【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─ (951)









              ∫ PROLOGUE IN HEAVEN ∫




                    ”天上の序曲 ”





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10万年後とか先すぎて奇跡と魔法があっても人類いる気がしない
せいぜい千年後、西暦3000年でよかったんじゃ・・・ それでもほむら以外既存の魔法少女いなそうだし



ご意見いただきまして、>>1としても10万年は先過ぎるよなあと思いましたので
>>26様のコメントを採用しまして西暦3000年の世界に変更しました。

その上で本編に入ろうかなとおもいます。


設定に大幅な改変はなく、1000年後の地球は文明が衰退している、
滅びかけた人類を魔法少女たちの奇跡が救った、ただし文明は中世かそれ以下くらいの時代に逆戻り、
過去の戦争のためか大陸も変形して別世界のようになっている。


暁美ほむらはそれでもまどかが守ろうとした世界なので魔法少女として闘い続けて鹿目の血筋も代々見守ってきた
というほぼ当初通りの設定で、あらためて、第一話「プロローグ」より本編をはじめたいと思います。

15


月が夜空に、浮かんでいた。


暗い夜空。

遠い昔と変わらない姿である月。この世界を見守る丸い月は、暗い雲に覆われて陰ろう。


そんな微かな月光が照らす地上に、家々が建っていた。


静まり返った村である。


夜になれば、電灯も何もない森と丘に囲まれたこの村は、自然の時間に従って寝静まる。


家々は小さな石を積み上げて建てられ、大きさがそれぞれ異なる石を積み重ねて建てた家の形はでこぼこで、
その屋根を藁が覆う。

屋根は壁がささえてる。藁がしかれ、雨風を防ぐ。


ここは、バリトンという地名の村。

辺境といえば辺境の村であり、昔に比べずっと衰退した文明のなかでも、とくに遅れている地域で、
ほとんど原始の時代に戻ってしまったと述べても過言にならない村である。



村の人々は自分の農地をもち、麦をとることを生活の糧としていたが、なかには、その自分の土地と農地をもてない
者もいた。


自分の農地すらもてない民の存在は、この時代では珍しくなく、そのため彼らは、餓えをしのいで生きるため、
新しい土地を求めて旅にでるか、盗賊・山賊に身を落として略奪をはたらくようになったりした。


この土地は少なくとも明文化された法でしっかり統治されているわけでもなく、だから民は、そうした略奪の手からは、
自らの身で守らなければならなかった。


そのためバリトンの村人も、剣や、弓矢といった原始的な武具は最低限持ち合わせてして、その武術の心得も、
日々の鍛錬で積んでいく。


しかし、ここに、そんな武術の心得も、農地も持たぬ、不運の少女が一人。

物心もつかぬ頃に両親を失くし、その顔もはっきりと覚えておらず、農地すらもてずに、
たった一人ぼっちで細々と暮らす悲運の少女。


この少女が後に、”神の国”と呼ばれる世界の聖地にむけて旅立ち、あるひとつの奇跡を成し遂げるその日に
なるまでは、この時点では、まだ早い。そうなるまでは、もっとずっと、年月はかかる。



このバリトンの村の、森林に囲まれた土道を、一頭の馬が、テクテクと足を進めていた。

森の夜道を静かに馬を歩かせる御者は、サーコートという若緑の衣服を身に纏った一人の女の人影。


寝静まった村を、物音なるべく立てずに馬で村の土道を進むその女の影は、悲運の少女の家をたずねる。


山道の途中、夜な夜な出歩くこの女を怪しがって、村の番犬が、警戒の鳴き声を鳴きちらしたりした。


「おお、どうか静かにしてくれたまえよ」


女は馬の手綱を握りつつ、優しい声で犬に呼びかけた。「村の者のやらすかな眠りを、妨げるでない」


番犬たちは、その声で女の正体を知ったのか、すぐになき止んで、家屋の奥に尻尾ゆらしてひっこんでいった。


そう、声の主は、このバリトンという村の領主だったのである。

領主であり、また、”ただの女ではなかった”。特別な、力を持った、女なのである。


領主というからには、やはりそれは、昔に存在した歴史の領主たちと変わらず、この領主も、
村に住む民から税を取る立場にあった。

その代わり領主は、村を統べる立場として、民を守らねばならない。この世界に蔓延る、あらゆる危険から。

例えばそう、村を狙ってたびたび山を降りてくる山賊たちであるとか、あとは、ただの人ではどうにもならぬ”魔獣”
といった危険から、民を守るのが領主の義務。


領主の女は馬を静かに歩かせ、そして、目当ての少女のもとに着くと、馬を静かに降りた。

とん、とんと───そのブーツの足が地に着く。

サーコートを羽織ったロングスカートの丈からのぞかせるは、足元の革のブーツ。


領主は馬の頭をそっと撫でてやり、自分を運んでくれた下僕に感謝の意を示すと、彼女は、一度顔をあげ、夜空に浮かぶ
雲隠れの月をみあげると。


「女神よ、あなたの守護をあの子にも」


と独り言を口にだし、すると、トントンと家の木の扉を叩いた。

石と藁でできた家の入り口を固める、板を重ねて固めたぼろくさい扉を。



なんの返事もない。

「ふむ」

女は顎を掴み、考え込む仕草をすると、再びとんとんと扉をたたく。

やっぱり返事がない。

「眠ってしまったかな」

領主たる女は呟き、残念そうにしながら、引き返した。一度降りた馬にばっと再びまたがり、手綱を握る。

「早朝にまた来よう」


するとそのとき、キィとちゃっちゃな音をたてて、扉がわずだけ開いた。

扉から顔をそっとのぞかせるのは、幼きピンク色の髪をした少女。

ひょっこりと、恐る恐る顔をだしてみる少女は、最初だけ、怯えたような、うるうるした目つきをしていたが、
自分を訪ねた何者かが誰かに気付くと。

「あっ!」

と可愛らしい声をだし、木の扉から外へ飛び出した。小さなチュニックを着たそのピンク髪の少女は、
さっきの恐がった様子とは打って変わって、はしゃぎながら訪問者にとびつく。「椎奈さま!」


馬に跨った領主の名を、元気いっぱいにそう呼ぶ。

このとき、ピンク色の髪と、くりくりした同じピンク色の瞳をした少女は、鹿目円奈(かなめまどな)。
まだ10歳。

ほんの幼い少女である。

本人はまだ知らないが、いま世界中の魔法少女に噂話に語り継がれて神聖視されつつある円環の理となった少女の遺伝が、
その血肉に眠っているのである。そして、その遺伝と血筋は、一人の黒髪の魔法少女が、ずっと見守ってきた。

後に、次第に自らの資質を開花させていき、はるか神の国への遠い冒険にでるまでは、まだ早すぎる年齢であることは、
きっと神も知っていたにちがいない。


いっぽう、幼き少女がそう元気いっぱいに呼んで、とびついた、馬に跨って手綱を手に持つこの女の名は、
来栖椎奈(くるすしいな)。この村の領主である。


「円奈、すまぬ。こんな夜遅くに」

と、領主はそう言った。寝静まった夜の村はずれの森で、領主と少女が内緒の言葉を交し合う。

「ううん!椎奈さま、どうしたの??」


月に照らされ、夜風になびく茶髪の、馬に跨った堂々然としたその人の陰を。

少女───鹿目円奈は、憧れの気持ちでみあげた。


「ねえねえ、私の家に入って!」

と、憧れの人の訪問に、嬉しくてたまらない少女が、家に招待しようとする。



「いや、いいのだ」

しかし、茶髪のストレートの髪を背中まで伸ばした、月夜に照らされた美しい領主は、言った。

馬に乗って、轡の手綱をにぎりつつ、小さな少女を見下ろす。こげ茶色の瞳が、馬上から円奈をみつめる。

「私はそなたにこれだけいいにきた」


その、月夜に浮かぶ黄金色に光をバックにした領主の表情は、とてもやわらかくて、優しい。

「明日、隣町の城で市場が開かれる。そなたさえよければ私とともに?」

領主を乗せる茶毛の馬は大人しく、つぶらな瞳で黙々と領主を背に乗せたままでいる。


「ええ!そうだったんだ!」

ピンク髪が肩まで伸びた、ほんの背の小さな少女は、目を丸くして驚く。

「うん!椎奈さまといく!私、いく!」

市場が少女にとって大事なのもそうだが、物心ついて間もない円奈にとってもっと嬉しいことは、
来栖椎奈と、一緒に町の外へいけるということであった。


「では明日早朝、日が昇れば向かおうぞ」

領主は微笑みながら告げると、その次にでた言葉は、ほんの謝罪の言葉であった。

「すまぬな。日の明るいうちは、私もここに来れなかったのだ」


「いいの!」

円奈は、まったく気にしてない様子だった。子供心とは単純で、目の前に嬉しいことがあると、嫌なことなど
まるで頭から抜け落ちるものなのだ。

「また嫌がらせの人がきたって、ちょっと恐かったけど、椎奈さまだったから!」


椎奈が少しだけ悲しそうに目を落とした。

子供の感覚で嫌がらせの人というその人たちは、領主の下で動く税金を取り立てる役人たちであり、
畑も持たぬ円奈にたびたび、納めろと責めたてる手下たちのことだ。


椎奈は領主として、円奈の境遇も知っていたから、手下の役人に円奈の税は免除するように告げてはいたが、
強欲な手下たちは引き下がらなかった。


そうして椎奈の目を盗んでよく、強引な責め立てにいっていることは、椎奈も知っていた。

畑がなければ、パンを納めよ。とか、ろうそく、釜、金細工、桶、ろう、そのほか布きれまで、とかく納めよ。という。


円奈を守れてやれていない自分に負い目を感じ、せめて市場には一緒に連れて行こう、と思ったのである。


「では、明日早朝、そなたはここにいよ。わたしが迎えに行こう」

椎奈はそう円奈に言うと、自分は馬の手綱をしっかり握った。

はっと掛け声とともに馬を走らせる。

「あっ!」

円奈が慌てて、椎奈を追いかけようとしたが、走る馬に少女の足が追いつけるはずもなく、あとはただ去る
領主の揺れる背中を見送るだけになった。


颯爽と駆ける馬を乗りこなし、落ち葉を散らしながら森の土道を去るその姿を、
いつまでも見つめていた。

彼女が馬で立ち去ったそのあとの森道に、夜風がふいた。さらさらと落ち葉が舞い散って、道を囲う木々を横切った。


幼き不運の少女は、いつまでも、村で唯一自分に優しい領主の姿を、恋焦がれる乙女のように、じっと、
両手を握り締めて、見つめていた。


「椎奈さま……」


ひとりでにそう呟いたりもする。


そして、明日、あの人と隣町の市場に出かけられるという楽しみを胸に、少女は一人だけの家に戻って、
毛布の寝床につくのであった。

17


一方、領主の来栖椎奈のほうは────。

馬を走らせ、村はずれの円奈の家から、村の中心地へと戻っていた。


丘から見渡せる、自然と共にある村の景色。

山脈の連なる広野に並び立つ家屋からは煙突の煙が、たちあがる。

貧相ながら、美しい村だった。小さいながら、平和な村であった。


馬を一度停まらせ、丘のむこうに広がる静かな村を眺めると椎奈は────。

目を静かに閉じると、心で呟くのだった。


”ここは平和な村だが────”


椎奈の通り過ぎた山道の木々から、目を光らせる狼が姿をのぞかせる。その腹すかした獣は、しかし、領主に恐れをなして、
静かに木々の奥へと立ち去った。

人間とちがって、かなわぬ相手だと知っているからだ。


”世界ではいたるところで、魔法少女と人間が武器をとって戦い合っている”


ソウルジェムと呼ばれる指輪を左手にはめた領主の椎奈───は、この時代の世界のことに思いをはせる。

                     
”特にあそこ神の国では────数百年以上も"円環の理"の救いを求めた魔法少女の奪い合いの地と化している”


とまで心で想うと、最後に椎奈は、そっと目を瞑って、片手は馬の手綱をとったまま、もう片手は胸元で握り締め、
心で祈るのであった。



”女神よ どうかあの子を 世界の悲しみに巻き込まぬよう────”


そして自身は、一度とめた馬の手綱を握ると、再び馬を走らせ村に戻るのであった。


丘を馬で御する魔法少女の背を、西暦3000年の月だけが見下ろしていた。

18


その夜が明け───。

小さな少女が待ちきれない気持ちで迎えた次の日の朝がきた。


夜が覆っていた昨晩の森は、光が差すと、野鳥たちが朝を出迎えて囀り声を鳴らし、涼しい澄み切った空気が、
森に流れた。


鹿目円奈───女神に見守られて生まれ育ったこの少女は、もう家を飛び出して、昨日と同じチュニックを着て、
土道にでるや、市場で買い物するための麻の袋を担い棒に結び付けて、トントンと靴のつめ先を叩くと、
準備万端の井出達で椎奈を待ち受けていた。


「まだかな…まだかな…」


木々のざわめき。

葉と葉の隙間から漏れる木漏れ日の光が心地いい。


きっと、今日はいい一日になる。

そんな予感に、胸をいっぱいにさせていた。

朝にさえずる小鳥達の歌声も、元気を分け与えてくれるようだ。


「あっ!」


そして、可愛らしい声をあげる。

待ちにまった、馬の蹄の歩く音が聞こえてきたからだ。


木々の間に朝日が差し込む昨日と同じ土道を、馬が歩いていた。その馬に続いて、別の馬も。


「……あれ?」


そこで円奈は、少しおかしいことに気付く。

馬の蹄の音は、一頭ではないのだ。


「椎奈さま……?」


そう呟いた円奈の前に現れたのは、待っていた人ではなく、馬に乗った二人の少女が───といっても、
円奈よりは6、7歳は上の少女の見知らぬ二人組みが───談笑しながら、並んで馬を歩かせているところであった。


彼女たちは、バリトンの村の少女たちである。

少女らは、たった一人で村から外れた家の前で、待ちぼうけしている、年端もいかないちゃっちゃなピンク髪の
女の子を見下ろして、クスクスと笑うや、そのまま、馬を歩かせて去る。


「あ…」

いったい、何が面白くて笑われたのか分からなくて、円奈は、ちょっと落ち込んだように、両手を胸で握ると、
目がちょっとだけ潤んだ。


もしかして、今日はこないのかも……。


そんな不安に襲われてしまう。ちょっと嫌なことがあると、どんどんマイナスへ気持ちが
沈み込んでいってしまうのが子供心である。


「あっ!」

すると円奈は、また声をあげた。

今度こそ、朝日の差し込む木々の向こうからやってきてくれたのは、待ち焦がれていた人だったからだ。


その人の姿を見つけるや、嬉しそうに走り出した。


来栖椎奈───バリトンの村の領主は、馬に乗りながら円奈を見ると、やわらかに微笑む。


彼女たちは、バリトンの村の少女たちである。

少女らは、たった一人で村から外れた家の前で、待ちぼうけしている、年端もいかないちゃっちゃなピンク髪の
女の子を見下ろして、クスクスと笑うや、そのまま、馬を歩かせて去る。


「あ…」

いったい、何が面白くて笑われたのか分からなくて、円奈は、ちょっと落ち込んだように、両手を胸で握ると、
目がちょっとだけ潤んだ。


もしかして、今日はこないのかも……。


そんな不安に襲われてしまう。ちょっと嫌なことがあると、どんどんマイナスへ気持ちが
沈み込んでいってしまうのが子供心である。


「あっ!」

すると円奈は、また声をあげた。

今度こそ、朝日の差し込む木々の向こうからやってきてくれたのは、待ち焦がれていた人だったからだ。


その人の姿を見つけるや、嬉しそうに走り出した。


来栖椎奈───バリトンの村の領主は、馬に乗りながら円奈を見ると、やわらかに微笑む。


本国は危険になった。この村に円奈を預けるわ。来栖、あなたが見守ってあげてほしい──そんな約束を、
とある黒髪の、聖地に生きる、長寿な魔法少女と約束をしていた。

もっとも、あの国からはるばるこんな遠い偏狭の土地まで、円奈を運んできたのは、その母だったのであるが。
そのあとあの魔法少女が追いついて、この村が平和で静かなのを見て、円奈をこの村に暮らさせることを望んだ。


昨日のサーコートの服装とは違う服装を、椎奈はしていた。

羽毛をキルティングしたコートの上に鎖帷子(くさりかたびら)を着込み、その上にマントに近いクローク
という刺繍入りの衣服を肩に纏い、その下にはチュッニクという姿だ。


鞍つきの馬を御するその魔法少女は腰には革のベルトが巻きつけ、剣を納めた鞘をぶら下げる。

白い手袋を嵌めた手はもちろん、剣を握り、戦うため。

防具と武装姿で馬に乗る姿であり、馬を歩かせるたび、クロークのマントが風にわずかに揺れる。



轡と手綱をはじめとした馬具を取り付けた馬には、蹄鉄も嵌められる。

来栖椎奈は円奈の前までやってくると、茶髪を風に流しながら馬を降り、ブーツの足で着地する。

この時代の魔法少女は、別段ソウルジェムの変身姿にならずとも、普段から武装していることが多い。


まっすぐなストレートの茶髪は長く、背中まである。こげ茶のまっすぐな目には意志が宿っている。

20世紀の言葉で例えるなら弓道姿が似合いそうなその少女は、しかし、魔法少女として、この時代を生きる。


円奈は、その騎士姿をした椎奈が、自分を迎えに来てくれたと想うだけで心がいっぱいになり、そして、
ますます憧れの気持ちを燃えさせるのだった。


茶色の毛をした馬は椎奈が降りるとヒィンと鳴いて、蹄の足を一歩すすめた。椎奈はなだめるようにその頭の毛を
なでる。

馬は大人しくなった。


「よい目覚めであったか?」

「えっ」

椎奈の姿に夢中になっていると、我を忘れていた円奈が声をあげる。「あっ!うん!とても!」


「いい晴れ空だ」

椎奈は18歳のときに魔法少女という存在になったが、それから、もう何年もたっていた。

武装姿の彼女が歩くと、ベルトの剣を納めた鞘が腰元でゆれる。

「神もきっとおまえを祝福しているのだ」

「わぁっ!」

円奈が急に素っ頓狂な声をあげた。といのも、椎奈が円奈の身を持ち上げ、馬に乗せたからだ。

少なくとも自分の身長よりもずっと高い馬に乗せられて、泣きそうになる。

地に足がつかない恐怖に見舞われ、おどおど怯えてしまう。馬の背に跨る不安定さに足がすくむ。

すると、すぐに椎奈も馬に乗ってきた。

「さあ、つかまれ」

鐙に片足を載せ、もう片足は大きくふりあげて馬に跨る。手綱を握り、怯える少女にそう告げる。


まともに馬に乗った経験もない円奈は、領主の背中にがしとがみつく。

二人乗りになったその光景をみると、まるで姉と妹だ。



「村に戻ろう」

椎奈が言った。

馬を歩かせはじめ、手綱を片方向に引いて方向転換をする。さっき彼女がきた森道を引き返しはじめる。

「戻るの?」

しっかり腰に腕をまわしてつかまった円奈が、不安そうに言って、ピンク色の瞳で椎奈を見上げた。

といっても、見えるのは背中だけだったが。


「戻る。心配するでない」

乗馬に慣れぬ少女の怯えを肌で感じ取ったのか、あくまで馬も優しい足取りで、ゆっくりと、
蹄の音たてながら、森に囲まれた土道を歩く。


木々の間から漏れる日の光が、二人を照らしたり影に包んだりする。


「私の背につかまっていればよい」

椎奈は馬を御しながら、円奈に言葉をかける。

「うん……」

不安そうに、小さな声を漏らした円奈は、すると、その顔を椎奈の背中にすりつけて顔を隠した。

19


しばらく馬に乗って土道を降りると、丘の前に出た。

崖のように小さく突き出た丘から見下ろせるのは、山脈に広がる村の風景と、もっともっとむこうにまで連なる
山脈の数々。

青空に浮かぶ雲は、山よりも高い。


山脈と山脈のあいだ、いわゆる山峡に暮らす村の人々の、耕された広大な農地が、ここからはよく見下ろせる。

ここが、来栖椎奈が領主としておさめる、バリトンの村である。


その丘から降りる天然の坂道をくだる。すると、村が見えた。木の柱を連ねて防壁の囲いにした村の入り口にくると、
背中でまた、円奈がぎゅっと椎奈の背中をより強くつかんだ。まるで、椎奈の背中に自分を隠すように。

その椎奈の背中つかむ手は、幼くて、わずかに震えている。


「おかえりなさい」

「おかえりなさい」


村の入り口の番人たちが、椎奈の帰着に挨拶し頭をさげる。

椎奈は、開かれた柵の間から村の中に入る。馬が柵の門を通る。

「ありがとう」

番人たちに礼いいながら、堂々然と村に入る姿は、やはり、領主であった。


農村の家々は、円奈の家と同じで、石を積み上げ天井を藁で覆ったのがほとんどてあった。それは別に、円奈の家と
大差はなかった。


「椎奈さま、おかえりなさい」

村ですれ違う人々が、口々に領主に挨拶する。その気軽そうな口ぶりから、民と領主の仲が良好であることが
窺え知れる。

「今日はどちらに?」

一人の、ウールのボディスでエプロン姿の洗濯女が、領主に質問をなげかける。この時間帯は、
男たちはすでに、農地へと出かけている。

「隣町まで、市場に」

椎奈が馬を歩かせたままで、民の質問にすぐ答えてやる。

他の領地ではいざしらず、ここバリトンの村では、魔法少女も人も、なんでも気兼ねなく話す。


「椎奈殿、最近の魔獣退治の調子はいかがで?」

ある石きり職人の男が、通りかかった領主に気さくに話しかけた。

民は、領主が、世界に存在するその脅威から守ってくれるのを知っていた。

椎奈は馬を進めながら、口で民に答える。「まちまちだ」


円奈だけが、聞きなれない言葉に顔をあげた。

魔獣……?


「あなたがいないと、誰も我々を守ってはくれませぬ」

石切り職人が言った。「ああ、どうか命だけは落とされませぬよう!」

「私は負けん」


円奈だけが、聞きなれない言葉に顔をあげた。

魔獣……?


「あなたがいないと、誰も我々を守ってはくれませぬ」

石切り職人が言った。「ああ、どうか命だけは落とされませぬよう!」

「私は負けん」

椎奈は微笑みながら、言った。


そして椎奈は円奈を乗せたまま、馬を進ませ続ける。

村の中心部の十字路にある井戸から水をいれたバケツを汲み上げる子供の横を通り過ぎる。


子供たちは、井戸の滑車つきのつるべを二人がかりで仲良くひっぱり、井戸のなかの桶で水を汲み上げようとしている。


そんな子供たちの姿を、馬上から見守り、すると椎奈と円奈の二人は、領主の家に辿り着いた。


領主の家というと、立派な居城のようなものを想像するかもしれないが、別にそんなことはなかった。

他の家々よりは、ちょっとは立派かなと思うくらいの、石で積まれた二階だての家であった。


椎奈が家に着くと、その前には、椎奈の部下にあたる近衛兵というか、領主の護衛を務める守備隊の騎士たちが、
5、6人ほど集まって、主人の帰りを待っていた。


「あ……」

それを椎奈の背中越しにみて、ちょっと円奈が落ち込んだような声を漏らした。

ああ、私と椎奈さまの二人じゃないんだ……。




「準備は整っております」

騎士の一人が、いった。集まった騎士たちの中心に置かれたのは、一台の荷車。馬が引いて荷物などを運ぶものだ。

領主の前に集結した騎士たちは、男もいたが、少女騎士もいた。


少女だからって、力がないとは思っていけない。


この時代では、少女は、魔法少女から魔法の力を授かって、戦争においても、たびたび力を発揮したのである。

彼女たちのベルトの鞘に納まる剣が、魔法の剣になったり、魔法の弓になったりするのは、この時代では
もはや普通の光景だ。


少女騎士は、乗馬を覚え、弓や、剣術の練習を経ると領主に認められて、叙任式を通じて騎士という身分になり、
領主の側近として、税金を払う側からもらう側へと出世をはたした。


こうした少女騎士たちは、特にこの時代においては、魔法少女の身の回りの世話役という大事な役割も持つ。

過去の歴史でも、貴婦人には女の召使いや、侍女がいたように、少女騎士たちは、騎士という戦闘を果たすほかに、
魔法少女の身支度や衣装の管理といった世話役もした。


荷車には、今年に収穫され麻袋につめられたライ麦などが、何袋か積み上げられている。


「今日は何か買えるかな?」

椎奈が少女騎士にむかって、話かけた。

「なんでも!」

少女騎士が答えた。黒髪の少女だった。「野菜、果物に、魚。でも私は、あぶら焼きの肉料理を!」

「あの城は料理人を雇っているからな」

椎奈が口元で小さく笑う。「いい腕をしている」

 ・・
「蜂蜜を買いたい!」

別の少女騎士も答えた。それにしても器用に馬を乗りこなしている。「あのあまいのを、また食べたいなあ!」

女の子が、甘いものがすきなのは、魔法が当たり前になってしまったこの時代でさえ、昔と同じであった。


「ふむ。それは高価で、私どもでかえるかは分からんな」

顎をさわり、考え込むように言った椎奈は、すると、出発の合図をした。

「お前たちがほしいものは分かった。出発しよう」


「ええ、しかし」

騎士の少女の一人が、不思議そうに領主と、その背中の、女の子を見つめた。「その子は?」


びく、っと、まるで罪を発見された子のように、怯えたように椎奈の背中にしがみつく円奈。

「今日、市場に連れて行こうと思ってな」

対して椎奈は悪びれもせず、昂然と答えてみせる。「市場を見たことがないのだ。きっと楽しんでくれる」


「はあ」

少女騎士がまだ不思議そうに、領主の背中を見つめていた。



円奈は、そんな領主と騎士たちの会話に入れず、ただ怯えて、びくびくと顔を椎奈の背中に隠しているだけだった。

あとでもわかるようになるのだが、円奈は、椎奈以外の村の人が、苦手であった。

20


それから一行は出発し、村を出た。


椎奈を先頭にして、何人かの騎士がそれにつづき、その騎士たちの間を、荷車を引く馬が、ロープで荷車の車輪を
引っ張りながら歩いている。

ちなみに、荷台をひく馬または牛のことは、役畜といった。


騎士たちが武装姿なのは、なにも見た目的な体裁のためでなく、こうした物質と荷物を運んでいる途中、
盗賊などの悪者に襲撃を受けても打って出れるようにするためだ。


しかし、この地域は、平和であった。


森の中に入り込んでいくならいざしらず、めざす隣町の市場開かれる城までは、山々に挟まれた高原の
広々とした平野を突っ切るだけであり、とても奇襲攻撃なんて考えられないのだった。


青空の見下ろす緑の高原を、バリトンの騎士たち一行は、平和のうちに馬を進める。


本当に、自分たち以外に目に入る者がいるとすればそれは、草木を食べる鹿がいるくらいで、
吸う空気は心地がよく、通り過ぎる池は完璧に地上の風景を鏡写しにしている見事な景色は、
旅出る者に祝福をもたらすかのよう。


定期的に開かれる隣町の城での市場は、質素で自然と共に暮らすバリトンの人たちにとっては、大きな楽しみであった。


普段、領地の中で農業に励み、麦を焼いたパンと、酪農の味の薄いチーズばかり食べる村人にとって、市場で見かける
豊富な果物、あぶら焼きの香辛料つき肉料理、うなぎ、甘いパイ、蜂蜜などは、見るだけで楽しいものだった。


騎士たちは、アーチ型の石橋を渡り、流れる川を横断し、隣町の城をめざす。



円奈も、最初は怯えていたが、広大な自然の中をしばらく歩いているうち、緊張が少しとけて、きょろきょろと、
あちこちに咲く紫と白の花びらや、鳥たちを、楽しそうに眺めたりした。

自分にとってはとんでもない高さである、馬から落ちないように、しっかりしがみついてはいたが。


パカパカと馬の音と、荷車の回る木の音だけが、静かな景色に鳴り渡るのだ。


「ねえ、椎奈さま」

青空の下を白い雲が流れている。円奈は、そっと、椎奈の背中に話かけた。

「どうしたかな」

椎奈が馬の手綱を握りながら、小さく訊く。

「あのね、椎奈さまは、」

何か尋ねようとすると、ますます不安げに、背中に頬を寄せる。
                        
そして、少し恥ずかしそうに、たずねた。「その……"魔法"が使えるの?」


まわりの騎士たちがきいたら、びっくりしてしまうだろう。しかし、まだこの時代と、世界のことが分かっていない
10歳の少女には、大真面目な質問だったのである。


「魔法か」

椎奈がわずかに、茶髪の背中まである髪を風にゆらした。「いくらかはな」

「魔法って、どんな、どんな魔法を?」

その小さなピンク色の瞳を丸めて、かかさずまた尋ねる。興味津々、といったところだ。
 ・・・・・・
「御伽噺の妖精みたいな───」

椎奈が、わずかに微笑んで、目を瞑ると答える。「そういう魔法は使えん」

その背中で円奈がまた目を丸める。

「箒に跨って空飛んだりとか───」

いわゆる人間が、魔法少女という存在に対して誤解しがちな、イメージについて椎奈はちょっと楽しげに、語る。

「薬草を調合しかまどで煮て、カエルの死体を混ぜて焚くとか、そういうこともしないぞ。いや、
する連中もいると聞いたことはあるが、私はしない。この近辺にもいない」


次から次へと飛び出す魔法へのイメージに、円奈がちょっとぎょっとする。


「”魔法少女”とは───」

すると椎奈は、これまでの人間が抱きがちなイメージを概ね否定したあとで、この時代の魔法少女の存在について、
語りだす。

「その魔力で民に恵みをあたえ───」

魔法少女の願いは、たった一つの奇跡を起こす。

たとえば、水のない土地に泉をつくったり、荒れ果てた地に肥沃な土をつくったり、外敵に囲まれれば、
自らが民を守るための武器になる。

それが、魔法少女と人のありかた。関係。歴史の表舞台に、魔法少女が立ったときに、民を守り導く立場となる。


「そして、民を守るために悪い者をやっつけるための魔法を授かる」


「悪い者?」

円奈が、顔あげてたずねる。それでも、見えるのは椎奈の風に流れる茶色のつやつやした髪だけだったが。

      
「悪い者には"二つ"ある」

と、椎奈は話す。話しながらも、馬は進み、荷車は引かれ、騎士たちも続いている。

「一つは悪い人間たち。盗賊や自らの富のために他国を侵略しようとする連中がそれだ。そうなれば、私は戦う」

そう告げ、鞘に納めた剣の柄頭をトントンと手で叩いてみせる。

普段から、魔法少女が、変身姿でなくても、武装姿でいるのは、このためだ。

ところで、椎奈の剣には、柄頭には、赤い宝石が埋め込んであった。

         
「二つは魔物とか、"魔獣"とかいわれる存在だ」


ああ、それっ!

さっき、村で退治の調子はいかがですか、ってきかれていたもの。


「この世界には確かにそういう存在があって──」

椎奈は語る。

「魔獣は魔法少女にしか倒せないのだ」

「そう、なの…?」

「人を負の感情に追い詰め──呪いの世界に巻き込み、心を喰らってしまうのだ」

と、椎奈は説明する。「魔法少女は、民を魔獣の手から守らねばならん。人の手ではどうにもならん瘴気だ」

「そんな、恐いのと……?」

円奈が、おずおすと、恐がって、小さな声で尋ねる。まるで自分のことのように、魔獣と闘うことに恐れを
なしたかのような声だ。

「恐い、か」

椎奈はすると、遠目になって、空をみあげた。何かを、思い出すように。

「私には、一つ目のほうが恐いかもしれん」

「ひとつ、め……?」

円奈の、怯えて小さくなった声は、再び尋ねる。強い不安を覚えたからだった。

「そう。悪い人間たちに、悪い領主たち」

と、椎奈はさっそく答えるのだった。椎奈は、今はバリトンの村の領主であったが、実はその昔───

騎士として、”神の国”のために王に仕え、戦ったことがあった。

「負の感情や、呪いを糧にするのは確かに魔獣だが───」

その昔のことも、少しだけ思いだすような心境で、椎奈は語るであった。

「そうした呪いをそもそも作り出すのは人の悪意だ。”殺人””略奪””暴虐””戦争”そして”狂信”」

この世に実際に起こっていることを、話す。


「それに、円奈よ、そなたには驚くことかもしれないが、」


すると、椎奈はわずかに微笑むと、語るのであった。


「魔獣は礼をもった敵なのだ。決まった時間に現れ、決まったルールに従って人を餌食にし、だいたい決まった
場所に集中的に現れる」

「礼……?」

「そうだ」椎奈の乗る馬が、わずかに鼻をならす。「だが、悪い人間どもには、その礼もない」

「……」

すっかり言葉も失って、恐がってしまった円奈は、もう泣きそうに、椎奈にきくのだった。

「椎奈さまは、悪い人間に負けないよね…?悪い人たち、やっつけられるよね……?」

椎奈はすぐには答えず、目を瞑ると、それから口を開いた。

「私の魔法は、そのための魔法だ。心配せずとよい。私は負けん」

21


そうして二人は、魔法少女や、魔獣についての話をして、いよいよ、市場の開かれる城へと着いた。


魔獣についてや、悪い人間たちの話は、すっかり円奈を怯えさせたが、そのあとは、椎奈が、
魔法少女が人に成し遂げる恵みと、その活躍を話してやることで、すっかり元気を取り戻した円奈であった。


「じゃあ、魔法少女は、」

と。円奈が飽きもせず、魔法少女について椎奈にたずねる。子供とはなんでも聞くものだ。

「国を守るために、魔法の力を授かって、悪い敵からみんなを守ってるんだ?」


「そうだ、国の守り手なのだ」

と、椎奈も頷いてみせた。実際には、そうでない魔法少女もいるのだが、まあ、嘘でもないだろう。


「椎奈さまも?」

と、円奈は尋ねてくる。領主を相手に、国の守り手か、なんて問いかけは、子供でもなければ到底できまい!

「もちろんだ」

椎奈がその無礼も気にせず、さっそくそう答える。「どの国にも魔法少女はいる。いなければ、存続もできぬだろう」


そういう時代なのだ。

他国の領土に手を出す魔法少女がいたのなら、その守り手にも、魔法が使える者がいなくてはならない。


「さあ、着いた」

椎奈はつげ、そして、前方を静かに指差した。「見るのは初めてかな?」



すると、円奈が椎奈の背中から顔をひょっこり出して、目の前に現れた城をみあげた。

「わああああ……」

そして、たまらず驚きの声を漏らしたのだった。


円奈たちの前に現れた城は、バリトンの村でみる建物よりはるかに高くそびえ立ち、その城壁は頑丈に造り上げ
られていた。


巨大な石を積み上げてつくられた城の塔には何本かの旗が斜め向きに掲げられ、風にゆれてはためいている。

その圧倒的な城の姿に、円奈は我も忘れて見入る。


城の入り口となる城門の両側には槍を持った番人が立っており、その間を通って城内の敷地に入るのだが、
その城門の天井には、落とし格子といわれる鉄とカシの頑丈な木材を嵌めた鉄格子があげられていた。

鉄格子は鎖で、城門上にある巻き上げ機で吊り上げる。



さて、普段は敵の侵略から守るため、建てられた城は、今日は市場のために開けっぴろげにされ、
中の郭と呼ばれる中庭ではすでにその市場のにぎわいを見せていた。


「隣町バリトンよりきたのだが」

椎奈が番人に自らの身元を継げると、槍持った番人がおじきをして中に迎え入れた。「どうぞ」


椎奈を先頭にして、バリトンの騎士たちは続々と城へ入場する。

そのとき円奈は、ふと、入り口に立てられた看板をみた。


このときは、円奈には、その看板の意味が分からなかったが、とにかくこう書いてあった。




       ~市場の約束事~ 

  私の城で今日開かれる、栄えある市場では、以下の者は追放あるいは処罰する。


  1.目方を偽って商売する者

  2.取引において嘘をつく者

  3.動物の死体を城から投げ捨てる者

  4.規定の品質以下の商品を売る者

  5.我が城に恥を塗る行為をした者


         キリトン城主 メイ・ロン




円奈が、落とし格子の針先光る城門をくぐり、城内の郭に入ると、そこはもう、市場にごったごえした人たちで、
賑わいをみせていた。


城壁に四方を囲まれた敷地を、馬で行ったりきたりする者。

でも、多くは中庭に並びたてられた木のテーブルの上に並べられた、さまざまな果物、穀物、野菜、魚、香辛料などを
夢中になって目で査定する人たちである。


バリトンらの一行は、そのごったがえした市場の人ごみに加わる前に、馬をまず降りた。

椎奈は、円奈を身体を馬からひょいと持ち上げてしまい、石を敷き詰めた地面に着地させる。

「わぁっ!」

そのときもやはり、馬に乗るときのように、素っ頓狂な声を、やっぱりあげてしまう円奈だった。

魔法少女は、別段意識しなくても、普通の人間以上の腕力を発揮して、よく人を驚かせた。


「椎奈さま」

すると、円奈を降ろす椎奈を見ていた少女騎士たちが、領主を呼んだ。「私たちは市場に?」

「好きに行ってよいぞ」

椎奈は手下たちに許可をくだす。「”九時の鐘”が鳴れば正門に待ち合わせを」

九時とは、午後三時のことである。

「やった!」

少女騎士たちが、領主から許可をもらうや、少女同士で、市場へ足を走らせていった。

「あぶら焼きを食べに行こうよ!」

「うん!」

さっきまでの厳粛な騎士としての振る舞いはどこへやら、少女同士手を合わせたり、繋いだりしてはしゃぎ、
騎士生活で稼いだ賃金でありったけの買い物を楽しむために、さっそく市場の人ごみに混ざっていく。


「お前たちは?」

椎奈は、残された男の騎士たちに声をかけた。

「魚を買い揃えますよ」

騎士たちは答える。「マメと野菜も」

「ふむ、そうか」

そう答える椎奈を、円奈がじっと見上げている。こうして地面に立ってみると、やっぱり、椎奈は、
自分よりずっと背が高かった。

まわりの騎士たちも。


と、そのとき、ゴーン、ゴーンという、鐘の音が城内に轟いた。

それは、城内の鐘楼の鐘が、正午の時間を知らせ、城塔から広場へと音が鳴り渡る。


その鐘の音が市場に鳴り響くや、ますます市場は盛り上がりをみせていく気がした。

人は増え、商品の取引の場面はより加熱した。


円奈は、その場で突っ立ったままで、目を丸くしながら、市場の木の長いテーブルに並び置かれたいろいろな食べ物を、
見つめていた。


たとえば、木の籠におさめられたりんご。

こんなキレイな果物を見るのは初めてで、本当に、おいしそうと思った。


今まで、ぐっちゃぐちゃに煮えたてられた野菜のスープを食べたことはあったが、あんなり赤くて、丸くてツルツルした
食べ物を見るのは初めてだ。


おいしそうだし、魅力的なんだけど、一歩も歩けない。

果物を見るのも初めてだったけど、こんなに人がたくさんいるのも、初めてだった。

自分なんかがこの人だかりに入っていいのかと不安になり、足が動かない。


だから円奈は、その場できょろきょろと、足は動かないで首だけふって、目をまわしているだけなのであった。

「うう…」

どうしたらいいか分からなくなって、目に涙をためてうなる。

市場を行ったりきたりする人だかりの足だけが、円奈の幼い目線からは、見える。


すると、椎奈の手が円奈の手を握り、そして言った。

「自由時間だ」

と、彼女はいい、円奈の手を引っ張って、連れ出したのだった。「なんでも好きなものを見るがよい」

「あ…」

手を引かれて、椎奈のあとについて歩き出した円奈は、顔をあげて、目を丸めて魔法少女を見上げるのだった。

その凛然とした顔つきは、まだ幼い円奈の視線を、ただ釘付けにしているのだった。


さて、隣町キリトンの城内に開かれた、市場では、どんなものが立ち並んでいたのかというと──。

りんごを初めてとする果物や、当時人々が好んで食べた塩漬けの魚──ニシンなどが売られ、金貨の支払いと
交換に人々がそれを受け取る。


城のキッチンコーナー前の食卓では、金銭を払えば、その食卓に、その場で調理されたあぶら焼きの肉料理がだされ、
あつあつのまま口に頬張ることができる。

肉料理は、食卓テーブルの、どでかい皿に丸焼きのままドカンとおかれ、人々は、ナイフで焼きたての肉を切り刻み、
ナイフで肉を突き刺したまま口に放り込む。

当時としてはぜいたく品にあたるこのあぶら焼き肉料理は、牛や猪の肉が主流で、家畜豚は、なかった。


野菜はといえば、市場の木の籠に並びたてられるのは、エンドウマメやソラマメといった、安くてかつ栄養分のいい、
肌にもいいと信じられたものが、たくさん、取引された。


そうした、さまざまな食べ物などが、取引される市場の人だかりを、椎奈と円奈は歩き、円奈は、見たこともないような
色の香辛料、にわとりの群れや、さらに並べられたパイなどが長い木のテーブルに並び置かれているのを、
興味津々に眺めていた。


子供目には、おいしそうだとか、栄養分が多そうといった見方ではなく、ただ純粋に、きれいな色をしたものが、
テーブルに並びたてられているのが、楽しくて素敵だったのである。


ソラマメの緑色。りんごのつやつやな赤色。黄色い香辛料に、白くてまん丸なにわとりのたまご。

すれ違う人々の合間をぬって、それらを見つめる。


それらを買う人たちは、女性が多かった。基本的には、どっかの国の魔法少女につかいをたのまれた召使いの
エプロン姿の女たちだった。でも、婦人たちが、家庭のために、買っていく場面もあった。


「何か欲しいものはあるか?」


「えっ」

円奈は、驚いた顔して椎奈を、その不思議なピンク色をした瞳で、みあげた。

まさか、自分が買い物するなんて、想いもよっていなかったからだ。

というのは、いざ市場というものにきてみると、人が多すぎて、自分がきていい場所じゃなかったと、
思ってしまったからだ。

「だって…」

と、円奈はおどおどと、顔を下ろして、小さな握ってしまう。「わたし、なにも持ってないの…」

「よいよい、私がお前に買おうと思ってるのだ」


そのとき、少女騎士たちは、城の食卓で、あぶら焼き肉を頬張ると、城の料理人に新たに金銭を渡して、
ビールを運んできてもっているところだった。


木製のジョッキいっぱい入れられた麦でつくられたビールを(これは、城の地下に貯蔵されていた樽の
ビールである)、二人で乾杯して、ぐいっと喉に押し込むのだ。


「そ、そんな、私は、いいの。」


円奈がふと見回すと、ある男が商人に金銭を渡して、代わりに、死んだ鳥を、鳥肉に調理するために、
受け取っているところであった。

なんとそれは、大きなツルであった。


ツルは、高級品であった。


こうして盛り上がりをみせる市場のなかで、ただ一人しょんぼりしてしまった円奈が、目を落として地面を
見つめると、小さく声を漏らす。

「私は、いいの…」

落ち込んだ声で、声を漏らす。

こういうとき、子供は不思議な頑なさをみせるものである。

「そういうな、ここまでお前を連れてきた私のことも考えてほしいものだ」

椎奈が困ったような顔をしてから、小さく笑う。「何か食べたいと思うのはないか?何も食べないのか?」


「たっまんない!」

バリトンの少女騎士は、城の藁の屋根下の食卓で、顔を赤くしたまま、ビールをいれた木製ジョッキを
テーブルにおいた。

    ・・・・
「気分がぶっとぶね!」

と、隣の少女騎士もいいながら、赤くした顔で肉をナイフで頬張った。

「口きらないでよ」


「嬢ちゃんたち、豪勢にいくねえ!」

すると、同じ食卓のテーデルについていた男が、黒髪の少女騎士二人組に、話をもちだした。

彼は、少女二人の腰の鞘にぶらさがった剣を見た。

「あんたら、騎士してるのか?」


少女騎士たちは二人で目を見合わせると、男に答えた。「まあね」

「ふぅん」

男がビールを口に含む。「戦ったことは?」

「最近はめっきりないよ」

と、少女騎士のうち、男に近いほうが答えると、ビールのジョッキの取っ手をにぎった。

「私たちのすることなんか、ね!領主様の身の回りの世話なんだから」


「そりゃ、立派な騎士だな!え?」

男がゲラゲラ笑い出す。「領主様ってことは、え?魔法使いか?」
 ・・・・
「魔法少女ね」

少女騎士はそういい直すと、顔を赤くしたままビールを飲んだ。

「魔法少女の世話役。立派でしょー」

「まるで想像つかないがね。領主に世話ってのは、どんな世話するんだ?」

男が問いかけると、少女が思い出すように指おりながら、答えた。

「えーと、朝、領主様を起こきしてあげたら、食事用意して、着替え用意する。あと、その着替えの洗濯もする。
何十着も。聞いて驚くなよ、その洗濯ってのは、着替えを、ションベンの薄めた桶に浸すんだぜ!」

「ぶっ」

隣の少女騎士がビールのんだまま咳き込んだ。


「あとは、そうだな」

少女騎士が、ビールの酔いのまま舌を回して喋りまくる。

「魔法少女の、髪とか梳かしてさしあげて。あ、…あと、風呂に入りたいといったら───ウチの領主さまは、
そんな風呂にすぐ入りたがる方ではないんだけどね───井戸から、何週も何週も水を汲み取って、やっと
魔法少女が入れるくらいに水を満たして、一時間くらい……」


贅沢に肉を頬張る、城の屋根の下の食卓では、そんな会話がなされていたが、その城壁の上では、守備隊が、
石をモルタルで塗り固めた歩廊を槍持ちながら走っていた。

守備隊が城壁の歩廊をせわしなく走るのは、動物の内臓を、城から外へ放り投げようとする不届き者の商売人が
いたからだ。


「捨てるな!」

と、守備隊が声あげながら、商売人を追い回す。「城主様に連行しろ!」


城から動物の内臓を、ボウルから放り捨てていた商売人は、はっとして、城壁の歩廊走って逃げ去る。

その逃げさる商人を、槍もった鎖帷子の武装兵士が、追い回すのだ。「捕まえろ!」

足を揃え列なして走る兵士らが城壁の歩廊を走ると、カチャカチャと鎖帷子と武具のこすれる音が鳴った。


商人は、売れ残った動物の内臓を、城の外にこっそり捨てて廃棄して市場を去るという行為に走るものがいたのである。


もちろんそれは禁止行為であり、疫病流行の原因となるので、守備隊が、違法に手を染めた悪しき商人を城主の前に引っ張り出すため、
追い掛け回しているのだった。



「なら───」

そんな、城壁では追いかけっこが展開されてるその下では、ビールを口に含んだ男が、顔赤くしながら少女騎士に
話しかける。

「その身の回りの世話役とやらを、俺にもしてくれよ」

ビールくさい口で、そう話をもちだす。

まったくもって、男というものは、有史から3000年以上たっても、こんなものだった。

「お断りだね!」

と、少女騎士がすぐにつっぱねると、自分のビールを飲み干した。

「ち、連れないな」

ちりちりしたこの髪の男がちぇっと舌をまく。



屋根下の食卓では男と少女騎士たちが話し込み、そして、広場ではテーブルに並びたてられた商品を買い取る民でにぎわう。

その民で賑わうなかを、鹿目円奈と、魔法少女である来栖椎奈の二人組みは、ほっつき歩いていた。


円奈は、椎奈の手に引かれながら、その小さな足どりで懸命に、はぐれないように椎奈のあとについていたが、
ふと、円奈の目に、二人の少女が目にとまった。


それは、バリトンの少女騎士ではなかった。

市場を堂々然と馬に乗り、人だかりをどかして進む二人組みは、やはり鞘に剣を収め、鎖帷子を着込み、
背中には大きな盾をとりつけている。

その姿だけだと、そこらへんの騎士と変わらないのだけど、ちょっと井出たちが周りの人たちよりかは、豪勢だった。

毛織物を着込んでいたし、頭には、サークレットのような頭飾りをつけているその姿は、騎士であると同時に、
お姫様のようでもあり。


その格好よさに、円奈の目がしばしの間奪われていた。

「円奈」

すると、通り過ぎる馬の二人組みをじいっと見つめていた円奈に、椎奈の声がした。

「あっ…」

まどながはっと目の前を見ると、りんごが椎奈の手に持たれていた。

「食べるのは初めてだろう?」

そっと、円奈の小さな手にそれを置く。

「えっ…」

円奈は、戸惑いながら、赤々とした丸い果物を、手に取ると、椎奈を不安げに見上げる。

すると椎奈はすでに、自分の分の林檎は、一口かじっていた。「食べてみよ」

「あ…」

すると円奈は、椎奈が林檎をかじる姿がすごくおいしそうで、そして、それが自分の手もとにもあることが分かると、
また椎奈を見上げ、そして、花が咲いたように嬉しそうに笑みを浮かべると、りんごを手に、そっと口に近づけた。


「んっ」

力がたりなくて歯がりんごをすべる。

「もっとかじりついていくのだ」

椎奈が、林檎を相手に苦戦する円奈を見つめて、優しく告げる。

それでも幼いピンク色の髪の少女は、なかなかりんごをかじれない。


「ふむ」

椎奈は考える仕草をし、どうにか少女にリンゴを分け与える方法を考えた。魔法を使おうか。

しかし、何度もりんごをかじろうとしては、つるっと歯がすべる円奈の懸命な姿を見守っているうち、
そういうインチキしてはいけない気がした。



それはほんの平和で、平穏な一時だったが、突然それが終わりをつげた。

というのも、六芒星の魔方陣を描いた旗を掲げる何人かの異国の少女たちが、城内にやってきたからである。


「エレム国だ!」

誰かがそう叫び、市場は騒然、慌てて六芒星の旗を持った魔法少女たちのために道をあけた。

わいわいがやがや、もりあがっていた市場も急に静まり返り、ただじっと、波風たてないように息を殺して、
六芒星の旗もつ魔法少女たちが馬を歩かせ通り過ぎるのを見守る。


椎奈は、その光景を眺めていたが、その魔法少女たちが、自分に用事があって来たのだということは、すぐに分かった。


そして黒い馬に乗った魔法少女たち何人かが、六芒星の旗を持ったまま、椎奈の前に出てきた。

まだ口にりんごを当てたままの円奈が、その存在に気付く。


「来栖椎奈殿」

と、黒い馬に乗った魔法少女の一人が、告げた。「エレム国より」


椎奈は、黒い馬に跨った魔法少女をみあげた。その魔法少女も、変身姿ではなかったが、
武装姿で、椎奈のように肩に黒色と金糸のクローク、胸元にブローチをつけて、剣を腰の革帯の鞘にぶらさげていた。

相手が何者かをしっかり認識したらしく、椎奈はその場で、ゆっくりと頭さげて挨拶する。「よくぞはるばるここまで」

「話を?」

黒い馬に乗る魔法少女が尋ねた。

すると椎奈が頷いた。「聞こう」



「おい、あいつらは、何者だ?」

市場の様子のおかしさに気付いたのか、肉を頬張っていた城の食卓の男が、声あげ疑問をなげかける。

「わあ、エレムの魔法少女がはるばるここに!」

少女騎士がドンとビールの木製ジョッキをテーブルに置き、驚きに目を開いて食卓の席を立ち上がった。

食卓はせまくて、テーブルも椅子もきつきつに置かれていたから、急に椅子を立ち上がった少女の背中が、
後ろの席の誰かにドンとぶつかった。


「椎奈さまと何か話してる!」

別の少女騎士も驚き、ふっと席をたちあがる。

「エレムって、あれか?」

男は、事態はさっぱり飲み込めず、ビールくさいままでまた言った。「えんかんのなんとかっていう」


「ではお待ちしておりますよ」

黒い馬の、六芒星の旗もった魔法少女が告げると、椎奈が頷いた。

「参ろう」

椎奈は応えた。

それから、不安そうに椎奈をそっと見上げている円奈の前にしゃがみ込むと、その肩を優しく手を添えて、言った。


「私はしばらくいかねばならぬ」


「しばらく……?」

不安そうな声で、急に泣きそうになる円奈。りんご持つ手が震えている。

「心配するな。九時の鐘が鳴る頃には戻る」

円奈の顔は、ピンク髪に隠れて表情が見えない。でも、声は怯えていた。「ほんとに…?」

「大丈夫だ」

椎奈はそうつげ、食卓で肉を頬張っていた少女騎士二人を手で呼び寄せた。


「どうかされました?」

少女騎士たち二人が、ビールでへろへろの、おぼつかない足取りをしたまま領主の前に駆け寄ってきた。

「ちゃんと歩けよ」

二人のうち一人が小声で耳打ちする。領主にはきこえないように。「あんたこそ」相手が小突いて言い返す。


「私はしばしここを離れる」

と、椎奈が、顔の赤い騎士たちに命じた。「鹿目円奈のことを見ておいてくれ」

「はい」「仰せのままに」

二人は頭下げて礼を示したが、やっぱり、ふらふらしていた。


椎奈が茶髪なびかせて振り向き、背をむけると、エレム国の魔法少女が用意したと思われる黒い馬に跨り、
最後に一度だけ、顔落としている円奈を見おろすと、エレムの魔法少女と一緒に、馬で城を去った。

椎奈と一緒になって去る魔法少女たちの馬の蹄の音が、市場に聞こえる。



バリトンの領主が馬で去ると、残された円奈と、それを気まずそうに見下ろす二人の少女騎士が、
目を見合わせていた。

「どうすんの?この子」

と、少女騎士が、自分の胸くらいまでしかない背丈の、ピンク色の髪の少女の頭を、下向きにした指でツイツイと
指差す。

円奈が、不安そうに顔を見上げた。

「どうすんのって、見とけばいいんだよ、見とけばさあ」

相手の少女騎士がそう答えるも、口調に棘が混じっていた。

「椎奈さまったら、どうしてこんな子に目をかけるんだか?」

はあ、という呆れ声と共に吐かれるのは、自分への嫌味。

「さあねえ」

相手の少女騎士も腰に手をあて、ため息をもらす。「ろくに税もおさめず、農地も持たず、ただ椎奈さまに
面倒みてもらってるだけ」

円奈本人が下でびくびく怯えているのに、二人は嫌味を言い続ける。

「はあ、せっかくの市場だってのにさ、めんどくさ」

「こいつさあ、これからどう生きてく気?今まではただの、椎奈さまの情けのおこぼれじゃん。
そのまま大人になるの?」

「…」

たっぷりと悪口をいわれ、円奈は、もう泣きそうな顔で、じっと顔を下に向けて、
この嫌味の嵐が過ぎ去るのを堪えて待つしかできなかった。

彼女たちに限らず、実は、村の者はほとんど、円奈に対しては、こういう態度であった。

震えながら耐える、小さな少女の手に、りんごが持たれている。


「…ん?」

少女騎士がそれに気付き、そして、あるいたずらをすぐに思いついたのだった。

「そのりんご、あんたが買ったのか?」

びく、とピンク髪の少女の身体が震える。

「買ったのかってきいてるんだけど?」

円奈が、ふるふると小さく顔を横に振った。

「なら、取り上げだな」

少女騎士は意地悪にいって、円奈の手に持たれたリンゴを奪い取ってしまった。

「……ああっ!」

円奈が泣きそうな顔をみあげて、涙ながらにりんごを取り返そうとする。

小さな両手をめいっぱい、りんごに伸ばすが、背丈が足りなくて、わずかに届かない。

そしてむなしく、ジャンプするのを繰り返しているだけなのであった。



「あはは、”税”を納められてよかったね、鹿目!」

少女騎士がりんごを、円奈がジャンプしてもぎりぎり届かない高さに手でぶら下げている。

「やりすぎじゃないのか?」

もう一人の少女騎士が、ちょっと気まずそうな顔で言うと。

「椎奈さまが言ってたろ」

と、相手が答える。「”円奈を見ておけ”って」

意地悪に少女騎士は言って、手を伸ばす小さな女の子を見下ろし続けている。

「…」

するともう一人の少女騎士は押し黙って、気まずそうに顔をしかめ、この鹿目という何も持たぬ少女をただ見下ろした。

実際に、このとき鹿目円奈は、ほんとに何も持たぬ少女であった。



円奈は懸命に、天に吊り下げられたりんごに必死に手を伸ばし続ける。

その小さな指先はどうしても、赤い、まるまるとした果物に手が届かぬ。

22


それと同じ頃、城の三階に位置する城代の私室に招かれて、来栖椎奈はエレム国の魔法少女との対談に臨んだ。

光の届かない城内は暗い。


頑固な石で囲まれた城の室内は、冷たく、暗いのだ。

城内の廊下は、いくらか窓もあけられて、そこからいくらか光が入ってきてはいたが、それでも薄暗かった。



暗い私室は、天井から鎖で吊るされた火鉢が燃えて、明るさと暖かさを保っていた。

バチバチバチ…。


そんな火鉢の音が、城代の部屋に響き渡る。城代の部屋は、豪勢な壁かけ、タピストリーが、何枚かある。


城の真ん中に置かれた木のテーブルと、その椅子に座り、椎奈は、エレム国の魔法少女と対談する。

テーブルには、火皿に立った蝋燭が、火をゆらゆら、灯している。


「”聖地”は今も危機に瀕しております」

と、エレム国の魔法少女は告げた。

「危機?」

椎奈が問う。

「いまやサラドは統合されました」

と、エレム国の魔法少女は述べる。「新しい主君が、敵国に即位したのです」

「”雪夢沙良”か」

椎奈が椅子で背筋のばしたまま、腕組んだ。

「はい」

エレムの魔法少女が答える。「アゴス、リエム、メリエル、どの国も支配下に治めました」


二人の会話に出てきた、雪夢沙良(せつむさら)という人物は、この時代における、最も強力な魔法少女と
いわれる人物の一人だった。


乱世の時代はいつも英雄と豪傑を生んできた。


ローマとカルタゴの戦いが生んだ英雄ハンニバル、スキピオ、ギリシャとアケメネス朝ペルシアの戦いが生んだ
スパルタの兵士たち、レオニダス王、中国が三国に分かれて戦った時代に名を残した名将たち、魏武帝曹操、諸葛亮、
中世・百年戦争のイングランド王ヘンリ5世、フランスの奇跡ジャンヌ・ダルク。


椎奈が口にだした”雪夢沙良(せつむさら)”という人物は、そんな魔法少女たちの戦乱世界が生んだ
当代の豪傑だった。


「椎奈殿、神の国を救うべく、あなたのお力を!」

と、エレム国の魔法少女は、そう、切り出した。


現在、神の国を治めるエレム国の王の名を、葉月レナ(はづきれな)といった。現世において、最も天に近い
といわれる魔法少女である。

雪夢沙良と葉月レナ。

この二人こそが、超大な帝国を治めるライバル君主同士である。

呉越の夫差と匂銭、楚漢の項羽と劉邦、まさにそんな睨み合い。


「今も同盟国や、エレムに忠誠を誓った諸侯その治める国に、収集をかけております。
敵国の脅威から、神の国を救わねば!」

「…ふむ」

椎奈は、腕組んだまま、考えるような仕草をした。火鉢の吊るされた天井を見上げ、しばし沈黙する。

「食糧と武具を提供する。だが、わが国は国と呼ぶのも覚束ない、小さな村だ。兵力らしい兵力はない。
それで手を打ってはくれまいかな」

「なにをおっしゃるんです!」

エレム国の魔法少女は、食い下がった。

「我々が欲しているのは、物資でなく兵力です!それにこの村には、”あの娘”がいるではありませんか!」

あの娘───という言葉が口にだされると、椎奈の顔つきが少し険しくなった。視線を天井から相手の目へと移す。

とある魔法少女と、見守ると約束した娘が話題にだされた。

「この村には、あの娘、」

しかし、エレムの魔法少女は、続けた。

「敵国サラドの脅威から、神の国を、幾度となく勝利に導いた、あの”鹿目神無(かなめかんな)”の娘が!」


「たしかにその英雄は神の国を何度も救った」

椎奈が、相手の話を遮って告げた。「だが娘はまだ10歳になったばかりの子だ。戦いには連れだせん」

いま、名前をあげられた鹿目神無なる人物は、聖地でかつて戦士になり、戦術に明るい戦士だった。


馬一頭に跨って象騎兵の戦列に槍一本で挑んだ経緯もあり、伝記のように今は語られる。


エレムの魔法少女は、その目当ての娘の年齢をきくと、口をあんぐりあけて、言葉を失ってしまった。

「我々を頼るのはあまりに実りがなさすぎる、エレム国よ」

椎奈は告げると、もう話はおしまいだとばかりに、席をたった。

「他国をあたってくれ」

無言で二人のやりとりを見守っていた番人の兵士たちの間を通り過ぎ、部屋を出て廊下にでる。


すると、エレムの魔法少女は、悔し紛れに、椎奈の去る背中に、言葉をぶつけた。

「そなたは葉月レナさまに忠誠を契って、バリトンの領主になったはずだ!」

その後ろから響く声を、椎奈は無視して進む。

「誓いをお忘れか!それで、円環の理に正しく導かれるとでも?神の国は、そなたを見ているぞ!」

半ば脅しにも近い、相手の遠吠えを、まったく無視した椎奈だったが、唇だけはきつく噤んでいた。


相手の怒りにも似た脅し文句は、しかし、まったくその通りであり、反論の余地はなかった。


来栖椎奈が治めるバリトンは、実は、エレム国との忠誠を誓い、臣従の契りに結ばれた国であった。

忠誠を誓い、軍役の義務とひきえかえにしてバリトンの土地を与えられる。これを、授封という。

つまり小国バリトンは大国エレムの臣下にあたる国なのである。


今回だけはうまくかわして、抜け出したように見えたが……。


もう、ここバリトンも、”神の国”を巡る世界的な魔法少女たちの戦いの波紋に、もう巻き込まれるまでには、
時間の問題であるようにさえ、椎奈には思えてきていた。

23


そのとき、城の下の郭の広場では、市場が、別の盛り上がりを見せはじめていた。


いまだに円奈は、バリトンの少女騎士たちの意地悪と、懸命に戦っていたが、このやり取りも、
別の盛り上がりに気をとられて、リンゴの取り合いは忘れ去られた。


というのも、武具を振り回すことは禁止されていたはずなのに、市場で、槍を振り回す輩が現れたからだ。


「魔法つかいだ!」


と、市場の誰かが、叫んだ。男の声であった。「魔法つかいどもが、喧嘩をはじめたぞ!」


「なんだって?」

わあああっと、市場に群がっていた人間たちが、市場を逃げ惑いはじめる。

「離れろ!」

人間の男が叫ぶ。「めちゃくちゃになるぞ!」

それまで市場で商品を売っていた商人たちも、テーブルを立ち上がって、手っ取り早く果物などを麻袋につめ、
身の安全のために逃げ去る。


ところで、こんな乱世の時代の常であったが、こうした騒ぎに乗じて、他人のぶんの商品まで自分の袋につめて、
何食わぬ顔で市場を去る商人も少なからずいた。


「なになに?なんだってのさ?」

と、少女騎士は、円奈とのりんごの取り合いも忘れて、騒ぎの起こった方向に顔をあげた。

もう一人の少女騎士も、騒ぎの起こった方向に、目を凝らした。

「どっかの国の魔法少女が──」
                
と、その少女は目を凝らすと、何かを察したようで、言った。「槍試合(ジョスト)はじめたのさ」

「えええっ」

あんぐりと口をあげた少女騎士の手が力なく下に降りた。「こんなところで?」



そのときやっと、鹿目円奈は、りんごを───椎奈からの贈りものを胸に取り戻すことができたのである。

円奈は、それを大事そうに胸に抱え込む。大切な贈り物を。

バリトンの少女騎士たちは、円奈のことも忘れて、市場を逃げ惑う人たちを逆流して、騒ぎの元に歩み寄る。



そこで二人が見たのは、馬に跨った二人の魔法少女が、野次馬の輪に囲まれながら、
互いに槍で突き合っている”喧嘩”の光景であった。


「あっちゃまー」

バリトンの少女騎士が、目も当てられないというふうに、額に手をあてた。「ほんとに槍試合してるよ…」



二人が呆れ顔で見守っているのは、市場で突然勃発した、異国の魔法少女二人による馬上槍試合である。

馬上槍試合とは、対戦者たちが、互いに馬に乗って槍で突き合うという競技である。

ルールは簡単で、槍で相手を馬から突き落とせば勝ちであり、落とされれば負けである。




いま、異国の二人の魔法少女が、武具の振り回しが城主の令で禁止されているにも関わらず、槍試合を
おっぱじめていた。

市場をにぎわせていた商人や、市民たちは、この試合に巻き込まれて殺傷されるのを恐れて、さっさと逃げ去った。


一部の、好奇心旺盛な命知らずや、娯楽を求めた酒酔いの民たちが、この魔法少女同士の喧嘩を、
見物しに輪を囲っていた。



「やい、やれ、魔法つかい!」

と、酒酔いした見物人が、顔を赤くしてげらげら笑いながら、激励する。「目にもの、みせるんだ!」

バキ!ゴキ!

ヒヒーン!

そんな槍試合の、槍の絡まる音、馬の蹄の地面を蹴る音などが、騒ぎの元にどよもす。


「さあさあ、やっちまえ!」

見物人たちがはやしたてるなか、馬上槍試合は熾烈を増す。「落としちまえ!どっ突け!」


明るい茶髪の魔法少女と、金髪のみつあみセミロングの魔法少女が、二人とも馬に跨って、
互いが互いに槍で突きあってた。


この二人が魔法少女だと、人々が分かるのは、二人は馬上槍試合がはじまるや魔法の衣装に”早変わり”し、
”何もないところ”から槍を召喚すると、その槍でど突きあいはじめたからである。


槍の長さは2メートルくらいあった。


二人は、異国の地から市場に訪れてきた魔法少女たちであったが、どうしてこう突然喧嘩をはじめてしまったのか。


しかし、きっかけはともあれ、戦いに火がついてしまった茶髪と金髪セミロングの魔法少女の二人は、
馬に乗り出すや、その2、3メートルある槍で、相手を馬から叩き落そうとするのだ。


「とぉっ!」

金髪のみつあみセミロングの魔法少女が、魔法で召喚したその槍を、片手で操って、相手の胸をつこうとする。

「はっッ!」

その相手の槍を、茶髪の魔法少女が、自分の槍で弾き返す。槍同士が絡まって、カラカラと小競り合いになる。

槍同士をぶつけあう二人を乗せる馬が、蹄でその場を行ったり来たりする。


「食らえ!」

茶髪の魔法少女が、相手の魔法少女の喉むけて、槍を伸ばす。

ヒュ!

その槍先の先端が、チュニックに露出した、金髪魔法少女の喉もとに迫る。

「当たるかっ!」

相手の金髪の魔法少女は、自分の持つ槍をクルリと回して、相手の槍を追い払った。

カラン!槍同士の絡まる音がなる。二人の間に再び距離があく。

「下手くそだな!」


「なにを!」

茶髪の魔法少女が、その挑発に乗り、馬を走らせると、ふたたび槍の先を相手の胸むけて、突進する。

一直線に走る馬が加速する。

「クソ女!のたれ死ね!」

馬の蹄の音がなり、まっすぐに槍の先が魔法少女の胸に迫る。

「ぐっ!」

突き進んできた槍を、受け止めるため、金髪の魔法少女は槍を両手に握った。横向きに持った槍で迫る敵の槍先を防ぎ、
持ち上げると上向きにそらした。


「はっ!」

上向きにそらしたあとで、自分の槍をクルリと回して相手の顔に槍先をつきつける。

カランと槍同士が十字に絡まって、それが時計のように回って、互いに槍先を突きつけあうも、
二人とも顔にあたるギリギリで迫る槍先をとどめた。

「くっ…!」

そのまま二人は睨み合い、ギシギシと槍同士をせめぎ合わせていたが、その拮抗がついにはじけた。


茶髪の魔法少女が、絡まった槍を自分のもとにぎゅっと引き寄せたからだ。

「わぁっ!」

絡め取られた槍に手を引っ張られ、金髪の魔法少女のほうが、馬上でバランス崩して前かがみになる。

「バカなやつ!」

茶髪の魔法少女は、バランス崩してこちら側に引き寄せられた相手を、今度は槍でズンと振り上げた。

「うわぁっ!」

自分の槍は弾きだされて、今度は上向きに揺さぶられる。馬から転落しそうになり、慌てて馬の手綱を
握った。

しかしそれは、間違いであった。


落ちそうになった身体を持ち直そうと引っ張った手綱が、馬に無茶させてヒイインと悲鳴をあげて暴れた。

轡を強く引っ張られる痛みに悲鳴をあげているのだ。


「とどめだ!」

蹄であっちいったりこっちいったりして暴れる馬の上でよろける相手の胸に、一突き。

茶髪の魔法少女の馬が走り、槍の先が伸びる。

「させるかっ!」

ぎりぎりで、金髪の魔法少女が突かれる槍を弾いて守った。


おおおおっと、起死回生の防備に観衆が声をあげる。


グルンと槍をふるい、突かれる相手の槍先をバチンと追い払った。


再び槍同士が絡まり、二人の槍が上下しながら突き合った。槍がぶつかりあうたび、カランカランと
音が鳴る。

「いいぞいいぞ!」

酒酔いの男は、もう魔法少女の槍試合に夢中になっている。「叩き落しちまえ!」


その声に力づけられてか、劣勢気味だった金髪みつあみの魔法少女が、ブンと槍を回して相手の頭を狙った。

ガツン!

その攻撃は、相手の槍に防がれる。

また絡まった槍は、茶髪の魔法少女の槍によって下向きに押さえつけらた。すると、茶髪の魔法少女は、自分の槍を
振り上げて相手の胸元を再び狙う。


ヒュッ───!


槍がまっすぐ対戦相手の魔法少女の胸元にのびる。


「そう何度も同じ手くうか!」

すると異国の魔法少女は、伸びてきた槍の柄を手にがしと握った。

相手が目を丸める。「それ、反則じゃないか!」

「反則だって?そりゃ初耳だ!」

そのがしと握った相手の槍を、そのまま自分側へ引き寄せるように、強く引っ張る。

「あああ バカ!」

相手は、強く引き込まれて、数メートル以上もある槍を握ったまま、馬から引きずりだされ、いや、手綱を握ったままの
馬すら巻き込んで、地面に引き倒された。


「なんてことする!」

まず茶髪をした魔法少女が地面にハデに転がり落ち、砂埃まみれになると、次いで馬が転倒しヒィィンと悲鳴をあげた。

横倒しになった馬は、その巨体を地面に放り出して、悲しげな鳴き声をあげていた。


かくして、馬上槍試合は勝負あった。


それにしても片腕一本で、御者の魔法少女と、その馬まで転倒させるとは、やはり魔法少女とは、怪力であった。

おー。

ぱちぱちぱちぱち。


野次馬たちが、槍試合の破天荒な結末に拍手する。

「いぇい!」

勝者の魔法少女が手をふりあげてピースする。



その野次馬たちの拍手が屈辱の音にしか聞こえない、負けた魔法少女は、頭にかぶった砂を手で落としながら、
起き上がった。


「もう怒ったぞ!」


彼女はそう言い、パンパンと魔法の衣装についた砂もついで払い落とすと、鞘から剣を抜いた。

キィィィン。

剣の音が空気に響く。

「やる気か!」

馬上槍試合の勝者も、相手が剣を抜くのをみるや、声をあげた。


「このアマ、もう許さないんだからな!」

剣にぎった魔法少女はそういい、ぴょんとその場から高く飛び上がる。

飛び上がりながら、馬上の相手の頭めがけて一気に振り落とした。

「何を!」

飛んできた相手の剣を、魔法少女は馬上で槍を使い受け止める。両手で横向きにもち、防いだ。


剣を振り落とした魔法少女は、すると、槍に弾き返されて再び宙に舞い、タンと地面に着地する。


おおおおっ。

その、魔法少女にしかできない身軽な芸当に、観衆がさらにもりあがる。


「なんだなんだ、馬上槍試合の次は剣闘試合かい」

と、だれかの農民の女が、いった。「魔法つかいは、元気だねえ」


「さあ死ね!」

馬上の魔法少女が馬を走らせ、槍を伸ばし、剣持った魔法少女に一気に突っ込んだ。馬の勢いのまま槍で相手を突こうとする。

「そんなもの通じるか!」

馬の速度も加わって襲い来る槍を、地上の魔法少女は剣をぶんと振るって弾き返し、キレイに受け止めた。


槍と剣が交差するとき、バキィっと嫌な音がした。そして、観衆たちはそのときさらに沸きは立ったのだが、
このとき槍は剣の一撃によって折られ、その先端が折れてへろんと垂れ下がっていたのである。


「ざまあ見ろ!」

剣を握り締めた魔法少女が、自信たっぷりな満足げな顔でにやりと相手を見やった。


「クソ女が!」

さっきも言ったような罵り声あげ、馬上の魔法少女は折れた槍を捨てた。そして、自分も鞘から剣を抜いた。

手に持たれた剣の刃が日を反射して光を放つ。


こうなってしまうともう二人の魔法少女は、馬上槍試合のルールなどとうに忘れて、とめどめのない斬り合いに入っていった。


茶髪の少女が再び飛び上がる。

空高く飛び、馬上の魔法少女に頭上から斬りかかり、ブンと剣を振り落とす。


それを自分の剣で跳ね返す馬上の少女。ガキィン、と剣同士が当たると、二本の剣はチラチラと光を放った。


「刻んでやるぞ!」

地上の魔法少女がまたもとびあがると、今度は剣を両手に握って、力いっぱい振りかざす。

「のろまが、あたるかってんだよ!」

馬上の魔法少女が鞍からとびあがって逃げた。剣は空を切り裂く。

ヒュッ!


剣のから回る音が市場に響く。


魔法少女の振り切られた剣の軌跡が、空気中に光る。そして、キィィンと空を裂いた綺麗な音が鳴るのだ。

見物人たちは気付くことはなかったが、それは、魔法少女にしか体現できない光と音であった。


馬上試合では負けを喫した茶髪の魔法少女は、相手の飛び逃げた馬の鞍にタンと着地すると、相手を追って、
鞍からと空に飛び上がった。



うおおお、と見物人たちが、息巻きながら宙を舞う二人の少女を顔をあげて目で追う。


市場の城壁高く舞った魔法少女二人が、空中で剣を激しく交える。何度か剣を交わしたあと、やがて、
二人とも市場の並びたてられていたテーブルの真上へと重力に引かれて落ちた。


市場に並べられていた、籠に積まれていた野菜類や果物などが、宙から落ちてきた魔法少女二人にドシンと踏まれ、
そこらじゅうに散りばめられた。

「うわあああ、なんだ!!何が起こってんだ!」

ちょうど、野菜を売っていた商人は、自分の商品が突然、空から落ちてきた二人の足にドスンと踏み潰されるのを見て、
悲鳴をあげた。

「なんだ、おまえたちは!」


丸々としたリンゴはテーブルから地面にゴロゴロと転がりおち、野菜ははらはらと地面に落ちた。



「あちゃあー」

見学していた少女騎士が、また額で手を覆って声を漏らした。「こいつはひどいや」


それでも魔法少女たちは完全に熱が入って、剣で斬り合うのをやめなかった。

そのままテーブルの上を移動しつつ、斬りあい続ける。足元に並びたてられている商品の積んだ籠という籠、
野菜や果物、香辛料いれた壷などをすべて足で踏みつけ、蹴散らしながら、カキンカキンと剣を交え続ける。


喧嘩する魔法少女の足に蹴飛ばされ、ごろんとテーブルから散りばめられる玉ねぎ。メロン。果物。全部全部、
テーブルから蹴飛ばされる。

足元を邪魔するもの全部のけながら、魔法少女の二人は斬り合い続け、一方は水平向きにブンと振り切り、
もう一方は剣を縦向きにして防ぐ。その十字に絡まった剣を、押し合いへしあいし、テーブル上の野菜をまた踏みつけるのだ。

いや、二人は、自分たちの足もとに何があるのか、気にもしていないに違いない。互いの剣だけを見ている。

そして、また剣を頭上に持ち上げると、ザンと相手むけて振り落とす。相手も負けじと剣を
振り切って、またガキンと剣同士がぶつかって防がれるや、新たな斬撃をななめ向きに切り出していく。


その一撃も、相手は剣で受け止め、下へ逸らした。なかなか、見事な剣裁きであった。

下へ逸らすと、相手の首めがけて一直線に、剣で裂く。その攻撃も、一歩ひいた相手に紙一重でかわされる。

一歩軽やかなステップで退き、絶妙な距離をとる。



「おい、誰か魔法つかいの喧嘩をとめさせろ!」


と、市場の誰かが叫んだ。「これじゃめちゃくちゃだ!」


「まさか!誰が止められるって?」

しかし、別の市場の男は、もう諦め声で、叫び返した。「人間の誰が、魔法つかいの喧嘩をとめられるって?」



「まいったか!バカ女!」

魔法少女たちは、そんな周囲の人間の野次や抗議の声も耳に入らず、斬り合いに熱中している。

「こんなもんでアタシがまいるもんか!」

ブンと剣をふる。その剣を、相手の魔法少女はしゃがみこんでかわした。その頭上を剣が通り過ぎた。


ところで、二人が振るっているこの剣は鋼鉄である。

剣の長さは1メートルくらいが主流だったが、二人が使うのはそれよりは短かった。しかし、重さは2キロほどある。


金髪の魔法少女が、しゃがんだ体勢のまま、剣をスイと回すように斬り出すのだ。ガチン!
相手の剣にそれが当たる。下向きにおさえつけられる。鋼鉄同士の激突する金属音が打ち鳴らされる。



その足元で香辛料が踏みつけられ、そして蹴散らされた。ぶわぁっと大量の黄色い粉が
空気中に舞った。

そして、地面を黄色く染めた。それはもう、香辛料の価値を知っている者、とくに商人からすれば、
ひどい悲劇であった。


この、市場をひっちゃかめっちゃかにしながら戦われる魔法少女二人の喧嘩を、
驚愕でも愕然でも、呆れでも批難でもなく────ただじっと、見つめている視線があった。


やっとの想いで赤いりんごを取り返した、鹿目円奈である。


円奈は、そのピンク色をした丸々とした目で───、子供心に、二人の戦いを、見つめていたのである。


他の市場の誰とも、その見つめる視線は違っていた。

その目にあるのは、ひょっとしたら羨望か、憧憬のような類だったのである。


円奈の目は、二人の間でゆれ動く剣、剣先の放つ光と軌跡、剣同士の激突する瞬間の音と空気の揺れ動きを、
食い入るように、見つめていた。

 
まだ歳にして10に過ぎない鹿目円奈の目は、なによりそこに、”惹きつけられていた”のである。


円奈の目に映るは、憧れの魔法少女・来栖椎奈と恐らく同種の、魔法少女の、衣装に変身した華麗なる衣装を身に纏い、
見る者を圧倒する剣舞。


くるくると身を回しながら、空気の流れに乗るように剣を振るう魔法少女。それを受け止め、反撃に剣を突く魔法少女。
その足元では、二人の戦いが発する魔力か何かによって、花びらのように撒き散らされる野菜類・マメ類・果物の数々…。



まちがいなくそれは、後に、”神の国”の聖地争奪戦という、途方もない戦いに後に巻き込まれゆく
鹿目まどかの祈りの子、鹿目円奈の────

初めて目にした魔法少女たちの戦いであった。


ところで、悲惨なことに、市場のテーブルの上に並べられた商品の、ほぼ全てを撒き散らした魔法少女は、テーブルの
上から降りた。


パッ!

着地音ならして綺麗に城内の地面に降り立つ。

というのも、テーブルの端まで追い詰められた茶髪のほうの魔法少女が、相手の振り切った剣をジャンプしてよけながら、
地面に降り立ったのである。

パッと、身軽な足取りで、果物と野菜だらけの地面に着地する。


「逃げるのか!」


金髪の魔法少女が追うように、テーブルの端へとささっと走りきる。


「誰が!」

茶髪の魔法少女はくるりと向き直ると言い返した。

そして地面からテーブル側へ剣を振り切り、相手の足を斬ろうとする。

「おっ死ね!腐れプッシー!」


「かかるか!」

相手の魔法少女は、足を狙う剣を飛び立ってかわした。とんだままで、飛翔した状態から
テーブル下の魔法少女に剣を振り落とす。

ガキィィン!

「うっ!」

飛び降りながら振り落とされた剣のほうが勢いが強かったらしく、剣同士を押し合いながらも、茶髪の魔法少女は
次第に力負けして圧されていった。


茶髪の魔法少女はどんどん後退し、相手のほうはどんどん茶髪の魔法少女に迫り、進む。


ギシシシと剣を交えながらどんどん圧されていった茶髪の魔法少女は、そうして圧されるまま、なんと今度は、
城内の肉を焼く食卓へつっこんでいったのだ。

二人の魔法少女が剣をあてがいながら食事中の人間たちで賑わう屋根下の食卓にいっきに足を踏み入れる。


「うわあああ!」

武具を翳した魔法少女二人の乱入に、食卓の者たちは、慌てふためき席をたち、逃げ去った。

「魔法つかいだ!」

口々に愚痴をこぼしながら人間たちは食卓から立ち、この喧嘩に巻き込まれるのを避けた。

だが中には、怒り心頭して、魔法少女たちにビールをふっかけてやる人間もいた。


「決着つけてやるぞ!」

その、野次からぶっかけられたビールを頭に浴びながら、剣をブンブン振るって、相手を懲らしめようとする
魔法少女。

相手の茶髪の魔法少女も、魔法衣装をビール臭くさせながら、塗れた前髪と睫から黄金色の水滴おとしながら
懸命に戦いぬく。


「もう逃げ場はないぞ!」


食卓の、一番奥の食卓の壁まで相手を追い詰めた。

金髪の魔法少女は、思い切り剣を振るった。「死ね!」

「うわぁ!」

ヒュ!

今度こそ剣先が顔面へせまる。

茶髪の魔法少女は、慌て、とっさに頭を下げて身を低くするととその剣を掻い潜り、間一髪で逃げた。


ガン!

金髪の魔法少女が振るった剣先が石壁に食い込み、壁に穴をあけた。石の破片がこぼれ落ちた。

「おい、城を壊す気か!」

まわりの野次が激しくなる。

「おしかったな!」

茶髪の魔法少女は、相手の剣が壁に食い込んだのをみるや、そのせいで身動きとれないでいる相手の腹を
横からドンと蹴り上げた。


「ぐふっ!」

金髪の魔法少女は蹴飛ばされる。そして、肉料理の並べられた食卓のテーブルへと身を投げた。


魔法少女の背がテーブルへ吹っ飛ばされる。この勢いでテーブルが倒れ、横転し、肉料理と皿、ビールがぜんぶ
ひっくり返った。

椅子もテーブルも食卓の皿も全部、宙から転がり落ちて、カララランと皿のまわる音がする。
皿と肉料理を頭にかぶりながら、蹴飛ばされた魔法少女が頭を起こす。「ぐぐ…」


それにしても、魔法少女の蹴りとは、なんと強力であろう!

足で蹴飛ばされただけで、これほどの破壊力を持つのである!


「調子にのるなよ!」


頭にビール、肉、皿の破片だらけの魔法少女が、怒りで身体震わせながら起き上がり、
そして、剣を床に突きたて支えにして膝で立ち上がると、復讐に打って出る。



「とおおおお!」

剣を頭上に持ち上げて、一気に相手へ迫る。

ブン!

水平向きに剣でひとふり。怒りにまかせて、力いっぱい。

またも、茶髪の魔法少女が屈めてそれを掻い潜った。

剣の一撃は相手の頭上を通り抜け、食卓の木の柱を叩いた。バキ!柱が切れる。すると、柱は木の音たてて折れた。


「あたらんぞ!」

こうした調子で、魔法少女たちは、三本目、四本目と柱を切りつけながら、剣同士の闘いをつづける。


「うわあああ」

食卓の人間たちはいよいよ逃げねばならなくなった。

というのも、柱が折られ、屋根が傾き倒壊しはじめたからである。


広場を転がる野菜と果物と、飛び散った魚でいっぱいにした彼女たちは、今度は、食卓を石の破片と、木の断片とで、
めちゃくちゃにしはじめたのである。

24


さて、市場ではそんなアクシデントが起こっているとは露もしらずの来栖椎奈が、城内から城外へ戻る石の階段を
くだっていた。


その彼女が、何か騒ぎが起こっているらしいと感づいたのは、そのときで、市場のほうから、妙な騒ぎ声や、
罵倒や、騒ぎ立てる声と共に、ガシガシャとゆすぶるような物音を、耳にしたからである。


「何事なのだ」


椎奈は呟き、そして、急いで城の階段をくだった。三階から二階へ。

ちょうどこのさとき、傾きはじめた陽が、城壁を照らし、そして鐘楼が、三時の鐘を鳴らした刻であった。



この時代には存在しない24時間制の時計のかわりに、時間を知らせる塔の鐘楼の音は、騒ぎだつ市場にも届く。


塔の、二つ並びの鐘が、ガゴーンガゴーンと音を鳴り渡すなか、椎奈は市場へとでる城の階段を急ぐ。


(妙なことになっていなければよいが……)


しかし、椎奈のその予感は、まったくもって当たっていた。




市場では、市場をメチャクチャにした魔法少女の二人組みを取り押さえるべく、城の守備隊を引き連れた城主メイ・ロンが、
怒りに震えた雄たけびあげながら、市場に登場していた。


「どやつだ!」


城主メイ・ロン───キリトンの村の領主であり背の高い魔法少女───は、顔を真っ赤にしながら怒りに叫び、
弾劾する。



「わが城に恥を塗るバカ者どもは、どいつだ!」

この城主は、ついさっきまでは、来栖椎奈とエレム国の使者とのやり取りを、仲介人もかねて見守っていたのであるが、
その直後、民から、市場で起こった騒ぎについて知らされ、ここに飛んできた。


「あちらです!城主さま、あっち!」

市民の一人が、城主のために、騒ぎの根源を指差した。


城主が怒りに湛えた目を、指差された方向に向けると、そこでは、食卓の屋根の下で異国の魔法少女二人が、
城内の法度をほとんど堂々と破りながら剣を振り回して喧嘩にふけっていた。



「あの愚か者どもを取り押さえろ!」

「はっ!」

衛兵たちが、かちゃかちゃと鎖帷子の音を鳴らしながら、列そろえて進み出た。その数、20人ちょっと。

全員が魔法少女を取り押さえるべく、槍と盾を手に進み出る。



二人の魔法少女は、城の守備隊がごぞってやってきたことにも気付かず、まだ斬りあいを続けていたが、
さすがに二人とも息があがっていた。

そんな疲労のところに、いきなり数十人もの守備隊たちに背中をつかまれ引き倒されたと思うと、間髪いれず
起き上がれぬよう何十人もの力で地面にうつ伏せに押さえつけられた。


「なんだよっ!放せよ!むさいな!」

取り押さえられた魔法少女が、背中にのしかかる何十人もの守備隊の男を振り払おうとしたが、さすがに
ムリなようであった。


喧嘩相手だった金髪の魔法少女も同じように押さえつけられ、落とした剣を拾おうと懸命に手を伸ばしている。

しかし、その剣を、城主メイ・ロンが取り上げた。


金髪の魔法少女は、自分の剣を拾ったその城主の顔をみあげ、そして、きっと睨んだ。

「邪魔するな!」


「邪魔したのは貴様らだ、バカ者どもめが!」

城主は怒りいっぱいに叫ぶと、さすがに彼女は怯みあがってきょとんとした。

「ここをどこと心得る!市民が名誉のため、市場を開いたわが城ぞ!」

そう叱咤するとメイ・ロンは、その拾った剣先を思い切り、押さえつけられた魔法少女の目と鼻の先に
ズドっと突きたてた。


ザクッ!!


「ひっ!」

金髪の魔法少女が目を見開いて怯える。突き落とされた剣に、その自分の顔が映った。


「このバカドモを、」

すると城主は、部下の守備隊たちに命令した。この、おお馬鹿ものどもを、条例に基づいて処罰するために。

「”仲良しこよしの刑”にしろ!」


「はっ」

命を受けた守備隊たちが、押さえつけた魔法少女たちを無理やり抱き起こし、連行した。



「放せよ!むさいな!」

同じような罵り声(それも、こういうことは初めてではない)で相手を毒づき、抵抗しながら、しかし、
魔法少女たち二人は、守備隊たちに肩と手を抑えられて、連れ出されていった。


すると、現場を沈めた城主メイ・ロンに、おおおおおっと市民たちの歓声が起こった。


「さすが、城主さまだ!」

口々に感心したように、呟く市民たちの喝采に囲まれながら、城主は、また城代の部屋に戻るのであった。

「ああいうお方が魔法つかいなら、私どもも、安心なんだがね。」


と、自分たちを皮肉る台詞を浴びながら、喧嘩を抑えられた魔法少女は、唾さえ吐きながら、連行された。


ところで、”仲良しこよしの刑”とは、名前だけきくと、平和的な刑罰であるように聞こえたが、実は、
それなりに手ひどい刑罰であった。


そしてそこには、めちゃくちゃにされてしまった市場に、真ん中でぽつんと立った鹿目円奈が、残されていた。
円奈は、連行された二人を最後まで見届けると、最後に、かじりとりんごに歯を立てた。


やっぱり、かじりつけなかった。

25


陽が傾きはじめた頃、鹿目円奈は、あの城主が命令した”仲良しこよしの刑”がどんな刑なのかを、
この目でみることになった。


さっきまで喧嘩に明け暮れていた二人は、いま、二人して正面からむきあってる。


その二人は、ひとつの首手枷に嵌められ、互いに向き合う形を強制されているのだ。

喧嘩に明け暮れた二人を無理やり仲直りさせるための枷で、二人は首手枷にひとくくりにされる。



互いに向き合っているのに、手は使えず、首も動かせない。


つまり、あれだけいがみ合っていた憎き相手と無理やり対面させられ、しかも手を出したくても出せない。



しかも、同じ枷に嵌められた二人は、どんな行動するにも二人で息を合わせてしなければ、
思うとおりの方向に進むこともできず、ものを取ることもできない。


仲良しこよしの刑は、この枷をはめて二人三脚を強制し、互いに仲直りするまでは外してもらえない罰であった。


そして、こんな枷によって一つに繋ぎとめられても、魔法少女二人は、まだ互いを罵りあっていた。

「おまえのせいで、こんなことに!」

と、枷と格闘しながら、茶髪の魔法少女が文句いった。「謝れ!おまえから謝れ!」

「誰が、おまえなんかに謝るもんか!」

金髪の魔法少女も、首と手を枷にはめられたままで、歯軋りしながら身動きとろうともがく。「お前から謝れ!」


こうして同じ枷に繋がれた二人は、互いに引っ張りあい、罵りあい、言い争って、結局どこにも進めないのであった。


この状況下では、とにかくどちらか片方が妥協して、相手の進む方向にゆずって足を進めるでもしなければ、
その場から一歩たりとも移動できないのに、まるで互いにそれをしようとしない。


唯一自由な足で互いを蹴ろうとしても届かず、ただ互いに、口を動かし口喧嘩し、その髪をゆらしながら、
同じ枷に繋がれた者同士でいつまでたっても譲らず引っ張り合い続けるだけ。


鹿目円奈は、さっきまで華麗なる剣舞を披露してみせたその二人が、今は枷で情けない姿でつながれているのを
じっと見つめていたが、やがて、ひょんなことを口を開いて言った。


「どうして、喧嘩したの?」


「は?」

「んん?」

二人が枷に嵌った首は動かせず、目だけで第三者の声がしたほうを見た。

そこにいるのは、ピンク髪をした、ほんの幼い女の子だった。



「どうして、喧嘩しちゃったの?」


きょとんとした、あるいは子供のまるまるとした目が、純粋に興味から発した質問というかんじで、魔法少女たちに
投げかけられる。


「どうしてって……」

金髪の魔法少女が、枷にはまった相手をみる。「どうしてだっけ?」

「しるか!」

茶髪の魔法少女もすぐに答えた。「忘れちちまったよ、そんなこと!」

「えええ…」

相手の金髪の魔法少女が、落ち込んだような声を漏らした。「じゃあ、私たちなんでこんな目にあってるんだ?」


「ねぇ、どうしてそんなことになってるの?」

と、同じような質問が、首を傾げたピンク髪の女の子によって尋ねられる。「さっきまで、くるくるしてたのに…」


「じゃあ、今は?」

二人同時に聞き返した。

「がたがたしてる」

ピンク髪の少女が答えた。

「なら、そうだ、あんたが、これ外しておくれ。」

茶髪の魔法少女が、思いついたように、提案した。ニヤリと一瞬、笑みをうかべる。

「そしたら、またさっきみたいに、くるくるしてあげるよ。」

「ホントに?」

ピンク髪の少女の目が煌く。「うん、はずしてあげる!」

「ホントさ、飛び回ってあげるよ。箒には跨ったりは、しないけどね」

そういって、魔法二人組みに歩きよってくる少女を見て、内心ほくそえんだ。


「よし、よし、いま、私たちが屈むからな、あんたみたいな、おちびさんにも手が届くように。」

茶髪の魔法少女がそう言うと、相手の金髪の魔法少女のほうに目配らせした。

「ちっ」

金髪の魔法少女がすると舌打ちして、そして二人は、タイミングあわせてゆっくりと屈んだ。

どういうわけだが、そのとき、二人は息揃えてピッタリ、双子のように、高さをそろえながら屈んで、
自分たちの枷を下ろした。


「ようし、ここの杭だ、わかるだろ」

茶髪の魔法少女が目で枷に打ち込まれた杭を示す。「それ、とれるかな?とれるだろ?」

「ううんと、これ?」

ピンク髪の少女が、丸い目でそっと枷の杭に触れる。

「ああ、それそれ!」

茶髪の魔法少女が頷いて、少女に促した。「それを、抜き取っおくれ!さあさあ。」

「うん。まっててね。」

おさない少女は、もてる力いっぱいに、杭を握って、抜き取った。「えいっ!」

一本目が抜けた。スポンと音たてて、枷がやや開く。残る杭は二本。

「その調子だ」

茶髪の魔法少女に勇気づけられて、また一本、円奈が杭を抜いた。

その様子を、金髪の魔法少女だけがしかめっ面で眺めている。

「さあさあ、あと一本だ!」

円奈が最後の一本に手をかける。「えいっ」スポン。杭がついに三本とも抜き取られる。


とたんに繋ぎあわされていた枷が真っ二つに別れ、魔法少女たちは板の枷を持ち上げて放り投げた。


「さあ、続きだ!」

守備隊に没収された鋼鉄の剣に代わって、彼女たちは魔法の剣を召喚すると、むけあった。

傾き始めた陽のオレンジ色の光が差し込み、その剣を照らす。


……が。


ある視線が気になって、二人の魔法少女はそれ以上動こうとしなかった。

じっと二人を見上げる、小さな少女の視線に、二人は気付いたのである。


「何みてんだよ?」


「あっ」

二人の魔法少女に睨まれて、円奈は声あげて、恐れなしたように、おそるおそる二人を見上げる。

それは興味の目から恐がる目への早変わりであった。


「ふん」

すると茶髪をした魔法少女のほうが、魔法の剣を握っていた構えを解いた。まるで戦意喪失とばかりに。

「私たちが恐いか?」

問いかけ、ピンク髪の女の子を見下ろす。

「そりゃ恐いだろうさ」金髪の魔法少女もすると、手から魔法の剣を消した。カラフルな剣は、緑色の煙と炎たてて、
跡形もなく、空中に消えてしまった。

「アタシたちは、魔法少女だ」

「ふーん、でもね、私ら、恐いことばっかじゃないんだよ。」

すると茶髪の魔法少女は、そっと身を屈めると、円奈の持った赤いリンゴに指先でちょこんと触れた。

「ひっ」

反射的に、ちょっと怯えたように身を引く円奈。

魔法少女の指先が、恐ろしく思ったのである。

しかし、円奈はそのあと、自分の持ったりんごが、どうしても噛めなかったりんごが、オレンジ色に光りつやつやと煌く
のを見た。

それはきっと、斜陽のオレンジ色の光だけでリンゴが輝いたのではないのだろう。

「食べてみな」

と、魔法少女は得意そうに、手を腰にあてて、逆の手の指たてると、少女に告げるのであった。

「私たちの枷をとってくれたお礼だ」

「えっ…」

円奈は、意味がよく分からなかったけど、相手のいわれたとおり、恐る恐る、りんごをかじった。


するとどうだろう。

あれだけ、どんなに頑張ってもかじれなかったりんごが、いとも簡単に円奈の歯を通し、砕けたではないか!

「んんっ」

とたんに広がるリンゴという果実の味に、びっくりする円奈だったが、初めて味わうその味に、夢中になって
かみしめていた。

まちがいなくそれは、魔法の甘い味であった。

しかし、さっきまで、ぜんぜん食べられなかったのに、急に食べられるようになったその不思議が、
”魔法”だと円奈が知ったのは、もっと後のことだった。

26


来栖椎奈が、市場の広場に戻ってきた。


オレンジ色の斜陽浴びながら、茶髪のストレート髪をなびかせ、鎖帷子を着込み剣を鞘に差し込んだ武装姿で、
市場に戻ってくる。


しかし、その市場の、バラバラに散りばめられた悲惨な光景を目にするや、目に驚きを湛えた。


「なんだ?これは!」

彼女には珍しい、動揺の声が、思わず口からでる。「なにがあったのだ!?」


椎奈は、ひっちゃかめっちゃかになった市場のど真ん中で、鹿目円奈が、一人オレンジ色に光り反射するりんごを
頬張っているのを見た。


あれから、やっと、円奈もりんごを一人前に齧れるようになったらしい…が?


「円奈」

椎奈が彼女の名を呼ぶと、円奈が椎奈の顔を見上げた。その口元に、りんごの食べ残りがついていた。


「そなたがこんなことを?」


ふるふると、円奈は首を必死に横にふって否定した。


椎奈の命で、円奈の面倒見を託したバリトンの少女騎士たち二人が、事のなりゆきを説明した。

というより、行動でしめした。

「椎奈さま」

ついついと、少女騎士が、さっきしたみたいに指さす。「あいつらです」


椎奈が、むうっ、と唸って部下の指さした方向を見た。

その先には、ちょっと気まずそうに顔をしかめた、魔法少女二人組みがいた。


「ふむ」

事態を察したようで、椎奈は顎をつかんだ。


「どうします?」

と、少女騎士が椎奈に、若干の呆れ声を混ぜつつ尋ねた。「あのおバカな魔法少女たちはほっといて、私たちは帰りますか」


「おバカってな…」

喧嘩にふけっていた金髪の魔法少女が、歯軋りした。頭と髪はまだ、ビールくさかった。


「おばかだろ、オオバカだ!」

少女騎士が、手で、ひっちゃかめっちゃかな市場を指差した。

「みろ、どうすんだ、あれ!」


「どうすんだっていわれてもねえ…」

茶髪と金髪の魔法少女二人は、想い想いに考えめぐらすように、指先を口元に添えた。

「どうにもならないよな?」

二人して顔を見合わせる。


「やっぱおまえたちは、オオバカだ!」

少女騎士が、めいっぱいに口をあけて想いっきり糾弾した。

「ばかばかいうなよ、人間め!」

魔法少女が、言い返し始めた。歯軋りしながら。

立場的に明らかに苦しいのに、あくまで非を認めようとしないのは、近年の魔法少女にはよくある傾向であった。

「おまえたち人間には、分からんだろうが、魔法ってのは、使うには、頭使うんだ。」

テンテンと、自分の頭指で叩きながら、魔法少女が、得意げに語る出す。

「頭でイメージしたことを、そのまんま体現できると想ったら、そりゃ違うさ。そのイメージを、
どう体現させるかを、文字通り”法”で作り出さなきゃいけないんだから。知りたいかい?」

「しらん!」

しかし、少女騎士は一蹴した。「話をそらすな!とにかく、じゃあその頭使う魔法とやらで、これどうにかしろっての!」

といって、また市場のほうを指す。

「てるてるぼーずとかするだろ、あれも、魔法少女として断言してあげるよ、ありゃ、魔法だぜ!」

「うるさい!」

少女騎士はまた相手の話を遮った。


「ち、せっかくこの魔法少女さまが、じきじきに、魔法の何たるかを教えてやろうと思ったのに。」

金髪の魔法少女がしたうちして、観念したように、はあとため息つくと市場を見た。

「いやー、ひどいね!壮観だよ」

茶髪の魔法少女が、腰に手あてながらふうと息をついた。

「めんどくさ」

喧嘩相手だった金髪の魔法少女も、すっかり気を落としていた。「おい、城の堀に、全部捨てちまおう!」

「賛成だ!」

急に茶髪の魔法少女が元気づいた。「魔法で隠しちまえ!全部泥の色に変えるんだ」

「やっぱバカじゃないな、アンタ冴えてる!」


「はぁ…」

少女騎士はため息つくと、もう頭痛がしてしまったようで、頭を手で押さえていた。

「私たち人間は、こんな連中に魔獣から守られてるのか…」


「そうと決まれば、城の水路にぜんぶぶっ込んで…ん?」

二人の魔法少女がやっと意気投合して目的にむけて動き出したが、足をとめた。

というのも、ピンク髪の小さな少女が、一生懸命に、広場に転がり落ちたりんごや、たまねぎなどを、市場のかごに
一つ一つ、戻していたからである。

「んーしょっと」

円奈は、広場に落ちたりんごを拾うと、両手に抱え持って、丁寧にそれをかごに戻すのだ。

かごには、5個のりんごが、戻されていた。いま円奈が、両手に抱えたりんごで、六個目。


「……」

二人の魔法少女が、無言で、それを見守っていた。

まるで自分達の発想とは真逆のことを、自分達よりるかに小さな少女が懸命にしているその姿を、言葉もなくして見守る。


「よいしょっと」

円奈はまた、りんごを抱え持って、大事そうに、痛んだところは手で撫でたりしながら、かごに戻した。


その傍らで手伝っているのは、来栖椎奈。「ぜんぶやるのか?」

と、バリトンの領主は、小さな少女を見守りながら、その行為を手伝い、自分もたまねぎを拾って元に戻す。

「うん」

とも、円奈は子供らしい声で、答えた。「私ね、さっき、これ、食べたの。すっごく、おいしかったの…。
捨てられちゃったら、もったいないと思って…」

「手伝おう」

椎奈は、痛んだたまねぎをひろうと、手に抱えもち、魔法で癒やすような動作をみせた。「だが、全部もどすのは
時間がかかるぞ」

「だいじょうぶ」と、円奈は言った。「時間なんて関係ないよ。元通りになってほしいの。」


「……」

魔法少女二人は、唖然としたまま、小さな少女の言葉に耳を打ちひしがれる。


ほんの気まぐれで、自分が魔法かけて、りんごを食べられるようにしてやったのを、少女は、
こんな形で恵みに恩返ししようとしてる。


「どうする?」

金髪の魔法少女が、耐え切れず訊いた。

「どうするって……」

茶髪の魔法少女も考え込む。「全部水路に捨てて、かくして………」

最後には自信なさそうに声が小さく、消え入ってしまう。



「だー、もう!」

ついに魔法少女たちは、折れた。歩を進め、競うように走り出すと、そこらじゅう散りばめられた野菜やら果物やらを、
拾い集めだす。

「柄にもないことを!」

しかし、拾いだすと、魔法少女たちは、もう止まらなくなって、夢中になって散りばめられたものを集める。

「お前のせいだからな!こんなことになったのは、おまえのせいだ!」

なんて愚痴と、恨み言をぼやきながら、しかし、拾い集める手はとめない。

「いや、まったく、ひどい一日だ。」

と、茶髪の魔法少女が、同じように、歯軋りしながら呪詛を漏らし、額に汗ながしながら、オレンジを拾った。

「魔法少女ともあろう私たちが、なんでことなことを」



「ま、」

すると少女騎士が笑って、進むと、身を屈めて、自分たちもその場で落ちた野菜を拾い集めた。

「たまには人間さまの立場にもどってみるのも、魔法少女さまのあんたらには、いい薬になりそうだね」


「ふん、だ」

魔法少女たちは顔を背けて、自分たちの近くの魚を拾った。


こうして鹿目円奈とバリトンの騎士たち、領主たち、そして異国の魔法少女たちが、協力しあって
籠に戻した。


どうしようもなく傷み、汚れてしまった商品などは、魔法少女たちが、自分の魔力を使って、ひとつひとつ、
魔力で復元、癒しの力で、元に戻した。

元に戻るのもあったが、諦めなければならないものもあった(散り散りに踏み潰された魚など)。


こうして夕方になり、日が暮れ、夜空に星がみえだした頃、ようやく、ほぼすべての修復作業が、ようやく終わった。


「はふーっ」

二人の魔法少女は、昼間ッからの喧嘩に続き、それからの作業に、すっかり疲れ果て、尻もちついて息ついた。

「やっと全部かな」

バリトンの少女騎士も疲れた様子で、キレイになったたまねぎを籠に戻していた。


と、そのとき、城主のメイ・ロンが、再び、彼女たちの前に現れた。


「見たところ、どうやら反省したようだな」

手下の守備隊たち数人をつれながら、城主の魔法少女が、暴れに暴れた魔法少女たち二人が、片付けを
終わらせた景色を見下ろすと、満足げにいった。

「まあね、はいはい、しましたよ」

茶髪の魔法少女が、くたくたな様子のまま、答えた。

二人がくたくたなのは、魔法で、傷んだ果物や野菜、香辛料、魚などを、元に戻そうと魔力をふんだんに使った
ためだ。


「しかし、城主様、」

守備隊の一人が、まだ不満を持っているようで、城主に提言した。

「片付けられたとはいえ、もう市場は終わっていますし、商人たちは逃げ去りました。台無しにされたことは
かわりませぬぞ!」

「なに」

すると城主が、ニヤリとした。「残された商品は、ぜんぶウチで買い取ればよい話だ」

「ですが、城主様!」

守備隊はまだ納得していないようだ。

「明日にも商人たちは、今日の件のことで、倍はかたい償いを要求しにやってきますぞ!」

「なに」

するとメイ・ロンはニヤリと笑ったままで、くたくたになった魔法少女二人に目線を移した。

「たりんぶんは、全部あいつらに償わせるさ」


そういうとメイ・ロンは革靴を履いたその足でズンと一歩進み出ると、魔法少女二人を見下ろした。

「おまえたちは、明日からわが城の奴隷だ」

と、城主は告げるのであった。

「昼は井戸の水汲みから、洗濯、食事の用意、それから警備。寝床の管理。夜は、我に代わって魔獣退治だ」

すっと、目を細めて二人を見据える。

「この城主メイ・ロンの厚意、受けないはずがあるまい?」


くたくたの魔法少女二人は、尻もちついたまま、二人で顔を見合わせた。

27


いろいろあった市場の一日も、終わりを告げる。


日の落ちた夜空には星が煌き、あたりの草むらでは虫の鳴き声が響き渡る。



すっかりライ麦を売りさばき、かわりに魚と果物をたくさん積んだ荷車を馬が引く。


鹿目円奈は、帰路の途中にあって、そのクルクル荷車の車輪が回る木材の音を耳にしながら、
ついさきほどの出来事を思い出していた。



それは、二人の魔法少女が、城主の下働きの条件を受けいけたときの会話のやり取りだ。



「その約束」

メイ・ロンがじっと二人を見下ろす。「裏切ることはあるまいな?」

「ありませんて!」

茶髪の魔法少女が、尻もちついた体勢から、しゃがむような体勢に組みなおすと、城主を見上げて、答える。

「私も、裏切りはしませんよ。ねえ?」

と、金髪の魔法少女も言い、隣の昼は喧嘩相手だった茶髪の魔法少女を見た。

「こう見ても、私たちは、その昔、”神の国”に行って、円環の理さまに挨拶してきたんですから。」


鹿目円奈が、その単語をきいたのは、思えばこのときが最初だった。


神の国…?

円環の理…?


「ねえ、椎奈さま」

バリトンの村への帰路の途中で、円奈はあの会話を思い出し、自分を馬に乗せている御者の来栖椎奈の背中に、
そっと尋ねた。


「神の国って…?」

椎奈が、手綱を操る手を一瞬とめ、わずかに驚きに目を開いた。が、すぐに落ち着いた顔つきに戻ると、
馬を歩かせるままで、答えた。

「呼んで呼び名のごとく、神の治める国のことだ」

「神さまが、いるの…?」

興味ありありといった円奈のピンク色の丸い目が、椎奈の背中をみあげる。

帰路の途中にあるバリトンの一行は、いま、夜道のせせらぎを通り過ぎるあたりであった。


「いるというよりかは、いたという伝説だ」

と、椎奈が答える。それからこうも語った。「私たち魔法少女には、大切なところだ」

「大切な、ところなの…?」


冷たく流れる川のせせらぎの音だけが、二人の会話に割り込むせいぜいの物音であった。


「そうだ」

椎奈が言った。その顔つきは、いまや真剣そのものになっている。

「円奈、知りたいのか?」



たった一人優しくしてくれる人の真剣すぎる声に、円奈が怯えて、口を結んでしまった。

しかし、子供とは、ときに好奇心のために、恐いものなしな勇気もふるうものである。


「知りたい、私、知りたい」


すると、返ってきたのは無言であった。

椎奈は何もいわず、口を閉じたまま、馬を馳せ続ける。


日の沈んだ地上に暗く広がる草原の、虫の鳴き声だけが、聞こえていた。


山々が囲うその大草原を見下ろす夜空の月は、黒い曇の流れに半分隠される。


「その昔、我々よりもっとずっと文明に優れた国があった」

ついに沈黙を破り、椎奈がゆっくり話しはじめた。

ぼんやりと思い出を語るような目は、夜の虚空を眺め、その身体は歩く馬に揺さぶられ上下する。

「もう、はもか昔の話だ。その国では人間は我らには想像もつかぬ技術を持っていた」

椎奈の背中で円奈は、懸命になって、耳を傾けている。

「その時代、人間は山より高く塔を建て───火を操り、水を操り、果ては気温まで自由に操った」

円奈にはまったくそれは、本当に、想像つかないことであった。

火を操るなんて、まるで魔法ではないか!

「彼らは指ひとつで何もかも操れたし、顔も知らない遥か遠くの人間と会話できたとさえいわれている。
一週間も先の天候を予知し──天の雲より高く飛んだ」


「そんなのって……」

円奈が、恐る恐る声をしぼりだす。

「私たち魔法少女より、遥かに優れたものを───人間は過去に、持っていた」

と、椎奈はそうとまで語ると、馬の手綱を持つ手に意識を集中させた。

「そんな国で、ある約束が果たされた」

「約束?」

「そう、約束だ」椎奈は告げた。「私たち魔法少女が、過去と未来永劫に───どの世界でも、最後には
救われるという約束が果たされたのだ。ある一人の魔法少女の犠牲によって……そして、今の世界がある」


「すく、われる…?」

円奈がまるでそれが、不思議な言葉かなにかのように、そっと尋ねる。


「だから私たち魔法少女は──」

椎奈は片手だけで馬の手綱を握り、指輪を嵌めた左手は、胸に寄せると、想いに馳せた。

「その犠牲になってまで約束が果たされた場所を、訪ねにいくのだ。私たちのために、祈ってくれた少女の前に、
足を運ぶのだ」


「魔法少女を、救う場所……」

まだ、円奈の呟き声は、不思議そうな音色が残っている。

しかし、円奈はすると、今度は、こんなことをいいだすのであった。

「遠いの?」


「とても遠い」

椎奈は答えた。山々のむこうを目で見上げる。「ここから見れば、神の国は世界の果てのようなところにある」


「私も……神の国にいけるかな?」

と、円奈はそんなことを口にする。「私もいつかそこに行ける?」

「どうかな」

椎奈はそういいながら、過去自分が神の国にいた頃を思い出した。


「私も、いけたらいいな」

すっかり夢見るような音色で、そう語り、椎奈に胸寄せる、鹿目円奈。


今思えば、あの市場で、喧嘩に明け暮れた二人の魔法少女を、すんなり仲直りさせてしまったのも、
後にこの少女が聖地にて起こした大きな奇跡の前の、小さな奇跡であったのだ。

28


そしてバリトンら一行は、深夜の日も変わる時刻に、ようやく帰途についた。


領主の帰還に、村人たちが(多くはもう、寝静まっていたが)心配そうに駆け寄ってきて、出迎えた。


「おかえりなさいませ、椎奈殿!」

と、村人たちは、口々にいった。「こんな時間にまで、村をお留守に?何かあったので?」

「あったにはあったが、大丈夫だ」

椎奈は答えると、馬を降り、パッと地面に着地すると、鎖帷子の音がカチャと鳴った。

それから馬に残った円奈を抱きかかえ、そっち地面に降ろした。

「私どもは、椎奈殿に、なにかあったら、どうしようかと!」

と、村人は両手を握り締めながら、そんなふうに言った。「ここ守れるのは、あなたしかおりませんから!」

「心配かけてすまなかった」

そう謝罪の意を述べてやる領主の後ろで、バリトンの少女騎士たち二人が、訝しげに村人を見た。

「ふん、自分を守ってもらうことしか頭にないやつらめ」

「し」

もう一人が、口に指あて、言葉を遮った。「仕方ないじゃないか。こんな時代だ、民は自分で自分を守れないんだよ」



村人だちが見守るなかで椎奈は、騎士たちの今日の奉仕を解いた。「おまえたちはよい。休め」

「はい」

「はい」

その言葉を受けて、少女騎士も、付き添いの男騎士も、馬を降りた。


「今年の収穫でいくつか市場で買えた。明日はわが領土で宴会としよう」

と、村人たちむけて、椎奈がそう告げると。

「ありがたきことですこと!」

村人達は喜び声あげて、それぞれの家に戻った。


「円奈」

村に戻って、すっかり村人たちの目線に怯えて身を小さくしていた円奈に、椎奈が語りかける。

「そなたのもとまで送り届けよう。さあ、もう少しの辛抱だ」

すると、幼い円奈の顔にまた笑顔が咲いた。

「うん!」

最後には、手を結ぶ二人だけが、月に照らされて残っていた。


29


そして、円奈は村のはずれの、自分の家に戻った。


丘を登り、山道を通って、村からぽつんとはずれたところに、円奈の家がある。石を積み上げ、藁で天井を覆った家。


それは顔も覚えない両親が円奈に残したという家。今は誰もいない家。


椎奈に手を振って別れ、扉を開いて家に戻った円奈は、もう何年も使っている干草の敷いた毛布にくるまろうとしたが、
全然寝付けないことに気付いた。


心がどこか、躍るように興奮している。


円奈は起き上がって、灯かりも何もない家内にそっと、テーブルに置かれたたった一本の蝋燭に火を灯した。



ゆらゆらとした火の光が、赤く石壁の家内を照らす。


そのろうさくの火をじっとその瞳に映しながら、今日のことの思い出に耽った。

「魔法少女…」

と、円奈は小さく、口ずさむ。昼間みた、あの二人の戦いぶりが、まだ頭を離れない。


そして。「神の国……」


わたしも椎奈さまみたいに。


椎奈さまみたいになれるのかな。

ろうそくの火を見つめながら、今日みた興奮に心が温まっていた円奈は、しかしそれでも、次第に意識が薄れ
眠気に支配されていくのを感じた。


”そのときの私はまだ幼くて───”


眠気に次第に襲われ、うとうとしはじめては、そっと目を開けたり閉じたりして、かくんと首は垂れる。


”もっと成長すればきっと自分も魔法が使えるようになるんだと思っていた”


目の中で、ろうそくの火がかげろい、視界の焦点がぶれていく。

ぼんやりと見えるろうそくの火はだんだんと薄れ、暗闇になり────。


”それから何年かたって私は────もっといろいろなことを知った”


意識は、今へともどってくる。

幼少時代の自分は、頭を垂れて眠りへと次第におちる。


”私は魔法を使えないんだということも───”


そっと、鹿目円奈は、目を開いた。丘から見下ろすバリトンの山峡には、寒空が広がっている。
ピンク色の瞳に、その雪解けた自然の森が映る。


”きっと一生、ここから出られないんだということも”


幼少時代の思い出から、今に意識が戻った円奈は、身体にふきつける冬風に、ピンクの髪をゆらした。

このとき、鹿目円奈は15歳。


第二次性長期の頃合である。



丘から見下ろす、山脈と山脈のあいだは、まだ雪が山峡の中腹を覆っている、広大な山岳が連なっている。

山巓を覆う雪の白と、雪解け水が流れる山麓の森の深緑とが、冬の景色を縁取っている。


その丘には、小さく、一つの墓が立っている。少女が、今朝からじっとお参りしていた墓だ。


パパ。ママ。


顔知らぬ両親を、そっと心で呼ぶ。


”私、何も持たない子だよ……私には、何もない…”



かつて円環の理と呼ばれる存在に生まれ変わった少女と、ほとんどそう変わらない容姿に
すっかり成長した神の血筋持つ少女は───。


心でそう伝え、冷たくなった手をあわせて墓の前でお辞儀すると、そっとその丘の場をあとに家へ戻る。




こぶりの雪に背中を冷やしながら、家族のいない家に戻る。



"Madoka's kingdom of haeven"

ChapterⅠ: Burning the past
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【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

Ⅰ章: バーニング・ザ・パスト

31

くどいような注意書きその2...

                 まどか☆マギカSS : 神の国と女神の祈り

─────────────────────────────────────────

◇西暦3000年くらいの世界。文明は中世レベルに退廃。「ヨーロッパ中世」な世界観をモチーフにしたいと思います。
(史実の事件、民族、宗教、戦争は扱いません。地名、人物はパロディ程度にでます)

◇オリキャラ多数登場予定。本編キャラはほむらのみ。まどかの生まれ変わり的な主人公もいます。

◇参考作品は主にTV版本編のみ。劇場版新編『叛逆の物語』の要素はありません。

◇『まどか☆マギカ』の設定や世界観を借りたオリジナル舞台、別時代の世界くらいに思ってください。

◇リドリー・スコット監督『キングダム・オブ・ヘブン』がモチーフですが、内容はオリジナルです。
映画の中身と本作はぜんぜん異なります。主人公が聖地をめざすということくらいしかかぶってません。
もちろん作中にでてくる聖地もぜんぜん別物です。セリフの引用はあります。

◇このSS世界の文明レベルは、火薬の知識が一部の上位層にあるくらい、銃火器の技術はなし程度。
登場する魔法少女たちも銃火器レベルの武器は持たない。過去に栄えた文明があったことは一部の上層部しか
知らない、仮に知っても理解が追いつかない。

◇人名、言語など、無茶ぶりが多いと思います。ゆるい世界観です。ファンタジーくらいに思って大目に
みてください。

◇戦闘シーンなどでは、残酷な描写があります。

─────────────────────────────────────────

長いぞ、一言で言え。

「西暦3000年だけど中世ヨーロッパ風なオリキャラオリ舞台のまどか☆マギカSS」です!


