P「READY to CHANGE」(367)



「おはようございまーす!」


元気のいい声が聞こえる。
学校から直接来たのか、天海春香は制服だった。


「あぁ、おはよう。ってなんだその手に持ってるものは」

「え? えへへ。ドーナツですよー!」


楽しそうにそう答えるが、聞きたい答えはそうじゃあないんだ。


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楽しそうにそう答えるが、聞きたい答えはそうじゃあないんだ。


「そんなことは見れば分かる。なんでそんなものを買ってきたんだ」

「ぶー。そんなこと言うならプロデューサーさんにはあげませんからねっ」


ぷいっ、とそっぽを向く素振りをしてから
こちらの様子を伺う。
呆れたものだ。

そんな俺の様子を見てもなお楽しそうにしている。


「小鳥さーん。一緒に食べましょー?」

「ふふ、今日はご機嫌ね。何かいいことでもあったの?」


音無小鳥。彼女はこの事務所の唯一の事務員。
昔は本人もアイドルをやっていたのだけど、
今は引退して765プロの事務をしてくれている。
とても頼りになる人だ。


ここは765プロダクション。
まだまだ駆け出しのアイドル事務所。
今はアイドルと言えるのは春香しかいないが、
きっと時期にすごいアイドルたちでいっぱいの事務所になるはず。

否、してみせる。


「えへへ。わかります? 実は今日、学校の後輩に応援してますよ! って」

「そう。良かったわね~」


春香は小鳥さんのデスクの横に椅子を持ってきて一緒にドーナツを食べている。


そんことで浮かれていてはダメだろ。
これからトップアイドルになるっていうのに。


「えへへ~。やっぱりそうですか? でも嬉しかったんですよー」


ドーナツ頬張りながら言われてもなぁ。


「まぁ、それもそうだな。一人一人のファンを大事にしていくのは大事なことだ」



・誤字脱字多いですごめんなさい。
・何も考えずに書いてるので伏線とかありません。
・作中で本作と一部設定(アイドルになった動機とか)が異なる箇所があったりします。 


この先、ファンがたくさん増えていって
一人一人の相手なんかできなくなる程増えて、
それぐらい増えたら、なんて考えるのはまだまだ早いか。


「春香。それ食ったらレッスン行く準備しとけよ。
 あ、小鳥さん2つ目はだめですよ」

「はーい」

「ぎく」


春香の買ってきたドーナツの箱にこっそり手を伸ばす小鳥さんを一応止めておく。
あとで体重が増えただの何だのって泣きつかれても困るからな。


立ち上がり俺も春香のレッスンの付き添いの準備をする。
小鳥さんが座ったまま腕を伸ばして書類を渡してくる。


「なんですかこれ」

「それ、前にプロデューサーさんが言っていた春香ちゃんの曲の」

「あぁ~。これをトレーナーさんに渡せばいい訳ですね?」

「はい」



小鳥さんから書類を受け取り、鞄に入れる。
前に春香の曲のイメージや細かい指定などをなるべく書いてきて欲しい
という風に言われたので作ってきてもらったのだった。


さて、それじゃあレッスンに行くか。

「準備できましたよー」

「よし、じゃあ行くか春香」

「はいっ!」

俺と春香は事務所を出て階段を降り、たるき亭の目の前を通り過ぎ、
駐車場に停めてある車に乗り込む。


助手席に春香が座る。
あれから結構経ってるのかな。
助手席にこうやって普通に座ってくれるようになったし。


「あ、プロデューサーさん。このCDかけてもいいですか?」

「ん? ああ、構わないよ。シートベルトはした?」

「はーい」


胸元のベルトを少しだけくいっと引っ張って俺に見せる。
車はゆっくりと動き出し、
春香は車内にBGMを流す。


「あまり知らない曲だな」

「そうですか? いい曲ですよ」


知らない曲に合わせて春香がリズムよく揺れながら軽く歌い出す。
なんとも心地のいい気分だ。
仕事でなけりゃ、こんな女子高生が助手席乗って
楽しくドライブ。なんて所なんだろうけれど。


いや、仕事でも彼女と話してるのは楽しい。
明るくて何を話しても笑ってくれて、
凹んだ時は一緒に凹んで、そして慰めてくれる。


そんなこんなで俺と春香は無事にスタジオに到着した。


春香は車の中で歌ったからか、すっかりご機嫌だった。
今日の春香は特に機嫌がいいのかもしれないな。
そう考えると、春香の後輩くんには感謝しないとな。


「プロデューサーさん、早く早く!」

「おいおい、あんまりはしゃぎ過ぎて転」

「あいたーーっ!」

「遅かったか……」


野球選手でもそんなヘッドスライディングしないんだが。
春香は俺の注意を受けるよりも早く転んだ。


「あいたた~~……。うぅ~。痛いよ~」

「大丈夫か春香。怪我は? あーあ、擦りむいちゃってるよ」

「あう~」


涙の目で地面にへたり込んでる春香に手を貸して立たせる。
まったく、そそっかしいのはいつになっても変わらなさそうだな。


「ほら、スタジオすぐそこだから中で消毒しよう」

「……ありがとうございます」


春香の手を取って、俺は春香スタジオの中に入る。


そんな俺と春香の様子を見たルーキートレーナーさんは
どこかで襲撃されたのだと勘違いしたらしく、通報してしまったらしい。


何分後かに俺は警察に囲まれていた。
なんで俺なんだ。


警察の誤解も解けてから。



「すみませんでした」

「いえ、そんなに謝らないでください。そういうこともありますから」


ペコペコと謝るルーキートレーナーさん。
その間に春香は怪我の痛みも段々と引いてきたのか、いつの間にか着替えていた。
まぁやる気はあるのはいいことなんだが、
春香が招いたこの状況を春香も何とかしていただきたいものだ。


「プロデューサーさん、準備出来ましたよ」

「ああ、はいよ。トレーナーさんも春香が準備できたみたいなんで
 気を取り直して、頑張りましょう」

「は、はい。ありがとうございます」


スタジオの隅に置いてある腰掛けに座り次のイベントの書類を確認する。
次はCDの手売りが一週間後か。
この日は歌えるスペースも環境もないからな。


地味で辛い作業になるかもしれんが、
初めてCD手売りをやったあの日よりはいいかもしれん。



――2ヶ月前。


「あ、あのあの! やっぱりここでダンスとかして
 人の目を引いた方が効果的だと思うんですよ!」

「いや、あの、ちょっと待ってください。天海さん。
 とりあえず落ち着いてよ」

「だってだって! まだ一枚も売れてない……はぁ。
 なんだか口に出したら凹んできちゃいました」


女の子の機嫌のアップダウンとはまるでジェットコースターのようだ。
それともこの天海さんだけなのか?


「ほら、一応このコンポで音源流してもらってるんだし、
 耳に入って良いなぁって思った人は買ってくれるって」

「じゃあもっと音大きくしていいですか?」


微妙にジト目でこっちを見てくる天海さん。
実を言うとあまり大きな音で音を流すのは許可されていない。
店内に流れているBGMを消さないようにして欲しいとのこと。


店内に流れているのは今売れてきているバンド。
この事務所に入るまであまり音楽に興味なかった俺としては
知らない、未開拓のジャンルの一つである。


「えっと……。ほら、とりあえず声だして宣伝してみようよ」

「はーい。あ、あの、良かったらどうですか!?」


天海さんは早速目の前を通りかかった男性に声をかけるがチラ見されて終了。
まるで色物を見るような冷たい目で。
それでも天海さんはめげずに他の人にも声をかけてみる。


今度は女性に。


「あの、良かったらどうですか!? ちょっとだけでも聞いてみてください!」

「……」

女性の足が止まった。これはチャンスだ。


「どうですか? 765プロ期待の新人アイドル天海春香のデビュー曲なんですよ。
 きっとこれから売れっ子になるのに間違いないですよ」

あとで天海さんに引かれてしまっても仕方ない。
ここは媚を売るかのように下手に、下手に出まくっていくしかない。
もっとも売らなくてはいけないのは媚ではなくCDなのではあるけれど。


「これ、今流れている曲が?」

「えへへ。そうなんです」

何を嬉しそうにしとる。
嬉しそうにしとる場合か。
買ってもらってからにしなさい。

天海さんの背中をぽんっと押してやる。お前からもしっかり言ってやれ。


「私、トップアイドル目指して今レッスンもすごい頑張ってるんです!
 だから最初の一枚として……」

「でも765プロって聞いたことないですよね」


仰るとおりでございます。
聞いたことも見たこともないですよね。
期待の新人とか言いましたけどこの子しかいませんもん。


女性は一度手にとったCDを積み上げてあるCDの山に戻してしまった。


俺と天海さんは事務所の痛い所を突かれ何も言い返せなくなってしまった。
こんな時、言うはずの台詞も家で考えてきていたはずなのに。
どこかへ飛んでいってしまった。


「頑張ってくださいね」


そう言って女性は去っていく。
呆然としている春香が横にいた。


「……」

「ありがとうございました!」


俺は深々と頭を下げお礼を言った。
横の少しうつむきがちの天海さんにもアイコンタクトで
同じくお礼を言わせるように指示を出す。


「あ、ありがとうございましたっ!」


女性が去っていったあと、店内のBGMだけが聞こえる。
俺と天海さんは黙ったままだった。


だけど、こんな所で挫けていちゃいけない。
黙って段々と顔が下を向いている天海さんを横に再び声を出してお客さんに呼びかける。

釣られるように天海さんも急いで声を出す。


「どうして……ありがとう、なんですか?
 あのお姉さんは買ってはくれませんでしたよ」

「それでもあの人が天海さんを知ってくれたんだ」


「……そっか」

「この店内に天海さんのことを知りながらにして入ってきた人はどれくらいいると思う」

「……ひ、一人くらいは」

「いいかい。天海さん。現実を見るんだ。厳しいことを言うようだけど」

「自分の口でハッキリと言ってご覧。今日初めての営業でCDを手売り。
 店内の端で、スペースは長机1つ分。」

「そして1時間経って、売上は……」

「……です」


ぽつり、とやっと口を開く。


「……私を知ってる人は0人です」


その通りだ。
誰も天海さんを知らない。
知っていてこの店に来る人はいない。
厳しいアイドル業界のスタート地点に立ったか立ってないかぐらいの
天海さんは今初めてこの世界が恐ろしく残酷なものだと知る。



だけど、俺は彼女をこんな風に落ち込ませて
凹ませて楽しみたいサディストという訳ではない。


だから少しニヤニヤしながら言ってみせる。
頭を撫でながら言ってやるんだ。


「残念。不正解だ」

「え?」

春香は驚く。

「もしかしてプロデューサーさんが知ってるとかって言うんですか?」

「え? 違う違う。正解は一人だ」


店内の奥の方で全然違うCDの棚を物色してる先ほどのお姉さんを指差す。
春香がジト目で見てくる。


「プロデューサーさん、私を知りながら入ってきた人って言いましたよ」

「……? はて? そんなこと言ったかな?」

「……。プロデューサーさんって結構意地悪なんですね」


「いやいや、そんなことないって。何ならあの人に聞いてみてもいいんだぞ。
 この子は誰でしょうって」


きっとさっきのお姉さんは「え? さっきの……。確か天海さんでしたっけ?」と、
こんな風に答えてくれるはずだからな。


「厳しい業界だよな」

「……はい」

「たった一人が買ってくれなかった。
 だけどそれだけで立ち止まる訳にはいかないだろう?」

「はい」

「さあ、まだまだ時間はある。頑張ろう」

「はいっ」


天海さんはそんな俺の少し馬鹿馬鹿しく意地悪な問に対し
もう顔を地面には向けてはいなかった。


「あの、良かったら聞いてください!」


声を出し。
去りゆく人に声をかけ、
無理矢理にでも創りだしていた笑顔は
いつの間にか本物になっていた。


「はぁ。まただめでした」

「まだまだこれからだ」

「はいっ! そうですよね!」

「その意気だ。きっと天海さんなら出来るさ」


1時間が経過していた。


「あの」

「あ、良かったらどうぞ……って、さっきのお姉さん?」

「はい。実は欲しかったCDがもう売り切れで、予算が浮いたんで」

そう言ってその女性は山積みのCDを一枚手に取る。



「ひとつください」



「い、いいんですか!?」


驚きすぎたのか買ってもらうことが申し訳なくなってきているのか
天海さんはそんなことを言う。いいに決まっているじゃないか。


「はい。流れているの、結構好きな感じだったんで」

「ありがとうございます!!」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

「がんばってくださいね」

「はい! ありがとうございますっ!」


天海さんは下げた頭をあげたあと、
満面の笑みで俺に向かってピースした。


そのあと、CDは飛ぶように売れる。
なんてことはなく。売れたのは合計で5枚。


残りの4枚はCDショップの店員さん達が買ってくれた。
一生懸命やっているのが目に入っていたのか、
それとも同情からなのか。


はたまた天海さんが可愛いからという下心からなのか。
そんなことはどうでもいい。


「ありがとうございます!」


そう言って頭を下げて、トレードマークの頭のリボンをひらひら揺らし
笑顔を見せる天海さんを見たら、
本当にどうでもよくなることだ、そんな購買理由なんて。


帰りの車。
運転席の後ろに座った天海さんは自分の隣に置いたダンボールを眺めながら


「プロデューサーさん、学校で友達にあげてもいいですか」

そう言ってCDを取り出してみせた。


「ん? あぁ、そうだな。あ、全部はやめてね」

「えへへ、わかってますよ。2,3枚にしときます」


「そうだな。天海さんのお友達のお友達にも宣伝とかしてもらって」

「あ、あのプロデューサーさん」

「ん?」

「春香って呼んでください」

「ふぇ!?」


大方「今日はありがとうございました」とか言われるもんだと思っていたから
危うくアクセルを踏み外す所だった。予想外。


「な、どうしてまた」

「なんか余所余所しいといいますか……」

「うーん。まぁ、そっちの方がいいって言うんなら特にこれ以上言及はしないけれど」

「はい。ありがとうございます」



俺は初めての営業を通して春香との距離をようやく縮めることができた。
いや、実際に縮まってきたのはここ最近のことではあるんだけど。
それでも俺と春香はいい関係を作ってきている。



時は戻り。


春香のレッスンはそろそろ終わる頃合い。
飲み物でも買ってきてあげよう。

立ち上がりスタジオを出て廊下を歩いて自販機まで。


自販機の前で自分のコーヒーと春香のためのジュースを買おうとした時。
小銭をうっかり落としてしまう。


ちょうどその時、自販機のすぐ横のスタジオの扉が開く。
春香の入っていないスタジオ。


中からは「お疲れ様でした。失礼します」と丁寧にお辞儀をして女の子が出てくる。
しかし、その女の子はすぐに俺が落としてコロコロと転がしていた小銭が目に入らなかったのか
蹴飛ばしてしまい、挙句小銭は自販機の下に一直線に滑りこんでその姿を消した。


「え?」「げっ」


その女の子はすぐにこちらに駆け寄り「すみません」と言いながら自販機の下を覗く。
俺も同じように自販機の下を覗く。
見ず知らずの女の子と何をしているんだか。


「と、届かない……」

埃っぽい自販機の下に手を伸ばすも届かず。
同じく女の子も届かない。一般的成人男性の俺が届かないのだか
この女の子も届くはずがない。


「あ、あの弁償しますんで」


そう言って財布を取り出そうとするその女の子。


「えっ!? いや、いいっていいって!
 こんな若い子から100円巻き上げてたら悪いし」


言って自分で気がついた。こんなに若い子。
テレビでも見たことはないし、誰なんだろう。
春香と同じくらいの年の子だな。


青みがかった長い髪に華奢で細い手足。
整った顔立ち。


「ですが……」


困ったようにしている長い髪の子は財布から100円を取り出しおろおろしている。
まるで俺が恐喝でもしているように見えるから早くしまって欲しいのだけど。


「プロデューサーさん、どうしたんですか?」

奥のスタジオから春香が顔をだす。
そして、おろおろしながら100円を渡そうとしている若い女の子と
それをいやいやして首を横に振る俺をみて、
春香は固まっていた。


「……何、してるんですか?」


春香に見られてしまった。
まぁ別にここで焦って誤解を招く方が春香に悪いし、
とは言えこの子にも辛く当たる必要もない。


「あぁ、春香。終わったのか?」


そう言ってまた財布の中から小銭をだし、自販機に入れる。
今度は落とすことなく。


髪の長い女の子は「あ、あの」と言うがとりあえず今は春香を優先させよう。
自販機からガコン、と音を立てて出てきたジュースを春香に渡す。


「ありがとうございます。どうしたんですか? えっと……こちらは」

「あぁ、いやなんというか……その」


どう説明したらいいんだ。
なんか春香の表情から若干誤解してるっぽい雰囲気が出ているのだが。
でも、嘘をつくわけにもいかないし、ありのままを説明したらしたで
この子が悪いように思われてしまうし。


