上条「まきますか? まきませんか?」(808)

この正月くらいにVIPでスレを見つけ、徹夜明けのノリで書き始めて、結局息が続かなかった上条&真紅ものです。
なんとかプロットくみ上げたので、せっかくなのでこちらに公開したいと思います。
焦ってやると二の舞になりますので、ゆっくりとやっていきますがご容赦を。

上条と真紅が交差するとき、物語が始まる、というところで。



 体育館に足音が響いていた。

 板張りの、広い空間だ。周囲に多少の生活音があろうとも、音が反響することに違和感はない。

 なにより、そこは元より運動するための場所である。足音はもはや必然と言えよう。

 しかしそれは誰が見てもおかしな状況であった。

 足音は、広さに反して2つでしかない。

 時刻は、もうすでに暗い時刻。

 にも関わらず、照明はひとつも点いていない。

 そして何より、破裂音や刃が空を斬る音が幾度も響いている。

 通常の使用意図とは明らかに逸脱した、異質。

 それを為したのは、当然、響く足音の主たちである。




「っ!」

 少女は床を強く蹴った。

 一瞬遅れて、顔の左真横を敵の一撃が上下に通り過ぎていく。

 ひゅん、という空気を切り裂く音が、耳元でパチパチと鳴る―――己の能力の余剰エネルギーによるものだ―――電気の音と混じり、切られた髪の一房が空を舞った。

「このっ!」

 罵声ギリギリの声とともに、少女の体から青白い電光がほとばしり、彼女を中心に放射状に放たれた。

 敵は大上段からの一撃を仕掛けた直後だ。通常ならば避けられるはずがない。

 しかし。

「ふっ!」

 敵は小さく息を吐き、慌てることなく己の武器を床に突き立てた。

 敵の武器は、何の冗談なのか、鋭く大きな鋏。そんなものを自在に操り、少女を攻撃し続けているのだ。

 片方の刃が床に刺さる一方、90度の角度を保持したもう片方の刃―――その先端が、撒き散らされる電流に向いた。


「っ!」

 電気的特性に従って、電撃は鋏の先端に集中し、そのままアースのように床に流し散らされる。

 一瞬にして攻撃を無力化された少女。敵が鋏を床から抜くタイムラグを追撃に使うのではなく、間合いを外すための跳躍に消費する。

 床を蹴る音が再び響き、ショートカットというにはやや長く、セミロングにはまだ短い茶色がかった髪が、相対的な風に小さく揺れた。

 助走なしで数メートルを稼げたのは、能力で筋肉への電気刺激を補正強化しているためだ。いまの彼女の身体能力は、通常の人間よりもずっと高い。

 にも関わらず、前髪から覗く彼女の瞳には、強い焦りが満ちていた。

 視線の先で、敵が鋏を構えなおした。

 子供のような―――下手すれば幼児とも見えそうな小さな身体に、それよりも大きかろうという鋏。

 高い窓から入る見事な月影に浮かんだその姿は、まるで死神の様。

 そして、


「はっ!」

 死神の踵が、タン、と床を鳴らす。

 稼いだ数メートルを一気に食いつぶし、敵の鋏が少女の眼前に迫った。

「っっっ!」

 驚きの声をあげる暇なく、少女は身を捻る。

 動きについていけず、空に取り残された制服の襟元が、突き込まれた鋏の先端に引き裂かれた。

 常盤台中学校。

 この都市に住む者ならば知らない者はいない名門校の制服が、少女の身からどっと吹き出した汗に濡れる。

 いま回避できたのはただの偶然に過ぎない。本当なら、いまので終わっていたはずの一撃だった。

 そして、それを為した相手はいまだ目の前だ。

 薄闇に浮かぶ敵の瞳。左右で異なるオッドアイ。それに見据えられ、少女の心に今こそ本物の恐怖が巻き起こった。


「わあああっ!」

 生存本能が叫びを生み、体を動かした。

 逃げの一手だったはずの脚が力強く踏み出され、振り上げた両手に電撃が集約する。

 力を周囲に放つのではなく一点に集中させたその掌を、少女はオッドアイの死神にたたき付けた。

「!」

 追撃の予備動作に入っていた敵は、予想外の反撃に目を見開いた。

 辛うじて持ち上げた鋏で少女の両手を受け止める。だが先ほど利用した電気的特性が、今度は牙を剥いて己に襲い掛かった。

 鋏を通し、苛烈な電撃が体を貫いていく!

「ああああああっ!」

 大きく空間が弾け、バン! とオッドアイの小さな体が吹き飛ばされた。

 体勢制御もままならないず、板張りの床にたたき付けられ、ゴロゴロと転がる。

 手から離れた鋏が僅かに遅れて床に落下し、ガチャリと金属的な音をたてた。




「はあっ、はあっ、はあっ」

 少女は己の攻撃の結果に半ば信じられない表情。衝動的な行動だったため、目の前のことに現実感がない。

 だが現実に相手は倒れ伏し、ぴくりとも動く様子を見せなかった。

「・・・・・・」

 大覇星祭が終了して数日。

 祭の規模が大きければ、それに応ずるように、後片付けもまた大騒ぎになるのが道理と言うもの。

 今日はその片付け最終日であり、明日からはその振替の連休だ。

 この体育館の片付けを担当していた少女はつい気が緩み、体育館の日だまりで眠ってしまっていたのだ。

 日が沈んだ気温の低下で目を覚まし、迫る門限とほっといて帰った同級生たちに恨み言を言いながら体育館を出ようとしたところに、いきなり襲い掛かってきたのが、このオッドアイだった。

 強制的に始まった戦いは、終始こちらの劣勢。この結果は、本当に偶然と偶然が重なったものだと確信できるものだった。

 だが、一瞬だけ少女の顔に浮かんだ安堵の色は、

「へー、すごいのね。この子を倒しちゃうのは流石、かな」

「!」

 不意に響いたもう一つの声によって、再び緊張に彩られた。


 少女と同年代の高い声。

 右に転じた視線の先には、閉じた体育館の出入口ドアに背をつけた、セーラー服姿の女。

 オッドアイとともに現れ―――しかし戦闘には介入しようとしなかった者だ。

 青い月光に照らされ、後ろ手に手を組んでこちらを見つめている彼女の口元には、嘲りとしか見えない笑みが浮かんでいた。

 ぎっ、と歯を噛み締め、セーラー服に向き直る少女。あわせて、己が能力を発動。

 汗で頬に張り付いた髪が、電流にバチバチと鳴りはじめた。

「なに余裕こいてんのよ・・・次はあんたの番だからね」

「へぇ?」

 その言葉に、セーラー服がドアから背を離す。

「!」

 ゆらり、としたその動きに、少女は自分の体が強張るのを感じた。

 セーラー服の笑みが深くなる。

「ふふっ、そんなに警戒しないでほしいわ。はっきり言ってワタシじゃ勝負にもならないから。ワタシ自身は無能力だからね」

「・・・・・・」

 そんな、この都市では圧倒的な不利を意味する言葉を告げながらも、セーラー服は笑みも余裕も崩さない。


 警戒をまったく緩めない少女に肩を竦めるセーラー服。次いで、顔をいまだ倒れ伏したオッドアイの方に向け、

「蒼星石、大丈夫かしら?」

 と、言った。

「・・・く・・・は、い・・・マスター・・・」

「!」

 その声に応じて僅かに身じろぎするオッドアイ。

 少女は慌ててそちらに視線を向けるが、セーラー服への警戒を緩めるわけにはいかない。

 対するセーラー服はそんな少女の様子をまったく意に介していないように、言葉を続けた。

「いいわ。少し休んでなさい。この女はワタシがなんとかするから」

「はい・・・もうしわけ、ありません・・・」

 オッドアイは言葉を返し、そのまま力つきたように再び動かなくなった。

「・・・・・・」

 少女の両目がセーラー服に向く。

 オッドアイがしばらく動けないのは間違いなさそうだ。 

 だったら、いまのうちにこいつを倒してしまえば・・・

 少女の腰が僅かに沈み、拳が握り締められた。


 一足で跳び込み、拳を叩き込む。

 電撃ならば光速で相手を射抜けるが、オッドアイが使ったような方法で回避される可能性がある。

 この状況で確実に勝負をつけるには、直接攻撃の方がいい。

「・・・・・・」

 脚に微細電流を流し、筋力を強化する。

 そして、ぐっ、と力を篭めて跳び掛かろうとした―――その直前。

「そうそう」

「!」

 くるり、とまるでそれを読んでいたかのように、セーラー服が少女に向き直った。

 出鼻をくじかれ、踏み出しかけた脚がとまる。

 セーラー服はクスクスと笑いながら、

「これ、なーんだ?」

 後ろ手にしていた両手のうち、右手だけをゆっくりと少女に差し出した。


「・・・・・・」

 少女は構えをとかないまま、そこに視線を向ける。

 突き出されたその手にあるのは、

「・・・なに考えてんのよ、あんた」

 忌ま忌ましそうに、少女が言った。

 20㎝にも満たない小さな人形。

 セーラー服の手にあったのは、そんな物だった。

 陶器のような材質なのか、艶やかな表面が月の光で濡れている。

 だが少女が不愉快そうに眉をしかめているのは、セーラー服の態度でも、場違いな物を差し出されたことに対してではない。

「なにって、お人形よ? 人形遊びとか、嫌いかしら?」

 楽しそうに小首を傾げる。ほらほら、と小さく人形を振る態度がさらに堪に障った。

「ふざけんじゃないわよ! あんた、そんなもん出してなんのつもり!?」

 バチバチッ、と電撃が弾ける。


 少女が激高した理由。

 セーラー服の持つ人形は、まるで生き写しのように少女にそっくりだったのだ。

 いま着ている制服も、髪型も、髪留めすらもまったく同じ。

 このまま大きくすれば、間違い探しにだって使えそうなほどの精巧さがある。

 この様子ではおそらく、制服の下も完全に揃えているに違いない。ちらりと見えたスカートの中身から考えても、間違いなさそうだ。

 余程に入念に観察をしなければ、とても造れそうもない精度である。

 いつから自分を観察していたのか。ずっと見られていたのか。

 そう思うと、ぞっとするどころの騒ぎではない。

 だが、怒りと怖気の混じった少女の視線を真正面から受けても、セーラー服の笑みは陰りなかった。

「ねぇ、アナタは偶像の理論って知ってる?」

 それどころか、まったく悪びれない調子でそんなことを言ってくる。

「・・・・・・」

 少女は反応しない。

 それに構わず、セーラー服は続けた。


「簡単に言うと、似た物には本物と同じ力が宿るし、その逆もあるって理論なんだけど」

 一息。

「まぁちょっとしたおまじないよね。そんなの完璧にできちゃったら、神様だって堕ちてきちゃうもの。普通はできないし、できても0.00000何%くらいの力にしかならないのよ」

「・・・・・・」

「まぁそれはそれとして・・・いまの理論とこのそっくりな人形。これでワタシの言いたいことわかってくれると嬉しいんだけど」

「・・・その人形が私で、私はあんたの手の中だって言いたいの?」

「んー、半分正解かな。前半分はね、そういう意味。これは、このお人形は、アナタ」

 つん、と人形を持つ手の親指で、精巧なその顔をつつくセーラー服。

「でもさっき言ったわよね。そんなの普通じゃできないし、できても弱っちいの。・・・だったら、普通じゃない場所でなら、どうだと思う?」

「・・・・・・」

 少女は息を吸い込み、再び腰を沈めた。

 もうこんな無駄話に付き合うつもりはない。こうしている間にも、辛うじて無力化したオッドアイの回復が近づいてしまうのだから。

 電流が筋肉に干渉し、力を蓄える。

 一撃の準備に入った少女を見ても、セーラー服は慌てない。


「ではここで問題です」

 変わらぬ笑みを浮かべた彼女はいったん言葉を切り、

「さっきからアナタは蒼星石とドンパチしてきましたが、なんでこの体育館には傷がついていないでしょう」

 と、言った。

「!?」

 思ってもいなかったことを告げられ、瞬間的に少女の脳裏に疑問が浮かぶ。

 視界に映る範囲では、確かに、まったく壊れた部分がない。

 戦いの最中にはそんなことを気にする余裕がなかったが、これは明らかに異常だった。

 オッドアイの鋏でも床板は割れるだろう。壁も削れるだろう。

 だが自分の電撃の威力なら、もうこの体育館は全壊していてもおかしくないのだ。

「・・・・・・」

 普通の、体育館じゃなくなっていた。


 そして先ほどの言葉。

『似た物には本物と同じ力が宿る』

『このお人形は、アナタ』 

『普通じゃない場所でなら』



 ・・・そんな、馬鹿なことが



 その疑惑が意識の空白を生み、跳び掛かる動作を一瞬だけ遅らせる。

 それが明暗をわけた。

「大丈夫よ。それにしたって、ほんの数%だから」

 セーラー服の少女が軽く告げ、人形を床に落とした。

 間髪を入れず、右足で踏み砕く。



 暗い体育館。

 悲鳴が上がり、続いて、人の倒れる音が響いた。



それはいつも通りのある日のことであった。
上条当麻はベランダに布団を干そうとすると、ある一通の封筒が置かれている事に気付いた。
最初は風で吹き飛ばされてきたのだろうと思ったが、封筒には”上条当麻様”と書かれており、その他には住所も差出人の情報すらも書かれてなかった。
「何だこれ?…別に自分の名前宛てなんだから開けてもいいよな…」
そんなことを思いつつ封筒を開けてみるとそこには一枚の紙が入っていた。
中身を読んでみると
「おめでとうございます上条様!!!貴方は54128人の中から厳正な抽選にて選ばれ、『幻想御手(レベルアッパー)』を獲得することができる幸運な学園都市の人です!!!
チェックをしたら、そこから外へこれを紙飛行機の形にして飛ばしてください。人口精霊ホーリエが異次元より貴方の手紙を回収に参ります。」
その手紙の最後には”まきますか まきませんか”と大きな文字で書かれていた。
「新手の詐欺か?全く、上条さんはこんな面倒な事に付き合ってる暇なんかないってのに…」
そんな独り言を呟きながらも、手紙に書いてある”幸運な学園都市の人”という文字列に思わず目を奪われてしまい、ふとした思いで”まきます”の方にチェックをして、紙飛行機の形に折り外へと投げた。
「こんな事で能力者になれたら上条さんは今頃不幸じゃないですよ…」
そんな事を思いながらも上条は心の奥底で何かを感じていた。
新たな何かを---




 布団を干し終えた上条は、一度大きく伸びをして、秋の空を見上げた。

「大覇星祭も終わったし、旅行先のゴタゴタもなんとかなったし、しばらくは静かだといいんだけどな・・・」

 呟きながら、ここ数ヶ月のことを思い出す上条。

 気がついたら記憶がなくて、同居人が増えてて、魔術師の知り合いが出来てて、数日ペースで命のかかる様々極まりない騒動が気軽に巻き起こる日々。

 そんな思い出というには新しい記憶が、吹く秋風とともに上条の脳裏を通り過ぎていく。

「よく生きてるよなー、俺・・・不幸だ」

 数ヶ月前に件の同居人がひっかかっていた手摺り。そこにに手をかけた彼の口から、割と本気の感想がついてでた。

 言葉だけなら、自分の境遇を歎く一言。

 だが、彼が浮かべているのは、やや苦笑が混じっているが微笑みに属するものである。


 自分の境遇を嘆き恨む者には、決して出来ない表情だった。

 それに彼は気づいているのかいないのか。

「さて、じゃあさっさと洗濯物を干しちまうかな」

 ともあれ、上条はもう一度伸びをしてから、部屋に戻る。

 まだ一日は始まったばかりで、今日のうちにやりたいことは多いのだ。

 そうして一歩、ベランダから室内に脚を踏み入れた上条を待っていたのは、



 右足の小指がちょうど当たる位置に置かれていた、大きな鞄であった。



「へ?」

 そんなところに鞄が置いてあるなど、想像していない。

 だから彼の右足は、まるで吸い寄せられるようにその鞄に向かう。

 それも綺麗に小指が当たる角度で。

 コツン、とかわいらしい音とともに、

「っっっ!」

 上条は、右足を押さえてのたうちまわることとなった。



「な、なんだこれ?」

 上条はひとしきりもがいた後、涙目で鞄を見下ろした。

 痛々しく腫れが上がった指も気になるが、いまは鞄である。

 ついさっきまでこんなものはなかったはずだ。ついでに、こんな鞄を持っていた覚えもない。

「・・・じゃあ、インデックスのか?」

 自分ではない以上、可能性があるのは同居人の私物ということ。

 しかし彼の同居人である腹ペコシスターは、こんなもの持っていなかったはずだ。

 いまでこそ多少の私物は増えたものの、基本的に生活用品くらいしかないはずである。

「高そうな鞄だし、それはないか。小萌先生からもらったのかもな」

 インデックスにも、当の上条にもこういったものを購入する機会も財力もない。

 ついでにこの町の半不正規滞在者であるインデックスには、バイトして稼ぐこともできないはずである。

 可能性があるとするなら、誰かからのもらいもの、というところだろう。

「でもおかしいな。さっきまでこんなの置いてなかったはずだけど・・・」

 不思議そうに首を傾げる上条。


 件のインデックスは、朝早くから小萌の家に出掛けている。

 なんでも買い過ぎて賞味期限ギリギリの食材を一気に片付けるためにインデックスの力を借りたいとのことだった。

 そういう話に食欲最優先の彼女が動かないわけがなく、今日は泊まり込みで食べてくるらしい。

 いままで何度か泊まりに行っているが、そのたびに手ブラなのを気にして小萌が用意してくれた可能性は十分にあった。

 おそらくお泊まりグッズを詰めて、しかし普段の習慣どおりに手ブラで出掛けたのだ。

 ただでさえインデックスである。食事が用意されている状況下なら、その辺りが抜け落ちても不思議はない。

「せっかく用意してくれたのに忘れていってどうするんだよインデックス・・・」

 と、上条は呟いた。

 彼の中で納得のいく理由が思い付いたせいで、もう鞄が誰の物かということはほぼ決定状態になってしまっている。

 床の上に置いてあることも、何らかの勘違いで気がつかなかったのかもしれない。

 普通はこんなものが床においてあれば100%気がつくに違いないが、ここは学園都市だ。

 誰かが外でおかしな能力を使って、その余波が出たのかもしれない。

 場合によっては、高価な鞄をもらった鞄インデックスが後ろめたくて何かしらの魔術でも使って隠していたのかもしれない。

 彼女は魔術は使えないと聞いているが、いままでも何度か戦闘でそれらしいことをしていた記憶がある。

 純然たる魔術といえなくてもそれらしいことが出来ても不思議はなかった。 それが何かの拍子に、自分の右手に触れたのだろう。


「どうするか・・・っても、届けてやるべきだろうなこれは」

 気がついた以上、それをそのまま放っておくのは性にあわなかったし、何より上条家の経済破綻をギリギリで回避していられるのは、小萌の食事会によるところが大きい。

「義理と人情を欠いては浮世は渡れないと思うのですよ上条さんは」

 呟きながら、鞄の取っ手に左手をかけた。

 かなり大きい鞄だが、力には多少自信がある。それに中に入っているのはおそらくタオル程度であろう。

「よっ、と」

 上条は一気に持ち上げようとして、

「!?」

 ズシリ、と予想外の重みが腕にかかった。

 完全に軽いものと信じていた上条だ。勢いがあまって、体勢が一気にまえのめりになる。

「お、わ、たっ」

 左手が無意識に鞄を離す。僅かに浮いていた鞄は床に落ち、代わりに重量感の消えうせた彼は、堪えるどころか一気にバランスが崩れた。

「っ」

 軽くなった彼の上半身が反射的にのけ反る。だがバランスに調整がついていかない。

「うわっ」

 それでもなんとか体勢を立て直そうとして脚を踏み出す上条。だがその足が、いましがた干そうとして床に投げていた薄手の掛け布団を踏み付けた。

 ずるり、と脚が滑り、視界が反転する。

「ふ、不幸だぁっ!」

 彼の嘆きの声が響き、その一瞬後、床に頭が激突する音がこだました。



「いてててて」

 湿布を貼って包帯でぐるぐる巻きにした右手で後頭部に保冷剤(上条家冷凍庫に入っている唯一のもの)を押し当ててながら、上条は鞄の前に腰を下ろした。

 鞄を持ち上げようとした、ただそれだけで、彼は後頭部強打と右手首捻挫という負傷をしてしまっている。

 負傷自体は悲しいことによくあることで、応急手当も慣れたものであった。

 それよりも、いまの彼はもっと重要なことがあるのだ。

「まったく、なにが入ってるんだこれ?」

 ポン、と左手で鞄を軽く叩く。

 持って行こうと思ったが、予想外に重いものだ。

 左手だけで持ち上げるのは、小萌の家までの距離を考えると、少々きつい。

 となると、残る方法は中身を見て、無用なものを出すしかまい。

 この段階に至って『持って行かない』という選択肢が出てこないところに、彼の人の良さが伺えた。

 ついでに、小萌の家に電話してインデックスに確認するという点に気がつかないあたりに、彼の単純さがわかる。

 さらに言えば、そもそも女の鞄を開けようとするな、と言う点に考えが至らないところに、彼のデリカシーの無さと鈍感ぶりが計り知れよう。


「えーと、留め金留め金っと・・・」

 などと言いながら、無事な左手で取っ手の脇にある留め金に指をかける。

 軽く動かすと、パチリ、と存外に軽い音をたてて留め金は外れた。

「鍵、かかってなくてよかった」

 かかっていたらお手上げだったに違いない。

 流石の幻想殺しも錠前を壊すことなんか出来ないし、何よりいまは包帯で皮膚が完全に隠れるほどぐるぐる巻きである。

 よかったよかった、等と呟きながら鞄を開ける。

 ギギギ、と小さな軋みとともに開き、徐々に見えてくる中身を見た上条は、

「え」

 カシッ、とその動きを止めた。

 彼が予想していた中身は、連れていったスフィンクスのためのネコ缶や、小萌の家でするためのゲームソフト(蔵上条家)が大量に、というものだった。

 だから、動きを止めるのも無理はない。

 中に入っていたのは、それこそ美術館に飾られていそうなほどの、綺麗な人形だったのだから。


 驚きと、人形の持つ息を呑むほどの美しさに、数呼吸。

「な、なんだこれ。こんなの、先生んちに持って行くつもりだったのか?」

 再起動した上条は、左手を鞄の取っ手にかけたまま、眉を潜めた。

 鞄の中には、本当に人形しか入っていない。予想していたネコ缶もゲームソフトもなく、ましてやタオルも着替えもなかった。

 そもそも身を丸めるようにして入っている人形だけで、鞄はいっぱいいっぱいである。これ以上何を入れるスペースはない。

 とはいえ、鞄そのものの装飾や大きさ、そして人形の『収まり具合』から考えて、明らかにこの人形専用の鞄に思えた。

「西洋人形・・・ってやつだよなこれ」

 鞄を完全に開けてしまい、つんつんと左人差し指で人形の頬をつつく。

 陶器のような硬い、しかし人の肌に吸い付くような不思議な質感を指先に感じた。

「小萌先生がこんなのをインデックスに? いやでも、だったらこれ持って行く意味わからねぇし」

 顔を上げ、腕を組む上条。

「だったらやっぱりインデックスの私物か・・・あいつ、いつのまにこんなもの」

 正直、インデックスの趣味とは思えなかったが、こうなるとそれ以外の線が考えられない。


 『記憶のあった上条』の私物という線もあったが、それはとりあえず否定することにした。

 いやその趣味そのものをどうこう言うつもりはないし、偏見もない。

 ただ、以前に失った記憶を補完しようと、自分のアルバム等を探したときには、こんな鞄は見当たらなかったというだけである。

 それに、インデックス自身はあまり快く思っていないようだが、彼女にも一応故郷があり、その知り合いがいる。あの炎の魔術師や破れジーンズの魔術師が持って来ることだってないとは言えないのだ。

「明日、帰ってきたら聞いてみるかな」

 いま、それを確認する方法はなさそうである。

 上条はため息をつき、ふと、鞄の中で眠るような人形に目をやった。

「・・・でも、インデックスはこういう色が好きなのか。あいつシスター服だから、白以外のイメージなかったけど」

 そしてもう一度、つん、と人形の頬をつつく。

「こんな赤色の人形を持ってるとはねぇ」

 彼の言葉どおり、人形は全身で赤を纏っていた。

 洋服は言うに及ばず、ヘッドドレス、襟元の薔薇、履いている黒色の靴すらも光の加減によっては赤みを帯びて見える。

 異なる色と言えば、髪の金と肌の白くらいだろう。

「赤と白と金色でめでたしめでたしってところですか」

 極めて日本人的発想を口にする上条。

 いまだ日本の文化に馴染みの薄いインデックスにそれはないにしても、上条的には白い少女が赤い人形を抱いている情景は妙に縁起がよいように思えたのだった。


「あ、そういや大丈夫かな」

 覗き込むようにして人形を見ていた彼の顔に、若干の緊張が浮かぶ。

 彼が危惧しているのは、さきほどの開けようとして転ぶ事件を思い出したからだ。

 この鞄、転ぶ直前に手を離した拍子に、けっこうな勢いで床に落ちたような気がする。

「まずい、どっか壊れてたら・・・」

 これがそう安いものではないことはアンティークや芸術に疎い上条にも容易に想像できた。

 たとえ安価なものであったとはいえ、インデックスのお気に入りには違いない。

 ほとんど食べ物以外をねだらない彼女にして、その何倍もしそうな装飾の一品である。 それに傷をつけてしまえば、彼女はどう思うだろう。

 頭を噛まれるくらいならいいが、もし泣かれたりしたら切腹→火葬ものだ。

 いや、上条が自主的にしなくても、たぶん二人の魔術師が強制して来るに違いない。

 それに上条としても、そんな心が痛い事象は避けたかった。


「ちょ、ちょっとだけ確認を」

 頬に汗でも伝っているような感覚で、上条は人形に手を伸ばした。

 もし傷がついていても修理できるものではない。それでもこういうことは、気になりだしたら確認するまで止まれないのだ。

 傷がついていなければよし。

 もし傷がついてたら・・・土下座と高級料理フルコースで手を打ってもらいたい。

 そんなことを考え、左手を人形の脇の下に入れる。

「わっ、と」

 そのまま持ち上げようとするが、これが大きい。一抱え、というか、下手すれば幼児ほどもありそうだ。

 反射的に右手も添えようとして―――

「って、大丈夫かこれ触って俺」

 その右手をとめた。

 いまのところどこからどうみてもただの人形だが、これはインデックス関係のもの。

 魔術的な要素があれば、右手で触れるのは危ないかもしれなかった。


「・・・・・・」

 じっと包帯の巻かれた右手を見る。

 とはいえ、人形を調べるには片手じゃ厳しそうである。

 無理に持ち上げて床に直接落としたら、傷物まちがいなし。鞄ごとならばまだ言い訳もたつが、予測した上でそんなことになろうものなら目も当てられない。

「・・・ま、包帯でびっしりだし、大丈夫だよな」

 幻想殺しの効果は右手首から先で、直接触れたもの、という限定的なものだ。

 完全に包帯で覆われた今の状態なら問題あるまい。

「よっと・・・って、でかいし、重いなこれ」

 両手で『たかいたかい』でもするようにして持ち上げる。

 ずしりと両腕にかかる重量感。身長に対応するように、その重みも人間の幼児並だ。

「しっかし、すごいなこれ。芸術は爆発というわけですかそうですか」

 その顔を覗き込み、精巧さに思わずため息が漏れた。

 人のような大きさ、人のような重み、人と見間違いそうな精巧な顔形。

 そしてなにより、


「なんか色々な柔らかくて上条さんは大変ですよまったく」

 指は、意外な柔らかさを上条に伝えてきていた。

 なるほど、さきほど頬を突いたときの硬さや質感は、こうしてみると意外なほど人に近いものを思える。

 人そのものよりもやや硬いが、その差が逆に『人を模そうとした』ことを感じさせることとなっていた。

「ま、まぁ傷もなさそうだし、そろそろ戻すかな」

 と、妙に早口で人形を下ろそうとする。

 そんな彼の鼻先を、金色の髪が掠める。

 ふわり、と甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「・・・・・・」

(って、いまなに考えてた俺そんな俺はその趣味はないないいやだってそんな土御門じゃあるまいし人形様にだってうわらばあばばばばば)

 ブンブンと頭を振る。

 いま顔が熱いのは気のせいだ、気のせい。そうじゃないと困る。

 思わず視線を逸らした上条。

 そんな彼の目が、ひとつの金属片が捉えた。

 ぱっと見て、ハート型のようにも見えるそれは、

「ゼンマイか、これ?」

 内心の動揺を自らごまかすように呟きつつ、ゼンマイを右手で取り上げる。

 包帯越しに金属の感触をかえしてくるソレは、正しくなんの変哲もないゼンマイだった。


「・・・・・・」

 視線を落とせば、自分にもたれかからせるようにして、膝の上で抱えた人形の、その背中が見えた。

 そこに、差し込み口のようなものがある。

「駆動式? カラクリ人形?」

 差し込み口とゼンマイの先端は同じ形だ。間違いなくそこに挿すものだろう。

「・・・・・・」

 いくら不幸に塗れても、いくらこの学園都市の学生として見ても異常な事態に遭遇していると言っても、上条は男の子である。

 こう言ったカラクリと言うたわいもない『おもちゃ』には心躍らされるものがある。

(ちょっとくらいなら、大丈夫、だよな)

 好奇心が動き出す。

 これだけ精巧な人形だ。駆動するとなれば、どこまで綺麗に動くのか見てみたい。

 それにもし動かしてみて、異常がなければ内部機構にも問題がないという証明にもなるのだ。

(そう、これは確認、確認なんですよインデックスさん)

 持ち主に無断で動かすという罪悪感を義務感という名目でごまかしながら、上条は手にしたゼンマイを、背中の穴に挿しこんだ。




 その瞬間だった。



 キリキリキリ・・・と軋むような音をたてて、ゼンマイがひとりでに動きはじめた。

「え・・・」

 上条の口から驚きの声が漏れる。

 反射的に右手を放すが、ひとりでにまかれていくゼンマイは止まらない。

 そして、呆然とする彼の目の前で、

「・・・・・・」

 ふわりっ、とさきほど鼻先を掠めた人形の髪のような軽やかさを持って、当の人形が空中に浮かび上がる。

「ちょっ、えっ、や、やっぱり魔術的なあれですか!?」

 無意識のうちに右手を胸元に引き寄せながら、左手で床を掻いて後ろにさがる上条。

 普通の人間なら、いや、この学園都市にひしめく能力者たちでも驚くような光景に、それでも素早く反応できるのは、いままでの経験ゆえか。

 驚きと、若干の警戒を宿した彼の視線の先で、人形が鞄の上、その空中に直立する。

 そのまま、まるで風になびくように、人形は鞄の上から床に水平移動。

 上条はそれを見守ることしかできない。


 そして、その彼の眼前で、

「・・・・・・」

 伏せられていた人形の目がゆっくりと開き、その切れ長の目が、すい、と上条に向いた。

「な・・・」

 上条が声を漏らしたのは、人形がこちらを向いたことにではなかった。

 人形の瞳。

 そこに篭められた、明確な敵意に対してである。

「・・・・・・」

 トン、と人形の靴が床に着地する。しかし上条に向いた視線の色は、種類を変えないままだ。

 赤い人形の左手が、ゆっくりと持ち上がる。

「くっ」

 右コブシを握る上条。手首が痛むが、この際そんなこと言っていられない。

 人形の視線―――その敵意は強くなる一方。

 そして、人形が一歩、脚を踏み出した。

 上条の、方に。

「お、お前っ・・・!」

 上条が言葉を投げかける。

「・・・・・・」

 だが人形は反応を見せないまま、ツカツカと歩をすすめてくる。

 人の脚で数歩の距離。やや小さい人形では、もう少しかかる。

 人形の手は持ち上げられているだけでいまのところなにも異常な様子はない。

 だが油断はできない。

 相手は魔術の結晶に違いないのだ。上条の右手同様、触れた瞬間にだけ効果を発するのかもしれなかった。


「!?」

(まずいっ、右手・・・!)

 上条が息を呑んだ。

 頼みの幻想殺しは、いまは包帯で完全に拘束されている。これではなんの意味もない。

 慌てて左手で包帯を毟ろうとするが、

「・・・・・・」

「!」

 もうその時には、人形は上条の目の前に立っていた。

(やべっ!)

 さらに後ろに飛びすさろうとする。 が、それよりも一瞬だけ早く。

「なんて起こし方をするの」

 ぶん、と上条の右頬に、彼から見て右斜め上から小さな手が振り下ろされた。

「うべっ!?」

 室内に、本日二回目のよい音が響く。

 こうして、上条の一日は、いつものように悲鳴と不幸から始まって行ったのだった。

本当は前に書いてたところまで一気にいく予定でしたが、ちょっと別の用事が入ってきたので、とりあえず今回の投下はここまでです。
基本的にここからは以前のものと変わりません。多少の改変はしていますが。

それではまた・・・。



「まったく、いきなりレディを床に落とすなんて、いつになっても男というのは野蛮なものなのだわ」

「まことに申し訳ありませんでした・・・」

「その上、無遠慮に頬と言わず鼻と言わず突付いてくるし・・・いまの世界の挨拶は、顔をつつくことから始めるのかしら?」

「滅相もございません、すべてわたくしの不徳の致すところであります」

 腰に手を当て、いかにも立腹してますという風情で見下ろしてくる人形に対し、上条がとった対応は男らしい土下座であった。

 もっとも、小さな女の子に少年とは言え大人に近い男がそうしている情景には、男らしさの欠片もないのだが。

 あの平手一閃から5分後の、上条家の情景である。

「・・・あなた、名前は?」

「不肖、わたくし上条当麻と申します」

「じゃあ当麻」

「なんでございましょうか」

「あなたの土下座はとても綺麗で見事なのだけれど、もう許してあげるから頭を上げて頂戴。そのままじゃ話しにくいわ」

「わ、わかりました」

「それと、敬語もいらないのだわ。あなたの普通がその敬語なら、別だけど」

「・・・わかった」

 なんとかお許しをもらって、顔をあげる。

 つい先ほど彼の左頬を張り飛ばした西洋人形は、まるでそこが定位置であるかのように、上条家のソファーに腰掛けていた。

 ソファーに座っているのに腰に手を当てるという行動は妙に見えるが、本人(?)は気にした風はない。

 インデックスが怒ると噛み付いてくるのと同様、この人形はそういう癖でもあるのかもしれなかった。

 やっぱりペットと同じで魔術人形も持ち主の影響を受けるのか、などと考える上条であったが、それはともかく。

 人形がしゃべるという状況に、彼はそれほど違和感を感じていなかった。

 そのくらいの大騒ぎは何度も経験済みだ。

 ついでに言えば、これくらい小さい相手にお小言を言われるのも小萌相手で慣れている。

 それよりも、上条の心配事は別にあった。

「でも、本当に大丈夫なのか、背中とか、腕とか・・・」

 言いながら、心配そうな目を向ける上条。

 あの見事な張り手は、彼の頬に若干のダメージを与えたが、それ以上のことはなかった。

 むしろ彼にして土下座という方法をとる原因になったのは、床に落とした拍子に背中を痛めただの、散々体を弄繰り回されただの、レディに対して重いと言うのはデリカシーなさすぎとか、そっちの方の文言である。

 チクチクと心をえぐるようなその言葉の嵐に思わず土下座するしかなかったが、しかし上条には、それらがすべて悪意から来る言葉のようには感じなかった。

 怒っていたのも本当だっただろうが、それよりもむしろ、インデックスや、超電磁砲との掛け合いのような感覚だったのである。

 だからどうしても、その負傷が気になってしまう。


「・・・・・・」

 人形は彼の言葉に軽く驚きの表情を浮かべ、ついで、ゆっくりと微笑んだ。まるで、何かを思い出したかのように。

「問題ないのだわ。あの程度で壊れてしまうほど、私は脆弱ではないもの」

「そうか、ならよかったよ」

 上条は、ほっと胸を撫で下ろした。

 自分のせいで修復不可能な傷を与えたとあっては、持ち主だろうインデックスにも、人形である彼女(?)自身にも申し訳がたたない。

「・・・変わった人間なのだわ」

「? なにがだよ」

「私と初対面で、こんな風に普通に話をした人はいなかったのよ。みんな驚いて、何かの仕掛けか、と疑ってきていたのに」

「・・・あー、それは、まぁ、慣れっつーか環境っつーか」

「慣れ? 環境?」

「ああ、それも説明しなくちゃな。インデックスより、あんたの方がしっかりしてそうだし」

「?」

「でもその前に、ひとつだけいいか?」

「なにかしら」

「その、あんたのことはなんて呼べばいいんだ? 人形とか、お前ってわけにもいかないだろうし」


「・・・・・・」

 人形は再度、驚きの表情を浮かべる。

「?」

「ふふっ」

 こちらの表情の意味がわからなかったのだろう。

 不思議そうな顔をしている上条に、思わず笑みが漏れた。

(人形に名前があるのが当然と思っていて、それが普通な人間なのね。・・・ジュンですら、最初はそんなこと思ってもいなかったはずなのに)

「どうしたんだよ? 俺、何か変なこと、言ったか?」

「いいえ、ごめんなさい。そういえば自己紹介もまだだったのだわね」

 そう言って、赤い人形は両の足で立ち、上条を正面から見つめた。

「私の名前は真紅」

「ローゼンが創りし薔薇乙女の、第5ドール」

 そして人形―――真紅は、口元にやわらかい笑みを浮かべた。

「当麻。貴方の、お人形よ」



 真紅、という名前の彼女が語った内容は、上条にして意外ではあったが、驚きにまで値するものではなかった。

 ローゼンという人物に作られた人形であること。

 ローゼンは、上条が言うところの魔術師のような人物であるということ。

 ローザミスティカと言うモノで動いており、それが人間で言うところの魂であるということ。

 ローザミスティカは元々ひとつのものを分割したもので、自分以外に六人(六体?)の姉妹がいるということ。
 
 そのローザミスティカを集めてアリスになることが目的であり使命であり、姉妹同士で戦っている、ということ。

 真紅の要請によって淹れた紅茶が、上条のカップで冷めたしまったころに、何度か脱線を繰り返した彼女の話は終わった。

「と、いうわけよ。わかってもらえたかしら」

 カチャリ、と音をたてて、真紅はカップをソーサーの上に置いた。

 カップは真紅の手でも扱える、小さなものだ。

 以前、インデックスと買い物に出かけた際に、彼女が面白がって購入したものである。


「いや、わかったけど・・・」

 もう湯気を立てなくなった自分の紅茶に目を向けながら、上条は左頬を掻いた。

 先ほど真紅にひっぱたかれた場所だが、もう痛みはない。

「?」

 言いよどむ彼の様子に、真紅が不思議そうな視線を向ける。

 上条はややバツが悪そうに視線をうろうろとさせ、

「いやなんつーか、結構にヘビーなお話で、上条さんとしてもなんとコメントしていいのかわからないのですよ、はい」

 と、言った。

 色々と覚えることがあったようだが、とりあえず上条の心に堪えたのは『姉妹で戦っている』という点だった。

 話によれば、ローザミスティカは真紅を含む姉妹たちの命、ということである。

 それを集めるということは、結局、奪いあうということだ。



 やっていることは、殺し合いに等しい。



 なるべくなら争いごとをしたくない、話し合いですむならそれに越したことはない。

 そんな思考が基本である上条にしてみれば、いくらそれが真紅たちの使命とはいえ、あまりにもあまりにもだと思ってしまうのだ。


「・・・・・・」

 だが、そんな彼の思考を読んだかのように、真紅はふわりと、微笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、当麻」

「え?」

「貴方の考えていることよ。きっと、姉妹で殺し合いをするなんて、とか、考えているのでしょう?」

「な、なんでわかったんだ?」

「顔に書いてあったのだわ。話し合いや他の方法はないのだろうか、って」

「う」

 完璧ピタリと言い当てられ、上条は若干狼狽した声を上げた。

 それを見て、真紅がくすくすと笑う。そして、続けた。

「安心しなさい。私は、戦って奪おうとか、そういうことはもう思っていないわ」

「そうなのか?」

「ええ。私は私のやり方でアリスを目指しているの」

 そこでいったん言葉を切り、紅茶に口をつける真紅。それから、続けた。

「私たち姉妹の争い・・・アリスゲームと言うのだけれど、その結果で得られるのは、あくまでもローザミスティカよ」

「・・・・・・」

「でもよく考えて当麻。もし私が他の姉妹を倒し、ローザミスティカをひとつに纏めたとして・・・それで本当にアリスになれるのかしら?」

「え? でもだって、真紅を作ったそのローゼンってのが、そう言ったんだろ? じゃあそうなんじゃないのか?」

「そうかしら? 私が初めて目を覚ましたときには、もうお父様は傍におられなかったわ。直接聞いたわけじゃないの。・・・それに何より、もしローザミスティカをすべて集めてアリスになれるなら」

 真紅はちらり、と上条を見る。

 上条は真剣な瞳をこちらに向けてきていた。争いごとをしない、という真紅の言葉に、それだけの真剣さを持ってくれているのだろう。

「・・・お父様は、私たちを創らずにアリスを作れば良かったのだもの」

「あ、なるほど」

 得心したように、上条はうなずいた。


 実際、そうだ。

 完璧なローザミスティカが手元にあるのに、わざわざそれを砕く必要はない。

 完全にすればアリスになれるのであれば、初めから完全なものでアリスという存在を作ればいいのだから。

「そう。だから私はアリスゲームに依らない方法でアリスを目指す。それが正しいのかはわからないけれど、ね」

「・・・・・・」

「・・・当麻? どうしたの?」

 軽く目を見開き、驚いてますよー、という感じの表情を浮かべる上条に、真紅が眉をひそめる。

 だが彼はそんな真紅の視線にかまうことなく、はー、と安堵のこもったため息をついた。

「当麻?」

「あ、すまん。ちょっと力が抜けちまった」

「・・・・・・」

 そしていまだ眉をひそめたままの真紅を見て、パタパタと左手を振る。

「いや馬鹿にしたとかそういうんじゃなくて、よかったな、と思ったんだよ」

「よかった?」 と、真紅。

 上条は頷き、

「ああ。だって真紅はわざわざ戦うつもりはないんだろう?」

「ええ」

「俺もはっきりいって、誰かが誰かと揉めてるのなんか見たくないし、それが多少なりとも知ってるやつならなおさらだ」

「・・・・・・」

「もし真紅がアリスゲーム? にノリノリで他の姉妹を探してデストローイってことを平気で言うやつだったら・・・インデックスには悪いけど、真紅とは笑って話をするのが難しそうだったからな」

 そう言って、ああよかった、などと呟きながらカップに手を伸ばし、冷めた紅茶を飲む上条。

 その様子にはまるっきりこちらの言葉を疑う風はなく、完璧に安心を楽しんでいるように見えた。


「・・・ねえ、当麻」

「ん? なんだよ」

「貴方、周囲の人からお人よし、とか、にぶちん、とか、単純、とか、馬鹿、って言われること、多いと思うのだけれど・・・どう?」

「ぐっ! な、なんでほとんど初対面の真紅がこの上条さんの被対人評価を的確に把握しているのでしょうか・・・!」

「ふふっ、それはわからないほうがおかしいのだわ」

「だ、だからなんでだよっ?」

「それは自分で考えなさいな。もっとも、私にこの言葉を言わせている時点で望み薄だと思うのだけれど」

「・・・・・・」

 数秒間、様々な思いの篭められていそうな沈黙を放ってから、上条はやおらやけっぱち気味に紅茶を飲み干した。

 そんな彼を横目に、真紅も自分のカップに手を伸ばす。

 ゆっくりと口元に持ってきた紅茶はもう冷めていた。

 だがこれは、上条が他でもない自分に入れてくれたものだ。すべて飲んでから、温かいものを所望するのが礼儀というもの。

(・・・私が紅茶で妥協を許すなんて、ジュンに会う前なら考えられないことなのだわ)  くすり、と笑う真紅。

 その目の前で、上条が綺麗に空いたカップを下ろした。

「ところで」

 と、上条は真紅に目を向けた。


「なに?」

「いや、真紅はなんで今頃、こっちに寄越されたんだ? やっぱりインデックスがそっち側に頼んだからか?」

 上条として、これは気になっていた点だった。インデックスのお気に入りなら、もっと早く送ってきてもよさそうなものだが。

 だが、

「え?」

 と、真紅。

「ん?」

 とは、上条。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 お互いに、変な顔。

 やや沈黙があってから、真紅が首を傾げる。

「ごめんなさい当麻。私には貴方が言っている意味がよくわからないのだわ」

「いやいやいや、だって真紅、いきなりここに着たじゃん。昨日、つーか今朝まで、こんなでかい鞄はうちになかったし」

「それはそうだけれど・・・でも、インデックスというのは何かしら? 何かの目録?」

「は?」

「え?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ちょ、ちょーっと待ってください。この上条さん、ちょっと混乱してきましたよ」

「え、ええ」

(・・・なんで敬語になるのかしら)


「えーと、真紅さん。貴女はインデックスさんの持ち物であり、そのインデックスさんが向こう側に送ってくれ、とか言って、こっちに寄越されたんではないのでせうか?」

「違うわ。私を呼んだのは当麻、貴方の方だもの」

「俺ぇ!?」

「そう。貴方はホーリエの問いに応えたでしょう。だから私がここに来たのよ」

「ほーりえ?」

「ええ。巻くか巻かないか。貴方がそこで巻くことを選択したから、私はここにいるのだわ」

「・・・・・・」

 上条の脳裏に、さきほどまでの自分の行動がリピートする。

 朝起きて、顔を洗って、そんなことをしていたらインデックスが「ご飯食べに行って来る!」と泊まりにいくとは思えない言葉でスフィンクスを連れて出て行って、これ幸いと家事を片付けようと布団を干そうとして―――

「あ」

 思い出した。あのときだ。

 確かに自分は、あのうさんくさい手紙に書いてあったとおり『巻きます』に丸をして紙飛行機をした記憶がある。

「・・・・・・」


「心当たりがあるようね」

 その表情を見て取って、真紅が言う。

「え、じゃあ真紅さん。もしかして真紅さんは・・・インデックスさんの関係者じゃない・・・?」

「それはこちらが聞きたいことなのだわ。インデックス、というのは、貴方の口ぶりから察するに人名のようだけれど・・・」

 問いかけの視線を向けてくる真紅を無視して、上条は頭を抱えた。

(またかーっ! またこんな感じで何かに巻き込まれたのか俺っ! いやでも巻きますに○したの俺だし、紙飛行機したのも俺・・・うあああ、お、俺が原因じゃんっ!)

(いやまてまて早まるな上条当麻! 学園都市の生徒は早まらない! ここはしっかりと事実関係の確認をとらねば! またいつものように怒涛の面倒ごとコースにいくのはごめんですよっ!)

「当麻? 大丈夫?」

 心配そうな表情の真紅。

 だが上条はその声色をとりあえず置いておいて、顔をぐっ、と振り上げた。

「真紅、ちょっと確認したいんだけど・・・」

 と、上条が口を開く。

 それと、同時。


「―――っ!」

 真紅がいきなり、己の背後の窓に振り返った。

「!?」

 突然の動きに言葉を飲み込む上条。

「危ないっ! 下がりなさい!」

 そんな彼に、真紅がソファーを蹴って跳びついた。

「くっ!?」

 反射と、そしていままで幾多の修羅場をくぐってきた上条の経験が、彼の体を突き動かす。

 上条の左腕が真紅の体に回り、その身を強く抱えた。同時に足で床を蹴り、背後に跳躍。

 そしてその右手―――それが異能であるならば、あらゆるものを打ち消す力を宿した右手が握りこまれ、目の前にかざされた。

 上条がさきほどまで座った位置から距離にして5歩分後ろに下がった、ちょうどそのとき。






破砕音!





 上条家のベランダ。そこに面した窓が外からの衝撃に一気に砕け散った。



 室内に撒き散らされたガラスが、幸いにも上条のいる位置までは飛び散ってこなかった。

 曲がりなりにも能力者を預かっている学園寮だ。何かの災害、もしくは能力の暴発で窓が割れることは想定されている。

 車のフロントガラスのように、多少の衝撃ではヒビが入るだけ。砕けても、ばらばらにあって周囲に飛び散らない材質のものが使われている。

 しかし、その代わりというかのように、飛び込んできたものがそこにいた。

 黒色のドレス、黒色のヘッドドレス、黒色の靴。そしてその背に生える黒色の翼。

 真紅の赤に対してなお、その身に纏った黒が映えるのは、その透き通るような見事な銀髪のせいだ。

 真紅と同じような小さな体、真紅と同じような白い肌、真紅と同じような、整った顔立ちのそのモノは、真紅とはまったく違う妖艶な微笑を口元に浮かべ、真紅が先ほどまで座っていたソファーの真上に浮翌遊していた。

「・・・水銀燈!」

 上条の腕の中で、赤が小さく、しかし鋭く囁いた。

 それに応ずるように、黒がその目を真紅に向ける。

「お久しぶりね、真紅」

 口元に浮かぶ妖しい笑みは変えないままに、艶味を帯びた声がリビングに響いた。


「な・・・」

 上条の口からあっけにとられたような声が漏れた。

 いきなりの窓の破壊。それと同時に飛び込んできた影。

 問答無用で、敵である。少なくとも上条には窓ガラスを突き破って訪問してくる知り合いはいない。

 約一名、ベランダにひっかかっていたという訪問者も過去にはいたが、その訪問者は不可抗力でひっかかっていただけで、今のように能動的な破壊を伴っていたわけではな
い。

 その敵と思しき相手が、真紅と見た目は親しげに挨拶を交わしている。上条が一瞬だけ戸惑うのも無理はない。

「・・・やっぱり、窓というのは不便なものだわ。こうして容易に侵入を許してしまう。英国で窓税があったのも頷けるのだわ」

 真紅が散らばる破片と、黒―――水銀燈とを交互に見ながら言った。

 その言葉はただの軽口なのだろうが、しかし、その内容とは裏腹に、口調には緊張感が満ちている。

「真紅、その男が新しい主人なのぉ? ・・・ふふ、相変わらず男が好きなのね。いやらしい」

 くすくすと笑うその仕草は真紅のそれに通ずるところを持ちながら、しかし、まったく異なった破滅的な色を帯びている。

「大きなお世話よ水銀燈。当麻は私のネジを巻いた。それ以上侮辱するなら、許さないわ」

 ぎゅっ、と上条のシャツを、その小さな手で握る真紅。

 それは不安に駆られた行動のようにも見え―――逆に、上条を少しでも守ろうとするような、そんな仕草にも見えた。


「うふふふふ・・・怒った顔も相変わらず、不細工なのね」

「・・・・・・」

 真紅は挑発に乗らない。ただ沈黙を返すのみだ。

「・・・つまんなぁい。あなたなら絶対に乗ってくると思ったのに」

 何も言わない真紅に、水銀燈は、ふん、と詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

「・・・おい、真紅。こいつが、お前の言った『姉妹』なのか?」

 上条はわずかに腰を落とし、油断なく水銀燈と呼ばれた人形を見ながら問うた。

 相手の黒い翼は羽ばたいていない。それでもなお空中に浮かんでいるのは、何かしらの能力が作用しているのだろう。

 それに、窓ガラスは相手が入ってくる前に割れ砕けたのだ。何か飛び道具のようなものをいきなり飛ばしてくることだってあり得る。

 慎重すぎて困ることはない。

 魔術師との戦いで身にしみた教訓が、上条の右手を下げさせなかった。

「そう。彼女の名前は水銀燈。私と同じ、薔薇乙女よ」

「いやだわぁ真紅。自己紹介くらい、自分でさせてほしいものねぇ」

 そう言って、水銀燈は真紅から上条に視線を移した。


「はじめまして、人間。わたしの名前は水銀燈。誇り高き薔薇乙女の第1ドール」

「・・・・・・」

「よろしくねぇ。そして、」

 その言葉に合わせ、ぶわっ、と音をたてて、黒い翼が持ち上がる。

「!」

「さようならぁ」

 水銀燈の翼から、数条の黒い羽が飛び出した。

 その鋭利な根元を前に向け、一直線に上条に向かう。

「うおっ!」

 床を左に蹴る上条。一瞬遅れて、いままで上条の頭があった場所を羽が凪いでいく。

「あら残念。その不細工な顔を、もっと見れるようにしてあげようと思ったのに」

 羽をかわされた水銀灯が、ばさり、と再び翼を羽ばたかせた。

 移動した上条に正対し、まだカップが載ったままのテーブルに着地する。

「やめなさい水銀燈!」

「おばかさぁん。なんでやめる必要があるのぉ?」

 翼がさらに大きく羽ばたいた。

「もうアリスゲームは始まっているのよぉ? わたしと会えばこうなることくらい、わかってたでしょう」

 再びの射撃。

「くっ!」

 対する上条は崩れたバランスを床に手をつくことで整えると、再び床を蹴る。

 一閃する黒羽を横目に、リビングからキッチンに飛び込んだ。

 置かれている棚に手を突き、さらに跳躍。キッチン中央付近で体制を立て直すと、右手を構えながら真紅に視線だけ向けた。



「真紅、大丈夫か!?」

 相手の放ってくる羽は、とてもじゃないが目でおえる速度ではない。上条は反射だけで羽をよけているのである。

 飛んでくるシステムはわからないが、おそらく魔術によるものだ。もしくは、能力か。いずれにしても異能には間違いない。

 だが、それが異能であり、打ち消すことができると言っても、それと上条の防御行動とは繋がらない。

 超電磁砲を上条が防御できるのは、指の向き先で射角がまるわかりなこと、電気的特性ゆえに突き出した右手に電撃が集中すること、コインとともに放出される電撃の一部に幻想殺しが触れればそれだけで全て無力化できること、という好条件が揃っているからだ。

 黒い羽に、そんな特性を期待するほど楽天家ではなかった。

 何より右手はひとつだけだ。同時に複数飛んでくる羽には対処できないのである。

「ええ、私は」

「人のことの心配をしている余裕があるのぉ?」

 水銀燈の声が、真紅の言葉を遮った。

 慌てて視線をあげる上条。

 テーブルから飛び立つように、水銀燈がこちらに文字通り『飛び掛って』きていた。

「!?」

 さらに、その姿を見た上条の顔が引きつる。

 いつのまに取り出したのか、どこに持っていたのか、その両手には大振りの剣が握られていたのだ。

「ちょっ、どこからっ!」

 そんな抗議の声を無視して、一飛びで間合いを詰めてきた水銀燈の手が、剣を振り下ろした。


「くうおおっ!」

 全身全霊で身を捻り、真上からの一撃を回避する。

 左肩を引き、半身になった上条。その左頬、左肩、そして抱えた真紅のドレス裾ギリギリを通って、剣先が床に傷をつけた。

 回避成功。だがその代償は大きい。

 元々上条に格闘経験はないのだ。けんか慣れしているせいもあって下手な格闘家よりもずっと荒事には強いが、だからと言って技術的に卓越しているわけではない。

 無理な方向転換。そのせいで、上条の脚がもつれる。疲労ではない。元々、回避できるタイミンや体勢ではなかったのである。

 バランスが崩れ、右手を床についた。

「っ!」

 捻挫した手首が痛み、上条の体がこわばった。

 それを見逃す水銀燈ではない。

「うふふ」

 ぞっとするような笑みを浮かべ、黒い人形が剣を構えた。

 バッターのように肩に担ぐ構え。位置関係は、上条から見て左斜め上。

 そのまま斜めに振り下ろせば、真紅ごと彼の体は両断される。

 右手は床についてしまい、すぐには振り上げられない。左手は真紅をかかえている。まさか彼女を盾にするわけにはいかない。

 振り上げられた剣が下ろされれるまでの一呼吸。

(くそっ! なんかないのか! あれを防げるような・・・!)

 上条は諦めない。視線をめぐらせ、現状を打破できるものを探す。

 だがその努力をあざ笑うかのように。

「さようならぁ」

 上条の耳に、剣が振り下ろされる、ぶん、と小気味よい音が響いた。



 剣が振り下ろされる。

 もしもここで戦っているのが上条だけだったならば、ここで彼の物語は終わっていただろう。

 生身で刃を受け止める術はなく、剣が魔術の産物であったとしても右手を向ける暇はないのだ。

 だが。

「させないわ!」

 真紅が己の体に巻きついている上条の腕を掴み、その輪から滑り落ちるように下方に体を引っこ抜いた。

 ちょうど逆上がりをするような形で、真紅の両足が弧を描く。

 赤みを帯びた黒い靴。その裏側が、剣を握る水銀燈の両手部分を真下から蹴り上げた。

「!?」

 まったく予想していなかった方向からの一撃に、腕ごと剣が持ち上がる。

「いまよ!」

「っだあああ!」

 左腕にぶらさがる真紅の声に応え、上条が右手で床を強く突いた。

 床を押すその反作用を利用して、一瞬で腕を持ち上げる。動きは、そのまま右ストレートに変化した。

 包帯を巻かれたコブシが、掬い上げるように水銀燈の左肩に突き刺さる。


「きゃあっ!」

 大きな衝撃が走り、弾き飛ばされる水銀燈。真紅に不意を突かれたところに、さらなる一撃だ。 体勢制御をすることもできず、キッチンの壁に背中から叩きつけられた。

「くっ・・・!」

 壁に寄りかかるように落下しかけ―――すぐにまた浮上する。

 コブシはまともに受けたが、場所が良かった。ダメージはそう多くない。

 それよりも『たかが人間』に一撃を受けたことの方が、よほどに彼女の精神にダメージを与えていた。

 だが、精神的な動揺はむしろ、

(まだ動けるのかこいつっ!)

 上条の方が大きい。

 コブシは間違いなく当たったはずだ。剣の方はわからないが、水銀燈本人は間違いなく異能に属する存在だ。

 幻想殺しをまともに受ければ良くて機能停止、悪ければ崩壊するはずである。

「くそっ!」

 だが現実に相手は動き、戦闘は続いている。


 上条は胸中の疑問を握りつぶし、再び右手を構え―――そして、気がついた。



 右手には、いまだ包帯が巻かれていることに。



 幻想殺しの大前提。直接触れること。それが、この状態ではできない。

 さきほど真紅の平手のときに気がついていたはずなのに、完璧に失念していた。

 しかしそれは無理もない。

 平手の後は、真紅の存在にまつわる話を聞き、その直後にいきなりの戦闘である。おまけに相手は飛び道具を使ってくる存在だ。

 敵から一瞬たりとも目が離せず、しかも飛ばしてくる羽は幻想殺しを試す気になれないほどの早さがある。いまの今まで、右手に気を払う余裕などなかったのだから。

「当麻!?」

 追撃、もしくは逃走のチャンスにいきなり硬直した上条に、真紅が焦りをたたえた瞳を向ける。

「くっ!」

 上条は左手で再度真紅を抱えながら一瞬だけ包帯に目を向け―――そのまま、水銀燈に向けて突進した。

 包帯の巻き方はかなりうまくなっている。結び目を適正に引っ張れば、片手でも、あるいは口ででも外す事が可能だ。

 そして相手は間違いなく自分を殺そうとした相手。話し合いもほかの手段も、通じそうにない。


(でも、だからって、殺せるかよ・・・!)

 それでも上条は、幻想殺しを振るいたくなかった。

 相手が人格を持つ存在であること。そして何より、腕の中の真紅が姉妹と呼んだ相手だ。

 さっきは余裕がなかったこと、左手がふさがっていたこと、利き腕が右だったことで殴りつけてしまったが、気がついてしまったいま、自らの意思でそれをするのは、やはり無理だ。

 そういう意味では、包帯は巻かれていたのはむしろ幸運と言える。

 今から倒そうとする相手が無事なことに内心で安堵する上条。

 上条は痛む手首を無視して、コブシに更なる力を込めた。

 まずは相手を戦闘不能にする。その上で、真紅に説得してもらう。これしかない。

 間合いが詰まる。

 キッチンは狭く、上条にして一足飛びで端から端まで移動できる。

 水銀燈はまだ体勢を立て直しきっていない。構えたコブシを叩き込むだけの余裕は十分にあった。

 しかし。

「このっ、人間めええええ!」

 ギンッ、と音が聞こえるかと思うほどの鋭い視線を向け、水銀燈が吼えた。

 同時に彼女の翼が、大量の羽を放つ。


「!」

「危ない!」

 真紅の声が響くが、突進している上条に回避の方法はない。

(―――っ!)

 上条の目が、今朝掃除をしようとして壁に立てかけていたテーブルを捉えた。

 折りたためない脚がこちらを向いており、それは左手側、ちょうど手の届く位置で―――

「うおおっ!」

 踏み出した左足。そこを軸にして、上条は背面に体を回した。

 突進の勢いがそのまま、回転の速度に変わる。

 大きく弧を描いた彼の右手がテーブルの脚を掌握。回転の勢いを殺さず、引っこ抜くようにして正位置に回り戻る。

「「!」」

 水銀燈と真紅の息を呑む音が同時に上条の耳に届いた。

 視界を塞いでいるのは、テーブルの天板の内側。そこからいくつも羽の先端が突き出した。

 だがそこまでだ。羽は分厚い板を貫通することまではできない。


「っ!」

 上条は止まらない。

 素早くテーブルの脚を放し、床についた右足に体重移動。身代わりに浮き上がった左足で、天板裏の中央付近を真正面に蹴りつけた。

 テーブルが真横に跳ね、

「きゃあああっ!」

 水銀燈に叩きつけられる!

 バキン、とテーブルにヒビが入る音が響き、それを聞きながら、上条は即座に身を翻した。

 己の攻撃の結果がどうなったのか確認せず、キッチンからリビング、そのまま玄関に続く廊下に跳び出していく。

「当麻!? どこにいくの!?」

「部屋の中じゃ無理だ! 広いところに出ないと!」

 叫びながら廊下を抜け、脱ぎっぱなしにしていた靴に足を突っ込む。

 そのまま蹴りあけるようにして玄関を出た。

 人の気配はない。

 今日は連休初日。みんな街に出て遊んでいるのだ。こんな時間でも部屋にいるのは、インドア派か、街に出て遊ぶ金のない上条くらいのものだ。

 だがそれは上条にとっても都合がいい。


 相手は飛び道具を使う。

 狭い室内でかわせたのは、運が良かったからにすぎない。もっとも上条の運は幻想殺しに遮断されているので、この場合は真紅の方の運なのかもしれないが。

 どちらにしてもあの攻撃に晒されて、自分以外の誰かを護る余裕はないのだ。

「・・・・・・」

 腕の中の真紅は上条の言葉に否と言わない。もう倒したのではないか、とも言わない。

 彼女は知っている。

 自分の知る水銀燈は、あの程度でなんとかなる相手ではないということに。

 そしてその予想を裏付けるように。

「許さない! 許さないわ! 人間! 真紅っ!」

 開け放したドアを、怒気に満ちた声が通り抜けた。



 怒声を背中に受けながら上条は走る。目指すのは廊下先にあるエレベーターだ。

 確かに外に出たが状況はそれほど好転したわけではない。

 廊下にいたのでは、部屋の中とそれほど変わらない。いや、遮蔽物がないだけ、室内よりもまずい可能性がある。

 屋上。
 
 あそこなら十分に動き回れるスペースがあり、落下防止用のフェンスもある。

 出入り自由で誰か来るかもしれないが、何もないコンクリート打ちっぱなしに好んで人が来ることはまずないだろう。

 上条は走る。

「と、当麻。少しで、いいから、ちょっと、話を・・・」

「ごめんわりぃすまんちょっと待ってエレベーターに乗るまでは!」

 揺れているせいできれぎれに真紅がなにやら言ってくるが、残念だがいまは構っていられない。

 小さく「左手の指輪・・・」とか聞こえた気がしたが、左手は真紅自身を抱えている。確認するのは無理だ。

 そしてエレベーターが近づいてくる。一度中に入れば水銀燈も追ってこれまい。何らかの力で破壊するにしても、そこは能力者用の寮。耐久性も折り紙つきだ。

『魔女狩りの王』級の攻撃翌力でもなければ、すぐには突破できないはずである。


「よし!」

 エレベーターの前に到達する。背後ではまだ水銀燈は出てきていない。テーブルサンドイッチが余程に聞いたのか、それとも、室内を探していたのか。

 ともあれ、上条は殴りつけるようにして上昇ボタンを押し―――

「!?」

 驚愕に、目を見開いた。

 彼の視線の先。なんの変哲もないエレベーターのボタン。

 普段であれば何も意識せずとも押しこむことのできるボタンが、まったく動かない。

 それは機械的に反応しないと言うわけではない。本気に近い力で押したにも関わらず、ボタンが1ミリたりとも押し込まれていかないのだ。

(なっ・・・! こいつはっ・・・!)

 その光景に、上条は覚えがある。ちょうどいまのように、エレベーターが使えなかったときと同じ状況。




 三沢塾。


「ちくしょうっ!」

 バン、とボタンを本当に殴りつける上条。だが帰ってくるのは、硬い硬い感触と、捻挫に響く衝撃だけ。

「どうしたというの?」

 真紅が上条の顔を見上げてくる。

 疑問と焦りの見える表情。無理もない。彼女からしてみれば、エレベーターまで来たというのにボタンに八つ当たりをしているように見えるのだ。

「結界が張られてやがる!」と、歯を噛み締めて上条が応じた。

「結界?」

「ああ、コインの表と裏で―――」

 言葉は途中で遮られる。

 ドゴッと鈍い音が背後から響き、

「しぃんくゥゥゥ・・・にんげェん・・・!」

 ゆらり、と黒い影が、上条の部屋のドアから姿を現した。

わかりました。ご親切にありがとうございます。
ちょっとあっているかテスト。



「・・・おいおい、ちょっと見ないうちにずいぶん派手になってますねぇ、あの人」

 振り返った上条が口元に虚勢の笑みを浮かべる。

「・・・!」

 その腕の中で、真紅が息を呑んだ。

 黒い人形は、さらにその色を増していた。

 背の羽は大きく開き、その面積を3倍ほどに膨らませている。さらに周囲には、彼女を護るように、無数の羽が散らばり、渦を巻いていた。

 少し離れてみれば、黒い渦巻きのようにも見えただろう。

 だが何より真紅の危機感を煽ったのは、

(人工精霊・・・!)

 水銀燈の目の前に浮いている紫色の光球の存在。

 あれを出してきたということは、もはや水銀燈に遊ぶつもりがないと言うことだ。


「当麻、もう時間がないわ」

「ああ、わかってますよ真紅さん。あんな熱い目で見られたら、もうかなりテッペン入ってんだろうなぁ、ってことぐらいは」

 軽口をたたく上条だが、内心はそんな余裕はまったくなかった。

 状況は最悪だ。

 遮蔽物のない直線廊下の、完全な端。さらにやっかいなことに、コインの結界によって脱出口はなくなっている。

 目の前には大層ご立腹な様子のクールビューティー。しかも、下手をすれば水銀燈とは別に魔術師だか錬金術師だかがいる。

 仮に水銀燈がこの結界の主だとしても、核そのものが近くにあるとは限らない。水銀燈自身が核だったとしても、上条には彼女を破壊することはできないのだ。

 だが、真紅の言葉は、上条の軽口に応えるものではなかった。

「そうじゃないの。お願い、聞いてちょうだい」

「真紅?」

 穏やかだが切迫した口調に、上条はつい、水銀燈から視線を外して真紅を見た。 真紅は上条をじっと見上げたあと、代わりとでも言うように、水銀燈に視線を移す。 そのまま、続けた。

「水銀燈は本気よ。さっきまでは私が契約してなかったことと貴方がただの人間だったから、油断もあったようだけれど・・・もう完全に力を振るうつもりでいるわ」

「・・・・・・」

 さっきまでのは本気じゃなかったのか、と上条は口元をさらに引きつらせた。


「このままじゃ私も、貴方も助からない。だから当麻。もしも貴方が自分と私を護りたいと思うのなら」

 すっ、と真紅は、自分を抱える上条の左手に、小さな手を這わせた。

「えっ、なんだこれ」

 上条は状況も忘れて、自分の指を見た。

 いつからそこにあったのか。

 左手薬指に、小さな指輪が嵌まっている。

 もちろん上条にこんなものをつける趣味はない。趣味はないどころか、買うようなお金もない。その上、こんな位置に指輪をつけるような相手もいないのだ。

 真紅は上条の疑問に応える事なく、言葉を紡ぐ。

「誓いなさい。薔薇の指輪と、貴方の誇りにかけて。私のローザミスティカと、私の意志と、私自身を護ると」

 まるで場にそぐわない、厳粛な声が上条の耳に届く。

 そして真紅は、もう一度指輪にその繊手を這わせながら、

「そうすれば私は私の意思と誇りを持って、貴方を護るわ」

 と、告げた。



「あはははははっ!」

「!」

 真紅の言葉に上条が何か反応するその前に、廊下に大きく哄笑が響いた。

 視線を転じれば、大きく広がった翼をはためかせ、水銀燈が空中をすべるようにしてこっちに向かってきている。

 彼女の手の中の剣は魔術の作用か、彼女の怒りに反応したのかさらに一回り大きくなっており、周囲に滞空していた羽は、残らずこちらに先端を向けていた。

 さらに彼女の目の前に浮かぶ光球が見るからに強力な光を纏ってそれに続く。

「やべえっ!」

 上条が真紅を抱く腕に力を込めた。


 どこに逃げる?


