絹旗「最近浜面が超冷たいんですが」(725)

禁書の浜面×アイテム物です。

黒夜中心ですが、できれば全員満遍なく。

はじめからデレ9:ツン1ぐらいの割合になるかと思います。

遅筆ですが、どうかよろしくお願いします。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1369845075



「最近浜面が超冷たいんですが」


珍しく二人だけで昼食を取ったある日の午後、
絹旗最愛が、不意にそう告げた。

「はぁ?」


余りにも唐突で脈絡のないその言葉に、
自分でも呆れるほど気の抜けた声で問い返す。


「だから、浜面が最近、超!冷たいって言ってるんです!」


自分の気のない返事に焦れたのか、絹旗ちゃんは語気を強めて言い直した。




「…どこが。」


言われて思い返してみるものの、少なくとも自分の記憶には、
浜ちゃんが絹旗最愛に対し、冷たく当っていた事など只の一度も無い。


一昨日だって雨が降る中、前々からの約束だと言って、ご丁寧にも相合傘で、
いつものつまらない映画を見に、二人で出かけたぐらいなのだ。


新参者の自分はもちろんの事、れっきとした恋人である能力追跡でさえ、
定期的に二人っきりで出かける口実のある絹旗ちゃんの事を、羨ましがってさえいる。


「私が言ってるのは、超そういう事じゃあ無いんです!」


思ったことをそのまま告げてみると、案の定絹旗ちゃんは不満そうに口を尖らした。




「そりゃ映画ぐらい超見に行きますよ!超約束してましたし、浜面だって趣味の超一つだって言ってくれてますし!」

「私が言ってるのは!超そういう事じゃあ無いんです!」

「良いですか、黒夜。フレメアが来るまで、浜面の膝の上は私の超特等席でした。」

「滝壺さんや麦野は超多分体格の問題なんでしょうね。その場所に座ろうともしませんでしたし、私の事をどかそうともしませんでした。」

「それがフレメアが来た事で超全てが変わってしまったんですよ!」


熱く語る絹旗のその姿に、自分は言葉を失っていた。



当然の事ながら、それは気圧されていたからではない。
あまりにも下らない理由に、呆れ果てていたからだ。


「え、は?それが理由?」

「フレメアが来て浜ちゃんの膝を独占できなくなった。それが浜ちゃんが冷たくなったって理由な訳?」


そんな私の問いに、呆れたようなため息をつくと、絹旗は焦れったそうに言葉を続ける。


「そんな訳ないでしょう。大体私だって四六時中浜面の膝の上に座ってるわけじゃ無いんですし。」


話は超最後まで聞いてくださいと、勿体ぶると、彼女は口に出すのすら忌々しいと言わんばかりに、
苦々しく顔を歪めた。



「話は超昨日の夜のことです。」

「その時私は何時ものように浜面の膝の上で、二人で前日に見た映画の感想と、超次に見に行く映画の予定、その他諸々を話し合っていました。」





『浜面、昨日の映画は超最高でしたね!』

浜面の膝の上に座ったまま、絹旗はその逞しい胸板に頭を擦り付け、
自身の喜びを包み隠さずに浜面に伝える。

浜面の方でも特に嫌がる風でもなく、かと言って過度に照れる事もなく、
ただ当たり前の事として、それを受け入れていた。




『ああ、久しぶりに大当たりだったな。滅茶苦茶面白かったよ。』


頭を撫でながら浜面も優しく答える。


『私も浜面と一緒に見に行った映画が超当たりだったのは超嬉しいです!』


その手の動きにくすぐったそうに身を捩らせながら、絹旗も弾けるような笑顔を浜面に向ける。


『そう言ってもらえるとこっちも嬉しいよ。次の映画も決めてあるんだろ?』



『は、はい!再来週なんですけど、超面白そうな映画があるんですよ!レイトショーなので、映画見たあとで二人で超ついでに外食もしてこれますし!』


『ああ、分かった、どっか美味そうな店探しとくよ。また映画館の場所、教えてくれよな?』


『はい!』










「その時点で浜ちゃん全然冷たくないんじゃない?」


長々と続けられる惚気に、とうとう我慢できずに口を挟む。


「超最後まで聞いてください言ったでしょう。問題はここからなんです。」


頬を膨らませながら抗議する絹旗だが、見る限りでは、
話を遮られたこと、というよりも、
浜面との甘い思い出に浸っているのを邪魔された事に機嫌を損ねているらしい。

こんな下らない話に長々と付き合ってもいられない。
さっさと終わらそうと、露骨にため息をついて、手で話を促す。


「まあ、ここまでは超良かったんですよ、ここまでは。」








『えへへ、映画も超楽しみですけど、浜面とのご飯も超楽しみですよ。」

『あー、あんまり期待しすぎんなよ。そんなに高いとこには連れてけないから。」

『全く、超甲斐性なしですね、浜面は。まあでも構いませんよ、超安くても。下手に高い所に言って、映画に行く回数が減ったら超嫌ですからね。』









「だから結局デレてるだけだよね絹旗ちゃん。」


本題に入らないのならばまあ我慢はできる。
だが浜ちゃんとのイチャイチャを自慢されるのには些か我慢の限界というものがある。


「超違います!ここからが問題なんですから、落ち着いてください!」


こちらの露骨な呆れ顔に、ようやくこちらの意図が多少なりとも伝わったのか、
多少慌てながら絹旗ちゃんが弁明する。


「問題って言っても何があんのよこの状況で。」


「…あの女が来たんですよ、超優しい浜面を超惑わせる魔性の女が。」


短いですが今回はこれで以上になります。

余り頻繁な更新はできないかもしれませんが、なるべく早くに投稿します。

連投メンゴ!

