あなたの街の都市伝鬼!~八坂出雲の体験談二編~ (67)

 まえがき

・電撃文庫刊「あなたの街の都市伝鬼!」(著・聴猫芝居/絵・うらび)の二次創作です
・作品内の時系列はわりと適当
・元は某月某日某所のイベントにて頒布された某合同誌に寄稿したものですが、もう時効(何の?)だと思うので若干の手直しを加えて投下
 もし件の合同誌の現物持ってる方いたら握手してくださいありがとうございます
・ところで先生、都市伝鬼の4巻はまだですか

二万七千字ほどあるので時間はかかりそうですが、既に全文出来上がってはいるのでサクサク投下していきます
原作をご存知の方、「4巻マダー?」な同志の方とかいらっしゃいましたらしばしお付き合いください


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 都市伝説、というものを知っているだろうか。
 よく「誰某から聞いた話なんだけど」だとか、「どこそこの誰某さんが体験したらしいんだけど」などという、いかにも信憑性の低そうな枕詞と共に語られる類の怪談話だ。
 それらは古くから伝わる妖怪変化の伝承とは違って、起こる現象やその舞台が、語り手や聞き手にとって非常に身近なものである場合が多い。
 普段から何気なく通っている街角や見知った建物ばかりでなく、自分達の通う学校や、それどころか最も落ち着きくつろげる空間であるはずの自宅の中ですらその舞台となり得る。
 そんな、酷く身近な怪奇体験を語るのが都市伝説というものなのだ。
 民俗学者の道を志し、目下の研究の題材に都市伝説を選んでいる俺、八坂出雲にとっては特に、それら様々な怪奇譚はとても――本当にとても身近なものだった。
 

「出雲よ、夕食の支度ができたぞ」
「ああ、ありがとう、サキ」

 狭いが一人暮らしには十分なワンルームアパートの自宅。部屋の真ん中に置かれたテーブルの上で研究ノート代わりに使っている大型の手帳を開き、様々な都市伝説についての資料を整理していた俺は、台所の方からかかった声に顔を上げた。
 水色のワンピースの上から純白のエプロンを着け、栗色の髪を揺らして楽しげに家事をしているこの少女の名はサキという。
 俺はテーブルの上を片付けながら、美味しい食事を心待ちにしていた他の二人に声をかけた。

「コトリ、ベド子、飯の用意ができたぞー」
「待ってましたー!」

 そんな元気のいい返事と共に、部屋の壁に沿って置かれているベッドの下から巨大な斧の刃が勢いよく突き出される。
 狭い部屋の中だから避けるスペースもあまりない。振り返った俺の鼻先十センチほどの位置で止まったそれを見て、俺は呆れ顔で口を開いた。

「……危ないな。まだ配膳してなかったから良かったものの、それでテーブルをひっくり返しでもしたらどうする気だ?」
「……出雲君もさ、もーうちょっと他に何かリアクションないわけ?」
「ない」
「……そうですか」

 諦めの溜息と共に、柄物シャツにジーンズという至ってありきたりな出で立ちの、やや長身で整ったスタイルを持つ女性がずるずるとベッドの下から這い出して来る。
 這いずり体勢からこちらを見上げていかにも不満げに唇を突き出して見せているが、いつものことなので特に何も言うことはない。

「コトリは?」
「…………ここに、いるの」

 斧を担いで三角座りを始めたベド子を放っておいて振り向くと、艶やかな黒の長髪に古びた着物をまとった、日本人形然とした小柄な少女がいつの間にかテーブルについていた。
 既にマイ箸まで手にとって完璧にスタンバイ状態だ。

「…………ごはん、たのしみ」
「そりゃあサキちゃんの作る料理はいつも絶品だもんねー」
「俺が言うのもなんだけど、お前らもたまには何か手伝えよ」
「良いのじゃ出雲、妾が好きでやっていることじゃしのう。ほれ、できたぞ」

 そう言いながら、サキが湯気の立つ料理を乗せた盆を持ってやってくる。
 それらを四人の前に配膳してからエプロンの紐を解き、丁寧に畳んだそれを、傍らに置いてあった手鏡の“中”へとしまい込んでから自分の定位置についた。

「これでよし、と。うむ、待たせたの」
「いや、いつもありがとうな。それじゃ……頂きます」
「いただきまーす!」
「…………いただきます」

 四人同時に手を合わせ、できたての食事に箸をつける。
 空腹の胃に染みわたるような味は既に慣れ親しんだものだが、何度食べてもその美味しさに飽きがくることはない。
 いつものように夢中で箸を進めながらも、俺はふと感じたことを呟いた。

「……思えばすっかり慣れたもんだよな」
「…………?」
「ほふは(なにが)ー?」
「何がじゃ?」
「いや、お前らのことだよ」

 三者三様の反応にそう答えて、改めて、同じテーブルについた面々を見回す。

 持ち主のみならず一族郎党その子孫までをも皆殺しにするという、凶悪な呪いと怨念が籠められた細工箱、『コトリバコ』の都市伝説――コトリ。
 訪ねて来た友人に部屋から強引に連れ出され、ベッドの下に凶器を持った殺人鬼が潜んでいたのだと告げられる、『ベッドの下の斧男』の都市伝説――ベド子。
 そして、二十歳の誕生日までその言葉を覚えていた者は呪い殺されるという、『ムラサキカガミ』の都市伝説――サキ。
 外見こそ普通の可愛い女の子達だが、実際の所は三人とも普通の人間ではない。
 人々の間に伝えられる都市伝説が形を成した存在――都市伝鬼という化け物なのだ。
 ……まあ、だからと言って今更騒ぎたてるほどのことは何もないのだが。

「いや、別になんでもない。あ、味噌汁お代わりくれ」
「あっ、あたしもー!」
「…………わたしは、おつけもの」
「わかったわかった、順番によそってやるから少しだけ待つが良い」

 こんな、とても身近な所に怪奇譚が居る。それが俺、八坂出雲の日常なのだから。




 この世の中には、人と人の間に伝えられた噂から生まれる鬼が居る。
 即ち伝鬼。都市伝鬼である。
 ただ、口伝に依存する彼らの存在は酷く不安定で、もしも全ての人間から忘れ去られ、その存在を伝える者が居なくなると、その伝鬼は呆気なく消滅してしまう。
 それほどまでに儚くても、彼らは確かに存在するのだ。どうせなら、できるだけ長生きして欲しいし、様々な人の心の中に残っていて欲しい。
 そんな彼らを救う為に――などと書くといささか大仰だが――俺は、彼らのことを調べて一冊の本にまとめる『編纂者』の役目を引き受けることになった。本の形になって広く情報が広まれば、それだけ彼らの存在も確かなものになるというわけだ。
 ただ、都市伝鬼との交流が、サキ達としているような和気あいあいとしたものばかりとは限らない。
 というかむしろ、その逆だ。
 恐ろしい怪談話から生まれた伝鬼達は皆、自分のことをできるだけ怖く書いてもらいたがる。
 それには編纂者自身がその恐怖を実体験するのが一番だと言って、日常生活のあちこちでいきなり現れては死ぬほど俺を驚かせていくのだ。
 これから紹介するのは、そんな楽しくも心臓によろしくない、様々な都市伝鬼達との交流の体験談である。


 




     ――其の一・『口裂け女』

 都市伝鬼の編纂を任された身ではあるが、俺も社会的な立場はまだまだ一介の高校生に過ぎない。
 平泉大学付属高校で一日の学業を無事に――そう、隙あらば襲いかかってくる伝鬼達に脅かされることなく無事に終えた、その帰り道でのことだ。
 学校では何も現れなかったが、こうして何事もないまま平穏無事に今日一日が終わるなどということはまずありえまい。
 そんな確信にも近い予感を裏付けるように、不意に俺に向かって横合いから声が投げ掛けられた。


「――私って、綺麗?」


 日が傾き、夕闇が辺りを浸し始めた誰そ彼時。
 があがあと、姿の見えないカラスの鳴き声だけが遠く近くこだまする。
 そして極めつけに、それなりに広い道である筈なのに何故か周囲には誰の姿もない。
 いかにも出そうなシチュエーションだと身構えていたにもかかわらず、その声を聞いた瞬間、背中に特大の氷の塊を突っ込まれたような悪寒が爪先から頭頂までを駆け上った。
 自分が人より少し怖がりだという自覚はあるが、たとえそうでなくても無条件に不安や恐怖感を煽られるような、そんな不気味な力を帯びた声だった。

 それでも俺が咄嗟に叫び声や悲鳴を上げずに済んだのは、聞こえた台詞が非常に馴染み深いフレーズだったからだ。

「……その台詞は、口裂け女、か」

 口裂け女。一時期「人面犬」と並んで爆発的に広まった、最もメジャーな都市伝説の一つだ。
 人気のない夕暮れ道、大きなマスクを着けた女が「私って綺麗?」と訊ねてくる。対処法やその由来は諸説あるが、マスクを外すとその下の素顔は――という点には変わりはない。
 声のした方に振り返ってみると、噂話に語られる通りの姿をした女性がこちらにじっとりとした視線を向けていた。
 季節外れの分厚いコートをまとい、漆黒の髪を長く垂らしている。それに加えて大きなマスクを着けているため顔立ちはほとんど見て取れないが、前髪の間から覗いた目元はすっと切れ長で、こちらの胸の奥まで鋭く差し込んでくるような妖しげな魅力を湛えていた。