一番はやいのはこの子から説明して貰えるのが一番なんだけどなぁ。


「す、すみませんでした!」


そう言うと俺の手を取って無理矢理100円玉を握らせて
逃げていってしまった。


「あ、ちょっと!」


そんな静止の声が届くわけもなく。


「参ったなぁ……」

「プロデューサーさん、あの子と知り合いなんですか?」

「いや、それが全然知らないんだよ」

「もしかして知らない子に100円せびってたんですか!?」

「こ、こら! 人聞きの悪いことを言うなよ。そんなんじゃないって」


それから春香には全て話した。
俺がまだまだ春香のことを信用していなかったのかもしれないが、
すんなりと受け入れてくれて、むしろその言葉が聞きたかったと言わんばかりだった。


「良かったぁ。てっきり知らない女の子にお金ないからたかってるのかと思いましたよ」

「あのなぁ……」


俺もまだまだ春香の信頼度は薄いみたいだな。


そんな俺の話を横で聞こえたのかルーキートレーナーさんは


「あぁ、あの子。ちょっと気難しい所があるんですよね」


なんて言っていた。
綺麗な長い髪に整った顔立ちが印象で
忘れようにも中々忘れられない女の子だった。



帰りの車で春香は助手席でノートのようなものにペンを走らせていた。


「何してるんだ? 酔わないのか?」

「えへへ。大丈夫ですよ! 実は学校の友達に聞いたんですけど、
 その子、部活で先輩やコーチにもらったアドバイスは
 全部ノートに書き溜めてるんですよ!」

「へぇ、それで真似してるのか」


「いいところは見習わないといけませんからね!
 その子はもうノートが3冊目なんですって」

「それはちゃんと成長できてるのか……」


書き溜めるだけの自己満足にならないようにしてもらいたいが。
なんにしても春香がそうやって真剣に取り組んでくれている姿だけ見れても充分である。


俺と春香は事務所に帰ってきて、
週を跨いでのオーディションに向けてのミーティングに入った。


いや、正しく言えば入ろうとしていた。
春香は見事に車酔いしていた。


全く、一生懸命なのは分かるが無理をしすぎないようにしてもらいたいものだ。
俺は春香の手を取りながら、事務所の階段を登る。


「うぅ。な、慣れないことはしないほうがいいですよね」

「全くだ。家に帰ってからゆっくり書けばいいだろう」

「だって、それじゃあ忘れちゃうかもしれないじゃないですか」


まぁそうかもしれないが。
溜息が出てしまうくらい一生懸命が空回りしてしまう子だ。


事務所に入り、春香に手を貸していたのはどういうことなのかということを
まず小鳥さんに弁明し(そうじゃないと色々勘違いされてしまうから)
春香をソファに座らせてコップに水を入れて渡す。


「ありがとうございます……」


春香はコップを両手でもってちびちびと水を飲みながら
少しだけ凹んでいた。


小鳥さんは春香の頭を撫でながら「大丈夫よ」と励ましていた。
こういう時は俺は黙っていた方がいいのかもしれないなぁ。
なんて考えながらその場は小鳥さんに任せることにした。


この日は結局春香の体調はあまり良くならず、
結局詳しく話ができないままに春香を家に帰すことになった。


そのあとにメールで「今日はすみませんでした><」
という内容のものが届いて、俺もそれに対して「気にすること無いよ」
と返信してあげた。


春香の様子も気になる所ではあるけれど、
あのレッスンスタジオで出会ったあの女の子のことも気になる。
またどこかで見かけたら声をかけてみようかな。


お疲れ様です。
今日はここまでにします。

できるだけ更新します





「全ての出来事は必ずどこかで繋がっている」


そう教えられたのはいつだったか。
誰が教えてくれたのかも俺は思い出せなかった。





あんなこんながあってからの次の日。
事務所ではいつものように俺よりも早く着ている音無さんが
気持よく挨拶して出迎えてくれる。


「おはようございます、小鳥さん」

「さっき電話が入ってましたよ」

「俺にですか?」


鞄を置きながら仕事の書類の確認、
メールチェックを始める。


「はい。プロデューサーさんに直接話があるとかで」

「はあ。なるほど。じゃああとでかけ直してみますね」


そう言うと小鳥さんから「はい、これ番号です」と小さなメモ用紙を渡される。


その後、電話をかけ直して話をしてみた所、
春香を是非オーディションに参加してみないか、という誘いの電話だった。

俺はもちろんそのことを春香にすぐにメールを出して了承することにした。
これで春香もついにテレビ番組に出るチャンスがきたか。

それから俺は春香が事務所に来るまでの間をそわそわしながらも仕事に手を付ける。


数時間後。


事務所の外の階段を駆け上がる音と
ドアの前ですっ転ぶ音がセットで聞こえてきて
お尻をさすりながら春香が事務所に入ってきた。


「大丈夫か春香?」

「うぅ……。はい、大丈夫です。そ、それより、メールの内容は本当なんですよね!?」


嘘をついてどうする。


「ああ、もちろんだ。何処かからは知らないが、春香の情報を耳にしたらしい。
 期待の新人アイドルということで是非ともオーディションに参加してくれとのことだ」

「えへへ、やりましたね! プロデューサーさん!」


「ああ、そうだな。だが、ここがゴールじゃないからな」

「わかってますよー!」


転んだ痛みなどもうどこかへ行ってしまったかのように嬉しそうにする春香。
もちろん俺も嬉しいがここで油断をしてはならない。


テレビ番組の企画者やスタッフ達の期待に答えることができなければ……。
特に今回参加してみないか、と声をかけてくれた方の期待に。
最悪のことだが、この先の活動がかなり厳しくなるかもしれない。


期待に答えられない新人。そんなレッテルを貼られてしまう訳にはいかない。


しかし、逆に言えば、ここを乗り越えることができるのであれば、
トップアイドルとしての道が切り拓けることは間違いないだろう。


「はい、春香ちゃんもプロデューサーさんも資料確認しておいてくださいね」


そういう小鳥さんは俺と春香に紙の束を渡してくる。
このオーディションに勝てなくても目立つことができて
他の審査委員の目に止まる事ができたのならばあるいは。

いや、今からこんな負け越しじゃだめだ。
勝てる勝負も勝てなくなる。


こうして、俺と春香はオーディションに向けてのレッスンを始めていくのだった。
レッスンには俺も着いて行くこともあれば着いていけないこともあった。


いつもよりも一層厳しいレッスンになるのか、
春香はレッスン終わりに車で迎えに行くと
すぐに眠ってしまっていた。


今日のレッスンで学んだことを書き記している
ノートも書き途中のままで眠っていた。
最近はノートを車の中で書いても酔わなくなってきている。


絶対に勝ちにいきたいオーディションではあるが、
あまり無理をしないで欲しいというところはある。


俺自身もレッスンに立ち会って見ているので
レッスンの内容自体には何も無茶しているようには思えないのだが、
どうにも頑張りすぎる所がある春香はちょっと心配だ。

オーディションまではまだまだあるが、
何事もなく無事に終わればいいのだが。



オーディション当日。


春香とは事務所に一旦集合してからオーディション会場に
向かおうということで話をつけていた。

何も問題なく春香は現れた訳だが、どうにも春香の様子がおかしい。
俺どころか小鳥さんとも顔を合わせようとしていない。


小鳥さんと喧嘩でもしたのだろうか。
いや、あんなに仲良くドーナツ分けあってるのに
それが喧嘩? 

小鳥さんもいい年してるんだから
ちょっとやそっとのことじゃ怒るわけがないんだけどなぁ。


だけど、
喧嘩しているにしては小鳥さんの方がダメージはでかそうな印象だ。


「小鳥さん、春香と何かあったんですか」

「え? い、いえ。特に何もないですよ……」

「何もない訳ないじゃないですか。
 春香があんな風に小鳥さん避けてるの初めて見ましたよ」


そう言うとここで初めて小鳥さんも
やっぱりそれに気がついていたのか、
と言った風な表情をしていた。


これは一体どうしたものか。
困ったものだが、何かあってからじゃ遅いし、
なるべく今日のオーディションが終わるまでは
春香の精神面に関しても何も異常がないようにしたかったのだが。


ほとんど初めての期待されているオーディションなわけでもあるし。
これが重荷になっているのかもしれない。


「俺から春香に聞いてみますね。きっと何かあるに違いないですから」

「そうですよね。ありがとうございます」


しかし、そうは言ったもののもう時間は残されていなくて
車の中で聞くしかないようだった。



この日、春香はいつものように助手席には座ってくれず、
少し俯きがちに運転席の後ろの席に座った。

「……」

車を出しても春香は何も喋らない。
重い空気が走る。
なんとかこの空気だけでも変えないと、とは思うが
一体どうしたらいいのかわからなくてうろたえるばかり。


「春香……?」

「……」

春香は顔を上げなかったが、目だけはこっちを向いていた。


「緊張するよな。俺も緊張して手が汗ですごいことになってるよ」

「……はい」

会話の続かない車内に俺は耐え切れなかった。
だから今はとりあえず運転に集中しておこうと考えた。

だけど、こんな風に暗い表情をする春香は見ていられなくて


「きっと合格するさ。大丈夫だよ」

なんて言葉を俺は安易にかけてしまった。
本当はもっと聞かなくちゃいけないことがたくさんあったのに。

取り除いてやらなくてはいけない
春香の不安要素がたくさんあったのにも関わらず。


車はオーディション会場に到着し、
それから多くのアイドル候補生達がたくさんいる控え室にきた。


イヤホンを耳にして音楽を聞いている者や
マネージャーかプロデューサーと談笑している者。
様々な人間がいて、それぞれの色は全く違った。


その中に、一人。
春香は足を踏み入れていた。


いや違う。俺だっているんだ。
春香には俺がいる。
その存在がどれほど頼りになるのかは分からないが。


春香は特に何も言葉を発しないで周りを見渡してから
好きな所に座ってもいいことを悟ると
適当な椅子に座った。

「春香、飲み物買ってくるけど何か飲むか?」

「……」


こくん。
黙って頷く春香。どうやら嫌われたのは小鳥さんだけじゃなかったみたいだ。
まぁ、春香なりに精神統一をしているのかもしれないが。

春香は膝の上あたりにその小さな手をぎゅっと結んで
俯いて座っていた。



もっと早く気がつくべきだった。


何も考えずに飲み物を片手に春香の好きそうな
甘いジュースを持ってきたが、
春香はさっきとは打って変わって机に突っ伏すようにしていた。


だけど、その肩は呼吸をする度に大きく揺れて
息は乱れていた。


「おい、春香!? 大丈夫か春香!?」


「……だ、大丈夫です」

そう言って見せた春香の顔は真っ赤だった。
とても大丈夫そうではない。

「は、春香、まさか……」


慌てておでこに手を置くが、嫌な予感は見事に的中していた。
最悪の事態だ。

いや……最低なのは俺だ。

どうして気が付かなかったんだ。


「大丈夫って……こんなに熱いのに大丈夫な訳が」

「大丈夫ですって」

その言葉を言うにはあまりにも覇気がない。
だめだ。これ以上は無理をさせることはできない。


「だめだ。春香。今日は諦めよう」

「っ!?」


春香の顔はいつになく真剣で、
だからこそ見るに耐えなかった。

だけど目を逸らしてはいけない。
まっすぐ、正面から見るんだ。
俺のアイドルの真剣な表情を。


「大丈夫だって言ってるじゃないですか! ハァっ」

「無茶だ。その高熱でどうするつもりなんだ。
 話は俺がつけてくるから今日はもう帰ろう春香」

「ハァ……だ、だめです。今日、ハァ、勝たないと」

「プロデューサーさんが、ハァ、せっかく貰ってきたチャンスなんだから」


……。
そうか。


俺がいつの間にかプレッシャーをかけていたのか。


春香は俺の顔を少し見上げるようにして
乱れた息で訴え続けるが、最早俺には何も聞こえてはいなかった。


「春香。ごめんな」

「私は、ハァ、今日、絶対に勝たないと、ハァ……いけないんです」

「春香。もう今日はいいんだ。帰ろう、一緒に」


春香の頭を優しく撫でる俺に
自分の主張を続ける春香は等々黙って椅子に座り直し泣きだしてしまった。

「ごめん、春香」

「プロデューサーさんが、せっかく取ってきてくれたのに……!」

「今は……オーディションなんかよりも春香の体調の方が心配だ」


周りのアイドル候補生達は異様なものを見るかのように俺たちを見て、
心配そうに見る者、ほくそ笑む者もいて。
改めて俺はこの業界の恐ろしさを肌で感じていた。

春香は座っているために俺の胸ではなく
ちょうど腹のあたりでわんわん泣いた。


それから少し落ち着いた頃に
また春香の手を引いて車に連れて行った。
春香を車に先に乗せてから俺は誘ってくれた番組の方々に
お詫びを入れに会いに行った。


幸いにも気の優しい人達で
「そっか。期待していた分、残念だけど、また声かけるよ」
そう言ってくれた。

例えこれがお世辞でも今の追い詰められた俺たちには
とても有難い言葉だった。


深く頭を下げた時、目に入った
シャツについた涙のあととシワが
俺の心を締め付けた。


春香のことが心配になった俺はすぐに車に戻ろうと
少し早足気味にテレビ局内を歩いた。

小鳥さんにも報告しないと。
春香が小鳥さんを避けていたのは
今日のオーディションに出るためだ。

小鳥さんのような勘のいい女の人に
顔なんて見られたらすぐに熱があることがバレてしまうからだろう。



携帯を取り出した所で俺は廊下の角で人とぶつかってしまった。


「痛っ」

「きゃっ」

「ご、ごめんなさい」

「い、いえ、こちらこそ……。あ、あなたさっきの……」

「え?」


顔をあげると見たことのない女の子だった。
この子もアイドルなのか。


「あなた……アイドルをなんだと思ってるんですか?」

「えっ!?」

さっきの控え室でのことを見られたのか。
あれは見方によっては俺が悪いように見えるからなぁ。


「あれじゃああの子が可哀想じゃないですか。
 あなた、アイドルを集金道具だとかただのドル箱のように思ってませんか?」

「い、いや、そんなことは決して……」

「熱ぐらいあるのなんてすぐに分かりそうなものですけどね」


中々に厳しい口調で責め立てられるが仰る通りで
返す言葉も見つからない。


「はぁ~……まぁもう別にいいですけど。いなくなるんで清々しましたから」


眼鏡をくいっとあげるその子は
胸のあたりに受験の番号をつけていた。
1番。確かあいうえお順になっているが。


「こっちはおかげで朝から緊張して
 何も喉を通ってないのに」


目頭の辺りを抑えて悩ましそうにする番号1番の子。
眼鏡をかけて、三つ編みにされたふたつのおさげは少し跳ね上がっている。


「……えっと、なんていうか。
 君も頑張ってくれよな」

「はい? 普通ライバルだった私にそんなこと言います?」

「え? 何か変だったか?」

「いえ、なんでもないです。それじゃあ私、失礼します」


そう言ってツカツカと去っていった
番号1番の女の子の手足は小刻みに震えていた。
よっぽど緊張していたのだろう。


小鳥さんに電話しながら戻ると
安心した様子で、そのまま家まで送ってあげてくださいとのこと。
親御さんにも無理をさせてしまったことを謝りにいかないと。


車に戻る頃には春香はすっかり眠っていて
涙で目元まで真っ赤になっていた。


車は今日を何事もなかったかのように走りだす。


小鳥さんに先に春香の親に連絡をしてもらったみたいで
春香の家に着いた時にはすっかり事情を把握していたみたいだった。


春香の両親は「どうせまたこの子が頑張りすぎたのよね」
なんて言って当ててみせた。
俺はただただ「すみませんでした」と謝るばかりで。

熱と寝起きでぼーっとしている中、春香は俺に一度だけ会釈して
家の中に入っていった。


辺りはすっかり夜になっていた。
この日、春香はオーディションを受ける間もなく棄権してしまった。
彼女のアイドルデビューはまたしても遠のいてしまったが、
今後のことを考えるとあまり無理をさせたくなかった。


もし今日の無理が今日だけのものにならずに
これがいつもの状態になってしまったのであるならば。
春香は無理をし続けることになるだろうし、
今度は熱だけでは済まなくなるかもしれない。


