男「サラリーマンとは、闘い也!」(113)

< 自宅 >

ジリリリリ……!

男「起床ッ!」バッ



起床とは、闘い也!

布団をすみやかに脱出し、目覚めから0.15秒未満で直立すべし!

夢への未練、目覚めから0.25秒未満で断ち切るべし!

辛く険しい現(うつつ)と、向き合わねばならぬのだから……。



男「完全覚醒ッ!」キリッ

男「洗顔ッ!」



洗顔とは、闘い也!

妻が用意せし熱く煮えたぎった湯の摂氏、限界突破の800℃!

これを躊躇なく顔面に浴びせられる漢でなくば、サラリーマンは務まらない!



バシャッ! バシャッ! バシャッ!

男「適温ッ!」

妻「ヒゲを剃りましょうね、あなた」チャキッ

男「頼むよ」



ヒゲ剃りとは、闘い也!

エプロン姿の新妻が持ちし、金剛石をも断ち切る名刀『愛妻』!

これを秒速500kmを超える速度で振り回し、ヒゲを剃るのである!

むろん、妻の手元が僅かでも狂わば、男の首が飛ぶことスペースシャトルの如し!

サラリーマンとは常に死と隣り合わせである!

たとえ不慮の事故で命失おうとも、一片の悔いなし!



ヒュバババババッ!

妻「ヒゲ剃り完了」チン…

男「剃り残し、無しッ!」ツルツルッ

男「いただきます」

妻「バターを塗ったトーストと玉露は、よく合いますのよ」

男「ありがとう」




朝食とは、安らぎ也!

朝のニュースを眺めながらの、ブレックファストとティータイム!

会社という戦場に旅立つ前の、ほんの一時の至福である!

焼け石に水、と嘲笑(わら)う者があるかもしれない。

だが、笑いたいものには笑わせておけばよい!

笑う門には、福が来るのだから……。

男「行ってきます」ザッ

妻「行ってらっしゃい」



出勤とは、闘い也!

夫婦の別れに涙はいらぬ!

夫の外出を見届けた妻は、即座に白装束となり液体窒素を体に浴びせるのである!

これすなわち、祈願!

我が身を凍結する代わり、夫を生還させよという自己犠牲的発想!

夫の身を案ずる余り、誰に命じられたわけでもなく身についた習慣である!



ザバァァァ……!

妻「あなた……どうかご無事で」

< 電車 >

ガタンゴトン……

満員電車とは、闘い也!

座席、壁際、手すり、つり革、乗客同士の寄りかかり!

生き馬の目を抜くようなポジションの奪い合い!

コーナーキックを待ち受ける、プロサッカー選手に匹敵する攻防!



中年(さて降りるか……)スッ…

男(チャンス!)ダダダッ

男(ポジション、ゲット!)スチャッ



座れはせずとも!

男はドアの両側、通称“寄りかかれるスペース”をゲット!

本日、絶好調!

しかし──

満員電車には恐ろしい罠(トラップ)が存在する!



女子高生「きゃあ~!」

女子高生「この人、痴漢ですぅ! お尻をさわってきました~!」

男「!」

男(痴漢など、私はやっていない……!)

女子高生「…………」ニヤッ



男は見た!

女子高生のデーモン笑み! 犯罪! 冤罪! 万歳!

ザワザワ…… ドヨドヨ……

絶体絶命!

痴漢冤罪の罠にかからば、懲戒免職、家庭崩壊、実刑判決は免れない!

もはや男は、蜘蛛の巣に捕らわれた哀れな蝶々!



男(先手を取られた──ならばッ!)

男「ああ、私を痴漢をした」

女子高生「え?」

男「さわったばかりではない」

男「私はこの可憐な少女を──押し倒し、接吻し、なぶり、犯したッ!」

女子高生「!?」



女子高生の言いがかりを“先の先”とするならば──

男はあえて冤罪を受け入れることで“後の先”を取ったのである!

これすなわち、カウンター! 威力は倍増され、敵に返還される!

女子高生(この人、私のウソをあえて全部受け止めてくれた……!)ドキン…

女子高生「ごめんなさいっ! 全部、ウソなんですっ!」

女子高生「なんか最近ムシャクシャしてて、つい──」

男「気にするな。過ちを悔いる心、それだけで私は嬉しい」



男の度量にて、不良女子高生の凍てついた心は春の雪解け水が如く溶解した。

この女子高生、この事件を機に自らの半生を猛省し、

後にノーベル平和賞を受賞することになるが──それはまた別の話。



女子高生「本当にあなたの女になったらダメですか?」

男「悪いが、私には愛する妻がいる」

パチパチ……! パチパチ……!

拍手喝采である。

満員電車では皆が敵同士、だからとて祝福の心を忘れたわけではない。

男(む、あの座席が空いたッ!)キリッ

男(初速1,200m/sで動けば、あの座席に座れるッ!)ダッ

シュザッ!

男「!」

エリート「…………」ニコッ

男(先に座られた……! 速いッ……!)

エリート「残念、この座席はボクのものです」

エリート「でも……どうしても座りたければ、ボクの膝の上に座ってかまいませんよ」



タッチの差で座席に奪われた男を見上げながら見下ろす、エリートの露骨な挑発である。

だが男はあえて──



男「座らせてもらう」スッ…

直後、尻全体に鋭利な痛みが走った!

自らの尻を確認するや否や、目に飛び込んできたのは無数の画鋲!



