男「せっかくだし不思議な話をしましょう」(265)


女「不思議な話……先輩が考えたんですか?」

男「ええ」

女「不思議な話ってなんだか曖昧ですね」

男「正直なことを言うと、ジャンルなんかはどうでもいいと思ってるので」

女「よくわかんないですけど、先輩が考えた話なら聞いてみたいです」

男「ありがとうございます。いや、素直に嬉しいですね」

女「なんでですか?」

男「あまり友達がいないもので。話を考えても聞いてくれる人がいないんですよね」

女「先輩イケメンなのに……でも先輩が女の子と歩いてるのを最近見ましたよ」



男「残念ながらその人とは交流がなくなってしまいました」

女「じゃあ私が話を聞くしかない、ってことですね」

男「ええ、ありがとうございます。キミが後輩でよかった」

女「おだててもなにも出ませんよ?」

男「これは本心です」

女「えへへ、なんか照れちゃいますね。じゃあさっそく話してくれますか?」

男「最初の話のタイトルは『首だけ少女』です」




第一話「首だけ少女」



「残念だったわね、わたしを殺せなくて」

 白い顔が淡々と言った。

「殺せなかった、というよりは死ななかった、というほうがいいかもね」

 血の気の失せた唇が動く。ぼくは目の前の光景が理解できなかった。

「ど、どういうことだ……」

 少女の声とちがって、ぼくのそれはかすれて震えていた。

「どうもこうも、こういうこと」

「夢なのか……これは…………夢……ゆめ?」

「夢じゃない。現実よ。信じられないかもしれないけどね」

 ぼくは視線を少女の顔から、少女のからだへと移した。
 一糸まとわずの仰向けに横たわる白いからだ。ただし、そのからだには首から上がなかった。



 当然だ。ぼくが殺して首をきったのだから。

「なんでだ……なんで首を切っても生きてる? いや、首を切る前にそもそも死んでるはずだろ……」

「そうね。普通の人間だったら死んでるでしょうね。でもわたしは特別なの」

 再びぼくは少女の顔を見る。

「特別?」

「そう、特別」

「と、特別っていうか……異常だろ、お前」

「異常、ね。ふふふっ……ふふふふ」

 押し殺したような笑い声とともに、少女の顔が小刻みに震える。
 ぼくはこみ上げてくる吐き気に思わず口もとをおさえた。



「異常なのはあなたでしょ? 全部見てたんだから」

 黒髪の下の大きな黒い瞳がギョロッと動く。その視線の先は、自身のからだ。
 白い乳房にアクセントのように浮いた赤い痕跡を見て、少女は唇のはしをゆがめた。

「まさか自分の死体にあんなことされるなんて……夢にも思わなかった」

 咄嗟に言い訳を口走ろうとしたが、喉から出てきたのは不快な音。
 少女のからだをノコギリできっているときでさえ出なかった胃液が逆流して、口からこぼれて床を汚した。

「へんなの。わたしを殺したときよりも動揺するなんて」

「あ、当たり前だろ」

「よかったじゃない。どういう形であれわたしは生きてるんだから。まあわたしを殺したことには変わりないけど」

 『殺した』という単語が不意にぼくを動かした。ぼくは上手く動かせない足をひきずって、少女の顔へと近づく。

「どうしたの?」



「お前はまだ死んでないんだろ?」

「そう、見ての通り」

「だからさらに殺すんだよ」

 ぼくは少女の髪を掴んで、持ち上げる。
 少女の顔は間違いなく小さい部類に入るはずなのに、その重さにぼくは驚いた。


「ふうん、なるほど。でもわたしを殺して、そのあとどうするの?」

「今度こそ全部バラして、山にでも埋めてやる」

「あなたも異常ね」

「うるさい黙れ」

「でも、本当にできるのかしら? あなた、すでに手が痛くて仕方ないでしょ? 
 わたしの首を切り落としただけで、もう限界なんじゃない?」

 ぼくは少女の顔を自分の目線まで持ち上げた。彼女の言うとおりだった。



「たしかに手は痛いよ。でも、顔だけのお前ならサッカーボールみたいに蹴りまくってやるよ」

「あっそ」

 不意に少女の口が大きく開いた。白い歯と赤い舌が視界を埋め尽くす。
 気づいたときには、背中をしたたかに打っていた。


「あああああああっ! いたいっ! やめっ……やめろおおっ!」


 少女の歯がぼくの鼻に突き刺さる。彼女はぼくの鼻に噛みついたのだ。
 あまりの激痛に悲鳴をあげて、のたうち回ることしかできない。

「ああああぁつ……ゆるっ…………ゆづじでっ、いだいいいいいっ!」

 不意に鼻に噛みついていた歯がはなれる。
 だが、痛みがひくのにはしばらく時間がかかった。



「ふふっ、なかなか鼻の痛みってつらいでしょ?」

 少女の顔は床に転がっていた。
 唇のすき間から見えた歯は、僕の血で赤く染まっている。

「あなたはわたしを殺してそのまま逃走しようとしてるけど、そんなびっこひいてる足じゃ無理よ」

「びっこをひく……?」

「……今はそういう言い方はしないのね。
 そんな足じゃあ外に行くこともままならないんじゃない?」

「それは……」

「そうじゃなくても、まずあなたじゃあ、わたしの死体をバラバラにするのも無理でしょ」

 血だまりに沈むノコギリ。
 あれでぼくが彼女のからだをバラバラにして捨てるのにはどれぐらいの期間が必要だろうか。



「わたしをこのままにしておけばいい。
 そうすれば警察に見つかっても、わたしばかりに注目がいってあなたは見逃してもらえるかもよ?」

 これから先のことを分析してみようと思ったが、この異常な事態と充満する血のにおいに脳の芯は錆びついてしまっていた。

「いいじゃない。異常者どうし仲良くしましょ?」



転がる顔が笑った。なぜかぼくはそれを綺麗だと思った。



ぼくと彼女の関係はいったいなにか。
いつから始まったのか。
なぜぼくのようなフリーターとまだ二十歳にも満たない少女が知り合ったのか。
そしてぼくはなぜ彼女を殺してバラバラにしようとしたのか。
そんなことは最早どうでもよかった。


「ねえ、からだを綺麗にしてあげてくれない?」

 ベッドで横たわっている少女が言った。

「なんでだよ?」

「わたし、わりと綺麗好きなの。だから切り離されているとはいえ、自分のからだがあんな状態なのには抵抗があるの」

「やっぱりお前は異常だ」

「死体と同じ空間にいながら、カップ麺を平気ですすってる人には言われたくないわね」

「いちおう、できる範囲で綺麗にはしただろ」



 正直ぼくは彼女の『あなたは異常』という言葉を否定できない。
 彼女の言うとおりだからだ。

 ワンルームのアパートとはいえ、死体と首だけの少女と同じ空間で食事をするなんてどうかしている。


「綺麗にしたって……床の血を少し拭いてわたしのからだにビニールシートをかぶせただけじゃない」

「これが限界だからだ。首だけで生きてるお前に異常って言われたくない」

「お風呂入れてよ」

 不意に話題が変わる。ぼくは少女の顔をまじまじと見た。



「風呂?」

「ええ。顔だけだったら、そんなに手間もかからないでしょ? 頭と顔を洗うだけなんだし」

「……」

「一生のおねがい」


 本来死んでるはずの顔が甘えるような声を出した。
 ぼくは仕方なく足をひきずって、お風呂に湯を溜めにいった。



「首だけになってもお風呂は気持ちいいものね」

濡れた髪を上気した頬に張り付かせて、少女は満足げに息を漏らした。

少女を抱いてぼくは湯船に浸かった。

「もうちょっと顔をあげて。口にお湯が入っちゃう」

「このまま風呂の底に沈めてやろうか?」

「噛むわよ」

「……」


湯に浸かって体温が上がったせいだろうか。
四肢の血の巡りがよくなって、腕の痛みがわずかに増した気がした。



「本当にからだが弱いって不便ね。足の痛みはもとより、今は手も痛くて満足に開けないんじゃない?」

「それがどうした。こんなのには慣れてるし、シップの買い置きがまだ残ってるからなんとかなる」

「ふうん。ならいいけど」

「ていうか、ひとつ聞いていいか」

「なに?」

「お前はお前を殺したぼくを恨んだりしないの?」

「べつに。こんな状態になると、そういう感情もわいてこない」

「そうか。じゃあ、もうひとつ質問。お前って死なないの?」

「さあ? それよりちょっと唇についてる髪の毛をとってくれない? かゆくてしょうがない」



 ぼくは少女の唇のはじっこについた髪を指ではらった。

 不意に少女の舌がぼくの指の腹をなめた。


「なにするんだよ」

「いいから。そのままわたしの唇に指をいれてみて」

 少女の言葉には抗いがたいなにかがあった。



そのままぼくはゆっくりと少女の生暖かい口内に指を入れる。

「んっ……」


鼻にかかったような声が唇のすき間から漏れ出る。
ぬめった舌が指に絡みついてくると、ぼくは無意識に息をのんでいた。
首だけの少女に指をなめられる。その異常な状況が官能を呼び起こしたのかもしれない。
股間に血液が集中していくのがはっきりとわかった。


「やっぱりあなたも異常よ」


ぼくの指から唇をはなして彼女は微笑んだ。
ぼくはなにも答えられなかった。



つづく

期待
おつー

おもしろそう
期待

体にくっつけたら生き返りそうだなw

想像したらシュールだな

さいかい



 ふとなにかの気配を感じて目が覚めた。
 カーテンからわずかに差し込む朝日が、床に染みついた赤黒いシミを強調するように照らす。

「あっ……あれ?」

 違和感が頭をもたげる。覚醒しきらない脳みそでも、すぐにその正体に気づいた。
死体がないのだ。
 一瞬、昨日ぼくが彼女の首をきったのは夢だったのかという考えが脳裏をよぎる。

「夢じゃないわよ」

 氷のように冷たい声が、ぼくの背中をうった。
 振り向いた先には、相変わらず首だけの少女がベッドの上で転がっていた。

「……」

「どうしたの? 昨日あれだけわたしの首をギコギコしてくれたのに……まさか忘れたの?」



「夢だったらいいなって思ったんだよ」

「そんな都合のいいことあるわけないでしょ」

 ぼくの鼻はすでに麻痺してしまっているが、普通の人間だったら耐えられないほどの悪臭がこの部屋には立ち込めているはずだ。

「それより、お前のからだがない。寝る前まではきちんとここにあったはずなのに」

「ないなら探せばいいじゃない」

 彼女の言うことはもっともだった。
 しかし動くはずのない死体がいったいどこへ消えたというのか。
 不意に扉が開く。とっさに身構える。いったい誰がここへ来たというのか。



「ぁっ……ぁぁぁああ……」


 悲鳴をあげなかったのはほとんど奇跡だった。


 開いた扉から現れたのは、首なしの裸体だった。


「なっ、なななんだよこれ……!?」

 ぼくはベッドからからだを起こして立ち上がろうとしたが、あまりの異常な状況に腰がぬけたらしい。
 満足に動けず、そのままか細い息を漏らすことしかできなかった。

「わたしっていう異常なものを見ておいて、まだ驚けるの?」

「当たり前だろうが! なんだよコイツ!? お前のからだか!?」

「ほかに誰のからだがこの空間にあるっていうの?」

 彼女の声はどこまでも淡々としていた。



 白いほっそりとした裸体。小さな乳房。
 首から鎖骨にかけて赤い血がべっとりとこびりついている。

「あ、やっとおきた!」

 どこか舌っ足らずな甘ったるい声は、死臭が漂ってきそうなそのからだから聞こえてきた。
 目の前の死体が文字通りしゃべったのだ。

「う、嘘だろ……なんで……!?」

「だから驚きすぎよ」

「驚くに決まってるだろうが!」

 みっともなく叫んでふと気づく。
 ぼくのそばで横たわる顔も、目の前の死体も両方とももとは同じ人間のものだ。



「どういうことだよ」

「どうもこうもそういうこと」

「わかるように説明しろ」

 無意識にシーツを掴んでいた掌が汗ばむ。

「わかりやすくいうと、わたしはあなたに切断されたことでふたりになってしまったのよ」

「わかりやすくない。むしろ意味がわからないって」

「深く考えないで。ようはぶったぎられたことで新しい生命が誕生したのよ」

「……つまり、あのからだはお前であってお前じゃない、みたいな?」

「そういうことかしらね」

 にわかには信じられない現象だった。



「ねえ、なにをはなしてるのー?」

今にも死臭が漂ってきそうな光景には、あまりに似つかわしくない声。

「この人は驚いてるのよ。あなたが動いたり話したりするから」

「どうしてー?」

「そういうものだからよ」

もとはひとつの人間だったものが会話をしていた。

顔とからだがそれぞれ別の命を持っているというのだろうか。



「ねーえー、からだがベトベトしてきもちわるいってばー」


 首なし死体がぼくの横に座る。無意識にからだがびくっとはねた。
 しかし、冷たい手に手首をつかまれたせいで、ぼくはそれ以上距離をとることができなかった。
 少女の死体がぼくに密着する。
 不思議なことに本来死んでいるはずのその肌は、なめらかでほっそりとしているのに、心地の良い弾力があった。


「よかったわね。この子に気に入られて」

「なんの冗談だよ……」

 首だけの死体よりも、首なしの死体のほうがはるかにぼくの恐怖を煽った。

「ねーえってばー」

 いったいどこからこの天真爛漫な声はしているのだろうか。
 だが、そんな疑問は意味のないことだと気づく。



「えっと……きみはいったいなんなの?」

「なんなのって……どういういみ?」

 首があれば、間違いなくかしげていただろことが予想できる声音。
 もはや「どうして首なし死体が動いたりしゃべったりするのか」という疑問を捨てて、ぼくはごく普通の質問をすることにした。

「じゃあ名前は?」

「なまえー? うーん、わかんない」

「としは?」

「それもわかんない」


 
 ぼくはふと背後の少女の顔を振り返る。
 よくよく思い返せばぼくは、彼女の名前も知らなかった。

「なに?」

 顔だけの彼女が気だるげな声で聞いてくる。
 声質がまるでちがうことに、このときになって気づいた。

「おまえって名前なんなの?」

「ルリ」

「ルリ、ね。じゃあこっちのからだは?」

「さあ?」

「さあってなんだよ」

「当たり前でしょ。自分のからだに名前をつける人間なんているわけないでしょ?」

「そりゃそうだわな」

「そもそもあなたがわたしのからだを切断しなければ、こんなことにならなかったのよ?」


 ぼくはルリのからだの名前を直感でつけた。

「じゃあきみはコルリでいいや」

「……コルリ? コルリってあたしのなまえ?」

「うん。どうもルリより幼そうだし」

 ルリが鼻を鳴らす。

「安易なネーミングね。まあべつになんでもいいけど」

 とりあえず、とぼくは前置きしてから言った。

「コルリはからだがベトベトして気持ちわるいんだろ?」

「うん」



「だったらお風呂に入ってきなよ」

「おふろって?」

「……」

 ルリが背後で顔を振動させる。笑っているのだ。
 ふとぼくはその光景からダルマを連想した。

「せっかくだしコルリのからだをお風呂にいれてあげてよ。昨日は結局からだを拭いてくれなかったし」

「だけど……」

 ぼくは言いよどんだ。
 当然だ、こんな得体の知れないものと風呂に入ろうなんて気には、とてもなれない。

「昨日、わたしとお風呂に入ったのに」

「それはそうだけど」




「それにあのからだを自由に触ったり舐めたりするチャンスよ? 男にとっては夢のようなシチュエーションじゃないの?」

「……」

 顔なし死体と風呂に入るなんていうのは、どちらかと言えば悪夢だ。

「ああー、おふろはいりたいー!」

「あらあら、コルリがダダをこねてるよ? 
 もしかしたらこのままだとこの娘は暴走してどこかへ行っちゃうかもね」

 首を切り取られた裸の死体が、街を走り回る姿を想像してぼくは戦慄した。

「わかったよ。いれればいいんだろ」



 お風呂を終えてぼくとコルリは部屋へと戻った。
 やはり風呂に入ると体温が上がるせいか、足と手の痛みが強くなった。

「あはは、すっきりしたー」

「そう、よかったね」

 ルリとコルリの会話を聞きながら、ぼくはドライヤーで髪を乾かす。

「どうだった?」

 ドライヤーをかけ終えると、ルリが唇を少しだけゆがめながらぼくに質問した。
 ルリは、行儀よくベッドに座るコルリの膝の上に鎮座していた。



「十代の女の子のからだを洗った感想を聞いてるの」

「べつに。なにも思わなかったよ」

「本当に? 昨日はわたしが指をくわえただけであんなに興奮したくせに」

「うるさいんだよ。まったく……」

 なにもかもが狂ってしまっている状況にぼくはため息をついた。

「ひょっとしてからだじゃあ興奮できないの?」

「は?」

「実は昨日から思ってたの。どうしてあなたがわたしのからだで一番最初に首を切り落としたのかって」

 ぼくとしては『無意識に』首から切り落とさなければならない、と思って実行しただけなのだが。


「ぁ、ぁ、ぁああああ……」

 不意にコルリが喉から絞り出すような声を漏らす。
 からだが小刻みに震えている。
 ぼくは思わずルリの顔を見たが、彼女はまるでコルリの声など聞こえていないかのようだった。