>>1氏は以前何か書いてた?


たくさんのレス、ありがとうございます。

一応は黒夜メインですがタイトル詐欺にならないよう、
絹旗も可能な限り増やしていきます。








『にゃあ…浜面?』

『おお、フレメア、どうした。』


絹旗の頭を撫でながら、浜面は現れたフレメアに優しい声をかける。


『浜面、大体絹旗と映画見てきたの?』

だが、そんな浜面の優しさにも関わらず、フレメアの表情は晴れない。



彼女の太陽のような笑顔は、見るものを幸せにする。
だからこそ、彼女の笑顔が曇れば、見るものの心を暗くしてしまう。


彼女を実の妹のように可愛がる浜面にとって、それは尚更だろう。


『ああ、前からの約束でな、すげえ面白かったぜ。な?絹旗。』


心に生じた僅かな不安を振り払うかのように、浜面は殊更に明るい調子で絹旗に話しかける。


『ええ、超最高でした!また「二人」で映画を見に行きましょう!』



浜面の胸板に頬を擦り付けながら、絹旗は甘え混じりの明るい声で答えた。

その素直な眼差しと笑顔は、浜面を目を奪わせるほどの力を確実に持っていた。

だが、結果的にはそれが災いしたのかもしれない。

頬を膨らませ、不機嫌を露にしていくフレメアに気づくことができなかったのだから。



『…にゃあ。』

『ん?』

『浜面…抱っこ。』


拗ねた表情のままで、フレメアは浜面へ両手を差し伸べると、
そのまま自分を抱きとめるよう、要求する。



『はあ!?』


『え、お、おいフレメア…』


ある意味では至極順当な、そして当事者達にとっては突拍子も無いその要求に、
それぞれが異なった反応を見せる。


『抱っこ!』


その反応を半ば無視して、フレメアは再び浜面へと話しかける。

お願いと言うよりも我が儘と言った方が相応しいかもしれない彼女の言葉に、
浜面は困ったように頭をガシガシと掻いた。



『…浜面、超変な事考えてるんじゃないんでしょうね。」

しょうがない、とでも言いたげな浜面の表情を敏感に察したのか、
絹旗は浜面の服の裾を強く掴んで釘を刺す。

彼女なりに精一杯怖い顔をして睨んだつもりだったのだろうが、
その表情には、溢れ出た不安が広がっていた。


『…』


女性二人との間で板挟みになると言う事は、
浜面仕上にとっては珍しい事ではない。



ただ、何度経験しようが慣れるものではないし、
もっと上手い対処は出来ないだろうかと後で落ち込むことも度々だ。

世の色男達はどのようにこの問題を解決しているのだろうか。


『浜面、抱っこ~!』


と、思わず現実から目を逸らそうとした浜面に、再びフレメアが抱っこを要求する。

追い詰められる浜面に残された選択肢は、
あくまでも原則に則って答えを出す事だけだった。



『へ?』


浜面の服の裾を掴む絹旗の体に、不意に持ち上げる力がかかる。

何が起こったのか分からないでいる絹旗の体は、
浜面と同じ高さまで持ち上げられていた。


『あー、ごめんな、絹旗。ちょっとフレメアと場所替わってやってくれ。』

『え、ちょ、ちょっと浜面、超どういう事ですか!』

『いや、ほら、絹旗は今までずっと座ってただろ?だから、ほら、そろそろ交代というか、な?』



納得出来ずに問いただす絹旗だったが、
浜面の答えは至極無難で味気の無いものだった。



『いや、そんなの超納得出来ません!』


『そんな事言わずに、フレメアだって納得してくれそうに無いからさ。』



絹旗の抗議を軽く流し、浜面は絹旗を降ろそうと、彼女の体を遠ざけようとする。

その行動に少しでも抵抗しようと、絹旗はバタバタと手足を振り回す。


『頼むよ絹旗、昨日だってずっと一緒だっただろ?』


『超嫌です!浜面がどっか行くとかいう理由なら納得も出来ますけど!』


『他の奴が座るからどいてくれなんて、超絶対に嫌です!』



必死に反論する絹旗をよそに、浜面は絹旗を降ろすと、
フレメアに向かって手を伸ばした。



『ちょ、ちょっと浜面!超嫌って言ってるじゃないですか!』


怒鳴る絹旗だったが、既に浜面の膝の上にはフレメアがすっぽりと収まっていた。


『大体、浜面の抱っこ、気持ちいい、にゃあ~。』


フレメアというと、絹旗の事など眼中に無いとばかりに、
浜面の胸板へと頬を擦り付けている。

先ほどまでの絹旗と全く同じその仕草は、まるで前の女の匂いを消し、
自分の匂いを擦り込んでいる様に、真偽はともかく、少なくとも絹旗の目にはその様に移った。

『話も終わってないのに何やってンですかねェ、このお子ちゃまはァァァァンっ!』



『ほら落ち着けよ絹旗。』


フレメアの頭を撫でたままで、
浜面はほんの少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべ、声をかける。


