進撃の江頭2:50 (595)


 その足音は、歴史を動かす。


 この“世界”では土地の大部分が人を食らう巨人によって支配されており、

人類は巨人の侵入を防ぐために高い壁を作り、長らく平和に暮らしていた。

 しかし845年、50メートルを超える超大型巨人によって、先端の壁

「ウォール・マリア」は破壊され、人類の活動領域は二つ目の壁、「ウォール・ローゼ」まで後退。

 その一年後の846年。

 人類は奪われた領土の奪還をすべく総攻撃を仕掛けるも、失敗。

 人口の約二割と領土の三分の一を失う結果となった。

 だが巨人の“進撃”はそれだけでは終わらなかった。

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 850年――

 ウォール・マリアの破壊から五年後、人類は再びあの超大型巨人の攻撃を受ける。

「超大型巨人出現! 繰り返す、超大型巨人出現!」

「駐屯兵団の兵士は直ちに戦闘態勢に入れ!」

「現在の状況は!」

「壁が破壊されました! 巨人が侵入してきます」

 混乱する前線の中で、訓練兵のエレン・イェーガーは仲間と共に駐屯兵団の本部へと集結
していた。

「お前たち訓練兵も卒業演習を合格した立派な兵士だ! 今回の作戦でも活躍を期待する!」

 上官の心にもない言葉を後目に、エレンは戦闘準備に入る。

「ガスの補給は十分か?」

「おい! こっちの刃が無いぞ! どういうことだ!」

 すでに現場は混乱していた。

 実戦経験の少ない訓練兵ならば当然とも言える。

 だが、そんなことも言っていられない。

「アルミン、そっちは大丈夫か!」

 エレンは自分の準備をしながら幼馴染のアルミンにも話しかける。

 彼の横顔はすでに血の気が引いており、手元も小刻みに震えていた。


「無理をするなよアルミン」

 そう言ってエレンはアルミンの肩に手をかける。

 手のひらから彼の緊張が痛いほど感じ取れた。

「僕は大丈夫だよ、エレン」

 アルミンは引きつった笑いを見せる。

 それが彼にとっての精一杯の強がりであったことは明白だ。

「こんな震え、すぐに収まるさ。むしろ武者震いだよ」

 何が「むしろ」なのかよくわからないけれど、彼の不安は十分に理解できる。

 もちろんエレンとて怖い。

 だが彼はそれ以上に巨人を憎んでいた。

 五年前の襲撃で彼は家と母親を失った。

 破壊されるウォールマリアを見ながら、彼はこの世界からの巨人の駆逐を固く誓う。

 その怒りと憎しみがあったからこそ、彼は辛い訓練を乗り越え、全体でも第五位の成績で
兵士としての訓練課程を終えることができたのだ。

「し、しかしまずいぞ。現状では、まだ縦8mもの穴をすぐに塞ぐ技術はない!

 穴を塞げない時点でこの街(トロスト区)は放棄される……。

 そうなったらウォール・ローゼが突破されるのも時間の問題……」

 アルミンは早口で現状をまくしたてる。

 不安は人を饒舌にさせるというが、こんなにも積極的に喋るアルミンを見るのは久しぶりかもしれない。


「そもそも、巨人(ヤツら)はその気になれば、人類なんかいつでも滅ぼすことができるんだ!!」

「アルミン!」

「ッ!」

「……落ち着け」

 頭脳は明晰だが悲観主義に支配されやすい親友の思考を断ち切らせるように、彼はエレンは声をかける。

 エレンの言葉に気が付いたアルミンは、少しの間沈黙を続けてから、

「……ごめん、大丈夫……」

 やっと落ち着きを取り戻した。




   *



 トロスト区は、ウォール・ローゼから突出した防衛のための城塞都市である。

 長大な壁をすべて守ることは困難であるため、出丸のような形に土地をせり出させる

ことによって、警備のための兵士を集約させる狙いがある。

 仮に前線の都市が陥落しても、その間に本体のウォール・ローゼを護ることができれば人類は

活動領域の大部分を護ることができる。

 だがそれは、前線都市に住む兵士やその家族を危険に晒すことにほかならない。

 例えは悪いけれど、いわゆるトカゲの尻尾のような存在であろうか。

  
「それでは訓練通りに格班ごと通路に分かれ、駐屯兵団の指揮の下、

 補給支援・情報伝達・巨人の掃討等を行ってもらう」
 
 エレンたちの所属する訓練兵団も、都市を護る駐屯兵団の指揮下に組み込まれ
作戦を実施することになった。

「前衛部を駐屯兵団が、中衛部をお前たち訓練兵団が、そして後衛部を駐屯兵団の
精鋭部隊が担当する」

 エレンの担当班は中衛部の掃討。

 つまり前衛が取り逃がした巨人を刈り取るのが役目だ。

「我々はタダメシのツケを払うべく、住民の避難が完全に完了するまで

 このウォール・ローゼを死守せねばならない」

「……」

「なお、承知しているであろうが、敵前逃亡は死罪に値する。みな、心して命を捧げよ……解散!!」

 エレンたちは右腕の拳を左胸につける、敬礼をしてから持ち場に向かう。

「くそう、なんでよりによって今日なんだよ。折角内地に行けると思ったのによお」

「ぐおおおお」

「オロロロロ」

 昨日訓練課程を終えたばかりの新兵たちは不安を隠せない様子である。

 そんな中、一人の女性兵士がエレンに声をかける。

「エレン」

「ミカサ。お前も無事だったか」


「うん。無事」

 ミカサ・アッカーマン。

 エレンにとってもう一人の幼馴染であり、訓練兵の教育課程をトップの成績で修了した優秀な
兵士でもある。

 スラリとした体形、美しい黒髪。そんな外見に似合わずその戦闘能力は他の追随を許さない。

 この数年間、巨人と戦うために努力を重ねてきたエレンであったが、彼女にはかなわなかった。

「どうした、ミカサ」

「エレン。戦闘が混乱してきたら、私のところにきて」

「は? 何言ってんだお前。俺とお前は別々の班だろうが」

「混乱した状況下では筋書き通りにはいかない」

「ミカサ」

「私はあなたを守る!」

「……!」

 幼い頃家族を亡くしたミカサにとって、エレンはもう一人の家族である。

 ゆえに彼女はエレンのことを異常なまでに心配する。

「心配すんなミカサ。俺はもうあのころの俺じゃない。今こうして、戦うための翼も用意された」

 そう言うと、エレンは腰につけた立体機動装置と攻撃翌用の刃を触る。

「戦いはどうなるかわからない。だから、混乱したら真っ先に私を――」


 そこまで言いかけたところで、駐屯兵団の上官がこちらに近づいてきた。

「ミカサ・アッカーマン訓練兵だな」

 背の高いその男は硬質な声でこちらに話しかける。

 この街で訓練兵団でもトップの成績だったミカサを知らない兵士はいない。

 にもかかわらず、わざわざ名前を呼んだということは何か特別な意味があるのだろう。

 エレンはそう直感した。

 だが、ミカサのほうはあまりピンと来ていない様子である。

「お前は特別に駐屯兵団の精鋭部隊に編入させる。後衛で住民保護の部隊に行け」

「ですが私は!」

「これは命令である。貴様の意見など聞いていない」

「……」

 戸惑うようにこちらを見るミカサ。

 明らかに自分のことを心配している、とエレンは思った。

「住民の避難が遅れている今、少しでも多くの精鋭が必要なのだ」

「し……しかし……!」

「オイ!」

 エレンはミカサの肩を掴んだ。

「いい加減にしろよミカサ」

 そう言うと、エレンは彼女の額に自分の額をぶつける。


 痛かった。見かけによらず彼女は石頭だ。

「ッ!」

「人類滅亡の危機だぞ。なに勝手なこと言ってんだ」

「……」

 ミカサは少しだけこちらを見つめ、やがて冷静になる。

「悪かった。私は冷静じゃなかった……」

 口調がいつものミカサに戻った気がした。

「でも、頼みがある。一つだけ……、どうか……」

「ミカサ?」



「死なないで……」


 そう言うと、ミカサは振り返ることなく後衛部隊へと向かった。

(死なないさ。こんなところで死んでいられない)

 エレンは心の中でつぶやく。

(巨人を一匹残らずこの世から駆逐するまでは……!)

「戦闘前にイチャイチャしてんじゃねえぞ、糞野郎」

 そんなエレンの決意に水を差すような言葉を耳に飛び込んでくる。

「あん?」

 振り向くと金髪で長身の男がこちらを見ていた。


「ジャンか」

 ジャン・キルシュタイン。

 訓練課程では、エレンに次ぐ第六位の成績の男である。

 皮肉屋で現実主義者な彼は、やや理想主義的なエレンとは正反対の性格であり、

当初からよく喧嘩をしていた。

 今でも時々殴り合いをしている仲でもある。

「もっとミカサとしっかり話をしていたほうがよかったんじゃねえのか?」

「なんだと?」

「これが今生の別れになるかもしれないからな。死に急ぎ野郎だしよ」

 そう言ってジャンは乾いた笑いを発する。

 だがその笑いが心からのものではないことは明白であった。

「無理するなよジャン。脚が震えてるぜ」

「ああ? エレン。そう言うお前だって唇紫色じゃねえかよ」

 緊張しているのはお互い様か。

 動揺している仲間を見て逆に冷静になれたのは皮肉なものである。

「くだらねえこと言ってる場合か。お前と俺は別の班だろ」

「ったく、お前と同じ班じゃなくてよかったぜ」 

「なんだと」

「お前みたいな死に急ぎ野郎と一緒だと、命がいくつあっても足りねえ」

「こっちこそ、お前みたいな腰抜け野郎と同じ班じゃなくてよかったと思うぜ。
士気にかかわるからな」


「おい、よせよジャン」

 そう言ってジャンを止めたのはマルコ・ポットだ。

 曲者揃いの訓練兵団の中でも珍しく穏やかな性格の彼は、同期からの信頼も厚い。

「そうだよエレン。本番前に争ってどうするんだよ」

 エレンのほうもアルミンが止める。

「わかってるぜマルコ。おいエレン!」

「なんだ」

「お前との決着はまだ着いてねえんだ」

「……」

「だから死ぬんじゃねえぞ。こんなところで」

「わかってる」

「無事に戻ったら、俺が巨人の代わりにお前をぶっ殺してやるよ」

「言ってろ」

 そう言うと、ジャンはマルコと一緒に集結地点へと向かう。

 エレンも、アルミンと一緒に街へ出る。どいつもこいつも素直じゃねえな、と思いつつ。



  


   *
 



 駐屯兵団本部から数百メートル離れた場所にある民家の屋上。

 そこから前線を見ると、いくつか火の手が上がっていると同時に、建物よりも大きい巨人の姿が
何体も確認できた。

「あいつら、もうあんなに入ってきたのかよ……」

「というかもうこっちまで来てるじゃねえか。前線部隊は何をやっているんだ」

 巨人の予想以上の侵攻の速さに驚愕しつつ、エレンたちの班は戦闘態勢に入る。

 しかし、

「はぐっ、はぐっ」

「何やってんだサシャ」

 同期生のサシャ・ブラウスは何かを食べていた。

「なんだそりゃ」エレンが聞く。

「蒸かした芋ですよ。駐屯兵団本部の食堂で見つけてきました」

「お前またやったのかよ!」

 同じく同期生で坊主頭が特徴的なコニー・スプリンガーがツッコミを入れる。

 ちなみにサシャは盗み食いの常習犯だ。

「さすが本部ですよね、いい芋を使っています。はぐはぐ」

 黙っていれば美人の部類に入るであろうサシャは、その行動がきわめて特異なため、
教官たちも手を焼いていた。

 むろん、訓練兵団の同期生たちも未だにどう接していいのかよくわからない。

「うっ!」

「どうした!」


「んー! んー!」

 サシャは苦しそうに胸を叩く。

 どうやら芋がのどに詰まったようだ。

「お水ならここにあります」

 そう言って水を差しだしたのはクリスタ・レンズ。

 成績はそこそこ優秀だが特に目立った特技があるわけでもないただのかわいい少女である。

 そんなクリスタから水を受け取ったサシャはいっきにそれを飲み干す。

「おおー! ありがとうございますクリスタ。助かりました。巨人よりも先に芋に殺されるところでしたよ」

「そのまま[ピーーー]ばよかったのによ」

 ボソリとコニーは言った。

「酷いですよコニー」

「コニー、そんなこと言っちゃ可哀想だよ」

 そう言ったのはアルミンだ。

「ほら、一寸の虫にも五分の魂って言うでだろ?」

「私は虫ですか?」

「お前らいい加減にしろよ! 緊張感なさ過ぎだろう。もう巨人はすぐそこまで来てんだぞ!」

エレンは怒鳴った。

 もちろん現実逃避したくなる気持ちもわかる。


 だがどんなに目を背けたところで目の前の脅威は無くならない。

「前線部隊はほぼ壊滅か?」

 遠くから立体起動装置の音が響く。

「どうやら、訓練兵団(ウチら)の中でも交戦がはじまっているようだな」

「そ、そうだね」

 エレンの言葉に反応するように、隣りのアルミンが答える。

 腹をくくったのか、先ほどよりは落ち着いた表情をしている。

「さっさと行こうぜアルミン。それにみんな」

「おうよ!」

「わかってます」

「はい」

「はっ、てめーが指揮ってんじゃねえぞ」

 緊張はしているものの、エレンのいる班の気合は十分のようだ。

「行くぞ!」

 エレンたちは腰につけた立体起動装置を作動させる。

 立体機動装置はアンカーを射出し、それをどこかに刺す、またはひっかけ、ガスの力で
アンカーに着いたワイヤーを巻き戻すことによって機動する構造(システム)だ。

 街中で使うと、建物の壁や屋根が壊れてしまうので本来はあまり奨励はされていないけれど、

今は緊急事態なので仕方がない。


 まるで枝と枝の間を渡る猿のように移動する兵士たち。

「前方五メートル級一体!」

 先行(ポイントマン)のコニーの声が響く。

(群れからはぐれたのか? だとしたらチャンスだ!)

 エレンはそう考えた。

 巨人の存在は確かに脅威だが、一番の脅威は何よりその数の多さだ。

 一体を倒してもまた別の個体に襲われることによって命を落とす兵士は多い。

 ゆえに、訓練隊でもいかに巨人を孤立させるかを教育している。

 エレンたちの班の目の前には、やたら頭のでかい、約五メートルの巨人がいた。

 時々壁の上から見ていた巨人が今目の前にいる。

 不気味な表情、そして裸。

 それが巨人の特徴と言える。

 そして何より、人を食うことを最優先させるという謎の行動。

 巨人は人類最大の敵であると同時に、謎の存在でもある。
 
「立体機動戦闘用意!」

「まずは俺だ!」

 戦闘のコニーがアンカーを射出させる。

 アンカーは見事に巨人に当たり、巨人は少しだけ苦しむ。


 だが巨人の回復力は驚異的だ。

 人類が巨人に勝てない理由の一人に、その驚異的な回復力がある。

 腕を切り落としても首をもいでも、いつのまにか再生してしまうのだ。

 だが、巨人にも弱点がある。

「どりゃああああ!」

 後ろの首筋、つまり「うなじ」の部分を上手く切り取れば、奴らは再生しない。

 理屈はわからないが、そういうことになっているのだ。

 “しなり”のある特殊な鋼(スティール)で作られた剣を振りかぶるコニー。

 彼の振り下ろした刃が巨人の背中に突き刺さる。

「やったか!」

「まだ浅い!」

 ダメージは与えられたかもしれないけれど、致命傷には至っていない。

 巨人を倒すためには正確に弱点に攻撃を当てなければならないのだ。

 大きな巨人も脅威だが、小型になると逆にその弱点の範囲も小さくなる。

 エレンたちは巨人を囲むように戦闘態勢を取る。

 続いてサシャが剣を振りかぶった。

「ひ、ひえええ」

 だが恐れがあるのか、背中の下あたりに刃が食い込む。

 攻撃翌用の刃は使い捨てなので、すぐに武器を放棄してサシャはその場を離れた。

「演習の時の勢いはどうしたサシャ!」


「すすす、すいません!」

 実戦と演習とは違う。

 そんなことはエレンにもわかりきっている。

 だが、演習でも実戦でもおそらく同じように行動できるであろう兵士をエレンは知っている。

 ミカサ・アッカーマンだ。

(ミカサならどうする)

 先ほどもそうだが幼馴染の彼女は、いつもエレンのことを心配していた。

 そのことがエレンには子ども扱いされているようで不満であった。

 だが今はそんなことを言ってもいられない。

 もっとも上手い奴の真似をする。

 それは基本中の基本なはずだ。

 アンカーを射出させ、巨人に接近する。

「アルミン!」

「うん!」

 エレンはアルミンとのコンビネーションの戦闘を開始。

 実力的にはアルミンよりもサシャやコニーのほうが上であるけれど、

昔からよく知っている彼と戦うほうがエレンにとっては安心できる行為であった。

「右、角度四十度!」

「どりゃああ!」


 アンカーを射出させるアルミン。

 彼は基本となる背中ではなく、あえて正面からやや横から攻撃を加える。

 巨人が攻撃を避けようと手を出したところで、

「ここだあ!」

 真後ろにいたエレンが刃を振りかぶる。

 アルミンは囮だ。
 
 巨人が彼に気を取られている隙に、一気に巨人の弱点を狙う。

「どりゃあああああ!」

 ガキッ、と固い手ごたえを感じる。

 エレンはもう一方の手に持った白刃で巨人のうなじを削り取る。

「アギャアアアアアア!!」

 気色の悪い叫び声と同時に、大量の血液がエレンの身体にかかった。

 ドロドロとして、熱い。

 まるで煮込んだトマトソースのような血液。だがトマトソースと違い生臭い。

 数秒して、巨人は地上に倒れた。

「……やったのか、俺は」

 初めての討伐。

 生まれて初めて、エレンは自らの手で巨人を葬った。

 小さな巨人ではあったけれど、それは彼にとっては大きな――

「おい! エレン!!」


 高翌揚感に浸る暇もなく、コニーの声が響く。

「どうした!」

「大変だ! すぐ前方」

「なに?」

 エレンは立体起動装置を作動して、建物の上に上がる。

「がっ!」

 そこには巨人の群。

 巨人、巨人、巨人、巨人、巨人、巨人、巨人、巨人……。

 五メートル級との戦闘に気を取られている間に、彼の周りに巨人が集まっていた。

 先ほどの巨人よりも小さい三メートル級や、大きな十メートル級もいる。

 あの巨人は餌だったのだ

 人類をおびき寄せるための餌。

 エレンはそう感じた。

(どうする、一旦引くか)

 エレンの中で誰かが囁く。

 たった一体の巨人にも苦労していというのに、こんな複数の巨人相手にできるはずがない。

「他の部隊は?」

 空を見ると、赤い煙弾がいくつも上がっている。

『我交戦中、至急援軍求ム』

 の合図。


 つまり、戦っているけれども戦力が圧倒的に足りないので助けてくれというサインなのだ。

 冗談じゃない。

 援軍が欲しいのはこっちだって同じだ。

 エレンはそう思ったがすぐに思い直す。

 この巨人の多さは尋常じゃない。

 五年前の襲撃時の比ではない。

 誰だって不安になる。

「エレン! どうしますか」

 すっかり混乱したサシャが聞いてきた。

「路地に誘い込んで、できるだけ多くの巨人をここに釘づけにする」

 エレンは答える。

 恐らくこれが今、できる最良の選択肢だろう。

「はあ? 俺たちに餌になれってことか」

 コニーは言った。

 相変わらずこの坊主頭は理解力が低い。

「このままこいつらを無視(スルー)したら、一気に後衛にいる住民たちを襲ってしまうだろう。

少しでも長く巨人(こいつら)をここに留め置くことが今、求められているんだよ」

「僕もエレンの意見に賛成だよ」

 そう言ってくれたのはアルミンだった。

「私も同意見です」

 クリスタも同意する。


「あくまで巨人の足止めが目的だ。間違っても掃討しようなどと考えないように」

「エレン、お前自分が一匹掃討したからって、余裕こいてんのか?」

「掃討ならこの先いくらでもできる。今は住民の安全が最優先だ」

「わーったよ。でもあれだろう?」

「は?」

「別にアイツらを倒してしまっても構わんだろう?」

「コニー!」

「な!」

 いつの間にか、比較的大型の巨人がやたら長い腕を振り上げていた。

 まるで斧のように振り下ろされたその腕は、建物を真っ二つにしてしまった。

 寸での所でジャンプしたエレンたちは立体機動装置のワイヤーを使って別の屋根の上に移る。

「アルミン! クリスタ!」

 名前を呼ぶと、十数メートル離れた別の建物の上で二人が手を上げる。

「サシャ! コニー!」

「平気だ! 俺は死に急ぎ野郎じゃないからな」コニーはそう言って親指を立てる。

「私も芋も無事です」

 サシャはまだ芋を持っているらしい。

「目標を絞るぞ! 先頭の一体を倒せば奴らは足止めを食らう!」

「倒すってどうやって!」


「足を狙うんだよ足を!」

 立体機動装置は通常、巨人よりも高い位置に飛んで奴らの弱点であるうなじを狙うために
開発された“兵器”だ。

 だが、空を飛ぶだけがこの装置のすべてではない。

「先頭は俺がやる! みんなはバックアップ」

 エレンは、比較的高い建物の屋根にアンカーの一本を突き刺すと、一気に駆け下りた。

 先ほどの攻撃で刃をダメにしてしまったので、新しい刃でもって巨人の足元を狙うのだ。

 柔らかい感触の直後に鉄のような硬い感触が手を襲う。

 再び“臭いトマトソース”がエレンの身体にかかった。

 が、先ほどよりも出血量は多くない。

 どうやら手足にはあまり血が通ってはいないようだ。

 不意な攻撃で膝から崩れ落ちる巨人。

 その巨人につまずいてこける巨人。

 狙い通りだ。

「あ……」

 立ち上がるまでに少し時間がかかるかと思った。

 その間、わずかな間だけ隙ができると思っていた。

 手間取ったところで、他の仲間が別の巨人を攻撃しようとしていたと思っていたのだが――


「な!?」

 後ろにいた巨人は手前に倒れた巨人を踏み潰して前進した。

(こいつら、仲間を踏み潰しやがった? ……いや、違う!)

 互いに巨人だから食べないだけであった、こいつらは仲間でもなんでもない。

 ただ、たまたまそこに居合わせただけの“他巨人”なのかもしれない。

「くそっ、前進のスピードが上がった?」

「先頭だ、先頭を狙うぞアルミン!」

 もう一度飛び出そうとするエレン。

 しかし、交戦中のコニーが誤って転落してしまう。

「コニー!」

「私が行きます」

 コニーを救出に行ったサシャ。

 そこにに巨人が襲い掛かる。

「はあ!」

「そりゃああ!」

 サシャとコニーを護るためにクリスタとアルミンが白刃を振るう。

 頭に響くような鈍い金属音が鳴った。

 上手く急所には当てられなかったようだ。

 しかし、動きを止めることくらいはできた。

「サシャ、こっちだよ!」

「ああ、神様」

「コニー!」

「すまねえ」


 サシャはクリスタが、コニーはアルミンが救出した。

「目障りなんだよ、あんまりジロジロ見るなよ!」

 エレンは目の前にいる巨人の目を攻撃する。

 巨人は苦しむ。

 視界を奪うことは巨人への攻撃の中でも特に有効だ。

 もちろんすぐに再生するけれども、ほかの部位の攻撃よりも少しだけ戦闘行動や捕食行動が止まる。

「いやあああああ!!」

「誰だ!!」

 人間の叫び声が聞こえた。

 アルミンたちの声ではない。

 だとすれば別の班。

(どうする。救援に向かうか)

 そんな余裕などないことは、目の前にいる大量の巨人を見れば明白であった。

 唯一の救いは、巨人自体が多すぎて自ら前進のスピードを遅くしているといったところだろうか。

「三番道路! 奇行種だ!」

「くそっ、そっちを優先だ」

 通常巨人は人間を捕食することを第一の目的とするけれど、時々それ以外の行動をとる巨人が存在する。

 行動が予測不可能なそれを、エレンたち人間は「奇行種」と呼んでいる。


 奇行種の中には、普通の巨人と違って動きが鈍い者も存在する。

「奇行種を優先! そっちを叩くぞ」

「了解!」

 奇行種は、近くにいる兵士たちを無視して街の奥に前進していく。

 なるほど、紛うことなき奇行種だ。

「全速前進! いや、この場合は下がるから後進かな」

「いえ、転身ですよ。そっちのほうがカッコイイです」

 コニーとサシャがアホな会話をしているのを止めて、エレンたちは奇行種を追う。

「くそっ、速い!」

「グズが! 何やってんだ!」

「ジャン!」

 別の班にいたジャンが並行して移動している。

「喧嘩は後だ。あの奇行種を止める!」

「わかってる」

 ジャンとエレンは同時にアンカーを射出し、奇行種の脚に絡める。

「ぐおっ!」

 当然ならが二人は一気に引っ張られた。

 そこで、残ったもう一方のアンカーを射出し、建物にそれを絡める。

 ピンと張ったワイヤー。だがこの程度で巨人の前進は止まらない。

「アルミン! クリスタ!」


「うん!」

「は、はい!」

 アルミンとクリスタもワイヤーを射出。

 脚を引っ張られた巨人は、ついにバランスを崩して転倒。

 大きな音を出して、うつ伏せに倒れた。

 そしてトドメは――

「コニー! サシャ!」

「よっしゃあ!」

「ははははいいいいい!!」

 倒れた巨人のうなじを削り取る。

 さすがに今度ははずさなかった。

「討ち取ったあ!」

 コニーとサシャの白刃と戦闘服が赤に染まる。

「た、倒したんですか、私。巨人を」

 サシャはまだ信じられないという顔をしている。

「ばーか。俺とお前で倒したんだよ。いや、違うか。みんなで倒したんだ」

「や、やった」

「おい芋女! 喜んでる暇はねえぞ!」

 そんなサシャに声をかけるジャン。

「ジャン! 私は芋女ではありません」


「今はそこは重要じゃねえよ。巨人はまだまいるんだ」

「確かにジャンの言うとおりだ。サシャ、コニー」

 ねぎらいの言葉もそこそこにエレンは言った。

 一体や二体倒したところでどうこうなる問題ではない。

「おいお前ら、大丈夫か!」

 不意に別の方向から声が聞こえてきた。

「お前たち……。無事だったのか!」

 エレンたちの同期(104期生)、眉毛が特徴的な大柄の兵士、ライナー・ブラウンと
その親友で長身のベルトルト・フーバーだ。

「俺たちは班の連中とはぐれちまった」

 ライナーは言った。

「どうなったんだ」

「わからん。だが無事とは言えないだろうな……」

「本当、無事だといいんだけど……」ベルトルトは独り言のようにつぶやく。

 苦虫をかみつぶしたような二人の顔には疲労の色がにじんでいた。

 自分たちと同じ、いやそれ以上に過酷な戦闘が行われていたであろうことは容易に想像がつく。

「ここで油売ってても仕方ないわ。補給をうけないと」

 いつのまにか合流していたアニ・レオンハートが言った。

 金髪碧眼の彼女は、どんなに辛い訓練でも涼しい顔でこなしていた、成績優秀な優等生だ。


 やや協調性に欠けるものの、女子の中ではミカサに次ぐ優秀な兵士であるとエレンは
思っている。

 そんな彼女の顔にも疲労の色が見える。

 それほどこの戦いは厳しいのだろう。

「アニ、そっちの班は」

「残念ながら総崩れ。バラバラになったわ」

「そうか」

 予想通りの答えだった。

 もしかすると、まともに集まっているのはエレンたちの班だけかもしれない。

「そんなことより補給どうするよ。こっちは剣もガスも底をついた」

 そう言って、予備の刃を入れるケース見せたジャン。

「補給部隊はどうした」

「全然見えない。集結地点にはいなかったみたい」

 そう言ったのはアニである。
   
「本部にはまだ備蓄があっただろう。そこに行くしかない」

「そうだね」

 駐屯兵団の本部。

 そこにはまだ食糧や武器の備蓄があるはずだ。

「なあ、エレン」


「どうした、ジャン」

 不意にジャンが声をかけてくる。

「マルコを見なかったか?」

「マルコ?」

 マルコ・ポットは温厚な性格で仲間からの信頼も厚い。

 喧嘩っ早いジャンを止めるのはいつも彼の仕事だった。

 そしてジャンにとっては親友でもある。

「……いや、見なかった」

「そうか」

 親友の動向は気になるよな。

「大丈夫、マルコは生きてるさ」

 エレンは言った。

「当たり前だろうが。あのマルコが死ぬはずがねえ」

 ジャンはそう言って顔を背ける。

「とにかく、早くガスと剣を補充して奴らを倒さないと」

「ああ、そうだな」

 バラバラになった仲間たちを集めて駐屯兵団の本部に向かうエレンたち。

 だが、仲間と合流したことによって生じた心の余裕はすぐに雲散霧消してしまう。




「バカな、本部が……」


 本部の周りにはすでに巨人が集まっていた。中央の戦線はまだ維持されているはずだから、
最右翼から迂回されたのだろうか。

 だとしても早すぎる。

 まるで誰かに指揮されているような動きだ。

「おい! 後ろからもくるぞ!」

 殿(しんがり)にいたコニーが叫ぶ。

 数体の奇行種がこちらに向ってきていたのだ。

 動きも速い。

「くそ、やるしかないのか」

「エレン! 予備の刃はあるか」

「ライナー!」

「こっちはもう無いんだ」

「こっちはガス欠だ」

「ジャン!」

 仲間とは合流したものの、まともに戦えるのは自分たちしかいない。

 そう思ったエレンは覚悟を決める。

「俺たちが止めている間に、お前らは後ろに下がれ」

「敵前逃亡は銃殺だぞ」

「言ってる場合か! 武器もないのにどう戦えっていうんだよ! 後方にはまだ精鋭部隊もいる!」

「ここで死ぬなよ糞野郎!」


「当たり前だ腰抜け野郎! 機動戦闘用意!」

 勝ち目があるわけではない。

 エレンは立体機動装置を動かして巨人に接近する。

 しかし次の瞬間、別方向から現れた巨人にワイヤーを掴まれてしまう。

「しまった!」

 一瞬の判断で左右両方の腰にあるワイヤーのうち、左側を切り離したエレンは、

そのままバランスを崩して地上に落下してしまった。

「ぐはっ!」

「エレン!」

 遠くにアルミンの声が聞こえる。

 幸い、下には天幕があったため石畳に直接身体を叩きつけられることはなかった。

 それでもダメージは残る。

 クラクラする頭で立ち上がり、再び装置を起動させようとするが。

(動かない!?)

 ガス欠か、それとも故障か。

 機動力を失った人間は翼の無い鳥と同じ。

 ただ、無力な人形――

「……!」

 目の前には大きく手を開いた巨人の姿が。


 終わりか?

 俺の人生はここで終わりなのか?

 エレンはそれ以上のことは考えられなかった。

 遠くでアルミンの声が聞こえる。

 だが、何を言っているのかよくわからない。

 とにかく、ただ頭の中が真っ白になり……。





























《ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!》

 


 



 不意に転を切り裂くような大きな叫び声が聞こえた。

 目を見開くと、目の前の巨人が動きを止めている。

 まるで凍りついたかのように。

(助かったのか?)

「エレン! 大丈夫!?」

 アルミンに抱きかかえられて、エレンは、付近でも比較的高い建物の上に避難する。

 そこにはジャンや他の仲間たちも集まっていた。

「何やってんだお前たち。早く避難を」

 彼らは皆、同じ方向を見ている。

「え?」

 その視線の先には――



《イヨオオオオ!! ここはどこなんだああ!!》



 人間の言葉を発する巨人がいた。

 頭の髪の毛は薄く、顔はゴリラのようで胸のあたりにはうっすらと胸毛が見える。

 だがそれ以上に特徴的なのが下半身の黒タイツ。

「……黒タイツの巨人?」

 黒タイツの巨人は周りを見渡す。

 当然、周囲には巨人が多数いる。


《お前らあ! 裸で変な動きしやがってえ! 俺とキャラ被ってるぜえ!?》

「巨人が、喋った?」

 巨人はこれまで叫び声や鳴き声のような言葉は発したことはあるけれど、

このようにはっきりとした人間の言葉を喋っている姿は初めてだ。

《なんとか言えよお! 寂しいじゃねえかよ!》

「……」

 巨人の群は黙っている。

《お前らリアクション下手だなあ。いいか! 俺が見本を見せてやる》

「……」

 エレンたちも黙っている。

《ヘアアアアアアアアアアアアア!!!》

 黒タイツの巨人は身体をのけぞらすと同時に奇声を発した。

 その後、腕を組んで足首だけで奇妙に横移動を繰り返す。

《イービチュビチュイービチュビチュイービチュビチュヒャアアアアアアアア!!!》

「!!!!!!」

 その気持ち悪い動きと奇声に、エレンたち訓練生は絶句する。

 ただ一人を除いて。

「……カッコイイ」

「サシャ!?」


 仲間の予想外の言葉に同じ女性であるクリスタは驚く。

《お前ら本っ当にリアクション悪いなあ~。出川さんを見習えよ~。素人だってリアクションを求められる
時代だぜえ~?》

 黒タイツの巨人が何を言っているのかエレンには半分しか理解できない。

《ちょっとギャグやってみましょうか》

 ギャグ?

《はい、取って入れて出す、取って入れて出す、取って入れて出す》

 尻を突きだし、何かを出したり入れたりしている奇妙の動きが見る者の心を不安定にさせる。

《取って入れて出す、取って入れて出す! 取って入れて出す! 取って入れて出す!

取って入れて取って入れて取って入れて取って入れて  ドーン!》

「……!」

 不意に黒タイツの巨人は自身の黒タイツの中に右腕を突っ込んで、それを突き上げる。

 当然タイツは伸びて盛り上がる。

「ドーン! ドオオオオン!!!」

「ぷっ」

 真っ先に噴き出したのは意外にもアニであった。

「アニ?」

「何でもない」

 口元を抑えて顔を背けるアニ。


 彼女はこういうのが好きなのだろうか。

《ほーらほら。俺のイチモツ、ワイルドだろ~?》

 そう言うと、黒タイツの巨人はタイツ越しに自分の腕をさする。

 触り方がいやらしい。

《あ、ゴメン。今のは無しで》

 何かヤバいと思ったのか、黒タイツの巨人はタイツから手を抜き、誰かに謝った。

《ああー! もうお前ら! 全然反応しないじゃねえか! かあああああああ!



  がっぺむかつく   》


「クククッ……!」

「アニ! 大丈夫か」

「触らないで! ゴホッゴホッ!」
   
 どうやら黒タイツの巨人の動きはアニのツボにはいったらしい。


《ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!》

 再び叫びだす黒タイツ。

《ヌオオオオオ!》

 巨人たちが後ずさりして広くなった街の広場で何を思ったか横に倒れ込む。

 物凄い音と砂煙の中、ビタンビタンと左右に倒れた黒タイツの巨人は、

 最後にキレイな三転倒立を見せた。


「おおおおお! カッコイイですよおお!!」

 興奮したサシャがしきりに手を叩くも、周りは完全に呆れていた。

 ただ夕日の中でそびえたつ黒タイツは、(あまり言いたくはないが)神々しかった。

 再び立ち上がった黒タイツの巨人は、再びタイツの中に腕を突っ込み、

《ドーン!》

「……」

《お前らも一緒にやれえ!》

 不意にこちらを指さす巨人。

「ど、ドーン」

 エレンは遠慮がちに右腕を上げた。

「え、エレン? 一体何を」

 驚いたアルミンが聞く。

「いや、よくわかんないけどやらなくちゃいけないかなと思って」

「エレン?」

「ドーンって」

《ドーンだあ!》

「ドーン」

《恥ずかしがってんじゃねえぞ! 自由になれ! 自分を解き放て!!》

(自分を、解き放つ?)


《ドーン!!》

「ドーン!」

《ドーン!!!!》

「ドーン!」

《ドオオオオオオオオオオオン!!!!》

「ドオオーン!!!」

《ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!!!》

「ドーン!!!」

「ドーン! ドーン! ドーン!」

《バクテンするぞおお!!》

 え?

《とりゃあ!》

 なぜかいきなり宙返りを試みる黒タイツの巨人。

 だが、

 ドゴオオオオン! 

 当然ながら後ろにあった建物に激突してしまう。

《ウオワアアアアア!!》

「ンー! ンー!」

 口元を抑えてもだえるアニ。

「大変だ! アニが呼吸困難になってる!」

「カッコイイよ! ねえ、クリスタ!」

 サシャは同意を求めるも、


「え? 普通に気持ち悪い」

 クリスタは冷静であった。

「ドーン!」

 エレンやジャン、それにライナーたちは休まずに右こぶしを振り上げる。

《痛ええじゃねえかコノヤロー!》

「知るかあ! 自分でやったんじゃねえか」

 思わずツッコんでしまうエレン。

《ついでにドーン!!》  

「うおおおおおおおおおおおおお!!!」

 よく見ると、エレンたちだけでなくほかの訓練兵や駐屯兵団の兵士たちも拳を突き上げていた。

「おいエレン! あれを」

 ジャンが指を差す、その先には――

「え? ウソだろ……」

「エレン! アルミン! これは一体どういう状況なの!」

 聞き覚えのある声がしたと思ったら、ミカサが立体機動装置でこちらに駆けつけてきた。

「こっちが聞きたいさ。何がどうなってるんだ……」
 
 それはエレンたちにとって信じ難い光景であった。

「巨人が、帰っていく……?」

 なんと、街の中に溢れていた巨人たちがぞろぞろと壁の外に出ているのである。

 そしてわずか十数分後には、巨人の姿は一体も見えなくなっていた。

 もちろん、街の中心で変な動きをしていたあの黒タイツの巨人も例外ではなかった。

 黒タイツの巨人の姿は、どこにも見えなくなっていたのだ。





   *





「おいハンジ。これは一体どういう状況だ。説明しろ」

 戦闘が行われた街の中に立つ一人の兵士。

 刈り上げられた髪型と氷のように冷たい瞳が特徴的な男である。

「そんなことを言われたって、こっちだって帰ってきたばかりなんだからわかんないよ」

 ハンジ、と呼ばれたメガネをかけた兵士はそう言ってポニーテールの頭をかく。

「ただ一つわかることがある」

 そう言って立ち上がるハンジ。

「“彼”が、物凄く貴重な人間であるということはね」

 ハンジの前には、白衣姿の研究員によって担架に乗せられる上半身裸で黒タイツを履いた男性の姿があった。











    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



      第一話 黒タイツの巨人







   つづく



 第二話 プロローグ

 長い夢を見ているような感覚。

 今、自分がどこにいるのかわからない。

 ズキズキと続く頭痛に気づきつつ、“彼”は目を覚ました。

「あ、お目覚めだね」

「ん?」

 まだ覚醒しきっていない目をこすりながら彼を前に出る。

 女?

 いや、男か?

 性別のよくわからない髪の長い人物がこちらを見て喜んでいる。

「……ここは」

 彼は起き上がり周囲を見回す。

 家具などほとんどない、ベッドと近くに机のある殺風景な部屋だ。

「ああ、まだ無理しちゃだめだよ。どんなに身体に負担がかかっているかわからないし」

「あなたは……」

「ああ、自己紹介がまだだったね。私はハンジ・ゾエ。調査兵団で分隊長をやっている」

「調査兵団?」

 聞いたことがない。


 というか、話が通じたのか。

「んふ。やはり報告の通り。言葉が通じるね。やはりキミがあの黒タイツの巨人で間違いないんだね」

「黒タイツの巨人……?」

「あれ? 覚えてないのかな。残念だなあ」

「巨人? んん……」

 頭が混乱してきた。

 一体全体何がどうなっているんだ。

 あの時のことは夢じゃなかったのか。

 薄くなった髪の毛を触りながら彼は首を振る。

 頭痛と混乱が収まらない。

「そ、そうだ。キミの名前を教えてくれるかい?」

「名前……」

「そう。わかるかな。キミの名前」

 ハンジと名乗るメガネの人物は先ほどから興味深そうにジロジロとこちらを見る。

 いや、観察していると言ったほうが正しいのかもしれない。

 以前会ったことのある、大学の研究員がこんな感じだった気がする。

「俺は江頭2:50。お笑い芸人だ」

「エガシラ・ニジゴジュップン……」







      進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



        第二話 訪 問 者





「エガシラ? それがキミの名前だね。それでお笑い芸人というのは」

「俺の仕事……」

「仕事? キミの仕事がお笑い芸人というものなのかい?」

「ああ」

「具体的には何をするのかな」

「人を笑わせるのが仕事だ」

「人を笑わせるって、そんな仕事があるの?」

「え? まあ、たくさんいるよ」

「喜劇俳優みたいなものかな? キミはどこの生まれ? どんな食べ物が好き?」

 立て続けに質問を続けるハンジ。

 顔が近い。

 よく見ると手元では物凄い勢いでメモを取っている。

「ちょっちょっちょっと。ちょっと待ってくれよ」

「え?」

「俺のほうからも一ついいか」

 江頭は聞いた。

「なんだい? 私に答えられる質問なら」

「ここはどこだ」

「ここはウォールローゼ内にある調査兵団の支部だよ」


「ウォールローゼ? 支部?」

「知らないのかい? キミは一体どこから」

「俺は東京にすんでいるのだが」

「トーキョー?」

「?」

「聞いたことないな」

「出身は佐賀県だ」

「サガケン……」

 やはり反応が悪い。

 日本語が通じるのに、東京や佐賀県のことを知らないというのは奇妙だ。

 からかっているのか?

 そんな風には見えない。

 江頭は再び周囲を見回す。

 ドッキリのカメラでもあるのかと思ったからだ。

 しかし、カメラどころか電気製品すら見つかりそうにない。

「どうしたんだい? エガシラくん」

「いや……」

(この人は俺のことをからかっているのか?)

 人(主に大川総裁)に騙されたことは数知れないけれど、詐欺師はこんな風に真剣な顔をして

ウソをつくものなのだろうか。


 そんなことを考えていると、不意にドアをノックする音が聞こえた。

「誰?」

「失礼します。ペトラ・ラルです」

「ああ、入っていいよ」ハンジは言った。

「黒タイツの人の様子はどうです? あ……」

「やあペトラ。彼、もう起きてるよ」

「どうも」

 江頭は軽く頭を下げる。

「普通に喋るんですね」

「いや、私も驚いたよ。話も通じるみたいだ。ところで何を持ってきたんだい?」

「食べ物と着替えです」

「なるほど」

「それと、もうすぐピクシス司令が到着されますのでその報告を」

「うん。わかった。ちょうどいいタイミングだね」

「???」

 二人が何を喋っているのかは辛うじてわかるけれど、その意味がわからない。

 ピクシス司令?

 一体何者だ。

「ああそうだ。ペトラ。キミにも紹介しておくよ。彼の名前はエガシラ。そうだったよね」


「え? ああ」

「エガシラさん、ですか?」

 ペトラは聞き返す。

「あ、はい。江頭2:50です」

「なんだか不思議な名前ですね」

「ペトラ、彼はお笑い芸人という仕事らしいよ」

 ハンジは先ほど江頭が言ったことを得意気に説明する。

「お笑い芸人?」

「人を笑わせるのが仕事なんだって」

「人を笑わせる……、ですか」

「ねえペトラ」ハンジはペトラに近づく。

「はい?」

「さっきからキミはエガシラくんのことを全然見てないじゃないか。何してるんだ」

「な、何ってその……」

「どうして」

「いや、だって。エガシラさんって男の人ですよね」

「そうだよ。さっき調べたから間違いない」

「!!!!」

(俺が寝ている間に何やってんだコイツ)江頭はそう思ったが口には出さなかった。



「だってその……、裸ですし」

「んふ~? もしかしてペトラってば照れてるのかい?」ニヤニヤしながらハンジは言った。

「ありゃ……」

 毛布をめくると、江頭は下着すら着用していない。

「ウブな生娘じゃあるまいし。かわいいなあペトラは」

 そう言うとハンジはペトラを抱き寄せて頭を撫でる。

「ひゃっ、やめてください班長」

「あのー」

「ん?」

「できれば、何か着る物を」

「そ、そうだね。裸で司令に会うわけにもいかないものね」





   *



 渡された服を着た江頭は、少しの間ハンジとペトラからこの世界の事情を
色々と聞き出していた。

「なるほど。この世界には巨人というものがいて、その巨人を寄せ付けないために
あの高い壁が作られたと」

「そういうこと。理解が早くて助かるね」

「……」

(こういう展開の映画。色々見たことがあるな)

 江頭は年間120本以上の映画を見る映画マニアであるため、海外の比較的マイナーな
映画にも詳しい。

「でもそんな巨大な壁、一体誰が作ったんだ?」

「わからない」

 そう言ってハンジは首を振る。

「巨人の目的は?」

「それもわからない」

「わからないって」

「そう。この世界はわからないことが多い。だから調べる必要があるんだよエガちゃん」

 いつの間にか、ハンジの呼び方がエガシラくんからエガちゃんになっていた。

「いや、まあそうなのかな」

「キミの住んでいた世界のことも、色々と教えてくれよ」

「まあ、いいけど」


 江頭は自分の住んでいる地球や日本の話を簡単にしてみる。

 江頭にとっては取るに足らない日常的な知識も、ハンジは興味津々で目を輝かせ、

必死にメモを取っていた。







   5時間後――





 

「でね、それで巨人の重さ何だけど、体積に対して質量が軽すぎるんだよ。わかるかな。

 うん。一度蹴っ飛ばしたこともあってさ」

「うう……」

 最初のうちは熱心に話を聞いてメモを取っていたハンジだが、いつの間にか巨人や

この世界に対する独演会になっていた。

 昼食に出されたパンをかじりながら話をするハンジを見ると、悪い人ではないと思うのだが

とにかく話が長い。

 辟易としたところで、いつの間にか席を外していたペトラが戻ってきた。

「ペトラ! どこ行ってたんだよー」ハンジは言った。

「ごめんなさいエガシラさん。ちょっと用があったもので」


 だがペトラはサンジを無視して、とりあえず江頭に謝る。

「いえ、別に構いませんよ」

 本当は一人でかなりキツかった江頭なのだが、そこは言葉に出さなかった。

「実は司令に会う前に、リヴァイ兵長も話をしたいって」

「へえ、リヴァイがねえ。まあ当然と言えば当然かな。で、今どこに?」

「すぐそこに来て――」

 ペトラが言い終わる前に、小柄で目つきの鋭い、かりあげくんみたいな髪型をした
男が大股で入ってきた。

「おい!」

「……!」

 ドカリ、と江頭の前に座る男。

 こいつがリヴァイか?

 江頭が目の前の制服姿の男を観察していると、細い目を更に鋭くさせてこちらを睨みつける。

「おい、聞きたいことがある」

「リヴァイ、まずは自己紹介を」

 ハンジはそう言ったが、リヴァイと呼ばれた小柄な男はそれを無視して江頭に質問する。

「お前は、人間か」

「え……?」

「答えろ」


 警戒しているのか、リヴァイの目が更に険しくなる。

 考えろ。

 答えを間違えたら殺される。

 北朝鮮やイラクで感じたあの空気だ。

 人を躊躇なく殺すことのできる、この男はそんなサイコパス的な感覚の持ち主だと、

江頭は直感的に理解する。

 ではどう答えればいいのか。

「質問の意図がわからないのですが」

「お前は“俺たちを同じ人間”か、と聞いている」

「……」

 江頭はもう一度考える。

 そして、

「……違うかもしれない」

「ん……」

 リヴァイの眉がピクリと動く。

 頭の中で何かのスイッチが入った、そんな感じがした。

「俺は、少なくともそこにいる人の話が本当であるならば――」

 そう言って江頭はハンジとペトラに目をやる。

「私は別にウソなどついていない!」


 ハンジは大げさに両手を広げて主張した。

 ペトラは、無言でコクコクと素早く頷く。

「恐らく……、この世界の人間ではないだろう」

「…………」

 江頭のその言葉に、リヴァイはじっと彼の目を見据えていた。

 今すぐにでも目を逸らしたい。

 そんな衝動にかられる。

 だが、彼の野性的な勘はそれをすることを拒否した。

 そんなことをすれば絶対に殺される。

 いくつもの死線をくぐったことのある江頭はそう確信した。

 彼は今、バイアグラ一気飲み事件以上の恐怖を感じているのだ。

「なるほど、異世界からの訪問者(ビジター)ということか。それなら説明もつく」

 そう言うとリヴァイは視線を逸らし立ち上がる。

「訪問者か……。まあ、私もそう思ってたんだけどね」

 サンジはそう言って笑った。

「あの、訪問者って」

 と、ペトラ。

「この世界とは異なる場所から来たという意味だ。俺も詳しくは知らん」

「異なる場所って」

「少なくとも壁の内側ではないね」


「外の世界?」

 そう言ってペトラは江頭を見る。

「ほら、さっきエガちゃんが言ってた地名があったじゃない。トーキョーとかサガとか、

あとナカノだっけ? そんな地名、ウォール・ローゼ内はおろか、ウォール・マリア内に

だってないよ。まあ、似たような地名はあるけど」

「……」

「公式の記録ではないが、実は三年前にも異世界からの訪問者が出たという報告がなされている」

 と、リヴァイは言った。

「本当なのか?」

 それに真っ先に反応したのは江頭だった。

「ほう、関心があるのか」

「当たり前だろう。ここに来れたというんだから、帰るためのヒントがあるかもしれない

じゃないか」

「そうだな」

「それで、その異世界からの訪問者は、どうなったんだ」

「まあ、俺も直接見たわけじゃないんだが、エルヴィンの話だと――」

「エルヴィン?」


「ほらリヴァイ。ちゃんと説明しないと。キミはいつも話を端折る癖がある」

 江頭の疑問に反応するようにハンジは口を挟む。

「お前みたに何度も同じ説明を繰り返す趣味はないだけだ」

「とりあえず補足しておくと、エルヴィンという人はエルヴィン・スミスと言って、

調査兵団の団長をやっているんだ。つまりここにいる私やペトラ、それにリヴァイの上司だね」

「話、続けていいか」

 表情を変えずリヴァイは聞く。

「どうぞ」

「エルヴィンの話だと、三年前にもお前と同じように異世界から来たと思われる少年がいたらしい」

「どんなやつです?」
 
「確か、お前と違って髪の毛がいっぱいあってツンツン頭で、『不幸だあ~』が口癖の奴だったらしい」

「それで、そいつはどうなったんです」

「『その幻想をぶち殺す』とか言って巨人に立ち向かった挙句、右腕一本残して巨人に食われた」

「巨人に……、食われた」

「異世界の住人らしく、変な能力を持っていたことは確かなんだがな」

「そうなんだ、あの能力は貴重な研究対象だったのに」

「能力?」

「お前も持ってるだろう」


「……?」

「大きくなる能力だよ」

「大きくなる?」

「とぼけるな。大きくできるんだろう?」

「いや、俺の場合はあまり大きくならないというか、普段とそこまで変わらない」

「ん?」

「え?」

「まあ、元が小さから」

「おいっ“そっち”の話はしてないぞ!」

「え?」

 すぐさまハンジがフォローを入れる。

「大丈夫だよエガちゃん。“リヴァイのリヴァイ”もそんなに大きくないから」

「クソメガネ! なぜそれを!」

「アハハハ」

「え? え???」

 ハンジは笑い、リヴァイは怒り、そしてペトラは首をかしげていた。

 リヴァイは怒っていたけれど、今の彼にはそれほど恐怖を感じない。

 心の戦闘態勢を解いているからだろうか。

 見た目ほど戦闘狂というわけでもなさそうで少しだけ安心した。 




   *



「ゴホン。つまりアレだな。お前は“あの時”のことをよく覚えてないと」

「微かな記憶があるけど、あれは夢だったんじゃないかとは思う。

 正直自分の身体が大きくなるなんて信じられない」

 トロスト区と呼ばれる城塞都市で、巨大化した自分が踊りを踊って、その結果

巨人が逃げ出した。

 そう言われてみればそうかもしれないけれど、記憶としては曖昧だ。

「どうやって巨人になったのかも覚えていないわけだな」

「よくわからんが必死だった」

「必死?」

「なんつうか、目の前で若い子が何人も死にそうになってて。そいつらをどうにか
助けてやれないかと思った。そしたら身体が勝手に動いて……」

「勝手に動いて……か」

 リヴァイはそう言うと少し何かを考える仕草をする。

 ハンジは興味深そうにメモを取っていた。

「お前自身が確証を持てないというなら、証人に確認を取ってもらう必要があるな」

「証人?」

「実はトロスト区で戦った兵士たちの中で、キミの雄姿を間近で見たという子たちがいるんだよ。

その子たちと直接会ってもらおう。

そうすればキミがあの『黒タイツの巨人』かすぐにわかるらしいよ」

 ハンジは嬉しそうに言う。


「巨人は通常、人型だが人間とは明らかに違う外見をしている。だが例の黒タイツの巨人は

皮膚もあって完全に人の形をしていたというから、実際にツラを見れば何かわかるかもしれん」

 と、リヴァイ。

「キミは発見されたとき、巨人と同じ黒タイツを履いていたからね」

「そういえば俺のはいてたスパッツは」

「大丈夫。ちゃんと保管しているよ。痛みが酷いけどしっかりとした生地だね。

 見たことの無い生地だけど」

「ブランド物だからな」

「そんなことより、行くぞエガシラ」

 そう言ってリヴァイは立ち上がる。

「え? どこへ」

「面通しだ。さっきも言っただろう。お前を見たと言うやつに確認させる」

「はあ」

(俺が黒タイツの巨人……)

 江頭はそんなことを考えつつ、借りた靴を履き、リヴァイと共に別の部屋へと向かった。



   つづく



 現在後悔可能な情報1


 ・バイアグラ一気飲み事件

 1997年、中野のキャバクラで江頭2:50が当時認可前であったバイアグラ5錠を

水割りで一気飲みして、その後卒倒して病院に運ばれた事件。

 当時マスコミでも大きく報道された。

 バイアグラを5錠、それもお酒で飲むことは自殺行為に等しいので良い子は決して
真似してはいけない。

 ちなみに彼は塩を一気食いして病院に運ばれたり、自宅で睡眠薬をお酒と一緒に
飲んだ直後に倒れ、前歯を折ったこともある。




 現在公開可能な情報2

 ・江頭のタイツ(スパッツ)

 江頭2:50が使用するタイツは、バレエやダンス用品の総合メーカー「チャコット株式会社」製の

レギンスタイツである。

 江頭の激しい動きに対応可能なしっかりとした生地と作りがなされている。

 値段は税込6,195円(チャコットオンラインショップより)。

 色はお馴染みの黒の他に白もある。

 なお、江頭は仕事で白タイツを使うこともある。


 神に祈る。

 現実主義者の彼にとってその行為は無駄なもののように思えた。

 しかし今、彼は祈る人の気持ちを少しだけ理解する。

「おい……」

 目の前の現実。

 認めたくない現実。

「お前……、マルコか」

 彼、ジャン・キルシュタインの同期生であり仲間からの人望も厚い冷静なリーダー。

 そして何より、ジャンにとって最大の理解者であり親友でもあった男。

 マルコ・ボットの亡骸は片腕を食いちぎられた状態で発見された。

「見ねえと思ったらこんなところにいやがったのか」

 物言わぬ親友との再会に、ジャンはどうしようもない悲しみと苛立ちを感じていた。

 点呼には戻ってこなかったけれど、もしかしたら助かっているのではないか。

 そんな期待が彼の中で微かにあった。

 ジャンはゆっくりと首にかけられた認識票を確認する。

 そこに書かれた名前はマルコ。認識番号も一致している。

 確認するまでもなく、奇妙なほどキレイな死に顔はマルコ以外にありえない。

 自分の目で見た現実は、微かな希望の光をも消すことになる。

「あれ?」

 不意に、ジャンはマルコの亡骸を見てあることに気が付いた。


「なんで立体機動装置を着けていないんだ?」

 戦いで引きちぎられていた、というものではない。

 マルコ・ボットの身体からは、キレイに立体機動装置だけがはぎとられていた。



 850年。

 再び現れた超巨大巨人による城門の破壊と、それにともなう巨人の侵入によってはじまった

ウォール・ローゼの防衛戦は、人類側の勝利によって終結した。

 後に“トロスト区の奇跡”と呼ばれたその勝利は人類にとって画期的な出来事であり、

世論は大いに盛り上がる。

 だがその一方で、大勢の駐屯兵団や訓練兵団の若い兵士たちが命を散らせていったことも事実だ。

「何でお前なんだよ……」

 ジャンは何度も何度も、自問自答を繰り返していた。






     進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


  第三話  ハイリスクノーリターン



 
 黒タイツの巨人――

 それはトロスト区の軌跡を起こした張本人である。

 その正体については不明。

 目撃した兵士たちも、その存在を口外にしないよう厳命されたものの、人の口に戸は立てられるというか、

そのうわさはすぐさま広まり、王都にまで達していた。

 とはいえ、実際の目撃者の数はそれほど多くないので、噂に尾ひれがついたことは言うまでもない。

 あれが巨人か?

