岡部「真実は無く、許されぬ事など無い」 (140)

ASSASSIN`S CREEDとSteins;Gateのクロス。
地の文で続けていくので、御注意を。


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子孫に向かって話しかけられるダル


「はぁ、はぁ、はぁ……」


乱れた呼吸音が、三つ。仄暗いガード下で響いていた。
その後ろから、不規則に乱雑なリズムを刻みつつ迫る足音があった。

――あと、もう少しなのに。
逃げている集団の先頭を走るおさげの少女が足音の方を振り向く。
先程まで離れていたはずの音がかなり近付いてきていた。
マズイ。このままでは車に到達する前に捕まってしまう。

自分の後に続く二人の男を見る。
一人は帽子を目深に被り息を切らし、膨れた腹を揺らして何とかついて来ている。
もう一人の白衣の男は痩せてはいるが、こちらも体力があるとは言えない。既に汗を額に充満させていた。
自分一人ならもう少し楽に……そんな意味の無い考えが過る。

自分一人が逃げても意味は無い。
重要なのはこの二人なのだ。
未来に絶対に必要な、この二人が。

ダルの中の人エッチオことエッツィオやってるじゃないか
これはビルに颯爽とよじ登るダルが見られる?



「二人共! こっち!」


少女は予定していたルートを変更し、少々遠回りをする事にした。
欄干を超え、川の真横を走る。

川沿いに走っていると、途中に鉄の柵がついた侵入禁止の扉があった。
その扉を見るなり、少女は川に面した家に飛び付き、塀、窓、そして屋根へと猫のように素早く昇るとすぐさま飛び降り、扉の向こう側に着地した。
そして素早く鍵を開け二人を通し、すぐに扉を閉めた。

追手は扉に阻まれ、こちらに来れないようだ。
怒号はどんどん遠くなっていく。
これで少しは楽になる。少女は安堵し、息を切らす二人の速度に走りを合わせた。

しかし、安堵した束の間。妙な物音を聞いた。
後ろを見る。どうやら一人だけ自分と同じように扉を超えて来た者がいたらしい。
その身体能力から察するに、何らかの訓練を受けた者だろう。



「二人共急いで!」


そう叫んでも日頃訓練はおろか運動すらしていない二人は、これ以上速度を上げられなかった。

追手が増える気配は無い。ただ一人追って来る男の持つ武器は警棒だけのようだ。
交戦するしか無い。少女の判断は早かった。

少女は来た道の方へ反転し、追手に猛進する。
身を低くし、その体の四肢、体幹からいかなる攻撃をもできるように少女は走りながら構えた。

二人がそれぞれの間合いに入る。男は警棒を逆袈裟に振り下ろした。
少女は左に体を沈め、振り下ろされる男の腕を右手で掴み、懐に入って左の肘を空いた脇腹にぶち当てた。
あばらが折れ、内臓までしっかりとダメージが通る感触。
即座に顎に右の一撃を入れ、よろめかせる。そして少女は更に左の掌底を見舞った。


しかし、どういう訳か。掌底を喰らった男の腹からは鮮血が滝のように噴出していた。

少女が見舞ったのは掌底では無い。
左の袖下に隠した鋭利な仕込み刃を伸ばし、男の腹を突いたのだ。

少女は刃を引っ込め、男を片手で押した。
男は力無く、そのまま一つ立たされたドミノのように地面へあっけなく倒れた。

一息つき、他の追手が来ていないか確認する。
来た道からはもう声は聞こえない。どうやら他の道へ回ったようだ。

状況を冷静に確認すると少女は走り出し、すぐさま二人に追いついた。



「止めてある車はほんの200m先にある。あとちょっとだから、頑張って!」


少女の声に何とか首肯で返す二人。
運動不足のせいで、二人の体力は既に限界近くに来ていた。

ようやく車が見えた所で、少女はキーを手に取りロックを解除した。
扉が自動で開き、走り疲れた二人を荷物を放り込むように車に詰める。
自分もすぐさま運転席に乗り、エンジンをかけてアクセルを目いっぱいに踏み込んだ。
タイヤが金切り声をあげ地面に噛み付くと車はすぐに速度に乗った。

国道を抜け、車通りの少ない道を通る。
今現在、主要道路で検問が行われているという情報は無いが用心に越した事は無い。

街灯すら見えない道を、車のヘッドライトが暗闇を切り取るように進んでいた。
響く音も、エンジン音とタイヤが道を踏みしめる音くらいだった。

静寂の中に敵の気配は感じられない。
少しの安全を取り戻し、少女は大きく溜息をついた。

ルームミラーで後ろの二人を見る。
まだ双方とも息が整わず、肩で息をしている。
無理も無い。突如現れた自らの生命を脅かす者からの逃走だ。精神的にも疲労してしまっただろう。
太った男は眼鏡を取り、必死に汗を拭いていた。
痩せた男は車の座席下に出来た暗闇を、ただ見つめているだけだった。



「……まゆり……」


誰の声かも判別できないような、か細い声がした。
誰にも留められず、ただ車内に溶けていくかと思われた声だったが少女にはしかと聞こえていた。

声の主を、またミラー越しに見つめる。

乱雑に整えられた髪、目に強さを与える切れ長の眉、そして筋の通った鼻。
実年齢よりも少し老けて見えるが、まだ彼は未成年だった。

この男が――。

この男が、未来への反逆の鍵を握る男。

少女が来た遥か未来で、英雄と謳われた男。



「岡部、倫太郎……」

――


第一章
『無為信条のプレリュード』


――


時は、遡る。
それは岡部倫太郎らが逃亡する数時間前だ。

白衣に身を包んだ男――岡部倫太郎が、道路の真ん中で肩を落としていた。
夏の力強い斜陽がその長身の先に長い影を作っていた。

その影の中。その中に、何か紅いものが倒れていた。
――少女だった。血で体を紅く染め、汚れ、絞られた雑巾のようにうち捨てられていたが、それは紛れも無く少女だった。

交通事故があったらしい。
少女が倒れている数m先でライダースーツを着た女が何やら電話をしている。



「……」


岡部は少女の遺体に目もくれずにどこかへ走り去った。
まるで、それが常であるように。


「……今度は二日前では無く、どこか別の時間に……」


陽が沈み、まだ人通りの多い秋葉原を歩く。
追われているはずの身であったが、彼は走ろうともせずにいた。
何か、自分が捕まるはずがないと確信しているようでもあった。

その彼は携帯で何かの操作をしながら何か事務的に呟いていた。

番号入力画面に四桁の数字が映る。
頭にナンバーマークがついている。どうやら電話をかける訳では無いらしい。

その画面のまま、岡部は携帯電話をポケットにしまい目的地に歩みを進めた。



――このまま戻れば、ラボには誰もおらず、また難なくタイムリープする事になるだろう。


岡部は幾度となく頭の中で呟いて来た言葉を、また頭の中で呟く。


タイムリープマシン――それは、岡部達が見つけた偶然の産物。
七月の下旬、彼が奇妙な体験をした事が全ての発端だった。

ラジ館へ、とある人物の講演会を見に行った際、彼は殺人現場に遭遇した。
そして、彼はその事実を友人にメールで知らせた。

その瞬間、自分の周囲が――いや、世界が歪み始めた。
世界が自分という点を残し、高速で崩れてゆく。
そして、自分の周りがまた世界が再構成されていった。
奇妙な感覚。その異様な光景に、岡部は脳を揺さぶられ激しい眩暈を起こした。

岡部は揺れる世界の中、何とか目を開けた。
そこで見た光景は――誰一人いない、自分を残して止まった世界だった。
知っていたはずの現在が、過去が、それらが微妙に変わった世界だった。


それが、岡部が初めて認識した世界線移動だった。
そして、彼は殺人現場で見たあの死んだはずの女、牧瀬紅莉栖と運命的な再開を果たしたのだった。


「戻れるだけ戻った方が……いや、違う可能性も模索しなければ……」


それからというもの、彼はその体験、及びその体験の原因となった未来ガジェット八号機、電話レンジ(仮)の研究を開始した。
電話レンジ(仮)。ある程度任意の過去に、メールを送れるというマシンだった。
その未来から過去へ送られたメールに影響を受け、受け取った者が何らかの動作をする事で、また未来も変わる。
タイムマシン――古びたビルの一室で岡部達が作った、マシン。それは、神をも冒涜する偶然の産物だった。


厨二病患者岡部倫太郎、もとい鳳凰院凶真が創立した未来ガジェット研究所。そこに所属するラボメンと共に、岡部は電話レンジ(仮)の実験を開始した。

妹分であり幼馴染の椎名まゆり。
機械に精通し自らの右腕と称する程信頼した友人、橋田至。通称ダル。
美少女よりも美少女らしい、漆原るか。だが男だ。

メイド喫茶の天真爛漫猫耳メイド、フェイリス。
無口だがメールの時だけ饒舌になるメール魔の女、桐生萌郁。
一人前の戦士を自称する、どこか認識のずれたテレビ屋のバイト、阿万音鈴羽。

そして死んだはずの天才脳科学者、牧瀬紅莉栖と共に。

しかし何度か実験をしてわかった事は、過去に送れるメール容量は非常に少なく、また未来が変わる幅も予測がつかないという事だった。

それ以降は電話レンジ(仮)の改良を進めた。過去改変の幅をより正確にする為に。
牧瀬紅莉栖の頭脳を借り、橋田至と共にマシンに改良を加えていった。

そしてついには記憶を過去に送る、タイムリープマシンを開発した。
実用的なタイムマシン。人類の夢。それを、彼らは作り上げたのだ。


――それが、いけなかった。

彼らは、欧州を跨ぐ研究機関、SERNに目をつけられてしまった。
SERNもタイムマシン研究を行っていた。世界を自らの手中に収める為に。
そして、その技術を独占しようとしていたのだ。

タイムリープマシン開発が完了した僅か数時間後、SERNの刺客ラウンダーが岡部のいるラボを襲撃した。
そのラウンダーの中に桐生萌郁がいた。彼女は、スパイだったのだ。

震える岡部達に銃を向けつつ、彼女は言った。


「椎名まゆりは、必要無い」


――やめろ。
岡部倫太郎の心の叫びは、掻き消された。


銃声。
火薬の臭いが、ラボに満ちていく。

そして、鼻を突く生臭い酸鼻なる臭いも。

まゆりは額を撃ち抜かれていた。
岡部倫太郎の、目の前で。

あまりの衝撃に理性を失い、萌郁に襲いかかろうとする岡部。それを必死で止める紅莉栖。
蹲り、泣き叫ぶ橋田。そして、暗黒の筒先を向けて沈黙する、ラウンダー。
その場を一言で言うなら、地獄だった。

抵抗する力も無い。逆らえば殺される。逆らわずとも……。

どうして……岡部は必死で抵抗しようとした。
あの無垢な笑顔も、あの時折見せる悲しい表情も。
空に向けて広げた、あの手も。
もう、二度と見られないなんて。


どうして? なぜまゆりが死んだ?
続けても意味の無い問いを、ひたすら心の中で続けていた。
声にならない声が、感情にならない意思が、岡部の身体を蹂躙していた。
心臓が張裂けそうだった。感情で体が焼かれそうだった。

抵抗しようとする岡部に、萌郁はまた銃口を突き付けた。
体が強張った。たった今殺されたまゆりの、あの光景が蘇る。

自分達を連れ去り、口封じしようとしているのだ。
そして反抗すれば、まゆりのように……。

引き金を握る手に、力が籠るのが見て取れた。
まただ。また、あいつは引き金を引こうとしている。
また……。

紅莉栖を何とか振り切り、抵抗しなければ。
せめて、彼女と橋田だけは。


だが、その刹那。強烈な打撃音がラボに響いた。電光石火のような攻撃が、ラウンダー達を襲ったのだ。
襲撃者は無駄の無い動きでラウンダーを叩き伏せていく。
襲撃者――それはラボの下でバイトをしている阿万音鈴羽だった。
彼女の攻撃を喰らい、瞬く間にラウンダー達は顔を地面に伏せた。
鈴羽はそのまま落ちた銃を拾い、残った萌郁に突き付けた。そして萌郁の拳銃も鈴羽を捉えた。

