ほむら「アリゾナは」杏子「今日も暑い」(487)

Intro

 砂ばかりの荒れた大地を、一台のオートバイが走っていた。
そのバイクはとても大きく、そして奇妙な形をしていた。
ハンドルと前輪を繋げる部分、フォークと呼ばれる部分が異常に長く、操縦者が乗るための座席の位置はやたらと低い場所にあるし、マフラーはまるでブーメランのように湾曲している。
 一抱えほどもあるオイルタンクに丸太のように太いタイヤ。シートの横には錆びたラジオや、いくつもの皮の袋をぶら下げて走るそれは、どかどかと大きな排気音を上げながら、地平線の果てまで真っ直ぐ伸びる道路に沿って、時速百キロほどで走り続けていた。

 一匹の蠍を踏み潰して走り去るバイクのシートには、二人の人間が乗っていた。
一人は赤。一人は黒。色違いの革の上着と、色褪せてあちこちが裂けた揃いでジーンズを身につけていたが、フルフェイスのヘルメットをしているので、顔や髪型まではわからない。
 大きなバイク図体を持つバイクと比べるととても小さく見えるのだが、後部座席に乗っているほうが背高だった。

 二人の間に一切の会話はない。恐らく、するような会話がないからだろう。
それを代弁するかのように、荒野はどこまでも平坦で、見るべき物などろくになかった。
唯一変わった物を上げるとするならば、遙か遠くに見える赤茶けた色の大きな谷々と、長く伸びた道路に沿って並んだ工業的なテント群。
真っ白なタープに降り注ぐ、ぎらぎらとした光を隠す雲はどこにもない。
黄土色の地面は埃っぽく、方々には彩度に欠ける緑のサボテンと、時たま見かける傾きかけた道路標識。

 そんな代わり映えのしない不毛の大地をバイクはひたすら駆けてゆくと、やがて地平線の果て先に、ようやく一つの変化が見えた。
 高さ五メートルほどの細長い脚を持った大きな看板の中、カラフルな鳥の羽で彩られた冠を被ったインディアンが『コネクションシティへようこそ!』と言っている。
 バイクは看板を通り過ぎると、慣性を使ってゆっくりと速度を落としていった。
そのまま小さな小道を曲がり、屋根の低い建物が並ぶ街角へと入っていこうとした途中で――ぶすん、と籠もった音を立てて急減速し、ぴたりとその場に停止した。
 座席に座っていた二人は首を振りながら腰を上げ、エンジンやキックスターターを蹴っ飛ばしたりしていたが、バイクはうんともすんとも言おうとしない。

 やがて二人は観念したのか、手でバイクを押して道端に寄せると、ぐるりと周囲を見渡した。
 赤い上着がどこかを指さす。黒い上着がそっちを向いた。
革手袋の示す先には、《Rabit Foot》という文字と、目玉焼きと酒瓶の描かれた看板。
周りの建物に比べればいささかくたびれたなりをしたその建物に赤が駆け込んでいくのを見て、黒が小さく首を振りながら後を追っていこうとしたその時、

『WooooooW!!』

 背後から獣の遠吠えが響き、黒はぐるりと振り向いた。
バイザー越しの視線の先。遠く遠く、砂原の強い風に吹かれて舞う砂埃の向こうに、一匹の獣がいた。
 犬か狼に似たその姿。白い毛並み。輝く犬歯。
四本の脚で大地を踏みしめるその獣は、黄金の瞳に野性の輝きを灯し、真っ直ぐに黒の顔を見つめている。
 どこか現実離れしたその光景。黒が小さくまばたきをした瞬間、ざあっと一際強い横風が吹き、濃い砂埃が視界を覆った。
 黒が手袋の表面でバイザーを擦り、もう一度前を見たその時には獣の姿は消え去っていた。

 それはまるで蜃気楼。あるいはたなびく煙のように。
 黒が自らの疲れ具合を確認するように溜め息を吐くと、後ろの建物から大きな声が聞こえた。

『早く来い。二十五セント硬貨が欲しいんだ』

 黒は苦笑いを零しながらゆったりとした動作でヘルメットを脱ぐと、そこに一人の妖精が表れた。
 流れる黒髪とピンクのリボン。ほつれ髪を頬に張り付けた、月のようにきらめく美貌を持ったその少女は、ばさりと髪を掻き上げながら、《兎脚亭》――幸運の象徴をなぞった場所へと足を踏み入れた。



その砂まみれの街角には、白いサボテンの花が咲いている。




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[Bluespring Teens]



「Hello anyone」

 カラン、コロン、と呼び鈴を鳴らしてほむらが店に入ると、店内の様子は想像とはだいぶ違っているようだった。
まず思ったことは――とても広い。そして清潔。風変わり。本を読むには薄暗い。
もって第一印象は好感触。十点中なら九点出せると、ほむらはその店を大いに気に入った。

 テキーラが香る店内で最初にほむらの目に付いた物は、店の天井近くに飾られた、一対の大きな野牛の角だった。
ほむらはこのコネクションシティに辿り着く前に道端を走る野牛たちを数多く見たが、これほど立派な角を持った物はまだ見ていない。恐らく、なかなかの値打ち物だ。
角の下には二列になった酒棚と、美しい光沢を持った黒檀のカウンター。映画のようにタンブラーを滑らせれば、すいすい横へと流れるだろう。
 棚に並んだ瓶のほとんどはウイスキーだったが、その種類は実に豊富だった。
テネシー、バーボン、スコッチ、モルト、ライにコーンに――サントリー。異国の地では物珍しい漢字が書かれたその瓶に、言いしれない美しさを感じたほむらはひっそりと眼を細めた。
こちこちと音を立てて振り子を揺らす大きな柱時計の置かれた入り口近くには、七面鳥の羽で作られたカラフルなウォーボンネット(インディアン達の羽根飾り)や、なめらかな曲線を持つ石の数珠に銀細工。
幾何学的な模様が幾重にも縫い込まれた敷物と、見事な工芸品の数々で埋め尽くされていたが、それらの雑然とした空間を持ってなお、ビリヤード台やピンボールマシンを置けるほどの面積をそのダイニングバーは有していた。

「――おせぇよー!……ほら、早く!」

 カウンターに人影を探していたほむらに、一足早く店に入っていた杏子が話しかけてきた。
ビリヤード台の脇にあるパイプ椅子の上に脱ぎ捨てられたヘルメットは砂塵でくすんだ窓から入り込む陽光を浴びて、室内に小さな光を投射している。

「早く……何を?」

「二十五セント!あたし、一ドル札しか持ってねぇんだよ。あんた細かいのいっぱい持ってたろ」

 それを一体何に使うのかと聞こうとしたところで、ほむらは杏子が指さす物に気が付いた。
蛍光グリーンのライトで装飾された、骨董品のジュークボックス。
いくつかの部品がひび割れ、だいぶ老朽化が進んでいるようだったが、埃だけは被っていない機械のボタンを杏子はせわしなく連打していた。

「……いいけど、何を聞くの?」

「エリック・クラプトン」

「『いとしのレイラ』?いつも思うのだけど、あなた本当は幾つなの?」

「おっ、BBキングまであるじゃん。この店わかってんなー」

「いいわね。そっちにしましょう。どうせ私のお金だし」

「ドナ・サマーもいいね。……ま、そっちは後でいいかな、っと」

「……言っておくけど、あげるのではなくて貸すのよ……?」

 二枚分の硬貨を手渡されるなりほむらのリクエストを無視した杏子に、ドスの利いた声をぶつけるほむら。
杏子はそんなことは知ったことじゃないとばかりに(実際、全く聞いていなかった)、ノイズの混じったギターリフに上機嫌で首を振り、七十年代の名曲を楽しみ始めた。

「――おや、申し訳ない。お客様が来てるとは知らなんだよ」

 ジュークボックスから流れるブルースの音に気が付いたのか、カウンターの奥に掛けられた美しい毛糸のカーテンの向こうから老婆が姿を現した。
 肩まで届く長い白髪を耳の両側で三つ編みにし、肌は赤みがかった濃い茶色。
年の頃は七十歳か八十ぐらいだが背筋はぴんと伸びていて、年を感じさせないきびきびとした動作で動く彼女は、これぞまさしくインディアンという、貫禄を持った老婦人だった。

「お邪魔しています、ミセス」
「こんな美人さんが、しかも二人もいらっしゃるとは嬉しいことだよ。今日はどんなご用だい?」

 老婦人はカウンターの下から取りだしたカーキ色のシンプルなエプロンを身につけながら、カウンターの向こうからうやうやしく頭を下げて一礼すると、柱時計が午後一時を告げる鐘を鳴らした。

「昼食をいただきたいのですが。……それと、出来ればバイクの修理を出来る場所を教えていただけませんか?」

 ほむらはささやかな笑みを浮かべながらカウンターに歩み寄り、極めて標準的な発音の英語でゆっくりと喋った。
彼女は英会話に通ったりして英語を身につけたわけではない。彼女の右手に光る銀色の指輪、魔法少女の証であるソウルジェムの力を借りれば、言語の壁など無いにも等しいというだけだ。

「トラブルかい?」

「簡単なエンジントラブルですが、年季が入ったバイクなので……手持ちの道具では直せそうにないようなんです」

「ううん……それなら、裏手にある『ガナーズ・スパナ』という店がいいね。この町一番のエンジニアさ。……もっとも、この町にある工場はそこだけだがねえ!」

「くすっ……。……ありがとうございます、ミセス」

「堅苦しいのはよしとくれ。ジョアンナ・ソフィー・スパイククロー。『アンおばさん』と呼んでくれ」

「光栄です、アンおばさん。私はほむら。暁美ほむら。どうぞ、ほむらと呼んでください」

 にこやかな笑顔を浮かべながら、二人はカウンター越しに握手を交わした。

「ホムラ。不思議な名前だね。日本人らしい、エレガントで、ミステリアスな響きじゃないか」

「ありがとうございます。……向こうにいるのは、佐倉杏子。私の友人です」

 ほむらが首だけで杏子に振り向くと、彼女はジュークボックスから移った興味の対象、ピンボールに夢中になっているところだったが、人から巻き上げた金で堂々と遊び呆けるその姿に小さからぬ怒りを覚えたほむらは、念波で彼女を怒鳴りつけた。

『遊んでないでこっちに来なさい!!!』
「……んがっ!?」

 ソウルジェムを介して送り出された大音響に、杏子が背中をびくりと震わせて飛び上がると、拍子にピンボールの操作盤から手が離れ、銀色の球体は筐体の下部へと吸いこまれていった。
その様を恨めしそうに横目で見ながら、ふらふらと千鳥足でカウンターに寄ってくる杏子。
ほむらは自然な仕草でジョアンナに右手を差し向けながら、じろりと杏子を睨み付けた。

「杏子。こちらはミセス・ジョアンナ=スパイククロー。アンおばさんとおっしゃるそうよ」

「……あ、あたしは佐倉杏子だよ。よろしくね、ばあちゃん。……てめぇ、後で覚えてろよ……?」

 杏子は誰の了解を得るでもなしに一本足のパイプ椅子に腰を下ろし、にじにじとほむらと足を踏みつけ合いながらくだけた挨拶をすると、アンはからからと笑い返した。

「キョウコ! これまた元気のよさそうなお嬢さんだ。きっと、たいそう食べるのだろうよ!」

「この子は並の男の倍は食べます」

「そりゃあ良かった。ここ最近は客がぱったり来なくてね。
孫娘も良く食うほうだけど、それでも材料が余って仕方がないんだ。今日はたくさんサービスさせてもらうよ」

 アンはそう言うと、レジの脇から店のロゴが印刷されたコルク製のコースターを出し、二人にゆっくりと背中を向けた。

「飲み物はどうするかね?まずは、一つばかりのサービスだ」

「あ、あたしはバーボ――」

「コーラを二つ」

「生憎、州法でペプシは禁止されててねえ。コカしかないけどいいだろうかね?」

「ビールなら、バドワイザーが――」

「構いません。お気遣いに感謝します」

 ほむらが小さく会釈をする前で、アンはカウンターテーブルの下に屈み込んでばたばたと何かを開閉させた。
数秒後に立ち上がったアンの手の中には、ひんやりとした冷気を纏う、コカ・コーラの瓶があった。

「おかわりは勝手に取っときなさい。わたしは今から、アリゾナ最高のランチを用意するからね!」

「はい。お待ちしています」

「……うーっす」

 あてが外れてむくれる杏子と、丁寧に会釈をするほむら。
対照的な二人にしわくちゃの笑顔を返しながら、ジョアンナは軽く腰を上げ、颯爽とカーテンの奥へと消えていった。恐らく、中は厨房だろう。

「たった一ドルのコカ・コーラでも、奢りで飲めるなら最高ね」

 ほむらは唇の端を僅かに上げて微笑みながら杏子の顔を覗き込むと、ほむらは優美な動作で栓抜きを取り、きゅっと音を立てて蓋を開けた。
桜色の唇がぱくりとコーラの瓶を咥え込み、ごくり、ごくりと喉を鳴らして、ほむらは目元と口元で再び微笑む。
 いやらしい光景だと杏子は思った。そして、なにより美しい。
杏子の知っているほむらはそうだ。見た目で得られる印象よりも、ずっとずっとよく笑い、声は優しく、手は小さい。
ひどく冷たい体をしてても、その唇の温度ときたら、まるで彼女の名前のようだ。

「……ま、そりゃそうだけどさ」

 杏子はほむらの手から栓抜きを受け取った。瓶で冷えた指先は、油で少し黒ずんでいた。
ほむらの瞳から目を離さず、杏子は瓶の蓋を開け、黒色の刺激体を喉に流し込むなり、満面の笑みを浮かべて快哉を上げた。

「――かぁぁぁあーっ、ウマイッ!!サイッコォォォォ――!!」

 はっ、と満足げに息を吐き出す杏子に、ほむらもにっこりと目尻を下げて歓喜を返す。
どこまでも単純な女だった。そして、そこが嫌いでなかった。

「アリゾナの太陽にカンパーイ!」

「あなたと私の友情に」

 例えようもない昂揚感が、自然と二人を突き動かした。
二人はかちんと瓶を掲げてぶつけ合い、一息にコーラを飲み干すと、ジュークボックスが叫びを上げた。

”ねえ、レイラ。あなたは私を跪かせた。
 そうでしょ、レイラ。お願いだから。
 ねえ、レイラ。私の悩める心を解き放って”

 噎び泣くようなエレキの旋律。クラプトンの嗄れ声。魂を揺らすドラムのビートと、臓腑に浸みるベースの重み。
何にも屈せず、前だけ向いて、道無き荒野の果てを行く二人には、くたびれた男の歌がよく似合う。

 ――レイラ、レイラ。愛しのレイラ。寂しく悲しいあなたの心を、私の愛で癒してあげたい。

 それは砂漠に漂う、湿ったエレジー。人の女に恋してしまった、愚かな男が奏でる哀歌。
強がりを言うプライドは傷ついたけど、狂う前には救われた。

 ――レイラ。我が愛。我が情熱。ほんの小さな私の慰め。だから、ずっと一緒にいさせて。

 二人は軽く指先を繋ぎ、そっと掌を重ね合わせた。
 ああ、貴女は彼女に似ていないけど、此処は彼処によく似てる。これはあれによく似てる。

 そこは故郷・見滝原を遠く離れた異国の地、北米大陸で最後に定められた、アメリカ合衆国の四十八州。
七千万年前の地球の面影を残す渓谷、グランドキャニオンを大地に抱く、アリゾナの僻地・コネクション。
九千キロの直線距離と太平洋を越えた彼方にあって、ブルースの音色はじわりと苦く――コーラの刺激は蜜の味だ。

導入部終わり。
雰囲気としてはOVAとか夏休みの劇場版を意識したものです。
改変後の世界で世界各地を旅して魔獣狩りをしてるほむあんが、ふと立ち寄った町でトラブルと新しい仲間に会う話、のような。

きちんと完結させるつもりなので、よろしければよしなにお願い致します。

読みにくい

>>8-14
ご感想・指摘ありがとうございます。
まだ勝手がわからんのでなんですが、次からはレス数ちょい使ってやってみようと思います。

海外小説の日本語訳みたいな文体がとても好きです。

[Call of COYOTE]

 ジュークボックスから流れるレイラが終わった。
 甘ったれた声を上げてほむらの背中をちょんちょん突っつき、
見事六枚目の硬貨をせしめた杏子が、、別の曲を流そうとジュークボックスに向かおうとしたその時だった。
(ほむらは杏子に甘い)

「おお、お嬢さん達。ちょっといいかい?」

 厨房からアンがひょっこりと姿を現した。
右手には湯気を立てるフライ返しを持っており、今まさに調理中といった風体だ。

「あいよ、ばあちゃん」

 オードブル代わりの皮付きのポテトを齧っていた杏子が応える。
 アンはポケットから小さな鍵束を取り出し、新しく用意したコースター上に置いた。

「とっておきのピクルスがあるんだが、どうも冷蔵庫のほうに切らしちまったようでね。
 チップ代わりと言っちゃあなんだが、ちょいとひとっ走りして、裏の倉庫まで取りに行ってくれんかねえ?」

「それは別にお構いしませんが……勝手にお店の倉庫に入るというのは……」

 平和な日本育ちのほむらとはいえ、空き巣や強盗の被害に遭った人間は山ほど見ているし、見ず知らずの人間に鍵を預けるというリスクも理解している。
 (なにより、ほむらは窃盗のエキスパートだ)
この人の良さそうな老婆の頼みを聞きたいのは山々だが、安請け合いするのも拙かろうとほむらが渋っていると、

「いいぜー。そいつ、どんなカッコしてんの?」

 杏子はぱっと鍵を手に取り、ポケットの中に突っ込んでしまった。

「ちょっと、杏子――」


「こういう寸胴な樫の樽があってね。倉庫の入ってすぐ突き当たりだよ。
 倉庫は角を曲がってすぐの階段のとこさね。似たようなモンがないからすぐわかるさ。
 なあに、心配はいらないよ。うちの倉庫はこいつと似たような具合だからね」

 杏子に心配げな顔を見せるほむらの配慮を察したのか、アンは老人らしからぬ早口で捲し立てながらレジのドロワーを引っ張り出した。

「……ええっと……」

「ああー、そういうことね……」

 どう反応を返していいかわからず口ごもるほむら。杏子は小さく何度か頷く。
 アンが掲げ上げて見せたドロワーからは、一セント硬貨すら落ちてこなかったのだ。
彼女が何を言いたいのかは、もはや小学生にだってわかるだろう。

「見ての通り、獲るものなんかないのさ。……さあさ、事情がわかったら早く行っとくれ!
 お嬢さん達だって、わざわざ黒焦げのサニーサイドを食いたかないだろ!」

「任せといてよ、アイアンシェフ」

「……わかりました。行ってまいります」

「頼んだよ、お二人さん」

生真面目な顔で頷くほむらににこやかな笑顔を返しながら、アンは厨房へと戻っていった。



 アンの残していったトングとサラダボールを抱えて店を出た二人は、すぐに倉庫を見つけることが出来た。

 どこもかしこも埃っぽい、塗装の剥げた家ばかりの横町の中。三メートルばかりの短い階段を下りた場所。
電線の切れたランプが揺れる土間の倉庫が、兎脚亭の宝物庫らしい。

「開け開けー、開けゴマー、っと……」

杏子は鼻歌を歌いながら赤い革ジャンのポケットをまさぐり、十よりは少ない量の鍵束から一つ一つを取り出しては、荒っぽい手付きで鍵穴に差し込んでいく。

「……これ全部違う鍵じゃね? ……これなんて『弾薬庫』って書いてあるぞ」

「……隠語という可能性もなくもないけど……」

 全ての鍵を差し込み終わったところで、杏子が首を傾げてほむらを見た。
 鍵穴はどれもサイズが微妙に合わず、中には自転車の鍵とおぼしき物まで含まれている。
鍵束にガムテープで無造作に張りつけられた紙っぱしには『Ammunition Box』の文字。
ほむらも杏子の手から鍵を取り、自分目で確認したが、やはり合致する鍵は見当たらなかった。

「……仕方ないわね。アンのところに戻りましょう」

 ほむらが鍵束を手にして扉に背を向けたところで、背後からぼきりと鈍い音。
最高に嫌な予感がしたほむらは、油の切れた人形のような動作で首を動かした。

「ほら。空いたぜ。これでばあちゃんの一安心だろ?」

 そこには内側に開いていくドアとほむらを交互に見ながら、八重歯を見せてにっかり笑う杏子の姿。
その手には木片の纏わり付いたドアノブがあり――それが何を意味しているのかなど、ほむらは理解したくもなかった。

「……杏子、あなたね……」

 ほむらが小さく首を左右に振りながら杏子に近づいていくと、杏子はけろりと言い放った。

「卵焦げたらばあちゃんだって大変だろ?」

「……魔法で直しなさい。あとで。あなたが。責任を持って」

「わーかってるってー。ほむらはシンケーシツだよなー」

「……あなたと比べたら、誰だってそうでしょうね……」

 疲れ切った声で言いながらも、ほむらはそれ以上は追求しなかった。言っても無駄だと思うからだ。
 眼鏡を掛けていた頃ならいざ知れず、今のほむらは繊細な人間では断じてない。
道を阻む物があれば爆破するし、それが敵なら容赦なく射殺して、死体を焼夷弾で焼き尽くす。
だが、回り道をすれば壊さなくて済む物まで壊してしまうほど、横着――悪く言えば、常識知らずな人間でもない。

 その点、杏子はほむらとは少し違った。
杏子のスタンスは『直せる物なら直せばいい』だ。
壊せば何かがなんとかなるなら、さっさと壊して先へと進み、それが直せる物ならば、後から直すか――そのまま忘れる。
基本的にアバウトなのだ。それも非常に。物凄く。格別に。呉キリカといいとこ勝負だ。とんでもない。

「さーて、さっさと見つけて飯にありつこうぜぇ~」

 そういうことなので、効率主義者のほむらも以前はこういった行為の度に激怒していたものの(それは地球上に魔女がいたような太古の昔だ)、今ではすっかり諦めてしまった。
後処理をしようとするだけマシだと考えるようになってしまったが、それで頭痛が止むわけでもない。

「慣れって……いい物ばかりではないわね……」

 ほむらはこめかみを手で揉みながら壁のスイッチに触れて灯りを付け、呑気に鼻歌を口ずさむ杏子に付いていった。



「それにしても、なんも無いって言ってたわりには随分物保ちがよさそうじゃん」

「確かに、個性的な物が多いようね」

 倉庫の一番奥、高さ一メートルほどの樽の前で、トングを使ってボウルにピクルスを盛りながら杏子が言った。
樽の中には黄色っぽく変色した何かの漬け物が入っており、カビ臭い倉庫内の空気に混じった甘酸っぱい食用酢の匂いが、二人の空きっ腹をずきずきと刺激してくる。

 ほむらが薄暗い倉庫内を見渡すと、十メートル平米ほどの空間には実に様々な調度品達が置かれていた。
幅四メートルほどもある額縁付きの水彩画に、ガラスケースに入った磁器製の壺。
鷲やリスといった小動物の剥製に、奥には熊や野牛と思わしき動物達の剥製と見られる、布にくるまった巨大な固まり。
ほむらは美術品の鑑定眼など持ち合わせてはいないが、そうした物の多くが最低限度の額を持っており、その総量を合わせればかなり金額になることは想像出来た。

「ひょっとして、あのばあちゃん金持ち?」

「こんな僻地でわざわざ飲食店を経営するぐらいだから、副業ぐらいはあるかもね」

「わかった。若い頃はペンタゴンの女スパイだったんだ。コードネームは《ブラックウィドウ》。仕事に疲れて田舎で隠居生活を――」

「馬鹿なこと言ってないでさっさと――ッッ!?」

 妙に楽しそうに無駄話をする杏子をほむらがたしなめようとしたその刹那――空気を切り裂く鋭い旋風。
ほむらは本能的に脇へと飛ぶすさると、絹糸のような髪の毛がはらりと舞い落ち、剥き出しになったコンクリートの壁面に、何かがざくりと突き刺さる音。
その襲いかかってきた超高速の物体を、二人の超人的な動体視力は確かに捉えていた。

「……んだこりゃあ!?」

 ピクルスの入ったボウルを抱えたまま、杏子は怒りと困惑の混じった声を上げた。

 その視線の先、石壁に突き刺さっていたのは――鋼の凶器。
人の指先から肘までの長さほど柄を持つの、狩猟用の投擲斧だった。
刃先は完全に壁に埋まっているので、その刃渡りが実際にどれほどの長さなのかは推測するほかないとはいえ、
それだけの力で投擲された凶器が人体にどれほどの被害を与えるかについては想像するまでもないことだ。

「……ちっ! また厄介ごと?」

 ほむらは舌打ちしながら近くにあった樽に身を隠し、懐に隠し持っていたベルギー製の自動拳銃を手に取った。
そのまま半身を乗り出して、正体不明の攻撃者を視認しようとするが、倉庫内と外の明度差が激しく、逆光で相手がよく見えない。
しかし相手が何者で、どういう意図を持っていようとも、敵対的であることは間違いなく――ほむらは敵に対して情けは掛けない。
それが、例え魔法少女でもなんでもない、そこらの一般人だったとしてもだ。

「そこにいる奴、答えなさい。あなたがどこの何者で、一体なにが目的なのかを」

 ほむらは冷徹な声で言い放つと、銃の安全装置を解除した。
息を潜めて相手の出方を窺いながら、視覚神経を操作して光量を調整。闖入者の姿をはっきりと捉える。

「――どういうつもり……だって? それはこっちの台詞だよ。
 ここが誰の家だか知ってて、あんた達がなにをしてるか理解してないっての?」

 ――少しばかり、意外な結果がそこにはあった。

 声の主、謎の攻撃者の正体は、明らかに成人前の女性――女子だった。

 腿まで届く黒髪を一本の細い三つ編みに編み込み、両脇は幾何学模様の描かれたヘアバンドで留めている。
身長は百七十以上はありそうだったが、胸の薄さはほむらといいとこ勝負。
整った細い眉に飾られた丸顔にはどことなくあどけなさがあり、大きく開いた瞳はインディゴブルー。
赤みがかった茶色の頬も、小さな唇もしなやかだ。

美人と言うよりは可愛らしい、見たところ辺境部族のプリンセスというような顔立ちの彼女は――どう見てもそうとは言えない要素うぃ一つ、小さな手の中で煌めかせていた。

「あたしが保安官なら、あんたらは二人とも斬首刑だ。神に誓って間違いなくね」

 黄色いノースリーブシャツの前に翳された、それは鋭い刃の輝き。
それは極彩色の羽根飾りで彩られた、投擲用の狩猟斧・トマホーク。
か細い女の手足など一撃で叩き切るであろう幅二十二センチの銀光が、入り口から差し込むアリゾナの太陽光でぎらついた。

「……どうも誤解があるようね。私達は店主に使いを頼まれてここに入っただけよ。狼藉を働くつもりは――」
「泥棒はみんなそう言うんだよ。『自分は悪くありません』ってね」

 ほむらはきわめて穏便な声を出すように努めたが、それを遮った女の声には明らかな怒気が含まれていた。
ナイキのシューズで地面を蹴り立て、女が二人を威嚇すると、ヘアバンドと似た模様の描かれたスカートがふわりと揺れ、周囲に獣の臭いを撒き散らす。

「人の話は最後まで――」

「あんたらが叩き壊したドアの前で続きを言えたら、大したもんだって誉めてあげるよ」

「………………ドアはきちんと弁償するわよ」

 げんなりした顔のほむらがスチール製の棚に隠れていた杏子を睨むと、杏子は気まずそうに目を逸らした。

「弁償なんかはノーセンキュー。弁護士を呼ぶ暇なんてやらないし、保安官も勿論なしだよ」

 入り口を塞ぐように仁王立ちした斧使いは、その場から一歩も動かずに話を続けた。
すでに弁解の余地はないようだったが、ほむらの灰色の脳味噌は和平の望みを探すべく、なけなしの知恵を絞り出す。

「合衆国の修正第六条は――」

 昔見た、法廷サスペンス映画の物真似である。

「お生憎様。この倉庫の中じゃ、あたしが法律。あんたら盗人には豚箱代わりの白いベッドと、マズい点滴のメシがお似合いってわけよ」

 指先で三つ編みの先を弄びながら、低い声で笑う女に、むう。とほむらは唸りを上げた。

 これは参った。
ハリウッド映画の真似をして憲法なんか持ち出してみたが、帰ってくる言葉まで同じなのでは意味がない。
女が何者なのかは依然として不明だが、すでに犯罪者として見られてしまっている上に、杏子のせいで言い逃れをすることも出来やしない。
なによりこの女自体、穏便に事を済ませるつもりがないようだ。

 ……全く。どういう育ち方をしたかは知らないが、年頃の女子がこんな野蛮でいいものだろうか? いいや、よくない。全くだ。
恐らくこの女は相当にろくでもない家庭で育ち、パパとママの愛情が不足してしまっているのだろう。
ほむらは愛の途絶えた荒野で育ち、ついでにアリゾナの砂漠の如く平坦な彼女の胸に同情しつつも、
どうにかして彼女を退かせるべくないか知恵を巡らせ、道中の都市・プレスコットで取った一晩五ドルの安ホテルの中で見た、安っぽいクライムアクション映画を真似することにした。


「なら、犯罪者らしく振る舞わせてもらおうかしら。――死にたくなければそこを退きなさい。私は銃を持ってるわ」

 ほむらがその脅しを口にした瞬間、倉庫内の空気ががらりと変わった。
余裕ぶった女の口元から笑みが消え、手足が強張るのをほむらは確かに視認し、なるほど、効果覿面だという密かに関心。

 実際の彼女は歴とした不法侵入を遂げた上、防犯者に対して銃を突きつけるという、人間として相当おかしいことをしていたのだが――
ほむらはそんなことはおかまいなしとばかりに、べらべらと銃の性能を解説し始めた。

「この拳銃はベルギー製のFN57マシンピストル。百メートルの距離から一般的な防弾着を貫通出来る高速弾を合計二十発装弾できる軍用品。
 しかも、私は百発以上の予備弾薬を保有している。あなたが何人援軍を呼んでこようと物の数では――」

「――なるほどぉー。……女だと思って甘く見てたけど、まさかここまで腐り果てた下衆だったとはね……!!」

更なる脅しに威嚇射撃の一発でもしてみせようかとほむらが思ったその時、倉庫内に恐ろしい怒気が充満した。

『――ッッ!?』

 超感覚の塊である杏子とほむらは、その渦巻く感情の奔流を、魂の奥底で感じ取った。

 それは肌の焦げ付くような怒りの爆発。コロナのように燃える闘志。
 そして内臓を貫き引き裂くような――極大にして確たる殺意。

 超越者である二人をここまで威圧出来る常人など、この世には存在するはずがなく――よって、敵は常人ではない!

「あんたらみたいなフ○○キン・○ットの頭皮はいらない! ……首を叩き落として、ビースト達の餌にしてやる!」

 女は汚らしい言葉で二人を罵ったあと、腰のスカートから何かを取り出して口に咥えた。

ぎりぎりの緊迫感の中、ほむらより開けた場所にいた杏子が目にしたそれは、直線的なフォルムを持つ簡素なパイプ。
それを支える右手の指先に光るのは――魔力を秘めた銀の円環。


「あたしはジョディ! 『大渓谷の魔法少女!』  あんたら汚い盗人を、荒鷹の谷に投げ打つ女だ!」


『レッド・ガール』がパイプを吹くと、白い煙が二人を取り巻き――獣に変わって襲いかかった。

今日のところは以上です。
>>18にてトリップ・sagaの付け忘れがございました。
お見苦しいところを見せて申し訳ありません。

投稿時のおおまかな書式については他の執筆者様の書式を模倣させていただいておりますが、不備・誤り・修正案などがあったらお手数ですがご指摘ください。

なんか物凄く居まさになってしまったのですが、書いた方がよいかと思ったので遅まきながら諸注意を掲載させていただきます。

◆このSSでは

・ほむあんがちゅーしたりします!

・原作には登場しない、いわゆる『オリキャラ』が登場します

・オリキャラと原作キャラが恋仲に落ちるような展開はありません

・魔女はいませんが魔獣はいます。ただし演出の都合により、メンズビームを放つハゲ親父ではありません

・地理や文化的な描写については、まどか様が一晩でやってくれました
 「この宇宙はそういう風にされているんだッ! 俺の言っていることがわかるかジョニィッ!?」という感じです

注意書きは以上です。
その他、読者様から質問・ご意見などありましたら出来る限りの形でお答えさせて頂きます。
未熟者の雑文ですが、どうぞ楽しんで頂けたらさいわいであります。

>>17
ありがとうございます……! が、ぶっちゃけ導入を意識しすぎててしゃちほこばってしまってるかもので、今後崩れてしまうかもです。頑張ります。

魔法少女ならなともないぜ!

これ、絶対ジョースターの血が混じってるよね

>>1は文才ありすぐる
最初なんかのコピペか、トレースかと思った

魔法少女とE・クラプトンの組み合わせをかつて誰が考えたろう!

書き溜め楽しみに待ってます。

[Paint it Black]

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま!」

「ひゃっひゃっひゃ! いい食べっぷりだったよ、あんた達!」

 かちゃりと音を立ててナイフとフォークを置いた後、二人が日本語でお礼を言うと、
アンは皺だらけの顔をにっこりと歪め、愛らしい笑みを浮かべた。

「……アメリカに来てから、初めてメシらしいメシが食えたよ……!」

 しみじみと、噛みしめるように杏子は言った。
実際、彼女たちがアメリカ滞在中に食べた食事のほとんどは、チャウダーとタコスとハンバーガーだけだったのだ。

 それにうんざりして手を出したABCマートのおにぎりも、これまたひどい物だった。
水分がまるでないバサバサの米もどきであるそれは、無理して呑み込んだ杏子が喉を詰まらせ、
食にあまり頓着しないほむらですら、ひどい金の無駄だったと言い出すレベルのゲテモノだった。

有り体に言えば、二人がアメリカの食事に抱いていた感想は、お世辞にも良いとは言えない物だったのだが、
……その考えはこの三十分余りで一変していた。

「本当に美味しかったです。ありがとうございます」

「そりゃあなにより。……ま、アメリカ人のわたしが言うのもなんだけど、西部のメシと言ったら雑だからねえ!」

 ごくごくと喉を鳴らしてコーラを飲み下す杏子の口元を紙ナプキンで拭いながらほむらが礼を重ねると、
きらびやかな銀のゴブレットを磨いていたアンはどんぐり眼を細くして、あっはっはと陽気に笑った。

「いやあ、ホントにアリゾナどころかアメリカ一番のメシ屋だったよ、ここはね!」

 喜色満面といった表情を浮かべながら、杏子は卓上の空食器を見渡し、素晴らしい食事達を回想していた。

 乾燥ホタテで丹念に出汁を取った、玉ねぎとキャベツたっぷりのクラムチャウダー。
濃厚なデミグラソースで味付けされた、粗挽きウインナーと半熟玉子のサニーサイド。
アンとっておきのピクルスは、レタスとラディッシュの二種類あり、きゅっと締まった歯ごたえが抜群だった。
自家製サワークリームの掛かったトポポサラダに、同じく手ごねのナバホタコス。
タコスのホットソースがまた絶品で、杏子はそれを五つも平らげた。
さらに『こいつはオマケだ』と言って出された水牛の角煮は、とろっとろに煮立てられていて、
中華街の中国人から盗んだという生姜風味の甘辛あんが、これまた珠玉の出来映えだった。

「それにしてもさっきはたまげた。うちの孫は昔は随分と大人しい子で、あたしゃ将来やってけるのか心配だったんだけども……
 まさかお嬢さん達と取っ組み合いの大喧嘩とは……あんたら二人も大したもんだねえ!」

「も、申し訳ありません……。扉はきちんと弁償させていただきますので――」

「あっはっは! いいってことさホムラ! 年を取って腰が曲がれば、したい無茶だって出来なくなるさ。
 若い内に出来る無茶はなんでもしなさい。……ジョディ。あんたが喧嘩するようになったなんて大したもんだよ!」

 肩を揺らして豪快に笑うアンは、カウンターの脇でタンブラー類を磨く孫娘、
――先ほど二人に襲いかかってきた赤い肌の少女、ジョディ・スパイククローに、ばちんとウインクをした。

「うっ……ごめんよ。事情はどうあれ、話も聞かないで殴りかかったのは事実だし……」

「……いいえ。こちらこそ、連れが狼藉を働いたことを改めてお詫びさせていただくわ」

 ばつが悪そうにしながらも、しっかりと二人を見て頭を下げるジョディに、二人も素直に返礼した。

「いや、ホムラも大概だったけどね」

「そうだそうだ。てめぇだってあんだけ暴れたくせになに言ってんだ」

「あんたは一番ひどかったよ。ちょっとは自重しな」

「あー、悪かった悪かったぁー。アイムソーリー、ドモ・ゴメンナサーイ」

「どうも似たもの同士の二人みたいね……ふふっ」

 子供染みた言い合いをする三人の口元には小さな笑みがあった。


 先ほどの乱闘劇の後のこと。
事態の説明を求めたアンに対して、ジョディは合わない鍵をいじくり回している二人を泥棒だと思って飛びかかり、
勢い余ってドアを破壊、そのまま殴り合いに発展したと説明した。

 自分の非を真っ向から認め、敢えて自分に不利な証言をするというその心構えにほむらと杏子は感服し、
アンのいないところでこっそりと頭を下げ合った帰結として、こうして互いに認め合う関係が構築されたのである。

「……しっかし、アメリカってのは器がデカいねぇ。七ドルでこんだけたらふく食えるんだもん」

 ジョディから手渡された糸楊枝で歯をせせりながら杏子が言った。

 杏子もほむらも職業柄として日々のエネルギー消費量は膨大であり、その食事もいたく太いが、
先ほどのランチは大の男ですら根を上げるような量だった。
しかし、その超徳用ランチセットを欠片も残さず食べ尽くし、パンのおかわりまで頼む杏子にアン婦人は大喜びだ。
ビリヤード台の上に積まれた籠いっぱいのバゲットは、彼女のほんの心付けである。

「まあ、そいつぁ宣伝料みたいなもんさね」

「宣伝料?」

 杏子は不思議そうに訊ねた。

「ああ。昔はここらにだけ棲んでる珍しい生き物を調査するとかで、白衣の先生達とかがいたんだけどねえ。
 そいつらがどうも消えちまったらしくて……まあ、うちももうお終いってことさね! うっひゃっひゃっひゃっ!」

 洒落にならないことを馬鹿笑いしながら語るアンは、その『そいつら』のうちどちらが消えたのかと杏子が質問する前に、
空いた食器を持って厨房へと消えてしまった。
残された三人だけでは広すぎる店内には、天井に吊されたシーリングファンと、柱時計の振り子音、
厨房から流れる洗い物の音が響き渡っており、時たま吹き付ける強い横風が、家屋をがたがたと揺さぶっていた。



「……まさか、魔法少女だったとはね」

 背後のコーヒーメーカーに置かれたケトルを取り、三杯分のコーヒーを用意しながらジョディが言った。
どうやらこの店はスパイククロー家の二人で切り盛りされているらしく、彼女の手付きは手慣れていたが、その胸は平坦だった。

「……そうね。私も驚いたわ。襲われる非がこちらにあったとはいえ、
 非武装の民間人を礼装で攻撃するなんて魔法少女にあるまじきことよ。……あと、用が済んだら変身を解きなさい」

厨房と店内を仕切るカーテンを横目で見ながらほむらが言うと、ジョディは怪訝そうに眉をひそめた。

「レイソウ……? ……随分と聞き慣れない言葉を使うんだね。あと、この服は『e-bay』で買った自前のだよ」
「聞き慣れないって……魔法少女のジョーシキだろ、そんなの」
「そうなの? あたし、契約してから三ヶ月ぐらいしか経ってなくて、その辺はどうもさっぱりなんだ」
「担当のインキュベーターはなにをしているの? どうも姿が見えないようだけど」