 そう問われればジャンは巨人であると答えることに躊躇するだろう。

 彼にとっての巨人とは、人間に近いけれど人間とは思えない不気味な外見をしている巨人のことである。

 大きな目や大きな口。

 手足が異常に長いか、もしくは短いか。

 だがそれ以上に彼を驚かせたのはその動きだ。

 およそ人間のものとは思えない動き。さりとて、巨人のものでもない。

 巨人でもなければ人間でもない、そんな不思議な生物があの黒タイツの巨人なのだと、

彼は勝手に認識していた。

 ウォール・ローゼ防衛戦から数日後。

 遺体の回収や街の復興に追われる中、ジャンを含む数名の訓練兵が呼び出された。

 理由は不明。


「ジャン・キルシュタイン訓練兵だな」

「え……? はい」

 あまり見覚えのない将校が紙に書かれたジャンの名前を呼ぶ。

「なんでお前がいるんだよ死に急ぎ野郎」

 ジャンは自分の隣りにいる兵士に小声で言う。

「こっちが聞きたいな、腰抜け野郎」

 ジャンと同期の訓練兵、エレン・イェーガーも同じように呼び出されていた。

「何か理由は聞いているか?」

「わからねえよ」

「ったく、使えねえな」

「お前に仕えた記憶はない」

「ほら二人とも、静かにしないと」

 エレンの隣りにはアルミンもいる。

 というか、この日集められた人間はジャンの知り合いばかりだ。

 エレン、アルミンの他には、ライナー・ブラウン、ベルトルト・フーバー、コニー・スプリンガー、

サシャ・ブラウス、クリスタ・レンズ、ミカサ・アッカーマン、そして、アニ・レオンハートに、

ジャンを合わせた十名だ。

「どうしましょう、盗み食いがバレたんでしょうか」

 そう言ってサシャは震えていた。

「だったらもっと早くに捕まってるだろうが。っていうか、まだ盗み食いとかやってたのかよ」


 呆れながらもサシャの相手をするコニー。

 エレンとアルミンは、相変わらず外の世界や巨人に関する話をしている。

 ライナーとベルトルトは基本的に無口。

 だが時々ライナーの視線がクリスタに向いていることはわかっていた。

 こいつは気の無いふりをしているけれど、彼女を意識しているのはバレバレだ。

 一方エレンに対する気持ちを隠そうともしないミカサ・アッカーマンは、相変わらず

エレンのほうばかり見ている。

 そしてアニ・レオンハートは面倒くさそうに宙を見つめていた。

 こいつは、正直何を考えているのかよくわからない。 

「貴様らはこれから馬車に分乗してもらい、とある場所へ行ってもらう。

 目的地は教えられない。質問も一切受け付けない、以上だ」

 グンタ・シュルツと名乗るいかにも堅物そうな眉毛の薄い男性兵士はそう言うと、

すぐに歩き出す。

「あの、食事は出るのでしょうか」

 サシャが身を乗り出して聞いた。

(この状況で食事の心配とは、ある意味ぶれないなこの女は)

 サシャを見ながらジャンはそう感じた。 

「先ほど質問は受け付けないと言ったはずだ。聞こえなかったのか」

「ですが……」

「ふう」


 グンタは軽く首をふる。

 そして、

「馬車の中にパンと干し肉、それに飲料水を用意している。目的地まで時間があるので

各自の判断で喫食せよ」

「本当ですか? やりましたよコニー」

「うるせえ。俺はお前ほど食い意地張ってねえよ」

 コニーはそう言ったけれど少しだけ嬉しそうである。

「急げ、時間が無い」

 そう言うと再び歩き出すグンタ。

 どうやら見た目ほど堅物、というわけでもなさそうだ。

 そう思うと少しだけ安心した。





   * 


 それから数時間後、調査兵団の拠点においてジャンたち十名は調査兵団の兵士に迎えられた。

「訓練兵諸君、ようこそ調査兵団の秘密基地に。いや、別に秘密でもなんでもないんだけどね」

 そう言って笑ったのは、ポニーテールにメガネ、それに大きめの鼻が特徴的な兵士である。

「私は調査兵団のハンジ・ゾエだよ。調査兵団では巨人の生態調査を担当している」

「そろそろ俺たちをここに呼んだ目的を教えてくれもいいんじゃないですか、上官殿。

 まさか、俺たちの生態も調査しようとするんですか?」

 思わず声を出してしまうジャン。昔からの悪い癖だ。

「不味いよジャン」

 心配したエルミンが小声で注意する。

「キミたちの生態調査か。それも悪くないかな」

 ハンジはそう言って笑いながらジャンに顔を近づける。

「ちょうど巨人の身体にも飽きてきたところだからさ」

 口元は笑っているけれど、目は笑っていない。

 自分たちはマジでやっているんだ。

 そんな訴えをしているような目でもあった。

 研究畑とはいっても査兵団の兵士。そこいらの一般兵よりは十分強いだろう。

「冗談はこれくらいにして、今日はキミたちに確認してもらいたいことがあるんだ」

 確認?

 全員が顔を見合わせる。


「はい注目。疑問はあるだろうけど、質問は後で受け付けるよ。話を続けてもいいかな」

 そう言うとハンジは背中を向け、そしてダンスのようにリズムよく振り向く。

「駐屯兵団の各指揮官から出された戦闘報告書によると、キミたちは現在機密扱いされている

“アレ”を間近で見たそうだね」

「……」

 全員が押し黙る。

 アレとは、まさしくアレのことだろう。

 上層部からは口外を固く禁じられたアレ。

「ここには関係者しかいないから、そこまで警戒する必要はないよ。もう皆もわかっている通り、

 アレっていうのは『黒タイツの巨人』のことだ」

「な……!」

 ざわつく一同。

 黒タイツの巨人。

 誰もが忘れたくても忘れられないインパクトを持った巨人。

 あんな巨人は見たことがない。

 ある意味奇行種ではあるけれど、それ以上の存在と言っていいだろう。
 
 特に女性陣に対する精神的な影響は深刻なようで、クリスタは涙目になっており、アニは口元を

抑えて顔を背けている。サシャとミカサはよくわからない。

「実は、我々はその黒タイツの巨人をこの調査兵団の支部で『保護している』、と言ったらどうだろう」


「えええ!!?」

 全員が驚く。

 そりゃそうだろう。

 あんな得体のしれないものを保護するとはどういうことなのか。

 調査兵団は頭がおかしくなったのだろうか。

 ジャンは本気で心配する。

(だが待てよ?)

 そこで冷静になってジャンは考えてみる。

 確かにこの調査兵団の支部は大きいけれど、巨人が隠しておけるほどの大きさが

あるとは思えない。

 三メートル級ほどの“小型巨人”ならば何とかなりそうだけども、十メートル以上の

巨人がはたして建物の中に入るだろうか。

 しかも、ジャンの記憶ではあの黒タイツの巨人は十五メートルはあった。

 とてもこの建屋の中に入る大きさではない。

 もしかしたら地下に広い部屋があるのかもしれないけれど、想像が追いつかない。

「まあ驚くのも無理はないね。ウォール・ローゼを救った張本人がここにいると聞いて、

驚かないほうがおかしい」

「それで、巨人は……」

 震えながらエレンが聞いた。


 それに対してハンジは、

「まあ待ってくれキミたち。私は『保護していたらどうする?』と聞いただけだ。

 本当に保護しているとは言っていない」

「え?」

「正確には“黒タイツの巨人らしき人物”を保護している」

「なに?」

「というわけで、今日はその人物が本当に黒タイツの巨人なのか、アレを間近で見た

キミたちに確認してもらいたいんだ」

「はあ?」

 集められた全員の頭の上に浮かんだ?マークは先ほどから全然消えない。

 それどころか謎が謎を呼んで脳がパンク寸前だ。

「私たち調査兵団は、戦闘が終わってから現場を調査した。そのため黒タイツの巨人を

直接見たわけではない。その代わり、例の巨人が消えた場所で巨人と同じ格好をした

人物を見つけたのだよ」

「それが黒タイツの巨人だと?」ジャンは聞く。

「私たちはそう考えている」

「そんな」

「まあ百聞は一見にしかずとも言うし、ちょっと来てもらおうか」

「来てもらうって」

「黒タイツの巨人にさ。入ってきて」


 そう言うと、ハンジは部屋の入口の方向を見る。

「失礼します」

 そう言って入ってきたのは――

「あ、彼女は調査兵団の子だよ。ペトラって言うの」

 ボブカットの女性兵士である。かなりの美人だ

「いや、わかってますよ。兵団の制服着てますし」

「エガシラさん、こちらです」

 ペトラと呼ばれた女性兵士に連れられて入った来たのは、





   *




「こちらです、エガシラさん」

 調査兵団のペトラに連れられて、江頭はとある部屋に入る。

 そこには約十名の制服姿の兵士が横一列に並んでいた。

 みんなまだ若い。まだ子供じゃないか。

 心の中で江頭がつぶやく。

「彼がエガシラ・ニジゴジュップンだよ。どうだい? 黒タイツの巨人と同じかい?」

 ハンジは彼らに聞く。


 だが反応はイマイチのようだ。

「確かに似ているかもしれませんけど……」

 一人の少年が言った。

「でもなんか違うよな。ちょっと似てるってだけだ」

 丸坊主の少年も言う。

「そうですね、巨人の中にも実在の人間に似ている者もいますし」

「全然キモくないですし」

「……笑えない」

「何かの間違いではありませんか? 上官殿。普通の人ですよ、この人は」

 皆、江頭を見て口ぐちに言う。

 彼は黒タイツの巨人ではない、と。

 まあ江頭自身もあまり記憶にないのだが、自分自身のアイデンティティである黒タイツを

否定されてはあまりいい気分ではない。

(確かに小人と巨人のいる街で芸をやった記憶はある。だがあれは夢だったんじゃないのか? 

あれがもし現実だっとしたら、俺はやはり……)

 気が付くと、無意識のうちに江頭はハンジの肩をつかんでいた。

「エガちゃん?」

「ハンジさん。俺のスパッツはどこにある」





   *

「調査兵団の人は何考えてんだよ、あんな普通のオッサン見せてよ」

「あれが巨人だったら苦労しねえな」

 ジャンとコニーはそんなことを言い合っていた。

 ハンジの指示で少し待つように言われた十人は、そのまま部屋で椅子に座って

待っていることにした。

 ただし、椅子は横一列のまま。これもハンジの指示である。

「一体何をする気なんだ」

「何か考えはると思うんだけど……」

 エレンとアルミンがそんな会話をしていたその時である。

 ドンドコドンドコドンドコドンドコドコドコ……

 不意に太鼓の音が鳴り響く。

「何事だ!」

 部屋に集められた全員が警戒する。

 そして、

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」

「!!!!」

 この声は!

 ジャンには聞き覚えがあった。

 いや、ジャンを含め全員に聞き覚えのある声だ。

 というか、簡単に忘れられる声ではない。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 バンッ、とドアをブチ破るような勢いで入ってきたのは、先ほどのオッサンであった。


 違うのは、上半身裸で黒タイツを履いている。

 その姿は、まるであの時の黒タイツの巨人!

「イヨオオオオオ!」

 ビタンビタンと左右に倒れ込む男。

 痛くないのだろうかと周りは心配する。

「いけえエガちゃん!」

 太鼓を叩きながらハンジは言った。

 というか、コイツが太鼓をたたいていたのか。

「オリャアアアアア!!」

 キレイな三転倒立をきめた江頭。

 その姿は、あのトロスト区の夕日を思い出す。

「どうもおおお! 江頭2:50ですうううう!!!」

「……!」

 絶句する一同。

 ただ一名を除き、

「きゃああああ! また会えたやんねええ!!!」

 サシャである。

 興奮しているのか、いつもと喋り方が違う。

 しかも何を言っているのかよくわからなかった。

 隣にいたクリスタは再び涙目になっている。


 どうもあの日の戦いは彼女にとってはトラウマになっているようだ。

「今日のギャラリーは若いなおいい!」

 ギラギラした目を持つ黒タイツのオッサンこと、江頭は一人一人の顔を舐めるように見ていた。

「だ・れ・に・し・よ・う・か・な」

「んほ~」

 そして興奮するサシャを無視し、江頭はライナーの前に立った。

「な、なんだ」

「お前! 名前は何て言うんだあ!」

「ら、ライナー・ブラウンですが」

 実直な性格の彼は正直に名を名乗る。

「ライナーだな。よーし」

 そう言うと、江頭は後ろを向く。

 何かを考えているようだ。

 背中を見ると細身だがよく鍛えられた筋肉だな、とジャンは思った。

 江頭は素早く振り返ると、ライナーを指さして言った。

「ライナーブラウーン!!! 貴様に一言モノ申おおおおおす!!」

「え!?」

 唐突に始まったモノ申すに一同は更に驚く。

「お前ら、全員顔見知りだろう」

 不気味な笑みを浮かべながら江頭が聞いてくる。

「そ、そうですが……」


「結構な美人も多いじゃないか」

「ぬ……」

「ライナー!! お前、この中で好みのタイプとかいるのか?」

「そ、それは……」

 まあクリスタ(女神)だろうな。次点でベルトルト(男)か。

 ジャンは心の中で予想してみる。

「いや、別に……、だが強いて言うなら――」

「とうっ!」

「ぶはあ!」

 江頭の強烈なヒップアタックがライナーを襲う。

「え? え?」

 思わず倒れ込んだライナーは、物凄く戸惑っている。

 何が起こったのかすぐには理解できなかったのだろう。

「エガシラアタック!」

「ブー!」

 江頭のその言葉に思わずアニが噴き出す。

 それにつられてエレンやアルミンも笑い出した。

「よーし、ここで前回失敗したバク転をやってやる!」

 そう言うと江頭は数歩下がる。

 そして、

「とうっ」

 ゴチンっと、鈍い音が鳴った。


 後ろ回転をした拍子に頭を床にぶつけたのだ。

「いってえええええ!!」

「ぐううう……!」

 ベルトルトは口元を抑えて肩を震わせていた。

「キャッハッハッハッハ、何だこのオッサン!」

 ベルトルトと違ってコニーは素直に笑い出す。

 しばらく転げまわっていると、急に江頭の動きが止まる。

「!?」

 そして次の瞬間、

「ピチピチッ、ピチピチッ!!」

 寝ている状態から急に跳ねはじめたのだ。

 その動きは、まさ陸に上がった魚!

「ギャッハッハッハ!!」

「ヒーッ」

 コニーとサシャはその動きに大笑いしており、先ほどまで我慢していたライナーや

ベルトルトも思わず吹き出す。

 最初から口元を抑えっぱなしだったアニはついにその場に座り込み、大笑いする

エレンとアルミンを見たミカサはなぜか満足げであった。

「とうっ!」

 魚のモノマネから急に三転倒立に以降する江頭。

 そこから素早く立ち上がり、こちらを見た。

「まだ笑ってない奴がいるな」

 彼の視線の先にはジャンと、そしてもう一人。クリスタ・レンズがいた。


 親友が死んで意気消沈しているジャンは、笑うどころではなかったし、クリスタは

クリスタで、最初から江頭のことを怖がっていたので笑いどころではない。

「よーし、こうなったらこのデンデン太鼓で」

 そう言うと江頭は、紐のついた小さな太鼓のようなものを持ち出す。

 あれで何をするつもりだ。

 ジャンがそう思った瞬間、ハンジが止めに入った。

「はい、エガちゃん。もう十分だよ」

「え? いや、でもまだ二人ほど笑ってないし」

「エガちゃん。今回の目的は、キミが黒タイツの巨人か否かを確認するためのものだから、

芸はまた今度にしようね」

「お、おう……」

 江頭は残念そうにデンデン太鼓をタイツの中に入れる。

「はい、注目! 十分見たと思うけど」

 ハンジは手を叩いて全員の視線を集める。

「ここにいるエガちゃんが、黒タイツの巨人で間違いないかな?」

 そう聞くと、

「間違いなし!!!」

 全員一致の答えが返ってきた。

 大きさが違う?


 そんなものは大した問題ではない。

 大きかろうが小さかろうが、エガシラはエガシラなのだ。

 それが彼の凄さであり脅威でもある。

「エガシラさん!」

 ハンジに止められて、半ば冷静に戻りつつあった江頭に、真っ先に近づいたのはサシャであった。

「え? なに」

「わたし、サシャ・ブラウスっていいます! エガシラさんの動き、感動しましたあ!」

 かなり興奮しているらしく鼻息が荒い。

「はあ」

 その勢いに、江頭も戸惑っているように見える。

「そこでお願えがあるんやけど!」

 また喋り方が変わった。

「なにか」

「ウチを弟子にしてください!!」

「弟子?」

「そうです! 弟子にしてほしいです! 師匠!!」

「いや、俺は弟子はとらないから」

「そんなこと言わないでくださいよ師匠!」

「いや、だから俺はね」


 猛烈にアタックするサシャに対し、江頭は若干引いていた。

 先ほどまで大暴れしていた野獣と、同一人物とは思えない。

「サシャ、彼が困っている」

 そう言ってサシャを止めたのはミカサだ。

「ちょっとミサカ。邪魔しないでくだっ、オゴオゴオゴオ」

 ミカサがサシャの口にパンを突っ込むと、途端にサシャは大人しくなった。

「あ、あの……」

 続いて別の少年が江頭に声をかける。

「キミは?」
 
「エレン・イェーガーと言います」

 少年はそう名乗った。

「何か」

「実は俺、エガシラさんにお礼が言いたくて」

「俺に?」

「はい。実はあの時……、その、トロスト区での戦闘の際、自分はエガシラさんに助けられました」

「助けた覚えはないが」

「いえ、助けられたんです。あの時、エガシラさんが街に現れる直前、俺の立体機動装置が故障して、

もうすこし現れるのが遅かったら、俺、巨人に食われてしまっていたかもしれません……」

「はあ」


 江頭は戸惑った表情を見せていた。

 それはそうだろう。

 彼としては、いましがたやった“奇行”のように人を助けようとする意識はなかったのだから。

「エレンの恩人は私の恩人。私のほうからもお礼を言いたい」

 そう言ったのは、さっきまでサシャの口にパンを突っ込んでいたミカサであった。

「キミは」

「ミカサ・アッカーマンと言います。エレンを救ってくれて、ありがとうございます」

「キミはその、そこにいるエレンの……」

「え?」

「恋人なのかい」

「!!!?」

 ミカサの顔が急に紅潮する。

「……その、……家族です」

 ためらいながらもミカサは言った。

「あ、……そうか」

 何かを察したような口調で江頭は納得する。

 どうやらどこかの鈍感野郎と違って女性の気持ちにも敏感らしい。


 そこがまた気に入らない。



「へっ、その勢いで俺の親友も助けてくれたらよかったのにな!」

 室内が、半ばいい雰囲気になりかけたところで、ジャンはあえてその空気をぶち壊すように
わざと汚く、そして大きな声を出した。

「ジャン!」

 明らかに敵意を帯びた目でエレンはジャンを睨みつける。

「エレン、お前も随分丸くなったじゃねえか」

 ジャンはエレンを挑発するように言う。

「何だと?」

「お前訓練所にいた時言ったよな。巨人を一匹残らず駆逐してやるってさ」

「だから何だ」

「そこのエガシラってオッサンも巨人じゃないのか? だったらお礼なんて言ってねえで、

さっさと討伐したらどうなんだ」

「何言ってんだジャン」

「ちょっと命を助けられたからって簡単に尻尾振ってんじゃねえぞ。お前の決意ってやつは

その程度だったのかよ。腰抜け野郎はお前のことじゃねえかよ」

「この野郎……!」

 エレンが一歩踏み出そうとしたその時、

 乾いた音が室内に鳴り響く。

「ミカサ」

 ミカサがジャンの頬を平手打ちしたのだ。

「おいミカ―― おごお!」


「ライナー!!!」

 慌てて止めに入ったライナーにまで肘打ちをかますミカサ。

「うぐ。俺が一体何を……」

 予想外の肘打ちに驚いたライナーはその場に倒れ込んでしまった。

「ジャン。さっきは叩いてしまってごめんなさい」

「ミカサ……」

 ジャンはとりあえずライナーにも謝ったほうがいいんじゃないか、という言葉を辛うじて飲み込んだ。

「マルコが亡くなってショックなのはわかる。でも今のあなたの態度は良くない」

「別に俺は……!」

「他にも亡くなった戦友は多い。悲しんでいるのはあなただけじゃない」

「俺は……、こんな状況なのにヘラヘラ笑っている連中が気に入らなかっただけだ」

「ジャン……」

「外で待ってる」

 そう言うとジャンは部屋を出る。

(最悪だな……、俺は)

 自己嫌悪を心に抱えたまま、ライナーは建物の出口へと向かった。





   *




 若い兵士たちとの面会を終えた江頭は、その後服を着替えて別の部屋へと連れて行かれた。

 その部屋は、先ほどの場所と違ってかなり暗く狭い場所である。

「ここは……?」

 そう江頭が聞くと、

「もう一人の、今度はもっと重要な人との面会です」

 やや緊張した面持ちで案内役のペトラは言う。

 この様子だと相当偉い人物のようだ。

「失礼いたします」

 ドアを開けると、薄暗い部屋の中央に灯りが。

 いや、違う。頭が光っているのだ。

(スキンヘッドか)

 そこには禿頭で髭を生やした小柄な老人がいた。

 だが、老人にしてはやたら迫力がある。

「あの……」

 ペトラに何か聞こうとしたその時、

「貴様があのエガシラか。話はハンジやリヴァイから聞いておる。なかなかの面構えをしているな」

「へ?」

 ペトラが喋る前に、ハゲ頭の老人は喋り出した。


「ワシの名はドット・ピクシスじゃ」
   
「ドット・ピクシス?」

 一体何者だ。

 江頭がそう思った時、

「ピクシス司令は南側領土の防衛を任された最高責任者だ」

「ぎょっ!」

 予想外の場所から出た言葉に驚く江頭とペトラ。

「団長!」

(団長?)
 
 どうやらペトラの知っている人物らしい。

 しっかりとセットされた金髪と長身。ニューヨーク辺りのビジネスマンを彷彿とさせるその風貌は、

江頭と正反対の外見と言ってもいい。

「失礼。私は調査兵団の団長をやっている、エルヴィン・スミスだ。エガシラ・ニジゴジュプン殿。

はじめまして」

「エルヴィン・スミス……」

 江頭は心の中でその名前を反芻する。

 普段、人の名前をあまり覚えない江頭も、今目の前にいるドット・ピクシスとエルヴィン・スミスの

名前だけは覚えていたほうがよさそうだ、と感じた。

「まあそう固くなるなよエガシラ殿。硬くなるのはアソコだけで十分じゃよ」

「司令。女性隊員もいるのですから、そのようなネタは」

 エルヴィンがそう注意すると、


「まったく、エルヴィンも堅物じゃのお。かたいのは――」

「いい加減にしてください」

「わかったよ。じゃあ話をしようか」

「はあ」

 このピクシスという男がかなりの曲者であることは、少し話を聞いただけでもすぐわかる。

 その一方でエルヴィンという男は性格にそれほど癖はない。

 だがビジネスマンか高級官僚のような雰囲気の中に、何かを隠し持っていそうなニオイは感じ取った。

「エガシラ殿は異世界からの訪問者ということらしいがの」

「そのようですね」

「何でも巨人化できる能力を持っているとか」

「自分ではあまり自覚はありません」

「どうやったら大きくなるのかの」

「いや、自分でもまだよくわからんのですが」

「そうか。もしかしたらその、エッチなことを考えたりしたら――」

「司令」

「冗談じゃよ。まったく、エルヴィンは冗談が通じないから困る」

「……」

「コホン。それはともかく、エガシラ殿。キミは我々人類にとって貴重な存在じゃ。

 外の世界を知っている数少ない人物じゃからの。


 そこで、我々はキミに対して二つの選択肢を用意した」

「選択肢、ですか?」

「そうじゃ。色々あるけれど、とりあえず有力なものを二つ。

 この選択はキミの今後の身の振り方に直結する」

「なるほど。それで、選択肢というのは」

「一つはキミを憲兵団に引き渡し、内地に連れて行くこと。

 内地というのは、ここウォール・ローゼから更に内側に行ったところじゃの」

「つまり首都に近い場所と」

「うむ。その通りじゃ。理解が早くて助かる」

「それはなぜ」

「キミには興味深い能力があるようなので、それを徹底的に調べることを目的としておる」

「人体実験みたいだ」

「当たらずとも遠からず。もちろん命の方は保証しよう。少なくとも内地に行って死ぬことはないじゃろう」

「それで、もう一つの選択肢というのは」

「そう焦るな。もう一つの選択肢というのは、そこにいるエルヴィンがおるじゃろう」

「え? はい」

「そいつの指揮する調査兵団に入ることじゃ」

「調査兵団に?」


「そう。調査兵団は壁の外に出て外部の調査をすることを目的とした兵団じゃ。

 調査兵団に行けば、壁の外の世界のことも、そして何よりキミが元いた世界に

 帰る方法も見つけられるかもしれん」

「……」

「ただし、死ぬ可能性はグッと高くなる。少なくとも内地にいるよりも百倍は危険じゃろうな」

「百倍……」

「大げさではないぞ。それだけ壁の外は危険なのじゃ。ほいじゃけえ、この選択は慎重にしたほうが――」

「調査兵団に入る」

「は?」

「いや、だから調査兵団に入る。この世界のことを調べるなら、調査兵団に入ったほうがいいんだろう?」

「おいおい、もっとよく考えたらどうじゃ。死ぬかもしれんのだぞ」

「人間いつ死ぬかわからない。明日には死んでるかもしれない。だったら、自分の目で外の世界を

見たほうがいいに決まってる」

「エガシラ殿」

「いくら命の危険がなくとも、安全地帯でじっとしているなんて俺にはできそうもないね」

「危険じゃぞ」

「ハイリスク・ノーリターン!」

「!?」

「それが俺の生き方さ」

「……わかった。エルヴィン、彼を頼む」

「はっ、承知いたしました」

 そう言うとエルヴィンは江頭の前に立つ。

「エガシラくん。これからよろしく」

 そして右手を差し出した。

「は、はい」

 エルヴィンは江頭の手をガッチリと握る。

 まるで何かを確かめるように。




   つづく





 現在公開可能な情報3

 ・一言モノ申すのコーナー

 フジテレビのテレビ番組、『めちゃめちゃイケてる』がまだ面白かった頃の名物コーナーの一つ。

 江頭2:50が様々な話題の人物や芸能人に対して「一言モノ申す」とか言って、色々な質問をする。

 相手のことをよく知らなければならないだけに、事前の予習は欠かせない。

 最終的に、江頭が暴走してパンツを脱いだりするのがいつものパターン。

 俳優の佐藤浩市がマジギレしたのもこのコーナーである。


 江頭がこの世界に来てから十日目。

 彼も少しずつその環境に慣れつつあった。

 しかしこの世界を知れば知るほど、色々と疑問も出てくる。

 とある晴れた日、江頭は調査兵団の駐屯地内にある庭で立体機動装置を見せてもらっていた。

「そんなに珍しいですか? 立体機動装置」

「ええ、そうですね。俺の住んでいた世界には無い代物ですから」

 江頭はそれほど機械が好きというわけでもないのだが、この不思議な構造の装置は実に珍しく、

見ていて飽きなかった。

 そんな江頭に、ペトラが装置の説明をしてくれる。

 この世界において最も江頭に興味を示しているのはハンジ・ゾエだが、日常の世話や

案内は調査兵団のペトラ・ラルがやってくれている。

「まずここに付いているガスの力でファンを回します。そしてその圧力でアンカーを射出し、

 高い建物や木々、それに巨人などに突き刺します。

 突き刺したら今度は逆の圧力でワイヤーを巻き取って移動します」

(なんだかスパイダーマンみたいだな)

 江頭はペトラの説明を聞きながらイメージする。

「今度、駐屯兵団との統合演習がありますので一緒に見に行きましょう」

「そうですね。ありがとうございます」

 江頭は礼を言うと、再び機動装置に目を向ける。

 ガスを使ってファンを回し圧力を作る。

 その圧力でモノを動かす。


 これはジェットエンジンの原理に似ている。
 
 装置に付属しているワイヤーは鉄製だ。

 細い鉄線を何重にも巻いて作られている。

 原理は、江頭の元いた世界で使われているワイヤーと同じ。

 そしてもう一つ注目したのが彼らの武器である。

(カッターナイフに似ているな……)

 巨人の固い皮膚を切り取るために作られたという兵士たちの武器は付け替え可能なものに
なっている。

刃は固く、それでいてよく“しなる”。

「気を付けてくださいね。それは切れ味が鋭すぎますから、無闇に触ると手を切ってしまいます」

「ああ、すみません」

 超硬質スチールと呼ばれているらしいその刃の素材の詳細は不明。

 ウォールシーナ内、つまり都の近くにある工場都市においてのみ作られる対巨人用の

特殊兵器。

 工場都市以外では作れず、その製法は秘中の秘とされているという。
 
(詳しいことはわからないけど、この手の素材を作るには高度な冶金技術が必要なんじゃないのか。

 だけど――)

 江頭は外に目をやる。

 その視線の先には、乗馬の訓練に勤しむ兵士の姿があった。


(交通機関は基本的に馬車や馬。建物内には電気もない。

 一方で、高度な技術が必要な武器を生産し、もう一方では前近代的な生活。

 このアンバランスさは一体何なのだろう。

 異世界と言ってしまえばそれまでだが、世界の秘密に何か関係があるのだろうか)

 ふと、横にいるペトラの顔を見る。

「ん?」

 ペトラは江頭の視線の意味がわからず、はにかみつつ軽く首をかしげた。








    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



     第四話  守 る も の



 軍隊と言っても、何もない時は平和なものである。

 この日もよく晴れた気持ちの良い日和で、許されるなら裏山で日向ぼっこでもしたい気分であった。

「エーガちゃあああん!!!」

 そんな気分をぶち壊す声の主が参上。

「会いに来たよおおお!!」

 大きく手を振りながら中庭に入ってきたのは、調査兵団で巨人の生態調査を担当する、

ハンジ・ゾエだ。

「ハンジ分隊長、またですか」

 立体機動装置を片付けていたペトラがあきれ顔で言う。

「そう冷たい言い方しないでよペトラ。今日はいい物を持ってきたんだから」

 そう言ってハンジはペトラの頭を撫でまわす。

「やめてくださいよ。どうせまた、トビトカゲの干物とかでしょう?」

「いや、違うよ。おーい!」

 ハンジが別方向を見てから誰かに声をかける。

「分隊長、待ってくださいよお」

 すると、若い隊員が何やら大きい、それでいてあまり厚くない箱を持ってきた。

「何なんですかそれ」

「うふふ。やっとできたんだよ。意外に早かったけど」

「ん?」

「早速着てみて、エガちゃん」


「着る?」

 どうやら箱の中に入っている物は衣類のようである。


 それから10分後――


「これでいいんですかね」

「お……」

「……」

 ハンジとペトラは少しの間絶句していた。

「何か」

「凄い!! よく似合ってるよエガちゃん!!」

 ハンジは力強く叫ぶ。

「……カッコイイ」

「え?」

「いや、何でもないです」

 ペトラはなぜか恥ずかしそうに視線をはずした。

「しかし、なんかまだ違和感あるなあ」

 江頭がそうつぶやくと、

「そんなことないよ。すごくいいね」と、ハンジは言った。

「制服か。大川興業の新年会以来だ」

 江頭が着ているのは、ハンジやペトラなどが着ている調査兵団の制服である。


(ジャケットの丈が短い)

 大川興業の舞台ではコートのように丈の長い、いわゆる長ランを着ていた江頭だが、

調査兵団の制服は防衛大学校の制服、もしくはドラゴンボールのトランクスの着ていた

服のように丈が短いものであった。

 おそらく上着の丈が短いのは、先ほど見せてもらった立体機動装置を装着するためであろう。

 あれを付けると背中のほうに小さな樽のようなものを腰の辺りに装着しなければならず、

丈が長いと引っかかってしまいそうだからだ。

「でもエガちゃんって意外と背が高いし痩せてるから、何着ても似合うよね」

「そうっすか」

「なんかさあ、制服でもリヴァイよりも似合ってるよ」

「――小さくて悪かったな、クソメガネ」

「はあっ」

「リヴァイ兵長!」

 調査兵団の小さな核弾頭、リヴァイ兵士長の登場である。

 いつの間にか登場していた。忍者かコイツは。

「リヴァイ、久しぶりじゃないの!」

「一昨日も会っただろうが」

 だがハンジもさるもの。突然の登場にもまったく動揺した様子は見られない。


「ほら、リヴァイも思うだろう? エガちゃんの制服姿。よく似合ってるって」

 ハンジはそう言うとリヴァイの肩を抱いて江頭のほうを指さす。

「……まあ、馬子にも衣装ってところだな」

(諺……?)

「まったくリヴァイは素直じゃないなあ」

「触んな変態」

「ノンノンノン、私は変態じゃなくて変人」

「まあいい、それよりエガシラ」

 リヴァイはハンジを無視して話を進めることにしたようだ。

「はい」

「半月後には壁外遠征を実施する」

「もうはじめるのかい? 随分と早いなあ」

 そう言ったのはハンジだ。

 調査兵団の主な仕事が壁外の調査であることは知っているけれども、どれくらいの頻度で

行われているのかは、江頭にはわからない。

「上の方針だ。龍の月がはじまる前に一度、それから蛇の月までに、二度の壁外調査を

実施するよう言われている」

「ふうん。結構忙しくなるね」

「明日にも新兵が調査兵団(ここ)に入団してくる。まずそいつらの慣らしも兼ねた

 遠征を実施しなくちゃならん」

「そうか。演習は大事だもんね」


 先ほどからリヴァイは江頭に話しかけているのに、返事をしているのはハンジばかりである。

「お前もそこに含まれるんだぞ、エガシラ」

「え?」

「言っておくが壁外では素人の面倒など見てはいられん。自分の身は自分で守れ」

「はあ」

「立体機動装置を使えるようになれとは言わん。だが、せめて乗馬だけはできるようになっておけ。

 外では馬に乗れないと命はないぞ」

「わかりました」

「ペトラ」

「はいっ」

 不意にペトラに声をかけるリヴァイ。ペトラは反射的に背筋を伸ばした。

「遠征までの間、エガシラのことはお前に任せる。準備の仕方や注意事項など、色々と

教えておけ」

「了解しました、リヴァイ兵長」

「今日の所は以上だ。あとハンジ」

「なんだい?」

「あんまりエガシラばかりに構ってないで、仕事をしろ」

「私の仕事はエガちゃんだよ」

「それ以外にもあるだろうが」

 そう言うと、リヴァイは踵を返し建物の中へと向かった。


「何だかんだで、リヴァイもエガちゃんのことを心配しているようだね」

 リヴァイの後ろ姿を見つめながら、ハンジは言った。

「実際は監視役って意味合いのほうが強いんじゃないかな。俺はあなた方にとっては、

 得体の知れない存在なわけだし」

「そうかなあ。私はエガちゃん個人の魅力もあると思うんだけどなあ」

「俺が? まさか」

「そう思うだろう? ペトラも」

「え?」

 再び話を振られて驚くペトラ。何か考え事でもしていたのだろうか。

「え、ええ。まあそうですね。“普通の格好”をしていればカッコイイですし」

「……」

 それは褒められているのだろうか。

 江頭は若干複雑な気分になる。

「それに、調査兵団のみんなも少しずつエガちゃんのことを受け入れてくれているみたいだよ」

「そうっすかね」

「おーいエガちゃああん!」

 遠くから、調査兵団のエルドが声をかけてきた。

 手には木刀を持っている。

「剣の稽古しようぜ!」


 何だか楽しそうだ。

「ダメですエルド! エガシラさんはこれから私と乗馬の訓練があるんですから!」

「固いこと言うなよペトラあ!」

「壁外遠征まで時間が無いんです」

 のんびりと過ごしたい江頭であったけれど、この世界でも覚えることはたくさんありそうである。

(だがあの壁の外に出れば、何かがわかるかもしれない)

 江頭の視線の先には、誰がどうやって作ったのかよくわからない高い壁が、遠くの方までずっと続いていた。




   * 
 
 


 その日の午後、江頭はペトラと一緒に乗馬訓練をしていた。

「上手ですねエガシラさん。馬に乗ったことがあるんですか?」

「え、まあ。番組の企画でちょっとだけ」

「番組?」

「仕事のことです」

「仕事ですか……」

「それから、ペトラさんの教え方も上手いですし」


「え? 私ですか? いや、全然そんなことないですよ」

「いや、本当に」

「ああ、エガシラさん」

「はい。なんですか、ペトラさん」

「さん付けはやめてください。ペトラで結構です」

「いや、でも」

「今は調査兵団の制服を着ているんだから、仲間ですよ仲間」

 そう言うと、ペトラは満面の笑みを見せる。

 暖かな日差しの中で、その笑顔は輝いて見えた。

「ところで、エガシラさんの元いた世界でも、馬がいたんですね」

「そりゃいましたよ。でも、あまり乗る機会はありませんけど」

「馬に乗らなかったら、何に乗るんですか? まさか牛……」

「いや、基本的に動物には乗りません。そうですね、自動車とか電車とか」

「ジドウシャ? デンシャ?」

 ペトラは首をかしげる。

 確かに、見たことの無い人物に文明の利器を説明するのは難しいかもしれない。

「乗り物がいっぱいあって、空を飛ぶものもあるんですよ。飛行機とかヘリコプターとか」

「ヒコーキ? それって、空を飛ぶんですか?」

「ええ。個人用の小さいものから、たくさんの人を乗せて飛ぶものもあります」


「それって、一体どれだけのワイヤーが必要なんでしょうかね」

「ワイヤー?」

「いやだって、飛ぶためにはワイヤーが必要でしょう?」

「……」

 江頭はペトラの腰に目をやる。

(そうか。この世界の人たちにとって、空を飛ぶということは、立体機動装置の

 ワイヤーを使って移動するという認識なのか)

「ワイヤーは使いませんよ。エンジンなどの動力で空を飛ぶんです」

「鳥みたいなものですか?」

「いや、それともちょっと違う」

「エンジンってなんですか?」

「ああええと、どこから説明したらいいのか」

 常識が異なるということはこれほど会話に苦労するものなのか、と江頭は改めて思う。

 彼自身、元いた世界では相当「常識外れ」と言われていたけれども、普段の江頭は

人一倍常識に敏感である。常識を認識しているからこそ、非常識を演出できるのだから。

「おい、あんま調子に乗ってるんじゃねえぞ異世界人」

 不意に、別方向から声がした。

「え?」

 ふと、視線を向けるといつも不満そうな顔をした調査兵団の兵士がいた。


 江頭たちと同じように馬に乗っている。

「あなたは」

「俺はオルオ・ボザド。そこにいるペトラ・ラルと同じくリヴァイ兵士長の直轄部隊

 に指名されている」

「はあ……」

「もうすぐ実施される壁外遠征では、お前はリヴァイ兵長や俺らと行動をともにするのだが、

 そいつはお前を守るためじゃない」

「……」

「お前が『暴走』した時に始末するためだ」

「オルオ!」

 ペトラが止めようとするが、陰気な顔のオルオは話を止めない。

「行っとくけど、俺の討伐数は39体だ。いざという時、お前を始末するくらいなんてことはない」

「そうですか」

「お前、エルヴィン団長やリヴァイ兵長に目をかけられ、あまつさえペトラに甲斐甲斐しく世話をされて、

 実にうらやま――」

「ん?」

「ガフッ」

 オルオは急に口元を抑えて俯く。

 どうやら舌を噛んだようだ。


「あの……」

 江頭は隣にいるペトラのほうを向くと、

「ああ気にしないでいいですよ。いつものことですから」

「血が出てますけど」

「ツバ付けとけば治りますよこのくらい」

「はあ」

 そんなペトラの言葉に、口元を拭ったオルオが言った。

「おいペトラ、その言い方はいくらなんでも冷たいんじゃないのか?」

「ねえオルオ。あなた、昔はそんな喋り方じゃなかったよね」

「あ?」

「もし、仮にそれがリヴァイ兵長の真似をしているなら、本当にやめてくれない?

 いや、共通点とかまったくないから」

「フッ……、俺を束縛するつもりかペトラ?

 俺の女房を気取るにはまだ必要な手順をこなしていないぜ?」

「舌を噛みきって死ねばよかったのに……」

「戦友へ向ける冗談にしては笑えないにゃ」

「黙れよ」


 

   *


 翌日、調査兵団の入団式が慌ただしく行われた。

 入団する新兵の中には見知った顔もいる。

「エガシラさああああん!」

 一人の少年兵が元気よくこちらに手を振りながら近づいてきた。

「キミは確か」

「エレンです。エレン・イェーガー」

「そうだったな。エレン。キミも調査兵団に」

「はい。小さいころからの目標だったので」

「でも危険じゃないか」

「確かに危険ですよ。外は巨人がいっぱいだし。でも俺はやるんです。

 外に出て、この世界の全てを見てみたい」

「そうか」

「それにしても、エガシラさんが調査兵団に入ったなんて、驚きですよ」

「え?」

「その制服も似合ってますね」

「いや、格好だけさ。キミたちが使っているその、あの機械も使えないし」

「立体機動装置ですか? 確かにアレは難しいかもしれませんね。俺も訓練兵時代は

 なかなか上手く扱えなかったし」

「そうなのか」

 そんな風にエレンと話をしていると、


「ししょおおおおおおおおおおおおお!!!」

 物凄い勢いで別の兵士がこちらに接近してきた。

「うわあ!」

「ハア、ハア、ハアッ、やっと会えましたね師匠。これもやはり運命か」

「運命?」

 江頭の頭の中に、ベートーベンのジャジャジャジャーンが鳴り響く。

「キミは確か、サシャ・ブラウス」

「覚えていてくれたんですか!? 光栄です師匠!」

「だから師匠はやめてくれと」

「師匠、倒立教えてくださいよ。もしくはあの変な踊りでもいいですから」

「いや、ここでは」

「っていうか、なんで服を着てるんですか。早く脱いで」

「おいっ、やめろ!」

「師匠おおお」

 サシャが江頭の服に手をかけた瞬間、

「サシャ、いい加減にしなさい」
 
 そう言うと、一人の女性兵士がサシャの後ろ襟の辺りを掴んで江頭から強引に引き離す。

「た、助かったよ。ええと、キミはこの前会った」

「ミカサ・アッカーマンです」


 黒髪が美しい、体格の良い女性であった。

「キミも調査兵団に入ったんだね」

「はい」

「エレンがいるから?」

「……はい」

 ミカサは顔を赤らめつつ正直に答える。

「かなり危ない任務だと聞くけど」

「大丈夫です」

「ん」

「エレンは私が守ります。何としても」

「そうか」

 頼もしい……、のだろうか?

「ミカサ、酷いですよ! 私と師匠との時間を邪魔するなんて」

「サシャ、ハウス!」

「ヒー!」

 江頭が視線を上げると、以前この駐屯地で面会した兵士たちのほとんどがいることに気づく。

「調査兵団は人気なのか?」

 江頭が独り言のように言うと、

「そうでもありませんよ」


 と、エレンが答えた。

「というと?」

「そりゃ、調査兵団は不人気ですよ。だって、駐屯兵団や憲兵団に比べて巨人と遭遇する

可能性が高いわけですからね」

「そうなのか」

「アニは憲兵団に行きました」

「兄?」

「ああいや、アニっていうのは名前です。アニ・レオンハート。エガシラさんを見て一番笑ってた女の子です」

 江頭は、ふとあの冷たい目をした少女のことを思い出す。

「確か金髪の」

「そうですね。でもほかの連中はほとんど調査兵団(ここ)に来ましたよ。

 ライナーとかベルトルトとか、あとはジャンにクリスタ、アルミン、それから――」

 エレンは、以前江頭と会った新兵たちを指さして教えてくれた。

 確かに見覚えのある顔ばかりだ。

 特に、ジャンは自分につっかかってきたので覚えており、それからクリスタという

少女は江頭の芸を見ても全然笑わなかったことが印象に残っている。

「確か、ジャンっていう子は親友が死んだって言ってたな」

「ああ。あのことですか。マルコっていうんですけど、トロスト区の戦闘で……、戦死しました。

 この前エガシラさんに辛く当たったのも、そのことのショックがあったからなんで」


「わかってる」

「おいエレン! 余計なこと言ってんじゃねえぞ!」

 後ろからジャンが叫んだ。

 そしてジャンは江頭にも視線を向ける。

「いいかオッサン! 俺はお前のことを警戒してる!ちょっとでも暴走するようなら、

その首を速攻で斬りおとすからな。覚悟しろよ!」

 そう言うと、ジャンは踵を返した。

 背中には、調査兵団のシンボルである自由の翼の紋章が見える。

「すみませんエガシラさん。あいつ、素直じゃないんで」

「いや。親友の死ってのは辛いものだ」

「エガシラさん」

「なあ、エレン」

「はい」

「キミは死ぬなよ」

「え?」

「生きていれば何かいいことがある」

「当たり前ですよエガシラさん」

「ん?」

「俺はこの世の全てを見るまで死にませんから」

「そうか。長生きしなきゃな」

「ええ」


「エレンは死なせない。私が守るから」

 不意にミカサが顔を出す。

「うわ! ミカサ。何やってんだよ」

「エレン。あなたは私が守る」

「もういいんだよそんなのは。俺はお前に守られなくてもやっていけるから」

「エレン。あなたはいつもそう言って無茶をする」

 微笑まし光景だと思った。

 だがこんな様子がいつまでも続くとは思えない。

 ふと空を見上げると、高く上った太陽が厚い雲に覆われ、日光を遮る。




   *


 
 江頭がこの世界にきてから28日目。

 調査兵団の壁外調査がはじまった。

 今回は新入団員の演習も兼ねた調査遠征であり、壁外(ウォール・マリア内)に

おける前線拠点の選定とその構築を目的としている。

 エルヴィン団長指揮のもと行われるこの壁外調査に、江頭も参加する。

「エガシラくんは前にも言った通り、リヴァイと行動を共にしてくれ。くれぐれも

 彼から離れないように」


「はい」

 久しぶりに見たエルヴィンは、相変わらず戦士というより証券街のビジネスマンのような

雰囲気を醸し出している。

 人並み外れた集中力で乗馬訓練をこなした江頭は、リヴァイ兵長率いる特別班に

編入され、そこで壁外調査に同行することになった。

「エガシラ」

 出発前、リヴァイは江頭を呼ぶ。

「はい」

「俺は命令だからお前と行動を共にする。だが、前にも言った通り最低限自分の身は自分で守れ。

 誰かがいつも守ってくれるほど壁外は甘くない」

「わかっています」

「よし、乗馬」

 リヴァイの号令で、リヴァイ以下数名の班員が乗馬し、壁の出入り口へと向かう。

 途中、またいつもつまらなそうな顔をしているオルオ・ボザドが話しかけてきた。

「勘違いするなよ。俺たちはお前を守ることが目的じゃない。

 お前がもし暴走した時、斬り殺すのが役目なんだ」

 また同じようなことを言っている。

「……」

「わかったなら、でかい顔せずに大人しくしやガッ!」

 口元を抑えるオルオ。


「……」

 どうやらまた舌を噛んだらしい。

「気にしなくてもいいですよ、エガシラさん」

 そう言ったのはペトラだ。

「大丈夫。エガシラさんは私が守りますから、安心してください」

 ペトラはそう言って笑顔を見せた。

(どうでもいいけど、この世界では女が男を守るのか……?)

 そう考えると少しだけ複雑な気持ちになる江頭であった。





   つづく

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 ・大川興業と学ラン

 江頭2:50が所属する芸能事務所。

 1983年、大川興業初代総裁の大川豊が明治大学在学中に「大川興業」を結成。

 1985年に株式会社大川興業を設立。テレビ出演や舞台など、幅広い活動を続ける。

 現在は大川豊興業に改名。

 江頭は同社の筆頭株主であり、第一回大川興業総裁選挙に出馬し、大川興業第二代総裁に

就任したこともある。

 大川興業の正装(制服)は学ランであり、江頭がデーモン小暮のツテで琴富士関の断髪式に

出席した際も、総裁の大川豊と共に学ランを着ていた。

 江頭達が壁外遠征に乗り出す数日前。

 今年入団したばかりの新兵たちは緊張した夜を過ごしていた。

 クリスタ・レンズもその一人である。

 彼女を含む第104期訓練兵は、あの“トロスト区の奇跡”に参加し、実際に巨人討伐

の成果を上げた者もいた。

 だが華々しい勝利の裏で、多数の兵士が命を落とし、何より間近で見た巨人に多くの

人々が恐怖した。

 実際に戦ったからこそわかる巨人の恐ろしさ。

 本物の巨人は、訓練で標的となる模擬巨人とは異なり硬く熱い。

 そして何より、容赦なく人を食らう。

 壁外に出れば、多くの巨人に出会うことになるだろう。

 その否定しようもない事実が、クリスタの心を不安にさせる。

 闇に染まる空の下で、彼女の心は暗く沈んでいた。

 自分で選んだ道であるにも関わらず、彼女の心は恐怖で押しつぶされそうになっていた。

 こんなことなら、調査兵団なんかに志願しなければ――

 そんな本音が口から零れ落ちそうになったその時、

「いい星空だね」

 不意に背後から声をかけられた。

「あなたは……」

「驚かせちゃったかな」


 江頭2:50であった。

 黒タイツの時と異なり、今の彼は柔らかな表情をしている。

「ああ、すまない。邪魔してしまったかな」

 不意に江頭は言った。

「邪魔って、何をですか?」

 クリスタは聞き返す。

「いや、その。あんまり星がキレイだったんで、ずっと見ていたのかなと思って」

「星……」

 クリスタは夜空を見上げる。

「あ……」

 そこには満点の星空があった。

 確かにキレイだ。

 この日は特に空気が澄んでおり、小さな星々もよく見える。

 正直気づかなかった。

 こんなにキレイな星空があることに。

 言うまでもなく、クリスタの頭の中は明日以降の壁外遠征のことで一杯だったからだ。

 方角や位置を知るため以外で、星など見ている余裕はない。

 だが、江頭に言われて少しだけ心に余裕ができた。

「あの」


「ん?」

「エガシラさんって、その……」

「うん」

「怖いって思ったことはないんですか?」

「怖い?」

「はい。その、明日から壁外遠征なわけで……」

「ああ、そういうことか」

 江頭は、クリスタの気持ちを察したようで、話を進めた。

「俺はね、元いた世界ではお笑い芸人をやっていたんだ」

「お笑い、芸人?」

「ああ、芸人は舞台に上がって芸をして、人を笑わせるのが仕事」

「はあ」

「それでな、初めて舞台に上がるときはそりゃあ緊張したよ。前の日に眠れなかったし、

 吐き気もした。震えが止まらなかったこともある」

「それで、どうやって克服したんですか?」

「そうだな。俺はもうかれこれ20年以上芸人やってるけど、舞台が怖いって“思わなかったこと”

はないね。一度たりとも」

「え……」

「正直さ、今でも怖いんだよ。キミたち兵士とは事情が違うかもしれないけど、

 仕事をしていく中で恐怖を感じない日はない。

 そしてその恐怖を払拭する方法は、おそらくないんじゃないかな。

 俺たちはそんな怖さや痛みを抱えて芸をする。それがプロってものだと、俺は思う」

(そうか……、この人も)

 遠くで光る松明の灯りと、星明りの中で照れた笑いを見せる江頭を見て、クリスタは

少しだけ安心する。

(私一人じゃないんだ)

 彼女は大きく息を吐き、もう一度星空を見上げた。







    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


       第五話  決   断  




 850年 龍の月の20日目――

 江頭がこの世界にきてから一ヶ月半となるその日、調査兵団による壁外調査が実施される
ことになった。

 エルヴィン団長を主軸とする調査兵団約一個中隊が一団となって壁外調査を実施。

 目的は壁外における補給拠点の確保。

 そして何より、今年入団したばかりの新入団員たちの演習のためでもある。

 壁周辺を守る駐屯兵団の鐘の合図とともに、一気に壁外に躍り出た調査兵団の部隊は、

概ね菱形の陣形で持って荒野を進んだ。

 かつては畑や田圃のあった場所も、今はかなりの荒れ地となっている。

 ウォール・マリア陥落から早くも五年。

 何年もかけて人が手を加えてきた土地は、数年のうちに自然へ帰ろうとしているようであった。

 それはともかく、江頭は陣形のおよそ中央にあるリヴァイ兵長直轄班にいた。

「今年はやけに巨人の数が少ないな」

 リヴァイが独り言のようにつぶやく。

 ただし、声はかなり大きいので、誰かに同意を求めているようでもある。

「確かに少ないですね」

 そう言ったのは、この班のナンバー2でリヴァイの信頼も厚いエルド・ジンであった。


 リヴァイ直轄班は、エルドの他に堅物そうなグンタ・シュルツ、江頭の世話を焼いてくれた

ペトラ・ラル、そしてよく馬上で舌を噛むオルオ・ボザドの四人しかいない。

 こればかりは量より質、と言ったところだろうか。

 彼らの戦闘力は、一人で四人分以上はあるだろう。

 何より班長は「人類最強」とも噂されるリヴァイだ。

 彼らと一緒にいる限り、巨人に食われることはないと言ってもいい。

 しかし、

(嫌な予感がする)

 馬を走らせながら江頭は思った。

 彼の嫌な予感は大抵当たるのだ。

「どうしました? 江頭さん」

 江頭の表情を見たペトラが声をかける。

「いや、何でも」

 自分では感情を顔に出さないポーカーフェイスのつもりであったけれど、

どこかで見抜かれてしまったか。

 そんな自分の迂闊さを、江頭は反省した。



   *




 調査兵団最右翼。

 調査兵団の行軍は全体的に広がった状態で行われる。

 巨人は人だけを追う性質があり、人が固まっているとそこに集まりやすい。

 そのため、できるだけ大きく広がり、誰かが巨人を発見すると、煙弾(信号弾のようなもの)

で周囲に知らせるシステムを取っている。

 調査兵団に入ったばかりのエレンとジャンはこの日、陣形の最右翼に位置していた。

「なあジャン」

 馬を走らせながらエレンはジャンに声をかける。

「んだよ」

 ジャンは面倒臭そうに返事をした。

「俺たち、今最右翼にいるんだよな」

「んなことわかりきってるだろうが」

「ってことは、俺たちが一番最初に巨人に遭遇する可能性が高いってことだよな」

「だからそりゃ当たり前のことだろうが。どうしたエレン。ビビってんのか?」

「そうじゃねえよ。巨人を見つけたらぶっ殺してやる」

「おいおい勘違いすんじゃねえぞ死に急ぎ野郎」

「なに?」

「今回の壁外調査は、壁外における拠点づくりのための調査が主目的だ。

 戦闘は二の次。わかってんのか?」


「わかってるけど……」

「だったらそこに集中しろ。巨人見つけたってすぐに戦闘開始するんじゃねえぞ。

 ここは壁内じゃないんだからな」

「……わかってる」

 ジャンは臆病なところはあるけれど、状況を正しく認識し、自分が今何をするべきか

をよく理解している兵士でもある。

 個人の技能ではジャンに勝っていたエレンだが、組織的な動きではジャンに負けているのではないか、

 と常々彼は思っていた。

(認めたくはないが、こいつはリーダー向きかもしれないな。認めたくはないが)

 そんなことを思いつつ、エレンたちは馬を走らせる。

「オラ新兵ども! 索敵を怠るな! お前らが巨人を見逃したら、他の仲間たちの命に関わってくるんだぞ」

 分隊長である先輩兵士がそう言って注意を喚起する。

「はい!」

「了解!」

 二人は勢いよく返事をする。

「見逃すんじゃねえぞエレン」

 と、ジャン。

「だったら勝負だジャン」

 エレンはそう切り返す。


「勝負?」

「どっちが先に巨人を見つけられるか」

「あまり勝ちたくねえ勝負だな」

「ビビってんのか? ジャン」

「んなわけねえって。目には自身があるんだよ畜生が――」

 ジャンの言葉が止まる。

「おい、ジャン」

「なあエレン」

「ん?」

「この勝負、いきなりで悪いんだが」

「ああ」

「俺の勝ちだ」

「な!」

 ジャンの視線の先をエレンも見る。

 そこには、勢いよく走る巨大な影があった。





   *

 空に煙弾が上がる。

 緊急事態を示す紫の信煙弾。

 3~10メートル級の巨人が現れた程度ではまず発射されることのない煙弾だ。

 江頭が行動を共にしているリヴァイ班は、ほぼ陣形の真ん中からやや後方にあり、

煙弾の位置はおよそななめ後方に見えた。

「どういうことだ?」

 班長のリヴァイは独り言のように言う。

 そして、

「お前たち、止まれ!」

 そう言って、江頭を含む自分の班員を止めた。

「何か問題でもあるのか?」

「江頭が聞いた」

 しかしそれにリヴァイは答えない。

 煙弾の行方を見ながら、何かを考えているようだ。

「ちょっとおかしいですね」

 リヴァイの代わりに説明してくれたのはペトラであった。

「おかしい?」

「ええ。あの位置から多数の煙弾が発射されるということは、陣形の右半分の

 前進がほぼ停止していると見ていいかもしれません」

「前進が停止?」

「つまり、前進できないほどの緊急事態が右翼側で行われていると」

「緊急事態……」


 江頭の中にある嫌な予感がどんどんと大きくなる。

「口頭伝達!」

 不意に、後方から来た兵士が叫ぶ。

「どうした」と、リヴァイ。

「部隊本部および補給部隊が巨人の大群に襲われております!

