さやか「もう少しだけ、この優しい夢を…」 (44)

「さ、佐倉杏子です…。よろしく」

見慣れた教室、見知ったクラスメイト達…自分にとってはごくごくありふれた光景。

そんな中、少し緊張した面持ちでそう自己紹介したのは、長いストレートヘアを高い位置で一つに結び、自分と同じ制服に身を包んだ少女であった。
正に“借りてきた猫”といった言葉がしっくりくる彼女の姿を、さやかは自分の席から笑みを浮かべ見つめた。

《…緊張し過ぎだって。ほら、リラックスリラックス!》

彼女にしか聞こえない“声”で茶化し半分で語りかける。

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《!…しょうがないだろ。慣れてねぇんだよ。こういうの…!》

少し悪態を付きつつも、さやかの姿を捉え緊張が解れたのか、杏子はたんたんと自己紹介を終えた。

《よく出来ました♪》
《…ったく、保護者かよ》


そんな二人だけの会話を続けながら、杏子はさやかの隣の席に腰を降ろす。

「よろしく」

そう言って目を細めた彼女は、少し悪戯っ子のように見えた。




「ねぇねぇ、前はどこに住んでたの?」
「髪きれいだねー」

休み時間になると、杏子の周りはそれはもう大変な人集りが出来ていた。
久しぶりに通う学校、大勢の同年代の人間に囲まれる事など滅多にない彼女は、やはり少し居心地の悪そうに見えた。

(転校早々人気者だねぇ。良かったねー。)

なんて思いながら、杏子の方に目をやると、チラリと、一瞬だけ彼女と目があった気がした。
どうやら、そろそろ助け舟が必要なのだろう…。

(…しょうがないなぁ)

「あー、ごめんごめん!この子ちょっと緊張してるみたいなんだわ!」

だからその辺にしといてあげて。そう言うと、名残惜しそうにしながらも、人集りを作っていた人物達は各々の席へと戻っていった。

ホッとしたような照れ臭そうな表情を浮かべる杏子は、どこからどう見てもクラスメイトとなんら変わらない“普通の女の子”そのものだった。


―と、ここまでが去年の記憶。

去年のいつ頃かは分からない。
これは、一人の少女…いや、“悪魔”に創られた、偽りの記憶。
あの結界の中での記憶なのか、はたまた世界が再構築された後での記憶であるのか…それすらも自分には曖昧である。

―時刻は深夜2時。
中途半端に目が冴えてしまい、先程からその曖昧な記憶が延々と頭の中でぐるぐる回る。

外ではいつの間にか降り出したらしい雨が、リズミカルに窓を叩いていた。

「…あの悪魔め」

早々に手を打たないといけないのは分かっていた。
しかし、どうしようにもその方法がさやかには浮かばないのだ。

(…覚えてるのは、あいつを除いて私だけ)

それも、自分の記憶はこの世界に埋れていき、どんどん薄れていくように感じていた。
今こうしている間にも、徐々に記憶が書き換えられていくような、そんな気さえした。


「さやか…?」

ふと、隣から声がした。
ついさっきまで隣で寝息を立てていた杏子が目を覚ましたらしい。


「あ、ごめん…起こしちゃった?」

「…いや。眠れねぇの?」

モゾモゾと身動きを取る彼女は、布団の中で私の手を握ってきた。

「えっ?な、何…?」

もしかして寝ぼけているのだろうか…。
焦る私とは裏腹に、彼女はそのまま何をするでもなく、ただ自分の手を優しく握るだけだった。

「…杏子?」
「泣いてる気がしたから」

さやかの声と被るように、彼女はやっと口を開いた。

「…さやか、どこにも行かないよな?」

雨音に掻き消されそうな程に小さい呟きは、確かに私の耳に届いていた。


『胸糞悪くなる夢を見たんだ。』
『あんたが死んじまう夢を』

いつか聞いたあの言葉が、今更ながら胸に深く突き刺さるような、そんな気がした。

「…大丈夫だよ」

そう言って、彼女の小さな手をそっと握り返す。
今の自分には、それが精一杯。


「ここにいるから」


ー今だけは、この優しい夢に浸っていたかった。

ー朝になると雨もすっかり上がっており、雨上がりらしい湿った風が頬を掠めた。

「おはよう!さやかちゃん、杏子ちゃん!」

「おっせーぞ、まどか!」

“この世界”では最近仲良くなった、鹿目まどかと一緒に登校する。

まどかはすっかりクラスにも打ち解け、毎日が楽しそうだ。
毎日友達と登校し、クラスメイトと肩を並べて授業を受け、談笑しながらお弁当を突つく。…彼女が円環の理となる前、彼女が“人としての鹿目まどか”であった時、これは彼女にとってもごくありふれた日常の一部だったはず。



『ねぇ、これってそんなに悪いことなの?』

そい問いかけてきたのは、誰でもない…自分自身の声だった。


『誰とも争わず、みんなで力を合わせて生きていく。それを願った心は、裁かれなきゃならないほど、罪深いものなの?』


…まさか、自分があの時言った言葉に苦しめられるなんてと、思わず苦笑いした。



「…さやかー?置いてくぞー?」


少し離れた所から聞こえてくる、自分の名前。

「うん…」
「今行くー!」


いつの間にか流れていた涙を、誰にも気付かれぬようにそっと拭うと、待っている二人の元へ駆け出す。


ー友達と登校し、クラスメイトと肩を並べて授業を受け、談笑しながらお弁当を突つく……今日も、忙しい学生生活が始まる。

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