「私って、綺麗?」
「え、あ、ああ、きれ――――いやいやいやちょっとタンマ、今のなし、なしな?」

 その魔力というか、目力的なものに囚われてしまい、重ねて問われてつい普通に答えかけてしまったが、ここで迂闊な返答をする訳にはいかない。
 口裂け女はその名の通り、マスクを外した素顔は口が耳元まで大きく裂けている、と言われている。
 その問いに対して、見える目元だけ見て、あるいは初対面の相手に遠慮して「綺麗だ」と答えると、マスクを外して「これでも?」と言われるのがお約束だ。
 かといってストレートに「ブス」とか答えると怒って襲いかかって来て殺されるともいうので、女性の扱い辛さというのは都市伝鬼であって同じなのかと思わざるをえない。
 ともかく。こちらに何かを問いかけてくるタイプの都市伝鬼に共通して言えることだが、我が身が可愛ければ不用意に応答してはならないのだ。

「ねえ、どうなの? 私って、綺麗?」

 俺が答えないことに焦れ始めたのか、口裂け女が少しずつこちらへとにじり寄ってくる。
 美人(に見える)女性から詰め寄られるというシチュエーションに、心臓が別の理由でドキリと跳ねるが、冷静に考えなくても結構崖っぷちな状況であることには違いないので、どちらかというと恐怖の方が大きい。
 口裂け女についての情報は、既に編纂作業に使っている手帳にしっかりまとめてあるが、それを確認している余裕は与えてくれなさそうだった。
 それでも元々がメジャーな都市伝説である。俺は以前メモした対処法を必死に思い返した。

「え、えーとだな……」

 口裂け女の問いに対する返答の仕方は幾つかある。「綺麗」と言えば「これでも?」で、「ブス」と言えば問答無用で襲われるのは先に述べた通りだが、他にも、「普通」とか「まあまあ」といったあたりさわりのない意見を返す方法や、「綺麗だ」と答えてから、口裂け女がマスクを外すよりも早く「きっとそのマスクを取ったらもっと美人なんでしょうね」などとおべっかを使う、という方法もあったと思う。
 ただ、それらの返答に対する口裂け女側の反応もまた、噂によって様々な違いがあったはずだ。有名な分バリエーションも豊富で、かえって正答を絞り切れない。
 俺はそこでリスクを冒すよりも、素直に別の対処法、即ち退散の呪文を試すことにした。

「――『ポマードポマードポマード』!」

 口裂け女を追い払う呪文についても諸説あるが、その中でも、「ポマード」と三回ないし六回唱えるというのが、最もメジャーな対処方法だ。
 口裂け女のルーツの一つに、「整形手術の失敗」というものがある。手術を担当した医者がポマードを付けており、その臭いが嫌で身をよじったことが失敗の原因になった、という説だ。
 ハッキリとそう理由付けされていなくても、「ポマード」の名前や実物が有効な対処法とされているパターンが一番多かった筈だ。

 俺はそう考えて唱えたのだが、俺の前に現れた口裂け女にはどうやら通じなかったらしい。

「…………フッ」
「は、鼻で笑いやがった! そ、それじゃああれだ、『犬だ、犬が来た』!」
「可愛いわよね犬。私好きよ」
「え、えーと……あ、『黄色い救急車』!」
「それ迷信よ?」

 都市伝説本人に諭されてしまった。
 というか確かに黄色い救急車が精神病患者用というのは完全なデマだが、「そういう救急車がある」という都市伝説だと見るならお前と同類だろうが!
 などという俺の内心のツッコミは意に介さず、口裂け女は目元を笑みの形にして確実に距離を詰めてくる。どころか、コートのポケットに手を突っ込み、何かの柄を半ばほどまで引っ張り出してすらいる。
 これはいよいよ本格的にヤバい。
 しかし退散の呪文が通じなかった今、俺に残された手段といえば。

「……べ、べっこう飴?」

 その言葉にぴくりと反応し、足を止める口裂け女。
 良かったー! こっちは当たりだったか!
 と、安心したのもつかの間。

「持ってるの?」
「え?」
「だから、持ってるの? べっこう飴」
「…………」

 そんなもの、普段から持ち歩いているわけがない。
 俺が冷や汗を流しながら黙っていると、口裂け女はポケットから包丁を引き抜きながらこちらへと一歩を踏む。
 ちなみに口裂け女は、逃げてもプロの陸上選手ばりの健脚で追ってくるという。

「詰んだぁー!?」
「そうね」
「ちょっ、ま、待て! 素で肯定するな! つうかお前卑怯だぞ!? 今時べっこう飴なんて人柄の良いお婆ちゃんでもない限り常日頃から持ち歩いてるわけないだろうが!」

 がくがくと震える膝で後ずさりながら必死に抗議すると、すぐ目の前まで距離を詰めて来た口裂け女が唐突に足を止めた。

「じゃあ、チャンスをあげましょう」
「……え?」
「三丁目交差点の北東の角」
「…………たしか、和洋幅広くカバーしてる高級甘味屋だっけ」
「ハンデは三分くらいでいいわよね」
「買いに行けってか!」

 それも追いかけてくる口裂け女から逃げながら、だ。この膝でまともに走れるだろうか。
 だが、相手がわざわざ提示してくれたラストチャンスだ。何が何でもやるしかない。

 ……やるしかないのはわかっている、のだが。やけに上機嫌に準備運動を始めている口裂け女に対しては、一つ聞いておきたいことがあった。

「……もしかしてお前、退散の呪文を拒否ったのは単にこの流れに持っていきたかったからじゃないだろうな」
「だって、最近の子は皆ポマードで済まそうとするんだもの。久々に食べたいのよ」
「子供にたかるなよ!」
「良いじゃない別に、甘いものが好きだって。都市伝鬼とはいえ女の子なんだから」
「その風体で女の子は無理があると思うぞ」
「ハンデは一分でいいわね」
「うっわ大人気ねえ!」

 しかし本当に準備運動のペースを上げられたので、俺も慌てて走り出した。
 ゴールとなる甘味屋の場所は知っている。そこまでの最短コースを頭に思い描きながら、しばらく懸命に走ったところで、

「…………あれ?」

 ふと思いついて、背後を振り返ってみる。何度か角を折れたので、既に口裂け女の姿は見えない。
 そのことを確認してから改めて思う。

「……これ、このまま家に帰っちゃえばいいんじゃないか?」

 口裂け女が甘味屋までのコースを辿っていく限り、そこから外れた俺に追い付く可能性はない。「路上で襲ってくる」という口裂け女の性質上、自宅に逃げ込んでしまえば中まで乗り込んでくることはできない筈だ。多分。

「……そうとなったら今の内に」

 善は急げだ。俺は口裂け女の姿が見えないうちに甘味屋とは違う方向へ角を折れ、そのまま自宅のアパートへ向かって走り始めた。
 何度か背後を窺ってみるが、口裂け女が気付いて追ってくる気配はない。

「べっこう飴を買わせようと欲をかいたのが仇になったな」

 このまま逃げ切ってしまえばこちらの勝ちだ。編纂するためにはちゃんと本人から話を聞かなければならないが、それも後日改めてという形にすれば事前に準備もしておける。そう、たとえば財布に痛い高級品以外の、普通の値段のべっこう飴とか。
 そう考えながら、俺が正面に向き直ったその時だ。数ブロック先の曲がり角から、靴底でアスファルトを削るような制動をかけて勢いよく飛び出して来る人影が見えた。

 口裂け女だった。

「逃ぃ――げぇ――たぁ――なぁ――」
「げぇっ!?」

 どうやら、俺の意図を読んで回り込んでいたらしい。
 口裂け女が両手に出刃包丁を抜き放つのを見た俺は慌てて踵を返したが、振り返るほんの一瞬の間に、口裂け女が三歩で一気に十メートル近くを詰めてくるのが見えていた。

「マジで速いな!? いや、ていうか無理だろこれ!」

 俺も今度こそ全力で走っているが、口裂け女の足音はみるみる背後に迫ってくる。
 完全に追いつかれたと思った次の瞬間、ガツーン! と凄い音を立てて、真後ろにあった電信柱に何かが激突した。

「ひいいいいいっ!?」

 走りながら振り向いて見ると、どうやら激突音の正体は口裂け女の突き出した包丁だったらしい。その場で足を止めた口裂け女は、電信柱に突き立った包丁の柄に手をかけて「いやーん、抜けなーい」などと露骨な女の子アピールしながらこちらとの距離を窺っている。
 口裂け女が本気で走れば俺ごときはあっという間に捕まえてしまうから、ああして適当に時間を稼いでくれているのだろうが、足を止める理由の作り方が怖すぎる。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 ガツ――ン!

「わっ、笑いながら追いかけてくんなあああっ!」
「…………………………」

 ガツ――ン!!

「無言で迫って来るんじゃねええええっ!」
「もう、どうしろって言うのよ」
「追いかけて! 来るな!」
「無理」

 ガッツ――ン!!

