「西洋剣と西洋甲冑を装備」>>>>>「日本刀と日本甲冑を装備」 (418)

西洋剣は日本刀より扱いやすい(鈍器としても有能)
西洋甲冑は日本甲冑より防御力が高い(日本甲冑は露出部分が多いから例えばレイピアで突かれたら終わり)
しかも西洋スタイルは日本スタイルと違って片手剣プラス盾って形式もあるしな

西洋剣は都合に応じて鈍器になったりレイピアになったりするんだな
そりゃ強いわ

こんな実験もあるな


西洋の全身鎧はあまり役に立たなかった可能性が初めて実験で証明される
http://dailynewsagency.com/2011/08/09/metal-armor-fail/

>リーズ大学の研究者グループが今回発表した内容は、全身を覆うプレートアーマーの
防御力ではなく、それを来た兵士の運動生理に関するもの。実験は甲冑を着た男性に
ランニングマシーンの上で運動させ、酸素消費量を計測するというスポーツでは一般的な方法で行なわれました。

15世紀によく用いられたプレートアーマーは重さが30kgから50kgにもなりますが、この重さが
全身にかかるため腕や足が振りにくくなり、同じ重さの荷物を運ぶより2倍のカロリーを消費します。

また、肋骨にかかる重量によって深く息をすうのが難しくなるため、さらに疲労しやすいという結果も
実験によって明らかになりました。

その一方で刀剣が現実的な武器だった時代の日本刀の評価を見てみましょう


茅元儀 『武備志』
日本の刀は剛利で中国のものはそれに及ばない。


アビラ・ヒロン 『日本王国記』
繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された
鋼鉄で作った残忍極まる鋭利な武器を使用する。


アーノルダス・モンタヌス 『日本誌』
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。


ゴロヴニン 『日本幽囚記』
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。


メイラン 『日本』
日本刀のすぐれていることは十分一般に知れ渡っているので、私が特別にそれについて話すまでもないことであろう。


チェンバレン 『日本事物誌』
日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。

基本的に戦場のエースって槍じゃね?
日本甲冑で日本刀使わなきゃいけない状態って基本的にもう負けてね?

西洋甲冑は重すぎて馬から落ちるとほぼ死が確定するんだけどな

>>18
ねーよ
現代人でも普通に起き上がれる

>>17
家康存命時に本人の命令で描かせた関が原合戦図屏風では
その場の東軍の戦闘員ほぼ全員が抜刀して走ってるところもあるんですが
これはもう負けちゃった状態なんでしょうかね?
http://livedoor.blogimg.jp/karukan123/imgs/6/7/67aee8d1.jpg

古代最強は海の民で異論は無いよな

>>24
まず>>1の文体的に西洋甲冑ってプレートアーマーの事でええよね?
全部で40kg程度あんのにそんなすいすい動けるもんなん?
俺起き上がれる気しないんだけど

>>30
なんであいつら鉄器持ってたの?

>>24
重さ以上にこのスタミナの浪費のすごさで動けなくなったりしてなw


西洋の全身鎧はあまり役に立たなかった可能性が初めて実験で証明される
http://dailynewsagency.com/2011/08/09/metal-armor-fail/

>リーズ大学の研究者グループが今回発表した内容は、全身を覆うプレートアーマーの
防御力ではなく、それを来た兵士の運動生理に関するもの。実験は甲冑を着た男性に
ランニングマシーンの上で運動させ、酸素消費量を計測するというスポーツでは一般的な方法で行なわれました。

15世紀によく用いられたプレートアーマーは重さが30kgから50kgにもなりますが、この重さが
全身にかかるため腕や足が振りにくくなり、同じ重さの荷物を運ぶより2倍のカロリーを消費します。

また、肋骨にかかる重量によって深く息をすうのが難しくなるため、さらに疲労しやすいという結果も
実験によって明らかになりました。

>>31
重さが分散されるのでそこそこ動けるこた動けたみたいだね

日本の夏なんか騎士は西洋甲冑でどれだけ動き回れるのかな?

>>36
まぁプレートアーマーは高いから動けるかどうかは置いておいても
馬に乗れるような身分の人じゃなきゃ買うのが難しいんじゃなかったっけ
個人的には馬ありきだと思うよ

>>36
これは本当
というか実際の戦闘でずっと動き回って暴れてたわけではない
フル装備だとせいぜい十分くらいしか激しい運動を「続ける」のが無理ってことであって
それで「役に立たない」と評するのはトンチンカンだな

プレートアーマー来てるのは貴族で指揮官なんだろ?
最前線に出て徒歩で闘ってたわけじゃないでしょ
または騎馬隊

そもそも日本の武士だって何時間も続く合戦の間中ずっと激しく動き回ってたわけないし…

>>47
中世の指揮官は脳筋ばかりなので
馬に乗って最前線に出てたのが殆どれす

ローマ時代よりも戦術が退化してたらしい

>>47
プレートアーマー着てた騎士は指揮などしない
自分が突っ込んで暴れまわるだけ、王ですらそいつらをコントロールできなかった

日本甲冑もかなり種類あるけどどれになるの?
後期の当世具足なら30kg近くあるよ

>>49
具体的に日本の武士はどれくらい動けたの?
あと気になるのは>>43でいう十分って数字はどこから出てきたの?
ソース見ても書いてないんだけどさ

>>25
全体の簡単な流れ知りたいです。
世界史は60でいいんです…
国語で180~取ればプラマイ0なので…

>>53
俺の愚息も30CMぐらいあるし……

>>55
国語で180取るより世界史で80国語で160の方が簡単だとなぜ気づかないのか
こりゃ見栄だけ一人前で散々なタイプだわ

>>53
最重量クラスの直政の甲冑でさえ25キロ以下なのにその30キロの当世具足って
具体的にいうとどの甲冑よ?