 三つ編みを弄りながら語るジョディに訊ねながらほむらは店内を見渡したが、
魔法少女を教導するべき白い獣の姿は、どこにも見当たらないようだった。

「あの白くて小っちゃいカワイイやつ? あいつなら最初に顔を見たっきりだよ。今はどこでなにしてるやら」

「プレスコットやツーソンにでっかい支部があるだろ。契約したときに顔見せに行かなかったの?」

「支部……? そんなのあるなんてこと自体が初耳だけど。ひょっとしてなんかマズいわけ?」

 きょとんとするジョディの前で、ほむらと杏子は顔を見合わせた。

「……これってつまり……」
「……そのようね……」

 担当インキュベーターの不在。地元コミュニティとの通信不備。恐らく、基礎教練すら受けていない。
『アウトサイダー』『はぐれ』『野良』『ヤブ』『オニオンリング』。
そういった魔法少女達を表す呼び名は多彩だが、確かに言えることはただ一つ――彼女、ジョディはずぶの素人なのだ。

先の戦いでジョディが敗北を喫したのは、ほむらと杏子の戦技もさることながら彼女の戦術が稚拙だったことも大きかったが、
――なるほど。この話を聞いてみれば納得出来た。

「……やれやれだわ。ここが支部の連絡先よ。必要なら代行のインキュベーターも呼び出しなさい」

 ほむらは小さく首を振りながらコースターに文字を書き、ジョディに手渡した。
魔法のペンで書かれているので、一般人がこの紙を見ても文字は読めない仕組みだ。

「どうも。余所者にしちゃあ親切な人だね。……余所者にしちゃあね」

 コースターを受け取ったジョディはそれをだぶついたスカートのポケットに放り込み、深い溜め息と共にコーヒーを口に運んだ。

「……倉庫の時から思ってたけど、あんた観光客に嫌な思い出でもあんの? その髪にガムでもくっつけられた?」

「んなことされたら舌を引っこ抜いてるよ。……ホントのとこを言えば、思い出じゃなくて迷惑行為そのものさ。
 あのクソッタレの土建屋連中が町に来てから、あたしは全部にケチがついて――」

「――おい、アン! 大変だ! ドクター・アンはどこにいる!?」

 忌々しげに舌打ちをするジョディが誰かに毒づき始めたその時、一人の男がベルを打ち鳴らしながら店に転が

「ラリー! またあいつが出たの!?」

「説明は後だ。『エドソンズ・バーバー』にドクター・アンを連れてきてくれ! ASAP!(速やかに)」

「わかった。すぐ行く!」

 二人が見ている目の前で禿頭のチビ親父は身を翻してとんぼ返りしたかと思うと、
ジョディも慌ただしく厨房へと消え、すぐに裏口のドアが開閉する音が聞こえた。

「……おいおい。どうなってんのさこれ!?」

「……私達も行きましょう」

 まさに焦眉の急といった緊迫感を感じ取った二人は、マグカップを置き去りにして店を飛び出し、ストリートに出る。
走り去った二人を探すまでもなく、ほむらは町の異変に気付く。
トリコロールカラーの回転灯の周囲に群がる人波が、二ブロック先の辻に出来上がっていたからだ。

「悪いね。ちょっと通してくださいよ……っと?」

「……随分と物々しいわね……」

 店に近づこうとした杏子が人混みを掻き分けるよりも早く、人垣はさっと周囲に散らばって行く。
ほむらが横目で観察すると、街角から遠巻きに床屋を注視していた野次馬達も、すぐに各々の家屋の中へと帰ってしまった。
そのただならぬ雰囲気に、二人は肌の粟立つような胸騒ぎを覚えながら店内に足を踏み入れ、

「――なんなんだ、これ……?」
「……これは――」

そこに広がっていた凄惨な光景に絶句した。

「ああぁぁぁ!! あぁぁぁあああぁぁああああ! あァァァあぁあぁぁぁあアアアアア――!!」

そこにあったのは、絶叫する黒い汚泥の塊だった。
いや、違う。それは『居た』のだ。
うねうねと床を転げ回る物体は明らかな人の形をしており、泥のこそげ落ちた場所からは、
『エドソン』と書かれたエプロンの切れ端を覗かせている。


「助けて! 助けて! 神さま、助けて!! たのむ! 誰かぁ!!!!」

 狂乱して泣き叫ぶその人型は、壮年男性の声で悲鳴を上げていた。
彼は全身に重油のような色と比重を持った液体を張り付かせながら、この世の物とは思えない声を上げて悶え苦しむ。
その凄絶極まりない光景。悪夢としか言いようがない有様を、二人は険しい目つきで観察していた。

「モルヒネ打つよ! 後で二本目を打ってもいい! レンジャーに連絡してヘリも呼ぶんだ! 女子供は下がらせな!」

「エド! しっかりしろ! 俺はここにいるぞ! 息をするんだ! 俺の目を見ろ!」

「腕を押さえろ! 足も! 泥には絶対触れるなよ!」

 二人が見ている前で、マスクやハンカチで口元を隠したバイカー達が、泥男の四肢を押さえつけた。
切迫した表情のアンが男の首筋に注射器を突き刺すと、男はにびくびくと痙攣しながら動きを止めて、
やがて呻くような声だけを残し、ぐったりと床に横たわった。

「……ロバート。裏にバンが回してあるそうだよ。ヘリが来るまでそこにエドを置いといてくれ」

「……わかった、ドク。……あとは任せたよ」

 ぞっとするような叫び声が鳴り止み、ぞっとするほどの静寂が床屋の中に立ちこめる中、
一人のバイカーとアンが言葉を交わすと、傍らで黙り込んでいた二人のバイカーは泥の塊を担架に乗せ、
べちゃべちゃと泥を踏みしめながら、重い足取りで裏口へと向かっていった。

「……神なんぞはクソッタレだ! こんちくしょう――!!」

 ロバートと呼ばれた大男は、手にしていたゴム手袋を地面に投げつけると、びちゃりと泥が飛び散った。
その野太い肘までを覆う医療用のゴム手袋は二重であり、沈痛な面持ちで伏せるアンの傍らに置かれた救急箱には、
似たようなゴム手袋とマスクが何十枚もセットになって入っていた。

「……エド……来週には誕生日だったのに……」

 ジョディは唇を噛みしめ、未だ頭髪が散らばったままの席を掻きむしるように掴んで俯く。

誰もが自らの無力さに打ち拉がれ、痛々しいまでに沈黙する店内とは裏腹に、
店の外に広がる怯えを含んだどよめきを、ほむらの鋭敏な聴覚が捉えた。


『またオイルバクテリアが出たんですって?』
『神さま……あたし達がなにをしたんですか……?』
『あの土建屋連中が来てからだ……!』
『百五十年前と同じだな』
『余所者め。厄介事を持ち込みやがって』
『ママ……なにがあったの? 恐いよ……』

 そしてもう一つ、ほむらの――魔法少女の知覚が捉えたもの。
それは怒りと恐れ、不安と嘆き。それら全てが複雑に結びつきあった負の想念。
紫の浄眼が見つめるその前で、悲嘆は黒雲となって周囲に広がり、伝播し、悪性の腫瘍のように肥大化していく。

(……そう。……そういうことなのね……)

 魔法少女暁美ほむらは、泥の正体を瞬時に見抜いた。
物質世界の裏側に渦巻く人々の怨念、それこそがあの黒い液体の本質なのだ。
それはまさに呪詛の塊。自然の摂理に背いた不浄。明確な悪意を持って他者を浸食し、生命を奪う魔性の存在。

人類の天敵、魔法少女の宿敵――魔獣。闇に彷徨う、邪悪の化身。
魔翌力を持たない人間にとって、奴等の存在は神かあるいは悪魔に等しく、抗う術はどこにもない。

「……ここにも見つけた――私の敵を」

ほむらはぺろりと上唇を舐め上げると、古傷を擦るかのように右腕の甲を撫でた。

――外敵。宿敵。仇敵。獲物。

 魔獣という存在とあらゆる価値観において敵対する彼女こそ、人類に残された唯一の希望。
手折られし花の刃を剣として、誇りを盾に、祈りを一つの柱と替えて、人々の願いを守る星。
女神に祝福されし聖なる存在・魔法少女は、忌を狩り立てる決意を固めた。

「……やれやれ。とんだ寄り道になりそうじゃないか?」

 茨の切っ先にも似た眦で汚泥を見つめるほむらの隣に、燃えさかる瞳の女が立った。

 彼女の名前は佐倉杏子。
右手に槍を、左手に拳を、心に気高き愛を持つ、神に仕える聖なる戦士。
灼熱の大地の上にありながら、胸には億度の闘志を燃やす、暁美ほむらが認めた戦友。
彼女はぎらついた眼で虚空を睨み、鋭い犬歯を見せて嗤った。
かの大敵を屠る様を、心に描いて歓喜しているのだ。

「そのようね」

 ほむらは髪を留める深紅のリボンを撫で上げると、屹然たる足取りで惨劇の場所を後にした。

 強い日差しに眼を細めながらリボンを撫でつけ、午後二時の地平を見ると、背中に誰かの視線を感じた。
突き刺すような鋭い気配。それは即かず離れずの位置からそこに在り、焔を絶えず凝視している。
それは敵か、あるいは味方か、それとも何か別のものか。
果たしてほむらはそれを気に掛ける様子もなしに、ただ颯爽と町を行く。

 見上げれば、そこにはどこまでも青く晴れ渡る空。
その遙か彼方に渦巻く、雷鳴を纏った砂嵐。
激しい戦いの兆しを顕すように、黒禍はごうごうと轟いていた。

今回はここまで。
酉入れ忘れとsagaとか忘れてる部分があったのでゴメンナサーイ!
ちなみにABCマートのおにぎりは実話ですので、アメリカのコンビニでおにぎり買っちゃ駄目。

>>47-48
ありがとうごじあます!感想貰えるとテンションが増えるワカメです!乾燥なだけに!

>>49
クポォwwwwwwww勿体ないお言葉でござるwwwwwwww
残念ながら普段はpixivで書いてるので、ここで紹介できるようなスレはないです。

>>51
ほむあんはブルースでロック。異論はご覧の宛先まで。

年内の更新はー?

「なるほどねえ……」

テンガロンハットを深く被った杏子はコネクションのメインストリートに外れに立ち、そこに広がる西部劇さながらの風景を見渡した。

時刻は午後三時三五分。オレンジ色の太陽光を浴びた建物達を形作っているのは、どれも砂色の煉瓦や木材。
それらは非常に年季の入った、歴史を感じさせる町並みであり……一言で表すならば、とてもボロい。
店の看板は一つ残らず傾いてるし、さっきまでいたモーテル二階の手すりなんかは、今にも腐って崩れそうだ。

杏子は歩きながら、ふと目の前にあった玩具店のショーウインドウに目を向けた。
この地域の原生物を模した玩具だという謳い文句の書かれた張り紙があったが、
砂塵で薄汚れたガラスケースにはひびまで入り、どれだけ目を凝らしてみても、その全容は窺えそうにない。

その隣にあるやたらと小綺麗な建物は、これまた妙に目を引いた。
視線を上げて看板を見てみると、どこにでもあるABCマートだった。
どんな理由によるものなのか、外装だけが整えられた店にはシャッターが掛けられており、

――とにかくはっきりと見えた事実が約一つ。
このひなびた町で十分な情報を集めることは、それなりに苦労しそうだということだった。

「こりゃ『シティ』ってより『ヴィレッジ』でしょ……」

テューバシティで買ったイカしたウェスタンブーツの滑車を鳴らしながら杏子はぼやき、広場へと続く道を進んでいく。
ジョディはモーテルの裏口から出て行った。魔獣の拡散率などを計測するため、役所で町の人口などを調べてもらうのだ。
剥がれかけたジョン・ウェインのポスターが投げ掛けてくるキザな笑みを躱しながら、杏子は広場へと辿り着く。

開けっ放しになった野菜や干し肉の屋台。立ち並ぶ家屋の軒先の下には、いくつかのテーブルセットとバーボンボトル。
やりっ放しで置き去りにされたチェスボードの上には、恐らく賭け金だったであろう、
五十セント硬貨が何枚か並べられており、のどかなコネクションの片鱗を覗かせていたが、
煙る砂埃に杏子が咳を払っても、風がぴゅうと吹くばかり。
絡み合った枯れ草の玉が横風に吹かれて飛んでいく様は、なんとも言えないもの悲しさだ。

「……ん……?」

額から流れ落ちる汗を拭い取り、その閑散さに半ば呆れながら人影を探して歩く杏子は、不意に視線を感じて振り向いた。
だが、脇にあった幅一メートルもない黄土色の路地には何匹かの蠍が蠢いているだけで、どこにも人の姿はなく、
代わりに白黒ぶちの子猫が一匹、ゴミ箱の影からこちらを見ている。

はて気のせいだったかと息を吐こうとする杏子は、額に流れる汗を拭おうとし、
そこで、広場の中央に置かれたポンプ式の井戸の存在に気が付いた。
あまりにも堂々とそこにあったため、それが井戸だと認識出来なかったのだ。

この熱さだ。喉はいくらでも潤しておくに限る。
杏子は足早にポンプに近づいていくと、レバーに手を掛けて抽送を始めたが――手応えがまるでない。
ポンプはすかすかと上下に動くばかりで、水を汲み上げている気配を見せなかった。

「フ××クだ……」

杏子が失意に首をうなだれながらぐったりとポンプにもたれかかると、頭上から男性の低い声がした。

「すまないね、お嬢さん。その井戸は事情があって封鎖されているんだ」

「へっ?」

「水が欲しいなら、どこかの家で水道を借りるといい。
 この町は旅行者には寛大だからね。……もっとも、最近はそうでもなくなって困った限りだが」

杏子は眩しい日差しに眼を細めながら帽子の端を摘んで下ろし、ようやく男性の姿を正しく捉えた。

「あー……どーもありがと、ミスター」

「いやいや。困ってる女性に手を差し伸べるのは、紳士として当然の行為だよ。美しいお嬢さん」

慇懃な言葉遣いで喋るその男性は、ふさふさの白髪にやや角張った赤み顔。
瞳の色はライトブルー。顎には立派な白い髭を生やし、手にはシンプルなT字のステッキ。
青いジーンズにチェックのポロシャツと、顔には分厚い黒縁眼鏡。
背は見上げるほどに高く、手足はボンレスハムのように太いその老紳士は、まるで私服のカーネルサンダースという出で立ちだった。

「失礼。自己紹介が遅れたね。私はブリック・キーガン。イングランドからここに渡って、地質学と生物学を研究している。
 どうぞ気安くブリックと呼んでくれたまえ。ふむ……お嬢さんは見たところ観光客か何かかな?」

ブリックと名乗った初老の紳士は気取った仕草で握手を求めながら、ぺこりと会釈をする。

「あ、うん。あたしは佐倉杏子。アメリカにはバイク旅行に来てて、ここにはプレスコットに帰る途中で寄ったんだ」

「なるほど。日本の方か。私も若い頃、オキナワの離島に行ったことがあるが、人生最高の経験をしたよ。
 亜熱帯性の気候に適した海洋生物の中でも、オキナワにいる物は極めて多くのバリエーションに富んでいて、
 ――失礼。私の悪い癖だ。どうも職業柄か話が長くなってしまってね……」

口を開くなり鉄砲水の如く喋りを続けるその様を見て、杏子は彼の性格をすぐさま理解した。

話と説明と不思議が好き。好奇心が強くて子供っぽい。典型的な学者タイプだ。
彼からなら、それなりに多くの話を聞けそうだと判断した杏子は、彼から話を聞いてみることにした。

バンダナの後ろに流れる髪をポケットから出した輪ゴムで結わき、うなじをぱつんと露出させる。
汗を拭き取るふりをして、胸元をちらりと見せることも忘れない。
相手は男。杏子は女。普段の荒々しい外面からは想像もつかない狡猾さと、
それすらもぼやける人好きのする笑みを浮かべて、杏子はブリックにすり寄った。

「ねえねえ。問題ってどんなの? 人もほとんど歩いてないし、井戸が止まってるのも事情があるって言ってたけど」
「ふむ…………」
「どうかしたの?」

不自然でない程度にしなを作り、上目遣いでブリックを見つめる杏子に対し、
彼は幅広の眉間に皺を寄せ、黙考するような素振りを見せた。
如何にも話し好きといったブリックが急に黙りこくったのを見て、杏子は応対の仕方を間違えたかと疑ったが――

「……これが話すと長くなるんだが……よろしいかね?本当に」
「喜んで聞くよ」

杏子がにっこりと微笑んで頷くと、ブリックは『そうか!』と言って両手を叩き、
杏子の手をぎゅっと握って上下にぶんぶん振り回し、マシンガンのように喋り始めた。

なんでもブリックは大層な話好きで、その話もまた長いことで有名だそうなのだが、
この町ではそのことが広く知れ渡っていることに加え、最近起こった事件や何やらで、話し相手に事欠いていた。

しかし、自分の話が長いことを自覚しているブリックは自分から人のところを訪れて話をするというのも気が引けてしまい、
どうしようかと町を徨い歩いているところに――たまたま杏子が現れた、ということである。

「年寄りの長話ではあるが、君に損はさせないし、聞かれたことにはなんでも答えると約束しよう。女王陛下に誓ってね」

「んじゃ取りあえず、人通りがない理由を教えてよ」

「そんなことでよければ喜んでお答えするよ。……うむ。だが、立ち話もなんだな。
 私のとっておきの店を知っているから、よければそこでお話ししないかい?」

「ありがと、おじさま。……あ、奢りじゃなくてもいいからね」

「ほっほっほ! ナデシコらしい慎ましやかな子だね! それなら割り勘で飲み合おう……と、もう一つ話があった」

「もう一つ?」

にこにこと微笑みながら髭を撫でつけるブリックは、ひょいと気安く杏子の肩に手を回して囁き、

「――君は、ロマンスグレーの中年に興味はあるかね?」
「……このエロジジイ」

こっそりと杏子の尻を掴もうとしてきた彼の右手を、杏子は真顔ではたき落とした。



「……『コネクション』。創設は千七百二十五前半。暫定人口は三百三十一人。インディアン居留地に隣接する一般集落。
 町長は代々白人という慣習を持ち、任命は同町に住むインディアン達によって行われる……か」

窓から差し込む陽光と、古めかしいラップトップPCのモニタだけが光源となった薄暗い部屋の中、
ベッドの上にあぐらを掻き、街の歴史について調べていたほむらは呟いた。

ほむらはあれから街の公式ホームページを見てみたが(そもそも、あること自体が不思議だ)その内容は平凡なものだった。

伝統的なインディアンの工芸品や特産品。街のシンボルであるコヨーテの絵。
街の付近に存在する希少な生物や、自然環境についての紹介。
この場での情報収集に限界を感じたほむらは赤いハーフフレームの眼鏡を外すと、
首を左右に振って凝りをほぐし、両手背筋を伸ばしていく。

「もう少し詳細な情報が欲しいわね。……そっちの進捗を聞かせて頂戴」

ふぅっと欠伸をしながら、ほむらは何者かに語りかけるかのように言葉を紡ぐ。
部屋の中にほむらを除いた人影は見えず、部屋の外にも気配はないが、
今にも崩れ落ちそうなボロモーテルはきしみあがり、接近者の存在を嫌が応にも伝えるはずだ。

「なかなか苦労して――よ。『彼ら』は随――秘密主義――らね」

さほど効き目の良くないエアコンの駆動音が響く室内に、その静かな声は何の前触れもなく降り立った。
声はまるで電波の悪い携帯電話で通話をしているかのように、ところどころがぶつ切れだ。

「それは派閥争いというやつかしら?」

「そん――ころかな。どうもこの惑星ではエラー――こす端末が多くてね。

 この地で活動する『僕達』は、この国家に――帰属意識を――。まあ、原始的なナショナリズム――だよ」

「政治紛争に興味はないわ。今わかっている事実を教えて」

眼鏡を掛けなおしたほむらが声に向かって振り向くと、そこには小さな動物がいた。
白い体毛、耳に似た部位に掛かった金の円環、ゼリーのように無機質な、真っ赤に輝く二つの双眸。
滅び行く宇宙を調律するという使命を帯びたその生物は、
暗闇の中でテレビの砂嵐のように輪郭を滲ませながら、ノイズ混じりの声を上げる。

「ちょっと待――エリー。SGリンクの指向性を下方しゅうせ――よし。トラッキングは済んだかな?」

キュゥべえが不意に誰かに振り向くように後ろを向いて指示を出すと、キュゥべえの声がクリアになったが、ノイズがかった姿形は元のままだ。

「今シノブとエリーにはエシュロンにハッキングを掛けてもらってる。恐らく失敗はしないはずだよ。
 あと五分もすれば、国防総省データベースに存在するあらゆる情報が閲覧可能になる」

「上等よ、インキュベーター。……何か食事でも?」

「いや。遠慮しておくよ」

「珍しいわね。ダイエット中? コーヒーもカフェインレスがいいかしら」

「僕は西部の食事が好きじゃないんだ」

ほむらの何気ないジョークに、妙に生真面目な声で返したキュゥべえはベッドに飛び乗ると、
恐らく実体化を施してないのだろう、シーツはぴくりとも動かなかった。

「ハッキングの進捗は?」

「すでにいくらかの情報が入ってきてる。君の端末とジェムに中継するよ」

キュゥべえがほむらの携帯端末と接続されたラップトップに前肢で触れると、
カリカリと音を立てて、旧式のハードディスクが処理を始めた。
表示されたコマンドライン上には暗号化された文字列が猛烈な勢いで飛び交っており、
十年以上前のOSバージョンを示すデスクトップ画面のすぐ脇には、プログレスバーが表示されている。

「報告は読んだよ。サンプルはまだ未確認の状態だけど、町の様子もいくらか見てきた。
 暫定的な出現範囲や残留したグリーフ粒子をざっと計測した結果、魔獣は明らかにクラスB以上の大物だ」

キュゥべえは両目から薄緑色の光線を照射すると、三次元マップが部屋の中空に描き出された。
コネクションシティの一部を切り取ったその図には黒い光点がいくつも書かれており、
それらはビデオの早送りのように増殖し、あっという間に町を覆い尽くしていく。

「今のところ発生源は不明だけど、この感染力の強さは見事なものだよ。
 この魔獣がコネクションの全住民を食い尽くすには、半月もあれば十分なはずさ。楽観的な見通しでね」

「……楽観的で二週間? いくらなんでも早すぎるわ」

ほむらは唇を噛みしめながら地図を睨んだ。
ジョディの言葉が事実なら最初期発生は九十日前。今は三日に一度の頻度。
ねずみ算式にでも増えなければ、キュゥべえの言葉通りにはならないはずだ。

「これは潜伏型の魔獣らしくて、住人のほとんどはすでに魔獣の《キャリアー》と化しているのさ。
 その上、彼らはみな負の感情に取り付かれてしまっているからね。
 一度大規模な発症が起きてしまえば、あとは連鎖反応が起こってお終いだ。
 二週間というのは、その臨界点までのタイムリミットさ」

「……本当に時間との勝負というわけね……。……近隣区域からの増援は?」

「この町は見ての通り陸の孤島だし、航空機を使わない限りは人集めにも難儀するはずだよ」

「ならそれを使ってちょうだい。州軍所属のPM部隊は?」

「大規模なグリーフ粒子がこの町一帯を取り囲んでて、外部とのSGリンクが遮断されてる。
 恐らくは先程の砂嵐が原因だろうけど、そもそも『君たちはお尋ね者』だ。
 外部の関係者をいくらここにを呼びこんだところで、ビュロゥ(FBI)の追跡が厳しくなるだけだよ。
 君たちがアラスカの特別収監所を体験してみたいって言うならば、僕は別に止めないけどさ」

「連絡が途絶されてるなら、あなたはどうやってここに?」

「君たちとは直通回線を結んでる。でなければ受信反応すら傍受できなかったよ。
 僕の物理端末が転送出来ていないのがその証拠というわけさ」

「――つまり」

眼鏡の奥底で深紫の瞳が光ると、キュゥべえは平然と頷いた。

「君たちは孤立無援だ」
「最高ね」

はっ、と自嘲的に笑いながら、ほむらは肩をすくめて見せた。
敵は正体・見当不明の大型魔獣。こちらは素人とベテラン二人の極小チーム。
自主的な避難が始まっているとは言え、町民は全員人質。タイムリミットはたったの二週。
かつての詰め将棋じみた経験からすれば比べものにならない出来事ととはいえ、
ブルース・ウィリスのアクション映画さながらといった四面楚歌には、さしものほむらも笑うしかないという有様だった。

「目下、考えられる最善の対処方法は?」

「魔獣はすでに《患者》の手を離れてるだろう。《カウンセリング》はもう無理だ。
 想念が固まっている《特異点》を見つけ出して浄化しよう。
 これほど強力で見境のない呪いは普通の人間には作り出せないし――いくつか気になる点もある」

キュゥべえは再び端末を操作すると、真っ黒に塗りつぶされた町の地図が、モニュメントバレー周辺の広範地図へと切り替わる。

――そこに映し出されていた少しの異常を、ほむらは眼を細めて凝視した。

「これがその『気になる点』?」
「そう。それに纏わる、いくつかの伝説がこの町にはあるようだ」

>>112
アルヨー ってことでタイミング良く更新。
しばらくは地味なシーンが続きますが、いつも感想レスありがとうございます。
SS談義スレは見てないのですが、めちゃくちゃ励みになってます。

大変長らくお待たせしました……ちょっと更新のペース上げようと思います


「水質汚染?」

ゆったりとしたブルースビートが刻まれる店内で、杏子はテンガロンハットを足下に置き、
ひんやりとしたコカ・コーラの刺激に舌鼓を打ちながら、ブリックの言葉を興味深げに復唱する。

「左様。このコネクションはコロラド川へと繋がる地下水脈を水源として生活用水を引いているのだが、
 その水質に問題があると考えている住民達が、水道を封鎖するよう町長に訴えかけたのだ」

兎脚亭の狭苦しいカウンターの中で大柄な体を狭そうに蠢かせ、
酒瓶の並んだ戸棚から名札の付いたスコッチ瓶と二つのガラスタンブラーを勝手に取り出したブリックは、アイストングを探しながら杏子に答えた。

「おお……アンめ、また食器の配置を変えたな……?
 どうして彼らインディアンはああも気まぐれなのだろうね?」

「そんなん余所者のあたしに聞かないでよ」

「まあ、そもそもインディアンとはその単語でひとくくりに出来るような集まりではなく、その集落ごとに大きな個性を――」

「人の話は聞けよオッサン」

コネクションは、やはり狭い町らしい。
酒を飲むか食事をするか――まあ、何をするにしたところで、それが出来る場所はそう多くないのだろう。
結局ブリックが杏子を誘って入ったのは、つい先程まで杏子が昼食を取っていたダイニングバー、兎脚亭というわけだった。

「おっちゃん、ここの常連なの? あたしにも一杯ちょうだいよ」

「ところで君はお酒は好きかい? 私はスコッチに目が無くてね。是非君もこの魅惑の味を堪能して欲しい。
 彼らスコットランド人は偏屈で最高にケチな連中だが、酒だけは抜群に美味い。彼らの数少ない美点だよ。
 生憎と我が母国にはそれに見合ったツマミがないのだが、このアリゾナではそうした心配もしないで済むんだ。
 食事の素晴らしさでは中国や到底叶わないとはいえ、インディアン達の部族ごとに円熟した文化体系は――」

「…………まあ、飲ませてくれるならなんでもいいけどさ…………」

この分ではほむらもここに来てしまいそうだなどといらぬ心配をする杏子は、
ぶつくさと講釈を垂れ始めるブリック氏の脇を小突き、話を本題に戻そうとした。

「ねえ。それで水の話はどうなったのさ?」

「おっと――うむ。正直言って芳しくない」

「やっぱり?」

「これは複雑な問題だよ。住民の主張は『開発によって流れてた悪性物質が水源に溶け込んでいる』という物だ。
 もしそれが事実であるとするならば、井戸を使っていた人間達は重点的に罹患するはずだが……そうした事実はない。
 しかし住民達は疫病や生活の不安を業者への憎しみへと変える形で主張を続け、無関係な人間の生活を圧迫し始めている」

「……そういやジョディもそんなこと言ってたな。……あとおっちゃんの台詞長すぎ」

「話は変わるが、君は非常に出産性に優れたお尻をしているね。ボーイフレンドは何人いるのかな?」

セクハラ紳士によって放り込まれた氷の上、とくとくと注がれていく琥珀色の液体を眺める杏子は住民達を思い出す。

住み慣れた町を作り替えられ、人によっては住処や仕事を失うその側面で、利益を得ようとする余所者達。
そこに突如として撒き散らされた疫病が根拠もなく彼らと結びつけられてしまうことは、そう難しくないように思えた。


そう。悪意はまるで病のように、不和と絶望を経路に感染するのだ。
それを断ち切らない限り、町には犠牲者が増え続けるだろう。

「私はつい先日、飽くまで原生生物の観察のために戻ってきたのだが、この状況ではそうもいかん。
 だが細菌のサンプルをリーズの研究施設に送って詳細な研究データを公開してもらえば、
 住民も少しは安心出来るのではのではないかと思ってね」

「おじさまは大変立派です。是非『黙って』お酒を飲み交わして、お互いの理解を深められたらなって……」

「おお! なんと素晴らしく光栄なことだろう、お嬢さん! ……ささっ、これは私の奢りだ。
 どうぞ今日だけと言わず日付が変わって朝になるまで、深く温かな交流を交わそうじゃないか」

酒の臭い釣られた杏子がころりと態度を変えるだけで、ブリックは上機嫌でタンブラーを杏子に差し出す。

ああ素晴らしき西部の風よ。柔らかにそよぐクーラーの横風に煽られて、濃密な麦の香りが鼻を突く。
ほむらと交代でバイクを転がし続けていたため、もう一週間以上もアルコールレスだった杏子は、
その香りに小鼻をひくひくとわななかせ、にんまりと頬を歪めてしまう。

「それじゃあ、かんぱ――」
「こら、スケベジジイ。あんたは真っ昼間からなにやってんだい!」

いざ魅惑と官能のビンテージ・フィッツジェラルドを味わわんとした杏子の手から、何者かがグラスをひったくった。
日焼けした赤い肌。ぴんと伸びた小さな背中。兎脚亭の所有者である、我らがレディ・ジョアンナである。
彼女は奥で洗い物でもしてたのだろう、片手には濡れた食器類を抱えていた。

「まったく。あんたってろくでなしは久しぶりに会ったと思えば、性懲りもなく若い子を酔い潰そうとして!
 誰がイースターの深夜にあんたの尻にぶち込まれた四十五口径を引っこ抜いてやったと思ってるんだい」

「ああっ……!?」

「……カーッ! 美味いねぇっ!」

呆気に取られる杏子が見ているその前で、アン婦人はほんの一息にスコッチグラスを空っぽにしてしまった。
これが西部流だと言わんばかりの、実に素晴らしい飲みっぷりである。

「レディ・アン。これはただの異文化交流だよ。
 知的好奇心に従って地方風俗を知りたがっている異国のお嬢さんに、どうして酒をご馳走しちゃいけないんだい?」

「あんたの交流はアッチのほうだろう。そんなにプッシーに飢えてるなら、ソギーんちのバッファローを貸してもらいな」

特性コルクコースターの上にグラスの底を叩き付けたアン婦人は、
左手の人差し指と親指で作った輪の間に右手の中指を何度も通すというジェスチャーをブリックに見せつけた後、
杏子の前にコカコーラの瓶と栓抜きを置いた。


「悪いねえ、キョーコ。この馬鹿な坊やは未だに自分がロッド・スチュワートだと思い込んでるのさ」

「アン。いい加減に坊やはよしてくれ。私は今年でもう五十五だよ」

「ひっひっひ! デビッド・ボウイのほうがお好みだったかい?」

「イギリス人が誰でもロックを聴いてると思わないでくれ。
 それに、私よりもあなたの話を必要としてる人もそこにいるのだしね」

ブリックはそう言うと、どんよりと覇気のない目で二人のやり取りを眺めつつ、
ちびちびとコーラをあおっていた杏子に視線を向けた。

「ミス・キョーコはこの町の歴史に興味がおありらしい。
 我らがグランドマザーなら、きっと彼女の好奇心を満たしてくれるのではないだろうかと思ってね」

得意げな顔をするブリックに、アンはゆっくりと頷いた。

「なんだい、キョーコ。水くさいねえ! そういうことなら早くお言いよ」

「アンはこのコネクションでインディアン達の酋長をしている方で……この町はもともとインディアンの町だった。
 彼女がこの町について知らないことがある言えば、納屋にある自動車の鍵の行方ぐらいなものだろうよ」

「へえー! ばあちゃん見かけによらず凄い人だったんじゃん! あと、おっちゃん台詞長すぎ」

「――ばあちゃーん! 実は話を聞かせてやって欲しい人がいるんだけど……ってキョーコ?」

杏子が意外な事実に失礼な感嘆の声を上げていると、からからとドアベルの音が鳴り、ジョディが店に飛び込んで来た。
両手には何かのファイルをどっさり抱えているところをみると、杏子の頼み通り、役所から書類を持って来てくれたらしい。

「よう、ジョディ。お疲れさま」

「なんだよー。来てるなら教えてくれれば良かったのにー……」

ジョディはいそいそと杏子の隣席に腰を下ろしかけ、何故か頬を赤らめて一つ隣に座り直そうとし、
――そこでもう一人の同席者に気が付いた。

「やあ、元気そうだねリトル・ミス。自由の女神とは仲良くしてたかい?」
「あ、どうもいらっしゃい……って、まさかブリックおじさん!?」

最初はブリックを客の一人だと思ったのか、会釈をしようとしていたジョディだったが、
親しげなブリックの挨拶を聞くや否や、どんぐり眼をさらに丸くする。
先程のアンと会話も鑑みるに、どうやらこの兎脚亭とブリックには浅からぬ縁があるらしい。

「覚えていてくれ光栄だよ。最後に会ったのは、君がプライマリー(小学校)の頃だからね」

「うわあ……久しぶり……! でもどうして今まで会わなかったのかな?」

「こちらに戻ってきたのはほんの十日前だしね。町の様子を調べてたせいで、
 挨拶に来るのが遅れてしまったよ。申し訳ない」

「ううん、いいよ! 会いに来てくれただけで本当に嬉しい!」

飛び上がるように席を立ち、ジョディはブリックとハグを交わした。

「ブリックは相変わらず大きいねぇ!」

「ああ、うむ。そうだな。……君はどうも相変わらずだが……ううむ……」

犬のように体をすり寄せてはしゃぐジョディだったが、ブリックは真顔だった。ジョディの胸が平坦だからだ。

「とまあ、愛するジョディと再会出来たのは喜ばしい限りだが、今日の主賓はこちらのサユリ・イシカワだ」

「あ、やっぱりそういうことだったんだ」

「こうして話すのも久々だからねえ……上手く話せたもんか不安だよ。ほっほっほ!」

三人の交流をぼんやりと眺めていた杏子に再び視線が集中すると、
不意にジュークボックスから流れるフッカーの声にノイズが混じり、ぼやけながらフェードしていく。
後にはファンの回る音と柱時計の針音だけが残された。

「それじゃあ、偉大なる客人キョーコにとくと語らせてもらおうかね。
 我らが祖霊、我らが大地、そして大霊達によって紡がれた、白いコヨーテの伝説をね」

六つの瞳に見つめられる中、タンブラーのスコッチを飲み干したアンは、蕩々と過去を語り始めた。

◆◆◆

「十五世紀末にヨーロッパの探検隊がこの大陸に本格的な入植を始めると、やがてそれは広大な開拓史へと発展していった。
 それと同時に君たち人類が歴史上幾度となく繰り返してきたことが、この町でも当然起こった。
 それがどういうものなのかは、学校で習っているはずだよね?」

薄暗いモーテルの中、キュゥべえは尻尾を丸めてベッドの上に横たわりながら、赤い瞳でほむらを見つめた。

「宣教師による宗教伝播。疫病の蔓延。原住民に対する虐殺と略奪。それに伴う戦争。……そんなとこかしら」

「いつも思うんだけど、君は良くない映画の見過ぎじゃないかな?
 または魔獣狩りに疲れているせいで精神に大きな疾患を抱えていて、そんな妄想に取り憑かれてるとか」

「…………そうかしら?」

「そうだね。当時のスペイン指導者はイザベラ一世。僕が知るどんな子よりも信仰深くて、優秀な魔法少女だったし、
 他国の魔法少女達と手を取り合って、平和を維持するために尽力してた。
 銃を乱射したり騎兵が人を踏み潰したり……そんなものが存在するのは狂人の頭の中ぐらいだよ。主に君みたいな」

「悪かったわねクソネズミ」

ほむらの認識とはまるで異なる平和な歴史を、キュゥべえは当然の事実として語った。

魔獣――人類共通の敵である存在に対抗するために、魔法少女達はコミュニティを生み出した。
深く長い歴史を持つその集まりは政治的な力を必然として帯び始め、やがて影から世界を平和的に支配するようになった。
イルミナティ。薔薇十字。テンプル騎士団。フリーメイソン。死ね死ね団。ヨハネ・クラウザー四世帝国。
後の世にそうした形で残った彼女たちの同盟は世界の平和的均衡を保つため、今なお昼夜を問わず暗躍している。

「昔話はともかくとして、このフリクション・シティもそうした町の一つだった」

「フリクション? コネクションではなくて?」

「かつて原住民だけが住んでいた頃のこの町は、余所者を受け入れないことで有名な町だった。
 そこで当時の入植者達が付けた名前が、『不和』を意味するフリクションだったというわけさ」

「……全ての入植が、必ずしも上手くいっていたわけではないということね」

「原住民達は様々な恩恵をもたらす入植者を歓迎する者と、伝統が破壊されることを忌憚する者達にしばしば別れた。
 やがて大きな不和の火種となるそれは、この土地でゆっくりと醸成されていったんだ」


◆◆◆

「それでも祖先と白人達はそれなりに上手くやっていたのさ。あの恐ろしい事件が起きるまではね」

アンはパイプをくゆらせながら、それをまるで自らの目で見てきたかのように語っていた。

「恐ろしい事件?」

「そう。ある暑い夏の日だ。大霊への感謝を捧げる祭りの日に、
 部族の若者達のうち何人かが、白人のリーダーが産まれた日を祝うために祭りを抜け出した。
 それを快く思わないメディスンマンは、その仲間達を弾劾しようと仲間達に働きかけたのさ」

「メディスンマン?」

「大霊と心を通わせ、魔法を操り、人の怪我を癒す呪術師さ。彼女はアリゾナ一のそれだった」

「……魔法……」

聞き慣れない言葉を聞き返し、聞き慣れた言葉に頷く杏子を見つめながら、アンはなおも言葉を紡いだ。

「彼女は酋長の可愛い一人娘で、誰より部族に誇りがあった。……だからだろうねえ。
 余所者である白人と裏切り者を追放するように呼びかけたその娘だけど、部族はその訴えを退けた。
 長きに渡って彼らを拒んできたあたしらだけれど、それはもう何百年も昔のことだ。
 すでに白人達は友人であり、母なる大地に迎えられたあたした部族の兄弟だった。追い出すことなどできやしないよ」

話を聞いていた杏子は頷く。
それは非情な合理さでもあり、同時にどうしようもなく感情的な話なのだ。

白人にもたらされた技術や道具は、インディアン達にとってかけがえのない知識となっていた。
彼らを追い出せばそれらは失われ、かつてのその日暮らしの生活へと戻らざるを得ない。
例えそれが『あるがまま』という教えの導きであれ、自分たちの部族を守るためには余所者の存在が必要だった。
そしてそれと同じ位置に白人達との友情があり、そのどちらもが切り離せない物だったに違いない。

「だけど、若いメディスンマンはその決定に納得することが出来なかった。
 白人への怒りに燃える彼女は、復讐のために『悪魔の口』へと向かった歩いていった」

「……悪魔の口?」

「ああ。悪魔の口。恐ろしい場所さ。魚座から降り注ぐ星に乗ってやって来た悪魔が棲んでいるというその場所は、
 空を舞う鷲の心臓を焼き尽くし、分厚い水牛たちの肌をも蝕む呪いに満たされた、死と荒廃に満ちた土地だ。
 メディスンマンはそこで悪魔と契約し、白人に呪いをもたらそうとして……その呪いは遂げられた」

にわかに迫力を帯びていくアンの言葉に、杏子はごくりと唾を飲み込む。
クーラーの効いている部屋だというのに、背筋にはつうっと汗が垂れ落ち、指先が悴むような感覚がした。

「それはいくら憎いといっても、ほんの悪戯心に違いなかったさ。
 白人達を困らせて、やつらが居なくなればいい。そんな些細な悪意から来た願い事を、悪魔は喜んで叶えたそうだ。
 呪いは黒い泥となって穴から溢れ、それに触れた者を病で犯し、彼らを土地から追い出した。……だけどね」

「だけど?」

「悪魔は、所詮悪魔なんだよ。メディスンマンがいくら強力な呪術師でも、悪魔を従えることは決して出来ない。
 荒れ狂うコロラドのように流れ出した呪いは全ての土地に満ちあふれ、やがては部族の者達をも呪い始めた。
 かつてメディスンマンに諭された者達がそれを白人のもたらした災いだと騒ぎ立て、町に荒廃が広がった。
 メディスンマンはその忌まわしき罪の意識から血の涙を毎夜と流し、それがグランドキャニオンを真っ赤に染めた」

◆◆◆

「呪い。契約。蔓延る悪意。……なかなか興味深い話だろう?」
「確かに、偶然というには出来すぎてるわね」

平坦な声で語るキュゥべえに、ほむらは小さく頷いた。
魔法を操る部族の少女。氾濫していく黒い呪い。それが生み出していく悪意の連鎖。
まるで人が魔獣を生みだし、それが伝播していく様だった。

「一般的な解釈としては、これはその当時に起こった原油流出による水質汚染と、
 それに伴った生態系への被害を示した口伝だとされている。僕もそれに賛同するよ。
 実際この土地の地下には、石油燃料を始めとした豊富な地下資源が存在しているようだしね」

「飽くまで作り話だとでも?」

「事実関係が把握できないのさ。先程エシュロンへのハッキングが完了したけど、データはどれも不完全だった。
 該当の呪術師だと思わしき少女の資料は存在しなかったし、恐らく存在したとしても、より確実な――物理的な媒体でだろう」

「なら、あなたの個人的な見解を聞かせて頂戴」

ほむらはラップトップに落とし込まれたデータをさらに携帯端末に移し替え、それを注意深くチェックしていく。
『該当地域』の地形情報。到達するまでの最短ルート。銃砲火器の調達地点。援護が受けられそうな各地の支部。
例え足を使って頼みに行っても増援については望み薄だろう。遠い異国の地において、ほむら達は部外者だからだ。

「この国の魔法少女と僕たちは、彼女の記録を消すか、隠した。それは疑いようもない事実だ。
 つまり彼女は隠さなければならないような重大な事実と関わっている。判断的には当然黒だよ」

ほむらはふと考えた。
夢と希望の象徴であるはずの魔法少女。それが関わった何かの禁忌。
合衆国政府と結託した巨大組織が一丸となってひた隠しにしする『不都合な事実』とやらは、果たしてどんな物なのだろう?