それは確実に回避するべきだ。


今日のことはまたしても忘れることができない
苦い思い出になってしまったが、
俺達はこんな程度の転んだだけでは挫ける訳にはいかない。


あの眼鏡の女の子はいともたやすく春香が熱を持っていると
見抜いていたというのに、
俺はまだまだ彼女とのコミュニケーションが足りないのかもしれない。


その眼鏡で三つ編みでふたつのおさげのあの子を
もう一度見ることになるとは
俺はこの時には思ってもいなかった。


事務所に寄る前に俺は近くの公園を散歩していた。

家にいるだけじゃどうにもいい案が浮かびそうにないからだ。
少し歩きながら考え事をするだけでもかなり変わってくる。


夜に寝る時も色々な考え事をしてはいるがどうにも眠くなってくると
深夜のテンション特有の危ないものが出てきている。

たまに考えて「これだ!」と思ったものを
意気揚々と枕元のメモ用紙にメモ書きして寝るのだけど
朝見た時にはさっぱりで、なんのことだか覚えていなかったりする。


思い出そうにも思い出した所で結局の所ボツ案にしてしまうことも。


参った。
何も思い浮かばない。
せめて何かいい手がかりがあればいいのだけど。

このままじゃ折角、春香が頑張ってレッスンやっているのにも関わらず
俺が仕事を取ってこれないようじゃ意味が無い。

夢見る少女の手助けになりたいし、
そんな俺を慕っていてくれる春香の力になりたい。


公園は事務所の方からも近くて
特に遊具がたくさんある訳ではないが、
ベンチが置いてあり、原っぱになっていて
晴れた日になんかはとても気持ちのいい場所になっている。


青空を眺めても何も思い浮かばない。
どうしたら今の現状を打開できる。

結局、この公園にいても何もいい案が浮かばなかったな。
仕方ない。事務所に戻ろう。


俺はそれから公園を出ようと、
再び歩き出すと公園にかなりの音量で響く声が聞こえた。


なんの騒音騒ぎなんだ。
と一瞬思ったがどうも違う。
普段春香のレッスンに付きそうこともあった俺は
この声の招待が何かはすぐに分かった。

この発生はどこかで誰かが自主的に発生練習をしているんだ。


美しいその響き渡る声に魅了された俺は
すぐにその声のする方向に行くことにした。

そこにはいつかレッスンスタジオの中で見たことのある
青みがかった長い髪の女の子だった。

「あの子は……!」


俺はしばらく観察していようかとも思ったが
なんだかそれではあとから気づかれた時に変態にでも
勘違いされてしまうと思ったのですぐに声をかけることにした。


「こんにちは」

「っ!? あ、あなたは……」

「覚えていてくれたんですか? 久しぶり? ですかね」

「えっと、こんにちは。あの時はどうもすみませんでした」


突然俺が声をかけてくるものだから驚いていた。
曰く、いつもは人が去っていくものだから驚いたそうだ。


確かにこんな日中から公園で超えだしてる人はいないわな。


「いやいや、こちらこそぶつかったのは俺のせいもあるし……。
 所で今日はここで自主練ですか?」

「はい。こうやって時間のある日はここで一人で練習しているんです」

「スタジオでのレッスンはしないのかな」

「いえ、今日は午後にレッスンがあります」


午後にレッスンがあるのにも関わらず午前中もここで一人でやっているのか。
すごい子だなこの子は。


「歌が好きなんですね」

「……はい。私にはこれしかありませんから」

「そっか。邪魔しちゃったかな。ごめんね」


何か地雷の匂いがした俺はすぐに立ち去ろうとしたが
この子の素性が気になったので少し探って見ることにした。

レッスンスタジオでもあの時は一人でいたわけだし
事務所の人は誰もついてきてはいないのだろうか心配になった。


「あ、そうだ。君の事務所を教えてくれないかな」

「事務所……ですか?」

「そう。俺は765プロダクションっていう所のプロデューサーなんだ」


そう言って俺は名刺を渡した。
彼女は初めて人の名刺をもらうかのように
少しドギマギしながらも受け取ってくれた。


「765プロ……」

「うん。それで……」

「私、事務所には所属していなくて」


そうなのか。フリーで活動している子なのかな?
そんな風に俺は特に深く考えなかった。


「そっか。あの、お名前を伺ってもいいかな」

「え? あ、如月です。如月千早と言います」



「そっか。俺はそこの名刺に書いてある通りだよ。
 もし何か困ったことがあれば相談に乗るよ」

「まあこんな見ず知らずの人でよければだけどね」


フリーで活動するのは中々に大変だろうと思って
俺はそう言って軽く笑ってみせた。
彼女は真剣に俺の名刺を眺めていて、
「はい」とだけ呟いた。


その表情は暗く、どこか彼女の影の部分を映し出しているようだった。

俺はその部分にはあえて目に入れないようにしてこの場から去ろうとした。
これ以上、彼女の邪魔をしてはいけないと感じた所もあったからだ。


「じゃあ俺はこれで。またスタジオで会ったらその時はよろしくね」

「ありがとうございます」

そう言った彼女のお礼の言葉は社交辞令のようで
どこか「こういう時はこう言わないといけない」から言った
義務感から出てくるような言葉だった。


なるほど。
如月さんか。


彼女は春香のように打ち解けるのには時間がかかりそうだな。
例え他の事務所に入ってくれても
俺は彼女と何となくだけれど仲良くしたいと思ってしまった。

そして頭の中には如月さんが春香とステージに立っている姿までも想像していた。


いや、本心で言うならば彼女を765プロに入れたい。
765プロに入って欲しい。
彼女の声を少しだけ聞いただけでも分かる。

彼女のプロ意識は本物であり、
誰よりもプロに近い存在。


そんなことを考えながら俺は公園の出口に向かった。
考えながら歩いたせいか、それともそんなことを考えだしたせいか
何かいい案がでると思ったのか俺はもう一周公園をぐるっと歩いて回っていた。


しかし、簡単にはいかないもので結局すぐに公園の出口へ。
公園の出口の横断歩道を挟んだ向う側に親子がいた。


お母さんと子供。
子供はサッカーボール程度の大きさのゴムボールを小脇に抱えて
必死にお母さんの気を引こうと袖を引っ張って大きな声で呼びかけている。


お母さんは少し困ったようにも眉はハの字に曲げて、
それでも嬉しそうに子供の相手をしている。


しかし、事は唐突に起きる。
こういうことって本当に突然起きるものなんだな、
と深く考えることなど、一瞬のうちにしていた。



子供の手からボールがこぼれ
横断歩道にてんてんと転がっていく。

それを追いかけるのに道路へ飛び出す子供。



信号は赤。


迫り来る車。


「危ないッッ!!」


反対側にいた俺が飛び出しても間に合う距離だったので
俺はすぐに荷物を放り出して子供の元へ全力で走った。


子供の母親は自分の息子の名前を大きく叫ぶだけで動けなくなっている。



俺はすぐに子供だけを抱えギリギリの所で横断歩道を渡り切る。


車はブレーキを踏むが間に合うわけもなく、
子供の追いかけたゴムボールだけを跳ねてすぐに停止した。


子供は俺の腕の中で何が起きたのか分からない風だったが
すぐに自分の犯したことがどんなに危険だったのかが分かると
大きな声で泣きだした。


「ほら、もう泣くな。大丈夫だから」

「あ、あ、ありがとうございます!」

「いえ、気にしないでください。無事でよかったです」


母親はすぐに子供を抱きかかえる。
俺は自分の荷物を取りに行こうと
青に変わって渡れるようになった横断歩道に差し掛かろうとした時、
向かいで自分の荷物を地面に落としへたり込んでいる如月さんがいた。


もしかして見られたのかな。
顔面蒼白になってガタガタと震えていた。


ボールを跳ねた車は黒い高級車で
中からは眼鏡をしたいかつい男の人がでてきた。

俺はその体格に身構えてしまったが
すぐにその人が見た目よりも良い人だった事がわかる。


「すみませんでした!! お子さんはお怪我はありませんか!?」


と一通り精一杯の謝罪をしたあとに
俺の方にも謝罪にきてくれていた。


もちろん俺も子供も轢かれたわけではないので
すぐに許すことができた。
本当に何もなくてよかった。


それから俺は息を荒くして
震えている如月さんに声をかけることにした。

「大丈夫? もしかして見られちゃったのかな」

そう言って手を差し伸べたが
如月さんは俺に声をかけられた所でようやくハッと我に返り
立ち上がってさよならの言葉もなしに走って行ってしまった。


どうしたんだ急に。


俺はそれから事務所に向かって歩き出した。
何もなかったように。


だが、なんでもなかったかのように俺が振舞ってしまった
その事件は、後々の765プロには大きく関わってくるものとなった。



お疲れ様です。
今日はここまでにします。


あの事件が起きた後、
いや正直な話、結局誰も轢かれたり怪我人が出ている訳ではないので
事件というほど事件でもないのだけど。

俺は事務所に来ていた。
事務所にはいつも通り小鳥さんがいて、
今日は早くから春香も事務所来ていた。


「あれ? 春香、もう身体の方はいいのか?」

「はい、大丈夫です」

「そっか」


それだけ聞くと自分のデスクに座る。
春香は少しだけ表情はまだ暗かった。
やはりまだあの時に風邪を引いて熱出して
オーディションに出ることができなくなったことを
引きずっているのだろうか。

確かにそれは無理もないよな。

こんな時なんて声かければいいんだ俺は。


小鳥さんも普通に仕事しているし、
誰かがここにいてくれれば……。
そんな力のある人間は今この事務所にはいない。



「あ、プロデューサーさん! 今日記者の人が来てくれるそうですよ」

「えっ!? なんですって!?」

「記者の人ですよ。雑誌記者の方が」

「雑誌記者の? ……そんな人がなんで」

「なんでって春香ちゃんに取材ですよ」


その言葉にソファに座って雑誌を読んでいた春香も
反応して立ち上がる。


「そ、それ本当なんですか!?」

「本当よ。今から3時間後くらい……ちょうどお昼終わったあとくらいだけど」

「場所は!?」

「場所は事務所だから移動はしなくて大丈夫よ」

「そうですか。良かった」


いや、何も良くはない。
春香のテンションは雑誌の取材ということで少しはよくなったけれど
春香が有名になるきっかけなんてものは殆どない。


あるとしてもオーディションに誘ってくれたスタッフ経由で話を聞いた、とか。
まあこれだろうな。


そんなこと聞いてから途端にそわそわしだした春香だが、
今までなんの業績も挙げられてない俺たちに
一体何を聞くつもりなのだろうか。

しかしとりあえずは応じるしかないか。
とりあえずは今のうちに出来る業務をさっさと終わらせて
春香と先に打ち合わせしておかないとな。


今の春香ならうっかり余計なことまで喋りかねないからな。


それから業務を終えて残りは小鳥さんに半分くらい押し付けた俺は
春香とのコミュニケーションを取ることにした。


「はい、お茶」

「あ、ありがとうございます」

「緊張してるのか?」

「そ、そりゃあしますよ……。
 だって私なんかに取材したいなんて
 言ってくださったのは初めてなわけなんですし」


「まぁそうだよな。俺も緊張してるんだよ」

「えぇ!?」

「いや、緊張ってうつるって言うじゃん」

「そ、そうなんですか?」

「……」

「……」


しまった。話が途切れてしまった。
そうだ。今朝の如月さんの話でもしてあげようかな。

と、思い立った俺は如月さんの話をすることにした。


「えぇえ!? そ、それで大丈夫だったんですか!?」

「俺はもちろん見ての通り何も怪我してないし
 その男の子も大丈夫だったよ」

「そっか~。良かった~」

「だけどそのあとそれを如月さんに見られちゃってね」

「あ、もしかして惚れられちゃったとかですか?」


春香は女子高生らしい色恋の話に持ってきたが
実際そんなんだったら何倍もましだったのだろう。


「いや、違うんだ。ちょっと心配なんだけどな」


それから如月さんのことを話すと
春香はやはり他人のことなのに目一杯心配していた。
あんな風に一度しか顔を合わせていないし
話したこともろくにないのに。


「何かあったんですかね……」

「さあな。それは分からん」


しまった。暗い話になってしまったな。
何をしているんだ俺は。


「だけどな。その如月さんの歌がまたすごいんだよ」

「歌……ですか?」

「ああ、その練習してる姿を見たって言っただろう?
 その歌声がすごいんだ。春香も一度聞いてみるといい」


どうやって聞くんだ。と自分の中でツッコミながらも。
まさかその辺で待ちぶせて「歌を聞かせてくれ」なんて
言うわけにもいかないだろうし。


このあと、俺と春香は適当にうだうだグダグダと喋り
雑誌記者の人を待った。
春香には先に念を押して粗相をしでかさないように言って聞かせた。


そんな俺に大して春香は若干不満を持ってしまったが、
(あまりにもしつこく言うもんだから)
自分のためのこともあってかちゃんと承諾してくれてはいた。


そうして来るべくして記者は来た訳で。
俺と春香は初めての取材ということで少々緊張気味で出迎えた。
そんな様子を小鳥さんは微笑んでいた。


それから取材は順調に進み。

時には俺に回答を求めてくることがあったが、
(確かにどう答えていいか困る質問はいくつかあったが)
それを俺に聞いちゃ春香の取材の意味がないだろう。


まぁそれも春香が俺のことを信頼している証拠だと考えるようにした。


かくして雑誌の取材に無事に終了したのだった。

時間にして約1時間くらいの取材になっただろうか。
まあそれも春香がすごい熱量でしゃべるものだから記者の人も圧倒されていた。
1の質問に10で返していたようなものだからな。


そのせいで最後のほうはちょっと急ぎめになっていたので
俺も途中で春香にまとめて話すように促したりなんかもしていた。


取材が終わってからの春香は終始ご機嫌でどうやらあの取材が
上手くいったように思えているようだ。
実際に春香はよく話して気持ちのいい受け答えをしていたと思う。


ただ少し引っかかるのは
若干話しすぎというか温度差が激しいというか。


ご機嫌の春香には言うのも野暮なので特に言わなかったが、
もしかしたら言ってやるのも優しさなのかもしれない。
そんなことを少し思ったせいでなんだか気持ちが晴れないままに
事務所での事務作業に没頭するのだった。


春香は今日は課題があるからと言って早めに帰ってしまった。


それから。

俺と小鳥さんは時折会話をしては
時計の音とキーボードを打つ音、書類をいじる紙の音、
そんな些細な音だけが響く事務所での作業が続く。


春香が一人いるだけで事務所の雰囲気はガラッと変わり、
明るい雰囲気を保っていてくれる。

もちろんそれに小鳥さんが抜けてしまうとさらに事務所はどんよりとしてしまう。
今、この事務所が明るいのは小鳥さんがいるおかげなのかもしれない、
と言っていいくらいに。


時計が11時を回る頃になって。


「はぁ……。とりあえずはこれでいいか」

「あ、待ってください。私ももう終わりますんで駅まで行きましょう」

「そうですか? じゃあ事務所閉める準備は俺がしますね」


それから小鳥さんも作業を終えたらしくパソコンの電源を切っていた。
小鳥さんはすぐに更衣室に向かって
いつもの事務服から私服に着替えてパタパタと小走りできた。


「お待たせしました」

「いえいえ」

それから俺と小鳥さんは二人で事務所を出て、
俺が鍵をかけてそれを小鳥さんに渡す。



俺が来る前から朝は小鳥さんが必ず開けているようだった。
いつもここに来ると小鳥さんがいる。


「あ、そういえばこの前のドラマなんですけど見てます?」

「え? ドラマは見ないんですよね俺」


なんてそんな会話をしながら二人で駅へ向かう。
街頭の明かりの下を二人で歩く。


小鳥さんとの業務以外での雑談は楽しく
色々な話の引き出しを持っている彼女のトーク力を
春香も少しは見習わないといけないな。


明るいコンビニの前を通る。
コンビニの前に設置されているゴミ箱の
ゴミ袋の取替えを行なっている女性の店員がこっちを
恨めしげに見てくる。


そりゃあ隣にいる女性は付き合っている訳でもなんでもないけれど
綺麗な人だから誇らしくはあるが、別にそんな風に睨まなくてもいいじゃないか。


なんて考えた瞬間、その店員と俺の二人はお互いに何かハッと思い出したかのような
顔をしてしばらく見つめてしまう。



「……君は確か」


この人は確か……春香が熱をだしてだめになったオーディションの時にいた。
三つ編み二つ結びの眼鏡の女の子。
コンビニのネームプレートには「秋月」と書いてあった。


小鳥さんは二人の顔を見る。


「お知り合いですか?」



「……オーディションの時にあったアイドルの子です」

「アイドルの体調不良にも気が付かないプロデューサーじゃないですか」

「ぐっ……」


中々にジャブのきいた言葉をぶつけてくる。
しかしそれでいつのオーディションか分かった小鳥さんは
「あの時のオーディションの」と言葉を漏らしていた。


「あのオーディションは結局どうだったんですか?」

「落ちました」


即答されてしまい、しかもそれがだめだったという報告でもあり
俺は一瞬思考が停止してしまう。
何をしているんだ。地雷に飛び込んだようなものだぞ。
秋月さんは言葉に詰まる俺から視線を逸らし
自分の仕事に戻る。


「え、えっと。残念だった……ね。でも君なら次が」



「次なんてないです」



またしても即答されてしまい俺は言葉に詰まる。
次なんて……ない。どういうことだ。
もうアイドルは辞めるということなのか?
それともあのオーディション自体はもうないということなのか?