銃口が睨み合った。死線が張り詰める。
鈴羽はその状態で、何かを呟き始めた。


「42、ブラウン管、点灯済み」


暗号のようなその言葉に、岡部は一瞬何をしていいのかわからなかった。
が、すぐに理解した。

タイムリープマシンを稼働させるのに必要な条件。
リフターである下層の42型ブラウン管テレビが、鈴羽によってつけられている。

タイムリープしろと、彼女は言っているのだ。


岡部はすぐに動いた。タイムリープマシンを操作し、この襲撃を免れる為に。
紅莉栖もそれに続いた。
萌郁が何か叫んでいたが、鈴羽のせいで釘付けになり動けなかった。

焦りと沸き立つ血のせいで、手が思うように動かない。
ラウンダーが少しずつ意識を取り戻しているのがわかる。
早くしなければ、早くしなければ――気持ちが急き、操作が進まない。

そしてついにラウンダーの一人が起き上がり岡部達に襲いかかった。
岡部は自身の作ったガジェットで煙の幕を張り、時間を稼いだ。

銃が乱射され、体に弾を受けながらついに操作が完了した。
紅莉栖は叫ぶ。本当に良いのかと。

やるしかない。俺が飛ぶしか無い。
こんなふざけた現実を、変える為に。

燃えるような痛み、そして耳を裂く音の中。
まゆりを、残して。


「……飛べよぉおおおおおおおっ!」


岡部は、タイムリープした。



――


岡部はタイムリープに成功した。
そして、すぐに行動を起こした。

まゆりを救う為に、彼は打てる手を尽くした。
封鎖された駅から離れ、違う路線から逃げようとした。
タクシーに乗り、遠くに行こうともした。
萌郁を脅迫し、先手を取ろうとした事もあった。

しかし、結果は全て一つに収束した。

まゆりは、世界に殺されていた。
銃殺、刺殺、轢殺、圧殺。
どんなにまゆりを助けようとしても、何をしようとも、何を画策しようとも。
いかなる方法を用いて、世界が、まゆりを殺した。

それでも、岡部はタイムリープし続けた。

終わらない、8月13日。
何度も何度も同じ映像を見せられるような感覚。
そして、その結末はいつもまゆりの死。
運命というプロットに沿って行われる、淡々とした結果。


そう、決めつけ始めていた。

全てを諦めかけた時だった。
一人の人物が、鮮やか過ぎる夕焼けの中、一人突っ伏す岡部の前に立ち手を差し伸べてきた。
その人物は、牧瀬紅莉栖だった。

岡部は彼女に、今まで起きた全ての事を打ち明けた。
そして彼女の勧めにより、岡部はまた数時間後に遡り紅莉栖と共にまゆりを救う方法を画策する。


そしてタイムリープした先で、過去の紅莉栖が言う。原因は事件の引き金となる事柄のはずだと。
タイムリープマシンでも無ければ、もっと、別の何か。


「牧瀬紅莉栖の言う通りだよ」


思考する二人に険しさの宿る声がかけられた。

声の主は阿万音鈴羽だった。
ラウンダー襲撃の時、勇猛果敢に戦っていたあの鈴羽だった。

彼女は2036年からやって来た、タイムトラベラーだった。
未来はSERNが世界を管理統治するディストピアであり、その現実を変える為にタイムマシンに乗って来たのだ。
そう彼女は言った。そして彼女は続ける。

世界を救う為には世界線変動率1%の壁を超える必要がある。
ダイバージェンス、それは世界線が移動し、再構築された際に元いた世界線との差異を確認する為の数値。
世界線。様々な可能性が絡み合い、過去から未来へと流れて行く大河。
一つ一つは干渉し合わないが、行きつく結果は同じである。

この世界線が――それの行きつく先が――まゆりの死の結果にも繋がっている。


しかし、世界を大きく変容せしめ、今いるα世界線から1%変動したβ世界線へ移動すればその結果が変わるかも知れない、と鈴羽は言う。
世界を大きく変容せしめる分岐点。そこで行われる選択が、世界線を大きく変動させる鍵。
この2010年が、その分岐点だった。

その分岐する条件。
SERNのエシュロンに検知されてしまった、岡部が初めて送ったDメールを消す事。
そのメールが保管されたデータベースにハックする為にはIBN5100が必要であり、鈴羽が1975年に飛んで手に入れる必要があった。

では何故この時代に来たのか。
それは、消えた父親を探す為だった。

鈴羽はその事を全て話終えるとタイムマシンに乗り込み、過去へ飛ぼうとした。

しかし、タイムマシンは動かなかった。
風雨により故障してしまっていたのだ。

このままでは全てが無為になる。

岡部は決断する。
過去に戻り、橋田至にタイムマシンを修理させる事を。

行動はすぐに起こされた。
二日の間に、タイムマシンを修理する。
そして、まゆりの訴えで鈴羽の父親を探す事にもなった。


そして、二日の間にその二つは成し遂げられた。

橋田はタイムマシンを修理し終え、まゆりの慧眼のおかげで鈴羽の父親も判明した。
誰を隠そう、タイムマシンを修理した橋田至が鈴羽の父親だったのだ。

鈴羽はラボメンとの思い出、そして父の激励を刻み込み、過去に旅立って行った。
IBN5100を手に入れる為に。そして未来を、変える為に。
自分だけは年をとってはいるだろうけれど、数時間後にまた会おうと言って。

そのタイムマシンが未来に戻る事も出来ないものだと、知りながら。

数時間後、鈴羽が書いた手紙がラボの下層にあるブラウン管工房の店長、天王寺によって届けられた。
まゆり、橋田、紅莉栖、そして岡部は手紙の封を開けた。

内容は、ただ一言で言うならば、これだけだ。



失敗した。


手紙にはそんな絶望と赦しを乞う言葉がただ、並べらているだけだった。

岡部が本来鈴羽がタイムマシンで飛び立つはずだった日に引き止めたせいで、タイムマシンがその後に降った雨で壊れた。
そのせいで修理しても不完全な状態になってしまい、事故が起き、自分の記憶が消えてしまった。
そして目的も忘れ、ただのうのうと生きてしまった。

こんな人生、無意味だった。

彼女はそう書き残し、自殺していた。

岡部は苦悩した。
自分のせいで、彼女は任務を果たせなかった。
自分のせいで、彼女は自殺した。

気付いたら、タイムリープマシンに手を伸ばしていた。


こんな現実、認めない。

彼女は絶望的な未来で抗い、やっと過去に行きつき、自分の父親と会えたのだ。
その苦難がどれだけのものか、痛い程にわかっていたはずなのに。

もし自分があの時彼女を引きとめないようにすれば、この思い出も消えてしまう。
そんな事は認めない。

まゆりが死ぬ未来も。
こんな、報われない思い出も。

俺は、認めない。

何度でも繰り返してやる。
まゆりを助け、鈴羽の思い出を守る為に。


俺は、認めない。


「岡部! 何して――」


彼を呼ぶ声は眩暈と共に、掻き消えた。



――


そして、夕方の秋葉原に戻る。

もうタイムリープした回数は数えていなかった。
自分が体感した時間を換算すれば、悠に一年、いや二年は過ぎたのだろう。
しかし、そんな事はどうでも良かった。

来る日も来る日も、答えが出切っている鈴羽の父親探しを演じ、そしてまゆりを救う方法を画策していた。
いつからか、橋田にタイムマシンを修理させるような事もしなくなった。
そんな事は無意味だから、せめて一緒にいる時間を作らせ思い出を増やす要因になれば、そう思って外させていた。
タイムリープで、それすらも無かった事になるというのに。


「嘘には二種類ある。人を傷つける嘘と、優しい嘘だ」


父親探しの答えである当人が、ある時こう言っていた。

なら俺にも、優しい嘘をくれ。
まゆりは、死なないと。

嘘でも、良いから。
誰か俺に、そう、言ってくれ。



「……ん?」


無駄な思惟に耽りながら、いつものようにラボの前まで戻って来ていた。

しかし、何かがおかしい。
明りは点いているが、不規則に点滅を繰り返している。
窓にもヒビが入り、小さな穴がいくつも開いている。
周囲の住人も集まってきていた。

いつもと様子が違う。
その差異に、嫌な胸騒ぎを覚えた。


「……まさか……」


階段を駆け上がる。すると、ラボのドアが開け放たれていた。

ドアの前に、ラウンダーと思しき男が二人倒れていた。
男達の傍らに何か大きな箱が穴だらけになって放置されていたが、それを無視してラボに入った。


「ダル! 紅莉栖!」


中にはラウンダーがまた一人、床に突っ伏していた。
部屋の隅に橋田が蹲っており、中央には鈴羽が肩を怒らせ立っていた。


「……岡部、倫太郎……」

「鈴羽! 何があった! ラウンダーが来たのか!」

「……うん」


おかしい。
ラウンダーが襲撃してくるのは、いつもまゆりが死ぬ前だったはずだ。

まゆりは、先程萌郁の車に轢かれて死んだ。
なのに、ラウンダーが来るだなんて……。



「オカリン! 牧瀬氏が! 牧瀬氏が!」


床に蹲っていた橋田が目を真っ赤にしながら、岡部に縋りついてきた。


「紅莉栖が……紅莉栖がどうかしたのか!」

「……牧瀬紅莉栖は……奴等に拉致された」

「なっ……」

「ラウンダーが……あいつらが、君と椎名まゆりがいない間に、ここに来たんだ。
 あたしがあいつ等の隙を突いて、なんとか戦力を削ってたんだけど……」

「後から、なんかライダースーツを着た女が来て、牧瀬氏を拉致したんだよ!」

「……馬鹿な」


そう、馬鹿げている。
今まで自分が体験したことの無い場面だった。

自分がタイムリープするその瞬間までに確定している事。
それはまゆりの死と、まゆりを除く自分達全員がラウンダーの手に渡らずにいる事だ。
ラウンダーが来るとすれば、まゆりも必然的に死ぬはずだ。
逆に言うと、まゆりが先に死んでいれば、不思議な事にラボへラウンダーの襲撃は喰らわない。
それが今までタイムリープして知った、この二日間の変えようの無い真理だった。


しかし、ここは違う。
ラウンダーのラボ襲撃と、まゆりの死が一致しない世界線。
幾度にも及ぶタイムリープで世界線がずれてしまったのか。

考えられなくは無い。
幾度となくタイムリープしたが、まゆりの死は様々な方法で遂げられていた。
その際、世界線はほんの少しだけだが移動しているはずだ。

タイムリープの乱用が、ついに不規則性を生み出した。
不規則性が紅莉栖が連れ去られるという、今までに無い出来事を起こしたのだ。

岡部はその考えに行きつくと、小さく息を漏らした。



「……そうか。紅莉栖が、連れ去られたか」


しかし、それは些細な事だった。

自分にはタイムリープマシンがある。
イレギュラーによって紅莉栖が連れ去られようと、過去に戻ってしまえば問題は無い。

むしろ喜ばしい事なのではないか?

今までのタイムリープでは、劇的な変化は殆ど見られなかった。
萌郁がまゆりを轢き殺し、その足で先回りしラボを襲う事なんて今まで無かった。
ここに来て、ようやく変化が現れたのだ。

万に一つの可能性で、タイムリープだけでも世界線は変えられるのかも知れない。
そんな光明が、やっと見えて来たのではないか?
まゆりも、もしかしたらそのイレギュラーで助かるのでは無いか?