「どうしたんだ、コルリ?」

「ぁぁぁ……ああああああぁっ!」

 切羽詰ったような悲鳴が小さな部屋に響く。
 ぼくはようやく彼女の本来首のある部分に異常が起きていることに気づいた。

 赤い液体が煮えたぎるようにぶくぶくと泡立つ。
 気泡はじょじょに大きくなっていき、輪郭を形作った。



 なにもできないで呆然としているぼくの目の前で、赤い気泡はやがて顔になった。

「なんだよこれ……」
「そのまま見ていて」

 さらに時間が経過すると、膨らんでは弾ける泡が、のっぺらぼうだった顔に目と鼻と口を作る。
 やがてコルリの肩から上には、ルリと全く同じ顔ができあがった。ちがいは髪がだいぶ短いということぐらいだろう。

 ぼくはもう一度、「なんだよこれ?」と言ってしまった。
 コルリの膝の上の顔はどこか楽しそうに笑う。

「どうもこうも、こういうことなのよ」


つづく

こわすぎワロタ

やばいよやばいよ
でもこういうのって少し興奮するよね


さいかい

感想ありがとうございます




「こんなの化物だ」

「なにを今さら。首だけの状態で生きてる時点で、十分人外だってことはわかってたでしょ」

 ぼくはグラスに注いだジンジャエールを飲み干してから言った。
 炭酸が抜けたそれは、ただ甘いだけで不快だった。
 コルリの膝の上で横たわっているルリ。
 そして少し視線を上に持っていけば、ルリと同じ顔が目を丸くしている。

「ばけもの? なにそれ?」

「気にしなくていいわ」

 コルリが不思議そうに首をかしげる。
 ほんの一時間前ならその光景はありえないもののはずだった。
 ふと、ぼくは気になることをルリにたずねた。



「コルリがそんなふうに顔が生えてきたんなら、お前のからだは生えてこないのか?」

「いずれは生えてくるわよ」

「コルリより遅いのか?」

「顔からからだを作るのと、からだから顔を作るの。
 どちらが時間がかかるかは考えるまでもないでしょ?」

「いや、そもそも普通はそんな発想をすることはない」

「人の首を切り落とす発想はあるのにね」

 本来なら死んでいるはずの首の皮肉は、ぼくを黙らせるのには十分だった。
 口を閉ざすとグロテスクな映像がまぶたの裏に浮かんでくる。

 黒ずんだ死体。
 しわくちゃになった手の甲。
 触れるのさえためらってしまいそうな肉塊。


「お前は今までにも死んだことがあるんだよな?」

 ぼくは思いついたことを言ってみた。

「どうしてそう思うの?」

 真っ黒な双眸がギョロリと動く。

「そうじゃなかったら、お前はそんなふうに冷静にいられないだろ」

「まあそうでしょうね。今まで何回殺されたことやら」

「……」

「でも、切断の経験はそんなにないわよ」


 お前はなにものなんだ、という質問を飲み込んだ。
 彼女がぼくの納得いく説明をしてくれるとは思わなかった。
 それに、どんな理屈を話されてもぼく自身が理解できるとは思えない。



「わたしはね、人類を平和に導く存在だったのよ」

「は?」

「ウソみたいな本当の話。ねえ、あなたなら死なないからだでなにをする?」

「いや、そんなことを言われても……」

 ぼくは内出血のせいでわずかに青くなった白い手を見る。

「たとえばこういうのはどう?」

 ルリの瞳孔が大きくなったのがなぜかわかった。

「モルモットみたいに実験材料にするの。死なないからなにやってもいいでしょ?」

「いいのかそれ?」

「いいじゃない。道徳的な視点から見ればきっといけないことでしょうけど。
 死なないんだからモルモットを使うよりよっぽど人道的だと思う」


「なるほど。たしかにいいかもね」

「そして、あなたみたいな病の人を救うの」


 ふとコルリの視線を感じて、ぼくは彼女を見る。

 彼女は彼女なりに考えているのか少しだけ眉根をひそめていた。

「ぼくなら……」

 色々と考えてみようと思ったが、ぼくはべつに死なないからだではない。
 なので、特に考えずに思ったまま口にした。

「いらない部分を切断する。そして次のからだに生まれ変わるのをひたすら待つよ」

「いらない部分?」

「悪い部分を捨てるんだよ。たとえばやけどを負った手とか。
 あるいは、しょっちゅう出血する足とかさ」

「あまり面白くないわね」

「この話題で面白くなることなんてあるの?」

 ぼくは少しだけ身を乗り出した。



「わたしがあなたの立場だったら、今この場でコルリを殺すわ」

「……」

「そしてまた新しいからだができあがるのを待つ。そしてそれを繰り返す」

「そうやってどんどんお前らを増やしてどうするんだよ?」

「身の回りをする家来が増えた、って考えたらよくない? もしくはハーレムとか?」

「同じ顔のヤツばかりできっと気持ちわるいよ」

「性格はでも、みんなそれぞれちがうわよ?」

「どうするんだよ、すさまじくイカれた性格のヤツが生まれたら」

「たしかにそれは大変かもね」

「それに……」

「それに?」

「……べつに」



脳裏をよぎる、真っ赤な血で満たされた空間。

同じ顔の人間。

歯のかけたノコギリ。

ぼくはそれ以上、イヤな想像をしないために炭酸ジュースを飲み干そうとした。

が、すでにグラスの中はからだった。


 閉ざされた空間。
 悪臭の堆積した部屋。
 こんな異常なスペースがぼくにとっては、一番安心できる場所だった。

「ねえねえ」

「なに?」

 太陽の光は完全に鳴りをひそめ、ぼくの部屋は真っ暗になっていた。
 そんな暗闇の中で、コルリがぼくにすり寄ってきた。

「どうしてここから出ようとしないの?」

 彼女の疑問にぼくはなんと答えようか迷った。
 沈黙が深い闇とともにやんわりとのしかかってくる。



「本当はぼくもこの部屋から出たいよ。でも、できるかぎり動きたくないんだ」

「なんで?」

 また言葉が喉でつっかえる。
 この空間に存在する音は、ルリの規則正しい寝息だけだった。

「からだが弱いんだ。とっても。だからできるかぎり動きたくないし、出歩きたくない」

「ここにずっといて楽しいの?」

「楽しくない。全然楽しくないよ」

「そっか。楽しくなるほうほうはないの?」

 コルリの声音が少しだけ大人びたものに聞こえたのは、気のせいだろうか。

「コルリは優しいんだね」

 ぼくは少しだけルリのことを気にして、けれども結局そう言った。



「やさしい?」

「うん。きっとね。だってぼくのことを気づかってくれたんだろ?」

 正直なことを言えば、この発言はてきとうそのものだった。

「よくわかんない」

 少しだけ唇が緩むのを感じた。

「からだがよくなったら、外に出てコルリとも遊べるのにな」

「そうなの?」

「うん。家の近くに公園があるんだ。そこでキャッチボールとか……女の子はしないかな?」

「きゃっちぼーる?」

 真っ暗な空間の中でも、少女の瞳が輝いたのがわかった。



「そう。ボールの投げ合いっこ。きっと楽しいよ」

「してみたいなあ」

「そうだな」

「からだがよくなったらできるの?」

「うん。からだがよくなれば、の話だけどね」

 なぜか妙に舌が回る。
 会話が弾むという感覚を久々にぼくは味わった。

 コルリが少しだげ身じろぎすると、彼女の胸がぼくの腕に触れた。
 少しだけ心臓がはねた気がした。



 しばらくそのまま、ぼくらはなにも話さなかった。
 けれど五分ぐらいすると、不意にコルリは立ち上がって部屋から出ていく。
 離れた体温が恋しい、と思った。

 コルリが部屋を出たあと、なにかをまさぐるような物音がした。
 やがて、暗闇から彼女が戻ってくる。

「どうした? なにかあったのかい?」

「からだがなおったら、あそべるんだよね?」

 ベッドに腰かけるぼくの隣に、コルリが勢いよく座る。
 ベッドがきしんで弾んだ。



「そうだね。なおれば、だけど」


ぼくの口調は投げやりなものになっていた。


「じゃあなおそうよ」

そんなぼくの顔をコルリは覗き込む。
彼女はにっこりと笑う。天使みたいだ、と思った。


「死んでなおそうよ」


脇腹に鉛でもぶつけられたような衝撃が走る。



 なにが起きたのか理解できない。

 しかし、からだの一部が急激に熱くなって、熱い湯のようなものが溢れ出ていくのだけは理解できた。
 真っ暗な空間がかたむく。


「ぁっ……」


 天使のような微笑みがぼくを見下ろしていた。
 やがてなにかが首にあてがわれる。

「あぁぁぁ……」


 首筋を血が伝う。
 ぼくの首をするどいギザギザした感触が走る。
 ギコギコと、ぼくの首が命ともに削られる音。
 死にゆくぼくの脳みそにその音だけがこびりつくように響いた。






「……なにしてるの?」

「えっとね、今はくびをきりおとしてるんだよー」

「見ればわかるけど、どうして?」

「からだがよくなったらきゃっちぼーるっていうのをしてくれるって言ったから」

「……じゃあ、どうして彼の首をノコギリで削っているの?」

「こうすると、新しいからだができてかってに病気もなおるんでしょ?」

「残念ながら彼は『血友病』だから……血の凝固因子が欠けてるだけから、そんなことをしてもムダよ」

「どういうこと?」

「手や足が新しく生えて傷は治っても、血までは治せないってこと。それともうひとつ」

「なあに?」

「普通の人間は殺したら死ぬの」








男「以上になります」

女「うわあ、なんですかこの話」

男「やっぱりドン引きですか?」

女「いやあ、なんだかまったくわけがわからないまま始まって、そのまま終わったって感じです」

男「まあ不思議な話ですしね」

女「……」

男「どうしました?」

女「カンでひとつ思ったことを言ってもいいですか?」

男「なんでしょうか?」



女「これ、もしかしてほかの人にも聞かせたりしていますか?」

男「まあ、懇意にしていた友人などに。そして、聞かせた結果は……」

女「言うまでもないですよね。先輩ったら本当に残念なイケメンですよね」

男「……キミもひきましたか?」

女「いいえ、わたしはそんなことないですよ。だってわたしは……」

男「だってわたしは……?」

女「先輩に『首ったけ少女』ですから!」

男「…………おあとがよろしいようで」




第一話「首だけ少女」おわり



つづく

うわぁあ…乙
2話目も期待

レミの出番はあるのかな?

せっかくだしコワい話、読んでくか
期待

やべぇ
鳥肌だわwww

この>>1がコワイ話の作者とは決まってないぞ!

そのコワい話ってのkwsk

感想ありがとうございます

そろそろさいかいしていく



女「そういえば先輩って一年前は生徒会をやってたんですよね」

男「……そうですが。それがどうかしましたか?」

女「変ですよ」

男「なにがですか?」

女「先輩みたいな変人が生徒会をやっていたってことですよ」

男「これはまた失礼ですね。これでもぼくは担任の先生の推薦を受けて立候補したんですよ?」

女「そうなんですよね。しかもちゃっかり当選してるんですよね:

男「いちおう倍率は四倍でしたので、選ばれたと言ってもいいんじゃないでしょうかね?」

女「うーん、不思議だなあ。でもまあ先輩はイケメンですもんね」

男「毎回それをいいますね」

女「べつにいいじゃないですか。事実ですし。
さらにその事実を裏付けるようにこの前も、またわたしの知らない女の子といましたよね」



男「見られてましたか」

女「ええ。わたしの目は誤魔化せませんよ」

男「彼女とも、もう交流はないですけどね」

女「おお! イケメンの裏付けと同時に変人の裏付けもとれちゃいましたね」

男「キミはぼくのことを変人と言いますが、キミはキミで十分に変人だと思いますよ」

女「それは先輩の勝手な妄想です。わたしはいたって普通ですよー。
ちょっと言動がアレなだけで」

男「ふむ、言動ですか。そういえばぼくの先輩が、一回だけ奇妙な話をしてくれたことがあるんです」

女「先輩の先輩? どんな話をしてくれたんですか?」

男「同じ生徒会の先輩だった人です。
おとなしい感じの人だったんですが、こんな話をしてくれたんですよ」



男「仮にあまりに似た姉妹がいたとして。
その姉妹が入れ替わりすぎて、どっちがどっちかわからなくなったら、キミだったらどう解決するってね」

女「あはは、そんなことあるわけないじゃないですか。まあ発想としては面白いですけどね」

男「ええ。ですが話じたいはどうでもいいんです。
そんなものは髪の色でも変えて、区別つければいいだけですから」

女「あっさりと解決ですね」

男「それよりも、普通な人が変な言動をする。
  変な人の変な言動よりこちらのほうが怖くないですか?」

女「うーん、まあわからなくもないですけど。でも、やっぱり姉妹の入れ替わりなんてありえませんよ、現実に考えて」

男「どうだか。事実は小説より奇なり、なんて言葉もあるぐらいですし、案外本当の話だったのかもしれません」

女「なるほど……ひょっとしたら、あったのかもしれませんね」



男「さて、話の枕としてはこんなものでいいでしょう」

女「なにがですか?」

男「今日キミをこの部室に呼び出したのは、ぼくの考えた新しい不思議な話を聞いてほしかったからなんです」

女「えーまたですかー、それよりカラオケいきましょーよー。そんな話聞くより楽しいことがしたいですぅ」

男「はあ、キミにしかこういう話はできないのになあ」

女「……わたしに、だけですか?」

男「はい。というより、キミに聞いてほしいんです。この話を」

女「わたしに聞いてほしい……えへへ、じゃあ特別に聞いてあげます」

男「ありがとうございます。では今回の話は『自殺少女』です」



第二話「自殺少女」



 背中が激しく震えて、声にならない声が漏れ出た。
 組み敷いた娘の顔は、血が通っていないかのように真っ白で、唇は紫に変色していた。

「どうして……どうしてあんなことをしたの?」

 獣のような息遣いが自分のものだと気づいたが、そんなことはどうでもよかった。
 筋張った肩を掴む手に力をこめる。

「……」

 娘はなにも答えない。ただ濁った瞳でわたしを見返すだけ。
 とても十歳にも満たない少女がしていい目じゃない。

「答えなさい……こたえなさいよっ! なんで飛び降りようとしたの!?」

 わたしの娘、ヤエはベランダから飛び降りようとした。



 わたしの目の前で。
 理由がわからない。
 どうして死のうとする?

