律子「竜宮小町の結成から、もう10年も経ったのか……」(143)

律子「約束の時間か……」


時計を見て、約束の時間が迫っているのを知ると、

出かける、と部下に言い残し、一人指定された場所に向かった。



ガチャ

律子「失礼します……」

指定した場所に入ると、そこに一人の男性が座っていた。

男「やっと来たか……」

律子「待たせてしまい、申し訳ありません……」

男「まぁ、そう固くならんでくれ。せっかくの楽しい時間が台無しじゃないか」

律子「はい……」

男「じゃあ、今日も楽しませてもらうよ」

律子「……」








シュポ

律子「ふぅ……」

天井を仰ぎ見ながら、ベットの上でタバコをふかす。

さっきまで事を及んでいた男は、既にこの場から立ち去っている。

仕事合間の一服。これが私の数少ない楽しみの一つだ。

タバコは体に毒だというが、ストレス発散にこれほど良い物はない。

口から吐き出される煙と一緒に、

体に溜まっていたモノがすべて出ていっているような感じがする。

喫煙中の爽快感は、飲酒時のほろ酔い気分同様に、

私の気を落ち着かせてくれる数少ない時間だ。



だが、酒や煙草で気を落ち着かせたところで、記憶は忘れることは出来ない。

出来れば今の男との、いや今までの10年の記憶も、

煙に乗せて忘れ去れることが出来ればいいのだが……

******

10年前、私はアイドルを諦め、前から手伝っていたプロデューサー業に転身した。

憧れていたアイドルを諦めることは容易ではなかったが、

なによりも18になってもパッとしない自分に将来があるか不安だった。

だから、心機一転プロデューサーとして、

まだ夢を追いかける彼女たちをサポートする道に進んだ。

しかし、この時、765プロは窮地に立たされていた。

もともと、社長は経営上手ではなかった。

アイドルに対しては自由放任主義を取って、アイドルがノビノビと出来る環境を作っていた。

だが、それゆえに財務環境が常に放漫状態となり、経営状態は火の車となっていた。


個を重要視しては、経営が成り立たなくなる。

これは、アイドル時代に見てきた光景で学んだことだ。

だから、プロデューサーになり、経営に関わるようになってからは、

全体を重要視し、そして事務所に対して献身的になるようになった。

765プロの社運をかけて、竜宮小町を結成したものの、最初は鳴かず飛ばずの有様だった。

もともと弱小プロダクションである765プロにセールス力があるはずもなく、

売り込みをしても無視されるのが関の山。営業するだけ無駄にも思えた。


……そんな毎日が数ヶ月続いたある日、

あるテレビ局の音楽番組のディレクターに売り込みをかけていた。

いつもの通り、軽くあしらわれるか無視されるかと思っていたが、この日は違った。

セールスに対応してくれたばかりではなく、局の一室でじっくり話を聞いてくれることになった。

この時は、日頃のセールスの成果かと思い、

何の疑いを持つことなく、ディレクターの言われるまま後をついっていった。

私がディレクターに連れてこられた場所は、仮眠室のような部屋だった。

男「悪いね、こんな部屋しか準備できなくて」

律子「いえいえ、話を聞いていただけるのであれば、どこでも構いませんよ」

男「では、君の話を聞こうか」

律子「はい!」



今までろくな対応をされてこなかった、また千載一遇の好機と捉えていたことから、

この時は自分の持てる全てを使って売りこんだ。

男「……なるほど。すると君はまだ10代というのか。
 それにしては、随分仕事に慣れている印象を受けるが。」

律子「アイドル時代にも、プロデューサーのような仕事をしていましたから、ある程度はできます!」

男「ははは。それは大変なアイドル時代だったんだな。……10代の元アイドルか」

律子「あの~それで、どのようなものでしょうか……」

男「ふむ……。
 ……やっぱり駄目だな。」

律子「しかし……」

男「実績も何もない新人のアイドルユニットをテレビに出させられるか。
 メジャーな事務所ならともかくとして、
 765プロみたいなマイナーな事務所に割けるだけの尺は余ってないよ。」