 完全に直線コース。こっちは廊下の端。背後のエレベーターは開かない。剣と羽すべてを幻想殺しで受けるのは不可能。

 飛び降りることはできない。真横にある別室のドアもドアノブに触れることすらできない。

 この場所で回避しきれるほど弱い相手じゃない。光球の正体がわからない。


 どうする?


 どうする!?


 どうするっ!?


「当麻、どうするの?」

「―――」

 真紅に目を転じる上条。

 見上げてくる彼女の瞳は、真摯で、まっすぐなものだ。

「貴方が私の言葉を信じてくれるのなら、この指輪に口付けなさい。それが誓い。私と貴方を結ぶ、糸となるわ」

「・・・・・・」

 言葉と、視線。それを受けた上条の頬が、場違いに緩んだ。

(やっぱりお前、インデックスの持ち物なんじゃねえ?)

 そう言いたくなるほど、真紅の瞳は白い少女のそれと通ずるものがある。

 あの、全幅の信頼を寄せてくる、瞳に。

「・・・・・・」

 上条は真紅から目を逸らし、水銀燈に向き直った。

 黒衣の人形はあと数呼吸で上条にその剣を振り下ろせる位置に到達するだろう。彼女の周囲を渦巻く羽は、すぐにでも射出されそうな気配がある。

 だがそれでもなお、上条の動きは緩やかだった。

「・・・・・・」

 真紅は何も言わない。ただ、上条は自分の腕を掴む彼女の力が強くなったのを感じた。


「いいぜ、真紅」

 上条の左手から力が抜ける。下げられた彼の腕から解放され、真紅がひらりと廊下に飛び降りた。

 その代わりに上条は、左手を己が口元に近づけた。

「この誓いが、お前とお前の意志を護ることになるってんなら」

 視線の先では、水銀燈が剣を真上に掲げている。あれで斬りかかると同時に、羽を打ち出すつもりなのかもしれない。光球で、何かの攻撃をするつもりなのかもしれない。

 前に出ても、後ろに飛んでも羽。横には逃げられない。その場にいれば剣の餌食。目に見えるそれらをなんとかしたとしても光球の攻撃はいまだ何かわからない。



詰みだ。



 そしてついに、水銀灯がその剣の間合いに上条と真紅を捉えた。

「死になさぁい!」

 黒の腕が振り下ろされ、羽が弾かれたように上条と真紅に向かった。

 だがそれが上条を割り、真紅を蜂の巣にするほんの数瞬前に、

「俺が、その礎になってやる!」

 上条の唇が指輪に触れた。



 変化は一瞬で、効果は絶大だった。

「っ!?」

 足元にいる真紅。彼女の体が、口付けと同時に眩い赤光を放ったのだ。

 そのあまりの光量に、上条は思わず顔を腕で隠してしまう。

 それは愚か極まりない行為。ただでさえ敵が正面にいる状態で、さらに必殺の攻撃が今まさに彼らに降りかかろうとしているのだ。少しでも目を見開いて、防御に努めなければならない。

 だが上条の心には、なぜか不安も焦りも存在しなかった。それどころかその赤い光は安心感すら与えてくれる。

「・・・ありがとう当麻。私を信じてくれて」

 光の中、真紅の声が上条の耳に響く。

 薄く目を開ければ、いつの間に前に出たのか、自分を護るように両手を拡げて立つ真紅の背が見えた。

 真紅の体から溢れる光は、バリヤーよろしく彼女を中心に球形に展開している。その直径は廊下を天井まで覆う、大きなものだ。

 殺到していた黒羽は、どういう理論なのか赤い光が展開している領域に侵入したところで推進力を失い、それだけではなくボロボロと崩れ落ちていっている。

 剣は光の珠に阻まれて、まったく動いていない。紫の光球が赤い光を嫌うように、水銀燈の影に隠れた。

「真紅・・・!」

 光の向こう側。剣を打ち下ろした姿勢で空に浮かぶ水銀燈が、驚きと憎しみのこもった表情を浮かべた。

「・・・水銀燈」

 応ずるように名を呼び、真紅が右手を水銀燈にかざす。

「っ!」

 水銀燈は剣を引き、それを盾にするように顔の前に構えた。一瞬遅れて飛来した何かが、ギンッ、と音を立てて剣に弾かれていく。

「くっ」

 歯を噛み締め、距離をとる水銀燈。

 対する真紅はゆっくりと両手を下ろした。その腕が角度を失うに従って、彼女の体から放たれていた光が収まっていく。

 だがそれは消えていっているのではない。外に出すのではなく、内に、内に。

 光が集まってその光量を増すように、真紅から感じられる力はむしろ上がっていっている。

「・・・真紅、大丈夫なのか?」

 上条には何がなんだかわからない。変わったこと言えばただひとつ、左手の指輪が一回り大きくなったという、それだけだ。

「ふふっ、心配性なのね、当麻」

 真紅が首を少しだけ巡らせ、視線を向ける。さきほどまでとまったく同じ、平静な横顔。

 しかし上条にはなぜか、真紅がどこか喜んでいるようにも見えた。

「安心しなさい。大丈夫だから」

 それだけ言って、真紅は目を正面―――水銀燈の方に戻した。


「ふ、ん・・・間一髪、契約したってわけねぇ」

 目を細める水銀燈。その表情を彩っていた怒りが消えていく。

 契約者を得た真紅は、感情に任せて相手ができる存在ではない。

 相対する赤は、そんな黒に静かな瞳を向けた。

「水銀燈。貴女はまだ、アリスゲームを続けるつもりなの?」

 と、真紅は水銀燈に問うた。

「・・・貴女、ながく眠りすぎて頭のネジでも錆びたんじゃない? アリスになってお父様に会う。それ以外に何の目的があるって言うのぉ?」

 応える声は冷たい声。

 何を当たり前のことを。

 そう言っているように、水銀燈は口の端に嘲笑を浮かべた。

「そうじゃないわ」

 真紅は首を横に振り、

「アリスになる。それについては何も言うつもりはない。だけど、姉妹で争うことをやめるつもりはないのか、と聞いているの」

「・・・・・・」

「水銀燈?」

「・・・真紅、貴女正気ぃ? お父様のお言葉に背いて、それで本当にお父様が喜んでくださると思ってるわけぇ?」

「背くわけじゃないわ。私はアリスを目指す。ただ、アリスゲームに依らない方法で、というだけよ」

「・・・あっきれたぁ。お父様に疑問を持つなんて」

「そうじゃないわ、私は」

「黙りなさいっ」

 それまでの、嘲りの響きはあっても穏やかだった水銀燈の声が一転、厳しい怒りを帯びたものに変わった。

「・・・・・・」

 叩きつけるような言葉と視線に沈黙する真紅。

 水銀燈は続ける。

「お父様を愚弄するなんて・・・真紅、貴女には薔薇乙女の資格なんかない。いいえ、貴女が薔薇乙女であることそれ自体が、お父様に恥をかかせているのよ」


「・・・・・・」

「決めたわ真紅。貴女は手足をもいで殺してあげる。顔をぐしゃぐしゃに潰して首を落としてあげる。貴女のローザミスティカは、かみ砕いてから飲み下してあげる」

「・・・・・・」

「どんなに泣き叫んでも手を緩めたりしないわ。貴女をがらくたにしてアリスになり、お父様には貴女という失敗作を忘れるよう、お願いすることにするわ」

「そう・・・なら、仕方ないわね」

「だったらなぁに? どうするっていうのぉ?」

「こうするのよ。・・・ホーリエ!」

 真紅の声が無人の廊下を叩き、一拍の間を置いて上条の部屋の中から、バン!と音が響いた。

「!」

 真紅の背後にいた上条が驚いた様子で自分の部屋に目を向ける。

 開け放たれた玄関。そのドアを撃ち抜こうかと言う勢いで、赤色の光球が飛び出した。

 水銀燈を避けるように大きく楕円の軌道を描き、下げた真紅の左腕に、寄り添うように纏わり付く。

 それは大きさ、光量ともに、水銀燈の背後に浮くモノと比肩するモノ。

 何のために呼び出したのか、そんなことは考えるまでもない。


「真紅」

 呼び掛けたのは上条。

「お前、戦うつもりなのか?」

 姉妹同士で殺しあわない。彼女は確かに、そう言ったはず。

 だが真紅は振り返らない。

「当麻。貴方もわかっているのでしょう? 話し合いだけですべてを解決するのは無理だということくらい」

「それは、」

 事実だ。

 いままで上条自身、何かを護るために多くの者にそのコブシを振るい、様々なモノを破壊してきている。

 誰かを護るために戦ったという言葉は、裏を返せば護るために誰かを傷つけたということなのだから。

「・・・・・・」

 上条は口をつぐむしかない。

「当麻」

 真紅は肩越しに振り向き、上条に向けていた微笑んだ。まるで信じてほしい、とでも言うように。

「・・・・・・」

 そうだ。

 リビングで聞いた言葉と、ここで投げ掛けられた言葉。

 上条はそのどちらも信じたから、指輪の誓いを結んだのだ。

 ならば自分がいま出来ることは、たったひとつしかない。

 軽く頷き、右手を握る上条。

 そのコブシには、包帯が巻かれたままだ。

「・・・人工精霊を出されたら面倒ね」

 対する水銀燈は、上条と真紅の様子に顔をしかめながら、左掌を上に向ける。


「おいで、メイメイ」

 呼ばれ、メイメイがふわりとその掌の上に移動する。

 続いて水銀燈の右手の剣が、先端からひび割れ―――羽毛に変わって砕け始めた。ハラハラと落ちるその羽毛を、大きく羽ばたいた翼の風が吹き飛ばす。

 舞い上がり、意思持つように真紅と上条に群がりかけたその羽毛は、しかしホーリエが音なく放った光の矢に射抜かれて、一瞬で燃え尽きた。

 その間に、水銀燈は距離にして大人数歩く分、距離をとっている。

「逃げるつもり?」と、真紅。

 どこか挑発的にも聞こえるその声に、

「そうよぉ?」

 水銀燈はニヤリと笑みを浮かべた。

「いまの貴女を相手にするには、ちょっと手駒が足りないわ。そっちの人間に邪魔されても不愉快だし・・・今日はここまでにしておいてあげる」

 再び翼をはためかせ、ふわり、と浮き上がる水銀燈。

「じゃあねぇ、真紅。次に会ったときはジャンクにしてあげるわ。人間も、あのテーブルの借りは必ず返すから楽しみにしていなさい」

 バサリ、と翼が羽ばたき、黒の体が外廊下の手摺りを越える。


「・・・待てよ」

 だが黒衣の人形が飛び去ろうとするその直前に、それをとめる声があった。

 真紅ではない。その背後に立つ、上条だ。

「・・・・・・」

 水銀燈の動きがピタリと止まり、視界の端で真紅が見上げてくるのが見える。

 それに構わず、上条は続けた。

 彼には聞くべきことがあるのだ。

「この結界は誰の仕業だ?」

 言いながら、ダン、とエレベーターのボタンを叩く上条。

 コブシに押しつぶされ、それでもやはり微動だにしないボタンが、硬い感触を返してくる。

 だが上条の視線に対して、

「結界? 何の話ぃ?」

 黒は眉をひそめただけ。

「とぼけるな! お前か、お前でなけりゃ仲間の魔術師がいるはずだろ!」

「・・・ねぇ真紅。この男、何を言っているの? 結界? 魔術師? ふふっ、おかしいんじゃないのぉ貴方」

 上条の言葉を鼻で笑いとばしてから、水銀燈は真紅を見た。

「真紅、狂った貴女にぴったりの契約者だと思うわ。あはははは、とんだ人間を選んだものねぇ」

 視線には嘲りの色。

 その色のままの声で、上条に目を向けた。


「でもそうねぇ、人間、貴方が可哀相だから一応教えてあげるわぁ」

 クスクスと笑い、水銀燈が言った。

「わたしには仲間なんかいないわよぉ。わたし、おばかさんも足手まといも大嫌いだからぁ」

 そしてそれ以上話をするつもりはないと言うように、翼を羽ばたかせ、身を翻す。

「くそっ、待ちやがれ!」

 上条は手摺りに駆け寄って手を伸ばすが、届くわけがない。離れていく背中を見送るだけだ。

 黒い背中は瞬く間に小さくなり、すぐに視界から消えた。

「・・・行ったようね」

 真紅が軽く息を吐き、体から力を抜いた。感じていた水銀燈の気配が消えたのだ。

 どこか手近なところからNのフィールドに入ったのだろう。

「・・・・・・」

「・・・当麻?」

 何も言わない上条を見上げる真紅。

 だが上条は応えない。視線さえ向けず、水銀燈が飛び去った方向を凝視している。

「・・・・・・」

 もう、水銀燈の翼は見えない。戻ってくる気配もない。

 戦いは終わっている。

 しかし上条は、左手を手摺りに叩きつけた。

「っ」

 返ってくる感触がいつもよりもずっと硬いこと―――つまりいまでも結界が機能していることを確認してから、真紅に目を向ける。


「真紅、教えてくれ。お前やお前の姉妹に、魔術を使えるやつはいないのか?」

「・・・当麻の言っている魔術がどういうものなのかは、私にはわからない。だけどもし、この廊下にその『魔術』がかかっていて、それが人の出入りを限定するような種類なのだとしたら・・・」

 真紅は一度言葉を切り、

「私たちには、そんな力はないのだわ」

「・・・・・・」

(力が、ない)

 どういうことだ?

 水銀燈が自分たちを逃がさないために結界を張ったわけではないのか?

 いやそもそも・・・彼女はこの結界の存在を知らないのか?

 もちろん水銀燈が嘘をついていない保証はない。

 水銀燈自身が魔術を行使できないのなら、別の第三者が介入する以外にないではないか。

 単に仲間というカテゴリーに属さないだけで、利害が一致する『敵ではない』相手がいる可能性も十分にある。

 だが、上条の目に映った水銀燈という存在は、そういったくだらない言葉遊びをするタイプではないように思えた。

 仮に協力者がいるとしても、おそらく今回の戦いに参加させただろう。

「だったら、」

 魔術師は、水銀燈と繋がりがない?

 いやそもそも、この戦いと『結界が張られていること』自体に関係がなかったとしたら・・・


「!」

 上条は目を見開いた。

 インデックス。

 朝から出掛け、上条の傍にいない少女。

 禁書目録と呼ばれ、全世界の魔術師が恐れ、欲している存在。

 出掛けた先は、比較的訪れる頻度が高い場所だ。

 上条がいないため、待ち伏せの魔術を仕掛けることが容易な場所だ。

 その先にいるのは特定種族以外には一切効力を持たない能力者と、魔術師でも能力者でもない、本当にただの一般人だけだ。

「そっちかよっ!」

 上条が奥歯を噛み締め、再び手摺りを殴り付けた。

 ガンッと音が響く。

 結界の中。

 返ってくる感触は、いつもよりずっと、硬い。



 上条は街を走っていた。

 学園都市の道路。学生の利便性第一に創られたこの街は、歩道が広く設定されている。

 だがそうは言っても今日は連休初日だ。道行く人の数は多く、その方向も点でばらばらである。こんな中を全力疾走すれば、50メートルも進まないうちに誰かに衝突してしまう。

 そのため、いま彼が駆けているのは、表通りから一本裏手に入ったいわゆる裏路地である。

 登校時には各地区に点在している学園に向かうため、ある意味にぎわうこの小さな路地も、いまは上条以外に走るものはいない。

 表通りから微かに届く有線と宣伝の音。いつもの日常が続くその僅か隣の道で、上条の非日常は刻まれていく。

(くそ! 間に合えよこんちくしょう!)

 整っているとは言いがたい彼の顔に浮かんでいるのは、紛れもない焦りだった。

 学生寮からの脱出に予想以上の時間をとられたのが、その焦りの原因である。

 彼の脳裏に、この夏に出会った錬金術師との戦いが思い起こされる。

 いまはもう記憶を失い、顔も名も変わっているだろうその男は、十分に準備された結界の中であれば文字通り何でもできる男だった。

 あのときと同じ術を―――少なくとも上条には同じにしか思えない―――使うものが、この都市の中にいるのだ。

 それだけでも焦燥感が募るというのに、今回はさらにやっかいだ。上条の足止めという先手を打たれている。

 こちらから乗り込み、向こうが受ける側だったときと、明らかに状況が違う。

 捕獲用の魔術でも仕掛けられていたら、朝、インデックスがエレベーターに乗った時点で、勝負がついている可能性だってあった。


 悪いことは重なる。

 結界が張られたのはおそらく、上条が水銀燈と戦い、廊下に出たその直後。それまでは室内のものに普通に触れている。テーブルサンドイッチが、何よりあの段階では結界は張られていなかった証明である。

 あの後、上条は部屋の中の物に何も触れることができなかった。ドア自体は開放状態だったので問題なかったが、中にある荷物はすべて『コインの表』だ。

(せめて携帯があれば、電話もできるっていうのによ!)

 歯噛みする上条。

 床に落ちた家具の破片すら拾えない上条。なんとか発見した携帯電話は不幸にも壊れた家具の下に滑り込んでしまっていたのである。

 さらに最悪なことに、固定電話も戦いの影響で壊れてしまっており、財布は残骸に埋もれて見つからなかった。

 小萌の家に電話して安否を確かめることもできないのだ。

 すぐに駆けつけようとした上条であったが、それも叶わなかった。

 エレベーターが使えないのは証明済み。その上、非常階段に通じる扉が、閉じられていたのである。

 避難通路になるその階段の扉は通常閉じたりしない。設置義務でもあるのかいたずら防止のためなのか、一応設けられているその扉は少なくとも上条が入寮して―――いや『いまの上条』になってからこっち、閉じられているのを見たことがない。

 誰かが閉めたのかはわからない。魔術師かもしれないし、寮生のだれかが異様な片付け魔で閉じていないのがいやだったのかもしれない。

 どちらにしても、その段階で上条は脱出の手段を奪われてしまっていた。


 そんな八方塞の彼を助けたのは、

「当麻、少し落ち着くのだわ」

 上条の耳に、静かな声が響く。

 真紅だ。

 魔術師が水銀燈と関係がない―――つまり、真紅も結界適用範囲外であることを指摘したのは、結界がどういうものなのかを把握していない真紅の方だった。

 エレベーターが危険なのは三沢塾で知っていたので、彼女の手で非常階段の扉ドアノブを開けてもらったのである。

 人の多さに危険を感じたことと、左腕に座る真紅の存在が異様に目立つこともあって、裏路地に入ったのは正解だった。学生寮からの全力疾走は止まることなく続いていた。

 そんな上条の左腕に腰掛けて首に手を回した姿勢の彼女が、彼の顔をじっと見ている。

「落ち着いてなんかいられるか! こうしてる間にも、あいつらがやべぇかもしれねーんだ!」

 全力疾走で荒れた息そのままで言い返す上条。

 インデックス、姫神、小萌。

 自分が大事だと思う人が危険に晒されているかもしれない。

 そう思うと―――八つ当たりだとはわかっているが―――冷静そのものの真紅の声が苛立ちを生んでしまう。

 だが怒鳴り返された真紅は、

「落ち着きなさい、と言っているの」

「っ!?」

 同じ言葉を繰り返し、上条の耳を右手で引っ張った。


「いてえっ!? 真紅何してっ、いててていってえ千切れる千切れる!」

 くい、という可愛らしいレベルではない。耳たぶを引っこ抜こうかというほどの力で引っ張られて、上条は痛みに脚を止めた。

 反射的に右手を真紅に伸ばそうとして―――あわててその手を止める。包帯で巻いていても、もし緩んでいて素肌が真紅に触れれば彼女を殺してしまう。

 さきほど脱出の際に上条の『幻想殺し』について説明を受けた真紅。

 理解力と応用力はインデックス以上に思える彼女は、左手のふさがった彼は自分に抵抗できないことを承知でしているのだ。

「いいこと、当麻」

 ぱっ、と耳たぶを放し、真紅が上条の顔を覗き込む。

「貴方が焦ることで走る速さがあがるのなら、私は止めない。でも、そうではないのでしょう?」

「そ、そりゃそうだけどだからって落ち着いてなんか・・・」と、上条。

 だが真紅は、いいえ、と首を振った。

「自分では気がついていないでしょうけれど、いまの貴方は倒れる寸前よ。生身で水銀燈と戦い、契約した私が力を振るった。その上で、今までずっと走ってきている。このままじゃ先に貴方が倒れてしまうのだわ」

「・・・・・・」

 上条は荒く息を吐きながらも沈黙を返した。

 そんなことはない。

 彼はそう思う。もっともっと体力を失った状況で戦ったこともある。

 だが真紅の瞳に浮かぶ光が、その反論を喉元で押しとめていた。

 自分を真摯に心配してくれる相手の言葉を、大きなお世話だ、と切り捨てられるような人間ではないのだ。

 真紅は言葉を続ける。


「お願い当麻。無理を言っているのはわかる。だけど、少しでいいから冷静になってちょうだい。貴方がここで気を失っても、私にはどうすることもできない。私は行き先がわからないし、迂闊に人前に出ればそれどころじゃなくなってしまうのだわ」

「・・・・・・」

 ここは学園都市だ。精巧な人形も自立駆動する機械も珍しくない。

 それでも真紅はそれとは別格だ。彼女が他の誰かに見つかれば、騒ぎにならないわけがなかった。

 魔術を理解しないこの都市において、彼女は研究材料として格好の的になるだろう。

「・・・・・・」

 上条は真紅から目を逸らし、大きく息を吸った。腹に息を呑み、ゆっくりと吐き出す。それを数回繰り返した。

 魔術師や能力者との戦いで、いつの間にか身についた腹式呼吸。

 バクバクと動く心臓が着実に酸素を全身にめぐらせ、代わりに本当に不要な分の二酸化炭素を排出していった。

 荒い呼吸は容易に過呼吸を引き起こすもの。息が切れるような状況ほど、的確な呼吸が大切なのである。

「・・・・・・」

 そうしてわかるのが、予想以上の自分の疲労だった。

 体力と打たれづよさ、回復力には自信がある彼にして、体の芯にねばりつくような疲労を明確に感じる。

 予想以上に、疲れていた。


「・・・ごめんなさい」と、その表情を見て取った真紅が言った。

「契約は私の力を引き出すために必要な手続きに過ぎない。私が力を振るうと、どうしても、貴方の体力を奪ってしまうのだわ」

「そうなのか?」

「ええ」

 平静だがどこか申し訳なさそうな響きを持つ真紅の声。

 だが上条は、そんな彼女にちらり、と笑みを浮かべてみせた。

「んなもん、気にすることなんかないさ。必要ならどんどん使ってくれりゃいい」

 彼の口調は先ほどよりもずっと落ち着いている。呼吸はまだ乱れているが、荒いわけではない。

「でも・・・」

「それにさっき、真紅は俺を助けてくれただろ? この程度で文句言ってたら、バチが当たっちまうよ」

 ぐっ、と右手を握る。先ほどよりも力が入った。重かった脚も幾分軽くなったようだ。

「・・・よし」

 それを確認し、上条は顔を巡らせた。

 路地の隙間から見える表通りの風景で、現在位置を確認。改めて小萌の家まで距離とルートを再検索する。

 やや遠い。だが回復したいまの体力なら、途中数回の呼吸調整でたどり着けない距離ではなかった。

 逆に言えば、さっきまでの体調では途中で動けなくなっていた可能性のある距離である。


「・・・真紅、しっかり掴まってくれ。ここからなら一気にいけると思う」

「わかったのだわ」

 真紅がうなずき、上条の首に手を回した。

「それと、その」

「?」

 駆け出すと思ったところで言葉が続き、真紅は上条の方に目を向けた。

 彼は横目で彼女を見ながら、

「さんきゅ、助かった」

「え・・・」

 それだけ言って、上条は地面を蹴った。

 もう彼は真紅を見ない。前だけを見て、路地を疾走する。

「・・・・・・」

 再びゆれ始めた視界。

 真紅は振り落とされないよう、両手に力を込めながら、

「まったく、世話のやけるマスターを持つと苦労するのだわ・・・」

 と、言った。



「・・・見えた!」

 ビルの密集によって迷路のように張り巡らされた路地を疾駆し続け、もういくつかわからないほどの路地角を曲がった先。

 頬といわず額といわずに大粒の汗を浮かべた彼の目が、ついに目的地を視界に納めた。

 真正面。大通りに面した路地の切れ目。

 その大通りの向こう側に、築何十年かわからない二階建てアパートが見えた。

 アパートをはじめとする賃貸住宅が並ぶ、この住宅街。人口のほとんどを学生に占められているこの都市において、大人といえば教師と研究者がほとんどで、それ以外には商店デパートの従業員と言った所だ。

 家族と同居している学生は、せいぜいそれらの家族である場合のみでほとんど皆無である。ここはそんな比率的に圧倒的少数である大人たちの一角だった。

 昼時ということもあって、商店街と異なり往来はほとんどない。

 これなら上条の左腕に腰掛けた真紅も、そう目撃されることもあるまい。仮に見えたとしても、せいぜい学生が何かの悪乗りをしていると思われるだけだろう。

「すまんっ、このままっ、行くぞっ!」

 機関銃のように呼吸を繰り返しながら―――もう腹式呼吸をするだけの体力もない―――上条が真紅に告げる。

「ええ」

 対する真紅は必要最低限の返事だけを返した。

 上条の言う目的地の場所はわからない。だが彼の視線と表情から、もうそれが程近いのだろうということが伺えた。そこまでわかれば十分だ。


 真紅は上条を見る。

 いくら冷静さを取り戻し、幾たびか呼吸調整をしたとは言っても、彼は人間だ。連続して動き続ければ疲労の蓄積は早くなり、回復は遅くなる。

 顔色は赤をとっくに通り越して青くなっている。迂闊に話しかければ、この男は律儀に質問に答えようとするだろう。これ以上負担はかけたくなかった。

(インデックス、姫神、小萌先生、頼む無事でいてくれ!)

 三人の無事を強く祈りながら、大通りに飛び出す。

 歩道を行く幾人かの主婦らしき人影が、赤色の人形を抱えて路地から出てきた少年を見て、ぎょっとした顔を浮かべた。

 それを視界の端に収めながらも、上条は無視。走る勢いそのままに、車のいない車道をつっきるためにガードレールを跳び越えた。

 平日の朝であってもラッシュとは無縁の車道を一息に走りぬけ、上条はアパートの敷地内に入った。

 小萌の部屋はアパートの二階だ。

 長方形型のアパートの角にへばりつくように設置された、鉄製の外階段。

 一直線にそれに向かい、今にも崩れ落ちそうな階段を二段飛ばしで駆け上がる。 踏みしめるごとにギシギシと音が鳴り、それが4回響いたところで階段が終わった。

(―――っ!)

 外階段から続く外廊下。洗濯機が並ぶその廊下の先に顔を向けた上条が息を呑んだ。

 ドアの開けっ放しになった部屋がある―――小萌の部屋だ。

 ドアは小さく揺れている。つい先ほど開け、そのまま放りだしたかのように。


(ちっくしょう!)

 かっ、と頭に血が昇るのを感じ、全身に力が入った。

「当麻?」

 それを感じとった真紅が上条の顔を見た。

 犬歯をむき出し、歯噛みする上条。その形相で事態を悟ったのか、真紅の表情にも緊張が走った。

 そこに―――

 びゅうっ、と一陣の風が吹いた。

 大通り向こうのビル。その隙間から来る、ビル風だ。

「っ!」

 上条の見ている前で、風に吹かれたドアが動きはじめる。一度完全に開き、反対側の壁に当たって、今度は収まるべき枠組みの方に戻り始めた。

 もしもいま、このアパートに結界が張ってあったら、ドアが閉まった段階で開けることができなくなる。

 学生寮では真紅が効果範囲外だったが、今回もそうだと言う保証はない。

「―――っ!」

 もつれる脚を無理やり動かし、ボロボロの鉄筋の廊下を踏み抜こうかと言う勢いで走り出す。


 だが。

(ちょっと待てこのやろうっ!)

 駄目だ。上条がドアの前に立つより、ドアが閉まってしまう方が早い。

 このままのスピードでは、文字通り、あと一歩間に合わない。

「扉が!」

 真紅が叫ぶ。

 結界の何たるかは知らずとも、どういうものかの察知はついていた。

 あの扉が閉まれば、やっかいなことになる。

 ホーリエに命じようと真紅は左手を持ち上げ、

「・・・っ!」

 その腕が凍りついたように止まった。

 もう限界に近い上条の体にこれ以上の負担をかければ、それこそ命がどうなるか。

 迷いが真紅の心を縛り、それ以上彼女は動けない。

「このっ、ふざけんっなぁっ!」

 しかし上条は一瞬たりとも迷わなかった。

 彼は右足を一歩として踏み出す代わりに、体を限界まで捻って蹴りを放った。

 ドアは動いている。結界内では、『コインの裏側』から『コインの表側』に影響を与えることはできない。

 だが、今現在動いているものに触れることができれば、三沢塾で経験したように『引っ張られる』こともある。

 うまくいけば中に入ることができるかもしれない。


 それは諸刃の刃どころか、あまりにも無謀な賭けだ。もしも挟まれれば、まるで卵のように上条の足は押しつぶされてしまうだろう。

 だが―――だがそれでも、僅かでも開いてさえいれば。


 もしこの中に、いままさに攫われようとするインデックスたちがいたら。



 インデックスが連れ去られていても、姫神や小萌がいたら。



 残された彼女らが、怪我でもしていたら。



 上条にはわかっている。結界が張られていたら、その怪我をした彼女たちにすら触れることができない。

 だがたとえそうだとしても、上条には外から見ているだけしかできない自分など、認められない。

 そして。

 放物線を描いて戸枠に戻るドアの側面。そこに上条の靴が届く―――その直前。




「あ、ドアが開いてるんだよ」

 ひょい、とその部屋の中から、見覚えのありすぎる白装束が顔を出した。



「はあっ!?」

 上条が自分の目を疑い、

「へっ?」

 白装束―――インデックスが上条の方を見た。

「閉まってなかったんだよ閉めないといけないんだよ」とでも言うように平和な顔を向ける白装束の左手には、ちょうど当麻が真紅を抱えているように、スフィンクスが納まっている。

 彼女はそのスフィンクスが出て行かないようにドアをきちんと閉めようとしたのだろう。右手はしっかりとドアノブを握っていた。

 そして不幸にも、インデックスはドアをそのまま閉めるのではなく、勢いをつけようとして少しだけ前に押し出していたようだ。

 上条の狙い通りなら、ドアの側面―――鍵等の機構がある部分に当たるはずだった爪先は、必然的に、僅かに開いたドアの内側に突き刺さった。

 バァン、と盛大な音とともに、ドアが蹴り開けられ、

「うひゃあっ!?」

 インデックスの可愛らしくも間抜けな悲鳴があがる。

 彼女にしてみれば、閉めようとしていたドアがいきなり開いたのだ。それも閉める勢いをつけるため、僅かに押し出したまさにそのタイミングで。

 驚かないわけがない。

 人間の反射行動として強くドアノブを握ってしまうインデックス。それが災いし、白い少女は大きく前につんのめった。


 一方、上条は疲労していた。水銀燈と戦い、真紅が能力を発揮したことで体力を使い、その上の全力疾走。いくら途中で多少の休憩を挟もうとも、体力はともかく筋力はそんな短期間では回復しない。

 そこに、全体重をかけた蹴り。

 脚がもつれ、蹴り足を制御することなど、できるわけがなかった。

 重力の作用に引かれ落ちた上条の足が、鉄製廊下をダァン!と踏みしめた。

 ビリビリと廊下どころかアパート全体が揺れ、小萌の部屋の天井からパラパラとなにやら砂のようなものが落ちる。

 そして、

「わっ、わっ、わっ」

 前につんのめったインデックスの脚が、

「ひゃあっ!?」

 上条の靴におもいっきり引っかかった。

 某牛丼超人のように前に倒れこみ、瞬間的に空中に浮く形になったインデックス。上条の蹴りにより慣性力を得たドアは、まだ開く方向に動いていた。

 そのままドアに引っ張られるようにして、インデックスは空を舞う。

 さらに不幸なことに、驚いた彼女は、ドアノブから手を離してしまっていた。

「あ・・・」と、上条の口から声とも吐息ともとれない音が漏れる。


 異様なほどスローモーションで見える状況の中で、インデックスと上条の目が、確かに視線を交差させ―――

「――――――」

「――――――」

 ―――それでお別れだ。

 シスターの体が描いた華麗な放物線は、上昇最高点でちょうど外廊下の手すりを跳び越え、そのまま下降に転じる。

 廊下の手すりの向こうには、約5メートルほど下方に地面があるのみだ。

 野生の勘で危機を感じ取ったのか、スフィンクスは手すりを跳び越えるまさにその瞬間に、インデックスの腕から脱出した。

 そして今こそ、白い少女は上条の視界からフェードアウトしていく。


 後日、それを室内から見ていた姫神は、

「びっくりした。人が空を飛ぶのなんか初めて見た。綺麗だった」

 と、述懐したという。



 そんな風に、インデックスがアパート二階から強制紐なしバンジージャンプをしていたころ。

「・・・うーん、ちょっと買いすぎちゃいましたか」

 見た目十二歳趣味嗜好完璧大人な女教師小萌先生は商店街を歩いていた。
 
 両手に左右ひとつずつ提げられたスーパーの買い物袋の中身は、左は缶ジュースやらウーロン茶のペットボトルが数本。右は各種ビールと、煙草が1カートンというもの。

 重い。

(むすじめちゃんがいてくれたら楽だったのかもしれませんけど、どこかに出掛けちゃってるんですよねー)

 座標移動、という学園都市でもかなり珍しい能力を持つ現同居人の顔を思い浮かべる小萌。

 その同居人は、今朝から出掛けてしまっている。正確には小萌が起きたときにはもう姿はなく、『ちょっとでかけてくる』との書き置きだけ残っていたのだ。

 本当に用事があったのか、それとも食べ物処分パーティーを嫌がったのかは、小萌にはわからない。

(出来ればシスターちゃんと姫神ちゃんを紹介したかったんですけど)

 精神的に多少他人と距離を置く傾向にある少女のことを思う。

(まぁ、それはまた今度にしましょうか)

 小萌は心配に属する思考を中断し、前を向いた。


 いつもと変わらぬ商店街が、いつもより若干多くの人混みで賑わっている。

 今日は朝からインデックスと、前の同居人である姫神との三人で様々な食材をやっつける作業に勤しんでいたのだが、その途中で飲み物が切れてしまったのだ。

 いくら食べ物が美味しかろうと、飲み物がぬるい水道水ではそれも半減と言うもの。

 そんな理由で、小萌は軽い運動も兼ねて、商店街まで脚を伸ばしたのである。

 インデックスも姫神も自分が買いにいく、と言っていたのだが、

(シスターちゃんに任せたら迎えにいく手間が増えるだけですしー、姫神ちゃんは何を買ってくるのかわかりませんからねー)

 はふー、とため息をついた。

 その吐息はすでに若干の酒精が混じっているが、それを咎める者はいない。この界隈で、小萌は有名人なのだ。当然、見た目どおりの理由でだが。

 小萌は両手にかかる飲み物の重さを安心の代償と考えることにして、いつも『趣味』で使う路地に入ろうと、手近なビルの角をひょいと曲がった。

 普段から家出少女を探して歩く身だ。ビルの乱立で複雑化した路地の中でも、彼女は完璧に把握している。どこが危険でどこがそうでないかのさじ加減はよくわかっていた。

(今日は連休初日ですからねー。もしかしたらその辺りにいるかもしれませんし)

 家までの近道を選択しながらも、一応周囲を気にしながら歩く小萌。  


 その様は客観的に見たら、初めてのお買い物で迷子になった少女、という風情。間違っても家出少女を保護しようとしている教師には見えない。

 夏休みの間に学生寮に移った姫神に代わって転がり込んだのが結なのだが。

 そんな妙と言えば妙、教師らしいといえばそうも言える『趣味』に勤しんでいた小萌が脚を止めたのは、ちょうど次に角を曲がれば大通りと彼女のアパートが見えてくる、というところだった。

 ぽてぽてと歩いていた小萌は、自分の呼吸を細く緩やかにして、右手側の細い細い路地の方に耳を傾けた。

「・・・・・・」

 ビルの間の隙間が細すぎるため、昼にも関わらずかなり薄暗い路地。

 高い音をたてて吹く隙間風に混ざって、

「ン・・・スン・・・ゥェ・・・」

 聞こえた。

 小さな、ほんとうに小さな泣き声。

 それは、小萌が『そういう声』がしないかどうか注意していたゆえに聞こえたと言っていいほど、か細いものだ。

 彼女の表情が一瞬にして教師のそれになる。そしてそっとその場に買い物袋を置くと、じっ、と路地に目をやった。

「・・・・・・」

 しばらくそうしていると、目が慣れてきて、路地の奥がうすぼんやりと見えるようになってきた。

「グス、スン、ウエェン・・・」

 それと同期するように、風にまぎれてはっきりしなかった声が、幾分はっきりと聞こえてくる。

「誰かいますかー? どうしたんですかー?」

 そう声をかけながら、小萌は路地の中に脚を踏み入れた。

 小柄すぎる小萌にして、ギリギリの狭さ。そして、

「ひうっ!?」

 幼さのある声が、驚きを乗せて耳に響いた。


(あらら、どうも迷子っぽいですね)

 その予測を裏付けるように、少しだけ進んだ奥に浮かび上がった人影は、小萌よりもなお小さい。

 何か箱のようなものの傍で、両手を顔に当てて蹲っていた。

 襟元までだが軽くウェーブした髪に、薄暗闇でもわかるひらひらとした服。間違いなく女の子だろう。

 もう少し近くに寄ろうと踏み出した小萌の足が、ざっ、と音をたて、

「っ!」

 ビクッ、と震える少女。

「あ、ごめんなさい、驚かしちゃいましたね。大丈夫ですよー怖くないですよー」

 そう言いながら、小萌はひょい、としゃがみこんだ。相手と目線を合わせたのは、上から見下ろして不安がらせないための措置である。

 それが功を奏したのか、少女がそろそろと顔を上げた。

「グス・・・だぁれ・・・?」

 予想通り。ずいぶんと、幼い声だった。

「わたしですかー? わたしはねー、先生ですよー」

「先生・・・?」

「そうですー。小萌先生って言いますー。よろしくですお嬢ちゃんー」

「う、うぃ」

 小萌の方が路地入り口側にいるせいで、こっちの顔がよく見えないのだろう。どこかビクビクとした口調で返事をする少女。

 なるべく刺激しないよう、無駄だとはわかっているが小萌はにこりと笑顔を浮かべる。

「でー、小萌先生はー、お嬢ちゃんに教えてほしいことがあるんですー。いいですかー?」

「う・・・? なぁに・・・?」

 反応があり、小萌は内心で手を打った。ここまでくれば、とりあえずは大丈夫だろう。後は、ゆっくりゆっくりと聞きたいことを言えるように誘導してやればいい。


「お嬢ちゃんのお名前ですー。小萌先生、お嬢ちゃんのお名前が知りたいですよー」

「うゆ・・・名前・・・」

 少女はある程度警戒を解いたのか、目元に当てていた両手のうち片方を、胸元に下ろした。

「そうですー。お嬢ちゃんとっても可愛いですからねー。小萌先生はお嬢ちゃんのお名前も聞いてみたいのですよー。きっと可愛らしいんでしょうねー」

「うぃ・・・」

 ぐすっ、と涙を引き上げる音。続いてゴシゴシと少女は目元を擦った。

「名前・・・」

「はい、名前ですー」

「ヒナは・・・ヒナの名前は・・・」

「はい、ヒナちゃんのお名前はー」

「ヒナは・・・雛苺・・・」

 ひくっ、としゃっくりに似た音が響き、少女が顔を上げる。

「ヒナの名前は・・・雛苺なの」

 薄暗闇の中。

 涙で濡れた少女の翡翠の瞳に、小萌の姿が映し出された。



「どうぞ」

 コトリ、と小さな音をたててテーブルの上に、小さめのカップが置かれた。

「あ、ありがとうなのだわ」

 若干戸惑い気味に礼を言いながら、真紅は取っ手のない、俗に『湯飲み』と称されるそのカップを小さな両手で包んだ。

 彼女がらしくなく居心地悪そうにしているのは、目の前にいる和装の少女の、文節ごとに切るような話し言葉のせいでも、湯のみの中に紅茶が満たされているというアンバランスさによるものでもない。

 部屋の出入り口であるドアの内側玄関部分で起こっている凄惨な状況が原因だった。

「あの・・・」

 と、遠慮がちに口を開く真紅。

 だが彼女が続きの言葉を言う前に、

「姫神秋沙」

 と、真向かいに腰掛けた和装の少女が言った。

「え?」

「私の名前。姫神秋沙」

「あ、わ、私は真紅なのだわ」

「そう。わかった」

「・・・・・・」

 それで会話が終了してしまう。

 真紅が目覚めて2番目に話をした人間は、これまた彼女の姿かたちになんの疑問も持っていないようで、驚いた様子もあれこれと聞いてくることもない。

 真紅にしてみれば説明する手間が省けて助かるのだが、逆にこうもリアクションがないと、それはそれで落ち着かなかった。

(・・・この時代ではこれが普通の対応なのかしら)

 そんな風に思わないでもない。

 だが、このまま黙っているわけにもいかなかった。


「それでその、秋沙」

 意を決して、真正面に座りなおした姫神に話しかける。

「なに」

「その・・・彼女、そろそろとめた方がいいと思うのだけれど・・・」

 玄関付近に視線を向けながら、真紅が言う。

 だが姫神は、ちらり、とそちらの方に目をやってから、

「問題ない。むしろ。彼にはいい薬」

 それだけ言って、自分用に淹れた湯のみ(紅茶入り)を傾けた。

「・・・・・・」

 真紅の手の中の湯飲みは温かかったが、にべもない彼女の言葉と視線に寒気を覚えざる得ない。

 どこか引きつった表情を浮かべながら、真紅は視界の端ギリギリに見えるその『惨状』から、完全に目をそむけた。

 白い猛獣が、人の形をした肉を咀嚼している。

「・・・・・・」

 もうかなりの時間、この『惨状』は続いていた。

 真紅の持つ紅茶は、香りでわかるほど丁寧に淹れられたもの。

 『惨状』の開始と同時に、姫神が淹れ始めたところをとっても、経過時間は20分以上は硬かった。



 あの見事な放物線を目撃してから、上条のとった行動は迅速だった。

 即座に手摺りから下を覗き込み、シスターが大の字で心持ち平べったくなっているのを確認。

 直後、やけに事務的な動きで部屋の中に入って真紅を下ろすと、なぜか巫女装束の姫神に「説明は後でするからお茶を出してやってくれ」と告げた。

 その後、玄関ドアの目の前で正座をすると、それはそれは見事な土下座をしたのである。

 上条が頭を下げたと同時に、勢いよくドアを開けて入ってきた白色―――いや、土色のシスターは、一応シスターらしくすべてを許すような慈愛の笑みを浮かべていたが、真紅にはそれが悪魔の形相に見えたものだ。

 その後の光景は、正直思い出したくない。

「で、でも当麻はもう気を失っているのだわ。これ以上はいくら彼でも危険だと思うのだけれど」

 思い出したくない。

 思い出したくないのだが、目を逸らしつづけるにはあまりにも残虐だ。

 勇気をもって発した真紅の言葉だったが、

「止めたいならば。あの間に割ってはいるといい。貴女がそうするのを。私は止めようとは思わない」

 姫神はにべもない。

 『惨状』にはまるで関心がないように、紅茶に口をつけている。


 察するに、姫神も上条が心配していた相手の一人だと思うのだが、当の彼女は彼を心配している様子はなかった。

 いや、シスタ――――髪や瞳の色から考えて彼女がインデックスだろう―――が落下して、上条が部屋の中に入った当初は、この未来を予測していたのか、薄くであるが心配そうな顔をしていたのだ。

 しかし、真紅が上条の首に手を回していたところと、彼がその真紅を丁寧に床に下ろしていたところと、そして彼の左手薬指に薔薇を模した指輪が嵌められているところを目撃してから、やけに雰囲気が厳しい。

 もちろんそれは真紅に向いたものではないのだが。

「・・・・・・」

 真紅はもう一度、上条の方を見た。

 噛み付かれ始めてから5分ほどは大声で謝罪の言葉を口にしていたし、それが聞こえなくなってもまだビクビクと小さく痙攣していたように思う。

 しかしつい先ほどからそれもなくなり、完全にされるがままだ。痛みのために握り締められていたはずのコブシも、力なく開いてしまっている。

 やばそうだ。

 やばそう・・・なのだが。

(・・・ごめんなさい当麻。私は誇り高き薔薇乙女。お父様に頂いたこの体に歯型をつけるわけにはいかないのだわ)

 自分の誇りと意思により護ると誓っていても、流石にあの光景に割ってはいる度胸はない。

 真紅は目を閉じると、震える両手で湯飲みを持ち上げ、ゆっくりと口を付けた。



 雛苺という少女が泣き止むまで、都合30分が必要だった。

「はい、よくできましたねー。いいこいいこ」

 いまだぐずっている雛苺の頭を撫でながら、小萌は内心で安堵の吐息を吐いた。

 名前を聞き出すところまでは順調だったが、その後が苦労したのである。

 どうしてここにいるのか、何をしているのか、親御さんはどこにいるのか。

 とりあえず必要な情報を聞き出そうとしたのだが、その度に少女はグスグスと泣き出してしまったのだ。

 それをイライラすることなく宥めすかすことができたのは、小萌が根っからの教育者であったからであろう。

「・・・ヒナ、いいこ?」

「はいー。とってもいいこですよー」

「・・・えへへ」

 にぱっ、と笑う少女。

 まだ瞳は涙に濡れているが、先ほどまでのように不安に彩られてはいない。頭を撫でる小萌の手に幾ばくかの安心感を得ているようだった。


(うんうん、これなら大丈夫そうですね)

 それだけで苦労が報われたような気持ちになり、小萌も嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その笑顔のまま、

「それで、ヒナちゃん。小萌せんせーに教えてくれますか?」

 頭を撫でながら、雛苺と目の高さを合わせる。

「う?」

 首をかしげ、小萌を見上げる雛苺。

「ヒナちゃんは、どうしてこんなところにいたんです?」

 どう見ても、雛苺は10歳にもなっていない。どんなに贔屓目に見ても5歳か6歳といったところだろう。

 そんな年代の少女が、そもそもこんなところにいること自体が不自然だった。

 それに小萌は、伊達にこの界隈で『趣味』をしていない。これだけ目立つ少女がいれば、見覚えくらいはあるはずである。

 だが雛苺は小首を傾げ、

「ヒナ、言われたのよ」

 と、言った。


「言われたの、ですか?」

 鸚鵡返しに問う小萌。

「うい」

 雛苺はこくりと頷き、続ける。

「ヒナ、目が覚めて、それで、待ってるように言われたの。それで待ってたら、小萌に会ったのよ。で、で、こもえに会ったから、ヒナはこもえと行かなくちゃいけないの」

「う、うーん」

 たらりと汗をかく小萌。

 雛苺の言うことは、年齢を考えたら仕方ないのかもしれないが、要領を得ない。

(目が覚めたらってことは、ここに来るまでは寝ていたってことですよね。でも、待っているように言われてったことは、わざわざここに置いていった事になってしまいます)

 そんなことをするメリットがどこにあるというのだろうか。というか、こんな小さな娘を(しかも寝ている娘を)こんなところに置いていくなんて、あり得ない神経である。

(それに、行かなくちゃいけない、って言いましたか。それじゃどこかで待ち合わせを? でもこんな小さな子に一人で? ・・・なんだかよくわかりませんねー)

「・・・ヒナちゃんにここで待っているように言ったのは、ヒナちゃんのお母さんなんですかー?」

「ノン」

「え、じゃあお父さん?」

「ノン」

「え、ええーと・・・じゃあ、誰なんですかー?」

「人形のおねぇちゃんなのー」

「・・・・・・」

「お?」

 沈黙する小萌に、雛苺は再度首をかしげた。


 見上げてくる少女の視線は、まるっきり純粋なものだ。わざと小萌を困らせてやろうとか、そういう意図があるようにはまったく見えない。

 いやそもそも、この少女は先ほどまでここで泣いていたのだ。不安を覚えていたこの娘がわざわざ嘘を言う可能性など皆無であると言えた。

(人形のおねぇちゃん、ですか)

 この地区のことであれば大抵のことがわかる小萌であるが、流石にこの条件では誰を意味しているのかまではわからない。

 おそらく彼女の近しいところにいる、人形をたくさん持っている女性あたりだろう。

 だが口ぶりから察するに、血縁としての姉と言う感じではなさそうだ。

 そもそも、父母の可能性を否定しているのがよくわからなかった。

「・・・・・・」

「?」

 改めて雛苺に目をやる小萌。

 少女は先ほどの怯えたようなものからは考えられないほど柔らかな表情を浮かべている。

 普通ならば、然るべき機関に預けるのが、もっとも早い解決策だろう。

 やはり個人の力と組織の力の差は大きい。それにこれだけ特徴的な少女だ。捜索願いでも出されていれば、すぐにでも保護者の元に戻れるはずである。

 しかし、今回の場合はどうも様子がおかしかった。彼女の話す内容から、保護者らしき人物の影も見えないのである。

 そしてそれ以上に―――自分を純粋に信じてくれている雛苺をひょいと別の人間に預けるのは、正直気が引けた。それこそ彼女は、自分が置いていかれたように感じてしまうかもしれない。

 この時期の少女にそういう意識を持たせるのは、小萌としては避けたいのである。

(・・・仕方ないですねー。シスターちゃんと姫神ちゃんには電話することにしましょう)

 ちらりと自分の背後に置いてある買い物袋を見る小萌。自分のアパートはすぐ近くであったが、事態が事態だ。こっちのことを優先させることにする。

「じゃあヒナちゃん」

「うょ?」

「ヒナちゃんは、どこかに行かなくちゃ行けないんですよね?」

「そうなの。こもえといっしょに行くのよ」

「ん、じゃあ小萌せんせーを、いまからヒナちゃんが言われた場所に連れて行ってくれますか? ヒナちゃんは、それがどこだかわかりますか?」

「ノン、でもベリーベルが教えてくれるのよ」

「べりーべる?」

「うい。ヒナの人工精霊なの」

「人口政令? う、うぅーん・・・とりあえず、行き先はわかるんですね? じゃあヒナちゃん、小萌せんせーと一緒に行きましょう」

 そう言って、小萌は立ち上がり、雛苺に向けて手を差し出した。

「うゆ?」

「せんせーとお手手を繋ぎましょうかヒナちゃん。せんせーはどこに行けばいいのかわからないので、迷子にならないようにヒナちゃんが手を繋いでください」

「・・・・・・」

 雛苺は驚いたような表情を浮かべた後、

「えへへー」

 にぱっ、と笑い、小萌の手を取った。

「じゃあ行くの! こもえ、迷子になっちゃだめなのよ?」

「はい、じゃあ小萌せんせーを連れて行ってくださいね?」

 歩き出す雛苺。

 スキップするような少女の歩調に脚を合わせ、小萌も脚を踏み出した。



・・・・・

・・・





 そして、二人が歩き去ってから。

 つい先ほどまで、雛苺が蹲っていたその僅か一歩奥。

 そこにあるのは大きな鞄。雛苺自身がすっぽり入りそうな、高価そうな鞄だ。

 薄暗いため、小萌が気に留めなかったそれの蓋が、



 ギィ



 とひとりでに開いた。

 そしてその中から、ふわり、と桃色の光球が浮かび上がる。

 光球は周囲の薄暗闇を払うように一度大きく光った後、逆にその光量を落とした。 薄暗い路地の中でさえぼんやりとしか見えなくなった光球。

 それは音もなく、しかし弾かれたような勢いで上昇し、陽光の中に身を晒す。

 午後真っ只中の光の中、人の目にほとんど映らなくなった光球は、一気に加速してその場から離れ、飛び去った。

 その光球が描いた軌跡の下に。



 小萌が、一人の少女とともに、歩いている。



 学園都市第七学区・常盤台中学学生寮。

 石造り三階建ての、洋館と見間違う風のその建物も、今日はどこか浮ついた雰囲気に満ちていた。

 連休初日ということに加え、昼前ということもあり、寮の中に人影はまばらである。

 大覇星祭が終了して数日。後片付けも終わった最初の休みとあれば、普段なら鬼と呼ばれる寮監により引き締められている空気も、緩むというものだろう。



「はー」

 と、白井黒子は若干の疲れが残ったため息を吐いた。

 年齢にそぐわない、やけに面積が少なく透過率の高い下着をつけただけの彼女。

 シャワー直後であるため若干湿り気を帯びた髪を気にしながら、柔らかいスプリングのベッドに後ろ手に手をついて腰掛けていた。

「・・・少し、寝不足ですわね。まったく、十分な睡眠は乙女に必要不可欠だというのに」

 そう言う白井の顔には、確かに疲労が見える。

 昨夜、風紀委員の仕事で急遽呼び出され、明け方まで仕事をこなしていたせいだ。

 眠い。

「初春はきっとまだ夢の中でしょうね」

 ともに仕事をしていた同僚のことを考え、つい苦笑が漏れる。早朝、別れたときに頭の花飾りが若干萎れていたのがやけに印象に残っていた。

 これで今日も夕刻から仕事があるのだから、連休というものの意義を問いたくなってもくる。

「まぁでも」

 一転、にへら、と白井の頬が緩んだ。

 目を覚ましたのはいまから2時間ほど前の、ちょうど9時になろうかという時刻。その時にはもう何処かに出掛けたのか、同室である御坂美琴の姿はなかった。

(お姉様の温もりと残り香を堪能できたのはまさに僥倖でした)

 ウヒヒヒヒ、と、よだれでも垂らしそうな顔で笑う。


 深夜に呼び出しを受けた自分に気を遣ってくれたのだろう。白井が目を覚ましたところ、普段はきちんと畳まれて整頓されるはずの美琴のベッドが、そのままになっていたのである。

 そこに潜り込まない道理はない。

(・・・シャワーを浴びて、お姉様の香りを手放さなければならなかったのは失敗でしたけど)

 つい本能の赴くままにダイビングしたため、理性復活後に入浴すべきか香りを残すべきか大いに迷ったものだ。

 とはいえさすがにそこは乙女心。仕事明けに学内設置の簡易シャワーを浴びただけで今日を一日闊歩するのは、流石に躊躇われたのである。

「それにしても、」

 ぽん、と自分が座るベッドを軽く叩き、思う。

 美琴は何処に出掛けたのだろう。

 普段であれば、休日だから買い物にでも、と考えるところである。

 立ち読みが趣味という美琴であるので、そう言われても不自然ではないのだが。

(・・・例の一件がお耳に入っていたとしたら、わからないですわね)

 例の一件―――それは、昨夜呼び出しを受けた事件のこと。


 電撃使い襲撃事件。

 それはそのように呼称されていた。

 どんなものかはもう、呼称名そのままである。

 学園都市内の電撃使いが、次々に襲撃されているのだ。

 事件の起こりは、正確にはわからない。だが初春がまとめた情報によると、大覇星祭開催と同じくらいに、第一の事件はもう起こっていたとのこと。

 当初はただの競技内の怪我か、もしくはそれに端を発する小競り合いと思われていたらしい。

 しかしそれらをひとつひとつ調べていくと、その異常さは浮き彫りになっていった。

 電撃使いだけが狙われていること。

 その中でもレベル3の女性だけ、ということ。

 被害者は建物の中でだけ発見されること。

 にも関わらず、まったく人目につくことがないということ。

 意識を取り戻した被害者は、襲撃された記憶を失っていること。

 そして何よりも特殊で異常なのが、


(・・・被害者は、能力が使えなくなっていること)

 白井が、すう、と目を細めた。

 実際には能力がなくなったのではない。

 計測上、襲撃される前と数値はまったく変わらない。しかしある程度以上の力を発現しようとすると、突然『力が抜ける』らしい。

 具体的にどんなものなのか、被害者の証言だけであるのではっきりしないが、症状はみんな同じなのである。

(なのに、精神感応能力も念写系能力でも詳細不明、か)

 それだけ特徴的な事件であるにも関わらず、事件概要はほとんど不明。

 探査系能力で何があったかをしろうとしても、まったく読み取れず、念写もできないのだという。目撃者もおらず、周囲の監視カメラはなぜかその時間だけ動作不良を起こして砂嵐という有様だ。

 能力損失という結果から考えて、犯人は精神系の能力だとは思われた。だが、戦闘向きの電撃使いを相手取って優位になれる能力者など、数えるほど、というか一人しかいない。

(でも第5位はアリバイも完璧ですし、そもそもそんなことには興味がないはず)

「・・・・・・」

 はぁ、と白井は先ほどとは異なる思いの混ざったため息をついた。

 とりあえず現状、このことは外部に漏れてはいない。

 能力者が狙われている、という程度のことはこの学園都市では普通である。というか、ほとんどが能力者なのだから噂にすら上らない。


 だが、昨日。

 ついに常盤台中学の生徒で、しかもレベル3以外の―――レベル4が初の被害にあったのだ。

 被害場所は、常盤台中学の体育館。

 大能力者の事実上の能力損失と校内への侵入。いずれも一級のスキャンダルである。面子と対面を気にする名門らしく、発見者への箝口令と風紀委員の招集は迅速だった。

 辛うじての救いは被害者が戦闘向きの能力ではなく、電子機械にアクセスする等で力を発揮するタイプだった、ということだろう。常盤台学園上層部は、被害者が本来の力を出せる環境ではなかった、と失態に理由付けをしているはずだ。

 だがもし。

 この事件に御坂美琴が巻き込まれ、万が一にでも能力損失などということになれば。

「・・・・・・」

 美琴はこの学園都市第三位の超能力者だ。はっきり言ってまともにやりあっていいような存在ではない。このことは学園都市に住む者なら誰でも知っている。

 彼女の矢面に立って畏れないのは、同じレベル5か、美琴が言うところの『あの馬鹿』くらいのものだろう。

「・・・・・・」

 だがそれでも、白井は心配だった。

 下手人がどんな能力でどんな者なのかはっきりしないことも理由のひとつだが、それ以上に、御坂美琴の人柄をよく知るがゆえ。

 この都市で電撃使いの代名詞と言えば、間違いなく美琴だ。

 事件を知る人間は、こう思うに違いない。




 一連の事件は超電磁砲を打倒するためのデモンストレーションだ、と。


 この事件の『詳しいこと』を美琴が知れば、彼女は必ず解決しようとするに違いない。それも、誰に何も告げず、独力で。

「・・・・・・」

 白井は己の両手を、ぎゅっ、と握りしめた。

 ほんの10日ほど前に負った大怪我は、ようやく回復したというところだ。あまり激しく動くことは出来ないし、件の医者にも止められている。

 それでも。

 もし美琴が独りで戦おうとするのなら、白井は全力でそれを追うだろう。たとえそれがどんなに苦痛を伴っても。

 風紀委員としてではなく、彼女自身の思いとしてそれを決意した白井が、もう一度コブシに力を入れた。

 ―――と。

 キー・・・と小さな音をたてて、部屋のドアが開いた。ゆっくりと、そろそろと、中にいる者に遠慮するような開け方である。

 この部屋にノックなしで、しかもいま、そんな風に開けようとするのは一人しかいない。

「お姉様?」

「あら黒子。起きてたの?」

 声をかけると一気にドアが開き、予想通りの相手―――美琴が、コンビニ袋を片手に部屋に入ってきた。

 白井は頷きながら、

「はい、30分ほど前に」

 と、言った。

 普通に嘘だがそんな様子は微塵も見せない。


「そう。・・・でも珍しいわね、風紀委員が深夜に呼ばれるなんて。そんな面倒事だったの?」

 対する美琴はその言葉を疑う風もなく、自分のベッドにコンビニ袋を置いた。

 そして白井に背を向け、何やらゴソゴソと探っている。

「ええ、どうも常盤台の校舎で暴れた者がいるようでして。そのせいで朝方まで調査が行われたんですの」と、白井は予め用意された『事件内容』を言った。

 ただでさえ人の口に戸はたてられないものだ。ついでに、学舎の園と言えば都市の中でも閉鎖的な場所である。どうしたって事件は噂になってしまう。

 ならば初めからある程度情報を渡してしまえばいい。それも、多少の事実が混ざった状態で。

 そうすることで少しでも真実を遠ざける。あるいは霞ませようとしているのだ。

 この『事件内容』を作ったのは常盤台中学の上層に違いないが、美琴をこの事件から遠ざけておきたい白井としても都合のいいものだった。

 もちろん、美琴を騙すような形になることに罪悪感がないわけではないが。

「・・・ふーん、また無茶をしたのね。下手すれば転校ものだってのに」

「ええ。中々に大胆だと思いますわ。とはいえまだ下手人は捕まりませんでしたので、今夜からしばらく夜間パトロールが入りますの」

「それもまた大変ねぇ・・・って、あれ? そういえば布団、畳んでくれたの?」

「あ、はい。わたくしを起こさないようにしてくださったのでしょう? ですから」

「そんなのよかったのに。でもありがと」

「い、いいえ、そんな当然のことですの」

 香りを堪能できましたし、などとは当然言わない。というか、言えない。

「じゃあお礼代わりに、はいこれ」

 そんな白井の内心を知るわけもない美琴が、振り向かないまま、ひょい、と何かを放り投げてきた。

 見てもいないのに正確に飛んだそれを、白井は胸の前でキャッチ。すると手の平に冷たい感触。


「なんですの?」

 軽く首をかしげながら手元を見た白井の、その目が大きく見開かれた。

「こ、これは・・・!」

 わなわなと震える彼女の手の中には、小さな褐色の瓶。俗に言う栄養ドリンクというやつだ。

 今日も一日元気でファイト、アリビタンCである。

「どうせまた朝まででしょう? 気休めだけど飲んどきなさい」

 ちょっと温くなったけどね、と美琴は言葉を追加。

「・・・・・・」

「でも珍しいわね。深夜に呼び出されるだけじゃなくて、夜からパトロールだなんて。そういうのは警備員がするもんでしょうに」

「・・・・・・」

「・・・? 黒子?」

 まったく返事をしない白井に、美琴が不思議そうに振り返った。

 そんな彼女が見たのは、




 カシュ



 と炭酸の抜ける音すら飲み干そうと言うかのように、おもいっきり反り返って栄養剤を飲む白井の首筋だった。

 コクコク、などというかわいらしい音など微塵も似合わない、表現するならズゾゾゾゾ、とでも聞こえてきそうな見事な一気飲み。

 一瞬で小ビンから液体がなくなり、それだけでは飽き足らず、舌まで入れてビン内部をなめ回している。

「・・・・・・」

 あまりの飲み方に絶句している美琴の目の前で、白井はひとしきりビンの中を舐めてから、カクン、と首を戻した。

 夢見心地のような、うっとりとした瞳が美琴を捉らえる。

 大好物を見つけた獣のような―――いや、御坂美琴を見つけた白井黒子の目だ。もうそれ以外の表現は不可能で、それ以上の表現はない。

「っっっ」

 美琴の背筋を、かつてない怖気が駆け上がった。

 だが彼女が迎撃の準備を整えるよりも一瞬だけ早く、

「お姉様からお誘いいただけるなんて! 黒子、至上の喜びですの!」

 シュン、と白井の姿が掻き消えた。

 空中に取り残された小ビンがベッドに落ちると同時に、背後から抱きつかれる美琴。

 細い白井の右手指が、美琴のブラウスの裾に滑り込んだ。

「ちょ、ばっ、は、離しなさいこら! 誰が誘ってっ、わっ、さ、誘ってなんかないったら!」

「お姉様! お姉様がわたくしのことをそんなに想ってくださるなんて! 黒子は! 黒子はあぁ!」」

「ふにゃっ!? や、こらやめなさい黒子! やめっ、ひゃあっ!? あ、あんたどこ触ってんのよ!」

「さあお姉様! 今夜はしっぽりねっとりぐっちょりわたくしと! ご期待にはすべて必ずおこたえいたしますの!」

「今夜っていままだ朝じゃないっ、って、ブラをずらすな手を差し込むなぁ!」

「ご遠慮なさらないでください! わたくしのほとばしる想い(パトス)と、お姉様の愛情と欲情が詰まった栄養剤があればっ、不肖わたくし24時間以上でもっ」

 そして白井の左手が、スカートから覗く美琴のもを撫で上げ―――

「いっ、」

 美琴のこめかみに、ぴききっ、と怒りの青筋が浮かんだ。そして、

「いい加減にっ、しろーーー!」

 バリバリバリィッ! と、空気を引き裂くような音が、室内に響き渡った。



「と、ところでお姉様」

 30分後。

 白井は不機嫌そうにベッドに腰掛ける美琴におそるおそる、と言った調子で話し掛けた。

 電撃により面白いことになった髪は、もう一度シャワーを浴びることでなんとか元に戻っている。

「なによ」

 返ってくる美琴の声は、冷たいもの。

 白井は美琴の前髪がいまだパチパチと言っていることに頬を引き攣らせながら、

「もしよろしければ、昼食、ご一緒にいかがでしょうか。この間、雰囲気の良い店を見つけまして・・・」

 と、言った。

「あんた今夜パトロールでしょ。まだ寝ておきなさいよ」

 だが美琴は組んだ腕を解かない。

「いえ、あの、パトロールにしても夜間ですし、集合も暗くなってからですので・・・」

「昨日夜中に誰かさんがゴソゴソしてたし、ついでにさっきの電撃で疲れたから、私いまから昼寝したいんだけど」

「そ、そんなことおっしゃらないでくださいまし。さっきのことでしたら、わたしくも反省しておりますので・・・」

 普段なら多少のことは数言の応酬で終わるのだが、流石にブラをずらしたり短パンの裾から指を侵入させたのはまずかったのだろう。

 たいそうご立腹なご様子である。

「お、お姉様」

「・・・・・・」

 ちらり、と白井を見る美琴。(ぎくっ、と白井)

 そしてとある少年からビリビリと呼ばれている彼女は、

「とりあえず髪、早く乾かしなさい。風邪ひくわよ」

 そう言って、はぁ、と深いため息をついた。

本日の投下は以上です。

これ以降は新規に書いていくので、進行はすごくゆっくりになると思います。

週間、くらいの心持がよいかと。

気長に、そして気が向けば読んでみてください。

それでは。

どうも、遅くなりました。
文章としてはもう少し出来ていますが、見直しをしていないので、とりあえず見直した分だけ投下します。


 小萌が雛苺という少女とともに歩き始めて約20分。

 二人は商店街を抜け、どちらかというと学生で賑わう方向に歩を進めていた。

 食事時も半ばを過ぎようかという時間帯になり、道を行き交う人の姿も増えている。

 そんな雑踏の中を、小萌は雛苺とはぐれないようにだけ注意しながら、

(ちょ、ちょっと視線が痛いのです)

 と、内心で汗をかいた。

 学園都市の人間は、その進みすぎた技術や特殊な環境からややずれた者が多いが、それでも一般的な視点を失っているわけではない。

 なんというかもう、目立ち方がすごかった。

 小萌自身はそう目立つ風貌ではない。

 もちろん年齢比で言えば大いに首をかしげられる体躯であるが、彼女単体としてみれば、不本意ながらも一応一般的な小学生に見えるのだ。

 だが、雛苺は違う。

 学園都市は留学生もいるし、妙なファッションをしている者も多い。能力の余波や実験のせいで髪の色や瞳の色が変化した者だって存在する。

 しかし金髪で長髪でひらひらのドレスな雛苺の風貌は、目を引くことこの上ないものだった。


「それで、ヒナは花丸ハンバーグが好きになったのよ」

 小萌の顔を見上げて話し続ける雛苺は、幸いそう言った周りの視線に気がついていない。小萌に話をするのが楽しくて仕方ないと言った様子だ。まだそういうことに違和感を覚える歳ではないのだろう。

「そうですかー。それはおいしそうですねー。小萌先生も食べてみたいですよー」と、小萌。
 
 自分のことを一生懸命に話す雛苺に逐一返事をしながらも、彼女は小さな雛苺の様子をしっかりと見る。

 幼女にしてはそれなりに長い距離を歩いている。いまは雛苺に疲労の色はないが、相手は小学生未満である。いつ体調が変わるかわからない。

 そして何より、このくらいの年齢の子供は、周囲の雰囲気の影響をたやすく受けてしまう。気づいていないいまはいいが、彼女に向けられる雰囲気はあまりよいものではないのである。

 小萌としては目的地までバスなりなんなりを使いたいところなのだが、いかんせんその目的地がわからないのだから使いようがなかった。

 さらに彼女の懸念事項として、

(・・・困りましたねー。どうやってシスターちゃんたちに連絡しましょうか)

 近場に出てくるからと、携帯電話を持ってこなかったのは失敗だった。

 自分の家の電話番号がわからないわけがないが、科学万能のこの都市には公衆電話というのは極端に少ないのである。

(もしかしたら心配をかけてるかもしれません。シスターちゃんはともかく、姫神ちゃんは一緒に暮らしてましたし)

 この夏休み明けで学生寮の方に移ったが、姫神はしばらく小萌の家に居候をしていた過去がある。当然商店街に行って帰る所要時間も承知の上だ。

 ついでに好みの酒やタバコの銘柄も知っているはずなので、もし探しにきていて路地に置いてきた荷物を発見したとしたら、なにか事件に遭ったと考えるかもしれない。

 一度、なんとか連絡を入れるべきか。


「・・・・・・」

 少し考えてから、しかし小萌は小さくため息をついた。

(・・・仕方ありませんねー。こんな人混みの中で他に気をとられてはぐれてしまうわけにもいかないのです)

 それでも、いまは我が手を握る少女の方が優先だ。

 いま雛苺とはぐれてしまえば、話がさらにややこしくなる。

 迷子を保護者に引き渡そうとしたせいでさらに迷子を作っては、本末転倒どころの騒ぎではない。

 そう思い、小萌が雛苺と繋ぐ手の力を少しだけ強くしたところで、

「ついたのー」

 と、雛苺が脚を止めた。

「え、わっ、わっ」

 まるっきり思考に没頭していたため、不意のストップにバランスが崩れた。

 とっ、とっ、と数歩よろけ、空いている片方の手をバタバタとゆらす小萌。

「うゆ? こもえ、だいじょうぶ?」

「あ、はい、大丈夫ですよー。いきなり止まったので、ちょっと驚いちゃいました」

「ご、ごめんなさいなの」

「いえいえ、ヒナちゃんが気にすることはないのです。それよりここは・・・って」

 小萌は正面にある建物を見て、目を丸くした。


「え、えーと・・・ここ、ですかー?」

 彼女は驚いた様子で、目の前の建物を見上げる。

 まぁそれも無理はない。

 そこは確かに建物としては目立つが、正直、待ち合わせに向くような場所とは思えないところだったのだから。

「そうなの。ここにベリーベルがいるのよ」

 だが、雛苺はにっこりと笑う。

 はやく行こう、とでも言うように、くいくいと小萌の手を引っ張っていた。

「そ、そうなんですかー」

 なんでわざわざこんなところで待ち合わせを。

 そう言いたげな小萌の視線の先にある建物は、休みということでセールでもしているのか、街中よりもずっと人でごった返していた。

 学園都市でも有名な大規模百貨店。

 総合デパートである。




「それでとうま? こっちのこの女の子は、どこのだれなの?」

 そう言って、インデックスは上条に不機嫌っぽい視線を向けた。

 彼女の青い瞳に浮かぶのは、もはや言わずもがなの色。

 『今度は一体全体どんな事件を解決してどこの女の子と仲良くなったの? しかも私に内緒で』

 そんな幻聴が聞こえてきそうなほど、インデックスの瞳は剣呑な光を帯びていた。

「え、えっと」

 なんとなく、助けを求める意味を込めて横を向く上条。

 しかし、

「どこの。誰なの?」

 隣に座って歯形の消毒をしてくれている姫神からもまったく同じ色の視線が注ぎ込まれていることに気づいて、背中に嫌な感じの汗が浮いただけだった。

 万事休すだ。

 うかつなことを言えば、再びインデックスの歯か、あるいは姫神の魔法のステッキ(スタンガン)が我が身に舞い降りることになってしまう。


「それはだな、その、」

 なんとかうまい言い回しを。

 そんなことを考えながら、上条は左手でごまかすように頬を掻いた。

 薬指にはまった、薔薇を模した指輪が蛍光灯を照り返してキラリと光る。

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

「別に助けたわけじゃなくて、ちょっとした事情が・・・って、いてえっ!? ひひひひ姫神! 沁みる! 沁みてる! っていうかピンセットの先がぐりぐり傷口にねじ込まれてます!」

「・・・ごめんなさい。すこし。手元が狂った」

 まったく謝意のこもっていない口調で謝りながら、姫神はピンセットを歯型から離した。

「手元って、どこに何したらさっきみたいな狂いかたを・・・」

 涙目で問いかける。

 姫神の口元から、ちっ、と小さく舌打ちが聞こえた気がしたのは、果たして気のせいだろうか。

 だがそれを上条が追求するよりも先に、

「とうま?」

 カキン、と歯をかみ締める音が響き、あわててインデックスに向き直った。



「い、インデックスさん、これ以上の噛み付きは命に関わると上条さんは思うのですよ・・・わかった! いまから説明するからガチガチ噛み合わせないで!」

 再び襲いくる咀嚼の恐怖に後退り(でも姫神に腕をつかまれてる)ながら、座りなおす上条。

 白いシスターと和装の黒髪の視線が、同時に集まった。

「・・・その、だな」

 二人の顔を視界に納めながら、上条は目の向けどころを探して天井を向いた。



 真紅のことを、どう説明したものか。



(アリスゲームのこととか、話せないよなぁ・・・)

 もしも話せば、まず間違いなく二人は首を突っ込んでくるに違いない。そうなれば高確率で危険な目に遭ってしまう。

 学生寮で『インデックスたちが危ない』と勘違いしたときから大いに慌てていたので、その辺りのことを完璧に忘れていたのである。

 真紅自身に直接的な害悪などないと信じているが、彼女を取り巻く環境がそうではない。実際、ついさっき死にかけたところだ。

 上条としては、自分は仕方ないにしても、知り合いには可能な限りトラブルから離れておいてほしかった。

 それはインデックスはもちろんであるし、姫神だってそうだ。当然いまは買い物に出掛けていて不在の小萌だって同じである。

 ぶっちゃけ自分以外は誰が巻き込まれてもいやなのだ。


「えー・・・とりあえずこちらは、真紅さんと言いまして」

 とはいえ黙っていたらまたもや血の惨劇が繰り返されてしまう。上条はとりあえず、与えても問題ないと思われる情報を開示することにした。

「うん」と、頷くインデックス。

「・・・・・・。」

 姫神もそれに追随し、頷いた。

「で、えーっと・・・」

「うん」

「・・・・・・。」

「えーと・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

「・・・・・・」

 開示してもいい情報、終了。

(こ、これ以上どう言えばいいってんだ!?)

