男「お前、本当にアンドロイドなのか」AI「なんでんなこと聞くんだ?」 (120)


時は西暦33xx年。
地球から5万光年ほど離れた銀河系の端の方に、太陽系とほぼ同じ構成の天体系があるコトが発見されたのは、500年も前の話になる。
その頃の地球は、人口爆発だとか環境破壊だとか資源の枯渇だとか、21世紀で騒がれていた異常気象問題なんか目じゃないくらい、マジにヤバい状態になっていた。
そして誰もが、人間が住むコトの出来る新たな惑星を見付けなければいけない、というコトを考えていた。



???「おい、途中に変な言葉を使うな。一気に緊張感が無くなっただろ」



……500年前の地球には、惑星を開拓する技術がかなり出来上がっていて、特に火星は何百年という歳月を掛け、人間が住めるような環境へ整備されていた。
金のある人間はどんどんと火星に移住していき、地球は今や、火星に住む人々が観光するタメの星になっていた。


一方移住する金がなく、取り残された貧しい人々は、地球で金持ち相手に観光業を営んだ。
そしてその観光業である程度の金を得ると、取り残された人たちも次々と火星へ渡っていった。
そして残された観光業をまた別の貧しい人間が引き継いで、金を得て、金が貯まれば火星へ行くーーそんなサイクルを経た今の地球には、もう住んでいる人間はいない。
頑なに地球から離れないコトを決めていた人たちも、全て死に絶えた。
今ではガイド用のアンドロイドと、自然の整備を行う機械しか存在していない。




ーーしかし、火星への大規模な移住が完了して40年後。
つまり今から100年前には、もう火星は以前の地球と似たような問題を抱え始めていた。
そこでまたしても人々は考えた。
また新しい星を見付けなくてはならないーー。



そうしてかねてから目をつけられていた、太陽系と瓜二つのこの天体系に対する本格的なプロジェクトが始まった。
この第二太陽系の中の、地球に相応する第二地球の整備は、100年前から行われている。


今は大規模な土地の開拓作業は大方終わり、建造物を建てるために土地をならしたり、道路を作ったり、そういう作業が主なものだ。
作業員も当初は何十人といたらしいけど、今は一人で機械たちの管理を行い、何かトラブルがあった時にのみ対処する状態。
そのトラブルも、33xx年現在の高度な技術による機械たちにはまったく起きない。
つまり作業員は、常に一人で暇を持て余しているワケである。



???「おい」



……言い方を変えよう。
作業員は地球から遥か遠く離れたこの僻地の惑星に、たった独り、孤独な状態で何年も過ごさなければならない。
その心のケアのため、作業員にはコミュニケーション能力に特化した人型アンドロイドが支給される。
それが『俺』。




コミュケーション用アンドロイドは、作業員と異性のタイプが支給されるのが原則だ。
単純な話、異性である方が乾いた宇宙生活に潤いがもたらされるからだ。
とはいえ、こんな僻地の整備を任される人間は根っからの人嫌いなタイプが多くて、アンドロイドは起動されないまま放置されるコトが多い。
でも問題はソコじゃないのだ。



問題は、なんで目の前の作業員が、自分と同性の『男』なのか、というコトなのだ。




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男「お前にインプットされている情報はそんなところか。少々砕けた物言いが煩わしいが、まぁいい。個体名は?」



作業員の男はとても若く、20代になったばかりのようだった。
癖のないサラサラな黒髪の短髪、黒い瞳、少し黄色の強い肌。
この顔は日本人だ、と俺の人工知能は認識していた。
白衣の姿は作業員というより医者、いや、学者のようだ。



AI「え、英一」

男「英一?ふぅん……番号の羅列でも言うかと期待していたが、違うようだな。AIからもじったのか?俺と同じ日本人をモデルにしてるようだが」

AI「そうだけど……」



俺は人工知能に与えられている情報から、自分の容姿を思い起こした。
髪型は少し明るい髪質に、癖っ毛。
身長体重は20代前半。
顔は整ってる方だ。
コミュニケーション用アンドロイドだから、当然不快感を与える見た目には作られない。



AI「アンタは?なんて呼んでいいのか分からないんだけど」

男「……お前、さっきから言葉遣いが随分とざっくばらんだな。俺は知的なタイプの人格が好みだと言ったんだが……仮にもお前の主人だぞ」

AI「いやでも、俺はコミュニケーション用アンドロイドだから。完全に人間にイエスマンじゃ、コミュニケーションも糞もなくなっちゃうじゃん」

男「はぁ……俺の好みと違う人格にしたのはあのハゲ上司のささやかな嫌がらせだな……ハゲ上司のヤツ、任期を終えて火星に帰還したらただでは済まさん」



そっちも口調が綺麗だとはとても言えないのだが、一応黙って聞いていると、男はこちらに向き合った。



男「確か人格の変更は不可能なんだったか……一から人格を作ってるワケじゃなくて、一人の人間の思考パターンをトレースして調整した人格が植え付けられているんだったな」

AI「そうだけど?」

男「まぁ、お前の呼び名はAIでいい。アンドロイドに英一なんて名前があっても、うすら寒いだけだ。俺はやるコトされやれれば構わない」

AI「え?ちょ、なにナチュラルにシャツのボタン外してるんだ?」

男「なにって……お前、セクサロイドじゃないのか」

AI「……は」

AI「はい!?俺、コミュニケーション用アンドロイドだから!そんな不健全なモノ支給するかっ!!」

男「性処理問題は馬鹿に出来ないんだぞ。ていうかお前……本当にただのコミュニケーション用アンドロイドなのか……?」

AI「あぁ」

男「……あのハゲ……セクサロイドが支給されるような言い方しやがって……許さん……マジで許さんあのハゲ」



ぶちぶち言いながら男は離れた。
生殖器も排泄器官もないから分からないが、同性の性交は認識するコトに少し違和感がある。
そもそもセクサロイドはかなりの高級品だ。
人類の明暗を担うかもしれない一大プロジェクトなら、と思ったのかもしれないが、むしろそんな大事な仕事でやましいモノが堂々と支給されるワケが無いだろう。
この男、意外にアホなのかもしれない。



男「こんなやりたい放題の環境で、性格はともかく顔は好みの男とナニも出来んとは……あのヅラ野郎、ささやかどころじゃない嫌がらせだ。万死に値する」

AI「ていうか……ゲイなんだな……」

男「悪いか。これでも火星じゃ大っぴらにカミングアウト出来ず、鬱屈としながらこの年まで生きてきて、性格まで鬱屈になった生粋のゲイだ」

AI「Oh……」

男「もういい。お前、シャットダウンしろ」

AI「ソレ無理だぞ。俺って元は医療目的のコミュニケーション用アンドロイドだから」

男「は?」

AI「だから……まぁ余命僅かで身寄りの無い患者さんに付き添うのが本業?なんだけど、シャットダウンが任意で行えたら、患者さんがいざという時に助けられ ないだろ?一度起動したらシャットダウン出来ないぞ」

男「」

男「最悪だ……」

AI「お互いにな」


~AI起動二日目~



最悪だ。
先日の火星への定期連絡で、ハゲ上司が《特別なコミュニケーション用》アンドロイドを支給するというから、もしやあの夢のセクサロイドのことではないかと本当に楽しみにしていたのに。


ハゲ上司は唯一俺の性癖を知っている人間だ。
別に仲が良いワケじゃない。
前に研究室で一緒に研究していた時、休憩時間にこっそりそういう動画を見ていたら、いつの間にかハゲ上司がそんな俺を見てしまっていただけだ。
それ以来ハゲが微妙に距離を置きだして、ちょっと目が合っただけで若干引きつった顔をするのが心から腹ただしい。
お前は対象外だ、安心しろハゲ、と何度言ってやろうと思ったことか。


いや、そんなことはどうでもいい。
とにかく、事情を知るハゲ上司だからこそ、俺に男のアンドロイドを手配してくれたのだ。
しかも顔のサンプルも見せてくれて、好みのモノを選ぶことが出来た。
そこは本当に感謝している。
唯一のミスは、性格は知的で落ち着いている方がいいと言ったのに、むしろ真逆のタイプを寄越してきたことだ。


アイツ、俺が若いのに一大プロジェクトの最前線を任されているのが気に入らないから、こんな地味な、しかし確実な嫌がらせをしてくるのだ。
何より明らかにセクサロイドが支給されると取れる言い方をしてきたのはたちが悪い。
セクサロイドは、男なら誰だって夢見てしまうものだ。



AI「腹減った~」



あのAIがそんな声を上げながら、この政府機関第二地球開拓センターのキッチンにやってきた。
アンドロイドは33xx年現在、様々な場所で活躍している。
店や会社の受付だとか、物の運送だとか、建築作業とか、簡単な接客や力仕事は軒並みアンドロイドがやっている。
でも人間の仕事が無くなるような事態にはならなかった。
アンドロイドは決められたコトしか行えないからだ。
アンドロイドに仕事を取られた人間も、その分アンドロイドの管理や修理などへ流れていった。



あのAIは本当に人間のような態度だが、自分が人間とコミュニケーションを取るためにそんな態度を取っているだけだ。
なぜこんなヤツと自分がコミュニケーションを取らなければならないのか?なんて疑問が、あのAIの思考に出てくることは永遠に無い。


今気付いたけど、>>1の40年後→400年後です。


男「飯なら用意したぞ、ホラ」

AI「……何だ?この液体」

男「ガソリン」

AI「」

男「何を燃料にしているのか分からなかったから、他にも灯油、ハイオク、バイオマスエタノールを用意した。どれがいいんだ?」

AI「いや、普通の……」

男「?あぁ、石油の原液か」

AI「ちゃうわーい!俺は人間が食べるのと同じモン食べてエネルギーにしてんだよ!」

男「……お前、本当にアンドロイドなのか?」

AI「正しくはバイオロイド寄りのアンドロイドだけど。内臓は殆ど人工臓器使ってるし、でも人工知能とか骨格とかは機械だしで」

男「はー……つくづくアンドロイドらしくないな」



せっかく石油を濾過して用意したのに。
いや、別にこのAIのタメではなかったがな。
この第二地球を整備する機械の燃料を作るついでで用意したに過ぎないのだ。


AIはキッチンにある冷蔵庫の扉を開けると、適当に材料を取り出していた。
そうか、これからは二人分の食材を申請しなければならないのか。
アンドロイドの食費は上持ちだろうか?
俺の給料から天引きされたらすぐさま火星に怒鳴り込んでやる。



AI「俺は医療目的のコミュニケーション用アンドロイドだぞ?独りで最期迎える人とか、気軽に外に出歩けない人の面倒を見るんだぞ?」

AI「ガソリンぐびぐび飲んでたらロボット感丸出し過ぎなんだよ。人間の温もりを求めてる人からしたら、ショック受けちゃうんだってさ」



そういいながらAIは手際良くコンロに火を付けてフライパンに油をひき、片手で冷蔵庫から取り出した卵を割った。
それをボールでといて、軽く塩胡椒をし、温めたフライパンに流し込む。
ジュウ、と心地よい音がした。



男「手際がいいもんだな。それもコミュニケーションとやらのタメか」

AI「やな言い方すんなよ。ていうか、ここコンロなんだ?誘導加熱器にしないのか?」

男「コンロの方がいいって人間はずっといるんだ。最初の誘導加熱器が出て1300年も経ってるが」

AI「そういうとこ、人間って面倒くさいんだよな」



コミュニケーション用アンドロイドらしからぬ愚痴を言う間に、スクランブルエッグは出来上がっていた。



AI「空、蒼いんだなー」



呑気な声が聞こえたので目の前を見ると、AIは感心した様子で窓の外を見ていた。
ここは第二地球という名の通り、地球と瓜二つの星だ。
俺は地球には観光したことがなかったから、この透き通るような薄い蒼がどこまでも広がっているのを見た時にはびっくりした。


火星には自然の空が無い。
人々は皆、巨大なドームの中で暮らしている。
ドームの中には人口太陽が照らしており、青空はスクリーンで作られている。
重力も含め、ドームの中は限りなく地球の地上を再現しているが、歩き続けるといつかはドームの壁にぶち当たるし、いくら青空のスクリーンが美しくても、ドームの外にある本当の宇宙の真っ暗闇や、遠くにある星の輝きを見ると、どうしても偽物である感じが付き纏った。
これは俺個人の感想ではない。
500年間、火星に生きてきた人類が、ずっと感じ続けてきたことなのだ。



火星に来て、人は精巧な偽物の地球の地上をそこに作った。
それでもドームの中はどこまでも偽物で、人工物に囲まれた生活に人間はストレスを溜め込んでいった。
地球に生きたことのない生粋の火星生まれ火星育ちの世代になっても、そのストレスはどうしてだか消えることがなかった。
それを誤魔化すタメなのか、反動的に様々な目覚ましい技術を生み出だされていき、結果、加速度的に火星はボロボロになっていった。



男「皿はしまっとけよ」

AI「へいマスター」



アンドロイドさえ、どこか郷愁の念を含んだ目を向ける、この空を見始めてから、今は三ヶ月目。
任期は五年。
この空を見れるのは、あと五十七ヶ月ほどだ。
それをこのAIと見ることがどんなことになるのか、俺には想像も付かなかった。



AI「あ、そう言えば朝食は食べたか?」

男「食べた。ていうかそうだお前、主人より遅く起きるってどういうコトだ。そもそも寝るのかよ」

AI「俺はかなり人間の思考に近い超高度な人工知能を使ってるから、一日五時間はスリープモードにしないと、頭の回線ショートしちゃうんだよ。主人の生命活動に異常があったら飛び起きるけど」

男「まさか……今も勝手に計測してるのか!?」バッ

AI「裸見られたようなリアクションするな……付属品にブレスレットあっただろ?アレを付けないと計測出来ないよ。だから付けて欲しいんだけど。落ち着かないんだよな~」



軽口を叩きながら、AIは食パンを焼き、野菜を切ってサラダにし、ついでに何やらスープも作って、あっという間に豪華な朝食が出来上がっていた。
なんたる家事レベルの高さだろうか。
見た目も好みだし、性格がタイプだったらロボット相手に本気で惚れることが出来ていたのに、非常に悔やまれる。



AIはキッチンの中央にあるテーブルに腰掛けると、手を合わせていただきます、と言った。
主人である俺の出身国、日本の文化に合わせているようだ。



AI「それにしても、けっこう料理に拘りあるのか?加工されてない野菜が多いようだけど」

男「第二地球で試験的に栽培してるんだよ。それで暇だから自分で作る。でも火星の調理済み食品も楽だから買うけど。あ!お前は勝手に買うなよ、経費で落とせるか確認してないから」

AI「どんだけケチなんだ……」

男「今も老後も一人の予定だからな、面倒見てくれる相手がいないんだからケチにもなる」



そういいながら、AIの作ったスープの皿を勝手に取り、口に含んでみる。
悪くはない。
というかいい。
明らかに美味しい。
素材を活かした素朴な味わいだ。
家庭的な味付けとやらは33xx年現在も重宝されている。
遠い昔を思い起こさせる匂いだ。
特に思い起こしたい過去でもないのに、この気持ちはずっと無くならないのだろう、と思った。



~AI起動五日目~



本日、第二地球日本予定地、晴れ。
湿度、温度、共に地球の日本2000年代冬の気候と同じと思われる。



AI「おい、なんで服が同じ種類のヤツしかないんだ?漫画の登場人物かよ、シャツとデニム一択で五年も過ごす気だったのか!?」

男「それだな……服なんて適当でいいかと思って、まぁシャツは色を変えてるが、全部ポロシャツにしたのは明らかな失敗だった」

男「ボタンを留めるのが面倒なんだ。一応白衣を着るのに合うかと思ってポロシャツにしたのは、唯一のミスだ」

AI「そこ!?」



戯言を話しながら、第二地球各地で活動している整備機械の様子を暇潰しに見てみる。
作業風景を中継する立体画像がずらーっと浮かんでいるこのモニタルームを見ていると、神様はこんな気持ちで地球や火星の成り立ちを見てきたのだろうか、と思う。
俺は何も手を施していない。
土地を整備しろよと命じているだけだ。
実際に手を施してるのは一つ一つの立体画像に小さく映る整備機械たち。
毎日毎日土砂を運んで土地をならし、森を整備し、海を埋め、川を作り。
俺があのロボットだったら大変だろうな、よくやるな、という上から目線のこの気持ち。



火星の環境は全てドームで管理している。
ドームは国毎に作られていて、アメリカや日本は巨大なドーム一つをまるっと自国のテリトリーにしている。
一方、貧しい国々はドーム一つにある程度の地域で分けられ、一纏めにされている。
だが、どのドームも地球より快適な環境だ。


とは言え地球から移住したばかりの頃、環境の変化にかなり混乱が生じたため、各国のドームはある程度ではあるが、地球にいた当時の環境にならった設定にしている。
気候と文化は密接に関係しているから、文化保護の観点からも必要なことだったのだろう。


文化を保護して何になる?と思う者もいたと言うが、偽物の地球の地上で暮らす人間には、それが存外重要なモノになっていた。
文化は国が国たる重みで、人間はそのどっしりとした枠に支えられなければ、心の寂寞を抱えきれず生きていけなかっただろう。


だが第二地球ではそうもいかない。
地球のロシアみたいな極寒の地もあるし、エジプトみたいに砂漠ばかりの土地がある。
第二地球のどこに自国の土地を割り当てられるかは、この第二地球開拓計画にどれだけ投資していたかで決められた。
日本はアメリカについで、資金面や技術面の双方において投資していたので、地球の日本と同じような温暖で四季のある、条件の良い気候を持つ大陸を取れた。
だが、国力のない国はどうなるか分からない。
地球では常夏の国だったところが、この第二地球では宵闇の極寒の国になるかもしれない。



男「土地を選べない国のことを考えたら、服を選べるのは贅沢だな」

AI「比較になってないんですけど」



AIは俺の服を借りている。
無論下着もだ。
これが性格も好みで人間ならば少なからず興奮もしたが、セクサロイドでもないただのアンドロイドのくせに、人の心に土足で入れる性格の人工知能、なんとかならないものか。


ロボット工学は専門だが、俺はあくまでこの第二地球にあるような土地の整備機械専門だ。
33xx年ではより研究分野が細分化されていて、一口にロボット工学と言えど、ちょっと分野が違えばさっぱり分からなくなる。



AI「この土地の整備っていつまで掛かるんだ?」

男「建物が完成して人が住めるようになるには、あと百年はかかるな」

AI「へぇ~、お前もう死んでるな」

男「……別にいい。新世界が希望に満ち溢れているワケがない。そんな混沌とした世界に生きるより、ここで一人静かに一生開拓していたい」

AI「そうなのか」

男「難しいだろうがな。こんな暇な仕事だが、プロジェクトにとっては大事な役職だ。他になりたいヤツがいくらでもいる。今後の第二地球の土地の割り振りに影響が出るかもしれないし」

AI「ふぅん……俺、邪魔だった?」

男「せめてセクサロイドならなぁ……」

AI「それ言うのもう11回目だぞ」

男「一日平均して二回しか言ってないだろ。よく我慢してるぞ、俺」



全く違う環境に生きなければならない未来の人々のことを考えることはある。
でも思考の結末はいつも、俺のいない世界のことなど知ったことか、に結着する。
どんな混乱が起ころうと、多分人間は最終的にはその土地に合った生き方が出来るだろう。
地球を捨てても、500年も生き永らえているのだから。
そんなことより、俺は目の前のコミュニケーション用アンドロイドに、どうやったら性行為の機能を与えられるかを考えていきたいものだ、と思っていた。




~アンドロイド起動10日目~



任務が始まって三ヶ月。
AIが起動して10日。
……そろそろ限界になってきた。
何が限界か?
想像して欲しい。
外には広がる大自然。
センターの中には重い振動音を発する無機物な機械たち。
そのままどこまでも無人な世界ならば、静かに心乱されることはなかった。


しかし、俺は煩悩に負けた。
悪魔ハゲジョーシの甘言に惑わされてしまった。
きっと神はそんな色欲に屈した俺を罰するために、こんな仕打ちを……!





毎朝の日課である各地の大気測定や水質調査、土壌の栄養状態のデータが無事に火星の本部へ送られたことを確認し、そっとある部屋へ向かう。
AIに割り当てた寝室だ。
昔、まだ沢山の作業員がいた頃の名残で、今は使われていない部屋がたくさんある。


部屋の扉をボタンで開けると、 ベッドの上にAIが寝ている。
少しくせのある、黒より明るい髪質。
日本人にしては目鼻立ちがはっきりしていて、目を覚ませば大きな瞳で俺を見る。
性格こそガサツでお節介タイプだが、見た目だけは完璧に俺好みだ。
そんな人間がいて、ムラムラとしない男なんているのか?
いや、いない。
性格がいけすかなくても、見た目で興奮するのはまた別の話だ。
33xx年であれ、人間の性的欲求など遥か古の頃からついぞ変わったことはないのだ。


こいつがセクサロイドだったら。
今までこれを口にしたのは19回(※AI調べ)。
だが心の中ではその10倍は言っているだろう。
そして呟き続けて10日目の今、思いついたことがある。


ーー生殖器や排泄器官がないと言っていたが、口淫くらいは出来るんじゃないか。
いや出来る。
為せばなる。
33xx年の技術の結晶たるこのAIに不可能などない筈だ!




AI「……なにやってるんだ?」

男「」

AI「お前、心拍数が速くなってるぞ……こんな朝から……大丈夫か……?」



デニムのジッパーに手を掛ける間もなく、AIが目を覚ましていた。
その眠たそうな目線を辿り、はっと手首を見ると、右手には白いブレスレットがハマっている。
元々こいつは、死期の近い患者用のターミナルケアを目的とした、コミュニケーション用アンドロイドである。
そしてこのブレスレットはあのAIにとってセンサーであり、これをつけた患者の生命活動を常にチェックしている。
患者の容態に何かあればすぐに措置を取れるようにするためだ。


そうだった、こいつがこのブレスレットを付けろ付けろと煩いから、根負けして昨日つけてやったのだった。
何せこのAIは、一度起動したらシャットダウンも出来ない。
この五年間、共に過ごさなければならない相手とは、なるべく諍いを避けたいのだ。


このAIが、決して人間を嫌いになることはないし、人間に邪険な態度を取ることも出来ないのは分かっている。
だが、だからこそいつまでも人を心配してぐちぐちと忠告をしてくる。
その煩わしさから逃れるためにしたことで、結局墓穴を掘るとは……。



AI「あー……分かった、分かった。お前、性懲りの無いヤツだな……俺に性行為する機能は無いって、散々言ってるのに」

男「それは違うぞ!」バッ

AI「!?」

男「お前が諦めてるだけだ……一口に性行為と言えども様々な手段がある……お前にも出来ることがある」ジリジリ

AI「ちょ、ちょっと……マジで近付かないでくれません?」




AIは慌ててベッドから飛び出した。
裸などではなく、裾のゆったりとした生地の寝間着を着ている。
俄然アリだ。


AI「お、俺はアンドロイドだから……人間には危害を加えられないようにプログラムされてるんだよ……俺の患者が襲われてたら話は別だけど……」

男「ふふふ……知っているぞ……1000年も前のSF作家が考えたロボット原則に縛られるなど、お前も所詮その程度か……!」

AI「完全に悪者の台詞になってるぞお前!くそー捕まってたまるか!」



AIはそう言って深呼吸すると、刹那、凄まじいスピードで駆け出した。
呆気に取られるうちに横をすり抜けられ、気付けばAIは廊下の方に出ていた。



AI「人は攻撃出来ないけど、身体能力はあるんだよ!それにセンサーのブレスレット付けてなくても、近付かれたら気付くっての。人間の爆睡とは違うんだから」

男「ぐぬぬ……」



AIは深々と溜め息をつくと、廊下の先を歩いていった。
無機質な白い壁や床に、足音が響く。
……どう足掻いても絶望、とはこのことか。


気分転換に部屋の窓を開けると、小さな白い鳥がやってきた。
野生の鳥らしくない、文鳥のようなこじんまりとした見た目だ。


……なんだか、邪な気持ちを責められている気分になった。



~AI起動 13日目~



目を覚ますと、第二地球開拓センターの外には雪が降っていた。



AI「雪だー!!」



AIがはしゃいでいる。
濡れても防水加工が施されているので大丈夫らしい。
そもそもこいつは風呂にも入っているのだ。
雑菌の処理なら、わざわざ風呂など入る必要はないと思うが、日本の文化に合わせるためだろうか。


AIはしっかり防寒対策の上着やマフラーを身体にぐるぐると巻き、降り積もる雪の中、せっせと雪だるまを作っていた。



男「さむっ」

AI「あ、お前も作りたいのか?」

男「誰が作るか」



気象データでは今日は雪は降らないハズだったのだがな。
こんな予定外の天候が起こることが、1300年も前の頃の地球では当たり前だった。
人類が火星に移り住んでからの天候はドームで完全にコントロールされ、雨を降らせるから傘は忘れるなとか、雪を降らせるから気を付けろ、というのが天気予報ならぬ天気告知だった。


天候を管理出来るのは、人類にとってかなり便利なことだった。
だがそれは、自分たちが偽物の箱庭の中で暮らしているという宣告にほかならない。
地球を捨ててから、どうやっても消えることなく人間の心に存在する地球喪失のストレス。
それには、人間の手に負えないこの自然が一番の特効薬だ。
だからこそ人間は、躍起になってこの星を開拓し続けている。


だが、自然は時に人間を深刻に脅かす天災をもたらす。
どうして新たな星を手に入れられるほどの技術を持った人間が、今も尚、それに心から寄りかかってしまうのだろう。



AI「また黄昏れてるなぁ~」

男「前までは一人で妄想し放題だったからな……」

AI「なんだその顔」ムッ



するとAIは当然しゃがみこんだ。
そして地面の雪を掻き集め、俺を意味深に見上げるとーー。



男「」バフン!