麻痺した心が冷静に、まるで他人事のように思考する。


「……ダルは、無事なんだな」

「う、うん……僕はなんとも……鈴羽が、助けてくれたから……」

「……そうか」


ここでもし橋田が重症でも負っていれば、更に不規則性が上がっていたのに。
と、落胆する自分が心の隅にいたのを岡部は感じていた。



「……それだけじゃ、ない……」


岡部の思考を止めるように、鈴羽は唇を血が出そうな程噛み締め、そう呟いた。
何かを必死でこらえるようにして、顔を俯かせている為、感情は読めない。


「……何だ? ……だがしかし、俺には関係無い。俺は今からタイムリープする」


そう。関係無い事だ。
過去に戻れば、それは無かった事になる。

またまゆりは生きているし、また鈴羽の父親を探す事になる。
味気なく、そして地獄のような二日間が、また彼を待っているだけだ。


「そうすれば、万事――」


岡部の楽観的な考えを遮るように、鈴羽の口が開いた。



「――タイムリープマシンは、あたしが破壊した」


一瞬、何を言ったのか理解できなかった。
麻痺した心が、理解を拒んでいた。


「……いや、それも、タイムリープすれば……」


うわ言のように、岡部の口からそんな言葉が漏れていた。
足は止まらずに、タイムリープマシンのあった方へと進み続ける。
その様子を見た橋田が岡部を止めた。



「オカリン!」

「どけ、ダル……俺は、行かなきゃならないんだ」

「オカリン! 聞けよ!」

「うるさい、どけ……」

「無いんだ……」

「……どけ、ダル」

「タイムリープマシンは! もう無いんだよ!」

「……」

「もう、やり直せないんだよっ!」

「……っ!?」


橋田の直線過ぎる言葉が、ようやく岡部の脳に伝達した。


タイムリープマシンが……無い?
どういう、意味だ……。

タイムリープマシンが、無い……。
過去に、戻れない……。
やり直せない……。

まゆりが、死ぬ……。

まゆりがっ……。


事実が、岡部の脳に否応なく浸透して行く。
ようやく全てを理解した時、岡部は膝から崩れ落ち、ただ「あぁっ……」と、呻き声をあげるだけだった。


「嘘、だろ……」

「……本当だよ。あたしが、壊したんだ」

「おい……鈴羽……お前、壊したって言ったのか?」

「……うん」

「あのマシンを、本当に壊したのか? あの、タイムリープマシンを……」


忘我の岡部が、力無く鈴羽に詰め寄る。
鈴羽は、ただ小さく肯くだけだった。



「……何でだよ」

「……あいつ等の戦力が、馬鹿にならなかった。あの装置を回収しようとするラウンダーを止める為には、そうしないといけなかった」


玄関先で倒れていた二人。
奴等の傍らにあったあの物体は……タイムリープマシンだったのか。


「奴等の突撃銃を奪って、滅多撃ちにした……」

「……」

「もう、修理しようもないと思う……」

「……」

「……ゴメン。あたしが、不甲斐ないばっかりに……」

「……ざけるなよ」

「え?」

「ふざけるなよっ!」


岡部は鈴羽の胸倉をつかみ、壁に打ちつけた。
橋田は何が起こったのかわからず目を白黒させ、鈴羽は抵抗もせず、ただ岡部の顔を見ていた。


「タイムリープマシンを壊した!? 何て事をしてくれたんだ!」

「……」

「これじゃあ、まゆりがっ! まゆりが、救えないじゃないかっ!」

「えっ……ま、まゆ氏どうかしたん?」

「UPXの前! あの交差点で転がってる! 死んだよまゆりは! 車に轢かれて!」

「……そ、そんなっ……」

「……椎名まゆり……やっぱり、この日に……」

「やっぱりだと? わかっていたなら、全力であのマシンを守れよ! なぁ!」


鈴羽は岡部から視線を外すように頭を垂れ、唇を噛み締めただ黙っていた。


「ちょ、ちょっとオカリン……」

「俺が何度タイムリープして来たと思う……何度したと思う! あぁ!? お前達の想像なんて及ばない程の数だ!
 そんな途方も無い数のこの二日間を繰り返してきたんだ……まゆりを救う為に! お前の為に!」

「……」

「それなのに……お前は……あの、マシンを壊した……」

「……ゴメン」

「何であのマシンを壊した! 言え! あれが……あれが無ければっ、まゆりは……まゆりは……」

「……」

「まゆりが……死んだ、ままなんだぞっ……」


掴んでいた手がずり落ち、いつの間にか鈴羽にもたれかかるようになっていた。
繰り返し見て来たまゆりの死で流さなくなった涙を、岡部は流していた。止まらなかった。
ただ悔しくて、不甲斐なくて、涙が止まらなかった。鈴羽も拳を握りしめ、苦悩の表情を浮かべていた。


「オカリン……」

「まゆりがっ……まゆりがっ……」

「……」

「まゆりが……死んだんだ……俺の前で何度も!」

「……」

「殴られ、絞められ、刺され撃たれ轢かれ潰され! まゆりは、殺されたんだ!
 俺の目の前でだ! 俺の! 目の前でっ……何度も……何度もっ……」

「……」

「だが、俺はそれに耐えた……いつか、いつか必ずまゆりを救える時が来ると信じて……。
 だから俺は、お前の父親を捜す二日間をただひたすらに演じ続けた……」

「……やっぱり、君は……タイムリープを……」

「あぁ、そうだ。なのに、なのにそのお前は……タイムリープマシンを……」

「……ゴメン」

「謝ってまゆりが還って来るなら苦労は無い! もうまゆりは還って来ない!
 あの、マシンが無ければ……」

「……」

「お前の為にも、俺は今までこの時を過ごしてきた……ダルがお前の父親である事も知っていたのに、敢えて探させた。
 この二日で、お前と、俺達の思い出が出来るように……」

「……」

「なのに……なのに、こんな仕打ち……あんまりだっ……」

「……ゴメン、なさい」

「……黙れ」

「ごめんなさい……」

「黙れ黙れ! この……」


ようやく顔をあげ、鈴羽を更に捲し立てようとしたが、言葉が止まった。
鈴羽も、泣いていた。
ただか細く、ごめんなさい、と戦士の顔を捨てた一人の少女が何度も岡部に赦しを乞うていた。


「……私は、失敗した……失敗したんだ……」

「……」

「おじさんの希望を壊して、戦士として失格で……なのに……」

「……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……鈴羽……」


唇を噛み締めながら啜り泣く鈴羽をそれ以上追及する事はできなかった。


「ごめんなさい……ごめん、なさいっ……」

「オ、オカリン……鈴羽を赦してあげてよ。鈴羽がいなかったら、僕まで危なかったんだから、さ……」

「……くっ」


岡部は放るように、謝り続ける鈴羽から手を放した。
鈴羽はそれからしばらく俯いていたが、涙を拭うとなにやらそそくさと荷物をまとめ始めた。
岡部は鈴羽から視線を外し、タイムリープマシンがかつてあった場所をただ睨んでいた。



「す、鈴羽? 何してるん?」

「……私の、まだ残っている任務を、遂行する」

「任務?」

「岡部倫太郎のタイムリープ成否に問わず、あたしは、君たち二人を逃がさなきゃならない」

「ぼ、僕達を逃がす?」

「うん。君たちは、今ラウンダーに追われる身となった。だから、あたしが君たちを逃がす」


岡部はそんな会話を背中で聞きながら思い出していた。
未来の自分は、レジスタンスの創立者となっているらしい。

まゆりを救えず、ただのうのうと生きているだけではないか。
そう揶揄したこともあった。

まさか自分がそうなるとは夢にも思わなかった。


「ぼ、僕らって、そんなに重要なん?」

「うん。君たち二人は未来であたしが所属するレジスタンスの創立メンバーだから」


橋自分の娘がタイムマシンでこの時代にやってきたというカミングアウト以上の衝撃を、橋田は受けていた。



「え、それマジ?」

「うん、そうだよ」

「……す、すげぇ」

「……で、鈴羽」


奥で一応の平静を取り戻した岡部が、ようやく鈴羽に話しかけた。


「何?」

「……お前は、俺達を逃がすのか」

「……うん。それが任務だから」

「ふっ……任務にも失敗し、紅莉栖は連れ去られ、タイムリープマシンを壊したお前がか!?」

「ちょっ、オカリン! もういいだろそれは!」

「まゆりも救えず、ただのうのうと生き延び……そんな戯言のような事を、俺達にさせる為にかっ……」

「……」

「……俺に、何ができる」

「……」

「俺は紅莉栖のような頭脳も持っていない。況してや筋力も、ダルのような技術も無い。
 ただ、世界線変動が観測できる、たったそれしかできない人間だ……そんな俺に、何ができる」

「そんな事、ないよ」

「タイムリープマシンが無い今……俺に、もう使命は無い」

「……」

「俺に……使命は……」


そんな事を言った時、岡部の脳裏に何か、強烈な映像が蘇っていた。
初めてまゆりが殺された、あの時の映像が。

ライダースーツを纏い銃口をこちらに向ける、女の姿が。
信じて仲間にした、あの女が。
裏切り、まゆりを殺した、あの女が。

何か。何かが、自分に降って来たのだ。
そう、これからの自分を決定づける何かが、この映像で。


「……俺に……」

「……あるよ」


岡部の弱くなった声を制する鈴羽の声に、強さが戻っていた。


「……復讐するんだ」

「……復讐だと?」

「そう……椎名まゆりを殺し……世界を歪曲させようとしている、SERNに」

「……」

「……未来は、タイムマシンだけで変わるものじゃないかも知れない。
 SERNと戦い勝利する……そんな事だって、可能かもしれない」

「……世界線は必ず収束する。お前がそう言った」

「あれは、ただの理論だよ。確定もしていない」

「……」

「タイムリープマシンも、タイムマシンも無いなら……それに、賭けようよ」

「……」

「おじさんが……」

「……」

「おじさんが、タイムマシンが無い今、残された最後の希望なんだよ……」


縋るような目で、鈴羽が岡部を見る。
取り柄すら失った捨て鉢の自分に救いを求めて。


「敵を倒す技術……いや、殺す技術はあたしが教える」

「……」

「あたしが所属していた、レジスタンス……その元になる団体は、この時代にもある。
 それを頼り逃げれば良い。ツテもある」

「……」

「仲間は、まだいるんだよ。この時代にも。それに父さんだって、あたしだっている」

「……」

「だから、一緒にあたしと逃げて」

「……お前と」

「……真実は無く……許されぬ事など無い」


鈴羽が、何か呪文のような言葉を唱えた。


「……何だ、それは」

「あたしがいたレジスタンスの、訓示みたいなものだよ」

「訓示……」

「真実は、無いんだ。世界線理論も正解じゃないかもしれない。理論を冒涜するのも、悪い事じゃない。
 だから、抗おう。運命に」

「……」

「……だから、おじさん……一緒に、あたしと逃げよう」

「……俺は……」


鈴羽が、手を差し伸べた。

断るはずだった。ふざけるなと一蹴し、その手を弾くつもりだった。
世界線理論は鈴羽本人から聞き、しかもそれを自分で体現していた。
どうやっても覆せるものではない。
いくら足掻こうと、いくら苦しもうと、世界は変わらない。
残酷に、世界は美しい程に正確だ。

まゆりは死んだ。それが、事実だ。


しかし、彼は他の事も考えていた。

タイムマシンが無いのなら。
過去に戻れないのなら。
未来を見続けるしかない。

その事に、何か明るい気持ちを抱いている。

もしかしたら、内心喜んでいたのかも知れない。
もう、あの二日間を繰り返す事がない。

わかりきった事を繰り返す、あの日々から抜けだせる。
やっと解放される。

そう、頭の片隅で考えたいたのかもしれない。
いや、そう考えていた。

その証拠に、差し伸べられた手を見た時に起こった感情は、安堵だったのだから。



「……」


そして、岡部は。


「オカリン……」


その手を。


「……おじさん」


握っていた。


そうしたから、彼はこうして鈴羽の運転する車に乗っている。
行き先もわからない――それが心地いい――この車に。


「……まゆり……赦して、くれ……」


その言葉は、助けられなかった事に対するものなのか。
それとも安堵を感じている、自分の為なのか。

答えは、誰も知らない。
真実など、そこには無いのだから。

車は走る。二人の男と、少女を乗せて。
希望と、無知を、道連れに。


――

とりあえず一部。
だいぶ長くなる予定ですので、続きは気長にお待ち下さい。

――


第二章
『怨嗟反逆のプレリュード』


――



「着いたよ」


リクライニングさせた座席に投げた体を起こし、寝ぼけた眼をこする。
スモークの焚かれた窓ガラス越しに細い朝日が車内に入りこむ。どうやら、あのまま寝てしまったらしい。
走り詰めで筋肉痛になった身体を無理やり動かし、車を出た。