「その『事実』というのモノ。あなたはどのような物だと考えている?」

「不明だ。根拠は無く、憶測だけが存在する」

「それは――」

「そうだね……精神疾患を罹患した異常端末なら、多分こう仮定するんじゃないかな。
 『彼女は魔法少女でありながら、なんらかの方法で人を呪った。そして自らの罪を濯ぐため、自ら呪いと戦った』ってね」

ほむらの言葉を遮って意見を述べたキュゥべえが中空に投射された地図を見ると、ほむらの視線もそれを追う。

コネクションシティから百マイル余り。何もない荒野のど真ん中に空いた巨大な空間。
そこには数キロメートルでもあろうかというクレーターが、悪魔のような大口を開けていた。

◆◆◆

「それで、その後はどうなったの?」

「メディスンマンは泥を地の底へと還すべく、家族に今生の別れを告げた後、武器を手に悪魔の大口へと旅立った。
 しかし乱世の世に立つ英雄は一人ではなく、四人の仲間達が彼女の脇に付き従ったと伝承にはある」

アンはゆっくりと立ち上がり、土産物のコーナーから何かの小箱を持ち出すと、カウンターテーブルの上にそれを広げた。

「これはその伝説に因んだこの町の土産物だ。今ならおまけしとくから、一つ五ドルで買っていっとくれ」

アンが取りだしたその何か(三ドルと書かれたシールがあった)は、よくあるトランプカードだった。
一から十までの札には、この土地のインディアン由来の動物や自然などが伝統的な特徴的な絵柄で描かれ、
ジャックとキングの絵札には、勇猛な戦士の絵が記されている。

「これが……その英雄ってやつらなの?」

順番に札を手に取り眺めていた杏子だったが、そのうち最も特徴的な四枚が杏子の視線を釘付けにした。

「その通り。……そしてこれがメディスンマン。『炎に立ち向かう者』さ」

そう言ってアンは四枚のクイーンと、ジョーカーの札をテーブルの上に差し出した。

ハート。十字架と鞭を手にした宣教師。
ダイヤ。豪奢なドレスを身に纏い、手には溢れんばかりの金貨を手にした富豪。
スペード。一振りの鋭利なサーベルを持ち、甲冑に身を包んだ気高い騎士。
クラブ。手には無骨なライフルを持ち、バンジョーを背負った牛追い人。
最後にジョーカー。巨大な白いコヨーテに跨がり、手にトマホークを携えたインディアン。
そのどれもが見目麗しい女性であり、体のどこかを大きな宝石で飾り立てていた。

「五人は悪魔の口の中、太陽と月が七度空を巡るまで悪魔の軍勢と戦い続け、その果てに悪魔を地の底に封じ込めた。
 ……だけどメディスンマンは帰れなかった。体に深い傷を負い、後は死を待つだけとなってしまった。
 しかし慈悲深き大霊は彼女の魂を白いコヨーテに変え、母なる大地に迎え入れた……というお話さ」

「ちなみにフリクションという町名が改められ、コネクションとなったのも当時らしい。
 不和の歴史が繰り返されないよう、人種を越えた繋がりを持とうという願いが込められているのだそうだよ」

「……なるほどね……」

話に一区切りを付け、再び酒をあおり始めたアンにブリックが小さな注釈を付けた。

「久々に聞いたなー、その話。そこらに絵本も転がってたよね?」

「ありゃ土産もんだよジョディ。欲しけりゃレジに金を入れな。大負けに負けて百七ドルだ」

「高いうえに半端すぎるよ! なんで時給五ドルで働いてるパートタイマーからそんな大金を踏んだるのさ!?」

「『コール・オブ・デューティ9』の限定版が欲しいのさ。なんならこの老い先短いばあさんに買っておくれ」

「爺ちゃんの形見の『ドゥーム』でもやってればいいでしょ!」

「悪魔の口……か」

にわかに緊張感を失ったカウンターの様子とは裏腹に、杏子は無表情に卓上のトランプカードを見下ろしていた。

呪いと共に拡散していく悪魔と戦う五人の少女。その身に携えた大きな宝石。魔法と契約。呪いへと変貌した一つの祈り。
ジョディは気付いていないようだったが、杏子の中ではそれらは一つの事実として結びつき、疑いようのない確信となっていた。

「ばあちゃん。悪いんだけど、その『悪魔の口』ってのは――」

「ご機嫌いかがですか、アン」

杏子が質問のために口を開こうとしたその時だった。
ドアベルを打ち鳴らし、何人かの男達が店内へと無遠慮に足を踏み入れた。

「おやチャーリー。久しぶりだね。今日はなんかお入り用かい?」
「お久しぶりです、アンおばさん。だけど今日は食事をしに来たわけじゃないんだ」
「『今日も』の間違いだろうに、バカッタレ」
「そう言われると面目ないな……すみません。お隣の席を拝借したいんですが、よろしいですか?」
「お……?」

アンにチャーリーと呼ばれたその白人男性を、杏子は物珍しそうな目でまじまじと見た。

襟元までぴっちりとネクタイを締め、オイルで固めた黒髪は見事な七三。手には牛皮のビジネスバッグ。
顔のパーツはそれぞれが深い彫りを持っていて、体格も百九十センチ近くあるだろう。
馬鹿丁寧な言葉遣いも含めて見れば、やり手の営業マンか何かだと見るべき彼は……残念なほどにスーツ姿が似合っていない。
むしろツナギ姿で油にまみれ、ガレージで車いじりをしているほうが似合うような、そういう質実剛健を絵に表したような風体だった。

「どーぞミスター」
「ありがとう、お嬢さん」

この暑い中ご苦労さまだなどと思いながら杏子は会釈し、コーラを片手に席を立った。
身内同士の会話を邪魔するのも野暮だと思ったのもあるにはあるが、今は先程の話を一人で整理したかったのだ。

「ごきげんようチャールズ・アーサー。商売熱心なようで何よりだ」

「ブリック帰ってきてたのか。……ジョディお嬢さんもごきげんよう」

「……ふんっ!」

顔見知りらしいブリックが片手を上げて挨拶するが、ジョディは不機嫌そうに顔を背ける。
苦笑いを浮かべたチャールズは、決まり悪そうに肩をすくめてブリックに向き直った。

「こちらはあまり順調とは言えませんがね。自分の未熟さを恥じる限りだ。……アン。後ろの彼らにケンタッキーを」

「俺はいい。仕事中だからな」

チャールズが後ろを手で指し示すと、サングラスを掛けた保安官らしき男がだみ声で答えたが、
その横に並んでいるごろつき風の三人組は、下品な笑い声を上げながらビリヤード台で遊戯に耽り始めた。
うち一人に到っては、禁煙の店内で堂々と煙草をふかしている。

「あんたは今日も冷やかしかい?」

男達を横目で見ながら、ふん、と不機嫌そうにアンは言った。

「妻がモルモン教徒なのは知ってるでしょう? 出来ればノンアルコールと……ああ、妻には内緒でやっぱりチョリソーを」

「いい加減に別れちまいな。こっちは商売あがったりさ」

「うちはこう見えて夫婦円満なんですよ。娘にクソ親父呼ばわりされたくもないですし」

氷入りのグラスに入ったヴォルビックをアンに掲げると、チャールズは一息に水を飲み干す。
その馬鹿げた恰好もさることながら、外は相当に暑いのだろう。額は大粒の汗が浮いている。

「それで、アンおばさん。以前お持ちした改装工事の件ですが、まだ首を縦には振っていただけませんか?」

チャールズが水のおかわりを求めながら訊ねると、アンは肩をすくめた。

「冗談をお言いじゃないよ。こんながらくた同然の店にペンキを塗り直したところで、蠅が看板にくっつくだけさ」

「サービス業なら外観はとても重要ですよ。それに、この町の景気はすぐに良くなる。
 新しく生まれ変わったお店の姿を町の方々に見せつければ、金だってうなるほど入ってきます」

「金の問題じゃないんだよチャーリー。これはあたしの性分なんだ」

「レディ。これはチャンスなんですよ。私達の会社はあなた方に『特別な融資』を施す準備があります。
 コネクションをより良い形に発展させて行くために、私達は結束するべきではありませんか?」

身振り手振りを交えながら、チャールズは熱く語り始めた。

コネクションの経済が日に日に衰退していること。それが住民にどれだけの負担となっているかということ。
それを解決するための方法を、自分たちの会社が持っていること。
その計画を実行するためには町の全面的な再開発が不可欠であり、それには住民達の合意書が要ること。

それは端から聞いていた杏子からすれば、『ふうん、なるほど』と思ってしまう話だったが、
同時に『最後の一行が大事なんだろ?』とも思えてしまう、実にドライなビジネストークにも聞こえた。

「私達の会社には輝かしい実績と知識があります。あなた方がご先祖様から授かった土地をこのまま腐らせては――」
「はっきり言いなよ、チャールズ。『こんな店はさっさと潰しちまえ』ってね」

熱心に説得をするチャールズの前に、チョリソーの乗った皿と、ジョディの刺々しい言葉が投げ付けられた。

「ここからあたしらを追い出して、マクドナルドを作りたいんだろ?
 でも生憎だったね。あたしの部屋をあんたのチワワの犬小屋にはさせないよ」 

煤で汚れたエプロンを掛けたジョディがチャールズ達を睨み付けると、店内の視線がジョディ一人に集中する。
馬鹿笑いを上げながらバーボンを飲もうとしていたよた者達も、しらけた顔で彼女を見ていた。

「……ジョディお嬢さん。喧嘩腰になるのはよしてください。私はフェアな取引をしに来ただけです」

櫛で髪を撫でつけながらチャールズは言った。

「フェア? フェアだって? 中国人の手先になって人様の墓穴を掘りに来た泥棒が、よくそんなことが言えるもんだね」

「ジョディやめな。水だけだって飲んでる間はうちの客だよ」

「いいや止めないね。ジョスリンが出てったのもこいつらのせいだし、チャンのヌードルはこの町じゃあもう食えない。
 もしこいつらをこのまま野放しにしちまったら、あたしらは羊みたいにケツの毛まで刈り取られちまう」

「ジョディ! いい加減におし!」

ビリヤード台にバーボンを運ぶアンがジョディを静止しようとするが、ジョディはそれに耳を貸さない。
アンが店外にまで響くかのような大声を上げて、舌打ちと共にようやく黙った。

「……どうやらジョディお嬢さんは率直なお話がお望みらしい」

気まずい沈黙を討ち破り、チャールズはうんざりとした様子で口を開いた。

「その通りさ。あんたのクソみたいに遠回しな喋り方は、聞いてるだけでヘドが出そうなんだ」

「なら単刀直入に言おうか。……この店は放っておけばすぐに潰れる。私がなにかするまでもない」

「……なんだって?」

ぴくりと眉を動かしたジョディの前で、チャールズはフォークでチョリソーを突き刺すと、少し苛立った様子で一口齧った。

「例えば、一皿二ドルのこのチョリソー。君のおばあさんが手作りした絶品のシロモノだが、
 大手仕入れ業者と契約し、材料の仕入れ方法をほんの少し変えてやるだけで、
 これとよく似たチョリソーが三ドルで倍は食べられる。『中国人も腹いっぱい』ね」

「うちのばあちゃんの飯が食えるのはここだけだ!」

「その通りだ。間違いない。だけどここは現実問題として潰れかけてる。
 町が再開発され、昔のように活気を取り戻したとして――いや、活気を取り戻してしまったら、
 もうこの店に寄りつくのは君達の古い知り合いだけになり、そのまま立ち行かなくなる」

「あんたの勝手な妄想だ」

「そう言い切るのは簡単さ。だけど非効率的なことには違いない。そしてそのツケは後から必ず回ってくる。
 蟻とキリギリスの寓話のように、飢え死にしそうになってから助けを求めたところで遅い」

「誰があんたらみたいにクズなんかに――」

「おい! 俺の甥っ子をクズ呼ばわりとは良い度胸じゃないか『レッドガール』!」

今にも掴み掛からんばかりに激昂したジョディの脇から、天を突くような大男が割り込んできた。
毛むくじゃらの腕に、鋲の付いたレザージャケット。
タフガイ気取りのバイカーという風体のその男は、野太い腕でジョディの胸元を掴み上げると、
むっとするような臭い息を吐きかけながら凄み始めた。

「俺がちょっと一暴れすれば、こんな店はてめぇの胸みたいに真っ平らに出来るんだぜ。ちょっとは口を慎みな」

「ふざけんなクソ! 離せ! 離せってば!」

「ハワード、今日は話し合いに来てるんだ。手荒なことは抜きにしてくれ」

「口の利き方を知らないガキに、ちょっとしたお仕置きをしてるだけさ。――なあフランク! そうだろう!?」

少し慌てた様子のチャールズに耳を貸すことなく、ハワードは片手でジョディを掴み上げたまま、
ビリヤード台の近くでオレンジジュースを飲んでいた保安官に呼びかけたが、
彼はハワードを無視したまま、八番のボールを狙い始めた。
その表情はサングラスのせいで隠されており、どのような感情も窺い知れない。

「ちッ、相変わらず陰気な野郎だ! まあ、代わりにお嬢ちゃんと楽しませてもらうかな!
 俺はこういう胸の平坦な女が好きなんだ!」

ハワードは舌打ちをして、再びジョディに向き直った。

「女性に乱暴は止さないか!」

「おっと! フィッシュアンドチップスは好みじゃねぇなあ!」

静止に入ったブリックだったが、いかつい見た目とは裏腹に荒事は得意ではないらしい。
出足をさっと引っかけられ、あっという間に床に這いつくばってしまった彼を見て、杏子は大仰な仕草で顔に手を当てた。

「あっちゃー……見てらんないやこりゃ」

一般人であるブリックはともかく、魔法少女であるはずのジョディの体たらくと言ったらない。
しかし、これが単なる場末のバーで起こった喧嘩なら杏子は見て見ぬふりをしただろうが、
ここは一食の恩義がある人の店、しかも大の男がか弱い少女を締め上げているというファ××ンシットな状況だ。

「ったく、世話が焼けるなあ……」

「なんだ。あんた止められるのか」

杏子がコカコーラを飲み干し、ハワードに近づこうとしたその時だった。
一人ビリヤード台の前でオレンジジュースを飲んでいた保安官・フランクが、不意に声を掛けてきた。
だが杏子が振り向いて視線を向けてみても、彼はキューを手にボールを睨み付けているだけだ。
その様子を妙に思った杏子は、彼に声を掛けてみることにした。

「ヘイ、ミスター。そこらでダーティ・ハリーを見なかったかい? あんたと同じ仕事してるはずの男なんだけどね」

フランクはキューに掛けた手を一瞬止めて杏子に顔をちらりと向けたが、
すぐにボールに向き直り、不機嫌そうな声で喋り始めた。

「皮肉はよせ。実際、生意気なガキにお仕置きをしてるだけだしな。いちいち止めてたらキリがないだろう」

「それが公僕の言うことかよ……」

「公僕だからこそさ。俺の給料はあのデカブツの上司が払ってるようなもんだしな」

「世知辛いねぇ……」

「全くだ。いけ好かない。酒の一つも飲みたくなるね」

ふと飛び出てきた意外な言葉に目を丸くする杏子の前で、かつんと音を立てて手玉が弾かれ、ラシャの上を滑り出す。
弾かれ合った玉があちらこちに散らばって――手玉がポケットにぽとんと落ちる。
他のボールは散らばっただけ。どう見たところでミスショットだ。

「またか。なかなか上手くはいかないもんだな」

肩をすくめるフランクに、杏子はこれ見よがしに溜め息を吐いた。

「下手の横好きってやつ?」

「最近よくよくそう思う。得意な奴に代わって欲しいよ」

「……よし。じゃあ、あたしがお手本を見せてやるよ。キューのレンタル料はあんた持ちだ」

「それならお手並み拝見といこうか。ボールの片付けは俺がしてやる」

杏子はフランクからキューを受け取ると、ハワードに向かってまっしぐらに歩いて行った。

「ちくしょうっ! 息が臭ぇんだよ、このイ×ポ野郎!」
「いいぞ、そのまま脱がしちまえ!」
「ギャハハハハ!」

喚き上げるジョディを片手で持ち上げたハワードの横で、二人の男達は下衆な声で野次を飛ばす。
うち一人は煙草をふかしながら、止めに入ったブリックを足蹴にしていた。

「チャーリー! あたしが銃を持ち出す前に、その馬鹿共を止めとくれ!」

「ハワード、よしてくれ。これは大事な取引だ。アンが首を縦に振ってくれなければ、この企画は立ち往生なんだぞ」

「ああ、そうかいチャーリー! じゃあ、こうしよう! 俺が勝手に一暴れして、この店を徹底的にぶっ潰してやる!
 お前にゃなんの責任もねぇが、お前にゃがっぽり金が入る。後で高い酒をおごってくれよ! ガッハハハハ!!」

熊のような声でがなり立て、ジョディの首をぐいぐいと締め上げていくハワード。
先刻ほむらから受けた注意を守っているのだろうか、ジョディは手足をばたつかせるだけでろくに抵抗をしようともしない。

「ああ、神さま……! あたしがムショに入っちまったら、ジョディのことをよろしく頼むよ!」

ついに痺れを切らしたアンが、レジスターの下から拳銃を取り出そうとしたその時、

「ねーえ、おじさま。あたしととってもイイことしない?」
「ああん? ――アーオ!!?」

まさに一瞬の出来事だった。
杏子が猫なで声をハワードの背中に投げ掛けるやいなや、彼の股間を蹴り上げたのだ。

「……マ、ママ……」

睾丸が爆発四散しかねないほどの強打を受け、ともすれば女性になってしまいかねないほどの激痛でハワードは卒倒。
ジョディを掴んでいた腕をぽとりと離し、びくびくとその場で痙攣しだした。

「こ、このクソアマなにしやが――アウッ!?」

「楽しませて欲しいんでしょ? あたしがルンバを踊ってやるよ」

仲間が崩れ落ちる様を見て激昂した男の鳩尾を、キューのバンパーで激しく殴打。
口をあんぐり開けたまま悶絶する男の頬に、さらに横薙ぎの一撃をお見舞い。
真っ二つにへし折れたキューで後頭部を追撃。あっという間に二人の大男が地面に転がった。

「ひっ……!? ま、待ってくれ! 今のは酔った勢いで――そ、そう! 責任能力がなかったんだ!」

杏子のただならぬ体術に恐れをなしたのか、残った髭もじゃのメキシコ人は平謝りしながら後退し、背中をジュークボックスにぶつけて止まる。

「責任能力だぁ……?」

衝撃で口から落ちた煙草を杏子は踏みつけ、

「に、日本人は平和主義者なんだろ!? た、『タスケテ!』『カネクレ!』『クタバレ!』『バンザイ!』」

「『ノー・スモーキング』ぐらい読めろや、アミーゴ!!」

「オーマイガッ!!」

片言の日本語を垂れ流しながら土下座をしようとした男の顎に、ウェスタンブーツの爪先を叩き込む。
電気ショックを受けたカエルの如くひっくり返った男がジュークボックスに頭をぶつけると、ZZ Topの『Tush』が店内に流れ始めた。

「なんだよ。英語喋れんじゃんか……おい。次はあんただかんな」
「ひっ……!? た、助けてみんなぁーー!!」
「ハワード! なんの騒ぎだ――って、てめぇそこでなにしてやがる!?」

気怠そうに首を回す杏子が、こっそり店から出ようとしていた最後の一人を睨み付けると、男は大声を上げて助けを呼ぶ。

……するとまあ、一体外で何をしていたというのだろうか。
助けの声を聞きつけたのか、大量のバイカー達が店に飛び込んできた。

「カ、カルロス!? オルテガ!? ……こ、このビッチ! てめぇが二人をやりやがったのか!」

まるで『サザエさん』のエンディングじみた勢いで次々に店に乗り込んできた男達は、
床に転がる自分の仲間や折れたキューを両手に持った杏子を見ると同時に激昂し、あっという間に包囲してしまった。

「ちょっとちょっとォ。アメリカはレディファーストの国なんでしょ? レディを労ろうって気持ちはないわけ?」

杏子はしなを作りながらウインクをする。
だが仲間意識の強いバイカー達は目を血走らせて雄叫びを上げ、聞く耳持たないという様子である。
彼らはそこらの空き瓶やパイプ椅子を手にすると、目を血走らせて雄叫んだ。

「ああそうだ! 当然血祭りにするのもてめえが最初だ!」

「カラミティ・ジェーンになったつもりか知らないが、生憎ジェーンはデッドウッドでくたばったのさ!」

「へっ、へへへへ!! そうだそうだ! てめえがどんなカンフーの使い手かしらねぇが、この数に勝てると思うなよ!」

「そうともよ! あいつら三人は『ワイルド・トラッカー』の中でも最も格下!」

「いわば荒くれバイカーの面汚しよ!!」

「野郎共! この黄色い猿を樽に詰めて、コロラド河に流しちまえ!!」

どう見ても負けフラグにしかならない啖呵に混じり、雄壮なギタービートが鳴り響き、ビリー・ギボンズがシャウトを叫ぶ。
小腹は空いてて気分は上々。汗臭いサンドバッグが二十かそこら。
魔獣退治には到底劣るが、前夜祭には上々だろう。

「オーケー、オーケー! ロデオをしようじゃねぇかカウボーイズ!! だけど、あたしを乗りこなすにゃ骨が折れるぜ!」

ぎらりと八重歯を光らせて、杏子は『マトリックス』のネオのように左手をこまねく。

「ど、どうしよう……あたしも手伝った方がいいのかな……?」

「なあ、チャールズ。ここの修理代は君らの会社が払うのかい?」

「ああ……いや、領収書が通るんだろうかな……?」

「いいぞ、キョーコ! やっちまいな! そいつらのキ×タマを蹴り上げるんだ!」



「ロックンロォォォール!!」



いつの間にかカウンターテーブルの影に隠れていたブリックとチャールズ・アーサー、スパイククロー家の二人が見守る中、
アリゾナの昼下がりはどこまでも熱く過ぎていくのだった。

todayはここまで。
なお、ZZ TOPを知らない方はyoutubeなどでご検索した後でCDを一気買いしてください。


「……なるほど。どちらも辿り着いた場所は同じだということね」
「そういうこと。…………サボってたわけじゃないってのはわかったろ?」

薄暗い照明によって照らし出された部屋の中、ほむらは五枚のトランプカードを眺めながら感慨深げに頷いた。
裸電球の光は眼鏡の薄型レンズにきらりと反射し、バイオレットブルーの夕闇をたたえた窓枠の向こうへと逃げていく。

――コネクションの夜が来た。

ルート66、別名『アメリカのメインストリート』とも呼ばれる道からほどなく離れた場所にあるこの田舎町は、
その独特な生態系や地質に引かれてやって来た研究者や、西部の荒野を走るドライバー達の交流所となっていたらしい。
町を襲っている疫病騒ぎに信心深い住民達は息を潜めているものの、荒くれ者たちには迷信などは関係ないのか、
町外れにあるバーからは極彩色のネオンライトが垣間見え、夜空にはけたたましいエギゾーストが響いている。

……今頃は夜勤の保安官達も忙しいだろう。
ベッドの脇で四つん這いになった杏子に腰掛けながら、ほむらはそんなことを考えた。

「私のほうもキュゥべえからいくらかの情報らしい情報は取得できたわ。
 肝心のメディスンマンの情報は……無し。
 だけど、当時の事件と同時期にコネクションを訪れた四人の魔法少女についての記録があった」

ほむらは携帯端末を杏子の手元に放り投げると、杏子は片手と両膝で自らの体重を支えながら端末を手に取った。

アメリカ人実業家の娘。名も無き西部のカウガール。英国王室のプリンセス。東欧より訪れた魔獣の狩人。
いずれも歴史に名を残す、偉大な魔法少女だったらしい。

彼女たちはこの町を訪れた後、やがてそこで財を築き上げたとか、自らの国に帰ったと言われているが、
それらの真相を確かめるには、彼女たちを導いていたインキュベーターに直接話を聞くしかないだろう。
ほむらの体重に押し負かされ、じわじわと床に近づいていく体を必死の思いで支える杏子は、震える手でもって端末を返す。


「ようするに、この『悪魔の口』ってのを調べに行けばいいわけ?」

「いえ。確かにあの伝説は一つの事実だろうけど、この事件と結びつけるには遠すぎるはず。……色々とね」

ほむらは端末を操作して周辺地域の地図を示した。

「コネクションと悪魔の口は百マイル以上離れてる。いくらなんでも、これだけの距離を移動する魔獣は考えづらいわ」

「確かにそうだね……でも、伝説じゃこの町まで呪いは広がったって聞いたけど?」

「キュゥべえは当時起きた原油の流出事故が伝説の背景にあると言ってたわ。
 おとぎ話と呼ぶには最近過ぎる出来事とはいえ、肝心の資料がないなら憶測にそっての行動はバツ。
 ……もし伝説が本当なのだとしても、元凶となった魔獣はすでに討伐されているはず。
 常識的な観点から見て、この町に発生した魔獣の起点はこの町にこそ存在すると考えるべきよ」

「ちぇっ。ボスやっつけて一件落着かと思ったのにな」

悪魔の口への経路図や、コネクションで発生した魔獣の位置情報を確認しながら杏子は舌打ちした。

杏子もほむらも、魔法少女としてはプロフェッショナルだ。
敵の能力を推し量るだけの経験を持っているし、自分の知識や既知のデータを参考にすることの重要さも知っている。
それらの二つの要素を加味しても、やはり悪魔の口は手掛かりの一つにしかなり得ず、
決定打にもならないというのが二人の出した結論だった。

「もし手掛かりが尽きたときには、悪魔の口に向かうこともあるでしょうね。
 ……どこに行ってもトラブル&アクシデント。……私達はボニーとクライド?」

ほむらは杏子の背中を蹴るようにして、ベッドの上に横たわった。

「撃ち殺されて終わるのはごめんだよ。せめてチャールズとマロリーがいい」

杏子も額の汗を拭い、もそもそとベッドに這い上がる。
枕元にはアンからもらったバケットと、レンジで温めなおしたばかりの、芳ばしい香りの漂うオニオンローストビーフサンド。
付け合わせはチリソース付きのトルティーヤに、ややぬるくなったコカコーラ。シーザーサラダもタッパーいっぱいにある。

「あのばあさん、レシピ教えてくんないかなー」

「明日行ったときに頼んでみましょう」

「おっ、このナバホブレッド超うめぇー……!」

西部式ながらも変化に富んだ夕食を美味そうに頬張り始めた二人は、
古ぼけたアンテナ式テレビから流れる六十年代のミュージカル映画を眺めながら、しばし満ち足りた時間を過ごした。

もちろん明日以降の行動について策定するのも忘れてはいない。
山ほどの夕食を平らげた後、一足先にシャワーを浴びたほむらは濡れた黒髪を拭きながら杏子に言った。

「暫定的な方針としては、街の探索が第一よ。物資の調達もASAP。
 出来れば近郊の町まで直接足を運んで、仲間を捜してみるところまではやってみたいところね」

「忙しいねぇ……やっぱ飛行機に乗って帰ればよかった」

「いいえ。もう一生のうちの金輪際、あなたと落ちるのは絶対にごめんだわ」

CNNが二十一時の時報を伝えたところで二人はテレビと明かりを落とし、肌着になってベッドに潜った。

……耳の痛くなるような静寂が、未だ夕食の残り香の漂う部屋に広がる。
オレンジ色のベッドランプはしなやかな二人の体を照らし、窓の外に光る月は、あとほんの少しで満ちそうだ。

遙か彼方でコヨーテの声。
星空に染みこんでいくその鳴き声は、杏子をなんとない感傷に誘い込む。

鳴き声。コヨーテの声。ジョディ・インテグラル・スパイククロー。彼女も恐らく泣いていた。
故郷の安寧を祈った彼女は、何故ああも苦しんでいるのだろう。
父から譲り受けたロザリオに訊ねてみても、聖者の御印は答えてくれない。
ただ透き通るようなそのきらめきは、ここからずっと西に消えていった、青い青い空を思い出させた。

「彼女のことが心配なのね」

ほむらは静かにささやいた。
その紫水晶にも似た暗い瞳は相方の考えなど見通していて、その辛さもよく伝わった。

「……あいつはなんで駄目なんだ?」

五秒かそこらの沈黙の後、杏子はぽつりと口を開いた。

考えるべきことは山ほどあった。
魔獣の行方。対処の方法。戦いに必要な物資の調達。
バンパイアのゲロで駄目にされたアシックスの代えにしたウェスタンブーツは、クールだったが靴擦れがする。
最近はすっかり糖度不足だ。砂糖の味しかしないゼリービーンズと、コカコーラぐらいしか口にしてない。
スニッカーズはもう飽き飽きで、ロッキープレッツェルがやたらと恋しい。
プレスコットの中古車屋で一目惚れした真っ赤なドゥカティは、まだあそこにいるのだろうか。

でも。やっぱり。
そうしたあれこれを気に病みながらも結局杏子が気に掛けたのは、
つい半日も前に会ったばかりの、ブラのカップサイズすら知らない女の未来だ。

「あいつがこの町を好きだってことはわかったよ。みんなもあいつが好きらしかったし。町を救いたいのは本当だろうさ」

なのに。そう言ったきり杏子は口を閉ざしてしまった。

昼間杏子が見てきたのは、変わり果てていく町の姿だった。
閑散として荒れた町。その向こうに広がる重機の横隊。打ち崩された家屋の群れと、折り重なった瓦礫の山々。
西部の田舎町はそこには無くて、それを悲しむジョディがいた。

もし彼女の祈りが本物ならば、どうしてああなってしまったのだろう。
そのどうしようもない疑問と現実、打ち拉がれながらも抗うジョディの心を想えば、居ても立ってもいられなかった。

「確かに妙ね。魔獣の発生と関係があるのか、あるいはそれとは別なのか」

「ひでぇ話さ。人を腐りかけの死体に変えといて、後のことは知らんぷりだなんてな」

傍らで杏子に視線を注ぐほむらは、彼女の髪をそっと梳く。

優しい彼女は悲しんでいるのだろうか? ……それは違う。違うだろう。

その真っ赤な瞳が湛えているのは、今にも溢れ出さんばかりに燃えさかる、憤怒という名の激情だ。
それと少しのやるせなさ。過去と故郷に捧げる郷愁。
祈りと共に生きる全ての者へと与えられる、鋭い槍の姿をした慈愛。
かつて杏子が忘れかけ、誰かによって取り戻されたその気高い心が、彼女を戦いに駆り立てるのだ。

「考えすぎてはいけないわ。私達は魔獣を倒すことは出来るけど――」

「わかってるよ。でも気になるんだ。ジョディの願いを叶えてやりたい」

「でしょうね。あなたは優しすぎるから」

苦笑いにも似た表情を浮かべるほむらは、やはり自分も甘いと思った。
守るべき世界のため、守られるべき祈りのために、ほむらは日常を置き去りにして、この砂だらけの荒野へとやって来たのだ。
髪に砂塵が纏わり付こうと、爪が割れて血が滲もうと、硝煙の臭いに噎せようとも戦い続けるモノへと変わり、
それでもこの身にこびり付いた人間性は拭い落とせず、それに今でも縋っている。

「私もあなたの願いを叶えてあげたい。泣き出されても困るから」

「言ってろ。あたしはもう寝るからな」

「『続き』はしないの?」

「サディストにケツを踏まれてヤる気が失せたよ」

「そう。……おやすみなさい」

「あんたもいい夜を」

杏子はロザリオに口付けると、ほむらの腕をぐいと引き寄せ、枕代わりにして目を瞑った。
波乱に満ちた一日分の疲れを吐き出すように、はあっと大きく息を吐き、ぱっちりと長い睫毛が一つに合わせる。
すぐに規則的な寝息を立てる杏子を、まるで子供のようだとほむらは思った。

彼女の前世は、きっと狼だったのだろう。
気の向くままに荒野を歩き、腹が空けば肉を食い、ただ安らかに眠るときだけ穏やかでいて、体はこんなにも暖かい。

だけど――と、ほむらは思うのだ。

私達はまだまだ半端だ。
寄り添う相手を持たずには、この荒んだ世界で生きてはいけない。
未だ一人と一人同士の群れを作って生きる二人は、大人に成り切るには到らないだろう。
左手に光る少女の証が、なによりそれを肯定していた。

「おやすみなさい。まどか」

コヨーテの声が遠くに聞こえる。
月の綺麗なこんな夜には、私の声も届くだろうか。
ほむらは杏子の体温に喜びと申し訳なさを感じながらも、彼方にいる友を想って眠りについた。

ンガッ 途中で寝てたけど今夜はここまで。
近未来でチャンネル式アンテナテレビはねーよ!とかつっこまないでください。

◆AM 10:16 コネクション郊外

かつて、コネクションは西部の荒くれと学者達の町だったらしい。

太古の地球を垣間見せる大渓谷に連なる地形と、ルート55へと繋がる大路がこの町を大いに賑わせたという。
今でこそ砂と埃にまみれた辺境の田舎町という風体とは言え、
それも一概に誇張とは言えないらしいと、ある建物の前でほむらは考えるに至っていた。

「なかなか大した建物だわ、これは」

暗い茶色で彩られたテンガロンハットの鐔を指で直し、ほむらはその建物を側から眺めた。

彫刻の施された立派な石門。何十両もの車が留められるだろう、植物の溢れた広い外庭。
門に掛けられた金属製のプレートには、『コネクション公営図書館』の文字。
窓ガラスのたぐいは砂でくすんでいるものの、その意匠はなかなかの貫禄があり、見る者の目を惹きつける。
人気のない郊外に佇むその建物は――なるほど。確かにコネクションが誇った過去の栄華を如実に表していた。
杏子の話では、教会も立派だったと聞いてはいたが、これなら納得もできるというものだ。

ほむらは『KEEP OUT』と書かれた黒と黄のロープををくぐりぬけると、
自らの身長よりも高い塀を苦もなく一息に跳び越え、正面玄関へと進み――そこで首をかしげた。
玄関への扉は頑丈な鎖で取っ手を雁字搦めにされた上で、ざっと見ても五つよりは多い錠前が施されているのだが、
それらは単なる鍵と呼ぶにはいささか厳重過ぎるというか、『封印』とでも呼ぶべき物々しさを放っていた。

「……随分と物騒なところのようね」

この図書館とやらで起きたことを、町の住人達はひどく恐れているらしい。
ほむらは標縄のように固く結ばれた封から目を離し、正面玄関を後にすると、
色とりどりの観葉植物が植えられた外庭を周り、裏手へと回っていくことにした。

ふと目にした掲示板には『本は必ず返却日に返しましょう』と、よく目立つ黄色い張り紙が張ってあったが、
生憎、ほむらが今日この場所を訪れたのは、本を貸し借りするためではない。
コネクション、魔獣、黒い疫病。それらの調査を開始するにあたって最初に訪れるべきなのが、魔獣が最初に出現したというここであるというだけだ。

事件当日にこの場にいたのは、十名ばかりの老人達だったという。
とっくの昔に働き盛りを過ぎた彼らは、この静かな空間でコーヒーや酒を飲み交わし、
カードやチェスにふけり、ありふれた日常を楽しんでいたに違いない。
その彼らも、今は州都フェニックスの州病院で意識不明の重体だという。

魔獣は老いも若きも隔てはしない。
ただ自らを生み出した憎悪と邪心のあるがまま、世界に絶望をもたらしていく。
その魔獣を滅ぼすためには、魔獣の本体が隠れた結界――すなわち『震源地』へと乗り込んで、魔獣を討伐する必要がある。
もし魔獣が本当にこの場で生み出されたなら、その宿主はこの場所と因縁浅からぬ人物であり、
その人物を特定することさえ出来れば、震源地に大きく近づくはずなのだ。

「鬼が出るか、蛇が出るか……か」

従業員用の裏口へと辿り着いたほむらは、正面玄関に来たときと同じように周囲をぐるりと見回すと、
小さな監視カメラの見守る直下に、簡素なスチール製の扉が一枚。
注意深く観察すると、カメラは作動してはいないらしい。
一応ドアノブを手にとって押してみたが、さすがに鍵は掛けてある。

つまりこの扉を力任せに破った場合、警報による公的権力の介入が起こりえるのだろう。
だが、かつては米軍基地にすら出入りしていたほむらにとって、たかだか民間施設の警備など障害の内にも入らない。
ほむらは近くにあった配電盤を素手でこじ開けると、配線を弄って警報を無力化し、
ヘアピンに良く似た道具で鍵を開け、わずか十秒足らずで図書館内部への侵入を果たした。

「……懐かしいわね。この感じ」

薄暗い図書館の裏口に足を踏み入れた瞬間、ほむらはすっと目を細め、感慨深げにつぶやいた。

深く、大きく息を吸い込むと、そこには濃密な石油の臭い。
首筋が泡立つような奇妙な怖気と混じり合ったその感覚は、ここが魔獣の結界内であること意味しているが、
今のほむらが注意を払っているのは、それら魂の狩人ではなく、ごくありふれたインクの香りだ。
本棚に所狭しと並んだ背表紙達を横目で眺めるほむらは、気が遠くなるほど遠い過去への、奇妙な郷愁に包まれていた。

昔……本当に昔のことになる。
三つ編みを結い、魔法とは一切関係のない生活をしていたあの頃は、病室の真っ白なベッドの上で、たくさんの本を読んだものだ。
推理小説、冒険小説、ハーレクインのロマンスに、角川書店のホラーノベル、有名少女漫画のノベライズ作品。
他に得られる娯楽がなかったとはいえ、数多くの本と触れ合ったあの日々は、今にしてみれば良い思い出だ。

しかし、まあ、今となってはどうだろう。
半月前に日本を出るとき、暇つぶしにはなるだろうと思って空港で買ったミリオンセラーという触れ込みのミステリー小説は、
プロローグすら読まないままに、ハイウェイを時速二百マイルで爆走するバスの天井ごと飛んで行ってしまった。
州警察はあの本を証拠品として押収したかもしれないが――いいんだ、どうせ。あんなもの。
今の自分はおよそ世界中のどんな小説家が考えてきた怪事件より、ずっと奇妙な世界を見ている。
不意に脳裏に蘇った小さな記憶に、ほのかな憤りを燃やしながら、
ほむらは背中に背負っていたイタリア製の散弾銃を手に携え、薄暗い廊下を進み始めた。

目的の場所は事務室だ。
この図書館に就業している人物名簿を入手した後、被害者達と照らし合わせて周辺人物との関係を探る。
魔獣の発生源となる人物は、大抵の場合精神をどこかで病んでいたり、その原因となる物理的な問題を内包している。

身体的、心理的なコンプレックス。金銭問題。人間関係。
悩みの内容は実に人それぞれだが、そんなことはどうでもいい。
魔獣を生み出した人間と縁の深い場所、震源地と呼ばれる場所こそが、ほむらが目指すゴール地点だ。
魔獣が生まれる前に悩みを解き、事前に解決する『カウンセリング』と呼ばれる処置もあるが、
今のような状況となっては手遅れだし、そもそもほむらには向かない仕事だ。

そう。彷徨える魂の言葉を聞き入れ、天への道を示すのはほむらのやるべきことではない。
ほむらがするべきことは戦うことで、悪魔祓いの儀式ではない。
そしてこの十二ゲージの散弾銃は、どんな聖句よりも速やかに悪を砕いてくれるだろう。
うだるような熱気が立ちこめる長廊下で、ほむらは何者かの視線を確かに感じ、銃の安全装置を解除した。


『CRRRRRR......』
「こんにちは。『魔獣大辞典』が置いてあるコーナーはどちらになるかしら?」

ほむらは銃を構えたまま優雅に振り向き、そこにいた異形に微笑みかけた。

地の果てまで続いているのではないかと思えるほどに長い回廊、
その角から僅かに顔を見せているのは、大型犬を重油で覆ったような、暗闇色の怪物だった。
腕の太さは丸太ほどもあり、体躯に不釣り合いなほど巨大な頭部には、ぎらぎらと輝く乱杭歯が立ち並んでいる。

『CRRRRRR!! CRRRRRR!!』

全身からぼたぼたと黒い泥をしたたり落とす怪物は、
その禍々しい外見からは想像も出来ない甲高い声でくるくると鳴き、廊下に悲鳴を残響させる。

――いや。それは残響ではなかった。
ほむらが正面の魔獣から僅かに視線を外して後ろを見れば、そこには大型の猿のように両手を地に突き、
寸分違わぬ鳴き声を響かせる、黒い魔獣の姿があった。

『CRRRRRRRRRRRRR!!』

正面の魔獣が一際高く嘶きを上げ、後方の魔獣もそれに合わせる。

――まるで地獄のバードウォッチだ。
ぺろりと下唇を舐め上げたほむらがそんなことを考えた瞬間、
二匹の魔獣はほむらを目掛け、全く同時に駆け出した。

「Toolate!!!」(遅い!)