男「貴様ッ! いつの間に膝の上に画鋲を……ッ!」

エリート「最初からですよ」

エリート「しかし、ボクの挑発に乗り、冷静さを失っていたアナタは気づかなかった」

エリート「社会人にあるまじき、注意力散漫だ……」

エリート「先ほど女子高生を手玉に取った実力を見込んで、試してみたんですが──」

エリート「どうやら期待外れだったらしい。ガッカリだ」

男「あ……あ、あ……」



ガーン!

男の目に涙を浮かばせたるは、尻の痛みでなく心の痛み!



    完    全    敗    北    !    !    !

< 駅 >

キヨスクとは、闘い也!

目的駅についた男、まっすぐ会社には向かわずキヨスクへ直行!

理由はもちろん、完全敗北を喫した我が身を奮い立たせるため──



おばちゃん「いらっしゃいませ」

男「棚にある栄養ドリンクを──全部ッ!」

おばちゃん「あいよッ!」



宇宙最強の栄養素と名高いタウリンが、男の打ちひしがれた心を復活させる!

これぞモーニングドーピング!

サラリーマンにとって、ドーピングは反則ではない。日常である!

< 会社 >

男「おはようございます」

同僚「よう」

OL「おはよう!」

係長「おはよう」

課長「うむ、おはよう」

男「……しかし、私はキヨスクに寄ったせいで始業時間には間に合ったとはいえ」

男「いつもの出勤時刻より五分ほど、遅れてしまいました」

男「よって、私に対して『おはよう』は相応しくないのです」

男「やり直しを要求させていただくッ!」



挨拶とは、闘い也!

漫然と決まり文句を交わす習慣にあらず!

自分に相応しくないとあらば、断じて拒否せねばならない!

同僚「おおそう! 待ちくたびれたぜ」

OL「おおそう!」

係長「おおそう」

課長「うむ、おおそう」



男の心意気を飲み込んだ課の仲間4名!

即座に『おはよう』を『おおそう』に切り替える、チーター以上の瞬発力!

男の目に、またもうっすらと涙が光る……。



男(みんな……ありがとう……)キラッ…

電話取りとは、闘い也!

電話のベルが鳴ってからでは遅すぎる!

先方が電話をかけてきた瞬間では遅すぎる!

真のサラリーマンたる者、先方が電話をしてくるのを見切って、

こちらから電話をかけねばならない!

先手必勝の精神が、予知能力の如き直感を生むのである!



男「お電話ありがとうございます」

客『おお、今まさに君に電話をかけようとしていたところだよ』

客『やられたよ……完敗だ!』ニィッ

男(勝利ッ!)

デスクワークとは、闘い也!

男のパソコンの実力たるや──

ワード二段! エクセル四段! パワーポイント六級!

すなわち、2×4×6=四十八!

これはかの忠臣蔵の赤穂浪士四十七名をも上回る、驚異的数値である!

なお──



男(ここでエンターキーを押すッ!)

男「はっ!」

メキィッ!



男はエンターキーだけは、肘(エルボー)で押すという

非常に厳しい制約を課している! 壊したキーボードの数、実に数千!

男(この書類、10部ほどコピーするか)ダダダッ

同僚「この資料、コピーしねえと!」ダダダッ

男「!」

同僚「俺の方が0.18秒、コピー機に着くのが早かった」

同僚「だが──お前だって急いでるんだろ? 俺に勝てたら先にコピーしていいぜ」

男「望むところッ!」



コピー取りとは、闘い也!

己とコピー機の一対一(タイマン)を邪魔する者あらば、

命を奪う覚悟、奪われる覚悟を以って、駆逐すべし!

譲り合いなどあってはならぬ!

コピー機とは、真の強者にのみ心を開いてくれるのだから……。

同僚「お前相手に手加減はできない……使わせてもらうぜ、ネクタイを」シュルッ…

男「本気のようだな」



ネクタイとは正装にあらず、武装也!

鞭の如く扱い打撃! 手錠の如く扱い緊縛! 縄の如く扱い絞殺!

たった一本のネクタイで、かのように多彩な攻撃が可能である!

まして同僚はネクタイ術に関しては、右に出る者なし!

男の額に、じんわりと冷や汗が浮かぶ!



同僚「そうらッ!」ヒュバッ

バチィィッ!

男「ぬう……ッ!」



蛇のように動くネクタイ! 男の皮膚が弾け飛ぶ!

同僚「よっと」ヒュッ

ガシッ……!

男(右腕を絡め取られた!)

同僚「ネクタイ一本釣りッ!」ブオンッ

ドガッシャァンッ!



ネクタイで絡め取った男を投げ飛ばし、そのままコピー機に叩きつける残虐技!

しかし、大ダメージにもかかわらず、男は反撃の狼煙を上げようとしていた!



男「ぐふっ……。ならば私も使わせてもらおう、ネクタイを!」

同僚「!」

同僚(コイツの戦闘術は素手専門だったはずだが──)

同僚「おもしれえ! やってみなッ!」

男「今私が締めているこのネクタイは──」

男「去年、私の誕生日に、妻が買ってくれたものなのだ」

男「妻よ……私は勝つッ! 勝ってコピーを完遂するッ!」ゴゴゴ…

同僚(ネクタイを通じて奥さんからの愛を受け取り、パワーアップッ!)

同僚(これもまた立派なネクタイ術じゃねーか! さすがだぜ!)

同僚「俺、この会社に入ってよかった! お前みたいな好敵手に出会え──」

ボゴォッ!

同僚「た」



一撃!

吹き飛ばされた同僚の体はコピー機と激突し、コピー機を跡形もなく粉砕した!