 内心で頭を抱える上条。

 そもそも彼自身が、あまり真紅のことを知らないのである。


 知っていることから危険そうなことを除くとなると、それこそ出会いからここに来た理由まで全部シークレットだ。

 真紅のことを詳しく説明するなら、どうしてもアリスゲームのことを話さなければならない。そして上条がその争いに『契約者』という形で巻き込まれているということも。

 さらに言えば、ローゼンは錬金術師でもあるらしい。おそらく、禁書目録としての知識の中にその名前はあるに違いなかった。

 いまここで適当にごまかしても、ふとした拍子にインデックスにはバレるかもしれない。

 嘘をついて隠した挙句、バレる。

 今度こそ上条は美味しいお肉にされてしまうだろう。

(・・・真紅には家で待ってもらえばよかったかもなぁ)

 そんな風に思わないでもなかった。

 はっきり言えば『コインの結界』の件と真紅とはまるっきり関係がない。

 双方ともに上条が関係しているとはいえ、真紅を護ることとインデックスたちを護ることは別問題だ。

 それに真紅を『コインの結界』の事件に巻き込むとなれば、ただでさえアリスゲームがあるのに、余計なやっかいごとを追加することにだってなる。

「・・・・・・」

 ちらり、と真紅を見る上条。

 件の真紅は、湯飲みで紅茶を飲みながらも、無言を貫いている。真意はわからないが、とりあえずは様子見を選択したらしい。


 真紅は、聡明である。

 『コインの結界』が自分の範疇ではないことも、もちろん気づいていただろう。

 それなのに何も言わずここまでついてきてくれたことは、上条としてはもちろん嬉しい。

 だがそれが結果的にインデックスたちを巻き込む要素になってしまっているのは皮肉であった。

「・・・・・・」と、沈黙する上条。

 頭の中でうまい言い訳を考えているが、こういうときに回る頭を持っていれば、補習の回数はずっと少ないだろう。

 やな感じの沈黙が小萌の部屋に満ち、いい加減インデックスが痺れを切らすだろうなぁ、と上条が思い始めたころ。

 大きく湯飲みを傾けて紅茶を飲み干してから、ふう、とため息をつく真紅。
 
 そして、

「・・・当麻、もう諦めましょう」

 と、言った。


「え?」

 聞き返す上条に、赤い彼女は静かな瞳を向ける。

「貴方のことだから"アリスゲーム"に彼女たちを巻き込みたくない、うまくごまかしたい・・・そんな風に思っているのでしょう?」

「う・・・」

 そのものずばりを言い当てられた。

「・・・・・・」

「・・・・・・。」

 巻き込みたくない、という言葉に反応したのか、インデックスと姫神の視線がさらに厳しくなる。

 真紅はそんな二人の表情をちらりと見て、続けた。

「・・・でも見る限り、こっちのシスターさんもそちらの巫女さんも、そういう誤魔化しは求めていないように見えるのだわ」

「で、でもよ「それに」

 上条の言葉を真紅が遮る。そしてインデックスと姫神を交互に見てから、

「下手な説明じゃ絶対に納得しないって顔をしているわ。適当に誤魔化してしまえば、逆に探ってくるかもしれない。きちんと説明して危険を知ってもらった方が、かえって安全なはずよ」

 それだけ言って、真紅は上条に静かな表情を向けた。

 貴方だってそうでしょう?

 無言が、そう言ってくる。


「・・・・・・」

 上条はゆっくりと真紅から視線をはずし、まず、隣にいる姫神に目を向けた。

「・・・・・・。」

 黒い瞳がまっすぐにこっちを見つめてきている。

 浮かぶ表情こそ乏しいものの、その繊手は、ごまかしを許さないとでも言うようにしっかりと上条の上着の裾を握っていた。

 続けてインデックスに。

「・・・・・・」

 日本人とは異なる青い瞳。しかしそこにある『色』は、姫神とまったく同種のものだ。

「・・・・・・」

 青と黒の視線に当てられ、上条は再び天井を見上げた。今回ばかりは、真紅の言うとおりらしい。彼女たちを諦めさせる説明が、上条には思いつけない。

 上条は諦めたようにため息をひとつ。

「・・・真紅、すまん、頼んでいいか?」

 と言い、

「ええ、わかったのだわ、当麻」

 と、真紅が頷いた。

今日はこの程度です。
文章的にはもう少し先まで出来ているので、見直しし次第早めに投下することとします。


なお、レス番21で、一部書き忘れていました。

>そういう話に食欲最優先の彼女が動かないわけがなく、今日は泊まり込みで食べてくるらしい。

の後に、

聞けば、姫神も一緒だと言うことだ。
姫神自身は二学期直前に上条と同じ学生寮(女子用)に引越ししたと聞いてはいたが、いまでもちょくちょく遊びに言っているようである。
そういう意味では、インデックスにとって小萌の家は、数少ない友人との交流の場でもあるのだろう。
それはともかく。

という文を入れようとしていて、メモにだけ書いて忘れてました。
とりあえず、上条が姫神も小萌の家にいる、という事実を知っていたのは、インデックスから聞いていた、ということで補完しておいてください。

それでは。




 白井の言う『雰囲気のよい店』は学舎の園にあるのではなかった。

 バスに乗って数十分。第七学区の端ーーー第四学区にほど近い位置とのことだ。

「よっと」

 トン、と美琴は軽い足取りでバスから降り、白井も見た目どおりの軽やかさでそれに続く。するとすぐに、プシュ、とドアが閉まった。

 二人を降ろしただけでバスはあっけなく出発進行。

 バスの行き先は次が第四学区で、休日の今日はむしろそっちに行く人間のほうが多いのだ。

 燃料はガソリンではないが、音がないと感じが出ない、静かすぎて危険だ、という意見から電子的に奏でられる排気音を響かせて、バスは去っていった。


「でも黒子。なんでそんなところにある店を知ってるのよ」

 カードを入れた財布をポケットにしまいながら、美琴はそう問うた。

 美琴と同様にカードをしまいこんでいた白井が、ツインテールの右側の先端を手で払いながら顔をあげる。

「ついこの間のことですが、この辺りで仕事がありましたの。そのときについでに昼食をとることになりまして」

 風紀委員の仕事は、基本的に放課後にはないが、あくまで基本的な話だ。例外などいくらでもある。昨夜もそうであるし、今夜もだ。

 だから現場付近で食事を取ることも多い。もちろん制服で腕章までしているので、あまりハメをはずしたところに入るのは不可能であったが。

「・・・こんなところまで? 風紀委員って管轄とかなかったっけ?」

 周囲をぐるりと見回してから、不思議そうにというよりは少し訝しげに白井を見る美琴。

 この辺りは商店や施設がなく、学生寮からもやや離れた、閑散とした区域である。

 薄利多売というわけにはいかない個人経営の店が営業するにはあまり向かない区域だろう。

 設けられたバス停もそれなりにおざなりで、ベンチに雨避け用の屋根と言った程度のものだった。

 この後輩はほんの少し前に、かなりの無茶をしているのだ。それも自分のことに関する事件で。


「管轄はありますけれど、わたくしの場合は能力的に管轄飛び越えや救援要請が多いので・・・あ、こっちですの」

 美琴の視線の意味を把握しながらも、それに気がつかない振りをして白井は歩き出した。言葉を返すこともできたが、意味がない。

 どんな結論になっても白井の行動は変わらないのだから。

「・・・・・・」

 美琴もそれがわかっているから、聞こえよがしにため息をひとつついただけで追随を始めた。

「・・・その店だけど」

「はい」

「黒子が誘うくらいだから味は大丈夫なんでしょうけど、何風?」

 二人の間に漂い始めた微妙な空気を払うように、美琴が言った。

 白井は、そうですねぇ、と細い指を顎に当て、少し考える。

「創作料理という名目でしたが、基本は和食のようでした。精進料理、というほどでもありませんが、重い料理ではなかったと思います」

「ふーん。私はどっちかというとガツンとした方が好みなんだけど」

「まぁそこは店長に伺ってみればよろしいのでは? メニューの中にはお姉様がお好きそうなものもあったと思いますし」


 そんなことを話しながら、歩を進める二人。

 二人の向かう方向は商業密集地―――都市内でも有名な大型百貨店のある―――からは、逆方向だ。人の流れは少ない。

 だから雑談に意識を奪われていても、商店街のように誰かとぶつかる心配はない。すれ違ったのは、本格的なドレスを着た西洋生まれらしき幼女と小学生らしき女の子くらいのものである。

「・・・だからそれはそうじゃないと思うわよ」

「いえ、確かにお姉様の趣味ではないと思いますけれど・・・」

 だから話は弾み、話題は食事から、服、化粧品、アクセサリーと、比較的ころころと変わっていった。

 もちろんここは学舎の園の外であるのであまり大っぴらなことは話せない。だがそういう話題には事欠かない年代である。

 同部屋であるといえど、会話は途切れることなく続いていった。

「ところでお姉さま」

 それでもふとした拍子に訪れる話題の隙間を埋めるように、白井が軽く首をかしげた。

「ん? なによ」と、美琴。

 白井は、いえ、と前置きをしてから、

「その手に提げているバッグはなんなんですの? 何か御用時が?」

 彼女の言うとおり、美琴は右手に小さな手提げバッグを提げていた。


 カラーは白やピンクでやけにファンシーで、美琴のセンスがいかんなく発揮されたものである。なにやら薄い長方形のものが入っているように少し膨らんでいるように見えた。

 出かけるときは基本的に手ぶらな美琴だ。それを知る白井は、なんとなく違和感を感じる。

「ああこれ?」

 しかし美琴はかるくバッグを持ち上げると、

「パンフレットと、サービス券よ。これ持って指定のチケット販売店に行くと、ゲコ太人形がもらえるのよ」

 と言って、にっこりと笑った。

「そ、そうですの」

 その笑顔には何も言えず、しかし否定することもできないのでなんとか頷く。

(この趣味さえなければ、お姉さまも完璧ですのに・・・)

 内心で嘆息する白井。常日頃から敬愛しているが、この趣味だけにはついていけない。

 手提げバックに視線を落とす美琴を横目に、小さくため息をつき、白井は空を見上げた。

 もう秋に近い、青い空。


(ああ、もう秋になってしまいました・・・この夏でお姉さまとの距離をぴったりと縮める算段でしたのに・・・)

 自分が大怪我を負った事件で確かに多少近くなったような気がするが、それは白井の望んだ形のようでいて、ちょっと異なるのである。

 ちらちらと美琴に視線を向ける白井。美琴は手提げバッグにつけている蛙形の人形の位置が気に入らないのか、指でつついて直そうとしていた。「引き換え期間、9月いっぱいまでなのよね」などと言っているのが聞こえる。

「・・・・・・」

(・・・そう、そういえば9月ですの。まだどこかに夏の香りがあるような・・・夏の名残のアバンチュール、というフレーズも悪くはないですわね)

 そんなことを思いながら視線を前に戻せば、まるでその考えを後押ししてくれるかのように、夏の名残のような白いセーラー服姿の少女が歩いてきている。

「・・・・・・」

 これはもう符号だ。そうに違いない。

 白井の脳裏に、一度は消えかけた不埒な考えが浮かび上がった。

(待っていてくださいお姉さま。残暑が厳しいうちに、いま一度黒子にチャンスを!)

 ニヤリと笑う白井。

 邪悪な笑みである。

 そんなことを考えられているとはつゆ知らずな美琴は、

(な、なんかいきなり寒気が・・・)

 不意に襲ってきた悪寒に、思わず腕をさするのであった。  


 



・・・・・



・・・








 御坂美琴と、白井黒子。

 その二人とすれ違ってから、十数歩。

「・・・・・・」

 セーラー服は、さりげない風を装って背後を振り返った。

 肩越しの視線の先には、再び談笑をはじめて歩いている美琴と白井の背中がある。

「・・・・・・」

 セーラー服はやや背が高く細身で、美琴よりもなお短いショートカットだ。決して男性のようには見えないが、女性に人気が出そうな容姿である。纏う雰囲気も、どちらかというとさっぱりとした印象を相手に与えるものだろう。

 だがいま彼女がその瞳に浮かべているのは、そんなイメージからは想像もつかないほど暗く、昏い感情だった。

「・・・・・・」

 もしいま美琴がその表情を見たのならば、気がついたかもしれない。

 もしいま白井が振り返れば、おそらく彼女の浮かべる感情がなんなのか確信しただろう。

「・・・・・・」

 セーラー服は、徐々に遠ざかって行く二人の―――否、美琴の背中に、コールタールのようなどろりとした視線を注ぎつづける。

 それは白井が美琴に向ける、憧れや尊敬、思慕に近く、なおかつそれを凌駕するもの。

 すなわち、崇拝だ。


「・・・琴が唯一・・・美・・・の他に・・・トロマスターは不要・・・」

 ぶつぶつと口の中でなにかを呟き続けるセーラー服。

 その表情はうっとりと、狂気と言い換えてもおかしくないような崇拝で彩られていた。

 そしてさらに、

「お、お姉さまっ! 黒子感激ですのっ!」

「だぁーっ! 褒めたのは風紀委員であってアンタ個人じゃないっ!」

 なにやら雑談の中で琴線に触れる台詞でもあったらしく、白井が美琴に抱き着くのが見える。

 それを遠目に見つめるセーラー服の双眸が、ギラリ、と、狂気を放った。

「やっぱり御坂美琴は、孤高であるべきよね・・・」

 そう。

 偶然なんかではない。

 偶然、こんな辺鄙なところで出会うわけがない。

 昨夜、常盤台の生徒から蒼星石に『切り取らせた』記憶と感情の中にあった、白井黒子の名前。

 超電磁砲の同室であり、大能力者。そして、御坂美琴のもっとも親しい者。

「・・・・・・」

 セーラー服は右手を持ち上げる。

 そこには、すれ違った拍子に抜き取った白井の長い髪が一筋、確かに摘まれていた。






「ローゼン・・・珍しい名前を聞いたんだよ」

 真紅の出自と現状を聞いたインデックスは、山盛りに米を盛った丼から顔をあげ、そう言った。

 基本的に魔術関係は『知識』として淡々と分析する彼女にしては珍しく、その顔には驚きの表情が乗っている。

「なんだ? ローゼンって、そんなにすごいやつなのか?」と、上条。

 この場で魔術的知識は持っているのがインデックスだけだ。真紅にしてもローゼンが生みの親というだけで詳しいことを知っているわけではない。インデックスの驚きがいまひとつピンと来ないのである。

「うん。たしかにすごい魔術師なんだけど、彼の場合はそれだけじゃないかも」

 インデックスは口の中の米を何度か咀嚼し、飲み下してから、続けた。

「彼は伝説級の力があるくせにほとんど正体も目的もわからない、不明の魔術師なんだよ」

 禁書目録が持つ10万3千冊の知識の中で、ローゼンに関連する項目は皆無と言っていい。

 彼が流浪の魔術師であったこと、彼が一切の魔術書を遺さなかったこと、そして唐突に歴史の表舞台から姿を消したこと、等が原因としてあげられる。

 そのため彼に関することは、交流のあった僅かな者や、数少ない弟子による伝聞が残るのみだ。それらもほとんど形になってはおらず、彼を語る際は主として同系統の魔術師による研究―――特に東洋の赤い人形師による研究が詳しい―――が使われるほどである。

 魔力を弾くはずの素材でゴーレムを作ったり、逆に破壊不能とまで言われていたゴーレムを『人形』という属性を利用して一息に破壊する。人形自身に魔術を使わせる、自己進化をする自動人形の作成する、という離れ業もやってのけている。

 一説には極限まで人を模した人形と『偶像の理論』を使い、『命』すらも生み出したと言われていた。


「同系統の魔術師にホムンクルスを作り出したパラケルススっていう人がいたんだけど、能力的には彼と同じか、人形という面ならそれ以上だって言われてるんだよ」

「・・・・・・パラケルスス。」

 ポツリ、と姫神は呟いた。なにか思い当たる節でもあるのか、眉根を寄せて考え込んでいる風だ。

 上条もそっちの名前はどこか聞き覚えがあるような気がした。よく思い出せないが、ゲームかなにかにあっただろうか。

 ともあれ、要するにローゼンというのは稀代の魔術師だったようである。

「・・・真紅、お前の生みの親って、すごかったんだな」

 柿の種を噛み砕きながら、上条は感嘆の息を漏らした。

 魔術的なことを知識として持っているインデックスが感情を込めて説明している。それだけで上条は、相当のものなのだな、と感心してしまう。

「・・・お父様はお父様、よ。周囲の評価は、便宜上の些細なものなのだわ」

 新しく淹れてもらった紅茶をやっぱり湯飲みで飲みながら、真紅はそっけなく返した。だがその頬が僅かに緩んでいるのは、きっと上条の気のせいではない。

「それだけじゃないんだよ」

 どん、と抱えていたインスタント牛丼の器をテーブルに置くインデックス。大盛りだった中身は、綺麗に空だ。

「しんくはさっき、自分のことを薔薇乙女だ、って言ったよね?」

「ええ」

「それがどうかしたのか?」

「本人を目の前にして言うのもちょっと考えちゃうんだけど・・・薔薇乙女って、長い間行方不明の霊装なんだよ。私も見たのは初めてかも」


 薔薇乙女。

 ローゼンの集大成と言われる7体の人形に関する資料は、さらに少ない。

 彼の弟子であったと確認されている人形師が書いた文献とスケッチ、あとは極めて信憑性に乏しい目撃情報があるのみだ。贋作も横行し、実在すら疑われていたほどである。

 禁書目録といえども、全世界の霊装をその目で見たわけではない。強力な霊装ほど秘匿性が高く、対抗勢力のものとなれば存在を知らされないことだってざらである。薔薇乙女の名前は知っていても、現物は見たことがなかった。

 とはいえ、その知識から考察することは可能だ。

 持てる知識と、幾つか現存しているローゼンの製作物の魔術形式から言って、目の前の真紅はまず本物であると、インデックスは判断していた。

「でも、これでローゼンの謎のひとつが解けたかも」と、インデックスは丼に白米を盛る。次は親子丼らしい。レトルトのパックを、温めるためだけに用意しているらしい大きなポットに突っ込んだ。

「ローゼンの目的って、あらゆる意味で本当に不明だったんだよ。なんでそこまで『人形』にこだわっていたのか、なんで命まで生み出せたはずの重要な魔術師が急に姿を消したのか。そしてなぜ薔薇乙女が目撃されながらも捕捉できなかったのか・・・それが『究極』を求めていたから、だってわかったのは、魔術史的にもちょっとした事件かも」

 そう言って、インデックスは真紅を見た。

 『究極』は魔術の最終目標のひとつである。

 神という存在を全能の完全なものと定義するなら、究極は物事の流れの最終到達点とでも表現すべきところだろう。例えるなら―――人が究極まで進化すれば神に届くのか、それともやはり人は人でしかないのか。

 言ってしまえば、人の到達点を突き詰める部門といえる。神がいなければ創ればいいという『完全なる知性主義』―――黄金練成の原点のひとつだ。

 ローゼンがどういう意図で究極の人形を求めていたのかまでは予測にしかならない。だが、神が自分を模して人を作り出したという仮説を鑑みれば、人を模して造られた人形の究極を見ることにも十分な意味があるだろう。

 閑話休題。

「それで。」

 と、それまで黙って話を聞いていた姫神が口を開いた。



 三人(というか二人と1体)の顔がいっせいに向けられる。そんな中、姫神は上条の左手にちらりと視線をやってから、言った。

「貴女のアリスゲームは。どうすれば終結させることができるの?」

 ローザミスティカの奪い合い。アリスゲームと呼ばれる闘いは、薔薇乙女とその契約者によって行われる。

 その説明のとおりであるならば、上条はこれからずっと闘い続けなければならない。もちろん命をかけて、だ。

「「「・・・・・・」」」

 今度は三人の視線が真紅に向く。

「・・・それは」

 真紅はいったん言葉を切り、少しだけ眉を寄せた。

「・・・あまり、いい返事はできないのだわ」

「・・・・・・。」

「私がこの時代に目覚めたからと言って、他の姉妹の誰が目覚めたのかまではわからない。それに、全員が一度に目覚めるとも限らないの。近くにいるか、探索するか・・・いずれにしてもいまこの場ではっきりとこうすれば終わる、と言えないのだわ」

「そう、なのか? でもさっき、水銀燈はお前のことを知ってたじゃないか」

「いいえ。水銀燈が本当に私のことを察知していたのなら、あんな風に途中でひいたりはしなかったはず。偶然近くにいて、私の目覚めを察知したのよ」

「じゃあ結局。」と、姫神。

「上条くんは決着がつくまで。ずっと戦うことになるのね」

 と、姫神は上条に目を向ける。


「それは・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 真紅の声が途切れ、重い沈黙が部屋に満ちた。

 いままで幾度も上条は戦ってきたが、それにしても概ね『こうすれば決着がつく』という目標が見えていたものだ。今回もすべてのローザミスティカを集める(真紅が望むか否かは別として)という目標はあるが、この時代に全部あるとは限らないーーー終わりが確定されないのは、正直きつい。下手すれば一生ものの話である。

「・・・前のときは。どうだったの?」

「え?」

「前のときの。結末。貴女は何度も戦ってきたんでしょう? 前のときやその前のときは。どんな結果でゲームが終わって。どれくらい時間がかかったの?」

「それは・・・」

 記憶を掘り起こそうとして、

(・・・?)

 ふと、真紅の脳裏に違和感が沸き上がった。






 ・・・前回?





 眉根を詰める真紅。

 不意に表情を凍らせたためか、上条ら三人が疑問符をつけた視線を向けてくる。しかし真紅は自分の中に生まれた違和感に気をとられ、それに気がつかない。

(前回・・・前は、ジュンにネジを巻かれて・・・)

 そうだ。確かに、今回と同じように、ジュンも巻くことを選択して、自分が目覚めたはずだ。

(それで、確か・・・)

 記憶を掘り返す。

 その後は、どうした?

 どうやってアリスゲームが終わって、どうやって自分はジュンと別れた?

「・・・・・・」

 膨れ上がる違和感。

 だが、真紅がその先に思考を至らせるよりも早く。





 唐突に、真紅の腕の袖口からホーリエが飛び出した。





「「「!」」」

 全員の目が、いきなり現れた光球に集中する。

 飛び出したホーリエは、蛍光灯から下がる紐の周りを、明滅しながらぐるぐると回っている。その様は、まるで焦っているかのような印象を伺わせた。

「な、なに!?」

「敵。じゃあなさそうだけど。」

 インデックスと姫神は驚いたのだろう。やや身構え、その軌跡を目で追った。

「ホーリエ!? 突然なんなの!?」

 真紅も光球のいきなりの動きに驚いたのか、軽く目を見開いていた。

 しかしホーリエは己が主人の言葉になんら反応することなく、まるで何かを探すように室内を円周している。

 そして不意に、ホーリエはその円運動を停止した。

 まるで目的のものを見つけたかのように急速に方向転換。部屋の片隅に置いてある小さめの箪笥の上で停止した。

 そこには小萌が置いたのだろう、小さな置時計と、何かの思い出らしき、写真立て。

 飾られているのは卒業写真かなにかなのか、スーツ姿の小萌や見たことのない大人たちの姿があった。

 ホーリエは、その写真立ての前で激しく明滅を繰り返す。

「真紅!?」

 上条が緊張を浮かせた表情で真紅を見た。まさか、と言う焦りが彼の顔には浮かび上がっている。



 悪い予感は当たるものだ。

 真紅は頷く。

 上条の顔を見て、その写真に写る女性が彼の護るべき人物の一人だということを確信して。

 ホーリエがこんな風に反応する理由など、ひとつしかない。

 小萌の身に、アリスゲームに依る危険が迫っている。

今回はここまでです。
下書きはできていましたが、中々時間がとれず、結局投下が今日になりました。

また、文章のクセで非常に進みが遅いですが、そこはもう焦ってもいいことにならないので、申し訳ありませんが開き直ってゆっくりやっていきますのでご容赦を、

それでは。




 屋上は大規模デパートらしく、かなりの広さを有していた。

 屋台や花屋、ペットショップ等の店が並び、子供用のアスレチック広場まである。フェンスで囲まれ、眼下に町並みが見えることを除けば、ちょっとした公園のようだった。

「・・・・・・」

 買い物客や、そもそもこの『屋上公園』を目当てに来た家族連れで賑わう中。

 アスレチック広場付近に設置されたベンチに腰掛けた小萌は、うーん、と空を見上げた。

 待ち人が、こない。

(・・・困りましたねー)

 内心で呟きながら、視線を真正面に戻す。

 その先では、多くの子供たちに混ざって、雛苺がきゃいきゃいとアスレチックで遊んでいた。

 彼女の特徴的な風貌も、幼児たちにはあまり関係がないようだ。最初こそ珍しげにされていたが、5分もたたないうちに一緒になってはしゃぎ回っている。

「・・・・・・」

 小萌の困ったように結ばれた口元が、ふっと緩んだ。

 走り回り、アスレチックを登り降り、そして笑いあう。雛苺は明らかに異国の出だが、なるほどこうして見れば、子供というものは何処だろうと同じなのだと思える。

(うんうん、子供はみんなで遊ぶのが一番なのです)

 周囲にいる多くの親たちと同じような表情を浮かべる小萌。

 すぐ傍にいた家族連れが、そんな"年齢不相応"にしか見えない微笑に首をかしげたが、幸いにも彼女は気がつかなかった。


「こもえー」

 アスレチックの天辺で、ブンブンと手を振ってくる雛苺。

「はーい」

 それに返事をしながら、小萌は大きく手を振り返した。

 すると雛苺は嬉しそうに笑い、すぐにアスレチックの下りに入った。気分は登山家、というところなのだろう。

 フリルの多い洋服に四苦八苦しながら降りようとする危なっかしいその動きを苦笑を浮かべてから、小萌はちらりと腕時計を見た。

 デジタル時計の文字盤は、買出しに出かけてから、もう2時間の経過を知らせている。

「・・・なんとか電話できませんかねー」

 流石に、これは遅くなりすぎだろう。インデックスと姫神に本気で心配されていてもおかしくはない。

 アスレチックの方に目を戻す。

 雛苺が遊ぶのに夢中のいまなら、電話するタイミングとしてはいい具合だ。

 しかし残念ながらこの屋上には、公衆電話という設備はなかった。先ほどから周囲を見回しているのだが、唯一あったのは非常用の回線だけのようだった。ダイヤルもボタンもない受話器で自宅へ電話をかけようと思うほど小萌はチャレンジャーではない。

「下の階にならあるのかもしれませんけど・・・」

 雛苺を連れて階下に降りる手もあるが、迎えに来る人物とすれ違いになってしまっても困る。

 小萌の知り合い―――それこそ生徒でもいいのだが―――とでも遭遇できれば話は早いが、こういうときに限って遭わないもの。顔の広さと覚えられやすさは学園都市トップクラスなのだが。


(ヒナちゃんもここで待っていればいいって言ってましたけど)

「こもえー」

「はーい」

(・・・忘れちゃってるみたいですねぇ、ここに来た理由)

 確かここに『べりーべる』がいると言っていたように思う。

 屋上にまで登るように雛苺に言われここにきたものの、それらしい人が待っているわけでもなかった。雛苺に聞いても「まだー」としか答えてくれなかったのである。

(ヒナちゃんの言う『人形のお姉ちゃん』が『べりーべる』って人、ですよね)

 出てきた人名やその流れから言っても、それは間違いないはずだ。だがそれらしい人は、少なくともこの屋上には見えなかった。

「・・・・・・」

 念のためにもう一度周囲を見回す。

 だが、結果は変わらない。

「・・・・・・」

(仕方ない、ですかねー)

 はふ、とため息ひとつ。

 気が進まない、という顔で、小萌は先ほどから意識的に避けていた方向に視線を向けた。

 屋上出入り口付近にある屋外サービスカウンター。

 各種サービスの総合受付であるそこは、当然のごとく迷子の受付も館内放送も行っている。

 小萌個人としては、あまり使いたい手段ではなかったが、もうそれ以外に方法がなくなっていた。

 迷子となれば当然、詳しい事情聴取も避けられない。それを行うには雛苺はまだ幼く、小萌の方は見た目が影響して説明がめんどくさいことこの上ない。

 それになにより、雛苺の置かれた状況を一から説明すれば、下手をすると『警備員』を呼ばれてしまう可能性が高かった。

 そうなればせっかく回避しようとした"置いていかれる"感覚を、雛苺に与えることになってしまうのである。


「でも、これ以上遅くなったら、そっちの方が大変なのです」

 生徒ではないが、彼女のために自分の手間を惜しんでいられない。そして雛苺もそうだが、自分がいなくなったことでインデックスたちにも心配をかけているに違いないのだ。

 止む終えない。

 そう結論した小萌が、雛苺をこちらに呼ぼうとアスレチックに目を向けて、

「こもえー?」

 その瞬間、ひょい、と真横から雛苺が顔を出した。

「うっひゃあっ!」

「キャー!?」

 予想外のことに思わず飛び上がる。

 タバコは吸うが肺活量は見た目以上の小萌の声が屋上に響き、一気に視線が集まった。

「ひひひひひ、ヒナちゃん!?」

 身に刺さるような視線に反応する余裕もなく、雛苺に目を向ける小萌。

 雛苺は雛苺で、地面にへたり込んだ姿勢で、大きな目をさらに大きく見開いてこちらを見上げてきていた。

「び、びっくりしたのよー!」

 と、雛苺は言った。

「あ、ご、ごめんなさいヒナちゃん・・・小萌先生も、ちょっとびっくりしちゃいまして・・・」

 わたわたと手を振りながら、雛苺を引っ張り起こす。幸いどこも怪我はしていない様子である。

「うゆ・・・ごめんなさいなのこもえ。ヒナ、びっくりさせちゃったのね?」

「あ、いいえー。小萌先生の方こそ大声出しちゃってごめんなさいです。・・・それより、大丈夫なのですか? 怪我とかしてませんか?」

「だ、大丈夫なの。ちょっとシリモチをついちゃっただけなのよ」

 そう言って自分で、ぱふぱふとドレスのスカートをはたく雛苺。

 どういう素材なのか、土足であがる屋上に転んだにも関わらず、そして先ほどから走り回っているのにも関わらず、彼女の服はまったく汚れた様子もなかった。

 そうですかよかったー、と安堵のため息をついた小萌の目の前で、

「えへへ」

 不意に雛苺が笑った。


「? どうしたんですか?」

 雛苺は上目遣いに、小萌を見た。

「あのね、あのね」

「はい」

「えへへへへ」

 少女の無邪気な笑み。

「なんですかー?」

 それにつられるように、小萌の頬にも笑みが浮かんだ。

「うーとね」と、雛苺は言葉を続ける。「ヒナ、こもえに会えてとっても嬉しいの」

 そう言って、雛苺は小萌の手を取った。

 小萌のそれよりなお小さい手で、きゅっ、と握ってくる。

「ヒナね、ずっと寂しかったの」

「え?」

「・・・ヒナは鞄の中でずっと眠ってて、それで一人ぼっちだったの」

「・・・・・・」

「今日、起きてから人形のお姉ちゃんに言われて、待ってて、でもやっぱり一人ぼっちで、寂しくて泣いてたのよ」

「・・・・・・」

「でもこもえが来てくれて、ヒナは寂しくなくなったの。・・・こもえは、ヒナにとっても優しくしてくれたの」

 ぎゅっ、と雛苺の手に力がこもった。

「だからね、だからー・・・」

 にこりと、本当に素直な笑みが小萌に向けられた。

「ヒナ、こもえのことがだーい好きなのよ」


「・・・ありがとうなのですヒナちゃん」しっかりと雛苺の手を握り返す小萌。「小萌先生も、ヒナちゃんのこと好きになりましたよ」

「えへへへ・・・だからね、こもえ」

 雛苺は小萌と手を繋いだまま、その掌の中に小さな何かを滑り込ませた。

「これ、あげるのよ」

 そう言って、雛苺はするりと手を離した。

「?」

 握った手の隙間を通るようにして入ってきたもの。

 軽く首をかしげて自分の掌を見る。

「・・・指輪、ですかー?」

 そこにあったのは小さな指輪だった。

 小萌の手の上でもなお小さく見える、子供用と思える小さな指輪。雛苺か、それこそ自分程度の大きさの指にしか嵌らなさそうなものだ。

(これは、苺、ですかね? ヒナちゃんらしいですけど)

 植物の象りは繊細で、極めて細かい。一目見ただけでかなり高価なものだとわかった。

「ウイ」

 こくりと頷く雛苺。そして雛苺は後ろ手に手を組むと、真下から小萌を見上げた。


「ヒナはこもえのこと大好きだから。だからそれ、こもえにあげるのよ」

「で、でもこれ、ヒナちゃんの大事な指輪じゃないのですか? そんなの、小萌先生がもらうわけにはいきませんよー」

「ううん」と、雛苺が首を振る。

「こもえに、もらってほしいの。その指輪は、ヒナが一緒にいたいと思った人にあげるように、お姉ちゃんに言われたの。だからヒナはこもえにあげたいのよ」

「でも・・・」

「・・・それに早くしないと、間に合わないのよ」

「え、何に、ですか?」

 首をかしげて雛苺を見るが、

「・・・・・・」

 彼女は少しだけ困ったように笑ったまま、答えようとしない。






「・・・・・・」

 雛苺は尋ねてくる小萌にこたえないまま、僅かに視線を上向けた。

 もう秋になろうとする青い空の中で、無音のまま飛び交う二つの存在がある。

 あまりにも色が薄く、あまりにも高速のために他の誰にも気がつかれていない。

 ぶつかり合う、紅色と桃色の、光球。



 

「・・・わかりました。小萌先生もヒナちゃんのことが好きですから」

 僅かな沈黙の後、小萌はそう言った。

「!」

 途端、雛苺の顔が、ぱっと明るくなる。

「じゃあ、こもえ。いますぐそれをつけてほしいのよ」

「え、いま、ですか?」

「うい。いますぐ、この指につけて」

 ちょん、と少女の人差し指が、小萌の薬指を突付いた。

「え”」

 ちょっと予想外の要求に、思わず小萌は固まった。

 だが雛苺は、さらに続ける。

「それでね、それでね・・・つけたら、指輪にちゅってしてほしいの」

「ちゅっ!? ちゅって・・・」

「ちゅはちゅなのー」

 言いながら、雛苺は自分の指に唇をつける。流石の幼児。恥ずかしげな様子はまったくない。

「そっ、それは、絶対にしなくちゃいけないのですか!?」

「そうなのー」

 すごくいい笑顔で返された。

 これでも年齢的には立派な羞恥心の持ち主で、そして見た目以上―――否、実年齢基準から見ればかなり純情な小萌だ。正直遠慮したかったが、あまりの無邪気な返答に、いやだ、とも言えなくなる。

「・・・わ、わかりました」

 数秒間の葛藤の後、承諾の返事を返した。残念ながら小萌の中に、キラキラと目を光らせる子供の瞳を裏切るという選択肢は存在しないのである。


(し、仕方ないのですよ。子供のお願いを叶えるのも大人の役割なのです)

 小萌はゆっくりと左手薬指に指輪を嵌め―――その際、なぜか赤い神父の姿が浮かんだが―――次いで、口元に手を持っていく。

 その間にも、雛苺は近くからその様子を見上げてきている。

(うう・・・そんなにじっと見ないで欲しいのです)

 別に誰かにするわけでもなく、対象は自分の手である。正確には指輪のほうであるが、指を切ったときに舐めるのと状況的にはそう変わりがない。

 それでも、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

「じゃ、じゃあしますよー?」

「うい!」

 確認するような小萌の言葉に、元気なフランス語が返ってきた。

 そんなに恥ずかしかったらやっぱりいいのよー、とでも言ってもらうことを期待していたのだが、叶わぬ夢らしい。まぁこのくらいの子供にそういう気遣いを求めても無駄なことである。

「・・・・・・」

 再び脳裏に浮かぶ赤い神父の姿。それを、きゅっ、と目を閉じて掻き消すと、小萌はゆっくりと指輪に唇を近づけた。

 そして、苺を模した指輪に、彼女の唇が触れる。

 その瞬間。




 ドクン、とまるで生きているかのように、指輪が鳴動した。

 

「ひゃ!?」

 驚いて唇を離す小萌。

 だが彼女には指輪も、そして雛苺の顔を見る時間はなかった。

(え・・・?)

 まるでひどい風邪をひいたときのような倦怠感が全身にのしかかり、目の前がぐらりと揺れる。

「えへへへ・・・」

 雛苺が笑いながら、横倒しに倒れかけた小萌の背中に手を回した。

「これでずぅっと一緒なの・・・ずぅっと、いっしょに遊ぶのよ・・・」

 歌うような少女の声。ベンチに腰掛けた姿勢でぐったりとし、雛苺に支えられている小萌には、突然の疲労感も、彼女の言葉の意味も問う余裕はなかった。

 そこに―――

 バン! と屋上に大きな音が響いた。

「「「!?」」」

 小萌たちの周囲にいる者たちが、いっせいに音がした方を見る。

「小萌先生!」「こもえ!」

「・・・?」

 唐突に名を呼ばれ、そちらに目を向ける小萌。


 屋上への出入り口、自動ドア。

 そのドアが開ききる前に駆け込んできたため、誰かが激突したのだ。

 大きく揺れるドアガラス。しかしぶつかった当の本人は痛みにも視線にもまったく気にした風がない。

 崩れた体勢をドアにすがりつくようにしてこらえながら、こちらを見るその誰かは、

「か・・・みじょ・・・うちゃん・・・?」

 見覚えのあるツンツン頭の少年と、その隣で少年を見る白いシスター。

 その二人を小萌は知っていた。

 いつか傷だらけのインデックスを担ぎ込んできたときと同じ真剣な顔で、少年―――上条がこちらを見ている。

(ぁ・・・・・・)

 しかし、そこまでが彼女の限界だった。

 急速な闇が彼女の意識を多い、そのまま黒に染めていく。

 重くなった意識に負けて目を閉じる寸前の耳に、キン、と金属音にも似た、甲高い音が響いた。

 それが結界が張られた音だということを、小萌には知る由もない。






「!」

 がくりと小萌が意識を失ったのを見た上条が、ざわめく周囲を無視して駆け寄ろうとする。

 しかし。

「だめだよとうま!」

 インデックスが彼のシャツを掴んでとめた。

「うわっ!?」「きゃあ!?」

 がくっ、と急制動をかけられる上条。シャツの襟元で首がしまり、左腕の真紅が落ちそうになって慌ててしがみつく。

「げほっ! なにすんだよインデックス! 早くしないと先生が・・・!」

「結界が張られたかも!」

 上条の非難の声を、インデックスが遮った。

「!」

 慌てて周囲を見回す。すると違和感は一目瞭然だ。

 小萌の家からここまで。さんざん晒されてきた奇異な視線が、いまはもうない。

 ざわめき、人ごみ、すべては日常のまま。だがそれが『コインの表』に変わった瞬間、彼らの認識の中から上条たちは消えうせている。

 結界が張られた以上、掻き分けてでも進もうとしたその人ごみはもう蠢く圧搾機と化している。うかつに飛び込めば、ヒトとヒトに押しつぶされてしまう。

 触れても『ひっぱられる』ことも『押しつぶされる』こともないのは、デパートに到着した時点で腕から降ろし、いま真横に立つインデックスと、

「あれは・・・雛苺!?」

 上条の左腕に腰掛けた真紅のみ。


 その真紅が、驚愕を露にして叫んでいる。

 視線の向きは上条、そしてインデックスと同一方向。小萌に抱きついている、幼児といっていいほど小さな少女だ。

 だが彼女の視線は上条たちとは種類が異なる。それは言うなれば―――あり得ないものが、そこにあるというようなもの。

「そんな・・・これはどういうことなの?」

 呆然と、信じられないような口調。

「なぜ雛苺がここにいるの・・・貴女はあのとき白薔薇に・・・!」



 そうだ。



 雛苺は、もういない。



 共にアリスゲームを終わらせようとした彼女は、白薔薇にとって喰われてしまったはずだ。



 それがなぜここにいるのか。



 いやそもそも、それ以前に、

(なぜ私は、ベリーベルの存在を忘れていたの!?)

 胸に手を当てる真紅。

 自分は雛苺のローザミスティカを得ていたはず。それは雛苺が望んだこと。身体を失ってもなお、自分とともに戦おうとしてくれた彼女の意思。

 それを、なぜ、忘れていた?

「真紅・・・来てくれたのね・・・」

「っ!」

 思考に沈んでいた真紅を引き戻したのは雛苺の声。

 彼我の距離は十数メートル。人ごみ越しであっても、なぜか彼女の声は真紅にも、そして上条たちにも届いた。

「ひ、雛苺、なの? 本当に、貴女なの?」

 震える手を雛苺に伸ばす真紅。凛とした意思を湛えていたはずの彼女の瞳は、信じられないものを見ているかのように震えている。

「真紅!? どうしたってんだよ、おい!」

 上条が心配そうに真紅を見た。

 真紅の態度は尋常ではない。とても姉妹に出会ったとは思えない態度だ。

 だが真紅が上条の疑問に何か言うよりも早く。

「えへへへ・・・」

 ひらりとベンチから、いや、小萌の腕の中から飛び降りた雛苺が、上条たちに正対して、笑みを浮かべた。

 そこに浮かんだのは、見た目どおりの邪気のない笑み。

 だがその無邪気さは、ためらいなく昆虫をばらばらにできる子供ゆえの残酷をあらわすものだ。

「っ」

 純粋ゆえの狂気をその瞳から感じ取り、インデックスが息を呑んだ。


「待ってたの、真紅。ヒナはお姉ちゃんに言われて、真紅を待ってたの」

 言いながら、雛苺は上条たちに目を向けたまま、小萌に右手をかざした。白い指先が小萌に―――小萌の指輪を指し示す。

「う・・・」

 小萌の表情が苦しそうにゆがみ、

「!」

 コオッ! と指輪が光を放った。

 同時に、小萌の纏う洋服―――パーカーにジーンズというラフな格好―――が、まるで幻想でも見ているように、ドレスに変化する。

 それは色合い、形状、どれを見ても雛苺が纏っているものと同一のものだ。

 変化は意匠だけに留まらない。

 しゅるしゅると雛苺の足元から立ち上がった苺ワダチ。

 それはもう力の入っていない小萌の四肢に巻きつき、それだけでは飽き足らず、小萌の身体を網の目状に覆っていった。

 結果出来上がったシルエットは、言うなればヒト型の鳥篭だろうか。

 十字架に下げられたような格好の小萌を中心に、苺ワダチが成人男性のシルエットを構成している。

「あ・・・うあ・・・」

 『鳥篭』の中で小萌が苦しそうな声をあげた。

「な・・・!」

 魔術。

 それを目の当たりにした上条が目を見開き、

「や―――やめなさい雛苺!」

 茫然自失の状況から立ち直った真紅が叫ぶ。


(まさか・・・Nのフィールド!?)

 契約者の意匠の変化が意味することは二つ。

 通常、鏡の世界にしか存在しないNのフィールドが現世にあるということ。

 もうひとつは、媒介として許容量以上の力を薔薇乙女に与えているということだ。

 そして変化の度合いが急激であればあるほど、

「その人を離しなさい雛苺! 貴女、自分がなにをやっているかわかっているの!?」

 真紅が叫んだ。その顔は焦りに満ちている。



 ―――契約は私の力を引き出すために必要な手続きに過ぎない。私が力を振るうと、どうしても、貴方の体力を奪ってしまうのだわ



「!」

 上条の脳裏に、先ほど真紅から聞いた言葉がよみがえった。

 体力のある上条にして、身体の芯にダメージを残すほどの疲労。それをただでさえ小さな体躯の小萌が受けたとしたら。

「そんなの、わかってるのよ」

 雛苺が応ずる。無邪気な顔が上条たちに向いた。

「ヒナ、言われたの。お姉ちゃんに、言われたの。こもえに会って、ここにきて」

 カクン、と彼女が首をかしげた。

 まるで力の篭っていない、人形同然の不自然な動き。そして幼い彼女の口元が、まったく中身のない笑みを浮かべた。 


「真紅を壊せって」

「なっ!?」

 真紅の目が見開かれる。だが彼女にも、そして上条にも、その言葉の真意を問いただす暇はなかった。

「そうしたら、ヒナはこもえと一緒にいられるって、お姉ちゃんが言ってたの」

 言いながら、雛苺は小萌の身体に巻き付く苺轍ごしに空を見上げる。

「ヒナ、遊ぶの。こもえと一緒に、ずっと、ずっと」

 そこには、昼間の光の中でさえはっきり見えるほど光量を増した二つの光球がある。

 結界が張られたことで人目に晒されないことを悟ったのか、完全に色を取り戻している二つの光球。

 音もなく激突を繰り返していた二つの光。

 その片方である紅色の球が、先程小萌の部屋であったように―――危険を知らせたのはときのように―――激しく明滅した。

 それがまさに合図であるかのように。 

「ベリーベル!」

 雛苺が命じる。

 小さな指を、真紅の方に向けて。

 桃色の光球と、雛苺の身体。そして小萌の指輪が光を放った。

「くっ! ホーリエ!」

 歯噛みして、真紅も叫んだ。

 疑問も答えもすべてをあやふやなままに。

 アリスゲームが、始まる。

二週間以上飛んでしまった・・・! というわけで今回は以上となります。

前みたいに焦って適当に書くよりは、と思っていたら、いつのまにかずいぶん長いことかかってしまいました。

GWだし、次は土日にかけるといいなぁ。

さて、次はようやく戦闘です。戦闘描写、鈍ってないといいですが・・・。



 第一手はベリーベルの一撃ではなかった。

 雛苺の命令に従い真紅に向かったベリーベルはしかし、その真紅の意思を受けたホーリエに阻まれたのである。

 弾丸のように突っ込むベリーベルを、盾のように受けとめるホーリエ。

 契約者を持つもの同士の人工精霊だ。多少の能力相違はあろうとも、攻撃力にそこまでの差はない。空中で制止し、押し合いをする二つの光。

 その代わりに突っ込んできたのは、雛苺ではなく、彼女の隣に立ったモノだった。

 『鳥籠』は、ぐっ、と膝を縮めると、植物のしなやかさを以って大きく跳躍。上条たちとの間にある人混みを一息に跳び越えたのだ。

「!」

 最高点が3メートルは超えようかという大跳躍。見上げる上条とインデックスの視線の先で、『鳥籠』が右拳を構えた。

 二人の人間のうち上条に向けて、突進力と重力が合わさった一撃が襲い掛かる。

「くっ!」

 人間離れした『鳥籠』への驚愕も一瞬。拳到達までに辛うじて包帯を剥ぎ取った上条の右手が、つきこまれた拳を受け止めた。

 幻想殺しが発動する。



 ―――!



 『鳥籠』の右腕が振り抜かれた。

 しかしそれは上条に一撃が入ったからではない。幻想殺しに触れた端から体を構成する苺轍を破壊され、ない腕を振り抜いたに過ぎなかった。


 右腕を破壊された『鳥籠』。そしてそれを為した上条は、

「小萌先生!」

 至近距離となった小萌に手を伸ばした。

 まずは『鳥籠』内部の小萌を救出する。どうすれば契約が破棄され、彼女が解放されるのかはわからない。それでもこの中に囚われているのは間違いなく危険だ。

 上条の意図を察したのか、『鳥籠』がしゅるしゅると己の構成物質を伸ばした。それは彼の目の前で瞬時に綾を成し、編みこんだような形で壁を形成する。

 だが無駄だ。幻想殺しにはいかなる常識外も効果がない。

 押し当てられた右掌が壁を突き破り、さらにその向こうにある『鳥籠』の頭部を掴んだ。

 瞬時に構成する轍が破壊される。

 そして上条はそのまま小萌に手を伸ばし―――

「とうま! うしろ!」

 と、インデックスが叫んだ。

「!」

 切迫した彼女の声に、反射的に身を沈める上条。

 その瞬間。

 ブン、と音をたてて何かが頭上数ミリの位置を横薙いでいった。彼の跳ねた黒髪が数本、屋上に吹く風に舞う。


「なっ!?」

 身を捻る。

 振り返った視界にはあったのは、

「ぬいぐるみ!?」

 一抱えもあろうかという、大きな熊のぬいぐるみだ。

 ずんぐりむっくりという微笑ましい造形の体に、愛嬌のある顔。そしてその両腕の先には、本物と見間違えるほどのごつい爪。

 下手な刃物よりもずっと切れ味のありそうなその爪が、再度打ち振られた。

「っ!」

 なぜぬいぐるみが動いているのかの疑問と苦情を上条は考えない。相手は魔術の産物。考えるだけ無駄だ。

 だから上条は上半身を強引に捻り、右拳を放った。

 拳に柔らかい感触。それとともに、ぬいぐるみの動きがとまり、爪が消えうせた。

 しかし敵はこっちではない。

 ひゅん、と風切り音が耳に届いた。発生源は至近距離。再び真正面に向き直る上条。

「!!!」

 そのときにはすでに『鳥籠』の攻撃が目の前まで迫っていた。

 上条が熊に気を取られているうちに、『鳥籠』は左腕を大きく旋回させ、鞭のように振るう。

 魔力を帯びた一閃。当たれば骨とまではいかないが、肉は十分に引き裂くことができるだけの威力があった。

 振り返ったばかりの、そして右手を振るったばかりの上条では、回避も、そして幻想殺しで受け止められるタイミングでもない。

 本日二度目の打ち首の危機。


「C・F・A!」

 インデックスの声が周囲の喧噪を圧して響き渡った。



 ―――!?

 

 瞬間、『鳥籠』の左腕が真上に跳ね上がった。

 強制詠唱。

 術者と媒介を結ぶ糸に介入する、魔力を用いない魔術だ。

 本来ならば自動制御の相手にこの技は効果がない。だが、インデックスは知っている。インデックスには理解できる。

 薔薇乙女は契約者の力を吸収し、それを用いて魔術を使っている。実際に遠隔的に操作をしていなくても、魔力媒介としての意思疎通は行っているのだ―――簡単に言えば『この魔力を用いて攻撃せよ』『この魔力を用いて回復せよ』『魔力が足りない』『魔力をよこせ』

 ならば、そこに介入する余地がある。

「っ!」

 しかし鞭の動きは剣のように即座に変わるわけではない。

 結果的に斜めを描いた左腕を、上条は沈み込むことで辛うじて回避。

 そして崩れた体勢のまま、

「うおおっ!」

 上条が再び幻想殺しを叩き込む!



 ―――! 



 『鳥籠』から動揺の気配。

 鞭の一撃は、回避されればそのまま慣性力によって自由を制限する。伸び上がった左手はまだ勢いを失っていない。

 当たる。


 しかし。

「A la!」

「!?」

 舌足らずな声とともに、小萌の指輪から苺轍が出現した。

 轍はその鋭利な先端を上条の目に向け、早送りをしているかのように一息に成長する。

「くっ!」

 反射的に右手で打ち払う上条。もともと牽制だったのか、轍の一突きはあっさりと力を失い、破壊された。

 しかしその隙に『鳥籠』は左腕の制御を取り戻す。次いで大跳躍を行い、即座に上条から距離をとった。

「くそっ!」

 強引な動きをした直後の上条にはそれを追うことは出来なかった。たたらを踏んでいる間に、『鳥籠』は再び雛苺の隣にまで戻っている。

 十秒に満たない攻防。上条にも、真紅にも、インデックスにも、そして雛苺にもダメージはない。

 ただ一人ダメージを負ったのは、

「くあ・・・うああ・・・・!」

 小萌だ。

 『鳥籠』の中にいる小萌の苦鳴に、上条たちが目を見開く。

「えへへへ・・・」

 雛苺が壊れた笑みとともに、再び小萌の指輪を指差していた。

 指輪は光を放ち、『鳥籠』の右腕を修復。それだけではなく、幻想殺しに抗するためか、さらなる轍が絡み付き、腕や胸の厚みを増していった。

「真紅のミーディアム・・・とっても強いの・・・・ヒナも負けないの・・・」

 さらに雛苺は左手を、すい、と振るった。

 同時に彼女の背後―――アスレチックの方から、立ち上がる数々の影。

 それは、両手の指では足らぬほどの数の、ぬいぐるみやプラスチックの玩具たち。

 玩具たちはそれぞれが一抱えほどの大きさになり、各々の脚で立ち上がっていた。さらにそれらはいっせいに跳躍。

 雛苺と『鳥籠』を囲むようにして、着地した。

短い投下になってしまいましたが、今回は以上です。

本当は決着までの攻防を一生懸命書いてたのですが、気に入らなかったのでこれ以降を書き直しにしました。

適当に妥協すると、結局あとのつじつまあわせで泣くので、涙を呑んで削除ということで。

連休も抜けたので、次からは通常運用・・・まとまった量を日曜日に更新していこう、と思います。

では。


「っ!」

 この現象を実現させたエネルギー。その供給元など、考えるまでもない。

 上条が地面を蹴り、目の前の人ごみに構わず雛苺に向かったのと同時に、真紅が右手を振り上げた。

 ホーリエに命令するのか、あるいは別の攻撃か。

 しかし。

「っ・・・! い、いい加減にしなさい雛苺!」

 ギリ、と歯噛みした後、真紅は叫ぶのみ。声にも、表情にも、悲痛な迷いが見て取れる。

 彼女の腕は振り下ろされない。

「っ!」

 その声に、駆け出していた上条の脚が凍り付いたように止まった。

 上条には迷う必要はない。少なくとも小萌が危険なのだ。なんとかして雛苺を戦闘不能にして、後は真紅になんとかしてもらうしかない。それも、一刻も早く。

 小萌が危ない。

 雛苺は笑っている。

 小萌を助けなければ。

 雛苺は敵だ。

 水銀燈のときとはワケが違う。

 小萌の命がかかっている。

「っ」

 正面を見る上条。彼は人ごみなど恐れない。自分が押しつぶされる危険など、小萌を失うことに比べれば完全に瑣末ごとだ。

 だがそれでも、上条には真紅の迷いを見捨てることはできなかった。

 真紅は雛苺を攻撃することを躊躇っている。襲い掛かってきたという点では水銀燈と変わらないが、一目見たときの反応からして、何か因縁があるのかもしれない。

 上条は迷う。

 真紅への誓いは、彼女の意思を護ることも含まれるのである。


「っ、っ、っ!」

 そしてそれは真紅も同じだった。振り上げた右腕は、振り下ろされず、しかし、小刻みに震えている。

 『鳥籠』の中にいる人物が、上条の護るべき人だということは理解している。そして、こうして戦いが始まった以上、もう戦うしかないのだということも。

 そもそも『前回』は、真紅の方からしかけているのだ。結果的に彼女は自分の下僕となることを選び、そしてさらに、結果的に彼女が自分にローザミスティカを預けることになったはずだが、場合によっては自分が雛苺を壊していた可能性だって大いにあったのだ。

 だがそれでも真紅は納得がいかない。動けない。

 なぜ、雛苺がここにいる。なぜ、Nのフィールドを模した結界がある。なぜ、彼女は自分にすべてを託したことを忘れ、自分もそれを忘れていたのか。

 迷い、迷い、迷い。

 誰でもない、お互いのために動けない二人。

 その間にも『鳥籠』の修復は進み、小萌の命のリミットは近づいていく。

 だが状況にメスを入れたのは、アリスゲームという点からいえば、もっとも関係の薄い者だった。


「I T I H T R A R I !」

 インデックスの声が響く。

 同時に、指輪の放っていた光が一気に減衰した。苦しげだった小萌の表情が和らぎ、ワダチの成長がピタリと止まる。

「!?」

 驚きに目を見開き、上条たちを―――インデックスを見る雛苺。

 インデックスはその視線を畏れない。さらに何事かを命じようと息を吸い込み―――

「Allez!」

 インデックスを邪魔者と見たのか、彼女を指差し、雛苺が叫んだ。

 周囲を囲んでいた『玩具』たちが動き出す。

 ある者は滑るように、またある者は鈍重な外見のそのままに、人ごみを無視してインデックスに向かった。

 何体かは人ごみに弾き飛ばされ、踏み潰される。しかし彼らの体躯は小さく、数も多い。大部分の『玩具』が人ごみを突破した。

「!」

 上条が彼女を護るために駆け出そうと―――


 ダンッ! と音が響いた。

 完全な増強は出来ないまでも、右腕と頭部が回復した『鳥籠』が再び大跳躍。上条に襲い掛かった。

 相手が構えているのは右拳。先ほどとまったく同じ状況。

 ひとつ違うのは、

「くっ!」

 上条の受け手だ。

 上条は右手ではなく、左手で『鳥籠』の拳を受け止めた。

 幻想殺しは使えない。ワダチを破壊すれば、それがそのまま小萌のダメージに転化されてしまう。

 『鳥籠』の中にいる小萌の髪の色は、桃色から雛苺のようなブロンドへと色を変貌させていた。その幼い容貌とせいもあって、遠目からではもはや雛苺と同じ容姿に見えるだろう。

 上条にはそれが意味するところはわからなかったがそれでも異常な状況。これ以上は危険だ。

 重い一撃。

 全身に力をこめて、拳を受け止める。


 ―――!

 しかし『鳥籠』は腕を振りぬかなかった。

 上条が全身に力を篭めていることそのものを土台として、空中で前転。さらに右脚を一直線に伸ばす。

 拳と左手の接触面を基点とした『鳥籠』の前転の勢いは、そのまま振り下ろされる右踵の鋭さに変化した。

 踵落とし。

 狙いは頭だ。

「!?」

 予想外の動きに上条は反応できない。

「くうおっ!?」

 頭を思い切り横に傾け、なんとか直撃は免れた。しかし蹴り脚そのものは死んでいない。

 戦斧のような垂直の蹴りが、上条の肩に叩き込まれる! 

「ぐあっ!」

 がくっ、と上条の膝が折れた。ダメージではない。崩れた体勢では蹴りの重さに耐えられなかっただけだ。

 一秒にも満たない身体の硬直。しかし接近戦において、それは致命的な隙になる。

 『鳥籠』はさらに動いた。

 上条の肩を打ち付けた右足で全体重を支え、左膝を胸に―――小萌の頭に触れるかというほど―――引き付ける。

「!」

 意図に気づいた上条が、膝に力を入れて立ち上がった。

 否。

 ―――!

 『鳥籠』の動きが一瞬早い。

 蹴音!

 十分な溜めを持った左足の前蹴りが、上条の顔に突き刺ささった。

「ガっ!」

 顔を思いっきり蹴り飛ばされた彼の背中が、先ほど入ってきた出入り口の自動ドアに激突し、大きな音をたてる。


「当麻!」

 その音に立ち止まる真紅。

 上条と同じく『玩具』に襲われるインデックスを助けに向かっていた彼女だが、上条の苦境も放っておけない。

 だが彼女には、上条を助けることも、そのためにホーリエに命ずることもできなかった。

「余所見してると危ないのよ」

「!」

 慌てて振り向けば―――いつの間に接近したのか―――ほんの数メートル先に、雛苺の姿。

 ドレスの裾を翻す桃色の少女は、ちょうどこちらに向かって、何かを投げつけるように右腕を振りかぶっていた。

「―――!」

 真紅は反射的に地面を蹴って、後ろに跳躍。同時に右手をホーリエに向け、

「ホーリエ!」

「ベリーベル!」

 二つの人工精霊が同時に動いた。

 数条の光槍を放ったベリーベルに対し、ホーリエは真紅の右手に赤光を照射する。

 真紅の右手に集まった赤光は鞭のようにしなった後、一振りのステッキに姿を変えた。

「はあっ!」

 迫る光槍をステッキで叩き落す真紅。

 光槍はガラスのように砕け、瞬いて消えた。

 だがその間に、

「真紅なんか」

 雛苺の右手が振り下ろされていた。

「ペシャンコになっちゃえ!」

 ブン! と塊が空を切り裂く鈍い音。

 真上から放物線を描いて、歪な球形の物体が飛来する。


「!?」

 さらに背後に跳ぶ真紅。彼女がさっきまでいた位置に、その塊が叩き込まれた。

 コンクリートの地面が砕け、破片を周囲に撒き散らす。

 雛苺を見る真紅。

 右手を振り下ろした姿勢の彼女が持っているのは、太く長い苺ワダチだ。そして叩き込まれたのは、その先端にくっついている、この状況に置いては場違い極まりないもの。

 人の頭ほどはあろうかというほどの、巨大な苺だった。

 しかし見た目だけでは侮れない。雛苺の苺ワダチは大の大人でも素手で千切れるものではなく、先端にある『苺』の威力は、いま見たとおりだ。

 彼女の武器を端的に表すなら、

「モーニングスター!?」

 真紅が目を見開き、雛苺が動いた。

「ぜったい、負けないんだからぁ!」

 雛苺は素早く背中側に回転。全身の勢いを持って水平に右腕を振るう。

 苺ワダチの長さは雛苺本人の2倍以上。その上先端の『苺』はアスファルトにめり込むほどの重さだ。通常であれば彼女の体重で扱えるものではない。

 だがこれは薔薇乙女の能力だ。特にNのフィールド内と同等であるこの空間内では、そんな常識は一切通用しない。

 まるで意思持つように持ち上がった『苺』が、反動と勢いを喰って空を飛んだ。

 鞭の動きとハンマーの威力。

 直線的に見えてそうではない軌道の『苺』を、真紅は辛うじてステッキで受け止めた。

「きゃあっ!」

 だが威力差は歴然。

 ステッキの上下を両手で支え、その中央で受けたにも関わらず、まったく衝撃を殺せない。

 彼女もまた先ほどの上条のように吹き飛ばされる。

ちょっと短いですが、今回は以上です。

三人による戦闘がこんなに手間とは思いませんでした。(訂正前は上条主観だけ)

内心とかもう少し掘り下げる必要があるので、ちょっと戦闘を長めに作り直しています。

とりあえずここ以外に持ってたSSが終わったので、ようやくこっちに集中できそうな感じです。

まぁ更新速度が上がるか、と問われたら怪しいですが・・・。

ではまた。

「くっ!」

 なんとか空中で体勢制御し、左手を地面につけつつも着地する真紅。受け止めた両手が痺れていたが、ダメージはない。

 だがそれを確認している間にも、雛苺は次の攻撃に移っていた。

 風切り音。

「!」

 顔を上げる。

 真正面。

 真紅は右手一本でステッキを構える。が、先の威力から考えれば、とてもではないが受けきれるものではない。ステッキは弾き飛ばされ、そのまま命中するだろう。

 あんなものを頭に食らえば、それだけで倒れてしまう。ゲームは終わりだ。

「っ!」

 真紅は防御を諦め、回避に転じる。

 地面を蹴り―――動かそうとした脚に、唐突に何かが絡みついた。

「!?」

 慌てて目線を下げれば、己の両脚に、コンクリートから直接生えた苺ワダチが絡み付いている。

 動けない。

「真紅、さよならなの!」

 楽しげな響きを持つ雛苺の声が、やけにクリアに響いた。

 彼女は再び身を捻り、今度は大上段に構えている。

 狙いは頭。

「―――っ!」

 回避不能だ。

「P I O B T L L!」

 だがそれを遮るように、歌うような言葉が『コインの裏』に響いた。

「キャー!?」

 突然、雛苺の左脚が後ろに動く。体勢も何もかもを無視した動きに、雛苺は対応できない。

 前のめりに倒れこむ。妙な動きの入った『苺』は、真紅からまったく外れた場所にめり込んだ。

「シスター!?」

 真紅が声の方向に視線を向けた。

 遠く、『玩具』たちから逃げ回りながらもインデックスが安堵の表情を浮かべているのが見える。

 しかしそれも一瞬のこと。

 瞬く間に『玩具』に群がられ、彼らの攻撃を回避するため、インデックスは再び走り出した。

「ホーリエ! シスターを!」

 真紅の意を受け、ホーリエが弾かれたように『玩具』たちに向かう。

 それを一瞬だけ見送ってから、

「真紅の、バカー!」

 雛苺に視線を戻す真紅。

 転んだ姿勢のまま、雛苺が腕を振った。

「っ! やめなさい雛苺! なぜなの!?」

 真紅はそれを完全に見切った。

 リーチ、速度、そして雛苺の身体の動き。 

 そこから予測できる攻撃有効範囲ギリギリの間合いを維持し、

「Que soit epuise!」

 雛苺の声と同時に、ぐんっ、と擬音でも聞こえる勢いで『苺』が、いや、『苺』と雛苺を結ぶワダチが伸長する。

「っ!」



 鈍音!