律子「そんな……」

男「だが、私も鬼ではない。そこまで頼まれたら便宜を計ってやらんでもない。
 ただ……」

律子「ただ?」

男「君も、女性だろう?」

律子「……」

男「どんなことをすれば男が言うことを聞いてくれるのか……」

律子「……」

男「良くわかっているはずだと思うが?」

律子「……」

男「よく考えて欲しい」

律子「……」

男「君は、仕事を得て事務所の経営を安定させることが出来る。」

律子「……」

男「そして、この私はその対価として君からの接待を受ける」

律子「……」

男「悪い話じゃないだろう?」

律子「……」

男「お互い、WIN-WINな関係になろうじゃないか!」ガッ

律子「や、やめてくだい! これ以上すると、警察に届出ますよ!?」

男「それはどうかな? 君が、みすみすこの好機を逃すとおもうか?」

律子「……」

男「それに、警察沙汰になれば一番困るのはそっちだろう?
 今、売り出そうとているという最中だというのに、
 ゴタゴタを起こして、敬遠されるのは嫌だろう?
 どのみち仕事が回ってこなければ、君の事務所は潰れ、
 アイドルは路頭に迷うことになる。
 それは、是が非でも避けたいよね?」

律子「くっ……」

男「おとなしく、現実を受け止めるんだな!」バッ

律子「やめ――」

男「君みたいなキャリア・ウーマン、それも美しい女性が、
 屈辱に満ちた表情を浮かべながら征服される姿を見るのが、とても好きなんだよ!」








このあと、私が男に何をされたのかは記憶にない。
ただ言えることは、記憶が戻った時、私は衣服が乱れた状態で、
ベッドの上で仰向けで寝ていたということだけだ。

男「ああ、今起きたのか。」

律子「……」キッ

男「そそるねぇ、素晴らしい表情だよ。
 まぁ、素晴らしいのは顔だけじゃなく、身体も、そして声もだったけど。」

律子「……」

男「君の嬌声はとても艶やかて、そしてとても淫靡的だったよ。
 身体もこの上ないというのに、声も一品とはね。
 君はやっぱり、アイドル業やっているよりも“接待”するほうが向いているよ」ハッハッハッハ

律子「くっ……」

男「ああ、そうそう。君の話だったがね、やっぱりオファーさせてもらうことにしたよ。」

律子「……」

男「勿論、君が引き受けるかどうかだが。
 どうかね?」

律子「……それで」

男「んん?」

律子「それで、あなたを接待すれば支援は望めるんですか……」

男「ああ、そうだよ。君が、一切を誰にも話すことなく、
 これからも接待してくれるのなら、そうさせてもらうよ」

律子「……ありがとうございます」

男「ただ、君には勘違いしてもらいたくない。」

律子「……」

男「この二者間の関係は、決して一方的なものではない」

律子「……」

男「お互いの利害関係の一致に基づく、正当で公平なものだ。そして、これは公正な契約だ。」

律子「……」

男「そこのところ、よく忘れないでほしい」

男の元を離れ、家に戻ると、その夜、私は声が枯れるまで泣き叫んだ。


だが、半ば無理やりだったとはいえ抵抗らしい抵抗もせず、

相手のされるがまま好き放題されるのを許し、

あまつさえ男に媚びて、見返りを求めてしまったのは私の誤ちだった。

仕事のためとはいえ、自分を犠牲にしてまでも事務所を守るべきなのか……

私は、悩みに悩んだ。



しばらく苦悩するうち、不意に脳裏に765プロの光景が横切った。

辛いレッスンに涙し、仕事でクタクタになりながらも、笑い合い、励まし合っている光景……

そんな楽しい日常を壊したくはない。

生殺与奪の権利を手にしてしまった以上、私に選択肢は無かった。

書き溜めはなし?