犬型の魔獣が一歩を踏み出し、それが古びた木造の床に着くより早く、ほむらは銃の引き鉄を引いた。
回廊を照らす小さな砲火。耳をつんざく轟音と、排出される緑のケース。
大口径ライフルにも匹敵する威力を持つスラッグ弾が空間を切り裂いてまっしぐらに飛翔し、魔獣の眉間に突き刺さり――

『CRRRRRRR!!』
「――ッ!?」

本能的な危険を察知したほむらが魔力の障壁を作り出すと同時に、真っ赤な火球が廊下を照らした。

ほとんど無防備だったほむらを襲う、猛烈な爆風と焼け付く熱気。魔獣が被弾と同時に爆発したのだ。
その爆風は凄まじく、魔獣の半径数メートルにあるガラスが一瞬にして割られるほど。
もしほむらが直感的に防御行動を取っていなければ、今頃は圧力によって眼球を潰されていただろう。
衝撃と熱に顔を歪めたほむらは、目に燃えさかるような怒りの炎を灯して銃把を固く握りしめた。

「……やってくれたわね!」

ほむらが振り向くと同時に、猿人じみた魔獣が両手を掲げて躍り掛かるが、それでもほむらは迅速だった。
転回の遠心力をフルに乗せ、銃身を魔獣の横面に叩き付ける。

常人を遙かに凌ぐ胆力で繰り出された一撃は、さながら重戦車が激突したかのような轟音を上げ、
鋼鉄製の銃身部分を滅茶苦茶な形に折り曲げながら魔獣を強打し、
石造りの柱にその巨体を深々と埋め込むと、猛烈な粉塵を周囲に散らした。

「さよなら、マチルダ」
『CR――RR――R――R……』

愛するマチルダ(千五百ドルのショットガン)を追悼するほむらの脇で、
壁に埋め込まれた奇怪なオブジェと化した魔獣は、明らかに頭部以外の場所から甲高い鳴き声を上げつつ、
徐々にその形状を崩壊させてゆき、やがて完全に消滅した。

「まずは二匹……だけど――」

ほむらは鉄屑となった散弾銃を放り投げ、不機嫌そうに眉をひそめた。

指輪から形を変え、紫色の宝石となって手の甲に光るソウルジェムは、周囲からいくつもの生体反応を検知している。
真上に一つ。地下に一つ。一階のやや離れた場所に、最低七つ以上の小さな影。
察知できるだけでも十体を優に超える魔獣がいるが――それは明らかに異常なことだ。

ごく僅かな例外を除き、ほとんどの魔獣は人の精神エネルギーを食料とする捕食者達であり、
本拠地である『震源地』を離れるときは、人を襲う場合だけ。
早い話をしてしまえば、こんな人気のない場所に魔獣が出現するはずがない。
一応ここが震源地である可能性も考慮はしたが、それにしては瘴気の濃度が薄すぎる。

「どうも胸騒ぎがするわね」

『体調不良かい? でも、見たところ君の身体とジェムに異常はないよ」

不可解な疑問に捕らわれたほむらの意識に、少年のような声が割り込んできた。

「若干のビタミン不足が見られるけれど、君の体は健康だ。
 ただし、君たち人類の少女が持つ基準によって見るならば、各部位の表皮と頭髪のダメージは小さくない。
 後々でマミに注意を受けないためにも、今のうちにこまめなトリートメントを行っておくことをおすすめするよ」

感情の起伏が見られない声。
ほむらが振り向こうとすると、肩に何かがぴょこんと飛び乗ってくるのを感じた。

「インキュベーター。いつアリゾナに?」

「ついさっき端末の転送が済んだんだ。下ろし立ての新品だし、シノブ達がやっとの思いで送ってきたんだ。
 くれぐれも壊さないようにしてくれないと、シノブ達に悪いんじゃないかな」

「努力するわ。あなたもせいぜい私の銃の前には立たないことね」

ほむらが少し視線を下げると、自分の肩にぶら下がっている、小さな白い物体が見えた。
見た目によりも遙かに――羽毛のように軽いそれは、遠く海を隔てたほむらの故郷・見滝原で、
数百人の魔法少女達を統括しているはずのインキュベーター、その実体端末だった。

この星の知的生命体の在り様に次々と感化され、精神疾患を起こしていく大量の端末達とはやや違い、
未だに昔気質な性格と真っ白なプレーンボディを愛用する彼は、今やインキュベーター達の中でも変わり種の一種である。

「言われなくてもそうするよ。エリーに嫌みを言われるとひどいノイズが走るからね」

「それはいい気味ね。……それで、この状況について何か意見は?」

背中に吊ったライフルを手に取り、安全装置を解除しながら、ほむらは迅速に周囲を警戒。
キュゥべえを肩に乗せたまま、静まりかえった廊下を再び歩き始めた。

「あまり前例のないケースだね」

「もしそんなことを言うためにわざわざアリゾナに来たというなら、きっとあなたはどこかを故障したのね」

「彼らは人類と深い関わりがあり、二つは『感情』という要素で結ばれているが、
 僕達インキュベーターの大半にとって、感情とは不可解極まる大きな謎だ。
 もう十万年の付き合いになるけど、僕らは人類や魔獣について、知らないことが山ほどあるんだ」

「例えば?」

「魔獣がどこから来てるのか、とかね」

「興味深い話ね。続けて頂戴」

二人は互いが持ち合わせる索敵手段を効率的に動員し、極力魔獣のいないルートを探しながら先へと進んだ。
途中、二度ほど魔獣とすれ違うほどに接近したこともあったのだが、
隠蔽の魔術に卓越しているほむらにとって、あの程度の魔獣から姿を隠すことは難しくない。
取るに足らない世間話を小声でしながら歩く内に、二人は事務室前のカウンターへと辿り着いていた。

「魔獣は人類が持つ負の感情によって生み出される被造物だという説があるけど、実際はそれすらも優良な説の一つに過ぎない。
 海底一万二千メートルの暗闇の中、無人潜水艇の外にいる魔獣が目撃された例もあるし、
 一軒の家の中で数十人に目撃されていた魔獣がほんの一瞬で姿を消し、二度と現れなかった例もある」

「幽霊やUMAという可能性は?」

「それらは実在しないけど、魔獣は事実としてどこにでもいる。
 これは極端な一説ではあるけれど、彼らは人間の感情に引き寄せられる形で姿を現しているだけで、
 実際は本当に『何処にでも』いて、ただ目に見えないだけという話すらある」

「それはぞっとする話だわ」

「僕もその意見には同意するよ。もしその仮説が事実なら、彼らは僕たちと同等の科学技術か、
 それに匹敵する何かの要素を持ってるはずだ。そんな存在が人類に明確に敵対しているなんて――」

「『せっかくの餌場が荒れてしまう?』」

「悪意を持って解釈するならそうなるだろうけど、僕達は十万年間君たちと公平な友好関係を結んできたし、それは協会も認めてる。
 君ももうそろそろ『昔のこと』とやらは水に流して、もう少し僕と友好的に接する気にはならないかな?」

「最近はさすがにどうでもよくなったけど、これはもう癖のようなものよ」

「僕が人類なら『いい迷惑だ』と言っただろうね」

「私の知ったことではないわ」

髪に纏わり付いた埃を払うように髪をかき上げたほむらは、受付カウンターをひらりと飛び越え、事務室の扉を開いた。

ブラインドが降りたままの小部屋は、ともすれば目をこらさなければならないほどに薄暗く、
窓の外から差し込む強い日差しは逆光となって、暗闇に慣れたほむらの網膜を焼いた。

「いつも思うんだけど、この紙媒体を用いた情報伝達は、宇宙のエネルギーが目減りしていくという現状に全く即していない、非効率的な方法だね。
 どうして母星の急進派が、この星を速やかに併合するべきだと主張しているのか、これを見ていると理解できるな」

「仮にも人類のパートナーを自称しているなら、無駄なお喋りはやめて左の棚を確認しなさい」

「都合のいい時ばかりこれだ。まったく、わけがわからないよ」
「……こいつ、日に日に愚痴っぽくなっていくわね……」

引き出しを下から片っ端から開けていき、地道に書類をチェックしていくほむらの隣で、
キュゥべえは後ろ足で器用に立ち、必死に背伸びをしながら引き出しを覗き込む。
年頃の女の子ならば、その姿を愛くるしく思ったに違いないが、ほむらは一瞬だけ嫌そうな(それもかなり)顔を向けただけで、
すぐに引き出しへと視線を戻し、そこで小さな成果に気づく。
『Payroll(従業員名簿)』と背表紙に書かれた小さなファイルが、たまたまそこに入っていたのだ。

「インキュベーター。ここを出るわよ」

「ちょっと待って。足を滑らせて引き出しの中に落ちてしまった」

「それは愉快ね」

「君の精神衛生の向上に貢献できたのは何よりだけど、手を貸してくれるとありがたいな。……それと、この部屋についてだけど――」

「承知済みよ」

ほむらがファイルを弓籠手に収納し、キュゥべえの入っていた引き出しを蹴り飛ばして閉めると同時に――轟音。
ぱっ、と木屑と紙片が舞い上がり、室内をストロボライトのように連続した砲火が照らし出す。

腰に吊った五十口径のリボルバーを、ほむらが振り向きざまに発射したのだ。
ほんの僅か一秒足らずで撃ち込まれた五発分の強装弾は、
立ち並んでいたスチール製の棚状に置かれた物体をまとめて打ち抜き、辺りには焦げ臭い香りと白い硝煙が立ちこめる。

「……あら?」
「ほむら。銃を撃つのはまだいいけれど、どうして僕を閉じ込めたんだい? 理由は推測できるんだけど、一応君の口から聞いておきたい」

背後から聞こえてくるキュゥべえの文句を無視しつつ、ほむらは首をかしげた。

手応えが、ない。
この部屋に足を踏み入れたその瞬間から、何者かが部屋の中にいる気配を感じてはいた。
ここは魔獣の結界内なので、その何者かも当然魔獣のはずだが――なぜ爆発が起きないのだろう?
あれら二体の魔獣が変わり種だった可能性もあるにはあるとはいえ、後ろのスチール棚にはあの魔獣達が隠れられるような大きさはない。

……ここは慎重を期するべきか。
ほむらは無言で頷くと、胸に吊っていた手榴弾のピンを抜き、アンダースローで棚の向こうに放り投げようとし、

「ま、待て! やめるんだ! 俺はバケモノの仲間じゃない!!」
「ほら。彼だって困っているじゃないか」

ほとんど崩れ落ちそうな棚の脇から、転がるように男が飛び出してきた。

今日はここまで。BGMは古代図書館のテーマでお楽しみください。

乙でしたー
今回もおもろかった
でも、その安全ピン抜いちゃった手榴弾どうすんじゃいw

>>205
ダブルセーフティの物なので、ピンを戻せば爆発しませぬ。

「落ち着いてくれ! 俺は見ての通り丸腰だ!」

ぼろぼろになった棚の陰から飛び出してきた男を、ほむらは爬虫類じみた冷たい瞳で観察した。
白いポロシャツは埃まみれ、整髪料の塗りたくられた髪もくしゃくしゃで、顔は驚愕と緊張でこわばっている。

「……生存者?」
「俺が四つ足のオイルモンスターに見えるのか!? 頼むからその銃を下ろしてくれ!」

思ってもいなかった珍客に目を丸くするほむらの前で、男は両手を上げたまま悪態を吐いた。
……よく見ると見覚えのある男だ。
先日、杏子が警察に拘留された際に保釈金の支払いを肩代わりした、土建屋ゆかりの営業マン。
名前は確か――

「ミスター、チャールズ・R・アーサー。こんな危険なところで何をしてるの?」

署内の受付前で会った時は、慇懃な態度のエリートだと思っていたのだが、
こうして取り乱しているところを見ると、彼も割と普通の人間らしい。
ほむらが銃を下ろして尋ねると、チャールズはうんざりとした様子で首を振り、溜息と共にほむらに向き直った。

「クソッタレな仕事だよ。本社からの命令で、ここに探し物をしに来たんだ」
「そう。なら運が悪かったんでしょうね。ここで探すべきなのは書類じゃなくて、モンスターから逃げる手段よ」
「まったくもってお生憎だが、どうやら完全にその通りらしい。……さっき館内で起こった爆発は君が起こしたのかい?」
「はい。私は『そういう仕事』をしてます」
「仕事だって? いくら東洋人が若く見えるとは言ったって、どう見たって君はハイスクールがいいとこだぞ?」
「『バフィー』の親戚のようなものです。『バフィー・ザ・ヴァンパイアスレイヤー』。彼女はハイスクールメイトでしょう?」
「なるほど。どおりで落ち着き払っているわけだ……」

チャールズは納得した様子で鼻をすすると、そのまま地面に腰を下ろした。
それなりに疲弊している様子を見ると、彼がここに隠れていたのはそれなりの時間であるようだ。
部屋の中に置かれた給水器に直接口をつけて水をあおる彼に、ほむらは手を差し伸べることにした。

「ミスター。あなたが会社の命令を完了できなかったことについて、
 上司にどのような弁解をするかはあなた自身に決めてもらうことになりますが、
 私はこの仕事に従事する人間として、あなたを助ける義務があります。
 捜し物についてはひとまず諦めて、私と一緒にここを出てください」
「……出口がわかるのか? 俺は窓を壊して入ったんだが、外に出るのはさっぱりだった。
 同じ角を曲がったはずなのに全く違うところに出たり、時には走り回ってる自分の尻が見えたことまである」

魔獣の結界は通常の物質空間とは違う法則が形成される。
それがどのような物になるかは魔獣の性質によって異なるが、ほとんどの場合で共通していることは、
それらが入り込んだ獲物を逃さない、檻としての役割を持つことだ。

「私と一緒ならば大丈夫。裏口に開いた『扉』があるから、そこまであなたをお連れします」
「……ありがとう。正直言ってお手上げだったんだ。本当に助かるよ」
「恐縮です。――さあ、行きましょう。ぐずぐずしてると、今の銃声を聞きつけた奴等がここに来ます」
「それは僕の忠告を遮った、君の自業自得だけど――きゅぷっ!」

引き出しをこじ開け、姿を現したキュゥべえを意味もなく二、三度ほど踏みつけたあと、
ほむらは身につけた装備を点検し、チャールズを連れて事務室を後にした。

◆AM 10:24 コネクション公営図書館 B1Fと思わしき場所

ほむらが事務室の扉を出ると、そこは見覚えのない廊下だった。
照明に塗られた蛍光塗料が生み出す青い微光が照らす他は、防火設備や非常口を表すライトがあるだけ。
床も先ほどまで踏みしめていた石材ではなく、より近代的なリノリウムだ。

「……参った。ここは一体どこなんだ?」

「恐らく、地下一階の保管棟ね。少し遠回りになってしまいそう」

裏口の扉に設置してきたGPSの信号を辿りながらほむらが言った。

先ほどの銃声は魔獣に察知されていたらしい。
結界内に存在する攻勢防壁の作用によって空間が任意に歪められたせいで、一行は出口からより遠い場所へ送られたのだ。

「北側に結界に綻びがある。僕が迂回路に誘導するから、ほむらは周囲の警戒を頼むよ」

「了解。ミスターは私の後ろに」

「ああ。わかった。……ところで、君はどうやって外と連絡を取ってるんだ?」

チャールズがいぶかしげな目でほむらを見ると、ほむらは肩にぶら下がったキュゥべえを見た。
――が、キュゥべえは無言のまま、無表情に前を見ていた。勝手にしろと言うのだろう。
彼らインキュベーターは、基本的に一般人の目には見えないように出来ている。
そのため、彼らが姿を見せるときは『そういう機能』を使って、『あえて』姿を見せることになるので、余分なエネルギーが必要なの

だ。

「……オペレーターがいて、特別な方法で話をしてるの」

「そうなのか。見たところ機材はどこにもないようだけど、骨伝導スピーカーや、ナノマシン通信か?
 ソリトンレーダーはまだ実用されてないはずだが……とにかく、この妙な空間でどんな手段を使っているんだ?」

魔法少女ですらない人間に、敢えて姿をさらして説明。
インキュベーターの中でも取り分けケチでものぐさなキュゥべえが、そんな面倒をおかすはずがない。
溜息を吐いたほむらが適当な説明をすると、チャールズは興味深げに質問を続けた。

「いえ。もっと別の方法です。普通の人には使えません」

「そうなのか。……いや、使わせてくれって話じゃあない。技術屋だからつい気になってね」

「技術屋……? 営業の方だとばっかり」
「そう見えるなら幸いだけど、元はただのギーク(機械オタク)だよ。
 ロングビーチで月並みな電気技師をやってたら、社の命運を賭けた開発プロジェクトとやらが始まってね。
 その時はまったく関係ない話だと思ってたんだが……俺が地元の出身だってのに目をつけたのか、
 ある日突然の人事異動で、現地の営業に回された。一大計画の最前線だ。
 給料は倍じゃ利かない値段になったが、コンデンサはもう長いこと見てない」

「人に歴史あり、ですか……」

「今となっては後悔してるよ。こんなことになるぐらいなら、いっそ浄水器のセールス部署に行けばよかった」

自嘲気味に呟くチャールズ。
営業マンとしては内向的なきらいがありそうなその様を見ていると、
たしかに彼は人と楽しくお喋りをしているよりは、家に籠もって何か好きなことに熱中しているタイプに見えるのだが、
見た目以上に数奇な人生を辿ってきたらしいチャールズに奇妙な親近感を覚えたほむらは、少し踏み行った世間話をしてみることにし

た。

「その営業部長が、どうして図書館に小間使いを?」

「それは……まあ、いいか。君はいかにも口が堅そうだ」

ほむらの質問にチャールズは口ごもるような素振りを見せたが、すぐに頭を振って話し始めた。

「フェニックスで異動の準備をしてた頃、どういうわけだか支社長が直々に俺のところに来て、言った。
 『他の誰にも口外しないで、ある物を見つけて持ってこい。これはうちの会社の所有物だ』ってね。
 『後で焼け』って書かれたブツのスケッチを渡された後、ついでに結構な額の小切手まで渡された。
 あの時はまるで口封じだとか思ったが、この有様じゃ葬式代だって言われても信じられるな」

「それが例の捜し物?」

「そうだ。しかも俺だけじゃない。支社からくっついてきた何人かの黒服連中も、それを探しているらしいんだ。
 おまけになんだか監視されてるような感じまでして、はっきり言って不気味だよ」

「そのスケッチとやらを見せてもらえますか」

「構わないよ。ほら」

チャールズが胸ポケットから取り出したA4サイズの紙片を見ると、そこには箱のような物が描かれていた。
箱の表面には天使の絵と、文字らしきも書かれているが、全く見覚えのない記号にしか見えないそれは、
キリストゆかりの宗教書であることぐらいしか想像出来なかった。

「これは?」

ほむらが聞くと、チャールズは小さく頷いた。

「見たところ、古文書かなにかじゃないのか? 俺も詳しくは知らないが、うちの会社は宗教好きで、その手のチャリティにも熱心なんだ。
 コネクションの開発にも、そういうところがあるらしいしな」

「……もう少し詳しく聞かせていただけますか」

「いいとも。少し長くなるけど」

「お願いします」

コネクションを取り巻く環境を知れば、このおかしな魔獣について得られる知識があるかもしれない。
そう考えたほむらがチャールズに尋ねると、彼は気前よく返事をした。

見取り図よりも明らかに長く作られている廊下を、ひとまとまりになって二人と一匹は進んでいった。
ときおり廊下のあちこちからは魔獣達の甲高い呻き声が聞こえてきたが、
チャールズはなかなか肝の強い人間らしく、警戒する様子は見せるとはいえ、あまり怯えた様子は見られなかった。

「俺の勤めてる『オダワラ・マテリアルカンパニー』は大企業だが、それでも組織の中では下っ端だ。
 十九世紀のいつだったか、西部の資源ラッシュで億万長者になった宗教家がぶち上げた複合企業が大本にある。
 社員の大半がモルモン教徒なのも、社がそれを推薦してるからだし、
 社営の教会に通ってるかどうかが出世に関係するなんて噂も、ほとんど事実みたいな扱いで流れてるぐらいだ」

「どこの国でも、人が集まればしがらみ、ね」

「そういうことさ。……そんな宗教熱心な企業が隣近所にある中で、ほとんどがプロテスタント信者なのがこのコネクションだ。
 そして、はっきり言って俺の会社がやってることは、色々な意味で理にかなってない」

曲がり角の向こうに気配を感じたほむらが片手を上げると、チャールズは立ち止まって話を切った。
無言で合図を送ってしゃがむように指示すると、黒い液体を纏った魔獣が何匹も廊下を横切ってゆく。
チャールズはほむらの真後ろで窮屈そうに身を縮めていたが、実際には隠蔽の魔法をほむらに施されているので、
例え魔獣が目の前まで近づいてきたとしても、まず気づかれることはないだろう。
オイルと硫黄の臭いが混じった獣が通路の奥へと消えていくのを確認し、一同は移動を再開した。

「グランドキャニオンからは少し離れているとはいえ、ここらは貴重な自然が山ほどある土地だってことは間違いない。
 開発をするにあたって、フェニックスの支社前には毎日のようにエコロジストの抗議デモがやって来てるし、訴訟だってすでに起き

てる」

「それでも、あなたはあの町の開発を推し進めようとしている。地上げまがいのことまでして」

非難がましい目を向けるほむらに、チャールズは心外だとでも言うように肩を怒らせた。

「兎脚亭の騒ぎを言ってるなら、あれは単なる誤解だぞ。
 ハワードは昔からこの町に住んでる俺の叔父で、身内の俺にたかって酒を飲んでるロクデナシだ。
 会社とは一切関係ないし、君らに悪いことをしたと思ったから、俺の自腹で保釈金と修理費を立て替えたんだ」

「……ならそれとは別に聞くけど、なぜそこまでこの町にこだわるの? そこまで割のいい仕事?」

「違う。仕事だからやってるんじゃない。この町に必要だからだ。どうしても」

「必要? ジョディは利権目当ての再開発だと言っていたわ」

「昔のコネクションには活気があった。外貨もそれなりに入ってきてたし、観光者だってそこそこ来てた。
 それが今じゃあすっかり寂れて、町には若い奴らなんてほとんどいない。
 ……ジョディみたいな子に悪く言われるのは正直きついが、故郷を寂れさせたくないのは俺も同じさ」

「……なるほど」

苦々しげに吐き捨てるチャールズに、ほむらは悼むような視線を向けた。

コネクションが荒廃しているのは魔獣のせいだとばかり思っていたのだが、この問題はより根深いものらしい。
だが、同じ故郷を思う心を持ちながらも、ジョディとチャールズは敵対している。
そのままならない現実に、ほむらは一握の悲しみを噛みしめることとなった。

「まあ……俺の話はもういいさ。重要なのは、上司共がやってる間抜けが、俺にとって出世のチャンスだったってことだけさ」

「その間抜けとやらは、例の再開発に関する問題?」

「ああ。ここが話の肝なんだ」

チャールズは頷き、七三の下に隠れていた大きな傷跡を指で撫でた。

「俺は仕事の関係で、技師やエコノミスト連中には少しばかり縁がある。社内にもそういうコミュがあるんだが……
 そいつらは決まってみんな言ってるんだ。『この土地の採掘は割に合わない』、ってね」

「確かな専門家達が?」

「ウォール街のバイヤーどもに四十USドルの株券を売りつけてる会社のブレイン達は、
 一パイントもハッパをキメてる最中だって、フィリップス曲線や掘削ドリルの夢を見てる奴等だ。滅多な間違いは口にしない。
 それでそいつらが言うには、この土地にはレアアースや石油の類があるにはあるが、埋蔵量は僅からしい。
 さっきも言ってた訴訟やなにやの問題を含めば、ビンゴでもやってた方がマシだなんてレベルだそうだ」

「だけど――」

「そう。本社はその報告書をシュレッダーにかけ、代わりに日本製の掘削機械を山ほどここに送りつけた。
 それでも反対意見を言うやつは片っ端から『栄転』か、自主退職を勧められたらしい。
 ……どうしてあいつらは、ここまでこの土地に執着してる? まったくわけがわからないね。
 ここは単なる田舎町だが、やつらと来たら、まるでエルサレムを奪還しようとしてるテンプルナイトみたいじゃないか」

そこまで話しきった後、チャールズは忌々しげに紙片を掲げて、小さく笑った。
呆れと諦めの混じった苦い声だ。
ただその声を聞いているだけで、彼がどれだけここでの仕事に腐心しているか想像出来そうな声だった。




「きっとこの変な箱だって、そういうわけのわからないまじない道具に違いないさ。君だってそう思うだろう?」
「………………」

ほむらは彼の前を隣を歩きながら、静かに、深く考えた。

彼は、おそらく信用できる。
なんらかの技術に深く関わっている人間がしばしば持ち合わせる、ある種の純粋さとひたむきさが彼にはあり、
善意と誠実さを根底に置き、それを実行できる勇敢さと、思慮を持ち合わせた希有な人種、それがアーサーという男だろう。

そういう彼が口にすること、すなわち魔獣で溢れかえったこの町で、
何者かの巨大な意思が働いているという背景に、ほむらは奇妙な符合を覚えていた。

《悪魔の口》の話もそうだ。一つ一つは偶然だとしても、二つ重なれば必然であり、三つ揃えば証拠になり得る。
例えそれが一見なんの繋がりもない不条理な事象の集合体でも、それは『不条理』という名の法則なのだ。

かつて単なる弱者に過ぎなかったほむらが、今やひとかどの戦士として成り立っているかのように、
この呪われしも馬鹿げた世界には、なにかの巡り合わせが存在している。
『運命』とでも呼ぶべきその糸口を、ほむらはここでようやく掴むに至っていた。



「ほむら。そろそろ出口につくようだよ」

考え事をしている間に、結界の綻びに辿り着いたらしい。
ほむらが視線を床から上げると、そこには粗末な木製のバリケードで塞がれた窓から差し込む陽光があり、
ここが現実世界への出口なのだと理解出来た。

「……太陽がやたらとまぶしい。まるで丸一ヶ月缶詰になった後みたいだな」

階段を昇った覚えすらないのに地階から出ているというおかしな事実は、
今まで数え切れないほどの結界に潜ってきたほむらであってもやはり奇妙に感じたが、
チャールズは呑気に背伸びなどして、なかなか余裕があるようだった。

「ありがとう、本当に助かったよ。……ああ、ええと」
「暁美ほむらよ。ミスター・アーサー」
「俺もチャールズでいいよ、ホムラ。君は命の恩人だ。
 もしロングビーチに寄ることがあったら、ニコールの手料理を是非とも食べていってくれ」

人なつっこい笑みを浮かべて握手を求めるチャールズの手を握りしめ、ほむらはささやかな笑みを返した。

「どういたしまして。……ニコールさんとは?」
「家内だ。菜食主義者で肉は出ないが、西海岸最高の飯を作ってくれる美人だ」
「楽しみにさせていただきます」
「もちろん、この町のことでも力になれるよ。町の連中は会社のやつらには手厳しいが、俺のことは覚えてる。
 必要な物があればどんな物でも手配するから、用があったら連絡を」

チャールズは財布から名刺を取り出し、ほむらに手渡した。
一連の騒動で随分とくたびれた様子になったその名刺は、今のアーサーに少し似ていた。

「それではお元気で、チャールズ。出来れば次は平和な場所で」
「ああ。君もどうか気をつけてな。……と言っても、君ならあの化け物がどれほど来ても、軽くあしらえるのかもしれないけどな」
「時と場合によりますね」
「そうなのかい? 前は俺もなんとか自力で切り抜けられたけど、君みたいなサイキッカーでも不覚を取ることがあるとはね」
「相方は私よりも優秀ですが――」

バリケードを銃把で壊し、狭苦しそうに窓枠を乗り越えていくほむらとチャールズだったが、
――ほむらはふと、チャールズの言葉に微妙な違和感を感じ取り、その言葉を無意識のうちに復唱していた。

「……………………『前は自力で切り抜けられた』?」

赤い煉瓦の積み上げられた壁を一望できる中庭で、ほむらはぴたりと足を止める。
そんな彼女の様子に気づいたチャールズは、『あっ』と声を上げて頭を掻いた。

「そういえば言い忘れてたな。……アリゾナに来てそう経たないころ、こんな事件が前にもあってね。
 だいたい三ヶ月ぐらい前だよ。その時はツーソンの支社で書類をまとめてる途中だったが――」

「ツーソン!? ここから二百キロ以上離れた、あのツーソン!?」

「……そんなに驚くようなことか? オダワラの支社はどこにでもあるんだ。
 あの時はオイルモンスター達と一緒に地下施設に閉じ込められて……まあ、正直地獄だった。
 人死にこそ出なかったとは言ったって、未だに寝たきりの同僚も何人もいて――」

「……そんな……! そんな馬鹿なことって!!」

険しい顔つきで回想するチャールズの脇で、ほむらは狼狽を隠せなかった。

オイルモンスター。それは間違いなくこのコネクションシティを徘徊する、あの黒い魔獣のことだろう。
しかし、ツーソンは陸路を使っても遙か彼方、そんな遠距離を移動する魔獣など、ほむらは聞いたことすらなかった。

「ミスター・アーサー!」

「うおっ!? さ、さっきから急にどうしたんだい? なにかまずいことでも言ったのかと――」

「教えてください。魔獣は本当にツーソンに? ここのと同じ魔獣でしたか? 数は? 結界の規模は?
 犠牲者は合計で何人で、一体どうやって解決を? 魔法少女がそこにいたんですか?」

「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってくれ! そんなに質問されても答えられない!」

「大事なことなんです! コネクションの未来がかかっているのよ!!」

「た、頼む! 頼むから落ち着いてくれ、ホムラ・アケミ! そ、そうだ! このメモを見ればだいたいわかる!!」

チャールズの肩を両手で掴み、文字通り食いかかるような勢いで質問を繰り出すほむらの急変ぶりに、チャールズはすっかりうろたえていたが、
とても少女の細腕とは思えないほむらの両腕から必死で逃れると、ポケットから折りたたまれた紙片を出した。

「す、数週間前、本社から事件についての説明があったんだ。
 ……完全に社外秘の情報だったが、機材破損による薬品の漏洩が原因だって説明されてた。
 この報告書に似たような事件が起きた場所が、全部書いてあるはずだ」
「見せてください!」

ほむらは返事を聞く前にチャールズの手から紙片を奪い、


「――そんな、馬鹿なことって……」

青ざめた顔で天を仰いだ。

ちょっと立て込んでてやたら間隔が開いたりコピペミスがありましたが、今日はここまで。
いつも感想ありがとうございます。めちゃくちゃ励みになってます。

pixivのSSも読み始めたが、面白い
エロばっかなのはちょっとアレだがww

>>1の過去作群を見て来た。
ばかとシリアスの落差激しいけど面白いww 耐えられない人もいるだろうから閲覧注意だけど。

本作の前日譚らしきものもあるよ。

エロばっかりと聞いてwwktkして行ったらエロそんなになくてガッカリしたわけだが・・・

前回お残しした分を投下。こっから話が加速する予定

「やれやれ。降られる前に帰ってこられると思っていたが、なんとかなって助かったよ」

ドアベルを鳴らしながら店に入ってきたのは、白い顎髭を蓄えた四角い顔に、きらりと光る銀縁眼鏡、
熊のような巨体に野太い手足を持つ彼は、由緒正しき英国紳士である、ブリック・キーガンその人だ。

彼は睨み合う二人に目もくれず、ドアベルのけたたましい音と共に入店すると、
両手を大きく広げたまま、ずけずけとバーカウンターに押し入って、あれこれ酒を物色しだした。

「まったく……ブリチェスターの堅物達には呆れて言葉も出ない。
 たかだか水質サンプル一つを送るの一つに、ブリタニカ辞書より分厚い書類を添付しろなど……
 きっと彼らの頭の中には脳細胞の代わりにヒキガエルでも詰まって――ところで、先ほどからどうかしたかね?」

「……けっ!」

「……お気になさらず」

「ふむ……そうか。だが、困ったときは酒を飲むといい。酒は人生の喜びだ。
 嫌な思い出を消してくれるし、どんな小言も言いはしない。
 私は女性に振られたときなどは必ず《アーリー・タイムズ》を飲むのだが――」

お馴染みとなった長い独り言を垂れ流しながら、手際よくオンザロックを作っていくミスター・ブリック。
途中、気怠そうに顔を背け合う二人の様子に不思議そうな目を向けたが、
自分勝手に納得すると、すぐにタンブラーに視線を戻し、うまそうにぐいと一口呷った。

「……ううむ、美味い。美味すぎる。風が語りかけるというやつか。やはり、この国に来たのは正解だったよ。
 故郷のパブが恋しくないと言えば嘘になってしまうとは言え、
 バーボンの辛みには、このアメリカという国が生来持ちあわせる独特のエネルギーを感じる。
 国の同胞は『あんな物は田舎くさい』などとも言うが、酒に貴賤をつけようとする人間の言葉など、
 一ガロンもエールを飲んだスコットランド人よりも、なお信用できない物でしかない。
 いいかね? まとめるならば、私自身の意見はこうだ。伝統が素晴らしいことに異論はないが、
 大手ビールメーカーが製造した大量生産品が、人々の間で広く愛されているという歴史的な事実から見て――」

「お仕事は順調ですか?」

「……ごほん。先ほど言った問題もあるが、経過自体は順調だ。良い知らせが来るのを望むよ」

「そうですか。お仕事が上手く行くことを祈ってます」

ほむらはにこやかな笑顔で話を切断。
自分の話が長いことを自覚しているブリックは、決まり悪そうに咳払いしたが、
ほむらは内心ほっとしていた。ささやかな感謝の気持ちもワンセットで、だ。

気持ちがささくれだっている時は、何をしても上手くいかないものなのだ。
杏子は相変わらず背を向けたままだったが、バーボンの香りに当てられたのか、不機嫌な様子もやや収まっている。
あのまま気まずい空気が続けば調査にも支障が出ていたかもしれないが、この調子なら大丈夫だろう。

「どうだね。私の帰還を祝して一杯」

「ありがとう、ブリック。……お酒を召されてるということは、もうしばらくはこの町に?」

「あっ、てめえ何飲んでんだ!」

時計を見ながら頷くほむらに、ブリックがそっと飲みさしのグラスを差し出す。
会釈して受け取ると、杏子が椅子ごと近寄ってきた。

ごくりと一口飲み干すと、熟成された麦の香りと、甘く上品な舌触り。スリーフィンガーのノブ・クリークだ。
胃を焦がすような分厚い酒気に、ほうっと安息の溜息に乗り、疲れが吹き飛んでいくようだった。

「今日の所はここまでだが、今回送ったサンプルはそう多くない。
 万全を期するためにも、もう少しは水源を調べてみようと考えている」

「……水源、ですか」

「おい、クソほむら。あたしにも一口よこせ。あたしら持ちつ持たれつの相棒同士だろ?」

「うむ。キョーコから聞いているかもしれないが、私は地質学を嗜んでいて、水文学にも覚えがある。
 今回はフラッグスタッフの辺りに出向いて、いくつか水のサンプルを取った。
 出来れば後日はミード湖のほうにも出向いて、採取活動を行うつもりだ」

酒の匂いを嗅ぐやいなや調子の良いことを言い出す杏子を無視してグラスを返すと、
ブリックはオリーブ色のサバイバルベストのポケットからタブレット型の携帯端末を取り出した。
過酷なフィールドワーク用なのだろう、一般的な機種ではない。
衝撃、気圧、水没などにきわめて高い耐性を持つ、米軍御用達の高級機種だ。

「ほら、これがその水源だよ」

ブリックはソーセージのように太い指先で器用にタブレットを操作して、ほむらにひょいと差し出したのだが――

(水源――と言われても……ね?)