 真紅の脇腹に『苺』がめり込んだ。

「かはっ!」

 口から呼気が漏れ、手からステッキが離れる。

 振り切られた『苺』の運動エネルギーをまともに受けた彼女の身体は、落下防止用の金網フェンスまで一息に吹き飛ばされ、たたきつけられた。

「・・・!!!」

 衝撃が全身に響き、息が吸えない。なんとか立ち上がろうとするが、まったく力が入らなかった。

 身体を支えることもできず、フェンスに沿ってズルズルと滑り落ちていく。

 彼女らを結ぶ一直線上のちょうど中央のコンクリート上に、ステッキがくるくると回転しながら落下し、軽い音をたてて転がった。 

「いまなの!」

「!」

 顔をあげる真紅。

 力強く発光したベリーベルが真紅に迫る。しかし回避する余裕も、防御する余力も、いまの彼女にはなかった。

「ひな・・・いちご・・・!」

 痛みで途切れ途切れになる声。

 だが彼女の細い言葉は、雛苺には届かない。

 真紅の視界いっぱいに、桃色の光が広がった。






(真紅!)

 自動ドアに叩きつけられた上条は、視界の真紅の危機を捉えながら、自ら身体を下方にずらした。

 ずり下がるようにして、頭ひとつ分だけ視界が下がる。



 ―――!



 ついさっきまで彼の頭があった位置に、追撃の前蹴りが叩き込まれた。

「っ!」

 上条は自分の真上で響くとんでもない蹴音を無視して、地面を殴りつけるようにして立ち上がる。

 






 目前に迫るゲームオーバーを阻んだのは、駆け込んできた一人の影だった。

「させるかよっ!」

 上条は全力疾走そのままに大きく跳び込み、掬い上げるようなモーションで右の拳を放った。

 幻想殺しが描く軌跡は、ベリーベルが真紅に突っ込もうとするそれと重なっている。



 ―――!



 人工精霊といえども、彼の右手に触れればひとたまりもない。慌てて軌道を変え、大きく上昇するベリーベル。

 その間に上条は真紅に駆け寄った。左手で彼女を抱き起こし、顔を覗き込む。

「大丈夫か真紅!」

「かほっ、こほっ、な、なんとか大丈夫・・・なのだわ・・・」

 こたえながら顔を上げた真紅の苦しげな表情。

 しかしその目が見開かれる。

 自分を抱える上条の肩越しに、『鳥籠』が見えたのだ。

 しかしこちらに向かってきているのではない。

 行き先は、

「シスターが・・・!」

 いまも『玩具』からの攻撃を必死に避け続けている、インデックスだ。

 おそらく上条は、こちらの危険を見てそれこそ何も考えずに助けにきたのだろう。だが『鳥籠』の役目は上条を倒すことではなく、アリスゲームに勝つことだ。

 無理に上条を追うことより、もっとも多くの戦力をひきつけているインデックスを先に倒したほうが、話は簡単になる。それにインデックスは雛苺の魔術に割り込むことが可能な、厄介な存在だ。


「っ!」

 自分に向かってくる『鳥籠』を見て、インデックスが一瞬だけ表情に緊張を走らせた。

 インデックスは強制詠唱を用いて『玩具』たちの一体一体を牽制している。だがそれも決して手玉にとっている、というレベルではない。

 右手をあげろ、や、脚を動かせ、という命令で同士討ちを狙い、辛うじて出来上がる安全地帯を縫うように使っているに過ぎなかった。

 あの状態に『鳥籠』が加われば、逃げ続けるのは不可能だ。



 ―――!



 滑るように近づいた『鳥籠』が、右の拳をインデックスに叩き込んだ。

 身を翻し、辛うじて避けるインデックス。しかし突きこまれた腕が修道服に絡み、引っ張られたインデックスの脚がたたらを踏む。

 その隙をついて、『玩具』たちがいっせいに殺到した。

「当麻、シスターが!」

 叫ぶ真紅。

 だが、

「大丈夫だ、インデックスなら!」

 上条が、確信を持った口調で言う。

 彼の口ぶりも、瞳も、まったくインデックスを心配した様子がない。

「で、でも」と、真紅。

 正直に言って、上条でもてこずる『鳥籠』を相手に、インデックスが無事でいられるとは思えない。

 だが、上条の言葉を肯定するように。



 ドン! とインデックスに殺到していた『玩具』たちが、吹き飛ばされた。


「くあっ!?」

 その途端、己の頭に走った痛烈な痛みに、真紅は顔をしかめた。

 何か攻撃を受けたのか、と雛苺を見るが、彼女もまた側頭部を押さえて膝をついている。

 ベリーベルが小さく明滅してふらふらと高度を落とし、インデックスに向かっていたホーリエに至っては力を失って地面に落下した。

 『鳥籠』も、電撃か何かで痺れさせられたように、小刻みに震えながら膝をついている。

 それを引き起こしたのは、倒れた『玩具』たちに説法でもするかのように、両手を軽く開き立つインデックスだ。

 インデックスの使う、もうひとつの音声魔術。

 魔滅の声である。

 本来であれば十字教徒以外には効果がないはずの魔術が、いま彼らに対して威力を発揮した理由は、その発せられた言葉と、真紅たちの特性ゆえ。

 塵は、塵に。

 十字教にある言葉に『人形』という属性を強引にひっかけられ、『玩具』たちは動けない。

 対照的にインデックスは、閉じていた目を開き、さらに動いた。

 修道服を止めている安全ピンを、まとめて引き抜いた。チャイナドレスよろしく右脚が大きく露出するが、まったく気に留めることなく『鳥籠』に向けて走り出す。

 『鳥籠』は接近する敵に対して顔を上げた。しかしまだ魔滅の声の影響から脱していない。立ち上がろうとするが、まったく動けないようだ。

「やあっ!」

 インデックスは脚を大きく露出させながら踏み込み、手にした安全ピンを次々と『鳥籠』に―――『鳥籠』を構成する苺ワダチに差し込んでいく。

 ただ差しているだけではない。ワダチの一部を留め合わせるように、一定の動作をよどみなく、それこそ手馴れた生け花でもしているように彼女は動く。

 そして手の中の安全ピンをすべて『鳥籠』に差してから、インデックスは一足に『鳥籠』から離れた。


 『鳥籠』は魔滅の声の影響下であってもインデックスを追おうとして―――

 

 ―――!?



 『鳥籠』から動揺の気配。

 その身が、縛り付けられたかのように動かない。

 上条にも、真紅にも、そして雛苺にもわからなかったが、インデックスが『鳥籠』に施したのは縄縛術である。

 夏休みの最後の日、他ならぬインデックス自身を捕縛した縄の魔術のひとつ。

 網の目状の小萌を捕縛する苺ワダチを安全ピンで固定、あるいは結び目をつくり、自らを拘束する形に組み替えたのだ。

 10万3000冊の知識でもなく、完全記憶能力でもなく、それらをすべて応用し、独自に使えること。 

 それこそが、彼女のもっとも強力な武器なのである。

 そしてもうひとつ。

 彼女が持つ、強力な武器は。

 インデックスは『鳥籠』が動けないのを確認。そして、大きく息を吸い込み、

「とうま! こもえはもう大丈夫! これは動けないし、その子の命令もわたしがなんとかする! だから」

 インデックスが上条を見る。

「とうまはとうまの護りたいものを、しっかり護って!」


 それは、上条に対する、信頼だ。

 危ないと思ったら逃げろ、と言う言葉に頷いたインデックス。
 
 にも関わらず逃げていないことを、上条が『彼女にとって対処できることなのだ』と信じたのと同じように。

 インデックスもまた、上条が護ろうとするモノを、信じている。

 笑みを浮かべる上条。

「真紅!」

 一声。

「小萌先生はインデックスが護る! だから教えてくれ! どうすればいい!」

 そのまま、言葉を続ける。

「どうすれば、お前とアイツに一番いい結果を出すことができるのか、俺に教えてくれ!」 

 アイツとは間違いなく、雛苺を指しての言葉。彼女の身すら案じるのは、なによりも真紅を案じているから。

 真紅があんな顔をしてまで迷いを見せるのは、真紅がダメージを負ってもなお彼女の名を呼ぶのは、少なくとも、雛苺に異常な事態があるということ。

「―――っ」

 真紅は確かに一瞬だけ迷った。

 違和感、疑問、そして雛苺。

 だがそれを振り切るように目を閉じて首を振る。

 自分の大切なモノに手を出されても、上条も、インデックスも、自分のことと、そして雛苺さえも信じてくれようとしている。



 私の、護りたいものは、なに? 



「・・・!」

 真紅は身を起こす。ふらつく身体を、それでも自分の脚で支えて。

「当麻!」

 そんな彼女の表情からは迷いは消えないまでも、確かな決意が浮かんでいた。

「雛苺は私が抑えるわ! だから当麻、あなたは」

 真紅は雛苺を見た。

 魔滅の声の影響を若干とはいえ受けた彼女は、痛みにいまだ動けそうもない。両手で頭を抑えて、身を震わせている。

 その弱弱しい仕草は、『前回』に見た、身体を奪われた彼女を思い起こさせた。

 だが―――

 真紅は眦を決する。

 大きく息を吸い込み、

「彼女の指輪を破壊するのよ! そうすれば雛苺を壊すことなく、このアリスゲームは終わるのだわ!」

「おう!」

 頷き、上条が駆け出した。

 右手を握り、危険地帯と化した人混みにも構わず一直線に雛苺たちを目指す。

「だっ、」

 動けない雛苺だが、真紅の声は聞こえている。

 顔をしかめながらも、

「だめーっ!」

 雛苺が叫び、その意思を拾い上げたベリーベルが上条を追うように飛んだ。


 走る上条と空を翔るベリーベル。速度差は歴然。数瞬後にはベリーベルが追いつき、追い越してしまう。

 上条自身に攻撃を仕掛けるのは、幻想殺しを受ける危険性がある。ベリーベルが目指しているのは、インデックスに拘束された『鳥籠』の方だ。

 拘束そのものは、安全ピンに依る危ういバランスの上に成り立ったもの。光球の一撃で安全ピンをひとつでも弾き飛ばせば、それだけで拘束は解けるだろう。

 シスターの声は確かに厄介だが、それでも『鳥籠』自身の攻撃力というプラス要素に比肩するものではない。

「そこまでよ雛苺!」

 ふらつきながらも立ち上がった真紅が、震える脚を強引に押さえ込んで走り出した。

 彼女の上向けた右掌。そこに真紅自身の生み出した薔薇の花弁が、風を巻いて集中する。

「っ!」

 駆ける上条の脚が一瞬だけ乱れ、すぐに持ち直す。真紅の能力使用により、体力を奪われたせいだ。

 しかし上条は振り向かない。真紅が躊躇わず能力を行使する―――ここが勝負どころということに間違いない。

 そして真紅は右足を力強く踏み出し、右手を雛苺に向ける。

「薔薇の尾!」

 ゴッ! と花弁が一群となり、雛苺を襲った。


「!!!」

 目を見開く雛苺。

 慌てて『苺』を構えるが、直線攻撃である薔薇の尾に対して、それは遅きに失した行為だ。

「やあっ!」

 首、胴、両腕、両脚。

 瞬く間に絡めとられ、自由を奪われる。

 真紅は駆ける脚を止めないまま、地面に転がったステッキを掬い上げるようにして拾い、構えた。

 行き着き先は、もはや動くことのできない雛苺だ。



 ―――!



 上条を追い抜こうとしていたベリーベルの動きが、引きつるように止まった。

 雛苺の命令と、雛苺の命。

 人工精霊が優先するものなど決まっている。

 空中で強制制動。そのまま跳ね返るようにして雛苺に向かうベリーベル。


 ホーリエと『玩具』は魔滅の声で停止している。

 『鳥籠』は縄縛術で動けない。
 ベリーベルは雛苺を優先している。

 雛苺は捕縛状態。

 真紅は迫り来るベリーベルを防御するため、脚をとめている。

 『コインの裏』の人物の中で、唯一動けるのは、

「おおおっ!」

 大覇星祭の時のような大声をあげながら上条は走る。

 表側にいる人ごみの中を一息たりとも畏れず、一直線に。

 その視線の先にあるのは、『鳥籠』ではなく、小萌のみだ。


 ―――!


 『鳥籠』が接近する上条に対し反応を見せる。

 拘束された身でありながらも、強引に動こうとするが、

「おせぇんだよっ、この生け花野郎!」

 上条が間合いに入るほうが、早かった。

 拳をとき、右手を大きく振りかぶる上条。

 そして、

「小萌先生を、放しやがれっ!」

 掬い上げるように幻想殺しが叩き込まれた。

 上条の右手が苺ワダチを破壊し、そのまま、小萌の左手を握る。


 ―――!!!


 パキイッ! と小さな金属音。

 そこで、勝負は決まった。

今回はここで終了です。

宣言の日曜日からはちょっとずれ込みましたが、なんとか戦闘を終了させられてよかったです。
流石に3人同時は難しい・・・書ける人の文章力をわけてほしいものです。

さて、それでは次回というところで。

なお、上に書かれている

他でやってたSSをkwsk

についてですが、詳細についてはご容赦を。
ただ、文体をまったく変えていないので、読めばすぐにわかってしまうと思います。
では。


 目の前にいるのは、間違いなく雛苺だ。ローゼン以外に薔薇乙女を作れる存在はなく、それ以前に、同じ属性の彼女を間違えるわけがない。

 それに、薔薇乙女は必要な要素さえ揃えば復活することも不可能ではないのだ。

 自身にも定かではない記憶。もしかしたら覚えていないだけで、白薔薇に奪われた身体を取り戻したのかもしれない。

 雛苺を復活させられる状況になれば、間違いなくそれを実行しただろうから。

「・・・こたえて、雛苺。貴女の言う『お姉ちゃん』とは、誰のことなの? なぜ貴女はその命令にしたがったの?」

 雛苺が己の意思で自分の破壊を承諾したなどと、真紅には信じたくなかった。

 ジュンたちと過ごしたあの日々の中で、彼女の浮かべていた微笑みは絶対に嘘などではなかったはずだ。

「・・・いの」

「え?」

 と、真紅は聞き返した。

 不意に雛苺の口から漏れた言葉は、フェンスを通り抜けて吹く風に流され、よく聞き取れない。


「・・・てなんか、ないの」

「雛苺? 震えているの?」

 雛苺の手が、小さく震えていた。それを見て取った真紅の声に心配の色が付加される。

 思わず一歩踏み出した。

 その瞬間、

「泣いてなんか、ないんだからぁ!」

 雛苺が顔をあげ、叫んだ。同時に彼女の身体から桃色の光がほとばしる。

「!」

 光の爆発。

 反射的にステッキを構え、背後に跳ぶ真紅。

 その視界の端に、同色の光の、別の爆発が映った。

 ホーリエが弾きとばされ、ベリーベルが浮き上がるのが見える。

「真紅!」

 目を見開いた上条が一歩を踏み出しかけ――腕の中の小萌を見て動きをとめた。彼女を危険に曝すわけにはいかない。

 そして上条が動けず、インデックスが目をかばい、真紅が着地するまでの一刹那の間に。

「っ」

 雛苺が一息に立ち上がり、駆け出した。


 真紅の脇を抜け、フェンスに――ついさきほど真紅がたたき付けられた辺りに――一直線に向かう。

「ま、まちなさ・・・きゃあっ!?」

 それを目で追うとする真紅の足首に、なにかが絡み付いた。

 地面から直接生えた苺ワダチ。

 ガクン、と引っ張られて真紅は地面にたたき付けられた。

 手から再びステッキがこぼれ、転がる。

「っ」

 真紅はすぐさま頭をあげようとするが、

「伏せてろ真紅!」

「!」

 上条の声に、慌てて身を伏せる。

 その直後、彼女のすぐ上をベリーベルがかすめていった。

 真紅を狙ったというよりも、雛苺への最短ルートを選択したというところだったが、それでも直撃を受ければただでは済まなかったにちがいない。


 真紅の脇を抜け、フェンスに――ついさきほど真紅がたたき付けられた辺りに――一直線に向かう。

「ま、まちなさ・・・きゃあっ!?」

 それを目で追うとする真紅の足首に、なにかが絡み付いた。

 地面から直接生えた苺ワダチ。

 ガクン、と引っ張られて真紅は地面にたたき付けられた。

 手から再びステッキがこぼれ、転がる。

「っ」

 真紅はすぐさま頭をあげようとするが、

「伏せてろ真紅!」

「!」

 上条の声に、慌てて身を伏せる。

 その直後、彼女のすぐ上をベリーベルがかすめていった。

 真紅を狙ったというよりも、雛苺への最短ルートを選択したというところだったが、それでも直撃を受ければただでは済まなかったにちがいない。


 一方、そんな真紅には目もくれず、フェンスまで到達した雛苺は走る勢いをそのままに大きく跳躍した。

 成人男性の倍ほどの高さのフェンスは、ただそれだけでは飛び越えられない。

 しかし雛苺は跳躍最高点でちょうどよく足元に滑り込んできたベリーベルを踏み台にしてさらにもうひとつ跳びあがり、さらに召喚した苺ワダチをフェンスに絡み付け、なんなくその障害をクリアした。

「くっ、待ちなさい雛苺!」

 真紅が身を起こし、

 

 ―――!



 ベリーベルが光槍を放った。

「っ!」

 地面を転がり、なんとかそれを回避する。

 その間に、雛苺の身体が重力に引かれ、下方向にフェードアウトしていく。ベリーベルが桃色の軌跡を描きながらそのあとを追った。


 デパート最上階から落下すれば、いかに薔薇乙女といえども一たまりもない。

 だがここはNのフィールドと同等の性質を持つ結界内だ。そして磨き上げられたデパートのガラスは、鏡の代用を果たすだろう。

 逃げられてしまう。

 実際問題、指輪も契約者も失った雛苺には、そう選択肢は残されていない。僅かに残った魔力も、いまの光の爆発で使い果たしたはずである。

 あとはゼンマイが切れ、地面に転がるのが関の山だ。

「ホーリエ! 追いなさい!」



 ―――!



 弾き飛ばされ、明滅をしていたホーリエが、それでも真紅の指示に従った。

 紅い光球がふらつきながらも浮き上がり、雛苺たちを追って屋上から飛び出していく。

 しかしそこまでだった。

 視界からホーリエの姿が消えた直後、雛苺の気配が、真紅の感覚の中から消えうせる。先の予想どおり、窓ガラスを鏡代わりにして本物のNのフィールドに入ったのだろう。

 幸い、ホーリエはその後を追えたようだが・・・。


「・・・・・・」

 ゆっくりと身を起こした真紅が、雛苺の飛び降りた虚空を見た。

 紅いドレスは砂に塗れ、『苺』を受けた部分は破れてしまっている。

 真紅は視線を動かさないままで、その場所を右手で撫でた。

 時のゼンマイを巻き戻し、ドレスを補修する。

 手を離したときには、もうドレスにはなんの綻びもない。

 まるでそこに受けた一撃が、夢幻であったかのように。


 そこに背後から上条の声。

 振り向けば、小萌をお姫様抱っこにした上条と、右手に安全ピンを持ち、左手で『歩く教会』の裾を押さえたインデックスが立っていた。

「ええ、大丈夫なのだわ」

 頷き、足元に目を移す。

 ステッキがほのかな紅い光を放ち、粒子となって崩れていく。

 雛苺という核を失った結界が、消えかかっているのだ。

「大丈夫・・・なのだわ」

 屋上にざわめきが戻ってくる。

 いつのまにかそこに立っていた、見慣れないインデックスや真紅に、周囲から奇異な視線が集まりはじめた。

 なにひとつわからない。

 なにひとつはっきりしない。



「真紅、少し教えてもらって、いいか?」と、周囲の視線を無視して上条が言った。

 ここは能力者の街で、科学最先端の都市だ。あまり派手に動くところを見せればまずいだろうが、多少会話する程度なら、遠隔操作系の能力か、それこそ研究中の人形と思われるだろう。


 彼の声には、自分への疑念はない。ただ気遣いだけがあり、おそらく、上条は自分の力になりたくて、問おうとしているのだろう。

「・・・ええ」

 真紅は頷いた。

 説明は必要だった。

 いまの自分を、はっきりとさせるためにも。
 

やっと更新に戻れそうです。

しかし今回は回線が切れまくりまして、投下にかなり手間取りました。

また、範囲選択を誤ってしまい、上条の台詞がひとつ抜けています。

レス番287の前に

「・・・大丈夫か?」

という言葉が入りますので、補完してくだされば助かります。

では、今回は以上というところで。






 白井の言う"感じのいい店"は、美琴から見ても、高評価を下せる場所であった。

 外見はどこか古ぼけた洋風の小さな店だったが、内装の方はというと派手すぎず地味すぎず、ちょうど英国のバーのような控えめな洒落っ気を持っている。

 にも関わらず暗い感じがしないのは、調度品がほどよく明るい色で揃えられ、ランプ(のような電灯)が温かみのある光を落としていたからだろう。

 昼時にも関わらず、それほど広くない店内には彼女たちしか客の姿はない。店主兼コック兼ウェイターである初老の男性も、気を利かせてなのか、それとも元々そういうタイプであるのか、注文を全て出してからはカウンターの奥に引っ込んでいた。

「それで、お姉さま」

 紅茶で満たされたティーカップを口元から下ろしながら、白井は正面に座る美琴を見た。

 二人がけの丸い木製テーブルには、もう食べ終わった皿は残っておらず、あるのは自家製らしいクッキーが一山と、それぞれの紅茶だけである。

「ん? なに?」と、美琴。浮かんでいるのは明るい微笑みだ。

 茶葉も上質、煎れ方も上手い。近場であれば常連になったかもしれない味に、美琴の機嫌もよいようだった。

「いえ、この後はいかがしますの? もしもどこかのショップに寄ると言うのでしたら、わたくしがお送りいたしますが」

 敬愛する(白井の場合はそれ以上の)相手が上機嫌であれば、自然とこちらの感情も上向こうというもの。我知らず笑みを零しながら、白井はそう提案した。

 ここに来る道中、ゲコ太グッズがなんとか言っていたような気がする手提げバックは、いまも美琴の足元に置かれている。

 趣味に対する感想はともかく、白井としては美琴の手助けになれることは問題はない。というか、むしろ歓迎すべきことでもある。


「そうねぇ。それもいいんだけど」

「あ、こちらのことでしたらお気になさらないでくださいまし。集合時間までは十分にゆとりがありますので」

 時刻はまだ夕刻にもなっていない。集合時間はまだまだ先だ。

「あー、でもごめん黒子。ちょっと遠慮しとく」

 しかし美琴は少し申し訳なさそうに首を横に振った。

「……何かご用時がありますの?」

 軽く眉根を詰める白井。

 まさかあの類人猿と……などという考えが頭をよぎるが、それにしては口調にも表情にも『それ』らしさがない。大体の場合、どこか口ごもるか、(口惜しいが)可愛らしくモジモジとしているというのに。

「ううん、というか、私の都合がね」

 美琴の方も白井の思考を察したのだろう。口元に微苦笑を浮かべた。

「この後、依頼があった研究施設の方に顔を出さないといけないのよ。まぁ大した用事じゃないらしいんだけど、出来れば立ち会ってほしいって」

「そ、そうなんですの」

 美琴に限らず、高レベル能力者というのは、とかく研究協力の依頼が多い。かく言う白井も、学園都市では珍しい部類に入る空間移動系能力者であるため、実験協力は結構な頻度である。

 もっとも、風紀委員の仕事があるため、その大部分は断っているのであるが。

 白井でもその有様なので、美琴となるとその頻度はさらに多い。レベル5は能力的に軍と対等に遣り合えるという物理的な攻撃力かそれに類似する『威力』も条件だが、それと同等に、能力特性が稀有ということも条件のひとつだ。

 比較的有り触れた能力である電撃使いであっても『超電磁砲』の出力や応用力は他の類似能力と比肩するものではないのである。


「うん。そこに行く途中でショップを探そうと思ってるからね。今日のところは歩いて行くわ」

「そう、ですの」と、白井。

 やんわりとは言え、申し出を断られたのは、それなりに寂しい。別に美琴に悪意も含むところもないのであろうが、それとこれとは別な乙女心なのである。それが純か不純かは置いておいて。

 そんな白井の様子に、美琴の笑みは微苦笑から本当の苦笑に移行する。

「でさ、黒子」

「は、はい?」

「……もしかしたら今日、実験で遅くなるかもしれないから、もし仕事が終わってたら、電話するから迎えに来てもらっていい? あ、もちろん、深夜になりそうなら、ホテルとるし」

 そんときは寮監をごまかすのをお願いするわ、とも言葉を追加。

「はぁ、それは構いませんが……でもなぜそのようなことに? 実験協力とはいえ、深夜に行われるんですの?」

 基本的に能力者は学生である。風紀委員でも夜間出動は特例扱いであるのに、実験協力まで夜間というのは珍しい。それにそういう事情があるなら、きちんと申請すれば寮監も否とは言わないはずであった。


「……」

 白井の瞳が、心配そうな色を帯びる。

 だが美琴は、違う違う、と首を振った。

「空気中の伝導率の違いを計測するから、夜にかけて行いたいんだってさ。申請の方は、たんに手続きのミスよ」

「ミス、ですの?」

「そ。今日から連休じゃない。いつもの週末の癖で、外泊申請の締め切り早いの、忘れてたのよね」

「……まぁ、そういうことでしたら」

 まだどこか不承不承という感じだが、白井が頷いた。

「ごめんね黒子」

「い、いえそんな、頭なんか下げないでくださいまし! わたくし、困ってしまいますの!」

 わたわたと手を振る白井。

 敬愛する相手に頭を下げられては、そう言うしかない。

「……」

 だから、気がつかなかった。

 白井にも見えたであろう、頭を上げる直前の美琴の表情が、迎えをお願いするだけにしては、やけに強い罪悪感に彩られていたことに。



 数時間後――――。

 白井と別れた美琴は、駅前のロータリーにいた。

 休日の駅前は、日が傾きかけても人の量は減りそうにない。

 ロータリーに設置されたベンチに腰掛けた美琴は、行き交う私服姿の学生たちを見るとはなしに眺めながら、

「……ごめんね、黒子」

 と、呟いた。

 気まずそうな表情のままで、足元の手提げバックを膝の上に移動させた。 はぁ、とため息をひとつ。それから、手提げバックのファスナーをあけた。

 そこから出てきたのは、ゲコ太関係のパンフレット――――などでは、なかった。

 出てきたのはノートパソコンである。

 A4サイズの、薄型のPC。長い駆動時間と高機能を兼ね備えた、学園都市市販品でも最新モデルだ。

 しかしそれは、既製品とはやや形状が異なっていた。

 美琴が自分のために手を加え、大出力の自分の能力でもトバないように設えた『超電磁砲』用の端末である。

「……」

 それを立ち上げ、キーボードの上に手を置く美琴。そのまま、目を閉じた。

 彼女の表情からは先ほどまでの罪悪感は消え、代わりに年齢らしからぬ、並々ならない決意が浮かび上がっている。

 美琴の両手から放射された電磁波がパソコンを直接操作し、この近辺のネットワークを補正する。その過程で、自らが発信元と特定されないように細工を施した。

 真っ黒のディスプレイに、高速で文字列が流れ始める。それはもはや人の目で追うことは叶わない速度であったが、もしもここに『守護神』と呼ばれるハッカーがいれば、何をしているのかは看破しただろう。


「……」

(ごめんね、黒子)

 心中でもう一度謝罪し、美琴はパソコンに処理を流し続ける。

 何十にもかけられたプロテクトを片っ端から解除し、数分のうちに美琴は目的の位置にたどり着いた。

 通常ならばこの段階でシステム管理者に見つかって、なんらかの対応がとられるに違いない。しかし、今日はそれがなかった。

 目論見どおりだ。

 そしてノートパソコンに、美琴の望む情報が降りてくる。

「……」

 美琴がアクセスしているのは『書庫』ではない。

 『書庫』へのハッキングは、以前に一度痛い目を見ている。実際に痛い目だったのは、サーバを丸ごと潰した相手側だったのかもしれないが、まぁ、目的の情報を得られなかったという意味では、痛い目である。

 だから今日、該当地区の風紀委員が総出するであろうこのタイミングなら、プロテクトは手薄になると踏んだのだ。それが『書庫』以外の場所であれば、なおさらだろう。

 クラック先は『書庫』以外で、おそらく望む情報が存在するであろう場所――――常盤台中学校の全情報を管理する、専用サーバだ。

「……見つけた」

 美琴は閉じていた目を開き、ディスプレイに表示された文字列を睨むように見た。


『電撃使い襲撃事件』



「……」

 今朝、いきなり学長に呼び出され、注意というか警告を受けたときのことが鮮明に思い起こされる。

 学長の言葉は『超電磁砲』に注意喚起を促すと言うよりもむしろ、この件に首を突っ込むな、という警告の意味合いが強い。

 名門常盤台としてみれば、貴重な超能力者を失うわけにはいかないのだ。

 美琴としても、その言い分は理解できる。私立の学園には、そういうステータスは重要なのだから。

(でも)

 美琴が目を細めた。 

 だからと言って、見逃すわけにはいかない。

 電撃使いだけが狙われるというのであれば、それは間違いなく、自分に対する何かしらのアプローチだ。


「……」

 白井のことを思う。

 彼女がこの件をまったく自分に伝えなかったのは、こういう状況を作り出さないための措置だろう。昼の店で浮かべたあの表情も、こんな結果を予期してのものに違いない。

 過去に一度、いや、二度、『妹達』がらみで美琴は白井に黙って暗躍(言い方はともかく、実際そうだ)している。

 今日、彼女が昼食に自分を誘ったことも、おそらくは――

「……黒子。アンタが逆の立場だったら、きっと同じことをするわよね」

 画面が自動的に情報を表示し、美琴の望むもの――傾向と分析から導き出された『被害予想者』と、風紀委員による秘匿の警護対象者、そして襲撃予想地点を記した地図が表示された。

「……」

 いままでの襲撃時刻は、概ね日が沈んだ後だ。今は夕刻にもまだ間もない。

 だが美琴は立ち上がった。

 年齢らしからぬ、しかし、極めて彼女らしいとも言える、凛々しさを秘めた表情で。






 ガサリ、と脚に当たったビニール袋が、路地裏に軽い音を響かせた。

「あぅ…」

 通常であれば、ビニール袋に脚をかけたところで転ぶ者はいない。

 しかしいま、そこに放置されていた酒やらつまみやらが入った袋は、それなりの障害物になっている。

 だからその彼女は、ふらりと体勢を崩すと、バタリと地面に倒れこんだ。

 もはや手をつく力もない。

 白い肌と長いブロンド、そして高価そうなドレスが、ダイレクトに汚れたアスファルトにたたきつけられた。

 一瞬だけ持ち上がった彼女のスカートが、すぐに重力に囚われ、ふわりと横たわる少女の脚を隠す。半眼だけ開いた瞳に、同様にずれ動いた前髪がかかった。

「……?」

 少女――――雛苺は、自分がなぜ倒れたのかも理解できていないような表情を浮かべた。

 季節的に周囲はそろそろ薄暮から夜に落ちてくる。それでもなお彼女を照らしているのは、周囲をふわふわと飛ぶ、桃色の光球のせいだ。

 もっともその光も、電池が切れる寸前のライトのように、弱弱しいものでしかない。時折、ふっ、と光は暗くなっては高度が落ちようとするが、そのたびになんとか持ち直している始末だ。

 もう力尽きる寸前というのは、誰の目にも明らかだった。


「ぅ…うぅ…?」

 路地裏。その、わずかに入り組んだ先。

 たまたま設置されていたカーブミラーから湧き出るように現れた雛苺だったが、それが彼女の限界だった。小萌から奪った力は逃走時に使い切り、残されたゼンマイはあと僅か。

 もはや立ち上がることも、這いずり回ることも叶わない。それどころか、思考能力すら消えかけている。

 それでも彼女は死ぬことはない。彼女は人ではなく、人形なのだ。

 訪れるのは眠りか、あるいは破壊だけである。

「……」

 徐々に、雛苺の瞼が閉じられていく。それに応ずるようにして、ベリーベルが高度と光量を落とし、彼女の背中に降り立って――否、落下していった。

「……」

 そしていまこそ、雛苺が両の目を閉じようとした、そのときだ。



 ザッ、と擦過音が響いた。



 音は、パンプスか何かの裏が、アスファルトの砂を踏みしめた音。

 方向は雛苺の頭部側、『鞄』のある方向からだ。そして『鞄』は路地の最奥に鎮座している。

「…?」

 誰かが、いる。

 その事実を、雛苺はどういうことなのか認識できない。もうそれだけの思考力は残されていない。

 それでも薔薇乙女の持つ、極限まで人間に近い本能が、彼女の顔を持ち上げさせた。主の意思を反映させたのか、ベリーベルがほんの僅かだけ光を取り戻し、路地奥を照らし出す。

「……」

 茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。

 ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。

 誰かが、立っている。

 そしてその誰かを、雛苺は知っていた。

「…お…ねぇ…ちゃ…」

 と、途切れ途切れの声で雛苺が言った。


「……」

 人影は、その声に、一度だけ首を振った。あたかも、やれやれ、と言うような風情の仕草に、茶色のショートヘアーが花を模したヘアピンとともに、パサリと揺れる。

 それから人影は、一歩、脚を踏み出した。

 人影の左手に下げた学生鞄。それにくくりつけられた蛙のストラップが、ベリーベルの光に照らされ、妙な色を持って薄暗闇の中に浮かび上がっていた。

「……」

 人影は雛苺を助けようとしない。しゃがみこむこともなく、見下ろす姿勢のまま、微かに動く桃の少女を見下ろしていた。

 やがて。

「……」

 人影の空いた右手がゆっくりと持ち上がった。人差し指だけを伸ばした右手の先端は、迷いなく雛苺に向けられる。

 パチパチと空気が弾ける音。人影のショートヘアが余波を受けて持ち上がり、前髪から小さな電撃が漏れ零れた。

 全身から生み出された紫電は流れて右手に集中し、パチパチと音をたてて溜まっていく。そんな右手の親指に乗っているのは、どこかのゲームセンターで手に入れたコインか何かだろうか。


「……?」



 ―――!



 もはやそれがなんなのか、雛苺にはわからない。

 主よりも危険を察知しているベリーベルは、しかしもはや浮き上がる力もなかった。

「……」

 人影の口元が、ニヤリ、と笑みを形作る。

 指先で紫電が、ジジ、とやけに静かな音をたてた。

 数秒。

 ドン! と音が響き、路地中が、一瞬だけ青白く染まった。






 その路地の、直上十数メートル。

 そこに音もなく滞空しているモノがある。



 ―――……



 赤い光を極限まで抑えた光球。

 微動だにすることなく、それは浮いていた。

 ……まるでその光景を、確認しているかのように。

本日の書き込みは以上となります。
さて、次こそは二番目に書きたいところまで到達したいところ。

進行が遅いにも関わらず読んでくださっている方、まことにありがとうございます。

次回もお付き合いいただければ。




 時刻がそろそろ午後10時を告げようとするころになると、道を歩く人影の量はかなり少なくなっている。

 学園都市において、夜は時計ではなく、規則に支配されているのだ。

 太陽が傾いて水平線に沈んだ後が夜のはじまりというよりは、門限を過ぎてからが学生にとっての『夜』である。学校によっては門限以降の外出を一切禁じているところが存在している以上、そうなるのも自然なことなのかもしれない。

 それに馴染まない者はすべからく、スキルアウトと呼ばれていた。

 とはいえ学校ごとに門限には差があり、それなりに遅くなっても問題のない者も、少なくはなかった。

「ふー」

 ジーンズのポケットに手を突っ込み、上条は大きく息を吐き出した。

 彼もそんな『少なくない』学生の一人である。

 彼の在籍する学校の校風は、彼の担任が目指すように、生徒の自主性を重んずるというものだ。流石にもう後一時間もすればまずいが、今はまだ大丈夫な時間帯であった。

 そんな彼がいまいるのは、学生寮からほど近い公園だ。

 親子連れというものが極端に少ない学園都市においてどれほどの意味合いがあるのかよくわからないが、砂場にアスレチック等、とりあえず一とおりの施設は揃っており、木立もきっちりと刈り整えられている。結構な頻度で手入れをされているのだろう。

 そんな無駄遣いといわれても納得できそうな公園であるが、いまは上条しか人影はなかった。

「……」

 上条はひとしきり周囲を見回した後、何気ない仕草で空を見上げた。

 夕方くらいまで快晴だった空は、今は夜と薄い雲にその青さを奪い去られている。

「……明日は曇りだって言ってたっけなぁ」

 部屋を出る直前にインデックスがつけたテレビ――――アニメを見るためのものだが――――を思い出しながら、上条は呟いた。


 デパートでの戦いの後。

 上条たちは救急車を呼び、小萌を病院に搬送した。

 いつも世話になる蛙によく似た容貌の医者によれば、小萌の昏睡の原因は極度の疲労であるとのことだった。

 幸いにも命に別状があるほどではなかったが、数日の入院を要するという診察である。病状に至るまでの説明は不要。こちらが言いにくそうな仕草を見せた途端「まぁいいけどね」と深くは聞いてこなかったのである。

 だがいま上条の顔を曇らせているのは、小萌を巻き込み、あまつさえ入院までさせてしまったことだけではなかった。



「雛苺は、あんなことをする娘じゃないのだわ」



 真紅が言った言葉が思い起こされる。

 どういう配慮なのか、何も言わずとも個室で手配された小萌の病室で、真紅はその美麗な顔に迷いと哀しみを浮かべて、そう言ったのだ。

 詳しいことは彼女は語らなかった。

 『前回』、真紅は雛苺と戦い、勝利したこと。

 『前回』、真紅は共に在れる未来のために、雛苺のローザミスティカを奪わなかったこと。

 『前回』、それでも別の姉妹に狙われた雛苺は、真紅の願いのために、己のローザミスティカを託したこと。

 そして何より『前回』、短い期間だが共に暮らした日々は、創られてから戦いあうことしかなかった真紅にとって、本当に楽しく、目指した理想の一部であったということ。

 一方、雛苺の復活と壊れてしまったかのような変化については、真紅にもわからないとのことだった。
 
 ただ、雛苺から託されたローザミスティカが己の中に無いことから、彼女が復活したことに疑いはなく、そしておそらく、彼女の言っていた『お姉ちゃん』なる人物が復活に関与しているのだろう、とも。

 その辺りのことは、雛苺を追いかけたホーリエが帰還すれば、ある程度情報が手に入るのかもしれなかったが、残念ながらいまだ紅色の人工精霊は戻ってきていなかった。


「・・・・・・」

 『前回』の日々を語る彼女は懐かしくも楽しい思い出を語るようで、それがゆえに、現状を省みるにはむしろ哀しげな表情であったと、そんな感想を上条は抱いたものだ。

 その真紅はいま、上条の部屋にいる。

 水銀燈との戦闘でボロボロになっていた上条の部屋をなんだかよくわからない魔術で修復した影響なのか、それともそれ以上の説明をしたくなかったのか。

 午後9時になった途端、

「眠りの時間なのだわ」

 と、それまでのシリアスで哀しそうな雰囲気を吹っ飛ばして鞄に入ってしまったのである。

 結局、真紅からの説明でわかったことは、真紅自身にもいまの状況が不可解なものだ、ということだけであった。

(…どういうことなんだろうな、まったく)

 そんな風に思う。

 インデックスすらほとんど知らない薔薇乙女のことだ。その当人である真紅に理解できないことが上条にわかるはずもなかった。

「ま、どっちにしても、できることは決まってるんだけどな」

 自分のスタンスは決まっている。

 信じ、護ること。たとえ出会って一日も経過していなくとも、上条にとって真紅はもう護るべき対象の一人だった。それは同時に、彼女が護ろうとするものも、上条が護るべきものであるということ。

 たとえ裏切られても、呆れられても、きっと今までそれでやってきて、きっと、これからもそうしていくに違いないのだから。

 苦笑を浮かべ、上条は右手を握りこんだ。

 そこに――――

「上条くん。」

 背後から、声。

「姫神?」

 聞き慣れた声ということ以上に、元々ここに呼び出した相手の声に、上条は振り返った。

 肩越しの視線の先には案の定。

 姫神秋沙という名の、長い黒髪の少女が立っていた。




 ドアを抜け、人が5人は通れそうな暗い通路を歩いてたどり着いた室内は、薄闇に包まれていた。

 埃と淀んだ空気に満ちた部屋に入った足音は、ふたつ。

 片方は薄闇の中でなお美しいオッドアイを持つ、蒼星石。

 もう片方は陰鬱な雰囲気とは相反するような、明るい白と青のセーラー服だ。

 学生用というよりも船員に近いその服をまとった少女は、ほとんど調度品のない部屋を横切り、窓際に置かれた椅子に腰掛けた。

「……間に合わない、わね」

 言いながら脚を組むセーラー服。ショートカットの前髪から覗く切れ長の目は、冷静なように見えて、悔しげな光を湛えている。

「何がですか?」

 セーラー服とか対照的に、ドアを入ったところで脚をとめた蒼星石が問うた。

「人形造りよ。どうやっても、やっぱり明日まではかかる。悔しいけれど今夜は予定通りに行くわ」

「……どういう意味ですか?」と、蒼星石。

 こたえは返ってきたが、内容のすべてが把握しきれない。

 人形造り、というところから考えて、あの『結界』で使うための人形を作っているようだが。

「……」

 二度目の質問に、セーラー服はこたえない。返答代わりに舌打ちをして脚を組み替えた。

 質問が煩わしいというよりも、返答内容自体が気に食わない、という感じである。


「……」

 これ以上は問うまい。

 そう判断し、口を閉じる蒼星石。

 しかし、

「……ねぇ、蒼星石」

「は、はい、なんですか?」

 そう思ったら向こうから話しかけて来た。思わず吃音がでてしまう。

 セーラー服は蒼星石らしからぬ返事に軽く眉をあげるが、特に気にしなかったらしい。そのまま、言葉を続けた。

「……貴女がいままで奪った記憶は、解放しない限りは持ち主に戻らないのよね?」

「ええ」

「そう」

 それだけ確認して満足したのか、薄い微笑を浮かべるセーラー服。

「……」

 蒼星石はセーラー服の命令で、この能力を使ってきた。

 奪ったのは主に能力使用にまつわる記憶と、その使用にかかる意思だ。それらを奪われた者は能力の大半を使えなくなってしまう。

 体が覚えていることでもあるので、発動までは可能だが、積極的に用いるべき知識と意思がなければ、全力を出せないのは道理である。

「……」

 一方、こちらは何を考えているのか。
 
 セーラー服は沈黙したまま蒼星石を横目で見て、それから天井に視線を移した。

 シミやひび割れが多く残る天井は、あたかも蒼星石が切り取ったあとの記憶を想像させる。

 一度かけた部分はもう直らない。たとえ上から修復しても、それは元通りであるとは言えないだろう。


(……じゃあ彼女から能力だけでなく、御坂美琴の記憶も奪ってしまえばいいわね)

 セーラー服の口元が、笑みの形に歪んだ。

 脳裏に昼間に目にした御坂美琴と白井黒子の姿が思い起こされる。

「……」

 彼女らの間に横たわる親しげな空気と、笑顔。

 口ではあれこれ言っていたが、お互いがお互いを大事に思っているであろうことは、一目瞭然だった。

 特に白井黒子から御坂美琴に向けられる想いは、ただの尊敬を超えている。

 御坂美琴が白井黒子に向ける笑顔も、同年代の他の友人たちとは一線を画すほどの親密さがあった。

「……」

 セーラー服の胸に、どす黒い感情が湧き上がる。

 悪魔のように黒く、地獄のように熱く、しかし接吻とは程遠いその感情は、嫉妬と言う名前がついていた。



 ……いつからだろう。



 いつのころからか、もうわからない。

 気がつけば虜になっていた。気がつけば、御坂美琴のことばかりを考えるようになっていた。

 まったく関係がなく、本当に接点などない。

 雑誌で見たのか、それとも街中で見かけたのか、それすらもわからない内に、いつの間にかセーラー服の中で御坂美琴は、彼女の中心ともいえる存在として認識されていたのである。

 レベル5。

 学園都市第3位。

 『超電磁砲』

 名門常盤台中学のトップにして、派閥に与さず、しかし孤高とは程遠い存在。

 そんな彼女の異名や噂を聞くだけで、心が疼いたものだ。他人から彼女への賞賛や妬みを聞くたびに、そんな口で彼女を語るな、と強く思ったものだ。


「……」

 きゅっ、とセーラー服は唇を噛む。

 出来れば彼女の隣に並び立ちたかった。出来れば彼女と笑みを交わせる存在になりたかった。それこそ、昼間に見た白井黒子のように。

 だが無能力者である自分では、彼女の傍に立つことなど恐れ多くてとてもできない。たとえ御坂美琴がそれを許しても、自分自身が耐え切れないだろう。

 自分が立てない以上、他の誰が立つのも嫌だ。

 学園都市の序列はともかく、電撃使いというくくりにおいて、彼女と双璧をなす存在など、認めたくはない。

 誰も立たせたくない。

 ならば電撃使いを消せばいい。

 そうすれば御坂美琴は『超電磁砲』ではなく『電撃使い』として最大級の賛辞を受けることになる。自分だけでなく誰もが彼女を見上げる存在になるだろう。

「……」

 セーラー服は想像する。強能力者以上が力を失い、彼女だけが『電撃使い』の賛辞を受けることになった姿を。

 無能力者や低能力者、異能力者等から絶対の尊敬を受ける彼女を夢想したセーラー服の口元に、歪んだ笑みが浮かんだ。

「……」

 セーラー服は己の右手を見た。

 無能力の自分では、とても高レベル能力者を倒すことなど叶わない。

 魔術を知ったのは、本当に幸運だったと思う。御伽噺やおまじないのレベルではない、奇跡を起こせる魔術を。

 魔術と薔薇乙女。この二つがあれば、十分に高レベルでも戦うことが可能だった。事実、彼女たちはすでに10人を超える強能力、大能力者を叩き潰しているのだ。

 能力者しかいないこの都市において、自分たちを補足するのは、不可能に近いだろう。己が望みが成就するまでには時間がかかるが――――決して、無理ではないのだ。

 そんな暗い欲望を夢想するセーラー服の耳に、

「……でも」
 
 と、蒼星石の声が入ってきた。


「?」

 セーラー服が再び蒼の方を見る。

 蒼星石はやや迷うように視線を泳がせてから、

「翠星石が介入したら、記憶が戻るかもしれません」

 と、言った。どうも先ほどの問いかけの続きらしい。

「……」

 セーラー服の両目が不快そうに細められ、その唇からは、ふっ、とため息が吐き出された。

「翠星石、ね。あの娘、いったいどこに行ってしまったのかしら。貴女の方にあれからコンタクトは……まぁ、貴女なら、接触があったら私に言うわよね」

「……」

 蒼星石は沈黙を返すが、それは肯定の意味である。

「能力を使った形跡はない?」

「……はい。もし彼女が夢の扉を開いたりすれば、僕にも察知できますから」

「そう。でもまぁ、もうそろそろ最初に巻いたネジも尽きるころでしょうし、能力なんて使ったらそこで終了。……障害らしい障害にはならないわね」

 契約者でも見つければわからないけど、とも呟く。しかし彼女の口調と表情は、そんなことはありえない、と語っていた。

 ここは能力者の街だ。迂闊に魔術と接触をすれば、能力者の身体がただではすまない。それに科学に対する信仰に塗れたこの都市で、翠星石の話をまともに取り合う者もいないだろう。

 結局、自分たちと袂を分かった時点で、翠星石は手詰まりなのである。

「……蒼星石」

「はい、マスター」

 こたえる蒼星石の声は淀みない。それが何かを押し殺しているものかどうかは、セーラー服にはわからない。

 だがセーラー服は、そんなことには興味がなかった。



「今夜は予定通りに動くわ。準備をお願い」

 蒼星石も強いとはいえ、単身で相手にできるのは強能力者の上位までが限界だ。

 人形と結界。それに加えて『偶像の理論』。大能力者と戦うには、どうしても『偶像の理論』を用いた共振効果――――相似の固体、状況は一定条件化では相互に影響を及ぼす現象――――を使う必要がある。

 調べたところによると、白井黒子は大能力者だ。それも、空間移動と言う、学園都市でもかなり希少な能力の持ち主である。

 物理的な攻撃では対処が難しい。相手にするにはどうしても共振効果のための人形が必要で、しかしそれは厳密に用意しなければ意味がない。

 全力で作業をしているが、流石にこの短時間での準備は無理だった。

 一刻も早く御坂美琴から引き剥がしたい。しかし、焦ればすべてが水の泡だ。

「わかりました」

 頷き、蒼星石が部屋を出て行く。

 体重が軽く、廊下を歩いても足音のしないその背中を見送ってから、

「まったく、翠星石にも困ったものね」

 セーラー服は、やれやれ、と肩をすくめた。

 それから、窓の外に視線を向ける。

「ねぇ、貴女もそう思うわよね」

 ニヤリと笑い、

「水銀燈?」

 と、言った。


「……」

 窓の外。

 外開きの窓には、小さいテラスのような出っ張りが設えられている。

 そこに、セーラー服に背を向ける形で腰掛ける、銀と黒の人形の姿があった。

「……ふん」

 ちらり、とセーラー服に視線だけ向ける水銀燈。窓は閉じたままだが、ガラスは薄く、距離は近い。会話するのに障りはなかった。

「気安く話しかけないでもらえるかしら? 生憎と、こっちは馴れ合うつもりはないの」

 鼻で笑うような、かつ、めんどくさそうなその声に、セーラー服は苦笑。

「その割には、私のお願いどおり気配を消してくれたのね」

「お馬鹿さぁん。そうじゃないと蒼星石に気がつかれるじゃない。いまこの場であの娘と戦ってもいいけど……取引を持ち掛けたのは貴女の方でしょう?」

「ええ、そうね」

 そう言って、脚を組み替えるセーラー服。

 そのまま、左手側に視線を向けた。

「……」

 出入り口から言えば右側の、ドアに遮られて光が届かない薄闇の中に、いくつかの人影がある。

 それは一体を除いてほとんどが床に転がっており、中には関節でも砕けたのか、手足があらぬ方向に向いているものもある。

「……」

 転がっているのは、全て人形である。それも、セーラー服自身を模している物だ。

 自分の代わりに魔術のダメージを受けるもの。能力者が魔術を行使すれば必ず受ける反動を、『偶像の理論』により肩代わりしてくれている人形たちの状態を確認して、セーラー服は、まだ大丈夫ね、と呟いた。

 それから彼女は、唯一立った姿勢を保っている人形に目を向ける。

 その一体だけは、セーラー服の姿を模したものではない。


 茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。



 御坂美琴の生き写しのような、寸分違わぬ人形が、そこに立っていた。



「……貴女が私の指示どおり御坂美琴の相手をすれば、蒼星石のローザミスティカを渡す。……不満はないでしょう?」

 御坂美琴の人形に視線を注ぎながら、セーラー服が言う。

「ふ、ん。指示どおりってところが気に入らないけれど、まぁいいわぁ」

「ええ、お願いね。……絶対に命の危険に晒さない。絶対に顔は傷をつけない。約束よ?」

「……わかってるわぁ」と、水銀燈。

 窓を挟み、なおかつ背中を向けた水銀燈からはセーラー服の表情は見えない。

 しかしセーラー服の声に含まれた一種異様な雰囲気に、不快げに表情を歪めるのを止められなかった。

「……」

「……」

 水銀燈は気がつかない。

 背を向けている上、セーラー服の心酔するものなどに興味がなかったから。

 セーラー服は気がつかない。

 彼女の世界の中心にいる存在を模した人形へ、理想を投影することに夢中だったから。

 薄暗闇の中に立つ御坂美琴の人形。

 動くはずのないその人形の、左手。

 提げられた手提げ鞄に髪の毛が――――少し焼け焦げたブロンドの髪の毛が一筋、確かに絡んでいた。


 姫神は小萌の家で別れたときとは違い、巫女装束ではなかった。

 薄手の白いブラウスにデニム地のスカートという、ごくありふれた恰好である。あえて特異点をあげるとすれば、首から下がった十字架――――『吸血殺し』を押さえ込む封印くらいだろう。

「ごめんなさい。少し。遅れた」

 と、姫神は軽く頭を下げた。

 バス停からこの公園まではやや距離がある。急いで着たのか、彼女の呼吸は少しだけ早かった。

「いや、大丈夫。俺もいま着いたところだし」

 言いながら苦笑を浮かべる上条。

 公園の時計の針は姫神が指定した時刻よりもまだ早い。時間に間に合わなかったではなく、相手を待たせたことに謝るところが律儀な彼女らしい。

「それよりも、こっちこそごめん姫神。俺が頼んだのに、先に帰っちまって」

 と、上条は申し訳なさそうに頭を掻いた。

 疲労回復と一応の検査で入院と相成った小萌であったが、そこで問題が生じた。

 入院とあればそれなりに用意が必要である。

 疲労であるのでそんなに長期に及ばないだろうが、少なくとも着替えがなければ困ってしまうだろう。

 かと言って上条が小萌の服を探してくるのは、いろいろと問題だった。

 状況が状況なので法的にはなんとか言い逃れができるかもしれないが、きっと大切なものを失ってしまうに違いない。

 そういう諸々の事情と、一旦帰らなくても良いと言う利便性、何より一時的に小萌と同居していたということから、姫神に連絡して様々なものを持ってきてもらったのである。

 上条にしてもインデックスにしても出来ることなら目が覚めるまで側についておきたいところだったが、いかんせん病院には面会時間というものがある。それに見た目はともかく小萌は女性だ。上条としても退去せざるえない。

 荷物を持ち込む姫神のことだけ蛙顔の医者に頼み、先に帰宅した次第であった。

「いいの。事情が事情だし。それに」

 ふと、姫神の顔が見て取れるほどに曇った。

「私は。ついていかなかったから」



「・・・・・・」

 その表情と言葉に、上条は思わず言葉に詰まってしまった。

 姫神を危険な目に遭わせたくないという思いはどうあれ、そして彼女がそれを承諾していたとは言え、置いて行ったのは事実なのだ。

「あ。……ごめんなさい。私」

 彼女の方も、思わず漏れた言葉だったのだろう。

 沈黙と、上条の浮かべていた困り顔に気づき、慌てた様子で頭を下げた。

「いやその…俺の方こそごめん」

 気まずそうに頬を掻きながら、上条も軽く頭を下げた。何に対して謝っているのか自分でもよくわからなかったが。

「……」

「……」

 上条は言葉が続かず、姫神は俯いたまま。

 味の悪い沈黙がおりる。

 いまいる公園が大通りからやや外れた位置にあることと、時間的に人通りが少なくなるということも相俟って、その静けさはやけに強く耳に響いたような気がした。

(え、えーと……)

 少しだけ気の早い虫の音を耳にしながら、上条は所在なさ気に視線をうろうろとさせた。

 なんとなく、声を出すが憚られる。

 こういう雰囲気に慣れないというのもそうだが、話し相手が姫神だから、というのもひとつの原因だった。

 別に姫神が苦手とか話し辛いというわけではない。ただ単に上条の周りの女の子には、こういう時に黙り込むタイプが少ない、というだけの話である。

(……御坂ならたぶん、なんか言いなさいよ、とか言ってくるんだろうけど)

 そんなことを考えてみるが、詮無きことだ。目の前の相手は美琴ではなく姫神なのである。


「……」

 結局どうすればいいのかよくわからず、上条は頬を掻き続けた。

 と、その拍子に、

「いてっ!」

 唐突に頬に痛みが走り、声を上げる上条。

「ど、どうしたのっ?」

 突然の声に驚いたのか、いつもとはややアクセントの異なる口調で、姫神が顔をあげ、問うた。

「あ、いやごめんなんでもないんだ。ちょっと傷を引っ掻いちまっただけで」

 『鳥籠』に蹴り飛ばされたところを、つい引っ掻いたようだ。

 ちらりと指を見るが、特に血がついているわけではない。薄くついた擦り傷に爪が引っ掛かっただけなのだろう。

「……怪我してるの?」

 心配と不安、そして哀しそうな声色と視線で姫神が問う。

「あー、その、うん。ちょっとだけど」

「……」

 上条の返事に、姫神の表情がさらに曇った。

 蹴られた場所がよかったのか、打ち身もなく、擦り傷としても目立たない。おまけに夜闇の中である。彼女が傷に気がつかなかった無理はない。

 だが姫神にしてみれば、彼の負傷に気が付けなかったことそのものがショックだった。

 戦えない自分。

 それならばせめて邪魔にならないように。そして怪我をしたのであれば、手当てくらいは出来るように。

 そう思っていたにも関わらず。

(……私に出来ることなんか。他のみんなに比べて。ずっと少ないのに)

 だが手当てどころか、負傷の有無にも気が付けなかったのである。


「・・・・・・」

 唇を噛む姫神。

 結局自分は、どこまでも役に立てないのかもしれない。

 自分が落ち込めば彼が心配する。それがわかっていても、姫神は自分へのふがいなさに顔をあげることができなかった。

 慌てたのは上条である。まさかこんなに落ち込まれるとは思っていなかった。

「だ、大丈夫大丈夫、こんなのちょっとまともに蹴られただけだからさ。この程度、上条さんは慣れっこです」

「・・・・・・」

 わざとおどけて見せるが、姫神の表情は晴れない。

 上条にしてみれば戦闘で負傷するのは、特別なことではない。むしろこの程度で済んでいるのは、不本意ながら御の字の範疇である。

 いまは外しているが、捻挫した右手に左手と口だけで包帯を巻ける程度には負傷慣れしているのだ。

「……」

「……」

 またもや変な沈黙。

 虫の音が数度響き、いよいよ上条が、

(うあー、ど、どうすりゃいいんだほんとこれー!)

 などと思い始めたころ。

「……慣れちゃだめ」

 と、不意に姫神が言った。


「え?」

「……」

 聞き返す上条に、無言のまま歩み寄る姫神。長い黒髪がその動きを追い、サラリと揺れる。

 彼女は上条の目の前に立つと、左手を持ち上げて彼の頬に触れた。

 すっ、と姫神の指の腹が、上条の頬を撫でる。

「ひ、姫神?」

 思わぬ接近に、上条の声が上擦った。

 姫神は彼の動揺を気にせず、続ける。

「上条くんは。いつだって無茶をしてる。……いつだって怪我をしてる」

 姫神の身長はインデックスとそう変わらない。年齢的にも同じくらいだろう。

 にも関わらず、白い少女よりもずっとはかない存在であるように思えるのは、彼女が身に纏った雰囲気ゆえか、それとも彼女の過去を断片的にでも知るゆえか。

「いや、そんな無茶は「してる」

 言葉尻を食いつぶし、姫神が言う。見上げてくる彼女の瞳は、こぼれ落ちそうなほど心配を湛えていた。

「……」

 上条には過去の記憶がない。

 この夏休みの途中からが、いまの彼の全てである。そういう意味では、姫神は上条にとって初めてゼロから知り合った存在と言える。

 その姫神の目に無茶をしていると映るのであれば、それは本当にいまの上条が無茶をしているということの証明でもあった。 

「・・・・・・」

 姫神は上条の頬から手を離す。その手はそのまま上条の腕を伝い――――右手に触れた。


「……へ?」

 予想外のことに上条は間抜けな声を出すが、彼女の細い指は何気なく下ろしていただけの上条の右手をとり、離れない。

 手を繋いでいるわけではない。

 ただ指先だけが、絡んでいた。

「あ、あの、姫神さん?」

「……」

 姫神は上条に何も応えないまま、すっ、と視線を逸らした。髪が揺れ、空気が動き、上条の鼻先に、ふわり、と甘い香りが届く。

(こ、これはどういう状況なんでせうか)

 ついぞこういう状況に縁がない(と思い込んでいる)上条。

 夜の公園不意の接近繋がる指先憂いの美少女ほのかに感じる少女の香り。

「……」

 いきなり降って湧いた状況に、心臓がドキドキとタップダンスを踊りはじめた。

「……私は」

 微妙に固まった上条から半歩離れた位置で、姫神が右手を胸元に添えた。

 首から下がる封印の十字架、その鎖に指を絡め、彼女は再び上条を見上げる。

「私は。不安だった」

「え…」

「上条くんが小萌先生を助けに行ってから。連絡が来るまで。ずっと私は不安だった」

 チャラ、と鎖が鳴く。

 反射的に音の方を見てしまう上条。その視線が、

「!」

 見上げてくる姫神のそれと、重なった。

「……」

 蒸し暑さもまだ残る季節だ。至近距離で見る姫神の頬は気温のせいかやけに紅い。それに加えてうっすらと浮いた汗は、妙に彼女の肌を艶めかせていた。


「あっ、と…」

「……」

 姫神は何も言わず、そしてそれ以上踏み込むことなく。

 しかしゆっくりと、鎖が絡んだ右手を持ち上げる。

 チャリ、と、再び鎖が鳴いた。

 長い後ろ髪が鎖の輪にかかり、一度だけ持ち上がり、ふわり、と先ほどよりも大きく、髪の軌跡が夜の中に閃いた。

「お、おい姫神、お前それを外したら・・・…」

「大丈夫。いまは。貴方の右手に触れているから」

 再び上条の声を遮り、姫神は首から外した十字架を見る――――彼から、視線を逸らす。

 だから、はなさないでほしい。

 そこだけは言葉に出さず、幻想殺しを、否、彼の手を握る自分の左手に、少しだけ力をこめた。

「……」

 見上げてくる彼女の瞳は、上条の頬に僅かについた擦り傷に向いている。先の言葉どおりの、不安の灯った瞳が。

「……」

 それを見た上条が、僅かに息を呑んだ。元々口数の少ない彼女の瞳は、逆にそれがゆえにたった一つのことを雄弁に物語る。

 そして彼女がどんな言葉を求めているのかは、流石に上条も理解できた。

「……」

 上条は一度目を閉じる。そして、

「大丈夫だ」

 幻想殺しで――――いや、己自身の右手で、しっかりと小さくに震える姫神の手を握り返した。


「……」

「俺は絶対にいなくなったりなんかしない。絶対に帰ってくる」

「……」

「何があっても、どんなことになっても、絶対に姫神たちのところに帰ってくるさ」

「……」

 姫神『たち』

 その言葉に、胸の奥が僅かに痛む。

(……でもきっとこれが彼の本心で。一番強い約束)

 それ以上を望んではいけない。少なくとも、今は。

 だから姫神はもう一度彼の右手を握り返した。

「約束。してくれる?」

「ああ、約束する。姫神たちに会えなくなるのは、俺も嫌だから」

 即座に、迷いなく頷く上条。

 そうだろう。彼はいまのように問えば、絶対にそんな風に返答するはず。

 それが嬉しくて、そしてやっぱり『たち』でしかないことが悔しくて、姫神はさらに言葉を繋げた。


「……大覇星祭のときみたいに、破ったりしない?」

「うっ!」

 痛いところを突かれた上条の真剣だった表情が、明確に引きつる。

「……」

「い、いやえーと、あのときはその」

「……ナイトパレード……楽しみにしてたのに」

「がふっ!」

 空いた左手で胸を押さえる上条。おちゃらけているようだが、それなりに真剣にダメージを受けているようだ。

 しどろもどろになりながら「でも聞いてくれ姫神! 俺も絶対その約束護るつもりだったんだけど、その」とか言い訳を始めた上条を見ながら、姫神は笑顔を浮かべた。

 いまだ視線を彷徨わせながら「あー」とか「うー」とか言っている上条だが、彼はこの数秒後に言葉を無くして沈黙することになる。

 それは今日の昼から今に至るまで、彼女が上条の前で初めて浮かべた笑みであり――――

「ふふっ」

 ――――上条が見た中で、一番綺麗な、彼女の笑顔だった。 

 





 美琴は路地を駆けていた。

 常盤台が設定している門限はとっくに過ぎ去り、それどころか、日付の変わり目もかなり前に過ぎた時刻。

 スキルアウトのたまり場となっている、街灯もろくにないビルとビルの間を、彼女はまるで見えているかのように全力で疾走する。

 御坂美琴は都市最高の電気の使い手だ。レーダーよろしく力場を展開することで、夜の中でも障害物を把握するのは容易である。

 もっともその領域内に立ち入った者は若干とはいえ痺れるし、電子機器は狂いを生じてしまう。普段であれば美琴もこんなことをしようとは思わないし、やらない。

 にもかかわらず彼女がこの方法を選択しているのは、先ほど件のパソコンで最新情報を入手しようとして、新たな被害者が出たことを知ったからだ。

 ギリ、と奥歯が鳴る。

 被害者は別の学校であったが、電撃使いのレベル4。自身の寮内で倒れているところを発見された。

 美琴が疾駆しているのは、その際に新たに取得した情報『セーラー服の女』を追ってのことだ。


 今回は連休のさなかの、しかも寮内ということもあって、目撃者がいたのである。ただし、倒れている被害者を介抱している拍子に、寮の前を走り去る影があった、という程度のものであったが。

 それでも他に情報がない以上、風紀委員も警備員もそれを足がかりにしているようだ。ここ数時間でセーラー服姿の女子生徒の捉えた監視カメラをピックアップし、順次調査に向かっているとのことである。

 いま美琴が向かう先も、その中のひとつだ。人員不足で風紀委員や警備員も向かっていない、後回しにされている場所。

 正直、そこに到着したとしても、手掛かりが得られる可能性は低い。

(でも・・・!)

 それでもじっとしているわけにはいかなかった。

 美琴は走りつづける。規格外の力を常に放出し、『超電磁砲』はここにいると示しながら。

 だが。

「っ!」

 美琴は、いきなりその疾走に急制動をかけた。

 レーダーで迷いなく走っている上、微細電流で身体能力を強化しているところだ。靴が滑り、数メートル進んでから、ようやく停止する。

 その彼女の数メートル先に、



 ドン!



