律子「プラグレス・ミュージック」 (25)


 早く目が覚めてしまったので、そのまま事務所にやって来た。
 朝早くのやわらかい光が窓から入ってくる。

「早いですね、プロデューサー」

 デスクの上に置いてあるノートパソコンの起動をする。

「ああ、まあな」

「もしかして、仕事溜めてたんですか?」


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 プロデューサーが仕事を溜めるなんて珍しい。
 小鳥さんが同人誌用に妄想を貯めることならよくあるけど。

「それもあるけど……たまたま早い電車に乗ったからさ」

「そうなんですか? 私もなんです」

 ……やっぱり、やり手のプロデューサーだなぁ。

「へえ、なんか今日はお互いに、良い日かもしれないな」

「そうですね」


「……あれ?」

「ん、どうした?」

 窓際の壁に、アコギが裸のままで立てかけてある。

 木のぬくもりを感じる外面。触り心地の良いネック。表面を撫でてみる。
 ……勝手に触ってしまった。

「ああ、俺のギターだよ」

「プロデューサーって、ギターも弾くんですか?」

「ああ」


「……あの」

「ん?」

「これ、少し弾いてみてもいいですか」

 プロデューサーは少し驚きの感情が入った顔で、

「ああ、いいけど……律子ってギター弾けるのか?」

「……ちょっと、ですけどね」


「俺、律子がギターを弾いてるとこ、見たこと無いな」

 そういえば、事務所の誰かの目の前で弾いたことはないっけ。
 高校の時、フォーク研の部室で何回か弾いたけれど、アイドルになってすぐに部活は辞めてしまった。

「えっと、それじゃあ……」

 昔の癖で、ポケットを探ってしまった。んなとこにピックはないっつの。
 プロデューサーが白いピックを差し出してくれた。

「ありがとうございます……っしょ、と」

 椅子を引いて、腰掛ける。
 昔のように、ギターを持った。


「……よっ……と」

 試しに1弦から3弦までを弾いてみた。
 うん、音はズレていないかな。

「っ……」

 プロデューサーが息を呑んだ。
 そんな大したものじゃないから、若干気後れする。

「それじゃあ……聞いて下さい」

 観客はひとり。小さな拍手が私を再び、音楽の世界へいざなってくれる。


「海岸沿い Waveチューナー FMに耳を沈めて……」

 あ、楽しいな……これ。
 最後に弾いてみたのはいつのことだったかは忘れたけれど、指が思ったより動いてくれる。

「有能なサーファーは夜の暗い海で泣いてた♪」

 なんていうか、すごく気持ちが良い。

「っ」

 ここのコードを押さえるの、指が短くていっつも苦労してたっけ。


 曲は進んでいく。
 途中から、ほとんど何も考えずにギターを弾いて歌っていた。

「2人で夢見ている、花火が今消えぬように……」

 プロデューサーはリズムにのって指を動かして、

「愛しい日々は旅を終えて赤道線の上……♪」

 私もまた、ギターを弾きながら身体を揺らす。


「追い風を辿れば 雲が晴れてゆく……」

 今……結構、楽しい。

「灯台のスポットライトっ、青空を探しーてっ」

 ah-huh、と続けていって、最後に思い切りジャン、と音を鳴らした。
 『Brand New Wave Upper Ground』。私の青春の曲。

「えっと、ありがとうございました」


 プロデューサーは拍手をしながら、笑顔で言った。

「律子、ギターうまいんだな」

「うまくなんか無いです。下手の横好き、ってやつで」

「弾くために、いっぱい練習したんだろ」

「そう、ですね……学生の頃は、ギターたくさん弾いてました」

 ギターを壁に立てかけ直して、ピックをプロデューサーに返した。


「どうして事務所に持ってきたんですか?」

「ん、なんとなく」

「なんとなくでそんな重いモノを持ってきたんですか、あはは」

「いいだろ、気分なんだから」

 プロデューサーのデスクの下には、ギターケースが横に置かれている。
 このケースに入れてもってきたんだろうな、かなり年季が入っている気がする。


「なあ、律子」

「はい」

「律子は、どうしてギターを始めたんだ?」

