上条「……誰だ、アンタ」禁書目録「――ッ!?」(190)






――その日は、インデックスの名で呼ばれる少女にとって、一生忘れ得ぬ日となった






SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373973231


人生とは何と皮肉なモノか。
神様はどれほどまでに、人間の忍耐力を試そうというのか。

二度と忘れる事の無くなった彼女は、
それ故に心に消える事の無い、哀しみの記憶を刻みつけられた。

完全記憶能力を持つ彼女は、死する日まで、その哀しみを忘れる事は無い。
彼女はこの先一生、慙愧の念によって苦しみ続けるだろう。

厳密に言えば、彼女の責任では無かった。
誰にも落ち度はなかったと言えるかもしれない。

あの場にいた全ての人間は、それぞれの為せる事を全力で果たしていた。
それに間違いはない以上、やはり必然の上の出来事だったのであろう。

しかしインデックスは自分を責める。
もしも自分が彼と逢わなければ、こんな事にはならなかったのに。

自分がおとなしく記憶を失っていれば、あんな風にはならなかったのに。


世界の禍福の量は、互いに足し引きゼロになるように出来ていると、古人は言った。
もしそれが正しいとすれば、インデックスが記憶を得たのと、それは引き換えのことだったのかも知れない。

いずれにせよ、確かな事は一つ。

インンデックスを、忘却の地獄から救いあげた、一人の少年。
上条当麻は永久に、その記憶を失ったということだ。

最早、ここに上条当麻という『個人』は、事実上存在しない。
彼は『死んだ』のだ。

霊と肉からなる人体の内、その霊を失ったのだ。
魂が消え失せて尚、魄が地に留まっているに過ぎないのだ。

つまり、今の彼、いうなれば“元”上条当麻は、歩く屍人に他ならなかった。

そんな彼は、病室へと入って来たインデックスへと、
何の感情も浮かんでいない、打ち上げられた魚の様な瞳を向け、言ったのだ。

――『誰だ、アンタ』




インデックスは、その眼を、その声を、その顔を、一生忘れる事は無いだろう。
今の彼女にとって、唯一『絆』と呼べるものを得ることの出来た、ただ一人の少年。
その彼が『死んでしまった』ことを、この時彼女は知ったのだ。




月詠小萌は、上条当麻の通う学校の教師であり、
彼のクラスの担任であり、脳科学の専門家であり、
そしてこの学園都市において、上条当麻と一番付き合いの長い人間であった。

半ば逃げ込むようにこの街へとやってきた上条当麻。
彼女はそんな彼を精神的に支えた、恩師と言って良い存在だった。

しかも彼女は、上条当麻が“元”上条当麻へと変わってしまった一件に、
浅からぬ関わりを持っていた。

故に、学園都市の街の性質上、直ぐにはココへと来れない両親に代わり、
彼女が、“元”当麻の入院している病院へと呼び出された。

小萌は、『冥土返し』の仇名で知られる、カエル顔の医者と対面させられた。

「まず、落ち着いて聞いて欲しいんだね?」
「ここから僕が話すのは、貴女には少しばかりショッキングな話だと思うからね?」

疑問形か限り無くそれに近い語尾を必ず用いるという、医者の奇妙な口癖に戸惑いながら、
小萌は先を促す様に小さく頷いた。


彼女は、嫌な予感を覚えていた。
彼女が帰宅した時、部屋の屋根には大きく穴があき、中は嵐でも通り過ぎた様にメチャクチャになっていた。
そしてそこに居るべき、シスターの少女と、かわいい教え子の姿が無かった。

医者の口から電話越しに、上条当麻がここに居ると聞かされて、小萌は急いで病院へと駆けつけた。
そして彼との面会を望んだが、まずは担当医の話を聞いて欲しいと、ここへと通されたのである。

面会を許さず、先に担当医と会わせる。
この時点で、良い予感など抱きようが無い。

「貴女がどこまで知っているのかは知らないのだけれどね?」
「彼が、まぁ、『大変な事』に巻き込まれたのは知ってるね?」

「その『大変な事』っていうのは、シスターちゃん絡みの事ですね」

小萌の問いに、カエル顔の医者は頷いた。

「どうやら、おおよその事は知っているみたいだね?」
「それならば、経緯の説明は省略させてもらうけどね?」
「端的に、彼に何が起こったかを説明するね?」



――かくして、『冥土返し』が月詠小萌に告げた内容は、余りにも残酷なモノだった。

「彼は脳の、特に海馬に深刻なダメージを負ったんだね?」
「その結果なんだけど……彼は『物理的』に記憶を失ってしまったんだね?」
「それはもう、元に戻る事は……決して無いんだね?」


インデックスは、拙い手つきで、林檎の皮を必死に剥いていた。
果物ナイフの刃で、何度も指を傷つけそうになりながら、
えっちらおっちらを皮を剥いて行く。

時々、インデックスは林檎より眼を離し、
こっそり、自分の目前にいる彼の様子を伺う。

ベッドの上で右の膝を立て上体を起こし、背を大きな枕に預けている。

その目はインデックスを見てはおらず、開け放され、
気持ちのよい風が入り込む窓の向こうを見つめている。

かつては上条当麻であった少年。
そして今は“元”上条当麻となった少年。

横目に見えるその瞳には揺らぎが無く、一切の感情が伺えない。
死んだ魚の様に、動きと輝きのない瞳。空虚な洞。

――私の殺した少年。


「……」
「――ッ!」

“元”当麻がふと、インデックスの方を向いた。
慌てて彼女は、その視線をそらし、林檎の方へと戻した。

あの、何も無い瞳に見つめられたくは無かった。
半ば自己満足だと理解しつつも、彼の看護を買って出ておきながらだ。

インデックスは恐ろしかった。
自分が、結果的に殺してしまった少年、その生きる死体に見つめられるのが怖かった。

――『誰だ、アンタ』

あの底冷えするような声を、思い出してしまうから。



「上条ちゃんの、性格が?」
「そうなんだね?」

冥土返しと月詠小萌の会話は続いていた。
そして次々と飛び出してくる絶望的な情報に、小萌の顔はどんどん蒼褪めた。

「貴女は脳科学の専門家みたいだから知っていると思うけれどね?」
「脳溢血の影響で、性格が変化する症例があるよね?」
「彼の場合、傷ついた箇所が海馬だけに留まらなかったんだね?」