では、この無茶振り世界のSSに付き合ってくださる方、続けてご一読ください。

32


バリトンの村人の墓がいくつかたてられたこの丘は、青白い冬の寒空の下、村はずれにあった。


山麓につながるこの丘の山道の、森の木々を覆う青葉に雪の白が残り、ひたひたと雪解けして透明の水滴を
土に浸す。



円奈は、道を戻る途中、自分の両親の墓は、たてようともしてくれなかったのに、他の村人のために墓をたてている
墓掘り職人にはちあわせた。

最近死んだというバリトンの若い女性を埋めるための穴をスコップで掘っているのであった。

ザクッ。ザクッ。


雪解け水で冷たく塗れた土を掘り起こす墓掘り職人たち傍らには、綺麗な女性が布に全身を包まれて墓穴に横たわって、
虚ろな目で冬空の灰色をみあげている。


「自殺者に弔いは許されないのに」

と、墓掘り職人は、いったんスコップ持つ手を休ませると言った。「俺たちが掘った墓に埋められる。理屈にあわない」


「悪魔は計算高いんです」

もう一人の墓掘り職人がいった。土を運び出すための一輪車がその傍らに置かれている。

「この女も悪魔に魂を?」

最初の墓掘り職人は、スコップ持つ手を再び動かすと、土を掘り続けた。

「さあどうだかな」



冷え込んだ会話を続ける二人を横目に、円奈が通り過ぎる。ちらっと布に包まれた女性を見たが、知らない人だった。

綺麗な女性だったが、その虚ろな瞳は乾ききっていた。


私の両親には、墓をたててもくれなかったのに……。


その冷たげな円奈の視線に気付いたのか、本人が去ったあとで、墓掘り職人たち二人が、バリトンの外れの少女の
陰口を叩き始めた。


「あの女こそ悪魔に魂うる女だ」

小さな声でこそこそ話しだしたが、その声は円奈の背中に届いていた。
            
いや、わざと円奈に、ぎりぎり聞こえるくらいの声で話しているのかもしれない。

「夜な夜な魔術の本を持ち出し、魔法を学んでる」

「墓掘りしなかった恨みでは?」

「だれが領主殺しの墓なんかたてられるか」

と、スコップ持った職人がすぐに答えた。「悪魔を呼び寄せる女だ」


背中に刺さる墓掘り職人達のそしり話を全部、耳に受け流した。

円奈は、聞こえないふりして去った。


そうして円奈がいなくなると、墓掘り職人たちも穴を十分な深さに掘った。

掘った墓穴に女を埋めようとした職人だったが…。



「待て、ひとつ忘れているぞ」

と、もう一人の職人、恐らく立場では親方であろうほうが、手下に命じた。


「自殺者だ、首を切れ」

と、親方は指示した。口から白い息とともに命令がくだされる。

「しかし、若い女ですよ」

若手が戸惑いをみせる。しかし親方は冷徹にも再び指示した。

「この世界が円環の理だろうとなんだろうと───自殺者は地獄いきだ」

反論を許さない厳しい口調で、あごで命じる。「切れ」

びゅううう───。

冬の風が冷えた空気を切る。

「なぜ自殺を?」

若者はまだ躊躇している。

だが、親方は冷淡に言った。「その女は娘を父に捨てられたのさ。そして自殺した」

「…」

手下はしぶしぶと、斬首用の斧を手にもった。布に包まれた、若い綺麗な女性の首筋を見つめる。


「斧はあとで戻せよ」

親方に命じられ、手下はすると───。


一呼吸をいれて。

死んだ女の首筋むけて、斧を思い切り振り落とした。

次回、第2話「バーニング・ザ・パスト」

第2話「バーニング・ザ・パスト」

33


墓掘り職人たちからの陰口から離れた鹿目円奈が、家に戻った。


石を積み上げた壁と、藁でおおった屋根の、古めかしい家は、幼少時代のときと変わらない。


そこに、誰もいないのも。



ぽつんと村の外れにある家。


はずれ者。



それが、生まれて物心ついた頃から自分に与えられた立場だった。



私はおこぼれで今まで生きていて、ろくに税も納めないのに、村人の顔して井戸を使い、水をもらって、
収穫された麦とパンをわけてもらって──。


幼少時代は分からなかった、バリトンの人たちの悪口や、冷たい視線の意味は、この年頃になると、
円奈にもだんだん分かってきていた。



古びた木の扉をあけて、円奈は家に入る。

扉の蝶番の錆びた音がキィと鳴る。

家の屋内は暗がりに満たされ、石壁は冷たく、暖炉の薪は湿って、毛布は使い古され破けていた。


中心におかれた木のテーブルには羊皮紙の本がいくつか置かれ、その横に溶けたろうそくが立っていた。


その本には目を当てずに、円奈は、部屋の片隅に寄せておいた、自分の弓矢を手に取った。


イチイの木材で作ったその手作り弓矢をとって、また外にでる。

ガシッ。



自分の身長くらいある、その弓矢を肩にとりつけ、白い手袋を嵌めると、その日の獲物を求めて狩りに出かける。

34


その夜。

冬の寒さに冷え込んだ辺境の地バリトンの夜に───。


一頭の黒い馬が、蹄の音を鳴らしてゆっくり歩いていた。その馬を操る者は、ただの人ではない。


”彼女”もまた、世界にもはや広く知られた魔法少女と呼ばれる存在の一人である。


その女は、正体を隠すように、全身をローブで覆い隠し、その顔も髪型も隠していた。

端から見れば暗いローブに身を包んだ亡霊が、冬の寒さのなかをぶらついているようで不気味である。


事実、そのローブに頭を覆い隠されては、顔も、その鼻までしか露にならないのである。

その鼻と口元だけでは、ローブに顔を隠したこの魔法少女が何者かなど、分かるはずもない。



その何者かを乗せた黒い馬が、目的地につくと、大人しく歩をとめた。

黒いローブの何者かが、手綱をひき、そして馬から降りる。そのとき、ファサァっと、長い黒髪がローブから垂れた。

というまも、その魔法少女がローブを外し、その顔を露にしたからである。



そのとき来栖椎奈──バリトンの領主──は、訪ね者の存在にまだ気付かず、この夜も領主としての仕事に
勤めていた。


この時代の村の領主の仕事というのは、例えば、役人が羊皮紙に書きとめた、農民の納税額のチェックであるとか、
その納税額と財政を頭に入れて、民のためにどれほど物資を供給できるか考え、また実行したり、他さまざまな、
農地開拓や農具開発、井戸修築の費用の認可をだしたりするといった、毎日お決まりの仕事であった。


民を魔獣の手から守る義務をおう領主たる魔法少女は、このような仕事もこなさなければならなかった。


椎奈はいままさに、ろうそくの灯かりで、羊皮紙に書き留められた記録を読んでいたのであるが、
ふっと疲れた目を休憩させるため、いちど天井に目をむけた。


首をあげ、こげ茶の瞳をパクチリさせる。


するとそのとき、外で吹き荒れた冬風が、隙間風となって部屋に入ってきた。

渦まきながらひゅーっと部屋の奥にいに入り込み、すると中のろうそくの火が一瞬消え入りそうになった。

ろうそくの火が激しくゆれ、ごうっと風にゆれる音をだし、照らされた部屋が一瞬だけ暗くなる。




もし、虫の知らせというものが本当にあるならば、間違いなくその屋内の変化は、ただならぬ来訪者を知らせる
ものであった。


というのも、その直後、トントンと、領主の扉を叩くノックがしたからだ。


「ふむ」

椎奈が鼻を鳴らして顎をつかみ、仕事を中断すると、席をたちドアを開いた。


カチャ。


蝶番の音鳴らして扉が開くと、外で吹き荒れる冬風と粉雪が猛威をふるっていた。


その冬風のなかローブをはかめかけてそこに立っているのは一人の影。


椎奈の前に立っていた訪問者は、この冬の夜のなか、黒い髪をゆらしていた。

その冬の冷たさにも劣らぬ、冷静な紫の目を領主に向け、ローブに隠した正体を全部、部屋の明かりの前に現す。


「よくぞ参られた」
                      
と、領主は訪問者に頭をさげると、礼をした。「暁美殿」



「ここは前と変わらず────」

訪問者は、領主の門の前で村を見回すと、小さな声で、そっと告げる。「平和なのね」


「では、エレム国は?」

椎奈は聞き返しながら、訪問者を部屋へ迎え入れた。

ローブを羽織ったほむらが中に入ると、カチャと扉が閉まる。


「あれから収集に応じた国の諸侯と兵が集まって───」

ほむらと椎奈は、互いにむかいあうテーブル席に座る。何本かのろうそくの火だけが、二人の間を照らす明かりになる。

「多くの援軍が集った」

意味ありげな視線で椎奈をみる。「五万と六千といったところかしら。あなたたちを抜きにしてね」

「なるべく円奈を連れ出すなと私にせがんだのはそなた自身ではないか」

椎奈が言うと。

「そうね」

冷たい雰囲気の訪問者は、やっとほずかに微笑んだ。「約束を守ってくれて、私は嬉しい」

鹿目の話題になるとこの”預言者”が、硬い表情を綻ばせることは、何年以上にもなる付き合いで、椎奈は知っていた。

とわなる世代を通じてその血筋を守り続けてきた。それがどれほど長いかは、領主は知りえない。

だがとにかく、円奈を、聖地争奪戦のような危険に巻き込まず、この平和で静かな村に、とどめて見守るよう、
椎奈はほむらと約束していた。

「だが、雪夢沙良も聖地奪還に本腰では?」

「それは私たちの問題」

ほむらがすぐにそう答えた。それから、話題を変えた。「あの子は?」

「すくすく育ってる」

椎奈が、わずかに微笑むと、答えたが、少しだけ寂しげな声も混じっていた。

「今日も狩りに出かけているのを見た」

ほむらが、少しだけ怪訝そうに眉を細めた。「狩り?」

「自分の農地をもてなくて、日々の生活を狩りで繋いでいるのだ」

「そう……」

声は悲しげだった。


「ずいぶんと弓も達者になった」

と、今の円奈を知る椎奈は、そう語る。「剣の扱いも覚えたし、矢は自分で作った」

「弓が達者、ね……」

ほむらはそう言いながら、懐かしそうな表情をした。まるで誰かを思い出すようだった。

「ほむら殿、円奈は……日に日に母の血を目覚めさせている」

椎奈は急に、重苦しい口調になってほむらに告げた。「私にはそう思える」



ほむらの紫色の冷たい目が、ただ話し相手を平静に見つめ続けている。

「自分の力で読み書きを覚え──魔法少女と魔獣の存在を自力で学習した。それだけではない」

聞いているほむらの目つきが、少し鋭く細くなる。

「”神の国”のことも本でもう知ったみたいだし───魔法の使い方を覚えようとしている」

椎奈のこげ茶色の瞳が、ほむらをまっすぐ見た。

「孫子呉子も暗記しているのだ。暁美殿。円奈をこの村に引き止めておくのも、限界が近いかもしれん」

「そういわないで」

すぐに本調子に戻ったほむらが、冷静そのものの口調で、言い返す。「エレム国にはもう十分の兵力が集まっている。
あなたたちはこれからも、収集がきたとしても応じる必要はない」

「ふむ」

すると椎奈は、顎を掴んだ。考えるような仕草のまま、問いかける。

「それで雪夢沙良に───勝てるのか?」


「さっきも言ったでしょ。それは私たちの問題。それにここは平和じゃない。
みすみす戦火に飛び込むこともないでしょうに」


話はもうおしまい、とばかりにほむらが席を立つと、ローブをまた頭にかぶった。長い黒髪が布のローブに隠れる。

そして扉開き、冬の夜へと出ようとする。

「まて。”預言者”よ」

去ろうとするほむらに、椎奈が、テーブルに座ったままで、呼び止めた。


「円奈に────会わなくてよいのか?」

そう、訪ねる。


「今はいいの」

ほむらは椎奈に背中を向けたままで答えた。ローブに隠れた表情からは、本人がどんな顔しているのかもわからない。

領主の家のそばに待たせておいた馬に、足を乗せて跨る。

「今回はあなたに話しにきただけだから」

「ふむ」

椎奈はまた顎をつかんだ。「円奈はそなたをみたら、喜ぶかもしれないのに?」


「それはきっと、いけないこと」

馬に跨り、背中を丸めたほむらの後ろ姿が、すこし寂しげであった。



が、彼女は、いつの間にやら覚えてしまったエレム国の言葉で、馬に命じた。「アイビムナン」


静かに、黒い馬はほむらを乗せて歩き出す。


椎奈が扉を半開きにしたままで見送るなか、訪問者はバリトンの冬の夜闇へと消えた。


すると椎奈は、雪の降る夜空をみあげた。

その頬に、白い雪が、ぽつぽつと落ちた。

35


暁美ほむらは、冬の粉雪が夜風にのって舞う森道を、一人で馬を歩かせ進んだ。

ここから神の国へ戻るまで、数ヶ月はかかるだろう。

ルートは覚えたにしても、安全に帰途につくためには幾重も回り道をしなければならない。



丘にさしかかり、山麓につくと、そこには墓があった。


白い月明かりに照らされた、墓石が。


墓石の前に不自然に盛り上がった土はまだやわらかく、そこだけ色が濃く、新しく埋められたばかりの痕跡で
あることを物語る。

恐らく今朝あたりにでも、墓歩掘り職人が死人を埋めたのであろう。

墓石に花がないのは、死人が、自殺者であることも物語っている。


その墓石の前を馬で通り過ぎるとき、ほむらは、ソウルジェムを嵌めた左手を胸元に寄せ、そっと目を閉じた。


”私が生まれたあの時代から────魔法少女の数はあれからずっと増えた。それだけより多くの希望が叶えられた”


胸の中で、死者を悼む。


”それだけたくさんの希望が叶えられるようになった時代なのに───あなたは希望に、見捨てられてしまったのね”



世界が組みかえられる前、ほむらがワルプルギスの夜と戦ったころの時代は、魔法少女の数も、今ほどは多くなかった。


むしろ人間のほうがずっと、多数派だった。


今では、魔法少女のいない町や村を世界中で見つけることすら困難だろう。



それだけ多くのソウルジェムが生み出され、希望が叶えられたはずなのに、この世界はまだ、悲しみと憎しみばかり
繰り返している。



自殺者の前で悼んだほむらは、そっと目を再び開けると、馬を進めた。



ところが、さらに馬を進め、森に囲まれた山道を進んでいると、不意に、ひとつの家に辿り着いた。


「あ…」


そこでやっとほむらが、しまったというように、目を見開く。


いや、こんな時間だ。寝静まっているだろう。


正体を隠したローブに顔も隠したまま、そっと馬で通り過ぎる。


だが、改めてあの子の家の前をこうして通ると、村から外されてぽつんとそこにあるのをこの目で見てしっまて、
どうしようもない感情が胸にこみあげてくる。


「あなたは今も、みんなの輪に入り込めず───取り柄を見い出せない自分に苦しんでいるの?」


つい、独り言のように、家のなかで寝静まっているであろうあの子に、問いかけてしまう。


「でも耐えて。私も生まれたときそうだった。あなたはあなたのままでいなさい。苦しくても、自分を変えよう
だなんて思ってはだめ」


相手が聞いているわけでもないのに、そう話しかけてしまう。

だが、だめだ。

いまここで会えば、私はあの母のときと同じ過ちをおかしてしまうだろう。


聖地で起こっていること。ほむらはそれを知っている。

魔法少女たちの救済である円環の理。一人の少女の犠牲によって創られた新しい宇宙の理。

それは、救済であるからこそ、多くの魔法少女たちに、聖地をめぐる狂気めいた争奪戦が起こる。


円環の理は悲しむだろう。全ての魔法少女の救済神が、その救済地をめぐり、殺し合う魔法少女たちをみたら。

だれが止めてくれるのだろう。だれが”聖地”に平和を打ち立ててくれるのだろう。

すべて、自分が、まどかのことを覚えているのは自分だけというのが、あまりにも悲しくて、
自分たちが救済され導かれてゆくのを、当然のように思っている魔法少女たちに、まどかの犠牲のことを知ってほしくて、
この国の土地でかつて一人の少女がかなえた奇跡のことを、円環の理の誕生の秘話のことを何百年も語り継いだせいだ。

西暦3000年、かつて見滝原と呼ばれていた土地は聖地になった。鹿目まどかの犠牲は、多くの魔法少女に知れ渡り、
伝説となったが、そこはついに、奪い合いの場所になった。神の国と呼び、その国に入れば、救済神の神秘を、
魂に感じ取れる、というのだ。

それは、ほむらにとっての、”葬るべき過去”ともいいたい、功罪だった。



「ん…」

そのとき、家の中で、毛布にくるまった円奈が、寝返りをうった。

夢の中で、なつかしい人物を見ていたからだ。


なつかしい…?


私になつかしい人なんて…いないのに。


「うう…?」

その感覚がなんだか不思議で、思わず目が覚める。


あ、そうだ、外で物音がしたんだった。


「誰かいるの?」

そっと、扉に手をかける。恐る恐る扉をあげる癖は昔から変わらない。夜にくる訪問者といえば、だいたいが、
嫌がらせの役人たちだったからだ。


だが、扉を開けると外に誰の影も見当たらなくて、しとしと降る雪粉が地面に落ちるだけであった。


そこに、誰の気配も、人影もない。


すでにほむらは、粉雪のふる森道の奥へ、去ったあとであった。



すれ違ってしまったこの二人が再会───いや、初対面を実現させるのは、神の国においてである。

36


その次の朝がきた。


雪覆う山巓の連なる山脈と山脈のあいだから、白い朝日の光が差してくる。

深緑が覆う山麓の森に積もった昨晩の雪は、解かされて透明な雪解けの水滴になってぽつぽつと落ちる。


チュンチュン…



丘の上に立った鹿目円奈の家を、日差しが山峡の下のバリトンの村よりも早く照らした。


晴れた冬空の日差しが家を照らすと、まるでそれを待っていたかのように、家から鹿目円奈が飛び出してくる。


「んー…」


思い切り羽のばすように、両手を思い切り高くして背筋も伸ばすと、朝の空気を思い切り吸い込んだ。

山峡から差し込んでくる日の光を存分に浴びて、満足そうに伸びをする。ピンク髪を存分に太陽に晒してみせる。


これが鹿目円奈の一日の始まりである。


相変わらず、一人だけのはじまり方だったけど。



天気がいいと、それだけでなんだか気分がうきうきして、今日こそは本当になにか、いいことがあるんじゃないかな
と期待してしまう。


「さて、と!」

この朝の儀式をすますと円奈はまた扉を通っていったん家に戻る。



自作の弓矢と、革ベルトを持ち出して、ついで手袋をしっかりと手にはめる。

するとまた外にでて、しっかりと一日のはじまりに装備を済ませるのである。


ベルトはチュニックを着た自分の腰にしっかり巻きつけ、そこにぶら下げた鞘に剣をしまい込む。


円奈の、自作の弓矢はロングボウといった。

1.2メートルという、身長ちかくもある大きなそれは、イチイ材でつくった木材の弓であった。

弓の弦は麻を結んだ。手ににぎる部分にも麻を巻いて、グリップをつくった。



鞘に納めた剣は、鋼鉄製であり素材は切れ味するどいものだったが、長さは50センチ程度しかない短剣だ。

円奈は、実際にこの剣を使うことは経験上、ほとんどなかった。けれどもこの世界は、どんな危険があるかも
分からないから、護身用として身に着けている。


これも、自分が狩りした動物との交換で、市場でやっと手に入れた武器である。


「よおぅし!」


と、元気づよく声だして、身長ちかくもある木の弓矢を手に、丘をくだって、村へいく。

一人でなら、そこへいきけるくらいの勇気は、もうもっていた。


村へ降りると、まず井戸へいって、桶を投げ入れると、パシャンと音がした水面から桶をつるべで吊り上げる。

滑車つきのつるべを一生懸命ひいて、水の溜まった桶をようやく手にとりだす。



「ん…」

ごく…ごく…と、喉の音ならして飲む円奈の朝一番の水は、一日において数回しかありつけない飲み水のうち
最初の一回である。


だが、円奈が桶から水を取り出した本当の目的は、飲むことではなかった。

桶の水をバケツへと移して、バケツに入れた水をそのまま村で持ちはこぶ。


さっそく山峡の農地にでかけていく村人達や、洗濯をはじめた女たちと目があったが、その険しい洗濯女たちの
視線のなかを進んで、円奈は、村の馬小屋へと向かう。


「よっと…」

バケツから水が漏れないように両手で持ち運ぶ。弓矢はこのとき、背中に取り付けられていた。


汲み上げられた水がバケツのなかでびちゃびちゃと揺れる。



それをこぼさないように馬小屋へ運び、円奈は、バケツを愛馬の前においた。

円奈の馬は厩舎の仕切られた中で一番奥の場所にいた。


どこの村でも同じで、ここバリトンも、農具をひかせたり荷車をひかせたり、あるいは移動のために馬を飼っていて、
円奈もその厩舎に自分の愛馬クフィーユをそこに飼っているのだ。



愛馬の前にたつとバケツをおき、仕切りを外した。


「クフィーユ、おはよ!」

と愛場に話かけ、さっそくバケツの水にタオルを浸して、身体を洗ってやる。「元気にしてた?」


少女に話しかけられた馬は、つぶらな瞳で鼻だけならし、バケツに頭をいれて水を飲んだ。


「あ、ちょっとまってよ、クフィーユ」

少女が少し慌てる。「洗うのが先だよ」


馬は水を飲みづつける。


「もー」

困ったように、ピンク髪の少女が唸った。「水がなくなっちゃうよー。私だって我慢したんだからね」

そんな馬の頭の茶毛を撫でてやりながら、水に浸したタオルで馬の身体を洗ってやる。



この時代の馬は、20世紀の言葉で言う競馬や、馬術の競技につかわれるような、立派な馬はなく、
もっと小柄であった。栄養が少ないためだ。どの草にカルシウムが多いとか、そんな知識は、失われていた。


だが逆にいえば、小さい馬が多かったからこそ、円奈をはじめ、多くの少女や魔法少女が、乗馬をものにしたのであった。



馬を洗ってやると円奈は、厩舎からクフィーユを手袋はめた手で手綱をひくと引き連れ、外にだすと、
ばっと勢いよく馬に乗り込む。馬具は高級品であったから、円奈には買えなかったが、轡以外は馬具なしで円奈は
馬を乗りこなした。


「今日もがんばろう!」


そういい、馬にまたがったピンク髪の少女は、元気よく言って、手綱にぎると、駆歩の合図を足でだして
馬を走らせた。


「いってきます!」

バリトンの村の番人にそう勝手に告げて、村の門を猛スピードでくぐって、勢いよく村から自然へと飛び出した。


駆け出した馬に乗る少女に挨拶され、そしてあっという間に草原のむこうへと馳せていった少女の後ろ姿を、
あっけにとらされた番人たちが見送った。


ところで、その背中を見ていたのは、番人だけではなかった。


腰に手をあて、しかめっ面で、すっかり成長した鹿目円奈の乗馬する姿を見ているのは、バリトンの少女騎士である。

五年前、一緒に市場に参加していた少女騎士は、いまは、少女騎士というよりかはいっぱしの騎士と称するのが
適切な、22歳の騎士になっていた。


一人前の騎士に成長した彼女は、希香(ののか)といった。


「椎奈さま!」


ふくれた顔で、彼女は領主の家にずかずか入り込む。「みましたか、ねえ!…あれ?」


希香がみると、領主は、椅子に座って腕組んだまま、寝息をたてていた。


「もう、おきてくださいよ、椎奈さま!」


椅子で寝息たてる領主の肩をゆさぶる。

「ぬう?」

来栖椎奈がわずかに唸って目を覚ますが、まだ寝ぼけたように目を細めていた。


「もう、椎奈さまったら、きいてください!」

そんな寝ぼけた領主の耳に、希香は懸命に、自分の主張を叩き込もうとする。「あの女ですよ、あの女!」


「どうした、なんだ」

問い返すが、しかし椎奈はまだ寝ぼけていた。「魔法少女の朝は遅い。後にしてくれないかな」

「そうもいきませんよ!」

肩をさらにゆさぶる。「あいつ、鹿目が、また狩りにでかけていったんですよ!」

「土地を持たぬ子だ。私は許可している」

椎奈がうとうとしたままでぼんやり答えると、対照的に、希香は声の音量をあげた。

「あなたが許可しても、隣の領主が許可していませんよっ!!」

と、激しくいきり立って、目をぎゅっと閉じて声高にがなる。「どうするんです、隣の領主の山のぶんまで、
狩りなんかしたら!むこうの領主は黙っていません!」

「ふむう…?」

目ぼけて焦点のまとまってない目をしたまま、ようやく椎奈が頭を回しはじめた。

腕くんだまま唸り、目をぱちくりさせ、意識を覚ます。

「どっちにいった?」

「キリトンのほう、メイ・ロンのほうですっ」

ようやく自分の意見を聞きいれてくれたらしい領主の反応に、やっと希香がぱっと顔をうれしそうにして、
いう。

「ささ、はやく、連れ戻しに?」

「仕方ないな」

リンネルの下着の服装のまま起き上がると、希香に目で扉を閉めさせるように合図し、すると、下着を脱いだ。

椎奈は生まれたままの姿になった。


「着替えを」

手早く部屋に立てかけられた羽毛のコートを着込み、その上からジャジャラ音のする鎖帷子を、希香に
よって着せられる。

「魔法少女が年取らないって───」

鎖帷子が着込みおえると、毛織物の上着を希香が羽織らせる。「本当なんですね」


と、あれから22歳の大人になったバリトンの騎士が、からかい気味にたずねる。


「私はジェムの長持ちのために怪しげな儀式する口でない」

鉄製の掛け台から、1メートルくらいはある、柄頭には赤い宝石を埋め込んだ鋼鉄の両刃剣を取り出し、
希香にベルトを腰に巻いてもらい、鞘に剣を納める。


扉をあけて外にでると、村の小屋と背景に広がる山々が目に入ってくる。


「夜の魔獣退治に───」

この短時間で武装姿になった椎奈は手袋を手にはめながら、希香を従えて馬小屋へとむかう。

「朝は領主同士の勢力均衡か」


馬を連れ出すと、ばっと乗り込む。「魔法少女は大変だな」


呟く口から漏れる息は、わずかに白い。

手綱を手に取り、腕と水平に保つ。


「魔法を授かったあなただからできることです」

希香が椎奈の呟きに口添えした。彼女もすでに馬に乗りこんでいた。



椎奈が馬を馳せて進み始めた方向に、希香も従ってついていく。


二人そろって進む馬の足の蹄が、地面を踏みつけ、そして、村の外へでる。


「いってらっしゃいませ、椎奈さま」

こんどは番人もちゃんと挨拶をした。槍もったままで領主の外出に頭下げて挨拶する。



領主の来栖椎奈でこそ知っていたが、番人の給料は、希香のような騎士よりかは遥かに低かった。

37



そのとき、キリトンとの境の山では────。


ババッ!


森の木々のなかを駆け抜け、獲物を追いかける円奈の姿があった。

何十本、何百本という森の木々が並び立つなかを猛スピードで馬を馳せ、獲物を追うのだ。


ちなみにこのとき、円奈が狙っているのは野生のウザキ二匹である。円奈と遭遇し、馬で追いかけられるや、
凄まじい速さで森のむこうへ逃げ去った。


「逃がさないぞ!」


と、円奈は馬を走らせ、二匹のウサギを追ったが、厳しい狩りになりそうなのはもうわかっていた。


「シチューしてやる!」


うさぎが、草むらのむこうに逃げ込んでしまうまでの一瞬の隙ねらって、円奈が弓矢を構える。


弓矢は、縦向きではなく水平に持って、狙いを定めた。小さい標的をねらうときは、この持ち方のほうが仕留めやすいのだ。


馬が全速力で駆けるその激しい動きに、弓で狙い定めるのが上下に揺さぶられる。

それでもタイミングみはからって、逃げるウサギの白い背中に番えた矢の先をあわせて────。

「とぉっ!」


ビュン!



円奈が馬上から弓を放った。

弦がしなり、一本の矢は、逃げるうさぎへまっすぐ飛んでいった。が、ウサギは飛ばされた矢があたる前に草むらへ身を投げ込んだ。


その直後、弓にはじき出された矢が草むらの枝にバチンとあたり、はじけ飛ぶ。折れた矢の軸が宙へ跳ね返った。



「逃がしたあ!」


悔しそうに、馬をとめると、首あげて喚呼した。「おしかったのに!」


それから、自分を元気づけるように、自分に声かげした。

「ううん、これからだよ、まどな、これからだ。次は外さないっ…!」


馬を降り、馬の轡をひいて、場所をうつした。


林をでると、それなりに高い崖にでた。そこからは、バリトンではなくキリトンの領地が見下ろせる。


遥か遠くに、かつて椎奈に市場につれていってもらった城が、とても小さく見える。


「調子はどうかな」

「あっ!」


不意にかけられた声に、おもわず円奈が目を丸くして、驚いた顔をした。その顔は、すぐに嬉しそうな顔つきに
かわっていった。

「椎奈さま!」

元気よく領主の名前をよぶ。それから、嬉しさは隠しきれてないまま、そっとたずねた。「どうして私のとこに?」


「ここは、メイ・ロンの山でなかったかな」

椎奈は優しげに微笑みながら、しかし指摘の言葉をつげた。


「うーん……私には境がよくわからなくて……」

頭に手をあて、目で空をみあげる。「メイ・ロンさんかぁ……お話したこともないけど…」


「自分の領地を荒らす者には厳しいお方だ」

と、椎奈は言った。

その後ろで、希香が、ぎしぎしと歯軋りして敵意ある目で円奈を見つめている。

「あ、荒らすだなんて、そんな!」

慌てて、両手をあげて、否定の意をしめす円奈。「私は、そんなじゃなくて、その…」


「教え存じよう」

椎奈がすると、鞘から赤い宝石の埋め込まれた剣を抜いた。1メートルもある鋼鉄の剣がギラリと光った。


「我らが領土とメイ・ロンの領土の境は───」

「う…」

魔法少女が鞘から剣を抜く動作をみて、思わず身構える。

「ここから──」

口で言いながら椎奈は、剣の先を土にめり込ませると、ザーーーっと剣で線を描いた。

崖っぷちからひいた線は、円奈の馬の、蹄の横を通り過ぎた。

「ここまで、といったところかな」

「ひええ…」

円奈が唸って、身じろく。あのメイ・ロンの領土のすぐ横の、ウサギを狩ろうという事実を知らされたのだから。

「あぶないところだったんだあ…」



「あなたさあ、なに?それ」

すると椎奈の後ろに付き添っていた希香が、訝しげに円奈の手に持たれている弓矢を指した。

「なに、それ、ロングボウでしょ?」


「そうだけど…」

椎奈と会話するときとはちがって、村の騎士と話すとき、急に不安げに顔を曇らせる。
胸元に手をあて、緊張してこわばった顔つきで相手に答える。

「なに、じゃああんた、馬上からロングボウ撃てんの?」

相手の神経を疑うような希香の驚愕の目が、円奈を見つめた。

「う、うん、そう……いっぱい、練習したんだよ」

自分で言ってることのすごさを、そんな自覚してない円奈とちがって、
希香は、おどろいて素っ頓狂な声をあげた。

「まじでか!」

「今日だって、これくらいは捕まえたんだから」

そういって円奈は、袋に入ったものをドサと落として見せた。


なかには、矢に射られた野鳥が、何匹か入っていた。



「矢の腕を随分あげたそうだな」

椎奈も少し驚いたような顔みらながら、そう問いかけた。


「うん、いっぱいいっぱい、練習、しました────その」

そこまで言うと、円奈は、急に顔を赤らめて、もじもじと恥ずかしそうに言った。「魔法少女ごっこで…」


「”魔法少女ごっこ”?」

椎奈がおかしそうに聞き返すと、その隣では、希香がぐっと笑いこみあげた顔を背けた。

とはいえ少なくても椎奈はその遊びを円奈がしていることは知っていた。


「もう遊び相手がいなくなったのでないのか?」

「うう…」

恥ずかしそうに俯く円奈がわずかに顔を動かして、そっと頷くと、言った。「だから、一人で矢を練習してたの……」


ところで魔法少女ごっこは何かというと。


これは、つい数年前までの、鹿目円奈の様子の回想である。

まだ、自分がもっと成長したら、魔法少女になれるに違いない!と信じて疑わなかった頃の回想だ。



「はぁーっ!!」

みたいな掛け声あげて、(円奈)が自分で効果音つけながら変身(のふり)をする。

ソウルジェムに似た丸い石を掲げて、「魔法少女・鹿目円奈、参上!」と叫ぶ。


そしたら剣なり枝なりを持って、相手の子とチャンバラごっこ。


ずっと昔からあったヒーローごっことほとんど変わりのない、ほほえましいくらいの子供らしい遊びだったのけれども。



どうもここバリトンの村では、それがいけないらしい。

”魔法少女の真似させるなんて、とんでもない!”


円奈の遊びに付き合わされた少女達の両親はそう叱り、円奈と遊ぶことを控えるようにした。


両親にとって、娘が魔法少女になることは、それはとめどめのないこの魔法世界の戦乱に巻き込まれて
いくことに他ならないのであり、そのことを自分の娘に願う両親はいなかった。


それに、村の親たちは、円奈の出生を知っていたから、それを知らぬ子供から、
円奈を遠ざけようともしていた。



だから円奈は、次第に遊び相手も失って、気付いたら一人ぼっちも同然の状態になった。


そんなこんなで遊び相手をなくした円奈は、しかしそれでも一人で魔法少女ごっこを続けて、気付いたら弓矢の腕が
上達していた。


見えない相手に一人でちゃんばらごっこするのも流石に飽きたので、円奈は弓矢を使い始めた。


頭の中で変身モードになると、(このとき、誰もいない森のなかで一人、魔法少女鹿目円奈、参上!と叫ぶ)弓矢を
取り出して、馬に跨って、馬を進めながら事前に用意していた的を射止めるという遊び。

いわゆるやぶさめ。

それを毎日のようにしていた円奈は、才能もあったのだろうか、弓矢の腕がどんどん上達し、時には空を飛ぶ
野鳥さえ射止めた。


そこで円奈は、私が魔法少女に変身するなら武器は弓矢だ!と確信したらしい。


それからも円奈は、魔法少女ごっこで弓矢を射るたび、「ぴゅー!」とか「ぴょーん!」とか自分で効果音つけて、
矢を放つことが多かったけれども、最近それが実は恥ずかしいことだと気付き、今は無言で弓矢を放った。

それでもたまに、「とぉーっ!」とか「とりゃぁーっ!」と掛け声あげるときはあったけど、それは集中力と
気合をいれる掛け声だ。


話をいまにもどそう。


「それにしても、まっさかロングボウをそこまでマスターしてたなんてねえ」

バリトン騎士・希香が、まだ驚きを隠せないといった様子で、珍しく円奈を褒めた。

珍しくどころか、初めてかもしれない。「それだったら、もう戦えるんじゃない?」


「たたか、える……?」

一瞬、何を言われたのか分からない、というように、呆然と繰り返した円奈だったが、だんだん、その意味を
頭で理解してきたらしく、希望に満ちたような顔になった。「私、戦えるの…?椎奈さまのおそばに?」


「希香、あまり円奈をその気にさせないでくれたまえよ」

「えぇ?」

領主の意外な反応に、妙な声だしてしまった。いつもこの、税さえろくに納めぬ半分流浪の身も同然のこの女に、
特別に目をかけてやる椎奈のことだから、ほめてやるぐらい大丈夫だと思ったのに。


「馬上から”長弓”射てるんですよ」

と、少女は続けて言った。「騎士になれます」



椎奈は目を瞑って、腕くむと、首をふる。「それだけではなれん」


そのとき、バサバサバサっ…という羽ばたく音とともに、森から一匹の野鳥が、木から飛び立った。

その野鳥の声を追って、椎奈と希香がなんとなく空をみあげる。


ただ一人、円奈だけが、別の動きをみせていた。


素早い動きで弓に矢を番え、ギギイと弦をしぼり弓を上向きにして。


ビュン!!

という弦のしなる音とともに、矢が空へ弾け飛んだ。


次の瞬間、椎奈と希香の二人がみたのは、青い空へ飛び立った野鳥が、その途中で、飛んできた矢に射抜かれて、
ドスンと足元に落ちてきた光景であった。


椎奈と希香が二人同時に首を下に落とす。その目線の先には、足元で、まだ羽をばたつかせもがいている鳥の姿があった。


「たしかに、随分と矢の腕をあげたようだ」

と、椎奈はぽつんと呟いた。



鳥は、ぎりぎりバリトン側の境界線の内側へと落ちた。

38


それから椎奈と希香は村へと戻ったが、円奈はまだ山に残った。


時刻は夕方になり、狩りを終えると、丘へと向かったのだ。



今日の収穫は野鳥がほとんどだったが、その獲物を袋につめ、持ち帰る途中、両親の墓のたてられた丘へ
立ち寄るのは、円奈の習慣だった。


撃ち終えた矢と、外した矢を回収しおえて、筒にしまうと、丘に戻ってくる。


手で持った袋には、矢に射られた鳥が数匹か、入っている。


その、鳥の死骸を入れた袋を引きずったまま、円奈は、丘から、夕方のバリトンの村を見下ろした。



山脈の下に連なる農地は、バリトンの民のものである。


農地はひろく、山の麓からずっと、ひろがっていた。


なのに、私には、農地を持つことも、許されなくて、こうして日々を食いしのいでる。


「……神の国」


ふと、夕日に照らされ山の麓が赤く染まってきたとき、ぽつりと、円奈が口にそうした。



それは、あの山のもっともっとむこうにあって、来栖椎奈をはじめとして、世界のすべての魔法少女のとっての、
聖地であり、救いの場所である国。


そこは魔法少女にとっての救いの国といわれる場所であるけれど、円奈には、まるでそこが、こんな自分の
境遇から救い出してくれる場所であるような気がした。


成長したら、魔法少女になれると思っていた。



魔法少女になれたら少なくとも自分の運命を変えられる気がして……。

そして、魔法少女になったら、きっと一度でいいから、神の国へ行くんだって、夢見てた。


あれから数年たって───。


それもこれも、全部、かないっこない夢なんだと、現実を知ることになった。



魔法を使えるようにはならなかったし、神の国へ行きたい────そんな夢さえ、叶わないんだと、知った。


夕日がおち、深い赤色に染まりつつあるバリトンの山麓を眺める。

その赤い空と、あかね色の雲を眺め、その遥か先にある神の国を夢見る。


そう────何も知らなかった、あの幼少時代とはもうちがう。

15歳にもなって、円奈は、この世界が、どういう社会の仕組みにあるのかを、バリトンで日々暮らすうちに、
分かってきていた。


腕がぎゅっと弓矢を握り締める。

真っ赤に燃え、山に隠れ日を失いつつある夕暮れの村を、見つめる。


そう、この世界は一言でいうと、封建社会。


農民は領主のために、一生その土地で働く。

それはつまり、生まれの領地に、一生縛り付けられることを意味する。

生まれの身分、生まれの土地、生まれの職業が、そのまま死ぬまで、継続される。変わることは絶対にない。



そういう仕組みの社会。

農民として生まれたなら、一生、農民のままだし、貴族として生まれれば、一生、貴族である。

生まれながらの身分が死ぬまでの身分を決定する。



そういう、社会の仕組みが、だんだんとわかってくるうち、鹿目円奈は、きっと自分も一生このままで、一生農地も
もてなくて、一生バリトンの領土に縛り付けられたまま、死ぬまでこの領土で生きるのだという現実を、思い知らされた。


なぜなら、それが封建社会というものだからだ。


広大な、赤い日差しの降りる山々を、目から頬に涙を溢れさせたままで、眺めつづける。

「うう…う…」


世界は、こんなに広くて、雄大なのに、私は、封建社会という法にしばられて、一生この地から出られない。

この小さな村に────、一生縛りつけられたまま。


神の国にいつか旅立つなんて、叶いもしない夢だ。


「ううう…」


そんな現実に時折たえきれなくなって、その度にこうして、円奈は、丘にきてたった一人で涙を呑んでいた。

「パパ…ママ……」


顔しらぬ両親の名をよんで、手で顔を覆う。


「うう……」


こんなにも雄大で、壮観を見せつけてくれる大自然の夕日の大空。そこを鳥が、自由に飛び回っている。

スーッと翼をはためかせ、空をものにして飛んでいく。バリトンの山岳をまっすぐに悠々と突っ切る。


山から山へ。そして、地平線の先まで目指すかのように、鳥は、自由を謳歌しながら夕日の向こうへ飛び去っていく。


「うう……う」


いっそう、自分の置かれた境遇が苦しくなってくる。鳥は、あんなに自由に、自然とともに世界へ旅立っていくのに、
私は、封建社会の世界に生まれ、ずっと生まれの領土で生きるのだ。



鳥は、山々と地平線に沈む大きな夕日へ、飛び立った。


「ごめんね……」

頬に涙伝ったままで、袋のなかの鳥の死骸たちに、そういった。


「私は……あなたたちを食べないと、生きられないの…」


その場で座り込み、ぎゅっと袋を掴み寄せる。

「とてもお腹がすいて……すごく苦しくなるの……」

ポタポタと、涙の雫が鳥の死骸はいった麻袋に落ちる。

「ごめんね……自由なあなたたちを……こんな自由のない私が奪っちゃって……ごめんね…」


それから麻袋に頬をつけて、抱きかかえると、そこに誰もいるわけでもないのに、円奈は、お願いした。

「連れてって……誰か私をここから連れてって……お願い……神の国に」

39


ある夜、事件が起こった。


それは、この時代における、もっとも重大かつもっとも許されない、あってはならない事件である。

人々はその事件のことを、”バーニング・ザ・パスト(葬るべき過去)”とよんだ。



ファラス地方を渡った、一人の女が、夜、誰も使わなくなった藁の屋根をした家屋で、真冬の寒さをしのいでいた。


その女は、人間であったが、魔法少女たちのあいたで、有名な女だった。

ファラス地方とは、バリトンに隣接する、広大な森林地帯で、国らしい国もない無政府地帯のことである。


女の髪は長く、背中まで伸びて、ピンク色だった。

だが、ピンク髪のいちぶいちぶには、白髪が混じっていた。歳はみたところ、30ほどなのに、まるで若き頃の波乱を
象徴するかのように。その髪は、リボンに結われていた。


そして、この女が、人しれず冬の寒さをしのいで旅の途中であることを、聞きつけた、一人の領主が、その藁の家に、
ずかずかとやってきた。


別の国の領主であり、魔法少女である。アリネという名前の領主だった。


「あんたが神の国の英雄だってな?」

勝手にあがりこむなり、にやにや笑って、あかりのない家に入り込むと、ピンク髪の女に言い寄る。

「その英雄がこんな辺境まできて何やってんだ?え?」 


女は無視した。寒さを凌ぐための、暖炉に火をつけた。暖炉の前で燃え立つ赤い火を、ただ見つめている。


「聞いてるよ」

しかし魔法少女が、じわりとその女の隣にすりよってくるなり、肩に手をおいた。

「神の国から追い出されたんだろ?」


女はまた無視した。暖炉の、薪の燃えつづける火をただ、冷たく見下ろしている。

バチバチ…薪の燃える音ならす、赤く燃える暖炉。


「は、無視か」

魔法少女はしつこくて、まだ意地悪く笑った。すると、暖炉を見つめる女の視界を邪魔するように目の前に立つ。

そして腰をわざと丸めて、つり目でニヤリと笑ってみせるや、相手の顔をじろじろ覗き込んだ。


「そーゆー面だったんだ、鹿目神無?」

と、腰に手をあてつつ、相手の名前をいちいち呼んでやる。

「いままで何人の魔法少女と人間を殺した?え?いってみろ。なあよ、どうして追い出されたんだ?」

顔を覗き込む魔法少女を、神無は無視した。その、冷たい薄紫色の目は、あくまで虚を見つめている。

「ち、英雄もいまや空っぽか」

魔法少女は舌打ちし、いったん身を引くと、神無のまわりを、ぐるぐると観察するように、回った。

「ん?」

そして、その魔法少女は、神無のピンク色と白髪の混ざった髪に結われた、赤いリボンに興味をもった。

がしと赤いリボンの結いだピンク髪を手ににぎる。


そのとき初めて、鹿目神無が動いた。

ギロリと薄紫色の目で、魔法少女を見る。「さわるな」


「よこせよ」

と、魔法少女はさらに赤いリボンを強くにぎり、奪い取ろうとした。「私のもんだ」


神無は薄紫の目を見開いて魔法少女を睨んだ。「さわるなといったんだ」リボンに手をかける魔法少女の腕を弾く。


「人間のくせに───」

すると魔法少女も、腕に力をこめた。ぎしぎしとピンク髪がひっぱられ、リボンがのびる。

「魔法少女に逆らうのか?」


「うわああああっ!」

鹿目神無はとつぜん、大声あげた。相手の魔法少女の首をつかみ、壁へおしやると、すばやく、魔法少女の指に
はまった指輪に手をかけた。


「なにを───」

神無はドンと魔法少女の腹をけった。そして押し倒した。魔法少女はころんだ。どてっと倒れたところを足で
踏みつぶし、たてなくすると、指輪にかけた手に力をこめて、奪いとろうとする。


「やめろ!」

相手が、自分の弱点を知っていることに気付いた魔法少女が、急に青ざめて懸命に抵抗した。指輪を奪いとられまい
と踏ん張る。


が、また胸を足でドンとけられ、床に叩きつけられると、その反動でスポンと指輪がはずれ、相手に奪い取られた。


「かえせ!」

魔法少女が、取り返そうと、鹿目神無の背中にとびついたのと、鹿目神無が────。


その指輪を、暖炉の火に投げ込むのとは、同時であった。


「う、うわああああ!!!」

すると、次の瞬間おこったのは、ぼうぼうと炎に燃える魔法少女の悲鳴であった。


鹿目神無の背中にとびついたまま、突然からだが、自然発火する。


「あああああ゛あ゛あ゛!」


火に燃えてもがく魔法少女の背中をふりはらい、すると神無は、冷たい薄紫の目で、じっと、燃える魔法少女を、
見下ろし続けた。


死ぬまで。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛アアア゛!」

火はさらに明るく燃え広がり、魔法少女の体を焼き焙る。

焦げる人体の匂いが部屋を満たし、鼻をつき、神無は思わず袖の布で鼻を覆う。



黒い煙に覆われ、もがいてももがいてもまだまだ火が身体からでてくる魔法少女は、顔も腕も火に包まれながら、
懸命に、あがいたが、身体は燃える一方であった。


火の中で荒れ狂う魔法少女と火のめらめらが、遠くで見下ろす神無の暗い瞳にも映る。


そしてついに力つきて、バタリと床に倒れ込むと、ついに火はやんだ。


燃えた身体はもう動かず、目は開かれたまま、二度と動かなかった。



そのとき暖炉のなかの指輪も、火に焼かれる熱さに耐え切れないというように、ピシと真っ二つに割れた。



鹿目神無はすぐに家を出た。ロシナンテとなづけた馬に乗り、殺してしまった領主から、追っ手がくるより前に
逃げ出る。



そして彼女は、その領土を抜けると、ついに、初めてバリトンと呼ばれる地へ足を踏み入れたのである。


ひとつ山を越えた林道を、神無は身にやけどをおったまま馬を走らせる。



まだ夜の暗闇が濃い、冷えた薄明かりの林道。


山道をこえ、山麓に降りると、霧のたちこめた林の朝霧の先に、一人の人影だ立っていた。


女の人影だった。


薄明かりに浮かぶ影は、おぼろげで見えづらい。

だが私を待ち受けていたらしい。



「私を殺しに?」

と、ロシナンテに乗った鹿目神無は、人影むけて、言った。「そう簡単にとれる命と思うな」


「まさか、神の国を────」

すると人影は、ゆっくり歩を動かし、落ち葉踏みながら前に進み出てきた。その姿が霧の影からあらわれる。

「幾度となく救った英雄の命を狙うなど?」

茶髪のストレート髪を背中まで伸ばし、こげ茶色の目で来訪者を迎えるは、来栖椎奈。17年前の姿である。


「ならここを通せ」

鹿目神無はすぐ命令した。険しい、傷ついた目が、雪のつぶにあてがられながら、殺意とともに相手を見つめる。

「私は行かねばならぬ」


「行くか、どちらに?」

椎奈は身をどけ、行く先の道をあけつつ、問いかけた。「こんな時代です。魔法少女殺しの罪は重いですぞ。その罪
背負いながら、どこにいくってんです?」


道をゆずる動作を見せながらも、至言を相手にぶつける。「どこいこうともあなたは罪人。行き先の目当てが?」


「…」

神無はしばしだまっていたが、じっくりと目で相手の領主を観察した。

やけどし傷ついた手を、袖でかばいながら、ゆっくり話し出す。「私はアンタらの殺し方を知っている」


「そうであろう」

バリトンの領主は相手のぶつけてくる殺意にも動じなかった。「あなたの逸話はこの辺境の地の耳にも届いております。
あなたは葉月レナの下に戦い、人間の身でありながら───」


神無は薄紫色の目で、まだ険しい、敵意ある目線で相手をじっと観察し続けている。頭に結ばれたリボンは、
雪に降られてぽつぽつ白くなった。


「この時代の戦争をモノにしたお方だ」


「もう昔のことだ」

神無が言うと、口からは冷たい白い息が漏れた。希望をすっかり失くした、空しいものを見つめるような青い目が、
そっと視線をあげて、椎奈の顔を見る。

「子がいる」


相手の腹に子が宿っていると知ると、椎奈は、そっと小さくおじぎした。

おじぎしたあと、再び相手を見つめ、口を開いてこう告げた。

「私の領土に、前にレプラに侵されていた者の家屋がある。もう使われなくなった家屋だが、
誰も住み着かないまま残されている。村からも離されている家だが、あなたは住める」


神無はすぐには答えず、しばらくバリトンの領主を見つめ続けていた。絶望の冷たい目で。

しばらく、そのまま見続けるままであったが、神無は相手のほうへ、じっくりそっと、馬を進めだした。

馬が大人しく神無の命令に従って足を進める。

朝霧こめる林道のなか、神無の馬が静かに進む。



馬でゆっくり椎奈に接近しながら、神無は言葉を口に紡ぎだしてくる。


「私をそこに住まわせることでどんな”因果”が───」


傷つき、冷えて赤く張れた目が馬上から領主を見下ろす。


「あなたの領土にふりかかろうとも?」


ロシナンテの蹄を進め、領主の隣に並ぶ。

「数多の魔法少女の死と私に殺された人間どもの魂が───」

椎奈も、すぐ横に並んできた”英雄”の果てた姿を見上げる。

馬上から自分を見下ろす姿は、薄暗がりで顔はよくみえなかったが、影かたちだけでも、かつての英雄の風格を感じ取った。

「あなたの領土に呪いを生み出そうとも?」


「呪いと戦うのが魔法少女だ」

と、椎奈は、恐れることなく、答えるのであった。

「神の国の王、葉月レナの右腕であったあなたに示したい私の敬意を、受け取ってはくれないかな」



明け方の薄暗い林道で、二人がじっと視線を交わし、対峙する。



その沈黙がしばし流れたあとで、神無がゆっくり目を閉じると、言った。

「あんたみたいな領主を探していた」

そう口にし、目を開くと、コクッ…とわずかに馬上で頭をさげた。「ありがとう」


40


結局、鹿目神無が警告したように、あの夜おこった事件は、三年後、もっと大きな事件として、バリトンを襲う
ことになった。


その事件は、バリトンの人々にとっても、”バーニング・ザ・パスト(葬るべき過去)”となった。




そうともしらず、あれから、椎奈から神無が許可されて住まう家、村から外された家に、鹿目円奈が生まれた。


バリトンの村人たちは、よそで”領主(魔法少女)殺し”をした罪人が、呪われたレプラの家に住み着いた
として、たいそう不気味がった。


村人は、その女とは農地を耕そうともしなかった。罪人と農地を共有したくはなかった。

鹿目神無は、農地をもつことなく、暮らした。



すくなくとも事件が起こるその日までは、この家にかくまわれて、神無は、無事に円奈を育てた。


人々は、鹿目神無の素性とか、世界の聖地・神の国のことは、まったく知る由もなしの農民であったので、なぜあの女を
この村にかくまったのかと、民はよく椎奈に問い詰めたが、ここ近年は、収穫が右肩アガリだったので、
適当に言を左右すれば、民も不満を次第に忘れた。



だが、円奈が二歳から三歳になり、やっと母親をママと生まれて初めて口で呼ぶくらいになったころ、事件がおきた。


「キロフの領主、稀々(きき)アンナだよー」

予告もなくよそからやってきたその領主は、金髪のショートカットでそろった前髪、真っ黒な小さくて丸い瞳を
した、小顔の、いや歳じたいが小さな、子供も子供の魔法少女であった。

間抜けた声で自己紹介し、バリトンにやってきた。


あどけなさ残る幼い見た目に似合った甲高い声、夢見る子のようにきぃきぃ響く。馬も、たいそう小さかった。

「でむかえたまえよ!」

甲高い声で、けたけたと、手を叩きながらまくしたてる。



来栖椎奈はすでに、この領主が、バリトンに悪さをしにきたということはわかっていた。


神無がここにかくまわれていることが、この三年で、とうとう突き止められたのだった。



「なんの御用かな」

すでに武装も整えている椎奈は、びっくりするほど小柄な、馬に跨った魔法少女を見あげた。

なるほど、領主になってから数年ぽっちの魔法少女だ。


「なんの御用、そりゃ、おみぃ、決まってるぞよ!」

と、金髪の小さな子どもは、きぃきぃ黄色い声で、まくしたてた。

魔法少女のうしろでは、すでに武装した異国の近衛兵や、兵士たちが、戦闘態勢にある。


「おみーらの村にかくまわれている女、鹿目神無は、私の姉を殺した。さあさあ、あいつの首を、我に、差し出したまえよ!」


「覚えのない話だ」

椎奈はそう言って、金髪の子どもに、じりっと歩みよった。馬上の魔法少女の前に歩みでると、剣納めた鞘を
手につかみ、相手を睨みあげた。

「ここにそんな人間はいない。わたしの土地に悪さするつもりなら、ここで殺してせんじよう」


「おお、恐い!」

馬上の金髪の魔法少女は、目を丸くした。ちっちゃな黒い瞳が、びっくりしてさらに小さくなる。

「うーぬぬぬっぬ!、あなたは、ここの領主!こよは、引き上げせにゃ!」

金切り声はりあげ、すると金髪の少女は馬の手綱をあやつり、馬の轡の方向を転じさせた。
すると異国の魔法少女は背をむけ、馬を走らせて、きた道を去っゆく。


ババババ…

金髪の幼い魔法少女が、腕ふりあげ仲間にも合図した。異国の騎士たちはそれしたがって、
彼女のあとについて、林のむこうへと姿を消していった。



完全にやつらが消えるまで、椎奈は手に握った剣の柄をつかんだままでいた。

そうして異国の騎士たちの気配が消えると。



ふっと息ついて、剣の柄を放し、自らもクルリと身を翻した。

そのまま村に戻ろうとした、そのとき。


「ハインリッヒ!伏せろ!」


バリトンの村の誰かが叫び、次の瞬間、村の守備隊がその胸を矢に射られた。

「うゴゥッ─…」

胸を矢で貫かれた守備隊が、うめき声あげ、倒れる。



今度は、椎奈の隣にいた少女騎士が矢に撃たれた。腹に矢をうけ、少女は落馬して倒れた。

倒れた少女の腹には、羽つきの矢が立っている。

「うぐっ…!」

あれよあれよと、矢が次々に飛んできては、バリトンの騎士と守備隊たちが矢に撃たれ、続々と死んだ。

バタッ…バタっ…と。

バリトンに死者が増える。


二人目の少女騎士も矢に撃たれた。

少女の首に矢が刺さる。

グサっと音がすると血が飛び散り、少女の首を矢が貫通した。少女騎士は目を白くして武器手放し、馬から落ちた。


椎奈がはっとして見ると、あの魔法少女が去ったのとは別方角の林影から、異国の弓使いの集団が、弓矢をこちらにむけて、
撃ってきていた。


バシュ!バシュ!

彼らは無造作に弓をひきしぼり、バリトンへ向けては放つ動作を繰り返している。


さらに後ろをふりむくと、農地のほうがすでに侵略されていた。

何十人という武装した異国の者たちが、手にたいまつを持って、勝手に農地に入り込んで民家を荒らし、
武器もたぬ農民を襲っている。


「最初から話しあう気などなかったのはどちらも同じか」

椎奈はそういうと、矢の嵐ふりそぞくなか馬にまたがって、生き残った騎士たちに命じた。

「やつらを追い払い、民を守れ!」


おおおおおっと、掛け声あげた手下の騎士たちは、次々に、鞘から剣を抜いて、馬を走らせる。


ふり注ぐ矢は、農家や民家の木の壁に、続々と突き刺さった。

41


そのとき鹿目神無はすでに騒ぎに気付いていた。

農民が慌てふためき、叫び声あげながら逃げさるのと、村の守備隊たちが急ぎ足で武器を手に取り、
村の道を走っていくのをみれば、何が起こったのかはわかる。


三年前に殺した領主の復讐にきたのだ。


屋内で窓の格子から外の様子を見た神無は、すばやく鉄の閂鍵をかけ、それから部屋の中で泣き叫ぶ円奈の声を
おさえようとした。

「さあ、泣き止め」

と、神無は、円奈を抱きしめ、そっと声をかけた。「泣き止め。私の子だろ、勇気をだせ。恐くなんかないんだ」

泣き叫ぶ娘の口を、乳をのむ口にすりかえようと、胸に抱き寄せた。

このとき神無は、農村の産婆に、まだ三歳の円奈に食べ物をどう自分で食べさせるか、教わっていた最中だった。


いっぽう、農地では、侵略者たちがたいまつの火をふりかざし、逃げまどうバリトンの農民に、
襲い掛かっていた。

時代の常であったが、足の遅い女子供から、犠牲になった。


異国の侵略者たちは、逃げ遅れた女や子供をとっつかまえるや、はっ倒すと、地面に押さえつけ、剣で
刺し殺した。


「あぐぁう!」

倒れ伏した女の悲鳴が口からあがる。

背に突き立てられた剣が抜かれると、びゅーっと鮮血があふれ出た。



「さあさあ、やれやれ!」

と、異国の略奪者たちに、声高に指示しているのは、異国の小さな幼き領主、魔法少女の、稀々アンナであった。


すでにソウルジェムの力を解き放ち、変身姿になっていた。

彼女は、刃物が三日月の形した槍を振りかざし、青いマントの衣装で馬を進め、
略奪者たちとともに農地を荒らした。


逃げ惑っていたバリトンの一人の女が、侵略者においつかれ、その背中を後ろから剣でばっさと斬られた。

斜めむきに背中を裂かれ、鮮血飛び散らせながら、女がぶったおれる。


「うわぉう!」


稀々アンナが女の血をみて黄色い歓声をあげた。

そして、その苦痛にもがく女の背中に、自分が三日月槍でとどめをさした。


グサ。

女の背中に三日月槍の刃物が馬上から食い込む。女の身体が痙攣した。


「あはぁ!」

血がさらに飛び散り、空気中に跳ね飛ぶのを、魔法少女は興奮の目で見下ろした。その頬にも赤い点々が付着した。


魔法少女は新たな獲物を見定めるためにきょろきょろ目を走らせながら、自国の兵士たちにむかって告げた。


「こいつらは、嘘つきだ!」

血で染まった三日月槍を振り回しながら、幼い領主は、大声で言った。

周りで武器持たぬ農民をつかまえては首を斬っている手下たちを、さらに煽り立てる。

「嘘つきは、どろぼうのはじまりだ。どろぼうってのは、殺していいやつらだ。」

黄色い声でそうのたまい、馬を進める。

「うばいとったぶんは、ぜんぶぜんぶ、おまえたちのモノにしていいぞよ!早いものがちや!」

おおおおっと、侵略者達は嬉々として興奮の雄たけびあげ、ますます、バリトンの農民へ突き立てる剣の勢いが、
激しくなった。



「やい、おまえたち!」

稀々アンナが甲高い黄色い声あげると、自国の少女騎士たちを呼び寄せた。

この時代、魔法少女が領主となって支配してるとき、近衛兵も、身の回りの世話を含めた役割を担う少女で
あることが多かった。


「我は鹿目神無を探すぞ。この手で神の国の英雄に死を与えるのだ。我についてこよ!」

異国の少女騎士たちは稀々アンナに従い、マントをはためかせながら魔法少女について馬を馳せた。


武器もたぬバリトンの村人たちは必死に、おいかけてくる残酷な侵略者たちの剣から逃げ惑っていた。

わーきゃーと、恐怖の声を喚く。

農地を逃げ去り、我先にと、村の柵門を通って、村へ入ろうとする。


しかしそこで待ち受けていたのは、村の側にすでに陣とっていた、異国の侵略者の弓使いたちであった。



弓使いたちは藁葺き屋根の上に布陣していた。

弓使いたちはそろって矢を番える。ギギイと弦がしぼられる。


「撃て!」

シュババババ!

何十もの弓の弦がしなって、まっすぐこっちに矢が落ちてくる。


「うぐ!」「あがっ!」

錐のようにとがった矢が農民たちに襲い掛かる。


雨のように降ってきた矢じりに、農民たちが次々に射られ、血の嵐になった。

弓使いが目で狙い定め、矢を放つ。それらは着実に農民達を仕留めていく。羽つきの矢が農民の体に命中する。

バタリバタリと農民たちは倒れ、その数を減らしていく。




点々と転がる仲間たちの死体を、遅れてやってきた農民たちが、それでも懸命に逃げようとして踏み越える。



「そら、外すなよ!」

と、追ってやってきた魔法少女が嬉々として叫んだ。「女子供は特に、とろくて、あてやすいんだ!」



ようやくバリトン側の騎士たちが救援にやって来た。

数十人の騎士たちは、馬の蹄の音を鳴らしながらぞろぞろと、農民達を救うべくまっすぐ突進してくる。


「ややや、やっときた!」

黄色い声あげ、三日月の刃をした槍もった魔法少女が、ぱっと顔を明るくしてバリトンの騎士たちをみた。


騎士たちの先頭には、来栖椎奈が、馬を走らせこちらに走ってきている。


「勇敢だが、ばかだの、あいつらは!」

すでに侵略者たちは村人の家に勝手にあがり込み、松明の火をなかに投げ込んでいる。
木でできた民家は、すぐに燃え広がり、もくもくと煙があがった。



「さあさあ、うっておしまえっ!」

ばっと手をふりあげ、魔法少女が合図した。

黄色い号令が轟き、すると屋根上の弓使いたちがクルリと向きをかえた。

椎奈ら騎士たちに狙いさだめ、同時に数十本以上にもなる矢を放った。


弓使いたちの弦が矢を弾く。

構え持った弓から矢が飛ぶ。


矢の数々は空を舞い、ひゅーと飛ぶんだ。やがて、来栖椎奈らの騎兵軍団に注ぐ。


「うぐぁう!」

バリトン騎士の一人が頭を矢に貫かれて、盾と剣手放してドテと頭から落馬した。鋼鉄の剣が手放され、
地面に落ちる音がキーンと鳴り轟いた。


「ふせげ!」

椎奈は騎士たちに指示し、自らも盾で身を守った。

騎士たちも盾を持ち上げ頭を守った。空から注ぐ矢が、その盾の数々に、矢がザク、ザクと突き立った。

バキッ!

落ちてきた矢の何本かは、貫通して、盾の裏面にまで鏃を覘かせた。

「あぅっ──ッ!」

盾と盾の隙間に降ってきた矢が、一人のバリトン騎士の防具の膝に刺さった。その痛みで彼はどてんと落馬してしまう。


「ほわぁあ!」

金髪の魔法少女が口と目を丸くあけて、黄色い声をだす。

まるで戦いを楽しみ、相手に感心の意を示しているがごとくだ。



「みんな、殺しておしまいよ!」

と、手下の侵略者たちに命令し、自らも、馬を進め、椎奈たちにせまった。血に濡れた三日月槍の刃を前につきだす。



わあああああっと、50数人にもなる侵略者たちが、村の中心部へと、殺到してきた。野蛮な男の侵略者どもは、
それぞれ刃の削れた剣や、弓矢や、斧などを手に、バリトンへ突っ走ってくる。




「迎え撃て!」

椎奈も手に持った剣を前に突き出し、進軍の合図だすと────。


その前に、一人の馬に乗った女が、村の家々の間からでてきた。


激突する両陣営の間に、横から現れた女は、馬をしずかに歩かせる。両陣の激突を邪魔するかのように、
一人だけで立ちふさがった。


「ロシナンテ」

と、女は、自分の馬に声をかけた。「すっかり衰えたな。おまえも歳か」

老いた馬の、頭の毛をそっと何度も撫でてやる。

「運命を共にすると────」


両陣営の視線を集めるなか、女は、馬をもう一度撫でてやる。「約束しただろう?」



「やい、でたな、鹿目神無!」

三日月槍の先をばっと女むけて突き出して、稀々アンナは甲高い声で叫んだ。

「姉のかたきを、とってやる!」



「鹿目殿、そなたは人間の身。戦える歳ではないはずだ」

来栖椎奈も、驚いた顔で神無を見た。というのも、胸に、なにかよからぬ不安を覚えたためである。

「どうしてでてきたのだ?」



神無は、それには答えず、無言のまま、ロシナンテをてくてく歩かせると、椎奈のもとにゆっくりと寄ってきた。

薄紫の目は、もう覚悟に決まっている。


「三年間世話になった」

と、彼女は言った。ピンクと白髪の混ざった頭に結ばれた、赤いリボンを、するとしゅるりと解いた。

馬がブルッと首をゆすり、ヒィンと鳴いた。

「もし娘が、この村をこのようにした”因果”を背負うようなときになったら───」

解かれた赤のリボンは、はらりと、椎奈の手に落ちる。

「そのときに、娘に渡せ」


とだけ言い残し、また馬の手綱を操って身を再び翻らせると、こんどはアンナのほうに向き直った。

一本の、剣を鞘から抜く。ギィィン。剣の抜く音が空気に響く。


「何を考えている」

椎奈は、神無が敵陣へたった一人馬を進める背中を見つめ、そして叫んだ。「変な気起こすのはよせ!」


神無は無視して、馬を進めた。


「円奈はどうなる!」

椎奈はまた叫び、引きとめようとした。けれどもなぜか、自分の足が動かせなかった。

「そなたがいなくなって────誰が円奈のそばにいてあげられる!円奈は───、一人になってしまう!」


「私は負けん」

神無は小さくそう呟いた。


すると一人だけで、50と数人はいる弓使いと剣もった男と、そして変身した魔法少女の並び立つ侵略者たちの
前にでた。


「私と一騎打ちしろ」

今にも倒れそうな、老いたへろへろ馬に跨った、30も過ぎた女のその言葉に、侵略者たちがげらげら笑った。


そんな中で、神無の素性を知っている魔法少女・稀々アンナだけが、きぃっと睨み、真剣な顔つきをして相手をみた。

「おまえが勝ったら───」

神無は一本の剣をアンナへ向ける。その剣先は、天の光を浴びて光の筋を反射した。

「私の首を持ち帰るがいい」


稀々アンナの目つきが、さらに険しくなる。姉の仇を、じろりと睨む。


「だが私が勝てば、その野蛮なやつらともどもここから帰れ」

とまで条件をのべて、相手を一騎打ちに誘い込む。


「ふん、面白い、受けたとうぞ!」

アンナは、憎むべき相手の挑戦にのり、すぐ返事をした。

神無の老いた馬とはちがい、まだ若くて元気たっぷりな馬が、農村の井戸路でヒヒンと前足を振り上げさせる。

馬が雄々しく前足の蹄ふりあげ、仰け反った。そして自分は三日月の槍をばっと天むけて突きあげる。


おおおおおっ。

侵略者どもの歓声と喝采が、魔法少女・稀々アンナを包み込む。


「やってしまってくださいな、アンナさま!」

と、口々に侵略者どもが、自分達の領主に、声援をおくる。「あなたは、美しく、かつ強い、おかただ!」


「覚悟をお決め?さればされ、いまに、その首、とってやる!」

血のついた三日月槍をぶんぶん振り回す魔法少女。青いマントがその反動ではためく。

「まあ、待て」

すると神無は、剣は片手にぶら下げたままで、ある提案をした。


すっかりもう戦う気マンマンでいたアンナが、突然の敵の提案に面食らった。「にあぁ?」


「あんたは”魔法少女”で私は”人間”」

と、神無は言った。

「ならせめて、その魔法の変身を解き、魔法なしで私と戦え。それでこそ一騎打ちではないか?」


「あぁ…?」

妙な声を喉からくぅとならした魔法少女だったが、やがて相手のいいたいことを飲み込んだらしく、
ぽんと手をたたいた。

「にゃあるほど。確かに、そうかもだ」

すると魔法少女は、三日月槍を振り回す手をとめて、何の警戒もなしに、額の月型をしたソウルジェムに
手をかけると、目を瞑り変身を解いた。


「しね!」

その瞬間をねらって、神無が馬上から剣をぶんと投げ捨てた。


剣は空中でくるくる回転しながら一直線にとび───。

まだ変身も解除中の魔法少女の、浮き彫りになったソウルジェムに当たって、次の瞬間バリンと大きな音がなって、
金色のガラスの破片のようなものが地面に飛び散った。


バシュ!


裂けた金色のソウルジェムがびかっと光を放って電撃が迸った。その黄色い電撃が裂いた剣の火に焼け付く。
空気中に金色の炎が迸る。魂が一瞬で蒸発した刹那の光景であった。


かと思えば、まだ変身の解除中で魔法衣装も半分くらい残っているアンナが、目から生気をすっかり失って
糸失った人形のように、ドスンと落馬し、ピクリとも動かなくなった。


ソウルジェムを失った魔法少女の虚ろな瞳は、まだ開かれている。
しかし、グタリとしたまま死んだように動かない。電池切れたように。


「私の勝ちだ」

神無はいい、すると、手綱たぐって馬のむきを翻すと、死んだアンナに背をむけ、バリトン側へ戻ってきた。

しかしそれが、鹿目神無、この神の国の戦いを数々生き抜いてきた彼女の、最期の言葉となったのである。


「卑怯だ!」

と、侵略者たちはいきり立ち、騒ぎ立った。

そして一騎打ちの前に交わされた約束も違えて、弓矢を屋根上から次々に飛ばしてきたのである。「殺しちまえ!」


その矢の何本かが、神無の背中に刺さった。

「う…」

ロシナンテと共に、矢に射られ、落馬し転倒する。
バタリ。馬からおち、仰向けになって天をみあげる。


「神無!」

椎奈が驚愕に目を見開いて叫び、そして、部下の騎士たちに、突撃を命じた。「進め!」


おおおおお─────っ。

侵略者たちも、バリトンの騎士たちも、互いが互いめがけて、一気に突進した。


激突すると、大混戦になった。


バリトンの騎士たちは、馬上から剣をふるって、地面走る侵略者の顔に剣を突き立て、馬で蹴飛ばし、
撃退する。

剣を顔にうけた侵略者は悲鳴あげ、手で顔面を覆った。

他の侵略者たちは、バリトンの騎士によって、その口に槍を突っ込まれた。喉を貫通した槍が後頭部から突き出た。



屋根上の弓使いたちも、バリトン側の弓兵たちの反撃によって次々に射抜かれ、屋根から転げて地面へと落ちた。

「あぎゃあ!」

矢に胸を撃たれ、弓使いは、傾斜のある藁の屋根を、死体となってぐるぐる転げ落ちる。


何分後、侵略者たちがその全てが殲滅された。


包囲され、逃げ場をなくし、馬に踏み潰されるか、騎兵の剣に胸を突かれるなどして、だいたいが、死んだ。

わずかに生き残った者も、投降することなく、首を切り落とされたり、脳天を剣に真っ二つに裂かれたりし、
死体となってバリトンの村にバタバタと倒れ死骸となった。


そして悲劇の一日は終わった。

しかし、この仇討ちを名目にした侵略行為によって、バリトンの村では、二十人以上もの犠牲者がでた。

42


その夜、葬儀が執り行われた。

椎奈たちは命を失った農民や、騎士たちを集め、布に巻き、穴をほっていれると、死体に火につけた。

そのなかには鹿目神無もふくまれた。


英雄は旅立った。

あの戦闘が終わったあと、椎奈は矢を受けた鹿目神無を、肩に寄せて抱き起こした。

「…」

神無は、四本の矢を背中に受けたままぐったり倒れ、椎奈が抱き起こしても、もう目を閉じたまま二度と動かなかった。

その口元から、乾いた血をたらしたまま。


そして彼女の馬ロシナンテも、矢を受け、もともと老いていたこともあり、神無とともに、天へ旅立った。


布に巻かれた死体たちの葬儀。


死体の数は20人以上もいた。
穴に向き揃えて整列させられた死体に燃え上がる火も、まるで火の海のごとく、大きく燃え広がった。


その火の海を見つめながら、来栖椎奈は、自分もたいまつを持って、夜の寒さを熱する火の海の前に、立っていた。

そのたいまつ持ちながら見下ろすのは、布に包まれた鹿目神無の死体だ。


「そなたは娘をおいて旅立った」

と、椎奈は呟いた。「だが最期まで気高かった」


そう餞別の言葉を継げると、右手のたいまつを神無の死体に投げ込む。

神無は布に包まれたなかで、彼女がアンナを討った最期の剣を胸に抱いて眠った。

この剣は、神無はデュランダルとなづけていた。


その燃えてゆく布を見つめ、それから、神無と一緒になって連なり、燃やされる20人の死体を眺めた。


連なる死体の燃える海から、火の粉が夜風にのって飛ぶ。

ぼうっとそれを虚ろな目で眺める椎奈の目にも火の粉が映る。


村人たちはそれぞれ、死体を燃やす火の海を取り囲むように並び、今日の死者への餞別を涙とともに心に告げていた。

死者の残された家族の涙ぐむ悲しみの声が、葬儀の火を包み込む。


「今日のこの悲劇は」

と、椎奈は神無の死体が完全に燃えるのを見届けるや、村人達むけて、宣言した。

「この火とともに”葬られるべき過去”として──決別された」


死者とも、今日の過去とも、こうして別れを告げる。

この宣言は、鹿目神無がこの村に持ち込んだ因果との決別を暗に、意味していた。


そこに、親を失って一人ぼっちになってしまった子・幼い円奈が残っていようとも。

まだ三歳の彼女は、椎奈の足をぎゅっと手に掴んで、じっと炎を見つめている。かわいそうに、この子は、母親の顔も
ほとんど知らぬまま、一人だけ取り残された。


”あなたの因果は確かにあなたの手によって断ち切られた”


椎奈は神無に心で告げる。
そして足元で呆然と、無表情に火を見つめる、悲運の少女の後生の面倒をみることを母に誓った。



しかし、椎奈が、因果は確かに断ち切られたと考え、またそう宣言したとしても────。

村人達は、まるで別の黒い感情を、鹿目の一族に根深くもつようになった。


結局、隣国で領主(魔法少女)殺しの罪を犯し、そのうえこの村に転がり込んで勝手に住み着いたせいで、
私たちはこれだけの仲間を失ったのだと────。


そういう負の因果が───逃れられぬ悲運の連鎖のように──。




葬られたはずの過去は、忘れられぬ過去として、なんの罪もない円奈へと重くのしかかりはじめる。



「あいつを追い出しましょう」

ある日、税取立ての役人が、椎奈むけてそう進言した。

自宅で、領主としての仕事のひとつである、井戸改修の費用に認可をだすための羊皮紙に目を通している
最中のことであった。


「あいつ?」

と、椎奈は羊皮紙を手にしながら、きき返した。

「あの、領主殺しの鹿目という娘!」

役人は憎たらしさいっぱいの口ぶりで、領主へそう提言するのだった。その喋る口は、憎しみに醜く歪んでいる。

「まだあのレプラの家に、住み着いておる!追放せねば!」



「その過去はもう葬り去ったはずだ」

椎奈は相手の進言を突っぱね、羊皮紙に目を通し続ける。

だが……。



「来栖よ、民は、そうは考えておりませんぞ」

すると役人は、椎奈に抗弁してきた。

静かな、しかし意地の汚い声で、そっと椎奈に囁きかけはじめる。

「あの女の、娘がまだこの村にいると知られれば、また悲劇が起こるかもしれない」

役人の意地悪さに感づいた椎奈が羊皮紙を読む目をとめ、視線をあげると役人をみあげた。

「あなたもそうお考えでは?」


「あの子に罪はない」

厳しい目つきで役人を睨み、椎奈は言った。「また侵入されることがあれば、追い出す」

役人を睨みつけたままで念押しする。

「不当な仕打ちは許さない」


役人はするともう何も言わず、反論もしなかった。無言でゆっくりと礼をし、領主の家をあとにしたが───。

たしかに椎奈はそのとき、役人の目が怪しい復讐心に光っているのを見た。



「納めろ」

役人たちは、椎奈には内密で、村の外れのレプラ患者のいた家に住む、幼い少女の家に容赦なく上がりこみ、
嫌がらせを繰り返していた。


「やめて!」

力もない、抵抗もできない、幼き少女が、なすすべなく、泣いている。「もってかないで!」


家のパンも、部屋の暖炉の薪や火種も、食器もろうそくも、生活に必要な日用品を、次々に没収して持ち帰った。

「ここに住むなら税を納めるんだ」

役人たちはそういいながら、二人か三人がかりで、円奈の住む家を荒らし、手当たり次第備品を持ち帰った。


「うう…うう…」

食べ物も日用品も持ってかれた円奈は、光の一筋もない真っ暗な部屋で、餓えにくるしみながら夜の寒さのなかで、
ずっと一人で泣いていた。


「ううう…」


少女は、ずっと泣き続けた。

一人ぼっちの家のなかで。


こうして円奈は育ち、15歳になった。

43


来栖椎奈はその日、いつもの日課である領主の仕事をおえ、目を休ませた。

すっかり過去の瞑想にひたってしまっていたらしい。


気付けば、日も沈み、真夜中の時間帯に突入していた。


「あれから12年か」


葬られた過去から、12年。だが12年たっても、バリトンの民の、鹿目の血筋への憎しみはまだ癒えない。


そんな苦しい悲運と戦いながらも、円奈は、育った。


農地をもてなくても、自分で狩りをし、自分で食べて生きることができるようになった。


自作の弓矢で、野鳥さえ射る実力も、なかなかたいした成長だ。



だが、円奈ももう、気付き始めているだろう。

椎奈は心のなかで考える。



彼女の悲運が、いつか乗り越えれば終わるようなものではなく……

降り注ぐ冷たい雨はいつか晴れるというものではなく……


この世界が、封建社会という、民を領地に縛り付けるシステムで成り立っているかぎり…


円奈自身の境遇は、ずっと続くものだということに…。



だから円奈はたびたび、神の国のことを、口にするのだ。少なくとも椎奈にはそう思えていた。

魔法少女にとっての救いの場所といわれるそこを、きっと自分も救い出してくれる場所なんだと、そんな希望を
みいだしているのかもしれない。


”椎奈さま、わたし、神の国にいきたい”


あるとき、円奈は、いつもそう口にした。


”ねえ椎奈さま、わたしを、神の国に、連れてって──”



「いやな予感がする」

椎奈は一人で呟いた。

いつか本当に、円奈が、神の国をめざして、ここバリトンを発ってしまうのではないか───。

外の世界が、どんな危険と残酷さに満ちているのかも知らずに。


そんな予感がした。



部屋のテーブルに立てられたろうそくの火は、また隙間風にふかれて、乱れた。

次回、第3話「旅立ち」

44


椎奈の感じていた予感は、当たってしまうことになる。


それも、その日のうちに。




その日捕まえた鳥を焼いて、食べた円奈は、ひとり、家のなかで、市場でやっとの思いで買い取った本を読んでいた。


テーブルにろうそくを一本たて、火をつけた。ろうそくがすっかり溶けてなくなってしまうまでの時間に、できるだけ
たくさんのページを読む。


その本は、円奈に、決定的な決意を、与えてしまうような内容に、触れてしまっていた。


「白い妖精…」


本読みながら、円奈は、そっと口に漏らした。


「”20になるまでの女の前に現れる”」


無我夢中になって読む本を、思わず口にして読み上げる。


「”白い妖精に願いを告げることで魔法を授かる”」


本を下におき、円奈は、顔を見上げて考えた。「魔法少女って、そうしてなるんだ……」



その事実が判明すれば、もう考えることはひとつ。


どうすればその白い妖精に会えるかというただひとつのことだけである。


「きっと私にだって……私にだって…」

夢中になって、本のページをまくる。

ろうそくの火が、ろうをどんどん溶かして、どんどん短くなる。

私は、どうしてもかなえてほしい、願いがある。

私自身を救い出してくれる願いが。


きっとかなえてくれる。


だが本には、けっきょく、若い女の前にとづせん現れるとあるだけで、どうすれば会えるのかなんてことには、
まるで触れられていなかった。


「そんな…」


絶望したような声が円奈から漏れる。「私、みたことないよ…そんな妖精…」


しかし、どうしても自分を変えたいと思っていた円奈だから。

そんな簡単なことで諦められるものでなかった。


「そうだ…」


そして、諦められないからこそ、ちょっと考えれば分かる矛盾にも目を瞑って、希望をみいだしそれにすがってしまう
のであった。


「白い妖精はきっと、ここには住んでいないんだ……」


きっと、ここバリトンではなく、他の国になら。隣の国でもいい。この領土でないどこかなら、白い妖精が
住んでいて、そこでなら、会えるかもしれない。


そんな希望を胸の中にふくりだし、それは風船のごとくふくらみ、そして……


弾けた。


いま自分がしようとしていることが、どんなにいけないことだということも、考えが及ばなくなって。

白い妖精を探しにいくために。


村を領主の許可なくはなれ、他国の土地に許可なく入るという───。


封建社会における最大の禁忌を侵しに、円奈は、人々が寝静まった夜に家を飛び出した。



自分も魔法少女になれるんだと、希望を胸に信じて。

45

満月の夜だった。


黒い雲の筋が満月の一部を隠しているが、月夜に照らされたバリトンの寝静まった村は明るく、
青白い月光に照らさていた。



こっそく厩舎に走った円奈は、クフィーユを小屋からだした。愛馬は眠っていたが、主人がくると、匂いでおきた。


「私ときて、お願い」

円奈はそう、愛馬に語りかけた。馬は主人のために、大人しくついてきた。

轡の綱に引かれるまま、真夜中の外へでる。

「きっと外の世界なら、私も魔法少女になれるんだ」


そういいながら、馬に跨った。

月夜の照らす山脈と山脈のあいだ、大自然に挟まれたこの村から、まだ自分が足の踏み入れたことのない
方角へといっきに馬を馳せる。


魔法少女になる。それが円奈にとって、自分の境遇を救い出してくれる最後に残された希望だった。


「きっと───!」

それは、山を越えない、ひたすら農地とは逆の方向の標高さがる地平線へ、突っ走る方角だった。

「むこうの世界になら、妖精に会えるから…!」


未知の世界。


バリトンの村に生まれて15年、踏み入れたことのない他国へと、円奈は馬とともに走る。



馬で草原を駆け抜ける、体にあたるむかい風が心地よい。


月夜に照らされた若葉色の草原は踊るようで、夜風にふかれてざざーと波立つ。


この風に乗って、バリトンの村は、どんどん背のうしろへと、離れていった。


これまでの村でのつらい嫌がらせの思い出も、ぜんぶ遠ざかっていくみたいで、
信じられないくらいの開放感に満ち溢れた。


その開放感に包まれながら、円奈はついに封土からはなれて外の世界へと飛び出した。

生まれてはじめてのことであった。

46

それから何時間ほどたっただろうか。


ふるさとを思い立ちで飛び立った円奈は、まだ見ぬ道の世界の冒険に、そして苦しい現実からの逃避に、夢中になって、
馬と共に走り続けていた。



初めて不安を感じたのは、バリトンの領土からはすでに離れすぎてしまった頃である。


「あ…あれ…?」


気付いたら、当然のことではあるが、知らない場所にきていた。


「ここ……どこ?」


深い深い森のなかに、気がついたら入り込んでしまっていた。さっきまで見えていた空は森の木々と枝葉に覆われ、
隠されていた。


森のわずかな隙間から降りる月光の筋が、漏れて地上を照らすくらいしか、明かりらしいものはない。


土の地面は根がたくさん飛び出ていて、でこぼことしていた。雪解け水をすってその土も冷たく湿っている。

ふっときた道を振り返る。


きた道も、深く深く木々に囲まれていて、暗くて、どの道たどってきたのか、さっぱり分からない。

ひょんな思い立ちで禁忌をおかし、果ては迷子になってしまった。


「…道、わかんなくなっちゃった……」


円奈は、放心したように、呟いた。

そう、子供心にふるさとを飛び出し、生まれてはじめて異国の土地をふんだ冒険心に駆られるままに道を突き進んだ
彼女は、幼い子供がよくするみたいに、迷子になってしまったのであった。


ただ、普通の子供は、好奇心にのせられたまま知らない土地へ飛び出そうとする子供を、迷子になるからと
とめてくれる親がいるものである。


だが円奈にはいなかった。



もちろん道らしい道など、ない。未知の異国の土地の森へ、まっすぐ迷い込んでしまったのだった。



円奈は馬を降りた。

根っこだらけの土を踏み、クフィーユつれて、とにかく今は、なんとなく、森から月明かりの漏れる光の筋をめざした。

森のなかで一部そこだけ明るくなっているのが、せめてもの救いである気がした。


月光の筋が森の天井からそっと降りている真下にくると、円奈の顔も月明かりに青白く照らされた。


その場で顔をみあげる。

夜空の黒い雲の上で煌く青白い満月がみえた。



ああ、知らない国にきても、月は、まったく同じようにみえるんだ────。ただ、そう思った。


もし月にいきたい───そう白い妖精に願ったら、魔法少女になって、月にいけるのかな。

そんな夢を思い描く。


「わたし……」


たった一人で真夜中の知らぬ土地の森に迷い込んで、円奈はぼんやりと囁く。

「そっか……わたし……」

まわりを見渡すと、みたこともないほど大きな岩が、切り立つように並んで、森に急斜面をつくったりしていた。

もう帰れないという事実が、しだいに心にしみこんでくる。


「このまま、死んじゃう…のかな……」


そんな自分の死を口にだしたあとで、不思議なことに、それもいいかもと、思ってしまった。


だって、自分は村に少しも、必要とされない人間だから。


でも、ならせめて、さいごに。




すううう。

円奈は、息を吸い込んだ。


吸い込むと、胸にためこんだそれを、声とともにだす。


「私にっ…魔法をくださいっ…!」

誰もいない森、たった一人で月影に照らされる円奈が、森にむかって、願った。


「妖精さんっ…!」

音のない、夜の森閑の静けさにむけて、きっと妖精が聞き届けてくれると信じて、言葉にして願う。


「私に……魔法をくださいっ……!」


願えば、かなえてくれる。

そう、本に、書いてあったから。


近くで、川の流れる水の音がきこえた。


「お願いです……妖精さん………私に……私に、魔法をくださいっ…!」


何の音もしない。

きこえるのは円奈自身の声だけ。


「私……魔法少女に……魔法少女になりたいんですっ……!だから……」


自分の声が涙ぐんできているのがわかる。

でも円奈は、どうして涙ぐんでるのかがわからなかった。


「だからっ…!私に魔法をくださいっ……!お願いですから……!」


目から勝手に粒が溢れてきた。


「私に……魔法を……くださいっ……!ううっ……!」


願いは、聞き届けられない。

一人で迷い込んでしまって、戻れなくなって、誰もいない森で懸命に願いつづける少女の声を聞き届ける者は、
いなかった。


「妖精さん……お願い……私のまえにきて……ううう…」


ついに円奈は力なく、土の地面に膝おとし、座り込むと、目で顔を覆ってしまった。



「どうしてなの……どうしてだれも……私の願いをきいてくれないの………」


泣き込んでしまった少女の隣に、クフィーユがそりよってきて、主人の顔に頬をよせた。


「私もうダメみたい」


すりよってきたクフィーユの頭なでながら、円奈は、言った。


「椎奈さまの許可なく出てきちゃった。もう、戻れない。魔法も、使えないみたい…」


そして彼女はついに、本当に、生きる気力を、ついに失くしてしまった。

ところで、気力の弱った人間をつけねらって、精力を奪い取りにくる獣が、この世界には存在していた。

47


そのとき来栖椎奈はバリトンの草原で、馬に乗っていた。

嫌な予感は、じぶんが手にした魔法の剣の反応を見て、的中したことを知った。


椎奈の、魔法少女として持った剣は、いまその両刃の部分が青白く光っており、その反応の意味は、魔法少女の敵に
対するソウルジェムの反応のそれと同じ意味を持っている。


彼女はすると、馬の手綱をとり、駆歩の合図をした。

「急げ」

よく鍛錬された馬は、その主人の声がけだけで、全速力で草原を駆け出した。

夜空に浮かぶ満月は地平線へと傾きはじめ、目の錯覚で巨大にも見える月の影の前を、椎奈の馬が走った。



そのとき、鹿目円奈は、迷い込んでしまった知らぬ国の森の真ん中で、大きな岩に身を寄せていた。

少女の目は閉ざされ、希望を失って、そのまま死を待つかのようですらあった。

馬と一緒に、死を待っている。



頬にはまだ濡れた感触が残っていたが、円奈はふこうともせず、尻餅ついて岩に寄りかかったまま、
一人で歌を歌った。


「”私の心はハイランドにあり”」


目を閉ざしたまま、死を待ちながら、幼少時代に覚えた昔の時代の歌を、口ずさんで歌う。

自分の絶望にのせて。まるで送別の歌のように。


「”私の心はここにはなく”」

「”ハイランドにあって鹿を追う”」


それが誰もきいていないのは、円奈ももう、わかっていた。

ただ、自分のために、小さな、消え入ってしまいそうな声で囁き、歌っていた。


どうしてかは分からない。大好きな、詩だった。


「”野の鹿を追いつつ 牡鹿に従いつつ”」

「”私の心はハイランドにあり”」

「”いついかなるときも”」


今にして思えば、封建社会に縛られ、いつも同じ土地で毎日のように疎まれてきた自分にとって、
その現実から解き放ってくれる詩だったから好きになったのかも、と思った。



「”いざさらば ハイランドよ”」

「”いざさらば 北の国よ”」


歌を歌い終わると、不思議なことが起こった。

真夜中の森のはずなのに、まるで天の光明が差したように、ふわっと、白く明るくなたのである。


わずかな隙間から差し込んでいた夜の月光は何倍もの明るさになって、
ものの数秒で朝にすっかりすり変わってしまった。


「……え?」


身体が不思議な暖かさとぬくもりに包まれる。

朝日の白い木漏れ日が、カーテンのように森に舞い降りて、光の筋を幾重にもヴェールのようにして森を照らす。



白い光が森に漏れると同時に木々の葉が緑に溢れてゆれる。


通常ありえない光景に、思わず目を疑い、円奈は起き上がった。


「……妖精、さん……?」


胸が不思議な魅惑にとらわれる。馬が警戒の蹄の音をならして、暴れていたが、円奈はそれに気付かず、
一歩また一歩、白い森へと進み出る。


「妖精さん、いるの……?」


キラキラとした光のヴェールへ足を踏み入れる。

「私の願いをききいれてくれるの……?」


馬が尚も暴れて、円奈に危険を伝えようとするが、円奈は蜜に誘われるように、ふらふらと光に身を寄せた。


ぱあああ…

眩いばかりの光に包まれ、立っていたのは、森に並び立つ木々より高い背をした、ヒマティオンを着た人影であった。




来栖椎奈は草原を馬で走りぬけ、自国の領土をでると、他国の森へと入った。


バッサバッサ。

草木をふみつける音、木々の葉をかきわける音が、椎奈の耳をつんざく。


片手で手綱を操り、鞘におさめた剣をピンと指ではじいて剣身をわずかに出す。

青白い刃の光は、ますます強さを増している。


「急げ!」


再度馬に命じると、椎奈の馬は森を猛スピードで突き抜けた。くねくねした木々の間を器用に左右に走りながら、
突き出た根っこを飛び越え、湿った土を蹄が踏んづけると走り抜ける。



一匹のふくろうが、駿足で森を駆け抜ける椎奈と馬の姿を、枝木から首をまわしながら見下ろした。




円奈は、目前に現れた、木々より高いヒマティオンの白衣をきた人影をみあげた。

その顔はぼんやり口があけられていて、表情はピカピカ四角い虹色の光に覆われていた。



魔獣を生まれて初めてその目にして─────円奈が最初に思ったのは、神秘、というイメージだった。

人間の身である彼女が、すでに結界にとらわれて、ろくな理性判断を失っているからなのかもしれないが───


その魔獣という、存在そのものが、神による作り物かなにかとして地上に降り立ったなにかに、思えた。

そしてどうしてか、その魔獣が、もっとその奥深くで、もっと過去か別次元な世界との因果がつながっている、
特別な存在であるかのように、思った。


円奈は、目の前の巨大な人影が、魔獣、であることとは気がついてもいない。


どこか”懐かしさ”すら感じさせるその存在に、目を奪われているだけ。


「あなたが……」

と、魔獣むけて、自分より数十倍も背丈があるその白い影むけて、円奈は話かける。


「あなたが………私の願いを聞き届けてくれるの……?」


だが白い人影は光のオーラを放ったままで、円奈には答えをださなかった。かわりに、その存在は、結界に迷い込んだ
人間に、魔術をかけることにしたのである。

結界のなかの景色がかわる。白い糸がのびる。


すると円奈は、魔獣の魔術によって、記憶の奥底に封じられた、”葬られるべき過去”の幻惑へ、
精神を落とされたのである。


「あ……ああ……」

途端にそのピンク色の瞳が虚ろになって、見える光景すべてが変化していく。

森は村へとかわった。水面に映された光景のように、ゆらゆらゆらぐそのイメージの中で、村が……燃えている。


その村は、円奈もよくしっているはずの、ふるさとであった。

そのふるさとが………燃えている。


見たこともない、異国の男たちが、たいまつの火を容赦なく民家に投げ込んで、燃やしている。

家が燃え、火がたちこめ、煙のたちこめる家から脱出してきた農民の家族を、待ち受けていたかのように侵略者たちがつかまえ、
剣でその横腹を刺す。


剣が突き通った箇所から真っ赤な血が滴る。


農地では、50人とも60人ともあろう侵略者の野蛮な軍団が、斧をふるい、女たちの背中に斧を振り落とし、
ゴッと斧で背を切り裂いた。血が飛び散り、女はあまりの痛さに顔をゆがめてうめき声をあげて膝ついた。
その女の頭を、斧がかちわった。顔は血だらけになった。


侵略集団から逃れ、生き残った農民たちは村へと逃げ惑う。その農民たちを、弓使いの矢が屋根上から次々に
射抜いている。

バス、バスッ。

農民たちの頭上に矢が降りかかる。

矢の尖った鏃の錐に、首を貫かれた農民の男は、首から血を垂らしながら喉仏にささった矢を抜こうとしている。

生き残りの農民達はこうして胸に次々に矢を受けて、一人また一人、順に倒れゆく。


「あああ……ああっ…!」


あまりの光景に、目を震わせて怯える円奈の脳裏に、とめどめなく”葬られた過去”の記憶は鮮明に蘇る。


ピンク髪の女が馬にのっていた。金髪の、青いマントを羽織った幼い魔法少女相手に、一騎打ちを申し入れている。

「私が勝てば侵略者ともどもここから帰れ」女はいっている。「私とお前の一騎打ちだ」


その女も矢に射られ、落馬した。すると見えたのは、来栖椎奈の背中だった。騎士たちを従え、侵略者を撃退しにいく。


夜、犠牲者となった無実の民の死体を火にたいて焼いていた。

火の海となって、燃やされる死体を囲んで見ている人々のなかに、自分がいた。まだ物心もつかぬころの自分が。


「あの女のせいだ」

バリトンの民は、口々に、自分たちを襲った惨劇のことを、あの女のせいと言い合った。「あの鹿目って女のせいだ」



「わたし……?」


目を覆いたくなるような惨劇の下、自分の名が噂されているのを耳にして、円奈がききかえした。「わたしのせい……?」


「そうだ」

バリトンの村人たちは、隣同士の人と、口で噂しあった。「あの鹿目って女さえ、こなければ、こんなことには……」



村人の恐さに、自分の名前を罵る言葉に、怯えて、涙する。


「そうだ、あの鹿目ってやつのせいだ…」


村人達の、罵る口は、とまらない。


「あいつを追い出すべきだ。そうだ、あいつの娘がいる。おいださないと、また敵がやってくるぞ…」


「やめて……そんなこといわないで……!」


幻惑にとりつかれる。


不幸の記憶をさぐりあてた魔獣は、負の感情を吸い取るこの存在は、十分に少女の暗い一面を引き出すと、
いよいよ生気を吸い取りはじめた。


糸に絡みつかれたまま円奈は、がくんと土の湿った地面に膝つき、がくんと首をたれる。


「……もう…いやだよ………。もう……このまま生きてくなんて…」


すっかり魔獣に意識をとらわれ、そんなことまで口からでる。目から生気が消える。



するとそこへ、森の暗闇の奥から馬が現れた。

クフィーユではなかった。


大きな剣を振りかざし、猛然と魔獣と円奈の間に割って入った、変身姿になった来栖椎奈の乗る馬であった。


「円奈よ、そなたが思い悩めば私は何度でも言おう」


自分の目前に立ちはだかる、人の負の感情を食い物にする魔獣を、椎奈は見上げる。

すると剣をふりあげる。


「そなたに罪はない。そなたの命には意味があるのだ」


青白い剣が、魔獣へむけられる。


「こんな獣にはやれん」


そして巨大な人影を、一斬り、真っ二つへ裂いた。

ヒマティオンの布をまとった魔獣のイメージはかげろい、ゆらゆらとして消える。

白く煌いたオーラめいた森の幻惑は消え、もとの暗闇の森にもどった。


森閑とした真夜中の森が姿をとりもどす。


森の天井から降りる月光の輪が、椎奈と気絶した円奈の二人だけを照らしていた。

取り残された二人にあてるスポットライトかのように。


その月明かりに照らされたまま、椎奈は気絶した円奈の肩を持って抱き起こした。

48


円奈は、そっと目を開けた。

「うう…?」

彼女は見知らぬ部屋のベッドに寝かしつけられていた。毛布が体を包んでいる。

力なく見開いたピンク色の目が、まず見たのは、来栖椎奈の背中であった。


「椎奈……さま……?」

自分でも驚くくらい弱った、消え入りそうな声が、喉からでる。


椎奈は暖炉を見つめていた。ここは椎奈の家屋であった。


円奈が目が覚めたとしると、椎奈はふりかえって、円奈をみた。

「そなたは魔獣に命をねらわれていた」

と、彼女はいった。「人の心につけいる魔物だ」


「そっか……私は、魔獣に襲われてたんだね……」

と、円奈は小さく笑うと、枯れた喉から声をしぼりだした。

「妖精さんじゃ、なかったんだ………」


「妖精?」

椎奈が、目をまるめ、聞き返した。


「私の願い……きいてくれる妖精さん」

と、円奈は、小さく笑うまま、枯れた声で続けた。「私を魔法少女にしてくれるって……思った…」


椎奈は鼻でふむと息ついた。契約の妖精、か。

「それで村をでて、あんなところに?」


「ごめんなさい…」

円奈は目を閉じ、領主に、許されない行為のことを謝る言葉を口にした。「勝手に出ちゃって、ごめんなさい……」


椎奈は何もいわず、毛布にくるまれたまま背を丸めた円奈の言葉を聞いている。


「私……みたの」

と、円奈は、弱りきった声を喉からしぼりだし、話した。

「燃えるバリトンの村を……みんなみんな殺されるのを……」

弱りきった、顔色の悪い彼女の顔が、ふるふる震えだす。

「…」

無言で、椎奈は弱った少女を見守る。魔獣によって、”葬られた過去”の記憶を掘り起こされたのだろう。

そこをはけ口に円奈の心を喰らいにいったに違いない。



「私のせいだったの……?」

「違う」

椎奈はすぐ言った。


「わたしがここにいるせいで……。みんな、わたしのせいだっていってた……う……」


円奈の声に嗚咽がまじってくる。


「それなのに椎奈さまは……私も……ママも……守ってくれていたんだね……」


椎奈は顔を落とした。過去を思い出したからだ。「私はお前の母を救えなかった」


「ううん……違うよ…椎奈さま」


すっと、円奈が、毛布から手をだすと、椎奈のほうのばした。

椎奈もその手をもった。


「私っ……!」

その手をつかんで、円奈は、引き寄せると、ばっと椎奈の胸へと飛び込んだ。

鎖帷子の冷たい硬さに守られた椎奈の胸へ、円奈は顔をうずめる。椎奈も円奈を抱き寄せた。


「私っ…!なのになにもできない……!だれのためになもなれない……!だれの役にも立てない子だ……!うう……ううう…!」


椎奈の胸のなかで、泣きじゃくる彼女を、ずっと抱きとめていた。


「なにかをすることもできない……!ずっとずっとこのまま……!ただ生きてるだけ……!」


円奈の背を撫でて、抱きとめてやりながら、椎奈はなぜか、神の国に仕えていた頃の自分を思い出していた。

その頃は、自分は魔法少女でもなければ、領主でもない、ただの一人の女であった。



「”聖地”にあるものはなにか」

と、椎奈は、胸元ですすり泣き続ける円奈のピンク髪の頭を撫でてやると、静かに、語りだした。

まるで、子守唄代わりに、御伽噺をつむぐ、母親のように。

「世界の果てのあの場所では───」


円奈が、そっと顔をあげて、椎奈をみあげる。


「生まれつき家持てぬ者が街の名士となり───」

椎奈は、壁を見つめたままで、円奈とは目をあわさず、語る。

「生まれつきの名士が街で物乞いをする」

とまで語ると、椎奈は、ある単語を口にした。「”天の御国”だ」



椎奈が何の話をしているのかやっと気づき、円奈は、はっとを目を見開いて茶毛の魔法少女をみた。


しかし椎奈は立ち上がると、円奈に背をむけて歩いてしまう。

「あ…待って…!」

円奈は手をのばし、椎奈をひきとめようとし、懇願した。「もって聞かせて……!その話…私に…!」


それには答えず、椎奈は何年かぶりに棚の引き出しをあけた。

木の棚のその引き出しのなかには、赤いリボンがあった。



”もし娘が、この村をこのようにした因果を背負うようなときになったら───”


”そのときに、娘に渡せ”


記憶の中の神無の声が、そのとき鮮明に蘇る。

椎奈は赤いリボンをぼうっと見下ろす。


葬られた過去の因果。その悲劇が、「これ」によって引き起こされた「因果」だというのなら───。


こんなものが、世界のあらゆる魔法少女の心を狂わせる因果だというのなら───。


まるでそれは、神の国と同じではないか。



しかし、椎奈は、再びリボンを、引き出しにしまった。



「今は休むといい」

と、椎奈は、円奈に背をむけたまま、告げた。「勝手に村を出たことは、今回は不問にしよう」


「あ…」

円奈の目に、大きな涙つぶがたまる。

それは、封土を勝手にでたことは許してはくれたけれども、神の国についての話はこれまでだという意味も、
含まれていた。


「うう……」

自分が犯してしまった禁忌と、それを領主が許してくれたことと、魔法少女になりたいと命がけで願いつづけた
その希望もついえたのと、いろいろな気持ちに襲われて。


円奈は、ただ領主の毛布にくるまって、泣きじゃくった。

49


そしてありったけの感情をすべて涙にして、それも枯らしたあと円奈は、眠りについた。

領主の毛布のなかで、ぐっすりと眠っている。


ろうそく数本に照らされる、石壁の家屋のなかで眠る円奈をよそにして、椎奈は外に出た。



外に出て、天をみあげた。夜空に浮かぶ、煌く星を。



夜の寒さのなかでそれは、きらきらと空のむこうの宇宙に、無数に浮いている。その数は無限で、その光は
この地上とは遥かに遠い。



椎奈はその星を見つめ、その天に存在するという円環の理に、そして神の国に思いを馳せた。



かつて神の国へゆき、”円環の理”が誕生した国をこの目でみてきた椎奈は、円奈にある想いを抱いていた。

それは、自分にできなくて、円奈に、ひょっとしたら実現してくれるかもしれない、聖地への願いである。


そんなことを思い悩み、椎奈はただ、天の夜空をみあげる。きらきら煌く星の数々をみあげる。そこで地上を
みおろしているという円環の理をみつめる。



「なにかお悩みなんですね」

すると、夜空をずっとみあげていた椎奈のもとに、女の声がした。彼女の護衛を勤める騎士・希香(ののか)であった。

「この寒いのに、どうして外へ?」


「それは、おまえにもきいてみたいな」

椎奈が顔おろすと、笑って言った。「どうしてここに?」


「こんなに空がきれいなんです」

希香が微笑む。「みたくもなります」彼女もそういって、椎奈がそうしていたように、夜空をみあげる。


それから、天の川きらめく銀河の夜空みあげながら、希香はこう話し出した。

「神の国という場所は、本当に、魔法少女にとって大切な場所なんですね」

「…」

椎奈は、首おとして頷くと、笑い声漏らした。「おまえは、わたしの考えていることがわかるのかな。
いつ契約して魔法少女になった?」


「あなたに付き添ってきたんです。わかります。それに───」

希香は、微笑んだまま、領主をみた。「女の勘です」


「空がきれいだから外に出てきたのでないな?」


「わたしはあなたに忠誠を誓った騎士です」

希香は言い、椎奈の隣に並んだ。「そのあなたにとって大切な場所なんです。あなたに従い聖地にむかいます」


「…」

椎奈は押し黙る。

本当に、どうやらこの騎士は、わたしのことがなんでもわかるみたいだ。


「ここから神の国は、離れすぎている。外の世界は残酷で、魔法少女と人がどこでも争っている。
おまえたちを巻き込んで外に連れだせん」


「でも何年も前からエレムから────」

希香は、相手の話を恐れず、提言する。「増援要請がここバリトンにもきているのでしょう?」

「…ふむ。エレムは、世界のいたるところの同盟の者、同民族に────召集かけている」

「葉月レナという、神の国の王が?」

希香がたずねた。

「王ではない。その臣下たちだ」

「へえ…そうなんですね」

希香が、感心したように、うなる。「地上すべてって…全世界じゅうってことです?エレムは、そんなに
あらゆる人脈を持っているので?」

「そういう、特性のある国なのだ」

椎奈は答えた。

だから、本国からこんな遠く離れた辺境の地にも臣下の国がある。来栖椎奈はエレム人の出身である。

「それで、わたしたちのところにも召集きた、と」

希香がいう。「サラドの雪夢沙良って人はどんな魔法少女なので?」

「私も直接戦ったことはない」

椎奈が答える。騎士と魔法少女は、二人ならんで、バリトンの夜の降りた山々と山峡を見つめている。

夜行性の獣たちが、ときおり鳴き声をならす。夜の山こそは、野生と獣の世界なのである。

「別名を”雪月花の魔法少女”という────」

椎奈が語りだす。

このあたりは、自力で読み書きをおぼえ、神の国について調べ上げた円奈も知っていることだ。


「雪夢沙良は、残忍で絶対なる力をふるう、そういう類の君主ではなく、むしろ寛大だ。
敵の捕虜を何回も解放している。身代金を払えぬ捕虜については、自ら私財から代わりに払ってやることさえ
あったという」


「そりゃまた、お優しい君主さまですね」

希香が、ちょっと感心したようにいった。「神の国、むこうの大陸の魔法少女は、もっと残忍だと思ってました。
なんたって200年も戦っているでしょう。あそこ」


「雪夢沙良はいま手下に多くの魔法少女を従えている。だがその彼女も、今や聖地奪還に本腰だという」


「そもそも、エレムとサラドが、一緒になって神の国を統治すればいいのに」

と、希香は、素朴な疑問をとなえた。「何も奪い合って血で塗らす必要なんか───」

「それが、そうもいかぬのだ」

椎奈は、思いつめたように、首をおとした。「簡単には収まらぬ問題が、あそこにはある」

「どんな問題です?」

希香がたずねると、椎奈は、首を横にふった。「聖地を知らぬおまえに、説明できない」



希香の表情が曇る。


「おまえたちを巻き込めん」

すると椎奈は、この話はおしまいとばかりに希香のもとを離れる。


その、苦悩の末に妥協したみたいな寂しげな領主の背中に、希香はついていく。


「だったら、聖地をみないきたいなあ!」


と、椎奈の背中に、そう言葉を投げかける。つま先でのびして、手をひろげ、呼び留める。


「聖地をこの目でみれば、なにが問題になってるかも、わかるんですよね?」


椎奈がピタと歩みをとめる。背中だけ希香にむける。


「だったら、見たいなあ!」


希香は、夜の寒空に冷えた手の指を結ぶ。祈る少女みたいに、手を結んで、語る。


「だって、なんたてったって、聖地ですもの。いまの世界が、つくられた最初の場所。一度は、いってみたいものです」



「…」



「それに、かっこいいじゃないですか!」


と、希香は、領主に語り続ける。


「わたし、これでも、騎士です。あなたに忠誠を誓いました。でも、ちょっと思い返せば、最近のわたしが
してることって、あなたの世話役ばっかじゃないですか。」


照れたように、自分の黒髪に触れて、そう話した。


「例えばあなたの服のお洗濯とかお風呂の用意とか……着替えとか……なんか、騎士らしくないっていうか……
これじゃ侍女と同じですよねっていうか……あ、不満なんかじゃないですよ、お給料もらってますし!」


と、慌てて両手の先を伸ばしてぶんぶん振るうと、弁明する。


「でも、なんか、カッコいいじゃないですか。騎士として祖国を旅たち、聖地をめざす!その危険きわまりない
世界に、騎士として飛び出すんです!ほら、なんか、騎士らしいじゃないですか!騎士道物語にでてくる主人公みたいで!」


顔をわずかに赤く染めながら、希香はそうまで語ると、椎奈の背中をみた。

何も語らない、ただ立ち止まっているだけの領主の背中と、その夜風に流れる茶髪の後ろ姿を、みる。


「だから……あなたが望む旅に、お供いたします」



「希香」

椎奈は、立ち止まったまま、顔だけもちあげる、背むけたままで言った。「私をたぶらかそうなんて10年はやいぞ」


「あっはは……ばれてます?」


希香は、また照れたように髪の毛をつかむ。「でも、本当に思っていることです。聖地に旅立つたびへの心構えは
できてます。私だって騎士ですから。でも騎士道物語の主人公は────」

すると彼女は、少しだけ悔しそうに、口を噤んだが、それから微笑んでみせると、告げた。

「”あの子”にするんでしょう?」


「…」

領主はまた無言になる。それから、やっと希香のほうにふりむいた。

「おまえは本当に、わたしのことが分かるらしい」


「みてればわかりますって」

希香は、悔しさを隠して笑う。「どれだけあなたが、あいつに目をかけてやっていたか…」


「そうかもしれんな」

椎奈もふっと笑い、また希香に背をむけ、歩き出した。手にもってきた、赤いリボン握りながら。

「希香、そなたの気持ちは、ありがたく受け取ろう」

といい、さっきまでの寂しげな背中とはうってかわって、自信に満ちたいつもの領主になって、
草むらを進んで地平線のほうへ進む。


銀河の光が無数に並ぶ、地平線のほうへ。


領主の背中が歩き去る。



希香は何もいえず、その背中を見送った。

50


そのとき円奈は、眠りから覚めて、真夜中の外に出てきていた。


領主の家をそっと出ては、その先にたって、地平線に光る銀河の星々を見つめながら、思いにふけっている
来栖椎奈の横に、そっと並んだ。


「……ごめんなさい」


と、最初に、円奈は、そういった。「勝手に村をでちゃって……ごめんなさい」


「そのことはもう不問にするといった。きこえてなかったかな」

椎奈は、地平線に広がる銀河の光をみながら、言った。


いわゆるビルや、建物といったものがないこの時代では、地平線のはるか先まで眺望できて、地平線のむこうには、
銀河の光の群れである天の川が、はるか上空から地平線まで降りていた。


「でも……」


円奈は、うやうやしく、領主に謝り続ける。「勝手に、でちゃいけないのに、わたし……」



「そなたが魔獣に捕われなくてよかった」

椎奈は腕組んだまま俯いて、言った。「あぶないところであった」



「……わたし、あのとき」

枯らしたはずの涙は、領主の前で、また目に溜まり始めた。「おもったんです。しんでいいかなって……」


領主は、顔をあげて、地平線に煌く銀河の川を見つめている。無数の煌きを。


「私の命になんて意味はなくて……なんの役にも立てないで……」


円奈は、こみあげてくる嗚咽に、どうしようもなくなってくる。


うっうと嗚咽漏らして、手で目を覆ってしまう。「だから……死ぬのも…いいのかなって……」


「円奈よ。私は何度でもいおう」

すると領主がふりむいて、円奈の肩に手をかけると、自分も屈んで、円奈に目線をあわした。


「そなたの命には意味がある」

そういって、微笑みかけてくる領主であり魔法少女である来栖椎奈の顔を、泣きじゃくった円奈の顔が見返す。

傷ついたピンク色の少女は、まだ震えて怯えている。

「円奈よ」

椎奈は円奈の肩に手をかけたまま、告げた。「わたしと聖地へ行こう」


「聖地……?」

少女の目が、涙のたまった目が、椎奈をみる。


「そう。聖地だ」

椎奈はしゃがみこみ、涙ぐむ円奈の目をまっすぐ見つめ、いった。


少女の目が、涙のたまった目が、椎奈をみる。「神の国……?ええっ?」

それから、びっくり仰天して声をあげた。「神の国にいくの?」


「そう。神の国。我らが魔法少女の聖地。円環の理が誕生し、世界が組みかえられた奇跡の国」

椎奈は微笑み、円奈に言う。

「すまない。私は確かにここの領主だが、同時にエレム国の王の臣下であったのだ。そのエレム国からここ
数年間、ずっと呼ばれていた。雪夢沙良と戦うために」

「そ、そ、それって……」

円奈の声が震えている。



「エレム国の臣下?椎奈さまが?エレムって、あの……神の国のエレム?」


「そうだ」

椎奈は答え、手に持った赤いリボンを───円奈の髪にむすんでやる。

聖地の因果を。


だから、見守ろう。
これからは、円奈よ、そなたを必ず聖地に送り届ける。それまで、守り続ける。


椎奈はひそかに心で誓う。


「それ、なに?」

円奈は、椎奈の取り出したリボンを不思議そうにみつめ、たずねる。


「記念の品だ」

と、椎奈は答え、ピンク色の髪に、赤いリボンを、ポニーテールに結いでやった。

「これからの旅の、お守りと思っていればよい」


「そうなの?」

円奈は、髪に結ばれる赤いリボンを、目をつむって心地よさそうに受け入れている。「これは、椎奈さまの?」



「いや」

椎奈は、結んでやりながら、言った。「かつて、ある人から預かったものだ」



「あっ!」

すっかりはしゃぎモードになった円奈が、いきなり、夜空をゆびさした。「椎奈さま、みて!」

びっと腕をあげると、その髪に結ばれるリボンが動作にあわせてゆらめく。


リボンは、とてもよく、少女に、似合っていた。

何千年という魔法少女たちの戦いの因果が、いま円奈に載せられる。



椎奈が地平線に浮かんだ銀河の星空に目を映すと────。


キラリと、銀河煌く無数の星のなかを、滑るように流れ、煌いては消えた、光の筋があった。

「流れ星だよ!私、はじめて見たな!」

なんていい、円奈は、ひとり、寒空に凍えそうな指と指をあわせて、目を瞑る。

「流れ星みたら、お願い事がかなうって……」

指を絡めて、お願い事する仕草をみせた円奈だったが、首を傾げた。

「あっ、でも神の国にいきたいって私の願い、かなったんだよね?白い妖精さんに願わなくても、かなったんだ──」


椎奈は、はしゃいで、照れたように頬を手にとる円奈の、久々の笑顔を見守ると、再び、銀河の星空をみあげた。

51


その一週間後、バリトンの領主に、エレム国との契約更新の日がやってきた。


ここでいう契約とは、国王と領主の間に結ばれる、臣従の契りであり、封建的な契りことである。


来栖椎奈は、昔、一人の女であったが、神の国の王・葉月レナと臣従を結び、忠誠を誓う見返りに、
バリトンの領土を封授された。


この臣従の契約が有効である限りは、椎奈は、バリトンの領主であることが認められる。

契約は、一年と40日という期限であったから、その度に、契約を更新した。


いちど、契約更新すると、次の契約更新日まで、決して忠誠を破ることは許されないが、
もとより、更新しないなどは、ふつう、ありえなかった。


更新しないということは、バリトンの領土を手放して、葉月レナに返す、という意味である。

となれば、別の魔法少女が、すぐに領土をとりにやってくるだろう。


魔法少女いえども、領土なければ、帰る場所がないも同然なのである。


椎奈は今回の期限日も、契約更新する気でいた。

しかし、契約更新するたび、エレム国からは、こう要求された。


「葉月レナに忠誠を誓ったあなたが、なぜ、いっこうに、神の国へ兵力をよこさないのです。」


たしかに、忠誠を誓ったのなら、神の国の危機とあらば、出向くのが、筋というものであった。

そういう見返りに、土地を授封される、という制度なのだから。


しかし椎奈は、平和なバリトンを愛した。


暁美ほむらからきけば、神の国はたしかに、雪夢沙良の脅威と戦っているが、神の国の王・葉月レナ本人は、
バリトンの領主に直接、くるようにとは命じていないらしい。

エレム国の臣下である魔法少女たちが、口々に、椎奈にたいして、こい、こいといっているだけなのだ。

本国では、何が何でも兵力を同盟・同民族のうちからかき集めようとする一派と、戦争を避けようとする一派とに、
分裂しているようだ。


なら、拒否権というか、断る選択の余地も、残されていた。


だから椎奈は、更新の日があるたび、エレム国と契約更新の手続きはしつつも、戦いには参加しない意向を、
際どく守り抜いてきた。


いま、一年と40日ぶりに、契約更新のために、エレム国の使者が、椎奈の領土を訪れている。



「椎奈殿」

いつか、円奈を市場に連れて行ったときにやってきたのと、同じ魔法少女が、馬上から椎奈の名を呼んだ。

一年と40日ぶりの再会である。

「そなたは魔法少女であると同時に───」

そう、エレム国の魔法少女は言う。使者の名は、リゲルといった。

「”神の国に使える戦士”だ」


「神の国へ────」

椎名は、ついに、答えた。

「いこう」

山風が吹き、バリトンの草むらの上を流れ、風は山峡から地平線へ流れていった。



「レナさまにお伝えしましょう」

と、すぐにリゲルは言った。馬の向きを翻らせ、もう契約更新の意図も汲み取ったとばかりに、使者をつれて去る。

「先に神の国でお待ちしております」

リゲルは背をむけたまま、語る。神の国の魔法少女である彼女が。



ハッ!
と掛け声だして、リゲルとその使者は馬を走らせ、林へと消えた。




椎奈は、踵をかえして村へともどる。その明るい茶髪を風になびかせて。


それから丘から見渡せる山峡の村を眺め、見渡した。

次回、第4話「ファラス地方の森 ①」

第4話「ファラス地方の森 ①」

52


次の日の朝、鹿目円奈は、旅の準備を整えて、丘の墓の前に立っていた。



冬が終わり、春がはじまった。

春初めのほのかに優しげな風がふいて、その髪に結ばれた赤いリボンが、ゆらゆらとゆれる。

この赤いリボンが誰のものなのかを円奈は知らない。


丘からは、別れを告げることになる故郷の村と農地が、広がっているのが見下ろせる。



円奈は丘から、村と里の山峡をつくる山脈を見渡した。

いままでは、あの山脈の先にある世界を、知らなかった。その先にどんな世界があり、広がっているのか、
知らなかった。

封建社会のなかに生まれて、生まれの領土からはなれた外の世界を、まったく知らなかった。


でも、これからは果てしない、その先にある神の国へと、旅立つことになるのである。

2500マイルの旅だ。


それから円奈は、これからはじまる旅の前に、墓の前にむかって、手をあわせると、
いつものように黙祷して、顔しらぬ両親に、自分のことを語った。


円奈は墓の前に片膝をついて、両手を握りしめた。目を瞑り、黙祷する。



今回はでも、いつもとは違うことを両親に心で告げることができた。それが円奈には嬉しかった。



お父さま。お母さま。

聞いてください。私、神の国に行くことになりました。魔法少女の聖地にいけるのです。

だから、私を見守っていてください。



心でそう告げると、目を開いて円奈は立った。そして丘から故郷のバリトンの村を眺めた。

まだ春の迎えない、寒々しさの残る冬の空は乾いていて、雲は厚い。



しばらく、いや、ひょっとしたら二度と戻ることもない里の景色が、今はなんだか、かけがえのない宝物にも思えた。



円奈の着込む服は庶民らしい、毛織物の裾の長い、古風ドレスのようなチュニックだった。
裾は長いといっても、足首は肌を覗かせた。幼少時代からのお古なのであり、毎日これを着てきた。


それくらいでないと、旅するのに向いてないし、むし戦闘になったら、動きづらい。

チュニックは腰のあたりでベルトしてきゅっと締めていた。すると、胸まわりが細くほっそりと見えた。


着古しすぎてるだけで、ごく一般的な、当時の少女の服装だ。何も特別なことはない。



その服装に、円奈は布袋を持ち、腰に巻いたベルトに鞘を取り付け、村の鍛冶屋に磨いでもらった剣を収めた。
背中には得意武器である自作の弓矢を担っていた。矢筒には10本程度の矢が入っている。



旅の準備はかくして、万全なのであった。


両親の眠る墓と、バリトンの村の景観をもう一度だけ見つめると、ひと吹きの風が、円奈に吹きつけた。

それがまるで自分の背中を押している風のように感じた円奈は、ピンクの髪を風に受けてなびかせながら、
足を翻して歩みはじめた。




円奈は農地へと降りる坂道を歩むと空をみあげた。

冬の空はくぐもっていて、寒々としていた。でも円奈は、自分のこれからの旅を祝福してくれる、そう思った。

53


円奈が村の人々と合流すると、人々も旅の準備をもう整えているようだった。

馬を連れ、兵糧などの荷物を持たせ、自分達は武装していた。鎧は着込んだりせず、簡単な防具をつけただけの
軽装だった。長旅になるから当然だった。


私も遅れないようにしなくちゃ。


村の馬を飼っている馬小屋まで急ぎ、自分の飼い馬を探した。「クフィーユ!」

自分の愛馬を見つけると、馬を収めた仕切りの扉を外して、馬の轡の綱を持って馬を馬小屋からだした。

「クフィーユ、元気にしてた?」

その飼い主の問いかけに、馬は円奈の顔に頬をすり合わせて答えた。そのくすぐったさに、少女が照れて笑った。

「えへへ、クフィーユったら甘えん坊さんなんだから」

といいながら、なついてくる馬の頭を優しく撫でてやる。二人(?)の間には、深い絆があった。


この時代に、ある意味必須なスキル───馬乗りを、円奈は14歳でこなせるようになった。

馬に乗りながら弓矢で的を狙う練習をしたり、バリトンの地を駆け抜けたり。二人だけの思い出が、たくさんあった。
狭い世界ながら、二人だけでいろんな景色も見てきた。



クフィーユと、円奈がそう名づけた馬の世話も、円奈がしてきた。
これからは、もっといろいろな世界を見れるにちがいない。


「クフィーユ、これからも一緒に行こうね」


円奈が、嬉しさいっぱいの微笑みで、馬に語りかける。この喜びを、分かちあいたい少女の気持ちが顔に顕れていた。

「私たち、神の国に行けるんだよ!この世界でいちばん聖なる場所だよ」


「ふん、だ」

すると、馬と語り合っていた円奈の隣で、もう一人の少女が鼻を鳴らした。その少女もまた、馬小屋から自分の馬を
出すところだった。

「あ、佐柚(さゆ)ちゃん」

円奈が驚いた声でその少女の名前を呼んだ。同じバリトンの村に生きる少女で、円奈と同い年だった。

その佐柚と呼ばれた少女は、不機嫌そうに馬の轡を引っ張っている。そんな乱暴なやり方だから、馬も嫌がって
馬小屋から出ようとしなかった。

「なにが、聖なる場所ですか!」

と、馬の綱を強引に引っ張りながら少女が愚痴っぽく声を漏らした。馬は強い鼻息を吐き出した。

「佐柚ちゃんは、神の国に行きたくないの?」

と、円奈が問いかけると。

「あったりまえです!」

と答えた。キーっと、円奈を非難するような、キツめの感情が円奈にぶつけられた。

「どうしてあんな、遠くてしかも血なまぐさい国に、いかなきゃいけないんですか。神の国なんていってますけど、
200年近くも、エレムとサラドがそこを奪い合って、戦争してるって話しではありませんか。そんなところゴメンです!」

「んー、それはそうなんだけど、」

確かに、少女の話は正しい。エレム国とサラド国。この強大な二大勢力が、ライバル同士として長いこと神の国を
とりあっている話は有名だ。


「そうまでして守るような何かがあるっていうか……」

あれ、私なに話してるんだろう。

「椎奈さまにとってもいろんな魔法少女にとっても、神の国は救いの場所だから…」

「殺しあってごまんと人が死ぬところが救いの場所なんですか?」

少女の顔の機嫌は直らない。

「そりゃ、あたしだって行くしかないです。このバリトンの地はエレムの”子分”に収まっている国です。
エレムのほうから来いといわれたら行くしかないんです。でもそれって、結局サラドと戦争するから来いって
ことじゃないですか。そこで私たちみな、死ぬかもしれないんですよ?」

「うん……でもね、」

なんとなく円奈は、相手が正論だとわかっていても、神の国を否定されるのは嫌な気分になった。

「このバリトンの国だって、椎奈さまがつくってくれたし、他国の魔法少女から攻めてきたときも、エレムの魔法少女が
守ってくれる。私たちは魔法少女がいないと、生きていけないんだよ。そんな魔法少女みんなが必ず救われる、
そう信じられているのが神の国なんだよ。命に代えて私たちを守ってくれた魔法少女のために、私たちも戦うんだよ」


「くっ…」

円奈に痛いところをつかれたという感じで、佐柚と呼ばれた少女が口をつぐんだ。生身の人間がこの世界では、
魔法少女の力なしに生きられないというのは、事実だった。

「だから魔法少女はみんな神の国に救いを求めていくし──」

円奈の話が続く。

「とても大事な場所で、聖なる場所だと思うの。命に代えても守る場所だよ」

「それで向こうは、命に代えても奪い返そうって、そういう場所なんでしょ!」

プイとそっぽを向き、もう会話したくないというように、少女は背中をみせた。

「そうやって殺し合いが起こるんです」



円奈は落ち込んだ気持ちで少女の背中を見つめていた。馬を連れて馬小屋を出て行く少女の背中を見つめ続けるしか
なかった。


言い合いに勝っても、全然嬉しい気持ちじゃなかった。


こんな調子で、村の少女達は魔法少女や、その世界、神の国についても肯定的じゃなくて、円奈はいつも彼女たちと
話があわなくて口論になった。


ますますだから、円奈は村では一人ぼっちになっていった。



世界にとって魔法少女はなくてはならない存在だし、でも一旦魔法少女になると想像を絶するような苦難が
待ち受けていて。


そんな宿命を負った少女達が救われると信じられる場所があるなら、それだけで素晴らしいことだと思う。



「クフィーユ、いこっか」

自分を心配げに寄り添ってくる馬の頭をなでると、円奈はそう告げ、馬小屋から連れ出した。

54


馬に跨り、手綱を引いて馬を走らせる。
円奈は出発のための集合場所へと急いだ。

蹄が土の地面を蹴り、足音を鳴らしながら、馬は少女を村へと運ぶ。その乗りこなしは、少女ながら見事だった。

「あっ!」

町の人々が集合している場所を見つけると円奈は手綱をひいた。


主人のいうことをきいて馬は、その場で前足をあげ、蹄を鳴らして止まった。

すいっと馬を降り、地面に立つと円奈は、馬具に取り付けていた弓矢を背中に担いで、人々の集まりに円奈も加わった。


佐柚とまた会ったが、佐柚はまたプイと円奈にそっぽ向いた。


(うーん…)


複雑な気持ちに、円奈は襲われた。

旅の支度を整えた村人たちは、村の少女たち、少年たち、大人も含め、たくさんいたし、それぞれが準備を整えていた。

馬を持つ者がいれば、持たない者もいた。


「まどなさん!」

自分の名前を呼ばれて、円奈が振り返った。

一人の少女が、恥ずかしげに自分を見ていた。

「あ、こゆりちゃん」

ぱっと、円奈の顔が明るくなる。こゆりもまた同じ村の、年下の少女だった。

「元気にしてた?」

さゆりと呼ばれた少女の手をとり、両手に握る円奈。すると、こゆりの顔が赤く紅潮して、どきまぎしたように
円奈から目をそらした。

「あ…はい、おかげさまで」

「おかげさま?」円奈が不思議そうに首をひねった。

「あっ!!いや、その」

何かいい間違えでもしたのだろうか。慌てて少女は、言いなおした。「ずっと、元気、でした!」

「そっか。ならよかった!」

満面の笑みになってそう言ってくれる桃色の髪の少女に、こゆりと呼ばれた少女は見とれていた。
密やかな憧れの思いを抱く、円奈を見つめていた。

村一番の弓矢の名手。馬を駆り、的を射る姿。真剣な眼差し。その華麗さ。

ずっと遠くから、見つめ続けてきた。彼女は、円奈の”葬られるべき過去”は、知らない世代であった。


「どうしたの?」


こゆりのきらきらした視線にきづいた円奈が、また不思議そうに訊いた。


「あ、いえ、その──!」また、かああっと紅潮する黒髪の少女。「これからは、大変な、旅に、なりそう、ですね?」

と、ぎこちなく話題を変える。

「うん!でも、素敵な旅だよ」

またニコっと笑い、円奈は告げた。「私、生まれてからバリトンを離れたことがないんだ。でもこれからは───
たくさんの知らない世界が待ち受けてる、そんな気がする」

こゆりはじっと、憧れの先輩の優しげな微笑を見上げていた。見とれてしまうと、また、言葉を紡ぐのを忘れて
魅入ってしまう。

「こゆりちゃん?」

そして、また円奈からいわれて、少女ははっと再び我に帰った。

「あ、はい!私も、そう思い、ます!」

ぎこちなく告げる口調は、明らかに緊張していて、顔は相変わらず赤かった。



「来栖さま!来栖さま!」

いっぽうそのとき、バリトンの領主の家では、顔を真っ青にした税取立ての役人が、領主の魔法少女をおいかけ
まわしていた。


「いったいどういうおつもりなので?」

「なにがだ」

すでに武装の騎士姿となり、旅の準備を整えている椎奈は、役人に聞き返す。


「本気で旅立つおつもりですか!」

と、役人は、領主に、非難を浴びせかけ始める。

「ここからエレムまで、どれほど距離があると?2500マイル以上もあるのですぞ!」

「それがどうかしたか」

椎奈の口調はあくまで自信に満ちていて、神の国への旅にでる決心は揺るぎそうにない。

しかし、役人は非難し続けた。

「行く先々国々で道を通るたびに通行税を払い、宿営の許可を得て、兵站を維持し、あらゆる敵国の街道を
通るたびに安全と引き換えに金品を支払うのですぞ!そんな費用がどこに?」

「費用は隣の領主───」

椎奈は、まるでその役人の文句を予期していたかのような早さで、すぐに答えた。

「メイ・ロンから借り入れている。われわれがエレムの地へいき、戦いを済ませば、エレム国から5倍の報酬をうけとって
ここに戻れる。借り入れの利子にももちろん目処はいっている。それから兵站についてだが」

役人の顔がますます真っ青になる。

「エドレスの都市の先、ミデルフォトルの港でエレム国の部隊と合流予定だ。そこで兵站については問題なくなる」

税取りたて役人は、言葉を失ってただ魔法少女を呆然と見つめていた。

農民たちの一部分が村を発ち、遠くエレムまでいくということは、税を納める農民がいなくなるということであり、
役人にとっては、私財に旅立たれるも同然なのである。

「あなたは、バリトンの民を滅亡においやるおつもりですか!」

と、役人は、糾弾した。


「そうはさせん」

椎奈はそうとだけ答え、もう役人は無視して、馬に飛び乗った。「私は魔法少女だからだ」

轡の手綱をとり、馬を走らせる。


魔法少女は馬を馳せ、役人のもとからきえた。


取り残された役人が途方にくれるなか、パカパカという、走り去った馬の蹄の音だけが鳴り轟いていた。

55

そのころバリトンの村では、村人たちが、このような会話をかわしていた。

村の一部分、つまり60人ほどが、領主がこの日でる遠い国への旅への護衛・補給部隊に抜擢されていた。

つまり、抜擢された者は、兵站を荷車にのせ、役畜に運ばせながら、領主の聖地への旅に付き添うことになるのだ。

約、2500マイルという、途方もない、長旅、大遠征である。抜擢された者は、さちか不幸か。

60人という人数が椎奈よにって抜擢され、村人のうちで軍役というか、領主の遠征に付き添うことになるのだが、
つまりこの人数こそが、遠い聖地に、領主が戦士として無事に辿り着くために必要な最低限の人数になる。

それだけ、危険が多い旅になるのだろう。あるときは仲の悪い国の街道を通り、あるときは盗賊が多くて有名な森林地帯を
通り、あるときは戦争中の国と国の国境を乗り越える。


「いったいぜんたい、神の国ってなんだ?」

と、ある村人が不満げな声を、漏らしていた。「こっからどれくらい遠いんだ?なにが、聖戦なんだ?」

「あら、あんたったら、しらないの?」

その妻、エプロン姿の農民が、答える。荷車に荷物をのせ、馬に運ばせる。

その馬の背中にも、荷物をのせる。「魔法つかいたちの、聖地だよ!来栖さまのような、人たちのね。」

「なんでおれたち人間までいかなきゃならん?」

農民の不満げな声は、やまない。「なら、魔法つかい同士で、とりあってればいいだろ。」

「そうはいったって、あんた、来栖さまに来いと命じられたら、いくしかないだろうに。」

と、妻は、両手を腰にあて、荷馬の様子を見守りつつ、夫に答える。

「来栖さまは、昔、他国の魔法使いに襲われたとき、守ってくださったお方だ。魔獣っていう、呪いからも、
守ってくださっている方だ。その来栖さまにいけといわれたら、あたしら、いくしかないだろ。」

「だがよ、その他国の魔法使いが攻め込んできたってのもよ、鹿目って女のせいなんだろ?」

と、農民は、不満げに語り続ける。馬の背中に乗せた麻袋ぱんぱんと叩く。

「その娘、まだ生きてるんだよな?村のはずれの家屋に住み着いてるって。そいつのせいなんじゃないのか?」


「さあねえ」

妻は、頬に手をあて、考える仕草をした。「魔法使いさまのことは、わたしにも、よくわからないからねえ」


ある人はこうして不満げな会話をかわしあい、また、ある村人たちは抜擢された者と村にとどまる者同士で涙ながらな
別れを交し合い、村にとどまる村人同士は、抜擢されて領主の聖地への旅立ちに付き添うことになった村人のことを労わった。