 キャスター付きの椅子に座って、ホットコーヒーを飲みながらプロデューサーはたずねてくる。

「あー……そう、ですね」

 ――この人になら、言ってもいいかな。
 別に秘密だったわけでもないのに、誰にも言っていなかった。


「その、私がアイドルだったのは、知っていますよね?」

「知ってるよ。俺もファンだったから」

 ……ファン。
 数が少なかったとしても、私というアイドルを見てくれる人はちゃんと居て。

 その内の一人が、目の前に居る。

「……アイドルはサバイバルな世界です。足を踏み入れた時点で、私は理解していなきゃいけなかった」


「ファン数が少ないアイドルが引退する……ってのは、今はもう無いですけど」

 私がアイドルだったころ、丁度私がアイドルを辞めるまで。
 ファン数が少ないアイドルは1年で引退する、という業界のルールが定説となっていた。

「それで、私もその煽りを受けて引退することになって。……でもまだ、歌うことが諦められなかったんですよね」

「……うん」


「それで、えーと……元々ギターには興味があって結構触ってたんですけど、もう一回人前で弾いてみようって思って」

「ストリートミュージシャン?」

「そうです」

 真夜中の街で、シャッターの前で歌を歌う。弾き語り。
 なんだかテレビの中に出てくるバンドマンみたいで、格好良かった。憧れていたんだと思う。

「元々、部活でギターを弾いてて。アイドルに専念したいからってやめちゃいましたけど」


「それで、ちょっとだけ路上で歌ってたんです」

「そっか……見たかったなぁ、律子が路上で弾き語るところ」

「あはは、今歌ったじゃないですか」

「うん、そうだけど……こうやって室内で歌うのと、夜の街で歌うのってまた違うじゃないか」

 声の響きも違うから、とプロデューサーは残ったコーヒーを一気に飲んだ。


「……竜宮小町やみんながどんどん売れっ子になっていって、だんだん弾かなくなっていったんですよね」

 すごく、嬉しい事だと思う。765プロのアイドル達は、私の誇りだから。
 ギターは自室の奥に置いたまま、ずっと触っていない。

「…………なぁ、律子。俺はさ」

「えっ?」

「みんなのダンスとか、歌とかを見て……こう、無性に歌いたくなる時があるんだ」


「無性に、ですか」

「そうそう。知らないうちに影響されてんのかな、春香とか千早が歌ってる姿とか、響や真が懸命に踊ってるのを見ると」

 俺も何かしたくなるんだよな、とプロデューサーは頭を掻いた。

「……私も、よくあります」

 竜宮小町のパフォーマンスを指導して、完璧なものをステージの脇で見ると、どうしても。
 アイドルに戻りたい――わけではないけれど。


「律子、かなり良い技術を持ってるじゃないか」

「技術?」

「ああ。ギターを弾くのって、やっぱり練習の成果が出てくるからさ」

 ……ちょっと貸してくれ、と言われたので、プロデューサーにギターを渡す。
 白いピックを使って、知らない洋楽を演奏し始めた。


「…………すごい」

 明るいメロディの曲と、プロデューサーの歌う声がマッチしている。
 アコースティック・ギターの旋律が、電気を帯びているようにも聞こえた。

 ストリングスやベース、ドラムまで聞こえてくるようで……格好良かった。

「……ってまぁ、こんな感じかな」

「すごいです、プロデューサー」

「あはは……俺は路上で歌ったことはないけど、たまにこうやって弾いてるんだ。それこそ、持ってきたり」


「あの……」

「ん?」

 ポロロン、と弦を弾いて音を鳴らしているプロデューサーに、私は言う。

「プロデューサーがギターを持ってきた時、たまに貸してくれませんか?」

「……ああ、もちろん」

 音楽はやっぱり、楽しくて。その時のワクワクを私はまだまだいっぱい経験したくて。
 今日帰ったら、とりあえずギターケースからアイツを取り出そうなんて、ふとそんなことを考えた。


 律子がギターを弾くのは格好いいと思って書きました。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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