 と、長剣が突き刺さった。

「……」

 刀身半ばまで地面に突立ったその剣は、刀身から柄尻に至るまで、すべて黒で統一されている。

 ビィ…ン、と震えるその様は、まるで墓標として設えられた十字架であるかのようだった。

 まとめに視界も利かない闇の中ですら逆に沈み込んで見えるほどの漆黒の剣は、あのまま速度を落とさずに進んでいたら、間違いなく美琴を上から下まで貫通していただろう。
「……」

 自然の落下ではあり得ない。

 真上からの、投擲だ。




「流石ねぇ、いまのを避けるなんて。褒めてあげてもいいわぁ」

 

 そしてその予想を肯定するように、透き通るような女の声が響いた。

 長剣の落下軌道の大元。

 美琴のほぼ真上からだ。

「……何よアンタ」

 美琴が怒りまじりの視線を、上向けた。

 そこには、薄い雲ごしの月明かりを受けた、大きな翼のシルエットが浮かび上がっていた。

 シルエットは優雅に一礼。長い銀髪がゆらりと動く様は美しかったが、それは完全に侮蔑と余裕のこもった、揶揄の一礼だ。

 形式だけの礼をこなし、シルエット――――水銀燈が、ゆっくりと顔を上げる。

「はじめまして、超電磁砲。私の名前は水銀燈。ローゼンが創りし、誇り高き薔薇乙女の第1ドールよ」

 水銀燈は大きく翼をはためかせ、無数の羽を撒き散らした。それらは重力に囚われることなく、水銀燈を護るかのように、渦を巻いて滞空する。

「本当は貴女のことなんかどうでもいいんだけれど……でもわたしの目的のために、ジャンクになってもらうわぁ」

 ゆっくりと水平に持ち上げられた水銀燈の左腕。そこに紫色の光球が、螺旋を描いて絡み付く。

「……」

 美琴は、水銀燈が何者なにかを問いもしない。

 何の能力なのか――人形を動かす能力なのか、幻覚を見せるものなのか、はたまた変身できるような能力なのか――考えない。

 だが相手の行動と、言葉。なによりこのタイミングで自分を『超電磁砲』と知って攻撃してくるという事実。

 一連の事件と関係がないわけがなかった。


「・・・安心しなさい、命まではとらないわ」と、美琴。バチバチッ、と前髪で電撃が弾けた。

「でも、知ってることは洗いざらい吐いてもらうわよ。アンタこそジャンクになりたくなかったら、いまの内に降参しなさい」

 次いで、ザアっ! と身体から電気が溢れ、周囲を青白く染め上げる。

 目の前に突き立つ長剣が避雷針のように電撃を集め、アースのごとく大地に逃がすが、『超電磁砲』はその逃げた電気すらも掌握。

 地面に、壁に、空間に対流する電撃は、暗い路地裏を彼女の領域に作り替えた。踏み入る者を一瞬で焼き尽くす、高圧電流の結界だ。

「面白いことを言うのねぇ・・・少し特殊な力があるからって、貴女は所詮は人間なのよ?」

 それを見てもなお、水銀燈は余裕を崩さない。人差し指を唇に当て、見た目だけは友好的な笑みを浮かべた。

「・・・まぁでも、この私相手にそんな言葉を吐けただけでも、大したものねぇ」

 しかし一転、その瞳がギラリと危険な光を帯びる。彼女の周囲を舞っていた黒羽の先端が、一斉に美琴に向いた。

「ご褒美にその言葉、後悔させてあげるわぁ!」

 水銀燈が左腕を振り下ろす。

 絡み付いていた光球ーー人工精霊メイメイを先頭に、無数の黒羽が美琴に殺到した。

「はっ! やれるもんならやってみなさい!」

 対する美琴は切り裂くような視線を水銀燈に向ける。その意思を受けた電撃が、一気に光量を増した。

 銀の放った黒羽と紅の放った紫電が、真正面からぶつかりあった。






 上条の部屋。

 そのリビングに鎮座する、大きな鞄。

「・・・・・・」

 夜は眠りの時間。そう言って鞄に篭った真紅は目を閉じていたが、しかし眠りについていなかった。

「・・・・・・」

 胸に当てた右手。そこにある違和感を探るように、彼女の眉はたわめられていた。

 過去のこと――――『前回』についてのあやふやな自分の記憶。

 どのようにして『前回』が終わり、いまがあるのか。

 それを明確に記憶していないのは、なぜなのか。

 そしてなによりも、

 

 ・・・なぜ、それを上条たちに言わなかったのだろう。



 言うべきだった、と思う。

 しかしあの病室で雛苺のことを説明したとき、どうしてかそのことに触れたくなかったのだ。


(私は……)

 真紅は、ぎゅっ、と手を握った。閉じた瞼にさらに力が入り、彼女の表情が辛そうに歪む。

「……」

 そう、真紅は怖かった。

 言葉にすることで、いまの違和感が明確になってしまいそうで。


 水銀燈は、あそこまで好戦的だっただろうか。



 雛苺は、あんな風に笑ったことがあっただろうか。



 そして……



(そう、私は確か……)

 だが一度浮かんでしまった考えは、自分でも抑えきれない確固たる疑問となって胸中に渦巻いていく。

 スフィンクス。

 小萌の家で、そしてこの上条の部屋で。

 インデックスが抱えていた猫。

 なぜかまったく怖いとも思わず、まったく気にもならなかった、嫌いなはずの、猫。

「……」

 真紅は息を飲み込むように詰め、一度だけ強く首を振る。

 今夜、彼女に眠りが訪れるのは、まだ先であった。

一月近く間が空きましたが、今回は以上です。
容量としてはそれなりに多く投下できたはずです。こんなに時間がかかったのは、時系列的に途中の部分の筆が進まなかったせいです。
ぶっちゃけ、上条さんと姫神さんのところが難産でした。
2番目に書きたかったところなのですが、うまくいかないものです。
心理描写って難しい。これがうまく書けるのがいまの最大の目標ですね。

さて、もっとも書きたい部分は物語の終盤です。そこまでたどり着けるのを書き手としても楽しみに。
それでは、次回もよろしければ。





 朝。

 夏の名残だろうか、抜けるような青空に恵まれた連休の二日目である。

 多くの学生が夜通し遊んで沈没していたり、そうでなくとも惰眠を貪るであろう時間帯だがしかし、それらに反して、上条家の朝は早い。

 もちろん、その原因は言わずもがな。

 インデックスだ。

 シスターらしく朝が早いから…ではなく、彼女の朝のお祈りが終わるまでに朝食を用意しなければ上条の頭が頂かれてしまうから、である。

 どっちにしても目が覚めるなら、上条にしても痛くない方がいいに決まっていた。

「朝から不幸だ…」

 上条はベランダの掃出窓を前に、そう呟いた。

 右手でかじられた頭を撫でるが、幻想殺しといえども噛み付きによるダメージを消すことは不可能である。

 普段であれば自然に目が覚めるか、そうでなくても目覚まし時計で起床するのだが、全力疾走を繰り返した昨日は流石に疲れていたらしい。

 目覚まし時計という幻想を無意識の内に右手で破壊して寝こけていたところを、牙を向いたインデックス(スフィンクス同梱)に襲われたのだ。

「だ、大丈夫なの当麻。その…朝から激しかったみたいだけれど」

 上条の背後。

 初めて会ったときと同じように、ソファーで紅茶片手の真紅が、そんな風に問うた。

 彼女の表情は微妙に気まずそうなものであったが、背を向けている上条は気がつかない。

(ごめんなさい…私が止めていたら、もう少し傷は浅かったのかもしれないのだけれど…)

 上条の壮絶な悲鳴に驚いて飛び起きた後、『惨状』を一目見るなり鞄に逆戻りしたのは真紅だけの秘密であった。



「あっはっは、いやいや。このくらいは慣れてますので、上条さんは大丈夫ですよ……ええ、慣れてますので」

 どこか乾いた笑いとともにパタパタと手を振る上条。本当にそう思っているというよりは、そう思うことで自分を納得させているような口調と仕草である。

「慣れている、の……」

 あれが日常なのだろうか。なんと恐ろしい。

 真紅が色々と含みある見る視線をインデックスに向けた。

「むーっ、とうま! それじゃ私がいつもいつも噛みついているみたいに聞こえるかも!」

 子供向けのテレビ番組から視線を離し、インデックスがそれこそ子供のように頬を膨らませる。

「お、おまえなぁ。腹が減ったら噛みつくわ、恥ずかしくなったら噛みつくわ、揚句に俺が入院したら噛みつくわ、これがいつもって言わなかったらなんて言うんだよ?」

「そ、それは、噛み付かれるようなことをするとうまが悪いんだよ!」

「どこがだこのバカ! いまの台詞の中で俺に非がある部分がどこにあるってんだ!?」

 上条の言葉に、インデックスは「うー」などと唸りながらもテレビの前から動こうとはしない。

 大覇星祭の一件で『噛み付き』という行為に新しい光明を得たようだが、照れに近いものもそれなりに得たらしい。

 もっとも真紅の方をちらちらと見ているあたり、上条相手に照れている、というよりは、真紅というお客様相手にそういうシーンを見せるのは控えたい、ということのようであったが。

「と、ところで、当麻はさっきから何をしているの?」と、真紅。

 後ろめたさもあって、なるべくその話題に触れたくない。

 何気なさを装った問い掛けにも、不自然さが否めないが、上条もインデックスもそれに気がつかなかったようだ。それくらい噛み付きが日常なのであろう。 

「え? いや、」上条は一度振り向いたあと、再び窓ガラスの方に向き直り、

「触っても大丈夫なのか、と思ってさ」

 と、言った。

 彼の右手は傷ひとつない窓ガラスに触れている。

 この窓ガラスは昨日水銀燈に砕き割られ、そして昨夜のうちに真紅の魔術によって修復されたものだ。

 その時は姫神と待ち合わせをしていたこともあって、特に確認していなかったのだが、下手をすれば上条が触れた瞬間にガラスが元の状態に戻る可能性だってあったのである。

 もっともそう思うなら、触るよりも先に確認すべきであるのだが、上条はそこまで思い当たっていない。


「昨日のって、やっぱ魔術、だよな? でも魔術で直したんなら、右手で解除されるかもしれないし」

 洗濯物を干そうとするたびに気を遣うのは流石に面倒だ。それに、何かの拍子に触れてしまうことだってある。

 上条家の懐的に、これだけのガラスを入れ換えるのは清水の舞台ものの覚悟が必要だった。

 幸いにも窓ガラスは幻想殺しで触れても問題ないらしい。そうなるとそれはそれで、なぜ壊れないのか、と疑問に思ってしまう。

 なにか特殊な魔術なのか、と上条は視線で問うた。

 だが真紅は軽く首を傾げる。

「魔術…と言われても、私にはわからないのだわ。私は時のゼンマイを巻き戻して『壊れる前』の状態に戻しただけよ」

 魔術の産物であっても魔術のことはよく知らない真紅にして見れば、言葉以上のことをしたつもりはないし、それを説明できるものでもない。本当に出来ることをしただけなのである。

 助け舟を出したのはインデックスだ。

「しんくが昨日使ったのは確かに魔術だよ? だけど、別に魔術でガラスを支えてるわけじゃないから大丈夫かも」

「どういうことだよ」

「えっとね……」

 と、インデックスは僅かに言いよどんだ。それから、少し気まずげに、しかしどこか嬉しそうに、続ける。

「ほら、『あのとき』にわたしの怪我を魔術で治したけど、あの後、とうまがわたしに触れても大丈夫だったよね」

「……」上条は無言。

 しかしインデックスはそれに気が付かない。

「魔術で治しても、治った結果に魔術が残存するわけじゃないから、その後ならとうまが触っても壊れないんだよ」

 砕けたガラスを魔術で結束し続けているなら話は別だが、ガラス自体を修復しているので大丈夫、ということのようだ。

「ふ、ふーん……そういうもんなのか」

 ペタペタとガラスを叩く上条。どこか余所余所しく、インデックスから視線を逸らした。


「……?」

 妙な態度の上条に、インデックスは首を傾げる。

「……当麻、ひとつ聞いていいかしら?」

「ん? あ、ああ」

「? どうしたの? なにか気になることでもあった?」

「い、いやいやっ、なんでもない! ちょっとぼーっとしちまっただけで」

「そう?」

「あ、ああ」ごほん、と上条は咳払いをひとつ。「…そんなことより、聞きたいことってなんだよ?」

「…今日は、貴方は何か特別な用事があったりするかしら?」

「今日? 今日は午前中に、姫神と小萌先生の見舞いに行くことになってるんだけど…」

 昨夜、あの後別れ際に姫神に誘われたのである。

 着替え自体は昨日届けているが、差し入れも兼ねて顔を出しておこう、ということになったのだ。

「小萌? ……昨日の?」

 真紅の表情が僅かに曇った。


「……」

 上条としては真紅に責任はないと思うのだが、いくらそれを言っても彼女の胸の内は晴れないだろう。もしも上条が真紅と逆の立場だったら、同じように責任を感じることは間違いない。

「ま、姫神の話じゃ、そう大したことなかったらしいからさ。すぐ退院できるって」

 だから上条は真紅の表情に気がつかない振りをして、殊更なんでもない口調で言った。

 しかし真紅は、眉を潜めまま、

「そう…」

 と、言った。

「どうしたんだよ。なんかやりたいことがあるってんなら、午後からでよかったら手伝うぜ?」

「その…」真紅は少しだけ迷う素振りを見せたあと、

「ホーリエがまだ戻ってこないのよ。だから、もし大丈夫なら探しにいきたかったのだけれど…」

 昨日、雛苺を追わせた人工精霊からはいまだ連絡がなかった。

 仮に攻撃を受ければ危険な旨を伝えてくるであろうし、力を失った彼女が倒れたなら戻ってきてその位置を知らせるだろう。

 いまも追跡している可能性もあったが、雛苺の残存エネルギーやゼンマイの量から、それは考えにくい。

 だとすれば、ホーリエはその能力を上回る存在に脅かされた可能性があった。

(……)

 思い当たる相手はただ一人。

 真紅の脳裏に、銀と黒の存在が浮かび上がった。


「あー、あいつかぁ。そういや確かにあれから戻ってきてないな。じゃあ、お見舞いが終わったら…」

 そう上条が言おうとして、ちょうどそのとき―――

「あれ?」

 と、インデックスが首を傾げた。

 彼女の視界。

 上条の背後の窓、そこから見える青空にひとつ、見慣れない黒い点が見えた。

「……」

 鳥、でもない。アドバルーンというものでもないだろう。

 そもそもそれは鳥のように視界を横切っていくわけでもなく、また、アドバルーンのように一定の場所に留まっているわけでもなさそうだ。

 具体的に言えば、その黒い点はインデックスが見ているうちに、どんどん大きくなってきて、

「近づいてきてる…かも」

「え?」「は?」

 インデックスの言葉と視線に、真紅が気づき、上条が振り向いた瞬間。





 破砕音!



 昨日に引き続く甲高い音とともに、振り向いた上条の向かって右側を抜け、一抱えほどの大きさの何かが窓ガラスを突き破って飛び込んできた。

「うわっ!?」

「っ!」

「ひゃあ!?」

 ガラスの砕ける音に、三者三様の声が混じる。

「な、なんだぁっ?」と、上条。

 飛び込んできた何か。

 それは、鞄だった。

 丁寧な装丁を施された古い鞄が、ガラスの破片にまみれて床に転がっている。

 だがそれに対し三人が何かアクションを起こすよりも早く、鞄の蓋が蹴り上げられるような勢いで開き、中から翠色の人影が跳びだした。

 その体躯は子供のように小さく、なるほど、鞄に入ることも無理ではない。

 だが。

 鞄。色。小さな身体。


 薔薇乙女


「!」

 上条が右手を構えながら、赤と翠との間に立った。

 インデックスは驚きを残しながらも、知識を総動員してその正体を見極めようとする。

 彼らの視線の先で、鞄から跳びだしてきた人影は、

「ふゆ…痛いですぅ」

 しかし、ひらりと床に着地するなり、頭を抑えて床にうずくまってしまった。

「は?」「え…」

 水銀燈のように、あるいは雛苺のように襲い掛かってくる可能性ばかり考えていた上条とインデックスが目を丸くする。

そんな彼らの背後で、

「翠星石!」

 と、真紅が叫んだ。

分量少なめですが、なんとか二ヶ月あきは阻止しました。

遅くなってしまいまして申し訳ありません。なるべく早く書き上げて投下するよう心がけます。

最初のころのように一週間更新を目指したいところですが…。

それでは、また次回に。

 翠星石、と呼ばれた彼女が、真紅の声に顔をあげた。

 色違いの瞳―――オッドアイが、間に立つ上条とインデックスを無視して真紅に向けられる。

「……」

 それを追うようにしてこちらを向いた上条とインデックスの視線を感じながらも、真紅は翠星石を真正面から見た。



 敵なのか、味方なのか。



 しかし翠星石の顔に浮かんでいるのは、驚きにも似た表情と、目じり端の涙のみ。

 水銀燈のような敵意も、雛苺のときのような狂気もそこからは読み取れなかった。

「真紅!?」

 と、上条。

 彼が問うているのは、間違いなく、いま真紅自身が考えている事柄だろう。

 その娘は敵ではない。敵であるはずがない。

 前回、共存の道を模索していた仲間だ。

 そんな言葉が、喉元にまで競りあがってくる。

「っ」

 しかし真紅はそれを言葉にして放つことができなかった。

 昨夜、鞄の中で浮かび上がった己への疑問。

 胸中で頭をもたげるその疑惑が、翠星石は敵ではない、と断ずることをせき止めていた。

 真紅は断言できず、上条は返答を待ち、インデックスはそもそも判断のしようがない。

 それぞれの空白。

 その瞬間に動いたのは、今しがた飛び込んで来た翠星石だった。

「真紅ー! 会いたかったですー!」

 そんな叫びとともに、翠星石がいきなり駆け出した。

「!?」

 虚を付かれた上条とインデックス。完全に反応が遅れた彼らに出来たことは、翠星石の動きを視線で追うのみ。

 脇目も振らずに二人の間を通り抜けた翠星石は、同様に動けなかった真紅の首根っこに、駆けた勢いそのままに思い切り跳びついた。

「きゃあっ!?」

 自分と同程度の質量+走る勢いを、真紅は支えることができない。

 翠と紅が、もつれるようにして床に転がった。

「ちょ、ちょっと離しなさい翠星石!」

「真紅ー! よかったですぅ! 会えてよかったですぅ!」

 らしくなくジタバタと暴れる真紅だが、翠星石はかなり強くしがみついているらしく、まったく離れる様子がない。

 上条は一瞬、組み付いて攻撃しているのか、とも思って身構えかけたのだが、

「ふえぇえん、真紅ー!」

「ぐぐぐっ!? す、翠星石……く、苦しいのだわ……」

「……」

 どう見ても迷子が縋り付いているようにしか見えなかった。抱きついた翠の両腕が、綺麗に真紅の首を絞めているようだが、まぁ、たぶん大丈夫の範疇だろう。

「……インデックス?」

 インデックスに目を向ける。

 上条の表情にも口調にも、緊張感がない。

 思いっきり臨戦態勢を作っていたところに、立て続けに『敵』らしくないことが起こったせいで、なんとなく気が抜けてしまった。

「う、うん。いま鞄から出てきた子も、薔薇乙女、かも」

 それはどうもインデックスも同様のようだ。上条と同じように、やや唖然としながらも首肯する。

 かも、とは言っているが、単に口癖なだけで、不確かな意味ではない。

 禁書目録の知識とインデックスの見識から導かれる魔術形式は、真紅とも雛苺とも同一である。

 間違いなく薔薇乙女だった。

「あー…っと」

 インデックスの答えを確認し、上条はちらりと二人(?)を見た。 

 話しかけてもいいのかなーどうしようかなー、とでも言うような表情で後ろ頭を掻きながら、赤と翠に歩み寄る。

「真紅? そいつもやっぱり、その?」

「え、ええ」

 と、なんとか立ち上がった真紅が頷いた。

 見せてしまった醜態を隠すかのように平静を装っているが、整えられていた金髪は乱れに乱れ、ドレスも若干皺になってしまっている。
 
 その上、件の翠星石がいまだに真紅の首元でグスグスと泣いている始末。

 何も取り繕えていないが、上条もインデックスも流石にそこに突っ込むほど気が遣えないわけではなかった。

 真紅はコホンとわざとらしく軽い咳ばらい。それから乱れた髪をさりげなく手櫛で直しながら、

「彼女の名前は翠星石。薔薇乙女の第3ドールよ」

 と、言った。

「第3? ってことは、お前の姉貴になるのか?」

 意外そうに真紅を―――いや、真紅の背中に隠れる翠星石を見る上条。

「あ、あぅぅ……」

 翠星石の方は上条と目が合うと、それだけで真紅の肩に顔を埋めるようにして目を閉じてしまった。

 その様子ははっきりいって、姉を頼る妹、という風情で、とても真紅よりも早く創られたようには見えない。

「人形に姉や妹という表現が適切なのかはわからないけど、創られた順番では確かにこの娘の方が先なのだわ」

 一息。

「でもはっきり言って、これは性格の違いよ。彼女は私たちの中でも特に臆病で人見知りなの」

「し、真紅ぅ」

「大丈夫なのだわ翠星石。彼の名前は上条当麻。私の契約者よ」

 ほら挨拶、とでも言うように、横に一歩ずれ、軽く翠星石を押し出す。

「え、あうっ」

 軽くよろめいた翠星石が前に出るが、

「っ」

 上条と目があった途端、はビクリと身を震わせて、ささっ、と真紅の後ろに隠れてしまった。

「……」

 沈黙する上条。

 本人は知りえないことであるが、幼少より数々の不幸に見舞われた彼の精神力は、大抵のことでは動じない。それでも見た目が幼児のような相手にこうまで怯えられるのは、なんというか、軽くショックであった。

 はぁ、と真紅はため息。

 ジュンとの暮らしで少しはマシになったかと思ったのだが、どうも相変わらずのようだ。

 もっとも、

(……確かめないと、わからないのだけれど)

 その『記憶』が―――自分のものも含めて―――幻想ではないのかは、まだわからない。

「……」

 真紅は肩越しに翠星石を見た。

 今度は猫を抱えたインデックスに「私はインデックスって言うんだよ」と言われ、こっちには「す、翠星石ですぅ」と応じている。
 
 それを見た上条が「インデックスには返事をするのになんで俺だけ……不幸だー!」などと仰け反り、またそれで翠星石がビクビクと隠れてしまう。

 これはこちらで促さなければ、話になるまい。

 そう判断した真紅はもう一度ため息。そして、

「……ところで」と、翠星石に向き直った。

「翠星石。貴女、どうしてここがわかったの? ここを知っているのは水銀燈しかいないと思うのだけれど……」

「え」

 妙な表情で翠星石が固まった。

「そ、それはその……」

「ええ」

「その、ですね」

 翠星石は、なにやら言いづらそうにモジモジとしている。

「?」

 眉根をつめ、軽く首を傾げる真紅。

「どうしたの? はっきり言いなさい」

「あぅ、それは」

「それは?」

 翠星石は一瞬だけ迷ったように視線を泳がせた後、

「ホ、ホーリエ、ですぅ」

「「!?」」

 その名詞に、上条とインデックスが目を見開き、

「ホーリエ!? ホーリエが、どうしたと言うの!?」

 先ほどとは反対に、真紅が翠星石に詰め寄った。

「ぐえっ、ですぅ!?」

「ホーリエに会ったの!? ホーリエはどこに……それに雛苺はどこにいるのよ!?」

 桃色の少女を追っていった人工精霊に出会ったというのなら、雛苺にも会っているはずだ。

 ガクガクと、翠星石の肩を、というか、首を前後に揺さぶる真紅。

「くくくく、苦しいですぅ!」 

「あ、ご、ごめんなさい」

「けほっ、けほっ、し、死ぬかと思ったです……」

 ぜーぜー言いながら翠星石が首をさする。

「わ、悪かったのだわ翠星石。でも事は一刻を争うのよ。早く説明してほしいのだわ」

 真紅は再び飛びつきかねない様子だ。

 翠星石が「わ、わかったです」と、頷き、 

「その……ホーリエが、翠星石をここに案内してくれたです」

 と、言った。

「案内?」

「そうです。昨日の夜遅く、ちょっと離れたところでふらふらしてるのを見つけて、それで案内を頼んだですよ」

「ふらふらしていたの? ホーリエだけで?」

「です」

「……」

「?」

「……でも、それじゃあホーリエはどこに?」

「そ、それは……」

 何やら言い淀みながら、翠星石はリビングに転がっている、彼女の鞄に視線を移した。

「?」

 上条たちもそれに倣い、鞄を見た。

 ガラスまみれのそれは、掃除しなければ今夜にでも困りそうな有様だったが、まぁそれはともかく。

 案内、ということは当然、翠星石の前を飛んでいなければならない。

 そして窓ガラスに突っ込んできた鞄は、着地というよりも落下の体で床に衝突している。

 もしホーリエが『何事もなく』一緒に入ってきたなら、すぐに真紅の近くに飛んできたであろう。

「!」

 状況を察した真紅の顔色が、さっ、と変わった。

 そして、主人の動揺でも感じ取ったのだろうか。



 ―――……



 鞄と床との隙間から微妙に漏れる、紅い光。

 それは『光った』というより『明滅した』という方が正しいように思えるもので―――

「ホ、ホーリエ!」

 真紅の切迫した声が、朝の上条家に大きく響いた。

今回は以上となります。
荒い文章ですが次回分はある程度書いていますので、次は早めに投下できると……できると……できるといいな、と考えています。
す、すみません。
ともあれ、また次回に。

「まったく……他人の人工精霊を踏み付けるなんて、失礼もいいところなのだわ」

 ソファーに腰掛け、上条のいれた紅茶を片手にした真紅が、いかにも立腹しています、という様子でカップを傾けた。

「す、すまんかったですぅ」

 とは、その真向かい、テーブル反対側の翠星石だ。

 先ほど首を絞められたことはもう忘れたらしい。もっとも先に一度飛び掛かっているので、それで相殺という見方もあるのかもしれないが。



 ―――……



 件のホーリエはテーブルの上でへたっている。なんとか球形は取り戻しているものの、どこか歪つなようにも見えた。

(……なんとなく気持ちがわかるんだよ)

 昨日、小萌部屋からのダイブでやや平べったくなった経験のあるインデックスの胸中に妙な共感が浮かび上がるが、それはともかく。

「で、」と、真紅がカップをソーサに置いた。カチャリ、と硬い物同士が触れる音が響く。

「な、なんですか?」

「いまホーリエから直接聞いたのだけれど、ホーリエと貴女は、昨夜偶然出会った、ということで間違いないのね?」

「そうです」頷く翠星石。「昨日の夜……何時ころだったかは忘れたですが、一人でふらふらしてるのを見かけたですよ。その時にはもう大分疲れてたみたいですから、とりあえずビルの屋上で寝ることにしたんです。それで朝になってから、真紅のところに連れてきてもらったんです」

「……」

 真紅は翠星石の表情を見た。

 蒼星石とは左右対照のオッドアイに浮かぶのは、軽い緊張感と大きな安堵と言うものだ。緊張はあくまでも上条とインデックスに対するもので、嘘をつくとき特有のものではない、と思えた。

「…そう」

 基本的に人工精霊は対となる薔薇乙女―――正確にはローザミスティカに対してしか意思疎通を行えない。

 もちろんその様子からある程度には言いたいことを予想もできるが、会話並みの情報交換は不可能である。雛苺の探索を命じていたホーリエの意思を、まったく知りもしない翠星石に拾えと言うのも、酷な話だ。

 さらに言えば人工精霊にも限界がある。消耗が酷ければ休息や、薔薇乙女からの魔力供給が不可欠であった。

 昨日のホーリエは、水銀燈と雛苺と二つの戦いを切り抜けた上、長時間に及ぶと思われる探索に従事している。真紅の記憶をある程度知るホーリエであれば、翠星石を安全と判断して同衾(という言い方が正しいのかはともかく)しても不思議ではなかった。

(なぁ、真紅)

 小さく耳に届く声。見れば、上条がこちらに目配せするように顔を向けていた。

 彼の言いたいことはわかっている。声をひそめているのは、自分に怯える翠星石に配慮してのことか。

 そんな上条の頭の中に、



 ―――……雛苺のことね?



「!?」

 いきなり真紅の声が響いた。

 驚き、目を見開く上条。

 真紅の唇はまったく動いていない。感覚的にも『聞こえた』というものではなかった。

 反射的にインデックスを見ると、彼女も軽く驚いた表情を浮かべている。上条よりも驚きの度合いがすくないのは、彼女が魔術関係に詳しいことと、風斬氷華の一件で『念話能力』を体験しているからだろう。



 ―――驚かせてごめんなさい。貴方とシスター、二人に声を『飛ばして』いるの



 真紅が一瞬だけこちらを見てから、すぐに翠星石に視線を戻して「出会った時刻は、だいたい何時くらいなの?」と問いかけている。表面上は会話を続けるつもりのようだ。



 ―――それと、勝手を言って申し訳ないのだけど……雛苺のことは、まだ聞かないでおいてほしいのだわ



(どうしてだ? もしかしたら何か知ってるかもしれないぜ?)と、頭の中で上条は言った。



 ―――それはそうなのだけれど……ちょっと、確認したいことがあって



「……」

 こっちからの考えが届くのか確信はなかったが、相互通信の可能な魔術であるようだ。

 真向かいに座ったインデックスが軽く頷いていたが、こちらの声は聞こえない。同じタイミングで、彼女も似たようなことを考えたのだろう。

「そうですねぇ、見つけたのは眠りにつく少し前だったですから……」

 一方、翠星石は上条たちの目配せには気がつかないまま、真紅の質問に、うーん、と天井を見上げた。



 ―――でもホーリエが言っていたのだけれど……結局、雛苺には逃げられてしまったそうよ



 平静な口調(という表現が適正かは不明だが)と表情の真紅。だがその中には、間違いなく苦悩と心配がにじみ出ている。

「「……」」

 上条とインデックスは沈黙するしかない。そんな彼らの視界の端で、翠星石が「確か、午後8時過ぎだったと思うですぅ」と視線を真紅に戻した。

「そう。午後8時、ね」

 真紅は頷き、続いて「場所だけれど……」と次の質問に入った。さっき魔術で言っていた『確認したいこと』に関係しているのかもしれない。

「……」

 上条としては正直、あの桃色の少女に心当たりがないか、翠星石に問いたい気持ちでいっぱいだった。

 昔から雛苺を知る真紅と違い、上条の判断基準は、あのビルで見たときの印象と、真紅の話した内容しかない。

 真紅の言葉を疑うわけではないが、雛苺自身が何者かに操られていたならば、再び小萌を狙ってくる可能性も十分にあるのだ。

(もしそんなことになったら)

 間違いなく、まずい。

 アリスゲームと言う戦いそのものも危険だが、小萌は今日の一件で入院するほど消耗している。短期間のうちに再び巻き込まれれば、それこそ命が危ない。

 彼自身、ついさっきまで割りとのんきに構えていたのだが、冷静に考えれば、そんな場合ではなかったのである。

 真紅からホーリエのことを聞かされていなかったと言えども、こちらから結果を聞いてしかるべきだ。

 しかし、

「……」

 会話を続ける真紅の横顔を見る上条。

 彼女がそうまで言うのだ。自分にも、そしてインデックスにもわからない事情があるのかもしれない。

 それを考えると、徒に我を通すわけにもいかなかった。

「ところで、翠星石、だったよな?」

 とはいえ、無言のまま、という選択肢もとれなかった。

「お前、真紅のところに何しにきたんだよ」

 真紅と翠星石の会話の切れ目。そこを選んで、上条が問う。その彼の問いに合わせるように、インデックスも翠星石を見た。

「ひぅ、ですぅ」

 だが、翠星石はまたもや身体をギクリと震わせると、ささっと、上条から離れるように身をちぢこませてしまう。

 上条を見上げる瞳には、怯えの色しかなかった。

「いや、上条さんは別に翠星石さんに何かするつもりはなくてですね……」

「当麻」と、真紅。

「な、なんだよ」

「その、こういう言い方は貴方には不本意かもしれないけど……当麻がいると、きっとこの娘は怯えてしまって、うまく話せないと思うのだわ」

「……俺って、そんなに怖い?」

 彼女の態度を見ればわかっていたが、第三者から言われると、やっぱりショックである。

 真紅は上条の右手に目を向け、続ける。

「当麻が怖いというよりも、きっと貴方の右手のせいね」

「右手? 幻想殺しが?」

「ええ。貴方の右手は、私たちから見たら鋭い剣以上のものなのだわ。考えてみなさい。その手に触れたら、私たちは死んでしまうのよ?」

 たとえば親友が自分の頭に拳銃を突きつけられたら、どう感じるだろう。

 決して撃つことはないと思う。

 それでも、安心出来るかといえば否である。

 上条と契約しているとはいえ、真紅もそれをまったく感じないわけではなかった。ただ、彼女のプライドの高さが、それを表に出すことを妨げているだけだ。

「……」

 ほんの一瞬だけ真紅が見せた怯えの表情に、上条が沈黙する。

 しかし真紅はそれを払拭するように、ふわりとした笑みを浮かべた。



 ―――安心しなさい。戦いなんてしないし、仮にそうすることになっても、すぐにこうして声を飛ばすわ。私たちだけでなんとかしようだなんて考えないから



 頭に直接返ってきた言葉は、上条の沈黙に対するものではない。だが何も言わないということ自体が、真紅の気遣いなのだろう。

「……」

 その気遣いに、上条が僅かに眉をたゆませた、そのときだ。



 甲高い電子音が、部屋いっぱいに鳴り響いた。



「な、なんですかっ!?」

 ビクリ、と翠星石が震え、

「?」

 と、真紅が視線を向ける。

 音源はキッチンにあるテーブルの上。

 携帯電話が、鳴いていた。

「とうま。でんわが呼んでるんだよ」

「あ、ああ。ちょっとすまん」

 立ち上がり、キッチンに向かった。

 そしてテーブルの端で声を上げ続けている、そろそろ耐久限界です、とでも言うようなボロボロの携帯電話を持ち上げ、パカリと開く。

 表示されているのは『姫神秋沙』という登録名と『メールを受信しました』という簡単な文字列だった。

「姫神?」

 あれは何をしているの? めーるってやつを見てるんだよ。め、めーるですか? という彼女たちの声を、聞くとはなく聞きながら、メールを開く。

 タイトルは『待ち合わせについて』

 内容に目を移せば、今日これから行くことになっている、見舞いの話のようだ。時間と場所の連絡である。

 時計を見ると、時刻で言えばそこそこ余裕はあった。だが、ここから真紅たちと話をすませていられるほどの余裕は流石にない。

「とうまー? それ、なんだったの?」

 真紅たちに『テレビみたいに手紙を送るものらしいんだよ』と、素晴らしく強引にメールの説明をしたインデックスが問うてくる。

「あ、ああ」

 ちらり、と真紅を見る上条。

「……」

 真紅はと言うと、一瞬だけ訝しげな顔をしたが、すぐに得心したようだ。

「気をつけて行って来るのだわ」

 金色の髪を揺らして、真紅は小さく頷いた。

 無茶はしないから安心しろ。

 そう言っているような視線を浮かべて。



 真紅や翠星石は、つれて歩くのが目立ちすぎる。

 インデックスは当初、一緒に行くと言っていたが、流石に薔薇乙女たちだけを家に置いていく訳にもいかず、また、軽くお菓子を作ると言った翠星石の言葉につられて、家に残っている。

 そんなわけで、多少の不安は覚えないでもないが一人で家を出ることになった上条は、待ち合わせ場所として指定されたバス亭に到着した。

「ちょっと早かったか?」

 小萌の入院している病院は歩いていける距離なのだが、それは上条ならば、という注釈が付随する。体力的に姫神にはきついだろう。

 そう考えてバス停を待ち合わせ場所にしたのだが、あまり使わない移動手段であるため、どうもはやく着きすぎたらしい。

 停留所のベンチ周辺には、彼以外に人影がなかった。

「だー、あっちぃ。もうそろそろ秋なんだけどな・・・」

 手で首周りを扇ぎながら呟く。

 Tシャツにジーンズという軽装であったが、それでも十分に汗をかける陽気である。

 時計代わりの携帯電話をポケットに戻してから、上条はバス停のベンチではなく、近くの商店軒先に移動した。

 まだ開店時間になっていないのか、店のシャッターは閉まっている。今日は平日であるが、ここは学園都市。都市ごと連休である以上、学生が動き出すだろう時間帯に合わせ営業しているのだ。

「…………」

 ふと、上条は先ほどしまい込んだ携帯電話を再び取り出した。

 ボタン一回の操作で呼び出した電話帳には『土御門元春』の名前。

 魔術関係に詳しいという意味ではインデックスを超える者はいないが、相談できる相手という意味では彼が一番だった。

 相談を持ちかければ、間違いなく力になってくれるだろう。

 どういうわけかこの数日、学校でも寮でも姿を見ないのだが、電話すれば連絡出来る。今すぐに繋がらなくとも、返しがあるはずだ。

 上条の指が、通話ボタンにかかる。

「……」

 そのまま、数秒。

「…………」

 しかし結局、彼の親指がボタンを押すことはなかった。

 土御門を信頼していないわけではない。むしろ信頼し、親友だと思っている。

 だがだからこそ、上条は彼を巻き込みたくなかった。

 御使堕としや、使徒十字。

 これらの事件で、彼は重傷を負っている。それは闘いによる負傷というよりもむしろ、魔術使用によるものの方が大きい。そして彼は必要があるなら魔術を使うことを躊躇わない。

 いままでは、生き残った。 

 だが、これからは?

 アリスゲームは期間や終了条件が明確ではない。唯一明確な条件である『ローザミスティカを全て集める』ことは真紅自身が否定している。

 こんな状況に巻き込むわけにはいかなかった。

 上条は一度だけ首を横に振ってから、携帯をポケットに戻した。

 そして顔をあげ、姫神はまだかな、と視線を巡らせた彼が、 

「ん?」

 と言う表情になった。

 視線の先。

 こちらに向かって歩いてくる、見知った顔。

 相手側も同じタイミングで上条に気がついたらしく、えっ、という顔をしている。

 なんでこんなところに、と思う。

 彼女の住む学生寮は、ここからそこそこの距離があったはずだ。少なくとも散歩か何かで来るような距離ではない。

 見知った顔は茶色のショートカットで、学園都市でも至極有名な女子中学校の制服を着ていた。

「御坂? こんなところでなにしてんだよお前」

 対する美琴は、まずいところを見られてしまった、とでも言うような表情を無理矢理隠しながら、

「あ、アンタこそ、なんだってこんなところにいるのよ!」

 と、言った。

今回は以上です。

ようやく各キャラクターが出会う流れになってきました。
まだ先は長いのですが、楽しんで書いていければ、と思います。
年内終了は無理っぽいですが……。

では、また。




「っ……」

 暗い部屋。

 差し込もうとする朝日すら分厚いカーテンで遮った部屋の中で、水銀燈はギリリと歯を鳴らして身を起こした。

 長い銀髪が、重力に従って、パラリと垂れる。

 だが彼女はそれを掻き揚げることもせず、どさりと倒れ込むようにして、己の背後にある壁に背を預けた。

「くっ、はっ……」

 翼によって直接背中が壁に当たらないよう身を支え、さらに自らを包み込む。

 その様は、傷ついた鳥が身体を休ませているようだった。

「あの人間め……絶対に許さない……!」

 ギリ、と再び奥歯が音をたてる。

 事実、水銀燈は身を休ませていた。

 薄暗闇ゆえに見えにくいだけで、彼女の纏うドレスはあちこちが破れ、銀髪も所々焼けて焦げてしまっていた。人を模した、しかし絶対に人ではなしえない陶器のような肌も、煤に汚れている。

「くっ…」

 力をこめた拍子に傷が痛み、顔をしかめる水銀燈。

 目を閉じ、顔を上向ける。荒い呼吸をしている自覚があった。

 傷ついた翼はうまく畳むことが出来ず、鞄に入ることができない。回復として最適の手段を使えない水銀燈は、ただ床に転がるしかないのである。

 いま水銀燈がいるのは、もう使われていないビルの一室だった。

 ここは、かつては多くの人員を収めたところだったのかもしれないが、何時ごろに閉鎖されたのか、完全に廃墟と言っていい状態だ。

 長机やイスはてんでばらばらに放置され、うっすらと埃をかぶっている。

 周囲の窓ガラスは内側に黒いカーテンが引かれ、時刻は朝だというのに、薄闇以上に暗い。

 何かが当たったのか、それとも何かの能力の余波なのか、窓ガラスが一箇所だけ割れ落ち、そこから差し込む陽光だけが唯一の光源らしい光源だろう。

 僅かな風に舞う埃が、光の道筋を作っていた。

「……」

 水銀燈はその光の道を避けるように、しかし、決して離れていない場所を選んで座り込んでいる。

 そこに―――

「どうしたの? ずいぶんとお疲れの様子だけど」 

 ―――不意に、声がかかった。

「!」

 声は右斜め前、この部屋への入り口がある方向だ。

 反射的に顔を向ける。

 闇の中に切れ目を入れたように、そこにあるドアが僅かに開いていた。

 半身だけを滑り込ませて水銀燈を見る人影は、ショートカットに、船員に近い形式のセーラー服。

 服装、そして声には、覚えがあった。

「っ」

 水銀燈は一息に壁から背を離し、立ち上がる。しかし、

「くっ!」

 ズキリと全身が痛み、身体を支えることができずに床に右手をついた。

 『超電磁砲』という二つ名の女。その人物との戦いは、身体を支えることもできないほどのダメージを水銀燈に与えている。

 セーラー服は、くすり、と口元に笑みを浮かべた。少なくとも、水銀燈には、その気配が伝わった。

「あれだけ大口を叩いておいてその有様」セーラー服は首をおもねる様に首をかしげる。短い髪が、パサリと揺れた。「どう? 少しはこの都市の人間の恐ろしさが、御坂美琴の凄さがわかったかしら?」

「黙りなさい……!」

 視線だけで人を殺せそうなほどの怒気。それを孕んだ視線が、セーラー服を射抜く。

 しかしセーラー服は動じない。ふう、と肩を竦め、半ばだけ開いたドアに背中をつけ、腕を組んだ。

「まぁ、私もこうなるだろうって思ってたから、その有様は貴女だけの責任じゃないかもしれないわ。……ごめんなさいね? もっと正確に、御坂美琴のことを伝えておくべきだったわ」

 楽しむような声には、謝意のある言葉とは裏腹に、揶揄に満ちている。

「……」

 三度、ギリッ、と歯の鳴る音。対するセーラー服が、再び肩をすくめた。

「でもね安心なさい水銀燈。私はこの件の過程なんかどうでもいいの。結果的に貴女は依頼を成し遂げた。これで当面、御坂美琴の目は貴女に向くわ。それに風紀委員も警備員も、あれだけ高レベルの電磁波が計測されれば、そちらの調査に実行力を割かれるはず。貴女は私の期待以上の働きをしてくれたってわけ」

 言いながら反動をつけ、ドアから背を離すセーラー服。腕は組んだまま、水銀燈を正面から見た。

 ゆっくりと閉まったドアが、バタン、と音をたて、数秒。

「……報酬を支払いにきたってわけじゃあ、なさそうねぇ」

 皮肉げに口元を歪めながら、水銀燈が言った。セーラー服がこちらに向ける視線には、明らかな殺意が見て取れた。

「……」

 セーラー服は応えない。

「はっ、貴女こそなぁに? 取引を持ちかけておいて自分から反故にするつもりなのぉ? さすが人間、誇りの欠片もないのねぇ」

 精一杯の虚勢を張り、嘲りの笑みを浮かべる。

 だが虚勢は虚勢だ。セーラー服がここにいるということは、間違いなく蒼星石もここに来ているのだろう。

 ベストコンディションなら、蒼星石相手に遅れを取るようなことはない。多少ダメージがあっても、防御に回れば離脱することも可能だろう。

 だが、いまは無理だ。この状態で蒼星石と戦えば、数合も保たないに違いない。

 窓から脱出しようとも、この翼では飛ぶこともままならない。そもそもここまで飛んで逃げてこれたことが奇跡に近いのだ。



 なんとか生き残る方法は……



 口元に笑みを貼り付けたまま、水銀燈は脱出口を模索する。

「あら、逃げる算段の必要はないわよ?」とセーラー服が言った。

 殺気とは裏腹の軽い声が、さらに言葉を紡ぐ。

「私は確かに、貴女を殺したいほどの怒りを抱いているけど、取引は反故にしたりしないわ」

「……じゃあその殺気は何だっていうのぉ?」

 セーラー服自身の能力を水銀燈は知らない。何かしらの能力を持っているのかもしれないが、そもそも所詮人間と思って興味もわかなかったのだ。

 だが『超電磁砲』の強さを知った今となっては、警戒を緩めるわけにはいかなかった。

「私が怒っている説明が必要よね」

 セーラー服が腕を組みながら、ぴっ、と右手人差し指を立てた。

「貴女への依頼は『貴女が私の指示どおり御坂美琴の相手をすること』であり、報酬は『蒼星石のローザミスティカ』。これは間違いないわね?」

「……」

 水銀燈は返事をしない。セーラー服はそれに構わない。右手の中指を、続けて立てる。

「確かに貴女は御坂美琴の興味を引く形で交戦してくれた。それは評価するわ。……でももうひとつ、私は条件を出したわよね?」

 すうっ、とセーラー服の目が細まった。殺気が、いっそう濃密になる。

「……」

 水銀燈はやはり返事をしない。セーラー服はやはり構わない。二指を握りこみ、水銀燈を見た。

「絶対に命の危険に晒さない。絶対にお顔は傷をつけない」言いながら、セーラー服が目を細めた。「蒼星石が言うには、貴女の攻撃はとても手加減しているようじゃなかった、ってことらしいけれど?」

 セーラー服が殺気を放つほど怒りを覚えているのは、そこだった。

 前者の条件は、ただの保険である。水銀燈の力で御坂美琴がどうにかなるなど、初めから思っていない。

 だが御坂美琴も人間だ。何かの拍子に怪我をすることだってある。

 そして、水銀燈の攻撃は、明らかにそれに配慮したものではなかった、と聞いていた。

「あらぁ? もしかして覗き見でのしてたわけ? ずいぶん、いい趣味してるのねぇ」

 セーラー服は水銀燈の皮肉に反応しない。

「念のため、レンピカに後をつけさせていたのよ。……条件、忘れたとは言わせないわよ」

「ええ、覚えていたわぁ」

 と、水銀燈が言った。

 もちろん、水銀燈はそんなこと考慮していない。相手は所詮人間だ。死のうがどうしようが知ったことではない。

 そもそもこの取引に乗ったのも、どっちに転んでも損がなかったからだ。成功すれば蒼星石のローザミスティカを得られるかもしれないし、失敗すれば通常どおり戦って奪うだけ。前者にしてもそんな都合のよい条件を信用などできるわけがない。

「でも、貴女の言う『超電磁砲』は、あの程度で傷を負う人間じゃなかったんじゃないのぉ? 私はそう思ったから、あれだけの攻撃をしたのよぉ?」

「っ」

 今度はセーラー服の口元から、ギリッ、と音が鳴る。

 水銀燈の言葉が勘に触ったのか、あるいは、御坂琴への想いを軽く受け止められかねない言葉を口にした自分に苛立ったのか。

「……」

 狐の化かしあい。

 水銀燈の自尊心から言えば、この台詞そのものがありえなかった。しかしそれでも、今の状況下ではやむ終えない。

 水銀燈は油断なくセーラー服を観察。なんとか有利な状況を模索する。

「……」

「……」

 そのまま、数秒。

 不意に、セーラー服が右手を突き出し、手のひらを水銀燈に向けた。同時に口の中で何かを数言、何事かを呟く。

「!」

 水銀燈は傷ついた翼を無理やり動かし、周囲に黒羽を撒き散らした。

「……」

「……」

「……」

「……」

 だが、彼女が思うような攻撃は、その右手から降り注がれなかった。

「……?」

 水銀燈は訝しげな顔。

 対するセーラー服は、殺気だけはそのままに、右手を下ろし、

「どうかしら? 身体、少しは楽になったんじゃない?」

 と、言った。

「!」 

 己の身体を見る。

 すると、あれだけボロボロだった全身の傷が、ドレスの傷が、いつの間にか綺麗になくなっていたのである。

「これは……」

「たいしたことじゃないわ。私はこう見えて魔術師なのよ? それも人形に特化した、ね。人形に限ってだけど、物体再生なら得意分野なの」

 言いながら、ぱんぱん、とセーラー服は埃を払うように両手を叩いた。

 魔術師。

 つい昨日、真紅の契約者が言った単語である。あの時はなんの冗談かと思っていたのだが。

「……」

 水銀燈は、魔術というものがあるとは、まともに思っていない。さらに言えば超能力とやらも、だ。

 常人からすれば彼女の存在はそれこそ魔術でもなければ成立しないが、彼女自身にしてみれば全て『御父様』の力の賜物であり、nのフィールドにしてもなんにしても、全て元々存在するものだ。

 単に他の人間がソコにたどり着いていないだけで、彼女にしてみればそれはただの現実なのである。

 だから『超電磁砲』と相対したときも、なんらかの武器の扱いに長けた者か、せいぜい多少妙な力がある、程度の認識だったのだ。

「……どういうつもりぃ?」と、水銀燈。

 調子を確かめるように何度か右手を握りながらも、決してセーラー服から視線を逸らさない。

 さすがに完全回復とまではいかないが、七割ほどまで回復していた。いまなら蒼星石とも互角に戦えるだろう。

 だが、いまもなお殺気を向けてくるセーラー服が、自分を回復させた理由がわからない。そもそもこれは本当に回復なのか。何か時限式の仕掛けでもつけられたのではないか。

 眼前のセーラー服は、自らの殺気を散らすように俯き、大きくため息をついた。

 再び顔を上げたときには、完全に消えないまでも、幾分かは殺気は抑えられていた。

「ちょっとしたサービスよ。貴女に、もう一度働いてもらうためのね」と、セーラー服が言った。

「もう一度? 貴女、頭がおかしいんじゃないのぉ?」

 あんな女に骨抜きになってるだけで十分だけどねぇ? と、鼻で笑う水銀燈。

 セーラー服の目に一瞬だけ怒気が沸くが、すぐに平静に戻った。

「……貴女は契約を果たした。だけど、そのやり方に問題があり、依頼主の私は納得できていない。……報酬がほしければ、穴埋めが、必要よね?」

「そうかしらぁ。私としては別に必要性なんか、何も感じないけれどぉ?」

 幾分かの余裕を取り戻した水銀燈が、バサリと癒えた翼をはためかせた。周囲に滞空し続けていた黒羽が、さらに濃密になる。

 身構える水銀燈。今度は虚勢ではない。

 幾分とは言え回復した以上、大人しく相手に合わせる必要はなく、また、回復してもらったと感謝する謂れもないのである。

「無駄よ?」

 しかし、それに相対するセーラー服は事も無げに言った。

「この間合いで貴女が私に攻撃しようとしても、」チラリ、と今しがた閉まったドアを見て、「私がこのドアから出る方が早いもの」

「あっきれたぁ……ドアなんかで、本気で防げるとでも思ってるのぉ?」

 確かに黒羽では、分厚いドアは貫けないかもしれない。だが剣でも、炎でも、ドア程度どうにでもなる。

 そもそも、ドアから出たところで逃がすつもりはないのだから、同じことだ。

「ドアだけじゃ無理かもしれないけど、ね」

 渦巻く黒羽を見てもしかし、セーラー服の口調は淀みない。

「結界って、知ってるかしら? まぁ貴女たち風に言うなら、nのフィールド、ってやつなんだけど」

「……」

 結界。これもまた、聞き覚えがあった。

(確か…) 

 こちらも、真紅の契約者が言った単語だ。

「私の結界はnのフィールドを『こっち側』に引っ張り出すだけのもの。建物とか部屋とか、そういう区切られた場所の中にしか作れないけど、でもだからこそ、その空間は厳密に定義されるわ」

 クスリ、と笑うセーラー服。

「そこに踏み入ったら者は、私の許可なく抜け出ることはできないのよ」

 結界を張れば、水銀燈をこの部屋に閉じ込めてしまうことができる、ということだ。

 ただ、セーラー服の説明は、厳密には正確ではない。

 一口に結界と言っても種類は様々である。

 特に魔術師は己の特性に照らした魔術に偏る傾向が強く、『人形』に特化したセーラー服は結界への適性があるとは言えない。

 だから彼女はnのフィールドを基盤として、さらに展開する場所や閉じ込める人間を条件により選定することで結界術を成立させていた。

 nのフィールドは『誰かの精神の世界』という領域である。精神に直接干渉できるということは、『偶像の理論』で共振させた本人と人形との結びつきを強固にすることが可能なのだ。

 今までセーラー服が能力者たちを襲ったときは『建物及びその敷地内』『強能力以上の電撃使い』『展開制限時間』などの条件をつけている。

 しかし逆に言えば、そこまで間口を広げなければセーラー服は結界を張ることができない、ということである。特定の人間を選別すると言う点において、致命的とも言える欠点であった。また、この結界抜きでは、セーラー服の切り札である『人形破壊』は使えない。

 体育館や深夜の寮など、人が少ない場所を選定しているのもそのためだ。条件に適合さえすれば、標的以外の者まで侵入を許してしまう。部外者の介入は秘密を知られるということ以上に、『人形破壊』の対象外の存在が相手になるということだ。

 セーラー服にして、最大の強みである結界は、その実、弱みのひとつでもあった。

「……」

 しかし、水銀燈がそんな事情など知るはずもない。

 水銀燈は思い起こす。

 真紅とその契約者と対峙したとき、彼らは一度離脱したはずなのに、どういうわけか廊下の端でこちらを待っていた。

 あの時は怒りで冷静さを欠いていたために気にもしなかったが、戦うにしてもあんな細い廊下はむしろ契約者には不利であり、逃げるのならばエレベーターとか言う機械に乗っていたに違いない。少なくとも、それだけの時間はあったはずだ。

 結界と言う言葉を聞いたのは、その直後のことだ。

「……」

 セーラー服は『御父様』に似た力―――魔術を持っている。それは今まさに、傷を癒されたことで実感したところだ。それに超能力の方もまた、決して侮っていいものではない。

 ただのハッタリとは思わないほうが良さそうだった

「話を続けるわね」

 沈黙を承諾と受け取ったセーラー服が、わざとらしくニッコリと笑顔を浮かべた。

 実はね、と前置きをしてから、

「翠星石の居所がわかったのよ」

「……翠星石?」

 まったく想像していなかった話題に、水銀燈が眉を顰めた。

「そう。元々は私のところに翠星石もいたのだけれど、どうも私のやってることが気に入らなかったらしくて、逃げてしまっていたのよ」

 セーラー服が、ひょい、と肩を竦め、苦笑を浮かべた。

「でも別に契約もしてなかったし、私の目的には蒼星石だけで十分だったから捨て置いたのだけれど……ついさっき、ちょっと貴女にも関係のありそうなところにいるのがわかって」

 含みある視線が水銀燈に向けられる。

「……」

 水銀燈は無言で話を促した。

「真紅のところ、よ」と、セーラー服が言った。

「……」

 ほんの僅か、水銀燈の目が細まる。

「はっきり言って、私はアリスゲームに興味はないわ。でも薔薇乙女は同時期に目覚めることが多いって話を考えたら、真紅と契約した人がいるということ。もしかしたら翠星石とも契約を結ぶかもしれない。…そうなると、私の目的の邪魔になる可能性があるのよね」

 翠星石がいれば記憶が戻る可能性がある。

 記憶を刈り取った蒼星石自身がそう言っている以上、それは可能性レベルの話では終わらない。

 さらに翠星石はこちらの計画を知っているのである。

 邪魔だ。

「…どう? これは貴女にとっても有益な話じゃないかしら?」

 翠星石の排除に協力すれば、同時に真紅を倒すことにも繋がる。結果、蒼星石のものともあわせて、一気に三つのローザミスティカを得ることができるだろう。

 仮に蒼星石が抵抗しようとも、力で押し切ればいい。少なくともローザミスティカを得ることができれば、こちらの勝利条件は満たされる。

「ふ、ん…」

 正直、そう悪い取引ではない。

 真紅とその契約者へ借りを返すために、手がほしかったところであるし、三つのローザミスティカを得られれば、あの『超電磁砲』もなんとかできるかもしれない。

 そこでセーラー服が敵に回ろうと(おそらく回るだろうが)その時はその時だ。

 唯一気に入らないところは、セーラー服の意向に沿う形になるところだったが、アリスに孵化するために利用できるモノはすべて利用するべきだろう。

「……いいわぁ、その誘い、受けてあげる」と、水銀燈は言った。

「決まりね」

 セーラー服が、パン、と手を叩く。

「じゃあ早速はじめましょう。今はまだ契約していないようだけど、時間をかければわかったものではないわ」

 そう言って、くるりと背を向けた。まるっきり無用心な態度で、水銀燈が攻撃してくる可能性をまったく考慮していないようである。

 あるいは、

(攻撃されてもなんとかする自信がある、ということね)

 どちらにしても、いまここで取引を反故にするつもりはない。いま、ここでは。

 水銀燈は翼を一振り。周囲に滞空していた黒羽が、逆戻しのように翼に戻っていった。

「でも」

 部屋の出口―――セーラー服がドアを開けかけている―――に向けて歩きながら、水銀燈は口を開いた。

「貴女もよっぽど悪趣味よねぇ。昨日どころか、あの時から私のことを覗いていただなんて。淑女の風上にも置けないわぁ」

 共闘するのは、やぶさかではない。だが、セーラー服のその余裕は、感に障る。

 だから水銀燈は皮肉の言葉をセーラー服に投げかけた。舌打ちでもしてくれれば、多少の溜飲も下がるだろう。

 しかし―――

「あのとき?」

 と、セーラー服は首をかしげた。キョトンとした顔で水銀燈に目を向ける。

「とぼけないで頂戴。昨日の話よ。貴女さっき、私に関係ありそうなところって言ってたじゃない」

「言ったけれど…昨日って、なんの話かしら? 真紅とか言う薔薇乙女とは特に仲が悪いって、蒼星石に聞いたのだけど……」

「……」

 セーラー服の表情は、本当に何を言っているのかわからない、と言っていた。嘘をついているようには見えず、また、ここでそんな嘘をついても仕方がない。

 どういうことだ、と思わないこともないが、

「……まぁいいわぁ」

 ―――水銀燈にとってはどうでもいいことでもある。わざわざ聞くのも面倒だった。

「?」

 訝しげな顔のセーラー服。

「変な人形ね、貴女」とセーラー服が言う。

「心外な言葉ねぇ」と、水銀燈。

「貴女よりは、よっぽどマシよ」




 上条との遭遇が美琴にとって完全に予想外となったのは、昨夜の一戦が原因だった。

 戦闘自体は5分もかからず終了している。そして勝敗を論ずるならば、戦術的には美琴の勝利だろう。

 単純な攻撃力のみを見るならば『超電磁砲』を上回るのは、せいぜい『原子崩し』くらいである。

 水銀燈は光球を、羽根を、剣を、そして奥の手らしき炎を扱ったが、その程度では美琴に傷を負わせることは不可能だ。

 己への攻撃はすべて灼きつくし、お返しに放った電撃を敵は受けきれなかった。

 劣勢を悟った水銀燈が身を翻し、憎々しげな視線を残して飛び去るまで、戦闘開始から約2分。あとは美琴が水銀燈を見失うまでの時間だった。

 自由自在に空を飛ぶ能力がない美琴は、脚で追うしかない。

 結局逃げられてしまったものの、空翔ける相手に3分も追い縋ったのは流石超能力者というところだが、そんな圧倒的な勝利を納めても、美琴の胸のうちに浮かんだのは不覚の二文字だけだった。

 水銀燈は複数の種類の異なる攻撃方法を持っていた。そして電磁波を感知できる美琴には、あれが間違いなく実体であったと確信できる。

 『心理掌握』クラスならば話は別だが、それ以下の―――例えレベル4であっても―――精神感応系能力では、美琴の『自分だけの現実』を突破することはできない。逆に言えば、美琴に幻覚を見せることができるならばそれだけでレベル5認定されてもおかしくはなく、また、それほどの使い手が、わざわざ敗北するような幻覚を見せる意味もない。

 変身か、人形操作か。飛翔か、空間移動か、光球か、炎か。

 いずれにしても、単一の能力では不可能な芸当だ。

 だとすれば。

 結論として浮かび上がったのは、彼女がこの春先に遭遇した事件だった。



 幻想猛獣。



 あの時の物とは明らかにレベルの違う規模・精度の発現であるように思えた。美琴の立場から言えば、逃げられてしまった、で片付けるわけにはいかない。

 ハッキングによる情報収集。能力を使った探索。それらをすべて考慮に入れた推理。

 頭脳をフル回転させていた結果、美琴はいま自分がどこを歩いているのか、誰が進行方向にいるのかまで、気がつかなかったのである。

 さて、とは言っても上条にそんな苦労がわかるわけもない。

 彼は素のままの表情で、

「こんなところにっつっても……俺の住んでる寮、この近くだしさ」

 と、言った。

 美琴の言い方に気を悪くした風もない。彼女が噛み付いてくることなど、いつものことである。

「え、あ、そうなんだ」

「ああ」

「ふ、ふーん」

 対する美琴は、無意味に勢いよく両腕を胸の前で組んだ。殊更気のないような返事が却って不自然だが、彼女はそれに気がついていなかった。

 上条の方も上条の方で、その不自然さに気がついても、その意味まではよくわかっていないようだ。

 不思議そうに小さく首を傾げてから、美琴に身体ごと向き直る。

「で?」と、上条が言った。

「……なによ?」

「いや、御坂さんこそ、なんでこんなところにいるんでしょーか、と」

 問う上条の顔は、ただ単に疑問を口にしているだけ、という程度のもの。何かを勘繰る様子もなく、ただの世間話だ。

 だからこそ美琴は、

「う……」

 と、言葉につまった。

 彼の声に少しでも険が含まれていたならば、それを理由に喧嘩を吹っかけるのも簡単だったに違いない。そうなればいつものように上条は逃げ去ってくれるだろう。

 だがこうまで普通であると、逆に突っ掛かる方が難しかった。

 美琴はいま、やっかいごとに首を突っ込んでいる最中である。あまり妙な態度を取れば、不審に思われてしまうかもしれなかった。

 彼は以前、白井にも隠していた『妹達』の一件を自ら探し当てている。感づかれれば、美琴がいくら否定しても勝手に首を突っ込んでくるだろう。彼を巻き込むわけにはいかない。

 あるいは、彼の協力を仰ぐのもひとつの良作なのかもしれないが―――美琴は、どうしてかそれが嫌だった。

 上条当麻は右手ひとつで一方通行を撃破したような人間である。加えて、超が7つつくほどのお人好しだ。事情を話せば、必ず力になってくれるに違いない。

「……」

 違いないが、

(……)

 だがそれでも、美琴は彼に頼みたくなかった。

 自分でも、その感情の出所が何なのかよくわからない。

 すでに返せないほどの恩を受けているからか。あるいは、自分が関係している事件を自分で解決できないのが、矜持に反するのか。

 妙にモヤモヤとした感覚が胸のうちに溜まり、約一秒。

(ああもうっ、めんどくさい! 私はコイツにこれ以上借りを作りたくないだけ! そうよ! そうに決まってる!)

 美琴はモヤモヤを振り払うように内心で首を振る。それから、キッ、と音が出そうな勢いで上条を見た。

「わ、私がどこで何してようがどうだっていいでしょーが! アンタには関係ないでしょ!?」

 胸の中で渦巻く正体不明の感情と照れにより、口調が必要以上に刺々しくなるが、構っていられない。

 それに、これで上条が気を悪くして立ち去ってくれると言うのならそっちの方が都合がいいのである。

(そうよ、都合が、いいんだから…)

 背を向ける上条を想像して、どうしてか胸の奥が痛んだが、なんとか表情には出さなかった。

 しかし、

「いや、そう言われたらそうだけどよ」

 彼は少女の言葉に気を悪くした風もなく、立ち去るという仕草もない。

 美琴は気づいていないかもしれないが、彼と彼女は基本的にこんな風に会話することが多い。気を悪くするも何も、上条にすればいつもの会話である。

 加えて彼は今日、ここで姫神と待ち合わせだ。立ち去るという選択肢は残念ながら存在しない。

 ガリガリと、いわゆる「どうしたものか」みたいな表情で頭を掻く上条が、ふと、美琴の顔を見て、あれ、と言った。

「どうしたんだよお前。妙に顔が紅いし汗もかいてるみたいだけど…」

「っ!」

 慌てて額をぬぐい、襟元を見る美琴。

 上条の言うとおり、ぬぐった手の甲は濡れ、制服にも多少、汗のシミができていた。

(ヤバッ、さっきまで走り回ってたから…!)