「あなたはわたしの娘なの……ママを置いて死ぬなんてやめてよ……」

「……」

 嗚咽が漏れて視界が涙でぐちゃぐちゃになる。
 娘は相変わらず無感動な瞳でわたしを見上げるだけで、身じろぎひとつしない。

 娘の自殺行為は今に始まったわけではなかった。


 一週間前もうそうだった。
 娘が風呂から三十分たっても戻ってこなかったので、確認してみたら桶に溜めた湯に顔をつけて死にかけていた。


 三日前もそうだ。
 突然、頭を壁にぶつけだした。
 隣の部屋にまで聞こえしまうのでは、と思えるほどの勢いで。
 何度も何度も。


 甲高いインターホンの音で目が覚めた。
 わたしは真っ先にヤエの姿を探した。
 彼女はソファに横たわって、規則正しい寝息をたてていた。

『すみませーん、ミヤザキさんいませんか?』

「はい、今いきます」

 扉を開くと、中年女性の少しだけ苛立った顔が出てきた。

「はい、これ回覧板」

「あ、どうも……」

 その中年女性――カトウさんは隣人だった。
 たしか三人も息子がいたはず。
 カトウさんがいぶかしむように言った。


「一昨日、いや、三日前だったかしら」

「……なんの話でしょうか?」

「あなたの部屋のほうから、しばらくドンドンと音がしたのよ。なにかあったの?」

「それは……」



 娘がずっと部屋の壁に頭をぶつけていた。
 そんな説明などできるわけがない。

「ったく、ここ最近は御宅の家も静かになってようやくうちも住みやすくなったっていうのにまたですか?」

「すみません……」

 ふとカトウさんの視線がわたしの背後に行った。
 まるで商品を値踏みするかのように。
 少しだけわたしはからだをずらして、その好奇の視線を遮った。

「もう用事がないならこれで……」

わたしの行動の意味に気づいたのだろう、カトウさんはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「とにかく静かにしてちょうだいね。うちの一番上の子は今年受験ですから」

「……はい」



 扉を音が立たないようにしめ、わたしはため息をついた。
 違和感のようなものが顔をのぞかせたが、疲弊したわたしの精神はそれがなんなのかを考えさせなかった。

 鼻がムズムズして、くしゃみが出そうになる。
 掃除機ももう一ヶ月はかけていない。
 廊下にはゴミ袋が散乱していた。

 おぼつかない足取りでリビングを通って、部屋へと戻る。

 わたしは、その光景を見てからだがぐらりと傾くのを感じた。

 ソファで眠っているはずの娘が起きていた。

 ただでさえ細い喉が、ベルトによってさらに締まって細くなっていた。


「な、なにやってるの!?」

 わたしは娘に飛びついて、そのベルトを握る手を無理やりこじ開けようとする。
 だが予想外にその力は強すぎたために手間取ってしまう。
 わたしは無意識にヤエの頬を思いっきりはたいていた。

「……っ!」

 鈍い音とともに小さなからだが床に倒れる。

「なんでこんなことするのよ……っ!」

 ヤエは赤くなった唇のはしをおさえこそしたものの、それ以上はなんの反応も示さなかった。
 ただ光の灯らない瞳でわたしを見てくるだけだった。

 わたしはすがるように娘のからだを抱きしめた。
 この年の女の子にしては、ヤエのからだはあまりにも筋張っていた。




「おねがいだからやめてよ……。ママをいじめないで……死のうとしないで……」

 今まで眉一つ動かさなかったヤエが、わたしの言葉のなにかに反応した。

「ヤエがいなかったら、ママはどうしたらいいの……」

 夫とは六年も前に離婚している。
 両親はとうの昔に他界している。
 親戚づきあいもろくにない。
 この団地で懇意にしている人間もない。


「ヤエがいなかったらママはひとりぼっちなんだよ……!」



 声がうわずる。
 言葉は涙のように次々と溢れ出てくる。
 わたしは娘のからだをはなして、彼女の瞳をのぞきこむ。


「ねっ……ママを見捨てないで……」

 深い夜のような瞳が一瞬だけ、睨むように細くなった気がした。

「夜ご飯食べよっか。ね?」

 わたしはそう言って立ち上がったものの、この空間に食料があるのかどうかすら把握していなかった。



 浅いまどろみの中を行ったり来たりしているうちに、夜が明けた。


 ケータイを見る。月曜日という三文字がわたしに仕事だと囁いてくる。
 着信とメールが来ていた。
 ディスプレイにぼんやりと浮かぶ男の名前。

 けれども今はどうでもいいことだった。

 床に眠る娘の姿を確認してわたしは胸をなでおろした。


 足の踏み場をなくしつつある床を慎重に歩いて、わたしは顔を洗って化粧をする。
 一時間ほどの準備をして、パートへと向かった。



 仕事終わりにまた電話が鳴った。


 わたしはそれを無視して、家へと戻った。
 この団地にはエレベーターがついていたが、しかし誰かとあの狭い空間で一緒になるのは耐え難い苦痛だった。

 いつものように階段をのぼって家へと戻る。途中ヤエと同じ年ぐらいの娘とすれ違った。
 足もとがやはり頼りない。ふらふらする。

 扉を開いて「ただいまー」と言ったが返事には期待していなかった。


「ヤエー、お菓子買ってきたからたべよー?」

 リビングの扉を開けて、そのまま通過して部屋へと入る。
 ヤエはなにも映っていないテレビをソファにかけて見ていた。

「ヤエ、ほら食べ物買ってきたよ」

「……」



 娘がゆっくりとこちらを振り返る。
 まるで娘の周りだけ時間の流れが遅いようだった。


「……」


 死んだ魚のような……そんな表現がぴったりの
 目がわたしをとらえた。
 こうして見るとヤエは先ほど見かけた女の子に比べると、だいぶ小さい。

 
 ヤエがゆったりと腕を持ちあげる。
 まるで油の切れたゼンマイ人形のようだった。

 だけど、ヤエの手に持っているものを見てわたしはまた顔に血がのぼっていくのを感じた。

「なにをしようとしているの……?」

 ヤエは答えない。
 娘の骨ばった手にはあまりに似つかわしくない包丁。
 ずっと使われていなかったせいか、ほこりをかぶったそれをヤエは、自分のお腹にあてがった。



「やめて!」

 喉を切り裂くような悲鳴が飛び出る。

「やめなさい……やめて、ヤエ……!」

 
 どうして?
 なんであなたは死のうとするの?


 閉じられたカーテンから漏れた光が、ヤエを覆う影をかえって色濃くしていた。
 余計に彼女が不気味な存在に思えてしかたがなかった。

 ゆっくりと近づいていく。
 だが、わたしがあと少しでヤエに手が届くという距離で、彼女はお腹に包丁を刺した。

「あっ……!」

 からだから力がぬける。わたしは座り込んでしまった。

「な、なんで……」

 娘の顔が痛みにゆがむ。
 そこでわたしは気づく。
 包丁はまったくヤエの腹に刺さっていなかったことに。


 不意にからだが動いた。
 怒りのようなものが血に変わって、わたしをつき動かした。娘の手首を掴んで包丁をとりあげる。
 

 パジャマの袖がずり落ちて、アザだらけの腕がむき出しになった。


 わたしは彼女を怒鳴りつけた。

「いいかげんにしなさいよ……っ!」

 こみあげてくる怒りがわたしの視界を真っ赤に染めていた。
 娘の胸ぐらをつかんで、わたしは精一杯睨みつけた。

「ふざけないで! あなたはわたしがお腹を痛めて産んだ子なのよ……勝手に死のうとしないで……! アンタのせいでわたし、なにもできないじゃないっ!」

「……」

 娘は一瞬だけ口を開けたが、結局なにも言わなかった。
 自分の娘なのに、ヤエのことがまるで理解できなかった。
 不意にわたしは思いつく。


 そうだ、もはや自殺行為ができないようにしてしまえばいい。



 ホームセンターで買ってきたロープで、わたしはヤエの手足を縛り付けた。
 ロープで手足を縛るという行為が自分の予想よりも難しくて、少しだけ手間取った。

 娘はされるがままで抵抗ひとつしなかった。

「そうよ……これでいいのよ……これならアンタはなにもできない」

 手足を縛ってしまえば、もはやどうすることもできない。
 娘の力ではまずロープをほどくこともできないだろう。


「そこでじっとしてなさい」



 わたしはひさしぶりになんの娘の自殺という不安を忘れて家を出た。
 久々に肩が軽くなった気がした。
 相変わらず足もとは頼りなかったが、それでもここ最近の中でもっとも足取りが軽かった。

 どれぐらい時間が経過したかはわからない。
 時間の感覚は消え失せてしまっていた。

 家に帰る。
 娘が死んでいるなんてことは、絶対にないのでわたしは「ただいま」と明るく言った。

 部屋へ入ると、ヤエは手足を縛りつけられたまま床に横たわっていた。

 ボサボサに伸びた前髪がヤエの顔にかかっていて、彼女の表情がどうなっているかは判別つかなかった。

 ふと、わたしは思い返す。
 二週間前、急に始まった娘の自殺を。



 最初の自殺行為はやはり包丁だった。
 わたしに見せつけるように、わたしの目の前で、包丁でお腹を刺そうとした。
 このときはわたしはヤエをはたいて止めた。

 それから自分で自分の首をしめたりするといった行為もあったが、なんとか未遂で終わっていた。

 あとはお菓子を無理やり喉をつまらせようとしたこともあった。
 どれも未遂でなんとか終わったが、このままでは娘はいずれ本当に死んでしまうかもしれない。

 だが、この空間に閉じ込めて、こうして身動きをとれないようにしておけば大丈夫だ。
 こうしておけば、娘は自殺できない。

 その確認作業を終えると、すこしだけ胸が軽くなった気がした。
 電話が不意になった。
 ここのところすべての着信を無視していたわたしだったが、久々に出てみようと思った。

 ポケットからケータイを出そうとして、そこでわたしの手は止まった。

 
 娘く唇から小さな舌が顔をのぞかせていた。



 最初わたしはその光景の意味が理解できなかった。

 唇が震えている。
 一筋の赤い液体が娘の唇から落ちてあごに伝っていく。
 その赤い血の意味するところを理解して、わたしは娘の唇に指をつっこむ。

「アンタなにやって……! やめなさいっ!」

 娘の口に指をいれて、無理やりこじ開ける。
 いったいなにが彼女をそこまで死へと駆り立てるのか。
 わたしがしばらくしても口から指を抜こうとしないとわかったのか、ヤエは口の力をゆるめた。

 わたしは思わず座りこむ。
 肩が無意識に上下して、しばらく息が整わなかった。

 今度は涙は出なかった。もはや枯れ果てたのかもしれない。
 代わりになにか名状しがたい感情が胸の奥から湧いてくる。


「そんなに死にたいなら殺してあげようか?」


 自分でも驚くほど冷たい声。
 
 そうだ。そんなに死にたいのなら殺してやろう。わたしの手で。



 だが、殺さなくてもこのままでは……。
 娘の顔は相変わらず仮面でも貼りつけたように、変化一つしなかった。

 わたしは娘の細すぎる首に手をかけた。
 ゆっくりと力をこめる。
 ヤエの締めつけられた喉から、か細い息が漏れる。
 目がじょじょに苦しさからか、見開かれていく。

 だが、途中でわたしの腕は力を失った。
 ダラリと娘の首を締めつけていた手が床に落ちる。


 娘を殺してはいけない。


 本能がどこかでそう告げている。
 だが、それは倫理観や道徳観、まして親の愛情からくるものではなかった。


 海の底よりも深く暗い感情が、わたしに娘を殺すなとうったえていた。



 わたしは無駄だと思いつつもう一度聞いてみた。


「どうしてヤエは死のうとするの?」

 そう口に出した瞬間、ひとつの疑問が頭をもたげた。
 なぜヤエはわたしのいない間に自殺を試みようとはしないのか、と。 

 わざわざわたしの目の前、あるいは発見できるときにそれをした理由はなんだ?

 だが、その疑問は娘のかぼそい吐息に吹き飛ばされた。
 
 予想に反してヤエは、わたしの質問に答えようと口を動かした。
 
 ほとんど吐息と化した声は聞き取れない。



 ヤエは喉を手でさすった。
 むき出しの腕のあざに、なぜか奇妙な違和感を覚えた。

 ふと隣人の中年女性の言葉が脳裏をよぎった。
 わたしは関係ないことだと思いこんでそれを無視した。

 娘は言った。久々に聞いた娘の声にはまるで感情がこもっていなかった。



「自殺しないとママに殺されるから」







女「え? おわり!?」

男「はい。これで終了です」

女「いやいや! 全然話がオチてませんよ! 意味がわからないです!」

男「え? わからないんですか?」

女「……はい。もう全然意味がわからないです。
  なんで娘さんが自殺しようとしたのか、最期の台詞じゃあ解答になってないです!」

男「最後にわざわざぼくは無理やりヒントを入れてあげたのに……」

女「なんですか、その人を哀れむような瞳は!」



男「仕方ありませんね。もうちょっとだけヒントを出します。
  娘さんの自殺の行為は作中で説明したもののみです」

女「はあ……」

男「それと娘さんのからだの状態。
  あとは適当に予想がつくようにヒントをばら撒いたのでそこから予想してください」

女「…………なんかもういいです。頭使いすぎるとハゲちゃうからやめておきます」

男「そうですか」

女「まあ不思議な話って先輩は言ってますからね。不思議に理由なんていりません!」

男「この話をさっき話した先輩にも聞いてもらいましたけど、一発で気づきましたよ」



女「知りませんよー。わたしはわたしです。それよりもです、先輩!」

男「なんでしょうか!」

女「先輩のせいでモヤモヤしました!」

男「それはぼくのせいというより、キミのせいじゃないですか?」

女「いいえちがいます! このモヤモヤを晴らすためにカラオケに行きましょう!」

男「まあいいでしょう」



第二話「自殺少女」おわり



第一話「首だけ少女」>>1-60

第二話「自殺少女」>>69-96

第三話「交差点少女」

第四話「文字少女」


本日はここまで

つづく

不思議ってかこええよ
そして俺も後輩と同じでわけ分からなくてハゲそう

虐待だろうな
母親は自分の加虐行為を娘の自傷行為だと誤認してるっぽい

>>99娘は自傷行為はしてんじゃないか?
描写的に虐待されつつ放置されてるように見える

>>67「せっかくだしコワイ話ししないってこれと似たようなssで多分この>>1が書いた

良くわかんないんだけど

母親が虐待&放置

娘がかまって欲しくて&自殺しないと虐待で殺されるから自殺しようとした

てこと?

