白望「五人の距離の概算」 (278)


咲-Saki-宮守、氷菓クロス

だけど9割方宮守SS

設定改変多数

中でも目立つ改変で、宮守メンバーが一年生だったりします



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  伝統なき麻雀部の再生


   0

 やらなければいけないことなら手短に。
 やらなくてもいいことなら、やらない。
 
 それが私、小瀬川白望が密かに掲げる信条である。
 ……いや、モットーである。
 
 ……。

 ……どっちも同じ意味か。

 …………。

 まぁ、どちらにせよ……。
 
 信条、モットーという言葉は、私にはどうも強すぎる。

 信条、モットー……、あとは、座右の銘? 

 どれも私には似合わない。
 
 省エネ主義という言葉が浮かんだが、これもしっくりこない。

 私には、できるだけ体力を使わず、心静かに生きていきたいという願望が、ただ漠然とあるだけなのだ。

 これでは主義、信条というにはちと弱い。

 主義、信条には至らない、単なる生来の性向、そこから湧き立つ願望に過ぎない。

 自分を卑下するつもりはないが、私はただダルいだけの人間で、それ以上でも以下でもない。

 体力の浪費を抑え、心の平静を保ち、できれば何もしたくない。

 言葉の上では、この願望を信条と称しても間違いではないのだろうが、自分の中に確たるものを持つことには抵抗を覚える。
 
 ましてそれを標榜するなんて、なんだかダルい。



 自身の人となりを、端的に主義や信条として表現するのは、私には難しい。
 
 ただ私は、その誰にでもあるような小市民的願望を、実生活に反映させ過ぎてはいるらしい。
 
 朝起きて登校して、教室の自分の席に着けば、もう何もしたくない。
 
 そして実際に何もせず、立ち上がるのは移動教室とトイレだけ。
 
 ダルいとのたまえば、友人たちには呆れ混じりに笑われるが、それでも私が活動的になることはない。

 私は物理的にも精神的にも腰が重い。

 クラスでは置物のごとく扱われ、つかず離れず輪の外で、ダラリと椅子に背を預け、天井を見上げ一日を過ごす。
 
 あるいは、机に顔を伏せてまどろむ。

 構ってくれるクラスメイトもいるにはいるが、交友関係が広いとは決して言えない。
 
 クラス内での孤立こそ避けられてはいるが、浮いてしまっていると言っても過言ではない。
 
 私の普段の振舞いを省みれば、変わり者と思われても無理はない。
 
 仕方のないことだと思う。
 生来の性向は、そう簡単には曲げられない。

 だけど、そんな私でも、輪の外から眺めるクラスメイトの笑顔に、思うところがなくはない。
 

 
 私は省エネで過ごしたいという願望を持ってはいるが、特に孤独を好む訳ではない。
 
 怠けが過ぎて周囲に置いてけぼりをくらうのは御免こうむる。
 
 幸いなことに、私には自発的に足並みを揃えたいと思える友達がいて、おかげでぼっち生活、ドロップアウトコースとは無縁なままでいる。
 
 四人の友人。麻雀部の仲間たち。
 臼沢塞。
 鹿倉胡桃。
 エイスリン・ウィッシュアート。
 姉帯豊音。
 
 私よりも活発で、交友関係の広い彼女たちを通じて、私は私の知らない校内の活況を垣間見る。
 
 逆もまた然り。
 
 麻雀部のみんなを通じて、活況の中にいる見知らぬ他人もまた、私を見知る。
 
 結果、私は友達の友達として認識され、邪魔にならない置物、おとなしくていじり放題の老犬のように扱われるようになった。
 
 麻雀部の四人を窓口に私は、友達の友達は友達理論で孤独に陥らずに済んでいた。
 
 だから、というわけでもないのだが。
 
 四人のおかげで、寂しい想いをせずにすんでいるから、というわけでもないのだが。
 

 

 
 私は活発ゆえにトラブルを抱えやすい四人のために、なけなしの活力を捻り出し消費することがたまにある。
 
 四人を通じて見る賑やかな学校生活は、何も楽しいことばかりではない。
 
 自席に鎮座してダラけていれば避けられる面倒ごとに、普通の学校生活を送る四人は普通に巻き込まれ、たまに表情を曇らせる。
 
 そんなとき私は、割といつでも空いている手を彼女たちに差し伸べる。
 
 どんな風雪にも耐える強固な省エネ主義の看板を掲げ、面倒なことは徹底的にスルーで済ませたいのに、麻雀部のみんなといるとそれができない。
 
 四人に泣かれると弱い。
 だるい。
 つい、行動を起こしてしまう。
 
 だから私の省エネ主義は、固定された看板ではなく、せいぜい上げ下げの容易な暖簾のようなもの。
 
 やらなくてもいいこと、しかし、やらなければ四人が悲しむ。
 
 そんな状況に直面すれば割と簡単に取り下げられ、問題が解消すればまた上げる省エネ主義の暖簾。
 
 都合よく上げたり下げたりする信条など、それはもう信条とは呼べないだろう。
 
 よって私は残念ながら、厳密には省エネ主義者とはいえない。

 そうありたいとは願っているが、四人がいる限り私には難しい。
 
 私が四人と共にありたいと願う限り、私は省エネ主義者たり得ない。
 
 できれば何もしたくないという私の願望は、心底から沸き立つ本物の情動だとは思う。
 
 しかし授業を終えて部室に向かい、四人の顔を見て卓に着けば、生来の性向が、願望が、歪められ形を変えていくことに、心地よさを覚えもする。
 
 あの居心地のよさを守るためなら、少しくらいは……。
 
 みんなのために面倒ごとに身をやつすのも、そう悪い気はしない。
 
 そんな風に思うことも、なくはない。



 
    1

 
 私が宮守女子に麻雀部があると知ったのは、入学して間もない四月のある日、夕暮れの教室で友人の臼沢塞と話していたときだった。
 
 教室には私と塞の二人きり。
 下校時間はまだ先だが、入学してまだ日が浅いせいか気軽に教室に居残る生徒は少なく、一年生のフロアは静かだった。

 聞こえてくるのは運動部の掛け声と、吹奏楽部の楽器の音だけ。  

 廊下を行き交う同級生の姿も見えなくなった。
 
 日は傾き、明かりの消えた教室を赤く染め上げている。

 四月上旬の岩手はまだほとんど冬と言っていい寒さだが、雪の季節が終わった開放感はだるさを加速させる。
 
 放課後になっても日の当たる窓辺の席から動けずにいると、隣のクラスから一緒に帰ろうと塞がやって来た。
 
 帰り支度を済ませた塞の姿を見て、これから冷たい外気に身を晒し、帰宅しなければならない現実を思い出し、だるくなり……、私は自分の席に根を下ろした。

 塞は私を速やかに帰宅させよう、無理矢理にでも立たせようと奮闘していたが、やがて諦めた。
 
 私を椅子から引き剥がすことは諦めても、先に一人で帰ったりしないのが塞の良いところ。
 
 それから今の今まで、何をするでもなく雑談に興じていた。



塞「……」

シロ「……」

 不意に話題が途切れる。
 
 これまで会話を主導していたのは塞で、私はほとんど喋っていない。
 
 二人きりの教室に沈黙が降りる。
 
 だが、中学から数えて今年で四年目の付き合いになる塞とは、今さらこの程度の沈黙で気まずくなるような仲でもない。
 
 私は無理に話をつなごうとはせず、背もたれに体重を預けた。
 
 凝り固まった体をほぐすべく背中を仰け反らせる。
 
 すると塞が私の後ろに回りこみ、唐突に私の髪の毛に両手を突っ込んだ。

シロ「……?」

塞「ふふふ」

 突然の行動を訝しんでると、塞は楽しげに笑った。
 塞のしなやかな指先が頭皮に触れる。
 そのままぐにぐにと、私の頭皮をマッサージし始めた。

シロ「何するの……」

塞「んー、なんとなくー……」

 何を思ってのことかは知らないが、一心に私の頭皮を揉みほぐす塞。

塞「シロの頭って、こうしてるとなんかシャンプーしてるみたい」
 
 揉みほぐす強めの手つきと優しく撫でるような手つきを巧みに使いわけ、塞の頭皮マッサージは続く。
 
 思いのほか、気持ちが良い。
 腑抜けた声が漏れてしまう。

シロ「ふあ、あう……」

塞「ふふ、お痒いところはございませんかー?」



シロ「さ、塞、やめて……。これ気持ちよすぎる……。寝ちゃいそう……」

 塞の慈しむような手つきに頭がじわりと温かくなり、瞼が自分の意思とは無関係に落ちていく。
 
 だめ、これ、落ちちゃう……。

塞「寝ちゃえばー?」

シロ「ふあ……? ん……、じゃあ、私、寝たら起きられないと思うから……。そのときはよろしく……」

塞「よろしくって?」

シロ「おぶって家まで送ってくれると助かる……」 
 
塞「……やーめた」


シロ「あ……」

 介護を要求すると、塞は途端にマッサージをやめてしまった。
 
シロ「やめちゃうの……? 気持ちよかったのに……」

塞「おぶるとか、私の体力じゃ無理でしょ。シロのほうがおっきいんだから」

シロ「そう。残念……。またやってね……」

塞「気に入ったの? まぁ、シロの家でならいいけど」

シロ「じゃあ、夜寝る前に来てくれると助かる……」

塞「シロを寝かしつけるためだけに家に来いと……?」

シロ「だめ?」

塞「だめに決まってるでしょ、もう。友達をなんだと思ってるの……」

 塞はぷいっとそっぽを向いて、そのまま窓のほうに向き直った。
 


シロ「さ、塞、やめて……。これ気持ちよすぎる……。寝ちゃいそう……」

 塞の慈しむような手つきに頭がじわりと温かくなり、瞼が自分の意思とは無関係に落ちていく。
 
 だめ、これ、落ちちゃう……。

塞「寝ちゃえばー?」

シロ「ふあ……? ん……、じゃあ、私、寝たら起きられないと思うから……。そのときはよろしく……」

塞「よろしくって?」

シロ「おぶって家まで送ってくれると助かる……」 
 
塞「……やーめた」


シロ「あ……」

 介護を要求すると、塞は途端にマッサージをやめてしまった。
 
シロ「やめちゃうの……? 気持ちよかったのに……」

塞「おぶるとか、私の体力じゃ無理でしょ。シロのほうがおっきいんだから」

シロ「そう。残念……。またやってね……」

塞「気に入ったの? まぁ、シロの家でならいいけど」

シロ「じゃあ、夜寝る前に来てくれると助かる……」

塞「シロを寝かしつけるためだけに家に来いと……?」

シロ「だめ?」

塞「だめに決まってるでしょ、もう。友達をなんだと思ってるの……」

 塞はぷいっとそっぽを向いて、そのまま窓のほうに向き直った。
 

 
 私が塞の家に行ってやってもらうのはどうかと提案したかったのだが、どうやらスキンシップはもう終わりらしい。

 窓ガラスに手を添えた塞の視線は、眼下のグラウンドに注がれている。
 
 塞が何を見ているのかは、すぐにわかった。

 私の耳にも運動部の掛け声は届いていた。
 掛け声が、先ほどよりも近くに聞こえる。
 どうやら、ランニング中の運動部がこの教室の下あたりを通過したらしい。
 
塞「がんばるねー」

シロ「ほんとにね……」

 マッサージによって垂れかけたよだれを拭い、椅子に掛けなおし、私も塞に倣って運動部の練習を眺めた。
 
 ファイオーファイオーと列をなし、ぐるぐるとグラウンドのトラックを周回している。
 
 本当に、よくやる。ご苦労なことだ。
 しかし彼女たちの表情に運動の苦しみはあっても、体育の授業中のような強いられた悲壮感はない。
 
 それどころか、どこか充実した様子すら見て取れる。
 
 それもそのはず。宮守女子には大抵の高校がそうであるように、部活強制の校則はない。
 
 つまり彼女たちはみな、自ら望んであの苦行に取り組んでいることになる。
 

 
 入学して今日で一週間。既に帰宅部生活に馴染みきってしまった私には、彼女たち運動部の情熱は理解できない。
 
 いったい彼女たちはどのような動機で、どのような心境で、今あそこでああして汗をながしているのか。
 
 単純にその競技が好きだとか美容健康のためだとか、想像することくらいはできる。
 
 だが、強制されてもいないのに入部にまで至る気持ちや行動力は、完全に理解の外だ。
  
塞「あ、私のクラスの子だ」

シロ「え……? もう部活やってるの……?」

塞「うん。まだ仮入部の時期だけど」

シロ「うそでしょ……。まだ入学して一週間しかたってないのに……」

塞「みんながみんなシロみたくだらけてる訳じゃないの。……て、ことはあれ、陸上部だね」

シロ「陸上部……」

 陸上……。
 その言葉だけでもうダルい。
 
 一番嫌いな競技かもしれない。
 短距離に要求される瞬発力、長距離に要求される持久力と忍耐力、どちらも私にはない素養だし。
 
 何より、身ひとつで挑む個人競技というところが良くない。
 他人任せにできない、ごまかしが効かないところがほんと困る。



塞「中学からやってたんだって。うちの陸上部のコーチ、元は短距離の選手で、この辺じゃ有名な人だったらしいよ。その子も大学まで陸上続けたいんだってさ」

シロ「……もう大学のこと考えてるのか。すごいね……」

塞「ねー」

シロ「……」

 そうか、進路のために部活やってる人もいるのか……。
 
 コーチは有名な人だというし、もしかするとあの中には他にも、進路のことを考えて部に所属している生徒もいるのかもしれない。
 
 そう考えると、本当に頭が下がる。
 
 私が考える先のことなんて、せいぜい、三週間後から始まるゴールデンウィークのことくらいなもの。
 
 志の高い高一なんて少数派だとは思うが、この差はなんだろうか……。
 
 運動部員たちが、急に遠い存在に思えてくる。
 
 彼女たちに劣等感を抱く、とまではいかないが。
 畏敬の念を覚えはする。
 なので、つい。

塞「なんで敬礼……?」

シロ「いや、なんとなく……」

 エネルギー消費の大きい生き方に敬礼。

塞「変なの……」

シロ「うん……、まぁ……」

 まぁ、変だよね。
 

 
 陸上部のランニングが終わる。
 足を止め、笑顔で何事か言葉を交わしている。
 
 夕日が彼女たちの顔を赤く染めていた。
 
 心なしか、汗が煌いているような……。
  
 眩しい。眩しい青春の一幕。
 帰路に着くことすら厭い、だらだらと教室に居残っている私とは、やはり雲泥の差がある。

シロ「……? 塞?」

塞「んー……」

 てっきり陸上部の見学を話の種に会話が再開されるものと思っていたのだが、塞は何か考え事をしているのか、生返事。
 
 塞の様子がどこかおかしい。
 
 夕日を受けきらきらと輝く瞳。
 同じく夕日を受け、上気したように見える頬。
 
 そのせいだろうか。
 なんだか塞、うっとりしているような……。
 というより、うきうき、うずうずしているような。
 
 塞の瞳には陸上部員への憧憬が、羨望の色があるように見えた。
  
塞「いいよね、ああいうの……」

 塞がポツリと漏らす。

シロ「……」



 塞が陸上ないし他のスポーツに興味があるという話は、聞いたことがない。
 
 ということは、塞が羨んでいるのは運動部ではなく、部活動そのもの。
 
 共に部活動に勤しむ仲間、といったところか。

 
 きっと、塞も何か部活をやりたいのだろう。 
 
 そして何の部活をやりたいのかは、だいたい予想がつく。


塞「ねえ……」

 塞がようやくこちらを向く。
 
 意識がまだわずかに陸上部に向いているのが、なんとなく察せられる。
 
 話題を出さない私が言うのもなんだが、心ここにあらずといったその様子が少し面白くない。
 
 塞の今の表情は放課後の帰宅部員というより、グラウンドの陸上部のそれに近い。
 
 そこはかとなく活力が滲み出ている。
 一緒にだらけていたはずなのに、急にどうしたというのか。

シロ「なに……?」

塞「知ってる? 去年で廃部になった麻雀部、部員募集して活動再開めざしてるんだってさ」

 やはり、麻雀……。



シロ「ふぅん……」

塞「……気のない返事だね」

シロ「うん……まぁ……」

塞「ね、行ってみない? また一緒にさ……。あの頃みたいに」

シロ「ん……」

 私と塞は出身中学が同じで、二人とも麻雀部に所属していた。
 
 卒業してまだ一ヶ月だというのに、早くも懐かしい我らが母校。その弱小麻雀部。
 
 今でこそ悠々自適の帰宅部生活を送る私だが、当時はそうもいかなかった。
 大抵の高校に部活強制の校則はないが、大抵の公立中学にはある。
 
 そのせいで私も何らかの部活動に取り組む必要に迫られ、選んだのが麻雀部だった。
 
 麻雀部といえば、全国的には間違いなく花形に属する文化系部活動だが、私の出身中学ではそれほど人気がなかった。

 
 というか、大抵の文科部は運動部よりも人気がなかった。 

 冬季の練習場に苦慮する雪国特有の不利な事情を差し引いても、大半の生徒が運動部を選択していた。
 
 文科系の部活に所属することは、校内のヒエラルキーで低層に位置することを意味する。
 
 そんな如何にも中学生らしい悪しき風潮の蔓延が、麻雀部、ひいては文科部不人気の主な要因だったのだと思う。



 私はそんなことには構わず、というか当時は気づきもせず、自身の性向に相応しい部活はどこかと、そんなことばかり考えていた。

 体育会系の空気には馴染めそうになかったし、部員数が多くなればそれだけ人間関係もだるくなる。

 私は運動部に大挙する同級生の群れを離れ、一人麻雀部の門を叩いた。
 
 塞とはそこで出会った。
 部員が四人しかいない、弱小麻雀部。
 
 新入部員は私と塞の二人だけで、入部時にいた先輩部員は三年生が一人に、二年生が一人。
 合わせて四人。
 
 秋には三年の先輩が引退し、次の年に入ってきた一年生は一人だけ。
 私と塞の二年時もまた、部員数は四人だけ。
 
 先輩が引退し、塞が部長になり、次の年に入ってきた一年生もまた一人。
 三年時、最後の年も部員数は四人だった。
 
 結局、私たちは一度も団体戦を経験することなく、三年間の中学麻雀を終えてしまった。
 
 私はそれを特に惜しいとは思わなかった。
 
 むしろ岩手のような人口の少ない田舎の公立中学で、三年間部活で四人打ちができたのは幸運だったとさえ思っていた。
 
 麻雀を知らない名前だけの顧問に放任され、少人数でのゆるい部活を思うさま満喫した上で、私はあの麻雀部を引退し去ったのだった。



 塞とは引退したあと、どちらからともなく進学先を示し合わせ、今もこうして宮守女子で学び舎を共にしている。

 私にとって部活なんて、強制されなければやらないもの。
 
 その存在意義は、塞という友人との出会いの場だった、ということのみ。
 
 あの頃のようにまた、と塞は言う。
 しかし私は部活というものに、これ以上なにも望んではいなかった。
 
 今があればいい。
 こうして塞と二人、ダラダラと過ごす放課後があれば、それでいい。
 
 言ってみれば今この瞬間が……、塞が今もこうして私の隣にいることが、私がやりたくもない部活をやって得た唯一の成果なのだ。

 
 ……なんてことを思っているのだが、さすがに口に出すのは恥ずかしい。 

シロ「そりゃ、あの頃みたくやれるんなら、悪くないけどね……」

塞「! なら、今から部室行ってみない?」

シロ「いや……、私はいいや、パス」

塞「ええぇ……、なんでぇ?」

シロ「せっかく憧れの帰宅部になれたのに……。部活なんてだるい……」

塞「憧れの帰宅部って……。中学のときも言ってたけど本気だったんだ……」

シロ「そりゃあね。塞は入るの……?」

塞「うん……。シロ誘って行こうと思ってたんだけど……、だめ?」

 塞は両手の指先を胸の前で合わせ、私の顔色を窺う。
 
 なんか、思っていた展開と違う。
 
 私が入部しないのなら塞もしないと思っていたのだが、少し自惚れが過ぎたようだ。



シロ「……だいたい、部の再建を目指してるのって先輩でしょ? やだよ、そんな情熱持った上級生と一緒なんて……」

塞「ああ、それなら大丈夫。部員集めてるのって、一年生だから。また気楽にやれるって」

シロ「一年だけ……」

 それは尚更だるい。
 
 入学して間もないというのに、部の再建に乗り出すその行動力。
 
 ある意味、将来を見据えた陸上部員よりも恐ろしい。

 
 きっと、私とは対極の活力に満ち溢れた人物に違いない。 
 
 確実に反りが合わないだろう。


シロ「やっぱりパスで……。塞だけで行くといい」

 残念だが仕方がない。
 
 塞と過ごす放課後は惜しいが、やはり私は部活なんて柄じゃない。

塞「えー……。なんで? 楽しかったじゃん、麻雀部……」

シロ「……」

 背後から私の肩に腕を回し、しなだれかかってくる塞。
 
塞「またシロと一緒にやりたいのに……」

シロ「うん……」

 私はその態度を、少し妙に感じた。



 一緒に麻雀部に入りたいのはわかるが、この甘えて媚びるような態度は、なんだかいつもの塞らしくない。
 
 いつもの塞なら、多少強引にでも私を麻雀部に引っ張って行く、くらいのことはしそうなものだが……。
 
 ほんのわずかに、私の胸元で組まれた腕が緊張にこわばっているような気がした。
 
 塞が私にじゃれついてくるとき、普段ならこういったことはない。
 
 動かない私の髪をいじったり、お菓子を私の口元に持ってきて食べさせてみたり。

 先ほどの頭皮マッサージのように、普段の塞はもっと自然に私で遊ぶ。

シロ「えっと……」

塞「ん? やっぱ行く?」

シロ「いや、そうじゃなくて……。どうしてそんなに私と行くことに拘るの? 何かあるの……?」

 悩んだ挙句、私は直接訊いてみることにした。
 あれこれ考えるのはだるい。
 訊いたほうが早い。

塞「……わかっちゃう?」

シロ「わかっちゃう」

 塞はどこか安心したように微笑んだ。
 
塞「んーと、えっと……。実はね……」

シロ「うん」

 妙に言い淀む塞。

 何か言いにくい事情でもあるのだろうか。
 

 
塞「部の再建に乗り出してる一年生って、私のクラスメイトなの。それで、中学のとき麻雀部だったって話したら、誘われちゃって。断りきれなくてさ」

シロ「ん? あれ、塞はもう入部したの……?」

 てっきり、これから二人で行こうという話なのだと思ったのに。

塞「あー……」

シロ「?」

塞「えっと、まだ正式にはしてないけどね。ていうか、まだ部員集まってないから、部として認可されてないし」

シロ「ああ、そりゃそうか。……それで塞、私のことも話したの?」

 言葉を濁す塞の様子に、何か後ろめたいことでもあるのかと勘ぐって、そう訊いてみる。

塞「……うん、ごめん。シロが断るとは思わなくて……。強い子がいるって、話しちゃったの。クラスで部員集めの話するとき、なんかもうシロのことも頭数に入れちゃってる感じになってて……」

シロ「そう……」

 やはりそうか。

塞「ごめんね、勝手に」

シロ「いや、いいよ……」



 塞にだって、自分のクラスでの人付き合いというものがある。
 
 新しいクラスでよく知らないもの同士、麻雀という共通の話題で盛り上がり、勢い安請け合いをしてしまった、と。
 
 新しい友達との付き合いを円滑に。
 自分もまた部活で麻雀をやりたい。
 ついでに楽しかった中学時代を思い出し、塞は部の再建への協力と、私という部員候補の確保を請け負った。
 