「もう彼は、本当の意味で別人になってしまった、と言ってもいいんだね?」



「なあ、アンタ」

窓の外を、茫洋とした表情で見ていた“元”当麻は、
形がデコボコの、皮の残ったリンゴを掴んで口に放り込むと、言った。

「アンタは俺の何なんだ?」
「何で、こんなことをしてくれる?」

記憶にある彼とは、似ても似つかぬ、無機質な声だった。
自分の為に怒り、傷ついた彼とは違う、無感動な声だった。

インデックスは、その問いに答える事が出来ない。
ただ、俯いてしまう。

しばらく、“元”上条はインデックスを俯く見つめていたが、
問いへの答えを得られないと解ると、また窓の方へと視線を戻した。

そして雲を見て、青空を見た。
綺麗な夏の空であったが、それを見る“元”当麻の瞳は澱んでいた。

とりあえずここまで。
竜王の殺息の結果、記憶を失い、生ける死人なってしまった上条当麻の話


――これは現実か
――それとも幻か

手に触れているシーツの感触。
口内に広がる、夏の林檎の、やや酸味を帯びた甘さ。
頬へと触れ、髪を微かに揺らす、風のそよぎ。

それらは確かに今、自分の感じている感覚である。
それらは、現実の物である、筈だ。

――本当に?

目に映るのは空の青に、雲の白。
彼方に見えるのは、高層ビルの群に、風力発電の風車。
あるいは、備えつけの大型スクリーンでコマーシャルを流す飛行船の姿。

それらは確かに今、自分がこの眼で見ている物である。
それらは、現実の物である、筈だ。

――本当に?


遠い昔、とある哲人が夢中にて胡蝶となった。
彼は宙をヒラヒラと舞い踊り、胡蝶たる身の上を楽しんだ。
彼はふと、目を覚まし、そして思った。
果たして、今ここにいる自分が、胡蝶の夢を見たのか、
それとも、眠れる胡蝶が今、人たる自分の夢を見ているのか。

――目に見え、耳に聞こえ、肌で感じ、舌で味わっているモノが、コトが
――確かに現実である保証など、何処にある?

上条当麻……より正確に言えば『かつて上条当麻だった誰か』は、
起きながらして、目を開きながらにして『夢』を見ているようだった。

昔、誰かが言った。
名前のあるモノは全て実在している、と。
事物は人が名付ける事により、この世に存在を得るのだから、
つまり名前のあるモノは、存在している筈なのだ。

ならば、名前の無い自分は、存在しているのか、それとも存在していないのか。


――人は誰しも過去を持つ。
過去の無い人間など、この世には存在しない。
人は何処かで生まれ、何処かで育ち、そして今がある。

父がいて、母がいる。
生まれた場所があり、育った土地がある。
人と人の繋がりの中に生き、自己の認識の世界の中で育まれる。

その全てが、自分には無い。
記憶という名の寄る辺が、自分には無い。

依って立つモノを持たぬ意識は、ここに在って尚、実体が無いかのように宙を漂っている。
ならば、今の自分の、この覚束無い意識が、胡蝶の見ている夢でないとどうして言えるだろう。
自分には、何の実体もありはしないのだ。

空を見つめ、一人自分へと問う。

――俺は……誰だ?

その問いへの答えは、“元”当麻の少年の胸中には無い。
辛うじて覚えていることは、ただの一つだけ。






それは一つの景色。

――舞い散り自分へと降り注ぐ、白い羽根の雨







会話も無いまま、“元”上条当麻と二人きり。
林檎の皮も剥き終わってしまったインデックスは、
何一つすることも無いまま、ただ椅子に座って俯いていた。

“元”当麻は、インデックスの剥いた林檎を全て平らげていた。

皮もかなり残り、形も歪ででこぼこしていたが、
“元”当麻は気にした様子も無く、ただ黙々と食べていた。
口に入れられて食べられれば、何でもいいと言う様子だった。

虚ろな瞳とその姿を、インデックスはただ覗う。

――『アンタは俺の何なんだ?』
――『何で、こんなことをしてくれる?』

彼は、あれ以来一言も発してはいない。
インデックスと彼との間には沈黙のみが広がり、時間の流れが、驚く程に遅く感じられる。

“元”当麻はどうであるか知らないが、
インデックスにとってはこの静かな時間は、針の筵に座っているに等しい、辛いモノであった。

だがそれに、自分は耐えねばならない。
耐えなくては、ならない。彼女は強く、そう思う。


「……」
「――」

どちらも黙し、語る事は無い。
空で鳶がピィーと鳴くのが聞こえる。
カーテンとレースを揺らす強い風が吹き、
“元”当麻の短い黒髪も、インデックスの長い銀髪も等しく風に踊るが、
それでも、二人の間に言葉は無いままだった。

――沈黙を破ったのは、二人のいずれでも無かった。

コンコン、とドアがノックされる音がする。
ガチャリと開いて現れたのは、カエル面の医者と――

「……こもえ!?」

インデックスがこの街で知る、数少ない人間の一人が、そこにいる。
桃色の短い髪をした、子どもの様な小さな姿は、月詠小萌その人に他ならない。
彼女は、上条当麻の現在の担任教師であり、恩師であり――