『そりゃいきなりどけって言われて不機嫌になる気持ちも分かるけどさ。』

『我慢してくれよ、な?』

『絹旗の方が、お姉ちゃんなんだからさ。』


優しい笑みを浮かべながらのその言葉に、
絹旗は反論の言葉を奪われる。



ただ、年齢だけを基準にした結論だとは言え、
浜面は少なくともこの場では自分よりもフレメアを選んでしまったのだ。


ご丁寧にも『お姉ちゃんなんだから』と強調した上で。


ここで下手に反論してしまえば、『お姉ちゃんなんだから。』という言葉は、
直ちに『お姉ちゃんの癖に』という言葉に変わってしまうだろう。


『ごめんな、絹旗。ほら、また次の映画の場所調べといてくれよ。俺も色々準備するからさ。』


強引なやり方だと自覚しているのか、浜面もどこか申し訳なさそうである。



その言葉に力なく答えると、寂しさを背に浮かべながら、絹旗はゆっくりと部屋を後にした。

名残惜しさに耐え切れず、去り際に部屋の中を覗いてみたが、そこにあったのは、
後ろめたさの欠片もなく、浜面に甘え続けるフレメアと、それを優しく受け入れる浜面の姿だった。

自分と居た時よりも、浜面が嬉しそうな顔をしている様に見える。

そんな有るはずの無い劣等感に苛まれつつ、絹旗は今度こそその場から立ち去った。












「あァァ、今思い出しても腹が立つンですよ、あの小娘。」


机を叩きながら絹旗が目を血走らせながら、黒夜に恨み言を口にする。

まあ気持ちも分からないでもないが、黒夜の聞く限り十分浜面だって配慮してくれている。
それでも我慢できないっていうのは浜面の言うとおり、年下相手は大人気がなさすぎるのではないだろうか。


「浜ちゃんだって一応は気使ってくれてんじゃん。子供のやる事なんだから許してやんなって。」


「納得なんて超出来ません!」


宥めようとする黒夜の言葉を一蹴し、絹旗は更に愚痴を続ける。



「大体、超何が『お姉ちゃんなんだから。』ですか。」


「こういう時だけ年齢の事を言うのは超ずるいと思います。」


「年齢の事言うんだったら、私だって麦野や滝壺さんより超年下なんですから、二人より優しくしてもらっても良いはずじゃないですか。」


「浜面が優しくないって言う気は超ありませんが、二人に比べて超特別扱いしてもらってるとは思えません!」


「それがフレメアなら超尚更ですよ。そりゃあ年齢はフレメアの方が超下ですよ?」


「でも私が浜面に甘えれるようになったのは超最近なんです!初めてあった時から超甘えっぱなしだったフレメアよりも、私が甘えられてた時間の方が超短いに決まってます。」


「浜面もそのあたりの事を超考慮してくれてもいいじゃないですか!」



止めどなく続く愚痴に、黒夜もいい加減辟易する。



「結局の所、絹旗ちゃんどうしたいのよ。何、フレメアをやっちゃおうとか、浜ちゃんに一泡吹かせてやろうとか考えがあるわけ?」


「そんなトチ狂った麦野みたいな真似、超するはずないでしょう。」



話を強引に進めようとして投げかけられた過激な言葉に、
絹旗は呆れたような溜息で応えた。


「さっきも超言いましたが、私はフレメアに超甘えるなって言ってる訳じゃないんです。ただやっぱり順番は超守るべきだし、浜面もフレメアを超特別扱いするのはやめるべきだって超言ってるんです!」



「だったら、そう言ってくれば良いじゃん。こんな所で愚痴ってないでさ。」



いい加減に面倒臭くなってきた。
こっちも他人の愚痴を聞く様な趣味はない。



大体フレメアを特別扱いしてるって言ってるけれど、自分と比べれば十分可愛がってもらってるじゃないか。
それが例え、自分が素直に甘えられていないのが原因だったとしても。