 と、まぁ、大体そんな感じなんじゃないだろうか。
 
 それで合っているとは思う。
 だが、最後に一つだけ、直接訊いて確認を取る。

シロ「塞はさ……、どっちなの?」

塞「何が?」

シロ「誘われて仕方なく入るの? それとも入りたいから入るの?」

 塞の手を取りながら、訊いてみる。
 私の対応は、塞の返答次第ということになる。
 
 この可能性は低いとは思うが、塞がいやいや麻雀部に入るというのなら、一緒に謝って二人とも入部を辞退する。
 入りたいのなら、私だけ謝って辞退する。
 
 どちらもダルいけれど。
 もっとだるいのは、塞の第三の返答だ。

塞「……入りたくて入る。成り行きで入るって言っちゃたけど、また麻雀やりたいし。か、」

シロ「?」

塞「……胡桃も良い子だし」

シロ「胡桃っていうの? その子」

塞「うん……」

シロ「ふぅん……」

 もう名前呼びか。
 それはそれは……。



塞「それで、シロも一緒なら、もっと楽しいかなって……。だめかな?」

シロ「……」

 こう来るとは思っていた。
 第三の返答。
 入りたくて入る。
 それも、私と一緒に入部したい、という返答。
 
 いつもの強気の態度(やや空回り気味な)ではなく、どこか甘えるような態度なのは、了承を得る前に私を紹介してしまった負い目があるから、なのだと思っていた。
 
 しかし、どうやら少し違う。
 
 塞が新生麻雀部の話を私に振る上で、不自然な点が一つあった。
 
 それは、なぜ塞は私に、最初から麻雀部に入部したと明かさなかったのか、という点だ。
 
 可能性として考えられるのは、塞が麻雀部に入部したというのは、話の途中で思いついた嘘だから、ということ。

 話の最初からクラスメイトに誘われて麻雀部に入部することになったと話すほうが自然なのに、塞の口振りは『これから二人で入部しよう』といったものだった。
 
 私が塞の入部を、嘘だと断じる根拠はそれだけ。

 しかし嘘だと仮定して、ではなぜ塞はそんな嘘をついたのか。

 その理由を考えると、そんな薄弱な根拠でも私には十分に思えた。



 私と塞の関係に於いては、この嘘は塞が私を麻雀部に入部させる上で、有効な嘘だからだ。
 
 塞はこう考えていたのではないだろうか。

 『シロはただ誘っても来ないが、自分のためなら来てくれる』

 と。
 
『もう自分は入部してしまった。
 
 シロのことも有力な部員候補として紹介してしまった。
 
 向こうはシロのことをもう頭数に入れてしまっている』

 そんな嘘をつけば、私が塞の顔を立てるために、入部を決断すると踏んだのだろう。

 塞は私と同じように、自分が入部するなら私もすると考えていたのではないだろうか。

 しかし私は入部を渋って、当てが外れた。

 一緒に入部してくれると思っていたのにしてくれない。

 そんな事実を否定したい反発心で、私が麻雀部への入部を一考せざるを得なくなる嘘をついた。

 そんな感じなんじゃないだろうか。
 
 私と塞の仲なら、無理にでも胡桃さんの所まで引っ張って行って入部届にサインさせる、くらいの強引さは許される。

 しかし塞はそうしなかった。

 塞はあくまで、私から自発的な入部の意思を引き出したかった。

 あくまで私の口から、塞と一緒に麻雀部に入ると、そう言わせたかったのではないだろうか。

 塞の嘘はそのためのもの。

 塞が、自分のためならシロは動くと、期待を込めてついた嘘……。
 


 ……なんて。

 ……考え過ぎかな。
 穿ち過ぎかもしれない。
 
 しかし私は、こうして塞の頭の中を手前勝手に想像することに、ためらいがない。

 遠慮がない。

 塞の考えていることは手に取るようにわかる。
 塞も私の考えていることはわかってくれている。
 
 そんなふうに思いたくなるような、中学三年間の付き合いだった。

 もう私は塞の話に乗って、麻雀部に入部しようかと思い始めている。

 長い付き合いで、私が塞に向ける好意も、塞が私に向ける好意も、ごく当たり前のものになっていた。
 
 どちらかが一緒にいたいと言えば、多少気が乗らなくてもそれに応じるのが、もはや自然なことのように思える。
 
 入学当初、クラス編成の掲示を見て、別のクラスになったことを嘆いていた塞の表情を思い出す。
 
 笑ってはいたが、今にして思えばあの笑顔は、いつもの気丈に振舞った結果の笑顔だったのではないか。

 そんな想像をしてしまうと、もうだめだ。
 
 校内に塞と共有できる場を持つのは、私としても望むところだし……。

 もう、仕方がない。

 短い付き合いだったけど、さようなら、愛しの帰宅部生活。

シロ「わかったよ……」

塞「!」



シロ「とりあえず部室に顔出して、名前貸すだけなら……」

塞「い、いいの? だるくない?」

シロ「いや、いまさら胡桃さんに断りいれるほうがだるいし」

塞「そ、そっか……、そうだよね。えへへ……、やったぁ」

 いや、小声でやったって言っても塞、これだけ密着してたら声を抑える意味はないよ。
 
シロ「それで、いつ行く? 部室」

塞「え、ああ、明日? 明日の放課後にしよう。朝のうちにか、胡桃に話通しとくから」

シロ「そうだね、それがいい」

 これはもしかすると、私の想像は当たっているのかもしれない。

 なんだか塞、挙動不審な気もするし。

 今日のうちに胡桃さんのところに行ったら、塞の嘘が私に露見してしまう。

 塞は明日の放課後までに自分と私の入部の意志を伝え、今日私にした話との辻褄を合わせておかなければならない。

塞「よし!」

 塞は私から体を離し、満足そうに笑って腰に手を当てた。

 まだ一緒に部活をやるとまでは言っていないのだが、塞としてはここまで来ればもう一押しとでも考えているのだろう。

 私はまだ少し抵抗するつもりだが、どうせそのうち、塞の思い通りになっていくような気がする。

 今までにも似たようなことはあったが、いつもそうなってきた。

 今回も同じ。私は塞に手を引かれ、新しい世界に足を踏み入れることになるのだと思う。

塞「それじゃ明日! 放課後空けてといてね」

シロ「毎日空いてるよ」

 塞のためならね。



 
   2


 翌日の放課後、私は塞に手を引かれ廊下を歩いていた。
 
塞「ほら、ちゃきちゃき歩く!」

シロ「やっぱダルい……」

塞「もう、シロがぐずってるせいでこんなに遅くなちゃったじゃない」

シロ「だる……」

 昨日と同じく教室に塞が迎えに来たのだが、私のほうも昨日と同じく暖かい窓辺から動く気になれず、結局、麻雀部の部室に向かうのは下校時刻の目前になってしまった。
 
 胡桃さんともう一人の部員、姉帯さんという人は、部員募集と平行して既に活動を始めているらしい。
 
 今は二人寂しく卓で向かい合い、二人打ちをしてるそうだ。
 
 たまに校長が加わってサンマになるそうだが、校長相手では手応えがなく、二人は塞曰く、強者に飢えている、とかなんとか。
 
 それを聞いて、私の昨日の覚悟は雲散霧消した。
 
 私はこれから、塞肝いりの強者として麻雀部に連れて行かれる。

 胡桃さんも姉帯さんも、かなりの実力者だいう。

 私では二人の期待に添えないのではないだろうか。

 そんな不安が、私の足を重くしていた。



シロ「塞、やっぱり明日にしよう。もう遅いし……」

塞「だーめ、そんなこと言って、また延び延びになってくんだから」 

シロ「明日から……、明日からがんばるから……」

塞「それ、絶対がんばらないやつでしょ……。ほら、いくよ! 窓枠から手を離しなさい!」

シロ「ああ、塞、そんな無理矢理……」

塞「ほらもう! 二人とも待ってるから!」

 窓枠を掴んでの抵抗も虚しく、ずるずると廊下を引きずられ、部室に到着。

 
塞「ふぅ……」 
 
シロ「塞……?」


 塞は部室の扉に手をかけ、一息ついた。
 少し緊張しているように見えなくもない。

シロ「おつかれ……?」

塞「誰のせいだと思ってるの……。もう、手間ばっかりかけさせて……」

シロ「面目ない……」

塞「まぁ、いいけどね。そいじゃ行こうか」
 
 扉を開く。

塞「こんちわー」

シロ「こんにちわ……」

???「あー、お客さーん」



 中に入りまず目に入ったのは、とても大きな女性だった。

塞「でか……」

シロ「……」

 身長166センチの私よりも頭二つ分……、いや、三つ分は高い身長。
 
 背中まで伸びた黒髪に宮守女子のブレザー、ロングスカート、黒のタイツに黒のローファーと、全身黒ずくめ。
 
 ご丁寧に、手には鍔の広い黒の帽子まで持っている。
 
 彼女がこちを振り返った瞬間、体格の威容と前髪の間から覗く鋭い視線に、私は一瞬言葉を失い、塞は失礼な感慨を漏らした。
 
 しかしびびったのは、ほんの一瞬だった。
 
 体格と怜悧な眼光の視覚的な印象に気を取られはしたが、脳が遅れて、彼女が何やら可愛らしく間延びした調子で喋ったことを認識する。
 
 外見と話し方のギャップに頭がついていかなかった。

 見た目に反して愛嬌のある口調だ。

 視線も私たちの姿を認めた瞬間、眉尻を下げふにゃりと緩んだ。

 その瞳は好奇心に輝いている。
 
 外見から抱いた第一印象は数秒で霧散した。

 インパクトのある外見だが、怖い人ではなさそうだ。

 胡桃さんと面識のある塞も驚いているということは、この人は姉帯さんなのだろう。



塞「えっと、姉帯さんだよね?」

???「そうだよー。姉帯豊音です」

 ペコリと頭を下げる姉帯さん。こちらも軽く会釈を返す。

塞「私たち入部希望の者なんだけど、胡桃から聞いてない?」

豊音「聞いてるよー、臼沢さんと小瀬川さんだねー? て、いうか、胡桃ー」

シロ「?」

胡桃「いるんだけど……」

 姉帯さんの後ろから、今度は小さな女の子が現れた。

 この子が胡桃さん。

 姉帯さんとは対照的な小柄な体格で、こちらは私よりも頭三つ分は小さそうだ。

 どうやら小さすぎて、姉帯さんの体に隠れてしまっていたらしい。
 
塞「あ、く、胡桃、来たよ」

シロ「……」

 昨日から気になっていたのだが、なぜ塞は胡桃さんの名前を呼ぶとき少しどもるのか。
 

 
胡桃「その子が小瀬川さんだね。はじめまして、鹿倉胡桃です」

シロ「よろしく……、胡桃。こっちはシロでいい。みんなそう呼ぶから……」

胡桃「そう? じゃあ、シロで」

豊音「こせが……、シロって意外にフレンドリーだよー」

胡桃「臼沢さんもいつの間にか名前呼びだし、塞でいい?」

シロ「ん?」

 あれ、もう名前呼びなんじゃ……?
 私だけ苗字だと寂しいと思って先手を打ったんだけど。

塞「う、うん。それでいい……」

シロ「……」

 ちらりとこちらを見て、胡桃に答える塞。
 ほんのり赤面している。

胡桃「二人とも、入部ってことでいいんだよね?」

豊音「ねー?」

 自己紹介を済ませ、二人は目を輝かせた。

 無理もない。麻雀部で部員が四人揃うということは、面子が揃うということなのだから。

塞「ああ、私はもう決めてるんだけど、シロは――」

シロ「いや、塞。やっぱり名前だけじゃなくて、ちゃんと入部するよ」

塞「へ? いいの?」

シロ「うん。気が変わった……」



 今の今まで、私は名前だけの幽霊部員になるつもりでいたのだが、自己紹介のやり取りを見て考えを変えた。
 
 昨日、塞は胡桃を下の名前で呼んでいた。

 なのに胡桃は言った。『臼沢さんもいつの間にか名前呼びだし』、と。
 
 昨日の時点では、塞と胡桃は下の名前で呼び合う仲ではなかったらしい。

 なのになぜ、塞は昨日、胡桃を下の名前で呼んでいたのか。
 
 昨日塞が胡桃を下の名前で呼んだとき、私がどう感じたかを思い出せば、塞の意図を想像することは容易い。
 
 塞は、私の嫉妬を煽りたかったのだと思う。
 
 昔馴染みの私の他に、もう下の名前で呼び合う友人ができたと、私にアピールする狙いがあったのではないだろうか。

 仲のいい友達が、自分の知らないところで他の友達と仲良くするのは、面白くない。

 そんなありふれた心理をつき、私を麻雀部に誘導しようと考えた。
 

 
 塞は今日の朝から放課後までの間に、なんとか胡桃と名前で呼び合う関係になるべく努力したが、叶わなかった。

 そして私に嘘が露見する不安を抱えたまま部室まで来てしまった。

 もう勢いで誤魔化すしかないとでも考えていたのだろう。

 扉の前でのちょっとした間は、その緊張によるもの。
 
 だが、私が珍しく対人関係で積極性を発揮し胡桃を呼び捨てにし、互いを名前で呼び合う流れになってしまい、速攻で私に思惑が露呈してしまった、と。

胡桃「? よくわかんないけど、二人とも入ってくれるんだね?」

シロ「うん、よろしく……」

豊音「そそそそれじゃあ気が変わらないうちに! これー! 入部届けー!」

 豊音がテーブルの上に積んであった入部届けを拾い上げるも、慌てたせいで二枚だけでなく全部取ってしまい、ついでに足を滑らせ私と塞にぶちまけた。

塞「うわ、あはは……。紙吹雪みたい」

シロ「熱烈歓迎だね……」

 ていうか、入部届け用意しすぎだと思うんだけど……。

 その枚数の入部届けが全部役目を果たした場合、強豪校並の部員が集まっちゃうんだけど……。

 この二人、一体どれだけ大きな夢を見ているのだろうか。



胡桃「豊音、慌てない!」

豊音「ごめんよー」

 四人で床に散らばった入部届けを拾い集め、私と塞は一枚ずつ手に取った。

 部室の隅の応接セットに案内され、鞄からペンを取り出し、必要事項を記入する。
 
 その様子を、胡桃と豊音は一瞬も見逃さないとばかりに見つめていた。

 目の輝きが尋常ではない。

 二人の喜色にあふれた瞳を見て、入部は早まった決断だったと思わなくもない。

 しかし、こうも喜ばれては、今さら撤回もできない。
 
 それに……。

塞「な、なに?」

シロ「いや、何でも……」

 色々と小細工をして、私の気持ちを動かそうとした塞の意思も汲んであげたい。
 
 昨日からの私の想像が、すべて正鵠を射ているとは思わない。

 しかし、大きく外れてもいないだろう。
 
 気持ちに察しがついていながら何もしないなんて、それではあまりに友達甲斐がない。

 良い人そうな胡桃と豊音に、面子が揃わない不幸を味わわせるのも忍びない。
 
 私も麻雀は嫌いではないし、ここは親友と、新しい仲間のために一肌脱いで――

 脱いで――



シロ「――……だる」
 
 無理に気合を入れたせいか、急激に体から力が抜けていく。
 
 らしくないことは考えるものではない。

胡桃「なに? 体調悪い?」

豊音「大丈夫ー?」

塞「ああ……、シロはいつもこうだから、気にしないで」

シロ「これ、いいね……」

豊音「あははー、早速くつろいでるよー。ソファ占領だよー」

胡桃「横になっちゃった……。早速一局って思ってたんだけど……」

塞「シロがこうなると復活まで時間かかるから、それまでサンマでもしてよう」

胡桃「うーん……仕方ないね。それじゃ、そうしようか」
 
豊音「サンマでもうれしいよー」

塞「ふふ、お手柔らかにね」

 胡桃と豊音は少し離れた卓に移動。

 塞は、二人が私たちから離れるのを待つように見送り、私の耳元にしゃがみこんだ。
 

 
塞「シロ……」

シロ「なに……」

塞「ありがとね」

 互いの息遣いを感じられる距離で、塞は小さく呟いた。

 私は、

シロ「ん……」

 と、だけ答えた。
 
 入部したことに対する礼なのか、私の気遣いに対する礼なのか。

 どちらなのかはわからない。

 わざわざ訊いてみるのも無粋な気がするし、その必要も感じない。
 
 しかし私は、その礼を、私の想像が当たっている証明なのだと思うことにした。
 
 塞のことならなんでもわかる。
 
 いつも通り、そう思っておくことにした。
 
胡桃「塞ー」

豊音「早くやろう! できればシロも!」

塞「いま行くー。シロはどうする? 豊音はああ言ってるけど」

シロ「もうちょっと……」

塞「そ」

シロ「うん……」

 塞は私の髪を一撫ですると、二人の元へと向かった。
 

 
 私はソファに仰向けになったまま、天井を見上げた。
 
 きゃいきゃいと、おもに豊音の騒ぐ声が聞こえる。
 続いて、自動卓の稼動音。
 
 そして三人の話し声も小さくなり、やがて部室は対局の静寂に包まれた。

 もっとお喋りしながらの気軽なサンマだと思っていた私は、その静けさが意外で、顔を上げ三人の様子を窺った。
 
塞「……」

胡桃「……」

豊音「……」

シロ「……」

 打牌の音だけが部室に響く。

 三人の表情には、抑えきれない喜色が見て取れた。

 麻雀を打てるのが嬉しくて仕方がないという顔だ。
 
 出会ったばかりだというのに、ああも楽しそうにサンマに興じる三人を見て、私は昨日見た陸上部員たちの笑顔を思い出していた。

 強制されてもいないのに、なぜ彼女たちは――

 と、私は思った。

 しかし今なら、自分の意思で部活に取り組む人間の気持ちが、少しだけわかるような気がした。

 塞は昨日、あの頃のように、中学時代のようにまた、と言っていた。

 しかし――

シロ「これは……」

 もしかすると、あの頃よりも。

 楽しくなるかもね、塞。

             
             槓

今日は以上です

導入塞回終了
次からはエイスリン加入回

投下します
オリモブ出るんで、嫌いな方はスルー願います



 名誉なき麻雀部の活動

 
   0

 私の席は教室の端にある。
 
 ベストポジションから惜しくも外れた、窓際最後尾から一つ前の席。
 
 物理的にクラスの輪の外側に位置する窓際後方の席を、ベストと取るかワーストと取るかは人によって意見が分かれるとは思う。

 だが、大多数の人間がこの席に座れた場合、良い席を取れたと喜ぶのではないだろうか。

 教壇から離れた位置にいられる安心感、窓外の景色を眺めて得られる開放感は、学校生活においては何物にも変えがたい。
 
 特に入学直後という今の状況では、そんな精神の安定を歓迎する者が多いのではないだろうか。

 私も当然、窓際最後尾をベストポジションと考える一人だ。
 そして窓際最後尾の現在の主も、同じように思っているらしい。
 
 現在、うちのクラスの窓際最後尾には外国人の女の子が座っている。
 
 名前はエイスリン・ウィッシュアート。
 ニュージーランド出身。
 透き通るような金髪と紺碧の瞳が美しく、小柄な体躯が愛らしい人形のような女の子。
 

 
 両親の仕事の都合で来日したという彼女は、入学直後、まさかクラスに金髪碧眼の同級生がいるとは思っていなかった田舎女子高生の注目の的となった。
 
 学校が始まってから、すぐにエイスリンは人気者になった。

 外国人のクラスメイトといえば、言葉の不安から話しかけるのに躊躇しそうなものだが、私のクラスの連中にそういったことはなかった。

 仕事の関係で日本語が堪能だという両親の影響で、エイスリンは日本語が少し話せた。

 ヒアリングは来日時点でほぼ完璧。読み書きも問題なくこなせる状態だったらしい。

 喋るほうはまだ片言で、発音に戸惑い口ごもってしまうようだが、日常会話には不自由していないようだった。

 
 エイスリンは日本語でのコミュニケーションで至らない部分を、首から提げたホワイトボードで補っていた。 

 言葉が出てこなかった場合、それを絵に描いて周りに伝えるのだが、これがクラスのみんなによく受けた。 
 
 エイスリンの絵の腕前は流暢で、さらさらとペンを走らせては、自分の気持ちや言いたいことを周囲に伝えていた。


 その一風変わったコミュニケーションの手段が、みんなには面白かったらしい。

 エイスリン作の似顔絵を喜んだり、絵の意図がわかり辛かったときは、『解読班!』などと騒いでみたり。

 日本人同士での話の種にする意味合いもあってか、エイスリンにはみんなが積極的に声を掛けていた。
 
 彼女は概ね、上手くクラスに溶け込んでいた。
 

 
 そうして入学以来クラスの中心にいることの多かったエイスリンだが、席替えで窓際最後尾に座ったとき、ふと一
瞬、緩んだ表情を見せたことがあった。

 誰にも見られていないと油断したような、エイスリンの天真爛漫な印象とはかけ離れた、気の抜けた表情だった。
 
 来日直後、入学直後。精神的な疲労はあって当然である。

 授業が始まれば気を抜ける窓際最後尾に座れたことは、エイスリンにとっては僥倖だったのだろう。
 
 ベストポジションから外れたことを密かに悔しがっていた私は、エイスリンのその表情を見て、座るべき人間が最良の席に座れたのだと思い直した。
 
 これはエイスリンが無理なく日本での学校生活を送るための、天の采配なのだと、そう思って納得したのだった。
 
 エイスリン自身の人好きのする容姿と性格もあって、解読班こと私、小瀬川白望は、このまま彼女はクラスに馴染んでいくのだろうと、そう思っていた。
 
 しかし、そうはならなかった。
 
 雲行きがおかしくなったのは、入学から十日、私が麻雀部に入ってから三日が過ぎた頃だった。

 この頃から、クラスのみんなはあまりエイスリンに声を掛けなくなった。
 
 エイスリンに、クラス内で特定の友人ができたからだ。
 

 
 入学から十日が過ぎ、クラスでは校内での行動を共にするグループ分けが始まっていた。

 気の合う者同士、趣味の合う者同士、部活が同じ者同士、ある程度お互いのことをわかり始め、みんなそれぞれ、自然とクラス内で一緒に過ごす面子が固まり始めていた。
 
 そしてエイスリンにも無事に、そんな特定の仲の良い友人ができていた。

 残念ながらそれは、この時点では私ではなかった。
 
 自分がそうなれなかったことを少し寂しく思いながらも、エイスリンに仲の良い友人ができたことに他人事ながら安堵していたのだが……。
 
 エイスリンにできた友人は、どうやらあまり、良い友人ではないようだった。
 
 エイスリンが行動を共にするようになったクラスメイト。
 私とエイスリンと同じ、窓際の列の一番前に座る生徒。
 
 名前は知らない。
 憶えていない。
 一度聞いた気もするが、思い出す気も起きない。

 目鼻立ちは整っているが、綺麗な顔を台無しにしている目の下の隈と、頬に散ったそばかすが印象的な女の子。

 同い年にしては大人びているというか、くたびれた印象のある女の子だった。
 

 
 どうしても名前を思い出せないので、仮に彼女をそばかすさんと呼ぼう。
 
 そばかすさんのクラス内での評判は、決して良いものではなかった。

 素質はありながらも幸いそうはならなかった私と違い、そばかすさんははっきりとクラスで浮いた存在だった。
 
 悪い意味で大人びた顔をつんと引き結び、クラスの輪から外れ、自分の席で窓から外を眺めるのが彼女の常だった。

 そばかすさんにはクラスに親しい人間を作る意思がまるでないように見えた。

 友達を作るために何か行動を起こす素振りも見せず、エイスリンを中心とした半ばオリエンテーションじみた交流にも不参加で、いつも頬杖を突き自分の席でじっとしていた。

 無愛想で、クラスの連中には興味がないとばかりに、窓外に視線を逸らすそばかすさん。

 そんな彼女に、クラスのみんなも良い印象は抱かなかった。

 残念だが当然の結果。
 そばかすさんに同情しないでもなかったが、孤立は本人の責任、自業自得と言えた。
 
 その上、そばかすさんには悪い噂まで立っていた。

 彼女の孤立を決定的なものにしたのは、教室での態度よりもこちらのほうが大きな要因だった。



 中学が同じだったという黒髪さん(彼女はなぜか私を毎日お昼に誘ってくれる)によれば、そばかすさんは中学時代、所謂不良と呼ばれる人種だったのだそうだ。

 何かと悪評の絶えない生徒だったらしい。

 よく知りもしない他人の、悪い噂話を避けた黒髪さんの良識で、そばかすさんの詳細な悪評がクラスに伝播することはなかった。

 だが、漠然とした噂は却ってみんなの想像を煽り、そばかすさんの孤立を深めていた。

 そんなそばかすさんがエイスリンと仲良くなり始めたことは、クラスの誰にとっても意外だった。

 意外で、私にとっては、なんとなく不安を覚える組み合わせだった。

 
 こんな考え方は傲慢で、そばかすさんにも失礼だが、エイスリンはそばかすさんと一緒にいるべきではないと、そう思わずにいられなかった。 
 
 不良と噂されるそばかすさんと一緒にいることで、エイスリンもまた徐々にクラスの輪から外れていき、私の漠とした不安は徐々に確かなものになりつつあった。


 不釣合いな二人がクラス内で孤立していくことに妙な焦燥を覚えながらも、この時点では私は、まだ行動を起こさずにいた。
 
 この時点では、特に何があったわけでもない。

 実情はどうだか知らないが、エイスリンに友達ができた、という、ただそれだけのことだった。

 何もする必要がなかったし、二人の間に割って入る口実も作れない状況だった。

 しかし、そんな状況も長くは続かなかった。

 私がエイスリンのために動かざるを得なくなったのは、入学から二十日が過ぎた頃、麻雀部に入部して、そろそろ二週間になろうかとういう頃だった。





   1

 
   
 ゴールデンウィークを間近に控えた、四月下旬のある日の朝。


 私は学校に向かうべく、近所の農道を歩いていた。

 天気は快晴。空気は澄み渡り、眠気を誘う暖かさ。

 普段は塞と一緒に歩くこの道も、今日は私が寝坊したせいで一人だった。
 
 周囲には田畑が広がるばかりのこの道を通学路にしているのは、最寄のバス停への近道であることも理由の一つだったが、今日に限っては天気が良かったからだった。

 気持ちの良い陽気の中、気忙しい朝の喧騒を避けたい思いがあった。
 
 登校の憂鬱を、長閑なこの道をのんびり歩くことで、緩和しているのだ。

 朝の混み合う時間帯に、表通りを行くのはだるい。

「おーう。 おはよう、白望ちゃん」

シロ「おはよう……。じいちゃん」

 パパパと軽いエンジン音を響かせて、後方からスーパーカブに乗った近所のじいちゃんが私を追い越していく。

 向こうは私が小瀬川さんちの白望ちゃんであることを知っているようだが、私はあのじいちゃんがどこの誰なのか知らない。

 田舎ではよくあること。みんながみんなの爺ちゃん婆ちゃんで、みんながみんなの孫なのだ。

 なので、いちいち爺ちゃん婆ちゃんの名前を覚えたりはしない。

 田舎の相互監視社会の数少ない美点の一つ、というかなんというか、なんかそんな感じ。



 私と塞には馴染みのじいちゃんだった。

 冬場の雪の時期にはカブに乗れないので、私たちにとってあのパパパというエンジン音は、春の風物詩のようなものだった。 

 じいちゃんは私を追い越し、二十メートルほど先の畑の前で停車した。

 あそこがあのじいちゃんの家の畑なのだ。

シロ「ん……? じいちゃん、また落としてる」

 ふと目線を下げると、そこにはじいちゃん愛飲のタバコとライターが落ちていた。

 じいちゃんはカブに乗る際、タバコやライターをよく落とす。
 
 いつも爺ちゃんは、左手にハンドルごと握りこむように煙草を持って走っているのだが、私や塞を見つけるとそれに気を取られて落としてしまうらしい。

 なので、カブで先を行ったじいちゃんに落し物を届けるのはよくあることだった。 

 くしゃくしゃになったタバコの箱とライターを拾い上げ、じいちゃんに追いつき声を掛ける。

シロ「これ、また落としてたよ……」

「ん? おお、悪ぃ、すまねぇな」

シロ「もう胸ポケットにでも入れときなよ……」

「いやぁ、だめなんだわ。バイクに乗るときは手に持つのが習慣になってんだよ、もう。あったかくなるとさ、ふかしながらのんびり走るのが楽しみなんだわ」

 少々、いや、かなりマナーの悪い爺ちゃんだが、田舎の年寄りからこの手の楽しみを奪うのはご法度なので、黙っている。



シロ「そう……」

「歳くうとだめだわ、もう直らねぇんだな……こういうの」

シロ「そう……」

 落し物を届けて、じいちゃんのこの話を聞くまでがワンセット。

 歳だから身についた癖が直せない、という話を、じいちゃんは歳なので何度も繰り返す。

「今日は塞ちゃんどうした?」

シロ「寝坊したから、先に行ってもらった」

「ありゃ、そうかい。その割りにゆっくりだけどいいのかい?」

シロ「いいんだよ……。もうバス行っちゃったし。次のバスでもぎりぎり間に合うから」

「相変わらず、のんびりしてんなぁ」

 いつも使う一本前のバスだと早く学校に着きすぎてしまい、一本遅いとぎりぎりになってしまう。

 塞と登校する習慣がなければ、私は毎朝この時間まで家でだらだらしていたことだろう。

 次のバスが来るまで、あと十分といったところ。

 じいちゃんに別れを告げ、バス停に向かうことにする。

シロ「バス来るから、もう行くよ……」

「おう、いってらっしゃい」

シロ「行ってきます……」

 この歳になると近所のじいちゃん相手に『行ってきます』は、なんだか恥ずかしい。

 なんてことを思いつつバス停へ。


 バス停に到着すると、もうバスは来ており、乗客の列は動いていた。

 列にはお年寄りや年配の女性が多い。少し時間がずれるだけで、一本前のバスとは客層が違う。

 おそらくは病院にでも向かう爺ちゃん婆ちゃんと、自家用車を持たない、どこかでパート勤めをしているおばちゃんたち。

 同年代と思しき乗客は見当たらず、制服を着ているのは私一人だった。

 早く着き過ぎる一本前のバスで向かうか、ぎりぎりになるが間に合いはする一本遅いバスで向かうか。

 入学当初どちらのバスを通学に使うか塞と相談し、私は悩まず遅いほうを選び、塞は悩まず早いほうを選んだ。

 一人で登校するのは嫌だったので塞の決定に従ったのだが、私としてはやはり、こちらの時間帯のほうが性に合っている。

 高校生の多い時間帯と違い、今は静かだった。
 学校まで、そう時間はかからない。
 私は落ちかける瞼を、眠気を必死で抑えつつバスに揺られた。

 学校最寄のバス停に到着。
 下車して携帯で時刻を確認。
 この分なら、到着はホームルームの五分前といったところ。

 遅刻を心配した塞からメールが来ていたが、どうせこのあとすぐに会うので返信はしない。

 本当にぎりぎりになるが、急がなくても始業には間に合う。
 無駄に慌てて気忙しくなるのは嫌なので、ゆっくりと歩み出す。

 そうして少し歩いたところで、後方から声を掛けられた。


豊音「シロだー。おはよー」

胡桃「おはよ」

シロ「ん……、おはよう」

胡桃「珍しいね、朝会うのって」

シロ「だね……」

 我が麻雀部の凸凹コンビ。
 豊音と胡桃だった。

シロ「二人もゆっくりだね……」

胡桃「私たちは家近いからね。いつもこんなもんだよ」

豊音「校長の家近くて便利だよー」

シロ「そりゃ、うらやましい……」

 豊音は山奥の村から出てきて、学校近くの校長宅に下宿しているらしい。

 校長夫妻には、突然大きな(本当に大きな)孫ができたようだと喜ばれているのだとか。

 何でも豊音は、現在は福岡で実業団の監督をやっている熊倉さんという人の紹介で、宮守女子に入学したのだそうだ。
 
 熊倉さんが監督を務める実業団のチームが今年一杯で廃部になり、校長のツテで来年から宮守女子麻雀部のコーチに就任することになっていると、そう聞かされていた。



 麻雀部のない学校のコーチに就任するなんて奇特な人もいたものだが、その辺の問題は先に宮守女子に来ることになった豊音と、校長に一任されていたらしい。

 麻雀部の再建は熊倉さんからの指示で、豊音が始めたこと。

 再建の音頭を取っていたのは、意外にも胡桃ではなく、豊音だった。

 入学前に豊音が、熊倉さんから受け取ったという手紙を見せてもらったことがある。

 豊音が懐いている様子なので悪い人ではないのだろうが、その文面からは少々、だるそうな人となりが窺えた。

 以下、その手紙から一部抜粋。



  * * *


  福岡からの手紙

 
 私は今、福岡にいます。
 チームの遠征で来ている博多のホテルで、この手紙を書いています。

 豊音、ここはすごい街よ。なんといっても美食の街。博多ラーメンに明太子、ごまさばモツ鍋ひよこ饅頭。

 何ていうか、どれもエネルギッシュなのよね。 

 食べるだけで若返るような名物の数々は、遠征で疲れた
私の内臓を癒し、舌を満足させてくれるわ。

 食べれば食べるほど胃の腑から活力が沸きあがってくるみたいで、高まる闘志が抑えきれないの。

 もういい歳なのにねぇ、滾っちゃってしょうがないわ(笑)

 試合するのは私じゃないのにね(笑)

 ……。 

 ……まぁ、実際には老いた内臓に負担をかけているだけなのかもしれないけれど。

 それでも十年後、私は今日この日の暴飲暴食を惜しまない。
 
 それくらいこの街は素晴らしいところよ。

 豊音もいつか来れるといいね。

 (中略)

 宮守女子の入試、無事合格したと聞きました。
 とりあえず最初の関門は突破できたようでほっとしています。
 
 それでね、豊音。
 早速だけど、私から監督としての最初の指示を伝えます。

 麻雀部を再建しなさい。

 宮守で一緒に全国制覇を目指そうと言ったけど、どうやら宮守の麻雀部は今年で廃部になってしまったようなの。

 あんたも聞いているとは思うけど、私は今のチームの指揮があるから来年まで岩手には行けない。

 聞いた話だと、麻雀部は今年入部希望者がなければ、それ以降の部員募集も打ち切って完全になくなってしまうそうなの。

 あの阿呆校長の誘いでコーチ就任を決断して、あんたという有望選手を入学させちゃった手前、麻雀部消滅だけはなんとしても避けなきゃいけない。

 でも、いま私にできることは何もない。
 立場上、まだ宮守とは無関係な人間だしね。

 だからあんたが麻雀部を再建するの。

 四月に入部希望者が四人集まれば話は別だけどね。

 それでも積極的に勧誘して、できるだけ多くの部員を集めること。

 できれば競技麻雀の経験者がいいけど、贅沢は言わない、この際初心者でもいいわ。私が一から鍛えてあげる。

 なんだったら、豊音がビビビと来た子をその長い腕でかっ攫って、無理矢理入部させちゃってもいいから。

 部員が集まりさえすれば、きっと楽しい部活になるわ。

 なんといっても夏がいい。

 どうせ、もう入学も決まっちゃったんだし、頑張るんだよ。

 三月には一度そちらに行くから、着いたら電話するね。

                                       かしこ

                                       熊倉トシ


   * * *



 豊音の手前口には出さないようにしているが、私は気楽にやれると思っていた麻雀部が想像よりもガチな部活だったことに、密かにショックを受けていた。

 全国制覇。
 全国制覇である。
 全国出場ならまだわかる。
 しかし全国制覇なんて、そんな目標を臆面もなく掲げる人間と関わり合いになるのは初めてで、カルチャーギャップも甚だしい。

 さすが社会人の監督さん。言うことが違う。住む世界が違う。
 
 あなたは赤木キャプテンかと、そう思わずにはいられない。

 強要するなよ……全国制覇なんて。
 お前と麻雀やるの息苦しいよ、である。

 私は西川くんたちのように部活を辞めたりはしないけれど。

 あの名シーンを想起せざるをえない心境だった。

 冗談はさておき。

 私だったら宮守女子の入学を蹴り、高校浪人をしてでも逃げ出しそうな熊倉さんの指示に、豊音は喜んで従った。

 素直に麻雀部の再建に乗り出した。

 最初は校長の助言で部員募集のポスターを作り、大量の入部届けを用意し、ひとり部室で入部希望者を待っていたらしい。



 校長に貰ったお古のノートパソコンでネトマをやったり、プロの牌譜を並べて、すこやんごっこ、はやりんごっこに興じてみたり。

 そうやって一人遊びで暇を潰しつつ、豊音は入部希望者を待っていた。

 悲しいことに、一人遊びは得意だと胸を張っていた。

 しかし待てど暮らせど、希望者は現れない。

 待てど暮らせど、といっても、この時点ではまだ、募集開始から三日しか経っていなかったそうなのが。

 同年代の子供のいない山奥の村で育った豊音は、周りに大量の友達候補がいる環境に辛抱たまらなくなってしまったそうで、勧誘活動を能動的、積極的なものに切り替えた。

 能動的、積極的な勧誘。
 豊音は熊倉さんの手紙にあった指示を、忠実に実行に移した。

 具体的には、ビビビと来た子を、その長い腕でかっ攫ったのだそうだ。
 
 その最初の、最初で最後の被害者が胡桃だった。

胡桃「ほんと、あのときはびっくりしたよ。いきなりひょいって持ち上げられて、部室に連れて行かれて……」

豊音「えへへー」

シロ「……」

 人の良い胡桃はそのまま麻雀部に入部。
 豊音の不器用かつ強引な勧誘を咎め、まっとうな勧誘活動の舵取りを行って、現在に至るらしい。



胡桃「でも、なんで私が経験者だって知ってたの? 誰かに聞いてた?」

豊音「? 知らなかったけどー?」

胡桃「あれ? てっきり知ってたから攫ったのかと思ってた……」

豊音「いやー? ビビビと来たしー、小さくて攫いやすそうだったから攫ったよー」

シロ「ビビビって……」

胡桃「攫いやすい……、そんな理由で……」

豊音「シロと塞にも、こないだ部室で会う前から目ぇつけてたよー」

シロ「そうなの……? それも、経験者と知らずに?」

豊音「そうだよー。先に胡桃に注意されてなかったら攫ってたよー」

シロ「ビビビと来て?」

豊音「うん。麻雀強そうな人はなんとなくわかるよー」

シロ「そう……」

 どこまで信じていいものかはわからないが、 豊音の麻雀に関する勘のよさは本物だ。

 案外、熊倉さんのビビビと来た子をかっ攫えという指示は、冗談ではなく本気だったのかもしれない。

 言ってみれば私も、中学時代は塞に、最近では胡桃と豊音にビビビと来ている。
 

 
胡桃「ほんとかなー? 豊音、適当なこと言ってない?」

豊音「むー? ほんとだよー、嘘じゃないよー」

 純な豊音をからかうように、胡桃が意地の悪い笑みを浮かべる。
 
胡桃「それじゃ、いま周りにいる子の中から、麻雀の強そうな子当てて見せてよ。そしたらその子を私たちで勧誘してきてあげるから」

豊音「! ほんとー? 絶対だよー?」

シロ「私たちでって……。胡桃、私も行くの?」

胡桃「当たり前でしょ。シロだってもう部員なんだから」

シロ「だる……」
 
 胡桃って、釣った魚に餌はやらないタイプなのかな……。

豊音「よーし! それじゃ探すよー! 五人目の部員候補ー!」

 元から高い視点を背伸びでさらに高くして、周囲を見回す豊音。

 周りを歩く通行人や宮守女子の生徒から、無駄に注目を集めている。

 やがて、豊音の眼がカッと見開かれた。

豊音「あ!」

胡桃「いた?」

シロ「ビビビ?」

豊音「いたよー! ビビビときたよー!」

 興奮気味に声を上げる豊音。
 

 
シロ「どの子?」

豊音「あの子ー!」

 びしっと前方を指差す豊音。

 やや失礼な所作だが、幸い豊音が指差した生徒は十メートルほど前方にいて、豊音の指差しには気づいていなかった。

胡桃「指差さない!」

豊音「ごめんよー」

シロ「あれって……」

 私たちの前方にいる宮守女子の生徒は二人だけ。
 私の知っている二人だった。

胡桃「……どっちの子? 外人さんのほう? それとも横の人?」

豊音「外人さん! びんびん来るよー!」

胡桃「あの子、シロのクラスの子だよね?」

シロ「うん。エイスリンさんだね」

 豊音が指差したのは、エイスリンとそばかすさんだった。

 豊音のセンサーに反応したのはエイスリンだったらしい。

豊音「ちょーかわいいよー。本物の金髪初めて見たよー」

 豊音にとって染めてる金髪は偽物か……。

胡桃「豊音、ほんとに麻雀強い子探した? 外人さんとお友達になりたいだけじゃないの?」

豊音「う……、ち、違うよー。本当にビビビときたもん」

シロ「なりたいんだね……。友達に」

豊音「ビ、ビビビだよー……」

 わかりやすい子。

 しかし、豊音がエイスリンに目をつけるとはね。

 でも、今は……。



シロ「胡桃……。勧誘はあとにしよう」

豊音「えー、なんでー?」

胡桃「……横の人がいるから?」

シロ「……胡桃も知ってた?」

胡桃「うん。あんまり良い噂、聞かないよね」

 そばかすさんの悪評は他のクラスにまで浸透しているらしい。

 入学からまだ二週間しか経っていないのに、これはさすがに同情する。

胡桃「エイスリンさん、あの人と仲いいの?」

シロ「うん……」

 エイスリンは、『あの子』。
 そばかすさんは、『あの人』。

 胡桃の何気ない呼称の使い分けが、そばかすさんの校内での立場を如実に表している。

 私の知る限り苛めなどには発展していないが、そばかすさんと私たちの間には、やはり見えない壁がある。

 幸か不幸か不良と噂されていることが、そばかすさんを最悪の状況からは守っているようだった。

 腫れ物のように扱われ、人はまったく寄り付かないが。


シロ「最近、朝から放課後までずっとべったりなんだよね」

胡桃「ふうん……。怖い人だって聞いてたけど。案外そうでもないとか?」

シロ「それは、最初は私もそう思ったんだけどね……」

胡桃「でも、エイスリンさんとは仲良いいんでしょ?」

シロ「うん……。それはそうなんだけど……」

 エイスリンと友好関係を築けるということは、そばかすさんは噂されているような悪い人ではないのかもしれない。

 そう思ったことが私にもあった。
 
 いるだけで地味にストレスを感じるヤンキーぼっちが、エイスリンと接することで心を解きほぐしクラスに馴染んでいく。

 そんなお花畑な想像をしないでもなかった。

 しかし、やはりどうも様子がおかしい。
 
 エイスリンと仲良くなったことで、誰かと話すそばかすさんというものを初めて見たのだが、その態度は何の違和感もなく想像通りで、ただただ噂通りだった。
   
 そばかすさんは有体に言って、ガラが悪かった。

 そばかすさんはエイスリンを友達というより、舎弟のように扱っていた。



 使い走りにするといったことはなかったが、顎でしゃくって、エイスリンを常に自分の傍に付き従わせていた。
 
 そして、お昼や放課後になると二人でどこかにいなくなる。
 
 勇者黒髪さんが二人を昼食に誘ったこともあったが、これも不発に終わった。

 行くところがあるからとすげなく断られ、黒髪さんは涙目。

 その日だけは黒髪さんのお昼に、私と塞が付き合うことになった。

 今も、前方にいる二人は真っ直ぐ前を向いて歩いており、何か会話をしている様子はない。

 とても仲の良い友達同士の登校風景には見えなかった。

 あの二人を見ていると、やはり胸の辺りがもやもやする。
 
 そばかすさんのエイスリンに対する態度は冷淡なものだったし、エイスリンのほうもそばかすさんに怯えているというか、どこかおどおどしているように見える。
 
 エイスリンはそばかすさんと一緒にいることを嫌がっている。

 渋々、嫌々、仕方なく一緒にいる。
 そんな風に見えるのに、エイスリンはそばかすさんから離れようとしない。

 それが私やクラスメイトが、あの二人に感じるもやもやの原因。



 なぜ、特に仲がいい訳でもないのにあの二人はいつも一緒にいるのか。

 何か理由があるのだろうか。

 二人は昼休みや放課後、連れ立って一体どこで――

 何を――

豊音「よくわかんないけどー」

シロ「……?」

 豊音のほんわかした声で思考は中断。

 高いところから前方を見据えるその視線には悩みがなさそうで、明るい未来を夢想してわくわくしているのがありありと見て取れる。

豊音「みんなで麻雀やれば全部解決だよー。ぼっちじゃないよー」

胡桃「いや、そんな簡単にはいかないでしょ……」

シロ「うん……。そうだね」

 豊音は少し、麻雀を万能のコミュニケーションツールだと思い過ぎている。

 そばかすさんを麻雀部に誘って、仮に来てくれて卓を囲んだところで、何がどうなるものではないと私も思う。

 そばかすさんが誰かの助けを必要としているようには見えないし、彼女の校内での立場改善に貢献する義理もない。

 今のところはコーチもいない弱小部だからといって、損な役回りを引き受けることはない。


胡桃「とにかく、勧誘はまた今度。ね?」

豊音「うー……、わかったよー」

シロ「……」

 でも、エイスリンを麻雀部に誘うというのは妙案かもしれない。

 豊音もエイスリンのことが気になるようだし、部に初心者をひとり迎え入れるのは、私にとっては大きなメリットがある

 というのも、ここ最近、私は真面目に部活に取り組み、少し疲れていた。
 
 熊倉さんの存在、豊音の事情、全国制覇という目標を知らなかった私にとって、麻雀部の本格的な部活動は想定外なものだった。
 
 内心では話が違うと思いつつ、気持ちの整理がつかないまま、豊音にぐいぐい腕を引かれ、胡桃にぐいぐい背中を押され、限界を超えて彼女たちの相手をしていた。

 だるいとソファに座ろうとすれば即座に胡桃に注意され、私の体の背面がクッションに触れる前に豊音に捕まり、卓に連行される麻雀地獄。 

 二人のおかげで私の尻を叩く手間が省けた塞はご満悦。

 授業が終わると休憩らしい休憩も挟まず打ち始め、完全下校時刻まで自動卓はフル稼働。
 
 練習、練習、また練習。
 打って打ってまた打って、部室にはひたすら打牌の音が響く。



 豊音だけは部活というよりお遊戯のノリだが、それでもそれは手加減知らず、疲れ知らずな子供のノリ。

 三人の鼻息は荒く、私ひとりが置いてけぼりというか、どうにも温度差を感じずにはいられない状況だった。

 全国を目指す部活ともなれば当たり前の練習量。

 もしかすると、これでもまだ強豪校に比べれば楽な部類なのかもしれないが、ゆるゆるダルダルな部活動を想像していた私には、完全に想定外の練習量だった。

 加えて、練習以外の雑務の負担も大きい。

 豊音が熊倉さんから受けた指示で、私たちは牌譜を取ってメールで送り、未来のコーチから遠距離指導を受けていた。

 一半荘が終わるごとに胡桃と塞が交代で牌譜を取り、その牌譜をノートPCで整理、管理するのは私の役目だった。

 豊音がデジカメで撮った対局の映像とともに牌譜をメールで送り、熊倉さんから返信で助言を賜る。
 
 コーチ不在の弊害で、この面倒な通信教育の流れが宮守女子麻雀部の常態となっていた。

 練習の合間に休憩時間という名の牌譜整理タイムが設けられ、毎日の部活に実質休憩時間はない。

 豊音にせっつかれ胡桃に怒られ、塞に『今日も部活楽しみだね』と言外に圧力を掛けられサボることもできず、練習し練習以外の雑務に追われ、私は疲労困憊、満身創痍だった。



 部活初日、久しぶりに眠くなるまで麻雀を打って、たまにはこういうのもいいな、なんて思っていたら、それが入部以降毎日続いて今日に至る。

 今朝の寝坊も、もしかすると疲れが溜まっていたせいかもしれない。

 いや、もしかしなくても確実にそうだ。

 三人は授業に部活にと平気な顔で学校生活を送っているが、やはり私には無理がある。

 このままでは、私は確実に潰れてしまう。

 そこで私は考えた。
 
 この状況を改善するためにはどうすればいいか。

 究極の改善方法は麻雀部を辞めることだが、退部して三人との交友関係が途絶えるのは嫌なので、これは却下。
 
 では、麻雀部に残った上で状況を改善するにはどうすればいい。

 今現在、こうまで宮守女子麻雀部が過酷(そう思っているのは私だけらしいが)な原因はなんなのか。

 考えるまでもない。

 考えるまでもなく理由は一つだ。
 練習がしんどいのも雑用がだるいのも、どれもこれも全部、部員が四人しかいないせいだ。

 単純に、頭数が足りないせいだ。
 

 
 全員一年生で、雑用を頼める下級生やマネージャーがおらず、人数も四人きり。

 これでは個々人にかかる負担が大きくて当然である。

 状況改善のために必要なのは新入部員。

 そして私としては、できればその新入部員は初心者がいい。

 初心者がひとり入部すれば、部活は当面の間、楽になる。

 我が麻雀部には卓が一つしかなく、コーチも不在。

 となれば、初心者の指導には経験者の私たちが当たることになり、一つきりの卓は指導卓で埋まることになる。

 これでまず、練習の負担は激減するだろう。

 雑用も同様。部員が一人増えるだけで細々とした不便が解消され、作業の能率は上がり、私……、たちに蓄積されていく疲労は軽微なものになっていくはずだ。

 今の私に……、もとい、麻雀部に必要なのは初心者の新入部員。

 そして豊音はエイスリンを部員候補として見初め、そのエイスリンはまず間違いなく初心者で、何やら面倒くさいヤンキーぼっちに絡まれてしょんぼりしている。

 エイスリンをそばかすさんから引き離す意味でも、麻雀部に勧誘するのが最善であるように思える。
 
 豊音は外人さんとお友達になれるし、部にとっては念願の五人目、私は部活が楽になって、エイスリンはそばかすさんから離れられるとなれば、これはもうみんなが幸せ、聴牌即リーワーイワーイである。



 問題は、そばかすさんがそれを良しとするかどうか、ということ。

 そばかすさんが容認しようがしまいが、エイスリンを麻雀部に入部させることに本来何の影響もない。
 
 だが、私には、エイスリンがそばかすさんと一緒にいることを強要されているように見えて、それがどうにも気になる。
 
 エイスリンを麻雀部に勧誘すれば、不良と噂され、実際に不良然と振舞うそばかすさんの反発があるかもしれない。

 そしてその反発が、麻雀部の面子に波及しないとも限らない。 
 
 そんな不安が脳裏をよぎり、エイスリン勧誘に二の足を踏んでしまう。


 なぜあの二人は、ああもべったりといつも一緒にいるのか。

 考えてもわかることではない。

 なので、とりあえず、現状で不透明な部分を明らかにしておこうと思う。

豊音「そうだ、シロ。今日お昼一緒に食べようよー」

シロ「ん……」

胡桃「いいね、部室にする?」

シロ「あー……、ごめん、今日はやめとく。また今度にしよう」

豊音「えーえー、なんでー?」

胡桃「何か用事?」

シロ「うん……ちょっとね」



 エイスリンとそばかすさんに関する、現状不透明な部分。
 昼休みや放課後、二人はどこに消え、何をしているのか。
 
 おそらくそこに、二人の不可解な親交の真相がある。

 それを明らかにすれば、エイスリンを勧誘したときのそばかすさんの反応を予測できる。

 私たちの勧誘にそばかすさんの反発があるとしたら、それがどの程度のものになるかも推測できる。

 実際にエイスリン勧誘に乗り出すのはそのあとでいい。

 エイスリン勧誘の事前調査として、今日のお昼は二人を尾行してみようと思う。

 だから、ごめんね、豊音。
 お昼はまた今度。

シロ「行くところがあるから……」

豊音「わかったよー……」

シロ「うん……」

豊音「……」

シロ「……?」

胡桃「豊音?」

豊音「…………ぐすっ」

シロ「……!?」

 まさか、お昼を断ったくらいで……?