>>100
サンキューフォーエバー


感想ありがとうございます。

もうバレバレでこのタイミングで言うのもアレですけど、

女「せっかくだしコワイ話しない?」
↑の続編の女「せっかくだしコワイ話してください」
を過去に書いてます。ていうか、普通にこっちでも知ってる人がいて嬉しいです。

とりあえずこのssを見て気づいている方もいるかもしれませんが、舞台は同じです。
ただし、上のssを見る必要性は全くないので、無関係のssと捉えてもらって大丈夫です。


それではさいかい



男「空腹は最高のスパイスだとか調味料だとかいいますよね?」

女「はあ……まあ言うらしいですね」

男「この言葉の言いたいことって、どんな料理も結局は食べた側しだいってことですよね」

女「それは言いすぎなんじゃないですか? ていうか、それを言ったらなんでもそうだと思いますよ」

男「と、言いますと?」

女「えっと、わたしB’z好きなんですけど……先輩ってこういうのわかります?」

男「さすがにその人たちぐらいは、ぼくでも知ってます」

女「よかったあ、話が進まないとこでした」

男「それで?」

女「そのB’zのギタリストである松本さんがこんなことを言ってるんですよ。
  音楽はフィフティフィフティだって」



男「どんな素晴らしい音楽も聞き手がいないかぎりは、名曲にはならないんでしょうね」

女「そういうことでしょうね。そしてこれってすべてのことに当てはまりますよね」

男「作り手側とそれを享受する側が存在するものであれば、ね」

女「今わたしはこのクラッシクバーガーをおいしいと思って食べてますけど。
  これが満腹だったらまた感想もちがってくる……なんか人って面白いですね」

男「どうでもいいですが、空腹が最高の調味料なら、満腹はなにになるんでしょうね」

女「満腹ですか。そうですね……」

男「…………そういえば今の話でひとつ思い出したことがあります」

女「ちょっと待ってください。今、満腹について考えてるんです」

男「あとにしてください」

女「むう。いったいなんの話ですか?」



男「今のくだりで思い出したんですけど、ぼく、先輩からひとつ怖い話を聞いたことがあるんです」

女「先輩って、前言ってた人ですか? またまた女たらしですねー」

男「ちがいます。というか先輩に向かって女たらしだとは、ずいぶんと失礼ですね」

女「この前もまた、べつの女の子とイチャイチャしてるのを発見しましたよ」

男「また見られていましたか。ですが、その人とも連絡がつかなくなったんですよね」

女「もはや恒例のパターンになってますね」

男「しかし今回は心当たりがないんですよね」

女「いつもは心当たりがある、みたいな言い草ですね」

男「まあ多少は……っと、話がそれましたね。
  今回ぼくが言ってる先輩は、もと生徒会執行部の会長で、男の人です」



男「その人は怖い話、としてぼくにその話をしてくれたんですが、それがしっくりこなくて」

女「どういうことですか?」

男「怖い話、と先輩は言ったんです。ですが、ぼくが聞いたかぎりでは、それは怖い話とは言えない内容でして」

女「聞く人によっては怖いってことじゃないですか?」

男「ええ。ですからこれからその話をしますから、是非キミの感想を聞かせてください」

女「んー、じゃあその代わりにマンゴースムージーを奢ってくださいね」

男「……まあ、いいでしょう」

女「ありがとうございまーす」

男「今回の話のタイトルは『交差点少女』です」



第三話「交差点少女」



 コンクリートの道路に影法師が亡霊のように浮かぶ。
 しばらくぼくはその影をじっと眺めていたが、それが自分の影だと気づいてやめた。

 太陽がまもなく沈もうとしていた。
 都会は夜の顔になり、雑踏の影も濃くなり始めている。

 ぼくは腰かけていたベンチから立ち上がって、今日の寝床を探すことにした。
 ただし、人ごみは避けて。
 この引きずった足では、あの人ごみを満足に歩くこともできない。


 ぼくは世間一般で言うホームレス。


 住む場所もなければ当然、仕事もない。

 頼れる人もいない。



 同じ人種が見たら驚くだろう少ない荷物を背負って、ぼくは歩き続ける。
 金に余裕があれば漫画喫茶にでも入れるが、今の所持金ではとうてい無理だった。

 不意に誰かとぶつかった。
 足がもつれて、そのままぼくは地面に倒れてしまった。


「……っ」

「わるいね。大丈夫かい?」


 中性的な声が上から降ってくる。
 顔をあげると、女性がぼくに手を差し伸べていた。

「まさかこんな簡単にこけるとは思わなかったわ。ああ、足が悪いんだっけ?」

「は、はあ……」

「ほらよ。こけさせちまったお詫びに、特別にあたしの手を握らせてやろう」

 女性の手を借りて、ぼくはなんとか立ち上がった。


「あ、ありがとうございます……」


 今日初めて出した声は、かすれていて聞き取りづらかったのか女性は「あ?」と聞き返してきた。
 女の人は背が高く、ぼくは少しだけ視線をあげなければならなかった。
 もっともそれはぼくが平均的な男よりも身長が低いせいもあるのだろうけど。


「とりあえず道のど真ん中で話すのもなんだし……こっちだ、ついてこい」

「あ、あの……」

「なんだよ?」

「あ、あなたはいったいなんなんですか……?」

「あたし? あたしはレミって言うんだ」


 レミと名乗った女性は口角を持ち上げて笑ってみせた。



 唇のはしが耳にまで届きそうな笑い方は、猛獣をぼくに連想させた。

 道のはじっこまで行くと、レミはポケットから出した缶コーヒーをあおった。

「お前も飲む?」

「い、いえ。コーヒはあまり好きじゃないんで」

「ふうん。まあなんでもいいけど」

 ぼくはバレない程度にレミと名乗る女性を観察した。

 間違いなく美人だ。
 さきほどからぼくらを横切っていく人たちのほとんどは、レミの姿を盗み見ていた。

「あ、あの……」

「なんだよ? 言いたいことがあるならはっきりしゃべれよ」


 美人だ。だが、目つきはだいぶ鋭い。
 蛇に睨まれたカエルの気持ちが少しだけわかった気がした。

「……なにかぼくに用事があるんですか?」

「ホームレスに用事があると思うか?」

 ぼくは思わず目を見開いた。
 レミはニヤっと得意げに笑ってみせた。

「まあけっこう身奇麗にしているほうだとは思うけど、ホームレスにしては」

「やっぱりわかるんですか?」

「いや、人から聞いた」

「え?」

 レミは急に舌打ちをした。そして苛立たしげにぼくを見る。

 ぼくは彼女を怒らせるようなことを言ったのだろうか?



「つうか話が進まねえな、お前」

 なにをさっきからこの人が言っているのか理解できなくて、ぼくは戸惑うことしかできない。
 そもそもこの人は謎が多すぎる。

「どうしてぼくが足が悪いって知ってるんですか?」

「男のくせに細かいね、お前」

 レミは『スチール缶』をぼくの目の前で握りつぶした。
 唖然とするぼくの顔を見るとそれに満足したのか、レミの表情は柔らかくなった。

「細かいことは気にするな。どうせ気にしたところで理解できやしない」

「わ、わかりました」

「あたしは人助けを生業にしている」

「人助け?」

「そうだ。とは言ってもお前みたいなホームレスへの支援活動をしてるとか。
 そういう慈善事業をやってるわけじゃない」


 レミはつぶしたスチール缶をそのまま片手で折りたたんでから言った。

「あたしは幽霊が見えるんだよ」

「……はい?」

 ぼくのリアクションに対して、レミはもう一度同じことを言った。

「だからあたしは幽霊が見えるんだ」

「いや、ちょっと意味がわからないです」

「幽霊が見えるって言う度に全員似たようなリアクションしてんじゃねえよ!
 お前はつまらねえひな壇芸人か!」

 レミの声は夜の街に響き渡った。
 道行く人々の視線が、いっきにこちらへと集まってくる。

「す、すみません! おねがいですから落ち着いてください!」


「……ふんっ」

 レミは鼻を鳴らすと、そっぽを向いてしまった。



 が、しばらくすると口を開いた。

「アオイって名前の女の子に覚えはないか?」

 自分でも目がこぼれ落ちるぐらいに開いたのがわかった。

「な、なんでその名前を……?」

「さっきから言ってるだろ。幽霊が見えるって」

 レミは再び不敵な笑みを浮かべる。

「お前のことも全部、お嬢ちゃんから聞いたんだよ」

「……」

「これで少しはあたしの話を聞いてみようって気にはなったろ?」

「まあ……」

「単刀直入に聞く。お前、自分の今の状況を少しでも変えられるなら、変えたいと思うか?」



 ぼくは意識とは関係なく、視線を自分の影に落としていた。
 ぼくの影は、地面に這いつくばるように伸びていた。

「わかりません」

「わかりません? なんだよ、今の自分の人生を変えたいって思わないのか?」

「思います。でも、そう思ったところで変えられないのが人生というものなんじゃないですか?」

 ぼくの言葉にレミは額をおさえた。

「なるほどね。だめだこりゃ」

「……」

「お前の言うことは一理ある。
 ここまで落ちぶれた人間が、復活するなんざ奇跡でもないかぎり無理な話だ」

 夏の生ぬるい空気が、ぼくの首にまとわりついてくる。
 昔は汗をかくこの季節が嫌いだったが、今は夏の日差しを浴びてもなんの感情も湧いてこない。



「あなたの言うとおりです。ぼくは落ちぶれるとこまで落ちぶれている。
 こんな足じゃあ満足な仕事にも就けません」

「なるほどね。自分で自分を変える気はない…………わかった、じゃあこういうのならどうだ?」

「なんですか?」

「もう一度アオイに会えるなら、会おうと思うか?」

「……!」


久々に自分の鼓動がはやくなるのを感じて、ぼくは息を飲んだ。

いや、なにをぼくは考えている?

そんなことがあるわけがない。彼女はだってもうこの世にはいない。



 それでもぼくは無意識に口走っていた。

「アオイに、会えるんですか?」

「……あたしには霊が見える。だが、お前には霊が見えない」

 レミがぼくの顎をつかんだ。ぼくはどうすることもできない。

「だから、お前はこう思ったはずだ。死んでいるアオイには会えないって」

「……そうです」

「だったら会う方法はひとつだ」

「……アオイを見えるようにしてくれるんですか?」

 レミは首を横にふった。

「ちがう。アオイが生きてるころに戻るんだよ」


 なにを言われたのか理解できなかった。
 レミの手がぼくのあごから離れる。



「特別だ。昔に戻って、せめてなにかひとつ変えてまた戻ってきな」

 レミの人差し指がぼくの額を小突いた。
 不意に景色が傾いていく。


 あれ――?


 意識が影に飲み込まれるように沈んでいく。


「――まあ、ここから先はお前しだいだ」


 そんな声がぼんやりと聞こえた。
 だが、やがて音は消えてぼくの意識は途絶えた。





 まぶたの裏にまで届いてきそうな鋭い光が、ぼくの意識を呼び覚ました。

「あっ……」

 肌を刺すような痛みが、太陽の光によるものだと気づくのには少し時間がかかった。
 コンクリートから立ち上る熱気が、普段よりも近く感じる。
 いったいなにが起きているのか、ぼくはしばらく理解できなかった。


「どうしたの?」


 真夏のうだるような暑さとは正反対の、冷たくかたい響きをもった声がぼくに呼びかける。

「あ、あぁ……」

 ぼくは目をこすらずにはいられなかった。
 目の前にいるのが誰なのか。
 見た瞬間にわかったのに、脳みそは雷にでも打たれたように麻痺していた。


「いきましょ」

 彼女がきびすを返すと、髪がやわらかく膨らんだ。
 太陽の光をあびて鮮やかに輝く黒髪は、ぼくの記憶の中にあるそれと完全に一致していた。

「な、なんでここにお姉ちゃんが……」

 無意識にぼくはアオイのことをお姉ちゃんと呼んでいた。
 というより、ぼくは彼女のことをお姉ちゃんとしか呼んだことがない。

だがなにか違和感がひっかかる。

 その違和感の正体をこんがらがっている頭で考えつつ、すでに歩き出しているアオイへとついていく。
 そしてすぐに違和感の正体に気づいた。

 足がなんともないのだ。いや、ちがう。

 過去の記憶と同じようにアオイより目線が低いのがそもそもおかしい。



『アオイが生きてるころに戻るんだよ』


 ぼくは過去に本当に戻ってきたのだと実感した。
 しかもからだもそのまま昔の状態に戻っている。

 理屈などどうでもよかった。

 ただアオイに会えたということが、ぼくの胸をひたひたと熱い感情で満たした。

 ぼくは本当に久々に自由に動く足で、彼女の背中を追った。
 だが、またなにか違和感のようなものがこみあげてくる。
 彼女の背中はまるで拒絶するように、ピンと伸びていて声をかけるのをためらってしまう。


 そうだ。もしこれがぼくの記憶通りだとしたら、なにかあったのだ。
 この状況には覚えがある。だがなぜか思い出せない。



 ぼくは彼女の影に無言でついていくことしかできない。
 だが胸がざわつくようなイヤな予感は、大きくなっていく一方だった。

 小さな交差点についた。
 ぼくはアオイの背後に立っていた。ぼくと彼女の距離はほとんどない。
 それなのに決定的な溝があるのが感覚でわかる。

 胸をこがすような焦りとともに、なにかが脳裏に浮かび上がってくる。


 赤信号。
 誰かの悲鳴。
 引っ張られる腕。
 柑橘系の甘いかおり。
 からだが吹っ飛ぶ衝撃。
 不気味な浮遊感。
 アスファルトにこびりついた赤黒い血。
 道路に横たわる女の子の――



「……っ!」

 声にならない声が喉を食い破った。

 ぼくは思い出した。
 この小さな交差点でなにがあったのか。

 そして、ぼくは気づかなければならないことに気づくのが遅すぎたことを知った。



 トラックが目の前に迫っていた。



 その光景はぼくの脳裏に焼きついたそれとまったく同じだった。

 反射的にぼくのからだは動いていた。

 なにかひとつ変える。

 本来のぼくはここでアオイによって助けられた。
 だから、今度はぼくが彼女を助けるんだ。




 彼女のからだを思いっきり突き飛ばした。


 ブレーキの甲高い音。
 ぼくらへと向かって突っ込んでくるトラックを見る余裕はなかった。


 気づいたときにはぼくのからだは宙を舞っていた。
 痛みは感じなかった。

 自分のからだが地面へと叩きつけられる。
 肉の潰れる音が遠くでした。



 そして、すべてが闇と静寂にとってかわった。



 唐突に意識が戻った。

 コンクリートの道路に影法師が亡霊のように浮かぶ。
 しばらくぼくはその影をじっと眺めていた。この影はぼくの影……ではない。

 太陽はまもなく沈もうとしていた。
 都会は夜の顔になり、雑踏の影も濃くなり始めている。

『……?』

 しばらく記憶を探ってるうちに、ようやくぼくはなにがあったのかを思い出した。

 もとの時間に戻った?

 トラックにはねられた瞬間までの記憶は存在している。そこから先の記憶はないが。



「バカやろう……」


 頭の中で状況を整理しているぼくの背中に声がかけられる。
 聞き覚えのある中性的な声。

 振り返ると、レミが苛立たしげに眉間にしわをよせてぼくを睨んでいた。

『えっと……結局どうなったんですか?』

「……わからねえか」

レミは露骨にため息をつくと髪をくしゃくしゃとかいた。

「地面を見てみろ」


ぼくは言われるまま地面を見た。
頼りない街灯に揺れる影がひとつ、道路に伸びていた。



――ひとつ?