と、そのとき、とぉっ!という声がして、愚痴と文句を交わす二人の横を、一頭の馬と、それに跨った少女が、
かけぬけた。


ぶわっと風が沸き起こり、農民たちの髪をゆらした。

農民たちが見ると、馬を走らせているのはピンク色の髪をした少女だった。背中には弓をとりつけ、
その腰の鞘に納めた剣がぶらさがっていた。

馬がはしるたび、腰に巻いた鞘がぷらぷらとゆれ、馬具にとりつけられた革製の水筒も、
かちゃかちゃとゆれる。


かと思えば少女は、手綱をばっとひいて馬をとめ、軽やかな動きで地面に降り立つ。


「あれ、鹿目じゃないのか?」

農民が、あっけに取られた様子で、明るい髪をした少女を指差した。

農民二人とも、おどろいていた。


というのも、この村に不幸を呼んできた少女、そう呼んで忌み嫌っていた少女の、見事な馬の乗りこなしに、
すっかり感心させられてしまったからであった。




悪魔を呼び寄せる女、不幸を呼び寄せる女、魔女────。


あらゆる呼び方をしてバリトンの農民は鹿目という少女をのけ者にしてきたが、そんななかでも
懸命に生き抜いてきた少女は、今や農民たちを見返すほどに成長してきていた。

56


そのころ椎奈は、場所に跨った他の騎士たちと合流していた。

村を外敵や、魔獣の手から民を守るのが魔法少女の役目であるが、その魔法少女の護衛を務めるのが騎士たちである。


バリトンの騎士たちは、6、7人ほどで、五人が男の騎士、二人が女性、少女の騎士でった。

そのうちの一人が、あの希香である。もう一人の少女騎士は、ほとんどまだ見習いで、実質、椎奈の世話係であった。


見習いはさておき、騎士たちは馬を乗りこなせるのはもちろんのこと、剣術、弓を習得している。
またそうでなければ、外敵と戦うことはできなかった。


「旅の支度は?」

「できています。食糧は───」

男の騎士の一人が、椎奈に答えた。「荷車に乗せています。私どもは後列について、護衛します」

「ふむ」

椎奈が顎をつかむ。「おまえたちは?」

「あなたに付き添います」希香と、少女騎士が、答えた。「前列ですよね?」


「そうだ」

椎奈は答える。

魔法少女である来栖椎奈は、魔獣と戦うときこそ変身するけれども、そうでないときは、騎士姿になることが多かった。


つまり、羽毛のコートに鎖帷子を着込み、チュニックを着たクローク姿である。

その足は革のブーツで、足を隠している。


手袋をはめ、腰に鞘をぶらさげ、大きな剣を納めている。



変身姿にならなくても、十分に戦える魔法少女の武装である。



まわりの騎士たちも、椎奈ほど豪勢な服装ではなかったが、鎖帷子をきていたし、鞘に剣を納めていたし、
弓を使う騎士もいたから、出で立ちは似ていた。



「ゆこう」

椎奈はいい、馬に乗ったまま、民達の集合場所の前へとむかった。

騎士たちもそれに続いて、馬を進め、椎奈のあとに従う。

57


こうして、バリトンは神の国への道をめざす2500マイル、つまり4000kmの旅にでた。

エレム国とサラド国という、世界で最も強力な恐るべき魔法少女が治める二大王国の戦争に、援軍に向かうという形で。


領主の聖地への旅である。それに付き添う形で、村で抜擢された60人ほどが、護衛・兵站の運送・補給にあたる。


円奈は、本での話でしか、魔法少女が、どのように魔獣と戦っているのか、魔法少女同士でどう戦争するのかを
知らなかったし、来栖椎奈の魔獣退治にも連れてはもらえなかった(いわゆる、魔獣退治体験コース)。

この目では全く知らないことだ。

魔獣に襲われたことはあったが、そこで気を失ってしまったから、来栖椎奈が魔法の姿に変身し、魔獣と戦う姿を、
見逃した。



神の国へゆき、そこにいったら、どんな光景を目の当たりにするのか皆目分からなかったけれど、少なくとも円奈は
いまは、神の国に旅たつ、その使命感に燃えていた。



それに、心の奥底で憧れていた、世界帝国を築き上げるような超大な支配者たる魔法少女たちに、
神の国へ行って会いにいけると思うと、やっぱり円奈の心は燃えるような期待感に満ちていた。



バリトンの人々は、ほとんど歩きで列になって旅路を歩いていた。バリトンの民の輸送部隊は60人ほどだったが、
列になると長かった。列の先頭には馬に跨った来栖椎奈が歩を進め、その周囲には側近の騎士たちが囲んでいた。


近衛兵ともいうべきか。


食糧や、武具、そのほか金品などを乗せた荷車は列の真ん中にして、その最後尾を男の騎士たちが護衛、その前列を
魔法少女たる椎奈やその側近たちが率先して進む。


荷物・荷馬を中央、前後で挟み込んで護衛というのは、教科書どおりな遠征の行進である。



旅に出た民の移動はほとんどが歩きだったが、荷物は馬の背に載せて運ばせた。
数週間にも及ぶ長い旅路のための食料や水、テント設営の器具や武器などが馬で運ばれ、自分たちは馬の轡の綱をひいて、
足で歩いた。

水筒は、馬の馬具に吊るして馬が歩くたびに揺れた。



バリトンを出発したばかりの旅路は、美しい森と、緑の大地に囲まれていた。

空は相変わらず曇っていて、どこまでも灰色が広がっていたが、その地上に連なる山々と、その先々に広がる
西暦3000年の世界への旅に、円奈は心を寄せていた。



58

椎奈らバリトンの一行は、神の国をめざすため、ミデルフォトルという異国の港でエレム国と合流する予定にあった。

その港は、モルスと呼ばれる国境地帯を抜けた先にあり、その国境を抜けるためには、ファラス地方という生い茂る
森林の無政府地帯を抜けなければならない。


そのファラス地方に入る前、バリトンらは、隣の領地キリトンの領主メイ・ロンとおちあった。


メイ・ロンは、円奈が五年前に、椎奈につれていってもらった市場を開催した魔法少女である。


その市場が開かれた城に、鹿目円奈は、五年ぶりにおとずれる。


「わああああ…」


と、円奈は、はじめてあの城を訪れたときと、同じような感嘆の息をもらした。


城は、相変わらず威容を誇って聳え立っていた。


天まで見上げるような城、石とモルタルで積み上げられ、その周辺は冷水を含めた堀に囲われ、入り口は
鎖で吊り上げる跳ね橋が掛けられる。


落とし格子という、樫の木材と鉄の格子に守られていて、その両側を、槍をもった鎧の守備隊が警備している。


椎奈は馬をおり、堀にかけられた跳ね橋を渡った。


「あげろ!」

誰かが城壁の見張り塔から、号令する。


あの市場のときとは打って変わって、灰色の曇り空に覆われた城は、緊張感にみちていた。そのなかも、市場の
ときのような賑わいはなく、ひりひりと張り詰めた冷たさに満たされていた。


だが本来は、これが外敵から侵入を防ぐ城の実際の雰囲気であった。


円奈は固唾をのんで、城の落とし格子が、城壁二階の守備隊によって巻き上げ機で吊り上げられる様子を見守る。


城の入り口が、ギイイと音をたて、入り口の格子が吊りあがっていく様子は、なかなか壮観であった。


城壁は、矢狭間という、凹みがいくつもあって、凸凹していた。そのへこみから、外敵がきたとき、守備隊が
弓や、クロスボウを射るのである。


跳ね橋がおりて、落とし格子があがると、中から、メイ・ロンという、城主がでてきた。

その城主にしたがって、二人の少女が、後ろから付き添ってやってきて、椎奈の前にでてお辞儀する。


「あっ!」

そのとき円奈は、思わず声をあげた。


二人の少女を、円奈はみたことがあった。


「あのときのっ!」


そう、円奈がはじめて市場をみにいったときに、いきなり喧嘩をはじめ、市場をひっちゃかめっちゃかにした、
あの二人の魔法少女であった。


あのときみたいに、変身姿ではなく、召使いのような、長いエピロンとウールのドレス姿であった。
前の、サークレットをつけた上品な姿ではなく、乳絞り女みたいになっていた。



しかし、あのときのような、やりたい放題な様子とちがって、城主の両側につきそって、丁寧にお辞儀する二人は、
まるでよく躾のいきとどいた子供のようであった。


円奈がおどろいたのは、五年前みた姿と、ほとんど見た目の成長がなく、ただ中身だけ変わっていたことだ。


つまりすっかり、城主メイ・ロンの奴隷をこなしているみたいで……。


「話はきいているぞ」

メイ・ロンが、椎奈に話し出した。「もう旅に?」


「うむ」

椎名が答えた。「すまない。そなたのおかげで助けられた」


「領土違えど同じ魔法少女。神の国への旅、私のできる最大限の援助だ。おまえたちの旅に、女神の祝福を」

メイ・ロンは答え、すると笑い、付け加えた。「二倍の報酬はしっかり受け取るつもりだが、な?」

「それでこそ城主というものだ」

椎奈も微笑んだ。「その二人も、あれから随分とそなたの教育が行き届いて───…」

なんて、椎奈が語り終わるより前に、メイ・ロンの両側から、二人の召使い姿の魔法少女が飛び出して、跳ね橋を
渡ると、円奈のもとに駆け走った。


「なあ、この女、あのときの子じゃないか?」

と、魔法少女がいって、はやしたてる。五年前、市場をひっちゃかめっちゃかにした、この魔法少女の名は、
クーフィル。金髪セミロングの魔法少女。

「そうだ!へええ、成長したんだねえ!」

クーフィルの話にこたえて、同じように盛り上がって喜びの声あげるのは、茶髪の魔法少女で、やはり市場を
ひっちゃかめっちゃかにした魔法少女。名前は、ネーフェラ。

「弓ももっちゃってさ、剣も?手作りなのこれ?へーえ!」


「ええと……その……」

円奈は、あのときの暴走した二人に言い寄られて、馬上で困惑していたが、やがて照れたように、ピンク色の髪
を手で掻いた。

そういえば、この二人の魔法のおかげで、りんごをはじめて食べられたんだっけ。

今の私なら、わかるよ。

「久しぶり…だよね?」

「ああ、久しぶりさ!で、なに、おまえも、神の国いくの?」

と、もう事情を知ってるネーフェラがたずねてきた。エプロン姿の胸元に結ばれた黒いリボンがゆれる。

「そうなんだ……あっ、そうだ!」

人と話すのが苦手な円奈も、魔法少女と話すときは、明るく話すことができた。

普通の村人とちがって、円奈には、魔法少女にはいい思い出が多かったからだ。

「あなたたちは、神の国にいったことが?」


「うーん、あるよねもちろんねえ!」

と、ネーフェラが、得意げに、腰に片手をあて、言った。「魔法少女たるもの、一度はあそこにいかなきゃ……」

「そうだなあ」

金髪のクーフィルも、両腕を組んで、目を瞑ると聖地を思い出しつつ、語る。「うん、魔法少女なら、あそこに
行かなきゃ、だな」


「どんなところだったの?」

円奈は、興味津々といったかんじで、たずねる。


「これからいくなら、自分の目で確かめなきゃだ!」

と、クーフィルが、目をあけると、言った。

「ただあそこは、伝説か、逸話くらいにしか思ってなかった、円環の理とか、世界再編とか、そういう話が、
本当って思える場所なんだ。だから世界の魔法少女は、生涯にいちど、いちどでいいから、私たちのために
祈ってくれた一人の少女の前にいって、挨拶するんだ。魔法少女たちのあいだでは、これを巡礼っていうんだ。
そうだっけね?」

といって、相方のネーフェラに確認をとる。

わりかし適当な性格をしているところは、五年前と同じだった。


実は、隣国キリトンの市場を荒らしたこの2人の魔法少女こそが、椎奈がお留守にする間のバリトンの村を魔獣の手から守り、
なわばりとする、継続にあたる魔法少女とすることを、椎奈は城主メイ・ロンと公約を交わしていた。

もちろん椎奈が神の国での聖戦より帰還すれば、メイ・ロンの奴隷に戻らなければいけないのだが。


「へえええ…」


円奈はただ感心して、神の国を知る魔法少女の話を聞いていた。。


「ここから神の国にいくんだったら、遠い場所にあるから、気をつけるんだよ」

こんどは、茶髪のネーフェラが、言った。

「神の国にいくには、三つの試練があるんだ」

「三つの試練?」

「そう。聖地に、ただで辿り着けると思っちゃ、いけないさ。巡礼するものに、試練が与えられる。
一つは───」


こうして鹿目円奈は、魔法少女の口から、聖地への旅でふりかかるであろう、三つの試練のことを、教わった。


”シンダリン語の国を抜けると、別の言葉がきこえてくる。その言葉の意味を考えよ”


ネーフェラが、腕組んだまま、得意げに、二つ目の試練について口にした。

「二つ目は───」


”エレム国を名乗る魔法少女に会ったら、その顔と名前を覚えよ”


「それは、どうして?」

円奈は、再びたずねる。

「なんたって、いま神の国を治めている国が、エレムだからさ。」

ネーフェラはうんうん頷きながら、腕組み、語った。

「エレムの魔法少女の一人もしらないで、神の国に入ろうとしても、弾かれるかもしれないよ?」


「そう、なんだ……」


「そ。ま、大丈夫だよ、嫌でも覚えるから」

意味深そうにいいながら、ネーフェラは、うんと頷き、それから、三つ目の試練について告げた。





”そして何より、神に愛されてなければならない───”

59


キリトンの城をあとにし、いよいよバリトンの一行は、円奈は────今までしりえなかった、
足の踏み入れたことのない土地へむかう。


そこはファラス地方とよばれる、バリトンとキリトンに隣接している無政府状態の森林地帯のことで、
ミデルフォトルの港に向かうためには、避けて通れぬ地帯であった。


円奈の母、鹿目神無はこのファラス地方を通っている最中、キロフの領主に迫られ、領主を殺して
バリトンまで逃亡してきた。


円奈は、自分にむかって笑顔で手をふってくれるクーフィルとネーフェラの二人に別れを告げ、
このファラス地方へとむこう。



そのまま、旅にでること数時間がたった。

大いなる旅にでたとはいえ、村人60人の規模で遠征する進行は、決してスムーズでなかった。

村人は、騎士たちに護衛されながら、馬に荷車をひかせながら進むのだが、坂道や、でこぼこした
地面にさしかかるたび、進行はおくれ、村人同士で協力しあって、やっと荷車を前へ運び出せるのだ。


村人達は誰もが武装していた。

この時代では、自分の身は自分で守るために、誰でも武器はもっていたし、剣術や弓はそれなりに心得ていた。



国の土地は離れたが、バリトンの森は存外、広かった。


民を連れて先頭をゆく、馬の轡の綱を引く来栖椎奈のすぐ隣に、鹿目円奈がついていた。


自分が魔法少女になれない、縁遠いという現実を思い知らされてからは円奈は、そのむなしさを紛らわすために、
身近な魔法少女にべったりくっついて話をきいたり、戦闘を見学しようとして断られたり、遠い国や遠い昔の英雄的な
魔法少女の話を本で読んでうっとりしたりを繰り返していた。


「椎奈さまは、神の国に行かれたことが?」


カシャカシャと、荷車の車輪がまわる音と、馬の蹄の音がしている。

時間と隙あれば魔法少女と話をしようとするその子に優しく微笑み、来栖椎奈は答えた。


「ある。20年くらい前、エレム国が神の国を支配をしていたとき、巡礼を願い出た」

「巡礼は許可されたの?」

20年前とは、円奈の生まれるより前のことだ。

「許可された。私だけに限らず、巡礼を願い出るすべての魔法少女に許可がでた」


来栖椎奈は手綱で馬を連れながら、いう。

馬は、大人しく魔法少女に轡をひかれるままに歩く。


「初めて神の国にいったときは、そこにいるだけで魂が洗われる気分だった。城壁に囲まれた城塞都市だったが、
壁に触れているだけでに聖なる魔力が私のなか注がれてくるのを感じた。不思議な感覚だった」

そういい、最後に円奈を見つめてから、付け加えた。「魔法少女にとって紛れもなくそこは、聖地であった」

「また聖地に、こうして行けるのは、幸福ですか?」

なんでも質問をしてくる円奈に、領主は答えた。

「そうかもしれぬ」

そこには数十万人くらいの人間が暮らしていたが、見渡す限り、魔法少女もあたりじゅうにほっつき歩いていて、
右も魔法少女、左も魔法少女という場所なのである。


神の国は、いいかえてしまえば、もう、魔法少女の国家であった。

60

 
"madoka's kingdom of heaven"

ChapterⅡ: a puellamagi knighting
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

Ⅱ章: 魔法少女と騎士の誓い



そのまま、旅にでること一週間がたった。

一日に進む距離はそれほど多くはなかったし、夜になればテントを設営して寝泊りした。
その調子で一週間旅を続けて、バリトンの一行は、ファラス地方の森にさしかかった。


ファラス地方。無政府状態の森林。


民家らしい民家もなく、農地らしい農地もなく、ただひたすら、混迷だった森がどこまでも続いている地帯で、
だれが住んでいるのか、そういったことが、まるで闇に包まれた、怪しげな深緑地帯である。


森は薄暗く、不気味な静けさである。曇り空になると、さらに暗がりが増した。
人々はたまに噂した。

暗がりの森には、”魔女が住む”と。



「この先をまっすぐゆけば──」

椎奈が言った。話しかけているのは円奈でなく、近衛兵の騎士たちのようだった。

「ファラス地方に入る」

「遠回りしますか?」側近の少女が魔法少女に進言した。

椎奈は首を横にふった。「ここを通るしかない。ファラス地方の魔法少女どもは、授かった魔法の力を己の私利私欲の
ためだけにばかり使っている。どんな襲撃をうけるかもわからん。心せよ」


この乱世、人のため、国のために魂を捧げ契約する魔法少女ばかりではない。


身近な人々の暮らしがままならず、まさに国が枯渇に餓えようとしているのに、少女は人のために祈らず、
「自分だけよい」という契約で「富を独り占めしたい」「人を支配する力がほしい」と願った。


結局そういう魔法少女らが世の紛争を激しくした。


バリトンの地を離れ、神の国に向かう旅の岐路にあたって椎奈領主と村人の一行は、そういった野蛮な魔法少女が多いと
悪評高いファラス地方の国境にさしかかったのである。


椎奈を先頭にしてつづく60人のバリトンの旅でた村人たちは、その悪評ある森の前にさしかかって、曇った顔つきを
みせている。荷車をひく手をとめる。


円奈も、旅のはじまりにわくわくした期待を胸に抱いていたが、いきなり、難所にさしかかっているらしい
気配を感じて、胸に手をあて不安を感じて、椎奈と騎士たちのやりとりを見守っていた。



山々を覆う空は相変わらず厚く曇っていて、見る限りの灰色であった。

その寒空は、春がはじまりだしたというのに、冬に戻ってしまったかのようであった。

61


夕方が近づいた。

ルートを定め、方向転換したバリトン一向は、森林に入って、南にむかっていた。


しばらく南に進んでいると、森の様相が変化はじめた。

美しい緑だった森は、しだいに深い、混迷だった森になり、土からはくねくねとした根がいくつも突き出した。
根っこだけでなく、木の枝まで、くねくねしている。

土はやわらかく、踏めば沈む。横たわる何本もの倒木は、腐り、虫の棲家になる。


それがファラス地方なのであった。

その人気のまるで感じられない、というより人の侵入を許さないような混迷の森の奥には、
魔法を我が物とする横暴な魔法少女が潜むという。



森の木々のあいだにたちこめる霧が深くなってきたのも、日が暮れて気温が下がったせいだろう。


夕刻になる。

椎奈はそこで、休息をとるように民に指示した。
森のなかを流れる川を見つけて、休息にはちょうどいい地点だと思ったからだ。




鹿目円奈は、愛馬クフィーユの背中に乗せていた荷物を降ろして、馬を休ませた。荷物は樹木の際に置かれた。
荷物の中身は、彼女の持参するパン何枚か、火打石、鉄板、火種の麻紐、ろうそく、毛布、予備の鏃、髪きりバサミ、
革製水筒などだ。

弓と一緒に、矢を何本かいれた矢筒も、樹木に寄せて置いた。

がららん、と弓と矢筒が一緒になって樹木に放置される。


そして自分は流れる川に寄り添って、まず手を洗い、あとで手にすくって顔を洗った。

「んー」

水滴が円奈の顔で弾け、キラキラと夕日の光を反射する。「すっきりするー!」

水滴は、オレンジ色に煌いて、弾ける。


顔を洗ったあとは、両手に水をすくい口に含んだ。森の川水は冷たく、刺激的ですらあった。
ツーンと冷たい水が喉を流れる感覚に、円奈は少し身震いした。


「ふー」


あたりには川の水が流れる音と、時折に鳴く野鳥の声だけ。

その静けさは、夕暮れの森には不気味ですらある。


いよいよ、故郷を離れて知らない土地にきたのだなあ、と、円奈は思った。


荷物を置いた樹木に寄りかかると円奈は、持参した毛布を取り出して身体にくるんだ。
そのまま、うとうとしはじめる。


ほんとは、椎奈とお話もしたかったけれど、椎奈はいま、側近の武装した騎士たちと話し合っている。
その内容が旅路についてなのか民についてのことなのか、分からないけれど。


私が入るわけにもいかないよね。


まわりを見渡せば、すでに毛布にくるんで眠りに落ちている人もいれば、持参してきた釜に油分をいれて薪で火を炊いて、
魚を焼いている村人たちもいた。そして少年達は、剣を振るってちゃんばらごっこを楽しんだりしていた。

みんな、一緒に神の国に向かう。


みんな村の少女同士や、少年同士で集まって、お喋りに盛り上がっていたりしていたけれど、円奈は遠目にみるばかりで、
自分はたった一人でそこでうとうとしていた。

それは、いつものことだったけれども。


そして、夢見心地の意識に引き込まれながら、神の国について考えた。


無事到着したら、どんな光景が私を待ち受けているんだろう。

すでにそこは、戦いの場になっているのかな。
そしたら私たちは、すぐに戦うことになるのだろうか。



「円奈よ」

うとうとしていたら、急に名前を呼ばれて心でドキリとした。円奈が慌てて目をこすると、来栖椎奈がいた。

「椎奈さま?」

寝転んでいた体勢をすぐに直し、起き上がる円奈。「どうされました?」

いつの間に、私のところに来ていたんだ。

かたわらの樹木に身を寄せて、バリトンの少女・こゆりが心配げに、円奈を見つめていた。


「私と剣を交わしてみよう。腕を試す」

「え!」今度はちがった意味でドキリとした。

「拾え」

ガチャンと音たてて地面に落ちたのは、椎奈の投げた剣、鋼鉄製の両刃の剣だった。

椎奈はその剣を投げたあと、自らの剣を鞘から抜いた。


魔法の剣であり、真剣だった。直撃すれば斬れる。



「ソウルジェムの力は解き放たぬ。生身で勝負しようぞ」

魔法少女は告げ、ギラリと鋭く光煌く刃の長剣を構えた。

「分かっているとは思うが、敵は私より強力な魔法少女を揃えているぞ」


ゴクリと、円奈は緊張してつばを呑んだ。

投げ込まれた鞘から中身を取り出すと、少女には重たすぎるくらいの剣が現れた。キランと、現れた剣身が光った。


バリトンの民として円奈も剣術を学んではいた。
だが、魔法少女との実戦ともなれば手の打ちようはない。少なくとも、個人の技量では。


それでも。


「畏れながら参ります」


剣を両手の平においた円奈は、水平に剣を持ったその体勢のまま、領主に礼をした。


そうとも、これから、魔法少女の国と魔法少女の国がなわばりを激しく競っているようなこの世界を旅するのだ。


そんな世界を渡り歩こうと思ったら、今から実力をつけるほかない。


「わたしに勝つつもりでかかれ」


領主も答えた。

側近の騎士たちが合図されて椎奈から離れ、距離をとって二人を間合いを見守る。


椎奈が鞘から抜いた剣の柄の部分には鷹の彫刻が彫られ、その翼を象ったデザインの立派な剣だった。


その剣を領主は振るって円奈にせまった。


円奈もすかさず応じた。剣と剣がぶつかりあい、魔法少女の攻撃を剣で受け流し、次々に仕掛けられる
攻撃のどれもを円奈はたじろきながらも受け止めた。

生まれて初めての剣の演目。真剣と真剣の稽古。円奈は怖い。事故なんかあったら、腕は切れる。

それでも懸命に、実戦に望む気持ちにさえなって、懸命に円奈は剣舞を演じた。


森の中で行われる二人の決闘を、側近の男や女の騎士たちがただ見守っている。
聞こえるのは二人の剣同士のぶつかる金属音の響きと、流れる川の水の音と、森の野鳥の声だけだ。


何度か剣を交し合うと二人の間には再び距離が生まれた。


「悪くないが構えが低い」

剣が何度か交わされたあとで、円奈の剣術の実力を推し量った椎奈はいった。

「もっと高く構えよ。こうだ」

椎奈は、両手で剣を頭上にもちあげてみせた。

「この型の名称はラ・ポステ・ディ・ファルコネ、”鷹の構え”という意味だ」 

円奈は、椎奈の言葉を真面目な顔つきできいている。領主であり魔法少女じきじきの稽古を、習う。

真剣の扱い方を。

「やってみよ」

そういわれ、魔法少女の構えに習って、円奈もおずおずと剣を頭上たかくに持ち上げてみせた。

「頭上から振り下ろすのだ」

彼女はそう言い、剣を頭上からブンブン振り落としてみせた。
剣の空を裂く音が静かな森に轟いた。

「やってみよ」

見本を見せられた円奈も、真似して、頭上に持ち上げた剣を振り落としてみる。ぶおん。その剣の落ちる音はぬるい。

「まっすぐ立て」

椎奈がトンと、剣の平たい部分で円奈の足の腿をたたき、まっすぐの体勢をとらせた。

「体勢がゆるんでは敵の真剣を受け止めきれん」

剣の平らな部分で足を叩かれた円奈が、まっすぐに立つ。

「足をひき、まっすぐに構えよ」

言われた通りに体勢を直し、再び円奈が構えをとる。
その円奈の体勢に満足いったのか椎奈は、自分も剣を頭上にもちあげると構えをとった。


そうして互いに剣を頭上に掲げて対峙し向き合うまま、椎奈が告げた。「防いでみよ」


息つく間もなく、椎奈が円奈に攻撃を仕掛けた。

「力で負けるな。隙を突かれるぞ」

振り下ろされる剣を円奈は受け止め、絡んだ剣を振り払って切り替えし、反撃しようとした。

しかしその刹那、円奈の首元に椎奈の剣の”鍔”の部分がせまった。鷹の翼がデザインされた鋭い柄の部分が。

「…っ!」

それだけで動きをとめられてしまう。


「武器は刃だけとは限らん」


鷹を象った鍔の、その尖った部分を喉元につきつけられながら、円奈は椎奈の言葉を聞き入れた。


「来い」


こんどはそっちから仕掛けろという意味だ。


互いに剣を頭上に持ち上げ、機を窺う。


二人の剣舞を見守っていた人たちは、鹿目円奈が魔法少女を相手に勇気を失い、いつまでも攻撃を仕掛けられないで
いると思った。しかし相手から目を一瞬とも目を逸らさず、神経を集中させていた円奈はそうではなかった。

実戦経験はおろか、力も武術の心得もないひ弱な少女が、魔法少女と剣を交える演目を懸命にモノにしようとする。


静けさの支配するなか、森でとつぜん鳥が飛び立ち、木の葉が舞った。
バサバサと翼の音が沈黙を破り、そして。


その瞬間に円奈が一気に間合いをつめた。


相手の油断を待つその戦法は、虚を実で討つ、どれほど時代が流れようとずっと受け継がれてきた戦法だ。


一気に振り落とした円奈の剣と椎奈の振るった剣がぶちあたり、金属音をうちならす。

キィィィン──


二人の少女が剣舞を演じる。



だが、思ったより早く決着が訪れた。



椎奈の振るった剣の一撃が、円奈の剣を弾き飛ばした。キィンと甲高い音が鳴って、飛ばされた剣は円奈の頭上を舞った。
剣はクルクル回って、円奈の背中の地面にグサと突き刺さった。


それで終わりかと思いけや、丸腰になった円奈めがけて椎奈は水平に剣をふりかざした。

円奈は足をひいて距離をとり、剣をかわし、また振られた剣からも、額に汗ながしつつ、驚いてよけた。

反応に遅れたら、本当に斬られるんじゃないかと思い、円奈は怯えの表情すら浮かべた。そして、情けなくも、地に片膝ついて
ぜえぜえ息を切らしてしまった。固目を閉じ、顔を赤くさせている。つらそうだ。

これが15歳の女の子の体力だった。


近くで見物していた金髪ロングの男騎士が、あきれたように冬の森にて白いため息を吐いた。


まだ演目が続くかに思われたが、そこで椎奈がふう、と息をついて剣を鞘におさめた。


「後日また練習だ。よいな」


練習試合が終わったと察した見習い少女騎士が、椎奈にかけよって彼女の剣を受け取った。

受け取ったあとで、腰ベルトの鞘に剣を収める。地面に刺さった剣も取り出して片付けた。



そのあと、ある一人の見習い少女騎士が、円奈に一礼をして、離れていった。


「…はぁう。」

と、力が抜けたように、円奈は葉っぱの積もる地面に手足なげだしてごろん、と倒れこんだ。

生まれて初めての、文字通りの真剣勝負。数分の演目でも、神経をだいぶすり減らしたに違いない。

大の字で地面に寝転がって息を吐く。


すると、バリトンの村の少女・こゆりが、円奈が地面に膝をつくや否や駆け寄ってきた。

どうやら二人の戦いを見守っていたのは側近の者達だけではなかったようだ。

「まどなさん!大丈夫ですかっ!?」

「あは、こゆりちゃん」

恥ずかしいところ見られちゃった、とばかりに照れ笑いする円奈の息はあがっていて、顔は赤かった。

「大丈夫だよ。でも、ちょっと疲れちゃった。いろいろと」

といい、ばたんと地面に大の字で寝転ぶ。それでも顔から笑顔は消えなかった。「あはは。やっぱ椎奈さまには敵わないや」

こゆりは、ぐすっと目を赤らめた。「傷つかなくて、よかったです…!」


綺麗な黒い髪と、澄んだような黒い瞳をした、10歳を超えたばかりの少女にこうも心配されて、なんとなく
くすぐったい心境になる円奈だった。


「こゆりちゃんったら、大げさ、だよ」

まだあがっている息、漏れる吐息。「あぁ、でも、たしかに危ない場面もあったかな……」

えへへと、そういい、笑う円奈。


このこゆりという少女とは、円奈は、バリトンの山々で狩りにでかけていた帰り道で、ちょくちょく
はちあわせていた。


まるで帰り道を待ち受けているみたいに、狩りが終わると、このこゆりという少女がいた。

そして、数少ない、円奈にとっても友達になった。


こゆりは、たまに、一緒に狩りにいきたいと、円奈に頼むこともあった。しかしこゆりの親が反対した。

それに、弓の心得も馬術の心得もないこの黒髪の少女を狩りにつれていくのは、無理があった。



だからそれができない代わりに、狩りの帰り道でちょっとだけ合流して、ちょっとお話するくらいが、
円奈とこゆり、この二人の少女の間にあったちょっとした友情だった。


こゆりは、円奈が狩りに出かけ、弓を担いで森へ馬で駆ける姿をちょくちょく見守った。

二人で一緒に、馬に二人乗りすることもあった。


野鳥を見つけたら、空に飛びたつ野鳥むけて円奈が弓を放つ姿を、横で見つめていたときもあった。


親には、あの鹿目って女には関わっちゃいかん、不幸になるぞ、といわれても、こゆりは円奈の狩りについていきたがった。



自分も狩りを覚えたいとか、そういうのでなく、ただ円奈の弓を放つ姿に、憧れているのであった。




そのころ、椎奈らと側近の騎士たちは、野宿するためのこの日の野営テントを組み立てているところだった。

テントは、エドレスという国の都市部で紡績された綿の生地でできた天幕で、その組み立てには、木材の支柱をつかった。

土の地面にぶっさして支柱を立て、中央に柱をたてたら、そこに幕をかぶせ、幕の端をひっぱったら紐で地面の杭に
繋ぎとめて固定し完成という、単純なものである。



「いかがでした?」

騎士の希香が、さっきの円奈との対決を見届けて、椎奈にたずねた。

「まだまだだ。あれでは実戦に出せんな」

椎奈は、組み立ったテントのなかに、絨毯をしき、蝋燭を立てる燈台を設置する少女騎士の作業を見届けながら、答えた。

「わたしがあの年だった頃を思い出します」

希香が、いたずらっぽく笑い、言った。彼女も騎士姿として武装しており、チュニックの下に鎖帷子を着込み、
腰にベルトを巻き、鞘に剣をぶら下げていた。

「あの鹿目みたいに、わたしもひよひよでした。でも、あなたのもとで稽古うけて、騎士見習いしてましたから、
あの子よりはいい線いってたはずです」

「おまえは円奈となにを競っているのだ」

椎奈が複雑な表情で顔を曇らせると、希香はまた笑った。

「なにって、決まっています。そう簡単に主人公の座をとられやしませんよ?」

62


夕日も落ちかけた頃、ファラス地方の森のど真ん中で、鹿目円奈は、弓を取り出していた。


さっきの魔法少女との決闘演習で疲れた身体は回復して、いつもの、狩りの癖というか、生業柄みたいなものが、
円奈に行動をとらせていた。



それは、どこかで鳴く野鳥の声である。


バリトンの村人は、どこかで鳥が鳴いているんだなと、野営テントか釜で焼いた火鉢のまわりに居座りながら
ぼんやりと思うだけだったが、円奈にはちがった。


野鳥の声が聞こえたということは、獲物がそばにいるということであった。


農地をもてず、収穫らしい収穫もなくて、パンさえ食べられない円奈にとっては、鳥をしとめることが、自分の生きる道なのであった。



大きな樹木に寄せ置いていた、手作りの弓をとりだし、矢筒を背中に取り付け、一本の矢を手に取り出し、
ゆっくりと弦に番える。


矢筈と呼ばれる、矢軸節の後端の凹みに弦を番え、それから矢羽のうしろを中指と人差し指のあいだに挟んで、
慎重に森を見回す。



あたりは、日がおちて暗くなっていたが、あたり一面にそびえ立つ林を見回して、獲物を探す。


すると円奈は、矢の番えた弓をグググっとしぼり、上向きにし、しっかり目で見て狙いを定めると、矢を放った。


弦を引くときは、頬に弦をぴたりつけて、狙いを固定する。


ビュン!!


物凄い勢いで弦がしなり、円奈の弓から矢が弾かれる。矢は林の葉へと吹っ飛んだ。イチイ材で
手作りした弓は強靭で、その弾力も抜群であった。

林冠へ一直線に飛んで言った矢は、ズバっと葉と葉のあいだをつっきり、その先ではためいていた鳥にあたる。


キィィィ──。

鳥の悲鳴が轟き。


次の瞬間には、矢が切り落とした数枚のはらはらと落ちる葉と一緒になって、鳥が羽をばたつかせながらおちてきた。


「やった!」

おちてきた鳥の前に走り、弓を片手にもったままガッツポーズして、今日の獲物の確保を喜ぶ仕草をみせる。

今まで何千回と弓を引いてきただけあって、この少女の弓技は達人級だ。


村人の何人かも、突然鳴り轟いた鳥の悲鳴に、何事かと円奈のほうを見た。


そしてバリトンの農民は、鹿目という少女が矢で鳥を仕留めたことに気づき、驚いた。

護衛手段として弓を扱う農民は多かったが、野鳥を矢で射るほどの凄腕はいなかった。


村人達が気づかないうちに、鹿目円奈は、村一番の弓の名手になっていたのであった。


普段、農地で暮らし、民家で暮らすバリトンの村人は、のけ者にしていた少女の、そんな成長ぶりに、
今更ながら気づかされた。


しかし、とはいえ、農民は狩りを禁じられている身分であり、弓が達者とはいえ、野鳥を弓で射て殺す
少女の行動に、彼らは少なからずぎょっとした。

狩猟の娯楽は、もっぱら、領主の特権と定められていたような時代だったのである。

円奈の狩りは、椎奈のような理解ある領主こそ許しはすれ、他国の土地だったら、罰せられている。


そんな、村人たちにたじろかれている視線にも気づかず、あるいは熱い眼差しをむけるこゆりの視線にも気づかず、
円奈はしとめた野鳥を確保する。

パン、穀物などの蓄えを、財産として荷車にのせ運んでいる他の村人とちがって、そうした財産のない円奈は、
こうして旅の先々で狩りを成功させないと、食いつなぐことができない少女なのだった。


もう円奈は、今日の夕食のための準備をはじめ、薪を集めだしめている。きょろきょろあたりを見回して木の枝の
細いのから太いのまで、種別しながら集める。


火打石を鉄板に打ち、火花散らせて、ガマの穂を炭にしたヒグチに火をつけ、ふーふー息をふきかけつつ
枯葉など山を積み、火をうつす。

火をうつすのに、この火種を麻紐に包んで、ぐるんぐるん手で振り回すこともある。

次に細い枝からのせて、だんだん火が大きくなってきたら、積み上げて大枝をのせるといった調子で、
火をつくり、あとはしとめた野鳥を、持参の小刀で内臓をだしてから食べる。


たった一人の食事だった。


すっかり日が暮れ、いよいよ森が夜に変わる頃、こゆりは、一人で寂しげに野鳥を焼いている円奈に、
勇気を奮って話そうかと思った。


それは、たった一人で食事する円奈の背中が、あまりにも寂しそうだったから。


話し声がきこえて、ふと、こゆりが視線を横に移すと、農民たちが集まって、円奈一人だけ除いて、
その日の野営テントの前に集まって談合していた。


起こした釜の火鉢のまわりを囲って、話している。


「おい、みたか、あの鹿目。鳥を殺してたぜ!」

そう話すのは、一週間前の朝も不満たらたらに妻と話していた、村人であった。「鳥を殺して、くってるんだぜ!」



その声は、ひょっとしたら、円奈にも届いているのかもしれない。

でも、円奈は相変わらず一人寂しげに、背中を丸めて川の前で食事していた。


「だって、そうもしないと、食べ物がないんだろ。」

あのときも叱咤していた妻が、なだめる。「思えば、かわいそうな子じゃないか。そりゃ、もともとはここの
人間じゃないけどさ…」


「あいつのせいで、たくさん仲間が死んだろ。それに今回の旅だって、噂じゃあ、」


円奈が聞いているかもしれないのに、大きな声で、農夫の村人は、話しだす。

火鉢のバチハヂと燃える前で、この農夫は、腐った倒木に腰掛け、片膝をまげて膝にのせ、
愚痴をこぼすみたいに荒っぽく喋る。


「来栖さまが、あいつに目をかけて、あいつのために聖地とやらに俺たちが駆りだされてるって話じゃないか。
やっぱり、不幸を呼ぶ女だよ。俺たち、異国の地で犬死しちまうよ」


「それが本当だとしたら、母に次いで、娘まで呪いをふりまいてくれてるな」

別の村人が、言った。

「その聖地ってのも、どうでもいい」

別の農夫の村人も、言った。

「死んだら元も子もない。なのに、そこに行けば、死ぬかもしれん」



こゆりは、心配そうに、円奈の背を遠くながら見つめた。


まだ、寂しそうに一人で食事していて、背をこちらにむけているから、顔がみれないし、分からない。

ひょっとしたら背をむけたむこうで泣いているかもしれない。




こゆりは、勇気をふるって、円奈に話しかけようと思った。

でもそのとき、親の自分を呼ぶ声にとめられた。



こゆりは振り返って、戻って来いと告げる両親を涙ぐんで見つめ、逆らえずに家族のもとに戻った。

次回、第5話「ファラス地方の森 ②」

第5話「ファラス地方の森 ②」

63

夜がきた。


来栖椎奈は、夕暮れに手下につくられた野営テントのなかに、たたずまっていた。


テントのなかは、木のテーブルに松明がたてられ、その蝋燭の火がゆらゆらと、赤く照らしている。


それだけが、真夜中の森のテントの灯かりであった。


それから椎奈は、魔法の剣を鞘からわずかにだけ抜いて、その剣身をみた。刃は、青白く光ったりしていなかった。


「魔獣はあらわれない」


魔法少女は、そう呟き、テントのなかに組み立てた木材のイスに腰掛けた。


その前には、騎士・希香(ののか)と、世話役の見習い少女騎士の二人が、立っている。


他の、男の側近の騎士たちは、椎奈とは別の野営テントのなかで、休憩をしている。


「しずかですね」

と、希香は、いった。バリトンの村にいたころは、夜中になれば、鎖帷子も脱いで普段着になっていたが、
この旅にでてからは、夜になってからも、武装をとくことはなかった。


「ふむ」

椎奈は腕組むと、椅子で頷いた。


ろうそくの火だけが、そこで存在感を示すように、ゆらゆらと光を放つ。


ぼうぼうと燃え続ける火は、周囲にほのかな光を放って、魔法少女を中心にして、騎士たちの顔も照らす。


だがそのろうそくの火も、しだいに溶け、弱まっていった。


魔法少女と、騎士たちは、無言だった。


寝静まった森。

耳に入るのは川の水が流れる音だけだったし、夜の森を照らすのは月の光だけだった。


円奈はなかなか寝付けなかった。


夜の森には魔女が現れる。

そんな噂が信じられるわけが、円奈もよくわかったきがした。

森の木々の間には白い霧がたちこめ、奇妙な鳥の鳴き声は昼間とは異質のものだったし、夜の森の葉のざわめきは
ひどく不気味だった。


深く寝静まった夜に森に囲まれると、余計そんな気持ちになる。



(眠れない…)


円奈は樹木に身を寄せて、傍らの荷物や手作り弓と一緒に毛布にくるまって眠ろうとしていたが、寝付けなかった。


さっき、村人に言われたことも、心に入り込んで、なかなか消えなかった。


相変わらず、自分を不幸を呼ぶ女みたいにいわれて、やっぱり、傷ついた。



目に溜まった涙を、隠すようにして閉じ、瞑って、毛布のなかで眠りにつこうとする。



みんな、家族と一緒になって眠っているのに、円奈だけ、一人で、村人とは離れた樹木の傍らで、眠りにつく。


しかし、そんなときであった。



深夜の森で眠れずにいた円奈に、こっそり話しかけてきたのは、村人の農夫の一人だ。



「おまえが鹿目か」


「えっ」


名前を呼ばれた円奈がくるまった毛布から身を起こした。

こんな深夜に誰かに話しかけられるなんて思いもよっていなかった。


「鹿目」


「はい、あ、っ、なん…でしょうか………」


見知らぬ男に話しかけられた円奈は不安を感じた。

それに真夜中だった。見知らぬ土地の森の深夜、いきなり男に起された。


「俺たちを殺す気だな?」


「えっ?」


一瞬、困惑の表情を浮かべる円奈に、また農夫が言った。


「なぜ俺たちをこんな遠征に出させる?お前から、領主につけ込んだんだろう。農地をもてなかったのが
そんなに憎いか?」


ぐっと、農夫が円奈にせまる。円奈は寄りかかっていた樹木においやられる形になった。

円奈は怯えた。額に汗が垂れた。

「な…なに?」


「ずっとお前を除け者にしてきたもんな。それが憎たらしくて、俺たちを全員殺す気だ」


ぐっと、農夫がさらに円奈にせまる。


おろおろと視線を泳がせる円奈。まったく、想像外の展開だった。

「いえよ。俺たちが憎いんだろう。嫌いなんだろ!だからこんな旅に、俺たちを駆り出した!
正直にいったらどうだ?なんなら俺から正直にいってやる。お前なんか嫌いだ」


バサバサっと、夜中の森林で鳥が羽ばたいた。黒い羽が舞った。


「そ、そんな言い方しなくても…」


円奈の目に涙が溜まって来た。

何もしていないのに、悪いこともしていないのに、憎まれる。生まれつき円奈が体験してきた
つらい記憶が、またここにも再現される。


ぶるぶる、体を震わせはじめていた。


農夫の語調が強くなる。「お前がこの村にしたことを忘れたとはいわせない。村のやつみんな、お前が嫌いだ。
領主だけお前を許していたが、俺たちは許さない。お前は俺たちを殺そうと目論んでいるんだ!母みたいにな!」



ちょっとむっときた円奈が、農夫に言いかえそうとした瞬間───。
円奈は言葉を失ってしまった。

それも、どこからともなく飛んできた一本の黒い矢が、目の前の農夫の首を貫いたからだった。

「え…」

首を矢に貫かれた農夫の目が見開き、呆然として、やがて天を見上げるように虚ろになると、ぐったり倒れた。


訳もわからなくなった円奈があたりを見回すと、また空を裂いて飛んでくる矢の音が耳かすめた。

一本や二本ではない。


次から次へと黒い羽の矢が自分たちをめがけて飛んできては、あちこちの地面や樹木に突き刺さる。



恐怖に頭を支配された円奈が、かろうじで認識できたのは、攻撃を受けて飛び起きたほかの騎士たちや、
農民たちが、慌てて武器を取り出して結集している光景だった。


夜の暗がりにある森の、ずっと奥の奥、木々の間の暗がりに黒い人影がある。
人影は円奈と同じくらいの”子供”に見えた。手に構えているのは影の形から察するに、弩弓と呼ばれるクロスボウ
のような武器。

木々の向こう側に見える人影は、20人か30人くらいで、自分達を取り囲むようにあらゆる位置から弩弓の矢を
飛ばしてきている。

つまり、何者かの集団に夜襲されているのだ。


死と直面している現実に気付いた円奈は、あわててその場を離れて森のなかを駆け出した。


なるべく頭は高くしないで、体勢を低くしながら走る。


黒い影たちが円奈めがけて弩弓を放つ。


円奈ははあはあ息を吐きながら、必死に逃げた。


その間もシュバシュバ黒い弓矢が森を飛び交った。


矢に襲われる。正体もわからない敵に石弓つまりクロスボウで狙われる。

経験したことのない恐怖に、緊張でどくどく血に地がめぐる。


「椎奈さま!」


繰り出される攻撃の間をかいくぐりながら、円奈は魔法少女の名前を呼んだ。「椎奈さま!敵が!敵が撃ってきます!」

まるで母に助けを求める子のよう。とにかく目に涙ためて、懸命に魔法少女のもとまで逃げてきた。


魔法少女は川の付近、腰にぶら下げた剣を鞘におさめたまま、騎士を集結させていた。


「どこの連中かは分からないが、相手しよう」椎奈が告げると、馬に乗った。「円奈、そなたも武器をもて」


パっと、一本の剣を投げ渡され、円奈がそれを受け取った。えっ、わたしがつかうの?みたいな顔をした。


「初めての実戦だ。やはり、昼間に練習をしていてよかったな」



そういうと椎奈は、馬に乗ったまま、指輪にはめていたソウルジェムを解き放った。


「あ…」


それは、円奈が初めて間近でみる、魔法少女がソウルジェムの力を解き放つ瞬間の姿だった。



夜の森にパッと明かりが煌く。

光に晒されて眩しさに円奈が目を覆ったが、それでも見たのは、変身していく椎奈の姿だった。


馬上に乗ったまま魔法少女の姿が光を放ち、ぱあっと闇の森を照らしたかと思うと、その光が収まるころには、
変身していた椎奈の姿があった。


赤いガウンの、ロングスカートのふわりとしたドレス姿であった。赤いドレスに防具が融合したような姿。
その靴下は白く、レースがあしわられる。防具と鎖帷子は、騎士姿のままであった。


その茶髪には、普段着ではつけてないな赤色のリボンが髪をまとめ、申し分程度な少女らしさを醸し出した
変身姿になっていた。


「本当はすきでないのだが」

椎奈は、ドレス姿にかわった自分の姿をみおろし、つぶやいた「やむをえん」


馬上の魔法少女は、変身が終わると、手下の側近にむかって声をあげた。「弓を!」


弓を持った騎士たちが矢筒から一本の矢をとりだし、弓につがえた。


まだまだ矢が敵から飛んでくるのだが、深夜の森、暗闇の先から、一方的に弩弓を放たれているので、
敵の位置も素性もまるで分からない。


「火を灯せ!」


矢を弓につがえた騎士たちは、釜の中に燃えていた火に矢先をあてる。
すると矢じりは松明を灯したように、パッと火がついて光った。

こうして森は明るくなる。弓兵たちが、矢の尖った錐に点々と火を灯し、それが何十という数になる。


「円奈」


魔法の力を解き放った椎奈が、彼女の名を呼んだ。


「…」


まさに憧れの対象そのものである魔法少女に、円奈が顔をあげる。不安な面持ちだった。


「そなたは村の仲間たちとはぐれるな」


そうとだけ命ずると魔法少女は馬にまたがり、鞘から剣を抜いた。
ギランと、月の光を帯びて長い剣が煌いた。



それは物理的な光の反射なのか、魔力のなせる幻影だったのか。


領主が、とうとう、部下たちを率いて、夜襲に応戦する戦闘へ入る。


「矢を狙え!」


椎奈が剣をふるって合図し、すると側近の部隊たちが弓矢の狙いをさだめた。

弩弓が飛んでくる方角の森へ。


「撃て!」


号令を受けて矢が一気に放たれた。燃えた矢が森の奥にむかって次々に飛んでいく。
矢は火の軌跡を描きながら突き進み、木々の間へ飛んでいった。夜の森に火と煙の軌跡が伸びた。


ズバババと火の矢は奥の森に降り注いでいった。多くは木や草にあたったが、なかにはグサリと
肉に突き刺さるような音もした。


闇に隠れた木々の向こうから、何人かの悲鳴がした。


燃えた矢が森の木々に無数に刺さると、火は森に燃え移って、ごうごうと明るく燃え広がりはじめた。

と同時に、木々の向こうに隠れていた敵の姿が見え始めた。



そうか…。だから椎奈さまは弓に火をかけて撃たせたんだ。暗闇に隠れる敵を明るみにあぶり出すために。

心の中で感心した円奈は、しかしまだ敵の弩弓が激しく降り注ぐなかを駆け走り、村の仲間達のもとへ急いだ。
村の少女達や、少年たち、あるいはその家族たち大人たちは、一箇所にかたまって剣や弓を手に互いの背中を守りあっていた。





馬にまたがった椎奈は、部隊を連れて突撃を命じるところだった。

火に照らされ、浮き彫りになった敵がまた暗がりに隠れないうちに、攻撃をしかけることにしたのだ。

「ゆけ!」

彼女に続いて部下の兵士たちも馬に跨り、謎の奇襲をしかけてきた敵勢にむけて突進していく。

椎奈を先頭にして、バリトンの武装部隊が続いて馬を駆り、次々に攻撃に打ってでる。


馬たちは、森を囲う火すら恐れずに、燃える葉と草を飛び越え、燃える木々を抜け、敵勢に進撃する。



敵が隠れているであろう、椎奈たちの野営地をみおろす山道のほうへ、馬で駆け上っていく。


すると、敵側からも弩弓の雨がふった。



それらは森の木々を突っ切り、椎奈たち騎兵部隊に容赦なく当たる。

次々と飛んできた黒い矢に、突撃の途中でバリトンの兵士の何人かが胸を射られ、馬から落馬して倒れた。
腕に矢が刺さったり、頭に刺さったりもした。


それでも怯まず突撃する椎奈たちバリトンの騎士たちは、剣をふるって敵にせまる。


敵勢に突っ込んでみると、敵は、黒い弩弓・ロスボウをもった少年や、少女たちが多かった。
明らかに自分たちとは違う、異国の者どもだった。


(こいつらを統べる魔法少女がいるな)

椎奈は心でそう予測した。

(なぜ”子供だけ”で戦わせる?)



弩弓を駆使して攻撃してくる敵の少年一人に椎奈は目をつけ、剣をふるった。
手綱を勢いよく引くと馬を駆り、接近する。


「ハッ!」


魔法少女の剣先が敵へせまる。

「あァっ!」

斬られた少年が悲痛な声をあげて、バタリと身体を地面に落とした。そのまま落ち葉の地面に頭を突っ伏した。
発射装置つきの木製の弩弓が手からこぼれ落ちた。


一気に敵の部隊に切り込みをいれることは成功したが、奥にまだまだ射撃部隊が隠れていた。


そして奥から飛んでくる矢に、椎奈の部下たちは馬を撃たれた。馬を射られた味方は落馬し、地面に叩き落された。
落馬してから起き上がると、間もなく剣同士の斬りあいになった。あちこちで剣同士の交わす音が響きあう。

バリトンの騎士たちが抜刀すると、敵の黒い服装の子供たちも剣を抜いて、やあっと声だして襲い掛かってきた。


椎奈にも弩弓の矢の雨が激しく降り注いだ。

矢は背中に当たり、肩を貫いた。


「…くっ」


敵の数が多い。

味方のほとんどは馬を失い、地面での斬りあいになっている。
だがその接近戦は、遠くの射撃部隊から放たれる弩弓の攻撃に背中をさらし、戦いのさなかで背中を撃たれ
倒れる味方が多かった。


そのとき、やや遅れて、味方の弓兵が椎奈たちに追いついて駆けつけてきた。
弓兵たちはさっきと同じように矢に火を灯し、つがえると、敵勢が隠れる木々にむかって次々に矢を放つ。


激しすぎるこの焼き討ちは、その場をあっという間に焦げ臭さで満たしたほどだ。

弓攻撃の雨をうけて敵側の攻撃ペースが乱れ、弩弓攻撃がおさまった。


勢いづいた椎奈は、馬をとびおり、目の前に対峙する敵に斬りかかっていった。
敵もそれで剣を鞘から抜いた。

剣同士がぶつかり、何度か交し合った。

ガキン!敵の剣を自分の剣で弾くと、相手の首を斬る。

血飛沫あげて敵がその場に倒れた。


「ナンバラード!」


敵側の子供達が、甲高い声で耳慣れない言葉を使い、仲間に声がけしていた。


「ナバラード!」


その声を受けた黒い服装の子供たちが、撤退していく。


その様子を見た椎奈は、ひとまず剣を地面に突き立てると、刺さった背中と肩の矢を、力いっぱい抜いた。

バキと矢の折れる音が聞こえた。

「…ぐっ」

苦痛に顔をゆがめた椎奈のもとに、慌てて見方の弓兵がかけつけた。

「来栖さま!大丈夫ですか?」



「ナ・バラード!」燃えた森の奥へ逃げていく子供たち。



「私は平気だ」魔法少女はそう告げ、滴る血を指でゆぐうと、剣を手に取った。


「あいつらは何者です?」


「何者かな。使っている言葉はシンダリン語に思えたが」


「敵は逃げましたか?」部下が再び聞いた。


「いや、」椎奈は痛みをこらえながら、声をしぼりだした。「まだだ。野営地のもとへ戻れ」

64


円奈たちが急襲を受けてから、しばらくがたった。

「まどなさん!」

隣で戦っている少女が、声をあげた。「敵が見えますか?」


「見えないけれど──」円奈が、弓握ったまま、答えた。「葉や枝が動いてる!」


恐怖に強張っている少女が、首だけでうんうんと頷いた。
そして弓をつがえ、森に隠れ見えない敵に狙いを定める。




円奈がニ本目の矢を弓につがえると、馬の走る蹄の音が聞こえてきた。

「円奈!」来栖椎奈が馬を走らせ、戻ってきていた。彼女の持つ剣は、赤色に血塗られていた。

「椎奈さま!」円奈が魔法少女の名を呼ぶ。「茂みの向こうに…敵が!」

「そうか」

円奈は、魔法少女の肩から血が滴りおちているのに気付いた。

「突撃するぞ。ケリをつける」

「椎奈さま!無事ですか?」円奈が思いかけず声をあげると、魔法少女は答えた。

「無事だ。魔法少女は痛みはどうにでもなるものだ」

続いて椎奈の側近の部隊も戻ってきた。

「敵を追い払え!」

鞘から抜いた剣を向こうへむけ、合図する。
すると、椎奈を先頭にして部下の騎兵たちも出動し、敵の隠れる茂みにむかって馬を駆けだしていった。



その勢いに気圧されたのか、異国の少年少女たちが逃げ出していくのが音で分かる。
ガサガサと、草の茂みがざわめき、茂みの中から異国の子たちが飛び出していく。


その逃げゆく敵たちに、追い討ちをかけてゆく椎奈たちに、円奈も続こうとした。
弓矢を片手に、走り出す。

が、その手を村の仲間の少女に掴まれた。


円奈をとめたのは、村の少女たちの中で唯一仲のよかった、こゆりだった。

「いっちゃダメ!」

と、こゆりは言った。

「でも、」腕を掴まれながら円奈が、答える。「椎奈さまが!」顔が蒼白だ。

「イヤです!」こゆりも円奈の手を放そうとしない。「戦いは魔法少女に任せればいいんです」

円奈がこゆりの手をふりほどこうとする。

椎奈率いる騎兵部隊は、流れる川を超えて敵勢を追い詰めていく。

「イヤ!」こゆりもひこうとしなかった。「いかないで!」

「でも、私、椎奈さまのお役に立ちたい!」

ぶんと、力いっぱい身を引くと、こゆりの手がはなれた。



その悲痛な叫び声を無視して──円奈は、弓矢を手に川を渡った。


川を渡り、土を蹴り、森の中を駆ける。



「追え!」

戦いの最前線で馬を駆る椎奈は、自らの剣を振るいながら、黒の服を纏った異国の敵たちに突撃していく。
少年少女たちは、クロスボウのような弩弓を手にしていたが、今は反撃に打って出るほど余裕はないようだった。


森の奥へ逃げていく子供の背中を、椎奈は背後から剣を振るい、切り刻む。

「あぁっうッ!」

背中を切られた子供の血が飛び散る。そして力尽きて地面に倒れ伏した。
血は地面や木々の葉に赤く付着した。


「椎奈さま!」

同じく馬に乗っていた側近の男騎士が、彼女の名を呼び止めた。

「もうよろしいのでは?」

その声がけを受けて、椎奈はあたりの状況をみまわした。
敵に戦意はもうなく、逃げてゆくばかりだ。

「これ以上戦っても、無為に命を犠牲にすることになります」

「…そうだな」

椎奈は言うと、馬の轡を引いて馬をとめた。聞きなれない言葉を発しながら黒い服の子供達は逃げ行く。


「戻りましょう」


「…ああ」椎奈は答え、血に塗れた剣を、はらってから鞘にしまった。「戻って負傷者を運び出し、手当てを」

「はい」

部下が一礼する。部下は「ハッ!」と掛け声で馬を駆らせると、椎奈のもとを去った。


部下がもとの場所に戻っていくのを見届け、一人その場に残った椎奈は、終わった戦場を見つめ、眺めていた。

ふと見れば、さっき自分が背中を斬った少女がいた。まだ息絶えていない。


「ううっ…ウッ」


それでも血をドクドク流し、痛みで身動きもとれないであろう少女は、倒れたまま草木を握りしめ、
うめき声を漏らすだけだった。


「うう…」


椎奈が馬の上から少女を見下ろす。


「う…ウウ」


うめき声は次第に、泣き声になりはじめた。耐え難い痛みに襲われているためだろうか。


椎奈は馬を降り、倒れた少女の足元に寄った。森の暗がりにブラウン色のソウルジェムが煌いていた。


「……なぜ我らを狙った。おまえたちは何者だ」


椎奈は倒れた少女のもとに腰をおろし、問いかけた。


「お前達を襲わなければ、私達が殺された」


「殺される?誰に」


「魔法少女に」


黒い服の少女は血だらけの口でそう語り、途端に安らかな顔つきになった。苦痛から、解き放たれたように。


「死は怖くない」


「怖くはないのか」椎奈がたずねた。


「天に見限られ、寿命がきた。それだけのこと」

そう告げ、少女は眠りにつくように、ゆっくりと瞼をとじた。
苦しそうに立てていた息は、静かになっていく。

「…!」

自分が殺した少女の死を見て、椎奈はひどく心が揺り動かされた。
あまりにも安らかに、あまりにも幸せそうに、眠りに抱かれるように息たえていく少女を、椎奈は動揺して
見下ろしていた。


だが時すでに遅く。
どんな生涯を送ったかもしれない若い、若すぎる少女が、天に迎えられた。優しすぎる顔で。

椎奈は起き上がった。そして、魔法少女に変身した自分の衣装が赤い血に塗れているのを見た。



その目下には、自分に殺された少女が。


だが、これが魔法少女なのだ。魔法少女の姿なのだ。少なくとも今の時代では。
魔法少女として領民を守らなければならない。



「来栖椎奈は後悔してる?」


その声を発したのは、夜襲のおこった夜の森のなかに突如姿を現し、闇と同一化した黒い影をした獣だった。
獣は、魔女の使いとしてよく引き合いに出される黒猫そっくりな姿をし、赤い目を二つ光らせた。


獣は土の地面を四足でそっと進み出てきた。


「いや」

椎奈が答えた。そのままで、戦闘の終わった夜の森を見上げた。

「おまえと契約して備わった力だ。戦いとはこういうものだ」


「君がころしてる」


「…」椎奈はそれに対しては、何も話そうとはしなかった。


「キミがソウルジェムの力を解き放って────」


黒い獣はちょこんと土の地面に座り、膨らんだ尻尾だけはふわりと浮かせた。


「その力で殺してる。それで、後悔してる。心が動いてる」


「…」椎奈は黙って獣を見下ろしている。


「鹿目円奈を連れ出してる。暁美ほむらとの約束、やぶっている」


獣は話し続けた。


「後悔する?」


「…カベナンテル」

椎奈はそっと、獣のこの時代における名を、呼んだ。

「おまえが後悔するがいい」


すると獣は、何歩かさがって、ちょこっとだけ頭をさげた。

「カベナンテル、来栖椎奈を問い詰めたこと、後悔する」

そういい残し、獣は、森の闇と同化してやがて影ごと消えた。



「…はぁ」

椎奈はがくりと、力が抜けたように膝を地面について休んだ。
それなりに戦闘続きだったし、顔には出さなかったが本当は異星人の話にはまいっていた。

約束をやぶっているという指摘だ。

「…暁美ほむら、か」

椎奈が独り言のように呟いたその名は、軍役の義務と封建の契りをむすんだ国、そして今は神の国を治めている
エレム国の魔法少女だ。

たびたび彼女はこのバリトンの地にやってきていた。鹿目の血筋の保護者。

ほむらがいうに、母の神無につづいて、円奈と、誕生する子は、代を継ぐごとに、円環の理になった少女の姿に近くなっているという。



馬を御して戻っていると、魔法少女・来栖椎奈は、川に近づいたところで鹿目円奈に会った。

円奈は川を自力で渡ってきたのか、ひどくびしょ濡れだった。
桃色の髪の少女は、よほど必死になって走ってきたのか、赤く火照った顔で息をひどく切らしていた。


「椎奈さま」円奈が、ずぶ濡れの髪に水滴をつけたままで名を呼んだ。「無事でよかったです」


そのピンク色の、赤いリボン結んだ髪についた水滴が、キラキラと森の月光を浴びて光ったその姿が、
どこか神々しく感じたのは、あのリボンの因果が、そうさせているのか。


「…ああ」椎奈は馬に跨ったまま、答えた。「敵は逃げ去った」

65


そして夜が明けた。

戦いの傷跡を残した森は、いたるところの木々に黒い羽の矢が刺さったままだったし、
怪我を追った兵士達の看病は、前夜の戦いの惨たらしさを物語っていた。


戦いで矢の突き刺さった農民たちの体から矢を抜くのに、ペンチのような大きな鉄ばさみを使った。
鉄ばさみでも取り出せないほど深く突き刺さった矢を取り出すには、切開が必要になった。


麻酔もない時代では、意識あるままの農民の腕を切り裂き、えぐるように切り出して、ようやく矢が取り出せた。

矢を抜き取るために切開して抜け出た血は、受け皿(ちなみに、フィンガーボウルと呼ばれるモノとほぼ同じ)
一枚をまるまる満たしてしまうほどの量になった。



ようやく取り出せた矢の切開部分を、椎奈が魔力で癒やすことはできたが、矢をキレイに取り出すのは椎奈の
魔力では叶わなかった。

66


「して、昨日の襲撃者は何者だったのです?」

夜が明け、森に明るみが戻ると、椎奈はソウルジェムの変身を解いて立っていた。

彼女は背を伸ばして立ち、流れる川の水を眺めながら、側近の男騎士の疑問に答えた。


「何者かはわからない」


椎奈は森の中を流れる水を見ながら、昨日の戦いと、死んだ異国の敵たちの姿を思い浮かべているのだった。


「だか襲撃の目的は我々の所持品と──」


椎奈が口を開いて、側近に語る。


「食糧であろう」



東の大陸にあるという、神の国を目指すための数週間分の食糧も水も蓄えて出発しているのだ。

襲撃して強奪すれば、大きな収穫であろう、と椎奈は部下に話した。


「昨日、敵は女子供ばかりであった」


すると部下の男騎士が、不思議そうな顔をした。「といいますと?」


「無抵抗な女子供だ。あの襲撃は、誰かに命令されたのかもしれぬ」


「誰か?」部下が再び尋ねた。


「そうだ」


椎奈はそう答えると、川の流れを見つめていた視線を、部下に戻した。そして告げた。


「その”誰か”に出くわすとしたら今夜だ」


部下の男騎士の顔色に緊張が走った。「つまり、黒幕ともいうべき者ですね」

                                     
椎奈は小さく頷いた。その背筋は、依然、領主らしく凛々しく伸ばされていた。「"魔法少女"だ」



鹿目円奈は夜の明けた早朝の森のなか、一人たって目を瞑っていた。

実戦としての「殺し合い」が、昨晩予告も何もなく奇襲という形で突然おこり、そして生まれて初めて
人が死ぬところを間近で見て…。何の戦闘の役にも立てなくて…。


それでも神の国にむけて旅をはじめて、こんな早いうちから自分の覚悟が試されることになるとは、
思ってはいなかった。



円奈は目を開いた。

朝日の光が僅かに差し込む、曇り空に覆われた森に白く靄がかった朝霧がたっている。



周囲を見渡すと怪我を負った、昨日の戦闘に参加した大人の農民たちや、少年たちが、包帯を巻いたりしていて、
昨晩殺された仲間の死体を持ち運んで、その死体の前で涙を流して蹲っている。


円奈は幸運にも昨晩の戦いで傷を負うことはなかったけれども、仲間達の死と、残された傷跡に、心には深い
ショックが残っていた。


「だから俺は」

と、死んだバリトンの仲間の前で涙しながら悲痛な声をあげる、民がいた。「こんな旅には出たくなかったんだ!」

そんな本音をつい口にだしてしまうほど、悲しみに襲われている人の声だった。

「みんな死ぬぞ!聖地にいけば、みな死ぬぞ!」



円奈は横目で見つめた。それからまた瞼と閉じた。

俺たちを皆殺す気か。昨日の農夫の言葉が脳裏に蘇る。



森の白霧は、深くなるばかりだ。


円奈は自分のピンク髪を結いだリボンを解いて、髪をストレートにした。旅に出てから一週間たって、円奈の髪は
伸びはじめていた。


赤リボン───それは、ある人から譲り受けたものだと、椎奈はいう───を解くと、円奈は腰の剣を差した鞘の
ベルトも、背中の弓矢も全部外して、樹木のそばに置くと、森に流れる川にむかった。


バシャバシャと川の水をすくって、顔を洗う。


ふるふると水滴を顔からふるい落として、ふーと息をついて円奈が戻ると、こゆりが自分を見ていた。
こゆりは樹木に寄りかかって、そっとという感じで、昨日のことを気にしているのか、遠慮がちに円奈を見ていた。


「私は神の国におこっていること…本で読んでた」

円奈の顔はちょっとだけ、暗かった。それは空の天候が曇りで暗かったからそうみえたからなのかもしれないが。

「本当のことがこんなはやく起こるなんて……」


そうとだけいうと円奈は、また歩き出して、樹木に寄せて置いていた自分の荷物を取り出した。

「それでも私は神の国を目指したい」

ベルトをきゅっとしめ、剣の鞘をとりつけ、弓矢を担ぐ。

そして馴れた手つきで、ピンク髪を赤いリボン一枚でポニーテールの結いだ。

すると一目だけこゆりに視線を送って、その横を通り過ぎた。

こゆりが円奈を見つめた。

その背中は重たくて、寂しげで、はかなげに見えた。


「昨日は──」

こゆりがやっと勇気をだして、樹木に寄りかかったまま、円奈の背中に呼びかけた。

「あんなこといって、ごめんなさい…」

円奈の足は止まらなかった。

なにかいいたげに口が少しだけ動いたけれど、言葉はでなった。


そして円奈はまた背を見せて、みんなの村人がいるところに戻った。

67


旅に再出発する前、椎奈は側近や村人を集めて昨晩の戦死者を葬る葬儀を開いた。
戦死者を並べ、一人一人に黙祷を捧げ、川に流した。

円奈も椎奈と一緒に、戦死者の前で黙祷し、額に指を添えて、小さく祈りの言葉を告げた。
一人一人に流されるたび、小さく祈りを呟いた。


葬儀が終わると円奈は、椎奈のもとに尋ねた。


なんとなく、椎奈に話をしたい気分になったのだ。


来栖椎奈は、あんな出来事が昨晩あったあとも、凛々しく、背筋を伸ばして腕を組んで堂々然としていた。

その背中から、円奈は話かけた。


「私は…初めて人が殺し合うのを…見ました」

「決意は揺らいだか?」椎奈がすかさず尋ねた。

「いいえ」

円奈が答えた。そのピンク色の瞳に、弱気さは消えていた。「でもちょっと、魔法少女の気持ちが分かったんです」

と、円奈は椎奈のすぐ後ろで、答えた。

「椎奈さまは、これまでにもこんな戦いを?」

椎奈は、後ろに立つ円奈の顔は見ないで、空をみあげた。「数えるのを諦めるほどだ」

その空の向こうには、神の国があった。



「人々は”真に許しが得られるのは神の国だけ”と」椎奈が言った。

「魔法少女にとっての神の国が、やっと分かり始めました」

円奈が椎奈に、そう口にして答える。

椎奈は目を瞑ると、首を少しだけ動かし頷いた。無言の肯定だった。

68

それからも旅は続いた。

野営テントをたたみ、釜を仕舞い、また荷物袋にいれ、荷車にのせる。


重い足取りのまま聖地をめざし、ファラス地方の森を、ひきつづき進行する。



ふとしたときは、森が開け、円奈の目の前に、広い夕日があらわれた。


円奈は、みたこともない夕日の景色を目にし、しばし、足をとめて、地平線に降りる夕日を眺め続けた。



バリトンの村に下りる夕日はいつも見ていたけれど、いまだ知らぬ世界の地へ足を踏み入れ、
そこにおちる夕日をみるのは初めてで。



円奈のピンク色の髪に、夕日があたり、頬に日差しがあたる。


見知らぬ世界。異国の土地。


いつも夢見てきた冒険と、現実におこった禍々しい戦いに、複雑な思いを抱いた円奈は、ただ大きな夕日を眺めた。



”私はやっと────”


荷車をひく馬の音と、馬を叱咤する村人の鞭の音が、ファラス地方の森に轟くが、夕日を見つめる円奈の耳には入らない。



”この世界を生き、戦っている魔法少女の気持ちを考え始めていた────”


円奈のすぐ後ろを、馬の荷車が通り過ぎる。車輪のまわる音がする。


”魔法少女が、どんな気持ちで戦っていたんだろうということ──────そして神の国がなんなのかを”



夕日を見つめ続けていた円奈は、しかし、想いに馳せたあとは、村人たちについていくように自分も歩き始めた。

聖地にむけて。


手作り弓矢を片手に持ちながら。

69


あの戦いから、次の夜がきた。

あの混迷だった森は次第に開けて、広々とした草原になった。森が開けると、夜空に輝く白い月がよく見えた。



本来なら椎奈の指示で旅をやめ、民を休ませ、野営テントを張ってもおかしくない時間帯だったが。


馬に跨り、先頭をいく来栖椎奈は、片腕だけあげて合図すると、後続の側近たちをとめさせた。
続いて旅ゆく民も全員、とまる。


「どうされましたか」

武装した側近が尋ねると、椎奈は答えた。「昨晩の刺客を放った──」

馬に跨った側近の表情に緊張が走る。
                      
それも、昨晩よりも強力な敵の知らせだった。「"魔法少女"だ」



椎奈は馬を降り、原っぱに降り立った。


夜風が原っぱを流れ、サラサラと静かな草の音がする。


月夜に照らされた草原の真ん中に、黒い影がいた。膝をついて座っているようだったが、椎奈が近づくや
その影は立った。


16、17くらいの少女だった。


椎奈はソウルジェムの力を解き放ち、魔力の衣装に身を纏った。



赤いガウンのドレス姿。防具や鎖帷子は騎士姿のまま。手首までの短い赤い手袋に赤い靴。鞘から剣を取り出し、
構えをとる。領主の変身姿。

赤いリボンが茶髪を結いでまとめる。



対する黒い人影の少女は、月夜の光に照らされた視覚的な効果のせいなのか、紫色の瞳をしているようにみえた。
夜風になびかせる黒髪は美しく、幻想的でさえあった。静かな風に流される草むらと一緒になってゆれる髪は、
背中あたりまで伸びていた。


「して、そなたが昨日の夜襲を命じた主か」


椎奈が魔法少女姿に身を包んだまま、話かける。


「さあてね。なんのことだろうね」


紫色の瞳をした、その魔法少女が答えた。というよりとぼけていた。


たが、その黒髪と紫の瞳の少女が手にしている、自分の身長くらいもある巨大な鎌のような武器を見れば、
その魔法少女が凶悪な存在である印象をつくるのに苦はなかった。

まるで死神のようだ、と円奈は思った。


死神が生ける者の魂を狩りにくる、鎌。


昨日のあの悲劇と惨劇、悲しみを引き起こした魔法少女。バリトンに奇襲をかけた魔法少女。


少女は黒を基調としたワンピース、パニエを履いた、細部まで過剰な装飾の施された、いうならゴシック少女
とも呼ぶべき衣装を近い服を纏っていた。

フリルのついた姫袖と、レースのついた黒のソックス、胸元で結んだ黒い大きなリボンはいかにも姫チックな、
人形のような姿の少女だった。


黒の姫といったところか。



だが、その可愛らしい見た目とは裏腹に、少女の雰囲気は氷のように冷たくて、冷徹な瞳をしていた。
少なくとも円奈にはそう見えた。



あの子が。あの子がファラス地方の、”私利私欲な”魔法少女。円奈は敵国の魔法少女の姿をよく見直した。



あれが昨晩、私たちを襲った刺客を放った、主人であり魔法少女。


黒姫のゴスロリ魔法少女は、自分の身長よりも大きい鎌を握り、対する魔法少女の椎奈を見つめた。


「私のかわいい奴隷たちを殺したな。ひどいことするもんだ、え?」


鎌を突き立て、椎奈を見つめるゴスロリ少女の目が、鋭くなった。「お前たちの持ってる金品と食糧をおけ」



「なぜだ」

椎奈が尋ねた。「魔法少女は人としての苦から解き放たれる。そうして魔獣と戦う運命を負うのだ。
さして、人を救うがための使命のために」


「私自身がそうでも、奴隷はそうもいかない」


ゴスロリ姿の少女が嫌味っぽく笑い、告げた。少女がしゃべると、口の尖った八重歯が見え隠れした。

「ここんとこ草を煮て食べるような食生活が続いてる」

その、八重歯をもちあわせる少女は続けた。

「人が生きるって残酷だね?そう思わないか?だが、人はどこまでも魔法少女に尽くさせるぞ」



「奴隷想いなのはよくわかったが──」

椎奈はばっとと、剣を振り下ろし、その剣先をゴスロリ少女にむけた。

「我々はエレムより、神の国のために召されている。退くわけにはいかぬぞ」


「神の国?」

嫌味っぽく笑っていた少女が、さらににやけた。獣のような八重歯が、また見えた。

「そこでごまんとまた殺しあうんだろ?人間の命も金品も、そのためにみんな無駄になる。
ならここでウチらによこせよ」


「そうは思わぬ」


「じゃあなんだってんだ?人間も円環の理と一緒になって導かれるとでも?」

バカにしたようなゴスロリ少女の口調。

椎奈は無言で、相手の魔法少女を睨み続ける。


「ヘンゼルとグレーテルは────」


すると、黒姫の魔法少女は、草むらの中に手を突っ込んだ。


「自分を捨てようとする親の悪心に気づいて────」


一人の黒い髪をした少女の頭が引っ張られ、少女は苦悶の表情を浮かべながら魔法少女の前に立たされた。

少女は、草むらの中に、伏せられていたらしい。いま、主人の前に引き出された。


「冴えた手で自分の家に戻った。だがこいつにはその冴えた頭はなかった」


「あ…」


円奈が声を漏らした。


あの少女ってひょっとして─────。


墓堀り職人の言葉が思い出される。

それは、自殺した母親の死体を、埋めていた墓堀り職人の言葉だ。


”この女は夫に子を捨てられ自殺したのさ”



父親に捨てられたバリトンの子?

そんな……。

なせ捨てられたか。


収穫が減ったから。

そういう時代だった。


「魔法少女なんか───人を虐げるために存在するようなもんだ。魔獣は人を狩る。魔法少女はその両方を狩る」


というと、黒姫の魔法少女の鎌を振り上げた。その鎌の先が光った。

そしてぐるんと回して、少女の首もとにその鎌を這わせた。鎌の刃に少女の顔が映った。


「や、やめてください…お願いです…レイ、さま…」


涙声で懇願する黒い衣服の少女の首を。

巨大な鎌を首元につきつけられ、月明かりを反射して首元で光る刃を見て怯える少女の首を。



ブシャア───…。

次の瞬間、ゴスロリ少女の鎌が切断した。



ゴトっと、身体から離れた首が草むらの地面に転がる音がして。


「これぞ魔法少女だ!」


と、血だらけになった鎌を振るってゴスロリ少女は声高に叫んだ。



「ひどいっ…!」

その瞬間、円奈の堪忍袋の緒が切れた。
背中に取り付けていた弓を持ち出し、矢を番えると、躊躇なくゴスロリ少女めがけて矢を飛ばした。


夜の闇を裂いて飛んでいった矢は、しかし、魔法少女の鎌に弾き飛ばされた。
バシっと音が鳴って、円奈の矢はどこかに消し飛んだ。


「神の国でやることって、つまりこういうことだろ!」

ゴスロリ少女が語った。「アタシもそれに倣ってみたよ」


「許せない…!」

円奈の怒りは大きかった。親に捨てられた子を、そんなふうに殺すなんて。

馬から降りた円奈は、馬の馬具に取り付けていた鞘から剣を抜くと、ゴスロリ少女に迫った。



「円奈!」

椎奈が、めずらしく焦った声で叫んだ。「よせ!」



生身の人間が、魔法少女に戦いを挑むなど、無謀だ!



その声むなしく、円奈はゴスロリ少女に斬りかかった。もちろん、剣の攻撃はゴスロリ少女にはじき返された。
円奈とゴスロリ少女の二人は斬りあいに突入していく。


円奈を助けなければ。


そう思い、馬を駆り出そうとした椎奈は、しかし、あたり一面から飛んできた黒い矢に体じゅうを射ち抜かれた。


「な───に?」


敵は草むらのなかに身を伏していたのか。

異国の魔法少女が一人だけ立っているようにみえた草むらは、実はクロスボウを持った敵が伏していた。

草むらのなかに隠れた伏兵がいた。


いま敵は起き上がって姿を現し、自分めがけて矢をいっせいに放ってきている。


「来栖さま!」


側近たちがあわてて椎奈にかけよった。すると、今度は部下たちが次々に弩弓に撃ち抜かれた。
不意をつかれ、防御が間に合わなかった部下たちは、胸や肩、首に矢を受けて、倒れていく。


折り重なるように草むらに倒れ伏していく部下たち。


その、部下達の倒れていく様子を、椎奈は呆然として見つめた。そして、魔法少女に無謀にも挑んでいった
鹿目円奈の姿を見つめた。


───ああ、助けなければ。鹿目円奈を。


聖地の因果を、神無がかつてバリトンに持ち込んだ因果を、わたしが背負わせてしまった子を─────。


また一つ飛んできた矢が、椎奈の胸元のソウルジェムをかすった。

バリン!

彼女の、ブラウン色のソウルジェムに、ピキと割れ目が入り、それは一度崩れ始めた繊細なガラスのように、
無数のヒビが泡のようにソウルジェムに広がっていった。

ビキキキ!



「う…」


ふらっと、意識がぼやける。その瞬間、見る光景すべてがスローモーションに感じられた。
導きが近いのか?




ガタと膝をついた椎奈は、円奈を見つめた。両手に握り締めた剣を振るう円奈。その攻撃はゴスロリの魔法少女に
また弾かれる。今度は敵の攻撃の番。ゴスロリ少女の鎌が横向きに振られる。円奈は頭を屈めてそれをかわす…。



「あなたみたいな───」円奈の顔は、怒りに燃えている。「あなたみたいな魔法少女がいるから──!」

怒りに任せて振るう剣。感情に駆られて振るう剣の軌道は、安定さがない。

──ああ、あのままでは危険だ。
隙をとられ、あっという間にあの魔法少女にやられてしまう。


「魔法少女は、人と民を、守る存在なのに!あなたって人は───!」


円奈は叫ぶ。ゴスロリ少女は笑って攻撃を受け流す。今か今かと、死神の血塗られた鎌が機を窺う。
鎌の刃が、天からの月夜の光を受けて光る──。

「アンタだって殺すだろ!」

黒姫の魔法少女がニタニタ笑いながら、鎌をクルクル振り回して円奈の剣を弄ぶ。

「魔法を使うとはこういうことだろ!他にどんな使い道があるってんだ?あぁ?」

そういいながら黒姫の、紫の瞳をした魔法少女は、余裕そうに円奈の剣をふらりふらりとかわして、
鎌をぶんと振りかざす。

「あァッ!」

その一撃は痛烈だった。円奈の剣にバチンとあたって、円奈は苦痛に顔をゆがめて、よろける。

グラっと、草むらを踏む足がよろめいてあとずさる。


「だから魔法少女はさ──」


ニッと八重歯をみせた笑いをした黒姫の魔法少女が、ふらついた円奈むけて思い切り鎌の先を叩き落す。


「殺すために魔法を授かってるんだろうが!」


円奈は剣で身を守ろうとした。剣に鎌が当たり、ぐらついた体勢で敵の一撃をモロに受けて、草むら地面に叩き落された。
手から剣がこぼれ落ちる。

「───うゥッ!」

草むらに背中を打ちつけて、円奈がまた苦痛の呻きを声に漏らす。

その円奈めがけて、また鎌の先が振り落とされた。円奈は必死になって地面で身を回して、落とされる鎌の先から逃げた。
そしてまた起き上がって、剣を握りしめて、黒姫の鎌に自分の剣をぶつけた。



飛び交う矢の中を、最後の力を振りしぼって椎奈が突進をはじめた。


仲間がようやく反撃をはじめ、敵たちにむかって弓矢を打ち返しはじめた。
弩弓もった子供たちは昨晩のように、また逃げていく。

彼女たちはあくまで、黒姫の主人の命令に従って仕方なく戦ってるだけ。反撃すればすぐに怯むようだ。


椎奈は草むらのなかを突き進んだ。

動くたびに、体じゅうに刺さった矢の揺れる感覚がする。
気付けば、口に鉄の味が広がっていた。



椎奈は鞘から剣を抜き、ゴスロリ少女の背後にせまった。



「椎奈さまっ!!」交戦中の円奈が、椎奈の姿をみて驚いていた。無理もない、体じゅうに矢の刺さった状態
だったのだから。

「ソウルジェムが──」


「円奈。私の闘いをよくみておけ」

目からも口からも血を流して、バリトン国の魔法少女が低い声で告げた。

「こいよ!」血の鎌を握り締めたゴスロリ少女が、挑発する。「二人そろってかかってこいよッ!」


「二人はいらぬ」椎奈はそう告げ、円奈とゴスロリ少女の間に割って入った。「私が相手いたす」

「そんな状態でか?」黒姫の少女が残忍に笑う。「殺してやるよ!」

クルクルクルっと、少女が鎌を器用に回してみせる。


椎奈は剣を振り上げ、ゴスロリ少女に斬りかかった。


魔法少女と魔法少女の殺し合い。



二人の武器が交差すると、椎奈と、ゴスロリ少女両者がグラリと揺らいだ。二人の間には光のような火花が飛び散った。

さすがに魔法少女同士のぶつかり合いになると力量が違う。


だが、二人はすぐに互いに体勢を立て直すと再び向き合い、鎌と剣をぶつけあった。


ガチャン!


魔法の剣と、魔法の鎌の刃同士が、またあたり、火花がちり、夜空の見下ろす草むらに閃光を放つ。


このとき、ゴスロリ少女には油断があった。

椎奈の武器は剣のみだと思っていたことだ。

互いの鎌と剣が交差すると、椎奈はすばやくもう片方の手にある鞘を振るい、ゴスロリ少女の顔を殴りつけた。
鞘の先端部分が少女の顔をうち、バランスを失わせた。「──うっ!」

いわば椎奈の攻撃は剣と鞘の、二刀流なのであった。


よろめき、体勢の揺らいだその隙を、椎奈は逃がさなかった。

片足を振り上げ、椎奈は黒い魔法少女の揺らいだ腰を足で蹴飛ばした。


「うっ…」

黒姫の少女はよろけ、何歩か草むらを前のめりになって進む。

すると椎奈は剣を両手に握り締め、よろめいた少女の背中に思い切り、剣の刃を振り落とした。


────バサっ。


まさに、そんな音だった。

剣は少女の背中に深く入り、ゴスロリの少女は草むらの地面にぶっ倒れた。

血は、黒姫の少女から飛び散り、残酷な生命の水が、魂の抜け殻となった身体から、飛び出した。青白い月光を浴びて、
赤色の煌く生命の血。



「───ちく、しょ」


ぶっ倒れたゴスロリ少女が悔しげに歯を食いしばるも、すでに椎奈の剣の剣先が彼女の背中を補足していた。


「──やめ…」黒姫の少女が紫の目で剣を見上げた。


「ぐぅぅう!」めいっぱい力の込めた椎奈の剣先が振り落とされ、ゴスロリ少女の腰を貫いた。

悲鳴。

剣は背を貫き、地面にまで刺さった。

これがとどめの一撃だったのか、ゴスロリ少女の動きがとまった。
ピタリと動かなくなり、ゴスロリ魔法少女の変身が解けた。変身が解けると、ごく普通の少女の死体がそこにあった。
口元の八重歯も、変身が解けたら普通の人間の歯に戻ったようだった。


背中を貫き、腹まで突き出た剣ガ、ソウルジェムを砕いていた。


「…はぁ…はぁ」

椎奈は息を絶え絶えにしながら、魔法の剣を、殺した魔法少女の身から抜き取る。血で真っ赤だった。


戦いを終えた椎奈は息を切らしていて、やがて力つきたように倒れた。すると、椎奈の変身も自然に解けた。

「椎奈さま!」円奈が慌てて駆け寄り、椎奈の体を支える。「大丈夫ですか?」


みれば、ソウルジェムの輝きは失われていた。


「円奈よ。話がある」

円奈が椎奈の背中を抱え、だらんと垂れた椎奈のうっすらとした目が円奈を見て。


椎奈は、絶え絶えの息を吐きながらそう告げた。「私は長くない。そなたに授ける物がある」

次回、第6話「魔法少女と騎士の誓い」

第6話「魔法少女と騎士の誓い」

70


二日間に続いた、月夜の悲劇は終幕を迎えた。


二度に渡る戦いの末、戦った両者は多くの犠牲をだした。


死者、負傷者あわせ十数人。そして互いの国の魔法少女も───両者とも結局、死を迎えることになった。



「どうして、戦ったんだろう」

悲劇を振り返って、円奈は受け止めきれぬ絶望のなかで、ぼんやり考えていた。

「なんでこんなになるまで、戦ってたんだっけ」



円奈は放心にも近い心理状態で、ただ草むらの地面に女の子座りして目を虚ろにしていた。



ソウルジェムに深い傷を受けた来栖椎奈は希香たち側近の騎士たちに両肩を持たれて運ばれた。


椎奈の希望で、彼女の野営テントに側近によって連れられる。



杭と布で天井を覆ったテントの中で、来栖椎奈──バリトンの領主にして、魔法少女───は、
鹿目円奈に最後の遺言を残すべく、テント中の運ばれた木製の椅子に座った。


月明かりの届かないテント内は真っ暗になるから、蝋燭と灯台が運ばれテント内を照らした。


ゆらゆらと燃える蝋燭の光が、テント内に光をもたらしていた。



呼ばれてそこに入った円奈は、それまで見たことないくらいに弱まった来栖椎奈の姿を見た。
テント内に敷かれた椅子に腰掛けていたが、熱を患ったように顔は紅潮し、額に汗を流していた。

側近の少女達に支えられて、やっと立ち上がることができる状態だった。

その椎奈を支える侍従少女たちの、重苦しい表情や、嗚咽に涙ぐむのを押さえた声から、円奈は自国の魔法少女の命が、
まさに天に召されようとしている現実を悟った。


「椎奈さま」名前を呼びながら、頬を伝う自分の涙の熱さを、円奈を感じ取った。


領主は、戦いで刺さった矢もすべて取られていたが、普段感じる魔力に満ちたオーラは、いまや感じられなかった。
それでも領主はその風格を失うことなく、美しかった。


「円奈よ」

息をきらし、呼吸するのもやっとな椎奈が、ふるふると震えながら話した。
その声は、普段の彼女からは信じられないくらい弱々しかった。

「そなたはこの世界をどう考える?魔法少女が人にとっての希望となり、人を救う誓いを立てるこの世界を」

その質問には、あくまでそれが魔法少女の建前で、現実には今晩のように魔法を私欲と暴虐にしか使わぬ
魔法少女がいる、その世界をどう考えるかという意味があるように、円奈は思えた。


「そなたは今も、魔法少女になりたいと思うか?」


椎奈から紡がれる言葉。弱々しくて、聞き取るのもやっとな、魔法少女の言葉。

円奈は、以前、領主の許可もなく、領土をでて、白い妖精を探しにでたことがあった。


「───はい」

円奈は答えたが、自分の声が自分の声でなくなったように、涙ぐんでいるのに気付いた。

「こんな世界だから…この世界だから…この世界の希望を担う……そんな魔法少女になりたいです」

「この世界の希望とはなんだ?」

椎奈がすかさず尋ねた。どんなに声が弱くなっても、放たれる言葉には、領主らしい厳かさがちゃんとあった。

「人が……人々が……悪い者から守られる世界……それがわたしの希望です」

円奈が涙声のままに答える。喋れば喋るほど、涙声になった。

「そなたはその希望を、魔法で叶えるのか?」

「…それは」

つまり、その願いで契約して魔法少女になるのとかという質問に、思えた。

「…」

「聞くのだ」

椎奈は円奈の答えを聞き出すより先に、話した。


「よいか。円奈。そなたは神の国にいくのだ。たとえ私がここで命つきようとも、だ。」

円奈はただ、椎奈の言葉に聞き入っている。


「こんな私が──」

円奈が、弱気になった声で尋ねた。

「こんな私などが、神の国のために、何ができるのでしょう。魔法少女でもないのに…」

「そなたならできる」

椎奈の声がさらに弱まり、聞き取りづらくなっていく。

「神の国はそなたを待っている。そなたなら───希望を実現できる」

尽きる魂。椎奈は続ける。席にすわる身体が、小刻みに震えている。ソウルジェムのヒビ割れた自分の身と
闘っている。

「そなたは存在すると思うか?あらゆる人と魔法少女が共存を選び、平和を結び、
人間も魔法少女も──その隔たりがない、そんな世界」


いつも人と魔法少女の間には、隔たりがあった。
魔法が使える者とそうでない者。


「そういう国があると?」

椎奈が、問いかける。


いくら魔法少女が、民を導く立場にあったとしても、それは民が魔法の使者を恐れ、逆らわないようにしている
だけであって、そうしないと魔獣や魔法少女や、盗賊から身を守られないから、したがっているのであって、
内心の裏では人間と魔法少女のあいだには、うめようのない心の距離がおかれていた。


自分たちとは違う、人間ではないなにかの存在のように受け止めていた。


魔法少女は魔法少女で、人間を捨てた身としての苦労と心労を、人間は理解しないものだと思うのがほとんどだった。

分かち合わない魔法少女と人。



その隔たりをなくすなんて───そんな世界が。


あるはずが───。
そう思いかけ、顔を落とした円奈の表情をみた椎奈は。


みずからの質問に、みずから答えた。

「あるのだ。そんな世界が。円奈。おまえが築くのだ」


魔法少女と人。

わかりあうときなんて、手をとりあうときなんて、くるのだろうか。

         
「この旅の先に、そんな”天の御国”を見つけるのだ」

来栖椎奈の思い描く希望だった。そしてその希望は、円奈に、託される。



「ひざまずけ」

すると領主は席を立ち上がって、円奈に、命じた。「私の前に」

椎奈に命じられ、円奈は、戸惑いながら、おずおず、ゆっくりと膝を絨毯について跪く。


椎奈は、自らの鞘に収めた剣を抜き出し、両手の平において、円奈にゆっくりと、手渡した。

内心戸惑いながらも、円奈は椎奈の魔法少女の剣を手に受け取る。

手にずっしりと、椎奈が魔法少女として、領主として戦い続けてきた印である剣の重みが、円奈に伝わってくる。


「恐れず、敵に立ち向え」

円奈がその手に剣を受け取ると、椎奈は自分の前に跪いた円奈に、その言葉を託す。

「真実を示せ」

椎奈の、こげ茶の瞳が、まっすぐ円奈の目を捉えて、告げる。

「弱きを助け、正義に生きよ」


「それが私とお前の誓いだ!」そして予期もせず、円奈はバチンと椎奈に頬を叩かれた。


「…!」

叩かれた頬の赤い円奈。驚いて魔法少女をみあげる。

円奈は、何が起こったのか一瞬、わからない。

「その痛さが記憶させる」

椎奈は告げた。それが領主として最後の、遺言になった。


叩かれた頬は、まだじんじんと痛感が残っている。

椎奈は跪いた円奈を見下ろし、告げた。「立ち上がれ、騎士よ。私との誓いを立てた騎士よ!」


そうか。これは騎士の儀式。叙任式。

いま、ここで立ち上がれば、私は騎士になる。魔法少女ではないけれど、魔法少女から”使命”を授かった騎士。

村ではずれ者だったわたしが、騎士になる時─────。


ゆっくりと、受け継いだ剣を腰の鞘におろし、円奈はすっくと立ち上がった。

不思議な気持ちだった。


ただ立っただけなのに、生まれ変わった気持ちになった。不思議な力が身を包んでいる。
今まで見えていた、同じはずの景色が、まるで別世界の景色に見える。


これが、騎士になるということなんだ。



その鹿目円奈の、決意に満ちた顔を見て、来栖椎奈は座席に深く座り込んだ。

「来栖椎奈さま」

この騎士叙任式にたちあっていた別の騎士・希香が、領主に、引導を唱えた。

「あなたは導かれます。あなたの希望は叶えられましたか」

「わたしの希望は受け継がれた」

椎奈は目を閉じたまま、汗だくの顔で答えた。それが、最後の言葉となり────。


そしてこのバリトンの魔法少女は─────ソウルジェムの煌きと共に燃え尽きた。

尽きたソウルジェムは蝋燭の火が消える瞬間みたいに光を失って、するとパリンと音をたてて粉々になってしまった。
ブラウン色の破片がテントの絨毯にパラパラと落ちた。

元のソウルジェムのあった場所には、ただ小さな火と煙が立ち昇るだけで。

その小さな火さえも消えて尽きてしまった。



いつも私を見守ってくれたたったひとりの優しい人──────。


その人の死を、円奈は、目に涙を溜め見つけ続けていた。



生まれた頃から、農地ももてず、税も払えず、はずれ者にされて、狩りでやっと食いつないでいた身寄りなき少女は、
こうして、騎士となり───。



ずっと見守ってくれていた人をなくしてしまっても、聖地をめざす。


その人との、誓いを胸に。


神の国へ旅にでる。

71


神の国と女神の祈り。

それは、魔法少女と騎士の誓いの物語。

72


鹿目円奈が故郷のバリトンを離れ、聖地・神の国を治めるエレムを目指して一週間。


バリトンの民を従えた王女・魔法少女の来栖椎奈は息絶えた。
旅の途中、ファラス地方にさしかかると、敵の奇襲を二夜に続いて受け、敵国の魔法少女と戦い死に至った。



それはバリトンの民にとって、自国を護り続けてきた唯一の魔法少女の死を意味した。



次の日の朝、葬儀が行われた。


それから人々は森から薪をあつめ、魔法少女の遺体の下に積んだ。そして火をつけた。


燃える魔法少女の遺体を、民が囲んで見守っていた。


薪のなかで燃える魔法少女の目は閉ざされ、装飾品が遺物として添えられて、一緒に燃やされた。
遺物は盾や、鎧や、ベルト、彼女が生前に好んだ鉛のグラスや指輪などであった。


薪への火は、側近の騎士身分たる少女たちが松明で灯した。


夜明けに燃える火を、魔法少女を天へとおくる火を───鹿目円奈は、じっと見つめていた。

ずっと憧れていた。
生まれてこの方、人々のために命を尽くし、護る───その姿に。


”魔法が使える”というカッコよさに憧れているというより、魔獣と戦い、民のために使命を果たすことを
誓う代わりに、魔法の力を授かり魔法少女になる───そんな姿を命尽きる最後まで守り通す姿に憧れた。


円奈にとってただ一人の、憧れの魔法少女は。

いま、天へと確かに魂が送り届けられる。



それでも、悲しみが押し寄せた。

「うう…。」

思わず、両手で目を覆い、漏れる嗚咽を堪える。


椎奈の葬儀が執り行われる前、円奈はあのテントに砕けたソウルジェムの破片ひとつひとつを、自分の小袋に
集めて入れた。破片をあわせてもとの形にならないかと試したが、やはりそんなことは不可能だった。

少なくとも椎奈の魂が宿る、形見だと思って、円奈は破片を、あの誓いを胸にすると共に自分の小さな布袋に
しまうのだった。


「必ず…」

涙声を含みながら誰に語るのでもなく、円奈が口を開いた。涙ぐむその目は赤かった。

「必ず…誓いをはたします…」

騎士になって一日目、鹿目円奈は最初の誓いを───騎士にとって最高の誇りである誓いを──護ることを改めて心に告げた。



必ず。私は誓いを護り、神の国に仕えます。

わたしが、なにができるのかは、わからないけれど──────。


尽くします。私の命、あなたとの誓いに。



炎は煙となり、この世界の地上から放たれて、空まで昇っていった。

73


こうして鹿目円奈の旅は、魔法少女がいない、人間だけの旅となったのだった。


遠く神の国まで、まだずっと旅路がのこっているのに。

しかも円奈は、思いもかけず旅の仲間が減る現実を知ることになる。



「え?帰る?」

円奈がそう思わず声にだしたのは、旅の続きに出発するため、荷物を愛馬に乗せていたときのこと。

「ええ。バリトンに帰ります」

そう答え、荷支度をしているのは左柚(さゆ)だった。よく円奈と口論になる村の女の子だ。
左柚もまた荷物を馬に乗せていたが、目的はまるで逆らしい。

「帰るって…」

円奈は、信じられないというような口調で声をしぼりだした。「神の国は?椎奈さまとの誓いは?」

「誓いなんて立ててませんよ。あなたは別かもしれませんけど」

と、左柚は言い、食糧を入れた袋をまた馬に乗せた。乗せたあとで、麻の紐でぎゅっと馬具に縛りつけた。

「エレム国と”臣下”として繋がっていたのは椎奈さまです。その椎奈さまがいなくなった今、私たちは
旅の続けようがありません」

「どうして?」

力が抜けていくような、失望の円奈の声が尋ねた。

「どうして、って、」

左柚は淡々と語った。はじめて円奈の目を見て、話し始めた。

「人間だけで渡れる旅なんかじゃないんです。いいですか、ここから神の国にいくとしたら、このファラスの森を
越えて、モルス城砦を渡って、エドレス地方につけたと思ったら、やっと海が見えて、その海を越えたら、
ようやくサラドとエレムの紛争地帯である砂漠にたどりつけるんです。分かりますか?魔法少女もいないのにそんな旅路、
死に行くようなものです!だいいち、魔獣に巻き込まれたらどうするんですか?」

魔獣は、いつの時代にも現れる。
特にこの時代では、呪いの代弁者として出現する魔獣は、戦争の起こったあとの地域や、葬儀場など、負の感情が
溜まるところに発生すると信じられた。

要するに魔法なしには渡り歩けぬ世界、それが西暦30世紀。

「ん、まあ、そうだけど……」

確かにそうだった。魔法少女がいなくなった今、だれがバリトンの民を守れるのか。世界は平和とは程遠く、
領邦君主の小国が乱立している状態であり、日々互いの国が互いを喰おうと睨み合っている乱世だ。

国境を越えれば、すぐ敵に奇襲される。ついこの二日で、もう思い知らされたことだ。


そして何より、魔獣に襲われたら抵抗する手立てがない。それだけで全滅の危機に瀕する。

「そーいうわけなので、」

と、左柚は続けて言った。「私は帰ります。バリトンを護ってくれる新しい魔法少女を探します。国内で契約する少女も
いるかもしれませんし。私はゼッタイ、イヤですけど!」

「う…」

返す言葉もない円奈は、ふと見渡せば、大半のバリトンの民が左柚と同じ考え方でいることに気付かされた。

みな帰り支度をしている。とても、旅を続けようという雰囲気じゃない。


というのも、どことなく皆がみな、運良く徴兵をまのがれた兵士みたいに、安堵の顔をしているからだ。

まあ実際そうなのかもしれないが。


「そんな…」

円奈は信じたくなかった。みんな来栖椎奈の約束をもっと重んじると思っていた。

確かに現実の道は厳しい。
無謀なことくらい、わかってる。

でも、だからって、椎奈さまがいなくなったらじゃあそく解散、みたいな態度がいやだった。


椎奈さまは、いつも命がけで、魂までかけてバリトンを護ってきたのに。



「あなたたちも、帰るの?」

円奈は椎奈の元側近の近衛騎士たちにも尋ねた。すると側近の少女たちも暗い顔をして、首を振るばかりだった。

「こうするより他はありません」

護衛を務めた男性騎士の一人が、言った。彼もすでに馬に荷物を乗せていた。

「たしかに、心残りですが、現実的な道です。それに、契りに違反はしません」


契りに違反しない。

たしかに、そうなのであった。


封建制度における、主君と臣下の契りというのはあくまで当事者での間でのみ成立するものであって、つまり、
たとえば臣下は主君には従うが、主君の主君という第三者には何の義理も持たないのであった。


たとえそれが最高司令官だろうと、強大国の主君だろうと、契りを直接結んだ相手でもない限り従わない。
しかも契りは一年と40日という期限つき(バリトンはその度に、契約を更新していた)。


つまりバリトンの民は来栖椎奈の封民ではあったが、それは、椎奈のみに対する忠誠であって、椎奈の主君である
エレム国には何の義務も持たないのであった。

椎奈がなくなれば、バリトンはエレム国と一切の関係からも開放される。



つまり、椎奈に聖地にいけといわれたから聖地にむかうのであって、エレム国の君主から聖地にこいといわれても、
契りを結んだ相手ではないのだから、従わない。



そんな裏事情もあり…。

どうやら本気で神の国にまだ行くつもりなのは自分しかいないと、円奈は悟った。


「私は一人でも、いくからね!!」

と、もう半分やけくそで、円奈は大声でめいっぱい叫んだ。「私は騎士になったんだ!椎奈さまとの誓いを守る!」


その場じゅうに轟いたその声は、バリトンの人たちの視線を一点に集め、次に沈黙という空気の中心になった。


「…私はいく。一人でも」

そう告げ、円奈は愛馬クフィーユを呼び寄せた。愛馬は主人のいうことをきいて、蹄の音をたてながら円奈のもとに
歩みよってきた。パカパカと。

円奈はクフィーユの頭を撫でた。「行こう。ね?」

その鞘に収められた剣は───そう、来栖椎奈から最後に渡された剣だった。


側近達は複雑な顔をした───あからさまに不快な顔をした者もいた──来栖椎奈は、その死に際に、
他でもない庶民以下の身分だった鹿目円奈に、自らの剣を託した。


円奈は昨晩、椎奈から直々の叙任式を経て、名実共に正式な”騎士”となった。それは、税を受け取る立場であり、
農地を持たなくても収穫の幾分かを受け取れる立場である。

他の国では、荘園を経営する騎士さえいるくらいの、高い身分である。


「いくならいけばいいでしょう。しかしいけば死にます」

男騎士は兜をかぶり、馬に跨って乗る。その動作はおおらかだ。

「われわれは、エドレスの都市を越えたミデルフォトルで、エレム国の部隊と合流する予定でした」

どうやら無謀という警告をだしつつも、円奈に、聖地へのルートを教えてくれているらしい。


「それから、貴女が授かった椎奈さまの剣ですが」

最後に、男騎士が円奈に告げた。

「その剣は、魔獣の気配が近づくと青く光ります。貴女の身を守ってくれるでしょう」


けっこう、丁寧にいってくれるんだ……。

心の中で苦笑した円奈は、村の仲間たちの姿や、背中を最後に見送って、自分は愛場クフィーユの背中に乗った。


騎士身分なりたてほやほやの円奈の馬に、鞍はないし、ぶら下げた鐙もない。野生の馬に跨っている状態。

身分は騎士いえども、装備はそれとは程遠い貧相なものである。



背中に取り付けた矢は、これも自作で、イチイ木を選んで鉈で木を削り取って、小刀で形だけさらに細かく削って、
火を通して曲げて、あとは両端に穴あけて紐を通し結んで完成の、手作り矢。


円奈自身の身長にせまる1.2メートルのロングボウだ。



今では魔法少女の治める聖なる国に持ち運べる武器は、この矢くらいなものだ。



それでも──── それでも、私は。


蝋燭や、本やパン、火打石と鉄板、ヒグチ、麻紐、毛布、予備の馬具、水筒、フィンガーボウルなど旅の道具をつた布袋を
馬の馬具にとりつけ、自らは馬に身を寄せて、ばっと上に跨る。


最後に、馬上からもう一度だけバリトンの村人たちを眺めた。

すこしだけ期待を込めたけれど、やっぱり、みんな帰るつもりみたいだった。





円奈は向き直り、自分の進む道へと、手綱をたぐって馬の向きを変えさせる。

愛馬クフィーユが、轡かんだまま鼻息をならした。


「大丈夫」

円奈が、不安そうに鼻息ならしている愛馬の、耳と耳のあいだの頭を撫でてやり、声をかけた。「大丈夫だよ」


馬は、まだ不安に、これからはじまる円奈と二人きりの旅に、怯えている。


「私と二人きりじゃ、心配?」

円奈は優しげに、愛馬を撫でてやりながら、話しかける。「でも、昨日までの私とは違うよ」


円奈は、聖地をめざす森の先へ、目を走らせる。ピンク色の髪をした頭に結ばれた、赤いリボンが風にゆれて、
その目は、前をみる。

「私は、今日、騎士になったんだから。あなたは、騎士に乗せる馬なんだから。二人で聖地をめざそうよ!」


馬がまた、鳴き声をあげ、耳を垂らしている様子を、愛しげに眺めている円奈に、声がかかった。

旅先は、長い。


「いかないで」

それは、バリトンの村でも数少ない円奈の友達、こゆりという名前の少女だった。「いかないで…」



「こゆりちゃん」

円奈が、再び手綱をたぐって、馬の向きをわずかに翻させると、少女を見下ろした。

「あなたも村に戻るの?」

こゆりは、目に涙ためながら、こくりと、力なく頷いた。「父も母も、かえるから……」


「そっか」

円奈は、少し残念そうに、微笑む。「やっぱり、ここからは私一人だけになるんだね」

ここからの旅は、円奈一人だけだ。

たった一人で、世界を旅する。その距離は、2500マイル。騎士は、聖地を目指す。遠征の旅。

「いかないで」

すると、こゆりは、また目に涙を溜めて円奈に言った。「まどなさん、お願い…」


「わかってる」

円奈は、馬の手綱握ったままで、こゆりに、答えた。「この先がどんなに危険で、命がけの世界なのかも、
私、ちゃんとわかってる」


こゆりが、何も言い返せないまま、ピンク髪の少女を見上げる。



円奈は、さらに、たった一人の友達にむかって、言った。「でも、それでも私、いかなくちゃいけないところがあるの。
私は、それを、誓ったから。それを誓って、騎士になったから。椎奈さまと」


そういい、胸元に手をあて、目を瞑るその表情は、決心に満ち溢れていて。



円奈は、再び目を開いて、神から与えられたその姿をした目で、こゆりを、また見た。


「わたし、あなたと友達になれて、本当によかった」


こゆりが、ぐすっと、嗚咽をもらす。

それでも円奈は、話す。「不幸を呼ぶっていわれてる私にも、友達ができたんだって、今でもそれがうれしいの」


それから円奈はもう、たった一人の旅へと出発する合図を馬に送ろうとしていた。

彼女は、手綱にぎって馬の向きを変更させつつ、こゆりに、最後の言葉を残した。

「さようなら。元気でね」


そう言葉を残し、次の瞬間、馬が向きをひるがえした。

円奈がこゆりを目でみつめ、それからくるりと背をむける。


蹄が土をけり、馬がどんどんスピードをあげて、こゆりをおいて旅先へと走っていく。



みるみるうちに背の小さくなる、聖地へと旅立った鹿目円奈という少女の背を、こゆりは、見つめていた。


「待っています…」

こゆりは、黒い髪と同じ色の黒い瞳で、じっと円奈という少女を見つめ続け、言った。

「わたし、ずっと、待っています…いつか、帰ってきてくれることを」


円奈の背は、森のむこうへと、消える。

だが、こゆりと鹿目円奈は、何年かあとに、再会する。

74


鹿目円奈は、森を抜け、大きな川の前にたっていた。


馬を降り、その傍らにたって、馬の背をなでると、大きな川をみつめる。



川は、緑色をしていて、落ち葉を乗せ下流へとゆるやかに運んでいる。


どこともしらない、未知の、魔法少女が王として君臨する国へ。

世界を旅する。



「なんだか……」

誰もいなくなってしまった異国の地で、円奈は、独り言を、そっと呟いた。「また、一人ぼっちになっちゃったな……」

そういい、自分を慰められるのは自分だけだ、とばかりに、一人で苦笑する。


遠い遠い、聖地をめざす。


封建世界のなかで育った円奈は、一歩外の世界に踏み出してみると、右も左もわからない。そんな外の世界、
広大な異国の土地に飛び出して、遠い聖地をめずすために得られたヒントは、たったの三つ。



”シンダール語の国を抜けたら、別の言葉がきこえてくる”


”エレム国を名乗る魔法少女に出会ったら、その名前と顔を覚えよ”


”そしてなにより、神に愛されなければならない”



ほとんど三つ目などは、ヒントにもならないヒントだ。




こみあげる不安をふりきって、森に挟まれた川沿いを進もうとしたとき、別の馬の蹄の音がした。



「まちなさいよ!」


円奈は、その女の人の声を知っていた。


先日騎士になったばかりの自分とちがって、長いこと騎士をしていた来栖椎奈の側近、希香という人だった。



「まちなさいってば!」


円奈を追ってきたのは、希香という女性の、椎奈の世話役も務めていた騎士。

森の木々のむこうから馬に跨って現れた。ばばばっと馬を慣れた馬術で馳せてきて、手綱ひっぱって馬をとめる。

ヒヒンと馬が鳴いた。

「鹿目が、一人で行ったなんて噂を耳にしたから、きてみれば、あなた、本気!?」


馬にのったまま、円奈においつくや、乱暴に地面に降り立って、円奈の前にずかずかやってくる。


「一人でエレムまでいこうって、ばっかじゃないの!外の世界にはね───」


円奈が、驚いた様子で、自分よりは身長の高い女性の騎士を、みあげる。


「敵もいる!魔獣もいる!魔法少女もいる!だれもあなたの味方なんてしない!なのに一人で行く気?」


「わたし、誓いましたから」

最初は、いきなりの希香の登場に少し動揺していたが、やがて、気持ちを取り直すと、自分の胸に抱いた決意を
おそれもせず語った。

「聖地にいくって。弱きを助けて、正義を貫くって」


「はぁ、あのねえ!」

希香は、ため息はいて、鎖帷子を着た腰に手をあてた。

それから、円奈を見つめ、叱咤する。「騎士叙任式でいわれたことを、まんま受け取る必要なんて、ないの!
あれは、儀式的なもんで、騎士の叙任をうける人の気持ちを高めるためにそういう言葉で演出してるものなの。
いちいち叙任式でいわれたことを、本気にしてたら、どこにも国を守れる騎士なんていなくなっちゃうんだから」


それから、また、はあと息をつく。


「騎士も職業なの。誓いがどうだって、本気にして、いちいち命はってたら、もたないでしょうが。
民を守る、魔法少女を護衛する、でもほどほどにね。それを長く続けてこその職業で、騎士の人もね、生活できるってものなの。
戻ってきなさい。」


と、なだめると、円奈をみて、希香は手を伸ばした。


「あなたは、騎士になった。もう今までみたいに、狩りでやっと食いつなぐ生活じゃない。収穫のいくらかを税で
うけとって、バリトンで生活もできる。それに、不幸を呼ぶだどうだっていわれてたんなら、これからは騎士として
活躍して、みんを守って、見返してやればいいじゃない。あなたには、今なら、それができる。あんた、だいぶ弓が
得意になったそうじゃない?」


円奈は、希香が、自分のことを想っていってくれているんだってことは、頭ではわかった。


「せっかく、それほどの身分になったのに、みすみす命を捨て投げることないじゃないの」


希香がそこまでいうと、ちよっと照れたように笑って、自分の黒い髪の毛をいじった。

「農民から税をうけとる、悪くない生活なんだから」


「希香さん」

すると、円奈も、照れたように微笑んで、言った。

希香も、髪の毛をいじる手をとめて、円奈をみた。

「気持ちは嬉しいです。命を危険にさらすよりは、村に戻ったほうが生活ができるのかもしれません。でも、
ちがうんです!」


まるでさっきと決意が揺らいでいない、はずれ者だった少女は。


「私、椎奈さまに何度かお願いしたことがありました。神の国に、連れて行ってほしいって。それが、どんなに
椎奈さまにとって迷惑だったのか……バリトンの人にって、迷惑だったのか……私、本当に不幸を呼ぶ女だったんです。」


あくまで決意を変えない、強さをもっていた。少女の語りの強さに、希香は眉をひそめる。
いつのまにか成長した、鹿目という少女を見つめる。


「だからこそ、誓いだけは破れません。椎奈さまとの、この約束だけは……絶対に守るんです!だから私は、
聖地にいきます。エレムに、むかいます」


そう答え、円奈は再び、希香の前で、馬に跨って乗った。


「神の国は、私の夢でしたから……!」


そういい、円奈は、馬上から、川の流れるむこうの先を見据える。


すると希香は、面白くないというように、今度は、しかめっ面で、髪の毛をいじった。

「なによ、まだなりたてのくせに、わたしより騎士らしいこといっちゃってさ……」

と、悔しそうに、声を漏らす。

「はーあ、これじゃ、騎士物語の主人公の座は、完全にとられちゃったかな!」


そういって、諦めたようにため息つき、円奈には背をむけて戻る道のほうをむく。


「わかったわ。じゃあね。いってらっしゃい。怖気づいたら、戻ってきていいわよ」



「ありがとうございます」

ババババ…

希香のもとを、馬に乗った少女が去る。たった一人の、旅にむけて、去る。無謀すぎる冒険に。


「鹿目!」


すると、希香が、最後に叫んで、もう一度だけ円奈のほうを見た。


円奈も、一度だけ馬をとめ、手綱で馬の向きを横にして希香をみる。言葉を待ち受ける。


二人のあいだにはすでに、埋めようのない距離があいてしまっている。森の川辺にて。


「あのときは」


それでも希香は、遠い円奈に聞こえるように、声を大きくして、言った。


「あのときは、りんごをとっちゃって、ごめんね」



円奈は、顔を落とした。

その少女は、下に隠れて、前髪に覆われる。

それは、五年前のこと。隣町の城での、市場でのこと。希香は、円奈の手からりんごをとりあげた。


それから、最後に、新しい騎士は顔をあげ─────希香をみた。


身体を震わせ微笑んだその目から────わずかな水滴が光った。




希香はしばらく、川の下流へと馬を走らせていっ円奈を見つめていたが。


やがて、踵を返して、自分の道へと戻った。向きかえるとその黒い髪の毛がなびき、彼女は、森の道へ戻る。

「じゃあね、鹿目」

最後に彼女は小さく囁いた。

次回、第7話「ロビン・フッド」

第7話「ロビン・フッド」

75


"madoka's kingdom of heaven"

ChapterⅢ: Robin Hood and the falas forrest
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

Ⅲ章: ファラス地方の森の義賊たち

76


舞台は、こうして、西暦にしていうと30世紀、魔法の支配する世界になる。

この世界では、魔法もなしに渡り歩けぬ世界と、いわれている。


魔法は、古代の世界からあった。



もっとも古来からある魔法は、メソポタミア人の魔法である。


その魔法は、氷河期や飢饉、気候の変化や嵐といった、解明不能な自然現象を引き起こす原因と信じられた魔の獣から、
自分達の身を守る呪術的儀式であった。


魔法少女が、人々を守るために魔獣と戦うかのように、メソポタミア人もまた、魔の獣から守るために、生死を司る
神々への呪文を、"忘れたもうな"と繰り返した。

魔法は恐ろしい怪物たちから身を守るため、人が授かった力だった。


しかし、そうした呪文をとなえる者、つまり妖術師は、魔の獣からの保護者であったが、それを保護のためではなく、
呪いのために使うのであれば、邪悪の力としての脅威にもなった。


魔法は、自然現象から身を守るための対抗手段として生まれたが、やがて、守るという目的から逸脱して、
呪いという邪悪さをもってしまった。

世を救う力は、やがて世を呪う力と変わるのである。


魔法は、本来人を守るための手段としてはじまったことは忘れられ、ただただ、人々を脅かすものとして妄想された。


ヘンゼルとグレーテルの、お菓子の家に登場する魔女のように、魔法使いは、悪者であるかのような記憶が
色濃く、後世に残された。


もっと時代が進むと、そうした魔法の存在は、否定的に見られるようになってきた。人間自身の業が魔法に
追いつきつつあった。


その代わりに、人間の業で、火や水を自在に操ったり、数日先の天気すら予測し、光すら自在に操り、温度を自由に変える
ほどになった。


そして、迎えた西暦30世紀。


歴史の表舞台に堂々と次々に登場する”魔法の乙女たち”。

彼女たちは、人間の前で次々に奇跡を起こし、荒れ果てた砂漠に湖をつくり、嵐を晴天に変え、
荒廃した土地に緑の芽を生やして、手で触れるだけで不治の病を治し、敵国の街に火を燃やした。


そうした魔法の少女たちは、その時代の人間にとって、恐るべき存在でもあったし、また救いの存在でもあった。



魔法少女の起こす奇跡は、しばしば人類を救った。

魔法少女の奇跡は、人類を飢えから救い、天変地異と自然現象から土地を守った。



しかし、そうした魔法少女たちが、人類を救うために魔法を使うのか、滅ぼすために使うのかは、
魔法少女たちの気持ち次第であった。


機嫌を損ねた魔法少女を持つ国の辿る運命は、疫病と飢饉、土地の病気であった。



鹿目円奈は、そんな魔法の時代───奇跡と魔法が地上を支配する──その世界を、馬で駆け抜ける。

つまり、一日先は何が起こるか、分からない、という奇跡が当然となってしまった世界の時代である。

魔法少女の起こす奇跡が、どんな天変地異、嵐を呼ぶとも、分からない、科学の秩序は過去となった新しい世界である。



天の降らす雨のなか、森の泥水溜まった地面を馬の蹄が駆け抜ける。

馬が走るたび、水溜りの泥水がはじけ飛ぶ。


馬に乗り込んだ円奈は、激しい雨のなか水に打たれながら、泥の中を"神の国"を目指して森を進む。

神の国とは、世界の魔法少女たちの女神が君臨する、と呼ばれる魔法少女たちの聖地である。


雨降る森は、薄暗い霧に包まれていて、たちこめる煙のような白い霧を、馬が突き進むのだ。

見知らぬ森の濃霧を少女は進む。


馬が走ると、体が上下に強く揺さぶられるし、衝撃がする。


ばしゃあ、ばしゃあ────。

馬の蹄が、泥水を蹴り飛ばし、泥が跳ね、濁り水が跳ねる。


円奈の髪も、雨にぬれて、額に何本か吸い付く。


睫毛にも水滴がいくつもついて、降りしきる雨に視界さえぼやけるのをこらえて、手綱から手を放さず、
ひたすら、馬で駆ける。

77


晴れがきた。

曇り空はきえ、青の晴天にきらっと昼の日が照りつける。



円奈は森を抜け、開けた広大な大草原を馬で駆け、緑色の大地に飛び出す。


はじまった、円奈の一人旅に、日が祝福をおくるように、さっきの雨は、嘘のように晴れた。


晴れ渡った日差しは暑いほどで、円奈の濡れた髪をかわかし、春のはじまりを予感させる。




通りかかる湖は、魚が行き来し、そのたびに、ぴちゃんとわずかに音がして水の波紋がひろがる。


透明な湖の青色の水を眺め、ふっと微笑んで、円奈は、その湖も通り過ぎ、あてもない道を進む。



どこまでも広い草原だ。



円奈は一度だけ馬をとめ、きた道を振り返る。湖と森があった。


バリトンをたってから、二週間ほど。


どれくらい、故郷から離れてしまったのだろうか。



未知の土地に飛び出し、夢に見た外の世界は、びっくりするほど人の姿はなくて、自然は広大で、どこまでも自由だった。


封建的な領土の縛りもなく、税を納めろとやってくる役人もなく、何をしようにも冷たい視線を浴びせかける
人もなく────。

ただ、高原の穂と、大地のむこうには、山々が、ずっとあるだけだ。気を包む風は暖かい。



「すう……」


円奈は、馬をとまらせたまま、めいっぱに胸にくうきを吸い込む。

青い空に輝く日は円奈の髪を明るく照らし、気持ちよさそうに空気を吸う少女を暖かく祝福する。


そのピンク色をした髪には、一本の赤いリボンが結ばれて、春風にふわりとゆれる。背中には手作りの弓矢が結ばれて、
矢筒には、狩りのために使う羽つきの矢が、十本くらい入る。

騎士となった鹿目円奈の姿である。



進めるだけ進んだら、木陰にはいって樹木の下で休み、馬も休ませる。


それからは、馬の食事の時間。

馬は草を食べる。そのあいだ、円奈は馬の毛を撫でてやる。水筒の水をボウルにあけ、馬に水を飲ませる。


そのあとで、自分も、湖などで調達した、水を水筒で飲み干す。革の水筒は、ふにゃふにゃしていて、
臭いもあったが、貧しい円奈は気にしなかった。




食事と休憩の時間がおわれば、円奈は愛馬クフィーユと共に、再び旅へと出発する。

78


鹿目円奈はその日も旅を続け、日の沈む夕日になった。



円奈は、旅するときに村から持参してきた、市場で買った黒麦のパンを食糧として持ってきてはいたが、
もともと農地さえもってなかった円奈が持参してきたパンは、量に限りがあった。



そこで円奈は、村で暮らしていたときのように、しばし狩りにでるのだった。



今日見つけた獲物は、森の中たった一匹迷い込んだように円奈の前に現れた、鹿。


円奈の弓は、彼女の遠い親戚にあたる魔法少女、鹿目まどかの使ったような、魔弓ではなかった。

手作りの、イチイ木の弓だった。


今までさんざん、村で狩りしてきた円奈の、腕の見せどころ。


鹿は、円奈のたつ山道から下にくだっての山麓の草原、林のむこうの草木を食べている。


その”食事中”の鹿を狙って、円奈が山道の脇を足を滑らすようにざざーっと降りてから、
なるべく音をたてずにそっとそっと近づく。

狩りの時間だ。


獲物の鹿は、自分が狙われているともいざ知らず、鼻先を草木に押し当てて食事に勤しんでいる。


円奈は、息を殺して、膝を折り、鹿が食事にありつく草原からややはなれた木立の間で、弓に矢を番えて、弦を引いた。

矢羽の後ろを指と指で挟み、弓をギギギっと十分に引いたあと、樹木群から、物音ひとつたてずに、狙いを定めた。

矢の方向が鹿に向けられる。


そして、円奈の弓から矢が放たれた。


シュバッ!っと音がして、一本の矢が林の陰から飛んできた。


鹿が初めて自分の危機に気付いた。

ハッと気付いたように顔をあげて耳をたてる。




間髪いれず、すかさず、二本目の矢を矢筒から手で抜き取る。その動作はすばやい。

次の瞬間、聞こえたのは獣の悲鳴だった。

そしてそれを合図としたように、放たれる二本目の円奈の矢。

矢が放たれる瞬間の、ピンク色の真剣な瞳が、獲物を狙う。


勢いよく弓がしなって、矢を弾き飛ばすと、樹木の陰から草原へ飛んでゆき、鹿の走る位置へ飛ぶ。


そして矢は、ストンと、一発目の矢が当たって逃兎のごとく逃げ始めた鹿の腹に命中した。


鹿は逃げ出した最初だけは勢いがあったが、しだいに体力を失って、最後にはトボトボとした歩きになって、
バタリと血を流しながら倒れた。

「やった!」

いつもの、獲物を捕らえたガッツポーヅをして、円奈は、弓を背中に取り付けなおすと、樹木の陰から
姿をだして、草原に走り出した。

79


その夜、円奈は、”久々のご馳走”にありついた。

捕らえた鹿の腹を、円奈はベルトに差した持参の小刀で裂いていく。内臓を取り除く。

そのあとは、火打石を鉄板にあててバチンと叩き、鉄板から飛び散る火花をヒグチに移して燃やし、
積んだ細かい木の枝や葉、持参の藁などにあてた。


小さな火がそこに灯ると、タイミングをみて、ふうと息をふきかける。

火が大きくなってきたら、まわりから石を集めて、火種を囲うように並べておく。

もっと大きな枝や落ち葉をあつめ、火にかぶせる。


裂いた鹿の肉を木の枝の先に刺して、焚き火の火に当てる。

そして円奈は、その日初めての食事にありついたのだった。


食べたあとは、まだ燃え続けている焚き火の明かりを、体育座りになってじっと見つめていた。

クフィーユも、背中に乗せた荷物を全部取り外してもらって、いまはゆっくり体を地べたに休ませている。



それは、月明かりのない新月の深夜の森だった。


「ほんとに、一人になっちゃったんだな」

と、円奈が、焚き火の明かりを見つめながら、言った。

今の円奈は、騎士としての武装を全部解いて、弓矢も矢筒も、腰に巻きつけた剣の鞘も、全部樹木の根元に
寄せて置いている。

すると、そこにはただ一人の女の子がいた。

そんな円奈の声に、答える人もいなくて。



本当に、たった一人で、未知の土地にいることを、思い知る。

まわりに誰もいない。一人旅。危険な旅の夜に、寄り添ってくれる人は誰もいない。一人ぼっちだ。


それでも、胸元には、来栖椎奈の遺志が────割れたソウルジェムが、私とともにある。


「眠らなくちゃ」

まだ焚き火が燃えていたが、円奈は自分の麻袋から毛布を取り出した。

樹木に背を寄せて毛布にくるまってしまう。

真っ暗な獣達の棲む森の、一人ぼっちの眠りについた。

80


月明かりのない深夜の森の下で───。

円奈が、スースーと寝息を立てて眠っている。


さて、ところで、円奈も10代も半ばの少女であるし、旅に出た経験もろくにないから、
自分達のしでかしていた迂闊に気付いてなかった。


円奈は毛布にくるまって眠りについたけれど、焚き火のごうごうと燃える火は、
野宿をする彼女を照らすように明るく燃盛っていて、今でもパチパチと火が木の枝を燃やす音が鳴り轟いていた。


それは当然、異国の敵にとってこれ以上ないくらいの”分かりやすい目印”で。


焚き火が燃えているということは、異国の者にとっては、見知らぬ何者かがやってきた、という目印だ。



そうとも知らず、円奈はすっかり眠りに落ちている。



森のかげりの向こうから、小さな影の集団たちが、焚き火に寄せられるように、近づいてきていた。

その数は、5人?6人? いやいや、10人以上はある。


小さな影たちは、声をださず、互いに目線だけ交し合い、手だけで合図をだしながら、タイミングを合わせて
森の暗がりをそろりそろりと歩いて、徐々に接近していく。


円奈を囲うように、東西南北四方向から。



そわ…そわ… と、葉のざわめきの音がする。

影たちが手や肩に持っているのは、弓矢だろう。



「ん…」

ざわめきの音とその気配に、円奈が目をこすりながら、目覚めた。


すると気配たちは動きをピタととめて、息を殺す。


目線だけかわしあって、リーダー格と思われる人影が、指を駆使して他の影たちに合図して、”動くな!”と伝える。



円奈は怪しい気配を感じとって、樹木に寄せておいたベルトの鞘から剣を抜いた。

樹木に背をつけてにしゃがみ、背後を守りながら、剣をなんとなしに見つめる。


クフィーユは寝息たてて身を丸め、眠っている。


森の暗がりの奥に潜む影たちのもつ矢の”錐”が、焚き火の光を反射して、円奈の剣にも映った。

キラリと光が一点。円奈の剣に映る。


円奈は背後も前も、敵がいるんだなと、それで分かった。


それでいて自分は敵の存在に気付いてないフリをした。


リーダー格の影が、”動くな”の合図を解き、指を二本だけ素早く折って、”背後から近づけ!”と合図をだした。


円奈の背後に潜む二人の影が合図を受けて頷いて、円奈の身を寄せる樹木に背後から近づいた。

音も立てずに。



円奈はわずかに手持ちの剣の向きをよじらせて、背後の動きを確認した。

さっきまで反射して映っていた鏃の光が消えた。

ふーん、そろそろ来るのね…。


ぎゅっと剣をいきなり握り締め。


影の少年たち二人が円奈に背後から襲い掛かるのと、反撃に円奈が剣を勢いよくふるって背後の人影に反撃するのと、
リーダー格の少年がその円奈に弓矢を引いて矢先を突きつけるのが、同時だった。


ガキン!