「……」

そしてそんな彼女へと“元”当麻が向ける視線もまた、
インデックスへと向けるものと変わらぬ、濁って虚ろな瞳によるモノだった。

それを見た小萌の顔色が、見る間に悪くなるのを、インデックスは見た。
そして俯いた。俯く他無かった。彼女の顔を、インデックスは見続けるなど無理であった。




――眼を見開いたまま見る夢は、未だ醒める事は無い。
かつの自分が何者であったか、それを多少なりとも知った後でも。

昔、誰かが言った。
男は誰しも夢を見るが、眼を開いたまま夢を見る奴は――間違いなく危険な野郎だ、と。

何処で聞いたかも知らない、そんな言葉を頭に浮かべながら、
“元”当麻は、微かに口元を歪め、不吉な微笑みを見せた。

成程、確かに今の自分は危うい。
それは、あらゆる意味において。

「――トウマ」

意を決した、といった調子の呼び声が、そんな彼の横顔にかかる。
少し驚いて見れば、インデックスとか言う名の、修道女の恰好をした少女が、
張り詰めた表情で自分の方を見ていた。

月詠小萌とかいう、
かつての自分の先生だったらしい女――あの風体で大人だというのには流石に驚いた――が、
かつての自分がどんな人間であったか、必死な様子で教えるている間も、インデックスはずっと黙したままだった。

今になって、何か言う事でもあるのだろうか?


「トウマは……その」
「コモエからの話を聞いても、何も、思い出さないの?」

――彼女の口から飛び出して来たのは、何と言うか、今更な問いであった。

「――ククク……プハハ」

可笑しくなって、思わず声に出して笑う。
我ながら、不気味な声だと思うが、それに対しインデックスが、ギョッとした表情をしたのが見える。
失礼な女だ。

「な、何がオカシイの?」
「オカシイだろ。今更、そんなこと聞いてくるなんて」
「あのカエル面の医者から、俺の脳みそがどうなったか、聞かされた筈だろ?」
「――ッ」

インデックスの顔がクシャりと歪む。
頭では理解していたのだろうが、ひょっとすると万に一つ、
あの小萌とか言う女の言葉で何かを思い出すかも――そんな事を考えていたのだろう。
生憎だが、それは甘い願望でしかない。


「あの月詠小萌とかいうセンセーが」
「『上条当麻』とかいうヤツの話を色々としてくれたけどな」
「正直俺にしちゃ、あの話は見知らぬ誰かの話を聞かされたのと同じなんだよ」
「思い出すも糞も無い」

そう、所詮は『他人の話』でしかない。
たとえそれが、かつての自分、『上条当麻』の人生に関する話であってもだ。

あの月詠小萌が話した内容は、恐らくあの女は上条当麻とかなり親しい間柄だったのだろう、
そうでなければ知りようの無い、『故人』にまつわる詳細な代物だった。

だがそれらを幾ら聞かされても、自分の心が微かにも揺れる事は無い。
それが、自分の話だと言われても、一切の実感が伴わないのだ。
より端的に言えば、『自分の話だとは思えない』のだ。

話はかなり長くに及んだ。
最後の方には、月詠小萌は泣きそうな顔になっていたが、自分に何が出来ると言うのか。
その場しのぎで、先生僕思い出しました、などと言っても、何の意味も無いのだ。
知らないモノは知らないし、思い出す事は永遠に無い。

だから、逃げる様に病室から去る小萌にも、自分は何の声も掛けなかった。






――もう、どうしようも無い事なのだ。





上条当麻は『死』に、残ったのはソイツと同じ顔と体と声をした、
『名無しの権兵衛(ジョン=ドゥ)』だという事実は、もう動かしようが無い。

「――……」

インデックスは、もう堪え切れない心情になったのか、
先の小萌同様、今にも泣きそうな表情になっていた。
そしてそれを少しでも隠す為だろう、深く俯き、口元を両手で押さえている。
顔が見えず、声が漏れない様にするためだ。

自分の目の前でそんな事をしても意味はないだろうに、
そんな事にも判断が至らない程、憔悴しているらしい。

「……」

インデックスに向けていた視線を外し、窓の方へと戻した。
そして、言った。






「それにしても……『トウマ』か」
「良いよな、ソレ」





「――え?」

顔を上げて、インデックスが自分を見る。
何を言っているのか、解らない様子だった。

「お前の、『トウマ』って呼び方だよ」
「上条当麻の『当麻』じゃなくて、『トウマ』……」
「良いね。『当麻』じゃなくて、俺自身の名前を呼んでもらってる気になる」

それは発音の問題でしかない。
しかし、故人上条当麻を指す呼び名とは、少し違うその呼び方は、
誰でも無い自分だけの呼び方に聞こえて、実際耳に心地よかった。

「いつまでも名前が無いのも不便だ」
「上条“トウマ”か……便宜上の名前だとしても、悪か無いか」

そう言って、“元”当麻、即ち“元”トウマは、インデックスへと笑いかけた。
何故、そんな事をしたのか、自分でも良く解らない。

ただ、心に朧に覚えている唯一の景色がある。
――舞い散り自分へと降り注ぐ、白い羽根の雨。
何故か、あの美しい景色を、このインデックスとかいう少女を見ていると、思い起こす気がする。

トウマがインデックスが笑いかけたのは、ただそれだけの理由に過ぎなかった。



――公園の花壇に咲く、名前も知らない華へと顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。
そんな『トウマ』の様子を、インデックスは彼の少し背後から見ていた。

