澪「君がくれたゴールデンチョコパン」(56)

あのとき、私を慰めてくれたのがムギだった。





私はハズレくじをひきやすい……と感じることが多い。
それは、文化祭で転けてみんなにパンツを見られてしまったことであったり。
合宿でまず練習しようと言ったら、ムギに裏切られてしまったことであったり。

後から考えてみれば、それほど酷いハズレではない。
でも、その時々で自分の不幸を呪う。
良く言えば繊細。悪く言えば豆腐メンタル。
明るい律と一緒にいても変わらなかった私の性格……。

だから、今回みたいに、一人だけ別のクラスになったときも酷く落ち込んだ。
ほとんどのみんなが同じクラスなのに、私だけ他のクラスなんていくらなんでも酷いじゃないか。
和がいてくれたのが救いだけど、救いはそれくらいしかなかった。

クラスが決まった後、家に帰ってから私はベッドの上で一人泣いた。
みんなの前でも落ち込んでたけど、あれでも我慢してたんだ。

幼馴染の律もいない。

いつも私に優しくしてくれるムギもいない。

見てるだけで和ませてくれる唯だっていない。

見知ったクラスメイトだってほとんどいないし、さわちゃんもいない。

正直、楽しくなる見込みなんてなかった。
1年生の頃が楽しすぎたから……。



みんなと別のクラスになってから、お弁当の時間は和と一緒に食べる。
和が生徒会の都合でいなときは、一人で食べる。

みんなが机を固めて食べているなかで、一人で食べるのは居心地が悪い。
たぶん、クラスメイトに頼めば一緒に食べてくれるんだろうけど、私にはその勇気がなかった。
私はちょっとだけ、人見知りなんだ。

そんな日々に転機が訪れたのは、ある4時限目が終わった後のこと。
この日も和は生徒会の都合があった。
お手洗いの後、私はひとりでお弁当を食べる覚悟をして教室に戻ると、扉の前に神妙な面持ちをしたムギがいた。
ムギは黒くて長いものを2つ持っている。

澪「ムギ?」

紬「あっ、澪ちゃん!」

澪「どうしたんだ、こんなところで?」

紬「見て見て澪ちゃん。ゴールデンチョコパンよ~♪」

澪「ゴールデンチョコパンってあの伝説の?」

紬「うん。初めて買えたんだ。衝撃的だったから2本も買っちゃった」

澪「そうなのか」

紬「ねぇ、澪ちゃん。よかったら1本食べてくれない?」


私はひとり教室でゴールデンチョコパンを自分が頬張っているところを想像した。
いくらなんでも、それはない。
断ろうと思うと、ムギは続けた。


紬「今日はいい天気だし、中庭で一緒に食べない? ね!」

澪「そういうことなら」

紬「うふふ、いい天気ねー」

澪「あぁ」


突然で驚いたけど、教室で一人で食べずに済んで、私はほっとしていた。
でも、どういうつもりで誘ってくれたんだろう?
ムギは唯や律と同じクラスだ。
わざわざ私と一緒に食べる理由はない。


紬「ほら、食べましょう」

澪「でも私は自分の分のお弁当もあるんだ」

紬「そっかぁ」


あからさまに残念そうな顔をするムギ。


澪「だからさ。私のおべんとう半分食べてくれよ」

紬「いいの?」

紬「澪ちゃん、これはなあに?」

澪「これはキムチニダ!」

澪「あぁ、ムギだってゴールデンチョコパン一本じゃ足りないだろ?」

紬「えっと‥…うん。じゃあちょっともらうね」

澪「うん」


ゴールデンチョコパン。
すぐに売り切れる購買部の人気パン。

食べると納得。
ちょっとさくっとした感じの外皮に、ふんわりした内側。
そして美しいチョココーティング。
チョコは甘すぎない、ちょっとビターな大人の味。
でもそれが風味豊かなパンと調和していて……。