 いくら能力を用いて身体機能を増強・調整しても、美琴も人間である。走れば息は切れるし、汗もかく。

 呼吸の方は収まっているが、汗はなかなかそうは引かないものである。

 まだ夏の余韻が残っているとはいえ、いくらなんでもこの発汗量はおかしかった。下手をすれば、勘ぐられてしまう可能性もあった。

「大丈夫なのかよ。熱でもあるんじゃねぇか?」

 どうにかしてごまかす方法を考えるより前に、上条が心配そうな顔をしてこちらに向かって歩き出していた。

 僅かに持ち上がりかけた右手は、額にあてて熱でも測ろうというところか。

 だが忘れてはならない。

「っ!」

 いくら超能力者で学園都市第三位といっても、美琴は中学生で、女の子であるのだ。

 美琴の顔が、さっ、と運動や怒りとは別の要因で赤くなる。

 続いて彼女の前髪から一瞬、パリッ、と音がしたかと思うと、

「く、来るな近寄るなこの馬鹿!」

「うおおおおなんでっ!? 不幸だあああっ!」

 空気を引き裂く音と、上条の驚きの声が、朝の街に響き渡った。




 まだ人通りの少ない午前中の道を、姫神は難しい顔をして歩いていた。

 上条との待ち合わせ場所に急ぐ道中。

 晩夏というよりも初秋に相応しそうな長袖ブラウスにノースリーブワンピース姿の彼女の歩調は、普段よりもやや遅い。

 女子寮からバス停まではそう遠くない。また、道も複雑ではない。

 自然、考え事をするだけの余裕が生まれる。



『無念。ローゼンの最高傑作である薔薇はもう昇華されていた。別の手を考えなければならない』



「……」

 姫神の頭の中に、いつぞや聞いた言葉が、そして昨日思い出した言葉がリフレインする。

 昨夜―――公園での上条との会話の後、結局、薔薇乙女への疑念を彼に告げることはできなかった。

 上条は本人が意識しているかどうかはともかく、信頼と言うものを支えの一つとしている。それにわざわざ亀裂を入れることが、果たして正しいことなのか姫神には判断できなかったせいである。

 あるいは、このことを話しても、上条はあの紅い薔薇乙女に疑念を抱くことはないかもしれない。

 しかし上条は自分も信じてくれている、と思う。

 その自分が真紅を、薔薇乙女を疑っているとわかれば、彼はどうするだろうか。

 無用な疑念を抱かせることは、彼を危険な状況に陥れる可能性すらあるのだ。

 危険だ、と思う。

 だがそれでも、彼の信じるものを否定したくはないとも思う。

 板挟みという状況下において、不安の根拠が、結果的に敵対した人間の言葉のみというのは、あまりにも弱い。

「……」

 結局のところ、姫神には、薔薇乙女への疑念を確信するだけの材料がなかった。

 それどころか真紅は自分の恩人である小萌の危険に駆け付けるなど、むしろ恩を感じてしかるべき態度をとっている。この段階で彼女を否定する要素は、客観的には皆無と言えるだろう。

 そう考えれば、昨夜、上条にこのことを言わなかったのは正解だったのかもしれなかった。

 そう、昨夜の、公園では。

「……。」

 そんな風に己の疑念を納得させた姫神の頬が、不意に、かぁ、と紅く染まった。

 自覚できるレベルの熱さに、思わず両手で頬を触る。

 三沢塾の一件から約二ヶ月。あれだけ積極的な会話を上条と交わしたのは、実は初めてかもしれなかった。

 あの後、謝り倒してくる上条に冗談である旨を告げ、「代わりと言っては。なんだけど」と、小萌のお見舞いという約束を取り付けた。それからすぐ、門限が迫っているという理由で別れたのだが、そのとんとん拍子に進む状況に、上条は対応しきれなかったのだろう。

 どこかぼんやりした表情でこちらの言うことに頷いていた様子だったが、実を言えば、姫神自身の方が限界だったのだ。

 自分があんな風に彼の手を取っていたことが急激に恥ずかしくなって、それを気取られないことにいっぱいいっぱいだったのである。

 そんな状態で、薔薇乙女の話など、まともにできるわけがない。

「……。」

 それに、まぁ、その、所謂よい雰囲気だったあの時間に、あまりトラブルの元となる話をしたくないと言うかなんというか。

 結局、あんな場面において、自分以外の女性の話をしたくなかったのだ。

 いくら落ち着いた雰囲気を持っていようとも、そこは年頃の少女。それも想い人とふたりきりであれば、そういう心理が働くのは無理のないことであろう。

(って。私。何考えて…。)

 当初は割と真剣なことを考えていたはずなのだが、いつの間にかまったく違う方向に思考がいっていた。

「……。」

 頬から手が離れ、胸の前に。

 そして左手で右手を包むようにしながら、姫神は深呼吸した。

 待ち合わせ場所のバス停が近い。こんな赤い顔をしていけば、妙に思われてしまう。彼のことだからその原因がなんなのか、絶対にわからないに違いないが―――それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「……。」

 前を見る。

 広い交差点の、十字路。

 バス停のある通りは、そこを右に曲がった先である。

 そして、まだトクトクと早い鼓動を意識しながら十字路を曲がった姫神を出迎えたのは、



「く、来るな近寄るなこの馬鹿!」

「うおおおあなんでっ!? 不幸だあああっ!」



「……。」

 鋭い閃光と、空気を切り裂く激音、そしてどこかで見たことのある少女の怒声と、ツンツン頭の少年の嘆きの声であった。




「貴女が。超電磁砲」

 美琴が真っ赤になりつつ前髪から電撃を放ち、上条が涙しながらすべてを右手で受け止めること、数分。

 美琴がぜーぜーと肩で息をし始めたところで上条が姫神の姿に気がつき、攻防は幕を閉じた。

 流石に美琴といえども、初対面の相手の前で大騒ぎしようとは思わないようで、上条の「自己紹介! 自己紹介しようそうしようそれが良好な人間関係の第一歩だと思うんですよ上条さんは!」という言葉に、比較的素直に従ってくれた。

「姫神秋沙。彼の。同級生」

「常盤台の御坂美琴、です。こいつの、えーと、知り合い?」

 そんなやり取りの後、姫神が発したのが、件の台詞であった。

 姫神には、その名前にも、そして少女自身にも覚えがあった。

 先に知ったのは名前の方である。

 いまでこそ能力を封じているせいで上条と同じく高校に通っているが、夏休み前まで彼女は霧ヶ丘女学院にいたのである。

 特殊能力を優先して集めるその学園においては当然、超能力者は意識される存在だ。その中でも第三位である御坂美琴は、もっとも名前の知れた超能力者と言えた。

 他の超能力者の名前を知らなくても、彼女のことは知っている。それくらい、常盤台の御坂美琴―――『超電磁砲』は有名なのである。

 そして姿の方はと言えば、一月と少し前に見たことがあった。

 以前、上条の寮の廊下でインデックスとスフィンクスのノミ取りをしていた時に出会っている。

 あの時とはやや雰囲気が異なるが、どうみても彼女である。

 どうも『超電磁砲』の方は姫神のことを覚えていないようだが、まぁ無理もない。あの時の邂逅は数分程度であったし、話題はスフィンクスのことが主であった。加えてお互いに名乗りもしなかったのだから。

 だから姫神もわざわざそのことを持ち出すつもりもなかった。ほとんど初対面なら、初対面のままでいるほうがややこしくならないだろう。

「……。」

 姫神としてはそれよりも、上条が『超電磁砲』と知り合いだった方が気になっていた。それも、怒声とともに電撃を飛ばしてくるような間柄だったとは。

 コミュニケーションの方法としてそれはどうなん、と思わないでもないが、それでも親しげにしているのにかわりはない。

 すっ、と上条に視線を向ける姫神。

 どういう関係なんだろう。

 そんなことを思った。

 一方、

「な、なによアンタ」

 と、美琴は上条を見る。

 おもいっきり動揺した素振りで姫神にちらりと視線を当ててから、

「こ、これから、デデデ、デートってやちゅっ? い、いい身分じゃにゃいっ」

 と、言った。

 噛み噛みである。

「……。」

 デート。

 その単語に、姫神の胸が少しだけ脚を早めた。

 そうだ。

 そう言われて見れば、この状況は、その、デートと呼ばれる状況に限りなく近い。

 休みの午前中に待ち合わせ。そして上条の服装はいつもどおりラフなものだが(これは期待してない)自分は出かける以上、それなりの恰好である。

 用件としては見舞いであるが、それでも一緒にお出かけなのは間違いない。それに見舞いとは長居するものではなく、午後までには終わるだろう。

 上条の予定はわからないが、すくなくとも自分には何もない。

「…………」

 つい、先ほどとは全く雰囲気の異なる、期待のこもった視線を上条に向けてしまう姫神。

「っ」

 一方、姫神の表情を視界の端で捉らえた美琴は、なんとも言えない焦燥感が沸き上がってくるのを感じた。

 胸の中でいまだ燻っていたモヤモヤが再びざわめき始め、上条に対する視線がきつくなる。

 なんでこんな気持ちになるのかは考えない。とりあえず腹が立ったのだ。

 しかし、そんな相反する視線を受けた上条は、

「はぁ? そんなわけないだろ?」

 と、言った

「……。……。」

「え、そ、そうなの?」

「当たり前だろ? そんな姫神が俺なんかとデートするわけないって」

 苦笑とともにパタパタと手を振る。

 照れているとかごまかそうとしている様子完全に0の、ナチュラルな仕草であった。

「じゃ、じゃあなんでこんなところで待ち合わせなんかしてんのよ。まるで今から何処かに出かけるみたいじゃない」

 少なくともそっちの娘の方は。

 思わず漏れかけた言葉は、咄嗟に飲み込んだ。

 しかしなお、上条の表情に変化はない。

「そりゃこれから小萌先生―――オレたちの担任の先生なんだけど、その見舞いに行くところだからさ」

「お見舞い?」

 ちょっと想定にない言葉。美琴が鸚鵡返しに問い返した。

「ああ。昨日、ちょっと」上条は言葉を切り、一瞬だけ考え、「……さ、酒の飲み過ぎで救急車で運ばれちまって」

 お酒!? 救急車!? 教師が!?

 そんな驚きの表情を浮かべる美琴。

 小萌先生ごめんなさい貴女は学園都市第三位の人に不名誉っぽく知られてしまいました、などと思いながらも上条は言葉を続ける。

「姫神はちょっと前までその先生のところに住んでたから着替えとか場所がわかるし。オレもインデ…じゃない、補習とかでよく世話になってるからお見舞いしとこうと思ってさ」

 途中ぽろっと危ない単語が漏れかけたが、なんとか言い切った。

「ふ、ふーん」

 やけに上擦った声で頷きながら、美琴は解いていた腕を組み直した。

「アンタにもそういう殊勝なところ、あるのね」

「な、なにを言うのでせうか! 上条さんはこう見えて義理人情は大事にする常識人なのですよ!?」

 愕然とする上条に、私とまともにやり合える無能力者のどこが常識的なのよ、と呟く美琴。

 ともあれ、嘘はついていないようだ。なぜかほっとしてしまう。

 女性と言うところが若干ひっかかるが、お見舞いならば確かに同級生と行くことも頷けた。それに上条の服装にもまるっきり洒落っ気がない。いわゆる、デートという線はないと見ていいだろう。

(まぁ、そうよね。この馬鹿にそんな甲斐性、あるわけないか)

 そう思うと、モヤモヤとしたものはある程度鎮静化してきた。

 まったく消えたわけではないが、少なくとも浮足だった状態は脱したと言える。これならこちらの厄介ごとを気取られることもないだろう。

 幾分落ち着きを取り戻した美琴は、今朝から翠星石に嫌われたりなんなりで程よくダメージを受けている上条を無視して、彼の背後に立っている姫神に目を向けた。

 上条の向こうに立つ人物は、改めて見ると、

(う、美人…)

 背丈はやや低めだが、すっ、と通る顔立ちは、いかにも清楚、という感じである。

 美琴とは対照的に長い黒髪は手入れが行き届き、しっとりとしなやかに艶めいていた。服装は洋風だが、なんというか、大和撫子、という感じだ。奥ゆかしそうである。

(こいつ、これからこんな美人と二人きりなのよね……)

「……」

 またモヤモヤとしてきた。

 とはいえ、流石にお見舞いに割り込んでみたり、邪魔をすることなどできない。

 しかしこのモヤモヤとした感覚―――もうほとんどイライラと言ってもいい―――は、如何ともし難かった。

(えぇー、あれー、なんでまたビリビリしてるんですかこの人ー)

 せっかく持ち直したはずの美琴の機嫌が再び悪くなりはじめた(何しろビリビリしてる)のを見て、上条の頬を汗が流れた。このままでは再び電撃と右手の応酬になるかもしれない。

 上条がそんなことを考え、内心ヒヤヒヤとしていると、

「上条くん。」

 と、シャツの裾を引っ張られる感触。

「ん、な、なんだよ姫神?」

 振り向いた視界の端っこで美琴の前髪が、パリッ、と青白く光るのが見えて、上条は軽く泣きそうになった。

「バス。来てる」

 それはそれとして、ほぼ真後ろ直近にいる姫神は、上条を見上げながらバス停の方向を指差していた。

 細い人差し指が向いた先で、停留所にバスが行儀よく横付けしている。もう降りるべき客も降りたようで、停留所から立ち去っていく幾人かが見えた。

 この区画は自立運行のバスではなく運転手がいるタイプのもので、さらに運転手がバスを指差す姫神に気がついているらしい。すぐに発車するような雰囲気ではない。

 これ幸い。まさに行幸。マニュアル万歳。運転手さんありがとう。

 上条は音速で美琴に振り向くと、

「じゃ、じゃあ御坂! 悪いけど俺たち、あのバスに乗るからさ! お前も風邪とか気をつけろよ!」

 シュバ、と左手を上げ、ついでに右手で姫神の左手を掴んで「っ。」身を翻した。

「あっ、こらっ、ちょっと!」

 背後から若干非難めいた美琴の声が聞こえるが、とりあえず聞こえないふりをする。ここで振り向いたら多分また言い争いになり、バスに乗り遅れてしまう。

 一気にバスに駆け込み運転手に左手を上げると 運転手の方も上条たちが乗るのを待っていたくらいなので、すぐに、プシュ、とドアが閉まった。

 ブロロロ、とわざわざ設定されている発進音を響かせながら、バスが走り出す。

「はー、やれやれ……」

 緩やかな慣性を感じながら、上条は一息。

 背後からビリビリとやられるかとも思ったが、なんとか無事だった。珍しく運がいい。

 もっとも、

「なんで朝からこんなに疲れるんだ……」

 この時点ですでに不幸である、というのかもしれなかったが。

「……あ、あの、」

 嘆息する上条に、後ろから、声。

「?」

 振り向き、視線を下げれば、長い黒髪を僅かに乱した姫神がこちらを見上げていた。

 顔が、赤い。

「その……手」

 そんな長い距離走ってないはずなのに、等と思いかけた上条であったが、彼女の言葉を聞いてようやく得心した。

 バスに乗り込もうとして、思わず手を引っ張ったのだった。

「あ、ごめん姫神。痛くなかったか?」

 ぱっ、と手を離す上条。昨夜のことを思い出すとか、気恥ずかしさがあるとか、そういった感覚はどうもないようで、未練も照れもないのが彼らしい。

「う、うん、大丈夫」

 一方の姫神は、離された左手をバス停までの道中のように、右手で包み込み、俯いた。彼女としては、彼から手を握られた事実の方が大きい。無神経さはもう織り込み済みなのだ。

「?」

 いきなり俯いてしまった姫神に上条は首を傾げるが、彼にはそれよりも気になることがあった。

 ガラスドアの向こうに目を向ける上条。

 姫神越しに見える外では、美琴が目を逆三角形にしながら前髪に電気を纏わりつかせているのが見えた。

「……」

 ヒクヒク、と上条の口元が引きつる。

 まさか超電磁砲を撃たないだろうか、と本気で胃の痛い上条は、いざとなったらガラスドア突き破ってでも打ち消さないと、悲壮な決意を固めた。

 右手も痛そうだが、懐にも痛そうな決意である。だがさすがにバス相手に喧嘩を売るつもりはないのか―――喧嘩になったらおそらく美琴が勝つだろうが―――そら恐ろしいほどの視線を投げかけてくるだけで、それ以上のアクションはない。

 やがてバスが加速し、彼女の前を通り過ぎ―――

「!」

 そこで、上条は目を見開いた。

 すぐさま両手をドアに突き、顔をくっつけるようにしながら、目をこらして美琴の方を見る。

 だが、加速度的にスピードが上がっていくバスは、上条が見ようとしたものをすぐに景色の一部として押し流してしまった。

「……」

「……上条くん?」

 ほんの一歩傍で、姫神が不思議そうに上条を見た。

 彼は反応しない。

「……」

 彼は、そんな彼女の視線にも気がつかないまま、眉をひそめ、『いま見えたもの』について考えていた。

 美琴は気がついていなかったに違いない。

 そして、このタイミングで落ちてしまったのも偶然なのだろう。

 しかし彼は気がついた。

 美琴の着る、制服の襟。



 彼女とバスがすれ違う拍子にこぼれ落ちた―――いままでそこにひっかかっていたのであろう―――1枚の羽根。



「…………」

 見覚えのある、黒い羽根だった。




 上条が外出してから約30分後。

 上条の寮室は、普段香らない焼きたての甘い匂いに満ちていた。

「なんでこんなに料理道具が少ないですか! お菓子つくるのも一苦労ですよ!」

 呆れ半分の口調で言いながら、翠星石はテーブルの上に、焼きたての菓子が乗った大皿を置いた。

 湯気とともに芳香を室内に広げるその菓子は、クッキーのようであって、そうではない。

 冷蔵庫や戸棚を漁ってなんとか発見した砂糖や小麦粉などの食材をこね回し、炊飯器で無理やりでっちあげた『クッキーのような固形物』である。上条家のキッチン設備では、残念ながらきちんとした物を作ることは叶わなかったのだ。

 とはいえまぁ、

「いただきまむもぐむぐっ」

 花より団子なインデックスには、その辺りはあまり興味がないようらしい。

 怒涛の勢いで菓子が次々に口の中に消えていく。ぽろぽろと落ちる破片は、膝の上のスフィンクスが舐めとっていた。

 大皿に山盛りになるほどの量だったが、このままではもう一分もすればすべて平らげられそうである。

 驚いたのは翠星石だ。

 3人でも多いかもしれない、などと考えてしまうほどの量を作ったつもりだったが、皿を置く→テーブルに着くという動作のうちに、もう3分の1が―――そろそろ5分の2が―――なくなったのだから。

「ちょ、そんながっつくもんじゃねーです! 少しは落ち着きやがれです!」

 大慌てでインデックスを窘めるが、その程度で止まるようであれば上条の財布はもう少し重く、この部屋の料理道具ももう少し充実していただろう。

「だから言ったでしょう? それぞれのお皿に分けたほうがいいわよ、って」

 もうはじめから諦めていたらしく、真紅は菓子に手を伸ばす様子も見せなかった。

 インデックスの大食いと早食いは小萌のアパートで目にしている。ついでにお見舞いとお菓子を天秤にかけて後者を選ぶところを考えても、こうなることは予測の範囲内である。

「納得したです……」

 テーブル上のホーリエが「諦めろ」とでも言うようにチカチカと瞬くのを見ながら、翠星石は真紅の向かいに腰を下ろした。

「……」

 真紅は、紅茶に満たされたカップを手に取る翠星石を見ながら、すっ、と息を吸い込んだ。

 菓子に夢中なインデックスは元より、感受性が強く、周囲に敏感な翠星石にも気がつかれないほどの、小さな、しかし確実に存在する己の緊張を隠すための一息。

 その呼気をゆっくりと吐き出す真紅。それから、手にしたカップを、ソーサーに置いた。

「ところで、」

 口を開く真紅。

 その拍子に、

「おかわりなんだよ!」

 ラーメンのスープでも飲むようにして破片まで吸い込んだインデックスが、大皿をテーブルに置きながら物凄く真剣な表情で言った。

「……」

「……」

 いきなり話の腰を折られた真紅と、作ったお菓子を瞬殺された翠星石は揃って沈黙。

 きっかり三秒、真紅はインデックスのキラキラと光る期待の表情を見つめてから、翠星石に目を向けた。

「だ、台所の炊飯器の中で焼いてるところですぅ」

 ガタッ! とインデックスが立ち上がる。

「あ、こら、まだ焼けてないですよ!?」

「待ってるだけなんだよ!」

 言葉とは裏腹に、すぐにでも炊飯器を開けそうな勢いでインデックスはキッチンに消えていく。ドタドタと足音の後、ガタン、と椅子が揺れる音がした。座って待つつもりのようだ。

「……まるで犬のようですぅ」

 今度こそ呆れた声で呟きつつ、インデックスの背中を見送る翠星石。

 陶器のように美麗な頬を、たらりと汗が流れていった。

「……」

 真紅はそんな翠の姉の横顔を眺め、はー、とため息をついた。

 ゆっくりとカップを手に取り、僅かに残った紅茶を一口。しかしすぐにカップを置き、仕切りなおしとばかりに、改めて翠星石に顔を向けた。

「…ところで、翠星石」

「? なんですか?」

「っ……」

 振り向いた翠星石の、何の含むところがないオッドアイを向けられ、真紅は沈黙する。

「……」

「……」

「……どうかしたですか?」

 どちらかと言うと真紅らしくない仕草―――何かを言い淀むような仕草に、翠星石が首を傾げた。

 真紅は小さく首を振る。そして、

「…少し気になっていたのだけど、貴女、私に助けを求めに来たのではなくて?」

 と、言った。

「っ!」

 見て取れるほど明確に、翠星石の表情が強張った。 

 それを見た真紅が、僅かに目を細める。

 真紅は頭の中で組み立てていた台詞を、なぞるように言葉にし続ける。

「それに、元々人見知りだったけど……貴女、そこまで人間が嫌いだったかしら?」

「……」

「……」

「それと、あの子はどうしたの? 貴女の、双子の妹は」

 言い切った。

 同時に、沈黙が室内を支配する。

「……」

「……」

 聞こえてくるのは、僅かに入り込む外からの音と、キッチンから微かに響いてくるインデックスの鼻歌だけ。

 ややあってから、翠星石の肩が小刻みに震え始めた。

「っ…っ…」

 ポロリ、ポロリ、と翠星石のオッドアイから、水の珠がこぼれ落ちた。

 一度決壊した堰は、止まってくれない。

 翠のドレスの膝に、次々と染みができていく。

「人間なんて…だいっきらい、ですぅ」

 呟かれた言葉は、声こそインデックスに配慮してか小さかったものの、はっきりとしたものだった。

 そしてそれは、

「……」

 真紅にとって、予測していた台詞でも、あった。




 翠星石は涙声で言葉を紡ぐ。

「……けて下さいです。妹は、蒼星石は、人質に取られたんですぅ…!」

 対する真紅は、震えを抑えているような声で返答する。

「……それは、聞き捨て、ならないわね」

「助けてなんです真紅……」

「そうは言っても、翠星石……こうして貴女が動いていると言うことは、誰かの手で、ゼンマイを巻かれた、ということ。……貴女、指輪はどうしたの?」

「う……」

 翠星石は、ゆっくりとその右手をテーブルの上に差し出し、開く。

「……」

 真紅が目を細めた。

 思ったとおり、だ。

 そこにあるのは、薔薇を模した、翠色の指輪がひとつ。

「翠星石の指輪は、あんなやつにはあげないのです…!」

 翠の言葉は続いていく。

「初めにゼンマイを巻かれたのは蒼星石です。その次に翠星石が目覚めた頃には、蒼星石はあの『悪いやつ』に騙されて一人で先に契約を結んでしまっていたです。二人はそれまで、何をするのも一緒だったですのに……」

「……」

「……あいつは言いました」

「……」

「これは、革命だって。翠星石と蒼星石は、そのために目覚めさせたのだって」

「っ!?」

(革命? 『復讐』ではなく…?)

「あいつは悪いやつです。薔薇乙女の力を悪いことに使おうとしてるです。だからそんなのイヤって言ってやったです。そうしたら蒼星石が」



『マスターの意向に従わないなら契約は不成立。ここは君のいるじゃあない。……さようなら翠星石』



「翠星石は悲しくなって悲しくなって、一人飛び出してきたんです……」

「……」

「お願いです真紅! 翠星石と一緒に蒼星石を助けてほしいです! このままじゃ前みたいに、蒼星石が……!」

 バン、とテーブルを叩く翠星石。彼女のカップが倒れ、まだ残っていた紅茶がテーブルに広がっていく。 

 元々人形用のカップだ。中身はたいした量ではない。紅茶はテーブルの端から落ちることはなく、お互いのドレスが汚れることはなかった。

 しかし、

「……」

 真紅は、紅茶の広がりに目も向けず、驚愕の表情で唇を震わせていた。



 いま。



 いま、翠星石は、なんと言った?



 翠星石はいま確かに、『前』と言わなかったか?



「し、真紅? どうかした、ですか?」

 紅茶が零れたことで我に返った翠星石だったが、今度は真紅の尋常ではない態度に対して驚いている様子だ。

 しかし真紅はそれでもなお、紅茶にも、翠星石の驚きも意識に入らない。

「翠星石っ、貴女もしかして、」

 記憶があるの!?

 そう聞こうとして―――しかし、まるでそれを遮るが運命のごとく。



 ―――!



 ホーリエが激しく明滅した。

「「!?」」

 赤と翠が反射的に立ち上がる。

 同時。

「よかった。まだ契約まではしてないようね」

 女の声と、キン、と、結界が張られる音が、上条の部屋に響いた。

今回の投下は以上です。
ギリギリ間に合ったような、過ぎたような感じですが、一応開始が日曜日だったのでご容赦ください。

今回もまた時間がかかりましたが、読み返してみればいつもの倍くらいの分量でした。
ストーリー自体はいつもと変わらない程度にしか進んでいませんが……登場人物が増えたことの弊害がまたここに。
次の投下も確約はできないのですが、なるべく早めにしたいと思います。……毎回同じことを言っているような気がしますけど。

さて、次回は戦闘シーン。がんばります。
それでは。




 掃き出し窓を背に、セーラー服ともう一人、制服姿の少女が立っていた。

 閉まっていたはずの窓はいつの間にか半ば開いている。彼女たちはそこから入ってきたのだろう。

 しかしここは一階や二階という低い階層ではない。屋上から壁伝いに降りると言っても、そんなことをすれば危険であるし、人目につかないわけがない。

 いやそもそも――真紅や翠星石に気がつかれることなく、窓を開けて侵入してくること自体が異常である。

 彼女たちはそこに『いきなり現れた』としか思えなかった。

「やれやれ、間に合ってよかったわ。もし契約なんかしてたら、契約者も取り込まなくちゃいけなかったから」

 現れてから微動だにしない制服姿の少女とは対照的に、セーラー服が軽く肩を竦め、苦笑を浮かべる。

「でもそれならこの子を連れて来る必要はなかったかもね。まぁ、動作試験としてはちょうどいいかもしれないけど」

 ポン、と己の隣に立つ少女の肩に、セーラー服は手を置いた。

「……」

 手を置かれた少女はやはり無反応。

 どこを見ているのかわからない光のない瞳が、ぼんやりと赤と翠に向いていた。

 少女は、年のころは14、5才だろうか。

 茶色のパンプス、白い靴下、そしてチェック模様のスカート。ベージュのブレザーの胸元には赤いリボンが咲き、茶色のショートヘアーを花を模したヘアピンで飾っている。

「……」

 少女が左手に下げた学生鞄。
 
 そこにくくりつけられた蛙のストラップが、開いた窓から入った微風に小さく揺れた。 

「あ、あいつです真紅! あっちの、水兵みたいなあいつが蒼星石を騙したやつですぅ!」

 翠星石が真紅のドレスの袖を掴み、逆の手でセーラー服を指差した。

「あら、薔薇乙女にしては行儀が悪いのね翠星石。そんな風に人を指差してはいけないわ」

 クスクスと笑いながら首を傾げるセーラー服。

「う、うるせーです! 御託を並べる暇があったら、おとなしく蒼星石を返しやがれですぅ!」

「返すも返さないも、別に私が拉致したわけじゃないんだけど。そもそも貴女や蒼星石のネジを巻いたのは誰だったかしら? いま貴女がキーキー騒げるのは、私のおかげでしょう?」

「巻いてくれなんて頼んだ覚えはねーですよ!」

 言葉とともに、ギリギリ、と翠星石の奥歯を噛み締める音が真紅の耳に響く。

「ま、そんなことはどうでもいいんだけど」

 と、セーラー服。自身のショートカットをさらりと一度掻き揚げてから、

「翠星石。一応確認するんだけど、私のところに戻ってくるつもりはない? 今なら悪いようにはしないわよ?」

 と、言った。

 口調は完全に、承諾するとは思っていないものだ。

「ふ、ふ、ふ、ふざけんなですぅ! 寝言は寝て言え!ですぅ!」

「あはは、そうよね。貴女ならきっと、そう言うと思ってたわ」

「あたりめーですよ! 誰がてめーのところなんかに行くもんですか!」

「ですって。……どうしようかしらね、蒼星石?」

 セーラー服がキッチンの方を見た。

「!」

 弾かれたように、赤と翠がその視線を追う。

 キッチンとリビングの境目。そこに、鋏を携えた蒼い人影が一つ。

「……」

 刃先を床につき、取っ手の上に右手を置いた蒼星石が、僅かに目を細めて翠星石を見つめていた。

「蒼星石!」と、翠星石が叫んだ。

「ねぇ、蒼星石。貴女はどうしたいかしら? 翠星石は、やっぱり戻ってきたくないんですって」

 セーラー服が、答えがわかり切っている問いを投げかける。

「……」

 蒼星石の瞳に迷いのようなモノが浮かび、

「……マスターの命令に従います」

 一瞬後、消えた。

 セーラー服が笑う。その笑みは獲物を前にした蛇のような、愉悦に満ちたものだ。

「目を覚ますです蒼星石! あんな悪いやつの命令に従うことなんてねーですよ!」

「……」

 蒼星石は、翠星石の言葉に反応しない。

 代わりに、ハサミの取っ手の輪に腕を入れ、くるり、と持ち上げる。

 真上を向いた刃が、蛍光灯の光にギラリと光った。

「そ、蒼星石……」翠星石が顔を歪めた。

「…貴女が蒼星石のマスターなのね?」

 真紅が口を開いた。

 顎を引き、身体を蒼星石に対して斜めに――攻撃がきても対処できるように――しながら、視線だけをセーラー服に向ける。

 真紅が見ているのは、セーラー服の右手薬指。

 そこにはまっているのは、蒼い薔薇の指輪だ。

「そうよ。貴女が真紅ね?」

「ええ、初めまして。私はローゼンが創りし薔薇乙女、第5ドールの真紅。それから、」

 すっ、と右手を水平に上げ、手の平を上向ける。

 テーブルから僅かに浮き上がっていた赤い光球が、その真上に移動した。

「こっちは人工精霊ホーリエ。よろしくお願いするのだわ」

「これはご丁寧に。貴女は淑女に相応しいわね」

「ありがとう。よければ貴女と、貴女の隣にいる人の名前を教えてほしいのだけれど?」

「ふふ、そうね。名乗った以上、私も名乗るべきなのでしょうね」

 苦笑を浮かべるセーラー服。隣に立つ無表情の頬を、するりと撫でる。

「こっちのこの子はミコト。ミサカミコトよ。ああ、愛想がないのは許してあげて? 動きはじめて間がないからね」

「……」

 真紅が目を細めた。

 あの少女は人間ではない。

 魔術を知らない真紅には、それが『偶像の理論』によって御坂美琴と共振して駆動している、ということまではわからない。

 ましてや、美琴が水銀燈と戦うことによって得た『御坂美琴が薔薇乙女と戦った』という縁を用いてnのフィールドとの関わりを強化しているなど、知るよしもない。

 ただ真紅の属性が、少女人形が自身と同様の『人形』であることを明確に理解させていた。

「ミコト、ね。わかったのだわ。じゃあ貴女は?」

「あー…ごめんなさい。悪いんだけど、そっちは内緒でいいかしら? 魔術師はおいそれと名乗らないものなのよ」

 悪魔が真の名前を知られると支配されるように、魔術師が名前を漏らすことは己の弱点を晒すのと同義だった。

 あらゆる生命は名前にその存在の一部を依存している。逆に言えば、名前から生命に対してアクセスすることが可能ということである。例をあげるなら――魔法陣には、引き出すべき力を持つ『天使の名前』を記述しなければならない。

 天使ですら名前を用いられれば強制的に力を引き出されてしまう。それよりもずっと構造が簡単な人間であれば、意思を奪うことすら可能だろう。

 魔術師が本気で戦うときに名乗る魔法名は儀礼上のものであり、本名を隠すという意味合いを持たせることで逆に能力を高めることすらできる。また仮に名前を名乗るとしても、何の対抗措置も講ずることなく言葉にすることは有り得ないのである。

「あら、それは礼儀知らずと言うのではないかしら?」

 真紅は会話を続けようとする。

 正直に言って、真紅からしてもセーラー服の名前などどうでもいい。それを敢えて問い続けるのは、この会話自体が隙を伺うためのものだから。



 ――蒼星石が背を向けている方向には、インデックスがいたはずである。



「……」

 出来ることならばすぐにでもキッチンを確認したかった。彼女に何かあれば、上条に何と言えばいいのかわからない。

 しかしその真紅の思考を読むかのように、

「安心なさい。そっちにいたシスターなら無事よ」

 と、言った。

「っ」

 真紅の瞳に動揺が走る。

 くすくすとセーラー服が笑った。

「いまこの部屋には結界が張ってあるわ。中に入れたのは薔薇乙女と、私と、このミコトだけ、よ」

 シスターは貴女たちが見えなくなって慌てているかもしれないけどね、と言葉を追加。

「……」「結界、ですか?」

 真紅は沈黙し、翠星石が不思議そうに呟いた。

「……さて、貴女の懸念も私の懸念もなくなったところで、早速用事を済ませてしまいましょうか」

 結界に対して疑問を現さなかった真紅にセーラー服は軽く眉をあげるが、すぐに取るに足らないことだと判断。少女人形の頬から指を離し、蒼星石に目を向けた。

「蒼星石」

「はい」

「貴女は翠星石を片付けなさい」

「わかりました」

 頷く蒼星石。

「蒼星石……本当に、翠星石と戦うんですか?」

「それがマスターの望みだからね」

 チャキ、と鋏の切っ先が翠を指した。

「翠星石」

 真紅が翠星石を見る。

 視線が、戦えるのか、と問うていた。

「っ」

 翠星石は応えられない。

 蒼星石が言葉を続けた。

「君のスイドリームは僕のレンピカが抑えている。加えて、君には契約者がいない。……結果の見えた戦いだ。抵抗さえしなかったら、せめて苦しまないようにするよ」

「蒼星石……!」

 翠星石が泣きそうな声で、双子の妹の名前を呼んだ。

「…じゃあ、私は貴女と、そのミコトが相手、というわけね?」

 蒼星石への警戒を緩めることなく、真紅が言った。

 しかし、セーラー服は首を振り、

「いいえ、貴女の相手はそれだけじゃないわよ?」

 その言葉に、真紅が「え?」と聞き返すよりも早く、バサリ、と黒い翼のはためく音が響いた。

「お久しぶりねぇ真紅。昨日のお礼にきてあげたわよぉ」

 同時に、銀色の髪を持つ者がベランダの手摺りに舞い降りる。

「!」

(蒼星石だけでもやっかいだというのに……)

 水銀燈までいるとは。

 その上、彼女は昨日のように遊ぶつもりもないようだ。すでにメイメイを従え、周囲には黒羽の渦。右手には長剣を提げている。

「水銀燈。悪いけど、ミコトも少し参加させるわよ? この子の動作確認もしたいから」

 言葉と笑みに僅かな揶揄を込めてセーラー服が言う。

 水銀燈は忌ま忌ましげに少女人形を見て、フン、と鼻を鳴らした。

「好きになさぁい。でも私の邪魔になるようなら、まとめてジャンクにするわよぉ?」

「数%って言っても元が元だからね。少なくとも邪魔にはならないと思うわ。じゃあがんばってね、ミコト」

 ポン、と少女人形の肩を叩く。

 すると、まるでスイッチが入ったかのように、無表情の顔が素早く真紅に向いた。

 少女人形の前髪に、ジジ、と電気が走る。

「……」と、真紅。

 セーラー服はいま、自分たちを取り込んだ、と言っていた。

 だとすれば。

 確認のために机の上に転がるカップに指を当てる。が、張り付いたようにまったく動かない。

 この『結界』とやらがどういうものかはわからないが、昨日と同じものならば脱出は不可能だろう。あのとき、上条はドアを開けることも叶わなかったはずだ。 

 逃げられない。

「……」

 それを悟ると、真紅は薄い笑みを浮かべながら、水銀燈に目を向けた。

「……いやだわ、水銀燈。貴女は昨日、嘘をついたのね。結界も魔術師も知らないと言っていたのに。それでも誇り高い薔薇乙女なの?」

「……なんですってぇ?」

 挑発を多分に含んだ口調だ。容易に鼻白む水銀燈。

 真紅は少女人形と蒼星石に意識を向けつつも、次に投げかける言葉を考える。少しでも水銀燈が言い返さなくては気が済まない言葉を。

 時間を、稼ぐ。

 結界の外にいるであろうインデックス。彼女の知識と、雛苺との一戦で見せた魔術。彼女ならあるいは、結界に干渉することができるかもしれない。

 いまここにいない上条。彼の右手ならば、この結界を破壊することもできるだろう。

 この戦力差で戦えば、守りに徹しても長くは保たない。

(当麻……!)

 真紅の左手が、祈るように握りしめられた。




 インデックスの足元に、蹴倒されたイスが転がっていた。

 蹴倒したのは外ならぬ彼女自身。

 結界が張られた瞬間にスフィンクスをテーブルに座らせ、つい先ほどまで穴が空くほど見つめていた炊飯器には背を向けている。

 目を閉じた彼女が探っているのは、『いまは誰もいなくなったリビング』だった。

「――――」

 彼女の口からは、細く緩やかな歌声が奏でられていた。

 決して大きな音ではないにも関わらず、周囲の生活音の影響をまるで受けないかのように上条の部屋全体に響く歌は、音階、曲調、歌詞など構成するすべてに魔術的な意味を持たせた、いわば声の魔法陣だ。

 歌の反響――結界に『魔法陣』をぶつけることで発生する反応を吟味し、敵の使う結界術を解析しているのである。

「――――」

 細部に見えるのは、ローゼンと同系統の魔術形式。雛苺と戦った時は余裕がなかったので解析していなかったが、あのときとまず、同一の結界であると思えた。

(っ!?)

 そして魔術形式から、その結界の効果解析に入ったインデックスの表情が、

(これ……まさか……)

 驚きに染まった。

(やっぱり、間違いないんだよ!)

 禁書目録の知識と完全記憶能力が告げている。

(『黄金練成』……!)

 あの夏の日に出会った、錬金術の最高峰。

 それに類似した効果が、そこにはあった。

 規模が極めて小さいこと、任意展開や進入者選別等の利便性を持たせたこと、その基盤にローゼンの用いた理論『nのフィールド』を使っていること等、こと細かく見れば、まったくの別物だ。

 しかし『黄金練成』は『頭の中に作り出した世界を現実に引きずり出す』ことである。それは言い換えれば『精神の中に創り上げた現実並みの精度を持った世界を実現化する手法』と言えるだろう。

 そして、ローゼンが見出したnのフィールドは『思念で構成された現実世界の裏側』だ。それを引き出していると言うことは、少なくとも『黄金練成』の基礎を踏襲していると言えた。

 もちろん『呪文』を唱えていない以上、あらゆることを実現化させるのは不可能だ。

 だがそれに代わる何か――思考に一定の方向性を持たせて裏側の世界構成を組み変えるような――言ってしまえば思考を誘導する『説得力』があれば、少なくとも結界内においては、ある程度の現実化は可能であると予想された。

 そう、たとえば、

(現実世界で『この人がこうした』という結果があってから、それと似たような状況を結界内で作れば、そのままじゃなくてもそれに近い結果を得られるかも!)

 科学実験において純度の高い薬物を使うべきところを、粗悪な代用品を使う、と言う感覚だろうか。

 その代用品が純正に近ければ、高い精度の結果を得られるだろう。逆にあまりにも純度が低ければ、まったく何も起こらないに違いない。

 しかし元々、『ある程度』の結果さえ求められればよい、と割り切って使ってしまえば。

 万能とはとても言えない、それでも、使い方次第では極めて危険な術式だった。

(……これへの干渉は、)

 禁書目録の知識と、音声魔術だけでは不可能だ。『強制詠唱』も『魔滅の声』も、人であれ魔術構成物であれ、対象が必要なのである。

「――――」

 だからインデックスは目を閉じ、歌を歌い続ける。僅かな綻びでも見逃さないとでも言うように、結界の解析を続ける。

 内部での動きや、何か別の要因があれば、あるいは結界をこじ開けることができるかもしれない。

 仮にそれが叶わずとも、上条が帰ってきたときに『核』さえ見つけていれば、結界を破壊することができる。

「――――」

 歌声が、響く。

(とうま、お願い……はやくもどってきて……!)

 細く、長く、祈るように。

今回は以上です。
戦闘のはずが、なんだか説明に終始してしまった感が。
こういうのをうまく説明できる構成にすればいいのですが、どうしても、こう、地の文の力技に。
しかしある程度のバックボーンを出しとかないと意味がわからなくなりますし、かと言って全部会話で説明するのも(物語上)変ですし……うむむ。

この後のシーンもある程度は出来ているのですが、見返すと戦闘描写が、あれ、えーと、あれ、な状況に。
先だって戦闘って言っていたのに、申し訳ない流れになりそうです。

そ、それでは、次回。





「ごめんなさいです、上条ちゃん、姫神ちゃん。それと、ありがとうございました。だいぶ良くなったのですよ」

 小萌の第一声は謝罪と感謝で始まった。

 やや広めの個室の窓際に据え付けられたベッド。その上半身側を斜めに起こして、ちょうど寄り掛かりと横臥と中間の姿勢な彼女は、いつもの笑顔を浮かべて上条たちを歓迎した。

 だが彼女の顔色はやはり良いとは言えず、風邪の後のような雰囲気がある。言葉ほど回復していないのはすぐにわかった。

「それにしても情けないですねー。まさか酔いつぶれちゃうなんて思ってませんでした」

 歳ですかねー、と外見に似合わないことこの上ない台詞に、上条はぎこちない苦笑を浮かべ、姫神は無言で目を伏せる。

 小萌には倒れたときの記憶がない、と蛙顔の医師から聞いていた。

 具体的には昨日、酒とツマミを買いに商店街に赴いたあたりでぷっつりと記憶が途切れているらしい。気を失っていた間のことは、闘いはもちろん、雛苺のことも覚えていないのだ。

 目が覚めたら病院だった。

 そんな状況のちょうどいい理由付けとして、二日酔いということにしておいたそうである。

 当然のごとくその理由でも記憶を飛ばした経験がある小萌は、疑うことなくそれを信用していた。

 嘘をつくことに罪悪感を感じないではないが、真実を告げることなどできない。

「どうしたのですか、二人とも」

 妙な雰囲気の二人に、小萌が首を傾げる。

「そ、そうですか?」

「そんなことは。ないと思うけど」

 慌てて取り繕う上条と姫神。

 多少動揺の見て取れる上条と違って、姫神の方は完璧なポーカーフェイス。

 見事である。

「いえ、ちょっとそんな感じに思っただけで」

 そんな姫神の様子に、小萌も「あれ?」とばかりに首を傾げた。

「彼が不審なのは。いつものこと」と、姫神。

「それはそうなんですけど」と、小萌もすぐに頷いた。

「なっ、なんてことをおっしゃるのでせうか姫神さん! そして先生もひどい!」

「ごめんなさいです上条ちゃん。でも、悲しいことですけど、やっぱり普段の行いがですね」

「……そんなことよりも。お医者さまは。なんて?」

「あ、はい。えっと、それはですねー」

 絶妙な間を掴んだ姫神の問いに、小萌はあっさりと話題を打ち切った。

 隣で上条が「そんなこと……」とダメージを受けているが、とりあえずは放置。

 小萌は子供や生徒に対してはかなり勘が良い。

 忘れてはいけない。

 小萌は、インデックスの一件でも、大覇星祭でも、魔術を目の当たりにしている。

 彼にこれ以上喋らせていては、どこで感づかれるかわからなかった。

「……で、やっぱり二、三日は入院しなくてはいけないようなのですよ」

「そう。今日持ってきた服で。なんとかなる?」

「あ、はい、これだけあれば十分思います。わざわざありがとうございました、姫神ちゃん」

「いい。それで。部屋の鍵なんだけど」

 女性二人の会話は続いていく。

 内容は入院に関する質問や確認であるが、姫神は不自然にならないような話題を繋ぎ、かつ、決して入院の原因や記憶のことについて触れさせない。

 発見された状況等に話題が波及しそうになると上手く話題を逸らし、いや、そもそもそんな話に極力ならないように、会話を繋いでいる。

(……こういうの、姫神うまいよなぁ)

 ぼんやりとそれを眺めながら、上条は心中で呟いた。

 あまりにも突出した変わり者が多い上条のクラスで、彼女は目立つ存在ではない。

 本人もそのことを多分に気にしているようであるが、上条から見れば、こういったことに長けている姫神の方がずっと凄いと思う。

 ここは彼女に任せるが得策。

 そう判断した上条が、軽く息を吐いて椅子に座り直した、その時だ。

「っ?」

 唐突に、左手薬指に熱を感じた。

 反射的に左手に目を向ける。

(指輪が光って…?)

 見れば薔薇の指輪が、僅かにだが紅色の光を放っていた。

 何が起こったのか、と思うより先に、

「くっ!?」

 身体から、一気に体力が奪われた。

 全力疾走した直後のように、身体の芯を削られたような感覚。

 それに上条は覚えがあった。

(昨日の、あの時の…!)

 ビルの屋上で、真紅が薔薇の魔術を放った時と、同じ疲労感だ。

「上条ちゃん? どうかしたんですか?」と、小萌。

「……。」

 一方の姫神は、軽い驚きに不安と予感がないまぜになった表情で上条を見た。

 両者の視線を横顔に感じる上条。

 指輪の光は一瞬で収まった。それこそ勘違いではないのか、と思えるような短い発光である。

 しかし、身体に残った疲労感は本物だった。

「……」

 上条は左手を握り、開く。それを二度繰り返した。

 何も起きない。

 再び指輪が光ることはなく、また、自分の部屋で体験したように、真紅からのテレパシーめいた魔術が飛んでくるわけでもない。

 上条の胸に、それでもある種の予感が生まれる。

「……ごめん小萌先生。俺、用事があったの忘れてた」

 言いながら立ち上がる上条。

 我ながら下手な言い訳だと思うものの、他に言い様もない。

「……」

 小萌は一息の間、沈黙。とてもただの用事、とは思えない上条の表情を見つめてから、

「そう、ですか。上条ちゃんも忙しいんですね」

 と、にこりと笑顔を浮かべた。

 小萌は上条をよく知っている。

 この子がこの顔をしているときは、何を言っても止まらない。

 この子がこの顔をしているときは、こうして笑って送り出すことが、自分がこの子に出来る、最大のこと。

 あの時、銀髪の娘を連れてきたときと、同じで。

「すみません」

 無論、上条とて小萌が本気で額面どおりに信じてくれたとは思わない。

 それでも、今回はありがたかった。

「姫神、悪いけど、後を頼んでいいか?」

「……。」

 姫神はほんの一瞬、何かを言いかけた後、「……うん。」と、頷いた。

「じゃあ俺、行ってくる。小萌先生。またお見舞いにきますから」

「いえいえー。上条ちゃんも気をつけてくださいね」

 何に気をつけろ、とは言わないまま、パタパタと手を振る小萌。

 バタン、と上条が病室を出る音が響く。

 すぐに廊下を走る足音と看護士の注意の声が響き、次いで上条の謝罪が遠くに消えていった。

 急速に静かになった病室。

 上条の出て行ったドアを見ながら、姫神は、ゆっくり唇を噛んだ。

「……。」

 何も、できない。結局、見送るしかない。

 左手が――――昨日上条の右手をとった左手が、無意識のうちに封印の十字架を握り締めていた。

流石に三ヶ月空きとなるとこちらも焦りが出るので、ちょこっとだけ投下しました。
この後にもう数シーンあるのですが、この次のところで詰まっているので、いやはや。

更新頻度を上げるべきか、まとめて投下するべきか多少迷いますが、まぁ臨機応変にいきます。
今回みたいにあまりにも間が空くようなら、ちょっとだけでも投下すべきかな、と。

では次回の投下にて。



 姫神の横顔を見た小萌は、眉根を、ぎゅっ、と詰めた。

「……」

 こんなのは、よくない。

 姫神秋沙は、普段から自信がある娘ではない。

 それどころか、どこか自虐的な面を持っている少女である。

 焼肉をしたとき――――まだ彼女が自分と同居していたときだ――――のように、時折見せる過激(?)な発言も、裏を返せば自虐の裏返しから来ているものだ。

 それは彼女の担任だから、というだけでなく、短い間ながらも同居した経験からの確信だった。

 

 助言が必要だ。

 
 そう思った。

「……」

 しかし、小萌の大きな瞳に迷いが浮かぶ。

 きっと彼女のこの表情は、いましがたでていった上条の『用事』にまつわることにちがいない。そしてそれはきっと、いや、間違いなく危険を伴うのだろう。

 もしかしたら、自分がこの病室にいることも、関わっているのかもしれない。

 助言をすれば、必ず彼女は危険に近づいてしまう。

「……」

 そんな小萌の迷いを晴らしたのは、いまだドアを見つめ続ける姫神の瞳だった。

 上条の背中を見送り、そのままドアに固定された視線には、濃い諦観の色がある。

 小萌は姫神の過去をよく知らない。

 彼女が積極的に話さないことも理由であるし、小萌自身が無理やり聞きだすようなタイプではない(話しやすい環境は整えるが)ためだ。

 しかしもし、小萌が過去の姫神を見たことがあったならば、こう思っただろう。

 上条に救われる前――――村ひとつを潰したときと同じ瞳だ、と。

「……」

 すうっ、と息を吸い込む小萌。

 迷いを振り払い、これからの一言を、告げるために。

「姫神ちゃん」

 と、小萌が言った。

「……な、なに?」

 はっ、とした様子で、姫神が小萌に向く。

 思わず自分の世界に没入していたことを焦っているのか、彼女にしては珍しく吃音が出ていた。

 そんな彼女を真正面から見据え、

「姫神ちゃんは、行かないんですか?」

 と、小萌は言った。

「!」

 姫神の長い黒髪が、驚きにサラリと揺れた。

 子供の危険を何より嫌がる小萌が、促すようなことを言うとは思っていなかったのだ。

「……。」

 だが彼女の驚きも一瞬。

 彼女は俯いて、ゆっくりと首を横に振り、俯いた。

「私がいくと。邪魔になるから」

 十字架から離れた左手が、右手とともに膝の上で握り締められる。

「……姫神ちゃんは、それでいいんですか?」


「……。」

 唇を噛む姫神。

 良いわけはない。

 それどころか、すぐにでも後を追い掛けたい衝動を押さえ込むので精一杯だった。

 大覇星祭の後、インデックスの言葉と上条のお見舞いで、確かに心のつかえはひとつ、なくなっていた。

 姫神秋紗という人間は、上条にとって大事な人の一人であるという、自惚れではないだけの確信はある。

 あの時の喉を震わせるほどの歓喜は、鮮明に覚えていた。

 だからこそ、

(私は。上条くんの邪魔になっちゃいけない)

 振って沸いた危険から護ることと、自ら跳び込んだ危険から護ることでは、意味がまるで異なる。

 上条は姫神に傷ついてほしくない。

 だがそれは、姫神も同じだ。それこそ、上条が考えと同じように、彼の代わりに戦えるのならすぐにでも代わりたいのが本音だった。

 それが出来ないのは、ただ単に自分が戦いの役に立てないからである。

 信じて待つこと。

 それが自分にできる唯一のことで、言ってしまえば戦いだ。

 それはわかっている。

 わかっては、いるのだ。

「……。」

 わかっているはずの姫神の脳裏に、昨日一緒に小萌を助けに行こうと告げられたインデックスの笑顔と、さっき上条とじゃれていたときに見た御坂美琴の姿が浮かび上がる。

 そして続いて持ち上がってくるのは、昨夜、公園で上条の負傷にも気がつけなかった、という事実。

「……。」

 膝の上の両手に、さらに力がこもる。

「上条ちゃんはですね」

 不意に、小萌が口を開いた。

「え?」

「上条ちゃんは、おバカさんなのですよ」

「……。……。」

 いきなりそんなことを言われても。

 思ったことが顔に出ていたのか、それとも雰囲気から察したのか、あるいは小萌自身も思ったのか、見た目は小学生でしかない彼女は「いえいえ」と手を振った。

「あ、もちろん、学校の授業の話じゃ……ないこともないんですけど、そういう意味じゃなくてですね」

「……。」

「上条ちゃんは、こうだ、と決めたら、迷いませんし止まりません。誰も巻き込まないように、誰かの力を借りなくちゃいけないときでもなるべく自分でなんとかしようとしちゃいます」

「……。」

「見方によってはとっても頼りがいのある男の子なんですけど、でも、ある意味じゃあ自分勝手って言えると思うのです」

「……。」

「だからですね、上条ちゃんの周りにいるお友達には、無理やりにでもあの子の力になってあげてほしいのです」

「……。」

「姫神ちゃん。貴女は貴女の一番やりたい方法で、上条ちゃんの力になってあげてください」

「……彼は。私を巻き込みたくないって」

「無理やりにでも、って言いましたよね? 上条ちゃんはいま、物凄く身勝手してます。姫神ちゃんにそんなお顔をさせるくらい心配をかけて、先生にも何も相談せずに」

「……。」

「そんな身勝手さん相手なんですから、こっちも身勝手さんにならなくちゃ、手助けなんてできないのですよ」

「……。」

「もしもそれで上条ちゃんが怒っちゃったら、先生に教えてください。先生が上条ちゃんの過去を穿り返して、逆にお説教しちゃいますから」

「……彼が。それで自分勝手をやめるとは。思えないけど」

「そ、それはそうかもしれませんけど」

 小萌が自信なさそうに言った。

 おそらく、過去に何度も何度も何度も何度も同じようなことを説教しまくってきたに違いない。もっとも、今を見る限り効果はなかったのだろうが。

 痛いところを指摘された、とばかりに慌てた彼女に、姫神の口元が緩んだ。

 いまの小萌に重なって、昨夜の上条の慌て顔が思い起こされる。

 そうだ。

 彼だって、決して全てを救えるわけではない。約束を守れないことも、確かにある。

 つまりそれは誰かを護り切れなかったり、あるいは、自分自身ですらも――――

「……。」

 左手が持ち上がり、再び十字架を握りしめた。今そこにあるのは、何かを耐えるためではなく、何かを決意した力強さだ。

「……小萌先生」

「はい、なんですか、姫神ちゃん」

「ごめんなさい。私も。用事があった」

「はい、わかりました」頷く小萌。

「でもひとつだけ約束してください」

「なに?」

 小萌は、じっ、と姫神を見てから、

「連休明けには、絶対に遅刻しないようにしてくださいね。あ、休んだりするのも、先生許しませんよ?」

 と、言った。

 その瞳に浮かぶのは、いままでとは打って変わった、泣きそうなほどの心配。

 ただでさえ生徒思いの人物だ。そのうえ、姫神はつい先日、まさしく死の瀬戸際を見せたばかりである。

「……」

 そのとおり。

 小萌は不安だった。心配だった。

 上条の『用事』も、姫神の『用事』にも、きっと何かの裏がある。それも、危険を伴う何かが。

 本当のことを言えば絶対に行かせたくない。姫神はおろか、上条だって。

 しかしそれでもなお、姫神があんな顔をするのは間違っている。上条の背中を、あんな風に見送るなんてことが良いことだなんて、絶対に思えない。

「約束、できますか?」

 胸がはちきれそうな心配を無理やりに押さえこんで、小萌は言った。

「わかった」

 力強く頷く姫神。

「約束、なのですよ?」

 確認ではなく、祈るような小萌の声。

 そして姫神は立ち上がる。



 戦闘は継続していた。

 ブン、と音をたて、水銀燈の剣が真上から迫る。

「くうっ!」

 鋭さと重さを持つ一撃を、真紅は召還したステッキで受けとめた。

 ガギッ! と鈍い音が響き、微かに火花が散る。

 しかし、武器そのものの質が違う。断ち切る刃と、本来の用途とは異なる杖。さらに水銀燈の攻めに対し、真紅は完全に受けの姿勢である。威力差は歴然だ。

 さらに、

「糧となりなさぁい!」

 バサリ、と水銀燈の翼がはためき、推進力が剣圧に変換される。

「っ!」

 支えきれない。

 そう判断した真紅はステッキの先端を左下に傾け、さらに左に床を蹴った。

 受け止めるのではなく、受け流す。

 ステッキの表面を滑り、剣は真紅の左側を通り過ぎた。取り残されたドレスの一部が、布切れになって上条の部屋に舞う。

 チュイン、と刃がステッキの先端から離れ、高い音が鳴った。

「はあっ!」

 その瞬間に身をひねる真紅。背中側に一回転、遠心力を加味した横薙ぎを――正確には左袈裟を、水銀燈にたたき付ける。

「!」

 剣を振り下ろした姿勢の水銀燈は、咄嗟の動きで刃を引き戻し、受け止めた。

 しかし、絶対的な重量はともかく、相対的に彼我の体重差は小さい。さらにこの一閃は、回転を加えた一撃である。

「くうっ!?」

 予想外の重さ。

 水銀燈は再び翼をはためかせ、反作用を持ってステッキの勢いを殺し、支えきった。

 だがそれは、真紅の目論みのうちだ。

「っ!!!」

 真紅はさらに身体をひねる。

 水銀燈の剣に支えられて水平になったステッキに左肩を押し付け、ほんの一瞬だけ、自重の全てを乗せる。同時に右手を離し、更なる回転。

 ちょうどステッキの上を転がるようにして、

「はあああっ!」

 真紅の拳が、彼女から見て左から右に、水銀燈から見て上から下に振り下ろされた。

「!?」

 予想外の、さらに予想外。

 水銀燈は避け切れない。

 右の拳が、水銀燈の左肩をしたたかに打ち付けた。

「きゃあっ!」

 宙に浮いている水銀燈が弾き飛ばされた。

 ほぼ同時に重力が真紅の身体を捉え、床に引き落とそうとする。

 しかし真紅は打撃の反作用そのものを土台として、さらに身を捻った。

 体勢を制御し、空中にいるうちに振り返る。先ほどまで背中を向けていた方向に正体して、左手を床に着きながらも両脚で着地した。

 そこにいるのは、



 ―――!



 胸元の両手に電撃を溜めた、少女人形。

 真紅は躊躇うことなく右手を開き、力を集中。

 腕に巻き付くように薔薇が召喚され、

「薔薇の尾!」

 突き出され腕から、一群の花びらが流れとなって少女人形に向かった。

 真紅は見ていたのだ。

 少女人形が、水銀燈と鍔ぜる自分に向けて、攻撃の準備を整えていたのを。

 少女人形は表情をまったく変える事なく、両手の稲妻を解放した。

 一瞬だけ紫電が走り、赤い花びらは消滅。後に遺るは白い灰のみだ。

 しかしその一瞬は、真紅にとって重要な時間として計上される。

「ホーリエ!」



 ―――!



 メイメイと衝突を繰り返していたホーリエが、突然方向を変えて矢のように翔けた。

 赤い光の尾を引きながら、向かった先は、上条の部屋の隅――――そこに追い詰められた翠星石の眼前に立つ、蒼星石だ。

 契約もなく、人工精霊も押さえ込まれている翠星石には武器がない。いやそもそも、翠星石は戦いそのものを望んでいないのである。

 逃げ回るしかない翠に鋏を振り下ろそうとしていた蒼に向けて、赤い光球が突っ込んだ。

「っ!」「きゃあ!」

 慌てて跳び退る蒼星石と、直近を掠めたホーリエに身を縮める翠星石。

 ホーリエは部屋の壁に直撃し、そのままボールのように上方に方向変換。さらに天井を跳ね返り、蒼星石には目もくれず、少女人形に向かった。



 ―――!?



 三次元的な動きに翻弄された少女人形が、一瞬の逡巡を見せて構え直す。

 遅い。

 再び電撃を溜めるよりも、回避するよりも、ホーリエの方が速い。

 狙いは頭部。

 頭を破壊されれば、いかに人形とはいえ無事にはすむまい。

 さらなる詰めとして、真紅が床を蹴り、ステッキの先端を少女人形に向け――――だが。

「しぃんくぅ!」

 不覚の一撃をうけた水銀燈の、怒りの声が響いた。

「―――っ!」

 反射的に振り返った視界一杯に、鋭い黒羽が広っていた。さらにホーリエの相手から解放された紫の人工精霊が突っ込んできている。

 慌てて身構えなおすが、体勢が悪すぎた。

 どちらかを避ければ、どちらかが直撃する。



 ―――!



 ホーリエが攻撃よりも己の主を優先した。

 水銀燈の黒羽は光槍で残らず迎撃し、メイメイはその身をもって受け止める。

 だがそうして生じた隙に、

「ジャンクになりなさいっ!」



 ―――!



 水銀燈が炎を、少女人形が雷を放つ。

 挟み打ち。

「くっ!」

 真紅が左手を真上に振り上げ、同時に右手のステッキを雷に投げ付けた。

 床から巻き上がった薔薇の花びらが炎を受け止めた。雷は避雷針代わりのステッキに受け散らされる。

 間髪いれず、真紅は振り上げた腕を振り下ろした。

 ごうっ! と花びらが召喚され、ドームのように彼女自身を覆い隠す。

 剣を構えた水銀燈の舌打ちが、焦げた薔薇の香りに混ざった。

「ふ、ん」



 ―――……



 薔薇の壁に遮られ、水銀燈と少女人形はいったん追撃の手を緩める。

 それでなくても、完全に押している側だ。無理をする必要はない。この薔薇のドームにしても、回避しきれないと苦し紛れに召喚したものに違いない。

 その思考を証明するように、バラバラと薔薇の壁が解け、消えた。

「はあっ、はあっ、はあっ」

 ドームの中から現れた真紅は、床に手をついて息を荒げている。白い人工の肌が、力の使いすぎで青ざめていた。

「不様ねぇ真紅。美しくないわぁ」

 その姿を見て溜飲が下がったのか、水銀燈が嘲笑を浮かべ、剣を構え直した。少女人形は無言のまま、全身に電気を溜め始める。

「っ」

 言い返す余力もなく、床に転がったステッキに手を伸ばす。すい、と不可視の力に引き寄せられ、黒い杖が手元に戻った。

 ステッキを文字通り杖として立ち上がる真紅。

 ふらつく脚で、無理やりに構えをつくった、そのとき。

 その彼女の真後ろやや上方で、ガキィ! と甲高い鈍音が響いた。

「!」

「きゃああっ!」

 一瞬遅れて翠星石が真紅の目の前の床にたたき付けられた。

「!」

 真紅が目を見開く。

「チェックだよ、翠星石、真紅」と、ヒラリと水銀燈の横に着地する蒼星石。

「さっきのホーリエには驚いたけど、牽制だけじゃ意味がない。僕が回避した瞬間を狙って攻撃していれば、わからなかったけど」

 まぁそうしたら君が水銀燈の攻撃を受けていただろうね。

 そう言いながら、蒼星石は、くるり、と鋏を回し、その先端を真紅に向けた。

「翠星石…!」

 真紅が呼び掛けるが、

「うっ、うぅ…」

 翠のドレスをボロボロにした彼女は、俯せに倒れたまま立ち上がることができない。

 ダメージもあるが、それ以前に、もうゼンマイが限界なのだ。

 真紅が苦しそうに顔を歪めた。

 蒼星石のチェックという言葉は、いまの状況を的確に顕している。

 いままで蒼星石が翠星石を追うことで辛うじて保たれていた均衡が、これで崩れてしまう。

「よくやったわ、蒼星石」と、ベランダ側の壁にもたれ、戦闘にも参加していなかったたセーラー服が言った。

「ありがとうございます」

「後は真紅を片付けなさい。翠星石はもう、後でもいいでしょう」

「……わかりました」

 能面のような無表情で、頷く蒼星石。

「あはははは、大変ねぇ真紅。この後は蒼星石も遊んでくれるわよぉ?」

「……」

 真紅は言葉を返さず、かばうように、翠星石の前に立った。

 赤い彼女の表情は、こんな絶望的な状況下であっても、いまだ勇ましさを保っている。

 そんな彼女の表情に、水銀燈が不快げに眉を顰めた。

「じゃあ行くよ、真紅」

 鋏を握りなおす蒼星石。少女人形の前髪が、バチリ、と音をたてる。

 それらを横目に、水銀燈が口元に、再び嘲笑を浮かべた。

「ほぉら、惨めったらしく足掻いて見せなさい!」

 黒と蒼が同時に斬りかかった。

 命を削りあう舞踏が、再び始まる。



 朝の残り香も完全に消えた道で、上条はガードレールに手をついて荒い呼吸を繰り返していた。

 普段の彼は、我流であるがかなり綺麗なフォームで走ることができる。

 不幸な事態からの回避や、スーパーのバーゲン等、彼は長距離を可能な限り早く走るための下地があり、その上に、この数ヶ月に及ぶ科学と魔術の戦いである。専門の訓練を受けたものでない限り、単身における走力で上条に勝る者は稀だと言えた。

 しかし、その彼がいま、腰ほどの高さのガードレールに手をつき。そのまま、体重をかけるようにして、ぜーぜー、と荒い息をついていた。

 病院を出てほんの数百メートル。普段の上条であれば、余裕をもって疾駆を続けていられる距離である。

(くっそ……!)

 上条の奥歯が、ギリッ、と鳴った。 

 消耗の原因が指輪であることは疑いようがない。

 陽光の中でははっきりとわからないが、左手薬指の薔薇を模した指輪は、先ほどから何度も発光を繰り返していた。

 その度に、彼の身体から体力がごっそりと削られていく。

 意味することはひとつ。

 そうしなければならないほど、真紅が危険にさらされているのだ。

「待ってろ真紅、インデックス…!」

 こんなところで止まってはいられない。

 ガードレールを押し込むようにして身を起こす上条。

 その途端に頭がクラリとするが、無視。一息、空気を呑み、彼は再び走り出した。

 病院の近くだからだろうか。道を行く人の数は少ない。ややふらつきながらも誰かにぶつかることはないだろう。

 これならば全力で駆けることができる。自分の持てる最速で、彼女たちの危機に向かうことができる。

 しかし。

「くっ、はっ!」

 再び上条の呼吸が乱れた。

 意識的に規則正しい呼吸をすることでなんとか保っていた疾走のバランスが崩れる。

 グラリと身体が揺れ、ガードレールに接触する。

「がっ!」

 そのまま弾かれ、道路で前転するようにして倒れた。

「はあっ、はあっ、はあっ、くっ!」

(休んでなんかいられねぇってのに……!)

 仰向けに空を見上げながら、両手を握り締める上条。

 意思はまったく萎える様子はない。

 しかし、彼も一個の人間だ。意思に身体は反応すれども、消耗が回復するわけではないのだ。

 それでも、小刻みに震える身体を無理矢理起こしーー

「上条くん!」

 その耳に己の名前が響く。

「!?」

(姫神!?)

 呼び掛けられた声は、つい先ほど病室に残っていたはずの友人のもの。

 声のした方を見る。

 路肩に止まったタクシー。その後部席のドアが開き、姫神秋沙が厳しい表情でおりてくる。

「な、んで」

 ここに?

 息切れで続かない言葉を視線で問い掛ける。

「きっと。走っていくと思った」

 姫神はその視線を無視。

 片膝をついた姿勢の上条の右腕を、ぐい、とひっぱり、肩に担いだ。

 機関銃のように呼吸する上条にわざと目を向けないまま、肩を貸して立ち上がる。



「まったく。昨夜あれだけ言ったのに。貴方は相変わらず無茶をする。そもそもここにはバスで来たのに。走って帰るのは時間の無駄」

「それ、は、そう、だけど」

 確かに金欠万歳な上条にはタクシーを使うという発想はまったくなかった。というか、走って帰る以外の選択肢を思いつかなかったのだから、反論のしようもないものだ。

 姫神は重そうに上条を担ぎ、タクシーに向かう。彼も自力で立とうとするのだが、残念ながら一度切れた集中力は、おいそれと力を戻してくれなかった。

「つか、姫神、おまえ、まさか」

 ついてくる気か?

 この状況下、彼女の性格で上条だけをタクシーに押し込むとはとても思えない。

 危険だ。安全なところで待っててくれ。

 彼の視線の意味が変わる。

 だが姫神は、

「約束」

 と、言った。

「や、くそく?」

「そう」

 コクり、と頷く。

「絶対帰ってくる約束。上条くんは約束を護らなくちゃいけない」

「それ、は」

 忘れてなんかいない。

 それに元々、帰って来ないなんて選択肢も思考も、彼の中にはない。

 上条がそう言おうと、姫神をここに留め置こうと、言葉を重ねようとする。

 しかしそこで姫神は脚をとめ、上条の顔を見た。

「でも。こんなに疲れたままで戦ったら。約束を護れないかもしれない」

 強い視線。上条の声が止まる。

 向けられたのは昨日、小萌を助けに行くと主張したインデックスと、同じ瞳だった。

「……約束をしたのは上条くん。だけど。約束を持ちかけたのは。私」

 視線を正面に戻す姫神。

「だから私も。上条くんが約束を護れるように。頑張らないといけない」

今回の投下は以上です。

姫神と小萌先生の会話シーンが難産でしたが、苦しんだ割りに個人的にはもうひとつです。
無口なキャラクターの内心をきちんと描く文章力が欲しいところ。
戦闘シーンは結構ノリノリで書けたのですが、こっちはこっちで乱戦だったためか表現が難しく難しく。

うーん、どっちにしてももっと本を読まねば……。

ということで、また次回に。

あ、上条と姫神の会話シーンに入っている ● ですが、これは投下区切りの目安として入れてるものです。
今回、見落として消し忘れました。
お気になさらないようにしてください。



 順調だ。
 上条の部屋で広がる光景に、内心で笑みが浮かぶ。
 激しく争う赤と蒼と黒。そして床に転がっている翠。
 桃がいればベストだったが、それも些細な変化だ。
 そうは言っても、桃が逃走を図ったのは予想外だった。
 完全に掌握しているはずなのだが、それでもなお自我に影響を与えるとは、流石はローゼンの最高傑作というところか。
 だが、問題はない。
 この程度のズレは想定の範囲内と言える。それに元々、この計画そのものが不完全さを逆手に取ったものだ。
 『薔薇乙女』たちは、それぞれが最低限の用さえこなしてくれたらいい。
「そろそろきつくなってきたでしょう? 諦めて降参したらぁ?」
「っっっ!」
 剣戟の音が繰り返され、赤が徐々に追い詰められていく。
 佳境に差し掛かかる『薔薇乙女』たちの闘いを見ながら、再び内心で笑う。
 順調、なのだ。





 甲高い音をたてて、真紅の右手からステッキが零れた。

 水銀燈の剣に弾かれたステッキは、その下端を床と接触させて一度だけ跳ねてから、カラカラと転がった。

「くっ……!」

 その行方を横目に真紅は歯噛みするが、手を伸ばすことはしない。

 いや、できないのだ。

 右腕、両足首、そして胴体に、黒い羽の群れが纏わりついている。身を捻って抜け出そうとはしているが、まったく外れる様子はなかった。

 唯一黒羽から逃れている左腕は、しかしこちらも動かせない。

 蒼星石の持つ大鋏が、緩く挟み込んでいる。

「ふふふ、つーかまえたぁ。またこうなっちゃったわねぇ、真紅」

 ニヤリと笑う水銀燈。

 勝鬨を謡うように翼を広げ、空中から見下す彼女の笑みは侮蔑に満ちていながら、それでもなお美しい。

「おっと。させないよ、真紅」

「っ」

 薔薇の召喚を試みようとした真紅の左腕に、鋏が僅かに食い込む。

 ジリ、と、ドレスに浅く入った切れ目が、動けば腕を落とすと告げていた。

「真紅ったらホントお馬鹿さぁん」

 水銀燈が視線だけ動かし、床に倒れたまま動かない翠星石を見た。

 十数分前に蒼星石に打ち倒された彼女は、そのままゼンマイが切れてしまったようだ。僅かにしていた身じろぎも、もう見られない。

 ただそこに在るように、人形として転がっている。

「あんな足手まといを引き連れてるからこうなるのよぉ?」

 シュン、と黒が剣を振るった。

 真紅のスカートの裾――両脚の間の布が左右に裂かれ、球体関節を持つ右脚が膝まで露となった。

「っ!」

 真紅が声ならぬ声をあげる。

「剣で裸にして、羽根で飾ってあげましょうかぁ? それとも、このまま一気に楽になるぅ?」

 艶かしく唇を舐める。

 ゆっくりと持ち上げられた刃先の腹が、真紅の頬を撫でた。

「……」

 頬の丸みを楽しむように動く感触は冷たく硬いにも関わらず存外に優しい。

 だがその感触はそのまま、首を落とすことも可能な代物なのだ。

 真紅は逆転の糸口を探し、人工精霊に目を向けるが、


 ―――! ―――!