「次がないっていうのは……」

「別に。それだけのことですよ。それじゃあ失礼します」

「あ……」


それだけ言うと秋月さんは足早に店の中に去っていってしまった。
……。
俺がオーディションの話を聞いた時、
すごい悔しそうな顔を一瞬だけしていた。


このあとの小鳥さんとの会話はいつも以上に記憶に残らなかった。
まあかと言って普段記憶に残るような会話をしているかというと
ただの雑談なので記憶に残ることは殆どないのだが。


しかし、秋月さんの言っていた言葉の意味が分からない。
後日聞いてみることにしよう。
そう思い、次の日の朝。
同じコンビニに入ってみたが秋月さんはいなかった。


コンビニの店員に「秋月さんっていますか?」なんて聞くのは
ちょっとばかり恥ずかしいというか何故だかストーカーじみていて気が引けた。
仕方ないから今日はもう何も考えないようにして
業務に没頭しよう。


帰りのあの同じ時間にまたコンビニに行ってみよう。
そしたらいるかもしれない。


事務所には珍しく社長もいて社長に挨拶をすると
社長も気分よく挨拶を返してくれた。


「ああ、君。ちょっといいかね」

「はい。なんでしょうか」

「実は……だね。ちょっと、この場所に迎えに行って欲しい子がいるのだが」

「迎えに? 誰がいるんですか?」

「ああ、すまん。私はもう行かなくては……それじゃあ」

「え? あ、ちょっと社長!」


そう言って社長は俺にメモ書きを渡して
足早に去っていってしまった。
いつも思うのだが、この人はどうしてこんなに忙しいのだろうか。


まぁそこに関しては俺や小鳥さんの方が忙しいと断言できる自信があるのだが。


「なんだろうこれ」


社長にもらったメモ書きには
とある住所が書かれていた。
この場所に迎えに行けばいいのか?


と言ってもこんな都会のどの家に押しかけたらいいんだ。
ため息がでる。


給湯室から小鳥さんがマイカップを持って出てくる。


「あれ? おはようございますプロデューサーさん」

「ああ、小鳥さん。おはようございます」

「どうしたんですか?」

「いやさっきこの紙を社長に渡されて」

「社長? ああ、そういえば今日珍しくいましたね」

「そうなんですよ」


小鳥さんは自分の机に座ると淹れてきたコーヒーを飲む。


「それでなんですって?」

「ああ、それがこの紙に書かれた住所に迎えに行けって」

「迎えに……?」

「詳しいことは行ってみないと分からないんですよ」


社長の命令だと断れないなぁ。
せっかく今日は春香のレッスンに付き合う予定だったのに。
仕方ない。春香には一人で行ってもらおう。


それから朝のメールチェックなんかをしてから
春香が事務所に来るまでの間、小鳥さんの溜まっている事務作業を手伝う。


ちょうど時計が11時を指す頃。
事務所には春香がやってきた。


「おはようございますプロデューサーさん」

「おはよう春香」

「今日はレッスンでしたよね!」

「ああ、そうだ。……そうなんだが」

「どうしたんですか?」


言葉が詰まる俺に春香が首をかしげる。
ソファに学校の鞄を置いてからこっちに来る。


「いや、実は車でスタジオに行く前に寄りたい所があるんだが」

「寄りたい所? いいですよ」

「うん、それが社長の頼み事で、もしそれがこのあと一日かかるような仕事なら
 春香のレッスンには付き添いができないかもしれないんだ」

「そう……ですか」


春香は見るからに悲しそうな顔をする。
本当に申し訳ないなあ。


「だから春香にはそうなったら車では送って行くけれど
 レッスンは一人で行ってもらうことになる。大丈夫だね?」

「はい」

「よし、それじゃあ準備しておいてくれ」

「はーい」


ちょっと気の抜けた返事をする春香だったが、
さすがにもう自分の中で決着がついたのか
オーディションのことで特に凹んだ様子はなかった。


もしかしたらまだ引きずっているのかもしれないのだが。


春香にそう伝えてから俺も移動の準備を始める。
車に春香と一緒に向かい
春香は助手席に黙って座る。


「シートベルトはした?」

「……」


春香は黙って頷くだけだった。
それから黙って春香は車のラジオをつけた。
いつの間にかこの車のラジオだとか音響設備について詳しくなったんだろうか。
もしかしたら俺より詳しいんじゃないか?


なんてここで考えてみたが車が走っている最中、
春香はずっと俺とは反対側の窓の外をぼんやりと眺めていて
とてもじゃないがそんなくだらないことを聞く勇気はでなかった。


「どこ行くんですか?」


むすっとしながらも行き先の分からない春香は質問してきた。


「いやそれが住所だけ渡されたから俺もどんな所かは知らないんだよ……」

「なんですかそれ」


今日の春香さんはなんだか怖いなあ。
言葉に刺があるというか、
いやまあそれも俺のせいなんだけどさあ。


「えっと、誰か分からないんだけど
 とにかくその住所の所に迎えに行って欲しいんだってさ」

「へえ」


それから社内の空気は冷たく凍りつき、
ラジオから流れる無意味な高速道路の渋滞予報なんかが流れる。


住所を頼りにカーナビをつけて進む。
しかし、カーナビを頼りに進んだせいか
あるいはカーナビではよくある一種のバグのようなものなのかはわからないが。


「目的地に到着しました」と告げたのは道の真ん中だった。


「は? おいおい、いや何もないぞここ」


と思い仕方なく住所をもう一度確認してカーナビに入れなおす。


このパターン、
もしかして目的地のために手段を選ばなくなったカーナビの暴走……。
道がない場所を走れと言い出したり、
高速道路の途中で目的地に到着したりと横暴すぎる例の事件か。


まさかうちの事務所の車にも起きるとは……。


「どうしたんですか?」


むすっとしていた春香も見かねたのか俺の持っているメモ書きを
身を乗り出して覗いてくる。


「いや、それが道に迷ったみたいなんだ」

「この辺りは大きな大通りで待ち合わせになんて使える
 店や駐車場なんか全然ないぞ」


春香と俺は一緒になって車の周りを見渡す。
あるのは反対車線に並ぶシャッター商店街。
左には長く続く高い屏。
一体何かは分からないが。


「プロデューサーさんこれじゃないですか?」


そう春香が指を差していたのはその屏だった。


「屏?」

「違いますよ! その奥です」


春香はカーナビの簡略された地図を指差す。


「だからこの屏の奥がその住所なんですよ」

「そうか。なるほど。よし、入り口を探そう」


そう言って再び車を発進させて屏を沿って走る。
何キロだかもわからないくらい先にその入口はあった。


高い屏に豪華な門。
門の側には警備員が二人。
中の様子はなんと表現したらいいのかもわからないくらい
日本の景気を無視したかのような豪華な建物だった。



「なん……だこれ。美術館か何かか?」

「すごい。なんですかね?」


たぶんこの時車の中にいた二人はものすごいアホ面していたのだと思う。


「よし、ちょっと待ってろ。あの警備員に聞いてくる」


そう言って俺は車を降りて
門の前に立っている警備員に話しかけた。


「すみません。この住所ってここであってますか?」

「……はい。こちらです」


警備員は俺の持っているメモ書きを覗きこむようにして見るとそう冷たく答えた。


「あなたが765プロの方でしょうか」

「へ?」


門の中からスーツをビシっと着こなした白髪のおじいさんが出てきた。
歳のせいで同じように白くなった髭が特徴的だった。


「はい、そうです」

「お待ちしておりました。さあ、こちらへどうぞ。
 それから中にもう一人お嬢さんがいらっしゃるようですので
 お嬢さんもこちらへ」

「は、はい」


車はどうするんだ?
このままこんな門の前に路駐しておくわけにもいかないだろう。
と思い振り返ると全て察したように


「ああ、お車は我々が大事を持って中に運びますので
 キーをお預かりいたします」

「わ、わかりました」


いや、だめだろ。
こんな見ず知らずの白髪の物凄い礼儀ただしいお爺さんに
いきなり事務所の車の鍵なんて渡したら。
だが、なんというか断れなかった。


「春香。降りてきてくれないか」

「へ? は、はい」

「すまん。もうちょっと付き合ってもらうことになる」

「中に入るんですか!?」


春香の目にはすっかりこの豪華な建物しか入っていなかった。
ま、まあ機嫌が治ったのならいいんだけど。


それから俺と春香はそのお爺さんに車のキーを渡して
お爺さん達と徒歩で奥にある豪華な建物に向かうことになった。
お爺さんはすぐに別の人にキーを渡してたけど。
多分中の駐車場かなんかまで運転してくれるんだろうか。


「申し遅れました私は水瀬家の執事長の新堂と申します」

「765プロダクションのプロデューサーさんに、
 そちらのお嬢さんが天海春香さんですね」


なんで春香のことまで知っているんだ。
等の本人は大きな建物に目を輝かせてキョロキョロしているが。


「この度は水瀬伊織お嬢様のお願いを御聞き入れてくださってありがとうございます」

「い、いえいえ。……え?」

「ええ、ですから。この度は水瀬伊織お嬢様を765プロダクションに
 加えていただき誠にありがとうございます」



なんだか言い表すことのできないトラブルの匂いがしてきた。


どうやら春香のレッスンに参加できるか否かの前に
レッスンに間に合うかどうかもわからなくなってきた。


お疲れ様です。
毎度のことながら雑な文と誤字脱字あるかと思いますが。
今日はここまでにしたいと思います。


執事の新堂さんという人に連れられて俺と春香は一つの建物の中に入った。
エントランスホールはとても広く、天井は見上げるほど高かった。


「す、すごい……」

「あの、ここは」

「ええ、こちらはお嬢様のお屋敷でございます」


まさかお嬢様専用の建物だとか言わないよな……。
というかこんな広い家に住んでいたら
おちおちゆっくり休むこともできないじゃないか。


一体どうするんだ? 例えば、すごく疲れていてシャワーも後回しにして
いますぐベッドに飛び込んで寝たいという時は。


玄関の前にベッドだけが用意される訳じゃないだろうし。


エントランスホールから正面に大きな階段。
そこまで続くレッドカーペットの上に一人の女の子が立っていた。


「あの子が?」

「左様でございます」


あの子が水瀬伊織。


「こんにちは」

「こんにちは」

俺と春香は並んで挨拶をする。


「……」


あら、無視ですか。
なんて考えているうちにその子はため息を大きくついた。


「はあ。新堂、本当にこの男が社長なの?」

「いえ、こちらのお方はプロデューサーでございます。
 お嬢様の活動をプロデュースしてくださる方です」

「はい、よろしくお願いします」


つい敬語になってしまった。
この屋敷の主ともあろうそのオーラに圧倒される。


「ああ、通りでそんな顔なわけね。
 庶民の顔してるもんね」


落ち着け。俺。
まだ焦る場面ではない。
何も聞かなかったことにしよう。


「で、そっちの女は誰?」

「こちらは765プロダクションに所属されておられる
 天海春香様でございます。お嬢様の先輩にあたるお方です」

「さ、様!? せ、先輩!?」


えへへ、とデレデレしている春香に対してもそのお嬢様は
目を細めて見下すように見る。


「ああ、通りでそんな顔なわけね。
 庶民の顔してるもんね」


落ち着け。俺。
まだ焦る場面ではない。
何も聞かなかったことにしよう。


「で、そっちの女は誰?」

「こちらは765プロダクションに所属されておられる
 天海春香様でございます。お嬢様の先輩にあたるお方です」

「さ、様!? せ、先輩!?」


えへへ、とデレデレしている春香に対してもそのお嬢様は
目を細めて見下すように見る。


「ふぅ~ん。この人が?
 やっぱ765プロなんて知らない場所に頼るんじゃなかったわ」

「どうみたってその辺の子じゃない」


「えへへ……へ?」


春香が笑顔のまま硬直する。
不味い……。せっかくこういう屋敷でテンション上がったのに。


「しかしお嬢様、他のプロダクションには……」

「うるさい。いいのよ、あんな無能な場所は!」


先ほどまでキリッとしていた新堂さんが困った顔をしている。
相当に手を焼かされる子なのかもしれないな。


と思った矢先に俺は社長から受けた命令を思い出す。
そうか、俺はこの子を迎えに来たのか。


どうやら社長に押し付けられたらしい。


「この後のご予定は」

「え? えっと、春香のレッスンに行きますので
 車で送って行こうと」

「レッスン? 早く私のCDを出しなさいよ!
 この歌もできちゃうプリティアイドル伊織ちゃんの」


まさかこの子……素人か何かなのか?
たぶんお嬢様だからか何なのかは知らないけれど
相当に夢だけ見てこの業界に飛び込もうとしているらしいな。


だけど俺がこんな場所で断る訳にもいかないよな。
この子の父親はすごく偉い人なんだろうし、
その人と繋がっている社長の面子もたてなくてはいけない。


春香は未だ硬直したまま。


「えっと、まずCDを出すためには色々と準備が必要でね?」

「はあ? 何よ文句あるの」


なんというかこの子の財力なら自分で
CD作って売った方が早いんじゃないんだろうか。


「まさかこの私がCDを出す歌唱力を持っていないと思っているの?
 ふぅ~ん。ならいいわ。そこのあんたのレッスンに私も参加して
 この天才的な実力を見せてやろうじゃないの」


あんたと指差されて急に話が振られてきたものだから
「えっ!?」と驚いている春香だった。


誠に勝手ながらこのお嬢様はノリ気である。


「ま、センパイだかなんだか知らないけれど
 どうみたって素人の粋から抜け出してないその女に
 私の実力を見せてあげる」

「なっ!? ぐぬぬ」


春香は今にでもハンカチ噛みながら
「きぃー!」とか言い出しそうなくらい顔が怒りに歪んでいたが、
それでも笑顔を絶やそうとしない彼女の顔は見るに耐えなかった。


「さ、行きましょう。新堂」

「申し訳ございませんお嬢様。場所はこの方がご存知ですので
 この方の車で行くことになります」

「はあ? なんで車出せないのよ」

「今日は全て出てしまっているので」


「……またお兄様の仕業ね」


スカートの裾をぎゅっと握り締める水瀬伊織さんは
再び新堂さんにキツい口調で言う。


「私のレッスンの用意は?」

「こちらに」

早いな、おい。どっから出したよ。
新堂さんはサッと鞄を水瀬伊織さんに渡す。


「さあ、行くわよ。案内しなさい」


それから俺と春香はキーキーうるさいお嬢様を引き連れて車まで向かった。

春香と俺の後ろでうるさく文句ばかりいっている(時々春香をdisってくる)
お嬢様に対して春香はほっぺたをパンパンに膨らませて
俺の袖をぐいぐい引っ張ってくる。


「むぅ」

「な、なんだよ。言葉にしなくちゃわかんないって……」


そうは言うもののだいたい言いたいことくらいは分かる。
すまん春香。俺も同じ気持ちだってば。
でも言ったら言ったで俺の首が飛びそうで。


車に着くやいなやさっそく助手席に乗り込む水瀬伊織は開口一番に


「臭ッッ! あんた車でタバコ吸ってる?」

と言い放つ。
もちろん俺は吸っていないのでそれを伝えると不服そうに乗り込んだ。

いつものポジションがあっという間に取られた春香は
開いた口が塞がらないといった様子。


さらに水瀬伊織は当たり前のように後ろの座席に乗り込んで
一緒についてこようとしていた新堂さんに対しても


「何よ、別に着いて来なくても平気だからあんたは待っていなさい」


と言った。
俺はこの時の新堂さんの顔が未だに忘れられない。
優しそうで初老のダンディなおじ様が
まさか子犬のような悲しそうな顔をするなんて。


それから俺の運転、助手席に水瀬伊織さん。
後部座席に春香が乗って出発した。
相変わらず頬を膨らませて後部座席からミラー越しに
俺に自身の怒りをアピールしてくる春香だった。