「ぬおああああああああああああああ!!」

 悲鳴をあげながらひた走る。
 途中わざとコースから外れたせいで、甘味屋までは余計に距離が開いてしまっている。だというのに、俺の体は早くも限界に近付いていた。
 激しい運動と恐怖とで、ただでさえ少ないスタミナがあっという間に削り取られているのだ。手足は重いし、動悸と息切れがヤバい。特に肺の方は、走りながら叫んだりしていたせいか、一呼吸ごとにきりきりと痛む有り様だ。
 口裂け女も逃げる俺に対してかなりハンデを作ってくれているが、さすがに転んだり自分から立ち止まったりした相手にはそれ以上の容赦はしないだろう。そしてもし彼女に捕まったら、その末路は――
 あれで何をどうされるのかつい仔細に考えてしまって一気に青ざめた俺に、すぐ真横から気安い声がかけられた。

「どうしたんですか先輩、顔色が悪いですよー? 大丈夫ですか?」
「これがっ、大丈夫にっ、見えっ…………ん?」

 振り向くと、そこにはよく見慣れたポニーテール頭の少女が居る。

「舞佳!?」
「はい、私ですよー」

 彼女の名前は飛田舞佳。俺のバイト先の後輩であり、同じ学校の同級生でもあり、その正体は都市伝鬼ジェット女(ジェットババアとも言う)でもある、俺の友人だ。
 ジェット女の都市伝説に違わず俊足で、今も必死の全力疾走中の俺の隣に、どう見ても徒歩にしか見えない手足の動きで平然と並んでいる。

「先輩の情けない悲鳴が聞こえた気がしたので様子を見に来てみましたが、なるほど、今度は口裂け女ですか」
「見てないでっ……助けてくれっ! 三丁目の甘味屋まで逃げ切って、べっこう飴を買わないとっ……俺のっ、命がっ、危ないっ!」
「割と本気でどうでもいいです」
「鬼か!」

 息も切れ切れになりながら泣きついたのに、すげなく振り払われた。血も涙もない。

「心配しなくても伝鬼側だってわかってますから、編纂者である先輩を本当に殺したりしませんって。せいぜい、死ぬほど怖い目に遭わせるだけです」
「だからそれがっ、問題っ…………駄目だ、息が、切れっ…………」
「それより先輩、ちゃんと前見て走らないと危ないですよー?」

 そう言ってくる舞佳は、有体に言えばとても整った顔立ちをしている方だ。
 テレビで見かける有名アイドルのような派手な美しさは無いが、有名アイドルに対して覚えるような隔絶感もまた無い。
 立ち居振る舞いからも感じる『身近さ』から、自分の心の中での相手の立ち位置を、ついつい自分に近い位置に置いてしまう。その『身近さ』故に、気が付いた時には惹きつけられてしまっている。そんな魅力がある。
 時と場合によっては普通に見惚れっぱなしになっておかしくない、と言える相手だが、口裂け女に追われている今は間違いなく見惚れている場合ではない。
 なので、余所見は危険だという忠告に素直に従って舞佳から視線を外そうとしたのだが、何故か首が動かない。
 何故だっ!? と一瞬愕然としてから、直後にある都市伝説が脳裏に思い出された。

 ジェット女(又はジェットババア)。夜、車やバイクを運転していると後ろから走って追いかけてきて、もしもそれに追い付かれてしまうと“相手から目を離せなくなって”事故を起こす。

「お前のせいじゃねえかあああああああ!」
「あっ、ちょっ、本当に危ないですって!」

 後方からは今も口裂け女の足音が迫っているので、前を向けなくてもそのまま走り続けるしかない。そんな俺の手を引いて、舞佳が強引に進路変更させる。
 間一髪、視界の外で障害物が袖を掠めていった感触に、都市伝鬼に驚かされるのとはまた別種の恐怖で一気に血の気が引く。
 俺はマジ泣きする一歩手前くらいの声で、必死に舞佳に頼み込んだ。

「そろそろっ……本当に、限界なんだって……頼むっ、なんでも、奢る、からっ……!」
「えー……でも、この状況で先輩を助けるとしたら、方法が……」

 俺の手を引いたままで、しばし逡巡する舞佳。
 下唇を淡く噛みながら、俺の顔を見、前方を見、俺達の様子をうかがっているのか等間隔を保ってついてくる足音の方をうかがい、最後にもう一度、多分相当に情けないことになっているであろう俺の顔を見ると、諦めたように溜息を吐いた。

「ああもう、わかりましたよ。でも、助けるんですから方法に文句は言わないでくださいよ?」






 それから三分後、俺はどうにか無事に甘味屋まで辿り着くことができていた。
 この店が取り扱っているのはどちらかというと菓子折の類が主だが、若い層を狙うためにか、学校帰りに気軽に買い食いできるようなメニューも豊富にある。その守備範囲は和洋を問わずやたら広く、店先には軽食スペースとして長椅子が設置されている。
 今、口裂け女と舞佳はそこに並んで座り、俺が買ったべっこう飴と特盛りパフェに舌鼓を打っていた。その出費のおかげで、俺の財布が大幅に軽量化されたことは言うまでもない。
 様々なダメージに耐えてどうにか呼吸を整えた俺は、口裂け女に恐々と伺いを立てた。

「……な、なあ、とりあえず、それで気が済んだなら話を聞かせてもらえないか?」
「いいわよ」

 本人から許可が出たので、俺は早速荷物からペンと手帳を取り出した。

「ここまで来たらもう疑う余地はないけど、君が口裂け女なんだな?」
「そうよ。ほら」

 口にべっこう飴(五個目)を放り込むついでに、マスクを取って素顔を見せる口裂け女。雰囲気としては微笑みでも浮かべてみせたのだろうが、耳元まで裂けた口は微笑とは言い難い大きな弧を描いている。
 本に書く以上は俺が実際に見るべきなのだが、それでもやはりこうして見せつけられるとなかなかのインパクトがある。

「……何よ、人の顔見て悲鳴押し殺すような顔して。傷つくわぁ……」
「いや、お前はそうやって顔でビビらせるタイプの伝鬼だろ」
「そんなの関係ありません。まったく、相変わらず先輩は女心ってものがわかってませんねー」

 横から、そんな呆れ声を差し挟んでくる舞佳。
 確かに理解しているなどとはまだまだ言えないが、甘いものを食べて幸せそうな顔をしているのを見ていると、実は結構単純なんじゃないかとも思えてくる。

 そんな俺の思考を視線から察したのか、舞佳はパフェのスプーンを前後に振りながら説教口調で釘を刺してきた。

「た、確かに私はこういうの結構好きですけど、同じ手が何度でも通じると思ったら大間違いですからね?」
「それはもしかして、遠回しに次は別のものを奢れって言ってるのか」
「奢ってくれるのは歓迎ですけど、そんなに何度も私に頼る気ですか先輩」
「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
「理由もないのに私に奢るつもりですか。先輩、一体何を企んでるんですか。私はちょっと貢がれたくらいでなびく女じゃないですよ」
「別に何も企んでねえよ! 勝手に曲解すんじゃねえ!」
「ちょっとちょっと、ねえ、青春してないでこっちにも話振ってくれないかしら」

 と、わざとらしく自分の体を抱いたりして見せる舞佳とあれこれ言い合っていたら、口裂け女の方から突っ込まれてしまった。

「っと、悪い。口裂け女……っていうのもちょっと呼びにくいよな。口裂け女……口裂け…………チサ。お前のことはチサって呼んでいいか?」
「チサ。なんかいかにも女の子っぽい感じの名前ね」

 割と好意的に受け取ってもらえたようだ。

「それじゃ改めて、チサはどういう話がベースになってるんだ? 整形手術の失敗とか、猟奇的な事件で頬を斬り裂かれた被害者だとか、口裂け女の由来は諸説あるんだが」
「私は一応、整形手術失敗説が元になってるわよ」
「……なのにポマードの呪文は効かないのか」
「ああ、あれね。やせ我慢するの大変だったわ」
「本気でべっこう飴が食べたかっただけかよ!」

 退散呪文が効くか効かないかをその日の気分で決められてはたまったもんじゃない。
 恨みがましい目を向けてみるが、口裂け女改めチサからはあっけらかんと笑い飛ばされてしまった。

「でも本にまとめてもらう以上は、やっぱり私の足の速さとかまでちゃんと体験してもらった方がいいじゃない?」
「まあ、確かにそれはそうなんだけどさ」
「あとはそうね、顔のことは口裂け女だから仕方ないけど……弱点については、ポマードよりもべっこう飴の方が有効だって書いておいて頂戴」
「そんなに食べたいのか……」

 まあ、伝鬼本人からの希望なのでその通りにメモを取っておく。

「口裂け女。マスクで隠れていない目鼻立ちはたいへん美人に見えるが、いざマスクを外すと、耳元まで裂けた口や俊足といった口裂け女の恐ろしさが惜しみなく発揮される。ポマードと三回唱えるよりもべっこう飴の方が効果が高く、買ってあげると約束すれば見逃してもらえることもある、と。こういう感じでいいか?」
「ついでに、買うと嘘吐いて逃げようとしたら、泣いて謝るまで追い回されるってことも書いときなさい」
「うわ、そんな小ずるいことをしようとしてたんですか先輩。やっぱりマジ泣きするところまで放っておくべきでしたかねー」
「結果として泣きたくなるくらいのダメージを財布に負ったんで勘弁してくれ」