同僚「……ん、だから、な……」ガクッ

男「最後まで台詞を言い切るその執念! さすが我が同期ッ!」

同僚「しっかし、コピー機ぶっ壊しちまったな」

男「仕方あるまい。私が弁償しよう」

同僚「いや、俺が先に勝負ふっかけたんだ。俺が弁償するよ」



すると、コピー機になにやら異変!

二人の漢の熱気を浴び、このまま壊れてなどいられぬと──

機械にあるまじき掟破りの自己再生!

メキメキ……!



コピー機『我、再臨す!』

コピー機『さあ書類を乗せろ。どんな書類でもコピーしてやろう!』

同僚「死の淵からよみがえったことで、自我まで芽生えてやがる!」

男「うむむ、このコピー機こそコピー機の中のコピー機ッ!」

企画書とは、闘い也!

小脳大脳を捻り上げ、絞り出した、己の創意工夫(アイディア)!

いざ、課長に提出!



課長「ふむ……」ピラッ…

男「いかがでしょう、課長?」

課長「企画自体はよろしい……」

課長「あとは──君の企画に対する“熱意”を示すだけだ。来たまえ」

男「応ッ!」



相手は上司、しかも同僚との死闘のダメージも残る!

だが、相手が社長であろうとも奥歯をもぎ取れるのが、真のサラリーマン!

だが、装甲車にハネられても戦うことができるのが、真のサラリーマン!

男は真のサラリーマンであった……!

課長はシャチハタ使い!

両手に持った時価数百円のシャチハタによる高速突きで、精密に急所を狙う!

ひとたび急所に押印されれば、落命は必至!



バババババッ!

課長「さあさあ、どうしたのかね?」バババッ

課長「避けてばかりでは、企画は通らんぞ」バババッ

男(速いッ!)

男(会社帰りのバッティングセンターで銃弾をバットで打ち返す鍛錬を繰り返し──)

男(鍛えに鍛え上げた我が動体視力!)

男(にもかかわらず、課長の突きを完全に見切れないッ! 反撃のスキがないッ!)

課長「打つ手なしか。君には失望させられたよ……ガッカリだ」バババッ

男「!」

エリート≪どうやら期待外れだったらしい。ガッカリだ≫

今朝の完全敗北、フラッシュバック!

あの痛みが、あの屈辱が、あの不甲斐なさが、男の後退した心と体に火を灯す!



男「見くびらないで下さい、課長!」ダッ

課長「無策で突っ込むか」

課長「無策には、無情で答えるのみ」



メキィッ……!

課長のシャチハタが、男の額にクリティカルヒット!

ひび割れる頭蓋骨!

しかし、割れた男の頭に浮かぶは、勝利の二文字!

男「取ったァッ!」ガシッ

課長(これは──関節技!?)



関節技(サブミッション)──腕ひしぎ逆十字!

頭と引き換えに、右腕をゲットだぜ!



課長「参った、ギブアップだ!」パンパンッ

男「折るッ!」グンッ

ボギィッ……!



課長の右腕、あらぬ方向にヘアピンカーブ!

男の勝利である!

課長「……よくやった」プラーン…

課長「もし私のギブアップで、折るのを躊躇していたら企画は通さなかった」

課長「君の熱意、受け取ったよ。この企画書はあとで部長に上げよう」ニッ

男「課長」

男「課長の右腕……音を立てて骨を外しただけで、折ってはいませんッ!」

課長「フッ……どうやら、今日のところは私の完敗のようだな」

キーン…… コーン…… カーン…… コーン……



係長「課長、昼ごはんにしましょう」ガタッ

課長「うむ」

OL「あたし、友達と食べてこようっと」ガタッ

同僚「俺は外で食ってくるけど、お前は?」ガタッ

男「私には愛妻弁当がある」

昼休み──

男(妻よ……)

男(君の作ってくれた弁当で、午後への活力を養わせてもらうよ)

男「いただきます」ペコッ



弁当とは、愛の結晶也!

わずか20cm四方の箱から漂う、溢れんばかりの妻の愛!

蓋を開ける前からすでに男の全身は紅潮し、完熟トマトにも似た様相!

いざ、開封!



男「…………」パカッ

男(中身が──)

男(無いッ!)

箱の中には手紙が一枚あるのみ!

果たして事件の真相とは!?



『申し訳ございません、あなた』

『本日のお弁当、我ながらあまりに出来がよかったので』

『自分で全部食べてしまいました』

『かくなる上は、いかなる処罰をも受ける所存です』



この手紙を読み、男の脳裏に芽生えた感情──

哀ではない! 楽でもない! ましてや怒などでは断じてない!

圧倒的、喜!

思わず自分で食べてしまうほどの料理を作り上げた妻への祝福!

わざわざ手紙で事情を説明する妻に対しての感服!

そしてなにより、申し訳なさそうに台所でつまみ食いをする妻を想像するだけで──

こんな台詞が飛び出てしまう!



男「最高じゃないか……!」



男の胃袋は満たされていた……。

もはや、フルマラソンを百回完走しても使いきれないほどのカロリーが、

男の肉体に充填されていた!

ついでに頭蓋骨も完治!

これで午後も戦える!

午後開始!

係長「じゃあぼくと出かけようか。今日こそ契約を取ろう」

男「はい、同行させていただきます」



外回りとは、闘い也!

本日回る企業は二社!

一社目は『中小企業』!

中堅ながら堅実な経営で地盤を固める会社である!

そしてクライマックスを飾る二社目は──『一流企業』!

日本有数の大企業であり、この企業にとってみれば男の会社などノミの如し!

だからこそ、燃える!