AI「名付けてスノーキャノンと言ったところかな……」フッ

男「……」

男「どういうことだ……人間に危害は加えられないのだろう」

AI「どう考えても危害にならないじゃん。転倒するほど強く投げてないし、万が一転倒したとしてもこの付近には大きな石は落ちてなかったし、そもそも俺が全力で駆けつければ転ぶ前に助けられる」

男「なるほどな……これは危害に含まれないと判断したから実行できたワケか……納得だ」

男「などと言うわけないだろ!」ブンッ

AI「おうふっ」ビチャァ




AI「俺の人工知能によれば、この雪合戦は子どもの遊びの定番らしいな」ビチャァ

男「俺は初めてやったがな」ビチャァ

AI「……?日本国ドームの中の天候は統一されてるよな?一年を通して雪の降らなかった区画なんて無いハズだけど」

男「やらなかったんだよ、友達がいなかったから」

AI「……」

男「昔から人間が嫌いだったんだ。だから小さい頃からこの仕事には憧れてた。人間が誰もいない所へ行ってみたかったんだ」



AIはじっと俺を見ていた。
まるでカウンセリングをする心理士のように、俺の所作の一つを見逃すまいとするその瞳。
レンズで出来ているその瞳を見ていたら、不意に俺の口は止まった。
こいつも、この第二地球を開拓する機械と変わらない。
そんな相手に自分は何を言い出しているんだか。



AI「俺も嫌いか?」



黙り込んだ俺をどう思ったか、AIは特にこれといった感情を表さず、そう聞いてきた。



男「機械相手に好きも嫌いもあるか。お前だってそうだろ。お前は人間が好きか?嫌いか?」

AI「……」

男「おいおい、なに馬鹿正直に黙ってるんだ。嘘でも好きだって言っとけ。そんな冷徹な態度を取って、か弱いターミナルケアの患者がショック死したらどうする」

AI「……」

男「お?なんだ、アンドロイドでも怒るか?」



AIは少し不機嫌そうな顔で黙っていた。
そしてゆっくりと雪が降ってくる空を見上げた。
つられて俺も見上げてみる。
鈍色の空は腫れぼったく曇っていて、舞い降りる雪の白さはどこにも見当たらなかった。



AI「お前、絶対に雪合戦したことあるな。忘れてるだけで」

男「は?」

AI「だってかなり投げ合ったけど、なかなかの動きだった」

男「……意味が分からん」

AI「うん、まぁ適当だしな」

男「……」

AI「なぁ、俺、お前といくらでもこうやって悪口言い合えるし、ケンカも出来るぜ。何を言われても、何があっても、お前のことは絶対に嫌いにはならない。そういう思考プログラムだから」

男「……」

AI「いい加減寒くなってきたし、そろそろ中入らね?」

男「……腐ってもコミュニケーション用アンドロイドか」

AI「腐ってねーよ、現役だよ!」



~AI起動 16日目~



男「……」チーン

AI「まさか風邪ひくとはな……」

男「……がぜぐずりだのむ」

AI「らじゃー」



三日前の雪遊びがたたったのか、風邪をひいてししまった。
風邪と言うのは厄介なもので、33xx年でも未だ完治させる薬は開発されていない。
とはいえ、研究自体はだいぶ進んでおり、薬の効力は高められている。
このAIが身体を検査しているから、俺の風邪に合う薬を用意してくれるだろう。



誰かに看病されたのはいつ以来だろう。
AIの背中を見送りながら思い出してみる。
最後に看病されたのは、まだ自分が10歳くらいの頃だったろうか。
あれから、親にさえ看病されたことはなかった。


俺はロボット工学の分野に才能があったらしく、学年をどんどんと飛び級して、15歳で政府機関の一研究員になれた。
周りには異例のことだとか言われたが、それはたぶん、勉強しかすることがなかったからだ。



AI「ほら、これ。これが一番効くはず」

男「……」グダー

AI「おい、コップ掴めよ」

男「……やだ」

AI「は?」

男「口移しがいい」

AI「たわけたこと抜かさず飲めオラ」グイッ

男「ガブガブガブ」

AI「ほい」

男「ごっくん」

AI「たぶん明日には治ってるぜ、よかったな」

男「この鬼畜AIめ……」



AI「俺、初めての看病だな」

男「……?」

AI「あれ?言ってなかったっけ。俺、まだ患者さんについたことないんだぜ」

男「そうなのか……?お前の口振りだと、てっきり誰かについたことがあると思っていたが」

AI「それは俺の人工知能に、過去の医療コミュニケーション用アンドロイドの臨床データがあるから、全部それの受け売りだよ。俺自身が誰かの患者になるのはお前が初めてだな」

男「ふーん……新品のコミュニケーション用アンドロイドを支給してもらえたのか……」

男「というか中古の可能性を考えてなかったな。お前は見るからに新品包装だったが……よかった……」

AI「?まぁ、俺は大体人間の寿命並みの耐久年数だからな。きっとまたお前の次の人間に支給されるだろうよ」

男「ふぅん……」

男「……初物……」

AI「なにその笑顔……」



げんなりとした顔のAI。
というかなぜげんなりとした顔をするのだろうか。
性対象と見られることが、このAIにとって危害になりうるとでもいうのか?
……なりうるか、確かに。



AI「お前もうずっと風邪ひいとけよ。どうせこのセンター内でやることないんだろ?」

男「即効治してやる……」



モゾモゾ、と布団を深くかぶり、AIからそっぽを向いて目を閉じた。
呆れた溜め息が後ろから聞こえてくる。
そんなところまで、どこまでもどこまでも人間面しやがって……。


誰も嫌いにならない人間がいてたまるか。
俺は嫌いな人間ばっかりだ。



AI「基本的に傍にいるけど、いいか?嫌なら出るけど」

男「……俺のいないところでのびのびとさせてたまるか……」

AI「お前……むしろ尊敬するよ……」




~アンドロイド起動 20日目~




アンドロイドの俺が夢を見るのか?と男に聞かれた。



答えとしては、俺は夢を見ている。
一日の活動が終わってスリープモードになる時、容量削減のためにその日に得た映像や感覚の記憶データを圧縮して、人工知能に改めてインプットし直すんだ。
俺には一日の活動記憶を収めている短期記憶のメモリーと、それ以前の活動全般の記憶を収めている長期記憶のメモリーがある。
別々にメモリーを使用しているために、俺にも人間と同じように、記憶の整理整頓のための夢が現れる。


夢、と言っても人間の見るような夢ではなくて、その日一日に得た記憶の圧縮過程の映像だ
見てる時はどんな風に圧縮されていくのか覚えてるのだけど、圧縮時の映像は必要のない情報と判断されるから、起きる頃には俺の記憶メモリーから削除されてる。
だから覚えてはいない。



男「なんだこの映画……サッパリだな」



男はブツクサ言いながら立体映写機を止めていた。
忌々しそうに手元の小さな電子チップを見つめた後、乱暴にケースにしまっていた。



男「2000年代初期の2Dには致命的に迫力がないな……その絵画的な奥行きの無さがいいという映画マニアもいるが……立体映像の迫力には敵わん」

AI「その時代その時代で良い映像の在り方を模索してるんだよ。無いものねだってもしょうがないじゃん」

AI「それに俺はよかったと思うな。立体映像が撮れないからこそ、また違ったアプローチで映像の迫力を生み出そうとしてるワケじゃん。その試みが、今の立体的な映像よりも想像力を掻き立てられるっていうか」



男は俺の言葉にじーっと耳を傾けていた。
そしてやがて、立体映写機の電源を落とした。



男「俺、アンドロイドより感性が負けてるのか……?」

AI「確かに、お前はもっと情緒を持った方がいいぞ」

男「なに?」

AI「だから外行こうぜ、外」

男「は?」

AI「こんな所で閉じこもってるからダメなんだよ。前に風邪引いたのも、センターの中でだらけてるから身体がたるんでたんじゃねーの?」

男「……確かに最近腹が……」サスサス

AI「よっしゃ外行こう!外!」



~第二地球開拓センター付近の森~



男「寒い……」ブルブル

AI「人間って不便だな~俺は寒いとは感じないぜ」

AI「まぁ人工皮膚や臓器の損傷を防ぐために、ちゃんと防寒対策しなきゃいけないけど」

男「……雪がまだ残ってる……あの初雪からまた少し降ってたからな」


ブルルルルルル……


AI「あ、あれ耕作機械じゃん。この森も開拓すんの?」

男「あぁ。この辺り一帯は、第二地球の開拓作業が終わり、人類が移住し終えた後も、第二地球の環境管理の中枢となるところだからな」

男「ここの他にも、アメリカ予定地、イギリス予定地、ロシア予定地……あとどこだっけな?大陸ごとに最低一つは置かれるんだが」

AI「ふーん……生態系とか、いいのか?」

男「自然は残すさ。だが人類が暮らしていく上での自然だ。どの程度の自然をどのように残していけば支障がないのか、スーパーコンピューターとやらでシミュレーションしまくった上で開拓してるんだと」

AI「へー……でもそのシミュレーションが間違ってたら?そしたらどうする?」

男「……もしスーパーコンピューターのシミュレーションでさえ分からなかった悪影響が出るとしたら、単に人類の寿命はそこまでだって話だ」

AI「うわー淡白だなー」

男「俺が死んだ後の人類など知らん。元々嫌いだからな」



森を進んでいくと、やがて崖の淵に辿り着いていた。
向かいには更に切り立つ崖の上から、白濁の滝が流れている。
鼻腔の中にむわっと広がる土と水の匂い。
火星の自然の中には、観光スポットをかねて荒々しい自然を再現した場所もあるが、この光景には及ばないのではないだろうか。



男「モニターの立体映像や火星の自然を見るのとは違うな……人類はその違いに恋い焦がれているのか?」

AI「さぁね。俺には、地球を離れてから人間が一般的に抱えてる、地球喪失のストレスが存在する、っていう臨床的なデータしかないから」

AI「お前はどう感じてる?」

男「……」

男「俺はこの星に人間がいないから、この光景に感動してるんだと思う」

AI「ふーん……そういうもんなのかな」

男「考えてみろ、あと百年したらこの滝も無くなってる。そして人類に寄生されたこの星は緩やかに死んでいって……またいつかボロボロになって捨てられるんだ。人間なんてそんなもんだ、しっかりデータとして覚えとけ」



俺の人工知能には、人間の命は尊いとされている。
臨床データで記録された人間も皆、その生命を大切に思い、全うすべく俺たちコミュニケーション用アンドロイドを必要としていた。
それなのにこの人間は……どうして人間としての自信がないのだろう?



男「なんだ?今度こそこんな発言をする人間の心理カウンセリングがしたくなったか?」

AI「しねーよ。コミュニケーションを取るのが俺の存在理由だから」

男「哀れなもんだな。こんなことを言う人間にも、コミュニケーションを取らないといけないなんて」

AI「そんなことないよ、楽しいし。ターミナルケアの患者さんには、そこまで威勢が良い人は稀だからな」

男「なーにが楽しいだ」



男は白々しいと言わんばかりの怪訝な顔で、道をとっとと降りていく。
その後を追い、木々の間の獣道を歩いていると、ふとある記憶の映像が浮かび上がった。



それは随分と低い視点の映像だった。
恐らく子どもの目線だろう。
目の前にはもう一人、黒髪の子どもの背中があって、今みたいに森の道を歩いていた。
一緒に手を繋いで。
鮮明なのに、とても朧げな記憶だ。



男「おい」

AI「……ありゃりゃ」

男「お前、なにコケてるんだ……それでも本当にアンドロイドなのか?」



気が付いたら、地面が目の前に反り立っていた。
ーーのではなく、俺が仰向けに倒れていた。



AI「……?」

男「おい、起きろよ」

AI「今の主観的な視点の映像……なんだ……?」ブツブツ

男「いい加減に起きろ。地面に仰向けに倒れたままブツブツ言うな。気持ち悪いぞお前」

AI「……よいしょっと」スクッ



映像のフラッシュバック。
しかも入力された覚えのない映像だ。
それがこの人工知能のメモリーから引き出された。
一体どういうことだろう。
何か、バグだろうか。



今日はスリープモードになる前に、自分の状態をチェックしておこう。
そう思いながら、特に手を繋ぐこともなく、二人で第二地球開拓センターへ戻っていった。





~アンドロイド起動 25日目~

上司『もしもし、定期報告お願いしますよー』



第二地球開拓センターのモニターが、不愉快な一人の男の立体映像を投影した。
俺のハゲ上司だ。
俺が応答ボタンを押すと、気に障るほどに間延びした声が聞こえてくる。
この33xx年にバーコード頭とかいう古いにもほどがある髪型の、よく言えば人当たりの良さそうな、悪く言えば強い言葉に従ってしまいそうな、小太りの男だ。



男「この定期報告いるのか?一週間に一度なんて、頻度が多すぎるんだが」

上司『なに言ってるんですか~?上司として、ちゃんと映像で君の健康状態をみておかないとダメダメでしょう?』

男「……」イラッ

上司『あ、それより、どうです?英一くんとの生活には慣れましたか?』

男「……英一……?」

上司『ちょっと、あのコミュニケーション用アンドロイドですよ~!英一って名前ですよ?名前で読んであげてないんですか?』

男「あぁ、そう言えば……」

上司『もうちょっと大事に英一くんを扱ってくれないと、ダメダメですよー!』



上司の口調や動きはどこか女性的だ。
俺は同性愛者ではあるが、自分が女になりたいタイプの方ではない。
このゆったりとねちっこい喋り方は気に食わないのだが、それでもやはり上司であるので下手に逆らえない。
それに目をうろうろと泳がせ、どこか小動物のような落ち着かなさを見せているこの上司だが、プロジェクトの責任者の一人だけあって、読めないところもある。



男「大体……アンタ《特別なコミュニケーション用》とか言って、セクサロイドにも取れる言い方しやがって……!しかも性格のタイプ全然違うからな!」

上司『その愚痴は定期報告で毎回聞いてますよ~でも仕方ないんです』ショボン

男「は?」ギロリ

上司『一応あの時は好みの性格を聞きましたけど、本当は用意されてる人格があの一つしかなかったんです~でもそれ言ったら、君、起動してくれなさそうだなぁと思って』

男「お前、今頃そんな言い訳を……今すぐ人事部に告発してやる……!」

上司『まぁまぁ。英一くんはね、超最先端なコミュニケーション用アンドロイドの試作品なんですよ。電源を入れた人間じゃないと主人と認識しないし、こうでもしないとデータが取れなかったんですよ~』

男「データだと……?おい、まさか俺を勝手に臨床心理実験の被験者にしてるというのか」

上司『英一くんの発明者たっての希望なんですよ、被験者を君にするのは』

男「は?」

上司『ほら~地球喪失のストレスってヤツが、500年前からずーっと蔓延ってるでしょ?もはや人類の性みたいなもんでしょ?地球から離れ、孤独を抱える人類の心のケアは急務なんですよ』

上司『人間の心の病はさらに複雑になってるし……君はね、今人類で一番孤独な環境下にいるでしょ?データとしてはとっても貴重なんですよ~どうせセンター内の作業も監視だけだし、暇潰しがてらお手伝いしたげて下さいよ』

男「……どうせシャットダウンも出来ないしな。とはいえ最悪、AIに何もエネルギーを与えないという手もあるが」

上司『そんな……英一くんを餓死させる気ですか!?鬼ですよ!』

男「するワケないだろ……それにしても、人格のトレースとは言え、あそこまで人間の人格を再現出来るAIなど聞いたことがなかったが……試作品ということはまだ公にされてない、内密なプロジェクトなのか」

上司『んーまぁそうですね。コレってば、僕が個人的な人脈で紹介されてるプロジェクトなので。だから協力頼みますよー特別手当は付けますから』

男「お前自体はいくらで買われたんだ……?まぁいい、期待されるほどのデータは取れないだろうしな。じゃあな、ハゲ上司」



プツッ


上司「……」

上司「思ったより出まかせって言えるもんですねぇ……」

上司「……これでよかったんでしょうか」


~AI起動 30日目~



今日はいつになくAIがはしゃいでいた。
事の起こりは、作業員が大勢いた頃の名残で空室となっている内の一部屋にある。
その部屋に使い古しの電子パッドが置いてあったのだ。
おそらく随分と昔に作業員の間で使い回されていたもののようで、もうボロボロで電源も付かなくなっていた。
それをセンターをぶらついていたAIが見つけて、どうしてもこの中に入っているデータが見たいと言い出したのだ。


だから俺が暇潰s……いや、重要な任務の合間にちまちまと直してやったところ、昨日データが復旧した。
どんなエロ画像が入っているのだろうか、いやしかし入っていたとしてもゲイ向けでなくノーマルだろう、いやいやゲイ向けの画像がある確率は0%ではないぞ、と内心いろいろと邪推しながら、電子パッドのデータを新たな電子端末に移し、起動してみた。



中には、様々なマンガの電子書籍のデータがたくさん詰まっていた。



AI「マンガ面白れー!ファンタスティック!アメージン!」

男「おそらく作業員の間で、これでマンガを読んでたんだろう……1300年も続いているものだしな」

AI「へー」

男「くそ……18禁のマンガが無いだと?作業員に聖職者でもいたのか?」

AI「世界中のマンガがあるな~……確か最初は日本が引っ張ってたんだよな~歴史で習うヤツだ」

男「もっとも、言語の壁が無くなってからは世界中で作られるようになったがな」



あまりマンガには興味が無かったが、幼い頃に多少は読んだことがある。
そんな昔読んだ懐かしいタイトルを探し出し、内容をざっと追ってみた。


33xx年現在、世界には言語の壁が無くなっている。
火星に移るまでの混乱で、地球にあった様々なマイノリティの言語は淘汰された。
残るメジャーな言語に対する研究は進められ、翻訳機は性能を増し、今では通訳なしで専門的な話が出来る。


だからこそ、優秀な人材は言語の壁をすり抜け、世界中に散らばっていった。
言語の壁が無くなって、様々な国の人間が入り交じる今、国という括りは案外と朧げになっているのだ。
一説では、それも地球喪失のストレスの一因にあるといわれている。



AI「な、泣ける……」グスグス

男「お前……アンドロイドにこれが面白いかなんて分かるのか?」

AI「分かるって!そりゃあ、懐かしむ思い出とかは、ない、けど……」

AI「……」

男「?」

AI「……何でもない」






全然関係ないですけど、33xx年は清水玲子さんの22xxを意識してます。。
後書きでネタバラシしようとして言い忘れちゃいがちなので、唐突ですが書いておきます。



AI「お前はマンガ読んでた?」

男「あぁ、少しだけな」

AI「へー意外だな。絶対に興味無さそうなのに」

男「……確かに」



そう言えば、何故俺は興味の無いものを、幼い頃に読んでいたのだろう?
実際に読んだ記憶は間違いなくあるが、自分から手に取った記憶はないし、読んでいてもあまり楽しんではいなかった。
それでも俺は読んでいたというのか?


……なんのために?
誰かに付き合わされていたとしても、一緒にマンガを読むような友人付き合いなんて、俺には無かった。
親や親戚にもマンガが好きな人間などいなかった。



男「確かに……なんで読んでたんだろう」

AI「え?」

男「でも間違いなく読んでいた記憶はあるんだ……これなんか最後まで読んでるな」

AI「……主人公が古びた倉庫で見つけたバトル用アンドロイドが実は伝説のアンドロイドで、数々の敵のアンドロイドと戦い、悪のアンドロイドを倒す」

AI「心優しく熱血漢の主人公と、人間の感情を理解出来ないバトル用アンドロイドは、最初上手くコンビネーションが出来ないんだけど、段々とアンドロイドが人間の心を理解していって、いい相棒になるんだよな!」

男「お前、もう読んだのか?最後は主人公のアンドロイドと悪のアンドロイドが相討ちになって、暫く主人公のアンドロイドが行方不明になった後、また戻ってきたのを暗示するシーンが描かれて終わるんだ」

AI「このマンガいいよなー!別れのシーンとかボロ泣きモンだぜ……!」

男「……やっぱりアンドロイドに感性が負けてるのか……」



人間にとって絶対的な領域であるところで、機械に負けているのが途方もなく悲しくなってくる。
だが、こいつが面白いと思っているのは所詮、思考プログラムにとって新鮮なデータを取れているからに違いない。
人間のように登場人物の生き様に感動して涙を流すワケもない。



ーーはず、なのだが。



横にいるAIがあまりにも熱弁しながら泣くので、揺るぎないはずの確信が、不意に揺らいでしまう。
その姿はきっと、このマンガを読んだ人間の一般的な反応を、AIが単に模倣しているに過ぎないんだ。
何もかもがプログラムの弾き出した行動パターンに過ぎないんだ。



ーーだから何だって言うんだ?

人間だって、行動と考えは違う。
誰かが期待するから、本意とは違うことも行わなければらならなくなる。
優しい顔をして、裏で相手を傷付けることをしていたりする。
だから俺は機械弄りの方が好きで、ただひたすら土地を開拓していく機械に囲まれているこの環境にいることが、一番の幸せなんだ。



俺は人間が嫌いだ。
ずっと昔から、そしてこれからもずっと嫌いだ。
誰一人、好きになったことも、なることもない。
親にさえ愛し愛されなかった俺が、そんなこと出来るわけがないんだ。


だから人間のマネをするこのアンドロイドに、絆される道理なんてないんだ。




~AI起動 42日目~



朝七時、起床。
まず、洗顔をした後、第二地球開拓センターのキッチンに向かう。
AIは30分前に起床する設定にしたので(本人は『お互いもっと遅く起きようぜー、だらだら出来るんだからさ』と言ってくる、なんでアンドロイドに怠け癖があるんだ)、朝食担当はAIだ。


二人で朝食を囲むと、AIは毎日あそこに行きたい、あれがしたいと言ってくる。
朝は人間の思考がポジティブなので、提案を前向きに検討しやすい。
そんな心理テクニックを狙っているのだろう、このコミュニケーション用アンドロイドめ、と俺は密かに思っていることを、あのAIは知らない。


しかし根っからの人嫌いではあるものの、わりかしアウトドア派でもある俺は、気分がよければAIのお望み通りにしてやる。
気分が乗らなければ容赦無く却下する。
大体確率は半々だ。



却下した場合、俺は大抵引き籠って専門書を読む。
最近、コミュニケーション用アンドロイドの人工知能について勉強しだした。
開拓用の整備機械に使われている人工知能とは全く違っていて、なかなか理解が難しい。
だが真面目に基礎から勉強するのはとても懐かしい感覚で、嫌いな作業ではない。



AIの提案に乗った場合、大体実行は昼からだ。
今日は暖かい気候の海に行きたいというので、俺も気分が乗り、昼から小型ジェット機で移動して、現在夏の気候の大陸にある開拓センターの方へ行くことにした。


昼食と夕食は俺の担当にしている。
センター内の仕事は皆無なので、料理もしなくなったら本当にすることが無くなってしまうからだ。



昼を済ませ、小型ジェット機を自動操縦モードにし、現在冬である日本予定地から離れ、夏の気候の大陸にある開拓センターへ向かう。
音速を超えた移動でも、乗組員にかかるGは全くかからない。
AIはずっと窓に張り付いていた。
俺は航空機内のシチュエーションの18禁動画を思い起こしていたが、AIに対しては最近興奮しなくなっていたので、特に尻を触るようなこともせず紳士的に大人しくしていた。



開拓センターにつくと、小型ジェット機から降り、今度は飛行車に乗り換える。
飛行車は自動車と飛行機の合わさった、33xx年では家庭に一台はある、庶民の一般的な乗り物だ。
地面も走行出来るし、空も飛行出来る。
尤も、飛行車が滑空出来る場所と高度は法律で定められていて、違反すると一発で免許停止を喰らう思い違反行為だ。
誰もが思いのまま空を飛ぶことの出来る道具を手にいれても、自由に羽ばたくことは許されなかった。


だが第二地球には飛行機械は滅多に存在しないので、どう飛んでも罰されることはない。
夏の暖かな風をきり、飛行すること30分。
漸く海辺についた。
青々と煌めく海、強い日差しに照りつけられた砂浜、吹き抜ける潮風。
全てが日本予定地とは正反対だ。



いつの間に着込んでいたのか、アンドロイドはすぐさま服を脱いでダイビングスーツ姿になると、一気に海に飛び込んだ。

……何故ダイビングスーツなんだ……。

肌が見えないことにわりかし気分が萎えながらも、俺もボクサーパンツの海パンを履いて後に続いた。



本物の海を独り占め出来るなんて、火星の人間からすればどれほど贅沢なことだろう。
地球の海はいつも火星からの観光客で賑わっている。
この無条件な開放感は、火星のドームの中の海では味わえない。



海どころではなく、山も、湖も、第二地球にあるどんな絶景も、今は俺だけが味わえる。
聞こえてくるのは波のさざめきと、AIのはしゃぐ声だけ。
時折、海鳥の声が合間にとんでくる。
たったそれだけ。



波が穏やかに足をすくおうとする。
このまま足をすくわせて流されたら、こんな幸せな気持ちのまま死ねるのだろうか。
自分と同じ人間のいない、このどこまでも広大な自然の中で死んだら、どんな気持ちになるのだろう。



AI「なに見てるんだ?」

男「見りゃ分かるだろ。波を見てる」

AI「ふーん……」



ぴちゃぴちゃと音を立てて、俯く俺の視界にAIの足がやってきた。


第二地球開拓センターの作業員が減り出した頃、作業員の中に自殺者が現れるようになった。
元々、火星の人間関係やストレスに嫌気がさして志願する人間が多いため、この第二地球の地で死を願う者が現れるのは当然のことだろう。
その防止のために、長年コミュニケーション用アンドロイドが作業員に支給されてきた。


その話を聞いた当初、俺は馬鹿らしいと思っていた。
そこまで思えるほどの自然が、第二地球にあるとは思えなかった。
火星の観光用の自然もなかなかの迫力だったし、その程度だと思っていた。