 一人暮らしの身には結構厳しいダメージだ。致命的ではないが、地味に重い。
 俺が肩を落としつつも編纂内容をしっかり手帳に書き付けたところで、不意に、誰かの携帯電話の着メロが流れ出した。

「ん、誰のだ? 舞佳か?」
「いえ、私のでもないです」
「あ、私だわ」

 チサだった。

「都市伝鬼のくせにケータイ持ってるのか……」
「今時は伝鬼もケータイのひとつくらい持ってないとやってられないわよ」

 嘘を吐け。

「まあ真面目に言うと、私は『整形手術に失敗した女性』っていう、わりと近代的な属性付けがされてる伝鬼だからね。なら、ケータイくらい持っててもおかしくないでしょう?」

 そういうものなのか。
 しかし携帯会社との契約とかはどうなっているのだろう。

「というか先輩、今の台詞は遠回しに私のことも馬鹿にしてませんか?」
「お前は一応普通に女子高校生やってるじゃないか」
「ああ、メリーさんからメールだわ。『編纂者の出雲ってかなりデリカシーのない奴だけど大丈夫だった? もしあいつを泣かせられたら、記念に写メ撮ってこっちにも送って頂戴』だって」
「あいつとメル友なのかよ!」

『メリーさん』。数分置きに電話をかけてきて、その度にこちらに近づいてくるというこれもまた有名な都市伝説だ。俺も以前会ったことがある。口裂け女とは、トップクラスに有名な都市伝鬼同士で横の繋がりがあるらしい。
 メリーさんが携帯電話を持っていた記憶はないので、どうやってメールを送っているのかは気になる所だが、一応電話と関わりの深い伝鬼だし、メリーさんならケータイがなくても何とかしていそうな気がする。念とかで。
 それよりも、俺のことがやたらと酷く言われていることの方が気になる。

「まあ実際、先輩は都市伝説通りの手順を踏んで背後に迫ったメリーさんを無視し倒して凹ませた程の人ですからねー。デリカシーがないって辺りは割と本気で同意です」
「何それ酷い。でも確かに私に対してもいきなりポマードだったし。女の子の嫌がることばっかり進んでするなんてサイテーねー」
「いや待て、お前に対してはそれが正しい対処法の筈だろうが」

 しかし俺の抗議などどこ吹く風と、都市伝鬼二人は女同士で勝手に盛り上がっていた。

「こうして会ったのも何かの縁ですし、ケータイ持ってるならアドレス交換しませんか?」
「いいわよー。……はい、これでよしと。まあ、もう知ってるとは思うけど改めて、口裂け女のチサよ。よろしくね」
「はい、『ジェット女』の都市伝鬼、飛田舞佳です。改めてよろしくお願いしますねー」

 出てくる名詞はアレだが、会話の雰囲気は学校でクラスの女子同士がしているそれとほとんど変わらなかった。
 というか今、俺が完全に蚊帳の外じゃないだろうか。もう帰ってもいいだろうか。

「あ、ちょっと待ってね。メリーさんに、今日の成果の報告だけ先に返信しちゃうから」
「どうぞどうぞ。……ん? ちょっと待ってください、何ですか? その添付ファイル」
「ああこれ? ……よく撮れてるでしょう?」
「ぶふっ!?」

 口裂け女からちゃんと話は聞いたことだし、下手に長居してこれ以上余計な被害を受ける前にこっそり帰ろうかと考えていた俺だが、舞佳がいきなりむせたのが少し気になって、ちょっとだけそちらを振り返ってみた。
 そして同じようにむせた。

「ごふっ!?」

 その理由は、チサが掲げてみせた携帯電話の画面だ。
 そこにはなんと、酷く青ざめた情けない顔で舞佳にすがり付いている俺と、そんな俺をお姫様抱っこで支えながら走っている舞佳の姿が鮮明に映し出されていたのだ。
 紛れもなく、チサから逃げ切る為に舞佳の助けを借りた際の写真である。
 あの時はとにかく無事甘味屋に辿り着くことで頭が一杯だったが、一息ついてから改めてこうして自分の情けなさを客観的に見せられると、何というか、かなりの精神的ダメージがある。
 それは舞佳の側も同じだったらしい。俺もその写真を見ていることに気付くと慌てて自分の顔の辺りが見えなくなるようケータイの画面を押さえ、やけにニヤニヤしているチサに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。

「ちょ、ちょっと待ってください! いつの間にこんなの撮ってたんですか!?」
「さっきよ? いやあ、いい青春してるわねーと思って、つい」
「ついじゃないです! 消してください! 今すぐに!」
「ヤ・ダ♪」

 チサは手にした携帯電話ごとするりと舞佳の手からすり抜けると、明らかにこちらの反応を楽しんでいる顔で距離を取った。

「メリーさんから、出雲君の情けない顔が撮れたら送って頂戴って頼まれてるし。折角だからついでにツイッターにも上げて、どんな編纂者か不安がってる伝鬼の皆に出雲君の情けなさを拡散してあげるわ」
「何だその嫌がらせ!?」
「ていうかそれ完全に私が巻き添えじゃないですか!」

 俺はそこまで恨みを買うような真似をしただろうかとか、本当に現代文化に親しみ過ぎだろこの口裂け女とか色々と突っ込みたい所はあったが、とりあえずツイッターは割と本気で洒落にならないので真剣にやめて欲しい。

 危機感を抱いたのは舞佳も同じだったらしく、余計な力の抜けた、しかし極限まで研ぎ澄まされた緊張感を背中から立ち昇らせながら、じりじりとチサとの間合いを測り始めた。

「チサさん。その画像データを消去してもらえませんか?」
「丁重にお断りするわー」
「友達としてお願いしても駄目ですか?」
「別の友達からもお願いされてるものだしねー」
「なら、……あまりしたくはないですが、私も実力行使に出ますよ?」
「あら脅し?」
「割と本気です」
「そう」
「ええ。……ふふ」
「おほほ」
「うふふふふふふふふふ」
「おほほほほほほほほほ」
「………………」
「………………」

 空気が重い。
 間違いなく当事者の一人である筈なのに、俺が口を差し挟む隙が全くなかった。
 表向きはにこやかに言葉と視線を交わしつつも、二人はさり気ない足さばきでお互いに間合いを取り合っている。
 表情こそ微笑だが、張り詰めたこの空気といい、やっていることは時代劇などで二人の剣豪が真剣を抜いて睨み合っているのと何ら変わりない。もしくは、ガンマン同士の早撃ち対決か。相手に機先を制された方が負けて死ぬ。そんな雰囲気だ。

「……お、おい、二人とも、その辺で……」
「先輩は黙っててくださ――あ!」

 と、重い空気に耐えかねた俺がつい話しかけてしまい、それに舞佳が反応した一瞬の隙を突いて、チサは素早く身を翻して脱兎のごとく逃走に入った。

「逃がしませんよ!」

 しかし舞佳もむざむざ逃がしはしない。即座に反応し、一歩目からいきなりトップスピードに乗って猛然とその後を追う。

「…………えーっと」

 取り残されたのは、当然ながら俺一人だけだ。
 瞬きもしないうちに二人の姿は店先からかき消えており、後にはただ、空っ風が吹くばかり。

「口裂け女とジェット女の追いかけっこか……」

 どちらも大層な俊足で知られる都市伝鬼だ。片や、車やバイクに走って追い付くというジェット女。だがもう一方の口裂け女も、手帳にまとめてあった資料によれば、百メートルを六秒で走ることができるという説があるらしい。時速に直すと六十キロだ。意外とこの勝負、かなりの好カードなのではないだろうか。
 とはいえ。

「俺が追い付けるわけがないよなあ……」

 アスリート系都市伝鬼同士の対決の行方は、既に夕闇の奥深くへ消えて定かではない。
 俺としては、不名誉な噂が広まらないよう、ただただ祈っておくことしかできないのだった。



一区切りついた所でちょっと小休止ー
再開は本日中

作家買いでネトゲ嫁にも手を出そうかどうか悩み中
ただ、既に机の上ラノベと漫画が山積み状態なんですよねー……

まあそれはさておき再開しますー




     ――其の二・『妖怪リモコン隠し』


 

 心身共に疲労を抱えて自宅のアパートに戻ると、部屋の中には既に人の気配があった。
 いや、正確には人ではないが。
 中に誰が居ようと家主の不在中はきっちりと施錠されたままの扉を開けて中に声をかけると、予想通りの声が俺を出迎えてくれた。