一方の暴れん坊お嬢様はカーステレオを勝手気ままに弄りだし
先日春香が気に入って聞いていたCDがそのまんま入っているのを見つけると
おもむろに車内で流し


「何この歌、ダッサ……。他のないわけ?」


これにはさすがの春香も怒りを通り越し凹みだしてしまった。
同時に俺は激しい頭痛がしてきた。


この後のレッスン……一人飛び込みで参加するのはまだしも、
一体どうなるのかが本当に心配だ。



半ば放心状態だった春香もレッスンスタジオに着いてからは
気をしっかり保ち、二人共着替えてスタジオに現れた。


「えっと、そのぬいぐるみなんだけど」

「何? シャルルって名前がちゃんとあるのよ」

「え、えっと……そのシャルルなんだけど
 これからレッスンするんだから置いてきてくれないかな?」


「へぇ~、そのぬいぐるみシャルルって名前つけてるんだ~」


春香が露骨に馬鹿にしたような言い方で水瀬さんに話しかける。
まるで「そんなぬいぐるみに名前つけてるなんて子供っぽいっていうかちょっと痛い」
ぐらいの意味がさっきの台詞の中に込められている。


春香、悔しいのは分かるが同じ土俵に立てばお前も同類なんだからやめてくれよ。


「あ、あら~、えっと、何さんだか忘れちゃったけれど
 頭にゴミがついて、あらごめんなさい。リボンつけてたの?
 てっきり……ごめんなさ~い」


今の水瀬さんを漫画風に表したら確実におでこの辺りに怒りのマークが出ているだろう。
一方春香も笑顔が引き攣っている。


思わず頭を抱えてしまう。
ルーキートレーナーさんもこれには苦笑いどころか若干引いている。

水瀬さんはすぐに置いてくるから待っていなさいと
吐き捨てるように言いロッカールームに戻っていった。
スタジオから水瀬さんが出て行くなり春香はずんずんと足音立てて近づいてきて
水瀬さんの出て行った扉を指さした。


見ると春香は涙目だった。

「あーあー、分かった分かった。よしよし、泣くんじゃないって」

「な、何なんですかあの子! きぃ~~!」


春香はその場で地団駄踏む。


「いいか、春香。お前のほうが先輩なんだから
 しっかりと今まで頑張ってきた実力を
 このレッスンで見せつけてやれ」


「たかだか三ヶ月半先にやってるからって
 舐められないようにするためにな。
 あとはお前のこれまでの頑張り次第さ」


そう言うと春香はこれまで怒りに歪んでいた顔が元に戻り……
元の笑顔を通り越して悪い表情になった。


「お、おい春香。レッスンにはちゃんと集中して……」


聞いちゃいないし何か企んでるなこいつ。
まあ、十中八九、自分と水瀬さんの実力の差を見せつけて
ぎゃふんと言わせてやろうとか思っているんだろうが。


果たしてそれが上手くいくかどうか。


かくして俺の心臓に取っては地獄のようなレッスンが始まるのだった。


「ワンツー、ワンツー、最初の軽い動きからね」


トレーナーさんのあとに続き同じように動く二人。
春香は余裕そうだったが水瀬さんは初めてなのかだいぶ戸惑いながらやっている。


「水瀬さんはもう少し顔をあげてみて。足の動きは大丈夫だから。
 足の動きを心配して手の動きが疎かになってるわ」

「は、はい!」


素直に返事をした。
俺はそのことに少し驚いていた。


今まで散々悪態ついていたけど、
教わる人からはちゃんと教わろうとしている姿勢はあるし
返事もしっかりできるじゃないか。


もしかしたらこの子は本当はいい子なんじゃないか?
そんな風に思った矢先に……。


注意されている姿を隣でほくそ笑んで見ている春香に
水瀬さんは気が付いたようで拳を握りしめていた。


何やってるんだよ……。
器が小さいぞ春香。


「あ、春香ちゃんは逆に足の動き、気をつけてね。
 ちょっと転ばないように慎重になりすぎているから」

「は、はいっ」


見ろ、言わんこっちゃない。
隣で水瀬さんがものすごい嬉しそうな顔でニヤニヤしてるじゃないか。
それに気がついた春香も物凄い悔しそうな顔してるし。


そんな感じで二人はいがみ合いつつレッスンは進んでいく。


レッスンの時間も半分になってきた頃、
水瀬さんの動きがだいぶ鈍くなってきた。


恐らく踊りっぱなしで疲れてきたのだろう。
一方春香はさすがにこれだけレッスン三昧の日々を送ってきただけはあるのか
まだまだ余裕そうだった。


しかし、水瀬さんが悔しそうにする一方春香はもう
水瀬さんに対してはほくそ笑むようなことはせず集中していた。
だが、逆にそのことが水瀬さんは悔しいようではあった。


まあ無理もない。
いきなり飛び込みで春香のレッスンに付き合うなんて言って
仮にもお嬢様がそんなに簡単にできるわけじゃない。


ルーキートレーナーさんも見かねて水瀬さんには
スタジオの端っこで休むように言う。


水瀬さんはタオルを首からかけ
体育座りで小さくなってスタジオの隅に座った。


表情は暗く、本当に悔しそうだった。


「はい。大丈夫かい?」

「……」


外の廊下にある自販機(如月さんと出会うきっかけになった)
で買ってきたスポーツドリンクを水瀬さんに渡す。


黙って頷いた彼女は飲み物を受け取る。


「どう? ちょっとキツかったかな?」

「……」


飲み物を何口かに分けてちびちびと、
それでも上品に飲んでみせた彼女は
俺の投げかけた言葉を無視したのだった。


よっぽど悔しかったのかもしれない。
それと無視するのとはまた別の悪意を感じたが、
まあそれは黙っておこう。


「少し話してくれないか? どうしてアイドルをやろうと思ったの?」

「……私、見返したいのよ」

「見返す? 誰を」

「お父様やお兄様達を。どうせ私が何もできないとでも思ってるのよ」


文句ばかり言っていた彼女はそう言った。
その姿はお嬢様でも何でもなくただの一人の女の子だった。


今の心が少し折れかけて弱っている所に
聞いたのが効いたのか、
それとも素直に話してくれたのかは分からない。


だけど彼女がどういう理由でアイドルになろうと思ったのかは分かった。
いや、もうそれだけでも分かったからいい。


俺は小さく座る水瀬さんの隣に座る。
その際若干距離を取って座り直された。
そんなに近くに座った訳じゃないんだがなあ……。


「彼女の名前は天海春香。16歳の女子高生だ」

「あいつは幼い頃からアイドルになることが夢で
 晴れてこの765プロに飛び込んできたんだ」

「それとほぼ同時に入社したのが俺だ」

「まあそれも春のことだったけどな」


水瀬さんは黙って聞いていた。
話し始めた瞬間は嫌そうな顔をしたが。


「あいつは今自分の夢だったアイドルになるための
 スタート地点にようやく立っているんだ」

「これまでの自分じゃなく、アイドルとして生まれ変わるための、な」

「それから今の彼女はその目標をまた一段と大きくしているんだ」

「トップに立ちたい、と彼女はそう本気で思っている」

「水瀬さん、君の夢がどうあれ君がアイドルを目指そうと思った
 根底は変わらないんだ」

「試しに言ってみてやって欲しい。
 彼女に君の目標とアイドルになろうと思ったきっかけを」

「春香は絶対に笑わないよ」

「もちろん俺も笑わない」

「……」


水瀬さんは何も言わずにただレッスン中の春香を見つめていた。


「君と春香は一緒の仲間になろうとしている」

「トップを目指すんだろう?」

「改めて、一緒にやってみない?」

「……。ああもううるさいわね。隣でべらべらと」


スッと立ち上がる水瀬さん。
もういいのだろうか?


「あんたのせいで全然休憩にもならないじゃないのよ」


それだけ言うとトレーナーさんの所に言ってレッスンを再開した。
彼女が今の話で少しでもやる気がでればいいんだけど。


その後、レッスンはどんどんと激しさが増していった。
春香ですら息を切らしていたのにも関わらず水瀬さんは
その根性だけで乗り切ってみせたのだった。


「終わったあとの整理体操。ストレッチちゃんとしておくようにね」

「はい」

「はーい」


そう指示が出たが二人は個別にそっぽ向いて体操を始める。


「あー、ちょっといいかいお二人さん?」

「何よ」

「どうしたんですか?」



「せっかく二人でいるんだから二人でしたら?」


そう提言する俺に、春香と伊織は目を合わせる。
こういう風に言うともう片方はそうでもなくても
きっと片方は。


「別にいいわよ一人でできるじゃないそんなの」

「いいからやろうよ。ほら、座って座って」


グイっと水瀬さんの手を引っ張り無理矢理にでも座らせる春香。
それから足を開かせ背中を推し前屈させる。


「いっ、いたたたた。ちょ、ちょっとあんた! もうちょっと優しく!」

「だめだよ、ちゃんと伸ばしておかないと次また怪我するよ」

「お、覚えてなさいよあんた! いたたたっ!」


無駄に先輩ぶる春香だったがその顔はもう戦い終わって意気投合でもしたかのような
スポ根漫画でももう滅多にない爽やかな笑顔だった。


「でもよくついて来れたねー」

「いたた……あ、当たり前じゃない! 誰だと思ってるのよ」

「でも途中へばってたじゃん」

「うぐっ、そ、それは……。こ、交代! 今度は私がやってあげる!」

「えっ? あ、ちょっ、あたたた! 痛い痛い!」


するりと抜けだして今度は逆になって春香の背中を水瀬さんが押す。


「どうだった? 初めてのレッスンは……いたた、も、もうちょっと優しく~」

「だめ。怪我するかもしれないからしっかりやらないと、ね!」

「……初めてのレッスンは……」


「最悪だったわ……。疲れるし全然上手くできないし
 イライラするしムカついた。オマケに変な奴にも無駄に諭されて」


変な奴ってのは俺のことなのか?


「でも……私の目標に一歩近づけたと思う」

「そっか」

「私ね。父様や兄様を見返したかったの」

「アイドルでトップになってそしたらきっと兄様たちも
 私のこと認めてくれるって。そう思ったの」

「そっか。じゃあ頑張らないとだね!」

「私もトップアイドルになりたいの。一緒に目指そうよ!」


春香はストレッチから座り直して伊織と向かい合う。
伊織の手を取る春香はやっぱりちょっとだけ先輩なのかもしれないな。


「これからよろしくね伊織!」

「あ、えっと、こちらこそ……」

「春香。春香でいいよ」

「こちらこそよろしく、春香。
 あ、でもトップになるのは私なんだからね!?」

「えぇ!? いきなりライバル宣言!?」



そんなこんなで俺と社長と小鳥さん、そして春香だけだった765プロに
新しく水瀬伊織が所属するのだった。




帰りは迎えがくるものだと思ってたから水瀬さんにそう聞いてみたところ。


「迎え? 別に来ないわよそんなの」

「そうなのか。じゃあ水瀬さん先に送っていかなくちゃだね」

「分かりましたプロデューサーさん」

「そう……ありがと」


そのありがとうにはただ送ってくれて、
というだけの意味合いではなかった気がした。


「あ、あとあんたも私のことは伊織……
 いや、あんただけは伊織様って呼びなさい」

「えっ……なんで?」

「苗字で呼ばれるのは好きじゃないのよ。
 だけどあんたごときに呼び捨てはちょっと耐えられないし」


と鳥肌になったのか腕を擦る伊織。


「じゃあ伊織って呼ぶわ」

「ひうっ、き、気持ち悪っ」


春香はフォローすることもなく苦笑いしていた。
助けてくれてもいいんじゃないか?


「じゃあまた今度よろしくお願いしますね」


そうトレーナーさんにも挨拶をする。


「はい、こちらこそ。
 そういえばプロデューサーさん、千早さんの連絡先なんて知らないですよね?」

「……? 如月さん? いえ、知らないですけど」

「そうですか、いえ、この前話してたみたいだったんで」

「ああ、あれは別に。そんなんじゃないですよ」

「知らないなら別に大丈夫ですので」

「? そうですか。じゃあまた」


そう何気なく聞かれた如月さんのことだったが、
やはりあの自販機の一件は見られていたし、知ってると思われたのかな。


だが、俺はこの時、どうしてもっと言及しなかったのだろうかと
そう後悔する日がくることを知らなかった。


この時俺は伊織の送り迎えのことで頭がいっぱいだった。


車の中でギャンギャンと口論を始める二人だった。
仲良しなんだかそうじゃないんだか……。


「頼むから車の中で暴れないでくれ」

「暴れてないわよ! 後ろのリボンが暴れてるんでしょ!?」

「またリボン馬鹿にして! もうっ! 
 私じゃないですよね!? プロデューサーさん!」

「どっちもだよ……」

「「なんでよ」ですか!」」


原因は再び伊織が助手席に座ったことから始まり
またしても春香のお気に入りの歌にケチをつけたことだった。


「伊織……それは春香のお気に入りだったんだからな?」

「お前も大事なうさぎ(のぬいぐるみ)馬鹿にされたら嫌だろうに」

「シャルルだって言ってるでしょうが、この駄犬!」


なんでたったの数時間で犬呼ばわりされるほどの関係になったんだ俺と伊織は。
ああ、早く下ろしたい。


と、まあこんなやり取りがあったのは車が発信してから3分ほどで
二人がほぼ同時に「もう知らない!」「こっちこそ! ふん!」とか言って
そっぽ向い黙りはじめてしまって。


それからすぐに伊織のほうから寝息が聞こえ、
後ろの春香からも寝息が。


「ったく、しょうがねえな……」


それから車は無音のまま走り
水瀬邸にたどり着いた。


車は今度は敷地内に入ることはなく
大きな門の前に新堂さんが出迎えていた。


「お嬢様、お嬢様起きてください。到着いたしましたよ」

「ん、……うん」


さり気なく自分の荷物を全部新堂さんに押し付ける伊織。
お前新堂さん過労で倒れたらどうするんだよ。


「本日はお疲れ様です。ありがとうございました」


そう深々とお辞儀をする新堂さん。
隣の伊織は新堂さんの袖を掴んだままでちょっと寝ぼけてるみたいだった。


「伊織ぃ、またね」


寝ぼけた様子の春香が後部座席から
身体を乗り出して伊織にひらひらと手を振る。


伊織もそれに応じて手を振りながら


「ばいばい。またね」


そう言った。
二人がさっきまでいがみ合っていた仲だなんてことは
もう誰もが忘れ去っていた。


俺は春香を駅まで送った。
春香も春香で車の中では爆睡していたために
フラフラとした足取りで駅の中に消えていく。
あの様子じゃ電車で寝過ごすかもしれないな。


レッスンの最中は伊織に自分の実力をみせまいと
いつも以上に気を張って頑張っていたからな。


疲れすぎてしまうのも無理はない。


事務所に車を返しに行くとちょうど小鳥さんが
事務所から出てくるところだった。


「あら、おかえりなさい」

「ただいま戻りました」


「事務所開けますか?」

「いえ、大丈夫ですよ。車置きに来ただけですから」

「そのまま帰っても良かったんですよ?」

「いえ、ちょっと寄りたい所もあるんで」

「そうですか」


すっかり辺りは暗くなってしまってもう帰ってもいい頃だった。
だが、小鳥さんに言ったように寄らなくてはいけない所がある。


あのコンビニだ。


「それじゃあまた明日」

「お疲れ様でした」


そう俺と小鳥さんは別れた。
走ってコンビニに向かうがそもそもまた秋月さんが
ここで働いているという保証はどこにもないのだった。


一日中春香と伊織のレッスンに付き合っていたせいですっかり遅くなってしまっていた。
なんだかいつもの二倍の疲労感があるのだが……。
そんなこと気にはしていられない。


息を切らしながらコンビニまで来た……。
来た……のはいいが、一体何をどう話したらいいんだろうか。
そんなこと全然考えてなかったじゃないか。


下手したらただのストーカー呼ばわりされてしまうかもしれない。
だけど、彼女は昨日もうチャンスはないということを言っていた。


ええい、覚悟を決めて話しかけるしかないな。


コンビニに入るとレジには見知らぬ大学生くらいの男がぼおっと立っていて
気の抜けた挨拶をしてくる。
店内をキョロキョロと見渡すと
店の奥で商品を棚に陳列している秋月さんがいた。


よし、ラッキー!