「超分かってませんね。」


素っ気ない反応を気に求めず、絹旗は勢いづいた調子で話を続けていく。


「直接浜面に言ったら只の我が儘みたいに超思われちゃうじゃないですか。そんな聞き分けのない超子供みたいな真似、超絶対に嫌ですよ。」


「だからこそ、黒夜に話にきたんです。」



黒夜に指を突きつけ、ようやく本題に入ろうとする絹旗だったが、
聞いている方からすれば、嫌な予感しか浮かんでこない。



「私が直接言えば超我が儘になる事でも、他の人の口から聞けばどうなりますか?」


『絹旗がその事で、超深く傷ついて、今にも泣き出しそうなぐらい超落ち込んでいた。超
可哀想だと思わないのか?』


「超こんな感じで言ってくれれば、超優しい浜面のことです。きっと私への対応を超後悔して、超優しく接してくれる様になりますよ!」


拳を握りしめて力説する絹旗の目は、希望に満ちて光り輝いている。
おそらくそれを見ている自分は、正反対の目をしているのだろう。


「と、いう訳で、超お願いしますね、黒夜。」


弾ける笑顔を浮かべ絹旗は黒夜の肩に手を載せた。



「いやさ、何となく予想してたけどね。ぜっっっっったい嫌だから。」


「まあまあ、超そう言わずに。」


拒否する黒夜に怯むことなく、絹旗は肩に置いた手を軸に、器用に体を回転させた。

あれよあれよと言う間に扉の方へ体を向けられる黒夜だったが、
てこでもその場を動かないと必死にその両足へと力を込める。

一瞬は踏ん張ったものの、その頑張りも、『窒素装甲』の前では無力に等しい。

ズルズルと押し出され、あっという間に部屋の外へと追いやられてしまう。



「じゃあ黒夜、あとは超任せましたよ!」


絹旗は必死に抵抗する黒夜を能力で一方的に追い出すと、こちらの反論も聞かずに宣告し、
部屋の戸を閉めて、自分の世界に引きこもってしまった。

一方的に閉められた扉からは、妄想に耽る絹旗のだらしない声が聞こえて来る。

おそらくフレメアに浜面を取られた時の絹旗もこんな感じで部屋を去っていったのだろう。

ただ一つ違うのは、黒夜の胸の中にあるのは、怒りや屈辱などといった感情ではなく、
全身の力を根こそぎ奪ってしまうような、筆舌し難いまでの呆れ、ただそれだけであった。