「ただいまー」
「おお、出雲、そろそろじゃと思っとった。お帰り。疲れたじゃろう」

 テーブルの前に座布団を用意しながら、そう言って労ってくれるのはサキだ。
 彼女、ムラサキカガミは俺が初めて出会った都市伝鬼で、伝鬼とは思えないほど優しくて面倒見のいい奴である。まだ二十歳になっていない俺のところへ間違ってやってくるという、少しドジな一面もあるが、俺が伝鬼の編纂をすることが決まって以来、俺の傍でずっとあれこれと手助けをしてくれている。
 学校で、あるいは帰り道で、もしくはその両方で都市伝鬼達から散々に驚かされてから帰ってくる俺をいつも優しく温かく出迎えてくれるので、度重なる恐怖体験に荒みそうになる俺の心は辛うじて正常な機能を保っている。……多少は大げさに言ったが、サキのおかげで毎日この上なく癒されていることは紛れもない事実だ。

 今日も、俺が用意された座布団にありがたく腰を下ろすと、何も聞かずに熱いお茶を淹れた湯飲みをそっと差し出してくれた。まだ秋には早いが、胸に降りてきた熱がそっと心をほぐしてくれる。
 ムラサキカガミの都市伝鬼であるサキは鏡から鏡へと自由に移動できる能力を持っているので、恐らく帰り道での顛末もカーブミラーなどを通して見ていたのだろう。

「いつも思うことなんだが、都市伝鬼って本当にいろんな奴が居るよな……」
「そうじゃのう。……ちなみにあの追いかけっこじゃが、ジェット女が追い付く前に口裂け女がメールの送信を済ませておったので、今はメリーさんを探す延長戦に入っておる」
「……そうか」

 やむを得ず任せっきりになってしまったが、舞佳はかなり苦労してそうだ。この件についての労いと謝罪の意味を込めて、また今度何か甘いものを奢ってやろうと思う。
 と、冷静になってみてふと気付いたのだが、舞佳があの写真に執着していた理由は一体何なのだろうか。
 俺の名誉を守る為、というのはまあありえない話なので、舞佳自身にとってあれが拡散されては困る理由があったはずなのだが、皆目見当がつかない。
 あの写真を見た者が抱くのは、おそらく『この男、半泣き状態で女に抱きかかえられたりして全くなっさけねえなあ』というような感想になると思われるので、その場合不名誉を被るのは俺であって舞佳ではない筈だ。それとも、『同年代の男一人抱えた状態でも悠々走り回れる怪力女』的な感想を抱かれるのを恐れたのだろうか。

 首を傾げている俺を、何故かサキはやや呆れるような顔で見ていたが、一息吐いて立ち上がると台所の方へ足を向けた。

「それでは妾は、そろそろ夕餉の支度を始めようと思う」
「あ、ああ、よろしく頼む」
「うむ、今夜も腕によりをかけて作るからの。しばし待っておれ」

 そう言ってサキが立ち去り、やがて台所から調理の音が聞こえ始めるが、それと入れ替わるようにして俺の周りに姿を現す奴らが居る。

「おかえりー出雲君」
「…………いずも、おかえり」
「おう、ただいま」

 巨大な斧を手に、ベッドの下から上半身だけ這い出して来るベド子と、タンスの上に置かれた小さな細工箱の前に、いつの間にか姿を現しているコトリだ。
 この二人はサキとは違って特別何か俺の編纂作業を手伝うこともなく、ただ周りで賑やかしているだけなのだが、何だかんだ言っているうちに半ば居候のような状態になって、今では我が家の夕食は、俺、サキ、コトリ、ベド子の四人で食べることが習慣となっている。

「どうしたのー出雲君。なんかまたお疲れみたいじゃない」
「今日は帰り道で口裂け女に絡まれてな。色々あったんだよ……とりあえず、夕食までに課題とか片付けるから、しばらく邪魔しないでくれ」
「…………りょうかい」

 俺がそう言うと、二人は素直に引き下がった。

 その後はいつものように、夕食が出来あがるまでの間に学校で出された課題をこなし、新しく仕入れた伝鬼の情報を整理したりして、少しずつではあるが確実に編纂作業を進めておく。それらに一段落がついた所でサキの声がかかり、四人揃って夕食だ。
 何事もなければ、夕食の後は編纂作業の続きや課題の残りを仕上げたり、四人で適当にテレビを見たりして休息を取るのだが、今日は食べ終えて一息ついた辺りで、サキが改まった態度で声をかけてきた。

「出雲よ、少し良いか」
「ん? なんだ?」

 そう問い返しつつ、俺も今までの経験から、何となく用件の内容は予想がついている。

「もしかして、また新しい伝鬼が訪ねて来てるのか?」
「その通りじゃ。実を言えば、出雲が帰ってきた時には既に来ておったのじゃが、妾ほどではないにせよ、現れるタイミングに少々制限のあるタイプの伝鬼なのでな。本人も気にするなと言ってくれたので、先に夕食を取らせてもらっておったのじゃ」
「なるほど。わかった、ちょっとだけ待ってくれ。………………よし、大丈夫だ。どんな伝鬼が来ても気絶しない覚悟はできた」
「そこまで気負わんでも、今回は大分大人しいタイプの伝鬼じゃぞ? ほれ、そこにおる」

 そう言ってサキが苦笑しながら示した方を見ると、何故か誰も居ない場所に置かれていた五枚目の座布団の上に、小柄な人影が姿を現していた。
 外見年齢は小学校低学年くらいだろうか。コトリと同じか、それ以上に小柄な子だ。明るい金髪は外跳ね気味のボブカットで、可愛らしいデザインの洋服を着ていなければ、いかにも活発そうな雰囲気から男の子と見間違えたかもしれない。

「ええと、待たせて悪かったな。俺は八坂出雲。編纂者だ。君の話を聞かせてくれるか?」

 都市伝鬼である以上、外見が幼くても実際には俺以上に生きていておかしくない。
 俺はその伝鬼と真っ直ぐ向かい合うと、姿勢を正してそう話しかけた。
 しかし相手は正座を崩したような姿勢でにこにこと笑っているばかりで、こちらの問いかけに返事を寄越さない。
 これはもしかして、自分が何の伝鬼か当ててみろということだろうか。
 俺は腕を組んで失礼にならない程度に相手の容姿を観察し、今まであちこちで見聞きしては手帳に書き記してきた都市伝説の中から、特徴が一致するものを思い出そうと試みた。
 家の中に現れて、外見は小さい子供。これだけなら座敷童が真っ先に思い浮かぶが、この子は特徴が洋風だし、そもそもあれはれっきとした妖怪だ。もしくは、外見的特徴について詳しく語られていないタイプの伝鬼だろうか。であれば、起こす現象の内容から、子供の姿をしているというイメージが作られてこの姿になった可能性も考えられる――

「――出雲。のう、出雲よ」
「待ってくれ、今当ててみせる。何かヒントはないか」
「いや、いきなりヒントを求めておる時点でわかっておらんではないか。それにおそらくじゃが、見た目から正体を当てることはできんと思うぞ? そもそも、伝鬼本人に注目している限り、伝鬼が起こした現象にも気がつかんじゃろうしな」

 伝鬼に注目していると伝鬼が起こした現象に気がつかない?
 どういうことだろうか。例えばここにいるサキ、ベド子、コトリや、帰り道で出会った口裂け女など、大抵の伝鬼はそこにいること自体が怪現象となる存在だ。何かしらの条件を満たしたりただ単に運が悪かったりすると、普通では考えられない存在が現れて襲いかかってくる。その恐怖体験を語った噂話が都市伝説となり、襲いかかってくる存在イコール都市伝鬼となる。
 しかしこの子は、伝鬼としての実体と、伝鬼として起こす怪現象が別々のものだという。

「……わからない。ギブアップだ。正体を教えてくれ」
「うむ。この伝鬼はのう……『妖怪リモコン隠し』じゃ」
「なるほど、妖怪リモコン隠し……って、え?」
「なんじゃ、知らぬのか?」
「いや、知ってるけど……」

 妖怪リモコン隠し。要するに、リモコンなどの普段からよく使う小物がふとしたタイミングで見当たらなくなって困ることを、「妖怪リモコン隠しに隠されたんだ」などと言って、自分が整理整頓をしていないことの責任転嫁をするのだ。
 知名度だけならたしかにかなり知られている方だと思うが、都市伝説というカテゴライズに入れていいものかどうか非常に迷うレベルの話でもある。
 しかしこうして本人がやってきている以上は、都市伝鬼の一人としてちゃんと編纂に含めておくべきなのだろう。

「まあ情報としてはわざわざまとめ直すほどのものはないし、後はその厄介さを実際に体験して書けばいい、ってところかな」
「うむ。人を恐れさせ、怯えさせるような伝鬼ではないし、そんな感じでいいじゃろう」
「しかし、名前は『妖怪』リモコン隠しなのに都市伝鬼なのか。ややこしいな」
「逆じゃろう。都市伝鬼なのに『妖怪』リモコン隠しと呼ばれておるのじゃよ。まあ、少なくともテレビが一般に広く普及し始めてから生まれた伝鬼の筈じゃから、歴史から言っても、妖怪ではなく都市伝鬼と呼ぶのが妥当な筈じゃ」
「なるほどな。……で、それがうちに現れたってことは、もしかして」
「うむ」
「ねーねーちょっと、出雲君。さっきから、テレビのリモコンが見当たらないんだけど」
「……やられたか」
「やられたようじゃのう」