ドアを開けた途端、彼らを出迎えたのは潮と埃の臭いだった。
車が止まっているのは建物の中だが、表には海があるらしい。


「……ここはどこなんだ?」


気だるい体を伸ばしながら鈴羽に問う。
荷物を降ろしながら、彼女は答えた。


「ここは、隠れ倉庫だよ」


答えになっていそうで答えになっていない。
だが、それ以上聞く気は無かった。
ここがどこであろうと、ある程度安全ならどうでも良い事だった。


虫食いのような穴が到る所に空いた古びたトタン地の壁。
潮風を受け鉄骨も錆び切り、屋根には大きな穴も開いていた。
地面には砕けたコンクリートや砂利が散らばっている。
隠れ倉庫とは言え、到底人の暮らせる場所とは思えなかった。


「ついて来て。この先が隠れ家だから」


この先?
倉庫は吹き抜けで、何処かに他の部屋がある余地も無い。
四方全てトタン壁だ。

鈴羽は疑問に思う二人をよそに、地面にあった板に手をかけた。
その板には、なにやら把手のようなものがある。
鈴羽がそれを引くと、板の下に地下へ続く階段が出現した。


「この中。二人共、荷物を持って」


岡部と橋田は戸惑いつつも、荷物を持ち中に入った。


その階段は中々に長く、暗かった。
足元を常に確認せねばならないような状況。
そして妙に蔓延った湿気と溜まっていた疲れのせいもあり、目的地に着くまでかなり長く感じた。


「……よし、やっとついたみたい」


鈴羽が扉を開け中に入る。
室内には強い明りが点いていた為、暗闇に慣れてしまった目を反射的に瞑った。

ようやく光に慣れ室内を見ると、予想に反した光景が広がっていた。
外観からは予想もつかない程、室内はよく整備され、自分達がいる大部屋の中央にはPCとデスクトップが何台も並べられていた。


「……ようこそ。アサシン教団、関東支部に」


鈴羽は荷物を起き、二人に手を広げて言った。

アサシン教団――かつて自分が機関だの、エイジェントだのと妄想したものだが……。
その名前は、どこかそれと同じような幻想の類にしか聞こえなかった。



「え、えっと……鈴羽? あ、アサシン教団って何ぞ?」


橋田が岡部との共通の疑問を投げかけた。


「歴史、とかを説明すると長くなるけど……まぁ簡単に言うと、人類の自由の為に戦ってる組織、かな」


御伽噺のような答えに、岡部はかぶりを振った。


「……暗殺教団……アサシン教団は、シリアにおけるイスラム教のある派閥にあったとされる組織だ。
 その教団は自己犠牲を厭わない戦士を育成し、それを戦闘や暗殺に使用した。
 聖地イェルサレム侵攻に来る十字軍の侯爵を暗殺したりと、戦績もあげていたようだ」

「オカリンよく知ってるね。高校の時、世界史とかとってたっけ?」

「いや、まぁ……色々とな」

「あぁ……厨二病の資料ね……」


痛いところを突かれ、わざとらしく咳払いを話を続けた。



「……まぁ、それはいいとして……今言ったように、この組織は十字軍時代、イェルサレムを守ろうとした組織だ。
 まぁ、それ以外にも宗教上での意義もあるが……その教団が、今もあると?」

「うん、そうだよ。でも時代と共に様相を変えて、今守っているのは聖地じゃなくなった。今守っているのは、人々の自由だよ」

「……何から、自由を守っているんだ」

「もしかして、SERN?」

「SERNも敵の一つだよ」


鈴羽は肯定するが、含みを持たせて回答をする。


「でも、君達は知ってるはず。SERNの裏にある組織を」

「……三百人委員会か」

「そう。でも、三百人委員会っていうのは、一つの呼称に過ぎない。奴らの真の名は、テンプル騎士団っていうんだ」

「テンプル騎士団? なんかどっかで聞いた事あるような……」

「……これも、十字軍遠征の時代。聖地イェルサレムを奪還したキリスト教騎士が設立した、聖地保護の為の組織……だったか」

「そうだね。確かそんな感じだったはず」

「時代が進むにつれ、銀行業のようなものを行い勢力を拡大。しかし、それが行き過ぎてフランス王に目をつけられ、解体させられた。
 団員を処刑するという手でな」

「オカリン、案外物知ってるじゃん」


橋田の感想には構わず、岡部は話を続ける。


「……テンプル騎士団は、俺が言ったように解体させられたんだ。数百年も前にな。
 そんな組織が、何故今頃になって世界を掌握しようとしているんだ」

「消えた訳じゃないよ。地下に潜って、再興の機会を窺っていたんだ。
 そして機を得たテンプル騎士は世界中に広まり、各地に影響力を持っていったんだ。
 イスタンブール、モスクワ、イタリア……各地に触手を伸ばしていた痕跡がある」

「……それって、いつくらいの話なん?」

「最低でも、500年は前。或いは、それ以上かも」

「……」

「テンプル騎士団は、一応平和の為に活動していると言い張ってるけど、内実は違う。
 人々から自由を奪い、徹底的に管理する事で、争いの無い平和を手に入れようとしているんだ」

「正に、悪の組織って感じ……」

「そして、あたし達は戦ってる。平和の為に、テンプル騎士にある物を渡さないように」

「……ある物?」


岡部が聞くと、鈴羽は背負っていたバックパックの中から一枚の写真を取りだした。
そこには均整の取れた美しい模様から光を放つ、何か得体の知れない球体が映っていた。
一体何なのかはわからない。しかし、唯の物体では無い事だけは確かだった。


「……これか。これは、一体なんだ?」

「それはPoE、エデンの果実と呼ばれる物体の一つ。リンゴだよ」

「エデンの果実……リンゴ?」

「人々を洗脳したり、死者を復活させたり、傍受不能な通信機能を持っていたり、まだ解明されてない理論を映しだしたり……。
 鉄のように硬いのに羽毛のように軽い、人智を超えた能力を持つ物体。あたし達人類が生まれるより前に、作り出されたもの」

「……はいー?」


橋田が素っ頓狂な声をあげて首を傾げた。
タイムマシンという物を見ていても、信じられないのが当然な話ではある。
マインドコントロールに死者の蘇生。
妄想も良い所な話だ。
そう考え、岡部も疑いの視線をかけた。鈴羽もそれは承知しているようで話を続けた。


「まぁ、信じられないのも無理は無いよね。でも、あたし達も一応エデンの果実を入手しているんだ。
 それがこの写真。未来であたしが証拠用に託された資料写真だけど、このリンゴを手に入れたのは第二次世界大戦期なんだ」

「……へー」

「……要するに、これを巡って戦っているんだな」

「うん。これがあれば、ある程度人民も統制できる。でも、その人智を超えた物体でも成し遂げられない事が一つあった」

「それって?」

「……時間の掌握……タイムマシンか」


岡部がそう言うと、鈴羽は深く頷いた。



「二人共、1943年に起きたフィラデルフィア計画って知ってる?」

「何それ?」

「第二次世界大戦中に起きた、軍事実験事故だったか?」

「うん、その通り」


岡部は以前読んだネットのオカルト記事を思い出す。フィラデルフィア計画、第二次大戦中に起きた凄惨な事故だ。
ニコラ・テスラが当時行っていたプロジェクトの一環で、船舶のステルス機能の搭載というものがあった。
しかし、実験は失敗に終わった。船はレーダーどころか、その場から消えてしまったのだ。
そして船は遥か2500㎞も離れた場所で見つかった。

乗組員はどうなったか?
殆どが死んだか、或いは行方不明になったという。
僅かに生き残った乗組員も精神に異常をきたし、発狂していた。
その乗組員達は体が突然発火しただとか、逆に凍っただとか、体が透明になってしまった等と船の中での出来事を陳述していた。
とにかく、不可思議で凄惨な事件なのだ。

透明……そう言えばゲルバナも、透明と言えば透明だが……。
岡部は電話レンジ(仮)の実験で起きた事象を思い出す。


「駆逐艦エルドリッジを使った……初めての時間跳躍……。
 本来はステルス機能の実験だったんだけど、偶然が偶然を呼び……駆逐艦は予想外の動きをしたんだ。
 時間跳躍という、動きをね」

「……俺達と、似たようなものか」


岡部達が開発した電話レンジ(仮)も偶然の産物だった。
奴等の時間跳躍理論の発見も、偶然だったのか。



「うん、そうだね。でも、この頃のは多角的に行っていた兵器開発の一角に過ぎなかったんだ……」


鈴羽は頭を掻いた後、すぐに話を続けた。
 

「さっき、エデンの果実には人間では解明できないような理論とかを映し出すって言ったよね」

「あぁ」

「……実は、このエデンの果実を持ってしても時間跳躍の理論は映し出されなかった。
 そして奴等はあの実験の後、色々な事を検証して疑問に思った。何故時間跳躍理論は映されないのか、って」

「……」

「そしてテンプル騎士がそんな事を疑問に思ってる間に、エデンの果実の一つがあたし達に奪われた。
 沢山のエデンの果実をを有していたにも関わらず奪われたんだ。
 そして痛感した。エデンの果実での統治、発展には限界がある事を……ようやく、ね」

「……そして、本格的に時間を手に入れようとしたか」

「SERNが出来たのは1954年。あたし達にリンゴを奪われたのが45年。
 準備期間なんかを考えると、あたし達にリンゴを奪われたのが発端とも見れる」

「成程……」

「時間を掌握すれば、エデンの果実なんていくらでも取り戻せる。
 そう考えて、エデンの知識を得ずに彼らは試行錯誤でタイムマシンを開発している」

「……」

「そして、ある程度理論が固まりあと一歩が進めない状況で、ある事件が起きたんだ」

「……俺の、あのメールか」

「うん。奴等のエシュロンが、君達の不可解なメールを傍受した。
 そして彼らは君達をマークした。するとあろうことかわずか数週間で実用的なタイムマシンを開発した。
 奴等はそれをかすめ取ろうとしたんだ。タイムマシン開発のヒントを増やす為に」

「……そして、そうならないように、お前はあれを壊した訳だ」


岡部が恨めしそうに言う。
鈴羽は一瞬ばつが悪そうに顔を伏せたが、話を止めなかった。


「……でも、それはできなかった。その代わりに奴等は頭脳を得たんだ」

「……紅莉栖か」

「牧瀬紅莉栖。岡部倫太郎には話したけど、彼女は未来でタイムマシンの母と呼ばれている。
 彼女が研究に関わったせいで、SERNのタイムマシン開発は軌道に乗り始め、2034年には……完成する」

「す、スゲェ……さすが牧瀬氏……」

「……あたしが乗ってたタイムマシンは、父さんが作った物だよ。
 父さんも同じくらい凄いって」

「……鈴羽……」

「……ところで、お前のタイムマシンはどうするんだ。あれこそ、奴等に渡ってはいけないものだろう」


秋葉原駅のすぐ近く、ラジ館頭頂部に刺さったあの人工衛星のような物体を思い出す。
初めて世界線を移動し、人々が消え、初めに目を引いた物体だった。

あれがまさかタイムマシンだとは夢にも思っていなかった。


あれが故障する前に、鈴羽を過去に送れていたとしたら?
ふと、そんな疑問が頭を過った。

鈴羽を引きとめるDメールを、新たなDメールでうち消す事も可能だったのではないか?
そうすれば、IBN5100は手元にあったのではないか?