< 営業車格納庫 >

男「エンジントラブルッ!?」キュルルル…



運転とは、闘い也!

車は機械、故障は付き物!

いくらキーを回しても、車は沈黙! シカト! 完全無視!

このままでは中小企業との商談時刻に間に合わぬ確率、実に120%!

どうする、サラリーマン!?



男「私が……車を持ち上げて運びますッ!」

係長「よくいった」ニコッ

係長「もし電車で行きましょう、タクシーで行きましょう、などといいだしたら」

係長「ぼくは君を軽蔑し、社内に置いていくところだった」

重さ1.5トンの営業車を担ぎ、中小企業への道を急ぐ二人の漢!

二人の足の速さ、およそ時速400km! 東京大阪間を一時間で駆け抜ける速度!



係長「たまには車に乗るのではなく、車を乗せるってのもいいもんだろう?」

男「はい」

係長「おっと、そこの十字路を右だ」

男「はい」

男(係長……温和ではあるが、同僚や課長にも劣らぬ、真のサムライッ!)

係長「照れるじゃないか、サムライだなんて」

男「心を読まないで下さい」

係長「ごめん」



サラリーマンの中には、ごくまれに心を読める人間がいるという!

係長もその一人!

一説によると、本の読みすぎで心を読めるようになったとか……。

< 中小企業 >

ズシンッ……!

駐車場に車を置き、いざ出陣!



男「この会社……こんなところに池なんてありましたっけ?」

係長「いや……ぼくの記憶ではなかったはずだけど」

中小社長「それは私の涙ですよ」

男「なんですってッ!?」



すかさず男が池の水を舐める! まさしく涙の味!

男の敏感な舌は、さっぱりした塩味に隠れた、ある感情を見逃さなかった!



男「この涙は……感動の味がいたします」

係長「さすが、体液ソムリエの資格を持っているだけのことはあるね」

中小社長「感動したのは……あなたたちに対してです」

男「我々に!?」

中小社長「私はプライベートではドライブが趣味でして、車の声を聞く能力があります」

中小社長「あなたたちの営業車はこういっています」

中小社長「故障して走れないボクを、見捨てず運んでくれてありがとう、と」

男「ああっ……!」グスッ

係長「ううっ……!」グスッ

中小社長「例の件ですが、あなたたちのおっしゃる条件で契約しましょう!」

男「ありがとうございますッ!」



    契    約    完    了    !    !    !

ブロロロロ……!

係長「契約できたし、車も治してもらったし、よかったよかった」

男「ええ」

係長「しかし……次の『一流企業』はこううまくはいかないだろう」

係長「ちゃんと遺書は書いてきたかい?」

男「不要」

男「むろん死する覚悟はありますが、むざむざ死ぬつもりはありませんから」

係長「いい答えだ」ニコッ



二人は知っている!

『一流企業』の恐ろしさを!

中途半端なサラリーマンではたとえ命を百個持ち込もうとも、

受付嬢に会うだけで全てを使いきってしまうと……。

ブロロロロ…… キキィッ!

男「なんですか、あの真っ黒なビルは?」



男の瞳に映り込んできたのは、信じがたき光景!

漆黒に塗り潰されたビルの中で、幽鬼のように痩せ衰えた社員たちが

まるで生気の感じられない目で労働、労働、また労働! 労働地獄絵図!




係長「ああ、あのビルは……『ブラック企業』だ」

係長「彼らは社畜といって、365日24時間休みなく働かせ続けられるのさ」

係長「むろん、給料なしでね」

男「……そんなことが許されるんですか!?」

係長「許せはしないが……こうして堂々と経営しているのが許されてる証拠だ」

係長「政府や警察に多額の賄賂を贈っているんだろう」

男「ゆ、許せない……! 私は許すことができませんッ!」

寄り道とは、闘い也!

男は激怒した!

同情心からではない!

彼にとってサラリーマンとは誇り高きもの! 人生そのもの! 歩むべき道である!

そのサラリーマンに家畜未満の待遇を与え侮辱するブラック企業の行いが、

男には我慢ならなかったのだ!

堪忍袋の緒、完全切断!

プッチーン!



男「係長、私は行きます! 行かせて下さい!」

係長「やれやれ寄り道してる時間などないというのに──」

係長「いいだろう、行ってきなさい!」

男「感謝ッ!」

< ブラック企業 >

社畜A「メェ~……メェ~……」テキパキ

社畜B「モォ~……モォ~……」テキパキ

社畜C「ブゥ~……ブゥ~……」テキパキ



社畜に言葉は無い!

言語を失念するほどの無心でただただ働き続ける、ロボット以上のロボットなのだ!



男(なんとむごい! ……むごすぎる!)

男(これは……社長のブラック魔術にて自我を奪われているッ!)

男(社長を倒せば、彼らも元に戻るはず!)

男(待っていろ! この私が必ずや邪知暴虐社長の悪行を滅するッ!)

< 黒社長室 >

黒社長「フォフォフォ……今日も社畜を酷使したおかげで人件費ゼロだわい」

男「貴様ッ!」シュザッ

黒社長「何奴!」

男「私は貴様の行いを許せぬサラリーマン!」

男「ブラック企業の長たる貴様を……労働基準法に代わって成敗にしに来たッ!」

黒社長「フォフォフォ……愚かなことよ」

黒社長「おぬしも我がブラック魔術で、社畜に生まれ変わらせてやろう」

黒社長「サビ斬ッ!」シュッ

ザンッ!

男「ぬっ!」

男(斬られた箇所から……体が錆びていく!?)



ブラック魔術──サビ斬!

