自分が幸福にしてやれる女しか愛さない』

『…これは、マルセル・アシャールという人物の残した言葉だが・・・』


彼女の顔色から、ほんの少しだけ赤みがひいたのがわかった。

ホワイトボードを見つめるその顔に
今までのような、どこか蕩けたような表情が消えた。

続けざまに、もう一度放たれた言葉。


『ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ』

『…これはシェイクスピアの言葉だ。この授業ではシェイクスピアの言葉は何度か取り扱ったが…』


僕と彼女は
最後の授業になって初めて 教授の次の言葉を真剣に待った。


『恋とは、とても錯覚に近いものだ。多くの言葉を扱う人間にとって、言葉は影響力が強すぎる』

『好きだという言葉で好きになり、嫌いだという言葉で嫌いになる』

『言葉を愛するというのは、とても美しいことだがそこに陥ってはいけない』

『僕は何度もこの授業で君たちに言い聞かせてきたと思う』


『言葉に 踊らされてはいけないのだと。言霊の力に、呑まれてはいけないのだと』


『今日は最終授業だから、僕から君たちにこんな言葉を贈らせてもらおう』

『【まったく想像力でいっぱいなのだ。狂人と、詩人と、恋をしている者は】』

『シェイクスピアの言葉だ。想像力というのは非常に有用で美しく甘美なものだ』


『君たちは 陥ってはならない』

『想像力に溢れすぎた詩人は、恋をしている気になって…実際は狂っていることに気がつかないのだから』


終業を告げる鐘が鳴り響いた。
いつもどおり、教授はまっすぐに部屋を出て行く。
受講生のほとんども、それに従った。


「さよなら」


彼女はそれだけ呟いて、広い講堂を歩いていった。


さよなら。その言葉の起源は、さようなら。 ……左様なら。

左様なら、さよなら。


俺は、最初から最後まで、言葉の魔力に呑み込まれたまま。
俺は、狂ったまま。

いつまでも「ココ」から出て行くことができない。
彼女の言うとおり、言葉「だけ」が普遍だった。

言葉だけ、いつまでもいつまでも。




君が好き。君が好き。君が好き。
君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。
君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。君が好き。



いまでも、出て行くことができない。出て行けない。


誰か、誰か。


誰か、俺を助けてくれ。


----------------最終章 『言葉に取り憑かれた、男の末路』 完

終わりです
50レス丁度で終わったのが嬉しい

追記:途中、何度も何度も 「俺」と「僕」を打ち間違えてすみませんでした

終わりますwww
ありがとうww

(割とそういう淡白なオンナノコが好みのタイプとかいえない)

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