「あの……」

「いらっしゃいま……またあなたですか」


一瞬見せた店員としての笑顔はすぐに消えて
明らかな嫌悪の表情を見せる。


「あのさ、ちょっと時間あるかな? このあとでいいんだけど」

「……よくないです。まだ仕事中ですし今忙しいんで」

「バイト終わってからでいいんだ」

「だめです。邪魔しないでください」


商品を棚に入れ終えた秋月さんは店の裏に消えようとする。
冷たい対応に心が折れそうになる。


「俺は君の力になれるかもしれないんだ」

「……あなたの力を借りるくらいでしたら
 私の方が上手く出来ます」

「……そうだな。違うんだ言い方を間違えたな。
 君に俺を」


そう言いかけた時店内に怒轟が響く。


「早く持って来いてめえ!」

「し、少々お待ちください!」


先ほどのレジにいた大学生くらいの
ひょろ長い男店員が走って秋月さんの所に来る。


「な、何どうしたのよ」

「タバコ、売り切れた奴を出せって」

「あの銘柄はまだ仕入れてないわよ」

「と、とにかくもう一度ちゃんと丁寧に説明してきて。
 私はないか裏見てくるから」


そう秋月さんは指示すると男の店員もレジに戻っていった。
レジには黒い服を来た体格のいい男が一人。


まあ普通にお店でだけで立ち話できるほど
コンビニも暇じゃあないか?
何やらクレーム対応で忙しそうだし仕方ない。
もう少しだけ待つとするか。


「だからなんで置いてねえんだよ! いつもあんだろうが!」

「で、ですからたまたま今日は、ということも」

「ふざけんじゃねえぞてめえ!!」


イライラに任せてレジをばんばんと猿のように豪快に殴りつける黒い服の男だった。
その騒ぎ立てる音は店内中に響き店の中は静まり返る。


そこに秋月さんが駆けつけて
深々と丁寧に謝罪を始める。


こんな時間に店長とかもいないだろうし、
可哀想に、今はあの子たちでなんとか切り抜けるしかないんだろうけれど。


「ああ? うるせえんだよ眼鏡コラ」


黒い服の男は自分が騒ぎ立ててるのが恥ずかしいと思うくらいに
秋月さんの対応が丁寧だったもので、
逆上し秋月さんの眼鏡を手で跳ねあげた。


秋月さんは軽く悲鳴をあげて縮こまってしまう。


「ほう、おい、こいつ中々じゃねえか。
 なんでそんな趣味の悪い眼鏡なんかしてたんだよ。
 おら、これも取ってみせてみろよ」


そう言って秋月さんの三つ編みおさげの片方のゴムを取って見せた。


黒服の男がもう片方の三つ編みに手を伸ばした所で
俺は男の腕を掴んでいた。


「あ? なんだてめえ」

「え? あー、その……なんだ。やめておいてやってくれよ。
 タバコはねえもんはしょうがないだろう?」


あれ。俺何してるの?
やばい死んだかもしれない。
普段こんな風にしゃしゃり出るほどの勇気なんて
持ち合わせてないのに……。


「他のコンビニにでも言ってみたらどうですか?
 あっちに3分くらい歩けばありますよ?」


思わず敬語にシフトチェンジする。
めっちゃ怖いめっちゃ睨んでくる。


「離せよてめえ! なんだお前!」


俺の手は乱暴に振りほどかれ、
同時に蹴りを食らう。


「いっでぇ!」

「くっそ……てめえちょっと来いオラ」

「えっ、ちょっ、ま」


黒い服の男は俺の胸ぐらを掴み引きずるように
コンビニから外へ出て行く。
それからコンビニの裏に連れて行かれまず一発顔面に拳を食らう。


まともに喧嘩なんかしたことないから分からなかったが
マジで痛い! 死ぬ!


頭がくらくらする。
目の前もチカチカするし。


次に腹部に吸い込まれるように拳が入る。


「――ッッ!」


膝をついてしまう。立ってられないほどの激痛。
そこに顔面に蹴りを食らって俺はみっともなく地面を転がる。


た、助けてくれマジで。誰でもいいから。
警察! 警察は何をしてるんだ。早く来てくれ。


逃げないと。地面に手を置き立ち上がろうとした時、
鼻血がボタボタと垂れていた。
早く逃げないと。


這いずるように逃げようとする俺の脇腹に
革靴のつま先が飛び込んできてまたしても俺は地面を転がる。


激痛が走る脇腹を抑えるようにしていると
俺の上にさっきの黒い服の男が飛び乗ってくる。


一発、また一発と俺の顔面をサンドバックのように
ボコボコに殴る黒い服の男。


痛みの中に意識が薄れていく。


そんな時、男の手が止まる。
誰だ? 誰かとでかい声で話している。
目が霞んでちゃんと見えない。


誰と話してるんだ。


男は俺の上から立ち上がり話していた誰かの方に向かう。
警察か? それとも秋月さん?


だめだ秋月さんだったら俺がこうしてやられている意味がなくなるじゃないか。


見上げると黒い服の男は突然宙に舞い
そしてそのまま地面に叩きつけられて
そのまま動かなくなった。


黒い服の男を投げ飛ばした人は
そのまま去っていった。
その背中を見ながら俺の記憶はここで途切れたのだった。
白い服……? 誰だったんだ……あれは。

お疲れ様です。今日はここまでにします。
毎度毎度駄文で申し訳ないのです。


目が覚めると俺は病院にいた。
目の前には小鳥さんでも秋月さんでも春香でもなく
警察がいた。


それから俺は一部始終を警察に話し被害届を出すことになった。


2時間以上ベッドの上にいながら警察の対応に
硬くなっていて俺は疲れていた。
身体は痛いし、最悪だ。


しばらくすると小鳥さんがやってきた。


「大丈夫ですか? 本当に心配したんですからね」

「すみませんでした。社長は忙しくて来れないみたいなんですけど
 伝言で『ゆっくり休んでくれて構わないから』と言ってました」

小鳥さんは続けて言う。


「そういうわけにもいかないんだけどなあ」


そこにまたしても客人が現れたのだった。


「し、失礼します」


覗きこむように現れたのは秋月さんだった。


「秋月さん……秋月さんは無事だったのかい?」

「えっ!? 私ですか? はい、おかげさまで無事でした」

「ああ、良かったよ。
 これで秋月さんに何かあったんじゃやられた意味がないからね」


俺は軽く冗談のつもりで言ったのだが、
どうやら秋月さんはそうとう責任と感じているらしい。

小鳥さんはそっと立ち上がって病室を出て行った。


「あの……すみませんでした」

「謝らないでいいよ。俺が聞きたかったのはもう一つのほうさ」

「助けていただいてありがとうございました」

「そう、そっちだ」

「さっき警察に全部話したがすぐに逮捕されたんだろう?」

「はい、あなたの隣で同じように倒れている所を捕まえられてました」

「呼んでくれたのはやっぱり秋月さんだね? ありがとう」

「い、いえ私は別に」

「いや、君のおかげで俺は殴り殺されずに済んだんだ」


もっと言ってしまえば誰かに助けられていたような気もするが。
あれは誰だ?



「ねえ秋月さん。この前の話の続き、してもいいかな?」

「え? はあ、どうぞ」

「秋月さんと初めて会ったのはオーディション会場だよね。
 そのあとにコンビニで会った。あの時に言っていた次がない
 っていうのはどういうことなんだい?」

「……そんなこと知ってどうするんですか?」

「力になれるかもしれないと思ってね」

「引退です。私も19になるんです。
 アイドルなんて夢ばかり見てないで
 ちゃんと就職しないといけないと思いまして」


「やっぱりそうか。あのオーディションで最後のつもりだったんだね?」

「じゃあ秋月さんも俺の事務所においでよ」

「あなたの事務所で……ですか?」

「ああ、そこで再出発してもいい。事務の仕事を手伝ってもいいんだ」

「……」

「今、人手が足りなくてね。やっと担当のアイドルが増えてきてるんだ」



一応嘘ではないからね。


「だから俺の力になって欲しいんだ。君の力が必要なんだ。
 俺なんかじゃ到底見抜けないようなことも
 秋月さんは話したこともないのに見抜いてみせた」

「その力が欲しい」


秋月さんはすごい驚いていた。
多分彼女は「アイドルなんて辞めるな」と止めてくるものだと思っていたのだろう。
確かに彼女の魅力は十分にアイドルとしてやっていけるくらいにある。



だが俺はあえて彼女を止めることはしないで
俺と同じプロデューサーをやって欲しいということを頼むのだった。


「君に、俺と一緒に765プロのプロデューサーをして欲しいんだ」


彼女は小さく「卑怯ですよ」とだけ呟いたが俺はそれを無視した。
そうして彼女は大きく立ち上がり力強く答えた。


「わかりました。あなたがいない間の765プロは
 私に任せてください。この御恩は必ず返して見せます!」



「ありがとう、助かるよ。
 でもここ病院だからもうちょっと静かにね」


はっ、と気がついたように周りの患者さんたちにペコペコ謝りながら
椅子に座り直す秋月さん。


「えっと、秋月さん。外に小鳥さんがいると思うから
 呼んできてもらえるかな?」

「はい。あ、プロデューサー。私のことは律子って呼んでください」

「え? ああ、うん。そっちがいいならそうするよ」


こうして律子は小鳥さんを呼びに行き、
3人でこれからの体制について話し合いを始めた。


律子は今までアイドルをやっていた分だけあって
この業界のことは詳しかったのでかなり話やすかった。


しばらくは俺の業務は殆どが律子が行うことになった。
簡単なレッスンの付き添いだけになるが、
その際は車の運転は社長にお願いしようと決めた。


あの人もそれくらいのことなら協力してくれるはずだ。


本当は春香はオーディションなんかも入っていたんだが
さすがにいきなり律子に突き合わせるのは酷なのかもしれないと思った。
律子はそれでも平気だからやらせてくれと言ったが、
何が大きな失敗が起きても対応できないかもしれない。


律子自体のプロデューサーとしての能力は未だ未知数なのだから。


俺達も簡単なものしか頼めない。


こうして765プロに新しくアイドルではなく、
プロデューサーとして秋月律子が仲間に加わった。



俺は事件に巻き込まれてから3日もかからずに退院した。
元々ただの怪我なので別に入院していることはないのだ。
ということで今日から業務に復帰する。


たるき亭の前を通り、事務所への階段を登る。
午後からの出勤になってしまっために
中に入ると小鳥さんと律子はもちろん春香と伊織までいた。


「おはようございまってうおおッ!?」

「ぷ、プロデューサーさん! 大丈夫なんですか!?」


「ちょっとなんで私に言わなかったのよ! 心配させんじゃないわよ!」

「ああ、い、痛そう……」

「私がついていればすぐにSPがかけつけて
 ボッコボコのギッタンギッタンにしてやったのに」


いやそれはそれでアイドル生命が絶たれるからやめてくれ。


「ほら、俺自体はもう大丈夫なんだってば」

「それよりお前ら二人共ちゃんと律子の言うことは聞いてたのか?」

「子供じゃないんだから当たり前じゃない!」


と堂々という伊織に対して春香はジト目を向けていた。


「お前まさか……まーたキィーキィー喚いて無駄に反抗したんじゃないだろうなぁ」

「なっ!? し、してないわよ! だいたいあれは律子が悪いのよ」

「ちょ、ちょっと伊織やめなよぉ」



デスクの方を見ると小鳥さんは苦笑いし、
律子は申し訳なさそうに目を伏せていた。


見ると律子はおさげをやめて後ろでアップにしているじゃないか。
なんだろうな、これも彼女のアイドルとしてではなく
プロデューサーとしての再スタートを意味してのことなのだろうか。


「律子さん、私達のためにトレーナーさんと一緒になって
 教えてあげたんですけどそれが上手くいかなかったみたいで」

「そうなのよ。もう返って邪魔だったんだから」


「あー! もう悪かったって言ってるじゃないのよ!」


律子は逆ギレした。
だから何度もいうがその土俵に立った時点で
二人は同類なんだからな。


「やめろって二人共。伊織も、律子は良しと思ってやったんだから
 それが裏目に出ても仕方ないだろう?」

「伊織と春香のためを思って頑張ってくれたんだから」


「はん! どうだかね。プロデューサーがどうたらってずーっと言ってたわよ」

「え? 俺のせいなのか?」


律子を見ると焦りながら


「ち、違います! そうじゃなくてその……二人のためももちろんあるんですけど
 私はプロデューサーに恩返しがしたくって……」


まあなんとなく状況は掴めたが、
完璧に打ち解けた、という様子ではないみたいだな。


なんだか急に増えた事務所の人口密度に慣れないまま
再びレッスンに向かうことになった。


車にはレッスンの風景を見学させるために律子を連れて行った。



春香が助手席のドアを開け乗ろうとした所に
伊織が横から入り乗り込む。


「あら、気が利くわね。ありがとう」

「あぁ、ちょっと! 私の席!」

「何ようるさいわね! 助手席じゃないと酔っちゃうのよ!」

「ぶー。ならしょうがないよね……」


というやり取りがあった。
これが彼女達が出会った初日に起きていたやり取りなら
5分以上の口論は避けられなかったのに。


車には俺と助手席に伊織、俺の後ろに春香。その横には律子が乗った。


車内では口論もなく春香を中心に会話が成立していた。
春香が話題を作り、伊織がそれにケチをつけて、
春香がそれに対して見当違いの発言をして、律子と伊織がツッコミを入れる。


とても3日だかそこらで仲良くなった連中とは思えない一体感だ。


春香と二人だけだった時の車内と言えば
ツッコミ役も俺がやっていたし、
春香も適当に流れてくるラジオの内容から連想されたような
話題を振ってくるだけだった。
なんとも懐かし光景だが今は違う。