あれから、少し時間が経ち、上条トウマの体は、
幾つか負っていた怪我に関してはほぼ完治していた。

無論、肝心の彼の脳が負った傷は、決して癒える事は無い。

カエル面の医者は、トウマの体が治ったのを見ると、
彼が病院の外で、少し歩き回ることを認めた。

例え記憶を永遠に失ったとしても、彼は生きている。
つまり生きている以上、生きてゆかねばならないと言う事だ。

社会復帰の為のリハビリを始めるに越した事は無かった。

病院付近の地図を貰い、その内容を完全に暗記したインデックスは、
トウマを伴って、今いる公園へと出かけた。

祈りを捧げ、世の為に奉仕するるのが修道女の務めである。
そして、彼の為に祈り、彼の為に奉仕する。
それが今の自分の務めに他ならない。




――『彼』を殺したのは、ほかならぬ自分なのだから。


トウマはその相変わらず虚ろな瞳に、微かに興味の光を宿して、
面白げに彼方此方を見て回り、いろんな物を触り回っている。

華の匂いを嗅ぎ、噴水の跳ねる水しぶきに手を翳し、風を肌で感じる。
公園で遊ぶ子どもたちの声に耳を傾け、その姿を眺める。

彼らが遊んでいたブランコに興味を示し。
その座席の部分に両足を載せると、いわゆる『立ち乗り』を始める。

「トウマ~~……危ないよ~~」

そんなインデックスへと薄く笑いかけると、
彼は結構なスピードでブランコを揺らし始める。
――体が、覚えているらしい。

虚ろで濁った瞳した高校生が、薄笑いの表情でブランコを動かす姿は、
不気味であり、シュールである。



――そんな彼の姿を見止めた、一人の少女がいた。


「アンタ……こんな所で何やってるのよ」

トウマが声の方を向き、インデックスもそれに倣った。

そこには、短い髪をした、中学生ぐらいの少女の姿があった。
インデックスの見知らぬその少女は、彼女は知らないが、常盤台中学という、
学園都市でも有数のお嬢様学校の制服に、その身を包んでいた。


とりあえずここまで
カエル医者の口調については気を付けます


上条トウマは、揺れるブランコのスピードを徐々に緩めながら、新たに現れた『見知らぬ少女』を見た。
品の良いと言うか、仕立ての良さそうな学校制服に身を包んだ、ボブカットの少女である。
自分の中に遺っている、知識記憶を頼りにすれば、常盤台中学とかいう名前のお嬢様学校の制服の筈だ。

やや金色がかった茶色の髪の下の顔は、十中十人が『美少女』と答えるであろう、整った面相である。
ただ、お嬢様というには快活すぎるきらいのある風貌をしている。
粗野、とまではいかずとも、お転婆、という形容詞が相応しいだろう。

そんな少女が、胡乱な視線で自分を見上げている。
『アンタ』、という声の掛け方から考えるに、それなりに親しい間柄であった様だ。
――面倒な事、この上ない。

「……」

少しばかり病院の外に出たばかりだと言うのに、
『上条当麻の知り合い』らしい小娘に出くわすとは自分も運が無い。

インデックスや小萌は多少なりとも事の経緯を知っていたから話は早かった。
しかし、どうもこのお嬢様らしからぬ少女は、どう見ても今の自分の状況を知っている様には見えない。


『上条トウマ』たる自分にとっては、
縁もゆかりも無い少女に一から事情を説明するのがハッキリ言って面倒だった。


『上条当麻』とこの少女がどんな関係だったかなど知らないし、興味も無い。
自分にとっては見ず知らずの、どうでもいい赤の他人の一人に過ぎないのには変わりないのだ。

「いい年こいた高校生が、こんな昼間から一人でブランコ?」
「折角の夏休みだってのに、他にする事ないのアンタ」

何やら一方的に話掛けて来たが、
その語調にはあからさまに自分に……いや、『上条当麻』に対する険が見て取れる。
それでは『アンタ』という言い回しは、親しさではなく、不仲さの現れであったか。
判断を誤った。『故人』と仲が悪かった相手なら、ただ無視すれば良かった。

いや、今からでも遅くはあるまい。

「インデックス」
「行くぞ」

「わ、わ、わ……ト、トウマ!?」

ブランコから跳び下りると、インデックスの左手を強引に握って、その場から早足に去り始める。
先程から何故か黙っていたインデックスは、さかんに後ろの“お嬢様”の方を振りむいている。
自分があからさまに無視して去ろうとしているのが、気にかかるらしい。



――かまうものか。


「ちょ!ちょっとアンタ!待ちなさいよ!」
「て言うか、そのシスターさんは誰よ!」
「ねぇ聞いてんの!止まりなさいよ!」
「止まれ!コッチ向け馬鹿!」

最初は戸惑い。
そして苛立ち。
そして、怒り。

背後から声に乗って伝わる感情には、怒気がどんどん増していく。
その事は理解しているが、立ち止まるつもりは無い。


――嗚呼、何もかも面倒くさい。


「止まれって――」

そして“お嬢様”の怒りは限界に達し、怒髪は天を突き――

「言ってんでしょぉがぁぁぁぁぁぁぁぁーーっ!」

――『電撃』が、飛んで来た。


「!」

殆ど、反射的に体が動いていた。
インデックスを軽く突き飛ばすと、反転、右手を盾の様に前へと突き出す。
横殴りに襲いかかる雷光の一撃は、右手まで到達するや否や、
バキィンと金属の触れあう様な音を立てて、まるでそんなモノは存在しなかったというように霧消する。

恐らく自分の顔は、我ながら珍しく愕然としたモノになっているだろう。
――『幻想殺し』
知識記憶から呼び出された、その名前が脳裏を駆け巡る。

「テメェ……」

反射的に動けたから良い様なモノを、直撃したらどうするつもりだったのか。
感電による怪我は軽度でも洒落にはならない。


――返答如何では唯では済まさない。


しかし、いきり立つトウマとは対照的に、
人へと向けて危険な電撃を放っておきながら、悪びれた様子は微塵も無かった。

「何よ、アンタからすりゃ、この程度の電撃なんて蚊に刺されたよーなもんでしょうが」
「その忌々しい右手のお陰でね」
「それとも何?アンタには珍しく、とうとうヤる気にでもなったかしら」

「……」

右手で防ぐのを前提に、あのビリビリとした一撃を放ってきたらしい。
つまり、あんな強烈な電撃も、この“お嬢様”からすれば挨拶代わりだとでも言うのか。
一体全体、故人の交友関係はどうなっているのか。