アミューズメントミュージックへの出演以降、竜宮小町は躍進し、

他のアイドルたちも表舞台に立つことが多くなった。


もともと、彼女たちには素質があった。

だからこそ少ないチャンスを生かし、自らの活躍の場を広げていけたのだろうと思う。


だが、その裏で私が何人もの人間に接待をしていたのは言うまでもない。

芸能プロダクションの元会長、

レコード会社の重役、

広告会社の部長、

有力な雑誌記者……


数え始めたらきりがない。

>>23
プロット的なものしかない。

出来る限り、5分以内でレス出来るよう努める。

この身を削る思いでやった営業の結果、765プロは窮地を脱することが出来た。


活躍の場が田舎の夏祭りから、ラジオへ、そしてテレビへと移り変わっていった。

それと共に、認知度も上昇していった。



アイドル達は、一歩一歩トップアイドルへの道を歩み始めていった。

だが、それと同時に765プロは崩壊への道も歩み始めていた。

竜宮小町の結成と時を同じくしたころ、765プロに新しいプロデューサーが加わった。

大学卒業したばかりの彼は、凛々しくとても頼りになりそうな男性だった。

とても人柄がよく、アイドルの相談にも快く応じてくれていた。

最初はミスも多くあり、ダブルブッキングや仕事のミスマッチ、等々、

失敗を重ねてばかりだったが、彼の直向きな姿がアイドルたちの目にも映り、

今まで以上に頑張るようになった。


特に、あの自堕落でサボりがちな美希を改心させた時は、驚くほかなかった。



事務所が一体となって頂点を目指す……

私が追い求めていた理想の事務所像がそこにはあった。

ある時、プロデューサーがアイドルたちの進路相談に応じているのを目撃した。

18という進路を決める大事な時期。アイドルたちは真剣にプロデューサーに相談していた。

もちろん、プロデューサーもアイドルたちの事を思って真剣に相談に応じていた。



だが、そのアイドルを思うがあまりの彼の行動に、私は苛立ちを覚え始めていた。



社長が体調を崩し、休む日が少しずつ出てきたころ、

ついに私の彼への苛立ちが爆発してしまった。

******

律子「プロデューサー殿、ちょっといいですか?」

P「なんだ、律子」

律子「プロデューサー殿は、とてもあの子たちのことを思ってくれていると思うんです。
   そのことはとっても良いことなんです。」

P「当然じゃないか。プロデューサーだから、どんな些細なことでも相談に乗って、
 少しでも彼女たちの不安を取り除くのが仕事のようなもんじゃないか。」

律子「それはそうなのですが……
   プロデューサー殿は765プロのプロデューサーであられますよね?」

P「まぁ、給料を頂いている以上はそうなるわな。」

律子「であるなら、もう少し事務所的なことも考えて頂きたいというかですね……」

P「???」

律子「その……凄く申し上げにくい事なんですが、
   彼女たちの進路について少しだけ、ほんとに少しだけ考え直してくれないかなぁ、と」

P「大学に行ったら悪いのか? 
 都内に近い場所なら通いながらでも、活動できると思うんだが」

律子「いえいえ、大学行くのは結構なんです。ですが、その……ですね……
   通信制の大学があるのは御存じ……ですよね?」

P「ああ、勿論知っているが?」

律子「出来れば、そちらの方を勧めていただけないかなぁ、と……」

P「なんで、通信なんだ?
 ちゃんと行ける学力があって、本人たちが行きたいと言っているんだから、
 本人の意思を優先させてあげるべきなんじゃないか?
 しかも、国立の女子大だぞ? 雪穂にとっては願ったり叶ったりの話じゃないか。
 それを何で、通信なんかに進路変更させる必要があるんだ?」

律子「……。プロデューサー殿は、これから彼女たちをどうしていこうと思いますか?」

P「どうって……そりゃあ、トップアイドルに決まっているじゃないか」

律子「じゃあ、なんで授業で予定が潰れるような大学を勧めるんですか!
   これから、どんどん予定が増えて、忙しくなっていく中で、
   なんで、わざわざ普通の大学に行かせるんですか!!」