決して顔には出さなかったが、端末を受け取るほむらは正直鼻白む気持ちだった。

ほむらも杏子もキュゥべえも、この一週間余りの間、魔獣の調査に没頭してきたのだ。
航路に道路、物流、天候、地形、魔獣が出現する要素となり得る思いつく限りのあらゆる経路を、
インターネットや文書で調べ、必要ならば足を使って寝る間も惜しんで探索し尽くし、水源などはなにをかいわんや、だ。

不自然でない程度に端末上の地図を流し見すると、コロラド川や東側の高地周辺に大きな青い光点がある。
見覚えのある地形図で、河川や湖などの水源地だった。
その周囲に散らばる手書きの斜線は、ブリックが個人で調査した『疫病』の発生地点だろう。
一応確認のため、横目で卓上の地図を比較してみると、光点の位置はほぼ一致している。

ようするに――新たな情報は一切無し。
結局、魔獣の発生起点に関しては、自分達で探すしかないということだ。

「……なるほど。お仕事お疲れ様です――っと……」

感嘆するふりをして溜息を吐き、ブリックに端末を返そうとしたその時だった。
露の浮いたタンブラーで手が濡れていたのだろう、ほむらはつるりと指を滑らせて、端末を手から落としてしまった。
筆箱よりやや大きいサイズの筐体は、ビリヤード台に当たって、少し弾んでから自由落下し、

「おっと。大丈夫かね?」

地面に落ちるその寸前で、ブリックがしっかりとキャッチする。なかなか優れた動体視力だ。

「申し訳ありません。壊れてなければいいのですが……」

「いや、頑丈な機種だから問題ないが……人間の方はそうもいかんよ。君はだいぶお疲れのようだ」

「ご心配をかけて申しわけ――」

「そこで……どうだね? 今日は君たちの慰労を兼ねて、私の部屋でゆっくりと生物学の勉強会でも――」

「いえ。まったく結構です」

ブリックの心遣いに笑みを浮かべようとしていたほむらは、しめやかにお辞儀。
セクハラまがいの誘い文句を無表情で切り返したが、ついついその場の流れでもって、再び端末を受け取ってしまう。

一応筐体をあらためると、目立った傷などはないようだ。
しかし、フリック機能が動いたらしく、画面の表示が切り替わっている。
二種類の光点はそのままだったが、先ほどはなかった緑の光点が、無関係な場所で明滅していた。

(……なにかしら?)

なんとなく気になったほむらが地図を縮尺してみると、緑の光点はアリゾナ中に点在していた。
場所に規則性は見当たらないが――何故だろう、ほむらはその印が妙に気になった。

水源にまつわる地図、それも地質学者であるブリックが持つ物なのだから、
何か特別な意味があるはずだとか……そういう論理的な帰結ではない。
腹の底でわだかまるような、喉の奥に引っかかるような――説明の付かない奇妙な直感。

「ああ、表示が切り替わっただけだよ。故障ではないから心配したまえ」

曇った眼鏡で見る視界にも似た、ひどく漠然とした据わりの悪さにほむらが表情を曇らせていると、
二杯目のロックを作っていたブリックが、ひょいと画面を覗き込み、

「……ミスター・ブリック。その緑色の光点は――」

「ん? これは地下水脈だよ。この付近にはコロラド川があるからね。アリゾナでは、何も珍しくないものだ」



――瞬間、店内の空気が凝固した。


確信という名の電撃が、三人の間を駆け巡った。
みな一斉に目を見開いて、氷のように動きを止める。

――地下水脈。地下水脈だ。
地質学者であり、水文学にも精通した、アリゾナの地形においてはエキスパートと言うべき人物は、今確かにそう言った。

「諸君も知っての通り、アリゾナを代表する地形であるグランドキャニオンは、コロラド川の浸食により形成された。
 これはすなわち、コロラド川が太古の昔から存在するアメリカ有数の巨大水源であり、
 このアリゾナをアリゾナとして存在せしめる、きわめて重要な要素だということだ。
 もちろん、ここにいる博学なレディ達は、モンテズマ・ウェルについてもご存じだろう。
 あのような特徴的な地形に類を持つ湖は、アリゾナ全土に遍在しており――おおっ!?」
「――インキュベーター!!」

気づけば、ほむらは悠々と講釈を垂れるブリックの手から端末をひったくるように奪い取り、背後のキュゥべえに振り返っていた。

しかし、彼は無表情でテーブル上に立ったまま、微動だにせず、まばたきもない。当然返事もしなかった。
ブリックの言葉を聞いた瞬間、彼は彼がするべき仕事を始めていたのだ。

事態を察したほむらが端末を見ると、画面に激しいノイズが走り、筐体が急激に発熱し始めていた。
高度な演算機器である、インキュベーター端末によるハッキングだ。
酒をよこせとうるさかった杏子すら、真剣そのものの眼差しで、端末を食い入るように見つめている。

(お願い……当たっていてちょうだい……!)

呆気に取られるブリックを余所に、緊張した面持ちで画面を見つめる一同。
ピッ、と小さな電子音の後、八インチの画面に映し出されていたのは、
――いくつかの緑色の光点から広がっている、巨大な青い樹形図だった。

「……ビンゴ!」

「クソッタレ! こいつぁ、すげぇ『カーワバンガ』だ!!」

「これは本当に土地勘が物を言う分野だね。いくら機能に制限が掛かっているとはいえ、
 彼の発言がなければ永遠に気づけなかったかもしれない」

降って湧いた幸運に、一同は色めきだった。
二人は同時にガッツポーズをすると、拳を強く叩き合わせ、『ごつん!』と固い音が鳴らす。
キュゥべえは相変わらずの無表情だったが、口調には明らかな熱が籠もり、千切れるほどに尻尾を振り回している。

ついに謎が明かされた。
黒い魔獣の感染経路――それはアリゾナの全域に点在している、巨大な地下水脈だったのだ。

魔獣はどこかの水源上で発生し、そして地下深くへと降りていき、水と共に拡散している。
ほむらが興奮に震える指先で端末画面を操作すると、魔獣の発生地点には必ず揚水施設があったし、
コネクションの各地にも、数え切れないほどの井戸がある。
オダワラ関連の施設は工場ばかりだが、彼らは資源採掘業者だ。
工場を稼働させるには水源が要る。必ず敷地内部に揚水設備が存在し、水源も当然セットだろう。

……これは全くの盲点だった。
ほむら達も生活用水については万全のルートを調べていたし、現場付近の地形も洗った。
しかし、『乾燥地帯には水場がつきもの』という先入観が、これらの施設に対する関心を完全に削いでしまっていたのだ。
これは、まさにアリゾナの専門家であるブリックなしでは、到底辿り着けなかった結論だろう。
二人は先ほどとは打って変わった明るい笑顔を浮かべて端末を見た。

「これは本当に大きな前進だよ。この地図さえあれば、震源地はすぐにでも見つかるはずだ」

「ああ――ってことで一杯やろうぜ! ほむらだって飲んでたんだし!」

「いいえ、まだ攻め入るには早い。ただ闇雲に攻めるのではなく――まずは靴紐を締め直しましょう」

ほむらは微笑みながら頷いて、デジタルマップ上のある地点を指さした。(杏子のことは無視した)

グランドキャニオン付近に点在する、取り分け大きな三つの水源から伸びる水脈が、町の目と鼻の先に存在している。
鉄道路線で例えるならば、三本の路線が停車するのに発車路線は一つしかない、完全な過密状態だ。
現地が魔獣でごった返したスズメバチの巣といった様相を呈しているのは、想像するだに難くない。

「なるほど。ここさえ押さえてしまえば、コネクションの守りは万全だろうね」

「場所は……近いわ。どこかしら? もう少し拡大率を――」

「おお、そこはセレピス浄水場だね」

「ひゃっ!?」

端末を操作しようとするほむらの後ろから『ぬっ』とブリックが顔を出し、ほむらは久々の悲鳴を上げてしまった。
ごく親しい人間にベッドの中で聞かせる声に似た、艶と羞恥の混じった声音だ。
なんとない気恥ずかしさを感じながら振り向くと、ブリックは顎髭を指で撫でつけながら、じっと端末を見下ろしている。

興奮してすっかり忘れていたのだが、彼にはキュゥべえが見えないはずで、
杏子はバーカウンターに寄っかかり、鼻歌を歌いながら酒を作っている真っ最中。
つまり先ほどの自分は、『携帯端末に微笑みながら、独り言を言ってる変な女』だったに違いない。
自分は一体何をやってるのかと呆れるほむらは頬を染め、杏子はそんな彼女をけらけら笑い、

「ああ、やはりそうだな。レディ・アンがちょうど今日から、ここで清掃のバイトを始めたのだよ。
 見ての通りの大雨だから、後で迎えに行こうと思っていてね」

「「――――!?」」

タンブラーをあおるブリックの一言に、たちまち目尻をつり上げた。

「水質汚染の件もあり、市長の命令で浄水場は立ち入り禁止になっていたのだが、なにせ町は不景気だ。
 三日前にレディが直接市長の家に怒鳴り込み、タマを掴み上げて脅しを掛けて――」

「クソッ……! どうしてこんな時に限って!」

ほむらは珍しく悪態を吐きながら、想像を遙かに超える緊急事態にほとんどパニックを起こしていた。

老ジョアンナが浄水場――コネクションで最も危険な魔獣のねぐらに?
現地についてどれほど経つのか? 今から救出に行って間に合うのだろうか?
いや、焦りは禁物だ。生半可な装備で向かえば、返り討ちにあう危険性がある。
だとして、数は? 質は? 現地の地形は?いいや。こんな考え事をしている間に、彼女は手遅れになってしまうのでは――

「……ッ!?」

歯噛みするするほむらは、ばぁん、と叩き付けるような音を聞いた。

はっとして顔を上げる。音は厨房からだ。勝手口の開閉音だろう。
カーテンの向こうからは鮮明な雨音が聞こえてきており、その中に『どるん』とエンジンの音が混じった。
聞き覚えのあるエンジン音――スパイククロー家のドゥカティだ。

「……まさか――ジョディ!?」

ほむらは一瞬で状況を察した。ジョディは二人の話を聞いていたのだ。
このタイミングで出て行くことから推測するに、ほとんど全てが筒抜けだったはずだ。
ならば彼女が向かう先は――ジョアンナの待つ浄水場――地獄の底にも等しい場所だ。
すぐに制止しなければ、最悪の事態が起きかねない。だが、やはり、それでも今の装備では――

「――先に行くよ!」

逡巡するほむらの脇をすり抜けて、真紅の鏃が嵐の中へと放たれた。
あれほど楽しそうに作っていた酒は、一口も飲まないまま置き去りだ。

「杏子!?」
「あたしが二人のおもりをしてやる! あんたはでっかい銃を担いでこい!!」

稲妻の速度で杏子は駆け出し、振り向きながらほむらに怒鳴ると、霧掛かったように曇った思考が、瞬く内に晴れ上がる。
杏子が直感で導き出したその解答は、ほむらの悩みを一瞬にして解決したのだ。
本当に心強い仲間だと、どくんと心臓が高鳴る気がした。

「……ヘマはしないで!!」
「Yippee ki yay!(あったりめぇよ)」

感謝と信頼を込めた激励。
勝手口から身を乗り出して叫ぶほむらに、杏子は振り向くことなく親指を立て、水煙の向こうへと姿を消した。

ひとまずの謎解き完了。(まだちょっと残ってますが)
みんな大好き戦闘パートが入った後、トーナメントが始まってアリゾナ坂を登り始めます -完-

>>322-326
ここのルールは詳しくないんですが、外部のお話は外部でやったほうがいいのでは……という余計な心配。
あと>>326サンも言ってますが、エロは全体の総数で換算すると十本に一本ぐらいしか書いてないので、割合的にはレアです。

一応ステマステマ言われるのも気分が悪いので、公式にステマしておきます。
http://www.pixiv.net/member.php?id=374781

>>323
ボーントゥビー ワァ~ア~ア~イ (ジャーンジャーン)

遅くなりました。投下します


「ジョディ! 待ちやがれ!!」

杏子が店から飛び出すやいなや、全身を猛烈な風雨が襲った。

とんでもないスコールだ。
もうもうと立ちこめる水煙で視界が霞み、一つ先の通りすら見通せない。
前方でちらつくバイクのカウルと、潮の満ち引きにも似た雨音に混じる排気音を頼りに、嵐の中を駆け抜ける。

人間の常識を遙かに超えた、信じられないスピードだった。時速二百キロは優に出ている。
砂色に塗りつぶされたコネクションの町並みはあっという間に背後に消えた。
杏子の視界を埋め尽くしているのは、大地に描かれた一本の長い舗装路と、雨に濡れた荒野の世界だ。
天と地の狭間を青白い稲光が埋め尽くす幻想的な空間の中、一台のバイクを追って疾走してゆく。

叩き付けるような勢いで降り注ぐ雨粒が白い肌に当たると同時に、じゅっと音を立てて蒸発した。
コントールを失った魔力が熱に変換されて、体外に流れてしまっているのだ。

杏子は水が大の苦手だ。カナヅチなのが関係あるのか、あるいは『そういう性質』を持っているからカナヅチなのか、
とにかく水に触れているときの杏子は、そうでない時と比べて大きく能力が下がってしまう。
万全な状態で走っていれば、今の倍は速いだろう。
バイクは杏子を引き離し、じわじわとその後姿を消そうとしている。

(クソッ……それにしたって、こんなのありかよ!)

だが状況が悪いのは、前を走るジョディも同じ――むしろ彼女のほうこそ最悪なのだ。

荒れ放題の濡れた路面に、絶え間なく吹き付ける激しいスコール、視界の悪さも致命的。
超一流のプロレーサーですら、こんな状況での全力走行は自殺行為と言うだろう。
しかし、ジョディは止まるどころかますますバイクを加速させ――消失。杏子の舌打ち。

どうやらジョディはアンの危機に際して、新たな魔法を習得したらしい。
新人魔法少女には良くあることだが、今はどうあっても喜べない。
急場凌ぎで得た能力など、実際の戦闘ではなんの役にも立ちはしないのだ。
ジョディが急げば急ぐほど、彼女は地獄に近づいてゆく。アンも同じ末路を辿るだろう。クソッタレの単純馬鹿め!

悪態を吐いて彼女達が救われるなら杏子は何度でもそうしたはずだが、今はそんな時間すら惜しい。
彼女はFで始める四文字の言葉を飲み込む代わり、温存していた魔力の一部をより強い推進力に変え、
文字通り火の玉そのものとなって、浄水場への道をひた走る。


雨脚が弱まってきた。
視界が少しマシになり、水煙で霞んでいた地平線の彼方に、なにかの施設が見えてきた。

敷地の広さは、遊園地ほどもありそうだったが、背の高い建物は多くない。
煙の帯がいくつもたなびいているので、多分工場か何かだろうが――馬鹿言え。ここは浄水場だろ?
昔、社会科見学であたしは見たじ。浄水場じゃあ火は焚かない。……それじゃあここは一体どこさ?
いくら雨で見づらくっても、こんなただ真っ直ぐなだけの道でどうすりゃ道に迷うって?
困惑しながら必死で走る。だが施設の全容が明らかになると、謎はあっさりと氷解した。

杏子とジョディが目指している場所、聖セレピス浄水場は――たしかに火を噴き、燃えていたのだ。
こうして近くで見るとはっきりわかる。煙を上げているのは、正門目の前にある大きな建屋だ。
炎上していると言うほど激しく燃えているわけではないが、決して小さな規模でもない。
学校の体育がいくつも入ってしまいそうな広い敷地のあちこちから、燻るような煙が何本も出ている。

(……想像以上にまずいそうだな、こりゃ……)

中で何か起こっているかはわからないが、ろくな状況ではないだろう。

二日酔いによく似た頭痛を噛みしめながら辺りを見回す。
正門のすぐ傍にドゥカティが横倒しにされていた。ジョディはすでに中らしい。
一度だけ深呼吸をして息を整え、門を飛び越えて建屋に近づく。

赤錆の浮いたトタンで出来た壁を持つ、廃工場のようなひどい見た目だ。
英語で『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた蝶番の無いドアが、内側に蹴り倒されていた。
鉄製のドアにめり込んだブーツの足形は九号ぐらいで、ジョディのでかい足とだいたい同じだ。

「……ったく。あいつもどういう育ち方したんだかな」

杏子はおどけながら建屋に飛び込む。
瞳は真剣そのもので、少しも笑っていなかった。

◆Cの呼び声



(……なんだ、この感じ……?)

建屋に足を踏み入れた瞬間、杏子は異様な気配を感じた。
視線と言い換えるべきかもしれない。
まるで値踏みするかのように纏わり付いて来る粘つく視線が、そう遠くない何処かに潜んでいる。

魔獣かと思って辺りを探るが、裏口の短い廊下に人影はなかった。
敵意は感じない。だが友好的にも感じられない。
あまり気持ちのいいものではなかったが、手出しをしてくる様子もなかった。
気にくわない場所だと舌打ちし、ひとまず忘れて前に向き直る。

「それにしたって、こりゃ一体どうなってんのさ……」

廊下を見渡し、一言呟く。

外からの様子を見た時点である程度の予想はしていたが、建屋の中は惨憺たる有様だった。
荒れているなどというものではない。どう見ても『破壊』されているのだ。

あちこちで火災が起きているにも関わらず、スプリンクラーは動いてなかった。
窓ガラスは内側から弾け飛んだように割れ散っており、コンクリート製の壁や床にも大小様々な穴が穿たれ、中の鉄筋が露出している。
足を止めて壁を見渡すと、似たような穴がいくつもあった。
ほむらが魔獣相手に持ち出す大型機関砲によく似た形だ。小型の刃物で切りつけたような痕跡もある。

じっとりとした異臭。
とても好ましい臭いではなかったが、何かの手掛かりになるかもしれない。
嫌々ながらも湿気った空気を吸い込むと、硝煙や錆に混じって、石油のような臭いがする。

《黒い魔獣》の体臭だ。
何者かが魔獣と戦った結果、建屋が損壊したと見ていいだろう。

ならば――それは一体どこの誰が? 果たしてなんの目的で?
廃墟マニアの魔法少女が、たまたま魔獣の群れに遭遇した可能性は考えるだけ無駄だ。
先程新しい力に目覚めたらしいジョディでも、この広い建屋をこれだけの短時間で破壊するのは不可能のはず。

謎だらけだった。心当たりもない。
ただ一つだけ、間違いようのない事実がある。

数十体の魔獣をものともせずに鏖殺できる、敵か味方かもわからない誰かが、この近くをうろついている。
孤立している二人に何かあったらと考えると、生きた心地がしなかった。

『おい、ボンクラ! あたしにこれ以上手間取らせんじゃねえ! 聞こえてたら返事しやがれ!』

念波でジョディを呼んだが、返事がない。
……何かあったのだろうか? 不安になる。

『……ジョディ! いいか! 今すぐそっちに行くから動くんじゃない! アンと一緒に隠れてるんだ!』

返事が出来ない場合を考慮して、伝言を残して廊下を進む。

足跡を追っていけば済むとはいえ、かなり焦れる状況だ。
自分の周囲が安全だという保証もないので、ある程度は待ち伏せを警戒しながら進まなければならなかった。

兎脚亭では考え事をする余裕はなかったとはいえ、キュゥべえを置いて来たのは失敗だった。
一時的な不調に陥ってるとはいえ、レーダーの代わりにはなったはずだが、肝心な時に役に立たねえ!
杏子は頭の中で彼をブーツで踏みにじりつつ、辛抱強く足を進める。

幸い、足跡の乾き具合から見て、ジョディがここに入ったのはそう前ではない。
アンを探しに来た以上、血気に逸って馬鹿を起こすこともないはずだ。ほむらもこちらに向かってきている。
とにかく今はトラブルを避け、二人を見つけることだけを考えればいい。

不安をかき消すように首を振り、何度か角を曲がったところで――早速、問題にぶち当たった。

「ッ――マジかよ……」

思わず額に手を当てて唸る。

壁を走るパイプのいくつかが派手に裂け、派手に水を撒き散らしている。
床は全面水浸しだ。ジョディの足跡など影も形も残っていない。

お世辞にも良くない状況が、さらに悪化したようだ。
後手を踏んだデメリットが一番まずい形で現れている。

一応、万に一つの望みを掛けて、長廊下の十字路に立って足跡を探してみるが、
老朽化によってひずんでいるのか、建屋の前半分はほとんどが浸水しているようだった。
手掛かりは完全に尽きてしまった。焦りと苛立ちで手の平に汗が滲み、胸の内側が泡立つ気がする。

それでも杏子はどんな癇癪を起こすこともなく、ジェムに魔力を集め始めた。
体の周囲に紅の粒子が集まり始め、ゆっくりと人の形を成していく。十八番の眩惑魔法だ。
計画しての行動ではなく、あくまで反射に近いものだったが、非凡な才覚と呼ぶべきだろう、合理的な理由があった。

手掛かりが尽きたなら――探し出してみせるまで。

自分を中心に分身を駆け巡らせ、虱潰しに内部を探せばほとんど時間は取らないはずだ。
もちろん、魔獣や謎の存在と鉢合わせする危険性も孕んでいるが――はっきり言おう。
そんなことに構ってられるか! 杏子は冷静に激怒していた。

なにしろ、ここしばらくは調査のおかげで睡眠不足だ。
昼飯を食ったのは三時間前。酒は一月以上ご無沙汰で、さっきのバーボンだって飲みそびれた。
終いには無鉄砲な新人のお守りを任され、そいつが勝手に突っ走った挙げ句、
『迷子なんです、助けてください!』。ふざけろ、このアホ。冷静でいられるほうがどうにかしている。

杏子が自分の本音をぶちまけるなら、『誰でもいいから殴らせろ』だ。この際ほむらでも構わない。
マミは駄目だ。返り討ちに遭う。クソッ、なんでもいいから酒が飲みてぇ。
ほとんどやけくそになって魔力を編み上げ、ほどなく魔法の準備が整う。
後は建屋の中で出会ったやつを、一人残らず張り倒すだけ――という状況で、杏子ははっと息を呑む。

『…………』
「……!?」

切れかけた蛍光灯がちらついている、どんよりと暗い湿った廊下。
その不気味な空間の反対側に、四つ足の動物が佇んでいた。

ぴんと立った三角形の耳。塵一つ掛かっていない、白雪にも似た白い体毛。
少しだけ開いた口元に、鋭い犬歯が垣間見える。
暗くて遠近感がおかしくなっているのかと思ったが、目を凝らしてよく見ると、体躯が異常に大きいようだ。
肩の高さはどう見ても一メートルはありそうだったが――なにより特徴的なのは、眼窩に輝く二つの目だった。

暗闇の中に光る瞳――満月のような黄金色だ。

本来生物が持ち得ない、超自然的な命の輝き。
それは神の威光そのものであり、人々が神に抱く畏れを形にしたかのような、絶対的な力を感じる。
あんな瞳は見たことがない。いや、どこかで見たのかもしれない。いつだ? わからない。だが記憶に刻まれている。
それが本当に常世の物であるかを疑うほどに、その瞳は神々しくも美しかった。

『…………』

呆然と狼の目に魅入っていた杏子と視線を交わしたまま、狼は角の向こうへと歩いて行く。

ゆっくりとした足取り。杏子を待っているかのようだ。

「……ちッ……あたしは夢でも見てるのか?」

罠か、あるいは幻覚か。はっきりとしたことはわからない。
だが杏子は敢えて『彼』の背中を追おうと思った。その理由すら、わからなかったが。

以上です。なお新キャラは101のアイツによく似た、
サイボーグとミュータントをごっちゃにし、後頭部にバーコードを印刷した美少女になります。

>>345
すみません。お手数おかけしました

スコール[squall]?名?
①突然に吹き始め、数分間続いてやむ強い風。降雨や雷を伴うこともある。
②熱帯地方特有の激しいにわか雨。強風や雷を伴うこともある。

明鏡国語辞典 (C) Taishukan, 2002-2008

スコール【squall】
急激におこる強風で、数分間続き突然止むもの。一般に降水や雷雨を伴う。日本では特に熱帯地方の驟雨(しゅうう)をいうことが多い。

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

気になって調べてみたら、雨のこと差す場合もあるっぽい?

投下開始します。

なお、2chで起きたトリップ流出事故で私のトリップも出ちゃってたので、今後はこっちのトリップにします。
どこか別の場所で見かけたら、偽物だと思ってください。いないと思うけど。

杏子と白い狼の奇妙な追いかけっこが続いていた。

奇妙……というより、『不思議』だろうか。
狼の背中を追いかけ廊下の角を曲がる度、狼の姿は必ず次の廊下の角にあった。
まるで蜃気楼だ。どれだけ距離を詰めようとしても、近づくことの出来ない幻。
誘い込まれているのはわかった。つい追いかけてしまってはいたが、まずい状況なのかもしれない。

裏口から移動してきた道のりは、だいたい数百メートルほどだろう。
順調に建屋の中心部に近づいているだが、この狼が自分をジョディの場所に導いているという確証はない。
押さえ込んでいた焦りと、じめじめとした蒸し暑さで滲む汗を、べたついた手でぬぐい取る。
いくらか頭も冷えてきた――あたしは何をやってんだ? 足を止めずに彼女は自問した。
今すぐこの追跡劇を止め、当初予定していた分身によるローラー作戦を敢行し、ジョディの探索を再開するべきでは?

魔獣や謎の第三者を刺激する危険はある。
しかし先んじて二人を見つけ出せれば、そこから先はどうとでもなる。

追跡を始めてまだ二分余り。一秒を争うこの状況では手痛いロスだ。人生ってのは非常に短い。
早死にしたがる――そして実際山ほど痛い目を見る羽目になる――馬鹿も多いが、今はそういう大馬鹿を助けるためにここにいる。
決断するべき時じゃないのか? もう『あんな目』に遭うのはたくさんじゃないか。

ぺろりと上唇を一度舐め、一息ついてから彼女は決めた。

……オーケー、あの角を曲がってから十歩分。いや、五歩だけ数えよう。
そこで犬っころの尻を追いかけるのはもうおしまい。あたしは分身を出しまくり、ジョディを全力で見つけ出したら、
あとは適当に上手く行く。今はそう考えておいて損はない。
いよいよ角だ。よし曲がったぞ。一歩、二歩――よし行くぜ!!

「――ッ!?」

『ばたん』という大きな音で、杏子は出鼻を挫かれた。
完全に意識の外から来た刺激なので、驚きで肩がびくりと震え、集中した魔力が引っ込んでいく。

何事かと思いながらも気を取り直して顔を上げると、ちょうど角から十歩先の場所で、大きな鉄扉が揺れていた。
白い尻尾が僅かに見える。どうやらあの狼が開けたらしい。
水溜まりを跳ね上げる音に注意しながら接近。罠の可能性を考慮して、慎重に中を覗き込む。

吹き抜けの二階部分を持った、かなり広い部屋だった。
浄水施設の一部なのか、小さな円形のプールのようなものがあちこちに配置され、
杏子の身長ほどもあるパイプだらけの大きな機械が、絶えず唸りを上げている。
予想通り狼はいない。煙のように消えていた。


ほむらやマミに教わったコツに倣ってトラップや伏兵の場所を探る。異常は――あったが、罠ではない。
鉄扉で途切れた水溜まりの先に、見覚えのある足跡が並んでいる。
余りにも話が出来すぎていたが、見て見ぬふりは出来ないだろう。
もしこれが罠だったなら、大したもんだと誉めてやる。鼻の骨も折ってやろう。

ジェムに全感覚を投入し、あらゆる意識を覚醒させて、一歩一歩足を進める。
二つの息づかいが確かに聞こえる。心音もある。脈拍も正常だった。目標は部屋の隅、機械の影に潜んでいる。
危惧するべき対象は一つもなかった。覚悟を決めて足を早める。

「ジョディ……!」

「……あ、キョー、コ……?」

ついに見つけた。
機械と壁の小さな隙間、自分の背中側にアンを隠すようにして、斧を手にしたジョディがうずくまっていた。

よかった。間に合った。
胸をなで下ろしてジョディに近づく。
膝立ちで彼女の体にあちこち触れて異常がないかチェックすると、彼女の胸は平坦だった。

「大丈夫かい? 怪我や魔力は?」

「……あ、う、ん……。あいつら急に撃ってきて……それで、逃げた、けど……破片が……」

「あいつら? 撃たれたって? 魔獣じゃないのか?」

「ご、ごめ……頭ふらふらで……け、けがはないけど、きもちわるくて……」

「無理しないで。よく頑張ったね」

朦朧とした声でジョディは答えた。
時折苦しげにうめいており、目の焦点も合ってない。

少し緊張しながらジョディの服をまくり上げると、鳩尾のジェムは綺麗なものだった。
こめかみから僅かに出血している以外、目立った外傷も見当たらない。
恐らく銃撃とやらを受けた際、破片か何かで脳震盪を起こしたのだろう。
一応アンの様子も見てみたが、ただ寝ているだけに見える。魔獣の餌になっていれば、もっと憔悴しているはずだ。

「ごめん……キョーコ。声は聞こえてたんだけど、ばあちゃんになにかあったらって思ったら……」

「気にすんなよ。魔法少女なんてのはそういうもんさ。
 人に迷惑かけたらなんて言ってるやつは、結局なんもできやしない」

「……でもキョーコは……」

「いいって言ってるだろ? 友達に掛けられる迷惑なんて、勲章みたいなもんじゃないか」

「友達……?」

「ああ。あたしはちっとも気にしちゃないよ。
 ……今はゆっくり休みな。次に目が醒めた時にはベッドの上だ」

「……うん……」

申し訳なさそうに俯くジョディの頭を、そっと手の平で撫でてやる。
偽りのない真心と、喜びからの行動だった。

ここに彼女がいなければ、こうしてやることすら出来はしない。
そうなる前に間に合ったこと、ここまで走れた自分のことが、杏子は心底誇らしかった。

「待ってな。仇を取ってきてやる」

張り詰めた糸が切れるようにジョディはくたりと地面に倒れ、小さな寝息を立て始めた。

気丈な彼女らしからぬ穏やかな寝顔だが――無理もない。
出会ったときには軽い小競り合いもしたとはいえ、命を懸けた戦いは今回が初めてだ。
十分な訓練を積んだ魔法少女ですら、初戦から使い物になることは非常に稀だ。
大抵は恐怖で怯えて泣きわめき、ジェムだけ残して魔獣の腹にぺろりと収まる。

この極限の状態で錯乱もせず祖母を守りきったジョディには、紛れもない本物の勇気があるのだ。
それに大きな経緯を表し、彼女の仇を取るべきだろう。
優しげな表情から一転、肉食獣にも似た獰猛な笑みを口元に浮かべると、杏子はぺろりと唇を舐めた。

「……ってことで、借りを返してやりたいんだけど――いつまでそこで見てるつもりだ? あぁ?」

首だけで後ろに振り向くと、視界の端で何かが動いた。
部屋の入り口、がたついた鉄扉のすぐ脇だ。
扉の影に隠れているうえ、部屋の電灯は切れかけており、ほとんど姿は見えなかった。

「びびってんのか、チキン野郎。あたしは丸腰の女だぜ?
 まさかママの腹の中に、タマを落として来ちまったのか?」

『…………』

流暢に挑発する杏子の前で、影は蠢き続けていた。いや、それは最初から隠れてなどいなかった。
ただ漆黒に塗りつぶされたその人型は、影に潜んでいるように見えただけだ。例の《黒い魔獣》ではない。
身長は、杏子より少し高いぐらいだが、首回りや上腕は男性的な野太さがあり、レスラーのようにずんぐりしている。
全身がつや消しグレーに塗装された金属の板で覆われたその物体は、SF映画にで出てくる人型ロボットそのものだ。
それが今、ただの少しも己の存在をはばかることなく、杏子の前に立ち塞がっていた。

「ようブラザー、教えてくれよ。あたしの不出来な後輩を可愛がってくれたのは、あんたかあんたの知り合いかい?」

振り向き、顔を睨め付ける。口と鼻に当たる部分はなかった。二つの赤いセンサーアイが光っている。
重厚な装甲にこびり付いた黒光りする液体と、ほんの僅かな硝煙の臭い。
その野太い腕に掴み上げられれば、か弱い女の体がどれほど容易く組み伏せられるかは想像に難くない。

《目標確認。脅威レベル、ゼロ。非戦闘モードで解析開始》

機兵は杏子の眼前で足を止め、二つの瞳を明滅させた。
小さな――建屋を叩く雨音に消え入りそうな駆動音を立てて首が動く。
レジスターのバーコードリーダーに似た間隔で、杏子の網膜に光がちらつく。こちらを観察しているようだ。

あたしをモルモット扱いか。 いいじゃねえか、上等だ。
そのださいヘルメットをむしり取って、タンブラーの代わりにしてやる。

杏子はきわめて冷静に激怒していた。戦う時にはいつもこうだ。
頭はクールに、心はホットに、夢と希望にときめきながら、地獄の獣をファックする。
魔法少女ってのはそういうものだろ? ふっ、と息を吐き切ると、真紅のドレスが体を包む。
ピンクのスカートは少し派手だが、これでもかなり気に入ってるのだ。

「脅威ゼロ。英語が理解できないってか、このクソッタレのブリキ野郎。
 いいか? あたしは『なんでもいいから殴らせろ』って言ってるんだよ。『はい』か『YES』かで今すぐ答えな」
『魔力を検出。再解析モード。パターンF311、ブルー。戦闘型プエラマギと目標認識。
 ターゲットモードの変更完了。脅威レベルによる診断停止。全滅モードで排除します。 Have a niceday(よい一日を)』
「いい答えだな。Have a nicedie(くたばれボケナス)」

ひゅぅん、と静かな駆動音。
機械人形の右手が変形し、二連装の機関砲が姿を現し――轟音。
杏子は超人的な――文字通りの超人の腕力が素手で砲弾を打ち払い、天井に握り拳ほどの大穴を開ける。
まともに命中していれば胴体が真っ二つになってたはずだが、人知を超えた杏子の技巧にそんな玩具は通用しない。

「――シッ!」

息を吐き出し、跳ねるように半歩踏み込む。機兵が照準、発砲される前に懐に。電光石火の早業だった。
銃を持っていない左の手先を、綿毛に触れるように打ち払い、次に重心を強めに叩く。
ただそれだけの軽い動作で、鋼鉄製の上半身が、腕ごと後ろに反らされて――間髪入れずに手刀の袈裟切り。
『彼』が防御するために差し出した左手をなんの苦もなく手刀は寸断、胸部を深く切り裂いた。

(……硬い!)

どうやらただの鉄屑ではないようだ。杏子は一瞬目を丸くした。
胴を両断するはずだったのだ。全力を出したわけではないが、さりとて手加減もしていない。
機兵は左の肘から下を切り取られ、鳩尾のあたりまで胸を切り裂かれているものの、
活動停止にまでは至っていない。タフネスさだけは認めるべきだ。

《脅威度修正。クラス4、アーチメイジ級マギ。データベースの更新完了。
 統合端末に撤退申請。拒否を確認。戦闘続行。勝率はゼロ》

機兵は崩れ落ちかけながら、ぎこちない動きで再び銃口を杏子に向けようとし、

「うざいんだよ、バカ」

呼び出した槍で頸部を切断。
二つのセンサーを光らせながら、機兵の首は浄化槽のタンクに激突。鈍い音を立てて床に転がる。
コントロールユニットを失った胴体も、残った右腕側に傾きながら倒れた。
思ったよりも呆気ない。人形ごときに楽しませてもらえるとは少しも思ってなかったが、こうもあっさりだと拍子抜けだ。
肩すかしを食らった気になりながらも、槍を振り抜いたままの姿勢で油断無く周囲を警戒。……敵増援の気配はなかった。

「キョ、キョーコ……やっつけたの?」

変身を解かずに佇んでいると、アンを背負ったジョディが出てきた。
目つきは少しとろんとしてたが、足取りはすでにしっかりしている。

寝ていろとは言ったものの、あの発砲音では起きるだろう。
彼女はアンと錆だらけの機械に隠れ、おそるおそるといった感じで機兵を見ていた。

「ジョディ、起きたのか。……ばあさんの容態は?」

「休憩室で大いびき掻いて寝てたのを、そのまま担いできただけだよ。まだ寝てる」

「とんでもねえクソババアだな。ま、なにかあるよりはましだけどさ……」

「……それよりこいつは一体なんなの? こいつ魔獣を殺してたんだ。
 あたし魔法少女のことは詳しくないけど……ロボットでも魔獣と戦えるもんなの?」

「無理だな。魔法で全身を処理してあるか使い魔じゃなきゃ、足止めぐらいにしかなりゃしない。
 それにこいつはどう見ても、巻き込まれましたって感じじゃあない」

「どういうこと?」

「多分魔獣を殺すために、自分から結界に入ってきたんだ。ただの機械には絶対できない」

杏子は残骸を足で小突いた。

見たこともないほど精巧で、頑健、強力な機械人形。
銃器には詳しくなかったが、武器のでかさもかなりのものだ。
まともな人間がまともな目的のために作ったならば、こんな作りにはならないだろう。
機兵の胴体部分を引っつかみ、槍をしまって立ち上がる。

「とにかく、一旦ここを出るよ。こいつはどう考えても単独じゃない。
 適当にクズ鉄を集めて帰って、あとは頭の良い連中にこいつのことを調べさせる。
 これからの話はそこでしよう。あんたの『お尻ぺんぺん』もな」

「うっ……き、気にするなって言ったくせに……」

「気が変わった。ほら、さっさと立ちな!」

アンを背負うジョディの尻を槍の腹で引っぱたき、杏子は機兵の頭部に近寄る。
まったく、忌々しいクソタレだ。酒を飲み損なったじゃねぇかバカヤロー。
『食べ物の恨みは恐ろしい』って、パパとママから教わらなかったか?