今回はこれで以上になります。

次も来週中には投稿できるよう頑張ります。


>>25

諸事情でエタったものですが、
一度だけ、禁書「十年後」という浜面ハーレムものでスレを建てたことがあります。


沢山のレスありがとうございます。

今回は少し短いですが、とりあえず投下します。



部屋を追い出された黒夜が浜面の元に向かったのは、
何も馬鹿正直に絹旗の願いを聞き入れたからではない。

ただ何となく、何となく浜面の元へ足が向いてしまった。

それだけの事だった。
少なくとも、今の黒夜が認めている範囲の中では。

「はあ…。」

扉の前で溜息を付きながら、ふと黒夜は、その『何となく』の理由について、考えてみた。



絹旗に言われたからではない。
だとしたら何故だろうか。

昔の自分なら、別にどこかに出掛けでもすれば良かった筈だ。
それが今では、この小さな家の中だけで居場所を求めてしまう。

一人で居るのが淋しくなったからだろうか。

随分と温い答えだが、あながち間違ってはいないだろう。



自分の事を迎え入れてくれたこの家の雰囲気に、自分は確実に毒されている。


この家には、他に第四位と能力追跡がいるが、
現状でこの二人と十分に打ち解けてるとは言い難い。
だから自分は浜面の所に行くのだろう。


他人事の様に出されたその答えは、黒夜自身にも嘘臭く感じられた。


では、これからこの家で生活し、その二人と当たり前の様に触れ合えるようになったとして、
浜面ではなくその二人のもとに行こうと思うだろうか。



考えれば考える程に、『何となく』の中身が、
『浜面に会いたいから』、になってしまう。


何故かそれが妙にイケナイ事のように思えてしまい、
黒夜はその答えを打ち消すように、強く頭を振った。


目の前にある浜面の部屋の扉にそっと手を当て、
音を立てないようにゆっくりと開く。

中を覗いてみれば、浜面がこちらに背を向け、
どっかりとあぐらをかいて、机で何か作業をしている。


声をかけるのがはばかられ、部屋に入るでも無く、
黒夜はただ浜面の背中を見つめていた。


…思えば、こんなにも一個人としての男性に視線を注ぐのは、
人生で初めての事なのかもしれない。


置き去りとして学園都市の所有物となり、実験動物として筆舌にし難い扱いを受けてきた。


目に映るものは全て敵。



イカレた科学者「達」
暗部にまで堕ち果てた屑野郎「達」
仕事で依頼された抹殺対象「達」


何時も何時も、自分の前に現れるのは、分類された「誰か」達だ。

勿論浜面だって初めはそうだった。


それが、殺し合い、共に戦い暮らすうちに、
いつの間にか、「誰か」ではなく、個人としての浜面仕上を見つめるようになっていった。



始めは敵意しか込められていなかったその視線には、段々と違うものが混じり始め、
今ではすっかり敵意以外の何かで満たされている。

生まれて初めて味わう誰にも聞けないこの感情。

決して不愉快でないその気持ちに身を委ね、黒夜は相変わらず浜面を見つめていた。

浜面はどうやら自動車関係の本を読んでいるようだ。
そう言えばロードサービスの仕事を目指して勉強しているという話を聞いたような気がする。



ページを捲る仕草、手に持ったペンを回す癖、
めいいっぱいに伸びをする両腕。

何てことないその仕草一つ一つが、黒夜の目を捉えて離さない。

今の黒夜を他の誰かが見れば、きっと浜面に遠慮して中に入らないのだと思うだろう。

だが実際は、中に入る事さえ失念するぐらい、浜面に見惚れているだけなのだ。



そもそも彼女には、絹旗やフレメアの様に、浜面に甘えるという発想が無かった。

今の黒夜海鳥にとって、浜面仕上が、その両目に映っている。

それだけで心が満たされていたのである。

「黒夜?」


「!?」

黒夜の気配に気づいた浜面がこちらを振り向き声をかける。

急に投げかけられたその言葉に、黒夜の全身が驚きに強ばった。


「どうしたんだ、そんな所で?」

胸の中に生じた言葉にしきれない程の喜びが、
黒夜に、浜面へ抱いている感情の正体をうっすらと分からせようとする。

「良かったらこっちに来いよ。丁度息抜きがしたかったんだ。」

入口で立ち尽くす黒夜に、再度浜面は声をかけた。

その声に操られるように、黒夜は覚束無い足取りで部屋の中へと歩を進めた。


とりあえず今回はこれで以上になります。

話の進みが遅くて申し訳ありません。




その言葉を理解するまでのほんの数秒が、黒夜にとっては永遠かのように思えた。

浜面は今なんと言ったのだろうか、と反復しようとする度に、
自らの胸をどす黒い何かが埋め尽くしていく。

ふと頭に浮かぶのは、浜面でも絹旗でもなく、何故か第四位の顔だった。

ああ、きっと麦野沈利も同じような感情を抱いてしまったのだ。

だとするならば、彼女の行動にも、
十分情状酌量が認められるべきなのではないだろうか。




ぼんやりとそんな事を考えている一方で、
彼女の脳は順調、かつ丁寧に情報を分析していってしまう。

絹旗は浜面に甘えている事、浜面がそれを受け入れている事、
その温情に付け入って過度とも思える接触を行っている事、
そしてそれは、何故かベッドの中でまで行われているという事。

冷静で明晰な黒夜が、十分な時間と情報を与えられた上での判断である。

暗部のリーダーを務めたほどの彼女が、私情で歪めた結論を出す事などありえない。

つまり、黒夜の脳内で繰り広げられている、この淫靡な光景は、
疑う余地の無い、確かな答えなのだ。





「…え、浜ちゃん、絹旗ちゃんと一緒に寝てンの?」



思わず漏れたその言葉は、自分が想像していたよりも数段低く冷たいものだった。



「ああ、たまにだけどな。」



その声に秘められた感情に気づくことなく、
浜面は事も無げに黒夜の問いに答える。



「『寝ぼけて部屋を間違えました』って感じでさ、布団に潜り込んできてから、恥ずかしそうに言い訳するんだぜ?」


「…まさか浜ちゃん、その言い訳信じてるとか言わないよね?」



あっけらかんとした浜面の答えに、言質を取る様に黒夜は念を押す。



殺気が漏れでないようにと、冷静さを装った彼女の努力は、
幸か不幸か功を奏してしまっていた。


「まさか!そりゃあ一回目ぐらいは信じたけどさ、さすがに同じ言い訳何度も繰り返されたら嫌でも気づくって。」



「へえ…そっか、まァそうだよねェ…」


一応作り笑いを浮かべていはいるものの、
頬の筋肉はピクピクと怒りで震えだしそうになっている。

そんな黒夜に、猶も気づかないまま、浜面は手を口にあてて微笑んだ。



「これがまた面白いというか、可愛らしいというかな。まあ聞いてくれよ黒夜。」


「そうそう、一度目は信じたんだよ。まあそんな事もあるかなって。」


「それで二回目、ちょっと違和感は感じたな。しっかりものの絹旗にしちゃ珍しいだろ?」


「まあ翌朝、寝ぼけまなこで『戻る部屋を超間違えました。』なんて言われたら何も言えなかったけどさ。」


「んで三回目、流石に俺もそん時には、多分こういう事だろうな、って思ってたよ。」



「だからあいつが潜り込んで来る時には寝たふりしてやってさ。で、入ってきたら手を握ってやったんだ。」


「一瞬ビクッってしてたけど、直ぐに強く握り返して来てな。次の日の朝には、しっかり手を握ったままで、
『戻る部屋を超間違えました。』って言い張るんだよ。」


「頭撫でてやったら、恥ずかしそうにそっぽ向いてたけどな。」


暗部のリーダーが殺気で全身を満たしているというのに、
全く気づかない能天気さというのも、ある意味才能と言えるかもしれない。


今迄あまり懐いてくれなかった妹分が積極的に甘えてくれるようになった。
その事を素直に嬉しく思うのも、兄貴分としての度量なのかもしれない。


しかしながら、その話を、未だ素直に甘える事が出来ない妹分の前で自慢げに話せばどうなるか、
予想すら出来ないというのは、些か残酷すぎると言わざるを得ない。



浜面の話を聞くうちに、黒夜の表情は、次第に能面が張り付いたかのような笑みになっていった。

だが、真正面から彼女の目をみれば、その内心では、
怒りというよりも、嫉妬の炎が燃え盛っていると、嫌でも気づいてしまう筈だ。


「…ちょっとそれは甘やかしすぎなンじゃない?」


決して声を荒げる事なく発されたその言葉に、どれほどの自制が働いていたか、
浜面には知る由もないだろう。


「そうか?まあ、でも今更断るのも可哀想だろ?」


「そうかもしンないけどさ、流石に能力追跡だっていい思いしないンじゃないの?」



至極真っ当な黒夜の指摘だったが、何故か浜面には伝わらないらしい。
両腕を組んで首を傾げ、黒夜の言葉の意味をじっくりと考えている。

そんな反応に焦れったさを感じたのか、浜面の返答を待たずに、黒夜は言葉を続ける。


「大体浜ちゃんが寝たふり何かしてるから、潜り込んでくるんじゃないの?」

「絹旗ちゃんなら起きてるって分かれば帰るだろうから、はっきり言っちゃえばいいじゃん。」


その言葉を聞いて、浜面はようやく口を開く。



「つってもなあ…」



相変わらずはっきりしない言葉だったが、黒夜はその続きを辛抱強く待った。




浜面の話を聞くまでは、軽率な行動は慎もうという思いからだが、
その思いが浜面に対しての信頼なのか、或いは浮気の言質を取ろうとする女性特有の手腕によるものなのか、浜面は勿論のこと、黒夜にさえも理解できなかった。