ぼくとレミ。本来、影はふたつなければおかしい。

「まだわからないか?」

いや、ぼくはすでに自分がどういう状況にあるのか理解していた。
信じられない話だが。

「なにか変えろとは言ったが、だからって死ねとは言ってねえんだよ」

レミの声は怒りと呆れのせいか震えていた。



どうやらぼくは過去を変えたことで、幽霊となってしまったらしい。

つづく

乙です……
前に書かれたスレは見ていませんが引き込まれています。

これはいったい…

気づいたら幽霊になってるとか普通に怖いわ

すまんあげてしまった

コワイ話の人か
あれすごく面白かった
今回のも期待してる

感想ありがとうございます

さいかい





 ぼくとアオイが出会ったのは、まだぼくが小学校の高学年にあがる前。


 ぼくの父は、ぼくが物心つくかつかないかという年齢のころに蒸発した。
 母は生活費を稼ぐためにひたすら仕事に打ち込んでいた。


 父がいない。ただそれだけのことでぼくは学校でいじめられた。
 自然と人と距離を置くようになった。
 そのせいだろうか。
 神様がいるかもわからないような、近所のみすぼらしい神社にぼくはよく足を運んだ。


その社叢でぼくはアオイと出会った。


 木漏れ日を浴びて、儚げに輝くアオイを初めて見たぼくは、息を飲まずにはいられなかった。

『こんなところでなにをしているの?』
 

 ぼくを見てアオイはそう言った。
 風にさらわれてしまいそうな小さな声。


『なにもしてないよ。ただここにいるだけ』

 なんと答えていいのかわからなかった。
 けど、なにか答えないと後悔する気がしてぼくはそう言った。


『じゃあ少しお話しよっか?』

『お話?』

『いや?』

『……少しだけなら』


 ぎこちない会話が続いた。
 たぶん彼女はぼくよりふたつかみっつは年が上だったはず。

 時々ぼくは彼女の横顔を盗み見た。
 針葉樹の間から漏れる光を浴びてなお、彼女の白い顔には陰りがあった。
 感じたことのない胸の高鳴りに戸惑ったのは今でも覚えている。





「ここに彼がいるんですか?」

 そして、ぼくは十年以上経って、少女から大人へと変わったアオイの姿を見ることになる。

「ああ。ていうか、本当にあたしの話を信用してるのか?」

「わたしには幽霊が見えません。ですが、それだけでいないと決めつけるのはおかしいと思うので」

 十年ぶりに見るアオイは、背丈も伸びて、女性らしいからだつきになっていた。

 しかし、同時にぼくの記憶の中の彼女となにも変化していないようにも見えた。

「もし本当にあたしの話が本当だって思うなら、明日の夜、またこの交差点に来てくれ」

 レミの言葉にアオイはうなずいた。

「わかりました」



 アオイはそれだけ言うと「明日も早いので」と言って、去っていった。


「ったく。あのアオイって女が未だにこの交差点に足繁く通っていてくれてよかったな」

 レミのつり上がった瞳がぼくを睨んだ。

『……どうして彼女にあんなことを話したんですか?』

「本来アオイは死んでいる人間だ」

『でも今はぼくが死んでる。だったらもうこのままでいいじゃないですか』

「よくねえよ。本来生きてるはずの人間が死んでいて、死んでるはずの人間が生きてる」


 おかしいだろ、と彼女は横断歩道のそばに置かれた花束へと視線を落とした。

 本来この交差点で死んだのはアオイだった。
 
 彼女がぼくを庇って死んだ。
 
 しかし、過去に戻ったぼくがした行為は、まさに彼女がしたことだった。

 過去が変化したことで、未来が変わって僕が死んでアオイは生きた。



 そして、レミはそんなにわかには信じ難い話をアオイへと話した。
 アオイはその話をただ黙って聞いた。

 そんな馬鹿げた話を信じることはまずないだろうと、ぼくは踏んでいた。
 けど、彼女はあっさりとレミの話を信じた。


『ぼくになにかを変えろって言ったのはレミさんですよ』

「だから言っただろうが。死ね、とは一言も言ってない」

『でも、アオイはぼくとちがって、怪我を負っていないんです』


 死ななかったぼくと、死ななかったアオイのちがい。
 ぼくがまともに歩けなくなったのに対して、彼女には目立った外傷はなかった。

『彼女は社会人として立派に生きています。ぼくみたいなダメなヤツとちがって』

「だったらなんだ。お前はそのままでいいっていうのか?」

『……いいです。ぼくみたいなクズが生きているなら、彼女こそ生きるべきなんです』

「自分のことはどうでもいいってか」



ぼくは自分の足もとを見た。

本来なら存在しているはずの影がなかった。

「たとえお前がそう思っていても、だ。あっちも、お前と同じ考えかもしれない」

『……』

夏の風がけだるげに流れて、レミの髪が揺れる。

でも今のぼくはなにも感じなかった。

夜の蒸し暑さも、生ぬるい風の感触も。



アオイとは様々なことを話した。
彼女はなにかを語るとき、いつも前だけを見ていた。


『神様は……いないと思う』

神社の中にいるというのに、ぼくはそんなことを言った。

『どうして?』

『だって見えないんだもん。見えないんだからいないんじゃないの?』

『そっか。そういうふうに考えるんだね、キミは』


針葉樹の間をぬって入ってくる真夏の日差しが、アオイの輪郭を淡いものにしていた。
彼女の横顔をいつものように盗み見ていたぼくは、まるで幽霊みたいだ、とひっそりと思った。


『偶像崇拝って言葉を知ってる?』

『ぐーぞーすーはい? なにそれ?』



『仏像とかってあるよね。すごく簡単に言うとあれにお祈りすることなの』

『仏像にお祈りしてどうするの? 仏像は神様じゃないよ』

『もちろんそのとおり。でもわたしたちは神様が見えないでしょ。
だから神様を見える形にしてわたしたちのような凡愚市井でも、お祈りできるようにした』

『よくわからないけど、ぐーぞーすーはいってのはいいことなの?』

『そうよ。そのおかげで神様にお祈りできるんだもの』

『神様は本当にいるの?』

『いると思うよ。でも』


重たげな前髪からのぞいた瞳には光がなかった。
なぜか背筋が震えた。




『神様はなにもしてくれない』



 アオイもぼくも似たような境遇の持ち主だった。

 だからこそぼくは彼女に惹かれたのかもしれない。

 彼女はどうだったのだろう。

 ぼくに対してどんな感情をもっていたのだろうか。




 不意に意識が戻る。
 
 なにが起きたのか理解できなかった。

 コンクリートの道路に影法師が亡霊のように浮かぶ。
 しばらくぼくはその影をじっと眺めていたが、それが自分の影だと気づいてやめた。



「結局元の状態に戻ったってことか」

「レミ、さん……?」

 振り返るとレミが少しだけ複雑な表情をしていた。
 ようやくぼくは自分のいる場所が、レミと出会ったもとの場所だと気づく。


「状況がよくわかってないって顔をしてるな」


 のしかかるような夏の蒸し暑さに、ぼくの額は汗をかいていた。
 なぜかその感覚が懐かしいもののように思える。

 唐突にぼくはなにが起きたか理解した。


「なんで!?」

 気づいたら声を荒らげていた。ぼくの影が、ぼくの動きに合わせて大きく動く。

「結局、アオイもお前と同じことを考えていたってことだ」

「そんな……」

 つまりアオイもぼくと同じように、過去に戻って――



「アオイも同じ選択をした、お前と同じ選択を……」

「おねがいします!」

 ぼくはレミへと掴みかかっていた。
 不自由な足のせいでよろけかけるが、なんとか踏ん張る。

「なにをだ? これ以上どうしろって言うんだ?」

「ぼくにもう一度……アオイを助けるチャンスをください……!」

「バカ言うな」

 レミはぼくの手を払った。

「あたしがそもそも今回、お前らに干渉したのは本来ならお前もアオイも助かるはずだったからだ」

「どういうことですか?」



「お前かアオイ、そのどちらかを過去に戻すことで、本来あるべき姿にできるはずだった。もちろんいい方向にな」

「でも……」

「なぜかはわからないが、それができない。しかもすでに二回もチャレンジしてるのに、だ」

「またもう一度やれば、今度こそ状況を変えられるんじゃないですか?」

「いや……おそらく無理だ」

「どうしてですか?」

「お前にはあたしに初めて会ったときから、今に至るまでの記憶があるだろ?」

「はい、あります」

「だが、さっき霊に戻ったアオイに会ったが『はじめまして』とか言われちまったんだよ」

「それってつまり……」

「ああ。あいつはどういう理由か記憶をなくしてしまっている」

「話がちょっと複雑でよくわからないんですが……」


「難しく考えんな」

 そう言ったレミが一番難しそうな顔をしていた。
 ぼくは彼女の話をほとんど理解できていなかったが、それでもひとつだけ理解できたことがあった。

「だったら、もう一度過去に戻って今度こそぼくがアオイを助ければ……」

「それをやって失敗して、一回死んでるんだぞ」

「今度は大丈夫です。だってぼくはもう過去を知っているんですから」

「まあたしかにそうだが……」

 レミはそう言って、あごに手を当てる。

「おねがいします! 今度こそ絶対に彼女を助けます!」

「自分も助けなきゃ意味がないってわかってるんだろうな?」



「はい、自分も助けます。絶対に」

 レミはため息をついたが、

「まあでも、ちったあイイ顔するようになったな」

 レミがぼくの額へと指を向ける。

「今回もお前が戻れる過去の地点は同じだ。これも色んな理屈やら理由が絡んでるんだが。
 ……まあ、それは説明してもわからねえだろ」

「理由も理屈もいりません」

「とにかく前回のときとまったく条件は同じだと思え」

「わかりました。今度こそアオイも、そしてぼく自身も無事なままで終わらせます」

「……検討をいのる」


 レミの指がぼくの額を小突く。
 ぼくの意識は過去へと沈んでいった。





 まぶたの裏にまで届いてきそうな鋭い光が、ぼくの意識を呼び覚ました。

「あっ……」

 すでにアオイは目の前を歩いていた。ぼくは急いで彼女のあとを追う。
 ぼくはアオイの手首を掴んだ。予想外に細くて、一瞬掴んだ手をはなしそうになる。

「……なに?」

 アオイがぼくを振り返る。冷たく、かたい声。
 重たげな前髪が彼女の顔に濃い影を落としていた。

「行っちゃダメだよ」

「なにを言ってるの?」

 アオイの声が記憶のものと一致しない。
 低くなにかを押し殺したような声音。


 戸惑うぼくの手を、アオイはあっさりと振りほどいてしまった。
 自分でも驚くほどぼくの力は弱かった。



 当然だった。彼女の手首を細いと表現したが、ぼくの手首だって彼女のそれとほとんど変わりがなかった。

 まして背丈では彼女のほうが上なのだ。
 たたらを踏むぼくを無視して彼女は進んでいく。


「待って……!」


 ぼくはなんとか彼女を追った。
 ぼくが意識を取り戻した場所から、例の交差点までの距離はほとんどなかった。

 なんとか引きとめようとしたが、アオイはぼくの言葉になどまるで耳を傾けてくれなかった。
 

 どうすればいいのか。



 そもそもぼくが戻ったこの過去の前にはいったいなにがあったのだろうか。

 ぼくとアオイになにかあったというのか。

 思考が深いとこへと沈もうとしていた。その行為が間違いだと気づく。


 またトラックが目の前に迫っていた。甲高いブレーキの音。


 ぼくらへとトラックが突っ込んでくる。
 彼女の手がぼくの腕をとつかむ
 ぼくを庇おうとして伸びた彼女の手。


「……っ!」


 反射的にぼくは彼女を突き飛ばした。
 そしてぼくのからだはまたトラックによって宙を舞った。

これ無限ループじゃないっすか…




「……おい。また同じことを繰り返してんじゃねえよ」

 意識が戻ってくると同時に、レミの怒りの形相が視界に飛び込んでくる。
 今度は一瞬で自分が幽霊になっていると認識できた。


「ったく、なにが『今度こそアオイも、そしてぼく自身も無事なままで終わらせます』だ」

『……すみません』

「過去に戻ってなにがあったか話せ」

ぼくはレミに自分が過去に戻ってしたことを話した。


「……なるほどな」

『ぼくが戻った過去より、さらに前へ戻れればアオイを止めることができると思うんですが』

「残念だがあれ以上はさかのぼることはできない」

『どうしてですか?』

「超噛み砕いた言い方をすると、あの地点より前の時間軸は歴史が変化しないように『ロック』されてるからだ」

レミが鍵をつまむような動作をする。



「過去に戻ることができるってことは歴史を改変できるってことだろ?

『そうですね』

「基本的には数百年程度の歴史が変化しようが、『セカイ』にはなんの影響もない」

 レミの口調は話してる内容とは裏腹に、実に軽かった。
 
「だが変えてはいけない瞬間も存在する。それこそ『セカイ』に大きな影響を与えるようなものとかな」

『……』

「それに歴史の改竄は過去から未来とはかぎらない。未来から過去へだって変えることができる」

『よく、わかりません……』



「ようは認識の話だが……っとこれは関係のない話だな。とにかくだ」

 いつの間にか彼女の手には魔法のように缶コーヒーが現れていた。

「歴史が変わるきっかけはどこにあるかわからない。
 だから二度と歴史改変ができないようにどんどん時間に手を加えてくわけだ」

『……つまり、ぼくが戻った過去の地点より前は……』

 彼女は缶コーヒをいっきに飲み干すと、缶を逆さまにした。黒い液体がひと滴だけ落ちる。

「そういうこと。もう固定化されてしまっているから、足を踏み入れることすらできない」


 レミは、空になった缶をいつか見たときと同じように片手で握りつぶした。



 それから時間を置いて、再びぼくは蘇った。
 今度こそレミはこれで終わりにしようと言ったがぼくは聞かなかった。


 一時間もの口論の末に、彼女は折れた。


『まったく……あたしは特別なんだよ。ずっとオブサーバーとしてすべての時間を観測している。
 だから体感時間、マジでハンパないんだからな』


 そう怒ったものの最後には折れて『わかった。納得するまでやれ』と言ってくれた。

 だが何度過去に戻っても、結果はまったく変化しない。
 ぼくとアオイは互いに生きては死ぬという工程を繰り返すだけだった。


 ひとつわかったのは、多少アオイを引き止めることに成功したとしても、結局交差点に行けばトラックにはねられるということ。

 お互いに相手が過去に戻っている間の記憶はないということだ。

 そしてやはりアオイは何度繰り返しても、記憶を失ってしまうということだ。





 再びぼくは意識を取り戻した。


「なんで…………なんでアオイを助けられないんだ……」

 もはや数え切れないほど生死を繰り返した。
 自分が死んでようが生きていようがなんの感情も湧いてこなかった。

 レミはレミで途中からぼくがアオイを救い出すことができなくても、怒らなくなった。

「そろそろ限界だな」

 だが、今までとちがって彼女はそうポツリと漏らした。

「限界? なにが限界なんですか?」

「過去に戻れる回数。おそらくあと一回が限度だろうな」

「どうしてですか……?」


 夏の蒸し暑さとは対照的に、ぼくの指先は冷たくなった。
 レミは淡々と「砂時計ってあるだろ?」と前置きしてから言った。




「あれはすき間があるから砂が行ったり来たりできる」

「そうですけど……」

「過去に戻るっていうのは、あの砂時計にさらに砂をどんどん足していくようなものなんだ」

「えっと……」

「過去に戻るにはある種の力が必要なんだが、その力によって同時に色々なものが排出される」

「……」

「何度も過去に戻ったことで、排出された砂が砂時計を埋めつくしてしまった」

「時間固定の方法もこれの応用なんだが……」というレミの言葉をさえぎってぼくは言った。

「じゃあもう過去に戻ることはできないってことですか?」

「だからあと一回が限度だ」

「だったらその残りの一回で今度こそどうにかすれば……」



「そんな都合よく最期に過去を変えることに成功する、なんてことはありえない」

「だけど! もしかしたら……もしかしたら成功するかもしれないじゃないですか!」


 自分はまた失敗するという確信をかき消そうとしてぼくは叫んだ。
 レミは怒鳴り返してくるかと思った。
 もしかしたらそうしてほしかったのかもしれない。

「まあそれが人情ってやつだよな」

 彼女の人差し指がぼくの額をついた。
 彼女の表情が一瞬だけ悲しげに揺れたような気がしたが、ぼくの勘違いだったかもしれない。


「でも運命は残酷だ」



 不意に足もとが沈む。
 街の喧騒が遠のいていく。視界が白く染まり、やがてすべての音が消えた。


つづく

二人ともお互いを助けようとしてるのに助けられないでループするとか
悲しい


さいかい





 目の前を白い光が横切っていく。
 いったいなにが起きているのか、わからなかった。

 ぼくは例の交差点にいた。

『彼、約束してくれたんです。わたしとずっと一緒にいてくれるって』

『そうか……』

 レミとアオイが話していた。なにが起きている?

『彼だけだったんです。わたしの拠り所になってくれたのは』

『じゃあ、一緒にいたいって今でも思ってるのか?』

『ええ。今でも』

 横断歩道の前で彼女は行き交う車を眺めていた。
 闇に溶けてしまいそうな黒髪の下の顔は能面のようだった。


『彼が一緒にいてくれないなら……』

 トラックが横切る。彼女の唇が動く。
 小さな声はかき消されて最後まで聞き取ることはできなかった。





 再び景色が変わる。

 足の踏み場すらないゴミやほこりで埋もれた空間。
 死臭でも漂ってきそうだ、と思った。


 いったいここはどこだ?