P「律子、そう怒るな。冷静になってみろ。」

律子「私は何時も冷静です!
   大体、何で事務所が大きく跳躍しようという時に、彼女たちを優先するかなぁ……」

P「!!!
 律子、その言葉は聞き捨てならないぞ!」

律子「一般論を申し上げたまでです。」

P「大体、さっきから事務所、事務所って、そんなに事務所を優先するべきなのか?
 実際に活動している彼女たちの意思は黙殺されるものなのか?」

律子「……。すみません、言いすぎました……」

P「……」

律子「ただ、プロデューサー殿もよくよく考えていて下さい。」
   事務所にとって彼女たちの意向だけを優先させることが本当に良いのか、
   事務所に携わる一員として……」

******

プロデューサーの言い分も良く分かる。

アイドルたちのパフォーマンスを最大限に伸ばす一番の方法は、何よりも自由にやらせること。

アイドル時代、高木社長が実践し、

私もその下で育ってきたのだから、分からないはずがなかった。

しかし、そんなことをやってばかりいては、再び危機に陥ってしまう。

だから、彼の言い分を受け入れるわけにはいかなかった。



この日を境に、事務所の経営方針を巡ってプロデューサーと対立するようになった。

アイドル達が一人、また一人と成長していく。

同時に765プロも成長していた。

オリジナルメンバー以外のアイドルも所属するようになり、

また彼以外のプロデューサーも加わった。


テレビへの出演も、かつていないほどになり、

765プロのアイドルがテレビで見かけない日は無くなった。


もうそこには、昔日の面影は無くなっていた。


だが、765プロの活躍とは裏腹に、プロデューサーとの対立は深刻化していった。

******

律子「プロデューサー。もっと事務所の経営についても考えてください。
   彼女達の好きなようにやらせたいのはわかりますけど、それでは経営が成り立ちません。」

P「律子の言うこともわかる。
 だがな、経営第一にしてアイドルの人生までも変えていいものなのか?
 人の人生まで介入して良いものなのか?」

律子「それは、十分わかっています。
   私もかつてアイドルでしたから、できれば自由にさせてあげたい。
   けれども、今は転換期なんです。
   次世代育成もままらない中、個人の自由を優先させたら、事務所が潰れます。
   そして、今羽ばたこうとしているアイドルまでも潰そうとする気なんですか?」

P「潰そうなんて誰が思うか。
 けれども、次世代のアイドルのために今の彼女たちを犠牲にしていいのかと言っているんだ!」

律子「いいですか。私達の事務所の立場を考えてください。
   老舗でもない、コネもカネもない弱小プロダクションがここまでのし上がれたんですよ。
   彼ら既存の事務所から考えれば、765プロ程鬱陶しいものはないです。
   今、落ちてしまえば、もう二度と浮上することないよう工作を仕掛けてくるに違いありません。
   そうなったら、次世代を担おうとしているアイドルたちはどうするんですか?」

P「そんな事務所力学的な御託は並べなくていい!」

律子「事実を言っているだけです!
   プロデューサーは業界の闇を知らないから綺麗事だけ言えるんです。」

P「なら聞くが、事務所のためならアイドルに枕営業でもしろと言うのか!」

律子「なんで、そんな極論に至るんですか!」

P「だってそうだろう? 事務所のためなら、自己犠牲をいとわないって言ってるんだからな!」

******

枕営業だ?