「いや、一度あったんだよ。俺が起きてる時に絹旗が部屋に来た事。」


「でも、そん時は流石に帰ったんでしょ?絹旗ちゃんは。」



問いかける黒夜の言葉に、浜面は黙って首を振ると、そのまま言葉を続ける。


「ベッドスタンドだけ電気付けて、本読んでた時だ。」



「まあいつもの様に絹旗が入ってきたんだ。部屋の電気が消えてたから気づかなかったんだろうな。」


「入ってきてすぐに俺と目が合ってさ、ビクってなった後で、凄く気まずそうに俯いたんだよ。」


「今までうやむやにしてた言い訳が、一気に通用しなくなったんだから、そりゃあ恥ずかしいだろうな。」


「でもこっちもそん時にはもう分かってたからさ。」










『ほら、入ってこいよ、絹旗。』


読んでいた本を閉じると、浜面は片手で布団を持ち上げ、
小さな女の子が入れるような隙間を作り出す。

俯きながらも、浜面から目を逸らせないでいた絹旗は、
その声に導かれるようにゆっくりと歩を進め、それでもベッドの前で足を止めてしまう。


『ほら、な?』


だが、間近で呟かれたその言葉は、
躊躇う絹旗の背中を、優しく、力強く押し出してくれる。



消え入るような声で「はい。」と答えると、
絹旗は浜面が作ってくれた隙間へと、自分の体を潜り込ませていく。


『すいません…浜面。』


小さな顔を真っ赤に染め、絹旗はおずおずと謝罪の言葉を口にした。


『気にすんな。』


自分に縋り付いてくる絹旗の頭を優しく撫でると、
浜面はベッドスタンドの灯りを落とした。

二人きりの空間には、その音が妙にはっきり響いた。










「なんか帰るどころか何時も以上にしっかりとしがみついて来たけどな。」

今回はこれで以上になります。

少し間が空いて申し訳ありません。

次回もなるべく早くに投下するつもりですが、来週中は少し難しいかと思います。

拗ねた黒夜書いた人?