スタジオについてからはまずルーキートレーナーさんが
俺の顔の大きな絆創膏を心配していてくれていた。


その挨拶をしている隙に春香と伊織と律子は
ロッカールームに着替えに行ったようだった。


「事件のこと聞いた時は本当にびっくりしちゃいましたよ」

「あはは……。俺もびっくりしましたよ。まさかこんなことになるなんて」


「なんだか色んな噂が飛び交っていて大変だったんですよ」

「色んな噂?」

「プロデューサーさんが怒らしたのはヤクザの幹部だった、とか」


何とも笑えない冗談である。
実際に黒い服のあの男はかなり強面だった。


「プロデューサーさんが実はヤクザだとか」

「どっからそうなったんですかね? 
 こんな俺なんてどう見てもヤクザじゃないでしょうに」


「プロデューサーさんと共倒れしてたって聞きましたよ?」

「え? あれは俺が戦ったんじゃないですよ。
 なんか誰か知らない人が助けてくれたんですよ」


そういう記憶があったのをすっかり忘れていた。
あの時確か俺は誰かに助けられていたな。


今となってはもうあんまり思い出せないけれど。



意外と噂好きだったルーキートレーナーさんとの会話は弾んでいたが
奥からベテラントレーナーさんが現れてルーキーさんの肩をちょいちょいとつつく。


目で「ちょっとすみません」と合図してすぐにベテランさんと話を始める。
何やら真剣な表情で話しているようだったのでうっかり内容を聞いてしまった。


「まだ見つかってないらしいのよ」

「お家にもいないんですか?」

「無事だといいんですけど。プロデューサーさんの事件もあったし」


まさか予想外に俺の名前が飛んで出てくるなんて。


「どうかしたんですか? 見つからないって……」


ベテランさんはルーキーさんとアイコンタクトを取ってから
俺にその内容を話してくれた。


「実はうちでいつもレッスンを受けている如月さんが
 もう2週間以上もレッスンに顔を出してくれないのよ」

「殆ど毎日入っているレッスンなのに……急にどうしたのかしらって」


如月さんが?
俺は一番最後に見た如月さんの様子を思い出した。



あの様子。
あれは異常とも言えるものだった。


「家にいないんですか?」

「はい。行っても出なかったらしいんですよ」

「俺が行ってきます!」


咄嗟に答えてしまった。
確かに心配なのは心配だし。



「でも」

「大丈夫ですよ。一応ちょっとした知り合いではあるんで」


そう言って俺はスタジオを出る用意をする。
そこにちょうど着替え終わった律子達が現れた。
なんてタイミングのいい。


「ああ、すまん。律子! 急用ができたんだ」

「えっ? ちょっとどこ行くんですか!?」

「あとのことは任せた! レッスンが終わる頃にはちゃんと帰ってくるから」



スタジオを飛び出し、
ルーキートレーナーさんに教えてもらった
如月さんの住所に向かって車を飛ばす。


先ほどまでとは変わって車内は静まり返っていた。


赤信号で止まることにすら苛立ちを感じる。


あの様子……。
何があったんだ。



30分ほど車を飛ばす内に、
フロントガラスにポツポツと雨粒があたり始める。


「くそ……雨か」


春香達は……上手くやっているだろうか。
多分律子もいるしなんとかなるだろうとは思うが。
まあまた伊織が突っかかってなけりゃいいが。


雨の中、車を飛ばし目的である住所にたどり着いた。
到着したアパートは綺麗でまだ建てられてからそんなに経ってないものだと分かる。



確か、二階の一番端の家だったな。
車は……いなかったらすぐに戻ってくればいいし、
アパートの前に路駐しておけばいいか。


階段を駆け上がる。


ドアの前に立ち何も考えずにチャイムを鳴らす。
家の中からは何も音はしなかった。
居留守を使っている様子は特にない。


「やっぱりいないのか?」


もう一度チャイムを鳴らす。
返事も無ければ家の中からは何も音がしない。


くそ。どこにいるんだ。


急いで車に戻る。
俺はもう一つ、心当たりのある場所へ向かうことにした。


いつだったか、如月さんが歌っていた公園に。



車を飛ばす。
雨が強くなってくる一方で濡れた肩が寒い。


信号待ちで苛々していた俺は何となく車のラジオをつける。
ラジオからは


「今日未明、16歳の女子高生が都内で自殺する事件が」


と言いかけた所で俺はラジオを切った。
不吉なニュース流しやがって。ふざけんな。



「何も無ければいいが……」


公園にやっとの思いで到着した俺は
傘も持たずに公園の中を走りだした。


「ハァ、ハァ、どこに、いるんだ……」

ここもだめだったか?
だとしたらもう思い当たる場所はないぞ。



強くなる雨に視界が悪くなるが、
その時、俺と同じように傘も持たずに公園の中をフラフラと歩いている
一人の女の子を見つける。


「おい! 如月さん!」

すぐに駆け寄る。
如月さんはこっちも見ないでただどこかへと向かっていた。


「おい、何してるんだこんな所で」


如月さんの肩を掴む。
彼女はずぶ濡れになっていた。



「765プロ……の」

ようやく俺に気がついたのか
そんな風につぶやく。

「傘も持たないで何しているんだ。風邪引いたらどうするんだ」


俺も人のことは言えた義理ではないのだが。


「……あなたには関係ないです」

「関係ないからなんだ。だから放っておくのか?
 トレーナーさん達も心配しているんだぞ。
 レッスン、顔だしてないそうだな」

「……」


目を逸らす如月さんだったが、
彼女の瞳からは雨とは別に滴るものがあった。



「とにかく……君が無事でよかった」

「こっちに来い。車で一旦うちの事務所に行こう」

「このままじゃ風邪引くぞ」


俺は如月さんの返事を聞く前に彼女の手を取った。
抵抗すれば無理矢理にでも引きずって車に乗せるつもりだったが、
後々考えれば捕まりかねない行動だった。
まあ実際には彼女は特に抵抗なく引っ張られるがままに
車に着いてきたのだが。



自分でやっといてこんな風に男の人に
引っ張られてほいほい着いて行くなんて
この子も不用心だなぁ、と思う。


しかし、格好つけてこうやって引っ張ってきた俺だったが
世の中そう簡単には行かず
車にはすでに警察がいてマークをつけようとしていた。


「うわーー! ちょっと待った!」

俺は如月さんをほっぽり出して警察に駆け寄る。


「す、すみません。今もうどかしますから!」


警察は俺の後ろに佇むずぶ濡れの如月さんを舐めるように見て。

「まあもう行くってんなら今日は勘弁してあげるけど、
 テレビドラマみたいな恋愛ごっこはやめておきなさい?
 風邪引いたら大変だからね?」


そう注意された。
なんとも格好悪い話になってしまった。
助手席のドアをあけて早く乗るように手招きすると
如月さんも特に何も言わずに車に乗った。



俺はその時、見てしまった。
さっきまで彼女の顔を見て話していたから気が付かなったが、
如月さんの洋服はずぶ濡れでシャツは張り付いて
下着どころかほとんど上半身は透けていた。



とりあえず、俺の着ていたジャケットを渡す。


「とりあえずこれ羽織っててくれないかな」


如月さんは俯いたまま黙って受け取った。
それを確認して俺はすぐに車に乗り込み発進させた。


ちなみに警察は車が行くまでずっと見ていた。


事務所までの道に
いくつか如月さんに質問をする。


「どうしてあんな所にいたのかな?」

無視される。


「あ、あのさ、さっきはああ言ったけど、
 俺もすごい心配していたんだよ」

無視される。

「家をトレーナーさんに教えてもらっていったんだけどさ
 家にもいなくて本当に焦ったよ」


無視される。
如月さんは黙ったまま俯いていた。
前髪からポタポタと水が落ちる。


俺ももうそれ以上は何も聞かないようにした。
事務所についてからにしよう。


事務所に到着して。


「ただいま戻りました。小鳥さん、タオルと簡単な着替えみたいなのあります?」

「おかえりなさ……って誰ですかその子!?」


「と、とにかくこの子にタオルと着替えをお願いします」

「ぷ、プロデューススキルだけじゃなくて
 人攫いスキルも上がってきているプロデューサーさん」

「そんなこと言ってる場合ですか! タオルはこっちにありますか?」

「は、はい! そっちの奥に貰い物のタオルがあると思います。
 私は着替え取ってきますね。何かあると思うんで」



俺は一つのロッカーを開けると中には
包装されたままでビニールの中に入ったタオルが。


「これのことかな?」

バリバリとビニールを破りタオルを広げると
『KOTORI 1st LIVE』の文字が。


これ、小鳥さんがアイドルしてた時のグッズじゃないか。
……使っていいのか?



いや、今は一大事なんだからあとで謝ろう。
如月さんにタオルを投げる。


彼女は受け取ろうともしなくて
顔面にタオルが被さったまま、そしてそのまま動かなった。


俺はもう一つ、ビニールを破いて自分の分のタオルを持って
とりあえず濡れた身体を拭き始める。



「と、とりあえずこれしかないんですけど……」


そう言いながら小鳥さんが持ってきたのは
小鳥さんが昔着ていたであろうステージ衣装だった。


「……なんでそれなんですか」

「だ、だって」


「いや、風邪引いたら大変だし、もうそれでいいですよ!」

「小鳥さん! いいからそいつ連れて行ってそれに着替えさせてください!」

「は、はい!」

如月さんは小鳥さんに連れて行かれ奥の部屋へ消える。
はぁ……。
一体何があったんだよ彼女に。

更新が遅くて申し訳ないです。
今日はここまでにします。



携帯を見ると
知らない番号からすごい電話がかかってきていた。
これ多分律子かな?


そういえば教えてなかったな。
登録しておくか。


俺は律子の番号を登録してから
かけ直すことはしないで
自分の分と如月さんの分のコーヒーを淹れた。


しばらくして奥の部屋から如月さんと小鳥さんが出てくると
それは予想以上にシュールな光景だった。


これから真面目な話をしたいのに
小鳥さんは何故かほくほくしてるし、
如月さんは必死にスカートを下に下ろそうとしているし。



「と、とにかく、一旦座ってくれ」

「……」


如月さんはとりあえずはソファに座り俺と向き合う。
俺はコーヒーを差し出してから


「何があったか話してくれるかい?」

「……分かりました」



彼女から聞いた話はこうだった。


自分の歌う歌が大好きだった弟が
目の前で交通事故に遭い亡くなった。


そこから家族はおかしくなり、
父親と母親は毎日のように喧嘩をし
家の中では罵声が飛び交っていた。



如月さんは目の前で事故に遭って亡くなった弟のことを
自分が救えたんじゃないか、
自分が代わりになっていたら良かったんじゃないかと
そう思うようになった。


如月さんは自分の歌が好きだった弟のために、
弟のために歌を歌うことを決意し歌手になろうとし始める。


それとほぼ同時に彼女は母親からも父親からも
離れたいと思うようになり、一人暮らしを始めるようになる。



そこからの彼女は歌手になることだけに没頭し
順調に進んでいったはずだったが、
ふとしたきっかけでその全てを再び鮮明に思い出してしまう。


きっかけとなったのは言うまでもなく
俺が轢かれそうになった子供を助けたあの時だった。


そこから彼女は自分も弟も好きだった歌を歌うこと、
そして歌手になることを
自分は弟が死んだことがきっかけでそうしているんじゃないかと
思い込むようになってしまった。



自分はこうやって自分の夢に向かって頑張っているだけで
本当は弟のためなんかじゃなく自分のためだったんだ。


本当は弟が死んだことなんて関係なく
今歌手を目指しているのは自分がただなりたいからなんだ。


一度そう考えてしまった彼女はもうそこから逃れることはできなくなり
思い悩み、苦しんでいた。


「そうか……」


たぶんあの公園でフラフラしていたのは
ほとんど無意識のうちの行動だったのかもしれない。


如月さんはずっとコーヒーの入ったカップを両手でもって
眺めているだけだった。



小鳥さんはこっちの話に耳を傾けつつも
如月さんの着ていた服を
どこから持ちだしたのか分からないドライヤーで乾かしていた。


「歌は……やめるの?」

「……分かりません」


「あのさ……。俺なんかが口出しして申し訳ないんだけど
 それは両立できることだと思うんだ」

「別々に考えなくても
 君が歌手になることで弟さんの夢を自分が代わりに叶えることにもなるし」

「そんな風に簡単には考えれないかな?」

「もし君が弟さんのためじゃなくて自分のためにやっていたとしても
 もう誰も責めたりなんてしないさ」

「君は君と弟のために……歌えばいいと思うよ」



如月さんはやっと重い口を開いた。


「もう私には……」

「いや、まだ間に合う。
 トップに立てば……君の弟さんも報われると思うんだ」

「誰かが君を責めたとしたら、
 俺が全力で君を守ってみせる」

「如月さん、俺達と一緒にもう一度頑張ってみないか?」

「今度はちゃんと弟のために、そして君自信のために」



如月さんは静かに涙を流していた。


それから服が乾いたらしく
如月さんはまた奥の部屋で着替えてから


「あの……今日は話聞いてくださってありがとうございました」



結局如月さんは俺達と一緒に、
というのに対して返事はくれなかった。


「ああ、また遊びにおいでよ」


そう言って如月さんが事務所を出て行くのを見送る。
彼女の過去は重く、誰かが簡単に口を出せるものではなかった。
俺のような何も知らないような人間が
あんなことを言ってよかったのだろうか……。




「……はっくしょんッ」

いかん、俺も服を乾かせばよかったが……
着るものないし……。



「大丈夫ですか? そういえばプロデューサーさん
 レッスンはどうしたんですか? 」


「あ……やっべぇ! しまった!! もう終わってる時間だし!」


こうして俺は春香、伊織、律子を迎えに行った。
案の定、伊織と律子には罵声を浴びせられて
春香は拗ねて口を聞いてくれなかった。


この日、俺と如月さんの距離は縮まったのかもしれないが
なんとも締りがない一日になってしまった。
深く反省する必要がある。

短いですがキリがいいのでここまでにします。
毎度雑な文章ですみません。
お疲れ様でした。




あれから、俺は見事に風邪を引いて再び律子に任せっきりになってしまった。
風邪から復帰して俺は事務所ではなく
公園に向かっていた。


あの公園に。


公園にはやはり綺麗な歌声が響いていた。



「やあ」

「……765プロの」

「少し、聞いていてもいいかな?」

「どうぞ」


如月さんは俺のことなど構うことなく歌い始める。
少しだけ吹っ切れたみたいだな。


「私……もう迷わないことにしました」

「いつまでも……うじうじしてはいられないです」



「そうか。如月さんがそれでいいなら」

「それで……その」

「ん?」

「765プロって……どういう所なのか教えていただけませんか?」

「ああ、もちろんいいよ。
 そうだな、今いるみんなに会ってみるのが一番はやいよ」

「分かりました。ありがとうございます。
 今日はレッスンの前は少し空いてるので伺っても構いませんか?」

「大丈夫だよ」


そう、何も心配することなんてない。
きっとみんな歓迎してくれるはず。



「そうか。如月さんがそれでいいなら」

「それで……その」

「ん?」

「765プロって……どういう所なのか教えていただけませんか?」

「ああ、もちろんいいよ。
 そうだな、今いるみんなに会ってみるのが一番はやいよ」

「分かりました。ありがとうございます。
 今日はレッスンの前は少し空いてるので伺っても構いませんか?」

「大丈夫だよ」


そう、何も心配することなんてない。
きっとみんな歓迎してくれるはず。


「あの……私のことは千早って呼んでください」

「苗字はあまり……」

「そっか、わかった」


きっと苗字を聞くと親のことを思い出してしまって
少しだけ気分が下がるのかもしれない。
それならまあ仕方ないのだろうけれど。
でもいつかはきちんとその両親のことも
ハッキリさせておかないといけないのかもしれない。


たぶんそれが一番彼女のためにもなるんだろう。


「おはようございます」

「おはようございまってまた攫ってきたんですか!?」

「違いますよ。人聞きの悪いこといわないでくださいって」


「えっと……千早ちゃんでしたっけ?」

「は、はい」

「こんにちは。私、ここで事務員をやっている音無小鳥といいます。
 この前はろくに挨拶もできなくてごめんなさい」


「い、いえ、こちらこそ……」

「ふふ、じゃあよろしくね」


そういって小鳥さんは手を差し出すが、

「あー、その……なんですかね。小鳥さん。
 千早はまだ別に765プロには入るわけではなくて一応見学なんです」

「えぇ!? そうなんですか!?
 じゃ、じゃあゆっくりしていってくださいね」


「もうすぐみんな来ると思いますから」

「ありがとうございます……」


そう言って千早はソファに座り俺はまた千早にコーヒーを淹れて渡してやる。


「冷たいお茶とかのほうが良かったかな?」

「いえ、コーヒーで結構です」


そう言って一口コーヒーを飲んでカップをテーブルに置いた。
今度は俺の淹れたコーヒーも飲んでくれた。


「どうかな? 改めて来てみて」

「そうですね……まだなんとも分かりません」


まあそうだよな。
俺はわざと千早の前で書類の整理など
デスク以外でもできる仕事を始める。


せっかく来てくれているのだし、
俺が向こうのデスクに座って放置するのは可哀想だろうし。


千早はゆっくり辺りを観察するように眺める。


「あ、そうだ……これ」


と行って鞄からタオルを取り出した。
事務所に来た時に貸したタオルだ。


「ああ……そういえば。
 小鳥さんこれ、小鳥さんのでしたよね?」


千早からタオルを受け取って広げて見せる。


「ああ~、それ懐かしいですね。
 何回目の奴ですか?」

「1stLIVEですよこれ」

「ええっ、じゃあ結構レアものかもしれない……」

「げっ、そうなんですか……」


小鳥さんがそんなことを言うもんだから千早は申し訳なさそうにする。
その様子を見てすぐに小鳥さんはフォローする。


「ああ、でも大丈夫よ! もういらないものだったし
 千早ちゃんが風邪引かなかっただけ大丈夫だから」


そういえば、あんなびっしょり濡れていたけど下着だけは
濡れたものをずっとつけていたのだろうか……。


「……あの、なんですか?」

「えっ!? あ、いや、ごめん」


身体を無意識に見ていたのがバレたか?
やばいな俺は。


「いや、その……、ちゃんと食べてる?
 なんというか細すぎやしないか?」

「プロデューサーさん……それセクハラですよ」

「えっ!? あ、いや、すまん千早。忘れてくれ」


小鳥さんに横から口を出される。
するとちょうどそこに律子が入ってきた。


「はあぁ……もう、どうしてあんなになるまで放っておいたんですか」


俺は自分があの雨の日にびしょ濡れになった千早のことを言われたのかと思い
ビクッと反応してしまう。


律子は鼻から下をマスクで覆い、頭巾をかぶり、
見た目はコント番組で出てくるような強盗のようだった。


しかし、埃をはたく、あのパタパタした奴、すごい似合ってるよ。
絶対言わないけど。


「あれ? おはようございますプロデューサー」

「律子か……? おはよう。ああ、この子が前に言っていた如月千早さんだ」

「こんにちは」

「こんにちは、よろしくね如月さん」


そういって律子は気持ちのいい笑顔で答えてから
ソファの俺の横に座る。千早は律子の姿に若干引いていた。
というよりも怯えているかのようだった。


「で、何やってたんだ?」

「奥の資料室でこれまでの小鳥さんが参加したオーディション、
 フェス、テレビ番組のデータの確認にいったらもう汚くて……」

「これから春香と伊織が参加するかもしれない
 オーディションのことを考えるとやはり過去のデータも必要かと思いまして」

「それで資料室の整理を?」

「違いますよ。資料自体は丁寧にファイリングされていて
 割とすんなり見つかったんですけど、もう埃っぽくてしょうがないんですよ」

「だから掃除してたんです」


それで口元を覆っていたのか。
何にしても事務所の掃除をしてくれるのは実にありがたいことだ。


それから律子は千早の方を見て


「そう、この子があのプロデューサーがずぶ濡れで来た時のね」

「車で迎えにやっと来たってのに降りてきたらずぶ濡れで
 車の天井に穴でも空いたのかと思いまいたよ」

「イヤイヤ……そんな訳ないだろうに」


「まあ、それもこの子を助けてたっていうんなら
 ……プロデューサーのことは責められないですね、私は」


千早はそのことはどういうことなのか分かってはいなかったが、
律子はやはり俺にかなりの恩を感じているらしい。

自分の失った夢に対して
その夢に最も親しい所に居場所をくれた。


「あ、そうそう、如月さん」

と律子が甲斐甲斐しく話しかけた所で
俺は

「彼女のことは千早って呼んでやってくれ」

「年配の俺や先輩の律子がそう呼んでいたら春香たちも
 親しみやすくなるだろうし」

「分かりました。千早も……それで構わないわね?」


千早は小さく、だけどしっかりと頷いた。


「そう、それで千早はプロデューサーが顔に怪我していたのを見た?」

「え、ええ。確かに顔には大きな絆創膏してましたし、
 今も若干残ってますよね?」


そこから律子は自分が千早と同じように俺によって助けられた話を始めた。
もっともそれは俺がカッコいい話という訳でもなく
千早を笑わそうと面白おかしく話したのだった。