なんで、そんな言葉を軽々しく言えるのか。

人がどんな思いで接待しているのをしらないから、軽々と言ってのけるのだろう。


好きでも何でもない相手に、自分の身体を好き放題に蹂躙され、

心まで征服される、そんな場面に遭遇したことがあるのか。


何処にも逃げようがない、あの絶望感を味わったことがあるのか。

綺麗事しか言わないプロデューサーを蔑むようになった。

所詮、プロデューサーも社長側の人間。

事務所の経営のことなど、大して深く考えてもいないのだろう。


人が裏で何をやっているかも知らないで、よくそこまでぬけぬけと言う。



“私が、この私がここまで765プロを大きくさせてきたんだ。”



そんなエゴイスティックな考えが、私の中で次第に肥大化していった。

765プロは着実に頂点へと登っていった。


各TV局の音楽賞を総なめすると、年の瀬の歌合戦に歌手、また応援団として出場し、

年明けの5大ドームツアーも大成功のうちに収めるなど、名実共にトップアイドルとなった。


ドーム最終公演である、東京ドームのラストで歌った「i」はファンにとっても、

そして765プロの全員にとっても深く突き刺さるものになった。

トップになってからというもの、プロデューサーとの関係は一旦は改善した。

プロデューサーと言いあうことも少なくなり、事務所の雰囲気も良いものへとなっていた。

だが、私の独り善がりな考えは、765プロがトップに立っても変わらなかった。

むしろ、私をより高慢にさせたのかもしれない。



崩壊への道は確実に進んでいた。

765プロの崩壊が決定的になった年は、

アイドル達の環境が大きく変わっていった年であった。



卒業に、進学、渡米留学。

プロデューサーの事務所を顧みない、独断専行的な行動に歯止めが効かなくなってきた。

だが、そんな些細なことはどうでもよかった。

最大の問題は、あずささんの婚約だった。

竜宮小町。

それは、わたしが初めて手掛けたアイドルユニットであり、

社長職を代行するようになってからも、

このユニットだけは他のプロデューサーには任せることはせず、

手塩にかけて、大切にしていた。



それを踏みにじるかのごとく、あの男は物事を進めていった。

このことを絶対に許せるはずがなかった。

あずささんの婚約発表を巡っては、プロデューサーとの間で激しい言い争いとなった。


竜宮小町は私が育てたもの。

プロデューサーに好き放題させてたまるものか。

一歩も引かなかった。


アイドル達が、私とプロデューサーとの口論に終息の目処が立たないと感じたのか、

入院中の社長に仲裁を頼み込んでいた。

社長が出てくれば、私はそれに従うしか選択はなく、社長の仲裁に応じるほかなかった。


だが、その仲裁内容は到底受け入れ難いもので、

プロデューサー主張を全面的に認めたものだった。

この内部抗争はマスコミにも知れ渡ることになった。

週刊誌はこぞって根も葉もないゴシップ記事を掲載し、

テレビのワイドショーも格好のネタだと言わんばかりに連日報道していた。

ネットではアイドルや事務所に対するバッシングが日に日に増大し、

某巨大掲示板ではアイドルに対する犯行予告まで書き込まれるようになった。

この騒ぎを抑えるために、どれだけの人間を相手することになったか……

火消しのために、身体が穢されていく毎日。

なんで、こんな事務所のために身体を犠牲にまでしなければならないのか。

だんだん、この事務所にいるのが嫌になった……



私の唯一の心の支えであった竜宮小町は解散が決まり、

また、仲裁の一件以降、経営権を剥奪され、もう765プロに存在する意義は無くなっていた。

あるとすれば、私にとって何の意味を持たない接待だけだった。

なんのために、ここにいるのだろうか……

なんのために、いままでやってきたのだろうか……