>>50
中世の戦争って馴れ合いしまくりとかも聞くしな

>>54
なんかの本でそう書いてあるのを見たはずだがどの本かはわからん、すまんな
でも普通に考えて気密性の高い鎧を着て何十分も激しく動き回れたはずがないのは明白だろ

>>59
そもそも騎士道が既に馴れ合いと取れなくもないしそれを言ったら終わりじゃね?

>>60
なんだよそのいい加減すぎる答え
回答になってねえしそんなうろ覚えの知識を偉そうに出してきただけだったのかよ
失望したわ

弾丸すら斬る日本刀最強wwwwwwwwドゥェーーホルホルホルホルホル
とかやってるのを見るとほほえましい

>>50>>52
プレートアーマー着てる時代は大分変わってきてたと思うが

お前ら
>>1はもう居ないぞ

武士「我は~~也。いざ尋常に…」

元寇「オラァァァァォァァッッッ!」

武士「チョッ、マッ、ぬわあああああ」

取り方によっちゃこれも充分慣れあいだよな

>>65
あ、日本の武士のところの回答は知らね
逆になんで何時間も全力で暴れ回ってたと思うのよ?
そんなの裸でも無理に決まってるだろ
コピペ貼ってドヤ顔の君に言われてもね

>>66
そのホルホルって言葉を生み出した国だと下級品の倭刀でも
ありがたーい「軍国の重器」だったそうな

「朝鮮王朝実録」1487年 5月 15日
“軍器寺藏倭刀雖下品, 甚鋭利, 實軍國重器, 輕易和賣未便。”
「軍器寺(武器庫)に保管してある倭刀はどんなに下級品でもとても鋭利だから、真に軍国の重器なのに、簡単に売ってしまうのは不都合です」

>>71
そりゃ>>1はもうまとめる仕事に入ってるからな
お前らも養分になる覚悟で来てんだろ?

くっせ
>>1が建て逃げしたらまとめ
全レスしたらまとめ

アホか

仮にフルプレートアーマーがハンディだったとしても
血気盛んな西洋人に黄猿が勝てるわけないけどな

>>84
そりゃ彼らの手口だもん
学習しないvipperが悪いだろ
まあ、かつての面白くて頭の切れるやつらは
なんJとか行っちゃったしな

>>88
なんjに幻想見すぎ

>>88
これはくっさと言わざるを得ない

おい、話が逸れてるぞ
今は海の民と中央アジアの騎馬遊牧民とどっちが強いかって話だろ

>>87
そうだね
血気盛んな西洋人から見れば日本人なんてこんなだったしね


ヴァリニャーノ 『東インド巡察記』
・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。

・日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が
実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。

>>93
ヒッタイトがさいつよ

日本刀も鈍器だぞ

誤解してるやつがいるがプレートアーマーが出てきたのはほぼ中世も後期になってからだぞ
特に多くの奴らが思い浮かべているであろうマクシミリアン式甲冑ともなると完全に近世
当たり前だが中世でも後の時代になるほど戦術も発展してきている

脳筋の騎士様が真っ先に突撃していくのは中世盛期であり時代が違う
そのころは鎖帷子の全盛期だった

『バタヴィア城日誌』
ここにおいて彼等(日本人)は咆哮するライオンのごとく、彼(長官)に跳び懸り、
頭を押え手足を縛し、長き布をもって頚を巻き、もし声を発すれば
直ちに首を斬るべしと脅したり。商務員ヤコブ・ホーマンは、事の
起こる前のその室を出で、長官に尋ぬべき事ありて立戻りしが、
この騒ぎを聞きて引き返し、兵士に対かい、長官殺されんとするがゆえに
武器を取るべしと叫びたり。これによりてはじめて大騒擾を起こし、
広間の外に在りし日本人数人もまたこの事を聞き、剣を抜きて
広間またはその付近を守りし兵士を襲いたり。彼等は不意を襲われ、
かつ銃器を有せざりしがゆえに、まず逃げたり。よってその辺には、
日本人に敵する者一人もなかりき。



西洋人は血気盛んだから少数の黄猿が日本刀で暴れただけで逃亡しちゃいましたね

武士の強さは100年戦い続けた戦国時代がピークだろうからな
実践経験が失われていく江戸以降は言うほどじゃないだろう

>>102
なぜ文語訳なのか

>>99
むしろ反りのある刀のほうが衝撃力が強いのにな
まっすぐなロングソードなんて殴打や斬撃にはそこまで向いた構造でもないのに
このイメージはどこから来てんだろう

>>105
自尊心をくすぐる効果が望めるんだろう

>>79
日本の甲冑は複合素材だよ
皮革、木板、薄い鉄などを張り合わせて作られてる
日本の戦場に合わせて進化した道具だから余り他国と比べても意味が無いんだけど…

>>106
重量の問題じゃないかね?

>>109
革小札と鉄小札はともかく木板を使ってる甲冑ってのは具体的にいうとどの遺物のことよ?

>>110
重量も極端には変わらんよ

30kgのダンベル持って走ってみたけど案外いけるな
動きやすさはどっちが優れてるんだろ

>>113
ちなみに普通にその30キロの重さを運ぶよりも2倍のカロリーを消費するそうな

西洋の全身鎧はあまり役に立たなかった可能性が初めて実験で証明される
http://dailynewsagency.com/2011/08/09/metal-armor-fail/

>15世紀によく用いられたプレートアーマーは重さが30kgから50kgにもなりますが、この重さが
全身にかかるため腕や足が振りにくくなり、同じ重さの荷物を運ぶより2倍のカロリーを消費します。

中の人がフルプレートで十分動ける超人なら甲冑
そうじゃないなら戦うまでもなく日本刀
って感じじゃないの

そもそも日本の鎧も実用的ではないっての定説じゃないの

>>122
実用性で言えば古代ローマ辺りの重装辺りが一番実用的なのかね

鎧は西洋プレートの方が優れてただろ
でなきゃ信長も家康も装備しねーよ

どっちも火縄銃で死ぬから動ける分日本鎧が有利

例えばこれはエドワード黒太子の棺に付いてる像
http://kgehr.tripod.com/bp/bp11.jpg

この頃でも鎖帷子を覆う形で板金が一部に使われてるに過ぎずフルプレートでもなんでもないことがわかる
ちなみに黒太子は1330年生まれの人物だ

>>125
信長の西洋プレートって何の話?
ゲームの話か?