そんな事を考え始めたが、すぐに振り払った。
もう考えても意味の無い事だ。
タイムリープマシンは無い。たらればの話など、意味は無いのだ。


「心配はいらない。既に自己破壊ユニットで、もう動かないようにしてある。
 修復も、そこから何か得ようとしても無駄なくらいには処理されてるはずだから」

「IBM5100はどうするんだ」

「IBM5100は……過去に戻れない以上、もうしょうがない。タイムマシンも雨で元々壊れてたからね。
 直す暇も無かったしこれからも無いと思うから……」

「……それで良いのか」

「……もう時は未来にしか進まない。あたしが全部した事なんだから、今更何を言っても……」


答えの無い問いが、鈴羽の答えによって打ち消された。
下唇を噛み締める鈴羽を見て岡部は、そうか、と答えるばかりだった。



「えぇと、ところでなんだけど……」


橋田が手を顎に添えて、何か興味ありげに質問する。


「何?」

「あ、アサシン教団とテンプル騎士団って、今どっちが優勢なん?」

「言うと悪いけど……圧倒的にあっちが有利だね。この世界に、テンプル騎士の息がかかって無い物を見る方が難しいくらいだよ」

「そ、そんなになん?」

「うん。この世界は、テンプル騎士が作ったもので溢れてる。様々な娯楽、思想、果ては資本主義まで。
 全ては人々を統制する為に、テンプル騎士によって作られたものなんだ」

「ま、マジすか……」

「アブスターゴって知ってるよね」

「あぁ、あれっしょ? あの多国籍企業、製薬とかやってる」

「……その会社自体が、テンプル騎士か」

「さすが、察しが良いね。奴等の莫大な資金で設立されたこの企業が、今はテンプル騎士の表向きの顔になってる。
 父さんが言った通り、薬学が基本と謳ってはいるけど、奴等は色んな事に手を出してる」

「えっと……例えば、どんな事やってるん?」

「確か今ぐらいには……エデンのリンゴを搭載した人工衛生を飛ばして、世界の情報を総覧しようとしたりしてたはず」

「うわ、なんかそれっぽい」

「まぁ、今の情勢とかはこんな感じだね。君達は、たった今アサシンの一員としての常識を知ったんだ」


鈴羽の表情が、また一段と険しいものになる。



「これから君達にはしばらくここにいて貰う。勝手に外に出る事はあたしが許可しない限り許されない。
 そして、岡部倫太郎にはアサシンの実働員として戦う技術を教える。
 父さんは、その岡部倫太郎のバックアップをして貰う」

「ちょ、ちょっと待って……」


橋田が困惑したように、鈴羽にストップをかけた。


「何?」

「ぼ、僕も……やっぱり、やるん?」

「当たり前だよ。言ったでしょ、父さんも創立メンバーの一人だって」

「で、でも……」


岡部が橋田の目を横から見る。
この環境への戸惑い、というよりも、むしろ恐怖が見て取れた。
無理も無い。つい先日、ラウンダーの襲撃を受けそれが強烈な印象として残っているのだ。
そして、奴等に……まゆりも殺された。親しかったはずの、つい先程まで共に笑いあっていたはずの、友人が。

そんな奴等と明確に敵対しなければならない。それは、いつ死ぬかわからない世界に身を落とすという事だ。
逃げ出したい、という気持ちもあるのだろう。



「……ダル」

「な、何? オカリン」

「……決めろ」


だが、それは叶わない。


「お、オカリン……」

「……俺は、やるぞ」

「や、やるって……」

「まゆりが、殺されたんだ。奴等に、ラウンダーに……桐生萌郁に……」

「……」

「まゆりは、お前にとっても、大事な仲間じゃなかったのか」

「……」

「まゆりも、お前にとても懐いていたさ。気の置けない、仲間として」

「……まゆ氏……」

「そんな仲間が殺されて、お前は悔しくないのか」

「……」

「俺はっ……」


血が滲まんとせんばかりに拳を握る。
体が一つの感情のせいで、震えていた。


「俺は……悔しいっ……」

「……」

「いくら足掻いても、まゆりは殺されたんだ。そんな、そんな理不尽が許されるのが、俺は悔しいっ……。
 奴等が、タイムマシンを開発しようと考えなければ……まゆりは、死ななかったかもしれないのに」

「……」

「この、怒りを……奴等にぶちまけてやりたい……あんなふざけた連中に、俺達の怒りを思い知らせてやりたい」

「……」

「そう、思わないのかっ」


岡部の精一杯絞り出すような声が、橋田を揺さぶる。
橋田はそれ以降視線を落とし、押し黙ってしまった。


「……お前に強要はしない。襲撃を受けて、怖かったのもあるだろう。
 俺も……最初のうちは怖かった」

「……」

「だが、俺はやる。まゆりが、復讐を望んでいないとしても……俺は……」

「……」

「奴等に、人の命をどうとも思わない奴等に……一矢報いる」

「……おじさん……」


橋田から鈴羽へ、視線を戻す。
確固たる、決意の目で。



「……鈴羽」

「何?」

「……俺は、まだお前を許した訳じゃない」

「……」

「だが、俺はお前の言った通りにする。奴等を……テンプル騎士に復讐する力を、俺にくれるなら。
 アサシンに、俺はなる」

「……おじ、さん」


人類の自由だとか、エデンの果実だとか。
そんな物はどうでも良かった。

ただ、あの笑顔の――あの無垢な少女の命の――為に、岡部は決意した。


「未来がそう定まっていようといなかろうと……俺は、奴等に反逆する」

「……僕も!」


怨嗟に満ちた決意を宣言した時、隣の橋田が大声を上げた。
先程まで俯いていた橋田が、岡部と鈴羽に強い眼差しを向けていた。



「……ぼ、僕もやる!」

「……」

「僕も、ま、まゆ氏の為に……アサシンに、なる」


涙をうっすらと浮かべ、体を震わせながらも橋田は決意した。


「……お前」

「まゆ氏も、大切な仲間だった……だから、僕もオカリンと一緒に、アサシンになる!
 連れ去られた牧瀬氏も、助けるんだ……僕達の、仲間を……」

「父さん……」

「ぼ、僕は、鈴羽が言ってたみたいに、バックアップしかできないとしても……。
 オカリンを、全力でサポートしてみせる! だから、だから僕も……」

「……なぁ」


岡部が、橋田を呼んだ。
しかし、それは友を呼ぶような声では無かった。
威圧感に満ち、相手を押し潰すような迫力があった。



「な、何?」

「……そう、呼ぶな。そんな、甘ったれた名前で」

「お、オカリン……」


その時橋田が見た岡部は、以前まで一緒につるんでいたあの友人とは、全くの別人に見えた。

その名を考えたまゆりも、もう死んだ。
だからこの名を呼んでいい者は、いない。


「俺は、鳳凰院凶真でも無い。自らの人質すら守れない、そんな名前も」


まゆりの為に身につけたこの名前も。

全てが終わるまで、この二つの名は自分には名乗れない。
まゆりを殺した、奴等を消し去るまでは。


「俺はっ……岡部倫太郎……アサシン教団のアサシン、岡部倫太郎だ」



――

本日はここまでです。
まだ片方しか見てない人用にそれぞれの説明してる感じですが……

いい感じの導入

期待してる

>>1

――


第三章
『暗中命脈のヒュージティヴ』


――


訓練はすぐに開始された。
隠れ家の間取りはラウンジと個部屋が二つ。
そして、訓練場があった。

筋力トレーニングに鈴羽との組手は勿論の事、食事、応急手当の仕方。人目の少ない場所に出ては、パルクールや尾行の訓練も行った。
果ては何処で手に入れたのか、と聞きたくなるような銃火器やその他武器の扱いレクチャーまでされた。

訓練、食事、訓練、就寝。一日のスケジュールはそれだけだった。
来る日も来る日もそれを繰り返す。
しかし、それでも毎日学ぶ事は変わっていく分、岡部にとってその繰り返しは全く心労にはならなかった。

訓練も、最初の頃は小さな怪我が絶えず、全ての訓練が終わると死ぬように眠っていたが、三ヶ月もすると体が慣れてきた。
そして半年もすると見違える程に筋力がついた。
身長もあれからまた伸び、岡部は屈強な戦士の土台を着々と作りあげていった。

橋田も拠点に配備されたPCを使い、外界の様々な情報を手に入れていた。
そう時間もかからず、他の支部との連絡係に任されるようにもなった。
そして、偶にではあるが訓練にも参加していた。体は以前に比べかなり細くなり清廉とした美丈夫になっていた。


時折、アサシン教団本部からの指示が来ていた。
彼らはその指示に従い、拠点を移すなどしていた。
買い出しなどは戸籍や顔が知られていない等の理由で鈴羽が行っている。
財源は教団から支給され、そこまで暮らしに不自由は無かった。

岡部は訓練に慣れた頃から、幾度となくラウンダー暗殺――桐生萌郁への復讐――の任務を与えて欲しいと本部に訴えた。
だが本部は次にどうすれば良いのかという回答しか与えてくれなかった。

岡部は辛抱強く、訓練に勤しむしか無かった。

それから拠点を転々としながら、来る日も訓練、情報収集を繰り返した。
そして季節は巡り、夏を超え、透き通るような風の吹く秋に変わろうとしていた。

岡部達が潜伏して、一年という時間が経過していた。


そして……。



「はぁっ!」


岡部の体重を乗せた廻蹴りが、鈴羽のガードをいとも簡単に崩した。
体勢を崩され、右の脇腹がガラ開きになる。

そしてそこに木製のナイフを突きたてた。


「……」


その体勢のまま制止する二人。
岡部が寸止めしたナイフを引くと、鈴羽がふぅ、と息を漏らして膝をついた。



「はぁ……たった一年で、これだけ強くなるとはね……」

「……お前の、稽古のおかげだ」


鈴羽はかぶりを振った。


「ううん、それだけじゃないよ。君の努力と才能の賜物だ」

「……」

「おめでとう。これで君は実戦格闘術を修了した。もう、あたしが教えられる事は無い」

「……そうか」


岡部は、わずか一年で鈴羽と同等までの戦闘能力を手に入れていた。

確かに努力も才能もあったのだろう。
だが、それだけでは片付けられない。執念の成せる業だった。



「……ようやく、これで俺も外に出て任務をこなせるのか」

「本部に何度も任務くれって言ってたでしょ……あたし、あれで怒られてるんだからね?」


鈴羽が口をとがらせ、冗談混じりに岡部に文句を言った。
共に訓練をするうちに、鈴羽は随分と岡部に懐いていた。

が、岡部はまだ一言もあの事を赦すとは言っていなかった。
岡部自身、どこか鈴羽に対して見えない壁を作っていた。
鈴羽もそれには気付いているようだったが変わらずに明るく振舞っていた。

橋田との仲は相変わらずだが、あれ以来、冗談を交わす回数は減った。
橋田は以前のように振舞おうとしてくれていたが、自分にその余裕が無かったのだ。
思えば、随分と自身の口数も減ったようだった。


「……それで、記念に君渡すものがあるんだ」


鈴羽が部屋の隅においてあったバックパックから何かを取りだした。
岡部の前に出された物は、20cm程のごちゃごちゃした細長い箱のついた籠手とハンドガンだった。



「……何だ、これは」


ハンドガンはわかるが、籠手の方は一体何なのか見当もつかなかった。
そして内側に細長い箱と更にその上には妙な丸い筒のような物が乗っている。
箱が金属製なのはわかるが、全くどういった物か見当もつかなかった。双方とも艶消し加工が施されている所を見ると暗器なのだろうか。
見た事も無い奇妙な物体に岡部は困惑した。


「こっちは、ワルサーとかを参考にして作った……一点物の拳銃。サイレンサーもオプションとしてついてる」

「いや、それはわかる。その……ゴチャゴチャした筒みたいなものがついてるのは何だ?」

「これ? ……まぁ、見た方が早いよ」


そう言う鈴羽の左腕には彼女が手に持っているのとは別に、同じ形状の細長い箱がベルトで固定されていた。
何をするのかと思い見ていると、鈴羽は左手首を外側に曲げた。

すると、小さく研ぎ澄まされた音と共に、筒の中から鋭い短剣が飛び出した。
その鋭く素早い動作に思わず驚きの声を漏らし驚いていると、鈴羽が説明を始めた。



「これはね、アサシン教団に古くから伝わる仕込み短剣。アサシンブレードってあたし達は呼んでる。
 今見た通り、この武器は手首を外側に曲げる事で剣を射出、収納できるようになってる」