なんのために、身を犠牲にしてきたのだろうか……



悔しくて、泣くことしかできなかった。

もう、ここに居場所がないと感じた私は、765プロを出ていくことを決めた。

だが、できれば竜宮小町の最期は見届けたい。


5大ドーム公演終了後に離脱することを決めた。

それまでに、新事務所の設立と、有力者への手回し、

そして今いるアイドル達の引き抜き工作を着々と進めた。


接待は嫌なものでしかなかったが、この時ばかりは非常に役に立つものだった。

ついに、その時がやってきた。

5大ドーム公演が終わるとすぐに、行動に移した。

アイドルの大量離脱、事務所の設立……


向うはこちらの動きを予期していなかったらしく、あっけなく成功した。


向うは、あれこれと努力こそはしていたが、乗り切れるだけの力は無かった。

765プロのメンバーは四散し、わずかに一人だけ残る有様だった。

その後どうなったかは、言う余地もないだろう。

******

まったく、嫌な過去を思い出してしまったものだ。

短くなった煙草を灰皿に落とすと、着替えを済ませ、部屋から出る。

――――――

社長室の椅子に深々と腰掛けると、煙草に火を点す。

広々としたオフィス。

磨かれたフローリング。

整理整頓された書類。

何もかもが、765プロの事務所とは違った。

だが、本当にこれで良かったのだろうか。

確かに、独立して私の思うまま、誰からも束縛されずに行動できる。

けれども、心から笑える、そんな日が一日たりともない。



だが、私にはもうどうすることもできない。

進んでしまった以上、もう後戻りなどできない。



これが自分の道なのだ。

そう、自分に言い聞かせるようにして、灰が落ちかかった煙草を灰皿に押し付けた。

コンコン

秘書「社長、失礼します」

律子「なんだ?」

秘書「音無さんという方が面会を希望されおりますが――」



……小鳥さんだと?

何で、今さら会いに来たのだというのだろう……


……。


秘書「――社長? 社長?」

律子「あっ……ああ、そうだな。今から会に行くと伝えておいてくれ。」

疑問を抱きつつ、小鳥さんのいる応接室へと向かった。

コンコン

律子「……」

小鳥「お久しぶりね……。律子さん」

とても懐かしい声がした。

律子「お久しぶりですね。小鳥さん。」

小鳥「いえいえ、そんなこともないですよ。」

律子「30代になられたと思いますけど、お変わりないようですね」

小鳥「いやだわ、30代だなんて……。これでも、16進数じゃ2x歳ですよ?」

2x歳と言い張るあたり、小鳥さんは全くと言っていいほど変わっていなかった。

この調子なら、進数を増やしていって何時までも2xと歳と言い張るに違いないだろう。

律子「はは、小鳥さんらしいですね。」

小鳥「……律子さん。」

これまでの比較的和やかなムードが一瞬で固まるような声だった。

小鳥「いえ、律子社長とお呼びした方がよろしいのかしら?」



きついジョークだ。

仲間を捨てた私に対する皮肉をこめた、そんな感じがした。


律子「それは、私への当てつけですか?」

小鳥「いやだな律子さん。当てつけだなんて」

小鳥さんは、笑顔で否定していたが、その笑顔が余計にわざとらしく思えた。

律子「で、どうしたんですか。いまさら、何のようですか」

“いまさら”

こんな言葉は、思っていたとしても言うつもりなんて無かった。

だが、うっかりこぼしてしまった。


小鳥「いまさら、か……」

律子「いや、すまない。今のは言わなかったことにしてほしい」

小鳥「いいのよ、律子さん。私も、こんなことを言うのはいまさらだと思っているから。」

律子「……」

小鳥「社長が入院している時に言ったこと覚えている?」

律子「……たしか42でしたっけ」

小鳥「そう、42。すべての万物に対する疑問の究極の答えよ。」

“42”