円奈の剣が少年達の弓矢を斬る。驚く少年たち。

飛び起きるクフィーユ。

森の木々からバラバラと現れるほかの少年達の一団。

「動くな!」

そしてリーダー格の少年が、弓に番えた矢を円奈の頭にあてる。

「あなたたちは誰!?名乗って!」

剣を振るった円奈が、動きをとめて尋ねる。

「武器を捨てろ」

リーダー格の少年が、円奈に命じる。円奈のこめかみに引き絞った弓矢をあてがいながら。「魔法使いめ!」

「魔法使い?」

円奈が訝しそうな声を出し、髪の毛逆立てながら、剣を手から落とす。ガタン、と剣が土に落ちて切る音がした。



「黙ってソウルジェムを出せ!」

「ええっ?」

両手をあげて降伏の意を示しながらも、想像だにしなかった要求に、とたんに戸惑ってしまう円奈だった。

「あの、…ひょっとしてあなたたち、何か勘違い、してないかな…」

「しらばっくれるな、ここらで見ない顔だ」

少年が円奈の言葉を遮って問い詰める。「何者だ?名乗れ」

「それ、私がさっきした質問なんだけどな…」

円奈が苦笑する。

「魔法使いの女め!」

リーダー格の少年が口調を荒げる。「白状しないと、焼いてやるぞ!」

「魔法使いじゃないってば!」

円奈も声に声で叫び返す。「人間だよ!」

少年がギっと円奈を睨むと、弓矢を放した。そして急に円奈のピンクの髪をぎゅっと掴んで引っ張った。

「あいたたっ!」

円奈が目をぎゅっと閉じ、抵抗した。「ひどいっ!なんてことするの?女の子の髪に!」

少年は、円奈の抗議など構いもせず、ため息ついた。

「なんだ、お前は”俺たちの側”か」

クフィーユがあまり優しいとはいえない視線で少年を見上げる。

「魔法使いじゃねえ」バっと、乱暴に円奈の髪を放す。「魔法使いは髪を引っ張られても痛がらない。痛がっても"変身する"」

と、考察しながら、小さく少年は口につぶやくのだった。

「答えてよ!」

円奈が、乱れた髪を指で手直ししながら、ちょっと怒った顔つきをして問いただした。「あなたたち、誰なの?」

そうたずね、円奈は、自分たちを襲った一団を見回した。みんな、少年たちで、みんな、弓矢を持っていた。

どの少年もフードをかぶっていて、その表情は夜の闇に隠れ、鼻と口元がみえるだけ。

男の子たちだから、魔法少女ではないだろうが、なぜ襲ってきたのだろうか。



ふう、と息をつくと。

円奈とそう年齢のかわらない、いや、1つか2つかだけ年上に見える少年が、答えた。

「俺たちは、"ロビン・フッド団"さ!」



「ろ、ろびんふっど?」

予期もしない答え方に、あっけにとられた素っ頓狂な声で問い返してしまう円奈。


「そうだ!」

少年が胸を張って、答える。「俺たちは、あの悪の魔法使いどもと、戦っているんだ!」



「魔法少女と戦っているの?」


と、円奈が尋ねた。


「そうだとも」

少年が答える。「魔法使いどもをやっつけてやるさ」


「勝てるの?」

円奈がもう一度、尋ねた。


「勝った!」

少し得意げに、少年が話した。「もう何人かやっつけたさ────なあ?今日だって、二人やっつけた!」

すごい。

人間が魔法少女に勝つなんて。


それがホントだとしたら、結構すごい人たちなのかもしれないけれど……。



なぜロビン・フッド??



確かに弓矢だけどさ!


「俺、コウ!」リーダー格の少年が名乗る。「弟のアン!」少年の隣に、もう一人の少年がならぶ。


そして、手を差し出した。「よろしく!」

「よろしくって…私を仲間に加えるとかそういう流れじゃない、よね…ひょっとして」

差し出された手を握りながら、円奈が恐る恐る尋ねた。

「仲間さ!」

少年がすぐに答えた。「人間同士で争ってどうするんだ?俺たちは魔法使いどもとは違うんだ」

81

どうも少年たちは、かつては故郷に暮らしてたが、故郷は魔法少女同士の領土争いに巻き込まれて、
家々を焼かれ家畜を殺されの災厄にあったらしい。


「抵抗した者は、みな魔法使いどもに殺された。槍で突かれ、首を跳ねられた」

リーダーの少年は、悔しそうに手を握り締め、故郷を襲った災厄の思い出を、苦々しく語る。

「あいつら言うんだ”魔獣から自分の身も守れん弱者どもめ!だが我々は守ってやっている。少しは魔法少女のために
なったらどうだ”」


抵抗したら皆殺しにするくせに!と少年は憤る。家畜は殺され、縄張り争いのための食糧にされた。

紛争の常であったが、敵はまず、相手の食糧を奪うために、相手側の村に火を放つ。
それは魔法少女同士の紛争でも同じで、魔法にしろ火矢にしろ、とにかく、紛争に巻き込まれた村は焼かれた。


少年たちはそうして、住む場所を失い流浪の身となる。


それでみんなが、魔法少女への復讐を誓っているらしい。

だからなのか分からないが、魔法少女ではなく人間側から弓矢の名手をとって、ロビン・フッドなのだろうか。

いまどき、春秋五覇、斉の桓公と管仲、晋の文公、楚の荘王、それらに匹敵負けず劣らずの魔法少女たちだっているのに、
この少年たちは人間の英雄をチョイスする。円奈が知っている覇者たる魔法少女は、葉月レナと雪夢沙良である。


この近辺での魔法少女同士の縄張り争いは、もう数ヶ月にもなるらしい。

少年たちは、その縄張り争いに巻き込まれて、ある家族は捕虜としてとられ、ある家族は殺され、
そして身寄りをなくしてこの森で孤児となっている。

そんな孤児同士が集まって、魔法少女に復讐し、この地方でやりたい放題の無法者、つまり魔法少女に
対抗するための、団結を誓い合った。

ロビン・フッド団を名乗るようになったのは、そうした経緯だった。


円奈は、その残酷な話をすぐには信じたくなかったが、しかしつい先週くらいには、まさにここファラス地方で、
人間の少年少女に対して容赦なく暴虐を繰り出す黒い鎌の姫をみてしまっているから、彼らの話を疑えなかった。

来栖椎奈が戦って散った、あのゴスロリの鎌使いの魔法少女である。


どうやらあの黒鎌の姫ような少女が、森の奥にまだまだぞろぞろといて、縄張りの抗争を繰り広げているらしい。

ファラス地方の森が、別名無法者の森と呼ばれる理由でもあった。

私利私欲のまま魔法の力を好き放題につかって、人間に害を及ぼす乱暴な魔法少女の巣窟のような森である。

そしてそんな悪の魔法少女たちと戦うのが彼らロビン・フッド団だ。どっちにしろ、国という国に属さない、
無法者(アウトロー)たちだ。


「お前は、女一人で、一体何してたんだ?」


と、少年が円奈に尋ねてくる。「どこ目指していたんだ?人間一人だけでこの森を渡り歩くなんて、無謀だぞ。
この先もうすぐいくと、魔法使いどものなわばり争いの国境に差し掛かるんだぞ」


それが、モルスっていうファラス地方との国境なのかな。

円奈は、バリトンの男騎士の人にもらったヒントを、思い出していた。だとすれば、
私はちゃんと神の国を目指せているみたい。


しかし、その国境は、どうにもおっかない魔法少女たちの激しい縄張り争いが続いていて危険らしい。

しらずしらずのうちにそんな場所へふらふらとむかいつつあるみたいなのであった。


円奈は、自分の旅の本当の目的を告げるのに気が進まなかった。

だってこの人たちは魔法少女を敵視している。

けれど、私の旅の目的は──。


「私は、エレムの国の治める、神の国を目指しているの」


途端に、ざわわっと空気がどよめいた。

ローブを羽織った少年達が顔を見合わせる。


一瞬だけ流れた沈黙のなか燃え続ける、めらめらとした焚き火。

「エレム国の神の国って、”あの神の国”か?」

コウと名乗った少年が、そう訊く。

「うん」

こくりと頷く円奈。

「バカな!」

少年が信じられないという風に、円奈を変な目で見つめた。「なんでそんなところに?魔法使いどもの総本山だろ?
あそこは!世界中から魔法使いが集まっているって聞いてる。はるばる東の大陸のこむうにまでさ」


「私たち、本当は魔法少女と旅をしていたの」


「ああ、なるほどね…」少年が、微妙に納得した顔をした。「そいつに命令されて、無理やり連れてかれてたのか?」

「うーん、まあ…」

確かに封建的な契りだから、無理やりっちゃ無理やりなんだけど…。

私はむしろ自分で行きたいって内心思っていたくらいだよ。

「そうっちゃ、そうなんだけど……その私たちの魔法少女が、別の魔法少女に倒されちゃって……」

あ、なんだか思い出したら目が熱くなってきた。

「なら、いかなくていいだろ」


ううん、と円奈は首を横にふる。


「私たちの村にいた魔法少女は、村のみんなをいつも守ってくれたの。魔獣からも、他国の攻撃からも…
その魔法少女たちが、救われるって場所が神の国なの。そこがいま、危機にあるってきいて。私はそこのために
戦いにいきたいの」


少年達がまた顔を見合わせる。中には、もう我慢ならないとでもいいたげに、歯軋りしてる少年もいた。

「救われたいのは、俺たち人間のほうだよ、まったく!」

と、リーダーの少年は乱暴に手持ちの弓を土の地面に投げ捨て、愚痴を吐いた。

「どうしてこう世界ってのは、魔法使いどもに有利にできてるんだ?」

それから、きっときつい目で円奈をまた見て、問い詰める。

「どうやっていくつもりだ?」

「ミデルフォトルって場所に向かっているんだけど…」円奈がおずおず答える。

「ああ、あの東大陸と連絡してる港か」

「知っているの?」円奈の目が丸くなる。

「知ってるさ」

少年が両手を持ち上げる仕草をした。「だが、その港も、魔法使いどもが占拠してるぞ。それでいて、魔法使いども
同士で、争ってる」

「ここからどういけば?」

期待の入り混じった声で、円奈が少年に尋ねた。

「どの方角?」

「いや、それはこの先、まっすぐいけばあるよ」

と、少年が南の方向を指差した。「だが、さっきもいったとおり、そこは魔法使い同士の縄張り争いが続いてて、
近づかないほうがいいぞ。あいつら城砦を築いて、いま誰も通れないようにしてるんだ」


「うーん…」

円奈は困ったように、指先を口元にあてて考える仕草をした。

もうすでに、頭の中に考えがまとまってるかのような。

「あなたたちって、魔法少女と戦うんだよね?」

と、円奈が話し出す。


「そうだけど…」

少年が、少しだけ嫌な予感に戸惑いを覚えながら、おずおず答える。


「じゃあさ、」

と、円奈がちょっと微笑みながら、提案した。「魔法少女と戦うんだったら、その縄張り争いの場所にいって、
漁夫の利狙えばいいと思わないかな?」

漁夫の利とは、趙・燕という二国が争っているうちに強国の秦がどちらも討ってしまう話のたとえである。

「待て、待て!」

慌てて少年が両手を振り上げ、降参の意を示した。「そこは危険すぎるんだ!あんたの思惑は分かったぞ───
その先に行きたいからって、俺たちを利用する気だな!」

「利用だなんて、とんでもない!」

円奈がにっこり笑って、告げた。「私、見たいの!あなたたちロビン・フッド団が、戦うところ───魔法少女、
やっつけるところ!かっこいいんだろうなあ!」

両手を握り締め、目をキラキラさせる。

「おだてたって、無駄だぞ!」

「でも、勝てるんだよね?悪い魔法使いやっつける、正義の義賊なんだよね。すっごいなあ!悪い魔法使いたちから、
逃げずに戦うんだ!」

「ぐぐ…」

冷や汗かきながら、少年がぎしぎしと歯軋りする。「のらないぞ……その挑発には!」

「さすが、人間の弓矢の名手を語るだけのことはあるね!正義の味方だっ!」

円奈がすかさず、また手を握って、はやしたてる。

「世界で戦いの華を持つのは、魔法少女だけじゃないんだっ!人間だって戦えるんだっ!まさか、逃げたりなんて
しない!だって、”ロビン・フッド”だもん!」

「ぬぐぐ!」

リーダーの圧され気味な気配を感じ取って、他の弓矢の少年達の表情に焦りが生まれる。

「私もそんな正義の味方たちと、共に戦えたら!心がわくわくするなあ!
あ、そういえば、さっき私のことを”仲間”だって!やったあ!」

一人完全に役になりきって、キラキラの乙女を演じきる円奈。


───が、突然、素に戻って、少年達に言った。

「…なんてね。いいよ、あなたたちが来ないなら、私一人だけで行くんだから」

そう冷たく言って、自分はまた毛布にくるまってしまう。

「それじゃ、私もう寝るね。じゃあねさようなら。ばいばい。もう私には用はないんでしょ?」


「おい、一人で行くって、正気かよ」

少年が、冷や汗額にためながら、言った。「魔法使いが何十人といる城壁を、一人だけで通り抜ける気か?」


「もともとそういうつもりで旅に出ているの、私は」

と、円奈が速攻で答える。その口調は、もう冷たい。

「あなた達ロビン・フッド団とは、”覚悟が違う”んですから」

そういって目を閉じて、もう眠る。


ううう。

さんざん持ち上げといて、最後の一言でそこまで俺たちをこけ降ろすとは!

なんてヤツだ!


「かわった、わかった!!」

少年が大声で告げた。途端に、他の少年達が一斉にリーダーを見た。

「明日、つれてってやる!縄張り争いの国境に!ただし、連れて行くだけだ!あんたは、そこがどんなにヤバイか
知らないんだ。そこにいって、見るだけ見て、俺たちは引き返すぞ。それでいいな?」


「ほんと?」

途端に、バッと目をあけて少年を見た。「じゃ、約束だよ。明日、連れて行ってくれる?」

「約束、するよ!」

しかめっ面のまま、少年が受け答えた。それから手下の少年達に合図して、今日は引き上げるように指示した。

「明日、ここにいろ。迎えにくるから」

「ありがと!」

嬉しさ満面の笑顔で、円奈が感謝の述べた。

それを無視して、コウと名乗った少年が手下の男の子たちを連れてささっと森のむこうに去っていく。

「くそ、人間の女ってのは、魔法使いじゃなくても魔法が使えるのか?」

と、愚痴を漏らした声は、円奈には届いていない。



それからまた毛布にくるまって、一連の少年とのやりとりを不安げに見守っていたクフィーユに、ニコリとウィンクして
みせて、またスースー寝息をたててしまった。


馬は、そんな少女のウィンクの意味などわかるわけもなく、長い首を垂らして眠りにおちた。

82


夜明けがきた。

空が明るく、青くなってくると、名も分からない鳥達の囀る声が森の奥より木霊する。

ちゅんちゅんという元気のよい鳴き声から、ほーほーという不気味な鳥の声まで。


晴れ空だ。

しかし、茂る森の奥地は、晴れだとしても暗い。森全体に湿り気もたっぷりだ。空気はじとじと。

樹木は高く密集して並び立ち、土に根を張る。その根元は、小さな草木がぼーぼーと生える。


見あげれば青い空があるが、日の光が、円奈の頭まで届かない。それほどに、濃い森である。


雲は多いから、午後には曇るかもしれない。


森の天候は気まぐれだ。


森で鳥たちが元気な声を交し合うころには、円奈はもう起き上がって、身支度も終えていた。

いつも来ているチュニックに(これ、最近洗えてないなあ)、ベルトを巻いて、剣を収めた鞘をぶら下げる。

背中にロングボウの弓矢に取り付けて、手袋をはめる。


「ふぁ…」


準備が終えたら、ちょっとだけあくびをする。昨日、深夜にあんなことあったせいで、眠たい。

ていうか、今思い返すと、あれはなんだったのかと思ってしまう。


でも、一応、そのなんだか分からない彼らとの交わした約束がある。



円奈は、愛馬クフィーユの傍らに座って、持参の革の水筒から水をフィンガーボウルにも似た皿にあけると、
馬に飲ませた。


朝は、馬にとっても食事の時間なのだ。


円奈はクフィーユが皿に注がれた水に口をあてて飲んでいるその頭を、手でずっと撫でてあげている。


馬の食事が終わったあとで、赤いリボンを髪に結う。


それから、一晩の眠りで乱れた髪を、持参の木の櫛で整える。バリトンの村から出発して二週間以上に
なるけれど、それ以来、髪がまた伸びてきた気がする。



支度を終えたころ、少年達が再び円奈たちの前に現れた。


それにしてもこの少年たちのそわそわとした様子はなんだろう。


昨日は夜だからよく見えなかったけど、もとからこういう挙動なのかな。


「昨日約束したとおり」

リーダーの少年が言った。「お前をミデルフォトルにむかう途中までの、縄張り争いの場所まで連れて行く」

それから、驚いたような顔をして円奈を見た。

「昨日とは随分違ういでたちなんだな!」

「えっへん。私、これでも一応、騎士です」

円奈が得意そうに言った。

「本当か?もしかして戦いの経験、あるのか?」

「あるよ」

「誰かと、戦ったのか?」

「何人か…」

年下の子ばっかだったけど。

「魔法つかいも?」

「負けちゃった」

ぺろっと舌を出して照れ笑い。

それから円奈は、クフィーユの手綱を握って、馬の傍らに立った。

「連れてくれるって約束でしょ?案内してくれるかな?」

少年の目がまた驚きに丸くなった。「馬、乗れるの?」


「乗れるよ!騎士だもん」

そうとだけいうと、ひょいと流れるような動作で馬に跨る。

「みんなの案内、あてにしてるからね」


「すっげえ!」

感心したように、少年が声を漏らした。「ほんとに騎士じゃん!」


「だから、騎士なんだってば!」

馬に乗った円奈が、照れて笑った。「馬に乗れない騎士はいないよ」

剣おさめた鞘を腰にぶらさげ、馬の手綱を握る。足は前に出し、馬に体重を乗せて騎乗する。

きづけば、まわりにローブを羽織った他のロビン・フッド団の少年たちも、どことなく興味津々という視線で
円奈を見ている気がする。



「かっこいい!」

今まで喋ったことのない、フードかぶったある少年が目を輝かせ、急に喋った。

「すっげえ!本物の騎士だあ!俺の故郷の村は、みんな農民の領地だっから……こんな間近に見れるなんて!」


「そーいうの憧れてた!」

他の少年も、いきなり、話し出した。「かっけえ、騎士だあ!」


「そ、そうなのかなあ…」

円奈はいいながら、照れたようなくすぐったような感情のまま、髪に手をあてる。


「かっけえ!」

他の少年も、ままでの無口が嘘のように、円奈をじろじろとみあげ、きらきらと目を輝かせる。

馬を御し、跨り、背中にはロングボウという大きな長弓、鞘にぶらさげた剣。


その格好のどれもが、少年たちの心をくすぐり、憧れの視線を注いだ。


「それじゃ、国境のところまで連れて行ってくくれる?あ、この馬はクフィーユ。私の大切なお馬さんだよ」

と、円奈は、自分の馬の首をぽんぽん撫で、いった。これは愛撫という。騎士が、馬に愛情を伝えるときの動作である。

「うん」

リーダー格の少年が頷く。


「…」

じー。

円奈が馬上から、リーダーの少年を見る。


「なんだよ?」

わずかに照れながら、いたたまれず少年がたずねた。

「私の名前はきかないの?」

「ああ、忘れてた」


「忘れてたじゃないよ、まったくもう…」

ふうっと息を吐いて、ちょっときつめの目で少年をじとっと睨んだ。

かと思えば、また優しく笑って、言った。

「わたし、鹿目円奈(かなめまどな)だよ。よろしくね」

83


かくして、聖地・エレムをめざす騎士の少女・鹿目円奈と、魔法少女対抗組織、ロビン・フッド団の、
不思議な一行はモルス国境城砦という地点を目指して、ファラス地方の森を進んだ。



ロビン・フッド団の少年たちが語るところでは、その魔法少女同士の縄張り争いの地点を抜ければ、
モルスという国境の領を越えたことになり、ミデルフォトルから東世界の大陸へ船で行けるとのことだ。


東世界の大陸…そこはもう、エレム国の領域だ。


そこに世界の魔法少女たちが集い、世界の魔法少女たちが、円環の理をたずね、祈る、神の国がある。
魂の救済地がある。


葉月レナという、世界でもっとも天に近い存在といわれる魔法少女が、その国を治めている。



「ねえ、いつから馬に乗れるようになったの?」

話を今に戻せば、円奈が、ロビン・フッド団に案内されながら、山道を馬に乗って進んでいたが、
いつの間にか少年達の人気を集めて、質問ぜめにあっている。


「何年か前だよ…んっと、二年くらい前かな」

「ねーちゃん、何歳?」

「あなたたち、なんでも聞くんだね……そういうの、遠慮しなくちゃいけないんだからね。15だよ」

「15かあ。ぼくより一つ上だ」

「すごいな。それでもう騎士なんて。いつから騎士になったの?」

少年たちは、まるで今までの心の警戒とだんまりが嘘のように、円奈に競って話かける。


馬に乗って林の山道をすすむ騎士と馬を囲うように、少年たちがついてまわって、質問ぜめにする。


彼らはまだ10代半ばの少年たち。騎士とかそういうのが好きな年代で、その本物が突然現れたのだから、
これも当然の反応だったかもしれない。

「騎士になったのは、実は先週だよ」

「すっごーい!」少年達の驚きの声と、はしゃぐ声。「先週なったばかりなのに、すっごいサマだなあ───
もう、一人前の騎士って感じで、かっこいいもん!」

「ありがと!」

素直な少年達の声に、さすがに円奈も気がよくなってくる。「そんなに騎士然としてるかなあ、私。うへへ」

照れたように頭をちょっとかいて空をみあげる。パカパカと馬は円奈を乗せて進む。

「うん!かっこいいよ!」

少年たちがまた、はしゃいでいる。「魔法使いなんかより、よっぽど!」



うーん、私からすれば魔法少女のほうがもっと格好いいんだとどな。

でも確かに、あの黒い鎌の子のような魔法少女はちょっと…アレだけど。

「あなたたちはいつから、そのロビン・フッド団ってのを、やってるの?」

「一ヶ月くらい前から」

「何ヶ月も前から」

それぞれ答えが返ってくる。

少年たちによって、それぞれ始めた時期が違うのね…。

「以前、魔法少女に勝ったっていってたけれど…」

円奈が、馬を歩かせながらたずねる。馬が蹄の音たてて歩くたび、馬具にとりつけられた水筒が、カランカランと
音を鳴らしている。

「何人くらいに?」

「もう、5、6人は倒したよな!」

少年達が元気よく互いに声を交し合う。「だね!」「うん!」

みんな得意げになって、弓矢をぶんぶんゆらす。

「へえ…すごいなあ!私、魔法少女に勝てなかったよ」

「騎士のくせに、だせー!」

ハハハと、少年達が笑い声に包まれる。

う。この子たち、騎士の私を尊敬してるのかバカにしてるのか。急に態度ころころ変えるんだから!

「戦い方が悪いんだよ」

「戦い方?」

確かに、この少年たちがどうやって魔法少女を打ち倒すのかは気になるかも。


前に鎌を操る魔法少女と戦ったけど、歯が立たなかったし。


「魔法使いのやつらを討つときは、タイミングがあるんだよ」

と、少年が教えてくれる。ちなみに、栗毛色でショートの男の子。「そのタイミングで、ソウルジェムっていうの?あれをバシっ!と」

栗毛髪の少年は、指の爪で手の平をつついて、矢の刺さる動作を示す。


「タイミング?」

円奈がたずねる。

どこかでピーィ、ピーィという野鳥の鳴き声がする。

円奈はその声の主を、少年と会話しながら探した。

「そうさ!」栗毛の少年が言う。髪もそうだが、瞳もどこか茶色っぽい。「魔力の源だかなんだかしらないけれど、
ビカっと光って───」


突然円奈が馬を止めた。もう少年の話など耳に入ってもいないというよりに、きょろきょろと林を見上げる。


「どうしたんだよ?」

栗毛の少年がちょっとむすっとして問いかけた。

「しっ」

円奈が口に指を当てると、少年が黙り込んだ。円奈の急に変わった真剣な目つきに驚いてしまったからだった。

円奈は馬をとめたまま、手に背中の弓矢を取り出すと、素早く矢筒から一本矢を抜き、慣れた動作で弓に番えると
上向きにする。



そして次の瞬間、バサバサっと翼の音がしたかと思うと、野鳥が林の枝から飛び立った。


円奈の目がそれを追う。矢を向ける。

野鳥は、木々を横切り、森を飛び去る。


すると円奈は弓で狙い、弦を思い切り引く。人差し指と中指の間に挟んだ矢を、手放して飛ばした。

ビュン!と弦がはじけ、矢が放たれる。

飛んでいった矢に、飛び渡った鳥は、射止められた。


バサっと羽が舞い飛び、ドサっと木々のむこうの草むらに落っこちる鳥。

予想以上に大きな音を立てて落ちてきた鳥にびっくり仰天して、少年たちが少しだけみんな、後ずさった。


鳥はまだ生にしがみつくみたいに、地べたでバサバサバサと翼だけ動かしていたが、その動きもやがてなくなった。


それから、少年たちのはしゃぐ声に包まれた。

「すっげえ!」

はやしたてる少年たち。「今の見たか?矢で鳥を射止めちゃった!」

「やっぱ騎士なんだ!」

わーわーと、少年達の熱望を集める円奈は、しかし、馬から降りて、草むらをかきわけると、獲物の鳥を拾い上げた。

胸肉を矢に撃たれた鳥の死体は、感触がぐにゃぐにゃとやわらかかった。足はかさかさとざらついた。


「道案内してくれるお礼に」

鳥をひろいあげて、円奈が告げた。「みんなで鳥肉を食べよう!」

わあああい。

円奈を取り囲んで喜ぶ少年たちを傍目から見ているのはリーダーのコウと名乗った少年と、その弟のアン。



「どうやってうったの!?」

少年は、夢中になって、騎士にたずねる。


「んー、先読みっていうのかなあ」

円奈は、鳥のかさかさした足を片手に掴んで、ぶらさげたまま、視線を見上げて考えた。

「弓で追うんじゃなくて、あらかじめ狙いを定めておくというか……そんな感じだね」


「やっぱ、かっけえ!」

少年たちは、鳥の足つかんだ円奈のまわりに、わーわーとまた、集まる。円奈よりも、少しだけ年下の、
かわいい男の子たちに囲まれて、苦笑いする円奈だった。


「すげーやつだな」

すると、そんな、たった一日で人気者になった円奈とそのまほりの手下たちを見ながら、ロビン・フッド団を
名乗る一団のリーダー、コウは───。

「あいつら、魔法使いに襲撃されたショックで、ずっと塞ぎだみたいな無口だったんだ。
なのに、一日でこんなに打ち解けてる」

と、隣の弟にかたった。地面の、落ち葉を踏みながら。

「兄上」

すると、弟の小峰アンが、口を開き、たずねる。「明日は本当に、僕達だけは帰るので?」

つまり、明日のあの危険地帯、魔法少女と魔法少女の領土争いの地帯に、あの女の子の騎士一人だけでみすみす行かせて、
自分たちは帰るのか、という質問だった。

「そういう話だろ」

兄がさらっと答える。



すると、弟が次に、こんなことをいいだした。「あの方と一緒に戦えれば、あの防壁を打ち破れる気がするんです」

「バカいうな」

兄がすぐに首を横にふって、一蹴する。「俺たちは真っ向から魔法使いと戦えるわけじゃない」

「あいつらを───」

弟のアンは、ひかなかった。兄に、期待を込めた言葉を投げかける。

「また家族と会わすことができます。兄弟姉妹に…」

「…」

兄が、無言になって手下の少年たちを見つめる。

みんな、魔法使いの襲撃で家族バラバラになった、身寄りのない子供たちだ。

彼らの家族は、魔法使いに、人質にとられている。あの、国境の先に、捕虜として。



「だがあそこはヤバすぎる」

兄が目を閉じて、頭を垂れると、もう弟とは話さないとばかりに、くるりと背を回してその場をあとにした。

「約束さえしてなければ、誰があんな場所になど!」

と言い残してつっぱねるのだった。


弟は、その場を去る兄の背中を、ただ見つめていた。

84


その夜、前夜のように焚き火を起こして、円奈が捕らえた鳥肉を焼いた。

リーダーの兄弟たちと、残った手下の少年たちが、ありがたく鳥肉にありついている。


「肉を食べるのは久しぶりなんだ」

と、コウ、”ロビン・フッド団”のリーダー格の少年が、円奈にいった。

焚き火の光をみつめながら、ほんのわずかな焼けた肉を、手下の子たちにわけている。


「あなたたちは───」

円奈も、焚き火の光をみつめていた。その顔が、火の赤い明りに照らされる。昨晩とはちがって、まだ剣の
鞘を腰に巻きつけていた。

「普段は何を?」


「果物とか、木の実ばかり、食べてるんだ」

コウは、顔をしかめると、いう。「おまえみたいに、鳥とかうさぎを、弓で射れるわけじゃないからな」


「そっか……」

それをきくと、円奈は目を落とした。森の湿った土の地面だけをみつめた。


故郷のバリトンにいたころ、私は、農地ももてなくて、いつも仲間はずれにされていて、私だけが、
いつも生きるためにぎりぎりの狩りをしてきた。


でも、その狩りさえ、うまくできないもっと幼い子たちが、こうして生きている。



そして少年たちは、故郷の農地を、魔法少女たちに、奪われてしまった。


「どの実があまいもんなのかなら、おまえにも教えられるぞ」

コウは、ちょっとだけ笑い、円奈にいった。「どんぐりそっくりな見た目してるけど、炒めると甘いんだ」

円奈がふとみると、少年たちが、円奈が捕まえた鳥肉をおいしそうに頬張っている。


ついさっきまで生きていたばかりの、とれたても新鮮な、数時間前の生命を、食べていた。


当時の調味料として高級品である香辛料はなかったし、油もなかった。けれど鮮度の高い肉を、少年たちは
幸せそうにわけあっていた。



「そういえば───」

コウは、焚き火の暖かさに、春はじめの夜の森の寒さをしのぎながら、いった。

「おまえはどっからここまできたんだ?神の国めざしてるのはわかったとしてさ」



「バリトンから、発って二週間くらい、したかな?」

「そこは、ここからは70マイルくらいあるらしいな」



「そっか、わたし、70マイルも……」

いっぽう、円奈も、ちょっと呟くような口ぶりで声をもらすと、過去の道を振り返った。


一週間くらい、来栖椎奈とも、バリトンの人たちも一緒に、メイ・ロンの城から、発ってファラス地方の森に入った。


ファラス地方の森では、噂どおり、横暴を働く魔法少女がいて、奇襲にもあった。

そして椎奈が……倒れてしまった。



それからは一人旅が続いていて、まだ、このファラス地方の森の真っ只中にいる。さしずめど真ん中といった位置だろう。

そこを抜けると、別の国にいけるみたいだが、その国境で激しい争いが戦われていると、この少年たちはいう。


「おまえはさ、神の国をめざすって、いってるけど」

コウは、少年たちが鳥肉を食べ終えたのを見届けると、また、円奈に話しかけた。

「そこで何をするんだ?人間であるおまえがさ」


「う、う…」

すると、円奈は、少し困った顔をしてしまった。体育座りのまましゅんとして目を落とす。焚き火を見つめる。

瞳に熱い炎が映る。



確かに、聖地を目指すことは心に固く決めているが、だとしたも、聖地に辿り着いたところで何ができるのか、
自分だってわからない。

来栖椎奈の言葉を思い出したが、それでも、私に何ができるかなんて、分からない。


「い、いってから考える……」

結局、円奈には、そう答えるのが、精一杯であった。


「そうかよ」

コウは、呆れている様子はなく、淡々そういっただけであった。

「どうせ、あの国境地帯についたら、おまえも分かるさ。一人であんな遠くまで旅するなんて無謀だよ。
この時世、魔法使いどもが、暴れてるんだから」


「…」

円奈は、それには何も答えない。

バリトンのときも、無謀だってことは、さんざんいわれたことであった。
でも諦めないことだけは心に決めている。



「だがまあ、約束は約束だ。おまえを連れてってやる」

ロビン・フッド団のリーダー、コウはそういうと、円奈の隣から立ち上がり、焚き火をあとにし、自分の手作り弓矢を
手に抱いて樹木に身をよせ目をつむった。


「毛布、つかわないの?」

円奈がきくと。


「あいつらが使ってる」

コウはいい、目だけで少年たちを見やった。



円奈も見てみると、ぼろぼろの、縫い合わせの毛布たった一枚に、五人も六人もの少年たちが、一緒になって
布団代わりにし、眠りにおちていた。


「優しい、のね」

円奈は、少しだけ悲しそうに、いった。それから、再びコウをみた。「それじゃ、眠れないでしょ?」



コウは、樹木に背をよせ、頭のうしろに手を乗せるようにして目を瞑っていたが、それは眠るというより、休憩のような
体勢だった。


「俺が眠っちゃ」

コウは、その体勢のままで、答えた。「夜襲されたときやり返せないだろ」


ここはファラス地方の森。

狼と狐、魔女、盗賊と土地失くした流浪の無法者がはびこる、そういう魑魅魍魎の住む森の、ど真ん中。


そこで生きる幼い少年たちは、毎日が命がけだ。夜の森は、安心して眠りにつくことも難しい。


「でもちゃんと寝ないと、身体こわしちゃうよ」

円奈は、コウのほうをみる。「たまには眠らないと…」


「いいんだよ」

コウは、意地をはる。「こうして眠れば夜襲にもきづきやすいんだ。横たわるよりも」


「でも、寒くない?」


「もう慣れっこさ」

女の子の提案に、意地をはるのは、年頃の男の子らしいのかもしれない。


「私、毛布あるから」

すると、円奈は、そういって、持参の袋から紐といて毛布をとりだした。「一緒に使う?」


「いやだ」

コウは、円奈の提案を、さっそく断った。



円奈は、首を傾けた。

「そう?」


とだけいうと、自分は取り出した毛布にくるまって、あっという間に眠りについた。


円奈の馬、クフィーユは、円奈の眠る樹木の隣で、身を丸めて横たわっている。

クフィーユも、円奈たちと一緒に夜の食事、つまり土に生える青草と水をご馳走したあとだ。



「まったく」

コウは、腕組んだまま片目だけあけ、もうスースーと寝息たてている少女をみて息を吐くと、
起き上がった。


「昨日のしっぱいから学べってんだ、おてんば」


と独り言をいい、真鍮製のボウルにくみとった(前にやっつけた魔法少女の持ち歩いていた備品)水を、
焚き火にかけると、火を消した。

薪は湿って火が消えた。


もちろん、夜襲を防ぐためであるが、そのせいで、余計、さむくなる。


しかし、そんなことはいってられない。



この森は、夜こそが危険で、なにがあるか、わからないのだから。



コウは毛布にくるまって横になって寝込み、スースー寝息たてた少女を、隣で少しだけ見下ろした。

みおろしたあと、さっきの位置にもどって樹木に身を寄せて目を瞑った。


月が降りはじめ、夜が深くなると、さすがに寒くなってきたので、落ち葉を自分のもとに集めた。

布を縫い合わせた衣服は、五年くらい着古している。

魔法少女を倒したときに、立派な毛織物の衣服と、鎖帷子と、盾と、剣などが手に入ったが、体型にあわなかった。


結局、ひきちぎって、日用品にした。




たとえば、木の実や薬草、花を摘むときに入れる袋代わりなどにした。


木の実を炊いたりするときに使うフライパンも、いつぞや討った魔法少女の持参品から、盗ったものだ。


彼らは、日用品を、このように半ば強奪するようにして、やっと得ることができた。


コウやアンみたいに、それなりに弓が達者で戦闘経験ある少年たちは、実際に魔法少女を討伐した。

真正面から戦うのは無理があったが、例えば馬に乗ってファラス地方の森を通りかかり、横断している最中の魔法少女に
ロープの罠をしかけ、馬をころばせ、すてーんと御者が落馬したら、そこらを弓で総攻撃をしかけるとか、
そんなゲリラ的やり方で、倒した。



コウはあらためて、まわりを見回す。

毛布にくるまって眠りにおちた少女・円奈と、同じように毛布にくるまって眠る家族と生き別れた仲間の少年たち。


家族は、あの国境のむこうに、人質にされている。



明後日になれば、国境に着く。

85


そして、日が昇った。


天に輝く日が、円奈たちの休む森に木漏れ日を差し、森を白く照らす。



ヴェールがかった緑の木漏れ日の日差しは、野鳥の歌声につつまれ、少年たちは、目を覚ます。



円奈も目を覚まし、毛布を麻の袋にしまうと、馬に食事させる。



ロビン・フッド団の少年たちは、興味津々といった様子で、馬の食事を見守る。

円奈の愛馬クフィーユは、青色の花が山道の淵に咲かせる草を、花ごともくもくと食していた。


「なにたべるの?」

と、栗毛色のくるくる髪をした少年が、たずねた。


「草を。でも馬も好き嫌いがあるの」

円奈が、クフィーユの頭を撫でつつ、答えた。馬は黄ばんだ歯をみせつつ、もしゃもしゃ花を口に含む。

馬の歯は四角い。肉食の獣、つまり狼たちのように、尖ってなくて、すり潰すかのような平らな歯。

「干し草があれば一番いいんだけど…さすがに、ここらじゃないのかなあ。あと村の人は、大麦も食べさせてたよ」


「村?」

少年が、聞き返した。「おねーちゃんは、どこの村の人だったの?」


「バリトンってところだよ。そこから私はここへきたの」


「へえ。そこでも、騎士やってたの?」

少年たちの、騎士への質問攻めは、昨日と同じ調子だった。


「うーん、そこじゃやってなかったかな…」

円奈は、少し照れたかんじで、髪をつかむ。「最近なったばかりだから…あ」

むしゃくしゃと、土に生えた深緑の草を食べていたクフィーユだったが、顔をふりあげた。水がほしいようだ。

馬は、飼い主に対する感情表現が豊かであった。


円奈はすると、フィンガーボウルをとりだして、革の水筒から水を注ぐ。それをクフィーユに飲ませる。
クフィーユは、皿に首をつっこんで、豪快に飲む。


馬の食事が終わると、円奈は自分の身支度にはいった。


ロングボウの弓をとりだすと紐で身体に巻きつけ、背中に背負う。その見た目は騎士というよりは狩人だ。

布袋は、紐で馬具にとりつける。


樹木に身を寄せて座り込むと、矢筒にいれた矢の羽を、手でケアをする。傷んだところを伸ばし、羽のならびを
きれいに整える。


矢羽は円奈の自作だった。

とらえた鳥の羽を使って、紐で、矢に結んで、矢羽にしたもの。


10本すべての矢のケアとチェックがおえたら、白い手袋を手にはめる。

こうした矢羽へのケアが、狙い通りの位置へ飛ばすために必要な、朝一番の支度である。



身支度すますと、少年たちがまじまじと見つめるなか、とぅ、と小さな声だして馬にばっと跨る。


「すっげ!」


するとまた少年たちが、目を煌かせるのだった。


流れるような動作で馬にのり、手綱にぎった円奈は、馬の向きをかえさせ、何歩か前に歩かせると、コウの前に
でて、リーダーを見下ろした。


「さあ」

と、馬上の円奈はいう。「わたしを連れてって!」


リーダーのコウももう準備を整えていた。


ぼろ布の衣服だったが、魔法少女からいつか奪った鎖帷子と、剣と鞘を差していた。その片腕には自作の弓を
持っていた。


「気持ちは変わらないんだな。わかったよ。いこう」


「わああい!」


危険な魔法使い同士の縄張り争いの場所にむかっているのに、どこか元気な少年たちであった。


「出発だ!」


それぞれ手に持った自作弓を持ち上げて、楽しそうに声をあげる。



前の、土地を追われ家族と生き別れになったときの暗さとはまるでちがう────


少年たちを見ていたリーダーの弟のアンは、そう、思っていた。

86


それからしばらく、ロビン・フッド団の少年たちと騎士の少女は、目的地にむけて山道を歩き続けていたが、
円奈が、やがて口にだして言った。


「あとどれくらいで着くの?」


「もうじきだよ」

リーダーのコウが、答える。馬を歩かせる円奈の隣に並んで、歩いている。「もうじきだ。明日にはつくだろう」


「そっか」

すると円奈は、前の道を見据える。馬の歩行に揺さぶられ体が上下にゆれる。
そのたびにピンク色の髪とリボンがわずかれ揺れてなびく。


「いっとくが見にいくだけだぞ」

コウは、あくまでも釘をさす。「一度見にいって、引き返すだけだ。そういう約束なんだから、破るなよ」


「わかってるよ」

円奈は、馬上で揺さぶられながら、小さく笑ってみせた。「みにいくだけでしょ?」


「なんか不安になるやつだな」

コウは、顔をしかめて、手作り弓もったまま林道をあるいた。

87


円奈は再出発の前に、矢の鏃をケアした。


矢羽とちがって、そう頻繁にケアする必要のない、鉄でできた鏃だが、心境の変化のせいか、
円奈は鏃(矢の先端にある錐。三角形に尖った部分)のケアをした。


鏃は、三角形の形に、抜けないようにかえしのついた矢じりだ。


その矢じりをケアする。


円奈は土の地面に座り込み、鉄製の矢じりを、一度矢から取り外すと、持参の研ぎ板に鏃をこすりあてて、
研ぐ。


こうすることで、鏃の貫通力があがるのであった。




ギコギコと、取り外した鉄の鏃を研ぐと、そのでき具合をみて、再び矢に鏃を差し込む。


矢の先端には凹みがあって、その凹みに鏃の鉄部分を埋め込むのだ。


矢じりは、十分に先端がとがり、刃が煌いた。


「これで」

最後の矢じりも矢にセットしながら、円奈が満足そうに、いった。「明日の準備も万端だね!」


「おい」

それをきき、すぐに顔をしかめるのは、コウだ。腰に手をあて、うなる。「まるで明日が、戦いみたいな口ぶりだな!」


「あ」

円奈が、しまったと口に手をあてる。それから、言い直した。「ちがうよ。なにがあるかもわからないもん」


それから円奈は、起き上がって、背中の弓をとりだし、磨いだばかりの矢を番えると、弦を引き絞った。


ギギギキ…。

手袋をはめた矢で弦を引き、目で狙いを定める。


ロングボウの弓は、ただでさえ大きいのに、円奈がそれを番えて弦を絞ると、さらに大きくみえる。

円奈の身長とほぼおんなじだ。つまり、小さな少女がロングボウを引いていると、相対的に弓が大きくみえるのだった。


「いいかんじ!」

それから、バッと弓の弦を手放し、矢が飛んだ。


バシュ!


音をたてて弾けとんだ矢は、円奈の目の前の樹木にビターンとあたる。


矢は、樹にささり、白い矢羽が揺れていた。


樹に深々と突き刺さる。



「おおおっ!」

少年たちがまた、声をあげる。「すげー…」


たしかにそれはすごかった。

なにがすごいのかって、ロングボウの威力である。長くて強靭な弦の弾け具合、空気のゆれ、矢の速度と勢い。



大きな矢が目にもとまらぬ速さでとんで、ドスッと音をたてて木の幹に刺さる破壊力。


見る者をびっくりさせるほど、威力がある。




弦がはじかれた瞬間、ビューンと弦がゆれて、音が響き渡るのだが、そのとき弓を放った少女のピンク髪も、
空気のゆれで、ぶわっと逆立つのだった。


「ぼくにも、弓を教えてよ!」

そう、ある少年が、いいだした。「ねーちゃんみたいに撃てるように、なりたい!」


そのときコウは、悩ましそうに手で額を押さえた。



「みんな、ロビン・フッド団じゃなかったの?」

円奈が、苦笑してたずねると。


「まだまだ見習いだもん」

と、かえしてくる少年たちだった。

88



「それで────」

円奈は、弓矢の練習に適した場所を探すべく、森の山道を降りながら、少年達に語りだした。


旅の目的はどこへやら、方向さえきにしないで、野鳥の囀り鳴く林道をてらてら散歩しつつ進む。


「あなたたちは、どれくらい矢を飛ばせるの?」


「そこそこかな」

円奈についていく少年たちは、答える。「それなりに、飛ばすよ。魔法使いと戦うもん」


「そこそこじゃわかんないよ…」

円奈は、頬をかく。「試してみよっか」


円奈は、林道を抜け、開けた草原をみつめると、その前で立ち止まった。

それに続く少年たちも立ち止まる。


林の木々のむこうに、晴天が見渡せるほど広々とした緑の草原がある。



そこには出ずに、円奈は、林の木陰にて、弓でギーっと土にラインをひいた。


「ここから、距離を競ってみようよ」


「一番遠くに飛ばせるのが勝ちってこと?」

少年が、たずねる。

「うん」

円奈が得意そうに答え、言った。「ちなみに私は、100ヤードは飛ぶよ」


「うそつけ!」

少年たちが、すぐに叫んだ。「そんな飛ぶもんかよ!」


「ほんとだよ?私はあとで飛ばすから。みんな飛ばしてみて?」


「100ヤードっていったら、あの草原のむこうまで飛んじゃうじゃん!」

と、少年たちは、まだ信じない。


「まあじゃあ、やってみてよ」

円奈は、楽しくてしょうがないといったかんじで微笑み、腰に手をあてて、いった。「私と勝負だね!」


「よぅし!」

少年たちがいっせいに、円奈のひいた地面の線にいっせいにならぶ。「やってやるさ!」


すると少年たちは、手作りの弓に、地面に並べた矢を一本ずつ番え、弦をぎこちなくひいた。


少年達の弦をしぼる動作は、ほんとにぎこちなくて、手がぶるぶるしている。いまにも矢が番える途中で
どっか吹っ飛んでしまいそうだ。



けれどもどうにか番えて、弦を限界までしぼると、まっすぐ草原にむける。


円奈は、心の中で、その時点で勝てるかな、と心で思った。弓の構え方が違うのだ。


「とりゃ!」

「とぅ!」


少年達が矢を飛ばす。弦がしなって、少年達の弓から矢が放たれる。


情けないことに、矢のいくつかは、林すら通り抜けずに木々にあたって落ちた。ハラリハラリと力なく矢が落ちる。


何本かは、林をぬけて、草原にでたが、せいぜい20か30ヤードの時点で、地面におちた。


「あっ!」

「あちゃ!」

少年たちが、目の前の木々に矢がぶちあたったのを見て、しまった、という顔をした。


「木にあたっちゃった人は、0ヤードね」

円奈が、背中に弓とりつけたままで、笑っていった。


「そんなあ!」

少年たちが、叫び声あげて悔しがる。「最初からいってよ!」


「みればわかることでしょー」

と円奈はいたずらっぽく笑いながら、腰に手をあてて少年たちをみる。みんな頭をかかえ、うなだれていた。


そもそも少年たちの矢は木の枝を矢にしたてたような、お粗末な矢だった。風にふらふらゆられて、
まっすぐ飛ばない。


「俺が一番飛んだぞ!」

30ヤードぐらい、草原にとばした少年が、ガッツポーズして飛び上がる。


「次は俺たちの番だ!」


と、順番待ちの少年たちか、次いで円奈のひいた線に並び立ち、地面に並べた矢を拾って、弓に番えた。


みんなそれぞれのタイミングで、弓から矢をとばす。



バシュシュ!


弦がしなり、矢がとぶ。


弧を描いて飛んだ矢があれば、まっすぐ直線に飛んでいった矢もあった。


前列の少年たちの失敗のおかげで、二列目の少年達は林の木に矢があたらないよう、気をつけた。


結局、いちばん矢がとんだのは、弧を描いて矢が飛ばした少年、ロイという茶髪の少年だった。


45ヤードほど、飛ばして見せたのである。



「ぼくが勝った!」

ロイは、嬉しそうに腕をにぎりしめる。「ぼくがいちばん飛んだ!」


「ふっふーん」

円奈がすると、鼻を鳴らして楽しそうに笑う。「それはどうかな?」


「あんなに飛んだんだ」

ロイも少年たちも、45ヤード飛んだ、草原のど真ん中にささった矢を指差す。「女に越えられるもんか!」


「あ、そういうこというんだー」

円奈はすると、ちょっとだけ頬を膨らませ、すると、自分のひいた線にたった。


少年たちが、円奈を恐がって、わずかにあとずさる。円奈にスペースをあける。


「はっきりいって、みんな、飛ばし方からして間違えてたよ?」

少年たちみんなが、円奈を見る。


すると円奈は、背中の弓を手に取り出した。イチイ木のロングボウ。矢筒から一本矢をとりだし、
弓に番える。


番えながら、その弓を、直線ではなく、斜め上にもちあげた。ちょうど、晴天にのぼった日を狙うかの
ような、斜め上の角度。


「弓矢が一番とぶのはこの角度」


と、円奈は説明しながら、ゆっくりと弓弦を腕で引いてゆき、矢を目の位置にまでもってきた。



白い矢羽の後ろ、矢の軸筈を指と指のあいだにはさみ、固定。



次の瞬間、バシュッっと大きな音たてて円奈の矢がとんだ。


弦の音が強かった。


目にもとまらぬ速さで矢は木々を抜け、林を覆う葉を抜け、飛んでゆき、それは晴天の彼方へととんだ。


どこまでもどこまでも高くのぼってゆく一本の矢は、太陽に届くかに思えた。


少年達が矢を目でおって首をあげる。



その矢は、晴天のなかをとんで、風にふかれながらやがて降り、下向きになりはじめた。


猛スピードで飛ぶ矢は、落ちながら、重力にひかれそのスピードをはやめ、ますます遠くへ遠くへ飛んでゆく。



晴天の青を飛んだ矢は草原の緑へ落ちてゆき、信じられない勢いでストーンと草むらに刺さった。


矢は草むらにおちたあとも、ゆらゆら揺れていた。しかし、グサリと刺さっていた。



その距離は、133ヤードほどであった。ほとんど草むらを飛び越えてむこうの森にはいる一歩手前だった。


「す、すげえ…!」


ロイの矢を遥かに越えてとんでいった矢をみて、少年たちが言葉を失い、息をのんだ。


「私の勝ちだね?」

少年たちにむきなおって、円奈が微笑んだ。

「教えてあげる!弓矢が一番とぶのは45度の角度!」

と、人差し指をあげ、得意げに語りだす。

「30度でも50度でもありません!まして、あなたたちがさっきやったような0度の直線でも、
もちろんありません!」


「うう…」

少年達が、負かされた上に、間違いまで指摘されて、うなだれた。


「それから……風の向きとかいろいろ考えるけど…」

円奈は顎に手をあてた。「まずはそれ以前の段階だよね…」


少年たちは、さらにうな垂れた。

89


その夜は、国境にさしかかる、まさに運命の前夜だった。


夜空に浮かぶ月は満ちかけていて、矢張り月だった。


どこかで、ホーホーというふくろうの鳴き声や、狼の腹をすかした声などに包まれながら、
鹿目円奈とロビン・フッド団の少年たちは、この前夜を食事して過ごす。



少年たちは、昼間の弓の練習でくたくたで、腹をぺこぺこにしながら木の実を食べたあと、
ぐっすりと眠りについてしまっている。

アーモンドの実、まるめろ、ざくろ…。

古代人が昔から食していた木の実は、ここファラス地方の森にもわずかながら恵みを与えている。


コウと弟のアン、円奈だけが、好みを炊いた焚き火のまわりにいて、まだ起きていた。


「本気でいくのか?」

コウが疑わしそうにいう。

その顔が、焚き火のゆらゆらとした明かりに、赤く照らされる。

「うん…いくよ」

円奈が答える。「神の国、いかなきゃいけないから」

「明日になれば着く」

コウが円奈の目を見据えながら、念押しし。「だが約束してくれ。明日は見るだけだ。遠くからみるだけ。
戦いには絶対参加もするな、それから、姿を見られるな」


「約束するよ」円奈が答える。


「あいつらに見つかれば、俺たちもタダじゃすくない」コウが言った。「いくなら、一度明日の朝、
あの場所を見にいって、それでも行きたいって気持ちが変わらないなら、その夜にいけ」

「夜?」円奈がたずねる。

「夜のほうが突破率が高まるだろう。明日みればわかるよ」

「うん。分かった」

円奈は言い、頷くと、コウを見た。「ありがとうね」

「約束忘れるなよ!」

少年が強く言って、念を押した。


「大丈夫だよ」

円奈はそういうと、自分は毛布を荷物袋からとりだして、くるまった。

「さ、明日にそなえて寝よう?」



「ああ」

コウはいい、また、樹木に背をよせて、腕組んだ。


「また、そんな寝方をして……」

毛布にくるまりながら、円奈がコウをみる。それから、前の晩にもした提案を、再び持ちかけた。

「私と一緒に毛布使う?」


「いやだっていってるだろ」

少年はまたも断り、目を瞑った。「ねろ!明日は、目的地につく。そうなれば、おまえは神の国に
いくんだから、俺たちともお別れだ」


「うん……」

昼間の元気はどこへやら、寂しそうな円奈の声が、小さく答えた。力なく頷いて、静かに目を閉じる。

それから毛布にくるまって、眠りについた。


この子達ともお別れ。
そう思ったとき、どこか急に胸が寂しくなって、円奈は、この少年達に元気をもらっていたんだなあ…と、
今更ながら、気づかされた。



なんにせよ。

明日の朝、紛争が続いているという国境にさしかかる。

ファラス地方の森も、出口がみえる。

今日はここまで。

次回、第8話「ファラス地方の国境」

第8話「ファラス地方の国境」

90

次の朝がきた。

円奈たちとロビン・フッド団の少年たちが再び出発してから数時間、一行は魔法少女たちの縄張り争いが
ここ数ヶ月続いているという国境に着いた。


最初に聞こえてきたのは、耳慣れない掛け声。

絶え間なく誰かの叫ぶ声。


それから、わーっという群集の騒然とした声と、足音。そして、物音。



掛け声は女の声だった。


「ダーラ・ウ・ヒー!ウーダンノファイラッド・ヒー!」


少女の声。続けて、馬のヒヒンという鳴き声も、遠くながら聞こえてくる。



「アン・ウーベン・タイナッタ・ファイラッド!」


その掛け声のあと、おおおおっという、群集の叫び声がとどろき、続けてドドドドと地面を揺らすような足音。


「シンダール語だ」

と、コウが円奈に伝えた。すでに表情は強張っている。「”敵に慈悲をみせるな 慈悲のない敵だ”」


ごくりと円奈が息を呑む。


一行は相変わらず山の林道を進んでいたが、その茂っていた林が急に開けた。すると、山の麓にでて、
その先には石を積み上げて建てられた城壁がみえた。


円奈たちは生い茂る雑木林の影に身を隠して、その先の城壁で何が起こっているのかを見た。

みんな林や草木に身を伏せて、遠くから息を殺して見守っている。




想像以上の人だった。50人以上の人がいた。



円奈たちが見守る光景に立ちはだかっている城壁は、10メートルくらいの高さ。それが見渡す限りドンと立っていて、
それ以上先に進められそうなどこらも道がない。

完全に城壁によって遮断されている。


城壁の中心には城門があり、そこが国境の向こう側への通り道になるのだが、そこは鉄格子が降ろされ、閉ざされている。



その城門の突破を目指して人間たちが走って突撃する。すると城壁側から次々に矢が降りかかってきて、
城門に近づいた人間がズハズハ矢に射抜かれて倒れていく。


よく見たら、城門の前にはすでに、数十人を越える矢の刺さった死体が、ごろごろと地面に横たわっていた。


「ヘリオー!」


純白の馬に跨って、号令のような掛け声を出しているのは、一人の少女。旗槍をもっている。

その軍旗を振りかざしながら”魔法少女”は、手下の人間どもに号令をあびせかけ、突撃を命じる。


「ダーゴホーン! ダーゴホーン!」


号令を受けた人間たち20人、30人くらいが、また城壁にむかって駆け出した。


今度は作戦を変えたのか、門を突破しようとはせず、聳える防壁をめざした。木材で組み立てた梯子を数人で持ち運んで、
それを城壁に掛けてよじ登ろうと試みる。


するとまた砦の防壁から矢が雨のように飛んできて、梯子を運ぶ人間たちが次々に射抜かれて倒れていく。

一人また一人と倒れていく。すると後続の人間たちが梯子を運ぶ役目を受け持って、またその人間が矢で撃たれ、
ごろごろと犠牲者を出しながらやっと梯子が城壁にかかる。



すると人間たちが梯子をよじ登り始めた。


すかさず城壁の側の守備隊が、城壁にかかった梯子を杭つきの竿みたいなもで押し返し、梯子をいともたやすく
押し倒してしまう。

梯子がひっくり返って、よじ登る人間たちもろとも地面にドンと落ちた。


しかし梯子を押し倒されても、諦めずにまた梯子を立てて城壁にかける。するとまたよじのぼる。また押し倒される。


そんな繰り返し。


その繰り返しのなかでも、容赦なく降り注いでくる矢が、城壁の下の人間たちの頭と、肩と、腹とを刺していく。

時間を重ねるにつれて増えるだけの死体。



「役立たずどもめ!」

白馬に跨ったもう一人の”魔法少女”が、悪態ついた。「いったいもう何ヶ月こんなことしているつもりだ?」



すると城壁の側にたった少女が、城壁の矢狭間から身を乗り出して、叫びだした。

「帰れ!」

白馬に跨る二人の魔法少女に対して、防壁の矢狭間から顔を覗かせ、そこから大声で言い放つ。


「ここは渡さない!私たちの町だ!」


「しゃしゃりおって、魔女め!」

白馬の魔法少女が弓を取り出し、矢を番え、城壁の少女向けて放つ。「貴様らなど、魔女だ!」


「くっ!」

飛んできた矢をかろうじでよける少女。矢は城砦の石にあたって、砕けた。

スパンと弾ける音がして、矢の軸節がくだけ散る。


反撃するように城壁の側から兵士が何人か、弩を発射してくる。


「はっ!」

鼻で笑いながら、白馬の魔法少女が盾で弩の短矢を受け止める。そのあとでさらに、ハハッー!と笑い声をだした。

笑いながら馬を走らせ、黒い髪が風になびいて揺れる。


その蹄の音を鳴らしながら白馬の魔法少女は、手下の人間たちに告げた。


「あわれな人間ども!」

人間たちが、顔をあげて魔法少女を見つめる。その顔はどれもやつれていて、服もぼろ着だった。

「ここ最近口にしたのはなんだ?草か土か!」

馬の手綱を片手で手繰り、その場を馬でいったりきたりしながら、罵声をあびせかける。

「だが我々魔法少女は、弱者である人間を守り助けるために世に遣わされた者だ!」

と、そう白馬の魔法少女は語る。もう片手には大きな盾が握られ、矢が刺さっている。

「私と共に城を落とすがいい!その先には、家畜も鶏も、住みかも土地もすべてがある!我々は保護し、支援しよう!
どの道、そのほかに生きる術などない!あわれな人間ども!」



「嘘っぱちだ」

遠めに林の影から見ていたコウが、小さく呟いた。

「ああやって人間を甘い言葉で誘っておいて、あとで殺すんだ。そうに決まってる」


円奈が固い顔をして、城壁でいま起こっていることの一部始終から目が離せないでいる。




「ちょっと、想像してた以上かも…」


「だからいったろ」

コウが円奈に口ぞえする。「戻るか?これ以上いたら危険だ」

「…」

円奈が強張った顔をしてすこしためらっていると。



ガタッ!

と大きな音が轟いた。


また梯子が、城壁から落とされたのだ。


梯子にしがみついた人間たちが、梯子ごと何人も雪崩れて転落する。梯子が傾いて倒れ、人間たちはドテンと背中に
地面をうちつける。

その落ちた人間たちを、容赦なく城壁から少女たちが矢で撃ち抜いていく。


「うっ!」

「アぅッ──!」

落ちた人間たちの腹と胸に矢が刺さる。人間たちはうめき声をあげて、口から血を吐き出して悶える。


「城壁の上にいるあの子たちは?」

円奈が小声でたずねた。

「魔法つかいと───」コウが答える。「少女たち」

「少女たち?」

意外な存在の提示に、円奈が思わずコウの顔を見て聞き返した。

「魔法は魔法つかいが使うが───」

コウは、今まで円奈の知らなかった事実を口にした。「少女は魔法使いから、魔法を授かるんだ」

「授かる?」

「ああ」コウと円奈の目が合う。「魔法使いから魔法を授かった少女の矢は───絶対に外れない」


円奈が再び目を城壁に戻すと、矢の刺さった人間たちの悶えと呻きか、こちらまで聞こえてきて、
思わず目を覆いたくなった。


あれを撃ったのが、あの城壁の少女たち…。


「あの少女達に魔法を分け与えている、魔法少女がいるってこと?」
 ・・・
「十数人な」

コウが答えると、また、円奈が息を呑んで、喉を鳴らした。魔法少女が十数人…。縄張り争いを繰り広げている。



「のろまめが!」

城壁の下の白馬の魔法少女はまた悪態つき、馬に乗りながら、弓にまた矢を番えて、ギイイっと弦を引っ張ると、
指と指の間に挟んだ矢を発射させた。


「っっウぁア─ッ!」

その矢が城壁の少女の目に刺さる。

「いや…!」

思わず見てしまった円奈が、目を背けて下をみる。その目はぎゅっと閉ざされていた。


「戻ろう」

様子を見かねたコウが円奈の肩をもち、立たせた。

「戻るぞ」

手下の少年達にも合図して、ぞろぞろとその場をあとに退避していく。


弟のアンも、しばし城砦をみつめたあと、みんなについて戻った。


「魔女どもめが!」

その間も、白馬の魔法少女たちの恐ろしい罵声と呪いの声が、こっちにまで轟いていた。
                                     、、、、、、
「今に殺してやるぞ!貴様らに円環の導きはない!ここでおっ死ね!その処女血をすすってやる!」

91


鹿目円奈ら一行は、縄張り争いの地域・モルス城砦をあとにして、来た道を戻った。


林道を戻って、安全な場所に落ち着いた。



ショックなものを見たせいか、円奈の顔色が悪い。

額に冷や汗がたまっている。落ち着いた場所まで戻ると、糸が切れたようにその場にへたり込んでしまう。

女の子座りになって、落ち葉だらけの林道に座り込む。


「はあ…」


と、円奈が女の子座りのまま両手をついて、息を漏らした。



「あの黒い鎌の魔法少女よりひどいよ……」


林にまで戻ってから初めて、円奈がそう口にした。

悲しげな、あるいは失望したようなため息とともに、その言葉が口からでる。


「黒い鎌の魔法少女?」

コウがきくと、円奈は今は何も話せないとばかりに、首を横にふるだけだった。

するとコウは、聞き出すことを諦めて、その場をたった。呆然とファラス地方の森を眺めた。


コウにとっても、あの場所は苦しい思い出のある場所だった。

城砦の壁のむこうに、俺たちの、そしてみんなの家族が捕虜にされている…。


なのにあの魔法少女は、俺たちの捕虜など気にもかけず、城への攻撃を続けている。

捕虜の命などしったこっちゃないのだ。



「はぁ…」

また円奈が、女の子座りのままで息を漏らす。それから、自分の額を手で押さえた。

「なんか……今は何も考えられないの……」


「わかったよ。じっくり考え直してろよ」

コウが振り返っていうと、円奈はもう自分の毛布にくるまってしまった。



まだ夕方の時間だったけれど、今朝の光景がよほど心に打撃を与えたのだろう。

オレンジ色の夕日は、ゆっくりと、円奈たちのただすむ森に影を落としていった。

92


円奈は考えていた。

あの今朝の、城壁の縄張り争いを見てから。




たくさんの人が死んでいた。


円奈はあんなに人が大量に矢によって殺されるのを見たのが、初めてであった。


容赦なく城砦から注ぐ矢……それでも突破を試みる人間たち……それを鼓舞する、いや鼓舞するというよりは
命令にちかい、魔法少女たちの怒号…




これからどうしよう。

とても、あんな場所通り抜けられそうにもない。




────帰る?


そんな選択肢が、ふっとだけ脳裏に生まれる。



バリトンに?


そしたら二度ともう、聖地を目指せるようなチャンスはこないだろう。




「うう……」

円奈はうなり、毛布にくるまって寝返りをうつ。

それでも眠れなくて、どうしようもなくて、毛布をまくって頭を起こした。



空をみあげると、三日月が夜空に光っていた。月は青白い月光を、森の天井に注ぐ。湿った土をやわらかく照らす。

あんな悲惨な光景を目にしたあとでも、月は、美しかった。



少年たちはもう毛布にくるまって眠っていた。すっかり深夜になってしまっていたらしい。


リーダーのコウは、森の木々を眺め、三日月の青白い月の光を頭に浴びていた。


背筋のばしたまま腕組んでたっていた。


その隣に、ゆっくりと円奈が歩いて並ぶ。

すると円奈のピンク色の髪も、青白い月光に照らされた。そのピンク色の瞳に月光が映って、薄紫のような、
不思議な色合いになった。




「こんなことが起きているなんて…」


円奈はコウの隣に並んで話し出した。

森の奥の闇に住まう獣たちの気配と、葉のざわめきを、感じ取りながら。


森で縄張り争いしているのは、魔法少女だけではない。獣たちも自分が生きるために、懸命の死闘を繰り広げている。


「私が初めて”魔法少女”の存在をしったとき────」

円奈の、薄紫色に月光で煌く目に、透明な滴がたまる。

「悪い者をやっつてくれる正義の味方だって……」


「俺たちの家族はその魔法少女に殺された」

コウは、森のむこうに目を向けながらいった。森は、月光に、青く薄く、不気味に照らされる。獣の世界だ。

「残りは、あのとりでに、捕虜として捕われてる」


「うう…」

目を潤わせたまま、薄紫色に光った目を、手に覆う。「どうして……魔獣じゃないのに……どうして魔法少女同士で
戦わなきゃならないの……」


「どうしようもないさ」

コウは腕組んだままで、答えた。「あいつらは、魔法という力で、好き勝手やってるだけだ」


円奈が、切なげに目を落とす。

その睫毛が、月光を浴びる。水滴が煌く。森のどこかで獣のうなる声がする。森の仲間を呼ぶ声が。

「そんな……そんな…ちがうよ……」

円奈の声が。かすれ声となって、森に響く。


「私を守ってくれた魔法少女は、そんな人じゃなかったの……」


胸に手を寄せ、何かを抱くように、語る。でも、胸元には何もない。

森を見上げたところに浮かぶ月が、夜空の雲に隠れる。


「うう…」

また手で顔を覆ってしまう。


嗚咽がとまらない。


身分では騎士にもなったが、凄惨な光景を目にしてしまったあとに泣きじゃくる様子は、やはり騎士いえども、
女の子であった。




「これからどうするんだ?」


とコウは円奈にたずねた。月光は消え、森は、夜の暗闇となった。


「これから……」

円奈は、涙腺に涙ためたままで、目をあける。「私……これからどうしたら……」


「一人で、もう一度あそこにいくか?」

コウは、厳しい言葉を投げかけるが、それも円奈のことを思ってのことであった。

「捕虜になるか、殺されるかだろうがな」


「うう……」

円奈が首を落とすと、ベルトに治めた来栖椎奈の剣が揺れた。


「いまは……なにも考えられない……」


「そうかよ」コウがはじめて森から視線をずらして、円奈の顔をみた。「今日は寝ればいい。じっくり
考えてろ」


「うん……ありがと……」

円奈は落ち込んだ声のまま、でもわずかに少年に微笑んでいうと、振りかえって、コウに背をむけて
樹木にもどって、毛布にくるまった。


土の地面に寝転がると服も髪も泥だらけになるので、樹木に身を寄せて突き出た根っこを枕がわりにする。

落ち葉を集め、シーツがわりにする。


少年たちも、騎士も、ここファラス地方の森では、そんな原始の生活だった。


円奈は毛布にくるまり、樹木の傍らで眠りにつく。


失意にあるまま、来栖椎奈から受け取った鷹の象らされた金色の柄の鞘を、抱くようにして眠る。


すると、バリトンでたった一人、私に優しかった人、いまは亡き人の、あの魔法少女の言葉が脳裏に
暖かく蘇ってきた。



───決意は揺らいだか?



その、亡き人の優しい声に、円奈は心の中で答えている。



──いいえ、でも魔法少女の気持ちが、ちょっとだけわかったんです



眠りについて閉じた目の睫毛が、わずかに動く。


今では、そんな自分の言葉にも自信がもてない。





魔法少女は、人を守る存在じゃなかったの……?

人を守るため、魔獣と戦い、悪い盗賊をやっつけて、民を守ってくれる”正義の存在”────

でも、それでも戦わなければならない。戦いは、つらくて、悲しい。


だから、そんな魔法少女たちが、救われる神の国がある。

命をかけて戦った魔法少女たちを、最後に救う神さまがいる。



でも、現実はそれとはあまりに違っていて……。


バリトンという土地しか知らなかったわたしは、外の世界にでて、魔法少女の暴力を見せつけられて……


もう、どうしたらいいのかがわからない……。 


けれども、そのとき、椎奈の言葉が、また脳裏に蘇ってきた。


──────初めて神の国にいったときは、そこにいるだけで魂が洗われる気分だった。石の壁に囲まれた城塞都市だったが、
城壁に触れているだけでに聖なる魔力が私のなか注がれてくるのを感じた。不思議な感覚だった


────魔法少女にとって紛れもなくそこは、聖地であった



魔法少女にとっての、紛れもない聖地…。


どういう意味なんだろう。聖地って。

そう、円奈は考える。



その国の土地は、”円環の理”という、魔法少女の救いが誕生し、一人の少女が、犠牲となった場所なのだという。

円奈にはよくわからなかったが、魔法少女は、日に日に穢れていく魂に怯えるという。


それで発狂して我を失ってしまった魔法少女もいるという。


しかし、そんな魔法少女たちが、神の国を訪れると、魂は洗われ、確かに感じ取れる救いに、涙し
”円環の理”に感謝する。


これは、魔法少女の”聖地巡礼”と呼ばれる。


自分を待ち受けた運命を知り、それを救う少女の奇跡がおこった場所にゆき、そこで感謝し救われた
気持ちになって故郷に帰還する。


故郷には帰らず、巡礼のつもりだけできた神の国に、定住をきめてしまう魔法少女もかなりいる。


そんなわけで、世界各地からやってきた魔法少女が、一大国家をつくってしまった国、エレム国。



そこまでが、円奈が、神の国について、本でしった内容であった。




……いって、みたいな。

来栖椎奈と話したことが、記憶としてまた再生されてくる。


────聖地に、こうしてまた行けるのは、幸福ですか?


そかしもしれぬし、そうでないかもしれぬ……



あの人は、再び聖地にいけなかった……。

でも私にこの剣を、託してくれたんだ。そして私を騎士にしてくれたんだ。



聖地に、私が辿り着けるように。



円奈の目が、開く。

ピンク色をした瞳が、見開かれ、ぱっと目を覚ます。


騎士としての、目覚めであった。


「いかなくちゃ……」


迷いは消えた。

たしかに苦難が待ち受けているが、それでも、椎奈さまの魂は、わたしとともにあるのだから。


「いかなくちゃいけないんだ……!」



ばっと毛布をまくり、椎奈の剣を鞘に納めたままベルトを巻き、歩き出す。


その後ろ姿が、再び夜空の雲から現れた月光に仄かに照らされ、光を帯びる。騎士としての目覚め、その初陣をそっと月が祝福した。



「椎奈さま、私」

円奈は、どことも知れぬ国の森のなかで、目をそっと閉じると、椎奈の砕けたソウルジェムを入れた袋を
胸にあて、優しく抱きしめ、自分に囁く。

「いきます……!必ず、神の国に……!」



そう自分に告げ、決意をかため、すると、もう樹木に身を寄せて眠りに落ちているコウの肩をつんつんと
つついた。


「どうした?」

寝ているところを変に起こされて、コウが微妙に嫌な顔をしながら円奈を見る。「バリトンに帰るのか?」

「あの城壁は、戦い合うこと何ヶ月くらい?」

と、円奈が、コウの隣にちょこんと座って、たずねる。


「あ?なんでそんなこと訊く?3ヶ月ぐらいだよ。それがどうした?」

コウは、さらに嫌そうな顔をした。

てっきり、バリトンに帰るものだと思っていたのに、最悪の予感を覚えたからだ。

「城壁の中の人たちって、物資とかどうしてるのかな?」

と、円奈がコウを見ながら、また問いかける。

「どっかから調達してるんだろ。城壁の向こう側とかから」

「向こう側からって、確認したの?」

円奈が詳しく聞きだそうとする。

「おい、おい、どうした、何の話してるんだ?何を話したいんだ?」

毛布からコウが身体を起こす。久々に毛布を使って眠っているみたいだった。

「”トロイの木馬”の話を聞いたことがあるの」

円奈がコウに、そう話した。「その遥か昔、難攻不落の城壁を中から落とした話で───」

「待て!」

コウがいきなり話を制止した。「なんでそんな話をするんだ?一体全体、なんだかさぱり分からない」

「あの城砦を突破する!」

円奈が、きっぱりそう告げた。


「はああ?」

あまりにきょどった、変な声をコウがあげたので、ロビン・フッドの少年団がごぞって身を起こした。


「なにをいいだす!今朝みたろ!」

そんな周囲の反応にもきづかないで、リーダーは、円奈に怒鳴る。

「死にたいのか!」


「あなたたちに協力してほしいの!」

円奈が食い下がった。「私からのお願い。私だけじゃ、あの壁を突破できない!」


「無理だ!話にならん」

コウはもうそっぽをむいて、円奈との会話を打ち切った。「寝ろ!もう少し、現実みれてるヤツだと思ってた」


「…」

円奈が少ししゅんとすると。リーダーの代わりに、円奈に声をかける別の少年がいた。


「円奈さん」

そう、声をかけたのは、リーダーのコウの弟の、アンだった。「ぼくにきかせてくれないか。その作戦」


「アン!」

リーダーが驚いた顔をして弟を睨む。「なにをいいだす!」


「兄上」


弟が一言そう呼ぶと、兄が静かに押し黙った。

その弟の毅然とした表情から発せられた一言の迫力に、気圧されてしまったのだ。


「騎士であられる、鹿目円奈さん」

円奈は、リーダーであるコウの弟と話すのははじめてだった。

そのアンが、円奈の前に正座して座る。

「あなたは勇敢な人だ」

「は、はあ…」その改まった相手の程度に、なんとなく自分も土の地面に正座して居直る円奈。

「あの国境の縄張り争いをみてなお、あなたは”城砦を突破する”と勇気を示しになる」

アンは、まっすぐ円奈を見て、さらに告げた。

「きかせてください。騎士であるあなたの作戦を。そしてその作戦が実を結ぶために、
ぼくらの力が必要とあれば、ぼくはすでに、あなたの作戦のためのこの命を投じる覚悟だ」


「おい、なにをいいだす!」

兄が口を挟んできた。「みんな死なす気か!」

「兄上!ぼくはこんな日を待っていました」

と、すぐに弟が言い返した。「僕たちは、魔法少女に農地を襲われ追い出されました。妹は、まだあの防壁の
むこうに人質として捕われたままです。いえ、”ぼくら”の家族の多くが、あの防壁のむこうで今も人質として
捕われている。そうでしょう」


兄が口を噤む。バツが悪そうに顔をそむける。

ロビン・フッド団の少年たちが、そっと顔をのぞかせてくる。家族を人質にとられたままの少年たちが。

「ぼくは妹を助け出したい!」

と、アンがはっきりといいきった。「その作戦があると、この騎士がおっしゃられる!」

声が一行のたたずむ林に響き渡る。

「だからぼくは身を投じる覚悟があるというのです」




ぐっと固唾をのんで、ロビン・フッド団全員がアンと、円奈を見る。

ひたすら沈黙。


「ぼく…も」

その沈黙を、一人の少年が破った。「ぼくも、円奈さんと一緒に、戦いたい!」

あの栗毛の少年だった。



それを切れ目にして、次々と少年たちが円奈たちのもとになだれこんで、次々に願い出てきた。

「俺も!」「ぼくも!」


「み、…みんな」

円奈が驚いた様子で次々に前に願い出てくる少年たちをながめる。



「ぼくも、戦いたい!」

新たに名乗りでたのは、円奈のもとで弓の練習をつんだ少年だった。

「あの砦のやつらと、戦いたい!」


「俺も!」

どんどん、16人の少年たちが、円奈の前にでてきて、頭さげる。

「円奈さんに、弓を教わった!だから俺だって、戦える!」


「こんな日を待ってたんだ」

茶髪のロイも、嬉しそうに笑って、言うのだった。「魔法使いどもと戦うぞ!」


「ぼくだって!」

「俺、おれも!」

次々のと少年たちが16人、みんな、魔法少女との戦いへの決起を表明してくる。


結局、リーダー以外の全員が、円奈の作戦に参加するという意表を自ら決めた。


すると残されたリーダーは。


「俺はみんなの身を案じていたんだぞ…辛くもあの城砦から逃げ出すことができた、お前たちの命を預かった。
捕虜にならずにすんだんだ。その命で、一緒に生きていこうって……」

なんだかんだで、この一団の本音は、これだった。

農地をおわれ、親と生き別れた少年たちが、失意と絶望の底におちて、それでも生きていこうと、同じ境遇の
者同士で集まった仲間。

それがロビン・フッド団だった。


「そのみんなが、こんどは喜んで城砦に戻るといいだす」

コウは、そんな一団の歴史を思い出しながら、しずかに語り、円奈と、他のロビン・フッド団を一人一人、
みんなに目をむける。


「命を投げ出して魔法使いと戦うか………」

みんな一人一人を見回した上で、リーダーがゆっくりと告げる。「だが、それでこそロビン・フッド団だ」


「リーダー!」

少年達ロビン・フッド団16人が同時に立ち上がる。


「お前たちが揃いも揃って命なげだず覚悟とあっちゃとめようがない」


ぱっと明るくなった顔の少年達が、リーダーに群がる。

「俺も覚悟を決めよう。円奈と、俺たちで力をあわせて、あの城砦を突破しよう!」


「やったあ!」

少年たちは、ついに、決起する。「ぼくたちの土地を取り戻すぞ!」


「うん!みんな、ありがとう!」

円奈が嬉しそうな声で答え、みんなにならってばっと立ち上がろうとした。

「あいたた…たた」

ところが足が思うように動かなくて、ひどくかっこわるい態勢のまま、また地面に座り込んでしまった。

「この騎士、足しびれてやんの!」

一人の少年が笑って、その言葉が発せられたとたん、どっと他の少年たちも笑った。

「かっこわるー!」

「んー、もう!」

円奈まで笑いながら、しかし、ちょっと怒ったふりをした。

「こんな座り方したの、はじめてだったのー!」

「おーい、”しびれ騎士”を誰か起こしてやってくれー」

コバヤと名乗った栗毛の少年が言い、またみんなが笑い出したあとで、少年達二人が円奈の肩をもって起き上がらせた。

「あいたた…たた…」

まだ微妙に苦しそうな顔をしながら、でもなんとか立ち上がった円奈が、ぎこちなく足を動かして、歩き出した。

「うう…こりゃほんとにかっこわるいや…」


「今より───」

リーダーのコウが、16人の少年たちの前で、堂々と宣言した。

「バリトンの騎士・鹿目円奈のロビン・フッド団への正式入団を認める!」


わあああああっ。

少年たちが手持ちの弓矢をめいっぱい上に掲げて、喜びと決意に大きな歓声をあげあったのは、
三日月の隠れる雲が照らす静かなる森の下。



その喜びの歓声の中心に包まれて、円奈の困惑の声は、すっかりかき消されていた。

「いや…あの…ちよっと…」

きいてください、というように手を前にだすも、誰も気づかない。

「いや…あの…入団したいとか……そういう話じゃなくて…さ…」

みんな喜んでわーわー弓矢を振り上げて叫ぶばかりで、円奈の声が誰にも届かない。

「いやあの…聞いて… 別に正式入団したいんじゃなくてね………あいた、いたた!足いたッ!」

93


その次の日の夜、円奈は自分の作戦をロビン・フッド団に伝えた。


「───ここで二手に分かれる」

円奈が、自分の弓矢の先端で、カキカキと土の地面にあの城壁の地図を描いていく。

城壁の地図は、地面に突きたてられた松明が照らした。

「声をあわせて、見張りを倒す」

「見張りは何人くらいいるんだ?」

コウが地図の水路を描いた箇所に指をあてながら、問いかけた。

「みた限りでは、夜には3人、たまに4人」

円奈が答える。

「うまいことは入れたら───」

自分たちを囲う少年達ひとりひとりに視線を送りながら、自分の作戦を丁寧にシュミレーションさせていく。

「私は城門を中からこじ開ける」

円奈はそう言い、地図の水路から城門の方向へ、指で一本の矢印を伸ばして描く。

行動経路を示す矢印が、びーっと地図上を伸びていく。その先には城門が描かれていた。

「あなたたちは中庭の捕虜を助けに」

といって円奈は、敵地想定地図の中庭に、もう一本の矢印を、逆方向につけたす。

これが少年達のとる行動経路になる。

「他のみんなは家屋の屋根によじのぼって矢で手当たり次第敵を倒す」

城砦の地図に描かれた家屋の上に、指でバツ印をつけたす。ここから攻撃しろという印だ。


「円奈一人で城門をあけられるか?」リーダーが尋ねた。

「大丈夫」

円奈が答える。

「あなたたちは人質を逃がすことに専念して。そっちのほうが、敵が多いから。武器庫が近いみたい」

城砦の地図の四角にバツ印にかかれた箇所をトントンと指であてる。武器庫を意味する箇所のようだ。

「私は門をあけたらクフィーユと一緒に、すぐにみんなのところに合流する」

「もう何度も復習したから、頭に入っているよ」



「よし、決行だ!」

栗毛の少年がぱっと起き上がる。

「まだだよ」

円奈がすぐに制止する。


「”物資が届く”のはもっと先だよ────」

そういって、夜空に浮かぶ三日月を見上げる。

「いつだ?」

栗毛の少年、コバヤがたずねる。


円奈は、次第に薄くなる三日月を見上げながら、告げた。「3日後!」

今日はここまで。

次回、第9話「モルス城砦・人質救出作戦 予行演習」

第9話「モルス城砦・人質救出作戦 予行演習」

94

作戦決行は、3日後となった。


それまで、ロビン・フッド団たちが、作戦決行まで待ちぼうけしているはずもなく。



3日前を控えたその昼は、ひたすら弓の練習、練習、練習だった。


「10本うったら、三本はあてる!」

円奈は、きびしめの表情をして、少年たちに、びしばしと手ほどきしていく。



少年たちも、懸命に、地面に引かれた線に並び立ち弓から矢を射る。

ある樹木の幹を狙い、矢を飛ばす。


矢の射る動作は、前よりもキレがでていた。

ヒラヒラと情けなく飛ぶ矢は少なくなり、ズバズバとんだ。一斉に少年たちの弓から矢が放たれ、ビュンと飛ぶ。


矢の何本かが、幹に命中して突き刺さる。ドスドス突き刺さる。矢羽が揺れる。

これなら殺傷能力がある。


「その調子!」


円奈が練習中の少年たちに掛け声をかけて激励しつづける。まさに訓練風景といったところだ。

「外した子は、次はあてる!的と矢を見る!指の感覚を覚えて!」



こんな調子で、ひたすら弓の練習をつむロビン・フッド団だった。

3日後の、城砦の人質解放作戦にむけて。



円奈は少年たちが使う弓の鏃をチェックして、磨り減っているものは研いだ。ギイギイと何度も鉄板に
すりつける。


弦(つる)の弾力具合を調べ、ゆるんでいるものは、作り直させた。


木の枝を摘み取り、まず小刀で葉を切り取り、次に細かい枝をかりとって、一本の矢にして本数を補充した。


17人の少年たちはひとり最低20本、矢を持つように円奈は告げた。


本数を補充したあとは矢羽の作成だ。


矢羽は、新たに捕らえた鳥から羽を抜き、円奈持参の髪きりバサミで、矢羽の形に切り取る。


切り取った矢羽を、細い紐で矢にむすんで巻きつける。それを三箇所、矢にとりつける。

矢の完成だ。



円奈自身も弓の練習をつんだ。


50ヤードも先に続く森へむかって、ロングボウの矢を一本、放つ。

バシュ!


強靭な弓の弦がしなる。放たれた矢は、森の先へ。


矢はまっすぐ飛んで、あらゆる森の木々を抜け、三本目の矢が、まったく同じ木の幹にささった。

ビターン!

刺さった矢が幹でゆれる。


三本連続で同じ樹木の幹に的中させると、円奈は、ロングボウの弓をおろして、矢を取りにむかった。



練習がおわれば、円奈は少年たちと一緒に狩りにでかけ、狩りを教えた。


そっと音をたてずに、繁る草木に紛れつつウサギに近づく。弓をしずかに番え、ウサギむけて矢を放つ。

射手の的確な矢に撃たれた兎は射止められる。

見事ウサギを捕らえて見せると、少年たちが嬉しそうに草木の茂みから飛び上がる。



こうして食事も無事に済ませ、決行の日を待つ。

95


「だいぶあたるようになってきたけど」

円奈が、ウサギの肉を鍋で煮たものを食しつつ、ふと言った。「あとは威力があれば戦えると思うな」


「貫通力ってこと?」

少年がたずねる。


円奈がうんと頷いた。

「見たところ、あの城砦の守備隊は鎖鎧を着込んでた。私たちの矢で貫通できるかな」

少年たちの顔に不安が浮かぶ。


沈黙に包まれると、野鳥が、森のなでしずかに鳴き声を響かせた。



円奈の考えた作戦は単純だった。


深夜になったら、城砦にもぐりこみ、円奈と少年たちは二手に分かれる。

少年たちは人質を閉じ込めた家屋を開け放って、円奈は逆方向に潜伏して、内側からこっそり城門をあける。


城門をあけたら、ロビン・フッド団が救出した人質たちを城門まで連れ、外にだす。

円奈はロビン・フッド団と合流し安全を確保したら、隙をみて城壁の向こう側へ抜ける。


円奈はモルス城砦を抜け、エドレス地方をめざす。ロビン・フッド団は、家族を助け、追われた農地への
帰還をめざす。


それが本当に本当のロビン・フッド団と円奈の別れになる。

今日はここまで。

次回、第10話「モルス城砦・人質救出作戦 本番」

第10話「モルス城砦・人質救出作戦 本番」

96


3日後。

作戦の日。

月がゆっくりと地表に傾きはじめ、夜の森にかすみはじめた。



決行の日、作戦の時間が近づいてきていた。



円奈は自作の弓の弦の最終チェックをしている。弦のしまり具合を調べ、ぎゅっと麻の弦を腕で思い切りひいてみる。

最後にビュンと弦をはじいてみる。


空気中に弦の跳ねる揺れ動きが伝わる。


申し分のない状態だった。



「いついくの?」

少年が、円奈の背中に、たずねた。

円奈は振り返って、少年に答えた。「まだだよ」


それから、夜空に浮かぶ、三日月をみあげる。夕暮れが沈んだばかりの空は、少しだけ、
まだ青みがかったグラデーションをみせていた。


「あそこに物資が届くのはもっと月がおりてから」


その、夕暮れの終わりになる夜空をみあげながら、円奈は、言った。「それまで、私たちは動かないほうがいい」


「うずうず、してるんだよ!」

「魔法使いを、やっつけてやるぞ!」


「その意気だよ」

円奈は、首をかしげ微笑み少年をみた。



17人の、新品の状態にした弓持った少年たちは、やる気まんまん、鋭気満ち満ち、緊褌一番である。

三日前の朝にみた、あの魔法少女が城を攻め流浪の農民たちが矢に撃たれながら城砦に攻め込もうとしていたあの国境地帯に、
再び突破を目指して円奈と少年達は行く。


この時代の人々は、とくにここファラス地方の森では、百姓や農民達はつねに魔法少女と行動を共にした。

そうするしかなかった。なぜなら、魔獣から身を守るためには、他に手段がなかったからである。

必然的に、魔法少女の権力は強まってゆき、ある魔法少女は領主となり、城主となり、集落を統べる枢要となった。

だから、その魔法少女が、土地と縄張りを得るために城を攻め落とすぞ、と命令すれば、部落の人々は従って戦うしかなかった。


ここモルス城砦で繰り広げられた、円奈とロビン・フッド団たちがみた国境抗争は、そんな魔法少女と人の関係が絡んだ戦いだった。


来栖椎奈や、キリトン城主のメイ・ロンなどの魔法少女はそうして土地の領主となったのである。

西暦3000年における、魔法少女と人間の関係である。


魔法少女が領主や城主、頭領となるこのような時代に、あえて魔法少女に対抗し戦おうと決起するロビン・フッド団は、
勇敢である。

しかし、彼ら一団だって魔獣に襲われれば、魔法少女に助けてもらうしかないのに、彼らはあくまで魔法少女対抗組織で
ありつづける。

まるで人間は魔法少女に依存して生きている事実に叛逆するかのように。

おれたちは、魔法少女に逆らう、無法者だが人間の英雄、"ロビン・フッド"だ──。


だが、そんな少年達の一団に、魔法少女の救済の国・聖地をめざす円環の理の子、鹿目円奈が混じってしまうとは、
天は何を巡り合わせてしまったのか。


夜の森に三日月が浮かぶ。黒雲に隠されつつ。


それから、さらに3時間がすぎ……。



「時間だ」

と、リーダーの少年・コウが静かに口を開き、告げた。

「行こう」


始まりは静かだった。


ロビン・フッド団18人は(晴れて正式入団を果たした円奈ふくめて)、寝静まった夜の森を一丸となって
動き始めた。

円奈は馬をつれて、早歩きし、少年達もなるべく音をたてず早歩きで森を移動する。


サッサッサ…

葉と土の踏む音、木々のざわめき。

そんな音だけが夜の森に鳴り響く。少年たち17人と、少女1人が、暗闇に静まった森を移動する。



そして一行は、あの城壁にやってきた。モルス城砦、魔法少女同士の縄張り争い地帯、国境地帯に。


朝のように激しい戦闘は行われていなかったが、城壁には何本もの松明とかがり火が燃えて、そこには少女が弓を
構えて見張り役をしている。


昼間のように数は多くないけれど、それでも5、6人いた。防壁の守りについていた。

もちろん、城壁の奥には休息して眠っているほかの兵やら魔法少女やらが、何十人といるだろう。



城砦の壁が見下ろす地面では、ファラス地方側の流浪の農民たちが、宿営地を築き、テントを張って、中に寝静まり
明日の戦いに備え身を休ませている。


いつか白馬に跨ってけたましく騒ぎ立てていたあの魔法少女は、宿営の天幕内でかがり火を燃やし、その中に組み立てられた
ベッドの中で夜間、寝静まっていた。


暗殺阻止のための騎士の少女が一人、てただの一睡さえも禁じられて、燃えるかがり火の傍らで槍を持って宿営テントの
前で番人をしている。


もちろん円奈たちは、その城壁に真っ向から夜襲を仕掛けるのではない。


その城壁を尻目に、円奈と皆は林の陰なかを音もなく通過し、もっと奥に進む。ひそひそと。

サッサッサ…。

闇の林道を進む少年少女たち。草木をふみしめる音が静かな夜になる。



ついさっきまで雲に隠れていた月が夜空に姿を現して、その青い月明かりが林を照らした。

その月明かりがロビン・フッド団の少年一人の弓が反射して、キラリと光る。


一瞬だけピカっと光ったその粒のような光を、城壁の上の少女が目に捉えた。

97


円奈たちが城壁の右側、その奥へ奥へずっと進むと、一本の細い川に辿り着いた。


深々とした森のなかにひっそりと流れる、天然の川だった。

青々とした水が川を流れ、夜の森のなかを静かに流れ続ける。



そんなところに川があったなんて、よほど森の中を念入りに奥まで探索しないと見つけられまい。



川の前にでると、一団の先頭をいくリーダーのコウが、ピタと止まる。


それにあわせて後続17人もピタと止まる。


樹木の陰に隠れながらリーダーが、指だけで合図する。

右手の指二本で、左右に振りながら、二人に分かれるように指示する合図だ。


少年たちと円奈が頷いて、指示通りに二人に分かれていく。ここまでは、作戦どおり。



円奈は弓矢を取り出しながら、右手へすばやく走っていく。それについていく少年たち14人ほど。

そしてリーダーのコウと、弟のアン、栗毛の髪したのコバヤは、左手へ静かに移動する。



左手に分かれたほうは、あまり走らないで、川岸ギリギリまで進んで、すると、皆その場で木をよじ登り始めた。

まだ幼い体の少年さならではの身軽さで、みな木にとんとんと登る。

この木に登ると、敵からは見えずらいが、城砦に立った見張りの少女たちや兵士たちが、よく見えるのだ。


さて、右手に分かれてきた円奈たち15人は、川の奥まで進んで、松明に火をと灯して、そこで待機をした。


一本の松明は円奈が持って、川を照らした。


森の奥の上流から流れてくるこの川は、実は、国境城壁の内部への物資調達ルートになっていて、川は城壁の中まで
続いていて、水路がひかれていた。


円奈たちはこの時間帯、半月が夜空から降りる深夜の頃に、本国からの物資を支給する小舟が夜な夜な流れ着く
ことを突き止めていた。


それを先回りしての、待機。



何十分か待つと、思惑通り、川の向こうに何本かぼんやりと燃える松明が近づいてきた。

物資調達の、川を流れる小舟だ。


川から流れ着いてくる小舟に、松明が四本ほど燃えている。それは森の奥からやってきて、だんだん
大きくなってくる。



小舟にけしかける役は、もっぱら円奈が受け持った。他の少年たちは、打ち合わせどおり林の影に身を潜めた。


川を流れてきた舟がだんだん、松明の火を燃やしながら、円奈のところまで流れてきた。

松明の火は、舟に乗った物資調達係の兵士らが、手にもって森を照らしていた。


円奈は川岸に立って、手に持つ燃える松明を手で左右にふりながら、物資調達の兵士たちに話しかけた。


「どうもこんばんは!」

と、元気よく松明をふるいながら、物資調達の小舟に接近して、ニコニコと話し出す。

「いやいや、まいどどうもお疲れさまです。今日は特に戦いが激しくてですね、うちらの兵士も不満たらたら、
飯くわせろってうるさかったんですよー」

「見慣れない顔だな」

物資調達の兵士たちは船をこぐ櫂の手をとめた。舟の先頭の軍団長が、怪訝そうに円奈を見た。

「それに、合流はいつももっと先だろ?」

不信がった兵士たち4人が、顔をみあわせて、あいつ知ってるかなんて小声でひそひそ話しながら、誰もが知らないと
首を横にふった。


「ええっ、私を見慣れない顔と?」

すると円奈が、いかにもおどけたような声で、首をかしげてみせた。

「そいつはおかしいってもんですよ、ここ数日間は、物資地用達の受け持ちは私の係なんですから。最近盗賊が
どうにも多いんで、先週から受け持ちはこの場所になっているはずなんですがね。ご存知ないので?ややや、
なんだか怪しいぞ、これは!あなたたち、ひょっとしてひょっとすると物資調達のフリした盗賊か何かだな!」

「おいおい、待て!」

軍団長が何をいいだすんだ、とばかりに慌てだす。「初耳だ、そんなこと。久々なもんで…」

「怪しい!」

円奈がむむっと眉をひそめた。それから、ひょいと川岸から飛んで、舟の先端の艇首に着地した。

「なら今日の合言葉をいえ」

と、舟に飛び移ったあとで兵士の顔面にせまって、問い詰めた。「本当の調達係りなら知ってる」

円奈の鼻先が軍団長にせまり、彼が汗水垂らして背を曲げる。

「言っちゃいけません、ボルドウィン軍団長!」

手下の兵士が叫んだ。「盗賊はこいつらです。合言葉をききだそうとしてるんですよ!」


円奈が背中の弓矢を取り出して、矢を構えてぐいと弦を引き締めた。

ギギギイ… 弓の弦の音がする。

「盗賊め、なりすましおって」

内心はヒヤヒヤしながら、演技して脅しにかかった。「三秒あげる。合言葉をいえ」


軍団長の顔元に矢を突きつける。

「3、2、1───」

「軍団長、だめです!」

シュバ!

弦のしまる音がして、矢が兵士の靴の足指の寸前に刺さった。



「────うわっ!」


軍団長の顔が恐怖に歪む。

「その口は何も言えないのかな?いえないなら口なんていらないよね」

二本目の矢を番え、ギギイと弓を引き絞って、その矢を尋問する兵士の口につきつける。

「口がつかえるなら言え。合言葉はなに?」

兵士は恐怖と激痛に顔が強張って、汗だくの額を小刻みに震わせていて、息を吐き出しながら、
それでも目は閉じずに口元の矢を見た。

ああ、今にも矢が弦を離れて放たれそうだ。

「3、2、1───」

「ゴッドフリー!」
                          
軍団長が、震える喉から声を絞り出した。「ゴッドフリー!!」

円奈が弓を上向きに持ち上げて、林にむかって放った。飛んでった矢は林の樹木に刺さり、はらはらと何枚かの
緑の葉が舞い落ちた。

それを合図に、わあわあとやってくるロビン・フッド団14人。

全員が矢を構えていて、あっという間に船を取り囲み、制圧する。

両手をあげて降参の意をしめす残り四人の兵士たち。


「ごくろうさま」

円奈がにこりと笑って、降参した兵士たちに告げた。「あなたたち、船を降りていいよ」


数分後、縄で完全にしばられ、猿轡されて木にくくりつけられた舟の調達係の兵士たちが口でもごもご言いながら、
必死に縄を抜け出そうとしている姿を尻目に、円奈たちロビン・フッド団は舟に乗り込み、舟につまれた木箱やら
樽やらの中身を確認した。


「黒麦」

少年たちが中身を確認し、口にだしていく。「じゃがいも。たまねぎ。ホウレンソウ。マメ。樽いっぱいの水。
油も。あと弓と矢がずらりとあるぜ」


「よし、進もう」

円奈が満足げに言い、少年たちに指示した。「漕いで!」

そっそく少年たちが持ち場につき、舟の固定された櫂の下に座り込んで、声をあわせて櫂を動かして舟を漕ぐ。

漕がれて深夜の川の水がしずかにそよぐ。



縛られた兵士たちは、もごもごいいながら、自分達をおいて進む舟を見送った。

98


作戦は、第二段階に進みつつあった。

物資調達の舟をのっとり、川を漕ぎ、城壁の水路までめざす。

その水路の入り口に、本当の受け持ち係りがいる。


そこが、潜入段階としては、作戦の最大の山場にして関門。


川を出て、城壁の水路まで到着した舟を、不信げな鎖帷子の兵士が迎えた。
モルス城砦の守備隊である。

「ちっこい客だな」

そう、兵士が口にした。「今日の物資係りは、どいつもガキばっかだ、むこうで何があった?」

舟が水路につくと、川の水がぶわっと波だって、水路の水位があがり、石壁の乾いた部分までもを塗らした。


秘密裏に物資の受け渡しをしている地下水路は、石造りの壁に数本の松明が掛けられていて、その火が
ゆらゆらと水路を赤く照らしていた。

「本国でも戦争が起こっちゃって…」

と、悲しそうに円奈が話した。「原因は隣国の領主の通行税引き下げ。そのせいで商人がそっちに
しかいかなくなったんです。香辛料も絹もなにもこないって、本国の領主が怒って戦争しかけました」

「まったく、くだらんことするな!」

兵士がやれやれという口調で、ため息を吐いた。「だったら本国も税を引き下げればいいのに。
なんでわざわざ戦争にするかねえ?」

それから、物資調達係りだと思われる子供の円奈を見た。

「一応なんだが、”フー・キルド・クック・ロビン”?」

「”ゴドフリー”」

円奈がすぐに答え、モルス城砦の兵士をまっすぐに見つめた。「ゴドフリーでしょ」目をそらさない。

「本国に伝えてくれ」

すると、兵士が羊皮紙を一枚とると、円奈に渡した。「さっさと通行税でも橋渡り税でも安くして、帰還兵の気持ちを
軽くしてくれってな」

「でも本国は、税でもっているようなもんですから……」

苦笑しながら円奈がその羊皮紙を受け取った。しかしも、受け取ったのはいいものの、何をしたらいいのか
さっぱり分からなかった。


まず、何が書かれているのかが分からない。

なにこれ?


「あの、これ……」

恐る恐る、円奈が兵士の顔を上目遣いでみあげて、尋ねた。「なにすればいいの?」


「ん、なんだ、それか」

兵士が唸って、答えた。「するとかじゃなくて、持ち帰ってくれ。キミらが物資を届けたっという証書みたいなもんだよ」

「ああ、なるほど……そうです、か」

内心で胸を撫で下ろす円奈。

「娘さん、読み書きは?」

兵士が雑談しにかかってくる。夜警で話し相手がほしかったのかもしれない。

「できるよ」

円奈が答える。いや、この羊皮紙に書かれてるのはさっぱりだけどね。


「そこに俺らが請求した物資が書かれているだよ」

兵士が丁寧にも、説明してくれた。「”十分な食糧と、油と、矢と、樽いっぱいの水を”って」

羊皮紙に書かれた謎の文字に指をあて、読み上げる。

「”魔法少女着替えの毛織物”へへ、高級品だな、これがないと戦わないってうるさくてね」

「へええ…」

円奈が改めて羊皮紙を見た。全然しらない言語だ。

戦いの体勢に入る時もいちいち派手な衣装に変身するし、魔法少女って闘う自分の格好にこだわるなあ。

私なんて、一ヶ月同じ服だよ。お金もない旅人だからしょうがないけど。


「さて、こっからお仕事になるが物資を運び入れせにゃ」

兵士が舟に乗り込んできた。

「本国で戦争起こっちまって、物資はどれほどある?今日は何が入ってる?」


円奈が、得意げな鼻をならして、答えた。えっへん。「今日の物資は豊富てんてこもりなんだよ?」

「ほお、本国も余裕だな」

兵士が木箱を開けにかかろうとする。「どんなだ?」


「とびきりの”兵士”を、持ち運んできたの」


「ハハハ」

兵士が円奈の冗談をきいて、苦笑した。

「娘さん、面白いこというね。とびきりの兵士がこんな木箱に入るもんかい」


兵士が笑いながら、木箱の蓋を掴み、パカッとあける。

すると、中に入っていた少年たちが途端に出てきて、立つと手持ちの鎚でガーンと叩いた。

ドスンと気絶して倒れる兵士の鎖帷子の音が、地面に鳴り轟いた。


「兵士は兵士でも、”ちっちゃな兵士”だい!」

箱という箱、樽という樽から少年団がぞくぞくでてきた。

「大人は入れなくても、子供は入れる木箱だよ」

気絶した兵士の顔にそういい残して、円奈はさっそく少年たちに指示して気絶した兵士を縛り上げさせる。

手に握らされた証書とやらは、ポイとその場にほうり捨ててしまった。

ハララと証書とやらが空中を舞って、やがて石の塗り固めの地面に落ちた。

99

受け持ち係りの兵士を縛り上げたあと、円奈は舟にのせていた馬・クフィーユも呼び寄せた。


火の燃える松明を握り締めて、円奈は少年たちに小声で告げる。

松明は、壁の掛け台に掛けてあったものから一本、手に取った。



「これからが、戦いだよ。みんな、しっかりね。私についてきて」


敵国の城砦に潜入した少年たちのつば呑む喉の音。

円奈は、片手で馬を手綱で連れ、もう片手は松明をもって石壁の通路を火で照らしながら、螺旋状の階段をのぼって
地表をめざす。


そのあとに続いて、少年たち14人もぞろぞろ階段を駆け上る。

少年たちは、緊張と、不安と、期待と高揚の入り混じった顔つきで、敵陣の砦に内部から潜入する。


うまくいけば人質の解放。失敗すれば死。いや、もっとむごい拷問にかけられるかも。


だが、その少年たちの誰もが、ただ一つ同じ考えだけを共通していま頭に思い描いていた───。


おれたち、これ以上なくロビン・フッド団らしいことしている!

100


円奈たちは、砦内部の螺旋階段をのぼりつづける。何週もまわって、水路から城へ登りつめる。


円奈が松明で照らしながら螺旋階段をのぼり、それにつづいて14人たちの少年が階段をくるくると
登る。


城の階段が、きまって螺旋階段なのは、敵の潜入をうけたとき、守備側が有利に戦えるようにするためだ。


敵が城に潜入してきたとき、くるくるした螺旋階段だと、守備側は有利な壁の内側に身を隠しつつ戦えるが、
潜入側は、常に壁の外側に身を晒しながら、戦わなければならない。


しかし、不意をついて城に潜入した円奈たちは。

守備隊の抵抗もうけずに楽々とこの螺旋階段を登りつめる。



螺旋階段を登ると、いよいよ城内の中庭へでる出口にきた。

月の浮かぶ夜空がみえる。芝生の生えた、郭と呼ばれる城の広々とした中庭だった。そこでは、役畜を
飼う納屋があったり、役畜にひかせる荷車、頚木、鋤、保存された種をいれる麻袋をおさめた家屋などがある。



螺旋階段の出口にでる手前、円奈は後続の少年たちをひきとめて、最後の打ち合わせをした。


「私は城門をあけに、左手にでる。あなたたちは右手へ、人質を助けに」

ごくり。

少年達が無言で頷く。

「私は城門をあけたら、あなたたちのもとに戻って合流する。がんばろう!」


円奈はばっと中庭に飛び出した。

月明かりの照らす城内の郭を、なるべく影になっている部分を通って城門を目指していく。


「行くぞ!」

少年たちの先頭の一人が掛け声を小さくだして、出口に飛び出して、円奈とは別方向に駆け出していく。

「おれたち、ロビン・フッド団だ!」


一人一人が弓を手に、中庭へ駆け出す。


円奈と少年たちは、いったん二手にわかれる。


城砦は、左には円奈のめざした城壁、前方側には城の武器庫である塔、さらに奥に城主の天守閣があり、
右側には城の裏門と、農具をしまう家屋があった。


「人質を閉じ込めた家屋は?」

一人の少年がたずねる。芝生の整頓された中庭を歩みながら、彼らはこそこそと敵陣の城内で会話を交し合う。

「あれだ!」別の少年が指差す。


指差した先には、ひとつの家屋があり、木材でできた家屋だった。屋根は三角形で、藁に覆われている。

家屋の扉は外側から閂で二重にロックがかけられ、中から開けられないように封じられていた。

鉄格子入りの窓が何個かあるが、人が出入りできそうにはない。


「俺が開ける!」

一人の赤毛の少年がいい、他の少年たちに合図した。「おまえたちは、屋根に登って攻撃に備えるんだ!」


指示された後続の少年たちが頷いて、人質がいるであろうこの家屋の側面から、よじよじと藁の屋根に登る。


すると赤毛の少年は扉の閂を上下二つとも取って、バンと家屋の扉を開放する。


両開きの扉が、開けっぴろげにされた。


予想されたとおり、その中には、人質と思われる老人、若い子供たち、女の人たちなどがやせ細ってやつれた顔をして
閉じ込められていた。


急に扉があいて、夜霧の外気から中に差し込んでくる月明かりに、思わずおびえた人質達の顔が映る。

「助けにきた!」

と、少年が叫んだ。

「ボクたちと一緒に城門から、外にでるんだ!」


人質たちは、魔法少女同士の縄張り争いに巻き込まれ捕虜にされた人たちであった。

長いことろくに食べ物も与えられていない、絶望してやつれきったた人間たちが、おろおろと立ち上がって、
閉じ込められた家屋から外に出ると、逃げられるという状況をようやく理解したのか、ごぞって家屋から逃げ出す。

わーわーわー。

やせ衰えたファラス地方の農民たちが、閉じ込められていた家屋を脱出して、中庭へと飛び出す。

「一緒にくるんだ!」

少年がまた叫んだ。「城門は、こっちだ!あまり騒ぎ立てると、やつら起きるぞ!」


否。

すでに敵は気がついていた。



「侵入者だ!」

家屋から逃げ出した何十人もの人質にびっくり仰天して、塔の見張り役の守備隊が城の鐘を打ち鳴らしたのだ。

「侵入者だ、撃退しろ!」


カーン… カーン… カーン…


低い、鐘の音が城壁中に鳴り轟く。


「侵入者だ、みんな起きろ!」


がやがや。城の守備隊たちや、魔法少女たちが、城のベッドで起き上がる。魔法少女は、城内のベッドで
身を起こすと、目をこすっていたが、鐘の音にきづくと、はっとなって、すぐに城内の武器庫へむかった。


守備隊たちも同じであった。すでに服をきがえて、数十人というモルス城砦の守備隊たちが、武器庫に集合する。


城の兵士たちは、武器庫に並び立てられた剣と鞘を、順に1人ずつ手にとって、武装し、鎖鎧を着込む。


「急げ!」

守備隊の隊長が、部下の兵たちに怒号をならしている。「人質を城外にだすな!城門の守りを固めろ!」



城の郭では、城塔の見張り役がカーンカーンと鐘をならす音と、ガヤガヤしはじめた城の守備隊と、避難する
モルス城砦の農民たちの足並みに、騒がしくなりはじめる。



その音に恐怖したのか、人質の人間たちはますます駆け足になって、我先にへと城門にむかいだす。


「ばか、静かにいけってば!」


人質を守り、無事に城門まで送り届ける役目のロビン・フッド団の少年たちは、慌てて人質たちを落ち着かせようとする。


しかし、そんな制止もきかず、子供は泣き出す、女はキャーキャー泣き叫びながら、何ヶ月と閉じ込められていた
人質たちは必死に故郷を求めて城門に走る。

もうずっと動かしていない足で、どうにか城門のむこう、自国の土地をめざす。

命をかけて。



「ロイ!!!」


すると、家屋の屋根に陣取った少年たちの一人が、名前を呼ぶのを聞いた。「後ろだ!」


ロイがはっとして後ろを振りむくと。

騒ぎに飛び起きた城砦の守備隊たちが、武器庫から武装して次々に中庭に躍り出てきていた。


その数20人か30人。


鎧を着込んだ敵兵士たちが掛け声あげて、だれもが、走りながら、鞘から剣を抜く。

おおおおおっ。

敵兵たちの軍団が、足を揃えて突撃してくる。


ロイは内心焦ってたじたじと、走ってくる剣抜いた敵兵士たちを見つめた。



「撃て!うち倒せ!」


屋根上の少年たち14人の弓から、矢が放たれた。

シュバババババ!

14本の矢が弧を描いてとぶ。


屋根から跳んだ矢は、まっすぐに空気中に飛び、中庭に現れた兵士達の集団に襲いかかる。


「うぐっ!」

「うう!」


屋根上から落ちてくる14本の矢が、敵兵士たちの体に降り注いだ。

鎧の胸に。膝に。肩に。鋭く研いだ矢の鏃が刺さり、突き立つ。深々と刺さる。


兵士たちの身体に矢羽が突き立つ。

敵兵士たちがごろごろと倒れ落ちていく。


「構えろ!」


少年たちが第二派の矢を弓に番えた。構えられる14本の矢。


撃ち損じて生き残った兵士たちも、それで一掃するつもりだ。


ロイも後ずさりながら、接近する敵兵士のこり数十人を見据えて弓を構えた。



「撃て!」


掛け声があがり、少年たちの矢がまた屋根上から放たれる。

雨のように降り注ぐ矢が再び敵兵士の軍団を襲う。

鎧に刺さり、胸を貫き、足に刺さった。「うぅ!」「がぁ!」

弓矢の攻撃を受けて、その場にたおれこんだり、うずくまったりする。膝に刺さった矢を支えて痛がったりする。



ロイも弓矢を放った。

空を裂いて飛んでいった矢が、正面の兵士の肩を射抜いた。「ああウッ!」



「行くぞ!」

敵兵士たちに矢を浴びせ、戦闘不能にさせると少年たちは屋根から続々とぴょんぴょんと飛び降りる。


「人質のみんなを守れ!」


一丸となって集まりながら彼らは、矢を弓にあてると指と指の間に挟みながら、開放した人質と一緒に城門の外を
めざす。



すると行く手をふさぐように。

騒ぎをききつけて駆けつけてきた魔法少女たち数人とその手下の騎士の少女たちが、その前に立ちふさがって現れる。


「魔法使いをやっつけろ!」


少年たちがすかさず弓矢を構えて、列揃えて並ぶとしゃがみこんで、狙いを定める。



中庭に現れた魔法少女たちは、まさか城内に外敵がいるとは思ってなかったのでびっくり仰天して、
あわててソウルジェムの力を解き放って変身し始める。


「ドゴホン・ダッド!」

魔法少女の一人が叫び、左右に引き連れた2人の魔法少女に目を配った。


パァァア…ッと、神聖な光が城壁の中庭に3人分、煌きだす。


「撃て!」


少年達が掛け声あげて、一斉に矢を弾き飛ばす。「いまだ!撃て!変身させるな!」


ロビン・フッド団の飛ばした矢が、中庭のなかを20メートルくらいをとんで、まだ変身の途中の魔法少女たちの
ソウルジェムを次々に射抜いた。


煌く体にバリンという割れる音が鳴って、光に包まれながらも魔法少女の身体は崩れ落ちる。

形成されつつあった魔法の衣装は途中のまま、地面に倒れると元の人間の格好に戻った。

あるいは、まだ変身が始まってもいない魔法少女の身体が、矢だらけになって、倒れる。


バリン!ジリ!ドサ。

魔法少女たちがソウルジェムを矢に射抜かれ、変身中の浮遊していた体を、地面に落とす。



「撃て!魔法使いどもをやっつけろ!」

再び少年たち14人の矢が、息を揃えて同時に放たれる。


また、矢が弾け飛ぶ。


そんな調子で敵国の魔法少女たちは変身の最中、もろとも矢にソウルジェムを撃ちぬかれて、気絶していった。

バタリバタリと。


魔法少女たちが倒れる。



「撃て!誰も逃がすな!」


自軍の魔法少女たちが一方的にやられてしまい、慌てている騎士の少女めがけて矢が飛ぶ。


少女は馬に跨りつつ、でも盾で矢を受け止めた。

その木の盾にドスドスと、二本も三本も矢が刺さる。


盾で身を守った少女は、ブーツを履いた足で馬の腹をぎゅっとはさんで退却の合図をだし、向きを翻して逃げ去っていく。

大きな盾を背に、馬で逃げさる。その後姿の髪が風に揺れる。


「逃がすな!」


少年たち14人が、再び列なして弓矢を構え、しゃがんて片膝たるてると、狙いを定める。


少年達が同時に矢を放った。

14本の矢は、中庭を突っ切って飛び、中庭にのこった敵の騎士たちや、兵士たちに命中して、敵陣を崩していく。

ガタタタタ…


目前の敵兵たちが撃ち崩され、倒れる鎧のこすれる音がする。



「いくぞ!」


ロビン・フッド団は城壁内の敵を打ち倒しながら、着実に城門へと足を進めていった。

矢を撃ち終えたあとは、また次の矢をとりだして弓にあて、その矢を指に挟みながら足を揃えて進む。


めざすは、城門。

逃げ出した人質たちとともに、そろそろ開かれる予定の城門へめざす。

101


鹿目円奈はいま、城門がある城砦の壁ちかくの影に、身を潜めていた。


愛馬クフィーユに跨って、城門の見える防壁下の影に隠れ、機を待つ。


城砦の城門は、両側に松明の篝火が台に並べられて、火がゆらゆらと燃えていた。



すると、ニ週間前、自分が初めて騎士になったときに魔法少女に授かった、来栖椎奈の剣を鞘から抜く。


ギラリ…

魔法少女から授かった魔法の剣が鞘から現れる。剣刃が月夜を反射して、光の筋を放った。


それから、円奈は目をそっと閉じて、胸に手をあてると、中庭で聞こえる戦闘の騒音を聞きながら、少しだけ瞑想した。


「恐れず、敵に立ち向え」

初めて騎士になったとき、自分を騎士に仕立て上げた魔法少女と交わした誓いの約束を、自分の口に復唱する。

「真実を示せ」

それは誰かに聞かそうという言葉ではなく、円奈自身に聞かせるために唱えられる言葉。

「弱きを助け、正義に生きよ」

瞑想を終えると円奈は、目を開けて、椎奈の剣の鞘をぎゅっと握った。

「それが、私と椎奈さまの誓い」


円奈はピンク色の瞳を動かし、城門をひらく開門装置と、そこに辿り着くための石造りの階段を見あげていった。


「登れ!クフィーユ!」


円奈が一声くれると、馬が一気に石の階段を駆け上りだした。


馬は大きく前足を振り上げて、階段を何段も飛ばしながら蹄を蹴りあげ、怒涛の勢いで石段を駆け登る。


振り落とされそうなほどの急勾配の階段を登る馬に、円奈は身を寄せる。

ぶんぶん馬が身を上下にふりきって登っていくその背中にしっかりしがみつく。


城壁に上ると、見張りの少女やら、魔法少女やら、敵兵士やらがぞろぞろいた。


しかし円奈は恐れない。

バッと、馬に跨ったままで、剣をふりあげる。ギィン!鞘から剣が抜かれる音が夜に響く。



まっすぐ敵陣むけて馬を走らせる。


「なんだ、お前は!」

敵兵士がすぐに気づいて、鞘から剣を抜く。


しかしすでに目前までやってきていたピンク髪の騎士は。

馬を進め、前足をふりあげさせ、まさにその蹄で蹴ろうとしているところだった。


ヒヒーン!

前足あげた馬が鳴き声あげる。


つぎの瞬間、重力も加わった馬の蹄に思い切りドッ!と胸をけりだされ、敵兵士はハデに城壁から中庭へ
まっさか様に転落して、下の城門の篝火に身を落としてしまった。

すると松明の篝火が敵兵士の身を襲っった。兵士の断末魔がわきおこった。

火だるまになりながら暴れまわって火の粉が舞い散る。


「何事ですか!」


唖然とした少女の騎士が叫ぶ。


「この城壁を落としに来た!」

円奈が敵に告げると、驚くぐらい大きな剣をふるって、まっすぐ馬で突進していった。

騎士の少女は危機を感じて、すぐに盾を持ち出して身を守った。



円奈はまっすぐに敵に激突していって、城壁を走る馬に乗りながら、その少女の盾にぶんと剣を思い切りたたき落とした。

バキっと木の音がして盾は真っ二つに割れ、衝撃と恐怖で少女が石床にすっ転んでしまう。

少女はドンと頭を石床にうちつけた。その頭に折れた盾の木の破片が覆いかぶさった。


「さっきみた光の正体か!」

別の少女が叫び、弓矢を構える。

「さあね!」


円奈が勢いをひるませることなくまた馬を進める。

矢を番える相手にむかって一直線に突き進む。


少女が弓を射るより先に円奈が、城壁の歩廊におかれていた、火のぼうぼう燃える松明の篝火を剣でブンと叩いて振り落とした。


「うわあっ!」


篝火が火の粉を散らしながら横倒しになった。飛び散る火が少女を襲う。それで狙いを定めた弓矢の軸がズレてしまう。

横向きに倒れた篝火からこぼれた油が、石床に染みをつくった。火はこぼれた油の上に燃え広がった。



飛び散る火に目で覆った少女が、目をこすりながら瞼をあけると、その横を馬に乗ったピンク髪の少女騎士が通り過ぎた。

騎士は、横を通り過ぎながら、馬上で剣をぶんと後ろ向きにふるった。それが自分の後ろ首筋にあたる。

「うぐっ!」

首筋に走る衝撃。

着込んだ鎖帷子に守られはしたが、その衝撃で地面に突っ伏してしまう。

鼻筋を石床に叩きつけ、額と鼻から血をだしながら起き上がると、ピンク髪をした少女騎士は城門の開門装置に
むかっていた。



「魔女め!」

最後に一人のこった魔法少女がののしり声をあげながら、鞘の剣を抜いた。



すると円奈は来栖椎奈の剣をすばやく鞘にしまい、馬を走らせるままで弓を背中からとりだした。

矢筒から矢を一本、弓に番え、放つ。


馬上から放たれる矢。


ビシュン!


ロングボウから矢が放たれ、魔法少女の額にとぶ。

しかし、魔法少女は、抜いた剣で、矢を弾き返した。矢は折れて、夜闇へ飛んでいって消えた。



「そ、そんな!」

円奈が驚いた声をあげ、そのまま魔法少女と、激突した。



馬が魔法少女の身体に体当たりする。

しかし魔法少女はヒラリと身を横にずらして、馬の激突をやりすごし、振り返りがてら剣をふるってきた。


円奈は手綱ひいて馬をとめ、再び、鞘から剣をぬいた。馬上から、魔法少女と剣を交える。


あの鎌の黒姫以来の、魔法少女との対決であった。


金属同士の衝撃音が、ガチャガチャと、戦場となった月夜の城に鳴り轟く。


必死に剣を振るって、敵の攻撃をうけとめたり、突き返そうとするが、戦えば戦うほど相手に圧され
気味になった。


カチャ…カチャ!




ドッ!

円奈は相手の振るった剣の一撃をうけとめようとしたが、受け止め方が悪く手首を傷めた。

「うっ…」

うめき声が思わずあがる。相手がそれに気づいて、勢いづき、さらにブン!と強く剣をふるってきた。

ガチャン!

手首を傷めたせいで力がうまく込められない。手から剣が飛びそうになった。

力まけして、後ろに体勢がよろけた。

「あ───」

馬がヒヒンと鳴いて前足ふりあげる。

自分がよろけて手綱を思わず引っ張ったせいだ。

転びそう────!