 狭苦しい廊下に備えられた扉がひとつだけ空いている。
 覗いてみるとお風呂場だった。ぼくは思わず呻いた。


 風呂の浴槽には赤黒いシミが筋となってこびりついていた。


 浴槽だけじゃない。
 排水口に絡まった髪の毛もよく見れば、赤黒く染まっている。


 これはいったい――と思ったときには唐突に意識は現実に戻っていた。





 都会の喧騒がぼくの意識を現実へと戻した。
 目の前にいるレミがぼくの額から人差し指をはなした。

「今のは……今のはいったいなんだったんですか?」

 背中から汗が噴き出ている。

「あたしの記憶をお前に見せたんだよ」

「レミさんの記憶を? 今ぼくが見たのはレミさんの記憶だったってことですか?」

「ああ」

「でも、あの部屋はなんだったんですか?」

「アオイの部屋だ」


 なにを言われたのか理解できなかった。


「より正確に言えば、お前が死んだことで生き残ったアオイ、の部屋だ」

 顔から血が引いていく音が聞こえてくるようだった。
 なにも言えないでいるぼくにレミは言う。

「お前とアオイがどういう関係かはあたしは知らない」

「ぼくとアオイは……」

「だが、結局お前らは多少のちがいはあれずっと同じことをし続けた」

 まぶたの裏にあの陰惨な部屋の光景がよみがえる。
 あの浴槽の赤いシミは汚れなどではなかった。

「アオイはお前と一緒にいたいって言っていた。だから今の今まで何度も同じことを繰り返してきた」

「……」

「どうしてアオイがあたしの話を信じたか…………もうわかるだろ?」

「どうでもよかった……」



 レミはうなずいた。

「あたしの話、というより、ありとあらゆるものがどうでもよかった」

「だからべつにレミさんの話を信じたわけでもない」

「そうだ。どうしてそんなふうになったかは知らない。
 でもあの女はこのままじゃあ近いうちに死ぬ」

「……そして過去に戻ることができる回数は残り一回」

「そうだ」


 頭が痛くなる。
 状況を飲みこめないでいる脳が膨張して、頭蓋を圧迫しているようだった。


「人の感情の働きによって過去や未来が変化することが時々ある」

 レミは街灯を見上げた。
 ぼくはレミの言葉をオウムのように繰り返すことしかできない。


「人の感情の働き……」



「今の状況はアオイが望んでいることなのかもしれない」

「どういうことですか?」

 煙のようなおぼろげな思考が、自分の中で形になっていく。
 いつの間にか握っていた手のひらは、汗でぬれていた。
 レミの瞳がぼくをまっすぐに見据える。レミの真っ赤な唇が開かれる。


「アオイはお前を助けようとしていた。だが――」


やめろ。それ以上言うな。
唇の動きがやけに遅く見える。
否定の言葉は間に合わなかった。


「自分が生きることはこれっぽっちも望んでいなかった」



「あと一回。過去へ戻るチャンスがお前にはある。どうする、また同じことを繰り返すか?」

「ぼくは……」

「断言する。お前がアオイを救い出し、お前自身も死なないなんてのは不可能だ」

「……」

「だが、ひとつだけお前の行動しだいで簡単に変えられるものがある」


 アオイの後ろ姿が走馬灯のように脳裏をかけめぐる。
 夏の日差しに淡く伸びる影。
 ほっそりとした背中を打つ黒髪。
 遠ざかっていく背中。



「うだうだ悩むのはあとにしろ」

 レミの人差し指がぼくの額に突きつけられる。


「えっ……レミさん……?」

「どうせこのままお前の解答を待っていてもラチが開かない」


 彼女の人差し指がぼくの額を小突く。
 やはり意識が勝手に落ちていく。


「考えるな。直感で行動しろ」


 闇に溶けていく意識の中で、なぜかその言葉だけははっきりと耳に残った。





 意識が戻る。見慣れてしまった景色。すでにアオイは歩き出している。
 とっさに引きとめようとする声を、ぼくは無理やりおさえこんだ。


 彼女の姿は全部記憶のままだ。


 夏の日差しに淡く伸びる影も。
 ほっそりとした背中を打つ黒髪も。

 アオイがぼくを振り返る。


「どうしたの?」

 冷たく澄んだ声がぼくを揺さぶる。



 彼女を引き止めたいという想いがぼくの喉を食い破ろうとしていた。
 前に出そうになる足を必死に引き止める。

 ぼくはまぶたをきつく閉じた。


 大人になったアオイ。
 能面のような白い顔。
 生きる気力を失った部屋。


「いきましょ」


 ぼくの記憶と同じようにアオイが再び背を向ける。
 ぼくは言った。アオイに向けて。あるいは自分自身へ向けて。


「ぼくはいかない。生きないといけないから」


 アオイの目が見開かれる。
 彼女の手がぼくへと向かって伸びる。



 かつてぼくを庇うために差し伸べられた手。

 でもぼくはそれを振り払わなければいけなかった。


 きびすを返す。背後から彼女の声が聞こえる。
 気づいたときには走っていた。


 そう、レミが言ったとおり。未来を変えることじたいは簡単なことだった。

 ぼくがアオイを引き止めるのを放棄する。それだけのことだった。


 どうしてか、ぼくは彼女が追いかけてこないことがわかっていた。


 息が切れる。目眩がする。心臓が張り裂けそうになる。
 それでもぼくは走り続けた。
 
 ただひたすら。
 

 まっすぐに。






 額に浮いた汗を拭った。
 泥が手についていたのか、かえってぼくのおでこは汚れてしまった。

 ずっと前かがみの体勢でいたせいで、腰が悲鳴をあげていた。
 ぼくは一回立ち上がって伸びをした。


「おつかれさん」


 不意に背後から声をかけられる。
 振り返ると、背の高い女の人がぼくに向かって缶コーヒーを差し出していた。

「えっと……」


 戸惑うぼくに向かってその女性は笑ってみせた。



「仕事大変だろ? だからやるよ……って、コーヒーきらいだっけ?」

「あ、いえ、ありがとうございます」

「お前、過去に事故でもあったのか?」

「え?」

「いや、足を引きずっているからさ」

「あー、ちょっと過去に事故にあってしまって」


 ぼくがそう言うと、彼女は「なるほどな」と口もとに手を当てた。


「結局、あの女を助けられなかった場合は、事故にあうってことか……」

「はい?」

「気にするな。ひとりごとだ。
 それより大変そうだな、こんな暑い日に道路清掃とは」


 彼女はぼくが集めたゴミを見て言った。



「まあ暑いですけど、それでも週三日ほどしか仕事してないんで……」

「ふうん、そうか」

「ぼく、ホームレスなんですよ」

 ふと自分の口から出た言葉にぼく自身が一番驚いてしまった。

 なぜ今あったばかりの人にこんなことを言ったのだろうか?

 彼女は口をあんぐりと開けて、ぼくを見た。まるで全財産を失ったような顔だった。


「え? お前結局ホームレスのままなの?」

「……えっと、まあ……」

「まじか……」

 なぜか会話に違和感を覚える。
 彼女が額をおさえる姿を見ていると、申し訳ない気持ちが湧いてきた。



「で、でも! 今はいちおう働いてますからね」

「そういや前は働いてすらいなかったんだよな……たしかに顔つきが少しちがうな」

「そうでしょう? 
 ……って、あれ? どこかでお会いしましたっけ?」

「さあ? まあ、案外どこかであってたりするかもな」

 戸惑うぼくに対してまた女性は笑った。

 耳もとまで唇のはしっこが届きそうな笑い方。
 やっぱりどこかで見たことがあるような……。

「ひとつ聞いてもいいか?」

「なんですか?」

「人生は楽しいか?」

「いいえ、べつに」

 ぼくは首をふった。本音だった。



 ただ自分でも意外なことに、そのあとも勝手に言葉が出てきた。

「でも、前よりもがんばって生きなきゃって思ってます」

「……へえ、どうして?」

「わかりません。でも誰かに言われてるような気がするんです。がんばって生きろって」

「誰かって、誰だよ?」

「自分、でしょうか」

 ぼくはその女性をまっすぐ見つめた。

「あるいは昔、好きだった女の子がそう言ってくれてるのかもしれません」

 ぼくの奇妙なセリフに対して彼女はただ「そうか」としか言わなかった。

「なら、せいぜいがんばって生きてくれ。仕事ジャマして悪かったな」

 すでに背中を向けてしまっている彼女をぼくは引き止めていた。

「まってください」


 ぼくは勢いにまかせてその女性に質問する。

「あなたは何者なんですか?」

 なんなのだろうこの質問は?
 初対面の人にする質問ではないし、そもそも失礼なのではないだろうか。
 しかし、そう思う一方で妙にしっくりきている自分がいた。

「あたしはちょっとだけ特別なオブサーバーだ。そして……」

 彼女が一瞬だけぼくを振り返った。

「人を助ける仕事をしている」

 そう言うと彼女は「じゃあな」と去っていった。





「レミさん、か……」


 言ってから「レミ」とはいったいなんのかという疑問が湧く。
 だが、「はたらけよー」と同じホームレス仲間に注意されて結局考えるのをやめる。

 ぼくは返事をして次の清掃場所へと移る。
 影をひきずるようにぼくはゆっくりと歩く。


 次の場所は交差点の前だった。


 ふと行き交う雑踏の中に見知った顔がいた気がした。


 黒髪が太陽の輝きを浴びて艶やかに膨らんだ。

 ほっそりとした背中には見覚えがある。



 ぼくは思わず飛び出しそうになったが、すでに彼女の姿はなかった。


「がんばって生きるよ」


 きみの分まで、とは言わなかった。


 ぼくは空へと向かって手を伸ばした。


 かざした手のひらの隙間から見えた太陽は、いつも以上に眩しかった。









女「これで終わりってことですね」

男「ええ。なんというか怖い要素がないこともないんですが……」

女「ないんですが?」

男「どちらかというとイイ話という感じでまとまってますよね?」

女「最後らへんはそうですね」

男「だからわからないんです。なぜこれが怖い話なのか」

女「え? わからないんですか?」

男「……え?」





男「てっきりすぐに怖い話の理由を説明してくれるのかと思いましたが……」

女「まあまあ。せっかくなのでひとつ実演してみるのもいいかなって」

男「なるほど。だからわざわざ交差点に来たってわけですか」

女「そういうわけです」

男「ところでいったいなにをこんなところでやるんですか?」

女「……本当に先輩は今回の話のどこに怖い要素があったか、わかってないんですね」

男「……まあ、そうですね。もしかしてSF的な観点から見ると、とかそういうことですか?」

女「いえ、わたしはそういう複雑なのは苦手なんで。
  ていうかそういう要素は、あくまでオマケだと思いますよ」

男「よくわかりませんね」

女「では、オツムのかたい先輩にもわかるように説明しましょう。こういうことです」



男「…………」

女「…………」

男「……あの、腕をつかまれてもなにもわからないんですが」

女「じゃあ、こうしてみてはどうですか?」

男「……よくこうも公衆の面前でぼくに抱きつきますね」

女「恥ずかしいんですか?」

男「恥ずかしいのも、まあありますが……なによりこの状態だと困ることがあります」

女「それはなんですか?」

男「簡単なことです。身動きがとれな…………あっ」

女「……ようやく理解しましたか?」

男「……そうか。そういうことだったんですね」



女「そうです。そもそもおかしいんですよね。
  主人公がアオイに助けてもらったときは、足にケガを負っています」

男「それに対して主人公がアオイを助けたときは、外傷なし」

女「はい。ほかにも主人公がループの記憶を蓄積していたのに対して、アオイはループのたびに記憶を失っていた」

男「知らないことを知ってるふりをするのは大変ですが。
知ってることを知らないふりするのは容易ってことですね」

女「ほかにも主人公が過去の着地点直前の記憶がない、とかありますがこれもなんとなく理由がわかってきますよね」

男「そういう要素をもとに考えていくと、この話、べつの一面が見えてくるってことですね」

女「ええ。やっぱりこの話は怖い話で正解ですよ」

男「しかし、よく気づきましたね」

女「このぐらい余裕ですよ。ふふんっ」



女「そういえばこの話をしてくれた先輩は、この話の意味を知ってたんですか?」

男「いえ、実はその人も知らなかったみたいで……だから、ぼくに話したみたいなんですが」

女「あらら」

男「途中からその先輩の彼女さんにあげるクリスマスプレゼントの話になって。
  この話じたいがなかったことにされたんですけどね」

女「それはまたなんかムカつきますね」

男「まあこれで胸のモヤモヤが晴れましたよ。
  てっきり幽霊になることが怖いみたいな、そういう話かと思ってましたから」

女「間違ってはいないかもしれませんよ。死ぬのは怖いですもん」

男「そうですね」

女「こうやって先輩とお話することもできなくなりますし。
  美味しいご飯を食べることもかなわなくなっちゃいます……あっ!」

男「どうしました?」



女「空腹は最高の調味料だけど、じゃあ満腹はなんなのかって話をしたじゃないですか」

男「そういえばそんな話もしていましたね」

女「思いつきましたよ、とっておきのが」

男「なんですか?」

女「空腹は最高の調味料。
  満腹は最高の贅沢。どうですか?」

男「……ふむ。まあ、なかなかいいんじゃないですか」

女「もう! もっと感心してくださいよ。
  そんなんだから、仲良くしてる女の子が愛想つかしたり、学校に来なくなったりするんですよ」

男「……そうなんですかね?」

女「でもわたしは、そんな先輩のそばにいてあげますから安心してくださいね」

男「……ありがとうございます」




第三話「交差点少女」おわり


第一話「首だけ少女」>>1-60

第二話「自殺少女」>>69-96

第三話「交差点少女」>>104-189

第四話「文字少女」


本日はここまで

つづく

結局、どういうこと?

イイハナシダナーとか思ってたんだけどちがうのか

実はアオイは主人公と一緒に死のうとしてたってことかな
トラックに轢かれそうになったときに主人公はアオイを突き飛ばしてたけどアオイは腕を掴もうとしてるっぽい
そこらへんが主人公が怪我してアオイが怪我しなかった理由?
アオイがずっとループしてたのは主人公を殺すためっていうか心中するため?ってことか?

ダメだ、わからん

自分はアオイは最初の事実が最も好ましかったんだと思ってる
無理心中を仮定すると失敗してる理由が思い付かない
主人公よりも力があって一度も成功しないってのは解せない

最後まで一緒にいたいだけのために腕を掴んだ、それは主人公が過去に飛んだときのアオイの最後の言葉から想定
記憶を持っているとすればそれで主人公は死なないのは分かっているし
配置が変わってしまうと結果が異なってしまうからホールドした

「自分が生きることはこれっぽっちも望んでいなかった」
これだけが主人公とアオイの違いであってそれ以外は全く同じ事を考えていたと思う

個人的には男と女の会話から無理心中するためにアオイはループしてただと思う

主人公の時も何度やっても失敗してるし
だからアオイの時も主人公と同じで二人一緒に死のうとしてるけど失敗

二人同時に助かるルートがあったみたいだけどそれ以外のルートでは絶対に片方だけしか生き残れないんじゃね?

