魔女「……トイレ」

魔女「え？」

魔女「どうして、私はトイレに行きたくなったのだろう」

魔女「これまでそんな必要は無かったのに」

魔女「……」

魔女「ぁ……っ」ﾌﾞﾙｯ

魔女「……」ﾌｷﾌｷ

魔女「止め方が分からなくて、漏らしてしまった」

魔女「忘れてしまった」

魔女「今まで、何も必要は無かったのに」

魔女「急に不安になってしまった」

魔女「落ち着かない」

< ｶﾞﾁｬｯ

< ｷﾞｨｨｨ…

魔女「……」ひょこっ

魔女「外……森だったんだ」

魔女「いつも、本ばかり読んでいたから分からなかった」

魔女「……あれ」

魔女「そうしたら、どうやって私はこの家に来たのだろう」

魔女「……」ｻﾞｯｻﾞｯ

< ｶﾞｻｶﾞｻｯ

魔女「！」ﾋﾞｸｯ

魔女「……」ﾄﾞｷﾄﾞｷ

魔女「…こわい」

魔女「こ、こんなところ…にいつも、ひと…ひっ、ひと… 」

魔女「……」ｶﾞﾁｶﾞﾁ

< ぺたん

魔女「はー……はー……」

魔女「やっと落ち着いた」

魔女「怖くて、恐怖で、呂律が回らなくなって足に力が入らなくなるなんて」

魔女「……私は、魔女なのに」

魔女「怖いものなんてない、その筈なのに」

魔女「どうして…なのか」

< ｶﾗｶﾗｶﾗ……

魔女「……？」

商人「おおぅ？ こんな所にどうしたんだお嬢さん」

馬「ﾋﾋｨﾝ!」


魔女「……だれ」

商人「誰って、しがない行商の男さ」

商人「お嬢さん、名前は？」

魔女「私は……」

魔女「……誰だろう 」

商人「なんだ、わかんねえのかい」

魔女「かもしれない」

商人「記憶喪失か」

魔女「違う、時間の流れと知識が私の脳が記憶していた名前の容量を越えた」

魔女「ただそれだけ」

商人「……は？」

魔女「？」

商人「な、なにいってんだ気味悪い……」

< ｶﾗｶﾗｶﾗ……

魔女「行ってしまった」

魔女「……」

魔女「行商なら、この先に町が……？」

魔女「行ってみれば、分かるかもしれない」

魔女「……あ」

魔女「足……疲れてきた」

魔女「……歩けない」

< ｼﾞﾝｼﾞﾝ……

魔女「疲れ……」

魔女「どうしよう」

魔女「こんなに疲れた事、無かった筈ななのに」

魔女「……」


━━━ ｻｧｱｱｱ･･･


魔女(怖い…)ﾌﾞﾙｯ

━━━━━ ザァアアアア・・・


魔女「……何も見えない」

魔女「夜は、こんなに暗かったんだ」

魔女「今まで、あんなに明るかったのに」

魔女「夜なんて来てなかったのに……」

< ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ…

魔女「どうしてこうなってしまったのだろう」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ

魔女「思い出せない、ずっと昔の自分が思い出せない」ﾎﾟﾛﾎﾟﾛ…


魔女「怖いよ…誰か助けて…」

< ……ｻﾞｯｻﾞｯ…

< 「……おい、しっかりしろ」

< ユサユサ……!


魔女(……あ…れ…)

魔女(誰かいる…誰なのだろう)

魔女(揺らしてる……？)


< 「くそ……もうすぐだったのに」

< 「待ってろ、ここから町まで行く……！」

< グイッ


魔女(……背中)

魔女(だけど堅い…何だろう、鎧や何かかもしれない)

━━━━ ザッ・・！！


魔女(早い……)

魔女(殆ど震動は無いのに、馬よりも鳥よりも速い……)

魔女(……)

魔女(この人は人間ではない)

魔女(だけど、凄く…温かい)

魔女(……)