 リヴァイ班及び前衛部隊は至急後方の本部への増援に行くようにとのことです」

「わかった」

 リヴァイは短く返事をする。

「ちょっと待て兵長」

 そう言ったのは江頭であった。

「どうした」

「行くのか、本部に」

「当たり前だ。後方の本部が潰れたらこの調査団は持たない。チェスと同じだ」

「しかし、あっち側でも助けを求めているじゃないか!」

 江頭は先ほど信煙弾の上がった右翼側を指さす。

「お前は右翼側の救援を優先しろというのか?」

「まあ、そうだ」

「どうしてだ。その根拠は」

「……勘だ」

「勘?」


「なんつうか、嫌な予感がするんだよ。右翼側を放置していたら、不味い気がよお」

「おい異世界人! 立体機動も使えねえ素人がリヴァイ兵長に意見するなんざ、

 百年早いんだよ」

 そう言ったのは、オルオであった。

「けど……」

「生きて帰りたきゃ、兵長の指示に――」

「口頭連絡!」

 オルオの言葉を遮るように、一人の騎乗兵士がこちらに近づいてきた。

「キミは」

「エガシラさん!?」

 小柄な女性兵士、クリスタ・レンズであった。

「どうした」

 リヴァイはクリスタに聞く。

「う、右翼側に現れた巨人が、多数の巨人を引き連れて索敵班を襲撃。

 壊滅的な打撃を受けています! 中でも、15メートル級の新種の

 巨人の戦闘力が強力らしく、一刻も早く救援を待っています」

「新種?」

「え、はい。私も詳しくはわかりませんが、通常種でも奇行種でもない、強力な巨人

 とのことです。恐らく、トロスト区や五年前にシガンシナ区を襲った巨人の類では

 ないかと……。失礼、これは私の憶測です」


「そうか」

 リヴァイは再び考える。

「ど、どうしますか兵長」

 ペトラが心配そうに聞いた。

「当初の予定通り、我々は本部の救援に向かう」

「ちょっと待てよ! さっきほ報告聞いただろう。右側がヤバイ状況なんだよ」

 江頭はその決定に意見する。

 クリスタの報告によって、自分の中の不安が現実になって表れたと思ったからだ。

 しかしリヴァイの決定は冷徹であった。

「我々は本部を優先する。理由は、本部が潰されると建て直しが難しいからだ」

「リヴァイ!」

「おいお前、いい加減にしろよ!」

 怒ったオルオが馬ごと江頭に詰め寄ろうとしたのをリヴァイは止める。

「止まれオルオ」

「でも兵士長」

「うるさい。ここの指揮官は俺だ」

「……はい」

 オルオは渋々引き下がった。

「エガシラ」

 リヴァイは江頭を見据える。

 小便を漏らしてしまいそうになるくらい鋭い眼光ではあるけれど、今の江頭はここで

怯むわけにはいかないと思った。

「なにか」

「お前が臨時とはいえ、この調査兵団の一員であるならば、上官の俺に従ってもらう義務がある」

「……はい」

「もし俺の命令に従えないというのであれば――」

「……」

「今すぐその制服を脱げ」

「兵長、いくらなんでも」

 ペトラが間に入ってなだめようとするも江頭は、

「わかった」

 そう言って下馬した後、外套を脱いだ。

「江頭さん?」

 そして上のジャケットもシャツも脱ぎ始める。

「きゃっ、一体なにを」

 更にズボンを脱ぐと、下から例の黒タイツが姿を現した。

「え?」

「……ほう」

 戸惑うペトラや他の団員の中で、リヴァイだけは冷静であった。


「世話になったな。お前の判断は軍人としては正しいと思うよ。だが従えねえ」

 そう言うと、江頭はブーツから黒の運動靴に履き替える。

 そして屈伸運動をはじめた。

「エガシラさん。馬は」

 ペトラのその言葉に、

「走ったほうが早い」

 江頭はそう言って笑った。

 そして、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」

 雄たけびを上げながら走り出した。

 速い。

 確かに速かった。

 風を切りながら、黒タイツの江頭は荒野を駆ける。






   * 
 



 

 江頭が走り去った後、伝令役のクリスタは茫然とその後ろ姿を見送っていた。

「おい、新兵」

 そんな彼女にリヴァイが声をかける。

「はい」

「名前は」

「クリスタ、クリスタ・レンズです」

「そうか、クリスタ」

「はい」

「今からお前に仕事を与えるが、いいか」

「は、はい」

 リヴァイの視線の先には、先ほど江頭が脱ぎ捨てた制服と、彼が乗っていた馬があった。




   *



ジャンとエレンは互いに背中合わせで立っていた。

 互いに肩で息をしているのがわかる。

 体力はもう限界に近い。

「おいジャン。武器は残ってるか?」

 エレンが聞いてくる。

「刃は多少残っているが、問題はガスだ」

「実は俺も、もうガスがない」

「糞が。死に急ぎ野郎と心中することになるとはな」

「それは俺のセリフだろうが」

 互いに悪態をついてみるも、事態が好転するわけでもない。

 廃村の納屋に身を隠しながら、ジャンたちは周囲を見回す。

 かなりの数の巨人が密集している。

(こんなことなら、殿(しんがり)なんて志願しなきゃよかった)

 己の決断に後悔はない、と思いつつも、やはり心の中の弱い部分は隠せない。

「後悔してんのか? ジャン」

 唯一生き残った仲間がそう問いかける。

「んな訳ねえだろう。それに、俺は死ぬつもりはない」

「だな。今に仲間が助けにきてくれる。精鋭のリヴァイ班が来てくれれば、こんな巨人どもなんて」

 エレンのその言葉に、ジャンの心は少し切なくなった。


(恐らく助けは来ないだろう。ここで巨人を食い止める役を担った時点で、

 俺たちは死ぬ運命だったんだ)

「しかしあの巨人を引き連れていた巨人、見たか?」

 エレンは聞いてきた。

 話をしている余裕などもはやないはずなのに、今の二人は妙に多弁である。

 恐らく死の恐怖から逃れるため、身体が勝手に口を動かしているのだろう。 

「巨人って、あの女みたいなやつか」

 ジャンは聞き返す。

「そう、女型の巨人。あんなの、訓練隊の授業やトロスト区の戦いでも見たことはない」

「しかも動きがやけにシャープだったな。まるで格闘技でもやってるみたいな」

「そうだな。普通の巨人とは違う。奇行種でもない。あれはむしろ、俺たち人間のように

 知性を持っているような」

「バカバカしい。巨人に知性だなんてよ」

 ジャンは吐き捨てるように言った。

「だけど、俺の故郷を襲った超巨大巨人や鎧の巨人は、明らかに知性を持っていたぞ」

「……」

「巨人の中には、人を食らうだけの巨人とは違う、別の個体がいるのかも」

「ストップ。そういうのはハンジ分隊長とか、専門の連中に任せればいい」

「でも」


「今俺たちがしなきゃいけないことは、ここからどうやって生き延びるかだ」

 と、ジャンは言った。

「生き延びる」

「時間は十分に稼いだ。だったらここから脱出してもいいだろう」

「敵前逃亡じゃねえか」

 エレンは言う。

「これは敵前逃亡じゃねえ。戦略的撤退だ。いいかエレン」

「なんだよ」

「今ここで、俺たちが巨人の一体や二体倒したところで状況は変わらない。

 だったら、今俺たちがすべきことは、ここから何とか生き延びて、この状況を

 本部や、他の仲間たちに知らせることだ」

「ジャン……、お前、色々と考えているんだな」

「当たり前だろうが。俺を何だと思ってんだ」

「馬面」

「殺すぞ」

「いや、ジャンの言うこともわかるんだが」

「あん?」

「この状況でどう生き延びるのかなって」

「囲まれてんな」

 ジャンとエレンは、すでに十メートル級の巨人多数に囲まれていた。

 巨人どもの目が彼らを見る。


 今にも襲い掛かりそうだ。

「まだガスはある。行くぞエレン」

「わかってる」

 二人が立体機動装置を作動させようとしたその時、



《ううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!》



 聞き覚えのある声が天高く響く。

「まさか……!」

 巨人どもの動きが、まるで金縛りにかかったようにピタリと止まる。

「チャンスだ! エレン!」

「おう」

 一斉に立体機動装置のアンカーを射出した二人は、身体を浮かせて一気に巨人の包囲を

突破した。

「やはり」

 そして、開けた視界から彼らは“あの姿”を確認するのだった。


《ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!》


「エガシラ……?、いやっ、違う。あれは――」

「黒タイツの巨人だああ!!!!」


《うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!》

 
 勢いよく走り込んできた江頭2:50はすでに巨大化していた。

 体長約15メートルくらいであろうか。

《どりゃあああ!!》

 そして、走り込んできた勢いをそのままに左右に激しく倒れる。

 ビタンビタンと倒れる姿は、通常時の何倍もの迫力だ。

 地面も揺れる。

 そしてすかさず、三点倒立(シャチホコ立ち)!

《おりゃああああ!!》

「おおお!!!」

「ウオオオオオ!!! エガちゃあああああん!!」

 思わず声を上げるジャンとエレン。

《1クールのレギュラーよりも1回の伝説!! 江頭2:50ですううう!!!》

「いえええええい!!」

《ドーン!!!!!》

「ドーン!!!」
  
《ドオオオオオン!!!!》

「ドーーーーーン!!!」


 江頭の声はまるで雷のように腹に響く。

「エガちゃん! バク転バク転!!」

 調子に乗ったエレンが叫んだ。

 それに対して江頭は、

《とうっ》

 素直にバク転を試みて、

《ぐわああああ!!》

 案の定バク転に失敗。後頭部を強打して地面の上をのたうち廻る。

《いてえええええええ!!》

「プッ」

 その光景を見て、思わず吹き出しそうになったジャックは、急いで口を手でふさいだ。

(くそっ、俺としたことが。こんなので笑うなんて)

 ジャンは、心の中でなぜか「負けた」と感じてしまった。

(だがこれ以上は負けない!)

 そう思った次の瞬間、

《シャチホコ!!》

「ぶはあああ!!」

 再び江頭倒立をかます江頭の姿に、とうとう我慢できず涎と鼻水を吹き出してしまった。

「あがああああああ!!」


「ぬわおおおおおお!!!!」

 そんな江頭の動きを見て、巨人の群は逃げ出して行った。

 二十体以上はいたであろう、多数の巨人が走って逃げだすのである。

 巨大な地響きと砂埃、そして奇妙な湯気を辺りを覆った。

「エガちゃああん! 助かったよ!」

 そう叫んだのはエレンだ。

《おうエレン! ジャック! 無事だったか》

 巨大な江頭はそう言った。

「俺はジャックじゃねえ! ジャンだ!」

《悪い悪い! 二人とも無事でよかった! 他の連中は!》

「残念だけどエガちゃん。かなりの数がやられたよ! 大半は逃げ延びたみたいだけど」

《そうなのか……》

 エレンのその言葉に江頭は少し暗い顔をする。

 だが、感傷に浸っている暇はなかった。

「おいエレン! あれ……!」

 ジャンは砂煙の中に、大きな影を見つける。

 そこには、一体の巨人が残っていた。

 段々と砂煙が晴れてきて、その姿がはっきりと見えるようになる。

「あれは! おいエレン!」


「ああ、間違いない」

 皮膚らしきものがなく、筋繊維がむき出しになったようなグロデスクな外見の巨人。

 だがその髪の毛や体型、特に大きな乳房と尻は女性そのものの形である。

「女型の巨人!」

 エレンたちにとって今日までに見たことのない巨人だ。

 だがそれは外見だけでなく、行動もそうだった。

 普通の巨人は人を食らうのだが、女型の巨人はそうではない。
 
 攻撃してきた人を倒す。

 通常の巨人は喰うために殺す。だが女型の巨人は殺すために殺していた。

「気を付けてエガちゃん! そいつ、普通の巨人じゃないよ!」

 エレンの声が響く。

 確かに、江頭の変な動きを見ても他の巨人のように逃げださなかった。

 それだけでも、もう他の巨人とは違うのだ。

 そんな巨人を見て江頭は一言。

《お、なかなかいい女じゃねえか》

「ぶっ!」江頭の言葉にジャンは吹き出す。

「エガちゃん! 気持ち悪くないのかよ!!」

 エレンは叫んだ。

《やれるぜえ、あれくらいだったら十分やれる》


「何がやれるってんだあ! オッサン!」

 思わずジャンも叫んでしまう。

《俺は橋田壽賀子とキスした男だぞ! あんなんでもやれるに決まってるだろう》

「ハシダスガコって誰だよ一体!」

 自分の知らない人物(?)の名前に、おもわずツッコミを入れるジャン。

「とにかくエガちゃん! あの女型の巨人に仲間をたくさんやられたんだ!

 あいつを何とかしないと、俺たちは全滅してしまうかもしれん!」

 エレンは叫ぶ。

 確かにその通り。調査兵団のような精鋭ならばともかく、駐屯兵団の下っ端クラス

だと、1000人集めても全滅させられてしまいそう。

 それだけ女型の巨人の動きは恐ろしかった。

 巨人の群が来てからは、疲れたのかあまり動かなくなったけれど、巨人どもがいなくなった今、

戦えるのは自分しかいないと悟った彼女は、腕を上げて戦いの構えを見せる。

《なんかよくわからんが、アイツを倒せばいいんだな?》

 女型の巨人だけでなく、江頭もやる気だ。

《うおおおおお! なんか興奮してきたぞおお!》

「頑張れエガちゃん!」

「頑張れってくれよオッサン!」

 ほぼガスも尽きて、戦闘らしい戦闘の続行が不可能になっていたエレンとジャンの

二人は、もはや黒タイツの巨人(江頭)を応援するしかなかった。





   つづく




 現在公開可能な情報5

・橋田壽賀子キス事件

 江頭自らも認める伝説(黒歴史)の一つ。 

 2001年、江頭が『笑っていいとも』に出演した際、同番組に出演していた脚本家の

橋田壽賀子を黙らせるため、江頭が橋田に口づけをした事件。

 その結果、担当ディレクターは正座させられ、江頭は2014年3月まで笑っていいとも

出入り禁止となった(いいとものスペシャル番組は除く)。


 ウォール・マリア陥落後、無人となっていた農村の一角で、巨大化した江頭2:50こと黒タイツの巨人と、

女の姿をした女型の巨人が対峙していた。

 それを見つめるジャンとエレンの二人。

 本当は、エレンたちも協力して戦いたかったのだが、残念ながら立体機動装置の

燃料(ガス)が不足しており、今は応援することくらいしかできない。

「頑張れエガちゃん!」

 エレンの声が空に響く。

「本当にやれんのか?」

 一方、ジャンは心配していた。

 女型の巨人の戦闘力はすでに見ている。

 通常の巨人とは比べ物にならないくらい硬く、何より強い。

「……」

 女型の巨人はゆっくりと両手を上げて構えた。

 格闘技をやっているような構え。

「あの構え」

「どうした、エレン」

「いや、なんでもない」

 エレンはそう言って首を振る。

 何かを思い出したような顔をしているけれど、今はそれを追求している暇はない。

「それにしても、あのオッサンって強かったのか?」


 彼が戦っているところをジャン見たことがないので、実はよくわからない。

 トロスト区の戦闘でも、彼が変な動きをすると巨人たちが帰って行ったので、

本当の戦闘というものを見たことがないのだ。

「でもさ、ジャン」

 再びエレンが口を開く。

「あん? なんだよ」

「あの筋肉、凄くないか」

 江頭の上半身を見ながらエレンは言った。

「あれならライナーのほうが……」

 そう言いかけてジャンは言葉を止める。

 確かに江頭の筋肉は引き締まっていた。無駄な脂肪が一切なく、腹筋も割れている。

 胸毛や乳毛は気持ち悪いけれど、背中の筋肉もしっかりしており、ある意味理想的な

肉体とも言える。

 三転倒立や不思議な踊りなど、人間離れした動きができるのなら、格闘も強いのかもしれない。

《安心しろ二人とも! 俺はハッスルにも参戦したことがあるんだ!》

 江頭は言った。

(ハッスルってなんだよ)

 江頭は時々、ジャンたちにわからないことを言う。

《おい、そこの女巨人! 押し倒してマ〇コに腕ツッコんでヒーヒー言わせてやる!!》


「……」

 女性陣がいたら確実に好感度が20ポイントは下がるであろう言葉を発して、

江頭は相手を挑発する。

 その言葉に反応したのか、女型の巨人がジリジリと距離を詰めた。

 息をのむジャンとエレンの二人。

 緊張の瞬間だ。

 そして、戦いが始まる――





 
    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


     第六話  お笑いと戦い

 



 いきなりの平手打ち、

 そして接近してからの肘!

 最後の仕上げはハイキック――

《ぬおわああああああああ!!!!》

 女型の巨人の攻撃に、江頭は吹き飛ばされてしまった。

「なにが『ぬおわあああ』だ! お前全然弱いじゃねえかコノヤロー!!!」

 勢いよく転げまわる江頭に、ジャンは叫んだ。

《だってしょうがねえだろう!》

 頬を抑えつつ、素早く起き上がった江頭が言った。

「何がしょうがねえんだよ!」

《この女強いぜえ! 間違いなく強い。松本キックよりも強いんじゃねえか!?》

「だから知らねえよそんな奴!」

「うわあ、エガちゃん!」

 エレンが叫ぶや否や、女型の巨人は再び江頭に接近し、ストレートを何度も

繰り出したあげく、素早いローキックをかました。

《がああああ!!!》

 足払いのように蹴られた江頭の身体は宙を舞う。

 巨人の身体があそこまで飛ぶとは思わなかった。

(いや待てよ。確か訓練隊の教育では、巨人はその体積に対して質量が軽いという話があったな)


 ジャンは少しだけ昔のことを思い出す。

《くっそ、いてええ!》

 再び立ち上がる江頭。

 このままでは何度も転ばされそうだ。

 ジャンとエレンがそう思った時、

《…………》

 江頭は無言で右手を挙げた。

 そして女型の巨人ににじり寄る。

「まさか……」

《力比べだコラアアア!!!》

 そう、江頭は力比べをしようとしているのだ。

「ダメだエガちゃん! いくらなんでも無茶だよ!」

 エレンは叫ぶ。

「いや、エレン。実はいい考えかもしれんぞ」

 其れに対してジャンは言った。

「ジャン?」

「よく考えてみろ。格闘センスでは圧倒的に女型の巨人のほうが上だ。

 だが力はどうだ? 女の巨人よりも男のほうが強いかもしれないだろう」

「そうか、つまり自分の得意なフィールドに持ち込んだってわけか」

「そう言うことだ」







《イタタタタタタタ!!!》

「負けてるし! 何やってんだ!!」

 江頭は右手を掴まれたまま、その場に跪く。

 どうやら“力”でも江頭は女型の巨人に敵わないようだ。

「おい、どうすんだこりゃ。万事休すか?」

 ジャンがそう言ったその時、

《心配すんなお前たち!》

 江頭はまた言った。

「何がだよエガちゃん!」

《俺はお笑い芸人だ。お笑い芸人としての戦いをしてやる》

「え?」

 そう言うと江頭は立ち上がる。

 すでに身体の所々が女型の巨人の攻撃によって痣になっていた。

「エガちゃん……」

「オッサン」

 不安そうに見つめる二人の前で立ち上がり、再び背筋を伸ばす江頭。

《行くぞおおお! 取って入れて出す! 取って入れて出す! 取って入れて取って入れて

 ガッペムカツクドゥーンドゥーン ドオオオオオオン!!!》

 いつものギャグをかました江頭は、不敵な笑みを浮かべた。

 なぜか、女型の巨人は攻撃もせず、その様子をずっと見ている。

《行くぞおおお! 江頭2:50! モノマネ百連発!!!!》

 人差し指を立てた右手を高々と上げる江頭。

 そして、





《エレン・イェーガーですう》







《ブッ》

 全然似ていない、というかモノマネですらない行為に、思わず目を背けて口元を抑える女型の巨人。

「おいエレン。見たか?」

「ああ、見た。女型の巨人、笑ってたよな」

「ああ、笑った。あの全然似てないモノマネで!」

「そうだ。全然似てないモノマネで笑った!」

 二人のその会話に、女型の巨人は首を振る。


(人間の言葉がわかるのか。やはりコイツは)

「いいや笑ったね! 明らかに笑った! コイツはエガちゃんのギャグが好きなんだ!!」

 ジャンは挑発するように大声で叫ぶ。

「なあ、エレンもそう思うだろう!?」

「あ、ああ。確かに女型の巨人は笑ってたぜ! さすがエガちゃん。巨人を笑わすなんて!」

《……》

 女型の巨人の動きが止まる。

「な!?」

 と、思った瞬間に巨人は素早くジャンたちに接近し、こちらを踏み潰そうとしてきた。

「ぎゃあああ!」

「なんでコッチを攻撃してくるんだよお!」
 
 エレンが涙目になりながら叫ぶ。

「よくわからんが狙い通りだ!」

 ジャンは言う。

「何が!?」

「やーいやーい、シモネタ好きの女型の巨人! ド淫乱!!」

 ジャンのその声に、更に攻撃をヒートアップさせていく女型の巨人。

 言葉が理解できる。感情もある。


 間違いなくこの巨人は、人間だ。

 ジャンはそう確信した。

 だが、

(ヤバイ。死ぬかもしれん)

 巨人の激しい攻撃に、立体機動装置に残った最後のガスを使おうとした瞬間、


《どりゃああ!!!》


 黒い影が、飛び込んできた。

 そして、女型の巨人のその巨体が数十メートル先に吹き飛ぶ。

《危なかった》

「エガちゃん!」

 江頭2:50のヒップアタックが女型の巨人を突き飛ばしたのだ。

《エガシラアタック!!!》

 技名を高らかと宣言する江頭。

「うおおおおお!」

「やったぞおお!」

 思えば、江頭にとっては初めてとなる反撃らしい反撃であった。

 見ると、女型の巨人は尻餅をついていた。

 これはチャンスだ。

「チャンスだオッサン! 攻撃しろお!」


 ジャンは叫ぶ。

《よおおおし! やるぞおお!!》

 江頭はそう言って女型の巨人に走って接近した。

 そのまま飛び蹴りでもかますのかと思ったら、思いもかけない行為にうつったのだ。

《テポドンンウォッシュだあ!》

 そう言って、黒タイツの中に腕を突っ込む江頭。

 そして、

《ドーン! ドーン! ドーン! ドオオオオオオンン!!!》

『ドーン』の要領で、女型の巨人の顔をタイツ越しに攻撃する江頭。

「何やってんだオッサン! 普通に殴ったほうが早いだろうが!」

 頭を抱えるジャン。

 お笑い芸人の行動は予想も理解もできない。

「いや、待てジャン」

 そんなジャンにエレンは言った。

「なんだエレン。あの攻撃に意味があるとでも言うのか?」

「その通りだ」

「何だよ」

「もしお前が女型の巨人の立場だったら」

「なに? それが」


「普通に攻撃されるのと、あんなふうにふざけて攻撃されるの、どっちが屈辱的だろうか」

「そりゃあ、後者だろうなあ」

 当たり前だ。

 本気で喧嘩しているのならなおさらだ。

 ジャンはエレンと喧嘩をしていた日のことを思い出す。

(もし、エレンがあんな風に変な攻撃をしてきたら、おそらく俺は一生奴を許さなかっただろう)

 そう、ジャンは確信する。

《うわあ!》

 体力を回復させたのか、急に立ち上がる女型の巨人。

 気のせいか、彼女の周りに立ち上る湯気の量が増えたような気がする。

 先ほどと違い、素早く間合いを詰める女型。

《ぬお! おわ!》

 それをギリギリで避ける江頭。
 
 時々当たるけれど、致命傷にはならない。

 だが、防戦一方なのでやられるのは時間の問題。

「おい、こりゃやべえぞエレン。あのオッサン、本気で殺されるかも」

「何言ってんだジャン! よく見てみろ。女型の巨人の動き、おかしいと思わないか」

「さっきより攻撃的?」

「それもある。だが其れ以上に大振りだ。蹴りも殴りも」


「大振り」

「さっきまで、コンパクトに攻撃を当てることに集中していた女型が、今は大振り。

 一方エガちゃんは、それを見越してか、女型の巨人の攻撃をかわしている」

 そういえば、エレンの対人格闘成績はミカサに次いで二位だったはずだ。

 ミカサほどずば抜けた才能はないものの、努力と研究は誰にも負けていない。

「でもこのまま防戦一方なら、いずれにせよジリ貧だ。何とかしなけりゃ」

 そう言うと、ジャンは立体機動装置に手をかける。

 ガスは残りわずか。

 先ほど使ってせいで、ほとんど残ってはいないけれど、あと一回分くらいはある。

「待てよジャン。二人同時に行くぞ」

「わかってる」

「タイミングを合わせ――」

 そこまで言ったところで、二人は言葉を止めた。

「あれは」

《ぐおおお!》

 女型の巨人の攻撃を必死に耐える江頭。

 その視線の先、女型の巨人の背後に一つの人影が見えた。

 太陽の光に反射する白刃と、美しい金髪。


「クリスタ!!」


 立体機動装置で飛び上がったクリスタ・レンズが白刃を振るう。

「えいっ!」

 彼女の一振りが女型の巨人、というか巨人全般の弱点である首の後ろのあたり、

つまり“うなじ”を切り裂く。

《ギャアアアアアア!!!!》

 女型の巨人の叫び声が響いた。

「やったか!」と、エレン。

「いや! まだ浅い」

 ジャンが状況を冷静に分析する。  

 女型の巨人の背中から蒸気が噴き出す。

 巨人は人間よりもはるかに強力な自己回復能力を持っているのだ。

「回復させる気だ!」

「させるか!」

 エレンとジャンは最後のガスを使い、立体機動戦闘に入る。

 だが、

 女型の巨人の右腕が彼らを襲う。

 左手は、弱点であるうなじへ。

「その手をそぎ落としてやるよ!」

 辛うじて右腕の攻撃を避けたジャンが左腕を攻撃する。

 しかし、

「ぐわっ!」


 硬化されているのか、ジャンの持っている剣の刃が砕けてしまった。

「こいつ、固いぞ!」

 次の瞬間、ジャンとエレンのガスが切れる。

「くそっ、あとちょっとなのに!」

「二人とも、大丈夫?!」

 二人に声をかけるクリスタ。

「クリスタ! 今は敵に集中しろお!」

 ジャンは叫ぶ。

「そうだ」

「でも!」

《コイツは任せろ!》

 そう言った江頭が女型の巨人に接近する。

 そして、





 んちゅっ――






「え?」

「へ?」

「ああ……」

 女型の巨人に口づけをしたのだ!

「きゃああ! きゃああああ!」

 あまりの衝撃的な光景に、赤面して騒ぐクリスタ。


《んぷううう!!!!》

 あまりに予想外の行為に驚いたのか、女型の巨人のうなじから火山ガスのごとく蒸気が噴き出した。

「うわあああ!!!」

 その蒸気は周囲を包む霧となって行く。

「アチチチッ、あちいいい!」

 まるで温泉街のような湯気。

 いや、もうそれ以上だ。

「エレン! クリスタ! 無事かあ!」

 ジャンが叫ぶ。

「俺は無事だあ!」

 エレンが返事をした。

「私も無事です!」

 クリスタも返事をする。

 二人が無事、ということはあと一人――

 江頭2:50の行方は。

 十数分後、すっかり霧が晴れたころには女型の巨人はどこにもいなくなっていた。

(逃げたのか? それとも他の巨人と同じように死んでしまったか)

 巨人は死ぬと、身体が消えてなくなるのだ。

 理由はわからない。


「それよりエガちゃんは!?」

 エレンは叫んだ。

「消えたんじゃねえか? あの女型の巨人と一緒に」

「そんなバカな!」

 二人がそんな会話をしていると、

「あ、あそこ!」

 クリスタがとある方向を指さす。その先には、

「エガちゃん!」

「エガシラさん!」

 江頭が横たわっていた。

 しかも大きさは巨人サイズではなく、普通の人間サイズだ。

 いつの間に、どうやって戻ったのかはよくわからない。

 だが視線の先に横たわっている人間は間違いなく江頭2:50である。。

「エガシラさん! しっかり」

 真っ先に駆け寄ったのは、意外にも彼を気持ち悪がっていたクリスタであった。

 江頭を抱き起すクリスタ。

「エガシラさん」

 そして再び名前を呼んでみた。

 すると、

「ん、んん……」


 意識はあるようだ。

「エガちゃん!」

「オッサン、生きてるか」

 エレンとジャンも声をかける。

「あれ。女型の巨人は?」

「いなくなったよ。死んだのか、もしくは逃げたのか……」

 ジャンが自信なさげに言う。
  
「生きてるよ」

 だが江頭は確信を持った声でそう言った。

「え?」

「生きてる。あの女は生きている」

「どうしてわかる?」

「勘だ。そうとしか言いようがない。少なくとも死んだって感覚はなかった」

「なんだよ、いい加減だな」

「それが俺だからな」

「でもよかった。エガシラさんも無事で」

 そう言ったのはクリスタだった。

「どうしてクリスタがここに?」

 エレンが聞く。


「あの、リヴァイ兵長から言われて、江頭さんの馬と服を持ってきました」

「あいつが」

 江頭が一瞬だけ遠い目をした。

 何かあったのだろうか。

「とにかく、ここを早く移動したほうがいい。もしそのオッサン、ああいや、エガシラ

さんの言うことが正しければ、また女型の巨人が襲ってくるかもしれないからな」

 と、ジャンは言った。

「そうだな」

 そう言って全員が立ち上がる。まずは、自分たちの馬を探すことからしなければならないけど。

「と、ところで……」

「ん?」
 
 全員が歩き出したところでジャンが江頭を呼び止める。

「どうした」

「その……、エガシラさん。助けてくれてありがとうございます。本当、ダメかと思ったから」

「何、気にすんな。生きてて良かったな」

 そう言って江頭は笑った。

 初めて見た時、気持ち悪いと思っていた彼の笑顔が、今のジャンには一際眩しく映るのだった。




   つづく



   現在公開可能な情報6

・松本キック

 本名松本真一。お笑いコンビ「松本ハウス」の片方。相方はハウス加賀谷。

加賀谷の病気で一時期コンビを解散し、ピン芸人として活動していたが、

加賀谷の復帰を機にコンビを再結成させる。

 江頭の事務所の後輩で、2007年まで大川興業に所属していた。

 格闘技の達人であることも一部では有名。


 夕焼けにそまりつつある草原で、アルミンは馬を走らせていた。

 午後から戦闘に次ぐ戦闘であったため、疲労困憊気味であるけれど、

仲間の班員や部隊全体から遅れることは許されない。

「おーいアルミン!」

 不意に後方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ライナー! それにベルトルトも」

 訓練隊で同期だった二人だ。

 馬を走らせながら三人は併走する。

「そっちも大変だったみたいだな」

 ライナーは言う。

「うん。かなり大勢の巨人が襲ってきたみたいだからね。

 僕らは本部の護衛につきっきりだったよ」

「そうか。俺たちもだ。あと、班長がやられた」

「そうなんだ……」

 調査兵団の遠征に犠牲はつきもの。

 だが毎回こんなにも犠牲が出ていたのでは、同期で入った仲間たちもいずれ

いなくなってしまうのではないかと、エルミンは心配していた。

「エレンはどうしてる」

 ライナーは聞いた。

「わからない」

「確かあいつとジャンは、右翼側の班にいたはずだよな」


「そうなんだ。右翼側は後方(ここ)よりもかなり酷くやられたみたいだから、

 ちょっと心配だよ」

「部隊からはぐれていないといいがな」

「うん。僕も少しの間、部隊から取り残されそうになったけど、なんとか追いついたよ」

「煙弾、見えたのか?」

「うん。黄色の煙弾。『西に進路を取って前進』って合図だったよね」

「ああ。俺たちもそれを見つけたからな。助かった」

「壁内の戦闘と違って、こんな壁外で部隊からはぐれるのは命にかかわるからね」

「そうだな。もうすぐ日も暮れる」

「うん。夜になると大変だ」
  
(エレン。何とかこちらに合流していてくれ)

 アルミンは祈るように馬を走らせた。

 すでに西の空は闇に染まり始めている。







    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



      第七話    夜


     


 女型の巨人との死闘を何とか生き抜いたエレン、ジャン、そして江頭2:50。

 救援に来たクリスタからエレンとジャンは予備のガスタンクを受け取り、江頭は再び服を着て、

馬に乗った。

「本当にこっちでいいのか? ジャン」

 不安そうにエレンは聞いてくる。

「ああ。さっき遠くの煙弾が見えた。色は緑。『東に進路を取って前進』という合図だ」

「なあ、東っていったらさあ」

「確か街があったな。少し規模の大きい街だ」

「そこに集結するのかな」

「まあ、この広い平原で野宿するよりはマシかもしれんけど」

「大丈夫かな」

「とにかく進むしかないだろう。早く本隊に合流しないと、もうすぐ日が暮れる」

「そうだな」

 いつも顔を合わせれば喧嘩ばかりしていたエレンと、今は普通に話をしている。

 こんな時に喧嘩をしていたら命にかかわるからだ。

(気に入らねえ部分は多々あるけれど、それは駐屯地に帰ってからの話だ。

 今は我慢我慢)

 ジャンはそう自分に言い聞かせながら馬を走らせた。

 彼らの後ろには、クリスタと江頭もいる。


 
 
   *


 ウォールマリア内にある交易都市の一つ。

 五年前までは名の知れた都市だったのかもしれないけれど、巨人の支配下になってからは、

街の名前すら誰も思い出せなくなっていた。

 そんな見捨てられた街に江頭たち四人は到着した。

 闇に染まる街は不気味だ。

 人の気配が全くない。

 これまでの調査では、人の住んでいた場所に巨人が出没するという報告が多数寄せられていたので、

こういう“外”の旧市街には近づかないことが鉄則であった。

 しかし、改めて来てみると巨人はおろか狐狸の気配すらしない、まったくのゴーストタウンであった。

「なあジャン。全然人がいねえじゃんかよ」

 エレンは不満そうに言う。

「うるせえなあ。この方角だとここしか目指すべき地点はないだろうがよ!」

 ジャンは反論する。

 しかし実の所、自分も間違えたかもしれないと心の中で思っていた。

 その焦りと苛立ちがエレンへのキツイ言葉となって外に絞り出されてしまう。

「二人とも喧嘩はやめて。今は言い争っている場合じゃないでしょう?」

 そんな二人の間に、クリスタが割って入った。

「悪いクリスタ。でもさ、早くみんなと合流しないとまずいだろう。急いで移動しないと」


「気持ちはわかる。でも、これ以上動くのはよくないと思う」

「どうして?」

「今は夜よ。周りが見えない状況で動くのは危険。更に迷ってしまう可能性もあるから」

 クリスタはそう主張する。

「でもさ、夜なら巨人の動きも鈍くなるから、逆に安全なんじゃないか?」

 そう言ったのはジャンだ。

 確かに巨人は夜よりも昼間、活発に行動する。

 太陽の光が何かに関係しているのだろうか。詳しいことは未だにわかっていない。

 夜は見通しが効かない反面、巨人の行動が不活発になるので、夜に動くことは

ある意味合理的である。

 だが、

「夜でも活発に動く奇行種もいるよ。それに方角が分からなくなり危険性もある」 

「じゃあクリスタはどうするべきだと思うんだ?」

 ジャンは聞いた。

 答えは、概ねわかっていたけれどあえて聞いたのだ。

「ここで一泊するべき、……だと思います」

 最後は少々控えめにクリスタは言う。

「ここでか……」


 巨人に破壊され、いくつか壊れているけれど、それ以外の建物は未だに建材である。

 五年前から放置され続けているため、清潔さは期待できないけれど。

「しかしクリスタ、一泊するのはいいけど、どうしてここで休もうなんて」

 エレンは聞いた。

「いや、だって、エガシラさんが」

「エガちゃん?」

「……」

 エレンの視線の先には、元気のない江頭の血の気の引いた顔が飛び込んできた。

 昼間の黒タイツ姿の巨人とは似ても似つかぬ大人しい中年男の姿である。

「これ以上の移動は危険かなって思って」

 確かに、長時間の移動には耐えられそうにない。

 乗馬に慣れていない江頭には、馬で移動するだけでもかなりの体力を消耗したことだろう。

 


   *


 火を起こすと、煙や光で巨人が寄ってくる危険性があるので、灯りは蝋燭一本という、

心もとないものになった。

 だが、暗い夜の中で光る小さな光は人を安心させるものがある。

 これでもう少し暖かければ問題ないのだが、今は贅沢など言ってられない。

 馬に乗せてあった携帯用の食料を皆で食べる。

「見た目はカロリーメイトみたいだな」

 そう言ったのは江頭であったが、誰も『カロリーメイト』というものを知らない。 

 不味くも無いが、そう美味くもない携行食をみんな無言で食べる。

 それでも戦闘に次ぐ戦闘で全員消耗しきっていたので、こんな食事でも美味しくかじられるのは不思議だ。

 何日も続けていると鬱になりそうだが、栄養価だけは高いので死ぬことはないだろう。

「……」

 油断していると眠ってしまいそうになる。
 
 だが、話をするほどの元気はない。

 全員疲れ切っているのだ。

 特に江頭の疲労は目に見えて酷そうである。

「休んでもいいよ、エガちゃん」

 エレンは言った。

「いや、危険性があるなら休むわけにはいかないだろう」

 江頭そう主張する。


 頑固そうな表情がそこにあった。

「でも休まないとヤバいだろう」

「それはお前たちも同じだろう?」

「ふう」

 エレンは大きく息をつく。

 確かに休まないと不味い。

 周りを見ると、ジャンもクリスタも疲れた表情をしている。

「じゃあこうしよう。二人一組になって、一組が見張りをしている間にもう一組が

 休む。それならどうだい?」

「なんで一組なんだ? 一人ずつでもいいじゃないのか?」

 ジャンがそう言った。

「うん。でも一人だと眠ってしまう危険性もあるだろう? 二人なら、どちらかが

起きていることもできるし」

「なるほどな」

 ジャンも納得したようだ。

 しかし問題はまだ残っていた。

「それで、組み分けはどうするんだ?」

「……」

 そこまでは考えてなかった。


「くじ引きでいいんじゃないですか?」

 と、クリスタは言った。

「じゃあそれでいい」

 エレンはそう言い放つ。

「じゃあってなんだよじゃあって」

 それに対しジャンがつっかっかってきた。

「何か不満でもあんのかよ」

「お前と組になったら、また悪いことが起こりそうな気がする」

「気がするってなんだよ気がするって。なんか根拠でもあんのか?」

「根拠はある。お前と一緒の班になった時、確か冬山演習の時だったけど、

 吹雪に巻き込まれて危うく死にかけただろう。

 トロスト区の戦いだってアレだ。お前と合流したばっかりに」

「トロスト区は関係ないだろうが。それに訓練隊の時はだな」

「二人とも、言い合いは止めてください」

 クリスタの仲裁で喧嘩を止めた二人は、不満そうな顔でくじ引きを開始した。

「では、ここに四本の紐があります。このうちの二本に赤い印が付いているんですが、

 赤い印が付いているのを引いた人同士がペアになり、印が付いていない紐を引いた

 人同士がもう一方のペアです」

「わかった」

「異議ナーシ」


 二人はそれに納得したようだ。

「江頭さんもよろしいですか?」

「俺は別に誰とでもいいよ」

 江頭は疲労感をにじませた表情で言う。

「では、引きましょう」

 クリスタが握った紐を、他の三人が一斉に持つ。

 そして、

「だああああ! やっぱりかあ!」

「くそがあああああ!」

 見事(?)、エレンとジャンがペアとなった。

 そうなると当然、もう一方のペアになるのは――




   *




 最初は何も見えなかった闇夜だったけれど、しばらくその中にいると段々目が慣れてくるもの。

 誰もいない街の中、見晴らしの良い建物の屋上に江頭とクリスタは並んで座っていた。

 二人の間の距離は人二人分と言ったところか。

 不自然に離れているわけではないけれど、だからと言って近いわけでもない。

(気をつかってくれているのかな)

 ふと、クリスタは思った。

「あ、あの……、エガシラさん」

「ん? どうした」

「その、ずっと言おうと思ってたんですけど」

「ああ」

「この前は、ありがとうございます」

「この前?」

「あの、駐屯地の夜に声をかけてもらったと思うんですけど」

「ん……、ああ。あのことか。それが何か」

「いえ、その。ずっと心配で怖かったんですけど、エガシラさんに声をかけてもらった

 おかげで、少しだけ恐怖というか、不安が和らいだ気がするんです」

「本当に」

「ええ。だから、ちゃんとお礼が言いたくて」


「そうか。まあ、それならいいんだけど」

 江頭は照れながら顔を背ける。

(なんだろう。ちょっと可愛い)

 自分よりもはるかに年上の男性の存在は、クリスタにとっては新鮮であった。

 なぜなら、今までずっと同世代か、少し上の世代の男性としか交流がなかった

わけだし、何よりも彼女は父親のことを――

 そこまで考えてから、一旦思考を止めるクリスタ。

(そんなの、今考えててもしかたがない)

 そう思い、彼女は大きく息を吸った。

「……」

「……」

 そして沈黙。

 沈黙が重い。

 何か話をしなければと思うけれど、彼女は年上の男性と何を話していいのかよくわからない。

 不意に強い風が吹く。

 冷たい北よりの風だ。

「なんか、寒いな。昼間は暖かかったのに」

 江頭は言った。

 確かに今の時期、夜は寒い。


「まだ龍の月ですからね。馬の月や羊の月になれば逆に暑くて眠れなくなるかもしれませんけど」

「この世界にも、そういう季節はあるんだな」

「季節ですか?」

「ああ、そうだよ。春夏秋冬。春は暖かく、夏は暑い。秋は涼しく、冬は寒い」

「そういう気候の移り変わりこの世界にもありますよ」

「どの季節が好き?」

「え?」

「いや、その。好きな季節」

 江頭の質問にクリスタは戸惑う。

「そんなの聞かれたの、初めてかも」

「どうして」

「ああいえ、季節って当たり前すぎて、好きとか嫌いとか、そんなの考えたこともなかった」

「そんなものかね」

「はい」

「ちなみにエガシラさんは、どの季節が好きですか?」

「やっぱ夏かな」

「それは」

「俺、上半身裸の仕事してるから、寒いよりは暑いほうがマシかなって思うんだけどさ」


「……それは」

 コメントに困るクリスタ。

「ああでも、夏の営業とか汗がガッペ出るから、やっぱ秋のほうがいいのかな」

「はあ」

「へっくし」

 不意にくしゃみをする江頭。

「大丈夫ですか?」

「いや、ちょっと寒気がしただけだ。気にしなくていい」

「そうだ。江頭さん」

「ん?」

「実は毛布があるんです。緊急用なんで一枚しかないけど、使ってください」

「いや、悪いよ。キミが使えばいい」

「遠慮なんてしないでください。もし江頭さんにもしものことがあったら、人類にとって損害です」

「だったら未来を担うキミが使ったほうがいい。若いんだから」

「大丈夫です。わたし、こう見えて兵士ですから」

「俺はお笑い芸人だよ」

「ええ、あの」

 その後も言い合いが続いたけれど、江頭は頑として毛布の使用を拒否した。

 頑固そうな顔をしていると思ったけれど、これほど頑固だとは思わなかったクリスタ。

「……わかりました」


「ん?」

「それでは“一緒に”使いましょう」

「おい、どういう――」

 戸惑う江頭に対し、クリスタは近づいて毛布を広げる。

「な、何をやってるんだ」

「こうすれば、一緒に仕えるでしょう? 全然寒くないですし」

「でも……、いいのか?」

「何がですか?」

「いや、その」

 江頭は顔を背けてモゴモゴしている。

「?」

「俺、男だしよ」

「べ、別に、そんなことはあまり気にしませんし。今はそれどころじゃないと思いますので」

「いや、確かに、今はそれどころじゃないと思うぜ。だけどよ、キミくらいの歳の子って、

俺くらいの世代を嫌うもんじゃねえかと思ってさ」

「嫌う? どうしてですか?」

 確かに嫌うというか、江頭のことを苦手だと思ったことはあった。

 だがそれは、年齢が原因ではない。


「俺の知り合いにも、キミくらいの年ごろの娘がいる男がいるけど、なんつうか、

 高校生くらいの娘だと、父親を嫌うものらしいぜ」

「コウコウセイ?」

「キミと同じくらいの年代ってことだ」

「別に、気にすることはありませんけど」

「親父さんの臭いが気になったりしないか?」

「オヤジ? お父さんのことですか?」

「ああ。父親と距離を置きたがる年頃って聞いたけどな。俺には娘がいないから

 わからないけど」

「べ、別にそんなことは、ないと思います。それにニオイとかも」

 言われたクリスタは微かに江頭の臭いを嗅ぐ。

 不思議な匂いである。

 ほとんどは、調査兵団の制服の匂いなのだが、微かに今まで嗅いだことの無いような

男の匂いが彼女の鼻孔を刺激した。

(エレンやジャンはこんな匂いじゃなかった。こんなの初めてかも)

「でも別に不快では、ありませんよ」

「そりゃ、よかったけど」

「はい」

「親父さんとは仲がいいのかい?」

「父ですか!?」


「あ、何か不味いこと言ったかな」

「父は……、父親は――」

 言葉が詰まるクリスタ。

 どういえばいいのか、よくわからない。

「父は、いません」

「え?」

「……いません」

 そう言って俯く。

「そういえば、何年か前に凄い戦闘があったって言ってたな。すまなかった、辛いこと聞いて」

「いえ、別にそんな」

 江頭は何かを察したように謝る。

 その気遣いがなぜか痛い。

 それは彼に対する後ろめたさがあるからなのだろうか。

 改めて毛布を体にかけた二人は、当然ながら先ほどよりもかなり近づいていた。

 クリスタの腰には立体機動装置がついているので、その分だけ江頭との間に隙間ができ、

身体が密着することはない。

 それでも、彼の息遣いや温もりが伝わってくる。

「あのさ、少し考えたんだが」


 沈黙を破るように江頭は言った。

 クリスタには気をつかって話しかけてくれているようにも思える。

「なんですか?」

「壁の外には巨人がいっぱいいて、人は移動できないんだったよな」

「……はい。そうですね。馬を使えば、辛うじて移動することもできますけど、

 それにも限界はありますけど」

「それじゃあさ。空を移動すりゃいいんじゃないか」

 そう言って江頭は夜空を見上げる。

「空、ですか?」

「ああ」

「で、でも。そんなに都合よく巨木や建物があるわけではないので、ずっと空中を

 移動するわけにはいきませんよ」

 クリスタは反論する。

 しかし、其れに対して江頭は意外そうな顔をしてこう言った。

「え? なんで巨木とか建物が必要なんだ?」

「いや、だから立体機動装置を使うなら、そういう高い物がないと空高く飛べないんですよ。

 もちろん、ガスの力を利用して高く飛び上がることもできますけど、それもわずかな

間だけで――」

「ああ、ちょっと待って」


 クリスタの説明を止めるように江頭は声を出す。

「なにか?」

「いや、別に空を飛ぶためにその立体機動装置を使う必要はないんだ」

「え? でも立体機動もなしにどうやって空を飛ぶんですか?」
 
「ああー」

 江頭は何かに気が付いたように、顔を上げて顎の辺りを指でかく。

「?」

「キミにはあまり想像できないかもしれないけど、俺たちの世界では立体機動以外にも

人間が空を飛ぶための機械が色々あるんだよ」

「空を飛ぶための機械?」

「そう。鳥みたいにね」

「信じられない。どうやって」

「飛行機とかヘリコプターって言っても、わからんだろうな」

「?」

 クリスタは首をかしげる。

 立体機動以外で空を飛ぶなんてことは、生まれてこの方考えたこともなかった。

 辛うじてムササビのように滑空する、という発想はあったけれど、いずれにせよ

継続的に空を飛び続けることにはならない。

「この世界の発想でも理解できるもの……」


 江頭は独り言のようにブツブツとつぶやく。

 そして、

「そうだ! あったあった」

「え? 何がですか」

「空を飛ぶための道具で、尚且つこの世界の技術水準でも理解可能なものが」

「それって、なんですか?」

「熱気球だよ」

「熱気球?」

「ああ。空気っていうのは、温めると上昇する原理があるんだ。

 それを利用して、こういう袋の中にあったかい空気を入れるだろう?」

 そう言うと江頭は水の入った皮袋を見せる。

「入れるって、どうやってですか?」

「まあそうだな。バーナーとかを利用して、中の空気を暖める。すると中に入っている

空気が暖かくなって、浮かび上がるんだ。水素やヘリウムガスを使って飛行船を作る

ってこともできないことはないが、こっちは危険性が高いかもしれない」

 
「本当に作れるんですか?」

「キミの持ってるその立体機動装置が作れるくらいの技術力があれば、多分できると

思うんだけどな」

「はあー、上手く想像できない」


「そうかな」

「でもなんだか」

「ん?」

「楽しそうです」

「そうか?」

「ええ。どんな風に飛ぶんですか? 凄く早く?」

「ああいや。俺も乗ったことはないんだけど、こうゆっくり浮かび上がるような感じで。

風にふかれて」

「風に」

「そう。風に吹かれてゆっくりと進む――」

 江頭がそこまで言いかけたところで、強烈な光が街の大通りから放たれた。

 まるで大きな爆発が起こったような光。

 光からほんの一瞬遅れて強烈な爆風がクリスタたちを襲う。

「ぐわっ!」

「なに!?」

 天高く上る光の柱。やがてそれは消え、柱の根本の辺りに見覚えのある人型の

影が見えた。

 月明かりに照らされたそれは、この日の昼間に死闘を繰り広げた巨人であった。

「女型の巨人……」

「なぜこんな所に……」


「はっ、エレンとジャンに知らせないと」

 そう言ってクリスタが立ち上がると、

「待てクリスタっ」

 江頭が止めた。

「え?」

「今動くと女型(アイツ)に気づかれてしまうかも」

「エガシラさん!」

「な!」

 いつの間にか距離を詰めていた女型の巨人が大きく腕を振るう」

「があああ!!!」

「エガシラさあああん!」

 振り下ろした腕は、石造りの家を真っ二つに割り、飛び散った石が身体に当たる。

「助かった、クリスタ」

「いえ」

 寸での所で、クリスタは江頭の腕を掴み、立体機動装置で移動した。

「もっとしっかりつかまってください。腕が抜けそう」

「悪い」

 そう言うと、江頭は斜め後ろからクリスタに抱き着く。

「ひゃふっ!」

「ああ、すまん。大丈夫か」


「だ、大丈夫です」

(こんなふうに男の人と密着したのは久しぶりな気がする)

 クリスタはそう思うと顔が熱くなってきた。

(何考えているのよ私)

 別の建物の屋上に着地したところで、月明かりに反射したワイヤーが見えた。

「エレン! ジャン! 無事だったんだ」

 エレンとジャンが夕方に補給したガスを使って、立体機動装置を動かしている。

 だが、女型の巨人はハエを追い払うようにその攻撃を防ぐと、再びこちらに向かってきた。

(間違いない。女型の巨人の目的は――)

 クリスタは隣にいる江頭を見た。

「エガシラさん! 行きます、つかまって」

「掴まるってどこに」

「後ろ! 早く!」

「お、おう」

 江頭がおぶるように抱えたクリスタは、立体機動装置を作動させる。

「アチチッ!」

 装置の発する排ガスを熱がる江頭。元々この装置は一人用なので、他人を抱えて

移動するようにはできていない。

「ごめんなさい江頭さん」


「クリスタ! ここは任せろ!」

 遠くからエレンの声が聞こえる。

「死なないで……」

 クリスタは独り言のようにつぶやく。

 その声がエレンやジャンに届くはずもないけれど。

「クリスタ、高く飛んだら不利だ。低く飛ぼう」

 そう、江頭が言った。

「はい」

 確かにその通りかもしれない、とクリスタは思う。

 できる限り月明かりの影に入り、女型の巨人から逃れなければならない。

 ドカドカと足音が響く。

 こちらに近づいてきた音だ。





   * 
 

「くっそ! 女型の巨人のやつ。こっちを全く見てねえ!」

 刃こぼれをした刃を捨てながらジャンは叫ぶ。

「なあジャン!」

 そんなジャンにエレンは呼びかけた。

「なんだエレン」

「もしかして、女型の巨人のやつ、俺たちのことを見えていないんじゃないのか?」

「はあ? 何言ってんだよ」

 予想外のエレンの言葉に、ジャンは立ち止まる。

 エレンも屋根の上に立って言った。

「だってさ。昼間に攻撃した時は、もっと正確に反撃してきたじゃないか」

「そういえば」

「でも、今は腕を払う程度で全然攻撃してきていない。確実に殺すなら視界の利く朝方に

やったほうがいいのに、あえて真夜中にやるってことは」

「焦っているとか」

「なぜ……」

 ふと、視界が暗くなった。

 月が雲に隠れたのだ。

 外灯など一切ない街は再び闇に包まれた。

「おいエレン! いるか」

「ああ! こっちだ」

「なあ、巨人の動きが」

「ああ」




   *



「巨人の動きが、止まった?」

 立体機動と走りを繰り返していた江頭とクリスタは、急に静かになった街に警戒しつつも、

呼吸を落ち着かせるために停止する。

「ハアハアハア」

 命がけの追いかけっこの直後、いくら酸素を送り込んでも呼吸が落ち着かない。

「月が隠れた。そうなると行動できないのか?」

 建物の影に隠れた江頭はそうつぶやく。

「エガシラさん」

「どうしたクリスタ」

「もし、また巨人が動き出したら私が囮になります。その隙に逃げてください」

「おい待てクリスタ」

「江頭さんの脚なら逃げ切れるはずです」

「クリスタ」

「はい」

「何言ってるんだ。危険だろうが」

「わ、私は兵士です。いつでも命を捧げる覚悟はできています」

 そう言うと、クリスタは自分の胸に拳を叩き付けた。

 自分の心臓を捧げる。


 そういう意味の敬礼。訓練部隊で一番最初にならう行為でもある。

「クリスタ。悪いけどキミに死なれちゃ困る」

「どうしてですか? 私なんかよりもエガシラさんのほうがよっぽど重要じゃあ」

「『私なんか』とか言うな。俺はちょっと思ったんだけどさ、キミはあまり自分を

 大事にしていないんじゃないか。もっと自分のことを大切にしたほうがいい。

 女の子なんだし」

「知ったような口きかないでください」

「え?」

「あなたに、私の何がわかるっていうんですか。何も知らないくせに!」

「クリスタ?」

 クリスタは一瞬「しまった」と思ったが、もう後には引けない。

 だから彼女は最後まで建前で通すことにした。

「私は兵士として自分の生を全うしたいだけです。そのためには命を惜しまない。

 これまでの戦いで亡くなった先輩方のように」

「クリスタ」

「え?」

 不意に、江頭はクリスタの頭を撫でる。

 予想外の行動にクリスタは戸惑ってしまった。

「確かに俺にはクリスタがどんな人生を歩んでいたか、それはわからない。

 でも、今お前はこの場で生きている。どんなクソみたいな人生でも、

 生きている限りはいくらかの可能性はある。でも死んだら終わりだ」


「わかってます……、そんなこと」

 次の瞬間、江頭は今まで撫でていた右手の人差し指でクリスタを指さす。

「糞みたいな人生ならそこから自分でキレイな花を咲かせりゃいいじゃねえかよ!