「――テメェは」

「テメェじゃなくて、御坂美琴よ」
「それと、何よ?」

――『御坂美琴』。
“お嬢様”の名前はそんな名前であったらしい。
成程、良く覚えさせてもらおう。二度と近寄らない為に。



「テメェは、だ」
「人に向けてピストルを向けておいて……」
「それも一発、人に向けてぶっ放しておいて」
「最初から外すつもりだったんだから、冗談で済ませろ」
「そういうつもりなのか?」

「……え?」


自分の言った内容は、この御坂美琴には意外なモノだったらしい。
呆けた表情をして、コッチを見つめている。

「(自分がどんな力を振るっているのか……)」
「(その自覚は無いのか、コイツは)」

胸中で、故人『上条当麻』へと毒づく。
とんだお友達をもっていたらしい。
自分なら、こんなふるまいは許しておかない。

「――チッ」

舌打ちを一つすると、
起き上がって、心配そうに自分の背後へと寄って来ていたインデックスの方に向き直り、言う。

「行くぞ」
「あ、あの……」
「行くぞ」

有無を言わせず、その手をとって歩き出す。
とんだ外出になってしまった。気分は最悪だ。


「ちょ……ちょっと……」

背後から、やや震える声で、御坂美琴が呼びかけて来る。

「まっ――」

だがトウマはそれを無視して、早足に立ち去った。
今度は御坂美琴は、追いかけてはこなかった。

「――チッ」

上条トウマはもう一度、舌打ちを一つ。
この先も、あの御坂美琴と同じ様な再会が重なるとしたら、先が思いやられる。
何故自分が、故人の重ねた因果を引き受けねばならないのか。
その理不尽さに、気が重くなるのを感じていた。




――御坂美琴は、茫然としてその場に立ちつくしていた。
そして結構な時間、彼女はそのままの姿であった。

公園の中で、ただ呆然と突っ立っている彼女を奇異の視線で見る者もいたが、
美琴には、それを意に介する心の余裕が無かった。

――『テメェは、だ』
――『人に向けてピストルを向けておいて……』
――『それも一発、人に向けてぶっ放しておいて』
――『最初から外すつもりだったんだから、冗談で済ませろ』
――『そういうつもりなのか?』

「(そんなつもり……無かったのに……)」

あんなことを言われるとは、思ってもみなかったし、考えてもみなかった。
何よりも、いつもならのらりくらりと『余裕』を感じさせる対応をしていた彼から、
ああ詰られたのが何よりもショックであった。


御坂美琴は超能力者……『Level.5』である。
広い学園都市にも七人しかいない、能力者の最高位の序列第三位を占めている。
そんな彼女は、能力を使って怒られる事よりも、褒められる事のほうが遥かに多い。

そんな彼女でも、自分が能力を振るう事に、どれ程の危険性があるかを自覚していない訳ではない。
そして自分では、それを充分に弁えていた“つもり”であったのだ。

――それがどうだ。

「(そんなつもりじゃ、無かったのよ)」

今になって思い出す、彼の自分を見る瞳の色。
これまで見た事が無い様な、酷く濁った色をしていた。

そしてその瞳が、今はとても怖く感じている。

「――ッ!」

思わず、寒くも無いのに我が身を掻き抱いた。

「(私の能力が、アイツを傷つけてた?)」
「(そんな様子……少しも無かったのに)」


そう思えばこそ、自分が彼へとして来た事が、今は恐ろしい。
彼があまりにも飄々と、『余裕』を見せていたから、自分は無意識にソレに甘えていたというのか。

「あ……謝らないと」

小さく呟くと、彼女はようやく動き出し、彼が立ち去った方へと駆けて行った。
公園を出て、辺りを見渡す。







しかし『上条当麻』の姿はもう、何処にも見当たらなかった。






とりあえずここまで


――ベッドで立て膝を突き、雑誌を読んでいる。
雑誌は病院の売店で適当に数冊選んで買って来たモノの一つで、いわゆる週刊誌というヤツである。
面白くて読んでいる、というよりは取り敢えず昨今の世相に関する情報を得る為に読んでいる、という感じで、
インデックスの瞳にうつる上条トウマの横顔は相変わらずの仏頂面であった。

『死んでしまった彼』と異なり、上条トウマは感情の起伏の乏しい様に見える。
その相貌は無表情のまま殆ど動きを見せず、瞳の色は相変わらず虚ろで澱んでいる。

しかし彼の場合、感情が無くなってしまった訳ではないのだ。
実際先日、カエル面の医者に外出の許しを得た際には、彼なりにはしゃいでいたのだ。
公園で華の匂いや風のそよぎを楽しんでいた彼の口元は、微かに笑みが浮かんでいた。

――そして今、上条トウマは外に出ることも無く、ベッド上で雑誌を読んでいる。
好きでやっている事では無いのは、その顔を見れば明らかだった。

では何故、彼は退屈な病室を飛び出して、外へ行こうとしないのか。

「ト……トウマ」
「ずっと部屋の中に籠りっぱなしじゃ、体に良くないんじゃないか、な」


恐る恐るトウマへと話をふってみる。
雑誌から目を離したトウマと、視線が重なり合う。

「……」
「……」

暫時見つめ合うが、何となく気まずくなって、
インデックスの方が先に目を逸らしてしまう。
トウマは何も言う事無く、仏頂面のまま、視線を雑誌に戻していた。

彼が外に出たがら無い理由は、インデックスも理解していた。
言うまでも無く、先日の電気ビリビリ少女との遭遇が原因である。

より厳密に言えば、『上条当麻』のかつての知り合いや友人と、
ばったり出会うと言った様な事態を避ける為であった。

――『上条当麻』は度を越したお節介焼きだった。
その事は、インデックスも身を以て良く知っている。

そしてそれ故に、この街には『彼』の事を見知った人間が少なくない。
その事実が、上条トウマの心を煩わせているのだ。


『上条当麻』が何処で誰と知り合い、どんな関係性を築いていたのか。
それは『彼』自身しか知らず、『彼』が消えた今、最早知る者は誰ひとり存在しない。

つまり上条トウマは、正体の知れない人間関係の網の目に投げ込まれていると言う事だ。
その事実に、彼は苛立っている。

御坂美琴との一件のような事が、この先も重ならないと誰が保証できるだろう。
それを思えば、彼は迂闊に外にも出れないのだ。

雑誌で暇を潰すと言っても、限度があった。
動ける様になったにも関わらず、部屋に籠っているという現状が、
彼の心の上に着実にストレスを積み上げているのが、そのすぐ横から見ているインデックスには良く解った。