これは、イギリスのSF作家ダグラス・アダムスの小説「銀河ヒッチハイク・ガイド」、

並びにそのシリーズの小説に出てくる言葉で、“人生、宇宙、すべての答え”、

あるいは“人生、宇宙、すべての万物に対する疑問の究極の答え”だ。


また同時に、社長が述べてくれた言葉でもある。

律子「それが、どうかしたんですか?
   もしかして、今さらその究極の答えの意味について、教えていただけるのでしょうか。」

小鳥「いえ、それは自分で答えを見つけるしかないから、言えないけど……」

律子「けど……なんですか?」

小鳥「それを見つけた人がいるの。」

律子「すべての疑問の究極な答えを?」

小鳥「ええ、それをお話しようかとおもって、今日伺ったのよ。」

小鳥「765プロ、今どうなっているのか知ってる?」

律子「……」

一瞬、言葉に詰まった。どのように答えればいいか、混乱してしまった。

律子「……確か、私が抜けた後、四散したと聞いてますが?」

小鳥「確かにね。確かに、つい数ヵ月前まではそうだったわ。
  律子さんが抜け、メンバーがそれぞれの道に進んでいく中で、
  765プロに留まったのは、プロデューサーさんと春香ちゃんの二人だけだった。
  そして、トップに立っていたのか見紛う程の凋落っぷりだったわ……」

律子「……」

小鳥「活動もほとんどしなくなって、本当に芸能事務所か疑いたくなるようなものだった……」

律子「……」

小鳥「でもね。この前、プロデューサーさんと春香ちゃんが再興したのよ。
   勿論、今はまだ誰もいない状況だけど、前に進み始めたわ。」

律子「それと、究極な答えに何の関係が?」

小鳥「そうね、とても一言では言えないけど……」
   彼なりに答えを見つけたわ。」

律子「……」

小鳥「そして、その答えの通りに、自分の道を進んでいるわ。」

律子「……」

小鳥「……そのことを伝えたかっただけ。」

律子「……」

小鳥「……それじゃあね。律子さん。
   あなたも、自分の答えを見つけてね。応援してるから」

律子「……。
   ……小鳥さん、帰る前に一つ質問してもいいですか?」

小鳥「なにかしら?」

律子「私に究極な、万物に対する究極な答えは出せると思っていますか?」

小鳥「それは私には分からないけど――
   
   あなたもこの道を進んで良かったのか、迷っているみたいね。
   今までしてきたことを、これからも続けていくべきなのか、って。」

一瞬、寒気が全身を覆った。

喋ろうにも身体が硬直してしまって、言葉に出すことが出来ない。


小鳥「ごめんなさい。本当はそれを知りたくて、今日、ここに来たの」

律子「……。小鳥さんは……
   小鳥さんは、最初から知っていたんですか?」

小鳥「いいえ、皆がばらばらになるまでは分からなかったわ。
   けど竜宮小町がアミューズメントミュージックに出たころから疑問には思っていたの。」

律子「……」

小鳥「何で、うちみたいな弱小プロの、それも無名の新ユニットが出れたのか、ってね」

律子「最初から……お見通しだった、ってわけか……」

小鳥「でも、その時はただの偶然かと思ったの。
   でも、765プロがマスコミからの攻撃を受けるたびに、すぐに鎮静化したり、
   次から次へと仕事が舞い込んでき来たのを考えると、
   誰か何者かが、裏で何かやっているという結論しか出なかったのよ」

律子「……」

小鳥「けど、カネもコネもない社長がそんなことが出来るはずない。
   伊織ちゃんの線も疑ってかかったけれども、
   正当に評価されたい彼女がそんなことをするわけがない……」

律子「……」

律子「……」

小鳥「すると、のこるは竜宮の残る二人か、それをプロデュースしているあなたになったわ。
   けど、あの二人がこんな大事を隠しきれるような人間じゃないって分かってたから、
   すぐに、あなたに絞れた。」

律子「……」

小鳥「でも、明確な証拠は一つもなかったし、あくまでも自分のなかでの仮説でしかなかった。
   だから、あなたに聞くことすらも出来なかった。
   本当かどうかも、バラバラになってから知ったことですから……」

律子「……」

小鳥「……律子さん。
   本当に失礼な話なのかもしれないけど……
   今までのこと、話してくれる?
   かつての同僚として、そして一人の人間として、あなたのことを心配しているの……」