 簡単に諦めてんじゃねえぞ!

 どんなにどん底だっていいじゃねえか。そこから這い上がれよ!

 地獄を知ってる奴は強いぜえ!」

「エガシラさん、そんなに大声出したら」

 クリスタは止めようとするが、江頭は止まらない。

「俺を見ろ! どんなにバカにされても後ろ指さされても、警察に捕まったって

 生きているぜ! もちろん俺は芸のためなら死んだっていいと思ってる!

 だけど無駄に死ぬことだけはごめんだ!

 俺が死んだときは、みんなが笑ってくれたら最高だ!

 あいつは最後までお笑いだったって言ってくれたら最高だよ

 俺はな、俺は“死ぬまで生きるぜ”!」

「……!」

 クリスタは胸がいっぱいになり、もう声が出ない。

「それにな。俺にはまだ心残りがあるんだ。だからお前に死なれたら困る」

「心残り?」


「お前まだ俺のギャグで笑ったことないだろう。なんつうか、冷めてんだよなあ。

 そんなんじゃ面白くねえよ!」

「あ、あの……」

「いいか、絶対に笑わせてやるからな! 俺の芸人生命をかけても笑わせてやる。

 だから、絶対に死ぬんじゃねえぞ!わかったか!」

「……あ」

「わかったか!」

「はい!」

 クリスタはいつの間にか流れ出てきた涙と鼻水をすすりながら答えた。

「泣くな! 明日を創るのは涙じゃなくて笑いだこん畜生!」

 そう言うと、江頭はおもむろに服を脱ぎ始めた。

「江頭さん? 何してるんですか」

「戦いに行くにきまってんだろうが!」

 素早く上下の制服を脱いだ江頭は、上半身裸で、下半身は黒タイツというあの出で立ちになった。

「あ、バイトの時間だ」

「江頭さん!」

 江頭が建物から飛び出すと同時に、雲に隠れていた月が顔を出す。





   *


 月明かりの中、江頭は走る、走る、走る。

 それを追いかける女型の巨人。デカイ、そして速い。

 そりゃ巨人なんだから歩幅が圧倒的に違うよな。

 と、江頭は冷静になって思うけれど、今はそれどころではない。

 街の狭い道を右へ左へと避けるけれど、女型の巨人はそれでも追いかけてくる。 
   
(なんかバイオハザード4を思い出す)


 かつて、鈴木史朗から借りたゲームのことを思い出しながら江頭は走った。

「あっ!」

 気が付くと彼の目の前に腕が!

「ぐわあ!」

 女型の巨人が先回りをしたらしい。

「しまった」

 急ブレーキをかけるものの、引き返すわけにもいかない。

「くそっ」

 江頭がそう思った瞬間、体がふわりを浮きあがった。

「エレン!」

「大丈夫、エガちゃん!」

 立体機動装置を使ったエレン・イェーガーが、江頭の身体を掴んで飛び上がったのだ。

 しかし、女型の巨人も諦めず更に追いかけてくる。

「エガちゃん! 大きくなれないの!?」


 エレンは聞いた。

「なれねえんだよ!」

「前はどうやって大きくなったのさ」

「必死に走ってたらいつのまにか大きくなってたんだよ! 今回もそれでいけるかと

 思ったけど全然ダメだ!」

「だあ! くそ!」

「あれは!?」

 不意に、女型の巨人の首にワイヤーが絡む。

「止まれくそ女!」

 ジャン・キルシュタインだ。

 女型の巨人に自分のワイヤーを絡みつけたのだ。

 それを見た江頭は思わず叫んだ。

「ジャン! ワイヤーを外せ! 死ぬぞ!!」

「え?」

 一瞬の判断。おそらくそれが遅れていたら死んでいたかもしれない。

 素早くワイヤーを掴んだ女型の巨人はそれを引っ張ろうとした。

 巨人と人間。力の勝負で勝てるはずもない。

「くそっ」


 ジャンはワイヤーを外し、残ったもう一つのワイヤーで別方向に飛んだ。

「危なかった」

 もしも、このままジャンがワイヤーをつけたままにしていたら、女型に引っ張られて

グルグルとヌンチャクか鎖鎌のように回されていたかもしれない。
 
「よく気づいたね、エガちゃん」

 感心したようにエレンは言った。

「俺は若い頃から修羅場をくぐっているからな! 鮭フェ〇事件とか」

「シャケ〇ェラ事件?」

「そんなことより、とにかくあいつを何とかしねえと!」

「そ、そうだねエガちゃん」

「あそこだ! あそこに連れて行ってくれ!」

 江頭が指さしたその先は、おそらく街で最も高いであろう教会の塔の上。

「エガちゃん!?」




   *



「見せてやるぜ女巨人! この江頭2:50最高のお笑いをな!」

 エレンに連れられて塔の上に上った江頭は、月を背景にしてタイツの中に腕を入れる。

「見やがれ! ドオオオオオオオオオン!!!」

 江頭の声が闇夜に響く。

 塔の上で、江頭はドーンをやったのだ。

「ど腐れアマがああああ!!! 俺の芸を見ろおおおおおおお!!!」

 江頭の声がさらに響く。

 不意に距離を詰めた女型の巨人が右ストレートで塔を破壊した!

 当然、足場を無くした江頭の身体は宙を舞う。



「かかったなアホが!」



 江頭の身体の前には、女型の巨人の顔。

 ピトッ。 

 江頭が巨人の顔に張り付く。

 だが、ただくっついたわけではない。

 いつの間にか、江頭はタイツを脱いでいたのだ。

 そう、女型の巨人のすぐ目の前には“江頭の江頭”が……!




《ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!》

  



 この世のものとは思えない声を上げて騒ぎ立てる女型。

「ぬわああ!」

 暴れる女型に振り落された江頭の身体が宙に投げ出されてしまった。

「エガシラさん!」

 そんな江頭を空中でキャッチしたのはクリスタだった。

「サンキュークリスタ!」

 江頭はさわやかな笑顔で言った。

 だが、

「エガシラさん! 早くタイツをはいてください!」

「お、おお」

 江頭はズラしていたタイツとパンツを素早く履く。

 さわやかな笑顔も台無しだ、と思った。

「でも不味いですよ。女型の巨人、相当怒っています」

「わかってるよ」

 女型の巨人の身体には、湯気どころか、所々赤い光が見えた。

 燃えているのだろうか。

 だが次の瞬間、

 ガキンッ、と何か金属が割れるような音が響いた。

《グギャアアアアア!!!》


 再び叫ぶ女型。

 その背後には小さな影。

「エレン!?」

 クリスタは言った。

「いや、違う」

 それを江頭が否定する。

 月夜に舞う黒髪、それはミカサ・アッカーマン――

 更に、身体ごと回転して女型に刃を当てる兵士が一人。

 物凄いスピードだ。

 ミカサと同等か、其れ以上の実力者。

「リヴァイ!」

 江頭が叫んだ。

 リヴァイ兵士長である。

「手こずらせやがって、迷子の子猫でもここまで手はかからねえぞ」

 リヴァイはわざわざ江頭の前に来てからそう言った。

 ミカサやリヴァイだけでなく、調査兵団が誇る十数名の精鋭たちが女型の巨人に襲い掛かる。

 が、しかし、

《ギャアアアアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!》


 女型は叫び声とともに、蒸気と光を発して、

「ぐっ!」

「うわああ!」

 あまりの衝撃に吹き飛ばされる兵士たち。

 江頭も当然ながら吹き飛ばされる。

「エガシラさん!」

 手を伸ばすクリスタ。

 手を伸ばす江頭。

 二人の距離は――

「生きるぞおおおおおお!!!!」

「うがあああああああああああああ!!!」

 ガッチリと二人は手を握り合う。

「痛いっ、けど!」

 クリスタの細く柔らかい腕に男の手が食い込む。

 だが、


 転落寸前のところでクリスタの立体機動装置が作動し、なんとか地面への激突は避けられた。

「エガちゃん!」

「エレン!」

 爆風を逃れたエレンが、同じく立体機動装置で江頭の身を支える。

「もう大丈夫!」

「女型は!」

「いや、それが……」


 後で聞いた話だが、あの光の後、女型の巨人の姿は再び跡形もなく消えていた。


 夜明けを前に捜索を打ち切り、江頭たちは本隊と合流して、調査兵団の駐屯地へと

帰還することになった。




   つづく

 現在公開可能な情報7

 ・鮭フェ○事件

 1991年、江頭がまだ無名だったころ。福島県の鮫川で行われた鮭のつかみ取りに

参加した江頭が、遡上した鮭に自分の性器をくわえさせて「鮭○ェラ」を実行した事件。

 その様子はラジオ中継されており、番組にゲスト出演していた鮭の専門家が

「この時期のメス鮭は危険ですよ」などと冷静にコメントしていたことが笑いを誘った。

 なお、この事件は一部のスポーツ新聞(言うまでもなく東スポ)に報じられたことで

有名になり、江頭がブレイクする一つのきっかけとなった……、かどうかは定かではない。

今更、本当に今更だけど、進撃の巨人のネタバレ注意です。


「熱気球、なかなか面白いね」

 江頭にとって最初の壁外遠征から一週間。

 ようやく落ち着きをとりもどしつつある調査兵団部隊の中で、江頭はいつものように

ハンジ・ゾエ分隊長と話をしていた。

「キミのいる世界ではこういうものがあるんだ。うん。確かにこれなら私たちの

 技術でも作れそうだ」

 遠征中、クリスタと話をした熱気球の話をハンジにしてみたのだ。

 好奇心の塊であるハンジは当然それに食いついた。

 江頭の描いた簡単なスケッチを何度も眺めながら、上機嫌に鼻歌まで歌っている。

「ガスで作った熱で浮かぶ。その発想はなかったな。確かに、いつも高い場所にいれば、

 巨人に捕まる心配もない。いや、本当に革命的な発想かもしれない」

 いつになく目をキラキラさせたハンジはそう言って、江頭を見つめる。

「やっぱりキミは私の期待通りの人だ」

「それは言い過ぎじゃあ」

「そんなことはないよエガちゃん。早速、上層部(うえ)に提案してみよう。

 これを使ったら、壁外遠征がぐっと楽になる。もう、毎回犠牲者を出すような

 ことにもならないかもしれない」

 確かに犠牲者を出さないことは重要かもしれない。

 壁外調査を毎回するたびに死人が出ていたのでは、調査兵団の兵士が何人いても

足りないはずだ。


(しかし、この世界の人間はなぜ、こんなにも人の死に鈍感なのだろう)

 不意に考える江頭。

 異世界だから、と言ってしまえばそれまでなのだが、その感覚の違いには未だに違和感を禁じ得ない。

「そうだ。いいアイデアを貰ったんだから、何かエガちゃんにお礼をしないと」

「いや、別にお礼なんか」

「いやいやいや、何かお礼をさせてよ。分隊長として何もしないわけにはいかないよ」

「それじゃあ……」

 江頭が要求したもの。それは――







    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


       第八話 江頭の休日



「エガシラさん」

「ん?」

 よく晴れた昼下がり。

 調査兵団駐屯地内で、聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。

「クリスタか」

「はい。どうしたんですか? その本」

「ん? ああ、これな」

 江頭の手には一冊の本があった。

「ハンジさんから借りたんだ。ちょっと興味があってさ」

「へえ、なんの本ですか?」

 クリスタは覗き込むように本の表紙を見た。

 江頭は意外と長身なので、小柄なクリスタとはかなり身長差がある。

「あ、立体機動装置の」

「ああ。マニュアルだって」

 立体機動装置のマニュアル、それが江頭の要求したものである。

 本当は、装置そのものが欲しかったのだが、初心者がいきなり使ったら危ない、

ということでまずはマニュアルを読んで勉強しようと思ったのだ。

「でも困ったことがある」

「なんですか?」

「いや、実は俺はこの世界の文字が読めないんだ」


「え? エガシラさんって文字が読めないんですか?」

「いや、そりゃ読めるさ。義務教育があったんだし。だけどこの世界の文字はわからん」

「ギム教育?」

「まあ、俺のいる世界では文字が読めるように教育するのが国や親にとっての義務なんだ」

「へえ、いい国なんですね」

「まあ正直、俺も外国に行くまで国の良さなんてわからなかったけどな」

「そうなんですか」

「つうか、今は外国どころか異世界にいるんだけど」

 そう言って江頭はマニュアルをパラパラとめくる。

 だが、目の前に飛び込んでくる文字は訳がわからない。

 辞書などもあるはずがなく、江頭は一つため息をつく。

(しかし、なんで文字は読めないのに言葉は通じるんだ)

 そんなご都合主義的な設定に対する疑問を思い浮かべていると、

「あの、エガシラさん?」

 クリスタは少し恥ずかしそうに声を出す。

「どうした」

「もし、よかったらなんですけど」

「うん」

「私が読んであげましょうか?」

「読む?」

「え、はい。その、声に出して読んだら、意味がわかるんですよね」


「そうだな」

「全部が全部ってわけじゃないですけど、大事なところだけでも知ることができたら」

「いいのか?」

「はい。エガシラさんには色々と助けられましたし」

「え? 確かあの遠征で助けられたのって、俺のほうじゃあ」

 江頭は一週間前の戦いを思い出す。

「いいから、行きましょう? 歩きながら読んでると危ないですよ」

「そ、そうだな」

 江頭はクリスタに引っ張られるように、近くのベンチまで歩いて行った。






 そんな二人を見つめる男女が三人ほど。

 エレンとエレンの幼馴染のアルミン、そして同じく幼馴染のミカサである。

「なんかさ、クリスタって最近よく笑うようになったよね」

 そう言ったのはアルミンだった。

 彼は幼い頃からよく人を観察している。

「そうかな。ああー、言われてみれば確かにそうかもしれない」

 エレンはそれほど他人に興味を示すほうではない。

「私にはよくわからない」


 そしてミカサはエレン以外の人間にはまったくと言っていいほど興味を示さない。 

「なんていうか、訓練兵団にいたころはもっと、悲壮感が漂っていたような気もするけど、

 今は心底楽しそうにしている気がする」

「やっぱエガちゃんに会ったからかな」

「そうだね」

「不思議だよな。なんていうか、自然と笑顔が出るというか」

「それが“お笑い芸人”っていうものなのかな」

「エガちゃんが元いた世界って、なんだか楽しそうだな」

「エレン! 行ってはダメよ」

 不意にミカサが口を挟む。

「行かねえよ。っていうか、どうやって行くんだよ」

「わからない。でも、安易に知らない場所に行くことはよくない」

「うるせえな。別にエガちゃんのいた世界に行こうとは思わないさ。

 だけど、壁の外にはいきたい。俺たちの知らないせかいだからな。

 なあ、アルミン」

「う、うん。そうだね」

「エレン」

「ああもう、うるさいな。あっちいけよミカサ。サシャが待ってるぞ」

「待ちなさいエレン。勝手は許さない」

「アハハ、仲良しだね」








 調査兵団司令部、団長室。

 薄暗い室内では、団長であるエルヴィン・スミスと兵士長のリヴァイがいた。

 エルヴィンは椅子に座り、リヴァイは立っている。

 といっても、一般兵のように直立不動というわけではなく、かなりリラックスした立ち方である。

「ここだけの話、ということだな」

 唐突にエルヴィンは聞く。

「ああ、そういうことだ」

 リヴァイはエルヴィンのほうを見ずに言った。

 部屋にはエルヴィンとリヴァイ以外は誰もいない。

 外には見張りもいるので、今の所だれかに聞かれているということはないだろう。

「女型の巨人についてか」

「ああ」

「報告の内容に間違いが?」

「いや、本部(うえ)に上げる報告に間違いはない。ただ、いくつか報告していないことがある」

「それはなんだ」

「女型の正体だ」

「正体」

「言うまでもなく、俺はエガシラを救出する際、調査兵団内から実力者を十三人ほど

 抽出した。そのことは覚えているな」


 リヴァイは念を押すように言う。

「ああ、間違いない。許可したのは私だ」

 エルヴィンは答える。

「連れて行った十三人は俺が直接見て決めた。全員、顔と名前、それに必要ならば討伐数、

討伐補佐数も言える」

「だろうな」

 リヴァイの凄いところは、個人の戦闘力だけでなく、仲間の顔や名前、それに兵士としての

能力もよく覚えていることだ。

 エルヴィンは作戦を立案する際、部下の隊員の能力を知る上でリヴァイの助言を参考にすることもある。

「何人もの兵士たちが報告しているはずなので、俺は女型の巨人の特徴について

 とやかく言うつもりはない。だが気になることがある」

「気になるとは?」

「あの夜、女型を討伐した日の夜だ。女型は皮膚の一部を固く硬化させることができるようで、

 その硬化の能力を使って巨人の弱点であるうなじを上手く守っていた」

「……」

「だが、度重なる攻撃で硬化の能力が切れたのか、一部の攻撃が女型に入るようになった」

「報告は聞いている。女型に刃を入れたのはミケ・ザカリアスとお前、そしてミカサ・アッカーマンの三人だ」

「手応えはあった。通常の巨人に近い手応えだ。ただ、討伐できたかと言われれば疑問が残る」

「疑問?」


「確かに“巨人自体は殺った”だが、奴の息の根を止めたかと言われれば、やったとは言い切れない」

「どういうことだ」

「あの夜。月明かりの中であったが、俺は十四人目の兵士を視認した」

「十四人?」

「俺が連れてきたのは十三人。だから一人多い」

「見間違いじゃないのか」

「いや、違う。見間違いではない」

「現場には、ジャン・キルシュタイン、エレン・イェーガー、そしれクリスタ・レンズと、

 三人の新兵がいたと聞いているが」

「そいつらでもない」

「……」

「エルヴィン。俺は“そいつ”が巨人の中から出てくるのを見た」

「なんだって?」

「蒸気が酷かったので、はっきりとではないが、確かにそいつは女型の巨人から

 出てきて、夜陰に紛れて消えた」

「顔は、見たのか」

「はっきりとは見ていない、だが」

「だが?」


「見覚えはある――」




   *




 不思議な感覚であった。

 言葉はわかるけれど文字が読めない。

 単なる文盲とはわけが違う。

 江頭は自分の世界の文字は読めるのだ。

 しかしこの世界の文字は読めない。

 一体何がどうなっているのかわからないけれど、この世界の文字は、この世界の

人間に読んでもらうのが一番、ということなのだろうか。

 駐屯地内のベンチで、江頭とクリスタは並んで立体機動装置のマニュアルを読んでいる。

 ベンチのすぐ傍には木が植えられており、初夏を思わせる強い日差しを少しだけ和らげていた。

「ここから、立体機動装置の緒元になります。基本的な使い方は次の頁からなんですけど、

このマニュアルはちょっと分かり辛いですね」

「ああ、そうだな。一応図解はあるんだけど、いくつか消えてる部分があるんだが」

「ああ、それは秘密情報らしいので私たちもわかりません」

「秘密?」

「ええ。立体機動装置はいくつかの部分がブラックボックスになっていて、

 構造がわからないようにしているんです」

「どうしてそんなことが。というか、整備が大変なんじゃないのか?」


「整備ですか? それは大丈夫だと思いますけど。ワイヤーやアンカーなど、

必要な部分は分解してもいいことになっています。こういうのは、図で見るより

実際にやってみたほうがいいかもしれませんね」

 以前、江頭はペトラに立体機動装置の本物を見せてもらったことがある。

 ガスの力を利用して、射出と巻き取りを両方行う。

 それは決して単純な構造ではないはずだ。

 ましてや、伸ばしたワイヤーで姿勢を制御するとなると、更に難しい。

「立体機動装置は、個別に調整はされているので、私たちが兵士になった時から、

ずっと同じものを使用しています」

「そうなんだ」

「整備の不備は命に係わりますから、みんな真剣に整備しますよ」

(現代の軍隊で言えば、小銃のようなものだろうか)

 江頭は思った。

「しかし、ワイヤーで飛んだり、さらに姿勢を制御するなんて、未だに信じられんね」

「そんなものでしょうか。私が小さい頃からあった装置ですし」

「小さいとき……」

 江頭はふと、今までの疑問を持ち出す。

「そういえば、この装置はガスを使うと言っていたな」

「はい。兵団から支給されるガスで、作動します」

「当然熱は出るな」

「え? はい。そうですけど」

 女型の巨人から逃げる時、江頭は立体機動装置の排ガスで危うく火傷しそうになったこともある。

「このガスは料理とかに使わないのか?」

「え?」

 クリスタは大きな瞳を更に大きくして聞き返す。

「どういうことです?」

「いや、だから。その、お湯を沸かしたり料理したりするのに、なんでガスを使わないのかな、

 と思って」

「お料理に、ガスですか」

「俺が見たところ、この世界の食堂では料理に使う火には薪を使っているだろう?」

「そうですね」

「なんで、ガスがあるならガスを使わないのかな、と思って」

「……考えたこともありませんでした」

「本当に。ガスは貴重品だったりするのか?」

「いえ。それほどでもないと思います。訓練でも、わりと頻繁に使っていましたし」

「だったらなんで使わないのかな。あと、お風呂とかにも」

「江頭さんって」

「ん?」

「本当、不思議なことを言いますね」


「そうかな。俺のいた世界では普通だったけど」

 料理と言えば、ガスコンロ。

 まあ最近は電化住宅というものもあるのだけれど、あまり家で料理をしない、

というか食べ物自体にあまりこだわりのない江頭には関係のない話である。

「あの、もしよかったら。今度、わたしの料理も食べてくださいますか?」

「クリスタ、料理するのか」

「ええ。まだ練習中ですけど。時々厨房の人にやらしてもらっています」

「どうして」

「ど、どうしてって。その……」

「ああ、悪い悪い。変なこと聞いちまったな。女の子には色々あるよな」

「……あの」

「ん?」

 クリスタが何か言いかけたその時、

「師匠おおおおおおおおおおおお!!!!」

 驚いて、思わず身体がビクッと痙攣するクリスタ。

 この声は、

「師匠、こんなところにいましたか」

「サシャ?」

 サシャ・ブラウスだ。

 初めて会った時から、なぜか江頭に憧れている奇妙な女性でもある。


「どうしたんだ一体」

「師匠、いい芋が見つかったのでご一緒に食べようかと思いましてね。あれ? 

クリスタ。こんなところで何をやっているんですか」

「え? いや、その……」

 クリスタが戸惑っていると、

「サシャ」

 サシャの肩をつかむ者が一人。

「ミカサ、どうかされましたか」

 ミカサ・アッカーマンである。

「サシャ。あなたは人の気持ちを察するということを覚えたほうがいい」

「痛い痛い。ちょっとミカサ。痛いですよ。私が何をしたというんですか!」

「こっちに来なさい」

「やめてください! 肩がはずれてしまいます!」

「大丈夫。たとえ脱臼しても、ターレン先生が治してくれる」

「私まだ死にたくありませんよおおお!」

 こうして、サシャはミカサに連れて行かれてしまった。

 よく見ると、建物の陰から若い兵士たちがこっちを見ている。

 ジャンやエレンといった、江頭も知っている若者もいた。

「ミカサ、なぜここにライナーが倒れているんですか?」


「サシャ。この世には知らないほうがいいこともある」

(あそこに倒れている大柄な男はライナーという名前なのか。どこかで見たことがある気がする)

 江頭は少しだけ思い出した。

 それにしても、

「?」

 クリスタは首をかしげる。

(迂闊だったな)

 江頭は思った。

 こんな昼間から、男女が肩を寄せ合った同じ本を読んでいれば、誰だって誤解するはずだ。

「ごめんなクリスタ。変な誤解させちまったみたいだ」

 江頭は謝る。

「どうして謝るんですか?」

「いやほら。なんか、俺たちがその、変な関係だと思われたら迷惑がかかるだろう」

「変な関係?」

「とにかく、ありがとう。マニュアルについてはまた頼む」

 そう言って江頭は立ち上がった。

「あ、江頭さん!」


「まあ後」

「はい」

「料理、楽しみにしてる」

「……はい!」

 クリスタは、少しだけ力強く返事をした。

 いい笑顔をするようになったな。

 そう思うと嬉しくなる反面、少し不安になる江頭でもあった。




   *





 早足でその場を離れると、聞き覚えのある声が後ろからしてきた。

「昼間から若い女の子とデートですか? エガシラさん」

「ペトラ」

 そこにいたのはペトラ・ラルであった。


 リヴァイ兵士長から直々に江頭の世話役を任されていた彼女だったけれど、

最近は江頭自身もこの世界に慣れてきたことと、エレンなどほかの若い団員が

進んで世話を焼いてくれていたので彼女と一緒にいる時間が少なくなっていた。

「随分と呑気なものですね。本当に元の世界に帰る気があるんですか?」

 ペトラは腕組みをしており、言葉の端々にトゲのようなものを感じた。

 どうやら機嫌が悪いらしい。

 あの日だろうか。

「別にデートとかじゃないよ、ペトラ」

「そうですか? すごく楽しそうにしているように見えたのですけど」

(見てたのか?)

「別にやましいことは何も」

「この前の遠征の時」

「……」

「確かあの子と一緒にいましたよね。クリスタ・レンズでしたか」

「いや、まあ確かに。たまたま一緒にいただけで」

「何かあったんですか?」

「何かってのは、女型の巨人に襲われて」

「それ以外では?」

(なぜ俺が責められているんだ)


 江頭が精神的に追い詰められていたその時、救いの髪、ではなく神は意外な方向から表れた。

「あー、いたいた。エガちゃん」

「ん?」

 エルド・ジンという兵士がこちらに声をかけてきた。

 金髪で長身、それに薄ら生えたあご髭が特徴的な男性だ。

 江頭とは、剣術の稽古を通じて仲良くなった。

「エルドか。どうした」

「リヴァイ兵長がお呼びだ。団長室に来てくれと」

「団長室?」

「行ったことあるだろう? 途中まで案内する」

「ああ、ありがとう。すまないペトラ。話はまた後で」

 江頭は振り返りそう言った。

「あ、はい」

 ペトラは少し恥ずかしそうに返事をする。

「何かあったのか?」

 歩きながらエルドは聞いてきた。

「いや、何も?」

「罪な男だね、エガちゃんも」

「どういう意味だ」


「そういう意味だよ」

 そう言って、エルドはペトラのほうを一瞥する。

「やめてくれ。少なくとも俺が元いた世界で俺は、抱かれたくない男ナンバー1だぜ」

「なんだそりゃ」

「雑誌の企画で、そういう投票があるんだ」

「面白いことをやるんだな、お前のいた世界は」

「ちなみに、嫌いな芸人でも、十年連続で一位をとったことがある」

「嫌われてたのか?」

「まあな」

「じゃあなんで、『芸人』なんてやっていられたんだ? 俺の知ってる限り、

 喜劇役者は人気商売だろう?」

「まあ、アレだ。そういう立ち位置だから」

「立ち位置?」

 エルドは少し首をかしげた。

「憎まれっ子世にはばかるってな。俺たちの世界では、そんな言葉もある」

「まあ、よくわからんが、あんまり女を泣かすんじゃないぞ」

「泣かしてねえよ」

 テレビ番組で、女性タレントにセクハラをして泣かせたことは何度もある、

ということは言わなかった江頭であった。





   *  
 


(何やってるんだろう、私)

 駐屯地の敷地に一人残されたペトラは、自己嫌悪に頭を抱える。

(エガシラさんって、ああいうのが好みなのかな)

 そんなことを思いながら、ペトラは髪の毛を触る。

(あの子、可愛かったな。確か今年の新兵で、クリスタとかいったっけ。キレイな金髪

で目が大きくて、背が小さいけどそれが可愛らしいというか)

 空にはトンビが舞っている。

「あ、何考えてるのよ私。ああもう、私にはリヴァイ兵長というものがありながら」

 思わずそう言って首をふるペトラ。

「何やってんだ、ペトラァ」

「オルオ?」

 同じ調査兵団のリヴァイ直轄班に指名されたオルオの登場である。

 相変わらず眠そうな目をしているが、腕は確かだ。

「どうした。冴えない顔がさらに冴えなくなっているぞ」

「リヴァイ兵長の口真似するのやめてくれる? 全然似てないし、それに兵長はそんなこと言わない」

「ああ? 俺はそんなのしてねえし。いつも通りだし」

「わかった。何か用? 用がないなら、私行くわね」

「おい待てペトラ。エルヴィン団長からの命令を伝えにきた」

「団長から?」

「ああ、なんでも秘密作戦みたいでな。俺にも内容は言ってくれないけど」


「秘密作戦をこんな場所でべらべら喋ってるんじゃないわよ。誰が聞いてるかもわからないのに」

「いや、すまんな」

「ったく、しっかりしなさいよ。何年調査兵団やってるのよ」

「ペトラ。お前やっぱり機嫌悪いのか」

「悪くありません」

「あの日か?」

「死ね!」

 その後、ペトラのローキックでオルオの身体が一回転したことは言うまでもない。




   *





 調査兵団本部、団長室――

 ここに来るのは随分と久しぶりな気がする江頭。

 何回か来たことがあるけれど、こういう“偉い人”の部屋はあまり慣れない。

「エルド・ジン、ほか一名入ります」

 ノックの後、エルドはそう言って団長室に入る。

「エガシラ・ニジゴジュップンンを連れてきました」

 エルドは直立不動で言った。

 軍隊組織にしては上下関係のあまり強くない調査兵団だが(部下が分隊長にタメ口など)

団長だけは例外のようだ。

 やや緊張した表情のエルドから視線を外し、部屋の中を見ると、そこには団長の他に

見覚えのある人物が二人。

 一人はリヴァイ兵長。これはわかる。だがもう一人は、

「エレン」

「エガちゃん」

 新しく入団したばかりのエレン・イェーガーだ。

「なんでエレンがここに」

「いや、わからない。急に呼び出されて」

「呼び出し?」

「お前ら、無駄話はそれくらいにしろ」


 リヴァイは言った。

「……」

「エルド、ご苦労。下がっていいぞ。お前にはまた後で話をする」

「了解しました」

 そう言うとエルドは、宇宙戦艦ヤマトみたいな敬礼をしてから部屋を出て行った。

 一体何の話がされるのか。

「今日、キミたち三人をここに呼んだのは、今回行われる特別作戦のためだ」

 淡々と話し始めるエルヴィン。

 江頭はふと、エルヴィンの髪に目が行く。

(生え際が危ないのではないか)

 命を何度も危険に晒している江頭であったが、髪の毛に関しては保守的であり、

手入れも欠かさない。

「エガシラくん。聞いているかね」

「あ、はい。すいません。聞いています」

 江頭は慌てて視線をエルヴィンの髪の毛から外す。

「今回の任務は、とある人物と接触して欲しい」

(まるでスパイ映画のようだな)

 江頭はそう思った。

「参加者は、ここにいるリヴァイ、エレン、そしてエガシラくんの三人だ」

「あのお……」


 エレンが恐る恐る右手を上げる。

「なにかね?」

「人物と接触、というのはどういうことでしょうか」

「考えすぎることはない。簡単なことだ。我々が指定する人物に会って、少し話をするだけだ」

「それが任務と」

「任務だ」

 エルヴィンははっきりと言い切った。

 彼なりの考えがあってのことだろう。

「わかりました」

 何かを察したのか、エレンはすぐに引き下がる。

 接触、というのも曖昧な言葉だ。

 江頭はエレンの代わりに質問することにした。

「よろしいですか」

「結構」

「接触と言いますが、誰でしょうか」

「それは当日我々が指示する。キミたちは指定された街に行き、そこで待機していて欲しい」

「???」


 ますますわからない。一体何を企んでいるのか。

「会ったこともない人間と会って、何がわかるのでしょうか」

「その心配はない」

「え?」

「その心配はないと言っている。少なくとも、ここにいる三人にとっては初対面ではない。

特にそこにいるエレンにとっては、浅からぬ関係と言ってもいいだろう」

「へ? 自分ですか」

 急に名前を言われて驚くエレン。

 エレンの知り合い?

 しかし、自分とも面識がある人間と言えば、そこまで候補は多くないはずだ。

 だとしたら……。





   つづく

 現在公開可能な情報8

・日経エンターテイメント嫌いな芸人

 江頭は日経エンターテイメント(エンタメ)の実施するアンケートで、毎年『嫌いな芸人』の一位に何度も選ばれていた。

 また、アンアンの『抱かれたくない男』部門でも一位をとったことがあり、

江頭はネガティブなイメージを逆手に取って自身を売り込んでいた。

 ちなみに日経エンタメの嫌いな芸人部門では、十年連続の一位という偉業を達成。

 2011年に、島田伸介(現在は引退)に一位を明け渡すまで、圧倒的な強さ(?)
を誇っていた。

 なお、『来年消える芸人』部門でも何度もランクインしているが、今日まで(一応)消えていない。



 追記:2013年に行われた『日経エンターテイメント』の調査でも、江頭は「嫌いな芸人」部門で1位を獲得している。

     しかし同調査では、「好きな芸人」の部門でも7位にランクインしており、江頭は極端に好き嫌いの別れる芸人とも言える。


「エガちゃん、こっちだよ!」

 馬に乗ったエレンが呼ぶ。

 江頭はそれに着いて行った。

「エガちゃん。なんか変な臭いがする」

「これは、潮の匂いだ」

「シオの匂い?」

「ああ、海が近いぞ」

「海って、あの塩が沢山とれるっていう海かい?」

「ああ、塩だけでなく魚や貝なんかの食べ物もたくさん獲れるぞ」

「塩って凄い貴重品だよ! まさか!」

「あの丘を越えてみよう」

 目の前にある小高い丘を越えると、そこには広い砂浜が見えた。

 当然、その砂浜の先には大きく広がる海。

「すげええええ! なんだこの湖!」

「湖じゃないぞ。これが海だ」

「海? 本当に? 幻じゃなかったんだ」

「この匂いは間違いないな。あの水、舐めてみな。きっとしょっぱいぜえ」


 江頭がそう言うや否や、エレンは馬を走らせて砂浜へと向かった。

「おいっ、気をつけろよ!」

「わかってるよ」

 いつの間にか馬を降りたエレンは、波打ち際の水を手ですくって、舐める。

「うわああ! 辛い! 辛いよエガちゃん!」

「これが海だ」

「お塩、取り放題だね!」

「まあな。いくらとっても取りつくすなんてことはないだろう」

 そう言いつつ、江頭は馬をゆっくりと進めた。

「どこ行くんだよ」

「砂浜を調べてくる」

「なんだよ。気が早いなあ」

「安心しろ、海は逃げやしない」

「俺も行くよ」

 そう言うと、エレンは再び馬に乗って江頭を追いかけた。

 しばらく馬を歩かせていると、不意にカモメの声が聞こえた。

「……まさか」

「どうしたのエガちゃん。あっ!」


 目の前の光景にエレンは声を上げる。

「なんだアレ。巨人か?」

「……巨人じゃない」

 江頭はポツリと言った。

「どうしたのエガちゃん」

 エレンは心配そうに呼びかける。

「この世界は、この世界は」

 そう言うと、江頭は上手から降りて、砂浜の上に膝をついた。

「エガちゃん」

「なんてことだ……」

 江頭はもう一度顔を上げる。




「ここが地球だったなんて」



 彼の目の前には、巨大な自由の女神が身体半分ほど斜めになった状態で砂に埋まっていた。





「はっ!」

 不意に飛び起きる江頭。

「夢か」

 室内はまだ暗いけれど、微かに白み始めた空の光が窓の隙間から入ってくる。

「なんつうか、不吉だな。『猿の惑星』みたいな夢を見るなんて」

 そう言うと江頭は、薄くなった自分の髪の毛をかいた。






   進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


     第九話  極 秘 任 務 
  


 目的地までの道のりは壁外遠征の時のような馬ではなく、馬車であった。

「なんで馬車なんですか? 馬のほうが速いんじゃあ」

 向かい側の席に座るリヴァイに対し、エレンが聞いた。

「馬だと疲労が残るだろうが。できるだけ疲労の少ない方法で移動するべきだと、

上が判断した」

 リヴァイはそう言いきった。

 確かに、乗馬経験のない者にはわかり辛いかもしれないけれど、乗馬はかなりの体力を使う。

 馬自体の疲れもあるけれど、乗っている者も徒歩ほどではないが、かなり疲れるのだ。

「それで、目的地はどこなんだ。この方向は確か」

 江頭がそう言うと、

「ああ、内地だ」

 リヴァイは江頭が言い終わる前に答えた。

「内地?」

「この世界に三つの壁があることはもう知っているだろう」

「ああ」

「五年前に破られたウォール・マリア、そしてお前たちが守ったウォール・ローゼ。

そして首都を護るのがこれから行くウォール・シーナだ。

ウォール・シーナは最後の壁となり、あそこが破られればすべては終わる」

「……。それはわかるが、その内地に何しに行くんだ?」

「お前は説明を聞いていなかったのか、エガシラ。とある人物と接触する、と言っているだろうが」

「とある人物って」

「行けばわかる」





   *



 ウォール・シーナ東部城壁都市、ストヘス区。

 城壁都市とは、トロスト区のように壁の外側に創られた出丸のような都市である。

 王国の方針によって、優先的に公共投資が行われている一方、有事の際には最前線に

なる可能性の高い場所でもある。

 ストヘス区は、そんな城壁都市の一つであり、ウォール・シーナの東側に位置する。

「朝……」

 そんなストヘス区の憲兵団に、アニ・レオンハートは配属されていた。

「やっと起きたのねえ」

 自分よりも早く集まっていた同期の隊員たちを見ながらアニは列の端に並ぶ。

 上官はまだ来ていない。

「アニ、遅いよー。またお寝坊さん?」

 横に立った女性兵士(確かヒッチとかいう名前)が、軽口を叩く。

「あんたのさぁ……、寝顔が怖くて起こせなかったんだ。ごめんねー、アニ」

「アニ、お前は最近たるみ過ぎだぞ」

 ヒッチの横に立つ、長身のマルロがアニのほうを見ずに言った。

 微かに漂う香水の匂いを残したヒッチとキノコのような髪型をした鼻の大きいマルロ。

 どちらもあまり好きなタイプではない。

 ヒッチは要領が良く、他人に取り入るのが上手い。もう一方のマルロは逆に不器用で、

訓練隊の成績だけはやたらいいらしいけれど、実戦では役に立ちそうもない。

「……」


「なにー? もー、怒ってんの?」

「愛想の無い奴だな」

 面倒くさいので黙っていると、二人はそんなことを言い出す。

 いつものことだ。

 上官が来れば黙るだろう。

 そう思っていると、コツコツと廊下にブーツの音が響く。

 気配に気づいた班長が号令をかけた。

「気を付け! 敬礼!」  

 全員が一斉に敬礼すると、上官は書類をバサバサ揺らして行った。

「いーって、そんなのいいから」

「直れ」

 全員が敬礼をやめ、休めの姿勢を取る。

「今日はいつも通りの雑務だが、アニ・レオンハート」

「……」

「おい、いるのかレオンハート」

「はい」

 アニは少し遅れて返事をした。

「お前には特別な任務がある」

「特別な……、任務ですか?」

「上からの命令だ。俺もよく知らん」


 先日からの深酒が効いているのか、それともクセなのか。上官はしきりに自分の肩を

触っていた。

「で、どうすればよろしいのでしょうか」

 アニは聞いた。

「本日の正午に、指定された場所に行くこと。格好はなんでも構わないが、武装は解除

しておけとの命令だ」

「場所と言うのは」

「それについては追って伝える。では解散」

「一つ、いいでしょうか?」

 そう質問したのはアニではなく長身のマルロだった。

「なんだ」

 上官はいかにも面倒くさそうに答える。

「なぜアニだけ特別な任務を付与されているのでしょうか。何かあるのですか」

「ああ? んなもん、お前には関係ないだろう」

「ですが、一応同じ班ですので」

「知るか。上が決めたことだ。俺は命令を伝えただけ。上官たちは忙しい。

 さっさと仕事にとりかかれ」

 そう言うと、上官は首を回しながら幹部室へと入って行った。

 中では酒の瓶が転がり、タバコの煙が漂っている。

 特別な任務。


 一体それは何か。

 憲兵団に来て一ヶ月あまり。

 そのような任務を言われるようなことは今までなかった。

 アニの中で疑念が募る。

「でもさあ、アニの特別な任務ってなんだろうねー」

 ヒッチがニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら独り言のように言う。

「さあ」

 アニは適当に流す。

「もしかして、上官様のアレかな? ウフフ」

「何言ってんだお前は」

 別の隊員が言った。

「だってさあ。この前、別の上官にアニのこと色々聞かれたんだよねえ。

もしかしたら、あの上官、アニに気があるのかなと思ってさ」

「ヒッチ、そういうことをしてるのはお前だけだ」

「ああ? なに? そういうことって何かなあ? 言ってみろよ」

「おい、お前らよせ」

 そんな二人をマルロは止める。

「俺たちは俺たちの課業がある。行くぞ」

「なによマルロったら。真面目か?」


「うるさい」

「……」

 一人残されるアニ。

(嫌な予感がする)

 彼女の勘がそう囁いている。

 だが、ここで逃げるわけにはいかない。





   *

 


 正午。ストヘス区内にあるとある食堂の前にアニはいた。

 その店はオープンテラスとなっており、数人の住民がそこで昼食をとっていた。

「アニ!」

 不意に聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。

「エレン……?」

 訓練兵団で同期だったエレン・イェーガーである。

「おおい、どうしたんだよアニ。なんでこんなところに」

 屈託のない笑顔は感情と脳が直結しているとしか思えないほどの単純さ。

 だが、人を出しぬくことばかり考えているジメジメした思考の人間が多い、

ウォール・シーナの中では、その性格はむしろ彼女を安心させる。


「それはこっちのセリフよエレン。なぜあなたがここに? 調査兵団に入ったんじゃないの?」

「いや、それなんだが、よくわからなけどここに来るように言われて」

「え、それって」

「俺が呼んだ」

 二人の間に割って入るように、現れた一人の青年。

 身長は低いが、その目つきと髪型には見覚えがある。

「リヴァイ……、兵士長」

「知っていたのか」

「一度お会いしたこともありますし」

「そうだったな」

 調査兵団のリヴァイだ。

 人類最強とも呼ばれるその人物がなぜストヘス区(ここ)に。

「リヴァイ兵長。これは一体」

 エレンが聞いてきた。

「エレン。お前は少し下がっていろ」

「え?」

「いいから下がっていろ」

「……はい」

 リヴァイはエレンから目線を外すと、アニを見据えて言った。


「アニ・レオンハート。少し話がある」

 大きなローブを羽織ったリヴァイ。

 おそらくあの下には立体機動装置があることは明白だ。

 対して自分のほうは丸腰。

 何かあれば斬られる。

 リヴァイはそんな雰囲気を醸し出していた。

「早速で悪いが、先月。龍の月の20日目。お前はどこで何をしていた」

「今から、12日前ということですか」

「そうだな」

「憲兵団の宿舎にいました。その日は体調が悪く、一日中寝ていたと思います」

「証言できる者は」

「同室のヒッチ・バネットが」

「当日、そのヒッチとかいう女は、副司令官の別荘に行っていたはずだ」

「……!」

 ヒッチは“あの日”、外泊をするから口裏を合わせてくれと頼んできた。

 アニはそれを了解し、夜はヒッチと共にずっと部屋にいたということになっている

はずだった。

 だが、目の前にいる男はそのこともすでに調べている。

 ヒッチのあの性格だ。

 仲間を売ることに何のためらいも見せないだろう。


 むしろ、副司令官との “関係” を不問にすると言えば、喜んで上に協力するであろう

ことは想像に難くない。

「ずっと部屋にいました」

「それを証明できる者は」

「いません」

「アニ・レオンハート」

「はい」

「本当は、何をしていたんだ? あの日……」

「何も、していませんでした」

「壁外に出るということは」

「できません、不可能です」

「なぜ」

「壁外に出る手段がありません」

「手段?」

「普段、ストヘス区の城門は固く閉ざされています。特別な許可がなければ開けられません。

 出入りする者は一人ずつ記録されています」

「確かにそうだな」

 リヴァイほどの人物がそこに気づかないはずがない。

「だが立体機動装置を使えばどうだ。壁を超えることも不可能ではないだろう」

「待ってください」


「ん?」

「立体機動装置は兵団の管理下にあります。たとえ個人の支給物品だとしても、

普段は武器庫に収められているので、勝手に持ち出すことはできません」

「そうか?」

「はい」

「だが、別に自分の装置である必要はないだろう。例えば、他人の装置を使えば」

「他人の装置……」

「トロスト区防衛作戦では多くの兵士が犠牲になった。そのことは言うまでもないだろう、

 レオンハート。お前も参加していたのだからな」

「はい」

「実は戦闘後報告の中で、奇妙な記述を見つけた」

「奇妙な記述?」

「戦死者の一人、マルコ・ボット。知っているはずだ。お前の同期だからな」

「……」

 アニは声を出さず、静かに頷く。

「そいつの持っていたはずの立体機動装置が、キレイにはがされていた」

「何が言いたいのです?」

「もし巨人が引きはがしたなら、もっと雑になっているはずだ。立体機動装置は、

複数のベルトやハーネスなどで固められた複雑な装着方法をしているからな」

「……」


「だが、マルコ・ボットの服には、まったく引きはがされた後は無かった。 

“ まるで自分で脱いだか、もしくは人間によって外されたかのように ”」

「……」

「実はあの時、憲兵団で検死もしていたんだ。知っていたか?」

「……いえ」

「確かにマルコ・ボットは片腕を巨人に食いちぎられた。だが、本当の死因はそこじゃない。

腕が無くたって人は生きていけるからな」

「……」

「何者かによって心臓を一突き。それが致命傷になった」

「ちょっと待ってください兵長!」不意に声を出すエレン。

「チッ、なんだ。下がっていろと言ったはずだ」

 先ほどまで、離れた場所で話を聞いていたエレンがリヴァイの前に出る。

「疑っているんですか? アニのことを」

 エレンの顔は青ざめている。

「どういう意味だ」

「だからその、マルコを殺した犯人がアニだって……」

「“ その件 ”は、今はどうでもいい」

「どうでもいいって、そんな」

「今重要なのは――」


 そう言ってリヴァイは再びアニを見据える。

「こいつが“ 女型の巨人か否か ”ということだ」

「……!」

「そんな、ありえないですよ。だってアニが」

 エレンは動揺しながら言う。

 そんな彼に対してリヴァイは言い放った。

「エレン。俺が知りたいのはお前の意見なんかじゃない。目の前の事実だ」

「証拠は、あるんですか」

「何がだ」

「今まで兵長がおっしゃった話は、すべて推測にすぎませんよね」

「そうだな」

「証拠も無しに、私を巨人だとか殺人者だとか、どうして言えるんですか」

「証拠はないかもしれなが」

「え?」

「だが確かめることならできる」

「一体何を」






「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」




 聞き覚えのある叫び声が通りから聞こえてきた。

 そして、見覚えのある黒タイツの男が立ち止まった。

「どうもおおおお、長瀬智也でえーす!!」

(ナガセ・トモヤ? 一体何者だ?)

 あっけにとられるアニの前に現れたのは、かつてトロスト区を救った英雄(?)、

江頭2:50であった。

「あなたは……」

「いよお! やっと俺の出番かよ!」

 江頭は今までずっと大人しくしていたせいか、テンションがおかしかった。

「畜生、待ちくたびれたぜえ」

「エガシラ」

 そんな江頭に、真顔のリヴァイが呼びかける。

「どうした」

「今、目の前にいるこの小柄な女兵士。コイツには女型の巨人の容疑がかけられている」

「そうなのか!」

「ひっ」

 カッと見開いた両目がアニを突き刺すように見据える。

「そいつが本当に女型なのか否か、お前に確かめることができるか」

「できるぜぇ」


 江頭は怪しい笑みを浮かべる。

「……」

 ヤバい、これはヤバいことになる。

 アニの中にある乙女の本能がそう告げるが、ここで逃げたらもっと不味いことになる。

「どうやって確かめる」

「リヴァイ、俺はな。最初の戦いで女型の巨人とキスをしたことがあるんだ。

もしもこの娘が女型の巨人ならば、キッスすればわかると思うぜえ」

「本当か」

「当然だ!」

「よしっ、やれ!」

 リヴァイは言い切った。

「ちょちょちょちょちょちょっと待ってくださいよ兵長」

 明らかに動揺した再びエレンが止めに入る。

「なんだ、エレン。下がっていろと――」

「いや、それはもういいですから。それより、いきなりキスさせる気なんですか?」

「それしか今の所方法がないからな」

「そもそも、彼女(アニ)が女型の巨人であるという明確な証拠もないわけで」

「我々には悠長に待っている暇はない」

「しかし――」


「きゃああああ!!!!!」

 エレンとリヴァイが言い合いをしている間に、何かのスイッチが入った江頭は

アニに襲い掛かっていた。

「きゃあ! きゃあああ!!!」

 あまりの恐怖と混乱によって、父親から習った格闘術を出す前に、アニは江頭に押し倒されてしまう。

「ちょっと! どこ触ってるの!」

「エガちゃん不味いって!」

 エレンが後ろから止めようとするが、江頭は止まらない。

「うるせえ! キスさせろ! 俺は抱かれたくない男ナンバーワンだぞ!」

 何かわけのわからないことを言いながら、江頭はアニに顔を近づける。

 間近で見る江頭の身体は、微妙に毛が生えていて気持ちが悪かった。

 だが、細身ではあるけれど鍛え抜かれた筋肉は、触っていて少し気持ちが良い。

「行くぞこらああああ!」

「きゃああああああああああ!!!」

 傍から見ていると、明らかに婦女暴行のシーンなのだが、周りの連中は見ているだけで止めない。

「お前ら! 何やってるんだ!」

 やっとこさ、憲兵団の団員がやってきたのだが、

「止まれ! 調査兵団の任務中だ」


「あ、はい。すみません」

 リヴァイの眼光と刃を前に、大人しく引き下がってしまった。

 憲兵団。以前から思っていたけれど、本当に役に立たない連中だ。

「ちょっと! どこ触ってるのおおお!」

「大人しくしろおおい!!!!」

(もう耐えられない!)

 血走った目をした江頭の顔面が数センチまで近づいたところで、彼女は決意する。




   *




 強烈な光と同時、大きな衝撃波が発生した。

 現場を数メートル離れて見守っていた人々がことごとく吹き飛ぶ。

「うわああああ!!」

「ひゃああああ!!!」

 現場は明らかに混乱していた。

 何があった。

「何をやっているのエレン!」

「ミカサ!?」


 制服は着ていないが、私服姿に立体機動装置を装着したミカサ・アッカーマンがエレンを

抱えて現場がから離れる。

「ミカサ! どうしてここに!?」

 エレンは聞いた。

「特別任務。私にも付与されていた」

 ミカサは相変わらずぶっきら棒に答える。

「まさか、俺たちを守るために」

「それもある。でも一番重要なのはそこじゃない」

 そう言ってミカサは前を見据えた。

 その視線の先には、全長約15メートルの女型の巨人が立っていた。

「あれは……」

 エレンは立ちすくみながら言った。

「アニ・レオンハートよ。わかるでしょう? 目の前で見たんだから。あの子が巨人に

変身するところを」

「いや、でも……」

「だったら、次にやることはわかっているでしょう?」

「ミカサ?」

「アニ・レオンハートこと、女型の巨人と戦うの。あの巨人は普通の巨人とはわけが違うわ。

 戦闘力が高く、手ごわい」


「……」

「ねえエレン」

 ミカサが顔を近づける。

「あなた、もしかして、まだアニと戦うことを……、躊躇してるんじゃないの?」

「俺は……」

「まさかこの期に及んで、アニが女型の巨人なのは気のせいかもしれないなんて、

思ってるの? あなたはさっき目の前で何を見たの?」

 さらに顔を近づけるミカサ。

「あなたの仲間を殺したのは、あの女でしょう? まだ違うと思うの?」

「う……、うるせえな」

 エレンは言った。

「エレン。女型の巨人は、アニなの。じゃあ、戦わなくちゃダメでしょう?」

「わかってる」

「じゃあなんで戦うことを躊躇っているの? 何か特別な感情が妨げになってる?」

「んなわけ、んなわけないだろうが!」

 エレンはローブを脱ぎ捨てると、着剣した。

「くそっ、くそお……!」





   *



 爆発の衝撃はで吹き飛ばされる江頭!

(しまった、何かを掴まないと)

 そう思ったが、周りにはチリやゴミばかりで何も掴めるものがない。

 このまま着地したら衝撃は避けられない。

 その時、彼の身体がふわりと浮いた。

「え?」

「エガシラさん! 大丈夫ですか!?」

「ペトラ?」

 立体機動を使ったペトラ・ラルが江頭の身体を受け止め、そして近くの広場に着地する。

「助かったよペトラ」

「まだですよ」

 江頭の言葉を遮るようにペトラは言った。

 確かにその通り。

 女型の巨人が出現した。

 あれを何とかしないかぎり、助かったとは言い難い。

「ケッ、女に護られるとはいい御身分だな、異世界人のダンナよ」

 そう言って着地したのは、調査兵団のオルオ・ボザドだ。

「俺たちもいるぜ、エガちゃん」

 エルド・ジンとグンタ・シュルツも到着した。

「お前ら、集まったか」

 その中心に現れたのが、精鋭班の長であるリヴァイである。

 巨人殺しの達人が再び集結した。

「リヴァイ兵長、ご無事で」

 ペトラは言った。

「俺を誰だと思ってる。それより女型だ」

「はい」

 全員がリヴァイを見据える中、彼は次の指示を飛ばした。

「オルオ、グンタ、そしてエルド。お前たち三人は俺と一緒に前衛だ。

あの女型の動きを全力で止めるぞ」

「了解!」

「了解です!」

「了解しました」

 三人が返事をする。

「ペトラ」

「はいっ」

「お前はエガシラを連れて逃げろ。できるだけ遠くへだ。女型から引き離す」

「私も戦います、兵長」

「恐らく奴の狙いはエガシラだ。こちらとしてはあまり気が進まないが、コイツを

守らないといかん」

「わかりました」


「住民の避難が完了するまでの間、時間を稼ぐぞ。倒すのはそれからでいい」

「了解」

 リヴァイ以下、四人の精鋭は立体機動装置を使って再び飛び立つ。

「エガシラさん、行きましょう」

「あ、ああ」

 江頭はペトラに連れられるように、走り出した。

 当然、格好は黒タイツのままである。





   *




「よお、久しぶりだな。今は昼間だから、お前のそのふざけた面、はっきりと見えるぜ」

 立体機動装置を使って空中に浮かんだリヴァイはそう言って女型に語りかける。

 とはいえ、数十メートルの距離が相手に聞こえるはずもなく、独り言のようなものである。

「どりゃあ!」

 オルオとグンタが先に攻撃を仕掛ける。

 だが、身体の一部を硬化させた女型は、刃ごと攻撃を払いのけた。

「くっそ、改めて思うが、コイツは普通の巨人と違い過ぎる!」

 エルドは言った。


 確かに、とリヴァイは思う。

 普通の巨人は体の一部を硬化させる、といった器用な真似はできない。

 ただ例外もある。

 かつてシガンシナ区を襲った超巨大巨人や鎧の巨人ならば……。

(待てよ。ということは、トロスト区を襲ったあの特殊な巨人も、もしかすると)

 そこまで考えたところで女型のハイキックがリヴァイを襲う。

「あぶねえな」

 直撃を裂けたリヴァイだったが、蹴りの風圧で吹き飛ばされてしまう。

 それだけ強力な攻撃力を持っているのだ。女型の巨人は。

「てめえ……、びっくりしたじゃねえか……」

 自由落下で落ちながらリヴァイは思う。

 遠くで煙弾が発射されるのが見えた。

 仲間の合図だ。

「いくぞ!」

 再びアンカーを射出したリヴァイは、体勢を立て直して女型を追う。

「くそ、あいつ、やっぱりあの異世界人を狙ってやがる」

 オルオが言った。

(確かにそうだ。だが、俺たちと戦う時と違い、エガシラを追う時はまるで、

本能に忠実な獣のよに追っている。ということはなんだ? 巨人の本能?)