「……凄いな」


岡部はその画期的な武器に、久しぶりの高揚感を覚えていた。


「でも、君に渡すこれは更に特別製なんだ」

「特別製……どういう事だ?」


鈴羽は短刀入れの上をトントンと指で指し示す。


「それは何だ。その……小さな筒のような物は。毒矢でも出るのか」

「あはは。まぁ遠からずもって所かな、昔はそういうのもあったみたいらしいし」

「……なら一体何だ」

「正解は、ピストルだよ」

「ピストル? ピストルと言うと、引き金のような物がついているはずだが……」

「それがここ」


鈴羽は次に筒の根元にある丸い部分を指さした。



「これを外して、この引き金を引いて撃つんだ」

「はぁ……」

「こういう見た目だと、ピストルだなんてそうわからないでしょ? 手首に付ける銃器になんてさ」

「……そう、だな」


岡部は呆気にとられながら何とか返事をした。


「変わった見た目だけど、威力、精度は現代のハンドガンと遜色は無いよ」

「現代?」

「あ、いや……何でもない。こっちの話」

「……そうか。しかし随分と、良い武器じゃないか」

「まぁ……ね」


先程から何か重苦しく返事をする鈴羽だったが、岡部はその事を気にも留めなかった。
奴等を殺す為に、この武器は力になってくれる。ただその事に興奮していた。



「で……それを、俺にくれるのか」

「う、うん……そう、だね」


鈴羽が歯切れ悪く返事をする。
岡部はさすがに先程からの態度に痺れを切らし、寄越せとジェスチャーするように手を出した。


「ほら、早くくれ」

「え、う、うん……」

「……何だ。何か、それを渡したくないようだが……」

「え? う、ううん。ごめん……そうじゃないんだけど、さ……」


彼女はこちらに目を合わせようとしない。


「はぁ……何かあったのか?」

「い、いや……そうじゃないんだけど……」

「……渡すのか渡さないのか、どっちなんだ」


諦めたのか、ようやく鈴羽は渋々その二つを渡した。


早速、両方の感触を確かめる。
ハンドガンの方は何かグリップが使い込まれているようで、初めて握るにも関わらず手に馴染んだ。
サイレンサーの着脱をしてみたり、実際に撃ってみたりした。どの動作も滑らかにが行えたので、よく整備されているようだと感心した。

アサシンブレードのついた籠手の方もかなりしっくりと来る。
見た目に反し重量はさほど感じないが、安心感を感じるような適度な重さがあった。
手甲の重さと、アサシンブレードの重さが吊り合うように一つに纏まっているらしい。
しかし、よく見てみると籠手の部分はとても薄い金属で出来ていた。見た目が何とも心許ない。


「なぁ鈴羽。この籠手は大丈夫なのか?」

「……叩いてみればわかるよ」


そう言うと、鈴羽は床に放るように置いてあった警棒を持ち、岡部に遠慮なく力を籠めてその手甲を叩いた。


「お、おいっ。何をするんだいきなり」

「どう? 痛くないでしょ」

「え?」


叩かれた振動は腕に伝わっていたが、確かに全く痛みは無かった。


「どう? 凄いでしょ」

「……あぁ、そうだな」


つまんで投げれるような薄さしか無いのに驚く程の強度であった。
この籠手は相当に使える。手甲部分だけなら服の袖にも隠そうと思えば隠せるし、近接での攻撃はこれで十分凌げるだろう。

しかし、隠し短刀はどのように使えば良いのか。
どうやって射出させれば良いのかサッパリだったが、ワイヤーを見つけたのでこれを弄る事にした。



「これで刃を出すのか?」

「あぁっ、そのワイヤーは駄目だよ引いちゃ。そっちは片手でピストル打てるようにする為につけたヤツだから」

「何? ピストル? じゃあどうやって……」

「手首のすぐ下の部分にしっかりと直で装着してあるなら、あたしがさっきやったみたいに、
 ただ手首を外側に向けるだけで刃が出るようになってるよ」

「……それだけか?」

「うん。筋肉の動きに反応してバネが動いて飛び出すんだ」

「……筋肉の、動き……」

「やってみればわかるよ。あ、少し力まないと駄目だよ。じゃあやってみて」


岡部は言われた通りに、手首を外側に反らしてみた。
すると小さく、しかし鋭い、金属が擦れる音をたてて刃が一瞬にして飛び出した。
あまりの滑らかな刃の動きに岡部は思わず声を漏らした。



「凄いな」

「一応手入れはしてたけど、ちゃんと動くか何度か動かして確かめてみて。
 あぁそうそう、そこのロックを外すと取り外せるようになってるから」

「取り外せる?」

「うん。ブレードの部分だけ抜いて、ナイフみたいにね」

「そうか……わかった。試してみよう」


手首を曲げ、何度か刃が飛び出る感触を確かめる。
刃の飛び出る様は絹を撫ぜるように滑らかで、それでいて

若干細いのが頼りないが、どうやら籠手の部分と同じ素材で構成されているらしい。
それを知ると、強度への不安はたちどころに消えた。


取り付けのピストルを撃ってみる。小さいが果たして威力はあるのか。
手首を反らし、備え付けの的を狙い引き金を引く。
火薬が弾け、弾丸が狙った通りに的を射抜いた。分厚い木で出来た的の奥の方まで弾はめり込んでいる。
精度も威力も申し分無い。ワイヤーを使えば、片手で武器を振りながら撃つ事も出来るか。
意表をつく戦い方も、中距離からの通常運用も出来る。これは良い。

そして最後にブレードのロックを外し、手に持ってナイフのように扱ってみた。
手首に装着し射出させた時は予想よりも飛び出たが、ブレード部分は二重構造になっている為、そこまで刃渡りは長くなかった。
主に突き刺す事で威力を発揮するだろう。イメージとしてはダガーか。
振り回してみても、ちゃんと武器として使える。少々軽い印象だが、研ぎ澄まされた刃はどれ程の威力を秘めているかを顕著に物語っていた。

この武器を奴等の胸に突き立てる日もそう遠くない。
そう思うと、刃の感触がとても頼もしく感じた。

このアサシンブレードと籠手を使えば、近接戦闘ではかなり優位に立ち回れるはずだ。
自分の技術も相当に上がった。今の自分には、恐れるものなど無い。

今までに無い闘志が、自らに湧いて来ているのを岡部は感じていた。



「……」


薄く笑いを浮かべる岡部を、鈴羽はただじっと見つめていた。

これで、良かったのか――ただ、鈴羽はそんな考えを反芻していた。


「良いな、これは」


岡部のその言葉で我に返り、鈴羽は取り繕うように笑って見せた。


「凄いよね、それ。その武器が確立したのがもう500年以上も前だなんて、ビックリするよ」

「……そうなのか」

「うん。この刃が、何人ものテンプル騎士を成敗してきたんだ」

「……そうか」


この刃の内に眠る歴史を知り、湧きあがった闘志は更に自らを奮い立たせた。



「鈴羽! 本部から連絡来たけど! 何か、大事な話だってさ!」


扉越しに橋田の声が響いて来た。
鈴羽は簡単に片付けを終えて岡部と共に橋田のいるラウンジに戻った。


「父さん、本部からの大事な話って何?」

「あれから大体一年が経ったから、僕と倫太郎の詳しい熟達度が知りたいんだってさ」


橋田の岡部に対する呼称は名前になっていた。
以前は何か間抜けな感じがするとこの名前を嫌っていた岡部だったが、今はさして気にならない。


「……そっか」


鈴羽は何か察したように、PCディスプレイの前に座った。

本部からの連絡は、いつもW・Mという人物がしてくる。
どこかの支部の幹部クラス以上の人物、という事しかわからなかった。
この名がイニシャルなのか、それとも何か別の物を表しているのか、それすら検討がつかない。

毎度暗号で送られてくるメールだが、既に橋田が解読済みだった。
その解読済みの文面を見て、鈴羽が真剣な表情で返答のメールを作成し始めた。

岡部はその表情から感じとっていた。
自分が何かに狩りだされる日が近い、と。



「……よし、とりあえず返信終了っと」

「なんかまた場所移すとか言われるのかと思って、最初焦ったよ」

「あはは……機材全部動かさないといけないもんね」

「いくら倫太郎達が力自慢って言っても、どれも壊しちゃいけないから神経使うんだよねこれが。
 第一疲れるしさ」

「お前だって、俺と一緒に訓練してるだろ。それにかなり痩せたじゃないか」

「それでもメンドイもんはメンドイっつーの」

「見た目は良くなったが、中身はいつまでも変わらんな」

「ところで、リア充まっしぐらのイケメンになったお父さんを見てくれ。こいつをどう思う、鈴羽」


確かに中々男前になり、詰まったような鼻声も直った橋田だったが、時折出る@ちゃんねる用語が魅力を何か残念なものに変えていた。
橋田なりの冗談なのだろうが、これには同い年の娘も苦笑いするしかない。


「あ、うーん……どうだろ」

「……反抗期ってヤツ? 父さん悲しい……」

「あははっ、ごめん父さん」


こういう冗談ばかりの会話は少なくなったものの、やはり心地が良かった。
何か、あのラボの事を思い出してしまう。
ただ騒がしくて、そして穏やかで、無垢だった。
そしてあまりに、軽率だった。

岡部が幾度したかわからない後悔をしている最中、橋田と鈴羽がまだ二人で冗談を言ってで笑いあっていた。
この二人も自分と同じように戦っている。死ぬ事すら覚悟している。
だが、明らかにこの二人と自分の覚悟は違う。岡部はどこか、この二人に――特に鈴羽に対して――小さな心の壁を作っていた。

そんな事を考えているうちに、PCがメール到着を知らせる音をあげた。
どうやら先程の返答らしい。

橋田がすぐに画面に向かい、素早くキーボードで何か操作をし始めた。
複雑な暗号文を僅か一分で片付け、橋田は画面を二人に見えるように向けた。

内容はこうだ。


岡部倫太郎、橋田至。
この二人の訓練は、完了したものとみなす。
これまで良く、慣れない厳しい環境で訓練に耐えてくれた。
君達はこれで我らの一員となったと言っても良いだろう。
しかし、まだ完全に仲間と認めるには経験が足りない。

そこで、君達に最初の任務を言い渡さなければならない。
岡部倫太郎、君が待ちに待った最初の任務を。

君達も知っての通り、関東を跋扈するラウンダーの数はかなりのものだ。
連中は、君達がまだ関東にいると睨んでいる。その見当は正しい。
このまま逃げるばかりでは、いつか奴等に発見されてしまうだろう。
日本における我々の影響力も少ないのが、それを助長してしまう。

そこで、今度は逆に此方側から仕掛けるのだ。
我々は東京のラウンダーを統括する人物が入れ換わったという情報を手に入れた。
君達には、その新任者の排除を任せたい。そしてそこから奴等の情報を得て欲しい。
関東におけるラウンダーの影響力を、テンプル騎士団の影響力を少しでも減らし、その先の目標への足がかりを作るのだ。

君達の為にも。そして、来る日の為にも。

任務における詳細部分は、添付しておいた各データと共に熟慮してほしい。
橋田至は実に有能な情報処理者だ。データを有効に使えると確信している。
そしてこのデータを辿れば、阿万音鈴羽と岡部倫太郎の腕ならすぐに任務を遂行できるだろう。

幸運を祈る。
           W・M



「……」


ついに、この時が来た。

岡部の鼓動は、戦闘状態におけるそれになっていた。
アドレナリンが脳内に湧き、毛細血管は開き、血と闘志を全身に巡らせんと力強く心臓が猛っている。


「……遂に、来たか」


橋田が岡部の気持ちを代弁するように呟いた。
鈴羽も、神妙な顔つきで二人の顔を見ていた。


「……父さん、おじさん。覚悟は、出来てるよね」

「……今更、それを聞くのか」

「あはは……まぁ、そうだよね。この日の為に、岡部倫太郎と父さんは頑張って来たんだ」

「……あぁ、そうさ」


橋田も力強く頷いた。
二人の決意は、互いに劣らずに堅いものになっているのだ。

テンプル騎士団に、一矢報いる為に。



「……」


三人は、互いを見合った。
これからは、鈴羽が二人を守るだけでは無い。
互いが互いの命を預ける事になる。
互いに頼り、互いに庇いあい、互いに助け合う。

そして誰かが途中で死んだとしても、残った者が成し遂げなければならない。
それが、三人の悲願なのだから。


「……これから作戦を立てる。父さん、お願い」


鈴羽が決意したように言うと、父は余裕という表情でそれに答える。


「いいですとも!」


橋田はPC画面に向かい、添付されたデータを開封していく。
眼鏡に画面を反射させ、黙々と作業を続ける友人を、岡部は見ていた。


橋田はPC画面に向かい、添付されたデータを開封していく。
眼鏡に画面を反射させ、黙々と作業を続ける友人を、岡部は見ていた。

これからついに始まる。
この一年が、辛く無かったと言えば嘘になる。
だが、この一年があったから、俺達はこうして行動を開始する事ができたのだ。

拳に、力が入った。


待っていてくれ、まゆり。
俺が全てを終わらせる。


そう、心の中で呟いた。


「……これが、その新任者って奴の写真」


橋田が添付ファイルの山から、最も重要な情報を抜き取った。
画面に移った写真を二人は見た。


画面の中にいる者と、視線が重なった。
その瞬間。岡部の心臓が、先程までと全く別の動悸に襲われた。
全身の毛が逆立ち、噛み締めた歯が鈍い音を立てて軋んでいた。

影の中に佇む写真の人物。
眼鏡をかけ、虚ろな目で、携帯の画面をひたすらに凝視する、この女。


忘れるものか、コイツの顔を。
赦すものか、コイツの事を。


「……これ、あの時の……」

「……そう、コイツの名は……」



「桐生……萌郁……」




――



「……ようやく、戻ってきた」


夜。涼やかな風が頬を撫ぜ、心地の良い冷たさを持った空気が鼻孔を通り抜ける。都会にありながら、洗われたかのような清涼さだった。
初秋の秋葉原。時刻は7時を回ろうとしていた。
のっぺりとした雲が夜の闇と綯交ぜになり、仄暗い灰色として空を覆っていた。
その空の下。電車の鉄橋が作る影の中で、灰色のパーカーコートを着た男が立っていた。
岡部倫太郎だ。一年という短く、しかし途方も無く長く感じられた時を経て、彼はこの地に舞い戻ってきたのだ。