「F××K OFF!!」

怒りを込めて、ドライブシュート!
ボーリングの球よりも重い物体が、サッカーボールよりもなお早く飛び、そこらにあった機械に激突。
さらにバウンドして天井に当たり、『がこんっ!』と地面に落っこちて、

『BEEP!! BEEP!! BEEP!!』

「うわっ!?」

「ひゃぁっ!? な、なに!? なんなのさ!?」

耳をつんざくような大音量が、へこんだ頭部から飛び出した。
鼓膜が痛くなるような、きんきんとした高音だ。二人はたまげて耳を押さえて、

『――警報確認。任務優先クラス5。全機、当該エリアに集結。速やかに目標を駆逐せよ』

ずどぉんっ! と天井をぶち抜いて、機械人形が部屋に降り立つ。

『現場に到着。目標視認。データベースの危険目標、及び低胸囲のPM確認。
 全滅モードで兵装起動。Have a nice day』
『作戦区域に到着。ターゲットデータの並列化を開始。Have a niceday』
『Have a niceday』

警報と雷鳴の鳴り響く中、機兵は次から次へと現れる。
天井に開いた穴の中から、部屋に通じる扉の先から、割れた窓から、排気口から。
壁を体当たりでぶち破り、無理矢理突入してくるやつもいた。
部屋の中は機兵でぎっしり。もはや笑うしかない状態だ。

「……あのさあ……」

絶体絶命の大ピンチに、ジョディがたらりと冷や汗を流し、ジト目で杏子を睨み付ける。恐怖というより呆れた顔だ。

『全機、作戦区域に到着。目標確認』
『リンク完了。フォーメーション《Crazy 88》で殲滅開始。Have a niceday』

機兵達の低い駆動音。がちゃがちゃと腕部が変形し、機関砲が姿を現す。
ほんのまばたき一度の瞬間で、二人は蜂の巣になるだろう。絶体絶命の状況で――

「……やれやれ。やっと面白くなってきたじゃん」

ふっ、と不敵に杏子は笑い――武息。
精火を六腑に満たし、臍下丹田に気を集め、くるくると槍を回して四肢へと送る。
サモ・ハンを思わせる、流れるような手捌きだ。

燃え上がる瞳の奥に去来するのは、かつて見ていた映画の一幕。
夢に出るほど見返し続けた武神達の神業は、心に刻みつけられている。
その想像力を本物にする――魔法の力が杏子にはある。

「かかってこい! 相手になってやる」
「……なんか誤魔化されてる気がするんだけど」

ぱん、と地面を踏みしめて、槍を背中に回して静止。
ジョディのうらめしそうな声を無視して、杏子は戦の火蓋を切った。

ここまで。劇場版公開までに終わらない気がして絶望

なんだか色々ありましたが、新しいトリップを忘れてしまったので結局古い酉に戻しました。
今度の更新はやや長いです。

「かかってこい! 相手になってやる」

槍の穂先を地面に突き立て、紅の縛鎖を周囲に展開。
一条、二条、四条、八条。十重二十重に紡がれた鎖の結界が三人を隙間なく囲い込み、
鋭い棘をきらめかせながら鎖音を上げ、機兵達を威嚇する。

『射撃開始。目標を駆逐せよ』

合成音声から少し遅れて、耳をつんざく爆音と、ストロボのような砲火が部屋を照らした。

錆びついた計器の陰から、二階部分のキャットウォークから、上下左右のあらゆる場所から、
同士討ちを避けるために射線を交わらせないという戦術を根本から無視して放たれる、圧倒的な鋼の暴力。

プレス機が百倍速で動いてるような騒音の中、薬莢が飛び跳ね、マズルフラッシュが激しく瞬く。
宵闇のように暗い室内に、機兵達の影がコマ送りで映し出される。
十二.七ミリ機銃の一斉掃射は紅蓮の結界に当たって砕け、星屑のように散っていく。

コンクリートの壁は跳弾でピーナッツバターのように引き裂かれ、
辺りはもうもうと立ちこめる噴煙で覆われるが、機兵達は射撃を止めない。
機械的で、無慈悲な決断。
命じられたままに相手を屠殺し、その亡骸を目視するまで、彼らの攻撃は続くだろう。

被覆鋼弾の雨に混じって、胸部のウェポンベイから迫り出した擲弾筒が四十ミリ榴弾を次々発射。
衝撃で窓硝子や貯水タンクがいくつも吹き飛び、分厚い蒸気を辺りに散らす。

『全弾倉の八十%を消費完了。敵対象の生存確率、推定○.○三%。各機射撃を停止せよ』

数十秒間にわたって続いた鋼の制裁は、一糸乱れぬタイミングで静止した。
同士討ちの件数はゼロ。破片による損害もない。
恐るべき精密性と完璧なまでの残虐性を生まれながらに持ち合わせた機兵達は、少女達の残骸を探し始める。

『全センサー、パッシブからアクティブ方式へ。対象二名の走査を開始』

二つの赤いセンサーアイが白煙の中を駆け巡る。
彼らの探知能力はきわめて高度だ。
光学、熱源、震動、音波、人体の排出する特定のガス、そして魔法少女が生み出す魔力に到るまで、あらゆる現象を解析できる。

機兵のうち一機が鎖の破片を踏みしめ、先程まで三人がいた場所へと辿り着く。
煙が濃い。光学装置はほぼ無力だった。センサー感度を大幅に上げて、直接死体を探そうとする。
反応無し。システムに致命的なエラーが発生。対応エラーコードを検索――該当あり。

障害内容 《全センサーの一斉喪失》

そのエラーを検出したとき、彼は地面に倒れ込もうとする自分の胴体と、赤い影を見下ろしていた。

「まずは一つ」

赤い影。それは彼らにとって最悪の敵、佐倉杏子に他ならない。そして彼女は健在だった。

呟きと共に閃く三日月。きん、と鋭利な刃の鈴鳴り。
神速の一撃を受けた四機の機兵が胴を両断され、重い音を立てて地面に転がる。

「これで五機」

じゃらり。鎖の擦れるざわめき。
武神の演舞が始まった。

『ターゲットの生存を確認。速やかに目標を駆逐せよ』

感情のない機兵達に、仲間を失った動揺はない。

無機質な合成音声を垂れ流しながら腕部の機関砲を展開。発砲。
米糠のような白煙を突き抜ける弾頭を、杏子は苦もなくすり抜けて、払いの刃で一機を両断。
杏子を狙ったはずの弾丸は脇に逸れ、棒立ちになっていた機兵を直撃。
致命的な誤射を受けた三機が即座に爆発四散し、合計四機の機兵が塵に変わった。

『システムエラー。識別装置及び火器管制システムに不全を確認。自己診断モードによる手動照準を実行します』

機兵達の動きが一瞬鈍った。
本来なら機能しているはずの安全装置を、まったく無視した誤射だった。
電脳の自己修復機能が即座に作動。発生した障害を超高速で確認し、対抗策を練り始める。

彼らを統括する端末主機との通信に、謎のノイズが混入している。
AIは自己診断の末、主機との端末を一時切断。
該当問題を解決しつつ、機体固有の管制装置で射撃をするようにモードを変更。

僅か一秒に満たない迅速な処理。だが撃鉄が再び落ちようとしたそのときにはもう、
横薙ぎに繰り出された槍の柄が五機の機兵を痛撃し、容易く宙へと打ち上げていた。

「これで十四!」

衝撃。ライフル弾すらストップさせる複合装甲が発泡スチロールめいて叩き壊され、
超高速で周囲に飛来。十を超える機兵が横倒しになる。

『火器管制機能に障害確認。各機、射撃を中止せよ』
『通信エラー。自己診断機能による戦術選択開始。敵性PMの無力化を最優先する。射撃開始』

エラーの連続。原因は不明。敵は完全に混乱していた。
連続する耳障りな警告音の中を瞬歩ですり抜け、さらに三機の機兵を屠る。
煙幕の中でさらに砲炎。再び誤射。盾にした一機の首をねじ切り、投げつけながら杏子は笑った。

そうだ、デク共。かかってきやがれ。
意志を持たない。欲望もない。誇りも喜びもないガラクタめ。
お前らのセイウチのクソみたいな脳味噌に、あたしが立ってる世界のルールを――愛と勇気が勝つ常識を叩き込んでやるこの瞬間が、あたしは最高に好きなんだ。

歓喜を込めて槍を一振り。紅の穂先で地面を引っ掻き、火花を散らして三日月を描く。
股間から両断された機兵の間をくぐり抜け、風を切っての五段突き。もう数を数えるのも面倒だった。

放たれた弾丸の一つを穂先で弾き、さらに一機の頭部を破壊。
疾風迅雷。両断。串刺し。回避。斬撃。同士討ち。
ほんの三秒足らずの間に八機を撃滅。電子部品が叩き壊され、辺りにむっとする異臭が立ち込める。
顔をしかめてさらに追撃。柄の中程を支え持ち、抉るような薙ぎ払いを打つ。

がきん、と予想と異なる手応え。
手元を確認してみると、機関砲の代わりに迫り出した三角形のブレードが、槍の穂先を受け止めていた。

『ターゲットレンジを変更。接敵開始。敵武装を無力化せよ』
『Have a niceday』

なるほど、ただのカカシではないようだ。
杏子の獲物、槍がもっとも得意とする中距離を避け、数機の機兵が踏み込んでくる。
プレッシャーを掛けるためか、後方から照射された赤いレーザー光が煙の中を巡っていたが、
そんなのは『見えていません』と言っているの同じ事だ。

「どうした畜生! あたしはここだ! 敵はここだぞ!! もっとあたしを楽しませてみろ!!
 Catch me! if you can!(ヤれるもんならヤってみやがれ!)」

高らかに叫びながら槍の柄で刃を受け流し、石突きで顎をかち上げ頭部を粉砕。
一インチの距離まで踏み込んできた機体の胸部に、地を踏みしめての浸透勁。
横っ飛びに吹き飛んだ機兵は後方集団をボーリングピンのように薙ぎ倒し、上腕を振りかざしての追撃一突き。
飛槍。柄が伸張し、五機をまとめて串刺しにする。

サモハン! 後方からの斬撃を鎖で受け止め、鎖鎌の要領で回した穂先を旋回させて、いくつもの頭部をまとめて刈り取る。
歌舞伎の獅子舞いのように鎖を回して、唸る怒りの鉄砕鞭。
瞬転。連結。一掃完了。転がっていた機兵の頭部を踏み砕き、ブルース・リーのように周囲を睥む。

出足は上々。残る敵は見たとこ半分。こっちの消耗はほとんどゼロだ。
油断はしない。
だが、いける。
槍の柄を握りしめて再び駆け出し、

『目標を確保せよ』
「――ちっ!」

二階からの一斉射撃。
数機を盾にして回避はしたが――杏子の研ぎ澄まされた戦闘感覚が危険を察知し、警戒を解かずに二階を睨む。

……視界はクリアだ。どうして誤射した?
こちらが敵を盾にすることは、いくら奴等が間抜けでも予測することぐらいは出来るはず。

だというのにも関わらず、敢えて銃を発砲した目的は――たった一つしか考えつかない。

「――ジョディ、あいつらがそっちに行った! あたしが着くまでなんとか保たせろ!」
『わかった。なんとかやってみる』

念波を使わず直接怒鳴ると、周囲を覆う煙が濃さを増し、ジョディの緊張した念波が脳裏に響く。
煙の中で三機か四機、二階の吹き抜けに繋がる階段へ走り去っていく機体が見えた。

……どうやらペテンがばれたらしい。
敵の素早い反応に舌打ちする杏子に向かって、機兵達が突撃してきた。



(……みんなが言うほどまずくはないよね……)

ヤニに目を細めていたジョディは、ゆっくりと煙を吐き出した。

ここは大部屋の二階にある、従業員専用の管制室だ。
先ほど機兵達が作った砲煙に紛れ込み、アンを担いで逃げ込んできた。
窓がないので袋の鼠になってしまったが、お陰で煙が外に逃げない。
もう一度口の中に煙を満たして、ぽん、と輪っかの形に吐き出してみた。

ジョディが煙草を吸い始めたのは、今からおおよそ三ヶ月前、コネクションに着いてすぐのことだ。
インディアン文化に魅了されたのをきっかけに、『吸わねばならない』と思ったのが始まりだ。

自分が未成年であることは承知していた。
周囲の真っ当な大人の目を盗んでこっそり煙草をふかすのは、それなりに罪悪感もあったとはいえ、
バイカー連中に頼んで融通して貰った地元インディアンの特製煙草に、ジョディはあっという間に夢中になった。

格好つけだと笑う連中も中にはいたが――不思議なものだ。
実際に煙草をふかすジョディを目にした彼らは、『なるほど。確かにそれらしいな』と、勝手に納得してしまう。

ジェームス・ディーンを気取る気はない。むしろこそばゆく感じるぐらいだ。
自分でも背伸びしているとわかっている自分の喫煙姿が、そこまで様になってるのだろうか?
ともあれ今考えるべきは甘い煙についてではなく、すぐそこにある危機についてだ。
ゆったりと煙をくゆらせながら、ジョディは自分でも驚くほど冷静に、この状況を俯瞰していた。

『市民、我々は友好的です。信用し、武器を捨てて投降せよ。さもなくば射殺する』

電子音が聞こえて小窓から外の様子を窺うと、何体かの機兵が部屋の周囲を徘徊していた。

一瞬、赤い光がジョディの顔のすぐ前を横切り、ひやりとして顔を引っ込めたが、
煙を濃くしておいたおかげか、気付くことなくその場を去った。

『クソッ! 次から次へとうざいんだよッッ!!』

建屋の外から響いてくる地鳴りのような雷雨に混じって、杏子の怒号と破壊的な騒音が聞こえてきた。

声には若干焦りの色が混じっているが、階下の『掃除』は順調らしい。
あのベテラン魔法少女は五十機を超える機械兵士のうち半数以上をがらくたの山に変え、この場所に平穏を取り戻しつつある。

魔法などとは縁のない生活を送ってきたジョディにとって、杏子の戦いぶりは驚嘆するべきものだった。
だがジョディが咄嗟の判断で生み出した煙の結界が、杏子を強烈に後押ししたことを、ジョディ自身は知る由もない。

煙。それは神聖なパイプから生まれるセージの囁き。

ジョディ達インディアンにとって、煙は精霊との対話を可能にする聖なる言霊であり、
それを奏でるカルメット(伝統的な喫煙パイプ)は、さながら魔法のステッキだ。
そこに少しの魔力を加えてやると、煙は神秘のヴェールに変わる。

湿度操作による音響変化、光の屈折を利用した光学欺瞞、超微細金属の錬成によるレーダー妨害。アンド・エトセトラ。

世界的叡智の中心点たるマンハッタン島で高度な教育を受けてきたジョディが、
自らの全知識を総動員して生み出した電子欺瞞は、
精緻を極める機兵の力を、文字通り煙のような静けさで圧倒している。

力の強い弱いは関係ない。あの路地裏で杏子が教示した戦訓をジョディは忠実に実行し、一つの戦果を生み出していた。
しかし彼らも間抜けではない。
機兵の優れた電子頭脳は、徐々に欺瞞を見破りつつある。
つまり先程やり過ごしたはずの機兵がここに戻ってくることは、
一晩に十パイントのテキーラを飲んだメキシコ人が、ゲロの海を作るより確実なのだ。

『市民、従順は義務です。反逆は推奨されない。我々の保護を受け、幸福を享受せよ。我々は危険ではない』

合成音声が近づいてくる。

ベンジャミン・フランクリンが言った通りだ。『死と税金からは逃れられない』。
ジョディはパイプをテーブルに置いた代わりに手斧を握り、扉の脇に寄りかかった。

ラマーズ法で深呼吸して、先ほど室外に送った蠅の使い魔の視線を借りる。
機兵はすぐそこ、一フィート先。薄い木製扉の向こう側で、じっとこちらを凝視している。
この部屋の存在に気付いたようだ。右手が機械的な音を立て、機関砲へと変形していく。

『武器を捨てて投降――』
「うらぁぁああああっっっ!!」

ジョディは先手を打った。
自分でも驚くほどの怒声と共に、手斧を扉に叩き付ける。

常人の三倍に相当する魔法少女の腕力で振るわれた刃が、木製の扉をベニヤ板のように粉砕し、
ほとんどの人型兵器に共通した急所、即ちメインセンサーの集積する頭部を直撃。
赤いセンサーアイのうち一つを砕き割り、機兵が上体を仰け反らせる。

『目標確認。駆逐する』
「――Shit!」

やはり、駄目だ。浅かった。
機兵は上体をよろめかせながらも右腕を上げ、扉に機関砲を突きつけ発砲してきた。

本能的に体を反らした瞬間――風切り音と共に何かが飛翔し、ぱっと血飛沫が壁に散る。
扉越しに放たれた銃弾が、鼻梁を掠っていったのだ。

興奮状態にあるせいか、痛みはほとんど感じなかった。
しかし鼻が丸ごと吹き飛ばされたと錯覚するほどの衝撃に脳が揺らされ、右手の斧を取り落としてしまう。

霞む視界の向こう側で機兵が体勢を立て直し、銃口をこちらに向けていた。
欺瞞工作に集中していたので、戦えるような使い魔はいない。
手詰まり。チェック。ゲームオーバー。最悪の単語が脳裏を横切る。

(ちくしょう! こんなところでおしまいなんて!)
『Have a niceday』

ジョディが唇を噛みしめたそのときだった。
背後でコンクリートの打ち砕ける音がし、続けざまに顔の脇を掠めていった大きな何かが、機兵の胴体にめり込んでいた。

錆びつき、朽ち果てかけた板状の金属。大手中華料理のデリバリー店、パンダエクスプレスの看板だ。
空いた壁の穴から吹き込む突風。それはまさしく、ジョディとアンの命を救う追い風だった。

「うおぉぉおおおぉっっ!!」

無我夢中でジョディは叫び、よろめく機兵の機銃を掴んだ。
機兵が発砲。手の中に重たい衝撃。
出鱈目に発射された銃弾がそこら中に穴を開け、コンクリートの破片が散らばり、加熱した放熱筒が手の平を焼く。

構うものか。地獄に落ちろ!!

腕を掴んだまま自分の体を後ろに倒し、巴投げの要領で投げ飛ばす。
鈍い金属音。横倒しになった視界の隅で、機兵が頭から床に落ちていくのが一瞬見えた。

最後のチャンスだ。床に落ちていた斧を拾って機兵の胴体に馬乗りになり、全力で斧を振り下ろす。

一発。二発。三発。四発。無我夢中で攻撃し、五発目で刃が砕け散る。
どうせ納屋にあった日用品だ。気にせず柄を落とし続け、八発目の途中で小さなスパーク。
弱々しい駆動音を立てながら機兵の腕がくたりと地に落ち、センサーアイから光が消えた。

『No.57の信号消失――目標確認。駆逐せよ』

辛うじて命を拾ったジョディだったが、喜ぶ暇など少しもなかった。
騒ぎに気付いた他の機兵が、こちらに向けて発砲してきた。

床に伏せ、先ほど破壊した機兵を盾にする。
雨あられと襲いかかってくる銃弾が、次々と壁に穴を開けていった。

また運試しだ。しかし二度目の奇跡は期待出来ない。
機兵は絶え間なく射撃しながらジョディ達のいる部屋を完全包囲し、徐々に輪を縮めてきている。
使い魔を繰り出そうにもパイプは机上。殴りかかっても勝ち目がないのは、ほんの今さっきに証明済みだ。

「騎兵隊の到着だ、オラァッ!」

絶望的な気分に陥りかけたジョディの前で、部屋の近くにいた機兵の首が刎ね飛ばされた。

じゃらじゃらと鎖の鳴り響く音。大きく伸張していた槍の柄が、元の形に連結していく。
杏子の槍だ。間に合った。

「ジョディ! 無事かい!? ――うぉっと!?」
「キョーコ!」

槍をアンカーのように屋根に撃ち込み、ひらりと二階に降り立った杏子の周囲で大量の弾丸が跳ね回る。

残っていた二機の機兵と、階下からの弾幕だった。
煙幕はほとんどが消失しており、二階は下からほとんど丸見え。状況はさながらターキーショットだ。

鎖の盾で体を隠し、飛槍で何機かを破壊はしたが、杏子の本領は接近戦だ。決して分の良い勝負ではない。
しかし杏子が下に降りれば機兵はすぐさま二階へ上がり、ジョディを捕らえに来るだろう。

(クソッ……! ……なにか手があるはずだ!)

ジョディは瞬時に事態を察した。

自分は非力だ。杏子を自由にせねばならない。
たった一秒の間でもいい。奴等の注意逸らせれば、杏子は必ず『やる』はずだ。

ジョン・マクレーンになったつもりで部屋を見渡す。
あったのは、火がついたままのパイプ。壊れた手斧。頑丈な端末の影でいびきを掻くアン。(クソッタレ!)
ヴォルビックの給水器に――半開きになった配電盤。

……これだ! ジョディは二度目の奇跡に感謝し、持ち前の行動力ですぐさま動いた。

流れ弾が飛び交う中、地面を這いずるように移動。
配電盤を片手でこじ開けてブレカーに手をかけ――暗転。

ずん、と特徴的な音を立てて電気回路が落ちた瞬間、杏子はその場で跳躍し、再び一階の広間に着地。
低い姿勢で槍を携えて、



沈黙がそこにやって来た。


灯りの途絶えた建屋の中に、機兵と杏子の影が佇む。

嵐の夕空は鈍色で、窓から差し込む陽射しは僅かだ。
再び立ち込めてきたジョディの煙が、さらなる暗がりを作り出す。

まるで影絵のようだった。
杏子は左手を槍に添え、紅の瞳で辺りを睥睨。残る敵は三十七体。

煙と暗闇でジョディを見失った機兵達は、鋭い刃を携えて、じりじりと杏子に近づいてくる。
空気が緊張。沈黙。静寂。

杏子はぺろりと唇を舐め――ぽつん、と小さな水の音。

「イヤーッ!!」
「■■■■■■!」

剣閃。
踏み込んできた機兵の首を切断し、くぐもった電子音が鳴り響く。
時間差で来る。躱して二機。返しの刃で三機目撃破。振り向かずに背後の敵を突き刺し、静止。四機殺した。

嵐は急速に収まりつつある。刃の音が世界の全てだ。

槍を引き抜く。
機兵が倒れると同時に浅く踏み込み、袈裟斬り。腕ごと胴体を逆袈裟。計六。

宙を舞うブレード型の腕部を掴んで十字の一撃。これで八機。残りは二十九。
刃を投げる。串刺し。九機目。飛槍、首刈り。十機を撃破。

頭上で物音。空襲――二機だ。
床を転がり、刃を回避。

クロスレンジ。カンフータイムだ。
槍を頭上に放り投げ、全力の貫手で胸部を貫通。そのまま反転。
大鷲のように両手を広げて、さらに一機の胸を貫く。残りは合計二十七。

ジョディは上手く事を収めた。階上の敵はもういない。全ての敵がここにいる。

左様ならば、これにて御免。
走り寄ってくる機兵達に十字を切って、その日最大の跳躍で、虚空を回転する槍へと追いつき、キャッチ。反転。チャクラを開放。
八重歯を光らせ、不敵に笑う。

「とっておきをくれてやる!」

背中をしならせ、力を蓄え、渾身の力で槍を投擲。
音速の壁を軽々と超えた槍が大地に突き立ち、放てよ鎖の大絶叫。

投槍が地面に穿った大穴から、鎖に繋がれた刃が次から次へと打ち出され、鎖の擦れる音が響く。
蛇を彷彿とさせる動きで駆け巡る槍の穂先は、一切の容赦なく機兵達を切り刻み、砕き、破壊し、八つ裂きにする。

全周全域に渡る鎖の嵐を、生き延びられた機兵は一機もなかった。
彼らは五体の全てを滅茶苦茶に切り裂かれ、ばらばらに砕け散って残らず滅びた。

燃え上がる残骸が舞い散る中空から、軽やかな足取りで杏子は着地。
戦闘終了。完全勝利だ。
耳の痛くなるような静寂と、焦げた臭いだけがそこに残った。

「ああー……いいねぇ! ぶっ殺したぜ!」

地面に突き立った槍の隣で、杏子は大変に満足していた。

ここしばらくは各地で魔獣を狩っていたとはいえ、本格的な戦闘はほとんど無かった。
今朝方の杏子が疲弊しているように見えたのは、強行軍的な調査による睡眠不足と、溜まりに溜まった鬱憤のせいだ。
そのストレスを解消した今、杏子のソウルジェムは乱闘の前より輝きを増しているほどだった。

「ジョディ! 下はもう大丈夫だよ。婆さんを連れて下りてきな!」

「わかった。今行く! ……っと」

危険が去ったことを杏子に告げられたジョディは立ち上がろうとし、上手く行かずに尻餅を突く。
膝に力が入らない。初陣の緊張が去ったせいか、体が完全に弛緩していた。

情けないと思いながら机に手を突き、ほとんど無理矢理体を起こす。

ひどい目眩がする。体が重い。喉が乾いてしょうがなかった。
体はそこら中が擦り傷だらけで、右の手の平は火傷している。
鼻頭の出血は止まっていたが、興奮状態から醒めつつあるのか、徐々に痛みが戻ってきている。
思った以上に満身創痍だ。

結局ジョディはアンを抱えて降りるのを諦めて、傾いた机の上からパイプを手に取り、
なんとか吹き抜けの階段部分まで辿り着き、眼下の杏子に手を振った。

「キョーコ。お疲れさま」

「よう、ジョディ! 随分美人になったじゃないか」

「そりゃどーも。……ま、見ての通りざまなんで、婆ちゃんをあたしの代わりに運んでくれない?」

「任せときな。なんならあんたもおぶってやるよ」

「それはさすがに遠慮しとくよ……」

まったく大したタフネスだ。
変身を解き、懐から取り出したチョコバーを囓り始める杏子に溜息を吐き、ジョディは再び床に腰を下ろす。

「!」

そのとき、視界の隅でなにかが動いた。
人影。いや、機兵だ。それも無傷の。
主戦場だった大部屋から数メートル離れた場所に置かれた大型の機材に隠れていたその機体は、
先頭の緊張から解き放たれた二人から逃れるように、一目散に駆け出していくところだった。

「キョーコ! 生き残りがいる!」

「わかってる! ……そこの腰抜け、動くんじゃねぇぞ!」

恐らく先ほどの戦闘中、ジョディへの攻撃を指示した管制機だろう。
他の機兵よりもさらに高度な情報処理能力を持っており、それを外部に送信できる。
機兵の正体はまだ不明だが、敵であることは間違いなかった。こちらの情報が漏れるのは悪手だ。

「疾ッ!」

杏子は地面から引き抜いた槍を秒速五百キロメートルで投擲。

だが機兵が振り向きざまに放った射撃が、運悪く槍に命中した。
軌道を逸れされた槍は機兵の右腕を切断し、地平線の彼方に飛び去ったが、機兵は走り続けている。

「クソッ! 動くなっつっただろうが!」

八重歯をむき出しにして怒鳴る杏子が、自らの足で機兵を追おうとしたそのときだった。
コンクリートの壁面をぶち抜いて現れた謎の車両が、機兵を壁とフロントグリルの間でサンドイッチにし、響く強烈な衝突音。
何事かと唖然に取られるジョディと杏子の前で、ばたんと車のドアが開き、ドライバーが降りてきた。

「待たせたわね」

颯爽と大地に降り立ったのはほむらだった。

手にはスイス製の二十ミリ機関砲を抱え、胴体には砲弾のベルトが×字型に巻きつけてある。

右肩にはスウェーデン製無反動砲、腰には手榴弾や狩猟用の大型拳銃、数本のナイフが吊られたフィールドポーチ。
今朝の武装がおままごとに見えるようなごつい銃器で身を飾り立て、
油断無く周囲を警戒する彼女は、魔法少女というよりもチャック・ノリスかジョン・ランボーだ。

実際、ほむらがGMのピックアップトラック――これまた意味不明なまでの重武装が施されたおかしな車――から降りてきた時、
ジョディの脳内では〈ターミネーター〉のテーマ曲が、ドルビーサラウンドで再生されていた。

「ロックンロールよ。敵はどこ?」

「車で逝ったよ。あっという間だった」

武装トラックと壁の間に挟まれた機兵の腕が、ぴくぴくと痙攣している様を見ながら杏子は答えた。

「……そう。逃げ足だけは早いみたいね」

ほむらは非常に残念そうだ。
まるで憂さを晴らすように機関砲のボルトを乱暴に引き、初弾を薬室から排出する。
大暴れする機会を欲しがってたのは、彼女も同じだったのだろう。

「複雑な状況らしいけど、『誰がどこまでわかっている』の?」

武器を車の荷台に放り込みながらほむらが訊ねた。(荷台のキュゥべえは押し潰された)

車の周囲には散々に破壊し尽くされた機兵の一部や、コンクリートの塊が転がっており、
ただここにいた魔獣と一戦やらかした以上のことがあったのは、誰の目にも明らかだ。
よたよたと下に降りてきたジョディに治癒魔法を施しつつ、杏子は説明を始めた。

「ジョディは見ての通り五体満足。アンは夢の中でビンゴを引いてる。
 あたしがここに来た時には魔獣はいなくて、代わりにこいつらがイースターの劇を練習してた。
 魔獣を殺し回ってたらしいけど、あたしは直接見たわけじゃない。
 ああ、あと途中で変な犬が――って、なにやってんだよ、アンタは一体?」

治療の途中でふとほむらに視線をやった杏子が、怪訝そうな顔をする。

ほむらは床にしゃがみ込み、四散した機兵の部品を一つ一つ拾い上げ、籠手の中へと収納しているところだった。

「そんながらくた拾ってるより、あっちのもっとマシなやつを持って帰ればいいじゃんか」

状態の良い残骸を杏子が指さすと、ほむらはふっと笑いながら首を横に振った。

「そうね。確かにこれはがらくただけど――世界で最も高価ながらくたよ。
 きっとこの腕一本だけでも、軽く二千ドルは下らないわ」

「なんだって?」

千切れた機兵の上腕部分を掲げるほむらに、杏子は目を丸くした。

二千ドル。両の手の平いっぱいのグリーフシードを、相場より少し高めに捌いたぐらいだ。
有り体に言って大金だが――本当にそれだけの価値がそのがらくたに?
驚きを隠せない杏子の前で、兵器オタクのほむらは得意げに説明をし始めた。

「これはアメリカ合衆国が科学の粋を結集して作った全自動装甲歩兵の〈XM99〉。通称『ニンジャ・ウォーリア』よ」

「いきなりさらっと嘘吐いてんなよ」

「ホムラの話はホントだよ。『コール・オブ・デューティ8』にも出てるぐらいさ」

「……ヤンキーは頭がどうにかしてるぜ……」

ジョディの補足に、杏子は頭を振って唸った。

「二十一世紀初頭。各国の『先進的軍事アナリスト』は、近い将来にやってくるであろう人類初の戦争が、
 手製爆弾による無差別攻撃や、小規模武装勢力による民間人に対する襲撃といった、
 大規模な軍事行動では抑制できない『小さな紛争』の集合だと予測を立て、それに対抗するための兵器を作った」

「で、出来たのがこのアーミーマンか」

「正確にはプロトタイプのまま計画が頓挫したんだってさ。
 国防費をかさ増ししてた当時の共和党が、しばらく選挙に勝てなくなった原因になったって学校の先生が言ってた」

ほむらは頷いた。

「腹に巻き付けた爆弾で敵ごと自爆しようとするような狂気の世界を、彼女は認めなかった。
 ……テロリストも現代戦も、コミックと映画の中にしかない。
 もし違う世界があったなら、この兵器は世紀の発明と持て囃されたかもしれないけれど、
 結局、対テロ戦争という机上の空論は棄却され、予算を打ち切られる形で企画は終わった」

「それならどうしてこいつらはここにいるのさ? 誰かが影でこっそり作ってたかもしれないだろ?」

「そうかもしれない。だけど……そうね。一つ昔話をしてみましょうか。
 私が心臓の病気で長崎の病院に入っていた頃、隣の病室に入院してきたヨーコという子の話よ」

「へえ……なんかホムラっぽいエピソードだね」

ジョディの相槌に、ほむらは小さく口元を歪めた。

「私が八歳のときだったわ。ヨーコは入院してきてすぐに、隣室のミチルと仲良くなった。
 きっと反りが合ったんでしょうね。だけどある日、ミチルが泣きながら私に相談してきた。
 『ヨーコはクリスマスまで生きていられない体らしい。
  近いうちに海外の病院に転院し、体を治すための手術を受けると聞いた。
 大好きな友達が遠くへ行ってしまう前に、素敵な思い出をあげたいの』、ってね」 

「うわあ……なんか大変そうな話だねえ……」

「私もその時はそう思ったし、出来る限りの協力をして、結果的には上手く行ったわ。
 二人でお小遣いを合わせて買ったお菓子を渡した時、ヨーコは本当に喜んでた。だけど――」

「だけど?」

「後から看護婦さんから聞いた話で、私達は仰天したわ。ヨーコは重病でもなんでもない、単なる肺炎だったのよ」

「あー、ガキの考えそうなことだわ」

「ヨーコはミチルのことが本当に好きで、どうにかして気を惹きたかったんでしょうね。
 でも嘘を吐かれたことに傷ついたミチルは、ヨーコから渡された電話番号のメモを、その場で破り捨ててしまった」

「……辛いなあ……」

ジョディは胸が張り裂けそうなほど悲しくなって、神妙な顔つきでうつむいた。

嘘を吐いてでも好きな子の気を惹きたかったヨーコと、その気持ちを受け止められず、袂を分かってしまったミチル。
どちらも同じぐらいに愛し合っていたはずなのに、二人は些細なすれ違いをし、結局悲しみだけが残った。

……二人はどうするべきだったろう? 本当にどうしようもなかっただろうか? 今はどんな気持ちでいるのか。
もし時間と運命が許すなら、二人が手を取り合って生きていく未来がどこかにあったのかもしれないのに。

「……ホムラ。その二人って今は――」

二人の辿った行く末が、ジョディにはどうしても気になった。
彼女は苦々しい表情でほむらに訊ねかけ、

「杏子。つまりこの話の要点は――」

「ああ。ヨーコはレズだろ」

「その通りよ」

「そうなのぉ!!!?」

予想外すぎる二人のやり取りに、盛大にずっこけて傷を増やした。

「ちょ、ちょ、ちょっと待って! なんで!? どーして!? あたしどっから突っ込むべきなの!?」

「嘘や秘密にはリスクがあるわ。それを理解してなかったヨーコは、
 根回しを疎かにした結果下手を打ち、ミチルとの関係を台無しにした」

「だな。つまりこのロボットを作った連中は、嘘を吐き通せるだけの金と力があるってわけだ」

「もっともらしくまとめないでよ! なんでキョーコ納得してるの!? 感動的な話が台無しじゃん!!」

「つってもなあ……どうせ与太話だろ?」

「ええ。刑事コロンボの真似をしてみたかったの」

「もうやだ、この二人ぃーー!!」

先程までのしんみりとしたムードはどこへやら、ジョディは悲鳴を上げて天を仰ぎ、
自分がまともな魔法少女でいられるように祈った。

どしん、と衝撃。どこかで雷が鳴っている。

そこら中に穴の空いた屋根から、雨粒とコンクリート片が落ちてきた。
元々相当に老朽化していた建屋が、度重なる戦闘に悲鳴を上げているのだろう。
早いところ外に出ないと、がらくたの仲間入りをしかねない。

「無駄話は後にしましょう。私は出来る限りの残骸を集めて、モーテルのガレージで解析するわ」

「りょーかい。あたしはアンを拾ってくるか」

「はあ……あたしもバイク取って――んん?」

まとまりのない撤収作業が始まる中、ジョディは違和感を覚えて立ち止まる。

どろどろと鳴り響く雷が、一秒ごとに激しさを増しているようだが――違う。これは嵐ではない。
風はゆったりと薙いでおり、雨も完全に止んでいる。
なにかの物理的な震動がこの場所に直接作用し、建物全てを揺らしているのだ。

「キョーコ! ホムラ! ……なにか来る!」

「……ああ。お客さんがまだいるらしいな」

「そうらしいわね。……気をつけて」

遅れて気付いた二人が周囲を警戒し、ずしん、ずしん、と音は近づく。
ほむらが車の荷台に溶接された旧式の無反動砲の銃把を握ったそのとき、
十メートル離れた背後の壁が、爆破されたように派手に吹き飛び、巨大な何かが現れた。

『Beep Beep。不明な目標を発見。警戒を維持。
 偉大なる主機。センサーは常に正しい。私は銃を手放しません。
 Citizen,Have a Niceday(市民のみなさん。良い一日を)』

意味不明な英語を羅列しながら現れたのは、高さ十メートルを超す、巨大な蜘蛛型の装甲兵器だ。

不気味な光を放つ、六つの赤いレーザーセンサー。ボディの各所には対人機銃。
背中には二門の大型砲を持つその巨大兵器は、機械的なサーボ音を体のあちこちから響かせながら、三人の前に立ち塞がった。

『Beep Beep。第三感情オーラの波動を確認。反逆的傾向を持つ魔法少女と診断。
 パターン・オレンジ。危険度・特大。判決・死刑。システム戦闘モードに移行。市民、抵抗は推奨しません』

数え切れないほどのレーザーポインターが三人を全く同時に照準し、杏子はちっと舌打ちをした。

敵を破壊するのは難しくないが、銃の数が多すぎる。

こっちは手負いの素人と一般人を連れているのだ。
巻き添え無しで勝とうとするのは、はっきり言って無理難題だ。
ほむらも同様の問題を察しているのか、無反動砲から手を放し、弓を顕現させようとしている。

『Beep Beep。殲滅開始。Citizen,Have a Niceday』

一触即発の緊急事態。
杏子が胸の宝石に手を翳し、分身を放とうとしたそのときだった。
大蜘蛛のセンサーアイが爆発し、遅れて鈍い砲声が響く。

飛び散る装甲。小さなスパーク。照射されていたレーザーが滅茶苦茶に暴れ回り、ベテラン二人が姿勢を下げる。

未だ呆気にとられるジョディの前で、大蜘蛛の体がさらに爆発。爆発。爆発。爆発。遅れて砲声。

銃使いのほむらには、それが高密度の魔力を帯びた銃撃――いや、砲撃であることがすぐにわかった。
並大抵の使い手ではない。ほむらの知っている中で、これほど威力のある射撃を行える魔法少女は片手で数えられる数しか存在しない。

砲撃は猛烈な勢いで降り注ぎ、大蜘蛛の兵装を次々破壊し、削ぎ取り、貫き、殺す。

僅かな空白。今度は砲声が先に飛来し、黄金色の軌跡を描いて飛来した光球が、大蜘蛛を打ち据え――大爆発。
胴体部分を木っ端微塵に吹き飛ばし、一切合切を片付けた。

立ち込める煙。残り火の爆ぜ音。

緊張した静寂が戻った建屋の中で立ち尽くす三人に、こつこつと足音が近づいてくる。
荷台で伏せていたキュゥべえも、いつの間にか降りてきていた。
彼はビー玉のようにうつろな瞳で、煙の向こうにいる闖入者の姿を探し出そうとしているようだ。

「危なかったわね。でももう大丈夫よ」

足音は煙の中で立ち止まり、代わりに得意げな声が聞こえる。
少し低めの女の声だ。少しずつ晴れ始めた煙の向こうに、二つの銃身を持った銃が見える。

(なんだか……すごく、ムカつくわ)

硝煙の匂いを嗅ぎながら、随分と見覚えのある状況だとほむらは思った。

おっす今回はここまでです。本当に長くなりました。
投稿に時間も掛かりましたが、劇場版の内容がどうなろうと、このSSは一切方向修正せずにリリースされる予定です。ZapZap。

age忘れちゃってますね私!!!!ごめんなさい orz

劇場に行く前にちょっくら更新。最後の更新にはならない。はず。はずだ!がんばる!