 様々な疑問を抱えつつ、リヴァイは後方から刃を振るう。

 ガキンと、まるで岩に斬り付けた時のような衝撃がリヴァイの手を通じて流れてくる。

「参ったな。これで三本目だ」

 今回は女型一人が目標なので、あまり気にする必要はないが、それにしても硬化の

能力は厄介すぎる。新しい刃がすぐにダメになってしまうからだ。

(ならば)

 リヴァイはあることを思い付き急降下する。

 そして、女型の膝や足首などの間接を狙って切り裂いた。

「ギャアアアアアアア!!!!」

 女型の声が響く。

「思った通り!」

 腕や背中ならばともかく、間接の硬化はかなり難しいらしい。

 ほかに硬化し辛い場所があるとすれば――

 今度は急上昇するリヴァイ。

 そして、女型の左目を刃で斬り付けた。

 女型は左目を抑えて、一時悶絶した。

 湯気が出ており、斬り付けたその場で回復しているのはわかるけれど、素早く、

そして何度も攻撃していれば回復も間に合わないことがわかる。

「お前たち。女型の弱点は間接と目だ。重点的に狙え。少しでも長く奴の動きを封じるんだ」


「了解!」

 リヴァイ直轄の三人の兵士は彼に言われた通り、腕や脚の関節を狙う。

「グギャアアアアアアア!!」

 再び膝をつく女型。

 そして、

「出てきやがれ、女型あああああああ!!!」

 真上からリヴァイが白刃を振るう。

 だが、

 再び岩を叩くような衝撃があったかと思うと、刃が砕けてしまった。

 巨人の唯一の急所とも言われる後ろの首筋、つまりうなじの部分が異様に固い。

「チッ。こいつ、最も重要な弱点は硬化できるのかよ」

 舌打ちをするリヴァイ。

 だがその一方で心は躍っていた。

(いいね。なかなか楽しませてくれるじゃねえか。くそ巨人よ。まだ日は長い。

思いっきり行かせてくれや!)

 そう心の中でつぶやくと、再びリヴァイは巨人との距離を詰めた。

「まずいですよ兵長!」

 部下が止めるのも聞かず、リヴァイは再び女型の足回りに降りる。

 女型の巨人もそれを予想したようで、なんとかリヴァイの動きを止めようとワイヤーを

狙って踏みつけてくる。


 だが、次の瞬間グンタとエルドが同時に女型の両目を剣で突き刺す。

 深く突き刺さった刃は抜けなかったので、そのまま刃を放棄して、二人は女型から

離れた。

 両目を抑えた女型は視力の回復を図る。

 次の瞬間、真上からオルオが女型のうなじめがけて白刃を振り下ろした。

「どりゃああああ!!!!」

 一瞬、血液と同時に湯気が噴き出す。

「入った!」

 斬り付けた刃を放棄したオルオがそう叫ぶ。

「入りました! 兵長!」

「油断するな!」

 リヴァイは叫ぶ。

(硬化も半永久的に続けられるわけではない。現に、両目に対する攻撃で、一瞬うなじの

硬化が弱まった)

「グンタ! エルド! 続け!!」

「了解!」

 女型の両目を攻撃したグンタとエルドの二人も、オルオと同じように女型の真上に

飛び上がり、そしてうなじを攻撃した。

 しかし、女型は素早く両手をうなじに当て、手の甲を硬化させる。

「ぐわっ」


「くそっ!」

 二人の刃は砕ける。

「両目よりもうなじが大事か。まあそうだろうな」

 リヴァイも攻撃に参加した。

「行ける、行けるぜ!」

 オルオが叫ぶ。

 確かにこの調子なら、女型を倒すのも時間の問題かもしれない。

 だが、

(おかしい、こんなもので終わりか)

 リヴァイは口で説明するのが困難な不安を感じていた。




   つづく



 現在公開可能な情報9

・長瀬智也

 1978年11月7日生まれ。俳優、歌手、そしてタレント。ジャニーズ事務所のアイドルグループ、

TOKIOの最年少メンバーでもある。

 業界では、かなりの江頭マニアであることが知られており、「ドーン教」の信者を自称している。

 江頭の出演しているテレビ番組を編集して、DVDにまとめて保存するなど、周りがドン引きするくらいの

江頭好きなのだ。



「これは極秘任務である、決して他言せぬように」

 任務を言い渡された日、ペトラは上官からそう言われた。

 今回の任務に集められたのは、ペトラを含めて数十人。

 皆、班長や分隊長クラスの実力を持つ、調査兵団きっての精鋭たちである。

 その中に、一際目立つ黒髪の少女がいた。

 ミカサ・アッカーマン。訓練兵団を圧倒的な成績で卒団した、逸材中の逸材だ。

 憲兵団からの幾度とないスカウトも断り、この調査兵団に入ったのは、幼馴染の

エレン・イェーガーがいるから、というのが専らの噂だった。

ほかにも、新兵(ルーキー)組ではミカサに次ぐ成績であったというライナー・ブラウンの

姿もあった。

 体格も良く、頭もきれるらしい。最初の遠征の時、巨人の襲撃を受けても生き残り、

逆に討伐したという猛者だ。

 ミカサやライナーの他にも、リヴァイの直轄班に指名されたエルドやグンタもいる。

 そしてオルオも。

「なんであなたがいるの?」

「お前ちょっと酷くねえ? その言い方」

 オルオとは古い付き合いなので、こうした軽口も言える。

 ただし、恋愛関係にだけは絶対にならないと自信を持って言えるペトラなのだった。

「貴様らの任務は、今回特別任務をこなすリヴァイ、エレン、そしてエガシラの三人を

護衛することである」

 江頭たち三人が特別任務をこなすことは知っていた。


 つまりこれは、特別任務のための特別任務ということになる。

「あの、質問よろしいでしょうか」

 ペトラは挙手をして発言する。

「なにか」

「その、リヴァイ兵長と他二人は、どのような任務をするのでしょうか」

「それは機密だ。言えない」

「そんな」

「正確に言うと、言いたくても言えないのだ。俺もわからないからな」

「え?」

「とにかく、ここに集められた兵士諸君は、リヴァイ兵長たちよりも一日早く、

東部城壁都市、ストヘス区に入り、そこで次の指示を待て。わかったな。

わかったら早速準備に取り掛かれ。行軍計画は後で達する」

 上官はそう言い放つと、部屋から出て行った。

「一体何が起こるってんだ?」

「壁外遠征からまだ二週間も経ってないのによお」

 集められた団員たちは好き勝手に話をしていた。

 だが多弁なのは緊張感が無いわけではなくその逆。

 不安なのだ。

 それはペトラとて例外ではない。

(エガシラさん、大丈夫かな……)





    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



     第十話  極 秘 任 務 2 




 二人は走る。走る。走る。

 町のはずれまでひたすら走る。

 ストヘス区は防衛のために複雑な構造となっているため、実に進みにくい。

「少し休みましょうか」

「はあ、はあ」

 街の中心から外れたところで、ペトラと江頭は立ち止まる。

「随分と複雑な街だな」

 息を切らしながら江頭はつぶやく。

「城塞都市ですからね。都市機能よりも防衛機能が重視されているのは仕方ありません」

「そうなのか。それはいいが、リヴァイたちは大丈夫なのかな」

「何言ってるんですかエガシラさん。リヴァイ兵長ですよ。大丈夫に決まってるじゃないですか」

 ペトラは強い口調で言った。リヴァイに対する絶対的な信頼があればこその言葉だ。

「そうだったな」

「前回は取り逃がしましたけど、今回はいけますよ。きっと」

「ペトラ」

「はい?」

「色々とありがとう」

「いやっ、別に。別にエガシラさんのためにやってるわけじゃありませんから。命令ですので」


「それでもありがとう」

「もうっ」

 そう言ってペトラは顔を背ける。

(なんで私こんなに照れてるんだろう)

 上手く江頭を直視できない。




   *




「おーい、エガちゃーん」

 江頭とペトラが更に移動していると、聞き覚えのある声が上から聞こえてきた。

「エレン!」

 エレン・イェーガーだ。

 後ろにはミカサ・アッカーマンや、やたら体格の良いライナー・ブラウンもいる。

「無事だったんだね、エガちゃん」

 エレンは嬉しそうに言った。

「ああ、危ないところだったけど、ここにいるペトラさんに助けてもらったよ」

「そうか」

「エレンも無事だったようだな」

「まあな」


「エレンは無事。私が守るから」

 不意に、後ろにいたミカサが言った。

「あ、そうか」

 江頭はそう言って更に目線を後ろに向ける。

「確かキミは」

「ライナー・ブラウンです。うっす」

 江頭やエレンとは対照的に、体格の良い(悪く言えばゴリマッチョ)のライナーが

そう挨拶する。

 確か初めて会った時にエガシラアタックをくらわせた相手だ。

「住民の避難は終わらせました。これからどうしましょうか」

 ライナーはペトラにそう聞く。

 ペトラは女性であるけれど、この中では最先任であり、なおかつ経験も豊富な先輩兵士だ。

「ミカサ」

 そんなペトラが真っ先に指名したのがミカサだった。

「ミカサ・アッカーマン。あなたは今すぐリヴァイ兵長のところに向かって。

あなたはこの中では一番実力があると思うの」

「しかし……」

 だがペトラの指示にミカサはあまり乗り気ではなかった。

 それはそうだろう。

 大好きなエレンと離れるのは、彼女としては本意ではない。


「お願いミカサ。あなたの実力はよく知っているわ。ここでは個人的な感情はひとまず

置いておいて、目の前の勝利を目指してちょうだい」

 ペトラは丁寧に言った。

「わかりました」

「ペトラさん。俺たちは」

 そう聞いたのはエレンだ。

「エレンと、ええと」

「ライナーです」

「そう、ライナーの二人はエガシラさんの護衛をお願い」

「はい」

「了解です」

 エレンとライナーは答える。

「ペトラはどうするんだ」

 江頭は聞いた。

「ごめんなさいエガシラさん」

 不意にペトラは謝る。

「え?」

「兵長にはあなたを守るように言われたけど、仲間や後輩が危険な場所に行くのに、

自分一人だけ安全な場所に逃げるわけにはいかないから」

「じゃあ、これから――」


「ミカサ・アッカーマン」

「はい」

「私も行くわ。リヴァイ兵士長の支援に向かいます」

「了解です」

「それでは、エガシラさん」

 振り向きざま、ペトラは言った。

「ペトラ」

 そんな彼女に江頭は呼びかける。

「何か」

「死なないでくれ。ただそれだけでいい」

「こんな所でやられません」

 そう言うと、彼女は軽く片目を閉じた。

 いわゆる“ウィンク”というやつだ。この世界にもそんな文化があったのかと思うと、

少しだけ江頭はドキドキした。




   *


 ストヘス区中心街――

「視力、回復しているぞ! 距離を取れ!」

 リヴァイのその号令で、彼の指揮下にある三人の兵士が素早く女型の巨人から離れる。

 女型の裏拳がリヴァイの前を通り過ぎると、顔を斬り付けられそうなほど鋭い風が

襲ってきた。

 不意に、女型の後方約500メートルくらいの距離から二度目の煙弾が打ちあがる。

(まったく、世話が焼けるぜ)

 リヴァイにだけ知らされている秘密の合図だ。

「オルオ! グンタ! エルド! 場所を移動させるぞ!」

 そう言って、自分の後方にアンカーを撃ち出すリヴァイ。

 時々戻っては、女型の身体を斬り付け、そして離れる。

 ヒット&アウェイの方法で攻撃を加えたリヴァイは、素早く目標の場所に女型を誘導した。

 女型の討伐。

 しかし、可能な限り捕獲。

 それがリヴァイに課せられた任務だ。

 実の所、巨人は殺すよりも生きたまま捕獲するほう何十倍も難しい。

 それが知能を持った人間のような巨人ならば猶更だ。

 リヴァイは巨人に悟られないよう、距離を離す。

「リヴァイ兵長!」

 建物の隙間から、仲間の調査兵団の兵士がマスケット銃を差し出す。


 急いで着地したリヴァイはそれを受け取った。

「火縄は、ついているな」

 それを確認すると、再び立体機動装置で屋根の上に飛びあがり、女型の顔めがけて

マスケット銃を放つ。

 頭に響く音と、黒色火薬の煙が視界を覆う。

「気休めにもならんか」

 そう言うと、リヴァイはマスケット銃を屋根の上から投げ捨てた。

 大砲で巨人の首を吹き飛ばすことはできても、それだけで巨人は死なない。

 弱点であるうなじを切り取らないことには、倒したくても倒せないのだ

「まだだ、まだ引きつけろ」

 リヴァイは独り言のようにつぶやく。

 そして、静にリヴァイは右手をあげた。

「ってえええええ!!!!!!」

 建物の間から、無数のアンカーが飛ぶ。アンカーにはそれぞれ金属製のワイヤーがついていた。

 しかし立体機動装置のものではない。

 捕獲のためのアンカーだ。

《…………!》

 まず、女型の四肢にアンカーが突き刺さった。

 当然、女型はそれを引き抜いて自由になろうとする。

「続け!」
  

  
 だが、それを見越して次のアンカーが射出される。

 街に潜んでいた調査兵団の兵士たちが次々に専用のアンカー射出装置を繰り出す。

 ワイヤーの片方は地面に突き刺し、簡単には抜けないようにした。

 一本一本のワイヤーは弱いけれど、それが集まると強力になる。

「止めるな! 撃てええ!!」

 リヴァイの号令で、更にアンカーが刺さる。

 無数のアンカーがつきささり、ワイヤーの絡まった女型は、ついに動きを止めてしまった。

 だがこんな状況でも、辛うじて弱点であるうなじは守っている。

「いつまで我慢できるか、女型……!」

 オルオやエルドが白刃を振るう中、リヴァイ自身も再び刃を取り出したその時、

「リヴァイ兵長」

「ん!」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ペトラ、それに……」

 見覚えのある黒髪がペトラの後ろに続いていた。

「ペトラ・ラル。ミカサ・アッカーマン、到着しました。私たちも戦います」
 
 リヴァイと同じ屋根の上に乗ったペトラが言った。

「エガシラはどうした」

「別の兵士に任せています。今は、兵長と一緒に女型と闘いたくて」


「命令違反だ」

「罰は受けます。ですが、仲間を戦わせておいて、自分だけ安全な場所にいるわけにはいけきません」

「バカ野郎が……!」

「はい」

「ペトラ、それと――」

 リヴァイは黒髪のミカサを見る。

「ミカサ・アッカーマンです」

 ミカサは答えた。

「知っている。お前たちも攻撃者(アタッカー)だ。女型のうなじを切り取り、

中にいると思われるアニ・レオンハートを引っ張り出すぞ」

「了解!」

「了解です」

 リヴァイたちが改めて飛び出そうとしたその瞬間、

《ウウウウウ……ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

ああおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

オオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!》

 これまでとは比べ物にならないほど、大きく、そして腹に響く叫び声が女型の巨人

から発せられた。

「ぐわあっ!」


 思わず耳を抑えるリヴァイ。

 それは、他の兵士たちも同様だった。

 少なくとも半径三十メートル以内にいる者たちは、一様にその奇声に動きを止められてしまう。

「断末魔と言うやつか!」

 予想外の騒音に混乱するリヴァイ以下、調査兵団の兵士たち。

 だがここで攻撃の手を止めるわけにはいかない。

「静かにしやがれ!!」

 音の衝撃波によって、まるで強烈な逆風に立ち向かうようになるリヴァイ。

 だが立体機動装置の巻き取りは止まらない。

(鼓膜が破れそうだ!)

 強烈な音をかき消すため、リヴァイは剣を逆手に持ち、女型の巨人の喉元に刃を突きたてた!




   *




 遠くから聞こえた叫び声は、やがてサイレンのように鳴り続き、そして消えた。

「うわっ、なんだこりゃ」

 エレンが耳を塞ぐ。

「女型の巨人の叫び声だ。聞き覚えがある」

 と、江頭は言った。

 女型とはかなり離れているにも関わらず、その声は頭や腹に響く不快な空気を作っていた。

「一体向こうで何が起こってるんだ」

 江頭は気になっているようだ。

 それも当然かもしれない。向こうには、ペトラも向かっているのだから。

「ダメだよエガちゃん。俺たちは逃げないと」

 エレンは当然止める。

「だけど……!」

 エレンと江頭が揉めている中、突然大柄なライナーが一歩踏み出す。

「ライナー?」

 エレンが呼んだ。

「エレン、お前に言っておかないといけないことがある」

 ライナーは街の中心、つまりリヴァイや女型の巨人がいる方向を見ながら言う。

「なんだよ」


「五年前、お前の住んでいるシガンシナ区を襲った超大型巨人と、鎧の巨人がいただろう」

「それが、なんだ」

 五年前、突如現れた超大型巨人によってエレンの住んでいるシガンシナ区の壁が破壊され、

巨人が流れ込んできた。

 シガンシナ区はトロスト区などと同じように城塞都市で、外周のウォール・マリアから

少し突き出た場所にある。

 ゆえにここが襲われた場合でも、都市を閉鎖して壁の内側に逃げることはできた。

 だが、鎧の巨人の出現によりウォール・マリアの内側に続く城門が破壊され、

ウォール・マリアの内側にも巨人が流れ込んだ。

 こうして人類はウォール・マリアの内側、つまり活動領域の三分の二を失ったのだ。

「今更許してくれ、などと言うつもりはない。だが――」

「おい」

「気の毒だとは、思っていた」

「おい! 何を言ってんだよ! お前、頭おかしくなっちまったのか!?」

 エレンがそう言っているうちに、ライナーは走り出し、自分の手を刃で切り裂いた。

「ライナアアア!!!」

 エレンの叫び声をかき消すように、ライナーの周囲が光に包まれる。

 そして爆風。

「エレン!」


 エレンと江頭は一瞬の爆発に驚き、思わず目を閉じてしまう。

 そしてゆっくりと目を開いたその瞬間、

 目の前には約15メートルほどの巨人が立っていた。

「あれは……、鎧の巨人」

 その瞬間、エレンの脳裏にかつての記憶がよみがえる。

 シガンシナ区に侵入し、ウォール・マリアの扉を破壊したあの鎧の巨人の姿が。

 あの時よりも大きい。

 それは、成長したからなのか。

 そんなことはどうでもいい。

 今は、あの巨人の正体が、同期生のライナー・ブラウンであったことに驚いていた。

「何なんだよ、アニだけでなくライナーも巨人だったのかよ。あいつら、何で」

 ライナーこと、鎧の巨人は建物を踏み潰し、全速力で街の中心部に向かっていった。

 エレンは混乱していた。

 目の前に次から次へと起こる事態に頭がついていかなかったのだ。

「くそ……! 何が何だか」

「エレン」

「……」

「エレン!」

「はっ!」


 目の前には、上半身裸で黒タイツの中年が一人。

「エガちゃん?」

「エレン! 中心部に連れて行ってくれ。お前の立体機動装置を使って」

「何言ってるんだよ。エガちゃんは避難しないと」

「いいから連れて行け! 今、ヤバイ状況なんだよ! わかるだろ!」

「だけど」

「エレン!!」

「……」

「またたくさんの人が死ぬかもしれないんだぞ。それを指をくわえて見てろって言うのか?

それとも、目を背けて見ない振りをするのか?」

「……エガちゃん」

 エレンは少しだけ考える。

 このままライナーたちを放置していたなら、何もできなかった五年前とまったく同じじゃないか、と。

「そうだよ。俺はもう五年前の、あの無力だったころの俺じゃないんだ」

「エレン」

「行こう、エガちゃん。俺は、アイツを、あいつらをぶっとばすんだ」

「そうだ」

 こうして、エレンと江頭は街の中心部へ再び戻ることにした。

 しかし、すでに中心部では惨劇は始まっていたのだ。





    *



「おい、今の音と光はなんだ」

 リヴァイは近くにいたエルドに聞いた。

「街の西側。壁に近い場所ですね。確か、エガちゃんが逃げていた場所の近く――」

 エルドがそこまで言いかけたその時、街にある建物がいくつか壊れ始めた。

「リヴァイ兵長!!!」

 兵士の一人が全速力でこちらに向かいながら叫んだ。

「どうした」

「兵長! 大変です! 巨人が、巨人が出現しました!」

「女型の巨人はここにいるぞ」

「違うんです! もう一体の巨人です! 恐らくあの形は、噂に聞く『鎧の巨人』かと」

「なに!?」

 リヴァイが視線を上げたその瞬間、すでに大きな足音はすぐそこまで迫っていた。

「総員退避!!!」

 リヴァイの叫び声に、近くにいた兵士たちが一斉に飛び上がる。

 巨大な爆発音とともに、建物の一つが大きく壊れ、土煙が辺りを覆った。

「巨人だ! もう一体巨人が現れたぞ!!!」

 巨大な男の巨人が建物を壊しながら、女型の巨人のすぐ傍までやってきたのだ。

「討伐! 討伐しろ!!」

 分隊長の一人が叫び、兵士たちがもう一体の巨人に襲い掛かる。


 しかし、高い金属音が何度も鳴り響いた。

「こいつ、硬いのか」

 男の巨人は、女型と違い前身の皮膚が固い鉄のようなもので覆われていた。

「あれが、世に言う鎧の巨人というやつか」

 リヴァイはエルヴィンの話を思い出す。

 ウォール・マリアの硬い城門を破壊した鎧の巨人。

 あの巨人と同じか、もしくは同じ種類の巨人。

《グファアアアア》

 鎧の巨人は大きく息を吐くと、その息は強烈な蒸気となって噴き出してきた。

 さすがに鎧の巨人だけあって、もっている熱も桁違いのようだ。

 鎧は再び走り出すと、女型に刺さったワイヤーを引きちぎった。

 防御力だけでなくパワーも桁違いのようだ。

「男の動きを止めろ! あいつのほうがパワーが強い!!」

 そう言って、一部の兵士がアンカーを撃ち出す。

 しかし、女型の時と違いアンカーが刺さらない。

「刺し込みは諦めろ! ワイヤーを絡ませるんだ!!」

 リヴァイが指示を飛ばす。

 ここで鎧の巨人と女型の巨人の二体を相手にしなければならない。

 いくら精鋭の調査兵団でも、それはかなり難しい注文だ。

「くそがあ」


 リヴァイは女型を部下に任せ、鎧の巨人を止めにいこうとした。

 その場を指揮する先任者は最も困難な道を選ばなければならない。

 それが調査兵団の伝統だ。

 ゆえにペトラは前線に戻ってきた。

 そしてリヴァイも、鎧の巨人を相手にする。

 だがしかし、

「兵長!!」

「な!!!!」

 リヴァイの目の前には、いつの間にかワイヤーから自由になった女型の巨人が迫る。

「邪魔をするなあ!」

 リヴァイは女型の右ストレートを掻い潜り、順手に持った剣で視界を奪いにかかる。

 だが、一瞬でその動きを察した女型が顎を上げた。

「!!!!!!」

 人間では考えられないほど大きくあけた口が、剣ごとリヴァイの左腕に噛みつく。

 リヴァイは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

(俺の左手を食ったか……)

 そう、リヴァイの左腕は、女型の巨人にガッチリとくわえられていたのだ。

 この時、リヴァイは自分でも驚くほど冷静であった。

 そしてすぐに気を取り直し、残ったもう一方の手で躊躇うことなく――





 自分の左腕を切り落とす。


「兵長おお!!!」

 オルオの声が聞こえた。

(騒ぐな)

 そう思いつつ、リヴァイは立体機動装置を操作し、女型の後ろに回り込む。

「悪いが、生け捕りにすることは無理そうだ」

 そう言うと右手に持った剣を振り上げ、女型のうなじに突き刺す。

「左手は、冥途の土産にくれてやる」

 肉を切り裂く感触が右手から伝わってきた。

 そして、心臓を突き抜く。

 巨人の心臓ではない。

 巨人の中にいるであろう、アニ・レオンハートの心臓だ。

 リヴァイは人の心臓は突いたことがない。

 だが、本能でわかった。

 突き刺して、殺したことを――

(あまりいい感覚とはいかんな)

 不意に腕を失ったショックと出血で力が抜けたリヴァイは、そのまま女型の巨人の背中から落下した。

「リヴァイ兵長!!」

 落下したリヴァイの身体を受け止めるオルオ。

「大丈夫ですか! 兵長!」


「ああ、何とか生きている。それより鎧だ」

「そんなことより、左腕を!」

 リヴァイの左腕からは、今もドクドクと血液が流れ出ている。

 だが大量に出ているアドレナリンのせいか、痛みはあまり感じない。

 まるで他人の腕のような、現実離れした感覚だけが残った。

「すぐ治療します!」

 リヴァイを抱えて着地したオルオは、自分の持っていた紐でリヴァイの腕を縛る。

「大丈夫ですか!」

 別の兵士が駆け寄ってきた。

「止血だ! 止血を急げ!」

「鎧はどうなっている……」

「兵長、落ち着いて! リック、早く包帯を撒け」

 衛生担当の兵士がリヴァイの腕に包帯を巻く。

「鎧はどうなっていると聞いている!」

「鎧はまだ健在です」

 オルオは答えた。

「現場の指揮は」

「エルドが執ってます」

「女型はどうした」

「動きません。やりました。兵長が、やりました」


「そうか」

「兵長、どうか安静にしていてください。後は我々がやります」

「まだ動ける」

「兵長!」

「止血、急げ。ケシの実の錠剤も持って来い」

「兵長……!」

「オルオ」

「は、はい」

「女型は死んだ。にもかかわらず鎧は健在。だったら、次に奴は何を狙うと思う」

「それは……」

 次の瞬間、聞き覚えのある声が空に響く。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


「あの声は……」

 それを聞いたオルオがつぶやく。

「俺もバカだが、あいつはもっとバカだ」

 と、リヴァイは言う。

「兵長? あいつってまさか」

「バカだから奴は戻ってきた。この地獄にな」

 リヴァイとオルオ。二人が見上げたその視線の先には――




   つづく


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・江頭2:50の東日本大震災、救援物資輸送作戦

 2011年に発生した東日本大震災において、原発事故で救援物資が不足していた福島県

いわき市に江頭が物資を届けた一連の行動。

 原発事故の影響で孤立している老人ホームを助けるため、知り合いの助けを借りながら

借金をして救援物資を購入。

 さらに自らトラックを運転して福島県のいわき市にある老人ホームまで物資を届けることに成功した。

(ちなみに江頭はトラック運転手の仕事をしていたこともある)

 この話はツイッターなどを中心に広まったものの、当初はそっくりさんではないかと言われていた。

しかしタレントの北野誠がこの話を真実と断定、江頭本人も、自身のインターネット番組

「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」でことの顛末を激白した。

  


 
「何としてもやつを止めるぞ!!」

 エルドの声が響く。

「オオー!!」

 それに呼応するように、立体機動装置と特殊スチールの剣で武装した、調査兵団の

兵士たちが叫ぶ。

 エルドの視線の先には、これまでに見たことも無い巨人が立ちはだかる。

 恐らく話に聞いていた「鎧の巨人」というやつだろう。

 一体どこから出てきたのか。

 誰が鎧の巨人の正体なのか。

 それを考える時間はエルドにはなかった。

 彼はただ、リヴァイ兵長のかわりに数十名におよぶ調査兵団の精鋭たちとともに、

あの巨人を何とかしなければならなかった。

「くそ」

 エルドにとってショックだったのは、鎧の巨人の圧倒的な防御力ではない。

 リヴァイ兵長負傷、そして戦線離脱。

 人類最強と言われていたリヴァイの戦線離脱は、上官として、また同じ兵士として尊敬していた

彼にとっては大きな衝撃であったことは間違いない。

 そしてリヴァイが戦闘が継続できないほど大きな負傷をしてまで倒した女型の巨人よりも、 

あの鎧の巨人は厄介だ。


「隊長代理、指示を」

 隣にいたペトラが言う。

 指揮官としての決断。

 それは自分だけでなく部下の命、さらにはこの世界にいる人々の命にもかかわる。

「捕獲は諦めろ! 巨人の討伐だけを目指す!」

 エルドは宣言した。

 エルヴィン団長から明確に示された命令の放棄。

 それは、軍人として許されざることかもしれない。

 だが兵士として何度も死線を潜り抜けた者として、その判断に間違いはない、
という絶対的な自身はあった。

「それで、どうしますか!?」

 兵士の一人が聞く。

「壁の近くまで誘導する! 壁上固定砲で直接照準射撃を行う。急げ!」

「了解!」

 女型の巨人との戦いで負傷した隊員を除外し、鎧の巨人との戦闘態勢に入るエルドたち

調査兵団精鋭部隊。

 だが、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 どこかで聞いたことのあるような声が町中に響く。

(この声は……)

「エガシラさん……!?」

 不意に、エルドよりも先にペトラが反応する。

 エルドが声のした方に視線を向けると、黒タイツ姿の江頭2:50が、

とある建物の屋根の上に見えた。








    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    第十一話 決戦! ストヘス区 



「いよおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 江頭は血管が切れるんじゃないか、というくらい大きな声で叫ぶ。

 近くにいたエレンは思わず耳を塞いでしまうほどの大声だ。

 ストヘス区は壁に囲まれているとはいえ、かなり広い城塞都市なので、

相当大きな声でなければ反響はしないはずだ。

 だが、江頭の声はよく通った。

 いつか聞いた、ピクシス司令の声もよく通った気がする。

「こらああ! ライナー・ブラウウウウウウン!! 

 おーまえに一言ものもおおおおおおおおおおおおす!!!!」

 江頭は鎧の巨人に向けて叫んだ。

 彼には、あの巨人がライナーであることがわかっているのだ。

「お前目立ち過ぎだぜえ。何芸人の俺より目立ってんだよお!

 ぜえええええったいに、許さねえからなああ!!」

 そう言うと、江頭は黒タイツの中に腕を入れて「ドーン」のポーズを取って見せた。

「ドオオオオオン!!!」

 そしてついでに、

「がっぺムカツク」

 更に江頭は言った。

「いいかあ! この街はたった今から俺の舞台だ!! 俺が主役だぜええええ!!」

《エ・ガ・シ・ラ……》

 不意に鎧の巨人が声を出す。


「え?」

 聞き取りにくかったけれど、あきらかに「エガシラ」と言っていた。

 そして、

《 コ、ロ、ス……》

 そう言うや否や、ライナーこと鎧の巨人は全速力で江頭に襲い掛かった。

「うおわああああ!!」

「エガちゃあん!!!」

 鎧の巨人は、江頭を建物ごと攻撃する。

 巨人の、体重を乗せた拳が建物にめり込み、そのまま身体ごとぶつかって建物全体を破壊した。

「大丈夫? エガちゃん!」

 江頭を抱えたエレンが聞いた。

「ああ、助かった」

「大したことないよ、このくらい」

 立体機動装置を使ったエレンが江頭を抱きかかえて助けたのだ。

「でも危なかったよエガちゃん」

「何言ってんだ。ペトラや仲間たちを危険に晒しておけるかっての!」

「でも」

 再び屋根の上に着地する江頭とエレン。

 エレンが振り返ると、建物に身体をうずめた鎧の巨人がゆっくりと起き上がる。


「撃てええええ!!!」

 タンタン、と乾いた音が聞こえる。

 調査兵団の一部がマスケット銃で遠距離攻撃を行っていた。

 だがあの鎧の巨人には焼け石に水だろう、とエレンは思った。
 
 硬い巨人の皮膚を切り裂くことができる、特殊鋼の剣でも通らない超硬質の皮膚を持つ巨人。

 その硬さゆえに鎧の巨人と言われたその巨人に、旧時代の火器が通用するはずもない。

「ワイヤー、急げ!!」

 勢いが余って倒れてしまった鎧の巨人にワイヤーを絡ませる兵士たち。

 それも気休めにしかならないだろう。

 だがワイヤーに絡まった巨人は、少しだけ動き難そうであった。

 ずっとは無理だが、数分だけなら時間が稼げそうだ。

「エレン! 無事だったの?! エガシラさんも!!」

 不意に、声が聞こえてきた。

「エレン!」

「ミカサ!?」

 薄いあごひげを生やしたエルド・ジンのすぐ近くには、エレンの幼馴染、ミカサ・

アッカーマンもいたのだ。

「無事だった!? 怪我はない?」

「俺は大丈夫だミカサ!」


 心配そうに顔を触るミカサの手を振りほどき、エレンは金髪のほうを見た。

「あの、リヴァイ兵士長は」

「リヴァイ兵長は負傷して、戦線を離脱した。今は、リヴァイ班の副班長だった

俺、エルド・ジンが特別部隊の指揮を執っている」

「リヴァイ兵長が、負傷……?」

 人類最強と言われた兵士の負傷、そして戦線離脱。

 これは明らかに痛い。

 だがそれ以上に、この戦いの厳しさを痛感させられる。

「エレン・イェーガーだったな」

 エルドは聞いた。

「はい」

 エレンは答える。

「キミは後方の支援部隊に回ってくれ」

「え?」

「エガちゃん、いや、エガシラ・ニジゴジュップンの護衛は我々が行う」

「いや、ちょっと待ってください。俺も戦います」

「エレン、冷静になって。あの鎧の巨人は、明らかに普通の巨人とは違う」

 そう言ったのは、エルドではなくミカサだった。

「ミカサ……」

「今は、最も確実な方法を取らなければならないはず。気持ちはわかるけど」


「く……」

 何度となく自分の命を救ってくれた恩人である江頭。

 できれば彼を最後まで守り通したかったエレン。

 だが状況はそれを許さない。

「エレン、私は死なない。そしてエガシラさんも死なせない。だから、ここは私たちに、

任せてほしい」

 ミカサは目を逸らすことなく、じっとこちらを見据えて言った。

 ほんの数か月前、トロスト区における戦闘直前に見せた、わがままな態度とは大違いである。

(この数か月で、ミカサは精神的にも大きく成長した。だったら俺も)

 そう思い、エレンは頷く。

「わかりました。エガちゃんを、よろしくお願いします」

 エレンはエルドに向かって言った。

「任せておけ。エガちゃんは人類の希望だからな」

 そうこうしているうちに、リヴァイ直轄部隊のペトラ・ラルとグンタ・シュルツが戻ってきた。

「リヴァイ兵長の状況は」

 と、エルドが聞いた。

 それに対してグンタが答える。


「命に別状はない。だが、左手を巨人に噛み切られた。出血も酷く、戦線の復帰はほぼ

不可能だ。今は、オルオ以下数人が後方に搬送している」

「そうか」

 エルドは改めてショックを受けたようだが、指揮官らしく動揺した表情を噛み殺し、

キッと鎧の巨人を見据える。

「巨人の目標は、おそらく今の行動を見ても分かる通り、エガちゃんだ。

だったら、我々はエガちゃんを護衛しつつ、目標の地点へ向かう」

「目標の地点?」

「あそこだ」

 そう言ってエルドが指さした先。

 そこには高い壁がそびえたっていた。

「城塞都市の壁……、そうか」

 エレンは気が付く。

「壁上砲」

「そうだ。できるだけ近い位置から砲をぶちかます。鎧の巨人の硬い皮膚を貫くには、

それくらいしか今の所方法はない」

「そうですか」

「すまない。もう時間がないようだ」

「はっ!」

 調査兵団の兵士たちが絡ませていたワイヤーをブチブチと引きちぎりながら、鎧の巨人は立ち上がる。


 鉄製のワイヤーを引きちぎるというだけで、あの巨人が硬さだけでなく、

相当のパワーを有しているということがわかる。

「エレン、後方の指揮は第三班のニコルだ。そいつの指揮下に入れ」

「了解」

「残りの三人は俺に続け、エガシラを護りつつ、巨人の動きを遅くする」

「わかりました」

「エレン!」

 ミカサは言った。

「ん?」

「……死なないで」

 先ほどとは違い、少し弱い声でミカサはつぶやくように言う。

「ミカサこそ」

 その場を離れる前に、エレンはもう一度振り向く。

「エガちゃんも!」

「なんだ?」

 江頭がこちらを見た。

「エガちゃんも死なないでよ!」

「俺は不死身だ」

 そう言って、江頭は腰に手を当てて見せる。

 上半身裸に黒タイツという、どう見てもキワモノの格好なのだが、その姿はエレンに

とってやたら凛々しく見えたのだった。




   *


「どうして戻ってきたんですか?」

 エレンとミカサが別れの挨拶を交わした直後、ペトラはそう言って江頭に詰め寄った。

「悪いとは思ってる」

「じゃあ何で」

「そりゃ、女の人を見殺しにできるほど、俺は合理的な思考はしてないからな」

「合理的って、命が惜しくないんですか?」

「命?」

「そうです。ここにいたら死ぬかもしれないんですよ」

「わかってるよ」

「じゃあ」

「でもよ、もし俺が命を惜しんで逃げ出していたら、それはもう俺じゃねえよ」

「え?」

「俺は今まで、水中息止めとか塩の一気食いとか、命がけで芸をやってきだ。

だから、どんな状況でも逃げ出すわけにはいかねえ」

「江頭さん……」

「俺は凡人として生き延びるよりも、芸人として死ぬことを選ぶ」

「あなた、バカです。大ばか者です」

「ありがとう。そりゃ芸人にとって最高の褒め言葉だ」

「エガシラさん。私はあなたを絶対に死なせない」

「ペトラ?」


「絶対です。絶対に」

「わかった」

 そんな二人の間に、グンタが割って入った。

「お二人さん、盛り上がっているところ悪いが、奴(やっこ)さん起き上がったみたいだぜ」

「ん?」

 彼らの視線の先には、身体に絡みついたワイヤーを引きちぎり、マスケット銃で

攻撃してくる兵士たちを追い払った鎧の巨人がいた。

「行くぞ!」

 エルドが呼びかけると、

「了解」

 グンタ、ペトラ、そしてミカサの三人は答える。

「エガシラさん、これを」

 そう言うと、ペトラはベルトのようなものを取り出して見せた。

「これは?」

「固定用のベルトです。これを着けていれば、あなたを抱えるときに楽でしょう?」

「キミが俺を抱えるのか?」

「他に誰がいるんですか」

「それに、随分と用意がいいんだな」

「か、勘違いしないでください……!」


「え?」

「これはエガシラさんのために用意したんじゃありません。負傷者が出た時のための、

救護用品ですから」

「そ、そうか」

「それじゃあ早く」

「うえ? ちょっと」

「何ですか?」

 搬送用のベルトは、まるで赤ん坊のおんぶ紐のように身体を密着させるものであった。

「いや、いいのか?」

「仕方ないでしょう? この立体機動は一人用なんですから、二人で移動する時は、

こうしないと」

「まあ、いいんだけど」

(胸が当たる……)

 そう思うと、変なことを考えてしまった江頭。

 腕を入れなくても「ドーン」になってしまいそうだ。

「後ろにします?」

「やめてくれ」

 言うまでもなく、後ろは排気ガスが出るので非常に熱くなる。



《ウオオオオオオオオオ!!!!》



「来た!」

 江頭の姿を発見したらしい、鎧の巨人がこちらに向かって全速力で走ってくるのが見えた。

 速い。

 非常に速い。

 江頭は、テレビで見たアメフトの試合を思い出す。

 100㎏以上の巨体が猛スピードで走っている姿はかなりの大迫力だ。

 衝撃は質量と速さに比例するので、アメフトの選手よりもはるかに重い鎧の巨人の

攻撃力はかなりのものだろう。

「飛べええ!!」

 一斉に高く飛び立つエルドたち。

 グッと、身体にGがかかる。

 真下では、大き目の建物にタックルをかける鎧の巨人の姿が見えた。

 石かレンガで出来ているであろう都市の建物は、まるで“砂のお城”のように簡単に

崩れ去って行く。

 攻守最強。

 そんな言葉が江頭の頭の中に浮かぶ。

 鎧の巨人の硬い皮膚は、最強の防具である一方、その硬さを生かした戦いで、最高の

武器にもなりうる。

「方向転換!!」


 エルドの号令で、江頭たちはジグザグに都市を移動する。

「真っ直ぐ行かないのか!」

 江頭は聞いた。

 すると、

「まだ準備が終わっていないようだ!」

 と、グンタが答えた。

(準備?)

 ふと、江頭は疑問に思ったけれど、すぐにそれどころではなくなってしまう。




   *



 鎧の巨人が出現する少し前、調査兵団の兵士の一人、ゲルガー・レイノルズは

今回の特別部隊の隊長であるリヴァイの命令により、ストヘス区の『壁』に来ていた。

 立体機動装置で壁の上に上ると、数人の兵士が望遠鏡を使って街の中央を見ていた。

「おい、何だあれは」

「巨人か?」

「馬鹿言え、ここは内地だぞ」

 数人の制服姿の兵士がそんな話をしているのが聞こえた。

「おいお前ら!」

 そんな兵士たちにゲルガーは呼びかける。 

「誰だお前」

 性格の悪そうな連中だ、とゲルガーは思ったがそれは口にはしなかった。

「調査兵団だ」

 そう言って、ゲルガーは兵団のエンブレムを見せる。

「調査兵団? ここは内地だぞ。壁外の部隊が何の用だ」

 憲兵団と思しき兵士の一人が、明らかに迷惑そうな顔をして聞いた。

「特別任務だ。お前ら、壁上砲を今すぐ壁内に向けろ」

「え?」

 数人の兵士たちは顔を見合わせる。

 意外かもしれない。

 壁上砲は、壁の内側から外に向けて撃つものと相場が決まっている。


 それを壁の内側に向けるのだからおかしいのは当たり前だ

 だが今は事情が違う。

「お前ら腑抜けか? それとも二日酔いか。お前らの目が確かなら、あの街の中央

に現れたアレが何かわかるだろうが!」

 ゲルガーは、集団のリーダー格らしき人物に詰め寄って言った。

「いや、それは」

「現在、調査兵団の精鋭たちが戦闘中だ。このため、ここにある壁上砲部隊にも戦闘の

支援を要請する」

「……」

「どうした、俺の言っていることがわからねえのか?」

 ゲルガーは少しドスを効かせた声で詰め寄る。

「い、いや、それはわかります」

 先ほどまで人を小馬鹿にしたような態度だった憲兵団兵士の一人が、明らかに恐怖に

引きつった声で一歩下がった。

 憲兵団はエリート集団とはいえ、壁外に出る機会が皆無なので、実戦経験は皆無だ。

 壁外において、血で血を洗う戦いをしてきた調査兵団の面々に、迫力で敵う者はいない。

「お言葉ですがベルガ―殿」

「ゲルガーだ」

「失礼しました、ゲルガー殿」


「なんだ」

「実を言いますと、ここにいる兵士たちは後方勤務が中心でしたので、壁上砲の取り扱いに

習熟しておりません」

「はあ? お前ら訓練兵団に何を習ってきたんだ、ああ?」

 訓練部隊では、駐屯兵団に入ったことも想定して、壁上砲や同型の大砲の整備、

撃ち方の訓練もする。

「いやいや、確かに習いましたがしかし、もう何年も前のことですし」

「んだとコラ! お前ら、エリート集団じゃねえのかよ」

「いやいやいや、確かに壁上砲の使用は重要ですが、ここは内地ですゆえ」

「もういい。この中で壁上砲を使える者は!!」

「……」

「誰かいねえのかあ!!!!」

 良く通る声でゲルガーが叫ぶ。

 すると、また別の兵士たちが集まってきた。

 今度は人も多い。

「何ごとですか?」

 不意に、きのこみたいな髪型をした鼻のデカイ長身の男性兵士がやってきた。

「俺は調査兵団のゲルガーってんだ」

「調査兵団の方が何か」


「お前の所属は」

「え? 失礼しました。自分は憲兵団ストヘス区支部所属のマルロ・モルガンです」

「その制服は、新兵か」

「は、はい。今年配属されたばかりです」

「壁上砲の操作はできるな?」

「え、それは……」

「できるのかできねえのか!」

「できます! 訓練兵団で何度も訓練しました」

「よし、じゃあお前、この砲を街の内側に向けろ」

「え? どうしてですか」

「見てわかんねえのかよ! あの巨人を攻撃するためだろう!」

「街に被害が……」

「言ってる場合か!」

 不意に、壁の下から声が聞こえてくる。

「おーいマルロー、何やってんだあ」

 立体機動を使って、数人の兵士たちが上がってきた。

 顔や制服を見る限り、マルロと同じ新人兵だろう。

「ちょうどいい、お前ら」

「おじさん誰ぇ?」


 くせ毛っぽい女性兵士が聞いてきた。

「オジサン? 俺はまだ二十歳だバカ野郎」

「おじさん怖ーい」

 怖いと言っているが、怖がっているようには見えない。

 この女は髪の毛だけでなく、性格も曲者だとゲルガーは思った。

「まあいい、とにかく新兵ども」

「はい」

「壁上砲で巨人を仕留める。一刻も早く配置につけ」

「いや、何が何だか」

「さっさとしろ! 巨人に殺されたいのか!」

「はい!」

(ちょっと不安だが、この際仕方ない)

 ゲルガーは、憲兵団の新人兵士たちを使って、壁上砲を撃たせることにした。

(準備には少し時間がかかりそうだが)

 その後、ゲルガーたちが壁上砲の準備をしている間に、鎧の巨人が現れ、

それから女型の巨人はリヴァイによって仕留められた。




   *


「壁上砲の準備はまだか!」

 エルドが叫ぶが、

「まだだ! 確認できない!」

 と、グンタは返事をする。

《グオオオオオオオオ!!!!》

 ドスドスと酷い足音をたてながら鎧の巨人が迫ってくる。

 いくつもの建物が破壊され、一部では火の手も上がっていた。

 街中に潜んでいた調査兵団の兵士たちの罠も簡単にすり抜け、鎧の巨人はエルドたち

を追う。

 否、正確には江頭2:50を追っているのだ。

「くっ!」

 ジグザグに逃げながら、エルドたちは時間を稼ぐ。

 何とか鎧の巨人の動きを止めなければならない。

 そして、こいつを倒さなければならない。

「ペトラさん! 代わります!!」

 ペトラに近づいたミカサが言った。

「大丈夫よ、ミカサ」

 ペトラは答えた。

「しかし」

 ミカサが心配するのも当然である。


 ペトラは江頭を抱えて立体機動装置を使っているのだ。

 この装置は身体の微妙なバランスの調整が不可欠であり、重い物(この場合江頭)を

抱えている状況ではかなり難しい。

 にもかかわらず、ペトラは江頭を抱えた状態で見事に姿勢を保ち、なおかつエルド

たちに着いて行っている。

「無理するなペトラ、俺が変わろう」

 グンタは言った。

「平気です。それより――」

「来るぞ!」

 鎧の巨人が軒下にある荷車を抱えて、エルドたちに投げつける。

「ぬわっ」

 寸でのところでかわすペトラたち。

 鎧の巨人の攻撃は、更に激しものになりつつある。

「せやあ!」

「よせ! アッカーマン!!」

 巨人の死角に入ったミカサが白刃を振るうが、特殊鋼で出来た刃はすぐに折れてしまう。

 それだけ巨人の防御力が強力であることを見せつけられる。

(一体どうすれば……)

 ペトラがふと思いを巡らせたその時、

「ペトラ!!」


 グンタが叫んだ。

「え?」

 不意に空が暗くなる。

 雨雲がかかった?

 いや、違う。  
 
 振り返ると、そこには大きな手があった。


 五本の指が空を覆う。

(不味い、このままでは)

 絶対にあなたを守る。

 そう言いきった手前、ここで巻き添えをくらわすわけにはいかない。

(エガシラさん!)

 ペトラは江頭を抱えた手を放し、そして彼を固定していたベルトのバックルを外した。

 空中に浮かんだ江頭は、振り返りこちらを見る。

 音は、聞こえなかった、何かを叫んでいるようだ。

 何を言ってるのかわからない。


「―――――!」

 
 そしてペトラも叫ぶ。

 だがその言葉は、音として江頭の耳に入ることはなかった。




   つづく
  


 現在公開可能な情報11

・江頭空中浮遊

 オウム真理教の麻原彰晃(本名:松本智津夫)の真似をして、座禅を組んだ状態

からジャンプを繰り返す江頭の必殺技。

 本物のオウム信者も認める、見事な空中浮遊である。

 なお、この空中浮遊芸はなんと、『小学五年生』でも特集された。

 題して「夏休みチャレンジ 江頭2:50の空中浮遊するぞ」である。

「これができればクラスの人気者」←なわけねえだろ(江頭談)


 江頭は鎧の巨人から逃れるため、調査兵団のペトラと一緒に飛んでいた。

 ほかにも護衛として、エルドやグンタ、それにミカサなどと一緒に飛んでいたのだ。

 だが、江頭を抱えたペトラの動きは、どうしても他の三人よりも遅くなり、連戦の

疲労も重なって集中力が切れかけていた。

 そんな時、不意にスピードアップした鎧の巨人の動きによって、ペトラと江頭は

捕えられそうになる。

「な!?」

 不意に、江頭を拘束していたベルトのバックルが外され、江頭の身体は宙に浮かんだ状態になった。

 そして、当然ながら重力に轢かれて落下。

(なんなんだ!)

 落ちながら上を向いた江頭の目に、ペトラの姿が飛び込んでくる。

 だがペトラのすぐ後ろには、巨大な手が迫っていた。

 鎧の巨人の手だ。

「――――――!!」

 ペトラが何かを叫ぶ。

 その声は聞こえない。

 だが江頭は、辛うじて彼女の唇の動きを読むことができた。


「タ・ス・ケ・テ……」


「ペトラ!!」


 次の瞬間、彼女の身体は鎧の巨人の右手に掴まれてしまい、そして江頭の視界から

一瞬で消えた。






    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    第十二話  失 わ れ た 光




 重力に引かれて落下する江頭をすくい上げたのは、ミカサであった。

「エガシラさん! 大丈夫ですか!」

 ミカサは女の子にも関わらず片手で軽々と江頭を抱える。

 そして屋根の上に着地。

「ペトラは!?」

 江頭は聞いた。

「それは……!」

 ミカサが視線を別方向に向ける。

 そこには、“何か”を右手に握りしめている鎧の巨人がいた。

「あれが、ペトラ……?」

 よく見ると、赤黒い液体がしたたり落ちている。

 距離があるのでよく確認できないのだが、熟れた果物を握りしめているような……。

「うおおおおおおおお!!!!!」

 思わず江頭は叫んだ。

 いや、叫ばずにはいられなかった、と言ったほうが正確か。

 とにかく、あまりにも酷い光景に、脳が情報を処理でいなくなってしまったかのように。

「エガシラさん!」

 江頭の叫び声に気づいた巨人は、まっすぐに江頭のいる場所に突っ込んで行った。

「おい! 何やってんだ! 行くぞ!!」


 グンタとエルドも、江頭を見つけてこちらにやってきた。

「エガちゃん! 早く!!」

「何言ってんだ! ペトラが! ペトラがあそこに!!」

「バカ野郎!!」

 不意にグンタが江頭を抱え上げる。

《グオオオオオオオオオ!!!!》

 気が付くと鎧の巨人が、ペトラを握ったままの右手を振り上げていた。

「が……!!」

 そして、それを一気に振り下ろす。

 建物は屋根から真っ二つに割れ、周りには土埃が舞った。

 相変わらず恐ろしい破壊力だ。

 だがしかし、江頭にはその破壊力に恐怖する余裕はなかった。

「……」

 物凄い力で握りつぶされ、そして建物に屋根から叩き付けられる。

 もはや、どんな超人でも生きていることは不可能。

《……》

 鎧の巨人は、住宅らしき建物を破壊した後、じっと自分の右掌を見ていた。

 自分の手に着いたものが、人間の血であることを、奴はわかっているのか。

 不意に江頭は思う。

「グンタ」


「喋るなエガちゃん! 舌を噛むぞ」

「おろしてくれ」

「エガちゃん?」

「おろせって言ってんだよおおおおおお!!!!」

「おい! よせ!!」

 グンタの制止も聞かず、江頭は彼の腕を振りほどき地面へと落下した。

「エガシラさん!?」

 ミカサも叫ぶ。

「おい! 何があった!」

 先頭を飛ぶエルドが振り返って聞いた。

 だが答えは返ってこない。

 その代わり、強烈な光が彼らを襲った。





   *





「オルオ、あれはまさか」

 左腕を抱えながらリヴァイは聞いた。

 あの光景を見ながら。

「ええ、俺も見るのは初めてですが、人から聞いた話によれば……」

「そういえば、俺も直接見るのは初めてだな」

 二人が見たもの。

 それは、トロスト区の軌跡を起こし、女型の巨人を撃退したこともあるあの伝説の――





 黒タイツの巨人






 



   *




 ストヘス区、外側壁上――

「エレン・イェーガー! 支援に参りました!!」

 エレンは後方にいたニコルの命令で、外側の壁上にある壁上砲部隊の支援に

入ることになった。

 壁上砲なら、訓練兵時代に何度も操作したこともある、エレンの得意分野だ。

「おう! 新入りか! こっちだ!!」

 ふと見ると、調査兵団のゲルガーという兵士が、顔を油まみれにしながらこちらに

手を振ってきた。

「ゲルガーさん」

「いやあ助かったよ。今は猫の手も借りたい時なんだ」

 そう言ってエレンのほうに近づくゲルガー。

「内地の砲は随分と貧弱ですね。数も多くない」

「わかってる。内地(ここ)の連中に巨人の脅威を理解させることは並大抵じゃねえよ」

 ゲルガーの髪型はすっかり乱れていたが、顔はまだ元気そうだ。

「憲兵団にもお前と同じひよっ子どもがいるんだが、あいつらも頑張ってるぜ」

 彼の視線の先には、若い憲兵団兵士たちがいた。

 皆、よく作業をしている。

 その横で、ぼんやりと見ている年上の兵士たち。


「あいつらは……」

「朱に交われば赤くなるっていうが、内地(ここ)に何年もいれば、誰だって腑抜けに

なるさ」

 ゲルガーは、少し声を低めて言った。

「それはともかく、今は砲の準備をしないと」

 エレンは促す。

 江頭から離れて以降、自分も何かをしないと落ち着かないのだ。

(俺は俺にできることをするんだ)

 その決意のもと、街の中央を見ると、不意に眩しい光を見た。

「うわっ!」

「なんだ?」

 砲の準備をしている憲兵団の兵士たちも驚いているようだ。

「おい、あれってもしかして……」

 ゲルガーは、驚きのあまりそれ以上声が出なくなったようだ。

「あれは、間違いありません」

 その姿にははっきりと覚えがある。

 今や伝説ともなったトロスト区の軌跡を生み出し、二度もエレンの命を救った、

「黒タイツの巨人」

「おいおい、マジかよ。本当に黒タイツ履いてたんだな」

「エガちゃん……」

 街の中央では鎧の巨人と黒タイツの巨人が、互いに正対して睨みあっていた。





   *




《いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!》

 江頭が思わず耳を塞いでしまうほどの大声を出した。

 口から飛び出した唾がまるで雨のようにストヘス区の街に降り注ぐ。

「ぐっ、なんて声だ!!」

 エルドが思わず叫ぶ。

「周りに壁があるから余計に響くぜ」

 と、グンタも続いた。

《こらああああああ!!!! そこの巨人!!!! お前に一言物申おおおおおおおおおす!!!!》

 江頭は鎧の巨人を指さして言った。

《……》

 鎧の巨人はなぜか大人しくしている。

《お前でかすぎだぜえ! しかも俺より目立つなんてけしからああああん!!》

《……》

《俺は負けるのが大っ嫌いなんだ、だから勝負だあああ!!》

《……》

《そういえば、大きくなると見通しが利くようになるよな》

《……》

《あ!! あんなところに美女のパンツが見える!!》

《……》


 巨人は無表情だった。だがしかし、

「おい! どこだグンタ!」

「いや、見えねえよ! つうか、そっちのほうが見えるんじゃねえのか?」

「……」

 情けない会話をしている男二人を、ミカサは冷たい目で眺めていた。

《おい! 無反応かよ、ガッカリだよ! エガちゃんガッカリだよ。ガッカリエガちゃん》

《……》

《まあ、ウソなんですけどね》

「なんだウソか」

 エルドがそう言って笑った。

「まあ、最初からそうだと思っていたぜ」

 グンタも言う。

「……」

 そんな二人を見て、ミカサは一言つぶやいた。

「団の面目丸つぶれ……」

《くっそおおお! やっぱりエレンの言うとおり、ライナー! お前は男が好きだったんだなあ!?》

《……!!》

 江頭のその言葉に、鎧の巨人は激しく反応した。

「おい、今ライナーって言ったよな!」

 エルドは隣にいるグンタに確認する。

「え? そうか? というか、ライナーって確か――」

 グンタの言葉に、エルドではなくミカサが答えた。

「ライナー・ブラウン。訓練兵団では私やエレンと同期でした。身体屈強で成績優秀。

その実績が買われて、今回の特別作戦にも参加していました」

「おい待てミカサ。もしあの巨人があのライナーだとしたら」

 そうエルドが言いかけると、

《ライナー・ブラウン!! お前が男好きだってことは、皆も言ってたぜえ?