魔法少女が少しだけニヤついて、よろけた円奈にもう一撃加えようとする。


「──いっぎい!」

円奈が力強く歯を食いしばって、なんとかよろけた体勢を戻そうと馬の上で踏ん張ると────


ブオ! ドサ。


どこかともなく夜の闇を裂いて飛んできた一本の矢が魔法少女の胸に刺さり、こんどは魔法少女がよろけた。


「え…?」


目を見開いた魔法少女が自分の胸に突き立った矢を見つめる。



それから怒ったよううに円奈をみあげ、また剣を振るいにかける。


だが、その一瞬の隙の間に円奈は体勢を立て直していた。

痛めた手首のかわりに、左手に剣を握って、縦ににブンと剣を振り落とした。

ざん。円奈の剣の刃が馬からふり落ちる。


「くっ!」

魔法少女が、ぎりぎりで反応し剣をだして守ったが、攻撃を受けたその衝撃で、ぐらっと足元を滑らせ、
城壁の歩廊から虚空へと身を投じてしまった。


「ああああっー!」

後ろ向きに背中から、城壁から中庭へ、魔法少女が頭からおっこちる。ドゴっと、鈍い音が下に轟いた。



城壁の敵を追い払うと円奈は。


鞘に剣をしまい、馬を降りた。


城門を閉ざしている”落とし格子”の開門装置である巻き上げ機に取り掛かる。


円奈が城壁の装置に手をかけるなか、夜空に浮かぶ三日月が地上に沈んでいく。



この城壁の鉄格子の装置は、鎖を巻きあげて鉄格子を引き上げるタイプだった。

さっそく円奈が、鎖の巻き上げ機の取っ手を握って巻き上げようとするが。


「いい~~っ!」


どんなに力んでも、鎖の巻き上げ機はびくともしなった。

それも当然、そもそも鉄格子を引き上げる鎖の巻上げ機それ自体が、大の男何人もかかってやっと巻き上げられる
代物であった。


円奈一人の力ではさすがにどうにもならない。



「バカなやつだな、鎖を切れよ」


すると、城壁から外れた川の岸辺では。

円奈の悪戦苦闘の様子をめていたロビン・フッド団のリーダー・コウが、もどかしそうに呟いていた。

さっき円奈と戦っている魔法少女に矢を当てたのも、彼だった。


城門装置を守る城壁の敵を、外の側から攻撃するのが、彼の請け負った役目だった。

この位置から弓を正確に飛ばすには、かなりの腕前が必要だった。



モルス城砦のなかで、今もがやがやと騒ぎが起こり、剣のぶつかりあう音や、矢の飛び交う音、
人々の悲鳴などがこだましているのが分かる。


「いくぞ。円奈は城壁をあけるだろ。俺たちは城壁の外から援護するんだ。追っ手がいれば俺たちが叩く」


リーダーが指示して、弟のアン、コバヤと共に、木を降りる。

それから、城壁の正面の門へと向かった。



「ああそうか、鎖を切れば!」

そのタイミングで、ようやく円奈も落とし格子の仕組みにきづいた。

巻き上げ機の鎖に結ばれた錘。


これは一人で巻き上げ機をあげられないときの、緊急脱出用の装置で、この錘を落とすと鉄格子が自動的に開く
仕組みになっているものだ。



円奈が鞘の剣を再び抜き、伸びた鎖の前に立つ。

両手に握って、痛む手首をこらえて駆使して思い切り鎖を切り裂いた。


「えい!」

目をぎゅっと閉じて、ブンと椎奈の剣を思いっきりふるった。自分まで剣に振り回されるくらいの勢いで。


バキン!と音が鳴って、鎖が切れた。

途端に鎖にくくりつけられていた錘がズンと落ちた。


すると、城門に落ちた鉄格子のほうが、ゆっくりギギイと音をたてながら持ち上がり始めた。

錘のほうが落ち、滑車でつながれた鉄格子のほうが持ち上げられる、昔から存在したエレベーターの原理である。





城門を閉ざす落とし格子の尖った角が持ち上げられ、土から浮き上がってきた。鋭角の部分は土に塗れていた。

土があるのは、鉄格子をズシンと落としたときのクッションにするためだ。


鉄格子がキイキイ音をたてて持ち上がり、開かれる。


城門は開かれた。




「ふ、ふう……。どうにか開けられたあ」

ふう、と安堵の息を吐いて、額にたまった汗を剣もった腕でふく。



すると、背中のほうからわあわあと人の騒ぎ声がきこえた。

ふと円奈がはっとして視線を移すと、武器庫の城塔から敵兵士が弓を手に進み出てきていた。


「いたぞ!」

「侵入者め!殺せ!」


鎖帷子の敵兵士たちが、けたましく声を掛け合いながら円奈を指差している。


兵士たちは弓だし、矢を番え、そして円奈にむけてきた。

彼らは弦を引き、円奈を狙っている。


「みんなと合流しなくちゃ!」


円奈はすばやく馬に乗り込み、腹を足で挟み込んで闊歩の指示だした。

馬はすると、城壁の歩廊、沈みかけた月影の前を走り、円奈のせて駆け抜けた。


「いくよ!」


シュバ!バチ!

敵兵の矢がたくさん飛んできた。



矢は円奈の頭上を飛び越えたり、円奈の走り去った城壁の石床に落ちたりして、砕けた。


城壁にあらわれる敵兵士の数はどんどん増えた。



敵兵士の放つ矢に追われながら円奈は、降り注ぐ矢のなか走りきると、きた石の階段をすばやく駆け下りた。

102


ついに、城内に捕われていた捕虜たちが、開かれた城門をくぐって、脱出しはじめた。

老人、子供、女たち…。


捕われていた人間たちの群れが、懸命に走ってモルス砦の城門をくぐり、国境を越えて、
自国へと帰還を果たす。


魔法少女同士の縄張り争いに巻き込まれた人間たちが、解放される。



そのわあぎゃあとした騒ぎに、城外、ファラス地方側の流浪農民が気づいて、驚いて魔法少女の宿営テントに
飛び入る。



「捺津さま!捺津さま!」

と、農夫が声を荒げてテントの入り口に押しはいろうとする。

「ちょっと、なに、どうしたの!」

番人の少女が声を荒げて男の兵士を止め、問い詰める。

番人の少女は、一睡も禁じられて主の眠る幕舎の見張りをさせられていた。しかし、隙をみては手持ちの槍に
寄りかかってうとうとしていた。


「なにもどうしたもあるか、みろ、城門が開けてる!」

興奮した男の農民が叫び、少女をおしのけようとした。

「わかった、わかった、報告は私の役目、私がする!」

少女が男をひきとめた。槍を斜め向きにたてて、男兵士の行く手を邪魔する。

「捺津さまの報告は私が。あなた、首と胴体をさよならしたい?」

クソっと男が舌打ちして、少女に引き止められて踵をかえして引き返していった。

「あなたは皆を起こしてちょうだい」

「もう起きてるさ!今宵は新しい土地を手に入れる日だ」男は砂利を踏んづけながら両腕を広げ、去っていった。


それからふう、と息を吐いて少女が、テントの幕をはらりと開けて幕舎の中に入る。


アイサという、ファラス地方出身の農民の少女だった。今では、魔法少女の護衛役(という名の世話役)を務める
騎士となっている。


テントの中には、蝋燭の火と松明で照らされた空間にベッドがあって、そこに魔法少女が寝転んでいた。

「捺津さま、起きてくださいませ」

「何事だ?」

魔法少女が目をこすりながら起き上がる。毛布以外、何も身にまとっていなかった。半裸だった。

「城門が開いております。中から捕虜がこちらへ逃げ出してきています」

少女が告げる。

「ふーん、それがどうした、眠らせろ」

魔法少女が髪を乱したままベッドにまた寝転んだ。

その数秒後、ドバっと毛布をまくって、飛び起きた。「なんだと!」


「私どもはすでに、城門から突入する準備をはじめていて───」

少女が状況を説明しようとすると。

「なぜすぐ報告せん!」

と、魔法少女がどなりつけた。毛布がはだけて、胸と乳がみえた。

「報告なら、いまいたしております」

少女はペースを乱されることなく魔法少女に冷静に告げる。それから青銅でできた容器に、透明な青色をした
手ふきガラスで水を注いで満たした。

「顔を洗いくださいませ」



魔法少女がベッドから降り立った。半裸のまま、蝋燭立ての前に置かれた青銅の容器に満たされた水に顔を
つっこんで、ばしゃばしゃと顔を洗った。そのあいだ、少女が後ろから乱れた魔法少女の髪を櫛で梳かしていた。


蝋燭に照らされ、銅の洗盤の水面にゆらゆらと映る自分の顔を見つめる。


顔を洗った魔法少女が顔をぶるぶるさせ、少女の正面に向き直ると、少女は亜麻の布をつかって魔法少女の顔を
パタパタと拭く。


「誰が城門をあけた?」

顔を拭かれながら魔法少女が尋ねるた。パタパタと顔をたたかれる布に目をパチパチさせながら。


少女が顔を拭きながら答えた。「それは分かりません」


「わからん?」

魔法少女の眉が細まった。その眉ふくめて少女に布で拭かれる。「なにがあった?」

「それもわかりません」

少女が言う。それから付け加えた。「後ろをむいてください。髪を梳かします」


魔法少女が大人しく振り向いて背をむける。

「神でも降りたか?」

魔法少女が、独り言のように、言った。

「神の国にいったこともないのに?」


「どういう意味です?」

少女がたずねた。たずねながら、魔法少女のわずかに茶色がかった黒髪を櫛で梳かし続ける。

髪は、背中あたりまであった。


魔法少女が、相手が髪を梳かしやすいように顔をあげて、髪をおろし、天井みながら呟くように口にだす。


「”神の国にゆくものだけが、その許しを得られる”という」


髪を梳きおえた少女が、鉄の掛け台から剣と、矢とを持ち出した。

「あなたは不器用なだけです。あなたは、わたしたち土地を失った流浪の民のために、戦ってくださっている。
神はあなたを見ていらしています」


「そうかな」

魔法少女は言いながら、手に剣と、矢を受け持った。


少女はまずリンネルの下着を魔法少女に履かせ、羽毛のコートを袖に通させる。

次に鎖かたびらを魔法少女にかぶせ、その上にさらにチュニックを着せた。

すると、腰に鞘つきの革ベルトを巻く。魔法少女は大人しく少女のなせるままに任せている。


ガシャ!剣が鞘に納まり、武装が完了する。


「円環の理はあなたを救います」


テントの支柱に立てかけられていた木の盾をもって、少女が魔法少女に装備させる。

魔法少女は盾の裏側のバンドに、左腕を通した。その腕の指には、ソウルジェムの指輪が。

「変身を?」

少女がたずねると。

「するまでもない」

魔法少女がつげ、武装も終えると、テントより出た。



テントの幕をバサっと乱暴にまくって外に出た魔法少女────榎捺津(えのなつ)は、開かれた城壁を見つめ、
それから民衆の前で、堂々と剣を鞘から抜いて掲げて、大声で告げた。


「虐殺のときだ!」

おおおおおっと、民衆たちがそれぞれの手に握った武器───手作り弓矢や、農業用の鎌や、木割り斧など持ち上げて
歓声をあげる。




榎捺津は民衆の歓声を集めて満足すると、テントの傍らに移動した。
そこの杭に綱で結ばれていた白馬に跨り、手下の少女に杭のロープを外させた。

「軍旗を」

魔法少女が少女に命令する。命令された少女は赤い布織の、獅子を描いた軍旗を持ち、伸ばした魔法少女の手に
添える。


軍旗を魔法少女が握った。

受け取ると小声ながら礼を述べる。「ハノンレー!<ありがとう>」




捺津は獅子の描かれた旗を手にすると、馬上から、少女に命令をくだした。

「城から逃げてきた捕虜を保護しろ」

「はい」

アイサが、素直にうなづいた。


「ハァッ!」

魔法少女は声あげて白馬を推し進める。

もう戦闘態勢に入っている武装の民衆たちの前に馬を進ませると、獅子の軍旗を翳し、叫んだ。


「門は開かれた!」


魔法少女は軍旗を力強く握り、ぐっと持ち上げる。


「あわれな人間どもめ!もっとあわれな人間どもから、好きなだけ金品財宝を略奪するがいい!」


おおおおおっと民衆が雄たけびあげて、白馬に跨る魔法少女を先頭にして、開かれた城門をくぐって城内に突入していく。

50人、60人あまりのみずぼらしい人間たちが、おのおのの武器を手に魔法少女に続いて、
城門をめざして殺到し、怒涛の勢いで押し寄せる。その目的は略奪。


魔法少女のもつ軍旗が城門を潜る。


後続して、人間だちがどーっと入城!

城砦の陥落も時間の問題となった。



一方、城砦の中庭。

鹿目円奈は、敵兵の矢の雨が降り注ぐなかを馬を走らせていた。

敵兵の矢は城壁から円奈の走る中庭へ、落ちてくる。


バチ!ジュン!


何本かの矢が、円奈の頭に降ってきて、円奈は顔を伏せてどうにかよける。

中庭を馬が駆け抜ける円奈の周囲に、無数の矢がバサバサ落ち、突き立つ。




また、敵兵側からの矢の射撃が繰り出された。

ヒューっと矢の連なりが城壁側から飛んでくる。

それが円奈の馬が通り過ぎた役畜の荷車にふり注ぎ、ズサズサと荷車の台に矢の雨が落ちて、突き刺さる。

あるいは、隣の納屋にあたって突き立つ。




円奈はそうして、空から降ってくる矢の真っ只中を、懸命に馬を走らせて命がけのレースをしていた。


その、襲いくる矢から逃げて馬を進ませている円奈の前に。


中庭のほうから50人ちかくの敵兵士の軍団が足揃えてやってきた。

彼らは血相変えて、わーーっとかけごえあげながら、誰もが剣ぬいて、怒涛の勢いで襲い掛かってきた。

足音の嵐だ。

ドドドドドドドと剣を片手に我先にと走ってくる。


「うわあああ、敵おおすぎ!」

思わず円奈が慌て、手綱を引いて、馬を止まらせる。馬が前足ふりあげた。


目前の敵兵士たちの軍団は、剣を手に走り出してくる。まっすぐ、円奈の方へ!

城門をあけられ、あとがない彼らの決死の形相に、思わず気圧されたのだ。

焦りに焦って馬を方向転換させた円奈は、またも仰天した。「うわああっ!」


前も敵、後ろも……敵?


反対側からも、別の大軍団が押し寄せてきていた。開かれた城門をくぐって、雄たけびあげながら、
まっすぐ突進してくる。鋤やフォーク、斧、鎌などを手に持った軍団が。


ああ、ファラス地方の森の人たちだ!

と、円奈は理解した。


初めてここにきたとき、城を攻めていた人たち。


自分の開けた城門をくぐって、チャンスとばかりに城をおとしにかかってきているのだ。


そして円奈は、トラウマにも近くなっているあの白馬の魔法少女が、軍旗を掲げながらやって来るのを見た。


「捻りつぶせ!血を滾らせろ!」


相変わらず怖い言葉を吐きながら、白馬で先頭を突っ切って城内に飛び込んでくる。

手には槍つきの軍旗を握っていて、今にも誰かを突き刺そうと目が赤く滾っている。


「どどど…どうしよう!」


前も軍団、後ろも軍団にはさまれた円奈が、途方にくれかける。

その間も両軍団の距離は狭くなっていく。


「おーい、円奈!」

すると、耳慣れた少年の声を聞いた。ロビン・フッド団のリーダー・コウの声だ。「こっちだ!」

「えっ…?」

円奈が馬の向きを変えさせて見ると、すでに再合流を果たしたロビン・フッド団17人が、城壁の上から手を
振っていた。


「あなたたち、いつの間にそんなところに!」

驚いた顔をして円奈が見上げて叫ぶと。

「さっさとあがってこいよ、残りの運動会はあいつらに任してさ」

少年達が笑っている。

作戦がうまく成功した達成感でたまらないのだろう。

「もー、私を置いて!」

円奈が不満そうに頬を膨らめて顔を見上げて言うと。

「さっさとしろよ。魔法使いと間違えられて首切られちまうぞ」

「どうやってそっちに?」

円奈が問い詰めると、少年が指さした。「あそこから入れ!右に入った階段のぼってこい。崩れた石段に
足とられるな」


「わかった!」

円奈は少年達に元気づいた声で返事し、自身は馬を進めて、少年達の指差した城の入り口をめざした。


すると、芝生の生える中庭の途中で、白馬の魔法少女とすれ違った。

すれ違いざま、魔法少女と目がなんとなく合ってしまう。

その瞬間、その時間が、円奈にはなぜだか、スローモーションのように、時間が遅くなったように感じられた。



そしてすれ違いざまの魔法少女が、神妙な顔つきでピンク髪と目の少女を見つめ───ぼそっと何かを呟いた。


「円環の……」


最後はほとんど聞き取れなかった。


「えっ…?」


しかし白馬の魔法少女はもう円奈には目もくれず、まっすぐ敵陣に突っ込んでいった。

その魔法少女に続いて、農具をもった人間たちがわあああって叫び声あげながら、敵軍団との乱闘に入る。


農民集団と城の鎧兵士の軍団が中庭でついに激突。


集団同士がぶつかって、ガチャガチャカチャカチャ、バシバシギジギシと金属同士やら肉体同士がぶつかる音やらで
城内が満たされる。


まさに喧騒の集大成だ。


円奈は乱闘に巻き込まれる前に、城内への入り口にもぐりこんだ。

城内はせまくて、壁に埋め込まれた鉄籠に掛けられた松明の火が中を照らしていたけれど、馬を降りて
進まなければならなそうだ。

103

モルスと呼ばれる国境の城砦にて繰り広げられる、攻防戦。


城門から押し入った榎捺津らのファラス地方の民衆と、国境の城を守る守備隊の兵士たち。

その両陣営の総力戦となり、中庭で大乱闘になる。



白馬に跨り、敵の軍団に飛び込んでいった捺津は、敵軍団との乱闘に入るや、手持ちの槍をグイとのばして、
一番近くの敵兵士の首を貫いた。

首を貫かれた兵士は、飛び上がって、そのままぶっ倒れた。



魔法少女は槍を投げたあとは鞘から剣を抜き、馬の上から剣を振るう。バンと上から、敵兵士の頭に剣を落とす。

バコーンと敵兵の兜が剣に叩かれた。


捺津に続いて敵軍団と激突していく民衆たちは、農具の鎌や斧、スコップなどを武器代わりにして、
バコバコ敵兵士の鎧をうち、たたき、倒して、倒れた兵士の鎧を叩きのめす。



応戦する守備側の兵士50人も、剣を懸命にふるって、押し寄せる農民らを押し返そうとする。



おされ気味の城側の守備隊たちが、今度は城壁の歩廊に集合した。

城壁から見下ろすは、乱闘中の中庭。

20、30人ほどの弓兵が城壁に現れ、綺麗に列なして並び、弓を構えた。



「タンゲダンハイディー!」

魔法少女が号令あげた。

すると列に並んだ弓兵たちは、同時に矢筒から矢をとり、弓に番える。


ギギギイ…。

弦をしぼった矢の先を、中庭で乱闘中の農民たちに、むける。



「ハッドーイ・フィッリーン!」


魔法少女が号令の声をあげ、手を前へ振り下ろした。それが合図だった。

弓兵たちは同時に矢を放った。


放たれた矢は夜空を舞い、中庭で乱闘中の侵入者たちの頭に降りかかった。


ザクザクザク!

矢に頭、肩、首を撃ち抜かれて、血を流していく農民たち。


錐のように尖った矢が落ちてくる。


矢だらけになる中庭。農民たちが矢の雨あび、血の雨をながす。


「イ・フィリーン!」


魔法少女が第二派の弓を番える。

弓兵たちもならって矢を構え、弦を引き絞る。

ギギギ… 

構えられる20本の矢。


すると、第二撃の号令がくだるよりも先に、城壁までのぼってやってきた農民たちがそこに乱入してきた。
彼には階段塔に潜入し、螺旋階段をのぼって、城壁までやってきたのだ。

おおおおおおっ。

農民達のしかける乱闘に弓兵たちが襲われる。


農民たちは弓兵たちの列に横からなだれ込んで、乱闘をしかけ、頭をスコップで叩き落したり、殴ったりする。


そして弓兵たちは次々に打ちのめされ、鎌に頭を叩かれたり、斧に腹を裂かれたりして、
弓兵としての機能を持たなくなった。



最後に残ったのは一人の弓の魔法少女だけ。

魔法少女は目に怯えをみせて、すぐ逃げようとしたけれど、逃げ遅れて、農民に斧で頭を叩かれた。


「あゥ────ッ!」


頭を斧に叩きつけられ、体がふっとび、城壁の石床にころぶ。

「あぁっ!」頬に石に打ち付けて、血を流す魔法少女。

その魔法少女が必死に起き上がろうとすると、あっという間に民衆たちが魔法少女にむらがって、
斧、槌、鎌、フォークなど、それぞれの武具で完膚なきまでに叩き続けた。


斧が魔法少女の頭をたたくたび、頭部から吹き出る血が石床にこぼれて赤くぬらす。完全に魔法少女が動きひとつ
しなくなるまで、その虐待が続いた。


魔法少女に容赦をしてはならないのは、人間である農民だからこそ、よく知っていた。


そして、金品の略奪を領主から許可された農民は、魔法少女の血の塗れた左手に残された指輪を、ソウルジェムとも
しらず奪い取って、自分の麻袋のなかにしまいこんだ。


絶命した魔法少女の頭には血まみれの斧が刺さったままだった。


中庭で乱闘を続けていた魔法少女・榎捺津は、剣を振るって敵兵士を打ちのめしていたが、途中、
別の白馬が後ろからやってきたのを見た。


「レッピ!」

白馬の近づく蹄の音が近づく。

捺津が白馬に乗ったもう一人の茶毛の魔法少女を、そう呼んだ。

茶色をした魔法少女の毛は肩くらいまでで、瞳は緑色だった。彼女は、名を呼ばれたとおり、レッピといった。

「レアブドレン<遅かったな!>」

捺津がレッピに、シンダリン語でそう話かける。

「メロニン!<友よ、どうも!>」

レッピは異国の言葉で、捺津に答える。

「ヘリオー!<突撃だ!>」

捺津が言って、もう残り少ない敵めがけて剣を伸ばし、馬を進ませて突っ込む。

そのすぐあとに続いてレッピも、馬を走らせた。

包囲されつつある敵にトドメさすためだ。

104


「スーウィ!スーウィ隊長!」

ベッドで飛び起きた魔法少女が、すぐに毛織物の衣服に着替えて、城地下の武器庫へと螺旋階段をくだってきて、
隊長によびかけた。「何があったのです!」


「侵入者です」

スーウィとよばれた守備隊長が、魔法少女をみて答えた。隊長もすでに武装を終えている。

「何者かが、城のなかに入り、人質を開放しました。くいとめねば」


スーウィ隊長は、長身で大柄であり、灰色がかった髭を口元で左右に伸ばした、青みがかった瞳をした
歴戦の大男であった。戦乱の世を生き抜いてきた、貫禄ある剣士であった。


「あなたは芽衣さまと共にいてください」


その男が、大きな剣を鞘に納め、鎖帷子を着込み、胸元にブローチをはめてマントを着込み、
1.5メートルもある巨大なイチイ木のロングボウを手にしようとすると、その大きな手を、
魔法少女の小さな手が優しく包んだ。


スーウィは、戸惑った視線で、自分より半分ちょっとくらいの背しかない魔法少女をみつめた。
その青みがかった、水のような瞳で。


魔法少女はスーウィを見上げ、優しげな声でこういった。「わたくしも戦いますわ」


スーウィは、かぶりをふった。

「あなたがたは、戦いすぎています」

魔法少女の手をふりきって、ロングボウの弓を背中にかつぐ。


「戦うことこそが、魔法少女の役目なのです」

優しい声で、あくまでモルス城砦の魔法少女は、告げる。「その宿命を受け入れてまで、叶えたい願いが
あったのです。私は仲間の皆を連れてまいります」


仲間とは、魔法少女たちのことだ。


「…必ず私どもで食い止めて見せます」

スーウィは重苦しくそう言い、マントはためかせながら、戦場へとむかった。武器庫の螺旋階段をのぼり、
剣士は、中庭へとむかう。


スーウィ守備隊長は、モルス城砦の守備隊長だった。

歴戦の剣士であり、年は老いたが、剣士として人間のなかでは猛勇だった。


中庭にでたスーウィは、生き残ったモルス城砦の守備隊たちと共に、乱戦にでる。


押し寄せる異国の農民どもに戦いをいどむ。


農民たちの振るう農具鎌を、自分の剣で応戦して防ぎ、綺麗に受け止め、弾く。


いったん引いた剣を、一気に農民の胸元へ、のばす。


ズドッ!


胸を裂かれた農民はうっとうめき声あげ、草木に倒れ、血で塗らした。

それでも、あとからあとから押し寄せる農民どもが、ぎゅうぎゅうと押し寄せてくる。



城砦に残る魔法少女の何人かが、さっき、スーウィと武器庫で話したあの魔法少女が────仲間を引き連れ
やってきた。

ソウルジェムの力を解き放って変身し、それぞれ魔法の武器を手にとって、この大混戦に参加する。


侵入者であるファラス地方の農民側にも、2人の魔法少女がいるので、魔法少女も人間も入れ乱れた
戦いとなった。


農民側の魔法少女、榎捺津は、馬上で剣をふるい、敵兵の鎧にぶんぶん剣をふりおとした。


敵兵が繰り出してくる剣の攻撃は、盾で防いだ。そのあとで、馬上から剣を叩き落す。敵兵の兜は剣がかちわった。

敵兵の頭は血だらけになる。



総勢100人ちかくが入り乱れ、乱闘をくりひろげる城の中庭は、すでに倒れた数十人の死体を踏み越えて、
互いが互いの敵陣に押し寄せあう。



スーウィ隊長は、味方の兵が落とした大きな盾を拾い、馬上で剣をふるいつづける白馬の魔法少女をにらみつけた。

ファラス地方の魔法少女。

この城を拠点にした縄張りを求めて異国の農民どもを連れ込んできたのはあいつだ。


あいつさえ倒せば……


「うおおおお!」

掛け声あげ、大柄な青い瞳の歴戦の剣士は、大きな盾を水平にふるい、それを魔法少女のわき腹へぶちあてた。


「うごう!」


盾にあてられた魔法少女が白馬から派手にすっころぶ。馬から落ち、芝生につっぷし、唖然としたのち、目に怒りを湛えて、
おきあがった。


スーウィは両手に長剣をにぎり、いっきに魔法少女に接近し、剣をふりおとしにいった。


「私と戦え!」


まわりでもバコバコと混戦がつづいているなか、戦いのスポットは2人の一騎打ちにあてられる。


魔法少女は片膝つきながら起き上がった。

スーウィのふりおとした剣の一撃は、魔法少女に防がれた。

ガキィン!魔法少女は、額すれすれの頭上でスーウィの剣を受け止めた。

二人の握る剣同士が力をぶつけ合う。


そして、魔法少女──捺津は、立ち上がりつつスーウィの膝を足でけっとばした。


「うっ!」


スーウィは想像以上の力でけられた衝撃で後ろによろける。


魔法少女はもう起き上がっていた。中庭に降り立ち、変身姿にもならないまま、剣を突き出してくる。


スーウィは相手の魔法少女の突きを、自分の剣で叩き返してそらせ、今度は自分が相手の首に剣を伸ばす。

ビュン!

それは、身をよじった魔法少女にかわされた。今度は魔法少女の攻撃の番だ。

ガキン、ガキン、カギン────


剣士と魔法少女の剣同士が、何度も交じり合う。


スーウィの前へ伸ばした剣は、魔法少女の剣によって横へはじかれた。剣先がそれる。それでも剣士は距離をつめ、再び剣をもちあげ、
思い切り上から、魔法少女の脳天へふり落とす。

それは相手に防がれ、魔法少女の額すれすれのところで剣同士が絡まる。


すると魔法少女は剣の鍔同士を絡め、自分の側によせつけるように、ぐいとひきよせてきた。


「うお!」


鍔にひっかけられ、前のめりになる剣士。


前のめりになり、数歩前へよろけてしまう。次の瞬間、魔法少女の、剣もった腕の肘にガンと顔面を突かれた。

流れ攻撃だ。

「うぐ!」

鼻筋に肘があたる。

この衝撃がまた想像以上で、鼻から血ながしながら、剣士は、ぐらついた視界のなかでどうにか魔法少女をみるも。


「とりゃ!」


魔法少女の、両手で思い切り振り切られた刃が、自分の首筋に当たった。次に剣士がみたのは、ふっとぶ自分の視界だった。
首から下の感覚がなかった。



「人間風情が!」

一騎打ちに勝利した榎捺津は、相手を罵り、首のなくした体を足でけとばすと、のこる人間たちと戦った。


別の人間に剣をぶちあてる。

魔法少女の怪力におされた人間が派手に崩れ落ちる。その手から盾も剣も手放される。



すると、モルス城砦側の魔法少女が何人か、捺津の前にでてきた。

魔法少女と魔法少女の対決である。


変身していない捺津が、変身した魔法少女らの前で、血に塗れた剣もちあげ、雄たけびをあげた。

「相手にしてやるぞ!魔女ども!」

105


夜空を照らした月は地上に沈んで、代わりに空に明るみが差込みはじめる。


赤みが差しはじめた夜明けの空が見下ろす城壁の庭は、死体だらけだった。



兵士たち。農民たち。

斧に頭をかち割られた者。矢の刺さった者。


ごろごろと死体が、芝生の中庭に重なっていた。


そして、一晩かけて戦われた城内の攻防戦は。

白馬の魔法少女の二人組み・榎捺津とレッピらが、もう最後の敵兵士の首を跳ねるところだった。

「やぁぁ!」

と声をあげ、両手に力こめた剣を敵の首に力強く振りきる。

ドスンと人間の首が落ちて、中庭の芝生を赤くぬらした。

生々しい生命の血は滝のように、勢いよく地面を塗らすのだった。



バリトン国出身の騎士・鹿目円奈は、死体だらけの中庭を歩きながら、剣を鞘にしまった。

ジャキっと金属のすれる音がして剣の柄が鞘に納まる。


モルス城砦の兵士は殲滅された。



円奈が見つめているなか、その少女の視線をしってかしらすが、略奪を許可されている城を侵した民衆たちは
殺した兵士たちの身に纏っている衣服から、金品を手当たり次第あさって、自分の懐にしまっていく。


せっせと夢中になって死体あさりする民衆たちは、死んだ兵士たちの鎖帷子や、指輪、ベルトについた金具、
杯、金貨、剣といった金目のものをかまわずかっさらう。


命を張って数日間、城を攻め落とすために戦っていた彼らにとって、この略奪は戦利品みたいなものだし、
そもそもこの略奪が彼らの本当の目的だったのである。




夜も更けた明け空は澄み切っていた。円奈は顔をあげて空を見つめ、目を閉じた。


地上は血の赤に染まり果てていたが、空はいつものように、きれいな澄んだ赤色の夜明け空だった。


たちこめる、息苦しくなるような鉄と死体の臭いも、澄み切ったあの空を眺めながら深呼吸すると、
胸が軽くなる気がした。



ロビン・フッド団のほうはというと、作戦の途中で開放した捕虜達から、自分たちの家族を探し回った。

もともとファラス地方を拠点に活躍していた彼らは、その家族を、魔法少女同士の縄張り争いに巻き込まれ、
この城壁のなかに人質として捕われていたのだ。


だが、その城壁を攻略し、捕虜を解放したいま、ロビン・フッド団はいまただの素の少年にもどって、自分たちの
家族を探し回っていた。


ある少年は両親をみつけ、再会し、抱き合う。


もちろん、家族との再会を果たしたのはロビン・フッド団の少年たちだけではない。


捕虜は70人以上解放され、城外にいた100人のファラス地方の農民たちが、家族との再会を喜んだ。

また、新たな土地と城の獲得に、喜ぶ農民もいた。



そう、モルス城砦は、昨日の攻防戦によって、ファラス地方の流浪の百姓農民の手におちたのである。


彼らはこの城を新たに手にすることで、新しい生活を築ける。



そして…。

リーダーのコウと、その弟のアンは、無事、捕虜の一人であった妹との再会を果たした。

「渚、無事でよかった」

ファラス地方の森、激しく国境の争いが続いていたが、その戦いに終止符が打たれ────。

妹と兄が、再会し抱き合う。

兄はやせ細った妹の顔から汗と涙を指でふいてやった。


飢え死にするところだった70人の捕虜たちは、救われたのだ。



それは、魔法少女という存在の縄張り争いに振り回された人間たちの、救われた姿だったが────。


戦いが終わってみると、それは単に魔法少女同士の争いというよりは、魔法少女を含めた土地を巡る
争いでもあった。




円奈もロビン・フッド団たちのところに戻ってきた。

ロングボウの弓もちながら、馬を轡の綱ひいて連れ、城の郭に戻る。

106


榎捺津は全身返り血だらけになりながらも、血だらけの剣の柄を手の中でクルクルまわした。



捺津はギラギラ赤色に光る剣を弄んでいたが、やがて鞘にしまうと、同じく赤色に塗れている手袋を外した。

そして汚らわしいものかなにかのように、血まみれの手袋をあの番人の少女・アイサに手渡した。

「きれいにしろ」

と、魔法少女が番人に命令して手渡す。

「日がおちるまでにだ。乾かせ。今晩は死体を集めて、その前でワイン酒と肉の晩餐だ」

は、と少女が一礼すると、血だらけの手袋を両手に受け取った。



ロビン・フッド団のほうはというと、あの戦いのあと、城主の控える天守閣にまで突入し、一人の魔法少女を
捕らえていた。

その魔法少女は、城主にあたる者と”子分の契り”を結んで、魔法少女になってから月日も経っていないという。


ロビン・フッド団は木柱を一本突きたてて、その棒に魔法少女をロープでぐるぐる巻きにして逃げられなくした。。


彼らのうち10人ほどがすでに弓矢の弦を引いて、いつでも矢を放てるようにしている。

コウだけが、弓矢を背中に取り付けたままで魔法少女の前にしゃがんで座る。


ぐるぐるに縛られた、まだ戦闘経験もない魔法少女の怯えた目が、矢を構えたロビン・フッド団を見つめる。


「魔法の変身しようとすれば殺す」

と、リーダー・コウが、まず、しゃがんだままで縛られた魔法少女に告げた。

魔法少女がびくっと反応して、怯えに震えながらコウを見た。

捕われの魔法少女は、灰色ががったふさふさの髪を肩から背中にかけてまで伸ばしていて、金色の瞳を
していた。

もし城主がいるならば、気にいられそうなお嬢様な子。

で、城主の”家来”として契りを結んだその魔法少女は、城内のほとんど死んだ人間たちと比べて、毛皮という、
高級品で織られた衣服を纏っていた。

「お前の仲間たちはどこにいる」

リーダーはそうとだけ質問し、じっと捕われの魔法少女の目を見た。

「…」

魔法少女は何も喋らない。ただ怯えと、しかし仲間は売らないという抵抗の意志が、目に入り混じっている。


捕虜から開放されたコウの妹・渚が、たまらず兄に言った。

「お兄ちゃん、ひどいことはやめて」

妹はまだ年端もいかない一人の少女。そして、縛られているのも年の小さい魔法少女。

どこか距離感が近くて、魔法少女を可愛そうに感じているのかもしれない。

「お前を閉じ込めてた連中だぞ」

しかし兄はすぐそう妹を諭し、魔法少女にもう一度問い詰める。「お前たちの仲間はどこにいる」


灰髪の魔法少女は少しだけ身じろいだ。

じりじりと縄の音がするだけで、身体は動かない。

縄に捕われながら顔を歪ませて苦しそうな表情をして、もがく。だが、魔法少女は何も答えなかった。


「どうしてこんなことを?」

円奈が尋ねた。

「こいつにはまだ仲間がいる。どっかに逃げたはずだ。逃がせば明日の晩に復讐してくるぞ」

コウは背中の弓を取り出す。

「その前に俺たちが全部倒す」

矢筒から一本矢を取り出し、弓に当てて魔法少女に向ける。

「お前の仲間たちはどこにいる」

矢の弦がゆっくりと引き絞られ、ギギギと音がなる。

魔法少女がまたちょっと怯えて、ロープに巻かれた体をよじらせる。

「…」

それでも、魔法少女は無言だった。あくまで無言を守る口だ。

「魔法使いとがまん比べする日がくるなんてな」

コウはそういい、矢の狙いをよく定めた。

そして魔法少女のどこに当てようか悩んだあとで、決めて矢を放った。


矢は魔法少女の手に当たり、甲を貫いた。

「ううう…───ッ!」

途端に、魔法少女が苦痛に顔をしかめる。目をぎゅっと閉じて、苦痛に耐える。

矢の貫通した手から血が滴り落ちる。


「お前の仲間たちはどこだ?」

コウはもう二本目の矢を弓に番えている。そして問いつめ、また矢を魔法少女に向けた。

「お兄ちゃん、やめて、死んじゃうよ!」

妹の渚が兄にしがみついて、やめさせようとする。妹に揺さぶられて、弓矢の狙いがズレた。

「死にやしないさ」

兄は冷たくいって、また矢の狙いを定める。今度の狙いは……目。

「…」

魔法少女が怯えて、今にも飛んできそうな矢じりの先端を凝視する。


「やめて!もうやめて!」

今にも矢を撃ちそうになったコウの矢を、円奈が手でやめさせた。

手で制止されて、矢が下を向く。すると弦から放たれた矢がビュ!!と音を鳴らして、地面に深々と突き刺さった。

その音だけでも灰髪の魔法少女がびくって肩をあげて、目を閉ざした。


草原に刺さった矢は矢羽を揺らしている。



「妹さんに怖いとこ見せないで!」

円奈が腰に手をあて少年を叱るように言って、それから、周りの少年たちに話した。

「がまんくらべはもうおしまい!」

少年たちが円奈の怒鳴りを受けて、おずおずと矢を降ろす。


「この子に約束させればそれでいいでしょ?」

円奈はコウに頼み込んだ。「”もう人間たちを襲わない”って」

縛られた魔法少女が目をあげて円奈を見た。


「そんな約束できるか」

コウはすぐ突っぱねた。「俺たちの家族を人質にした連中なんだぞ!」


「魔法少女と人の間にだって約束は結べる」

円奈はコウを見てそう言い返し、次に魔法少女も見た。「そうでしょ?」

魔法少女がむすっと、円奈から目をそむける。

「約束する気ないみたいだぞ」

コウがその魔法少女の様子をみかねて、言った。弓矢にまた手をかける。

第11話「エドレス王国の農村地」

108

"madoka's kingdom of heaven"

ChapterⅣ: Edless country farming village
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

Ⅳ章: エドレス王国の農村地

109


鹿目円奈の、聖地をめざす旅は続く。


枯れ木の雑木林のなかを、馬が進む。


1人の騎士は、旅を続けていた。2400マイル先の聖地に。


騎士は、魔法少女と誓いをたてていた。


聖地をめざすこと、その先に”天の御国”をみつけること────それが、騎士と魔法少女の誓いだった。


危険と、戦いに満ち溢れている、西暦3000年の世界を冒険する。


時刻は昼過ぎであった。


といっても、もちろん、少女には、時刻を正確に知うる手段はない。

時計なんてものは、この時代のこの大陸にはない。


それでも少女が昼過ぎを感じ取って、馬と自分の食事の時間にしようと思ったのは、日が天に昇り、
晴天の真上に輝いているからであった。


少女が次に目指す場所は、エドレスの都市。名前を耳にしか聞いたことない地名だったか、どんな場所なのかは、
まだわからない。


でも、都市という響きが、旅を続ける円奈に、明るく響いていた。


都市─────。

円奈の生まれであるバリトンの村や、メイ・ロンの城や、ファラス地方の森やモルス城砦は、
ひとくくりにすれば、農村であった。


そこに暮らす民は、農民であり、農民は、農地を耕して領主に税を納める。

基本的には、それだけの社会である。


といっても農民だけでは自国を守れないから、領主を魔法少女だとしたら、護衛役の騎士、税官吏、鍛冶屋、
門の番人、井戸と門修築職人など、農村にもさまざまな職業があったのだが、それでも農村である。


都市には、そういった農村社会とはまったく別な世界が待っている。そんな予感がしていた。

市場や、町、街路や酒場、大会や催しごとに人々がごった返し、熱気に包まれる……そんな都市のイメージ。


でも…。

果たしてこの道のりでたどり着けるのだろうか?


もともと、さんざん無謀だといわれた、鹿目円奈のこの旅は、見知らぬ土地に1人で飛び込むのだというのに、
地図さえ持ち合わせていないのだった。


方向感覚をしるための手段といえば、太陽しかない。


「ねえ、クフィーユ」

と、円奈は、馬の首の後ろ、耳と耳のあいだを撫でてやると、話しかけた。


馬は、頭を撫でながら、枯れ木の茶色い林道を進んでいる。


「わたしたち、この道であっているのかな───?」


そんな、呑気な質問が飛び出したのも、枯れ木に差す日差しの暖かさが、少女の気持ちを暖めてくれている
からであった。


傾き始めた昼過ぎの日差しは、林と林のあいだから、黄金色の筋となって差し込んでくる。


林に降りる日差しを、馬が横切ると、円奈も、明るく照らされる。


日差しに肌がふれる感覚は心地がよく、旅の苦難を忘れさせてくれる。


小さな川一本が、林に流れていた。


春はじめ、冬が越え切れていない川の水は冷たく、滞っていた。葉がひとひと水に浸かり、たくさん浮いていた。


「うーん…」


円奈は、川をみて鼻声を漏らす。


川には、誰か建ててくれたのかわからないけれど、太い丸太を何本か連ねて川にかぶせた、手作りの橋があった。


円奈は馬を進めて、その丸太同士が結び付けられた橋を渡る。



「このあたりで、食べよっか」

と円奈は馬に話し、馬をおりた。

大きな枯れた樹木のそばに身を寄せ、持参してきた袋から、いろいろとりだす。


まず水筒をとりだし、水をのんだ。この水は、モルス城砦の水源から新しく汲み取ってきたものだった。


水筒は、革製で、水は漏れない。

蓋はくるくる回すような工夫されたものではなく、水筒の口部分に蓋を埋め込むだけの、単純な木材の蓋だった。

「ん…」


枯れた樹木の下で、自分が水を飲んだあとは、布袋からがさごそとフィンガーボウルをとりだし、水筒の水を満たし、
馬に飲ませる。


円奈とクフィーユは、旅にでてからといもの、いつも食べるも寝るも一緒であった。

長く続く旅の、唯一無二な友達だ。


ゴクゴクと水を飲み干す馬の飲み方は、豪快だ。


「今日はね、ご馳走があるんだよ」

と、円奈は、馬に、笑って言った。


そういって、袋から、あるものをとりだす。


それは、紐にたばねられた、干し草であった。役畜を育てるために、乾燥の施しのされた干し草。新鮮な干草。

栄養もたっぷりの、馬にもってこいな食べ物だった。


「お食べ!」

といって円奈は、空になったフィンガーボウルに束をほどいてドーンと干し草をのっけた。もちろん、ボウルには
おさまらず、あふれた。


馬は、すぐに干し草に口をつけた。



「えへへ」


円奈は、楽しそうに馬を眺める。



これはモルス城砦の、役畜を飼う納屋からとってきたものだった。


ファラス地方の農民は、あの戦いのあと、空腹の限界を迎えた。そんな農民たちが、城砦に飼われていた馬をすぐ
喰う気でいることを知ると円奈は、そうなるよりまえに、干し草をとってきた。


それだけではなかった。


ロビン・フッド団の少年たちと一緒に乗り込んだ、物資輸送係の舟から、実はたんまりと物資を調達していた。

ライ麦のパン、りんご、アーモンドの実、たまねぎ、何十本という矢。


たくさん、円奈は調達してきていた。


いま、彼女の矢筒には20本の矢がはいっていた。矢は、自作することもできたが、鳥の羽が
必要だった。それにくらべ、調達してきた矢は上質だった。



狩りにしたって、何かの戦いになったとしても、十分に戦える。


それに、食べ物も得られたのも、大きかった。


基本的には狩りで生きる彼女だったけれど、枯林の山道に動物は見あたらなかった。



そんなわけで、円奈はさっそく、モルス城砦の舟から手に入れたパンを、食べることにしたのだった。


「…ほふう」


と、樹木に腰掛けて幸せそうにパンを口にし、その隣ではクフィーユが、干し草をもしゃもしゃと食べる。


日差しは、相変わらず暖かい。



野鳥が鳴いている。



いまの円奈には、歌声のようであった。



「これからも一緒にいてね、クフィーユ」

円奈は水筒をしまった。

水をのんだとき頬についた水滴を、腕でぬぐって、立ち上がった。



再び、聖地をめざす旅にでる。

110


枯林の森をぬけ、平野にでた。


この枯林一帯こそが、無法者の森といわれたファラス地方の森の、最後の領域であった。


そう、円奈はモルス城砦を越え、このファラス地方の森を抜けたのだ。



枯林の森を抜けると、木が途絶えた。

すると目の前に現れたのは、視界を遮る樹木ひとつない、世界いっぱいにひろがる山々の光景だった。


円奈の馬がその平原にでる。


「わああ……」



世界はとてつもなく広大で────遠いのだと。

円奈は知る。




見渡す限り人間の町はなく、あるのは緑の山脈だけ。ときおり見かける天然の湖は透明。青空と森の景色を映し出す。



すべてクフィーユと共に走り抜ける。

西暦3000年の世界を。

人が主導権を失った、自然が支配するこの地上を。馬と共に、自由に駆け巡る。

大陸の大地を。山々のあいだに平原を。ずっとずっと。


聖地をめざして、冒険をつづける。

112


それから、何日間、旅し続けただろうか。


山を降り、高原にでて、高原をくだったあと、また別の森へと入る。


昨日の旅路でどれほど聖地に近づけたのか分からなかったが、そもそも方向があっているのかさえ、
自信がない。


太陽の昇る位置だけを頼りに南へと進んでいるだけだ。



円奈は知らなかったが、彼女はいま、”ドリアスの森”という、エドレス北地方の森に入っていた。

ファラス地方のような、無政府状態で、流浪の少年少女たちが人知れず暮らすような、混迷だった森ではなく、
人と魔法少女の部落が、存在する森だった。


円奈は太陽の位置をたよりに、南にむかい、モルス城砦から山をくだっていったが、その道路は正しかった。


なぜなら、円奈の目指すミデルフォトルの港(ここも、得た情報によると、魔法少女同士の抗争があるらしい)は、
当然、海に面すのだから、標高はさがる。


バリトンやファラス地方のような、標高の高い山脈の耕地、高嶺の世界からは、随分と標高のさがった、海辺の世界になる。

だから、山をくだり、平野にでて、より低地の森をめざした円奈の道筋は、あっていたのであった。


低地にくだり、さらのその先にくだれば、海がみえてくるだろう。



次の日の朝、林にでた円奈は、手持ちの弓を構えていた。


茂る林のなかをゆっくりと歩足で動き、音をたてずに、そっと獲物にちかづく。


獲物は、大きな猪だった。イノシシは鼻をひくつからながら、落ち葉の獣道を歩いている。



円奈は弓に矢を番える。

番えたらギギギイと静かにゆっくり、弓をひく。林の草地で。


弓を引き、目で狙いをさだめる。



猪は、落ち葉の下に隠れた木の実や茎を、その鼻であさっている。


食事に夢中の猪と、それを狙う円奈との距離は、30メートルくらいであった。




矢は、まっすぐ番えられ、猪に向けられる。

くねる弓のつる。

音をたてず、狙いをさだめ、円奈は弓を放った。目でしっかり獲物を捉えて。


ビュン!


猪へ矢が射られる。

少女の大きな弓から放たれる矢。

矢が空気を切り、林をまっすぐ飛ぶ。物凄い速さだった。


猪は、すぐに走り去った。


矢は、猪の逃げた地面の土にドスと突き立った。



一本外したくらいでめげない。


円奈は二本目の矢を弓に番える。


さっきの慎重な動きとはちがって、素早く。


ぱっと弓に矢を番え、ギギイと引き、頬まで手を引いて、狙い定め、二本目を放つ。


弓から再び矢がとんだ。


円奈の手元の弓から、矢が林の木立の隙間を抜けて、低地を走るイノシシへ。矢がスパン、と飛んで落ちてゆく。


矢は、当たったかに思えたが、懸命に走り去る猪の頭上の耳をかすめたぐらいで、獲物をしとめなかった。



「うう」

円奈は、頭を垂れる。

最近の狩りは、あまり成功しない。



この時代の騎士にとってふつう、狩りは上流貴族の余興であり娯楽だった。狩りを楽しみ、鷹を使った狩りなどを
するものだったが、円奈も身分では騎士であったにもかかわらず、彼女にとっての狩りは生活そのものであった。

農民身分に狩りは禁止されていた。


円奈は昔は、農民以下の出身で、寄留の者も同然の扱いだったが、領主により特別に狩りを許可されていたのだった。


手作り弓を持ち、林道を歩いて、外れたぶんの矢を土から抜いて拾い上げる。


矢羽の乱れたぶぶんは指で整える。


大事そうにそれを、矢筒にもどした。


「今日もパンにしよう……」


狩りの失敗で落ち込み気味の円奈は、そう呟き、ドリアスの森のど真ん中で、野宿することを決めた。


モルス城砦から持ち込んできたパンも、そろそろ数尽きようとしていた。

113


その日の夜は、火を焚いたりすることもなく、そのまま毛布にくるまって樹木に身を寄せて眠った。

夜になるといつも心配になる魔獣の存在だが、魔法の剣が青白く光ったりする変化はなかった。

円奈が授かった来栖椎奈の剣は、魔獣の気配を察知すると刃が青白くなる、とバリトンの騎士から教わっていた。


うとうとと、そのまま夜の森のど真ん中でねむる。



夜になって眠るさなかに、税を徴収しにやってくる嫌がらせの役人たちは、ここには来なかった。





そして、再び朝日が昇る。

枯れた林にやわらかな白い日差しが伸びてくる。


日差しが円奈の瞼にあたり、すると、円奈が目を覚ます。


ぴくぴくと目をひかつかせ、ピンク色の目を開ける。それからふわあっと息漏らし、うーんと背伸びした。

くるまった毛布をたたみ、麻袋に入れ、林のど真ん中で起き上がる。


すーっと息を吸い込んで、朝のさめた空気を胸いっぱいにためる。

ひんやりした朝の空気と、暖かな日差しが心地いい。




だいぶ伸びてきた髪の毛を木の櫛でとかし、赤いリボンを────髪に結いでポニーテールにする。


馬と一緒に食事し、身支度ととのえると────この日のクフィーユの食事も干し草であったが───

ばっと馬に乗り込む。この日の旅がはじまる。


馬の耳と頭を優しくなで、一声馬にかけると、馬はゆっくりと、歩き出してくれた。


白い日差しは林を次第にあたためる。

野鳥たちが鳴き、朝の日差しは明るみを増してくる。光が前髪と頬にあたる。


馬を走らせるわけでもなく、てくてくと歩かせて、この日も聖地をめざす。



円環の理が誕生し、いまの世界が創造された奇跡の地へ。




何時間が森を歩み続けたら、ときおり休憩して水を飲む。


水は、通り過ぎたの滝から新たに汲み入れたもので、水筒から口に飲む。

頬に水滴がついたら、またそれを腕でぬぐう。




ドリアスの森は、ファラス地方の森とちがって、木々の一本一本が高かった。

円奈の遥か頭上、仰ぎ見るほど高く伸びる林。杉、とよばれる樹木群だった。





円奈は馬を歩かせ、林の木々のなかを進んだ。


朝日の陰りと日差しを通り抜ける。


そしてとうとう、ドリアスに住む森の領主、その領地と農村へと、足を踏み入れつつあったのである。



円奈は、林の道をすすむうちに、古びた家屋と、壊れた井戸があるところにきた。


井戸は古びていて、落ち葉が集まり、蔓が絡みついていた。

石で積みあげられた井戸は破損が激しく、井戸のなかをのぞいても、暗闇があるだけだった。


水を汲み上げるための支柱とつるべは折れて、井戸という機能もすっかり失っていた。


家屋も同様だった。


誰もすんでいない。


石を積み上げた家屋の壁も古びていて、森と同化していた。蔓に覆われたり、葉をかぶったりして、森の景色と
一体化して、廃墟であった。


でも、家屋がここにあるということは、昔はここに人が住んでいたことになる。



もっと進んだら、人に出会えるかもしれない────。

そんなふうに円奈が、期待を描いた、そのときだった。



馬の蹄の音が聞こえた。

二頭か三頭の馬だ。


はっとして円奈が振り返ると、林の木々のむこうに、何人かの男たちがいて、馬に跨っていた。

馬にのった騎兵たちは、弓矢を何本が持って、円奈のほうに向けている。


「ハード・イ・フッイリン!」


聞きなれない言葉を男たちが叫ぶ。と、男達の構えた弓から矢がとんできた。

バシュシュ!


「いやっ…!」

情け容赦のない、問答無用の攻撃に円奈は怯えた。矢がこっちに飛んできて、円奈は思わず頭を伏せた。

矢が円奈の頭上を通り過ぎ、木にズドズドと刺さった。


すると馬に乗った男たちは、鞘から剣をぬき、馬を走らせ突進してきた。「トゥロ!」

その掛け声で、二、三人の男たちも馬を走らせ円奈のほうへやってくる。


この襲撃にあって初めて円奈は、他国の領地に勝手に入ることの意味を今更ながら思い出したのだった。



男たちは、もちろん自分を殺すつもりでやってきている。

無断で領地にやってきた侵入者を撃退するのは自国を守る役目としては当然だ。




どくどくと円奈の頭に血がのぼってくる。


守らなければ。自分の身を。

騎士と騎士の戦いになる。でも、相手は男の人たちだ。戦いになったら、力では勝てない。



クフィーユを連れているが、三人に追いかけられては、生き延びられる望みはうすい。


戦わなければ。


背中にとりつけたロングボウの弓を手に取り出し、矢筒から矢をとりだそうとした。

手ががくがく震えている。うまく弦に矢がはまらない。


と、そのとき。


別の矢が、円奈の背中からとんできた。


後ろから飛んできた矢だった。

矢は、突進してきた男の胸にあたった。


「あう─────ッ!」


胸に矢をうけた男の兵が馬上で呻き、胸を手でおさえる。苦悶の顔をうかべ、矢を手でつかみとる。



「え?」

円奈が、矢が飛んできたほうを振り向くと、馬にのった人間の男たちが別に数人、いた。


新たにやってきた男の騎士たちは馬上から弓矢を放ってきた。彼らは、廃墟になった家屋と井戸を走りぬけ、
剣を鞘から抜き出し、最初に現れた男たちに攻撃をしかける。


その男達の弓の腕前もかなりのものだった。男の騎士たちは馬を走らせながら弓を構え、最初に現れた男たちにむけて
正確に矢を放つ。


放たれた矢は、別の男に命中する。その男は横腹を矢に射られ、馬から落馬した。ドテっと音がして
落ち葉だらけの地面に身を落とす。



のこる二人の男は、馬に乗りながら、ついに敵対する騎士たちと激突する。


ガチャ、ガチャ、ガチャ─────

剣同士がぶつかりあう。


最初に現れた男たちの剣があとからきた男の騎士にはじかれた。男は、ぶんと剣をふるって、相手の顔を剣で裂いた。

森のなかに血が飛び散って、緑の森が一部赤くなる。



そうした剣同士の交える騒音のさなか。

取り残された円奈は、無我夢中で、馬にのった。


馬を走らせ、森の木々のあいだを走り抜けた。すると森の奥から、弓をもった兵士たちが4、5人現れた。

男の弓使いたちは、矢に火をつけて燃やし、弦をギギイとしぼり、飛ばしてくる。


「────うウッ!」


火矢が森を突っ切って飛んできた。ぼうぼうと燃える矢が森の中を飛び回る。円奈は矢が当たらない
ことを祈るしかでぎず、目をぎゅっと閉じたまま、逃げるように馬を馳せた。


突然勃発した戦場から、円奈の馬だけがはなれていく。



あああああっ──!

そんな、悲鳴もきこえた。


円奈の背後で、火矢にあてがられた兵士の燃える悲鳴であった。身体から火が燃え上がっていた。



なぜ彼らが、戦っているのかはわからない。



円奈は夢中になって、戦場から逃げた。

114


そうして夢中になって逃げて逃げて逃げるまま、クフィーユを走らせ続けていたら、農村にきていた。


そう、気づいたら、森林が開け、目の前に農村がひろがっていたのだ。




村は、森のひらけた平野にあり、耕地と、牧場、人の暮らす民家がいくつか建っていた。

民家には塔風車があり、春初めの風に吹かれて、大きな風車がゆるやかに廻っていた。

風車は木製で、四つの帆のような長方形の羽がついて廻っている。粉引きのために廻る風車であった。



ゆらゆらと風車がまわる農村に、円奈はふらりふらりと吸い寄せられるように近づく。



澄み切った青空に伸びる塔で、鐘がなっている。


鐘は、ゴーンゴーンと、揺れるたびに音をならした。巨大な鐘楼の号鐘が、鳴っている。

物静かな農村に。鐘の音が轟きわたる。



ふらりふらりと農村の平野へ馬で足を踏み入れていると、円奈の前に、1人の少女が現れた。


金色の髪をした、背の小さな女の子であった。

女の子は、カールがかったブロンドの髪をゆらしながら、羊牧場の柵をこえて、花を摘みに走っている。


すると、女の子と円奈の目があった。


「あ……」


あまりのことに目を見開きっぱなしの、円奈のピンク色の目と、女の子の目があう。


金髪の女の子は、むすっとした不機嫌な顔で円奈をみた。明らかに警戒した目だった。女の子は、円奈をみると
機嫌をそこねて、花を摘むこともやめて農村へと走って戻ってしまう。



「うう……」


その冷たい警戒の目は、円奈にとってもつらい。

でも、背中に弓をとりつけ、剣の鞘をぶらさげた騎士の格好では、そんな顔をされて逃げられても仕方のない
ことであった。


円奈は寂しそうに去る女の子の後姿を見つめ、それから、女の子が摘もうとしていた春の花に目を映した。


それは黄色い小さな花で、たんぽぽの花であった。

牧場のはずれ野原に生えた、そのたった一本のたんぽぽを、女の子は手に摘みたかったにちがいない。


私が邪魔してしまった。


円奈は寂しい気持ちのままたんぽぽの前まで馬を歩かせ、そして馬から降りた。


たった一本の黄色いたんぽぽを、その手にとる。


ブチンと茎が切れてたんぽぽの花が円奈の手におさまる。



そのとき、またゴゴーンと農村の号鐘がなった。



どこか悲しげで、残酷な音を鳴らすベルのほうをむくと、日の光が鐘楼と重なっていた。


金色の鐘が揺れるたび、昼すぎた日の日差しが、きらり、きらりとチラチラ見え隠れするのだった。



このたんぽぽを──────女の子に渡しにいこう。


円奈はそうおもった。そして、農村へ馬を連れて足を踏み入れる。



風車は、近づいてみると予想以上に大きくて、高いところにあった。



円奈の身長をゆうにこえる聳える塔風車で、四枚の長方形の帆をくるくるまわして春風にふかれていた。



農村の家々は切り妻壁という蜂蜜色の壁面と、三角形の山型の赤色屋根をもつ家だった。この屋根も、
切妻とよばれる。レンガのような石造りの家々だった。


そうした家々がいくつか立ち並んでいて、村の中心には井戸があった。


民家と並んで建てられた、木造の納屋もあった。

仕切りごとに納められた役畜は牛であったが、柱にロープでつながれている馬もいた。

牛にしろ馬にしろ、役畜の飼われる仕切りの中には、水や干し草を積んだ容器がある。
家畜の世話の様子がうかがい知れる。



円奈は、たんぽぽを摘もうとした女の子を捜し求めて、この異国の農村を歩き渡る。


手にはたんぽぽの黄色い花をもったまま、井戸の横をあるく。



もちろん、何人かの農民たちがいた。

農民たちは、顔も名前もしらないどっからかやってきたピンク色の髪と瞳をした、武装姿の少女に、あからさまな
警戒やら奇怪の視線をなげかける。


それは当然のことで、自分たちの住む村に、見知らぬ武装姿の騎士がよそからくれば、警戒もするものだろう。


でも円奈は、こういうちくちく刺さるような視線には慣れて育った。生まれ故郷では、いつもこういう視線に
あてがられてきた。


だから、円奈はその視線のなかを、耐えることができた。耐えながら、女の子をさがした。

さっき、自分が邪魔してとれなかったたんぽぽを─────この手で渡したい、それだけの気持ちだった。



もう200マイルちかくも旅してきたのに、やっと訪れた異国の村人たちと出合ったとき、円奈と異国の人々の
あいだにかわされる言葉は──────ない。


無言だった。


それは寂しくて、どこか悲しかったけれど──────それも仕方ない、よね。


そう言い聞かせ、でもせめて女の子にたんぽぽは渡したい、そう思って農村のなかを歩いた。

農村の女たちは、長いエピロンを腰にまいた、ウール服の姿であった。円奈がすれ違うのは、乳搾り女たち
である。


男達は、農地へと、いまはでかけている。牛に鋤をひかせたり、羊を引導したりしている。


作物のつくっていないあいだ、つまり種まきから収穫されるまでのあいだは、放牧をする。

それが、さっき女の子が走ってきた柵の羊牧場だった。
種まきや、農耕をしないで、羊を放し飼いにする放牧地のことは、休耕地ともよばれる。

羊は、羊毛をとるために飼われたが、そのふんを肥料ににする目的もあった。

農民たちは、とれた羊毛から自分で糸を織り、服をつくる。すべて、手作りだった。



円奈はすれちがう農民の女や、子供たちの奇異なものをみる視線のなかを通り、レンガの家々と切り妻壁の
通路を抜けて、あの女の子を探した。


でも、みあたらなかった。



一通り農村をめぐって、また井戸にもどってきて、円奈は、ふうとため息をついた。

あの女の子、みつからないや……。


それなら、たんぽぽとったりするんじゃなかった。

だってこれじゃ、女の子の摘み取りたかったこの花を、私が取っちゃったみたいで……。


ふと円奈は、まわりの農民たちが、ひどく強張った顔をしていることに気づいた。

それは自分というよそ者の騎士を警戒しているというより、もっと身近な脅威に怯えているような…。


「もどれ!」

すると、叫び声が、きこえた。「はやく、もどるんだ!」


そう叫ぶ農民は、木で組み立てられた塔、櫓(やぐら)とよばれる高台から、農地のほうにむかって叫ぶ。



円奈が農地のほうをみると、農地に出かけてた村の男たちが、懸命に走っているのがみえた。


何かに追われているかのように、怯えた顔つきで、鋤も鎌も投げ捨てて、ただただ村のほうへ走って
もどってくる。


「あの!」

円奈は、勇気をだして、農民の人にたずねた。「なにか……あったん…ですか?」


農民は、ヘンな顔をして円奈をみた。そして、無視された。


「あの!」

ただならぬ事態を感じ取った円奈は、別の農民にも話しかける。「なにがあったの?」


「”魔法少女”だ!」

農民の1人が、円奈に、大きな声で答えた。まるで怒鳴るような声だった。「魔法少女が、きたんだ!」



「───え?」

円奈が、農地のほうにまた目を戻すと。


少女たち何人かが、こっちに馬にのってむかってきていた。


その衣装は派手であった。


華やかなドレスだったり、頑固な鎧に身を覆った美しい衣装の少女もいたけれど。


そのどれもが、手に弓をもち、鞘に剣をおさめ、まっすぐこっちに馬を走らせていた。


”魔法少女”だ────。



魔法少女は、ソウルジェムの力を解き放って、華やかな姿に”変身”をする。


鹿目円奈は、それをもちろん、知っている。


そして”変身”をした魔法少女は、とてつもない力をもつ。




その魔法少女たちが4、5人、農村へまっすぐむかってきていた。


それで円奈にもわかったのだった。



馬を走らせる”魔法少女”たちは、弓に矢を番えた。


「はやくしろ!」

農民たちが口々に叫ぶ。農民たちは、懸命に農村へ走って戻ってくる。


すると、弓が、ピカアっと、不思議で輝かしい光を放った。魔法の力を込められた弓だった。


次の瞬間、ビュンと弓が眩い光を放ち矢が飛んできた。


閃光迸り、魔法の弓が、まっすぐ光となって飛んでくる。


かと思えば農地から走ってくる男の背中に、魔弓の弾が命中した。男は前のめりに吹っ飛び、うつ伏せのまま
野原に倒れた。その背中は真っ赤で、煙あげて焼け爛れてしまっていた。


「────ッ!」


凄惨な光景に、円奈が息をのむ。



だが魔法少女たちは、すでに次の魔弓を番え、農民たちにむけていた。


無慈悲に弓の弦をしぼり、新たな標的に矢をむける。



農民たちは叫び声あげ、ある者は逃げ、ある者は武器を手に取った。

女たちは、ドレスの裾を掴み上げながらわたわたと逃げ去った。



魔法少女の魔弓が、容赦なくまた、放たれた。


閃光を放って飛ぶ矢が、農村へとんでくる。



魔法少女たちが弓を番える動作はあくまで冷徹で、躊躇がない。

また、魔法の矢がとんできた。

「うぐあ!」

木の弓をもった農民の顔が、魔法少女の矢に射抜かれた。農民の顔は焦げた。


人間たちを狙う魔法少女たちの目つきは、無慈悲だった。まるで狩りしているかのよう。



逃げ惑う人間の動きを予測し、狙いを定め、標的と狙いが合わさるタイミングで矢を放つ。

その魔法少女がいま狙っているのは、農民の女。糸車で羊毛の糸織りをしていた女。



魔弓から飛んでいった魔法の矢が、女の足を吹き飛ばした。切り妻壁に血がこびれついた。
女は片足を失ってころんだ。


「……っ!」

円奈が驚愕にピンク色の目を見開く。

魔法の力によって殺され、痛めつけられる人たちの、痛ましい姿から、目が放せない。

自分も危険であることも忘れて。



円奈は、こんな時代にひっきりなしに起こる、略奪という場にでくわしてしまっていた。


来栖椎奈という領主に守られて育った円奈は、外の世界の本当の姿を知らなかった。



馬を走らせ、魔法少女たちは農村へ突入してくる。

すでに”変身”姿になったその魔力を、農民たちにむける。


魔法少女たちは、鞘から剣を抜いた。



農村の農民たちは、武器を手にとって、決死の抵抗をこころみた。剣を持ち、魔法少女たちに挑んだ。

けれとも、ただの剣では、魔法の剣には、かなわなかった。


ガキン、カギン────


何度か剣同士がぶつかったあと、農民の剣がおられた。バキンと真っ二つに割れる。

すると魔法少女が、ブンと剣をふって農民を切り裂いた。

農民の胸に赤い筋が走り、血が飛び散って、農民は後ろ向きにぶっ倒れた。


「っ!!」


円奈がそれをみて、また凍りつく。


さらに魔法少女は、血に塗れた剣を、別の農民へとむける。剣をふるたび、魔法の力が備わったそれは、
キラキラと不思議な光を放ち、農民たちをバッサリ切り裂いて血の色へ変えていく。



農民たちは必死に、反撃にでる。何人か集まった男たちは、弓矢を構え、魔法少女たちに飛ばした。

4、5本の矢が弾けとび、魔法少女たちにむかって飛んでいく。


魔法少女は軽やかな動きでさっと頭をそらすとかわした。矢は魔法少女の肩上を通り抜ける。


そして4、5人の魔法少女たちは、自分たちの魔弓で、農民たちに仕返しをした。


ビュンビュン音をたて、閃光放って飛んでいく矢が、人間の農民たちを仕留めた。


魔弓は、人間たちに当たり、貫かれた農民たちは後ろへ数メートル吹っ飛び、血まみれになって倒れた。



「……ひどいっ!」

思わず、円奈が叫んでしまう。



魔法少女たちは馬に乗って、井戸を通り抜ける。


彼女たちは家屋の角を曲がってきた。


すると、とうとう侵略側の魔法少女たちと、円奈の目があった──────魔法少女の、赤色をした目と、
円奈の目が、ばったり合う。


黒い髪に、黒い馬、黒い獣皮を肩に垂らした、コウモリのように鋭い赤い眼を光らせる魔法少女。

残虐な王のようですらある。


「────ひっ!」


円奈は、完全に怯えて、切り妻壁の家に身を寄せて縮こまってしまった。


身体が動かず、言葉もでてきない。


騎士となったのに、異国の魔法少女を目の前にすると恐くて微動できない自分がそこにいた。



黒髪の魔法少女の、蝙蝠のように赤色に光る鋭い目が、怯えて震える円奈を馬から見下ろす。

その頬は返り血に塗れている。



魔法少女は、円奈を馬上からしばらく冷たい目で眺めていたが、やがて円奈から目を外すと、前を見あげた。


「トォロ!」

と魔法少女はいい、後ろに続く4人の魔法少女を連れて、井戸を抜け、農村の奥へと馬を走らせる。




魔法少女たちは、民家へと押し入る。



家屋の中は暗かった。

窓がない家屋だから暗いのも当然だった。


テーブルに建てられた白い蝋燭何本かが、明かりとなっているくらいで、それ以外に部屋を照らすものはない。


そんな暗がりの部屋にはいった魔法少女たちは、農民の家にしまわれた木箱や樽から食べものを手に取り出し、
テーブルに並べ、皿にいれて、食べた。


たとえば塩漬けの野菜やニシンなどの魚、レンズマメ、ソラマメ、百合根、大根などが樽にしまわれていた。
魔法少女たちは、それを取り出して、手の指でたべた。

ゆでたりもしないで。


他の魔法少女たちは、農村の納屋下の、藁の積まれた山をあさる。

がさがさと藁の山に手をつっこみ、あさる。


藁山のなかには、りんごなどの果物が、数多くしまわれていた。

それらを手に取り、がぶりとかじるのだった。



彼女らが、戦ってまでして、やっと得る食べ物だった。



そのころ、家々の壁という壁が、残酷に赤く染まっている農村に取り残された円奈は。


「ううう……うう…」


世界で起こっている残酷さ、魔法少女の乱世という時代の恐ろしさ、そして…



そんな世界をたった一人で旅しようとした自分の無謀さを、思い知らされるのだった。

115



それから呆然と円奈は、血に染まった農村と、魔法少女に殺された人々の死体を眺めたが、
手元にたんぽぽの花が握られたままなことに気づいた。



こんな残酷なことが起こったのに、黄色いたんぽぽは日の光を浴びて、今も美しく手の中で咲いている。



そして、思い出した。


「女の子……」

円奈は、ぼんやり呟いて、たちあがった。人がこれだけ殺されたあとで、女の子だけを捜し求めた。

「返さなきゃ……たんぽぽ……」



ふらふらと、クフィーユをつれて羊牧場へでる。


主人をうしなった飼い羊たちが、あてもなくメーメーとなきがら木の柵のなかを行き来していた。




塔の風車は、まだ春風にのって四本の帆をくるくる回している。


もう、農村には誰もいないのに。



「あ…」


円奈は、声をだした。


塔風車の真下に、女の子がいたのだ。


金髪カールの女の子が。


円奈より背の小さい、幼い女の子が。


ただ1人でそこに、原っぱで立っていた。



「無事だった…」

円奈は、そう声を漏らして、女の子にちかづいた。


女の子は、さっきと同じむすっとしたような不機嫌な顔をした。


「これ……」

円奈は、女の子に黄色いたんぽぽを渡す。

「さっき、邪魔して、ごめんね……」



女の子は、風車の下で、たんぽぽの花を手に受け取る。


すると女の子は、受け取ったたんぽぽを、怒りにまかせて円奈に思い切りなげつけた。


「…っ!」

思いっきり女の子がたんぽぽをぶつけてきたので、身構えてしまった。


女の子は、怒った顔で円奈をにらみつけたあと、また無言で、どこかへ走り去った。


「…」

走り去ってゆく女の子の後姿を、円奈はただ見送ることしかできない。



投げつけられ、地面に落ちたたんぽぽの、土だらけになった黄色い花びらを見た。


不思議と、まるで、今の自分のような姿をしていると思った。

116


円奈は、旅を続けた。


平和な農村を脅かす、魔法少女たちの情け容赦ない暴力が、脳裏に焼きついてしまっていた。



悲劇のおきた農村を通り過ぎ、別の農村に辿り着いても、円奈はそこに暮らす農民たちが、怯えた顔つきで
暮らしていることに気づく。


その農村も、川に面して、レンガ造りの家々を横一列に建て並べていたが、この農村も、いつ魔法少女に
襲撃されるかわからない、そんな恐怖で、日々を生きている人たちだった。



とくに、隣の農村がすでに、魔法少女の手に落ちたという知らせをきいているのだろう。

次は自分たちの番だ、そんな絶望した農民たちの重く沈んだ空気が、旅をしていて通りかかった円奈の気持ちにも、
のしかかってきた。



魔法少女は、魔獣から人を守る存在だったはずなのに────。

円奈がみてきた魔法少女の姿は、少なくてもそうだった。民を守り、領土の平和を守る。

しかし、バリトンの村を発ち、旅に出ることで知る。


世界の魔法少女たちの残忍な姿という真実を。



円奈は、背中に弓と、剣を腰にぶらさげた騎士姿をして、農村を通る。馬の手綱ひきながら。


すれ違う農村の人々だれもが、警戒の視線を円奈にぶつけ、睨んだ。



洗濯女たちは桶に衣服を浸しながら、エプロン姿のまま、武装姿の円奈を睨みあげる。



円奈は、気まずさと息苦しさでいっぱいだった。

馬を歩かせ、波風たてずに、農村を去るのがやっとだった。

117 


ピーッ────…。



山々から、そんな野鳥の鳴き声がきこえる。


円奈は農村をはなれ、広大な山々の連なる野原へでた。



山と山のあいだに広がるくねくねした土道と草原を、ひたすら馬で進んだ。



そしてさらに、50マイルも旅をした。



時には雉などの野鳥を弓で仕留め、食いつなぎ、山々の広原をくだっていった。



その先にある、海をめざして。



もちろん、海はまだ見えない。

地平線の先々にみえるのは、広がる雄大な山脈の連なり。眺める先、どこまでも山が続く。

自然の雄大さの前では、馬にぽつんと乗った自分など、ちっぽけだ。髪が風にゆれる。



しかし、標高は確実にさがった。



どこまでも見下ろせるからだ。



自然の景観を馬から見下ろしながら、円奈は、来栖椎奈の言葉を思い出していた。



この山と群峰のむこうにある、神の国のことを想いつつ────。



”円奈よ そなたはあると思うか”


”あらゆる人と、魔法少女が、共存を選び”


”ともに分かち合い、その隔たりがない世界”


”そんな国”


”天の御国を、この旅の先に、みつけるのだ”


あるときは狼を弓でしとめた。


これは狩りをしようと思ってしとめたのでなく、狼に襲われたからだった。




森の真っ只中を馬で旅していると、オレンジの日差しが降りる夕方、円奈はクォーンっという狼の鳴き声をきいた。


この時代、人々にとって狼は恐怖の対象だった。


森に住まう狼たちはたびたび農地に降りてきて荒らした。空腹に餓えた獣は人々を襲うこともあった。



鳴き声の主は、円奈の前にあらわれた。


四足の獣は、落ち葉の地面を一歩一歩踏みしめながら、鋭い獣の視線を円奈にむけ、狙う。


馬を降りてちょうど水筒の水を飲んでいた円奈は、その狼に気づき、目で睨むと、すぐに弓に矢を番えた。


狼に睨まれながら弓矢をむける。片膝たててしゃがみ、狙いを定める。


にらみ合う両者。そこにあるのは、食うか食われるかという野生の緊張感である。


腹を空かした獣は円奈に襲い掛かってきた。四足を走らせ、猛スピードで突っかかってくる。


円奈も弓から矢を放った。


飛んだ矢は狼を仕留めた。狼はしばらく刺さった矢を抜こうと四足でもがいていた。

やがて、血を流しながら、力つきた。



こうして円奈の旅はたびたび、野獣の脅威にもさらされながら、つづいた。



山峡を抜け、渓谷を通り、滝を見かければ水汲みをしてクフィーユにものませた。


ごつごつした岩だらけの渓谷を流れる川を馬で渡り、林へ入った。



ちょうど、”エドレスの都市”────円奈が生まれてみたことのない、都市という文明社会の地域へ
近づきつつある森林地帯へと、入ったのだった。

今日はここまで。

次回、第12話「アリエノール姫」

第12話「アリエノール姫」


118

数時間がたった。

円奈は、まだどこまでも続く緑の林を、進んでいた。



標高が落ちてくると、生える木の色も見た目も変わる。


この林に生えている木々は、杉であった。杉林である。


杉林に入り込んでいくうち、だんだん道らしい道もなくなってきて、薄い霧がかった不気味な森になった。


チュンチュンと、野鳥たちが、白く霧が薄くかかった杉林の世界に、鳴き声をあげる。

鳴き声はどころまでも轟き、森に反響し、何重にも木霊する。


湿り気が濃くなり、空気は重たく、土の香りが、鼻をつく。土に咲く花は、紫色。根っこが長い。


方向感覚がわからなくなる。

そして、何か魔物の世界に取り込まれたように、出口がわからない、迷宮に入ってしまったのだった。


途方もない気持ちで杉林の霧のなかを進んでいると───


円奈の耳に、不思議な音色がきこえてきた。


どこからかはわからないが、音楽であった。


そう、音楽!

誰もいないはずの森のなかに響く、不思議な音楽の音色!


農村育ちの円奈は、音楽なんてものを、聴いたことがない。

だから、杉林のどこかから聞こえてくる、笛の音楽は、不思議で、恐くもあった。



ひょっとしてひょっとしたら、森に住むという、魔女の音楽かなにかではないのか。


もしかしたら、誰かそこにいるのかも?


そしたら、都市への道を尋ねることができるかも。


しかし、方向感覚を失ったいまとなっては────


笛のような音楽の聞こえる方向のほかに、進むあてなど、ないのであった。



馬の手綱を手繰るとクフィーユの向きを変えさせ、笛の音がきこえる方向へ。


林の木々を抜け、音へと近づく。


森のどこか奥から聞こえてくる不思議な音楽。



笛の音の音色は、優しかった。


音は一つで、一人だけが笛を吹いているようだった。静かで、優しくて、どこか悲しくて儚げな───



耳にする者を、とにかく吸い寄せる、そんな笛の音色だった。



そして円奈も、蜜に吸い寄せられるように、自然と、笛の主を探し求めた。

残酷なこの時代のなかに、優しさを求めるように。


笛の主は、案外、すぐにみつかった。


林が開け、落ち葉だらけのひらけた場所に、一人の少女が笛をふいていた。



少女は、目を瞑って、静かに、夢見るように、横笛を口にして、音色を響かせていた。


フルートという横笛だった。


少女はフルートを口元につけ、目を閉じ、横向きに笛をもって、優しい笛の音色をふるわせる。


こんな、林のど真ん中で。



円奈は、その少女の笛ふく姿を────。森のど真ん中で、横笛を口に奏でる少女を───。

しばし、ぼーっと、林の木の傍らで、眺めていた。



しばらく続いていた笛の奏では、ふーっと小さな少女の一息でとまり、少女は、口から笛をはなした。
ゆっくりと、閉じていた目をうっすらあける。


すると、どこからやってきたのだろう、一匹の赤い蝶が────林の暖かい日差しのなかをふわりと舞って、
少女の頭にトンととまった。


「あ…」

円奈が、声を漏らす。


赤い小さな蝶が、笛もつ少女の頭にとまった光景が、美しかった。


白い霧はきえ、林は、夕日の暖かさに包まれる。


少女はオレンジ色のフレアースリーブの長いガウンを着ていた。ガウンドレスは長く、地面まで延びていた。
歩けば引きずるだろう。


夕日の日差しを浴びる少女のガウンは、腰高めにウェストサッシュが締められている。
腰に巻かれたサッシュは後ろでリボン結びにし、そのリボンはとても大きく、ガウンドレスの後姿を美しく
可愛らしく飾っていた。


白いリネンの襟はスカラップ仕立てにされていて、少女チック。

オレンジの光を浴びる、綺麗な黒髪を首筋に垂らした笛の少女は、円奈がみたことないくらい、上品で、
お姫様のようだった。



絵本に登場する姫のような姿をした少女の登場に、驚いて眺めている円奈と、少女の目が、合った。


「あ……」


円奈は、どうすればいいのかわからず、どきまぎする。


少女のほうも、おどろいて円奈をみた。

笛の彼女もまた、こんなところで誰か人間に出会うとは、思ってもいなかったからであった。



2人のあいだに、不思議な沈黙が流れたが、やがて少女のほうから、ふっと微笑んで挨拶をした。

「マエ・ゴヴァンネン」



「ええっ?」

しかし、知らない言語で話しかけられて、円奈は挨拶をきちんと返せなかった。


円奈より、少しだけ背の高い少女は、よくぞ参られましたね、といってくれたのだが、円奈にその言葉が
通じていないことを察すると、別の言葉にして再び、話しかけた。


「よくぞ参られましたね?」


「あ、ああ、やった……」


円奈は、ほっと胸を撫で下ろした。言葉が通じることに安心したからだった。



「旅のおかた?」

少女は、たずねてくる。

いろいろ悲壮な戦いをみてきた円奈であったが、ここで出会った少女に敵対心はなく、円奈は、安心していった。


「うん、そうなん、だ」

円奈は、馬にのったままで、少女に答える。「エドレス地方に……」


「そう……」

少女は、目をうっすら細めて、杉林の土をみつめて、小さく囁いた。

「そうよね……」


それから少女は円奈のほうをむいた。

笛を胸元にぎゅっと握り締めて、にこりと微笑んで見せて、自分の名前を名乗った。


「わたしは、アリエノール」

と、笛の少女は名乗り出る。「”アキテーヌ領のアリエノール”」



「わ、わたしは、まどな…」

相手が名乗ったので、円奈も、自分の名を名乗る。おずおずと。控えめに。「鹿目円奈…です」


すると笛の少女は、小さくて静かな声で相手の名を囁く。まどな、と。かすかに目を細めて、円奈をみた。


「ここは、エドレスの都市の郊外。エドレスの森」


と、アリエノールは、円奈に話した。


「エドレスの都市から、北のところにある森。そして、わたくしちたち、アキテーヌ一家の───」


少女は、笛を頬もとに寄せて、縦に持つと、やわらかく微笑んだ。

ガウンのドレスがふわりと風に舞い上がって、彼女を照らす夕日の日差しがオレンジ色の光を増した。


「”所有する森”」


「あ、ご、ごめんなさいっ」

円奈は、少女の神秘めいた仕草と雰囲気に気圧されつつも、慌てて誤解を解こうと言った。

「別に、侵入しようとかじゃ、なかったんです……ただ…旅してるだけで…」


つい何日か前は、他国の領地である農村に勝手に入ったというだけで、殺されそうになった。

封建社会という世界では、そんなことは当たり前のように起こる。

これまでもこれからも。


だからバリトンの来栖椎奈は、他国の領地に入るときは、金品の支払いと引き換えに領主から安全に
道を通らせてもらえるよう保障を買おうとしていた。

そういう予定だった。



しかし、一人旅となってしまった円奈には、払える金品はないのだった。


思いもかけず領主の一族の少女と出くわしてしまった円奈は、とにかく詫びて、別の道を探すために
森を引き返そうとした。



「あら、どちらへいくの?」

すると、笛の少女に呼び止められた。

「いえ、あの、勝手に領地に入って、ごめんなさい!いますぐ出ます!」

円奈は、慌てていう。


「あら……」

笛の少女は、寂しげに、笛を肩に寄せて持つと、円奈の後ろを姿を見つめて、また、円奈を呼び止めた。

「そうだわ!」


何かを思い出したように突然大きな声をだし、笛を両手に握り締めた。


「わたくしの居城で、こんど”魔法少女叙任儀式”が催されます」


道を引き返そうと馬を進めていた円奈が、ピクと動きをとめる。


「魔法少女……叙任式…?」

クルリと馬上で頭をふりむく。


「ええ」

エドレス領邦の姫は、笛を胸元に大事そうにもったまま、やわらかく微笑んだ。

「わたしがあなたを招待する、としたら、いらしてくださる?」

111



つまり、少女が契約して魔法少女になる、そのための叙任式が、アキテーヌ家の居城で催されるようだ。



”魔法少女契約式”とも呼ばれ、選ばれた少女はそこで、願いを告げ、魔法少女となる。



それは、いつか円奈が騎士となったとき、ファラス地方で来栖椎奈に執り行ってもらった、あの騎士叙任式の、
魔法少女バージョンであった。



しかし、騎士叙任式より、魔法少女叙任式は、もっと念入りで、金がかかって、かつ怪しげである。


幼い頃から来栖椎奈という領主を慕い、その魔法少女という存在に憧れを抱いていた円奈には、
アリエノール一家の居城で、催される魔法少女叙任式に姫じきじきに招待される、とは、興味をそそられるものであった。



「でも、私なんかが、いっても?」

円奈からは不安が拭えない。他国の、しかも領主一族の城に、そんな簡単に、異国出身の自分が招待されて、
入れるものだろうか。


「ええ、もちろん」

アリエノールは、うふふと笑った。

アリエノール・アキテーヌ。まだ正体がわからないこの一家の姫は、出会ったばかりの騎士・鹿目円奈を、
エドレス地方領邦の城にて、催される魔法少女叙任式へと誘う。


この時代における、きわめて金のかかった特別な儀式に。




地方領邦の姫は、ピーヒョロロと、フルートを吹いた。

澄み切った美しい音色が、林のすみずみにまでいきわたり、奥にまで、響き渡っていった。



すると、枯れ林のどこからか、一匹の馬がゆるやかに走ってきた。明るい茶毛をした馬は、
アリエノールのもとへ尻尾を揺らしながら、林のなかを優雅に走ってくる。


パカ…パカ…と、走ってくる馬の蹄の音が聞こえる。


馬は、笛の音にこたえて、主人の前に大人しく停まった。


アリエノールはやってきた馬を、優しげに何度も撫でる。


「マエ・カーネン、メロン・ニン…」


そんな異国の言葉を馬にかけてやり、愛しげに馬の首をなで、すると馬に跨った。鐙に片足をのせてから、
鞍に乗る。


アリエノールの馬は、円奈の馬とちがって、見事な馬具の装飾に飾られた、お上品な馬であった。

乗る少女がお姫様なら、乗る馬もお嬢様といった気質だ。


「さあ、いきましょう」

少女は騎乗姿になると、手綱を手にとった。笛は、腰にまかれた革ベルトに吊るされた袋にしまわれた。


夕日を浴びたオレンジ色のガウンを纏った少女は、馬にのっても、丈が足より長くて素足を晒さない。

ドレスの裾は左右にかきわけ、馬に乗っても皺がよらないようにした。


「あ、うん……」


いっぽう、円奈の着ているチュニックは小さい頃からずっと着古しているものだったから、成長して
背が伸びてくるにつれて丈が短くなり、足首だけ素肌を晒していた。

112


鹿目円奈と、アリエノールという異国の少女は、2人とも馬に乗って並び、エドレスの山道をすすむ。


林をぬけから、大きな山の麓にでた。

麓の先にも、森林が連続していた。

ここもエドレスの森というらしい。


その日が暮れて、夕日が落ち、夜のとばりが降りたとき、二人はエドレスの森にて、野宿をする。


円奈は、久々に焚き火を燃やした。

森林の暗闇は、焚き火だけが赤く照らした。虫がどこからともなく集まってくる。蛾たちが。




アリエノールは、ガウンのドレス姿のまま草の地面にちょこんと腰掛け、足を揃えて正座した。


ドレスの裾とひだを気にし、手で整えている。



ふだんから野宿するときはチュニック着たままあぐらかく円奈には、ショックだった。

それにしても相手は領邦君主のお姫さま。つまり、ご領主さまの娘。

失礼のないように!


「そ、それで……」

円奈は、強張った顔つきのまま、喋った。相手からみると、かなり挙動不審な気がする。

「アリエノールさんは、あんなところでなにを──?」


「あら、私たち一家の森ですわ」

アリエノールは、優しく笑って、答えてくれる。余裕そのものである。「自分たちの森に、いただけですよ?」


うう…。

領邦君主の世界って、すごい。あんな広大な森を、自分のものっていうんだから。



「でも、女の子1人だけで、あんなところに……」

円奈は、用意して並べおいた大きな薪を一本、焚き火に加える。火は大きな薪に燃えうつった。

「あぶないよ……」

まったく人のこといえない円奈の台詞は、円奈の頭の混乱ぶりを物語っていた。


「あら、自分の森にいて、あぶないなんてことはないわ」

アリエノールは、首をきょとんとかしげて、おしとやかな声で答えてくれる。

「でも、たった一人でいろんな国を旅する───」


姫の少女は、円奈という少女騎士をもつめて、からかうように微笑む。


「あなたのほうが、危険だったのでは?」


「あ、あはは……そう、だね……」

円奈は苦笑いして、それから、しゅんとして焚き火をみつめた。

「でも…ほら…なんて…いうのかな…敵国の盗賊に遭っちゃうとか…他国の敵兵に襲われるとか…そういう危険だって、
あったんじゃ…?」


と、円奈は、自分の経験を元にしつつ尋ねる。

「それでも、わたしはあの森にいたかったのですよ」

アリエノールは、簡単に答えてしまった。楽しげな微笑みが顔から絶えない。

軽くいなされてる気分にさえ、円奈はなってきた。

113


朝になると、円奈もアリエノールも、馬の世話をした。


二人して自分の馬の頭を撫で、水を飲ませたり、食事を与えたりする。


「その子のお名前は?」

と、アリエノールは、円奈の馬をみながら、たずねてきた。


「クフィーユっていうの」

円奈は、水飲む自分の馬を優しく撫でながら、答えた。クフィーユは鳴き声ひとつたてずに、円奈に首と頭を
撫でられるまま、水を飲み続けていた。


「そう…」

アリエノールは、また優しげに目を細め、うっすらとした視線をクフィーユにいとおしげに注ぐ。
長い睫毛が、際立つ。



「この子は、」

するとアリエノールはこんどは、自分の明るい茶毛の馬をみた。

馬具を備え付けた茶毛の馬を優しく撫で、自分の馬の名前を教える。

「アスファロス」

アリエノールは優しげな手つきで馬を撫で続け、長い睫毛をした目で愛しげに、馬を眺めていた。
すぐに自分の世界に入っていってしまうそうな夢見心地な目は、お姫さまの目だ。

「”花”という意味なのよ」


円奈は、自分の馬に花と名づけてしまう少女の趣味に感服してしまった。


そういえば、私はなんでクフィーユって名づけたんだっけと、自分でふと思った。

ただ、女の子らしい名前だから、と名づけただけだった気がする。しかし、クフィーユは雄だった。



そして二人は準備を整えると、また馬に乗って一緒に、アリエノール領邦の居城へと目指して山々と野原を進んだ。


まだまだ、森を駆け抜けるばかりで、居城らしきものは見えてこない。

森を抜けて、大草原にでた。白い雲が浮かぶ青空が、山々の先に広がる。



クフィーユとアスファロスは、姉妹のように、二匹足をそろえて穂の草原と丘を駆け下りる。

平野へつづく緑の草原を。

あまりに広い大地にちっぽけな二匹の馬と、二人の少女。馬が元気よく走ってくれると、乗っている方も爽快になってくる。

空気は、最高においしい。



どこにあるんだろ───?アリエノールさんの居城。


「わたしたちの住むアキテーヌ領土の、その先は、”エドレスの絶壁”」

アリエノールは言った。円奈は自分の視線には気づかず、ただ前を見ていたので、アリエノールも前方の
地平線へ視線を送る。


草原と緑地に包まれた、広々とした地平線だった。


もちろん、このすべてが、アリエノール家の所有物である。


「わたしたちは、”裂け谷”と呼びます」


「裂け、谷?」

円奈が馬を進めながら、不思議そうに聞き返した。ピンク色の髪がそよ風にゆれる。

「陸地と陸地が、ぽっかり裂けてしまっているのです」

アリエノールは、楽しそうに、話してくれる。


「そこは"王都エドレス城"があって───」

アリエノールが、めざす先の道筋について、語ってくれる。


「裂け谷に橋渡しをしています。城を通れば谷を渡れます」


「そうなんだ…」

円奈は、前方に広がる緑地の地平線と、さらにそのむこうに伸びる山脈の数々を、眺めた。
むこうに連なる山脈は、まだ雪の白い冠をかぶっていた。

「裂け谷、かあ……」

白い雪の山脈を見つめる。


あの白い冠の山脈こそ、”裂け谷”の山脈であった。

魔獣の町と呼ばれる都市が、そこにあった。

そこは、王都であり、城下町には、100人あまりもの魔法少女が暮らす。

114


それから二人は5マイルほど進んで、再び森林に入った。

出会ってまだ二日目の二人は、しばし会話することもなく無言だったが、急に、アリエノールは、
こんなことを訊いてきた。



「”魔法少女になりたい”って、そう思ったことは?」

「えっ…?」

ドキリとする円奈。はじめて隣で馬を歩かせるアリエノールの顔をみた。


アリエノールは、優しげにニコリと笑って、円奈をみて、問う。

「騎士とはいえ、あなたも女の子」

円奈とアリエノールの目が合う。

「女の子なら、資格がありますもの。魔法少女になりたいって、思ったことはありません?」


「えっと……それは……」

ごもごも、どもり声になったが、円奈は、照れたように、頬を染めたあと、答えた。

目を一瞬だけ閉じ、夢見るような表情をみせると、語る。

「うん…あるよ。魔法少女になりたい…私を魔法少女にしてくださいって……祈ったことも」



「…そう」


アリエノールは、また、うっすら目を細めた。切なげに視線を地面へうつす。するとまた長い睫毛が
際立つのだった。


「でも、魔法少女にならなかった?」

そう、問いかけてくる。

この笛の少女は、なにもかも分かっているらしい。

「うん……」

円奈は、バリトンの村のはずれの森で、あれだけ懸命に祈ったのに、何も起こらなかった自分を思い出して、
しゅんとして顔を落としてしまった。思い出すだけで心が落ち込んでしまう。


自分には素質がないんだなって…。


「魔法少女にしてくださいって……祈ったのに……私の身に何も起こらなくて……魔法もなにも使えないんです」


「……まあ…」

アリエノールは、手を口元にあて、寂しそうに円奈を目で見る。その目には、憐れみみたいな感情が、
こもっている。


「では、あなたは今も、魔法少女になりたいと?」



「いまも…?」

円奈は、その質問に、答えようとて───。

すぐに答えをだせない自分に気づいた。

「えっと……」


あれ……?

どうしてだろう…?



あれだけ魔法少女になりたいって、心から憧れていたのに、どうしてか今だと、すぐに答えがだせない。



円奈は、自分の頭のなかでいま思っていること、旅にでる前とでた後で変わってしまった自分の気持ちを整理
するみたいに、ことばを考えながら、ゆっくりと話し出した。


「わたし、故郷にいたとき、優しい魔法少女がいたんです……」


アリエノールはただ黙って円奈の話をきいてくれている。

円奈の馬クフィーユが、たまに空気をよめずにヒヒンと鼻息もらしたりするが、円奈は話をつづけた。


「かっこよくて…素敵な人で……わたしにいつも優しくしてくれました。魔獣から守ってくれた
こともありました。その人はいったんです。”魔法少女とは、民に恵みを与え、悪から民を守る者たちだ”って」



アリエノールが、切なそうな顔になって、円奈をみている。

その視線を知ってかしらずか、円奈は、過去を思い出しながら、ゆっくりと語り続ける。呟くように。


「私、そんな魔法少女の姿に、憧れているんです。人知れないところでも民のためにもがんばる姿は、
かっこよくて。”神の国”にいきたいって、そう夢みて、そして願いがかなって、旅にでました。そして、
いろんな人たちと、魔法少女、見てきました。故郷の世界から一歩外にでてみたら、私の思っていた世界と、
ぜんぜんちがう、残酷な世界がひろがっていて……」


円奈のピンク色の目に、寂しさがこもる。同じピンク色をした前髪が、そよ風にふかれて揺れた。


「魔法少女は、民を守る存在だって、そう思っていたのに、実際は、魔法少女は人に暴力をふるっていました。
魔法少女同士で縄張り争いをして、人を巻き込んだり……魔法少女同士で殺しあったり…そんなひどいことが
どこでも起こっていて……わたし……」


クフィーユが、また空気を読まずに、ズズーっと鼻息を漏らした。


それでも二人して並んで馬を進ませ、円奈は語りつづける。


「”魔法少女”ってなんなんだろうって……最近になって、思うようになってしまって……魔獣を倒す
人たちってことはわかっているんです……でも、それだけじゃなくって……魔獣を倒すだけじゃなくて、
縄張り争いとか人を略奪して襲うためにも魔法の力をつかう魔法少女たちがたくさんいて……」


アリエノールは、なにもいわずに、気弱そうに話す円奈の話に耳を傾けている。


「……だから、魔法少女って、なんなんだろうって…。魔法って、なんだろうって…。自分ももしそうなるんだと
したら、ちょっと恐いっていうか……自信がもてないっていうのかな…」

最後には、消え入りそうな声で言い終えて、悲しそうに、しゅんと目を下にむけて俯いてしまう円奈だった。



ところで円奈は、魔法少女になりたいと思ったことはあるかという、同じ質問を、相手の少女にもしてみたい
気持ちに駆られた。


アリエノールさんは、どうなんだろう、って。この笛の少女、姫の女の子は、魔法少女になりたいって気持ち、
あるのかな───?


「じゃあ、アリエノールさんが、魔法少女になりたいと思ったことは…?」

円奈は、そう、たずねる。

するとアリエノールは、眉を細め、悲しそうに目をしぼませた。

「わたしは、一度もないわ」



意外な即答に、円奈はたじろいだ。

女の子に生まれたら、一度は憧れるものなのかなって思っていたけれど……そうでもないもたい。

そして、きっとこの女の子は、魔法少女が嫌いになってしまうような、なにかつらい思い出があるのかも
しれない、と想って後ろめたくなった。



「一度もなりたいと思ったことなんてないのに……」

アリエノールは、悲しそうに、小さな声をだし。

すると、そっと、左手の指輪を胸の前にだして、愛しそうに右手でそっと撫でた。

「あっ──」

円奈もそれに気づいて、はっと、ピンク色の目を見開く。「それって…」


椎奈さまもつけていた指輪。魔法少女の指輪。


「魔法少女になりたいと心から願う人がなれなくて───」

アリエノールは左手の指輪をなでながら、寂しそうに、語るのだった。

「魔法少女になりたいなんて、一度も思わなかった人が魔法少女になってしまう」


悲しそうな顔を隠して、アリエノールは再び、にこりとやわらかく笑って円奈をみた。


「世界は、まだまだ不公平ですね?」

115


「と、と、と、ということは…」

わたし、目の前に魔法少女がいるのに、魔法少女のことをいろいろ話しちゃったんだ。

魔法少女ってなんだろうとか、民を守る者が魔法少女なのに実際はそんなんじゃなかったみたいな、話を、たくさん…!

なんということだろう。

目の前の、領邦君主の城に住まうお姫さまは、魔法少女だった…!

ソウルジェムを指に持っていた。



「わたしは、16歳のときに魔法少女叙任式に連れ出され……」

アリエノールは、胸を手にあてながら、自分のことを話す。胸。わずかに膨らんだ胸のなかには、魂がある。
はずだった。


「魔法少女として生きていくことを誓わされました」




生まれながら、自由がない。

人間として生きるか、魔法少女として生きるかの選択さえ、親族に勝手に決められる。

なぜかというと、領邦君主の家族は、国の守り手として娘が魔法少女となって役目を果たす必要があるからである。


封建的な世界にはよくある、生まれの身分・立場に縛られて、自分の求める生き方を許されない、
そんな立場。


魔法少女叙任式は、そうした領主家族たちの都合のために、無理やり娘を魔法少女にするための、人間たちが
作ってしまった制度みたいな儀式であるという、裏の面ももっている。この儀式にさえ引きずり出してしまえば、
形式上、少女はもう、召喚された妖精の前で、願いを告げるしかないのである。

妖精のほうは妖精のほうで、契約してくれる少女がいるのならば拒否する理由がないので、この人間達の儀式に付き合って
契約の儀式に参加する。

ふつうは、契約者本人の自由意志で魔法少女になるかならないか、決めたものだったが、いまどきの時代となっては、年の来た娘を
半ば強引に魔法少女にさせることもあった。



とにかくそんな時代なので、アリエノールというエドレス北方領アキテーヌ地方の高女は、家族の都合により、
強引に魔法少女に契約するよう仕向けられて(それが魔法少女叙任式という人間主催の儀式。契約の妖精を
呼び出すことができる。黒魔術に起源を持っている)、本人の自由なく魔法少女として生かされることになってしまった。


「だから、わたしは、好きなのです」

アリエノールは、悲しさのこもった声で告げ、すると、いつもの優しい笑みにもどって、円奈をみて言った。

「1人で、森にいることが……そこで、笛を吹いていることが……ね?」

116


二人は、アリエノール家の居城まで、あと1マイルのところの林にまできた。

そこで一度休憩をとった。


森林のなかに佇み、円奈は大きな崖の砕けた岩を椅子がわりにして座って、ロングボウの弓も岩の上においた。

アリエノールは、相変わらずの正座すわりで、お姫様らしい優雅なドレスの裾をただして座っていた。


「魔法少女の”救い”ってなんだろう…?って、最近、思います」

円奈は、手作りのイチイ木ロングボウの弦を手でいじりながら、言った。

「どうして、聖地では、魔法少女だけが、救われるのだろうって……世界には、苦しんでいる人間だって、
たくさんいるのに……」



「円奈さんは、騎士になりたくて、騎士に?」

「んと…」

円奈は、アリエノールの問いかけに、答える。


「騎士になりたかったとか……そんなんじゃなくって……私はただ、神の国をめざしたい、ここを離れたい、
そんな気持ちでいっぱいでした。嫌がらせとか…されてたから。そしたら私の生まれの村の領主さまが、
私が1人になっても旅がつづけられるように、騎士に仕立ててくれたんです」


「そう……」

アリエノールは、優しげな目で円奈を見つめる。

「”聖地”は、円環の理が誕生し、世界を組み替えた最初の場所」


アリエノールは、言う。「円環の理の救いは、世界の全てに行き届いている。ここにも、聖地にも、あなたの故郷にも。
それが、円環の理となった少女の奇跡だったのです。でもそれは伝説。本当かどうかは、”導かれてみないと”
わからない」

円奈は、弓の弦を触る指をとめて、アリエノールを見つめた。

「でもそれは、死ぬとき、はじめて分かるということ。そうではなくて……生きながらえながらも、
円環の理のことが、本当のことなんだって、思える場所。そこが”聖地”」


魔法少女の口から、聖地のことが語られる。

来栖椎奈も神の国のことは、あまり詳しく円奈に話してくれないのだった。




「だから、人間の騎士でも、きっと神の国にいけば、その救いをかんじとれるわ」

アリエノールはそういって、顔を赤らめ微笑んでくれた。「その壮大すぎる奇跡を、あそこで、あなたも感じ取るわ」



「うん……ありがと…あれ、アリエノールさんも、聖地にいったことが…?」

円奈は礼をいったあとで、沸いてきた疑問をぶつけた。


「いいえ…私は、ないわ」

するとアリエノールは、悲しげに目を落とした。その視線の角度が、睫毛の長さを際立たせる。

「私は、領主の一族の長女として生まれましたから……死ぬまで、この領土に縛り付けられたまま。
でることは、たぶん、ないわ」


「……そっ……か」

円奈にも、その事情は、痛いほどわかる気がした。自分だって、つい前までは、そうだったから。

封建社会の身分階級と封土の仕組みに悩まされるのは私だけじゃなかった。


「だから、あなたが羨ましいくらいほどなのよ」


アリエノールは、そう言って、円奈に視線を注いでくる。「広いこの世界を、自由奔放に旅して…まるで雲雀
のよう」


雲雀かどうかは、円奈には分からなかったが、それでもわずかばかり、照れた。


「こんな土地から、出ていきたい……ああ、何度おもったか!」

アリエノールが、急に声を強くして語る。声が高めになりはじめた。「だから私は、今もこうして、
居城をお留守にしてしまって。でも、ああ、戻ったら、きっとおじさまに、叱られるわ!」


「居城は、もう、近いの?」

円奈はなんだか、すっかり、この魔法少女の気持ちに、近づけている気がしていた。

だって私だって、生まれの土地をでたくなって、領主の許可を得ずに、森に飛び出しちゃったことがあるもん…。

きっと、アリエノールさんも、おなじ気持ちなんだろうなって…。


「ええ、ちかいわ、もう、着くわ。ああ…」

気が重たくなった、といわんばかりに、アリエノールは両手の頬を手で覆う。「でも、カトリーヌの魔法少女叙任式を、
民は待ちわびている。そこには、私も、出席しないと!」

はううっと、喉から小さな悲鳴のような、ため息を漏らす。


それからアリエノールは、ああいけない、取り乱してしまったわと独り言を呟いて、あの笛を、手に持ち出した。


「そうだわ……あなたが聖地を目指す理由……きいてなかった。教えていただける?」


「あは…そうだね」

円奈は、魔法少女の取り乱す様子がちょっと可笑しかったので、小さく笑って、それから、答えた。

「わたし、騎士として誓ったんです。私を騎士にしてくれた魔法少女と、誓いを交わしました。
神の国へいき、天の御国をみつけるんだって」


「天の御国?」

アリエノールが、その言葉に反応して、不思議そうに首をかしげた。

「うん……その意味は、わたしにもよくわからないけど」

円奈が言うと、どこからか林へ風がふいてきて、円奈のピンク色の髪に結ばれた、赤いリボンが、ふわっと
揺れた。

「でも、神の国にいったら、きっとそんな場所があるんだと思ってます……もしかしたら、魔法少女の天国の
ことかもしれません」

「まあ…だとしたら、人間のあなたには、見つかりませんよ?」

と、アリエノールが、口元を手で覆って、不憫そうな目で円奈をみつめる。

「あ…」

指摘されて円奈も、自分の発言の可笑しさに気づいたのだった。

円環の理に導かれ、天国にいけるのは、この世では魔法少女だけだから。

「あ、あはは……確かにそうだね」


「うふふ」

二人はそうして、しばらく笑いあった。



「でも、私を騎士にしてくれた魔法少女は、いいました」

円奈は、椎奈のことを思い出す。

つらい故郷の日々で、ただ1人優しかった人のをことを思い出して、少し、幸せそうな目になる。


アリエノールは、ピンク色の髪をした少女の幸せな顔を、見守った。


「魔法少女と人が共存できる国」

円奈が夢見心地になって、両手を胸元に握り、口にして語る。現実には人と魔法少女は、殺し合いさえしていたのに、
そんな理想の国を、聖地に重ね合わせて思い描く。


「魔法少女と人が分け隔てない国。きっと、天の御国は、そんな国のことだと思います」


「まあ…」

アリエノールは少しおどろいて、目をわずかに大きくさせて円奈をみつめる。



そして出発の時間が近づいたとき、アリエノールはゆったりと起きあがって、手に持ったあの笛を口元に寄せた。

ドレスの丈がばらっと下に伸びた。



魔法少女は横向きにフルートをもち、目を閉じると、そっと小さな声で囁く。



円奈が、起き上がったダキテーヌ家の姫をみあげた。


「では……魔法少女と誓いを立てた騎士のあなたに、この詩(うた)を」

アリエノールはそういって、目を閉じると、笛を、ゆっくりと静かに口にあてる。


円奈も、自然と目を閉じた。

石に腰掛けながら、姿勢をなおして、笛の音楽を聴く心向きになる。



騎士であるあなたに、この詩をささげます────。



笛の音色が二人のいる森に響きわたりはじめる。


小さくはじまった笛の音は、しだいに森のなかに反響していって、どこまでも広く、重厚に、深く響き渡ってゆく。



笛の音色は、少女の吹くフルートの小さな音だけだったが、音楽自体には詩があって、意味があった。



"愛する姫君 どうかお願いだから あなた以外に至高の想い人など いないことを信じください"


"いつだって 私がこの身を捧げたいと想うのは あなただけ そこに隠し事も下心もなく───"


"ああ、わたしは希望も安らぎも、物乞いしてさえも得られないのか 私の悦びは、ただあなたの慈悲心にのみ
あるというのに..."


"美しい君は 主人たちに支配され──" 

"この無情さは 私を耐え難い愛へと陥れ 苦しめる"



"私の願いは あなたのそばにいたいだけ その他は、なにもいらない..."


笛の演奏は続く。

笛の詩は、実際にはアリエノールのふく笛の音だけだったから、円奈に詩は分からなかったが。


優しくて儚げな、魔法少女の奏でる笛の音に。


円奈は、笛の音楽にじっと、目を閉じて、浸っていた。


両手を胸元に握り合わせ、静かに、笛の音に意識をゆだねる。



アリエノールは、目を静かに閉じて、笛を口にあて、横笛のフルートを吹き続けた。

自由のない、選択肢すら与えられないで魔法少女にされてしまった自分の人生で、唯一楽しみなことは、
城の兵士たちの目を盗んでは抜けだし、お留守にして、森で笛を愉しむことだった。


そんな気持ちが、魔法少女だから、これが魔法なのだろうか、笛の音は、不思議な儚げさに満ちた音色を
森に響かせ、森に音楽を与えた。




やがて、笛の演奏は、静かにしずまった。

ふーっという少女の息ふきで、笛の音楽は閉じられる。


フルートの音色は悲しく、儚いものだったが、詩そのものは、愛を詠ったもの。

宮廷文化に花咲いた騎士道精神の愛。


アリエノールは、その詩を、魔法少女と騎士の誓いをたてた円奈にみたて、その詩をおくる。

今日はここまで。

次回、第13話「アキテーヌ居城」

第13話「アキテーヌ居城」

117


朝がすぎ、昼になった。

日差しは強さを増し、林に降りてくる光の筋も、いよいよ暖かくなってきた。

昼になって活発になった林の野鳥たちは、ウグイスが、嘴で落ち葉のなかに落ちた木の実をつつている。



晴天はどこまでも青く、晴れ空だった。もくもくの雲ひとつなくなった。春色の温かみがどこまでも青い空に満ちる。



いよいよ二人は、アキテーヌ家の居城に辿り着く。

円奈とアリエノールは、二人並んで馬を走らせ、ついに林のなかを抜ける。


林がひらける。

すると、広々とした平原にでた。


まず目に飛び込んでくるのは大きな湖だった。青色の、広々とした涼んだ湖が、視界に飛び込んでくる。



「わあああ…」

そして円奈は、たまらず息をもらしてしまう。


湖の上に建てられている城。巨大な城。高さは50メートルくらいあり、大きさは湖に負けないくらいの、
石造りの城。


湖の大きな水面に、城の姿が反射して映っている。湖のなかに景色が丸写しになっていて、見事な鏡写しの
世界になる。



石造の城の壁は強固な凝灰岩を積み上げてつくられた。

見事な威容を誇る城の壁は、ところどころアーチ型の窓がつけられ、湖に面している。



そのアーチ窓のひとつひつつも、青色の湖のなかに反射して、水面のなかに城の姿を映している。

湖の青と、晴天の空。水面に浮かぶ城と、映る山々の自然の景色。見事な調和だ。



すっかり円奈は喜んでしまった。

「す、すごい…!こ、ここが、アリエノールさんの居城なの?」


「ここはアキテーヌ家の居城」

と、アリエノールは、話し出した。

「わたくしアリエノール・アキテーヌの居城ですし───」


「あ、まってよお!」

円奈は、あわてて、クフィーユの馬を足で挟んで合図おくり、アリエノールについていった。

クフィーユは走った。

「アキテーヌ家の治める領土の城であり───」

アリエノールは、馬をさっさと前へ歩かせ、淡々と語る。ドレスの裾は、もちろん、左右にかけわけて、
足を隠す。


「民を治める支配の場所でもあるの」


アリエノールについていって、円奈も、城に近づいた。


「民と、領主一族を───領土に縛り付ける磔の城」


城がちかくなればなるほど、その景色の壮観さはまして、円奈は、見たこともないくらい石が積み上がった城を、
真下から見上げた。

増したからみあげると、城は空にまで聳え建つかのようだった。


城は、農村に面していた。



農村があり、民家があり耕地があり、白い毛皮の羊たちが群れる羊牧場があり、その中心に領主の城がある。


だから、城に入ると、そこに暮らす農民・農奴たちの目に、二人は触れる。


「アリエノールさまだ!」

と、羊を放牧していた農民たちが、口々に、大きな声をあげる。

「アリエノールさまが、もどっておいでだ!」


すると農村から、何人かの男や、女たちが、自分たちの領地の魔法少女の帰りを、迎えに集まってきた。


「アリエノールさま!」

羊毛を紡錘の糸車で紡いでいた女たちが、作業を中断して魔法少女の帰還をでむかえる。

「ああ、アリエノールさま、おかえりなさいませ!」


農民たちは、泥に塗れた手袋で額の汗をぬぐい、魔法少女の帰還に、喜びの声をあげる。


みんな、アリエノールが領土に帰ってきたことを、本当に喜んでいるみたいだ。


それだけの歓迎を、農村の人たちから受けているというのに、アリエノールはというと。


農民たちの声をほとんど無視して、まっすぐ居城への道を馬を進ませていた。

領主と騎士しか入れぬ支配の城へ。


農民には目もくれず、ただまっすぐ城だけ見つめて。


「あっ…えっと…」

すると気まずくなるのは、円奈のほうだった。

アリエノールこそは、領主の一族として、魔法少女として、農村に知られた少女だったが、それに付き添っている
ピンク色の髪と目をした騎士などは、農民からしたらまったくのよそ者だ。


「えっと…こん……にちは?」

円奈は馬上から農奴の人たちを見て、挨拶し、笑って見せたが、農民に無視された。

「あはは…」


苦笑い。


基本的に、農奴という人たちは自分の領地を離れない。領主の許可がないかぎり、領地を出てはいけない。

ひどい領地になると、見張り役の監督がいて、勝手に領地をはなれた農民にむけて弓矢を撃つなんてこともある。

それだけでなく、農業をさぼり、鋤と鍬をもって耕さない農奴を、びしばし鞭うって回る。

それが農奴と領主一族の関係である。


そんな封建的社会のなかで、よそからやってきた顔知らぬ異邦人など、警戒と排除の対象でしかないのだった。



円奈は、アリエノールについて馬を進め、城をめざして進みながら、農村のあらゆる光景を見つめた。


農村の煙突をもった家々が野原に立ち並んでいる様子や、農民たちが、羊毛を糸紡ぎ車で紡いでいる様子。


羊から、ふわふわした毛をハサミで刈り取っている作業をしている女の様子。


ハサミは、刃同士をこすり合わせるタイプの鉄の糸きりバサミ。



農村では、いくつかの家畜が飼われる。

羊がその代表格で、農民たちは、羊を牧場に放牧し、育て、羊毛をとる。とれた羊毛は市場へ売りにいく。
自分たちの衣服をつくるために、自分で糸を紡ぐこともあった。


羊毛を紡ぐためには糸巻き棒つきのはずみ車という道具が必要になる。

羊毛まず手で洗い、けばだてたら、はずみ車の溝を通る糸を指でほぐして、糸巻き棒に巻きつける。



他の家畜はというと、鶏が飼われ卵が採取される。

ウールのエピロン姿をした農村の女は、数匹の鶏を飼っていて、小皿にいれた餌を手でぱっぱと野へばら撒く。
群がる鶏たちがその餌を啄ばむ。


鶏たちは足をロープで杭につながれていた。放し飼いというよりは、繋ぎとめて飼っていた。



農村は、もちろん、農業が中心であるが、栽培するのは麦だけではない。

この農村では果樹園もいくつか持っている。主に育てられるのはブドウだ。


果樹園は、城壁のすぐ下、騎士たちの管理が行き届くところに設けられ、木造の柵に囲われて経営される。

庭園としての果樹園は、決して広くはない。

そこでブドウは丹念に育てられる。

ブドウの実は、熟した実をとって樽の中にいれ、はだしの足で踏んづけて汁を絞り出した。


この汁から、ワインがつくられるのである。


果樹園は、農民の経営によるものでなく、城に住まう騎士たちの経営する庭園だった。

しかし騎士たちは、経営するといっても、現場監督としてそこに立つだけで、実際の作業をさせられるのは
結局農民たちであった。

こういうのは、領主や城の騎士たちの権力で経営される私的所有の果樹園ということで、”荘園”とよばれる。


さて、ここの農村ではどんな農業が営まれているのだろう。

円奈が馬をすすめながら見たのは、平原にひろがる耕地の、長細い線模様がたくさんついた広い畑だ。



長くひろい麦畑が、農地の、あっちこっちにある。どれも、細かく線引きがされた縞模様をしている。


この線模様こそ実は重要で、広い畑において、農民たちが耕す範囲を分担するための線だった。


つまり、農奴たちが担当する個人ごとの範囲は、この線引きによって区切られ、分担されている。

線と線のあいだの幅は、ちょうど一人の人間が鍬で土地を耕すのにちょうどいい広さで、農奴が一人、この線と線のあいだの
範囲を前後に行き来するだけで、担当範囲の耕地をまかなうに足る。


だから線が大量にひかれて、あたかも縞模様のようにみえるのであった。



こうした細かくタテに線引きされた畑が、農村には、基本的には三箇所ある。


三箇所つかって、サイクルをする。


春に耕す畑、秋に耕す畑、放牧のために使う休耕地という三種類の使い分けを、三つの畑で、三年に一度、
1サイクルさせる。


なぜ休耕地が必要かといえば、麦を育てるための肥料に、羊のふんが必要だからである。



春畑、秋畑、休耕地という三つの使い分けを、年ごとにローテーションし、三年すれば一周する。


この農業方式は、三圃制農業と呼ばれる。



冬畑に蒔かれる種は、ライ麦であり、上質な麦である。これは、夏に収穫される。

春畑に蒔かれる種は、大麦という、ライ麦に比べれば品質の落ちる麦である。秋に収穫される。


畑は種蒔きのときも、刈入れのときも、農民たちに仕事を命令をくだし見張る、現場監督の役につく騎士がいる。

もちろんこの耕地からとれる収穫量のいくほどかが、領主の手の内へ貢納されるわけだが、税率は、領邦君主たちに
よってまちまちである。ここアリエノール公家では、農奴たちの税は、とれた収穫物全体の10分の1が税である。



三圃制農業は収穫を確保させてくれるが、働かされる農民は、所詮は奴隷であった。





しかしここアキテーヌ領の農奴は、比較的安定した収穫高もあって、苦しい生活を強いられてはいなかった。



三箇所ある畑は、近いところ同士につくるのではなく、それぞれ三つとも遠くに別離させたころにつくる。


これは、畑を守るためである。


たとえばイノシシや狼が森から降りてきて、春畑が荒らされたとしても、秋畑を遠くにはなしておけば、
そっちまで荒らされる可能性は低くなる。冬でシモができて、春畑がダメになったとしても、秋畑を
遠くにはなしておけばそっちまでダメになる可能性は低くなる。

というふうにリスク拡散をするためだ。





馬を飼うため、農村では、干し草もつくる。


それを農民の女たちが、草を刈り取り、一箇所に集めて、一日中、陽にあてる。

この干し草が馬を飼うための餌になる。


円奈は、さまざまな放牧、羊毛の大きな紡ぎ車、役畜のひく牛車、鶏の放し飼いや果樹園など、
バリトンの村にはみられなかった人々のいきいきとした農村の生活に目で触れ、驚きながら、ついに、居城の入り口にきた。


居城の入り口は湖に面していた。入り口の跳ね橋は鎖でもちあげられていた。


つまり、この跳ね橋を渡らないと、城にはいれず、湖にはばまれる。


「アリエノールさまのお戻りだ!」

城の兵士たちが叫び、そして、跳ね橋が降ろされる。鎖がキイキイと音をならし、跳ね橋がおり、湖に面した
城の入り口に橋が掛け渡される。


跳ね橋の鎖は、巻き上げ機が降ろす。


鎖を巻き上げるとき跳ね橋は持ち上がって、鎖を降ろすときは巻き上げ機をゆるめる。

巻き上げ機のL字型アームを、左右男の兵士二人がかりでタイミングあわせて回し、ゆるめ、アリエノールのために
橋を降ろす。


農民たちが集まり、見守るなか、魔法少女は跳ね橋を馬でわたって、城門の鉄格子をくぐった。


本来ならば領主一族か騎士しか入れぬ農村の居城に。


「うう…」


円奈は一瞬、自分も入っていいのかとすごく不安になったけれど、アリエノールにおいていかれて農村に
取り残されるのはもっと不安になることだったので、どうか何事もありませんようにと心で祈りながら、
城へと入った。


明日、このダキテーヌ家の居城で、”魔法少女叙任式”が、催される。


「馬はここに」

アリエノールは、小さくつぶやいて、城壁のなかの郭の、芝生の生えた中庭の納屋に、馬をいれた。

「ここを使っていいわ」

魔法少女の、声は元気がない。事務めいた口調。円奈は、心中でアリエノールのことを不安がった。


農民たちが降ろされた跳ね橋から顔をのばして、魔法少女をみつめ、視線が集まっている。

アリエノールはまるでその視線を毛嫌いするみたいに、とっとと、城の中へ早歩きするのだった。

118


アリエノールに続いて、鹿目円奈も、歩いてアキテーヌ城へ入る。


最初の城壁をくぐると、その中に、さらに城壁があった。

二重の守りを固めるこの形式は、二重同心型城郭、または集中型城郭とよばる。

もっともそれは正面だけで、まわりを湖に囲まれている城は、途中で合体してしまっているタイプだった。



緑色の芝生を通り、最初の城門を通ったあと、二つ目の壁の城門を、円奈はくぐった。



鉄格子をくぐり、槍と盾もった鎧の守備隊たちのあいだを通ると、入り口係りの守備隊たちが、木でできた
扉を両開きにバカっと開いた。

中に招き入れてくれる。


いよいよ、鹿目円奈は、お城の中に騎士として入城するのである。

城のなかは、廊下になっていて、日の光はなかった。円奈はその暗さに驚く。



ギイイ…

中に入ると、ふたたび扉が音を鳴らし、入り口係りによって閉じられた。


バタン。


城内が一気に暗くなる。

目の前が真っ暗になって、なにもみえなくなり、円奈は目をパチクリさせる。


すると目も暗闇に慣れてきて、城の中がみえてきた。


城は、廊下の両側の壁側に蝋燭が立てられて、わずかばかりの明かりが灯っていた。


蝋燭は、壁の突き出し燭台にたてられて、仄かな火を小さく灯している。


そんな城の廊下を興味心身に見回していた円奈だったが、すると、アリエノールのふうというため息の声を
耳にした。


「アリエノールさん?」

城の暗闇で、円奈が彼女の名を呼ぶと。


「気が重たいわ…」

と、オレンジ色のガウンを着た姫は、目を伏せてため息をついた。



「アリエノールさん、元気、ないです…城にきたときから…」

円奈は心配する。「農民の人たち、みんなアリエノールさんの帰りを、喜んでたのに……」


「あんな人たちなんて!」

すると、アリエノールは、怒った声をだす。円奈はびくっとして、身構えてしまった。



「私を、魔法少女としてしか、みてないんだわ!」

そう言ってアリエノールは、早歩きで、ドレスの裾つかみながらとっとと廊下をすすんでしまった。


「あ、まってよお!」

さっきもいったようなセリフで、円奈は慌ててアリエノール姫をおいかけた。



城内の廊下を進み、突き当りの門にくる。

アリエノールはそこで足をとめ、すうと息を吸った。まるでなにかの覚悟を、ここで据えてるみたいに。


「口ウラをあわせましょう」

と、アリエノールは木の扉の取っ手にかけながら、思いついたことを口にした。

「えっ?」

円奈が、アリエノールの意図がわからずに、聞き返す。

「私の話しにあわせるのよ」

アリエノールは円奈に背をむけたままで告げ、すると、扉をあけた。

「あの…それってどういう…」

「私は、あなたを傭兵として、雇ったという話に」

「よ、傭兵…」

「そう」

アリエノールはするとくるりと円奈に向き直って、優しく笑った。

「私に雇われた騎士として」

「傭兵の騎士…あはは…」

円奈は、弱々しく笑った。

そういう建前でもなければ、きっと一国の城にも入ることも本来は、許されないんだなあ……。

素性が知られたら、あっというまに牢屋にいれられてしまうかも。


こんな時代である。許可なき入国者には甘くない。


だからアリエノール姫の雇われ傭兵騎士という設定は、思えば円奈にとっては今や命綱だ。


アリエノールはニコリと笑って、円奈に一瞥くれると、扉をあけて前に進み出た。

円奈も、緊張しながら、城の扉の先へと、進む。


「わあ…」

円奈は、そこでまた感嘆の息をもらす。


扉をあけるとそこには、さっきまでの暗い廊下とは打って変わった、明るい日差しの空間がひらけていた。

日差しは、アーチ型の窓から差し込んできた。白色の日差しは、城の大広間とよばれる空間を照らす。


窓のむこうには、涼んだ青色の湖が見渡せた。湖のむこうでは鳥が泳いでいた。


大広間の壁は白色の切石でできていて、天井は木の柱に支えられていた。


その天井は、豪華なシャンデリアが鎖でぶらさがる。

シャンデリアとは鎖で燭台を天井に吊るし、ともし火で明かりにするものである。


部屋の中心は、テーブルクロスの敷かれた大きな食卓テーブルが、ドンとおかれている。

テーブルには、木製の椅子の席がいくつか、並べられていた。


領主の一家はふつうここで食事をする。



窓とは反対側の壁には大きな暖炉があった。暖炉は壁に埋め込められていて、凹んでいる。食卓の前にある。
暖炉の内部は、鉄の掛け台に丸太を横向きにして置き、火を燃やす。


暖炉からでる煙は、城内の煙道を通って排出される。

煙道は、煙突とはちがって、細やかな小さな穴であり、よくみないと気づかないような、ぶつぶつした穴だが、
ここを通って煙が、城の屋根へ、たちのぼって空気中にでる。



暖炉の真上には、絵のようなものが、実際は彫刻だったのだが───描かれていた。


横長の長方形の額のなか収まっている彫刻で、馬にのった少女が、馬上で槍を伸ばし、醜く年老いた魔女を
やっつける場面が、彫刻にされて、描かれていた。


この時代における、人間たちが思い描く魔法少女の像だった。


あとで、というかのちに辿り着く王都の城下町で円奈は、いやというほど知ることになるのだが、人間は鹿目まどかの改変後の
世界でも相変わらず、魔獣という存在への理解が、あいまいであった。


時折人の心をくい、廃人にする呪いは、魔獣とか、”魔女”の仕業だと、考えた。


魔女は、夜な夜な角の伸びた山羊にまたがって夜の集会に飛び出す。箒にまたがって夜の集会にとびだすときもある。
そして人間たちにときおり、悪さをする。その集会でも、特に大規模なものは、ヴァルプルギスの夜とよばれる。

それをやっつけ、民を守ってくれる存在。騎士を従え、盗賊や、他国の侵略から保護する者。

それが魔法少女だ。


「おお、アリエノール!」

すると、彫刻の額をぼうっと見上げて眺めていた円奈の耳に、男の老人らしい声が、はいってきた。

「もどったか、アリエノール!」


円奈が声のしたほうをみると、やや年をとった男が、大広間の石の階段を降りて二階から下へ、くだってきた。

手すりをつかみながら一歩一歩、歩調を確かめながら降りてくる。


「おじさま」

アリエノールは、小さく囁いた。


男は、城主だった。


城主である人間の男は、ウプランドとゆばれる、豪勢な衣装を身にまとう。布製のワンピース型の衣装をきたその城主は、
腰に金メッキの施されたベルトを巻く。


ウプランドに隠れてみえないのであるが、男はリンネルのシャツ着用し、足はウールのストッキングを履く。

この時代ストッキングは女性用と決まった履物ではなかった。



「アリエノール!」

その60歳くらいの城主は、一階に降りてくるや、大広間の隅に置かれた掛け台から杖を一本とり、
手に握るとその杖で大広間を歩きながらアリエノールの名を何度もよんだ。

「アリエノール!」


「きこえていますわ」

アリエノールは、疲れた顔して、はあと息はいた。「何度も」


城主は、髪と顎髭が茶色い男だった。顔に皺があり、目つきは生気が鋭い。杖でてくてく歩き、
大広間の食卓テーブルの前にくる。席につこうとして、その前に、杖をもちあげアリエノールのほうにむけた。


「またも城を勝手にぬけだして───」

城主の男は、険しい視線をアリエノールにぶつけ、杖の先をぶんぶん伸ばす。「どこにいってたのだ?」


「どこだっていいでしょう、領土はでてませんし」


「おまえの身勝手さに、民は不安を覚えておる!」

城主は、まだ杖をつきだしてくる。その足元がふらついている。


「よいか、おまえがいなくて────」


城主に叱られながら、しかし説教にはうんざりといった顔を、アリエノールは露骨にだした。

はあああと大きく息をはいている。


「だれが民をまもれるのだ?」



「私がいたところで、どうにもなりませんわ」

アリエノールは、ため息と一緒に、そう告げる。


「バカなことをいうな!」

城主が叫び、そして、咳き込む。「うご……けほっ!」すると、大広間の壁際に立っていた
召使いのエプロン姿の女何人かが、城主にかけよってきて、彼を支えた。


「おまえは魔の獣と戦って、民を守る───」

城主は、召使いの女たちに手伝われて、どうにか食卓のテーブルにつく。ふらつきながら席に腰かける。

「それがおまえの役目だ」


城主はテーブルにつき、水差しをもってブドウ酒をグラスに注ぐ。


「”国の守り手(魔法少女)”としての」



「…」

アリエノールは、黙りこくる。無口になって、地面をみつめる。


城主の、なじりと説教はやまない。

「戦いにも出ず、魔女とも戦わず、わしの許可もなく城をでる!民は不安がっておる────
”アリエノールで、この村は安全なのか”と」


アリエノールは何もいわない。



「わたしは戦いたくなんてありません」


アリエノールは、下に俯いたまま、呟く。


「それでも、国の守り手か!」

城主は一喝し、ブドウ酒をいれたグラスをやけくそ気味に、ぐいと飲み干した。顔が、怒りのせいか、赤い。

「よいか、おまえは、この地方の領主一族の孫娘だ。魔法少女の力を得て、民を守らればならん。
きけば、隣町の農村はすでに、略奪に堕ちたとか。アリエノール、おまえだけだぞ、戦えるのは!」


「わたしは、戦いなくて怖くて、できません!」

アリエノールは泣き顔で叫び、すると、ドレスの裾をひきずりながら踵を返し、どこかへ早歩きで
去ってしまった。

ぶんぶん怒ったように早歩きし、姫袖がゆれる。


「まて、アリエノール!まて、話は終わってないぞ!」


城主の怒鳴り声が大広間に轟くなか、アリエノールは完全に背をむけて無視して、城の扉をあけて廊下へ入った。


「アリエノールのバカめが!」

城主は愚痴をこぼし、また、水差しからテーブルのグラスへブドウ酒を注いだ。

ふと彼は、ピンク色の少女がどきまぎした顔でその場に突っ立っていることに気づいた。

「なんじゃ、おまえは!」


「へっ!?」

円奈が、びくっと身を跳ねて反応する。「わ、わたし、は……」


「わしの領土の事情をききつけて、銭稼ぎにでもきたか?」

城主は、騎士を指差し、目を細め険しい視線を送る。「いっとくが、わしの金払いは、気前よくなどないぞ!」


「は、はあ…えっと」

円奈は、助けを求めるみたいに、右と左をみたが、もちろん、だれもいない。

「わたしは……アリエノールさんに誘われて……」


「ということは、傭兵志望だな!」

城主は、勘ぐった。「おまえが、アリエノールに付き従って、戦いに連れるのだな?それを約束して
くれるなら、雇ってやる!だが失敗は許さん!」


城主は円奈を目で睨みつける。まるでこいつが、信頼に値する騎士なのかどうか、見定めするみたいに。

しょせん非力な小娘が剣やら弓矢で武装しただけではないか…と声が聞こえんばかりの、険しい目つきである。


いわゆる戦場はそうはいっても男ばっかなので、そこに立たされる魔法少女の付き添い役としても、同年代の女の子が
魔法少女のおそばに仕えて話し相手になる。

だから、戦力を期待されているというより、魔法少女の心の支え役みたいな期待をされることのほうが、少女騎士の場合は、
多い。

男ばかりの戦場で気が滅入ってきた魔法少女と一緒に食事してあげるとか、悩みをきいてあげたりとか、服を洗濯してあげたり
する役目のほうが、多いし、魔法少女と少女騎士の組み合わせの意図は、だいたいそれだ。

しかしそれが大事なことではある。10代の女の子が戦いの運命を背負うのが魔法少女だから、そばに付き添う心の支え役が
いるかいないかは、とても大きなちがいだ。

それでも小娘は小娘だ。度胸がなくては戦場では役に立たん。それを知っている城主の厳しい査定の目である。


円奈はその視線に、耐え切れない。


「ええっと……し、失礼します!」

ピンク髪の騎士はおどおど汗をたらしたあと、城主に一礼して慌ててアリエノールの去った扉をあけて、
城主の前から逃げるとアリエノールをおいかけた。


口ウラあわすなんて、とても、できなかった。




それしても自分の娘を魔法少女にするとは、鹿目まどかや、美樹さやかたちの世代の魔法少女たちが見たら、
アリエノールのことをなんと不憫な、と思うかもしれない。


しかし時代が違い、価値観も違った。

領邦君主たちは、一概にはいえないが貴族たる者、領主の一族たる者、農民たちを守る義務があるとされていた。

魔法少女の存在が人の世に明るみになり、しかも表舞台に活躍するようになったこの時代に当てはめてみると、それは、
つまり、領主一族の娘が魔法少女となり、魔獣の手や、他国からの侵略から自国を守る役目を担う、という義務になる。

これは魔法少女システムの理にもかなっている。

農民やごく平凡な人生を与えられた娘よりも、領主一家や王侯貴族のような身分の高い生まれの娘が魔法少女になるほうが、
国の守り手として立派な魔法少女になれる。


つまり、城主は、農民の娘を魔法少女にさせて、危険極まりない命運を背負わせるのではなく、わが一族の長女である
アリエノールにこそ、農民たちを守る役目を与え、農民の娘たちには人としての生活を保障しようとした。

農民は農民らしく生き、城に住む領主の娘が魔法少女となり、農民たちを守護する、それが"ノブレス・オブリージュ"の理想である。



もちろん、城主は、娘が魔法少女となったら、それに従える騎士たちの部隊を編成するつもりでいるし、事実、
アキテーヌ公家には200人ほどの軍隊が存在していた。

119


「アリエノールさん!」

円奈は、城の暗い廊下にもどって、アリエノールを追いかけた。

「アリエノールさん!」

返事がない。


円奈は、蝋燭の火を頼りに、石壁の廊下を駆け足で抜けて、扉をあけ、アリエノールを探す。


「アリエノールさん!」

扉をあけたら、階段があった。

二階へと繋がる階段だ。


円奈は、それを駆け上ろうとする。

すると、背中に取り付けていたロングボウの弓弦の上端部分が、天井にガタとひっかかって円奈はつっかえた。

「ううっ!」

慌てて背を低くする。


天井に火鉢が鎖で吊るされている。木でつくったロングボウはそこに引っかかってしまっていた。

円奈は、ぐらついた火鉢の傾きを元に戻して、ちゃんとまっすぐに調整し直してから、階段をのぼった。


ズリッ



「ううっ」

また、ロングボウの弓が何かにひっかかった。

こんどは、壁の突き出し燭台だった。弓がそこにぶつかって、蝋燭をふるい落としてしまった。

城内は暗くてよくみえない狭い通路だ。



「ううう…ごめんなさい…」

円奈は、それをもちあげようとして、手を伸ばし、落ちた蝋燭に触れた。


「あちちちち!あっつ!」

そして、慌てて引っ込める。あまりの熱さに手をひっこめ、身体もあとずさる。


ガシャ!