そんな彼の為に、自分に出来る事が、何かないだろうか。
インデックスは考える。

「ね……ねぇ、トウマ」

インデックスはトウマの右手に軽く手を掛けて、意を決し、言った。



「一緒に、外に出よう」




病院の屋上は公開され、ちょっとした空中庭園になっている。
自分とインデックス以外にも、病院の患者たちが少なからずいて、心地よい風に吹かれていた。

ベンチに腰掛け、天を仰ぐ。
相変わらずの快晴だが、風が強い為にそれほど暑さは気にならない。
湿気ばかりが多くてムシムシと不快な日本の夏にしては、珍しい快適さがここにはあった。

空中庭園の花壇に植えられている草花は、アレルギー持ちの患者などに配慮してか、
当たり障りの無い、匂いの強くないようなモノしか無く、面白味に欠けていたが、
あの殺風景な病室で面白くもない雑誌を相手に時間を潰しているよりは余程マシと言えた。

傍らを見れば、フードを脱いだインデックスが、風の心地よさに頬を緩ませ、
青味かがった長い銀髪に指を絡め、櫛の様に梳かしていた。
もともの顔の造作の綺麗な彼女だが、この時はいつも以上に綺麗に見える。

――今の自分にとっては唯一、心置きなく話せる相手。
それがインデックスという、この謎めいた少女だった。

その理由はシンプルで、彼女だけは自分へと過去の『上条当麻』を押し付けてこないからだ。
今の自分が目覚めた時からずっと、彼女は自分の傍らにいて、黙って支えてくれたのである。
それが、上条トウマに心の安らぎを与えるのである。


「……」

――ふと、思う。
そう言えば自分は、彼女の事について何も知らないのだ。
目覚めてすぐの頃、色々と聞いてはいるのだが、彼女は何も答えてはくれなかった。
ただ辛そうに、哀しそうに押し黙って、俯いてしまうだけだった。

だからトウマも、いつしか彼女には何も問わなくなった。

そして今、改めてトウマは、彼女について知りたいと思った。

「なぁ」
「――!何、トウマ」

出し抜けに声をかけられたらしく、インデックスが少し驚いた顔をして自分を見る。
そんな彼女の、例の哀しげな俯き顔を思い出し、トウマは注意深く、問いの言葉を選んだ。

「お前のことを、俺に教えてくれないか」
「え?」
「お前のこと。お前自身のことだ。何でも良い。話して欲しいんだ」
「……」


トウマの問いに、インデックスはその顔を強張らせてしまった。
マズい。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかも知れない。

「悪い。今のは――」
「トウマ」

――無かった事にしてくれ。
そう言おうと思った所で、インデックスに遮られた。

「私ね」
「トウマと同じなんだ」

そしてインデックスの口から出て来た言葉は、トウマには意外なモノだった。

「同じ?」
「うん。私ね、一年以上前の記憶が無いんだ」
「だから、私。トウマに話してあげられる事が、ほとんど無いんだよ」
「その……」

「――ゴメンね」

謝る彼女の声は微かに震えていた。
それは何に対し、誰に対しての謝罪であったのか。
上条トウマには覗い知れない、痛切な何かがそこにはあった。



――舞い散り自分へと降り注ぐ、白い羽根の雨。
微かに残った記憶の残滓が、トウマの心を動かす。

「成程なぁ」
「じゃあ、同じ訳だ。俺もお前も」
「それじゃあさ」



「――『これから』の話をしよう」




「――え?」

インデックスへと、上条トウマは微笑みかける。
相変わらず瞳は虚ろで、口角は皮肉気に釣り上がっているが、
しかしトウマは確かに、インデックスへと微笑みかけていた。

「無い過去を、気に掛けたってしょうがないだろ」
「だが俺達は互いに、昔は無くても未来(さき)はある」
「だから話そうぜ。これから先、どうするか。どうしたいか」
「部屋で雑誌なんて読んでるよりは、ずっと、建設的な時間の使い方だ」
「そうだろ?」


「……うん」

インデックスは微笑み返して答える。
その笑顔は、上条トウマにはとても綺麗に見えた。


とりあえずここまで



ドアの鍵を開け、ノブをまわす。
開かれたドアの向こうからは、部屋の熱気が飛び出してきて、トウマは眉を顰めた。

真夏である。
窓も開けない、冷房も無い昼間の部屋ならば、中は蒸し風呂同然になるのも道理だった。

「うわぁ……」

傍らのインデックスもムシムシとした空気の流れに、
思わずげんなりとした顔になっていた。

とりあえず窓を開けねばなるまい。
靴を脱いで真っ先に向かうのは、ベランダに繋がっているらしい大窓である。
サッシに手を掛け、ガラガラとそれを開く。

すると、開いたままのドアと窓の間に一直線の空気の道が出来て、
気持ちの良い風が部屋の中を駆け抜けた。

その勢いは思いの外強くて、
インデックスが思わずフードが飛ばされない様に押さえているのが見えた。

いずれにせよ、部屋の熱気はこれで多少マシになったと言えるだろう。


「とりあえず……まずは掃除か」

埃というやつは、何故か締め切った部屋の中にまで入り込み積もる。
正確な日数は解らないが、それなりの時間、放置されていた部屋だ。
風で暑さは少しマシになったが、埃っぽさには掃除機のひと仕事が要るだろう。