この手刀で肉を斬られれば、たちまちのうちに全身が錆びついてしまう!

男(体が……うまく動かん……)ギシギシ…

黒社長「フォフォフォ、あっけないのう。もうまともに動くことすらできまい」

黒社長「そして、思い知るがいい」

黒社長「使うことすら許されず、溜まりに溜まった形ばかりの有休の怨念をッ!」



使用されずに消え去った有給休暇は怨念と化す!

凝縮された怨念は健康な肉体にまとわりつき、社畜へと転生させてしまう!

ウオォォォン……!



黒社長「フォフォフォ、これを浴びて社畜にならなかった社員は皆無!」

男「ぐああああ……っ!」ミシミシミシ…

黒社長「企業とは悪! 労働とは絶望! 闇こそがサラリーマンの本質よ!」

男「ちっ、違う!」ミシミシ…

男「断じて否ッ!」ミシミシ…

男「企業は希望! 労働は誇り!」グググ…

黒社長(バカな!? 錆びついた体であの怨念を受けて、動けるのか!?)

男「サラリーマンとはッ!」

男「いかなる闇にも屈さぬ、閃光ッ!!!」カッ



 社 員 閃 光 ( シ ャ イ ン シ ャ イ ン ) ! ! !



黒社長「ぐおおおおっ!?」

黒社長「なんだこの凄まじい光はッ!?」

黒社長「我が闇が……呑ま……れ、る──……」ボシュッ…



男が放った闇を圧する閃光は、ブラック企業をビルもろとも粉砕!

これぞまさしく──

    物    理    的    倒    産    !    !    !

白社長「フォフォフォ……君の光で目が覚めた。素晴らしい気分だわい」

白社長「社畜──いや社員たちにはこれまで払っていなかった給料をまとめて払い」

白社長「今後は最上級の福利厚生を約束しよう!」

男「うむ」

男(操られていた社畜たちも、どうやら自我を取り戻したようだ)



かくして『ブラック企業』は『ホワイト企業』に生まれ変わった!

後に「世界一給料が高く、世界一労働時間が短い企業」としてギネスに乗るのだが、

それはまた別の話。



係長「みごとだ。みごとな社員閃光(シャインシャイン)だったよ」

男「恐れ入ります」

係長「さて、いい準備運動になったろうし、『一流企業』へと向かおう」

男「はいッ!」

< 一流企業 >

受付とは、闘い也!

己の名と用件を伝え、案内を待つわけだが──

大企業であればあるほどプライドの高きことエベレストの如し!

弱者を応接する気、さらさら無し!

資格無き者は、門前払いどころか門前撃滅!



受付嬢「……なるほど、本日は商談で参られたのですね?」

係長「はい」

受付嬢「では──我が社に足を踏み入れる『資格』を示してみよッ!」ゴゴゴ…

係長「分かりました」

男「係長、私が──」スッ

係長「いや、君がブラック企業で受けた傷は軽くないはず」

係長「ここは上司であるぼくを、頼ってくれ」ザンッ

受付嬢、歓迎100%の受付スマイルから、殺戮100%の般若スマイルに変貌!



受付嬢「キエエエェェェッ!」バオッ

ズドォッ!

係長「ぐおぉっ!」ドザァッ



受付嬢は美しい! 心も肉体も美しい!

なにより打撃が美しい!

完璧フォームから放たれるビューティフルキックは、敵を醜く破壊する!



係長「どうやらアレを……使わざるをえない相手のようだ」ヨロッ…

係長「来い!」ピピッ

男(早くもアレを!? あの受付嬢、やはり超一流の実力者ッ!)

係長はホワイトボートの達人!

係長の議事録の完成度に皆が魅せられ、会議が中断するのは日常茶飯事!

しかし、ホワイトボードは戦車として使われて初めて真価を発揮する!

タイヤ付きホワイトボートを、サーフィンのように乗りこなす係長!

その全開タックルは、最高速ダンプカーを真正面から粉末と化す性能!



係長「ホワイトボード……アタックッ!」ガラガラガラ…

ズドォォォンッ!

ふっ飛んだ受付嬢、受け身も取れず壁にダイレクト衝突!



受付嬢「『資格アリ』です」ニコッ

受付嬢「案内の者が参りますので、あちらの席におかけになって、お待ち下さい」

受付嬢「ごふぅぅぅぅぅっ!」ブバァァァッ



きちんと受付嬢の業務を果たしてから、吐血! これぞ受付嬢の矜持!

一流社員「お待たせしました。応接室までご案内します」スッ…

係長「これはどうも」

男(この社員……かなりの実力者ッ!)ゾクッ

男(今日の我々の相手は、この社員なのか!?)

係長「ちがうよ」

係長「今日の相手はここの部長さんだ。彼よりもずっと強い」

男「!」



案内役の平社員ですら、男を焦燥させるほどの闘気を放つ!

これが一流企業のレベルなのだ!

もう一度言おう!

これが一流企業のレヴェルなのだ!

< 応接室 >

商談とは、闘い也!

社の看板を背負いし企業戦士が、鍛えた心と技で覇を競い合う晴れ舞台!



係長(バ、バカな……! 何故この人が……!?)

係長(一流企業からすれば、さほど大きな商談でもないのに、何故!?)

係長「今日私どもがアポイントを取っていたのは、部長殿だったはずですが……?」

女社長「あら……」

女社長「女性が商談相手では不満かしら?」クスクス…



今日の商談相手──まさかの展開!

一流企業の首領(ドン)、女社長!

男尊女卑大いに結構! そのぐらいのハンデがなくば男は女(わたし)に勝てぬ!