 赤い光球はメイメイに圧し掛かられるようにして床に押さえつけられ、発光を繰り返している。

 単体としての力は各々の人工精霊にそこまでの差はない。それがこうもあっさりと押し切られているのは、ひとえに真紅の消耗が原因である。

 能力を行使するには契約者の体力を消費するが、だからと言って薔薇乙女自身もまったく消耗しないわけではないのだ。 

「何を企んでるのか知らないけど、無駄よぉ? 頼みの人工精霊もあの有様。貴女が必死にかばった翠星石はもうお人形さん。ぜーんぶ無意味だったわねぇ?」

 クスクスと笑いながら、水銀燈が真紅を覗き込んだ。

「……」

 しかし返ってきたのは無言と、強い視線。

 焦りはあれども諦観も絶望もない、生きた瞳だった。

「何よ、その眼……」

 ザワザワと水銀燈の背筋を、苦々しい何かが上ってくる。

 彼女が自分に向けてくる視線は、負の感情に彩られていなければならないはずだった。敗北の屈辱に塗れていなければならないはずだった。

 この妹は、過去に自分を『壊れた子』と呼んだのだ。

 それだけでも憎いというのに、つい昨日、あろうことか『御父様』の意思であるアリスゲームも否定している。

 首を落とす。

 ローザミスティカは噛み砕く。

 自分が『御父様』と出会った暁には、真紅という妹を薔薇乙女から忘れてもらう。

 それほどの憎しみが、胸中に渦巻いている。

 その彼女の、絶望と諦めに殺された表情が見たかったというのに。

「気に入らない、気に入らないわぁ……」

 水銀燈が目を細め、苛立たしげに呟く。かみ締めた唇の奥に、舌がちらりと覗いた。

 ――しかし彼女は気がつかない。

 いくら冷酷な部類に入る水銀燈とは言え、普段の彼女ではありえないほど、醜い思考と表情をしていることに。

「……」

「……」

 赤と黒のやり取りに、蒼は無言を貫く。窓際で腕を組んだセーラー服も同様だ。

 まるで興味がないというような無機質な視線を、二人の応酬に注ぎ込んでいた。

「水銀燈、貴女は」と、真紅が口を開いた。

 貴女は、自分をおかしいと思わないのか。

 そう問おうとした彼女は、一瞬だけ迷ってから、

「寂しいと思わないの?」

 と、言った。

「……なんですって?」

「……」

 問いを放ったにも関わらず、何も問うてない真紅の瞳が、水銀燈を映し続ける。

「っっっ」

 黒い翼が彼女の感情に応じてバサリとはためいた。

「……貴女、自分の状況がわかってるのぉ?」

 ヒタリ、と剣先の腹が首筋に当たる。

「貴女は負けた。貴女の命は、もう私の気分次第なのよぉ?」

「……」真紅は沈黙も、視線も崩さない。

 水銀燈の奥歯が音をたて、剣先が揺れる。

 真紅の首に、髪の毛一筋ほどの傷が刻まれた。

「負けてはいないわ」と、真紅。

「負けて、いない?」

「私はまだ生きている。そして、当麻が助けに来てくれる。私と当麻は、負けてなんかいないのだわ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ふ、」

「……」

「あっはははは! あはははははははは! 何を言うかと思えば! 言うに事欠いて、結局は人任せなのぉ?!」

「……」

「信じられないわぁ。不様ねぇ。醜悪ねぇ。それでも誇り高い薔薇乙女なのぉ? そこで転がってる翠星石の方が余程にマシねぇ」

 一息。 

 瞬転、

「このっ、淫売が!」

 パァン、と水銀燈の右手が、真紅の頬を打った。

「っ……」

 僅かに漏れた真紅の悲鳴に混ざって、剣が床に落ちた金属音が響く。

「……私は哀しいわ、真紅。アリスになるために、貴女のローザミスティカが必要なこと、そのものが」

「私は誰かの手を借りることを恥ずかしいとは思わないのだわ!」

「黙りなさい」

 水銀燈の右手が、真紅の首を掴んだ。

 その足元で、床に転がった剣が、先端から黒羽と変わっていく。

 剣から転じた黒羽は重力に逆らってふわりと浮き上がり、真紅の右前腕に絡みついていく。

 水銀燈の意思に反応し、黒羽が動く。

 右腕が、ぐい、と前に引っ張られる。

「っ!」

 見覚えのある光景に、真紅の胸中にえぐり込むような恐怖が生まれた。

 身動きがとれず、右手を引き伸ばされる。

 あの時――ジュンのいた世界で右腕を切断されたときと、同じ状況だ。

「ジャンクになって死になさい」

 ぐっ、と首を掴む水銀燈の手に力が篭った。

 上腕に纏わり付いた黒羽は動かず、前腕だけがギリギリと引き伸ばされていく。

「くっ、ぐっ……!」

「いいこと? 真紅」

 黒の右手に力が篭もる。

 赤の右手に軋みが走る。

「う……くっ……」

「水銀燈は、私は、」

 黒の右手に力が篭もる。

 赤の右手に軋みが走る。

「貴女みたいに、壊れた子なんかじゃあ」

「くあっ……うぅ……!」

 黒の右手に力が篭もる。

 赤の右手に軋みが走る。

「ない……!」

 水銀燈がニヤリと笑い、、

「あああっ!」

 真紅が絶望的な声をあげ、

 

 ミシリ



 と腕が軋む音が、自身の耳にまではっきりと届いた。



 そしてついに、その肘部分から、右腕が折れ



















 ガンッ!

 


















「「「!?」」」

 ハンマーで鉄を叩いたかのような鈍音が響いた。
 
 同時に、上条の部屋が、否、上条の部屋に張られた結界が大きく揺れる。

 水銀燈が驚きに顔をあげ、真紅の右腕に纏わり付いていた黒羽の動きがとまった。

 セーラー服が驚愕に目を見開き、もたれていた壁から背を離す。

 一秒に満たない時間をおいて、音が余韻を残し消える。

 だが、



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ!



 ガンッ! 





 音はとまらなかった。

「なんなのっ!?」

 セーラー服が目を見開いて、周囲を見回した。

 結界内に変わった様子はない。

 つまりこれは、ありえないはずの、外からの干渉だ。








 同刻。

「うおおおおおっ!」

 上条が右手を振るう。

 一撃。

 二撃。

 三撃。

 何度も。

 何度も何度も。 

 何度も何度も何度も。

 リビング入口。

 インデックスに指示された場所。

 視認することはできない透明な壁に向けて、固い拳がたたき付けられる。

 手応えはあった。

 三沢塾の時とは違い、幻想殺しが確実に結界に影響を与えている、そんな手応えが。

 本来この種の結界は、幻想殺しと言えども触れるだけで解除はできない。

 核を破壊するか、術者を倒すか、あるいは成立させている魔力になんらかの障害を与えるか。

 それがいま、なぜ効果を顕しているのか。

「―――」

 上条の隣で響く、インデックスの歌声。それが答えだった。

 彼女の歌声が結界にぶつかり、震動を与えている。幻想殺しが作用しているのは、その震動に対してだ。

 通常認識できないはずの空気の存在を、大音量の音波で感じる、という感覚に近い。

 インデックスは――――禁書目録は、三沢塾で本物の黄金錬成を体験している。正確に同一のものでなくとも、こと魔術に属する範囲での代替であれば、彼女の分析を阻むものではない。

 その上、上条が帰還するまで歌声による分析は続けられていた。

 どんな歌声を、どのタイミングでぶつければ結界に影響を与えられるのか、把握するだけの時間があったのだ。

「ひらけっ! このっ!」と、上条が拳を振るい、

「―――」インデックスが、歌を奏でる。

 一撃一撃が、一声一音が、確実に結界を破壊に導いていた。

 もちろん通常であれば不可能な話。普通の結界であれば、幻想殺しは震動している部分のみをたちどころに削り取ってしまうだろう。

 いまそれが可能なのは、皮肉にもこの結界の強固さゆえ。

 その強固さは、歌声による震動を結界全体へと響かせてしまっている。

 幻想殺しによる打ち消し効果をのせたまま、全体へと。

「ふざっ! けんじゃっ! ねえええええっ!」

 拳を振い続ける上条。

 病院からここまで。

 奪われながらも休息に努めることで僅かに残った体力を、全てぶつけていた。

 度重なる戦いで培った彼の直感が告げている。

 ここで惜しめば、必ず後悔する、と。








 ガンッ! ガンッ! ガンッ!



 発生源が不明の音と衝撃が連続する。

 一撃ごとに響く音は大きくなる。一撃ごとに結界の揺れが大きくなる。

 そして、

「おおおおおおお!」

 セーラー服と蒼星石には覚えのない、水銀燈には聞き覚えのある、そして真紅には待ち望んでいた声が、結界内に割り込んだ。



 ―――!!!



 それに応ずるように、ホーリエが赤光を放つ。

 その直後。

 ガラスが割れるような音とともに、リビング入口に突然人影が現れた。

「まさか!?」

 驚愕するセーラー服。

 破られるはずがない結界が、破られたのだ。

 彼女の視線の先に現れた人影は三つ。

 長い黒髪を持つ人影。

 白い修道服を纏った人影。

 そして、

「真紅!」

 右腕を振り抜いた姿勢の、ツンツン頭の人影。

「当麻…!」

 それは、真紅が待ち望んでいた人影だった。  

長く間が開きましたが、夏の祭典が終わりましたので続きを投下しました。

なかなかお話が進みませんが、一応ひとつひとつ確実にシーンを書いていこうと思います。

今後も気が長くお付き合いください。

なお、一番最初の一塊の行間が詰まっているのは、普通に改行を忘れていたからです。特に演出面の意味はありません。

それでは。



「てめぇ!」

 捕われた真紅を見て、即座に駆け出そうとする上条。

 だが、

「!?」

 踏み出した脚がガクリと崩れた。

「上条くん!」

 反射的に姫神が上条を抱え込んだ。

 走る勢いを残したままの彼に引っ張られ、たたらを踏んでしまう。

 二歩の動きをもって、なんとか支えきった。

「ちっくしょ…!」

 腕の中で彼は立ち上がろうとしているが、身体にまったく力が入っていない。

 これ以上は無理だ。

 姫神はそう判断した。

 しかし目の前には、危機が続く真紅の姿がある。

 自分たちの真向かい。ベランダ側の壁近くで、驚きを残したセーラー服が右手を振り上げのが見えた。

「っ」

 攻撃の予備動作。

 思わず身体が強張る。

 上条は動けず、自分には闘う術がない。

 いまは、三沢塾の時とは違う。

 全てに絶望していたあのときとは違い、いまの姫神は、死を恐れるだけの理由があった。

 呼吸がとまり、脚がひとりでに一歩だけ、後ろに後ずさる。

 しかしその彼女の腕の中で、上条がなお戦おうと――真紅の元に駆け寄ろうと、身もがいた。

(――!)

 逃げるのか。

 上条がこうまでも護ろうとするモノを見捨てて。

 逃げないのか。

 闘う術のない自分が、唯一上条を護れる手段なのに。

 胸中に浮かぶ二律背反。

 姫神の脚が下がるのやめ、だが、決して前には進まない。

「あいさ! とうまを連れてそのまま下がって!」

 そんな彼女の脇をぬけ、インデックスがリビングに跳び込んだ。

 息を呑む姫神を背後に室内を目視。

 己の正面にいる存在全てに共通する『人形』属性を見て取ると、すぐさま大きく息を吸い込んだ。

「しんく、すいせいせき、ごめんなんだよ!」

 その一言を枕言葉に『魔滅の声』が放たれる。

「「「「!!!」」」」

 空気が爆発したかのように鳴動し、真紅が、ホーリエが、水銀燈が、メイメイが、蒼星石が、少女人形が、そしてセーラー服が一息に弾き飛ばされた。

 黒羽から解放された真紅が床に、水銀燈は開いたままだった掃出窓からベランダにそれぞれ転がった。蒼星石はセーラー服、少女人形とともに壁にたたきつけられる。動いた空気が、ゼンマイがきれているために影響がなかった翠星石の髪を大きく揺らした。二つの人工精霊が色を失うまで減衰して、高度を落とした。

「っ…っ…っ…!」

 ビクビクと痙攣する薔薇乙女と少女人形。

 塵は、塵に。

 人は死すれば土に還る――あるべき姿に戻る、と言う言葉が、物言わぬはずの『人形』に強く作用する。

 だが、その中でたった一人、即座に動いた者がいた。

「ぐううっ!」

 セーラー服だ。

 彼女は、何が起こったのかわからない、と言う表情で上体を起こすと、自分に寄り掛かるように倒れている少女人形に右手を当てた。

「なんで?!」

 目を見開くインデックス。

 『魔滅の声』の効果は、すぐさま解けるようなものではない。

 しかし現実にセーラー服は動き、彼女の唇は素早く言葉を紡ぎだす。

 魔術。



 ―――!



 それを阻止するように、床に墜ちたホーリエが発光した。

 光槍でも放とうとしたのか、渦状に集まった赤光は、しかしあまりにも弱かった。

 赤光は形をとることなく、ただ空気に巻かれ、消える。

 その隙に少女人形が起動した。

 力無く垂れていた頭が、かくっ、と持ち上がり、光のない無機質な瞳が上条たちを捉えた。

 『魔滅の声』の影響は失われていない。しかし注ぎ込まれた魔力が、矛盾による拘束を振り払っていた。

 古い映画のコマ取り動画のような動きで、少女人形が立ち上がる。

(御坂妹!?)

「クールビューティ!?」

 叫ぶ体力さえない上条がそう思い、インデックスがそれを代弁した瞬間、少女人形の前髪に青白い閃光が走った。

「!」

 電撃が、くる。

 上条は疲労で動けない。

 姫神もまた――彼女は動けない。

 インデックスは迎撃手段がない。

 真紅とホーリエは『魔滅の声』の影響をまともに受けている。

 防ぐ手段がない。

 彼らをまとめて殺すには不十分だが、重傷を負わせることは十分可能な電撃が、少女人形の前髪から放たれようとした。



 ―――!?



 突然、少女人形の動きが止まった。

 上条を見る少女人形の表情に驚きが浮かび上がっている。

 今までの凍り付いた無表情が嘘のように動揺を顕す少女人形の前髪で、紫電が瞬き、消えた。

 チッ、とセーラー服は舌打ち。

 少女人形の原動力である『御坂美琴との結び付き』が裏目に出た。

 どうやら彼らの中に御坂美琴と親しい人間がいるらしい。

 セーラー服が、まだうまく動かない両腕で床を強くつき、身体を浮かせる。その隙間に折り曲げた脚を滑り込ませて、強引に立ち上がった。

「退くわよ!」

 結界が破られるという想定外の状況下。少女人形と蒼星石の戦闘不能。

 これ以上、翠星石の破壊にこだわるのは危険だ。

 錆び付いているかのようにぎこちなく持ち上げられた蒼星石の手を掴み、セーラー服がベランダに跳び出した。それを追い、少女人形も身を翻す。

(待、)

 『妹達』ではないのか。

 美琴に何をしたのか。

 今朝、美琴の肩に水銀燈の黒羽がひっかかっていたことと、何か関係があるのか。

 いくつもの疑問をこめ、上条が手を伸ばそうとするが、届くわけがなかった。

 一方、ベランダに出たセーラー服は、傍らに転がる水銀燈を一瞥。

 いまだ『魔滅の声』の影響下にある彼女に鼻を鳴らして嘲笑を浴びせる。

 協定は、あくまで共闘だけの話だ。危険を冒してまで水銀燈を助ける義理はない。

「……っ……っ……っ!」

 役立たず。

 そう語る視線に、水銀燈は鋭い視線を返すが、誇りある第一ドールである彼女は、それがゆえに動くことができない。

 左腕に蒼星石を抱えたセーラー服が、走る勢いそのままに、右手を添えてベランダを跳び越えた。

 上条の部屋は決して低い階層ではない。生身で落下すれば、運がよければ死なないかもしれない、という高さがある。

 自殺行為だ。

「ミコト!」

 跳び越えたセーラー服の身体が、重力に引き落とされるほんの一瞬前。

 上昇と下降のつり合った、浮かび上がった刹那の瞬間に身を捻り、セーラー服を追ってベランダに出たところの少女人形に右手を伸ばした。

 セーラー服の手首に、ゆるく巻かれたブレスレッド――鉄製の、ブレスレッドがゆれる。

 少女人形が、タン、とベランダを跳び越えた。

 続いてセーラー服に右掌を向け、能力を発動。

 『超電磁砲』にはまるで及ばない、しかし人一人を引っ張るには十分な電磁力が発生する。

 鉄製のブレスレッドに引っ張られ、セーラー服が空中で大きく体勢を崩す。しかし、問題ない。そもそもここから落下すれば、どう着地しようと無事では済まないのだ。

 彼我の質量差ゆえに、逆に少女人形が引っ張られる形でセーラー服の手を握った。

 後は電磁力をもって、落下の衝撃を逃がすのみ。そうすれば、肉体的には常人と変わらない上条たちに直ちに追う術はない。

「!」

 インデックスが大きく息を吸い込んだ。

 薔薇乙女や少女人形、セーラー服の密集度が下がってしまったため、『魔滅の声』が使えない。

 ならばとばかりに『強制詠唱』で少女人形とセーラー服の間の魔力伝達を封じようとしたのだが、しかし、声を放つことを躊躇った。

 少女人形の動きを阻害することはすなわち、彼女たちの自由落下を意味する。

 十字教は敵対者へは容赦をしない。

 土御門やステイルのようなエージェントは極端にしても、必要な闘いで敵に対して甘い態度を見せないのは、宗教戦争の歴史から明らかだ。

 それにここで彼女たちを逃がせば、被害に遭うのは自分たちだけでは済まない可能性も高い。

 しかし、インデックスは十字教徒であるとともに、インデックスという人間だった。

 セーラー服の正体はわからないが、蒼星石が砕ければ真紅と翠星石は哀しむだろう。美琴に関係していると覚しき少女人形が倒れれば、本人に何らかの影響を及ぼすかもしれない。

「っ、っ、っ!」

 『強制詠唱』は詠唱されない。



 ―――!



 迷うインデックスの傍らで、ホーリエが再び発光した。

 先ほどよりも回復したのか、強く放たれた赤光が網状に広がり、ひと数人を抱え込めるような網を形作る。

「命令よ!」

 否。

 インデックスよりも、ホーリエよりも、セーラー服の魔術の方が早かった。

 首だけを巡らしたセーラー服の視線が、翠星石を捉える。

「防ぎなさい、翠星石!」

 翠星石が糸に引き上げられるように立ち上がった。

「「「!?」」」

 上条たちが息を呑む中、翠星石らしからぬ無機質な瞳が、インデックスを映しこむ。

 予想外の『敵』に、慌てて身構えるインデックス。

 翠が床を蹴った。

 ダン!という音を置き去りに、一瞬でインデックスの眼前に迫る。

 翠星石の構えた左手刀の先端。いわゆる貫き手が、インデックスの左目に向けて槍のように突き込まれた。




 ―――!



 ホーリエの光網が翠星石に向けて放たれる。

 右足に絡んだ光網が翠のバランスを崩し、結果、貫き手の狙いが逸れた。

 銀髪が数条、空を舞う。

 インデックスは身を捻った勢いのままに素早く一回転、

「I I R A N R A!」

 振り向きざま『強制詠唱』を翠にたたき付けた。

 がくっ、とバランスを崩し、前のめりに倒れる翠星石。

 その場から一足だけ跳びのいてから、インデックスは翠星石を注視。

 逃げているとはいえセーラー服から目を逸らす行為がいかに愚かかは重々承知。しかし、いままともに戦えるのはインデックスただ一人。

 そこにある危機の消滅を確認しなければならないのだ。

 翠星石は動かない。

 元々時間稼ぎのためだったのか、セーラー服からの追加の命令も飛んでこなかった。

 半秒。 

 翠星石がもう動かないことを確認したインデックスが視線を戻した時には、すでにセーラー服たちの姿はない。

 飛び降り、そして着地に成功していたなら、すでに駆け出しているだろう。今から階下に降りたところで追いつける見込は薄い。

 それにセーラー服は薔薇乙女を連れていた。

 インデックスにも全容は判然としないが、デパートの屋上で雛苺が見せたように空間を転移する能力があるとすれば、もうこの辺りにいない可能性が高いだろう。

 それにもう一つ。

 すぐに追うことができない理由がそこにできあがっていた。

「メイメェイ!」

 ベランダで水銀燈が立ち上がっていた。

 大きく翼を広げた主の呼びかけに、メイメイが弱々しくも浮かび上がり、その元に向かう。



 ―――!



 ホーリエが強く発光。

 メイメイを捕らえようと言うのか、再び光網を作り上げた。

 しかしそれは放つことは叶わない。

「させないわよ!」

 水銀燈が翼を一振り。

 ゴウッ、と音をたて、大量の黒羽が室内にいた全員に襲い掛かった。

「くっ!」

 上条が動こうとする。

 しかし仮に彼が健在であっても、右手はひとつ。多数点の攻撃は防ぐことは不可能だ。ホーリエの光網は防御のためのものではなく、こちらもすべての黒羽を迎撃できない。

「当麻、ごめんなさい!」

「うぐっ!?」

 真紅が叫び、上条の膝が崩れた。彼の左手薬指に、赤い光が灯る。

「上条くん!?」「とうま!?」「薔薇よ!」

 姫神とインデックスの声に、真紅の言葉が重なり、同時にリビングの床一面から、薔薇の花びらが巻き上がった。

 上向きの花吹雪。

 幻想のような光景が黒羽を残らず吹き散らす。

 だがその隙に、メイメイを手元に戻した水銀燈がベランダから跳び出した。

「真紅! 人間たち! おぼえてらっしゃい! 超電磁砲ともども、必ずジャンクにしてあげるわ!」

 先のセーラー服と異なり、翼持つ彼女は重力に囚われない。跳躍の最高点からそのまま飛翔に移り、あっさりと離脱していった。

「……」

 はためく音を最後に、室内に静寂が響く。

 インデックスは周囲を索敵するが、遺していったような魔術らしきものもない。

 戦場は、唐突に上条の部屋に戻っていた。

今回の投下は以上です。

若干スピード感を出したくて、ある程度削り削りしてみました。

個人的には説明等や描写が多いほうが好きなのですが、あまりにも展開に枷がかかるため、ちょっと工夫を。

とはいえ模索している段階のため、表現関係がもうひとつかな、とおもいました。

何よりも表現パターンの枯渇が非常にピンチです。もっと色々読まないといけません。

反省を織り交ぜつつ、次回の投下も工夫してみます。

では。



「……終わった、のかも」

「っ」

 インデックスの言葉と同時に、上条の全身から力が抜けた。

「きゃあ!」

 支えきれず、姫神がよろめくが、

「あいさ!」

 インデックスが駆け寄り、姫神の逆側から手を貸したことで、なんとか転倒だけは免れた。

 わりぃ、と上条。

「無理しないで。少し。休まないと」

「大、丈夫だ……。それより、御坂に連絡しないと……」

「御坂……超電磁砲?」

「さっき水銀燈が、超電磁砲ともども、って言ってた。それに朝、あいつの服に、黒い羽が、くっついてたんだ」

 水銀燈の、さっきの羽だ。間違いない。

 あの時は見間違えかと思った。あるいは、烏か何かの羽かと思った。

 だが、吹き落とされて床に落ちた黒羽と、朝に見た美琴のそれとは、同一のものとしか思えなかった。

 それだけではない。

 朝という不自然な時刻に、美琴が来ることが考えにくい学区。

 美琴と見間違うほどそっくりで、かつ、『妹達』ではない存在。

 いまにして思えば、何をしているのかと問うたとき、美琴はやけに慌てる様子を見せていた気がする。

 彼女は一方通行相手に自殺の決意を固めた時でさえ、上条にそれを悟らせることがなかった。

 そんな人間が動揺を見せたということは。

 何かに巻き込まれている。

 そして、傍証を見る限り、それはこの事件である可能性が高かった。

(あいつ、また命を張るかもしれねぇ……!)

 『妹達』に纏わる事件。上条の脳裏に、あの鉄橋で見た美琴の顔がはっきりと思い起こされた。

「俺が、行かなきゃ……」

 力が入らないにも関わらず、立とうとする上条。

 美琴の電話番号を彼は知らない。連絡を取るには、探し出すしか方法がないのだ。

 だが。

(あ、れ――?)

 突然、すう、と目の前が暗くなっていった。

 映画館で上映が開始される直前のような急激な変化に戸惑いを覚える。

 目眩でも起こしたのか、と頭を振ろうとするが、首がうまく動かない。

「上条くん!?」

「と、とうま、しっかりして!」

 左右から聞こえる声が、やけに遠く感じた。

(やべ、俺……)

 気を失いかけている。

「当麻!」

 真紅の声が届くが、もうどこから聞こえてきたのかもわからない。

(そうだ、真紅は……)

 あいつら全員を相手にしていたはずだ。

 無事なのか。

 怪我はないのか。

「……っ」

 そう思考したが、そこまでだった。

 持ち上げようとした頭が、意思に反してガクリと下がる。

 完全に視界が黒に染まり、上条は意識を失った。





 人形がいくつも転がる、薄暗い一室。

 アジト、と呼べるだろうその部屋に帰り着いたセーラー服は、糸が切れたように膝をついた。

 舞い上がった埃がスカートの裾を白く染める。

 隣に立つ少女人形は、セーラー服を気遣うような様子を見せない。

 最初は『薔薇乙女との戦闘』を。撤退時に『帰還』を。

 与えられた命令を消化した少女人形は、すでに物言わぬ人形へと戻っていた。

「マス、ター」

 少女人形の逆側。

 抱えられている蒼星石は、いまだ動ける状態ではなかった。

 まるで身体に力が入らないのか、完璧に、だらり、とした格好だ。

「無理に動かなくていいわ」

 そっと蒼星石を床に寝かせる。それからセーラー服は己の身体を確認した。

 全身にぎこちなさが残っているが、外傷はない。

 ダメージを肩代わりしてくれるはずの自分の人形も、ここから見える範囲で大きな損壊はなかった。何度か魔術を行使したため、部分部分が爆ぜていたが、それは想定の範囲内である。

 シスターの少女にかけられた魔術がなんなのかは、わからない。

 しかし状況から察するに、『人形』に対してのみ効果があったように思える。それも、その純度が高いほどに効力を増すようだ。

 蒼星石がいまだ動けないのもそこに起因しているのだろう。

 ローゼンによって究極の人形の一端として設定された彼女だ。色濃く影響を受けても不思議ではない。

 少女人形が即座に動けたのは、セーラー服からの直接魔力供給と命令付与があったこともだが、何より人形としての純度があまり高くなかったことが大きかったに違いない。

(…私が影響を受けたのは)

 おそらく、ダメージを代替わりしてくれる人形たちのせいだ。

 『偶像の理論』は決して一方通行ではない。似せて創られたものは、それがゆえに本物にも影響を与え返してしまう。

 相手が神や天使等の強大な存在ならそんなものは無視してしまうが、セーラー服は無能力で、魔術も長けているわけではない。

 自分に合一させた複数の人形から、『人形』属性を受けていてもなんらおかしなことではなかった。

「……」

 右手を持ち上げて目の前に。

 指を一本ずつ曲げようとするが、小刻みに震えてうまくいかない。両膝もふわふわとしており、さきほどベランダを乗り越えられたのは、相当に賭けだったようだ。

(……体幹部はある程度回復しているけれど、末端は駄目ね)

 蒼星石を見る。

 彼女も徐々に回復はしているのか、指先や足首を動かし始めていた。

「……」

 状態を考えれば、ここは回復に努めるべきだ。

 しかし、

「…行かなくちゃ」

 ぎこちなさの残る腕を床について、セーラー服が立ち上がった。

 膝を伸ばした拍子にふらりとバランスを崩し、数歩たたらを踏む。とても本調子とは言えなかった。

 だが、行かなくてはならない。

 今夜の標的は、御坂美琴に近しい、あの少女。



 白井黒子だ。



 人形は完成している。ならば、もう待つという選択肢はありえないのだ。

「っ!」

 ギリリ、と奥歯がなった。

 昨日目撃した、美琴と白井。目に見える信頼関係に結ばれた姿を思い起こすと、コールタールのようにドロドロとした憎悪が胸に湧きだしてくる。

 能力に関する記憶だけではすませない。御坂美琴に関することを、すべて。

「絶対に認めない……全部、全部奪ってあげる……」

 右手を、すい、と動かし、隣に立つ少女人形の髪に添えた。

 表情と、胸に渦巻く昏い感情と裏腹に、ゆっくりと、愛でるように少女人形を撫でるセーラー服。

 『御坂美琴が薔薇乙女と戦ったこと』

 その“なぞらえ”を使って動く少女人形は、薔薇乙女以外の戦闘には使うことができない。

 何より御坂美琴と信頼関係のある白井黒子を襲うのだ。仮に動かすことが出来たとしても、先ほどのように親しい者――ツンツン頭かシスターか黒髪の少女かわからないが――が相手では、逆に作用することにも成りかねなかった。

 戦力は自分と、蒼星石のみ。それも、シスターの魔術の影響を受けたまま、だ。

「立ちなさい蒼星石。……行くわよ」

 それでもセーラー服は躊躇わない。

「は、はい…」

 小刻みに震える腕を支えに、蒼星石が身を起こした。

「……」

 ギラリ、とセーラー服の双眸が光る。

 彼女の指の震えは、いつの間にか止まっていた。

ちょっと短いですが、今夜は以上です。

長く書いて一気に、よりも少しずつ投下の方がいいような、ということで、少ないながらも書き込みました。

今回は次のシーンへのつなぎなので、あっさり目になってしまっています。
次回はもう少し、長く書ければ(そして早く書ければ)と思います。

なんとか、なんとか年内には区切りつけられるように……まぁ冬の祭典に行くのでかなり無謀ですが。
ともあれ、がんばりますので、見てくださっている方は、お付き合いくだされば。

それでは。

 上条をベッドに寝かせ、姫神は大きく息をついた。

 上条は標準的な体型だが、気絶している人間は自重を支えるということしないため、やたらと重く感じる。大の大人でも結構な苦労であり、非力な姫神にとっては落とさなかったのが不思議だ、と言ってもよい作業だった。

「……」

 まるで人形のように横たわる上条に、薄い夏用掛け布団をかける姫神。

 冷えないよう、肩まできちんと被せようとすると自然、上条の顔を覗き込む形になる。

 眉を詰めた険しい表情。疲労が深いのだろう。その額には汗がいまも滲み出ていた。

「……」

 ポケットからハンカチを取り出し、彼の額に浮かぶ汗を拭う。

 そっ、と離したハンカチを確認すると、汗と土、それから頬の擦り傷から滲んだ血液が移っていた。

「……」

 胸の前で一度、それを握り締めてからポケットに。それから、肩越しに背後を振り返った。

「ごめんなさい……ごめんなさいですぅ……」

「気にすることはないのだわ翠星石。あの女は、お父様と同じような力を持っていたのだから」

 闘いの爪痕が残るリビング中央では、二人の薔薇乙女が向かい合わせに立っている。

 いや、正確には、立っている赤に、翠が縋り付いている、という状況だ。

 俯き、泣いている翠星石を真紅が抱きしめ、子供にそうするように、ポンポンと背中を叩く。

 ゼンマイ切れで真紅の脚を引っ張ったことは元より、あろうことか敵に操られたという事実がかなりショックだったらしい。何が起こったのかを説明してからこっち、翠星石はずっと泣きっぱなしだった。

「……」

 その傍に立つインデックスは、心配そうな表情で、二人を見つめている。

 シスターとして心苛む者を抱きしめるべきだが、インデックスでは翠星石にはおそらく逆効果だ。

 自分では救いにならず、救える者が別にいるのであれば、無理にその役目を奪うことはない。

 彼女が操られた事実を聞けば、ショックを受けるのはわかっていた。しかし、翠星石もセーラー服と対峙する可能性がある以上、どんな魔術を使うのかを知っておく必要がある。

 告げないわけにはいかなかった。

「私の方こそごめんなさい」真紅は一瞬だけ姫神に視線を向け「……私に、もっと力があれば」と、言った。

 姫神からの視線に対し、目を伏せることで応える。

 翠星石を抱きとめる彼女には、インデックスに知られることなく、姫神に謝意を伝える方法が、他に思いつかなかったからである。

「っ」

 はっ、とした表情で、姫神が真紅から顔を逸らした。

 無意識のうちに、真紅に対する視線がきつくなっていたらしい。

「……」

 真紅はそれ以上、何の反応もせず翠星石の背を撫で続ける。

 対する姫網は、視界の端に映る真紅の表情――努めて無表情を装ったもの――を見ていられず、上条に向き直った。

「……」

 再び視線を戻した先の彼は、変わらず、どこか険しい表情。

 その原因の一端は、紛れもなく背後にいる赤い彼女だ。

 だが、姫神は首を横に振った。背中まである長い黒髪が揺れる。

 彼女は悪くない。

 むしろ、共に戦うことも、先程のように彼のために逃げを選択することもできない自分こそ、何をしにここに来たのか、と真紅に責められておかしくないのだ。

 闘いも、逃げも選択できない自分。

 それどことか、死を恐れるようになった今では、彼の代わりに死んでしまうことだって、選択できないかもしれない。

 そんな、自己嫌悪さえ感じる自分が、彼のために何かしようとすることは、おこがましいことなのかもしれない。

「……」

 ポケットから再びハンカチを取り出し、もう一度上条の額を拭った。

「……か」

 不意にポツリと、意識のない上条が呟いた。

「!」

 反射的に手を引き、彼の顔を見る。

 しかし上条は眠ったままだ。

(空耳……?)

 余りにも小さな声は、姫神もはっきりと聞こえたわけではなかった。

 後ろを見れば、真紅も翠星石もインデックスも、上条の声に気がついていない。

 空耳か、と思い、上条に視線を戻すと、

「……て」

 彼の口元が、何やら動いているのが見えた。

「……さか、……る」

 声は小さく、言葉は途切れ途切れ。うまく聞き取れない。

 耳を近づけ、息を潜める。

 すると、今度は聞こえた。

「……みさか、無茶するな。……待ってろ」

(――っ)

 彼が呟いたのは、超電磁砲の名。

 冷たく暗い感情で胸の中がザワリと疼き、頬が強張るのがわかった。

 気を失ってもなお美琴を心配する彼に、胸の奥から沸き上がる感情を抑えきれない。

 昨夜の公園の自分たち。

 朝に見た彼ら。

 護られるだけの自分と、戦う力を持つ『超電磁砲』

 陰と陽を顕すような対比に、胸が痛んだ。


 彼は誰にだって、こんな顔をする。

 彼は気を失っても、こんな顔をする。

 それが彼だ。

 彼が命をかけて救い出す相手はみんな、彼のこんな表情を知っている。

 そう思うと、悔しくて仕方がなかった。

 インデックスも。

 きっと、超電磁砲も。

 上条にとっては、誰が特別というわけでもなく、逆に言えば、みんなが特別だから、命をかけて他人を救おうとする。

 彼が自分を助けたことも、まったく特別なことではない。

「……」

 昨日と今日でわかったことは、大覇制祭の病室で覆したはずの劣等感は、未だ胸に巣食っているということ。

 自分は何もできない。

 そんな己の根底に流れる考えは、いくつかの影響を受けながらも、未だ完全に払拭さることはできていなかった。

 自分は何も成長していないのだ。

 二度も死に掛けて――――いや、確実に死んでしまうはずのところを奇跡に助けられても、なお。




 しかし、それでも。


 起きる様子のない上条の顔を見ながら、すう、と息を吸い込む姫神。

 目を閉じ、息を止め、それから、ゆっくりと呼気を吐き出した。

「……」

 再び開いた姫神の視線は、いま、つい半秒前までとはまるで別人のように、まっすぐ強く前を見据えていた。

 命の恩人だから。村の皆を殺したことを知っていても彼は優しいから。三沢塾で何をされていたかを伝えても、彼は自分を嫌わないから。

 しかし詰まるところ、自分が彼を想うのは、誰が相手でも、彼がこんな顔をするからだ。

 そんな彼だから、大切に想う。

 彼のために何かしたいと願う。

 誰でもできることであっても――――自分が、彼に報いたいと思う。

「……」

 姫神は上条の顔をもう一度見つめてから振り返った。

 薔薇乙女たちと、インデックス。

「あいさ、どうしたの?」

 と、インデックスが問うた。

 その声につられ、まだ涙を浮かべている翠も、どこかぎこちない無表情の赤も、姫神を見る。

 時刻は、まだ昼を過ぎた程度。夏夜は帳が下りるまで時間はあるが、状況が状況だ。

 探しにいくとしても、一人では手が足りず、また、先のように襲撃される可能性がある以上、複数で動くことが望ましかった。

 しかし倒れた上条を放って行くわけにもいかない。

 誰に、彼を任せるべきか。



 ―――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。



 真紅への疑念となった言葉が、頭の中を過ぎていく。

 あの錬金術師が、何の得にもならないのに、自分に嘘をつくとは思えない。

 だが――

「……真紅。貴女は、看病の経験は、ある?」

 と、姫神が言った。





 アスファルトが、二人の踵を鳴らしている。

「今日はありがとうございました白井さん。おかげで助かりました」

 片方の踵の持ち主、初春飾利が、隣を歩くもう片方の踵の持ち主、白井黒子に笑顔を向けた。

 昨夜発生した電撃使い襲撃事件。

 現場である寮及びその周辺の調査が、今夜の風紀委員の任務であった。

 もちろん昼間にも調査は行われていたが、それをわざわざ夜間にも行った理由は二つ。

 襲撃時と同一条件の確保――夜間にのみ発揮できる能力も存在するため、その残存情報が得られないか、ということと、いまひとつは、多くの風紀委員を夜間に出動させることで、事件の防止や発生時の対応を早くしようという試みだった。

 その中で初春の任務は、電子計算機関係の精査だ。寮内が主な検証場所であることから回線越しの調査ではなく、現地まで赴いたわけである。

「仕事ですから。お礼を言う必要はありませんのよ?」

 どこか申し訳なさそうな初春に苦笑を返す白井の方は、調査のための精密機械の運搬業務。

 僅かな振動も好ましくない精密機械の移動に、彼女ほどの適任はいないのだ。

「でも白井さん、昨夜も遅かったのに…」

「そこはまぁ、風紀委員の宿命、というところですし」

 白井としては、今日の仕事に不満はない。

 大能力者ゆえに荒事対応が多いとはいえ、別にそれを好いているわけではなかった。

 初春がどこか居心地悪そうにしているのは、風紀委員でも限られた高レベル空間移動系能力者を、運送業代わりにさせた、ということがひっかかっているのだろう。彼女的に言えば、リソースの無駄遣いをさせた、というところか。

 白井としては、気にするものではない、と思うのだが、そこは性格というものだ。

 横目で見れば、花飾りの友人は、まだどこか申し訳なさそうな顔。

 だから白井は、言葉をつなげた。

「それに、」

 さらり、と髪を指でとかす。

「たまにはこんな風に歩くのも、悪くないですの」

 と、言った。


 白井は遠隔地での単独任務が圧倒的に多いため、仕事帰りにこうして誰かと歩くこと自体が稀だった。

 初春を気遣っての発言だが、割と本気で思っていたことでもある。

「そうですか」

 初春が微苦笑。

 白井の言葉にこめられた思いに、幾分か心が軽くなったようである。

 それを見た白井も友人に向ける柔らかな微笑を浮かべた。

 十数秒間、アスファルトが鳴らした踵は、彼女たちの心持ちを現すように、どこか軽やかな響きを帯びていた。

 しかしその音も長くは続かない。

「……いつまで続くんでしょうかね、これ」

 初春の顔が再び曇り、踵が重くなる。

 電撃使い襲撃事件。

 今夜の調査は、ほぼ空振り。

 目撃情報で上がった『セーラー服の女』は、寮内外の防犯システムには映っていなかった。

 犯行時間帯の映像は今までと同様に砂嵐という有様で、入退寮を管理する各種セキュリティシステムも、稼動を妨害されている。

 初春も考えられるシステムチェックを施したが、判明したことは今までと同様に『犯人はなんらかの手段でシステムやカメラを撹乱している』ということだけだった。

 結局、有力と思われた目撃情報は裏付けが取れないために参考情報に格下げされてしまっている。これでは次の犠牲者が出るのを待つばかりだ。

「大丈夫ですの」と、白井。

「え……」

「わたくしたちが、必ず捕まえてみせます。絶対、逃がしてはおきません」

 真っ直ぐ正面を見据え、白井が断言した。

「……」

 ぽかん、と初春が白井を見る。

 それはなんの根拠もない言葉だ。手掛かりもなく、いたずらに犠牲者が増えるだけの中、気休めにもならない文字の羅列に過ぎない。

 もちろんそんなことは白井にだってわかっている。いやむしろ、こう言った根拠のないことを口にすることは、彼女の矜持に反する――とまではいかないが、そぐわないものだ。

 しかし、彼女の瞳が語るのは、また別の言葉。

 諦めないのは当然だ。手掛かりがないなら、探し出せ。誰かが襲われるならば、身をていして助けろ。

 一片の諦観だって抱いてはいけない。それは土壇場で、己を殺す刃と化す。

 自分を護れ。何よりも、大切に想うモノ全てを、護るために。

 白井は、そう言っている。

 「そうですね。そうですよね」初春が、ゆっくりと笑顔を浮かべた。

 自身のもっとも得意とする分野で、完全な空振りが続いていることが、自信を揺らがせていたらしい。

 見つからない、と思っていては、見えるはずのモノも見えなくなってしまう。何があっても、よい方向へ進める意思を失ってはいけないのだ。

「ありがとうございます、白井さん。ちょっと弱気になってたみたいです」と、初春が言った。

「お礼を言われるようなことではありませんの」

 一方の白井は、腕を組んで、つい、と目を逸らす。何気ない仕草を装っているが、照れて赤く染まった頬を隠そうとしていることは明白である。

 らしくないことを言ってしまった。しかも、

(……わたくしも少々、あの方に毒されましたか)

 4トンを超える瓦礫を跳ね退け、自分を助けるに至った彼。そのとき耳にした単純極まりない彼の動機にここまで影響があるとは、なるほど、美琴がノボセテしまうのも無理はない。

(もっとも、だからと言って容認するつもりはありませんけれど)

 それなりに認める気持ちはあれども、それとこれとは話が別である。

 ――と。

「あれ?」

 不意に初春が脚を止め、振り返った。

「なんですの?」

 数歩先で白井も立ち止まる。

「いえ、いまそこの路地に人影が……」

「人影?」

 こんな時間に、路地に?

 スキルアウトか何かだろうか。

 どちらにしてもこの時間帯にそんな所をうろうろする者は、注意をしなくてはならない。

「ちょっと注意してきます。貴女はここで待っていて……」

 そう言いかけた白井に目を向けないまま、初春が首を横に振った。

「いいえ、白井さん」

「?」

 初春は横顔に緊張を走らせながら、

「白い、セーラー服だったんです」

「!」

 白井の表情が一瞬で引き締まった。

 初春、電話で応援を。

 白井がそう言おうとした、その瞬間だった。

「!」

 ゾクリ、と白井の背筋に悪寒が走った。

 殺気。

(真上!?)

 能力ゆえに持っている空間への鋭敏さと、天性の勘が、白井に襲いくる敵の位置を知らしめる。

「危ない!」

「きゃっ!?」

 演算している暇はない。

 頭がそう思った時には、反射が身体を動かしていた。

 白井は初春にタックルでもするようにして、共に路地に飛び込んだ。

 明暗の差から一瞬だけ視覚を失った白井の耳に、ジャキン、と鋏が綴じるような音が響く。

「くっ!」

 想像以上に近く、大きな音に、白井が身を捻って路地の外――――いましがたまで自分たちが歩いていた大通りを見た。

「……」

 そこにいたのは、人間のようで、人間ではない。

 闇夜にも上質とわかる服を纏うは、幼児とも言える体躯。

 紅葉と見違う小さな両手が握る、冗談のように大きな鋏。

 陶器のごとく整った顔に浮かぶオッドアイが、白井の視線と真正面からぶつかった。

「――っ!」

 その瞳に宿った紛れも無い害意に、白井の手が太股の鉄針に伸びる。

「ひゃあ!? しししししし白井さん!?」

「!?」

 だが胸元からの泡食った声と妙に柔らかな感触に、その手が止まった。

 反射的に鉄針を掴もうとした手は、反射的であるがゆえにいつものようにしか動かない。

 最短コースを辿った右手は、その軌道上にいた、抱きかかえている初春の制服胸元に突っ込まれていたのだ。

 鉄針を掴もうとした指が、あるかなしかの膨らみを掴んでいた。

「や、やん! 白井さん! 私は御坂さんじゃありませんよ!?」

「ち、違いますの!」

 初春からしてみれば、突然抱きしめられた上に胸を揉まれた状況だ。その上、いつもの白井を知っている。

 彼女が一瞬にして鳥肌をたてたのが、奇しくも胸元に突っ込んだ手から伝わってきた。

(こ、こんなことをしている場合では……)

 暴れる初春にバランスを崩されながら、鉄針は諦めて視線を戻すと、オッドアイはすでに鋏を構え直していた。

 左右取っ手それぞれの輪を掴み、両腕を水平にまで拡げた姿勢。

 彼我の間合いはさ2メートルもない。踏み込まれたら刃が届く。

「敵ですのよ!」

「へ!? きゃん!」

 極めて簡単に状況を伝えた白井は、初春の胸元から手を抜くことなく、彼女を強引に抱えて身を翻す。

 右手がブラジャーの隙間に入り込み、膨らみの先端に触れている気がするが、構ってなどいられない。

「そこはだめで……きゃあ!」

 白井が地面を蹴ると同時に、ジャキン! と、再び鋏の音。

 先程より近い。

 歯噛みする白井。同時に初春の身体が強張ったのが、文字通り手に取るようにわかった。視線を動かした拍子に、彼女にも敵が見えたらしい。

 初春とともに『空間移動』することは可能だが、路地は暗すぎた。転移先に何があるのかわからない状況下でそうすることは、危険を通り越して自殺行為に近い。

 振り向いてもう一度大通りを視界に入れようとするものの、オッドアイが両腕を振り上げ、90度まで開いた鋏を大上段に構えている。

 白井と初春が並んで走ることもできないような狭い路地だ。加えて先の一撃を回避した時に、路地奥に入り込んでしまっている。

 壁と鋏とオッドアイに隠され、大通りが見通せない。

「――っ」

 真上を見あげる。

 だがそこは、不幸にも雑居ビルの間だった。ささやかなベランダが邪魔になり、こちらも転移するには危険が過ぎた。

 逃げるしかない。

「走りなさい初春!」

「はははははい!」

 相手に背を向ける屈辱を味わいながら、白井は駆け出した。

 半ば白井に抱きかかえられたまま初春も慌てて自分の脚を動かし始める。

 まるで二人三脚のように走る彼女たちの背を。

 鋏が鳴く音が、追いかける。

今回の投下は以上です。
日曜日にならなくってよかった……やはり前倒しにやっとくべきですね。普段から。ええ、普段から。

今までのパターンから、私は心情系になると筆が遅くなる傾向が強いようです。
心理描写が巧みな人って、どんな本とか映画とか見てるのか、どんな勉強をされているのか、とても気になるものです。

それでは、次の投下で。
ね、年内完結は無理でも、年内にもう一回くらいは……くらいは……。


(見つからない……!)

 姫神は脚を止め、周囲を見回してから、手近な店の壁に寄り掛かった。

 顔を上向かせ、激しくはない、しかし荒い呼吸を繰り返す。

 上条の寮から常盤台中学校の寮まで。

 途中、学生が好みそうな店を覗きながら往復すること四半日。

 晩夏の季節であっても、もはや陽は落ち、夜になる時刻に至っていた。

 それでも美琴は見つからず、手掛かりも手に入っていない。

「む、無理するなです髪長人間。ちょっとは休みやがれですぅ」

 姫神の両腕に抱えられ、ただの人形の振りをしている翠星石が小声で言った。

 約6時間。

 姫神は、ただの一度も休憩らしい休憩を取っていない。

 せいぜい今のように脚を止め、店の壁や信号柱に背を預ける程度。それすら、数えるほどの頻度でしかなかった。

 額に浮いた汗は前髪を張り付かせ、頬を滑った汗は襟元に染みていく。

「わかってる。でも。休んでいられないから」

 姫神は小さく首を横に振った。

 その拍子に、パサリと烏の濡れ羽のような黒髪が一房、巫女服の衿にかかる。

 翠星石まで届いたそれは、長い時間外風に晒されたせいか僅かに艶を失っていた。

 上条を真紅に任せてから、インデックスはホーリエとともに、そして姫神は翠星石を伴って美琴を探しに出ている。

 組み合わせに恣意はない。魔術の素人である姫神が、人語を操れないホーリエと組むのは難しいと判断した結果だった。

 問題は、ホーリエと翠星石は元より、インデックスも姫神も美琴のことはほとんど知らないということ。

 インデックスはせいぜい風斬氷華の件や大覇星祭で会話した程度。姫神に至っては、今朝がほぼ初対面である。

 立ち寄り先も知らない状態で美琴を探し出すことは不可能に近かった。


 幸いだったのは、彼女の通う常盤台が全寮制だったということくらいか。

 姫神は巫女服に着替えた後、まず寮に向かい、在不在の確認をすませ、寮監という女性へ自分への連絡先を渡している。美琴が帰宅すれば連絡があるだろう。

 しかし平日ならば、学校によっては最終下校時刻も過ぎる時刻だが、休日の街はまだ活性を保っている。

 連絡の期待はするが、当てにはできなかった。

「ただでさえ。着替えたせいで時間を無駄にしてる」

 背中を壁から離し、歩き出す姫神。しかしその脚取りは疲労ゆえか、重く、遅い。

 踏み出し脚に纏わり付く赤い袴が邪魔だ。ついでに言えば、洋服と比較して分厚い巫女服の布地もだ。

 もちろん姫神は、意味なく着替えたわけではない。

 わざわざ己の部屋に戻ってまで巫女服を纏ったのは、自分自身を目立たせるためだった。

 単純な話、『西洋人形を持った少女』よりも『西洋人形を持った巫女』の方が、目と耳をひくだろう。

 妙な巫女が必死に探しているという状況があれば、どこかでそれを聞いた美琴が、逆にこちらに接触してくることも期待できる。向こうがこちらを探す際でも、巫女服というのは大きな目印になる。

 探し回ること。

 それ自体が、美琴を探す方法のひとつなのだ。

 だがそれを説明してもなお、翠星石は膨らませた頬を戻そうとしない。

「そもそもこんな広くて人の多いところなのに、おめーとシスターだけで人を探そうってのが無茶なんですぅ。ちょっとは助けを呼ぶとかしやがれです。友達の一人二人、いねーんですか?」

 バシバシと周りに気付かれない程度に、己を抱える腕を叩く。

 その様子に姫神は、ふっ、と微笑みを浮かべた。

「心配してくれて。ありがとう」

「へっ!?」

 翠星石は一瞬ぽかんとした表情を見せたと思うと、すぐに、ぷいっ、と顔を背けてしまった。

「か、勘違いするんじゃねーです。翠星石はおめーら人間なんか大嫌いなんですぅ。ただ単に、いまおめーに倒れられたら、翠星石だけじゃ真紅の家に帰れないから、ちょっと言ってやっただけですぅ」

 しかし長い髪から覗く耳が赤く染まっているその様子は、とても言葉の内容に沿ったものではなかった。

 思わず、微笑が苦笑に変わるのを止められない。


「……」



 ――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。



(どういうこと。なんだろう)

 姫神は、アウレオルスが言っていた言葉を、改めて思う。

 彼が『偽・聖歌隊』を使って黄金練成を構築する以前に求めていたのが、この『薔薇乙女』たちだ。

 アウレオルスが何故『薔薇乙女』を探していたのか、当時の姫神は知らなかったし、興味もなかった。

 姫神自身が知っていたのは、彼が呟いた言葉と周辺から漏れ聞こえた断片情報だけ。

 それらと昨日インデックスから聞いた話を総合するに、どうやらアウレオルスは『薔薇乙女』が究極に至るまでの道程――人形という存在を超えるための技術を知りたかったのではないか、と思われた。

 あれほど人ならぬ身を求めていた彼だ。

 ただ行方不明というだけで必要な物を諦めるとは思えず、そしてアウレオルスが、当時協力者だった自分に対して嘘をつくとも思えない。

「……」

 そして、そんな彼の言葉を信用するならば『薔薇乙女』は、もう存在しないということになる。

 姫神が今まで危惧していたのは、ここに顕れた『薔薇乙女』たちの真偽だった。

 昨日から、上条の身に降りかかっている争い。

 その発端になったのは彼女たち『薔薇乙女』だ。

 上条は真紅の言葉を信じて、彼女たちの争いに身を浸している。

 だがもし。

 もしも、その『薔薇乙女』自体が、すべて罠だったとしたら。



 ――魔術師の基本は秘密であること。とうまが『ない』って決めつけてることを狙ってるかもしれないんだよ!



 インデックスが小萌の家で、外ならぬ上条に告げていた言葉だ。

 インデックスとアウレオルス。

 双方ともに、魔術世界のエキスパートだ。適当な事など、絶対に告げないに違いない。

 ある程度は魔術側を知っている、言い換えればある程度しか魔術側を知らない姫神が考えても、『禁書目録』と『上条の右手』は重要極まりない存在だ。

 そしてこの事件は、上条のところに薔薇乙女が飛び込んだことから始まっている。

 『薔薇乙女』同士の争いではなく、彼と彼女を狙った謀の可能性も、十分に考えられた。


「……」

 でも、と姫神はさらに思う。

 それでも、上条を心配する真紅の横顔や、こうしてこちらを心配する翠星石の横顔は、偽りの物には見えなかった。

 表情、感情、仕種。 

 抱える手に響く感触はやや人より硬くとも、温もりは先ほど抱えた上条となんら変わらないのだ。

 三沢塾に監禁され、謀略と利用の中にいた姫神から見ても、とても上条を騙しているとは思えない。

 だからこその違和感。

 アウレオルスの言葉の真偽。そこから派生し、拭いきれない不審。

 単にアウレオルスが『薔薇乙女』を見つけられなかったというだけなら、まだいい。

 もっとも危惧すべきことは、『薔薇乙女』が偽者で、なおかつ、彼女たちすら騙されている場合だ。

 もしもそうなら、この状況がすべて、相手の思惑通りだということも―― 


「っ」

 そこまで考えたところで、突然腕の中の翠星石が身を震わせた。

「?」と、姫神。

 この道中なんどかあった、科学の何かに驚いた、というわけではなさそうである。

 その証拠に姫神が見る限り周囲におかしなところはなく、そして翠星石が泡食った様子で質問してこないからだ。

「どうしたの? なにか。あった?」

 彼女の耳に口を寄せて姫神が問うた。

「蒼星石の気配……」

「え……」

 蒼星石というと、先程上条の部屋で戦った蒼い薔薇乙女か。

 翠星石が顔をあげる。

「蒼星石が、夢の扉を開いてるです! また、誰かを襲うつもりですぅ!」

 切迫の声。

「!」

 姫神は思わず周囲を見回した。

 まだ人通りは多い。しかしあのセーラー服は魔術師だ。

 実力はわからないが、少なくとも結界を張れるだけの技量がある。

 夢の扉が何を意味するのかわからないものの、翠星石の口調から穏便なことではないだろう。


「……っ」

 姫神の胸に、焦りと恐怖がないまぜになった感情が渦巻いた。

 インデックスが放ったなんらかの魔術でダメージを受けていたので、まさか今日は動かないだろうという無意識の安心があったことに、いま気がついたのだ。

 しかしそんな保証は、どこにもない。

 いまは戦闘のできない姫神と、完調には程遠い翠星石。

 襲われたら、一たまりもなかった。

 翠星石を抱く腕に力が篭る。

「蒼星石は。近くにいるの?」

「そんなに遠くってわけでもねーですが、近いってこともなさそうですぅ。でもこのままじゃ、急がないとまた翠星石たちの力が悪いことに……」

 翠星石が哀しそうに呟く。

 どうやら狙いは自分たちではないようだ。

 しかし誰かが、あの鋏の切っ先を向けられているのに相違ない。

「……」

 どうする?

 上条に連絡をすべきか。

 いや、あの状態の上条を引っ張り出すわけにはいかない。再びセーラー服と戦闘になれば、ただでさえ負担のかかっている上条がさらに疲弊するだろう。いくら彼が頑健だとは言え限界はあるし、人は疲労だけでも命を失うこともある。

 しかし、姫神と翠星石が向かったところで、何ができる? 

 上条の部屋で見た、水銀燈の黒羽と真紅の薔薇。

 相手は同じ『薔薇乙女』だ。あれと同等の力を持っていてもおかしくなく、翠星石が自ら戦うことは苦手だと、上条の部屋を出るときに零していた。

 ではインデックスと合流するか。敵を多大な影響を与えた彼女の魔術があれば、対抗できるかもしれない。

 いや、だめだ。もしも美琴にそっくりの敵がいれば、それこそ打つ手がなくなってしまう。あの敵はインデックスの魔術を受けてなお、即座に反撃の態勢を取っていたはずだ。


「……」

 姫神は奥歯をかみ締めた。

 諦めるしかない。

 どこの誰が犠牲になるかわからない。

 しかしいま助けにいけば、それこそ犠牲者が一人と一体増えるだけで――



 ――ごめんなさい。私にもっと力があれば……



「……!」

 どうしてか耳に、上条の部屋で聞いた真紅の言葉が響いた。

「……」

 そのとき見た、真紅の顔が目の前に浮かぶ。

 三沢塾で感じた哀しさが胸に甦る。

「……」

 いま腕の中の、翠星石の顔。

 大覇制祭で感じた哀しさが胸を抉る。

「……」

 そして、気を失いながらも美琴を気にする、上条の顔。

 昨日、小萌の病室で感じた哀しさが、胸の奥で蠢いた。

「……!」

 姫神の、翠星石を抱く手に再び力が篭る。

 しかしそれは、先程のように不安を伴ったゆえ、ではなかった。


 姫神は翠星石に問う。

「貴女は。あの結界に入れるの?」

「へ? 結界、ですか?」

「うん」

「け、結界がなんなのか翠星石にはわかりませんけど、夢の扉経由なら蒼星石の近くにいけるのは間違いないです」

「一度入って。その後。抜け出ることはできる?」

「絶対とは言えねーですけど、それくらいならなんとかなるはずです。翠星石があの女から逃げるときも、そうやったですから」

「そう」

 ひとつ頷き、

「じゃあ。行こう」

 と、姫神は言った。

「え、ど、どこに、ですか?」

「蒼星石を。止めに。今からなら。間に合うかもしれない」

「な、お、おめーは人探しが……」

「いい」

 首を振る。長い黒髪が大きく揺れ、夜の中でなお黒い軌跡を描く。

「上条くんなら。きっとこうするはずだから」

 実際問題、自分に何ができるかはわからない。

 蒼星石と対峙しれば、逃げ出すことしかできないだろう。セーラー服相手に『魔法のステッキ』が通じると考えるほど楽天的ではない。

 しかし姫神でも、襲われた者を抱えて逃げることはできる。怪我した者を手当てするくらいはできる。一人で逃げるしかなくても、助けを呼ぶことはできる。

「で、でも」

「それとも」姫神は翠星石の言葉をさえぎった。「貴女は。蒼星石を。助けたくないの?」

「なっ!」

 絶句する翠星石。

 しかしその直後に、噛み付くように返ってくる答えは決まっている。

「……」

 一秒後に。

 翠星石と頷きあい、巫女服の袴を翻し。

 姫神は走り出した。


以上で今回の投下は完了です。
まとまって落とすか、ちょこちょこがいいか迷いましたが、無理することなくちょこちょこにしました。

前回から10日くらい……分量的にこれくらいならいけるか、なぁ……うむむ。
それでは、次回。失礼します。



 同刻。

 ホーリエを修道服の胸元に入れたインデックスは、歩き続けていることが原因の汗とは異なる汗を、たらりとかいていた。

「ま、迷っちゃった……かも」

 周囲を見回す。

 まだまだ元気な各種飲食店や、そろそろ店じまいを考え始めている服飾屋等、おそらく、商店街と呼称すべき場所だろうということは推察できた。

 しかしここが何処で、どっちに行けばいいのかと言ったところがわからなかった。

 完全記憶能力を持つインデックスは、本来どんなところに行っても迷うことはない。

 一度通った道を覚えることは言うに及ばず、図形的かつ立体的に情報を整理することで頭の中に詳細な地図を描くことができるはずだった。

 しかしこの学園都市ではその情報処理が正確に働かない。記憶そのものは蓄積されるのだが、情報として上手く結合できないのだ。

 もしこの現象を土御門あたりが聞けば、AIM拡散力場とインデックスの脳に巣くった魔術との干渉が原因だろう、という程度には考えたかもしれない。

 しかしインデックスにしてみれば、細かい理屈などどうでもよかった。

 いまは道に迷ってしまったという事実と。

 いまだ美琴が見つからないという事実と。

 そしてそろそろお腹が空いてきたという事実が、重要なだけである。

「こ、このままじゃ、まずい、かも」

 ポツリと呟くインデックス。

 上条の家を出てから約6時間。そして最後の食事からは7時間が経過しようとしている。

 自身がどれくらい空腹に弱いかくらいは自覚していた。



 ―――人よりほんのちょっと、弱いくらいだ。



 だがそうであっても今は障害になってしまう。食べ物の匂いに気を取られて、美琴の探索が疎かになってしまう可能性があった。

 もっとも、上条辺りに言わせれば可能性どころか確定事項なのであるが。


(短髪……短髪……あ、おにぎり屋……ううん、短髪……あ、クレープ屋……)

 夜の商店街を歩くシスターはかなり目立っていたし、人通りもそこそこあった。しかし虚ろな目付きでフラフラしている様から、なんとなくアンタッチャブルな雰囲気を感じ取り、誰も声をかけようとしない。

「短髪……ごはん……短髪……ごはん……」

 周囲を見回しながら懸命に歩くインデックス。決して不真面目ではない。彼女は大まじめだ。

 千鳥足のシスターが進む先は、まるでモーゼのごとく人ごみが割れていく。

 ――と。



 ―――!



 ひゅん、といきなり、インデックスの胸元から光球が飛び出した。

「ほーりえ?」

 探索に出てから時折話しかけても鈍く光るだけだった人工精霊の突然の動きに、インデックスの思考は追いつかない。周囲を歩く者たちも何事かと目を向けるが、彼女はそれにも気づいた様子がなかった。

 ホーリエは数回インデックスの周囲を旋回した後、その目の前に滞空。

 一瞬の静止の後、概ね球形を保っていたその形状を一気に変化させはじめた。

 グネグネと不定形に揺らいだ後、いきなりウニのように鋭い刺状の球に形を変える。

 突き出した何本もの刺。ホーリエはそのままさらに動いた。

 それぞれがまったく同期を取ることなく、ある刺は伸び、ある刺は縮み、を繰り返す。

 それはまるで、360度に何かを探すかのような動きで――



 ―――!



 やがて一本の刺が、大きく大きく突き出した。

 その先端が指す先には、商店街の一角にある大きめのビル。

「!」

 刺につられて視線を動かしたインデックスは、その出入口からつい今しがた出てきた人影を見て、半開きだった目を見開いた。

 ホーリエが一度、紅く発光する。

 その人影は、赤毛で、花の髪飾りをつけていた。






 美琴が背後から強烈なタックルを受けたのは、仮眠をとったビジネスホテルから出て、数メートル歩いたところでだった。




「短髪!」

 聞き覚えのある声に聞き慣れない呼称。

「は?」

 と振り向きかけた美琴の視界に、何やら白い塊が見えた瞬間。

「見つけたんだよ!」

「げふあっ!?」

 頭から思いっきり脇腹に突っ込まれ、身体をくの字に折り曲げて色気のない悲鳴をあげた。

 0.5秒の慣性力を伴った滞空の後、インデックスの下敷きになる形で倒れる。

「げっほげほげほっ! あ、あんたぁぁぁぁ! いったいぜんたい何考えてんのよ!」

 倒れ込む瞬間に電磁力で怪我だけは防いだ美琴が咳込みながら上半身を起こすと、腰に腕を回したインデックスがずずい!と顔を寄せてくる。

「探したんだよ短髪! 怪我はない!? どこか痛いところは!? 誰かにいきなり襲われたりとかなかった!?」

「あんたが並べ立てたことはあんたに今されたわぁ!」

 ぐいっ! とインデックスの頬を押しつつ、美琴は叫ぶ。

「んむおぉ、お、押さないでほしいんだよ。それにまだ魔術の痕跡を調べてないから、ちょっとこのまま調べさせてほしいかも」

「はぁ? 何よ、調べるって?」

「大丈夫、すぐすむんだよ。まずは正座してほしいかも」インデックスが身を起こし、そのまま美琴の手を引っ張った。意外に強い力。

 立ち上がろうとしていた美琴もそれに逆らうことはなかったが、上半身を起こしたところで今度は両手を握られた。

「え?」

 結果として女の子座りの美琴と跪いたインデックスが手を握り合っている状態になる。

「じゃあはじめるんだよ。一応『歌』に集中する感じで目を閉じてくれると助かるかも」

「ちょ、ちょっと待ちなさいあんた!」

「心配しないで短髪。はじめるからね」

 美琴の抗議の声には耳を貸さず、逆に安心してくれとでも言うように、改めて両手を優しく握るインデックス。

 そして目を閉じ、天を仰ぐように顔を上向かせた。


「……」と、美琴。

 あまり付き合いがあるわけではないが、不意にインデックスが浮かべた、今まで見たことのないほど厳粛で静かなその表情に、思わず言葉と動きを止めてしまう美琴。

 インデックスの、透明さすら感じさせるシスターとしての顔。さらに彼女が元々持っている幼さが、その透明さに純真無垢という単語を当てはめていた。

 その唇から、小さく珠のような声で『歌』が紡ぎだされ始める。呼気はインデックスの髪を揺らし、それに乗った甘い香りが美琴の鼻腔をくすぐった。

 小波のような、或いはそよ風のような『歌』は不思議な振動を美琴の身体に伝えてくる。繋いだ両手から、インデックスの高めの体温がダイレクトに伝わってきた。

「……」

 声を荒げることも身動きをとることも憚られて、さらにが耳に響く『歌』の心地よさに、身体に入れていた力が抜けて――





 ――ちゃらり~ん、という携帯電話の写真撮影の音。



「……はっ」

 その瞬間、美琴は正気に戻り、そして状況を再認識した。

 ここは商店街。

 夜でもいまだ多い人通り。

 学園都市では珍しいシスターに、そこそこ有名人の自分。

「「「……」」」

 完全無欠に注目を浴びていた。

「ま、まてまてまてまてぇっ!」

 インデックスの手を払いながら立ち上がる美琴。

「ひゃ!」 

 インデックスがそれにつられて道路に尻餅をつく。

「い、痛いかも。短髪、動いちゃだめなんだよ」

「ああああああんたが悪いんでしょうが!」インデックスに構わず周囲を見回す。好奇の視線。「~~~~っ! ああっ、もう! ちょっとこっち来なさい!」

 耐え切れなくなり、さっきとは逆に美琴がインデックスの手をとって引っ張り立たせた。

 そのまま踵を返し、集まっていた人の輪を弾く勢いで走り出す。

 後ろで「わっ、わっ」とか言っているインデックスを横目で見ながら、

(~~~~っ!)

 美琴は、赤くなった頬に空いている左手を当てた。




「……で、どういうつもりなのよあんた」

 道すがら、駆け込む勢いで入ったカラオケボックスの中。

 美琴は四角いイスに腰掛けて腕を組み、向かいに座るインデックスを見た。

 最初は路地裏に駆け込んだのだが、インデックスが再び『歌』い始めたので、やむなくカラオケボックスに入ったのだ。

「安心してほしいんだよ。短髪には魔術の兆候も残滓もなかったし、人形からの揺り返しも見つからなかったから」

 つい今、『歌』い終わったらしいインデックスが、むしろ自分が安心したような表情で言った。

「だからなんなのよそれは。なに? 魔術? 私にわかるように説明しなさいよ」

 大覇星祭のときにも少し思ったが、どうにもこのシスターとは話が食い違う気がしてならない。

 “あのバカ”に関係することで、あまりいい関係が築けていないことや、そもそも人種に依る文化の違いのせいかとも思っていたが、それ以外にも根本的に何かが異なるようだ。

 美琴にもそれがなんなのかよくわからないが、如何せん相手のほうがその差異を気にしていないのだからやっかいだ。追求しても、綺麗な答が返ってこない原因である。

「わかったんだよ。えっとね」

 と、インデックスが口を開きかけた、その時。



 ―――!