「いた!」

すると、さっきの鎖に吊るされた火鉢に、こんどは頭をぶつけた。すると、火鉢がぐらついて、そこからも蝋燭が
落っこちた。


「ううう…」


あっちもこっちも蝋燭が落ちて、どうしようもなくなった円奈は。


「こ、こんなことしてる場合じゃない…」


諦めて、階段を通り過ぎた。

狭すぎるのがいけないんだから。


ロングボウはその名のとおり、弦が特別に長い弓だったので、小さな通路を通ると、とにかくいろいろなものに、
ひっかかった。



二階にのぼって、木の扉をキイとあける。


「アリエノールさん…」

彼女の名前を呼ぶ。


アリエノールは、二階の城のバルコニーにいた。

湖と緑の森林が見渡せるバルコニーは、白色の石造の手すりに囲われていて、ベランダのようだった。


アリエノールはそのバルコニーで、手すりに手をかけ、切なそうな後姿で、城から山脈の世界を眺めていた。


その、春風に腰まである長い髪をなびかせてバルコニーに佇む姫の切なげな姿が、綺麗だった。


「アリエノール、さん…」


円奈は、ゆっくりと話しかける。「探しました…わたしひとり、おいてかないでください…」


そっと、アリエノールの隣に、ならぶ。自分も城のバルコニーから湖と森林、雪景色の山脈をながめる。


「…」

アリエノールは押し黙ったままで、しばらくバルコニーで髪をそよ風にふかれるままにしていたが、
やがて、話しはじめた。


「おじさまは民を守れるのは”わたしだけ”と」


「…」

円奈もバルコニーの手すりに手をかけた。城にふけつける風が、円奈のピンク色の髪にふきつけ、額が
露になった。

「あなたも、こんな世界を旅してるおかたです。みてきたでしょう?魔法少女の暴力────」


アリエノールの手すりに置いた手が、強く、握り締められた。その左手には、指輪がある。

「人と魔法少女の殺し合いを…」



「…」

円奈は、この領地に辿り着くまえ、情け容赦なく殺しあう人と魔法少女たちをみた。
その戦いに巻き込まれ、命を奪われるところだった。



「おじさまも、民も、ここではだれもが、同じことを私にしろと期待する」


アリエノールは、そっと、つらそうに目を細めた。長い睫毛が際立ち、少女の目はとても、悲しそうだった。


「あんな戦い……したくないのに」


「…」

円奈は、アリエノールのことをおもった。

自分は騎士として自分の意思で、この危険な世界の旅にでたけれど。


アリエノールは、意志も関係なく、魔法少女とされて、あんな殺し合いの世界に身を投じることを期待されて
いるなんて。

それも、城主からも農民からも、まわりのすべての人たちから。


領地を逃げ出して、森で1人にもなりたくなる。

アリエノールという魔法少女は、そんな、自分の運命に嘆く姫だった。


「”魔法少女”として───」

アリエノールは、強く握り締めた手を、手すりからおろす。長い姫袖が、ダランと垂れた。


「戦いもしないわたしを、民はどう思うでしょうか…?」

アリエノールが振り返って、円奈をみた。悲しそうな目に水滴を溜めて。

「戦わないわたしを…戦わない魔法少女であるわたしを…責める?」



円奈は、アリエノールを見つめた。美しいガウスドレスの姫をみつめた。

いっぽう騎士姿の円奈は、チュニックにベルトを巻いて鞘に剣差した、背中にはロングボウをとりつけた姿。


何年も着古したチュニックはみすぼらしくて、足首の肌がみえてしまっている状態。


対するアリエノールは、まさにお姫さまといった服装。姫袖に大きな腰のサッシュリボン。引きずる裾。

対照的な二人だった。


二人がしばらく見つめあったふと、円奈が口を開いた。


「責めません」

円奈は、静かに、目を閉じて、そう答えた。


「誰も、アリエノールさんを責めることなんて、できないです。だって…」


アリエノールは姫袖の腕同士を、重ね合わせて握る。

どこからともなくこんな言葉が口から出てきた。

「”魔法少女を責めることができるのは、同じ魔法少女の運命を背負った子だけ”と。わたしはそう思います」



アリエノールは、大きく目を見開いた。

120


そのころ大広間では、城主がまだ愚痴を口からこぼしながら、食卓テーブルの果物にありついていた。


荘園や、果樹園でとれたブドウ、リンゴ、ナシ、市場で取り寄せたイチジク、オレンジ、レモンなど。

ぜんぶ同じ皿にドーンと盛り付けられている。


それらを手にとり、小さな皿にわけると、城主は、ぐちゃりと口にして食べる。


「まったく、アリエノールは!」

食卓テーブルの席で果物を口にする城主の愚痴は、大広間の壁際に行儀よく待機している召使いの女たちが
無言で拝聴する。



城主は、ナシをかじる。口でごもごも、言葉をだしつづける。

召し使いの女たちは、エプロン姿のまま、俯き加減に下をむいたまま。

「戦いたくない、だと?」

城主は、ため息を強く、漏らす。

「国の守り手としての使命があるというのに。これでは民を守れん」

城主は苦しそうに、声をあげる。


孫娘アリエノールが魔法少女になったが、魔獣の一匹たりとも退治してくれない。

これが城主を悩ませる。


ほっとけば、そのうち農民の娘のうちから契約した魔法少女が誕生して、農民が力を持つようになってしまう。


農民の娘たる魔法少女が、領主一族に対して、たとえば”税を軽くしないと魔獣を倒してあげない”なんていいだしたら、
農奴たちはごぞってその娘に味方して、税の軽減を訴えてくる。

これは支配側の領主一族にとっては一大事だ。

「よわったものだ。アリエノールには魔法少女の務めを果たしてもらわねば…」

城主には城主なりの、悩みがあるのであった。

「この一族にも権勢が保てん」


「そう、気を病みにならないで、おじさま」

すると、別の少女の声がした。


アリエノールではなかった。


新たに大広間にやってきた少女は、見た目の年齢だと17歳くらい。背は高く、コットの服を着た姿。

黄土色のコットの上着の上に、茶色の胸当てをつけ、長い裾を引きずりながら、頭にはサークレットをつけて、
二階から階段をおりてくる。

彼女の上品そうな装飾品の数々をあげようとしたら、暇がない。

宝石をあしらったネックレス、ペンダント、ブローチ、飾りピン。ブローチはアメシスト。


これらは、”姉”から、譲り受けたものであった。


「おお、カトリーヌか!」

城主は、降りてきた孫娘の名を呼ぶ。


カトリーヌは階段を、手すりに手をかけながら、そっと優雅に降りてくる。二階から一階の、大空間へ。
その動きはゆるやかで、ふわりと宙を舞うかのよう。


コットにあてた胸当ては、ブラジャーのようなものを連想してしまうかもしれないが、
それではなくて、胸のふくらみの間にあてられる厚い衣服だった。これを胸にあて、腰につけると、腰だけ、
きゅっと引き締まったスタイルになる。

コルセットに近いともいうべき胸当てであった。腰から肩まで、胸が引き締められる。ふくらみだけ開放される
というスタイル。


「ああ、カトリーヌ、意思は変わらないのか?」

城主は、さっきのぶつぶつ愚痴をこぼしていた挙動とはうってかわって、姿勢を正して椅子に座りなおると、
孫娘を迎える。

「アリエノールが戦わないからって、おまえまで、”魔法少女”になるというのか?」

「私自身が決めたことなのです」

カトリーヌは、一階に降りてくるや、城主にむかって、やわらかく笑いかけた。

「姉上のぶんも、わたしが戦います。そう、自分で決めたのです」


「その決意が変わらないなら、”叙任式”が、明日だが…」

城主は、眉をさげ、悲しそうな顔をしてカトリーヌをみた。「ほんとうによいのか?契約をして魔法少女になってしまうのか?」


「気持ちに変わりはありません」

カトリーヌは、城主の老いた手に自分の手を重ね、やわらかむ微笑む。城主をみつめる。

「民を」

カトリーヌの声が、大広間に、和やかに響く。「この城を」


城主は、カトリーヌのやわらかな少女の手を見下ろす。

「そして姉上を、守りたいのです。わたしの力でそれができるなら」


アリエノールの姉妹で二女であるカトリーヌは、姉のアリエノールが魔法少女としての務めを果たさず破棄しているのをみて、
領主一族を守るために、そしてこのアキテーヌ地方の農民達のために、みずから”私が魔法少女になる”と名乗り出た。


そしてカトリーヌが魔法少女になり、契約するその儀式は、明日が予定されている。



「おまえまで魔法少女になったら、新たな世継ぎを他国から探さねばならん。どこからかの公女をわが領土に招かねば…」

城主は、悩ましい顔つきをして、呟く。「アリエノールが戦いたくないなんて言い出さなければ、こんなことには…」


「姉上を、責めないで。おじさま」

カトリーヌは、優しく囁く。

「わたしが、姉のぶんまで戦います。戦う決意はあります。契約する気持ちも変わりません」

そしてカトリーヌは、城主の手に重ねた自分の手を持ち上げた。

妹のカトリーヌは、本来だったら跡取りとして人間の娘として生きることを望まれていたが、姉を守るために、
と魔法少女になる決意を固めたのだった。

「姉上はお戻りに?」


「…ああ」

苦悩する城主は、答えた。「ついさっき戻ってきた」

121


そのころアリエノールと鹿目円奈の二人は、城の一室のなかにいた。

円奈はアリエノールに誘われて、彼女の私室に入る。


城室は四角い部屋だった。


階でいえば三階で、ここまでは、階段塔という城の塔からのぼった。部屋の入り口は、木の扉で、蝶番で開けられ、
中から鍵をかけた。

鍵は、閂式であった。


城のなかは、やはり暗かったが、アリエノールの部屋にも光採り入れアーチ窓があって、そこから夕日の光が
差し込んでいる。アーチ窓には、鉄格子がはめ込まれる。


城の床は石で塗り固められていた。手で触れると冷たかった。木で組み立てられた質素な天蓋ベットがあり、
アリエノールはそこにちょこんと腰掛ける。

円奈はというと、突っ立ったままで、部屋のまわりを見回していた。


部屋の石壁のくぼみ部分にはめ込まれた鉄の格子扉と、その中の棚にある陶器、水差し。


薪の上に鎖で吊るされた火鉢。火鉢の燃える部分の壁には、小さな穴がぽつぽつとあいていて、煙はここから
外へ逃げる。


城の姫部屋ひとつひとつのものに、とにかく感心するばかりでいた円奈だったが、アリエノールに、誘われた。

「さあ、座って」

アリエノールは、木材の天蓋ベッドにしかれた毛布の、自分の隣を指でとんとんと触れている。


「えっと…いいの、かな?」

円奈は、遠慮がち。


「いいのよ」

するとアリエノールは優しく笑って、質素な天蓋ベッドを起き上がった。

腰まで伸びた背中をみせて、ゆっくりと城室のなかを歩いて、壁際に近づく。



壁際の、火鉢の上にある棚から、ランプのようなものを手にとった。

円奈がそれをじっと見つめている。


ランプは銅製で、ポットのように注ぎ口と把手、蓋があった。


「魔法のランプの話を?」

魔法少女がランプを手に取ると、そんなふうに円奈に問いかけた。


「…ううん」

円奈は、首を横にふる。


「魔法のランプをこすると魔神がでてきて────」

アリエノールは青銅製ランプの蓋をあける。その中に、沈香とよばれる木片をいれる。

「願いごとを、なんでも叶えてくれるのよ」


「願いごと…魔法…」

まるでそれじゃ、魔法少女みたいって、円奈は思ったけれど、思えば目の前にいるこの少女こそ魔法少女だった。


「金銀財宝……不老不死……ひらけごまって唱えれば」

語りながらアリエノールは、ランプのなかにいれた沈香の木片に、火をつけた。


ランプは香炉としても使われた。


ランプのなかで沈香を炊くと、白い煙が、ランプから昇ってくる。

まるで本当に、魔神がでてくるんじゃないかって。


円奈はその光景を見つめながら、思った。


「武器はおいていいわ」

1.2メートルある長弓がアリエノールの手にとられて、城室の隅に立てかけられる。

剣納めた鞘も、壁にたてかけて並べられた。


チュニックだけの姿になった。

「座って」

アリエノールは質素な天蓋ベッドに腰かけ、隣に円奈を誘った。「さあ、ここに」


「うん…」

円奈は、緊張の面持ちしたままゆっくりと、アリエノールの隣に座った。



ふわり、といった感触が、腰に感じられる。

アリエノールの部屋を、円奈は顔をみあげて見渡した。


城室の部屋は大きくはなかった。二人でいたら、狭く感じるくらいだ。

でも、棚や暖炉、陶磁や水差しをいれた凹みの格子窓、天蓋ベット、テーブルと燃える蝋燭の火…

どれも、初めて目にするものばかりだった。



「髪が伸びきっているわ」

アリエノールは円奈の、背中の後ろまで伸びてきたピンク色の髪を、手で梳かした。


「旅にでてから、きってなくて」

円奈が、苦笑いして、言った。「そんな余裕がなかったというか…」


アリエノールは天蓋ベッドの腰掛けたまま、箪笥の引き出しをひいて、中から木の櫛をとりだした。

お姫様必須の日用品である櫛で、円奈のピンク色の髪を、梳かした。




人に髪を梳かされるのははじめてで、しかも、それが領主の孫娘である姫にされていると思うと、身体が
強張った。

「あ…あの…」

髪をとかされながら、円奈は、困った顔つきで、アリエノールをみた。「これって、立場が逆じゃ…」


「いいのよ」

アリエノールはすぐに答えて、小さく微笑んだ。髪を梳かす手はとまらなかった。「わたしにさせて。ね?」


「うう…」

円奈は、諦めて、前に向き直って、強張った顔で地面をみつめた。


円奈は自分が緊張するばかりで気づかなかったが、部屋にもどってくると、すっかり上機嫌にもどった
アリエノールだった。




アリエノールは目を瞑って、夢見るような顔つきで、ピンク色の髪を梳かし続けた。


「父は”アリエノール・ダキテーヌ”のように強く、華やかな女性であってほしいと────」

アリエノールが、円奈の髪を梳かしてくれつつ、後ろから話しかけてくる。

円奈は、自分の髪を梳かしてもらっているうち、次第に、心地よくなってきた。



「わたしにそう名前をつけた理由を」


それだけ聞いていると、アリエノールさんのほかに、アリエノールという別の人がいるみたいだけど…。

そうなのかもしれない。



「強くて華やかだといったって、”魔法少女”なんて生き方、したくなかったわ」


「…」


アリエノールは、悲しそうに、口にする。「私は、戦いたくなんて…」


「…」

頭に感じる、櫛の心地よさとは裏腹に、アリエノールの心の声は悲しくて、苦しいものだった。

私も騎士となったけれど……魔法少女は、それ以上に戦いに身をおく。


もし私も魔法少女だったら……耐えられるだろうか?あの戦いの世界に…。


そう思うと、苦しくなった。


「グリーフシードの話、しってる?」


「…本のなかでだけ、読みました」

櫛で髪をとかされながら、円奈は、うとうとと答えた。眠たくなってきていた。

「魔獣が落とす種子だって……魔法少女に、必要なものだって……」


「…そう」

アリエノールは、小さく、円奈に囁く。「でも、魔獣と戦ったこともないわたしは──」

円奈を、人形かなにかのように、大事そうに、髪を扱う。

「グリーフシードを、”契りの魔法少女”から分けてもらっていたわ」


「契りの魔法少女…?」

そういえば、本で読んだことあるかも。

魔法少女と魔法少女が契約する関係のことである。

任期は1年と40日で、ちょうど、領邦君主が騎士を雇うような契約で、魔法少女が魔法少女を雇う。

臣従関係である。

封建制度の社会には珍しくないことなので、アリエノールは、自分が戦わない代わりに、他国の魔法少女を雇った。

いままでこの領土の魔獣退治はそうしてまかなわれてきたのだった。グリーフシード稼ぎも。

もちろんそれは、城主に幾度となく反対される。



「民とおじさまは私に失望して───」

アリエノールは、再び、話した。

「妹のカトリーヌが魔法少女になることを決めたの」


「じゃ、じゃあ…」

円奈が、顔をあげる。「それが…叙任式で契約するっていう…」


「そう、明日の朝、妹が魔法少女になるの」

アリエノールの口調は切なげで、重苦しい。「妹は自ら決めたのよ。戦いの世界に身を投じるって」


「…」


こうして1人、また1人と、魔法少女になる。

世界はこうして、魔法少女のものへとなっていくのであった。


昔の時代とくらべたら、比較にならないほど、今の時代は、魔法少女の数が多かった。

今日はここまで。

次回、第14話「隣国のガイヤール城」

第14話「隣国のガイヤール城」

122


エドレスの領地。ダキテーヌ居城から50マイルくらい離れた場所で。


ガイヤールという小国の領主であり魔法少女であるギヨーレンが、その居城でいったりきたりしていた。


ここも立派な石造の城であった。ギヨーレンがうろうろ、居城のなかでいったりきているは城の大広間で、
アーチが高くてタピストリーが何枚も壁側には垂らされていた。


王の間ともいうべき空間だ。


大広間のなかは、アーチ型の開き窓から日の光が差し込む。その陽光が採光されて、城内に映る。


ここガイヤール城でいったりきたりする一人の魔法少女は、この城の王。ガイヤール国の王で、領主で、強力な魔法少女で、
農民たちから税をとって、魔法少女同士の領土争いたえぬこの乱世の時代の優れた戦術家でもあった。



「まだか!」

と、ギヨーレンは王の間にて、手下の騎士に怒鳴り散らした。

怒鳴ったというっても、魔法少女の声は可憐な少女の声であった。



「あの二人は、まだなのが?」


その甲高い魔法少女の声が、城内に轟く。魔法少女は毛皮のマントを羽織り、いったりきたりするたび、
ふわりふわりと背中のマントがうきあがる。それは、勇姿であった。


手下の騎士は、銀の鎧を着て手に槍をもった衛兵の格好で答えた。「まもなく参ります」


「それは、よかったが!」

マント姿の魔法少女はバンと手をたたいて、感情の昂ぶりを身振りに顕した。

「どれほどの騎士と兵士をつれてだ?数は、どれくらいだ?それ、いってみろ!」

嬉しそうな王がいうと、はたっと毛皮のマントがはためいた。


「それが…」

騎士は気まずそうに、歯をかみしめた。

しかしここは腹をくくってと、前を向いていった。「兵はただの1人も連れておらず…」


「はあ?」


「単独で参りました」


「…は?は?」

王の魔法少女は目をまん丸くして、するとそのときバーンと城の大広間の扉が開けっぴろげられた。


二人の魔法少女が、城の大広間に勢いよくはいってきた。てくてくてくと歩き、前にやってくる。

1人は兜を手にもった鎧姿の少女で、もう1人は鎖帷子を着込んだ少女。


二人とも魔法少女であったが、服装も格好も騎士と変わらない武装姿であった。


「おお、きたが!」

ギヨーレンは二人の魔法少女の登場に、嬉しそうにぱあって顔を明るくした。

ばっと手をひろげ、堂々然として、すると毛皮のマントも広がった。


「さあさあ、共にたちあがるぞ!」

と、ギヨーレンは大声で語りだした。ガイヤール城の大広間に、その声が隅々にまで轟く。

「ともに、ダキテーヌ家をやっつけ、あの領土をわがものにしてしまおうぞ!よいか、魔法少女とは戦う存在なのだ。
なれば、戦いに勝って強くなることは、魔法少女の最大の名誉だが。これで余の名声は、いよいよなりとどろいて、
民は、いっそうよくしたがうことになるだろうて!ほかの魔法少女連中も、ますます、余に頭をさげねばなるまいが!」



二人の魔法少女は黙ってずがずがとギヨーレンの前にやってきた。

ギヨーレンの高々な叫びとは裏腹に、どこか冷めた態度の二人に、ギヨーレンはとまどって、うぬぬと唸って
二人をみおろした。


様子のおかしさにきづいたギヨーレンは、まず緑目をした黒い短髪の魔法少女に目をむける。


「わたくしどもは、あす、故郷に帰らせていただきまする。」

と、緑目をした魔法少女、アクルスは言い出した。

「ああ?」

ギヨヘーレンはびっくり仰天した。この大事なとき、わが名誉と名声をかけた大事な戦いのときに、
なにをいいだすのか!と。

怒りをふくんだ声でギヨーレンは、といただした。

「なぜだが?」

「わたくしが、あなたと契りを結んだとき、」


”契り”とは、もちろん領土をもった魔法少女同士の、例の臣従の契りのことである。


「あなたにしたがって戦いにでるのは、一年に40日かぎりと、おやくそくもうしたはずでございます。」

と、丁寧そのものの口調で、アクルスは頭を若干低くし、伏せ目がちのまま話す。


「して、きょうがちょうどその一年と40日目。」

と、伏せ目のままアクルスが告げると、ギヨーレンははっとしたように顔を青ざめさした。

「わたくしの”子分”として義務は、ことしはもう、はたしおわりました。」


かわってもう1人の魔法少女、鎧着込んだ魔法少女は、きのどくそうな顔をしてギヨーレンにいった。

リークルという名の魔法少女であった。

「春がきましたので、故郷(くに)へかえって、村人どもの種まきを監督しなければなりませぬ。自分の村の
ことがいそがしくて、とてもこれ以上あなたの戦争につきあっているわけにはいきませぬ。」


「それではごめん。」

二人あわせてそう告げ、頭を同時に下げ、踵をかえして城をさってしまう。


ギヨーレンのとめる声もきかず、城内をでて郭の中庭にでるや、馬にまたがってひとむちくれると、
ガイヤール城の石造アーチを潜り抜け、ゆたかな畑と林へと飛び出し、魔法少女たちはそれぞれの道へ去った。


「ぬがが!無念だが!」

頭をかきむしり、毛皮のマントをハラハラと舞い上がらせて領主の魔法少女は悔しがった。

「ぬぐぐぐぐ…」

うなりながら歯を噛み締め、顎をつかみ、城の大広間をいったりきたりする。



するとそれを見かねた手下の騎士が、魔法少女に提言した。

「ギヨーレンさま、アキテーヌ城ごとき、われらだけで、落としてご覧いれます。」


「ほう?」

ギヨーレンは頭をかきむしる手をとめ、顔をあげ手下の男の騎士を見つめた。


「何か策…!」

ギヨーレンは騎士をみおろす。そしてビっと、大広間の玉座の壇から騎士を指差した。


「策略っ…!読み…!勝算っ…!あるのが?」


「策というほどのものではありませぬ。しかし、」

騎士は語る。

「アキテーヌ領の魔法少女といえば、戦うことを放棄した、取るに足らぬ魔法少女でございます。
あなたほどのお人が負けるとは、あなたさまに長きに渡り仕え申した私の立場からみても、
到底おもえませぬ。」



「…アリエノールだが?」

「はい」

騎士は頭をさげ、伏目になって丁寧に答える。

「いまきくとこによれば、戦わぬアリエノールのことに業を煮やして、アドル・ダキテーヌはその妹を、
魔法少女に叙任しようと動いているのでございます。しかしそうはいっても素人の魔法少女。
重ね申し上げますが、ギヨーレンさまが負けるとは露も思えませぬ。」


「ほうほう」

魔法少女は顎をつかみ考える仕草をした。毛皮のマントが、頷く動作にあわせて上下にゆれた。

それからしばらくして、また頭を掻きはじめた。頭がかゆいからだった。


毎日お風呂に入る習慣はなかったし、シャンプーとかリンスみたいな洗髪料もなかったから、誰もがみな頭は、
シラミだらけであった。

シラミこそ人々の悩み事であった。


それは魔法少女として同じで、領主や姫であろうと頭がシラミだらけで、しょっちゅう頭がかゆくなって
手でかきっぱなしであった。


ギヨーレンは頭を手でかきながら、決断をくだした。

「われらだけで、戦いにでるぞ!」

「はっ」

騎士は顔をさげ、内心嬉しそうにしていた。



戦いになることが嬉しいのではなく、部下の兵士たちに仕事を与えてやれるのが嬉しかった。


いわゆる騎士たちや傭兵たちは、戦争のときこそ仕事があるのであるが、平和だとかえって
苦しい生活に見舞われた。


戦争こそが彼らの仕事であるだから、平和であるということは仕事がないことを意味する。


失業した騎士や傭兵は、食べ物をえるためになんの罪もない農村に襲い掛かって、火を放ち食べ物を
奪い取るなんてことに明け暮れてしまう。

こうして盗賊や山賊と成り果てた傭兵たちは、今の世の中いくらでもいた。


それは魔法少女とて同じで、農地を荒らす魔法少女というのも存在した。


それに正規の戦争は、血みどろの紛争とちがってちゃんと相手の捕虜を殺してはいけない暗黙の約束のもと、
おこなわれる。これは騎士道に拠る。


農民にとっては城主が交代するだけだ。


アキテーヌ家には、申し訳ないがその踏み台となってもらう。

123


さてアキテーヌ城のほうでは、夕暮れがすぎ夜を迎えていた。

日は地平線の山脈のむこうに沈み、夜のとばりが地上におりてくる。



城は夜になると、あちこち燈台と松明、燭台に火をつける。



ゴーンゴーンと、城の塔てっぺんの鐘が音をならし、すると城は夜の景観へと姿を切り替える。




あたかもしれは、ほたるの光に囲まれたような姿で、城のあちこちに火がぽつぽつと、ともりはじめる。



夜の湖にも、城に灯る明かりの数々が反射して映った。



美しい夜の城の景観であった。



円奈はアキテーヌ城の裏側の外壁通路にでていた。

城から湖に囲まれた景色を見下ろし、虫たちの鳴き声を耳にしながら思いにふけった。


この外壁通路は、石でできた出っ張りの通路で増設された部分だった。



通路に置かれたかがり火の松明が燃えている。通路の脇は、石でつくられたへりがあって、そのへりには、
矢狭間という小さな隙間がいくつもあった。


外敵の侵入にあったとき守備隊はこの矢狭間から矢を射る。

もちろん、城が湖の上にドーンと建っているのも、ただ見た目の演出のためだけにたっているのではない。


城を建てるには水の確保という最低条件がある。


敵に包囲されたとき、城の内部で水の調達が最低限できなければ、城は一週間の包囲にも耐えられない。


だからこのアキテーヌ城にも、湖に城を建て、水を城内から汲み取れる地下貯水槽と井戸が存在する。


また水に囲まれることは、敵側にしても、梯子を城壁にかけるとか移動式やぐらを城壁にくっつけるとか、
破城槌を運ぶことができなくなるので防御に大いに有利なのである。



鹿目円奈はこの矢狭間つきのへりに手をかけ、夜の景色を城から、じっと眺める。


「どれくらい離れたところにきたのかな……」

と、独り言をつぶやいた。

故郷のことを思い浮かべた。


いまごろバリトンの人たちは、またあの山嶺河野の地にもどって、収穫と刈入れでも
しているのかな。


こゆりちゃんも、紗枝ちゃんも、椎奈さまとは別の新しい魔法少女をみつけて、村に迎えているのかな。


すると円奈の後ろ、城外壁のアーチ扉から一人の少女が現れた。アリエノールだった。

「6ペンスの歌───」

アリエノールは、色のちがうガウンドレスに着替えていた。オレンジ色ではなく水色のガウンに着替えていた。
サッシュリボンは白色で、相変わらず裾をひきずった。

「ポケットいっぱいのライ麦と24羽の黒ツグミをパイの中に焼きこんで──」

アリエノールは歌を口ずさみながら、円奈の隣にきた。そして彼女も矢狭間のへりにてをかけた。

「パイを切ったら黒ツグミが歌うのよ」


円奈はさっき抜き取られた武器と弓を手に戻していた。背中にイチイ木のロングボウを取り付け、
腰にまいた革ベルトには鞘と剣。


騎士姿にもどって、夜の城を見回して眺めた。


ところどころに灯した松明の火。明かり火。城をみあげると、どこまでも明かり火が点々とあって、
城を夜の暗闇のなかに浮かび上がらせている。


どこからか、城のなかで女たちの奏でるハープの音が、円奈のいる外壁通路にまできこえてくる。



円奈はへりの手すりに手をかけたままで、城の外の山々の夜景をみつめていた。


アリエノールは円奈のピンク色の髪に赤いリボンが結われて、ゆらゆらと夜風にふかれて靡いているのに
気づいた。


「そのリボンは…?」


「ああ…あのね、これは」

円奈は、来栖椎奈が自分の髪にリボンを結んでくれたときのことを思い出した。

「私を騎士にしてくれた魔法少女から、もらったんです。お守りにって。その人は、”ある人から授かったものだ”って」

「…」

アリエノールは神妙そうな顔つきで赤いリボンを見つめていた。それから首をかしげて、リボンを
見つめつづけてこんなふうにいいだした。

「触れても?」

「え?」

円奈は振り向いてアリエノールをみた。

「素敵なリボン」

と、アリエノールは言う。「私の手で、触れてみても?」

「う、うん…」

円奈はうしろを振り向いてアリエノールに背をむけた。

そっとアリエノールの指が赤いリボンに触れた。1000年の時を経たリボンが、この時代の魔法少女の手にふれる。


「不思議だわ…」


と、アリエノールはリボンに触れながらまた囁く。赤い帯を、魔法少女になった姫の細い指が撫でる。

円奈は自分の髪に結んだリボンが、魔法少女の手の指に触れられるのが、櫛に梳かされるのとはちがって、
なんともヘンな感覚だな、と思った。


「大げさだよ」

円奈は小さく笑う。「でも、大切なものだって、わたしにも分かる。ひょっとしてひょっとしたら、
神の国と関係あるものだったりして……なんて、たまに思ったりするの。」


赤いリボンはこの世界には二枚ある。

一つは鹿目円奈のもの。そしてもうひとつは─────神の国に。


黒い長髪の魔法少女が、いまも聖地で身につけている、もう一本の片割れ。

彼女との再開は遠いかの国で果たすことになる。まだまだ、全然遠い国である。



「”聖地にいかなきゃいけない”って、そういわれたんです。魔法少女に…」

円奈は城の外壁通路からみ渡せる山脈のむこうにある、”裂け谷”のことを考えた。


大陸と大陸がぽっかり開けた裂け目。その先に海がみえるという。


「だから、わたし、もうここをでようかなって思います」

と、円奈は告げた。

「いつまでもお邪魔してるわけにもいかないですし……もともと私がここにいること自体、ちょっと変ですし…
それにおなかもすいちゃった。そろそろ狩りにいかなきゃ」

お腹を手で触れながら円奈は笑う。

「こんな素敵なお城につれてくれて……ありがとう。アリエノールさん。わたし、いかなくちゃ」

そういって、去ろうとした円奈の両手をアリエノールはつかまえた。



「夜は危ないのよ。魔獣だっているわ」

「魔獣が近づけば、私の剣が青く光るんです」

姫と向き合ったまま騎士は言った。「もともとそんな旅をしていますから」

「危険よ」

アリエノールは譲らない。円奈を引き止める。「それに────明日、魔法少女叙任式、一緒にきてくれる
約束でしょう?」

「それなんですけど……」

円奈は目を下に落とす。「城にきてみて、すっごいわたし場違いっていうか……ここにいちゃいけないって
感じがして…」

「そんなことないわ。叙任式に一緒にしてくれるって───」

円奈の手がアリエノールの暖かな手につつまれ、まっすぐ見つめられ困り果てる円奈。

「わたしが招待したのよ」

「で…でも…城主の人が……口ウラあわせ……できなかったし……」

「あなたがいないと明日の叙任式で、わたしひとりだわ…そんなのいやよ」



「ううう…」

円奈はすっかりまいってしまった。

お姫さまにこんなにお願いされたら……断れないよ。

「でもお腹がすいちゃって……狩りにいってもいいかな?」

「ダメよ。この森の動物はすべて私たち一家のものよ」

すぐにいうアリエノール。

「部屋に戻りましょう」

アリエノールは提案する。「私が貯蔵庫からお食事を運ぶわ。いい、ね?部屋からでてはダメよ。
守衛兵と見張り役にみつかったら騒ぎになるわ」


「う…ううう……はい」

円奈は諦めてがっくり頷いた。


すぐにでも聖地にむけて出発したい気持ちだったのに、なかなか城がでれなくなる、円奈なのであった。

124


アリエノールの部屋に戻った円奈は、城室を眺めた。


アーチ形の格子つき窓から、月明かりが差し込んでくる。


月光の青白い筋はアーチの形した窓を通って、石壁に囲まれた城室の床を照らし出す。

月の光が映る地面は、窓の鉄格子の模様が影になって映えている。


円奈は窓から顔を寄せて城の外を見る。

夜景に静まった暗い湖と、奥に連なる雪景色の山脈と、山に降りる夜空とを眺めた。


そこに浮かぶ三日月も。



城のどこからか、ハープの美しい音色が響いてくる。城全体に響きわたっている。

まるで城そのものから、音楽が奏でられているかのようだ。


ハープの音楽はゆったりと、ゆるやかで、眠りをさそうような音色だ。



それが断続的に、ずっと奏でられているのだ。



きっと城の大広間かどこかで、女たちがよるもハープを奏でているのだろう。



「ふぁ…」

ハープの音は眠りを誘う。

円奈は、城室の光採り入れ窓から月を見つめたまま、あくびをして手で口をおさえた。


そのころアリエノールは…。


城の階段塔とよばれる、四角い城全体の城壁から微妙に飛び出した塔のなかで螺旋階段をくだっていた。

四角い塔のなかかが螺旋階段によっていて、一階、二階、三階とつながる。


城は、基本的には下から上にいくほど身分の高い者の空間となる。


一階は守備隊の部屋。二階は客人用の部屋。三階がアリエノールら領主の家族の部屋。四階が領主の部屋。


そして地下は食糧貯蔵庫であり、樽にさまざまな食糧を保存した。

塩漬けの豚肉、魚などを多く蓄える。


食べ物と限らず、ビールやワインなども多く貯蔵する。


麻の袋にたんまりと香辛料もためられ、ほかに多量の塩、小麦とライ麦、大麦など穀物類も貯蔵される。


城の地下に貯蔵するのはこうした食糧だけではない。


小石を大量に袋に詰め、貯蔵している。

ほんとの、ただの石ころである。



この無数の石ころの用途はなにかというと、敵が城に攻めて来たとき、農民を城内に避難させ、戦闘経験のない
農民たちにこの小さな石ころを渡して、敵の頭めがけて落とす戦いを命じるのである。

それが籠城戦とよばれる戦いで、この時代にはよくある戦争だった。



食糧庫の入り口の両側立っているのは、夜勤の守備隊たちだ。鉄格子の扉の前に、二人して並び立つ。


守備隊たちは槍を片手にもって鎧を着込み、眠たそうにあくびをする。


足音が階段から降りてきて、はっと目をぱちくりした守備隊は来訪者におどろく。


「アリエノールさま」

守備隊は呼ぶ。「こんな時間に、どうされました?」


「料理をしたいの」

アリエノールは言った。アリエノールは夜に静まった城内を照らすため、片手に松明を持っていた。


「ええ、こんな時間に、ですか?」

守備隊は困った顔をした。「しかし台所もいま閉じてますし……勝手に火をかけてはならない決まりですし…
だいいち鍵を渡しする権限がわたしには…」



城には大広間の隣に、台所が設置されているのだが、火を扱うため規定の時間以外は人は入ってはならぬ決まりだった。


アリエノールは、この城に暮らすこと長いから、もちろんそれを知っている。


「それでもお願いしたいのよ」


「アリエノールさまのお願いでしても、応えかねます…」

守備隊は気まずそうに答える。「それでしたら、大広間にお戻りに。今日の食事の料理が、
まだ残っていますから。」

「残り物なんて!」

アリエノールは声をあげた。


「しかしですね…」

守備隊は冷や汗を額からぬぐう。「こんな時間に、料理すること自体が、規定外ですから……」

「…」

アリエノールは押し黙って、下をみて口を噤むと、踵を返して守備隊に背をみせ足早に去った。

「わかったわ」

そういい残してドレスの裾と姫袖をゆらしながら城の通路を歩き去る。


「…アリエノールさま、なにかあったかな?」

守備隊の1人がいうと、もう1人の守備隊が口を開いて答えた。

「明日、カトリーヌさまが…」

守備隊と守備隊が、互いに目を見あわせる。「”魔法少女になる”って」


「民は魔の獣の恐怖から解き放たれるってわけだ」

アリエノールと話した守備隊がいう。

するともう1人の守備隊も頷いて、それからこう言った。

「カトリーヌさまが魔法少女になり戦うのであれば……アリエノールさまは、民からすればもう”無用”のお人」

守備隊が、おどろいた顔して相手をみる。

「民にとってアリエノールさまはもう用済み、自分達の税を吸い取ってのうのう暮らす女でしかなくなるのさ」

「…」

守備隊はアリエノールのことを思い出す。

民にとって魔法少女は、魔獣という恐怖から守ってくれる存在。そういう存在のはずだった。

だから魔法少女の存在を歓迎する。


でもアリエノールは戦いを放棄した。戦いたくないと駄々をこねつづけた。民はそれでも、アリエノールこそ
自分たちをさまざまな外敵から守ってくれるはずのお人と、首を長くして魔法少女の自覚に目覚める日を
待っていた。


それが明日からは状況が一変する。


妹カトリーヌが、自ら戦うことを決意して、魔法少女になることを決めている。

民にとっては歓迎すべきことだし、自分達を守ってくれる英雄が誕生したわけだが、そうなれば民が
アリエノールに期待することはもうなにもない。


ただただ自分たちの税を、収穫を、10分の1も収穫のたびに徴収して、それで城で贅沢に暮らす女でしか
なくなる。


アリエノール自身もそれを知っているのだろう。

そういう心境の変化なのかもしれない。



深夜にはいつも部屋に閉じこもっていたアリエノールが、急にこんな時間に料理をしたいなんていいだすのは。


「でもそんなわりには…」

守備隊は、さっきのアリエノールとの会話を思い出す。

「なんだか、いつになく元気な様子であられたような…?」

125


城の大広間にもどったアリエノールは、テーブルに並べられた多くの食事をみた。


トレンチャーと呼ばれる固いパンのうえに、食事が並んでいる。


四角いこのパンを皿代わりにして、食事を嗜むのが城の食卓であった。


トレンチャーは五枚使う。

四角いトレンチャー四枚を、土台としておき、さらにのその上に一枚トレンチャーをおく。

この二段目のトレンチャーが皿となる。


トレンチャーがおきっぱなしなのは、これが明日の朝に、領土の貧民に施す食材となるからで、
早晩に城の前に行列つくって並ぶ民にこのトレンチャーを食べ物として分け与える。



それまでは廃棄処分とせずにとっておく。


アリエノールは大広間にでて、そこでハープを奏でる女をみた。


女は、自分の身長よりも大きなハープを、愛しそうに指で触れてハープを奏でており、その姿は、
夜の大広間に差し込んでくる窓の月明かりに、青白く照らされていた。


頭にはサークレット。肌色のコット姿。


「カトリーヌ…」

アリエノールは妹の名をよんだ。「眠らなくていいの?」


「明日はわたしが魔法少女になる日」

カトリーヌはハープを奏でながら、言った。「そう思うと、眠れなくて……」


「カトリーヌ…」

アリエノールは寂しそうに目を閉じる。「あなたまで、あんな宿命おうこと、ないのよ」


「おじさまからききました」

カトリーヌは告げた。「騎士のおかたを、連れているそうで…?」


「…」

アリエノールはそれについてはなにも答えない。


「わたしが明日から魔法少女となってお守りさしあげるのに」

カトリーヌはハープを奏でた。

この姉妹はどちらも楽器がすきであった。


カトリーヌはハープを、アリエノールはフルートを好んでいた。


「守りたいものがありますから。姉上も、おじさまも民も……」


「……」

アリエノールは再び黙ったが、しかししばらく間をおいたあと、語りだした。

「魔法少女になったら明日からあなたは────」

数歩前に進み出てカトリーヌに近づく。ドレスの長い裾が床をひきずった。

「腰に剣を差し、弓矢を持ち、馬に乗って、ドレスではなく鎧を着込み、その武器を人にむけるのよ。
戦いの残酷さがわかる?」



「手下の騎士たちかにら学びます」

カリトーヌは動揺しない。決意はかたかった。


「魔獣とも戦うのよ」


「…」

カトリーヌはハープを奏でる手をついにとめた。

ハープの席から立ち、城内の大広間を歩くとアーチ窓の前にきて、湖とそこに映るゆらゆらした三日月を眺めた。

「わたしが魔法少女になることで、姉上もおじさまも、民も、あらゆる人が助けられるのですよ。私が魔法少女にならない
理由なんてどこに?」


カトリーヌの意思をかえることが難しいとあらためて知ったアリエノールは、部屋で待っている円奈のことを
思い出して、食卓に残されたトレンチャーの上の、料理をいくつか手にとった。

126


そのころ城の四階、城主の部屋では───。

カトリーヌと同じように城主も、明日の魔法少女叙任式のことを想って、眠れないでいた。



暖炉にはまだ丸太が燃えている。


その赤い火に照らされた城主の部屋のなかで、アドル・アキテーヌは夕方に受け取った手紙を手にする。


領主のベッドは天蓋ベッドで、カーテンつき。


机にはいくつかの蝋台に蝋燭の火がゆらゆらと燃えていて、その明かりが手紙を照らしだす。

燭台(しょくだい)は銅合金製で、動植物を象った彫刻をした、凝ったつくりの金色の燭台。

三脚をもった杯のような形をした燭台だ。


そこに立てる蝋燭は樹脂でつくられる。



城主が手に取った手紙には、手紙を留める赤色の封蝋があり、その右下に丸型の玉璽が捺されている。


この玉璽をみれば、手紙をよこしたのが誰なのか一目瞭然なのである。


玉璽は、騎乗姿になって冠をつけた王が剣を持ちあげる姿が描かれ、その円の周囲には、EDWARDⅡと
ぐるり一周しながら文字が記されている。


エドレス国王、エドワードからの手紙であった。


こうした印章は、国章として、自分たちが何者であるのか相手に一目でわかるようにつくられる。



アドル・ダキテーヌは、手紙の封蝋をあけ、手紙の中身をみた。


羊皮紙があらわれ、そこに記されたインクの横文字を読む。



”エドワードより アドル・ダキテーヌに警告する───”


エドワードこそは、のちに円奈がめざすことになる、裂け谷の異名もつエドレスの絶壁に建つ王都の城を支配する
国王の名である。



”魔女についての警告を────”


魔女。

その単語をみて、アドル・アキテーヌは眉をひそめる。



”わしの考えでは魔女の正体はいわばいうところの、魔法少女であるという警告だ”


羊皮紙を読むアドルの目が見開く。


”魔女どもはその魔術をつかい わが国土に病と狂気をもたらしている”


もちろん世界はすでに、鹿目まどかの改変がされた世界である。

にもかかわらず、人間はいまだに魔女の存在を信じていた。


”やつらはかまどにカエルの死体に髪の毛を焚き 天候に災をもたらす”


エドワード王の警告なる文字の語りはつづく。


”夜になれば山羊に跨り 夜空に飛び立ち 月にのろいをかけ 赤色に染める”



アドルは顔をしかめた。


自分の孫姉妹が民を守るために、世の魔物どもと戦うというのに、その正体が魔女だとはなんたる言い草か!


”魔女どもに心せよ 火にかけよ───”


ありえない。

魔法少女は、悪と戦える存在だ。それはこの目でみてきている。



アドルはもう手紙を読んでいられなくなり、手紙を暖炉のなかに投げ捨てた。


手紙はすぐに暖炉の火に包まれた。王の蝋封の手紙は黒く燻り、ぼろぼろ焦げて焼失していった。

今日はここまで。

次回、第15話「魔法少女叙任式」

第15話「魔法少女叙任式」

129


朝日が城内に差し込んでくる。

白い城に照らされる日の光。湖はキラキラと反射する。



城の入り口では、民が行列をつくっていて、順番に、宮廷料理の残りをその籠にもらいうけている。


民の行列は長く、200人、300人と居城の前に並び続けている。


城の入り口では食べものを配当する係と、万が一の事態に備えた鎧の守備隊たち、それを見守るドレス姿の
貴婦人たちが並ぶ。

トレンチャーという固いパンに、ソースがまじって味がついたもの、パンの耳くずなど、貧民を優先して、
城から分け与えられる。


貧民と農民が食べ物を求めて殺到する朝の城は、がやがやと騒がしかった。

最初は順番どおりに並んでいた民たちも、城から供給されるパンの残り数が少ないことを察すると、
順番をやぶって、我先にと籠を城の配給係りに突き出す。

そうして押し合いへしあいがはじまると、兵士たちが、順番をまもれ!と怒鳴り散らし、それでも騒ぎが
収まらないと、跳ね橋をつりあげて、今日の食糧配給を打ち切りにする。


ギリリリリと跳ね橋が鎖によって吊りあがり、城の門は閉ざされる。


それでも食べ物を求めた農民たちは、つりあがる跳ね橋にしがみついて、城に入ろうとするが、やがて力つきて、
じゃぼーんと湖に落っこちる。



こんなことが朝のデキテーヌ城では、しょっちゅう起こった。

城の朝はいつも騒がしかった。



外がこんなにがやがやざわざわ、騒ぎになっているので、城内の天蓋ベッドで眠っていた円奈もだんだん、
意識がはっきりしてきていた。


「んんん…」

天蓋ベットのなかで目をこする。アーチ窓から差し込んでくる朝日が眩しい。


「あれ…?」

感じたこともない寝心地に戸惑いながら身を起こすと、信じられないくらいふわふわした心地よい
毛布が、身体からすべりおちた。


「うわっ!」

そして円奈はびっくり仰天して起き上がった。


「目、覚めた?」

アリエノールはうふふと笑って、円奈をみた。すでに起きていたアリエノールは、鏡の前に立って、自分の髪
を櫛でとかしていた。

「ぐっすりだったわ」

円奈をみて、いたずらっぽくアリエノールは笑う。櫛にとかされた髪は、アリエノールの左手に持たれている。



きのうあれからフリエノールさんに、ミルクと”ストロベリー”という料理を食べさせてもらって、
”ウェースハース”というお菓子を食べさせてもらって……

そのまま寝ちゃったみたい…。


「ご、ごめんなさい……」

円奈はすぐベッドから降り立った。

それからいつもの癖で、部屋の隅に置かれたロングボウと、剣の鞘を手にもとうとした。


そしたらアリエノールに言われた。

「武器はもたなくていいのよ」


「で、でも…」

私、騎士ですし…といおうとしたら。

「”魔法少女叙任式”の準備が整っているわ」

アリエノールは髪の毛をとかす櫛をゆっくりと棚に置いた。「あとは私とあなたの出席を待っているだけ」


「うう…」

円奈は緊張してきた。少女が、魔法少女になる儀式…どんな儀式なのだろう。

その瞬間を目の当たりにできることは確かに、興味があった。



「あなたも身支度を整えて、いきましょう」

「う、うん…」

円奈は乱れた自分の髪を整えるため、荷物から櫛をとろうとした。

そしたらアリエノールに、鏡の前に誘われた。「こっちにきて」

「ああ、でも、わたし、櫛が…」

「わたしのを使いましょう」

「うう…」

なんだか、ずっとアリエノールさんに世話されてるかんじな私…。



いったん赤いリボンが髪からしゅるりとアリエノールの手に解かれて、棚におかれる。
ピンク色をした、背中まで伸びてきた円奈の髪を、櫛で梳かし続ける。


円奈は、リボンを解いてストレートになった自分の髪と顔をみつめた。

ピンク色の髪にピンク色の目。鏡は錫と銀の混合物からつくられたもので、でこぼこしていて、
ちゃんと光を反射せず、鏡にうつる自分の顔は歪で、ぼやけている。



まだ水面のほうがはっきりと自分の顔と姿をみれるくらいだ。

自分の後ろで、髪を楽しそうに梳かしているアリエノールのも映っている。もちろんぼやけていて、
顔は肌色をしていることしか見えない。


今の時代の鏡の質などこんなものだった。

だから、乙女が自分の顔をほんとうに確かめるときは、湖の前へでかけて、水面を覗き込むのである。

130


城の外では、食糧を受け取れなかった農民たちが、がやがやと、城の前でがなり声をごぞってあげていた。


「まだ城にたくさん、食糧があるくせに!」

「おれたちの収穫を、たんまりと貯蔵しているくせに、門を閉ざすのか!」


農民たちは口々に不満をもらし、閉ざされた城の門の前で、いつまでも騒ぎ立てつづける。


「今日の配給はおしまいだ!」

守備隊たちは槍を伸ばして、農民たちに威嚇をする。「去れ、去れ!おまえたちは、放牧と刈入れの仕事に
もどるがいい!」


「なぜパンを受け取れるやつと、受け取れないやつがいるんだ!」

わーわーわー。

農民たちはすぐには引き下がらない。

「数に限りがあるからだ!」

守備隊たちが、農民達に負けじと叫びかえす。


「それがうそだっていってるんだ!まだまだ城には、俺たちが食べたこともないような、料理と、食材が、
たくさんあるじゃないか。」


「ええい、だまれ!」

守備隊は槍を突き立て農民たちをおしのける。「食材は城主さまとその一族のものなのだ。城主さまは、
おまえたちに土地を与え、安全を守る方なのだ。無礼なことをいうな!」


「なにが、守るだ!」

農民たちの不満はなかなかおさまらない。「他国から攻めいれられたとき、だれが守るのか!魔の獣からは、
だれが守ってくれるというのか!」



「いや、いや、それならおまえ、状況は今日から変わるぞ。」

と、別の農民が、叫んだ農民に話し出した。「きいたろ?今日、魔法少女叙任式、城で開かれるって。
だからおれたちにもやっと、安心した生活が望めるようになるのさ。そうカリカリすんなって。」


「それはどうだかな!」

農民は、トゲトゲしい、イライラした口調で喋る。「その新しい魔法少女さまも、あとになってからやっぱ
戦いたくないとか、恐いから魔法少女やめる、とかいいだしたら、俺たちの生活は、前となにも変わらんよ。」


「いやいや、カトリーヌさまはね、」

別の農民がなだめる。「自らの意思で戦うと決めて、わたしたちのために、魔法少女になってくれるお方なのさ。
まさにわたしたちにとってありがたいお人だ。無礼なことをいうのは、やめときなさい。」



「なに、それ、ほんと?」

農民たちが噂話にがやがや、別の意味で騒ぎはじめる。

「領主の孫娘さまが自分の意思で決めて、私たちのために魔法少女になるって?それはすばらしい!感謝しなくては!」

「やった、やった!私たちはもう怯えなくて済むんだ!」

「ばんざーい!」

わいわい。がやがや。

「なら今から、カトリーヌさまをお出迎えする、準備をわたしたちもしよう!」

農民たちは拍手し、笑顔満面になり、手をわいわいふりあげる。

「めでたい日だ。みんなで祝おう!」

さっきまでの不満爆発な騒ぎは一転、喜びいっぱいの黄色い騒ぎになる。

男も女も笑い声に包まれ、エプロン姿の妻を、男がひょいと抱き上げたりする。



農民というのは、感情の起伏や移り気の激しい層であった。

領主一族が民のために、娘を魔法少女を務めさせるともなれば、農民は大喜びだった。自分たちは安全になるから。

世に恐れられる魔獣をやっつけてくれる心強い味方があらわれたから。

131

そのころ、円奈は。

アリエノールの後ろについて、緊張に顔を強張らせながら大広間につながる扉の前に立っていた。

この扉をあけたら、また城主さまたちの前にでることになる。



心の準備おぼつかぬまま、大広間へと円奈は連れられた。

そして城の大広間の豪華さに、ふたたび驚かされた。


ひらけた広い空間。アーチのガラス窓から入ってくる朝日の日差し。


白色のテーブルクロスを照らし出し、中心には長細い食卓テーブルがあり、席が何個も均等に並ぶ。


窓ガラスとは反対側の壁には暖炉があり、その上に大きな彫刻がある。


大広間の壁際には、召し使いの女たちが手を結んで俯き気味に立っており、城主や一族の命令を待っている。


「きたか、アリエノール!」

城主は食卓テーブルの一番奥の椅子に座っていた。すでに食事にありついている。

「さあさあ、座れ!」



円奈は食卓の席についた城主の一族のメンバーを眺めた。


一番奥の王の左隣の席についているのは、おそらく城主の妻。


テーブルの窓側に面した席についているのは、1人の少女。

「あ…」


円奈はその少女をみて、声を漏らした。


アリエノールさんにそっくり…。違うのは、髪の毛が茶毛で、くるくる巻き毛になっていること。
くるくるしてるけど、長くて腰くらいまである。


「カトリーヌは最後まで魔法少女になる決意を変えなかった」

城主は話す。鉛のカップで、ブドウ酒を飲んだ。「今日がその日だ」


「そうなのね」

その話については、姉妹同士でもう決着をつけていたが、アリエノールは頷いて席についた。


「へっ…?」

取り残された円奈が、素っ頓狂な声あげて、おろおろ右と左を見た。「へえっと…」


「おまえ、まだいたのか?」

城主がピンク色の少女をみて、睨んだ。「はっきりせんか!おまえは、傭兵志望か?」

「わたし専属の傭兵です」

アリエノールは告げて、席につくなり下を見て、トレンチャーに並んだ食事をみた。

「わたしが雇った騎士なのです」


魔法少女にお供して戦場へ出るから、騎士という称号をあずかっているが、もちろん鹿目円奈に戦争の経験はない。

ただおそばに仕えるだけである。少なくとも今は。


「そうなのか?」

城主はブドウ酒のカップをおき、円奈を見据える。


”話の口ウラを合わせて…”


昨日のアリエノールとした話を思い出す。


「そ、そうです!そう……です!」

緊張でぎこちない口調の円奈は、どうにか答える。


「どこからの出身だ?」

城主は問い詰めてくる。


「バリトンから…」

円奈は正直に答える。


「バリトン?きいたことない!」

城主にあっさりそう言われた。


「みすぼらしいわ!」

城主の隣に座った隣の女が、つまり城主の妻が、円奈のことをみて険しい顔をしている。

「本当に騎士なの?」


「彼女は騎士。ほんとうの騎士です」

アリエノールが円奈に代わって話した。「はるばる遠くの国から旅し、ここに寄ったので、私が雇って護衛の仕事を」


「一年と40日の契約を?」

城主がそうきくと、円奈は心でぎょっとした。


1年と40日!その契約をしたら、わたし当分はここから出られないよ。

ううん落ち着いて。これはただの口ウラあわせなんだから。


「ではなく日雇いです。だから傭兵です」

アリエノールは答え、トレンチャーの食事をみた。

「わたし専属の護衛を務めてくださいます」


牛肉、サケなどの魚料理、ナツメヤシ、ウナギ、ヒバリ、香りつけのハーブ、ハチの巣なんてものもあった。


城主は円奈に大した関心ははらわず、きくだけきくともう話を変えて、城主にとって本当に気がかりなことを
語り始めた。

「民はもうカトリーヌのことを知っているのか?」

「そのようです」

召使いが丁寧にお辞儀したあと、下を向きがちの姿勢で答えた。「噂は農地にも、ひろがっています」

「そうか…」

城主は声を落とした。「となればもう、もどれはせんか」



「戻る気なんてありません」

カトリーヌが話し出した。香辛料を、食べるために使わない指でそっとふりかけ、肉料理に味付けをしている。

「今日から私が魔法少女になって、みなを守るのです」

ちらとアリエノールを見る。「姉上も」


「カトリーヌ、お前が今日からはこの国の守り手となる。戦いの宿命を負って……」

城主は切なげだ。「アドアスの騎兵団をお前につける。お前を守ってくれるはずだ」



「いいのです。それは、姉上だって同じ。わたしは今日でやっと、姉上と同じ立場にたてるのです」


同じ立場かあ……。

円奈は頭で、魔法少女と同じ立場にたつってどんなことだろう、とぼんやり考えながら城の食卓をみた。


「それにしても外が騒がしいな」

城主はぶやいて、アーチ窓の外に目をやる。「民がさわいでおるのか?」

「カトリーヌさまの歓迎の準備をしているとか」

「そうか、歓迎か!」

城主は顔をしかめた。複雑な心境だったのである。

それからパンを口にしてモグモグと噛むと、顔をみあげ、召使いにたずねた。

「準備は?」


「できています」

召使いの女が頭をさげて丁重に答えた。


「よし!」

すると城主はガタという音とともに椅子をたちあがり、するとアリエノールとカトリーヌに、目配らせした。

「もうあとには戻れぬ。カトリーヌは今日の叙任式で魔法少女となる!」


カトリーヌはすると、やわらかく微笑んでゆっくりと席を起き上がった。

対して落ち込んだ様子のアリエノールは、それでもゆったりとした仕草で席をたち、円奈をちらとみた。

きてという意味らしい。


本当にいいのかな…。

不安になる気持ちをおさえアリエノールの背中についていくと、やっぱり城主に睨まれた。

「おまえまでくるのか?」


「わたしの護衛を務める騎士です」

アリエノールは例の口裏話を述べた。「式にも同席させます」

「ならん!」

城主は怒りをこめた声で、アリエノールに告げる。「わが一族の秘儀なのだ。護衛いえども同席など!」

「彼女が同席しなければ私もいきません」

アリエノールは下に目を伏せたまま言った。

魔法少女のその口調は、やわらかくはあったが、ここは譲らないという固い決意みたいなのが声にこもっていた。

「専属の騎士ですから」


専属の騎士、かあ……

ちよっと照れくさいな。


なんて1人で勝手に想像し、頭を掻いていると、怒った城主はアリエノールに説教をはじめていた。


「まったくお前は───」

城主は顔と目を怒りに赤くする。「勝手に城は抜け出すわ、勝手に傭兵は雇う、勝手に臣従の契りを結ぶわ、
挙句は専属の騎士を勝手に雇って叙任式に同席させる?」


城主が怒鳴るとアリエノールは下に伏せ目になっているまま。

カトリーヌは、ただ優しげに微笑んでいる。


それをみた円奈は、あの人はどんな時でも笑っているなあ…って、なんとなく心でおもった。


「だがまあいいだろう。そんなおまえのわがままも、今日限りだ」

そう城主は言い切って、ぶんと踵かえすや、ウプランドの裾をはためかせながら城の扉をあけ、
地下室へとむかった。


するとアリエノールが、くるりと後ろの円奈にふりむいてクスといたずらっぽく笑う。



「さあ」

アリエノールは円奈の手をとって、引き寄せる。円奈はついていくように、腕にひかれるまま、
魔法少女叙任式へと、同席することになった。



魔法少女叙任式は、居城の地下室で催される。


円奈も経験した騎士叙任式の魔法少女バージョンなのであるが、騎士叙任式より怪しげな式である。

132


魔法少女叙任式の準備は、本当のところをいうと、それが開催されるその二日前からはじまっている。


城主とその手下たちは、二日前の夜明けに、一度も使ったことのない新品の小刀で、ハシバミの木から
一枝切り取る。

その枝は、一度も果実がなったことのない枝でなければならず、しかも太陽が地平線からのぼると同時に
切り取らなければならない。


そのあと薬屋が販売している血玉髄と二本の蝋燭を仕入れ、これが前準備となる。



儀式をおこなう場所は、人のいないさみしい場所がよいとされる。


今回は、式の場所として、普段つかわれない城の地下室が選ばれた。


何年と使われない、錆びくさくなった城の奥深い地下である。


地面も土が積もっていて、あまりに古くなった城の地下室で、その式は催される。


アリエノールと円奈は、くねくねした地下通路を通って、蝋燭の火だけで照らされたこの地下室に辿り着く。

臭気ただよう地下室は四角い部屋で、人が5、6人入れるていどの地下室である。

天井は低く、天井を支える柱の木は朽ちている。泥だらけの地面は、しめってジメジメしている。

そんな冷たい土の上に、蝋燭が二本ほど立てられる。

ゆらゆらと燃える蝋燭の何本かの火は、地面に立っているだけで、部屋はとても暗い。そこに居合わせる人の
互いの顔は、近づかないと見れないほどの暗さであった。


さて式は、血玉髄でもって床の上に三角形をかき、三角形の二辺に、蝋燭をたてることからはじめられる。


円奈たちがみているゆらゆらとした蝋燭の明かりは、この二本の蝋燭だった。



この三角形と二辺の蝋燭の前に、カトリーヌがたつ。


しかしここに立つまでにカトリーヌは、ある試練を潜らなければならない。


円奈とアリエノールもここにくるまでのあいだ、くねくねとした暗い地下通路を通ったのだが、カトリーヌは
そこにたった一人だけで、目隠しされた状態で、だれの助けも借りずにここまでくる。


暗闇で目隠しされ、なにもみえない状態の不安のなか、印のまえにカトリーヌは慎重にやってくる。

すると目隠しがとかれて、カトリーヌはいきなり、蝋燭の立つ印の前に立っていることを知るのである。


これは、暗闇の不安からの帰還、無の世界に一度旅立ち、そして世界にもどってくること、”見える”という
ことの明るみを新しく知ることで、人間から魔法少女への変化を暗示するものである。


人間ではなくなる、新しい自分への出会いを、暗示する。


するとカトリーヌは、しるしの前に膝をついて跪いた。祈るように両手を握り締めると、目を瞑って、
印の前でなにか祈りの句を呟く。


それから手ににぎったエメラルドの宝石を、ぐっと口のなかにいれ呑みこむのだった。


「あの石を飲み込めれば──」

アリエノールが小声で、円奈に耳打ちする。

「魔法少女の資格があるの」

円奈がぎょっとした顔で、エメラルドの宝石を飲み込むカトリーヌの喉を見やる。

「もし吐き出せば…」

アリエノールはつづけた。「式は中断、契約は失敗」


カトリーヌはエメラルドの宝石をたしかに、喉を通して飲み込んだ。

ぐぐっと音が鳴って、吐き出すことなく大きな宝石を、喉に通したのだった。


のちに胸から飛び出してくることになる、ソウルジェムの原石とされる。

エメラルド石には、乙女の純潔という意味があり、それを飲み込めぬことは魔法少女の資格が持てぬことを
意味する。少なくともこの時代の農村地の風習ではそうである。



城主が真っ暗闇の地下室の壁際で、じっと、契約の儀式をおこなうカトリーヌを見つめている。


「契約の使者よ、魔法の使者よ、」


カトリーヌは宝石を飲み込み、すると目を瞑ったまま契約の祈りの句を唱えた。


「私、カトリーヌは、魔法の契約をあなたと望みます。わたしを魔法少女にして、魔法の力与える使者よ、
ここにその契約を望みます。」


カトリーヌが一通り唱えたあと、彼女は羊皮紙にかかれた契約書を、三角を描いた印の中心におく。

蝋燭が二等辺の頂点に置かれて灯る三角形の中心に、自分の願いごとをかいた羊皮紙を、そこにいれるのである。


わたしは、願い事をここに示しますから、契約の使者たるあなたは、これを受け取ってわたしと契約をし、
あなたはわたしの願いごとをかなえるので、自分を魔法少女にしてください、といった内容がかかれ、
カトリーヌ自身の署名が最後に書かれていた。


円奈や城主には見えなかったが、このときカトリーヌの前には白い妖精、昔はインキュベターと名乗り、
あるときはキュゥべえと名乗り、今はカベナンテルと改名した契約の使者、異星人が、印の上にちょこんと
座っていた。

さてインキュベーターを意図的に人類が儀式的に呼び起こすこの召喚式は、黒魔術に起源があり、悪魔を呼び起こす儀式
と扱われた秘儀であった。


円を描き、三角を印し、その二等辺の頂点に蝋燭をたて、十字を描く。


願いごとを何でもかなえてもらう代わりに、魂を捧げ物とするのである。



カベナンテル───異星の生命体で、人類の有史以前から交渉してきた獣の姿は、その場の人間には見えない。
アドル城主や鹿目円奈や、他儀式の同席者には基本みえない。


すでに人間ではなく魔法少女になっているアリエノールと、いままさに、人間から魔法少女へと自身の
天命を生まれ変えようとしているカトリーヌの前にのみ、カベナンテルはみえる。


カトリーヌは、印の前にあらわれた獣と心で会話し、契約書にかかれたとおりです、と告げる。


いるとカベナンテルは頷いて、告げよ、ダキテーヌ城主の孫娘たるカトリーヌよ、なにを願い祈り、
ソウルジェムに光をもたらすのか告げよ、とそう述べる。



そこでカトリーヌは、はじめて願いを実際に口にして、言葉にだすのである。

「わたくしの願いごとは、魔法少女となり、民を守り外敵に打ち勝つ力を手にすることです。」


するとカベナンテルはこれを受諾し答える。


カトリーヌよ、あなたの願い事は、魔法少女になり、魂が我らとともにあることで叶えられた。
受けよ、ソウルジェムを、願いを秘めたその魂を、希望がために燃やせ。いま宇宙にひとつ、希望という火が、
光り輝いた!



その言葉がおわると同時に、カトリーヌの胸元に、ひとつの光が灯る。

ひれは自然の火や、太陽の炎、水の反射といった類の光ではなく、人の魂という、宇宙のなかで他に類のない
光であり、精神の火であった。



この火は、自然界や宇宙のどこにも見当たらず、ただひたすら人の魂のなかにのみあるという意味で、
カベナンテルにとって、宇宙の法則を覆すほどの光なのである。


カトリーヌはすると、全身の神経のすみずみにまで、いままでの五感では感じたことのない光と熱、
不思議な力の奔流を感じ取った。その激流は全身を駆け巡ったあと、やがて胸の一点に集中しはじめる。


カベナンテルと契約によってもたらされた宇宙からの力が、少女の全身にめぐって、やかで人間の循環器系と神経細胞を宝石に
変えてしまう力であった。


これには、苦痛が伴う。


全身の神経から剥離された力が胸元に集中し、だんだんと熱が高まってくる。ついにそれは限界まで
集約されて、胸元から飛び出してくる。

驚くほどの輝きと煌きを持つそれは、虹色に光を放ちながら生まれる。

少女の全てを宝石に固め、集約したものが生まれる。


「ああっ…!」

円奈が声をあげた。

ソウルジェムというものを魔法少女がもつことは知っていたが、まさかそれが、体内からでてくるものなんて
知らなかったので息を呑んだ。



いっぽうのカトリーヌも胸から虹色の卵型の宝石がでてくるとき、胸元を手でおさえて、苦悶の表情を
浮かべ、全身の力が抜けてしまうのを感じてバタリと横向きに横たわった。


その様子があまりに苦しそうだったので円奈は不安になり、固唾をのんで一人の少女が、魔法少女に生まれ変わる
瞬間を見つめ続けた。


あんな熱そうなものが、自分の胸のなかから体内より浮き出てくるのだから、想像しただけでとてつもない苦痛が
少女をおそっているような気がしてくる。

円奈はきっとソウルジェムが、儀式の直前に飲み込んだ、エメラルドの宝石が魔法の宝石となってでてきたものだと
おもった。

またカトリーヌ自身もそのつもりだった。

しかし実際はそうでもなかったのである。



「うぐぐっ…うあああっ…」

カトリーヌが悶絶し、全身でもがき苦しんだあと、やがてそれはおさまった。



希望の光よ、カトリーヌに、魔法の力をもたらせ!

あなたの魔法の力は、宇宙の敵である魔獣と、たたかう資格をあなたにもたらす!

宇宙の敵と戦うあなたは、やがて宇宙に理へと、導かれ円環となるだろう!



こんな祝福の言葉とともに魔法少女になったカトリーヌは、ソウルジェムを手もとに収める。

133


「お…おわっ…た…?」

魔法少女叙任式の様子を見守っていた円奈は、カトリーヌが悶絶し苦しんだ姿をみたあと、
そっと口にだした。

「カトリーヌさん、魔法少女に……なったの…?」


カトリーヌは胸元から飛び出てきたソウルジェムの宝石を大事そうに抱え、それを胸元に寄せ、
目を閉じる。


「成功よ」

アリエノールはそう告げたが、顔つきは重苦しかった。「でも儀式はまだ終わりでないの」

「まだ何か続きが?」

円奈がたずねると、アリエノールが弱く微笑んで、答えてくれる。

「このあとは、"変身の儀式"。そして"披露の儀式"」

「へえええ…」


カトリーヌさんが無事であることにも安心したが、これから変身と、披露の儀式というものがあるらしい。

変身ときけばもちろん円奈にはわかるし、披露というのも、なんとなく想像つく気がした。

そして想像してみて、それをこの目でみれるとおもうと、すこし楽しみになった。


「カトリーヌよ」

城主は湿った地面に跪き、胸元でソウルジェムを抱えて目を閉じているカトリーヌに、そっと声をかけた。

「気分は?」


カトリーヌは閉じていた目を開け、城主をみあげた。

「すばらしい、気分だわ」

カトリーヌは答え、夢見る少女のように目をそっと細め、頬を染めながらたちあがった。

「わたし、魔法少女になれたんですもの────」

今日から私は民と城を守る、大切な役目を負ったんだわ───。そんな希望に満ち溢れた。

まさに強敵ガイヤール軍が接近中とも知らずに。



カベナンルは、その場でそっと印の上で消えた。

印の上に置かれた契約書は、カベナンテルが異星の次元へと持ち帰った。


印の上はもうなにもなかった。

134

鹿目円奈ら一行は城の大広間に戻り、そこに儀式の同席者全員が集まっていた。


魔法少女叙任式は、第二段階、変身の儀式へと移る。


これは人間から魔法少女に生まれ変わった少女が、その力を解き放ち、最初の変身を遂げる初披露の場として
の意味をもつ。


カトリーヌが大広間の前にたち、アリエノールや家族たち、同席者の鹿目円奈らに囲まれ、ソウルジェムを
両手にもって、城主の前に膝を折って跪いている。


跪き、祈るように両手のソウルジェムを胸元に抱え、目をとじているカトリーヌは、城主から魔法少女として
の生き様をこのように誓わされる。


「カトリーヌよ、アキテーヌ公家の娘よ、いまそなたは人間の立場を越え、魔法少女となったのだ。
今ぞその力を解き放て、この土地の守り手、民の希望、人間世界の担い手よ!いまぞたて、魔法少女よ!」

そういわれ次の瞬間、ガツーンと城主の持つ剣によって、カトリーヌの頭は叩かれる。


これは騎士叙任式と同じパターンで、鹿目円奈も騎士となる瞬間、来栖椎奈に頬を叩かれた。

騎士叙任式にしても、魔法少女叙任式にしても、本人にその自覚を促す瞬間のとき、ガツンと頭を叩いたり、
首をたたいたりするのだった。


しかしそのときのカトリーヌの頭を叩いた剣の音が、ごつーんとあまりにでかく轟いたので、円奈は心配になった。

あんなに思い切り叩かれて、痛くないのかな…って。



しかしカトリーヌは何事もないようだった。


すっくと起き上がり、するとカトリーヌは振り返って、円奈たちをみて。

ソウルジェムの力をぱあっと解き放つ。


「わあっ…!」

そのとき思わず円奈は声をあげた。


魔法少女変身のシーン、その瞬間を、この目でみるのは生涯で二回目であった。


円奈にとって魔法少女が変身する瞬間は、憧れの場面であり、乙女な夢そのものでもあった。



光がカトリーヌの全身を包み込み、衣装がかわりはじめる。


コットを着込んでいた姫の衣装は、さらに艶やかに華やかに、ふわりふわりと麗しく変化していく。


スカートのふくらみは、もっと大きくなった。花びら咲くようにふわふわっとスカートは広がり、
おどろいたことに、花びらが本当に大広間に舞い飛んだ。白い花であった。



胸当てはコルセットに変わり、腰上をきゅっと引き締めた。姫袖ははらはらと広がり、
ふわふわ絹の衣装へと変化していく。


肩はふくらみ、スリーブは大きくなる。


カトリーヌのくるくるした茶色の巻き毛には黄色い大きなリボンが結びつき、髪の後ろをまとめた。


足は編み上げブーツが包んで、両足の踵の部分に、それぞれ大きな結びリボンがついた可愛らしい編み上げのブーツ。


そして茶色の編み上げブーツにクリーム色のコルセットドレスを着た、美しい魔法少女が誕生した。



「わぁ……!」

円奈は思わずパチパチ、拍手する。「すごい……!」


魔法少女の変身という、めったにお目にかかれないこの世の神秘に感動してしまう。

この時代では、奇跡を目の当たりにでもするに近いほどの素晴らしい光景だった。



カトリーヌは光に包まれながら、幸せそうに目を閉じ、変身した余韻に心から浸っていた。

やがて目を開くと、大広間を歩き出し、窓の外を見つめた。


「カトリーヌよ!」

城主は大きな声でカトリーヌを呼ぶ。その声には感嘆と、驚きと、張詰めたような気持ちのすべてが
つまった、心からの呼び声であった。

「カトリーヌ!」

「おじさま」

魔法少女姿になったまま、カトリーヌは、城主と抱き合う。白い絹の手袋つけた手が、城主の背中を包んだ。


「ああ、美しい、カトリーヌ!」

と、城主は叫び、孫娘のくるくるな巻き毛を、髪で撫でた。

「おまえは魔法少女になっても、美しい!だがおまえは、これから民を守る宿命を負うことになったのだ!」

悲痛そうな感情さえまじった。魔法少女の姿になった孫娘を抱きながら。

祖父として、孫が魔法少女になった姿を見るのは、なんとも複雑な気分だった。


しかしこの孫娘は、祖父と二人で相談ししかも同意のうえ、魔法少女になる道を自ら選んだのである。


「こんな日を待っていました」

カトリーヌは、目に涙をため答える。「わたしも今日から、戦えるのです!」




そんな城主とカトリーヌのやり取りを、円奈は祝福する気持ちで見守っていた。

二人を応援する気持ちだった。


ところが円奈の隣に立っていた、もともとの魔法少女アリエノールは、気を悪くしたみたいに
顔を落として、はあとため息ついていた。


外ではがやがやがやと、新たに誕生した自国の魔法少女の姿を一目みたいと騒ぎ立っている民たちが、
既に歓迎の準備をおえて、城の外でカトリーヌの披露目を待っていた。


魔法少女叙任式は、"披露の儀式"へと移る。

135


城の外ではすでに何百人というダキテーヌ領土の農民たちが、わいわいがやがや、列成して、
カトリヘーヌの披露姿を一目みたいと列なして並んでいた。


城の跳ね橋は降ろされ、守備隊たちは武器である槍の代わりにラッパをもち、いつでも吹ける体勢にある。


農民たちは魔法少女叙任式のうわさをきいてから、慌てて集めた、春の花畑から摘んだ花びらを
バスケットや籠のなかにありったけいれて、新たな領土の守り手になる魔法少女を歓迎する準備を整えている。


あとはカトリーヌが、変身姿をその農民たちの前に出すだけだ。


「まだかな!」

農民たちは、もう待ってられないと、首をもちあげ城を見つめる。

「まだ、おいでにならないのかな?」


「きた!」

農民の女が指さし、次の瞬間、わあっと鼻を手と手で挟んだ。「来たわ!」


途端に農民たち数百人が、一挙にわああああああっと騒ぎ立つ。


パッパーっと、城の城壁に並び立った守備隊たちが、同時にラッパを吹き鳴らす。

こうして音楽が城から奏でられ、魔法少女の登場と誕生が領土じゅうに知れ渡る。


魔法少女叙任式で、ある意味もっとも華やかな瞬間、披露の儀式である。


魔法少女となったカトリーヌは、その変身姿を民の前に披露する。


ソウルジェムの力を解き放ったその姿で、民の前にあらわれ、そしてスピーチする。


城の入り口から現れたカトリーヌは、美しかった。


くるくるした巻き毛をまとめるリボンや、クリーム色のドレスにつけたコルセット、茶色の編み上げのブーツには
踵にリボンという、可愛らしい少女の姿であり、魔法少女の姿であった。


民はそれをみてわあああっと騒ぎたち、歓声をあげ、盛大に魔法少女の登場を出迎える。


民にとって新しい魔法少女の誕生は、魔の獣を退治し自分たちを守ってくれる新たな国の担い手の
登場を意味し、外敵から自分達を守ってくれる少女の誕生を意味している。


強い魔法少女。


自国の守り手を、民は精一杯に祝う。



カトリーヌが民の前にでてくるや、農民たちは、摘んだ春花の花びらをわああっと空気中に投げ飛ばし、
ピンク色や黄色の花びら、白色の花びらなどが、ひらひらひらと空気中に舞い飛ぶ。舞い飛んだ花びらは、
春風に乗って、カトリリーヌの現れた城を飾り立てる。



変身姿のカトリーヌは、並び立つ数百人の民の前にたち、こうスピーチをする。


「わたしは今日、魔法少女になりました。」

すると民は微笑んで、新たな魔法少女の話に耳を傾ける。

「私はこの国と住まう民を守るため、戦うのを誓います。それは私がこの土地を愛するからです。」


民は笑って、パチパチパチと拍手する。さらに、大量の花びらが舞い飛ぶ。


「わたしはこの土地を守るため、めいっぱい戦います。だからわたしを、見守っていてください。」


といい、ペコリと変身姿のカトリーヌは、頭をさげる。



すると、民はわあああああああああっと歓声をあげ、その声に包まれたカトリーヌは、幸せそうに
笑う。


農民たちは籠に入れた花びらを残りすべて手から飛びして、風に舞わせる。


魔法少女姿のカトリーヌは、華やかな花びらに包まれながら、農民たちの行列のなかを歩き進む。




鹿目円奈も、あまりに農民たちが喜び沸き立って、カトリーヌ自身もなんだか幸せそうなので、自分も嬉しくなって、
パチパチパチと城の内側のほうで拍手していた。



「やった、これでわたしたちはいよいよ、安全な日々を送れるんだ。」

と、農民の女は、喜びを露にしながら言った。

すると、別の農民もそれに答えるように言う。

「わたしたちを、守ってくださる魔法少女が、新たに誕生したんだ。めでたいことだ。
これで、魔の獣にも、外敵の攻撃からも、カトリーヌさまが守ってくださる。領主さまはわたしたちから、
税をとりあげるばっかりではなかった。」


こうして農民たちにのあいだで、カトリーヌが人気を集め羨望を集めるほどに。


前からの魔法少女であったアリエノール・ダキテーヌはいよいよ自分の居場所をなくして、苦しそうに
披露目の場から目を背けると、さっさと城の中に戻ってしまう。


「あ…」

その姿は、円奈が見かける。「あ、アリエノールさん!」

農民の拍手喝采が続いているなか、アリエノールのあとを追う。

城の城壁をくぐり、郭の中庭に入って、自分も城のなかに再び入った。

136


城のなかに戻っても、農民の騒ぎたつ歓声の声は聞こえてくる。


壁と壁のなかに響き渡って、地鳴りのように、耳に届いてくる。


円奈は城の階段を三階までのぼって、アリエノールを追って、姫部屋の扉をあけた。


「アリエノールさん…」


アリエノールは部屋の天蓋ベッドに腰掛けて、窓から外を眺めていた。

城の窓からみえるのは農民たちの喜ぶ姿。戦う魔法少女カトリーヌに、心から声援を送る民たちの姿。


「わたしも戦えば……」

アリエノールは窓から城壁の庭を見下ろし、呟く。「あのように歓声を浴びていたのかも…」


それから窓から目を逸らして、石の床を見つめた。「でも、そんなのは望まないわ」


円奈はそっと、アリエノールの隣に腰かける。

でも、彼女にかけてやる言葉が、見当たらなかった。


確かに魔法少女叙任式は、華やかで、誰にとっても喜ばしいものだった。

カトリーヌも自ら望んで魔法少女の道を選び、式は成功した。

民は乱世の時代に、強力な守り手ができたとおもって喜んだ。


でも目の前には、魔法少女であることの自分が受け入れられなくて、闘えない少女がいた。


「私は願ったわ」

アリエノールは顔を目で覆い、悲痛な声で語った。「私でない誰かが代わりに、ここを守って戦ってくれますように
って────自分は戦えないからって───。」


ノブレスオブリージュの価値観のもと、領主の長女であったカトリーヌが、民と城主に期待されて、半ば強制的に
魔法少女となる道を選ばされたとき、叶うことを望んだアリエノールの願いは。


せめて自分の代わりに誰か戦う人が顕れてくれますように、であった。

結局それは妹のカトリーヌだったわけだ。


アリエノールの願いはたしかに叶った。

しかしそれは結局、魔法少女になった自分が負うことになる宿命を拒み、妹に負わせたにすぎなかったのだ。




円奈は悲しみに暮れるアリエノールの傍にいた。

本当は、もう魔法少女叙任式の出席もこなしたから、もう城をでて、聖地を目指すべく裂け谷をめざせたけれど、
今はまだもう少しアリエノールと一緒にいよう、とおもった。

137


そのころダキテーヌ居城の外では、魔法少女姿のカトリーヌが農地を歩き回って、羊牧場の前にきていた。


羊牧場の隣の休耕地の前に足を運ぶ。


美しくクリーム色のドレスの魔法少女姿であるカトリーヌが、横を通り過ぎるたび、民はわああっと手を振って、
新たな魔法少女に精一杯、声援をおくる。


カトリーヌも精一杯それに応え、笑って手をふる。



「がんばってください!」

と、農民の女子供は、魔法少女姿のカトリーヌの前にあらわれるや、目を輝かせカトリーヌに言った。

「これから魔の獣との戦い、がんばってくださいっ!」


農民の女子供は、新たなヒーローの登場を目の前にして、すっかり目を羨望の眼差しに燃やして、
カトリーヌをみあげている。


するとカトリーヌも笑って、女子供たちに答えるのだった。「ありがとう!とても、かわいらしい子供たち!」


「わたしも、カトリーヌさまみたいな魔法少女になれる?」

7歳くらいの小さなエプロン姿の女の子が、カトリーヌを憧れの眼差しでみあげて、問いかける。


「それはわからないわ」

カトリーヌは苦笑いする。「かわいらしい子供たち、魔法少女は、あなたたちにはまだはやいわ!」


「でもわたしも、カトリーヌさまみたいに、なりたいわ!」

と、農民の女の子は、カトリーヌの魔法少女姿の衣装を手でひっぱる。

「みんなを守るかっこいい魔法少女になりたいわ!」



カトリーヌは愛しそうに、女の子を見つめる。

「頼もしい子!」

と、魔法少女は、自分の衣装をひっぱる少女に告げる。「いつか、あなたと共に戦える日がくることを、
願いましょう!」

女の子は、ぱああっと顔を輝かせて本物の魔法少女をみあげる。

昔では、絵本の物語か、劇画の物語の世界の架空の存在であった魔法少女は、人の世に姿をだす。

それは当然、幼い夢みる女の子たちの羨望の的となる。


さてカトリーヌは、ただ魔法少女姿を農民たちに披露するためだけに農村を歩いているのではない。


これから彼女は、魔法少女になってさっそく、戦闘訓練というものに臨む。


魔法少女には、魔獣退治という戦いももちろん、魔法少女同士の戦い、あるいは侵略者との戦いがある。


そのため、魔法少女叙任式が終わったらさっそく、カトリーヌはその戦闘訓練を、村の騎士たちと一緒に
なって積むのである。


カトリーヌは農村のはずれの休耕地にむかっていた。

ここは農地をおこなわない土地なので、ときたま騎士たちの訓練場になる。



通りすがり農民の洗濯女たちが、新たに生まれた魔法少女に感激して、握手を求めた。



カトリーヌは優しく笑ってそれに応じる。


人間と魔法少女が握手すると、農村の洗濯女は、感激で目に涙ため、腰のエプロンで目をふいた。



それくらい、農民にとって魔法少女は、自分たちを守ってくれる守り手であり、英雄的な輝かしい存在だった。



しかしそんな民の期待はさておき、カトリーヌは魔法少女になって初日の、まだなんの戦いの経験もない少女だ。


だから現実としては、いつ起こるかわからぬ実戦のため、今から訓練を積まなければならない。



農民たちが集まってきて、新たな自国の魔法少女の初訓練を見守る。



休耕地の柵のまわりに、野次馬するように集まってカトリーヌを見守る。


カトリーヌは、農民たちに一瞥くれて笑ったあと、戦闘訓練に励む騎士たちと合流する。


魔法少女姿のカトリーヌが柵を乗り越えてやってくるや、騎士たちは、自国の新しい魔法少女に礼をした。


「武器を手に」


と、騎士の1人がいうと、カトリーヌは不思議そうに首をかしげる。

「持ってないわ」


「あなたがつくるのです」

騎士は説明する。「あなたは魔法少女です。武器を手にできるはずです」


カトリーヌは難しい顔して、手ぶらの手をみつめた。武器が現れるかと期待したが、何も起こらなかった。


「わからないわ」

カトリーヌはかぶりをふる。彼女こそまだ、魔法少女になりたての少女で、武器の取り出しかたも
わからないのであった。

そんな初々しい魔法少女の姿を可愛らしく思いながらも、騎士は実物の剣を彼女に持たせることにした。

「ではこれを」

予備の剣ひとつを、カトリーヌに手渡す。


カトリーヌが鞘に納まった剣を受け取ると、それを抜いた。


ギラン。

魔法少女が抜いた剣が日の光を浴びる。

剣は両刃で、鋼鉄製。ひし型の断面図をもつタイプ。長さは1メートルほどの剣で、少女で手に取るには大きい。
重さは2キログラム越えるほど。


その先は尖っていて、長い三角形。突き刺せば人を殺せるだろう。


騎士たちの武器であり、魔法少女たちも使う武器だった。


「これで…」

カトリーヌは光煌く長い両刃剣を見つめながら、呟いた。「私も今日から戦うのね……」

領民の守り手として。領主一族の高貴なる義務。民を守ること。魔法少女のつとめ。


まじまじと片手に握った剣をもちあげ、眺めていたカトリーヌだったが、騎士に剣を使ってみるよう促された。


「使ってみてください。あちらの柱で」


騎士が立ったまま指差し示したのは、土に突き立てられた一本の木の棒。


「切ってみるのです」

土に立てられたこの棒は、訓練用の柱で、これを剣で斬ってみるのが訓練の内容である。


「ええ」

カトリーヌは、生まれて初めて握った剣の重さに驚きながら、棒の前に足を進める。


魔法少女変身姿の、踵にリボンのついた少女らしい姿のカトリーヌは、剣という武器を持ち棒の前へ。



この木の棒を斬ってみることで、剣の実践と扱いに慣れていく。


この訓練自体は、魔法少女専用の特訓というよりは、騎士をめざす身分の子供が幼いころからおこなう実際の
訓練だった。


他の訓練はといえば、石をもちあげて筋力を鍛えるとか、テーブルの上で逆立ちするなどの体操でバランス感覚を鍛える、
レスリング、槍に見立てた棒同士の試合などである。



カトリーヌは剣を持ち、木の柱の前にたつ。


「思い切り振るのです」

騎士は言い、自分の鞘から剣を抜いた。

ぶんとふるい、隣で空を斬ってみせる。これが見本の動作だった。


「ええ、ええ」


カトリーヌは頷いて、騎士の見本をみたあと、前の木の柱にむきなおった。


ちよっとだけ緊張したあと、剣をふりあげ、とおっと思い切り振り落とした。



ズバッ!


おもった以上に勢いのついた剣の一撃は、木の柱を見事バッサリ両断する。


パカっと断面が開いて、木の柱はドスンと畑におちた。



おおおおおおっ。


パチパチパチパチ。


訓練の景色を見守っていた農民たちが声をあげ、ごぞって拍手する。


「さすがは、魔法少女になったお方だ」

騎士も楽しそうに笑い、カトリーヌにそういった。「見事な一撃です」


「やったわ!」

カトリーヌ自身も喜んだように声をだし、驚きに目を開き、自分に宿った新たな力を知るのだった。



ふつう初訓練で、いきなり木の柱を綺麗に切り落とせる人間はそういない。


この時代では少女も騎士となることも珍しくなかったが、男にしろ女にしろ、初めて剣を持ったその
扱い慣れぬ手つきで、最初から立木を一太刀で切り落としてみせることは普通ない。


だがカトリーヌは今や魔法少女であった。


ソウルジェムを生み出し、戦闘向きな身体に造り変わっているので、剣の扱いが初めてでも、楽々訓練を
こなすのだった。


こうして実践練習に励むことで、魔法少女は、自分についた新しい戦闘能力を知り慣れていく。



それからもカトリーヌは騎士と共に戦闘訓練をつづけた。


こんどの訓練は、騎乗訓練だ。


馬に乗り、槍を持ち、的をつつくという訓練。いわゆる槍の突撃である。


槍こそは馬に乗って戦う武器として、最重要の位置をしめる武器だった。



槍は、脇の下にしっかり挟みこみ、しっかり前に向けて、馬が突き進むに任せてどつくという攻撃の仕方をする。

槍の向きをぶらしてはいけないし、馬の走行をゆるめてもいけない。


最初は柱に括りつけられた的を槍でつつくだけだが、訓練していくうちその難易度もあがる。


ただの木の丸い的だったそれは、自動的に仕返ししてくるような意地悪な的へと変わる。


その的とは、木の枝に吊るされた錘で、馬に乗りながら槍でその錘をつつくのだが、突かれた錘は浮き上がって
クルッと回転し、一周して騎乗者をドンと後ろから叩くのである。


だから早く馬で通り過ぎないと、仕返しされるという的であった。スピードが要求されるのだ。



カトリーヌはこの訓練も積み、魔法少女として、その戦闘能力を発揮しはじめた。


昨日まではハープを奏で、宮廷に暮らしていた高貴な少女は、契約して魔法少女になり、戦いに身を投じる
戦場の少女へと姿が変わっていく。


カトリーヌは仕返ししてくる的への突撃さえもクリアした。


あまりに訓練を楽々こなすので、農村の騎士相手に馬上槍試合の本番に挑むことさえした。


訓練の成果をだす華ともいえる実戦的な試合だ。


といっても馬上槍試合の本番にも、いろいろなタイプがある。

大きく分けるとハードなものとソフトなものになり、カトリーヌが今回挑むのは、ソフトな馬上槍試合の
一騎打ち。


ルールは、互いが互いに槍で突き合い、馬から落ちたほうの負けなのであるが、槍の先端は綿を丸めた
クッションをつけるので、相手を殺してしまうことはない。


一騎打ちは、相手と自分が互いに一直線に馬で走り、槍を交える試合。

途中の進路変更は認められない。

クッションがあるとはいえ、時速50キロちかくもの本物の槍が、相手と自分に直撃する、まさに戦いである。

このルールによる一騎打ちは、ジョストと呼ばれる。人気のスポーツでもある。



「いくらわれらが国の魔法少女、カトリーヌさまがお相手でも、」

と、馬上槍試合の相手の騎士、最初にカトリーヌに剣を渡した騎士は言った。

「私にも騎士としてアキテーヌ城に長年、仕えてきた身。騎士としてのプライドがありますので、
手加減はいたしません。」

といい、面頬のある兜をかぶり、甲冑姿になる。面頬が頭からずり落ちないように、しっかり調整して、
あごひもをしっかり結ぶ。


彼こそは、都市主催の馬上槍試合の選手権の参加歴もあるいっぱしの騎士であった。名はアドアス。



「ええ!」

カトリーヌは楽しそうに笑い、馬に跨った。馬には背当ての織物が敷かれ、カトリーヌはその上に乗る。

「本気でかかってらっしゃい。」


「もとよりそのつもり!」

騎士は騎乗用の踏み台から鐙に足をかけ、すると馬の背に乗る。

馬に噛ませた轡の手綱たぐって、カトリーヌには背をむけて一度離れる。


馬上槍試合は、馬が猛スピードで互いが互いにむけて走るため、いちど十分にはなれて距離を確保しないといけない。



カトリーヌも騎士に背をむけて距離をとりはじめた。

騎士と魔法少女、二人して互いに背を向け合って、離れる。一騎打ちの前の静けさである。


十分に距離をとったあと、二人はそれぞれ、農村の他の騎士から一本、大きな試合用の槍を受け取る。



槍は3メートルほどもあるので、重たかったが、魔法少女になるとこんなものも楽々扱う。


相手の騎士のほうも槍を手にもった。


「どきどきするわ」

馬上に跨ったカトリーヌは、そう言いしっかり、脇の下に槍を挟み込んで向きを固定した。


あとは合図を待つのみとなった。


城では貴婦人たちや守備隊たちが、城壁に並び立って、興味津々に試合の様子を見下ろして見守っている。


馬上槍試合そのものは訓練ではあったが、見世物としても当時の流行であり、貴婦人たちは騎士を応援し、
守備隊たちは魔法少女を応援した。


どっちが勝つのか賭けする、守備隊たちもいた。


騎士にとっても見せ場であり、相手が魔法少女とはいえ、ここは勝たせてもらって、貴婦人達のお目にかかる
大きなチャンスと考えた。


いっぽう守備隊たちは魔法少女を応援した。なんだかんだいって守備隊という男たちは、馬上槍試合に挑む
戦う乙女に心奪われ夢中だった。



農民たちといい、城の貴婦人たちといい、領土の誰もが注目する馬上槍試合になってしまったので、
守備隊たちはラッパを口にふくみ、そして吹いた。


城から音楽が奏でられ、それは試合の場にも届く。


すると柵外の農民たちはわああああっと歓声をあげ、試合の雰囲気をますます盛り上げた。


貴婦人たちの一部は城壁の席をたち、スカーフを手でふって、騎士を応援し、他の貴婦人たちは、
手に扇もったまま、淡々と試合を見物した。



ラッパの音楽が鳴り止むと、ついにカトリーヌと騎士の二人は馬の突進をはじめた。


馬が走り始め、互いに槍伸ばし、距離を一気につめる。


おおおおおおおおっ。

農民たちは仕事することも忘れ、騒ぎたち興奮し、そして城の守備隊と貴婦人たちも、目を見張って
試合を見つめた。


ドドドドドド。



騎士と魔法少女。


二人の馬がスピードをあげる。どちらも槍をまっすぐ相手へむけている。互いに距離をつめる。



草原にて、みるみるうちに距離は縮まり、二人の馬たちはますます速度をあげ、蹄で土を蹴りあげて全速力で走る。

ドドドドド。槍をまっすぐむける魔法少女。


ダダダダダ。受けて立つ甲冑の騎士。


農民たちがおおおっとこえをあげ、次の瞬間、馬上の二人の槍が交差した。


「うごっ!」

バキッ!


まずカトリーヌの槍が騎士の胸元を突いた。つづいて騎士の槍がカトリーヌに当たった。


すると槍はひん曲がって折れ、砕けた木片が飛び散った。



おおおおっ。

農民と城の守備隊たちが、騒ぎ立つ。


槍が折れたのは、騎士のほうの槍だった。カトリーヌの槍は折れず、馬の走る速度に任せるまま、
騎士を馬から押しのけ、突き飛ばした。


騎士は馬から転落し、ドッテンとひっくり返って落ちた。カトリーヌは馬に乗ったまま過ぎ去った。



おおおおおおっ。わあああああっ。


勝負は魔法少女の勝ちだった。


農民たちは歓声と喝采、拍手に沸き立ち、カトリーヌに声援を送った。


カトリーヌは、馬をくるりと向き直らせながら、初の馬上槍試合に勝利した自分自身の力に驚きながら、
声援を送ってくれる農民たちを見回した。


それから、ブンと槍を上向きに振り上げ、空に向けそして勝利を示した。馬がヒヒンと鳴いて前足ふりあげ、
馬までも勝利に興奮し酔う仕草を示した。

馬上槍試合の一騎打ちを勝利で飾った魔法少女のポーズであった。


おおおおおおお!!


農民たちはますます沸き立ち、盛り上がり喝采の嵐となった。

それぐらい魔法少女の勝利を農民たちは祝い、心から喜んだ。



いっぱしの騎士に馬上槍試合で勝てるほど、私たちの領土に誕生した新しい魔法少女は、強くて華やかで、
美しいお方だ。


きっともう他国の強い魔法少女が攻めてきても、このお方なら私たちを守ってくださる。


そう思ってこれからの暮らしに希望すら見い出して、農民たちはとにかく、喜びの声をあげあった。




自分たちの国に住まう魔法少女がどれくらい強いかどうか。

それは暮らしに直結する問題であった。



アリエノールとちがって、ちゃんと戦ってくれる強い魔法少女が、自分達の国に誕生したのである。


「ぬぬぬ、まいりました。」


と、騎士は、ズドっと落ちた自分の身を、仲間たちに起こされながら声をこぼす。


騎士の鎧は重たく鋼鉄製なので、一度ころぶと、もう自力では起き上がれない。仲間達に助けられて起き上がる。

これが人間の騎士の限界であった。



それが魔法少女になると、ソウルジェムさえダメージなければ無敵という、まさに戦闘マシーンな身体になるので
あった。



「まさか魔法少女の方が相手とはいえ、初試合で私が負けるとは。いやいや、まいりました。」


騎士はやっと起き上がりながら、甲冑の兜をぬぎ、顔をみせてカトリーヌに告げる。



「まあ、ありがとう。」

カトリーヌは馬を降りて、騎士と握手をかわした。「まさか私も勝てるとは、思いませんでしたわ。」


「大いなる力が、あなたには宿ったのです。」

騎士は笑って握手に応える。「しかし実戦はもっと過酷です。これからも、魔法少女になったあなたは、
さまさまな戦いがあるでしょう。とはいえ幸先のよいスタートです。」


「ありがとう、アドアス!」

カトリヌーは嬉しそうに笑って、アドアスと呼んだ騎士に感謝の言葉を告げた。

「あなたも気高い、騎士のお方!」



そんなわーわー盛り上がってる、馬上槍試合の休耕地を、城の窓から、鹿目円奈が眺めていた。


魔法少女になったカトリーヌが、馬に乗って騎士を相手に槍で突撃して、勝利するところから、
握手を交し合うまで、アリエノールの部屋の格子つき窓から、ずっと見ていた。


「…すごい、なあ」

と、城の格子窓の前で外を見つめながら円奈は呟いた。「なんかいかにも騎士って感じ……」


カーンカーン、と昼の時刻を城の鐘楼が告げている。


バリトンにも騎士の人はいたけれど、あんな試合は初めて見たのだった。国が違えば文化も違うのだ。


「カトリーヌさん…すごく嬉しそう…」

窓から彼女を見つめながら円奈は、そう思って呟いた。

魔法少女としての新しい自分の門出に、張り切ってるかんじ。



いっぽうこの領土のもう1人の魔法少女・アリエノールは、自分の質素な天蓋ベッドに腰掛けて、
無言で、じっと顔を下にむけて自分を見下ろしていた。


「どんなに戦ったって……血を流したって…」


と、アリエノールは、自分の左手にはまった指輪を見つめ呟く。

指輪は鈍い光を放っている。


「報われることはないのよ」



円奈は格子窓から振り返って、アリエノールをみた。


「わたしは今日から……」

アリエノールは、自分のガウスのスカートを、掴んでいる。「1人だわ。一人ぼっちになるのよ」


城の鐘楼は、まだカーンカーンと鐘の音をならしている。

「アリエノールさん…」


円奈はそっと彼女の名前を呼ぶ。それから天蓋ベッドに腰掛けてる彼女の前で、静かに言った。

「ごめんね。わたしは、神の国をめざなくちゃ……」


といって、腰掛けるアリエノールの前に膝ついて屈んで、アリエノールをみあげる。



「ええ。わかっているわ…」

アリエノールは言い、胸元に手を結び、円奈をみつめた。

「ありがとう…いままで一緒にいてくれて」


「私の方こそ」

円奈は微笑んで、すると立ち上がった。背中にロングボウの弓矢を紐でとりつけ、
鞘に納まった剣を手に取りベルトを腰に巻きつけた。


騎士姿にもどり、麻袋を取り旅立ちの準備をする。


アリエノールがベッドに腰掛けたまま、寂しそうに地面を見つめているのを最後に振り返って。

円奈は部屋の扉に手をかけようとする。



そのとき城の外で不思議な、けたましい角笛の音が轟き渡った。



「ええ。わかっているわ…」

アリエノールは言い、胸元に手を結び、円奈をみつめた。

「ありがとう…いままで一緒にいてくれて」


「私の方こそ」

円奈は微笑んで、すると立ち上がった。背中にロングボウの弓矢を紐でとりつけ、
鞘に納まった剣を手に取りベルトを腰に巻きつけた。


騎士姿にもどり、麻袋を取り旅立ちの準備をする。


アリエノールがベッドに腰掛けたまま、寂しそうに地面を見つめているのを最後に振り返って。

円奈は部屋の扉に手をかけようとする。



そのとき城の外で不思議な、けたましい角笛の音が轟き渡った。

今日はここまで。

次回、第16話「隣国・ガイヤール迫る」

第16話「隣国・ガイヤール迫る」

138


プオーッとけたましく角笛がなり轟くなか、ガイヤール国の魔法少女・ギヨーレンはまだ眠りこけていた。

宿営テントのベッド中でいびきかきながら眠りつづける。

すでに他の騎士たちや、兵士たちは進軍の準備も整えているのに、当の領主がまだ眠っているのだった。


「ギヨーレンさま」

手下の側近が宿営テントの幕を捲くり、中に入って魔法少女を起こす。


「ああ?」

魔法少女は、側近の兵士に呼ばれて不機嫌そうに目を開いた。

幕が捲くれると外の光がはいってきて、宿舎テントに眠る魔法少女の目に当たる。それが彼女をイライラさせた。


「進軍の時間です」

側近はベッドの魔法少女に冷静に告げる。

宿営テントは、木で組み立てられたベッドのほかに、蝋燭を燃やす燭台とテーブル、そこに燃える
何本かの蝋燭と、鏡、水面台などがあった。


外はがやがや、馬の走る音やら剣の抜く音、角笛の吹き鳴らす音など混じって騒々しい。


「はやいだろが」

ギヨーレンは目をこすり、またベッドの枕に頭をおしつけて眠る。「昨日、魔獣を5匹退治した。おかげで、
眠いが」


「いいえ、ギヨーレンさま」

手下は領主が不機嫌になることを承知で、なお告げる。「昼です」



「ひる?」

魔法少女はベッドで目を瞑りながら言った。「ひると、いった?おまえ」


「はい」

武装姿の側近は答える。「お湯の準備が」



ギヨーレンはすると、青銅の洗盤に満たされたぬるま湯に顔をおしつけた。

ばしゃばしゃと顔をぶるぶる振るう。


水面器を乗せたテーブルは小さくて、背丈の小さな魔法少女にあわせてつくられている。

顔をばしゃばしゃするとの水面器からゆるま湯が飛び散って、テントの幕を水しぶきで濡らした。


「目が覚めたぞ!」

ギヨーレンは顔面も髪も水びだしになりながら、目を見開いて、ふーっと声をあげる。「昼か!」



「あと3マイルでアキテーヌ領です」

側近は頷いて言った。魔法少女とプライベート空間で会話できる人間は、ごく限られていた。


「アキテーヌ領か」

魔法少女は呟くようにいい、宿舎テントの幕の出口へむかった。


すでに鎖帷子を着込み、腰に鞘も差している彼女は、武装姿のまま眠り一晩を過ごしていた。

だから側近は剣を手にとって、魔法少女の鞘に納めてやるだけでよかった。



ギラーン。

蝋燭の火を反射して赤く煌く剣が、鞘の中へと収まっていく。側近は魔法少女の鞘に剣を収める。

「兵の士気は朝に鋭く、昼にぬるく、夜に眠い。あなた自身のお言葉です」

鞘に剣いれながら側近の騎士は言った。

「そうだな」

魔法少女はすると幕をあけ、兵どもの前にでた。


ギヨーレンが幕から登場すると、おおおおおおっと兵どもは大歓声をあげ、槍と、剣やらをふりあげた。


ガイヤール国の兵どもは300人越えるほどで、騎兵が100人、兵士が150人、そして秘密兵器の保持者が
もう50人といった構成だった。おおざっぱにいえば。

細かく言えば、近衛兵、衛生兵、偵察兵、斥候部隊、など一部が区分されている。


プオーッ。

角笛が吹かれ、誰もが魔法少女の登場に熱狂し声をあげる。


「ロクスリー!」

すると魔法少女はうんざりといった顔して、側近の名を読んだ。「声はいらん!」

「みな、あなたを愛しています」

側近は答えた。彼の名はロバート・ロクスリー。


「気味悪いこと言うな!」

すると魔法少女は顔をしかめて側近に怒鳴った。それから騒ぎ立つ熱狂のなかを歩き、白い馬に跨る。
手にガイヤール国の紋章が描かれた青色の旗をもつ。


「あなたへの忠誠ですよ」

側近は笑っていい、アキテーヌ領土のほうを指差した。「今日からあなたが、あの領土の主です」


「あいつらの忠誠は、地獄の鐘のように響く」

寝起きの魔法少女は愚痴をこぼし、騒々しい人間ども300人の前へ馬を進めた。


ギヨーレンの白い馬には、馬の背あてという刺繍入り布を背に敷いていた。その上に跨ったギヨーレンは、
バンと馬の腹を足で挟み込み、すると馬はドドっと野原を走りだす。



馬が走ると、ガイヤール国の青い紋章が描かれた旗が風にはためきゆれた。



青い晴天。緑の野原。馬たち。兵たち。風にゆれる紋章の描かれた軍旗。



ガイヤール国の紋章は盾のような形をしていた。紋章には青色が塗られ、真ん中に、
銀色のイルカが自在に泳ぐ様子が描かれた紋章だった。

イルカは竜のように青色のなかを飛ぶ。そして尾や背中にも、ヒレがついている凶暴な性格のイルカ。


この紋章が描かれた旗は魔法少女だけでなく、騎士たちも何十本ともっている。



自分たちがガイヤール国の者だと相手に示し、戦争の相手だとも相手にみせつける紋章である。



「ガイヤール!」


とギヨーレンが一声叫ぶと、騎士と兵士たちは、おおおおおおおっとそれに応じて雄たけびをあげた。


「われらがガイヤール!」

魔法少女は紋章の旗を手に、馬上から兵たちに呼びかけ鼓舞する。


「戦争は好きか!」


おおおおっ。武装の兵たちは、武器をぶんぶん振り上げ騒ぐ。


「殺しあうのが好きか!」


魔法少女の馬が走る。旗が風にはためいてゆれる。兵たちは何百という武器を振りかざす。


「敵の頭を砕き、剣で胸を刺し、命果てるまで血を流すのが好きか!」



おおおおおおおおっ。おおおおおおっ。

歩兵も騎士たちも、魔法少女の呼びかけに、わーわー騒いで応じる。叫び声あげる騎士もいる。



「野蛮な、粗野なやつらめ!」

魔法少女は馬を駆けながら、軍旗をはためかせて騎士たちを煽り立てる。
少女の声で。


「ならば戦うがいい!」


と、魔法少女は叫び、甲高い声で兵どもに声をとどろかせる。


「ガイヤールの強さ!」


おおおお。兵たちはどよめく。


「ガイヤールの勇気!」


2メートルちかくある軍旗を軽々もちあげ、魔法少女は圧倒的な力量を兵たちに示す。


「ガイヤールの誇り!それを示せるのは他の誰でもない!おまえたちだ!」



うおおおおおお!

こうして鼓舞された騎士と兵たちは沸き立って、どよめいて腕ふるい喚声をあげまくった。



満足した魔法少女・ギヨーレンはふっと得意に微笑んで、3マイル先にあるアキテーヌの領土へ、
侵攻をはじめた。



「余が、アキテーヌ城の新たな主よ」


と、一言呟いた。

139


ガイヤール国のギヨーレンは、300人の兵と騎士たちの先頭にたって、軍を進める。


ギヨーレンは深い青色の目をした魔法少女で、髪は赤みがかった濃い茶髪であった。

毛皮のマントを肩に纏い、そのマントは胸元で結び、鎖帷子つきのダブレットを着込み、その上に鎧をつける。

胸冑と背冑の二枚を着込む胴甲と呼ばれる鋼鉄の鎧。

その前後二枚の鎧板を腰バンドと、肩でつなぐタイプの鎧で、騎士たちの鎧と同等のもの。


これを着込むと、ギラギラ銀色に鎧の煌く威圧的な騎乗姿になる。


足はサバトンという鉄靴をはき、腿や脛も、鉄の防具があてがられ守られる。

腰にバンドを巻き、鞘をとりつけ、剣を納める。



この時代の魔法少女にありがちな、普段着としての武装姿。




ギヨーレンはいつか円奈が来栖椎奈からきいたような、”民のために戦う”タイプの魔法少女だった。



民に恵みを与え、民を魔獣の手から守り、外敵の手から守ために戦い、国のために戦う。



そして彼女自身歴戦の魔法少女であり、魔獣退治はよほど強力な敵でもない限りお手の物、外敵の侵入も
何度も撃退する、国と民のために戦う魔法少女だった。


ギヨーレンは民に人気のあるタイプの魔法少女だった。


今回ギヨーレンは国のために戦うその矛先をアキテーヌ領土にむけているが、これもやはり、
ガイヤールという国の利益のためである。



なんといっても今は魔法少女の乱世、群雄割拠ともいうべき戦国の世界なのである。



和平だなんだといって他国を牽制もせずほっとけば、だんだん他国が力をつけて大国に育ってきて、
自分の国が存続危うし。


そうなるよりは勝てるうちに他国を倒し、自国の領土を広げ、自国を大国に育てる。


領主にとってそれは立派な行動指標だ。




闇雲に暴虐を働く魔法少女とちがって、国のために戦争へでるギヨーレンは、民に人気あるタイプであった。



ギヨーレンは馬をすすめ、そのギヨーレンに300人の兵がついて従う。


ギヨーレンが馬の向きをくるりと変え、兵に向き直って、剣を抜いて空に向ければ、その仕草だけで
兵が奮い立った。




魔法少女の剣抜くポーズに兵たちが興奮し、声をけたましくまくし立てる。



改変前の魔法少女が人にとって害になる魔女になってしまう世界では、ありえない光景だった。


しかし鹿目まどかによる宇宙の再編によって迎えた西暦30世紀、人に害を及ぼす魔獣を倒す魔法少女こそは、
人間たちにとって英雄であった。



兵たちは雄たけびあげ、槍をもちあげ、そして腰元の紐に吊るした角笛を口にふくみ、プオーっと
吹き鳴らすのであった。




鹿目円奈とアリエノールはこの角笛の音を耳にした。

140


他国の掲げる旗の紋章。

盾型に青色の紋章、そこに凶暴なイルカの描かれている。


この旗の紋章の数々はガイヤール国の紋章。


アキテーヌ領土の農民は敵国の紋章を見つけて恐怖に叫びをあげ、慌てふためきその場をあてもなく逃げ去った。


女たちは鶏の餌やりや、羊毛を毛で刈り取る作業、井戸の水汲みや洗濯を中断して村を逃げさる。

男達は馬上槍試合の盛り上がりから一転、恐怖に叩き落されて、呆然と敵国の紋章をみあげる。



「なにごと?」

まだ魔法少女姿のままになっているカトリーヌは、騎士のアドアスに問いかけた。

「彼らは、何者?」


「ガイヤール国のギヨーレンです」

アドアスは草原のこむう、あらわれた敵国のはためく無数の旗の紋章を見上げ、目を凝らせると答えた。

「ここなら50マイル西の隣国です」


「隣国?」

カトリーヌははっとして敵国の紋章を見つめ、それが自国に近づいてきていることを悟り、
どくどくと血の巡りが早くなるのを感じた。


敵の兵は300人ほど、紋章の旗を風にはためかせ、すでに農村をでた平野に布陣をはじめている。

今日、国を守る使命を負うために魔法少女になったが、こうもいきなり侵略者たちに襲来されるとは。

不安が、新しい体を手にしたカトリーヌの心を動揺させ曇らせる。


プオーッ。

敵国の軍隊が角笛を吹く。草原を越えて農耕地にまで音は響いて聞こえてくる。

角笛をけたましく鳴らし、アキテーヌ領がどう応じるのか伺いたてている。


もちろん平野戦のほうがリスクが高い。城とは、敵国の攻撃の手から有利に守るために造られたものであるから、
当然、守る側は城に立て篭って戦うのがセオリーである。


しかし、しかしである。

守備側が城に立て篭もるとなると長い時間、包囲されつづけることになる。しかも、あとがない。

最後の手段ともいうべきものであり、もし城が陥落すれば農民は全員死ぬ。

もちろん敵国たるガイヤールは、城を落とすためのたくさんの攻城兵器を運んできている。

城の壁にかけるはしご、動物の死体を城に投げ込んで疫病を発生させるための投石器など。

ほか、水源である湖に毒を流し込むなどの準備もある。


カトリーヌは側近騎士に相談した。

「城に篭って戦うべきでしょうか?」

「普通ならそうです」

騎士は目を細め、西の平原に陣を張った敵国、騎兵100、歩兵150ほどの規模の軍隊を見据え、考えをカトリーヌに伝える。

「しかし戦争はしばし、気持ちで負けることから敗戦の入り口にもなるものです」

城に立て篭もるとは、敵軍に圧されて逃げる、という行為と変わらない。

その心境のまま士気マンマンの敵国の包囲と戦えるだろうか。


「野戦に打って出ましょう」

騎士は覚悟を決めた、しかしカトリーヌを勇気付けるような歯をみせた笑いで、答えた。

カトリーヌもすると覚悟が決まって微笑んで頷く。「騎士たち集めて」

魔法少女になって数時間しかたっていないけれど、さっそくもう国を守るために授かった力を使うときがきたのだ。

カトリーヌは闘志を抱いた。


「わたしどもがあなたを守りいたします」

自信たっぷりな騎士アドアスが、魔法少女の姿になったカトリーヌに言う。

そうだとも。アキテーヌ兵たちだって味方をしてくれる。

「戦火を開くときは、弓兵に合図を出してください」


アドアスは馬に乗ってすぐに城むけて出発した。


蹄が草むらをけり、馬が走り出す。


その馬で駆け出したアドアスの後ろ姿を見守って、カトリーヌはやってきた敵国の方をみつめた。


西の方角から攻めてきた敵の数は、300人越えるほど。農村のむこうに開けた平野に布陣、今は動きをとめ、
こちらの様子を見守っている。というより、戦いがはじまるのを待ち受けている。


草原の平地に青色の紋章の旗をかかげ、そよ風にふかせているだけだ。



人類の歴史ながしといえど、魔法少女の力が軍事力として発揮され、国と国でぶつかりあう戦争は、
いまだかつてない最近になって始まった戦いである。


果たしてどんな展開をみせるのだろうか。

今日はここまで。

次回、第17話「魔法少女合戦」

第17話「魔法少女合戦」

141


アキテーヌ城のなかが騒がしくなっている。

守備隊たちは武器庫へ降り、剣と槍、弓矢を取り出している。


騎士たちは集められ、城の入り口前に集まっている。



騎士たちはアキテーヌ領土の紋章を描いた軍旗を掲げた。


アキテーヌの紋章は黄色い。そこに描かれた砦の落とし格子。それがアキテーヌ領の紋章だった。



描かれた落とし格子は、城門入り口に落とされる鉄格子の絵だが、その下がギラギラ尖っていて、
これまた凶暴なイメージをもつ鎖と鉄の紋章。


何百人と兵たちが城に集められ、ラッパが吹き鳴らされると、それを合図に、黄色い紋章をもった兵たちが
どーっと城を飛び出し、敵国の現れた南の方角の平野へ進む。


「なにごとだ!」

アキテーヌ城の城主アドルは、騎士たちのあわただしい武装と出発に、まわりの者へ問いただす。

「なにがあったというのだ!」


貴婦人たちは黙りこくっているだけ。


アドアスが城主に答えた。「ガイヤール国のギヨーレンです。攻めてきました」


「ガイヤールだと?」

城主は目を見開き、遠く平野へ現れた青い紋章の軍を眺め、顔を強張らせた。

「先年に和平を結んだはずだ!メープル林の一部割譲と共にだ!」


「それに飽き足らなくなったんでしょう」

アドアスは告げ、この戦争に受けて立つ意を城主に示した。

「それか失業した敵国の傭兵に仕事を与えるための戦争です」

騎士は答え、自らも馬に乗り込んだまま、槍を手にした。「であれば、一ヶ月もてば敵軍は勝手に撤退します。民を城に避難を」


城主は無言で頷き、そして農民たちが安全を求め城へ逃げ込んでくるのを見た。

「門をあけよ!」

城主は守備隊たちに命令する。「避難させろ!」



正規の戦争は、ここ”西世界の大陸”と呼ばれる地方では、互いの国の魔法少女同士、顔をあわせたあと開始する。



すでに農村のむこうにひろがる平野へ布陣しているガイヤールのギヨーレンは、そこで敵側の魔法少女を
待ち受けていた。

そう、待っている。戦争をまだ仕掛けてはこない。


ギヨーレンは草むらに布陣した300人の兵たちの先頭で、馬をいったりきたりさせ原っぱを走り、
ただアキテーヌ城の動きを見守っていた。



この草むらは、アキテーヌ領土の農村をすぐ出たところに広がる土地で、森に面している。

ギヨーレンからみて左に森。アキテーヌ側からみたら右に森が生い茂って緑に覆われている。


でてくるのはアリエノールかカトリーヌか。


それとも二人ともこないのか。


「…はん」

ギヨーレンはそう心で考えてそして思わず鼻で笑う。我らが軍の前に姿を現すこともできないか。


「ここの魔法少女は、自分たちは闘わないで、人間だけに戦争させる腰ぬけどもだが!」


ハッハッハッハッハ。

ガイヤール兵たちは、けたけた笑う。

魔法少女がその力を発揮し、戦争するのが当たり前の時代なのに、相手国ときたら顔を出しもしない。

特別な力を得たくせにそれを戦争に活かそうともしない。腰抜け、と罵った意味は、これである。


だがもう少し待っていると、やがて馬にのったクリーム色のドレスと編み上げブーツの魔法少女が、
前へやってきた。


目前に現れたアキテーヌ領土の兵は、200人ほど。ガイヤールに比べ規模の小さい国にしては、よく集めたほうか。


黄色い落し格子の紋章が現れ、アキテーヌ側に並び立つ。


足並みそろえて200人は、黄色い紋章かかげ、ギヨーレン軍の前にぞろぞろやってきた。



あわれにも、これからはじまる戦いのものの数十分で、全滅されるであろう兵たちだ。


青色の紋章と黄色の紋章が睨みあう300人と200人。国と国の兵たちが対峙する。


カトリーヌは馬を進めて、ガイヤールのギヨーレンにむけて告げた。


「何しにここに?」


「あっはっは!」

するとギヨーレンは、相手の間抜けた問いかけに、今度こそ心から笑い声あげてしまった。

「何しにここに、はなかろうが。後ろに控えるわが兵どもが目に入らぬのか?決まっている。
我らガイヤールは、おまえたちに戦争を仕掛けようとしているのだが!」


「和平の道を」

カトリーヌは、魔法少女の変身姿で騎乗したまま冷静に言い返した。

「戦うことはありません。互いに物品の交易を。そして栄えるのです」

魔法少女叙任式を経て、国の守り手となったその初日、さっそく初陣となったカトリーヌは和平を提案する。


「和平?それはおまえ無理な話だろが!」

ギヨーレンはまた笑った。「魔法少女とは戦う存在なのだ。戦わなければおまえ、あっという間に
円環の理に導かれて逝っちまうだろが。"神の国"へいっちまうってことだ」


ガイヤールの兵たちが押し黙る。

そのへんの話は、人間たちにはいまいち理解できない話であった。

せいぜい、隣国を略奪すればたんまり領土、それも肥えた耕地が手に入り、農奴をたくさん持って、
より贅沢な暮らしが実現するくらいにしか思ってない。

「希望をもつのが、魔法少女だろが」

ギヨーレンは手にもった剣を、びっと前へ伸ばしカトリーヌへむけた。剣先がカトリーヌに突き出される。

するとカトリーヌがその剣先を険しい目つきで睨んだ。

「我慢してたら心に鬱憤がたまって、そういうやつらから、円環の理に逝っちまうが。好き勝手やり放題、
戦いに勝って勝つこと、魔法少女の長生きの秘訣ぞ」

魔法少女は戦わずして生きていられない。たとえば、暁美ほむらが時間軸を巡って、まどかを救おうとしたときは、
まさに戦いの連続だった。戦いをやめたらグリーフシードに変わる運命にあった。

巴マミは交通事故に遭い、契約をしたことで一命をとりとめたが、自分だけ助かったことに自責を感じてしまい、
街の平和を守るために戦いをやめるわけにはいかなくなった。

美樹さやかは意中の男子の右腕を治す奇跡を叶えたが、そのあとは、自分のことを魔女を倒す、それしかない石ころだ
といって、戦いをやめるわけにはいかなくなった。

佐倉杏子は父のために願いをかなえたが、その願いが家族を破綻へ追いやり、他人のために魔法なんか使わないものだ
と後悔、あとは自業自得の人生を取り戻す決意のもと、戦いをやめるわけにはいかなくなった。



ガイヤール国の王、魔法少女ギヨーレンは馬を何歩か進め、カトリーヌへ接近する。


「それ以上私の土地に近づけば戦いになります!」

カトリーヌは相手に警告する。昨日までただの少女だった魔法少女の、精一杯な威勢の張り方であった。


「戦いかっ、ははっ!」

ギヨーレンはまた笑い、マントひらめかせながら馬を進め、相手国の魔法少女をからかった。

「それにしても、可愛らしい変身衣装だが、え?それで戦いになるっていうものか?剣もってるより、
ハープでももって、奏でているほうが似合ってるんじゃないが?」


ハハハハハハハ。

またガイヤール兵たちがごぞって、けたけた笑い出し、カトリーヌは頬を赤くして相手をにらみつけた。


ハープを奏でる。まさに魔法少女になる前は、そういう少女だった。


いっぽうのギヨーレンは、変身姿ではなく、マントと鎧を纏った騎乗姿だった。鉄靴のサバトンを馬の鐙に
乗せ、剣を前へむけたままさらにカトリーヌに接近する。

ギヨーレンとにって、変身は魔獣退治のときにしか必要ない。軍を率いて戦争に出るときは、魔法少女の力は使わない。



カトリーヌは相手のからかいのと侮辱から立ち直って、平静な顔つきを取り戻し兵たちに呼びかけた。

「弓兵!」

甲高い乙女の呼び声。

100人あまりのアキテーヌ軍の兵士が、弓を手にとりだす。

矢筒から矢羽のついた矢を一本とりだし、番えると弦を引き、構える。


ガイヤール軍にむけられる100本の矢。

アドアスに教わったばかりの戦争の始め方だ。魔法少女なりたてのカトリーヌは、戦術とか、戦争の仕方、
兵法、軍旗と軍笛、陣の動きも知らない。本来ならば、アドアスに教わって予行練習するはずだった。

その隙のがさずガイヤールは攻めてきたのである。つまりカトリーヌが魔法少女になりたてという情報が、
敵国に漏れているのである。



魔法少女の号令によって、動き出す人間の軍。


「ガイヤール兵、番え!」

するとギヨーレンも応じて叫んだ。ガイヤール軍150人あまりが、弓に矢を番え、斜め上向きに構えた。

曲射と呼ばれる弓兵たちの構えである。



100本の矢と150本の矢。


”矢合わせ”。

戦争のはじまりは、投石器のなげあいだとか、矢の撃ち合いからはじまる。



矢を互いに撃ち合うこと。それは戦争開始の暗黙の合図となる。つまり、この矢が互いに放たれてしまえば、
もうどちらかの王が倒れるまで、戦いは続く。




農村をでたすぐそこの平原で、両軍の弓矢同士は番えられ、むけあう。

軍同士が睨みあう奥には、アキテーヌ城。石造りの城。


「さあさあどうする!」

ギヨーレンは相手に剣突きのばし挑発し、ヒヒンと馬を後脚たちにさせると、もう一歩前へ進んだ。

「戦いになるんじゃなかったのか!」



「私どもの領土に手を出せば───」

カトリーヌは、最後の説得を相手に試みる。

「私たちが敗れてもエドレス国エドワード王は黙っていません。私どもの盟主です。和平の道を」

戦争のノウハウがないカトリーヌは今日の戦争は避けようとする。

それどころか魔法少女として戦った経験さえないのだ。

魔法少女の初戦は、死亡確率が3分の1とすらいわれる。



「そう、そうだな!」

ギヨーレンの余裕そうな態度は変わらなかった。

「だがその王はいま、気を病んでおられる!戦争どころであるまい!」


「気を病んで?」

カトリーヌはおどろいて目を見開いた。そんな話は初耳だった。


「どうやらしらぬようだな、あの王都で起こっていることを!」

ギヨーレンはにたにた笑い、さらに馬を一歩進ませた。「気を病めた王より、余だ!さあ渡せ!」


カトリーヌはきりっと歯軋りの音を鳴らし、背中の腰まで伸びたくるくるの巻き毛をゆたかにゆらしたのち、
ギヨーレンの挑発について魔法少女として受けて立つ決意をした。

つまり魔法少女対魔法少女、国対国の合戦に挑むのだ。

「弓兵、射て!」

カトリーヌは叫び、命令をくだした。これによって自ら戦争の戦火を切ってしまうことになるが、
国を守るために戦いきる決意だった。


「ガイヤール兵ども、放て!」

するとギヨーレンも笑い、余裕を見せたのち、腕をあげて指示をくだした。


まずアキテーヌ兵側からの弓矢が放たれた。100本にもなる矢が平野を飛んで、ガイヤール兵らめがけて
飛んでいく。

ズババババ!矢の雨が野原に飛ぶ。


対してガイヤール兵の弓からも矢がとんだ。150本。


ひゅーっと浮き上がる無数の矢。空へ飛ぶ。


250本もの矢がぶわーっと一度青空に舞い、交差し、弧を描いて、そしてやがて兵たちの頭へ。

落ちてくる。

戦争がいきなりはじまってみると、カトリーヌはその光景の凄まじさにしばし心が動揺した。


矢あわせ。


それは数百という尖った針をもつ矢が、空をふさいで降ってくる光景だった。


「防いで!」

カトリーヌは矢が落ちてくると叫び、自らも手にした盾で、落ちてくる矢から身を守った。


ズドドドドドド。

次々に矢が重力の勢いに乗って降り注いできた。兵たちは盾を頭上にかぶせて身を守る。その盾に矢がドスドス刺さり、
ある矢は盾をも貫通する。


しかし盾だけでは全身を守りきれず、足の各部やつま先、腿、膝などに、次々矢が刺さった。


「うがッ──!」

「あぐぅっ…!」

アキテーヌ兵から呻き声が、続々あがる。まだ降ってくる矢は、アキテーヌ兵たちのつま先に落ち、また刺さり、
矢羽が足に突き立つ。

足首、脛、腹、腕…落ちてくる矢がどんどん、兵たちに刺さり、身に食い込んでくる。

矢の雨は、悪夢のような時間であった。




対してギヨーレンは、同じく盾で頭上に注ぐ矢で頭を守った。

ガイヤール兵たちも盾で身を守るが、アキテーヌ側とちがって、その場にしゃがみこみ、盾を蓋のように身をかぶせ、
守っていた。


これで身体を晒す部分が少なくなり、直撃する矢は激減した。事実、両陣営の矢が飛び交ったあと、
矢に当てられた兵の数は、ガイヤール側の兵にはほとんどいなかった。


「あたらんぞ!」

矢が飛び交ったあと、ギヨーレンは矢だらけの盾をどけると顔をだし、相手国を挑発した。


一方矢によって打撃をうけたアキテーヌ兵たちは、まだ矢を身に受けた痛みに呻いている。


「さあどうする、そっちの兵は随分と痛がってるようだが!」

矢の雨から帰還したほぼ無傷のガイヤール兵たちはげらげら笑い、第二派の矢を弓に番えた。


150本の矢が再びむけられる。


カトリーヌはするとギヨーレンを睨みつけ、剣を右手に持ち上げると、それを相手にむけて言った。


「あなたを倒します!」

とだけ叫ぶと、魔法少女姿のカトリーヌは馬を走らせ、突撃する。

魔法少女合戦の火蓋が切られた。


ギヨーレンにむかって突き進んでいった。


「カトリーヌさまをお守りしろ!」

すると手下の騎士アドアスも叫び、それに続いて、馬を走らせる。


自らカトリーヌが先陣切って疾駆をはじめると、それに従う兵達も進撃、駛走しだした。

「突撃だ!」

他の騎士たちも叫ぶ。

ドドドドド。


50人、60人…そして70人という数の騎士たちが、いっせいに馬を馳せ、平野を走り、敵陣へ。


さらにそれに続いて100人あまりの歩兵も走ってきた。槍、剣、斧、弓矢…さまざまな武器を手に、
走ってくる。


そのバカ正直な突撃は見た目が派手であるから、ガイヤール兵もそれなりに怯みたじろく。


しかしこんな戦争を何度も勝ち抜いてきたギヨーレンだけは、こんな総攻撃にでられても余裕である。


互いの陣営の距離は50ヤードほど。


森と森のあいだに広がるこの平野を埋め尽くして、200人あまりがこっちに走ってくる。



「放て!」

ギヨーレンは剣を前へ伸ばし、弓兵たちに合図した。「全員、殺しちまえ!」


弓兵たちは番えていた矢を撃ちはなった。

整列した弓兵たちの手から150本の矢が再び飛ぶ。

さっきの上向きに放った矢とはちがって、今度はまっすぐに。



矢が直線に飛ぶ。


それは走ってきたダキテーヌ騎兵たちに次々命中し、騎兵の胸を射止め、腹を貫き、頭を射抜いた。


矢に当てられた騎兵たちは次々に、落馬する。

「あがっ!」「うごっ!」


20騎、30騎、…と、矢に撃たれ落馬する。


顎に矢があたった騎士は手綱を手放して落ちた。仰向けに身体をぶつけ、頭を打撃した。

すると後続からぞくぞく走ってくる騎兵たちに馬で踏まれ、大怪我を負う。



それでも70人ちかくという騎兵たちが、馬を走らせ、まだまだやってきた。

馬の全速力がギヨーレン率いるガイヤール軍300人へ迫る。



200人vs300人。


平野を埋め尽くしたそれぞれ異なる紋章を掲げた兵たちが、いよいよ激突寸前だ。



「むかえうて!密集隊形だ!」

ギヨーレンは叫び、弓兵たちはすると弓をすて、地面に並べ置いておいた木の槍をもった。

その槍を持ち、すばやく突撃してくる馬達にむけて、しかと槍先を固定して待ち受ける。


キラン。

敵兵たちの構え持った槍先が数百本、光る。さながら槍の防壁ができあがった。パイクと呼ばれる、軍馬対抗の槍の構えである。

ヤマアラシ戦法。


罠に気づいたカトリーヌだったが、だからといって馬はすぐに止まらない。

そして結局70人以上という騎士たちは、カトリーヌを先頭にして、敵の待ち受ける槍の隊形へ自ら
突っ込んでいってしまった。


ヒヒーン!