>>118
フルプレートで機敏に動き回れる超人なら、鉄柱でも抱えてぶん回してたほうが強いんじゃね

>>128
えっ

>>129
確かにそんな超人ならフルプレート着ないで軽装で重武器使った方が良いさげだな

>>128
信長の西洋鎧(部分的)は有名だろ

>>126
鉄砲の普及で全身鎧は役立たずの鉄くずに成り下がったけど耐弾性を高めた
胸甲が登場したからな
それが輸出されたものが南蛮胴

あれをここで話題にしてるような騎士の全身鎧だとか思い込んでる可哀想な人も中にはいるようなんだが
それよりも新しい様式

典型的な「突撃しか脳のない騎士様」に対して軍隊を「指揮」して破ったのが有名なクレシーの戦いだからな
よく覚えとけよ

信長が南蛮胴鎧着てたって記述あったっけ?

>>132
お前が知ってるゲームとか漫画から得たイメージじゃなくて
具体的には史実で信長が南蛮胴を着ていたのは
どういう史料や遺物から確認できるんだってレベルの話してんだよマヌケ

>>136
記述も何も現物残ってるんじゃなかったっけ?
戦国~安土は鎖国以前の時代だぞ

>>139
いや、当時西洋甲冑輸入して他の知ってるけど
信長が南蛮胴愛用してたってのは今のイメージなだけで
正式な記述なんて無かったんじゃなかったっけ

このスレ定期的に立つNE!

日本刀に耐えられる甲冑を作ろうとした朝鮮版プロジェクトX

『懲毖録』
日本人はよく刀槍を用いる。
我々(朝鮮)には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。

>>142
そうだっけ?
俺は「信長公の西洋甲冑」をどっかで写真で見たぞ
レプリカかもしれんが

>>144
そりゃ食いつきがよくてまとめやすいからじゃね?
>>1さんが書かないってのは業界のルールとかあんのかな?

アフィ連呼厨は本当に気持ち悪いな

信長が愛用したという史料は存在していないが当時の南蛮商船の主力商品が鎧だったのも事実
結局のところ不明としか言い様がない

ID:2uxAS21r0の引用してる史料ってどこから出てんの?
>>12とか「現代仮名遣い・口語」「現代仮名遣い・文語」「歴史的仮名遣い・口語」と混在していて気持ち悪いんだが

>>139
>>146
信長に関しては記述もなければ遺物もないんだが
つか、なんでそんなうろ覚えで割り込もうとしてくるんだよ

>>153
そうだねえ
でも俺は2chのレスより自分の記憶の方を信じるかな
今度ちゃんと調べてみるよ

>>150
随分と出回りの少ない主力商品ですねえ

信長が宣教師から贈られたものってマントや金平糖の類で甲冑あったっけ
どっちにし南蛮と密にして大筒も使用してた宗麟が西洋甲冑を着た話も聴かないしお察し

>>147放置して別の建て たまに使える記事になるようフォローする

湿度の高い日本でフルプレートの甲冑着たらそれこそ地獄だろうな

最近ゲームとかやらないが
今の信長の野望じゃ信長は西洋甲冑着てるのがデフォなん?

>>156
宗麟に南蛮様式の甲冑が贈られたことに関してはフロイスの「日本史」に記述がある
おそらくそのあたりが記録に残る最初期

ただその様式にそれほど関心が払われた形跡もなければフランキ砲のように
合戦でインパクトを残したりもしてない

耐弾性にすぐれた甲冑だし鉄砲が大規模に用いられるようになる天正かそれ以降に改めて見直されたんじゃないかな?
今に伝わるのは基本的に慶長元和の頃のだし

>>157
そうなんだ
>>1が伸ばすのは反則みたいなルールでもあるのかと思ったわ
まあ、スレ伸ばせるほどのアイディアも知識もない連中が人のカキコに乗っかって
まとめてんだろうと思うけど

武士「鋭!」→騎士「効かぬわぁ!フハハハハ!逃げるな逃げるな!…ちょっ…ハァッハァッ…マジで…逃げないで…ハァハァ」
騎士「イェア!」→武士「当たらぬわぁ!フハハハハ!貴様の攻撃などお見通しよぉ!喰らえい!(剣を弾かれる)………」

お前らって戦国時代にだけはやたら詳しいよな

盾って結局使えないから西洋でも鎧が発達したら廃れたんじゃなかったっけ

>>171
火縄銃という新しい武器が開発され
古い男達の時代が終わりを告げる・・・ってロマンじゃないか?

>>172
使えないってこたないと思うがフルプレート着てりゃいらん罠

よく日本の武士と西洋の騎士が比較されるけど中世のころで一番ヤバいのってアラビア戦士じゃねーの

>>173
まぁねえ
>>175
別にそんなことはないと思うよ
十字軍を思い出せ

>>177
つコンスタンティノープル

>>169
後ろから武士に組付かれて首を脇差しでかっ切られると思うよ

>>181
まぁあんな重い鎧着てしかも視界不良なんて不利でしかないわなw

>>180
コンスタンティノープル包囲したイスラム勢力は何度も撃退されてるが
1453年だけじゃないのよ

甲冑vs甲冑スレなのになんで倭猿は軽装やねん
フェーデなら騎士もフルプレートきねーよ

>>188
タイオワン事件のときは双方軽装だったよ
オランダ側の衛兵は少数の抜刀した日本人に対して銃器がないという理由で
逃亡したけど

でも「信長の西洋甲冑」ってどこかで写真で見た気がするんだけどなあ
どっかの武将のやつと混同してるんかな?