と豪語する女傑である!

係長(マズイ……マズイぞ!)

係長(部長ならばぼくでも僅かに勝ち目はあった! しかし、彼女が相手となると──)

男「女社長殿」ズイッ

男「今日の我々の相手は、あなたですか?」

女社長「いいえ……だけどとびっきりの相手を用意してあるわ」

女社長「まだ若手だけど、アタシのお気に入りのオ、ト、コ」

女社長「入ってきて~!」パチンッ

ガチャッ……

エリート「どうも、失礼します」ペコッ

男「!?」



ビビビッ!

まさかの再会!

朝の電車で味わった完全敗北、あの尻と心の痛みが数千倍になってカムバック!

エリート「おや? アナタは今朝電車で会った──まだお尻は痛いですか?」ニコッ

男「貴様……ッ!」ギリッ…

係長「彼が我々の相手をするのですか? 温和そうな若者ですが──」

女社長「そうよ~」

女社長「ちなみにね彼、あなたたちが会う予定だった部長、一撃で倒してるから」クスッ

係長(なんだと!? こんな大人しそうな若者が、あの部長殿を!?)

男「係長ッ!」

男「私にッ! 私にやらせて下さいッ!」

係長「ダメだ。ぼくがやる」

男「係長ッ!」

係長「上司命令だ」



上司命令! サラリーマンにとって絶対厳守の四字熟語!

命じられた男の全身、カチンコチンに硬直す!

係長(おそらくぼくではまず勝てまい……だが君なら勝機はある)

係長(だから、あのエリート社員に少しでもダメージを与えて──君に託すッ!)



係長の悲壮なる決意!

男を信じていないわけではない。

信じているからこそ、男の勝率をコンマ1でも増やすべく先に出陣!

この心意気、心読めぬ男にも光ファイバー以上の正確さで伝わった!



係長「まずはぼくからだ」

エリート「おや? ボクは二人同時でもかまいませんよ」

係長「結構、ぼく一人で十分だ」



愛ホワイトボートに乗る係長!

いざ、ホワイトボートアタック!

ガラガラガラガラガラ……!

エリート「へぇ~ホワイトボード使いとは珍しい」

エリート「たしかに素晴らしいスピードだ。まともにぶつかればタダじゃすまない」

エリート「だけど──」スッ



エリートは爆走するホワイトボードの側面に回り込んだ!

ホワイトボードの側面、すなわち白板にパンチング!



エリート「ホワイトボード最大の弱点……薄いから横からの攻撃ですぐに横転する!」

係長「しまっ──」グラッ…



ドッシャァンッ!

係長onホワイトボート、堕つ!

係長の血がべっとりとついたホワイトボード、まるで日本国旗のようだ!

男「係長ッ!」ガシッ

係長「す、すまない……役に立てなくて……」

係長「だが……君なら……勝て、る……頼んだ……よ……」ガクッ

男「係長ォォォォォォォォォォッ!!!」



しかし、今は商談中! いつまでも係長にすがってはいられない!

エリートに向き直った男の眼光は、数秒前までとは次元が違った!

三次元から四次元へ!

四次元アイズ!



エリート「強い……。朝、電車で会った時の甘さが、まるでなくなっている」

女社長「あら、勝つ自信ない?」

エリート「いいえ、常勝こそがエリートの条件ですから」

エリート「今のボクの心境は、いい声で吠える猫を見かけた虎、といったところです」

男「勝負ッ!」ダダダッ



ドゴォッ!

助走をつけ、全体重を乗せた右ストレート!

防御に使ったエリートの腕をきしませる!

だが、エリートに浮かぶは余裕かもし出す笑み!



エリート「いいパンチだ……猫からイリオモテヤマネコに昇格しよう」ビリビリ…

エリート「だが、しょせんはイリオモテヤマネコ!」

エリート「虎には勝てないッ!」

エリート「会釈ッ!」ブンッ

ガッ!

エリート「敬礼ッ!」ブオンッ

ガツンッ!

エリート「最敬礼ッ!」ブワオンッ

ドゴォンッ!



15度、30度、45度!

お辞儀と同時に頭突きを放つ三段攻撃! 礼儀と暴力の一体技!

礼を尽くした頭突きを喰らわば、喰らった相手は霊となる!



エリート「社長、終わりました。もう永遠に立てないでしょう」

女社長「いいわぁ~、あとで特別ボーナスあげるわね」

男(なんという強烈な頭突き……私は死ぬ、のか……)

キュゥ~~~ッ!



エリート「!?」

女社長「きゃっ!」

男「!」ガバッ



突如発生した謎の怪音!

意識のない係長が、マーカーをホワイトボードにこすりつけたのである!

この音が気付けとなり、男は三途の川ツアーをかろうじて免れた!



男(係長……無意識にもかかわらず、私のことを助けてくれたのですね……)

男(ありがとうございますッ!)

エリート「せっかく拾った命、無駄にしない方がいい。今度は本当に死んでしまう」

男「死ぬ死なないを問うなら、情けをかけられた時点で私はもう死んでいるッ!」

男「もはや私は死人ッ!」

男「しかし、クビが飛ぶまでは私はサラリーマンだッ!」

男「サラリーマンである以上、私は戦うッ!」

エリート「!」ゾクッ

女社長(さっきの係長といい、彼といい、小さいながらなかなかの会社じゃない……)

エリート「なるほど……これまで本気を出していなかった非礼を詫びさせてもらう」

エリート「アナタはボクの武器で、全力を以って倒すッ!」スッ…



エリートが懐から取り出したるは、名刺入れ!