おかで千早の中できっと俺は大事な所は
決められないちょっと残念な人みたいになっているかもしれない。


千早も律子の話からようやく少しずつ笑うようになっていった。
その笑顔は今までの顔よりもずっと可愛かった。


「おはようございます、あ、プロデューサーさんもう身体は大丈夫なんですか?」

「ん? 春香か。おはよう。もう平気だよ」

「無理しすぎなんですよプロデューサーさんはいつもいつも。
 あとから聞かされる身にもなってくださいよ」

「すまんないつも」

「もう……。えっと……もしかして如月千早ちゃん?」


春香はソファに座って戸惑っている千早を
すぐに如月千早だと見ぬいてしまった。


「えっと、うん……」

「本当!? 私、天海春香。私ね、ずっと千早ちゃんと話したいと思ってたの!」

「そ、そうなの? ありがとう。
 実は私も……あのスタジオでよくあなたが踊ってる所や唄ってる所見てたの」


そうなのか。これは予想外だった。

あとから聞けば春香は千早がスタジオにいてレッスンをしていれば
その外から見てよく眺めていたそうだが、まさか逆もそうだったとは。


「えぇ!? ほ、本当!? な、なんか恥ずかしいな。
 私転んでばっかりだったから」

「ううん、あそこまでできるのは本当にすごいと思う」


この分ならこの二人は問題ないかもな。

「あ、もし良かったら転ぶ時のコツ教えてあげよっか?」


嬉しそうに言ってる所悪いが、それ言ってて恥ずかしくないのかお前……。


そのあと、二人の話題は行ったり来たりしながらも、、
千早と春香はお互いを褒めあっていて早くも意気投合した様子だった。
この調子だと伊織もすんなり……なんてことにはならないか?


まあそんなことは伊織が来てから考えればいいか。


千早は春香とその会話に参加する律子に囲まれて
彼女たちの一方的とも言えるような質問に答え、
時には聞き、そして二人の漫談のようなやり取りに
少しだけ笑顔を見せるのだった。



「あ、あのプロデューサー、私聞きたいことが」

「ん? どうした千早」


「レッスンはどれくらいやっているのですか?
 最近はすごいよく見るので……」

「レッスン? そうだな。オーディションのない日は週に3回はいれたいと……」

「週に3回!?」

千早は珍しく大きな声を出して立ち上がる。
な、なんだ!?


「どうした? もしかして多かったか?」


千早のあの綺麗な歌声だもんな。
週に何度もやらなくてもいいということか?


いや、それとも単純に普段の生活が忙しいということか?


「違います。もっとやるべきです。少なくとも週5はやるべきです」

「えっ!?」


俺よりも先に春香が驚いていた。
そして週5で行われるみっちりしたレッスンを想像したのか
段々顔が青ざめていくのだった。


それは千早のキツそうなレッスン風景を
よく見ていた春香だからこそのリアクションだった。


「週5はさすがに厳しいよ。
 ダンスレッスンも含まれてるし体力面も厳しくなって」

「でしたらランニングを取り入れましょう」


「濡れマスクとかして酸素補給が困難な状況で
 運動をすれば自然と肺活量も増えていきますし」

「ちょ、待て待て! 確かにライブでは体力はかなり必要だし
 みんなそれぞれにやっているんだよ。なあ?」


やっていて欲しい。確かにランニングなどで体力持久力を
身に付けるのは非常に重要なことだし、
ライブでは何曲も歌うことになるだろう。


そこで体力が続かないんじゃ話にならない。


と思ったのだが。


俺のその発言を受けて顔を逸らしているアイドルが一名。



「おい」

「……」

「おい春香おい」


「な、なんでしょう」

「確か、ランニングくらいはしとけって言わなかったっけ?
 そんで君、『もう、それくらいしてますよーのワの』って言わなかったっけ」

「人違いですよ、それはきっと伊織だと……」

「いや、伊織は『そんなのしなくたって余裕よ。誰だと思ってるの?』
 って言ってたぞ」

「……」


はあ。
まさかやってないとは。
千早はボイスレッスンを重点的にいつもやっているらしかった。


その千早が全く平気な顔しているのにも関わらず
いつも春香と伊織がクッタクタになって帰りの車で爆睡するのは
レッスンが厳しいからではなく単純にこいつらの体力がないせいか……。


頭が痛くなってきた。


「おはよう。あら? どなた?」

タイミングよく伊織が事務所に入ってきた。
これは千早と伊織が仲良くやっていけるか、
なんて考える以前の問題が出てきてしまったぞ。


「伊織」

「な、何よ怖い顔してどうしたのよ」

「伊織さんさあ、ランニングってしてる?」

「ら、ランニング? それくらい知ってるわよ」

「違うよそうじゃないよ」

とぼけるのはやめるんだ。ネタはあがってるんだよ。


「やっていますか? 普段、日常的にランニングを行なっていますか?」

「は? なんでよ。必要ないわよ」


千早が会ったばかりの伊織にジト目を向けている。
俺は頭を抱える。
春香はホッとする。仲間ができたーって喜んでんじゃないよ、全く……。



「だーーーーーっっ! お前ら、緊急レッスンだ!
 今すぐ着替えて来い!」


「なんでよ。今来たばかりなのにちょっとはゆっくりしても」

「フタリトモ ハヤク キガエテコイ」


「「 は、はい! 」」


春香と伊織はどたばたと事務所の奥の部屋へ消えていく。
唖然としている千早に俺は


「千早、良かったら付き合ってくれないか?
 それか指導する側でもいいんだが」

「あ、えっと……そうですね。
 私も一緒に走りますよ」



……走る、なんてことは言ってないんだが。
どうして分かったんだ。
いや、まあ、普通に分かるか。この流れで。


「プロデューサーも着替えなくていいんですか?」

「え?」

「一緒に走るんじゃないんですか?」


律子が、当然のように聞いてきた。
ん? あれ? おかしいな。この流れは……まさか。


「いやだってジャージとかないし」

「そんなこともあろうかと
 この前の雨の風邪ひき事件以来、
 プロデューサー用にもしもの時のために
 ジャージ用意しときました!」

「でかしたよ律子。ああ、本当にな……」


律子の眼鏡がキランと嫌らしく光る。
なんか恨みでもあるのかと疑いたくなる。

まさか俺まで走る羽目になるとは……。


「まあ、俺が走るんだったらもちろん律子も……だよな?」

「へっ? あ、当たり前じゃないですか……あははは」


律子の笑顔は引き攣っていた。
よし、こうなったら


「はい、小鳥さんはこれ持って自転車です」

「メガホンっ!? 私も行くんですか!?」


「小鳥さんが一番後ろで後方の子を追う形にしてください」

「で、でも仕事が……」

「社長にも手伝わせてあとで4人でやりましょう」

「えぇぇぇえ」


……というわけで。


とある河川敷にジャージ姿の俺と律子、
春香、伊織、千早、
そしてその後ろにメガホン装備し自転車に跨った小鳥さんがいた。 


軽く準備運動をしてから。


「よし、行くか」

「「「はい!」」」


こうして俺を先頭に走りだした。


ちなみに事務所からここまでは割りと距離があるが、
街の中をこんな大所帯で走るのは迷惑なので普通に歩いてきた。


この日は本当は春香と伊織と千早で初の合同レッスンを
いつものスタジオでやろうとしていたのだが、
そのためにこういう事情になったことを電話でルーキートレーナーさんに話した所、


「あ、それいいですね。私も参加します!
 怪我とかした時の対処もできますし」


ということで急遽来てもらった。


先頭を俺、その隣に律子。
その後ろに千早、トレーナーさん。
後ろに春香、伊織。
最後に小鳥さんが自転車漕いでいる。



「765プロー! ファイッ!」

「オーッ」

「ファイッ」

「オーッ」

「伊織ぃ! 声が小さい!」

「は、恥ずかしいんだからやめてよ!!」



こんな景気で走ること5分後。



「あぁっぁああ゙あ゙ーーッ! あ、足つったぁァ……!!」


どれだけ運動不足だったのかは計り知れないが、
今は足攣った痛みはもちろんそうなんだが、
みんなの視線の方が痛い……。


「ちょ、ちょっと、ハァ、プロデューサーさん大丈夫ですか? ハァ」


みんなが足踏みしながら俺の周りを囲む。
顔をあげてみんなを見ると春香とトレーナーさんは結構心配そうにしてくれていたが、
律子は半笑いでいたし、千早がゴミを見るような目で見ていた。



「ゼェ、ハァ、ま、……ハァ、まだ走る゙の? ハァッ」


伊織は今にも死にそうな顔していてもうアイドルと呼ぶよりかは
妖怪とかって言った方が早いんじゃないかというくらいにもう色々残念だった。


人のこと言えないけどまだ5分だぞ。


という訳で……。
面目次第もございません。



10分後。



俺は小鳥さんの漕ぐ自転車の後ろに乗っけてもらうことになった。


「伊織ー、ほら、頑張れーー!
 あの橋までだから! あの橋まで!」


伊織は後ろに乗っけてもらっている俺を見て
疲れた演技をして「もう、しょうがないわね」って乗せてもらおうと
必死で演技している最中だった。


「も、もうだめ……の、乗せて……」

と嘘をついていたがその度に小鳥さんに


「それくらいの嘘を考えれるくらいならばまだ大丈夫だから頑張りなさい。
 そんなんじゃ誰も見返せないんだからね」

と激励されていた。
その度に伊織が俺のことをすごい睨んできた。
目で「あとで覚えときなさいよ」と言っている。怖い。


先頭は変わって千早とトレーナーさんが雑談をしながら悠々と走っている。
なんだその体力……おかしいんじゃないのか。


先頭だった律子はペースダウンし、春香と並んで走っている。
この二人も中々のマイペースに走っている。
春香はさすがに伊織よりも断然にレッスンの回数が重なっているだけあって
体力はまあまあのようだ。


律子は元々の経験もあったのでまだ体力が落ちてなくてもおかしくはないか。


問題なのはこのヘロヘロになって今にもぶっ倒れそうなお嬢様だ。
見てて本当に倒れそうだから助けてやりたくなるのだが
小鳥さんに聞くと


「だめです。あれはまだ演技が若干入ってます……。
 伊織ちゃんはあと3回ほど進化を残していますよ」


どこのフリーザ様なんだ。
とか言っているうちに3分置きくらいに伊織の走り方は変わっていった。
最終的に涙をぼろぼろこぼしながら走っていた。

俺はその伊織にもらい泣きし、


「伊織! 負けるなぁ! 頑張れー!」


と絶叫。


一方小鳥さんは……
俺を乗せたせいで自転車の重量が上がり且つ
ヘロヘロになりながらもなんとか走る伊織の後ろを
ものすごい低速で走るために予想以上にバランスと体力を使って
こっちもバテバテだった。


自転車をすごいゆっくり漕ぐのは難しい。
バランス取りづらいし、後ろに人が乗っかってるならなおさら。



そして。伊織と約束した橋の手前では
春香、律子、千早、トレーナーさん、そして新堂さん率いる水瀬に仕える人々。
メイドからコックまで何から何までいた。


誰が呼んだのかは分からなかったが、
後で春香に聞いたら春香達が橋に到着する時にはすでにいたそうだ。
本当に謎だ。


「お嬢様ぁぁーーーっ!」

「伊織お嬢様ぁぁーーっ」


新堂さんは号泣して立っていなかった。
俺の脳内には何故かちょっと前から『サライ』と『負けないで』が流れていた。


「伊織~~!」

「ほら、伊織! 頑張りなさい!あとちょっとだから!」

春香と律子が大きく手を振って応援している。
誰かこっちの小鳥さんも応援してあげて欲しい。



そして……。


「ゴーーーーール!」

「やったね伊織!」

「よく頑張ったわね!」


新堂さんから酸素ボンベを受け取り
酸素吸いながら春香と律子に囲まれてぼろぼろ泣く伊織。
釣られて春香も泣きだし、律子も涙目になる。


「ハァッ、ヒィ、あ、足が……も、もう、ハァッ、パンパンで……」


そう言いながら
ガシャン、と音を立てて自転車を乗り捨ててその場に座り込む小鳥さん。


そんな風に乱暴に座り込んだら
事務の制服のままで来たせいで
パンツ見えてますからやめてください。



しかし、この疲労感の中、
俺達にはまだまだ試練が襲いかかるのだった。



春香は泣きながら伊織に言ったこの一言で。



「これで私達も頑張ってトップアイドル目指せるよね!」



一体、どういう感情の高まり方をしたら
このランニング一回でそこまで行けるようになると思えたのだろうか。
春香はそんなことを伊織を抱きしめ、頭を撫でながら言った。




「アイドル……?」


明らかな嫌悪感、そして厳しい口調。
千早は春香のその一言を聞き逃さなかった。


「アイドルってどういうことですか?」


鋭く睨みつけてくる千早に俺は動揺した。


「え? 765プロはアイドル事務所だ……ぞ」

「私、アイドルには興味ありません」


な、なんだって?
興味ない? まさか彼女がボイスレッスンばかりやっていたのは……。
重点を置いていた訳なんかじゃなかった?


「すみません。今日の話や昨日の話は全部忘れてください」


そう言って千早は頭を下げ、去っていった。
ツカツカと歩き去る千早に一同は唖然とし、
先ほどまでのムードは一転し、凍り付いていた。


「ま、待ってくれ千早、痛ぇあッ!?」


わ、忘れていた……足、攣ってたんだった……。
ここは走って追いかけるべきなのに!
追いかけれない! 走れない!


だめだ、今彼女をここで逃したら……。
絶対にだめだ。


小鳥さんは……だめか。(パンツ見えてるし)
伊織はもちろんだめだし、トレーナーさんや
伊織の応援にきた水瀬家に仕える人に頼むは筋違いもいいところだし
関係ない人を巻き込む訳にはいかない。


「は、春香、律子。お、追いかけくれぇ……」

「はい!」

「わかりました!」


こうして俺はまたしても決める所で決めることができず、
またしても、何時の日かと同じように千早を逃してしまうのだった。




あれから数日。
春香と律子は千早を見つけることはできなかった。
千早の荷物なんかは事前に駅前のロッカーに預けてたために
事務所総出のランニングで空けた事務所に戻ってくることはなかった。


だからこそ千早は足早にどこかに去ってしまっていた。
住所は知っているものの、
そこに押しかけていくほど俺にはその勇気はなかった。


俺は千早には春香達と一緒にステージに立って欲しい。
みんなで歌って欲しい……。そのためには何が必要なんだ。

如月千早を二度も逃しておいて、逃したからこそ、
俺はあの子は765プロに入るべき人材だと確信した。

お疲れ様でした。
毎度毎度更新が遅くてすみません。
就活が終わらなくて書いてる場合じゃないんです。
駄文等、大変申し訳ございません。

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