>>184
中世に限っての話だけど攻撃されるたんびに消耗が大きかったのは
防衛側だったと記憶しているんだけど違うっけか?

>>193
いや包囲戦なら間違いなく攻撃側の方が消耗激しいだろう
1453年にコンスタンティノープルが陥落した時もトルコ側はかなりの損害を乗り越えつつ街を落としたんだぞ

碓水さんはティンベーに謝るべき

>>192
確か銀色のやつだっけ?
あれは信長をイメージして今の人が作ったやつだよ
いわゆる信長モデルっていうので実際に信長が使ってた甲冑ではない

第一包囲戦では防衛側が不利だったとしたら何度もコンスタンティノープルを包囲して置きながら
メフメット二世が登場するまで攻めきれなかったイスラムは雑魚ということになってしまうじゃんよ

>>201
いや、黒褐色だった気がする

十字軍の頃は
キリスト教徒側は重騎兵が主力だったけど
イスラム教徒側は軽騎兵が主力じゃね

>>201
俺も教科書かなんかで銀色の鎧見た気がしたんだよ
家康のと勘違いしてんのかなと思ったがそうだったのか

(根拠となる史料が何も無いのに憶測にしかならんわなって、それは妄想と呼ぶんじゃ…いややめておこう俺勝手推測皆混乱嫌)

>>197
攻撃するたんびに敵の損害の方が大きいからイスラム兵すげーって
話だったと思ってたよ

何にしてもヨーロッパはあらゆる分野でイスラムに敗北してたけど

伝織田信長所用南蛮胴具足は江戸末期に徳川が作ったもんだよ
ちょうどお家騒動で大変だった時期に作られたもの

その兜はまた時代が違うらしいが

>>207
いや、銀色のやつは全然違う
黒い西洋鎧は実際輸入され装着してた武将も何人か居たらしいし
ここで問題なのは信長が着ていたか、それが残ってるか

西洋甲冑なんて重すぎて5分歩いただけでその場に卒倒するぞ俺なら
闘いなら剣を3振りしただけであとはサンドバッグになるな

>>213
つまり俺が見たのは徳川家が江戸末期に
「信長の鎧だよ」と作った西洋鎧ってことになるのかな?

>>205
そうだね
>>210
防衛側の損害の方が大きいって普通に相手の領地を荒らし回るような話?
それならまあわかる
当時はまとまった軍隊がすぐに出動できるわけじゃなかったからいきなり攻め込まれりゃ不利だわな
ただ城壁を挟んで戦う場合で防衛側の方が消耗が激しいのがデフォってのは絶対ないと思うぞ
古代から火砲が発達する時代まで洋の東西を問わず城攻めは下策だったろう

南蛮鎧は舶来ものスゲーみたいな感じでメジャーになっただけだよ。
実際に使われている南蛮鎧のほとんどは和製だったりするしねぇ。

ガラケーのほうが中身の性能が高かったのに
iPhone信者が大量に出たのと似たような現象。

>>216
15世紀イタリアの全身甲冑の重さは15kg前後。
日本の戦国時代の甲冑はだいたい15kg前後だから似たようなもん。
蔽うパーツが少ないわりに重量はあるので、要点防御に特化していて、
その上そこの厚味が半端ないってこと。

ちなみに鎌倉平安時代の大鎧は弓に対する防御が必要だったことから、
単体で20kg以上もある上、それ以降の鎧と違って、
馬の鞍で支える形式なので、徒歩になると肩だけに重量がかかって死ねるぞ。

オシイの映画でその辺り割と詳しく出てたよ
ようするに人質取るか取らんのかっていう話で違うとかなんとか
西洋では重装備の奴はハンマーでぼっかーんって叩いて気絶させるだけらしい
だから身代金とれない一般兵は軽装備なんだと

>>1
西洋スタイルといっても、
イギリス系とかスペインは確かに剣と盾だが、
ドイツ傭兵とかは両手剣を使ってたよ。

日本でも足軽が鉄笠を手盾にしたりする形式はあったし、
日本の甲冑は防御力も高いよ。
だから国姓爺合戦で、日本式の鉄砲隊と武者(倭銃隊と鉄人)が
オランダ兵追い出してるだろう。
タイオワン事件では甲冑は関係ないが、
刀を抜いた日本人にオランダ兵は誰も逆らえなかったって記載もあるので、
白兵戦も非常に強かったのは事実。

そして別に十字軍の頃の中世イスラムは強いわけでも西洋がザコいわけでもなくてどっこいどっこいというのが実情だろうな
遠くからとぼとぼやってきた少数のザコにパレスチナ一帯を何十年征服されるはずがないじゃん

>>224
それは時代と国によるだろ。
16世紀当時最強といわれたスペイン兵は雑兵も甲冑的なものは
いちおう身に着けていて、盾と剣、斧矛で戦ってたよ。

重装備の奴をぶったたいて気絶させる云々は、
騎士道精神華やかりしころの14~5世紀前後の話では?

>>205
重騎兵といっても、せいぜいバケツヘルメットに鎖帷子、
それに木の手盾と槍だろ。
そこまで重装備ではないよ。
同時代の騎馬武者はもっと重量がある鎧着てるぜ。

西洋にしろ和にしろ
全身鎧って銃が発明されていこうだし

>>231
たぶんスヴェン王のイングランド遠征辺りは身代金取ってるはず
日本と決定的に違うのって高貴な身分から金取るかどうかだって映画だった

スペインは知らん

>>233
ん?
銃がある程度戦場で主力として使えるようになってからは、
西洋は蔽う箇所を減らして、胸甲が発達する。
顔とか腕とかの防御を捨てて、思いっきり胴を分厚くすることで、
何とか銃に対抗しようとした。

ナポレオンの騎兵なんかがその典型だよ。

>>234
映画がちゃんと時代考証してるかわからんよ。

たとえばトゥナメントに参加する場合は(いわゆる馬上槍試合ではなく、
集団で戦う模擬戦というか本気戦というか)、
確かにとらえて相手の鎧とか馬をもらうとかがメインだったと聞くし、
騎士道が流行ってた頃は騎士は殺さず身代金を取るのが目的とはいうけど。

>>235
じゃあそれ以前のフルプレートは何のため?