胡桃「もー、泣かないのー。お昼くらい、いつでも一緒にできるでしょ?」

豊音「うん……」

 背伸びをして、豊音の背中をぽんぽんと叩く胡桃。
 なんだか豊音をなだめることに慣れている様子だ。
 
シロ「あ、明日とか、どう……?」

豊音「明日ー? ……うん、わかったー……」

 わかったと言いながらも、今日がいい、夜明けが遅くてジレったいと言わんばかりの豊音だった。

 ……このあと、塞と黒髪さんの昼食の誘いも断ることになるのだが、まさかあの二人は泣いたりしないよね?

 胡桃の真似をして豊音の背中を叩きつつ、私は校門を潜った。





   2

 
 そして昼休み。
 
 塞と黒髪さんのお昼の誘いを振り切り、いつも通りどこかに消えた二人を追って、私は教室を出た。

 といっても、こっそり二人の後を尾けたりはしない。

 事前に、教室以外で昼食を摂ることが多いクラスメイトから情報を収集し、二人の行き先に大体の当たりをつけていた。

 あの二人はどうやら、昼休みはいつも特別棟にいるらしい。

 何人かのクラスメイトが、購買でパンを買って特別棟に向かう二人を見ていた。
 
 私も購買で昼食にパンを買い、のんびりと特別棟に向かった。

シロ「さて……」

 来たはいいものの、どこから探すべきか。
 
 昼休みに特別棟に来たのは初めてだが、思ったよりも閑散としている。

 基本的にみんな昼食は教室でとるだろうし、それ以外の人足は学食や中庭に集中するのだろう。

 とりあえず、一階から総当りで探すしかないと腹を決めて歩みだす。



 エイスリンの姿は見えないが、各特別教室にはちらほらと人がいる。
 
 各教室に、二人ずつ三人ずつと、少人数のグループが固まって昼食をとっていた。

 その身なりを見て、私は昼休みの特別棟に人が少ない理由を悟る。
 
 制服を着崩していたり、メイクや髪色も気持ち派手目な者が多い。

 みんなどことなく、ガラが悪い。

 人気のない昼休みの特別棟は、この手の生徒が集まりやすい場所なのだろう。

シロ「……」

 そばかすさんはともかく、エイスリンには場違いだ。

 なんとなく嫌な予感がして、私は足を速めた。

 特別棟一階の一番奥、角部屋の科学実験室の前を通りかかる。

 薄く開いた扉の隙間から、目当ての人物を見つけた。

シロ「……いた」

 エイスリン。

 一人だ。近くにそばかすさんの姿は見えない。

 実験用のテーブルに顔を伏せている。

 寝ているのだろうか。

 一歩、室内に踏み出す。

 室内は薄暗い。照明は点いておらず、光源は窓から差し込む日の光だけ。

 エイスリンは日向の席で顔を伏せ、動く素振りを見せない。



 彼女の頭の傍には未開封のパンと携帯電話が置かれていた。

 エイスリンの携帯、スマホの画面は、電話帳が開き放しになっている。

 お昼はまだなのか。

エイスリン「ン……」

シロ「あ」

 起こさないように気を使っていたのだが、私が近づくと、エイスリンは寝ぼけ眼で顔を上げた。

 やはり寝ていたようだ。

エイスリン「……シロ?」

シロ「ごめん、起こしちゃった?」

 エイスリンは未だ夢心地といった様子。

エイスリン「…………」

シロ「……」

 しばらくぼけっと私を見つめ、

エイスリン「ア――」

シロ「?」

 エイスリンは目を見開き、椅子を倒しながら勢いよく立ち上がった。

エイスリン「エット! シロ! アノ……!」

シロ「どうしたの?」

 何を慌てているのだろうか。

 怖い夢でも見てたのかな?


エイスリン「! エット――」

 スマホを手に取り、操作しかけるエイスリン。

 私の顔とスマホの画面を交互に見比べ、何かを逡巡している様子。

シロ「? よくわかんないけど……。とりあえず座ったら?」

エイスリン「ア……、ウン、ハイ」

 エイスリン着席。

 結局、スマホは再びテーブルに置かれた。

シロ「うんだけでいいよ」

 その隣に私も着席。

エイスリン「ウン……」

 そして早速、本題へ。

シロ「あの子は?」

エイスリン「?」

シロ「ほら、いつも一緒にいる子……」

 そばかすさんの名前、何ていうんだっけ……。
 
エイスリン「イ、イマ、イナイ……」

シロ「そう……」

 いないのならいい。

 とりあえずは、久しぶりにエイスリンとお昼だ。
 
 ランチと洒落込もう。



シロ「エイスリン、パンだけ? 飲み物は?」

エイスリン「ワスレタ……」

シロ「そう。じゃあ、私の半分わけてあげる」

 250が売り切れで、500の牛乳しか買えなかったのだが、丁度よかった。

エイスリン「エ? シロ……?」

シロ「食べないの?」

 パンの封を開け、一口かじる。

 エイスリンは座ったものの、どこか腰が落ち着かない。

 そしてそわそわ、ちらちらと、実験室の黒板とは反対側、教室の後方にある準備室の扉を見ている。

シロ「……」

 あそこにいるのか。

 思ったより近くにいるな、そばかすさん……。

 しかし、わざわざ特別棟まで一緒に来て、なぜエイスリンをここに残してあんなところに……?

エイスリン「……」

 エイスリンはパンに手をつけようとしない。

 仕方なく一人でパンを平らげ、牛乳を呷り、残りをエイスリンに差し出す。

シロ「残り、あげる」

エイスリン「ント……」

シロ「口つけたやつ、嫌……?」

 だとしたら少し傷つく。


エイスリン「チ、チガウ……。ウレシイ、アリガト」

シロ「そう」

 そこまで言われると照れるな。

エイスリン「シロ、アノネ……」

シロ「うん、何?」

エイスリン「エット……」

シロ「うん」

 言いよどむエイスリンの話の先を、ゆっくりと待つ。

 おそらく、エイスリンの話はそばかすさんに関する何か。

 言い淀むということは、話しづらい事情があるのだろう。

 口外することを躊躇うような事情があるのだ。

 私はそれを、エイスリンの口から聞きたい。

 明確なSOSでなくてもいい、事情を話し、こちらに何かきっかけをくれさえすれば、手を貸す口実などいくらでも作れる。

 何もないのならそれでよし、しかし、最近のエイスリンの様子は、何もないようには見えない。
 
 だが、見えないだけで、何かある確証もない。

 私が今やっていることは、単にエイスリンとそばかすさんの仲に水を差しているだけ、という可能性だって残されている。

 エイスリンから話を聞くことでその可能性を潰せるのなら、潰しておきたい。



 言いよどむ間にも、エイスリンの視線はちらちらと準備室の扉に注がれている。

 言ってごらん、今あそこで、そばかすさんは何をしているのか。
 
 エイスリンはなぜここにいるのか。

 エイスリンは――

エイスリン「……コノアト」

シロ「うん……」

エイスリン「ゴジカンメ……。ナンダッケ……」

シロ「……」

 話しては、くれなかった。

シロ「……体育だよ。早めに戻らないとね」

エイスリン「ウン……」

 しかし、これで諦めるつもりはない。

シロ「エイスリンはいつもお昼はここで食べてるの?」

エイスリン「エ? ウン……。サイショハ、ヒトリデキタ」

シロ「最初は?」

エイスリン「ウン、サイキンハ、イツモアノコトイッショ」

シロ「ふぅん……。それでそばか――あの子はどこで何してるの?」

エイスリン「ンー……」

 困ったように首を傾げ、口ごもるエイスリン。

 それも言えないのか。

 それなら――



シロ「言葉、出てこないなら……」

 エイスリンが首から提げたボードを指差す。

シロ「それに描いてみて」

エイスリン「エ……」

シロ「今、あの子が、どこで、何してるのか」

 言葉を切って、噛んで含めるように、こちらの意思が伝わるように、ゆっくりと言って聞かせる。

エイスリン「……」

シロ「わかりづらくてもいいから」

エイスリン「……」

 エイスリンはわずかな逡巡の後、耳に掛けたペンを取り、ボードに走らせた。

 まず描かれたのは、デフォルメされたそばかすさん。
 
 両頬に三つずつ点が描かれていたので、これはすぐにわかる。

 似顔絵で特徴を抑えるのは大事だもんね。

エイスリン「ンー……」

 エイスリンは次に、そばかすさんの横にテーブルを描いた。

 その上にフラスコなどの実験器具を描きかけて消し、次いでそばかすさんの目と口も消した。

 そしてそばかすさんの目を細めたような横線に、口を口笛でも吹くようなおちょぼ口に描き直した。



 エイスリンはそばかすさんの口元から上方に向かって波線を一本描き、その横にもう一本、波線を描いた。 

 この波線の間に音符でも書けば口笛を吹くそばかすさんの図、といった具合だが、それは違うだろう。

 そばかすさんが準備室で口笛を吹いているからといって、それをこうも深刻そうな様子で隠す意味がわからない。

 波線が、音符を書き入れるための吹き出しではないとしたら、何なのか。

 そばかすさんのデフォルメされた手は、口元に向けて曲がっている。

 これはもしかすると、波線は吹出しの類ではなく……。

エイスリン「シロ、アノネ……」

シロ「うん」

 手を止め、私の目を見据えるエイスリン。

エイスリン「コノコト、ダレニモ、ハナサナイデホシイ」

シロ「わかってるよ。大丈夫だから、続き描いて」

エイスリン「ウン……」

 エイスリンは再びペン先をボードに置いた。

 しかし、 

エイスリン「ア」

シロ「?」

そばかす「小瀬川さん……?」

 デフォルメそばかすさんの手元にエイスリンが何かを書きかけたところで、準備室の扉が開き、中から本物のそばかすさんが顔を覗かせた。



 そして、その後ろから、まだ誰か出てくる。

「なに? どした?」

「あれ、誰あいつ」

シロ「……」

 そばかすさんの後ろから、さらに二人。

 リボンの色から上級生と知れる。

 着崩した制服、派手な髪色とメイク。

 他の特別教室にいる生徒たちと雰囲気が似ている。

エイスリン「アノ……」

シロ「……」

 エイスリンはボードに描いた絵を消しながら、そばかすさんたち三人に向き直る。

 惜しいところで邪魔が入った。

 あと少しだったんだけどね。

 まぁ、もう何の絵を描いていたのかは大体わかったし、いいけど。

そばかす「どうしたの? 珍しいね、こんなところで」

 私たちに近づき、横目でエイスリンを睨むそばかすさん。

エイスリン「……」

シロ「ちょっとね。一人でのんびりお昼にしようと思って。そしたらエイスリンがいたから」

そばかす「そう」

シロ「うん……」

 そばかすさん、やっぱり目つきが悪い。

 睨まれているようにしか思えない。


「おい、もう行くぞ」

「気にし過ぎだって。へーきへーき」

 先輩たちも近づいてくる。

シロ「うぇ……」

 先輩たちは香水をつけているらしく、強い柑橘系の香りが鼻をつく。
 
 つけすぎなのか、食後に嗅ぐには少しきつい匂いだった。

「あ? なんだ? その態度」

 先輩のうちの一人が、軽くえづきかけた私を見咎めた。

シロ「……すみません、先輩。私、香水苦手なもんで」

「ちっ、ガキかよ」

シロ「ごめんなさい」

 香水の好き嫌い以前に、つけ過ぎなんだ。

 いくらあの臭いを誤魔化すためだからって……。

「もういいから、いくよ」

 もう一人の先輩がそばかすさんたちを促す。

そばかす「ほら、エイスリンも。行くよ」

エイスリン「ハイ……」

 エイスリンは渋々といった様子でそばかすさんに従い、立ち上がる。

エイスリン「……」

 名残惜しそうに、こちらを振り返る。



そばかす「エイスリン」

エイスリン「ハイ……」

 そばかすさんは苛立たしげにエイスリンを呼んだ。

 おとなしく従うエイスリン。

 その背中に、私は声を掛けた。

シロ「エイスリン」

エイスリン「ハイ?」

シロ「また一緒にお昼しようね」

エイスリン「! ウン」

そばかす「エイスリン、早くしな」

 エイスリンは最後にようやく笑顔を見せ、慌ててそばかすさんを追って実験室を後にした。

 実験室には私ひとりが取り残された。

シロ「……」

 私は立ち上がり、準備室の扉に手を掛けた。

 準備室に入ると、換気扇が点きぱなしになっていた。

 静まり返った室内に、ファンが回転する音だけが響き渡る。

 準備室の中には薬品の臭いに混じって、先輩たちの香水の臭いが充満している。

 そして、それらの強い臭気でも隠しきれない、例のあの臭いが鼻をつく。

 シロ「やぱっり……」

 先輩たちがここで、何をやっているのかはわかった。

 エイスリンがなぜ、そばかすさんに付き従うのかも見当がついた。

シロ「エイスリン……」

 思ったより、面倒くさいことになってるね……。

 どうしたもんかな、これは。




   3


 翌朝、私は昨日と同じ農道をひとりで歩いていた。

 少し考えごとをしたかったので、塞には今日も先に行って貰っている。

 考え事とは、当然エイスリンのことだ。

 エイスリンとそばかすさん、そして二人の先輩のことだった。

シロ「あー……」

 そばかすさんやあの先輩たちは、科学準備室で煙草を吸っている。

 準備室の薬品臭と香水の香りで誤魔化し、そして換気扇を回しても、ほのかに残るあの独特の悪臭。

 喫煙者はあの臭いに慣れているせいか、あれで誤魔化せているつもりのようだが、ちょっとやそっとで煙草の臭いは消えてはくれない。

 そばかすさんたちの喫煙は間違いのないことだと思う。

 エイスリンが描こうとしていたのは一服しているそばかすさんの図。

 そばかすさんの口元から出ていた波線は、煙草の煙。

 エイスリンに実験室で見張りをやらせ、その間、そばかすさんたちは準備室で喫煙。

 科学実験室は特別棟の一階角部屋にあり、準備室には廊下側に扉がない。

 準備室へのアクセスは、一度実験室に入り、そこから実験室後方のドアを通るしか道はない。

 エイスリンは実験室前方の扉を少し開けて見張りをしていたが、あそこさえマークしていれば実験室への人の出入りはほぼ監視しきれる。

 すぐ傍にある非常扉からの人の出入りはほとんどなく、もしあったとしても、アルミ製の非常扉の開閉音は、静かな昼休みの特別棟ではよく耳につく。


 その密室性と人の出入りの監視のしやすさ、時間さえ経てば煙草の臭いを消してくれる薬品の臭いが、準備室を喫煙スペースにするには都合が良かったのだろう。 

 昨日、私と会った直後、エイスリンはスマホを持って慌てていた。
 誰かが入室して来た場合、準備室の面々に携帯をコールして知らせる手筈だったのだろう。

 それを怠ったために、エイスリンはそばかすさんに睨まれた。

シロ「ああー……」

 なぜ、エイスリンはあんな人たちに付き合っているのか。

 その経緯も、大体の想像はついた。

 エイスリンは昨日、昼休みの実験室に、『サイショハヒトリデキタ』と言っていた。

 おそらく最初は、慣れない日本での学校生活に気疲れし、一人になれる場所を探して、昼休みの特別棟に迷いこんだのだろう。

 そして、その時にそばかすさんたちの喫煙現場に遭遇した。

 この時点ではまだ、エイスリンはのただの目撃者だ。

 しかし、学校側への報告を恐れたそばかすさんたちにより、エイスリンは見張り役として喫煙仲間に引き込まれた。

 悪事を目撃された場合、目撃者の口を封じる上でもっともリスクが少ない手段は、目撃者を悪事に引き込むことだという。

 そばかすさんたちもそのセオリーに則ったのだろう。

 そばかすさんたちは、エイスリンを見張り役として喫煙に加担させることで口を封じた。



 もしかすると、そばかすさんたちはエイスリンにもタバコを吸わせ、完全に仲間に引き込もうとしたのかもしれない。

 しかしエイスリンに、煙草を吸っている様子はなかった。

 近い距離で会話をしたが、カブのじいちゃんのような独特の口臭はしなかった。
 何かで口臭をケアしたような、不自然な臭気もなかった。
 
 携帯での連絡を放棄したことといい、あの思いつめた様子といい、エイスリンは喫煙を勧められ、拒否した可能性が高い。

 だが、拒否したためにエイスリンは、そばかすさんたちから喫煙仲間としての信用を得られず、一日中張り付かれて監視されることになった。

 それが、エイスリンとそばかすさんの不可解な親交の真相。

 二人の馴れ初めに関してはすべて根拠のない想像だが、エイスリンのような子があの手の連中に付き従う理由が、他に思いつかない。

 私も豊音を馬鹿にできない。

 私の頭の中も、大概お花畑だ。

 昨日から今まで、エイスリンが自ら望んで喫煙に関与するはずがないと信じきった上で、考えを巡らせている。

 そしてその前提は、エイスリンへの信頼は、恐らく誤りではない。



シロ「んー……」

 もう、それはいい。

 よくわかった。

 問題は、そばかすさんたちからエイスリンを引き離すにはどうすればいいかということ。

 真っ先に思いつくのは教師に密告してそばかすさんたちを処分して貰うという方法だが、これは下策だ。

 いきなり喫煙が発覚しては、そばかすさんたちとて誰かの密告を疑うだろう。

 密告者として、まず一番に疑われるのはエイスリンだ。
 
 そして二番目は、昨日エイスリンと親しげに話していた私。

 悪いのは完全にそばかすさんたちなのだから、処分されても文句は言えないはずだが、あの手の連中の逆恨みは怖い。
 
 学年が違う先輩たちはやり過ごせたとしても、同じクラスのそばかすさんはそうはいかない。

 喫煙が発覚しても一発で退学とはいかない可能性だってある。
 そばかすさんが停学なり謹慎なりの処分を受けたとして、そのあとも私とエイスリンは、彼女と同じクラスで学校生活を送らなければならない。

 気の重い、面倒臭い毎日が待っていそうで、学校側への密告は避けたい。

 何より、見張り役として喫煙に加担してしまっているエイスリンまで処分されては本末転倒なので、やはり告げ口は却下。



 では、他にどうすればいい。

 どうすれば、学校側からの処分を避け、余計な恨みを買わないように、エイスリンをあの人たちから引き離せるだろうか。

 昨日からずっと考えているのだが、まだ妙案は出てこない。

「おー、おはよー」

シロ「ん、おはよう……」

 パパパとカブに乗った爺ちゃんが、私を追い越していく。

「女の子が爪噛んじゃいかんぞー」

シロ「……」

 去り際、私に注意していく爺ちゃん。

 言われて初めて気づいた。

 無意識のうちに、爪を噛む癖が出ていたようだ。

 反射的に自分の口元に視線を落とす。

 そして路面が視界に入り、気づく。

シロ「爺ちゃん、また……」

 爺ちゃんが通り過ぎたあとには、今朝もまたタバコが落ちていた。

シロ「……」

 拾い上げ、タバコの箱を見つめ、しばし立ち止まる。

シロ「これなら……」

 妙案を、思いついたかもしれない。

 これなら、そばかすさんから逆恨みされることもなく、エイスリンが処分を受けることもなく、無理なく事を収めることができるかもしれない。

シロ「……」

 私は爺ちゃんのタバコをポケットに入れた。

シロ「いってきます」

「おう、いってらっしゃい」

 そして爺ちゃんに挨拶だけして、タバコは渡さず、そのままバス停に向かった。




   4

 
 エイスリンをあの人たちから引き離す案は思いついた。

 しかし、豊音との昨日からの約束があったので、昼休みにはエイスリンの元へは行けなかった。

 放課後も迎えに来た塞と一緒に、とりあえずは部室に向かった。

 エイスリン救出の策を決行するには、少々心の準備が必要だった。

 今日のうちにやろうと思えばやれないこともないが、できれば一日、日を置いてからにしたい。

豊音「シロー、塞ー、おつかれー」

塞「おつかれー」

シロ「おつかれ……」

 部室に入ると、豊音がひとり卓で何かしていた。

 胡桃はまだ来ていないようだ。

豊音「ねー、これ見てよー」

シロ「何……?」

 豊音が何かを摘んで、こちらに見せている。

 しかし遠目には、豊音が何を摘んでいるのか見えない。

塞「何それ?」

シロ「……」

 近づいてみると、豊音が摘んでいるのは細い糸のようなものだった。

 いや、糸ではない。

 これは……。



豊音「髪の毛だよー、金髪だよー」

塞「金髪? 誰の?」

豊音「シロのクラスの外人さんだよー」

シロ「だろうね……」

 他に金髪の生徒なんて見たことはない。

 いつかはわからないが、エイスリンがここに来ていたのだろう。

豊音「きっと麻雀に興味あるんだよ、やっぱり勧誘しに行こうよー」

 にっこりと、嬉しそうに笑う豊音。

シロ「……」

豊音「んふふー、やっぱりビビビは間違いないよー」

塞「ビビビ? 何の話?」

シロ「ん、ちょっとね……」

 これは、昨日の私の態度で、エイスリンに気を持たせちゃったかな。

 また一緒にお昼しようとか、言っちゃったしね。

 そりゃあ、エイスリンみたいな子が、あんな人たちと一緒にいるのは嫌だろう。

 もしかすると、昨日のあの怖い先輩から、喫煙を口外しないよう恫喝されていたりするのかもしれない。

 助けて欲しいよね、そりゃあ。

 ダルいけど、仕方ない。

 明日には引き伸ばさず、今日これから、実験室に向かうとしよう。


豊音「よーし! それじゃあ私、ちょっとエイスリンさん探してくる! 勧誘だー! 人攫いだよー!」

塞「人攫い!? 何言ってるの豊音!?」

シロ「待った、豊音」

豊音「何ー? シロも行くー?」

シロ「豊音はここにいて。私が連れてくるから」

豊音「ええー、私も行くよー。ちゃんとできるよー」

塞「人攫いを……!?」

シロ「塞、落ち着いて。攫わないよ。新入部員の勧誘に行ってくるだけだから」

塞「ええ、シロだけで? 心配だから私も行くよ」

シロ「大丈夫、顔見知りだから。塞もここで待ってて」

塞「えぇ……、本当に大丈夫?」

 信用ないな、私。

シロ「大丈夫だって。いきなり大勢で行くより、一人で行ったほうがいいと思うし」

塞「それは、まぁ、そうかも知れないけど……」

豊音「むー……」

シロ「ちゃんと連れて来るから。三人で練習しながら待っててよ」

豊音「わかったよー……、絶対連れてきてね?」

シロ「うん、それじゃ、行ってくる」


塞「大丈夫かなぁ、シロが勧誘なんて……」

豊音「大丈夫かなぁー」

塞「ねぇ」

豊音「ねー」

シロ「……ダルい」

 心配そうな二人を残して、私は部室を後にした。

 塞はともかく、豊音に心配されるのは心外である。

 エイスリンたちが帰ってしまっていては困る。

 気持ち早足で、実験室へ向かう。

 実験室に着くと、昨日と同じように少し扉が開いており、中にはエイスリンの姿が見えた。

エイスリン「ア」

シロ「しー」

 口元に指を当てて、エイスリンに声を上げないように伝える。

エイスリン「シロ……」

シロ「最後に訊いておくけど、エイスリンはあの人たちと一緒にいるの、嫌なんだよね?」

エイスリン「…………ウン、イヤ」

シロ「そう。なら、私に任せて。大体、事情はわかってるから。タバコ、だよね?」

エイスリン「……! ウン、スッテル」

 案の定。

シロ「なら、私の言うとおりにして」

エイスリン「? デモ、センセイニバレタラ、ガッコウ、クビダッテ……」

 やはり、そんな風に脅されていたのか。

 いきなりクビってことはないと思うんだけどね。

シロ「大丈夫、誰もクビになんてならないよ、エイスリンも、あの人たちの誰も……」

 そんな、面倒くさいことにはしない。

 悪事を暴き友人を助けるといっても、私がこれから取る行動に誉れはない。


シロ「エイスリンはここにいて。私はちょっと行ってくる……」

エイスリン「イクッテ……?」

シロ「準備室。大丈夫だから……」

 首を傾げるエイスリンを残して、私は準備室へと歩み出す。

 エイスリンは口封じのために、あの人たちの仲間に引き込まれた。

 と見て、もう間違いない。

シロ「……」

 ひとつだけ、気になる点が残ってはいるが……。

 それは考慮に値しない問題。

 私が今やるべきことは、現在のエイスリンが置かれた状況をどうにかすること。

 エイスリンがなぜ、仲間に引き込まれる前に、もしくは引き込まれた直後、まだ関与が薄い段階で誰かに助けを求めなかったのかという問題は、今考えるべきことではない。

 おそらく、たいした理由などない。

 そばかすさんの監視に萎縮している間に、機を逸しただけなのかもしれない。

 準備室のドアノブに手を掛ける。

 一呼吸間を置いて、ドアを開ける。


シロ「ちわー……」

「げ」

「……ちっ」

そばかす「小瀬川さん……」

 準備室に入ると、三人とも一服つけている真っ最中だった。

 換気扇をまわしているとはいえ、密室で三人同時にタバコを吸えば、さすがにけむたい。

 臭いも、思わず一瞬、呼吸を止めてしまうほどだった。

「またかよ……」

「なにやってんだ、エイスリンの奴」

そばかす「……」

 昨日の怖い先輩と、ちゃらい先輩が毒づく。

「はぁ……、めんどくせ」

「おい、お前、このこと学校にばらしたら――」

シロ「ああ、大丈夫です。」 
 
 早速恫喝を始める先輩たちを制して、私はポケットに手を入れた。


 中から今朝拾ったじいちゃんのタバコを取り出す。

シロ「先生には言いません。代わりに、私も一服、いいですか?」

そばかす「……!」

シロ「……?」

 私が煙草を取り出したのを見て、そばかすさんの表情が今まで見たこともないほど朗らかに、綻んだ。

シロ「……」

 なぜ、エイスリンはおとなしく見張り役に甘んじているのか。

 その理由が、このそばかすさんの表情を見て、わかったような気がした。

 それでも、私がやることに変わりはない。

 私は三人に歩み寄り、煙草に火を点けた。





   5


 十五分後。

「それじゃ、頼むな、小瀬川」

「ほいじゃーな」

シロ「はい、任せてください」

そばかす「……」

シロ「まだ何か?」

そばかす「……いや、それじゃ」

エイスリン「……」

「おい、行くぞ」

「行こうぜー」

そばかす「はい」

 先輩たちは無事にエイスリンを私に預け、帰ってくれた。

 そばかすさんはエイスリンをしばらく無言で見つめ、少し寂しそうに、名残惜しそうに、先輩たちの後を追って実験室を後にした。

シロ「…………さて」

エイスリン「シロ?」

 三人が去ったのを確認して、私は流し台に走り、喉に指を突っ込んだ。

 三人がいる間は我慢していたが、もう限界だった。

 エイスリンの目を気にする余裕もなく、私は流しに嘔吐した。

エイスリン「シロ……!」

 エイスリンが私に駆け寄り、背中を擦ってくれる。

シロ「うげ……、あんなもん、よく平気な顔で吸えるよ……」

エイスリン「シロ……、ナンデ、タバコ……?」

シロ「ああ……、うん、これが一番楽だったから……。後腐れもないし……いや、あるか……」

エイスリン「?」


 先輩たちは口を封じるためにエイスリンを仲間に引き込んだ。

 エイスリンが自分たちの喫煙を口外しないように監視し、手元に置いておこうとした。

 そして私は、あの三人からエイスリンを引き離し、麻雀部に迎えたいと考えた。

 エイスリンは喫煙を拒否したことであの三人の信用を得られず、拘束されていた。

 ならばエイスリンを引き取る私が煙草を吸い、あの三人の喫煙仲間になり、信用を得ればいい。

 信用を得て、私が監視を引き継ぐ形で、エイスリンを麻雀部に迎え入れる。

 それが、私がエイスリンをあの人たちから引き離すために取った方法だった。

 私たちの喫煙さえ学校側に秘匿しきれれば、これが一番面倒がなくていい。

 あの三人と私とで弱みを共有することになり、後腐れは残ってしまうが。


シロ「うええ……」

エイスリン「ダイジョウブ……?」

 はじめての煙草は、想像を超えて気持ちの悪いものだった。

 咳き込んだりして煙草に不慣れなのがばれることはなかったが、眩暈と吐き気が酷い。   

 あと何度かは喫煙に付き合い、信用を継続させる必要があると踏んでいたのだが、幸い、もう二度と煙草を吸う必要はなさそうだった。

 あの先輩たちは三年生で、そろそろ校内での遊びも潮時と考えていたらしい。

 そんなときにエイスリンに喫煙を目撃され、案の定、口を封じるために仲間に引きこもうとした。

 もう危ない遊びは止め時と考えてはいたが、エイスリンが喫煙に加担したという既成事実を作るため、続けざるを得なくなっていた。

 私がエイスリンを引き取ると提案しなければ、先輩たちが自由登校になる来年まで、校内での喫煙は続けられる予定だったという。

 何のことはない、ほうっておいてもエイスリンは開放されていたのだ。

 しかし、エイスリンのつらそうな様子を見れば、開放が早められたことは無駄ではない。

 あと半年以上エイスリンがあの状況に置かれるなんて、私としても想像するだけでだるい。



シロ「はぁ……」

エイスリン「アノ……」

シロ「ああ、もう大丈夫。エイスリンはあの人たちに付き合わなくてもよくなったから……」

エイスリン「ソレハ、アリガトウ……、デモ、ワタシダケ? アノコハ?」

シロ「……」

エイスリン「アノコモ、ワタシトオナジ……、ナンデワタシダケ……?」

 なぜエイスリンは、もっと早い段階で助けを求めず、見張り役をやっていたのか。

 それは、やはりそばかすさんのためだったのだろう。

 そばかすさんはエイスリンを監視しているつもりでも、エイスリンの方は、クラスで孤立するそばかすさんに寄り添う意識があったのかもしれない。

 そばかすさんはヤンキーぼっちではなく、最初はただのぼっちだったのではないだろうか。

 クラスで孤立し、その息苦しさに耐えかねて、エイスリンと同じようにこの特別棟に逃れてきて、先輩たちと親しくなって……。

 そばかすさんは孤独を解消するために煙草を吸い、先輩たちの仲間になった。

 エイスリンの言う「ワタシトオナジ」とは、喫煙に関わるまでの経緯が「オナジ」という意味なのだろう。


 エイスリンが素直に見張り役をやっていたのは、恫喝に加えて、そばかすさんへの同情もあってのことだった。

 しかしそばかすさんは煙草を吸い、エイスリンは吸わなかった。

 エイスリンは私の手が届くところにいて、そばかすさんはもう向こう側に行ってしまっていた。

 先輩たちは去り際、行くぞとそばかすさんに声を掛けていた。

 先輩たちは、私がエイスリンを引き取るという話になっても、そばかすさんは自分たちと来るものだと、当たり前に思っているようだった。

 そばかすさんは私が煙草を取り出したとき、どこか嬉しそうにしていたが、同じクラスに仲間ができたと喜んでいたのかもしれない。

 監視という口実で、クラスで一人にならずに済んでいることが心地良かったのかもしれない。

 しかし私がエイスリンを引き取り、道が別れたと知って、名残惜しそうに、寂しそうに実験室を去って行った。

 そんなところなのだろう。


シロ「あのね、エイスリン。大丈夫だよ。あの子だって、独りじゃない。あの先輩たちがいるから」

エイスリン「……」

 校内での喫煙という、つまらなくも仄暗い悪事を共有する友人とはいえ、友人は友人だ。

 二人の先輩のうち怖い方の先輩は、県内では上位の私大に推薦の話が持ち上がるような生徒だという。

 裏ではつまらないことをやっていても、表面上はまともな人間らしい。
 
 あの先輩たちと付き合うことで、そばかすさんが身を持ち崩すということもないだろう。

 そばかすさんは、形はどうあれ、脱ぼっちに成功している。

 だからもう、私たちが気にするようなことは何もないのだ。

 そばかすさんは喫煙で孤独を埋めた。

 しかし、エイスリンは――

シロ「エイスリンは、私たちと一緒にいればいい」

エイスリン「『タチ』……?」

シロ「うん。麻雀部に来ればいい。そば――、あの子は大丈夫だから……」

エイスリン「ホントニ……?」

シロ「本当。もう何も気にすることないんだよ。あれであの人たちも、そんなに悪い人じゃないから……」


クロスじゃなくてパロディなのではとマジレス


 実際はそんなことは思っていないが、ほんの僅かに本心も混じっていた。

 二人の先輩は、そばかすさんに強い仲間意識を持っているようだった。

 私がエイスリンを引き取ったことで、もう校内での喫煙も止められると言っていたし、おかしなことにはならないだろう。

シロ「だから、安心してうちに来ればいい。ね?」

エイスリン「ウン……」

 まだ、納得がいかない様子のエイスリン。

 自分を脅していた先輩たちが、信用できないのだろう。

 しかしだからといって、あの人たちとこれ以上一緒にいるのも嫌なはずだ。

シロ「……今日、部室に来てたでしょ?」

エイスリン「……シロ、イルカトオモッテ」

 エイスリンだって、あの人たちから逃れたがっていた。

 助けを求めていたのだ。

 エイスリンは救済を期待して、部室に来たはずだ。

 それならもう、嫌なことは忘れて、麻雀部に来ればいい。

 私としても、これ以上エイスリンがあの人たちと関わり合いになるのは、見ていて辛い。


シロ「これからはいつでも来ればいい。部員になって」

エイスリン「ウン……」

シロ「それじゃ、今から部室に行こうか。みんな待ってるから」

エイスリン「……」

 人といるのが息苦しくて、人のいない場所に逃れれば、同じように抑圧から逃れてきた仲間がいて、そばかすさんはその輪に加わった。

 しかしエイスリンは違う。

 そばかすさんに関する心残りはあるだろう。

 だが、エイスリンの孤独を埋めるのは、あの三人のような隅っこにいる怖い人たちではなく、麻雀だ。

 麻雀と、麻雀部員の私たちだ。

 私はエイスリンの手を取った。

 そのまま、実験室を出るよう促す。

シロ「エイスリンが来ること、楽しみにしてる子がいるよ」

エイスリン「ワタシモシッテル、シロノトモダチ……。 オッキイヒトト、チイサイヒトト、アカイヒト」

シロ「そう……」

 やはりエイスリンも、麻雀部が気になっていたようだ。

 目立つもんなぁ、みんな。

 特に豊音は。

シロ「行こうか……」

エイスリン「ウン……」

 エイスリンの手を握り、歩み出す。

 抵抗なく、エイスリンもそれに従う。

 エイスリンの手の感触と、その素直な追従で、ようやく事が終わった安心を得る。

 照明を消し、暗い無人の室内を振り返る。

 その光景を見て、なんだか無性に、早くみんなの元に戻りたいと思った。

 早くエイスリンを、みんなのところへ連れて行きたいと、そう思った。


             槓

今日は以上です

エイスリン回終了
次からは豊胡セット回

>>100
最後のシロ回で奉太郎出す予定です



 由緒なき麻雀部の封印


   0


 豊音は可愛い。

 可愛らしさで言えば、麻雀部の中で一番といっていいかもしれない。

 じょしりょくが高い(高すぎてもはや母性を感じる。高すぎておばあちゃん的ですらある)塞よりも、小さくて子供みたいな胡桃よりも、お人形さんみたいなエイスリンよりも。
 
 勿論、私よりも。
 豊音は可愛らしい。
 
 外見の威容は、豊音と少し言葉を交わせば……、いや、あの無垢な瞳を一目見れば、すぐに気にならなくなる。

 とりわけ、あの高すぎる身長の威圧感は、すぐに意識の外に追いやられる。

 すぐに気づかされる。

 あの大きな体はむしろ、無垢な内面を表現するためにフル活用されていると。

 外見に比して幼いとさえ言える内面を、大きな体で力いっぱい表現するものだから、豊音の可愛らしさはよく目立つ。

 そのせいだろうか。
 
 私が豊音を、麻雀部で一番の愛嬌の持ち主だと感じるのは。
 

 
 もしかすると、大きくなければ豊音はいまほど可愛らしく見えないのかもしれない。
 
 おそらく、見えないだろう。
 
 あの体格は、豊音の愛嬌を構成する重要な要素のひとつと言える。
 
 大きいからこその豊音、大きくなければ豊音ではない。
 
 大きくなければ可愛くない、とまでは言わないが。
 
 それでも、豊音は大きいからこそ可愛い。
 
 大きいからこそ、あの可愛らしさが目に付きやすい。
 
 自分よりも大きなものに畏怖するのは人の本能だが、豊音の大きな体は可愛らしさを周囲に喧伝する役割しか果たしていない。

 そして私としては、目立つ分、見ていて不安にもなる。
 
 ちょうちょでも追いかけて、ふらふらとどこかに行ってしまいそうな気配が、豊音には絶えずある。
 
 見ていると保護欲をそそられる。
 不安を伴う保護欲を。
 
 大きいようで小さい。
 小さいようで、麻雀を打つとやはり大きい。
 
 良い意味でも悪い意味でも可愛くて、目が離せない。
 
 それが出会って一ヶ月半の間の、私の豊音に関する所感だった。



 
 もしかすると、大きくなければ豊音はいまほど可愛らしく見えないのかもしれない。
 
 おそらく、見えないだろう。
 
 あの体格は、豊音の愛嬌を構成する重要な要素のひとつと言える。
 
 大きいからこその豊音、大きくなければ豊音ではない。
 
 大きくなければ可愛くない、とまでは言わないが。
 
 それでも、豊音は大きいからこそ可愛い。
 
 大きいからこそ、あの可愛らしさが目に付きやすい。
 
 自分よりも大きなものに畏怖するのは人の本能だが、豊音の大きな体は可愛らしさを周囲に喧伝する役割しか果たしていない。

 そして私としては、目立つ分、見ていて不安にもなる。
 
 ちょうちょでも追いかけて、ふらふらとどこかに行ってしまいそうな気配が、豊音には絶えずある。
 
 見ていると保護欲をそそられる。
 不安を伴う保護欲を。
 
 大きいようで小さい。
 小さいようで、麻雀を打つとやはり大きい。
 
 良い意味でも悪い意味でも可愛くて、目が離せない。
 
 それが出会って一ヶ月半の間の、私の豊音に関する所感だった。





   1


胡桃「豊音! 豊音、おろして! 高い! 怖い!」

豊音「あははー、胡桃軽いよー」

シロ「……」

 放課後。麻雀部室。

 部室には、私、胡桃、そして豊音の三人。
 
 塞とエイスリンはまだ来ていない。
 部員が揃うまでの束の間の休息を、私はソファに体を預けて過ごしていた。
 
 暇を持て余した胡桃と豊音は二人で遊んでいる。
 豊音が胡桃の背後から足の間に頭を突っ込み、そのまま肩車。
 部室をぐるぐると歩き回っていた。
 
 豊音の身長は197センチ。
 その肩に胡桃の座高が加わって、胡桃の顔が見上げるような位置にある。

 胡桃が目いっぱい手を伸ばせば、天井に手が届きそうなほど高い。
 
 やはりでかい。でかいものはでかい。
 でかいのに、その行動には稚気がありすぎて、やはりとても可愛らしい。
 
 ほっこりする。微笑ましい。一日の疲れが癒されていく。
 
 これから部活でもう一分張りしなければならない現実が、いっとき頭から離れていく。
 

 
豊音「あははー、高い高いー」

胡桃「うわわ! 豊音ー! もう!」

 豊音は胡桃を肩車したまま、スクワットを始めた。
 肩に乗った胡桃が上下に激しく揺さぶられる。
 豊音の頭にしっかりとしがみつき、悲鳴を上げている。

 目をきゅっと閉じ、いつもVの字に引き結んだ口元が、さらに強く引き締まる。
 
 ありゃ、いけない。あれはマジびびりだ。

 助け舟を出すべきだろうか。

シロ「あー……豊音?」

豊音「なにー? シロも遊ぶー?」

 スクワットをやめ、こちらを振り返る豊音。
 その表情がぱっと輝き、何かダルいことを言っている。

シロ「いや、遊ばない・・・あのね」

豊音「なにー?」

胡桃「ううー……」

 胡桃は豊音の頭にしがみついたまま、ぶるぶると震えている。
 
シロ「胡桃、そろそろ下ろしてあげたら?」

豊音「おー……?」

胡桃「豊音ー……」

 豊音は視線を上げ、すっかり高所に怯えた胡桃に気づく。



豊音「うわわ、ごめんよー」

 豊音は膝を折り、さらに上半身丸めて安全に胡桃を床に下ろした。

胡桃「うう……シロー」

シロ「はいはい、怖かったね……」

 胡桃は床に下りるやいなや、定位置、私の膝の上へ。

 ただしこのときはいつものように座椅子スタイルではなく、正面から抱きつくような体勢だった。

 胡桃が珍しく外見相応に子供らしい。無理もない。不意打ちであの高さに急激に持ち上げられれば、誰だってびっくりするだろう。

シロ「よしよし」

豊音「ごめんねー、はしゃぎすぎたよー」

胡桃「……」

 豊音は私の隣に腰を下ろし、胡桃の頭を撫でた。
 私の胸に顔をうずめ、横目に豊音を見る胡桃。
 その目が、わずかに潤んでいる。
 
 やばい、これマジだ。
 ちょっと泣いちゃってる胡桃。



シロ「あー……」

胡桃「ぐすっ……」

 これは、あれか……? 

 つまり、あれだ。
 
 急に足の間に頭を突っ込まれ肩車。
 大きな豊音に小さな体を自分の意思とは無関係に扱われ、胡桃は乙女の純情を、ついで小さな体に対するコンプレックスも刺激されてしまった、と。
 
 胡桃にとっては、ちょっとした辱めを受けた形になる。

胡桃「うう……」

シロ「ああー……」

 ダルい、という言葉を飲み込んで、私は胡桃の背中をぽんぽんと叩いた。
 ここは少し、純粋すぎる豊音を叱っておくべきだろう。

豊音「あう……」

シロ「……」

 同い年の友人に説教なんて気が引ける。
 とは、豊音に対しては思わない。
 
 豊音の表情には、はっきりと後悔の念が浮かんでいる。
 やっちゃったよー、って感じ。胡桃の現在の心境に察しがついていない訳でもないのだろう。
 
 だが、ここは胡桃のためにも、豊音を叱っておかないと。
 示しはつけておかないと。
 ただし、できるだけ怒気は抑えて。
 そんなに本気で怒ってないよ、でも、もうやっちゃだめだよ、という程度で。
 実際、私はそれほど怒っているわけじゃない。



シロ「豊音……」

豊音「……」

 バツの悪そうな豊音。
 やばいよー、怒られるよー、という表情。全部顔に出ている。なんてわかりやすい子。

 ちょっと叱るだけなのに、なんだか可哀想になってくる。
 だがしかし、ここは心を鬼にして。

シロ「めっ」

豊音「!」

 豊音って、本当に表情豊か。
 がーん、という擬音が豊音の背後に見える。

豊音「う、うう~……」

シロ「へ……」

 豊音の瞳がみるみる潤んでいく。

 嘘……いまので泣くの? 

豊音「うわぁぁ~ん、ごめんなさい~!」

シロ「うわ」

胡桃「ふぎゅ」

 泣きながら、なぜか胡桃ごと私を抱きしめる豊音。
 
シロ「豊音……」

 ああ……。
 いたなぁ、こういう子。幼稚園くらいの頃に。

 保母さんとかお母さんに怒られると、なぜか自分を怒った相手にすがり付いて泣く子。
 
 怒っちゃやだ、って感じで。
 
 豊音としても胡桃を泣かせてしまったことは不本意なのだろう。

 豊音はただ楽しく胡桃と遊ぼうとしただけ。なのに泣かせてしまって、そのうえ私に怒られて……。

 こんなつもりじゃなかったよー、と。
 全身を使って訴えている。



豊音「胡桃ごめんね~、シロもごめんなさい~」

胡桃「むぎゅぎゅ」

シロ「豊音、豊音わかったから……。もう怒ってないから。胡桃、窒息しちゃうから……」

豊音「うわ~ん!」

 もぎょぎょと私の胸でもがく胡桃。

 すごい圧迫感。
 豊音フルパワー。
 泣けば泣くほど力が強くなる。 

 自分自身の感情の高まりに煽られている状態なのだろう。

 自分で泣いて自分でさらに悲しくなっている状態。
 
 本当、子供みたい。

 出会ったばかりの頃は、年相応の振る舞いを見せる機会も多かったのだけれど。

 麻雀部を再建して一ヶ月、豊音がなんだか幼くなっているような・・・。

 気を許してくれているのは充分伝わってくるし嬉しいのだが、最近は塞ママがいないと豊音のお世話のお鉢が私に回ってきてしんどい。

 お姉さんの胡桃もいまはこんな状態だし。
 

 
胡桃「むぎゅう……」

シロ「だるい……」

 そしてやばい。

 胡桃の体から力が抜けてきている。
 落ちかけている。胡桃が、私の胸で、堕ちかけている。

塞「お疲れー」

エイスリン「オツカレデス」

 するとタイミングよく、塞とエイスリンが。
 
塞「ど、どうしたの?」

エイスリン「トヨネ、ナイテル!」

豊音「ううー……」

胡桃「むぐ……うぐ……」

シロ「塞、助けて……」

 胡桃を助けて。

塞「あー、もう。どうしたの豊音ー」

豊音「塞ー……」

胡桃「ぶはぁ!」

 私と胡桃の拘束を解き、ほらおいでと手を広げる塞の胸に飛び込む豊音。

 さすがは塞。私たちのお母さん、もしくはおばあちゃん。
 一声で豊音の意識がそちらに逸れた。
 
 胡桃は顔を赤くして大きく息を吐いた。

 こっちはもう先ほどの恥辱どころではない。

 生きていればこその尊厳。
 豊音の抱擁と私の胸で命を散らしては、小さな体にコンプレックスを抱くどころではない。



胡桃「はぁ~、危うくシロのおっぱいで窒息するところだった……」

シロ「無事でよかった……」

胡桃「はぁ、参ったよ……」

シロ「もう、落ち着いた……?」

胡桃「ん、うん」

 今度は照れた様子で赤くする胡桃。

 その頭を撫でたい衝動をぐっとこらえる。

 同級生を子供扱いは、やはり良くない。

 どう見ても子供だけど。
 膝にちょこんと乗っかってるし。

 だが、みんながみんな豊音のように胡桃に対して無邪気に接する訳にもいかない。

 こんなつまらないことで部の空気が悪くなるのも面白くない。

 胡桃もこの程度で豊音に悪感情は抱くまいが、気を遣う人間がまったくいないのもストレスになるだろう。
 
 おもに塞に気遣ってもらい、たまに私も気を遣うくらいの感じで。

 塞さんが疲れたら手伝うくらいでいいよね。

豊音「私が胡桃に意地悪しちゃったんだよー」

塞「それでなんで豊音が泣いてるの……?」

エイスリン「ヨシヨシ」

 向こうでは塞とエイスリンが豊音をケアしている。

 胡桃はいつもの充電スタイルに移行。
 私は脱力し、胡桃の充電クレイドルに徹する。

 
 いまばかりは、だるいは禁止で。 
 
 仕方ないから給電してあげる。






   2


 数分後、豊音と胡桃はあっさり仲直り。

 塞の仲裁により、二人は「ごめんねー」「いいよ」と子供みたいな仲直りの儀式を済ませ、あとは平素の通り、仲の良い凸凹コンビに戻っていた。

 エイスリンはその横でメデタシメデタシと満足げに笑ってカキカキバッ。
 ボードには手をつないで万歳する二頭身の豊音と胡桃が描かれており、今回は私がその描写の意図を解説する必要もなく、半ばレクリエーションじみた喧嘩は仕舞いとなった。

 一連の流れはどこまでも牧歌的で、毒気を抜かれる。

 同年代の子供のいない山奥の村で育ったという豊音は、近い年代の人間との接し方が上手くない。

 はっきり言って下手だ。
 下手なのに尻込みしないものだから、先ほどの胡桃のようにがぶりといかれる被害者がたまに出る。

 言ってみれば豊音は、甘噛みを覚えずに育った猫のようなもの。
 そこに一切の邪気はない。
 
 豊音に悪気がないことは、私たち麻雀部の面々はよくわかっている。

 だから、さっきのあれはレクリエーション。

 平和な揉め事。

 豊音が甘噛みを、私たちとの距離のとり方を覚えるためのじゃれあいに過ぎない。

 ちょっぴり傷つけられた胡桃とて、結局のところ豊音には甘い。
 
 豊音が末っ子、胡桃が長女で、エイスリンが次女といったところ。
 
 お姉さんの胡桃は多少のことではへこたれず、下の子の教育のため根気よく付き合ってあげている。

 
 そんな感じ。 



塞「それじゃあ次はねー・・・」

エイスリン「バッチコイ!」

 豊音が泣き止み、ひと心地ついた私たちは卓に着いていた。

 といっても、ひと心地ついてしまったことですぐに本格的な練習という気にはなれず、エイスリンの初心者講習会が開かれていた。

 自動卓の電源は入れず、塞が適当に十四牌を選び取って、何の役がついているかをエイスリンに答えさせるクイズ形式の遊び。

 エイスリンは点数計算こそまだ怪しいが、役もルールも既に一通り覚えているので、こんな遊びよりも実地で打ったほうが身になるとは思うのだが・・・。

 授業が終わり部室に五人揃ったことで、なんだか雰囲気がダラッとしてしまい、今日の練習はエイスリンの初心者講習会、という名目のお遊びから始まることになった。

 私としてもそのほうが楽なので、何も文句はない。
 どんどんやるといいよ。

胡桃「豊音、これ美味しいよ」

豊音「ありがとー。お茶がうまいよー」

 胡桃と豊音は仲良く並んでお茶を飲んでいた。

シロ「……」

 もう今日は、下校時刻までずっとこんな感じでいいんじゃないのかな。

 この弛緩した空気から、どうやってやる気を捻り出せと言うのか。

 練習とか無理。
 今日はもう何もやりたくない。
 
シロ「だるい……」



塞「さあ、エイちゃん、聴牌だよ!」

エイスリン「ムムム……!」

 まずは塞が聴牌形を作り、エイスリンの前に差し出す。

 私は椅子ごとエイスリンの後ろに回りこんで牌姿を確認。

 やけに簡単な問題だった。

 どうやら塞は、一つ前の問題でエイスリンが役を一つ見逃したことで、問題の難易度を下げたらしい。

 頭に八萬二枚、ニ三四萬、五六七筒、六七八索。残りは七八索の両面塔子。
 ドラ表示牌は七萬だった。

塞「そしてこれが……!」

 塞が最後の牌を取り、エイスリンの手配の右に置く。
 
塞「エイスリンの和了牌! エイちゃんツモりました! さあ、何の役がついているでしょうか!」

 今回はツモ和了の設定らしい。

 塞、ノリノリ。さっきは自分で並べたエイスリンの跳萬に、超楽しそうに振り込んでいたし。
 
 エイスリンはツモった牌をめくる。

塞「あ、ちなみにリーチはかけてるからね」

エイスリン「コレハ……!」

塞「ふふふ……!」

シロ「塞、意地悪……」

 エイスリンのツモは九索だった。
 エイスリンも若干、がっかりといった表情。
 がっかりということは、正解を導き出しているのだろう。



エイスリン「リーチ、メンゼン、ピンフ、ドラ2!」

塞「正解! じゃあ、和了牌がこっちの場合は!」

 びしっと六索をマットに叩きつける塞。
 それを見たエイスリンの顔がぱっと輝く。

エイスリン「! イーぺーコー、タンヤオ、ツキマス!」

塞「きゃ~! エイちゃんてんさーい!」

 エイスリンの頭をがばりと抱きしめ、ほお擦りする塞。
 
エイスリン「ンフフ」

 ボードで口元を隠し、照れ混じりに笑うエイスリン。
 
 褒めて伸ばす方針だという塞の茶番は、まだ終わらない。

塞「さぁ、エイスリン? ウラもめくってみようか~」

エイスリン「ソウデシタ!」

 エイスリンの後頭部を右腕で抱きかかえ、二枚だけ積んだクイズ用のドラ表示牌を指差す塞。
 
 エイスリンは期待の眼差しで裏ドラをめくる。
 
エイスリン「!」

塞「やったー! 豪運~!」

 ウラは六索だった。

 これで八翻。

シロ「……倍満」

 なんとまぁ……。

 価値の薄い倍満もあったものだ。

豊音「あははー、塞、ちょーうけるよー」

胡桃「バカみたい!」

 忌憚のない意見である。



 この一ヶ月練習漬けの毎日を送っていたせいか、さすがの私も、無駄な時間を過ごしていると思わなくもない。

 だけど――

エイスリン「! バカミタイ! チョーウケルヨー」

塞「そこ! エイスリンが変な言葉覚えちゃうじゃない!」

豊音「怒られたよー。塞、お母さんみたい」

胡桃「過保護だね」

シロ「……」

 まぁ、エイスリンが楽しそうだからいいか。

塞「エイスリンはお利口さんだね~」

エイスリン「エヘヘ……」

シロ「……」

 褒めて伸ばす方針……。

 それってつまり、塞はエイスリンを甘やかしたいだけなんじゃ……。

 最近、エイスリンの面倒を見るのが楽しくて仕方ないといった様子の塞だった。

シロ「…………塞」

塞「ん? なに?」

シロ「ああ、いや。なんでもない」

塞「? そ」

 喉まで出かかった「私も構って」という言葉を何とか飲み込み、背もたれに体重を預ける。

 危ない危ない。

 塞は私のお母さんではない。

 おばあちゃんでもない。

 先ほどの豊音と胡桃や、今の塞とエイスリンに毒されて、私まで幼児退行するところだった。 



 シロ「だるい……」

 四人のやり取りに、さらにやる気がそ削がれていく。

 部活用に温存しておいたはずの活力が、霧散していく。

 どうにも今日は、いつも以上にだるい。

 五月病、という訳ではない。

 五月病というなら、私は年中そんな感じだ。

 ただ、先日のエイスリンの一件以来、私はどうにも腑抜けていた。

 あれ以来、そばかすさんはクラスではまた、ぼっちに戻っていた。

 変わった事と言えば、休み時間になると私が椅子を横に向けて、後ろの席のエイスリンと顔をつき合せて過ごすようになったことくらい。

 黒髪さんには「略奪愛だね」などとからかわれたりもしたが、概ねクラスは入学直後の状態に戻っていた。

 そして麻雀部では当初の思惑通り、エイスリンの指導で練習は軽くなり、私の学校生活は全体的に緩やかなものになっていた。

 中間試験も大過なく終了し、さぁ次はインハイ予選だとみんな気勢を上げているが、幸い、だからこそ初心者エイスリンの強化は必須と意見は一致。

 エイスリンの指導で、みんなはここ一ヶ月の勢いを緩めざるを得なくなっていた。


 いざ練習のペースを緩めてみて、ようやく自分たちの頑張り過ぎに気づいたのか、今日のようにまったりした日が数日に一度は訪れるようになっている。

 入学から五月半ばまでの、生徒を有無を言わせず学校生活に馴染ませる慌しいスケジュールに、さすがのみんなも疲れていたのだろう。

 私は年中五月病のようなものだが、みんなは言葉通りの五月病なのだと思う。

 だらけがちな時期なのだ。

 インハイ予選まで、もう一ヶ月を切っている。

 おそらく、みんなが復活するまでそう時間はかからない。

 それまでは、この緩やかな時間を楽しんでおこうと思う。

 喜ぶべきか悲しむべきか、エイスリンは筋が良い。

 本格的な練習が再開されるまでは……骨休めの期間は、そう長くはならないだろう。

エイスリン「サエ、モーイッカイ!」

塞「お? エイスリンやる気だねー。誰かさんにも見習ってほしいねー?」

シロ「……だるい」

 塞の意地の悪い視線を受け流し、視線を背ける。

 塞の嫌味に付き合う気力もない。

 その時、視線を背けた先にいた豊音が、急に険しい顔で立ち上がった。

豊音「……!」

胡桃「豊音?」

シロ「……?」

 その視線は、部室の扉に注がれている。


豊音「……お客さんだー」

 ぼそりと呟く豊音。

 次の瞬間、扉がノックされた。

塞「なんでわかったの……?」

豊音「足音が聞こえたよー! 入部希望者かもー! はーい!」

 山奥で育った野生の成せる業なのか、豊音はやたらと耳がいい。  
  
 豊音は勢いよく扉に駆け寄り、来訪者を迎え入れる。


豊音「いらっしゃーい! ……ってあれー?」

 しかし来訪者の姿を見て、豊音は首を傾げた。

「こんちわー、聞いてたとおり大きいねー」

「姉帯さんこんにちわ」

豊音「どうしたのー?」

 来訪者は二人。

 一人はおそらく先輩。
 塞と同程度の体格で、黒髪ショート、猫目で細身。

 もう一人は、豊音の知り合いらしい。
 こちらはエイスリンと同程度の体格で、たれ目でおっとりした雰囲気の華奢な女の子。
 セミロングの暗めの茶髪を、シンプルなゴムでまとめておさげにしている。

 二人の服装から、入部希望者でないことは一目瞭然だった。

 二人は体操着を着ていた。
 この時間に体操着ということは、運動部員なのだろう。



胡桃「あれ、委員長? 何か用事ですか?」

猫目「いんや、今はバスケ部の部長として来てるの」

 胡桃は風紀委員に所属している。

 バスケ部の部長と兼任しているせいで引継ぎが遅れ、三年になっても委員長職を続けている気の毒な人がいると聞かされていた。

 既に引き継ぎは済み、委員長職を辞した今でも、なぜか委員長と呼ばれているのだとか。

 この人がそうらしい。

 その引き締まった体といい、豊音を見つめる好奇の瞳といい、私とは合わないタイプと見た。

豊音「どうしたのー? 麻雀部に何か用事ー?」

たれ目「うん、ちょっと、みなさんにお願いがあって来たの」

猫目「部長さんは誰かな?」

塞「あ、私ですけど……」

猫目「ちょっとお宅の部員さん貸してもらえないかな?」

塞「貸すって、バスケ部にですか?」

猫目「うん。今日うちで練習試合組んでるんだけど、レギュラーの子が熱出して休んじゃってさ。そのうえ控えの子は中間で赤点取って補修で、メンバー足りなくなっちゃって」

 これはまた、面倒な話が持ち込まれたものだ。


塞「うち、麻雀部ですよ? 運動部の人に頼んだほうが……」

猫目「今回ってきたんだけど、全部断られちゃったの」

シロ「中止にするわけにはいかないんですか?」

 自分にお鉢が回ってくるのが嫌で、ついそんなことを言ってしまう。

 少し、失礼だったかもしれない。

 遠回りな拒否と受け取られてもおかしくはない発言だった。

 しかし猫目先輩は、嫌な顔一つせず私に笑いかけ、答える。

猫目「うん、そうしようとも思ったんだけどね。でも、夏の大会も近いし、メンバー揃わなくても練習試合の機会は逃したくないなって。それでこの子に――」

 言いながら、猫目先輩は隣のたれ目ちゃんを指差す。

猫目「同じクラスで麻雀部の子に、凄く大きい子がいるって聞いて……。どうかなって……」

豊音「わわ、私ー?」

猫目「県予選近いのはどこも同じだし、無理ならいいんだけど……」

塞「うちは別に構いませんけど。今は新入部員の個人練習がメインなんで、一人抜けるくらいなら」

猫目「うーん……、ごめん。できれば二人貸して欲しいいんだ。練習試合とはいえ控えが一人もいないのはちょっときつくて……。あ、控えの子は試合でなくていいから。あくまで万が一の交代要員ってことで」

塞「ああ、それでしたら。シロ」

シロ「……!?」


塞「豊音と二人で行ってきなよ。いいよね、胡桃」

胡桃「うん。じゃあ、私と塞でエイちゃんの練習だね」

シロ「ちょ、ちょっと待って……。なんで私?」

塞「シロ、最近いつにも増してだらけてるし、運動部の試合見学して気合いれてきなよ」

シロ「ええ……」  
 
 だらけてたのはみんなも同じなんじゃ……。


豊音「シロ、シロ! 行こうよ! やろう! バスケ!」

シロ「豊音……」

 なんでそんなにやる気なの?

たれ目「私からもお願い」

シロ「うーん……」

塞「シロ……! 部長さん困ってるんだから」

胡桃「「シロ!」

豊音「シロー」

エイスリン「! シロ!」

 悩む私に圧力をかける三人。

 そしてエイスリン、みんなの真似しただけだね?

猫目「ごめんね、頼めるかな?」

シロ「うーん………………。はい、わかりました……」

 断りづらいにも程がある。

 結局、私はバスケ部の助っ人になることを承諾した。

 仕方ない。

 豊音一人で行かせるのも心配だし。



豊音「やた!」

たれ目「ありがとう!」

猫目「それじゃ、すぐ体育館に来てくれる? 運動部回ってたせいで時間なくて、あと三十分ほどで相手の学校来ちゃうの」

豊音「やったー……! ついにこのときが来たよー!」

シロ「……」

 そうか……。

 豊音のこのやる気は、私が先日豊音に貸した「あれ」が原因か。

 そういえば言ってたな、バスケやってみたいって。

 「リバウンド王に、私はなる!」って。


   3


「姉帯さん、しゃがんでー。髪くくってあげる」

「姉帯さんはいこれー、食べてー」

豊音「ありがとー」

シロ「……」

 数十分後、私と豊音は体育館に来ていた。

 豊音はバスケ部員たちに囲まれ、試合の準備中。

 長い髪を後ろで一つ結びにしてもらい、なぜか袋一杯のお菓子を貰っていた。

 髪はわかるが、試合前になぜお菓子? と思ったのだが、その疑問はすぐに解けた。

「前髪も邪魔だね、ワックスつけるね」

「お菓子おいしい?」

豊音「「おいしいけどー、いいのー? 試合前なのにー」

「いいんだよ! むしろ試合前だからこそ食べるんだよ……?」

「前髪できた……! これで再現度上がるね」

 『お菓子』

 『再現度』

「紫のビブスありました!」

 『紫』のビブス。

 つまり、彼女たちは――


「よし、よくやった。姉帯さんこれつけて」

豊音「? わかったよー」

 うまい棒をくわえたまま、紫のビブスを着ける豊音。

「できた!」

「できたね!」

「紫の人みたい!」

「ほんと! 紫の人みたい!」

 ――つまり。

 彼女たちは、黒子のバスケが好きなのだろう。

 豊音の前髪は、ワックスで左右に分けられ、真ん中に一本、束を作って垂らしてあった。

 豊音の前髪は元から紫のあの人に似ているが、ワックスで固めて、さらに再現度を増している。

 バスケ部員たちは、高身長の豊音に簡易紫コスをさせて遊んでいるのだろう。

 手元のお菓子、紫のビブスはそのためのもの。

「姉帯さん素敵!」

「格好良い!」

豊音「よくわかんないけどー、喜んでもらえて何よりだよー」

 なるほど、確かに豊音の際立った長身を見れば、そんな風に遊びたくなるのもわからなくもない。

 実際に、お菓子の袋を抱える豊音は紫のあの人っぽい。

 だが、しかし――


シロ「……ふっ」

 残念だったね、バスケ部員の皆さん……。

 豊音はすでに、この私の手によって――

豊音「準備完了ー?」

「うん、完璧だよ!」

豊音「よーし! それじゃ、がんばるよ! 全国制覇は譲れんのだー!」

「……ッ! あ、姉帯さん……?」

豊音「私は負けても、宮守は負けんぞー」

「姉帯さんそれちがっ……! 紫の人じゃなくて赤ゴリラ……!」

 ――スラムダンク派に、洗脳済みなのだ。

「そりゃ、赤木スピリットはバスケ部員としちゃマジリスペクトだけど……!」

シロ「……」

 認めよう。

 黒子のバスケは、確かに面白い。
 
 キャラは魅力的だし、設定も凝っていて試合展開もなかなかに熱い。
 アニメ版のオープニングなどを見ていると、大のスラムダンク好きである私も心が躍る。

 しかし。

 しかしである。

 豊音の身長は197センチ。

 そして、湘北の魂こと、湘北高校バスケットボール部主将、赤木剛憲の身長も197センチ。

 この類似点。
 
 魂の呼応と言う他ない。

 このつながりは、バスケ部員がどれだけ豊音を紫の人に似せようとしても切り離せはしない。



 まっとうな乙女なら、赤木さんと同じ身長だからといって喜ぶことはないだろう。

 しかし豊音は豊音である。

 豊音は私がスラムダンク完全版全巻を貸すと、翌日にはもう赤木キャプテンの虜になっていた。

 「私赤木キャプテンと身長が同じなんだよ! 凄いねー、私もバスケやったら上手いかもー!」

 などとはしゃいでいた。

 麻雀部員としては無視できない名前がアカギであるという点から注目し始め、そして作中での活躍と、その全国への道のりに、あろうことか自身ののほほんとした麻雀部再建活動を重ね、赤木キャプテンは豊音の一番のお気に入りになっていた。

 山王戦は涙なしには読めなかったと語っていた。

 というか、泣きながら語っていた。

 そんな豊音にバスケなんてやらせたら、赤木ごっこに走るのも無理からぬこと。

 バスケ部員の皆さんは豊音を紫の人に見立てて遊びたかったようだが、そうは問屋が卸さない。

 麻雀部としては断然、スラムダンクを推していく。

豊音「ふぅ……」

シロ「……?」

 やたらテンションの高かった豊音が、試合を目前に落ち着き始めた。

 少し様子がおかしい。


豊音「……夜風に当たって来るよー」

「姉帯さん!? なにちょっと! 意外に緊張してるの!?」

「今昼だよ!?」

豊音「震えが止まらーん」

シロ「ふふ……」

 よく見ると、豊音の体は小刻みに震えていた。

 まったく、困った赤木ファンもいたものだ。

 本気で緊張しているというのに、まだ赤木ごっこが止められないのか……。

 それなら一つ、ここは私が豊音に声を掛け、緊張をほぐしてやるとしよう。

 大丈夫だよ、豊音。

 相手は豊玉でも、山王でもないのだから。

シロ「豊音」

豊音「な、何かなー?」

シロ「大丈夫。『練習通りやれば、お前は負けやしないから』」

豊音「……っ!」


 そう――

 何も、これから行われる試合において、豊音が赤木剛憲になる必要はない。

 赤木は一日にしてならず。

 豊音は美紀男でいい。

 美紀男を破った花道くんになれれば上等。

 問題は――

「練習……?」

「姉帯さん、実はバスケ経験者……?」

シロ「いや、練習なんてしてないんだけどね」

「駄目じゃん!」

「なんで沢北っぽく声掛けたの!?」

シロ「いや、なんとなく……」

 当然、豊音はバスケの練習などしていない。

 豊音は麻雀一筋。

 初の実戦に挑む河田美紀男に山王のエース沢北が声を掛けたシーンを真似たことに、一切意味などない。

 しかし、豊音は。

豊音「シロ……! わかったよ! ありがとう! ごむぇーん!」

シロ「いいってことよ……」

 これで誤魔化されてくれる。

 豊音はにぱっと笑い、胸元で小さくガッツポーズ。

 緊張は解けたようだ。


猫目「準備いい? 整列するよ!」

豊音「ついに……!」

たれ目「がんばろうね、姉帯さん」

シロ「頑張って……」

豊音「うん!」

 両校整列。

「「「しやすっ!」」」

 審判は相手校の補欠選手。

猫目「それじゃ、姉帯さんお願いね」

たれ目「掴んじゃだめだよ? できるだけ私のいるほうに弾いてね」

豊音「はい……!」

 当然の如く、ジャンプボールは豊音に任された。

 パッと見相手校のスタメンは、宮守バスケ部の面々よりも平均身長が高い。

 しかし一番大きい豊音の相手でも、せいぜい170センチ台半ばといったところ。

 あとは私と同じ位か、少し低いくらい。

 豊音はコート上で一番でかい女だった。

 豊音よりでかい女子が、そうそういてたまるかと言う話だが。


豊音「たあっ!」

「たっか……!」

 軽がるとジャンプボールものにする豊音。

 豊音が運動する姿を始めて見たが、身長だけでなくジャンプ力もなかなかだった。

 弾いたボールは無事たれ目ちゃんに渡る。

 たれ目ちゃんはポイントガードらしい。

 豊音とは対照的に、たれ目ちゃんはコート上で一番小さい女だった。

たれ目「姉帯さん!」

豊音「はい!」

 事前に打ち合わせていたのか、豊音はゴール下にダッシュ。

 たれ目ちゃんはマークをかわし、一人抜いたところで横から走りこんで来た猫目先輩にパス。

 たれ目ちゃんのおっとりした外見に反したスピード。
 そしてそれを遥かに上回る猫目先輩の脚力に目を見張る。

 ボールはあっという間に敵陣に運ばれた。

 両校、全選手がハーフコートに。

 相手校のディフェンスはマンツーマン。

 フリースローラインの手前に走りこんでいたたれ目ちゃんにボールを返す猫目先輩。

 中、外と、そのままハイテンポでボールを回す豊音以外のバスケ部。

 ボールを奪われこそしないものの、責めあぐねている様子だ。

 漫画だとわかんないけど、実際のバスケってかなり忙しないね。


 たれ目ちゃん、ボールを頭上に掲げる。

「おっきい子マーク! 二人で当たって!」

 それを見た相手校の主将らしき人物が指示を出す。

 たれ目ちゃんは豊音にパスを出すつもりなのだろう。

 豊音なら多少高く放ってもボールを取れるはず。

 豊音の選手としての素性がどうあれ、あれだけの背丈を誇る選手が相手チームにいれば、それは警戒するだろう。

 たれ目ちゃん、マークの注意が一瞬逸れた隙にゴール手前に切り込む。
 
 そして顔を豊音に向け、視線はそのままに猫目先輩にパス。

 ボールは猫目先輩を少し逸れた。
 
 アウトサイドにポジショニングしていた先輩もマークをかわす。

 
 相手ディフェンダーを他の部員がブロック。 

 猫目先輩、やや中に切れ込んだ位置でボールをキャッチ。

 そのままシュート。

 ボールはリングの内側に落ちる。
 
 ネットを通過する小気味良い音。



「ナイシュー!」

豊音「やったー」

 先制は宮守女子。

 ただ、猫目先輩のシュートの軌道は、やや頼りないものだった。

 ボールには勢いがなく、どうにかリングには届いたという感じ。
 
 脚力と相手ディフェンスをかわす身のこなしはかなりのものだが、猫目先輩、シュートはあまり得意ではないのかもしれない。
 
 たれ目ちゃんのパスは逸れたのではなく、猫目先輩の腕力を考慮して、ゴール手前に放ったのだろう。

 晴子さんも言っていたが、女子はジャンプシュートが苦手というのは本当らしい。

 男子のワンハンドシュートに憧れる晴子さんを思い出し、胸が締め付けられる。

 頑張れ……! 猫目先輩……!

シロ「……」

 冗談はさておき。

 何にせよ、素人の私には見事という他ない連携だった。

 豊音の高さを活かすと見せかけて猫目先輩が決める。

 おそらく宮守バスケ部の面々としては、豊音に多くは期待していないのだろう。 

 いくら身長が高いとはいえズブの素人である。

 しかしあの長身は相手校も警戒せざるを得ない。

 オフェンスの際、豊音がゴール下に走りこめば、当然豊音中心の攻めを想像してしまうだろう。

 女子バスケであの身長は、コートにいるだけで大きな武器になる。



 試合はしばらく、そのままのペース、宮守有利な状況のまま続いた。

 華奢な体格ながらボール運びの上手いたれ目ちゃん。

 やはりシュートの精度は低いが、スピードとクイックネスでは群を抜く猫目先輩。

 チームの核になる二人を他の部員がカバーし、宮守女子はリードを守り続けた。

 豊音もだんだんと仕事ができるようになっていた。

 ディフェンスではゲーム開始当初から戦力になっていたし、豊音を素人と看破した相手校がゴール下でのマークを減らしたことで、我が麻雀部の素人センターにもできることが増えていた。

猫目「あっ!」

 先輩のシュートが外れる。

 豊音に集中していたマークが分散したことで、猫目先輩とたれ目ちゃんの連携に影が差す。

 元より精度の低い先輩のシュートが、相手ディフェンダーのプレッシャーに阻まれ全く入らなくなっていた。

 ジャンプシュートの精度が低くとも、宮守バスケ部員は先輩にボールを集めている。

 他の部員にも当然シュートの機会はあるが、先輩以上に成功率が低い。
 
 他に決め手を持った選手はいないようだった。



 先輩を中に入れず、レイアップさえ封じれば、あとはどうとでもなるといった相手校の守り。

 そして攻めの中心になっていた猫目先輩にマークが集中する。
 
 さすがの先輩もかわしきれず、強引にシュート。

 今度は力が入り過ぎた。

 ボールはボードに弾かれた。

 そして――

たれ目「リバンッ!」

豊音「――――ッ!」

 豊音の闘いはここから始まる。

「!」

 豊音は跳んだ。

 目を剥く豊音のマークマン。

 豊音はリングに弾かれたボールをタップ。

 ボールをリング内側に押し込む。

 ネットが揺れる。

猫目「!」

たれ目「!!」

豊音「や――」

 着地と同時に、豊音の目が輝く。

 豊音の初得点だった。

豊音「やったー!」



たれ目「すごい……! タップシュートできる女子、初めて見た……」

「しかもあんなに軽々と……」

猫目「はは……」

 豊音の周囲に集まり、賞賛する宮守バスケ部。

 素人に完璧なフォローを受けた猫目先輩も、輪の外側で苦笑している。

 相手校、しばしあっけに取られ動きが止まる。

猫目「! ほら、ディフェンスいくよ!」

「はい!」

 気づいた先輩が部員に声を掛ける。

 応じる部員たち。

 相手校も正気づく。

 敵陣でディフェンスの体勢に移る宮守バスケ部。

シロ「……」

 ベンチにいる素人の私にも、その瞬間、試合の主導権は完全に宮守女子のものになったように見えた。 

 誰が何と言おうと、ウチが相手校を押している。





   4


 試合は最終クオーター。

 残り時間は五分を切っていた。

 相手の追撃も激しいが、宮守はリードを守っている。

 豊音の攻守に渡る活躍が大きい。

 素人の豊音はハイテンポでボールを回されるとあからさまに混乱していたが、ゴール下では自分の有利をよく自覚したようで、猫目先輩のシュートミスをオフェンスリバウンドでカバーし続けていた。

 ディフェンスリバウンドも豊音の独壇場で、幾度もカウンターチャンスを作ってはチームに貢献していた。

 少し調子に乗り、ダンクを試みて失敗したりもしたが、それとて相手のプレッシャーになったようで、再びゴール下での豊音のマークは厳しくなっていた。

 豊音にマークが集中し、猫目先輩とたれ目ちゃんのコンビも息を吹吹き返す。

 オフェンスの幅が広がった宮守バスケ部は攻めに攻めた。

 そして試合は終了。

 スコアは52対44で宮守女子の勝利。

 幸い、私に出番は回ってこなかった。

 やったことと言えば、豊音がリバウンドを取ったときに「それだ!!」と体を震わせたことくらい。

 ベンチでもできるスラムダンクごっこ、その初級編といったところ。

 最初はだるくて仕方なかったが、私もまぁまぁ楽しめた。


豊音「シロー! やったよー! 勝ったー!」

シロ「おつかれ……」

 挨拶を済ませ、ベンチに戻ってきた豊音にタオルとドリンクを渡す。

たれ目「姉帯さんすごいよ! こんなに余裕持って勝ったの初めて!」

猫目「ほんと、リバウンド取れる子がいると楽だわ」

 たれ目ちゃんの言う余裕とは、点差のことではなく試合展開のことなのだろう。

猫目「ありがとね、おかげでいい練習になったわ」

豊音「へへー、こっちも楽しかったよー。ありがとうございました」

たれ目「ねぇ、姉帯さん、バスケやらない? 姉帯さんすごい素質あるよ。初めてとは思えないプレイだったよ?」

 たれ目ちゃんは豊音にすっかりご執心のようだ。

 あれだけほいほいリバウンドを取れる豊音は、バスケ部員なら、特にたれ目ちゃんのようにゲームメイクを担うポジションの選手なら、喉から手が出るほど欲しいだろう。

豊音「嬉しいけどー。ごめんねー。私、麻雀部で全国目指すって決めてるからー」

シロ「豊音はあげない……」

たれ目「ええー……」


猫目「……もう、手伝ってくれた麻雀部さん困らすんじゃないよ。とにかく、今日はありがとう、今度何かお礼するね」

豊音「そんなー、こちらこそ楽しかったのでー。お構いなくー」

シロ「……お菓子がいいな」

「小瀬川さん、試合出てないのに……」

「図々しい……」
    
猫目「はは、わかった。今度部室に差し入れ持ってくよ」

豊音「もー、シロー? すいませんうちの部員がー」

シロ「……」

 豊音にフォローされちゃった。

 ともあれ、練習試合は終わり、バスケ部のみんなは相手校との合同練習に移るというので、私たちは退散することにした。

 帰り支度をする豊音を見て、相手校の選手は豊音がバスケ部員でないことにショックを受けていた。

 大会前に素人にしてやれらたのは気の毒だが、こちらの関知するところではない。

 汗を流したいという豊音に付き合いシャワー室に寄り、私たちは麻雀部に帰還した。

 帰還後は豊音に配慮して練習は軽めに済ませ、お開きとなった。

 それぞれ帰り支度をしていると、豊音が声を上げた。



豊音「あれー、ないー?」

胡桃「なにが?」

豊音「携帯ー」

塞「なくしちゃったの?」

豊音「うん、鞄に入れておいたのにー」

エイスリン「タイヘン!」

塞「鳴らしてあげる」

 塞が自分の携帯を取り出し、豊音の番号をコールする。

 しかし部室のどこからも、豊音の携帯のコール音は聞こえてこなかった。

豊音「あれー? どこいったんだろー?」

シロ「ここにないなら、体育館、シャワー室、教室のどこか……?」

豊音「そうかもー、ちょっと見てくるよー」

胡桃「私も付き合うよ」

 そう言って、二人は部室を出て行った。

塞「私らは待ってようか」

エイスリン「ウン!」

シロ「……」

 そして十分後。


豊音「だめだー」

 二人は部室に戻ってきた。

塞「なかったの?」

胡桃「うん、シャワー室の更衣室にも、教室にもなかった」

豊音「体育館はもう閉まってたよー。バスケ部も練習終わって帰っちゃってた」

シロ「受付の落とし物コーナーは見てきた?」

胡桃「見てきた。そこにもなかったよ」

塞「それなら明日まで待って、バスケ部行ってみるしかないね」

豊音「そうするよー……、ああー今晩みんなとメールできないよー……」

胡桃「一晩我慢だね」

エイスリン「ガマン!」

シロ「……」

 携帯を失くした豊音には気の毒だが、私としては豊音のメール攻勢から一晩開放されるので、少しほっとする。

塞「それじゃ、帰ろうか。部室閉めよう」

シロ「うん……」

 そうして、私たちは部室の鍵を職員室に返し、揃って学校を後にした。

 


 
   5


 翌日の放課後。

 塞と二人、部室に向かって歩いていると、背後から声を掛けられた。

たれ目「こんにちわ、おふたりとも」

塞「こんちわー、どうしたの?」

シロ「ちわ……」

 昨日と同じく、体操着に身を包んだたれ目ちゃんだった。

 そういえば、たれ目ちゃんと猫目先輩の名前を聞きそびれたままだった。

たれ目「いえ、ちょっとお見かけしたものですから、ご挨拶をと」

塞「ふーん……?」

 そう言うたれ目ちゃんの視線は、なぜか私に注がれている。

シロ「なに……?」

たれ目「……うん、やっぱり、小瀬川さんも結構背丈ありますよね」

シロ「……バスケはやらないよ。それに、豊音もあげない」

塞「ん? 何? どういうこと?」

 塞の表情が険しくなる。

 挨拶を、なんて言っているが、たれ目ちゃんは豊音の勧誘をまだ諦めていないのだろう。

 豊音を勧誘するために、まずは外堀を埋めるため私を勧誘しようと考えた。

 そう指摘すると、たれ目ちゃんは困ったように笑い、私に頭を下げた。



たれ目「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。ただ、ウチの部って背の高い選手がいないから。ちょっとでも背の高い人を見かけると、こうやって駄目もとで声掛けてるんです」

シロ「そう……」

 宮守女子バスケ部には、高さが足りない。

 昨日見た部員の中でも、一番大きい選手で私と同程度の身長しかなかった。
 
 あとの部員は塞やエイスリン程度の体格の選手ばかり。

 女子としては平均的な体格の選手しか、宮守バスケ部にはいない。 

 ポイントガードのたれ目ちゃんとしては悩みどころなのだろう。

 昨日の豊音の高さを活かした攻守、それによってもたらされた勝利は、たれ目っちゃんにとっては忘れがたいもののはずだ。

塞「駄目だよ……? シロも豊音もあげないからね……?」

シロ「塞……」

 なんか怖いよ……?

たれ目「うーん、でもやっぱり諦めきれないなぁ……。昨日、あんなの見せられちゃったら」

シロ「無理だと思うよ。豊音は麻雀大好きだし、あの子は麻雀やるためにこの学校にきたようなものだから」

たれ目「兼部でもいいんですよ?」

シロ「豊音はともかく、私は絶対にやらない。割と麻雀、本気でやってるから……」

塞「豊音もやらないからね。兼部でも駄目!」

 いけない、塞さんぴりぴりしてきちゃった。



たれ目「そこをなんとか、部長さんのお許しさえ頂ければ、あとは私で説得しますから」

 たれ目ちゃん、物怖じしないな……。

 長い付き合いの私でも、今の塞はちょっと怖いのに。

 これは早めに退散したほうがいいかも。

 二人がヒートップする前に。

 しかし――

塞「だめ! ウチだって本気で全国目指してるんだから! 兼部でもだめなものはだめ!」

たれ目「そんなことおっしゃらず――」

シロ「だるい……」 

 そうは問屋が卸さない。

 無視して部室に行ってしまえば済むものを、塞が相手をするせいで逃げるタイミングを失ってしまった。

 怖いもの知らずなたれ目ちゃんの交渉は、その十数分に渡って行われた。

 なかなかしつこい。

 なんやかんやと、たれ目ちゃんに声を掛けられてから、十五分が経過。

たれ目「それでは、そろそろ部活も始まる頃なんで、これで失礼しますね。またそちらに伺います」

塞「何度来ても駄目ったら駄目! シロも豊音もウチのエース候補なんだから! 絶対わたさないからね!」

たれ目「はい、それでは、また……」

 部員をヘッドハンティングから守らんと熱くなる塞を相手に、たれ目ちゃんは終始おっとりポーカーフェイスを崩さないまま交渉を続け、一礼し私たちに背中を向けた。



 もう一度来られると面倒なので、その背中に声を掛ける。

 釘を刺しておこう。

シロ「何度来ても無駄だよ。私も豊音も、バスケ部には行かない」

たれ目「……それでも」

 たれ目ちゃんはこちらを振り返り、少し寂しそうな表情で言った。

たれ目「先輩とバスケが出来るのは次の大会が最後になるかもしれないから……。姉帯さんがいれば、もしかしたら全国も夢じゃないかもしれない。だから、私、諦めません。ごめんなさい」

シロ「そう……」

 泣き落とし……だろうか。

 なんにせよ、最後まで礼儀正しいたれ目ちゃん。

 しかし塞の目には、その態度が慇懃無礼と映ったらしい。 

塞「もう……! なに考えてるの? 全国目指してるなんて、真面目にやってるとこならどこも一緒じゃない」

シロ「どうどう……。まぁ、仕方ないよ。うちは一年だけだから、あの子もああやって遠慮なく交渉できるのかも」

塞「それにしたって……!」

 三年生がいる部活のインハイ予選に向ける気持ちは、私たちのような一年だけの部活とは、また違ったものなのだろう。

 たれ目ちゃんも、自分の粘り越しの勧誘が無礼なものであることは承知している様子だった。



 それでも、猫目先輩のことを思えばやらずにおけないという感じ。

 たれ目ちゃんの勧誘を鬱陶しいと跳ね除けるのは簡単だが、やはり少し、罪悪感は残る。

シロ「それより部室行こう」

塞「……そうだね、もうみんな来てるかも」

シロ「胡桃とエイスリンは風紀委員だけどね」

塞「エイスリンも?」

シロ「うん。なんかポスターのイラスト描くのに、絵の上手い子探してるとかで……。胡桃が連れてった」

塞「ふうん」

 部室へ。

塞「おつかれー」

シロ「……」

豊音「さえー……、シロー……」

 部室には豊音が一人だけ。

 何やら元気がない。

 ソファに座りうつむいている。
 長い髪が垂れ下り、その顔を隠している。


塞「豊音……? どうしたの?」

シロ「……?」

 塞が近づき垂れ下る髪をかき上げると、露になった豊音の瞳は赤く潤んでいた。

 唇が震えている。

塞「どうしたの? なんで泣いてるの?」

豊音「帽子がー……」

シロ「帽子……?」

 そういえば、いつもは部室の隅のコート掛けに掛けてある豊音の帽子が見当たらない。

豊音「なくなっちゃったー……。そこに掛けといたのにー」

シロ「いつ?」

豊音「内線でー……」

 豊音は部室の壁掛け電話を指差す。

豊音「校長に呼ばれて部室留守にしてー、戻ってきたらなくなってたよー……」

シロ「確かにそこに掛けたの? どっかに置いてきたってことはない?」

豊音「ないよー、いつも通りそこにかけたよー」

シロ「そう……。てことは……」

塞「いきなり、なくなるってことはないよね……?」

シロ「……」

 そりゃ、そうだ。

 ということは……。

塞「誰かが盗んだ? 豊音の帽子を?」


豊音「やっぱり、そうなのかなー……」

シロ「……まぁ、早合点はよくないよ」

塞「そ、そうだよね。豊音、まずはどっかに忘れてないか探してみよう」

豊音「……うん」

塞「えっと、まず今日どこにあの帽子被って行ったか、思い出してみて」

豊音「えっとー……」

シロ「……」

 そして私たち三人は、豊音の記憶を頼りに、学校中を手分けして帽子を探すことになった。

 三十分後。

塞「だめだったー」

 部室から一番遠い女子更衣室に行っていた塞が戻ってきた。

 私と豊音はすでに捜索を終え、先に部室に戻ってきていた。

シロ「そっちもか……」

塞「よく探したんだけど……。あんな目立つものそうそう見落とすはずないし……」

豊音「やっぱり、盗られちゃったのかなー……」

 赤く泣き腫らした豊音の瞳が、再び潤んでいく。

 私も塞も、掛ける言葉が見つからない。


 帽子の紛失が窃盗によるものだとして、豊音の帽子を盗んで犯人にどんなメリットがあるのか。

 盗む理由が思いつかない。

 豊音の頭髪に欲情する変態教師、もしくは変態レズの仕業、なんて突拍子もない理由を思いついたが、まさかそんなはずはないだろう。

 可能性は否定しきれないが、考慮するにしても後回しにしていい可能性だ。

 あのどこにでもあるような帽子に、金銭的な価値があるとも思えない。

 だとすれば、犯人は帽子が欲しくて窃盗に及んだわけではなく、豊音の私物を持ち去ることが目的だったと考えざるを得ない。

 つまり犯行は、豊音に対する悪意によって成されたものだと、そういうことになってしまう。

 豊音が悲しんでいるのも、私と同じ想像をしているからだろう。

 誰かに苛められているかもしれないという不安で、豊音は泣いている。

 塞は黙って豊音の頭を撫でている。

 どうしたものか思案している様子だった。

 部室の扉が開く。

 風紀委員の仕事で遅れていた胡桃とエイスリンだった。


胡桃「ごめーん、遅れた」

エイスリン「ゴメーン」

胡桃「! 何? 豊音、どうしたの?」

塞「いや、それが……」

 塞が二人に事情を説明。

胡桃「そっかー……。うーん……どうする? 先生に話す?」

塞「どうしよう? あんまり大事にするのもどうかとおもって……」

シロ「誰かが盗んだって前提で、表立って行動するのは反対……」

塞「なんで……?」

シロ「周りの人を容疑者扱いすることになる……。きっと、すごくだるいよ……」

 盗まれた可能性が高いというだけで確証はなく、盗まれたとしても犯人の手がかりは何もない。

 この状況で犯人を捜しても、片っ端から周囲の人間を容疑者として挙げ、一人ひとり当たっていくしかできることはない。

 痛くもない腹を探られる者も出てくるだろう。

 たとえば、麻雀部室の近くに部室がある文化部の部員がそうだ。

 麻雀部としては体裁が悪すぎる。

 相手にも失礼極まりない。


塞「それもそうね……」

 しばしの沈黙。

 塞が口を開く。

塞「私、行って来る……」

シロ「どこに……?」

塞「ご近所さん。帽子のことは伏せて、うちに誰か出入りしたのを見てないか訊くだけなら……」

シロ「反対」

塞「なんでよ?」

シロ「それは、駄目」

 もし訊ねた中に犯人がいた場合、塞が犯人を遠まわしに牽制することになってしまう。

 帽子を盗むなんてつまらないことをする人間に、塞が目をつけられては堪らない。

 却下。

塞「じゃあ、どうするのよ。そんなこと言ってたら何も出来ないじゃない」

胡桃「そうだよ! もうこの際、多少失礼でも周りの部活の人に訊いて回ろう!」

エイスリン「ソウダソウダ! ハンニンサガシテ、テッケンセイサイ!」

豊音「な、殴っちゃ駄目だよー」

シロ「はぁ……だるい」


 ソファに腰を下ろす。

 塞の提案した行動方針を却下したせいか、代案を求める視線を浴びせられる。

シロ「ちょっと待ってよ……。少し考えるから……」

 どうすれ、周りにカドを立てずに犯人を捜せるか。

 そもそも犯人は誰なのか。

 考えてはみるものの、妙なプレッシャーで考えがまとまらない。

 私は四人の視線から逃れるようにうつむいた。

 そこで、

シロ「……あれ?」

 テーブルの上に置かれた、豊音の携帯が目に入る。

シロ「豊音、携帯あったんだね……」

豊音「へー? ああ、うん。やっぱりバスケ部に忘れてたみたい。なんか、私が校長の所に下宿してるって知ってる子がいたみたいでー。届けてくれたんだってさ」

シロ「そう……」

 なんでわざわざ校長のところに……?

 直接豊音のところに届けたほうが早いんじゃ……?

 帽子の紛失に関する妙案が浮かばないせいか、つい、そんな関係のないことに思考が巡る。

 今考えなくてもいいことを考えてしまう。

 そして。


シロ「…………ああ」

塞「? シロ?」

シロ「いや、なんでもない」

 これは……。

 考えなくてもいいことは、考えなければならないことだった。

 犯人がわかったかもしれない。

胡桃「……」

シロ「……」

 胡桃も気づいたかな……。

 この中で、真っ先に犯人に思い至るのは、私か胡桃だろう。

塞「シロ、他に案が出ないなら、私言ってくるからね?」

 そう言って、塞は扉に手を掛けた。

豊音「ま、待って塞ー。その前に私、もう一回学校の中探して来るよー」

 豊音としては、誰かを疑うようなことはしたくないのだろう。

塞「豊音……」

 豊音は帽子を取ろうとコート掛けに手を伸ばした。

豊音「あ……あははー、いってくるよー」

 そして今はそこに帽子がないことを思い出し、涙ぐんで部室を後にした。

エイスリン「マッテ! ワタシモ、イク!」

 エイスリンがその後を追った。

塞「やっぱり、私も行ってくるよ、犯人見つけてひとこと言ってやらないと気がすまない」

 塞の目が据わっている。

 怖い。

シロ「……その必要はないよ。塞」

胡桃「……」

塞「なんでよ、このままにしておけないでしょ!」

シロ「誰が盗んだのか、もうわかったから……」

塞「へ?」

シロ「犯人の所へ直接行こう」

胡桃「シロ……」




   6


 塞には豊音とエイスリンを連れ戻しに言ってもらい、犯人の所へは私一人で行くことにした。

 頭に血が昇っている塞は、連れて行くべきではないだろう。

 私が帽子を取り返し、豊音にはその変に落ちているのを見つけてきたとでも言えばいい。

 塞にもそう言い含めておいた。

 窃盗なんてなかった。

 そういうことにしようと。

胡桃「シロ」

 一人で行くと言ったのだが、胡桃が後からついてきた。

シロ「胡桃は来なくていいよ。気まずいでしょ?」

胡桃「そうだけど……」

シロ「大丈夫だから。大事にはしない」

胡桃「……あんまり、責めないであげてね?」

シロ「うん……。わかってるよ」

 胡桃は犯人だけでなく、その動機にも察しがついているようだ。

 おそらく、胡桃は私と同じ想像をしている。

 昨日の豊音の、胡桃に対するおいたを思い出す。

 あの人もきっと、胡桃と似たようなコンプレックスを抱えているのだろう。

 そう単純な話でもないのかもしれない。

 だが、私や胡桃の立場からは、どうしてもそんな想像をしてしまう。


シロ「とにかく、話をつけて来る。胡桃は豊音といてあげて……」

胡桃「うん、頼むね。シロ」

シロ「お任せあれ……」

 胡桃は踵を返し、麻雀部室へ。

 私はバスケ部の部室へ。

シロ「……」

 扉をノック。

「はーい」

 中から、猫目先輩の声。

シロ「麻雀部の小瀬川です」

「あー、開いてるから入ってー」

シロ「失礼します……」

猫目「どうしたの? 小瀬川さん」

 中には都合のいいことに、先輩が一人だけ。

 先輩は着替えの最中だった。

シロ「すみません……」

猫目「ああ、いいって。それよりなんか用?」

シロ「はい……」

 服を着ているときは塞とさほど変わらない体格に見えたが、下着一枚の今は随分印象が違う。

 女性らしいラインは残しながらも、二の腕や腹部は引き締まり、薄っすらと筋肉が浮かび上がっている。

 運動部の体だった。

 それも、相当に真面目な運動部員の。


猫目「ちょっと待ってね。これ着ちゃうから」

シロ「はい……」

 先輩は私に背を向け、体操着を手に取った。

 先輩の着替えが終わるのを待って、その背中に声を掛ける。

 面と向かって切り出すよりは気が楽だった。

シロ「豊音の帽子……」

猫目「……!」

 先輩の体が固まる。

シロ「返してもらえますか……。あれ、なんか大事なものみたいで」

猫目「……何の話?」

 先輩が顔をしかめる。

 やや演技過剰だった。

 ……シラを切るか。

 運動部らしく、潔いい態度を期待してたんだけど。

 返してください、はいごめんねもうしませんとは、やはりいかない。

 ダルいことこの上ない。


シロ「ああ、いきなりすみません。さっき部室で、豊音の帽子がなくなりまして……。あんな物、いきなりなくなるはずもないし、誰かが盗んだんじゃないかって話になりまして……」

猫目「どっかに忘れてきたってことは?」

シロ「目ぼしいところは探したんです。でも、どこにもなくて。それでやっぱり、盗まれたんじゃないかと……」

猫目「それで、なんで私?」

シロ「状況的に、先輩が一番怪しいかなって……」

猫目「状況的にって……どういうこと?」

シロ「今日うちの部員は全員、いつもより部室に来るのが遅れたんです」

猫目「……それが?」

シロ「……私と塞は、昨日うちの部室に来たおたくの一年生に捕まって。
   胡桃とエイスリンは風紀委員の仕事で。
   豊音は昨日練習試合のときに、おたくに忘れた携帯を取りに校長室へ行っていて。
   みんなそれぞれ理由があって、部室に来るのが遅れたり留守にしたりしました」

猫目「……」

シロ「私たちが部室に来るのが遅れた理由、豊音が部室を留守にした理由のすべてに、バスケ部と風紀委員が絡んでいます。
   先輩はバスケ部の部長で風紀委員長です。両方に関係がある先輩は、麻雀部が無人であることを知っていた。
   もしくは――」

猫目「――もしくは、私が麻雀部が無人になるように仕向けたって、そう言いたいの?」


シロ「いいえ。豊音以外の四人が部室に遅れた事情に関しては、先輩は知っていただけ……。
   ただ、豊音が部室を空けたのは先輩が仕向けたこと……だと、思ってるんですけど」

猫目「ふうん……」

シロ「証拠はありません。間違っていたのなら謝ります。ただ、私たちとしては、周りの人を容疑者扱いして迷惑を掛けるわけにもいかなくて……」

猫目「それで、状況的に一番怪しい私のところにピンポイントで来たと……」

シロ「はい、そういうことです……」

猫目「……」

シロ「……」

 それきり、先輩は黙り込んだ。

 無言で私を見つめている。
 
 その表情からは、罪を押し付けられた怒りは見て取れない。

 疲れたような、感情の見えない表情だった。

 もう一押し、必要なのだろうか。

 正直、気分が悪い。

 私は先輩を糾したいわけではない。

 ただ豊音の帽子を返して欲しいだけなのに。



シロ「携帯を校長に届けたのは、先輩ですね?」

猫目「……」

シロ「先輩は同じ風紀委員の胡桃から聞いて、校長が豊音の同居人であることを……校内で豊音の持ち物を預けても自然な人物であることを知っていた。
   校長以外の豊音の顔見知り、たとえば、豊音のクラスメイトに携帯を預けた場合、その生徒は豊音に直接届けてしまう可能性が高い。
   物が携帯ですからどこかに呼び出すこともできませんし、そもそも預かり物を届けるのにどこかに呼び出すのは少し不自然です。
   でも、校内の内線を許可なく使えて、放課後でも仕事のある校長なら、豊音を部室から呼び出してくれるかもしれない。
   先輩はそう考えた」

猫目「それって、姉帯さんを部室から引き離すには、ちょっと不確実じゃない? 絶対に校長があの子を呼び出すとは限らないんだし」

シロ「……先輩は迷っていたんじゃないですか?」

猫目「……何を?」

シロ「嫌がらせを、実行するかどうかを」

猫目「……」
   
シロ「先輩は豊音以外の四人が部室に遅れることをたまたま知って、豊音をどうにかできれば麻雀部を無人に出来ると気づいた。
   たまたま豊音の携帯を持っていて、たまたま豊音を引き離す手段として使う案を思いついた。
   そうして魔が差して、窃盗を実行に移したんだって、私は考えています。
   豊音を部室から引き離す手段が不確実なものになったのは、先輩に計画性がなかったから、そして、迷いがあったから。
   校長が、他の四人が来る前に豊音を呼び出してくれれば実行、豊音が呼び出されなければ何もしないつもりだった……」



 たまたま、たまたま、たまたま……。

 だるくないほうへ、だるくないほうへと考えを巡らせた結果、行き着いた結論だった。

 本来なら、多少体裁が悪くとも周りの文科部に聞き込みを行って、目撃情報を募り容疑者を割り出して、具体的な証拠を示した上で犯人を指摘するべきなのかもしれない。
 
 だが、そういった犯人探しは、犯人に豊音に対する明確な悪意があると認めた上で行うことになる。
 
 私はそれがだるかった。

 帽子はなくなったのではなく盗まれた。

 その前提を認めるのなら、犯人はたまたま魔が差して犯行に及んだと考えるほうが気が楽だ。

 証拠も証言もないが状況的に怪しくて、他人に対し悪意を抱くとすれば魔が差して、気の迷いでという程度の善人で、確証がないまま犯人として指摘しても冷静に対応してくれそうな人物。

 私の中では、それが先輩だった。

 だからこれは推理ではなく、私の希望的観測に基づいた想像を披露しているだけ。

 もし間違っていたらと思う一方で、具体的な証拠を探すべきだと思う一方で。

 私はこれが正解だと、心の奥底で確信していた。

 迷って迷って、それでも正解はこれだと、矛盾を孕んだ確信で。

 私は先輩が犯人だと指摘している。
 

 
猫目「……」

シロ「……」

 無言のまま立ち上がり、先輩はロッカーの扉を開く。

 中には、豊音の帽子があった。

 先輩は私に帽子を手渡し、笑った。

猫目「見てきたように言うんだもの……ほんと参っちゃう」

シロ「……」

 間違ってはいなかった。

 それでも、喜びはない。

猫目「とにかく、ごめん……」

シロ「いえ……返してもらえるなら、なんでも」

猫目「小瀬川さんに謝ってもしかたないか……姉帯さんに謝らないとね……」

シロ「それは、やめてもらえますか? 豊音にはどこかに落ちていたって話すつもりなんで……」

猫目「そっか……そのほうがいいよね」

シロ「先輩、なんでこんなことを……?」

 胡桃はどうやら、バスケ部員である先輩が、豊音の体格に嫉妬して嫌がらせをしたと考えているようだった。

 私の想像も、胡桃と大体同じ。

 おそらく、その想像は大きく外れてはいないだろう。

 だが、私は正確に事情を把握したかった。

 私は豊音が好きだ。

 可愛いとしか思えない。

 私の主観では可愛くて好ましいばかりの豊音に、先輩がどのように悪意を抱き、犯行に及んだのか。

 それを聞いておきたい。

 豊音を苛めた理由に、納得のいく言い訳があるのなら聞かせて欲しかった。



猫目「嫉妬したってのがひとつ……ていうか、すべてだね」

シロ「……」

猫目「小瀬川さん、昨日のスコア覚えてる?」

シロ「確か、52対44……?」

猫目「そう、あの試合展開で、その程度の差しかつけられなかった」

シロ「その程度って……立派なものなんじゃ?」

猫目「相手は格上だったからね。もちろん、文句なしの勝利だよ。
   でもね、昨日の姉帯さんの活躍があれば、20点差はつけられる内容だった。
   あれだけリバウンドが取れて攻撃時間が長くなってるのに、私たちはそのチャンスの多くをふいにした……。
   姉帯さんはすごかったよ。でも、私たちはあの素質を完全には活かしきれなかった……。
   私と、あの子には……」

 あの子……。

 たれ目ちゃんのことか。

猫目「私とあの子、中学が同じでさ、バスケ部だったの。
   あの時も春から夏までの短い付き合いだったんだけどさ、妙に気が合って。
   あの子、私を追って宮守に来たの。短い期間でも、また一緒にバスケやろうって」

シロ「……」

猫目「私が先輩を全国に連れて行きますとか息巻いてて……。
   私もちょっとその気になったりして。
   実際、私たち相性良くてさ、プレイの息も合ってて、これなら案外いけるんじゃないかって。
   決定力の低さも、私たちのコンビネーションならカバーできるんじゃないかって思ってたの。
   でも、やっぱり駄目だった。   
   昨日、思い知らされたの。姉帯さんみたいな規格外の長身選手が加わって、それでも私たち、あの程度のバスケしかできないんだって」

シロ「……」



猫目「昨日、見てて思わなかった? 私、シュート下手なんだよね。小学校の頃からたくさん練習してきたんだけど、それでも駄目だった。
   自分の素質の低さなんてとっくの昔にわかってた。でもね、それでもあの子と一緒に精一杯練習して、最後の試合に臨むつもりだった。
   あの子とのコンビで最後までやれれば、もうそれで、本気のバスケは終わりでいいって思ってた。
   なのに……」

シロ「先輩……」

 「本気のバスケは終わりでいい」とは、部活に所属さえすれば、素質の有無に関係なく公式戦に参加できる学生スポーツの舞台を、高校を最後に去るという意味だろう。

 先輩はまず、豊音の素質に嫉妬した。

 そして自分たちの努力は、たれ目ちゃんとのコンビはこの程度のものだと、豊音の素質を活かしきれなかったことで自覚させらた。

 最後の本気のバスケに臨む上で、おおげさに言えば心中相手のように思っていたたれ目ちゃんとのコンビを、本番を前に素人の豊音に否定された。

 その上、さらに――

猫目「あの子、昨日の試合から姉帯さんの話ばっかり。
   姉帯さん姉帯さんって、そればっかり。
   それでこう……。なんか、いらっときちゃって」

シロ「そうですか……」

 ――相棒のたれ目ちゃんは、豊音を求めた。


 豊音の素質に嫉妬し、素質を活かせなかった自分たちの実力を自覚させられ、最後の試合に共に挑むと決めていた相棒の興味を奪われた。

 「こんなに余裕もって勝ったの初めて」

 思えば、昨日のあのたれ目ちゃんの一言が、先輩が犯行に及ぶ決め手だったのかもしれない。

 先輩は「嫉妬したってのがひとつ」と数えて、「いや、すべてだね」と言い直していた。

 思い返し、改めて自覚したのだろう。
 先輩は豊音に、二重三重の嫉妬を抱いていた。

 バスけは高校でやめなければならない。
 自分には素質がないのだから仕方がない。

 そう自分に言い聞かせて押さえ込んでいた自己憐憫を、豊音への嫉妬で解き放ち、豊音に対してぶつけてしまった。

 嫌がらせを、帽子の窃盗を実行に移してしまった。

猫目「全部、小瀬川さんの言う通り。
   迷惑かけてないかなってのが半分、姉帯さんの勧誘を止めたいってのが半分で、勧誘に行って来るて言うあの子を探してたら、あの子があなたと部長さんに声掛けてるのを見つけ      
   たの。
   そんとき、なんとなーく思い出したんだ。胡桃ちゃんが、挨拶強化月間のポスターを描いてもらうために、エイスリンさんを連れて行くって言ってたのを。
   それで、ぼやーっと。
   姉帯さんさえどうにかできれば、麻雀部、誰もいなくなるなー……って。
   いや、どうにかって、どうすんのよって思ったんだけどね?
   なんか、考えないようにしようとすれするほど考えちゃって。
   校長に預けたら、姉帯さん部室から引き離せるかもって思いついて……。
   あとはあなたの言う通り。校長が姉帯さんを呼び出したら実行、呼び出さなければ何もしない。全部忘れて部活に戻るつもりだった」

シロ「そして、校長は豊音を呼び出してしまった……」

猫目「うん、そういうこと」



シロ「……もしかして、携帯がなくなったのは?」

猫目「……うん、私が盗ったんだ。
   でも、姉帯さん全然盗まれたなんて思ってないって気づいて。携帯盗んだのに、麻雀部全然騒いでないなーって思ったら、頭に血が昇っちゃって。
   それでやっちゃったんだ」

シロ「そうですか……」

猫目「本当に、ごめん……」

シロ「……いえ」

 ……聞きたい話は聞けた。

 これでもう、ここに用はない。

 先輩の犯行動機に、思うところがなくもない。

 だが、部外者の私が先輩に言うべきことなど何もない。

 何を言っても、私の言葉では先輩には響かないだろう。

シロ「お話はわかりました。これで、失礼します……」

猫目「……うん」

シロ「念を押しておきますが、豊音には何も話さないでください。こちらもそれとなく、豊音をバスケ部に近づけないようにしますから」

猫目「わかった……」

シロ「それでは……」

 先輩に背を向け、扉に手を掛ける。

 背後で、先輩がひとりごちるように、呟いた。

猫目「ずっとさ……」


シロ「……」

 立ち止まる。

 振り返りはしない。

 今の先輩の顔を見るのは、きっとすごくダルい。

猫目「ずっと好きでバスケやって来て……必死に努力して、頑張って頑張って、それでも何も残らないんだって思ってた。
   でも、あの子に知り合えて、バスケやってきたこともまったくの無駄じゃなかったって……そう思えたの。
   これで終わりでいいって、あの子がいたから思えたのに……。
   あの子は私ほど、二人のバスケを大事に思ってなかったみたい。
   私のひとりよがりだったんだね……」

シロ「……」

 先輩の独白。

 その唯一の聴衆である私には、先輩に返すべき言葉が、言ってあげられることが一つだけある。

 私が先輩に言ってあげられる唯一のこと。

 先輩の豊音に対する三重の嫉妬。

 その最後の一つだけは誤解だということを。

シロ「さっき、あの子言ってましたよ。
   豊音がいれば、先輩を全国に連れて行けるかもって。
   あの子は、先輩とのバスケをないがしろにしていたわけではないと思います」

猫目「……」

シロ「県予選、頑張ってください。それでは……」

 先輩が何かを言う前に、私は扉を開けバスケ部を後にした。

 もう、これきりだ。

 先輩とはもう話すこともないだろう。

 嫌なことは全部忘れて、麻雀部に帰るとしよう。

シロ「……!」

 部室を出て、思わす身を固める。


豊音「シロー……」

 部室の扉の横に豊音がいた。

 床に腰を下ろし膝を抱えている。

 その目は赤く、頬は涙に濡れている。

シロ「豊音……」

 全部聞いていたのか……。

シロ「行くよ……」

豊音「うー……」

 先輩に豊音がいることを悟らせたくなかった。

 豊音の手を取り、立ち上がらせる。

 手を引いたまま少し歩き、バスケ部を離れたところで口を開く。

シロ「話、聞いてた?」

豊音「うんー……」

 耳の良い豊音のことだ。

 扉越しでも会話の内容は聞き取れていただろう。



シロ「豊音、あのね……」

 言葉が出ない。

 もう豊音には、帽子の紛失が窃盗であることも、私が窃盗をなかったことにしようとしていたことも、先輩の動機も、すべてばれてしまっている。

豊音「シロー……」  
 
 涙に上ずった声で、豊音は言う。


豊音「私、先輩に謝ってくるよ……」

シロ「……なんで?」

豊音「だってー、先輩、私のせいで嫌な気分になっちゃったんでしょ? それで私の帽子、盗ったんでしょ? それなら謝らないとー……」

シロ「それは……だめ。それだけはだめだよ、豊音」

豊音「なんでー……?」

シロ「豊音が先輩にあやまったら、『先輩よりバスケの才能があってごめんなさい』って言ってるのと同じでしょ?」

豊音「……」

シロ「ね? だから、だめ」

 才能に嫉妬し、相棒の興味を奪われたことに嫉妬し、出来心で持ち物を盗むなんて浅ましい行為に及んで、その上さらに相手に謝られたら、先輩はもう立ち直れないかもしれない。

 惨めな想いをさせられて、先輩の中に理不尽が怒りが湧いて出ないとも限らない。

 その時こそ本当に、出来心ではなく正真正銘の悪意が豊音に向けられるかもしれない。



 今回の一件、豊音には一切の責任がない。

 豊音はバスケ部に請われ、ただその役目をまっとうしただけだ。

 だが、豊音に邪気がないからといって、その受け取り方は相手次第。

 先輩に嫌がらせが理不尽なものであることを自覚する冷静さがあった。

 それでも窃盗を実行に移した。

 先輩のような人でも、そのときの心境次第で何をするかはわからない。

 豊音が謝っても、火に油を注ぐだけ。

 状況は悪くなるだけだ。

シロ「これから先輩に会っても、全部知らない振りをして」

豊音「うん……」
 
シロ「先輩は帽子を盗ってない。豊音も盗られてない。そういうふうに振舞って。それが豊音と先輩には一番いいから」

豊音「うん……わかったよー……」

ゆっくりと私の言葉の意味を考えるように、了承する豊音。

 私の言いたいことをすべて理解して頷いているのか、理解せずに従っているだけなのかは判然としない。

 どちらでもいい。

 この一件はこれで終わりだ。

 豊音が先輩に何も言わなければ、それで事は丸く収まる。



豊音「ぐすっ……」

シロ「ああ、もう……。豊音、しゃがんで」

 嗚咽をこらえた豊音の肩がわななく。

 鼻水が垂れていた。

豊音「……」

 ポケットティッシュを取り出し、豊音の鼻に当てる。

 ぶびびと鼻をかむ豊音。

 ティッシュを丸めて傍にあったゴミ箱に放る。

 今度はハンカチを取り出し、涙を拭う。

 最後に取り戻した帽子をかぶせて、完成。

シロ「こんなどろどろの顔で部室に戻ったら、みんな心配するよ……」

豊音「うん……」

 胡桃は心配するだろう。
 エイスリンは一緒に泣きかねない。
 塞は泣かせた相手を怒るかもしれない。

 そして私はだるい。

シロ「豊音……あのね」

豊音「んー……?」
 
シロ「先輩の気持ち、私も少しわかる気がするよ……」

豊音「どういうことー……」



シロ「私もね、豊音に麻雀で負けると悔しいって思うから……」

 私も麻雀は嫌いではない。

 嫌いではない麻雀で、豊音に良いようにやられると、妬む気持ちが湧かないでもない。

 自分の実力に疑問を抱くことが、まったくないわけではない。

 先輩の言葉を借りれば、本気の麻雀に打ち込んで、これで何かを得られるのかと考えてしまうことがたまにある。

豊音「う……うう~~」

 豊音の瞳がみるみる潤んでいく。

シロ「ああ、いや、違うよ。私は豊音のこと、それで悪く思ったりしないから……」

豊音「……」

シロ「先輩の気持ちがわかるってのは、つまりね、何も残らなくていいってところ」

豊音「ぐすっ……?」

シロ「先輩は、結果なんてどうでもいいって思ってたんだよ。先輩、あの子と一緒に最後の試合に臨めればそれでいいって、言ってたでしょ?」

豊音「うん……」

シロ「あれって、私も同じだなって思ったんだ……」


 三年間の高校生活は、きっとあっという間に過ぎていく。

 中学の三年間がそうだったように、本当にあっという間に終わってしまうだろう。

 その三年間を麻雀に費やすことに疑問を覚えはするけれど、中学の三年間を終えて自分に何が残ったのかを考えれば、その不安は和らぐ。

 私には塞が残った。

 今は豊音と胡桃とエイスリンもいる。

 そして先輩にはたれ目ちゃんが。

 だから私は、このまま迷わず、みんなと全国を目指せばそれでいい。

 先輩にも、穏やかな高校バスケの最後が訪れればいいと思う。

 豊音と先輩が全てをなかったことにすれば、そういう未来も見えてくる。

シロ「私も先輩と同じ。全国に行けなくても、豊音やみんなといられればそれでいい」

豊音「シロー……」

シロ「戻ろう……。みんな待ってる」

豊音「うんー……」

 もう一度豊音の顔を拭き、手を引いて歩く。 



豊音「……ぐすっ。えへへー、でも、全国には行くよー?」

シロ「……まぁ、がんばるよ」

豊音「シロの分も私ががんばるからー、平気だよー」

シロ「それは助かる……行こうか」

豊音「うん!」

 すると、対面から。

塞「ああ、いた!」

エイスリン「シロモ!」

胡桃「豊音!」

 豊音を探していたのだろう。

 他の三人が小走りに駆けてきた。

 先頭を駆ける胡桃が、豊音にすがりつくように飛びつく。

胡桃「もう! 探したんだから!」

豊音「ごめんねー」

エイスリン「トヨネ!」

塞「また泣いてる……」

豊音「もう平気だよー」

 三人が豊音を囲む。

 あれこれと世話を焼かれ、豊音は照れくさそうに笑う。

 やはりこうして見ると、豊音は大きいようで小さい。

 そして先輩の目には、大きな豊音しか映らなかったのだろう。

 不幸な出会いだったと言う他ない。

 小さくて可愛い豊音は、やはりとても可愛らしい。

 泣きはらした目元を拭い、豊音は言う。

豊音「シロー……」

シロ「ん……?」

豊音「行こうねー? 全国」

シロ「……うん」

 二年後、今の先輩と同じ立場に立った私は何を思うだろうか。

 本気の麻雀との別れを前に、何らかの屈託を抱えているだろうか。

 それとも掴み得る栄光を前に、笑っているだろうか。

 先のことはわからない。

 考えても仕方がない。

 考える必要はないのだと、今のみんなを見ていると思う。

 不安や疑問には封をして。

 みんなと一緒に、行けるところまで行けばいい。

 そう思う。


             槓

今日は以上です

次でクロスやって終わり

まだ余裕あるけど保守
全部書けたら投下します



 未来ある麻雀部の日々



  S 見たくないもの


 インハイ予選まで二週間を切った五月下旬のある日。

 その日は予選前の最後の休日ということで部活は休みになり、私はひとり下校路を歩いていた。

 一人だった。

 塞は自分のクラスで用事があるというので、先に帰路についていた。

 エイスリンは家の用事が。

 胡桃と豊音はバス停までは一緒だったが、もう別れた。

 制服を着ている時間帯に、一人でいるのは久しぶりだった。

 麻雀部に入部してから一ヶ月と三週間。
 ここ最近は麻雀部の四人がいつも傍にいて、常に騒がしかったこともあって、ひとりで歩く下校路がやけに静かに感じられた。

 久しぶりの一人、という気にもなる。

 寂しいと言えば寂しい。
 
 気楽といえば気楽。

 だが、どちらかといえば、寂しい気持ちのほうが勝っていたのかもしれない。

 私は気がつくと、人気のないいつもの農道ではなく、表通りを歩いていた。

 特に用もないのに、何とはなしに、商店の立ち並ぶアーケード街に足が向く。

 人恋しい、という訳でもないのだが……。

 このまま家に帰り、一人でだらだらする気分でもなかった。

シロ「……」

 アーケード街の人通りには、放課後の余暇を過ごす高校生の姿も見られる。

 みな複数人で連れ立って歩いており、一人でいるのは私だけ。



 私は歩くのが遅い。

 次々と通行人に追い越される。

 自分を追い越した買い物客、特に、楽しそうに笑い合う高校生グループの背に目を奪われながら、のんびりと歩く。

 自分の歩行速度の遅さを実感するのも久しぶりだった。

 みんなといる時は、もう少しだけ速く歩く。

 それでも、塞と歩く時を思い返すと、塞の肩やうなじの辺りばかり見ているような気がするので、やはり遅くはあるのだが。

 私なりに、みんなと足並みを揃えてはいる。

 思えば校内を五人で歩くとき、五人で出掛けるとき、私はみんなの一番後ろを歩くことが多い。

 人数が五人ともなれば横に広がって歩くわけにもいかず、自然といくつかの列に分かれて歩くことになる。

 そんなときは大体、先頭は塞か胡桃、その後ろにエイスリン、私、豊音の並びになる。

 背の順というわけでもないのだが、私と豊音は自然と後方に、前列には比較的背の低い三人、という並びになりやすい。

 しかし豊音は、何か楽しげな物事があれば積極的に前列に躍り出る。

 そのため、私は四人の背中を見て歩くことが多い。


 塞はそんな私を振り返らない。
 
 たぶん、私が自分の後ろを歩くことに慣れきっているのだと思う。。

 付き合いの浅いエイスリンはたまにこちらを振り返り、にこりと笑う。
 
 麻雀部との接点を作り、クラスも同じ私に里心がついている、とかだったらいいなと思う。

 豊音と胡桃は先を行って、こちらにぶんぶん手を振っている姿をよく目にする。
 
 急かされているようでだるいが、見ていて悪い気になるものでもない。

シロ「……」

 私を追い越す通行人は、私のことなど気にかけない。

 その背はどんどん遠ざかるだけ。

 当然である。

 しかし、久しぶりに一人で過ごす放課後に、妙に感傷的になってしまう。

 四人といるときと今を比較してしまう。

 とにかく、どこかの店に入ろうと、商店に視線を移す。

 雑貨屋が目に入る。
 

 
 なかなか洒落た店だ。
 
 店先には処分品の冬服が。
 
 どうやら、衣料品も扱っている店らしい。
 
 そういえば塞が、これから梅雨冷えするといけないから、何か一枚羽織るものが欲しいと言っていた。
 
 この処分品のカーディガンなんか、値段も手頃でいいんじゃないだろうか。

シロ「……」

 ……うん、この店は近いうちに塞と来よう。

 また今度。

 少し歩く。
 
 ケーキ屋が目に入る。
 
 ガラス越しに店内の様子が見える。
 
 中には買ったものをその場で食べられる喫茶コーナーがあった。
 
 そういえば胡桃と豊音が、このアーケード街に新しくできたケーキ屋に行ってみたいと話していた。
 
 店内に喫茶コーナーがあると言っていたので、おそらくこの店のことなのだろう。

シロ「……」

 ここも、また今度。

 さらに少し歩く。

 和菓子屋が目に入る。
 
 ここには一人で入る気にはならかったが、エイスリンが和菓子に興味を示していたことを思い出す。

 また今度。

 また今度、また今度と入店を見送って、結局私はスーパーの店先に設置されたベンチに腰掛けた。

シロ「だるい……」



 どこかの店に入ろうとしても、あれこれと四人と一緒に来る用事が思い出され、一人で入る気になれない。

 どうも、ここ最近は五人で行動するのが当たり前になり過ぎている。

 部活で長時間一緒にいる上、登下校も一緒、学校以外の余暇も一緒で、思えば生活の大部分をみんなと過ごしている。

 完全に一人での時間の潰し方を忘れていた。

 腰を下ろしても、やはり目がいくのは自分と同年代の高校生グループだった。

 思わず四人の顔を思い浮かべ、ぼっちじゃないよー、と心中で呟く。 

 一人でゆっくりする時間ができても、もう気楽だとは思えなくなっている。

 やはり、寂しいという気持ちが勝る。

シロ「……」

 今日はもう帰ろう。

 買い物には、また五人で来ればいい。

 たまには私から誘ってみるのもいいかもしれない。

 うん……そうしよう。

 それがいい。

 今日のところは一人で書店でも冷やかして、帰るとしよう。

 立ち上がり、書店に向かって歩き出す。

 途中、学ラン男子二人、セーラー服女子一人の三人組に追い越された。



 追い越されたのだが、三人は話に夢中になっているせいか歩行速度が遅く、それほど距離は開かない。

 なんとなく観察してみると、横並びに歩く三人組のうちの真ん中、私より頭一つ分ほど背の高い学ラン男子の歩く速度に、横のセーラー女子と小柄な学ラン男子が歩調を合わせているのがわかる。

 背の高い学ラン男子の歩行速度と、ゆるくウェーブのかかった黒髪に、どことなくシンパシーを覚える。

 なぜか、エイスリンは苦手そうな髪型だな、と思う。

 なぜかはわからないが。

 仲の良さそうな三人だった。

 特に、自転車を引いて歩く黒髪ロングのセーラー女子は、横の男子に肩が触れ合いそうなほど体を寄せて歩いている。

 学ラン男子は歩きにくそうに体を離すが、その度にセーラー女子が間合いを戻し、反対側にいる小柄な学ラン男子が道の端に追いやられていく。

 あれはつまり、ごちそうさま、ということなのかな……?

 女子校通いの身としては、なかなかにカルチャーショックな光景だった。

 三人、というより真ん中の男子の歩行速度と私の歩行速度が妙に合ってしまっているせいで、なかなか距離が開かない。

 見ず知らずの他人の近くを歩くのは気まずい。

 私は歩みを速め、三人を追い越すことにした。

「それでですね、折木さん――」

「ああ……」


シロ「……」

 距離がつまり、話し声がはっきりと聞き取れる。

 真ん中の男子の名前はオレキというらしい。

 どうでもいい情報だった。

「あ」

シロ「……」

 追い越しざま、セーラー女子がこちらを見て小さく声を上げた。

「ごめんなさい」

シロ「……いえ」

 ひとこと言葉を交わし、三人を追い越す。

 一瞬、何を謝られたのかと思ったが、一度追い越した私が、歩調を速め自分たちをさらに追い越したことで、通行の邪魔になっていたのではと考えたのだろう。

 律儀なことだ。

 切り揃えた前髪と、その下の大きな瞳が印象的な綺麗なお嬢さんだった。

 なんとなく、彼女は豊音に似ているような気がした。

 外見、特に体格は似ても似つかないが、全体の楚々とした印象を裏切るあの大きな瞳が、なんとなく豊音を想起させる。

 近寄りがたい印象の中に愛嬌を感じさせる点が、豊音に似ているように思えた。

 少し後ろを振り返る。


 彼女はオレキくんに顔を向け、何かしきりに話しかけている。

 反対側の小柄な男子も同様で、視線を横に向けオレキくんの腕をからかうように小突いていた。

 オレキくんだけが、視線を前に向けていた。

 目が合う。

「……」

シロ「……」

 視線が合ったのはほんの一瞬だった。

 オレキくんが視線を逸らすのと、私が前に向き直るのはほぼ同時だったと思う。

 書店に行くのは止めて、もう家に帰ることにする。

 楽しげな二人に挟まれ、ひとり体温の低そうなオレキくんを見て、四人といるときの私もあんな感じなのだろうかと、そんなことを思ってしまった。

 もう、にぎやかな場所に一人でいる気分ではない。

 帰ってゆっくり塞にメールでも打とう。

 そうしよう。

 それがいい。

 そこから先は、振り返らずに歩いた。




   H  考えたくないこと


里志「今の人、まるで奉太郎の2Pカラーだね」

 ある日の帰り道、俺たちを追い越していった他校の女子生徒を見て、里志が可笑しそうに言った。

 つい先ほどまで里志は、俺を中学時代の失敗談をネタにからかって笑っていたのだが、話題を通行人の容姿に移してもなおからかう。

 意地悪く俺の顔を覗き込む里志。

 黙っていてもいいように遊ばれるだけなので、仕方なく相手をする。

奉太郎「……確かに、珍妙な髪色だったがな」

 白髪とは珍しい。

 夕日の加減でよくわからなかったが、アッシュブラウンというものとも違っていたと思う。

える「2Pカラー?」

 千反田が首を傾げる。

 対戦ゲームで二人のプレイヤーが同じキャラクターを使用する際、区別をつけるために色に変化をつけるのだと里志が説明すると、千反田もまた可笑しそうに顔を伏せた。

 口元は引き結ばれ口角が持ち上がり、頬は僅かに紅潮している。

 大きな笑いをこらえるているように見えた。

える「失礼ですよ、福部さん」

 お前も大概失礼だ。


里志「でも、似てなかった? どこがとは言わないけど」

える「それは……はい。確かに。あの方、どことなく折木さんに似ていました。私もそれで、思わず不躾に見つめてしまって」

 それで謝っていたのか……。

 通行の邪魔になったことに気を回していたのかと思った。

奉太郎「そうか……? 髪の毛の癖くらいなものだろう、共通点なんて」

里志「いや、似ていたよ。あの気だるげな雰囲気とか」

える「目つきも似ていましたね」

奉太郎「……」

 俺を間に挟み、楽しげに調子を合わせる二人。

 あの短い時間で、よくもまぁそこまで観察しているものだ。

 どうせ僅かな共通点を取っ掛かりに、大げさに騒いで遊んでいるだけなのだろう。

 だが、その反面、もしかするとあの女生徒は、自分に似ているのかもしれないとも思う。

 あの女生徒の容姿を見て思ったことではない。

 この手の里志のからかい、それも容姿をネタにした悪趣味なやり口に、千反田が注意をせず嬉々として乗っている点からそう思うのだ。

 千反田にとって、里志の2Pカラー発言はともかく、あの女生徒と俺が似ているという指摘は、普通に共感できる指摘だったのではないだろうか。


 自分では、まったく似ているとは思わないのだが。

 どうあれ、自分には同意できない話題でニ人が盛り上がるのは面白くない。

 話題を打ち切るため、俺は口を開いた。

奉太郎「……性別が違うだろう。無視できない相違点だ」

 従って2Pカラーという表現も不適切だ。

 しかし俺のもっともなはずの指摘には、里志の攻勢を止める効力はなかった。

 見飽きた意地の悪い笑みが深まる。

 上体を折り、俺を下から覗き込む挑発的な仕草まで加わっている。

里志「わかってないね、奉太郎。彼女には悪いけど、僕には性別が違うからこそ、余計に面白いんだ」

奉太郎「どういうことだ」

 一応聞くだけ聞いてやる。

里志「彼女には悪いけど。失礼だけど――」

奉太郎「……」

 俺に似ているという指摘は、たとえ通りすがりの赤の他人が相手でも失礼であり、本来は遺憾である。

 という嫌味を挟み、里志は語る。

里志「僕としてはね、あの子は別次元の奉太郎なんじゃないかって、そういう妄想をしてしまうのさ」

える「別次元?」

奉太郎「……」

 なんとなく筋は読めた。

 手を変え品を変え、里志の俺へのからかいが止むことはない。


里志「彼女は別の可能性世界の奉太郎なんだよ。もし奉太郎が女だったら、という平行世界の奉太郎なんだね」

える「まぁ。別世界の折木さんは女子高に通っているんですね」

 何が「まぁ」だ。

奉太郎「あの制服、女子高のだったのか」

 話題を逸らそうと口にしてみる。

 しかし、

里志「宮守女子だね」

 と、なぜか里志にさらりと流される。

 なんでお前が女子高の制服を知っているんだ……。

える「いいですよね。ブレザーも」

里志「まったくだね。セーラー服も素敵だけど」

奉太郎「……それで、平行世界の話はどこにいった」

 異口同音ながらその意味はまるで違う制服への感慨にじれったくなり、つい、話の先を促してしまう。

里志「さっき僕らは次元の壁をこえたのさ。いや、異なる次元同士が交錯した? どっちがいいかな? 千反田さんはどう思う?」

 こいつ、話が固まっていないな。

える「ええと、私もあまりSFは詳しくないのですが……。どちらかといえば、後者のほうがしっくりきますね」

里志「やっぱりそうかな。奉太郎は?」

奉太郎「俺に聞くな。SFより時代小説のほうが好きだ」


里志「しかたないな。じゃあ、こうしよう。あの子は江戸時代からタイムスリップしてきた奉太郎の遠いご先祖様――ってのはどう?」

奉太郎「とんだB級SFだな」

里志「お気に召さないかい? わがままだなぁ、せっかく苦心して考えた折衷案だったのに」

奉太郎「なにが苦心して、だ。ノータイムで出てきたろうが」

える「それで、なぜ折木さんは女子高に?」

 なぜそこを気にする。

奉太郎「他にもっと重要な――」

 いや、里志のこの話に、重要な点なんてないな。

奉太郎「――つっこむべきところがあるだろう。女なんだから、進学の選択肢に女子高が含まれるのは自然なことだ」

里志「そう。平行世界の奉太郎であれ過去から来た奉太郎の先祖であれ、女子高に通うのは不自然なことじゃない。女性なんだからね」

える「それもそうですね」

奉太郎「……」

 しまった。

 千反田の素っ頓狂な疑問に答えてしまったがために、里志の下らない話題に乗ってしまった。

 もういい。

 ここまで来れば、里志が満足するまで付き合ってやるほうが楽だ。

 こいつの玩弄に抵抗するのも骨が折れる。

 どうせ、もう少し歩けば、いつも里志と別れる交差点だ。


里志「ご先祖様説を採用する場合、きっと彼女はどこか寄る辺を見つけて、現代での生活に順応しているんだね」

奉太郎「元の時代に帰ろうとはしないのか」

里志「そこはほら、奉太郎の先祖だからね。過去に帰るなんて困難な目標を目指すより、現代での暮らしに適応するほうが楽だと判断したんだよ」

える「ふふ、血筋だったんですね。省エネ主義は」

奉太郎「……それだとドラマが発展しないぞ」

里志「現代に残った場合でもドラマ性はあるさ。現代で出会った友人や恋人との交流を描くアットホーム路線だね。過去の人間が現代での暮らしに馴染もうと悪戦苦闘するコメディ路線でもいい」

える「わたしはアットホーム路線が見てみたいですね」

里志「ぼくはコメディ路線かな」

奉太郎「どうせどの路線でも最後は過去に帰るんだろう」

 お決まりのオチじゃないか。

 主人公はなんらかの事故で未来に飛んでしまい、元の時代に戻るすべがわからず仕方なく現代での生活に馴染もうと悪戦苦闘する。
 その過程で出会った友人や恋人との心の交流を描いて尺を潰し、ラスト付近で過去に帰る手段が判明。
 主人公は自分が過去に帰らないと現代にいる自分の子孫たちがこの世に生まれて来れないからと、後ろ髪を引かれつつも友人や恋人との別れを選択する。
 最後は主人公と別れた恋人が、街中で主人公の子孫と偶然出会ってエンドマーク。

 そんな十把一絡げなハリウッドコメディめいた筋書きを、あの女生徒を主演に想像してみるが、上手くいかないし面白くもない。


 この妄想を面白いと感じるには、まず俺の人となりを多少なりとも知っていて、なおかつあの女生徒と俺が似ていると思えなければならない。

 これはつまり、俺以外の人間が楽しむための話題なのだ。
 俺は楽しめない。
 俺の知人が、俺をからかって遊ぶための空想だ。

 里志が面白がるための話題でしかない。

 そして俺にとっては、千反田がその話題に乗ってきている点が面白くない。

 伊原ならともかく、千反田が里志のからかいの尻馬に乗るのは珍しい。

える「ご先祖様説は面白いですね」

里志「てことは、平行世界説は気に入らない?」

える「はい。ご先祖様説の場合、いまここにいる折木さんとあの方は別人ということですから、面白いと思います。ですが別世界の折木さんというのはちょっと……」

里志「千反田さんとしては、あの子が奉太郎と同一人物だって点が気に入らないのかい?」

奉太郎「……」

える「そうですね。あの方、宮守女子の制服を着ていたので。神山高校の制服ではありませんでした。それだと、別世界のわたしは折木さんと学校が別ということになってしまいます」

里志「まぁ、仮に奉太郎以外はこの世界と変わりないと考えれば、そうなるね」

える「それだと別世界の私は、気になることを誰に相談しているのでしょうか……わたし、それが気になります」

里志「なるほど。千反田さんにとっては深刻な問題だね」

奉太郎「また大げさな……」


える「別世界のわたしが気の毒です。きっと、ふとしたときに疑問を抱いてもそれを解消できず、悶々としていると思います」

奉太郎「こいつのつまらん妄想に真面目に取り合うな。――ほら、里志」

里志「ん?」

 里志と別れる交差点に到着。

 このしょうもない話もここまでだ。

奉太郎「さようなら里志くん、また明日」

里志「ああ、気づかなかった。それじゃあ千反田さん、ぼくこっちだから」

える「ああ、はい。さようなら」

里志「話の続きはまた明日だね」

奉太郎「明日に引っ張るような話か」

里志「こんな面白い話、摩耶花を仲間はずれにするのは忍びないじゃないか」

奉太郎「俺は面白くないんだ」

里志「ぼくは面白いんだから仕方ない」

奉太郎「お前な……」

里志「ふふ。それじゃ、さようなら折木くん。また明日」

奉太郎「……」

 無駄に不適な笑みを浮かべ、里志は去って行った。

 赤信号のせいで、その忌々しい背中を見送る羽目になった。

 千反田に促され、歩き出す。


奉太郎「まったく……」

える「なんだか折木さん、ご機嫌斜めですね」

奉太郎「……別に」

える「……すみません。あの宮守女子の方、感じの良い方だったので……似ているといっても、失礼には当たらないと思ったんですけど」

 いつもよりしつこい里志のからかいに少し疲れただけだったのだが、千反田が無用な気遣いを見せる。

える「ごめんなさい、女性に似ていると言われていい気はしませんよね……」

奉太郎「ああ、いや、違うぞ。俺が気分を害したのは里志の下らない妄想のせいだ」

 確かに、道で行き会っただけの赤の他人に似ていると言われても愉快な気分にはならない。

 どこか落ち着かない気分にさせられる。
 
 だが、不快というほどでもない。

 特にどうとも思わないというのが本音だったし、異性に似ていると言われることには慣れていた。

奉太郎「姉貴がいるからな。昔から親戚連中に似てる似てると言われて育ってきたから、そんなに気にならない」

 それについても、自分が姉貴に似ているとは微塵も思っていないが、わざわざ今この場で言うようなことでもない。

える「なら、よかったんですけど……」

奉太郎「ああ」

 千反田はまだ何か言いたそうにしていたが、俺はそれきり無言で歩いた。
 
 いま千反田の相手をしては里志の術中にはまるような気がして、これ以上この話題には触れたくなかった。

 自分が去ったあとの、千反田の俺へのこの態度を、あいつは予測していたような気がしてならない。

 必要以上に気を遣う千反田に困惑する俺を想像して、今頃あいつはほくそ笑んでいるのではないだろうか。



 少々被害妄想が過ぎる気もするが、一度里志の意地悪い笑みを想像してしまうと、もう駄目だ。 

 たとえこれが被害妄想だとしても、この場にいない里志の悪意と一人相撲をしてしまう。

 そうは問屋が卸さない、などと、いらぬ反発心を抱く。

 黙っていれば千反田はさらに気を遣って、何か違う話題を出してくるに違いない。

 一緒に歩いているのに何も話さないわけにもいかないので、その相手をすれば里志の思うようにはいかない。

 ざまぁみろと内心でほくそ笑む。

 完全に一人相撲である。

える「あのですね、折木さん」

奉太郎「ああ」

 思惑通り、千反田が口を開く。

 しかし。

える「さっき、福部さんには学校が別だから困るとお話しましたが……」

奉太郎「……ああ」

 まだその話を引っ張るのか……。

 なんだ? 俺にはまったく共感できないが、その話そんなに面白かったのか?

える「本当はもう一つ、平行世界説に賛成できない理由がありまして……」

奉太郎「ふぅん……」

 興味を示しては話が長引く。

 俺は視線を前に向けたまま、気のない振りをして歩いた。



 千反田が一瞬こちらを窺ったのが気配でわかる。

える「わたし、折木さんが女性だと困ります。だから、あの方が別の可能性世界の折木さんだというお話は面白いと思えませんでした」

奉太郎「……それは」

 どういう意味だと問いかけて、

奉太郎「そうか……」

 と言い直す。

える「はい」

 横目に千反田を見るが、その表情から特に気負いは見て取れない。

 話はこれで終わりとばかりに前を向ているので、こちらも追求しないでおいた。

奉太郎「書店だったな」

える「はい。読みたい本が、近場の本屋さんには置いていなかったので」

 放課後。部活を早めに切り上げた帰り道。

 本来は帰る方向が違う千反田が、俺と里志についてこのアーケード街に来たのは書店に用があるからだった。

 向かう方角が同じだからと、何とはなしに三人でここまで歩いてきて、なぜか今は俺も一緒に書店に向かう流れになっている。

 里志と別れた場所で、俺と千反田もさようならをしてもよかったはずなのだが、そうはならなかった。


 しなかったのではなく、ならなかったというほうが俺の感覚としては正しい。

 里志を見送る際、少しの間立ち止まったとき、千反田は明らかに俺が歩き出すのを待っていた。

 千反田のその様子を見て、ああ俺も一緒に書店に行くのかとなんとなく思い、そのままこうして書店に向かって歩いている。

 自分の意思ではなく、千反田の意思で同行しているような気がしていた。

 着いて来いと命令された……というより、行きましょうと言外に促され、なぜか逆らえなかった、という感じだ。

 急いで帰る理由もなく、いま読みかけの小説を読み終えれば文庫本のストックが尽きることを思い出し、特に逆らおうとも思わなかった。
 
 俺も書店に、用があるといえばある。

 別に今日行く必要もないのだが、千反田が行くのならそれに同行しようと、足が自然と動いていた。

 千反田も、俺の同行に疑問を呈したりはしなかった。

える「ふふ」

奉太郎「なんだ」

 千反田が片手で口元を押さえ笑った。

える「いえ、福部さんがあんな話をするものですから、なんだか宮守女子の方が目についてしまって」

奉太郎「ああ」

 俺たちの前方に、宮守女子の制服を着た二人組が歩いていた。



 赤い髪のお団子頭に、金髪の二人組。

 金髪のほうは外国人らしい。

 横を向いたとき、藍い瞳が見えた。

奉太郎「さっきの白頭といい、宮守女子には里志や沢木口が好きそうな奴が多いな」

 白髪、赤団子に、金髪碧眼の外国人生徒。

 派手で個性的な外見が、いかにも二人の好みに合いそうだ。

える「そうですね、ちょっと勇気のいる髪色です」

奉太郎「……振り絞るなよ、その勇気。うちだとたぶん、ぶっちぎりで校則違反だろうしな」

 いくら生徒の自主性を尊重する校風とはいえ、白や赤はまずいだろう。

 髪型に関する校則なんて、確認したことはないが。

える「さすがに、やろうとは思いませんが……でも、おふたりとも可愛らしい方ですよ」

奉太郎「まぁ、妙に様になってはいるな。あの外国人は当然として」

 だがお前には、白も赤も金も似合わん。

える「さっきの白い方とあの赤い方が並んで、さらにあの外国の方が加わると、なんだかおめでたいです。あのお二人、白い方とお友達だと素敵ですね」

奉太郎「めでたい……?」

 ああ、紅白か。

 外国人は金箔か何かか……?

奉太郎「友達なら一緒に来ているんじゃないのか」

える「それもそうです。学校が同じだからといって、お友達とは限らないですよね」

奉太郎「だな」

 俺たちはそのまま、宮守女子の二人を前に見ながら歩いた。


 もしやと思っていると、二人は案の定書店に入って行った。

 向かう先が同じだったのだ。

 俺たちも続いて入店する。

 千反田は園芸関連の書籍を見ると売り場を探し始めた。

 俺は文庫コーナーへ。

 平積みされた新刊を手に取りぱらぱらと捲る。

 文章は好みだったが、どうもSFらしかったので棚に戻した。

 読まなくもないジャンルだが、今日は気分ではない。

 別の出版社のコーナーに移ろうと振り返る。

 そして息を呑んだ。

奉太郎「……!」

「こっちは小説だねー」

「麻雀の本ってどのコーナーにあるのかな?」

 かろうじて声は上げなかった。

 振り返った先には、見上げるような長身の女がいた。

 俺より頭二つ分はでかい。

 間違いなく190はある。

 これほど長身の女性を見たことはなかったので、思わず一瞬足を止めてしまった。

 横にいる友人らしき女生徒が、こちらは極端に小柄なせいで、余計に大きく見える。

 二人とも宮守女子の制服を着ていた。

「私、麻雀の本なんて読まないからわかんないよー」

「私も。本読むくらいなら打ちたいよね」

「ねー」

 二人は麻雀部なのだろうか。

 麻雀の本なら、どこかに専用のコーナーが設けられていそうなものだが。

 まぁ、なんにせよ。

 そう広くもない店内だ、すぐに見つけるだろう。

 お節介を焼く必要もない。

 俺は目当ての書棚に移動し、文庫本の物色に戻った。


える「折木さん」

奉太郎「ん」

 しばらく立ち読みしていると、横から千反田に声を掛けられた。

 千反田の手には紙袋が。

 もう買い物は済んだようだ。

奉太郎「行くか」

える「折木さんはもういいんですか?」

奉太郎「ああ。これにする」

 最初の十数ページを立ち読みした本をそのままレジに持って行き、会計を済ませた。

 入り口近くの雑誌コーナーで、先ほどの赤団子と外人が一冊の雑誌を二人で見ながら笑い合っている。

 近くを通る際、会話が少し聞こえた。

「コレ! コレガイイ!」

「えー、トレンチコート?」

「メイタンテイ、ダカラ! イロモイイ!」

「うーん、確かに言われてみれば……でも真っ白のトレンチコートってのは……」

「ダメ?」

「駄目じゃないけど……ちょっとチャレンジャー過ぎるよ。別のにしよう。季節も合わないし」

「ソッカ」

奉太郎「……」

える「……」

 言ってくれるじゃないか、赤団子……。

 苦々しい思いを抱えつつ、書店を出る。

える「折木さん」

奉太郎「……なんだ」

える「わたしは素敵だと思いますよ。白いトレンチコート」

奉太郎「……そりゃ、どうも」

 気遣ってくれるな、千反田よ。

 いつだったかあのコートを沢木口に褒められた時点で、なんとなく気づいてはいたんだ。
 
える「そうです折木さん、わたしお店の中でとても大きな方を見ましたよ」

奉太郎「……ああ、俺も見たよ」

 千反田が話を逸らす。

 素直に乗っておく。

 宮守女子の凸凹コンビの話をしつつ歩き出す。

 話を逸らすのに夢中になった千反田が、自分の帰る方向が逆であることを思い出したのは数分後のことだった。





   S 疎外の否定


シロ「……」

 オレキくんたち三人組を追い越し、自宅に向かって歩いている途中。

 車道を挟んだ向こう側の歩道、二十メートルほど前方に、エイスリンの姿を見つけた。

 距離が開いていても一発でわかる。

 目立つ後姿だった。

 用事は済んだのだろうか。

 声を掛けようと歩みを速める。

 しかし私は、そこで足を止めた。

シロ「え……?」

 エイスリンの後ろから、塞が現れた。

 塞はエイスリンに背後から駆け寄り、肩を叩いた。

 胃の辺りがじわりと重くなる。

 携帯を取り出し、時刻を確認。

 私と塞が毎朝乗るバス。

 私がここへ乗ってきた一本あとのバスが、数分前に到着していた。

 塞がここに来るためには、そのバスに乗らなければならない。

 ……クラスの用事はどうしたのだろうか。

 エイスリンは、家の用事だというのになぜ制服のままで、ここに一人で……?

 二人とも、用事を済ませて買い物に来たにしては早すぎる。

 嫌な想像が脳裏をよぎる。


 まさかそんなはずはないと、帰宅を取り止め二人のあとを尾ける。

 二人は書店に入って行った。

シロ「あ」

 その少し後に、見覚えのある二人。
 オレキくんとお嬢さんも書店に入っていく。

 奇遇だなとは思ったが、今はどうでもいい。

 さすがに店に入ると尾行がばれる。

 私は近くの商店に入り、入り口の近くで二人が出てくるのを待った。

シロ「だる……」

 何をしているのかと馬鹿らしく思う反面、ある可能性が脳裏に浮かんで離れない。

 用事があると言っていた二人。

 その二人は揃って商店街で買い物をしている。

 嫌な想像をしてしまっていた。

 まさか、まさかとは思うが、あの二人は私をはぶって遊びに来た……?

 ……いやいや。

 それはない。

 あの二人に限ってまさかそんな――

シロ「……」

 オレキくんとお嬢さんが店から出てきた。

 その数分後、塞とエイスリン……

シロ「…………」

 ……豊音と胡桃の四人が、書店から連れ立って出てきた。


 これは……どういうこと。

 豊音と胡桃は、先ほどバス停で別れた。

 商店街に用があるのなら、私と一緒にバスに乗ってもよかったのでは……?

 なぜわざわざ、一本遅らせてくる必要がある。

 これは……。

 つまり……やはり、そういうことなのだろうか。

 私、はぶられているのだろうか?

シロ「いやいや……」

 そんなはずはない、と思いながらも、私の足は動かない。

 今すぐ店を出て声を掛ければ、四人はいつもどおり接してくれるに違いない。

 だが、反面、どうしても考えてしまう。

 四人は、私に嘘をついて今この場に集合している。

 もし今四人に声を掛けて、「あ、やべ。呼んでない奴来ちゃった」みたいな顔をされたら、もう立ち直れない。 

 声を掛け、確かめたい。

 塞は私が帰ったあと、クラスの用事が思いのほか早く済んでここに来ただけだ。

 エイスリンも同じ。

 豊音と胡桃は、私と別れたあとに買い物の用事を思い出し、一本あとのバスに乗ったのだ。

 私が一人で勝手にネガティブな想像をしているだけだと、確認し安心したい。

 案外、四人はいま私を探しているかもしれない。

 私が一人でこの商店街に寄り道している可能性を、塞なら考えるだろう。

シロ「……」



 いや、それなら、携帯で私に連絡すれば済む話だ。

 四人で遊んでいるから来いと、塞なら連絡してくるはずだ。

 私の知っている塞なら、確実にそうするはずだ。

 しかし、今、窓ガラスの向こうにいる塞はどうだろうか。

 私に嘘をついた可能性が高いあの塞は、私に連絡を取ろうと思うだろうか。

シロ「……なんで」

 なぜだか、昔なじみの親友が遠くに感じられた。

 知り合って二ヶ月に満たない他の三人も、短い付き合いなりに近しく感じていたはずなのに、今はその距離が大きく遠のいたような気がしてしまう。

 自分から四人に声を掛ける勇気は持てなかった。

 私に気づいて、四人のほうから声を掛けてはくれないだろうかと、淡い期待を抱き立ち尽くす。

 が、

シロ「あ……」 

 四人は私に背を向け、いずこかへ歩き去ってしまった。

 四人の後姿を見送る。

 この一ヶ月半ほど、いつも見ていた光景だった。

 だが、今日の四人は後ろの私を気にかけたりはしない。

 当然だ。

 四人は私がここにいることを知らないのだから。
 
 私に嘘をつき、四人で遊んでいるのだから。



シロ「だるい……」

 ものすごく、だるい。

 気が抜ける。

 何もしたくない。考えたくない。

 だが、このまま立ち呆けているわけにもいかない。

 私は店を出て、近くの自販機で飲み物を買った。

 商店街を出て、住宅街を抜け、いつもの裏道に入る。

 買ったジュースのプルタブを開け、歩きながら一口呷る。

 喉元を通る冷たい感触に、少しだけ目が覚める。

 少しだけ、気分が落ち着いた。

 落ち着いてものを考える余裕が出てきた。

シロ「はぁ……」

 歩みは止めない。

 自宅に帰り着くまでの時間を使って、考えてみようと思う。

 本当に私は、麻雀部の四人に疎まれているのかどうかを。

 まず、私は四人に嫌われているのかどうか。

 はぶられた事実からは嫌われているとしか思えないが、これは否定できるだろうか。

 少し考えて、できると結論付ける。

 よく考えてみれば、四人が私を誘わず遊んでいたからといって、それが私が四人に嫌われているという証拠にはならない。

 この一ヵ月半はどこへ行くにも、何をするにも五人で過ごしていた。
 
 そのせいで私は四人を特別に近しい存在だと感じていたが、それは私の主観に過ぎない。



 私が一人で勝手に四人を親しい友人だと思っていただけで、四人から見た私はそうではなかったのかもしれない。

 四人にはそれぞれ、麻雀部員以外にも親しい友人がいる。

 四人にとって私は、そんな数いる友人の一人に過ぎなかった。

 四人と私、互いの友情に温度差があった、という考え方だ。

 私が一方的に四人を、実際の関係よりも特別だと思い過ぎていた。

 そのため、今このように、必要以上にショックを受けるはめに陥っている。

 四人はたまたま都合がついたから集まりはしたが、数いる友人の、その他大勢のうちの一人に過ぎない私を、わざわざ呼びつけてまで加えようとは思わなかった。

 嫌いだから今日の集まりに私を誘わなかったのではなく、四人には私を集まりから除いたという意識すらなかった。

 四人は私がいないことに、何の感慨も抱いてはいなかったのではないだろうか。
 
 こう考えれば、四人に私は、少なくとも嫌われてはいない、ということになる。

シロ「……」

 いや……これはない。

 我ながら、なんて寂しい考え方だ。



 この想像が現実だった場合、嫌われるよりつらいかもしれない。

 それに、この考え方では、塞とエイスリンが私に嘘をついた理由、胡桃と豊音がバスを一本遅らせた理由が説明できない。

 塞とエイスリンの嘘も、胡桃と豊音が乗るバスをずらしたのも、私を避けるためだとしか思えない。

 嫌われている証拠だとしか思えない。

 嘘をつき、移動の時間をずらし、そうしてやっと四人での時間を作るという回りくどい行為には、私を排斥する意図を感じざるを得ない。

 一方で、四人が誰かを嫌っていたとして、その人物をのけ者にしてほくそ笑む、というのもどうもしっくりこない。

 四人で共謀し、私を排斥し、暗い結束を固める。

 特定の集まりから疎まれた誰かを排除する場合、集団内でそういった心理が働くのは自然なことだと思うが、四人にはおそろしく似合わない。

 違和感を覚える。

 そしてその違和感こそが、私にとっては希望だった。

 四人がそんなことをするはずがないと、はぶられてなお心の底から思える。

 信じられる。

 この違和感を糸口に、私は先ほど四人を見て覚えた疑念を払拭できるかもしれない。

 明日の朝四人に会えば、馬鹿らしい被害妄想だったと思える程度には、不安を解消できるかもしれない。


 とりあえずは、今夜の安眠のために。

 もう少し考えてみよう。

 嫌われているという前提を、今のところは覆せない。

 なので、ひとまずは嫌われているとして、私の何が四人の気に障ったのか。

 記憶を辿り、原因らしい出来事、四人の言葉を思い返す。

 まずは近しい記憶、昨日の部活を思い返す。

 塞はどうだったろうか。

 塞は、いつも通りだった。

 いつも通り怠惰な私に呆れ、ぷりぷりと怒っていた。

 怒りつつも、麻雀部の、いや宮守女子の、もはや岩手の母的な気遣いでお茶を淹れ、持参した茶菓子を出してくれたものだった。

 まともに聞いていなかったが、私にお茶を渡しながら、何か小言を言っていたような気がする。

 だが、それは今日はぶられた原因とは考えにくい。

 塞が私の生活態度に不満を示すのは今に始まったことではない。

 私の性格やそれに基づく普段の振る舞いが、塞が私を嫌う理由になるのなら、そもそも中学時代の付き合いはなかったはずだ。

 塞の中で長年の間に積もり積もった不満が、高校に入って新しい友人に出会い、愚痴を吐き出す相手を得て顕在化した、という考え方も出来なくはない。

 出来なくはないが、いまいちしっくり来ない。

 溜め込んだ不満が爆発したとして、なぜそれが今なのか。

 私が嫌いだとしても、県予選を目前に控えたこの時期に、塞が部内の和を乱すようなことをするとは思えない。


 塞は付き合いが長く距離が近すぎるせいか、普段の態度から異常を察知するのが難しいのかもしれない。

 塞に関しては保留だ。

 次は胡桃。

 胡桃は、これまたいつも通りだった。

 例のポーカーフェイスを崩さず熱心に練習に励み、豊音とエイスリンの世話を焼き、怠ける私を注意していた。

 胡桃も私に厳しい態度を取ってはいたが、あれもこの一ヶ月半の間に状態化した姿だ。

 塞と同様、私の性格や生活態度こそが、胡桃が私を嫌う理由だとも考えられる。

 だが、これも違うような気がする。

 胡桃とは高校からの付き合いだが、割と良好な付き合いが出来ていたように思う。

 付き合いが短いからこそ、良い面も悪い面もそれほど胡桃に対して見せていない。

 どちらかといえば、良い面を見せる機会に恵まれていたと思う。

 胡桃に関しても、嫌われる理由が特に思い当たらない。

 胡桃も保留だ。

 エイスリンはカキカキバッ、カキカキバッ、カキカキバッという感じだった。

 ボードに描いた絵と片言の日本語で、一生懸命私たちとコミュニケーションを取ろうとする姿を微笑ましく思っていた記憶しかない。

 もうこの子、妖精の実在とか信じてるんじゃないかな、とか、そんなことを考えていた。

 エイスリンに関してはそのくらいだ。

 言葉がまだ不自由ということもあって、エイスリンの内心を想像するのは難しい。

 実はあの可愛らしい笑顔の奥で腹黒く私を嫌っているという可能性は、考えたくもない。

 考えるだけ時間の無駄だと決め付けて、エイスリンに関しても保留にする。


 次は豊音……。

 豊音もいつも通り、楽しそうに麻雀を打っていた。

 無邪気な笑顔で、うきうきわくわく極悪な打ち筋で、私たちを翻弄し笑っていた。

 豊音の場合、思ったことがすぐ表情や態度に出るので、私を嫌っていればすぐにわかるはずだ。

 昨日の豊音との会話を思い出す。

 ……うん、なかったな、特に何も。

 それらしい態度や言葉は、豊音からは特に何もなかった。

 豊音に関しても、保留にするしかない。

 豊音とエイスリンは、何か腹黒いことを考えているという想像自体が難しく、仮説らしいものすら思い浮かばない。

 塞と胡桃も同様だ。他の二人ほどではないが、誰かを嫌っていたとしても、陰湿な手段で疎外するような人間には思えない。

シロ「……」

 では、何が原因だろう。

 どうして私は今日はぶられた。

 何か原因があるはず。

 昨日の部活、最近、四人と過ごした時間をさらに思い返す。

シロ「ん……」

 そういえば、あったような気がする。

 四人といて疎外感を覚えたことが、一度あったような気がする。


 あれは一昨日のこと。

 部活を終えた帰り道、豊音が不意に言ったのだ。

豊音『もうすぐだねー』

 と。

 私は一瞬、何がもうすぐなのかわからなかった。

 豊音の言葉に、塞はにやりと笑って、

塞『そうだね、もうすぐだね』

 と答えていた。

 胡桃とエイスリンも、

胡桃『ほんとだねぇ。もうすぐだ』

エイスリン『モウスグ!』

 と、笑顔を浮かべていた。

 私は豊音の言葉に対する三人の反応を見て、ようやく県予選のことかと合点がいって、『そっか、もうすぐだね』と応じた。

 そのときの、四人の私に対する態度が少し妙だった。

 四人は私の顔を一瞬無言で見つめ、次いで四人で顔を見合わせ、笑い合っていた。

シロ『なに……?』

塞『ふふ、なんでもない』

 その話題はそれきりで、四人の妙な態度の意味はわからず仕舞いだった。

 あのときの「もうすぐ」を、私は五人で共有する何か、つまりは県予選のことだと考えた。

 しかし思い返してみれば、あの「もうすぐ」は、私を除く四人で共有する何かだったのだろう。

 私を仲間外れにして買い物に行く予定があの時点で立てられていて、四人で共有する何かとはそのこと、という可能性もある。

 だが、そうは考えられない。


 事実がどうあれ、私は四人のことを悪くは思えない。

 嫌われているという前提を肯定しきれないがために、原因の追究も上手くいかず、ただ無根拠に疎外された現実を否定したい気持ちが先走ってしまう。

 一昨日のあのときに覚えた疎外感が、答えに至る道筋の入り口のような気はする。

 だが、その道筋を辿る気力は湧いてこなかった。

 辿ったところで、私が四人に嫌われているという仮定を補強してしまうだけだ。

 私が四人に疎まれているという事実を否定する材料は、どうしたって浮かんでこない。

 実際にはぶられたという現実は重い。

 もう、自宅が見えてきた。

 これ以上考えても、何も出てこない。

 せいぜい、私が気づいていないだけで四人に何か気に障ることをしてしまったのだろうと、そんな具体的な像を結ばない、あやふやな想像をするくらいだ。

 昨日のあれだろうか、一昨日のあれだろうか、先週のあのときの、あれだろうか。

 そんなことを考えながら、家に帰り着く。

 靴を脱ぎ、自室に直行。

 ベッドに体を投げ出した頃には、もう何をする気力もなくなっていた。

 明日どんな顔で四人に会えばいいのか。

 そんなことを、ただぐるぐると考えていた。



   H 友愛の証明


える「もう、なんで教えてくれなかったんですか」

奉太郎「いや、いいのかなとは思ったんだが」

 俺と千反田は、書店を出て十分ほど共に歩いた。

 俺は特に意識することなく自宅への最短ルートを歩き、千反田もそれについてきた。

 アーケード街を抜け、住宅街に入ったところで千反田は、自分の帰る方向が逆であることに気づいた。

 このまま進んでも千反田の自宅がある陣出には帰りつけるが、遠回りになる。

 恐らく千反田の当初の予定では、書店を出たところで俺と別れ、違うルートで帰宅するつもりだったのだろう。

 俺をフォローするのに夢中になったせいでこうなったわけだが、それほど罪悪感はなかった。

 千反田には足がある。

 体の右側に引いた自転車があるのだから、多少移動距離が伸びたところでどうということもないだろう。

 むくれた千反田に軽く謝りつつ、見送ろうと立ち止まる。

 だが、千反田は自転車に乗ろうとはしなかった。

奉太郎「帰らないのか」

える「せっかくですから、こちらから帰ります。途中までご一緒してもいいですか?」

奉太郎「別に構わんが……」

 何がせっかくなのかはわからない。

 結局、そのままふたり連れ立って歩いた。


 何か話したいことでもあるのかもしれない。

 またぞろ何か気になることでも見つけて、その答えを俺に考えさせようと企んでいるのではないかと邪推する。

 しかし、今回は邪推で終わってくれた。

 千反田の話は軽い世間話に終始した。

 特に頭を捻る必要もなく、里志の与太話のように不快にさせられることもなく、俺は千反田の他愛のない話に相槌を打って歩いた。

える「あ」

 やがて、千反田が前方に何かを見つけて小さく声を上げた。

 釣られて前を見るが、前方には特に見るべきものはない。

 誰もおらず、何もない。

 特筆するとすれば、喫茶店が一軒あるだけだ。

 移転してしまったパイナップルサンドでもなく、大日向の従兄弟が後日開店する予定の店でもなく、夏の昼下がりに作業着をきたおっちゃんが「レイコーひとつ!」とでも言いそうな大衆的な店だ。

 店名や看板だけ見るとスナックと言っても通用しそうな、岩手の田舎町にはお似合いの喫茶店だった。

 存在は知っていたが、高校生向けの店とは思えないので入ったことはない。

 この喫茶店がどうかしたのか。

 それとも喫茶店以外の何かに興味を惹かれたのだろうか。

 果たして、千反田の目に留まったものはなんなのか。

 皆目見当がつかない。

 棒読みである。

える「折木さん」

奉太郎「なんだ」


える「わたしがこうして遠回りをして帰ることになっているのは、折木さんが意地悪をしたからですよね」

奉太郎「意地悪って……俺も気づいたときには商店街を出てしまっていたんだ」

える「それは、そうかもしれません。ですが、せっかくですから、お茶にしましょう」

 かもしれないじゃなくてそうなんだ。

 そして何がせっかくなんだ。

奉太郎「さっき部室で飲んだだろう」

える「いつもより余計に歩いたので、喉が渇きました。足も疲れましたし、休みたいです」

 なんだか、本物のお嬢様みたいなこと言い出したぞ……。

 いや、お嬢様だったか、こいつ。

 なんにせよ、里志が見たら喜びそうな振る舞いだ。

奉太郎「責任を取って奢れと?」

える「そうは言いません。でも付き合ってくれてもいいでしょう?」

奉太郎「あの店でか……」

 俺はともかく千反田には似合わない店だ。

 市井の暮らしに興味を示したお嬢様の気まぐれによる来店、といった風情になるのは必至だ。

える「いけませんか?」

奉太郎「いや、いまから別の店に移動するのも馬鹿らしい。あそこでいい」

える「じゃあ、付き合って頂けるんですね?」

奉太郎「奢りはなしだぞ」

える「はい! では行きましょう」

 千反田が自転車を止め鍵をかけるのを待って、店に入る。


 喫茶店というよりは、他人の家という感じの店内の匂い。

 年季こそ入っているが、外から見るより落ち着いた雰囲気だ。

 カウンターの奥には姉貴と同年代くらいの女性店員が一人。

 その奥にマスターらしき壮年の男性が一人。

 客は俺と千反田の他にはいない。

 店内には、日本全国津々浦々、どこの喫茶店にもある雀卓が。

 面子が足りないので今回はスルーだ。

 里志がいたら、また訳のわからない古役の薀蓄を聞かされつつ一局打つはめになっていたかもしれない。

 ロマンあふれる無謀な打ち方ばかりの里志には負ける気がしないが、俺は点数計算の手間がいらないネット麻雀のほうが好きだ。

 現実の麻雀は疲れる。

 遊びというより競技としてのイメージが強い。

 窓際のボックス席に向かい合って座り、千反田はアイスティーを、俺はホットコーヒーを注文した。

 空いているせいか、注文した品はすぐに出てきた。

 味はまぁまぁ。

 自分で淹れるよりは旨いといったところ。

 こうして腰掛けて暖かい飲み物を飲むと、自覚していなかった一日の疲れが顕わになる。

 大したことはしていないはずだが、妙にけだるい。

 千反田も同様なのか、やたらとゆっくりと上品にストローに口をつけていた。

 単にお嬢様の嗜みなのかもしれないが。


 千反田の話は相変わらず他愛のないものばかりで、至って平和である。

 最初は気乗りしなかったが、悪くない時間だった。

 会話を続けつつコーヒーに口をつけていると、店の入り口が開いた。

 ドアについたベルが鳴り、ついでかしましい女の話し声。

 俺は入り口に背を向けて座っていたのだが、対面の千反田の顔が、来店した客を見て華やいだ。

 誰が来たのかはすぐわかった。

 聞き覚えのある声だ。

 ただし知り合いではない。

「歩きまわって疲れたよー」

「どこにする?」

「そっち。窓際のとこにしよう」

「タイショウ! コーヒー!」

「エイスリン、喫茶店はマスターでいいんだよ」

「大将ー、私オレンジジュースでー」

「豊音まで!?」

 さっき見かけた宮守女子の四人だ。

 因縁の赤団子と外人、凸凹コンビは友人同士だったようだ。

 千反田は笑いを堪えている。

 「タイショウ」が気に入ったのだろう。


 四人は三つ連なったボックス席の俺の後ろ側に、一つ席を開けて座った。

 よくよく縁がある、というと大げさだろうか。

 こんな田舎町の高校生には、放課後の過ごし方の選択肢は乏しい。

 書店に寄りお茶をして帰るという流れが被ったからといって、無理に特別な意味を見出すこともない。

 しかし、千反田はそんな偶然に目を輝かせる。

える「奇遇ですね」

奉太郎「まぁな」

 それきり、千反田は俺との会話もそこそこに、四人の方をちらちらと気にし始めた。

 時折千反田が俺の後ろを見てくすくすと笑うものだから、俺も気になって少し後ろを振り返る。

 ボックス席の左右に二人ずつ別れて座った四人は、全員身を乗り出しテーブルの中央で頭を突き合わせ、何かをこそこそ話していた。

 思わず苦笑する。

 密談をするにしては露骨すぎる。

 人に聞かれたくない話なら、こんな場所でしなければいいだろうに。

 あまりじろじろ見ているわけにもいかないので、視線を前に戻す。

 すると千反田が、口元を手で隠し笑った。

 声を潜め、千反田は言う。

える「素敵ですね」

奉太郎「何がだ。俺には聞こえん」


 四人はわかりやすく密談の体で話しており、声も潜めている。

 だが、耳の良い千反田には四人の話が聞こえたらしい。

 俺には密やかな話し声と小さな笑い声が聞こえてくるばかりで、内容までは聞き取れない。

える「みなさん、何かお友達に関する相談をしているようです」

奉太郎「あの四人以外のか」

える「はい、どうやらそのようです。私も会話の内容がすべて聞こえたわけではないので、はっきりとしたことはわかりませんが」

奉太郎「ふうん……」

 大して興味もない話だ。

える「ちょっと待っていてくださいね、折木さん」

奉太郎「?」

 千反田はすぐ目の前にいる俺などお構いなしで、四人の会話を聞き取ることに集中し始めた。

 自分から誘っておいてこの仕打ちはどうだ。

 千反田は行儀悪くテーブルに肘をつき、ふむふむと四人の話に頷いている。

 俺には聞こえてこないので、退屈極まりない。

える「……」

奉太郎「……」

 コーヒーをすする。

 待っていろと言われたので、大人しく待つ。

 帰ろうかとも思ったが、さっき買った文庫本を取り出し読みふける。

 どれくらいそうしていただろうか。

 おそらく、二十分ほどは、千反田の待てに従っていたと思う。

 ドアのベルが鳴る音で、読書の集中が解ける。

 見ると、四人が店を出て行くところだった。


 別に四人の勝手だが、女子四人のお茶の時間にしては切り上げるのが早い。

奉太郎「俺たちも出るか」

 もう十分に休んだ。

 何をそんなに気にしているのか知らないが、今日はもうお開きにするのが妥当だろうと、千反田を促す。

 しかし。

える「いえ、待ってください」

 千反田は店員を呼び、飲み物を追加で注文した。

奉太郎「おい、千反田……」

える「折木さんはいいんですか?」

奉太郎「……じゃあ、コーヒーおかわり」

 店員が去り、俺は千反田を睨んだ。

奉太郎「もう十分付き合っただろう。ここまで長居するつもりはなかったんだが」

える「すみません。でも、ちょっと気になることがありまして」

 やっぱりそうくるか。

 だが、今日に限っては断固頭脳労働は拒否する。

 もう本日の可処分エネルギーは残っていない。
 
 このティータイムでだらけてしまって、気分ではないというのもある。

奉太郎「いやだ」

える「まだ何も言ってませんよ」

奉太郎「気になると言ったろう。また俺に何か考えさえるつもりだな」

える「いえ、違うんです。少しだけお時間をください。簡単なお話なのですぐに終わりますし、折木さんに何か推理していただきたいのではなくて、わたしの推論を聞いていただきたいんです」

奉太郎「推論?」

える「はい。といっても、そんなに大げさなものではないのですが。断片的に聞こえてきた会話から、ちょっと思いついたことがありまして」

奉太郎「本当に簡単な話なんだろうな」

える「それはもう。追加の飲み物を飲み終える頃には終わると思います」

奉太郎「……」

 帰ろうという俺の言葉をほぼ無視して追加注文したくせに、よく言う。



奉太郎「どうせ、もう注文してしまったしな……」

える「聞いていただけますか?」

奉太郎「なるべく手短に頼む」

える「はい! わたし、あの四人とさっきの折木さんに似た白い方はお友達だと思うんです!」

奉太郎「……はぁ?」

 手短にと言ったのはこちらだし、千反田の説明下手はよく知っているので覚悟はしていたが、それにしても端折りすぎである。

 それに、あの白頭と俺が似ているということを、共通認識であるように話すのはやめていただきたい。

奉太郎「あのな、千反田。たまたま今日見知った宮守女子の生徒のうち、四人が友達同士だった偶然に感激するのは勝手だが、白頭もあの仲良しグループの一員だと決め付けるのは無理があるんじゃないか?」

 いけないとは思いながらも、つい口を挟んでしまう。

 俺たちは今日、五人の宮守女子の生徒を見かけ話の種にした。

 別々に見かけた五人のうち四人が友達同士で、その四人と気まぐれで入った喫茶店で一緒になった偶然を面白がり、ならもう一人も、と千反田は考えたのではないだろうか。

 推論というより思いつきという言葉を、俺はそういう意味だと捉えた。


える「はい、それはわたしもそう思いますが、違うんです。わたし、あの四人のお話をちょっと盗み聞きしていまして」

奉太郎「それは知ってる」

 あの四人の密談のポーズもそうだったが、こいつの盗み聞きも露骨だった。

える「それで、あの四人のお名前がわかったんです。まず、お店に入ってきたときに、あの外国人の方はエイスリンさん、大きい方がトヨネさんと呼ばれていましたよね。さらに盗み聞きした会話から、赤いお団子の方がサエさん、小柄な方がクルミさんという名前だとわかりました」

奉太郎「それがどうして白頭と四人が友達だという話になるんだ」

える「白いからです」

奉太郎「だから……」

える「あ、すみません、えっと、四人の会話の中には、呼び合う四人のお名前の他に、もう一人の名前が出てきたんです。それが『シロ』という名前です」

奉太郎「それはつまり……」

える「そういうことです」

 千反田は照れくさそうに笑った。

 それで「白いからです」か……。

 四人の会話の中に出てきたシロという名前を、あの白頭の愛称だと考えたわけか。

 なんて安直な。

 確かにこれは、推論というより思いつきだ。

 白髪で同じ宮守女子の生徒だから、あの白頭こそが四人の話に出てきたシロである。

 白いからシロ。

 白い犬を見たその辺の爺さま婆さまの命名といった感じだ。 
 

 
 俺がそう感想を述べると、千反田は眉尻を上げて言った。

える「そうだとしても、お爺さんお婆さんだって親しみを込めて名づけるはずです」

奉太郎「さいで」

 よくわからん憤りである。

奉太郎「話はそれだけか? まぁ確かに根拠は薄いが、あの五人が全員友達同士だという想像は別に不自然じゃない。同じ学校で、同じ時間帯に商店街にいたんだからな。あいつらが友達同士でも何もおかしくはない」

える「ですよね」

 逆に、学校が同じで、同じ時間帯に商店街で見かけたからといって、彼女らが友達同士だと断定することもできないが。

 千反田もわかっているとは思うが、それを言うと話が長くなるので黙っておいた。

 言ってしまえば千反田は、「では四人とあの白い方が友達同士だと証明することは出来ないでしょうか」とでも言い出しかねない。

 そしてそれを考えるのは千反田ではなく俺、ということになりかねない。

 ここは千反田の思いつきに同意しておくのが無難である。

 せいぜい、あの五人はきっと仲良しなんだろうなぁ、という顔をしておく。

 しかし、

える「それでですね――」

奉太郎「まだ何かあるのか」

 千反田の話は終わってくれなかった。



える「はい。あの白い方こそがシロさんであるという可能性については、わたしには証明のしようがないので、置いておきます」

奉太郎「置いておくのか……」

 じゃあ、なんでその話をしたんだ……。 

える「ええと、なにからお話しましょうか」

 また結論から話を始めかけて、千反田は口ごもる。

奉太郎「……そうだな、まずはお前が断片的に聞き取ったという会話の内容を聞かせてもらわんことには、こっちには何の話がしたいのかすらわからん」 

える「そうですね。では、ちょっと待ってください」

 千反田は鞄からノートを取り出し、ペンを走らせた。

 聞き取った会話の内容を書き出しているのだろう。

 いつだったか、校内放送の意味を考えさせられたことを思い出す。

える「できました」

奉太郎「どれ」

 差し出されたノートを手元に引き寄せる。

 書かれた内容はどれも単語ばかりだ。

奉太郎「本当に断片的だな……」

 千反田のメモにはこうある。

『 麻雀に関するもの

  牌セット

  本

  衣類

  夏物

  隠す

  ばれないように

  探させる

  その間、笑わないように 』

える「聞こえたことを要約すると、大体そんな感じです」

奉太郎「これが何だって言うんだ?」



える「推理というより、連想なんです。この間、折木さんのお誕生日をお祝いしたでしょう? それで」

奉太郎「……麻雀に関する物と衣類はプレゼントだと考えたのか」

える「はい。それで隠す、探させる、というところは、プレゼントを隠してシロさんに探すように仕向けるサプライズなのではないかと」

奉太郎「それで、ばれないように、笑わないようにってわけか」

 先日、五月の頭に、古典部の四人が俺の誕生日を祝うため、事前の連絡無しに自宅を訪ねて来たことがあった。

 誕生日を祝うのに本人には事前に知らせず、パーティーの導入に何かサプライズを用意するというやり方は、どこの誰でもやりそうなことに思えた。

える「はい。それで折木さんにこの話を聞いていただいたのは、このわたしの想像、思いつきを、事実だと証明することは可能かどうかを、考えていただきたかったからなんです」

 ややこしいことを……。

 しかも結局、考えさせるんじゃないか。

奉太郎「つまり、このメモにある限られた情報から、四人がシロという人物の誕生日を祝おうとしていることが事実だと確定させることは可能か、と。お前はそれが聞きたいとうことか」

える「そうです」

奉太郎「なるほどな……ちょっと待て」

える「はい!」

 少し考える。


 答えはすぐに出た。

奉太郎「無理だろうな」

える「……やっぱり、そうでしょうか」

奉太郎「数学の問題じゃないんだ。お前が知りえた情報だけで、お前が立てた仮説が正解かどうか確定させることは、本人たちに訊きでもしない限り不可能だ」

 教頭の校内放送のときのように、仮説を立ててはそれが正しいかどうかを検証し、それらしい理屈をこじつけるやり方も、できなくはない。

 それを事実だと、理屈の上だけで証明することは可能だ。

 だが、そうやって導き出した答えが事実と合致するかどうかとなると、話は別だ。

 この限られた情報からでは仮説を立てるところまでが限界で、それを事実と断ずるのは不可能だろう。

 それこそ言った通り、四人に直接、漏れ聞こえた会話からこういう想像をしたのですが合っているでしょうか、とでも訊いてみるしかない。

答え合わせをしなければ、千反田の望みは叶わない。

える「そうですよね……やっぱり、そうです」

 千反田は独りごちるように繰り返し、グラスの氷をストローで突いた。

奉太郎「……」

 千反田とて、自分の仮説が事実だと断定できないことは、わかっていたのだと思う。

 ではなぜ千反田は、それでも俺に、それが可能かどうかなどと無茶な質問をしたのか。

 それは千反田が思いついた仮説が、一つではなかったからなのだろう。


 この断片的な情報からは、それらしい仮設などいくらでもでっち上げられる。

 これこれの言葉を使って文章を組み立てろという国語のテストの設問のようなこの条件では、仮説の内容までは自由に発想できてしまう。

 たとえば俺も、千反田の考えた誕生祝い説以外に、こんな仮説を思いつく。

 「麻雀に関するもの」「衣類」、これはプレゼントではなく、シロとやらの私物を指している。

 そして、「ばれないように」「隠す」「探させる」「笑わないように」というのは、シロの私物を四人が隠し、それを探す姿を見て内心でせせら笑う、という、いじめの相談事であるという仮説だ。

 千反田も、誕生祝い説以外にもうひとつ、これに類する暗い想像をしたのではないだろうか。

 それを否定し、誕生祝い説こそが正解であると思いたいがために俺に無茶な質問をしたと、そんなところなのだろう。

奉太郎「あのな、千反田。別にいいと思うぞ」

 追加注文の品が運ばれ、店員が去ったところで、俺は口を開いた。

える「はい、何がでしょう?」

奉太郎「考えたいように考えればいい。どうせ、もう二度と会わないかもしれない赤の他人の話なんだ。誕生祝いだと断定できないからって、気にすることなんてないんじゃないか」

える「……それも、そうですね」

 俺の言葉に、千反田は笑って頷いた。

える「あの白い方……」

奉太郎「それに関しても、そうだ。お前の考えたいように考えて何も問題ない」

える「はい。ありがとうございます。ただ、わたし、なんだかあの白い方がお独りで、寂しそうに歩いているように見えたものですから……あの四人が白い方のお友達だったらいいなと」

奉太郎「なるほどな……」


 それで白頭こそがシロであるとこじつけ、四人の相談事を誕生祝いに関することだと決め付けようとしたのか。

 話したこともない赤の他人を、勝手に友達のいない奴だと決め付けて感情移入。

 白頭が道でたまたま行き会っただけの千反田にこんな心配をされていると知ったら、どんな顔をするだろう。

 知り合いである俺でさえ、少々困惑する。

える「あの方、折木さんに似ているものですから余計に気になってしまって……」

奉太郎「別に似てないと思うが……」

 もうその話はいい……。

 とっとと終わらせてしまおう。

 千反田が俺にさせたい話、して欲しい話には見当がつく。

奉太郎「ああ、そういえば」

 白々しく切り出す。

える「なんですか?」

奉太郎「いや。ちょっと思い出したことがあってな。誕生祝いの相談事だという可能性のほうが高いかもしれん」

える「どういうことでしょう」

奉太郎「まず、俺はお前の考えた仮説以外に、もうひとつ別の仮説を考えた。麻雀に関するものと衣類がシロの私物で、四人はそれを隠して探すように仕向ける、嫌がらせの相談だという仮説だ」

える「実は、わたしも似たようなことを考えていました。こうも考えられるなと思ったら、なんだか嫌な考えが頭から離れなくなってしまって」

奉太郎「誕生祝い説が唯一の正解だと証明することはできない。これは四人に直接訊いてみないと確認できないことだ。それはわかるよな?」

える「はい、我ながら、無茶なことをお聞きしました」

奉太郎「自分の頭ひとつでは、どうしても導き出した解答が唯一の正解だと確定させることはできない」

える「おっしゃるとおりです」

奉太郎「だがお前の、四人は誕生祝いの相談事をしていたという仮設を、補強することくらいはできる」

える「……白いトレンチコートのことでしょうか」

 千反田も、取っ掛かりくらいは掴んでいたようだ。

 だが、千反田にはできない仮説の補強が、手持ちの情報量の差で俺にはできる。


 千反田は赤団子と外人のトレンチコートに関する話は聞いていたが、文庫コーナーでの凸凹コンビの会話は聞いていない。

 千反田が書店で知りえた情報だけでは、仮説の補強には弱い。

奉太郎「ああ、そうだ。書店での赤団子と外人の会話から、少なくともコートが現在、所有物としては二人の手元にないことがわかる」

える「これから買うものの相談といった感じでしたよね」

奉太郎「ああ。本に関しても同じことが言える。あのでかいのと小さいのが、書店で麻雀本のコーナーを探しながらこんな会話をしていた。

  『麻雀の本なんて読まないからわかんないよー』

   『私も。本読むくらいなら打ちたいよね』

    と。

    この会話から、二人は麻雀に興味はあっても、指南書の類には興味がないということがわかる。興味がないにも関わらず書店に探しに来ているという事実から、麻雀本は誰かのために探しに来たと考えるのが自然だ」

える「プレゼントですね」

奉太郎「……誰かに頼まれて買いに来たという可能性もあるが、プレゼントと考えても筋は通る。あの四人は友達同士で、そのうち二人、でかいのと小さいのは誰かに渡すものを買いにあの書店に来ていた。残る二人の目的も同じと考えても無理はない」

える「つまりコートも贈り物の候補だったと。今日は四人でシロさんへの贈り物を探しに来たんですね」

 筋は通る、無理はないと念を押しているにも関わらず、千反田はそう決め付けて笑う。

 だが、これでいい。


 これは気に入った結論を正解だと決め付けてしまって構わない話題なのだから。

 事実と一致するかどうかの確認は取りようがないのだから、考えたいように考えるしかない。

 俺は千反田が自分の仮説に自信を持てるよう、開き直って断定口調で話しを続けた。

奉太郎「お前のメモにある『麻雀に関するもの、本』『衣類、夏物』というのは、四人がそれぞれ書店で話していたもののことだろう。お前の言う通りプレゼントの候補と見て間違いない。白いトレンチコートを候補にあげはしたが、『季節に合わない』から衣類にする場合は夏物にしよう、麻雀に関するものを贈る場合は本か牌セットにしよう、という話だったんだろう」

 実際、四人がそんな話をしていた可能性は高い。

 本音で語ってはいないが、変に小芝居をする必要もなかった。

奉太郎「となれば、隠す、探させるというのはお前が言ったとおりサプライズの演出で、誕生祝いの仮設のほうが正解である可能性が高い。逆に、俺が考えた嫌がらせの相談だという仮説は、書店での会話から立てられる推論で否定される」

える「確かに」

奉太郎「何よりな、千反田。あの四人が嫌がらせの相談のような陰気な会話をしていたように見えたか?」

える「いいえ、まったく」

奉太郎「俺も同じだ。最初にお前から四人は誕生祝いの相談をしていると聞いても、何の違和感も覚えなかった」

 これは本音である。

 特にあのでかいのと外人が、子供のように目を輝かせていたのが印象的だった。

 あれで話している内容がいじめの相談なんて、仮説が成り立つというだけで、それが事実だとは微塵も思っていない。


える「そうですよね。そうなんです。なんだか、無理に理屈っぽく考え過ぎていたのかもしれません」

奉太郎「そういうとこだ。感覚的に判断していいんだよ、別に。あの四人を見た印象だけでものを考えて、それで終わりでいいだろう」

える「本当におっしゃる通りで、返す言葉もありません。なんだか結局お手間を取らせてしまったようで申し訳ないです」

 グラスに両手を添え、身をよじる千反田。

奉太郎「別にいい。たいしたことは考えていない」

える「はい。それでも、ありがとうございます」

奉太郎「ああ……」

 千反田は四人を見て、最初は単純に仲が良さそうだ、楽しそうだと考えたはずだ。

 しかし、聞き取れた情報からは、四人の表面的な態度とは真逆の会話の内容を想像することも可能だと気づいてしまった。

 俺は千反田がこの可能性に思い至ったことに、少し責任を感じていた。

 俺と出会う以前の千反田なら、そもそも五人の友愛の証明は可能かどうかなどと頭を捻ることもなく、単純に仲のよさそうな四人を見て幸せな気分になり家路に着いたのではないかと、そう思うのだ。

 この一年の付き合いで俺の捻くれた思考の影響を受けた結果が、千反田の今日この日の葛藤だと、そう感じていた。

 自分のせいで柄にもないことを考えさせてしまったのではないかと、気を回さずにはいられなかった。

 千反田の仮説の補強は、取るべき責任という意味で、やるべきことの範疇だ。

 だから手短に、労力を最小限に抑えて処理しただけで、礼を言われても謝られても、挨拶に困る。

奉太郎「これ、飲んだらもう出よう」

える「はい」

 カップを手に取りそう言うと、千反田は今度は素直に頷いた。

 飲むつもりのなかった二杯目のコーヒーは、一杯目ほど旨いとは感じなかった。




   S×H 商店街にて


   *


 翌日。

 放課後、俺は一人で昨日と同じアーケード街を歩いていた。

 買い物の用はなく、ただの帰り道である。

 里志は総務委員の仕事が、千反田、伊原とは、校門を出て少し歩いたところで別れた。

 今日の日付は五月二十三日。

 いよいよ近づいて来た。

 今から気が重い。

 あと一週間ほどで、神山高校では恒例行事の星ヶ谷杯、マラソン大会が行われる。

 里志の仕事とはその運営会議らしい。

 多くの生徒にとっては苦行でしかないマラソン大会も、運営の側に回ると何か楽しいことでもあるのか、里志は妙にいきいきとしていた。

 あいつの場合、参加者である生徒、特に俺へのサディスティックな愉しみを見出しはしゃいでいるだけかもしれないが。

 なんにせよ、げんなりさせられることには変わりない。

 せいぜい当日まで英気を養おうと、家路を急ぐ。

 昨日適当に買った文庫本が存外に面白かったことが、今の俺のせめてもの慰めだった。 



「……」

奉太郎「……」

 バス停のベンチに、昨日の白頭が座っていた。

 携帯を耳元に当て、誰かと通話している。

 昨日、里志が別れ際に、あの白頭のことを伊原に話すと言っていたが、奴はどうやら運営会議に気を取られていたらしく、あのしょうもない話が今日に持ち越されることはなかった。

 そんなに似ているだろうかと、横目に白頭を窺いつつ通り過ぎる。

 その際、通話の内容が少し聞こえてきた。

「そう……わかった。それと、塞の携帯につながらないんだけど、何か知らない?」

奉太郎「……」

 さすがに、ここまでくれば千反田でなくとも奇遇に思う。

 なかなかの偶然だと、軽く息を呑む。

 確か、昨日の赤団子の名前が、サエだった。

 白いからシロ。

 昨日の千反田のあの安直な発想は、案外、的を射ていたのかもしれない。

 無論、あの白頭がシロであると決まったわけではない。

 白頭の話に出てきたサエという人物が、昨日の赤団子だとも限らない。

 だが、そうである可能性を考慮してしまう偶然の一致だった。

 本当に昨日の白頭だろうかと確認したくなって、少し後ろを振り返る。

 すると、

「ぐすっ……」

奉太郎「……」

 白頭は、通話を終えた携帯に視線を落とし、涙ぐんでいた。

 鼻まですすっている。


 見なかったことにして、前に向き直る。

 花粉症か大変だな、と思っておくことにする。

 女子高生が外で一人で涙ぐむ現場など、見ていて気持ちの良いものではない。

 白頭が泣いている理由には、見当がつく。

 といっても、あいつがシロだと仮定して、さらに、昨日の千反田の誕生祝いに関する仮説が当たっていたとしたら、という前提に基づいた推理なので、俺が一人で勝手に納得しているだけなのかもしれないが。

 五人の詳細な人間関係を知らない俺に想像できることは一つだけ。

 そしてその想像が当たっていれば、ほどなくシロ頭は泣かなくても済むようになる。

 だから気にする必要はない。

 そこからは振り返らずに歩いた。

 しかし、すぐに振り返ることになった。

 校門前で別れた千反田が、自転車に乗って現れた。

 荷台に伊原を乗せている。


   *

 



   *

 
 昨日はぶられた私は、今日も一人だった。

 昨日と同じ商店街にやって来て、そこで気力が尽きバス停のベンチに腰掛けていた。

 ここにいれば、四人に会えるかもしれないという期待もあった。

 今日は部活が休みになり、四人はそれぞれ用があると学校で別れた。

 朝は普段と変わりなく迎えに来た塞といつもどおり二人で登校した。

 エイスリンとも、クラスではいつも通り過ごした。

 休み時間に廊下で会った胡桃と豊音とも普通に話せた。

 すべて私の杞憂だったと、その時点では思っていた。

 だが、四人は昨日の話を何もしてくれなかった。

 昨日何をしていたのか訊いてみても、四人はそれぞれ、クラスの用事、家の用事、私と別れたあと家に帰ったと、昨日私についた嘘をそのまま話すだけだった。

 泣きたくなる。

 やはり、みんなは私をハブにしている。

 表面的にはいつもと変わりなく接してくれるのが、かえって辛い。

 私の何がそんなに気に食わないのか、いっそ教えて欲しい。

 一人で悶々とすることに耐えられなくなり、私は塞の携帯に電話を掛けた。



 しかし、いくらコールしても塞は出ない。

 留守電にしているわけでもないようで、ただコール音が延々と鳴り響く。

 塞との通話を諦め、胡桃の番号に掛け直す。

 数度のコール音ののち、胡桃につながる。

胡桃「はい、もしもし。どうしたのシロ? 電話してくるなんて珍しい」

シロ「ああ、えっと……」

 どう切り出すか決めていなかった。

胡桃「シロ?」

 少し考え、電話で話すようなことでもないと思い直す。

シロ「いや、いま商店街に買い物に来てるんだけど、もし用事、すんでたら一緒にどうかと思って……」

胡桃「おお……!」

シロ「なに?」

 そのリアクションは、良い反応なのか悪い反応なのか判断に困る。

胡桃「いや、シロから買い物のお誘いなんて想像もしてなかったから。でもごめん。まだ用事済みそうにないから、また今度」

 良い反応、だった?


シロ「そう……わかった。それと、塞の携帯につながらないんだけど、何か知らない?」

胡桃「知らないよ? 学校で別れたきり……ていうか! 私に掛けたの塞のあとだったんだね? ほんと仲良しなんだから!」

シロ「いや、まぁ、うん……」

 胡桃は自分が二番目だったことに怒っている?

 つまり、私からの電話を喜んでくれている……?

 そうだとしたら、少しは気が晴れる。

 少しだけ気持ちが軽くなった、その時だった。

 電話の向こうから、聞き覚えのある声が。

 『――だよー』

シロ「……!」

 耳元にノイズが走る。

 胡桃が通話口を押さえたのだろう。

 少ししてノイズが消え、胡桃の声が。

胡桃「シロ、ごめん。まだ用事の途中だから、切るね?」

シロ「……うん、ごめん。忙しい時に」
 
胡桃「それじゃ、また明日」

シロ「うん……」

 胡桃は慌てた様子で電話を切った。

 携帯を取り落としそうになるのを堪え、ディスプレイに視線を落とす。

 通話を切る。

 胡桃の電話の向こうから聞こえてきた声は、間違いなく豊音の声だった。



 今日用事があると言っていたのも、やはり嘘だった。

 そもそも、この時期に二日続けて部活が休みになること自体、よく考えてみるとおかしい。

 もしかすると、豊音だけでなく、塞とエイスリンも一緒にいるのかもしれない。

 根拠のない想像は、なぜだか真実に思えた。

 なぜ、こんなことになったのか。

 四月に麻雀部を再建して以来、良い付き合いが出来ていると思っていたのに。

 どこで、私と四人の距離は離れてしまったのだろう。

 どこで私は、四人との距離を測り違えたのだろうか。

 思い返してみても、ただ楽しかった記憶が思い起こされるばかりだった。

 涙がにじむ。

シロ「ぐすっ……」


   *




   *


摩耶花「なんでいるのよ」

奉太郎「いきなり随分だな……」

 自転車の荷台から降りるなり、伊原は俺に毒づいた。

える「実は、昨日の白い方のことを摩耶花さんにお話したのですが……」

 余計なことを……。

 それに、なんてタイミングだ。

奉太郎「それで、白頭を見にわざわざ来たのか」

摩耶花「なによ、私だけ仲間外れなんてなんだか癪にさわるじゃない」

奉太郎「いつから俺たち、そんな仲良しグループになったんだ……」

摩耶花「別にあんたに仲間外れにされたって、どうとも思わないわよ。ちーちゃんとふくちゃんに仲間外れにされるのが嫌なの」

奉太郎「……さいで」

 さらに言うなら、その場に俺はいたのに自分はいなかったというのが気に入らないのだろう。

 里志とは別の意味で口が減らない。

 何にせよ、面倒なことになった。

 千反田と伊原とて、まさかそう都合よく、シロ頭に会えるとは思っていなかったはずだ。


 だが、二人のお目当てのシロ頭はいま俺の数メートル後ろに座っていて、しかも泣いている。

 いかにも千反田が興味を示しそうな状況だ。

 それも、泣いているシロ頭を話の種にするといった趣味の悪い興味の示し方ではなく、「もし、どうされました? 体調でも――

える「――悪いのですか?」

 とでも、声を掛けそうな……。

摩耶花「大丈夫?」

「……?」

奉太郎「おい……」

 放っておけ、という言葉を差し挟む隙はなかった。

 千反田は戸惑う伊原を引き連れずんずんとシロ頭に近づいていき、一切の躊躇なく声を掛けた。

奉太郎「……」

 放っておいても問題はないと、説明するつもりだったんだが……。


   *




   *


「もし、どうされました? 体調でも悪いのですか?」

「大丈夫?」

シロ「……?」

 どこかで聞いた覚えのある声に顔を上げると、そこには昨日のお嬢さんと、同じ制服を着た小柄な女の子が。

シロ「あ……」

 そこで気づく。

 公衆の面前で、一人泣いていればこんな心配もされる。

 顔が熱くなる。

シロ「あ……う……あの、大丈夫。違うから、体調が悪いとか、そんなんじゃ……」

 慌てて説明するも、どうしても嗚咽が混じってしまう。

 恥ずかしさに顔を伏せる。

「そうですか? ならよかったんですが」

「はい、これ」

シロ「あ、どうも……」

 落ち着いた様子のお嬢さん。

 私は小柄な女子が差し出したハンカチを受け取り、目元を拭った。


「……」

シロ「……? えっと……?」

 お嬢さんが私をじっと見詰めている。

 ベンチに座った私を、膝に手をつき上体を折り、覗き込んでいる。

 昨日も思ったが、やはり印象的な瞳だ。

 言葉遣いや外見の清楚な印象を裏切る、強い好奇の色が見て取れる。

 光彩が妖しく輝いていた。

 この目を見ていると、なんとなく麻雀が強そうだなと、そんなことを思ってしまう。

 と、いうか……。

シロ「あ、あの……」

「ちーちゃん……!」

「あ、すみません」

 顔が近い。

 お嬢さんは私に、もう少しで互いの鼻先がくっつきそうなほど顔を近づけていた。

 体を起こし、はにかんだように笑うお嬢さん。


 そしてまた少しの間、無言で私を見詰め、意を決したように彼女は言う。

「あの、突然で驚かれると思いますが……」

シロ「?」
  
 しかし、お嬢さんの話は遮られた。

「おい、千反田」

シロ「あ……」

 二人の後ろから、昨日の……たしか、オレキくんが現れた。

「折木さん」

「すまんな、いきなり。ちょっと待っててくれるか」

シロ「え……はい、いいけど……」

 オレキくんはチタンダさんの肩を掴み、少し離れたところへ引っ張っていった。

「もう平気?」

 残った小柄なおでこちゃんが、気遣ってくれる。

 よく考えてみれば、こうしてわざわざ声を掛けてくるということは、私の泣きっぷりはそれほど深刻に見えたのだろうか。

 恥ずかしさと申し訳なさで、耳まで熱くなる。

 もう私の顔は、傍目には完全にりんごのような有様だろう。

 シロの名折れである。



シロ「あ、ハンカチ……」

「ああ、いいよ。そのまま返してくれれば」

 おでこちゃんは私の隣に腰掛け、離れた二人を見て言った。

シロ「あの、話って……?」

 昨日道端で少し会っただけの私に、いったい何の話があるというのだろう。

「ああ、うんと、たぶん、あなたのお友達の話だと思うよ。さっきちーちゃんに少し聞いただけだから、よくわかんないけど」

シロ「私の友達……?」

「昨日、喫茶店で一緒になったんだってさ。えっと、金髪の外人さんと、すごく大きい子がいたとか」

シロ「それ……」

「心当たり、ある?」

シロ「うん……ある」

 エイスリンと豊音のことで間違いない。

 だが、オレキくんとチタンダさん、二人の話の内容までは全然見当がつかない。

「ちょっと待ってようか。たぶん、悪い話ではないだろうし」

シロ「うん……」

 おでこちゃんに言われるまま、私はおとなしく待つことにした。

 二人を見やる。

 何かこそこそと話している。

 二人の仲の良さそうな様子は、いまの私には見ても辛いだけだった。


   *




   *


奉太郎「なに考えてるんだ……いきなり声をかけるなんて」

える「ごめんなんさい。ですが、どうしても放っておけなくて」

奉太郎「……あいつが泣いている理由に、察しがついているのか?」

える「はい。といっても、あの方がシロさんだと仮定した場合ですが」

 仮定で話を進めようとしたのか。

 間違っていたらどうするつもりだったんだ……。

える「その場合は、私が恥をかくだけで済みます」

奉太郎「お前な……」

 しかし、まぁ。

奉太郎「そのことなら、さっきあいつが電話で話していたとき、サエという名前を口にしていた。あいつがシロである可能性は高い」

える「まぁ。でしたら、余計に昨日のことをお話しませんと」

 戻ろうとする千反田の肩を掴んで止める。

奉太郎「まて、何をどう考えたか話せ」

える「えっと……あの方はシロさんで、昨日のあの四人のお友達です。あの四人はシロさんに誕生日のサプライズを仕掛けようとしています」

奉太郎「そうだな」

 それも仮説に過ぎないのだが、まぁそれはいい。

える「五人はきっと、いつも一緒の仲良しなんです」

奉太郎「えらく言い切るな……」


える「きっとそうです。それで、四人はサプライズ仕掛けることに集中するあまり、シロさんを意図せず仲間はずれにしてしまったんだと思います。シロさんはそのことを察して、悲しんでおられるのではないかと。シロさんは自分が四人に疎外されているとは感じていても、それが誕生日のお祝いのためだとは気づいていないのではないでしょうか」

奉太郎「まぁ、俺たちの立場からではそれしか考えられる理由はないな」

 昨日、シロ頭は俺たちと会ったあと、四人が買い物をしている姿を見てしまったのではないだろうか。

 それなら、千反田の言うことにも筋が通る。

える「この間、折木さんの誕生日をお祝いしたときにですね……」

奉太郎「?」

える「折木さんのお宅に、ケーキを買って四人で向かう途中、わたし、とても楽しかったんです。着いたときの折木さんの反応を想像して、とてもわくわくしていました。きっと、それは他の三人も同じだったと思います」

 奉太郎の奴きっと驚くぞ、とか言っている里志の姿を想像して、少し気持ち悪くなる。

 伊原に関しては、想像すらできない。

奉太郎「それがどうかしたのか……」

える「ですが、その一方で思ったんです。いま、わたしたち四人は楽しいけど、ここに折木さんがいないのはなんだか嫌だなって」

奉太郎「俺を仲間外れにするのはかわいそうだってか……祝われる側がサプライズの楽しみを共有してどうする……」

える「それは、そうなんですが……」


 俺は先日の誕生日、そんなことは考えてもみなかった。

 昨日の喫茶店での、あの四人のわざとらしい密談を思い出す。

 言われてみれば、五人が千反田の言うような仲良しグループだとすれば、四人の真意がどうあれ、シロ頭は仲間外れにされていると言えなくもない。

える「それでも、たとえ良い意味でも、仲間外れにするのはなんだか気が引けてしまって……あのシロさんの場合、仲間外れにされていること自体には気づいているようですし」

奉太郎「だからって、あの宮守の連中のサプライズのネタばらしをしてしまっていいのか?」

 俺が気に掛けたのはその点だ。

 千反田があのシロ頭を泣きやませるために、四人の計画を話してしまうのではないかと危惧していた。

 別によく知りもしない赤の他人の誕生祝いがどうなろうと知ったことではないが、積極的に台無しにしようとも思わない。

 おそらく、シロ頭の誕生パーティー、ないし彼女に関する何かの祝い事は、近日中に行われるのだろう。

 シロ頭は千反田が言うような理由で泣いていたのだろうが、放っておいてもあいつの悲しみは近いうちに解消される。

 気遣ってハンカチ渡して、もうそれで十分だろう。


える「でも、シロさんはどこかで自分の誕生日が近いことに気づかなければ、ああして当日まで悲しい思いをして過ごすことになります。それくらいなら、ネタばらしをしてしまったほうがいいと思ったんです」

奉太郎「それはそうだが……」

 あのシロ頭が、自分の誕生日を失念している可能性は高い。

 あの連中は麻雀部らしいし、姉貴が昨晩、もうすぐインターハイの予選があると話していた。

 中学の頃から毎年、この時期の麻雀部員たちが放つ熱量には辟易とさせられている。

 それはどこの学校でも同じだろう。

 麻雀部員がインハイに気を取られ、自分の誕生日を忘れるというのは、ありそうな話に思えた。

 昨日の千反田の仮説も、間違っているとは思えない。

 なら……。

える「やっぱり、話してしまったほうがいいです。シロさんの誕生日がいつかはわかりませんが、それまであの状態というのはかわいそうです」

 千反田は横目にシロ頭……シロのほうを見て言った。

 もう腹を決めてしまっている顔に見えた。

奉太郎「……はぁ」

 これは、もう、シロへのネタばらしは避けられそうにない。

 面倒なことになったものだが、このまま千反田に任せると余計に面倒なことになる。

える「では行ってきますね」

奉太郎「待て。わかった。俺が話す」

える「そんな、別にわたしが話しても……」

奉太郎「いや、お前が話すと、昨日の喫茶店での話を詳細に語って聞かせるところから始めそうだ。俺が手短に済ませる」

える「折木さん……」

奉太郎「行くぞ、さっさと済ませよう」


   *

 



   *

 
奉太郎「待たせたな」

シロ「いや……」

奉太郎「名乗ったほうがいいか?」

シロ「いえ、待ってる間に、伊原さんに三人のお名前は聞きました……」

 このもじゃもじゃ男子が折木奉太郎、お嬢さんが千反田える、おでこちゃんが伊原摩耶花。

 敬称略。

 全員、神山高校の二年生。

 同年代なのは明らかだったが、三人とも上級生だった。

 伊原さんが年上であることには少しだけ驚いたが、もっと極端な例を知っているので、すぐに納得した。

奉太郎「そうか、それじゃあ、手短に済ませよう」 
 
シロ「はい……」


 どんな話であれ、そのほうがだるくなくていい。

奉太郎「まず、昨日お前の友達に会った。会ったといっても、話したわけじゃない。たまたま入った喫茶店で一緒になったんだ」

シロ「塞たちと……?」

える「はい。赤いお団子の方ですよね? 他に外国人の方と、とても大きい方、小柄な方が一緒でした」

シロ「間違いないです。私の友達です……」

奉太郎「店に俺たち以外の客はいなくて、静かでな。四人の会話の内容が聞こえてきた。会話の内容からは四人の名前がわかり、四人の名前以外にもう一人、仲が良いであろう友達の名前が出てきた。それが『シロ』だ。これは、お前のことだよな?」

シロ「はい……そう呼ばれてます」

える「ふふ」

シロ「?」

 なぜか、千反田さんが嬉しそうに笑う。



奉太郎「そうか。もしかして、名前に白の字が入るのか?」

シロ「はい。小瀬川白望。白望は、白望山の白望」

える「まぁ! 素敵なお名前ですね」

シロ「え、はぁ、どうも……?」

 千反田さんが妙に嬉しそうなのはなんで……?

シロ「でも、なんで私がシロだってわかったんですか?」

奉太郎「さっき、携帯で誰かと話していただろう? その時ちょうど近くを通り過ぎてな。お前がサエという名前を口にしているのが聞こえてきた」

シロ「なるほど。それで、あの、昨日の四人の話というのは……」

 私としては、そこが気になる。

 この三人は、昨日聞いたという四人の会話の内容と、泣いている私を関連付け、声を掛けてきたのではないだろうか。

 どう関連付けたのかは、ネガティブな想像になるので避けたいが。

奉太郎「それなんだがな……」

える「折木さん」

 先を促すように、千反田さんがその肩に手を添えた。

シロ「……あの、何か言いにくいようなことを、四人は?」

奉太郎「ああ、違うぞ。言いにくいといえば言いにくいが、悪い話じゃない。あの四人がお前の悪口を言っていたとしても、お前がシロだと気づいたからって、わざわざ報告したりはしない」

シロ「それも、そうです……じゃあ、言いにくいって、どういうこと?」

奉太郎「ん……」

摩耶花「折木?」

シロ「……?」

 話があると赤の他人の私にわざわざ声を掛けてきた割に、妙に言いよどむ。


 よほど知らせる必要性を感じていたのだろう、とは思う。

 だが、その理由までは想像がつかない。

 悪い内容ではない、しかし言いにくい理由とはなんなのか。

 千反田さん、伊原さんの二人は泣いている私を気遣って声を掛けてくれたとしても、この折木という人は、その手の気遣いとは無縁な人物に思えた。

 女子が一緒でなければ、私のことは確実にスルーしていただろう。

奉太郎「あのな、小瀬川」

シロ「はい」

 さんざん迷った挙句、折木さんは口を開いた。

奉太郎「何か、近いうちにお前に関する祝い事はないか……?」

シロ「祝い事……?」

奉太郎「ああ。何か心当たりはないか?」

シロ「祝い事……私に関する……」

 一つ、なくもない。

シロ「あります。ひとつ。でも、まだ未定で……」

奉太郎「未定……?」

シロ「私たち麻雀部なんですけど、試合が近くて。インハイ予選があるので、それに勝ったらお祝いをするかもしれません……」

奉太郎「…………他には?」

シロ「……え?」

 どうも、折木さんは違う答えを予想していたらしい。

 千反田さんも、後ろで困ったように笑っている。

 他に、何か私に関する祝い事。

 祝い事……。

 何か、忘れているような……。

える「小瀬川さん」

シロ「……はい?」

える「お誕生日はいつですか?」

シロ「あ」


 ああ……。

 ああ…………。

シロ「今日は何日ですか……?」

奉太郎「二十三日だ」

シロ「ああ……うわぁ……忘れてた…………」

 例年になく忙しい年になってはいたが……まさか自分の誕生日を忘れるなんて……。

える「今日なんですか?」

シロ「いえ、明日です」

える「それはおめでとうございます」

シロ「ええ……どうも。ありがとうございます」  

える「では明日ですね!」

シロ「……」

 「では明日」とは……?

 と、いうことは……つまり。

 四人が私をハブっていたのは。

シロ「まさか、四人の話っていうのは……?」

奉太郎「ああ、それに関することだと思う。それでこいつが――」

 折木さんは千反田さんを横目に見、言った。

奉太郎「それで、泣いているんじゃないかと言い出してな。別にお前は疎外されているわけじゃないと、教えてやるべきだと」

シロ「それで……わざわざ」

 昨日、四人が私をハブって買い物に来ていたのは私の誕生日プレゼントを買いに来ていたから……。

 そして折木さんと千反田さんは、四人がシロという人物の、誕生祝いのサプライズパーティーを企画しているとことを知り、さらに翌日、私がそのシロであることを知った。

 その私は一人で泣いていて、その理由として、四人のサプライズを関連付け声を掛けた。



 そこまで察していたのなら、私を放置してもよさそうなものだが。

 私の泣いている様は、それほど見るに耐えなかったのだろうか。

 また、顔が熱くなる。

 もう、首まで熱い。

 自分の誕生日を忘れていたがために四人の意図に気づけず、一人でハブられたと悲観し、挙句公衆の面前で泣いてしまうなんて……。

奉太郎「気づかない振りをしてやれよ」

シロ「はい……」

伊原「よくわかんないけど、誕生日おめでとう」

シロ「……どうも」

える「お話というのは、それだけなんです。余計なお世話かとも思ったんですが」

シロ「いえ、全部、お察しの通りなので……おかげで気が晴れました」

奉太郎「そりゃ、よかった。それじゃあ――」

 折木さんは肩に掛けた鞄の紐を直し、立ち去る素振りを見せる。

奉太郎「本当にそれだけなんだ。悪かったな突然声を掛けて」

伊原「もう行くの?」

奉太郎「ああ」

える「これで失礼しますね」

シロ「はい……あの……」

える「はい」

シロ「……ありがとう。声、掛けてくれて」

える「はい!」

 最後に礼を言うと、千反田さんはやたらと嬉しそうに笑った。

 全力の感情表現は、やはり豊音を思わせる。

シロ「はぁ……」

 三人のおかげで、一気に気持ちが軽くなった。

 嫌な緊張が解け、脱力する。

 一転して明日が楽しみになってきた。

 ベンチに座ったまま三人の背中が見えなくなるまで見送り、私も家路に着いた。




   ep H


 小瀬川と別れたあと、俺と千反田は詳しい事情を知らなかった伊原に昨日から今日までのことを説明させられていた。

 一通り話し終え、俺は二人に別れを告げ自宅の方向に歩き出そうとしたのだが、そこで伊原に呼び止められた。

摩耶花「待ちなさいよ」

奉太郎「なんだ」

 何か説明の足りない部分があったろうか。

摩耶花「あの子に声掛けた経緯はわかったけど、なんであんた、途中で話すのを渋ってたの?」

 それを話したくないからさっさと帰ろうとしていたんだが……。

える「折木さん、小瀬川さんに四人のサプライズの計画を話すのが嫌だったんですよね」

奉太郎「まぁ、そんなところだ」

摩耶花「へぇ……またらしくない気遣い見せるわね」

奉太郎「別に、気遣いというほどのものじゃない。ただ……」

摩耶花「ただ?」

奉太郎「悪い気はしないものだからな。ああいう祝われ方は」

摩耶花「……まさか、この間のあんたの誕生日のこと言ってるの……?」

奉太郎「他に何がある」


摩耶花「嬉しかったわけ……? あんた、あの誕生パーティー」

奉太郎「……嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しいもんだろう。そりゃあ……」

 伊原は口元を引き結び、ぷっと笑いを漏らした。

伊原「ふふっ……それで、あの子から同じ楽しみを奪うのが嫌だったわけね?」

奉太郎「……そういうふうに言えなくもない」  
 
伊原「くくっ、気色悪い。あんたが誕生日のサプライズで喜ぶなんて……!」


える「失礼ですよ、摩耶花さん」

 笑いをかみ殺す伊原。

 たしなめる千反田もどこかおかしそうにしている。

 だから話したくなかったんだ。

奉太郎「まったく……俺はもう行くぞ」

える「ええ。さようなら、折木さん」

奉太郎「ああ」

摩耶花「ああ、そうだ折木」

奉太郎「なんだ、まだ何か……」

摩耶花「あの子、全然あんたに似てないと思うわよ。あんたに似てるなんて言ったらあの子に失礼よ。似てるところって言ったら、髪の癖くらいなものね」

奉太郎「その点には同意する」

 こいつなら、こう言うと思っていた。

摩耶花「それにしたって、あんたがもじゃもじゃで、あの子はふわふわって感じ」

奉太郎「……さいで。それじゃあな」

摩耶花「じゃあね」

奉太郎「……」

 擬音一つで的確に貶めてくれるものだ。

 別れ際にわざわざ言うことか。

 俺はどこか釈然としない思いを抱えたまま、今度こそ家路に着いた。 
 
 小瀬川の誕生祝いが上手くいけばいいとは思ったが、それきり宮守女子の五人のことは考えなかった。






  ep S


 翌日。

 五月二十四日。

 私の誕生日。

 放課後、四人は先に部室に向かった。

 私はクラスメイトに呼び止められ、掃除の手伝いを頼まれた。

 おそらく塞の差し金だ。

 クラスメイトに私の足止めを頼んだのだろう。

 その間四人は、部室でいろいろと準備をしているのだと思う。

 掃除を終え、にやにやと笑うクラスメイトに見送られ、部室へ。

シロ「おつかれ……」

塞「お」

豊音「めでとー!」

 ぱぱーん、と。

 大方の予想通り、私の入室と同時にクラッカーが鳴らされた。

胡桃「豊音、早いよ!」

豊音「ごめんよー」

シロ「……」

 気が急いたのか、豊音が鳴らしたクラッカーはドアに直撃した。

エイスリン「オメデト……アレ、アレ?」

シロ「……」

 エイスリンのクラッカーには何か不備があったのか、紐を引いても鳴らなかった。


塞「エイスリン、私の鳴らしていいよ」

エイスリン「アリガト……ヨシ!」

 エイスリン、じっくりとクラッカーを準備。

エイスリン「オメデトウ!」

 発射。

 ぱーんと、エイスリンが鳴らしたクラッカーの中身が私に降り注ぐ。

シロ「……ありがとう」

胡桃「おめでとう!」 

 胡桃も発射。

 わちゃわちゃと、髪の毛に絡むカラフルな色紙。

 少し火薬臭い。

シロ「ありがとう……でも、何のお祝い……?」

 昨日、言われた通り、気づかない振りをする。

塞「もう、忘れたの? 今日はシロの誕生日じゃない!」

胡桃「呆れたー、塞がきっと忘れてるって言ってたから、まさかとは思ってたけど」

豊音「めでたいよー」

エイスリン「メデタイ!」

シロ「うん……ありがとう」

 昨日と一昨日の一日半、不安な思いで過ごしていたこともあって、涙腺が緩む。

 目頭が熱くなる。

塞「シロ?」

豊音「うわわ、シロ、泣いてるよー」

エイスリン「ナイテル!」

胡桃「泣くほど嬉しかったの!?」

シロ「ずっ……いや……うん、嬉しい」



 本当に、自分が疎外されているだなんて、馬鹿な想像をしたものだと思う。

 四人との距離を測り違えたなどと、早計もいいところだった。

 測り違えてはいたが、四人は遠くではなく、思ったよりも近くにいてくれた。

塞「もー、驚かせるつもりだったのに、こっちがびっくりしちゃったよ」

シロ「ごめん……ぐす」

 塞が私の目元をハンカチで拭いてくれる。

 謝罪には、疑って悪かったという意味も込めた。

 この二ヶ月弱、私は四人のために幾度か骨を折ってきたが、それは一方的な献身だと思っていた。

 それでいいと思っていた。

 私は四人の後ろを歩く。

 後ろから、前を行く全員の様子を窺って、何かあれば駆け寄って。

 私と四人との距離感は、そんなものだと思っていた。

 だが、少し違っていた。

 思っていたよりも少しだけ、四人は後ろの私を気にかけてくれていた。


豊音「さー、シロー! 泣いてる場合じゃないよー! これからプレゼントタイムだよー!」

胡桃「湿っぽいのはなしだよ!」

エイスリン「プレゼント! カクシタ!」

シロ「隠した?」

塞「みんながやるって聞かなくて」

シロ「どういうこと?」

エイスリン「ブシツニ、プレゼント、カクシマシタ! サガシテクダサイ!」

シロ「なんでまたそんな……」

豊音「シロ、いろいろなんでもわかるからー」

胡桃「ヒント出すね!」

シロ「……いや、いいよ」

胡桃「いいの?」

塞「手当たり次第探すとかじゃないよね」

シロ「それはダルいから、しない」

豊音「じゃあ、もうどこにあるかわかったのー!?」

シロ「うん、わかった」

 四人の仕掛けた趣向に関しては理解した。

 そしてプレゼントの在り処も、すぐに。

 豊音がやたらとそわそわしているのが最大のヒントだ。

シロ「豊音、とって……」

 戸棚の上を指差し、豊音に頼む。


豊音「……! なんでわかったのー?」

シロ「豊音、そわそわしすぎだから。高いところに隠したのかなって……」

塞「あちゃー」

胡桃「豊音、態度に出しすぎたね」

豊音「不覚だよー」

エイスリン「ヨッ! メイタンテイ!」

シロ「……よせやい」

 ……もう少し、わからないふりをしてあげるべきだったかな。

 豊音はひょいと背伸びをして、戸棚の上に隠したプレゼントを取ってくれた。

シロ「……ありがとう。開けていい?」

塞「もちろん。みんなで選んだんだよ」

胡桃「商店街にいいのなかったから、きのう盛岡まで行って来たんだよ!」

シロ「それで昨日……」

塞「うん、電話でなくてごめんね」

シロ「……うん」

 昨日のことを思い出し、恥ずかしくなって顔を背ける。

エイスリン「シロ、サミシカッタ?」

豊音「ごめんねー、シロのことびっくりさせたくてー」

シロ「いや、気にしてないから……みんなが私抜きで盛岡まで遊びに行ったとか、思ってないし」

胡桃「気にしてる!」

塞「ふふ、ごめんね、今度一緒に行こうね」

シロ「うん……」


胡桃「それより、開けてみてよ、シロにぴったりなもの買ってきたから!」

シロ「うん」

 包み越しの感触は、なんだかふわふわしている。

 衣類、にしては大きい。

 寝具、をプレゼントに選ぶというのもどうなのか。

 ぬいぐるみ……も、ないな。

 私にぴったりなぬいぐるみというのも想像がつかない。

 包装を開ける。

 中身は……。

シロ「半纏……」

胡桃「ね! ぴったりでしょ!」

塞「ちょっと季節じゃないけど、これしかないって思って」

豊音「似合うと思うよー、着て見せてよー」

エイスリン「ワタシモ、イロチガイカッタ!」

 包装の中身は、真っ白な半纏だった。

 襟と袖口の縁取りが、白いファーになっている。

シロ「真っ白な半纏って、珍しいね」

 確かに季節外れではあるが、気に入った。

 豊音に言われた通り、羽織ってみる。

シロ「どう……?」

豊音「あははー、シロ、真っ白になったよー。似合うよー」

胡桃「ぴったり!」

エイスリン「カワイイ!」

塞「寒くなったら使ってね」

シロ「うん……」


胡桃「次はケーキ!」

豊音「塞に聞いて、シロの好きなやつ買ってきたよー」

シロ「何から何まで……すまないね」

エイスリン「! ソレハ、イワナイヤクソクデショ!」

 日本語の勉強に色々と映画を見ているらしいが、チョイスが偏っている様子のエイスリン。

 その後はケーキを食べ、練習もしないで誕生パーティーを楽しんだ。

 といっても、結局五人が揃えばやることは一つで、麻雀をやった。

 しかし練習にはならず、お遊びの麻雀になった。

 四人は普段なら絶対にやらないような振込みを連発し、私の一人勝ちだった。

 明らかな差し込み、私への接待麻雀。

 たまには、ただ愉快なだけの麻雀も悪くない。

 楽しい一日だった。

 そして私にとっては、四人との距離感、五人の距離の概算を、少し修正する一日になった。

 迫るインハイ予選でも、この五人ならあるいはと、今なら素直に思える。

 やがて梅雨入りし、梅雨が明ければ日照量の少ない岩手にも暑い夏が訪れる。

 当然、東京にも。

 四人の背中越しに、目指す夏が見えた気がした。


            四槓子     

以上で終了です
ありがとうございました

シロの中の人つながりでたまこまクロス書こうとして書けなくてこうなった

中二病飛び飛びでしか見てないけど京太郎と永水の誰かの中の人も出てましたね
中の人ネタでクロス考えるの好きだけど難しい

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