アオイはずっと主人公と死ぬためだけにループしてた
書いててゾッとした


自分も女の話聞くまでイイハナシダナーと思ってたw
でもアオイと主人公の心情は何となくわかったが
女が言ってた「主人公が過去の着地点直前の記憶がない理由」が想像できん

うわあぁ・・・そういうことか

満腹は最高の贅沢は地味に上手いな

さいかい



女「どこらへんにそのUSBメモリはあるんですか?」

男「思い当たる場所としたら、あとはここらへんだけなんですよね」

女「……体育館倉庫? なんでこんな場所なんですか」

男「色々と不幸な偶然が重なりまして。
  昨日の体育の時間の直前までパソコンをいじってたんですよ」

女「で、今日メモリがないことに気づいた、と。しかも今日は祝日なのに」

男「勘違いしてましたよ。今日は普通に学校があるのかと思ってて……」

女「だから制服を着てるんですね」

男「そういうことです。たまたま着替えを持っているので、帰りは着替えて帰ります」

女「その手提げ袋、私服が入ってるんですね」



女「ところで、そのメモリがそんなに重要なんですか?」

男「ええ。あれは見られると困るんですよ」

女「へえ。先輩みたいな変人さんでも、見られてイヤなものがあるんですね」

男「相変わらずキミは失礼ですね」

女「本当は先輩のことが大好きなんですけどねー」

男「はいはい」

女「本当ですよ? 今まで先輩に言い寄ってきた人たちより、
  わたしのほうが先輩のことを絶対に好きですもん」

男「嬉しい話ですね。では、ぼくのことが好きなキミに、ぼくの話を聞いてほしいのですが」



女「例の不思議な話ですか」

男「不思議……そうですね。やはり不思議と言っていいのかもしれません」

女「しょうがないなあ。じゃあ聞いてあげますよ」

男「ありがとうございます」

女「それで、今回はタイトルはなんなんですか?」

男「タイトルは『文字少女』です」


第四話「文字少女」



 それはなんの前触れもなく訪れた。
 最初、その衝動がなんなのか、自分には理解できなかった。


「……どうしたの? そんなに見つめられると困っちゃうんだけど」

「いえ……すみません」

 ぼくは彼女から目をそらした。

「それにしても休日とは言え、やっぱり映画館は混むよね」

「そうですね」

「……もしかして人ごみってきらい?」

「好きではないですよ。でも映画館が混むのは仕方のないことです」

「それもそうだね……っと、そろそろ時間だから行こうか」



 先輩がテーブルから立ち上がったので、ぼくもそれにならう。


「あ、そうだ。本当は最初に言っておこうと思ってたんだけどね」

「なんですか?」

「今日はつきあってくれてありがと」

 先輩はにっこりと微笑んだ。

「こちらこそ誘っていただいてありがとうございます」


 得体の知れない感情が水の中の泡のように湧き上がるのを感じた。






「あー楽しかった!」

 先輩はゲームセンターから出ると、伸びをしてぼくを振り返った。
 ずっとけたたましい音の中にいたせいか、耳が少しだけ痛かった。

「結局、あの人形はとれませんでしたけどね」

「まあそれはいいんじゃない? クレーンゲームは映画のおまけだし」 


 彼女の言葉は弾むように響いた。
 ぼくと先輩はちょうど横断歩道まで来ていた。
 信号が赤に切り替わり、群衆に紛れてぼくたちも立ち止まる。


「それにしても映画、よかったね」

「……そうですね」

 ぼくはなんと言っていいかわからず、そう言葉を濁した。



「どうしたの? もしかして映画を見てなかったの?」

 その通りだった。だが、その理由が自分でもわからなかった。

 いや、わかってはいる。

 隣の席にいた先輩の横顔を盗み見ているうちに、映画は終わっていた。
 冗談抜きで本当にそうだった。

「なんかおかしいぞー? どうしちゃった?」

 先輩が顔を覗きこんでくる。ぼくは反射的に顔を背けた。

「いえ。色々と考えさせられる映画だったもので……」

「そう? あれコメディだったのに?」

「……どんな内容でも、考えさせられるものがあります」

「ふーん。やっぱりキミって変だね」

 雑踏がゆったりと動き出す。



 先輩が先に歩き出す。
 奇妙なことに前を歩く彼女以外のすべての色が、不意に抜け落ちていくような錯覚におちいる。
 色あせた視界の中で先輩だけが色鮮やかに浮かびあがった。


 横断歩道を横切ったあたりで、先輩がいぶかしげにぼくを見た。


「本当にどうしたの? なんかおかしいよ?」

「もしかしたらそうなのかもしれませんね」

「体調が悪い、とか?」

「そういうわけではないんですが……」


 ぼくは戸惑っていた。
 自分の身になにが起きているのか、理解できなかった。



 目頭を指で軽く揉む。頭が熱に浮かされたようにボーッとしている。



―― 先輩 ――■ 女 鼻 ――スカート …… 眉● 目 胸――



 意味のない単語が脳裏に次々と浮かんでは消えてくる。

 
 先輩を視界に入れるだけで、急に文字が頭に浮かんでくるのだ。

 なんだこれは?
 
 思考が羅列された単語におかされていくような感覚に恐怖を覚える。



「すみません。気分が悪いので帰ります」


 彼女の制止も聞かずにぼくは、街をあとにした。

 だが、先輩とわかれて五分もしないうちにぼくは気づく。

 脳に文字が浮かぶような感覚が消え失せていることに。
 だが、今さら先輩のところへ戻ろうという気にもなれなかった。


 結局この日は家に帰って、なにもせずに一日を終わらせた。






 小説を読んでいると、時々感心することがある。
 単純にひとつの物語を書き上げているということに、だったり。
 あるいは、卓越した表現や比喩に、だったり。


 だが一方でこうも思う。

 特に描写が細かい小説なんかを見ていると。


 いちいち物事をそこまで文字に起こす必要があるのか、と。


 そんなに文字を並べられると――疲れるじゃないか。



 先輩と映画を見に行った次の日。
 ぼくは学校にいた。
 昨日のような現象はあれから起きていない。

 もしかしたら、あのときのぼくは本当に体調が悪かったのかもしれない。


 昼休みにそんなことを考えつつ、ぼくは購買に向かっていた。



つづく

さいかい



「ねえ、ちょっと」

 そんな声とともに背後から肩に手を置かれて、ぼくは立ち止まった。
 振り返るまでもなく、声の主が誰かはわかった。


「先輩……」

「センパイ、じゃないってば」


 振り返ると、ふてくされたような顔をした先輩が唇をとがらす。
 一瞬ぼくは身構えてしまった。

「なんで昨日帰っちゃったのよ。しかも勝手に」

「……本当にすみません。昨日は体調が…………」


 言葉が続かなかった。まただ。また、あの感覚。
 突然どこからともなく文字が頭の中に浮かび上がってくる。
 頭痛のようなものがして、ぼくは頭をおさえた。



「……っ!」

「どうしたの……ちょっと、しっかりして……!」

 彼女の手がぼくのからだのどこかに触れた。
 そして、それがまるで合図だったかのように、さらに大量の文字が思考を埋め尽くす。


――■ 手、柔 まつ毛―― 声、なめらか…… 爪、血管、しろ――髪、目――


 大量の文字が頭にのしかかってくるような恐ろしい感覚。
 ぼくは思わず床に膝をついていた。

「ちょっと待ってて! 先生呼んでくるから……!」

 どこかへ行こうとする彼女の手をぼくは反射的につかんでいた。
 なぜそうしたのかはわからない。



  ――しっと、り 爪……冷■い ―― 声 澄んだ ……細い●手首……汗ばん ――


「……だ、だい、じょうぶ……です……っ」

なんとか声を絞り出す。

「顔色真っ青なくせになに言ってんの。無理しなくていいから」

「いえ……本当に大丈夫ですから」


 浮かんでは沈んでいく文字たち。
 だが、それが単なる文字の羅列から、文章へと形を変えかけていることにぼくは気づいた。
 ぼくはなんとか立ち上がって、廊下の壁にからだを預ける。
 そうしている間にも浮かび上がってくる文字を言葉へ、文章へ、と変化させていく。


「貧血かなにか? それとも本当に体調不良?」

「いえ……」


 文字を文章へと変えていくうちに、ぼくは気づいた。
 脳みそに溢れてくる文字がいったいなにを意味するのかを。



―― なで肩■ なだ ●かな曲線を ――唇 丸みを帯びた顎の…… どこか甘い匂い――



 この文字は彼女だ。
 ぼく個人の彼女のイメージがそのまま文字となって現れているのだ。


「……少し落ち着いてきました」

「ちょっと顔色よくなったね」

「ええ、そうですね」


 どういうわけか唇がゆるむ。
 それどころか、全身の血が忙しくなくめぐっていくように、からだが熱くなる。
 ある種の高揚感が、からだを支配していく。


「……もう大丈夫みたいです」


「保健室とか行かなくていい?」



「むしろ今は気分がいいですよ」

「なんなの? 気分が悪くなったりよくなったり……」


 戸惑っている先輩の瞳をぼくは無意識に覗きこんでいた。

 彼女の黒い瞳にはぼくが映っている。
 ぼくの目にも彼女が映っているのだろうか?


「な、なに?」

「……いいえ。それよりお昼、まだですよね?」

「そうだけど」



「昨日のお詫びというわけではないんですが、よかったら奢らせてください」


 相変わらず戸惑っている先輩の返事も聞かずにぼくは、彼女の手首をつかんだ。
 手のひらに彼女の肌の感触が伝わって来ると、また文字が溢れてきてぼくにのしかかる。
 一瞬だけ足もとが頼りなくなる。


「……今、一瞬ふらつかなかった?」

「いえ……気のせいでしょう」


 だが、それはぼくが望んだものだった。
 溢れてくる文字を理路整然たる文章へと変えていく。



 それはぼくにとって、すでにどうしようもない快楽になっていた。






「……ふぅ」


 打鍵する指が止まる。ぼくは酷使しすぎた目を軽く揉んだ。

 ぼくはひたすら先輩について書いていた。描いていた。


 自分でもどうしてこんなことをしているのか、明確な理由はわからない。
 そもそも、どうして先輩を見るたびに文字が次々と出てくるのかが理解できない。
 先輩の仕草や肌の感触、それらひとつひとつがぼくの脳に文字を生んでいくのだ。


 もうひとつわからないことがある。

 ほかの人を見てもまったくこの現象は起こらないのだ。


 先輩だけが文字でぼくをおかすのだ。狂わせるのだ。


 この三日間。
 ぼくはひたすら先輩と交流し、彼女におかされながら描写をしてきた。



 やめられないのだ。


 浮かんでくる文字を文章へと変換していくという行為が。

 ぼくはそれにとりつかれてしまっていた。

 同時にぼくは自分自身に恐怖を覚えていた。
 たとえば。彼女がお茶を飲んだとする。その彼女の喉が蠕動する様子。
 それが目に入ってくるだけで、ぼくの脳は文字で溢れかえる。


 いや、これだけならまだいいのかもしれない。


 あの現象に見舞われてから四日目の今日。
 ぼくは服の下に隠された彼女の肉体がどうなっているのか、気になってしかたがないのだ。


 性欲、だったらまだいいだろう。むしろ健全だ。
 だが、ぼくが求めているのは――



「彼女にはもう近づかないほうがいいのかもしれない」

 口に出してそう言ってみる。

 声はあまりにも虚しく響いた。

 いつかこの欲望によって道を踏み外す。

 そんな暗い予感が胸の奥でうごめいている。

 不意に携帯電話が鳴る。
 電話を開く。
 電話の相手は。




 先輩だった。



「もしもし」

 気づいたときにはぼくは電話に出ていた。手が震える。

『あ、もしもし。急に電話ごめんね』

 今すぐに電話の電源を落としたほうがいい。
 理性がそう告げている。
 だが、一瞬でそんな理性は失せていた。


『今時間ある?』


 先輩の声が電話越しからぼくの鼓膜を震わせて、脳へと浸透していく。
 そしてそれは一瞬で文字へと変わっていく。
 声でさえ、彼女はぼくの脳に文字を産み落としてく。

『明日って休日でしょ?』




――明日、うちに来ない?


電話越しから聞こえた声は、たしかにそう言った。






「さっ、狭いとこだけど入って」

 1Kの小さなアパートの一階の一角が先輩の部屋だった。

「わざわざ言わなくてもわかると思うけど、正面の扉に入ってね」

「……」

「どうしたの?」

 ぼくはドアノブに手をかけかけて、やめた。
 無意識に奇妙な言い訳が口から出てくる。

「女性の部屋に入るのは初めてでして……少々作法がわからなくて」

「作法ってなに?」

「なんでしょうね?」

「やっぱりキミって変だね……まあ知ってたけど」


 彼女は笑うと、結局自分の部屋の扉を自分で開けた。



 背中を打つ髪から甘い匂いがする。また、文字が浮かぶ。

 彼女の部屋へと入る。だが、ぼくは彼女の部屋などどうでもよかった。
 それよりも、彼女の存在そのものが一番重要なのだ。


「……先輩はどうして一人暮らしをしてるんですか?」

「うーん、まあちょっと色々とね。めんどくさい話だけど聞く?」

「ええ」

 興味があったわけではなかった。
 だが、彼女が一人暮らしをしている理由を聞くことに、必要性を感じていた。

 それからゆっくりと先輩とが語りだす。


 正直に言えば、ほとんどの内容は頭に入ってこなかった。
 彼女の声をかき消すようにぼくの心臓は脈打っていた。



 ああ……危険だ。


 どこかで理性が必死に叫んでいる。
 今すぐこの家を出ろとぼくにうったえている。

 今日は溢れてくる文字の量が、特に多いのだ。
 文字が全身を流れる血に溶けて、ぼくの理性を削ぎ落としていく。
 得体の知れない欲望が、頭をもたげる。


 溢れる文字が内側から、ぼくという人間を破壊しようとしていた。

 なにがこの四日間とちがうのか。

 ふたりっきりという状況がぼくをさらにおかしくしている?


「それじゃ、約束どおり手料理を食べさせてあげるね」

 彼女が腰かけていたベッドから立ち上がる。
 その動作とともにふわりと髪が揺れる。甘い香りが鼻をくすぐる。



「あっ……」


 どうして、ここまでぼくがおかしくなっているのか、理解した。


 この部屋には、彼女の香りが蔓延している。
 彼女のにおいが澱のように堆積している。


「ど、どうしたの……?」

 先輩の声は少しだけ怯えていた。初めて見る表情だった。


――やめろ。


「手をつかまれても……その、困っちゃうだけど……」

 震える唇。少しだけ普段より開いた双眸。


――その手をはなせ。今すぐに。


 ぼくは彼女をベッドに押し倒していた。



 鈍い音。先輩の肩は明らかにこわばっていた。
 ぼくの知らなかった彼女が、ぼくの脳に新たな文字を植えつけていく。


「あっ――」


 恐怖からか。あるいは背中の衝撃からか。
 白い喉から絞り出したような細い声。


 今までとは比べ物にならないほどの文字が、ぼくの全身へと流れてくる。
 大量の文字がのしかかってくるような未知の感覚。



 文字に押しつぶされた理性の断末魔が、聞こえた気がした。



 気づいたときには、ぼくの手は彼女の喉を締めつけていた。



 彼女の手が抵抗するように、ぼくの腕をつかむ。

 驚愕に見開かれた目は、恐怖に血走っていた。

 だが、それでもぼくの指にこめられた力は強くなっていく一方だった。



 文字はさらに溢れてくる。



 骨のようなものが折れる感触が伝わってきた。
 
 仰け反った喉の奥から奇怪な音が漏れ出ると、もがくように動いていた足の動きが止まった。

 目を開かれたまま彼女は死んだ。


 ぼくの腕は彼女の爪によって血だらけになっていた。

>>229「目を開かれたまま」、ではなく「目を開いたまま」で



 どれぐらい時間が経っただろうか。
 全身をめぐる文字を、文章に組み立てる作業は、恐ろしいほどの時間を要した。


 ぼくは生まれたままの姿になって横たわっている先輩を見た。
 すでに肌からはぬくもりが失せ、肌は色素が抜けるように青白くなっていた。
 文字の快感によって酔いしれていた脳が、理性を取り戻しつつあった。


 不思議なことに彼女を殺したということに、恐怖や良心の呵責を覚えることはなかった。


 ぼくは彼女の顔を見下ろした。
 見開かれたままの目は青い静脈が浮かんでいた。


 心地の良い満足感が胸を満たしていく。


 しかし、その一方でなにかが足りない、と本能がぼくにうったえていた。
 だが、なにが足りないのかはわからなかった。



「今までありがとうございました、先輩」


 ぼくはせめて彼女の目だけでも閉じといてあげようと、ベッドに膝をついた。

 身を乗り出して、彼女の目へと手を伸ばしかけて、その手が止まってしまう。 


 眼球が少しだけ飛び出ていた。首を絞めたせいだろうか?