>>234
別に異教時代の話を出さずとも中世盛期でも身代金は普通に取ってるぞw
まあそのころは鎖帷子メインなんで鈍器なんか使わず複数人で取り囲んで「降参しろ!」ってのが多かっただろうけどね

>>169
どういう騎士と武士を想像してるのかしらんけど、
12世紀頃の騎士ならバケツヘルメットと鎖帷子なので、簡単に
討ち取られちゃうと思うよ。
鎌倉武士と似たり寄ったりの戦法使ってた蒙古騎兵に手も足も出なかったよね。

全身甲冑と当世具足の比較ならどうなるかわからんが、
西洋の全身甲冑ってのは分厚いのを全身に張り巡らせてるんじゃなく、
薄く広く覆うって発想だからね。衝撃をできるだけ形状で受け流すようにして。
武者の甲冑は要点防御に徹してるから、戦ってみないとどっちが勝つとかは
明確に言えないだろ。
重量はあまり変わらんのだし。気候的な問題もあるけどな。

「ぼくのはじめてしったちしき」でとりあえず常識が定型概念否定に必死なやついるけど、
実際は達人が日本刀を降れば西洋鎧くらい余裕で真っ二つに出来るからな
日本刀は使い続ければ刃こぼれする、って知識を拡大解釈して切れ味まで否定しているアホはよく見かけるが。

>>240
薄く広く全身を覆うという発想。

イメージにある「重い西洋甲冑」は、
馬上槍試合で使うような非実戦用だったり、
飾り用の全身甲冑はめちゃくちゃ重くて100kg近いのもある。
実戦で使う場合はそんなもんただの的で、そこまで使われてない。

ID:QPpUOHqfPが妄想凄くて怖い

そもそも、30kg~50kgの甲冑てトーナメント(馬上槍試合)用の甲冑だろ
絶対に怪我をしないように特別に分厚く作られてる代物で、実戦では使わねーよ
俺の持ってる三浦 権利 (著)「西洋甲冑ポーズ&アクション集」によると
ゴーティク(ゴシック)式、マクシミリアン式、ルネッサンス式の甲冑は全部20kg前後だぞ。普通に飛んだりはねたり転がったり出来る

>>246
まぁ、真っ二つにできるかはともかく、
日本刀でぶんなぐれば穴はあくし、衝撃でぶっ倒れるかもな。

日本刀はもろいみたいに思われてて残念だけど、
幅は確かにイギリスの片手剣の半分くらいだけど厚みは倍あるので、
鈍器としても日本刀の方が優秀だったりするけどね。

>>247
だから、銃以前の戦場でその発想が出てくる必然性がどこにあるんだよ。
なんかお前、時代考証混ざりまくってね?

俺は軍事に疎いけど現代の歩兵でも装備は数十キロあるだろ?
甲冑はそれを全身に分散させるわけだから鍛えてりゃ普通に動けるだろ
体力面ではやはり気密性の方が問題になると思うがな

>>240
剣槍斧特に弓矢に対抗するため
百年戦争時の記録で
フランス側の騎士の甲冑に長弓兵の矢弾かれたって記録があるらしい

これは東洋でも同じようなもんだろう

俺は自慢じゃないがまったく鍛えてない

>>249
俺が書いてることって、
実際のところ常識に近い話だよ。


>>250
そうそう。
人間がまっとうに動ける重量って、
武器とか装具含めて30kg位が限界だからねぇ。

鎌倉武者の大鎧は単体で20kgあって、そこからさらに弓やら太刀やら
兜かぶって40kg近くに達する。
馬上での弓が大前提の装備。だからより軽装の腹巻とか腹当てに
とってかわっていった。

>>252
えーと、
銃が実用的になってからは、銃の威力に鎧で対抗できないのね。
日本の試し撃ちだって、鎧の威力を誇示するためのもので本気で撃ったら
当世具足だって穴だらけだよ。

だから要点防御に移行するか、いっそ鎧なくてもいいんじゃね?で
制服とかにきりかわっていく。
時代考証混ざってるというが、銃が実用的になってから鎧が全身甲冑になった
だなんて聞いたことないよ。

>>255
日本の大鎧も弓に対抗するためのものだからねぇ。

ただ防御範囲を少しでも広げていきたいってのも着用者としては
当然の発想だと思うけどね。怪我したくないもの。

>>255
東洋に関しては顔まで覆うような全身鎧は完全に銃が主力武器になってから
弓は大きな盾で密集して防ぐもんじゃないのかね
まあ、西洋に関しては門外漢だからこれ以上突っ込まないようにする

>>256
安心しろ俺もだ
>>252
そりゃ刃物や矢を防ぐために決まってるだろう
初期の銃は板金鎧には弾かれる程度の威力しかなかっただろうし

>>260
顔まで覆うような全身鎧……?
当世具足のこと言ってるの?

つか、みんなの想像してるフルプレートメイルってあれはポーランドやフランスの馬に乗って
突っ込んでくる偉い人が来てる奴で御つきの徒歩の連中は良くてチェーンメイルかスケイル
メイル、貧乏な歩兵は革の鎧がいいところだからな?