小鳥さんからそう言われた瞬間、息をのんだ。

だが、次の瞬間には、吐き出すようにして話し始めていた。


初めは無理やりだったこと、

仕事を得るために、進んでやっていたこと、

事務所の火消し対してもしていたこと、

独立する際に、入念に工作をしていたこと、

全て事を、洗いざらい話した。


小鳥さんに打ち明けている途中から、涙がぽろぽろと流れ落ちていたが、

話を終えるころには、泣き崩れてしまっていた。

涙で、小鳥さんの顔がはっきりと見えなかった。

小鳥「……辛いかったんだね。
   一人で、全部を仕舞い込んで、ほんとに辛かったんだね……」

律子「グスッ……」

小鳥「いいんですよ。ここで思いっきり泣いても。誰も責める人なんていませんから……」


小鳥の言われるがままに、泣き続けた。

泣き続けていると、途中で秘書が入ってくる程だった。

そこまで大きかったのだったのだろうか。


だけど、小鳥さんに吐露し、泣いたお陰でこころなしか気分が軽くなった。

今まで、背負いこんでいた全てをモノを降ろせた気がした。

小鳥「これから、どうするの?」

律子「そうですね……
   私についてきたアイドル達には悪いですが、
   この事務所を解散して、芸能界から足を洗おうかと思います。
   もし、アイドル達がよそに移ることが出来るのであれば、願ってもない話ですが……
   
小鳥「……」

律子「それに、今さら彼らとの縁を切ったところで、どの道潰されますから、
   芸能界に、私の居場所はどこにもないでしょう……」

小鳥「そう…… でも、未練は無いの?」

律子「未練?それはありますよ!
   ……ですが、こういう顛末に至った原因は紛うことなくこの私にあります。
   それに、アイドルを路頭に迷わせた、責任をだれがとるんですか!?」

小鳥「……律子さん。もう一度だけ、私の願いを聴いていただけないかしら。」

律子「……」

小鳥「この一件、私に任せてくれない?」

******

あれから数カ月が経った。

あの時から接待をすることは無くなったが、それでも芸能事務所の社長をしている。


何故、こう出来ているのか、小鳥さんに聞いても詳しくは話くくれなかったが、

小鳥さんの言うところによると、「力には力を」だそうだ。

話から察するに、芸能界随一のフィクサーとして君臨している黒井社長の力添えだろう。


接待していた相手も、私の前から消えていった。

――――――

律子「秘書さん、あの件はどうなった?」

秘書「大丈夫です、ばっちりオッケーですよ」

律子「そうか。それは良かった。じゃあ、次は……」

秘書「社長、なんだか元気になりましたね。なんか凄い笑顔ですよ」


いいことか。

今、後ろめたさなく仕事できること、全てが良いことかな。

律子「残念だが秘密だな。まぁ、アレ頼んだぞ!」

秘書「はい! 任せて下さい!」


肩の荷が下りてから、気分が良くなった。

何処となくギスギスしていた事務所の雰囲気も、いつの間にか無くなっていた。

何も、心配なんてする必要がない、なんて素晴らしい日々なんだろうか。

――――――

社長室の窓から空を眺める。

今までは、空を見上げることなんて、思うことも出来なかったが、

今は清々しい気持ちで蒼空を見上げることが出来る。


明鏡止水という気分は、まさに今の時のためにあるが如くだ。



気が付けば、仕事の合間に吸っていた煙草も吸わないようになっていた。

“万物に対する疑問の究極の答え”とは何なのか。

きっと、今までの蔑んだ私のままでは明確な答えなど出すことは出来なかっただろう。

だが、今ははっきりと言うことが出来る。


“そんな答えは、元から存在しないし、

そもそもこの問い自体も、とてもおかしなものだったんだ”


と。

確かに、ディープソートは750万年かけて、42と導きだせたのかもしれない。

けれども、人生という究極の問いに、答えなど存在しない。


もしくは、答えなんて何時でも変わりえるもの……

そのことに、彼も気付いたんじゃないのかな。

さあ、私たち秋月プロの快進撃もこれからよ!

ガシガシ仕事とりまくるんだから!



終わらない奇跡、信じてるから!

-fin-

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