 見れば妖怪リモコン隠しは、腰の後ろで手を組み、澄まし顔でわざとらしく明後日の方向を向いて音の出ていない口笛を吹いている。
 既に我が家はしっかりと被害を被っていたらしい。

「まあ、落ち着け。最悪でも一日テレビが見れなくなるぐらいで、別にそこまで困ったりはしないだろ? ゆっくり探せばいい」
「え、でもいいの? 今夜はたしか……」
「うむ。お料理系の特番があったんじゃがのう」
「…………せつやくりょうりの、だいとくしゅう」
「非常招集だ。総員、速やかにテレビのリモコンを探し出せ」

 夕食だけとはいえ、伝鬼を交えて四人で食べているのだから食費はそれだけかさんでいる。サキも色々と工夫はしてくれているが、美味しい節約レシピのバリエーション増加は、我が家の食と家計を支える上で必要不可欠の課題なのだ。
 番組表によれば、件の特番が始まるまで残り十分弱。それまでに、何としてもリモコンを発見しなければならない。

「ええと、妖怪リモコン隠し――って一々呼ぶのは面倒くさいな。ええと、リモコン……りもこ、もこ……ちょっとひねってモモコかな。君のことはモモコって呼ぶことにしたいんだけど、良いかな?」

 こくこく。と、小さな頭を動かして頷くリモコン隠し。

「それじゃあモモコ、とりあえずルールを確認しておきたいんだが、君がリモコンを隠したのはこの部屋の中のどこかだよな? 家の外とか、ちょっとしたはずみで移動できる範囲を超える場所まで持ち去ったりはしてないと考えていいんだよな?」

 こくこく。

「よし、それなら人海戦術だ。どうせ狭いワンルームだ、四人で探せばすぐ見つかる」
「ていうかさー出雲君、あたし思ったんだけど」
「何だよ」

 うん、と頷いたベド子が、立ち上がってテレビに近づき、その上面を指さして言う。

「わざわざリモコン探さなくても、こっちのボタンで直接操作しちゃえばよくない?」

 その発言に、酷いショックを受けたような表情を浮かべるリモコン隠し。

「確かにそれは俺も思ったけど、折角この子がこうして伝鬼としての仕事をまっとうしてるんだからちゃんとそれに付き合ってやれよ! 可哀想だろ!」
「なによ出雲君、あたしが斧女らしく振舞っても全然怖がってくれないくせに!」
「何か言ったか?」
「ほら! ほら! いつも思うんだけど出雲君あたしの扱いだけ酷くない!?」
「いいから早く探せ、時間ないんだから」

 ぶーぶー文句を言うベド子を急かして、家宅捜索に入る。

 まずは普段リモコンを置いてある場所、テレビ台の前後やテーブル周りを確認し、それからタンスなどの普段置くことのない場所まで捜索範囲を広げていく。これが妖怪リモコン隠しの仕業である以上、何でもない所だけどいざ探すとなると意外な盲点になっているという、そんな場所に隠されている可能性が高い。
 と、そんなことを考えながら捜索を開始した直後。件のモモコ本人がこちらに向かって手招きしていることに気がついた。

「なんだ? どうかしたか?」
「…………、……、………………」
「……何だって?」

 通訳を求めてサキの方を見ると、サキは首を傾げながらこう答えた。

「うむ、なんでも……『なくなったものはひとつじゃないよ』、じゃと」
「…………」

 嫌な予感がしてきた。

「全員、ちょっと探す手を止めてくれ。自分の身の回りの小物で、何か見当たらなくなってるものはないか?」

 他の三人にそう訊ねつつ、自分でも持ち物を確認する。
 うっかりするとどこかに紛れ込んでしまいかねないサイズで、今俺が一番なくすわけにいかないものと言えば、やはり都市伝鬼の資料をまとめている手帳だ。幸いそれには手をつけられなかったようで、しまっておいた通りの場所からちゃんと見つかった。まずは一安心。
 では他の三人はどうかというと。

「ううむ、どうやら手鏡が見当たらんのう」
「あたしの方は特に何も。あたしの持ち物っていったらこの斧くらいだけど、そもそもこれはあたしの手から離れないしねー」
「コトリはどうだ?」

 様子を見ると、コトリはタンスの上で視線を往復させつつ、空の両手を所在なさげに遊ばせている。

「……もしかして、あの細工箱をなくしたのか?」
「…………」こくこく。

 コトリがいつも持っている小さな木組みの細工箱は、『コトリバコ』という都市伝説の象徴といえるものだ。見方によってはコトリの『本体』と言ってもいいような代物のはずなのに、どうやったらそれを見失うというのか。

「…………♪」

 言葉を失う俺達を見ながら、一人楽しそうにしているリモコン隠し。

「…………」
「…………?」
「…………」
「…………、」
「……………………」
「~~~~……!」
「……コトリ、モモコに無言でプレッシャーをかけるのはやめてやれ。隠されたのは多分お前が悪い。自力で探せ」
「…………がっでむ」

 ともあれ、捜索対象の数が増えたところで改めて家宅捜査を再開する。

「とりあえず最優先目標はリモコンだけど、各々の紛失物で、見つけられそうなものは先に見つけちゃってくれ」
「そうじゃな、妾なら手鏡くらいは楽勝じゃ」

 そう言って、洗面所の鏡へと向かうサキ。あそこから手鏡へと移動して、どこに隠されているのかを確認しようというのだろう。
 その方法ならすぐに見つかるだろうから、手鏡はサキに任せておいて、俺はテレビのリモコンとコトリの細工箱を探すことに集中する。
 と、いきなり台所の方でごとりと不自然な物音がしたと思ったら、サキが何故か激しく震えながら洗面所の鏡から這い出してきた。

「ど、どうした?」

 サキは俺の問いにも無言のまま、青ざめた顔で真っ直ぐ台所へと向かうと、おもむろに冷凍庫の戸を開けて、製氷機の氷の中から見当たらなくなっていた手鏡を取り出した。

「こ、こんなところに、かか、隠されておったわ……」
「おおう……だ、大丈夫か?」

 あの薄着でいきなり氷の中に飛び出そうとしたら、さぞかし寒かったことだろう。
 俺の問いに微笑と頷きを返しつつも、サキは唇を紫にして震えっぱなしだ。そんなサキの姿を見て、俺は――

「――こっちに来いよ。俺が優しく抱きしめて、温めてやるゼ」
「……おい、勝手に人の台詞を当てるな」
「でも出雲君、今一瞬たしかにそういうこと考えたでしょ? 考えたでしょう?」

 腹が立ったのでベド子には顔面コースで思い切り枕を投げつけておき、サキには、ベッドから取ったタオルケットを羽織らせておいた。まだまだ夜も暑いので薄地だが、ないよりはましだろう。

「す、すす、すまんのう、出雲」
「いや、氷の中に突っ込んだなら無理もないって。体が温まったらまた手伝ってくれ」
「う、うむ。しししばし待ってたもれ」

 手っ取り早く体を温める為だろう、サキはお茶の用意をし始めた。冷めかけたお湯を沸かし直す所から始めているので、しばらくは復帰できなさそうだが仕方がない。
 俺はタオルケットを引っ張り出したついでに、紛失物がベッドの中に隠されていないかも確認しておく。

「……ないか。じゃあベッドの下はどうだろ。おーい、ベド子」
「えー、何よ、あたしに探させる気?」
「というか、お前が探さずに誰が探すんだ」

『ベッドの下の斧女』にとってはホームグラウンドと言っていい場所だろうに。
 行け、ほれ行け、と俺が身振りで示すと、ベド子は「しょうがないなあ」などと言いつつ、身をかがめてベッドの下に頭を突っ込んだ。右手に握りっ放しの斧がかさばって、いかにも邪魔そうだ。

 もぞもぞと左右に微移動しつつ、くぐもった声でベド子が報告する。

「うーん、見当たらないねー。ここにも無いっぽいよ?」
「あー、うん……そ、そうか。じゃあもういいぞ」
「ん? 何よ出雲君、その微妙な反応」
「いや別に」

 本人に対してはそう言ったものの、正直に言えば、ベド子の姿勢が問題なのだ。
 ベッドの下を調べるためにベド子が取った動きを順番に説明すると、まず床に膝立ちになり、そこから両手をついて、這いずるようにしてベッドの下へ上半身を突入、となる。
 そうすると必然的に、探索者はお尻を突き出したような姿勢を取ることになり、そんな状態でもぞもぞと身動きをするものだから、自分が行けと言った手前監督責任を放棄するわけにもいかずさりとて目のやり場にも困るというか何というかで――
 とその時、いつの間にか傍に寄って来ていたコトリから静かに袖を引っ張られた。

「…………たたなく、する?」

 呪ってやろうかと嬉しそうに聞いてくるコトリに対し、無言で首を横に振る俺。

「…………たたなく、しよ?」

 せんでいいせんでいい。

 しかしそのコトリの声を聞きつけられたのだろう。こちらが目のやり場に困っていると気付いたベド子が、声と身動きをわざとらしいものにして、ここぞとばかりにからかってくる。