(なんだか……すごく、ムカつくわ)

いかにも過ぎる気取った声だ。妙にほむらの気に触る。
随分と見覚えのある状況だと思いながら、目を凝らして煙の先に立つ人物を探す。

一人ではない。二人。ほとんど足下しか見えないが、うち一人はあからさまに魔法少女だ。
荒野のど真ん中に建設された浄水場に、ヒールで来るような人間はそうはいない。
もう片方の様子を窺おうとしてる内に煙が晴れ、ようやく二人の姿が明らかになる。

推測通り、一人は間違いなく魔法少女だった。帽子の先端に、蓮の姿を象ったロータスピンクの宝石がある。
服装はベレー帽とフリルドレス。さらに靴に到るまで、完璧なピンク尽くし。
同業者として人の事をとやかく言えないのはわかっているが、廃墟同然の場所ではあり得ないぐらい浮いている。

化粧は薄いようだったが、顔立ちはいかにもなアメリカ美人だ。

ぱっちりと開いた瞳はサファイア、セミロングの巻き毛は見事なブロンド。
気取っていない写真に写っている時のマリリン・モンローは、確かこんな感じだっただろうか。
控えめに言っても美女であり、そのバストは豊満だった。

「どうも、〈ロッソファンタズマ〉さん。〈ウィッチハンター〉さん。パペットマスターです」

奥ゆかしい挨拶と共にお辞儀をするピンクドレスの少女だったが、ほむらは挨拶を返さなかった。
隣に佇んでいるもう一名は、目を逸らすには危険すぎるのだ。

少女の隣に佇む者は――白い機兵だ。
彼女の意外過ぎる同行者に、さすがのほむらも驚いた。

単眼の赤いセンサーアイを持つ、眩しいほどの白に塗られた機兵。
全体的なフォルムが似通っているので、〈XM99〉の派生型かプロトタイプ――恐らく後者だろう。

体躯は二メートルを超えているし、四肢も太くて『筋肉質』だ。駆動系の出力は、機材の大きさに比例する。
先ほどの大蜘蛛を屠った武装が格納されているのか、胸部装甲の隙間からはうっすらと陽炎が立ち上っていた。

変形格納機構を持った右腕の連装砲は、ほむらの見立てでは二十五ミリ。
市街戦を想定して作られたはずの機体としては、まず使い物にならない重兵装だ。
隠密行動用の機能を廃し、戦闘力に特化した特別仕様と言ったところか。
冷静に二人の様子を観察するほむらの代わりに、杏子がまず口を開いた。

「〈パペットマスター〉――人形遣いか。どうしてあたしらの名前を知ってる?」

警戒心を隠さない杏子の声に、少女は形の良い唇を歪めた。

「ルート66の〈ゴーストライダー〉を倒した正体不明の魔法少女は、今や『9Channel』のスーパースターよ。
 もし私があなた達の顔写真を投稿したら、一晩で百万ヒットは間違いないわ」

「噂が一人歩きしてるらしいね。ついでに答えにもなってない。
 あたしが聞いたのは、あんたが一体どこの誰で、どうやってあたしらの『芸名』を知ってるかってことなんだよね」

「あら、ごめんなさい。私昔っからお喋りで、つい本題から外れたことばかり喋っちゃうのよ。
 学校の先生にもよく怒られるし、どうにかならないものかしらね」

「あたし達をずっと見てたの? あの機兵が暴れてたのに?」

独特の緊張を保つ二人の会話に、ジョディが割り込んだ。
非難めいた声色だ。
その声音に隠された含みに気がついたのか、ピンク色の少女は目尻を下げ、いかにも悪びれた口調で答える。

「助けに入るのが遅れたのは、本当に悪いと思ってるの。
 一つ間違えたら、お婆さんやあなたになにか起こってしまったかもって反省してるわ」

「なら――」

「だけど私の立場も理解して欲しいの」

「見ず知らずのあんたを信用しろって?」

「信用してもらうためにあなた達を助けたんじゃないのよ。これは私のお節介。
 あちこちで爆発騒ぎを起こしてFBIに追跡されてるそこの二人や、
 当局に許可を取っていない無認可の魔法少女を、私が助ける理由はなかった。
 でも私は私の流儀でもって、助けるべき人を助けたわ。
 それに少しの思いやりを持って欲しいってお願いするのは、そこまで身勝手なことかしら?」

「…………」

二人の事情については知らなかったが、ジョディに関しては正論だろう。
事実として、彼女はジョディの命を救った。
しかし見殺しにされかけたのではないかという小さな疑念が胸に渦巻き、彼女に対する感謝の言葉を躊躇わせていた。

「そんなに怖い顔をしないで。私は喧嘩をしに来たんじゃないのよ。
 後ろのお二人さんだって、そこはわかってくれるでしょう?」

沈黙するジョディに対し、やれやれとばかりに肩をすくめるピンクの少女は、ほむらと杏子に視線を向けた。
一転して会話の矛先を振られた二人は、きょとんとした顔を作りながら、しかし少女の訳知り顔に強い警戒心を抱いていた。

FBIによる追跡は非公開の情報だし、二人が持つ魔法少女としての通り名は、この国で一度も名乗っていない。
そして『今までの調査』という発言。彼女がなんらかの機関に属し、この事件を探っていたのは想像に難くなかった。

(どうする? こいつどう考えてもクサいけど)
(聞けることは聞き出しましょう。……消すのは後からでも遅くない)
(いや、『消す』ってあんたね)
(冗談よ。どうにかするわ)

気取られないよう表情を隠し、二人は念波で会話した。

安易に信用するのは危険だが、なんらかの情報を引き出せるかもしれない。
杏子の溜息を無視したほむらは、彼女により深い接触を試みることにした。

まず深呼吸する。
上手くやれ、暁美ほむら。眼鏡をかけていた頃のように、人なつっこい笑顔を作れ。
人は外見に騙されやすい。第一印象が全てを決める。笑顔の損失は味方の損失。
いつもにこやかに挨拶をして、出来れば別れる時もスマイルで。
痛烈な過去から学んだ教訓で、ほむらは少し不安げに、上目遣いで少女を見上げた。

「あの……すみません。少しよろしいでしょうか……?」

「あら、なにかしら? 答えられる範囲でなら、なんでも答えさせてもらうわ」

気弱そうなほむらの物腰に、少女は微笑みを浮かべて応対した。
横でにやにやと笑っている杏子が気に食わないが……ともあれ第一印象は良くできたらしい。出足は上々ということだ。

「先ほどは友達の危機を助けてもらって、本当にありがとうございました。
 ……ジョディも悪気はないんです。ただ今は戦いの後だから、気が昂ぶっていて――」

「まあまあ! 全然いいのよ、別に! 魔法少女として当然のことをしたまでだから!」

「重ねてありがとうございます。……私はほむら。暁美ほむらです。
 もしよろしかったら、あなたのお名前を教えていただけませんか?」

「やだ、私ったら! 自分の都合だけべらべら喋って自己紹介を忘れるなんて! 」

相当お喋り好きなようだが、なかなかマイペースな性格のようだ。
上機嫌にほむらの肩を叩いてくる少女だったが、ほむらに名前を尋ねられるなり、しまったという顔をした。

どうやら正体を隠そうとしていわけではなく、本気で自己紹介を忘れていたらしい。
彼女は慌てて頭を下げ、照れくさそうに笑って見せた。
(なお、杏子はほむらの変わりように必死で笑いをこらえていた)

「私はマギー。マーガレット・エミリー・ブレナン。NSAに所属する、見ての通り魔法少女よ。
 こっちは〈アルフィー〉。私の大切なお友達なの。ちゃんとオジギも出来るのよ」

『■■■■■■』

マギーと名乗る少女の言葉に反応したのか、奇妙な電子音を響かせながら白い機兵が九十度の礼をした。

ジョディもそれなりの長身だったが、改めて見ると白い機兵はまさに巨人だ。
NBAの選手ですら、こんなに大きくはないだろう。
彼は聞き耳を立てていなければわからないほど小さな駆動音を響かせながら、自然な動作で元の姿勢に戻った。

「あー……あたしはジョディ。ジョディ・インテグラル・スパイククロー。……よろしく」

「よろしく、ジョディ!〈グランドキャニオン〉さん! さっきの戦いはお見事だったわ」

「い、いや、それほどでも、ない……けど」

「謙遜しなくてもいいのよ! まだ不慣れなのはわかるけど、あれほど勇敢に戦える魔法少女は滅多にいないわ。
 私も色々と力になるから、これからも一緒に頑張りましょう!」

「あ、う、うん。どうもよろしく……」

畳み掛けるようなテンションに、思わずたじろいでしまうジョディ。
マギーはジョディの手を取ってはしゃいでいたが、正直気が気でないというのがジョディの本音だ。

……いや、だって仕方ないでしょ?
なにやかにやと捲し立てるマギーに、『ああ』だの『うん』だの生返事をしつつ、ちらちらとマギーの脇を見る。

『◆○Å♭АЭЮя∵――』

唸るような電子音。
隣にそびえ立つボディガード、白い機兵が先程からずっとこっちを見ている。正直怖い。

ビビって震え上がるというほどではないにしろ、なにせほんの数分前まで、
ジョディはこれとそっくりなロボットと生きるか死ぬかのド突き合いを繰り広げていたのだ。
警戒するなと言われても無理がある。

その後しばらくマギーはジョディの両手を引っ掴んだまま、やれ『田舎は伸び伸びとしてて気持ちがいい」だの、
『ナマの水牛を見たのは生まれて初めてで感動した』だの、『びっくりするほど建物がない』という、
取りようによっては嫌味にもなりそうな田舎叙情への感動を述べた後、ようやくジョディを解放した。

「さて、マギー……だっけか。あんたがNSAだってのはわかったけど、肝心の話はまだ聞いてないよね」

「……あら、そうだったわね。……でも。……うーん。ごめんなさい。
 これ以上のお話は、ちょっとここでは出来ないみたい」

世間話が途切れたタイミングを見計らい杏子がすかさず質問すると、マギーは困り顔で視線を脇に向けた。
ジョディもつられてそちらを見る。

世間話が途切れたタイミングを見計らい杏子がすかさず質問すると、マギーは困り顔で視線を脇に向けた。
ジョディもつられてそちらを見る。

(なにこれ……?)

一見、先程までの風景と変わるところはなかったが、目を凝らしてよく見ると、
空間そのものに入った罅割れとしか言えないものが、建屋のそこかしこに出来ていた。
この浄水場に巣くっていた魔獣が一匹残らず消滅したことにより、結界が崩壊しつつあるのだ。

魔獣と直接航戦したことのないジョディには、かなり奇妙な光景に見えたが、
マギーは特に気にすることなく、ドレスの上でもわかる豊かな胸元からなにかを取り出し、
気取った仕草で放り投げると、それはキュゥべえに額にスカッと刺さった。彼は無言だ。

膝を曲げて覗き込んでみると、名刺サイズのプラカードだった。

「すぐに彼らの増援がくるはずだし、残念だけど今日はお別れ。
 そのカードに書かれた場所で、マシュマロを挟んだオレオを用意して待ってるわ」

「ちょ、ちょっと! まだこっちは聞きたいことが――」

「See you!」

静止するジョディに構わず、マギーは颯爽と踵を返した。
白い機兵がこちらを見たあと、すぐに彼女の後ろに続く。

「言うだけ言ってほっぽらかしか。西海岸は優雅だねえ」

「人の話を聞かないタイプね。誰かさんによく似てる。――インキュベーター。彼女のデータは?」

遠ざかっていく背中にぼやいたほむらが足下のキュゥべえを見ると、
彼の額に突き刺さっていたカードが、背中の穴に収納されていくところだった。

インキュベーターは地球上で追随する物のない次元の演算能力を有した、意思を持つスーパーコンピューターだ。
電子的な産物ならば、それがどのような物であれ、彼は即座に解析できる。
カードを取り込んで一秒もしない間に、彼はほむらの顔を見上げて口を開いた。

「このカードはNSAの局員証だ。偽造された痕跡はない。クリアランスはレベル3。
 これは全局員が持ち合わせる最低レベルの開示度だけど、国家的な機密データを閲覧できる立場にある。
 ……今さら言う必要はないと思うけど、彼らNSAは国内、国外を問わず、あらゆる情報を収集、分析する『アメリカの目』だ。
 このカードから得られる情報は、僕らにとってきわめて重要な意味を持つことになるだろうね」

「そんな貴重品を部外者に?」

「もし当局に露見すれば、管理責任を問われる事態だ。最悪、懲免処分も起こりえる」

「信用させるための罠にしちゃ、かなり大袈裟な仕掛けだね」

割り込んできた杏子に、ほむらは頷いた。

「まだ彼女を味方と断定することは出来ない。だけど、これは大きな進展よ。
 彼女の背後には組織があり、その組織が追うだけの大がかりな敵がいる」

「敵の敵は味方……だといいけどね」

かしゃん、かしゃんと罅割れの音が連続している。
結界の崩壊はいよいよ近い。彼女の言葉が事実なら、さらに追っ手が来るに違いない。
不安そうに周囲を見るジョディの肩を軽く叩いて、杏子は二階への階段に足を掛けた。

「ジョディ、今日はよくやったね。帰ったらあんたの祝勝会だ」

「キョーコ……! ありがとう、こっちこそ本当に助かったよ」

「ああ。こっちこそ、あんたのお陰で禁酒歴を更新できたよ。 あ り が と な !!」

「あ、謝るのは別として、うちのお店は未成年には絶対お酒は出さないからね!?」

「おーおー。別にいいけどね。あんたがあたしに酒を出すのと、
 あたしが何回あんたのお尻を叩いてやるかは、それこそ関係ないからねえ」

「気にするなって言ったじゃんかあ! 顧問弁護士に訴えてやる!!」

「魔法少女は先輩の言葉が法律なんだよ、バーッカ!!」

先程までの緊迫した空気はどこへやら、ギャアギャアと喚き散らしつつ、二階へ上がっていく二人。
そんな二人の様子を横目で見ながら、黙々と機兵の残骸を集め始めるほむら。

ふと、さわやかな風を感じて視線を上げると、ぼろぼろになった天井の向こうに、抜けるような青空が広がっていた。

とまあここまでです。
はい。おっぱいはいいものですね。

おはよう更新 やや短めです

『Tell me why,Ain't nothin' but a heartache.
Tell me why,Ain't nothin' but a mistake.
Tell me why,I never wanna hear you say. I want it that way』

「んあっ……」

クーラーの効いた自室の中で、ジョディ・スパイククローの体がびくんと震えた。

窓から差し込む眩い光が、彼女のふわふわとウェーブの掛かった美しい黒髪に光を散りばめ、スパンコールのように輝かせている。
ラジオの時報から聞こえてくるのは、彼女の大好きなバックストリートボーイズだ。
甘い声にうっとりまどろみ、夢の中で彼を想う。

ああ、かっこいいなあハウィー・D。
正直友人達に連れられて行った、なんの興味もないグループのライブだったが、生憎ジョディはミーハーだった。
適当にはまってグッズを買って、ITuneで買った新曲を聴き、『彼って超サイコー』と言ってれば、彼女は幸せだったのである。

「うーん……ハウィー・D」

グッドルッキングな小麦色の肌をくねらせ、むにゃむにゃと寝言を言うジョディ。

ロマンチックなラブソングを聴き、もはや彼女はヘヴン状態。
ときめき色の夢空間では、バイオロリポップがサンバをしている。

ようするに彼女は爆睡中で、それ以外の事など気にもしてない。ラジオが起床するはずの時間を告げたこともだ。
彼女の夢の中を覗いてみれば、気持ち谷間の出来た胸部を揺らして投げキスをしているポカホンタス似の中部美人が、きっと拝めることだろう。

「んんぅぅ~~……ぐぅ……」

イケメンボーイの幻を見て、枕にキスをするジョディ。
そこにいるのは凛々しい部族の戦士ではない。ただ平坦な胸を持つ、一人の夢見る乙女がいるだけ。
ああ、彼女の見る優しい夢よ、どうかコトダマに包まれてあれ。世界の平和よ、そうあれかしだ。

「ああぁ~~……アタシいま体温何度あるのかな~……」
「知るわけねえだろ『バカヤロウ!?』」
「アバーーーッッ!?」

もちろんロックな杏子には、そんな生ぬるい言葉は通用しない。
清々しい朝のアリゾナに、少女の叫びがこだました。

「……はあ……朝から大変な目に遭っちゃったよ」

兎脚亭の裏手に立った、スパイククロー家の一軒家。
その小さな洗面所にて、ジョディはぼやきながら身だしなみをチェックしていた。

手元のクォーツが伝える時刻は、九時を十分を回ったところ。
眠気は先ほど突撃してきた杏子によって、僅か五秒で飛んで消えたし、
今日はアンも起きているので、店の手伝いは心配いらない。当初の予定を綺麗に済まし、次の仕事に取りかかろう。

洗顔料を洗い落としたジョディがタオルで顔を拭っていると、鼻頭と指先に小さな違和感。
鏡を覗き込んでみれば、そこにはざっくりと横に通った、大きな一本の傷がある。
彼女の浅黒い肌にはひどく目立った。
先日、浄水場での戦いの際に機兵から受けた銃撃が、痕を残してしまっているのだ。

『ごめんなさい。もし望むならそうしたいけど……今はまだ、少しだけ我慢して』

ほむらの謝罪を思い出す。(杏子はなにも言わなかったが、彼女はそれが正しいと思う)
二人は戦闘以外はからきし駄目で、デリケートな治療は出来ないらしい。

きちんとした回復魔法の使い手ならば、ニキビの跡すら治せるらしいが――まあ、なんだ。ジョディとしては悪くなかった。
戦士っぽくて格好良く見えたし、なにより覚悟の決め手になる。

顔に傷を負った時点で、もう普通の少女ではない。
古くさい価値観なかもしれないが、そういう気持ちが確かにあった。

「……さて、行くかぁ……」

……少なくともこの戦いが終わるまで、この傷には残ってもらおう。
おニューのドレスの裾を直すと、ジョディは三つ編みをぴんと弾き、自らの生家を後にした。

「おせぇぞジョディ」

「おはようジョディ。いい朝ね」

「ごめーん! 完全にあたしの寝坊ー!」

ジョディが玄関から通りに出ると、すでに二人が待っていた。

テンガロンハットに破けたジーンズ、体にフィットした黒いアンダー。牛皮のジャケット。
腰には投げナイフやらガンベルトを下げ、キマったカウガールという意匠の二人は、
古ぼけた木製の手摺りに腰を載せ、思い思いの言葉でジョディを迎えた。

「あれだけのことがあったんだから、なかなか疲れは取れないでしょう? 休んでいてくれても構わないのよ」

ほむらの労いに、ジョディは首を横に振った。

「ううん。もう体はピンシャンしてるよ。次が我慢しきれないぐらいにね」

「軟弱なポップスなんて聞いてるあんたが、どんだけ役に立つかは疑問だけどねー」

「ちょ、ちょっとぉ!? それひどくない!?」

「ポップスもたまにはいいと思うけど……」

他愛のない雑談をしながら、三人は脇道を抜け、メインストリートに繰り出した。

浄水場での死闘から丸二日が経過していた。

今日もコネクションは晴天だ。
人影は相変わらず少なかったが、住民であるジョディが見る限り、少しずつ活気は戻ってきている。
ほむら達が来てから二週間ほどは、魔獣が出現しなくなってるし、
先の浄水場の戦いでは、実際にこの町と下流に繋がる地点を抑えることに成功したので、一応の事態は収束している。

実際お店でお客さんの話を聞くと、今まで怯えていた人達の中にも、
事態が解決に向かっていると感じている人もいるらしく、早く神父に戻ってもらって礼拝を始めて欲しいなど、
呑気なわがままを言い出して、場を和ませてくれる人も居た。

彼らの期待が自分たちの肩に掛かっているのかと思えば、
自然と体に力が入るし、あれこれと意義込みも浮かんでくるが、
そんなジョディのやる気と別に、肝心要のベテラン二人はぐだぐだと世間話などをしていたりする。

「だいたいあんたがポップスとかさあ……今さら草食系でも気取る気かい?
 『リッチーは神』って言ってんのは、あんたの口じゃねーのかよ」

「それは確かにそうだけど……」

「だろ? 少なくもあたしはアンタが『Boyz II Men』を聞いて感動してるとこなんて、少しも想像出来ないけどね」

「R&Bとポップスを一緒にするのは、さすがに乱暴じゃないかしら?」

「愛とか夢とか歌っちゃってりゃ、だいたいどれも同じっしょ」

「……ちょっと……否定しづらいわね……」

「ほらみろ! オジーやカート・コヴァーンでいいってこったろ!」

「うーん………………セリーヌ・ディオンとかは、その」

「クソだろ」

「ちょっとぉ!!」

どうも似たもの同士に見えるこの二人にも、音楽性の違いはあるらしい。
杏子はやれロックの精神性がどうしただとか、なよっちいのはダサいだのと、
とにかく攻撃的な音楽が好きなようだが、ほむらは割と雑食らしい。
ロックアーティストの名前を並べるがてら、ポップスやテクノの盤名も上げ、あれこれと抵抗を試みている。

ロックやブルースがほとんどわからないジョディには、はっきり言って未知の会話だが、
ほむらの口調が随分おっとりしているように聞こえて、まるで別人のように思えることが、ジョディにとっては驚きだった。

「そもそもオルタナなんてのはロックですら――」

「……っと、そろそろ静かにした方がいいかもね」

よもやま話をしながらだらだら歩いている内に、一行は目的の場所に着いてしまった。

元々広い街でもない。スパイククロー家からここまで歩いてきた距離は、せいぜい一キロもないだろう。
街の中央に位置する教会をいくらか追い越し、ストリートかアベニューへ。
そこからさらに直進し、街の外れに向かって移動。解体中の家屋がいくつかあたりに見える先。
再開発の最前線と、古めかしい西部の街の境界線とも言うべき場所に、三人が目的としている建物はあった。

「『オダワラインダストリ・コネクション営業所』……ここで間違いないのよね?」

「あのおっぱい女が嘘吐いてなきゃ、ここ以外のどこでもねえな」

一行は建物の前で足を止め、ぐるりとその様相を観察した。
大きな看板を表に出した、白木で組まれた二階建ての『邸宅』だ。敷地面積はかなりある。

コネクションの町並みに景観を揃えてあるのだろうか。
西部劇に出てくるような地主の家を彷彿とさせ、雰囲気自体はそう悪くない。

清潔に掃除された玄関前には、『融和な』と書かれた大きなポップ。
軒下の冊子置き場には、自社の功績や開発計画の内容を喧伝するカラフルなパンフが所狭しとおかれており、
オダワラという巨大な企業が、積極的に開発を喚起していることを強く印象づけられた。

「ねえ、ほむら。ここってさ――」

尋ねてくるジョディに、ほむらは頷きを返した。

「ええ。チャールズさんの事務所よ。メモ書きを見た時に、まさかと思ったんだけど……」

そう言ってほむらはポケットから小さな紙片を取り出した。
先日、浄水場で出会った少女、マーガレット・ブレナンがよこした局員証の裏側に、この紙が貼り付けてあったのだ。

書いてあったのは時刻と日付、それにコネクション市内のとある住所。
こうして一日おいてやって来てみれば、それがこの二週間ばかりで一同が何度も顔を合わせた協力者、
チャールズ・アーサーの事務所であるというのだから、さすがにいくらか戸惑った。

「あの女、一体何者だってんだ?」

「NSAの局員だもの。オダワラのことを調査してるなら、内部に入り込んでいてもおかしくない」

「そこまでマリリン・モンロー似なのかよ」

「今度ロスに行ったら親戚かどうか聞いてみましょう。
 ……インキュベーター。『パーティー会場』の様子はどうなってるの?」

鋭い目付きで周囲を見渡し、キュゥべえに念波を送るほむら。
二秒ほどのタイムラグで、ザッと砂嵐の雑音を立て、くぐもったキュゥべえの声が三人の思考内に流れてきた。

『見たところ建物の外部に不審な様子は見当たらない。僕が内部に侵入すれば、直接中も覗けるけど――』

「中に何が待っていようと、今さら逃げ帰る手はないわ。
 端末が破損するのも困る。私がいいと言うまでは、そこで周囲を見張って頂戴」

『僕を気遣ってくれるのはありがたいけど、期待はあまりしないで欲しいな。母機との同期はまだ復調してない。
 本調子の時と比較すれば、僕の演算能力は数十分の一にまで減少してしまってるからね』

「言い訳も自慢話も結構よ。切るわ」

『君たちの無事を祈――』

ほむらは一方的に通信を切り、真鍮製のドアノブを捻ると、建物の内部に踏み行った。

ジョディは不思議そうな顔をしている。
インキュベーターとまともに接したことのない彼女は、
ほむらがあの可愛いらしい生物に対して、何故ここまで素っ気なく接しているのかわからないのだ。

「……ねえ、杏子。あの二人って喧嘩してるの?」

「それ、絶対ほむらに聞くんじゃねぇぞ」

「なんで?」

「あいつが見境無くなるからだよ」

「???」

杏子に小声で尋ねてみるも、正直言ってなにがなにやら。
そういえば一度も彼と話したことはなかったなどと思いつつ、ジョディは二人の背中を追った。

今日はここまで。
叛逆ネタをどれぐらい混ぜていこうかと考えつつ、ほむあんくださいと言い続けるマシーンに戻ります。

遅れました。更新しましぬ


思っていた通り、建物の内部は広かった。
今まで二人に同行して、表までやって来たことはあったのだが、
ジョディはチャールズを毛嫌いしていたので、中を見たのはこれが初めてだ。

白を基調とした壁紙や、壺や絵画の調度品で装飾されたホールは実に立派な装いだった。
天井も高く、落としたら色々な意味で悲鳴が出そうなシャンデリアがきらびやかな輝きを放っている。

当時のこうした地主の家は公民館としても使われたとのことなので、
この家もまた、そうした目的を持って建てられた物なのだろう。ジョディは詳しいのだ。
実際、ホールのあちこちには上等そうなテーブルやソファーが置かれており、二階にはサロンらしき物も見える。
しかしそうした豪華な内装以上にジョディの気を惹いたのは、屋内に立ち込めた芳しい香りだった。

「……なんかすげー良いニオイするな、ここ」

「向こうから時間を指定してきたわけだし、食事の一つでも用意しているのかもしれないわね」

「うっはー! たっまんねーなー!」

今にもよだれを垂らさんばかりの勢いではしゃぐ杏子は、すんすんと何度も鼻を鳴らした。

それにしても良い匂いだ。
ブイヨンやボーク、ビーフにチリ、シーフードのような香りもする。
ジョディも今朝は食事を抜いてきたので、匂いに胃袋を刺激され、きゅうと小腹が鳴ってしまう。

ほむらだけは特に気にせず、罠や待ち伏せの形跡を探っているようだったが、
よく見れば視線の動きがせわしなく、集中力に欠けているように見えなくもない。杏子に感してはなにをいわんやだ。
そしてジョディの頭の中もまた、ここが憎きオダワラの前線基地であることもすっかり忘れ、
すでにこの邸宅のどこでどんなご馳走が並べられているのかという想像で埋め尽くされていた。

「これでもしなにも食事が出てこなかったら、そこの高そうな壺をeBayに売ってそのお金で何か食べましょう」

「へへっ。今回はあたしも止めないよ。わざわざ向こうが招いてきたんだし、おもてなしの一つでも出てくれないとさ」

『クエーッ!!』

「おおっ、なんだなんだ?」

三人がホールに突っ立って、好き勝手に話をしていると、突然部屋の片隅からけたたましい鳴き声が聞こえてきた。

人一倍馬鹿騒ぎを好む杏子が気色を浮かべ、何事かとそちらに近付くと、
屋敷の奥へと続く通路に置かれた観葉植物の影に隠れるような形で、大きなケージが置かれていた。

中に入っていたのは――禿げた頭と立派な尾羽を持つ鳥だ。
なかなか活きの良いその鶏は、杏子の姿を見るなりばさばさと羽を鳴らして威嚇を始め、がしがしと檻を蹴飛ばし始めた。

「見ろよ、チキンだ!」

「どう見てもターキーよ。七面鳥。わかる?」

「こんなでかいチキンいるわけないでしょ」


「どっちでもいいだろ。食える鳥はみんなチキン!」

「「よくない」」

「でっけぇ鳥だなー。これでおもてなしとやらをしてくれるのかな? うっひゃー!」

声をハモらせて否定する二人をざっくり無視してはしゃぐ杏子に、ジョディは溜息を吐きながら言った。

「そんなわけないよ。それならこいつらここにいない」

「なんでだよ? 新鮮な方がうまいだろ?」

ジョディの指摘に、杏子は首をかしげた。

「日本人はスシが好きだからそう思うのかもしれないけど、食肉は絞めてから時間を置かないと熟成しないんだ。
 鶏は『足が早い』から死後硬直が抜けたらすぐに食べ頃になるけど、それでも一日は置かないとね」

「ジョディ、さすがに詳しいのね」

「そりゃあ仕事でやってるからね。最初はちょっと同情したけど、今はもう慣れっこだよ」

『クエーッ! クエーッ!』

「ソニー! あんまりうるさくしちゃ駄目よ! ……って、あら三人とも、もう来てたのね!」

そのおり、騒ぎ立てる鶏を前に談笑する三人の前にひょっこりとマギーが現れた。
前回見かけたピンク色の法衣ではなく、ありふれた(やはりピンクの)ワンピースだが、そのバストは豊満だ。
手には『Chicken Feed』と書かれた紙箱を持っているところから見て、この鳥はやはりペットなのだろう。
彼女は形の良い眉をハの字に歪めて、申し訳なさそうに謝罪した。

「気がつかなくってごめんなさい。アルの手伝いが忙しくって……」

「いえ、ドアベルを鳴らさなかったのはこっちだから、あなたが謝ることじゃないわ」

「そんな気を使わなくっていいの、ホムラ。これは私のミスだもの。謝ることは謝らなくちゃ」

「あ、いえ。別に気を使ったのではなくて――」

「でもあなたがそう言ってくれるなら、お気持ちに甘えさせていただくことにするわ。ありがとう!」

「……どういたしまして……」

罠を警戒してドアベルを鳴らさなかったのは事実なのだが、マギーは色々と考えた末に勝手に納得したらしい。
満面の笑みで応えるマギーに、ほむらはぎこちない笑みを返した。

「それじゃあどうぞ奥に上がって! みんなのために、最高のご馳走を用意したのよ」

「こっちこそありがとね、マギー! それじゃ遠慮無く上がらせてもら――」

「アルフィー、お客様がいらっしゃったわ! あなたもお迎えの準備をしてちょうだい!」

「………っと」

顔色を良くしてスマイルを返す杏子を無視して、マギーはさっとワンピースの裾を翻し、
芳しい香りが立ち上る屋敷の奥、キッチンと思わしき方角へと駈けて行ってしまった。

「……なかなかマイペースな人みたいね……」
「……マミを我慢知らずにして人の話を聞かなくしたらあんな感じかね……」

急に間の抜けた空気になってしまった。

小走りで駆け去っていく金色の巻紙に、微妙な表情を向ける二人。
あの調子っ外れな雰囲気を見る限りでは、罠の心配はいらないだろう。
マギーを追って廊下に向かう二人の後ろにくっついていくジョディの背中に、七面鳥がクエーっと鳴いた。

廊下はやはり広かった。
壁には大きな鹿の角が飾られていたり、花の活けられた壺なんかは多分、見たとこ安物ではない。
ジョディも仮にもニューヨークのセントラルで育った経緯があるので、物の価値はそこそこわかる。

少し複雑な心境だった。
これだけの富を持っている者達が、なぜそれ以上の物を欲しがるのだろう?
かつてジョディがいたセントラルには、そういう連中が山ほどいた。

世界の中心と呼ばれる場所で、莫大な金と栄光を手に収めてなお、更なる大きな利益を求めて、
寝る間も惜しんで図り事をし、時には人の心を踏みにじってまでなにかを得ようと足掻く者達。
それは学校の友人達のうち何人かだとか、あるいは他のクラスの連中でもあったし、父と母もそうだった。

大会社の重役である父はより大きな業績を残すため、弁護士の母は一つでも多くの裁判に勝つために、
月に何千ドルも掛けて優秀なヘルパーを雇うことで、幼いジョディを家に残してそれぞれの仕事に打ち込んでいた。
そうして取り残されたジョディが寂しさや疑問を感じたのは、一度や二度ではなかったと思う。

なぜ。どうして。なんのために。
イソップの童話で飢え死にしかけた蝉を見捨てた蟻のように、彼らは冷たく、忙しいのか。
悪魔的な数式のように、どう思い悩んでも解けない疑問。
周囲の人間はみな早足で、それでも置いて行かれないように、必死で着いていくしかない。

楽しみがなかったわけはなかったが、あの頃のジョディは空っぽだった。
流行りと廃れに振り回されて、これという好きな物はなく、将来の夢もあやふやで、
ただ良い会社に勤めるためにA+の評価を求めて、数式や企業運営の勉強をするモラトリアムの虜囚。
そんなジョディの頚木を断ち切り、心を開放してくれたのが、
このコネクションという町と、インディアン文化との邂逅だった。

なにかに捕らわれることもなく、ただその日を善く生きるということ。
その奔放で自由な思想に初めてジョディが触れたとき、彼女はなにかを見つけた気がした。

もしそれをより直接的な言葉で表すなら――臭い言葉になってしまうが、それでも別に構わない。
あの日この町と出会ったジョディは、砂埃に煙る黄土色の世界から本当の自分を発掘したのだ。

この場所で生き、この場所で死ぬ。そういう故郷(ふるさと)を得たと、あの時のジョディは確信できた。
そしてだからこそ、この町を荒らそうとする外敵に対し、
ジョディは激しい憤怒の炎を燃えたぎらせ、戦士であろうと誓うのだ。

(あたしが……あたしがこの町を守るんだ……)

オダワラ。魔獣。いいや、誰であろうと構いはしない。
この町を、この里を、この魂を守るためならこの命など惜しくはない。
たとえ差し違えることになろうと、自分は勝利してみせる。
もう何度目になるかもわからない、妄執とも言える想いを胸に、ジョディはキッチンに足を踏み入れ、

『■■■■■■■』
「アバーッ!?」

突然目の前に現れた純白の機兵に仰天し、しめやかに失禁しかけた!

『■■■■』

「まあ! お客様を驚かせるなんて、アルったらいけない子ッ!」

『■■■■■』

「うふふ、冗談よ! こうしてあなたに会いに来てくれる人なんて、滅多にいないものね!
 今日は目いっぱいはしゃいで良いのよ!」

『■■■■』

「アバッ、アババババッ! アバーッ! アバババーッ!?」

「……なんだあれ……?」

「新手のコスプレかしら……」

さながらスターウォーズの『R2D2』のように電子音を鳴らす白い機兵、アルフィーと会話するマギーをよそに、
彼の異様な姿に仰天したジョディは、先日浄水場で経験した戦闘のショックもあって、謎の奇声を上げ続ける。

しかしその様を見ていた杏子とほむらですら、ジョディを責める気にはならなかった。
二メートル超の鉄塊と突然遭遇しただけでも驚くには十分過ぎるし――なにより機兵の出で立ちと来たら、
フリルのついたヘッドセットに、まっピンクのエプロン・ミトンだ。
この様を写真に撮って眺めてみる機会があったとしたら、『質の悪いコラージュ写真だ』という感想以外は出ないだろう。

『■■■■』

「ゆっくりしていってね(Take it Easy)ですって! こんなに喜んでるアルを見たのは久しぶり!」

手にほかほかと湯気を立てるミートパイの載った鉄板を持ちながら、うやうやしくオジギする機兵。
嬉しそうに捕捉するマギーの笑みを窺いながら、足下のキュゥべえに興味深そうに杏子が尋ねた。

「なあなあキュゥべえ。あのデカブツ、ホントになにか喋ってんの?」

「今の人類が保有している電子技術では、疑似人格と呼ぶにはほど遠いものしか作成できないし、
 仮に最新鋭の疑似人格を作ったとしても、ああした汎用的な兵器に搭載することはないだろうね」

「ああ? なんだよ。『KITT』じゃなくて、ただのごっこ遊びか……」

「完全な人格を電子的に再現するには、あと百年はかかると思うよ」

「気の長ぇ話……」

首を横に振るキュゥべえにつまらなそうな顔をする杏子は一気に興味を無くしたらしく、機兵にそっぽを向いてしまう。

彼女は趣味が少年的で――ようするにロボットやドンパチが大好きなのだが、集中力に欠けるきらいがあるのだ。
ちなみにKITTとはナイトライダーというテレビドラマに出てくるAIの名前である。
何度もリメイクされている有名な作品だが、最後に作られたのはもう二十年以上前なので、
再放送やレンタルビデオで熱心に見ている人間でもなければ、おいそれと名前は出てこない。

「さあみんな。お招きさせていただいたのに、いつまでも立ち話をさせるわけにはいかないわ。
 どうぞ好きな席について、お腹いっぱい食べてちょうだい! 積もる話はそれからよ!」

「イエーイ! 待ってましたァー!!」

「相変わらず食べ物だけあれば機嫌が良いんだから」

ぱちん、とマギーが手を叩くやいなや、ころりと表情を変えて喜ぶ杏子に、ちくりと嫌味を言うほむら。
もちろん杏子は少しも気にせず、いの一番に卓に着いた。
ほむらとジョディも空腹なので、なにも言わずに後に続く。
キュゥべえだけがうらやましそうに、テーブルの下から四人と一機を見上げていた。

「それにしてもすごい量だね。全部そいつが作ったの?」

まず真っ先にフォークを手に取り、目を輝かせながら杏子が尋ねた。

ホールからかねて想像していたとおり、卓上に所狭しと並んだ料理はまさしく豪華絢爛だった。

蜂蜜瓶の添えられた黄金色のマルゲリータに、サラミ・アボガド・ほうれん草で彩られた西海岸式のピザ。
サイズはもちろん20インチで、生地は厚手のレギュラークラスト。
隣で湯気を立てるスチール鍋からは濃密な海鮮の香りが漂ってくる。
首を伸ばして中を覗くと、大きなムール貝にイカとトマトにジャガイモあれこれのブイヤベース。
広東風のあんかけ炒飯、新鮮な野菜とぷりぷりの剥き海老、挽肉とやはりアボガドを包んだ生タコス。

杏子だけではなくほむらの目すら惹きつけたのは、螺旋状に盛り付けられた刺身の皿だ。
青々としたシソの葉の上には桜の形に飾り切りされた人参があり、ご丁寧に大根のツマまである。
他にもスモークの効いたローストビーフや、ブラッドソーセージの山盛りだのと、
国籍無用のご馳走達が、大人十人でも手に余りそうな量で用意されていた。

「ええ。アルに『今日はお客様が来る』って言ったら、頑張って作ってくれたんだけど……」

「この量はさすがに頑張り過ぎかな、って?」

「いえ、それとはちょっと別なんだけど……」

ジョディが苦笑いしながら聞くと、マギーは困った顔をした。

「新しいお友達が出来た記念にターキーを用意して欲しかったんだけど、
 お肉屋さんのおばさまが気を利かせすぎてくれたせいで、ちょっとしくじっちゃったのよ」

「ターキー? ひょっとしてさっきのやつ?」

マギーは頷いた。

「一昨日、この町のお肉屋さんに行ったのよ。そしたら店主のおじさまが、
 『昨日届いたばっかりの取っておきを売ってあげるよ』って言ってくれたから、
 それで私、なんて親切な人なんだろうってすっかり舞い上がって前金でお金を支払ったら――」

「生の七面鳥が飛び出してきて、どうしたもんか、と」

「本当に困ったのよ……? いくら食べるために育てられてるからって、まさか殺すわけにもいかないし……」

そう言って廊下のほうを見るマギー。
耳を澄ませばまだ玄関先で七面鳥の鳴き声が聞こえてきそうだ。

「ふーん。ま、あれやこれや欲張ってもしょうがないしね」

「人間出来ないことの一つや二つぐらいあったほうが可愛いものよ」

「なにからなにまで気を使わせてしまってごめんなさい」

「Never mind! 気にするなって。あったかいうちにいただいてやれば、連中だって浮かばれるさ」

彼女の倫理観がどういうものであるにせよ、このご馳走の前では些末なことだ。
杏子の言葉を皮切りに、四人はそれぞれの形で感謝を表した後、一斉に食事に手を付け始めた。

「……うまい!」

「うん。ちょっとくやしいけど、これはすごいや!」

「ええ。本当に美味しいわね」

さて、料理は素晴らしい出来映えだった。
当初、見た目は良いが所詮は機械が作った物だろうとひがみ半分でたかをくくっていたジョディですら、
熱々のあんかけがまぶされたお焦げご飯を口に入れた瞬間、『完敗だ』と言うしかないと思ったぐらいだ。
その技前たるや、敬愛するアンに勝るとも劣らないだろう。
次々と料理を口に運んでは感嘆の声を上げる三人に、マギーは誇らしげに豊満な胸を張って見せた。