でも今なら分かる。
この全くの手付かずの自然には、機械の開発ばかりしてきた無機物な頭の中にさえ、ひたひたと侵してくる何かがある。
この静かで広大な世界から離れたくない。
その心の叫びに、五年後の俺も屈してしまうかもしれない。



三時間ほど海で泳ぎ尽くして、俺がヘトヘトになったところで、日本予定地の開拓センターに帰還することにした。
AIは帰りのジェット機でも全く疲れた様子は無かったが、俺は爆睡していた。



その時に夢を見た。
幼い俺が、同じく幼い少年とあのバトル用アンドロイドのマンガを読んでいる夢だった。
幼い俺はあまり面白いとは思わなかったが、一緒にいる誰かがあまりにも楽しそうに話すので、それを黙って聞いていた。


マンガは好きじゃない。
でも、マンガの話をするこの少年が、好きだった。
そんな夢だった。



目を覚ますと、AIが着いたぞと俺を起こしていた。
さっき見た夢を思い起こすと、数日前マンガを読んではしゃいでいたこのAIを思い出して、なんとなく気まずい気分になった。
身体の疲労ぶりに、明日は筋肉痛だなと思いながら小型ジェット機を降りる。
瞬間、あまりにも寒い冬の空気が襲ってくるのを突っ切り、開拓センター内に駆け込んだ。



夕食を作っていると、AIが興奮冷めやらぬという様子で、海のことをずっと話し続けた。
煩いと言っても話を止めないのを知っているので、黙って聞いてやる。
だが得意気に毒性のあるクラゲに刺されたというので、慌てて刺された腕を見ると、見事に皮膚が炎症していた。


夕食を食べた後にAIが自分の人工知能で修理方法を調べてみると、治すには人工皮膚を培養して接合し直すしかないと言う。
全く面倒臭いオマケが付いてきた。


AIを包装していたケースを倉庫から引っ張り出し、そこに格納されているシャーレの一つを取り出す。
このシャーレの中の万能細胞に、AIの人工皮膚の欠片を与えると、一日でこの万能細胞が同じ人工皮膚に変容し、培養される。
AIの皮膚の炎症部分の量なら、二日ほど培養すればいいらしい。


全く面目無いと平身低頭なAIを鼻で笑いながら、ちゃんと説明書通りに培養し、シャーレを無菌室に保管しておいた。
アンドロイドの身体のくせに、随分と脆いものだ。


それからは寝る前に各地の整備機械の様子をモニターで確認し、簡単な一日のレポートを書くと、風呂に入って読書をして、12時頃に就寝する。
AIはいつもなら暇そうに俺にやたらとひっついてくるが、今日は皮膚の炎症のために大事を取れと個室に押し込めた。
静かに本が読めるので、機嫌が良くなる。
いい気味だ。



第二地球開拓センターの作業員の一日は、こうして終わっていく。




~AI起動 50日目~



上司『やっほー、定期報告の時間ですよ~★』シャランラー

AI「……」ドンビキ

上司『あ、あれ……?男くんは……?』アタフタ

AI「あのー、『作業は滞りなく進んでいます、健康状態はこのAIが測定しており全く問題ないです以上』との言伝ですけど」

上司『……なるほどー。では、今度ボイコットしたら給料削減すると言っといて下さい。そうすれば彼ちゃんとやってくれるので』

AI「こ、心得てますねー……」



上司『でも良い機会です。英一くん、第二地球の生活はどうですか?』

AI「あなたが俺を支給するよう手配してくれた方ですよね?火星の生活は経験してないから、単純な比較は出来ませんが……第二地球は俺にとって興味深いことばかりです」

上司『そうですか~。男くん相手に臨床データは取れてますか?』

AI「データなんて、俺はそんなつもりないです。彼は俺の主人として、コミュニケーションを取る大切な相手です」

上司『うーん杓子定規な回答ですね~。まぁ、問題ないならいいんですけど』

AI「問題……ですか?」

上司『おや?その口振りは何かあるのですか?』

AI「……」



AI「あの……ここに支給されて二十日目から、記憶した覚えの無い映像データが出てくるんです……頻度としては平均して五日に一度、5秒にも満たない映像なんですけど」

上司『ほぉ……不具合ですか?』

AI「でもどんなに自己点検しても不具合の箇所が見当たらなくて……日常の活動において支障はないし、放置しても問題ないと思うんですが」

上司『ふむ……具体的にどんな映像が出るんですか?』

AI「それが……幼い子どもの視点の映像なんですよ。それでいつも黒髪の男の子と一緒で、森を歩いてたり、マンガを読んでたりしています」

AI「しかもその映像は、その時に俺が彼と行動していることとリンクしてるんです……これって俺が受け継いだ、コミュニケーション用アンドロイドの記憶なんでしょうか?幼児型のコミュニケーション用アンドロイドは実際にあるし……しかしどの個体の記憶データかも分からないなんて」




上司『え、ち、ちょっと待ってもらえますか?それってつまり、男くんと森の中を歩いたり、マンガ一緒に読んだってことですか?』

AI「あぁ、はい」

上司『えぇぇ……誰に誘われても飲み会にも親睦会にも慰安旅行にも何にも来ない男くんですよ……?本気で言ってますか……?』

AI「驚くことじゃないですよ。彼は俺をアンドロイドと見なしているので、人間相手とは対応が違うんでしょう。打算なく人間に絶対服従の存在であるアンドロイドだからこそ、懐を開けてくれているんです」

上司『えぇぇ……君ってけっこうクールなんですねぇ』

AI「やっぱり心理分析はしちゃうんで……」



上司『うーん、バグの件は、僕の知り合いの専門家にでも聞いてみましょう。あまりにも不具合が酷ければ、修理用の機械を火星から送りますよ~』

AI「そんな、わざわざ送ってもらうのは……」

上司『何を言ってるんですか~。把握してないでしょうが、君は超最先端なコミュニケーション用アンドロイドの試作品なんです、オンリーワンなんですよ~?』

AI「へぇー、本当ですか?なんだか凄いなぁ……」

上司『君の開発者にもね、面倒を見てやって欲しいって言われてるんです。英一くんも何かあったらすぐ報告して下さいね~』

AI「はい」ペコリ

上司『んじゃまたー今度は男くん脅して呼び出して下さいね~』



プツッ



AI「終わったぞー定期報告」

男「ふふふ……こりゃいいもんだなー、ハゲ上司のバーコード頭に笑いを堪える必要もない」

AI「次やったら給料減らすってさ」

男「……オーマイ……その手があったか……!」

AI「どう考えてもそうするだろ」

男「そもそも面と向かってやり取りする必要なんか無いんだ……せっかくこの星を独り占めしてるようないい気分なのに、俗世との繋がりは断てないものだな」

AI「ていうか、俺がいるじゃん。俺は?」

男「アンドロイドは人間じゃないからいいんだよ」

AI「……本当に人が嫌いなんだなぁ」

男「悪いか」

AI「そもそも、なんでそんな嫌いなんだよ?」

男「さぁな」

男「……だがもしかしたら、俺は地球喪失のストレスの最終段階なのかもしれないぞ」

AI「へ?」

男「地球が恋しいあまりに、地球を捨てた人間が許せなくなった人間、とかいう自己本位な存在が俺」

AI「……そんなこと言うんだなー、お前も」

男「なんだ、ひいたか」

AI「ううん、面白い意見だと思う。でも、案外単純な理由も有り得るぞ?何か小さい頃トラウマがあるとかさ」

男「……小さい頃か……あまり思い出がないな……」

AI「人間って都合よく忘れやすいからな。まぁ、辛いことばっかりなら無理して思い出す必要もないよ」

男「俺にだって小さい頃の楽しい思い出くらいあるぞ、咄嗟に出ないだけで」

AI「Oh……」


おもしろい
>>1は他にも書いてるの?


~AI起動 60日目~


何故、俺は男が好きなのか?
気付いたのは10歳くらいの頃だったと思う。
気付くキッカケになったのは、男狂いの母親と、母親を疎むばかりで何もしない父親の二人と共に暮らしていた生活が終わった日。
つまり、母親がとうとう他の男と家出をして、二度と帰らなくなった日のことだった。



こうやって書くと凄まじいドラマがあったかのようだが、いや実際に父親にはあったのかもしれないが、幼い俺はただ日常的に喧嘩をする両親の姿を見上げていただけだった。
そして俺はいつしか自分の部屋で勉強している方が、男女の喧嘩を見るより余程有意義な時間の使い方だと気付いたので、部屋に篭って勉強をすることにした。



母親が家出をした日、彼女が残した置き手紙にはとても汚い言葉が下手くそな字で書かれていて、女って頭が悪い生き物なんだな、だからこんなに嫌いなんだ、とすんなり納得した。
年を経て勉強を重ねる中で、それが誤解だったことには気付いたが、女性には恋愛感情を持てなくなってしまった。



同性でも今は子どもが持てるようになった。
卵子などなくても、精子さえあればそこから受精卵を作ることができるし、受精卵を着床させ、成長させるのも全て培養機械の中で出来るようになった。
これは多くの不妊症の人間や、同性愛の人間に支持され、先進国の出生率を著しく増やした。


既にあった代理母出産のビジネスと対立した時期もあったらしいが、現在は妊娠に弊害のない健康的な親の間でも、出産方法の主流になっている。
自然分娩は健康志向の高い家庭で相変わらず行われているが、培養機械を使えば、子どもを生むまでの産休は取らずに済むのだから、主流になるのも当然だろう。
費用も僅かに高い程度だ。



しかし腹を痛めず、 培養機械で生んだ子を愛せないという親がいる。
それが33xx年現在の大きな社会問題の一つとなっている。
俺もその方法で生まれた子どもだ。
もし、俺の母親が自然分娩を選び、自分の腹に育む命を感じ、懸命に俺を産み落としたならば、彼女は心を入れ替え、良き母になったのだろうか。
……たぶん無理だっただろう。


技術の問題などなくなっても、人間が完全な存在になることもない。
33xx年でも、俺の家庭環境は1000年以上も前のドラマでやり尽くしたような、さんざんなものだ。


でも俺は昔から親のことを諦めていた。
金には不自由が無かったからこそ勉強に打ち込めたし、早く親元から離れたいとは思ったが、悲観し尽くすようなことが無かった。



そうだ、俺は何故こんなにも悲観していないのだろう?
親が喧嘩してばかりの頃も、母親が家を出た後も、確かに俺は悲しかった。
でもいつも、心の底から悲しみに打ち崩れるほどの悲しさはなかった。
今こんな風に淡々と思い出せるのは、単に時間が過ぎただけではない気がする。


そこに何かがある気がするのだが、どうしても思い出せない。
俺は書き込んでいたノートを閉じた。
昔から、大事なところは紙にペンで書かないと覚えられない人間だ。
昔を思い出してみろ、とAIに言われてノートにまとめてみたが、どうやら上手くはいかないようだった。




>>39
翔太郎「フィリップがいなくなって一週間か……」
翔太郎「魔戒騎士?」フィリップ「ゾクゾクするねぇ」
っていう仮面ライダーWやWと牙狼クロスのSS書いてました。
ジャンル違い過ぎてお恥ずかしいです……。





AI「そんなことより今日はお祝いしようぜー!」ヌッ

男「なん……だと……?」

AI「祝・俺起動二ヶ月目!!」バーン

男「それはデコレーションケーキ!?いつの間に……」

AI「起動して二ヶ月。短かったような、長かったような……本当いろいろあったよなー!えへへっ」

男「二ヶ月記念なんて、お前、中学生同士のカップルか!?態度も心なしか気持ち悪いぞ!」

AI「えー?このケーキ凄い自信作なんだけど……ハンドミキサーが無かったから、生クリーム泡立てるの超頑張ったんだぞ!」

男「なんなんだ一体……何しにきた」

AI「言ったろ?昔に何か原因があるとしても、今思い出せないなら、無理して思い出さなくていいよ」

男「……」

AI「自然にさ、肝心なとこだけぽんっと思い出すまで待とうぜ?忘れるっていうのは、人間の優秀な能力なんだからさ」

男「お前……」

男「……あのな、元はと言えば、お前が昔に何かあったんじゃないかって言うから……」

AI「うんうん」

男「……俺は一応、仮にもメンタルケア専門のコミュニケーション用アンドロイドのお前が言うなら、と思ってだな……」

AI「うんうん」

男「……ダメだ……」

男「何を言っても、お前の言うこと素直に聞いてしまった事実だけが残る……」

AI「なんだそんなことか!アンドロイドの言ったことなんだから、気にすんなってー」

男「……くそ……!」

男「たった二ヶ月で……俺はもしかしてチョロい方なのか……?いや普通の人間なら、こんな態度を取っていれば一ヶ月も保たず距離を置かれていたんだ仕方が無い……」ブツブツ

AI「なー早くケーキ食べようぜ、ケーキ」モグモグ




~AI起動 90日目~


夜中に目が覚めた。
いやただしくは、人工知能のスリープモードを解除した、と言うべきだろうか。
俺はすぐさま上体を起こし、ベッドから飛び降りた。



ブレスレットで確認していた生命活動の反応が消えた。
男がブレスレットを外したようだ。
風呂以外は基本的に付けていた筈なのに、こんな夜中に、一体何故だろう?
考える間もなく、俺は人工知能にプログラムされた通り、男の安否を確認すべくすぐさまヤツの寝室へ向かった。


寝室の扉を開けると、中は暗かった。
すぐに視覚センサーを暗視モードに切り換える。
部屋の中には誰もいない。
だが、瞬時に気付いた。
入ってきた扉の傍に男が立っていることに。
後ろを振り向き、サーモグラフィーで男の体温を検知し、腕を掴んで脈拍を確認する。

ーー異常なし。



AI「びっくりしたー、こんな夜中にブレスレット外すから、何かあったのかと思った」

男「……」

AI「なぁ、どこか身体に不調があったのか?何なら血液検査するぞ?それなら俺の身体の中で分析出来るし……」

男「……これ……」

AI「?」

男「これ、付けないとダメか」



暗視モードで見える男の顔からは、特に感情を読み取れない。
困惑しながら差し出されたブレスレットを見る。
俺が患者の生命活動をチェックするためのセンサー。
何か異常があればこのセンサーが完治して、俺がすぐに駆け付けることが出来る。
だから基本的に俺の主人には付けてもらうものなのだけど。



AI「……つけるの嫌か?」

男「ここ一ヶ月、誤作動が多いだろ」

AI「誤作動っていうか、最近お前の脈拍が突然上昇してるのは本当だぞ?まぁ、身体に異常をきたすほどの急激な上昇じゃないけど」

男「……まったくこれだからアンドロイドは……」

AI「え?な、なんだよ……血圧の上昇はストレスの可能性だってあるぞ。お前が火星から離れてもう半年だろ?この無人の環境に半年もいるから、無意識的にストレスを溜め込んでいるのかもしれない、それが血圧の上昇に繋がってるかも」

男「御託はいい。これは外す、いいな」

AI「いや、身体に異常があるに外されるのはちょっと」

男「……」グッ バキッ!

AI「あー!!俺の……俺の相棒ー!!」バッ

男「大した異常でもないのに、いちいち気にされるのは鬱陶しいんだ」

AI「相棒ー!!頼むからまた感知してくれ……感知してくれよ相棒ぉぉお!!」

男「あーすっきりした。煩いからお前は早く寝ろ。ほら、とっとと立って出てけ」

AI「うわっ」ポイッ

男「扉閉めるからな」シュンッ



AI「……え?」

AI「ええぇぇぇぇ!?何これ!?何これ!?」


~AI起動 93日目~



夕食後、AIが渋い顔で机の上に何かを置いた。
ブレスレットのスペアだ。
四つ目のこれが最後だと言う。
他の三つは三日前から一日一つずつ、AIから差し出される度に俺が壊してしまっていた。



AI「あのな、嫌ならいいんだけど。納得のいく説明が欲しいんだよ」

男「アンドロイドのくせに、随分と人間さまに図々しく要求してくるもんだな。お前が勝手に納得のいく理由をでっちあげとけ。それで正解だ」

AI「あ、あのな……何かを意図して行動するって行為は、実はかなり高尚な、理性的な行動なワケよ。これは哲学的にも言われてることでね?」

男「ほう」

AI「様々な知識、常識、育ってきた文化背景のバックグラウンドから培われる膨大な情報の中から、最善の情報をすっと選んで行動するっていうのは、機械からしたら本当に凄く難しいんだよ。機械は人間がはなから除外出来ることを除外出来ないだろ?」

男「だからなんだ」

AI「つまりその、俺からしたら理由を考えるってことはかなりの重労働なんだよ。それに今回は……このセンサーを外される理由に関して、皆目検討がつかない」

男「鬱陶しかったから、じゃダメなのか?」

AI「だって一度は受け入れて、二ヶ月以上、普通に生活してたじゃん!しかもよりによって原因不明の心拍数の上昇が確認された、その矢先だし」

男「あのな……」

AI「俺が納得したらこれ付けなくていいから!な!どんなしょーもない理由だろうと口外しないから!」



机に頭を擦り付けるほどの勢いで頭を下げてくる。
ここまでしつこいとは思わなかった。
自分に対する心象が悪くなっても、主人の命が最優先ということだろうか。
まぁ、仕方がない。
所詮機械だ。
むしろ、理由を言ってこいつがどう反応するのか見てやろうじゃないか。



男「じゃあ、正直に言おう」

AI「あざす!おねしゃす!」

男「最近、お前を見るとムラムラするんだ」

AI「」

男「別に惚れてはないぞ。お前の見た目は俺の好みで、尚且つこの三ヶ月の共同生活でその性格にも慣れてきた。故に俺も改めて性的対象として存分にお前を見れるわけだな」ウンウン

AI「」

AI「あ、じゃあ、その、そういうことを知られたくなかったと……なるほどなるほど」

AI「こりゃ失礼しやした」コソコソ



AIは特に恥らうこともなく、ブレスレットをしまった。
顔を赤らめることもしないとは、サービス精神の無いやつ。


だがその時、AIがブレスレットをしまう手付きが、ふと止まった。
不思議に思ってその顔を見ると、ぼうっとした目で手元を見ていた。



男「おいどうした」

AI「……」

AI「……何でもない。ただ……人間が忘れてたことを思い出すって、こんな感覚なのかな?」

男「?」



~AI起動 100日目~



ーーこれ、あげる。

ーーなにこれ?わっか?

ーーこれはね、変身ブレスレット!

ーー……今やってるヒーローもんのやつ?

ーーうん。これをつけてね、こうやって腕をを上げて……ケホッ!ケホッ!

ーーだ、大丈夫か!?

ーー……う、うん。なんだか最近、息が苦しくて……。

ーー……。

ーーへ、平気だよ!俺、全然、元気だぜ!

ーー……これ、いらない。

ーーえ?

ーーこのブレスレット、いらない。

ーーあ……。

ーー……じゃあな。また明日来る。



そう言って、無愛想な黒髪の男の子が部屋を出ていく。
俺は小さい子どもなのに、やたらと大きくて真っ白なベッドにいて、悲しい気持ちで両手におさまったブレスレットを眺めていた。





男「おい、センターの中庭の桜が咲いてるぞ」

AI「うわ、綺麗だな!春だー」

男「……まずい、薬飲まないと」

AI「え?」

男「花粉症なんだよ。この薬を飲めば何も問題ないけどな。でも一応センター内に花粉が入らないよう、空調を設定しとかないといけない」

AI「大変だなー。人間って今のご時世はみんなアレルギー持ちだもんな」

男「ま、俺は花粉と蕎麦だけだから良い方だ。症状も軽いし」

AI「食事はキツいよなー」

男「アレルギー食品の代替品はけっこうあるから、そこまで悲観するものじゃないぞ。俺は蕎麦もどき好きだしな、本物は食べたことないから知らんが」

AI「へー。でも昔はアレルギー持ってない人の方が多かったんだろ?信じらんねぇな。自由に生きてたんだなぁ」

男「便利さを選べば、失うものが出てくる。そういう道理だ」

AI「花見しようぜ!ジャパニーズ花見!」

男「花見か……昼から酒を飲むのもアリだな」




~AI起動 100日目~



ーーこれ、あげる。

ーーなにこれ?わっか?

ーーこれはね、変身ブレスレット!

ーー……今やってるヒーローもんのやつ?

ーーうん。これをつけてね、こうやって腕をを上げて……ケホッ!ケホッ!

ーーだ、大丈夫か!?

ーー……う、うん。なんだか最近、息が苦しくて……。

ーー……。

ーーへ、平気だよ!俺、全然、元気だぜ!

ーー……これ、いらない。

ーーえ?

ーーこのブレスレット、いらない。

ーーあ……。

ーー……じゃあな。また明日来る。



そう言って、無愛想な黒髪の男の子が部屋を出ていく。
俺は小さい子どもなのに、やたらと大きくて真っ白なベッドにいて、悲しい気持ちで両手におさまったブレスレットを眺めていた。





男「おい、センターの中庭の桜が咲いてるぞ」

AI「うわ、綺麗だな!春だー」

男「……まずい、薬飲まないと」

AI「え?」

男「花粉症なんだよ。この薬を飲めば何も問題ないけどな。でも一応センター内に花粉が入らないよう、空調を設定しとかないといけない」

AI「大変だなー。人間って今のご時世はみんなアレルギー持ちだもんな」

男「ま、俺は花粉と蕎麦だけだから良い方だ。症状も軽いし」

AI「食事はキツいよなー」

男「アレルギー食品の代替品はけっこうあるから、そこまで悲観するものじゃないぞ。俺は蕎麦もどき好きだしな、本物は食べたことないから知らんが」

AI「へー。でも昔はアレルギー持ってない人の方が多かったんだろ?信じらんねぇな。自由に生きてたんだなぁ」

男「便利さを選べば、失うものが出てくる。そういう道理だ」

AI「花見しようぜ!ジャパニーズ花見!」

男「花見か……昼から酒を飲むのもアリだな」




連投ミス……!