「あ、ねえねえ出雲君、ちょっと助けてくれない? そっちに出たいんだけど、あんっ、ちょっと、胸の厚みで体が引っ掛かってぇ、いやん、自由に動けないのよー。ねえねえ出雲君ー」
「…………」

 そうやってわざとらしくやってくれたおかげで返って冷静さを取り戻した俺は、黙って鞄の中から三十センチ長のプラスチック製定規を取り出した。
 そして、自由に身動きが取れない不利な体勢に甘んじたまま、弱点を晒してくねくねと挑発的な言動を繰り返しているベド子に向き直り、手に持ったそれを高く、高く振りかぶった。
 そして勢いよく振り下ろす。

「ぎにゃあ!?」

 まるで風船が割れる時のような快音が鳴って、ベッドの下からベド子の悲鳴と、勢いよく頭をぶつける鈍い音が響いた。
 衝撃に膝を滑らせてばったりと床に倒れ伏したベド子の下半身は、そのまま上半身を追うようにずるずるとベッドの下へと潜り込んで姿を消す。しばらくすると、しくしくと、わざとらしくも恨めしい泣き声がベッドの下から響いてきた。

「出雲君、酷い」
「うるさい」

 多少俺にも非があったことは確かだが、悪ノリしたのはベド子の方だ。だから俺は悪くない。悪くないと言ったら悪くないのだ。そういうことにしておく。

 しかし、それでへそを曲げたらしいベド子がそのままベッドの下に引き籠ってしまった為、リモコン捜索のための人員は当初の半分にまで落ち込むことになってしまった。
 制限時間も、もう五分と残っていない。

「コトリの細工箱もまだ見つかってないしなぁ……」

 果たしてこのペースで間に合うのだろうか。間に合わない気がする。

「…………ちょっと、ためしてみる」

 そう言って、コトリが唐突に姿を消す。
 姿を消したり現したりは都市伝鬼の基本技能らしいが、消えている時間の長さからして、一時的に姿を隠しているのとも違うようだ。
 一体どこへ、と思っていると、不意にタンスの引き出しの一つがごとりと音を立てた。

「……なんだ?」

 周囲の状況を確認する。サキはまだ震えながら台所でお湯が沸くのを待っているし、ベド子は気配だけはするもののベッドの下から出てこない。妖怪リモコン隠しは音のしたタンスの方を恐々と窺いつつも、腰の後ろで手を組んだ姿勢のまま、座布団の上から動いてはいない。
 となると、考えられる今の物音の正体は。

「まあ消去法で考えるまでもなくコトリなんだろうけどさ」

 ただ、コトリだというのが最大の不安材料でもあるのだ。我が家の都市伝鬼達の中で、色んな意味で最も恐ろしいのはコトリだと言って間違いはない。

 とはいえあまり時間もないので渋っても居られない。俺は恐々とタンスの前まで移動する。
 妙な音が鳴った引き出しは、丁度俺の服をしまってある段だった。中に入っているのは、俺のシャツや下着など、それだけのはずだ。
 でもそれだけじゃないんだろうなぁ、と嫌な予感を抱きつつ、俺は引き出しに手をかけ、思い切って勢いよく引っ張り出した。
 途端、中から真っ赤な血が怒濤の勢いで溢れ出した。

「ぬおああああああああああああああああ!!」

 引き出しの縁からこぼれ出した膨大な血液が俺の両手を濡らし、見る見るうちに床の上に広がっていく。引き出しの中身、すなわち俺の着替えの服は、全て水浸しならぬ血液浸し状態だ。視界の端で、血の海にビビったリモコン隠しが大慌てで座布団ごと後退して距離を取るのが見えた。
 こんなものを不意打ちで食らったら、普段の俺なら即座に失神していてもおかしくないレベルだったが、幸いにもと言っていいのか、俺がこの現象を見るのは二回目だった。

「こっ、コトリ! どうやったかしらないけどお前だろ! あの箱を開けたの!?」
「…………うまく、いったの」

 悲鳴に近い声で呼ぶと、いつの間にか俺のすぐ隣に現れていたコトリが、血の海となった引き出しの中から小さな細工箱を拾い上げた。
 知恵の輪のように、細かい木片が複雑に組み合わさって出来ているそれは、今、パーツの一部が分解されて開いており、大量の血液はそこから溢れ出していた。
 これこそが『コトリバコ』。生き物の血と、間引かれた子供の肉片を入れて作られる呪いの箱。迂闊に開くと、こうして大量の血液と呪いが辺りにぶちまけられる。
 とはいえ幸いにも、今のコトリには伝承通りに一族郎党を皆殺しにできるほど強力な呪力はない。ついでに溢れ出した大量の血液についても、コトリがパーツを組み直して箱を閉じると、何事もなかったかのようにどこかへ消え去っていく。まあ消えたとは言っても、ほんの一瞬前まで血まみれになっていたこの服は、呪われていそうでしばらく身に着ける気になれないが。

「…………ぶじ、はっけん」
「……そうだな、後はテレビのリモコンを見つければ終わりだ。残り三分ほどしかないけど」

 自分の一部とも言える細工箱を取り戻したコトリは嬉しそうだが、俺の方はさっきのショッキング体験でかなりグロッキーになっている。この状態で、果たしてリモコンを探す余力があるだろうか。

「っていうか、このリモコン捜索隊が半壊した理由の半分は、他ならぬ一緒に探してた仲間からの攻撃のせいだよね」
「……尻を引っ叩いたのは悪かったと思うから、そんな突っ込み入れてくる余裕があるならそろそろ復帰してくれないか」
「つーん」

 ベッドの下から視線だけは感じるが、ベド子はまだへそを曲げたままのようだった。サキもまだ台所から戻らないし、ここまで来たらコトリと二人でやり切るしかない。
 妖怪リモコン隠しからの挑戦。都市伝鬼編纂者として、この勝負は最後まで退くわけにはいかないのだ。既に誰との戦いだったのか半ばわからなくなりつつもあるが。

「とにかく、だ。これだけ狭いワンルームだ、最初は四人で手分けしてたんだし、まだ探してない場所なんてもうほとんど残ってないはずなんだ」

 深呼吸をして意識を切り替え、改めて、じっくりと部屋の中を見回してみる。
 ベド子が下に引き籠っているベッド、サキがお茶を沸かしている台所、バスルームやトイレと一体になった洗面所、食事や勉強などに使われるテーブル、安もののテレビと簡素なテレビ台、座布団に座ってこちらを眺めている妖怪リモコン隠し――

「……ん?」

 そこで何か、心に引っ掛かるものがあった。
 疑念の先をじっと見つめてみる。

「…………っ」

 妖怪リモコン隠しことモモコ。サキが用意した座布団の上で、正座を崩した姿勢のまま、両手を腰の後ろで組んで胸を逸らし、わざとらしく明後日の方向を向いている。
 両手を腰の後ろで組んで。

「……そういえば、家の外なんかには持ち出してない、ってルールは確認したけど、“自分自身で隠し持ったりしてないかどうか”は確認してなかったな」

 そう言いながら一歩にじり寄ると、モモコは両手を後ろに回したまま、腰をわずかに浮かせて半歩分ほど体を後ろに引く。

「…………」
「……、……~♪」

 無言で見つめると、リモコン隠しは冷や汗をかきながら空笛を吹き始めた。

「……よし。コトリ」
「…………まかせて」
「……? ……!?」

 コトリに対してその一言で意図を伝えて、俺はリモコン隠しへと踊りかかった。
 即座に逃げ出そうとしたリモコン隠しだが、コトリがかけた金縛りの呪いによって身動きが取れない。それが解ける前に一気に近付いて取り押さえる。

「捕まえたぁ!」
「うわぁ……出雲君、率直に感想言うけど、傍から見てて凄く犯罪っぽい構図だよそれ」
「うるさい、編纂者が正義だ。さあモモコ、その手に持ってるものをこっちに出してもらおうか……って、あれ?」

 必死に暴れようとするリモコン隠しの両腕を掴んで立ち上がり、彼我の体格差を利用してバンザイさせるようにして持ち上げてみたのだが、予想に反して、リモコン隠しがひた隠しにしていた両手には何も握られてはいなかった。

「フェイント? そんな、じゃあテレビのリモコンは一体どこに……?」
「…………じかん、ないよ?」

 コトリに言われるまでもなくわかっている。
 だが、これ以上は本当に探せる場所がない。

 その時だ。幾分顔色を取り戻したサキが、台所の方から顔を出した。

「い、出雲よ……」
「サキ?」
「モモコは、隠したものを自分では持っておらん筈じゃ……何故ならそれでは、『隠す』のではなく『盗る』ことになってしまうからの。都市伝鬼『妖怪リモコン隠し』の、都市伝鬼としてのプライドに賭けて、テレビのリモコンはこの部屋のどこかにある筈じゃ」
「とはいっても、もう……」
「諦めるでない。灯台もと暗しじゃよ、出雲。きっと単純な見落としをしておるだけじゃ。聡明なお主なら、きっと見つけられる、筈、じゃ……」
「さ、サキぃぃぃ!」

 そんな途切れ途切れの言葉を残して、サキの姿が台所の方へ消えていく。
 それからすぐにコンロの火が消され、薬缶の笛の音が止まると、お茶をすする音とほっと一息つく声が聞こえてきた。
 うん、サキからお墨付きをもらったことだし、最後の最後まで諦めずに考えてみよう。既に番組は始まってしまっているが、始まった直後はオープニングなどが入るから節約レシピの紹介はない。つまりロスタイムだ。

 灯台もと暗し。部屋の中をじっくり見まわしながら、その単語を念頭に置いて自分の見落としを探す。

「…………いずも、がんばって」

 普段からリモコンを置いてある場所とその周りは全て探した。

「出雲君、あとちょっとだよ。多分」

 ベッドの下など、普段ならまず転がりこまないような場所も探した。
 それでもまだ見落としている場所とは――?