 寂しいなら俺のケツを貸してやろうか!》

《グオオオオオオオオ!!!》

 江頭の挑発に、ライナーと呼ばれた鎧の巨人は怒る。

 巨人の感情はミカサたちにはわからないけれど、身体から立ち上る蒸気が激しい怒りを

表しているであろうことは容易に想像できた。

「今、エガちゃんは確実にライナー・ブラウンって言ったな!」

 エルドは叫ぶ。

 何かの間違いではないかと思っていたけれど、残念ながら真実であった。

「エガシラさんの言うことが真実だとすれば、おそらくあの鎧の巨人は、アニ・レオンハートと

同じように、ライナーが巨人化した姿だと思います」

 ミカサはあくまで冷静に答える。


「……俺もそう思う」

 そしてエルドはその考えを受け入れた。

「おい、何やってんだ二人とも、鎧の巨人が動き出したぞ!」

 そんな二人にグンタが声をかける。

《グオオオオオオオオ!!!!》

 鎧の巨人が腕を振り上げて、江頭に襲い掛かる。

 だが、感情のこもったその攻撃は、直線的すぎたようだ。

「うおっ、あぶね」

 寸でのところで江頭は巨人の攻撃をかわす。

「よっしゃあ!」

 それを見たグンタは力強くガッツポーズをした。

「反撃だ! エガちゃん!」

 エルドは叫んだ。

《望み通りケツをかしてやるよ! エガシラアタックだああああ!!!》

 そう言って江頭は、攻撃が外れてバランスを崩した鎧の巨人相手に、強烈なヒップアタック

をくらわせた!!

 強烈な音がストヘス区に響き渡る。

 だが、

《いてえええええええええええ!!!!》


 次の瞬間、エルドたちの目の前には、尻を抑えてのた打ち回る江頭の姿があった。


《コイツ硬えええ!! おかげで俺のケツが二つに割れてしまったああ!!!》

「エガちゃん! 尻は最初から二つに割れてるだろうが!!」

 思わずグンタが突っ込む。

 笑ってしまいそうなマヌケな光景だが、そこには絶望的な真実が見えていた。

「生身の攻撃は効かない……」

 アンカーや刃が効かない時点でわかってはいたけれど、改めて認識すると辛いものがある。

《お前硬すぎだぞお! 俺のムスコより硬いぜ!! ふざけやがってえ!》

《フゴオオオオ!!!》

 そんな江頭に鎧の巨人は体当たりをくらわそうとする。

 しかし、動きがわりと単純なので、江頭は再び交わした。

 分厚いウォールマリアの扉を破壊したという、鎧の巨人の体当たりは強烈で、

ぶつかった建物は文字通り木端微塵になってしまった。

「やばいぞエガちゃん……」

「くそっ、どうすれば」

 動揺する男二人に対し、ミカサは新しい刃を装着しながら言った。

「恐れていても仕方がない。なので、わたしはエガシラさんを支援する」

「いや、待てミカサ!」


 そんなミカサをエルドが止めた。

「どうしました」

「エガちゃんが何かするぞ」

「え?」

《……》

 再び攻撃をはずした鎧の巨人はゆっくりと立ち上がり江頭に正対する。

 すると江頭は、何を思ったのか、巨人に背中を向けた。

「まさか、逃げるのか?」

 グンタはつぶやく。

 だが次の瞬間、江頭は予想外の行動をしたのだ。

《ヘイ! カモン!!》

 そう言うと、江頭は黒タイツをズリ下げて半ケツ状態になった後、四つん這いになった。

「!!!!!」

 突然の行動に驚く三人。

《……!》

 鎧の巨人も驚いているようだ。

「い、一体何をするんだ」

 エルドはつぶやく。

「まさか本当にケツを貸すつもり……」


「グンタ先輩。この場で死んでください」

 グンタの言葉を遮るようにミカサは言った。

「いや、冗談だから」

 そんな会話をしている間に、鎧の巨人は江頭にゆっくりと近づく。

 予想外の行動に動揺しているのはエルドたちだけではない。

「一体何が起こるんだ……」

 三人は固唾をのんでその場を見守る。

 そして、巨人がほんの数歩の位置まで近づいてきた時、

《行くぞおおお! 江頭必殺、『白い妖精』!!!》

「!?」

 江頭が声を出した直後、彼の肛門から一斉に白い粉が噴き出た。

《ぬおおおおおおおお!!!!》

《……! ……!!》

 あまりにも予想外の事態に、巨人もエルドたちも驚きを隠せなかった。

「なんじゃありゃあああ!!!」

 動揺した上に、粉まみれになった鎧の巨人相手に江頭は飛びかかる。

《エガシラ、キイイイイック!!!!!》

 江頭は両脚の蹴りを入れた後、何発か回し蹴りをくらわす!

 だが、

《いてええええええええ!!!!》


 彼の攻撃は巨人の硬い皮膚(?)の前にほとんど無力であった。

「エガちゃん! ちゃんとタイツ上げて! ちょっとはみ出てるから!!」

「女もいるんだぞ!!」

 グンタとエルドが騒ぐと、とりあえず江頭はタイツだけは履き直した。

《グルルルル……》

 まるで獣のような唸り声をあげた鎧の巨人が、肩や肘の辺りからまるで噴火寸前の

火山のように蒸気を吹き出しつつ、江頭に迫る。

《お、おおおううう!?》  

 今度は江頭が動揺していた。

 そして、

《グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!》

 大きな咆哮とともに、鎧の巨人に体当たりした。

《グワアアアアアアアアアアアア!!!!!》

 複雑に入り組んだウォール・シーナの前線都市、ストヘス区の街並みを破壊しながら、

鎧の巨人のタックルは続く。

 まるで、紙でできた模型のように破壊されていく都市の建物。

《イテテテテテテ!!!!》

 そして巨人の体当たりは、壁際まで続く。

《ぐわあああああああ!!!》


 永遠に続くかと思われていた進撃も、ついに終わりがきた。

 江頭は、強大な衝撃を胸と背中の同時にくらいつつも、何とか立っているようだった。

《ハアハアハア》

「エガちゃん! 無事かあ!!」

 立体起動装置で巨人たちの後を追っていたエルドたち三人は、江頭に声をかける。

《まだやれる!》

 ボロボロになりながらも、江頭は背筋を伸ばして鎧の巨人と対峙した。

《この巨人! ガッペムカツク》

《グオオオオオオオオオ!!!》

 再びぶつかる鎧の巨人。

 動き自体は単純だが、肝心の江頭が疲労困憊のため、上手くかわせなかった!

《ぐわああ!!!》

 物凄い衝撃波とともに、江頭の身体は吹き飛ばされてしまった。

「エガちゃああああん!!!」

 エルドの声が響く。

《ぐわああああああ!!!》

 江頭の身体は、後ろにあったストヘス区の壁に衝突し、大きな音とともに、壁の一部が

破壊されてしまった。


「エガちゃん!」

 思わず叫ぶグンタ。

「助けに行きます!」

 再び剣を取り出すミカサの肩を、エルドが抑える。

「待て、アッカーマン!」

「待てません! もう限界です!」

「ここは出て行ったら危ない!」

「危ないの承知の上です!」

「そうじゃない」

「え?」

「あそこはもう、“射程距離内”なんだ」

「射程距離……内?」

「離れるぞ」

 そう言うと同時に、壁上から明るい光と、ほんの少し遅れて空気を引き裂くような音が聞こえてきた。

 爆発、爆発、そして爆発。

 ストヘス区の外周壁上にある固定砲が火を噴いたのである。

 


  *


 ストヘス区壁上――

「全砲門、撃てええええええええ!!!」

 ゲルガーの号令により、憲兵団と調査兵団の臨時混成砲台部隊が一斉に砲門を開く。

 腹に響く凶悪な音を出しながら壁上砲は火を噴く。

(ライナー、もうこんなところまで)

 エレンもまた砲兵の一人として戦闘に参加していた。

(それはいいけど、エガちゃんは大丈夫なのか?)

 江頭は鎧の巨人(ライナー)に吹き飛ばされて、すぐ近くの壁に衝突していたのだ。

 壁上砲の発射の衝撃で壁が揺れる。

 空気も揺れる。

(とにかく今は、一発残らず、ここにある弾をあいつに撃ちこむだけだ)

「次弾まだか!」

「少し待て! 今撃ったら砲身が焼けちまう!」

「バカ野郎! 相手はただの巨人じゃねえんだぞ!」

 兵士同士が言い争いをしている。

「何やってんだ! 仲間同士で争っても仕方ないだろう!」

「うるせえ、弾はどうした弾は!」

 そうこうしているうちに、目の前にある煙が晴れていき、鎧の巨人の姿が見え始めた。

「……うそだろう?」

 それは現実だった。


 鎧の巨人は、まったく傷つくことなく平然と立ち尽くしている。

 普通の大砲でも、巨人に傷つけるくらいのことはできる。もちろんすぐに回復されてしまうけれど、

それでも足止めくらいにはなるものだ。

 だが、彼奴の場合は違う。

 なんというか、絶望的な硬さがそこにあった。

「第二派、発射準備!!」

 壁上砲部隊は、慌てて次の弾を装填する。

 それを指揮するのは、調査兵団のゲルガー。

 彼も相当焦っているようだ。

「右方よいか!」

「よしっ!」

「左方!」

「よしっ!」

「砲撃用意!」

「……」

「撃てええええ!!!!」

 再び、空気が揺れる。

 何発かの砲弾は、巨人に当たらずに後ろの建物を破壊していた。

「くっそ、大砲ごときじゃあ巨人には効かないのか」

 エレンが独り言のように言うと、別の兵士が言った。


「何言ってんだ! 何もしないよりはマシだろう!」

 キノコのような髪型をした、鼻のデカイ兵士だった。

「そ、そうだな」

 エレンはそう言われて気を取り直す。

「次弾装填準備!」

 次の弾を装填しようとするも、

「弾が無い!」

 絶望的な返答が告げられた。

「弾が無い? どういうことだよ!」

 エレンは叫ぶ。

「どうって、仕方ないじゃないか。ここは内地だよ。壁上砲はあるけど、弾薬の備蓄は

訓練用と予備用くらいしか用意していないだ」

 別の兵士が答えた。

「なんだよクソ……!」

 今の壁上砲の性能では、鎧の巨人に傷をつけることもままならない。

 だがしかし、それでも、ほんの少しでも前線で戦っているエルドやミカサ、それに江頭の

助けになりたいとエレンは思っていた。

 エレンは目の前が真暗になるのを感じた。

「おいエレン!」

 そんな彼に声をかけたのは、壁上砲部隊を指揮していたゲルガーであった。


「ゲルガーさん?」

「まだ全てが終わったわけじゃない。仲間が前線で戦っている」

「前線……」

 エレンたちの目の前には、再び土煙や火薬の煙が立ち込めていたが、それも風に吹かれて

消えようとしていた。 

 そこから見える鎧の巨人は未だ健在。

 致命的なダメージを受けているようには見えなかった。

「巨人が動き出した!」

「こっちに来るのか!?」

 壁上砲の兵士たちに緊張が走る。

 だが、巨人の目標は違った。

 その視線の先には、

「あれは……、エガちゃん!」

 巨人に突き飛ばされ、壁に激突した江頭。

 そこに、鎧の巨人はゆっくりと向かっていた。

「トドメを刺す気だ」


 エレンは本能的にそう思った。

「おい、どこへ行く気だ!」

「助けに行くんですよ!」

 エレンは立体機動装置を起動させようとする。

「待て! 今更お前が言ってどうする!」

「しかし!」

 このままでは、江頭が殺されてしまう。

 二度も命を救ってくれた彼の恩人が……。




   *



 同時刻、エルド班――

「まずいぞ、巨人のやつ、エガちゃんのところに向かうつもりだ」

 エルドは巨人の動きを見て言った。

「俺たちの存在は無視ってことか? ふざけやがって」

 グンタが憤る。

「壁上からの攻撃が止んだようだが」

「恐らく弾切れだろうな。内地の弾の備蓄は少ない。まあ、反乱が起こった時、

反乱軍の使う武器になるのを、国王政府が恐れたっていう説もあるが」


 そう言ってグンタは鼻で笑って見せた。

「滅多な事言ってんじゃないぞグンタ。それより、巨人を止めないと」

 二人の視線の先には、突き飛ばされて壁に若干身体が埋まった江頭の姿。

「それにしても、壁ってあんなに簡単に壊れるものなのか? エルド」

 グンタは聞いた。

「いや、巨人の侵入を防いでいるくらいだから、もっと硬い材質だと思っていのだが……」
 
「ミカサ・アッカーマン、出ます!」

「おい!」

 エルドとグンタが話をしている間に、ミカサが先頭を切って飛び出した。

 砲撃はすでになく、鎧の巨人は悠々と江頭に近づいていく。

「ふんっ!」

 ミカサが白刃を振るう。

 だが例によって刃は折れてしまう。

「くっ、全身が硬い!」

「待てアッカーマン!」

 そんなミカサにエルドが呼びかける。

「なんでしょうか」

 ミカサは不機嫌そうに返事をした。

「関節だ! 関節を狙え」


「関節?」

「ああ。女型の巨人とリヴァイ兵長との戦闘でもあったんだが、奴らにも硬化できない部位はある。

 それが関節だ。関節を固めたら、動けないからな」

「確かに。でも本当に」

「やるしかないだろう。徒に刃を消費したくなければな」

「わかりました」

 ミカサと話をしたエルドは、グンタのほうを向いた。

「グンタ! 俺が囮になる。ミカサに合わせろ」

「了解」

 後方でグンタが返事をした。

 調査兵団では、指揮官が先頭に立って戦う。

 それが伝統であり誇りでもある。

「行くぞ!」

 エルドは立体機動のガスをふかして鎧の巨人の前に行った。

「野郎、エガちゃんはやらせねえぜ!」

 そう言うと、エルドは剣を構える。

 そして、

「どりゃああ!!」

 エルドは持っていた剣を振りかぶり、振り下ろす瞬間に刃を外した。


 勢いのついた刃は、そのまま巨人に向かって一直線に飛んでいき、そして巨人の

目に刺さった!

《グオオオオオオオ!!!》

 巨人の声が響く。

「こういう使い方だってあるんだぜ、一つ勉強になったな。ライナー・ブラウン」

 鎧の巨人は右手で片目を抑える。

 指の間から蒸気が噴き出ていた。

 巨人の動きが鈍くなったその瞬間、背後にグンタとミカサが飛び出す。

「そりゃあ!」

「ふんっ!」

 二人が同時に剣を振り抜き、鎧の巨人のひざ裏を切り裂く。

《グオオオオオオオ!!!!》

 巨人のひざ裏から血液と蒸気が噴き出し、巨人はその場に膝をついた。

 ドシンと重みのある衝撃音が響き、世界は揺れる。

「次は肩関節だ!!」

 巨人の死角を狙い、斜め後方に位置を変えたエルドが、付け替えた剣を振りかぶった

その時、

「ぬわ!?」

 その攻撃を呼んでいたのか、鎧の巨人は身体を捻ってエルドの飛んでいる位置に、

正確に裏拳を放ってきた。


「くそっ!」

 避けようとするエルド。

 だが間に合わない。

(中身が人間だけあって、頭いいな畜生)

 一瞬、エルドはそう思った。

 そして、次の瞬間吹き飛ばされてしまう。

「ぐわあああああああ!!!」

 飛ばされながら、エルドは辛うじてワイヤーを放つ。

 そして、離れた場所にある建物の屋根に激突した!

 視界が何度も暗転し、衝撃と痛みが身体を襲う。

 だが、何とか生きているようだ。

 直前に放った立体機動装置のワイヤーが、激突の瞬間のスピードを幾分か緩和してくれた。

「ぐふっ!」

 身を起こすと肋骨の辺りが痛む。

(折れたか……)

 肋骨以外に目立った痛みはないのは、不幸中の幸いと言えるだろうか。

「くそっ、鎧の巨人は!」

 痛みに耐えつつ、身を起こすと、すでに鎧の巨人は肩膝をついていた。

(野郎、もう回復しやがったのか)


 巨人の自己回復能力はよく知っている。だが、こうまで強力な回復能力を持つ

巨人はエルドにとって初めてである。

 立ち上がる前に、二つの影が巨人に襲い掛かる。

 ミカサとグンタだ。

 しかし、巨人は近くにある建物の屋根を掴み、そして持ち上げた。

「あいつ、屋根ごと!?」

 そして投げつける。

 狙った先は、ミカサたち本人ではなくワイヤーだ。

「うわあ!」

「きゃあ!」

 遠くから二人の叫び声が聞こえた。

「ミカサ! グンタあ、ぐふっ、ゴホッ、ゴホッ!」

 肋骨が折れているためか、上手く言葉が出ない。

(くそう。ワイヤーを狙うなんて、よくわかってるじゃねえか。これは立体機動装置の

ことをよく理解していなけばできない芸当だ)

 敵ながらよく考えていると感心するエルド。

 だが感心してもいられない。

「くそっ、早く奴の動きを止めないと」

 止めたところでどうなる?

 どうやって倒す?


 絶望的な問いかけがエルドの頭をかすめる。

(俺たちは、どうやってあの化け物を倒せばいいんだ)

 すでに鎧の巨人は完全に立ち上がっていた。

 ミカサとグンタに斬られた両脚のひざ裏も、エルドが潰した右目も完全に回復していた。

 関節や眼球など、一部以外では完全に刃が効かない。

 どう戦っていけばいいのか。

「くそっ、動け!」

 痛みに耐えつつ、立体機動装置を作動させようとするエルド。

 だが上手く動かない。

「くそったれっ! ゴホッ!!」

 咳をするたびに痛みが襲う。

 そして再び顔を上げた時、信じられない光景を目にした。 

「え?」

 立っているのだ。

 鎧の巨人、だけではない。

 先ほどまで壁に激突し、壊れた壁にもたれるようにして倒れていた江頭2:50が、

立っているのだ。

「ウソだろ?」

 そして江頭の手には、一本の大きな剣が握られていた。





   つづく



 現在公開可能な情報12

・江頭のア●ル芸

 江頭の真骨頂とも言うべき芸が、この肛門を使ったア●ル芸である。

 テレビでは、お尻から粉を吹き出す芸を見せたこともある江頭。しかし、舞台では

なんと水を吹き出して「人間噴水」をやったこともある。

 これは、腸内洗浄をした後に水を肛門から大腸内に入れ、舞台で吹き出すというものだ。

 非常に危険な行為なので(そもそも肛門はデリケートな部位である)、良い子は真似しないほうがいい。

 とにかく、芸自体は汚いけれど、江頭から「発射」された噴水は非常に美しかった、

という感想が多数よせられた(らしい)。

 ちなみにトルコ全裸になって捕まった時にやった「デンデン太鼓」の芸も、一応アナ●芸の一つである。  


「エガシラさん、エガシラさん」

 誰かの呼ぶ声が聞こえる。

「こんなところで寝ている場合ですか? エガシラさん」

「はっ」

 目を開くと、見覚えのある人物が江頭の顔を覗き込んでいた。

「ペトラ」

「そうですよ、まったくエガシラさんったら」

「俺、何やってたんだ?」

「何って、寝てたんですよ。こんなところで」

 ペトラは腰に手を当てて、少し怒ったような表情を見せた。

「こんなところ?」

 江頭は周りを見回すと、よく晴れた空と緑色の草原、そして小高い丘が見えた。

 遠くでは小鳥がさえずり、彼は大きな木にもたれかかっている状態であった。

 なるほど、これだけ天気がよく気持ちの良い場所なら、居眠りもしたくなるだろう。

 そんな風に江頭は納得する。

「ほら、江頭さん。立ってください」

 そう言うと、ペトラは江頭の手を引く。

「お、おう」

 ペトラに手を引かれて、江頭は立ち上がった。

 随分、長い間寝ていたような気もするし、ついさっきまで起きていたような気もする。

「エガシラさん。何ボーッとしているんですか。早くしないと」

「早くって、何を?」

「決まってるじゃないですか、行くんですよ」

「どこへ?」

「皆のところですよ」

 そう言うと、ペトラは江頭の背中を押した。

「皆のところ? このまま真っ直ぐ行けばわかります」

「そうなのか。ペトラは行かないのか?」

 ふと、疑問に思った江頭が聞いてみた。

 すると、彼女の動きが一瞬止まる。

「私は、行けません……」

「え?」

「ごめんなさい。私は行くことはできないんです。だから、江頭さんだけで行ってください」

「ペトラ」

「振り返らないで!」

「……!」

「今度こそ、“本当に”さようならです」

「……」
  
「エガシラさん。もしよかったら……、時々でいいんで……、私の事を、思い出して

ください」

「ペトラ……」

「エガシラさん、頑張って」

 江頭が歩き出すと、彼の周りが眩しい光に包まれる。

 彼の頭の中には、ペトラの声が何度も響く。









   進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    第十三話  反 撃 の 刃







 江頭は立っていた。

 目の前にはいくつか建物が破壊された街並みと、鎧の巨人。

 そして手には、なぜか両刃の剣が握られている。

(なんで俺、こんなものを持っているんだ)

 不意に握った剣は巨大な大剣で、どうやら壁の中に埋まっていたらしい。

 壁には空洞があり、その中に入っていた。

(まあいいか。ちょうどよかった)

 江頭はそう思い剣を構える。

 先ほどまで散々やられまくって、身体も心もボロボロのはずなのに、なぜか頭の中は

スッキリと冴えわたり、心も落ち着いていた。

(あいつ硬いもんな。手で殴ったら痛いし)

 一つ息を吐く。




   *





「なぜ、壁の中に剣が……」

 立体機動装置のワイヤーが切れて、移動が困難になっていたミカサが言った。

 隣には、同じ調査兵団のグンタがいる。

 彼の装置は辛うじて無事だが、右脚を負傷してしまった。

「わからん。俺も壁の中に何があるのか、まったく聞かされていないからな」

 と、グンタは言う。

 巨人に関して謎が多いように、その巨人から身を護るための「壁」についても、また
わからないことが多い。

 誰が、何のために作ったのか。

 公式の記録にも、約百年前に巨人から人類を守るために作られたとしか書かれておらず、

詳しい経緯を知る者も、ほとんどいない。

「そんなことよりエガシラさん。かなり、危ない」

 そう、ミカサは心配する。

 今、彼女の立体機動装置は使えない。

 壁上砲の弾薬もない。

 つまり、彼に対して有効な支援の手立てがほとんど残っていないのだ。

「誰か、私に立体機動装置を貸してくれないでしょうか」

 そう言ってミカサは周囲を見る。

「落ち着けミカサ」

 焦るミカサをグンタが止める。


「しかし、このままではエガシラさんが」

「よく見ろ。エガちゃんは今、剣を持っている」

「それが何か」

「ミカサ。お前はエガちゃんと剣の稽古をしたことがあるか?」

 不意にグンタはそう聞いてきた。

「いえ、ありませんけど。それが何か」

「実は俺やエルドは、何度かエガちゃんと剣の稽古をしたことがあるんだよ。木剣を使っての、

疑似戦闘なんだけど」

「はい……」

「それで勝てなかった」

「エガシラさんがですか?」

「そうじゃない。俺やエルドが、勝てなかったんだよ。エガちゃんに」

「え?」

「剣を持ったエガちゃんは、それが例え訓練用の木剣であっても、何だか動きが違った」

「……」

「そう、まるで戦士のようだったな」

「戦士……?」

 ミカサが江頭たちの方向を見ると、一瞬で彼らはダッシュして距離を詰めた。


「……!」



 ほんの一瞬のことであった。

 ミカサは二体の巨人の動きを一瞬、見失う。

 巨人は体が大きい分、人間よりも動きが遅いことがある。

 だが目の前で戦っている二体の巨人の動きは人間と同等か、其れ以上のスピードである。

 そして次の瞬間、気が付くと街の一角に何か巨大な物が落下した。

「あれは……」

 その落下物が、鎧の巨人の右腕だと気付くのは、少し時間が経ってのことである。





   *





「すげえ!! あの黒タイツ、鎧の巨人の腕を斬り落としたぞおお!!」

「何者だありゃ」

「というか、あの剣はなんだ!?」

 憲兵団の若者たちが江頭と鎧の巨人との戦いを見ながら驚きの声をあげている。

「……」

 そしてエレンは、戦いに圧倒されて声すら出なくなっていた。

(確かに腕を斬ったことは凄い。でも、それ以上に凄いのは、斬った部分だ。

エガちゃんは鎧の巨人の腕の関節の部分を狙い、そして斬り落した。

なんという戦闘のセンス。女型の巨人と闘った時とは別人のようだ)

 エレンが驚くのも無理はない。

 女型の巨人と闘った時の江頭は、とうてい戦えるとは思えなかった。

(剣を持っただけであそこまで変わるものなのか?)

 エレンの視線の先には、先ほどと同じように中段に剣を構える江頭の背中があった。

 巨人の腕を斬り落とした剣の先には、鎧の巨人の血液らしき液体が付着し、微かに

蒸気を漂わせていた。

 そして腕を斬り落とされた鎧の巨人は、右腕の傷口を抑え、必死に傷を塞ごうとしている。

「行けええええ! エガちゃああああん!!」

 エレンは叫んだ。


 ここで巨人に回復されるわけにはいかない。

《うおおおおおおおお!!!!》

 江頭の叫び声が響く。

 一つ、二つ、三つと、江頭は持っていた剣の刃を鎧の巨人の身体に確実に食いこませていく。

 さすがに、先ほどのような斬り落としはできなくなっているが、それでも、体中のあらゆる関節から

血と蒸気が噴き出していた。

《ウゴワアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!》

 だが次の瞬間、強烈な叫び声と同時に周囲に蒸気が立ち込めた。

 まるで温泉か火山のような強烈な蒸気である。

「うわあああ!!!」

 かなり離れていたはずのエレンたちの視界すら奪う強烈な蒸気であった。

「おい、エレン! 大丈夫か」

 ゲルガーが呼んだ。

「はい、大丈夫です!」

 エレンは返事をしながら、その視線は江頭たちを探していた。

(エガちゃん、どうなっているんだ)

 はっきりと目を開き、巨人がいた場所を見ると、二つの巨大な影が見えた。

「鎧の巨人の腕が、再生しているのか……?」

 ゲルガーは言った。

「いや、違います!」


 それをエレンが否定する。

「なに?」

「よく見てください!」

 エレンたちが見た、鎧の巨人。

 先ほど斬り落されたその右腕の部分には、巨大な剣のようなものが。

《確かに、素手と剣じゃあ不公平か》

 江頭がニヤリと笑いながら言った。

「これで、対等?」

 エレンがそう言うと、

「いや、違うぜ」

 と、ゲルガーは否定した。

「どういうことです?」

「よく見てみろ。鎧の巨人はあの糞硬い皮膚があるだろう。大してエガちゃんは」

「裸」

「そう、裸だ。ヤッパ(刃物)を使った戦いには、不利なんじゃないのか?」

「いや、そうだけど……」

 鎧の巨人は関節が弱点だ。

 だが逆に言えば、関節以外は無敵とも言える。

 対して、江頭の身体は上半身裸。


 あの下半身の黒タイツが物凄い防御力を発揮するようには見えない。

「動くぞ!」

 一気に間合いを詰める、二体の巨人。

《やああああああ!!!!》

 江頭の奇声とともに、金属と金属のぶつかり合う音が響く。

 鎧の巨人の腕から“生えた”剣は、やはりそれなりに硬いようだ。

 それどころか、

《ぐっ!》

「エガちゃん!!」

 思わずエレンが叫ぶ。

 江頭の二の腕の辺りが切れて出血した。

 あの腕の剣は、見た目だけでなく切れ味もあるらしい。

《なかなかやるな》

 江頭は再びニヤリと笑う。

《……》

 対して鎧の巨人は無言だ。

 再び距離を詰める。

 ギンギンと激しく撃ち合う剣と剣。

 文字通り火花が散り、そして血と汗が飛び散る。

 上段、下段と剣がぶつかり合い、そして身体のギリギリに刃が走る。


 文字通り、紙一重でそれをかわす江頭は、持ち前のスピードを生かして巨人の関節を狙う。

「行ける! 行けるぞ!」

 防御力こそ皆無に近い江頭だが、その一方で俊敏性が高く、巨人の攻撃の一歩先を行く

戦いを続けていた。

《どりゃああああ!!!!》

 江頭が振り下ろした剣。

 それに対し、巨人が左腕を差し出した!

「な!?」

 関節からザックリと斬れる巨人の左腕。

 何をしているのか、一瞬わからなかった。

 防御なら、普通“剣化”させた右腕を差し出すものではないのか。

 それとも何だ。

 戦いの中で、気でもおかしくなったのか。

 いや、違う。

 “何か”を狙って腕を斬らせたとしたら――

「エガちゃん! 危なああああい!!!」

 エレンは叫んだ。

 当然、届くことのない叫びだとはわかっている。

 だが、叫ばずにはいられない。


《ぬわ!!》

 一瞬、ほんの一瞬であった。

 江頭の肩口に、もう一つの剣が伸びる。

「剣が、二本……」

 斬りおとされた鎧の巨人の左腕から、右腕とまったく同じ剣が作られていた。

 剣が二本、ということは単純に考えれば攻撃力が二倍。

《グウオオオオオオオオオオオオオオ!!!》 

 鎧の巨人の叫び声とともに、二本の剣が同時に江頭を襲う。

 頭に響く金属音とともに、江頭は襲い掛かる巨人の剣を次々に弾き返すが、

手数の増えた攻撃に明らかに押されている。

 これまで、攻撃、防御、攻撃、防御と続いてきた流れが、一気に防御、防御、防御となっている。

《ぐわっ!!》

 江頭の左肩に巨人の剣が食い込む。

 しかも今度は、かすり傷ではなくかなり深い傷だ。

 赤黒い血がダラダラと流れ出ていた。

《ぬおわ!》

 江頭は何とか隙をついて攻撃しようとするも、逆に攻撃され、額の辺りを斬られてしまった。

《ぐ……》


 前半、優勢に戦いを進めていた江頭だが、巨人の剣が二本になった辺りから、動きも悪くなっている。

 どうやら疲れも出てきたらしい。

 剣を構えた時、大きく肩で息をしているのがわかる。

 それでなくても、これまでかなりの無茶をしているのだから。

 エレンはそれを見て思った。

(なんだよ俺。自分の恩人がこんなにも苦しんでいるっていうのに、何もしないのかよ)

 エレンは唇を噛みしめ、拳を握った。

(何のための立体機動装置だ。何のために俺は今まで訓練してきたんだ。

 恩人を見殺しにするためか? いや違う)

 エレンは大きく息を吸い、そして決意した。

「ゲルガーさん。俺、行きます」

「おい待てよエレン」

 そう言うと、ゲルガーはエレンの肩を掴む。

「止めないでください。これは俺が自分で決めたことです」

「待てって言ってんだよ」

「行かせてください!」

「エレン!!」

「は、はい」

「行くなら俺が先に出る。入ったばかりの新兵に先頭を行かせるわけにはいかねえぜ」


 そう言うと、ゲルガーは片目を閉じて笑みを見せた。

「それにエガちゃんは酒好きって聞いたことあるからな。酒好きの俺としては、

まだ一度も飲んでないうちから、死なれたらこまるしな」

「……わかりました」

「行くぞ!」

「はい!」

 エレンとゲルガーは飛ぶ。

 目標は鎧の巨人。





   *




「おおーい、無事かあああ!」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「お、オルオ……」

 風で吹き飛んでしまいそうなほど弱い声で、エルドは答える。

「エルド! こんな所にいやがったか!」

 立体機動装置で飛んできたオルオ・ボザドであった。

「その様子だとどっかやられていやがるな」

 そう言って、オルオはエルドのすぐ近くに着地した。


「すまん。肋骨をやられた。息が、ちょっと苦しい。だが、命に別状はない」

 腹部を抑えながらエルドは答えた。

「そうか、無理をするな」

「リヴァイ兵長は」

「兵長は無事だ。ただし、女型に左腕を喰われちまったけどな」

「左腕を?」

「ああ、だが命に別状はない。安心しろ、とは言えねえけどな」

「そうなのか」

 エルドは思った。自分の肋骨なら、すぐに治る。だが、左腕を無くしたらどうなるのだろうか。

 それでも兵長なら戦うと言うかもしれない。

 だが以前のような戦いは、おそらくできないだろう。

 これは調査兵団にとって、ひいては人類にとって大きな痛手だ。

「他の仲間はどうした」

「グンタとミカサは別の場所にいる。おそらく、立体機動装置をやられたと思う」

「そうか。で、ペトラはどうした」

「ペトラ……、か」

 エルドは言葉を詰まらせる。

 それは決して、肋骨を折った影響だけではない。




「ペトラは……“勇敢に戦った”……」





 エルドのその言葉は、調査兵団にとっては額面上の意味だけでなく、

もう一つの意味も含んでいた。

「そうか……」

 そう言うと、オルオはエルドから顔を背ける。

 何度も何度も仲間との「別れ」を経験した彼にとって、その言葉の意味を察するのは

容易なことであろう。

 しかも今回は、よりによってあのペトラだ。

「なあエルド。悪いけど救助は後だ。ちょっとそこで待っていてくれや」

「オルオ、お前まさか。ぐふっ、ゴホッ」

「心配すんな。仲間たちが鎧の巨人の討伐に向かっている。俺も一緒に行くだけだ」

「オルオ……」

「必ず戻ってくるからな。それまでそこで大人しくしてろ」

 オルオの表情は、やや傾きかけた太陽の光が逆光になり、エルドにはよく見えなかった。

 だが、その表情を想像することは彼にとっては容易なことである。





   *



 ストヘス区外壁上――

 憲兵団新兵の一人であるマルロは、鎧の巨人に向かって飛び立っていく調査兵団の

兵士二人を見送っていた。

(くそう、俺だって)

 マルロはそう思い、立体機動装置を作動させようとする。

「どうすんの? マルロ」

 後ろから声がした。

「ヒッチ」

 同じ憲兵団の新兵、ヒッチであった。

 ウェーブがかった髪型が特徴の女性兵士はマルロの顔を見てニヤニヤと笑っている。

 まるでこちらの心を見透かしたような笑いだ。

(こいつ相手に隠し事をしていても仕方ないか)

 そう思い覚悟を決めるマルロ。

 元々隠し事は嫌いな男である。 

「俺も行く。調査兵団の連中と一緒に、鎧の巨人を倒す」

「ははっ、マジで言ってんの? それ」

「当たり前だ」

「勝てると思ってる?」

「……」

「あの黒タイツの人。結構頑張ってるけど、なんかもう危ないよね」


 ヒッチは目を細めながら言う。

 確かにあの巨人は強い。

 人間の兵士がいくら束になってかかっても勝てそうにない。

「このまま逃げちゃえばいいんじゃない?」

 ニヤニヤしながらヒッチは言う。

「別にアンタのせいじゃないし、アンタが責任とって死ぬなんてことをする必要もないわけでしょう?」

「……」

「ここで大人しくしてりゃ、王都から援軍も来るでしょうし、その間は調査兵団の人たちや、

黒タイツのオジサマに任せておけばいいんじゃないかなあ」

 確かにヒッチの言うとおりかもしれない。

 ここで無駄な抵抗をしたところで被害が広がるだけ。

 だったらここは、耐えがたきを耐えて、生き残ることを優先するべきか。

 戦闘は最小限にし、自分の命を守りつつ援軍を待つ。

 それはとても魅力的な選択肢だ。

 しかし、

「ヒッチ。確かにお前の考えはわかる」

「そう」


「だけどな、ヒッチ。ここはウォール・シーナの玄関口、ストヘス区なんだ。

ここを守るのは、調査兵団でもなければあの黒タイツの巨人でもない。

俺たち、憲兵団なんだよ」

「……」

「だから俺は一人でも行く。兵士である以上、この街や調査兵団の人たちを見殺しにすることはできない」

「そう」

 ヒッチはあっさりと答える。

「好きになさい。あたしは止めないわ」

「そうかい。じゃあ好きにさせてもらう」

「あたしも、勝手にさせてもらうから」

「じゃあな、ヒッチ。運がよければまた会おう」

「あたしにとって、アンタと再会することは不運なんですけど」

「そうかもしれん」

 ヒッチと会ったのはほんの一ヶ月前。

 初めて会った時から不真面目でどうもいけ好かない女だと思っていた。

 そしてその印象は、多分今も尾を引いているだろう。

 そんなことを思いながら、マルロは死地に赴く。

 立体機動装置の調子は、良好だと思った。





   *




「わかってんな! エレン!」

 鎧の巨人に近づきながらゲルガーが叫ぶ。

「はい! わかってます! ねらい目は関節です!」

「そうだ! 奴の守りはかたい。だから“つなぎ目”を狙うんだ! 腕、ひざ裏、そして足首!」

「はい!」

「だが無理はすんな! あの巨人、遠くから見てたけどかなり戦い慣れしてるぞ!」

「了解!!」

「そろそろ見えてきた」

「……!」

 エレンたちの目の前に、鎧の巨人の背中が大きく現れた。

 奴は今、無防備な状態だ。

「でりゃあ!!」

 最初にゲルガーが刃を振るう。

 急降下して、右のひざ裏を狙った。

 物凄く硬そうな鎧の巨人のひざ裏にザックリと傷が入り、蒸気と血液らしき液体が噴き出す。

(俺だって!)

 エレンも急降下し、ゲルガーと同じように今度は左のひざ裏を狙って攻撃する。

 だが、ガキンという音と衝撃が腕に伝わった。


「痛っ!」

 握っていた剣を見ると、一瞬で刃がダメになっていた。

「エレン!」

「すみません、失敗しました!」

「気にすんな! それより距離を取れ!」

 エレンたちの存在に気付いた鎧の巨人が剣化させた腕をこちらに向けて振るう。

「ぬわあ!」

 普通の刃ならばともかく、あの剣に触れたらかすり傷では済みそうもない。

 胴体ごと、真っ二つにされることは間違いないだろう。

《お前の相手はこっちだああああ!!!》

 大きな剣を振り下ろす江頭。

 斬ることはできなかったけれど、巨人に対して大きな衝撃は与えたらしい。

「エガちゃん!」

《エレン! 何で戻ってきているだ!! 危ないぞ!》

 こちらを見た江頭が言った。

「エガちゃんだけを戦わせるわけにはいかないよ!」

《バカ野郎! 死にたいのか!》

「確かに命は惜しいさ。だけど、俺だっていつまでも助けられるわけにはいかない!」

 エレンは軌道を変えて、再び鎧の巨人に接近する。


「ライナアアアアアア!!!!!」

 鎧の巨人の剣を掻い潜り、彼は腕の関節に刃を喰い込ませた。

《グオオオオオオ!!!》

 右腕の肘の辺りの関節に切れ目が入り、一気に血が噴き出した。

 だがしかし、すぐに止血され、傷も治って行く。

《グウォオオオオオオ!!!!!》

 更に雄たけびを上げる鎧の巨人は、周囲の建物ごと切り裂くように剣を振るった。

「うわあ!」

 その腕の振りで怒った風によって、エレンたちは吹き飛ばされてしまった。

《エレン!》

「まだまだあ!」

 エレンは立体機動装置を作動させて、何とか態勢を立て直そうとする。

 その時、彼の視界に別の兵士の姿が見えた。

 ゲルガーではない。

「うおおおおおおおおお!!!」

 憲兵団の制服を着た若者だ。

 あの長身には見覚えもある。

「ん!?」

 別の方向から、今度は調査兵団の仲間が鎧の巨人に襲い掛かる。

 一人、また一人と鎧の巨人に肉薄攻撃を仕掛ける兵士たちの数が増えてきた。


 当初、その多くが傍観していた憲兵団兵士も少しずつ攻撃に参加している。

「でりゃああ!」

「そりゃあああ!!!」

 鎧の巨人は、まるで虫を振り払うように剣を振るうが、それでも兵士たちは

絶え間なく波状攻撃を仕掛けた。

 相手はすぐに回復する巨人。

 だが、巨人のエネルギーとて無限ではない。

 そう考えたエレンは、再び攻撃に参加した。

 だが巨人とてバカではない。江頭の攻撃をかわしつつ、襲い掛かってくる人間の

兵士たちを次々に駆逐していく。

 まるで虫でも追い払うかのように叩き落とすその姿は恐怖だ。

 また、鎧の巨人の手に生成された剣は切れ味が良いらしく、立体機動装置や

捕獲装置のスチール製ワイヤーを次々に斬っていく。

 幸い、エレンのワイヤーはまだ切れていなかったので、そのまま攻撃を続行した。




   つづく


 現在公開可能な情報13

・江頭と剣道

 江頭と言えば剣道の経験者であることも一部では知られている。

 地元佐賀県でも、それなりの成績を残していた。

 とある番組の企画でSMAPの木村拓哉(キムタク)と剣道の試合をして、空気を読まずに勝ってしまったこともある。

 元々運動神経がいいので、剣道の腕前もそれなりにあるようだ。

 剣道は柔道や相撲などと比べると、それほど体格が影響しないので、江頭向きの競技とも言える。 

  
 


 江頭達がストヘス区で戦っていた頃、ウォール・ローゼ内にある調査兵団の駐屯地では、

留守番の兵士たちがそれぞれの時間を過ごしていた。

(何か嫌な感じがする)

 そんなことを思いながら、クリスタは駐屯地の中庭から曇り空を眺めていた。

「おおーい、クリスタ―」

 そんなクリスタに声をかける者がいた。

「コニー、サシャ」

 同期入団のコニー・スプリンガーとサシャ・ブラウスの二人だ。

「クリスタ、少し聞きたいのですけど」

 そう言ったのはサシャである。

「なに?」

「ベルトルトを見ませんでしたか?」

「ベルトルト? 知らないけど」

「そうですか」

 ベルトルトも、サシャたちと同じ同期入団の兵士だ。

 長身で、印象は薄いけれど、いつも同じ出身地のライナー・ブラウンと一緒にいる印象がある。

「ベルトルトがどうしたの?」

「アイツ、今週は当番なのに姿が見えねえんだよ」

 と、コニーは言った。


「え?」

「掃除とか点検とか、色々やることがあるんですけど、どうしましょう。また当直に怒られてしまいます」

 そう言って、サシャは周りを見た。

「ベルトルトが、いない」

 クリスタはそう口にすると、何やら嫌な予感がどんどんと大きくなる気がしてきた。

「もしかしてよ、アイツのことだからライナーが恋しくて、ストヘス区に行ったのかもしれねえな、アハハ」

 コニーは笑いながら言った。

「ちょっとコニー。勝手に駐屯地を出ることは規則違反ですよ」

 サシャが注意する。

「勝手に厨房に忍び込んで芋を盗んでいるお前が規則違反とか言うか?」

「ぬ、盗んでませんよ。ちょっと味見をしただけです」

「はあ!? 何言ってんだこの芋女!」

「なんですかこのサトイモ小僧!」

「ちょっと二人ともやめて」

 クリスタは二人の間に割って入った。

「そんなくだらないことで言い争っている場合じゃないでしょう?

 それより、早くベルトルトを見つけましょう。私も手伝いますので」

「そ、そうだな」

「そうですね」
 
 二人は照れながら笑う。

 その後、三人は手分けをしてベルトルトを探すのだった。









    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    第十四話    破    壊



 ストヘス区市街地――

 壁の上から降りた憲兵団のマルロは、立体機動装置で鎧の巨人への攻撃隊に加わった。

「おい新兵! お前は下がってろ!」

 憲兵団の先輩兵士がマルロにそう言いながら、前を飛んだ。

「いえ! 自分も行きます!」

 マルロはそう言って、憲兵団の先輩や調査兵団の兵士たちの後に続く。

(怖い。確かに怖い)

 巨人との模擬戦闘は何度も経験した。

 だが実戦はこれが初めてだ。

 エレンたちのいたトロスト区と違い、マルロのいたカラネス区の訓練隊は巨人との実戦に参加していない。

 更に言えば、ストヘス区(ここ)に現れた巨人は普通の巨人ではない。

 知能があり、戦闘に慣れた巨人なのだ。

「関節だ! 関節を狙え!」

 誰かが叫ぶ。

 訓練では、巨人の“うなじ”を狙うように指導されたけれど、目線の先にいる巨人には、

それが通用しないらしい。

 ゆえに、関節を狙って相手の動きを止める。

 今はそれしかできない。


(俺にできるのか)

 最後の最後まで、マルロは悩む。

「行くぞおおお!!」

「どりゃああ!!」

 先発隊の数人が巨人に斬りかかった。

 何人かの剣が巨人の捉えるも、動きを止めるまでには至らず、すぐに回復され、

反撃されてしまう。

《ウゴオオオオオオオオ!!!!》

 巨人の腕の一振りで、2~3人の兵士たちが吹き飛ばされてしまった。

 何と言う戦闘力、何という迫力。

 だがここで怯むわけにはいかない。

(俺は憲兵団を、ひいては腐敗しきったこの国を正すために兵士になった。

こんなところで尻尾を巻いてたまるかあ!)

 マルロは自分を奮い立たせるように心の中で叫び、そして剣を持って鎧の巨人に向かっていった。

「いっけええええ!!!」

 目標は脚のひざ裏の関節。

 後ろからなので、新兵の自分でも狙いやすいと思ったのだろう。

 だが、

「な!?」

 急に、自分の身体がガクンと急停止した。


「しまった!」

 マルロの攻撃を予想していた巨人が、彼の装備している立体機動装置のワイヤーを掴んだのだ。

 掴んだワイヤーを一気に引っ張る巨人。

 マルロの身体は失速から、一気いに急加速して振り回される。

(このままではマズイ!)

 そう思ったマルロはとっさにワイヤーを解放して、巨人から逃れようとした。

 だが、ワイヤーを失ったものの、自分の身体にかかった遠心力は消えず、マルロの

身体は宙に投げ出されてしまった。

「うわああああああ!!!」

 予備のアンカーを射出しようにも、すべて解放してしまい、装置は作動しなかった。

(しまった、このまま死ぬのか)

 装置なしで建物にぶつかったり、地面に激突した場合、無事ではすまされない。

 例え死ななかったとしても、何等かの障害が残ることは確実であった。

(くそっ、せめて巨人に一度でも攻撃を当ててから死にたかった)

 そんなことを思いながら彼は顎を引き、背中を丸めた。

 激突の際の衝撃を少しでも和らげようとした結果である。

 無駄とわかっていても、何かをせずにはいられない。

(俺は、生きたい。やりたいことはあるんだ!)


 マルロは激突に備えて両目を強く閉じた。

「うがっ!」

 不意に横方向に衝撃が走る。

 肋骨が砕けてしまいそうなほどの強い衝撃であったけれど、建物にぶつかった衝撃とは、

明らかに違う。

(あれ? なんだ?)

 マルロの鼻孔を覚えのある匂いが刺激した。

 ゆっくり目を開けると、見覚えのある人物がマルロの身体を抱えていたのだ。

「ヒッチ!?」

「何情けない姿晒してるのよマルロ」

 ヒッチはニヤニヤしながら、マルロの身体を片腕で支えていた。

「お前、逃げたんじゃあ」

「別に逃げるなんて一言も言ってないでしょう? 私は私の好きなようにしただけよ」

 そう言うと、ヒッチは立体機動装置のアンカーを射出する。

「あの屋根の上に行くわ。体勢取りなさい」

「お、おう」

 屋根瓦を踏み壊しながら着地した二人。

 衝撃は強いけれど、あのままぶつかるよりははるかにマシだ。

「た、助かったよヒッチ。ありがとう」


「はああ。情けないの。そんなんでよく憲兵団が勤まるわね」

「ヒッチは、立体機動も上手いんだな」

「今更? あたしってば超優秀なんだから」

「……優秀?」

「これでも、クロルバ区の訓練兵団では、次席の成績なのよお」

 そう言うとヒッチは笑った。

「そうだな」

 腐ってもエリート集団を自称する憲兵団だ。

 成績不良者を入団させるわけがない。

 それでも、マルロにとっては、ヒッチがそこまで優秀だったのは予想外であった。

「アンタ。まだ戦うの?」

「当然だ」

「立体機動装置、もう使えないでしょう?」

「わ、ワイヤーとアンカーを付け替えればまだやれる!」

「マルロ、いい加減認めな」

「!?」

「アンタじゃねえ、この戦場(ステージ)は無理なのよ」

「……」

「気持ちはわかるわ。でも、自分の実力以上のことをやって死ぬのは、バカの所業よ」


「いや、でも……」

「自分の弱さを認めることも、ある種の強さだと思わない? ねえ」

 いつもの軽薄な感じの言い方であるにも関わらず、その言葉はマルロの心に重くのしかかる。

「だ、だけど。どうすりゃいいんだよ」

「任せましょう? あの人たちに」

 そう言うと、ヒッチは鎧の巨人のほうを見た。

 その視線の先には調査兵団と憲兵団の一部、それに黒タイツの巨人が戦っている。

「任せる?」

「そうよ。ここで闇雲に戦って死んでも次はないわ。情けなくても生き延びて、未来を

繋げば、いつかあの人たちのように強くなることも、できるんじゃなかな」

「ヒッチ……」

「なによ」

「お前、いい女だったんだな」

「あら、口説いたって無駄よ。あたしってば、年上が好きなんだもん」

「いや、別にお前は俺の好みじゃないんだが」

「こっちだって、アンタみたいな鼻デカお化けはお断りよ」

「鼻デカとか言うなよ!」

「事実でしょう」

(確かに今は無力かもしれないけど、いつまでもずっと無力というわけにはいかない)

 マルロはそう思いつつ、巨人の戦いを遠くから見守ることにした。






   *


「お前ら、なんでこんなところにいんだよ!」

 オルオは見覚えのある二人を見つけて叫ぶ。

「オルオ」

「オルオさん」

 彼の視線の先には、壁上砲部隊に参加したはずのゲルガーとエレンがいた。

「弾が無いのに砲兵なんざやってられんだろ」

 ゲルガーはそう言って、自慢の髪型を軽く触った。

「自分も、前線に参加したくて」

 エレンは答える。

「わかった、わかったから。あの鎧の巨人を抑えるには、一人でも多くの人間が必要だわな。そしたら――」

 オルオがそんなことを話していると、話の流れを断ち切るように黒い影がこちらに向かってきた。

「エレン! どうして戻ってきたの! 怪我はない? 大丈夫なの!?」

「ちょっ、ミカサ!」

 ミカサ・アッカーマンが立体機動装置を使ってこちらに飛んできたようだ。

 真っ先に気にするのが、幼馴染のエレンであるところが彼女らしい。

「おいミカサ。イチャイチャすんのは構わんが、時と場所を考えろ」

 オルオは言った。

「あ?」

 一瞬、まるで肉食動物のような鋭い目でこちらを睨むミカサ。


「おいミカサ。上官に向かってなんて口の利き方を」

「ご、ごめんなさい」

 だが、エレンが注意をすると、渋々謝った。

「ミカサ、お前の使ってる立体機動って」

 エレンが腰の装置を指さして聞く。

「これは、グンタさんから借りた。私のは、壊れてしまったから」

「使い辛くないのか?」

「何とか、大丈夫」

 グンタの名前が出てきたので、オルオはミカサに聞く。

「グンタは無事なのか」
  
「はい。脚を負傷していますが、命に別状はありません。応急処置をしていましたので、

戦線への復帰が遅れました」

「いや、ちょうどいいタイミングだと思うぜ」

 オルオは言う。

 今、彼の目の前には、新兵のエレンとゲルガー、それにミカサの三人がいる。

「お前たち、聞いてくれ。このまま俺たちがバラバラに攻撃してもジリ貧になる可能性が高い。

だから、ここいらで一気に片付けようと思う」

「片を付けるって、どうやってやるんだ?」

 ゲルガーが聞いた。


「四人ないし五人が一斉にかかり、両腕と両脚の関節を斬って、動きを止める。

そこをあの異世界人に斬ってもらおうと思う」

「結局、あの黒タイツの旦那頼みか? オルオ」

 ゲルガーは言った。

 彼とて、調査兵団の誇りがあるのだ。自分たちで何とかしたい。

 それはわかる。

 だが、状況はそんな勝手を許さない。

「確かに俺だって、あの黒タイツの異世界人に任すのは不満だ。だけどな、巨人の弱点

であるはずのうなじが斬れない以上、あいつに頼るよりほかないんだよ。

これ以上、内地でドンパチやるのは得策とも言えねえ」

「なるほどな。お前らはどう思う」

 そう言って、ゲルガーは若手二人の意見も聞く。

「俺は、いいと思います」

 エレンは言った。

「ミカサは」
 
 オルオは聞く。

「あなたにしては良い意見だと考えます、上官殿」

「一言多いぞミカサ。まあいい。とりあえずエレン」

「はい!」


「今から行う作戦の概要をあそこの異世界人に伝えてくれ」

「俺がですか」

「ああ。伝え終ったら煙弾で合図を送れ。色は緑。それを確認したら、俺が全隊員に

撤退の合図を送る。撤退が完了したら、作戦を決行する」

「俺も攻撃者(アタッカー)としてやりたいです」

 エレンはオルオの前に身を乗り出す。

「エレン」

 そんなエレンを止めたのはゲルガーだった。

「エレン、人にはできる者とできない者がいる。今のお前じゃあ確実に力不足だ。

そのことは、お前自身がよくわかっているはずだ」

「……はい」

 エレンは小さく頷く。

「エレン、安心して。私が必ず成功させるから」

 そんなエレンに声をかけるミカサ。

「ミカサ」

 その言い方は逆効果なんじゃないか、とオルオは思ったけれど違った。

「わかったよ。絶対たのむぜミカサ。エガちゃんを助けてやってくれ」

「大丈夫。エレンの恩人は私の恩人。絶対に死なせない」

「話は済んだか? だったらさっさと行けよ」

 オルオは少しイライラしながら言う。


(見せつけやがってよお。ちょっと羨ましいぜ)

 そう、心の中でつぶやいたら、少しだけ笑いがこみ上げてきた。

「では、エレン・イェーガー。伝令任務、行ってまいります!」

 エレンは軽く敬礼をすると、立体機動で江頭のもとへ向かった。

 十数分後、エレンから完了を知らせる煙弾が打ちあがる。

 作戦開始の時だ。





   *


 
 
「ナナバ、ゲルガー。打ち合わせ通り頼むぜ」


 急遽集められた「攻撃隊」に対してオルオは言った。

「了解したよ」

 ナナバは答える。

「へっ、初陣の時に糞漏らしてたあのオルオが成長したな」

 ゲルガーがそう言って笑う。

「糞じゃねえ、ションベンだ」

「同じようなもんじゃねえか。小便のほうが液体な分、まき散らして大変だ」

「うるせえよ。まあ、そんだけ軽口叩けるなら十分だな」


 オルオはそう言って、肩を揺らした。

「オルオ……」

 ゲルガーはふと名前を呼ぶ。

「どうした」

「お前、変わったな」

「別に、俺は何も変わっちゃいねえよ。まあただ、リヴァイ兵長も戦線を離脱。

さらにグンタもエルドもいないんだ。俺がしっかりしなきゃよ、仲間に示しがつかねえよ」

「そう言うこと言えるようになったか」

「何だかよくわからないけど、頼もしいね」

 ナナバは言った。

 ゲルガーとコンビを組むことが多いナナバは、落ち着いた雰囲気の兵士である。

 ゲルガーとは正反対の性格だが、それが上手く作用しているところもある。

「いいか、もう一度確認するぞ」

 オルオは自分に言い聞かせるように作戦を説明する。

「俺とゲルガーが、巨人の腕の関節を狙う。ナナバとミカサ、お前たちは下半身だ。

主にひざ裏を狙え」

「了解だよ」

 ナナバは答えた。

「了解しました」


 ミカサも返事をする。

「へっ、やるなら早くしようぜ」

 ゲルガーは急かす。

「焦るな。もうすぐエレンから連絡が来る。その時を待て」

「連絡って、アレか?」

 ふと見ると、巨人のいる方向から煙弾が上がった。

「エレンからの煙弾だ!」

 エレンの撃った煙弾を見たオルオは、自分も煙弾を撃つ。

 色は赤。全員撤退の意味を込めた煙弾だ。

「引けええ! 攻撃中止だああ!!!」

 オルオの合図に、調査兵団、憲兵団の兵士たちは次々に巨人から離れて行く。

 巨人のは身体まだ健在である。

「行くぞ!」

「了解!!!」

 オルオ以下、四名の攻撃隊が鎧の巨人に向かって一斉に飛びかかる。

 集結地点から巨人に至るほんのわずかな距離の間、オルオはとある人物のことを考えていた。

 今までずっと考えないようにしていたけれど、この瞬間に――

 自分が死ぬかもしれないと思った瞬間に一気に思い出してしまった。


(ペトラ、巨人を狩ることくらいしか能がなかった俺が、こうして人類の運命を背負って

部隊を指揮して姿を見て、お前はどう思うだろうかな)

 鎧の巨人がゆっくりとこちらを向く。

「ミカサ! ナナバ!」

「了解だよ!」

「了解!」

 ミカサとナナバが、大きく迂回して巨人の後ろに回る。

(そんなの当たり前、と思うだろうか)

「行くぜゲルガー! 同時に攻撃するんだぞ!」

「わかってるっての!」

(俺はリヴァイ兵長にはなれない。そんなこと、わかってるさ――)

 鎧の巨人がオルオたちに気を取られている間、低空から接近したミカサとナナバが、

鎧の巨人のひざ裏を狙う。

「いけえええええ!!!」

 二人はベストなタイミングでひざ裏に斬りつけた。

 今まで以上に深く入ったようで、蒸気を伴った血が噴き出す。

 まるで火山の噴火のように。

「ゲルガー! 下からだぞ!!」

「わかってる! 喋るな、また舌噛むぜ!」

「うるせえ!」


(でもペトラ。お前の理想が兵長なら、俺は兵長になりたいと思っちまった。

馬鹿な男だと笑ってくれ。くそったれが)

 オルオはひざ裏を斬られてバランスを崩した巨人の前方すぐ近くに降り、

それからすかさずアンカーを射出し、急上昇した。

「うぐっ!」

 強烈な重力が身体にかかるが、気にしてもいられない。

 硬い鎧に守られた、弱い部分に刃を突き刺す。

 それは、

「うりゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 脇だ。

「でりゃあああああ!!!!!」

 ゲルガーと同時に脇に剣を突き刺すオルオ。

 突き刺すと同時に、大量の血液が噴き出してきた。

 熱い!