 なぜか彼女の目に強く惹かれた。
 ぼくはさらに身を乗り出して彼女の目を覗きこむ。


 恐怖によって見開かれた彼女の目。


 その瞳は完全に濁りきっていて、なにも映さなかった。






 ぼくは購買へと向かっていた。
 先輩の死体はいつ発見されるだろうか。ふと、そんなことを考える。
 だが、どうでもよかった。

 
 もはやぼくに快感の文字をくれる先輩はいないのだ。


 いや、あの文字をぼくへ植えつけてくれる人類など――


「これ、落としたよ」



 ふと、背後からの声がぼくを引きとめた。
 振り返ると、ぼくのハンカチを持った女子生徒が微笑んでいた。


 不意に頭蓋を圧迫するような感覚に襲われる。
 脳が熱に浮かされるような感覚。



 この感覚は――


「え? ちょっと、急にどうしたの?」

 気づいたときにはぼくは膝をついていた。
 頭に浮かんでくる『それ』は求めていたもの。

 苦痛と快楽の狭間に放りこまれたような感覚に、心臓の鼓動が激しくなる。

 ぼくはゆっくりと立ち上がった。

「なに、体調悪いの?」

「いいえ、大丈夫です。それより」

顔をあげる。そしてその少女の顔をじっくりと観察する。
ぼくは言った。


「――よろしかったら、一緒に食事をしませんか?」



ぼくの中で文字がまたひとつ、浮かび上がった。







女「やだあ、この話なんだか怖いですよお」

男「まあ、そうかもしれないですね」

女「でもすごい作家さんとかだと、少しは近い状態にはなるかもしれませんね」

男「なにかを経験したり見たりするたびに文章を考えてしまう……っていうのはあるかもしれませんね」

女「もう一種の職業病ですね、そこまでいくと」

男「ええ。きっとつらいでしょうね」

女「ところで、先輩。肝心なことを忘れてませんか?」

男「メモリのことでしょう? 忘れていませんよ」

女「あ、きちんと覚えてるんですね」



女「ところで先輩の探してるUSBメモリにはなにが入ってるんですか?」

男「さあ?」

女「実は今の話が実話で、先輩の探しているメモリには……なんて考えたら少し面白いですよね」

男「……キミは疑問には思いませんでしたか?」

女「なにがですか?」

男「いくら慌てていたとはいえ、USBメモリを体育館倉庫に落とすでしょうか?」

女「まあ、普通の人だったらそもそもこんなところに持ってこないでしょうね」

男「そして……今は夕方ですね。学校がないことぐらい、朝に学校に来た時点で気づきますよね?」

女「はい。だから気になってました。なんで夕方にわたしを呼び出したのかなって
  先輩は早くメモリを探さないといけない、みたいな雰囲気でしたし」



男「これはキミも知ってのとおりですが。
  どうしてぼくが懇意にしていた女性は、ぼくの前から消えてしまうのでしょう?」

女「先輩が変人だってことに気づいたからじゃないですか?」

男「変人……そうですね。やっぱりぼくはキミの言うとおり変人なのでしょう」

女「なにを今さらって感じですよ」

男「今した話、実はこれ、ぼくの実話なんですよ」

女「……え?」

男「そして、あのメモリに入ってるのは――キミの予想どおりです」





男「ぼくが殺してきた女の子について、綴った文章が大量に入ってるんですよ」



最終話




 頭の中で文字が渦巻いている。

 

 わずかに開いた鉄扉の隙間から、差し込んだ夕日が少女の顔を赤く照らす。
 目の前の後輩が呆然として、ぼくを見る。


「聞こえませんでしたか? ぼくの言葉が」 

 ぼくは彼女へと一歩踏み出す。
 この狭い体育館倉庫では逃げ出そうとしても、まず不可能だ。


 ズボンのポケットに隠してあるナイフの感触が、少しだけぼくの興奮をおさえつける。  
 


「キミもそうだったんです。ぼくに文字の快楽をくれるひとりだった」



第一話「首だけ少女」>>1-60

第二話「自殺少女」>>69-96

第三話「交差点少女」>>104-189

第四話「文字少女」>>200-237

最終話「●●●少女」>>240-


つづく


本日でこのssは終わらせる予定です
ここまで見てくださった皆様ありがとうございます

休憩します


うわああああああああああ

誰がこんな展開になると予想した!?

続き!続きはよ!!


はよ!

第四話はちょっと共感できるとこあったなとか思ってたらこの展開ですわ
変人どころじゃないよ男!


最期のさいかい







 この後輩との出会いはごく平凡なものだった。

 特筆すべきことなどなにもない。

 ただ彼女を初めて見たとき、また頭が熱くなった。
 全身の血が沸騰するような衝撃。


 迷わずに声をかけようと思った。だが、



『すみません。ちょっといいですか?』



 声をかけようとしたら、逆に声をかけられた。
 

 無邪気な微笑みは今も目に焼きついている。



「本当だったらぼくもこんなことはしたくないんですけどね」


 この言葉は本心だった。
 誰が人殺しなんてしたいと思うだろうか。

 だが、頭に浮かぶ文字を文章として消化していく。
 この快感に抗うことなどできない。
 
 極上の料理を咀嚼して嚥下していくのと似たような幸福感――いや、そんな生ぬるいものではないが。


 後輩は意外なことに、表情ひとつ変えずにぼくを見ていた。
 夕日の光を吸い込んだ黒い瞳は、いっそ穏やかとさえ言えた。


 最初のころに比べれば、頭に文字が浮かんできても、ある程度は耐えられるようになっていた。
 それでも。嵐の夜の波のように、ぼくの感情は昂ぶっていた。


 ずっと我慢してきたが、もう限界だ。



「なんとなく先輩はヤバイことしてるんだろなあ、って思ってました」


 信じられないことに、彼女はごく自然に歩み寄ってくる。
 自分の話を冗談だとでも思っているのだろうか。

 無意識にナイフを取り出していた。

 陽光を浴びて、ナイフが鈍く光る。


 しかし、後輩はナイフを目にしても微動だにしない。
 彼女の微笑みはわずかたりとも崩れなかった。

 気づけば、ぼくと彼女の距離はほとんどなくなっていた。


「先輩はわたしを殺したいんですか?」

「ちがいます。殺したいわけじゃありません」

「わたしを見ていると文字が勝手に文字が浮かんでくる……だから、ですか?」



「そうです。その浮かんでくる文字を文章にする。
 キミには理解できないでしょうね。溢れてくる文字を文章にする快感は」

「はい。残念なことに」


 後輩は目を伏せる。
 長いまつげの下の瞳は少しだけ潤んでいるようにも見えた。


「でも、その見ると文字が浮かんでくるって人は、そんなにはいないんですよね?」

「……そうですよ」

 なぜだろうか。熱に浮かされるような感覚が停滞していく。

「つまり。わたしは先輩にとって特別ってことですよね?」


 後輩の声は平時のそれとなんら変わりがなかった。
 だが、なにかがちがう。
 彼女の声は毒のようにゆっくりとぼくの脳へ染み込んでいく。


 なぜか、ぼくは身動きひとつとれなかった。



「先輩にとってわたしが特別だって言うなら、殺されてあげてもいいかなって思ったんですよ」


 かすかな空気の動きを感じた。
 フルーティーな香りが鼻をかすめる。
 いつの間にか、後輩はぼくを横切って体育館倉庫の扉に手をかけていた。

 
 錆びついた鉄扉が、音を立てて開かれる。


「どこへ行く気ですか?」


 ようやくその音でぼくは動くことができた。
 開いた扉から入ってくる夕日の眩しさに一瞬だけ目を閉じかける。
 それでもぼくは彼女の背中にナイフを突きつけた。


「安心してください。わたしはどこにも行きませんから」

 相変わらず文字は脳内をひしめいている。
 だが、普段となにかが異なっている。

 地中に眠っていた虫が、土を掘って這い上がって出てくるような――



 冷たい指の感触がナイフをもつぼくの手に触れていた。

「本当にわたしを殺す必要はありますか?」

「……ありますよ。そうでなければ、キミのすべてを描写できませんからね」

「いいですよ。先輩に、なら……」


 彼女がなにを言っているのか、理解できなかった。
 細い指先がぼくのそれへと絡みついてくる。背筋が震える。
 ナイフが手からはなれて、地面に落ちる。

 かわいた音が倉庫に響いた。

「死なない程度に、だったらどんなことでもさせてあげます」

 白い指がそのままぼくの手を、彼女の胸へと導く。
 柔らかい感触が手のひらに伝わる。
 心音が、ぼくの手のひらを伝って文字へと変わっていく。


 だが、今のぼくの脳内を占めるのは大きな疑問だった。

「もちろん、えっちなこともさせてあげますよ」


 後輩の赤い舌が小さな唇からのぞく。



「先輩に殺された人たちでは決してできなかったこと。わたしがさせてあげます」


 赤い夕焼けのまぶしさが、後輩に隅のような影を落とす。
 無邪気な少女は、夕焼けを浴びて得体の知れない影へと変貌していた。
 だが、目の前の少女が微笑んでいることは、容易に想像がついた。


「どうしてですか?」


 言葉が口をつく。聞かずにはいられなかった

「……キミはぼくが人殺しだと理解しているんですよね?」

「はい。カンペキにわかってますよ」

「だったらどうして……」

「好きだからです。先輩のことが」


 傾いていく夕日が、ぼくの疑問を一層濃くしていく。



「好き、ってなんでぼくなんかを……」

「ずっと言ってきたじゃないですか。先輩のことが大好きだって」

「たしかにそう言ってましたが……」

 話せば話すほど疑問は膨らんでいく。頭が痛い。

「それに、生きていないと見られない文字があるかもしれませんよ」

「……生きていないと見られない」

 ぼくは無意識に彼女の言葉を繰り返していた。

「それに、このまま殺しを繰り返していったら、どうなるかわかりますよね?」

「……」

「休日の学校に呼び出したり、服の替えを用意したりなど準備はしてるみたいですけど」


 いずれは破綻しますよね。彼女の声が明るく響く。


「わたしの予想では、先輩は現在、三人の女子生徒を殺しています」

「なんでそれを……」


 ぼくの指に後輩は自分の両手のそれを絡める。
 柔らかな乳房に触れていたぼくの手を、彼女は自分の口もとへと運んでいく。
 湿った吐息がぼくの指にかかる。

「ずっと見ていましたから」

 目だけが独自の意思を持ったかのようにギョロっと動く。


「先輩のことを、ずっと。誰よりも」


 そうだ。そもそもおかしいのだ。
 近づいた女性たちは、最終的には殺さなければならなかった。
 だから、当然接触には気をつかっていた。


『でも先輩が女の子と歩いてるのを最近見ましたよ』

『――この前も、またわたしの知らない女の子といましたよね』


 だが、目の前の後輩にはことごとく見られていた。



 驚きがそのまま顔に出たのかもしれない。
 後輩は嬉しそうに笑った。


「ただ、先輩の手にかかるはずだった『本来の四人目』の人は、途中で先輩の前から消えた」


 それも正解だった。だが、なぜそんなことがわかる?


「わたし、先輩に近づく人が許せないんですよね」

 なんの脈絡もなく彼女が言った。
 ぼくの手に絡む指の力が強くなる。


 ふと、その痛みがずっと気になっていた後輩の言葉をぼくに思い出させた。



 三つ目の話を終えたあと、交差点で後輩はこんなことを言っていた。



『そんなんだから、仲良くしてる女の子が愛想つかしたり、学校に来なくなったりするんですよ』



 なぜそんなことが言えた? 
 どうしてそんなことを知っていた?

 後輩の言葉を聞いて、実際に調べた。
 次の獲物となるはずの女子生徒は、たしかに学校に来なくなったそうだ。

「……キミはぼくのことが好きなんですか?」

 後輩は目だけで笑うと、うなずいてみせた。

「はい。世界中の誰よりも」

「どうしてですか?」

「好きになるのに理由が必要ですか?」


 ぼくは少しだけ迷ってから肯定した。



 その疑問は胸の内側で大きなしこりとなっている。


「人を好きになる理由なんてどうでもいいことですけどね。わたしからしたら」


 でも。と、少女の手がぼくの頬を両手で包みこむ。
 彼女の頬はわずかに赤くなっていた。
 暗がりでも後輩の喉が、大きく動いたのがわかる。

 明るいところであれば、血管の動きや、鎖骨の陰影の形が変わる瞬間だって見られただろう。


「でも、そんなに気になるなら探ってください。探してください」

「探る……」

「はい。わたしのこころを探って探して、そして――それも文字にして文章にすればいい」


 唐突にぼくは理解した。



 先輩を殺して、ぼくは彼女のからだを徹底的に調べた。
 ありとあらゆる部分に触れた。

 そうしたことで脳に文字を溢れさせ、それを文章へと変えることで、快楽を得た。

 だが、決定的ななにかが欠けていると思った。

 そしてそれは殺人を繰り返して、今に至っても答えはわかっていなかった。



 だが、ぼくは今それがなんなのかを理解した。

 文字の出現が、火山の噴火のごとく活発になる。
 脳神経が焼けてしまうのではないか。
 今までで一番の衝撃だった。


 不意に後輩がぼくの手を強く引っ張る。
 薄暗い体育館倉庫から、赤色に染まったグラウンドへとぼくらは躍り出た。



 後輩はぼくから手をはなす。指先のぬくもりが恋しいと思った。

 後輩はくるり、と一回転した。
 風を孕んだ髪が甘い香りともに舞う。


 不気味なシルエットだった彼女は、赤い夕日を浴びて無邪気な少女へと戻っていた。


 少女は少し存在する場所を変えただけで、別人になっていた。


 ぼくは悟った。
 この少女を殺すことはできない、と。


 頬を夕焼けに染めた後輩は、ぼくに向かって手を伸ばした。


「さっ、今日は帰りましょう。それともなんならここで……」

 ぼくは首を横に振った。
 後輩は残念そうに唇をとがらせる。



 ぼくは意識とは無関係に彼女の目を見ていた。
 彼女の瞳にはなんとも言えない表情をしたぼくが映っている。


「キミは……なんなんですか?」


 曖昧な質問が口から出る。それに対して答えた声は弾んでいた。


「わたしは先輩が大好きな――」


 後輩はにっこりと天使のような笑顔を浮かべた。




「『恋する少女』です」




最終話「恋する少女」 おわり





第一話「首だけ少女」>>1-60

第二話「自殺少女」>>69-96

第三話「交差点少女」>>104-189

第四話「文字少女」>>200-237

最終話「恋する少女」>>240-259


ここまで読んでくださった方ありがとうございました!

これにて男「せっかくだし不思議な話をしましょう」はおしまいです。

>>1乙!
やべええええええ
ss読んで鳥肌立つとか初めてだwwwww

よかったら挙げれた過去作以外もあったら教えて!

乙!
面白かった!


感想ありがとうございます

過去作けっこうあるんで今年まとめられたものだけ

女「強制的にヒロインにされてしまった」
勇者「パーティ組んで冒険とか今はしないのかあ」
娘「パパがウ●コしたあとのトイレは死んでも入りたくない」

です。
よかったらどの話が一番面白かったかおしえてください

サンクス!
女「強制的にヒロインにされてしまった」って>>1が書いたのか
普通に読んだことあったわ
個人的には三話のイイ話からの怖い真実みたいなのが一番よかった

とにかく乙!

読んだことはないと思うけど
最後のスレタイがひどすぎて笑ったwww

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年01月21日 (火) 23:46:36   ID: 26FU2s9P

「交差点少女」のアオイは心中をしようとしてたんですかね?

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