紬・澪「おいしいっ!」

紬「ね、ね、澪ちゃん」

澪「あぁ、こんなに美味しかったなんて」

私たちは夢中でゴールデンチョコパンを頬張った。
こんなに楽しい昼ごはんは久しぶりだったと思う。

楽しかったし、美味しかった。

ちなみに私のお弁当はほとんどムギが食べた。
私はゴールデンチョコパンだけでお腹いっぱいになってしまったんだ。


澪「ふぅ……お腹いっぱい」

紬「美味しかったね。でも澪ちゃんのお弁当ほとんどもらっちゃった」

澪「いいよいいよ。私だってゴールデンチョコパン奢ってもらったし」

紬「そう?」

澪「うん。……なぁ、ムギ?」

紬「うん?」

澪「いや……なんでもない」

ムギに聞いてみたかった。
私を気遣って誘ってくれたのかって。
でも、なんだかそれを聞くのは躊躇われた。

ノオ! と言われたら、私が自信過剰みたいだ。
逆に、イエス! と言われたら、私がかわいそうな人みたいだ。
いや、実際かわいそうなんだけど……。


紬「澪ちゃん?」

澪「な、なんだ?」

紬「えっとね……そうだ! これからもゴールデンチョコパン買えたら一緒に食べない?」

澪「う、うん」

紬「決まりね。じゃあ私、教室に戻るから」

澪「……ま、まって! ムギ!!」

私はムギを呼び止めた。
確かに聞いてしまうのはちょっと怖いけど、もやもやを抱えたままというのも嫌だったから。


澪「なぁ、ムギ、今日はなんで誘ってくれたんだ?」

紬「澪ちゃんとゴールデンチョコパンを食べたかったから……じゃ駄目かしら」

澪「本当にそれ以上の理由はない?」

紬「……」

澪「例えば、私がクラスで一人で食べてるのを気にした……とか」

紬「えっと……」

澪「当たってるんだな」

紬「押し付けがましいかとも、思ったんだけど……」

澪「やっぱり、そうなんだ?」

紬「うん……」

澪「なんで黙ってたんだ?」

紬「だって澪ちゃん言ったら気にするでしょ」

澪「そうかも」

澪「でも、どうして私が教室で一人ぼっちだってわかったの?」

紬「ほら、軽音部で随分楽しそうにしてたから」

澪「……どういうこと?」

紬「教室がつまらないから、軽音部がすごく楽しく感じちゃうんじゃないかなって」

澪「ムギってすごいな」

紬「私は人の心が読めるから」

澪「えっ……」

紬「嘘よ」

澪「ムギが言うと冗談に聞こえないよ」

紬「そうかな」

澪「うん」

紬「実はね、私も似たような経験があるの?」

澪「経験って……?」

紬「中学校に入ったばっかりの頃、私も友達を作るのが苦手だったから、一人でお弁当を食べてたの」

澪「ムギもなんだ?」

紬「ええ。しばらくしてからピアノ繋がりで友達が出来たけど、それまでは一人ぼっちだった」

紬「だからね、澪ちゃんの気持ちはよくわかるんだ」

紬「教室で一人でお弁当を食べるのって、居た堪れないよね」

澪「でも、ムギは中学生の頃の話だろ? 私は高校生だし」

澪「それに、勇気を出してクラスメイトに話しかけられないのは、私のせいだし……」

紬「うーん、それは気にしなくていいと思うな」

澪「どうして?」

紬「だってみんな一緒だもの」

澪「みんなって?」

紬「澪ちゃんと一緒に食べたいと思ってる子は多いけど、みんな勇気を出せなくは誘えないの」

澪「まさか、そんな子いないって」

紬「澪ちゃんは自分が思っているよりずっと人気があるんだから」

澪「いや、ないって」

紬「うふふ。じゃあそういうことにしてあげる」

紬「それにね、積極的に人と関わっていけるのも長所だけど……澪ちゃんみたいにちょっと人見知りなのも長所だと思うわ」

澪「えっ」

紬「だって、守ってあげたくなるもの」

澪「私って、守ってあげたい?」

紬「うん」

澪「ムギにそう思ってもらえるなら、そんなに悪くないのかも」

紬「きっと私以外のみんなも、澪ちゃんを守ってあげたいと思ってるわ」

澪「じゃあ誘ってくれればいいのに」

紬「そのうち誘ってくれると思うよ。みんな機会を伺ってるだけだから」

澪「そうだといいな」

ムギはそれから2日に1回ぐらいのペースでゴールデンチョコパンを買って教室に訪れた。

和がいるときは3人で、風子も入れて4人で食べることもあった。
一人あたりの取り分は減るけど、みんなで食べるゴールデンチョコパンは格別だった。
その後も和や風子の友達を中心に、何人かで食べることが多くなっていった。

人数が増えるにつれ、ムギがゴールデンチョコパンを買ってきてくれる頻度は少しずつ下がっていった。

1ヶ月もすると、すっかり状況は変わっていた。
和を仲介にしてクラスメイトの何人かと仲良くなったし、軽音部では私を慕ってくれる後輩と仲良くなった。

和自身とも親友と呼べるくらいまで仲良くなった。
部活で面白いことがあると、それを和に話たくて、学校に行くのが楽しみになっていた。
……たまに唯に先を越されることもあったけど。