盾密集ってこういうのの事だろ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/Ashigaru_using_shields_%28tate%29.jpg/800px-Ashigaru_using_shields_%28tate%29.jpg

ちなみに、今でも西洋甲冑を着て剣で戦ってる奴らいるぞ
http://www.castletintagel.com/
そんなに騎士と武士のどちらが強いか知りたかったら、日本の鎧兜と日本刀もってここに殴り込んでこい
何なら、日本の武具を着て世界大会にもいってこい

>>267
お、置き盾だね。
鉄砲登場すると盾束ねた竹柄とか、
俵に土詰めた奴とかがはやっていくよね。

>>268
それSCAだよね。
いろいろなルール縛りがあるから、必ずしも実戦的とはいえんがな。
間接技禁止、投げ禁止とかいろいろある。

現代剣道やってると下半身への攻撃にあまり慣れないから、
そこだけ注意すればOK。

昔はフルアーマーでハルバード振り回す狂戦士がいたんだろ?
そりゃー勝てるわけないから数そろえた上で安価かつ軽量で機能的な鎖帷子着させて槍持たせるわな

銃が大量に→やべえ鎧役にたたねえ→貧乏な兵隊に銃持たせたほうがよくね?

・・・でアホみたいに方陣組んで近くまで太鼓叩いてやってきて、一列目撃て―
銃剣突撃ーだからな。

なんというか、貴族の意味がなくなるから弩を禁止しよう!!みたいな予定調和
で戦争してきた連中の考える事はわからん。

>>266
「日本甲冑」も事情は似たようなもんだろうな

ドを禁止って誰も守ってなかったらしいけどね

>>273
ハルバレド使ってたので有名なのはスイス傭兵団と、
スペイン歩兵かと思うんだけど、
どちらも鎖帷子ではなく、いちおう板金鎧。顔までは覆うタイプじゃなかったり、
スペイン歩兵のほうがより軽量だけど。

フルプレート着てる騎士とかはほんとうに近距離での戦闘がメインだったのか、
メイスとか剣とかそんなイメージだけどな。
ハルバレドはあくまで一般歩兵が使う武器だよ。

>>277
日本の場合は、えらい人が兵士従えてやってきて、戦場で
「備」に編制されるので、
当世具足の騎馬武者とか、徒歩武者はまとまって集団になってた。

あと足軽はわりに重装備で、鉄製の笠に、鉄製の防具を身に着けて
戦ってたからねぇ。

ちなみに俺は西洋の方だと思う
戦鎚でぶったたけば一発でノックアウトじゃろがウハハwww

>>276
その状態であえて最前線の兵の間隔をあけて散兵線を生み出した人は
本当に天才だと思うわ。

日本刀って耐久性どうなの?わりとキンキンしあっても大丈夫なイメージなんだけど

>>284
金砕棒でぶったたいたら西洋甲冑ってどうなると思う?
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/Samurai_Tokugawa_Era.jpg

>>289
いや折れるでしょ

>>289
耐久性は高い。
当たり前だけど、柔らかい芯と堅い外郭の二重構造になっていて、
鍛冶の時点で何千もの層を作ってる。
どちらかというと柔軟性にも飛んでいる。

足軽雑兵の使う御貸し刀とかはまた違うけど。

>>290
つまり太刀じゃ無理って事だよな
うんうん

>>283
備って戦国時代じゃん
その頃には西洋も兵科に役割持たせて戦ったりしてただろ

単純に装備をして戦争をするなら西洋甲冑はやめておいたほうがいいってぐらい無能
防御面に長けさせたせいで熱中症になったり凍傷になったりと酷いことになる

>>277
ぺーぺの足軽ですら常備軍の一員で装備がマシな方だから駆り出された農民軍は
普段着に竹やりと投石だからなあ。


・・・意外と強いらしいよ、投石

>>291
鋼は簡単におれないよ。
堅い割にもろくて折れるのは青銅。

だから古代のギリシャ歩兵の槍とか兜とかは、
とにかく分厚く堅牢に作った。

>>298
そっかねー
ハンマーでぶったたいたら折れんじゃないの

>>294
矢や槍は突き通ると思われるし、日本刀は鈍器としても優秀だよ。
メイスって話を出してきたから似た武器があるよって例を出しただけでねぇ。

>>297
単純に投石といっても、
戦闘用の投石は「印地打ち」といって、
それなりにノウハウとか投げ方とか、投げるための器具とかあるよ。
急場の場合は手ぬぐいを投石器代わりにしてぶん投げる。

>>297
竹槍の農民兵が活躍した合戦ってのは具体的にどの戦いよ?
軍役状とかの一次史料見ても竹槍とかはさっぱり出てこないんだが

>>299
そりゃおまえ金属バッドと剣だったらどんな剣でも金属バッドのほうが強いわボケ

>>281
斧鉾は馬で突っ込んでくる奴を引きずりおろしてボコるための武装だから
欧州のデカイ馬に装甲板までくっつけた戦車に対するRPGみたいな物だ
よな、振り回すには無理がある重さだし。

>>289
海外からはこんな風に鋭い切れ味を備えたタフな刀剣だと見られていた

茅元儀 『武備志』
日本の刀は剛利で中国のものはそれに及ばない。


アビラ・ヒロン 『日本王国記』
繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された
鋼鉄で作った残忍極まる鋭利な武器を使用する。


アーノルダス・モンタヌス 『日本誌』
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。


ゴロヴニン 『日本幽囚記』
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。


メイラン 『日本』
日本刀のすぐれていることは十分一般に知れ渡っているので、私が特別にそれについて話すまでもないことであろう。


チェンバレン 『日本事物誌』
日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。

>>280
キリスト教徒「キリスト教徒には弩を使うの禁止な!」
キリスト教徒「んなこと知らねーよ、弩で皆殺しだ!」

こんなイメージ

>>299
http://www.youtube.com/watch?v=u3nAuowwqhI
コールドスティール製ではあるが……。6分あたり参照。

鋼ってこんなもんだよ。

>>302
金属バットは中空で薄く、
逆にどんな剣にも耐えられるとは思えないんだけど。

>>304
パイクが主力になる前の時期のスイス盟約者団はその無理のある重さの武器を
全体の5割に装備させてたんだなすごいな


チューリヒ邦の分遣隊 1443年
         クロスボウ ハンドガン パイク  ハルベルトおよび斧   合計

チューリヒ市 128(20%)  45(7%)  103(16%)    363(57%)      639(100%)
邦管轄区   345(16.3%)16(7%)   532(25%)   1,228(58%)     2,121(100%)
全邦      473(17%)  61(22%)  1,591(57.8%)1,591(57.8%)    2,760(100%)
(ダグラス・ミラー著 「戦場のスイス兵」P18より)