魔女「すぅ……」

━━━ 「ある日、……の魔女は気づいてしまいました」 ━━━


━━━ 「『このままでは、いつしか私は何もかも忘れてしまう』」 ━━━


━━━ 「『そうなってしまっては、きっと私は直ぐに死んでしまう運命になるだろう』」 ━━━


━━━ 「さほど恐ろしいとまでは思いませんでしたが、この魔女はその日の紅茶の時間を有意義に過ごせませんでした」 ━━━


━━━ 「そこで、……の魔女は考えて１つの名案を見つけました」 ━━━



━━━━━ 「一人の小さな男の子に、手紙を出すことにしたのです」

< …………ﾁｭﾝ……ﾁｭﾁｭﾝ……


魔女「……」

魔女(……窓の外に、小鳥がいる)

魔女(家の中で本を読んでいる時、たまに声は聞いていた)

魔女(だけど、いつも姿は見せてくれなかった)


男「起きたか」


魔女「！」

男「君は森の中で倒れていたよ」

男「行商の男に森の中で妙な女に会ったと聞いて、探してみれば案の定だ」

魔女「……誰」

剣士「名乗るような名前を持ってない、ただの剣士だよ」

魔女「名前を持ってない……？」

剣士「名前は有るには有るが…そういう君はどうなんだ」

魔女「……分からない」

剣士「なら、名乗れないな」

剣士「灰色にも関わらず、貴族の手入れされた箱入り娘よりも圧倒的に艶やかな美しい髪」

剣士「こうして眺めているだけで何もかも忘れそうになる程の美貌」

剣士「甘い匂いを色付けるかのように美しいその身体」


剣士「君は、『エルフ』だな？」


魔女「……エルフ？」

魔女(覚えてる……のに、上手く知識が出てこない)

魔女(違う、忘れているのだろう)


剣士「……」

剣士「まぁ、いい……本物に会うのは初めてだが、俺が探してるのは君ではない」

魔女「私はエルフなの？」

剣士「恐らく、君が記憶を無くしている理由も説明がつく」

剣士「大丈夫だ、少し出掛けてきたら君を元の場所へ帰す」

魔女「どうして？」

剣士「エルフなら分かるだろう 」

魔女「忘れてしまったから、分からない」


剣士「君達エルフは美し過ぎる」

< ｶﾞﾁｬｯ

< ﾊﾟﾀﾝｯ


魔女(……行ってしまった)

魔女「私がエルフ？」

魔女「……」

魔女「違う、私は何かの魔女だった筈……」

魔女「…………」


魔女「でも思い出せない、本当に自分が誰なのかも」

━━━━━ 【数十分後】


剣士「……」

剣士「森の奥にある、『真新しい家』」

剣士「ここか、奴がいるのは」ｶﾞﾁｬｯ

< ｷﾞｨｨｨ…

剣士「……開いている」ﾁｬｷｯ

剣士(罠も考えられるが、そんな事をする意味はない)


< ｷﾞｼｯ……ｷﾞｼｯ……


剣士「……」

剣士「誰もいない 」

剣士「何故だ……？ 話の通りならば外に出る必要すら無い筈」

剣士「！」

< ｶﾗﾝ……

剣士(薬の入ったビン)

剣士(そうか、奴が病で死んだ可能性もある)

剣士(だが……)ﾁﾗｯ


< ﾊﾟﾁﾊﾟﾁ……

剣士(まだ火のある暖炉を見ては、その考えを捨てざるを得ないな)

剣士「…」ｷﾞｼｯ…ｷﾞｼｯ…

剣士(寝室、か)

剣士(どれも部屋にあるのは新品の本と家具ばかりで、とても奴とは思えない)

剣士(……ん？)

< ｶﾁｯ

< ﾊﾟｶﾝｯ

剣士(ベッドの下から木箱……か？)

剣士(怪しいが、どこにも殺意は感じられない)

剣士(一体、なんだ)

< パカッ

剣士「……」

剣士「…なんだ、この紙は」

剣士(馬鹿にされている？ 違う、なにか妙だ)

