やよい「あなたに贈る歌と、わたしの笑顔」 (23)


 その日は朝から、雨が降っていました。


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 料理番組の撮影で、フライパンを床に落として料理をダメにしちゃったり。
 トーク番組で噛みまくって、司会の人を困らせちゃったり。

 今日は、全然うまくいかない日でした。

「はぁ」

 事務所に帰る途中の車で、思わずため息が漏れます。


「……なあ、やよい」

「は、はいっ」

「あんまり落ち込むな。今日は仕方なかったよ」

 プロデューサーはわたしの頭をなでてくれます。
 右手はハンドルを握ったまま、大きな左手で。


「……でも」

「やよいが今日のことを気にすることはないから」

 プロデューサーは、「ほら、やよいの新曲があるだろ」と左手でカーオーディオのスイッチをつけました。
 今日の最後のお仕事は、作曲家さんからわたしの新曲のデモテープをもらうことでした。

 じじっ、じじっ。
 CDを読み込む音が10秒ぐらい鳴った後で、かわいいメロディが流れてきます。


「いい曲じゃないか、ハートウォーミング」

「はいっ。わたしもこの曲、大好きです」

 歌詞カードを見ると、まるでわたしの家族のことを歌っているみたいで。
 ……いや、そうなのかな?

「……あの、プロデューサー」

「ん?」


「この曲の歌詞って……わたしの家族のこと、ですか?」

「ああ、そうだよ。……気づかなかったか?」

 ――時に私だって、誰かに甘えてみたくなる。

「ちょっと前に、やよいが学校で書いた作文を俺に見せてくれただろ」

「はい」


 『わたしの家族』ってテーマで書いた作文。
 クラスで一番よく書けてる、って先生に褒められたんです。えへへ。

「俺、ちょうどその時にやよいが無理してんのかな、って思ってたんだ」

「無理してる?」

「おう。ほら、ちょうどやよいのお父さんの会社が忙しかった時期があっただろ」

「はい、なんか納品が大量? みたいなことを言ってました」


 お父さんは全然帰ってこなくて、お母さんも風邪気味で。
 みんなの食事とか掃除とか、わたしがずっと作ってたっけ。

「しかもライブが終わってみんなの仕事が増え始めたときでさ」

「それで、プロデューサーはわたしが無理してるって思ったんですか?」

 心配性だなぁ、プロデューサー。

「ごめんな、やっぱ心配なんだよ。アイドルじゃなくて、ひとりの女の子として」


「そんで、やよいを休ませようと思った時に読んだ作文に家族のことがいっぱい書いてあって」

 プロデューサーはハンドルを指で叩いてリズムをとっています。

「やよいは家族を原動力にアイドルをやってるんだ、って思ってさ」

 ――けど 私には今、守りたいものがある。
 だからこの歌詞なんだ。

「それで、家族のことを歌った曲をやよいにあげたいなって」


「ありがとうございます、プロデューサー」

「おう。この歌も家族も、大切にしろよ」

 ……でも。

「でも……今日のお仕事は」

「気にするなよ、やよい。……そうだ、いいこと教えてやる」


「いいこと、ですか?」

 わたしが運転席の方を向くと、プロデューサーは左手でスーツに手を入れました。
 胸ポケットから取り出したのは、

「……キャンディ?」

「ああ。落ち込んだ時はキャンディをなめるんだ」

「そうなんですか?」


 もらったキャンディの包み紙にはオレンジ、とアルファベットで書いてあります。
 口に含んでみると、口中にオレンジの味が広がりました。

「これ、伊織が教えてくれたメーカーのなんだよ。うまいだろ」

「はい! 甘いですっ」

「やっと笑ってくれたな」

「え?」


「フライパンが床に落ちたのは、いつものフライパンが無くなって他の料理番組から大人用のを借りたからだよ」

「……そういえば」

 いつもより持つのが大変だったかも。

「それで動揺して、トーク番組でもうまく行かなかったんだろ? だから、やよいは悪くないよ」

「……気づきませんでした」

 料理までダメにしちゃったショックで、頭の中が真っ白で。


 プロデューサーは、だから気にすんな、ともう一回頭をなでてくれました。

「やよいはやっぱり、笑ってる時が一番綺麗だな」

「綺麗?」

 あんまり言われたことのない言葉でした。

「ああ。やよいは何をしてもかわいいけど――綺麗だ、って思えるのは満面の笑みの時かな」

 赤信号。
 車がゆっくりと減速していきます。


 車のフロントガラスを打ち付けていた雨粒が少しずつ少なくなっていって、
 わたしは雨が上がり始めたことに気づきました。

「そうだ。お土産に何か買って行ったらどうかな」

「お土産ですか?」

「ああ。長介くん達、喜ぶぞ」

「でも、わたし今あんまりお金が……」


「いいよ、俺が払う。いつも頑張ってくれるやよいと家族のみんなへのプレゼントってことで」

「ありがとうございます、プロデューサー」

 虹が見えます。
 青信号になって車が動き出す前に、プロデューサーは助手席の方向を向いて笑いました。

「それじゃあ、行こうか」

「はいっ」

 プロデューサーの笑顔も、とっても綺麗ですよ。
 ……って言うのは恥ずかしくて、わたしは静かに下を向きました。


 やよいはかわいいですね。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

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