 ドロドロのシチューをまともに被った感じだ。

《ゴオオオオオオオオオ!!!!!》

 巨人が叫ぶ。

 かなり効いたようだ。

「離脱! 離脱!!」

 剣を柄ごと放棄したオルオは、血まみれのままその場から離れた。


 無論、巨人がこの程度で死なないことはわかっている。

 この作戦で一番重要なのは、オルオたちではない。

 最後に決めるのは――


(リヴァイ兵長もそうだが、カッコいい奴は大抵“いいところ”を持っていくよな。

脇役の俺にはこれが限界。だから……)

 顔に着いた血液を拭ったオルオは、巨人から離れながら息を大きく吸いこんだ。

 そして叫ぶ。


「いけえええええええええええええええええええ!!!!



 ペトラの仇をうつんだあああああああああああああああああ!!!!!」



《うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!》


 肩膝をつき、脇を差されたことでだらりと腕を垂らした巨人に対し、上段に剣を

構えた江頭が駆け寄る。

 そして、

《おりゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!》


 地面が割れるんじゃないかと思えるほど強烈な気合いと叫び声とともに、江頭は大剣

を振り下ろした。

「な!!」

 肉を切り裂く気持ちの悪い音とともに、剣は一気に地面まで到達する。

「鎧の巨人が……!」

 あの硬くて全く刃が立たなかった鎧の巨人の上半身が、肩口から腰にかけて、ザックリと斬られたのだ!

《グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!》

 断末魔の叫びが街を揺らす。

 今日、何度街が揺れたかわからない。

 鎧の巨人の上半身がゆっくりとズレ落ち、そして地面に落下した。

 ドシンと、重量感のある落下音とともに、巨人の右肩の付け根から左わき腹にかけて、

斜めに斬られた巨人の上半身が建物を壊しつつ、落ちた。

 主を失った下半身も、力なくその場に倒れ込む。

「うなじだ! うなじを斬れ! 今なら斬れるはずだ!!」

 ふと、正気にもどったオルオはそう指示を出す。

 自身は緊張と疲労によって、ほとんど動けなくなってしまったため、近くの屋根に

着地する。



 が、


「うがっ!」

 身体に付着した巨人の血液と疲労によって、バランスを崩し、転んでしまった。

「痛てえ!」

 そのまま屋根からずり落ちてしまうところを何とか回避したオルオは、もう一度体勢を立て直す。

「おおい、無事かオルオ」

 オルオと同様、脇を刺したために血まみれになったゲルガーがこちらに来た。

「ゲルガーか。こっちは無事だ」

「そうかよ」

 屋根に着地したゲルガーだが、彼も疲れているようで様子がおかしい。

「無理すんなゲルガー。後は仲間に任せよう」

「そんなんで指揮官が勤まるのかよ」

「無茶言うな。身体が動かん」

「そりゃ、俺も同様だがな」

 そう言うと、二人は鎧の巨人のいる場所を見た。

 早くも数人の兵士たちが巨人に群がっていた。

「黒タイツの旦那はどこ行ったんだ? いつの間にか見えなくなったけどよ」

 ゲルガーは聞いた。

「多分、元に戻ったんだろうな。案外、元の世界から帰ったかもしれんが」

「だとしたら寂しくなるな」 

 
「なんでだよ」

「まだ一緒に酒飲んでないからさ」

「ケッ、酒飲みが。でもまあ、飲むときは俺も呼んでくれ」

「金は出せよ」

「出すに決まってんだろう。じゃあそろそろ――」

 不意に、オルオは言葉を止めた。

「どうした」

「いや、ゲルガー。お前、予備のガスは持ってるか」

「ん? まあ持ってるけどそれが」

「補給しとけ。あと、余ったら俺にもわけてくれ」

「どういうことだ」

「嫌な予感がする」

「ん?」

「上手く説明できないが、壁外調査に行った時、何度かこんな感覚があった」




   *




 戦闘後、江頭のもとに真っ先に駆けつけたのはエレンであった。

「エガちゃあああん!!」

 立体機動装置で、江頭が消えた辺りを探すエレン。

「あ! 見つけた!!」

 彼の視線の先には、ガレキに半分身体が埋まった中年男の姿がうつる。

「エガちゃん!」

 着地したエレンは、ガレキを除いて江頭の身体を抱き起した。

「しっかりしてくれエガちゃん!」

「うう……」

 息はあるが、それこそ文字通り虫の息である。

「くそ、すぐ助ける」

 エレンが江頭の腕を肩に抱えると、ミカサも飛んできた。

「エレン! 無事だったのね」

「ミカサ。俺は大丈夫。それよりエガちゃんが」

「私が運ぶわ」

「いや、俺が運ぶ。それより――」

「!?」

 心臓の高鳴り。

 思わず押しつぶされてしまいそうなほどのプレッシャーをエレンは感じた。


(この感覚、どこかで感じたことがあるような)

 エレンは思わず警戒する。

「エレン、どうしたの」

 エレンの様子が変わったことを感じたミカサは、キッと鋭い目つきをして周囲を見回す。

(この感じ、どこかで……)

 江頭を抱えた状態で、エレンは数か月前のことを思い出した。

「これは……」

「エレン!!」

 不意に、エレンは自分の足元が大きな影に覆われたことに気が付いた。

 足元だけじゃない。身体全体が、否、街の一部が大きな影に覆われているのだ!

「が!」

 エレンが振り向くとそこには、巨大な巨人がいた。

 全長50メートル以上あるその巨人は、かつてウォール・マリアのシガンシナ区、

そしてウォール・ローゼのトロスト区を襲い、城門を破壊した巨人。

「超大型巨人……!」

 そう、全身には皮膚ではなくむき出しの筋肉が見え、身体のいたるところから蒸気

があふれ出ていた。

 しかもその大きさは、かつてトロスト区で見た超大型巨人よりも大きく感じる。

「いつの間に……!」

「エレン! 早く逃げて!」


 気が付くと超大型巨人は右手を挙げ、それを振り下ろす。

「うわああああああ!!!」

「エレン!!!」

 江頭を抱えたまま、動けないでいるエレン。ここで潰されたらおしまいだ。

 そう思ったその時、

「な!!」

 超大型巨人は、エレンたちの前方約50メートル先にある鎧の巨人の残骸に手を伸ばした。

「うわあああ!!!」

「なんだあれは!!」

 鎧の巨人を解体調査しようとしていた調査兵団の兵士たちが、蜘蛛の子を散らすように離脱する。

 地面が揺れる。

 勢いよく腕を振り下ろした超大型巨人は、鎧の巨人の首の辺りを掴み上げる。

「野郎、鎧の巨人の『中身』を狙ったんじゃあ……」

 エレンはつぶやく。

「中身?」

 ミカサは聞いた。

「そう、ライナーだ。ライナー・ブラウン。そいつがあの中にいるんじゃないか。

 そして、恐らくあの超大型巨人の中にも誰かがいる」


 そう言うと、エレンは抱えていた江頭を、ゆっくり道の隅に寝かせる。

「エガちゃん。すぐ戻ってくる」

「待ってエレン。何をするつもり?」

「決まってるだろう、シガンシナ区で殺された家族と、トロスト区で殺された仲間たちの、

仇を討つんだよ!」

 そう言うと、エレンは立体機動装置を作動させ、屋根の上まで飛び上がった。

「エレエエエン!!!!」

 ミカサの叫びを響く。

「うおおおおおおおお!!!」

 エレンは考える。

 普通に飛んだのでは、立体機動を使っても超大型巨人よりも高くは飛べない。

(だったら!)

 エレンは壁に立体機動のアンカーを撃ちこみ、そこからさらに上に向かって飛んだ。

「くたばりやがれえええええ!!!」

 そして、飛び下りるように超大型巨人のうなじに迫る。

(ヤツは動きが遅い。だったら)

 しかし、大型巨人の身体から信じられないくらい大量の蒸気が噴き出した。

(逃がすかよクソ!!)

 エレンは顔を抑えつつ、巨人の動向を見据えた。


 かつて現れた超大型巨人はいずれも、全身から大量の蒸気を吹き出してその姿を消した。

 だが今度は消えない。

「くそがあああああ!!!!」

 蒸気がほんの少し収まったところを見計らったエレンは、火傷をすることも恐れず、

逆手に持った剣を超大型巨人の背中に突きたてた。

「どりゃあああああ!!!」

 だが、案の定まるで活火山のような激しい蒸気が噴き出し、エレンは身体ごと吹き飛ばされてしまう。

「うわああああああ!!!」

 一瞬遠くなる意識。

(くそお。こんなのにどうやって勝てばいいんだよ。鎧の巨人だってあんなにも強かったのに)

 そう思った瞬間、超大型巨人はとある場所に向かっているのを見た。

(どこへ行く? まさか、エガちゃん)

 だが鎧の巨人の一部を抱えた超大型巨人が向かった先は、壁であった。

 ウォール・シーナ、ストヘス区の壁。

 そこは先ほど江頭が激突して、大きな穴の開いた場所でもあった。



《ウウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオ!!!!!!!》



 街を、いや、世界を揺り動かすような叫び声を発した超大型巨人はそのまま体当たりをし、

ストヘス区の壁を突き破ったのだ!

「な!!!」

 驚いたのはエレンだけではない。

 その場にいた者全員が戦慄した。

 巨大な穴の開いたウォール・シーナ。

 その穴の中に吸い込まれるように、超巨大巨人は……、消えた。






   つづく


 現在公開可能な情報14

・江頭の身体能力

 江頭の身体能力、特に運動神経の良さはいくつかのテレビ番組で証明されている

ところであり、疑いようもない。

 とあるテレビ番組では、40代の江頭が20代のエグザイルのメンバーを追いかけ回す

シーンもあり、陸上で鍛えられた脚力は今も健在と思われる。

 ただし、江頭自身は体が非常に硬く、毎日のストレッチは欠かせない。

 また怪我や病気の経験も多く、必ずしも丈夫な体というわけではない。

 とはいえ、何度も怪我や病気を経ても復活してきた回復力、そして本番でカメラが回ると、

リハーサル以上の能力を発揮する爆発力(例:『ぷっすま』のギリギリマスター)などは、

芸能界でも一、二を争うものと言っても過言ではないだろう。

 大抵の芸人が、加齢とともに身体を張る芸から遠ざかる中、齢五十を近くにしても、

なお身体を酷使する姿に感銘を受けるファンも多い(?)。

 本人曰く「90を過ぎても逆立ちしてやるぜ」



 ふと目を覚ますと、そこには見覚えのある天井が見えた。

「気が付いたか」

 ふと、目線を右に寄せると調査兵団のエルドが椅子に座って本を読んでいた。

「なんか、そろそろ起きそうな気がしたんでな、こうして部屋にきてみたんだ」

「エルド、ここは、俺はどれくらい眠っていた。あの巨人はどうなった」

「おっと。色々聞きたいことはあると思うが、今は落ち着け。今から少しずつ教えてやる」

「……」

「まずここだが、ウォール・ローゼ内にある調査兵団の駐屯地だ」

「駐屯地?」

「ああ、エガちゃんが初めて来たところと同じだな」

「どうして。俺は確か」

「そう、お前さんはウォール・シーナのストヘス区にいた。あれから寝ているエガちゃん

を馬車でここまで運んだんだぜ。大変だったよ、まったく」

「そうなのか」

「今日は蛇の月の五日目。つまり、あの事件から四日、と言ったところだな」

「そんなに寝ていたのか」

「ああ。大変だったぜ、もしかして本当に起きないじゃないかと思ったくらいだ」

「そうか」


「無理もない。あんな無茶苦茶な戦いをしてたんだからな」

「悪い」

「別に謝ることはないさ。エガちゃんがいなかったら、俺たちもどうなってたかわからない。

特に鎧の巨人との戦いではな」

「申し訳ないが、よく、覚えてないんだ」

「そうかい。まあ、そんなんじゃないかと思ったけどさ」

「その、あの娘は。その……」

「ペトラのことか?」

「……ああ」

「残念だが、生存は絶望だ」

「……そうか」

「遺体も発見できなかった」

「……」

「あいつのブーツや認識票は発見できたんだがな」

「俺のせいで――」

「おっと、其れ以上は無しだぜエガちゃん」

「エルド」

「せっかく生き残ったによ、そんな自分を卑下するようなことは言って欲しくねえんだ」

「だけどペトラは、俺を守るために」


「わかってる。だけどよ、俺だって仲間としてアイツの死が無駄だなんて思いたくないんだ」

「……」

「それに、もしかしたらあの時死んでたのがペトラじゃなくて俺だった可能性だってわるわけだしよ」

「……」

「エガちゃん。こいつは、生きて戻ってきた若い隊員にいつも言って聞かせてることなんだけどさ」

「生きて戻ってくる?」

「調査兵団の壁外遠征ってのは、毎回少なからず犠牲者が出るんだ。生きて戻ってくる

だけでも十分優秀なわけさ。だけど、中には仲のいい仲間の死を目の当たりにする若い

兵士も少なくない」

「そうだったな」

「生き残った奴は、『なぜ自分が生き残ったんだ』って、自分を責めることが多い。

人類のために自らの命を捧げようなんていうような連中だ。そう思うのも無理はないんだ。

だけどよ、そうやって自分を責めたって、死んだ奴は戻ってこない」

「……」

「今日生きられなかった奴の分も、全力で生きて見せてみろって」

「そうは言うけど、若い奴はそこまで割り切れないんじゃないのか?」


「確かにな。俺だって完全に割り切ったわけじゃない。だけどよ、仲間が死んでも

何とも思わない人間なんて、それこそ壁外で人を喰ってる巨人と変わらないだろう?」

「……ああ」

「俺たちは人間なんだ。生きて苦しむことは特別なことなんかじゃない。それが人間の尊厳なんだって」

「人間の尊厳」

「まあ、コイツは親父の受け売りなんだがな」

「いい親父さんだな」

「そうだな。俺には勿体ねえ親父だ。四年前の奪還作戦に参加して死んじまったけどさ」

「……悪い」

 少なくともこの世界では、人の死は身近なものなのだろう。

 江頭はそう思った。

「ところで、エガちゃんは人気者だな」

「ん?」

「お前さんが寝ている間、入れ代わり立ち代わり、若い兵士が世話に来てたぜ」

「そうなのか」

「ああ。特にあの背の低い女の子。なんて言ったっけな」

「クリスタ」

「そう、クリスタ。あの子が一番熱心に世話してたな」

「そうなのか。礼を言っとかないとな。今、どこにいる? もう宿舎に戻ってるのかな」

「ん? そこにいるぞ」

「へ?」

 不意に左側を見ると、ソファの上でクリスタ・レンズが横になって寝息をたてていた。








    進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    第十四話   残 さ れ た 者 



 翌朝、江頭はリハビリを兼ねて、駐屯地を歩き回ることにした。

 立場が立場なだけに、あまりウロウロするのは好ましくないということはわかって

いるのだが、それでも何かをしないではいられなかったのだ。

 年寄りのように杖をつきながら歩く。

 何日も寝ていると、立って歩くだけでも重労働だと改めて思った。

 自分の祖父が痴呆の末に寝たきりになり、その後二度と元気に歩き回ることができなく

なったことを思い出す。

「エガちゃん!」

「師匠!!」

 不意に、声が聞こえてきた。

「お前たち……」

 制服姿のサシャ・ブラウスとエレンがこちらに駆け寄る。

 薄汚れた外套を着ているので、外に行っていたのだろうか。

「エガちゃん、よかった。気が付いたんだね」

 エレンは言った。

「師匠! よかったです、よかったでずよおおおお!!」

「うわっ、やめろ!!」

 興奮のあまりに抱き着いたサシャの勢いにバランスを崩す江頭。

「ちょ、サシャ! 落ち着け!」


 エレンがサシャを止める。

 そんなことをしていると、また一人見知った顔がやってきた。

「おいおい、何やってんだ。お、エガちゃん起きたのか」

「ジャンか」

「おうよ」

 エレンたちの同期生である、ジャン・キルシュタインだ。

「お前たち、そんな格好して、どこへ言ってたんだ?」

「それは……」

 江頭のその質問にエレンは口ごもる。

「エレン?」

「ライナーとベルトルトを探しに行ってたんだ」

 そう答えたのはジャンのほうであった。

「ん?」

「俺たちの同期だよ。ライナーは、大柄で変な形の眉毛したやつ。ベルトルトは、

いつもライナーと一緒にいた、背の高い黒髪の男だ」

「そいつらを探したって」

「二人は、五日前に行方不明になった。まあ、脱走ってやつだな」

「脱走か……。で、見つかったのか?」

「全然。他の隊員や駐屯兵団の人たちも一緒に探したんだけど」

 そう言って首を振るジャン。

 そんな彼らを見ながら、江頭はエレンに耳打ちをする。


「ジャンたちは“あのこと”を知っているのか?」

 “あのこと”とは、言うまでもなくライナーが鎧の巨人であったということだ。

 江頭の記憶は曖昧だが、ライナーが巨人になったことはある程度はっきりと覚えている。

「上からは正確な情報はないよ、エガちゃん。あの任務については、無闇に他言しない

ようにとは言われているんだ。でも、みんな薄々は気付いているみたいだよ。

あれだけ派手にやっちゃったんだ。秘密にはできないよ」

「だろうな」

「何を二人でコソコソやってるんだ?」

 後ろからジャンが声をかける。

「おお、悪い」

 江頭は素直に謝る。

「大方、ライナーのことだろう?」

 ジャンは言い放った。

「それは……」

 ジャンの言葉にエレンは口ごもる。

「言っとくけど、噂は結構広がってるぜ。上がどれだけ隠したってな。

例のウォール・シーナ内での爆発事件に、ライナーが関わってるんだろう?」

「……」

 エレンは何も言わない。


 言うわけにはいかないのだろう。

 ジャンも察しのいい男なので、其れ以上は聞こうとはしなかった。

「え? ライナーが何に関わってたんですか?」

 そう言って周りに聞いて回ったのはサシャであった。

 ジャンに比べて、彼女はあまり察しが良くないようだ。

「まあ何にせよ、今のこの異常事態はずっと隠し通すことは不可能ってこった。

俺の将来にかかわるかもしらんから、詳しくは聞かんけどよ」

「ジャン……」

「行くぞエレン。後片付けが残ってんだ」

「あ、ああ……。じゃあね、エガちゃん」

「おう」

「師匠、また会いましょう」

「そうだな……」

 一人取り残された江頭。

(隠し通すことは不可能か。そりゃそうだろう)

 街中で暴れ回った挙句、壁まで壊したのだ。

 これが騒動にならないほうがおかしい。

 軍や政府がどれだけ情報統制に躍起になったところで、完全に防ぐことは難しいだろう。




   * 




「ゆっくりと散歩か? いい御身分だな、異世界人」

「オルオ」

 次に江頭に声をかけたのは、外出用の制服に身を包んだオルオ・ボザドである。

「その格好は、お前も捜索に出ていたのか」

「まあな」

「身体のほうは大丈夫なのか」

「俺は兵長やエルドたちのように大きな負傷はなかったからな。そのまま任務に復帰した」

「いや、だけどあれからまだそんなに」

「俺を誰だと思ってんだ。そんなに弱くねえ」

 強気な発言をするオルオ。

 だが江頭には無理をしているようにしか見えなかった。

「それに今回の捜索は上層部もそんなに力を入れてなかったからな。すぐに帰る

ことができたし」

「力を入れていない?」

「公式には発表されていないが、ライナー・ブラウンがあの鎧の巨人であったことは、

すでにわかっている。そうだろう?」

「まあ、そうだが」

「恐らく、これは俺の勘だが、数日前に行方不明になったベルトルト・フーバーって奴も

巨人だと思う。多分あのクソデカイ巨人だ」


「ベルトルト?」

 どこかで聞いたことがある名前だったけれど、江頭はすぐには思い出せなかった。

「俺の調べたところでは、ライナーとベルトルトは同じ地域の出身だったという話だ。

といっても、まともな戸籍などは五年間の混乱で無くなっちまったんだけどな」

 五年前。

 超大型巨人の出現によって、ウォール・マリアが破壊され、人類の居住区域の多くが

失われた年だ。

「聞くところによれば、あのアニ・レオンハートって女も、同じ村の出身らしい」

「……つまり、同じ場所の出身だから、同じような能力を持っていたと」

「まあ、他にも色々と原因はあるようだけどな。まだ調べる必要がある」

「オルオ」

「なんだあ?」

「その……、ペトラのことだが」

「それがどうした」

「申し訳ないと思っている。俺のせいでもあるし」

「だからどうした」

「え?」

「ペトラも兵士なんだ。いつかこういう日が来ることは覚悟していただろうぜ。

俺だってそうだ」

「……」


「まあ、壁内の戦闘で死んだってのは想定外だったがな」

「悲しくないのかよ」

「ああ?」

「悲しくないのかよ、兵士なら死ぬのが当たり前。それが当然のこととして、

受け入れるのか?」

「おい、異世界人」

「?」

「言っとくがな、俺はペトラのことを、調査兵団に入る前から知ってるんだ。

もちろん、訓練兵団に入る前の、さらに子供のころからな」

「なに……?」

「昔から知っていた。いわゆる幼馴染ってやつだな」

「だったら猶更」

「お前は俺にどうして欲しいってんだ? 泣き叫んでほしいのか? 

それともお前に対して怒りを爆発させりゃいいのか」

「それは」

「そんな風にして、動揺すりゃお前は満足なのかよ」

「だけど、悲しんだり怒ったりするのは人間として当たり前なんじゃないのか?」


「ああそうかもな。だが俺たちは兵士だ。人類の自由のために自らの命を捧げる身だ。

昔馴染みが死んだところで、一々ショックを受けてたんじゃあ、兵士は務まらねえ。

わかるか? 俺が悲しんだらペトラが生き返るっていうなら、いくらでも悲しんでやるさ。

お前を恨めば復活するんなら、いくらでもボコボコにしてやる。

だが違うだろう? そんなことをしていても無駄だ。今は、あいつの、ペトラの仇を取るために、

自分にできることをやる。ただそれだけだ」

「オルオ……」

「ちっと長話が過ぎちまったな。俺は上層部(ウエ)に報告があるんで、行かせてもらうぜ」

「ああ」

 江頭はオルオの背中を見送る。

 この世界では、悲しむことも許されないのか?

 そりゃあオルオは兵士だし、たくさんの後輩の見本とならなきゃいかん。

 でも、あいつの話が本当なら、同僚としてだけでなく、個人的な付き合いもあった

ペトラが死んで、それでも任務を果たせるものなのだろうか。

(俺にできるのか)

 大切なものが失われた時、自分がどうなるのか。

 江頭はかつて、ラジオ番組で言った自分の発言を思い出してしまう。


『俺にもし子供がいたとしてその子が風邪で寝込んだら俺はめちゃイケ行かないぜ? 

だから結婚はしない』



 全力で自分自身を追いこむために、江頭は人を愛することも人から愛されることも

拒否してきた。

 かつて付き合っていた女性も幾人かいたけれど、結婚までには至らなかった。
 
(だがそれは甘えだ。大切なものを抱えることが怖かっただけなんだ)
 
 江頭は更に考える。

(だったら俺は、何をすればいいんだ? 今俺は、何をすべきなのか)

 フラフラで、まだ足腰もしっかりしていない状態で江頭は駐屯地の中を歩き続けた。




   *

 
 

 その夜、江頭は医務室から自分のためにあてがわれた居室へと移った。

 身体の調子はそれほど悪くない。

 鎧の巨人との戦いで、体中に傷を負ったはずにも関わらず、肩や脇腹には、痛み

どころか傷跡すら残っていなかった。

(一体どうなってんのかな)

 そんなことを思っていると、誰かがドアをノックする。

「入って、どうぞ」

「し、失礼します……」

 入ってきたのは、小柄な少女、クリスタである。


「クリスタ」

「どうも。御加減はいかがですか?」

「ん? 大丈夫だけど」

 よく見ると、クリスタは両手に何かを持っている。

「それは」

「お夕食を、お持ちしました」

「夕食? いや、もう自分で立てるから食堂まで行けるから」

 そういえば、もうそんな時間か。

 ふと、江頭は思う。

「いえ、これは食堂のとは違うんです」

「え?」

「あの、以前言いましたよね。私、料理するって」

「もしかして、キミの」

「はい」




   *




 その後、江頭とクリスタは居室で二人だけの食事を……。

「ちょっと、何をするんですかミカサ!」

 部屋の外から声が聞こえてきた。

「私も師匠と食事を!」

「サシャ! あなたはもっと人のことを考える様にしないとダメ。戦闘は一人では

できないのだから」

「これは戦いではありませんよミカサ! ちょっと放してください!」

「おいエレン! 芋女の脚を縛ったらどうだ?」

 男の声も聞こえてきた。

「とりあえず猿轡だな」

 エレンの声もした。

「んー! んー!」

 しばらくすると、部屋の外の物音もしなくなったので、どうやら自分たちの居室に

戻ったようだ。

「アハハ、元気な連中だな」

 江頭は乾いた笑いを見せる。

「そ、そうですね」

 クリスタは戸惑いながらも答えた。

 そういえば、こうやって誰かと落ち着いて食事をするのは久しぶりかもしれない。


 大概は、居室で一人で食べるか、もしくは食堂でみんなとわいわい食べるのが

普通だったからだ。

(そういえば、かなり長いこと酒を飲んでないな)

 酒好きで知られる江頭が長いこと酒を飲まないのは珍しい。

 実家が酒屋だっただけに、江頭にとって酒のある生活は当たり前の日常であったのだ。

(まあ、飲まなくても案外やっていけるものだな)

 そう思いつつ、江頭はクリスタの作ったスープを飲む。

 全体的に薄味なのは、壁内に海が無く塩の調達が困難だからだろうか。

「……」

「……」

 クリスタを前に気まずい沈黙が続く。

 何か話そうかとも思ったけれど、何を話していいのかわからない。

 というか、これから何をしていいのかもよくわからないのだ。

 暗い夜道の中で、懐中電灯も持たずに放り出されたような心細さが今の江頭にはあった。

 無闇に動いても意味がない。

 さりとて何もしないわけにもいかない。

 元の世界にいたころは、何かしら動いていた江頭にとって、何もしないことは苦痛以外の

何物でもなかった。


 それこそ、酒を飲めないことよりもはるかに苦痛なのだ。

 そんなことを考えていると、食事の味もよくわからなくなってきた。

 十数分後、食事を終えた江頭は大きく息をつく。

「美味しかったよ。ありがとう」

「ど、どうも」

 所々、不恰好な切り方の野菜もあったけれど、不慣れな女の子が一生懸命料理をして

いたと思うと、それはそれで微笑ましい。

 よく見ると、クリスタの手には小さな切り傷がいくつもあった。

「しかし何で今、料理を作ってくれたんだ?」

 江頭は聞いた。

「え? あの、江頭さん。今朝からずっと元気が無かったみたいで」

 クリスタは遠慮がちに答える。

「何かしてあげたほうがいいって思ったんですけど、何をしたらいいのかよくわからなくて」

「それで料理を?」

「あ、はい。私って、そんなに特技とかないですし」

「いや、そんなことは……」

 こんな小さな少女にまで気を遣わせてしまった。

 そう思うと江頭は申し訳ない気持ちになる。

「大丈夫だよクリスタ。俺は元気さ。ハハッ」


 江頭はそう言って再び乾いた笑いを見せた。

 自分を偽り続ければ、やがて壊れてしまう。誰かがそんなことを言った気がする。

 今の江頭はまさにそんな感じだった。

 いつもだったら、笑えば力の湧いてくるものだが、今笑っても虚しくなるだけである。

(どうすりゃいいのかな)

「あの、エガシラさん」

 そんな江頭にクリスタは呼びかける。

「なにか?」

「ちょっと、外に出ませんか?」

「外?」

 窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっていた。




    *



 駐屯地内は暗い。

 この世界には電気や電灯というものが無いので、夜の灯りは大抵松明かランプだ。

 それでもそこまで暗く感じないのは、空気が澄んでおり、星の光が直接地上に

届いているからだろうか。

「こっちです。暗いから気を付けてくださいね」

「え? ここって」

 クリスタに連れられて来たところは、駐屯地内にある見張り台である。

 江頭は梯子を使って、その見張り台の上まであがる。

「ほう」

 見張り台から外を見ると、地平線の向こう側に高い壁が見えた。

 壁の上には初夏満天の星空。

 横たわる天の川がまた幻想的である。

(この世界にも天の川があるんだな)

 江頭はそう思った。

「足元、気を付けてください」

 クリスタはそう言うと、持っていたランプの灯りを消した。

「クリスタ?」

「ここなら大丈夫ですよ」

「……なにが?」

「誰も見てませんから」


「え?」

「エガシラさん、ちょっとこっちに」

「な、なに」

「膝を曲げてください」

「おう」

 言われるがままに、江頭はクリスタの前で膝を曲げ身体をかがめる。

 すると、

「!?」

 クリスタは、江頭の頭を抱え込み、その上に外套をかけた。

(クリスタ、何を?)

 戸惑う江頭に対し、クリスタは優しく江頭の頭を外套越しに撫でる。

「もう大丈夫ですよエガシラさん」

「……」

 服越しではあるけれど、クリスタの温もり、それに心臓の鼓動がしっかりと伝わってくる。

 随分と懐かしい感覚だ、と江頭は思った。

「我慢しなくていいんですから」

 クリスタのその言葉に、今までの記憶が一気に江頭の中で逆流した。

(ペトラ、すまない)


 そう思った瞬間に、江頭の目から堰を切ったように涙があふれ出る。
  
「うおおおお……」

 止めようと思っても止まらない。

「詳しくはわからないんですけど、少しだけなら話は聞きました。よく頑張りましたね、エガシラさん」 

 頑張った?

 俺が何を頑張ったっていうんだ。

 俺がもっと頑張ればペトラは救われていたかもしれない。

 もっと人が助かったかもしれないのに。

 自分の無力さと後悔が入り混じり、江頭は更に慟哭した。





   *




 随分久しぶりに泣いた気がする。

 こんなに泣いたのは、江頭グランブルー以来かもしれない。

 そして、涙を流すことで頭の中が少し、いや、かなりスッキリとした。

「ありがとう、クリスタ」

 そう言うと顔を上げる江頭。

 いつまでも泣いているわけにはいかない。

 鬱な気持ちも限界を越えると逆に前向きになってくるものだ。

「ごめんなさい、エガシラさん。私、どうしていいのかわからなくて」

「いや、いいんだ」

 月明かりと星明りだけの櫓の上では、クリスタの表情はよくわからない。

 ただ、不思議な安心感があったことは事実だ。

 江頭は外を見ながら大きく息を吸う。

「そういえば、この世界のことは何もわかっていなかったな」

 江頭は独り言のようにつぶやく。

「この世界?」

 クリスタが聞いた。

「そういえば、キミたちが持っているあの、ワイヤーで飛ぶやつ」

「立体機動装置」

「そう。それを作っている場所があるって言ってたな」


「あ、はい。ウォール・シーナ内にある工場都市で作っているといいます。それが何か」

「その、工場都市というのは、どんなところ?」

「私も、詳しくは知らないのですが、ウォール・シーナの中央に位置する秘密都市です。

人口は約五万人。山岳中央から流れ出る巨大な滝を原動力として動いているという話

を聞いたことがあります」

「そこに行ったことは?」

「ありません。工場都市では、その内外の移動どころか、周辺の通行も制限されるほど、

厳しい管理下におかれています。普通の人間は、王政の高官ですら簡単には入れない

と言われていますので」

「そうか……」

「それが何か」

「もしかすると、これは俺の勘なんだが……」

「はい」

「この世界の真相はその、工場都市にあるのかもしれないな」

「どういうことです?」

「まあ、まだ推測の段階だから、確かなことは言えないんだが」

 電気も自動車もない世界にもかかわらず、高度な冶金技術が必要とされる超硬質

スチールの刃や、立体機動装置などを作る施設。


 このアンバランスな世界の原因となるものを作り出す場所に、この世界の秘密が隠されている

のではないか。

 全体的な雰囲気に流されて壁外に出た江頭には気が付かなかったことだった。

「灯台下暗し、と言ったところか」

 江頭はまたつぶやく。

「トウダイ? なんですか、それ」

 クリスタは聞いた。

「この世界には無いものだよ。少なくとも壁の内側にはな」

 灯台と言えば海。

 海は、少なくともこの世界の人間にとって想像上の存在である。





   *




 翌日、政府より「エガシラを王都に護送せと」との命令が伝えられた。

「どういうことですか! なんでエガちゃんが捕まらなくちゃならないんだよ!」

 エレンがオルオに向かって叫ぶ。

 場所は調査兵団駐屯地の中庭。

 エレンだけでなく、ジャンやクリスタ、それに江頭本人もいる前で、その命令は伝えられた。

「俺にどうこう言っても仕方ないだろう。王政の偉い人が決めたことなんだからよ」

「リヴァイ兵長もエルヴィン団長もいない今、エガちゃんの能力(チカラ)が必要なことくらい、

わかるじゃないか!

 だいたいエガちゃんは悪人なんかじゃないよ! 巨人から人類を守ったじゃないか!」

「声がデカイぞ。俺だってそんなことくらいわかってる。でも命令には従わなきゃならねえんだよ。

それが軍隊だ。それが兵士だ」

「しかし!」

「いいんだエレン」

 興奮するエレンを、江頭が諌める。

「エガちゃん……」

 エレンは不安そうに名前を呼ぶ。サシャやミカサ。それにクリスタも心配そうな目を

しているのがわかる。

「王都ってのはその、ウォール・シーナの内部にあるわけだよな」


 江頭は聞いた。

「そうだが」

 オルオは答える。

「これは、もしかしてチャンスかもしれないぞ」

「チャンス?」

「ああ、上手くいけば、この世界の秘密がわかるかもしれん」

 江頭は何かを思い付いたようで、やや不気味な笑みを浮かべた。




 つづく



 現在公開可能な情報14


・江頭グランブルー

 かつての人気番組『浅草ヤング洋品店(通称:浅ヤン)』の1コーナー。

水を満たした水槽の中で息を止めて、どれだけ長くいられるかという企画。

 江頭は当初、ヨガの達人と水中息止め勝負に勝利するも、その後挑戦してきた

清水圭に敗れる。

 リベンジを誓った江頭。しかし思ったように記録が伸びず、スランプの末に

水恐怖症にまでなってしまった。

 それでも江頭は強力な精神力と努力で恐怖症を克服。

 水中息止めコーナーの最終回で、本業である大川興業本公演を控えているにも関わらず、

番組収録現場に現れ、再び水中息止めに挑戦。

 見事4分14秒の記録を打ち立て、チャンピオンに返り咲いた。

 記録達成後、江頭はカメラの前で号泣。周囲の観客や共演者も、命がけの努力に涙を流す、

感動の最終回(フィナーレ)となった。


  追記

 ちなみに江頭自身は「お笑い」にならなかったことをひどく後悔し、その13年後、

とんねるずの番組で別の意味でのリベンジを果たすことになるのだが、それはまた別の話。



「工場都市に行く!?」

 江頭のその言葉に、その場にいた全員が驚いた。

「ああ、そこに行けば、この世界の秘密がわかるかもしれん」

「ちょっと待ってよエガちゃん」

 そう言って止めたのはエレンだ。

「どうしたエレン」

「工場都市ってさ、このウォール・シーナの中でも最も警備が厳重なところなんだ。

簡単に行けるところじゃないよ」

「でも工場都市って、王都の近くにあるんだろう? だったら、ちょうどいい。

連行されたついでに、ちょっと行ってくる」

「そんなに簡単に行けたら苦労しないよ。それに近くって言ったって、王都から

工場都市まではだいたい、30㎞くらいはあるよ」

「そんなにあるのか」

「だからエガちゃん」

「止めるなエレン。それでも俺は行く」

「行くならもっと“適切な方法”で行く必要があるよ」

「!?」

 


 



     進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


     第十五話   本当の名前


 蛇の月八日――

 ウォール・シーナ南部城塞都市、エルミハ区。

 そこに調査兵団の一行、約三十人が到着した。

 中心の馬車には、とある重要な人物を乗せているという話になっているが、実際は違う。

「おい、本当に大丈夫なのかよ」

 街に入り、乗馬から徒歩に切り替えたコニーが馬車のすぐ近くでサシャに話しかける。

「何がですか?」

 と、サシャ。

「中のアイツだよ。見られたら絶対にバレるぞ」

「大丈夫ですよコニー」

「何が大丈夫なんだよ」

「ジャンの変装は完璧です。バレませんよ」

「変装つったって、髪の毛を黒く染めただけじゃねえか」

 コニーたちが守る馬車の中には、ジャン・キルシュタインが入っていたのだ。

 もちろん、彼らが“本来”護るのはジャンではない。

 彼らは護送しているフリをしているのだ。


 壁外での行動を常とする調査兵団にとって、内地での行動はやや目立つ。

「アルミンが言ってました。ここはエルミハ区です。師匠(江頭)を直接見た

連中はここではなく、ストヘス区にいますから、パッと見では彼が師匠だとは

気づきません」


「そういや、俺たちも初めてエガちゃんを見た時も(※第三話参照)、

すぐに本人だとは気付かなかったな」

「そうです。だからこの程度でいいんですよ。念のために、黒タイツも履かせている

らしいですよ」

「そういやミカサの奴、見た目も似せるためにジャンの髪の毛をむしろうとしてたっけ」

「ジャンはそれだけは勘弁してくれと言って泣いてましたけど」

「本当にむしられたら悲惨なことになっていたな」

「むしろ見てみたいですね。ハゲになったジャンの姿」

『お前ら、他人事だと思って好き勝手言ってんじゃねえぞ』

 馬車の中からジャンの声が聞こえてきた。

「ほらジャン、静かにしろ。憲兵団の連中にバレたらどうすんだ」

 コニーは閉鎖式の馬車の扉を拳で軽く叩きながら言った。





   *

 一方そのころ、同地区に潜入した“本当の”江頭たちの一行は――

「随分と静かな街だな」

 外套にフードを目深にかぶった江頭が独り言のようにつぶやく。

「しっ、何が起こるかわからない。警戒すべき」

 彼のすぐ後ろを歩くミカサは言った。

 江頭の周りには、エレン、ミカサ、それにクリスタなどごく少数の護衛しかいない。

 少し離れたところで、オルオ率いるベテラン精鋭部隊が控えてはいるけれど、

基本的な移動は目立たないように少数でせざるを得ない。

「ジャンたちは大丈夫かな」

 江頭はそれでも聞く。

「大丈夫だ。問題ない。アルミンの作戦は完璧」

 ミカサはどこから来るのかよくわからない自信を持った声でそう言った。

「それにしてもこの街も広いな。それに街並みも複雑だ」

「俺たちの住んでたシガンシナ区もそうだったけど、基本的に前線の城塞都市は、

巨人が侵入してきた時のための戦闘を考慮して街づくりがされているから、

街並みも複雑で入り組んでいるんだよ」

「都市としての発展よりも、戦闘を重視か」

 当たり前と言えば当たり前かもしれない。

 東京だって、江戸と呼ばれていたころはそういう作りになっていたという話も聞く。

「何にせよ、俺たちが街を出るまでに時間を稼いでくれればいいのだけどさ」

 エレンが不吉なことを言う。

 だいたい、こういう時、順調にことが進まないことは江頭自身がよく知っていた。





   *


 江頭の懸念通り、影武者のジャンを乗せた馬車は街の中央に差し掛かった辺りで、

憲兵団に止められていた。

「ど、どうしましょうコニー」

 明らかに動揺するサシャ。

「落ち着けサシャ。簡単にはバレないんだろう?」

「そうですけど」

「憲兵団の者だ。これから馬車の中身を確認させてもらう」

 兵士の一人がそう言ってこちらに近づいてくる。

「こんな場所でなぜやるんです? 出口の検問所でいいじゃありませんか」

 そう言ったのは調査兵団のナナバだ。

「上からそのような命令をされていましてね。理由はよくわからない。ですが、

それに従わないわけにはいかない」

「そうですか」

 そう言うと、ナナバは引き下がる。

 そもそも、ここで憲兵団(こいつら)と争うことは得策ではない。

「おい、サシャ」

 コニーは動揺しながらサシャの腕を肘で付く。

「大丈夫ですコニー。さっきも言った通り、彼らの中で師匠の顔を知る者は――」

 そこまで言いかけてサシャの言葉が止まる。

「おい、お前ら」


 憲兵団の兵士が誰かを呼ぶ。

 すると、見知らぬ若い兵士たちがぞろぞろと調査兵団一行の前に並び始めた。

「!?」

「彼らはなんですか?」

 ナナバは聞いた。

「こいつらは、憲兵団のストヘス区支部所属の新兵たちだ。ストヘス区の戦いでは、

直接黒タイツの巨人を目撃している」

「!!?」

「こいつらに、その馬車に乗っている奴が黒タイツの巨人なのか、確認させてほしい、

とのことだ」

(まずい、まずいですよコニー)

(んなことはわかってるよ!)

 この状況に動揺するサシャとコニー。

「おい、出てこい」

「……」

 髪を黒く染めたジャンがゆっくりと馬車から降りる。

 万事休すと思われたその時、

「お前たち、こいつが黒タイツの巨人か?」

「え?」

「うーん」


 憲兵団の上官の問いに、集められた新兵たちは一斉に首をかしげる。

 違うなら違うとはっきり言えばいいはずなのに、誰一人としてはっきりとした確証が

えられない。

(え? これはどういうことだサシャ)

 声を殺しながらコニーは聞いた。

(わかりました)

 と、サシャ。

(何がだ?)

(思い出してくださいコニー。私たちが調査兵団の駐屯地で、師匠と対面した時のことを)

(あ!)

(あの時は本物のエガシラだったにも関わらず、私たちはそれがわかりませんでした)

(そうか。つまり、ジャンもエガちゃんと同じ格好をすれば)

(そうですよ。勘違いしてくれるかもしれません)

「お前ら、さっきから何コソコソ話してるんだ」

 サシャとコニーを見て、ジャンは言った。

「ジャ……、じゃなくてエガシラさん」

 サシャは突然澄ました顔になって言う。

「え?」

「服を、脱いでください」


「おい、何言ってんだ」

「いいから服を脱ぐんですよ。わかるでしょう?」

「いや、わかんねえよ。なんで」

 サシャは声を殺してジャンに耳打ちする。

(ほら、あなたは今、エガシラなんですから)

「マジでか……」

(早くなさい! もう、逃げられないんですから)

(くそう……!)

 ジャンはそう言いつつ、馬車の中に逃げ込むように入って行った。

「おい、どういうことだ」

 憲兵団の責任者が不審に思い前に出ると、

「まあまあ、今準備中ですから、すぐに終わりますよ」

 コニーがそう言って止めた。

「準備中?」

「ええ。これからすぐに、彼が黒タイツの巨人であることがわかると思いますよ」




   *


 馬車の中。

 焦りながらジャンは服を脱いでいた。

 服の下には黒タイツである。

(最悪の事態を想定して、念のために履いてきた黒タイツが早くも役に立つとは)

 この黒タイツはアルミンが用意したものだが、これを渡すとき奴は笑いをこらえていた

ことを思い出すジャン。

(本当はアルミンが一番の黒幕なんじゃねえの?)

 そんなことを思っていると、馬車の車体を叩く音が聞こえた。

「わかった、わかったから」

 ジャンはドアを開け、外に飛び出した。

「う、うおおおおおおおおおおおおおえええええええ??!!!」

 急に大声を出したため、思わず声が裏返ってしまった。

 声を張るのって、結構大変なんだなとジャンは思う。

「……!」

 一斉に黙る兵士たち。

 調査兵団も、憲兵団も皆黙ってジャンを見ている。

(見られているのか、俺)

 今までにない体験に、動揺するジャン。

(早くネタをやってください)

 そんなジャンに、サシャは素早く耳打ちした。

(ネタってなんだよ!)


(師匠のネタに決まってるじゃないですか)

「くそう、やってやるよ」

 ジャンは半ばやけくそになっていた。

「と、取って入れて出す、取って入れて出す、取って入れて……」

 そう言ってジャンがお尻を突きだすと、

「恥ずかしがってんじゃないわよこのボケエエエ!!!」

 突き出した尻に、サシャの蹴りが放たれた。

「いぎゃああああ!!!」

 思わず前に吹き飛ぶジャン。

 それを見て大笑いする憲兵団(と調査兵団)のみなさん。

「痛てえな、何すんだよ」

(早く続けなさい。いい感じに受けてるんだから)

 声には出さないけれど、ジャンにはサシャがそう言っているように見えた。

(くそっ!)

 ジャンは立ち上がると、江頭のごとくビタンビタンと左右に倒れ、そして逆立ちをする。

 だが、江頭のようにキレイな“シャチホコ立ち”とはならなかった。

(うわっ、全然上手く逆立ちできねえ。なんなんだあの倒立は。それに全身痛てえ)

「ドーン!」

 続いて、黒タイツの中に腕を入れてドーンだ。


(こんな痛い思いしながらネタやってんのかよ、あの人は)

 ジャンは思う。

「ガッペムカツク!」

(俺には絶対に真似できねえよ。というか、お笑い芸人って過酷すぎだろう)

「どうだ!」

 ジャンは息を切らしながら、周りの反応を見る。

「面白かったですよジャン」

 真っ先に声をかけたのはサシャであった。

「サシャ、お前」

「でも全然似てない」

「お前ちょっとまてえええ!!」


「偽物だああああああ!!!!」

  
 憲兵団の若手兵士によって偽物認定されたジャンは、そのまま拘束されてしまった。






   *




 エルミハ区の空に多数の煙弾が飛び、鐘が鳴り響く。

「どうやらバレたみたいだ」

 エレンは言った。

「急ごう」

 江頭を含む数人の一行が出口に向かうが、当然ながら発見されてしまう。

「怪しい奴! 止まれ!!」

 憲兵団所属と思われる兵士数人が、江頭たちを止めようとする。

 すると、ミカサが前に出た。

「ミカサ?」

「エレン、クリスタ。エガシラさんをお願い」

 そう言うと、ミカサは外套を脱ぎ捨てた。

「ミカサ! 相手は人間だぞ!」

 エレンが叫ぶ。

「わかっている」

 と、ミカサは答えた。

 ミカサは立体機動装置は持っていたけれど、剣を抜くことなく憲兵団の兵士たちに

襲い掛かった。

 連続の肘、拳、そして上段蹴り(ハイキック)で兵士たちを圧倒すると、すぐにこちらに

声をかける。

「早く、急いで!」


 巨人相手にも最強のミカサは、人間相手にも強いようだ。

 だが、人の数も多い。

「くそっ、また来る」

 前から後ろから、どんどんと憲兵団の兵士たちが迫ってくる。

「止まれえ! 止まらんか!」

 人間相手に殺傷するわけにもいかず、最低限の自衛戦のみに限定された状況下では、

武器を使えない今の状態では数の力が圧倒的にものを言う。

 いくらミカサが最強だからといって、自ずと限界があるだろう。

 時代劇のようにバッサバッサと斬り倒せればそうでもないのかもしれないけれど、

そんなことをするわけにもいかない。

「くそっ、どうする」

 剣の代わりに木の棒を手にしたエレンが言う。

「立体機動を使いましょう」

 クリスタは提案した。

 今のこの状況では、目立つけれどそれしかないのかもしれない。

 しかし、立体機動は空を飛ぶための機械ではない。

 周りに高い建物や木々でもないと、上手く使えないのだ。

(空が飛べれば、ん? 空!?)

 江頭が上空を見上げると、太陽にかぶさるように黒く丸い物体が浮かんでいた。

「なんだ!?」


 よく見ると、その黒は太陽を背にしたため逆光になっただけで、色は少し黄色がかった

白い布の塊であった。

「気球だ!!」

 江頭は叫んだ。

「気球?」

 エレンたちは目を丸くする。

「エガちゃああああああああん!!」

 気球から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ハンジ!!」

「そうだよ! わたしだよおおおおお!!!」

 調査兵団のハンジ・ゾエだ。

「最近見ないと思っていたら、気球を作っていたのか」

「今行くよおお」

 ハンジは、気球に取り付けたバーナーのようなものを操作して、地上に降り立つ。

「なんだありゃ!」

「空からなんか降ってきたぞ!!」

 街中で乱闘を繰り返す、調査兵団と憲兵団の両兵士たちが一瞬争いをやめ、

空に注目する。

 それだけこの世界の人間にとって気球は珍しいのだろう。


「エガちゃん! 早く乗って!」

 ハンジはそう叫ぶ。

「しかし」

 江頭の周りには、ミカサやエレン。

 もちろんそれだけでなく、遠くには他の調査兵団の兵士たちが必死に道を切り開こうと

戦っているのだ。

「行って、エガシラさん」

 ミカサは言った。

「ミカサ」

「そうだよエガちゃん。この世界の謎を解き明かすんだろう? 俺も知りたいんだ」

 エレンも言った。

「わ、わかった」

 江頭は頷く。

「あ、それとクリスタ」

 不意にミカサはクリスタのほうを向く。

「え? 何?」

 急に名前を呼ばれて驚くクリスタ。

「エガシラさんをお願い。一緒に行ってあげて」

「私も皆と戦うよ」


「クリスタ」

 そんなクリスタに、ミカサは諭すように言った。

「あなたの戦闘力は弱い。だから、ここは私たちに任せて、エガシラさんを守ることに

専念すべき」

 ミカサはクリスタをじっと見つめてそう言った。

「おいミカサ。そんな言い方――」

 エレンがそう言おうとしたところを、ミカサは止めた。

「うん、ありがとうミカサ。エガシラさんのことは任せて」

 クリスタは何かを察したように頷く。

「頑張って、二人とも」

 ミカサは優しくそう言った。

「ありがとうミカサ。それにエレン」

 江頭もそう言うと、クリスタと一緒にハンジの操作する気球へと向かった。




   *


 エルミハ区上空――
 
 ハンジ特性の気球は、かなりしっかりしたものであった。

「この短期間でよく作れたものだな。やっぱりその、工場都市で作ったのか?」

 江頭は気になったので聞いてみた。

「いやあ、そうしたかったんだけど上層部(うえ)の協力が得られなくてね」

「え?」

「だから、私とごく少数の部下たちと一緒に手作りしたんだよ」

「マジで?」

「ああ。立体機動装置と同じガスを使って火力を調整し――」

 そこまで言いかけたところで、気球がガタンと揺れる。

「うおわっ」

「きゃっ」

 思わずクリスタを抱きかかえる江頭。

「ごめんなさい」

 クリスタは謝った。

「なんで謝るんだ」

「いえ、その……」

 クリスタが恥ずかしがっている間、ハンジはバーナーを見つめながら困った顔をしていた。

「どうした」

 江頭は聞く。


「うーん。これは急いで作った試作品だからね。火力(パワー)が安定しないみたいだ」

「え?」

「簡単に言えば定員オーバー?」

「たった三人でか」

「仕方ない」

「でも、壁を越えるくらいならできるんじゃないのか」

「まあそうだけど、ウォール・シーナ内の集結地点は、壁を越えてから二里くらい離れているんだよ。 

そうしないと憲兵団に見つかっちゃうからね」

「そんな」

「私、降ります」

「クリスタ?」

「ハンジさんは気球の操作をしないといけませんから、私が一番必要ないですよね。

だから、降ります」

「別に必要ないなんて」

「いいんですエガシラさん。大丈夫。わかっていますから」

 そう言ってクリスタは笑った。

 笑顔が何だか切ない。

「もう時間がない。あの壁の上に一旦降りるよ。そこでクリスタを降ろそう」


「あ、ああ」

 ハンジ特製の気球は、フラフラしながらもウォール・シーナの壁上に着地した。

「ちょっと機械の調子を見るから、二人とも一旦降りていてくれないか」

 と、ハンジは言う。

「え、そうなのか?」

「爆発すると危ないから、少し離れていてくれる?」

「爆発?」

「そう、爆発。ガスを使ってるからね」

「……」

 江頭とクリスタは警戒しながら、気球から一旦離れる。

「あの、エガシラさん」

 不意にクリスタが声をかけた。

「どうした、クリスタ」

「その……、こんな時に何なんですけど、実は言っておきたいことがあるんです」

「言っておきたいこと?」

「あ、はい」

「何だ?」

「私、あの時、壁外遠征に行った時です。私には、父親がいないと言いましたよね」

「そういえば、そうだったな」

 江頭は先月のことを思い出す。


 まるで数年前のように遠く感じる先月である。

 だが、クリスタのことはしっかりと覚えていた。

「あれ、ウソなんです」

「ん?」

「父親はいます」

「……」

「私、実は妾の子なんです。正式な妻の子供ではないので、修道院に預けられて

名前も変えて“別人”として扱われました」

 江頭はふと、クリスタが時々自虐的になることを思い出す。

「一族から、実の母親からもいらない子として扱われた私にとって、兵士として生きる

道は、自分の命を捧げるための一つの手段でした」

「手段?」

「人類の自由のために死ぬのなら、無駄ではないと思ったから」

「……そうだったのか」

「私の本当の名前はヒストリア。ヒストリア・レイス。レイス家という貴族の子供です。

でも、本当は存在しない。存在してはいけない人間」

 そう言いながら、またあの時のように暗い表情を見せるクリスタに、江頭は声をかける。

「クリスタ」


「はい」
 
「いやヒストリアと呼んだほうがいいのかな」

「どちらでも」

「じゃあクリスタ。お前に一つだけ言っておこう」

 そう言うと、江頭はクリスタの頭を優しくなでる。

「例え99人がいらないと言っても、1人、たった1人でいい。お前を必要としてくれる人がいるなら、

それでお前の勝ちなんだよ」

「私の勝ち……」

「そう。だから、自分を卑下するのは止めろ」

「エガシラさん、でも私――」

「秀晴だ」

「え?」

「江頭秀晴。それが俺の本当の名前」

「ヒデハル・エガシラ……」

「他の皆には内緒だぜ」


 そう言うと、江頭は口元に軽く人差し指を立てる。

「おーいエガちゃあああん!」

 遠くからハンジの呼ぶ声が聞こえてきた。

「準備ができたみたいだ。俺は行く」

「エガシラさん!」

 そんな江頭を、クリスタは呼び止める。

「どうした」

「どうか御無事で」

「キミもな」

 江頭は笑顔で手を振ると、そのまま振り返ることなくハンジの待つ気球へと向かった。





   つづく



現在公開可能な情報15

・江頭のものまねをする者

 江頭といえばものまね芸が一部では有名だが、江頭自身も多くの人にものまねされてきた。

 有名なところでは、ペナルティのワッキー(脇田寧人)の脇頭2:51や、プロレスラーの

川田利明による川田19:55など。V6(ジャニーズ事務所)の岡田准一も、

江頭モノマネをテレビで披露していた。

 1990年代後半の、いわゆる「江頭ブーム」の時には、全国のお父さんが宴会の際、

ド○キホーテで買った黒タイツを着て、江頭のモノマネをしていたことだろう。

 だが上半身裸に黒タイツといった見た目以外に、江頭の芸を完全に再現した者はほとんどいない。

 特に、江頭の代名詞ともなった独特の三転倒立(シャチホコ立ち、もしくは江頭倒立)

はバランスを取ることが非常に難しく、先述の岡田を含む多くのものまね師が不十分な結果に終わってきた。

ほかにも塩の一気食いや多彩なアナル芸など、江頭の芸は真似できないものが多い。

 ちなみにエスパー伊藤は、格好がかぶっているだけでモノマネではない。




 番外編 江頭2:50初登場。



 これは確か2011年に書かれたものです。

 当時、エガちゃんは主人公ではなくゲスト出演だったのですが、このスレにとって

「原点」と言ってもいいお話なので、今回は本編を一旦お休みして、番外編として

読んでいただこうかと思います。

 既に読んだことがあるという人もいるかもしれませんけれど、ご了承ください。

 




あらすじのようなもの。


 魔法少女になって魔女と戦う。そんなおとぎばなしのような世界で、

大リーグ・シアトルマリナーズ(当時)のイチローが活躍する(?)物語。


 魔法少女を勧誘するキュゥベェとかいう謎生物は、魔法少女になったら

「何でも一つだけ願いをかなえることができる」と言うのだ。

 その話を知った美樹さやかは、幼馴染である上条恭介が、交通事故のためにヴァイオリン

を弾けなくなって自暴自棄になっていることを思い出す。

 密かに上条に思いを寄せている彼女は、自分が魔法少女になって上条の手を治そう

と考えるようになった。

 しかし、とある理由でさやかに魔法少女になってほしくないと思っていたイチローは、

自分の「尊敬している人」に助力を頼んだのだ。


 その尊敬している人こそ――





 

 さやかがイチローと会った翌日。

 彼女は行こうかどうか迷ったけれど、結局上条恭介の入院する病院に行くことにした。

「イチローさんの尊敬する人って、誰なんだろうね」

 一人で行くのは少々心細かったため、まどかも一緒だ。

 不安がないわけではない。というよりむしろ、不安しかない。

 もう二度とヴァイオリンが弾けないということを知ったあの状況で半ば自暴自棄になった

恭介をどうやって励ますというのだろうか。

 イチローは一体誰に頼んだのか。

 そうまでして自分を魔法少女にさせたくないのか。

「どうしたのさやかちゃん」まどかがさやかの顔を覗きこむ。

「いや、なんでもないよ」

 どうも考えるのは苦手だ。小学生のころから考えるよりも先に身体が動いてしまう

性格だっただけに、頭の中でぐるぐると考えていると嫌になってくる。

 恭介の病室に行く前に、一度巴マミの病室に寄って様子を見に行くと、マミは

昨日よりは元気そうな顔をしていた。けれども、最初に会ったときのような覇気

はまだ感じられない。

 マミのことも気になるけれど、今のさやかにとっては、やはり恭介のことだ。

 病室に行くと、昨日よりも若干落ち着いた恭介がいた。


「どうしたんだ? 今日は二人で」

 落ち着いている、とうより気力が萎えていると表現したほうが正しいかもしれない。

「今日はさ、恭介を元気づけようと思って、ここに“ある人”が来る予定なんだ」

「元気づける? 別にそんなこと頼んでないよ」

 上条恭介はそっけなく言った。もう感情を表に出すのも面倒くさいといった感じだ。

「ああ、うん。そうなんだけどさ。もう決まっちゃったことだし」

「どういうこと?」

 さやかと恭介がそんな会話をしていると、病院のスピーカーから聞き覚えのある音楽が

流れてきた。

 やたらテンポの早い曲でドラムやベースの音が激しく響く。

「ああ、この曲は」まどかが何かに気がついたようだ。

 たしかにこの曲にはさやかにも覚えがある。






 布袋寅泰の『スリル』だ!