これから先、ここで暮らしていくのだ。
少しでも快適になるように、色々とせなばならない事があるだろう。

――その日、上条トウマはようやく退院を果たしていた。
この都市での『我が家』で、『初めて』その敷居を跨いだのだ。
形式的には帰宅だが、実質的には初めて訪れるも同様なのだ。

上条トウマにはこの部屋で過ごした記憶は無い。
住所はカエル面の医者から聞き出せたが、その場所は正直さっぱりだった。

幸いな事に、インデックスが道順を知っていた。
彼女の言う事には、天変地異でも起こって地形が一変するでもしない限り、
一度でも行った場所の道順は決して忘れる事が無いとの事である。

実際、一度も迷うことなく二人は目的の学生アパートへと到着する事が出来ていた。
ちょっとした人間カーナビだな、とトウマは思った。


「……」

部屋の真ん中に立ち、ぐるりと回って全景を見る。
学生一人の住む部屋としては、充分な広さと設備に見える。

キッチン、トイレ、ユニットバス、クローゼット。
本棚が二つに、画面も大きめのテレビもある。
本棚の中は漫画ばかりのようだが、それにしたって結構な冊数がある。

部屋の様子を見る限りだと、『上条当麻』はそれなりに豊かな生活を送っていた様に見える。
しかしそれしては手持ちの現金が異様に少なかったのが気にかかる。

「……」

冷蔵庫を開けて見てみても、特に何も入ってはいない。
腐ったモノを処分する手間が掛らないのはありがたいが、
それにしてもなぜ、何も入っていないのかは良く解らない。

多少なりとも、月詠小萌から『故人』については聞かされていた。
しかし彼女が知っているのは飽くまで『教師としての彼女の知る上条当麻』でしか無い。
つまり『上条当麻』の日々の生活事情等については、おおまかにしか知らないのだ。


上条トウマは『上条当麻』に対して、何の興味は無い。知りたいとすら思わない。
だがそれでも、自分は『上条当麻』の体と身分で生きていかねばならないのだ。
ならば、彼の細かな経済事情について知るのは、必要な事であり、やらねばならない事だった。

「(……家計簿は見当たらないな)」

本棚の中身を上から順番に見て行くが、それらしいものは見つからない。

『上条当麻』は、頭の中で勘定を済ませてしまうタイプだったのか、
それとも世の男子学生の多くがそうであるように丼勘定であったのか。

――いずれにせよ、どちらだったのかが解る事はもうない。

「まぁ良いか」

トウマは小さく口の中で呟いた。
時間はたっぷりとあるのだ。少しずつ色んなことを探っていけばいい。


「……インデックス」

トウマがインデックスの名前を呼んだ。
彼女が振り返る。

「なぁに、トウマ」
「掃除、手伝ってくれるか」
「うん」

間を全く置かず、インデックスは応えた。
取り敢えず二人して掃除道具を探し、埃を掃う事にした。


トウマが掃除機で床の埃やゴミを吸い取っている傍らで、
インデックスは使い捨ての台拭きで、机やテレビ、本棚などを掃除していた。

インデックスは背が低い為に届かない所があったり多少苦戦しているが、
トウマが脚立を探してきてくれたので、どうにかなっている。

埃で灰色になってしまった台拭きをゴミ袋に入れ、新しいのを取り出す。
そんな作業の傍ら、トウマの様子をインデックスは横目で覗う。

「……」

無表情でトウマは掃除機を動かしている。
黙々と作業をこなしており、鼻歌一つ聞こえて来ないが、不機嫌そうにも見えない。

トウマから視線を外し、インデックスは改めて部屋の様子を見渡してみる。
一人暮らしには充分すぎる部屋だが、二人で暮らすには狭い様にも感じる。
しかし、工夫すれば出来なくはないだろう。


――インデックスは、上条トウマと共に暮らす事を認められていた。

そこに『必要悪の教会』や、
その上の連中のどんな政治的意図が働いているかなど、
インデックスは知らないし、知りようも無いだろう。

ただ、彼女にとっては、それは渡りに船だった。

自分には、彼の隣にいて、彼を支える『義務』があるのだから。
それは自分の犯した罪に対する『贖い』であり、果たさねばならない『責任』だった。

「(掃除ぐらい、ちゃんと手伝わなきゃ)」

記憶を消され、一度殺されたに等しい彼を、誰かが支えなくてはならない。

その役割を担うのは自分であり、自分がやらなくてはならないのだ。



インデックスは本棚を拭き終ると、トウマに問うた。

「トウマ、お風呂も掃除した方が良いかな?」

――その内心は知らず、彼女の顔は表面上は明るい笑顔に見えた。


とりあえずここまで




――御坂美琴は『Level.5』である。
即ち、この学園都市にも7人しか超能力者の一人である。
序列は第3位であり、最高峰の『電撃使い(エレクトロマスター)』である。

その名前そのままに、彼女は電気を操る能力者だ。
そしてその能力を応用することで、彼女は学園都市全土を隈なく覆う、
その電子ネットワークともその頭脳と直結させ、それを操作する事が出来る。