剣士「戻るか……ここに留まるよりは安全の筈だ」ｷﾞｼｯｷﾞｼｯ

< ﾊﾟｻｯ

剣士「っと、掛けてあったのを落としてしまったか」ﾋｮｲ

剣士(……！ 何を呑気にブランケットを拾っているんだ俺は)

剣士(まったく……)スッ

剣士「ん？」ﾋﾟﾀｯ

剣士「……」

< ｽﾝ､ｽﾝ…

剣士(この匂い、今朝のエルフの……！！)

剣士「まさか、アイツが…」

剣士(戻らなければ……！)バッ

剣士(奴を町に放してはいけなかった！)


剣士(くそ……！)

< 「あはは、面白い人ねアンディ」

< 「えー？ 何でだい…」

< ｶﾗｶﾗｶﾗ……

< 「今日の目玉は取り寄せた珍しい楽器だよー」ﾁﾘﾝｯ

< 「お兄さん、寄ってかなぁい？」


魔女(……人が、沢山…)

魔女(どうして私はこれだけいる人間と一緒にいなかったのだろう)

魔女(…… )

魔女(！)ｸﾞｰ

魔女(おなかすいた……そういえば、どうやって食料を取ればいいんだろう)

魔女(今まで紅茶だけでも大丈夫だったから、思い出せない)

魔女「ぁっ」

< トンッ

少女「気をつけて」

魔女「ごめんなさい」


< ｽﾀｽﾀ…ﾋﾟﾀｯ

魔女「？」

魔女(今の少女が立ち止まって私を見ている……何故？)

少女「……」

魔女「…」ｽﾀｽﾀ

魔女「どうかしたの」

少女「お家に帰らないの？」

魔女「どうして」

少女「危ないよ」

少女「外は、危ないよ」


魔女「……でも、自分が何だったのか、思い出したい」

魔女「…ぇ…？」


魔女(消えた…いつの間に……)

< 「へいらっしゃい！ って……」

< (すんげぇ美女じゃねえか…こんな女、初めて見た)


魔女「……」

魔女(ずっと昔に本で読んだ『サバ』ってどれだろう)

魔女(艶やかで、油が乗っているように見えるはず)

魔女「サバは、どれだろう…」

< 「サバぁ？ 魚なら他所へ行ってくれやお嬢さん 」

魔女「そう言われても、私はここに来るのは初めてで」

魔女「町の中央広場から南にある通りを曲がると、魚屋」

魔女「……の、筈」

< ﾊﾟﾘｰﾝｯ

< 「や、やめとくれぇっ！」

< 「うるせぇババァ！！ いつになったら徴収金払うんだ、ぁあ！？」

< 「いつまで待っても魚、魚、魚……金を用意しろってんだよ！！」

< ﾊﾟﾘｰﾝｯ! ｶﾞｼｬｧｰﾝ!!


警備兵「あーぁ、壊しすぎだろカワイソ」

警備兵2「なー」

魔女(……何だろう、この人達は)

魔女(魚屋をとり囲んで、中からは男の怒鳴り散らす声がしてくる)

魔女(何となく、怖い……)


魔女「……あの」


警備長「ぁあ？」

魔女「サバ、見せて欲しい」

警備長「…おい、なんだこの女」

警備兵2「さー？」

魚婆「さ、サバだね…奥の水槽におるよ」

警備長「黙ってろクソババァ！！」

< ガッ

魚婆「ぃだぁッ……！？」ﾄﾞｻｯ

魔女「…!」ﾋﾞｸｯ


警備長「おい女、見ねえ顔だな……どっから来た」

警備兵「その女にも絡むのかよ、今日は機嫌悪いなお前」

警備長「ちげぇよ、よく見ろよ」

警備兵「はん？ …………！」

魔女「…………」ﾋﾞｸﾋﾞｸ

警備兵「……確かにこの町じゃ見たこと無いな、こんな美人見たら当分の間は忘れられそうに無い」

警備長「だろ」

魔女「……」

魔女(さっきから、あの老女が私に目配せをしてきてる)