「……出雲よ」
「サキ?」

 台所の方から、サキの声だけがこちらに投げ掛けられる。

「別に、見つからなければ見つからなかったでも良いのじゃぞ? 人間万事、上手く行くことばかりではない。時に失敗してもそれは仕方のないことじゃ。新しいレシピが見られなくとも、今までと同じように、妾が色々と工夫を凝らして何とかしよう。じゃから……」
「それじゃ、俺が嫌なんだ」

 考える。

「俺にできることがあるなら何とかしたい。忘れられて消えていく伝鬼達のことを、『仕方がない』なんて言いたくない。だから俺は編纂者になったんだ」

 それに。

「俺は……サキが作ってくれる美味しい料理を、もっと色々味わいたいんだ」

 だから。

「俺は諦めないぞ。最後まで。最後の最後まで」
「出雲……」

 考え続ける。
 この部屋の中で、まだ見ていない場所はどこか。
 ――灯台もと暗し。
 もと。……足元?

「まだ見ていない場所……」

 コトリの足下を見る。サキとベド子……は台所とベッドの下に居て足下を確認できないのでスルーして、モモコの足下を見る。モモコをぶら下げたままの、自分の足元を見る。

「…………わかった――かもしれない」

 モモコを床に下ろして、ゆっくりとしゃがみ込む。
 そこには、モモコの座っていた座布団があった。
 灯台もと暗し。
 もはやモモコも余計な身動きを作らない。ただ、この部屋に居る全ての伝鬼達に見守られながら、俺は、ゆっくりとその座布団に手をかけて、

「…………」

 それを、めくった。

「見つけた……!」

 俺の動きを見つめていた皆の口から、思わず安堵の吐息がこぼれる。
 俺は座布団の下から姿を現したリモコンを手に取り、うやうやしくその電源ボタンを押した。
 同時にテレビが明るい光と音を放ち始める。画面は今まさに、絶品節約料理のレシピの解説が始まろうというところだった。




「……結論から言うと、あの座布団はモモコの為に普段とは違う場所へ置いたもので、だからこそそれが、俺達にとっての盲点を作ってたってことなんだな」

 テレビの音を取り戻した部屋の中に、妖怪リモコン隠しの姿は既にない。
 特番の放送はつつがなく進み、サキが使えそうなレシピをメモに取ったり、コトリとベド子が画面に映し出された料理を見て美味しそうだの食べたいだのと騒いだりして、狭い我が家にはいつも通りの穏やかな夜が訪れていた。
 大切な仲間が脱落したり残り少ない制限時間に急き立てられたりしていたせいで、最後の辺りは改めて冷静に思い返すと自分でもよくわからないくらいテンションになっていた気がするが、それを本当に冷静に振り返っていると恥ずかしいばかりなので、俺はそのまま無理矢理話を進めることにした。

「普段と少しだけ違う状況、本当にちょっとしたことで意識の盲点に落としてしまって、見えている筈のものを見失う。今回はある意味で、まさしく『妖怪リモコン隠し』らしい隠し方をされていたわけだな」

 まあ、モモコがその座布団の上を占拠していたのは、自分で隠し持つのとさほど変わりない、反則ギリギリの手だったんじゃないのかと思いもするが。

 何はともあれ、今回も無事に八方丸く収めることができた、と思う。

「どうじゃ、出雲。今回の伝鬼の感想は」
「引っかき回されたよ、ほんと。けどまあ、色々考えることもあったかな」

 妖怪リモコン隠しが、まさか都市伝鬼として実在するとは思わなかった。改めて、都市伝鬼達の多様性というものを見せつけられた気分だ。

「本当に、世界はまだまだ俺の知らないことばっかりだ。サキ達都市伝鬼のことをちゃんと本にするためにも、もっと色々なことを勉強しなくちゃなと思ったよ」
「ふふ、その意気じゃ、出雲。精進せいよ」
「おう」
「……って、なーんか綺麗な話っぽくまとめようとしてるけど、結局今回あたし達がやってたことって、テレビについてるボタンを直接操作すれば済んだことを、わざわざリモコンにこだわって部屋中ひっくり返して皆して大騒ぎしてたってだけなんだからね?」
「それを言うな」
「…………たのしかったの」
「そりゃコトリちゃんは一人だけ特に何も被害受けなかったもんね! あたしなんかこの年して出雲君にお尻ペンペンされたんだよ!? あたしのオトメゴコロはもうコナゴナで修復不可能だよ!」
「……それを言うな」

 そういう思春期の青少年にちくちく来るネタに対して、コトリは基本無邪気に腹黒く楽しそうにしているだけし、サキもあまり気にした風もなく苦笑の顔でこちらを見守っているのだが、今回は被害者であるベド子が珍しく本気で恥ずかしがっているので、こちらとしてもしばらくは真っ直ぐ顔を合わせづらくなりそうだった。

 ともかく、と、ベド子の抗議の視線を振り切って逃げるように、俺は思考を先に進ませた。
 妖怪リモコン隠しという都市伝鬼について考えた時、それが存在する意味、というものについて、つい思いを寄せてしまったのだ。
 自分達にとって、小さく、身近な、そしてだからこそその便利さやありがたみというものを忘れてしまいがちな品を、何かの折にふっと隠して人間を慌てさせる伝鬼。
 モモコ本人はリモコンが見つかってすぐに居なくなってしまった為、この編纂の内容に同意や確認を取ることができなかったのだが……
 彼らはもしかしたら、その名の通りの小さな悪戯をすることで、身近にあるものの大切さやありがたみを忘れるなと、俺達に忠告してくれているのではないだろうか。
 ……と、そんなことを考えたりしたのだ。
 まあ、本人に確認を取り損ねた以上今となっては真意はわからないままなのだが、本に記す内容は編纂者である俺が実際に見て聞いて感じたことを嘘偽りなく書くというのが基本だ。
 ならば編纂者の主観として、この解釈を妖怪リモコン隠しの項目にメモしておいても問題はあるまい。

 そう考えて、俺は編纂作業に使っている手帳を取り出し、新たに『妖怪リモコン隠し』の項目を作ろうとした。
 のだが。

「……ペンがないぞ」
「なんじゃと?」

 いつ都市伝鬼と出くわしてもいいように、俺は常に手帳とペンをセットで持ち歩いている。
 それなのに今、手帳はあるのにメモするためのペンだけがなくなっているのだ。

「あー……なるほど。あはは、これは、やられたなぁ」
「ふふふ、そのようじゃな」
「…………いずも、たのしそう?」
「フン、あたしのことを弄んだバチよ、バチ」

 テーブルの上に手帳を投げ出して顔を上げる。
 ふと壁際を見ると、そこにモモコが一瞬だけ姿を見せ、こちらに向かって悪戯っぽい笑顔であっかんべーをして見せてからすぐに消えていった。

 恐ろしい怪奇譚から生まれた伝鬼は自分のことを恐ろしく書いて欲しがるが、他愛のない悪戯心から生まれたような伝鬼は、自分の項目に真面目ぶった解説を書かれるのが好きではないらしい。
 ならば、妖怪リモコン隠しの項目に書く文章は決まったようなものだ。
 ――『妖怪リモコン隠し』。リモコンなどの身近でよく使う小物を、隙あらばどこかへ隠してしまおうとする都市伝鬼。彼らが物を隠すのはあくまで他愛のない悪戯心によってであり、必ず、しっかりと探せばちゃんと見つけられるような場所に隠していく。絶対に見つからないような場所へと隠してしまったり、どこかへ持ち去ってしまったりすることはけしてしないが、だからといって侮ったり油断したりしてはいけない。
 なぜなら彼らは、あなたの周り、身近な所に常に潜んでいるのだから。



 そんな厄介な都市伝鬼達に振り回される俺の生活は、どうやらもうしばらくの間は続きそうなのだった。


この短編は、「先生、都市伝鬼の続きはよ。はよ」が7、Pixivで検索した時エスケ●プ・ス●ヰドの絵は既に何枚かあったのに都市伝鬼の絵はゼロだった(執筆当時)悔しさが1、俺もこんな可愛い伝鬼に囲まれて暮らしてぇぇぇが9の濃縮還元で出来ております
というか割りと本気で舞佳になじられたりコトリに脅かされたりベド子を虐げたりサキに癒されたりする生活が羨ましいです先生続きまだですか
あ、美雪さんが出せなかったのは単なる展開上の都合であって、妖怪組も大好きですよ勿論

そんな感じで続刊への祈りを捧げつつ。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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