グサグサグサ。


馬達が次々に槍の隊形に貫かれ悲鳴をあげる。腹を槍に貫かれ、深々と刺さり、横向きに倒れたり、
前足ふりあげたりした。


先頭を走った騎兵たちはみな馬を刺し殺され、槍の隊列の餌食になる。カトリーヌさえ馬を殺され、ハデに落っこちた。

「ああっ!」

カトリーヌをのせた馬は敵陣の槍陣形につっこみ腹を刺し殺され、横向きに倒れ、カトリーヌも平野に落馬して倒れこんだ。



そして先頭が落馬し滞ると、後続して走ってきた馬たちも次々に前列に激突して転び、それに乗る騎兵が
吹っ飛ぶ悲劇へ。

「うわあ!」

前列の馬に激突した鎧の兵士が馬から投げ出され、前向きへころび野原に体を打ちつけ倒れる。ずさーところげてうつ伏せになった。


そして二列目、三列目、四列目と、40人、50人という騎兵たちがどんどん落馬、横転、すっ転びまくるの
大惨事。


五列目あたりの騎兵がようやく馬をとめ、なんとかこのドミノ倒しの巻き込まれずに済むのだった。



「こいつらはどうやら、なーんの戦術もしっとらんようだ!」

ギヨーレンは勝手に雪崩れ込んでしまった敵の騎兵たちを眺めて、たっぷり嫌味をいってやった。




「さて、畳み掛けてやるが!」

ギヨーレンは自国の兵たちに呼びかけ、剣をぶんぶん空へ振り回した。


「皆殺しだ!」



おおおおおおおおっ。

すると槍もっていたガイヤール兵たちが、次々に鞘から剣を抜く。

ギラギラ、100本もの剣が日の光を反射して煌き、横転して身動きとれないアキテーヌ兵たちに襲い掛かる。


ドドドドドドドドド。

おおおおおおおお。

森に囲まれる平野を歩兵たちは走り、剣を光らせながら前へまっすぐ突っ走る。


そして敵陣へなだれこんだ。


敵兵たちは、馬の下敷きになって身動きとれないでいる騎兵にのしかかり、剣の剣先を首筋にあて、
ぶっ差す。


抵抗もできぬまま首を貫かれる騎兵たち。ガシガシと剣が首に入り、抜かれるころには血だらけだ。



「起き上がりなさい!」

まんまと敵の罠かかったカトリーヌは、しかしそれでも諦めずに、兵たちを鼓舞し、みずから戦う姿勢をとった。

「戦うのです!」

戦いは初心者だが、闘志だけは心に熱く滾る魔法少女だった。


「魔法少女の首をとれ!」

血気さかんなガイヤールの兵たちは、よってたかって、アキテーヌ国の魔法少女に剣むけて走り寄ってきた。

敵国の魔法少女を討ち取ることは、大きな手柄であり、昇格を意味する。


叫びながら野原をはしってくる敵兵たち。



カトリーヌは一瞬恐怖を覚えたが、魔法少女になった自分のことを思い出し、剣もってガイヤール兵たち
と戦った。


ガイヤール兵たちが剣ふるってくると、自然と受け止められている自分に驚いた。

敵の剣を自分の剣で受け取め、横にそらし、すると相手の胸元が隙だらけになっていることに気づく。

よろめいた敵のむけて剣を伸ばし、その胸元を一突きにした。

「うぐぁぁっ!」

相手は悲鳴をあげ、胸元おさえながら、口からも血をはいて倒れる。


もう1人の敵兵が剣を、自分の腕を狙って剣を振り落としてくるのがわかる。

だからそうなるまえに身を横に投げて肩で敵に体当たりし、敵兵を突き飛ばした。


「うわっ!」

思いのほか強い力で体当たりされた敵兵は、驚いた声あげながら、平野の草むらに身を投げる。

するとカトリーヌは最初の敵兵に刺した剣をなんとかぬいて、ころんだ敵兵に、その剣先を上からふり落とした。


「ああああ゛っ!」

敵兵の顔は、剣に一突き、とどめをさされる。ズドっと剣先が顔に差し込まれて、血が剣先にこびれついた。



他の兵たちも戦闘状態に入っていた。


剣同士を絡ませ、ぶつけあい、蹴りあったりして、殺しあっている。

アキテーヌ軍とガイヤール軍。


激突する紋章と紋章。剣と剣。


その戦争がいよいよ激しくなる。



馬の下敷きになっていた騎士たちは、どうにか抜け出した。彼らは鞘から剣を抜いて、敵兵たちの剣と
戦いあう。



まわりでがやがやざわざわ、見渡す限り剣同士の激突音が鳴り轟き、野原と森は戦場となった。



アキテーヌ兵とガイヤール兵の激しい剣のぶつけあい。



「カトリーヌさま!」

馬を失ったアドアスが、カトリーヌの前にきた。「ご無事で!」


「ええ…!」

カトリーヌは、殺し合いの戦場に目を見張ったように見回しながら、信頼のおける騎士に答えた。

「わたしは無事…!」


「敵を倒すのです」

アドアスはいうと、襲い掛かってきた敵兵の剣を、ガキンと受け流し、自分の剣でぶんとふるい、敵兵に反撃した。

それが敵兵の顔にあたって、目元を裂いた。刃はやわらかい眼球を裂き、血と目が飛び散った。


他のダキテーヌ兵たちも混戦中で、敵兵の剣とガチンと剣同士を激突させている。




あとからあとからダキテーヌ兵が増援にやってきた。


斧で戦う兵もいた。


戦斧と呼ばれる斧で、木こり用の斧ではなく、人殺し用の斧である。

柄は長細く、先端に小さめな斧の刃がついている。刃の後端部は口ばし状にとがっていて、突くこともできる。


ガイヤール兵の剣をかわし、距離をつめると、ブンとこの戦斧をふるう。

それはガイヤール敵兵の頭にあたり、頭の上半分が斧によって消し飛んだ。脳が飛び散った。



戦斧をふるうこのアキテーヌ兵は盾ももたずに、両手に斧をもって、歯を食いしばって斧を
振り回した。


ブンと横向きに斧が回され、敵兵の腹へ。


敵の腹に斧があたり、敵兵はうっと呻いた。背後から別の敵がせまってくると、腹きった敵を押し倒すようにして
地面にころんで背後のからの剣をよけ、起きあがると斧をぬいた。


斧と剣がブンと互いに振り切られ、激突する。


ガキィン!


剣と斧がぶちあたると、剣のほうが力まけした。斧の刃が強かった。


剣は弾かれ、敵兵は数歩しりぞき、よろめきいた。その刹那にいっきょに接近して、斧で敵兵の脳天をかちわった。


敵兵は目を真っ白にして、頭から血を垂らして、横向きに倒れていった。

頭に食い込んだ斧を、また取り出すのは、一苦労であった。



「やれどうした、全員殺せ!」


ガイヤールの領主ギヨーレンは、馬上から怒鳴って自国の兵を鼓舞する。

「負けてるんじゃないぞ!」


 
「"秘密兵器"を発動させますか」

ロクスリーという、ギヨーレンの側近が提言した。「準備はできてますから」


「そうしよう」

ギヨーレンは一度馬をクルリと一周させると、言った。馬もイライラしていた。

毛皮のマントがひらめき、風に乗って浮き上がったあと、魔法少女は、腕をあげて号令をくだした。

「クロスボウ隊!出番だ!」



死者が山のように増えていくなか、森のほうで伏兵たちが動いた。

142


「な…な…な…なんだか、すごいことになってるよ…」

アキテーヌ城の格子窓から見下ろしていた円奈は、固唾を飲んだ。


アキテーヌ城にはいま農民たちが避難している。

避難所として門をあけられ、そこを通って農民たちは城内に避難した。


城内にはいった農民たちは城壁にのぼって、防壁の上から平野での合戦を見守っている。


だれもがカトリーヌを応援し、カトリーヌと共に戦う騎士たちを応援した。

どうか彼女たちと、彼らたちが勝てますように。




円奈もダキテーヌ城の窓から、戦場を眺めていた。



「ガイヤールのギヨーレン」

アリエノールは暗い顔して、彼女も円奈の隣で窓から戦場を眺めた。

「隣国の領主…」


「攻めにきたの?」

円奈はたずねるが、戦場から目が離せないでいた。

何百人という人間が、剣か斧かで、殺しあっている。その真っ只中に、カトリーヌさんがいた。

魔法少女となったカトリーヌさんもいま、まさに国を守るために戦っている。



「この国はいま、狙われています」

と、アリエノールは重苦しい声で言った。

「この城も乗っ取るつもりでしょう」

「そんな…!」

円奈は息を張詰めて国を襲う危機をしった。そしてその城にとどまっている自分の身の危険も。

時勢の天下は魔法少女の乱世と重々わかっているつもりの少女騎士・鹿目円奈だったけれども、いざ戦争に巻き込まれると、
体がこわばってきた。


窓から身を乗り出すようにして、戦場を見下ろした。


ここから100ヤード以上も離れた遠くの戦場で、戦い抜くカトリーヌの白い魔法少女姿は、
ここからも見て判別できた。

143


戦場ではカトリーヌが数人の敵兵を相手に戦っていた。


敵が剣で攻撃してくると、自然とそのよけかたや受け流し方、反撃の仕方がわかる自分がいた。

魔法少女になって得た力であった。



突きは横にそらし、横向きの一撃は屈んでかわし、縦に振り落とされれば自分の剣をだして受け止めた。


そして攻撃を受け止めたあと、敵の腹をドンと蹴り、うっとうめいて退いた敵兵へ、前へ踏み出して
思い切り剣をふりきる。



敵兵の鎧に剣が食い込んだ。鎧はヒビわれて、敵兵の胸に剣先がくいこんだ。そこからだらだら、血が流れ
でてきた。


敵兵は痛みに顔をゆがめたが、歯を食いしばると、自分の剣をまたぶんとカトリーヌめがけてふるってきた。

カトリーヌはかがんでそれをよけると、足に力こめて、ぐいと剣先を押し込んだ。


「ぐぐっ…ぐっ…!」

敵兵の口から血がもれでてくる。どうやら胃か食道に剣が食い込みつつあるらしい。それでも敵兵は食いしばって
堪えていたが、やがて力尽きてバタンと後ろ向きにたおれた。



カトリーヌは剣を敵兵の胸から抜いた。

隣にも敵兵がせまってきていた。

敵兵が剣を頭上にもちあげた瞬間、カトリーヌの剣が先に反射的にふるわれた。

ブン。斜め向きに斬撃がくりだされる。



2キロほどある鋼鉄の刃が、敵兵の肩に落ちた。

ザクッ。

斜め向きに落ちた剣が、敵兵の肩から腰まで食い込んだ。


斬られた兵は、あああっと声あげる。


敵兵は力尽きて倒れていき、剣と一緒に、草むらの地面へ倒れた。


するとカトリーヌまでよろめいて地面に膝ついた。剣が敵兵の腰から抜けないのだ。


別の敵兵がやってきて、カトリーヌめがけて、剣を振り落としてきた。カトリーヌは近くに落ちていた盾を
左手に拾いその盾でうけとめる。盾にドンと剣の鋼鉄があたる音がした。


カトリーヌは血に塗れた剣持ち上げながら起き上がり、盾をどかして、敵兵と対峙した。

さっき刺した敵兵の胸からやっとの思いで剣を抜きとり、真っ赤になった血と皮つきの剣を、新たな敵兵にむける。



敵兵も剣先を伸ばしてきた。

カトリーヌの剣と敵兵の剣が同時に伸びる。


ガチィン!

剣同士があたり、激突、力勝負になる。


カトリーヌが力の限り剣をふりあげると、敵がぐらっと後ろへよろめいた。胸元に隙ができる。


カトリーヌは剣を思い切り突き伸ばした。

それがよろめいた敵兵の鎖帷子をまとった腹をドスと刺した。

血飛沫が数滴舞って、敵兵は倒れた。剣は殺した敵兵の腹に貫通したままだった。


敵兵と戦い、歯を食いしばる魔法少女。



可愛らしい魔法少女の衣装は、次第に人間の血を浴びて、赤く染まり始めた。



ともかく戦闘に長けた魔法少女の身体は、人間相手にも、圧倒的強さを発揮する。


まさに何人がかりの人間が襲おうとも、返り討ちにするのが、魔法少女であった。



アドアスも戦い続けていた。

敵の盾を叩き、真っ二つに割りる。ブンと剣をふるって敵兵の兜をガンとたたく。兜叩かれた敵兵はよろめいた。


別の敵兵か攻撃をしかけてきた。彼はそれを前へ走ってかわした。敵兵は剣を振り落としてきていた。
前のめりになった敵兵の首筋に肘をドンと叩いて突き落とす。


また現れた別の敵兵の剣を受け止め、十字に絡ませ、力で押しのけたあと、さらに別の敵兵の剣を横向きに
うけとめる。


見渡せば死体が折り重なり、腹を裂かれ足を切り落とされた人間たちの生殺しのうめき声が、満ち溢れていた。



だが勝利が見えてきた。

混戦は、アキテーヌ側に勢いがある。



200人と300人の敵同士が、森に挟まれた草むらで乱闘し、殺し合う戦いが続いたが、
勝利の希望がこえてきた、そのときであった。


「クロスボウ隊!出番だ!」

敵国の魔法少女の号令が轟いたのである。


かと思えば、共に戦っていた味方の兵たちが、いきなりバタバタ倒れていったのである。


「なに!」

アドアスは声をあげた。


バタバタ倒れて言った数十人の味方たちは、首に矢が刺さっていた。ただの矢ではなく、ボルトと呼ばれる、
ぶっとい短矢だった。


首、腹、胸、腕、どこにも刺さっている。


驚くべきは矢が鎧を貫いていることだ。鉄の鎧に保護されているはずの胸が、飛んできたボルト矢
によって貫かれ、血が流れ出ている。


「クロスボウか!」


アドアスは叫ぶ。

どこから飛んできているか最初はわからなかったが、やがて気づいた。

平野に面した森の奥から、クロスボウの矢は飛んできている。

伏兵だ。



森の暗がりの奥からバスバス矢が飛んできた。するとアキテーヌ兵たちの頭や、腹、胴に直撃して、深々と刺さって、
自力では抜けなくなるくらい、身体の奥へと食い込んだ。


「うぐっ!」

「があっ!」


さらにとんできた一本の矢が、兵の下腿部を貫いた。

ドスッ!矢が足を貫通し赤く染まる。

兵は足の痛さに歩けなくなり、膝をついて痛みに呻いた。




わずか数秒のうちに10人も20人もクロスボウの矢に殺される。伏兵の罠の餌食になる。

バスバスとダキテーヌ兵の身体に刺さり、容赦なく殺していく。


「カトリーヌさま!」

現状を告げるべく、アドアスは、クロスボウ矢が嵐のように飛ぶ戦場のなかをカトリーヌに歩きよる。


「カトリーヌさま!」


「どうました?」

カトリーヌは聞き返した。彼女は、戦斧をもった敵兵と戦っている。

ブンと振り切られた敵兵の斧を何度か剣で防ぎ、跳ね返し、突きに構え持った剣先を敵の胸元に差し込んだ。


敵兵は悲鳴あげ、目をぎゅっと閉じて、痛みに苦悶の表情をうかべた。

その胸から剣を抜いた後は、背後に迫ってきた敵兵の気配にむかってふるかえりざまぶおんと剣をふるうと、背後に来ていた
敵兵のこめかみをカトリーヌの剣が切った。カトリーヌの茶毛の巻き毛に返り血が飛び散って付着した。


「このままでは危険です!」


クロスボスの矢が飛び交うなか、アドアスはカトリーヌに告げる。「伏兵に狙われています!」


「なんですって!」

カトリーヌは血だらけの剣を持ち上げて、アドアスをみる。その顔は返り血みまれだった。「どこに?」


「森の中から、敵は矢を放っています。戦いは続けられません!」


「でも…」


と、二人の会話を割って入るように、敵兵が割り込んで剣をふりってきた。

二人はいちど会話を中断し、次から次へと現れてくるガイヤール兵と戦った。


カトリーヌは敵のふるった剣を潜ると、脇をくぐり、下から自分の剣で敵の膝ウラを斬った。

そのまま肉にひっかけ、もちあげた。


相手はすてんと足を転ばせ、尻餅ついた。尻餅ついた敵兵は魔法少女の両手に握る剣の、おろされた剣先をみた。

そしてそれがまっすぐ降りてきて、自分の腹に食い込むのをみるや、絶叫した。


カトリーヌは、人間の敵に狙われたときに勝手に動く魔法少女としての身体と、その運動神経にまた驚いた。



森からクロスボウはまだまだ飛んできた。

森奥の木々の陰に隠れている伏兵たちは、しゃがんだ体勢でクロスボウの狙いを定め、発射している。


ガイヤールの秘密兵器であるこのクロスボウは、ただのクロスボウではない。

ただのクロスボウは、引き金をひけば弓から矢が発射される素人でも扱える武器だ。


彼らガイヤール兵の特殊兵器であるクロスボウは、そんなものよりもはるかに高性能な、
照準つき巻き上げクロスボウだった。


仕掛け巻き上げ機のついたこのクロスボウは、きゅるきゅると巻き上げ機を何重にも回して、
弦を回転の力で限界まで絞る。人力の弓より遥かに強靭な弦の力を得て発射できるようになる。


巻き上げ機を巻き上げれば巻き上げるほど、弦の弾力は強力になり、恐るべき破壊力を発揮する。


その威力は敵兵の鉄の鎧を貫く。つまり敵の防具を無力化してしまうほどの破壊力である。



それだけの破壊力もった矢が、照準つきという正確さも加わって、アキテーヌ兵に襲い掛かるのである。


巻き上げ機クロスボウは、この時代における、最強の威力を持つ最新鋭の武器であった。


この武器は、西世界と呼ばれるこの地方では希少価値の高いもので、それをつくるクロスボウ職人は、
重宝されている。



どんどんクロスボウの矢がアキテーヌ兵の身体を貫く。


飛んできた矢が、アキテーヌ兵の足に刺さり、膝の骨を砕き、彼はもうろくに歩くこともできなくなった。


こうしてアキテーヌ兵は窮地に陥り、いっぽうガイヤール兵の士気はあがった。何十人という死者をだしたにも
かかわらず、数百人という残りの兵がどーっと前線の押し寄せてきた。



森から飛んでくるクロスボウによって狙われ、射抜かれた犠牲者はもう30人以上いた。



クロスボウ隊は弩弓専用の短矢を発射台に設置し、照準を定め、引き金ひいてアキテーヌ兵を射止める。


弩弓専用のボルトと呼ばれる矢は、通常の弓矢より短くて太い。太い矢が刺さった肉体は激痛が襲うだろう。


ボルトの矢羽は、鳥の羽を使うこともあったし、羊皮紙でつくることもあった。

通常の弓矢の矢羽は三本だが、クロスボウに使う短矢は矢羽が二本である。

左右に一本ずつとりつけた二本の矢羽だ。


矢羽をつけると射程距離は落ちるのだが、正確さは増す。


クロスボウの仕組みは、石弓と呼ばれる構造と基本は同じ。


弦は水平むきであり横たて。この弦をひっぱり、台座とよばれる箇所の弦受けにひっかけて固定する。



そしたら発射台に短矢を設置する。

発射台は、溝になっていて、その溝にちょうど短矢をはめ込むように装填する。


弦受けは、引き金をひくことで角度をさげる。すると弦のひっかかりがなくなって、自動的に矢が発射される。



一度矢を発射したら、また巻き上げ機をきゅるきゅるまわして、弦をひっぱり、また台座に弦を引っ掛けたら、
矢を発射台に設置し再び引き金をひけばをまた矢を撃てる。


するとバチーンと音たてて物凄い速さで矢が飛ぶ。通常の矢とは比べ物にならぬ速さである。
それこそ目にもとまらぬ速さであり、見てよけることなんか不可能だ。

ほとんど銃器と呼んでいいクラスの破壊力だった。



今の時代の最強武器であった。


地道に森から放ち、混戦を続けているアキテーヌ兵に、このクロスボウが浴びせられる。


一度は勢いを巻き返したかに見えたアキテーヌ兵は、ふたたびガイヤール兵によって圧されてきた。



「いいぞ!いいぞ!」

アキテーヌ兵どもがクロスボウの射撃の雨に悲鳴をあげ、逃げ始めたのをみて、ギヨーレンは満足そうに
言い放った。

「地獄に送りつけろ!痛がれ痛がれ!」



「カトリーヌさま!」

前線で戦いを続けているアドアスは、もう限界だとばかりに魔法少女に進言した。

「撤退を!」


「なんですって!」

カトリーヌは叫び返す。その顔も頬も、魔法の衣装も、血だらけだった。



カトリーヌの後ろでは、クロスボウに射られた兵が悲鳴をあげている。

腹を矢が貫通し、肋骨を砕いた。盾で防ごうとしても、盾すら真っ二つにわって体に矢が食い込んだ。


「助けてくれ!」

背中をクロスボウに射られた兵士は、泣き叫ぶ。「もう、やめてくれ!」


「もう限度です!」

アドアスはも叫び返す。「城に引き返しましょう!」


森の奥から飛んでくる伏兵のクロスボウ。


ここで敵兵と戦い続けても、彼らの餌食になるだけ。


クロスボウの矢に足を貫かれた兵士は、痛みに悶え苦しむ。そこを敵ガイヤール兵に襲われる。

逃げることもできず、ガイヤール兵のふり落とした斧に思い切り頭を叩かれ、砕かれる。

頭を叩かれた彼は突っ伏した。そこを、さらに敵の戦斧によって首を斬られる。

断面からでる血の水面がひろがった。



「撤退を!」

いまいちどアドアスは、魔法少女に提言する。


「退けません!クロスボウが相手だろうと、勝つのです!」

しかしカトリーヌは戦い続けた。くるくるの巻き毛をゆらしながら激しく動き、敵兵に剣を繰り出す。


するとそのとき、新たに飛んできたクロスボウの矢が、カトリーヌめがけて飛んできた。


「カトリーヌ!」

アドアスは敬称つけて呼ぶのも忘れ、クロスボウの短矢を彼女に刺さるよりも前に自分の身体にうけた。


ズドッ──!


「うっ…!」

呻き倒れる。胸にささったクロスボウの矢は、見事命中していた。ふらっと身体がぐらつき、バランス崩し、
膝をつく。

「アドアス!」


カトリーヌは目を見開いて、彼を支えた。それから矢が彼の胸元に食い込んでしまっているのをみた。

「アドアス!ああ、なんてこと!」


「国を守るのです」

アドアスは歯を食いしばり、片目閉じながら痛みを堪えつつ告げた。

「国を…民を。もはやあなたにしか、できません」


「アドアス、しっかりして!」

カトリーヌが必死にアドアスをゆすぶるが、血をだらだら口から垂らして、アドアスはもう何も喋れなくなった。

うぐっと呻くたびに血が吐き出され、目は見開かれたまま動かなくなる。


「そんな!」


カトリーヌは悲痛の叫びをあげたが、戦槌をもった敵兵何人かが、カトリーヌに接近してきていた。


「ううう!」

カトリーヌは叫び、金づちをぶんと振り回してくる敵兵たちと戦った。

いったん後ろにひいてかわし、別の敵兵の繰り出してきた戦槌の一撃を、自分の剣で頭上で受け止めた。



もはや戦意をまともに保てているのはカトリーヌだけであった。

他のダキテーヌ兵は森のどこからか飛んでくるクロスボウの矢を恐れ、びくびく、その場に突っ立っているだけ。


そうこうしているうち、だんだん、敵兵たちにカトリーヌは包囲されていく。

五人、六人という敵兵に囲まれていく。


森の奥からとんできたクロスボウの矢一本が、魔法少女衣装の編み上げブーツに当たり貫いた。


「────あぁっ!」

足を猛スピードで飛んできた矢が貫通する感覚に声をあげる。足首の上あたりを、一本の矢が貫通した。

苦痛に顔をしかめ、目をぎゅっと閉じ、痛みを堪える。矢が刺さったほうの足の膝をがくんと着いた。
編み上げの茶色いブーツが血で赤くなった。



「ガイヤール兵の強さをみよ!」

敵国の魔法少女・ギヨーレンは、剣をふりあげ、天の光に反射させながら叫んでいた。

「ガイヤール兵の勇猛さをみよ!残忍さをみよ!無慈悲な兵どもの恐ろしさをみよ!」


おおおおおっ。

ガイヤール兵たちは奮い立ち、わーわーと、剣などの武器を手にまだまだ、やってきた。

144


城壁から農民たちが戦場を見守っている。

国の紋章と紋章が掲げられ、そして戦っている。


だがもはや、自国が敗れようとしているのが、城に避難した農民たちの目にもわかった。


黄色の紋章は地面に投げ捨てられ兵たちは逃亡し、そうでない兵士は斬り合いに負けて、バタバタ倒れる。


カトリーヌは敵兵に囲まれ、懸命に戦い抜いているが、今にも捕らえられてしまいそうだ。



「カトリーヌさま…」


「カサリーヌさまが…」


農民たちは口々に呟き、そして、自国の兵が敗れたあとの自分達を待ち受ける運命のことを思って、
絶望的な恐怖を感じるのだった。


わが国の戦士・魔法少女のカトリーヌが負けたら、今度は敵国が攻めてくるのはこの城だ。

状況はそしたら絶望的だ。


敵はこれから、梯子を使って城に登ってくるかもしれないし、そうでなくても農地を全部焼き払って、
刈り入れた麦も全部灰にして、何ヶ月も包囲され続けるかもしれない。

そうしたら自分達を待つ命運は死だ。


「ああ…!」

農民の女は嘆き悲しみ、そして涙声で悲痛の叫びをあげるのだった。

「わたしたちはきっと死んでしまうんだ…!」


「カトリーヌさまが、戦ってくれている…でもこのままじゃ負けてしまう…!」

他の農民たちも口々に嘆きの言葉、自分の命運を悟ったような叫びをあげる。

「わたしたちはみな殺されてしまうんだ!」


そんな絶望が城内の農民たちに重くのしかかるなかで。

ある農民は、いやこの国にはもう1人の魔法少女がいるではないか、ということに気づき、それを
口にする者があらわれた。


「アリエノールさまが…」

と、農民はぼそっと言葉にする。「アリエノールさまも、戦ってくれさえすれば…」


「そうだ!」

別の農民もはっとなる。「そうだとも!私たちの国には、カトリーヌさまだけじゃなくて、アリエノールさまも
いる。アリエノールさまも戦ってくれれば、私たちの国の魔法少女は二人。きっとこれなら…」

「アリエノールさま!」

エプロン姿の農民の女は、城のどこかの部屋にいるであろう、アリエノールを叫ぶ。

「アリエノールさま!」


農民たちは、誰もが、彼女の名を何度も呼び始めた。アリエノールこそ最後に残された農民たちの希望であった。


城じゅうに、彼女の名前を呼ぶ声が響き渡る。

そうとも。魔法少女は国の守り手で、魔獣も倒すような強い力を持つから、敵軍の脅威からだって、
国を守ってくれるはずだ。

わたしたちアキテーヌ城にのこされた、さいごの希望の戦士だ。


そしてそれはアリエノールの部屋と、そこにいる鹿目円奈のもとにも、しっかり届いていたのだった。



アリエノールさま、アリエノールさま────。

農民たちのすがるような声は、円奈とアリエノールの部屋に轟き、城の壁に反響する。


そんな声を耳にしながら、アリエノール・アキテーヌは、耳を手で塞ぎぎゅっと目を閉じ、
やめてと声をだした。


「やめて」

アリエノールは天蓋ベッドに腰掛けて、恐怖に顔を強張らせ、目に涙を溜める。


「わたしに、戦えなんて、いわないで!」



その場にいた円奈は、格子窓から振り返った。

魔法少女は目をぎゅっと閉じて、天蓋ベッドで身体を震わせていた。

「アリエノールさん…」

円奈はアリエノールの隣に腰掛ける。


魔法少女は身体をぶるぶる震わせながら、怯えた声を口からしぼりだす。

「あの人たちは、わたしに戦えというのよ!戦いにでろというのよ!いやだわ、恐いわ!」


震える左手の指輪が、鈍い光を、ほのかに放っていた。


「農民もおじさまも、だれも”わたし”をみてくれない!”魔法少女”としてみて、戦えとばかり!」

円奈は心を痛めて、魔法少女を見つめた。


戦いは確かに惨たらしいものになっていた。また、惨たらしくない戦いなんてない。

いくら魔法少女の宿命が戦いだからといって、それを怯える気持ちは分からないわけがない。


それは人間も魔法少女も同じのはずだ。


なのに農民たちは、自国の魔法少女であるアリエノールに、戦うことばかり期待する。自分たちを守ってくれる
ことを期待する。

どこかズレてしまう、人間と魔法少女の気持ち。


そうして自国でただ1人の魔法少女だったアリエノールは、気持ちで一人ぼっちになっていった。

人間から魔法少女になった、ただそれだけのことで、こんなに孤独になってしまうのだと……。


アリエノールだって、もとは人間だったはずなのに。


誰とも分かちあえない。

戦いが恐ろしい、戦いたくない、ただそれだけの気持ちなのに、人間たちにはこの気持ちが通じない。



城壁の外では、農民たちがアリエノールの名前を呼び続けていたが、次第にそれが罵り声へと変わり始めていた。


「やっぱりアリエノールさまは、戦ってくれないんだ。」

そんな声が聞こえす。

「アリエノールさまは、こんな一国の危機のときでさえ、戦ってはくれないんだ。俺たち民のことなんか、
守ってくれやしないんだ。」


「カトリーヌさまは戦っているというのに、おまえは城に隠れて、誰もかれも見殺しにするんだ!」


農民たちの罵り声は強くなる。


「なにひとつ俺たちのためにしてくれなかった!税だけ徴収して、最後までのうのう暮らしてるんだ!」


その声もあの声もぜんぶ、部屋に届いてくる。


「いやっ…!」

アリエノールはもう目を両手で覆って、泣き出してしまった。

「いやだわ…!」


さめざめ泣いてしまった魔法少女を見つめながら、円奈は自分が旅路のなかで、この少女と出会った理由が
わかった気がした。


国ではいつも戦うことを要求され、それが嫌で居城を抜け出し、森でひとり笛を奏でる少女と円奈は出会った。


そんな円奈が、バリトンの魔法少女と誓ったことは、”天の御国”をみつけること───。

魔法少女と人が分かち合える、そんな国をみつけること。



なら自分こそが、この魔法少女の気持ちを、分かってあげなくちゃ。

それが私がここにやってきた意味なんだ。


「大丈夫。しっかりして」

と、円奈は腰掛けるアリエノールの前の地面に膝つけて、彼女の手をとった。


涙ぐむアリエノールの目が円奈をみつる。


「わたしにはわかるよ。アリエノールさんのこと」


アリエノールの手をとりつつ、円奈は姫を見上げ、告げる。


「それに私はいいました。魔法少女を責めることができるのは、同じ魔法少女だけなんです。農民の人たちは
敵に攻められているのが恐くて、ちょっとそれを忘れているだけなんです。安心して」


「でも…!」

円奈を見下ろす魔法少女の目に、またじわっと涙が滲む。「カトリーヌも戦っているわ!みんなも戦っているわ!
わたしだけ、戦っていないんだわ!」

いくら本人が自由意志で魔法少女になったわけではないとはいえ、領主一族にはやはり、国を守る義務がある。

今の時代ではそれは主に、一家の娘が魔法少女となって国を守る使命を負うという義務である。

魔獣から、敵軍から、民の安全を。アリエノールは戦いが怖いから、いやだと逃げ続けてきた。



すると円奈は優しくかぶりをふって、地面に膝ついたまま、魔法少女をみあげる。


「いいんです。それで。戦いは恐いですから。たくさんの人が死にますから。戦えなんていわれても、
恐いものは恐いです」


アリエノールは頬に涙流しながら、円奈をそっと見つめる。それから目を閉じて悲しそうにいった。


「でも、国を守らなければならないのよ」



「なら私が、」

と、円奈は心に決意を固めて告げた。「なら、私が戦います。あなたの代わりに戦って、
この国を守ってみせます!」


アリエノールは、赤くなって涙ぐんだ目を、驚いたように見開く。「えっ…?」


「私が、あなたの傭兵になるんです!」

と、円奈は、力強く宣言した。「あなた専属の騎士として、一日、雇われるんです!」


アリエノールは、困ったように言った。「それは、口ウラ合わせの話でしょ…?」

「ううん、そうじゃなくて!」

円奈は微笑んで答える。「本当に、あなた専属の傭兵になります。給料は───まあ、あとで考えようかな。
とにかく今は、戦います!アキテーヌ公家の雇われ騎士として!」


「そんな、でも、」

アリエノールは、驚いた顔のまま、言う。「恐ろしい戦いなのよ!人間のあなたがいったって───」

円奈は、ううんと再び首を横にふる。

「これでも神の国を目指す、聖地エレムの同盟国の騎士です。それなりに、何度か危ない目にはあってきていますから。
さあ、私をアキテーヌ家の傭兵にしてください!」



「…」

アリエノールは、びっくりした顔のまま無言で、しばらく円奈を見つめていたが、やがて…。

ゆっくり頷いて、立ち上がった。「本当にいいの?」


「もちろんです」

円奈は、微笑んで答える。「私は騎士です。戦うのが仕事です」

なんて自分でいいながら、そういえばそうなんだなあ、と思うような不思議な感覚がした。



「わかったわ…」

魔法少女は目に涙浮かべつつ言い、そして円奈を見下ろして、静かに、震えた声を出してこう命じる。「跪いて…」


円奈はいわれたとおり、アリエノールの前に両膝をついて、跪く。頭を下にさげる。

ごくっ…。わずかに、俯きながら円奈が緊張して息をのんだ。


「鹿目円奈、あなたは、傭兵としてわたしの騎士となり───」

と、涙ぐんだ声のまま告げて、そう誓いを立てさせる。

もう、あとには戻れない。

「わたしを守り、国を守ることを誓いを立てて」

城の石壁に囲われた小さな部屋で、ドレス姿の魔法少女の前に、騎士が膝立ちで跪いている。

部屋の格子窓から白い日差しが差し込む。


「誓います」

円奈は答え、すると顔をあげ魔法少女の左手の指輪に、そっと唇をつけた。


途端に、光りだすアリエノールの指輪。指輪に口付けされた途端、アリエノールは、全身をぶるっと震わせた。


「こんな場面をどっかでみたんです」

と、円奈は、指輪から唇をはなすと、魔法少女をみあげて話した。

「アーサー王物語かなんだったか…忘れましたけど」


最初は口ウラあわせにしか過ぎなかった、姫と騎士の関係。

だがいま、円奈はアリエノールという魔法少女の姫を守る使命を、いま騎士として本当に誓った。



「それじゃあ…」

円奈は微笑み、魔法少女の前にたつと、お辞儀した。「いってきます」


そういい残し、背中にはロングボウを担ぎ、腰には来栖椎奈の剣を鞘に収め、城を飛び出した。


「無事で…!」

さいごに、目に涙ためたアリエノールが縋るように、円奈をみた。「無事でいて!」


「大丈夫です」

円奈はすぐ答え、部屋を出た。


そんなピンク色の髪した騎士の後ろすがたを見ながら、アリエノールは…。


自分の願いのことを思い起こした。


”私でない誰かが代わりに、ここを守って戦ってくれますように───”


ソウルジェムを生み出した願いが、いま本当に叶ったことを知った。


そのだれかはカトリーヌではなく。


「あなただったのね…」

アリエノールは1人で呟いて、バリトンからやってきた少女騎士との出会いが、偶然でなかったことを知った。

今日はここまで。

次回、第18話「バリトン騎士の傭兵 ①」

第18話「バリトン騎士の傭兵 ①」

145


一日ぶりに城の外へ出た鹿目円奈は、芝生の生えた中庭を突っ切って、馬たちの納屋へ急いだ。


ほとんど騎士たちが出払って馬もいないなか、愛馬クフィーユだけ、ちょこりといた。


「クフィーユ!」

円奈は愛馬の名前を嬉しそうに呼んで、納屋から連れ出す。「一日ぶりだね!」

クフィーユは納屋の干し草をむしゃむしゃ食っていたので、主人の登場にふんと鼻を鳴らしただけであった。



「もー」

主人を歓迎していない馬の感情にきづいた円奈は、頬を膨らませ腰に手をあてる。

「あいかわらず、食いしん坊さんなんだから…」


馬の轡をひき、納屋からだし、中庭でばっと馬に跨った。

芝生を歩かせて進む。守備隊たちがあたふたと城の防衛戦の準備に急いでいるなか、円奈は城主アドルのもとへ
出向いた。


「城主さま!」

と、円奈は城の主に話しかける。「城の入り口をあけ、橋をおろしてください!」


「な、なんだと?」

城主はびっくり仰天、たじろいだ。それこそ、信じられないという顔つきで少女騎士をみあげた。

「敵がきているのだぞ。城を開けろとは一体全体、どういうつもりだ!」

城とは外敵の侵入を防ぐ要塞だ。

まさに敵が攻めてきているこのときに、城を開けろとは、まったくふざけたことを言いだす騎士がいたものだ、
と城主は神妙な顔つきで円奈を睨む。



「おまえは、たしか、アリエノールの傭兵だったな」


「はい」

今や口ウラあわせなどではなく、はっきりとそう答えられる円奈は、そんな自分が嬉しかった。

「アリエノール様に命じられました。私を城からだしてください。カトリーヌさまを助けます!」


「しかしそれは無理な話だ」

城主はつらそうに、首を横にふった。「たしかにわがアキテーヌ兵への加勢はほしいところだ。
それこそこの命を賭けてでも。だが城はあけられん。民が避難しているのだ」


城は、いちど開城したら、すぐに閉じられるわけではない。

くるくる巻き上げ機を何重もまわしてやっと落とし格子を閉じることができる。それまではあけっぴろげだ。
まさにあいだ、ガイヤール軍の敵がなだれ込んできたりでもしたら、国は滅ぶ。


城主として、いま城をあけるなど絶対にできない選択だ。


「そこを、なんとか…。急がないと、みんなやられちゃいます!」

円奈はそれを承知の上で、何度もお願いする。

「お願いです!私がガイヤール軍を追い返します!」



「できん!」

城主は叫んだ。

「わしも苦しい選択をしておるのだ。城を閉じているということは、カトリーヌを城に避難させることが
できないのだ。それでもなお、わしは民のために城を開けられぬのだ!」

だいたい、どっからの国から来たかもわからん15歳の馬乗った女の子に、わたしが敵軍を払いますなんていわれても
とうていアテにする気にもなれない。


ジャンヌダルクにわたしが国を救いますといきなりいわれたヴォークールールの守備隊長ボードリクールも同じ気分だったに
ちがいない。

少女騎士なんてのは、せいぜい魔法少女のそばに仕える付き添い役なものであって、単独で戦力になるとは誰も期待していない。



「うう…」

さすがにそこまで決意の固さを見せ付けられては、これ以上お願いすることもできない。

しかし城を開かなければ、当たり前だが外にでることはできない。


業を煮やした円奈は、自分でもとんでもないと思う提案が頭に浮かんだ。

きっとロビン・フッド団なんて少年たちと、かつて一緒に時を過ごしたからだろう。

こんな提案が思いついたのは。




「ならこうしませんか」

円奈は城主にもちかける。「私がここから弓を放ちます。それでギヨーレンをしとめたら、開門してくれますか」


「なに?」

城主は目を丸くし、相手が冗談をいっているのではないかと疑った。

「バカいうな!ここからギヨーレンをうつだと?」

ここアキテーヌ城からあの戦場は、かなりはなれている。

そしてもう円奈には呆れたとばかりに、その場を去ろうとする。

「くだらん!アリエノールはなんでこんなやつを雇った?」

城の芝生を踏みつけ、中庭を移動し城内へと戻ろうとする。



「あ、まって!」

円奈は、馬でそれをおいかける。

「討てます!だってこれをみてださい!」


といって円奈は、自分の背中に取りつけていたイチイ木の弓を城主にみせた。


イチイ木のロングボウ。麻の弦をはった木材の手作り弓。1.2メートルある長弓。


それをみたぐらいでは、普通の人にしてこれば、それがどうしたと思うだろう。


しかし城主は、円奈に見せ付けられた弓が、今の戦争でどんな意味をもつか分かる人間だった。


「ロングボウか」

城主は円奈の弓をみて、呟く。「なるほどな……面白い」


そう。ガイヤール兵たちが持ち出した秘密兵器は、クロスボウ。

鎧すら貫く無敵の超兵器。
かつ正確さも長ける最新鋭の武器。


しかし天下無敵に思えたこのクロスボウにも、たった一つだけ、天敵が存在した。

クロスボウにとって最悪の相性にあたる武器が、この世でたったひとつだけある。


城主はそのクロスボウの唯一の天敵を、まさにいま円奈によって見せられた。



そしてその武器を使えるのは、よほどの熟練した弓兵でなければ扱えぬ。クロスボウのような、引き金を
引くだけで使える素人向けの武器とは程遠い、達人向けの武器。


「使えるのだな?」

城主は円奈に念をおしてたずねた。


「はい」

円奈は答えた。「もう、6、7年は使っています」


「いいだろう」

城主は納得した。それから城壁のむこうに広がる晴天の青空を示した。



敵からは城の中庭はみれない。つまり、鹿目円奈が矢を飛ばすところは敵からは見えない。

そして飛んだ矢が空を飛び、弧を描いて戦場に落ちるとき、油断したギヨーレンに届けばソウルジェムも割ることができるだろう
という挑戦。


ホールインワンなんてものじゃない。成功したら奇跡だ。

だが城主は鹿目円奈の弓技に賭けてみる決心をした。


「しとめてみるがいい、ギヨーレンを、その長弓で!」

146


かつてその昔、今は聖地と呼ばれているエレムの地が見滝原と呼ばれていた頃、ワルプルギスの夜という魔女が
都市を襲っていた。


全ての魔女を消し去ると願い、契約した鹿目まどかは、魔法少女へと変身し、想いを込めた矢を弓から空へ、
放った。


花咲くバラと木の枝を象った魔法の弓で。

大気を包む暗雲は解き放たれ、晴天になった。真っ青な晴天に。



いま、鹿目まどかの祈りが生んだ子、鹿目円奈が、ロングボウという弓に矢を番え、晴天へ向けている。

あのときの、鹿目まどかのように。


アドル城主、城に避難した農民たち、守備隊たちの注目を集めるなかで、彼女はロングボウに番えた矢を目で見つめ、
雲ひとつない晴天へ向ける。



城の外では、森に挟まれた平野でアキテーヌ家とガイヤール家が、剣を交えて戦っている。

アキテーヌ家は劣勢に追い込まれ、ガイヤールの領主ギヨーレンという魔法少女はその戦場にいる。



魔法少女ギヨーレンを、この場から討とうという、鹿目円奈の挑み。


弓矢を構えるピンク色の瞳が細められる。


ダキテーヌ城を囲う壁は30メートルほど。これを飛び越えさせて農村も越え、森のところまで矢を届かせなければ、
到底ギヨーレンをここから仕留めることなど不可能だ。



馬上に跨った円奈は、矢筒から一本矢を取り出し、ロングボウの弦にあてがい、そしてギィーっと弦を引いた。



そして矢の向きを、斜め上向き、晴天へとむける。その方角は、戦場になっている森と平野。


ダキテーヌ城の誰もが、弓を番えた円奈を固い顔で見守る。

「ギヨーレンはあの方向です!」

城に立つ兵隊が一人、目印の旗をもって、狙うべき方角の指標を示している。ばさばさと旗は風に吹かれる。

「距離、330ヤード!」


円奈は、ロングボウの弓の弦をしっかり手で引き絞って、意識を矢の先に集中させる。


「45度…」

と、彼女は小さく呟いた。

弓矢が最も飛ぶ角度。

それは30度でもなければ70度でもない。きっかり45度である。



それを体感で計り、矢の先を45度、空へむけた。


青空には傾き始めた日が、円奈の視界にはいって、眩い。


それでも意識を集中させて、十分に弦をしぼると。



「届け……!」



次の瞬間、円奈のロングボウから矢が飛んだ。



一本の矢が上空へ放たれる。スパーンと飛び、すぐにそれは城壁の上を通り過ぎ、農村の空へと舞った。




城内の誰もが、遥かに高く青空へ飛翔する一本の矢を、驚いた顔して目で追う。

城主、農民、守備隊たちが、城壁を越え、影を残し、晴天へ飛び立った矢を。



円奈の矢は、まだまだ空へ高く高く、飛び上がっていった。まるで矢に羽が生え、鳥になったかのように、
風に乗ってどこまでも浮き上がる。


ヒラヒラ風に乗りながら飛翔する矢は、いまや農村の畑が小さく見えてしまうくらい、空高くにあった。


その矢が空中で、やがて失速し、だんだん下向きになってきた。かと思えば、矢は重力が加わって急にスピードを
はやめ、ぐいぐい猛スピードになって落ちて行く。



落ちれば落ちるほどスピードは速まり、矢は隕石のごとく勢いで、戦場へ落ちる。


そんな一本の矢の存在には、戦場のだれも気づけていない。




戦場ではガイヤール兵たちが猛威をふるっていた。

クロスボウの矢に撃たれた兵たちは、ひいひい悲鳴あげながら、ガイヤール兵と剣を交えている。


しかし矢の撃たれた体ではまともに戦えず、ガイヤール兵に顔をばっさと斬られ倒れた。


そして折り重なる死体。

もう50人以上、死体が折り重なった。その真っ只中でカトリーヌが戦っている。

敵勢の剣を盾で受け止め、あとずさる。


「うぐっ…」

カトリーヌはつらそうな顔つきをする。敵の剣を自分の剣で防いだものの、矢が貫いた足首に傷みが走った。


目を細め、痛みに顔をひくつせながら、耐えて懸命に剣で戦い抜く。



「やい、捕虜にしろ!」


魔法少女のギヨーレンは、にたにた笑いながら声を轟かせていた。

「あいつを捕まえて、嫌というほどの身代金を、アキテーヌ家に要求するのだ!捕らえた者は、
その身代金のいくらかを報酬にまわすが!」


おおおおおっ。

ガイヤール兵たちはカトリーヌに群がり、包囲した。

後ろから剣を伸ばし、背中を斬ろうとする。


それはカトリーヌに感づかれ、カトリーヌは振り返って剣を受け止めた。ガキン!すると正面の兵が剣のばした。

その剣も盾で防いだ。


しかし彼女にも疲労がたまり、動きは鈍くなっている。


森の奥からはまだまだクロスボウが飛んだ。

巻き上げ機をまき終えて、弦をしぼり、短矢を発射台に設置したクロスボウから矢が放たれ、アキテーヌ兵の
顔に直撃する。


「うぐっ!」

命中した矢は顔の鼻筋裂いて、顔に穴あけた。血飛沫が数滴、森に散った。



「そろそろ、戦いも決着だが!」

とガイヤールが笑い、言い放ったとき、側近騎士のロクスリーが彼女を呼んだ。

「ギヨーレンさま」


「なんだ?」

ギヨーレンは、ロクスリーに向き直って彼をみる。


「お気をつけください」

と、彼は青空を指差した。「矢が飛んできます」


「ああ?」

ギヨーレンはその深い青色の目を大きくして彼に問う。「どっから?」

「空からです」

ロクスリーは、青空をもういちど指差す。「よけてください」


「空から?バカな、なんで空から矢がくる?」

しかしまさにそのときだった。


ヒュ────ッ!


ズドッッ!


「うおおおっ!」

ギヨーレンの目前に一本の矢が落ちてきた。


地面にズドっと突き立つ。

ギヨーレンの馬が驚いて、前足ふりあげてヒヒンと鳴き、勝手に数歩あとずさった。



「なんだ!」

ギヨーレンは驚いた様子で、馬を一周くるりと向きを翻らせる。「この矢はどっからきた!」


「城からです」

ロクスリーは冷静に答える。彼の目前では、何十人という兵たちが、剣で今も斬りあっている。


「あの城からここまで届いた矢です」


「なんだと?」

ギヨーレンは、目をぐっと見開いて、野原のむこうにある農村のさらにその先にある、遠くの城を見つめた。

今日から自分が主となるアキテーヌ城。まだ、遠くにある城。森のむこうにある城。


「あそこからだと?」


「あの城からここまで矢を届かせる弓があるとすれば私の知る限りでは、ひとつです」

ロクスリーは、自分の考えを冷静に、魔法少女へ報告する。

「ロングボウです」



ギヨーレンは見開いたまま、目を凝らし、張り詰めた表情を浮かべる。「その弓が射てる射手はあっちに
いないはずだぞ!」

147


城のなかで沸き起こる高揚感のなか、円奈は二本目の矢を弓に番えた。

農民たち、守備隊たち、貴婦人たちは円奈の飛ばす矢に目を見張る。

ほとんどギヨーレンを仕留めるところだったのに熱狂し、おおおおっと声をあげるのだ。


「いっけえ!」

円奈はロングボウから二発目の矢を放ち、それはまた晴天へと飛んだ。

農民たちがみあげる上空の青へ。


城壁を飛び越え、農村の空を舞い、鳥のように飛び立っていく円奈の矢。


おおおおおおっ。

城壁の人々が夢中になって矢を目でおう。


「もう一本!」

三本目、四本目と、次々に円奈は矢を放つ。

目で狙いを定め、雲ひとつない青空へ、矢をばしばし飛ばせる。


どれもが晴天を飛んで、空風に乗り、農村の上空を突っ切って戦場へどんどん落ちる。



「おわっ!」

ギヨーレンは空から降ってきた矢に、また一歩あとずさった。ギヨーレンの馬の手前に矢がボトボト落ちる。


「うわっ!あがっ!」

さらに二本、三本と矢が落ちてきた。馬が矢を恐がって、ついにヒヒーンと大きく後脚立ちになった。


「おわわわっ!」

ギヨーレンは馬に振り落とされ、馬の背からころげた。

しかし運動神経のバツグンな魔法少女は、馬からころげおちながらも宙返りすると、うまく着地をとって、
地面に降り立った。


「もう一本!」

さらに円奈は、ロングボウから矢を放つ。矢は目にもとまらぬ速さで浮き上がり、空を飛び、
また戦場へ落ちる。


「なっ!」

ギヨーレンの足元に降ってきた。ギヨーレンは足ふりあげて後ずさり、足元に落ちた矢を間一髪でかわした。

それはまさに間一髪であり、ギヨーレンの前髪の数本を落ちてきた弓矢は裂いた。



城壁では人々が円奈のロングボウの撃ちっぷりにすっかり目を惹かれ、円奈が弓を放つたび喚声がおこった。


「すごいぞ!」

城主もすっかり興奮気味で、円奈を讃えた。

「なるほどすごいぞ!小娘だと思っていたが、たしかにおまえさんは間違いなくロングボウの名射手だ。
アリエノールが雇ってのもわかる。よしわかった。おまえが、その命を賭けるというのなら、カトリーヌを、
わが兵どもを救ってくれるか?」


「はい!」

円奈は強くはっきりと答えた。「わたしが国を守ります!」


「その覚悟を買おう。よし、わかった。城を開けよう。お前に賭けてみるぞ。」

城主は言い、すると城壁の守備隊たちに呼びかけ、命令をくだした。


「門を開けよ!この小娘を騎士として送り出すのだ!」

声が轟く。


命令されて守備隊たちは、城壁を走ると位置について、鎖巻き上げ機のL字型アームを手に取り、
二人がかりで息揃えてくるくる回しだした。



鎖はゆるみ、伸び、だんだんと歯ね橋が角度をさげ、湖へと降りる。



跳ね橋が降りると、城の湖に橋が一本架けられ、外への道ができた。


すると円奈は、城門の外に開けた山々と森の世界を見つめ、決意を固めた。


「いってきます!」

と城主にいうと、弓を再び背中に紐でとりつけた。


おおおおおっ。おおおおおっ。

城壁の農民たちが、少女騎士の出撃を讃え、声援をおくる。



花びらが舞い、ひらひらと円奈のもとに落ちてきた。

農民たちは籠にいれた花びらを手から飛ばして、華やかに盛大に彼女の出撃を見送る。


恐らくカトリーヌの魔法少女叙任式のときのあまりだろう。



「がんばれー!」

と、農民たちの声がきこえる。「がんばれー!騎士!アリエノールさまの騎士!」


初めて円奈は、この国の農民達に認められた自分に気づいたのだった。


城壁を見上げると、花びらが舞い落ちてくる。農民たちはみんな手をふって、自分に声援をおくっている。

ひらひら舞い落ちてくる花びらは、ピンク色、白色、黄色など、さまざまだ。


ほとんどさっきの魔法少女叙任式のときと変わらない盛大さが、ここに再現されていた。

その盛大な声援のなか、円奈は、一国の命運を負った騎士として、ついに城門から出撃する。



クフィーユが盛大な声援のなかで興奮したのか、ヒヒーンと前足ふりあげ、つま先だちになった。


「おおおっと」

円奈は、馬から落ちないようにしっかり背にしがみついて、手綱ひっぱって、城内を見渡す。


そんな馬がつま先だったポーズをとっているなか、舞い落ちてきた花びらは、円奈を包み、彩る。
まるで披露宴のように。

だが戦場という死地へ騎士を送り出す儀式の送迎だった。



盛大な見送りのなか、円奈はついに馬を走らせた。

「はっ!」

クフィーユが全速力で走り出す。


出撃だ。

バババッ。

蹄が芝生を蹴りだす。



花びらの舞うなかを突っ走り、門をでた。城の出口の、開かれた城門をくぐり、橋を渡って湖を横切る。

馬の黒い蹄が橋をバコバコ踏んづけ、円奈を乗せてまっすぐに駆け出す。腰に差した剣の鞘がかちゃかちゃと揺れる。


おおおおおおおおっ。


騎士がいよいよ出撃すると、農民たちはいよいよ最高潮になって、あらんかぎりの声援を円奈という騎士へ
おくった。

戦場へ飛び出した少女騎士へ。

一人の少女は、こうして一国の命運を背負った。


「がんばれ!がんばれ!カトリーヌさまを、わたしたちを守っておくれ。」


そんな盛大な見送りのなか城を出撃した円奈の姿を。


アリエノールは、城の格子窓から、そっと見守っていた。

つづけて、第19話「パリトン騎士の傭兵 ② 」を投下します。

第19話「パリトン騎士の傭兵 ② 」

148


円奈が城から出ると、すぐにまた跳ね橋はあげられ、城門は閉じられた。

鎖はもちあがり、橋は元の位置へ戻る。城の前には湖が広がる。



円奈は振り返って、もう戻り道はないことを悟った。



馬の手綱たぐり、向きを変えさせ、戦場の森のほうをみつめた。


あそこで…カトリーヌさんが、戦っている。


「いけ!クフィーユ!」

円奈の一声で、クフィーユは農村へでた。


村と村の家々の間を走りぬけ、煙があがる煙突つき民家の横を通り過ぎ、畑も抜けると、休耕地に入った。


休耕地に入ると、羊牧場の柵を馬が飛び越える。

「とぉっ!」

円奈が掛け声あげ、すると馬は羊牧場の柵を足で飛び越すのだ。


柵を越えると、羊牧場に入る。

羊たちが群れのなかを馬が猛スピードで走る。約百匹の羊たちはメーメーいいながら、乱入してきた馬からてくてくと逃げさる。


羊牧場の出口へくると、その柵を再びクフィーユは飛び越えた。


飛び越えたときの日影が牧場の野原に映る。馬と、それを馳せる少女の影が。


円奈は手綱握りながら馬を御し、方向を操って、農村から森へ出た。


森に面した平野。


戦場へ突入だ。

森からはクロスボウの短矢が、ビュンビュン飛んでくる。



円奈はクロスボウの雨のなかを馬で走りぬけ、負傷し血だらけの兵士達の前へ馬を馳せ、
そしてカトリヘーヌの横へと辿り着いた。


「カトリーヌさん!」

馬上から地べたで戦う魔法少女を呼ぶ。「カトリーヌさん!」


「あなたは!」

カトリーヌは肩も胸も血だらけの姿で、円奈をみあげた。「姉上の……!」



「わたしも戦います!」

円奈は大声で告げた。

「アリエノールさんから、戦いに派遣されました。敵兵たちのクロスボウの攻撃の手を止めなくちゃ!」


「でもどうやって…」

顔が返り血塗れのカトリーヌは、うろたえる。剣も血まみれだった。カトリーヌの前には、何十人という、
討たれた敵兵たちが横たわり、呻いている。腹を刺された者、胸を一突きにされたもの、腕を斬りおとされた者。


円奈は、馬の左の手綱だけぐいとひっぱって、クフィーユを一周ぐるりと向きを変えさせて、あたりを見回す。


「わたしが敵のクロスボウ隊と戦います!」

と、円奈は叫んだ。「でも、騎士が50人必要です!ううんせめて25人!それでクロスボウ隊を打ち破ります!
騎士たちを借りますね!あなたはここで踏ん張って、戦い抜いててください!」


「えっ…あの?」

カトリーヌは驚いた顔をし、困った仕草をみせたが、もう円奈はカトリーヌには背をむけて、騎士たちに
命令をくだしていた。


「馬に乗りなさい!」

円奈は大声で兵士達に呼びかけ、鼓舞する。「馬に乗るのです!そして森へ突撃します!敵のクロスボウ隊を
うちやぶり、森の中からギヨーレンに回り込みます!」


アキテーヌ兵たちは見知らぬピンク色の髪をした少女を戸惑った視線で見つめていた。が、やがて意を決して、
馬を探すと、ばっと乗った。


他の兵士たちも、クロスボウの攻撃に怯えるばかりであったが、円奈に勇気づけられて、馬に乗り込んだ。


なんだかよくわからないけれども、この状況を打開できるのなら、なんだっていい。

そんな気持ちだった。


「私に続いて!」

と円奈は馬に再び乗り込んだ騎士たちへ、叫んだ。「森に突撃します!」


馬に乗り込んだ騎士たちはすると、おおおおっと声をあげた。剣を再び手にもち、まだクロスボウの雨が
ふるなか、円奈につづいて、森へと突撃を開始する。


「私につづけ!」

円奈は先頭きって、クフィーユとともに森へ飛び込んだ。

クロスボウの雨ふる森へ!


それにつづき、ダキテーヌ家の騎士たち30人以上ほどが、顔も知らぬ、しかしアリエノールからの派遣ときいた
少女騎士のあとに従いぞくぞく、草木をかきわけて森へと突入!

「アリエノールさまが遣わした騎士につづけ!」

騎士たちも掛け声あげあって、馬を全速力で走らせる。



そのころアドアスの手下だった部隊は、敵国の魔法少女・ギヨーレンが、馬から落ちたことをチャンスとみて、
襲い掛かっていた。

「ギヨーレンを打て!」

兵士たち何人かが剣を手に、敵国の魔法少女へ突撃する。「ギヨーレンをとれ!」

命知らずなアキテーヌ兵どもがギヨーレンの前に走ってくる。



「ここは私めが」

ギヨーレンの側近騎士ロクスリーが、一歩前に踏み出た。


するとロスクリーの肩にも満たない身長の魔法少女・ギヨーレンは、首を横にふって、自分が鞘から剣を
抜いた。


「あいつらは人間の身で、魔法少女に勝てる気でいる、バカどもだが。」

初めて抜かれるギヨーレンの剣。

この戦争がはじまって初めて、ギヨーレンは戦う体勢をとった。



ギヨーレンの剣は、片手半剣と呼ばれるタイプの剣で、バスターソードとも別名ある剣。



長さは1.2メートル。鋼を鍛えてつくった剣は両刃で、人間でも片手で扱える。


とがった剣先で敵を突くこともできる。

剣の柄頭は大きく、重たい。この柄頭の重さによって、剣全体の重心が握り部分にくる構造をしている。

これが扱いやすさの秘密である。


「ロススリー、おまえは、」

自分の身長ちかくもあるバスターソードを両手に握ったギヨーレンは、側近に指示する。マントがはためいた。

「あのロングホヴ女を捕まえろ。ロングボウの射手は、高く身代金を要求できるぞ。おまえに報酬をはずんでやるが。」


「はっ」

ロクスリーは頭をさげ、命令に従った。自軍の騎士たちを連れ、森へはいった。



「ギヨーレン!」

何人かのアキテーヌ兵が、剣をギヨーレンにむけてきた。「覚悟しろ!」

トバババババ。彼らは走ってくる。


ギヨーレンは、片手半剣の剣先を人間どもに伸ばし、彼らを待ち受けた。

ぶんと剣を前へ伸ばすと、風が沸き起こって、彼女の毛皮マントが捲くれあがった。


「ここまでこれたら、相手してやろう。」


次の瞬間、あざけ笑うギヨーレンの両脇から、二本のクロスボウの短矢が飛んできた。

ギレーレンの後方に待機する近衛隊のクロスボウだった。


矢は二本、ギヨーレンの両側を通り過ぎ、アキテーヌ兵たちの胸に当たる。



「うぐっ!」「あぐッ──!」


クロスボウに当てられたアキテーヌ兵は身体を崩れ落ちさせる。


「余にいったい、何を覚悟しろというのだ?」

ギヨーレンは片手半剣を、地べたに倒れたアキテーヌ兵にむけ、そして刺し殺した。


瀕死の馬を刺すみたいに。

149


そのころ森では、鹿目円奈とクロスボウ隊が激突寸前であった。


「いけ!」

円奈の馬は、森の木々のなか、日光に当たらない暗い森のなかを駆け抜ける。


「私につづけ!」


円奈の馬につづいて走ってくる、30人の騎士たち。


森に飛び込むと、30人ほどのクロスボウ隊が、伏兵として散在していた。




彼らは撃ちおえたクロスボウに矢を再装填するため、巻き上げ機を回している。


「うたせるな!」


円奈は、馬上で手綱を手放すと、馬上でロングボウの弓を手に持ち出した。




円奈は馬を走らせながらで矢筒から一本矢を抜き取り、弓に番えた。


馬が猛スピードで森を走り抜けるなか、弓で狙いを定める。


馬から弓矢を撃つ───。円奈の得意技だ。


クロスボウ隊の1人が、巻き上げ機をやっと回し終わって、発射台に矢を装填し、
円奈にむけた。


しかし既に矢を番えていた円奈のほうが早く、円奈の矢が先に放たれた。


スパン!



ロングボウから矢が飛ぶ。それはクロスボウにあたり、矢が食い込んで、クロスボウが
使い物にならなくなった。

「うわっ!」

矢がクロスボウの弦を切り裂いたのを、びっくりして見つめ、思わず手放したクロスボウ隊の隣を。


ピンク色の髪をした馬上の少女が通り過ぎた。かと思えば、あとからダキテーヌの騎兵たちが30人ほど、
あとから追うようにやってきた。


そしてクロスボウ兵はその騎兵たちの軍団に、けとばされた。


「うごっ!」

馬の足が顔面にあたる。落ち葉だらけの地面にころぶと、その体を後から後からやっとくる騎馬が
彼の背中を踏んづけた。

体重300キロの馬の四足が彼を踏みまくる。この時代の馬は比較的小型だ。


「突撃!」


騎士たちは剣を抜き、森のなかを疾走する。「クロスボウ隊をうちやぶれ!」

ギィィン。騎士たちの剣の鋭い音が、日のあたらぬ森に轟き渡る。


森にはまだまだ、30人、その奥にもう50人くらいの敵国の伏兵がいる。


円奈を先頭にして、彼ら伏兵に突撃し挑むアキテーヌ家30人の騎士たち。


すでに森の奥には、再装填を終えたクロスボウ隊が、焦った顔つきで、慌てながらも突撃してくる
騎士たちへ照準をあわせていた。

「狙え!」

クロスボウ隊たちは片膝ついて発射台に目を寄せ、照準機の狙いを騎兵たちにあわす。

「撃て!」

クロスボウ隊たちが弩弓の引き金をひく。

シュバババ!

クロスボウから矢が放たれる。5本も6本も。



森の木々の隙間を飛んでくる。目にもとまらぬ速さで。



「怯まないで!」


円奈はクフィーユを走らせ、騎士たちに告げた。「恐れないで!そのまま突撃!」


おおおお!



飛んできたクロスボウの矢は、円奈の頭上を通り過ぎる。円奈は頭を伏せて馬の背につけ、ぎりぎりで矢がかすった。
ピンク色の髪何本かが裂かれて森の中を舞った。


あとからあとから飛んできたクロスボウの矢は、騎士たち何人かに命中する。

騎士たちは矢に当たると、落馬してしまう。


そうして犠牲をだしがらも、騎士たちは突撃をつづけ、クロスボウ隊の列にせまった。


「槍だ!」

クロスボウ隊たちは、いったんクロスボウを捨て、槍を馬達へのばす。「槍で突け!もたもたするな!密集隊形!」


パイク。

突撃する馬を槍で待ち受ける隊形だ。

敵兵はこの隊形で円奈たちの馬を待ち受ける。


「うおおお!」

円奈と騎兵たちは、この槍の戦列に突っ込む。


「いけ!クフィーユ!」

円奈が一声くれると、クフィーユは大きく足をふりあげ、ジャンプした。敵兵たちの槍をなんと飛び越え、
そのまま敵兵たちの顔面を蹄で蹴っ飛ばす。


「うごっ!」

槍もった敵兵は、勢いよくころんだ。身体をぐるぐる回しながら落ち葉だらけの地面をすっころぶ。


槍の隊列はこうして崩され、あとからつづく30人ちかくの騎兵たちに、馬で蹴飛ばされる。


戦列が崩されたら兵たちは槍すてて逃げた。


しかし、逃げようとした敵兵の背中は、騎士の剣がとらえた。

「ああっ!」

ばっさと馬上からの剣で斬られる。背中から血が飛び散って、落ち葉に滴り落ちる。クロスボウ隊は地面に突っ伏した。


「まだ前だ!」

円奈は声をあげる。

「私につづけ!進み続けるんだ!」


円奈が走る森では、50人のクロスボウ隊や弓兵、槍もった兵たちが散らばっていて、あたりじゅう敵だらけだ。



クロスボウ隊たちは、くるくる巻き上げ機をまわして、反撃の作業にとりかかっている。


円奈はそれを許さない。


手に握ったロングボウを手に取り出し、弓に矢を番えて、狙うと、ビュンと矢を放った。

円奈の手から弦が弾かれる。


「ふげえ!」

矢が尻に刺さったクロスボウ隊は、甲高い声をあげて、尻の矢を痛がった。

悲鳴あげて、尻の矢をぬこうと背中に手を回した。

きゅるきゅる巻き上げ機をまわしてばかりいたから、背中が隙だらけであった。



他のクロスボウ隊たちもまだ、再装填ができず、巻き上げ機をまいている状態。

まさにこれは無防備といっていい状態だった。


かれらはクロスボウ先端についたあぶみ(鉄のワッカ)に足をかけ、両手を使って巻き上げ機をまいているのだ。


つまり足も両手も使って、敵に背をむけて巻き上げ機をひたすら回しているだけの状態。


これで無防備にならないわけがない。


そうこうしているうちに彼らクロスボウ隊は、巻き上げ機を回しているところを、
ロングボウの射手によって狙われ、また矢を撃たれる。


「いてえ!」


足の腿に矢が刺さったクロスボウ隊は、悲痛な叫びをあげる。まさに無防備なところを、ロングボウの射手に
つかれのだったた。


矢が刺さり、身動きとれなくなったクロスボウ隊のところへ、アキテーヌの騎士たちが剣ふるって、襲い掛かってくる。

ばっさとクロスボウ隊は騎士の剣に斬り捨てられる。




円奈はまた新たな矢の一本をロングボウに番えていた。馬が走り、自分がむける矢先と標的の位置が重なった
タイミングで、矢を放つ。

そう、やぶさめだ。


故郷での”魔法少女ごっこ”なる経験が、この実戦にいきているのだ。



ビュン!


森のなかをとんだそれは、やはりまだ巻き上げ機をまいていたクロスボウ隊の腕に命中し、貫通した。
クロスボウ隊は痛みのあまりに巻き上げ機をまく作業を中断し、武器を捨てた。




クロスボウの天敵はロングボウ。

天下無敵のクロスボウが唯一無二で相性最悪の敵、ロングボウだ。



クロスボウは、人間の力ではなく、機械の力で弦をしぼるから、その破壊力は歴然である。

かつ弦を引いたまま固定しておけるから、正確さも抜群だ。


引き金をひくだけだから、素人でも撃てる。



だが、弱点もあった。


さんざ無防備なところを晒してしまっているので、もうこれは明らかなのだが、一度矢を発射すると、
次の矢を再装填するまで、とてつもなく時間がかかること。


これがクロスボウの弱点だった。


一度矢を放ったら、次の矢を飛ばすまで、きゅるきゅる巻き上げ機を回し続けること、30秒以上。


30秒間無防備になる。




その点で円奈の弓、ロングボウこそは、射程と連射力において最高の武器だ。


矢を取り出し弓に番え射るだけ。その間は10秒もない。


ともなればもはや、形勢は歴然である。


「いけえ!」

敵兵たちの潜む森を円奈と騎士たちは走り、猛スピードでかけぬけ、クロスボウ隊へ襲い掛かる。



巻き上げ機を回している最中のクロスボウ兵の隊列に剣を抜いた騎士たちの馬が突っ込む。


「あがっ!」

クロスボウ兵たちは、全速力で走る馬に踏まれ、すっころぶ。その手から、弩弓がこぼれおちる。


円奈のロングボウから、またやぶさめの要領で、矢が放たれた。

森の中を一本の矢が猛烈な速さで飛ぶ。


それは、やっとの思いで再装填がおわったクロスボウ隊の足にあたり、彼はクロスボウの狙いを乱した。

「いぎい!」

痛みに声あげながら膝をつき、痛がり倒れこむ。



しかし森の中の敵兵たちは、全員が全員、クロスボウ隊なのではない。


敵兵たちは、この進撃をくいとめるため、ふつうの弓矢に火をつけて、円奈たちを狙った。


火は、森の中に置かれた火鉢から点火。布の巻いた矢の先を火鉢にあてがい、火を燃やし、火矢となったそれを
円奈たちにむける。


「撃て!」


敵兵たちの声が轟く。すると円奈たち騎士の前に、火の矢が10本ほど、飛んできた。

赤く燃えた火矢は森のなかを突っ切り、弧を描いて、煙あげながら円奈たちのもとへくる。



「よけて!」

円奈は騎士たちの先頭で呼びかけ、自分も手綱を片手でとって、馬の方向をかえた。



クフィーユは左へ方向を転じ、火矢の数々は、円奈の傍らを通り過ぎた。頬の右と左を燃えた矢が飛びぬけた。


騎士たちも円奈に続いて馬の方向を転じさせたが、間に合わず、火矢の雨を浴びてしまう騎士たちが
なんにんかいた。

鎧にガツガツ火の燃えた矢があたり、くいこんで、体に焼き付ける火に痛みの声をあげて、ドテっと頭から落馬
した。

矢はすぐには抜けない。そして燃えた矢がいつまでも肌に食い込みつづける。騎士の肌は焼かれ続けた。



円奈は森のなかを突き進み続けた。

「もうすこし!」

と、円奈は、新たなロングボウの矢を一本、弓に番えながら、叫んだ。「もうすこしで、ギヨーレンにまわりこめる!」



クロスボウ隊を馬で蹴飛ばし、地べたの剣士は剣で斬りおとし、弓矢の攻撃はかわして、アキテーヌ家の騎士たちは
森の突破をめざした。

150


森と同じようなことが、野原のほうでも起きていた。

つまりクロスボウ隊の弱点にアキテーヌ兵がようやく気づいた。


「弩弓兵を襲え!」

アキテーヌ兵たちは声をあげ、反撃にでる。巻き上げ機をまわす無防備なクロスボウ隊に勇猛に襲い掛かかった。

ぶんと剣ふるい、肩や、首筋に剣をあてがう。


「うう!」


クロスボウ隊は血を流して倒れる。地面に頭をあてて、痛みに苦しむ。彼の手から弩弓が落ちる。
がしゃっと音がなって弩弓が地面でバウンドする。


するとクロスボウの護衛を失ったギヨーレンが、ただひとりぽっつりそこに取り残された。


「ギヨーレンをとれ!」

こんどこそとばかりにアキテーヌ兵たちの剣士たちが血に塗れた剣をふりあげ、接近してくる。



ギヨーレンは歯を噛み締め、人間どもを怒りのめつきで見つめた。

「人間どもが!」


4、5人のアキテーヌ兵たちが剣でギヨーレンに挑んできた。


まさにバスターソードを構え、魔法少女に戦いを挑む無謀な男どもに、思い知らせてやろうと思ったそのとき、
ギヨーレンに提言する側近の騎士がいた。


「ギヨーレンさま」

「なんだが?」

構えとったままで、問う。目だけチラと側近へ向けて。


「撤退を」

ガイヤール国の側近騎士の1人、レミはそう進言する。


「なに?なんだと?」

「いま撤退しなければ、回り込められます」

と、レミは告げる。「ロングボウの射手率いる敵の騎士の一団が、クロスボウ隊の戦列を突破しました。
背後にせまっています」


「あいつか!」

ギヨーレンは、戦いの途中で登場したピンク色の髪した女を思い起こす。

「魔法少女か?」

「わかりません」

レミは答える。「撤退させます」


「…」

ギヨーレンは、あたりを見回した。

自分が話す代わりに、アキテーヌ兵と応戦しているわが兵。

他のわが兵どもはカトリーヌと戦い、敗れている。


森ではクロスボウ隊の悶絶がきこえる。


いま森から回り込まれれば、全軍の隊列は混乱する。


「撤退だ!」

ギヨーレンは、引き際をわきまえている魔法少女だった。


「軍を引き返せ!」


魔法少女か叫ぶと、アキテーヌ兵どもは、おおおおおおっと勝利の雄たけびをあげはじめる。


城のほうでも農民たちかおおおおっと手をふりあげ喜色だって歓声あげるのが聞こえた。


「この決着はいつか必ずつける!」


ギヨーレンは、自らのオーソワと名づけた馬に乗り、鐙に足をのせ、織物しいた馬の背あてに跨った。

「撤退だ!」



「私と戦いなさい!」

カトリーヌが撤退の気配感じ取った敵国の魔法少女をみて、ひきとめる。

「逃げますのか!」


「次はおまえが、わがガイヤール城にせめてくるがよい、カトリーヌめ!」

ギヨーレンは罵り声あげ、カトリーヌに叫んで、馬を引き返させた。「いけ!」


ガイヤール兵たちはギヨーレンに続いて、逃げさる。


アキテーヌ兵があとを追う。



数十人もの死体乗り越えて、わああああっと雄たけびあげながら、逃亡兵の背中を追いかける。


何百人という兵の剣に追われながらガイヤール兵は必死に敗走する。

何人かはおいつかれ、背後から剣に刺された。


剣にサクっと背中を貫かれ、うっと呻いて膝をついて死んだ。



先頭で逃亡するギヨーレンは、背のマントひらめかせながら、馬で平原を走り抜ける。



だがまさに原っぱをぬけようとしたころ、ピンク色の髪した少女が質素な馬にのって、ギヨーレンらの前に
森からあらわれた。


少女騎士が現れると、それにつづいて、30人の騎士たちがあらわれた。


わずかに遅かったらしい。


だが撤退を宣言したいま止まるわけにもいかない。


「突き抜けろ!」

ギヨーレンは大声で、逃亡する仲間たちを鼓舞する。「たかが30人ごときだ!突き抜けろ!」



ギヨーレンの馬はとまらない。


ドバババババと蹄が土を蹴り、上下に跳ねながら、ギャロップで円奈へ迫る。



すると円奈も受けてたち、ロングボウの弓を矢に番えた。



その矢先が、胸元へゆっくり、むけられる。


少女のピンク色した目が、ギヨーレンを見据え、弓で胸元を狙ってきた。


そこにはソウルジェムがあった。


「この……!」

ギヨーレンの顔が強張る。

しかし馬はとまらない。ギャロップで走り続けるだけだ。

円奈のむける矢の先に、みずから突っ込んでしまうギヨーレンの馬────それを御すギヨーレン───


やぶさめの要領で狙いをたてる円奈のロングボウ。


「ぐっ…!」

ギヨーレンが歯を噛みしめ、深い青色の目を見開いた、そのとき。


ロングボウの弓から矢が飛んだ。



「うぐっ!」

ギヨーレンは顔を逸らし、矢を受け流す。矢は反対側の森の奥へと飛んだ。


馬を走らせながら、自分の頬を手で触れた。手の指先に赤い血がこびれついていた。

ギヨーレンは自分の頬が矢に裂かれたのを知った。


「ギヨーレンさま!」

レミがギヨーレンの後ろを馬で走りながら、魔法少女に呼びかける。「ご無事ですか!」


「わざとだ」

ギヨーレンは、自分の血のついた手をみながら、呟くように言った。


「はい?」

レミがききかえす。


「あの女!」

ギヨーレンは、背中のマントひらめせながら、馬上で叫ぶ。「わざと手加減した!」


その気になればあてれたはずだ。


「わざとタイミングを早め、頬をおすめる程度にうってきた!」


ギヨーレンは喚き散らす。


「余は、情けをかけられて、いま生かされているのだ!今後の余命、死ぬまで、余はこの情けを
忘れはしないだろう!屈辱に誓ってだ!」



頬から垂れた血をまた手でぬぐい、ギヨーレンは馬で走りさった。


ガイヤール兵は撤退した。

151


あたりじゅうで、倒れた負傷兵たちの呻きが渦巻いている。


戦闘不能になった者たち。


野原で剣に斬られた兵士たち、クロスボウに撃たれた兵士たち、戦斧、戦槌に体に穴開けられた兵士たち。


森で馬に蹴飛ばされ、体重300キロちかい馬に何度となく踏んづけられて骨を折った兵士たち。

だれもが血を流して横たわり、痛みに呻いている。



そんななかの1人ロスクリーは、アキテーヌの騎士の槍に腰を貫かれ、落馬し横たわっていた。


腰を貫いた槍は、倒れた体に、いまも突き立っている。


「うぐっ…」


口から血が垂れる。


ロクスリーのもとに、1人の少女が立った。

くるくるした巻き毛の、編み上げブーツで、踵にはリボンをつけた、可愛らしい少女だった。

でもその服装は返り血に塗れていて、顔の頬も、髪も、血の赤々とした飛沫が点々とこびれついていた。


「あなたの名は?」

少女はたずねてくる。


「ロバート」

ロクスリーは、腰を貫く槍の痛みに耐えながら答える。「ロバート…ロクスリー」

彼は名乗ったあとで、敵国の魔法少女に見下ろされながら、ぺっと唾を自分を刺す槍にむかって吐き出した。



「そう…ロバート・ロクスリーさん」

魔法少女は瀕死の騎士を見下ろし、ゆっくり膝まげて座ると、その槍を手でふれた。


「うぐ…!」

槍が動き、肉体に食い込み、ロクスリーは呻きをあげる。「なにする気だ!」


「魔法少女にはこのような力があると、きいたことが」


変身姿のカトリーヌは、手をロクスリーの槍が刺さった部分にあてる。

すると治療とほどはいかなかったが、痛みが和らぐのをロクスリーはかんじた。

「わたしは魔法少女になって、一日目ですから」

と、カトリーヌは、自分の魔力をロクスリーのために使いながら、いう。

「魔法の使い方はわかりませんけれど……これがわたしの気持ちです」


「魔法少女になって一日目…か」

ロクスリーは、血の垂れた口で、小さく笑った。「大した魔法少女だ、あんたは」


大半の魔法少女は、初戦では死亡確率3分の1だというのに。

この魔法少女は初戦を生き抜いたばかりか、その足元には、40も50も打ち倒した敵兵の屍がころがっているのである。

将来、強い魔法少女になるだろう。



側近の騎兵たちがカトリーヌのもとへやってくる。

胸を撃たれたアドアスは、騎兵たちに肩をもたれながら、カトリーヌのもとに戻ってきた。


「手負傷した敵兵たちを敵国の宿営地にもどし────」

と、カトリーヌは、手下の騎士たちに命ずる。

「わたしたちの負傷兵は、名簿をつくって医療院に」


「はい」

手下の騎士たちは答え、すると、肩を支えられた負傷したアドアスが笑った。

「あなたは国を守ってみせたのです」


するとカトリーヌはアドアスを見て、目を閉じると、首を横に振って答えた。

「わたしじゃないわ」


「といいますと?」

アドアスに問われ、するとカトリーヌはにこり笑って、指差した。「”彼女”よ」


アドアスが、カトリーヌの指差したほうへ顔をむけると、そこにはアキテーヌ兵たちに囲まれて、
わーわー、歓声に包まれているひとりの少女の騎士が目に入った。


「アリエノールの騎士ー!」

と、アキテーヌ兵たちは、剣を天にむけて、ぶんぶん振るい、喜びの声をあげている。


「アリエノールの騎士ー!万歳!」


少女騎士は困ったように、兵たちを馬上から見下ろして、手を振っている。

髪の毛は不思議な色をしていて、ピンク色の髪に結われている赤いリボンが、風にのってゆれた。


「あの方は何者です?」

アドアスがたずねると。


「姉アリエノールの雇われ騎士よ」

とカトリーヌは答え、それから、優しげな眼差しで円奈をみつめた。



カトリーヌの見つめる先には、騎士姿の円奈がアキテーヌ兵たちに囲まれて、歓声を浴びている。





それからソウルジェムを卵型に戻して、すると自分の衣装は解けて元のコットの衣装に戻った。

剣もった17歳の乙女がそこにいた。

152


昼過ぎて夕方になりはじめた頃、宿営地にまで避難したギヨーレンと、ガイヤール兵たちは負傷兵を
運び出す。



帰還した負傷兵たちは、地面に敷いた織物の布に横たわり、治療を受ける。


治療は、矢をペンチで抜き取る、包帯をまく、消毒するなどの施しを受ける。

この時代で、消毒液に使うのは酢であった。


麻酔がない環境のさなか、矢を抜く作業は惨たらしい。


負傷兵の矢を抜く際、折った矢をペンチで挟み込み、抜くが、そのとき負傷兵はのたうちまわって抵抗するので、
何十人という兵が彼を手で押さえ込んで、医療兵が矢を力づくで矢を抜き取る。


「骨のこぎりを」

荒治療ともよべる現場では、そんな声もきこえる。「骨のこぎりをここへ。」


「いやだ!」

負傷兵は泣き叫ぶ。「やめてくれ!骨のこぎりなんて!」

手足じたばたさせて暴れる兵を、また何十人という味方の兵が上から押さえ込む。


「いまぬかねぇと、一生矢が刺さったままだぞ」

医療兵は情け無用、問答無用で、負傷兵の肌の傷口を小刀で切開し、肉の奥に浮き彫りになった白い骨を、
のこぎりでぎこぎこ、肉ごと骨をきって、奥の矢じりを抜き取るための開口部をつくる。


「うわあああああ!」

それはもう、とにかくすごい悲鳴である。


「はなすんじゃねえ!」

すると負けないくらいの大声で、医療兵が怒鳴る。「絶対はなすな!いま放したら、こいつは死ぬんだからな!
そしたら、てめぇらのせいだ!」


死に物狂いで暴れる兵を、必死に押さえつける兵たち。鉄ペンチが骨をけずった傷口の奥にねじ込まれ、
グイグイ脂肪と肉をこねくりまわりながら鏃をとりだす。血があふれ出す。


こうして矢を抜けとったあとで、やっと鎮痛剤を含めた包帯を施されるのである。

鎮痛剤は、エーテルで溶かしたビャクダン液を湿布に浸したもので、これを含めた湿布を傷口部分にあてがう。



これで治療完了である。



剣に裂かれた兵は、意識あるままで針を肉に刺され縫われる。もちろんこれも、兵たちが上から押さえつける。


そんな赤色の悶絶と悲鳴が、何十人と野原じゅうで喚き散らす。


戦争のあと見渡せる、惨劇の光景であった。



ギヨーレンは、宿営テントのなかで顔と、手にこびれついた自分の血を洗ったあと、乳香液など含めた
解毒用の溶液で浸した布で止血していた。


止血がおわると、宿営テストをでた。


「ロクスリー」

と、魔法少女は、負傷した手下の騎士の名を呼ぶ。

地面に敷かれた布に横たわっている。


ロクスリーは、アキテーヌ側からその身柄を明け渡された。

槍に腰を突かれた彼の治療具合を、ギヨーレンは確かめる。


ギヨーレンと同じように乳香液などの解毒剤に浸した布を巻いていた。

「具合は?」

魔法少女は、痛みに苦しむ側近の部下を見下ろしたずねる。


「生き永らえそうです」

と、ロクスリーは、横たわったままで答えた。

腰を貫いた槍は腰骨にヒビをいれた。そして重要な器官を傷つけた。

「一生、立って小便できなくなりましたがね」


魔法少女は笑った。

「わたしもそうだ」

そしてロクスリーを見下ろしたままで、またたずねる。

「今日という戦争のことは?」


ロスクリーは答える。

「最高でしたよ」


魔法少女は、また笑う。「なぜだ?」


「騎士という血が滾って───」

ロクスリーは、腰の痛みに顔を一瞬しかめたあと、平静な顔にもどって言った。

「騎士として最高の舞台にたてました」


魔法少女は無言で、ロクスリーを見下ろしている。


「鎧を着込み、馬に乗り、剣をふるった。あの瞬間───」

ロクスリーは何時間かにわかってアキテーヌ家と戦かった、あの場面を思い描く。

「馬を走らせ敵兵と激突するあの瞬間。最高でしたよ」




「ロバート・ロクスリーめ、おまえは、気高き戦士だ」

ギヨーレンは言い、すると踵をかえして、腕組むと目を閉じた。

背をむけて、マント姿の後姿ををみせてロクスリーのもとから離れる。



離れていく魔法少女の後ろマント姿を見送りながら、ロクスリーは小さく呟いた。

「貴女の兵として戦えるからこそ、本当に最高でした。照れますから、直接あななたにはいいませんがね」

153


負傷兵たちの処置がすむと、解散の準備が進められた。


宿営テントはたたみ、馬車などに器材を積み、兵たちは整列する。


領主であり魔法少女であるギヨーレンの帰還命令の一言を待つ。





ギヨーレンは、マントひらめかせながら兵たちの前へきた。


300人ほどの兵。半数近くが負傷した。


壊れたクロスボウは荷車にがちゃがちゃと積み込み、国に戻って、職人に直してもらう。

剣は兵たちが鞘に差込み、ベルトに巻いてもったまま。


パンなどの食糧、水、水筒、弓矢なども荷車に山のように積まれた。これらは馬が運ぶ。


ギヨーレンは、意気消沈した兵たちの顔を見渡した。



整列した300人の兵。包帯を巻いたり、腕をなくした兵。足を砕かれたてなくなった兵。

死者は数十人。すでに土へ埋められた。友人の死を悲しんで今も泣きじゃくる兵。



いろいろ、いた。



そんな兵たち、共に戦った兵たちのどの顔をも見つめて、それからギヨーレンは語りだした。

「痛ましい負けだ」

と、少女は話しはじめる。


兵たちは目を落とし、悲しそうに落ち込む様子をみせる。

どんより沈み込み、目を腕で覆ったりする。


「手痛い負けだ」


すると魔法少女は息をすいこんだ。彼ら兵たちを見渡し、口をあける。


「だがなんと清々しい負けではないか!」

と一声、大きな声で告げる。


兵たちが目を大きくして、驚いて、魔法少女をみた。


「清々しい負けだ!」


魔法少女は兵たちにむかって、これ以上ないくらいはっきりとそう宣言する。


「そうだとも。こんな晴れやかな負けがあるか。われわれは秘密兵器クロスボウで敵を混乱へ陥れた。
そこへロングボウの射手がきた。われわれは回りこまれ撤退した。どうだ、不服か!これが!
この結果が!」


兵たちは、目を見張り、おどろいた顔である。誰も何もいわない。



「われわれは納得いく負け方をしたのだ。おまえたちは騎士であり戦士だ。負けるというのもまた」


ギヨーレンはいちど、そこで息をため、言い切った。


「誇りなのだ」




お、おおおおおっ。

兵たちは、魔法少女の語りで声をあげ、するともう緊張がとけた。

今日という戦争を戦い抜いた仲間たちと肩をだきあい、涙を流しあった。


ギヨーレンはすると、レミなどの側近騎士に、帰還命令をくだした。



ガイヤール兵たちは、ガイヤール国への帰路へむかった。

154


アキテーヌ城では避難した農民たちが、帰還兵たちを盛大に迎え入れた。


夕方に日が染まりかけた頃、オレンジ色に照らされる城で、また花びらがひらひら舞う。


「アリエノールの騎士ー!」

と、農民たちは、夕日か降りる城の上から、わーわー手を降って迎え入れる。


「アリエノールの騎士ーありがとう!」


農民たちが特に呼びかけているのは、ピンク色の髪したロングボウの射手。

異国の騎士、鹿目円奈であった。


そんな花びらと喝采のなか、馬上の円奈は照れたように苦笑い浮かべ、そっと片手だけあげて民衆の声に応える。


城壁の上から手を振ってくれる農民たちへの、ちょっとした返事だったが、それだけで農民たちは、
おおおおっと歓声をあげた。


そして農民たちの半数くらいは、城を降りて、騎士たちにたかってきた。


馬たちに手を伸ばし、騎士たちに握手を求める。


とくに農民の女たちは戦った鎧の騎士たちに、手を伸ばして握手を求めた。


それをみた農夫が、おい!と女たちに怒鳴り、そして、ちょっとぐらいいいじゃない、騎士の方と触れ合う
機会ですもの、と反論する。


円奈に握手を求める農民も多かった。


「へえっと…」


円奈は、戸惑うばかり。「通してほしいなって…」



農民たちは敵軍が去ったこと、自軍の騎士たちがめいっぱい戦って、勝利したことを祝って、
口々に兵たちを讃えあい、喜び踊った。



そして口々に農民たちから、こんな言葉が聞こえ始めたのである。


「アリエノールさまは、わざわざ他国まて出かけてあの騎士を雇ったんだ。」


「そうだ。」

別の農民も、喜びながらいう。

「あんな弓を射てる射手は、このあたりじゃあまずいない。だからアリエノールさまは、城をときどき留守にして、
異国まで出かけて、あの射手を見つけて私たちの城に雇ってくださった。アリエノールさまは、わたしたちの
ことを考えてくださっていたんだ。」


「さすが、アリエノールさまだ!」


農民たちは喜びいっぱいに、アリエノールを讃えだす。「アリエノールさま!」


まったくこれは誤解であったが、農民は自分たちにとっていいことがあれば、思考も都合よくなる気質
であった。



円奈は馬を降りた。

馬の背に、自分の腹をあてるよにうにして、地面を足につけ、ずるずると降り立つ。


握手を求めて手を伸ばしてくる農民たちのなかをかき分ける。



すると城の入り口からアリエノールが。


アリエノール・ダキテーヌが、でてきていた。



アリエノールはぽつんと城の入り口に立っていた。円奈を見つけると、走り出す。

円奈は歩いて、アリエノールのほうへむかった。



農民たちが、自然と道をつくる。左右にどき円奈を見守る。


円奈は農民たちのあいだを歩いて、城へむかい、そして走ってきたアリエノールの前へ。



ふらりとぐらついて、アリエノールの胸元に、よりかかってしまった。


アリエノールがそれを抱きとめる。驚いた顔してアリエノールは胸元の円奈をみつめる。


「おわったよ…わたし、戻ったよ…」

円奈はうっすらとした目で、小さく、言った。「すごく恐かった…何度も死ぬんじゃないかって思った…」

といい、疲れ果てたように円奈は、アリエノールの胸元で、眠るように目を閉じた。息はしている。


魔法少女は少女騎士をしっかり抱きとめる。ピンク色の髪した頭を抱き込んで、大事そうに守った。
そして、涙した。


「アリエノールさまー!」

農民たちが、そんな二人の様子みながら、アリエノールを讃えた。


アリエノールがはっとして農民たちを見渡した。そしてすぐ顔を強張らせた。

魔法少女として戦いもしなかった私が、農民たちの前にでてしまった、と。


しかしアリエノールの予感とは裏腹に、アリエノールを見守る農民たちの視線は、暖かく、喜色に満ちている。



「ありがとうー!」

と、感謝の言葉さえきこえてくるほど。「アリエノールさん、ありがとうー!」

「アリエノールさま万歳!」


アリエノールは、訳がわからず、目を大きくして農民たちを見渡す。


「あなたが雇ってくれた騎士のおかげで、国は救われました。」

と、農民たちはいう。

「アリエノールさまが、その射手を雇ったおかげです。」


「アリエノールさま、ありがとう!」

農民の女の子も魔法少女を、輝く目でみあげている。



それでアリエノールも、農民たちの誤解を分かりはじめた。


たぶん円奈自身が、”アリエノールに雇われた”と自分で言ったのかもしれない。


農民たちや騎士たちは、それをそのまま受け取って、鹿目円奈という騎士を雇ったのを自分だと
思っているようだ。


そして確かにそれはその通りなのだが、円奈のほうから自分を傭兵にしてほしいと名乗り出たことは
彼らは知らない。


アリエノールの人材確保のなせる業だと思い込んでいるようだった。



「よくやったぞ!」

城主も興奮気味に、アリエノールのもとにくる。



「おじさま」

目に涙ためたドレス姿の魔法少女は、城主をみて呟く。


「よくぞやった!アリエノール、大した射手をみつけたものだな、え?城を留守にして、長弓の
射手を見つけてきたか!おかげで国は救われたのだ。」


こうして城主まで円奈に騙されているわけだが、まあいいだろう。


「この騎士を、今晩の晩餐に招こう」

と、城主は、顎つかみながら言った。「年端いかない娘にみえるのに大した騎士ぞ!
国を守った使命、このわしがたしかに見届けたぞ。名はなんという?」

魔法少女でもない10代の小娘に一国が救われるなんて、まったく誰も予想もしてないことだった。

「名は」

アリエノールは、答える。「この子の名は、円奈。バリトンの騎士。鹿目円奈よ」


「そうか、鹿目円奈か、救国の乙女よ!」


城主は大声を、城に中庭に轟かせる。「城内は宮廷料理と音楽で満たし、踊ろう!」


農民たち、守備隊たち、帰還兵たち───。

だれもが勝利気分の喜びに満ちている。


そこへ、返り血を頬や髪に浴びたカトリーヌがもどってきた。


ガウンにサッシュリボンを巻いたアリエノールという魔法少女と、カトリーヌという魔法少女の目が合う。

魔法少女の姉妹───領主の孫娘の城に住む姉妹。


カリトーヌはやわらかく微笑んで、鹿目円奈の騎士を抱きとめる姉にむかって、音もなく拍手した。



農民たちははやくも踊り始め、夫婦はくるくるまわって踊りだし、独身男は独身女のペアをみつけて、
腕絡めて、くるくる踊りだす。


円奈がきいたこともない歌詞の歌をうたいだす。


狼たちが騒ぎ出すぞ、狐たちも騒ぎ出すぞ、狼たちはふらふらに酔うぞ……



アキテーヌ城は、栄えある城として、盛り盛った。


だが本当の盛り上がりはここからだ。


宮廷料理人と見習い騎士の給仕、城内の音楽家が結集する最高の晩餐が今夜、催される。

今日はここまで。

次回、第20話「アキテーヌ城の饗宴」

第20話「アキテーヌ城の饗宴」

155


城の外でがやがや騒ぎ立っている音で、円奈は目を覚ました。


目を開けると、すっかり暗い城室の石壁が目に入る。


どこの部屋なのか、円奈は意識が戻ってくるのとともに分かった。


アリエノールさんの部屋だ。



それにしても城の外が騒がしい。


でも昼間での、戦争が起こっていた波瀾と禍乱のけたましい騒ぎ声とはちがっていた。

どちらかというとお祭り騒ぎのような、 陽気さに包まれた華やいだ騒がしさ。


そして円奈は質素な木造天蓋ベットからおきて、格子窓から城を見下ろして、文字通りお祭り騒ぎなのを見た。



いつのまにか夜になっていて、城の外はすっかり暗かった。


にも関わらず城の中庭は人々で満たされ、かがり火を灯し、酒飲みの踊りの大騒ぎである。

城は完全に農民のために開かれていた。


農民たちは賑やかに夜宴を楽しみ、夜通し踊る。歌いあい、城の楽団の楽器にあわせて踊り、かがり火の
まわりに環をつくって笑いあい、語り合い、そして踊る。


中庭には木の細長いテーブルがだされ、城内の宮廷料理が次々酒とともに持ち運ばれた。


農民たちは酒のジョッキ握りながら踊り、酒を芝生にこぼしながら、肩とりあって踊る。


ウールのボディス姿の女たちはかがり火のまわりに集まって男達と踊る。

女同士で痴話にふける人たちもいる。あの騎士がよかったとか、あの騎士がカッコイイとか、そういう痴話話。
そのどの手にも酒のジョッキが握られている。


かがり火のせいだけではないだろう、女たちの顔は赤い。



とにかく、石の城壁に囲まれた、かがり火に照らされる城のなかは、飲め歌えの祭り一色になっているのであった。



月が夜空に浮かんでいる。


三日月。星空が浮かぶなかで、ひときわ明るい白色の月は、城のお祭り騒ぎを見守っている。



ぼーっと農民たちの酒宴を城の窓から見下ろしていた円奈だったが、アリエノールに声をかけられた。

「目が覚めた?」


「アリエノールさん」

円奈は城から振り返って、城の魔法少女をみた。

「みんな楽しそうですね」

円奈も笑っていう。


城のなかは暗く、蝋燭も何の明かりも灯されていなかった。だから部屋を照らすのは、城に降りてくる
月の明かりだけだ。


「これから、あなたが主役になるのよ」

と、アリエノールは伏目がちの視線のまま、円奈に寄った。「城主が貴女をまっているわ」


「えっと、わたしでも旅にでますから……」


円奈は遠慮した。


「裂け谷へ……」



アリエノールは伏目のまま、円奈の前へくる。その眼差しは、どこか優しい。

「残念だけど、まだ私はあなたの傭兵義務を解いてないわ。契りは結ばれたままよ」


「う…」


自分からいいだいたことなだけに、こういわれてはアリエノールに従うしかない。

騎士としてアリエノールに護衛と忠誠を、自ら誓ってみせたてまえである。

鹿目円奈の主導権は、この魔法少女に握られたままであった。


困った、という表情を浮かべたとき、円奈のお腹が音をたてた。


「お腹すいたでしょう?」

アリエノールは円奈の手をとる。

「さ。おいで。おじさまがあなたを待っているわ」


「は、はい…」

狩りをして生きる円奈は、空腹に抗いがたかった。

それにあの戦いである。


馬を走らせ、クロスボウ隊にロングボウの弓で戦いを挑み、戦争の渦中へ。


お腹がすかないわけはなかった。


アリエノールに手を引かれて、円奈は部屋をでる。石壁の廊下へでる。

松明が掛け台にかけられ燃える廊下を進み、階段塔の螺旋階段へと歩いた。



その途中で、ふっと円奈は足をとめ、アリエノールの手をひっぱった。

不思議そうにアリエノールが振り向く。首を傾げ、少女騎士をみつめた。


「……恐かったんです」

円奈は話し始めた。

そのピンク色をした不思議な目は、数時間前の戦場を思い出して、少しだけ虚ろになる。


「クロスボウの敵に正面からむかっていって───」


円奈の口が、それを語る。


「敵は私にクロスボウの矢先をむけました。少しおそかったら死んでました」



アリエノールは息をつまらせた。張り詰めた表情で円奈をみた。



「死と隣り合わせの戦いに───」

円奈はつづけた。

「民の人たちはだせません。あんな戦いに身を投じていいのは、騎士と兵だけです」



思い起こすように語る円奈の言葉はそこで終わって、再び歩き始めた。

156


時間帯は午後7時過ぎ。


普段ならすっりり日も沈んで、農民は寝静まっている頃の時間帯。


しかし今晩は違う。


城の精力をあげて催される饗宴の夜だ。


その主席にたつは円奈である。



異国の騎士、アキテーヌ城の危機を救った騎士が、今宵の饗宴に出席するのを城主アドル・ダキテーヌは
待ち受けていた。


円奈が城の一階の大広間に出たとき、びっくりして目をまんまるくしてしまうほどの宮廷料理に満たしつくして。



城内お抱えの音楽家たちが(ふだんは守備隊でもあったが)、円奈が大広間にでると、二階の手すりから、
パーッとトランペットを吹き鳴らした。


かと思えば城の見習い騎士たち(領主の手下の騎士たちの息子たちなど、まだ年端もいかない訓練中の
こどもたち)が、城の壁際に綺麗に整列して、円奈に丁寧にお辞儀して頭をさげる。

彼らは、のちに円奈にたくさんできたての料理を運んでくる、いまは給仕たちなのだ。


円奈は、自分より1、2下くらいの少年たちの列をみて、ロビン・フッド団の少年たちを思い出したけれど、
城の大広間に整列した少年たちはやはり、育ちがよい身なりだった。


膝丈ほどの小さなウプランドを着て、足は毛織のタイツを履いている子どもたち。

みな騎士たちの子だ。


城の壁際に立ち並ぶ様子はたいとう上品で、エチケットにかなっている。金髪の短髪に、青色の目をした
肌もピチピチな少年たち。

円奈のほうが作法で負けてしまうのではないかと不安になるほどであった。


城主はいま、ウプランドを纏った姿であらわれ、大層豪勢な衣装であった。銀地に金メッキの施された
ベルトは健在で、腰元に巻いている。


胸元には首飾りのペンダントが煌いた。


「鹿目円奈よ、きたか!」

と、城主は席のテーブルをたちあがると手を叩く。


いつの間にか名前を覚えられているらしい。

「きたか、目が覚めたか。はじめにいっておこう、よくぞ無事にもどった。救国の乙女よ。美しい小娘だ。席につきなされ。」


トランペットが響き、テーブルを満たしつくした料理の数々に、わけもわからなくなってる円奈に、城主は呼びかける。

とりあえず城主の人に、美しい小娘よといわれて、恥ずかしくなる気持ちだけは感じた。


円奈は唖然と、みたこともない宮廷料理の並んだテーブルをみつめていた。


城のテーブルの席についているのは、城主とその夫人、土地の有力な騎士たち、その貴婦人たち、
カトリーヌ、といった面々だ。


テーブルにはずらりと皿に盛られた料理が並んでいるが、燭台に灯る蝋燭の明かりもある。

等間隔ごとに置かれた蝋燭の火だ。



とうぜん電灯などない時代だから、こうした蝋燭の火が城内を照らす。


テーブルの食卓に並んだ蝋燭はだけでなく、城の壁に突き出した燭台などの火も、城内を明るくする。
大広間に燃えるレンガ造りの暖炉も。


壁の突き出し燭台は、アーチ窓とアーチ窓の間の壁に、ひとつずつ、灯る。



それにして長方形テーブルに並べられたテーブルの、なんと目を見張る料理の数々だろう!

おびただしいほどの皿に満載される食材は、ざっと見回しただで、きばのついた猪の肉、雉、
青鷲、孔雀、鶴、豚、兎といった肉料理と、鰻、ニシン、鱈、ひらめ、鮭などの魚料理、ポタージュ、
ゼリー、梨、パイ、タルトといった食材まで、盛りだくさんだ。


もちろんそのどれもが丹念に料理されている。肉料理だったら、鹿の肉はシチュー仕立てに調理され、
兎はロースト肉のマスタード添え、豚は丸焼きにして、詰め物をしている。にしんはベイクに、
魚の豆煮込み、鮭はゼリー寄せといったふうに、田舎の農村出身の騎士である鹿目円奈には、
もう、わけがわからない料理がバーンとテーブルに満載であった。


「さあさあ、席につけ、つけ!」

城主は、高らかに、言ってくる。円奈がおどろいた顔して料理を見つめている様子に、得意気であった。


「国を救った、美しい小娘よ。そなたが席につかないと、はじまらないのだ。」




「わ…わたし?」

円奈ははもう、驚くばかりである。「わたしがここの席に?」

とりあえず、美しい小娘というのはやめてほしい、という心の声が起こった。


「そうよ」

アリエノールが笑って、円奈を席に誘う。「この餐宴は、あなたによってはじまって、あなたで終わる。
あなたのための餐宴よ」


「えええっ!」

びっくりあんぐり円奈の口があいた。

「さあさあ座って」

アリエノールに背を押され、席に半ば強制的に座らされる。


アリエノールはすると、隣の席に座って、隣の円奈にふっと微笑みかけた。


円奈はテーブルに並んだ料理と、自分の席の目の前におかれた、コチコチのパン五枚を見つめた。


すると給仕の少年たちがぱっと動いて、テーブル上にある水差し丁寧に手にとって、円奈や
アリエノールのグラスにブドウ酒を注ぐ。

この水差しには蓋はなくて、ブドウ酒専用の水差しなのである。


注いだら、丁重にお辞儀して、また壁際へ戻る。


「あっ、私が自分でするのに…」

人に給仕される経験が皆無な円奈は、すまなそうに、切ない顔して呟く。


「ほんと、謙虚な騎士の乙女」

アリエノールは隣でそれを見つめて、また、小さく笑みを浮かべた。


しかし円奈は謙虚というよりは、そもそも人の上にたって、仕えられるという経験がほとんどない少女なのであった。


「さあ、はじめよう!」

城主がまた席をたつと、夫人、騎士たち、貴婦人たちが同時にばっと席をたちあがった。

アリエノールとカトリーヌもたちあがった。ドレスの裾のそれる音が重なった。


「あえっ!」

円奈だけが席に座りっぱなしであった。どうも城主が席を立つと他の人も席をたつルールがあったらしい。


まったくそんなことを知らない円奈は、変な声あげてきょどきょど見渡すばかりであった。


城主は気にしない。


円奈が戸惑ったあと、バツが悪そうに立とうとしたら、アリエノールから大丈夫よととめられた。


「うう…」

円奈は、諦めて座りなおした。恥ずかしそうに、顔を赤らめてテーブルを見つめてしまう。



「われらがアキテーヌ城は、この日に、」

城主は、給仕の少年たちに注がれたブドウ酒のグラスもちながら、語りだした。

グラスは鉛製で金属のものは使わない。黄金のものも使わない。味を重視して鉛製である。


「敵に迫られて窮地に一度おちいった。そこをこの娘に救われた。この小さな乙女は、救国の騎士だ。
この弓の名手はガイヤールどもを蹴散らした。わしはたしかに、この目でそれを見届けたぞ。」

おおおー。

騎士たちはパチパチと握手。

このタイミングにあわせて、二階手すりから楽団たちが、ラッパを二階ほど、吹き鳴らす。



「私は、鹿目円奈殿が、」


と、グラスもった騎士の1人が、語り始めた。

城の餐宴は、食事にありつく前に、こうしてメンバーたちが、べらべらといつまでも雑談するのが、
風習であった。


「颯爽とあらわれ、われらを鼓舞したとき、そこにおりました。わたしは馬を失い、敵の伏兵から
矢がとんでくるとき、絶望と死のなかを彷徨っておりました。貴なる乙女、鹿目円奈殿が、」


騎士はグラスもってないほうの腕で、席にすわったままの少女を腕で示す。


「そこへ天が遣わしたように現れ、馬に乗りなさい、突撃するのですと叫びましたとき、我は勇気が生まれ、
勝利の希望が胸に沸くのがわかりました。そして、美しき鹿目さまの背中を夢中で追いかけました。
その先にあるのは、輝かしい勝利でした。」


おーー。

パチパチパチ。




騎士の体験談を交えたこの盛った話は、こうしてべらべらと、展開される。


城主も、さぞ感浸っている様子だ。城主はアキテーヌ城から、たしかに鹿目円奈が戦場へ突進し敵部隊を散らし、
宿敵ギヨーレンを敗走させる活躍を見ていた。そしてその功績、勇者ぶりを感服していたのだ。だから、この宴に招いた。


「わたくしも、鹿目円奈殿とともに突撃をいたしました。」

と別の騎士が、席をたったまま語りだす。


「鹿目円奈殿が、」

グラスをもってない手を少女騎士のほうへむけ、示す。

「いけ!いけ!と、私どもを、鼓舞しました。傷を負いましたわれらは鹿目殿の言葉によって奮い立ち、
騎士の誇りと勇気を思い起こしました。それを思い起こさせました鹿目円奈殿の勇気、言葉、そしてなにより
彼女の美しき雄姿こそが、われらを奮い立たせ、あの勝利へ導かれたのです。」


円奈を讃えたい気持ちは、みな同じ気持ちであった。この10代半ばという乙女が戦場にあらわれ戦況をひっくり返した
その場にいた騎士達は、円奈に命を助けられたのであり、英雄だった。


だが、当の円奈は恥ずかしくてたまらない。

逃げ出したいくらいの気持ちに襲われていた。なにをそんなにわたしのことを褒めそわすのだろう?と。


彼女は騎士たちが盛った話をかたるたび、ええっええっ、と視線を泳がし、アリエノールに助けを求め、
それはアリエノールに意地悪に無視された。

そして恥ずかしそうに、顔の頬をぽっぽと燃やして席で俯くのであった。


「わたくしも、鹿目円奈殿と共に戦いました。」


こんどは、別の騎士が席で話し始める。

もうとにかく、話を盛りに盛りまくって、誇張した話にすればするほどパーティーは盛り上がった。

それが本人にとっては、恥ずかしくてたまらないのであっても、お構いなしである。


「敵どもは卑怯にも森に隠れ、卑劣な、騎士の誇りも微塵もないクロスボウを使いました。しかし卑劣な武器は
われらを窮地に陥れ、わが兵は壊滅寸前。そこへ鹿目さまが、」


騎士は円奈を手の先で示す。


「戦いの女神のように現れました。彼女こそは敵の卑劣にして愚鈍な武器を倒せと、我らに叫び、私どもに誇りを呼び覚ましました。
そのときの突撃!そう、われらは騎士道精神を捨てませんでした。敵のクロスボウどもに、一歩もひかずにげず、
突撃いたしました。われらは敵どものクロスボウ隊をさんざんに蹴散らしました。しかし我らが
かくも勇敢に、苛烈に戦えましたのは、我らが先頭で戦いました、誇り高きロングボウの射手にして誇り高き
可憐な乙女なる、鹿目さまの、敵陣へ先頭に立ち突撃するあの美しき勇姿でしたのです。」


おー。

ぱちぱちぱちぱち。



なかなかどの騎士も、盛り話を披露してみせる。

国の救済の乙女・円奈を称えたい賛辞の言葉は絶えることない。

上流階級な人たちのこの長々しい雑談は、まだまだ続き、城主はいちいち騎士たちのトークに耳を傾け、
満足し、いいぞいいぞと声をだす。円奈の活躍ぶりに敬服したいと顔にでている。



円奈は、もう顔真っ赤にして、顔を伏せていた。


しかし騎士たちの雑談はとまらぬ。


まったく食事前の雑談の長さときたら、上流階級のパーティーを知らぬ円奈には、ほとんどカルチャーショック
であった。


「ガイヤールのギヨーレンでさえ、動揺の顔をみせたのは、卑怯の武器を打ち倒す、正義の……」


「森の中の突撃は、最高の騎士道精神でした。勇気こそなによりに勝る……」


「鹿目さまの、騎乗の背中を追う我らは栄光の突撃であり、……」



果たして、いつになったら終わるのか。


しかし騎士たちは、城主の前でトークできるというこのチャンスを逃がさない。いつまでもいつまでも
口達者に語りまくり、アピールしてのける。


「やめてえ」

円奈は、顔を両手で覆うばかりであった。

157


パーっとトランペットが大広間に吹き鳴らされると、騎士たちの長ったらしいトークはやっと終わった。


「よい!よい!」

城主は満足そうに言い、最後に自分が語った。

「聞いてのとおり、鹿目円奈こそはわれらが兵を奮い立たせわが国を救ったのだ。年も若き乙女だが誰よりも勇気があるのだ。
その勇気は卑劣な敵を打ち砕くほどであった。それはこの日、おまえたちのだれもが見ていたであろう。民を守り、アキテーヌ城の
名誉を守ったこの美しい乙女を讃えよ!そして今宵は、我自身の名誉にかけて、この気高き救国の勇者をもてなす餐宴だ!」


おー。

トランペットからまた、音が鳴らされる。


円奈はというと、生まれて初めて、穴があったら入りたいみたいな気持ちをテーブル席で味わって、
じっと顔を下にむけていた。

勇者とか、美しい乙女とか、戦いの女神とか、救国の天使とか、そんな呼び方は拷問のように恥ずかしかった。


カトリーヌが席でたちあがった。もちろん、頬や髪についた血は侍女たちにふき取らせた。カトリーヌは
水を浴び血を落とした。水浴びは桶に水を満たし、部屋で桶にはいって水浴びする。侍女たちがその水を
城内の井戸から満たす。

血のついた衣装は、いまごろ城内に暮らす洗濯召使女たちがごしごし洗っている。


「本日のメニューは」


と、今日なったばかりの魔法少女は、コット姿で(昼間の戦いのときとは別の毛織のコットである)、やわらかく
微笑んで、餐宴のはじまりを告げる。


「肉のコースと魚のコース。それにデザートです。ですが今回は多くの”仕掛け”を用意しているゆえ、
存分に今宵の晩餐を、楽しみください」



メニューを告げると、いよいよ食事のはじまりだ。

カトリーヌは席につき、城主や騎士たちも席につく。テーブルの上は、盛り付けの皿やトレンチャー以外は、
ナイフ類とちょっとした砂糖の装飾菓子しかない。


そう、ナイフしか使わないのである。

騎士たちはこのナイフをつかって、さらに並べられた魚やパン、鹿肉を一口サイズに器用にきりって、
トレンチャーにとりわけ、自分なりに口にするメニューをつくりあげる。

どれほど綺麗に、かつ鮮やかなメニューを自分のセンスでテレンチャーに表現できるかも、また騎士としての
アピールポイントの一つである。



円奈は自分のテーブルに並べられたものを見つめた。

テーブル自体は白いクロスがかけられていた。真っ白いテーブルクロスだった。

さらにその上に、”サナップ”と呼ばれるオーバークロスが掛けられたテーブルだ。

「す、すごい…」

狩りで食いつなぐ生活をしていた円奈に、この宮廷料理の数々は刺激が強い。



まずナイフが置かれていて、それから、トレンチャーという硬い薄切りのパンが五枚、あった。

トレンチャーは四枚が下段におかれ、五枚目だけが上に載せられていた。


このトレンチャーというパンにはスパイスが効いていて、彩色がほどこされている。たとえばパセリによる緑色、
サフランによる黄色、レッド・サンダルウッドによるピンクというようにだった。

円奈の前に用意されたトレンチャーはピンク色で、ひょっとしたら髪と目の色にあわせてきたのかもしれない。



「い…いただきます…」

とにかく円奈は空腹であったので、このトレンチャーを一枚手に取り、口に当てた。


すると食事をはじめていた騎士たち、城主、魔法少女、だれもが驚いた視線を円奈にむけた。


「…あれ?」

円奈は、トレンチャーのパンを歯にあて、みわりの人たちを見渡した。

アリエノールも驚いた顔して円奈をみていた。


「それはお皿なのよ」

と、アリエノールは小さな声で言ってくれた。

「その皿に好きなものをナイフで取り分けるの。食べるものじゃないわ…」


「…へえ?」


まさか目の前に置かれたパンが食べるものじゃないなんて想像もしなかったので、円奈は一瞬思考停止した。

けれども、騎士たちはテーブルのメニューから鹿肉をナイフで切り分け、トレンチャーに並べ、それを指で
食していることに気づき、自分の失態を思い知らされた。


「へう……」


落ち込んだ声あげ、トレンチャーを元に戻した。こんないい匂いのする、スパイスのきいたパンが、
食べ物ですらなかったなんて。まったく宮廷文化とは、円奈にとって、カルチャーショックだ。


トレンチャー自体は、たしかに食べ物だった。

だが城内の人はそれを皿として使った。皿として使い、食べ物をのせる。するとスパイスや魚料理のソースが
次第にパンにしみこんでいくので、その味がしみこんだ段階となってはじめて食べる。

それまでは皿なのである。


そして食べるトレンチャーも、五枚目の上段のパンのみであり、下段の四枚のトレンチャーは貧民への
施しにまわされる。


城の餐宴の主役あろうものが、貧民の食べるようなものに口をつけた。


しかし実際に円奈は、貧民かそれ以下の暮らしをしていたから、騎士の食事の作法などまったくわからず、
ここに晒した。


戸惑ってしまう城内の人間、とくに城主の妻は、はっと息をのんで信じられないわと呟く。


だが城主はこんなことは気にしない。


そんな微妙な温度差ある空気が一瞬ながれたなか、騎士の1人が語りだした。

 ・・
「皿は最後に食べるものですが、それをあえて最初に口にする演出ですぞ。アドルさま、あなたが用意
なさった仕掛けは、はたしてこれを超える仰天を我々に与えうるものですかな!」

「もちろんだとも。」

城主は椅子で騎士のほうに体むけ、答える。

「わしには自信がある。仕掛けはたっぷりだ。わが創意工夫を、こらしておるのだ」



「…へえっと、あの?」

二人の話についていけない。

だが城内の空気はやわらぎ、みな笑って、城主の仕掛けとやらにすでに関心が移っていた。


するとアリエノールがナイフを使って鹿の肉をとりわけ、円奈のさらに乗せた。

「なにも気にすることはないのよ。おたべ」

魔法少女は微笑み、自分もトレンチャーの上に乗せた食材を、指で楽しんだ。

「指は親指、人差し指、中指だけを使うの。飲み物をのむときは、小指をたてて。薬指で、唇をぬぐうの」


アリエノールは、騎士と城主が会話している影で、円奈にこっそり教えてくれた。

円奈はなんと食べることだけにルールの多いことだろう、と心でまいってしまいながら、でも、
香りただよう鹿肉のソテーを指でとって口にした。


こんなもの食べるのははじめてだ。


鹿肉のソテーは、獣や鳥や魚からとれた天然の脂肪や油を使って焼かれ、
香辛料で味付けされる。円奈が口にしたソテーを味付けする香辛料はサフランの琥珀色だ。


口のなかにひろがる、鹿肉のソテーの味だ。

「お、おいしいっ」

香辛料でピリっと辛味のきいた油やきソテーの肉を食べるのは初めてな円奈は、肉を噛み締めることに、
口に広がる味にしばし夢中になったあとは、けほけほとむせはじめるのだった。


しかし宮廷料理の真髄は、こんなものではないのだ。



「さて、前菜<アペタイザー>のメニューに入ります。」

カトリーヌがまた席をたつと、伏目な眼差しで説明しはじめた。

「本日の前菜は、デーツのシロップ煮、ポタージュ、果物、鹿肉です。」


魔法少女となっても、カトリーヌは晩餐ではメニューの到着をアナウンスする役目であった。

彼女は本日のメニューについてあらかじめ城主によってすべて教えられている。
カトリーヌはそれを覚え、タイミングをみて、次へのメニューを食卓へ運ばせるアナウンスをする。

いわば餐宴の進行役、司会役なのである。


カトリーヌから前菜のアナウンスが告げられた途端、大広間二階の楽団たちが、トラペットなどで
ファンファーレを奏でる。


円奈かびっくりして天井をみあげ、二階に並ぶ音楽家たちをみつける。トランペット!こんな楽器をはじめて
この目でみた彼女は、また驚かされるのだ。

その楽器の派手で華やかな演奏にも!