ともかく、2年になったばかりの頃のように、寂しいと思うことはなくなっていた。

すると自然とムギは私をお弁当に誘わなくなった。
理由を聞いてみると、私が最近楽しそうにしてるから、誘う必要はないと思ったんだそうだ。
私が、たまには誘うように言うと、ムギは笑って「たまになら」と言った。

6月になると、ムギはもう私を誘わなくなった。
あるとき、お弁当の時間に唯たちの教室を除いてみると、ムギは唯や律と楽しそうにお弁当を食べていた。
ちょっとさみしかったけど、これでいいんだと思う。
どうせ3人には部活の時間に会える。
それなら、部活以外の時間は、クラスメイトとの関係を大切にするべきなんだ。

……そう頭ではわかっていたけど、教室に戻ってからお弁当を食べていると、やっぱり寂しかった。
そんな私の想いを和に見破られた。


和「澪? なんだか元気なさそうだけど、何かあった?」

澪「あ、うん……ちょっと」

和「あったんだ?」

澪「別に大したことじゃないんだけど」

和「良かったら聞かせてくれるかしら?」

澪「最近ムギがゴールデンチョコパンを持ってきてくれないなって」

和「あれ、美味しいものね」

澪「うん」

和「でも本当の理由は……そうね、澪はムギがいないから寂しがってるのかしら?」

澪「寂しがって……るのかな」

和「あら、当たっちゃった?」

澪「自分でもわからないんだ」

和「なら、澪のほうから誘ってみれば?」

澪「私から?」

和「ええ、ゴールデンチョコパンを買って」

澪「うん。名案だ。和、ありがとう」

そんなこんなで、私はゴールデンチョコパンを入手して、ムギを誘うことにした。
けど、私の考えは甘々だった。

ゴールデンチョコパン。
幻と呼ばれるそのパンの入手は生易しいものではなかった。

4限目が終わって駆け足で購買部に行くと、人、人。人。
そこには体力と図々しさが支配する世界が広がっていた。

私も必死に頑張ったけど、全然パンに近づけない。
それでも踏ん張って近づいたけど、既にゴールデンチョコパンは売り切れていた。

ムギは毎回こんな人混みを超えてゴールデンチョコパンを入手してくれたんだ。
そう思うと、心にジーンと温かいものが込みあげてきた。
ムギ……ありがとう。
そして、ごめん。
私にはゴールデンチョコパンの入手は難しいみたいだ……。

それからも1週間ほど購買に通い続けたけど、一度も入手できなかった。
その度、和達に笑われたけど、嫌な感じはしなかった。
むしろ、なんだか楽しかった。

そんなこんなで6月も終わりに近づいたある日、私はムギの誕生日がもうすぐなことに気づいた。

ムギの誕生日プレゼントを色々考えた。
アクセサリとか、ぬいぐるみとか。
ムギなら何をあげても喜んでくれそうだ。
ボードゲームとかもいいかもしれない。

でも、これといってピンとくるものがなかった。
しばらく考えていると、名案が浮かんだ。
私の頭の中で、誕生日プレゼントとゴールデンチョコレートパンが幸せな結婚をしたんだ。

そうだ!
ムギの誕生日に手作りゴールデンチョコパンを贈ろう。
そう決めた私は、菓子パンの作り方をママに聞いた。

ママもパンを焼くのには慣れてなかったみたいで、随分苦労した。
苦労に苦労を重ねて、試作第一号ができた。
食べてみると、あまり美味しくなかった。

それから私は一人で何度も何度もゴールデンチョコパンを作った。
けど、発酵が不十分だったり、チョコが美しくなかったり、焦げてしまったり。
とにかくパン作りは困難を極めた。

ムギの誕生日まで私は毎日パンを焼き続けた。
それでも、満足のいくものはひとつも作れなかった。

ムギの誕生日当日。
私たちは唯の家で誕生パーティーをやった。

律と憂ちゃんが作ったごちそうと、憂ちゃんお手製のケーキが並んだ、素敵な誕生パーティー。
ムギはおおはしゃぎで、みんなと楽しそうにおしゃべりしてた。
ろうそくを消すときのムギ、すごく楽しそうだったなぁ。

私のほうはというと、ゴールデンチョコパンを用意できなかったのがちょっと心残りだった。
そのかわりと言ってはなんだけど、豆柴のぬいぐるみを用意した。
なぜ豆柴かというと、ムギはなんだかちょっと豆柴っぽいと私が勝手に思っているからだ。