>>308
日本刀だったら切り結んで曲がる、それ以外でも余裕で受け切れる
剣術の天敵すぎ

>>294
戦国時代の太刀ってほとんど残ってないけど博物館行ってみてこいよ。


あれは鈍器で刃物じゃねーよ。

ってパイクは635で全邦の23%だなw
失礼

>>311
ハンドガンってピストル?

中世ヨーロッパの騎士道精神()笑ってるけど
日本も元寇の時、苦労してるよね

>>313
あ、>>294に感じた違和感がわかったわ。

太刀はだいたい薄く鋭くて、
打ち刀は鈍器としても鋭利な武器としても優秀だから、
太刀で西洋甲冑かーって思ったんだった。

>>320
太刀は凪ぐもの、打刀は帯びるものって程度の違いしかないぞ

>>316
15世紀にハンドガンと呼ばれる銃は拳銃ではない
この手の原始的な鉄砲
http://www.usgennet.org/usa/topic/preservation/science/inventions/images/pg212.jpg

>>321
太刀は佩くもの、刀は差すものってのもあるけど、
戦国時代期に打ち刀は重く頑強になっていくけど、
太刀って、薄く鋭い状態からあまり変わってない印象だけど、どうかね。

まぁつくりの違いだけっちゃ違いだけだけど。

>>322
おお、この漫画で使ってる奴か
http://seiga.nicovideo.jp/comic/6131

>>319
そうだね苦労したみたいだね
元側が

鄭思肖『心史』
「倭人は狠、死を懼れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、
帰ってもまた倭王の手によって殺される。倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。地形は高険にして入りがたく、
戦守の計を為すべし」

>>323
俺の記憶じゃ刀は肉しか切れないカミソリみたいな粘りのあるやつ(厨二にもなじみの深いムラマサとか)
おまいらが言う鎧ぶった切るのは太刀の方

>>324
西洋の甲冑って動きやすいのかな?あんま実物きてるとこみたことないわ

>>323
太刀が薄く鋭いのは南北朝時代のものだな
打刀と太刀の違いはそこまでない、どこで勘違いしたのか知らないけど必要に応じて重ね厚いものもあるよ
野太刀とかは鈍器扱いで重ね厚く作られているものが多かったはず

つっかよーガチンコで戦わせたらどっち勝つんだよって話じゃねーのかよー

>>329
だから打刀と太刀の違いは刃を上向きにするか下向きにするかの違いだけ
刃が粘りがあるのは古刀だよ、新刀は比べて粘りがない

>>326
へえ面白い発想の漫画だな
教えてくれてありがとう
でも後世の普及した銃に比べると格段の差があった形式の武器なんだよなあ

時代と地域は違うけど唐入りのときはその手の原始的な銃とアルケブス形式の銃との
はっきりとした優劣が出てる


柳成竜『懲毖録』
・城の上にいたわが軍が、勝字小砲でこれに応戦したが、倭の本陣は遠くにあり、
遊撃兵を出してきて交戦し、ばらばらに進み、代わる代わる出てくるので、
〔勝字小〕砲を発射しても命中しなかった。それに対し城を守るわが兵卒は
しばしば賊(日本軍)の弾丸に当たって斃れた。


柳成竜『西厓集』
・城や険を守り、塁を攻め、堅を破るのは大砲にあるが、交戦の利器は、やはり鳥銃である。
わが国が保有している勝字銃筒に比べて鳥銃の威力は五倍、弓矢に至っては、一○倍である。

>>334
ケースバイケースだろ
どっちの方が圧倒的有利とかはないと思うよ

>>330
全身装甲で30kg以上あるとか聞いたことがある
そんなのが流行っていた頃は相手を殺すことを最小限にして身代金奪い合うのが戦争の時代ですしおすし

>>335
そうそう刀身が反ってるのは太刀だな
どっちかつーと斧みたいなもんだって読んだけど正しいかどうかは知らん

>>341
どんな日本刀でも刀身は反っている、打刀で反りの強いものもある
逆に反りの弱い太刀もあるんだけど?

ハルベルトの斧部分でぶん殴られたら
全身鎧着てても頭カチ割られそう

>>342
いや反り方が違うんだよ
二十歳のチンコとおっさんのチンコぐらい違う

>>340
いやそうでもないと思うぞ
戦争は中世後期になるほど激しく苛烈
薔薇戦争とか大物貴族がばたばた死んでるし
鎖帷子着てた中世盛期の方がのんびりしてたんではないかね

>>343
鎧が凹んだりして装着しているほうが危険だったとかなんとか

>>342
反ってない日本刀もあるよ

>>344
それは時代の特徴、打刀と太刀の違いではない
もしかして太刀と大太刀を勘違いしているんじゃないの?