そう、エリートの本領は徒手空拳に非ず!

エリートは、名刺使いだったのだ!



エリート「名刺とは命刺(めいし)ッ! 命を刺し殺す殺人兵器ッ!」

名刺交換とは、闘い也!

サラリーマンは先方の名刺を、絶対に避けてはならない! 受け止めるべし!



エリート「七枚投げェッ!」

シュバババババババッ!

男「頂戴いたしますッ!」



右手でキャッチ! 左手でキャッチ! 右足でキャッチ! 左足でキャッチ!

右まぶたでキャッチ! 左まぶたでキャッチ!

しかし、残る一枚──



ザクゥッ……!

男「が、はっ……!」

頸動脈、直撃す!

男「まだだッ! 首は斬れても、首は落ちていないッ! クビではないッ!」



ブシュウゥゥゥ……!

エリート「!?」

頸動脈から噴き出る血を、目潰しに使用!

さしものエリートにも、コンマ数秒のスキが爆誕!



男「うおおおおおおおおおッ!!!」

ドゴンッ! ドンッ! ズドンッ! ボゴンッ! ズガンッ!

ボガンッ! ズギャンッ! ドカンッ! ズドッ! グシャンッ!



一撃必殺の拳が、十撃入った!

エリートの皮膚、筋肉、血管、骨、内臓、プライドが、砕かれる!



エリート「が、がふっ……ごふっ……!」ガクガク…

エリート「……素晴らしい」ゴフッ

エリート「アナタならば──」

エリート「受け取れるかもしれない」

エリート「このボクの、真の名刺をッ!」

男(真の名刺!?)

女社長「ちょ、ちょっと! やめなさい! あの名刺は使うなといったはずよ!?」

エリート「すみません、社長」

エリート「ですが、この人ならボクの全力を受け切れるかもしれない!」

エリート「ならボクは全力を出したい……たとえ街を滅ぼすことになろうとも!」

女社長「……バカ」



ゴゴゴゴゴ……

『一流企業』ビルの真上に、巨大な直方体が降りてきた!

これぞ、禁断の名刺といわれた──

    メ   テ   オ   名   刺   !   !   !

< 一流企業屋上 >

衛星軌道より飛来した巨大名刺、メテオ名刺!

エリートは空中へ飛び上がり、降りてきたメテオ名刺の上に乗る!



ゴゴゴゴゴ……

エリート「さあ、受け取ってもらおうかッ!」

エリート「この質量100万トンを誇る──ボクの名刺をッ!」

男「無論ッ!」

男「名刺を差し出されれば、必ず受け取るのがサラリーマンッ!」

男「頂戴いたしますッ!」



ズドォォォォォンッ!!!

降りてきた名刺を、両手で必死に支える男!

支えきれなくば、100万トンの名刺が街を木端微塵に消滅させる!

今や男が命綱、大黒柱!

男「うおおおおっ!!!」グググ…

エリート「さぁ、受け取れるかい!」

エリート「ボクの会社と所属と名前が書かれた、ボクの名刺(プライド)を!」

ズゥゥゥゥン……!

男(なんという巨大質量!)ガクンッ



男の全身がきしみ、歪み、ねじ曲がり、穴という穴から血が噴き出す!

肘は折れ、膝は曲がり、大黒柱だった男は偽装建築柱にランクダウン!



男(ダ、ダメだ……)ググッ…

男(お、押し潰される……)グググ…

男(もう……体が……)ググッ…

女社長(やはり無理ね……残念だけど、この街は消滅するわ)

女社長(アタシたちのビルもろともね)

しかし!

この時、男の目にホワイトボードの赤い文字が見えた!

係長の血で書かれた『まけるな』という激励(メッセージ)!



男(係長……!)ググッ…

女社長(ほんの1ナノメートルだけど、わずかにまた持ち上がった!)

エリート「だが、所詮は一時しのぎ!」

エリート「やはり無理なのかッ! ボクの名刺を受け取ってはくれないのかッ!」



エリートの苦悩……。

生まれつき容姿端麗、才色兼備、文武両道、完全無欠……。

LV99、所持金マックス、最強装備でゲームスタート……。

ゆえにエリートの全力を受け止められる漢はいなかった!

強敵に出会うたびコイツならばと胸をときめかし、数十秒後には失望! この繰り返し!

今回もそうなってしまうのか!?

すると──



課長「さっきの企画書は社長まで通った! こんな“通過点”で負けてくれるな!」

同僚「お前がいなくなったら、俺が楽勝で若手ナンバーワンになっちまうじゃねえか!」

OL「お願い……勝って! また一緒に仕事しようよ!」

コピー機『我を目覚めさせた者が、これしきの試練でくたばるはずがない!』



『一流企業』に出向いた二人を案じ、駆けつけてきた同胞たち!

彼らの声援が、男の五臓六腑に新たな力を生む!



男(課長……! 同僚……! OLさん……! コピー機まで……!)ミシミシ…

男「ぐっ……ぐおお……っ!」グググッ…

エリート(また少し持ち直した!)

エリート「だが、一時的に期待させてくれる敵ならこれまでいくらでもいた!」

エリート「ぬか喜びは結構! どうせ失望させるなら、早いところ沈んでしまえッ!」

男「が……ぐ……っ!」ミシミシ…

男「ぐおぁぁっ……!」ギシギシ…

『あなた……』

男「!?」

『あなた、愛していますわ』

男「!」

男(これは我が妻の声ではないか……!)

男(なにゆえ、家にいるはずの妻の声が……!?)



幻聴か!? 妄想か!? 奇跡か!?