~センター中庭~

AI「おお、間近だとさらに美しい……!ファンタスティック!アメージン!」

男「やっぱり日本酒だな」グビグビ

AI「酒飲むの?珍しいな」

男「ひとり酒が好きなんだ。他人と飲むのは嫌いだ」

AI「とか言って俺にお酌させやがって」

男「健康思考もいただけない。昔はもっと酒もタバコも嗜まれてたらしいぞ」

AI「ま、健康的な娯楽は他にもたくさんあるし」トポトポ

男「お前飲まないのか」

AI「アルコールすぐ分解して処理しちゃうから意味無いぞ」

男「ふぅん……哀れなやつよ」

AI「飲まないのが今はメジャーだから痛くも痒くもない」

男「……」ぐびぐび



~二時間後~



男「……zZ」グー

AI「座ったまま寝てる……ていうかどんだけ飲んだんだこいつ……一升瓶空いてるし。何度も止めたのに」

AI「まったく、一人だったらこんなに飲めないんだからな。俺に感謝しろよ」

男「……zZ」グラッ

コテン

男「……zZ」スー

AI「肩に頭のせられてしまった……動けない……」

AI「……」ちびちび

AI「うーん、やっぱり美味しくないぞ」

男「……うぅ……」

AI「お?」

男「……」ウーン

男「……ブレスレット……」

AI「?」

男「……もらえば、よかった……」

AI「なんだ?今頃になって後悔し始めたのか。勝手なやつだなー」プンスカ

男「……変身ブレスレット……」

AI「!」

男「もらえば……よかった……」

男「……あきら……」

男「……zZ」

AI「……」

AI「あきら……?」


~AI起動 107日目~

上司『本日も毎度お馴染み、定期報告のお時間がやってまいりました~』

男「報告することなどないぞ」

上司『ひどいですよー!なんかないんですか~?何でもいいですから!』

男「そんなこと言うくらいなら、定期報告を中止すればいいじゃないか」

男「だが、そう言えば……あのアンドロイドについて聞きたいことがあったな」

上司『お、白々しいですよーはなから聞く気満々な感じありましたよー今』

男「デタラメ言うな」

上司『うぅ……ここまで辛口な部下がいるものでしょうか……で、聞きたいこととは?』



男「最近、医療コミュニケーション用アンドロイドについて調べてるんだが……あの人工知能、どうなっているんだ?」

上司『はぃい?どうなっている、と言いますと』

男「アンドロイドが入ってたケースの説明書に、さらっと人格のトレースと書いてあった……だがそんな技術などないぞ。専門が違うし、まだ公になってない試作品だというから、あんな高度な人工知能があることを知らなくても当然かと思っていたが」

男「33xx年現在でも、人間の思考を完全に復元するなんて不可能らしいじゃないか。それらしい論文を探してみたが全く見付からなかった」

男「あと、こいつ……」

上司『……おやおや?これは英一くんの画像じゃないですか~』

男「違う。俺と同い年でありながら、コミュニケーション用の人工知能の発明を100年早めたとかいう、超天才学者だそうだぞ。名前は安藤英……英はあきらと読むそうだ」

男「あのAIはこの安藤英が作ったものだろ。だがこいつ、二年前から論文も何も発表してない……会社も退職してる」

男「お前……あのAI、誰から紹介された?」

上司『誰って……写真の彼からですよ』

男「本当か?」

上司『本当ですよ。だからほら、顔を選ぶときに冗談交じりで安藤くんの顔を入れてみたら、君がその顔にしたじゃないですか~。私、どうしようかと思いましたよ。安藤くんもさすがに照れてましたね』

男「……その男とは今も会ってるのか」

上司『メールのやり取りばっかですけどね』

男「研究所にも所属してない安藤英が、なんのためにあのAIを?」

上司『さぁ?安藤くん、いろいろと発明しまくって、かなりの特許料があるらしいですからね~。特許料で世界の長者番付に名を連ねることが出来る、って聞いたことあります』

上司『金持ちの道楽ってやつじゃないですか~?僕は研究の協力費を貰ってますから、特に詮索はしてませんよ』

男「本当か?胡散臭い……」

上司『そんなこと言われても~』

男「まぁ、お前は信用してないからな。いいさ、この男のことは調べてやる」

上司『燃えてますね~せいぜい頑張って下さいよ』

男「……なんだその言い方、やっぱり何か知ってるのか?」

上司『い、いやー違いますよ!言葉の綾です、言葉の綾』

上司『そろそろ時間ですね、ほなさいならー!』


プツッ


男「……」

男「安藤英……」

男「……なんか引っかかるんだが……思い出せない……」

男「何か忘れてるはずなんだが……」


~AI起動 112日目~

AI「え?俺の製作者の情報?そういえば人工知能に無いな……」

男「無い?本当か?」

AI「んー、必要ない情報なんじゃないか?」

男「お前ほどの高度なアンドロイドだと、普通の修理機械では直せない不具合が出るかもしれないのに……随分と無責任だな」

AI「じゃあ、本部の方で製作者を把握してるから、俺には必要ないと判断されたとか?」

男「ふぅん……」

AI「なぁ、そんなことよりさぁ、このネットニュース見た?」

男「ん?」

AI「女性がアンドロイドと結婚したんだってさ!」

男「はぁ?アンドロイドが籍を入れられるわけないだろ」

AI「いや、正しくは結婚式を挙げただけだけど。ターミナルケア専門のコミュニケーション用アンドロイドと、病院の中でやったんだって。すげーなー!」

男「確か前もそんなニュースがあったな……死の間際の願いがアンドロイドとの結婚式……世も末だ」

AI「もー何言ってんだよ!」



男「……というか、お前」ジー

AI「ん?」

男「……本当に人間と変わらないな」ジー

AI「見た目の話?」

男「この結婚したアンドロイドも、静止画像だけならよく出来てるが……お前は表情の変化が本当に自然だな。コミュニケーション用アンドロイドのことはいろいろ学んだが、お前は桁外れに性能が良いようだ」

AI「な、何のつもりだ……急に褒めるなんて……」

男「褒めてはないぞ。性能を客観的に評価してるだけだ」

男「だいたい、呑気に人間とアンドロイドの結婚式に喜ぶその人工知能の方が心配だな。33xx年の技術なら、コミュニケーション用アンドロイドに一般的に使われている人工皮膚から、生殖細胞が作れるんだ」

男「もちろん倫理的に禁止されてるが……人間がアンドロイドに恋愛感情を持つのは深刻な社会問題だぞ」

男「言っとくが俺はお前に惚れてないからな、単なる生理現象だからな」

AI「そ、そうとは知らず、すみませんでした……」

男「反省したなら今日の夕食はお前が作れ。俺はまだ調べ物をしたいからな」

AI「ていうかさぁ、最近お前、篭ってばっかでつまんねーぞ!俺が主人の許可なしに遊びに行けないのは分かるだろ!」

男「その変に間抜けな人工知能に不具合が無いかチェックでもしとけ。じゃーな」

AI「むきー!」



~AI起動 120日目~


昼食を終えると、最近の男はすぐに自室に篭ってしまう。
コミュニケーション用アンドロイドについてやたらと調べているのだけど、何がそんなに気になるのか俺にはよく分からない。
でも仮にも主人である人間を置いて離れることは出来ないので、近頃は大人しく立体映写機を見て過ごしている。
この第二地球にもテレビ電波は届いているのだ。



立体映写機《祝!仮面ライダー1000作品目:夏の陣!超ムービー大戦、鋭意製作中!夏を待て!!》

AI「はー……ヒーローってかっこいいな……俺も火星に行きたい……」

AI「男は相手にしてくれないし……なんであんなにコミュニケーション用アンドロイドについて調べてるんだ?」

AI「はっ!ま、まさか……俺をリストラする気なんじゃ……!?」

AI「……」

AI「ま、その時はその時だなー!」



立体映写機の電源を落とし、今度こそすることが無くなったので、置いてあるソファにごろんと横たわった。
天井を見ながら、思考を先ほど思い付いた一つの仮定へ転がしていく。


男の任期が終わった後の未来のことだ。
たぶん俺は、自分を作った製作者の元へ戻され、そこで電源を落とされるのだろう。
そうしたら、俺の人工知能にある《男が主人だ》という認識は削除され、男と過ごした日々のことは、山ほどある臨床データの内の一つとして管理される。
そしてまた新たな作業員を主人にして、一緒に過ごして、思い出を作って、忘れて、さらに新たな主人を作ってーーそうやって何度も何度もやり直す。


俺の耐久年数は、インプットされている情報では80年だ。
80年かぁ。
第二地球はその間にどれだけ変わっていくのだろう?
男と一緒に行った森の滝や、遠くにある海は残っているのだろうか。
恐らく滝の方は無理だ。
もう森に整備機械があったのだから、直に開拓されるはず。
なら、海はどうかな。
当分は大丈夫だろうか。



AI「男も俺のこと忘れるのかなー。人間は忘れやすいからな」

AI「忘れられたらまた、その時はその時で」




ーー俺のこと、忘れちゃったのか?



AI「!!」



まただ。
例のインプットされた覚えの無い映像のフラッシュバック。
俺は思わず身体を強張らせた。
花見の時、俺のフラッシュバックした映像と、男が酔っ払って呟いた一言が明らかにリンクしていた。
そのことがずっと気になっていたのだ。
あきら、と口にしていたあの時の男。
それは一体誰のことなんだ?
それは、もしかして俺が見る映像の主観的な視点の持ち主のことなのか?



フラッシュバックした映像はやはり主観的な目線だった。
辺りはどこかの施設の廊下で、俺は黒髪の少年の後ろ姿を見ている。
あの背格好は10代後半だろうか?
前までは10歳ほどの子どもの姿だったのに、成長しているようだ。
そしていつも目線の低い子どもの視点の映像だったが、今回は少年を真っ直ぐ見つめているから、こちらも身体が大きくなっているようだ。


俺はとても悲しい気持ちで、その少年の身体には不似合いな白衣を着た背中を見ていた。
カツ、カツ、と無機質な靴音が廊下に木霊している。
ただただ、俺は立ち尽くしていた。



ーー忘れてしまうほど、 を悲しませてしまったんだ。

ーーもう俺は、 に顔向けする資格が無い。

ーーでもいつか俺は、 にちゃんと……。



激しい後悔の感情がどっと流れ込んで、映像はそこでぷつんと終わってしまった。
戻ってきた視界には、開拓センターの白い天井が広がっている。
取り敢えずソファに横たえていた身体を起こす。
一体この現象にはどんな意味があるのだろう。
ふと、自分の手元を見下ろした。
そしてぐっと力の限り握り締めている両手を、ゆっくり開く。



この手の感触。
俺にインプットされた情報では、俺の耐久年数は80年のはず。
しかし身体の全ての感覚が、おかしいと告げている。
何故今まで気付かなかったのだろう?


この調子じゃ、この身体は絶対に5年も保たない。
俺の人工知能は、そんな計算結果を弾き出していた。



~AI起動 125日目~



空中に浮遊するホログラムの画像には、ネットワークの画面が映っている。
画面の中には、安藤 英(あきら)で検索して出てきた関連ページや、彼が著した多くの論文のタイトルがずらりと並んでいた。
空中に映し出されたその映像に指を触れると、画面が反応して検索結果の中の一つのページを映し出す。
俺はそのヒットしたページを一つずつ目を通していった。



あのやたらと高性能なAIを作ったのが、AIにそっくりな安藤だった。
それを知った時から、漠然とした何かが俺の中に存在し始めているのだ。
AIの見た目を安藤そっくりに選んだのは俺自身だが、その時はただ俺の好みだったから、というだけで選んだつもりだった。
でもなんとなく、俺が彼の顔を選んだのは、それだけではない気がしているのだ。
それは根っからの理系頭の俺が初めて感じた、直観というやつであった。



ひたすら検索結果をスクロールしていって、およそ10日目だろうか。
めぼしい論文も読み終え、彼の膨大な著作を紹介するページもなくなり、安藤とは無関係な記事も検索結果に連なっている、ネットワークの奥の奥。



俺が目を留めたページは、ロボット工学を齧るものならお馴染みと言える、とある出版社が自身のサイトで行った、最新技術を牽引する技術者や学者に行ったインタビュー動画のページだった。
出版社が設立300年を迎えた記念に組まれた企画のようである。
中には俺もよく知る惑星開拓機械開発の権威もいた。
昔、彼の論文や著作を読み漁っていたことを思い出し、懐かしい気持ちになる。



コミュニケーション用アンドロイドの人工知能開発において、たった一人で技術を100年も進めた若き天才、安藤英に迫る。
このインタビュー動画がアップされたのは、三年前だ。
安藤が学術界から忽然と姿を消したのが二年前あたりから。
三年前のこの頃はまだ、盛んに特許や論文を発表し続けている。



そのページを開いてみると、俺の目の前にはあのAIにそっくりな安藤英の立体映像が、若干強張った顔でこちらを見ていた。
安藤が俺と同い年であるのは知っていたが、彼が生み出した数々の著作や論文、理論に目を通した俺には、この青年が世紀に一人の天才だとはとても信じられなかった。




ーーみ、皆さん、初めまして。俺、じゃなくて私は、安藤英と言います。

ーーまず最初に、こ、この度は設立300年を迎えました白火社さん、おめでとうございます。白火社さんの理念の下に出版された、数々の素晴らしい人工知能論の著作が無ければ、俺……じゃなくて、私の今日の研究は有り得ないものでした。

《安藤くん、落ち着いて下さいね》

ーーす、すみません……何分、あまり人前には出ないもので……。



姿の見えないもう一人の声は、インタビュアーなのだろう。
随分と年を感じられる男性の声だ。
それにしてと安藤という男、かなり緊張しているらしく、天才の威厳など微塵も感じられない。
目もうろうろと泳いでいる。
こんな様まで立体映像で忠実に再現されるのは、少し哀れな気がしてきた。



《えー、安藤氏の経歴に関しては、改めて述べるほどのものではないと思いますが……わずか14歳でT大の博士号を取得し、日本のコミュニケーション用人工知能の開発を世界で最高水準だと言わしめるほど、数々の革新的な理論を発表なさっています》

ーーありがとうございます。でもまさか、日本のコミュニケーション用人工知能の権威である多村先生がインタビュアーなんて、本当に恐縮です。



映像の安藤はぺこぺこと頭を下げている。
インタビュアーの男が苦笑する声が聞こえた。
ここまで人馴れしていない学者もいないだろう。
普通なら、学会で理論を発表したり、学者でも共同で開発に取り組むから、もう少し人前に立つことに慣れているものだ。


だがこの安藤という男は学会に出ることもなく、ただ出来た論文を専門誌に投稿しているだけ。
所属している会社の研究室では専用のラボを与えられ、完全に一人で全ての人工知能の研究開発を行うというVIP待遇もあいまって、彼の姿が残っている媒体は無に等しかった。
だからこそ、この動画は貴重な映像なのだ。



《安藤くんがこの用に映像媒体の前に姿を出したのは、非常に珍しいことです。このインタビューのアポイントメントも、駄目元でお願いしたらすんなり通ったと、担当の人が驚いていましたよ》

ーー人前で喋るのが苦手なので……私は直観的なひらめきで動く人間ですので、同業者の中でも浮いていまして。

《このインタビューを了承したのは、今まで論壇にさえ姿を表そうとしなかった君に、何か心境の変化があったのですか?》

ーーえぇ、まぁ、一度受けてみるのもいいかなと思ったもので。



それから安藤はインタビュアーとの対話をこなしていった。
インタビュアーもコミュニケーション用人工知能の権威ということで、かなり専門的な話に踏み込んでいく。
研究の話になると安藤の顔はがらりと変わり、未知の中の真実を追い求めて止まない、一人の天才学者の顔付きになっていた。



ーー……そもそも、まだ『意図する』という段階が難しくて……必要な知識を抽出し処理する時間は、人間の何倍も時間がかかってしまうし、人工知能にとってもかなり負荷も大きいんです。スムーズなコミュニケーションに弊害が出てしまうんですよね……耐久年数も短くなりますし。

ーー何故、人の思考を一から作ることがここまで難しいのでしょうね。人の命を作る方が遥かに簡単なんです。人間の尊厳はこの思考する自我にしかないんです。

ーーそう思うと、私はその尊厳を犯そうとしている気がして、なんとなく咎められているような気持ちになることもあります。

《それでも、研究は続けられるおつもりですよね》

ーーはい。私は……最近、やらなければならないことを見付けました。



《やらなければならないこと、ですか?》

ーーはい。



安藤の顔は、最初カメラの前に緊張していた顔とも、研究者の顔とも違う、なんとも穏やかな顔をしていた。



ーー私がこの分野の道を進み始めたのは、お恥ずかしい話ですが昔読んだバトル用アンドロイドのマンガの影響でして、ちゃんと人と心を通わせるアンドロイドが作りたかったからなんです。

ーーそれで勉強してみたら、驚くほど自分に合った学問で……気付けばここまで研究を突き詰めることが出来ました。

ーーですが今、私には幼い頃の夢とはまた別な、とても大切な夢があるんです。

ーーもしかしたらそのために……俺は……人工知能を研究し続けていたのかもしれない。

ーーインタビューに応じた本当の理由は、俺の決意が揺るがないよう、今の自分を映像として残したかったからなんです。

《君はそれほどの大きな研究をするつもりなのですね》

ーーはい。今の会社も来年には退職します。自分の研究所を用意したので、そこに篭って研究するつもりです。退職するまでは、まだ未完成の論文や理論を完成させることに力を入れます。

《なるほど……その素晴らしい研究成果に出会える未来を楽しみにしています》

ーーそれは……まぁ、あまり期待しないで下さい。



そこでインタビューの動画再生を終了させると、目の前の安藤の立体映像は消えた。
センター内の無機質な自室の中で、俺は暫く物思いに耽った。



安藤の大きな決意。
動画ではその夢とやらに対する並々ならぬ覚悟が見て取れた。
二年前に会社を退職した後、論文発表や技術特許の申請はぷっつり途絶え、学界から完全に消えた安藤。
それほどまでして行った研究と、安藤そっくりなAIは、一体どこまで関係しているのだろう?



確かにあのAIの人工知能はずば抜けて性能が良い。
安藤の研究の全てが詰まっていると言っても過言ではない。
だが、このAIを作り上げることだけが夢だったのだろうか?
俺にはそれ以外の何かがあるような気がしてならなかった。



~AI起動 135日目~



駄目だ。
安藤英の空白の二年間がさっぱり追えない。
俺はすっかり匙を投げていた。
ネットワークにはまったく消息が残っていないし、俺には安藤のことを尋ねられるような知人がいない。
上司は安藤の息がかかっているから、適当な出まかせで誤魔化してくるに違いない。


元々、コミュニケーション用アンドロイドについて学んだ際に、たまたま知った存在だ。
俺が安藤の顔をAIに採用したのも、本当に単なる偶然かもしれない。
そう思って納得するしかない。



AI「浮かない顔だな」

男「そうだろうな。そんな顔にもなる」



昼食を取っていると、AIが不思議そうに俺を見ていた。
AIには安藤の名前さえ尋ねていない。
製作元の情報を削除されているというなら、名前を出したところで何も得るものは無いだろうと思ったからだ。



AI「調べごと終わらないのか?」

男「……もう今のはやめにして、お前にどうしたら性行為機能を付けられるか、真剣にセクサロイドについて学ぼうかと思っているところだ」

AI「自暴自棄にもほどがあるだろ!諦めるなよ!」

男「なんでお前はそこまで嫌がるんだ?今、嫌だと思ってるのは自分に性行為に関する機能が無いために、不可能な活動だからだろ?機能さえつけられれば、むしろ出来ることに幅が広がっていいじゃないか。俺がお前のために努力しようという姿勢を喜べ」

男「だいたい人間と喋るだけが仕事など、舐めているにもほどがある。ホステスだってアフターや枕営業をやるものだ。アンドロイドが人間より怠けてていいのか?」

AI「お前もうそれは諦めろよ本当に。根性だけは認めるから」

男「そんなこと言っても、俺がお前の人工知能をいじくる技術さえ学べば、さんざん嫌がってる性行為無しでは生きられない身体にしてやれるんだからな」

男「……」

男「……我ながらいいな、それ……」

AI「もう何も言うまい」



苦い顔をしたAIは、ごちそうさま!とつっけんどんな口調で言うと、皿をまとめてすぐに食洗機の元へ行き、中に入れていた。
その背中を見ながら、俺はなんとはなしに呟いた。



男「安藤英、か……一体誰なんだ?」



結局、何者なのかよくは分からなかった。
ずば抜けた天才学者だった、それだけしか俺には掴めなかった。
俺も惑星の開拓機械の分野においては天才の方だと思っていたが、安藤が出した膨大な論文の数々をみれば、負けを認めざるを得ない。




AI「あんどう、あきら……」



その時、席を離れていたAIがそう呟く声が聞こえたので、俺はそちらを見た。
するとどういうわけか、AIがこちらをじっと見ていたので、俺は思わず目をしばたかせた。
いつも感情豊かで俺よりも人間らしいAIが、今までになく無表情な、機械であることに何の違和感も無い冷たさを帯びた顔付きになっていた。



男「な、なんだ?」

AI「安藤英……」

男「?お前、知ってるのか?」

AI「……」



AIはやはり俺を見詰めたまま、暫く黙っていた。
並々ならぬ空気だった。
だが、何故?
製作者である安藤英の名前を言っただけで、何故ついさっきまでのんきに笑ったり、拗ねたりしていたAIの表情は目の前から消えてしまったんだ?



AI「……忘れ……」

男「え?」

AI「……」



やがて無表情なその顔に、一つの感情が浮かび上がってきた。
それは悲しみだった。



AI「俺のこと、忘れちゃったのか?」

男「え?」

AI「俺……戻ってきたんだよ、ハジメ」



そこで糸が切れたようにAIが倒れたが、俺はその場からまったく動けなかった。
床に倒れ込んだまま、うんともすんとも言わないAI。
それを呆然として見ながら俺は、10年以上も前に同じ光景を見ていたことを思い出していた。
その時も季節は春で、桜が全て散ってしまった後の頃だった。



そうだ、俺は安藤英を知っている。
何もかもを忘れようと思うほど、彼のことを知っていた。
彼がいたからこそ、俺は自分の家族のことで打ちのめされずに済んだ。
そして彼がいたからこそ、俺は、人を嫌いになったのだ。




ーーーーーーーーーー
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~AI起動 7300日前~



今から約二十年前。
春も半ばで、日本国ドームの中の木々は夏までの準備だと言わんばかりに、緑を生い茂らせはじめていた。
そんなある日、俺の母親が数日ぶりに、血まみれで家に帰ってきた。


当時通っていた小学校の教師連中から、ハジメくんはクールなんだねぇ、何にも驚かないんだねぇ、と専らの評判だった当時六歳の俺も、さすがに心底びっくりした。
身体は金縛りにあったように動かず、ぽかんと口を開けて頭から血を流す母親を見上げていた。



「アンタ一人かぁ。ついでに一緒に病院行く?」



後から知ったが、当時の母親は外で作った男と同棲していた。
が、男に二股をかけられていて、部屋に乗り込んできた浮気相手の女と激しい喧嘩の末に転倒。
机の角に頭を打って出血し、血をだらだらと流しながら、飛行車でこの家へ一先ず戻ってきたそうだ。
財布も何もかも、全て男の所へ置いたまま逃げてきたから、自宅に戻る必要があったのだろう。


救急車は呼ばないの?と聞いたら、動けるから自分で行く、と母はタオルで血を拭きながら答えた。
そして真っ赤なタオルを洗濯機に突っ込み、タバコを咥えると、俺の手を引いて真っ赤な飛行車に乗った。


俺の周りでタバコを吸うのは母しかおらず、慣れない副流煙にむせながら、母は近所の総合病院に行った。
拭いたばかりなのに、見上げた母の横顔にはまた一筋の血が流れていた。


あの時、母が俺を連れてきたのは、単なる気まぐれだったのだろう。
現に病院に着く頃にはもう飽きたらしく、病院の中庭で遊んで来いとだけ言って、母はさっさと行ってしまった。


暫くして病院の中から、恐らく血を流している母を見た誰かの悲鳴が聞こえてくる。
それを背にして、俺は母親の言うとおり病院の中庭に向かった。
俺の住む区画で一番大きな病院だったから、そこそこの広さがある。



中庭には、コミュニケーション用アンドロイドを伴った患者たちがたくさんいた。
犬や猫のような動物型、俺と同い年ほどの子ども型、成人した男性や女性の型、様々なアンドロイドたちが、人間に寄り添っていた。


寄り添われている人間は、みな大きなカプセルのような機械の中に座り、見るからに弱々しく衰えている。
あのカプセルは、死期の近い患者の身体でも、負担なく外を出歩くためのものだ。
その中にある生気のない顔はみな、アンドロイドたちとにこやかに笑っていた。


幼い俺はなんとも言えない気分になって、中庭にある大きな木の下にずっと座り込み、持ってきていた本を広げた。
機械工学入門編、と題されたそれは、この区画にある図書館から借りたものである。



あのカプセル状の機械から排出されるガスや、死期の近い患者の呼気から漏れ出すあの独特な臭いが、この中庭に重く沈殿していた。
意志などないアンドロイドと接する人たちは、何に笑っているのか、俺には分かるはずもなかった。



「なにしてるの?」



そこで、頭上から声が聞こえた。
反射的にそちらを見上げた俺は、眩しく感じて目を細めた。
人口太陽の光を背にして、俺と同い年ほどの、幼い少年が立っていた。


彼の髪の毛は日光で金糸のように淡く光りながら、癖っ毛なのか柔らかく跳ねている。
簡素な病院服から見える肌は白く、しかし瞳は黒く濡れていた。
彼の頭上には何やら機械がプカプカと浮いていた。
その機械は点滴のパックをぶら下げており、パックと繋がっている細い管の先が、少年の小さな腕に埋まっていた。



「となりに座ってもいい?」



浮遊機械がぶら下げている点滴のパックのラベルの部分には、あんどうあきらくん、という文字がペンで書かれていた。
俺は安藤英と、ここで出会っていたのだ。



「この本、おもしろいよな」



隣に座った英は、目を輝かせて開口一番にそう言った。
俺は驚いて彼を見た。



火星に人間が移住し始めた500年前から、火星で生まれた子どもは五歳になると、適性検査を受ける義務が課せられている。
将来どの分野に向いている人間なのか、親の経歴も参考にされてかなり細かく検査されるのだ。
適性検査の結果に沿った教育を行うかは各家庭の任意とされているが、検査に従う家庭が殆どである。


適性検査で俺は機械工学に向いていると言われてから、父は俺に機械工学関係の本をたくさん与えてくれた。
昔から父は、自由奔放な母の分まで、俺にしっかりと教育を施そうと気張るきらいがあった。
適性検査は正確らしく、父から熱心に読み書きを教えられた俺は、本にのめり込んでいった。


だがいくら才能があるとは言えど、小学校に通い始めた程度の年でここまでのめり込み、学んでいる人間はさすがにいない。
元々他人に馴染めず一人でいる子どもだった俺は、ますます本の世界にのめり込み、教師も匙を投げていた。



それなのに、こいつは話し掛けてくるなんて。
あきらは人懐こい笑顔で俺の開いているページを覗いてきた。
大きな瞳がキラキラと光っている。
俺は幼心に、人間の目はこんなに綺麗なものなんだ、と感心していた。



「オレも機械の本をよむの好きなんだ。さいしょは漢字がいっぱいでタイヘンだったけど、今はぜーんぶよめるよ!」

「……ふぅん」

「ねぇ、これかいてる多村さんの他の本よんだ?人工知能の話がのってておもしろいんだよ」

「オレは人工知能はキョウミない……惑星の開拓機械が好きだから……」

「そっちかぁ。そっちもいいよね、開拓機械はいろんな機械の中でもずばぬけて大きいし、かっこいいし!」

「……オレ、大型の掘削機械が好きで……ユニット機構の組み合わせを考えたりとか」

「たしかに、大型の掘削機械はユニット機構だもんね。巨大ロボの合体!みたいでかっこいいよ!」



俺の目の前で、こんな顔をする人間を初めて見た。
いや、こんな顔を俺に向けてくれる人間を、初めて見た。
幼い俺には、出会ったばかりの英はまるで宇宙人のようた、不思議な生き物と同じ存在だった。




「オレ、安藤英っていうんだ。名前なんていうの?」

「……川崎一(ハジメ)」

「ふうん……ハジメは入院してるわけじゃなさうだな。だれかのおみまい?」

「母さんがケガして、今みてもらってる」

「そっか。……じゃあ今ひま?」

「え?」

「ひまなら病院の中、案内するよ!な、ほら立って!」

「お、オレはまだなにも……ひっぱるなよ!」

「いっぱいおもしろい機械があるんだぜ!ぜったいおもしろいから!」



英はそう言って、俺を中庭から連れ出した。
病院服に色白の見た目から想像もつかないほど、握ってくる掌から伝わる温かさは強く、俺はされるがまま病院の中へ連れていかれた。





「……こんなところにいたの?」



二時間後、母が俺を見付けたのは病院の中にある休憩室だった。
隣には病院の中を歩き回って疲れ果てた英が、俺の肩に頭を乗せて眠っている。
俺が英のお気に入りの本を読ませてもらっているうちに、眠ってしまっていたのだ。