音楽とともに城の台所から調理された料理が運ばれてくる。

台所で調理しているのは、城に雇われている臨時料理人や、下働きの男たちであったが、それを運び出し上流貴人の食卓に
運び出すのは、騎士見習いの少年給仕たちである。


給仕たちは料理を、銀の大皿にのせて、ご馳走が運んでくれる。


ファンファーレの奏でとともに給仕たちは大広間に登場し、客人たちのテーブルの上にドーンとおく。

こうしてご馳走が運ばれたあと、給仕たちはお辞儀して、また台所へと戻る。



前菜と称して皿に並べられているのは、果物の数々だった。


シロップ煮の梨、デーツ、桃、りんご、いちじくといったフルーツの数々だ。


大皿は二人分の食材が載せられる決まり。逆にいえば、これだけ山のように盛られたフルーツが、二人分である。

席の隣同士で、この二人分の食材を二人でわけ、トレンチャーに取り分ける。そして二人で仲良く食する。


隣同士になっているアリエノールと円奈は、必然的に皿で食事をわけあうペアとなった。


これだけ色とりどりなフルーツの数々をみるのは、五年前のあの市場以来かもしれない。

だがあの時と今回で決定的に違うのは、今回はそれが、自分のためら盛られたフルーツだということだ。

円奈は目を丸くして、ぽかーんと果物の山を見つめている。


「わたしとあなたで」

アリエノールは微笑んで、シロップ煮のデーツを指でつまみ、口に運んだ。



すでにテーブルの男騎士たちはさらに盛られたフルーツを指で口に運んでいる。

ナイフで切り、一口サイズにし、すると優雅な指の動きで口にする。



円奈はといえばナイフは、狩りでつとらえた鹿の肉を切り刻むくらいしかしたことなかったので、
果物の裁き方は分からない。


むしろ、一口サイズにするまでもなく、そのままかじってしまうのが円奈の食べ方だ。



そんなわけで、シロップ煮のデーツやいちじくを食べることにした。


それはすでに最初からサイズが一口サイズである。

指で口に運び、口にする。


途端にフルーツの味がシロップ仕立ての甘さとなって、口の中に広がった。


「ふわ…!」

円奈は思わず口に漏らす。目を見開き、びっくりした様子で、口にしたシロップ風味のいちじくを味わった。
生涯味わったこともない風味を、口の中でころがしながら味わう。強烈な甘味であり、砂糖のどろどろした風味でりんごを食べた。



アリエノールが楽しげに、円奈の反応を見つめている。


アリエノールと円奈の二人は果物の盛られた皿を二人で取り分けた。

円奈はナイフで桃やりんごをきりわけることに挑戦し、何度も手を切りそうになって、アリエノールにとめられた。


そしてアリエノールに一口サイズにきってもらって、それを食べさせてもらったりしていた。


「ううう…」

なんだかお母さんに世話されてるみたいだよ。

本来は騎士と魔法少女だったら、この時代だったら、決まって騎士のほうが、魔法少女に食事を取り分けてやるのだが
これが全く逆の関係になっていた。


だがアリエノールは世話好きな少女だった。ことごとく円奈のためにナイフで切り分けて食べさせた。

円奈が恥ずかしがっても、アリエノール自身が楽しんでいるのであった。



騎士たちはというと、さすが普段こんな食事に慣れているだけあって、山のような果物の大皿を空にするのが
はやかった。

ナイフで切り分け、口に運び、あっという間に前菜を平らげる。


男たちは、やっぱり円奈やアリエノールより食べるのがはやかった。


円奈がフルーツの味を楽しんでいると、給仕たちが現れて、そっと円奈とアリエノールの隣に、ヴァージュース
という、果物の果汁ジュースが運ばれる。

これは未熟なぶどうや、酸っぱいりんごのジュースで、これを入れている容器は金属製のタンカード(把手つき
のコップ)だったり、ゴブレット(把手なし脚つきコップ)だったりする。


「わああ」

円奈はその果汁ジュースの登場に、また驚いた声をあげて見つめる。

りんごがジュースになった飲み物。生涯を通じて水しか飲んだことのない円奈は、これまたびっくりする。


円奈はそっと、本当にわたしなんかが飲んでいいのかな、と思いつつタンカードの果汁ジュースを、
飲んでみた。


どろっとした果汁のジュースが喉元をとおり、甘酸っぱい味が口いっぱいにひろがった。

「ふげっ」

それはおいしいというより、円奈にとっては、珍味であった。そもそも酸っぱい味覚の刺激が舌に触れるが、
人生初めての経験であった。


一度口にしたヴァージュースをすぐに口元からはなす。

アリエノールが楽しそうに円奈の反応を、横目で見つめている。


次に円奈が挑戦した食べ物は、まるめろというフルーツで、これまた初めて口にする果物だ。


これにも香辛料として人気のシナモンが多量に使用され、味付けされる。

多量のシナモンは、初めて香辛料を口にする円奈には、刺激の強いものだった。



騎士たちはもう前菜を食べ終えて、ヴァージースを飲み、鹿肉を食べる。驚いたことに、最初テーブルに
満載していた鹿肉、猪肉、雉のローストなどは、すでに騎士たちがすっかり平らげて、次々に空になった銀の皿が
給仕たちによって運び出されていった。


「前菜のメニューは以上です」


カトリーヌが席をたち、アナウンスする。「つぎは、アントレです。本日のアントレは、わがアキテーヌ家の
料理人たちが腕によりをかけた、」


カトリーヌがアナウンスすると、騎士たちはおーおーと手を叩いて、コース料理の次なる登場を歓迎する。


「”カーヴァー”と”パンター”が、もてなしいたします、ケイポンとミートパイ、ざりがに、孔雀、
鰻のソース添えです。」



アナウンスが告げ終わるのと同時に、大広間二階の音楽家たちがトランペットでファンフファーレを吹き鳴らす。

パッパーと、トランペットの愉快で陽気な音楽が、大広間の隅々にまで広がる。


しかも驚いたことに、大広間の入り口から登場したのは、新たなる音楽家たちであった。



新たに登場した楽団は、臨時的に城に雇われた人たちで、彼らはリュート(ギターのような楽器)、
ハープ、ダルシマー、笛、オーボエなどを奏でる。


こうして奏でられる楽器の種類はより一層増えた。食事のアントレーが運ばれてくる大広間の雰囲気にあわせて、
音楽がさらに音色のバリエーションを増して、盛大に演奏される。


城の酒宴がいよいよ音楽華やかとなり、城主は満足そうに席で笑う。


音楽がさらなる盛り上がりをみせるなか、新たに料理が大広間に登場、給仕たちに運ばれる。


今回の運ばれる料理の注目点は、意外なことに、料理そのものではなく給仕たちであるかもしれない。

ギターの演奏がはじまり、ギターのメロディーにあわせて笛が吹かれるなか、給仕たちは、運ばれた料理を、
まず食卓テーブルにはおかずに、”ドレッサー”とか”サヴェイシシング・ボート”とよぶ特殊なテーブルにおく。


ここでは料理の最後の味付けや仕上げ、つまりドレッシングやソース、肉切りといったことがなされる。


カーヴァーとは、肉切り係のことで、騎士見習いたちは、騎士や貴婦人、城主がそこにいるという
プレッシャーのなかで、決められた料理方法に則って最後の調理を仕立て上げる。



騎士見習いの子たちは、戦闘訓練だけでなくこうした宮廷作法も、実際に給仕をすることで幼いころから学ぶ。



さてケイポンという去勢した雄鶏を、調理する騎士見習いの給仕はこれを切り分けて、ワインとスパイスを
効かせたソースを混ぜいれて、細かく刻んだ左の手羽元だけを貴人たちに差し出す。


ミートパイは、熱いときには上の部分にナイフを入れて熱い空気を逃がして供する。逆に冷めているときは上から
真っ二つにナイフをいれて供する。


小鹿や仔山羊の肝臓は、ご馳走であった。給仕たちはこれを、あばら骨一本添えてテーブルに出す。

ざりがには、腹部を下に切り裂き、身をとりだして汚れを落とし、身を落とし、はさみも叩き潰して、
パンを殻につめこんで完成だ。



円奈の前に料理が運ばれてきた。

細かく刻まれた手羽先は、きれいに切られていて、形がよかった。

手羽先の肉から立ち昇る湯気から、ワインやスパイスの香がたちのぼって、鼻をくすぐる。


「わっわっ」

円奈は、慌てた声ふげて、あっつあつに焼けたスパイスとワイン仕立ての手羽先を見つめる。

すると次に給仕によって運ばれたのは、またもあつあつの、熱い空気が切れ目から湯気たつミートパイ。

つづいて、これまたこんがり油焼きされた鹿肉に、香辛料をどばっとふりかけたじゅうじゅうと音立てる肉料理。


笑い声と談笑にみちあわれていて、騎士と城主たちは、肉料理のご馳走を口にしながらグラスでワイン酒を喉に通し、
顔を赤くしながら、楽しげに会話をつづける。



円奈はミートパイを指につまみ、口に運ぶ。

「お、おいしいっ」

顔を満面に綻ばせて、席で嘆息を漏らした。

ミートパイの料理をまたゆっくりと、口に運ぶ。

「ほふっ」

アリエノールからみても、遠慮がぬけた円奈は食事を楽しみ始めていた。幸せそうな声を、料理を口にする
たびに漏らし、そのたびに顔をニコリと綻ばせる。

とにかくどの料理もあたたかい。

「は、はふう」

さらに円奈は、給仕の騎士見習いによって運ばれた、内臓料理を口へ運んだ。

内臓料理は、豚や羊、魚の胃をとりだしたもので、肉や卵、スパイスが詰められた料理。


円奈が食べたのは、羊の胃に、鳥肉と豚肉をつめて、チーズ、卵、スパイス類を詰めて焼いた
料理だ。

スパイスはミント、にんにく、胡椒、アルコストなど、多種多様なものを同時にドカーンと入れる。

火を通した料理にエイゼルワインを加えて味のできあがりである。


この内臓を調理した料理を口にした円奈は、肉とチーズの味、ぴりっとしたスパイスとワインの味付けを、
噛み締めて堪能していることだろう。


「ほふ」


城雇いの料理人がつくった内臓料理を口にした円奈は、その口いっぱいの味に、満たされていた。

めいっぱい惜しみなくふんだんに使われた多種類スパイスとワインの贅沢な風味は圧倒的だ。


わたし、なんで、こんなしあわせなものをたべれるんだろう!

そんな気持ちでいっぱいで、もう、わけわかんなくて、15年間狩りばかりしている円奈には、夢のような
味が口に満たされていた。



アリエノールが、円奈があまりに幸せそうに食卓を楽しんでいるようなので、自分まで楽しさいっぱいの
気持ちになってきた。こんな気持ちは、久々であった。


「どうやら鹿目円奈は、楽しんでくれているようかな!」

円奈も満面な微笑みと反応はさすがにテーブルで目だって、城主の目にとまる。それはもちろん、城主を、
満足させ喜ばせる。


城主は得意げな口調で円奈にたずねる。「料理はいかがかな?」


「城主さん、すっごくおいしいです!」

円奈は即座に答えた。おさえたくても笑みが顔からおさまらない。「わたし、こんなおいしいもの、
たべたのはじめてです!」

それは心からの言葉であった。


「そうか、そうか!」

城主は円奈の返事になおさら得意げになる。それからこのように言った。


「だがの、鹿目円奈よ、救国の騎士よ、」


騎士たちが城主のほうをむいて笑う。

テーブルの騎士たちは、城主が喋りだしたら、きちんと彼のほうに体をむけて、顔で反応を示すことを忘れなかった。


「この料理はほんのお口汚しで、本当のおもてなしは、これからなのだよ!」



「ふぇぇぇ…」

円奈はもう、ガーンと頭たたかれた気持ちで、へなへなと席の背もたれに腰ついた。

「もうすごすぎるくらいなのに…」


隣の席でアリエノールが声あげずに顔で笑っている。


そう、そうなのだ。

これは城として料理をだしただけ。


城のおもてなしとは、こんなものでなく、客人をおどろかせ仰天させるもの。


その本番がいよいよはじまる。

パーティーも最大の見せ場となるのだ。

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それからも円奈は、口にしたこともない宮廷料理の数々を、楽しんだ。


鰻のソース添え。

鰻は、そのままの姿で料理になっているのでなく、細やかに叩いて作る料理だ。

ソースは、赤ワインにシナモンで風味づけたものから、パン、シナモン、ジンジャー、砂糖、
クラレット・ワイン、酢などを、粥のようにどろりと混ぜ合わせつくる。

それから、グリーンソース添えの魚料理も口にした。


グリーンソースは、さまざまなハーブ、パン粉、酢、胡椒、ジンジャーほ取り合わせた芳ばしいソースで、
辛口のワインをあわせてつくったものだ。


あつあつでとろとろに煮込まれた細切りのウナギを、香ばしさたっぷりのワイン風味ソースでめしあがれ!


「はうっ……!あ!」

口にするたび、円奈は、んふっと声漏らして、贅沢すぎる風味に幸せに微笑んで、豪勢な料理ひとつひとつを
ゆっくりと味わう。

料理されているものを食べるとはなんと幸せなことなんだなあ。

母親すら亡くして育った鹿目円奈はそういう気持ちに浸った。


口の中でスパイスとパン粉ふくめた胡椒風味のワインソース味の絡んだ細切れのウナギが舌にとろけた。


他の騎士たちみたいに、猪のソテーや、魚のマスタード添え、りんご酒、シロップ煮梨、鶴料理などを、
ばこばこ口に運びまくるのでなく、初めて口にする料理の数々を、ひとくちひとくち、じっくり味わっては、
そのたびに、料理のありがたい味に感動し、幸せの気分に浸った。


「さて、次のメニューはいよいよお待ちかね、」


カトリーヌが席をたって、アナウンスをはじめた。

ついに騎士たちはおーっと大声あげ、パチパチパチ、拍手しはじめた。


「われらが城主のアドル・ダキテーヌが、創意工夫をこらしたメニューになります。」


おおおおっ。

騎士たちは大声あげ盛大に、城主の考案料理の登場に、喜んで騒ぎたてる。


城主はわっはっはと席で笑っている。もうワインで顔が赤い。



城の音楽家たちが、ファンファーレを奏で、盛大な音楽が吹き鳴らされるなか料理が登場する。


給仕たちが銀の大皿に料理をのせて、テーブルに持ち運んでくる。



「うわっ!」

それをみて円奈は、料理のあまりの見た目に、驚いた声をだすのだった。


孔雀!

そう、孔雀がいきたままそこにいた!

それも生きたままの姿で、料理になっている。


そのなかはもちろん、きっちり料理されていて、丸焼きにされている。丸焼きにされているのに
どうしてこれが、生きたままの姿であり、孔雀の羽の色はそのまま、あの色とりどりな虹色の模様の羽が、
その存在を誇示しているのだ!


こんがり焼きあがった肉でとても焦げた香りが鼻を刺激するのだが、不思議と見た目では色模様のある孔雀の生きた姿のままなのだ。


なのに孔雀の肉はいうと、こんがりローストにされており、しっかり火を通している。火を通したはずなのに、
生きたままの孔雀の虹色の姿が、ドーンと食卓におかれる!


ローストは、城の台所で大鍋で調理される。

焼き串に孔雀の頭部を刺して、火のなかで丁重にくるくるまわされ続ける。均等にどの部分にも火が通るようにだ。


にも関わらず羽が生きたままで飾られている秘密は、単純で、ローストにするまえにこの羽一本一本を
料理人が抜き取っていたのだ。


抜き取ったあとでローストにし、こんがり焼き、そのあとで抜いた生前の羽をまたくっつける。


”生きたローストチキン”のできあがりだ。



表面も虹色の羽、尾羽根も虹色の羽に彩られたローストチキンは、騎士たちがナイフで切り取って、
トレンチャーに載せて食する。


トレンチャーもこのころになると、マスタードやグリーンソース、フルメンティがしみこんで、味が
つきはじめていた。


だが城主の創意工夫なる、おどろきべき料理は、まだまだ運ばれてくる。


こんど登場したのは、鳥の上半身と豚の下半身をたくみに縫い合わせてローストした、
”世にも不思議な獣のロースト”を食卓に召す。


まさにそれは、頭部は鳥だが体は豚という、驚きべき姿をした獣のローストであり、みる者をおどろかせた。

もちろんローストはあつあつに丸焼きされて香りが芳しい。城の食事空間を満たすほどだ。


摩訶不思議な料理は、次々登場する。


パン、鳥、果物、あらゆる食材が、なんと金ぴかになっている。そう、金色に輝いているのだ!

だかこれは純金ではない、立派な食材であり、料理である。

まるでテーブルクロスのしかれた食事テーブル風景が、黄金の料理に包まれてぴかぴかと光を放つような光景だ。


食材の数々が金ぴかになっているこれは、この時代の料理人に”金めっきをする”と呼ばれている手法の
料理で、文字通りこの手法にかかった食材は金ぴかになる。


その材料はいろいろあるが、順にあげていくと卵、サフランなどの黄色の香辛料に、たんぽぽの色素で表面を金色に
塗る、ジンジャーパウダーに硫黄を混ぜる、など材料をつかって、立派な金色に見えるように丹念に塗る。


とくに卵は大量につかい、そのとろみをふんだんに使って、つやつやにした。


これは料理における錬金術であった。


まるで黄金でできた食材がテーブルに並んでいるかのように錯覚する演出となる。



奇想天外なご馳走は、城主が客人に驚いた顔をみたいがための創意工夫であり、客人をもてなす城主からの
サプライズである。

挽き肉のミートボールをパセリとはしばみの葉のような緑色の素材で着色し、”青リンゴ”にしたり、
魚の卵を豆の絞り汁で染めて、本当の豆のようにみせかけたり。


見た目の色と、実際の食材がまったくちがうので、食べてはじめて口にした者はおどろく仕掛けだ。


こうした色とりどりな食材の数々は、アリエノールたちには慣れっこだったが、円奈は目を見張るばかりで
あるので、城主は楽しんだ。



だが、極めつけな奇想天外料理が、いよいよ円奈の前にだされた。


それは見た目はパイであった。

さんざん妙な色あいの食材をだされたあとで、一見ふつうな料理が出たので、円奈はやっと落ち着いて食べられる
と思って、ナイフをパイに入れる。


「わあああっ!!」

そして円奈は、次の瞬間、びっくり仰天、心臓がとまるんじゃないかと思うほど驚愕した。

大広間じゅうに轟き渡るんじゃないかという声をあげ、城の注目を集めた。



パイにナイフをいれたら、なんとそのナイフの切れ目から小鳥が飛び出してきた!

ぴよぴよぴよと鳴いて鳥は、パイから飛びだして、円奈の顔面の前を通り過ぎて、城の大広間に舞う。


「わはは!」

城主は、想像以上な円奈の反応ぶりに、またも満足するのだった。城主は笑い、円奈に呼びかける。

「おどろいたかな!」



いまも円奈たちの頭上でぱたぱたぱたと大広間のなかを飛び回っている。

この生きた鳥が、パイのなかにいて、中から飛び出してきたのだ。



食しようとした料理の中から生きた鳥がでてくる、とんでもない仕掛けであった。


「びびび、びっくりしたあ!」

円奈は、胸を手でつかんで、今でも動揺している。その頭上を鳥がばさばさ、飛び回る。


騎士たちはげらげら笑った。生きた鳥がパイに仕込まれている演出は上流階級のなかでは定番で、
お約束だったのに、異国の少女騎士ときたら本当に心から驚いているようだ。


「そ、そ、そういえば…」

円奈は、アリエノールがかつて城の外壁通路で歌っていたのを思い出す。

「黒ツグミがパイのなかで歌いだすって……」


”ポケットいっぱいのライ麦と24羽の黒ツグミをパイの中に焼きこんで──”


”パイを切ったら黒ツグミが歌うのよ”


アリエノールは円奈の席の隣で、微笑んでいた。「本当でしょう?」


「……まさかこの目で本当にみる日がくるなんて」

円奈は苦笑して、金ぴかな鳩のローストやミートボールを、丁寧に口に運んだ。


「おいしい…っ!」

口にすると、にっこり微笑んで、幸せそうに味を噛み締める。

金ぴかミートボールという黄金の肉団子を口にする。サフランいっぱいの風味とたんぽぽの花びらの香りと、じゅうじゅうに
焦がれた肉汁のあつあつを口のなかで味わった。



つぎつぎ登場する奇想天外な料理にはびっくりさせられてしまうが、円奈は、ひとつひとつしっかり口のなかで、
味わいながら、食していった。


へんてこりんな料理の数々はこうして遺憾なくその演出ぶりを発揮し、主役の円奈をおどろかせ、
目を見張らせ、生きた鳥パイのドッキリは大成功。



するとカトリーヌが、コース料理も最後の段階にきたことをアナウンスした。


「いよいよデザートです。プディングにストロベリー、アーモンドミルクです。」


吟遊詩人たちがギターに似たリュートを弾き、笛を吹き、大人なしめ演奏の音楽とともに、給仕たちによって
最後のメニュー、デザートが持ち運ばれる。


ところがこれがまた、デザートと呼んだとき普通人が連想するような、生易しい料理ではなかった。


登場したのは、超巨大なプディングであった。


どれくらい巨大かというと、席についた円奈が、みあげてしまうくらいの大きさである。


城主が身を見張っている。こんなものは、我が予定していたデザートに、なかったぞ!という顔をしている。


そう、この巨大プディングの仕掛け人は城主ではなかった。ある別の人物による策謀である。


給仕係りが何人も協力しあって、プディングをドカーンとテーブルにおく。



すると食卓につくもの全員がみあげてしまうような、特大プディングがそこに現れた。



プディングは牛乳とアーモンドミルク、ハーブ、ナツメヤシの実、卵、ビネガー、ナツメヤシの実などを
煮た料理で、プリンと呼ばれるデザートの一種ではあるが、その見た目はおどろおどろしい。


まずプディングは牛乳とアーモンドが主で、味付けが香辛料だったから、見た目は白色にアーモンドの
色がまざったクリーム色。


べたべたしたクリーム色に、真っ赤ないちごがプディングの上に盛り付けられ、
バラの赤い花も、添えられていた。


つまり、クリーム色の巨大なプディングに、点々と赤色がぶつぶつと浮かび上がっているような、不気味で
おどろおどろしいデザートである。


「これはおどろいた!」

城主は、巨大プディングをみあげ言った。


円奈もぽかーんと言葉なくしてデザートを見つめている。


はじめに動き出したのは、アリエノールだった。


スプーンなんてないから、手で巨大なデザートを掴みとり、指でそっと口に含む。

「おいしいわ」


牛乳をアーモンドで煮て、香辛料で味付けしたそれを、アリエノールは堪能した。

おいしそうに魔法少女がプディングをたいらげるので、円奈もこのデザートに挑んでみることにした。


「よ、よお…し」


手でクリーム色のプディングに、手を伸ばす。


「た、食べるぞお…」


びちょびちょしたクリームをつかみとろうとした、そのときだった。


「わたくしは救国の乙女騎士、鹿目円奈殿と、ぜひお話したく、ここに参上いたします。」


巨大プディングが形を崩した。

クリームが詰められたプディングのなかから、甲冑姿の騎士が飛び出してきた!


騎士はぐしゃっとプディングを崩して、中から現れ、全身プディングみまれの鎧姿で登場する。


「初めてお目にかかります、鹿目円奈殿。わたくしはアドアス、きょうガイヤールどもと戦い、あやうく
死ぬところであったアキテーヌ家の騎士でございます。」


剣を大広間の天井へむけ、ろうそくの火に煌かせたあと、ふたたび鞘にしまう。


それにしてもなんたる度肝をぬく登場の仕方であろう!


「アドアス!」

カトリーヌもさすがにこれには驚き慌て、共に昼間たたかった騎士の名を叫んだ。

それから目を見張って、話しかけた。「傷は、大丈夫なの?」

「ええ。おかげさまで。」

アドアスはカトリーヌのほうに向き直って、答えた。プディング塗れの鎧が、がしゃっと軋んで動く。

「地獄から舞い戻ってきましたよ。あなたが、魔法をかけてくれたおかげです。それにしても、
タイミングを見計らって、プディングから出たかったので、それまでずっと中に潜んでおりました。
せっかく助かった命も、プディングのなかで窒息してまた落とすところでしたよ。」



ははははは。

貴婦人たち、大爆笑。大うけである。


さすがの城主もこれには苦笑いし、テーブルクロスをプディングまみれに撒き散らした食卓をみて、
掃除が大変だろう、と思った。


いっぽう席にいた騎士たちは、すっかり面食らっていた。


結局いいところは、このアドアスという騎士が独り占めにしてしまう!


予定にないこの巨大デザートは、つまるところアドアスの策謀であった。


「もう、なんでこんなこと」

カトリーヌは呆れ顔でつぶやくと、額に手を寄せた。頭痛でもかんじてそうな表情だった。


「わたくしなりの、国をお救いくださった異国の乙女であらせる鹿目円奈さまへの、おもてなしでございます。」

甲冑も顔も剣も、プディングまみれてぐちょぐちょの騎士は笑う。


テーブルの上に現れた騎士はまた身をくるりと翻して、円奈をみた。


「…ほひ」

円奈は騎士に見つめられて変な声をこぼした。


アドアスは、円奈の前に片膝をつき、胸元に手をつけるとお辞儀した。

「われらが国と騎士たちそしてカトリーヌさまをお救いくださったと。それを聞きまして、わたくしは、
いてもたってもいられず、プディングのなかにこの身を投げ入れました」


貴婦人たちまたも爆笑。


円奈は、困った顔をしている。


「ここに感謝の意を述べます。国を民をカトリーヌさまを、そしてアリエノールさまをお救いくださった
あなたに栄えあることを!」


「そうだそうだとも、アドアスよよくぞいったぞ!」

城主がまず食いついた。バンバン手を叩き、顔を赤くしながら、大きな声で話す。

「わしは見ていたぞ。この乙女の戦いを!おまえたちアキテーヌ騎兵軍を救ったのを!鹿目円奈は救国の騎士だ」


パチパチパチパチ。

城のテーブルの者どもは拍手し、音楽家たちはトランペットを吹き鳴らした。


「もう…そんな、いいのに…」

食卓のテーブルに現れた大柄の騎士の男にすっかり戸惑いながら、円奈は照れる。

「アリエノールさんの護衛にでた騎士として、戦いにでただけだから……」


「そう、そうです!」

しかしアドアスはそこに食いつく。

「あなたは異国の騎士。我らアキテーヌ家の騎士でなくて、アリエノールさまと魔法少女と騎士の契りを
結んだと。いったいどこでお二人は?」


つまりどこでどのように出会ったのか、という経緯をたずねられているらしい。

「森で会ったのよ。旅の方なの」

アリエノールがすぐに答えたが、さっきまでの楽しげな表情は顔から消え、どこか不満そうに眉よせていた。

円奈とのことを他人につけ込まれたくないみたいだ。

「旅のお方、なんと!どちらに?」


円奈は席で答えた。

「神の国です。エレムの地です」


「神の国?」

城主が妙な顔つきをする。


騎士たちは首をひねり、アドアスは驚き顔。

円奈の対面の席のカトリーヌは息つめたように、目を丸く見開いて円奈をみつめた。


「神の国とは、なんだ?」

城主はワイン酒で顔を赤くしながら、たずねてくる。

「その…なんていうか」

円奈は、意外にもここの人たちが聖地のことを知らないでいるので、少しばかり途惑ったけれども、
説明の言葉をさがして、語り始めた。


ところが呂律が思ったほどまわらず、頭がぐわんぐわんしている。城の味付けに使われた多量の香辛料や
ワインが、円奈の頭にのぼってしまったのだろうか。


「聖地です。世界の魔法少女のひとたちが、救われる場所とか……なんとか……わたしにも
よくわかってないんですけど…」


「きいてことありますな」

アドアスが言った。考えるような仕草みせてから、その口で説明しはじめる。

「魔法少女の巡礼地…ええ、そういわれてるそうで。いやわたくしは男ですから、魔法少女の巡礼というのは、
なににどう祈るの巡礼なのか、わかりませんがね!ですが世界の多くの魔法少女がはるばる、
その地へ巡礼に命かながら出かけ、かえってくる話はききます。命かながら!ええそうです、巡礼をしたという魔法少女から、
その話を、わたくしは、ききました。」

「”円環の理”です」

するとカトリーヌが話し始めた。

「いまの世界は、その地の奇跡によってつくられたという伝説が、魔法少女のなかで語り継がれています。
わたしども魔法少女は、いつか円環の理に導かれて”神の国”へゆくのです」

魔法少女たちは、いつか訪れる円環の理に導かれてたどり着く先のことを、神の国と呼ぶ。

ソウルジェムが濁りきって消滅することを死とは呼ばず、神の国へいったと言う。


「わしもそういう話はきいたことあるが……」

城主はしかめっ面で考える顔をして語る。

「その”神の国”を、目指すのか?鹿目円奈よ」

「はい」

円奈は、そこだけははっきり答えられた。「わたしの目標なんです」


「その神の国とやらはどこだ?」


「エレムの地。東世界の大陸ですよ」

別の騎士が話した。「ここから2000マイルは遠いのでは」


「2000マイルだと?」

これには城主も驚いた様子をみせる。

「そんな旅してるのか?1人で?」


「最初は領主さまだった魔法少女と、村人たちと一緒に、旅にでてたんですけど…」

円奈は、バリトンを旅立ってからの旅路を思い出して語る。

「ファラス地方の森でいろいろあって…わたし1人になってしまいました」


「あの無法どもの巣か」

騎士の1人がため息ついて呟く。「わたくしは、そこの無法者を討伐する仕事を請け負ったことがありましたぞ。
野蛮で、騎士道精神のかけらもない、魔女どもの巣でした。あんな場所を通ってきたとは、心中察しますな!」


たしかにファラス地方での人たちは恐い人がたくさんいた。

捨てられた子供たちを集め盗賊団を形成していた黒い鎌の魔法少女、その奥で続けられていた魔法少女同士の
縄張り争い、いろいろ…。


「あの地ではもう何百年と、エレム国とサラド国が争っているとか」

騎士の1人がまた言った。

「巡礼地として多くの魔法少女が集いますが、平和とはほど遠い地域」


「何百年も?たしかに大したもんだ!」

城主も腕くみ、世界の聖地について考えを巡らせた。

「なぜそんなに戦うね?」


「さあ私どもには、わからぬことでございます。」

騎士は伏目で丁重に、城主に答えた。結局エレムの地とは魔法少女の聖地であり、遠い国の男には、
わからぬことなのであった。


「しかしまあ、」

城主が話し出す。

「鹿目円奈がそこを目指すなら、わしどもはその無事の到着を願うばかりだ。鹿目円奈よ、そなたは、
これからどのような道を通り神の国をめざす?」


「ん、と…」

円奈は話を振られるとどうも緊張してしまう。

どもりながら、ゆっくり説明をはじめる。

「裂け谷を通って港へでるんです。港からエレムの大陸に…」


「そこは、エドレスの国王エドワードが治めている城がある。」

城主は円奈をみて、指差し話した。

「エドワード城だ。そこを通らなければ、港にはつけぬ。大陸がぽっかり割れていてしまっているからな。
裂けてしまった陸は、エドワード城が橋渡しをしている。許可なくて城は通れん。だが安心せい。わしから
通行許可状を書こう」


「あ、ありがとうございますっ」

円奈は、嬉しそうな声あげ、思わず席を立った。


よかった。どうやら裂け谷のエドワード城というのは許可なく通れないものらしい。

でもこの城に傭兵として雇われたおかげで、通行許可状がゲットできた。


これは円奈の旅路に大きな希望をもたらすアイテムになりそうだ。


いっぽうカトリーヌは、エドワード王のことが話題にでたので、昼間の戦いでギヨーレンに告げられた
あの言葉を思い出した。


エドワード王は気を病んでおられる…


「エドワードさまは今もご健常で?」

カトリーヌは口にだし、城主にたずねてみた。


すると城主は、前に受け取った国王からの手紙を思い出し、顔をしかめたあと、ちらりと大広間の彫刻を見つめて、
それからぽつりと言った。

「今も国を発展させておる」

カトリーヌは城主がチラと目をむけた彫刻をみあげた。つられるように。


そこには、馬にのった魔法少女が老いた魔女の首に槍を刺して、やっつけている場面が描かれていた。


ああ、わたしもあんな魔法少女にいよいよなったのね、と心でおもった。




でも、魔法少女が倒す魔物は魔獣であって、魔女じゃない。そこは誤解だ。



「鹿目円奈殿、あなたはどうやってあの弓術を──?」

アドアスは話題を変えて、円奈にたずねた。

「きけば、城からあの戦場まで矢を飛ばしたそうな。まことなので?」

「そうともわしはみたぞ!」

この話題には、すぐに城主ものってきた。円環の理だ聖地だ、そういう話はいまいち、人間たちの場では
盛り上がらない。

そんなことより、今日の戦いの話だ。


「中庭からギヨーレンまでひとっ飛びだ。まったく驚いたよ」

城主は今日見た円奈のロングボウ技を思い出しつつ感服したように語った。


「300ヤード以上はありますぞ。わが兵にはそれほど飛ばせる弓兵はおりませぬ」


「ロングボウだ」

城主は言い、それからチラと円奈を見やった。

「世界最高の射手だ」


「そ、そんなこと…」

円奈は頭髪に手をのっけて照れる。


「あんなに矢が高く飛ぶのは初めてみた!」

城主は席から立ち上がり、興奮気味に口で語った。

「空に届くかと思ったぞ。晴天の遥か雲にまで飛んだのだ。そして憎きギヨーレンへ!
おまえたちにも、見せてやりたかったぞ!」

ぶかぶん指先をふるって、高らかな声でそう話す。

「であれば、明日にでもまた、鹿目円奈殿に射てもらうとしましょう」


ハハハハ。

騎士たち、城主が笑う。


「いやあ、ちょっと、それは…」

恥ずかしいよ。


「鹿目円奈殿、あなたの国バリトンては、長弓隊の射手を養成しているので?」

軍事訓練ではなく狩りを生業としてロングボウに長けた鹿目円奈は、軍隊のように止まった的を射るよりも
生きた動物つまり動く的を射てしまうので、その鍛えられた弓技は今日の戦場でいかんなく発揮されたのだった。

騎士にたずねられ、円奈はまた緊張する。

「いえ……私がただ、矢の練習はじめただけなんです。”魔法少女ごっこ”で……」


そこで自分が口を滑らせたことに気づいた。


「魔法少女ごっこ?」

城主が驚いて聞き返し、それから声上げてわらいだした。

「ははは。まったくおもしろい小娘だおまえは。」

騎士たちも笑っている。


これには円奈はしまったという顔をして、それから顔面を真っ赤に染めて、俯いてしまった。

カトリーヌとアリエノールすら笑って、口元を手で隠している。


「いやいやしかしわたくしの息子どもも、”騎士ごっこ”をしているのでございます。」

騎士の1人が笑いながら話し出した。

「そう、騎士ごっこですよ、いま子供たちのあいだで流行の。二人ひとペア、1人が馬役、1人が騎士役、
そして別の騎馬ペアと棒でつきあうものです。いやまったく、かわいいものですよ」


「そうだな、わしも子供どもがそんな遊びしているのをみた」

「とはいえ、魔法少女ごっこは初めてききましたがね。」

騎士たちはまた笑い出してしまい、その場の者全員が、笑いをこらえきれずにクスクス声を漏らした。

「わか国にも、魔法少女ごっこを流行らせましょう。」

別の騎士が提案した。

「さすればわが国にも、長弓隊の射手が養成できます。なんとすばらしいではありませんか!」

さらに笑い出す騎士、魔法少女、貴婦人たち。


「も、もうやめてよぉ!」

さすがに円奈は叫んで、顔を真っ赤にして、手をぶんぶん振って降参の意を示した。

「わたし小さな頃、成長して女の子になったら魔法少女になるって、思い込んでたの。なったら弓矢使うんだって、
それで……」


「なるほど。たしかに気持ちはわかりますな。私も騎士見習いだったころは、騎士になる自分を想像して、
よく、木の棒を槍にみたててふりまわしたものです。」


はっはっはっは。

酒の入った騎士たち、城主、魔法少女たちはまた笑う。貴婦人たちも、手の動作つきの騎士の話につられて、
クスクス笑った。


「も、もう、からかわないでください!」

バーンと両手をテーブルに叩きつけて、大きな声でいった。

その顔は赤かった。


「しかし実に、昼間の戦いの鹿目殿の姿は、果敢でありました。」

からかっていた騎士は突然、真面目な顔つきに変わって、そう話した。

「私どもは鹿目殿に奮い立たされて、敵のクロスボウ隊に突っ込みましたが、その先頭で馬を走らせたのは
鹿目殿です。」

トンと指先でテーブルを小さく叩く。


貴婦人たち、城主、騎士たち、魔法少女の姉妹二人。みな円奈をみる。


「ふえ?」

顔を赤くして抗議していた円奈が、目を見開いて騎士のほうに顔をむけた。


「考えてもみてください。クロスボウ隊に正面から突っ込む勇敢さ。勇ましさです。そして、クロスボウは
卑怯極まりない武器ですが、まぎれもなく恐るべき兵器です。しかし鹿目殿の弓の前に散り散りになりました。
それを後ろからこの目で追えた栄光、まったくもって、すばらしい。あなたが女として生まれたなら、すでにその勇気があれば、
もし魔法少女になるとあらば、最強の魔法少女にだってなれる戦士の素質があります。鹿目殿には胸を張っていてほしい。
私の心からの想いであります。」


「そ…そんな…」

円奈の抗議に荒げていた声は、しだいに照れた声へと変わった。

「そうかなあ…?うへ」

ピンク色した頭髪を撫で、変な声あげながら、こんどは別の意味て顔赤くして笑う。「うっへへへえ」

もし魔法少女になれるなら最強になれるだろう、とまでいわれて、悪い気しないはずない鹿目円奈だった。


「やっと笑ってくださいましたね。」

すると騎士は円奈みつめながら、やわらかく微笑んで、告げた。

「パーティーがはじまる前は、顔を下にむけっぱなしで、わたしどもの話を、まるで苦痛のように感じられて
おられた。しかし私どもの声は、やっとあなたの心に届いたようだ。」


「えっ…と」

円奈は一瞬きょとんしとしたが、騎士にやわらかく微笑みかけられているうち、だんだん意味がわかってきた。

「……あ」

魔法少女ごっこの話で、こうもひっぱってきたのも、円奈に抗議をあげさせて、パーティーの会話にひっぱり
だす作戦だったのかもしれない。

そしてようやく円奈が抗議の声あげたところで、改めて円奈を讃える気持ちをここで述べる。

騎士はそこで、やっと心に届いたと。そういっているのかもしれない。


「あ…ありがと」

静かに礼をいいながら、円奈はゆっくりと、席についた。


「胸を張るのです」

騎士はふたたび、円奈向けて、優しく言った。「俯いてしまうのでなく、胸を張ってほしい。あなたは勇気に満ちた騎士です。
もっと自信を持ちなされ!」


「よくやったぞ、グレイヴゼンドよ!」

城主が、今までで一番嬉しそうな声で、騎士の名を呼んで褒めた。

「わしらが、どれほど語ろうとも、とうの鹿目円奈は、苦痛そうにしていた。だがやっと、正面から
我々の気持ちをきいてくれたようだ。それでこそ、われわれの今日ももてなしも、意味があったというもの。
さて鹿目殿よ、我々のおもてなし、満足してくれたかな?」


「あえ…あ」

席でまた緊張してしまう円奈だったが、ここはとごくり息をのみこんで、席をたって話しはじめた。


「こほん…えっと、みなさん、ありがとうございます。すごく料理もおいしくて、いろいろびっくりすることも
あって、楽しかったです。こんなことは生まれて初めてでした。こんな場に招いてくれて、嬉しかったです…」


話し終えて、席つきながら、不安げに視線をきょろきょろ泳がせる。

こ、こんなかんじで、いいのかな…?

上流階級の催すパーティーに引っ張り出されて、自分の発言に自信がもてない。


「胸を張るのですよ。鹿目円奈さま」

グレイヴゼンドと呼ばれていた騎士が、優しく微笑んで円奈にいった。


「国を救った乙女の騎士、鹿目円奈さまが楽しんでださったようだ!」

おー。

吟遊詩人たちの音楽がならされる。笛、ギター、オーボエ。いっせいに奏でられる。

「さて、フィナーレとしよう!デザートだ」

城主もいうと、彼らは、運ばれてきたデザート料理に口をつける。



デザートは、”ストロベリー”という、いちごを赤ワインで洗ったあと、ライ麦でアレイ
(量の多少によるあじつけ)したあと、サフラン、胡椒、ジンジャー、シナモン、ギャリンゲール、
そして砂糖をたっぷり加えられたデザートである。


他にもウェースハースという菓子が登場した。蜂の巣を模したもので、鉄板同士のあいだで焼いた
薄焼き菓子である。その食感はパリパリだ。貴婦人達に大人気の菓子で、ワインとともの食するのが普通だ。

円奈も遠慮がぬけて、この菓子や、ストロベリーを食した。

騎士たちは談笑し、それが終わると吟遊詩人たちからハープを受け取って、即興の詩をその場で歌い上げる。


アリエノールからワインをすすめられて、円奈は飲んでみたが、すぐにべーっと舌だして飲むのを諦めた。

横で見ていたアリエノールは笑った。


酒宴も終盤にちかづき、蝋燭の火も弱くなってくると、暗くなってきた雰囲気のなか騎士たちは吟遊詩人
たちからハープをうけとって順番に歌を披露する。


手持ちサイズほどのハープを手に、即興のメロディーをその場で奏で、詩にのせてうたう。


コロンコロンとハープをかなで、目を瞑り、詩をうたってパーティーの最後に音を飾る。



するとカトリーヌが、そっと席をたった。

プディングまみれの大広間を歩き、廊下へむかった。


「どこへ?」

アリエノールが妹をそっと呼び止める。

するとカトリーヌは顔で笑って、「外に」とだけ答えると、廊下へでた。


「カトリーヌ?」

アリエノールは心配そうに、妹の出ていく姿をみつめる。


その隣では円奈が、ストロベリーのデザートを頬張って幸せな顔をしていた。

159


時間帯は深夜にちかづき、月も真上に昇る頃。


城の外ではお祭り騒ぎがつづいていた。

そう、農民たちの祭り騒ぎだ。


開かれた城内の中庭にはたきぎが燃え、赤々と火が燃えている。
農民たちはワイン酒を飲み、音楽にあわせて夜通し踊りつづけて。


農民の女たちが笛を吹き鳴らした。


吟遊詩人がこっちにも登場して、リュートやハープを演奏もした。


この音楽にあわせて焚き火の周りで農民たちは輪になって踊って、タンカードでワインを飲む。


ワインは、城から持ち出された。


城の中庭が農民たちに開放されているいま、城の守備隊たちは、地下に多量に貯蔵されている城の大酒樽を
両手に抱えて運びだし、農民たちが踊る中庭にドサっと酒樽をおく。


酒樽には蛇口がついている。

この蛇口を使って、タンカードにワイン酒を注ぎいれて農民たちは飲む。


城から持ち出されるのは、大酒樽ばかりではない。


城で料理された鹿肉のソテー、猪肉のロースト、雉、鶴、鳩、イルカ肉、タルトやパイ、さまざまな料理が
テーブルに運び出され、農民たちはそれを楽しそうにそれを食する。


滅多にない城から出されぬ食材を、農民が口にする機会であった。

たんまりビールとワイン、スパイス仕立てとソースの鹿肉をほうばり呑んだくれる。


「食え、食え、民よ、アキテーヌ家の民よ!」

守備隊は叫びながら食材をテーブルに次々持ち運び、料理されたものを、テーブルに並べる。

夜なので外気は冷たく、農民たちはあつあつのローストやソテーが冷めないうちに、食べる。

スパイス、バター、油の利いた焼き料理をナイフで頬張り、この夜通しのパーティーを楽しんだ。



カトリーヌは1人そっとそんな農民たちの踊り楽しむ城外の中庭にでた。


冷たい外気がふっと吹いて、彼女の毛織コットの服をゆらした。


彼女は城入り口の扉の前の、城の石壁の小さなでっぱりにそっちちょこんと腰掛けて、ドレスの乱れた裾をなおした。


楽しそうに踊る農民たちを見つめる。


たきぎのまわりに環をつくっておどり、腕同士を組んでくるくる踊る農民たち。


彼ら農民の環には入らずに、遠くから、じっと見つめていると。



農民の女の子がひとり、タンカードにミルクをいれて、カトリーヌの前に走ってきた。

女の子はミルクの入った把手つきのコップ、タンカードを差し出して、カトリーヌを見つめる。


「まあ」

カトリーヌは女の子を見つめ返し、微笑んだ。「ありがとう。受け取っていいの?」


「うん。カトリーヌさま」

粗末なウールのエプロン姿をしたこの女の子は、昼間にわたしも魔法少女になりたいです、といってきた、
あの女の子だった。


「あなた、名は?」

カトリーヌは嬉しそうにミルク入りタンカードを手に受け取りながら、たずねる。

「アーティ」

女子は、長い睫毛でカトリーヌの顔をみあげながら、こたえた。「アーティよ」



「そう。アーティ」

カトリーヌは、名前を教えてくれた女の子を呼ぶ。「ありがとう。うれしいわ」

といって、タンカードを口にあててミルクをそっと飲む。目を閉じて。


「カトリーヌさま、どうして城のお外に?」

アーティはたずねてくる。女の子は心配そうな顔でカトリーヌをみつめたずねてくる。

なかなかこの年頃の女の子は鋭かった。人の気持ちがわかるようだ。


でも、カトリーヌはそっと首をよこにふる。

「城のなかばかりでなく────城の外もみたくなったのよ」

カトリーヌは、芝生の中庭でさわぐ農民たちを見守る。「私が守りたかった民を。夫人たちに主人たちを」


「カトリーヌさまは、今日守ってくれたわ」

女の子は言う。「敵の人たちが攻めてきて、戦ってくれたわ」


「ありがとう」

ミルク入りタンカードを手に持ったカトリーヌは笑って、お礼を女の子に言った。

「優しいのね」

それからカトリーヌは、話し始めた。

「でもね、城の餐宴では、わたしの名前は一度も出なかったのよ。騎士たち、
城主さま、だれもが”鹿目円奈の活躍だ”って───」


カトリーヌは、伏目がちで語る。女の子がじっとカトリーヌの顔を真剣に見つめている。


「私も命かけて、魔法少女になって戦ったのにね。たくさんの剣を持った敵と戦って、
たくさんの敵を倒して───」

思い出すように語るカトリーヌの目に、潤みがでてくる。

「魔法の衣装を血まみれにしてまで戦って… でも戦いが終わってみたら、みんな、鹿目円奈って子のおかげだって、
だれもわたしのことは一言も触れないのよ」


「それで城のお外にでてきたの?」

女の子は目の前の魔法少女に、そっと訊いた。でもこのストレートな質問は、子供らしかった。


「……そうなのかしら」

カトリーヌは、湿った目を片手でぬぐった。目が赤くなっていた。

「だとしたらわたし、つまらない人間だわ。国を救われたのに、不満を抱いてるみたいで…」


小さな透明の粒が頬をつたう。

「すごく恐かったのよ。多くの敵の兵がわたしを捕らえにきた。囲まれて、矢に撃たれて…もう殺されてしまう
と何度も思った。そこをあの子に救われたの」

女の子はずっと、頬をぬぐって涙流す魔法少女を見つめている。

「わかってるつもりだったの。魔法少女になったら、どんなに戦っても血を流しても、報われることなんて
ないって……それでも姉上のために民のために、この力が欲しかった。憧れてた。なのに、ね」


「カトリーヌさま」

女の子はその小さな手で、魔法少女の肩に触れる。

「わたしは感謝しています。カトリーヌさまは、わたしたちのために戦ってくれました。」



「私はこれからも1人で闘いつづけるのよ」

カトリーヌはまた、伝った頬の滴をぬぐった。


「カトリーヌさま」

女の子が魔法少女に身を寄せる。「カトリーヌさま、わたしも魔法少女になって、カトリーヌさまと一緒に、
戦いたいわ!」


「ダメよ。魔法少女には、なれる女の子となれない女の子がいるの。あなたはもっと自分を大切にして」

「いやよ」

女の子は首を横にふる。「わたし、大きくなったら魔法少女になりたいわ。どうすれば魔法少女になれるの?」


農村社会では基本的に、農民出身の魔法少女は歓迎しない。また農業しながら魔獣退治という両立自体
無理がある。


農業は、日が昇る前から起きて、農地を農具で耕し、水はけをよくする重労働なのである。薪を切り、羊毛を織り、
家畜を世話し、森を伐採する。

なのに夜間は命がけの魔獣退治ともなれば、疲労で、もたない。

城に住む少女のように、日ごろは収穫の税で暮らすような少女にしか、魔法少女はむかない。


三圃制農業はたしかに収穫を格段にあげたが、それでも重労働であった。



「あなたはなれないわ」

カトリーヌは切なそうに言った。昼間のときのような優しい気の利いた言葉は今はいえず、現実ありのまま
のことを口にしてしまう。


女の子は少し泣きそうな顔になった。


「でも1人で戦い続けてほしくないわ。そんなの寂しいわ。カトリーヌさまのおそばにいたいわ」

女の子は、魔法少女のドレスの裾をひっぱる。

せがむような気持ちがそこにあった。


二人が城の懐で会話しているさなか、中庭の芝生の農民たちは、いまもかがり火のまわりで吟遊詩人たちの音楽に
のせて踊っている。


「そしたらいつか、大きくなったら、私を守ってくれる騎士になってくれる?」

と、カトリーヌはアリエノールと円奈の二人のことを思い出しつつ、女の子にそんなことを言い出すのだった。

「騎士?」

女の子は、カトリーヌの前に膝立ちになって、不思議そうにたずねてくる。

「そう、騎士よ」

カトリーヌは、自分でもへんな冗談だと思いながら、女の子に甘える口調で話した。

「私を守ってくれる、一緒にいてくれる、見守ってくれる騎士になってくれる?」


「一緒にいれるの?一緒に戦えるの?」

女の子は、目を大きくして、まじまじカトリーヌを見つめる。

「カトリーヌさまのおそばに?」


「ええ、私の専属騎士になるのよ」

カトリーヌは微笑んだ。「私の護衛を務める騎士に、なってくれる?」


「うん、なる!」

女の子は大きな声で元気に答えた。「わたし、カトリーヌさまの騎士になるわ!大きくなったら、
きっとなるわ!いまから騎士ごっこする!」

「アーティ、優しくて、心のあたたかい子!」

カトリーヌはまたも涙を目に溜めて、女の子を片手で抱きしめた。

160


三日月が城の夜空に浮かぶ。三日月は雲に半分身を隠す。


夜も更けると、城内の餐宴も、中庭の農民たちの酒宴も、終わりを告げた。


すっかり寝静まった。

城内の人はみな寝床についた。農民たちは自分たちの村の家々にもどった。


城の人々はあまりマメでなく、中庭に散らかされた酒宴のあとは、片付けられておらず、テーブルの上は
皿だらけ、肉だらけ、こぼれたミルクまみれだった。


とはいえ音一つない、静かな夜だった。


冷気がそっと流れる城に、1人の少女が立っていた。



少女は、片付けのすんでいない酒宴のテーブルには目もくれず、芝生に散らかされっぱなしの皿、コップ、
薪の残りかすなど気にもしないで、そこに立っている。


くるくるした巻き毛の髪が、寝静まった深夜の風にゆれる。


夜風を顔にうけながら前髪をゆらし、目を閉じ、精神を集中させている少女は、カトリーヌ。



皆が寝静まって、だれ1人いなくなったとき、少女は、魔法少女になる。


手元の卵型の、クリーム色のソウルジェムを、城の中庭でぽつりと煌かせた。



彼女が見つめる先に、”瘴気”がある。


農民の土道、煙突つきの家々を渡り歩く瘴気。


誰もしられないところで、命がけの戦いがはじまる。



城の入り口から城門へすすんだ。不用意なことに、城門の落とし格子はあげられっぱなじった。

きっと夜通し、守備隊も農民も一緒になって酒と踊りでどんちゃん騒ぎしたせいだろう。


カトリーヌは城の中庭の芝生を横切って、歩を進め、城の落とし格子の下をくぐろうとした。

そのとき声をかけられた。


「カトリーヌ!」

カトリーヌが、手の平に載せたソウルジェムを光らせたまま、ふりかえった。


城の入り口に、アリエノールが立っていた。


カトリーヌは夜空に浮かぶ月光と、自身のソウルジェムの光りに顔を照らされて、姉の魔法少女をみる。


「瘴気と戦います」

カトリーヌは言った。その顔つきは少しだけ、怯えていた。「味方はいません」



アリエノールが数歩中庭をすすんで、戦いに出向く妹をみつめる。


「昼は戦争をして…」

カトリーヌは、ソウルジェムのほのかな光に顔を照らされながら、独り言みたいに話す。

「夜は瘴気と戦うのです。それが”魔法少女”」

カトリーヌは呟く。



姉が心配そうに妹の表情を、遠めにのぞきこもうとする。「それがあなたの憧れだった?」


カトリーヌは顔を髪に隠した。

「姉上をがっかりさせません」


とだけいいのこし、夜の村へ、進んだ。


1人孤独な、瘴気、魔獣との戦いへ身をとおじていく妹の魔法少女姿を───。

姉は、悲しそうに見送った。

今日はここまで。

次回、第21話「城塞都市へ」

第21話「城塞都市へ」

161


翌朝、円奈は城門の前に立っていた。


「ええ、こ、こ、こんなに?」

ピンク色の目を丸く大きくして、城主に渡された金貨袋を手の平にのせ、その重さに驚いた。


「報酬だ」

城主は、円奈の前で言った。「昨日われらがアキテーヌ家の傭兵として、戦いにでただろうに。その見返りを
払わせてもらうだけだ」


「で、で、でも、昨日、あんなにいろいろ、おいしいもの、食べさせてもらったし……」

戸惑う円奈の声がどもっている。

金貨袋に入っているのは、なんと、金貨100枚!


「なにをいっとる、昨日の宴はわしからのただのおもてなし。あれは給料にのうちにはいらん。」

と、城主は楽しげにいう。笑顔がほがらかだ。

「さあさあ、受け取れ」


「でも、こんなにたくさん……」

円奈は手の平にどしっと乗った布製の金着袋を見つめる。このなかに、金貨100枚が入っている。

金貨100枚!円奈は、生涯を通じて、銀貨17枚というのが最高の財産であった。銀貨は30枚で金貨一枚
と換算される。



「おまえは命を張って国を救ったのだ。わが国と民を。」

城主は、孫娘のアリエノールが微笑んでいる傍ら、自分も笑う。

「それにしても傭兵として雇われたくせに、給料も求めぬ騎士など、はじめてみたぞ。」


「は、はあ…」

円奈は息をつくばかり。

そうか。あのときはそんなこと考えもしなかったけれど、昨日の戦いに出たたわたしの行動は、りっぱな”仕事”で
あって、給料を受け取れるんだ。


給料!

狩りをして生きてきた円奈が、生まれてはじめて受け取るものだ。


肩書きと身分だけでなくて、いよいよ戦いを仕事にして、給料を受け取る、本当の騎士らしくなってきたのだ。

それにしても金貨100枚とは、なんたる大金だろう。



この時代では、金貨10万枚で、国家同士の賠償金レベルの金額になる。


そうはっきりいって、円奈はお金持ちになったのだ。



「盗みには気をつけるがよい、旅の者よ!」

城主が言った。

「世の中には盗賊団が、多いぞ!」


「いちど……いえ、二回か三回くらい…遭遇してます」

円奈は苦笑しながら金貨袋をいよいよ受け取って、布袋のなかに仕舞いいれた。ここれで金貨100枚という
大金は、給料として円奈へ支払われた。



「都市へいって、いろいろ装備でも買い揃えたらどうだ」

と、城主は提言する。「おまえは騎士と名乗るにしては、あまりに装備がみすぼらしい。」


「あはは…」

円奈が着ているのは、ボロなチュニック。武器はロングボウと剣だけ。馬の馬具はなく、轡だけ。


「エドレスの都市は、50マイル先だから、三日もあれば着くだろう。その給料で、鎧、盾、馬具、服、
いろいろ買い揃えたらどうだ。」


都市というのはどうも、いろいろ売っているところらしい。


「装備、かあ…」


円奈は考えてみる。いままでお金なんてほとんどもったことがないから、装備を買い揃えるなんて、
考えたこともなかったけれど…。


そういうのもいいかもしれない、かなあ…。


鎧を着け、盾をもって、剣振るう自分の姿を想像してみる。


あ、絶対おもたくて、ろくに動けそうにないや…。


やっぱ私は、弓矢を撃てればそれでいいかな。


「都市についたら、考えて見ます。」


城主の提言を前向きに受け取りつつそう答え、円奈はアキテーヌ城に頭さげて、背をむけた。


アドル・ダキテーヌ城主の蝋印つきエドワード城通行許可状をしっかり荷物袋にいれて、この城を去る。


「あ…」

去る途中で、思い出す。

今朝のやり取りを。



目が覚めたときは、アリエノールの部屋だった。

円奈がおきたとき驚いたのだが、アリエノールと同じベッドに二人で一緒に眠っていたらしい。


ベッドから飛び退くと、アリエノールも目を覚まして意識を覚ました。


今日で、あなたとも別れてしまうのね。

とアリエノールは、ガウンを脱ぐと下着姿になって、言った。


下着姿は質素で、リンネルのシャツだった。肌にじかにきるので、かゆくならない素材を選んだ。


「昨日、”魔獣”をみたわ」

「ええっ!?」

円奈がびっくりして、声をだした。「アリエノールさん、戦ったの?」

アリエノールはかぶりをふった。長い髪の毛がゆれた。「カトリーヌが…」

「あ、ああ!カトリーヌさんは、無事?」

円奈が、ぞっとした予感にぶるっと身をふるわせる。

「無事よ。でも初めての魔獣退治に……疲れてしまって……」

アリエノールは悲しげに目を落とす。

「いまも自分の部屋で眠っているの。眠る時間も十分にはとれず…」

昼間は戦争して夜には魔獣と戦い、生き残ったものの疲れきってしまい城を出れなくなったカトリーヌの
困憊した姿が脳裏に浮かぶ。

今も気絶してしまったように私室の天蓋ベッドで眠り続けている。あんなにやつれたカトリーヌの寝顔はみたことがない。

「彼女いったわ”村が絶望に満ちている、今日の戦いで夫を失った家族の絶望に”」

円奈が口を閉じて彼女の話を聞いている。

「”この村に希望を取り戻せるのは魔法少女だけ”」

「…」

アリエノールの言葉を耳にしながら、円奈は来栖椎奈にかつて教えられたことを思い出していた。

魔獣は、魔法少女にしか倒せぬ瘴気だ。


「どうして魔法少女にしか…」

と、円奈は、そっと口にした。

「どうして魔法少女にしか魔獣は倒せないのでしょう?」

アリエノールの顔をまじまじ、円奈は正面からみつめる。

アリエノールも円奈を見つめ返した。

「そうして魔法少女にしか倒せないから……」

口調が少し寂しげになった。


「村人も私も、カトリーヌさんがどんなに命がけで、みんなを守ってくれたかしらないんです。
なのにわたしばかり、みんなに褒められて……人と、魔法少女のあいだには、いつもこんなこが、
起こっているのかな…わたし…」

目つきに険しい力がこもる。

「しらなかったんだ……生まれの故郷で、椎奈さまが、どんな命がけの戦いをしてたのか……みんなをどれだけ
守ってくれていたのか…それとおなじなんです」



椎奈という人をアリエノールはしらなかっが、きっと円奈の生まれ故郷の魔法少女のことだろうと、思った。


円奈は、弓矢と剣を取り出し、腰元の鞘もベルトもしめて装備を整えた。




それがさっきまでのアリエノールとのやり取りだった。

城の中庭を歩きながら、もう一度城門のほうを振り返る。



城主と、アリエノールが自分を見返して、手を振ってくれる。


聖地を目指す旅に出る。だから、もう会わなくなる人たち。


城の守備隊たちがつれてきてくれたクフィーユの轡の綱を受け止る。

どうやらクフィーユは昨日、たっぷり干し草をご馳走したようだ。


もてなしされたのは私だけでなかったのだ。


円奈はばっと、馬に乗り込む。手綱を両手にとり、向きを変えさせる。



馬の向きを、城門へ。むけたあと、いちど馬のむきをひるがえしさせて、アリエノールたちをみた。


「さらうなら!」

と、円奈は馬上から手をふって、大声をだした。「アリエノールさーん!城主さん!
さようならー!ありがとう!」


「さようなら!」

アリエノールがめいっぱいの笑顔で、手をふりかえしてくれる。「お元気で!さようなら!」


「さらばだ、達者であれ!」

城主も手をふってくれる。すると、昨日ともに餐宴を楽しんだ騎士たちが甲冑姿のまま顔面の面頬だけ外して、
顔をだすと、かれらも手をふってくれた。

「鹿目殿、ご無事に聖地に辿り着きなされ!」

騎士の1人、アドアスはいってくれる。「われらが、ここで離れ離れになろうとも、つねに心から応援
していることを、あなたの心にもどうか留めくださいませ。あなたを忘れませぬぞ!」


「アドアスさーん、ありがと!」

円奈も馬上から笑って、手に口をあてて声をだす。「でも、プディングの中で窒息しないでよねー!」



餐宴に同席していたブラッセルなどの騎士たちが爆笑した。

「窒息しちまえばよかったのに!」


こんどは城主と魔法少女の姉が笑った。


「とぉっ!」

掛け声あげて、クフィーユが走り出す。

アキテーヌ城の城門をくぐり、ギランと光る落し格子の鋭角の下を通って、湖の橋を渡った。



この城にもどってくることは、もうないだろう。



それでも円奈は、最後にこの領地にしたいことがひとつだけあった。


農村を走りぬけ、農民たちの前にでる。


男は蒔き割りをし、羊を放牧し、女は洗濯か糸紡ぎ、縫い物、編み物に励んでいる最中だった。

縫い物は、夫の仕事で痛んだ服の破損部分などの修理だ。



円奈という騎士が農村の前にでてくると、農民たちは顔をあげて、仕事を中断した。


おーーーっと、声をみなあげて立ち上がって、騎士を歓迎する。


「アリエノールの騎士ー!」

と、農民たちは笑い声あげて、彼女の到来を喜ぶ。「アリエノールの騎士だー!」

わーわーきゃーきゃー。

「ロングボウの射手!」

救国のヒーローの登場といったムードな農民たち。

円奈は昨日みたいに浮かれなかった。

農民がそういってくれるのはすごく嬉しいし、昨日の命をかて戦った甲斐もあった気がしてくるのだが、
いっぽうで、まったく声もかけられない魔法少女もいる。

その人も、命をかけて、あなたたちのために戦ったのに。

魔獣はふつう人の目に触れないから、農民たちにはそれがわからない。人間にはわからない。



「昨日私は」

円奈は、真剣な口ぶりで、話しはじめた。


すっかりうきうきモードの農民たちは、円奈の意外な重苦しい口調に、顔の笑みが消える。農民たちまで真面目な
顔つきになる。


「アリエノールさんの傭兵として、戦いました。ガイヤールのギヨーレンと戦いました。それを追い返すことも
できました。それが私の、騎士としての仕事でした」


農民たちは口を閉ざして円奈の声をきいている。


「私が森に突撃したとき…敵のクロスボウの矢が、わたしの頭のすぐ上を通り過ぎました。敵の矢がかすりました
クロスボウに撃たれるところでした。わたしは撃たれる前に自分の矢を放ちました。そうしなければ、あと一歩
おくれていたら、死んでいたのは私です」


農民たちの顔が強張る。沈黙。しーんとなる農村。


「たくさんの人が痛みと、流血に、叫びました。自分が先に矢を放たなければ…自分が死ぬ世界でした。
敵の槍を飛び越えましたが、失敗したら、わたしは落馬して、敵に首を切り裂かれていたと思います」


農民たちは、円奈が、何をいいたいのかいまいち分かりかねている様子だったが、眉をひそめ、暗い顔して、
戦いの様子を頭に思い描いているようだった。


「戦いは恐ろしいものでした。恐くて、痛くて、たくさんの人が死んで……わたし、恐かった。それはきっと、
戦う人は、みんな同じ気持ちなんだって…思います。魔獣であっても戦争であっても…。
わたしのいいたいこと、……それだけです」


円奈は口を閉じた。

気まずそうに農民たちを見回し、気弱な顔つきで上目になって、いたたまれなさげに、馬を静かに走らせ、
ゆっくりと農村を去った。


農民たちはぽかーんとした様子で、あっけにとられたように円奈の去り行く後姿を見送った。


城の城壁に、円奈を追うように登ったアリエノールも、円奈の去る馬を馳せる姿をみていた。


城の矢狭間に手をかけて、農村をでて、平原へと走っていく円奈の姿。ピンク色の髪と結ばれた赤いリボンが
馬が走るたび風にゆれる。


「さようなら…」

アリエノールは小さく呟いて、走り去る聖地をめざすたった一人の少女に別れを告げた。

そっと、こう囁いた。「円奈……」



魔法少女の契約は、契約したとたんに願いがかなうのが大半だが、そうでない魔法少女もいる。


契約して得た力によって、自分の希望を戦いのなかで実現にむけていく魔法少女も多くいる。


ワルプルギスの夜を倒したいとおもって契約したら、契約したとたんにワルプルギスが倒れるのでなくて、
契約して得た力によって倒す戦いに挑む。そんなパターンもある。


フランスを救うという希望へむけて、契約し力を得て、母国の開放のためトゥーレル砦を攻略した
ジャンヌ・ダルク。

さらにそののちに、パリのランス(ノートルダム)でシャルル七世の戴冠式がひらかれた。フランスは救われた。


そして何より鹿目まどかの奇跡だ。


契約した途端、すべての魔法少女が救われたのでなくて、こうして西暦3000年となった今でも、その願いは、
地上に届いている。


アリエノールはそうした、契約してから希望がかなうまでに時間のかかるタイプの魔法少女だった。



自分の契約が呼び寄せたピンク色の髪の少女を、平原の先の先まで、森のむこうへ抜けて消え去ってしまうまで、
魔法少女は騎士たちと一緒に城から見つめ続けた。


私の願った希望がめぐり合わせた人。



広大なエドレスの森で、ひょんなことからひょっこりでくわした二人。それが奇跡だったのだ。



農村を去っていった円奈という少女騎士の後ろ姿を。

アーティと名乗った村の少女が見つめていた。


アーティはむすっとした目つきで少女騎士をじとっと見ていたが、やがてくるりと向きを
ひるがえすと両親の家のもとに駆け込んだ。


ぱぱぱっと小さなウールエプロンの少女服の裾を両手に持ちながら草むらを走り、煙突つきの両親の石造の家へ。

そこで蒔き割りをしていた父に、飛びついて、アーティはだずねた。


「どうしたら馬にのれるの?」

「ああ?」

父は間抜けた声あげて11歳の娘をみおろした。娘は父の粗末なウール服をぐいとひっぱっている。

「馬?」


「そう。馬」アーティは父をみあげ、たずねる。「馬に乗る。どうしたら乗れる?わたしの馬はどこ?」

「アーティ、馬なんか、おまえにはねぇよ」

父は呆れて、首をひねり、切り株の上で蒔き割りをつづける。「そんなことより、はやくかーちゃんの乳搾り手伝ってこい」

「馬に乗りたいわ!」

アーティはせがむ。「乳搾りなんて、もうしない。わたしは騎士になる!」

「はあ?」

父が蒔き割り斧を手から落とした。目を丸くして娘を見つめる。「なにいってんだ?おめえ」


「騎士になるの!」

アーティは真剣そのものな黒い瞳を、父にむける。「馬の乗り方、教えて!」

「おい、アーティ、どうした、あの変な髪の色した騎士の娘さんに夢みてるのか?」

父は呆れ声、ため息、いろいろまじった吐息をはあとはく。

それから手から落とした斧をひろいあげ、また切り株の上で、蒔き割りをはじめた。

「騎士ってのはな、農民がなるものじゃないんだよ。農民に生まれたら、死ぬまで農民だ。騎士は、生まれた
頃から騎士になるって決まっている。それがほれ、宮廷のなかの少年たちだ。ほら、かーちゃんのところにいけ!
ミルクをしぼれ!」


「カトリーヌさまが、いってくれたもん!」

11歳の金髪の少女は、声を荒げ、父にいう。「”私の騎士になってくれる”って!」


「そりや、おめえ、カトリーヌさまは、おまえに冗談をいったのさ。」

父は相手にしない。「子供はすぐ本気にする。困ったもんだ」


「冗談じゃないもん!」

娘は、かんかんに怒って、口いっぱい叫ぶと、父のもとを走り去って、小さなエプロンの裾握りながら農村を
駆け抜けた。

ゆたかな緑の森にめぐまれたこの農村を。


「じゅうぶんにミルク絞ってくるんんだぞ!」

走り去る娘の姿を見送りながら、父はいって、娘が見えなくなると、はあとため息ついて、首をぶるんとゆらした。

162


円奈はアキテーヌの領土を出て、平原と森をぬけ、またも見知らぬ土地へきた。


そこは広々とした原っぱが永遠とつづいていて、その地平線のさなかに、雪景色の残る山脈がみえる。



城主アドル・ダキテーヌからもらったものを、いまいちど確認してみた。


馬上で麻の荷物袋からいくつか手にともだす。



「通行許可状……かあ」


くるくる巻きにされた羊皮紙の紐を解き、ぺらっとまくって内容をみてみる。

アドル城主の手書きで記された許可状は、一番上にアキテーヌ城の黄色い紋章が描かれたあと、
インクの文章がいろいろ横文字で書かれていて、最後に城主自身のサインがあって、一番左下に城主の赤色の封蝋が
ペタンと捺印されていた。


印象は赤い丸印で、騎馬姿の騎士がなかに描かれた封蝋だった。


「これを、エドワード城の、エドワード王って人に……みせればいいんだよね」


と、円奈は、アキテーヌの城をでるとき城主からいわれたことを復唱する。

エドワード城、別名王都エドレス城は、円奈が目指す海岸の港に辿り着く道筋にあり、そこを通らないと到達できない
らしい。


「ええっと……地図地図っ…と」


いったん開いた通行許可状をくるくるに丸めて閉じ、紐を結び直した。それからもうひとつ、城主からもらった
羊皮紙をとりだした。


それは地図だった。


この時代の大陸を描いた地図。そこに描かれた地図にユーラシア大陸はない。3000年の時を経て、地球の大陸の
姿は、すっかり別物になってしまっている。


それに、地球全体を描いた地図もない。言い換えると、いまの地球の全体図をしる者は地上にはいない。

せいぜい宇宙からやってきたインキュベーターがしるくらいで、人間も魔法少女もいまの地球がどんな姿なのか、
南極と北極の存在さえ知らない。



アドル城主から渡された円奈の地図は、アキテーヌの領土からエドレス国全体の領土、それから港までのルートを
古びて黄ばんだ羊皮紙にまとめてインクで描かれた。

数字の”4”のような印で、東西南北、の方角が地図の墨にかかれて、アキテーヌ城とエドワード城の位置関係を
図にしている。



今と昔で大陸の姿がまるで違うのは、過去の人間の強大な文明による大陸の変動なのか、自然な大陸の動き
なのか、知る者はごく一握り。

そう、聖地に住む何千年と生きている魔法少女だ。




少なくともそうした聖地で尊ばれている魔法少女たちに出会うまで、円奈が真実を知る由もない。


「このまま南に進めばいいのかあ」

円奈は地図を見てむむっと難しい目をして睨みながら、自分なりに地図を解釈してみる。


「お日様があっちにあるから……」

時刻は昼すぎ。

太陽はやがて沈む。


「あっちからのぼってきて……こう沈むから……南は、こっちだよね」


馬が大人しく野原に直立しているとこに主人は、呑気に地図と方角を分析して独り言をいう。

それから地図を仕舞うと、背中のロングボウと一緒に荷物袋も
かついで、馬に出発を合図をした。



馬はてくてく野原を歩き始めた。

163


夕方がきて、日がオレンジ色に染まる頃。

円奈とクフィーユは川をみつけて、休んだ。


川のごつごつした岩肌に生えた樹木の根に荷物や弓矢、剣を置いて、岩肌をくだって、円奈は川の水を飲んだ。

両手に水を掬って顔を洗い、ばしゃばしゃしたあと、ごくごく両手の水を飲んだ。

水筒の水も一度すて、川の水をあらたに汲み入れる。


その水を、樹木の陰で休むクフィーユに飲ませた。


水を飲むクフィーユの黒い毛を撫でながら、茶色のからだのほうも撫でてあげる。



そうして馬の横で世話していた円奈に、ふとあるものが目にとまった。

「…ん?」

ピンク色の目があるものを捉える。



鹿だった。

大きな角を生やした牡鹿が、水を欲して川にやってきた。そしてぴちゃぴちゃと足を川に浸して、口先で
水を飲んでいる。

円奈は馬から離れ、樹木に寄せ置いたロングボウを手にとった。ぴょんと岩肌に降りる。


矢筒から一本矢を手に取ると、矢羽を指で整え、弦に番えた。


鹿に矢の先をむけ、音をたてないように弦をひく。耳元まで弦を引き、弓を目に寄せて、矢で狙う。


川はざーざーと岩肌を流れ続ける。


狙いと鹿の位置がぴったり合致したが、円奈はそこで、狙うのをやめた。


弦をひく手を戻していく。番えた矢も手に戻した。


今は、そんなに空腹じゃない。

昨晩はあれだけたくさんの料理を口にしたから、今日くらい何も食べなくたって、生きていける気がする。




鹿は水をたっぷり飲み干して、満足したのか川の奥の森へ帰った。

164


それから三日も平原と森を南に進んだ。


夜になれば薪を集めて、火打石で火花散らせたあと干し草と枯葉に火をつけて、ふうと息をふきつけて火を燃やしたら、
石をあつめ、焚き火にする。薪を組んで火に燃やす。

慣れた野宿。

鹿目円奈が、9歳ごろから続けている生活だった。



焚き火を明かりにして、持ち歩いた本を読んだ。

バリトンの村で読み書きを覚えて、バリトンから持ち歩いている本。本は羊皮紙で、表紙は革だった。


「”森は魔女の住処、恐ろしい妖精が湖に住み、迷い込む人を妖術にかける”」

円奈は本をよみあげる。

「”鷹の目と狐の耳があれば───”」

クフィーユはすっかり目を閉じて眠りにおちている。

「”森の魔女の妖術に勝てる”」

今日はここまで。

次回、第22話「エドレスの都市と馬上槍大会」


「でも、あれは?」


「お祈りだよ」

男は馬で荷車をひいていた。カシャカシャと車輪が回る。

荷台には、樽が数個、あるのだった。

「東にむけてお祈りしてるんだ」


「祈り?」

そんな言葉をきくこと自体があまりなかった円奈は、思わず聞き返す。


「東のむかうにある───」

男の頬が夕日を帯びる。

「聖地にむかって、お祈りしてるんだよ。あいつらは円環の理とかいってるが──」

男が円奈をじろっと見やった。

「俺にはわからん」


「聖地があのむこうに…」


魔法少女が円環の理とよび、それは聖地で果たされた約束だとされていることまでは円奈は知っていたが、
その聖地にある東にむかって、お祈りしている魔法少女というのは初めて見た。


だが円奈はこのときまだ、魔法少女の聖地にむけた祈りが、なんなのか、どんな意味なのか、わからなかった。



「もう夕方だから──」

と、男は語りだした。

「都市をでかけていた者はみな、もどってくる。時間に間に合わなくて、門を閉じられたら大変だからな」


「へえ…」

と円奈がいいながら、ぼんやり夕日にむかって祈る魔法少女を見つめていると。

その視界に、ぬっと男の顔があらわれた。


「ひっ」

円奈の顔がひきつって、男から遠のいた。


「運がよかったな、っていってるんだ」

男は円奈にむかってぼっそり言うと、その直後、途端に満面の笑顔になって、げははははははと笑った。

166


夕日が東の地平線に降りる頃、円奈は都市に辿り着く。

巨大な城門が円奈の前にあらわれる。


その圧巻なアーチ門をくぐって城門格子の下をくぐると、いよいよ市壁を通って都市のなかへ。


この市壁は都市のまわりをぐるりと囲っている囲壁で、第二囲壁と呼ばれている。

というのも、以前は囲壁はもっと小さくて、町も小さかったが、人口が増えるにつれて、囲壁も新しく
作り直されて、より大きな町を守る第二囲壁となった。


エドレスの都市の人口は19万人ほどで、こんな時代だから、都市世界いえども階級は厳しく封建的に
制度づけされている。


貴族、聖職者、騎士、支庁職員、公共施設従業者、市民、労働者、見張り役、娼婦、物乞い、といった順だ。

おおざっぱにいえば。


聖職者については、あとで、円奈が目で触れるだろう。

都市の公共施設はたとえば学校、療院、水道、門(門には公共トイレがある)、支庁舎、馬上槍競技の劇場、
ほか、都市広場、鐘楼、噴水、通路、街路、川の水路、アーチ橋といったものも、公共財産扱いだ。



まず驚いたのは、囲壁のなかの世界は、すべてが人工物の世界だった。ということだった。


そこには森も土も川もない。


広がっている景色はレンガ造りの家々、石舗装の通路、切り妻壁に挟まれた街路、そして見上げるほど
高々とした建物の数々。

建物は商人たちのオフィスだったり、裕福な市民の家々だったり、修道院だったりして、その建築様式は、
天にむけて突き出した尖塔がある点で、ゴシック様式に近い。



都市のなかは、私的空間と公的空間が混在していて、ごちゃごちゃしている。

かつ、ぐるりと外を城壁に囲われた町のなかだから、狭小で、人口の過密状態は恒常的なことだった。


私的空間は、個々の市民の家や店舗、庭園・菜園などから成る。

公的空間だと、市場、都市広場、街路、路地、川の橋、同職組合ホール、公共浴場などが中心だ。


都市には私的空間でも公的空間にもあたらない特別な空間があって、そこは、魔法少女しか立ち入りの許されない、
修道院があった。


都市の町並みは不規則だ。


都市を計画的に、かつ規則的に建造、増築するほど、中央集権的な権力が都市に備わっていなかった。


人口がふえるたび、いきあたりばったりに家を建て、壁をとりこわし、あらたな壁を築いたりして、囲壁は
でこぼことして、かたちは歪だ。結果的に私的空間・公的空間すら入り乱れて、市民は職人に頼んで
好き勝手に家をたてるので、町の街路や通路はくねくねとしたり、ごみごみして、枝分かれして、
しかもどっちも行き止まりだったりする、迷路のような町になった。


都市をしらない人間が歩いたら、わけがわからなくなるほど、ごちゃごちゃな都市開発が長いこと続いている。



ゴーンゴーンと、鐘楼の鳴る音を円奈はきいた。


どうもそれが午後六時をまわった晩鐘の音のようで、すると都市の囲壁を開く城門はやがて閉ざされる。


「さっさと入れ!」

城壁の入り口の門番たちが、入り口に走りこんでくる市民に、腕をぶんぶんふるって急ぐよう促しながら、
怒鳴っている。

「ほら門を閉じるぞ、締め出された者は、明日まで壁によりかかって眠ってろ。」

鎧と槍の門番たちは怒鳴り、閉じられつつある落とし格子の下を慌ててくぐる市民たちに声をかけて、腕でさっさと
中に入るように促して、通り過ぎる市民たちの肩を叩いたりしている。


やがて、ガシャーンと音をたてて落とし格子が降りる。つづいて両開きの木の城門が閉ざされる。

樫の木材でつくられた城門は頑丈で、破城槌が持ち運ばれても耐えるだろう。



円奈はクフィーユに乗ったままで城門の閉じる様子をぼんやり見ていた。


城門が完全に遮断されると、外からの夕日の光りが入らなくなって、いっきに囲壁内側の都市が暗さを増した
気がした。


空をみあげれば、すでに夕空の赤みは沈み、だんだん青色ががった日没の夜空と変わりはじめていた。


薄暮の夕景空だ。


円奈はあてもなく、人、人、人だらけのエドレスの都市のなかを馬で進み歩いてみる。


人々は荷車に多量の木箱や袋、樽などを満載して、それぞれの方向へ帰っていく。

樽の中身は、魚だったり、牡蠣、ムール貝、海辺から輸入されたワインだったり、水だったりする。
木箱の中には、乳酪製品、オート麦穀類、野菜、香料などを入れて都市へ運ぶ。


だが円奈には右も左もわからない。


囲壁のなかはまず右手に警備隊の待機室があって、小さなレンガ造りの家だった。


都市の石で舗装された地面は段差があちこちにあり、全体的に斜面がかっている。



つまりななめっていて、安定した地面でない。



都市を知らない人間が段差に足をとられてつまづくのはしょっちゅうだし、石敷きの地面は斜めになっているで、
落ち着いて歩けない。


ところが都市の人間ときたら、もうどこにどう段差があって、どんなふうに斜面になっているのか慣れているので、
まるで平然と歩く。


とにかく都市の姿には驚かされる円奈だった。


地面がすべて石できれいに舗装されているのも驚きだったし、あの囲壁を越える高さの人工の建物が隙間なく
窮屈に立ち並んでいる姿、ゴシック様式の修道院、レンガ造りの家々の町並み、ところどころ鉄柵のついたレンガのアーチ門があって、
そこの拱道をくぐって行き来する人々の多さ。


なにもかも、おどろきだ。

あてもなく都市をてくてく馬で歩いていると、目立つ自分に気づいた。


馬で都市を歩いているのは自分だけだった。


都市の人々はみな徒歩で、荷車をもったり両手いっぱいに袋や壷、陶器を抱えたりはしているが、馬で歩いている
人はいない。



そしてやっぱりそれがまずかったらしく、町の守備隊に呼び止められた。

「そこの女」


円奈がびくっとして、声のしたほうにむきなおる。

ゴーンゴーンという、夕暮れの刻を告げる都市の晩鐘の音は、まだ遠くで鳴り轟いている。

「この町では武器の持ち歩きは禁止だ」

と槍もった守備隊が、円奈を鋭い目つきで見上げている。

「武器を持ち歩いていいのは、領主一家か騎士だけだが」


「わたし、騎士です…」

ちょっと自信なさげに、円奈がうつむきながら小さく言った。「これでも…」そっと相手をみあげる。

守備隊は疑う目つきを円奈にむけ、馬にちかづいた。

「騎士なら鎧から武具、盾、馬具まで一式、買い揃えられるはずだ」



円奈は自分の井出達を見下ろした。

ボロいチュニックは昔から着古しているので生足首を晒している。この都市では足を晒すのは遊女くらい
しかしない。

盾はなく鎧もなく、かとおもえば鎖帷子もなく、乗る馬の馬具は轡だけ。鞍も背あても鐙もない。


騎士となるのにはあまりにお粗末な姿なので、守備隊に疑われている。


ううう…。

やっぱり、アドル城主さんにいわれたとおり、装備一式揃えたほうが、いいのかな…。



「答えろ」

守備隊は仲間の守備たちにパチンと手を鳴らして合図して、呼び寄せている。すると円奈のまわりに、
もう二人、三人くらいの守備隊たちが、歩きよって円奈を囲った。


全員、夕闇の弱い赤みを帯びて鎖鎧(チェインメイル)をほのかに光らせている。


「わたし、…」

自分が本当に騎士なのだという身分を説明する手段が思い浮かばない。


「武器は没収だ」

守備隊たちはもう待たなかった。

円奈の鞘の剣に手をかけて抜いて、持ち運ぼうとする。「おまえは町長に報告しろ。おまえは、
この女に罰金を課せ。なければ晒し台にかけてやれ」

と、手際よく仲間の守備隊にてきぱきと指示をくだす。


「ああ、まってよ、まってください!」

来栖椎奈の剣が勝手に守備隊にもってかれそうになったので、円奈は懸命に抗った。

「わたし、騎士なんです!ほんとうです!バリトンで叙任式をうけました。その剣はだめっ!」

「バリトン?」

守備隊が剣とろうとする手をとめる。それから仲間の守備隊たちに目を配らせた。「知ってるか?」

仲間たちは首をふる。「しらんな」


「ううう…」

都市からすると、バリトンは田舎も田舎らしい。


「適当な嘘ならべやがって」

守備隊の兵士はまた円奈の剣を没収しようとした。

「だいたい髪の色からして怪しいと思ってたんだ」

「ああまってくださいってば!」

円奈はまた必死に抵抗する。「ああそうだ!これ、これみてください!」

「これ?」

守備隊がまた顔をあげた。

「これです!」

円奈はようやく、自分の身分を証明できそうなものを思い当たって、手に取り出した。



通行許可状だった。


羊皮紙にまとめられ、くるくると丸められたそれを、守備隊は怪しそうに手にうけとり、円奈を変な目で
みつめながら、羊皮紙の上下両端をもってひろめ、中身に目を移した。


途端に目の色が驚愕にかわっていった。


「アリエノール・ダキテーヌの傭兵を務め…」


その名前がでたとたん、ほかの守備隊たちも驚いた顔を見合わせる。


「パリトン出身の騎士…」


「宿敵ガイヤールのギヨーレンを追い返し……」


「エドワード城の通過を許可することを保障すべし…」


守備隊が驚愕の目を見開いて円奈をみつめる。それから、羊皮紙をくるくる丸めて紐を結び直すと返した。


「失礼した。あまりに装備がなってないもんで、……」


ごもごも言い訳を並べ立てる。


「わかってくれれば、いいんです」

円奈は安心して笑った。

「ガイヤール国のギヨーレンは、我々エドレスの都市にとってもささやかな脅威でした」

守備隊は途端に丁寧語になって、円奈にうやうやしく話しする。

「あなたはそれを取り払ってくれたお方だ。英雄です」



「ありがとう。」

円奈はニコリと笑う。目をあけて、目下の守備隊にたずねた。

「えっとね、この許可状をエドワード王って人にみせて、城を通りたいの。エドワードって人はどこに?」

「えっえ、エドワード王?」

守備隊の挙動が不審になる。目が狼狽する。

「バリトンの騎士、バリトン卿さま。エドワードさまは、この都市にはおられません。」

「…へぇっ?」

円奈の顔がきょとんとする。「ここは、でもエドレスの都市で…」


「たまに旅の者が勘違いするのです。」

守備隊は言った。

「ここはエドレスの都市ですので、エドワード城ではありませぬ故。王様にはお会いできませぬ。
エドワード城は、この都市のもっと40マイルほど先の、”裂け谷”の橋渡しになっている城のことです。
いうならここは自治の従属都市で、首都はもっとこの先です。」


そういえばエドレスの絶壁なんていう裂け谷って場所があるんだっけ。

エドワード王はそっちにいるみたい。


「…そう、でしたか」

少し落胆したように言い、円奈は馬を翻させて、城をでようとした。しかしもう城門は閉ざされていた。

「バリトン卿さま、どちらに?」

守備隊が円奈の様子を心配がって追いかける。「町からは出られませんよ。どの門も閉じています」


都市からでれない。

「ううう…」

円奈が馬上でがくり、と頭を垂れた。クフィーユが黒い尻尾をぶんと回した。

「今日どうやって夜をすごそう……」

なんて悲しげに呟いていると、守備隊が助言してくれた。

「でしたら、宿をお使いになっては?」

「宿?」

円奈が目を見開いた。聞きなれない単語だった。

「ここの道をもっと西にすすんで───」

と、守備隊は、鉄柵のついたアーチ門の小さなレンガの通路を指差した。

「都市のソルグ川を渡り、支庁舎に突き当たった左側面の通路に、使える宿があります」

それから騎士をみあげ微笑んだ。「安心して使える、女主人の宿ですよ」

「宿…」

円奈はその単語をぼんやり口にする。

宿なんて使ったこともない。


森のどっか適当な場所に寝転べばいい自然の世界ちがって、人間社会がすべての都市では、眠れる
ところも少ない。


一気に不安になる。



そんな、顔を強張らせている円奈の様子をみかねた守備隊は言ってくれた。

「わたしが案内しますか?」


「…ううーん…」

円奈は考えてみる。ちょっと見渡しただけでも、都市はごちゃごちゃした町だ。街路は迷路のよう、
狭小で人だらけで、まったく未知の世界。

この守備隊には身分を証明できたものの、また別の守備隊に疑われたらちょっと面倒。

「あなたのような娘さまが、」

と、守備隊はいった。

「騎士とはいえ裏路地に迷い込んだりすれば、危険です。私はもう自分の仕事の役務を終えています。
どうぞ気楽に案内役に使ってください」

「うーん…」

円奈はもう一度腕組んで考える仕草をみせる。

数秒もしないうちに、たぶんそれが一番よさげだと結論に達した。


「じゃあお願いさせてくれる?」

「もちろんです」

守備隊は笑って、自分の兜をとると鎖鎧も脱いで仲間に手渡した。鎖帷子の下に着たダブレット姿になり、
手に持った槍も仲間たちに手渡した。


それにしても相手が騎士だとわかった瞬間、態度が途端に丁寧になる人だった。


「騎士のあなたにこれをいうのも恐縮ですが、馬を降りください」

守備隊は武装を解くとお辞儀して、そうお願いした。

「都市は騎士いえども、馬で歩くことはできないのです。馬上槍試合のときのみが例外です」


「うん…」

円奈はばっと馬を降りて地面に着地する。ばさっとピンク色の髪がゆれる。
その動作の流れが見事だったので、守備隊は息をのんだ。


「馬具もなしに飛び降りるとは、大したお方だ」

「そうかな?」

円奈はクフィーユの轡を手ににぎる。

「しかし、馬に乗るときは?鐙もなしに…」

守備隊が疑問を投げかけると、円奈はクフィーユの頭をぽんぽんと叩いて撫でてあげたあと答えた。

「乗るときは、クフィーユが座ってくれるよ」


「…大した信頼関係だ」

守備隊は感心した。この少女騎士と馬には、心の通じ合いがあるにちがいない。


守備隊と少女騎士の二人が、都市の奥へ進んでいく背中を、仲間の守備隊たち二人が見送っていた。

167


鹿目円奈は市壁の守備隊に案内されて、エドレスの都市の街路をすすんだ。


まずアーチ型のレンガのトンネルを潜り抜けて、鉄柵を開け、通路へでる。


通路の石畳もでこぼこしていた。砂石によって丹念に舗装されてはいるが、でこぼこで、段差がしょっちゅう
あって、階段を下りたり登ったりする。


円奈はそのたびにクフィーユが階段に苦戦する姿を、轡もちながら見届けた。


街路は狭く、ぎっしり町の家々や建物が並び立って、天井も突き出した構造の家は、みあげても空がちょっとばかし
しか見えない。


それに行き来する人の数もすごかった。

円奈はこんなに多くの人をみるのが初めてだった。19万人という人口がいる都市である。

アキテーヌ領土でさえ数百たらずの国だったのに、とにかく人で満たされた都市の世界は、円奈はちょっと
具合悪くしてしまうほどだった。

それに足元が落ち着かない。


まず平らではない。どこも斜面になっていて、真ん中に凹みというか、溝がある。


溝にむかって斜面がずっとあって、なにかがそこに集められていくかのようだ。

歩いているとつねにバランス感覚がへんになる。右足と左足の踏む地面が高さちがって、感覚が揃わない。


ついつい足元が気になって地面を見下ろしながら円奈が歩いていると、守備隊が喋り始めた。


「地面を───」

守備隊は微笑んで、馬を連れる円奈に話しかける。「お気にされて?」


円奈が目線をあげた。「うん…なんか、落ち着かなくて…」


「都市に初めてきた人はそうなります」

守備隊の人は説明をはじめた。

「もちろん、斜面になっているのにはわけが」

彼はその場でくるりとまわると指で、上を示した。

円奈も彼の指差したほうへ顔をあげた。そこに空があった。

 ・・
「雨水です」

と、彼は言う。

「地面は石で舗装されていますので、農村とちがって雨水が溜まりますから───」

彼はまた道を歩き始め、円奈もおって馬に歩きの合図だし、足を進めた。

「こうして斜面にしています。雨水をこの溝に集めるんです」

といって彼は革靴で、斜面の一番深い溝のぶぶんを、トントンと踏んづけた。


つまり雨が降れば、雨水はこの斜面をくだって溝に集められる、という仕組みだ。



「雨水かあ…」

円奈がつぶやく。



本当は雨水だけでなく、もっと汚いものが窓から投げ落とされてこの溝へ流れてゆくのだが、その説明は
省かれた。


「町にされている工夫はそれだけでありませんよ。さあ、家々をご覧に」


守備隊の彼は楽しそうに、異国の少女騎士に話しかけ、切り妻壁をした家々を腕で指し示した。

円奈が街路を挟んでならぶ家々をみあげる。


都市に住む市民の家々は通常三階建てか、五階建て。木骨造とよばれる木造建築だ。

その家々の多くが、持ち出し構造になっている。


つまり三階よりも四階が広く、四階よりも五階が広い。下階よりも上階が面積が大きいという家のアンバランス構造。

なぜそんな不安定な形に家々をつくるのだろうか。


「こうして家の上階を持ち出しにすることで───」

と、彼は流暢な口調で説明してくれる。

「我々は雨宿りできる。つまり我々は家々の下を歩き、雨水を避けて街路を通る」


とのことだった。

持ち出し構造をした家々は、出っ張り部分に天井ができるので、その下を人々が通り、雨水を避けて通るのだ。


この街路を通ったとき、狭くて、空をみあげにくいと思った円奈だったが、もともとそういう仕組みにつくられている
のがエドレスの都市の街路だった。


雨水が落ちる部分を少なくしているのだ。


思えば、ただでさえ都市の街路は狭いのに、通行する人々は両端に寄るように歩いていて、中心の溝を通っていない。

家々の持ち出し構造の下をくぐるようにして通行している。


「そして家々にはもちろん、この持ち出し構造を支える持送りが──」

といって彼は顔を見上げ、家々の持ち出し部分を支える柱を、腕を伸ばして指さす。

「きちんと備わっています。構造上は安定しています」


「へええ……」

円奈は家々の持送りの支柱をみあげ、通路を歩きながら、感心の声を漏らした。

支柱は、斜め45度に組み立てられて、突き出す屋根を支えていた。



バリトンや農村では雨水にうたれるくらい、気にしないものだったが、都市の人々はそれを嫌って、わざわざ
街路を通行する人々のために家を持ち出し構造にして、雨水にうたれずに街路を通れる町にしていた。



さて、アーチ型の入り口をした家々、狭い通りを横切ってして家と家を繋いでいる天井の通路などの下をくぐって
通り過ぎ、ごまごました都市の迷路を抜けると、いきなり都市はひらけて大きな川にでた。


ソルグという川で、都市を横断して流れ、その幅は100ヤードほどもある、ゆるやかな川だった。


都市の川には多くの船が浮かんでいた。その多くは漁船で、船から綱を投げ出し、
漁をするのだが、この時間帯では撤収の準備をしている。


川に面する両岸のどちら側もぎっしり長屋式の木組み建物が隙間なく立ち並び、屋根葺きされた三角形の屋根も
街路に並ぶ。地面はすべて舗装されて、石敷きの地面。


大きな川がそこを切断しつつゆったりと流れている、といった景色だ。


川の流れにのって、浮いた漁船がレンガ橋のアーチをくぐり抜ける。

そんな風景だった。




日はますます沈み、夕空は夜空へと変わる。星が目立ち始める。


漁船はすでにいくつかが松明の明かりをもう灯していた。ぽつぽつとした松明の火が川に浮かび、
舟と一緒にがゆるやかに流れる、そんな眺めであった。


「川を渡ります」

と、守備隊は円奈に言った。「宿は川のむこうですよ」


「うん」

都市と川の眺めに気をとられていた円奈が、我に戻ると頷いて、守備隊についていった。

レンガ造りのアーチ橋を渡る。



「この橋は──」

と、守備隊は口減らずで、またも語り始めるのだった。「悪魔が造ったのですよ」

「へっ?悪魔?」

円奈がぎょっとする。

「そうです、悪魔ですよ」

ダブレット姿の守備隊は笑う。すっかり日の沈んだ都市の景観と川を眺め、目を細めると語る。

「人々はこの橋を毎日のように渡り、行き来しますが───」

レンガ造りの橋は、荷車を馬にひかせる運搬業者、商人、市民、宿を求める旅の者、そして魔法少女も、
行き来している。

「毎日使う橋だというのに、この橋がどこの出身で、どんな職人のなんて名前の人が造った橋なのか
誰もしらない」

といって守備隊は、革靴で橋の石をタンと踏んづける。

「だから我々は、”悪魔がきまぐれで建てた橋なのだ”と」

「ううん……」

円奈は鼻を鳴らして、それからアーチ橋をみつめた。

「バリトン卿さま、名は?」

と、守備隊はたずねてきた。「できればせめてあなたの名前を知り、案内に仕えさせてほしい」

どうやら橋の悪魔うんぬんいう話は、そういうフリだったらしい。

「わたし、鹿目円奈です」

クフィーユを後ろに連れながら、円奈が名乗った。「この子はクフィーユだよ」

「そうですか、鹿目さま」

守備隊はまたお辞儀した。

「私は、ハウスブーフ。鹿目さまの案内役に仕えさせていただきます者」

「そんな、あらたまらなくても…」

円奈は照れて髪を手で撫でる。それになんだか仕事終えたばかりの役人にお辞儀までさせて、罪悪感みたいなの
も感じていた。

「じゃあハウスバーフさん、宿まで……よろしくね」

「あなたは謙虚な騎士のお方だ」

と、アキテーヌ地方の城でもいわれたようなことを、ここでも言われた。

168


二人はレンガ造りのアーチ橋を渡りつづけた。


川の水のせせらぐ音。アーチ橋を行き来する人々の雑談。帰宅に急ぐ市民の足音。荷車の車輪のカシャカシャ回る音。


さまざまな音が二人のまわりでがやがや、行き交う。


守備隊の人は川の水をのぞくように見下ろし、水面をみつめた。

円奈も不思議がって水面をみつめる。



都市の川の水はもう夜のせいか暗くて、もう何もみえない黒い水面だった。


「かつて汚染がひどかったんです」

と、守備隊は言った。

「ええそれはもう、どれくらいひどいって、川のあまりの悪臭に、死人がでたほどです───
いっときますが、本当ですよ!」

彼は大げさな声をだし、また足を進めて橋を渡る。


「今でこそこの川もマシになって、匂いもしませんでしたがそのむかし、この川は無法地帯でした」


円奈は彼の背中について橋を歩く。

「一言でいえば、この川はかつてごみ処理場だったんです。台所の生ごみ、都市に溜まる糞便、
品質規制にひっかかったワイン、ガチョウなど家畜の糞尿、馬糞、市民はなんでもかんでもここに投げ捨てました。
川の底は、もう、ごみとくそで山をつくっているありさま!」

守備隊は嘆く口ぶりで語り、はあとため息つき肩をすくめた。

彼の話はつづく。

「肉屋と屠殺屋が、血と肉くず、内臓もそのまま処理もせず、川に投げ入れました。肉屋は、売れ残り、
腐った肉と動物の死体をこの川に投げ捨てましてね!信じられますか?糞便と尿、生ごみ、血とくさった
内臓のすべてが、この川の底に沈められて、へどろでした。それはもう最悪の匂いでした。3年前のことでしたが、
市民は”悪臭の年”と呼んでいます」


円奈は川の水を飲んで生きてきた少女だから、川の汚染の話には背筋にぞっとするものを感じていた。


「しかしです、その三年前から、」

守備隊の口調が変わった。

「この川の本格的な浄化運動がはじまったのです。我らがエドレスの王、エドワードさまは、この川の汚染に
お怒りになり、あらゆる禁止令と浄化命令がだされました。市民、肉屋と屠殺屋に、不法な投げ捨てを禁じました。
糞便の川への投げ捨ても全面に禁止され、かわりに汚物は荷車で都市の外へ運ばせました。役人から浄化係を
任命し、港を使う業者───漁や貿易の運搬業者ですがね───からの税金から賃金をだし、川の浄化運動へ
あたらせました。それはもう、涙ぐむ努力でしたよ」

彼は熱い口ぶりでそう語った。

「川はまだ汚れていますが、悪臭はマシになりました。エドワード王のおかげなのです。もちろん、禁止令は
今もつづいております。警備隊を配置し、ごみをすてる市民、糞尿を捨てる肉屋、みな取り締まります。
不法投棄でつかまったものには罰金が課されます。二度つかまれば倍の罰金、三度目も罰金、四度目で投獄です」


「へええ…」


都市も都市なりの問題があって、王は王として政務を果たしている。

これだけ人が多いと、たちあがる問題も、大きくなるのだろう。


二人は長い長いレンガ橋をようやく渡り、向こう岸へと辿り着いた。


改めて都市の建物群の高さに驚かされる。


五階建てか六階だてもある石の建物は、裕福な商人たちのオフィスだった。アーチ型の窓がいくつも覗き、
中はゆらゆらろうそくの火や暖炉が灯る。


さながらレンガ造りの長屋式のオフィス群は、多量のろうそくの火で、夜の都市の景観を照らしてくれている
かのよう。


向こう岸に渡ると、さらに行き交う人々は増えた。



ほとんど隙間がないくらい人、人、人で、人の海だった。


女性、男性、多くは30過ぎの人々で、子供は見当たらなかった。


女性の多くははローブを着用していた。ローブは都市の外出用の服で、屋内で着るのはコットやシュミーズだった。


いっぽう都市の貴族男性たちはプールポワンという服装をしていた。貴族たちはこの上着に足はタイツを履き、
縁なし帽をかぶったりもする。

若い男子はローブを着ることもあった。赤い短めのローブで、黒い革帯に布巾をさげ、履物をはき、靴下を
膝下で丸めるという装いだ。



「都市広場にでます」

と、守備隊の彼は言った。

「支庁舎と、修道院のある広場です。そこは狭くはないですよ」

と彼は笑う。

「昼間は市場も開かれていましたが、さすがに撤収しているようだ」


円奈は納得した。

だからさっきの切り妻壁の家々をあいだを通った街路にくらべて、この通路は広いのか。

広いとはいえ人の数がとにかく多く、狭苦しい想いをする状況なのはかわっていない。


はじらく都市の道を進んで、急に建物も長屋式に立ち並ぶ家々もなくなった、ひらけた場所にでた。


ひらけたといってもまわりは立派な石造の、ゴシック様式の修道院や市庁舎に囲まれてはいるものの、広場というだけあって
たしかに広々とした空間だった。


人は相変わらず多くて、あらゆる方向へ行き来していたが、景観は美しかった。


地面は石畳の舗装で、ここも相変わらず、ところどころ無意味な段差があるのて、足元に気をつけないといけない。


広場の中心部には噴水がある。せわしなく都市広場を交差する人間たちの目に癒やしをあたえる。



空間全体を見下ろすと、広い扇状のようだ。


この広場を扇の形にたとえるなら、いわゆる”要”にあたる部分に、噴水がある。



噴水の奥には支庁舎があり、この支庁舎に町長と役人、市会議員などが政務にあたる。


役人の仕事は、いつの時代もそうだが、基本的には罪びとの捕縛と懲罰、税金の管理、取立て、戸籍登録、
町の開発と修築、裁判官といったところだ。


広場には修道院もあった。



過去とはちがって、人と魔法少女が当たり前のように互いに存在を認知する社会で、この修道院は
魔法少女専用の建物だった。


人間の立ち入りは、禁止されている。

だからこの修道院のなかで魔法少女がなにをしているのかは、支庁舎の人間しか知らない。

というのが建前で実際には、ほとんどの人間が修道院の役目をしっていた。



聖地にむけるお祈りであった。

いまの世界を造り上げ、自分達の救い主である女神へのお祈りをする場だった。修道院はどれも東にむいている。


修道院は尖塔アーチを特徴にもつ構造なので、ゴシック様式に近い。入り口の上部には円形のバラ窓があって、
壮美なステンドグラスだ。


入り口は階段になっているので、5段か6段ほど、石の階段を登ると、入り口の扉にたどりつける。



入り口の扉は、大きくて、人間1人に対して5倍くらいの大きさはある扉だった。


扉は石で、多くの彫刻───天使、騎馬、女神、あるいは地獄───を描いた彫刻の施された、美しい扉だった。



本当はというと……この修道院には、隠されたもうひとつの役目がある。

そしてそれこそが、魔法少女専用であり、人間の立ち入りが禁止される真の理由だった。


円環の理のために祈ること自体は、人間だってしようと思えばできる。


円奈が修道院の暗いばら窓をずっと眺めているので、守備隊の彼はふうと息をつき、声を出した。

「バリトン卿さま、宿はこちらの道です」

「あっ、あっ…そうだった…よね」

修道院に見とれていた円奈は恥ずかしがった。

顔を赤くして向き直り、ばつが悪そうに照れて笑った。

169


二人は都市広場を離れて、また街路に入った。


木の屋台や、荷車などが、石造りの建物の壁面に寄せて置かれている。

建物は入り口がアーチだが、中は誰もいなかった。


「みなもう二階にあがって、休んでいるのですよ」

と、案内の守備隊が教えてくれる。

「朝と昼に商売し、夕方に片付けと明日の準備、そして寝静まるのです」



樽なども置かれっぱなしだ。


円奈はふと、左側の建物をみあげてみた。



石工屋が切り石をモルタルをつかって積み上げた建物は、25メートルほどの高さ。一階にアーチの入り口があって、
二回に小さなアーチ窓があいている。黒い猫がそのアーチ窓の脇にちょこんと座っていて、円奈を見下ろしていた。


円奈はぼんやりアーチ窓の黒猫をみあげる。



黒猫は円奈と目が合うと、尻尾立たせながら高い窓から室内へ去った。



夕闇はすっくり深くなって、暗くなった。


石工屋が建てた建物のてっぺんは、塔のようで、城みたいに胸壁狭間の凸凹があった。


壁面には盾形の紋章が張られて住む者の血筋をあらわす。


その紋章は百合の花が描かれたり、真っ赤なドラゴンだったりした。ドラゴンの鱗は金色で、大きな翼を
はためかせている。


織物の紋章に描かれた模様は見事だ。


都市のいろんなものが、円奈の目を惹きつけた。

きょろきょろあっちみたりこっちみたりして通路を進んでいると、やがて守備隊はとまった。



「ここです」

彼は都市の宿を指差す。「”オルタイ・ローラー”」

彼は宿の店名を読み上げる。

「宿を経営する女主人なら、一番の評判です」


円奈はクフィーユの轡をひき、宿屋の前にやってくる。


建物の入り口はアーチ型の木の扉だった。扉の左右にガラス窓がある。

ガラスは高級品なので、市民の家にはなかなかない。どうやら高級層むけの宿屋のようだ。


「気前いい女将ですから、ご安心を」

案内役の彼は言う。

「ノックも不要ですよ。そのまま入って部屋のあきがあったら、名簿に名前を記入してもらって泊まれます」


「ううん…」

円奈の顔は緊張している。

「じゃあ…じゃあ…」

扉の前にたち、心配そうに守備隊の彼を見つめる。「いいんだよね?」


「大丈夫です」

彼は丁寧にお辞儀し、するときた道を去ってしまった。「いい夜を」


「あ、ありがとうね!」

円奈は手をふる。「案内してくれて、ありがとうー!」


彼は振り返り、離れたところで円奈をみて、またお辞儀した。


「さて、と…」

緊張に変な汗をかいている。


ノックは不要とらしいから、取っ手にてを掛けて扉をあける。


キィっと音がして、扉が両開きになった。


円奈は中をみた。


宿屋の一階はひらけていて、たくさんの人がいた。


テーブルにろうそくをたて、談笑している人々はジョッキでビールを飲んでいる。

その人々が円奈が部屋に入ってくるや、だんまりして彼女をみた。


「ううう…」

円奈は顔を下にむけて、恐る恐る宿屋に入る。


部屋の中は、壁にも蝋燭の火が燃えていた。銅合金の燭台があって、ゆらゆらと赤く燃えている。

それが宿屋の暗闇を照らしていた。


「へえっと…」


円奈は客達の視線を集めながら宿屋のカウンターまで進んだ。

すると女主人らしき婦人が、皿をふきんで拭きながら、仰天した目を円奈にむけた。


「ええっと…」

円奈は女主人に話しかける。

「泊まりたいんですけど…」


「でていけ、イカレ女!」

女主人は怒り心頭、叫んだ。


「ひっ!」

皿が飛んできたので、円奈は腕で顔をかばった。腕に皿があたっておちた。カララランと皿が地面を回った。


「どこに、馬を宿にいれるバカがいるんだい、このうつけ者め、出てけ、二度とくるな、バカ女!」


「あうう…」

それで客人たちが、奇人でも見る目を円奈をむけていたのだった。

いや奇人そのものだ。


「あの…」

円奈はお願いする。

「馬はどこに泊めれば?泊まりたいんです…」



ますます女主人の顔は険しくなる。


「出ろ!このぼんくら女め、出ろ!うちの宿を汚しやがって、くそっ!」

ばんばん皿が飛んでくる。


「ひいい…」

円奈は泣きそうな顔で飛んでくる皿を顔に受けていた。

そしてクフィーユと一緒に宿を逃げ去った。


宿の扉を閉めると、はうううとため息はいて途方に暮れた。


守備隊にすすめられたときの言葉を思い出した。


「気前のいい女主人、ね……」


すごく気性のすばらしい、女の人でした。

170


さて宿を追い出された円奈は、本格的に眠る場所に困り果てた。


ああ、自然の森のなかで、眠ってしまえばどんなに気楽か!


人間の社会が凝結したここ都市では、眠ることひとつにも、ルールがいちいちあるのだった。

今までいつも寝るときはクフィーユと一緒だったのに、都市では馬と一緒に宿をとると怒られてしまうようだ。

田舎育ちの円奈は、都会のことを何も知らなかった。



時刻は8時すぎて、完全に真っ暗。


街灯なんてない時代だ。


その日は新月で、夜空を照らすものさえない。



ひどく真っ暗な都市に取り残された。


行き来する人々はもう帰宅したのか、通路にはほとんど人がいない。



代わりに、怪しい層がぶらぶらと出現しはじめた。


ローブを着た女性は、夜の街路によそよそと出てくると、いきなりローブの裾をもってあけっぴろげ、
自分の裸体のなにもかも見せた。


「う…」


円奈が思わず顔を青ざめさせる。

そして、ローブをもちあげて何もかも見せて男を誘い、釣られた男と一緒に街路の細い裏路地へと消える。


円奈にとっては、あまりの衝撃的な光景だった。


目を見張ってしまう。


しかもそんな、ローブを怪しげにまくり、足をみせる女たちが、ふらふらとあっちにもこっちにもあらわれ、
誘っている。



すると夜警隊が走りよってきて、「去れ、去れ!売女ども!あばずれどもめ!」と叫んで、
ローブを脱ぐ女たちを追い払う。


女たちは警備隊が現れると走り去って、裏路地の暗闇へ消えた。まるで狼にほえられた羊だ。



「ううう…なにこれ…」


もう、わけがわからない。

都市とはなんと恐ろしい場所だろうか。


「やっぱ……どっかの宿を探さなくちゃ…」


と決心した。



とはいえ、他に宿なんて知らないし、そもそもどの建物が宿なのかさえわからない。


困り果てた末、さっきどうしても気になった建物のそばにいくことを決めた。



守備隊に案内された道を戻る。

クフィーユを連れて、都市広場へ。



この広場も静かだった。人はいなくて、森閑とした雰囲気がのこっていた。


それは自然の森の静けさを思い起こさせた。やっと円奈は心を落ち着かせた。


すうううっと口で息を胸に吸い込み、深呼吸して、それからある建物に目を向けた。


修道院だった。

守備隊の説明によると魔法少女しか使えない、人間の立ち入りが禁止されている建物みたいだが、
それでも円奈の興味を惹いた。



円奈は自分が魔法少女にいつか変身する憧れを、完全に捨てたわけではない少女だった。



修道院へと足を進める。宿の女主人に皿を投げつけられた頭のこめかみが痛い。


まったく気前のよいと評判の女主人は、激烈な歓迎をしてくれた。



頭の傷の手をあてると、指先は赤く滲んだ。



さて、興味津々な修道院の目の前へきた。



誰もいなくて、気配はない。

大きな石の扉───彫刻の描かれた扉は───美しく見事で、荘厳な雰囲気をみせる。


石の階段をのぼると扉の目の前にきて、扉に施された彫刻がさらによくみえた。


石の扉は空洞がいくつか凹んでいて、そのなかに彫刻が埋められていた。


彫刻は、小さな騎馬像、少女たち(思えば、魔法少女たちなのだろうが)、そして卵の形した宝石。


少女たちは手にいろいろなものを持っている。


剣だったり、真珠のついたステッキだったり、くねくねした杖だったり、弓だったり。


さまざまな魔法少女の像が彫刻として描かれていた。


卵の形をした宝石が、ソウルジェムだと気づいたのは、ほどなくしてからだった。

ソウルジェムが埋め込まれた彫刻に、一匹の獣が喰らいついている。


獣はふわりとした尻尾があり、耳からも長いものが生えていた。さながら耳から別の耳が生えているかのようで、
わっかもあった。


その正体をこの時点では円奈はまだしらない。


そして、ソウルジェムに喰らいつく獣を何かか跳ね除けている。ソウルジェムは聖なる炎に包まれて、
獣を弾いていた。ソウルジェムからでる炎はある一点へと導かれ、天使の手へと消えている。


天使は、扉の一番頭の部分に描かれた彫刻だった。白いドレスをまとった天使が、ソウルジェムからでる炎を
右手におさめて、吸い取る。対して左手からは、どろどろしたものがでている。それが扉の左部分へと降りて、
おどろおどろしい悪魔たちが描かれる。


それが魔獣であることに、円奈は気づいた。


魔獣たちは顔をひきめきあわせて、魔法少女たちを睨んでいた。口をぽっかりあけて、喰らおうとしている
かのよう。

それと戦うのが、彫刻に描かれた魔法少女たちだった。


彫刻には、魔女も描かれていた。



老いて、裸で、毛もくしゃくしゃな醜い魔女たちは、天使の腹のなかにぎゅうぎゅうづめにされ、喘いでいる。

使い魔たちに血を与え、邪悪な力を増そうとしている。


そこを魔法少女たちが、剣で魔女を下から突いたり、杖で魔女をこらしめている。

足の裏を剣でさされる魔女と、杖であたためられる魔女。悪魔の冷たい精気を吸った魔女は、杖の温かみに
耐えられない。



そんな図だった。


全体的に環の流れだった。


ソウルジェムから炎がでて、天使の右手にきえて、天使を通って左手から瘴気がでて、魔獣があらわれ、魔法少女の力
が倒していって、魔法少女たちから霊気のようなものがぶわぶわでて、ソウルジェムになり、また炎になり、
天使に吸い取られて…


といった、ぐるぐる回ってしまう図式が描かれた。


天使の髪はながくて、魔女達があえぐ下まで伸ばされていた。


それらは包み込むように魔法少女たちにかかり、どの魔法少女も天使の伸びた髪に絡めとられているといった
図だった。


天使は穏やかにほほえみ、目は閉じている。夢見ているかのようだ。


まさかその天使が、自分の遠い親戚とは円奈は知らない。


その円奈は扉の彫刻を見回して、意味を解釈した。

「円環の理…」

と、彼女は呟いた。


どうしても修道院の中が気になって、扉に手をかける。


大きすぎる石の扉はびくともしないで、鍵がかけられている現実を知った。



「ふぐぐっ…!」


力を込めても扉は動かない。


赤くなった指先をぱたぱたさせながら石の階段を降りて、またため息ついた。

「はあ……今日どうしよ」

下に俯いて息もらし、夜の過ごし方について考えをめぐらせたところ、いきなり肩に誰かの腕が回された。


「え…?」

驚いて見ると、そこに男がいた。


「お嬢さんさ」

と、男はいう。「こんな夜になにしてんだ?今夜は泊まらないのか?」

「いや…なんていうか」

円奈は肩に回された腕と、男をなんとなくいやだと思った。

「泊まりたくても追い出されて……」


「そりゃあんたが泊まったりしたら、悪い評判が宿にたつからさ。」

と、男はいって、鉛のグラスに入れた酒を円奈の口元へ寄せた。

「さあ飲め。”まじない”の酒だ」


「いや、いいです…いらないです…」

口元に寄せられた酒を、円奈は遠慮する。「わたし、宿探さなくちゃ…」


「飲むんだ!」

男の声が大きくなった。「おまえがこれを飲んで俺も飲む。そして楽しむんだ」


円奈は生涯感じたこともないような悪い予感と、恐怖に襲われた。


「や……やめてください…」

肩にかけられた腕を払おうとする。「私にはかまわないで……」


「いかせないさ!」

男は円奈の肩から腕を放さない。

「あんたには一目ぼれした!いい声もしてる」


「やめて…」

ぐいぐい口元に寄せられる酒の水面がゆれる。「わたし…!」


「こんな時間にうろついて───」

男は胸元に円奈の頭をくっつけ、抱き寄せる。
 ・・
「相手を探してたんだろ?」



農村社会の夜も、獣など恐ろしい存在がいたが、都市の夜も獣のような存在がいた。



円奈はいよいよ本気で嫌がった。


相手とかそういう話はまったくピンとこない話で、とにかく嫌悪しか感じられかった。


すると、男の肩をトントンとたたく別の人がそこに現れた。


「そのへんにしろ」

「あ?」

男は顔をあげる。

そこには金髪の長髪を流した、翠眼の瞳をした女が立っていた。

その美しい顔だちをした女性の顔は険しい。男を睨みつけている。


「なんだ?あんたはさ」

男は問いかける。


「私は夜警騎士だ」

女はいった。


「はあ?騎士だと?」

男は眉をひそめ、女の足、それから胸、そして顔をみあげた。「女のくせに騎士だ?」

「なら見せようか」

女はごそごそとローブの中に手をいれ、印章を手に取り男にみせた。


「ああ?」

男は印章をみつめる。そこに描かれた紋章を。この時代の印鑑ともいうべき印章は、身分を証明する。


紋章をみる男の火照った顔が、凍っていった。

「この紋章はアデル家の…」


その間抜けた男の顔を、女はぶんと殴った。

「ふげえ!」

男が声をあげ、のけぞった。


その男の肩を掴み、腹に膝をいれる。

「うげ!」

男が呻く。

すると男の首筋をガンと肘でたたいた。

男はうつ伏せにぶっ倒れた。

手にもったグラスから酒がこぼれた。



その容赦ない女の人の暴力を、呆然と見おろした円奈だったが、女がやがて円奈の手をとった。


「平気かな」

円奈は金髪の髪に翠眼をした、背の高い女の人をみあげる。

「は、はい…」

円奈はどうにか答える。

「おかげで……」


「そこの男と同じ質問をするみたいで気持ち悪いが」

と、女の人は言った。

「こんな時間に、ここで何を?」


「わ、わたし…」

円奈はまださっきの恐怖感が身体から抜けてなくて、身体が震えている。

「修道院に入ろうとして…」


金髪の女は驚いたように翠眼を少し見開いた。一瞬だけ修道院のほうへ目をむけ、それから円奈に視線
を戻した。

 ・・
「人間は入れんぞ?」


「は、はい…」

まさに悪いところを見つかった子どもみたいに、円奈はしゅんとして謝った。

「ごめんなさい…」



「まあ、人間なのは私も同じだが…」

と、女はおずおず言った。

「とにかく……こんな時間にあんたみたいな年頃の女が出歩くもんでもなかろう。いや、その点なら、
わたしも同じなんだが…」

なぜかちょっと気まずそうな話す女だった。

「とにかくわたしは夜警騎士職分という、保障はある。だがあんたには……」


「あ、いえ…」

円奈はこの都市にきたばかりのセリフを、またここで口にする機会にあたった。

「わたしこれでも騎士で……」


「な、なに?」

女は翠眼を大きくした。

「騎士?おまえが?」


円奈は、小さくこくりと頷く。

また通行許可状を出さないと信じてもらえない気がしたが、女は驚いた顔をしながらも、納得する素振りを
みせた。

「その背中の弓、剣。馬…。たしかに騎士だな……だが」

女は顎に手を添える。

「その格好はなんだ。足を見せて。それじゃくだらん男に寄り付かれて当然だ」



「く、くだらん男…」

円奈はどういう意味か分からなかったが、訊くのも恐ろしい気がしたからきかないことにした。


「どこの貴族なんだ?」

と、女はきいてきた。

「どこの紋章を?」


「いや、そういうのもなくて…」

円奈は気まずく女性と話す。「でもこれでも本当に騎士です。アリエノール・ダキテーヌさんの専属になって傭兵を…」


「アリエノールの専属傭兵?……なに!」

女の人は目を大きくした。

感激した口ぶりに急変して、円奈の両肩をがしとつかんだ。

「ひっ」

円奈はついさっきの男の腕を思い出して、怯えた。


「では、きみがそうなのか!」

女の声は興奮している。鼻息も荒い。

「話はきいています!まさかここでお会いできるとは!ガイヤール軍の兵をみななぎ倒し、馬を駆ける姿は
天の使い!魔法少女を守ると誓い、その剣に誓いの力を込めて、勝利を呼んだ少女騎士!きみなのか!
きみがそうなんだな!」


「いや…ええっと…」

円奈は顔を引きつらせて笑う。

「それ……だいぶつくり話にされるよね……」


「誓いの力は魔法を呼び起こし、その魔法は、ギヨーレン王すら敗走させる!」


「そ……そんなんじゃないです…」

円奈は、なんだか都市というのは変な人が多いところだな、と心で思い始めていた。

「ギヨーレンは勝手に退却を……」


「それにしても、なんと羨ましい話だ!」

女は円奈に聞く耳もたなくて、突然、悔しそうに、頭を垂れてうなだれた。

「魔法少女の専属護衛を務めるとは!まさにそれぞ、女騎士の誇れではないか!」


「そ……そうかな…」

円奈の両肩を握りながらうなだれる金髪のローブ姿の女性。


「きみと話がしたい!」

と、女性はうなだれた顔をあげると、円奈むけて言った。その頬は熱く、火照っている。
そして目つきは真剣だ。

「宿はもう見つけているのか?」


円奈は金髪の女の迫力に圧されて、言葉はでずに、ふるふると首だけ横にふった。その顔は固まっていた。


「よし、ならばともに宿へいこう!もちろん、酒場のある宿だ。」


女は嬉しそうに言った。


「それにしても、エドレスの姫アリエノール・ダキテーヌの専属護衛を務めたきみにお会い
できるとは……。その話を私に聞かせてくれ。きっとだ!さあ、こちらに!」



こういうとき、断れないのが円奈の性格だった。


どのみち宿に連れて行ってくれるみたいだし、一応、女性だし……

と考えて、彼女に付き合うことにした。

今日はここまで。

次回、第23話「酒場で大暴れ」より、次スレになります。

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