突如男の脳に響く、妻の声!

いったいどういうことなんだ、教えてくれ!

< 自宅 >

妻「あなた……」ムニャ…

妻「あなた、愛していますわ」ゴロン…



なんと妻は昼寝中!

怠惰ゆえではない!

年収百億円の価値があるといわれる、超高速精密家事を駆使した妻!

夜中に帰宅する夫を万全の態勢で出迎えるべく、絶賛回復中!

いわばこれ、超積極的昼寝!

死の淵に立つ夫と、夢の奥に眠る妻! ゆえに二人は繋がった!

幻聴でも、妄想でも、ましてや奇跡でもなんでもない!

愛ゆえの直結! 愛ゆえの直通! 愛ゆえのラブ・ホットライン!

< 一流企業 >

男(妻よ、私は必ず帰る!)

男(仲間よ、私は必ず勝つ!)

男(エリートよ、私は必ず受け止める!)

男「があああああああああっ!!!」グンッ

エリート「なにいいいっ!?」



メテオ名刺、静止。

100万トンを誇る超巨大質量は地上に到達することなく、

一人のサラリーマンの手によってみごと受け止められた。



エリート「う、受け止める……とは……」

男「いい……名刺、ですね……」ニコッ

ズオォォォ……!

宇宙(そら)に還ってゆくエリートのメテオ名刺!

これすなわち、メテオ名刺が男を新たな持ち主と認めた何よりの証拠!



エリート「ハハ、ハハハ……!」

エリート「み、みごと……! みごとだ!」

エリート「これはもう、完全にボクの負け──」

男「ま、まだ……」ヨロッ…

エリート「え?」

男「まだ……名刺交換は……終わって……な、い……」

男「わ、私の名刺を──」スッ…

エリート「ちょ、頂戴いたします……!」スッ



家に戻るまでが遠足であるように!

名刺交換は、互いの名刺が互いの手に行き渡るまでが名刺交換である!

今たしかに、互いの名刺は互いの手に渡った!

名刺交換、終了!



男「今後とも、よろ、し……く……」ヨロ…

エリート「よ、よろしくお願いします!」

女社長「…………」

女社長「エリート君、アナタの完敗ね」ポン…

エリート「はい……!」ボロボロ…

エリート「今朝はすまなかった……」

エリート「今後もアナタには、ボクのよき取引相手になって欲しい……!」

男「ああ……もち、ろん……」



商談終わればノーサイド!

男のサラリーマン人生に、また一人好敵手ができた!

人脈もまた、サラリーマンの武器である!



女社長「アナタが責任者?」

課長「ええ、二人の上司です」

女社長「アナタたちがウチの部長と進めていた件、おたくと契約させてもらうわ」

課長「……ありがとうございます! 部下も報われます」



    契    約    完    了    !    !    !

OL「やぁ~っと、あたしの出番ってワケね!」

OL「さあさ、あたしのお茶を飲んで!」



お茶汲みとは、闘い也!

OLはお茶使い!

嫌々お茶汲みをやっているうちに極めに極め、今や茶道百段! 日本で五指に入る格!

茶道百段ともなれば、重傷を癒やすお茶を入れることぐらいお茶の子さいさい!



男「…………」グビッ

係長「…………」グビッ

男「元気ハツラツ!」シャキーン

係長「ファイト一発!」シャキーン

< 居酒屋 >

飲み会とは、闘い也!

彼らの強靭な肝臓は、アルコールを勢い余って完全消滅させてしまう!

少しでも酔いたければ、飲むべし! 飲むべし!



課長「みんな、よくやってくれた! 今日は私のオゴリだ!」

男「じゃあ私は生ビールをプール一杯分」

係長「ぼくもそうしようかな」

同僚「俺も!」

OL「あたしはウォッカをダム一杯分、お願い!」

コピー機『我はロマネコンティ』

店員「はいよーっ!」

課長(やれやれ……また妻に小遣いせびらないとな)

< 自宅 >

飲み会終われば、あとは帰宅!

愛する妻待つ我が家へと!



男「ただいま」

妻「お帰りなさいませ」

妻「あなた、ごめんなさいね。今日のお弁当──」

男「いや、気にしないでいい。あれはあれで最高だったから……」

妻「?」

妻「じゃあ──」

妻「お風呂になさいます? それともお夜食? それとも私?」

男「君で」



即答であった!

< 寝室 >

布団に入る若夫婦!

しかし、今は男はサラリーマンではない!

もう闘わなくていいのだ!



男「……ちょっと愚痴ってもいいかな?」

妻「どうぞ」

男「ありがとう……情けない夫ですまん」

妻「いいえ」

男「……今日は朝から電車で、いきなり女の子に痴漢呼ばわりされて大変だったよ」

男「しかも、座席を取られて、取った人の膝に座ったら画鋲が仕掛けてあってさ……」

男「あと午後には、営業車が故障しててこれもどうしようかと思った」

男「最後に寄った会社じゃ、ものすごい名刺を受取るハメになって──……」

サラリーマンには不平不満が付き物!

無敵のサラリーマンである男だが、この時ばかりは甘えてしまう!

妻の大いなる慈愛により、男のストレスは吸収され、明日への活力となる!

妻もまた、男の愚痴を聞くことで、痛みを共有し待つ辛さに耐えられるのだ!

これでもう本日の闘いは終わり──いやまだあと一戦残っていた!



男「じゃあそろそろいいかな……?」モゾ…

妻「どうぞ」



夫婦生活とは、闘い也!



                                   < 完 >

ありがとうございましたッ!!!

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