「その子だれ?」

「……中庭で会って、あそぼうってうるさくて」

「ふぅん……」



母は何故かにやにやと笑い出し、俺を見た。
だがその笑みには、何故か冷えた色があった。



「帰るわよ」

「でも」

「また明後日くるから会えるわよ、そんながっかりしなくても」

「……そうじゃなくて、頭が」

「ほら、誰だか知らないけど起きなさい」

「んー……あ、この人お母さん?初めまして!」

「はい初めまして。一、行くわよ」

「ハジメ、また来てくれよー!まってるから!」



母の言うとおり、二日後も彼女は俺を伴って病院へ行った。
母の頭の怪我は後頭部がパックリと裂けており、その処置として傷口を塞ぎ、かつ自然治癒を早める治療用の透明なフィルムを、傷口に貼られていた。
今日はそのフィルムを剥がしてもらいにいくのだ。


「あの男の子と遊んでらっしゃい」


そう言った母は、どこか意地悪な顔をして病院の中へと入っていった。
何でそんな顔をするのか、幼い俺にはよく分からなかった。
取り敢えず中庭の方へ行くと、一昨日いた大きな木の下に、英の姿があった。



「ハジメ!」



鈴のように高らかにはしゃぐ声。
その声を聞くと、小さな心臓がどくんと大きく脈打った。
英は一生懸命にこちらに走ってきて、俺の前に来るとぜぇぜぇと息をつきながら笑った。



「ちゃんと待ってたんだぜ、ハジメ」

「あきら、二日ぶりだな」

「な、今日はオレの部屋にこないか?」

「へや?」

「いっぱい本があるんだ!マンガもあるし、オモチャも……早くきて!」



病人とは思えない力で手を握られ、引っ張られていく途中、いろんな看護師や医者や患者が、英に声を掛けてきた。
英は一人一人に様々な言葉を与える。
なんだか嫌な気持ちになって、思わず彼の手を強く握っていた。



「ここ、オレの部屋!」

「……本がいっぱいだな」

「オレ、本が好きだから。電子書籍もあるけど、紙のが好き。ジョーブだしね」

「……!これ……《惑星開拓機械におけるアクチュエータ技術、およびセンシング技術の発展について》……よんだのか」

「そーそー!ハジメが面白いっていうから。でもオレ、人工知能の本ばっかよんでたから、アクチュエータってむずかしいな。人工知能自体はモーターと関係ないでしょ?」

「そうだな……あきらはどんなのをよんでる?」

「オレは……最近はメルロー ・ポンティよんでるよ」

「?だれだその人?」

「哲学の人だよ。現象学は人工知能の思考プログラムを構築するうえでとってもさんこうになるから」

「そういう本もよまなきゃダメなんだな」

「うん。でもこれはこれでおもしろいから」



年相応に屈託無く笑うくせに、英は恐ろしいほど頭が良かった。
そして頭が良いからこそ、彼は俺が人に対して強く持っていた警戒心を、あっさりと擦り抜けてきた。
子どもでも分かる。
学問の方の賢さだけではない、人として、英は魅力のある人間だった。



「ハジメ、またここに来てくれるか?」

「……オレがきて、あきらはいいのか?」

「全然いいよ!オレひまだから。それに同い年の友だち、いないんだ」

「え?この病院にほかの子どもはいないのか?」

「ううん、いるけど……あんまり話があわなくて」



俺はびっくりして英を見た。
こんなに人懐っこくて明るい英が、そんなことを言うなんて思わなかった。


でもすぐに俺はなんとなく理解した。
英は頭が良すぎるのだ。
だから同じ年頃の連中と話しても、思考がかみ合わず上手くいかないことが多いのだろう。



「木の下であの本をよんでるハジメを見て、はじめてちゃんと話があう友だちができるとおもった。だからオレ、すごく勇気を出して声をかけたんだ、あのとき」



英は少し恥ずかしそうだった。
持っていた本の背表紙を、がりがりと削っている。


それを見る幼い俺は、何故か目が釘付けになっていた。
小さな心臓の奥から、何かがこんこんと溢れ出てくる。
顔が熱い。
何もかもが、初めての感覚だった。





そろそろ時間だ、と英と連れ立って二人で病院の玄関あたりに向かうと、母が受け付け近くのソファに座っていた。
英は行儀良くぺこりとお辞儀をして、またな!と手を振って見送ってくれた。



「本当に仲良くなったのね」

「……ケガ、治ったの?」

「やーね、その年で話を逸らそうだなんて」



母はどうしてだか意地悪そうに笑っていた。
何故そんな目を向けるのか、あの頃の幼い俺にはやはり分からなかった。


でも今ならなんとなく分かる。
子どもの母親ではなく、女として誰かを愛し続ける道を選んだ彼女は、すぐに分かっていたのだろう。
たった六歳の俺が無意識の内に、何よりも重く深く英を愛し始めようとしていた。
もしかしたらそんな俺の姿に、彼女に流れる血さえ感じたのかもしれない。




それからは俺は学校が終わって自宅に戻るとすぐ、英のいる病院に入り浸るようになった。
家から歩いて30分。
子どもの足にはやや遠い距離だが、俺はいつも何冊か分厚い本をリュックにパンパンに詰め込んで行き、英の病室で読み耽っていた。



「なぁハジメ、これもよもうよ」

「マンガ?オレはべつに興味ない」

「おもしろいんだって!ちょっとだけでいいからよんでみてよ!」

「……」





「もうよんだんだ。どうだった!?」

「……ここのシーンが、いいセリフだと思った。それにこれ、第二話のここと対比的な構図にしてるのか」

「そうそう!それ、オレも思った。たぶん意識してるんじゃないかなー。あ、次の巻これ」

「……」



病院の大きくて無機質なベッドに儚げに埋もれているくせに、英は意外と図々しかった。
でも、そこまで図々しく近付いてくれる人間が、俺には今までいなかった。
俺の親は互いを傷つけるばかりで、俺にまで目がいかなかったのだ。


ただ英と一緒にいて、ただ時間が過ぎていくだけ。
時の積み重ねは、今に存在する己の心の中にのみ存在し、積もっていく。
その深さは、いつしか俺の今にとって、掛け替えのないものになっていた。



英と出会って二年ほど過ぎた頃、二人とも8歳になった頃が、英は一番元気の良い時期だった。
病室に見舞う俺を引っ張り出して、中庭や、病院の中にある人工林の中に行った。


英の傍には、いつも点滴をぶら下げる機械がぷかぷかと浮いていた。
けれど、そんなことを忘れそうになるくらい、彼はよく笑ってはしゃいでいた。


その日も二人で病院の中の林へ行った。
ここは患者が散策するために設けられた場所で、平坦な道のコースと、歩くのにそこそこの体力がいる道のコースの二つがあった。
調子の良かった英は険しい方を選び、二人で坂道を登っていた。



「ぜぇ、ぜぇ」

「あきら、大丈夫か?」

「ちょっと疲れた……」

「休むか?」

「ううん……!そうだ、ひっぱってくれよ!」

「え?」

「て、つないで、オレをひっぱって」



俺よりも細くて白い腕が伸ばされる。
英の綺麗な瞳が、見上げてくる。
それだけのことで、どうして返事を言えないのか、自分でも分からなかった。


答える代わりに手を握ると、英が笑って、俺は思わずソッポを向いていた。
このまま時が止まればいい。
そんなことを思っていたら、いつの間にか林を抜けていた。





「英、最近ご飯食べてないじゃないか」



英のベッドの横にあるホログラムには、その日の英が食べた食事の量が記載されている。
その数値が減り始めたのは、英と俺が10歳になる頃だった。


俺はもう四年も病院に通い続けていたが、学校の友だちは相変わらず一人も出来ないままだった。
そもそも学力面に才があり異例の飛び級を繰り返す俺には、ついてきてくれる友人などいるわけもなかった。
孤高か?孤独か?
その差異など俺には分からない。


英もそうだった。
最初に出会った頃が嘘のように、いつもの彼は一人で病室で本を読んでいた。
それはたぶん、俺が来ることを知っているせいだ。



でも、ここ最近は違う。
英の身体が弱っているせいだ。



「最近お腹が減らなくて」

「……その端末、電子書籍か?」

「うん。本を長時間持つと腕が疲れちゃうから」



英の色白な肌は、いっそ透けて消えてしまいそうなほどだった。
俺の五感の全てが、英の病状が差し迫っていると警告していた。



「あきら、病気は大丈夫なのか?もしかして」

「大丈夫だよ!平気だってば」



英は真っ直ぐ俺の目を見てそう言った。
それが真実なんだ、と言わんばかりに。



「俺は絶対に大丈夫。ハジメを置いて死ぬワケないよ」

「……本当だな」

「ホント」

「信じるからな」

「あぁ、信じてくれ。早く治して、ハジメと一緒に学校で勉強してみせるから」


そうは言っても、英には明らかに死が近付いていた。
だが、英の両親の姿はあまり見なかった。


「お父さんとお母さんは、オレの治療費のために頑張ってるんっだって。だから諦めるワケにはいかないな」


その言葉は真実らしく、英の親が病室にいることももちろんあった。
とても優しそうな人たちだったが、俺はそんなことどうでもよかった。
英を治してくれさえすれぱ。
そのために働いてくれさえすれば。


最近、俺の母が家を飛び出た。
今度こそ家には帰らない、と書いた手紙と、母の署名がされた離婚届を残して。
今度こそ母はいなくなった。
元々いないような人間だったから、あれほど喧嘩していた父が重く落ち込んでいても、どうでもいい。
英さえいてくれれば、英さえいなくならなければ、それでいい。


ある日、英がこれあげる、とブレスレットをくれた。
今放送されているヒーローが使う、変身道具のブレスレットの玩具。
もらおうと思ったとき、急に苦しそうに咳き込んだ英を見て、ふと感じた。
これはもしかして、英の形見になってしまうのか?
そんなものだったら、いらない。
俺は結局もらわなかった。


「あきら、死なないよな。どこかに行ったりしないよな」

「死なないし、どこにも行かないよ、ハジメ」


毎日毎日、そんなことを聞いた。
英には辛い言葉だった筈なのに、彼は顔色一つ変えず、笑って答えた。
刻一刻と重くなる病状の中でも、英はあまりにも聡明なままだった。


だからこそ、俺に言えなかったのかもしれない。
自分がもうすぐいなくなってしまうことを。


ある日、英が林に行きたいと言った。
そして俺が初めて病院にきたときに見ていた、あの大きなカプセルの機械の中に英を入れて、林に向かった。
ターミナルケアの患者のカプセルがぽつぽつとうろつく中庭を通り、林に向かう。
外はもう春の中頃で、地面に落ちた桜の花びらが、踏まれてぐしゃぐしゃになりながら散らばっていた。


平坦なコースの道の途中で、英が歩きたいと言った。
カプセルから出してやると、英はゆっくりゆっくり足を前に出した。
しかし、わずか数歩でその場に崩れ落ちてしまった。


咄嗟に支えながら、俺の心臓はばくばくと高鳴っていた。
変わらない笑顔に隠れて、こんなにもその身体は弱っていたなんて。
病状の深刻度は頭で分かっていたつもりだったが、実際目にするとそれは、あまりにも絶望そのものだった。


気付けば身体が勝手に動いていた。
同い年とは思えないほど、細い細い骨だらけの身体を精一杯に抱き締めながら、俺は聞いた。


「どこにも行かないよな、あきら」


英が弱々しく呼吸をしているのが感じられた。
身体は思いの外、熱かった。
だがそれ以上に、脆いカラクリ細工のような体だった。
この一瞬で壊れそうなカラクリ細工が、今の俺を動かしている。


「俺は傍にいるよ」


英は一切の不要な間を置かず、すぐそう言った。
細い腕が、俺の背に回された。
ただただ守りたいと思った。
何よりも英が好きだ。


「ずっとずっと……ハジメのことを考えるよ」


その翌日、学校が終わって病院に行くと、英は病室からいなくなっていた。
慌てて受付の人に尋ねると、英はよりしっかりとした治療を受けるべく、俺が帰ってすぐに海外にある病院へ転院したという。


仲良しだったのに知らなかったの?と驚いたような声音で聞かれたが、俺は何も答えられず、その場を離れた。


どうして、俺に何も言わなかった?
どうして、俺に嘘をつき続けたんだ?


頭では分かる。
英は俺が悲しむと知って言えなかったのだろうと。
でも、でも、ずっといてくれるって言ってたじゃないか!!


もう一度英のいた病室に行く。
英がいたのが嘘のように、綺麗に片付けられている。
何か残っていないかと部屋の隅々を探し尽くしたが、何もなかった。


どうして、何かを残すことさえしてくれないんだ。
昨日の嘘が、最後のお別れの言葉だとでも言うのか。
もう英はいない。
英はいなくなってしまった。


生きているのかも、死んでいるのかも、もうどうやったって知りようもない。
だったら。

ーーだったら、英を忘れてしまおう。

彼のことを覚えていたって、もうどうにもならない。
最初から、英を忘れよう。
楽しかったことも幸せだったことも忘れなければ、今の悲しみや怒りや苦しみも忘れられないのだから。


さようなら、英。
俺はきっとお前の優しさを許せないよ。



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~AI起動 136日目~


AIが倒れ込んで丸一日、やっと目を覚ました。
俺はその間、一睡もせず封印していた安藤英との思い出を、ずっと遡っていた。
なんだかんだ幼い故に純真だった俺が、自分が傷付かないよう必死に忘れていた思い出。
それでもトラウマだけは一丁前に消えなくて、人嫌いだけが残った。



AI「……ここは俺の部屋?」

男「そうだ。お前、アンドロイドの身体だから大変だったぞ。開拓作業用のパワースーツなんて久しぶりに着た」

AI「……なんか映像がフラッシュバックしたのは覚えてるんだけど……」

男「……安藤英じゃないんだよな、お前」

AI「ううん?英一だよ、AIの」

男「……そうか」

AI「でもたぶん……安藤英は俺のボディの元になった人だと思う」

男「え?」

AI「たぶん俺……安藤英の身体をアンドロイド化して生まれたんだ。恐らく、アンドロイド化した身体を動かせる脳に改良するため、困難な記憶の保持をある程度諦めたんだろうね。それがフラッシュバックの原因かな」

男「……な、何言ってるんだお前」

AI「何って」

AI「安藤英は自分の人間としての命を捨てて、アンドロイドになったってことだよ」


~AI起動 140日目~



幼い頃の俺が唯一心を開いていた安藤英が、記憶をなくしながらもアンドロイドの身体になって、再び目の前に現れた。
AIがこともなげに言った言葉が、四日経った今でも信じられない。
事実は小説より奇なりということわざがあるが、そんな馬鹿な。


AIの方はすっかりいつもの調子に戻っていた。
奴は今第二地球にいた、火星でいう犬に似た野生生物とセンター内で戯れている。
動物を溺愛する様は確かに人間が元だと言われても頷ける。


だがやはり、人間をそのまま機械化するなんて話、今まで聞いたことがない。
今は万能細胞の研究が進んでおり、人間の臓器や腕などの身体の一部分の殆どは、万能細胞で作ったものと問題なく替えがきくようになっている。
義足や義手は無くなって久しく、人間の平均寿命はぐんと長くなった。


だからこそ、わざわざ身体を機械化する必要は無いのだ。
唯一替えが効かないのは脳だが、脳に関しては倫理的な問題で複製は出来ない。
個人の思考や意識の復元は今もなお未知の領域だ。


AIは英がアンドロイドになったのが自分だというが、人間の身体を捨ててまで機械の身体になったのは、やはりどうしても理解が出来ない。
万能細胞で作った代替品では間に合わないほど、身体が弱っていたのだろうか?


だとしても結局、記憶は引き継げていない。
性格は俺の知っている英とよく似ている。
だがその思考はロボット三原則に縛られているし、人間だったら怒ったり嫌いになるようなことをいくら言っても、このAIは明らかにどちらの感情も持つことが出来なかった。


これでは、英は死んでしまったのと同じではないのか?
そのことが事前に分からなかった訳でもないだろう。
なのにどうして、英はそんなことをしたんだ。



男「おい、AI。お前、どこまで英のこと思い出した」

AI「うーん、そうだなー。昔、男と遊んでた記憶がちらほら……あと、10代後半に男に会いに行ったことがあるみたい。でも男はこっちのこと覚えてなかったぞ」

男「そうなのか?……まぁいい。他には?」

AI「あとは……身体をアンドロイド化する際にあたって、脳の記憶領域を損傷する方法じゃないと、この身体を動かすための人工知能と繋げないことを承知の上で、手術用アンドロイドに施術してもらったのも思い出したかな」

男「安藤英の意識や思考は、お前の中に存在してるのか?」

AI「いや、安藤英の自我は存在してないな」



恐ろしいほどあっさりと、AIは断言した。



AI「人工知能の思考プログラムと人間の自我は共存出来ないよ。どんな天才の脳であっても、アンドロイドの身体を動かすことは出来ないし、根本から違うから」

AI「今俺に残ってる安藤英の脳は、あくまで人工知能の思考補助というか……俺の性格のベースではあるけど、人工知能の調整を介してるからこの思考は安藤英そのものではないし、記憶も大幅に損傷してる。まだ思い出せてないことはあるけど、100%の記憶回復は無理だな」

男「……なんでそこまでして、身体を機械化したんだ……」

AI「身体が限界だったんじゃないか?11歳の時に大きな手術を受けて一旦持ち直したけど、完全に病気から回復してなかった記憶があるぞ」

男「だとしてもだ。記憶を損傷して、自我も無いと言うなら、それは……自殺と一緒じゃないか」



AI「さぁ、どうだろうな。寝たきりになって死ぬくらいなら、有効活用したかったのかも」

男「お前……やけに蛋白だな」

AI「だって俺はアンドロイドとしての身体に不満は無いし。人間の命は大切だから、それを捨てたのは理解し難いけど……アンドロイドであることが、人間であることよりかわいそうだっていう価値観も無いし」



AIはあえて素っ気ない言い方をしているようにも聞こえた。
そういえばこいつの記憶の中には、出来事に付随する感情の記憶は無いのだろうか。
もしそうならば、一体どんな気持ちを持って英が身体を機械化したのか、聞いてみたい。



AI「なぁ、お前は安藤英のこと今でも嫌いなのか?」



そこで不意にAIが尋ねてきた言葉に、俺は口まで出しかけた質問を慌てて飲み込んだ。
こんな質問をしてくるということは、安藤英の記憶にも、俺との別れはしっかりと刻まれているということだろうか。



男「……昔はな。だが英がいなくなったせいで人嫌いにはなったが、死に急ぐなんてこともなく、今日まで生きてきた」

男「冷静に振り返ってみれば、英に救われたことの方が多いんだ。あいつが何も言えなかった気持ちもよく分かってる」

男「……嫌いだとか、憎むような気持ちは、もうないつもりだ」



半ば自分に言い聞かせるように、俺はそう言った。
もう英がいなくなってから、16年だ。
突然いなくなってしまった時の悲しみは、今もまだ心の奥にある。


でもきっと、英も同じだけの悲しさを感じた筈だ。
そうじゃなきゃ、四日前に英の記憶がフラッシュバックした時の、あのAIの表情は説明がつかない。
俺だけが悲しみに暮れた訳ではない。
それでもう全て済んだことなのだ。


それよりも問題なのは、やはり英がアンドロイドとなってやってきた理由だ。
身体が弱っていたとは言え、残りの命を捨ててまで此処に来た。


ーーそれは人工知能の発展のためなのか?

ーーそれとも俺のためなのか?


そんな考えがふと胸を占めて来る。
だがそれをこのAIに聞く気にはなれなかった。
もし、万が一、俺のために命を捨てたと言われたら?
自分のために英を忘れた俺は、何と言えばいいのか分からない。



AI「そっか。嫌いじゃないならいいんだ。俺の元になった人が嫌いだったら、俺がいるとお前が辛いからな」

男「ふん、人間は等しく嫌いだ」

AI「でも英のことは好きになれてたんだろ?」

男「……言っとくが英のせいで、人嫌いが酷くなったんだぞ」

AI「うん。でも、好きな人間がいたこと、忘れない方がいいと思うから」



図々しい物言いは英そっくりだ。
けれどこいつは英じゃない。
俺が唯一心を開いた人間はいつの間にか死んでしまって、そして僅かな記憶だけ託して、この星にこうして存在しているのだ。


~AI起動 145日目~

上司『どうも~定期報告を聞きに来ました~。その後の英一くんは大丈夫でしたか?』

男「おいハゲ」

上司『はg……せめて上司を付けて下さいよ!あとこれ、バーコードですから!』



男「お前……どこまで知ってて英に協力した?」

上司『英くんは僕と同じ大学院の研究室出身で、可愛い可愛い後輩ですからね~まぁ懇ろでしたよ~』

男「俺の質問に答えろ。あのAIは英の身体を本当に機械化したものなのか」

上司『そうですよ。彼の身体は英くんの身体を機械化したものです。英くんの脳も六割ほど電脳化した、全く新しい人工知能です。世界中でも彼しか作れなかったでしょうね~』

男「お前……どうかしてるぞ!英を止めようとは思わなかったのか!?」

上司『惑星開拓機械が専門な君には、英くんや彼を見守った僕の気持ちなんて、きっと分からないですよ~。倫理によって探求することを妨げられている研究が、33xx年現在で一体どれだけあると思ってるんですか~?』

男「……」

上司『彼は自らの命で、人工知能の未来を切り拓いたんですよ~。人間なんて本来そんなもんです。こちらの都合で好き勝手に第二地球を開拓しているように……』

上司『倫理によって閉じられた場所をも開拓しなければ、いつまでも行き止まりなまま、無意味な研究を続けなければならないんですよ~』

男「お前……そんなこと考えてたのか?」



上司『いやすみません、さすがにここまでは考えてませんでした……ラスボスっぽい雰囲気を出したくて』

男「……」イラッ

上司『でも英くんの話を聞いた時、好奇心に負けたのは事実なんです……人間の脳の一部を機械化した人工知能が、一体どんなものなのか……』

上司『理論はいくつも発表されていますし、動物実験もある程度はなされているんですが……哺乳類以上の高等動物への実験は世間の目が厳しいし、人体実験なんて以ての外ですからね~』

男「では英は、研究のために機械化を……」

上司『それもあるでしょうますけど、それだけじゃないと思いますよ~。英一くんの製作者が、被験者をぜひ君にと指名した、という話を前にしたの、覚えてますよね?』

男「……」

上司『愛なんですかね~……それ以上の理由なんて、実際ないんじゃないですか?人間は情念に支配されている生き物ですから~』

上司『どうせ死ぬなら、大好きだった人と二人きりの世界で死にたい……なんだかデカダンな感じもしますね~』


~AI起動 150日目~



男「あのハゲ、何がデカダンだ……」

AI「いい加減そんな怒るなよ。確かに人道に反することをしたけど、安藤英本人が望んだことなんだから」

男「分かってる……だが憤懣遣る瀬無しだからこそ、苛々するんだ」

AI「本人が決めたことなんだから、どうしようもなかったんだって」



AIは自身が安藤英の身体であることを、なんとも思っていないようだ。
人間に劣らず情緒豊かなヤツだと思っていたが、そこらの考え方は違うらしい。


もし英だったらーー。
ふと頭の中で首をもたげるその考えを、すぐに消した。
こいつは英じゃない。



男「……俺と英が、10代後半に一度顔を合わせていた記憶があると言ったな。どんな記憶だ?」

AI「どっかの施設の中で、安藤英がお前に声を掛けたみたい。でもお前は覚えてなくて……」

ーー安藤英……?一体誰なんだ?

AI「って言われてそのまま男が向こうに行っちゃった記憶しかないかなー」

男「そうか……そんなことがあったのは、本当に覚えていないな」

AI「ふぅん」



AIはぼうっとセンターの窓の外を見ている。
辺りはすっかり夏になろうとしていて、鮮やかな緑黄が広がっていた。



AI「お前さぁ」

男「なんだ」

AI「安藤英と俺との扱いだいぶ違うよな」

男「当たり前だ。あの頃は俺も子どもだったからな……あんなこと今更出来るわけない」

AI「お前かなりデレてたもんな~」

男「聞こえんぞ何も聞こえん」

AI「少しは俺をセクサロイドにしようとした、その邪心を反省するんだな」

男「ぐ……」



そう言ってAIはしたり顔で部屋に戻って行く。
まったく返す言葉も無い。
英のことをすっかり忘れていたはずなのに、成長した彼の見た目をちゃっかりAIに選んでいる事実も、今更じわじわと来る。


16年前に姿を消してから、ずっと忘れていたせいだろうか。
忘れようとしている間も、死んでいるかもしれないと考え続けていたせいだろうか。
以外にも、一目会えないまま死んでしまった英に、俺は動揺しないまま済んでいた。





AI「……」

AI「なんで安藤英との扱いの差に、納得出来ない思考領域があるんだろ……」

AI「はぁ……また新しいバグかな」



~AI起動 158日目~



何となく思い立ったので、AIと一緒にセンター外の森へまた行くことにした。
以前に行ったのはAIと出会ってまもない頃、あの時は冬の最中で雪がチラホラと木陰に積もっていた。


だが、今はもう夏の始めだ。
日差しは強くなり、傾斜が急な道を歩いていると、少しだけ汗が浮かんだ。



AI「俺が火星にきて五ヶ月も過ぎてるんだなー」

男「こんな調子であと四年と半年もお前といるのか……」

AI「嫌そうに言うなっての!……あれ?前に見た滝ってアレだよな……水の勢いがだいぶ大人しくなってる」

男「この森の開発が進んでるんだろう。ここも第二地球開拓センターの敷地にするからな」

AI「……環境破壊」

男「ボソッと言うな。火星のスーパーコンピュータがここを開拓しても影響が少ないと計算したんだ。文句があるなら火星に言いに行くんだな」



滝が流れ、川となっているところまで下ってみる。
水に触れるとだいぶひんやりとしていた。
隣に来たAIも、俺を真似して手を川の水に浸している。



男「お前は冷たさを感じないんだったか」

AI「厳密には感じてるっちゃ感じてるけどな。あくまで温度の検知に過ぎない」

男「リアクション芸も出来ないとは、よくそれでコミュニケーション用アンドロイドを騙れたものだ」

AI「悪かったなー、しょうがないだろ」



俺の言葉にムスッとしていたAIだったが、ふと何かを閃いたような顔をすると。

ーーバシャァッ!!