「うおおおおおおおおおおお!!!!!」



「ぬわっ!」

 急に恭介が寝ているベッドが動いたかと思ったら、そこから何者かがはい出してきた。

「ぎゃあ!」

「わあああ!」

 その人影をよく見ると、上半身が裸で下半身は黒タイツの男だ。頭髪は生えている

けれども極めて薄く、ハゲと言っても過言ではない。

「うおらあああああ!!」

 気合いを入れて、その男は右へ左へと勢いよく倒れたかと思ったら、今度はシャチホコ立ち

と言われる特殊な三転倒立をキレイに決めて見せた。

 そして素早く立ち上がると、気合いを入れて叫ぶ。

「江頭2:50でええええええええええええす!!!!」


「うそ……」


「きゃあああ!! さやかちゃん、凄いよ! エガちゃんだよ! 本物のエガちゃんがいるよ!」

 まどかは、イチローと会った時よりも明らかに興奮している。

「なんでこんなところに。何かの間違いじゃないの? バラエティ番組の収録現場を間違えたとか」

 さやか自分の考えを口にしてみた。

「今日はバイトがあったけど、あのイチローくんの頼みだからここに来たぜえ!!」

 江頭の訪問は間違いではなかった。そう思いさやかは頭を抱える。


 イチローが言う「尊敬する人」とは、お笑い芸人の江頭2:50のことであったのだ。

 なんだか危険そうなので、まどかだけでもこの病室から逃がそう。そう思い隣にいる

まどかのほうを見ると、すでにそこにはいなかった。

「え?」

 いつの間にかまどかは、江頭2:50の隣にいたのだ。

「あの、エガちゃん、じゃなかった。江頭さん」

「なんだお前は!」

「私、鹿目まどかって言います! あなたのファンなんです! もしよろしければ、

その、後でサインもらってもいいですか?」

「え、ああ、いや……」

 普通の客(特に女性)とは違う反応に少々うろたえる江頭。

「ごめんね、本番中そういうことを言うのは」

「あ、ごめんなさい」

「いや、いいからいいから」

 恥ずかしそうに小声で話をしている江頭の様子は、見ているさやかのほうが恥ずかしくなるほどである。

「くそう、気を取り直して、ドーン」

 そう言うと、江頭はチャコット製の黒タイツの股間の辺りに右腕を突っ込んで、『ドーン』の動作をやった。

「ドーン」まどかも手をグーの形にして、上に振り上げながらそれに合わせる。


「ドーン」(江頭)

「ドーン」(まどか)

「ドーン」(江頭)

 なんだこの光景は。

 さやかと同様に、ベッドにいる上条恭介もあっけにとられているようだ。

 しかしエンジンのかかってきた江頭はそんなことは気にしない。

「お前が上条恭介だな!」ギロリと、不気味な目線を恭介に対して向ける江頭。

「え、何か」

「事故で身体が不自由になったのは確かに気の毒だ。だが俺は、お前なんか励ましてやらねえぞ!!」

「はあ?」

「おい、話が違うじゃないか」思わず声を出すさやか。

「外野は黙ってろ!」しかし江頭はそれを一喝する。

「べ、別に励まして欲しいなんて頼んでませんよ」興奮する江頭に対し、恭介はやや冷めた口調で反論した。

「とう」

 恭介が言い返すやいなや、江頭は軽く飛んだ後、彼にジャンピングエルボードロップをくらわす!

「ぐわああ!」


 江頭の身体は細いので、多少体重を乗せたとしてもそれほどダメージにはならないけれど、

入院生活で弱っている恭介に対してはかなりの衝撃になることだろう。

「お前何やってるんだよ! 相手は入院患者だぞ」

 さやかは文句を言ってみたものの、今の江頭に彼女の言葉は届かないようだ。

「自惚れるなクソガキ!」

 ゴホゴホとせき込む恭介に対して江頭は叫ぶ。

「な、何をするだ……」

「上条恭介、お前はモテモテらしいな」

「はい?」

「俺の調べたところだと、志筑仁美という女子生徒がお前のことを好きらしいぞ」

「え、うそ……」

「さやかちゃん!」

 江頭のその情報に、恭介よりもさやかのほうが先にショックを受けた。

「俺のライブに来るやつらなんて、結婚はおろか恋愛だってまともにできねえようなやつらばっかなんだ!

 俺はそういうやつらを励まさなきゃ、元気づけなきゃならないんだよ!

 お前なんかは、ぜえええええったいに、励ましてやらねえんだからな!!」

「だったらアンタなんのために来たんだよ!」さやかは外から(無駄だとわかりつつも)ツッコミを入れる。

「俺が今日ここに来た理由、それは……」

 先ほどまでの喧騒がうそのように静まり返る病室。


「上条きょうすけえええええええええ!!!」

 その静寂を江頭は自らビリビリと破り捨てた!

「今日はお前に一言ものもおおおおす!!」

「出た! モノ申すのコーナーだよさやかちゃん!!」

「まどか落ち着け」

 江頭ほどではないけれど、興奮するまどかをなだめつつさやかは、

もう突っ込んでも無駄だと悟り、そのまま成り行きを見守ることにした。

「なんでしょうか」不機嫌そうな顔の恭介。

「お前、ヴァイオリンを弾いていたらしいな」

「そうですけど、それがなにか」

「お前にとって、ヴァイオリンってのは、そんなに大事なものか」

「何を言っているんですか」

「聞いてんだよ、答えろ!」

「だ、大事ですよ。大事だった、と言ったほうがいいかもしれませんが」

「だった?」

「ほら、もう知ってるんでしょう? 僕の指はもう以前のように自由には動かせないんです。

だから、もうヴァイオリンは弾けない。だから、音楽なんて……」

「お前にとって、ヴァイオリンは大事なものなんだな」

「……はい」

「そんなに大事か」

「そうです」


「だったら命をかけられるか?」

「え?」

「だから命をかけられるかと聞いているんだ」

「どういうことです」

「だからさ! 命がけでヴァイオリンを弾きたいって気持ちがあったかって聞いてんだよ!

 明日もし死ぬって分かってて、それでも弾き続けたいと思っていたか? ああ??」

「それは……」

「ヴァイオリンを弾くな、弾くと殺すぞ。そう言われて、それでも弾きたいと思ってたのかよ!」

「いや、そんなことは」

「俺はな、命をかけているぞ! お笑いに命をかけてるんだ!! わかるか!!」

「命を……、かける」

「俺はお笑いをやめるくらいだったら死んだほうがマシだ!!

 笑いのためだったら寿命が縮まってもいいし、死んだっていいんだ!!!!」

「……!」


「俺は今まで命がけで笑いをやってきた!

 番組の収録中にプールの中で死にかけたこともある!

 病院に担ぎ込まれたことだって一度や二度じゃねえ! 

 それでも俺はやめねえよ! お笑いは俺の生きている証だからな!

 その覚悟だよ! それくらいの覚悟があってお前は音楽をやっていたのか!?

 お前のヴァイオリンに対する、音楽に対する気持ちってのはどの程度だ!」

「……どの程度って……」

「絶望するってのはな、その、本当に死にたくて死にたくてしょうがなくなるんだよ。

 生きてるのが辛くなるんだよ!

 俺はなんのために生きてるんだってな。俺からお笑いを取りあげたら多分そうなるよ。

もうそれしかないんだもん。
 
 病気で芸ができなかった時期は、毎日死ぬことばっか考えてたよ!
 
 本当に、毎日毎日だ。だが俺は踏ん張った。
 
 もう一回芸がやりたかった。観客が笑うところが、見たかった!
 
 たくさんの仲間が支えてくれた!

 そいつらに恩返しする意味でも、俺はステージに立ちたかったんだ!!!」

「……!!」

「上条恭介!! 今のお前は不幸なんかじゃない! 憂鬱な雰囲気に酔って

周りに甘えているだけのただのお子様なんだ!」

「うっ……」

 とうとう恭介は、一言も言い返せないまま黙り込んでしまった。


「恭介。……もし、もしも本当にお前が絶望して、死にたくなったなら、俺のライブを見にこい」

「……え? ライブ?」

「俺の姿を見ろ。そしたらさ――」

「……」

「死ぬのがバカらしくなるぜ」

 息切れをしながら語る、そんな江頭の話を聞いて、まどかは涙をぬぐっていた。

「エガちゃん、カッコイイよ」

 さやかも、ほんの少し江頭のことをカッコイイと思ったけれど、それを口にした負けたような

気がしたので絶対に言わなかった。

「あっ、バイトの時間だ!」

 突然、江頭は左腕を見て(当然時計はしていない)そう言うと、特に別れの挨拶もなしに、

病室から出て行ってしまった。

 江頭が出て行った病室は、今度こそ本当に静かになった。

「ああ、エガちゃん行っちゃった……」まどかは本当に残念そうに言う。

「あの、恭介?」

 江頭が出て行った後、ピクリとも動かない恭介に対し、さやかは声をかけて見る。

「……めん」

「え?」

「ごめん、さやか」

「ど、どうしたんだよ一体」


「僕がバカだった」

「さやかは全然悪くないのに、キミや家族に八つ当たりしたりして、本当にバカだ」

「どうしたんだよ、今さら」

「僕は諦めない」

「恭介?」

「僕は諦めないよ。たとえヴァイオリンが弾けなくなっても、僕は、音楽が好きなんだ!」

「あんた……」

「そうと決まればさっそくリハビリだ。絶対に治ってやる」

「うん」

「さやか」

「え? なに」

「ごめん、そして、ありがとう」




   *



 
 恭介もすっかり元気を取り戻したため、さやかたちは安心して帰宅することした。

「それにしてもカッコ良かったよね、エガちゃん」まどかが顔を赤らめつつ、嬉しそうに喋る。

 さやかにとって恭介が元気になったことは非常に嬉しいことではあるけれども、

それが物凄く立派な人ならともかく、江頭2:50のおかげだと思うと、なんとなとなく

釈然としない思いが残った。

「あの、すいません」

「え?」

 受付付近で病院の職員らしき女性が二人に声をかけてきた。

「私ですか?」

「ええ、あの、鹿目まどかさんというのは……」

「あ、私ですけど」

「ああ、よかった。実はある人からこれを渡して欲しいと頼まれたもので」

「これを?」

 まどかは、職員の女性からA4サイズの封筒を受け取る。

「何だろう」

 そう言いながらまどかは封筒を開け、中のものを出す。よく見るとそれは色紙だった。

「あっ」思わず声を出すさやか。


「エガちゃんのサインだあ」

 まどかが受け取ったものは、紛れもなく江頭2:50のサインの書かれた色紙であった。

しかも封筒には、色紙だけなくオリジナルの絵ハガキまで入っている。

「エガちゃん、さっきのこと覚えててくれたんだね。嬉しいな」

 まどかは、あの病室で江頭にサインをねだっていた。そしてそれを江頭はしっかり覚えていたようだ。

「カッコイイじゃん……」

 さやかは「負けた」と思ったけれど、同時に心が少し楽になった。



   *


 その日の夜、まどかは江頭2:50からもらったサインや、メッセージの書かれた絵ハガキを

見ながらニヤニヤしていると、父が部屋のドアをノックしてきた。

「まどか、起きてるか?」

「なあに、お父さん」

「さやかちゃんから電話だ」

「え? さやかちゃん」

 どうしたのだろうか。

 不思議に思いつつ、まどかは電話のある居間へと向かった。

「もしもし、さやかちゃん? どうしたの」

『あ、まどか。ごめん、おお、落ち着いてき、聞いてくれないか……」

「さやかちゃんこそ落ち着いて。どうしたの?」

『それが、ついさっき、マミさんのことが気になって病院に電話をかけてみたんだけど』

「うん」

『マミさん、病室からいなくなってたんだって。今病院の人が探してるって』

「ええ!?」




 出典:『魔法少女まどか☆イチロー』 第三話

 現在公開可能な情報 番外編

 ・江頭2:50の体脂肪率

 江頭の体脂肪率は約6%である。これはメジャーリーガーのイチロー選手とほぼ同じなのだ。

 一般の成人男性の体脂肪率がだいたい20%前後なので、江頭はアスリート体型と言ってもいい。

 マラソン選手などは、5%以下の人もいるけれど、低い体脂肪率は風邪をひきやすく、体調管理

が難しい。

 
 
 ウォール・シーナの内側数キロを気球で渡ったところで、江頭と調査兵団の


ハンジ・ゾエは馬に乗り換えてさらに数十キロ移動することになった。

 壁の中とはいえとにかく遠い。

 とっぷりと日も暮れ、憲兵団の追手の心配が無くなったところで、馬のスピードを

緩めたハンジが言った。

「エガちゃん、もうすぐ着くよ」

「工場都市か?」

「いや、そっちはまだ到着しない」

「なに?」

「わが調査兵団のアジトだ。まあ隠れ家って言ったほうがいいかな」

「隠れ家? なんでそんなものが」

「まあ、エルヴィン団長の命令で作ったんだけどさ。まさこんなところで役に立つとはね」

 丘の麓にあるやや目立たない場所にその小屋はあった。

 隠れ家だけあって、若干湿気が多い気もするけれど、しっかりとした木造の小屋である。

 近くにある馬小屋に馬を繋ぐと、ランプを持ったハンジが隠れ家に案内する。

 木造のその小屋は、家と呼ぶには小さいけれど、山小屋よりは大きく、二人で休むには

十分すぎる大きさである。


「こんな所にこんなものが用意されてるなんて、準備がいいってレベルじゃないな」

 江頭は独り言のようにつぶやく。

「小屋だけじゃないよ。少しだけなら食糧も用意されてる」

 そう言ってハンジは銀紙のようなものにつつまれた、直方体の物体を投げてよこした。

「これは確か」

「携帯用食糧の改良版。まだ研究段階なんだけど、味は前のより良くなってると思うよ」

「あれか」

 江頭は先月、壁外で食べたあの携帯用食糧の味を思い出す。

 不味くもないが、だからと言って美味いわけでもない。

 人間が食べるために必要最小限の味付けがなされた栄養を吸収するだけの食料。

「できれば、温かい食事を作ってあげたいんだけど、生憎水も食糧も限りがあるし」

「今は美食なんてやってる暇はない、だろ?」

 江頭は言った。極貧生活を経験したこともある彼に食べ物のこだわりは、そんなにない。

「その通りだね。私は一向に構わないけど。ま、食べるもの食べたら、とにかく休もう。

移動は明日も続くんだし」

「そう、だな」

 江頭はふと思う。


 今まで馬に乗って移動するのに必死で、あまり考えなかったけれど、ウォール・シーナ

からここに至るまで、調査兵団の人々は多大の労力を使って江頭の逃亡を支援してきた。

 そして今も、ある程度責任がある立場だと思われるハンジ自身がこうして案内役を

買って出ているのだ。








   進 撃 の 江 頭 2 : 5 0



     第十六話  帰るべき場所



 小屋の奥にある寝室では、二階建てのベッドが二つ用意してあった。

 これなら四人寝ることもできる。

 今はたった二人だけども。

 江頭は裏にあった井戸で水を汲んで身体を少し洗い、奥のベッドで毛布にくるまる。

 決して寝心地がいいとは言い難いけれども、昼間に色々あったため疲れがたまっており、

すぐに眠りに落ちるような気がした。

「……」

 しかし、どうも眠れない。

 慣れない環境で緊張しているのか?

 江頭は自分に問いかけてみる。

 元の世界にいたころは、眠れない日ばかりだったので、睡眠薬を常用していた。

 この世界に来てからは、酒はおろか睡眠薬も使ってなかったので、こういう夜は

久しぶりな気もする。

「眠れないのかい?」

 向かい側のベッドに横になっていたハンジが言った。

「起きてたのか」

「ああ。私も少し眠れなくてね」

 暗くてよく見えないけれど、髪を解き、メガネを外したハンジはまるで別人のようにも思えた。
 
「なあハンジ。ちょっと聞いてもいいか」


「なんだいエガちゃん」

「なんでお前たちはその、俺に協力したんだ? これってさ、国家反逆罪みたいなものじゃないのか?」

「ああ、そのことか」

 ハンジは上を向いて、何かを考えているような声を出す。

「兵士ってのは、上の命令に忠実じゃないといけないんじゃないのか」 

「そうさねえ、なかなか難しいんだけど、一言でいうなら、何かを変えてくれそうな気がしたから、かな」

「変えてくれる?」

「そうだよ。私たち調査兵団は、現状を変えるためにわざわざ危険な壁外に出ているんだ。

壁内の治安を維持する憲兵団や駐屯兵団とは根本的に違う」

「違う……?」

「そうだよ。だから、異世界から来たエガちゃんがこの世界の秘密を知りたいと

言うのなら、それが世界を変えることに繋がるかもしれない。だから協力した」

「自分たちの生活が危うくなるかもしれないんだぜ?」

「どっちにしろ、このままでは私たちは巨人に食われておしまいだよ。座して死を待つ

よりも、何かをしたいんだ。そういう連中が集まったのが調査兵団なんだ」

「座して死を待つか……」

 江頭はふと思い出す。

 自分が忘れかけていた何かを。


「逆に聞くけど、どうしてエガちゃんはこの世界を変えようとしているんだい?」

「別に俺は、変えようとしているわけじゃあ……」

「でも実際に変わっているよ。確実にね」

「そうなのか。それならいいんだが」

「ねえエガちゃん」

「ん?」

「エガちゃんは、この世界にずっと残ろうとは思わない?」

「え?」

「だからさ、この世界に残って、世界が変わる所を見届けようと思わないのかって、

聞いてるんだ」

「それは」

「ほら、あの子。今年調査兵団に入った新入団員のちっちゃい金髪の子がいたじゃん」

「ああ」

 クリスタのことか。

「あの子も、エガちゃんのことを慕っているみたいだし。どうかな」

「どうって」

「ずっと残って、私たちと一緒に人類の解放に貢献してほしいんだけど」

「そうしたいのは山々だが」

「だが?」

「俺は、戻りたいと思う。元の世界に」


「どうして」

「どうしてってそりゃ、生まれ育った世界だし。キミらがこの世界に対して責任を持って

いるように、俺も――」

 ここで言葉が止まる江頭。

「エガちゃん?」

「ここにいる子たちは、自分の置かれた絶望的な状況にも怯まずに立ち向かってる」

「……」

「俺も自分の運命に立ち向かおうと思うから」

「自分の運命って、なんだい?」

「ハンジ。俺はな、実は逃げてたんだ」

「逃げる?」

「そう、お笑い芸人としての自分から」

「どういうことだい?」

「お笑い芸人ってのは人気商売だからな。一年や二年で消える者もいる。そんな中、

俺は二十年以上芸人をやってきた。でも、この先やれるかどうか、どうやっていけば

いいのか、正直迷ってたんだ」

「エガちゃん……」


「この世界の状況に比べれば屁みたいなものかもしれないけれど、それでも俺は悩んでいた。

どうすればいいのか。何をすればいいのかと。そして、いつしかそこから逃げ出したいと

思うようになった」

「……」

「だけど俺は立ち向かおうと思う。どんなに辛くても、俺はお笑いをやるしか能の無い男だ。

それも、広い世界でごく一部の人間が笑うようなコアなお笑いを」

「……エガちゃん」

「すまない。こいつは俺の勝手な思い込みだ。これ以上キミらを巻き込むわけにはいかない。

だから今からでも――」

「エガちゃん!!!」

「おごっ!」

 いつの間にかベッドを飛び出したハンジが横になった江頭の上に覆いかぶさる。

「おい、何を」

「エガちゃん。やっぱりキミは私の思った通りの人だよ」

 そう言うと、ハンジは江頭を両腕でギュッと抱きしめる。

「ちょ、ちょっと」

「何、一人で悩むことはないよ。少しの間だけ、私たちに手伝わせてほしい」

「ハンジ」


「今まで散々助けてもらったんだし、せめてもの恩返しだよエガちゃん」

「お、おう……」

「ぬふぬふうぅ~」

「ハンジ、もういいだろう。自分のベッドに戻ってくれ。苦しい」

「よいではないか、よいではないか。今夜は一緒に寝ようよ」

「余計眠れなくなるだろうが」

「あははは」

 こうして、ハンジと江頭との格闘は深夜まで続くのであった。





   *




 
 翌日の夕方、憲兵団の追跡を避けるために大きく迂回した江頭とハンジは、工場都市

の付近へと到着した。

 空が曇っているためか、辺りが暗くなるのが早い気がする。

「おかしいな」

 工場都市周辺を見回したハンジがつぶやく。

「何がおかしいんだ?」


 江頭は聞いた。

「いやね、前にこの付近を通った時は、警備の兵士を見たんだけどな。

ほら、工場都市って警備が厳重でしょう?

都市部だけじゃなくて、周辺にも警備兵が配置されているはずなんだけど」

「天気が悪いから家に帰ったんじゃないのか?」

「そんな、ピクニックじゃないんだから」

 ハンジはそう言って笑っていたけれど、江頭もまた得体の知れない不気味さを感じていた。

(何かあるかもしれない)

 嫌な予感というものはえてして当たるものである。

 この日も、夕闇を更にどす黒い雲が多いかぶさり、不気味を演出していた。




  *




「やっぱりおかしいなあ」

 馬を走らせながらハンジは何度もつぶやく。

 ようやく見えてきた工場都市は、壁際にある城塞都市のように高い壁に覆われていた。


 と言っても、あの壁ほど高さはないし、おそらく厚くもないだろう。

 ただ、人が訪れることを望んでいるようには見えなかった。

「門が、開いてる……」

 大きく口を開けている大手門を前に、ハンジはつぶやく。

「なに?」

「門が開いてるんだよ。必要最低限の出入りにしか開けない門が開いているんだ。

こんなの絶対におかしい」

「いや、門なんだから開くのは当たり前じゃあ」

「エガちゃん。ここで待ってて。私が調べてくるから」

「おい、ハンジ」

 江頭が止めるのも聞かず、ハンジは馬を走らせて工場都市の入り口へと向かう。

門の向こう側は暗く、まるで魔物の口の中に飛び込んでいくように見えた。

「……行っちまったか」

 ここで待っていて、と言われて素直に待つ江頭ではない。

 彼は好奇心の塊である。

 かつて事件あるところに江頭ありと言われたように、話題になった場所には、

直接出向いている。パナウェーブ研究所、ジェンキンスさんの勤務地、聖火リレー、

ワールドベースボールクラシック、オリンピックなどなど。

 江頭が出没した例は枚挙にいとまがない。

 ゆえにこの時も江頭は行こうとした。


 だが、一瞬立ち止まる。

(ここであいつの信頼を裏切るような真似をしていいのか)と。

 ハンジは江頭を信じてここまで案内してくれたのである。

 ここで彼女の言うことを聞かないということは、ハンジの信頼を無碍にすることを意味する。

(しばらくここで待っているか)

 そう思い江頭は馬を降りて、近くに倒れていた枯れ木の上に腰掛ける。

 妙に生暖かい空気が通り過ぎて、嫌な気分になった。

 視線の先にある、工場都市の入り口は今も大きな門を開け広げたままである。




   *



「ぎゃあああああああ!!!」

 遠くから人の声が聞こえた。

「はっ!」

 日中の移動の疲れでウトウトしていた江頭だが、その声で我に返る。

 微かに響いたその声は、明らかにハンジのものであった。

「ハンジ!」

 江頭は叫ぶが返事などあるはずがない。


 ハンジの声は、深く暗い工場都市の城門の中から聞こえてきたのだから。

「くそっ! しくじったか!」

 江頭は先ほど下した自分の判断を激しく後悔した。

(あそこで一緒に付いていくか、すぐに追いかけていれば……!)

 江頭はそう思い唇を噛むが、悔しがったところで事態が好転するはずもない。

「行くぞロシナンテ!」

 馬に勝手に名づけた江頭は、馬にまたがり工場都市へと向かう。

 気が付けば、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 空には月はおろか星も出ていない。
 
 ただ分厚い雲が夜の帳に拍車をかけているだけである。

暗闇の中を進むと、微かに灯りが見えた。

 目が慣れてくると、街中のいたるところにある光がランプや松明であることがわかる。

 しかし、人の気配が全くない。

「誰かいるかー!」

 江頭が叫ぶと、その声は反響し、どこかに吸い込まれてしまった。

「よっと」

 これ以上は危険と判断した江頭は、一旦下馬して周囲の様子を伺う。

 やはり人の気配がしない。

 誰もいない、死の街のようでもある。

「ハンジー! 生きてるかあー!」


 もう一度叫んでみるけれど、返事はない。

 ただ、自分の声がむなしく戻ってくるだけだ。

(一体何が起こっているんだ? というかここは何だ)

 江頭は焦る。

 工場都市と言われているだけに、彼はもっとごみごみとした騒がしい街を想像していた。

 しかし実際には、無機質な建物が立ち並ぶ無人の街。

 とてもじゃないが、ここで何かが作られているようには見えない。

「おーい」

 何度も呼びかける江頭。

 だが返事はない。

 江頭の中の不安がどんどんと大きくなる。

「どうも、江頭さん。よくここまでこられましたね」

「誰だ!」

 不意に自分の名前を呼ぶ声に江頭は振り返る。

 ハンジ・ゾエ、ではない。

「誰、なんだ」

 江頭はもう一度聞いた。

 暗い影から出てきた人影は、小柄な坊主頭の少年であった。

「コニー……?」


 調査兵団の制服に身を包んだその坊主頭は、間違いなく調査兵団のコニー・スプリンガーである。

「どうしてこんなところに」

「コニー、ですか。確かに今はそうかもしれませんね」

「何を言っている?」

 コニーの不気味な笑みに、江頭は何とも言えない違和感を覚えた。

「お前、本当にコニーか」

 コニーのことを詳しく知っているわけではない。

 まともに話もしていないのだ。

 だが、江頭の記憶の中にある、あの小さな兵士とは印象が大きく違っていた。

「ええ、コニーですよ。この世界に限ったことですけど」

 そう言うとコニーは再び笑う。

「どういうことだ」

「こういうことですよ、江頭さん」

 そう言うと、コニーは自分の顔の辺りに手を当てると、皮膚を掴んで思いっきり

引っ張った。

「!!」

 驚く江頭。

 そこには、コニーではなく彼の見覚えのある男の顔が出てきたのだ。

 江頭がよく知る猿顔の人物。


「岡村くんか」

「ええ。僕です。岡村です。江頭さん、お久しぶり」

 コニー・スプリンガーの皮を被っていたのは、なんとナインティナインの岡村隆であった。

 仮面を脱ぎ捨てた岡村は、声だけでなくその喋り方も関西弁に変わっていた。

「岡村くん。本当に岡村くんか?」

「嫌ですよ江頭さん。僕のこと忘れはったんですか? 正真正銘の岡村隆です」

「いや、しかし何でこんな所に。それに、コニーは」

「コニー・スプリンガーは僕です」

「は?」

「少なくともこの世界におけるコニーは僕なんです、江頭さん」

「どういうことだ?」

「わからないですかね。置き換わってるんですよ。僕らは」

「……」

 意味がわからない。

「訳が分かれへんって顔してますね。無理もありません。しかしこれが現実です。

僕らは『進撃の巨人』という物語の中の登場人物になってしまったんです」

「物語……?」

「知りませんか? 人気漫画なんですけどね。アニメ化もされましたし」

「……」


「意味がわからないぞ。本当に」

「そう思うのも無理ありませんね。でも受け入れてくださいというほかありません」

「どうしてキミがここにいる」

「江頭さんと同じ理由、と言ったらどうですか」

「まさか、キミも」

「ほう、自覚があるんですね。それは結構なことです」

「岡村くん! キミはどうやってここにきた! どうやったら戻れるんだ!」

「江頭さん。本当に戻りたいんですか?」

「一体何を言ってるんだ」

「質問に答えてください。本当に元の世界に戻りたいと思ってます?」

「当たり前だろう……」

「戻った先に一体何があるんですか江頭さん。現実の世界にどれだけの意味があるというんですか」

「お前、本当に岡村くんか?」

「江頭さん。壁の外ではなく内側に目を向けたのは、いい判断やと思います。

確かにそうですよね、この世界には矛盾が多すぎる。その謎を解明する手がかりが

壁の内側にあると考えたところは鋭い」

「……」

「しかし江頭さん。ゲームには行ってはいけない場所、というものがあります」

「?」


「せやから、この世界には行けない場所というものがあるんですよ。その一つがここです。

世界のバランスを崩す可能性のある、いわば弱点のような場所」

「岡村くん」

 岡村は何かに取り憑かれたように話を続ける。

「せやけどねえ、江頭さん。世の中には見ないほうが幸せだったってことも、

あるんやないですか?」

「だから、何が言いたいんだ」

「現実の世界なんてクソですよ。せやから、幻想の世界でずっと過ごしていれば幸せなんやないかって、

時々考えるんですよね、僕」

「岡村くん!」

「江頭さん。あなたはどう思いますか。このまま元の世界に戻っても、ずっとお笑いを

やっていけるっていう保証はないんですよ。世間の移り変わりは激しい」

「岡村くん……」

「どないですか、江頭さん。もしお望みなら、世界を変えるくらいなら今の僕にも

できるんですが」

「岡村くん。俺は戻るよ。例え全然仕事が無くなったとしても、バイトしてでも俺は

お笑いを続ける」

「……」


「もし、客が最後の一人になったとしても、その一人のためにお笑いをやりたい。

俺はそう決めたんだ」

「随分とご立派な決意ですね」

「この世界で会った連中から学んだんでね」

「ふっ、江頭さん。さっきも言うたでしょう。この世界は幻想なんです。全部ウソなんですよ。

そんなウソの塊から何を学ぶんですか」

「例え――」

 そこで江頭は一呼吸置く。


「例えこの世界の全てが嘘だとしても、この俺の心に宿った感情に偽りなど何もない」


「……ご立派」

 そう言うと岡村は軽く拍手をした。

「岡村くん。この都市は一体何なんだ」

「僕にもわからないことはありますよ。ただ、一つだけはっきりしていることがあります」

「なに?」

「少なくとも、この僕を倒さなければ、元の世界には戻りません。僕は一時的ではありますが、

この世界の管理権の一部を持っているんですから」

「何でそんなものを」


「さあ、何ででしょうね」

「これからどうするつもりだ!」

「とりあえず江頭さん」

「……」

「目障りなんで、死んでもらいます?」

「ぬわ!」

 不意に岡村の服はビリビリと破け、どんどんと巨大化していった。

「巨人化!?」

 だが岡村の巨人化は、ただ大きくなっただけではなかった。

「これは……」

 彼の腕や脚などにモサモサと生えてくる茶色の毛。

 そう、岡村隆は20メートル近い巨大な猿人になってしまったのだ。

《人を見下ろすって気持ちがいいですね、江頭さん》

 岡村の声で、大猿は言った。

「岡村くん!」

《さあ江頭さん。戦いましょうか》

「なぜ俺とキミが戦う必要がある!」

《そうでしたねえ、江頭さん。あなた、見かけによらず心優しい人でしたね。

確かに僕と戦うのは躊躇いがあるかもしれません》


「岡村くん。一体何を」

《だったら、戦わざるを得ない状況に追い込みましょうか》

「なに!?」

《巨人のみなさーん! 出てきてくださーい!》

 岡村のその声に、今までどこに隠れていたのかよくわからない、巨人どもがどんどんと

街中から姿を現してきた。

 見た限り数十体。全部で百体以上はいるだろうか。

(こんな巨人が、一体どこに)

 10メートル級から5メートル級まで、大小様々な巨人が工場都市内に溢れる。

 そして狙うは、間違いなく江頭。

《どうです江頭さん。あなた、戦わないと食われますよ。巨人の皆さんに》

「うわあああ!!」

 数体の巨人の手が一斉に江頭に伸びる。

 江頭は素早くかわすと、そのまま駆け出した。

 しかし、巨人の脚の間を縫って駆け抜けてもその先にも巨人がいる。

「岡村あああ! お前なにやってんだあ!!」

《さあ、早く戦ってくださいよ。僕を楽しませてください江頭さん》

(あいつ、狂ってやがる……!)

 岡村が正気ではない、と確信した江頭はすぐに方向転換して建物の中に逃げ込む。

 しかし、10メートル以上ある巨人の拳が建物の壁をぶち壊した。


「ぎゃあああ!!」

 このままではマズイ。

 そう思ってはみたものの、自分がどうやって巨人になるのか未だにわかっていないのだ。

(そうだ、服だ)

 江頭は、壁の壊れた家を抜け出し、急いで自分の服を脱ぎ捨てる。

「ああ畜生! こういう時に限って」

 ブーツを履いているのでズボンが脱ぎ辛い。

 そんな江頭に比較的小柄の巨人が襲い掛かる。

《アアー……》

 不気味なうめき声と共に、正気とは思えない瞳をした巨人が建物と建物の間をすり抜けるように接近してきた。

「とっとっと、うわあ!」

 ズボンを脱ぎかけて、思わず転ぶ江頭。

 実にカッコ悪いけれど、そんなことをきにしている場合ではない。

「これでもくらえ!」

 脱ぎ捨てたブーツをぶつけるも、巨人は顔色一つ変えずに迫ってくる。

《ケケケケケッ》

 キミの悪い笑い声と笑みを浮かべつつ接近してくる巨人。

 だが、次の瞬間巨人は何かにつまずいて転倒した。

(よっしゃ、チャンスだ!)


 江頭は脱ぎかけたズボンから完全に足を抜くと、上半身も裸になって駆け出す。

 そして都合よく立てかけてあった梯子を上り、二階建ての家の屋根の上に乗った。

「あいつ、いつの間にあんなところに」

 いつの間にか岡村こと、猿の巨人は街の中央の塔の上に上っていた。

 月明かりと、街に点在するわずかばかりの灯りに照らされた大猿岡村の姿は、

実に不気味である。

「岡村あああああああ!!!!」

 その姿を見て思わず叫んだ江頭。

 いや、叫ばずにはいられなかったのだ。

 一体奴は何がしたいのか。

 どうしてこんな事態になっているのか。

 わからないことは山ほどある。

 それでも――

《オウアアアア!!!!》

 江頭の存在に気付いた大型の巨人の一団がこちらに近づいてきた。

(くそっ! 大きくなれよ!! 俺!!!)

 江頭は強く望む。

《ゴオオオオオオオオオオオオオオアアアアアア!!!》

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」







 だがしかし、


「え……?」

 江頭の身体は宙を舞う。

 自分の足元にあった家の屋根が、巨人の拳で砕かれてしまったようだ。

 当然、足場を失った江頭は、空中に投げ出されることになる。

「うわああああ!!!!」

叫んだところで、助けがくるわけでもない。

 ただ、ただ落ちて行くだけだ。

 背中に衝撃が走った。

 どうやら屋根に激突したらしい。

 空中に投げ出されたときに顎を引いていたので、なんとか後頭部を強打せずにすんだ


「ぐふっ」

 致命傷は避けられたものの、背中を激しく打ったために息が苦しい。

(くそ、早く逃げなければ……)

 そうは思ったが身体が上手く動かない。

「くそ……!」


 江頭はこれまで“死にたくない”、と思ったことはあった。

 だが今は違う。

「こんなところで……、死んでたまるか……!」

 自分に言い聞かせる様に、彼は身体を起こす。

《ぐおおおおお!!!!》

 そんな江頭の目の前に、十メートル級の巨人が立ちはだかった。

 よく見ると、右腕を大きく振り上げている。

 逃げないと――

 そう思ったが、周りにも巨人はたくさんいる。

  











 俺はここで死ぬのか?









   つづく





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   進 撃 の 江 頭 2 : 5 0


    最 終 話  命の価値



 全身を駆け巡る恐怖。

 だがそれ以上に、悔しかった。


 なんでなんだ……!


 岡村!


《グオオ……!》

「え?」

 不意に、目の前の巨人の身長が消える。

 いや違う。いなくなったわけではない。

 ドスン、という音とともに膝から崩れ落ちたのだ。

「一体何が……?」

 不意に、彼の目の前に黒い影が横切った。

 よく見ると、月明かりに照らされてキラリと光るワイヤー。

「あれは」

「無様だな、エガシラ」

「お前……」

「まさかこんな所で死ぬ気なのか?」

「……」

 江頭は一瞬言葉が出なかった。


調査兵団の制服。

 だがハンジではない。

 そこにいたのは、

「リヴァイ――」

 左腕の一部がなくなったリヴァイであった。

「なぜここに……」

「なぜだと?」

リヴァイは少しだけ黙る。そして、

「俺にもわからん」

 そう言うと江頭から視線を逸らす。

「おい、どういうことだ」

「多分“あいつら”も同じだと思うぞ」

「あいつら?」

 江頭が振り返ると、複数の人影が見えた。

「エガちゃあああああん!!!」

「あっ!」

 江頭の視線の先には見覚えのある人影が宙を舞っている。

「助けに来たよお!!」

 両手に剣を持ったエレン・イェーガーだ。

 エレンは一瞬だけ江頭に視線を向けると、そのまま巨人に斬りかかる。


「エレンの恩人は私の恩人。ミカサ・アッカーマン、行きます!」

 そのすぐ後ろには、マフラーをしたミカサがぴったりと控えている。

「エガシラさん!」

「クリスタ!」

「エガさん! 俺たちもいるぜ」

「ジャン!!」

「師匠おおおおお!!!」

「夜叉!」

「サシャですうう!!!!」

 他にも見知った調査兵団の団員や、見たこともない憲兵団、駐屯兵団の団員なども多数参加している。

「あいつら……」

「後先も考えず、お前を助けるためだけにここへ駆けつけた連中だ」

 リヴァイは言った。

「俺を助けるため……」

「考えなしのバカどもだ」

「……」

「そしてこの俺も」

 そう言うと、リヴァイは右手に巻きつけた布を口で縛る。

「リヴァイ、その」


「余計なことは考えるな、エガシラ」

「え?」

「ここは戦場だ。お前は自分のことだけを考えとけ」

「しかし」

「あの糞でかい猿。見たところ、あれを倒さんかぎり先には進めないだろう」

「……!」

 再び前を見る江頭。その先には月明かりに照らされた巨大な毛深い巨人。

「あれだけは特別って気がするぜ」

「ああ……」

「雑魚の巨人は任せろ。お前は自分の戦いに集中しろ」

「リヴァイ」

「なんだ」

「ありがとう」

「礼なら終わってからにしな。もっとも、生きていればの話だが」

「そうだな」

 そう言うと、リヴァイも立体機動装置を使って飛び出す。

 工場都市に溢れる大小様々な巨人は、エレンやリヴァイたちが相手をしている。

 だったら、江頭が相手にしなければならない巨人はただ一人。

「おかむらあああああああああああああ!!!!」


 熱い。

 身体が熱い。

 まるでマグマか炎のように、熱い!

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 脚や腕に何かが当たる。

 視界が高くなる。

(これは!)

 そう、江頭は巨人化したのだ。

 黒タイツの巨人へと――

《岡村ああああああああ!!!!》

《やっと本気を出したようですね、江頭さん》

 だが大猿の岡村は余裕そうな表情を崩さない。

《そんなに必死になってどうするんですか》

《……》

《この世界の命はとっても安いんですよ、江頭さん。そこいらの若手芸人と同じようにね。

いくらでも代えは利く》

《……う》

《クズみたいな命のために、あなたは命をかけるんですか?》

《確かにこの世界での命の値段は安いかもしれない》


 江頭はペトラのことを思い出しながら、訥々と言葉を吐き出す。

《そうでしょう?》

《だ……》

《え?》

《だけど》

《……》

《だけど! どんなに軽くても小さくても!! 生きていること自体が輝きなんだよ!!

それはどの世界だって変わらねえ!!》

《!!》

《うおおおおおおおおおおおおお!!!》

 江頭は叫びながら拳を振るう。

《甘いですよって!!》

 岡村(大猿)は異常に長い腕(前足)を振るって江頭の身体を横から弾き飛ばす。

《ぬわっ!!》

 勢いのついた衝撃が江頭の右半身を襲う。

 そして建物に激突する。

 レンガ造りの家はすぐに倒壊した。

 体内をかけめぐるアドレナリンの影響か、痛みはほとんど感じない。

 だが、衝撃で視界がくらくらする。


 今までの巨人とは違う。

 圧倒的に違う“何か”を感じる。

《くっそ》

 すばやく立ち上がる江頭。

 その江頭の頭上に大きな拳が振り下ろされていた。

《ぬおっ!》

 寸でのところでかわす江頭。

 ドスン、とまるで鉄球が落ちた時のような衝撃。

 潰れかけた民家が完全に押しつぶされてしまった。

《江頭さん! 圧倒的な力になす術もなくやられる気持ちってわかりますか》

《ぐおっ!!》

 まるでヌンチャクのように飛んでくる、異常に長い岡村の両腕。

 それが容赦なく工場都市の建物を破壊する。

 中に誰も住んでいないことは知っているけれど、整然とした建物が次々に壊されていく

光景を見るのはそんなに気分の良いものではない。

《僕はね、江頭さん。この世界では神にも近い能力を発揮できるんです! 髪だって

あなたよりもフサフサです》

《髪どころじゃねえだろうが!》

 今の岡村は頭だけでなく全身もフサフサであった。


《はあーはっはっは!! 逃げないと死にますよ! それとも死ぬよりも辛い痛みを

御所望ですか》

 岡村のサディスティックな笑いが夜空に響く。

 正直、線の細い江頭にとって肉弾戦は大の苦手。

 プロレス(ハッスル)に出場した時も、命がけであった。

 よく知らない者は、プロレスなんて八百長だから平気、と思っているかもしれない。

 だがそれは間違いだ。

 極限まで鍛えた男同士のぶつかり合い。

 これほど危険なものはない。生半可な気持ちで立てる舞台ではないことは、

レイザーラモンHGだってわかっている。

(とにかく、今はこのやたら長い両腕の攻撃を掻い潜って)

 そう思った江頭だが、まるで鞭のようにしなり、そして素早く動く岡村の両腕に、

上手く近づけない江頭。

 それどころか動きを見切られ、江頭の正面に拳が飛んできた。

(しまった――)

 とっさに腕を十字に組んで衝撃に備える江頭。

 だが、岡村の拳の衝撃はそのガードの上を越えて、江頭の腹の底にドスンと落ちる。

《ごお……》

 何とか後ろに吹き飛ぶことは避けた江頭だった、思わずその場に膝をついてしまった。


《やっとまともに入りましたか。ガードが無ければ即死でしたのに》

《うぐ……》

 まともに声が出ない。

 と言うか、息もできない。

 しっかりとガードしたつもりなのにこの衝撃。

 本当に死んでしまいそうだ。

「エガちゃああああん!!」

 遠くで少年たちの声が聞こえてきた。

「頑張れえ! エガちゃあああああん!!」

「エガシラ!!!」

「師匠おおおお!!!」

(応援の声……?)

 エレンたちだ。

 彼らはいつも応援してくれた。

《さあ、トドメです江頭さん!》

(そうだ、応援の声)

 江頭は思い出す。

 うつ病に悩まされた日々を。

 眠れない夜が何度も続いたあの日々を。

 死にたい。


 毎日そう考えていた。

 1990年代後半、空前の江頭ブームの到来。

 そしてその終結。

 21世紀に入るころ、江頭は極度の精神疾患に悩まされていた。

 本気で引退を考えていた。

 実際に精神を病んで引退する芸人は後を絶たない。

 江頭の先輩も、多くの後輩たちも芸能界を去った。

 自身も、芸の限界を感じて引退を考える。

 だが引退後の人生設計が浮かばない。

 ずっとお笑いばかりやってきた江頭にとって、お笑い以外のものは考えられない。

 だったら死のう。そう考えていた。

 だが、全身に力がはいらず無気力になって江頭は、自殺するということすら億劫になっていた。

 辛うじて生きている、そんな日々が続いていた。
  
 そんな江頭のもとに、事務所から手紙が送られてきた。

 ファンからの手紙だ。

 症状が安定してきた江頭は、その手紙を何度も何度も読み返す。

 かつてテレビに出ている時は、苦情や罵倒の言葉が並んでいた手紙。

 だがこの時は違っていた。

 励ましの言葉、応援の言葉。


 そんな言葉を並んでいた。

 障害を持った男の手紙があった。

 意外にも芸能人やスポーツ選手からの手紙も。

 頑張ってください江頭さん。エガちゃんが出なくなってからテレビがつまらなくなった。

 また大暴れして欲しい。伝説を残してくれ。落ち込んだ時に、エガちゃんの芸を見ると元気が出る。

 一つ一つの言葉が江頭の心に突き刺さる。

 俺の芸は万人受けするもんじゃない。

 差別されたり、虐げられたり無視されたり。

 そんな連中が喜んでくれる芸があってもいいじゃねえか。

 江頭はもう一度立ち上がる決意をする。

 誰よりもお笑いが好きで、誰よりも舞台やテレビが苦手。

 そんなお笑い芸人。

「俺は立派な人間じゃない。ましてや、タケシさんタモリさんみたいな大物でもない」



 だけど――



《そんな俺でも、人の期待には少しでも応えたいと思っている》


 江頭は立ち上がった。



《そのまま寝ていればよかったものを》

《俺の命はクソみたいに小さいもんだ! だけどな、そいつをタダでくれてやるほど、

俺は贅沢者じゃねえ》

《強がりは死んでから言ってください》

 そう言うと、岡村は再び長い腕を振るう。

 だが、

《な!!》

 鞭のようにしなり、魔法のように伸びる岡村の腕を江頭はいつの間にか掴んでいた。

《岡村くん。キミは何のためにお笑いをやっている》

《何を言ってはるんですか、江頭さん》

 岡村は掴まれていないもう一方の腕で江頭を攻撃する。

 しかし江頭は左手だけでその拳を止めてみせた。

《ど、どういうことや。僕の攻撃は100トン以上の衝撃があるはずやのに……!》

《消えろ“偽物”》

《!?》

《うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!》

 江頭は抱えた腕を投げ捨てると、岡村に向かって距離を詰める。

《来るなああ!!》

《でりゃあああああ!!!!》


 拳、ではなく頭突き。

 ダッシュの勢いを利用して岡村の額に江頭は頭突きをかます。

《ぐっ……》

 一瞬怯む岡村。

 そこに今度は拳を見舞う。

《だあああああ!!!》

 拳が潰れた。痛みはないが、そんな感覚が江頭を襲う。

《まだ左手もある!!》

 今度は蹴り、そしてまた頭突き。

《うわあああああああ!!!!》

《おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!》

 精神も肉体も、ボロボロになってもいい。

 それでも求めるものが自分にはある。

《どりゃああああ!!!!》

 最後は勢いをつけたヒップアタック、通称“江頭アタック”だ。

《どわあああああああ!!!!》

 不思議な力が発動したのか、岡村(大猿)はその場から数十メートル後ろに吹き飛ぶ。

 一際大きな建物が大きな音とともに潰れた。

「エガちゃあああ!!!」


「やったあああ!!」

 遠くから若者の声が響いた。

 江頭は振り返りたかった。

 振り返ってその歓声に応えたいと思った。

 だが、その時彼はそれを我慢する。

(俺は、戻らない)

 そう思い、彼は前に進む。

《トドメを、刺さないのですか……。江頭さん》

 大猿の岡村は言った。

 何かを諦めたような瞳が江頭を見据える。

《どういうことだ》

《ここでトドメを刺しておかないと、再び僕はあなたに牙をむくかもしれませんよ》

《……岡村くん》

《……》

《ガッペムカツク!》

《!?》

《キミもお笑い芸人なら、たとえ殺してやりたいほど憎い相手でも、笑わせてやるだけの

度量を見せたらどうだ》

《……プッ》

 思わず吹き出す岡村。


 大猿だった岡村の顔が、次第に人間に戻っていく。

 ただ、大きさはまだ巨人のままだ。

《クックック。江頭さん。僕の負けです。やっぱりあなたは凄いです》

《……》

《戻りましょう。元の世界へ》

《岡村くん》

《この世界よりも、もっとひどい現実が待っているかもしれませんけど》

《覚悟の上だ》

《一生苦しみ続けますよ》

《死ぬまで苦しんでやるさ。お笑いのためならな》

《……わかりました》





 

   *










「――がしらさん」

「……」

「江頭さん!」

「え?」

 気が付くと、江頭は自動車の後部座席に座っていた。

 大川豊興業が所有するワゴン車だ。

「もう、江頭さん。どうしちゃったんですか」

「クリスタ?」

「はあ? 何を言ってるんですか。私は来栖です。誰ですかクリスタって」

 江頭の隣りには、小柄な来栖マネージャーが座っていた。

 よく見るとクリスタに似ているかもしれない、と江頭は思う。

「ちょっと、何を見ているんですか気持ち悪い」

「おお、悪い」

 クリスタと比べて、マネージャーは思ったことをすぐ口に出す。

「大丈夫なんですか? 江頭さん」


「何が?」

「何がじゃないですよ、今日の舞台」

「ん? ああ」

「エガちゃん。疲れてるの? 昨日飲み過ぎたんじゃないの?」

 前の席に座ってた、同じ事務所の寺田体育の日がニヤニヤしながら言ってきた。

「そんなに飲んでないけど」

「それより江頭さん。今日の舞台ですけど」

「わかっている」

 この日、江頭は陸前高田市にいた。

 数年前の震災で大きな被害を受けた地域だ。

 被災地での営業は決して珍しくない。

 江頭は窓の外を眺める。

 そこには、多くの更地が広がっていた。

 ほんの数年前まで、ここには店や家がたくさん立ち並んでいた。

 それがあの日、一瞬でなくなっている。

(俺の故郷がこうなったら、どう思うだろう。多分、凄く落ち込むだろうな。

 落ち込んでいる人たちに俺ができることは――)

 ふと、そんなことを考える江頭。

「江頭さん。何か秘策とかあります?」


 来栖は聞いた。

「秘策ってなんだよ」

「この前みたいに危険なネタはやめてくださいよ」

「俺が危険なことをやらないで、誰がやるんだよ」

「やり過ぎてもらっても困るんです」

「そうだ。最初からタイツ履かないで出てみようか」

「バカなことを言わないでください」

「登場曲以上にスリルだぜ?」

「却下です」

「それじゃあさ――」

 江頭を乗せた車は会場まで向かう。

 今日も江頭は営業や舞台に精を出す。

 年に何回かテレビに出て、後はひたすら営業。

 派手な芸風に反して地味な日常だが、それでも彼はそんな日々に命をかける。

 今日もどこかで。











   おわり
 


 たくさんのレスありがとうございます。

 今回は、体調もあまりよくなかったこともあって、余計なレスをせずに淡々と投下することを

心がけました。

 このようなスレを見ていただき、改めて御礼申し上げます。

 実は、この作品はTVアニメ進撃の巨人がまだ放送していた頃に書き始めたのですが、

ラストシーンが上手く書けずにしばらくの間放置しておりました。

 しかし、筆者が春先に体調を崩して身も心も暗く沈んだ折り、偶然江頭2:50の映像を見て、

思わず大笑いしたため、この作品の存在を思い出して一気にラストシーン(つまり最終話)を書き上げました。

 熊川哲也さんも言った通り、エガちゃんは凄い。疲れた時や落ち込んだ時にエガちゃんを見ると元気になる。

 そんな思いを伝えたくて、今回の投下に至ったわけです。 

 実際のエガちゃんは作品内ほど清潔ではないかもしれませんけれど、どんなエガちゃんも好きですよ。


 エガちゃんがいなくなった後、あの世界がどうなったか知りたいと思う人もいるかもしれません。

 ただ、二次創作の性質上(今更だけど)、原作者よりも先に進むことはいたしません。

というか、筆者はオリジナリティがないのでできませぬ。

 そういうわけで、この物語はこれでおしまいです。

 ただし、これでエガちゃんの活躍が終わったわけではない。と、だけ申しておきましょう。



 ◆4flDDxJ5pEこと、イチジクでした。

乙でした

それにしても、最初の上条らしき人物は何の意味があったんだ…?

>>592
特に深く考えた設定ではないけれど、この世界では異世界から来た人物がエガちゃん

以外にもいる、ということにして、彼(江頭)の存在を登場人物の皆に受け入れ易くしてもらう

ためのもの。

異世界人であれば別に誰でもよかったんや。

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