魔女(『逃げなさい』、って事だろう)

魔女(……確かに逃げたい、この男達は何だか嫌だ)

魔女(でも……)ｶﾀｶﾀ


魔女(……意識すれば意識するほど、足が震えてうまく動けない…)

警備長「……兵舎に連れてくぞ」

警備兵2「なんでだよ」

警備兵「いいからいいから」

< ｶﾞｼｯ

魔女「えっ…」

警備長「こっち来い、みっちり取り調べしてやるからな」

魔女「っ！ や、だ……っ！ 離してっ」


魚婆「や、やめるんじゃぁ！ 人を呼ぶぞこの人でなし！」

警備長「……」


< スラッ・・・

< チャキッ

魚婆「ひ、ひぃいっ…！」ﾄﾞﾀﾄﾞﾀ!

警備長「ぶっ殺されたくなきゃ、大人しくしてろよ」

魔女(……)

魔女(剣……刃……)

魔女(何だろう、この…最近まで体に染み付いていたのが…抜けてる感覚)

警備兵「へへ、大人しくしてないと痛い目に合うかもな」

魔女(何だろう、この下卑た視線……つい最近…といっても、沢山の時間に比べればほんの少し前に‥)


魔女(……怖い…)


魔女(やだ……やだぁ……っ)

剣士「余り、その女に近づかない方が身の為だぞ」


警備長「っ！？」

警備兵「いつの間に…」


剣士「その女、魔女かもしれないんだ……離れててくれないか」ﾁｬｷｯ

剣士「俺が殺る」

魔女「……っ」ﾋﾞｸｯ

魔女(ど、どうして……)

< 「違うよ！ そのお嬢ちゃんは襲われてたんだ！ 助けとくれ…!」


剣士「……？」

剣士(なんだあの婆さんは、どういう状況だったんだ)

警備長「……剣を抜くという事は、覚悟はいいんだな」

警備兵「この町仕切ってるのは、俺ら警備軍だってのによ」ﾁｬｷｯ


剣士「……」

剣士「待て、俺はお前らの敵じゃ…」

警備兵2「ｼｯ!!」ﾌﾞﾝｯ

剣士「ああ、くそ…こうなるのか」ｶﾞｼｨｯ

警備兵2「！？」



剣士「……」ﾁﾗｯ


魔女「……」ｶﾀｶﾀ

警備兵2「なんだコイツ……刃を掴んでやがる…っ」ｻﾞｻﾞｯ

剣士(掴まれたくらいで剣を離した…素人か)ﾎﾟｲｯ

< ｶﾗﾝｯ

剣士「どうせ長居するつもりはなかった、適当な奴から来い」

剣士「動けなくなる程度に済ましてやる」

警備長「な……」


警備長「嘗めるなァッ！！」


剣士(鈍い)ﾋｭｯ

< パァンッ

警備長「…」ｸﾞﾗｯ

< ﾄﾞｻｯ

警備兵「せぁあ！」ﾀﾞｯ

剣士(走り方からして動きに無駄があり過ぎる……コイツは顎だな)ﾋｭｯ

< ゴンッッ

警備兵「ぁぷッ……」ﾄﾞｻｯ

警備兵2「…ぇ…ちょ、は……！？」

剣士「……転がしといても、後で起き上がって婆さんに酷いことしかねないしな」

剣士「ここで、お前達を殺すというのも合理的だよな？」

警備兵2「待て待て！ 待ってくれって！！ もうここには来ないから！」


剣士「……ホントだろうな、報復もダメだぞ」

警備兵2「お、おう！」

剣士(まぁ…どうせ今夜までには色々片付けて移動する、後の事は関係ない)

魔女(……あっという間に、あの男達を昏倒させて撃退してしまった)

魔女(それに、さっきは剣を正面から手で受け止めていた)