男「……」ビチャビチャ

AI「名付けて、ウォーターキャノンと言ったところかな」フッ

男「……お前が来たばかりの頃にした、雪合戦の時以来だな、この気持ちは」

AI「その時はスノーキャノンだったな。俺も日々アップデートしてるんだぜ?」

男「俺にはこの水温はわりと冷たいんだぞ」バシャッ

AI「ぶっ」

AI「あ、ちょ、目の所に砂利入った……」

AI「目が……目がぁぁああ!!」

男「1000年以上も前の映画作品が未だ残ってるなんて……どんな気持ちなんだろうな」バシャッバシャッ

AI「やめろあほー!」ダッ

男「アホって言った方がアホだ」バシャバシャ

AI「小学生か!」



ギャーギャー喚くAIをなんとなく見詰める。
面影はあるが、16年後の英の顔は俺が最後に見た時と、当たり前だがひどく変わっている。
そもそも記憶の中の英の顔も変わっていくものだ。
それにこんな風に、川の中で水遊びをしてはしゃいだこともなかった。


やっぱりこいつは英じゃないんだ。
それでいい。
俺も昔とは随分と変わっている。
だから昔のようには英を愛せなかっただろう。


ただ、どうして命を捨ててアンドロイドになったのか。
その理由だけは知りたい。
科学のためなのか?俺のためなのか?
どんな気持ちを最後に抱いて、英はこのアンドロイドになったんだろう。


~AI起動 163日目~

ーーあきら、大丈夫か?

ーー大丈夫だよ。ハジメはそればっかだな。

ーー……本当だな。でも、あきら。

ーー?

ーーずっと、大丈夫だよって言ってほしい。あきらは俺の大切な……友達、だから。


そう言って、幼い頃の一(ハジメ)はぎこちなく笑っていた。
本当は、友達じゃ収まらないくらいに安藤英のことが好きな川崎一。
それをベッドから見上げる安藤英の映像には、まるで鮮やかな絵画のように、彼の姿が映っていた。


安藤英の記憶にいる幼い男は、俺の見たことのない顔ばかりする。
優しさだとか愛おしさだとか、人間の綺麗な感情が詰まった顔だ。
16年経った今も尚、時折遠い目で俺を見る時、その片鱗が見える。


安藤英には最初から与えられたのに、俺には今も尚与えられていないもの。
何故だろう、それを考えようとすると、妙に思考のスピードが鈍くなる。
この苛立ちに似た感情は、俺のものなのだろうか。
それとも安藤英のものなのだろうか。
分からない。


幼い子ども同士の筈なのに、常人よりも遥かに聡明だった二人の間には、深い繋がりがあることを感じた。
あの時から、ずっとおかしい。
男が安藤英のことを聞く度、言語化出来ない思考が生まれ、素っ気ない態度になってしまう。


これはバグだろうか。
しかし俺の制作者はもう死んでいる。
俺がまだ思い出せていない記憶に、この治療法があるとも思えない。



AI「ねぇ、この感情って何かな?」

犬「くーん?」


最近センターによくやってくる野生の犬がいる。
火星の柴犬と似ているのは、やはりここが地球の日本と似た気候の場所だからだろうか?
わしゃわしゃと顔を撫で回しながら、円な瞳を覗き込んだ。
ストレスなんて感じない筈だけど、なんだか癒されている気持ちになる。



AI「俺はね、元が人間とは言え、ターミナルケアのコミュニケーション用アンドロイドとして立派に働けるスペックなの」

犬「わふ」

AI「だからこそ、負の感情に類するものが発生しないよう、調整されてるハズなのに……弱ったな、これって……記憶を思い出した反動なのかな……」

犬「わふわふ」

AI「治せる人ももういないし……」

犬「わん!」


その時、背後で物音がしたので振り返ると、男がやってきていた。


男「またこの犬か」

犬「わん!わん!」

AI「可愛いよなーこいつ」

男「エサなどやった覚えはないんだがな。ここまで懐くとは」



隣にしゃがんだ男の元にも、犬は尻尾を千切れんばかりに振ってやってくる。
あまり動物に慣れていないらしく、たどたどしく頭を撫でる男の姿が似合わなくて、少し笑ってしまった。


~AI起動 171日目~


今日は久し振りに飛行車を開拓センターのガレージから出した。
現在、第二地球の様々な環境に適応出来るよう品種改良された植物が、各地で試験的に栽培されている。
今日はその様子を見に行くことになった。


第二地球で栽培するための品種改良は、既に先の作業員たちの手で完成している。
人間が移住するまでの後の100年で、第二地球の環境下で育てさらに適応させるのだ。
育てた食物の大半はバイオマスエタノールのような燃料に変換される。


AI「見渡す限りの畑でかー!」

男「お前は何にでも喜ぶな」

AI「そりゃなんだって嬉しいよ。初めてのことはさ」

男「俺も畑を目にしたのは初めてだな。食物を栽培するのは、日本国ドームの上層部の部分だから、人間の住む区画とは完全に分離されている」

AI「そう言えばそうか」

犬「わん!わん!」

男「……全く、こいつもすっかり俺たちから離れないな」

AI「あはは、ホントどうしてなんだろ?男なら分かるけど、俺なんてアンドロイドなのに」

男「……こっちから入れる。ついて来い」

AI「あぁ、お前も行くぞ」

犬「わふわふ」


俺たちと変わらない背丈まで伸びている植物は、とうもろこしだ。
駆け出した犬を追いかけて、AIはその中に埋れて行こうとする。
すぐに緑に消えてしまいそうなその背中に、思わず手を伸ばしていた。


AI「うおう!?」


がっと服を掴むと、AIは危うく倒れる所までよろけたが、すぐに持ち直した。
そう言えば見た目が人間だから忘れがちだが、身体を機械化しているAIは俺より遥かに重い。
もしこいつがこちらに倒れ込んでいたら、怪我をしていたかもしれない。


AI「び、びっくりした……危ないだろ!?お前がだぞ!?」

男「……勝手に離れるな。ここは広いんだ」

AI「へ?俺、方角や位置は把握してるよ。別行動でもちゃんと飛行車があるところに戻れるってば」

男「……いいから、まだ離れるな」


思わず引き留めてしまったことに、内心戸惑う。
何をセンチな気分になっているのだろう。
唯一の存在だった英が死んだことを知って、この広い星の中でAIの姿が見えなくなることが、不意に怖くなった。


こいつまで失いたくない、と思ったのだ。
AIの服を掴みながら、自分でも驚いた。


そう言えば、両親が不仲な時も、しまいには母がいなくなった時も、そこまで悲しみに暮れなかった自分があった。
それは俺に英がいたからだ。


じゃあ、今は?
英がいなくなってから16年経ったとは言え、死を知ってもあまり動じず、悲嘆に暮れずにいる今は?


AI「まぁ、お前がそう言うなら一緒にいるけど」

犬「わん!わん!」

AI「そうだな、お前も一緒に回ろうな~」


AI「凄く土の匂いがする」

男「変な匂いだな」

AI「変なって……そうかな?」

男「まぁ、火星のドームの中よりはマシだが」

AI「なんで?火星の空気は数値的には汚くないと思うけど」

男「気分の問題だ」

AI「気分かぁ。でも火星に住んでから500年経っても、人間はその気分が抜けないんだな」

男「ドームの外には本物の宇宙空間が見えるし、地球は観光で人気だからな。すぐ分かるんだ、あのドームの中が偽物だって」

AI「そっか……そんなもんか」

男「ドームの中は全て人間の思い通りの世界なのに、何一つままならない。人間はきっと本質的にマゾだな」

AI「ま、マゾって……でも確かに、過酷な環境を切り拓いて繁栄してきた種だもんな。それなのに切り拓くべき場所が無い火星は辛いのかも」

男「それに加えて自由に煩い。自分で作った快適な檻ですら、鬱陶しくて仕方ない。マゾというのはな、サドに対して罵れだの、ぶってくれだのと要求する、案外に我儘なものなんだぞ」

AI「なんかその例えが嫌だ……つくづく人嫌いだな……」



太陽に向かって懸命に伸びる野菜たちの間を歩き回りながら、AIといろんなことを話す。
AIは、昔の英よりはあまりこちらに何かを押し付けない。
昔は俺が英の話を聞くことが多かった。
今はその逆だ。
AIはちゃんと相槌を打ちながら、俺の話を大人しく聞くことが多い。


畑の中を抜けると、AIが大きく深呼吸をした。
しかし元気が有り余っている犬は、また畑の中に勢いよく入ってしまった。
おかしそうにAIが笑う。



AI「犬がいないと静かだな」

男「元々静かだろ。この星で言葉を喋るのは俺とお前しかいない。犬一匹増えたところで変わらない」

AI「そうだな。センターの中も静かだし…開拓機械の作業音もセンターまでは届いてないし」

男「大規模な開拓作業はもう終わってるからな」

AI「そっか」

男「……」

AI「あと四年と六ヶ月か……」

男「気が遠くなる」

AI「俺もそんな気分だ。でもあっという間な気もする」

男「そう言えば、お前は俺が任期を終えた後もずっとここに残るのか?」

AI「俺?そうだな……考えてないな……だって俺……」

AI「……」

男「……だって、なんだ?」

AI「……アンドロイドだし、自主的にそんは大きな決定を考えるのは向かないよ」



男「まぁ、あと80年もあるなら、いろいろと出来るだろ。ただ、あと四年と六ヶ月の内で考えておいた方がいい。お前の製作者もとい所有者は、もういないんだ」

男「お前にはちゃんと自我がある。お前自身がこの先を決めても問題ないだろう」

AI「……うん……そうだな」



AIばずっと遠くを見ていた。
吹き抜ける風に目をそばめながら、何かを考えているようだ。
見たこともないくらい、真剣な顔をしている。
だがその鋭敏な何かはすぐに和らいだ。



AI「でも、そんな先のことはまだ考えたくないな」

男「……どこまでも人間臭いやつだな。そうやって引き延ばす所まで」

AI「な、なんだよ!いいだろ?今が楽しいんだから」



真面目になったかと思えば、笑ったり、不貞腐れたり、せわしない。
でも、こいつがいなかったら、俺は一体どうやって今まで過ごしていたのだろう。
そんなことが想像も付かないほど、AIの存在が当たり前になっていた。



男「しょうがないから、暫くは付き合ってやる」

AI「やったー!」

犬「わん!わん!」

AI「あ、戻ってきた。そうだ、お前も一緒にいてくれるか?」

犬「わう?」

AI「や、やばっ、可愛いー!!むしろ俺たちと一緒にいてください!!」ムギュウ

犬「わふっ」ギュウギュウ

男「俺まで勝手に加えるな……」



見渡す限りにざわめく畑を人間が眺められるのは、一体いつ以来なのだろう。
地球でも、人間が観光出来るような土地は僅かしか残されていない。
地中に埋まったライフラインの類が壊れ、殆どの土地が地盤から崩壊してしまっているからだ。
残っているのは、元々地球でも観光地として手付かずにされてきた場所ばかり。


この先を考えたくないのは、AIだけじゃない。
俺だってそうだ。
まだ人の手が及びきれていないこの星に、いつまでもいたい。
ずっとこうやって、眺めていたい。


隣に立つのが、たとえ英じゃなくても、俺は生きていけるのだから。


ーーーーーーーーーー
ーーーーー
ーー


~AI起動 5696日前~


33xx年から16年前。
俺は、唯一の友達に何も告げず、 アメリカ国ドームに行った。


医療先進国であるこの国へ行けたのは、最先端の手術を受けるために、父さんや母さんが頑張ってくれたお蔭。
でも本当は、日本を離れたくなかった。
ずっと一(ハジメ)と一緒にいたかった。


だけどそんな言葉は胸の奥にしまい、一にもあくまでいつも通りに接して、俺はアメリカに来た。
別れの挨拶はどうしても出来なかった。
一を悲しませたくなかったのもある。
だけど俺自身、自分の死が間近にあることが怖くて、どうしても別れの言葉を言えなかったのだ。


いつも一の前では笑ってみせたけど、本当はみっともなく泣いてしまいたい気持ちで一杯だった。
一がいなければ、強がりさえ出来ないほど。


今でも、ずっと考える。
もし日本に留まっていたら、俺は10歳で既に死んでいたに違いない。
でも最後まで一と共にいることが出来たんだ。


11歳になって、大きな手術が俺に施術された。
この手術が成功すれば、別れを言えなかったことも、ちゃんと一に謝ることが出来る。
そして約束した通り、一緒に勉強することが出来る。

ーー絶対に成功しますように。

手術の前日、何回祈っただろう。


丸一日かかったその結果は、失敗では無かった。
けれど、成功でもなかった。
俺の病気はとても重いもので、手術は定期的に受けねばならないし、頻繁に臓器を入れ換える必要がある、というのが分かった。


そしてこう言われたのだ。

ーー安藤英くん、医者として、君がこのアメリカ国の医療区画から外出することは、基本的に認められない。


目の前が真っ暗になった。
俺の身体は、この高度な医療技術を持つ区画の中でしか生きられないほど、弱くなっていたのだ。


こんなことになるなら、日本国ドームのあの病院に留まって、一と最期を過ごす道を選べばよかった。
一の連絡先くらい、意地を張らず聞いておけばよかった。
でも、連絡が取れて、電話くらい出来たとしてーーどうする?


一緒に勉強をすることも出来ない身体の人間が、健康な一の傍にいては邪魔にしかならない。
この最先端の医療技術に囲まれても、どれだけ生きられるかは分からない。
こんな身体では、一に心配をかけることしか出来ない。


俺はこのアメリカ国の医療区画にいることを受け入れた。
学校はモニターを介して病室で勉強した。
病気の人間が学ぶための環境は、この時代にはある程度整えられている。


どんどん飛び級していった俺は、13歳で日本のT大の大学院でモニター生になることにした。
俺の学びたいコミュニケーション用人工知能の分野は、日本の方が盛んだったからだ。
そしてせめて、僅かでも日本の空気を感じられたらと思った。


そこで助教授をしていたのが、今は第二地球開拓機関の主任をしている、城址(じょうし)さんだった。
今時珍しいバーコード頭のその人は、モニター生である俺をよく気に掛けてくれた。



「英くん、お身体は大丈夫です~か?」

『はい。また来月手術があるので、暫く講義にはでられないし、研究も進められませんが』

「無理せず頑張ってくださいね~君は我がT大が誇る若き天才の双璧を成すお一人ですから~」

『そんな大層な……でも双璧ってことは、もう一人いるんですか?』

「そうですよ~。もう一人は君と同い年で、開拓機械の専門の川崎一くんって言うんですけど~」

『……え?』



一が、この大学に?
思わぬ偶然に、心臓が止まったような錯覚さえ感じた。
モニター生のために、授業を受けたり、教授と議論するくらいしかしていないから、専門が違うとどんなどんな学生がいるのかなんて、知りようもなかったのだ。



「実際彼とは会ったことないんですけどね~」

『……そうなんですか』

「あ、でも彼の所属している研究室が、今度君のいるアメリカの医療区画に行くらしいですよ~。学会ついでに、医療用機械のアクチュエータ技術を見学するとかで。もしかしたら会えるかもしれませんね~」



会える。
一に三年ぶりに会える。
でも、会ってどうする?


別れの時、何も言えなかったことを謝るとする。
でも結局、アメリカの医療区画からでられないし、未だに一年に何度も手術している。
一緒に勉強することも出来ない。
またいつ本当のお別れを言わなければならないのか、分からない。


これ以上、俺に一を傷付ける資格があるのか?
それともこれは俺の自意識過剰だろうか?
いつ死ぬかも分からない身体で再会しても、一が許しても、俺はそれを許せるのだろうか?


どうしたら一番いいのか、他人から天才だと言われている筈の俺の頭では、まったく分からない。


結局、一が来るかもしれないという日、俺は病室に引きこもっていた。
英に会えないまま、T大の博士号を14歳で取り、そのまま民間の医療系大企業の研究所に所属した。


一年遅れて、一が第二地球開拓センターに所属し、惑星開拓機械の分野で名を馳せていくのを見ながら、俺もコミュニケーション用人工知能の開発に没頭した。
この身体では一に会うわけにはいかないと思っていたのに、いつか一と並んでも恥じない研究者になるために、俺なりに一生懸命だった。


何度も手術して、何度も臓器を入れ換えて、血を吐いて、時に自分で排泄物が処理出来ないほど衰弱しては、なんとか回復して。
その繰り返しの中で、遠退いていく一の存在だけが、俺の全てだった。


俺の両親は、俺が特許を申請して特許料を得るようになり、治療費を自力で賄えるどころか、今までかかった費用の全てを返済した時に、離婚してしまった。
子はかすがい、とはこのご時世でも変わらず、俺の治療でかろうじて結びついていた二人の繋がりが消えてしまった、それだけのことだ。


でも、別にいい。
俺は一と並べる研究者になれればいい。
幼い頃に一と読んだ、あの大好きなバトル用アンドロイドのマンガ。
あれを見て抱いた夢を叶えられれば、それでいい。



だけれど一度だけ、本当に偶然、一と会えたことがあった。
あれは俺が18歳の頃、一が俺の医療区画に来ていたのだ。
後で看護師さんにこっそり聞いた話では、お父さんのお見舞いに来たらしい。


偶然病院の中で会った時、すぐにあの黒髪に目が行った。
そしてその黒が映える白衣姿に、考えるより先に声をかけていた。


「ハジメ!!」


青年が振り返って、夢じゃないと確信した。
8年振りに見た一は、男でも見とれるくらいかっこよかった。



「……誰だ」



だけど、一は訝し気に俺を見るだけだった。
俺が誰だか分かっていないようだ。
思わぬ反応に、心臓が嫌に騒ぎ、目の前が真っ白になりかける。


8年振りだから、仕方ないじゃないか。
必死にそう言い聞かせて、俺は今までずっと会わないと決めていたことも忘れ、更に声を掛けた。


「俺だよ、安藤英。なんでハジメがここに」

「安藤英?」


一は少し上の方を見た。
やはり芳しくない反応に、いつの間にか手をきつく握っていた。



「一体誰なんだ?」



え、と言葉に詰まってしまった。
一は俺のことを覚えてない。
完全に忘れてる。
俺は一のことをずっと考えていたけれど、一は忘れたんだ。


じゃあ、昔のことを思い出してもらうか?

ーーいや、ダメだ。

そこで今まで止まっていた思考が、急に動き出した。


俺のことを忘れてるなら、それは一にとっていいことの筈だ。
俺はいつ死ぬか分からない。
20代はいけるだろうけど、この調子なら30までには死ぬだろう。
医療についてはある程度知識があるから、自分の余命くらいは推測出来る。


昔の一が俺のことを心配そうに見る顔は、本当に辛そうだった。
俺のエゴであんな想いをさせるのか?
一がせっかく忘れているなら、俺も言わずにいるべきだ。


「?……急いでいるんだ。失礼」


何も言わない俺に、一はさっさと向こうへ行ってしまった。
言葉は交わせなかったけど、俺は一が俺をここまで忘れた理由が分かる気がした。
俺が何も言わずに去ったのが辛かったから、一は俺を忘れたんだ。


忘れてしまうほど、一を悲しませてしまったんだ。
もう俺は、一に顔向けする資格が無い。
でもいつか俺は、一にちゃんと……。
ちゃんと何も言わずに去ってしまったことを、謝りたい。


それから暫く、俺はまた研究に没頭した。
俺には勇気が無かった。
いつ死ぬかとも分からない身で、俺のことを忘れてる一と再会して、一に再び悲しい思いをさせること。
そして何より、死を受け入れようとしている自分が、一との絆を取り戻すことで、死を受け入れられなくなってしまうこと。
どうしても一に謝るために会う踏ん切りが付かなかった。



そうやってコミュニケーション用の人工知能を研究に没頭していくうちに、俺は一つの壁にぶち当たった。
今の技術や理論では、一から思考する人格を作ることは出来ない。
どんなに会話のパターンを考えさせることが出来ても、何かを自主的に閃く、ということが出来ない。


打開出来るかもしれない方法は一つだった。
それは、実際に生物の脳を使うこと。
ある程度の知能の動物では既に実験されているが、興味深い実験結果が残っている。


だが脳を弄るというのは倫理的にかなり問題のあることだ。
臓器も腕も足も全て万能細胞で復元出来る今、脳だけがそれを許されない、人間の聖域のようなもの。
それを冒すことは、今後の研究を続けられなくなるほどのバッシングを受けるだろう。


バッシングを受けず、研究を続けられなくなる方法があるとすれば。

ーーそれは、俺が被験者となって脳を取り出すこと。


医療区画で一と再会して3年、俺は21歳になっていた。
俺が生み出せる理論や技術でさえも、プログラムの構築で人工知能の自我を創ることを想像出来ない現状。
研究に行き詰まりを感じていた頃、久し振りに城址さんと会った。


何でもアメリカでの学会帰りに寄って来たのだという。
モニター越しでなく、生身で会うのは初めてだ。
相変わらずのバーコード頭で、大学の頃と見た目は変わっていない。
だけど今、城址さんは政府機関の第二地球開拓センターの火星本部に務めているらしい。


「わ~大きくなりましたね~英くん。もう21ですか~7年振りですね。君の活躍ぶりは日本国ドームでもよく耳にしております」

「そんな、俺はただの引きこもりなので……会社にもわがまま言って、医療区画内で俺の研究室を作ってもらったんです」

「君のVIP待遇は誇るべきことですよ~やはりわがT大が誇った天才の双璧は、どちらもやることが違います」

「あの……それって一も何かしてるんですか?彼のことは、ネットでよく拝見してますが……」



一のことだ、と思った矢先にもう言葉にしていた。
やっぱり今でもずっと、一のことを忘れられない。
一のことを考え続けるのは、最後に俺が彼に誓った約束だから。



「ふふふ。……なんとなんと!川崎一くんは第二地球にある開拓センターで次の現場主任に任命されたんですよ!あの若さで異例のことなんです~五年後が楽しみですよ」

「あぁ、あのプロジェクトの……大体何年くらい第二地球に滞在するんですか?」

「五年ですよ~その間一人ぼっちで監視作業です~」

「五年……ですか……」



一が第二地球に行って、火星に帰る頃には俺は間違いなく死んでいる。
彼が第二地球へ行くまであと五年。
今度こそ、一に全てを話そうか。
でも、一を悲しませるのも、自分の死を受け入れられなくなるのも、やはり怖い。



そこで、俺は決意した。
意気地なしであると同時に、人工知能の研究者である俺には、それしかないと思った。


俺の脳を人工知能にする。
そして身体も全て機械化する。
アンドロイドになるんだ。
そして一と、火星で生きるんだ。

ーーーーーーーーーー



「はぁ……確かに、作業員には基本的にコミュニケーション用アンドロイドを支給していますよ~。人との関わりが苦手で作業員に志願している者もいるので、起動されない場合もありますが……英くん直々に手配して下さるんですか?」

「はい。実は今、構想中の人工知能を使ったアンドロイドを作りたいと思っていまして……第二地球は人間が作業員一人しかいない特殊な環境ですし、そこで運用してもらえたら、有意義なデータを集めることが出来ると思うんです」

「そりゃまぁ……英くんの研究に貢献出来るのなら、僕の教え子としても、そして大学の後輩のよしみとしても、喜ばしいことですから~断る理由はありませんよ」

「ありがとうございます。当分先になりますけど……アンドロイドが完成したら、真っ先にお知らせします」





俺には叶えられない夢を、俺の命で作るアンドロイドに託そう。
10年以上も音信不通だった人間の死なら、一が悲しむのも最低限で済むだろうし、俺も死ぬことを恐れる気持ちは生まれない。


むしろようやく心から死を受け入れることが出来る。
一にちゃんと会いに行くために死ねるなら。
俺の理論の行き詰まりの先にあるものを、そこで得られるなら。


俺の見たことのない、どこまでも広がる本物の自然の中で、一といろんな所へ行くんだ。
一と、俺の脳を使った人工知能で本物の自我を持つアンドロイドと、二人しかいない世界。


どんな世界だろう。
俺の脳を使って本物の自我を持った人工知能は、そこで何を感じるだろう。
想像するだけで、なんだかドキドキした。


俺って、もしかして昔から一のことが好きだったのかな。
ふと思った。
今まで気付かなかったけど、ここまで必死になって一と会おうとしなかったのは、突き詰めてしまえばこの気持ちがバレて、一に拒否されるのが怖かったからなのかもしれない。


俺が安藤英という人間として生きてきた21年が、どうしたって俺の自由を縛ってくる。
医療区画から出られないこと、何も言わず一の前から消えたこと、そして余命があまりないこと。
それら全てを捨て去って、自由に思いのまま生きられる新たな生命を作るんだ。


俺の脳を使った人工知能を作ると決めた日から、俺はちっとも悲しくならなかったし、むしろずっとワクワクしていた。
俺の唯一無二の技術の結晶を、一に早く見て欲しくて仕方がない。
そんな気持ちさえ生まれている。


だから、出来るだけ一が悲しむことがありませんように。
そして俺の作ったアンドロイドと一が、仲良くなりますように。
アンドロイドが、一を愛しますように。


すみません、忙しくて長らく更新出来ませんでした。
たぶん明日の夜から書くと思います。


~AI起動 686日目 センター中庭~





男「……おい」

AI「ん?」

モクモクモク

男「何やってるんだ。煙たいな」

AI「失われた日本の大衆文化、焼き芋を再現なう」

男「焼き芋?なんで落ち葉でやるんだ?あと、なうってなんだ、なうって」

AI「いやー秋ですねー。俺が起動して約22ヶ月、つまり約一年と10ヶ月」

AI「何事もなく過ぎ、今もって息災に過ごせることを感謝しなくては……なんまんだぶなんまんだぶ」

男「機械のお経ほど滑稽なものは無いな」

AI「ふん。悪かったな」



第二地球開拓センターの外はすっかり紅葉で染まっている。
地球のイチョウやもみじとは品種が違うため、もちろん葉の形は違う。
だが、木々が厳しい冬を越す為、鮮やかな黄や朱を織り成して行うこの準備は、この第二地球にも馴染みがあるらしい。