「うふふっ! お褒めにいただいて光栄だけど、お礼は私じゃなくてアルに言ってあげてね」

「いやいや、マジで大したもんだよ。アイアンマンなのかと思ったら、まさかジャービスのほうだったなんてね」

「アイアンマンはわかるけど…………ジャービスって、一体どなた?」

「トニー・スタークの執事だよ。マーブルコミック、読んだことない?」

「男の子向けのコミックじゃない。それに、アメリカ人みんながああいうコミックスを読んでると思ったら大きな間違いよ」

「なるほど。確かにそりゃ説得力がある言葉だ」

「あ、でも私『ナルト』と『ワンピース』は大好きよ! キョーコとホムラももちろん好きよね?」

「……ええ、まあ、一応……」

「……あー、うん。そうだな。そういうもんなんだな……」

美味しい食事を摂っていると、自然と雰囲気も良くなるものだ。
白を基調とした明るいダイニングキッチン、そこに置かれた大きなテーブルを囲んだ四人の間には、
まるで今日初めて会話らしい会話をしたとは思えない和やかな空気が漂っており、弾む会話も賑やかだ。

唯一会話に参加していないアルフィーも、エプロンの裾を翻しながら小気味よくテーブルの周りを行き来して、
ピザを切るなりスープを盛るなり、空いたグラスに飲み物を注いで回るなど、
実に手際よく給仕の仕事をこなしており、その気配りたるや兎脚亭の従業員であるジョディも舌を巻くほどだ。

テーブルの下で所在なさげにうろついていたキュゥべえにすら、
小皿に取りわけた料理をきちんと与えているぐらいなのだから、彼の有能さは相当だろう。

「アボガドが多いけど、ひょっとしてマギーはカリフォルニアの人?」

「そうよー。もしかしてジョディも来たことがある?」

「三日だけSF(サンフランシスコ)に行ったことがあるんだ。
 パパの出張ついでだったんだけど、ミドルスクールの入学祝いで家族旅行ってことになってさ」

「そうなの!? 私はロングビーチの出身なんだけど、こんな田舎からじゃ移動するのも大変だったでしょ?」

ぶっ、と杏子がスープを吹き出しかけたかと思うと、背中を揺らしながらおかしそうにくつくつ笑った。

いくら西海岸流とは言っても、ストレートすぎる物言いだ。
見ればほむらも似たようなユーモアを感じたらしく、吹き出しこそしなかったものの、
明らかに愉快そうな顔でにたにた笑い、くるくると丸めたピザを行儀良くかじっている。

「……あー、いや。あたしはマンハッタンの出身なんだ。アリゾナには、その……割と最近越してきたんだ」

「まあ! アメリカのあっちとこっち側ね! やっぱり自然に憧れてアリゾナに?」

またしても杏子が吹き出し、ひひひっ、と擦れた忍び笑いが漏れた。

「う、うーん……そ、そういうことになるの……かな……?」

「前にも言ったけど、本当に素敵なところよね! ずっとここに住んでみたいって思うぐらいだわ!」

「そ、そりゃどうも……なんだけど……」

「いつかみんなも私のおうちにも遊びに来てね。
 一人暮らしだから誰にも邪魔されないで、一晩中パジャマパーティをしていられるわ!」

『■■■■■』

大事な故郷をド田舎扱いされつつ誉められ、喜ぶべきか怒るべきか。
楽しそうに話し続けるマギーとは対照的に、複雑そうなジョディのグラスに、アルフィーがそっとペプシを注いだ。

todayはここまで。また長ったらしい説明シーンが入りますが、そろそろ話が終盤に入ります

アッハイ。ちょうど今日辺り投下しようとしてたところです。ご迷惑おかけしてます

――マギー。

マーガレット・エミリー・ブレナン。
ジョディの一つ上にあたる十八歳だが、歴とした高校生らしい。
詳しい事情は綺麗に抜いて説明されたが、魔法少女になったのは五年前。
魔法少女の中でも珍しい部類に入るほどの大ベテランだ。

普段は故郷のロングビーチ――カリフォルニア州でも有名な保養地で全寮制の高校に通いつつ、
直接的に魔獣と戦闘している魔法少女達のサポートとして裏方仕事をするという、
きわめて平均的な魔法少女としての生活を送っているとのことだ。

「ぷっはぁー……食った食った! Bon apetito!(ごちそうさま!)」

「Thank you for serving(ごちそうさまでした)」

「ごちそうさま、アルフィー!」

「よく頑張ったわね、アルフィー」

『■■■■』

小一時間ほどが経過した後、ぱんぱんにお腹を膨らませた四人はアルフィーに感謝の気持ちを告げていた。

途中、嬉々としてワインボトルに(直接)口を付けた杏子が、
中身が葡萄ジュースだったことに気付いて落胆するようなハプニングもあったものの、
会食は滞りなく進行し、大量の料理が並んでいたテーブルもすっかりと綺麗になり、
代わり並んだレノックスのティーセットからは、アルフィーの手によって今しがた挽かれた粗挽きコーヒーの力強い香りが立ちのぼっている。

「あなたもそろそろ疲れたでしょう? お部屋に戻って休んでくれていいわよ」

『■■■■■』

「あらあら、張り切っちゃって!」

「随分働き者のロボットだけど、彼はNSA(国家安全保障局)の備品なのかしら?」

角砂糖一つが入れられたコーヒーにそっと口を付けながら、実にそれとなくほむらが尋ねた。
まだマギー自身が語っていない、彼女の素性を聞こうというのだ。
会話について天賦の才を持つ杏子ほどではないにしろ、こうした慎重さを要する会話はほむらにとっても手慣れたものだ。
自然な流れで繰り出されてきた質問に、マギーは柔らかな笑顔で応えた。

「そういう言い方は好みじゃないわ。アルフィーは私の大切なお友達なの」

「……そう。おかしな聞き方をしてごめんなさい。友達は、本当に大切だものね」

「ええ。アルと出会えたことは、私の人生最高の喜びよ。アルももちろんそう思うでしょ?」

『■■■■■』

微妙に声のトーンを落とすほむらに気付かず、マギーはアルフィーに笑顔を向けると、無機質な電子音で彼が応える。

恐らくはただの機械的な反応に違いないが、今日ここまでのやり取りを見るだけで、
彼女達が良き関係を築いてきたということは想像に固くない。
なにか物思いに耽る様子のほむらを横目で見ながら、杏子はコーヒーにミルクを注ぎ、さてと前置きしてから話を切り出す。

「ちょっと悪いかなとは思ったけど、この前もらったIDカード。
 ……正確にはあのカードを使ってキュゥべえが引き出したNSAのデータベースから、あんたの経歴を洗ったよ。
 ロングビーチ支部の兵站部署で五年の勤務。機械操作の魔法で実績を上げて、四年前からNSAにスカウト。
 その後『スコット作戦』の一貫として、オダワラ・マテリアルインダストリへの諜報活動に従事。
 支部での活動中も頻繁に特別手当が出るぐらいの有能株で、担当インキュベーターからの評価はA-。
 『勤務意欲にやや欠けるが、実務能力に優れ、命令に従順』。……西海岸のボンドガールと呼ぼうかい?

「あらやだ。そんなに誉められたらくすぐったいわ」

「謙遜するなよ。A+じゃないのも、危険な前線任務を蹴ってたからだろ? 控えめに見たって優等生だ」

「私は私に一番向いた仕事を、自分の出来るようにやって来ただけだわ。
 ……それに今の私はNSAの局員じゃなくて、一人の魔法少女としてここに来てるの。周りの評価は関係ないのよ」

「一人の魔法少女としてって? 国のエージェントじゃないってことなの?」

ジョディの質問に頷きながら、杏子から手渡されたIDカードを胸元にしまうマギー。
そもそも魔法少女と行政機関がどう結びついているのかもわからないジョディは、ひたすら首をかしげるばかりだ。

「マーガレット・エミリー・ブレナン。『プリーズ』と前置きした上で、あなたに改めて伺わせてもらうわ。
 なぜあなたが遠く離れたロングビーチからわざわざアリゾナまで足を運び、
 NSAの内部情報をリークするという危険を冒してまで私達に接触しようとしているのか。
 そしてあなたがこの一連の事件についてどれだけ深く関わり、
 なにをどれだけ知っているのか、どうか私達に教えていただけないかしら?」

いつもの調子に戻ったほむらが尋ねながら、卓上になにかを差し出した。

焼け焦げた機械部品。
何本もの細かいチューブが接続された基盤の中央に、埋め込まれた闇色の立方体――グリーフシード。
然るべき者が扱えば、これ一つで町一つを消し飛ばすことすら可能な、超高密度のエネルギー体だ。

「あの機兵達の中にこれがあったわ。魔法少女しか知り得ない、魔法少女にしか必要のないものを」

「僕もそれには興味がある。なぜ一企業に過ぎないオダワラが、この貴重な技術を要しているのか」

「そうね。今日はその話をするためにわざわざお呼びしたんだし、そろそろお仕事の話をしたいけど……」

「けど、なんだい?」

穏やかな微笑みを浮かべたまま、もったいぶった口調で話を区切るマギーに杏子が聞くと、

「あなた達、モルモン教についてはどれぐらい詳しいかしら?」

「はあ?」

全く予期していなかった質問に一同は怪訝顔をした。

「実のことを言えば、信者さんがここにいないのが一番いいんだけど……。
 ……ほら。宗教のお話をすると、色々お話がこじれやすいでしょう?
 ほんの何年か前だって、進化論を否定した学校の先生がクビになって、裁判をするようなことがあったばかりだし……」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あたし達は魔獣とオダワラについて聞きに来たんだよ!?
 ディスカバリーチャンネルじゃあるまいし、ダーウィンやニュートンが見つけたあれやこれやを聞きに来たわけじゃ――」

取りわけ大きな反応を示したのは、やはりジョディだ。
彼女は怒りこそしなかったが、場違いとも言えるマギーの質問に眉をひそめ、反射的に立ち上がろうとして、

「末日聖徒教会。The Church of Jesus Christ of Latter Day Saints――通称LDS。
 西暦千八百三十年、ユタ州ソルトレイクで創始された、主にモルモン書を聖典とする新宗教だ」

「――な……い……?」

すらすらと淀みなく説明を始めた杏子に呆気にとられ、ぽかんと口を開けて固まった。

「二千四十四年現在の公称信者数は一千七百万人。主な信者母体は米国中部から西部に掛けての労働者及び富裕層。
 宗派別の国内納税額と所得額は五十年以上トップを維持してるが、
 『実在しないとされる』教典を元に創始されたことや、三位一体の否定をしてることで、
 プロテスタント、カトリックの両方から『公式異端』扱いされてるうえに、
 当時のユタですでに規制されていた一夫多妻制を支持し、連邦政府と政治的な紛争をした経歴もある一種のカルトだ。
 創始者はジョセフ・スミス・ジュニア。千八百四十四年にユタ州警察に逮捕され、略式裁判の末に投獄。
 五年の実刑判決と当時の金額で二万ドルの罰金処分を受け、釈放後は完全蒸発。
 一説に寄ればオーストラリアに逃げたらしいが、信者の間じゃ当局による非人道的な拷問の末に獄中死。
 晴れて『偉大なる殉教者様』ってことになってる。……こんなところで充分かい?」

「…………マジで?」

杏子は一息に説明を終えたが、ジョディは暗がりの猫のように目を丸くしてひたすら驚くばかりだった。

教会にいるところを見たことがあるのでクリスチャンだということは察してたのだが、
……いやはや、自由奔放というか野性的というか――正直宗教とは無縁そうなこの人物が、
ここまでの知識を持っているとは、まさにイエス・キリストでも想像出来ないだろう。
質問を投げかけた張本人であるマギーも眼を細め、興味深げに杏子を見た。

「あら。日本人は無宗教だって聞いてたけど、随分と詳しい人もいるのねえ」

杏子は八重歯を見せて笑いながら、オーバーな仕草で肩をすくめた。

「その台詞を聞くのはアメリカに来てから二度目だよ」

「あら、ごめんなさい。もしかして気を悪くした?」

「そうでも? ……ま、信じるかどうかは別だけど、うちの実家は教会なんでね。
 ウィキペディアに載ってるレベルの話じゃあるけど、『聖人の従者はラテン語を引用する』ってヤツさ」

「面白いわね、キョーコって! 少し興味が湧いちゃったわ」

「寝物語ってのも構わないけど、今は別の話をしたいかな。マギーお嬢ちゃん?」

「くすくす……いいわ。素敵なデートに誘ってくれたお礼も含めて話してあげる……彼らはね。神さまを呼ぼうとしてるのよ」

「神さまぁ?」

どこか妖艶な笑みを浮かべるマギーが口にしたのは、またしても驚くべき三文字だった。

『GOD』
ジョディはまたも目を丸くする。聞き間違いなのかと思ったぐらいだ。
だがそんなジョディの反応も、マギーは想像していたのだろう。彼女は至極ご機嫌な様子でくすくすと笑いを漏らした。

「ええ、神さま。あの神さまよ! あの人達の目的は、この世界に神さまを呼び戻し、地上に楽園を作ることなの」

「馬鹿げてる!」

「本当よね! 私も聞いたときは、自分の耳を疑ったもの!」

「ふざけないでよ! あたし達をからかってるなら――」

「ぎゃーはっはっはっはっは!!」

馬鹿にされてるのだと感じたジョディがマギーに食ってかかろうとしたそのとき、キッチンに爆発するような笑い声が響いた。
杏子だ。
彼女は背中を揺らし、堰を切ったように爆笑しながらテーブルをやたらめったらに叩きまくり、
上等なテーブルクロスに山ほどコーヒーの染みを作った。

「あーはっはっはっは! ひぃー!! か、かみさま! 神さまと来たもんだ!! オーマイゴーッド!! 
 あー、かーみさまー! 私達、哀れな子羊を――ぶっ、ぐふっ、ぐひゃひゃひゃひゃ!!
  あひぃっーっ! あー、やっべー!! おもしれぇーっ! ひーっひひひひ! あーはっはははは!」

「……ああなるのも無理はないけど……」

目に涙を浮かべ、呼吸すら困難になりながら笑う杏子は、実際ほとんど狂人である。
その凄まじい笑いっぷりに毒気を抜かれたジョディが、マギーから不満そうに目を逸らしたが、

「話を続けなさい」

「――ッ!?」

その先にいたほむらを見た瞬間、怖気にその身を震わせた。

一体彼女の心境にどんな変化が起こったというのだろう。
先程まで浮かべていた柔和な笑顔の代わりに、冷たい微笑を湛えるほむらの全身からは、
魂までもが凍り付くかのような冷気が放たれていたのだ。

「またまた意外ねえ。あなたはもっとリアリストだと思ってたけど……あ、ひょっとしてとても敬虔な人だったりする?」

「どうかしら。私は一身上の理由で神様を便利屋扱いするような身勝手な人間を『クソ野郎』と呼ぶことにしているだけよ」

「信心深い人っていうのは怖いわねえ。……でも私も同感だわ。困ったときだけ他人頼みは、ちょっとかっこわるい気がするもの」

「お互い猫を被るのはもう十分よ。生憎、私は温厚でもなければ慈悲深くも我慢強くもないの」

動じずにおどけるマギー。
だがほむらの放つ殺伐とした空気によって、場はすでに一触即発だった。

「いつまでもこのくだらない問答を続ける気なら、私も質問の仕方を――」

「くっくっく……おちつけおちつけって、この女ヴァンダム!!」

もはや殺気を隠す気もなくなったのか、兵士特有の無表情に変わったほむらがガンベルトに手を伸ばしかけ、
アルフィーのセンサーアイが赤く明滅したそのとき、待ち受けていたかのようなタイミングで杏子が間に割り込んできた。

「いやー、悪ぃね。マギー。こいつ宗教の話すると途端にサイコ野郎でさあ!」

「杏子。今はあなたの冗談に――」

「おーおー、よしよし! いい子いい子! ……な? マギーも許してやってくれよ!」

「私は別に構わないわ。……やっぱりデリケートな話だもの。気を悪くさせてしまってごめんね、ホムラ」

「……いえ。私の落ち度よ。気にしないで」

「ありがとう! それじゃあこれでおあいこね!」

昇っていた血の気が無事引いたらしい。ぺこりを頭を下げるマギーに頭を下げ返すほむら。
数秒前までの殺伐さが嘘のような状況に、ジョディもほっと薄い胸をなで下ろした。

「……助かったよ、キョーコ。一体何が起こるのかと……」

「いいってことさ。あたしも人のことをとやかく言えるほど気が長いタチじゃないしな」

小声で囁きかけるジョディに、ばちんとウインクする杏子。
人を安心させてくるその明るい仕草は、形こそ違えどほむらが普段浮かべている笑みとよく似ており、
――なるほど。ジョディはなぜこの一見正反対な二人が相棒同士なのかを少し理解できた気がした。

「さて、話を焦らし過ぎちゃったのも事実だから、順を追って説明するわね。……まずはこれを見てちょうだい」

アルフィーが二杯目のコーヒーを注ぎ、実際ふくよかな豆の香りで精神を落ち着かせれば自然と話をする気にもなる。
マギーは話の口火を切ると、その豊満な胸の谷間から取り出したなにかをテーブルの上に出した。

それはNSAが今までに収拾したのであろう、膨大な資料の数々だった。
Burn after Reading――『読後焼却』の判が捺された紙の書類。圧縮記憶素子によって数テラバイトの容量を持つ最新式のデータメディアに、
とっくの昔に時代遅れとなったCD、MOやフロッピーディスク、カセットディスク、果てはパンチカードによる暗号めいた文書、
マギーの属する組織が連綿と活動してきたことを語るかのような種々雑多な資料達を、ほむら達は手に取り、確認していく。
いくつかの機材が必要になる電子媒体はキュゥべえが代わりに読み取り、魔法少女達の頭脳に直接データとして転送された。

「たまげたな。あいつら本物のキチ○イか」

「ブラッドレー・ボンドのカートゥーンを読んでる気分だよ……」

「……まったくね。心臓の病気がぶり返しそう」

「ひどいわよねえ。笑い話にもならないわ」

書類の束を読みながら杏子が言うと、その場の全員が頷いた。
そして恐らくは、その書類を目にした魔法少女のほぼ全てが同じようにするだろう。
アリゾナを跋扈する魔獣達を影から操る者達が歩んできた歴史は、まさしく狂気に満ちあふれていた。

「だけど残念だけど事実なのよね、これが」

繊細な手入れがされた爪で、とんとん、とテーブルを叩くマギーの指先に躍る文字。

『Universal Energy Corporation』。
モルモン教会の指導者であるジョセフ・スミス・ジュニアが失踪した年に設立された、
こうした世情にまったくと言っていいほど興味がない杏子でも名前ぐらいは知っている、世界的な巨大企業だ。

常に十年世界の先を行くと言われる科学技術で、経済・科学のあらゆる分野を席巻し、
世界の石油資源、天然ガス、レアアースの鉱山の数割を保有するというこの企業の影には、必ずモルモン教会の姿がある。

「そもそも彼らが企業を興した際の財源が、ジョセフ・スミスの残した埋蔵金らしいのよ」

次々と資料に目を通していく一同に、マギーが補足した。

アメリカ合衆国内部で公に出回っている文書において、教団設立以前におけるジョセフ・スミスの経歴はきわめて平凡なものだ。
実家は農家。大規模農園というわけでもなく、彼は長男ですらない。
ある日突然神の啓示を得た結果、宗教組織を興し上げ、それが新しい宗教を求める当時の世情に符合した。
熱心な彼の信奉者達は、その話に尾ひれ背ひれをつけて気宇壮大に語るだろうが――実際、それだけの話である。
しかし、

「『奇跡の代行者』。『第二のモーセ』。あー、すげぇなあー。死んだ三日後には目を醒ましたってノリだなこりゃあ?」

「馬鹿げてるよ、こんな話」

半ば呆れる杏子の脇で、口を尖らせるジョディ。
彼女達が今読んでいるのは、教団設立後にジョセフ・スミスが起こしたと言われる『奇跡』に関する資料だった。

曰く、手をかざしただけで病を直した。曰く、彼は銅を金へと変えた。
曰く、彼は地図を見ただけで油田の場所を探し当て、あるときは金の鉱山を見つけ出した。
宗教団体の指導者に必ずといっていいほどついて回る、荒唐無稽な作り話の数々。
常人なら鼻で笑い飛ばすだろうその話を、よりにもよっていち政府の諜報機関が文書として作成しているというのだから呆れかえるほかにない。
しかもやってるのはヒト科の男――敬虔な魔法少女なら耳にした瞬間ショックで卒倒するか、口から泡を吹く勢いで激昂し、
魔法少女の職務が如何に神聖で男には真似できない苦難に満ちたものなのかをたっぷり説明してくれるだろう。

「根拠となる情報の洗浄そのものはもう何度も行われたことだから、データの正確性については割愛するわ。
 重要なのは『彼らがどうやってこの奇跡を起こしているか』なんだけど……これを見てちょうだい」

「これは……!」

資料の山の中からマギーが引き抜いた写真を見て、ほむらが目の色を変えた。

大型のポラロイドカメラで取られたとおぼしき、白黒写真だ。
画面の中央には精悍な顔つきの男性が写っており、手には金属的な光沢を持つ箱型の物体。
以前、図書館の地下でチャールズに見せてもらった古文書とまったく同じ物だった。

「これがジョセフ・スミスが魔法を操るために使ったとされる彼らの聖典、《モルモン教典》よ。
 当時の記録によれば、ジョセフ・スミスの失踪以降、どこかに失われたというのが彼らの見解だったけど――三ヶ月前、事情が変わった」

「三ヶ月前って、まさか……」

「そのまさかよ、ジョディ。元々彼らはそういうものだった。エネルギー資源を自ら採掘し、売買する企業。
 国からの許可さえあれば、彼らはホワイトハウスの入り口にだって百フィートの穴が掘れる」

「なるほど。資源採掘会社というは単なるポーズ……」

「実際はこの怪しげな本を探すための手段でしかなかったわけだ」

「そういうこと。まあ、その本自体はすでに彼らの手に落ちてしまったわけだけど――」

『■■■■■』

「おい、誰が事務所にいるんだ? ホムラかそれとも――マギー!?」

突如アルフィーが短い警告音を発し、キッチンカウンターに身を隠したかと思うと、何者かがキッチンに入ってきた。

がっちりと広い肩幅、野太い声。この事務所の本来の持ち主であるチャールズ・アーサーだった。
外回りに行っていたのか、着崩したワイシャツは汗でぐっしょりと濡れており、最近刈ったばかりの七分刈りにも砂埃が浮いている。

「あら、チャールズ。遅かったのね」

「……! マギー。俺のことは『パパ』と呼べと言ってるはずだ。……いや、そうじゃない。どうしてお前がここにいる?
 チアの合宿はどうなってるんだ? 『夏休みに入ってから一度も練習に来てない』ってコーチから電話があったぞ!?」

「あなたには関係ないでしょう。それに、電話を取ったのもそうせあの人のくせに」

「『あなた』?『あの人』だと!? 俺達はお前の親なんだぞ!? そもそも、今この街がどうなってるのか知らないのか!」

「今さらお説教なんかやめて。私は私のことぐらい自分で決められるの」

「生意気を言うな! だいたいチア部の合宿費だっていくらしたと――」

「頼んだけじゃないわ。そもそも私をチア部に推薦したのもパパでしょう?
 人があとでどんな陰口を叩かれるかなんて想像もしないで」

「あれは悪かったと謝っただろう! それに、それとお前が一度『やる』と自分で言ったことを放り出すかは話が別だ!」

呆然とするほむら達をよそに、マギーとアーサーは険悪なやり取りを続けた。

詳しい事情はわからないが、どうやら話を聞いてる限り二人は親子関係にあるらしい。
だが、感情を剥き出しにして叱りつけるアーサーに対し、マギーはまるでどこ吹く風だ。
そのうち彼女は何食わぬ顔で懐で鳴り出した携帯端末を取り出し、断りもせずに背を向けた。

「悪いけどバイト先から電話が入ったから、話はまた後にしてちょうだい。『パパ』」

「待て、話はまだ終わってないぞ! だいたいバイトってのは――」

「それじゃあ三人とも、また後で」

取りつく島もない。マギーは廊下に出て行き、後には気まずい空気の中で視線を泳がせるジョディと、
素知らぬ様子でコーヒーをすするほむらと杏子、深い溜息を吐くチャールズが残された。

「……クソッ。またやっちまったのか、俺は」

額に手を当ててチャールズはうめいた。
その分厚い手に隠された表情は、普段の精悍と理知を兼ね備えた男のものではない。
ただ娘を怒鳴りつけてしまったことへの自己嫌悪に陥る、疲れた父親の顔だった。

「なかなか複雑な家庭環境みたいだな、おっさんとこも」

「……キョーコか」

見かねた杏子が声を掛けると、チャールズはようやく三人の存在に気付いたようだった。

「みっともないところを見せたな。……大の大人が、自分の半分も生きてない子供に大声あげて……」

「あたしも人の事言えやしないけど、まあ、どこに家だってあんなもんだよ。気にするなって」

「そう言ってくれると助かるが……あの子を誤解しないでやってくれ。
 冷たい言いぐさをしてるように見えたかもしれないが、本当は思いやりがある子なんだ」

「……覚えとくよ」

「ありがとう……まあ、きっと君たちみたいな子でもなければ、あの子の助けにゃなってやれないんだろうからな……」

「そ、そんなことないよ」

「ジョディお嬢ちゃん。……いいんだ。全部分かってる」

彼がオダワラの社員であることも忘れ、慰めを掛けようとするジョディ。
ぎこちない笑みを浮かべようとしたチャールズは、結局上手くいかずに視線を落とした。

「君たちは化け物退治の専門家で、あの子は君たちと仲良くしてる。それって、つまりそういうことだろ?」

「あ……」

「俺はしがない営業マンだ。あの子にしてやれることなんてない。……本当に情けない話だよ」

自嘲するように言うチャールズに、ジョディは言葉を失った。

彼が思い悩んでいる理由は、娘とのコミュニケーション不全というありふれた問題だけではなかった。
自分の娘が魔法少女であり、自らの意思で危険に立ち向かう者であること、
その致命的とも言える危機に際して、なんの力添えにもなれない自分自身の無力さを彼は噛みしめているのだろう。
ほんの半月ばかり前まで同じ思いを味わっていたジョディには、彼の気持ちが痛いほどわかった。

「チャールズさん、心配しないで。私達はマギーを必ずあなたの元に連れ帰って見せます」

ほむらが言うと、彼は僅かに表情を明るくした。

「頼むよ。……俺は俺に出来る形で、君たちに協力していこう」

「こちらこそ、心強い限りです。……お仕事のほうは大丈夫ですか?」

「ん? ああ……七三をやめてからどうも受けが良くなってな。
 いくつか新しい話も進んだんだが……妙な話を耳にしてな。君たちに知らせるために戻ってきたんだ」

「……妙な話?」

彼は頷いた。

「なんでもフェニックスの支部に、三、四人の若い女の子達が見学に来たらしい。
 歳はせいぜいミドルかハイスクールぐらいだったそうだが、国籍なんかはばらばらで、おまけにアポを取ってなかった。
 彼女達は揉み手をする役員達を後ろに連れて、そのまま支社長のオフィスに行ったそうだが……なにか臭うと思わないか?」

「ビンゴだな」

「そうみたいね」

ほむらと杏子は顔を見合わせた。

大企業や政府機関の重要人物と接点を持てる年若い少女。
オダワラが今置かれてる状況から考えれば、疑いようもなく魔法少女だ。
やはりオダワラはなんらかの形で世界の裏側と繋がりを持ち、その超常的な力を私物として利用していると見て間違いない。

「そいつらの素性は調べられるかい?」

「『すでに』ね。個人情報はクリアランスで捕まえられなかったが、経理に直接電話を入れて航空機の手配先を聞き出した」

チャールズは牛皮のビジネスバッグから、いくつかの書類を取り出した。

《Marymount Airline-Ltd》と判が捺されており、文書の内容から地方航空会社の契約書ということがわかった。
行き先は――アウタープレザンス。聞いたこともない地名だったのでキュゥべえを使って検索させると、
コロラド川中流に存在する水力発電用の小型ダムの名称らしい。
彼女達はほんの三日前、この航空会社を利用してそのダムに移動したようだった。

「相変わらず頼りになるねえ」

「プラズマ溶接機でオイルモンスターと戦うのに比べたら屁みたいなもんだ」

「おい、若造! 靴屋のトレヴァーが『判子を見つけた』って電話があったぞ!
 俺がこのクソ車の中でしびれを切らして、今すぐてめえの腐れ×ンタ×をファ×クしに行かないうちにさっさと戻って来い!」

「……っと、悪いが仕事の続きをしなきゃならないらしいな」

書類を机上に並べたところで、事務所の外から、以前杏子が抑留された際に世話になった老警官の怒鳴り声が聞こえてきた。
どういうわけだから市警と一緒に町を回っているらしい。チャールズは三人に一礼して席を立った。

「ほむらの真似になっちまうが、マギーはあたしらに任せときな」

「……わかった。幸運を祈る。ジョディも気をつけてくれ」

チャールズの殊勝な態度にジョディが言葉を返す間もなく、彼はキッチンを去っていった。

ジョディは複雑な心境だった。
彼はこの町がどれほど危険な場所かはわかっているはずだし、マギー――魔獣退治を生業とする魔法少女が、
これからどのような困難に立ち向かうのかもきちんと想像しているはずだ。
しかし、彼はジョディ達の身を案じこそすれ、『娘を頼む』とは一言も口にしなかった。冷たさではなく、優しさとして。

分別ある大人として、彼は自分の娘だけでなく、同じ苦難を分かちあうだろうジョディ達に等しく『幸運を』と告げたのだ。
その決断がどれほど重く、険しい決意だったのか、ジョディには想像することすら出来なかった。

「ごめんなさい、上司からの電話だったわ」

ジョディが再び冷め始めたコーヒーの器に視線を落としていると、マギーがキッチンに戻ってきた。
カウンターに隠れていたアルフィーも体を起こし、伸びのような仕草をしている。

「上司。NSAの?」

ほむらはカップに残った最後のコーヒーを胃に落とし、マギーに尋ねた。

「ええ。『応援が来るまで、引き続き監視を続行しろ』ですって。毎日ばたばた人が倒れてるのに、どこまで呑気なのかしら?」
「あ、ちょっとあんたなにやってんさ?」

不満そうに漏らしながら書類を整理していくマギー。その中には今しがたチャールズから受け取った書類も含まれていた。

「おっさんが調べてくれた書類混じってるんだぜ? さっき聞いた話じゃあ――」

「アウタープレザンスに手掛かりがあるっていうこと? それならもうこっちの書類にまとめてあるから大丈夫よ」

「えっ……それってもしかして……」

ジョディが言葉を失った。
考え過ぎなのかもしれない。しかしチャールズがその手で掴んできた情報、それがすでにNSAに渡っており、
ここにNSAに所属する彼の親族がいるということは、つまり――

「別に驚くようなことじゃないでしょう? もともとNSAが私をスカウトしたのは『そういう理由』があったからよ。
 すでに百名近くの意識不明者を出す元凶となったカルト相手に、手段を選んでる暇なんてないわ」

「なっ……あ、あの人あんたのパパなんじゃ――」

マギーはあっさりと不貞を認める。
それが汚い手段であることなど、百も承知という口ぶりだ。
義憤に駆られたジョディが抗議しようとしたが、

「ま、しゃーねーよな。大事の前の小事だし」

「キョーコ!?」

「優先することを間違えちゃ駄目よジョディ。あなたの使命は町を救うこと。私達の使命はあなたを助けることよ」

「……ホムラまでそんなこと言うなんて……」

二人にそう言われては口出しも出来ない。
唇を噛んで黙るジョディをよそに、三人は会議を再開した。

「さっきは『天国』だなんて大袈裟な前振りをしたけど、彼らがやろうとしてることは単純よ。
 彼らは強力なマジックアイテムであるモルモン教典を媒介にして魔獣を呼び出し、全人類を天国にご招待しようとしてる」

「クソ迷惑な連中だぜ」

「まったくよ。《ビーストカルト》は歴史上は山ほどいたらしいけど、これほど大規模な物は類を見ないでしょうね」

マギーがソウルジェムの外部機能を利用して3Dマップを表示した。

ブリックから見せてもらった地下水脈の地図だが、こうして見ると水脈自体に繋がりはなく、
いくつかの湖のようなものがアリゾナの各地に点在しているのがよくわかる。
葉脈のような姿ではなく、ハブを複数持ったネットワークマップに酷似しているとほむらは思った。

「残念だけどすでに計画は最終段階に入ってる。
 今まで倒した魔獣は、本体を呼び起こすための餌。言ってみれば生け贄よ」

「生け贄? どういうことさ?」

杏子が尋ねると画面が切り替わり、地図上に光点が浮かび上がった。
それぞれ断絶した地下水脈を結ぶ形で出現したその光点には、それぞれ各地の浄水場名が記されており、
さらに驚くべきことに、それら全ての浄水場は人工的な下水施設によって連結されていた。

「まず揚水施設を使って魔獣を呼び寄せ、人を食わせて太らせる。
 その魔獣をオダワラが狩り、グリーフシードとして収穫する。
 やがてお腹を空かせた魔獣の本体は、最も効率的に餌を取れる場所へとおびき出されてくる。……人の命を集めたプールにね」

ハブ――浄水場が明滅し、一つのラインを書き出してゆく。
上流から下流へ、そしてとある一点へ。都合良く魔方陣を描いたりはせず、きわめて有機的に、不規則に。
そしてその線が最後に到達した箇所こそが、グランドキャニオンよりほどなく離れた辺鄙なダム、アウタープレザンスだった。

「インキュベーター。あなたの意見は?」

ほむらに背中を蹴られ、キュゥべえは身を震わせた。

「理論上は十分ありえる。これだけの準備を踏まえていれば、外的要因がなかったとしても魔獣の本体は独りでに出現するよ」

外的要因――モルモン教典のことだろう。彼の中ではその物体は無い物として扱われているようだった。

「もし魔獣の本体が顕現すれば――これだけの広範囲を汚染できる大型魔獣だ。
 西海岸どころか北米大陸全てが脅威に晒されることになる。犠牲者の数がどれほどのものになるかは想像もつかないよ」

「対処方法は?」
「マギーの言葉が真実なら、対処するのは簡単だろうね。働き蟻であり尖兵を潰され、魔獣の本体は飢えている」

「やつらの作戦がそのまま裏目に出るわけだ」

キュゥべえの考えを察し、杏子とほむらは頷いた。

各地に出現した小型の魔獣は、《震源地》にいる本体に栄養――人々から奪った感情のエネルギーを運ぶ役目を持っている。
だが、オダワラは機兵を使って魔獣を刈り取り、そのエネルギーを僻地のダムへと移送した。
つまり餌の貯蔵地であるダムを浄化してしまえば、魔獣の本体は飢え果て、著しく弱体化するはずだ。
マギーもその腹づもりだったのか、ただ静かに頷いた。

「現地に飛んでったっていう連中は?」

「もし僕がこの宇宙で一番安全な地帯を作ろうとしたら、君たち魔法少女を護衛に回す」

「傭兵か。……タフな旅になりそうね」

「燃えてきたぜ。さて、最後の問題は――」

ぼきぼきと手の骨を鳴らしながら杏子が地図を見た。

最後の問題――交通手段だ。

コネクションが地の果てなら、目的地であるアウタープレザンスはさながらラスト・フロンティアだ。
なにせ場所はコロラド川のど真ん中。辺りは切り立った山々に覆われた、アリゾナ・モハービ砂漠の最果て。
――これがおおいに曲者だった。

距離そのものは100マイル程度だし、ダムなら途中まで人工の道路もあるはずだ。
しかし、路面の状態や気候によっては思わぬ時間を食うことがないとも限らないうえ、なにしろ相手が億万長者だ。
今はまだ相手にこちらの存在を特定されてはいないはずだが、浄水場の一件は確実に敵の耳に入っているはずだし、
そうでなくてもこの大事に警戒を強めている可能性は非常に高い。
迂闊な手段で接近を試みれば迎撃を受ける危険性も充分になる。
会話に参加していたジョディ以外のメンバーは全員同じ見解らしく、真剣な表情で地図を眺めていた。

「距離があるし、辺りは砂漠だ。包囲されたら絶対まずいし、検問を突破するにしたって、こっちの車を強化するには限界がある」

「陸路は却下……コロラド川は?」

「下りはともかく上りじゃな。上流まで行けば一気に降りてこられるかもだが、検問はやっぱりあるはずだし、
 待ち伏せを食らったら陸路以上にどうしようもない。……徒歩は?」

「私はあなたほど速くないし、シードの消費が激しすぎる」

「なかなか上手い手がないな……」

「ねえ、ちょっといいかしら?」

二人が意見を出し合っていると、黙って聞いていたマギーが尋ねた。

「なんかいいアイデアでもあるって? マギー?」

「どうして空路を使わないの? 多分許可はもらえないけど、NSAのセーフハウスからヘリを誤魔化すぐらいなら朝飯前よ?」

もっともらしい意見が出てきた。

ヘリの時速は民間用の機体でも200kmは普通に出るし、軍用なら300kmに達する機種もある。
地形も無視出来るので最短距離を移動可能で、唯一問題になりそうな着陸地点についても飛び降りてしまえば済む。
あるいは存在するかもしれない防空網を迂回するルートを取らざるを得なくなったとしても、
航続距離も数百キロはあるうえに、予備燃料を積むこともできる。

なにより、早く目的地に着くということは、追跡される時間もそれだけ短くて済むということだ。
対空兵器で迎撃される危険性を加味しても、ヘリや飛行機で移動するのは最善の選択肢と言えるだろう。
だが――

「いや、ヘリは駄目だって」
「えっ? どうして? 操縦主ならQBもいるし、私かアルに任せてくれても――」

杏子がきっぱりと拒否すると、マギーは首を傾げたが、

「ああ、いやそうじゃなくって……ヘリは落ちるだろ? だからダメだよ」
「えっ? それはまあ、飛んでるから落ちることはあるかもだけど――」
「だろ? 飛ぶやつは落ちるんだって。ホント参っちまうよなあ」

杏子は困り顔で頭を掻き、大袈裟に溜め息を吐く。
ほむらはなぜか露骨に目を逸らし、これ見よがしに枝毛を探すふりをしていたが……少なくとも異論を述べる気はないらしい。
二人が空を飛ぶ乗り物にどのような思い入れがあるのか、マギーには知る由もないのだが――困ったことだ。

なにせ彼女達が要求している交通手段は、なるべく敵に見つかりづらく、充分な速度で移動可能で、
敵の妨害に対してもある程度の自衛が可能かつ、空を飛ばないものと来た。
……そんな便利な物が、果たしてこのアリゾナに――いや、地球上に存在するだろうか? いや、ない。
空間転移を得意とする魔法少女でもない限り、そんな離れ業は不可能だ。

「うーん……現実的な案としては、大型のトレーラーを装甲化するぐらいかしら……?」

「また工作かよ……。手が油臭くなるから飯がなあ……」

「急いだ方がいいはずだし、突貫工事になるでしょうね。チャールズさんに頼んですぐに資材を――」

「あのー、ちょっといい?」

適当な折衷案で話をまとめ、各自が席を立とうとしたそのとき。
黙って話を聞いていたジョディが口を開いた。

「ジョディ。どうした? コーヒーに機械油でも浮いてたか?」

「失礼ね。アルフィーは油臭くなんかないわよ」

「ええと、そういうわけじゃないんだけど――」

今さっきのマギーと同じ状況だ。
あるいは地元民であるジョディなら、気の利いた策があるのではないかと杏子は顔色を良くしたのだが、
――次の瞬間、杏子はなにも言わずにジョディを張り倒し、直前まで自分たちが考えていたプランを実行するべきではないかという切実な思いに囚われた。

「――あたしにいい考えがあるんだ」

ジョディが奥ゆかしいはにかみ顔で発した言葉は、よく高いところから落ちることで有名なサイバトロン軍の司令官、
オプティマス・プライムことコンボイ司令官の決め台詞と、全く同じだったからだ。

今日はここまで。ようやく終わりが見えてきました(

あっ、あっ、age忘れすいません……

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