岡部は壁に貼りだされていた紙を見つめていた。
岡部と橋田の写真だ。指名手配と書かれている。
ラボでラウンダーと鈴羽が起こした銃撃戦の容疑者に仕立てあげられたらしい。

体格も変わり、髪型はあの頃のようなオールバックではなく全て適当に下ろしている為、現在の岡部と写真の岡部は全くの別人に見える。
一般人から通報されるという事はまず無いだろう。岡部は自分の写真を睨むように見ながらそう思った。
影の中、人々は彼を気にする事も無く急くように歩いていた。岡部はそんな人々の足元に視線を落とし、歩き始めた。



<アルファ。通信の状態は?>


通信機に通したイヤホンから、荒い音声が聞こえてきた。橋田の声だ。
傍受されないように処理してあるせいで、若干のラグと雑さが目立つ。


「通信は聞こえているが……少し聞きとりづらいな」

<まっ、それはしょうがないっしょ。これでも通信するだけで結構神経使うんだよ>

「そうか。鈴……いや、ブラボーは、どうだ」

<ずっと見張ってるけど特に動きは無いって>

「そうか」

<……危なくなったら、すぐこっちに戻ってきてくれよ>


橋田は少し離れた場所で車の中で待機していた。
岡部と橋田は免許こそ持っていないが運転はこなせるようになっていた。
それでも、鈴羽の方が運転は上手かったが。



「わかっているさ。必要以上の無茶はしない」

<……頼むよ、倫太郎。絶対に、無茶はしないでくれ>


重苦しい沈黙が流れる。きっと橋田も、一年前の事を思い出しているに違いなかった。
ラボの襲撃、紅莉栖の誘拐、そして、まゆりの死。
今でもこの記憶は色褪せる事は無い。
滲んだ血で、この脳裏に鮮烈に刻まれているのだ。


「……あぁ、わかってる。何度も言わなくてもな。それと、今は名前は呼ぶな」

<あぁ、ごめん……>


橋田が沈黙を払うように、作戦内容の復唱を始めた。


<……さて、と。じゃあ、もっかい確認しようか……ラウンダーを指揮する人物、桐生萌郁の所在は現在掴めていない。
 どういう訳か、自分では動く気は無いらしい。僕も色んな手で探してるけど、見当たらないんだ>

「俺達の存在に怯え、隠れているんじゃないのか」

<そうかもね。奴等は僕達を一年も野放しにしてしまった。ま、僕が情報集めるのには十分過ぎる時間を与えちゃったし、
 痕跡が残らないように雲隠れして、機会を窺ってるのかもね>

「……そうはさせないさ。先に見つけ出して、コイツで息の根を止めてやる」


岡部は袖の中に隠したブレードと、懐に忍ばせたハンドガンの感触を確かめた。



<そうじゃなきゃ、こっちがやられるしね>

「あぁ」

<で、ラウンダーなんだけど、彼らは一斉送信のメールで集められるんだ。内実はほぼ一般人と言って良い。
 結構ガサツに見えるが、逆に自分がラウンダーであるという以上の情報は知り得ない。まぁ、要するに使い捨ての駒って訳だ>

「情報漏洩を防ぐ為の策、か。大味だが、功を奏しているな」

<そう。僕も何度もハッキングを仕掛けて大元を辿ろうとしてるんだけど、何度やっても足跡が途中で消えてて辿りきれなかった>

「……ダルでも辿れない、か。相当だな」

<うん……>


ダルが少し悔しそうに返事をする。


<だけど、つい最近IBN5100を持っているという人物がSERNから連絡を受けたという情報をキャッチする事は出来た。
 秋葉原の近くに住んでる人物が、IBN5100をフランスの会社にかなりの高額で売り払うらしいという情報をね>

「しかし、その会社はSERNと繋がっていた」

<うん。表向きはマニア向けにレトロコンピュータを売買する会社ってなってるけど、恐らく実態はSERNがわざわざIBN5100を回収する為だけに創った会社だ。
 まぁそれくらいの事なら奴等は容易にやってのける>

「……しかし、秋葉原にもう一台あるとはな。IBN5100が」

<うん。かなり好都合なんだよね。地理とかブリーフィングする手間も省けるしさ。
 で、今日その人物とラウンダーとの取引があるらしいんだ>

「そこで運び屋をつければ、恐らくは……」

<IBN5100はSERNにとって重要なアイテム。疑似スタンドアローンという状況を作り出す為のキーだ。
 そういう物を運ぶんだから、それなりの責任を持つ者が表に出てくる可能性も高い。だから……>

「奴も、出てくるかもしれない」

<……うん>


あの時の情景がフラッシュバックする。
力無く倒れるまゆりの体の感触、微かに香る火薬の臭い、そして血にまみれたまゆりの顔。
この一年間、岡部を苛んだ悪夢の情景が脳裏にちらつく。

奴が来る。まゆりを殺し、のうのうと生きてきた桐生萌郁が。
岡部は口を真一文字に結んで、雪辱を噛み締めた。


<……それじゃあ、以上で説明の方はおk?>

「はぁ……こういう時ぐらいねらーはやめろ」

<緊張を解そうという、僕のささやかなジョークですしおすし>

「わかったわかった。だが、作戦は真面目に頼むぞ。万が一敵に見つかった場合、お前の誘導が頼みだからな」

<了解。ま、任務が終わったら、お祝いにダイエットコーラでも振舞ってあげるお>

「おい、ドクペは無いのか」

<そんなカロリー高いのを戦士が飲んじゃいけないだろう、常考>

「ふっ、それもそうか」


友人との軽口が途絶え、また沈黙が流れた。
岡部は大きく息を吐き、橋田に話しかけた。


「……もう、良いか」

<……うん>

「すまんな。俺も、少し落ちついたよ」

<……正直、この作戦は賭けだ。二人の手際に全てが懸かってる。こんな都合の良い受け渡し、罠の可能性だって捨てきれない。
 こんな都合の良い……>

「わかっている、例え罠だったとしても返り討ちにしてやるさ。自身過剰では無い程に俺も力をつけたんだ。
 やってみせる……やってみせるさ」


岡部は己を鼓舞するように言葉を繰り返した。


<……何かあっても、僕が絶対に二人を導いてみせる……大船に乗ったつもりで、作戦に挑んでくれ>

「あぁ。頼りにしている」

<……こちらブラボー、ターゲットが帰宅した。受け渡し予定時間まで、残り1時間と27分>


鈴羽からの通信が入った。いよいよ、作戦開始だ。



「……了解した。こちらもたった今着いた」

<……状況開始>

<了解>

「……了解」


橋田、そして鈴羽との通信を終え、視線の先にある建物を見つめる。
型番ガラスから漏れ出る千切られたような淡い光が、家主の存在を示している。

橋田のおかげで幾分緊張がほぐれていた。余分な力も今は入っていない。
後は己の力を信じて、任務を遂行するのみだ。



「……はぁ」


震える吐息が岡部の口から漏れた。
恐怖か、或いは武者震いか。その両方だろう。
若き戦士は大きく息を吸い込み、力を抜くようにまた大きく吐きだした。

ついに始まる。
俺の、復讐が。

岡部は不意に、手を空にゆっくりかざした。空に輝くはずの星を掴むように。
しかし、空は雲に覆われ星など一つも見えなかった。
だが、あの少女は言っていた。


「見えなくても……星は、そこにある」


手をゆっくりと握りしめる。
己の覚悟を離してしまわないように。
届かないはずの彼女の手を繋ぎとめるように。


「……」


待っていろ。俺が必ずあいつの首にこの刃を突き立てる。
俺が、お前の無念を、晴らしてやる。



「……まゆり」


呟きが虚空に消える。
雲は厚みを増し、いつの間にか、さざめ泣くような霧雨が降り注いでいた。
岡部はフードを目深にかぶり、顎を埋め腕を組み、ただ作戦の開始を待った。
朦朧と、視線にある家の光を見つめながら。


――

今日はここまでです
では

アサシンブレードを手に入れるところが一番ワクワクするわ

シリアスオカリン最高だな

両方とも大好きな作品だから期待してる

取り外し可能ってことは3のアサブレと2のインナーピストルの複合か
あとはカウンター覚えれば最強だな

アサクリ聞いたことしかないけど楽しみだ
支援

――


第四章
『霧中独走のアサシネイション』


――


マンションとビルが入り混じる閑静な小路。通りには仕事から帰ってきた人々がまばらに歩き、建物の窓から生活の光と音が漏れ出ていた。
岡部はそこで待っていた。ラウンダーがIBN5100を受け取りに来るのを。

受け取り予定の時刻は30分後だ。
岡部はその時間が来るまでの間、人目につかぬ路地で電柱に体重を預けながらひたに待っていた。
鈴羽は岡部とは違うポイント、ターゲットの家を見下ろせるビルの屋上で息を潜め、双眼鏡で動向を見つめている。
橋田がいる車はそのマンションの真下に止めてある。

尾行の選択肢は二つだ。車か、徒歩か。
徒歩であるならIBM5100は抱えて歩くには余りに大きな品だ。当然、何か運ぶ為の物が必要となる。
台車などを用いる場合なら、ターゲットの前方で音を頼りに尾行する事も出来るだろう。幸い、この雨もこれ以上強くなる気配は無い。


<こちらブラボー。ターゲットに特に動きは見られず>

「こちらもだ。以上」


定期的な連絡を終え、岡部はまた前を見つめる。


岡部は尾行には自信があった。鈴羽にも訓練した項目の中では最高水準に達すると褒められた事もある。
最初のうちは鈴羽をつけてもすぐに見つかってしまったが、訓練を重ねるうちに気配を消せるようになり、
相手の足音だけを頼りに尾行する事も出来るようになっていた。

岡部は訓練の中で、妙な『感覚』を会得していた。
よくわからないが、集中して相手の音を感じると、浮き上がるようにその人物が何処にいるか脳裏に映し出されるのだ。
音が何か、視覚的に見えるとでも言えるように感じられる。不思議だが、非常に使える『感覚』だった。
だから、尾行には自信があった。

しかし、相手が車の場合は橋田と鈴羽頼りだ。
運転は鈴羽がし、周辺の監視カメラを既に掌握している橋田が複数の目で追尾する。
自分が出来る事と言えば、肉眼で追う事くらいだ。

が、相手が車で来るという事はまず無いだろうと岡部は踏んでいた。
このIBM5100の受け渡しにはどうも裏を感じずにはいられない。
あの事件からほぼ一年が経った頃合いで、秋葉原という地でのIBN5100の受け渡し。罠でない確率の方が低いのではないか。
もし罠ならば、尾行させ易い徒歩を選ぶのではないだろうか。都市部では交差点や信号も多く、車では尾行させづらい。
そう考えるなら、まず敵は徒歩で来るだろう。岡部はそう確信していた。