 ひゅん、と街角で美琴を見つけたときと同じように、ホーリエが胸元から飛び出した。

「わっ!」

 美琴が驚いて仰け反る。

「な、なによこれ。あんたの能力か何か?」

 一瞬驚いたものの、すぐに平静を取り戻す美琴。

 能力の中には、己の五感の一部をこんな風に『飛ばす』能力もある。過去にそれを悪用した覗き魔を白井が逮捕したとも聞いたことがあった。

 逆に魔術の存在を当然と認知しているインデックスは、美琴が驚かないことに驚かない。

「ホーリエ!? どうしたの!?」

 相互の知識空白によってホーリエの存在を疑問に思わない中、インデックスが問う。

 それと同時に。



 Prrrrr



 電子音。

 携帯の、着信音だ。


「「!」」

 電子音に、インデックスが己の胸元を見た。

「あ、わ、え、えっと」

 あわあわするインデックス。

「……いいわよ、でても」

 それを話をしなくていいのか、という葛藤だと解釈した美琴が、右手をヒラヒラとさせた。それにあわせるように、ホーリエが、ボウ、と鈍く発光する。

「う、うん」

 実際は滅多にかかってこない電話にどう対処すればいいのかよくわからないゆえの動揺だったのだが、美琴にそれがわかるわけもない。

 インデックスは胸元に手を突っ込み、上条に持たされている携帯電話を取り出した。

(か、簡易ケータイ……珍しいわね)

 インデックスの触る携帯を見て、美琴が内心で呟いた。実際、通話とメールしかできないこの手の携帯は、学園都市ではほとんど見かけないのだ。

 却って珍しい携帯電話を思わず見てしまう美琴の前で、なんとか通話ボタンを押したインデックスが、おそるおそる携帯を耳に当てた。

『やっと繋がった。よかった』

「あいさ!?」

 直後、携帯電話から響いた声にインデックスが驚きの表情を作る。

「……」

(あいさ? どっかで聞いたような)

 ふと首を傾げる美琴。

 その名前には覚えがあった。

(確か、今朝会ったあの娘よね)

 “あのバカ”と一緒にお見舞いに行くと言っていた、あの大和撫子だ。

 クラスメイトということだったので、インデックスと面識が会ってもおかしくはない。

「……」

 あの時のことを思い出し、なぜかまたムカムカとしてきた。

 ジジジ、と前髪がなる。


「あいさ、走ってるの?」

 携帯電話の通話でいっぱいいっぱいのインデックスは、目の前の紫電には気がつかない。

 むしろ電話の向こうから聞こえる緊張した姫神の声と、連続して聞こえる足音の方が気になった。

 美琴はいま、自分の目の前にいる。それを知らない姫神が走っているのは不自然ではないが、この声の緊張はなんだ。

 インデックスの胸に嫌な予感がわき、

『手短に言う。あの蒼い薔薇乙女が。誰かを襲ってるらしい。翠星石が。気がついた』

「!」

 そしてそれは的中とは言わずとも、近い形で実現していた。

『私はこれから。翠星石の案内でそこに向かおうと思う。悪いけど貴女は超電磁砲を……』

「短髪は今見つけたんだよ!」

『え? 短髪? 超電磁砲?』

「そうそれ!」

「あんたねぇ……」

 会話内容は聞こえないが、なんとなく流れで『それ』扱いされたことを察した美琴が頬を引きつらせた。

『そう。じゃあ上条くんに。伝えるのも任せる。私はこのまま。その人を助けにいくから』

「だ、だめだよあいさ! 相手は魔術師なんだよ!? わたしも行くからちょっと待ってて!」

『大丈夫。無理は絶対にしない』

「でも!」

『貴女が。逆の立場だったら。どうするの?』

「っ!」

 その問いにインデックスが言葉を詰まらせた。


『……』

 電話の向こうから、小さく『ごめんなさい』と声。

『着いたら。また電話するから』

 あわててインデックスは叫んだ。

「ちょっと待って! あいさ、そのままデンワーは繋げてて!」

『なぜ?』

「いいから! 絶対切っちゃだめだよ!?」

 それだけ言い含めてから、

「短髪!」

 とインデックスは美琴を見上げた。

「な、なによ」

「ケイタイデンワー持ってる!?」

「は?」

 何を言っているのかこのシスターは。

 この街で携帯電話を持っていないのは、赤子くらいなものである。

「そりゃ持ってるけど」

「貸して!」

「え、いやよ。あんた自分の持ってんじゃない」

「だめなんだよ! これをこのままにしてれば、結界を摺り抜けられるかも!」

「結界?」

「線で繋がってるデンワーは空間的な連続性を確保し続けるから、結界の抜け穴になり得るの! ほんとはこういうケイタイデンワーじゃ駄目なんだけど、蒼星石と対になる翠星石がいれば、もしかしたら大丈夫かも!」

「え、ちょ、ちょっと待ちなさいあんたが何言ってるのかちょっとよく…・・」

「お願い短髪! 後で私の晩御飯半分あげるから貴女のケイタイデンワー貸して!」

「どんな取引よそれは!」

 とは言い返しつつも、あまりの危機迫った様子に、

「ったく、ちょっと待ちなさい!」

 ポケットから携帯電話を取り出し、インデックスに手渡す。

「ありがと! 半分あげるね!」

「いらないわよ!」

 実はそれが前代未聞空前絶後の稀有な取引であったことは、当然知る由もない。


「あいさ! きこえる!?」

『うん』

「わたしは今から短髪に借りたケイタイデンワーでとうまに連絡するから、あいさのケイタイデンワーはこのままにしておいて! このままだったら、結界を破れるかも! それから、絶対無理しちゃだめだからね!?」

『……わかった』

 インデックスはひとつ頷き、携帯の通話ボタンを何も押さないまま、胸元に戻した。というか彼女は切り方を知らない(いつもは上条側が切っている)のだから、いつもどおりである。

 そして今度は美琴から受け取った携帯電話を開く。

「あ、言っとくけど通話だけよ通話だけ! それ以外はダメだからね!? あと変なところ触んじゃないわよ!?」

 美琴の注意を聞いているのかいないのか。

 インデックスは真剣そのものの表情で、しかし待ち受け画面を見たきり、動かない。

(ボ、ボタンが多いんだよ)

 操作がさっぱりわからない。

 適当に押してもいいが、なにぶんこれは他人のものだ。その上、変なところを触るな、とまで言われている。

「……あのね、あんた何がしたいの?」

 よくわからないが、なにやらのっぴきならない状況のようだ。見かねて口を挟む美琴。

「とうまとお話したいんだよ!」

「へっ!?」

「短髪を見つけたことと、あいさが危ないことを伝えないと!」

「な、なんでアイツが私を探してんのよ!?」

「さっき短髪にそっくりの人形がいて戦ったんだよ! そしたらとうまが、短髪が危ないかもって」

「!?」

 美琴の顔色が変わった。

 自分にそっくりの、人形のようなモノ。

 それが上条と戦った……?

「あんたそれ詳しく聞かせなさい!」

「ちょ、ちょっと待ってほしいかも!」

 インデックスが美琴を気にしつつも焦りに満ちた表情で携帯を見つめ続ける。

 しかしその瞳は相変わらず迷いしか映していない。

「ああもう貸しなさい!」

 インデックスから携帯を取り上げる美琴。

 インデックスは一瞬だけ「あっ」と声をあげたが、携帯を操作する美琴を見て、伸ばしかけた手をとめた。

「あのバカの番号は!?」

 美琴は上条の電話番号を知らない。

 たたき付けるように問うと、インデックスは「えっとね」と、今までの拙い操作とは裏腹に、すらすらと番号を告げた。

 諳んじることが出来るほど何度もかけているのか、と正体不明のモヤモヤが美琴の胸に去来するが、とりあえずは無視。

 美琴は一秒強で電話番号を入力して、素早く通話ボタンを押した。




 携帯電話を耳に当てる美琴と、通話開始を待つインデックス。

 二人とも、電話に集中している。

 そんな彼女たちの、頭上で。



 ―――……



 ホーリエが、あたかもその様子を観察するかのように、じっと、滞空している。

今日の投下は以上です。
会話シーンがあるとどうしても長くなる傾向が。
それに伴って口調も四苦八苦。美琴は楽なのですが、姫神と、インデックスさん結構難しいです。
まぁ一番口調で悩むのは上条さんなんですけど。

なお、作中に出てくる現象・事象の解釈は私の独断と偏見ですので、ご了承ください。
今回で言うと、インデックスが道に迷う理由とかです。

あ、それから前回投下分で、姫神が小萌のお見舞いを昨日、と書いていますが、今朝の間違いです。
見落とししていました。ちょっと脳内補完をしていただければ、と思います。

それでは、次回。
上条さんと真紅が出てくるパートになりそうです。





 自分の体温が上昇する感覚。 

 それは同時に、意識の覚醒を意味していた。

「……ぅ」

 暗い視界の中に真横一線の切れ目が入る。

 瞼を開いているのだ、と自覚すると同時に、差し込んできた光に顔をしかめた。

「ん……ぐ……眩し……」

 右手を目の前に翳す。指の間から天井が見えた。

 学生寮の天井だ。

(あれ……?)

 自分の部屋には違いないが、逆に見慣れない光景である。

(俺、なんで……)

 ベッドに寝てるんだ、と思う上条。

 普段の自分の寝床はバスルームのはずで……、

「目が覚めた?」

「!」

 真横からの声で思考は中断された。

「真紅?」

 驚いて向けた顔の前。頭の真横。

 ベッドの端の僅かなスペースに正座した真紅が、心配八分安心二分の表情で上条の顔を覗き込んでいた。

「身体の調子はどう? どこか辛いところや、痛いところはない?」

「いや、少しだるいだけで大丈夫だけど……。というか、え、なんで俺、ベッドに寝てんだ?」

 内心で首をかしげながら、ふと視線を真紅から逸らすと、閉められたカーテンが見えた。

 その隙間から見える外は暗い。


「夜?」

 上条は一度不思議そうに呟いてから、

「――っ!」

 目を見開いて一気に上体を起こした。

 掛け布団が跳ね退けられ、突然持ち上げられた頭がクラリと揺れる。

 奥歯を噛み締めて眩暈をやり過ごした上条は、再び真紅に顔を向けた。

「真紅! 俺は何時間くらい寝てたんだ!?」と、上条は言った。

「約6時間よ」

「……御坂!」

 上条がベッドを下りようとする。

「待ちなさい当麻!」

 だがその直前、真紅が上条の肩を掴んだ。

 しかしその身体は赤子のような小さい。

 とても抑え切れるものではなく、逆に立ち上がりかけた上条に引っ張られて「きゃっ!」真紅がベッドに倒れ込んだ。

「!」

 慌てて上げかけた腰を降ろす上条。

 右手を伸ばしかけて――しかし、彼女に届く前に引っ込めた。迂闊に触れば真紅を殺してしまう。

「す、すまん。大丈夫か?」

 と、気まずそうに上条が言った。

 大丈夫、と真紅は返し、身を起こす。それから乱れてしまった髪とドレスを整え始めた。

 そしてその手を止めないまま、なおも焦りの様子を隠せない上条を見上げ、 

「少し落ち着きなさい」

 と言った。


「御坂美琴さんだったら、シスターと秋沙が探しに行っているわ。まだ連絡がないけれど、見つけたら貴方のケイタイデンワに連絡があるはずよ」

「あいつら、なんで」

「貴方の身を案じて、そして、貴方の意を汲んだからなのだわ」

 真紅は言葉を切り、微かに気まずそうな表情を浮かべた。

「覚えているでしょう? 貴方は昼間の戦闘が原因の疲労で意識を失った。……少しでも身体を休めなさい。貴方が探し回る側で、この部屋にシスターや秋沙がいたとしても、安全ではないことはさっきわかったでしょう?」

「だったらなおさらほっとけねぇだろ!」

 安全ではないのなら、それこそ手は多い方に越したことはない。

 いやむしろ、どこにいても危ないと言うのであれば、せめて自分が同行するべきだろう。

 だが真紅はその考えを読んだように、首を横に振った。

「シスターにはホーリエが、秋沙には翠星石がついている。何か危険があれば私にはそれを把握できるのだわ」

 ホーリエは言うに及ばず、翠星石とも擬似媒介として『繋いで』ある。

 あのような結界に放り込まれたなら真紅に危険を知らせてくるだろう。

 インデックスと上条ならば結界を破壊できる。

 そして翠星石の方は――昼間の戦いではそのような時間も余裕もなかったが――元々夢に出入りできる彼女だ。

 nのフィールドと同質のあの結界からであれば、脱出することも不可能ではないはずであった。

「で、でもよ」

 なおも言い募ろうとする上条に、はぁ、と真紅はため息をついた。

「なら仮に、いま貴方が探しに行ったとして、その御坂美琴さんを見つける算段はあるのかしら? この時間によく行く場所を知っているとか、今なら確実にここにいる、とか」

「それは……」

 そんなものはない。

 なにしろ携帯電話の番号だって知らないのである。

 よく考えれば普段、美琴と出会うのは街角で行きあったとか、公園で見かけたとか、そういう偶然に依るものばかり。そして出会えば決まって追いかけっこだ。

 知っていることと言えば住んでいる寮くらいのものだが、帰っていなければそれも無意味である。そしてインデックスはわからないが、姫神ならばまず最初に寮に向かっているだろう。

 連絡がないことを考えれば、結果は推して知るべしだ。

「……」

 上条は沈黙するしかない。


「だったら手当たりしだいということでしょう? それなら今、シスターと秋沙が代わりにやってくれているのだわ」

「それでも俺は」「当麻、もう一度言うわ」

 上条の声を遮る。

「なぜ、あの二人が、疲労で倒れた貴方の代わりに探しに出て行ったと思っているの?」

 彼女たちの気持ちが本当にわからないのか?

 いま感じている心配を、彼女たちが自分に対してしているということも理解できないのか?

 真紅の瞳は、そう真正面から問うていた。

「……」

「……」

「……わかった」

 不承不承、という風情で頷く上条。

 ベッドに座り直した彼はいまだ心配を色濃く残しているが、飛び出していく気はなくなったようだ。

 それでもどこか気忙しいような、そんな雰囲気は隠しきれていない。

「……」

 真紅が見る限り、彼は不満というよりも不安なのだろう。

 他の誰かが危険かもしれない状況をわかっていながら、自分が動いていないということ自体が。

 それはとても危険なことなのだと、真紅は思う。

 彼はきっと自分を大事にしない。

 誰かが傷つくくらいなら自分が矢面に立つ。

 そんな人間だ。

 今も、彼は自分の休養のためではなく、インデックスや姫神の気遣いを無駄にしないために、動いていないにすぎない。

 真紅は、上条の横顔見る。彼の眼差しを、見る。


(まるでジュンのようなのだわ)

 彼は、まったく似ていないにも関わらず、なぜかジュンを思い起こさせた。

 上条とジュンは、まったく種類の異なる人間だ。

 かたや猪突猛進、かたや五里霧中。

 周囲を引っ張るスタンスと、状況に巻き込まれるスタンス。

 あらゆる幻想を殺す力と、失われた魂を呼び起こすことのできる力。

 しかしそれでも、大事なものを放っておくことのできない頑なさは共通している。

(ジュンはどうなったのかしら)

 自分がここにいる。

 つまり、ジュンをマスターとしたアリスゲームは終わったということだ。

 どのような結末になったのか、真紅は何度も思い出そうとした。

 しかしどんなに掘り返そうとも、まるで霞みがかったかのように記憶を見通すことができなかった。

「……」

 記憶の欠損。

 昨日インデックスや秋沙と初めて会った部屋で感じた違和感と、昨夜鞄の中で感じた予感と、そしていま改めて味わった実感。

(私は、失っている。ジュンとともにあった時の記憶を)

 右腕を見る。

 先の戦闘で、水銀燈に引きちぎられかけた部位だ。

 しかしあの瞬間に感じた悪寒は、部位欠損に対する恐怖だけではない。

 あの時と同じ、という、予感を伴った畏れだった。

 『前回』の記憶に間違いない。

 左手で右腕に触れた。

 この右腕はかつて一度、切断されている。

(だったらなぜ、元通りになっているの?)

 一度外れてしまったパーツを繋ぎ合わせることは容易ではない。というよりも、ほぼ不可能だ。

 それはローゼンと同等の腕前――『神業級の職人』であるということなのだから。


(ジュンにもそこまでの力はなかったはず)

 誰が、修復したのだろう。

(彼に会うことができれば、いえ、本人に会えなくても、子孫が何かを聞いていれば、記憶の欠損を取り戻せるかもしれない)

 真紅が見る限り、ジュンのいた時代と今の時代は、極端に離れていないように思えた。

 あるいは彼は、まだこの時代に生きているのかもしれないが、それは甘い考えだろう。

 真紅にはジュンが何処に住んでいたのかすらわからないのだ。それは記憶の欠損かもしれないし、元々の知識として知らないのかもしれない。

「……」

 あれから何があったのか。あの戦いの結末はどうだったのか。

 思い出せない。何も浮かんではこない。

 だが、最後に何か大きな決断をしたような、そんな気がする。

 敗北を意味するような――契約を自分から解除するとでも言うような、それほどまで強い決断を。

(……)

「どうしたんだ?」

 思考は横から割り込んだ上条の声に遮られた。

「な、なに?」と、真紅。

 首を傾げる上条の顔が目に入る。

「いや、なんかいきなり黙ったからさ」

「……」

「なんか心配事か?」

「……」

「真紅?」

「……心配事……心配事、ね」

 らしくなく、どこか虚ろな口調でつぶやく。

 そして訝しげな上条に、またもらしくなく力無い笑みを向けた。

 両膝を胸元に引き寄せて座り、そこに顔を乗せる。

 それはいつか、右腕を失った時と――ジュンに背を向けていたときと同じ仕種だった。

「私は、」

「あ、ああ」

 すう、と真紅は息を一息呑み、続けた。


「私は壊れているのかも、しれない」

「は?」

「……」

「ど、どういう意味だよ」

「……記憶」

「え……」

「私の記憶は、不完全なのだわ」

「なっ」

 妙な声を出した上条に目は向けないまま、真紅は己が両の手を覗き込んだ。

 不安を色濃く映した横顔。見れば彼女の両手は小さく、小さく、だが確実に震えを刻んでいた。

「全部なくなったわけじゃないの。前の契約者――ジュンのことは覚えている。あのとき何があって、どんな戦いがあって、どう暮らしていたかも、全てではないけれど思い出すことができる」

「……」

「でも」

 真紅は両手を握り締めた。

 そこにあるはずの、あったはずの何かを掴むように。

「デパートの屋上で雛苺と戦ったときまで、私は忘れていた」




「雛苺は、もういなくなっていたのに」



「雛苺から、ローザミスティカを託されていたのに」



「彼女の想いを、雛苺の意志を受け取ったはずなのに」




「私は、忘れていたのだわ。忘れているのだわ」

 真紅の口調はまるで、罪を告白する咎人の様。

「いまもまだ、思い出していないことがある」

 それは何も雛苺のことだけを告げているのではなかった。

 ジュンと共に在ったこと。

 雛苺や翠星石と、そしてきっと他の薔薇乙女とも結んでいただろう日々。

 自分なりのやり方を、その先に見ていた日々を、ほんの一部でも創り出せていたはずの記憶。

 それをなぜ覚えていないのか。

 なぜ忘れてしまったのか。

 なぜ失ってしまったのか。

 なぜ、思い出せないのか。



 ……あの時の想いは、その程度でしかなかったのだろうか。



 口が止まらなかった。

 堰を切ったように哀しさと罪悪感が湧きあがり続ける。

 昨日から自分の中で誤魔化し続けていたナニカが、不意に形となって自分自身を苛んでいた。


「……真紅」

「私はもう」

 弱弱しい声。

「真紅」

「きっと『壊れて』しまって……」

「真紅!」

「っ!」

 嗚咽のような真紅の言葉が止まる。

「……」

「……」

「……」

「……」

「……やめるんだ。そんなこと……自分が壊れてるだなんて、思うことない」

「……」

 ゆっくりと、真紅が見上げてくる。

 その瞳は泪こそ湛えていないものの、まるで迷い子のように、弱々しい。

 握り締められていた彼女の両手は再び開き、しかしそれは、まるで縋る何かを探しているように震えていた。

「……」上条は、一度、確実に、迷いの素振りを見せた。

 しかしすぐに彼は息を吸い込み、目を閉じる。

「……、……俺は」

 再び瞼を開いた彼の表情には、迷いは残ったままだが――決意の色で固められていた。

「俺も、記憶がないんだ」

 と、上条は言った。


「え……」

「この夏より前の記憶が一切ない。覚えてないんじゃない。忘れたんじゃない。無くしちまったんだよ、俺は」

「……」

「俺はインデックスを助けた、らしい。俺自身は覚えてないけど、ステイルっていうインデックスの知り合いから教えてもらった」

 彼は右手を包むように、胸の前で手を組んだ。

「記憶をなくしたのはその時だって、医者が言ってた」

 それはその右手を誇るようであり、逆に、救いを求めて神に祈るかのような、そんな仕種だ。

「……でも俺はインデックスとなんで知り合って、なんで助けたのか、知らない。わからない」

 調べることも出来ない。あの白い少女の笑顔を護りたいから。

「でも俺は思うんだ」

 組んでいた手を離す。

 右手を、力強く握りこんだ。

「もしインデックスを助けたら記憶がなくなるってことが先にわかっていたとしても」

「……」

「絶対に俺はインデックスを助けたって、そう思ってる。そうだって言える」

 拳を胸に当てる上条。

「インデックスと出会った『俺』はもういない。取り戻すことだってできない。でもきっと、その『俺』が今もいたら、絶対同じことを考えてるはずだ」

「……」

「俺の――上条当麻の根っこは、記憶のあるなしで変わっちまうもんじゃないんだ。記憶があるからとか、記憶がないからとか――そういうもんじゃ、ない」

「……当麻」

「俺には前のお前がどういう『真紅』なのかわからない。でも、」

 上条が真紅を見た。

「俺には、お前が真紅に見えるよ。きっと『俺』も、お前が真紅だって言うはずだ。間違いない」


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ふふっ」

 部屋に満ちた沈黙を破ったのは、真紅の笑い声。

「真紅?」

「当麻。貴方のその説明、残念だけれどなんの慰めにもなっていないのだわ」

 と、真紅は言った。

「え、っと……」

 あのね当麻、と真紅は前置きしてから、続ける。

「今の貴方が貴方であっても『貴方』であっても、見える私は今のこの私でしかない。貴方の記憶の有無は客観的に観測できる人がいて、そういう事実があるのかもしれないけど、私にはそれがない。なのに『私』を保証されても、意味がないのだわ」

「そ、そりゃそうだけどよ」

「それだけでも無意味だと言うのに、くわえて徹頭徹尾感情的。安心させる根拠もなければ話の中に論理的なものもない。あれでは慰めになる要素はカケラもないのだわ」

「それは、おっしゃるとおりなのでせうが……」

「まったく。説明もヘタクソなら、慰めるのもヘタクソなのだわ。これではシスターも秋沙も苦労しそうね」

 はぁ、とため息。

「……も、申し訳ございません」

 なぜここでインデックスや姫神の名前が出るのかはわからなかったが、言われて見れば真紅の言うとおりだ。

 比較対象もないのに、以前と今に差異がないと保証されても、言われる側からすれば意味がない。

(もっと勉強しとけばよかった……)

 がくん、と肩を落とす上条。

 こんなところで普段の成績を後悔することになるとは。


「……でも」

 真紅の右手が、そっと上条の左手に重ねられた。

「ありがとう」と、真紅が言った。

「え」

 ベッドに腰掛けたままの上条に寄り沿うようにしながらも、彼の顔を見ないよう――彼に顔を見られないよう、視線を落とす。

「私に、貴方のとても大切なことを教えてくれて。自分自身を傷つけてまで、私を護ろうとしてくれて」

 この告白は彼にとって、とても勇気のいることだったに違いない。

「辛いことを聞いた。辛いことを言わせてしまった」

 その証拠に、告げる直前に彼は、確かに迷いを見せていた。

 告げている間の声にも、迷いが見えていた。

「当麻。私は貴方に感謝するのだわ」

 今も、重ねた彼の左手には動揺の名残を遺すかのように、力が入っている。

「……約束したろ?」

 と、上条が言った。

「え?」

 思わず俯かせていた顔をあげる真紅。

 見上げた彼は、気恥ずかしいという言葉を知らないように、真紅を真正面から見つめていた。

「お前を――真紅を護るって。俺の誇りにかけて、真紅を護るってさ」



 ――誓いなさい。薔薇の指輪と、貴方の誇りにかけて。私のローザミスティカと、私の意志と、私自身を護ると



 一瞬、呆気にとられたような表情を浮かべる真紅。

 彼が告げた『約束』は、あの時の儀式の言葉。

 だがそれは契約を促す時に告げる、定型文のようなものだ。

 にも関わらず、それを彼は心から誓ってくれていた。

 いま、ではなく、あの時から。


「……」

 真紅は無言のまま再び顔を伏せた。

 そしてゆっくりと、額を彼の腕に押し当てる。

 長く艶やかな髪が、サラリと上条の二の腕にかかった。

「し、真紅?」

 今更ながらに自分と彼女との体勢を意識したのか、上条が動揺の声を漏らした。

 しかし真紅はそれに構うことなく、目を閉じた。

 胸の中に、とても温かい感情がある。

 そしてそれ以外に、思い出したことも。

(そう、これはあの時と同じ)

 思い出したのだ。

 唐突に、突然に。

 右腕を失いジャンクになったと嘆いた自分を、ジュンは不器用でも必死に慰めてくれた。さらには、自身の辛い記憶をえぐり出してまで、この右腕を取り戻してくれた。

 ちょうど、今の上条と、同じように。




 ――私が私でいるための大切な要素



 ――水銀燈だって他のどんなドールだって



 ――ジャンクなんてどこにも居ないのかもしれない




「……」

 なぜ、こんな大切なことを忘れていたのか。

 右腕を失った事実のみを残し、自分の中に埋もれていた記憶。

 それがいま、はっきりと甦った。

 あの時、腕をなくしていても感じた、幸せな感情とともに。

「私は誇り高い『薔薇乙女』第5ドール」

 ポツリと呟く。

 上条の左手に重ねた右手。その人差し指を、すいと動かした。

「そして幸せな、貴方のお人形」

 薔薇の指輪に、小さな指を這わせる。

「誓うわ」

 彼女の口元に浮かぶのは、柔らかな微笑み。

「私は」

 顔をあげる。伏せていた眼を開き、上条の顔を見つめる。

 そして告げた。

「私の意思と誇りを持って、貴方と貴方の大切なものを、護るのだわ」







 順調だ。

 上条の部屋で広がる光景に、内心で笑みが浮かぶ。

 『幻想殺し』と、赤い薔薇乙女。

 欲を言えば、翠の薔薇乙女も『幻想殺し』と契約していれば、さらに事は容易に運んだに違いない。

 まぁ、それはいい。元々の予定にない行動は、計画を根本から崩す可能性がある。

 問題はない。

 『薔薇乙女』たちは、ほぼ期待通りの動きをとってくれていた。

 あとは『人形』が先に潰れてしまわなければ、舞台は整うだろう。

 『幻想殺し』と赤い薔薇乙女の絆を感じ取りながら、再び内心で笑う。



 Prrrrr



 上条の部屋に、不意に電子音が響いた。

 携帯電話。

 御坂美琴からの、着信だ。



 役者は揃う。

 幕が、上がろうとしていた。



今回の投下は以上です。

夏からこっち、ちょっと忙しかったことと、実はこの一連の会話シーンがこのストーリー内で書きたかったシーンの4番目のものだったので、時間がかかってしまいました。
悩みながら手直ししたのですけど、やっぱり心情描写は中々上達しませんねぇ。もっと本を読もう……。

そんなわけで、今日はこれにて。








 浅く斬られた右頬から溢れた血液が顎の先から珠となって落ち、絨毯敷きの床に花を咲かせた。

「はっ、はっ、はっ」

 肩で息をする白井。

 激しい呼吸にあわせて、両方のリボンを失って解けた髪が背中で揺れる。所々が裂かれた制服には、血が滲んでいる箇所が幾つも認められた。

 そんな彼女の、眼前。

 3メートルほどの間合いをあけて鋏を構えるは、蒼い短身――蒼星石。

 蒼もまったくの無傷ではなかった。

 打撃によるものか、帽子を跳ばされ、上着の袂には解れが見える。

 しかしそれは互角を意味しない。

 なお無表情を崩さない蒼に対して、白井の顔にははっきりと消耗が浮かんでいた。

「もう限界でしょう? ジタバタせずに大人しくすればこれ以上怪我もしないわよ?」

 と、セーラー服が言った。

 戦闘開始からの約一時間、演台に腰掛けたまま動いていない彼女は、見せ付けるように脚を組み替える。

「……」

 白井は無言。

 言い返すだけの余裕はなく、仮にあったとしても花飾りの少女の身を考えれば迂闊な発言はできなかった。

 しかし、

「……」

 その瞳に浮かぶ意思は小揺るぎもしない。

 ただ、諦めない。

 ――もしも自分が諦めれば、優しすぎるあの人が哀しんでしまう。

 そんな確信に値する確かな想いが、白井から戦意を失わせなかった。 


 目に見えるような毅然とした態度に、セーラー服は舌打ちした。

 おそらくは蒼星石に注がれる視線も、同様に鋭さを保っているだろう。

 苛立たしげにもう一度脚を組み直しつつ、さらに言葉を重ねる。

「能力は使えず、増援もない。遠からず限界もくる。この期に及んで何を期待しているのかしら?」

「……」やはり返答は無言。白井は視線も向けない。

「……」

 ギッ、とセーラー服の奥歯が鳴った。

 ……絶望に染まる白井の表情が見たい。

 それも力及ばずというだけではなく、諦めた悔恨と、それでもなお諦めきれない悔恨を顔に浮かべた白井が。

 簡単に見ることができると思っていた。

 見せかけだけの均衡と、それに甘んじながらも打破できない状況。

 絶望感のある閉塞の中に浸されれば、人はたやすく地金をさらす。

 あるいは、

 ……花飾りの少女を傷つければ。

「……」

 セーラー服が目を細めた。

 そうだ。

 何をこだわっている。

 約束を反古にすることに、戸惑うことなどないだろう。

 あの娘は御坂美琴に群がる害虫でしかない。

 そう、虫だ。

 虫が何をわめこうが、こちらが傷つくことなどない。

「……蒼星石」

 花畑を斬れ。

 そう言おうとした。

 その直前だった。




 バン!



 と音をたて、唐突に講堂への出入口が開いた。

「「「!」」」

 セーラー服が顔をあげ、白井が振り返り、蒼星石が鋏を向ける。

 集まる視線。

 薄闇の中に浮かびあがったのは。

 白と赤。

 そして翠。

「っ!?」

 蒼の顔が驚きに揺れる。

 同時に、

「翠星石!?」

 セーラー服が叫んだ。

「――はっ」

 赤と白――姫神は、駆け上がってきたために乱れた呼吸を一息に吐き捨て、最上段から講堂を見下ろした。

 蒼星石。

 対峙する傷ついた少女。

 そして奥の演台に腰掛けるセーラー服。

 その足元に倒れ伏す、花飾りの少女。あの腕章は『風紀委員』か。

「翠星石!」

 助けるべきは誰なのかを一瞬で把握した姫神は、腕の中の薔薇乙女の名を呼びながら花飾りの少女を指差した。

「任せるです!」

 応じた翠星石が、姫神の指先を追うように右手を伸ばす。

 ほんの一瞬、翠星石の全身が翠の光を放った。

「!」

 セーラー服が目を見開いた。

 目の前に人の腕よりもなお太い植物の茎が突如出現したのだ。


 その元は、眼前で倒れる初春飾利の髪飾り。

 花飾りたちが翠星石の力を受けて、爆発的にその身を成長させたのである。

 あ、と言う間もなく初春の身の丈を越えるほど成長をとげた花たちは、さらに各々が寄り集まるように茎を束ねあわせ、一本の巨大な植物へと姿を変えていた。

 そして転瞬、意思持つかのようにその茎を『く』の字に折り曲げて、

「やっちまうです!」

 翠星石の声とともに、横殴りの一撃がセーラー服に襲い掛かった。

 ぶんっ、と空気を大きく切り裂いた植物を、セーラー服は回避できない。

 直撃。

 弾き飛ばされ、演台に背中をたたき付けられる。

「かはっ!」

 口から声とも呼気ともつかぬ音が漏れ、そのまま横倒しに倒れる。

 直ぐさま起き上がろうとするが、

「っ、っ、っ!?」

 動けない。

 打撃そのもののダメージだけではない。 

 一撃によって打撃面から伝達した魔力がセーラー服の全身を伝播し、内部にまでダメージを与えていたのだ。


「!」

 好機。

 白井が花飾りの少女に向けて走り出した。

 巫女服の少女も、蒼星石に似た娘の正体もわからない。

 セーラー服の敵対者が、必ずしも白井に益するわけではない。あるいは、彼女たちも白井黒子の世界を害する存在かもしれない。

 だが白井は己の直感に賭けた。

 巫女服と翠を信じ、彼女は全力で駆ける。

「マスター!」

 それを追うように蒼星石が床を蹴った。

 彼女の跳躍力ならば、一足で白井に刃を届かせることは造作もない――「させねーですよ蒼星石!」翠星石の声とともに、蒼の足元が円形に光り、幾本もの植物が出現した。

「なっ!?」

 茎がまず蒼星石の足首を搦め捕り、続けて腕を、胴を、首を拘束する。

 倒れ込む蒼星石。

「くっ、このっ」

 蒼星石は即座に鋏で植物を切断しようとする。

 だがそれよりもはやく、

「そこまで。」

 巨大な鋏にコツンと触れる何かがあった。

 顔をあげる蒼。

 姫神。

 その手にあるのは、彼女呼称における魔法のステッキ。

 実態は高出力スタンロッドだ。

 それが何なのか蒼星石にはわからない。

 だがすぐにわかった。

 姫神の右手が、躊躇なく通電のスイッチを押し込んだからである。

「うああああっ!!!」

 蒼星石が背中をのけ反らせて悲鳴をあげた。

「……っ!」

 姫神の左腕に抱えられた翠星石が、ビクビクと震える蒼星石の姿に泣きそうな表情を浮かべ、しかし、身を拘束する植物を緩めない。

 蒼星石に悪いことをしてほしくなかった。今も、してほしくない。

 妹への想いが、翠星石にとって最も忌避したいはずの闘いを躊躇わせなかった。


「ぐっ、くっ……!」

 一方、枝による攻撃でいまだ立ち上がれないセーラー服が、ようやく床に手をついて膝立ちになった。

 翠星石の力は精神の樹木に介入すること。

 強い敵対心を持たれているセーラー服は、動かなくなってしまえ、という翠の意思をまともに受けてしまっている。

 重い頭。顔は伏せたまま。

 それでもなんとか顔を起こそうとして、

「形勢逆転、ですの」

 その床だけ映った眼前に、女の靴が、ざっ、と音をたてた。

「白井、黒子……!」気力で顔をあげるセーラー服。

 奥歯をギリリと噛み締め、見下ろしてくる少女――白井を睨みつける。

 そんな憎悪そのものの視線を、白井は真正面から受け止めた。

 そこから目を逸らす事なく、白井は拾い上げた手錠をセーラー服に示した。

「風紀委員に対する公務執行妨害の被疑者。そして電撃使い襲撃事件の容疑者として、貴女を拘束しますの」と、白井は言った。

「っ!」

 彼女は、初春飾利の無事を確認するよりもセーラー服の拘束を優先し、そして『風紀委員』の通例を忘れず警告を与えている。

 憎悪を見返す白井の瞳には、欠片の私怨もない。

 あるのは誇り。

 御坂美琴が隣に立つことを認めた、誇り高い視線が、セーラー服を貫いた。

「……なによ」

 顔を歪めるセーラー服。

「なによ、なによ、なによ」

 床についた手が、握り締められた。




「なによなによなによ……なによおっ!」
 




 語尾は叫びに変わり、セーラー服が立ち上がった。

「なぜ貴女が私を見下ろしているの! なぜ貴女が! 奪ったのに! 無くしてるはずなのに!」

「……」

「貴女なんて、」

 セーラー服は大きく息を吸い込み、

「貴女なんて、もう御坂美琴の顔も思い出せないクセに!」

 講堂に響き渡る声で、セーラー服が言った。

「確かに、そのとおりですの」

 しかし白井は、その事実をあっさりと肯定した。

 電撃使い襲撃事件の被害者が、なぜ能力を使えなくなったのか――それを彼女は文字通り身をもって感じていた。

 蒼星石の鋏は、記憶を削り取る。

 おそらくこの力で、被害者は能力に関する記憶を奪い去られのだ。

 必須演算式の記憶や、それを補強する経験を奪われてしまえば、通常どおりに能力行使できなくなって当然である。

 だがいま白井が奪われたものは、能力に関するものではなかった。

 いまの白井は、美琴の顔を思い出せない。

 美琴の声を思い出せない。

 美琴との会話を、美琴との日々を、美琴との思い出を、何もかも思い出せない。

 先ほどの戦闘で、一太刀受けるごとに、白井の中から大切な記憶がなくなっていったのだ。

 しかし、だ。

 白井はセーラー服を見た。

 襟足にかかった髪を、左手で払いあげる。

 そして言った。

「でもそれが、どうかしまして?」

「!」

 誇りも意思もまったく衰えていない声が降り注ぎ、セーラー服が一度、大きく震えた。


「貴女は何を勘違いしているんですの? わたくしは、わたくしの誇りの元に、この胸にある敬愛を抱いているんですのよ?」

 白井は胸に手を当てた。

 記憶は奪われている。

 しかし想いは、確実にそこにあった。

 御坂美琴という名前を聞いて浮かんだ、言いしれない温かなモノ。

 それをしっかりと感じながら、セーラー服を見据える。

「これは、貴女には絶対に理解できないことだとわたくしは断言しますの」

「っ!!!!」

 セーラー服は蒼星石を振り仰ぐ。

「蒼星石ぃ! 何をしているの! 立ち上がりなさい! そしてこいつを、白井黒子を殺しなさい! 早く!」

 植物に拘束され、電撃に痺れ、まともに動ける状態ではない蒼星石に、喚くような命令を投げかける。

 セーラー服にとって、蒼星石はただの捨て駒だった。

 ローザミスティカも、アリスゲームも知ったことではない。

 御坂美琴を己が望む存在にするために使える、ただの戦闘人形。

 それだけだ。

 だから、己の望む命令を発する。それがどんなに見苦しいことか、気がすることなく。

「マス、ター……!」

 そんな彼女を見てもなお、立ち上がろうとする蒼星石。

 しかし、

「そんなことさせねーです」

 姫神の腕から降りた翠星石が、妹を背中に、セーラー服の視線を遮った。


「!」目を見開く蒼星石。

「蒼星石は翠星石が護るですよ。たとえ、」

 翠星石は、肩越しに妹を見る。

「蒼星石を壊してでも、護るです。絶対」

 矛盾しながらも確固たる想いの元、再びセーラー服に降り注ぐ翠の視線には、これもまた強固な意思が称えられていた。

「!!!」

 ビクリと震えるセーラー服。

 ザッ、と靴の擦過音。

「!」

 弾かれたように視線を戻せば、白井が一歩、脚を踏み出していた。

「貴女の、負けですの」

 セーラー服の身体は、まだ、思うように動かない。

「だ、黙れ……」

 白井がさらに一歩、踏み出した。 

「黙れ、黙れ」

 白井がまた一歩、踏み出した。

「黙れ……黙れ黙れ黙れえええぇぇぇ!」

 セーラー服が激高した。その表情が怒りに彩られた。

 右手を無理矢理動かし、スカートのポケットから『人形』を取り出す。

 振り上げた。

「! 抵抗をやめなさい!」

 白井には魔術の知識はない。

 だからセーラー服が取り出した物が人形であることは認識していても、それがどれだけ危険なものなのかまで把握できていなかった。

 『空間移動』には先だって不安を植えつけられているため、白井は駆け出すことでセーラー服との間合いを詰めようとしていた。

「遅いわよ!」

 『人形』をたたき付ければ、白井は倒れる。

 そうすれば白井を人質にして、翠星石と巫女服の女も抑えられる。

 形勢は再び逆転するはずだ。

 セーラー服の手が、『人形』を床に叩き落とす――




 バチィ!



 と空気を叩く音が、講堂に響き渡り、

「きゃあっ!」

 同時に走った一条の紫電が、セーラー服の右手首を撃ち抜いた。

 衝撃、ダメージ、電撃による痺れ。

 それはセーラー服が『人形』を手放すには十分すぎる要因。

 『人形』は重力に引かれるままに床に落下した。

「な……」

 手首を抑えながら、セーラー服が呆然と電撃が飛んできた方向に目を向けた。

 気を失っている初春の、ちょうど真上。

 一群の薔薇の花びらが突如として出現し、渦を巻いている。

 電撃は、渦の中心から放たれていた。




「黒子の言うとおり、無駄な抵抗するんじゃないわよ」と、渦の中から声が響いた。




「ぁ……、……」

 その声を白井は知っている。

「な、そんな……なぜ、結界を……」

 セーラー服もまた、その声を知っている。

「……。」

 姫神は、その声に聞き覚えがある。

 彼らと、姫神と、翠と蒼の視線が集まる中。

 花開くように、薔薇の渦が四散した。

 その中から現れた、赤い薔薇乙女を左手に抱えた人影が、初春を背中にかばうような位置に着地する。

 ジジ、と人影の前髪が、微細な電気を走らせた。

 人影は、初春を見て、姫神を見て、翠と蒼を見て、セーラー服を見て、そして、白井に視線を向ける。

 口元には、笑み。

「よくがんばったわね、黒子」

 と、人影が――御坂美琴が、言った。

かなりお待たせすることになりましたが、今回の投下は以上になります。

今回は狭い空間に複数名、しかも視点がバラバラと移動する形式のため、非常に書きにくいパートでした。
映像ではこういう部分はスピード感があってよいのですが、文章だとどうしても急ぎ足なイメージがついてしまいます。
かと言って、文章量を増やせば今度はくどくなるという……プロの書き手はこういうのも上手に処理するのですから、すごいなぁ、と実感します。

そろそろ終盤に差し掛かってきました。この物語で最も書きたいシーンまで、もう少し。
年内完結ははっきり無理ですが、今後ともお付き合いいただければ、と思います。
では。



「「「……」」」

 全員の注目が集まる中、美琴はゆっくりと、左腕に抱えていた紅い人形――真紅と名乗ったか――を床におろした。

 小さいが上等と一目でわかる靴が講堂の床板に接し、コツ、と音をたてる。

「あんたね、最近『電撃使い』を襲いまくってるやつってのは」

 儚い音が消えてから、美琴は床に落ちた白井の人形に視線を移し、言った。

 ハッキングで得た情報の中には、現場の状況も詳細に記されている。

 何かの破片が――西洋人形等に用いられる陶器の破片が検出されたという、分析結果があったのだ。

「ど、どうやって、ここに?」

 美琴の質問に応えず、震えた声でセーラー服が問うた。

 その震えの意味を『超電磁砲』と相対した恐怖、あるいは――こうなることを望んでいただろう犯人であれば――武者震いであると判断し、警戒しながらも美琴は肩を竦めた。

「さぁ? 悪いけど、その辺りはこっちのこの娘に聞いて。私も驚いてんだから」

 真紅は明らかに人間ではないにも関わらず、まるで人のように動き、話し、そのうえ白井のお株を奪うようにテレポート系の能力まで発現させてみせた。

 美琴の常識で言えば、真紅は精神系能力の一派である『憑依』か、あるいは操作系能力での産物。そしてテレポートはこの場にいる誰か――消去法でいけば巫女服の少女に依るアポートだろう。

 つい十数分前、電話で指定した場所で上条と落ち合った時は、思わず目を疑った。

 何しろ彼と共に来た者が、昨夜戦闘になった水銀燈――美琴が『幻想猛獣』ではないかと疑いを持っている相手――と、よく似ていたからである。

 本来ならば是が非でも問い詰めたいところだったが、今朝バス停で知り合った姫神とそれに同行している翠星石と言う人物に危険が迫っているというので、真紅や水銀燈については後で必ず説明するということを条件に、とりあえず疑問は飲み込むことにしていた。

 美琴にして軽いものではない事実であるにも関わらずその結論に至った要因は『多才能力』や『幻想猛獣』という単語に彼等のいずれもが本気の疑問付を浮かべたことや、そして決して美琴は認めないに違いないが――上条が真紅は敵ではないと保証しているのも、大きい。

「私と翠星石は擬似媒介として繋がっている。そして翠星石は私を通じて当麻から力を得ることが出来る」

 美琴の言葉を引き継いで、真紅が口を開いた。

「逆に言えば、私も翠星石の力を借りることができる。これだけの条件が調っていれば、私でも夢を渡ることが出来るのだわ」

「それでも100%の保証はないですよ。無事に来れてよかったです」と、翠星石。

「ええ、ありがとう翠星石。それから秋沙。貴女たちのお陰よ」

 契約者を持つ薔薇乙女――真紅と、その真紅と擬似媒介で繋がった翠星石。

 通話状態を保持した――外界との結び付きを持ったままにしてあった姫神の携帯電話。

 結界内で気を失っている――夢を見る眠りと同義な状態の初春飾利。

 力の源と、夢を渡る能力と、綻びと、通り道。

 実際のところは、言葉ほど簡単なことではない。これだけ要素が揃っていても、夢渡りは真紅にとっても賭けに近かった。

 当初は自分とホーリエだけで先行する予定だったのであるが、携帯電話から知り合いの声がする、と言ったため、美琴も共に転移したのだ。

 もっとも上条はそもそも転移できず、さらにインデックスは上条が結界を破壊する際に『歌』を奏でてもらわねばならなかったので、同時に転移するのであれば美琴以外にいなかった、という事情もあったが。


「まぁ詳しい説明は後でじっくりとしてもらいなさい。私もまだワケわかんないことの方が多いんだから。話を聞ける場所は、留置場の中だろうけどね」

「っ……っ……っ……」

 言葉に押されたようにセーラー服が一歩後ろに下がった。青白い顔で視線をうつろわせる。まるで逃げ道を探しているような表情。

「アンタが何を考えて電撃使いを襲ってたり、私に水銀燈をけしかけてきたのか、黒子や初春さんにちょっかいをかけてきたのかは知らない。でも、こうなることはもちろん覚悟の上よね? ……今更逃げようとしてんじゃないわよ!」

 轟、と美琴の周囲に、一瞬で電撃の力場が出現した。

 真紅と、白井と、初春。

 周囲にいる味方を完璧に避けながら青白い閃光が渦巻き、空気を引き裂く。

「だ、だめですの!」だがそれを見て、白井が叫んだ。

「!?」美琴が視線を向ける。

 その視線に――相手の名前を思い出せないもどかしさを感じながらも、白井は言わねばならないことを言った。

「今この建物はその女の能力内にありますの! 詳細は不明ですが空間干渉系で、能力の制御を乱す効果があります! わたくしの能力もきちんと機能しませんでしたの!」

「空間干渉……?」

 ちっ、と舌打ちする美琴。

 『電撃使い』という系統は、発電だけならそこまで繊細な演算を必要としない。しかし美琴は扱う力の桁が違いすぎた。一歩間違えれば、この講堂にいる全員が黒焦げになるだろう。

 電撃が急速に収まっていく。それに伴って浮かび上がっていた前髪が、ゆっくりと元の位置に戻った。

「っ!」

 その瞬間を見計らって、セーラー服が踵を返した。

 講堂演台の脇にある暗闇――おそらく控え室と出入り口があるだろう方向に向けて、一気に駆け出した。

「逃がすか!」

 だんっ! と美琴が床を蹴った。


 超能力者の演算はすなわち学園都市の常識外と言ってもいい。

「きゃっ!?」真紅の驚声を置き去りに、体内電流を操作した踏み切りが『超電磁砲』の主の身体を一気に3メートルほど移動させ、セーラー服の真横に並ばせた。 

 そしてセーラー服が反応する前に脚払いを一閃。走り出しかけたセーラー服にそれを回避することなどできなかった。

「あっ!?」

 両脚を綺麗に払われたセーラー服は、大きな音をたてて床に転がった。

「マスター!」

 階段列に伏した蒼星石は立ち上がろうとするものの、

「大人しくするですよ!」

 反射的に振り向いた翠星石が植物の拘束を強め、

「動かないで!」

 姫神が再びスタンロッドを背中に押し当てて動きを封ずる。

「これでも喰らいなさい!」

 美琴が右手を、どこかの誰かのように強く握りこみ、セーラー服の背中に向けて打ち下ろした。

 拳にはスタンガン並みの電撃が纏わりついている。なんの防護もなく受ければ一両日は目覚めない。

 美琴の姿にただでさえ動揺を見せていたセーラー服だ。その上不意な転倒とあれば、繊細な演算は不可能。仮にピンポイントに能力制御を乱す力があっても、それを発揮することはできないだろう。

 美琴の勝利は確定した。

 だが。



 ―――!!!



 拳がセーラー服の背中に触れるよりも早く、左真横から伸びた腕が、その手首を掴んだ。


「!?」

 美琴が目を見開く。

 絡んだ指は細い女性のもの。

 しかし驚いたのはそこではない。

 掴まれた手首は拳ほどではなくとも十分な量の電気が帯電している。また、手首を掴んだ者はその接近を美琴に悟らせなかった――美琴の電磁レーダーを掻い潜ってきたのだ。

 これはつまり、相手が美琴とほぼ同質の電撃使いであることを示している。

 いやもっと正確に言えば、美琴と全く同じ性質を備えた電撃使い。

 反射的な動きで美琴は妨害者の顔を見た。

 茶色のパンプス、白い靴下。細い脚と、チェック模様のスカート。

 ベージュのブレザーに、胸元には赤いリボン。

 ショートヘアーに、ヘアピン。

 全て美琴には見覚えがある。いや、ありすぎだ。

「『妹達』!」と、美琴が叫んだ。

 鏡で見たように自分と瓜二つの存在。自分と同じ顔を持つ少女の右手が、こちらの右手首をガッチリと掴んでいた。

 普通であれば己の偽者を疑うべき状況だが、美琴にとっては違う意味を持っている。

 事前にインデックスから断片的にだけ聞いていたが、この光景は信じたくなかった。

 なぜ『妹達』の一人がセーラー服に協力しているのか。

 その疑問を彼女が口にするよりはやく、

「ミコト!?」

 予想していない方向から驚きの声があがった。


 床に伏せ、身をひねるようにして見上げているセーラー服。

 驚愕はセーラー服も同様。

 講堂に少女人形を呼んだ覚えはない。生贄代わりの己の人形を置いてある部屋に待機させていたはずだった。

 美琴に親しい白井との戦闘を想定していたため、先の戦いのように躊躇する可能性のある少女人形を連れてくるわけにはいかなかったのである。

 もちろん、この戦いに介入するような命令は与えていない。

 それがなぜ、ここにいるのか――



 ――!!!

 

 少女人形が美琴の顔面の向け、左拳を振るった。

 美琴にはとても及ばない規模の電撃を纏った拳。

「っ!」

 右手は掴まれている。左手はフリーだが、迫りくる拳は向かって右側からだ。

 だから美琴は防御を諦め、回避に集中。

 膝を崩すようにして曲げ、頭を下げるのではなく、腰を沈めて攻撃の軌跡から外す。

 ブン、と音をたてて、拳は動きについていけなかった美琴の髪を数本掠めていった。

 同時に纏わりついていた電撃が髪を電導線にして流れようとするが、瞬時に『超電磁砲』の発する電撃に溶け込むようにして消えた。

 

 ――!



 少女人形はさらに踏み込み、回避直後で体勢の崩れた美琴に対し、再び拳を――

「だ、だめよ、やめなさいミコト!」

 切迫したセーラー服が叫んだ。



 ――!!!



 主の声に少女人形は即座に反応した。

 拳を止め、右手を離し、一足で美琴から距離をとる。

「っ!」

 同時に美琴も強く床を蹴った。

 相手を追うためではない。

 正面を向いたまま、背中側に跳び、白井をかばう位置に着地した。



 数秒の攻防を終えた講堂に、美琴が床板を蹴った音が大きな音が響き、余韻を残して消える。

 不利になったのは、あくまでセーラー服側。

 美琴の位置からであれば、演算の負荷を考慮しても電撃を外さない位置にセーラー服は転がっており、また、少女人形の参入があってもその能力は限定的だ。

 『超電磁砲』に比肩するものではなく、パワーバランスは何も変わっていない。

 にも関わらず、

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

 息切れを起こしているのは、美琴の方だった。

 心臓がドクドクと大きく動いている。

 動揺によるものだ。

「どういうことよあんた……!」

 美琴の声に本物の怒気が混ざる。

 自分そっくりの人影に対してではない。セーラー服に対しての、だった。

 自分と『妹達』が敵対するなど、悪い冗談としか思えなかった。

 だが、鋭利な刃物を想像させる、美琴の視線への返答は、

「ごめんなさい御坂美琴! 貴女じゃないの! 私が呼んだのは貴女のファーストネームじゃないの! そこの、その紛い物のことよ!?」

 予想外の、泡食った謝罪であった。


「は……?」美琴の口から声が漏れる。

 セーラー服の言葉は続く。

「ごめんなさい! 申し訳なく思っているわこんな紛い物に貴女の名前をつけてしまって! でも許して! そうじゃないと駄目なの! これを使わないと、貴女を素晴らしくすることができないのよ!」

 美琴が予想していたのは、第3位の弱みを手にし、自分を脅迫できるだけのを材料を有した自信の顔だった。

 にも関わらず、敵はまったく見当違いのことを言い放っている。

「それに、駄目よ御坂美琴! 貴女が私をそんな目で見ては! 貴女が私をそんな風に構っては! 貴女が私みたいな矮小な存在を敵だなんて認識しては!」

 月の光が差し込む採光用窓を見上げるように顔をあげ、天井を仰ぎ、それから顔を両手で覆って俯いた。

 その様はまるで許しを乞う罪人のよう。

「私のことなんか考えなくていい! ううん、私のことなんか覚えないで! 私なんか見ないで! 私なんか、意識しないで!」

 そしてセーラー服は祝福を受けるように、両手を胸の前で組んだ。

「貴女は美しくて、気高くて、孤高であるべきなの! 私なんか視界に入ることすらない、素晴らしい存在でなくてはならないのよ! ああ、ああ、わかってるわ! 私はわかってるの! 私がこんなことを考えること自体が分不相応なことだって! でも許して! 我慢できないのよ! 貴女がそんなところに甘んじていることが! 貴女が白井黒子のような者と並んでいることが! 貴女がレベル0やレベル1と共にいることが! 貴女が有像無像の電撃使いの頂点だということが!」

 美琴を、見る。

 まるで幻想の中にいるような、当然とした瞳で。

「貴女は『電撃使い』であるべきなの! 『超電磁砲』のような能力名じゃない! 『電撃使い』はすなわち貴女を現すような、そんな存在でなくてはならないのよ!」

(な、なんなのよコイツ……!)

 ゾクリ、と美琴の胸中に寒いものが走り、

「っ……!」

 背中で、白井が息を呑むのがわかった。

 狂気。

 親愛と敬愛を情愛を煮詰め、煮詰め、煮詰め、煮詰め、煮詰め、コールタールのようにどす黒くドロドロになったかのような、粘質の狂気だった。




 いつのころからかわからない。

 気がつけば虜になっていた。

 気がつけば、彼女のことばかりを考えるようになっていた。

 彼女の異名や噂を聞くだけで、心が疼いた。

 他人から彼女への賞賛や妬みを聞くたびに、そんな口で彼女を語るな、と強く思った。

 彼女の隣に立ちたいと思い、自分のごとき存在がそうすることすら恐れ多く思い、自分以外の誰かが立つことを憎らしく思った。

 だから魔術にすがりついた。

 だから『薔薇乙女』を使った。

 だから『電撃使い』を襲った。







 全ては、理想の御坂美琴のために。




「だから待ってて? 大丈夫よ? すぐだから。すぐに貴女は変わることが出来るから! ちょっとずつ、ちょっとずつだけど、貴女は変わることができるから! この、出来損ないの紛い物の人形と私の魔術があれば、いらないものをそぎ落として、貴女は理想に向かって進んでいけるから!」

 中性的な魅力すら見て取れるセーラー服は、口元に歪んだ笑みを、瞳に歪んだ光を浮かべ、他の誰にも目を向けることなく美琴を見て、言葉を重ねる。

「そして私と蒼星石、この都市の電撃使いは片付けた暁には、貴女は最高にして唯一無二の電撃使いになれる! ただひらすらに美しい、この現代社会で必要不可欠なエネルギーの女王になれるのよ!」

「な、なに言ってんのよアンタ!」

 白井から向けられる少し行き過ぎた親愛表現とはワケが違う。

 混じりっ気のない純然たる狂気を当てられた美琴の声色に、僅かに怯えが浮かんだ。

(……)

 一方、初春を護る様に立っている真紅は、セーラー服の様子に目を細めた。

 この狂気。この執念。この視線。

 いずれも、ごく最近見たことがある。



 ――上条の部屋で腕を引きちぎられそうになったとき、水銀燈が浮かべていた自分に対する憎悪だ。



 冷酷な水銀燈であっても、これまでのアリスゲームで一度も見たことのなかった狂気の妄執。

 あの時の彼女が浮かべていたモノと、セーラー服のそれは、気のせいとは言えないほど似通っているように思えた。

 そしてさらに、

「……。」

 離れた位置で蒼の背中にスタンロッドを押し付けながら、姫神は胸の中に、奇妙な考えが浮かんでくるのを感じていた。

 セーラー服の狂気に当てられた、のではない。

 その狂気を吟味した結果、思い当たる一つの顔があったからだ。

 自らの考えが、何一つ間違っていないと信じている顔。自らをオリジナルと信じて疑わなかった、その男の顔。

 あくまで直感だ。なんの根拠もない。ただ単に、己の中にある感傷と記憶が、似たような顔をしているセーラー服と重なっただけかもしれない。

 それでも姫神は怖気を感じ、そして、その男の名前が、脳裏に浮かぶのを止められない。

 アウレオルス=ダミー。

 自分を本物と信じ、そして裏切られ、それでもなお足掻いていた、あの紛い物の男の顔が、セーラー服に何故かだぶって映ったのだ。

「……。」

 姫神の視線の先では、彼女の内心に関係なく壇上の叫びが続いている。

 その様は、まるで芝居の様だ。


「だからだめ。今はだめ。今は捕まれない。あと少し待って。貴女が女王になったら、私は自分で命を絶つから。貴女の記憶なんかに絶対に残らないから。だから、だから……ごめんなさい!」

 セーラー服が、スカートがまくれるのも気にせず立ち上がった。同時に少女人形の全身から、紫電が発せられる。

「くっ!!!」「お待ちなさい!」

 歯噛みする美琴に、駆け出そうとする白井。

 少女人形程度の電撃であれば、たとえ直撃しようとも『超電磁砲』で無効化できる。

 しかしそれ以前に、美琴にはセーラー服と己の間にいる少女人形が『妹達』ではないという確証が持てなかった。

 そして一方白井は、

「がっ!?」

 不意に全身に走った電撃による痺れに、駆け出そうとした矢先にその膝をつき、先のセーラー服のごとく床に転がった――少女人形の身体から床を這って走った電撃が、床に落ちていた白井の人形を一撃していた。

 美琴が動けず、白井が転び、初春は目を覚まさず、思考の内にあった真紅の反応は遅れ、翠星石と姫神は遠く。

 そうして出来た一瞬の隙に。



 セーラー服が、掌を向ける。



 蒼星石ではない。

「え……」

 翠星石に、だ。


「きゃああっ!!!」

 途端、翠星石が頭をのけ反らせて悲鳴をあげた。

「翠星石!?」姫神が叫ぶ。

「あはははは! 油断したわね翠星石!」

 駆け出しながら哄笑するセーラー服。

 ここはnのフィールドを土台とした『なぞらえ』を現実化する結界の中だ。

 薔薇乙女で、双子で、隣り合うローザミスティカから生み出された、翠と蒼。

 蒼の契約者の命令は、特異な結界の作用によって、翠に対しても影響力を与えていた。

「ああっ、くあっ、うぅぅ……!」

 翠星石はイヤイヤとするように頭を抱え、そして、

「なっ、そんなっ、だめっ……に、逃げるです髪長人間!」

 狼狽の声をあげながら、振り向き様に水平に右手を奮った。

 一瞬だけその身が翠光を放ち、同時に、蒼星石に纏わり付いていた植物が、主が命令に従ってその拘束をやめ、敵を解放する。

 その代わりとばかりに、次に植物が拘束対象として選んだのは、

「っ!?」

 姫神。

 彼女は目を見開き、その場から離れようとした。しかし間に合わない。

 手足と、首に植物が絡みつき、その自由を完全に奪い去る。

 我に返った美琴と真紅が動こうとするが、

「動かないで! 動けばあの女の命はないわ!」



 ――!



 セーラー服の声に真紅が、戦闘の構えを見せた少女人形に美琴が、いずれも凍りついた。







「な……」

 セーラー服は信じられないものを見る目つきで蒼星石を見た。

 彼我の距離は5メートルもない。薄闇の中であったが、セーラー服の位置から蒼い薔薇乙女の表情ははっきりと見て取れる。

 悲痛。しかし、決意。

 本気だ、と受け取れる表情が、自分に向いていた。

「もう、やめましょうマスター……」

 鋏を力なく右手に下げたまま、蒼星石は言葉を繰り返す。

「僕はこれ以上、今のマスターに協力するわけにはいきません……」と、蒼星石が言った。

「ふっ……ふざけないで! 貴女は私の言うことを聞いていればいいのよ! 私との契約がなければ動けない操り人形の分際で、何をわけのわからないことを言っているの!?」

 一気にまくし立てるセーラー服。

「――っ!!!」

 翠星石が一瞬、噛み付くように言葉を発しかける。

 しかし、視線ひとつでそれを止めたのは、他ならぬ蒼星石だった。

「僕は……僕も同じだった」

 蒼星石が語り出す。

 翠星石に向けていた瞳を、セーラー服に戻しながら。





「半身なんかじゃない、本当の自分自身になりたくて」



「もがいて、あがいて」



「そうして本当の自分を探すあまり、気づけば自分自身の影にがんじがらめに縛られていた」





 彼女の口元以外は動く物も者もない中、声は講堂によく響く。

 セーラー服は、自分のことなどどうでもよい。

 ただの使い捨ての道具であり、手駒。アリスゲーム自体にもさしたる興味はないのだろう。

 そんなことはわかっていた。承知していた。

 それでも蒼星石が彼女をマスターとしていたのは、

「貴女は、僕に似ている。僕は、貴女に似ている」

 一度目を閉じ、眉根を詰める。

 それから再び、両の眼で己が契約者を見据えた。

「っ」

 セーラー服が息を呑む音が響く。

 視線は冷たく、熱く、まるで研ぎ澄まされた日本刀のよう。

「僕にとっての翠星石が、貴女にとっての御坂美琴というだけ。僕の願い――翠星石のコピーではない本当の僕が在って欲しいと思う願いが、貴女にとっては御坂美琴が自分の想うミサカミコトで在って欲しい、と言うだけ」

 セーラー服が抱く御坂美琴への想い。

 それは、蒼星石が持つ姉への感情に、どこか通じる。

 自分と瓜二つであり、自分の影と言える存在。いや、影となっているのはむしろ自分の方であるというコンプレックス。

 それを言い換えれば、本当の存在が、理想の存在が別にいる、ということ。

 蒼星石は、自分がその存在になりたかった。セーラー服は、その存在を自分が創れたら良かった。

 脅迫観念に近いセーラー服の情念は、蒼星石のそれと方向性が逆というだけで、同質のものだ。

「……だから僕は貴女の望みを叶えてあげたかったんだ。そうすることで、僕自身も抜け出せる気がして」

 目覚めてから蒼星石はずっとセーラー服を見続けている。

 目覚めた直後、あのセーラー服自身の複製がある部屋で計画を語られてから、ずっと。




 『超電磁砲』は唯一無二であるべきだ。

 他の誰も追随できず、他の何者も頼らない。

 そんな気高い存在であるべき――あってほしい。




 『電撃使い』として評価される全てを打倒し、さらに御坂美琴本人を孤高の存在とし、その上で学園都市全域に『侵入できる電撃使いは超電磁砲のみ』という制約を持った結界を張り巡らせる。

 もちろんこの制約で展開できる結界範囲など極僅かだ。

 しかし一時的にでも『超電磁砲』=『電撃使い』という図式を学園都市で確立してしまえば、後は結界自体が持つ『なぞらえ』の力が、それを後押しする。

 僅かずつでも結界の数を増やしていけば、それに応じて結界そのものが強化される。

 そうした正のループの果てに、いずれは学園都市を覆おうことができるだろう。

 どのくらいかかるかわからない。反面、どのくらい危険かは想像に難くない。

 だが完成すれば、学園都市において『超電磁砲』に他の『電撃使い』が追いつくことは不可能になる。

 科学しかないこの町に魔術を理解することは出来ず、従って結界も破られない。

 『超電磁砲』の唯一無二は、達成されるのだ。出来るのだ。



 そのためには、学園都市を覆う『能力』とは異なる力が必要だった。だから、魔術を手に入れた。

 そのためには『超電磁砲』の心を変えなければいけない。だから、少女人形を作り出した。

 そのためには『電撃使い』を倒さなくてはいけない。だから蒼星石を目覚めさせた。



 彼女のために、彼女の周囲を、彼女の住む世界を、彼女自身すら作り変えようとする意思。

 それは歪んでいた。

 人間ではない蒼星石から見ても、セーラー服の想いは人が人に抱く感情とはかけ離れ、歪みすぎていた。

「貴女の想いは、僕にとって救いだった。きっと貴女は、理想になれなかったときに、僕がしたかったことを、やろうとしていたのだから」

 しかしそれは歪んでいたが、同時に透き通るほど純粋だった。

 そんな荒唐無稽極まりない計画を考えるだけならまだしも、実行に移す。

 純粋な想い以外が、どうやって原動力となるだろうか。

 翠星石の影に怯えていただけの蒼星石には、その想いと意思があまりにも眩しく、だからこそついていこうと決めていた。たとえ、セーラー服が自分自身を駒としか見ていなかったとしても。

「でも、もしそれが貴女自身を壊してしまうというのであれば」

 蒼星石の声に、力が篭った。

 鋏を握る手に、力が戻る。

「っ!」

 声に押され、セーラー服の顔が強張る。


 だが今、彼女の想いは彼女自身を壊そうとしている。

 『超電磁砲』が現れ、この場の戦況が悪くなったから、という意味ではない。

 セーラー服は、自分で命を断つ、とまで言い放った。

 御坂美琴を見上げる自分すら許さない。

 そんな境地にまで、想いは達していた。達してしまっていた。

「貴女自身が、貴女自身を壊す結果を生んでしまうというのなら!」



 ――それはきっと自分が姉に対して生み出す結果と同一であり、そして、



「僕は、そんな結果を認めるわけにはいかない!」

 蒼星石の声に意思が篭った。

 鋏を握る手に、意思が満ちる。指輪に、蒼い光が灯る。


「やめなさい……やめて……」

 首を横に振り、一歩、二歩と後ずさる。

 その顔には、今まで浮かんでいなかった感情――恐怖が浮かんでいた。

 恐怖の対象はたった一つ。





 自分の中にある想いに鋏を入れられること。





 自分を支えてきた想いが、断ち切られるかもしれない。

 ここまで自分を翔らせた想いが、消え去ってしまうかもしれない。

 蒼星石には、その力があるのだ。

「み、ミコトっ!」

 助けを求めて、少女人形に視線を向けるセーラー服。



 ――……

 

 だがどういうわけか、先ほど御坂美琴にすら自動的に立ち向かった少女人形は、一切動こうとしない。

 虚ろな視線と横顔を、何が起こっているのかわからないという風情の御坂美琴に、向けたままだ。

 そして今こそ、蒼星石が、大きく鋏を振りかぶった。

「だめです、蒼星石!」翠星石が叫ぶ。まだ『命令』の影響で動きづらい腕を必死に伸ばす。

 しかしそれと同時だった。

「僕は、貴