結局どっち勝つのよ…もう西洋でいいよね

>>350
そういや古刀の時代に直刀があったな

>>348
実際関節部分等のヒンジにゆがみができるとかなり動きに支障を来たすようだね

お前らは誤解してるが中世も後期になるほど戦術も発展し集団戦に傾きマジな殺し合いになってくる
そしてプレートアーマーはほぼ中世後期の産物

貴族の馴れ合いみたいな戦争とか騎士様がヒャッハーしてたのは中世盛期であって鎖帷子全盛期

>>354
剣のみ甲冑装備の条件だとして
単純に一対一で争うなら介者剣術があるだけ日本のほうが強いんじゃない?
戦争なら全身鎧に対応しきれずに西洋が勝てると思う

どっちも自分の知識に固執して相手が勘違いしているとしか思ってないから
討論にはなっても議論にはならないな

>>355
刀のことはよく知らないがそこまで古くなかったよ
愛媛の大山祇神社ってとこにいっぱい刀があるんだけど
そこまで大きくないんだが刀身が普通のより若干太く反ってなくて
兜叩き割りそうな刀があった
誰のなんていう刀かは思い出せないけど

>>363
同田貫かなにか?

熱田神宮や鹿島神宮にも馬鹿でかい剣が奉納してある
近所だと鎌倉の武器屋に普通に撃ってる

中世後期のなり始めとしては百年戦争を考えるとわかりやすいんじゃないかと思う
従来通り集団で突っ込んてくる騎士がロングボウで虐殺されたのがクレシーの戦いだ
ポワトゥーの戦いでフランス王ジャン二世が捕虜になったのが有名だから誤解するかも知れないが百年戦争では諸侯クラスの人間が何人も死んでる
もはや馴れ合いでもなんでもない

>>364
ググってみたけどそこまで反ってなかった
直刀みたいに「剣!」みたいなルックスでもなく包丁を刀サイズにしたような感じとでもいうか
すまんマジで思い出せないパンフレット買っておけばよかったと後悔

>>367
おい思い出してよ気になるだろ

次郎太刀じゃね

太郎太刀ってなんだっけ?

>>370
朝倉家の真柄兄弟が使ってた大剣
そっちは熱田神宮に奉納されてる

>>367
この有形文化財リストの中にはありそうかい?

http://ehime-c.esnet.ed.jp/bunkazai/kennobunkazai/shiteibunkazai/kougei/bun-kougei.htm

>>372
見てみたけど無いみたい
色々検索かけてみてるんだけど大山祇神社は鎧ばっか出てくる。。

GHQの改革以降に育ったお前らは
どれだけ偏った情報を与えられているか分からないんだろうな

完全に狙い通り 

西洋すげー
日本はクソ

って育てられていることは分かった

>>375
確かにそこの文化財名でぐぐっても画像が出るのは稀なんだよなあ
こっちは現地から遠いんで図書館ででも確認するしかなさそうだな

>>376
GHQはともかく、
実際に根拠もなく日本sageしてそれに意見を言われたらレッテル貼りする馬鹿はよくいるね
それは右左の思想じゃなく「ぼくのちしきにさからうやつはゆるさない」って幼稚なプライドを守るため何だと思うけど

よく知らんのに西洋sageイスラムageするやつもな

>>376
日本史は好きな自分としてはGHQと明治政府の2つが日本の伝統文化を破壊した張本人だと思うよ
本来「日本サイコー」でも「外国サイコー」でもない曖昧なのが日本人だったと思う

>>377
俺も近ければ「ちょっともっかい見てくるわー」って言えるんだけど
住まいは東京だから遠すぎて。。

実際の話、GHQも明治政府もそこまで文化破壊はしていない
本当に破壊された国を見ればわかるように民衆レベルでの意識すら壊滅させられて外からの手助けがなきゃ永遠に封じられてるから

ガチで破壊しにかかってるのは昭和後期以降の左翼

>>382
GHQはたしかにそこまで破壊してないかもだけど
明治政府は結構破壊しまくってるよ
中国や李朝ほどではないけど文化大革命みたいなもんだったし
今言われる「日本人精神」みたいなもんもほとんどは明治以降の日本人のことを指している

そんなこと言ったら現代に続いてる日本文化って大抵は江戸時代発祥だし
明治は日本を真・日本として魔改造しただけだから否定する必要はないと思う

ところでスレ建てるかどうか迷ったんだけど
なんで日本じゃ車輪があまり普及しなかったの?
平安時代にはすでにあったよね?

車輪を走らせられる道があったのかよ

>>388
有益だと思えば整備するだろ

そんなこと言ったら室町時代に「日本の伝統」的なものは作られたって言ってもいいし
平安時代なって日本独自の文化が本格的に持てるようになったとも言えるわな
>>387
山や坂が多いからじゃね

明治政府を全否定するつもりはないけど無駄に文化破壊しまくったよねっていう事実は覚えてても損はないと思う
それがわかんないと、その江戸時代に練り上げられた日本文化の外面はわかっても内面がわからなくなる

日本人は正々堂々みたいなのって確実に江戸時代の武士道(in儒教)からだよね

スサノオのオロチ退治もヤマトタケルの西国征伐も源義経の一ノ谷脳天逆落としも
信長の桶狭間も家康の大阪城堀埋めも大日本帝国海軍の真珠湾攻撃も
日本人の神髄は知略を駆使した戦術による奇襲にあるというのに

>>391
それを「事実」だとしているところがお前の思い込みだと言うことは知っておいてもいいと思う
それがわかんないと、相手の意見に耳を傾けて新たな知識を得るという行動が全く出来なくなる

お前らってなんで武器の話だけムキになるの?

ぶ(む)きだけにな

>>397
戦国時代に関しては信長が南蛮の鎧を着ていたかという瑣末な話題にすら突っ込みいれるやつが何人もいるのに
中世に関しては突っ込むやつが全然いないのが俺は不満だ!

どうにか策略に見られない程度に日本sageて……ってのが見え透いてキモい

>>403
誰が?

結論・日本をsageてる奴は朝鮮人か「ぼくのちしきをひはんするやつはゆるさない」なゆとりのどっちか
   これに反論できるやついるの?

>>409
お、おう

雑談レベルでいいんだよこんなのは
なんていうか厳密に求めすぎる奴が出てくるから荒れる

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