恙無く誕生パーティーは終わり、帰り道。
私が駅までムギを送っていくことになった。


紬「誕生パーティー楽しかったわ~」

澪「なら、よかったよ」

紬「みんなからのプレゼントもとっても嬉しかったし」

澪「私の豆柴、気に入ってくれた?」

紬「ええ、とってもかわいかったわ。今日は一緒に寝ようかしら」

澪「そんな……一緒に寝るだなんて」

紬「変ないみじゃないよ?」

澪「わ、わかってるって」

紬「でも、どうして豆柴なの?」

澪「えっと……それは……」

紬「もしかして、聞いちゃいけなかった?」

澪「え、あ、うんと……そうじゃないけど」

紬「怪しい……」

澪「いや、黒柴なのは、ムギが単純に豆柴っぽいと私が思ってるから」

紬「えっと……私って豆柴っぽい?」

澪「うん」

紬「そうかなぁ……」

澪「眉毛のあたりが」

紬「あ、そこかぁ……」

澪「うん」

紬「うふふ。なら、なおさら豆柴さんを大切にしなくちゃ」

澪「そうしてくれると嬉しいよ……なぁ、ムギ」

紬「なぁに、澪ちゃん?」

澪「本当はさ、ゴールデンチョコパンをプレゼントしようと思ってたんだ」

紬「え、ゴールデンチョコパンを?」

澪「うん」

紬「でも黒柴さんのぬいぐるみのほうが嬉しいかな。ゴールデンチョコパンなら購買でいつでも買えるし」

澪「あ……うん……」

紬「澪ちゃん?」

澪「実は……手作りしようとしてたんだ」

紬「手作り!?」

澪「うん。でもうまく作れなくてさ」

紬「そうなんだ。澪ちゃんの手作りゴールデンチョコパン食べたかったなぁ」

澪「そ、そうか?」

紬「うんっ!」

澪「じゃあ楽しみに待っててくれよ。できたらプレゼントするからさ」

紬「うん。待ってる! でも嬉しいわぁ」

澪「実は毎日作ってるんだけど、全然上手く作れなくてさ。家に何本も失敗作が」

紬「失敗作……!!」


失敗作と聞いて、ムギは目を輝かせた。
そのままムギは私の家についてきて、失敗作を頬張った。
あんまり美味しくないね、と云いながら、2本目に手を伸ばした。
あれだけのごちそうを食べたあとだというのに、すごい食欲だ。

それから私にありがとうと何度も言った。
あんまり美味しそうに食べてたから、釣られて私も食べ始めた。
2人で食べるゴールデンチョコパンは、あの時よりも、もっと美味しかった気がする。
私たちは夢中で失敗作を頬張り、合計5本も食べた。
最後のほうはもう自棄糞だった気がするけど、無性に楽しかった。

ちゃんとした完成作をムギに食べさせてあげられたのは半年後のことだ。
それまでの間、何度も失敗作を2人で食べた。
2人で作ったこともある。

ムギと2人の時間は私にとって少し特別だ。
律と一緒にいるときも特別だけど、ムギと一緒にいるときは、また違う感じがする。

なんだか優しい気持ちになれるし、ムギに優しくしてあげたいと思う。

たまにムギに膝枕をしてあげる。
ムギは安心しきって私に身を委ねる。
私に甘えてくれるムギが愛おしくて、私はムギのことを一層好きになる。

2年になってから色々変わっていった。
ファンクラブの存在が明るみになったり。
新しい友だちができたり。
かわいい後輩ができたり。

色々変わったけど、私はそれを楽しめてる。
「ぜんぶムギのおかげだよ」と言ったら、ムギは「私がいなくても時間が解決したわ」と言った。
確かにそうかもしれないとも思う。

でも、やっぱり、ムギに感謝せずにはいられないんだ。

その後はとくに問題もなく、2年が終わり、3年も終わり、私たちはN女子大に入学した。
時間が流れるのは速い、本当にそう思う。



今、私の隣にはムギがいる。
ふたりとも、あの頃とは随分変わってしまったけど。
それでも変わらないものもたくさんある。

今でも私はたまにムギのためにゴールデンチョコパンを作る。
私の料理の腕。それが変わったことの一つだ。
イーストの発酵だってバッチリだし、美味しいパンを焼けるようになった。
テンパリングだって完璧だ。


ゴールデンチョコパンを頬張って一言。

紬「おいしいっ!」

この笑顔が、変わらないものの一つ。

変わることも変わらないものもあるけれど、それでも私たちは歩いて行く。
なんて感傷的なことを頭の中で並べてもしょうがないので、私も一口かじってお約束、


おしまいっ!

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