AIはセンターの外の中庭に落ち葉を集めて、焼き芋なるものをしていた。
後で調べたが、20世紀の頃には落ち葉を集め燃やし、その中にサツマイモを入れて行うのが一般的な方法だったらしい。
尤も現在の火星には、火事を防ぐ為のセンサーがドーム内に張り巡らされている。
そのため戸外で許可なく火を使い、センサーを誤作動させるのは罪に問われる。



AI「火星だったら犯罪なことを平然と行えるこの環境……うしししし」

男「もう二年近くいるのによく飽きないな。所詮、やたらだだっ広い自然があるだけなんだぞ」

AI「お前こそあと三年も任期あるのに、もう飽きてちゃダメじゃん。そうならないように、自分であるもので創意工夫しないと」

男「お前がそうやって健気に作った創意工夫に、容赦無く横槍を入れる方が楽しいからいい」

AI「マジでどSか!」



突っ込みを無視して、俺はそこら辺にあった木の棒を拾うと、がさがさと落ち葉の山を掻き分けた。



AI「え、ちょ、まさに食べ頃ってところなんすけど」

男「だろうな。お前のさっきまでの顔は、そんな顔だった」

AI「お前何にもしてないじゃん……ぐぐぐ……」

男「悔しかったら力ずくで止めてみろ」

AI「……俺からそんな接触をして揉み合いになっては、お前に危害が及ぶ可能性がある……それは出来ないんだぁぁああ!!」

男「あち、あちち……しかしウマい」

AI「うん……栄養価も高いし、いいサツマイモなだけあるよな……二個いれといてよかったマジで」



ジト目で睨んでくるこいつを無視して、焼き芋を堪能しつつ、地面の落ち葉をなんとなく見下ろしてみた。


AIが英の身体をアンドロイド化したものであっても、俺たちの関係は何も変わらない。
変える必要が無いのだ。
この星には俺とこいつしかいないし、そもそも主人と主人に従うアンドロイドという大前提の関係がある。



なんとなくAIが傍にいて、気が向いたら第二地球のどこかへAIと出掛けてみたりする。
AIとたくさん話はしたが、AI自身に触れたり、或いはAIから触れられることは滅多に無い。
直接的な接触は、思わぬ事故に繋がる可能性もある。
だから患者から触れ合いを求められない限り、必要最低限にすべし、とインプットされているらしい。



地面から少し視線を移すと、地面にしゃがんで一心不乱に焼き芋を頬張るAIがいた。

ーーまるでハムスターだな。

呆れながら、見下ろしていると、AIはあっという間に全て食べ終えた。
そしてよっこいせと年寄り臭い掛け声で立ち上がり、俺を見ると、途端に眉を寄せた。



AI「なんで笑ってんの?」



少し驚いた。
笑っている?
俺は笑っていたのか?
自分でも戸惑っているうちに、不意にAIの口元に芋の食べカスが見えた。
俺は誤魔化すように大仰に溜め息を吐くと、そのカスを指で摘まんでやった。



男「あまりにお前が間抜けだったからな」

AI「何たる不覚……」



食べカスを地面に放りながら、そう答える。
少しだけ触れたAIの肌は、とても温かかった。



~AI起動 690日目~



AI「いつ見ても第二地球の星空は飽きないな~」



AIは夕食の後になると、大体センターの中の大きな窓枠に腰掛けて、夜空を見上げている。
英の脳を使った人工知能だというのなら、さぞかし浪漫的なことを考えているのだろう。


火星のドームにあるスクリーンの夜空には、地球の星空が再現されている。
だから日本国ドームの中では、地球に人間がいた頃の日本の夜空が見える。


だが、第二地球は地球のある天体系から5万光年も離れている。
当然、夜空に見える星は全く違う。



AI「俺、勝手に星座を作ってみたんだー。人工知能だとどこに俺の作った星座があるか、すぐ捕捉出来るから便利だよな」

男「ふぅん。お前は何座を作ったんだ?」

AI「そんな作ってないぞ。まぁ指差しても分からないだろうけど……そうだな、あれがポチ座」

男「ポチ?」

AI「うん、ほらセンターに来てた犬。結局、夏が終わってからここに来なくなったんだろ?名前付け損ねたままだから、俺が命名した」

男「そうだったな……あいつ、どうして来なくなったんだろうな」

AI「ふふ、人間はすぐ忘れるな。俺はいつだって忘れてないよ。ポチがここに来なくなってから今日で287日目だ」

AI「来なくなった理由も考え続けてる。答えが分からないままってのは、なんか耐えられなくてさ……でも思い出すと感情が伴っちまうから、嫌になるんだけど」



僅かに俯いたAIの顔には、少しだけ暗い影が落ちた。
だがすぐに気を取り直したように顔を上げ、いつものように笑ってみせた。



AI「人の心を癒すコミュニケーション用アンドロイドが心の悩みを人に打ち明けてるなんて、我ながらシュールだな」

男「……いや、あながちおかしなことでもない」

AI「え?」

男「人間は他人の助けになることに喜びを感じるからな。高度な感情機能を持つために生じる不具合の解決を人間に相談する……そういうのも一種の心理療法になるんだろ」

AI「そっか……」



AIは何かを考え込んでいたようだが、やがてまた俺を見た。



AI「俺、お前の役に立ってる?」

男「……何だ今更。お前、一応気にしてたのか」

AI「別に、そういうのじゃなくて、ただ……俺が悲しかったり、怒ったり、その、今みたいに辛くなったり、そういうあまりよくない感情でも、お前の役に立ってるのか?」





何だ、この質問は。
折角、俺なりのフォローを入れてやったつもりだったのだが……いやいやフォローじゃない、単なる考察だ。


役に立つとか、立たないとか、そんな目でこのAIを見たことは一度だってない。
なんとなく気分が乗る時に好きなように付き合ってやって、不快にならない程度に話し掛けてきたり、俺の話を黙って聞いたり、朝は料理を作っている。
それをそんな目で見れる訳がない。


コミュニケーションを取るためのアンドロイドだと言うなら、俺みたいな偏屈な人間と二年近く二人きりで過ごせているのは、限りなく有能なのだろう。
ターミナルケアを必要とする患者と違って、身体は健康だし、死の間際に人の温もりを切実に求めるほどの心理状態ではない。
通常コミュニケーション用アンドロイドが対応する人間とは、条件が違うのだから、大変なことだろう。


しかし、それを言ってやれば、こいつの気は済むのか?
分からない。
他人の心など、遠い昔に見ることを止めた。
心と行動は違うから、心を見ても意味が無いと思っていた。
そんな人間が、答えられると思うか?


言葉で言えないならどうすればいい?
いや、そもそも、何を必死になってここまで考えてるんだ。
こいつは英が生命を与えたとは言え、根本はアンドロイドだ。
俺が答えられなくても、こいつが俺を嫌ったり、軽蔑したり、そんなことには絶対ならない。


それで放っておくのか?
俺は全く納得出来ないのに?
何で頭で考えていることを、俺は感情的に理解出来ないんだ。
言葉が浮かばず伝えられない、ならば、じゃあ、どうする?



AI「ど、どうした?黙ったままで……なんか気に障ること言っちまったか?」

男「……そうじゃない」


そうじゃない。
ずっと変わらないままでいいと思っていた。
この星には、俺たちしかいないから。
俺たちには、主人とアンドロイドという関係があるから。
でも、それでは届かないものもあるのだろうか。


何度も逡巡した俺は、取り敢えず手を伸ばして、取り敢えず頭の上に置いてみた。
この手の下には英の脳を使い、AIを動かす人工知能がある。
掌から伝わってくる感触は、人間と全く変わらない。
髪の毛も、皮膚も、骨格も、何の違和感もない。



AI「……?」

男「知らないのか。撫でると言うんだ、これは」

AI「いや、それは知ってるけど」

男「そうか」

AI「……」

男「人間はこうされると落ち着くことが多い。辛い感情もマシになる」

AI「……それは、その、俺にも……効くのか?」

男「……どうだろうな。でも、お前は俺にとって、ただのアンドロイドじゃない」

AI「……?」

男「俺は役に立つものを求めてる訳じゃない。はたから見れば無駄なものでも、ある人にはそれが必要なこともあるし、その逆もある」

男「お前が辛ければ、これくらいしてやる。だから大事にしろ。その感情もお前に必要なものの筈だ」

AI「お、おう……分かった……」



AIはぎこちなく頭を垂れている。
多分、撫でている俺の手つきもぎこちないのだと思う。


俺はAIを英の代わりでなく、AIとして必要としている。
お前はそれで良かったのか、英。
それとも、これも賢いお前の想定内なのだろうか。



~AI起動 700日目~



ーーだから、出来るだけ一が悲しむことがありませんように。

ーーそして俺の作ったアンドロイドと一が、仲良くなりますように。

ーーアンドロイドが、一を愛しますように。



俺の頭の中にある安藤英の記憶は、総時間数で言えばおよそ10%ほど復旧している。
一つ一つのシーンがかなり短い代わりに、いろんな場面の記憶があるため、この記憶の断片を元に安藤英の人生を推測していくことは出来る。


今の俺はまるっと星一つを自由に遊び回っているのに対し、安藤英は僅かな医療区画の中でしか生きられなかった。
彼の記憶の中にある光景の殆どは、無機質な医療機械に囲まれたものばかりだ。


それでも、彼の感情は一人の人物に対して常に鮮やかな何かを秘めていた。
彼は自分の心の中にいる川崎一を、ずっと愛していたのだと思う。


生よりも死の方に近い状態で生きていた安藤英は、自分のためには生きられなかったのかもしれない。
誰かのためでなければ、彼の死を引き留めるものが無かった。
100年に一度の天才が、倫理を超え自らの生命を投げ出した、ある意味研究者として究極の道を歩んだ安藤英。
でも実は、長年想い続けた相手のために死んだことを火星の人間が知ったら、見飽きた純愛ストーリーだと片付けてしまうのだろうか。


安藤英の頭が悪ければ。
もう少し自分勝手に生きられたら。
川崎一が一番悲しまない方法を、自分が生に執着しないようにする方法を選ばず、自分の願いを叶えられたのに。


でも、安藤英は俺という存在に希望と生命を託し、満足して死んだのは確かなのだ。
俺が勝手に、彼の生を不幸だとは決め付けられない。



AI「でも俺……人を愛せるのかな」

AI「最近はなんでか負の感情もちょこちょこ発生するし……大丈夫かな……」

AI「俺の耐久年数も、何らかのミスで本当はあと三年くらいの筈だし、もうガタが来てるのかもしれないし」

AI「はぁー……そもそもこんな悩んでること自体がおかしいんだ……もうやだぁぁああ!!」



この星に来たばかりの頃は、こんなに考え込むことがなかった。
俺の思考プログラムも何処かしら変化しているようだ。
自分に起こっている変化の正体が分からなくて、恐怖心がじわじわと広がってくる。


アンドロイドの俺にとっては、自分の死、もとい機能停止状態になることよりも、自分の身に分析不可能な領域があることの方が怖い。
自分が動けなくなるだけならいいが、主人である男に危害を加えるような誤作動を起こしてしまうのは絶対に駄目なことだ。



AI「はぁ……部屋の中に篭ってるから駄目なんだ」

AI「外行こう外!」

男「おい、雨だから止めとけ」

AI「うお!?」

男「……お前、一応あのブレスレット型センサーが無くても、近くにいれば分かるんだろ?」

AI「お、仰る通りです……ちょっと気が散ってて……」

男「……」

男「ほら、頭出せ」

AI「う、うす」

男「……」ポンポン

AI「……」

男「最近は気が散ってばかりだなお前」サスサス

AI「んー、そうだな」

男「何か心配事でもあるのか」サスサス

AI「……うん」

男「気にするな、というのはお前には意味のない言葉だな」サスサス

AI「……でも、こうしてくれたらいい」

男「……そうか」サスサス



人を愛するってどんな気持ちなんだろう。
俺にはそんな気持ちを持てる自信が無いけど、でもこの掌に思考の動揺が収まるのは、何かがそこにあるんだろうか。



~AI起動711日目~



AI「おはよー」

男「最近遅いな」

AI「スリープモード長めに設定してるから……どーせ暇だしな」



第二地球開拓センターのキッチンに辿り着くと、男がもう朝食を作っていた。
ここでは食事を作る以外に本当にすることが無くて、とうとう男が全部やると言い出したのだ。


でもそれは俺にも好都合だった。
以前までスリープモードは五時間で済んでいたが、最近は七時間も取らないと短期記憶の処理が追い付かなくなっている。
やっぱり俺の人工知能にガタが来ているようだ。


安藤英の計算では俺の耐久年数は80年の筈だったけれど、事前の動物実験が満足に出来てない脳の人工知能化だ。
いくら天才でも、完璧なものを作ることは出来なかったのかもしれない。


それならそれで仕方がない。
俺自身、悲しむような負の感情はあまり発生しないように出来ているのだ。
寿命を知ったとしても、だから来るべき時まで天寿を全うするだけだ。



男「面白いニュースは無いものか」ピッピッ

AI「火星はいろいろと事件があるなー第二地球にいるともう、目まぐるしいというか」

男「……」ピッ


《サイエンス特集、地球喪失のストレスを抱える未来》


AI「ほぇー。朝から重たいテーマだ」

男「だが、第二地球開拓プロジェクトの終了の目処が、最近になってようやく定まったからな。あと100年もあるが……」

男「第二地球での各国の土地の割り振りも、今現在もいろいろと変更があったり、問題がある。この星に関する話題は今、かなり注目を集めるようだ」

AI「それで、地球喪失のストレスも話題になってるってこと?」

男「そうだな。ホラ、大人しく続きでも見てみろ」


《長らく地球で暮らしてきた人類は、自らの手で一から作り上げ、自然も天候も何もかもを完璧にコントロールしているこの火星のドームの中、かなりのストレスを感じながら生活していることは、数々の心理学的実験データによって証明されています》

《これは人類に限らず、動物や植物に関しても同様です。地球と同等の豊かな土地や、綺麗な水があっても、火星の観光用の自然保護区の動植物は、繁殖数が少なく、また病気に対しても耐性が弱い傾向にあります》

《とは言え、地球喪失のストレスは、漠然とした印象を受ける方が多いでしょう。しかし自殺者数や鬱病の増加、また警察の捜査能力や防犯体制がかなり高められたと言える昨今でさえ、犯罪事件が減少せず横這いになっているのも、この地球喪失のストレスが関係しているという見解が通説です》



AI「ストレスって大変ですよねー」

男「人間はやたらと誇り高い種族だからな。支配だとか自由だとかに煩く、道徳や善に拘る自意識過剰っぷり……」

AI「はいはい止め止め」



《様々な形で私たちに現れてくる地球喪失のストレスですが、100年後の第二地球への移住計画において、心理学者たちはそのストレスが解消され得るのかどうか、様々な予想が発表されています。また哲学界でも様々な議論がなされているようです》



AI「あーそうなんだ。そっか……いくらそっくりでも、此処も地球じゃないもんな」

男「地球喪失のストレスから完全に逃れようだなんて、おこがましい連中だ。星一つボロボロにしておいて、何の痛みも無く生きていこうだなんて」

AI「そういう考え方こそ、さっき言ってた善とか道徳とかの話になるんじゃないの?高尚な生き物でないっていうなら、それくらい自己中でもいいじゃん」

男「……英に言って聞かせてやりたいな」



《私の見解では、ストレスはなくならないと思いますね。第二地球の空気には、人間に害は無い程度ではありますが、地球には無い成分が検出されてます》

《動物の生態系も違いますし、また、現在各国のドーム内で地球にあった自然がある程度再現されていますが、第二地球にはそれがありません》

《開拓プロジェクトにあまり投資出来てない国なんかは、全く異なった環境の土地が割り振られます。環境と文化は密接に関連していますから、何千年と続いた文化が根を張れない国に生きていくことは、新たなストレスを与えるのではないのかと》



AI「ふーん」

男「ま、第二地球の自然を実際目の当たりにしてないから、そんな悲観的なんだろう。此処に来れれば、学者たちもごちゃごちゃ言わずに納得するさ、ストレスなんて綺麗さっぱり無くなるとな」

AI「え?そうかなぁ……」



《私は、地球喪失のストレスは無くなるのではないかと思っています》



AI「あ、この人もそう言ってる」



《確かに、地球と第二地球にはいろいろな差異があります。しかし我々人類が求めて止まないのは、本物の自然だと思います。火星の造られたものではなく、こらいから生命を育んできた自然です》

《人の手の管理に収まりきらない、計算の内にはない、時の積み重ねのみが生み出したもの。そして人間が反抗すべき、良き好敵手。そんな自然が必要なのです》

《第二地球に存在する本物の自然の中で、我々はきっと、火星での苦しく悲しい過去を乗り越えることが出来るでしょう》



AI「んー、なんか随分ロマンチストな感じの言い方だな」

男「大事なのは、そこに生命を育める本物の何かがあるってことだろ」

AI「うーん……明確に定義したくなっちゃうアンドロイド脳には難しいなー」

男「……俺にはなんとなく分かる」

AI「え?」

男「本物の人間でなくても、お前にはちゃんと本物の自我がある。それで、俺は救われた」

AI「?」

男「分からんでいい。でも似たようなことだ」

AI「へーい」

男「そもそも第二地球を開拓し終わる100年も前からこんな議論をすることが、せっかち過ぎるんだ。こんなことはまだ考えなくていいさ。たとえストレスが消えなくとも、どうしようもないことなんだ」



男はそこでチャンネルを変えた。
立体映像のホログラムはまた、せわしなく事件や事故を伝えるニュースに変わる。
人間の変われないところと変われるところ、その違いってやっぱりなんだか難しいままだなぁ、と思った。


~AI起動 719日目~



俺は、ずっと人が嫌いだと思っていた。
人を愛したことも、人から愛されたことも無いと思っていた。
母は男狂いであまり家にいなくて、父は厳格で、珍しく家に居る時の母とはいつもケンカしていた。
幼い俺は自室に閉じこもって本を読んだり、勉強することしかやることがなくて、研究者になった。



また、男にだらしない女としての母親の姿を見ているうちに、女に対して幻滅してしまい、同性愛に走るようになった。
性格は偏屈で捻くれて、まともな恋愛などしたことはなく、26になっていた。



そういう、いっそ安っぽい生い立ちだと思っていた。
でも本当は違っていた。



俺は、一人の人間を愛することが出来ていた。
そして、その一人の人間に愛されることも出来ていた。
そのたった一人の人間は、安藤英だった。



英のことを思い出す前の俺は、自分は人を愛することなど出来ない人間なんだと、何の疑問も無く思っていた。
何故なら、自分は誰かを愛することも、誰かに愛されたことも無いと思っていたからだ。
自分が知らないことを、どうやって他人にしてやれるというんだ?
そう思っていた。



ーー好きな人間がいたこと、忘れない方がいいと思うから。



安藤英のことを思い出した時、AIがぽつりとそう言った。



33xx年にもなって、どうして愛というやつを育むことは難しいのだろう。
それだけじゃない。
神だの宗教だのも未だ消えない。
というより、その存在感は昔より増しているのかもしれない。



科学はかなり進歩して、火星に人類が暮らせるところまで辿り付けた。
だが人の心には地球喪失のストレスが根深くはびこっている。
また万能細胞の研究が進んで、その気になれば人間の脳をまるっと作れてしまえるし、あのAIのように脳を機械化して、新たな自我を持つ人工知能を生み出せる。



人間は自らに誇りと尊厳を持つ種族であり、その自我こそ他の動物には無い至高のものの筈であった。
しかし今の科学は、思考する自我を簡単に無機質な機械たちで創造してしまう。
生命の無い火星に人工の箱庭を作り、その中で窮屈に生きてきた人間には、これ以上その領域を奪おうとする科学についていけない、今まで一心不乱に走り続けたが故の疲労が溜まっていた。



その癒しが、神に向けられるのだ。
昔から、神は人間を唯一の存在たらしめるための存在であった。
それは宗教はもちろん、哲学でもそうだ。
魂は永遠不滅の存在だとソクラテスやプラトンが言った。
人間が神の定めた自然法を心に持つことをロックが訴えた。


そういう神の存在に抗い、ニーチェが神を殺してみたり、ヒュームが人間の思考は感覚の寄せ集めで移ろうものだと言い、神に頼らず人間を定義することに必死だった。


それなのに、33xx年の今は、人々は再び神を信じ始めている。
この宇宙が生まれた、その必然では無い偶然に、人という尊い生物を創造した神の意思を信じようとしている。


みんな信じたいのだ。
自分が誰かの愛故に生まれ落ちたことを。
様々な困難を乗り越え、この世に迎え入れられたことを。
特別な存在なのだと。


もちろん、そんな小難しいことを常日頃から考えてるわけでもない。
ただ、なんとなく寂しいだとか、なんとなく痛ましいだとか、朧げだが確かに心の中に強固に在るもの。
これだから人間の愛は厄介だ。





AI「うーん、でも人間はさぁ、そんな難しく考えなくていいんじゃねーの?」

AI「ただ好きだ!っていう感覚を感じたら、それでいいんじゃないか?それを感じられることってすごいことだと思うけどなー」



AIと俺は、今日は日本予定地を離れ、温かい気候の土地の渓流で釣りをしている。
木の枝と糸と針で作った、本当に適当な釣竿に餌をつけ、じっと水面を見詰めながら、岩場に腰掛け、先ほどからぽつぽつと話をしている。



男「お前と話してると、本当にしょうもないことに悩んでいるような気がしてくるな」

AI「ふふふ、それって実は俺を褒めてるんだからな」

男「元からそのつもりだ」

AI「え!?そ、そうだったのか?」

男「……おい、糸引いてるぞ」

AI「うおぉ!?」





お前の言う通りだ。
俺はもう、難しく考えなくてもいいのだろう。
俺は人を愛したことも、人から愛されたこともある。
もう、愛を知っている。
そのことを英は思い出させてくれた。
それを信じていればいいんだ。



~AI起動 730日目~



AI「おーい男!空き部屋にこんなものがあったぞ!」



そう言いながら俺の自室にやってきたAIが、その手に持っていたのは。



男「……エレキギターだな。そんなに高そうなものではなさそうだが」

AI「うん。まぁ素人向けの物みたい。アンプもあったし、ほら、エフェクターもあるぞ」

男「誰かが暇潰しで持ってきたのか?作業員が単独になったのはここ40年程だしな」

AI「これまだ使えるかな……えーっと、このシールド?をアンプに繋ぐんだよな」

男「30年も経ってるなら、新品の弦でもダメになってると思うがな……」

AI「でもこれ、ちゃんと真空の保管庫にあった弦で張り直したから、大丈夫じゃねーかな?」

男「お前、楽器を扱えるのか」

AI「ふふふ、今時のターミナルケア専門コミュニケーション用アンドロイドにしてみれば、このくらい最低限の嗜みですよ」

男「ふうん……便利なもんだな」

AI「あ、大丈夫。まだ音出せるみたい」



AIの手にあるギターは薄い水色の、わりとひらぼったいボディのエレキギターだった。
ネックの先端にはフェンダーの文字がある。


音楽というのは、音源が簡単に流出してしまうようになってから、ライブなどのパフォーマンス重視になった。
とはいえ、根強く愛する人間は絶えず、むしろ火星の鬱屈とした箱庭に抗うように勢いを盛り返している。


昔から、音楽は何かを表現するためだけではなく、権威や世間に反抗するためにも生まれてきたものだから、当然かもしれない。
現在はよくヒットチャートに並ぶ音楽を聴くと、アンダーグラウンドの層が何層も重なっている。



AI「音楽って聴いてたのか?」

男「まぁな。英と会わなくなった後くらいからだから、お前は知らんだろう。昔の曲ばかり聴いているな」

AI「あ、千年くらい前のとかも聴くタイプか」

男「千年経っても残るほどいいものだって、分かりやすいだろ?」

AI「まぁ確かに」



AIは床にアンプを置き、俺の隣に座り太腿の上にボディを載せるようにしてギターを構えた。
そして一通りの調律を終えると、涙型のピックで撫でるように弦を鳴らした。
その慣れた手付きは素人目にはプロ同然に見える。



AI「何か弾いたげよっか」

男「何が弾けるんだ?」

AI「んー何でも?一度聴いた曲は全部弾けるぜ。一番最近に聴いたのは、クイーンのアイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユーだな、今日の朝のニュース番組でBGMに使われてたヤツ」

男「クィーンのブライアン・メイはギターの名手だぞ?出来るのか?」

AI「単なる再現なら余裕余裕。間奏のギターソロだって弾けるぜ、ほら」



AIはそう言って、俺の隣に座り、少し目を伏せると見事な手付きでギターソロを奏でた。
音楽は聴いていたが、演奏することにはさっぱり興味を持っていなかった俺は、AIの演奏技術に素直に感心した。



男「なかなか大したもんだな」

AI「単なる再現ならね。でもフレーズのアレンジとか、テンポ変えたりとか、そういうのはやっぱ難しいな。だから未だに人間がバンドやってるわけだし」

AI「でも、単なる技術の問題なら演奏用のアンドロイドで出来ちゃうからな。昔はもっと楽器の超絶技巧なプレイが持て囃されてたみたいだけど、今は逆に技術的にはシンプルな傾向があるし」