>>295
はい、以前総合スレの方に投下しました。

十年後の他はそれだけです。


少し期間が空きましたが、きりの良い所まで出来たので投下します



「だって…私、今まで褒められた事なんて無くて、昔の研究所でも落ちこぼれみたいに…」



そう言った黒夜の顔には、驚きと戸惑いが入り交じっていた。

彼女にとって、他人から褒められるという事は、それだけ得難い経験だったのだろう。

だが、少なくともこれからは、自分が傍にいてやれるこれからは、
他人から褒められるという事を、当たり前で簡単な事にしてやらなければならない。

それこそ、真っ当な道を一生懸命に歩いている、ごくごく普通の人達と同じように。


「だったら、そいつらが馬鹿だったって事だよ。」



浜面は軽い調子ながらも、躊躇う事なく言い切った。

その迷いの無い言葉は、黒夜の心に絡みついた、
薄暗い過去の鎖を確かに砕いていく。


「そいつらの言葉を借りるんなら、俺だって落ちこぼれさ。」

「なんてったって学園都市お墨付きの『無能力者』だからな!」



自分が無能力者である事を、明るく笑い飛ばす浜面の言葉には、
ほんの僅かな劣等感も混ざってはいない。


「まあ、そう言う意味だと、俺が落ちこぼれっていう事に関しちゃ間違っちゃいないかもしれないけどな?」


だからどうした、とでも続きそうなその口調に、
流石の黒夜も、ムキになって否定するのがバカバカしく思えた。


「だけど、そんな落ちこぼれでも、人を褒める事は出来る。」

「勿論人に褒めてもらう事もだ。」

「その証拠に、黒夜の事、ちゃんと褒めてやれてただろ?」


悪戯っぽく微笑みかけた浜面の問いかけに、黒夜は反射的に頷きそうになった。

だが、幸か不幸か、黒夜の明晰な頭脳は、それを素直に認める事が、
どれだけ恥ずかしい事か気づいてしまう。


喉まで出掛かった言葉を強引に飲み込み、
それでも感謝の言葉を発してしまいそうな口に蓋をする。

だからといって、彼女が否定の言葉を出せるはずも無く、
ただ顔を染めたままで口をもごもごと動かしている。

浜面の方でも、その反応だけで十分だったらしい。

いや、いくら見返りを求めなかったとはいえ、
自分がしたことで黒夜がこんなに喜んでくれている事は、
浜面を少なからず、彼が想像していた以上には喜ばせていた。

思わず緩みそうになる頬を少しだけ引き締め、浜面は言葉を続ける。


「もしまだそれが信じられないんだったら。」

「今度は俺を褒めてくれよ、さっき黒夜が言ってたように、どんな小さな事でもいいからさ。」


どこか悪戯っぽく、そして嬉しそうに微笑む浜面の言葉に、
黒夜は戸惑いの色を隠す事なく問い返す。


「わ、私が…浜ちゃん…を?」


「ああ、落ちこぼれだって言われ続けた黒夜が、落ちこぼれだって言われ続けた俺を、だ。」


一人で歩く事が覚束無い幼子を支えるように、
浜面はゆっくりと黒夜の問いかけに答え、思考の道筋を導いていく。


「今じゃなくて良い。」

「俺の普段の生活を見ていて、何気なく褒めても良いって思えるような事があったら、その時でいいから。」



自分が誰かを褒める。

昨日までの自分には思いもよらなかったその行為に、
黒夜は当然のように困惑する。

しかし、その一方で、その言葉を聞くと同時に、
浜面に感謝しなければならない事が、湯水のように溢れ出してきた。

自分を迎え入れてくれた事や、信じてくれた事だけじゃない。

虫歯になった自分を気遣ってくれた事。

一人で時間を持て余していた時にただ黙って側にいてくれた事。

夜ご飯に自分の好きな物を作ってくれたこと。

眠れない時に話し相手になってくれた事。

彼がしてくれた些細な事の一つ一つが、
どれだけ自分にとって大切だったのか、黒夜は改めて実感した。



自分が浜面を褒めるなんて、凄くおこがましい事だというのは分かっている。

だが、それでも、黒夜は、今まで浜面が自分にしてくれた事の全てに、お礼を言いたかった。


「あ…」


どれから言えば良いのだろうか、
どんな言葉で言えば良いのだろうか、
そんな迷いが、ごく当たり前の様に黒夜の頭をよぎる。

まだ浜面と共に暮らすようになってから、それ程日が経った訳ではない。

それでも、自分の中にある全ての言葉を尽くしても、
この思い全てを伝え切れるとは思わなかった。


「あ…あのさ…!」


どれに対して、どんな風に言うかはまだ決められない。

だが黒夜は、『ありがとう』の一言を最初に言う事だけは決める事が出来た。


「あ、あ、あり、がとう…浜ちゃん。」


緊張を隠せずに伝えられた黒夜のお礼に、浜面はただ笑顔で答える。

そして、それは、浜面の顔を見て、きちんお礼を伝えた黒夜の目にも、はっきりと映った。

伝えられた達成感、次に繋げる言葉を決めなければいけない焦り、浜面が喜んでくれた嬉しさ。

その感情の渦は、彼女にとって好ましいものには違いなかったが、
黒夜が制御するには、あまりにも大きかった。

彼女の体から言葉を奪ってしまうには十分すぎる程に。



「その…えと、あ…」

どんな事でも良いから言葉にしないと、
黒夜がそう焦れば焦るだけ言葉はこぼれ落ちていく。
少し落ち着いて考えを整理しようと思っても、
頭を占めているのは、浜面にしてもらって嬉しいと感じた事の全てである。