魔女(手に着けてるグローブは滑り止めの補助くらいしか能を成さない)

魔女(この男は……)

魔女「……」ｼﾞｯ


剣士「……」ｺﾞｿｺﾞｿ

剣士「森の奥にあった家屋で見つけた、これは……お前のだな？」

魔女「ブランケット…」

魔女「どうして私の家に？」

剣士「……こちらが聞きたい、何故だ」

魔女「？」

魔女(眼の動きが……)

魔女(私の身体…指先の動きまで警戒してる？)

剣士「何故、あの道で倒れていた」

剣士「本当に記憶は無いのか」

魔女(……私が倒れていたのは、あれ以上動けなかった)

魔女(記憶が無いのも、ないというよりは『忘れてしまった』だけだ)

魔女(なら私は、どう答えれば良いのだろう…)

魔女「私は……」

剣士「……」

剣士(何故、躊躇う……やはりコイツが…)



魔女「……あなたに助けられた、そして今も助けて欲しい」



剣士(！)


魔女「貴方が私の何を警戒しているのかは分からない」

魔女「でも、私はさっきもそう…『今は』もしかしたら何も出来ないかもしれない」

魔女「何も分からないの」

魔女「ある程度の知識はあっても、それ以外の外の世界を私は忘れてしまったの」

魔女「見ず知らずの貴方に、こんな事を言うのはおかしいけれど私は貴方に助けて貰いたい」


剣士(……な…………)

剣士(何だ……？ 全て『本当の事を言っている』……)

剣士(嘘を…いや、それは見破れる)

剣士(何らかの呪法で俺の魔術をかわしても…いない、『そういう奴』の筈だ)

剣士(なら…)


魔女「……」

魔女「貴方は、何を警戒しているの」


剣士「『魔女』だ」


魔女「！」

魔女(この人…魔女を知っていた)

剣士「『何らかの頂点に君臨する異界の女』、それが魔女」

剣士「そしてそれこそがエルフに与えられる最強の称号だ」

剣士「……俺が警戒しているのは、お前そのものだ」

魔女「私もエルフで、魔女だから？」

剣士「…………」

剣士「俺が殺したいのは……少なくともお前じゃない」

剣士「そう思いたい」

魔女「私には分からない」

剣士「記憶が本当に無いならそうだろうさ」

魔女「でも……」


剣士(……っ、しまった)ﾋﾞｸｯ

魔女「？」

少女「…………」



魔女(さっきの少女…)

剣士「……少し立ち話が過ぎたな」

剣士「行くぞ…お前とは二人きりで話したい」

< ｸﾞｲｯ

魔女「ぁ……」


少女「……」ﾆﾀｧ…


魔女(…？)

魔女(見ている……私を、違う…私の『中を見ている』)

魔女(あの笑いは何？)

魔女(どうして私を見て笑っているの)


少女「……」ｶﾊﾟｯ

━━━━━ 「お帰り、お姉ちゃん」

< ﾎﾟﾂｯ‥

< ﾊﾟﾗﾊﾟﾗﾊﾟﾗﾊﾟﾗ……


魔女(……雨？)

魔女(初めて見た気がする……いつも天気の良い昼だけだったから)

剣士「……」

剣士(さっきは当然の如く納得したが、この女……自分で自分を『魔女』だと言ったな)

剣士(住んでいた場所、エルフ、魔女)

剣士(これだけでも俺はこの女を斬れる、殺せる筈だ)

剣士(なのに宿に逃げ込んで、無言のまま時間が過ぎていく)

剣士(何をしているんだ、俺は)

< 「………さっきの少女、貴方は知ってるの？」


剣士「いや、余り聞かれても良い話ではなかった」

剣士「……そういうお前は知ってるのか」

魔女「知らない、けど……もしかしたら」

剣士「なるほど、忘れているかもしれないと」

魔女「……」


剣士「魔女、と言ったな……お前は」


魔女「ええ、私は魔女の筈」

魔女「けれど思い出せない、自分の名前すら」