男「機械が再現出来る技術ではなく、人間のセンスを強調して押し出さないといけないわけだからな」

AI「そうそう。ともかく俺が出来るのはあくまで再現だけだよ」

男「ふぅん……曲はどうしても作れないのか」

AI「作るのはなぁ……適当にギターのコードを繋げてくだけならまだ出来ると思うけど……メロディとか細かい部分はたとえ勉強しても俺に作れるかどうか」

男「なんだ、残念だな」

AI「え?なんで?」

男「なんでって……今のは別に深い意味はない」

AI「あ、そーか……でも、センターの中は暇だし、真剣に曲作りに挑戦してみるのもアリかも。自信ないけど」

男「そうしろ。俺に絡む時間が減るなら願ったり叶ったりだ」

AI「なんだとー!?こうなったら、絶対に超大作を作ってギャフンと言わせてやるからな!」

男「期待はしないでおくぞ」





俺の前でそう息巻いていたAIだったが、結局三日後にはもう曲作りを断念していた。
そんなところで人間臭くてどうする。
だが、AIがいない時間のスピードはなんだか遅くて、どこか持て余してしまう自分もいた俺は、曲作りを断念したことには触れず、ギターやアンプを元あった部屋に戻してやったのだった。



~AI起動 739日目~



AI「あ、雪が振ってる!そっか、もう俺がこの星に来てから二年かー」

男「すっかり日付の感覚が無くなってきたな。ここもあと三年か」

AI「外も真っ暗だ。開拓機械は暗視用のセンサーがあるから、不要な光は無いし」

男「雪以外何も見えないな」

AI「……」

男「……」

AI「お前さ」

男「なんだ」

AI「恋愛したことある?」

男「……随分とヤブヘビだな」

AI「なーいいじゃん。もう二年の付き合いだし、安藤英が知ってるのはお前の昔の記憶だけだからさ」

男「……知ってどうする。意味無いだろ」

AI「えーそうかな……少なくとも俺の好奇心は満たされるよ」

男「そのために話す義理は無い」

AI「あ、やっぱ付き合ったことあるんだなお前!ていうかよく付き合えたな、人嫌いなのに」

男「……欲求の捌け口でしかなかったさ。情なんてなかった」

AI「で、出た~!身体だけのヤツや~!」

男「なんだそのエセ関西弁……やろうと思えば誰とでもやれるものなんだから、別に俺の勝手だろ」

AI「そらそうだけど……ただれてんな~うわ~」

男「……英はどうだったんだ?」




AI「安藤英?んー、たぶん誰ともそういうことは無かったかな」

男「……まぁ、そうだろう。ずっと病気と闘っていた人間だしな」

AI「それもあるけど、単純にお前のこと好きだったから、他の人間とはしたくなかっただけだと思うぞ」

男「……それ、本気で言ってるのか?」

AI「うん。安藤英は告白されたことあるし。俺の記憶では、医療区画の中にいる患者さんと、看護師さんと、あと患者さんの見舞いに来てた友だちが二人。でも全部断ってるから」

男「病人のくせにかなりモテててたんだなあいつ……それでも誰とも何もしなかったっていうのか?聖人君子か英は」

AI「あのなー、貞操観念って言葉知ってる?」

男「……会いに来なかったくせに、俺に操でも立ててたって言うのか、アホらしい」

AI「その気持ちは分からなくもないけど、安藤英にとってお前との記憶は汚したくない、聖域みたいなもんだったから。きっと大切にしたかったんじゃないかな」

男「……」

AI「お前って、モテモテの安藤英にモテモテじゃん。よかったな」

男「どの口が言う」

AI「しかも俺まで作ってもらえたんだから、お前、相当愛されてっからな、モテモテの安藤英に」

男「仮にも製作者だろ。そんな言い方していいのか、お前」

AI「いーのいーの、こんなこと言わせる思考プログラムの元になったのは、安藤英の脳なんだから」

男「ひょっとしてお前、やさぐれてるのか?」

AI「だってさー俺が話を振っといてなんだけど……俺はそういう話が出来ないなーって思って」




男「こんな話が出来ることが羨ましいのか?大体、俺だってゲイだから、他人にはあまり話さないぞ。同性愛は宗教的にアウトな国が多いし、所詮マイノリティだから偏見の目は未だに無くならない」

AI「そっか。お前も大変だな。うーん、でもやっぱ羨ましいかも。……つうかひがみなんて負の感情が出てくるのが俺からしたら嫌な感覚でさ」

男「ひがんでどうする。恋愛ってのもな、お前が思うより大変なことの方が多いんだぞ。ま、俺もまともに付き合ったことは無いから知らないが」

AI「ふぅん。……でも安藤英の愛情ってやつは、凄く暖かくて、優しくて、綺麗な感じがするのに。こんな感情を向けられたら、きっと幸せだろうなって、俺でも思う」

男「……そんなこと知らずに生きてきたがな」

AI「あはは、損だなーお前も。でもお前、結構イイやつだよ。たとえ人嫌いだとしても、やっぱ人に愛される自信は持った方がいいよ」

AI「ていうか一応ちゃんと自我があるくせに、愛に自信がないのは俺の方か……お前に愚痴ったもんな、俺」

AI「でも愛ってさ、人によって形が違うものだって言うのに、どうして自分の中にしかないそれを、人間は愛だと定義出来るのかな?」

男「……」

AI「なー男ー?」

男「……」

男「おい」

AI「お?」

男「お前、目瞑ってみろ」

AI「目?瞑るの?今?」

男「二度言わすな」

AI「え、何で?」

男「お前が物欲しそうにするからだ」

AI「何を?」

男「……いいから、とにかくその目、瞑れ」



AI「いやいや、何で?理由が分からないと、やっぱり行動に移したくないなー」

男「あのな……こういうのは空気が大事なんだ、空気が。黙って言うことを聞いておけ」

AI「いやいや、お前一人で納得されてても困るし。それきっとアンドロイド・ハラスメントだぞ」

男「……」ハァー

男「……言葉で伝えるより、行動で示してやろうと思ったが、まぁいい」

AI「?」



男「……俺はな、つい二年くらい前まで、人の言動で心を読むことも、その逆に人の心を言動で推測することも、意味のないことだと思っていた。人間は本音と建前を使い分けられるからだ」

AI「うんうん、分かる」

男「……俺はそう信じていた。でもそれは、伝えられる確証がなくても、どうしても伝えたいことが昔の俺にはあったことを、すっかり忘れていたからだ」

AI「んー……うん」

男「そのことを思い出したのは、英のお蔭もある」

男「だけど」

男「……だけど、お前のお蔭でもある」

AI「俺?そうなの?」

男「そうだ。お前が以前にもそうやって悩んでいた時があったろう。あの時、俺は……お前になんとかして伝えてやれないかと、十何年ぶりに思った。それで思い出せたんだ」

AI「?う、うーんと……つまり?」



男「……お前は俺にとって、ただのアンドロイドじゃないと、以前に言ったな」

AI「その発言は、えーと……49日前に聞いた」

男「……お前には高度な感情機構を内包した自我がある。そして英の記憶を思い出して、さらに感情が複雑に発達してる。だから思考が以前より不安定なんだろ」

AI「?それは、たぶんそうだと思うけど」

男「それで、俺に迷惑を掛けてしまうと思うんだろ」

AI「……その通りです……」

男「でも俺は、そんなこと気にしない。何故か分かるか」

AI「え?……分からない」

男「お前を大切だと思ってるからだ」





AI「……」ポカーン

AI「え?そうなの?」

男「……やっぱり空気の読めないやつだな。それくらい察しとけ」

AI「この扱いで察せられるわけねーし!」

男「でもそれでいい。お前の鈍いところは嫌いじゃない」

AI「……大切って、愛してるとは違うのか?」

男「さぁ、どうだろう。英への感情を愛とするなら、お前はまた違うからな」

男「だから俺にも分からない。俺にとって確かなことは、お前を大切に思う気持ちがあることだけだ」

男「どうだ?これで少しは自信が付くか?」

AI「……」

AI「うん。付いたと思う」

男「……これだけいっといてなんだご、お前、恥ずかしさとか感じないのか」

AI「恥ずかしさ?存在は認識してるけど、俺にはないかな」

男「……なるほど、お前が空気を読めない理由が分かった」




~AI起動 750日目~



上司『どうも~二年目の第二地球の冬はいかがお過ごしですか~?』

男「俺が唯一接する人間がこんな間抜けな喋り方であること以外は、全くもって問題ない」

上司『どうやら絶好調ですね~。でも、君は上司に暴言を吐いても減給されないことを、もうちょっと感謝するべきですよ~』

男「俺だって、お前だからここまで言えることくらい分かってるさ」

上司『おやおや、それは初耳です。それなら僕が罵られるのも本望ってモノですよ~』エッヘン

男「……随分と変態だな……」ドンビキ





上司『そんなことよりも、ちゃんと英一くんとも仲良く過ごせてますか~?』

男「問題ない。あの騒がしさにもとっくに慣れた」

上司『そうですか、それを聞いて僕も一安心です~』


男「……そう言えば」

上司『はい?』

男「英は、俺の第二地球での任務が終わった後、あのAIをどうするつもりだったんだ?」

上司『あぁ、それは英一くんのしたいようにさせてやって欲しいと言ってましたよ~。英一くんには、ちゃんと自我がありますからね』

男「そうか……」

上司『しかし急にそんなことを聞くなんて、どうかしたんですか~?』

男「いや……あいつの耐久年数は80年だと、会ったばかりの頃に聞いたんだ。あいつがどうやって製作されたか知ってるのは俺とお前しかいない」

男「俺たちが亡くなった後も、あのAIに協力してくれる人間が必要だろう?もしもあいつの存在が世間にバレたら、人権保護に煩い団体に何されるか分からないからな」

上司『……そうですねぇ、どうしましょうか~』

男「お前、知り合い多いだろ。何とかしろ。言っとくが俺にはそんなこと頼める知り合いはいないからな」

上司『いっそ清々しいボッチ宣言ですね。分かりましたよ~事情を話せる人を探してみますね~』

男「頼んだぞ、じゃあな」

上司『え~まだもうちょっとおはなs』



プツンッ



上司「……」

上司「弱りましたね……英一くんの耐久年数の話、いつカミングアウトしましょうか……」

上司「そもそも英一くんだって、人工知能にインプットされてる情報と、自分の人工知能の摩耗状態から、本当の耐久年数が五年しかないことに気付いてない筈はないんですが~……」

上司「どうしましょう~……男くん、絶対ショック受けますもんね~。彼がどれだけ英一くんを受け入れてるかは知りようもありませんが、昔の親友の生命で作られたアンドロイドの機能停止に、なんとも思わないわけはないです……」

上司「……」

上司「本当ならば、英一くんは男くんの死後も活動し続けることで、彼の悲しみは最低限のもので済む筈だったのに……100年に一人の天才と言われた安藤英くんも、ノーミスというわけにはいかなかったようですね~」

上司「……彼の願いのためにも、僕は伝えるべきなんでしょうか、それとも伝えずに二人を見守るべきなんでしょうか」




~AI起動 4745日前~



それはアンドロイドの英一くんが起動する、13年前のことです。
僕、城址はその時、T大でロボット工学の助教授をしていました。
専門は医療用ロボット工学ですが、助教授としてはいろいろな分野を教えます。


医療用ロボット工学と一口に言えど、小さな手術道具から、自動的に複雑な手術の施術を行う施術用アンドロイド、果ては大型の検査機械まで幅が広いので、専門がかなり細分化されている今にしては珍しく、様々な分野を学ぶ必要が出てくるのです。
人の命に携わることは、やはり簡単なものではあってはならない、ということなのかもしれません。


僕は医療用ロボット工学の中でも、特に医療用ロボットの人工知能を深く研究しており、大学では人工知能全般を専門とした研究室に所属していました。
そして僕は、そこでモニター生の安藤英(あきら)くんに出会ったのです。


彼は本当の天才でした。
専門であるコミュニケーション用アンドロイドの人工知能の研究者の中でも、彼は機械の技術ではなく、現象学的なアプローチを誰よりも多用していたのが、その研究をより独自で革新的なものにしたのでしょう。
哲学の机上の理論と現実の人工知能の仕組みを上手く活かし、あそこまで高度な思考プログラムを構築出来る人は、これから100年は生まれてこないと思われました。


学生としての彼はとても真面目で、そして探究心を十分に持った青年でした。
アメリカの医療区画内でしか生活することを認められない体調のため、頻繁に講義を欠席していましたが、彼は熱心に教授たちにアポを取って直接教えを乞い、内容を理解し、更に考察していました。


人間としての彼は、 愛想も良く、モニター生ながら、同じ専攻の学生とある程度のコミュニケーションを取れていました。
私にとっては誇らしい生徒であり、そして同じ大学で学んだ可愛い後輩でありました。



城址「しかし英くん、君には研究以外の趣味はないんですか~?」

英『……趣味、ですか?』

城址「君はまだ13じゃないですか~。それでここまで学問を極めるのは、いくら医療区画内で暇だろうと、100年に一度の天才だろうと……少し熱心すぎる気もしますね~」

英『でも今の俺には研究しか取り柄が無いので。それに……立派な学者になりたいんです。誰と並んでも、恥じないような』

城址「おやおや?英くんがそんなことを言うのは意外です~」

英『ごめんなさい。嫌な言い方ですね。だけど俺、名声が欲しいわけじゃないんです。上手く言えないんですけど』



英くんは確かに、いつからかは分かりませんが、生き急ぐように研究に没頭し出しているのは確かでした。
あの口振りから、彼には何か目標とする人物がいるのかもしれない、と僕は思いました。


例えば、人工知能の権威の多村先生のようなお偉い方か。
或いは、以前僕がこのT大が誇る天才の双璧のもう一人と評した、川崎一くんか。
しかし川崎一くんと彼は、この大学内では専攻が違うし、まして英くんはモニター生。
面識は無い筈です。
では、一体誰なのでしょう?




そんな問いを尋ねることもなく、英くんはあっという間に大学院を卒業しました。
そして民間の医療系大企業から専用の研究室を医療区画内に与えられ、瞬く間に新しい理論や技術を生み出し、発表していきました。


安藤英くんは特別でした。
彼は学会のような公の舞台に顔を出すことはなく、ただ淡々と論文を学術誌に寄稿し、企業には新しい人工知能のモデルを提供していました。
しかしその短い論文や人工知能には、我々の頭脳では生み出せない、本当ならばもっと未来に生み出される筈だった人工知能たちが、鮮やかに描かれているのでした。



僕は彼の素晴らしい才能に、強い憧憬を抱いていました。
まるで週刊少年誌を読んでいる子どものように、英くんの発表を見る度に気分は昂まり、次にどんなものを見せてくれるのか、とてもワクワクしました。
不思議と悔しさはありません。
あまりにも差があり過ぎることを、僕自身が分かっていたからでしょう。


英くんが卒業して四年後、僕は日本政府から声を掛けられ、第二地球開拓センターの火星本部に勤めることになりました。
宇宙船内部で使える医療機械の開発を任されたのです。


そこで僕は、既にそこに所属していた川崎一くんに出会いました。
彼と僕は同じ大学にいましたが、大学の中では顔を会わせたことはありません。
出会ってから間も無く、一くんは典型的な人嫌いの学者タイプだと分かりました。



「あれれ?もう帰宅ですか~?」

「後は家でも出来る。アンタこそ帰るのか」

「僕もそんなところです~。一くんは、何故この政府機関の第二地球開拓センターに所属したんですか?スカウトですか~?」

「そんなところだ。というか、惑星開拓機械を専攻した人間は、大体ここに所属する」



一くんは態度こそやや難ありですが、惑星開拓機械の分野で数々の功績をあげています。
特にアクチュエータ技術に関しては目覚ましいものがあり、開拓機械の能率を何倍も上げているそうです。
さすが、英くんと並ぶ天才。
英くんが学者として共に並びたいと目指していたのは、やはり彼だったのかもしれない、と僕は思いました。



アメリカ国ドームでの学会のついでに、僕は英くんのいる医療区画を訪ね、彼と七年ぶりに再会しました。
21にしては華奢な身体つきですが、大学にいた頃と比べれば確かに大人の姿になっていました。
今や人工知能の分野の寵児である彼は、しかし相変わらずの好青年でした。



「わ?大きくなりましたね?英くん。もう21ですか?7年振りですね。君の活躍ぶりは日本国ドームでもよく耳にしております」

「そんな、俺はただの引きこもりなので……会社にもわがまま言って、医療区画内で俺の研究室を作ってもらったんです」

「君のVIP待遇は誇るべきことですよ?やはりわがT大が誇った天才の双璧は、どちらもやることが違います」

「あの……それって一も何かしてるんですか?彼のことは、ネットでよく拝見してますが……」

「ふふふ。……なんとなんと!川崎一くんは第二地球にある開拓センターで次の現場主任に任命されたんですよ!あの若さで異例のことなんです?五年後が楽しみですよ」



その話を聞いた英くんは大きく目を見張り、驚いていました。
ライバルとしてかはともかく、一くんの存在を意識していたのは間違いなさそうです。



「あぁ、あのプロジェクトの……大体何年くらい第二地球に滞在するんですか?」

「五年ですよ?その間一人ぼっちで監視作業です?」

「五年……ですか……」



英くんの顔に、一瞬影が落ちました。
しかしそれは僕が瞬きしている間に消えていき、彼の目には強い光が宿っていました。
そして、彼は言いました。



英「あの、突然なんですけど……俺に作業員用のコミュニケーション用アンドロイドを作らせてもらえませんか」



驚く僕に、英くんは新しいアンドロイドの構想を練っているのだ、と言いました。
僕は彼の提案を快く了承しました。
むしろ、100年に一度の天才である彼の発明品を真っ先に見れると言うなら、これ以上嬉しいことはありません。


数日後、日本国ドームに帰国した僕は、そのことを川崎一くんに言おうと、休憩中の彼が引きこもっている仮眠室に勢いよく乗り込みました。
そしてそのまま固まりました。
その時、一くんはここには誰もこないと思っていたのか、立体ホログラムを見ていました。
したも、男同士がくんずほぐれつ……。



一「……」

城址「……」

一「……おい、出てけよ」

城址「……いや~、先に映像を止めるのが筋ってもんじゃないですかね~」

一「……」

プツンッ

城址「……」

一「……」

城址「も、もしかして~……僕のこともそう言う目で見てたりします?」

一「んなわけあるか!!」




その時、僕は一くんが同性愛者であることに驚いてしまって、英くんのことを話すのは忘れていました。
結局、コミュニケーション用アンドロイドのことを話したのは、一くんが火星を発つ三ヶ月前のこととなってしまいました。
現場主任というのは第二地球では暇な分、それまでの火星本部ではいろいろと忙しいのです。



一くんが第二地球へ発つ三ヶ月前、英くんから数年ぶりの連絡がありました。
モニターに映る英くんは、少しやつれています。
彼の病気は重いものであるのは知っていたのですが、実際に目にすると胸が痛みました。



英『あの、後はもうアンドロイドの顔を決めれば、すぐに製作出来るんですが……一にアンドロイドの顔のサンプルを選んでもらえませんか?』

城址「あぁ、いいですよ~」

英『ありがとうございます。一応、僕の方で用意した女性の顔はこれなんですけど』

城址「……あ~、そう言えばですね英くん」

英『?どうしましたか?』


城址「男性のサンプルをもらえませんか~?」

英『え?……え、えっと、これは最新のコミュニケーション用アンドロイドの顔サンプルをネットワークから拾ったものなので、すぐ用意出来ますけど……?』

城址「どうかお願いします~、一くんは所謂同性愛者なので、男性の方がいいかと~」

英『あ……そ、そうなんですか……えっと、じゃあ、こちらの男性の方の顔サンプルで……』



英くんは何故だか異様に照れた様子になると、顔サンプルのデータをこちらに送信するや否や、今週中にお願いしますと言葉少なに言い、通信を切ってしまいました。


一体あれはどういうリアクションなのでしょう?
訳が分からず首を捻った僕ですが、彼の照れた反応を少し面白く思い、ある悪戯を思い付いてしまいました。


「ちょっとお時間いいですか~?」

「見て分かるだろ、今書類が片付かなくて忙しいんだ」

「五分でいいんですよ~君に支給する、コミュニケーション用アンドロイドの話なんですけど」

「あぁ、あったな。だがそんなもの使う気は無い。せっかく人がいない星に行けるのに」

「え~本当ですか~?今回は《特別なコミュニケーション用》アンドロイドなのに……」

「……」ピクッ

「大変もったいないですね~」

「特別なコミュニケーション……?それはどういう意味だ」

「えぇ……最先端の技術を誂えた……かなり上物のアンドロイドなんですけど~……」ヒソヒソ

「……」

「……」

「話とはなんだ」

(ちょろ甘ですね~まだまだ若いですから~)

「ふふふ、とにかくそのアンドロイドの顔サンプルを選んで欲しいんですよ~」



そう言って、僕は英くんにもらった顔サンプルの画像を示しました。
データをもらった後、僕が勝手に英くんの顔を付け足したものですが。
英くんはわりと整った顔なので、一くんに選ばれたら面白い、と思ったのです。



「……こいつだな。顔の好みとしては完璧だ」



そしてあろうことか、彼は英くんの顔を選んだのです。
僕は悪戯が成功してしまって驚きましたが、そのことを英くんに伝えることにしました。
昨日の時点で顔を決めるのは今週中で、と言われていたので、今日中に顔のことを英くんに聞き、彼が嫌だと言えば、また一くんに改めて選び直してもらえばいいと思ったからです。



僕はその夜、少し上機嫌で一くんが顔サンプルに君の顔を選んだことを教えました。
てっきり、彼はまた顔を赤くして照れるものだろうと思っていました。
でも、実際は違いました。
彼は酷く驚いた顔で、慌てて僕に尋ねました。



『あのっ、一はなんと言ってましたか?』

「え?そうですね~完璧好みだと言ってましたよ~それだけです」

『……』

「英くん?」

『 ……そうですか』

「?」

『……城址さん、一ヶ月後、僕の研究室に来てください。渡航費用は僕が出します。その時、アンドロイドの製作状況をお見せします』

「そんな、お金なんていいですよ~楽しみにしてます~」



翌月、僕は英くんに言われた通り、三日の休みを取ってアメリカ国ドームへ向かいました。
プロジェクトの主任としていろいろと知っている僕がいるうちに細かな調整をしたいから、どうしても三日間の時間が欲しいと言われたのです。


英くんが会社を辞め、私財を投げ打って作られた研究所は、アメリカ国ドームの片隅にありました。
給仕用のアンドロイドに案内され、白を基調とした無機質な内装を歩いていくと、アンドロイドはとある扉の前で止まりました。


その扉は、やたらと厳重なロックが施されていました。
給仕用アンドロイドが、長ったらしい番号をうって、扉を開けます。


中に入ると、目の前の壁はガラス張りになっていました。
そのガラスの方に寄って行くと、この部屋の下にはまるで手術室のような部屋がありました。
実際、明らかに対人間の施術用アンドロイドが何体も見受けられます。
なんとも物々しい設備です。


そして手術台の横に、学者らしい白衣姿の英くんが立っていて、僕の方をいつもの愛想の良い笑顔で見上げていました。



『城址さん、ごめんなさい。出迎え出来なくて』



どうやら英くんがいる下の手術室の音を内臓のマイクで拾い、僕がいるガラス張りの部屋のスピーカーで流しているようです。



「いえいえ~。しかし、凄い設備ですね~。なんだかアンドロイドを作るというより、人間に大手術するような雰囲気ですけど」

『そうですね。……あの、それでさらにお願いなんですけど、ガラスの横の壁辺りに、小さなモニターがありますよね』

「あぁ、ありますね~」

『そこに表示されてる、開始って部分、タッチしてもらえますか?』

「……しかしこれ、明らかに施術用アンドロイドの操作パネルっぽいんですが~……でもこんなデザインは見たことありませんね~」

『僕のオリジナルで既製品を改造したものです。とにかく、開始ってボタンを押してくれればいいんです。そうしたら、僕の最新作になるコミュニケーション用アンドロイドが製作されるんで』

「医療用機械の改造は違法ですけどね~……まぁ、最先端の人工知能とアンドロイドのためならいいでしょう。でも、まさかそんな記念すべきボタンを僕に押させてくれるんですか~?ありがとうございます~!それでは、失礼して~……」


ポチッ


《指紋、静脈反応により、第三者の医師免許取得者による執刀開始命令を確認。これより施術します。対象者:安藤英。術式:脳の一部電脳化、及び身体の機械化。予定時間:約65時間》



僕は、思わず目を丸くしました。
モニターには、途端に凄まじい速さで複雑な手術の工程が並んでいきます。




現在、手術は医療用アンドロイドが行うようになっていて、人間は実際メスを手にすることはありません。
予めどのような手術をしたいのかアンドロイドに入力しておけば、後は勝手に執刀してくれるのです。


ただし、医療用アンドロイドが手術を行うには、施術される患者と、医師免許を持った人間の指紋と静脈認識が必要です。
これはもちろん、違法な手術がなされないための措置であり、どんな医療機械にも組み込まれる必須プログラムです。
現在、医師免許は全てデータ化されており、管理局のネットワークにアクセスし、医師免許の所持者が登録した指紋と静脈を照合することによって、許可が降りる仕組みです。


僕は医療用ロボット工学を専門にする人間で、医師免許を持っています。
つまり、僕の指紋と静脈でこの手術に対する医師の許可を得たことになります。


もちろん、本来ならもっと複雑な過程を経てようやく施術が認められるのですが、英くんは恐らく医療用アンドロイドに違法改造を施して、医師免許所持者の指紋と静脈照合の過程のみを僕に任せられるようにしたのでしょう。



『……ごめんなさい、城址さん。キャンセル機能も改造して消しました』

「な、なんてことを……分かってるんですか、英くん!こんなことは許されません……いえ、許される許されないの話ではありません!こんな手術を行えば、あなたは死んでしまいます!!」


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