思考の矛先をどこに向けても、今の黒夜の頭の中には、
彼女が落ち着ける場所など、存在しなかった。

当然ながら、本人としては意外だったかもしれないが、
それを見守る浜面にも、黒夜の感情は手に取るように解っていた。


「ありがとうな、黒夜。」

くるくると目を回す黒夜を愛おしく思いながら、浜面は感謝の言葉を口にする。

例え上手く言葉にできなくても、黒夜が自分にしてくれた事は、
彼女にとっても大きな大きな一歩になった筈だ。

その一歩を自分と一緒に踏み出してくれた事に、
浜面は「ありがとう」と言わずにはいられなかった。

無理しなくても良い、と浜面が口にしようとしたその時、
彼の手の下にある、小さな黒夜の体から、消え入りそうな声が聞こえてくる。


「は、浜ちゃんは…私、だけじゃなくて、み、皆の事もちゃんと見守ってくれて…」

「気遣ってくれ…て、さ、支えてくれて、優しくて、頼りになって、いつも、いつも頑張ってて…」


些細な物音でかき消されてしまうような小さな声、
それでも浜面には、彼女の声がはっきりと聞こえていた。

まるでそれを遮る雑音が、彼女を思って声を控えているかのように。


「だ、だから!は、浜ちゃんも…良い子、だと思う…よ。」



言い終えた後で、二回、三回と黒夜は深呼吸をする。

その後で、彼女は目を俯かせ、ふいっと顔を逸した。


「…ありがとうな、黒夜!」

そう言いながらも、浜面は少しだけ黒夜が横を向いてくれているのを有難いと思った。

自分の想像以上にだらしなく緩みきった顔を、彼女に見られなくて済むのだから。

今回はこれで以上になります。

絹旗もタイトル詐欺にならない様、出せるように頑張ります。


あまり長くはありませんが、続きが出来ましたので投下します。


「…あんたとこんなふうに過ごせるようになるなんてね。」

つまみに箸を付ける浜面を眺めつつ、麦野は感慨深そうに呟く。


「元に戻っただけだろ?前みたいにさ。」


それが当たり前なんだとでも言いたげに、
浜面は素っ気なくも見えるぐらい、軽い口調で応える。

だが麦野は、浜面のそんな様子に嬉しそうに微笑んだ後で、はっきりと首を振った。



「嘘、前はこんな風にしてくれる事なんて無かったじゃない。」


肩を抱いている浜面の手に自らの手を重ね、甘えるような声で笑いかける。


「まあ…そりゃあそうかもしれないけどよ。」


一瞬顔に浮かんだバツの悪さを振り払うと、浜面はそれを誤魔化すように反論した。


「それを言うならお前だってそうだろ?こんな風に料理を作ってくれる事なんて無かった。」


彼なりに多少恨みがましく言ったつもりだったが、
麦野の方は「あら?そうだったっけ。」とだけとぼけて愉快そうに笑っている。


もう酔ったのだろうかとも思ったが、流石に一杯でこうなる程麦野も弱くない。


「ああ、そうだったよ。絶対に無かった。」


このまま流されるのも癪なので、浜面はもう一度だけ同じ言葉を繰り返した。


「まあ…作りたくても作れなかったからね、人に…浜面に自信を持って食べてもらえる料理なんて。」


その言葉を言うと麦野は自嘲するような笑みを浮かべる。

本当なら麦野だってそうしたかった。
好きな男の為に料理を作り、美味しいと言ってもらう。

そんな恋する乙女にありがちな願望ぐらい、昔の彼女にだって備わっていた。


暗部組織のリーダーとしての責任、学園都市第四位としてのプライド、
そんな物のせいで、表に出すどころか、自分自身が認めることさえもしなかったが。

だが今は違う。

押し付けられた肩書きや順位に縛られるよりも、
自分の素直な気持ちを大切にする事の方が、もっと大事だと気づくことが出来たから。


「まあ…でもこれが前に進むって事じゃないの?」


浜面は昔に戻った、という言葉を良く使う。

血まみれな非日常を過ごしていながらも、
楽しい日常というものは、ほんの僅かな時間、確かに存在した。


年相応か、あるいはそれよりもう少し過激に馬鹿をやり、
立場やレベルも考えずにいられたその時間は、まさしくアイテムにとっての青春だったのだろう。

しかし、自分や滝壺、絹旗にとって、それは戻るべき場所というには少し違和感があった。

その日常とはあくまでも暗部の生活と不可分な物であり、
血みどろの非日常の一部でしか無かったのだから。

それを戻るべき日常だと浜面が言えるのは、
やはり浜面が本質的には表で生きていくべき人間だったという事だ。


だが、浜面の言う、「昔」に戻って生きていくのは、
ずっと裏で生きていた自分達にとって、また別な意味を持っていた。

今までとは全く違った価値観の中で、
穏やかな日々をまばゆい光の注ぐ表の世界で生きていく。

それには各々が今いる場所から、
一歩でも前に踏み出さなければならなかった。

例えそれがどんなに小さな一歩でも構わない。

真っ当な価値観の真っ当な日常の中で、
日々を良くするため、それぞれの願いを叶えるために、
自分自身の努力で、一歩でも前に踏み出さなければならかった。


「絹旗は前より素直になった。」


「黒夜はちゃんと歯を磨くようになった。」


「滝壺はあんたとの関係をどんどん深めていってる。」


そこまで言うと麦野は言葉を切り、浜面にからかう様な目を向けた。


「あんたら二人が一緒に寝るようになるなんて、昔は絶対に有り得なかったじゃないの。」

「昔に戻った、とか言ってても、何だかんだで前に進んでるのよ、私たち全員。」


そう言いながら、麦野は浜面の為に作ったつまみに箸を伸ばす。



「ほら、あーん。」


一番の自信作をつまむと、溢れないように手を下に添え、そのまま浜面の口元に近づけた。

その行為に、多少は恥ずかしそうな表情を浮かべる浜面だったが、
二人きりなんだからこれぐらい良いでしょ?という麦野の言葉に押し切られ、
渋々といった風に、差し出されたつまみを口に含んだ。


「旨い…」


思わずその言葉が漏れる程、麦野の料理は美味しかった。


「そうか…俺達はちゃんと前に進めているんだな。」


浜面は、ため息混じりにそう呟いた後で、愉快そうに、そして嬉しそうに微笑んでいた。

そこから何度かの酒杯を重ね、つまみの数も残り少なくなって来た頃、
浜面は思い出し方の様に、麦野へと問いかける。


「なあ、お前から見て、俺はどんな風に前に進んでるんだ?」


「んー…?」


既に酔いが回っているのだろう。

麦野は頬を染め、瞳を潤ませながら、
浜面の問いへの答えを素直に考え込んでいる。


ともすればだらしなく見えるその仕草が妙に可愛らしく、
答えが出るまでの間、麦野の頭を撫でてやる事にした。

気持ちよさそうに身を悶えさせるのは絹旗達と同じだが、
麦野がやると、妙に艶かしく色気を纏って見える。

喜んでくれるのは嬉しいが、
これでは答えを貰えない上に、こちらも何やら妙な気分を掻き立てられてしまう。

後ろ髪を引かれながらも、浜面は手を彼女の頭から離した。


名残惜しそうにこちらを見つめる麦野の目が、妙に罪悪感を引き立てる。

しばらく口を尖らせていた麦野だったが、
このままこうしていても浜面の手が戻ってこない事に気づいたのか、諦めたように口を開いた。


「ロードサービスの勉強だってしてるんだし、それで十分とは思うけど。」


「…そう、優しくなったかな、前よりも、ずっと。」


今回はこれで以上になります


次回もなるべく早く投稿します

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