故に、彼女には『上条当麻』の家の住所を探し出す事など、実に容易い事であった。

「……」

そして今、彼女は探し出した場所、学生アパートの『上条当麻』の部屋の前までやって来ていた。
手元には、菓子折りの入った紙袋が一つ、握りしめられていた。


「……」

インターホンに手を伸ばす。
人差し指を突き出し、ボタンに触れようとして――。

「ッ!」

思わず、指先は愚か手まで引っ込めてしまう。
まるで熱い薬缶にでも触ったかの様な反応である。

美琴の表情には、微かな怯えが見て取れた。


彼女がここへと来た理由は無論、『上条当麻』に先日の一件を謝る為だった。
しかし彼女はどうにも、呼び鈴を押して、部屋の敷居を跨ぐ事が出来ないでいた。

あの、濁った瞳と再び向き合わねばならないと思うと、
どうしても彼女の勇気は挫けてしまうのだ。

彼女は別に弱気な人間では無い。
むしろ快活で、かなり気の強い“おきゃん”である。

そして年頃の、思春期らしい不安定さ持った『少女』でもある。
上条トウマに詰られた一件は彼女には相当に堪えていたのだ。


以来見せる挙動不審ぶりは、
彼女の第一の舎“妹”とでも言うべき白井黒子に、
この世の終わりでも来たかのように焦らせ慌てさせる程であった。

御坂美琴はなまじ超能力者としての矜持があるが為に、
他人に相談せず胸中に色々と溜めこむタイプの人間である。

黒子を始め、彼女は誰にも相談せず、一人でどうすれば良いかを考えた。
悶々とし、一人で考え込んだ末、結局、素直に謝りに行く事に彼女は決めた。

そして、デパートで、当たり障りの無い洋菓子の詰め合わせを買うと、
一路トウマの部屋へとやって来たのである。

――しかし部屋の前まで来て、肝心の勇気は萎えてしまっていた。

どうしても、自分を睨みつける、あの澱んだ瞳を思い出してしまう。
そしてそこにあった、拒絶と怒りを思いだしてしまう。

彼女は、目の前のドアを開けた後に来るやもしれぬ、
再びの拒絶の可能性に恐怖していた。


「(……らしくないわね、ホント)」

胸中にて自嘲する。
だが如何に自嘲して見せた所で、胸中の恐怖は消えない。

――無自覚な暴力を振るい、人を傷つける。

その可能性に御坂美琴は慄然とする。
自身が『超能力者』であるという事実と自覚が、その戦慄を一段と強くする。

ここで今、彼と相対した時、どんな視線を向けられ、どんな言葉を向けられるだろう。
それを想像するだけで、胃がキリキリと痛くなる。

「(……ええい、ままよ!)」

とは言え、いつまでもここで留まっている訳にはいかないのだ。
思い切って呼び鈴へと手を伸ばそうとして――

「あ」

目の前のドアが独りでに開き、出て来た誰かと眼があった。
虚ろで澱んだ瞳。
言うまでも無く、上条トウマであった。




――卓袱台を一つ、挟んで向き合う。
対座にいるのは先日、電撃を一発、浴びせてくれた能力者。
名前は、御坂美琴。
いつぞやとは打って変わって、畏まった様子で正座している。
その顔には、隠しきれない怯えが見える。
右傍らには、紙袋が一つ置かれていた。

トウマの背後、ベッドの上にはインデックスがちょこんと座っている。
当然、トウマには背中に目は付いていないので、その表情等は解らない。

「――それで」
「わざわざ何をしに来たんだ?」

畏まったまま黙りこくってしまった美琴へと、
トウマは何かを言うように促した。

つい先程、ちょっとした買い物の為に外出しようとして、
部屋の前にいた御坂美琴と出くわしたのである。

何だか慌てた様子でオロオロとしており、
話す言葉も内容も正体を得ない感じだったので、一先ず部屋へと招き入れたのである。


「え、えと……あの……その……」

もじもじとしつつ口ごもるその姿はとても、
お転婆電気ビリビリ娘とは同一人物には見えない。

恐縮しきった美琴の姿に頭痛を覚え、トウマは米神のあたりを指で押さえた。

“御進物”を持ってる事からも、まあ何をしに来たのかは見当がつく。
正直、予想外の展開だが、わざわざ謝りに来たというのは、何とも殊勝ではないか。
良い意味で予想外だと言える。

だが――

「(――チッ)」

胸の中で舌打ちする。
美琴に対してでは無い。自分に対してだ。
より正確に言えば、自分の中に生じている、理不尽な苛立ちに対してだった。

――御坂美琴が謝りにきた相手は、『上条当麻』なのだ。
決して、上条トウマに対してでは無いのだ。


「(今更だろ、そんなのは……)」

美琴が『上条当麻』の死と、自分の存在について知っている訳も無い。
だからそれは、当たり前の事なのだ。しかし、である。

――お前は実体など無い、『上条当麻』の影に過ぎない。

頭の中で、誰かがそう囁く。

「(黙れよ、糞ッたれ)」

現状は腹立たしいし不快だが、かといって何ともしようがない。
自分は記憶喪失で、事実上、過去の『上条当麻』とは別人なんです、
などと言う訳にはいかないのだ。

――何で
――どうして
――誰が

そういった問いに、得々と説明して答えねばならなくなる。
それは面倒で、不愉快だった。


「あの!」

ネガティブな思考の海に墜ち込んでいたトウマの精神は、
意を決したらしい美琴の呼び声により、現実へと引き上げられた。

美琴は頭を下げ、言った。

「この間の事は、本当にごめんなさい!」
「この間の事だけじゃない……その前の事も全部」
「ごめんなさい」



「(『この間の事』……か)」

この眼の前の少女は、先日の電撃の一件について、『俺に対して』謝っている。
そう思えば、多少の溜飲は下がるし、自分を無理矢理納得させる事も出来る。

「顔を上げてくれ」

彼女の怯えた瞳と、真っ向から向き合う。

「この間の事は、俺にも失礼な所があった」
「だから、今の謝罪で、全部チャラだ」

目に見えて、美琴の纏う気配が明るくなった。
何となく、安心した様子の美琴から目を逸らし、トウマは言う。

「取り敢えず、お茶でも飲もう」

言うと、冷蔵庫から麦茶を取り出す為に、立ちあがった。
背後で、インデックスもベッドから腰を上げる気配を、トウマは感じていた。


とりあえずここまで

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2013年09月13日 (金) 00:05:42   ID: VPYCWrbi

面白かった

2 :  SS好きの774さん   2013年11月04日 (月) 05:08:36   ID: 66IQhSXx

続き早よワクワク

3 :  SS好きの774さん   2014年06月22日 (日) 23:50:17   ID: 3o6aqqoz

おもろい。気になる。続きみたいな

4 :  SS好きの774さん   2015年09月08日 (火) 11:30:43   ID: 0xV4c1qN

続きどこかで再開していないかなあ。楽しみ

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom