やよい「お世話になります」(141)

遅れちゃったけど、やよい誕生日おめでとう!

ってことで、タイトル通りやよいのssです。

「お疲れ様でしたー!」

スタッフの声で、収録の終了が告げられる。
それを聞いた俺は、小さく息をついた。

今日の仕事が滞りなく完了したことを、ディレクターとねぎらい合う。
そこに、担当アイドルのやよいがニコニコしながら駆け寄ってきた。

「プロデューサー、お仕事終わりました! あ、ディレクター、今日はありがとうございました」

「うん、お疲れ様。じゃあ765プロさん、僕はそろそろ失礼します」

おなじみのお辞儀をするやよいに笑顔で手を振りながら、ディレクターがスタジオを後にする。

「やよい、お疲れ。今日の感触はどうだった?」

「えっと、今日はダンスも歌も間違えないで、バッチリできました!」

「うん、そうだな。自分がどれだけやれたか分かっているのは、とても大事なことだ。この調子なら、これからも先に進んでいけそうだ」

「……そう、ですね。今はちょっとお仕事少ないけど、でも私、まだまだ頑張れます!」

まだDランクのやよいにとって、テレビに出ること自体、なかなかに貴重なチャンスだ。
しかし、最近はその機会をうまく利用できていない。
やよいの歌やダンスは、ここのところ目に見えてレベルアップしているというのに、どういうわけか舞い込んでくる仕事の量はなかなか変わらず、なんとももどかしい時期が続いていた。

            ノヘ,_
    ,へ_ _, ,-==し/:. 入
  ノ"ミメ/".::::::::::::::::. ゙ヮ-‐ミ

  // ̄ソ .::::::::::: lヾlヽ::ヽ:::::zU
  |.:./:7(.:::::|:::|ヽ」lLH:_::::i::::: ゙l   いぇい!
 ノ:::|:::l{::.|」ム‐ ゛ ,,-、|::|:|:::: ノ   道端に生えてる草は食べられる草です!

 ヽ::::::人::l. f´`  _  |:|リ:ζ    畑に生えている草は美味しく食べられる草です!
 ,ゝ:冫 |:ハ、 <´ノ /ソ:::丿
 ヽ(_  lt|゙'ゝ┬ イ (τ"      ホント 貧乏は地獄です! うっう~~はいたーっち!!!

       r⌒ヘ__>ト、
      |:  ヾ   ゞ\ノヽ:    __  .      ri                   ri
      彳 ゝMarl| r‐ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |
       ゞ  \  | [,|゙゙''―ll_l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
        /\   ゞ| |  _|_  _High To

「やよいなら、やれるよ。……ほら」

お互いにそれを分かっているから、やよいの前では決してネガティブにはならない。
やよいの方も心得ているのだろう、俺が片手を上げたのを見て、すぐに同じように手を伸ばした。

「じゃあ、いきますよー? ハイ、ターッチ! いぇい!」

やよいと手を合わせるのは、もう何度目になるだろうか。
もう目を閉じていても、タイミングがずれることは無いだろう。
こうしてお互いの気持ちを鼓舞し合うことで、俺たちは前に進んできた。

「じゃあ、帰るか、やよい!」

「はいっ!」

仕事の充実感と、パートナーとの信頼感を胸に、俺たちは帰路についた。

それが、今日の昼間のこと。
やよいをレッスンスタジオまで送った後、俺は事務所に戻って書類の整理をしていた。

「プロデューサー、なに難しい顔してるんですか」

不意に後ろから声をかけられる。
振り返った先には、やよいとはまた別の意味での職場のパートナー、律子が湯のみを持って立っていた。

「あんまり根つめて悩んでも、うまくいくもんじゃないですよ?」

律子からお茶を受け取って、一口啜る。

「ああ、ありがとな。まぁでも、そんなに深刻って程でもないんだ」

「それは……やよいのスケジュールですね。それが、どうかしたんですか?」

「最近のやよいはステージパフォーマンスのレベルがどんどん上がってるし、トークもうまくなってるだろ?」

「ええ、そうですね。あの子の成長の速さには、驚かされます」

「ただな……どうにも仕事の量が、なかなか増えないんだよな……」

もう一口、茶を啜る。

「……確かに今のやよいは、もう一歩先に進んでもおかしくない力を持ってるかも」

「ああ。今、春香や美希はだんだんテレビに出るようになってるだろ?」

「千早ちゃんも、最近ではかなり歌が評価されてきてますよね」

音無さんも、俺たちの話を聞きつけて口を挟んでくる。

「もともと、力のある子ばかりですから。やよいにもその素質があると思うんですけど……」

「ま、それを引き出して上げるのが私たちの仕事でしょ? 弱音なんて吐いてちゃ、みんなに笑われちゃいますよ、プロデューサー殿?」

「……ああ、そうだな」

律子の言葉で、気持ちを切り替え直す。

そうだ。
俺が弱気になっているようでは、どうにもならない。

「どうですか? 少しは立ち直りましたか?」

「ああ、もう大丈夫だよ。つまらない愚痴を聞いてくれて、ありがとな」

「いいですよ、これくらい。でも今度は、私の愚痴にも付き合って下さいね」

俺はこうして、律子に愚痴をこぼすことがよくある。
最初のうちはなんとなく気が引けていたが、律子と話しているうちに、こうして問題点を話していると解決の糸口が見えてくることもあると気付いてきた。
それからは、お互いにそうするようにしているのだ。

椅子に深く座り、話をして疲れた喉を茶で潤していると、玄関のドアが開いた。

「ただいま戻りました!」

レッスンを終えてやよいが戻ってきたのだった。
やよいはまっすぐこちらに向かってくる。
俺の机の前まで来た彼女の晴れやかな顔で、今日のレッスンの成果を察した。

「お帰り、やよい。その様子だと、レッスンはうまくいったようだな」

「はい!先生に、ダンスにキレが出てきたねって褒められちゃいました!」

照れ笑いを浮かべるやよい。

やはり、ここのところのやよいの調子はすこぶるいい。
仕事が増えないからといって、焦る必要はないのかもしれない。

「そうか。じゃあ、俺もやよいに負けないように、どんどん仕事を取ってこなくちゃな」

「えっ? ……あっ、そうですね!」

一瞬、ひどく驚いたような顔をやよいは浮かべた。
俺が何かおかしなことを言っただろうか。
そう思うも、すでにやよいは、いつもの屈託のない笑顔に戻っていた。

次の日、少し珍しいことがあった。

朝、いつものように事務所に入ってきたやよいは、口を大きく開け、目に涙を溜めていた。
そのまま「おはようございます」を言おうとしたようだが、それはあくびが混ざったひどく愉快な挨拶に変わっていた。

「何よ、アンタがあくびなんて珍しいわね、やよい。昨日、夜更かしでもしてたの?」

ファッション誌を読んでいた伊織が、呆れた様子で問いかける。

「ううん、そんなことないよ……ふぁ」

また一つ、小さなあくびが出る。

「やよい、本当に大丈夫か? 日頃から、しっかり生活を管理しないとダメだぞ」

撮影中にあくびをするということは無いだろうが、やよいの体調がもし悪かったりしたら、今後の仕事にも響くだろう。

「あの、ホントに大丈夫です。私、ちゃんとがんばれます」

そう言って、やよいは小さく跳ね回ってまでみせる。

本人がそこまで言うのなら、問題もないだろう。
俺は一旦そのことを忘れて、今日のスケジュールに集中することにした。

「今日は、ラジオの収録だな。今回の視界の人は、話すのが速いので有名な人らしい……。やよい、話についていけなくなったら、聞き直してもいいんだぞ?」

もともとやよいは、矢継ぎ早に話す、というタイプではない。
だから俺はそんな心配をしてしまうのだったが、やよいは頼もしくもガッツポーズをする。

「そんなの、へっちゃらです! 私最近、速く話すのにも慣れてきた気がするんです。ちょっとずつですけど……」

そんな言葉を聞きながら、俺はやよいの確たる成長を感じずにはいられなかった。

以前のやよいでは、今のような状況には対応できなかっただろう。
あるいは、焦って俺に助けを求めていただろうか。

場数を踏むことによって、やよいは芸能人としての慣れや風格を身に着けつつある。
この調子ならば、仕事の方からやってくるというものだ。
俺の心配も、杞憂に過ぎなかったのかもしれない。

「……分かった。それなら、何も問題は無いな。行くぞ、やよい」

俺はやよいを連れ、事務所を後にした。

やよいの言葉通り、収録中の彼女には文句のつけようもなかった。
司会のマシンガントークに動じることもなく、常にリラックスした姿勢でいた。

「やよいちゃん、随分しっかりしてますね。あれで中二でしょう? 大したものです」

とは、スタッフの談だ。
この分なら、また番組にも呼んでもらえるだろう。

俺は収録後、スタジオで座ったままでいるやよいの傍に寄っていった。

「今日の出来は上々だったな、やよい」

やよいでイグぅぅぅう!!! またイッぢゃうぅううううう!!!
おぉおっほぉおおおぉーーっ!!(ドピュドピュ

ふぅ......違法だろ

>>26

                                `ヽ      _
                ,. --─.、             |       l `
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   |/  |: : : : : :ノ/: ::|: : : /ミ/|/|/: :/--<.ヽ/ //: : : : : :',   |
     l: : ::( ̄/: :_:ノ: : 〈{./ : :o |/{ヽ /:l})ト、//: : :/ : : : l  ノ    二7
     .}: : |ヽフ!:(ヽ: : : : /: : : :/ ゚ `U ー'三/イ/|∠!: : : : ! ヽ    ()_)
    <:__ノ  ヽ/ ∨: /|: ゚: ::/o   __ 三三/l)}|: :| :/  /

       ,. -─- 、 ∨ .|: : /  ,. <:::::\  l `'oノ:/:/  /.    -/- ヽ
      /l     \|  |: /  ∧   `ヽ:::`7 /|/|/  く     / d、
    / .|      |\ |/ \ \\   l/ /:/o゚    |     ┃ ┃
   /      ',     ト、  .\ \>'´ _'/:/       ム‐- 、. ・ ・
          ',  / | ∧  /|_ヽ-- '"/: : :/o         |  __
           l /  !ヽハ 〈、ヽ`lヽ/イ/       __     レ´
           |/   \`|_)l `ト、|        _∠_ \--、
          / /|_    `卞、_}_ \     //ヽ \ \ l

しかし、やよいからの返事は無い。

まさか、寝ているのかと思って顔を覗きこんでみると、先ほどとは一転、やよいは覇気のない表情で虚空を見つめていた。

「おい、やよい」

再び呼びかけるも、やよいは呆けたままで微動だにしない。
仕方なしに肩を軽く叩いてみると、今度こそやよいは俺に気付いていつもの笑みを浮かべた。

「あっ、プロデューサー! お疲れ様です!」

「ああ、お疲れ。ぼーっとしてたみたいだけど、大丈夫か?」

「はい、ちょっと考えごとしてただけです。今日の晩ごはんは、何にしようかなーって」

やよいは両親のいない日、いつも夕食を作っている。
何回か相伴に預かったことがあるが、これがよく慣れていて美味しい。
やよいの料理からは、長い間長女として一家を支えてきたことが感じられる。

「やよい、今日もよく頑張ったな」

そう言って、俺は右手を挙げる。
しかしやよいは帰ろうとしてだろうか、すでに歩き始めていて、ちょうど俺の手はやよいの頭にぶつかるように動いた。

「わっ……どうしたんですか、プロデューサー?」

強くは当たらなかったが、やよいは額を抑え、目をぱちくりさせて俺を見る。

「どうしたって……しないのか、ハイタッチ」

いや、しないならいいんだけどな、と付け加える。
仕事終わりの日課のようになっていたから、当然するものと思っていたのだ。

やよいはようやく合点がいったという風に、俺の前で佇まいを直す。
そして、昨日と同じように、俺たちはハイタッチを交わした。

乾いた音が、スタジオ内に響いていく。

この音が、どこまでも響いていけばいいのに。
この時俺は、そんな夢想に心を躍らせていた。

帰りの車の中、やよいは今日の収録のことを俺に話し続けた。
疲れているだろうに、眠ってもいいとは言ったが、やよいは全くそのそぶりすら見せようとはしなかった。

そして、車が大通りにさしかかる。
するとやよいは、急にシートベルトを外しだした。

「あの、プロデューサー。私、今日はここで降ろしてもらっていいですか?」

唐突に、そんなことを言い出す。

「いいけど、ここら辺に何かあるのか? やよいの家はもう少し離れているよな?」

「はい。でも私、今日は浩司のお迎えに行かなくちゃいけないんです」

「そういうことなら、俺がやよいの家まで送っていくぞ」

            r-、   ィ┐.    i  S T O P いけない画像 !!
           _|_エエ_ _ト   }ヽ|
         /:::::::::::::::::::::::.:jヽ :从 /f(  /
        /.='""""("")'''''''∵r゙''"''ー弋∵:;"て
        /:三 ::... \ヽ// ヽ::  n   ヾ彡r''"^
        |::=| r=-,    r=;ァ :.  | |    ミミ= ‐ ‐
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       |::(l:::::.. `ー=-'   .|「「.|^|`|  V\
        |::::..ヽ:::::::...    /.| !   ::} |W
        |::::::::. にひ:  ヒ.::::.ヽ  ,イ i

しかしやよいは、どこか歯切れの悪い様子を見せる。
あー、うー、と頭を抱えるしぐさをした後、やよいは申し訳なさそうにこちらを見上げた。

「すみません、プロデューサー。今日は、その、浩司と二人で話したいことがあって……」

つまり、俺の気遣いはいらないということだった。

「そういうことなら、送っていくのは無粋だな。気をつけて帰れよ、やよい」

「はい……すみません」

「気にするなって」

「すみません……」

何度も頭を下げようとするやよい。
俺が車を出すまで、やよいは五回も「すみません」を言い続けた。

翌朝、事務所につくと、見慣れない人の姿があった。

「あ、プロデューサーさん、お客さんが来てますよ」

俺に気付いた音無さんが、すぐに客人のもとへ俺を引っ張っていく。
どうやら客人は俺を待っていたようだった。

客人の正面に腰を下ろす。

「お待たせいたしました。彼が、高槻やよいのプロデューサーです」

客人にそれだけを告げると、音無さんは応接室を出ていった。
ドアも閉じられ、室内に俺と客人の二人だけが取り残される。

さて、どうしたものか。

客人がここに来た意図すら俺には分かっていない。
とりあえずは自分の名刺を渡してみると、それと同時に客人の方からも名刺が渡される。
そこに記されているのは、全国放送のテレビ局の名。
客人――山下、という名らしい――は、そのディレクターの一人だった。

「始めまして、山下さん。本日はどういったご用件でいらっしゃったんですか?」

俺の問いかけに、山下さんは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出して話し始める。
その内容は、にわかにはとても信じられないようなものだった。

やよいを、全国放送のゴールデンタイムに起用したいというのだ。
これが成功すれば、知名度も一気に跳ね上がるだろう。
今一歩のところで伸び悩んでいる俺たちにとっては、願ってもない話だった。

「もちろんです! その仕事、受けさせていただきます!」

二つ返事で了承する。
山下さんは忙しなく俺に資料を渡した後、「また連絡します」と残してすぐに事務所を出ていった。

「あんな多忙なディレクターの番組になんて……」

ソファに体を深く沈め、呟く。

ついに、やよいにも大きな仕事が巡ってきた。
これを足掛かりに、トップアイドルへの道が一気に開けるかもしれない。

そう考えると、俄然やる気が溢れてくる。

「さて、スケジュールを整えるか」

デスクに座り、やよいのスケジュールを確認したところで、ふいに扉が開く。

午前の仕事に出ていたやよいと伊織が帰ってきたのだった。

「戻りました!」

「ただいま」

二人はテレビの前に腰を下ろすと、他愛のない談笑を始めた。
今日は二人とも午後もレッスンがあるので、昼の間は事務所で待機することになっている。
しばらくすると、やよいが俺の手にしている資料に気付いた。

「プロデューサー、そのプリントは何ですか?」

これを聞いたら、きっとやよいも驚くだろう。
そう思って、俺はいかにもな動きでもったいをつけ、やよいに向き合った。

「何よそれ。変な顔してないで、とっとと言いなさいよね」

「実はだな……やよいに、全国放送のゴールデンタイムの仕事が入ったんだ!」

「ええっ!?」

やよいよりも先に、伊織が驚きの声を上げる。
そしてその数秒後には、まるで我がことのように喜びだした。

「やったじゃないやよい! これでアンタも、一流アイドルの仲間入りよ!」

しかし当のやよいは、ぽかんと口を開けたままで、手を掴む伊織のなすがままになっている。

「やよい?」

訝る伊織の声で、ようやく我に返るやよい。

「やよい、最近そういうの多いな。……大丈夫か?」

「あっ、はい、大丈夫です。……それより、ゴールデンタイムの番組ですよね。そんなのに出られるなんて、すごいです!」

「ああ。今回の仕事が、俺たちの大きな分岐点になると思う。気合を入れていこうな!」

「はい! 私、メラメラーって燃えてきちゃいました!」

そう言って、やよいは片手を挙げてみせる。

すみません、ご飯を食べてきます
すぐ終わりますので、もしよかったら保守をお願いします

戻りました
再開します

……そう言えば、やよいからこうして手を出すのは、久しぶりのような気がするな。

やよいに応えて、手を合わせようとする。
しかしタイミングがうまく合わず、俺が必要以上に身を乗り出してしまう。
随分奇妙な体勢でのハイタッチになってしまった。

隣で俺たちの様子を見ていた伊織が、くすくすと笑いだす。

「何よアンタたち、全然息合ってないじゃない。らしくないわね」

「うるさいな……」

冗談めかした伊織の軽口を流す。

「なぁ、やよい?」

「あ、はい……そうですね」

しかし、やよいの返事は、昨晩のように歯切れが悪い。
伊織もそれを感じ取ったのか、その表情からは笑みが消える。

「ねえ、アンタたち……本当に何かあったの?」

「いや、特には……無いと思うけど」

やよいの真意をはかりかねる。
結局その妙な雰囲気は払拭されないまま、二人はレッスンに向かってしまった。

それから数日。

例の仕事が入ってからというもの、やよいの毎日はレッスンの増加によってますます忙しいものになった。
さらに、今までの下積みがようやく評価されてきたのか、テレビやラジオの出演にも声がかかることが多くなっている。

……この調子なら、本当にトップアイドルの座が見えてくるかもしれない。

そう思わずにはいられない程に、やよいの活躍っぷりは目覚ましかった。

仕事の合間にため息をつく姿もあったが、今が正念場。
ここでくじけているようでは、先には決して進めないだろう。
事務所の期待がやよいの一身に集まっている姿は、プロデューサーとして、ファンとして、実に気持ちのいいものだった。

そんな折、とうとう番組の収録日が決定し、台本が渡された。
俺は朝一で出社して、その台本をぱらぱらとめくり、やよいの曲が流れることを確認した。

やよいはゲストの一人として、ひな壇に座ることになる。
決して悪くない扱いだ。

やよいが事務所に入ってくるなり、俺はその台本をやよいに手渡す。
やよいはきょとんとしていたが、その内容を確認すると、見る間に顔を輝かせた。

「あの、プロデューサー。これってもしかして……?」

「ああ。今度の番組の台本だよ。席も前の方だ。これだけ揃ってたら、もう言うことないな」

                _,. : : : ̄ ̄ ̄: : :- 、__ /: : : ヽ
           ,. : :´: : : : : : : : : : :--:、: :__/: : : : : : ハ

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         l/ ∨: :/、_ Ⅵ!リ 、__/_   ,: { ' / |:/: :; : :.|::.
             Ⅳrtチテ从  伐テテ' }  |:/_,/  {: : / : : l: :.
            }ハ  ̄ ,    ` ̄    j:{/`ヽ. |: /: : :.:.|: :}
               }           /リ / },!イ: : : : :!: ;
              人  ー-、   ,..ィ   /  //: :!: : : : :|:/
             >---- ≦   / / / {:.ハ: : : :.j/
             /   /   __/ /  {/ l/  }: : :/

やよいの肩をポンと叩く。
今回の仕事が成功するように、強く祈った。

しかしやよいはそれに対して、あいまいな笑みを浮かべた。
その表情からは、普段の明朗快活な様がなりを潜め、真意を覆い隠している。

隣にいた伊織が再び、「やっぱりアンタ、やよいに何かしたでしょ」と問いかける。
しかしこの時の俺は、一片の心当たりも持ち合わせてはいなかった。

そして番組収録の当日、事件は起こった。

肺の中に入り込む空気が、喉に渇きを与えていく。
それでもなお、俺は走るのをやめようとはしなかった。

やよいがスタジオに来ない。
未だかつてこんなことがあっただろうか。

よりによってこんな大事な日に……。

既に現場には伊織を向かわせてはいるが、何しろディレクター直接の指名だ。
彼の落胆は避けられないだろう。

拳を強く握りこむも、事態は好転の兆しを見せない。

俺は頭の中の雑念を飛ばすと、やよいを見つけることだけに集中するのだった。

高槻家付近の、小さな公園。
そこでやよいは、彼女の小さな弟と一緒に、ブランコに座っていた。

時刻は既に九時を回る。

俺はこみ上げる幾多の感情を抑えながら、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄った。

「……やよい」

出来るだけ静かに、声をかける。
うつむいていたやよいの顔が、俺の姿を確認すると同時に、固くこわばった。

「やよい、どうしてスタジオに来なかったんだ?」

神妙な様子のやよいに尋ねる。
やよいの弟――浩司、という名前だったはずだ――が、不安げに俺たちを見つめていた。

「黙っていたら分からないだろう、説明してくれないと。どうして、仕事を休んだんだ?」

三度、やよいに声をかける。
とうとうやよいは小さい声で呟いた。

「浩司が……迷子になってたんです。私がちょっと目を離したすきに、スーパーから出てっちゃったみたいで……」

「……でも、探している途中に連絡することくらい、出来たんじゃないか?」

「……全然、気付きませんでした。ごめんなさい」

やよいが深く頭を下げる。
俺はこの時、冷静であることを忘れてしまっていた。

「連絡が無くちゃ、何があったのか分からないだろう! どれだけ心配したと思ってるんだ!」

思わず声を荒らげて、頭ごなしに怒鳴りつける。
やよいの肩が大きく震えた。

「やよいももう働いているわけだから、その意味では立派な社会人だ。それなりの行動をとってもらわないと困る」

「はい……ごめんなさい」

これ以上の説教は無意味と悟り、踵を返す。
その背中ごしに、やよいの声がかかった。

「あの……今日の仕事は、どうなったんですか?」

「伊織が代わりに向かったよ。流石にみんな困惑してたみたいだけどな」

それだけ答えると、俺は大きく溜め息を吐いて、その場を後にした。

その日は、柄にもないが酒を飲み過ぎ、家に帰ると同時、泥のように眠りについた。

やよいはその翌日、またいつものように事務所に現れた。

伊織や俺に昨日のことを詫びた後、今日のスーパーの特売のチェックを始める。
昨日の今日で落ち込んでやしないかと少し不安だったが、いつものやよいと何ら変わらないように思えた。

車に乗って、営業先に向かう途中も、やよいはずっと手帳とチラシの間に目を走らせてばかりいた。

「やよい、あんまり文字ばかり見ていると酔うぞ」

「はい……」

この通り、注意をしても生返事。
だから俺は早々に、やよいのことを気にかけるのをやめた。

「うーん、イマイチだねぇ。もう一回、撮りなおしてみようか」

監督の声で、本日四度目のカットがかかる。

今日はやよいのPVを撮影する手はずになっているのだが、どうにもやよいの表情が晴れない。
そのせいで、やよいの元気なイメージが見えてこないのだ。

「やよい、一体どうしたんだ? 朝は元気だったのに……」

やよいはその返事もなおざりに、小さくうなずくだけ。
撮影がうまく進行しないせいか、昨日の一件のせいか。
俺の心には確かな苛立ちが募っていた。
頭をかきながら溜め息をつき、明後日の方角を向く。

「やよい。これが撮れなきゃ今日は終われないんだぞ」

少し語調を強めに注意をして、やよいの方へ再び向き直ると、目の前にやよいの姿は無かった。
視界に違和感を覚え、そのまま顔を下に向ける。
そして俺は、思わず我が目を疑った。

「……え?」

やよいが、うつぶせになって倒れていた。

「軽い貧血ですね。じきに目を覚ますでしょう」

病院の一室。
医師の言葉に安堵の息を漏らす。
あの後すぐに、やよいは最寄りの病院へ搬送された。
一時はどうなることかと思ったが、ただの貧血なら心配はいらないだろう。

「とりあえず、今日一日は安静にさせてあげてくださいね」

医師はそう言い残して病室を出ていく。
それとほぼ同時だろうか、やよいがゆっくりと室内を見渡す。

「覚えてないか、やよい。お前は撮影中に、貧血で倒れたんだぞ」

じゃあ、撮影は……」

「今日はいったん中止だ。気にするな、貧血じゃ仕方ない」

一応のフォロー入れるものの、やよいの表情は晴れない。
そればかりか、思い詰めているようにすら感じられた。

「私、全然ダメダメかも……。昨日も、今日も失敗しちゃって……」

「昨日はともかく、今日のは仕方ない。ただ、貧血ってのはちょっと気になるけどな。俺がやよいに無理させすぎてたってことだから。ごめんな」

「そんなことないです!」

急にやよいが声を張り上げる。
その後すぐに、ばつの悪い顔でうつむいてしまった。

「じゃあ、何か他に理由があるのか、やよい?」

「あの、それは、その……」

俺の問いかけに、きょろきょろと目を動かして落ち着かない様子になるやよい。
しかしそれも数秒のことで、やよいは大きく深い息を吐くと、笑い顔とも泣き顔ともつかないような不思議な表情で、俺の目をじっと見据えた。

「……私のお父さんとお母さん、最近仕事が増えてきたんです」

「え?」

話が見えず、間抜けな声が出る。
そんな俺に構わず、やよいは話を続けた。

「それで、最近は何日も泊り込みで働いてるんです。プロデューサーも知ってると思うんですけど、うちってとっても貧乏で……だから私たち、兄弟みんなでお父さんたちを応援しようって決めたんです。だけど……」

「……ああ、そういうことか」

つまりやよいは、ここしばらくの間、家事の全てを一手に引き受けていたのだ。
親を助け、家を支えるために。

「こんなこと、隠しても仕方なかったですよね。私が働かないと、家が大変になっちゃうから、夜遅くまで起きてることが増えて……だから私、貧血になっちゃったんじゃないかなーって」

寂しげに呟くやよい。
俺はそれを黙って見つめることしかできなかった。

「……それでも、やっぱり仕事がいい加減になっちゃ、ダメですよね」

一旦言葉を切って、うつむく。
いくばくかの沈黙の後、やよいは大きく深呼吸をして、それを口にした。

「だから私、もうアイドル、やめようと思うんです」

予想だにしなかった台詞に、言葉を失う。

「もともと私、お家を助けるためにアイドルになろうって決めたから……。お父さんたちがお金をいっぱい稼ぐようになったら、私が無理してアイドルやらなくっても大丈夫だって思うんです」

「だからって……」

辛うじて、それだけを喉から絞り出す。
やよいの話を受け止めるには、今の俺はあまりにも動揺していた。

「プロデューサーが言いたいことも分かります。……わたし、プロデューサーと約束しました。トップアイドルになるって……ごめんなさい、プロデューサー。私、少し疲れちゃったみたいです……」

そう言って、やよいは精一杯の笑みを浮かべる。
その顔を見て、俺は言いたいことの一切を鎮めてしまった。

……この子は、なんて悲しい顔をするのだろうか。

いままで、やよいなりにずっと考えてきたんだろう。
日ごとに忙しくなっていくスケジュールの中で、一体どれだけの時間がやよいに与えられていただろうか。
あまりに過酷な環境は、今にもやよいを壊してしまうだろう。
そんな境遇にいる少女に、俺は何の言葉もかけてやることができなかった。

「じゃあ私、やることいっぱいあるのでそろそろ行きますね……」

やよいがベッドから這い出て、置いてあった靴を履く。
それを止めることも忘れ、俺はただ体を凍らせたままでいた。

「……さよなら、プロデューサー」

すれ違いざま、やよいが呟く。
何も言えずにいる自分が、どうしようもなく情けなかった。

行き場のない焦燥感を抱えて病院を後にする。
何をすればいいのか分からないまま、気付けば俺は事務所まで戻ってきていた。

……ここに来れば、やよいがいるとでも思ったのか。

自分の浅慮を嘲る。
乾いた笑いが、不快な音で車内に響いた。

誰もいない空間。
案の定、そこにやよいの姿は無かった。
ソファに腰かけ、自身の無神経を呪う。

大家族を支える家事。

中学校での勉強。

アイドルの仕事。

その全てが、やよいの小さな肩にのしかかっていたというのだ。
そんなもの、疲れて当たり前だ。
なぜ今まで、やよいの変化に気付けなかったのだろうか。

そればかりか、俺は入ってくる仕事に身勝手な期待をかけ、やよいを追い詰めていたんじゃないのか。

プロである以前に、やよいは14歳の少女だった。
そんなこと、分かっていたはずなのに。

身勝手の代償はあまりにも高くつき、俺から大切なパートナーを奪っていった。

やよいを説得しようにも、家の問題が関係するとなるとそれも難しい。
やよいのそもそもの目的は、彼女の言う通り、両親の手助けをすることだったのだから。

「もしかしたら、これが本来の姿だったのかもしれないな……」

つい、そんな言葉が口をついて出た。
と、その時、ドアを開く音がする。
はっとして、玄関口を見る。

「何よ、アンタ一人?」

伊織が一人で、事務所の入り口に佇んでいた。

「ああ、伊織か……お疲れ」

「まぁ、大した仕事じゃなかったけどね。……ちょっと聞きなさいよ! 今日のディレクターときたら……」

不意に伊織は口をつぐんで、きょろきょろと室内を見回す。
そして、首をかしげながら、こちらに向きなおった。

「本当にアンタしかいないみたいだけど、やよいはどこに行ったの?」

その問いかけに口を詰まらせる。
やよいの家にも関わる問題を、そう簡単に話していいものか。

しかし伊織は、微妙な表情の変化を敏感に感じ取ったのか、見る間にその顔を険しくしていく。

「……やよいに、何かあったの?」

何を言ってごまかそうか、と口を開きかけるが、すぐにこれも無駄と悟る。

「隠したって無駄よ。アンタの顔、すごく分かりやすいから」

伊織の観察眼は鋭く、俺を射抜いたままでいる。
その表情からは、正直に話す以外の選択肢を一切許さない、気迫と必死さが伝わってきた。

半ば諦めも込めて、やよいとのやり取りを洗いざらい話す。
その間伊織は微動だにせず、ただうつむいて俺の話に耳を傾けていた。

「……で、アンタはそのまま帰ってきたって訳ね」

話しを終えてから、どれだけの時間が経過しただろうか。
そう思い始める頃、伊織がぽつりと呟いた。

「アンタ……一体何考えてるの!? 何でアンタがそこにいたのに、やよいをそのまま行かせたりしたのよ!」

怒りを露わにする伊織。
しかし俺には、そうできないだけの理由がある。
そう思って口を開くより先に、伊織がぎろりと俺を睨みつける。

「アンタまさか、これはやよいの家のことだから口出しできないとか、そんなふざけたことを考えてるんじゃないでしょうね」

図星を突かれ、言葉に詰まる。
それを悟ったのか、伊織は悪態をついて言葉を重ねた。

「ほんっとに呆れたわよ。まさかアンタがここまでやよいの気持ちを分かってないとは思わなかったわ。それでよくプロデューサーなんて名乗れるわね」

「じゃあどうしろって言うんだよ! 少なくとも俺は……やよいの決断に口出しできる立場じゃないんだ!」

好き放題に言われ、頭に血が上る。
伊織の真意が、俺にはさっぱりわからなかった。
しかし、伊織はなおも食いついてくる。

「立場がどうとか、そんなの全然関係ないじゃない! やよいが本気でアイドルやめたいなんて思ってるわけないでしょ!? アンタ、やよいがアイドルになった理由も忘れちゃったの?」

伊織の言葉が、強い意志となって突き刺さる。

やよいの、アイドルになった理由。

……一家を、支えるため。

違う。

もう一つ、あるだろう。

『私、ファンのみんなに私の元気を分けてあげたいなーって、思うんです!』

ああ、俺はそんなことも忘れてしまっていたのか。
俺がやよいに惹かれたのは、やよいの人を明るくする力だったじゃあないか。

「やよい本人がアイドルをやりたがってるんだから、それを助けてこそのプロデューサーってもんでしょ? 使える手は、全部使いなさいよ。私たちだって、そんなときに協力しないほど薄情じゃないわよ?」

力強く微笑む伊織の姿に、殴られたような衝撃を受ける。
仲間を信じていなかった俺が、どうしてやよいに信じてもらえるというのか。

やよいに手を差し伸べることを諦めた俺もまた、手を差し伸べられる側の人間だった。

「伊織。まだ、間に合うと思うか?」

「さあ。でも、いま急がなかったら絶対間に合わないわよ」

つくづく、伊織には頭が上がらない。
俺たちはすぐに事務所を飛び出すと、ベルトを締めるのももどかしく車に乗り込み、大急ぎでやよいの家へと向かった。

『私、ファンのみんなに私の元気を分けてあげたいなーって、思うんです!』

ああ、俺はそんなことも忘れてしまっていたのか。
俺がやよいに惹かれたのは、やよいのが人を明るくする力を持っているからだったじゃあないか。

「やよい本人がアイドルをやりたがってるんだから、それを助けてこそのプロデューサーってもんでしょ? 使える手は、全部使いなさいよ。私たちだって、そんなときに協力しないほど薄情じゃないわよ?」

力強く微笑む伊織の姿に、殴られたような衝撃を受ける。
仲間を信じていなかった俺が、どうしてやよいに信じてもらえるというのか。

やよいに手を差し伸べることを諦めた俺もまた、手を差し伸べられる側の人間だった。

「伊織。まだ、間に合うと思うか?」

「さあ。でも、いま急がなかったら絶対間に合わないわよ」

つくづく、伊織には頭が上がらない。
俺たちはすぐに事務所を飛び出すと、ベルトを締めるのももどかしく車に乗り込み、大急ぎでやよいの家へと向かった。

やよいの家には、誰にもいなかった。
と言っても、平日の午前中に訪ねているので、出てくるとすればやよいしかいないのだが。

「やよい、帰ってないのかしら……?」

訝る伊織が、一応やよいが使っている社用携帯に電話をする。
しかしすぐに、こちらを向いて肩をすくめてみせた。

「当然、携帯の電源は切ってるだろうな……まぁ、ここで待つのが一番手っ取り早いか」

やよいを待つべく公園近くの駐車場まで移動する。

不意に、俺の携帯が聞きなれない曲を鳴らし始める。

「社長か……?」

社長との連絡はメールがほとんどで、よほど重要なことでなければ電話はかかってこない。
何やら嫌な予感を覚えつつも、恐る恐る手に取ってみる。

「……はい」

『おお、君。大変なことが起きたんだよ。……やよい君のことなんだが』

全身がこわばるのを感じる。
隣では、状況を察したのか、伊織が同じように神妙な面持ちをしていた。

『実はつい先ほど、やよい君が私に辞表を提出してきた。……心当たりは、あるかね?』

入れ違いか!

全身の血の気が引くのを感じる。
ごくりと、生唾を飲み込んだ。

「……はい」

『そうか。私には全く心当たりは無かったのだよ。それで、君と話をつけてきたのか、君を連れてこなければ受け取れない、と言ったら、彼女は事務所を飛び出していってしまってね。君にも伝えておいた方がいいと思って電話したんだよ』

「分かりました。見つけ次第、事務所まで連れて行きます」

電話を切って、伊織に事の内容を説明する。

「そんな!」

伊織は息をのんで、小さく悲鳴をあげる。

状況は、時間を追うごとに悪化している。
やよいの意思が完全に固まってしまう前に、なんとしても見つけなければ。
もはや、一刻の猶予も許されなかった。

「伊織はやよいが返ってくるかどうか確認するためにこの近くにいてくれ! 俺はやよいを探しに行く」

「アンタ一人で、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。それに……これは、俺が話さなきゃいけないことだから」

目を丸くする伊織。

「あら、さっきとはえらい違いじゃない? まあいいわ、早く行ってきなさい! 三時間で戻ってこなきゃ、承知しないんだから!」

伊織に後押しされて、俺は車を飛び出す。

……大丈夫、ちゃんと心当たりはある。

今まで来た道を全速力で駆け戻りながら、俺はポケットから携帯電話を取り出した。

ビル街の一角、噴水の近くに、やよいは所在なさげに座っていた。

俺たちが初めて出会った場所。
それは、俺とやよいにとって、忘れられない思い出の場だった。

「ここに、いたのか」

やよいが俺を見るなり立ち上がる。
そして、背中を向けて走って行こうとした。

「待ってくれ!」

今度は、もう迷わない。
やよいの手を掴んだ。
それを振り切るように暴れるやよい。
でも俺だって、放すわけにはいかない。

「放して……ください」

「いや、ダメだ。やよいがアイドルをやりたいと思ってる限り、放さない。……それが、俺の役目だから」

抵抗をやめて、静かに立ち止まるやよい。
その肩が、小刻みに震える。

「もう……ダメなんです……私一人じゃ、もうこれ以上抱えられないんです!」

悲痛な叫び。
やよいの目には、涙がにじんでいた。
いつも気丈なやよいが、ここまで追い詰められていたこと、それを気付けなかったことを、改めて悔やむ。

だからこそ、今俺ができることは、ただ一つだ。

やよいの小さな体を抱き寄せる。
それはあまりに華奢で、今にも壊れそうなほど、脆く、儚かった。

「やよい、困った時には、俺たちを頼ってもいいんだぞ。俺も律子も伊織も、みんながお前を助けるから。……今だって、みんなに電話してたんだ。やよいの両親が忙しい間、暇を見てやよいの家を手伝ってくれないかって。みんな、二つ返事で快諾してくれた」

やよいがはっと顔を上げる。

「そんな……私、家のことでみんなに迷惑なんてかけられません」

「迷惑だなんて、誰も思ってないよ。今、やよいにいなくなられた方が、よっぽど困る。それに……」

いや、それも全部口実か。
俺の願いは、最初から一つだけだった。

「俺は、やよいをトップアイドルにするって誓ったんだ。ここでおしまいだなんて、絶対に嫌だ。俺にできることなら何でもする。だから、俺の前からいなくならないでくれ……俺にはやよいが、必要なんだ!」

それは、ただの醜い我儘かもしれない。
身勝手な偽善かも知れない。
ならば、全てをさらけ出そう。

どんなに言いつくろっても、やよいがまだアイドルをやりたがっているのに、それを黙って見ていることなど、俺にはできない。

目を閉じて、やよいの返答を静かに待つ。
長い沈黙が場を呑みこむ。
不意に、俺の手が、温かいものに包まれた。

目を開けてみると、やよいが俺の手を握り、目を赤くして笑っていた。

「ごめんなさい、プロデューサー。私、まだアイドル、やめたくないです。だから、その……いっぱい迷惑かけちゃうと思います」

ゆっくり言葉を選びながら、やよいは一つ一つ、それを紡いでいく。

「それでも……もし嫌じゃなかったら、また、よろしくお願いします」

やよいが言い終わるか終わらないうちに、腕の力を強くする。
もはや、全てのしがらみは無意味だった。

「ごめんな、やよい、今まで気づけなくて。苦しかったよな……」

「私こそ、ごめんなさい。一人で悩んで……」

離れていた心の距離。

すれ違った時間。

それらすべてを埋めるように、俺たちは温もりを分かち合った。

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