罠でも何でも良い。返り討ちにしてやる。
岡部の胸中では怨嗟の闘争心が渦巻いていた。



「……そろそろ時間か」


適当な店で買った安物の懐中時計で時刻を確認する。左腕にはアサシンブレードをつけている為、時計は付けられない。
必然的にこの時計を持つ事になったが、進んで懐中時計という物を使う理由がそれだけでない事は岡部自身、重々承知していた。
まゆりが祖母の形見である懐中時計をずっと大事そうに持っていたからだ。
あの時計は結局回収出来なかった。まゆりが轢かれた後、そのままにして戻ってきてしまったから。


「……はぁ」


岡部は小さく溜息を漏らし、懐に時計を戻した。
そして時計を懐にしまった次の瞬間、現場に動きがあった。
カラカラとタイヤを転がす音をたてながら、こちらの方へ向かってくる者が現れた。
岡部は電柱に体を隠し、音のする方を窺う。



「……客が来たらしい。キャリーを引き摺る人物を確認したが、そちらからも確認できるか」

<こっちも確認した。空のキャリーカート持った人物が家の方に向かってる。
 目標は黒の帽子、黒のパーカー、薄い青色のジーンズを着用>

「……やはり、徒歩か」

<じゃあプランAか。僕も移動準備するよ>

「あぁ。何度も言うが罠の可能性もある、お互い気をつけるように」

<わかってる。そっちも、ね>

<うん。あたしもすぐ降りるから>

「……受け取りを確認し次第、尾行を開始する」

<了解>

<了解>


通信を終え、視線を先程の家の方に戻す。
キャリーを引き摺る人物は真っ直ぐにその家の方向へ向かって行く。
そしてその家の玄関先で目標は止まった。



「……奴が運び屋で間違いないな。つけるぞ」

<了解>


岡部は路地から出て、目標が来た道の方へ歩き始めた。
そして曲がり角を曲がり、少し進んだ先でビルの軒先に隠れた。目標が来るまで待機する。


<目標が家主から大きなダンボール箱を受け取った。中身を確認していたが、こちらからは暗くて判別出来ず。
 恐らく、IBM5100だと思われる>


遠くから小さく扉が閉まる音がした。そして先程よりも重たく、タイヤの音が静かな小路に響く。
タイヤの音は岡部の方へ向かって進んでいた。岡部はそれを確認し、陰から出て目標の前をゆっくりと歩き始めた。


「目標は俺の後ろにいる。ブラボーは降りて後ろからついてこい」

<了解>


大通りから少し離れた道の為、人通りはそれなりにあるが車は通っていない。
途中で荷物を引き継ぐ人間がいるかも知れない。神経を目標の発する音に集中させる。


<こちらブラボー、後ろについた。まだバレている気配は無い模様>

「了解」


岡部と鈴羽は目標を挟むような形で尾行する。勿論、不自然と思われないような距離を置いてだ。
自然と息が細くなり、無理やり飲みこむような呼吸になる。
自らの気配と尾行の邪魔になる音を消し、目標のみに集中する。
訓練で何度もやったはずの事なのに、本番になるといつもより余計に神経がすり減った。
感覚は働いている。が、見失わないように見失わないようにと心が急き、その感覚さえもあやふやになりそうになる。


(集中しろ、岡部倫太郎……鈴羽と何度もやってきた事だろ)


自らに渇を入れるように頭の中で呟く。
雑念を払い、岡部はまた尾行に全神経を注いだ。

荷物を届ける人物は南下し、本郷通りに出てそのまま御茶ノ水方面へと向かって行く。
少し開けた通りに出て車も多く通るようになったが、岡部はしっかりと荷物の揺れる音と固いタイヤの軋むような音を環境音と判別していた。
鈴羽も目を光らせ、後ろから続く。

橋に差し掛かった所で御茶ノ水駅が見えた。どうやら電車に乗って運ぶつもりらしい。
駅の近くに来た事によって人通りが増えてきた。既に大通りにある楽器店等は閉まっているが、学生と思しき若者達が往来していた。


「……どうやら電車で運ぶらしい。ある程度着いて来れるか、バレル」

<逐次連絡くれれば何とか>

「わかった」


橋田に移動準備を促す通信を入れる。
バレル、とは橋田のコードネームである。いや、実際は未来の橋田が使っていたコードネームだ。鈴羽がそう言っていた。
橋田はアルファ等の呼び方ではなく、こう呼んでくれと言った。
未来の自分を目標としているのか、どういう思惑でそう呼ばれたいのかはわからない。
ただ岡部達は何となく意を汲んで作戦中は彼をそう呼ぶ事にした。

目標は橋を渡ると右折したが、近くにあった駅の改札には寄らずにそのまま直進してしまった。
電車で運ぶのではないのか、見当は外れたらしい。

目標は尚もゆっくりと駅に沿って歩く。
そして人通りにある大通りに差し掛かり、もう一つの改札口へと進んで行った。

やはり電車で移動するのか、岡部は判断に迷い、改札前の自動販売機で目標の行動を窺った。
改札へ向かっていく人混みの中に、目標が紛れこんでいく。
鈴羽は見失わないように目標の人物に少し近づく。
しかし、どうした事か。目標の人物は改札に入らずにUターンして来たではないか。
見ると、IBM5100を乗せたキャリーがいつの間にか無くなっていた。
鈴羽はそれを見てすぐに二人に通信をする。



<目標が次の運び屋に荷物を受け渡した模様。駅前にキャリーを持った人物は通っていない。
 恐らく改札を超え、駅の中に入ったと思われる>

「わかっている。こちらもちゃんと判別している。次の運び屋は赤いチェックの上着に白のインナー、
 黄土色のズボンを履き、髪を茶色に染めた若い男だ。3、4番線のホームに向かった。すぐに中に入るぞ」

<了解>


岡部は人混みの中でもしっかりとキャリーの音を判別し、すぐさま次の運び屋を判別していた。
ついでに買った飲み物をバックの中にしまってから改札を超え、左側の3、4番線ホームに向かう階段を降りた。
目標はホームの中腹にいた。岡部はそのまま目標を通り過ぎ、一つ前の車両に乗る事にした。
鈴羽は目標と少しだけ間を置き、同じ車両に乗る位置で電車を待つ。

間もなく、電車到着のアナウンスがホームに流れた。
橙のラインを走らせた中央線がホームにゆっくりと進入してくる。秋葉原駅、東京駅へ向かう電車だ。
目標は荷物を持ったまま電車の中に入った。岡部達はそれを確認し、電車の中へと入っていった。


つり革に手をかけ、横目で隣の車両にいる目標を監視する。
目標は岡部から見て、一番手前の出入り口の窪みに荷物を置き、体を壁にもたれさせていた。
悠長にスマートフォンを弄っている。仲間に連絡をとっているのか、暇潰しをしているのかはわからない。

電車の中では何事も起きなかった。秋葉原駅を過ぎ、あっという間に終点の東京駅に着いた。
降りる際、人混みに紛れて運び屋がまた変わったが今度も見落とす事は無かった。
東京駅に着いてからは、二人はそれぞれ距離を置きながら運び屋の後を追った。
時刻は9時過ぎ。それでも人の多い東京駅での尾行は困難を極めた。

駅構内だけで二回運び屋が変わった。八重洲中央口改札手前、そして京浜東北線ホームだ。
移動している最中、人混みの中で彼らはあまりにも自然に荷物を渡す為、鈴羽でも見失いそうになっていた。
しかし、岡部が感覚を研ぎ澄まし、すぐさま次の運び屋を特定していったおかげで見失う事は無かった。
最後の運び屋はそのまま山手線ホームに向かい、上野方面へと向かう電車に乗った。
岡部と鈴羽もそれに続く。



「……ブラボー。逆に尾行されている気配は」

<無い、とは言い切れないけど……そういう気配は感じられない>

「……そうか」


京浜東北線ホームでの運び屋の入れ替えは少しヒヤリとした。
ホームに入る階段を上り切った所で、すぐにホームから向かって来た運び屋が交代したからだ。
新しい運び屋はそのまま階段を降りて来た為、その時階段を上っている最中だった岡部の顔を見たかも知れないのだ。


(……バレてなければ良いが……)


顔の輪郭も体格も、一年前よりだいぶ変わった。
しかし基本的な人相は整形でもしない限り変わらない。手配書も世間にばら撒かれている。
もし顔を見られ、バレていたとしたら。
IBM5100の運搬は中止され、奴への足がかりが消えてしまう可能性もある。
見失う事よりも、そちらの方が岡部にとっては避けたい事だった。


自分達の存在を気取られた場合、桐生萌郁が潜伏場所を移動してしまう可能性もあるからだ。
現在の潜伏場所すら特定出来ていないのに、そんな事をされてはまた無駄に時間がかかってしまう。
自分達の身の危険以上に、そういった事も懸念される。細心の注意を払って尾行しなければならない。

夜の闇を、強烈なライトが切り裂くように進む。鉄の甲高い音を響かせ、緑のラインを伸ばす山手線が環状線をひた走る。
その揺れに身を任せながら、尾行者と運び屋は進み続ける。

今回の運び屋は音楽を聴いている。
どいつもこいつも余裕をかましやがって。岡部は心の中で小さく悪態をついた。

山手線に乗って何処へ行くのか。そう疑問に思っている内に相手は動き出した。
運び屋は僅か二駅目で降りたのだ。二駅目、秋葉原駅で。


(秋葉原? 結局戻って来たのか……わざわざ面倒な事だ)


運び屋はそのまま電気街口へと向かい、改札を超えた。
駅を出てからは大通りから離れ、住宅街へと進んで行く。人通りはどんどん少なくなり、尾行するのも難しくなってゆく。
岡部と鈴羽は相変わらず互いに距離を開けながら、ゆっくりとした歩調で運び屋の後を追う。


しばらく歩くと、運び屋はとあるアパートの敷地へと入って行った。
どうやら目的地に着いたらしい。


「……バレル。どうやら着いたみたいだ」

<んだよ、結局秋葉原に戻ってきただけじゃん>

「あぁ、そうだな。とりあえず早く来い」

<了解>


周囲を見渡す。見られているという気配は無い。感覚にも引っかからない。
ちょうどよく、建物と建物の間に塀とフェンスで隔絶された人気の無い路地を見つけた。
岡部はフェンスを楽々と乗り越え、そこで運び屋の行く末を見守る事にした。アパートは垣根の向こうの正面にある。
運び屋はアパートの二階へと続く階段の前に立つと、携帯を取り出し何処かに電話をし始めた。
二階に届けるつもりか。一人で持つにはIBM5100は少々重い、それに重要な品物だ。
二階に仲間がいるとすれば運ぶ為に出てくるだろう。そして、その時にもしかしたら奴も……。



「どう」


岡部を追って路地に辿りついた鈴羽が状況を尋ねる。


「見た通りだ。どうやら敵にはバレていないらしい」

「そう。なら良いんだけど」

「気取られた感でもあるのか」

「ううん。でもミイラ取りがミイラになる訳にはいかないから、まだ注意して」

「……そうだな」


そんな会話をしていると、アパートの方から物音がした。それに気付いた二人は、身をかがめてそちらを注視する。
ボロの木扉が開き、中からガタイの良い男が二人出てきた。片方は肌が浅黒く焼けている。もう片方の男は首元に入墨があった。
二人の男は階段を下り、運び屋から荷物を受け取るとすぐにまた階段を上がって行った。



(桐生はいつ出てくるんだ……)


岡部は焦れったく思いながらアパートを見つめる。
男二人はそのまま古びた廊下を渡り、そのまま出て来た部屋へと戻って行った。


「……クソッ、奴はいないのか」


悪態が口を突いて出る。
桐生萌郁は端からIBM5100の受け渡しには参加しないつもりだったのかも知れない。
行方の知れぬ自分達から逃げるように身を隠し、任務などは駒共にやらせているのだ。
あの陰険そうな目。人と面と向かって喋れない性格。
奴の事だ、絶対そうに決まっている。あの臆病者め。
岡部は心の中でひたすらに罵った。

今日はここまでです

おつです
シュタゲ的にはIBMじゃなくてIBNじゃなかったっけ?

>>133
あら、そうだったのか
まぁ今から変えるのもアレなので、このままで統一します

来てたか

すまん
ageてしまった

ほしゅ

エタったか

おもしろかったのに
待ってるで

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年05月21日 (水) 16:19:53   ID: Ph3E7BXW

更新はよー

2 :  SS好きの774さん   2015年06月19日 (金) 05:53:34   ID: 6bc0crA9

敵前逃亡乙

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