解体された艦娘の話 (54)

01月01日

 少し前の話だ。
 悪いね、と提督はわたしの解体を告げた。
 お前は砲雷撃戦の技術もあるし夜戦での動き方も光るものがあるが、戦争には向いてない。
 だからお前は、普通の女の子に戻った方がいい。
 彼はわたしにそう説明した。

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 突然の話だったから、なかなかに驚いた。
 その話をされた日の午前はまだ、次の出撃に備えた訓練をおこなっていたし、その次の出撃にも、次の次の出撃にも、出るつもりでいた。
 出ない、という選択は思いつきもしなかった。
 わたしは修理のコストの低い艦だったから、かなりの出撃率の高さを維持していたのだ。

 だというのに、昼にその話を聞いて、夕方には正式に解体が決定していた。
 寂しくてその日の夜、わたしは、既にすっかり馴染んでしまっていた自分の艦娘としての身体を、ひとり、鏡の前で確認していた。

 解体の提案を拒まなかったのは、わたしの身分のせいではなかった。
 昔から身分や立場を気にするのが苦手だったから、それはない。
 ではなにか、と言うとそれは……
 それはなんだろう。

 解体されたわたしは、かつて住んでいたところとは違うところに移り住んだ。
 その時点で季節はもう冬になっており、今日、ついに年が明けた。

 幼い頃は年明けの雰囲気が好きだったな、なんて考えながら家の周りを少し散策した。

 近くに神社でもあるのか、たくさんの人出があった。
 誰もがなんとなく、縁起の良さそうな表情をしている。
 これから先の未来になにか良いことがあるだろう、という表情だ。
 わたしはどんな表情をしているだろう。

 どこかの子どもがわたしを指さしてなにか言う。
 やめなさい、とその父親が叱りつける。
 そんな光景がなぜかわたしにある種の虚脱感を与えて、少し歩いたところでわたしは座り込んでしまった。

 両膝を抱えて、その間に顔を埋める。
 もうどうにでもなれ、という気持ちだった。
 ここで男に襲われようが、凍死しようが、もはやわたしには興味がなかった。
 なにかを考えたり、なにかを想ったりする気力が、いつの間にか失われていた。

 あの、と案の定男に声をかけられた。
「大丈夫ですか」
「…………」
「どうかされましたか」
「…………」
「ここ、冷えませんか」
「…………」
 彼に罪はなかったが、わたしは答えるのが億劫で、一言も返事をしなかった。
 やがて男は困った顔をして、まいったな、と呟いた。
「ここ、座るよ」
 そう言って、彼はわたしの隣に座った。

 はじめは、彼はただ座っていた。
 わたしはときどき彼のことを眺めたり、また膝に顔をうずめたりしていた。
 けれどやがて彼は、これは僕のひとり語りだから聞かなくてもいいけれど、と前置きをして語り始めた。
「昔さ、仲の良い女の子がいたんだ。
 彼女は僕の家のすぐ向かいにある家の子で、幼いときからよく一緒に遊んでいたんだけど、ある日その子は越してしまうことになったんだ。
 親の仕事の都合で、っていう話だったよ。
 よくある話だけど当時の僕は悲しくて、その子と約束したんだ。
 いつか会いに行くよ、って。
 彼女は頷いてくれたんだけど、でも悲しいことに、僕は会いに行けなかったんだ。
 なぜかって、越したと聞いた先の土地に行ったのに、彼女はそこにいなかったんだ。
 もちろん、彼女の親もいなかった。
 なにかの間違いじゃないか、って思ったよ。
 でも何度調べても彼女はそこに住んでいるはずで、けれど現実は違ったんだ」

 そこまで語って、彼は話をやめた。
 ただわたしのことを見ている。
 彼の無関係な話がなにか良い方向に働いたのか、わたしの虚脱感はいつの間にか、薄れていた。

 十数回の呼吸をしてから明確な発音で、
「ありがとう」と伝える。
 救われた、というのは大げさだけど、それに近いなにかを感じた。
 男は最初に見せた表情よりもっと困った顔をして、「え、ええ」と返した。

 それからわたしは、困惑する男に一方的に別れを告げてアパートに戻った。

 解体の提案を拒まなかった理由は、まだ思い付きそうにない。

01月02日

「新しく越してこられたの?」
 今日の朝、アパートを出たところで声をかけられた。
 ええ、と頷くと彼女は「やっぱり」とはにかんだ。
「少し前までは顔を合わせたことがなかった気がしたから」
「そうですね」
「303号室?」
「ええ」
「わたしね、その隣なの」
「そうでしたか」
「うん。ねえ、ちょっとお話してきませんか」
 訓練もなければ装備のメンテナンスもない。
 だから時間はいくらでもあった。

 わたしたちは、彼女の部屋で話をした。
 部屋の感じを見る限り、結婚しているわけではないように見えた。
「セメント工場で働いてるの」
「工場は近くですか?」
 まだこの辺りの地理には疎くて、見た覚えがなかった。
「歩いていける範囲だね。すごく小さい工場だから、ほとんど目立たないけれど」
「セメントですか」
「そう。セメントってさ、あれ実は――」

 セメントには馴染みがなかったので、彼女の仕事についての話は新鮮だった。
 艦としてのわたしを取り囲んでいたのは、燃料と、弾薬と、鋼材と、ボーキサイトだけだったから。

「燃料と弾薬?」
 言葉をおうむ返しにして、彼女は首を傾げた。
「じゃあもしかして……」
「ええ」
 きっと想像通りだ。
 言葉の続きを待たなかったのは、そう判断したからだ。

「この街の居心地はどう?」なんてことも尋ねられた。
 まだ分からない、と答えるつもりだった。
 実際は、分からないどころか、居心地の良し悪しを考えたこと自体がなかった。
 なのに口は「良いですね」と唱えていた。
 バランスが取れていない。
「そう」と彼女は微笑んだ。「これからよろしくね」

 仕方なしに、部屋に戻る。
 部屋は閑散としていて、少し寂しい。
 なにかが足りない、という間隔がわたしの身体につきまとっている。
 缶も魚雷も連装砲もないが、足りないのはそれだけではない

 仕事、だろか。
 生活のための金銭や物資の援助は、少なくとも数年の間は、保証されている。
 だから安心しろ、といつだったか提督は言った。
 たった一二週刊前のことのはずだが、提督のその言葉はもう、わたしの中では『いつだったか』のことになっている。

 床が冷たくて気持ち良い。
 その気持ちよさに惹かれて寝そべると、気持ち良いのを通りすぎて、少し寒い。

 なにをする気にもなれなくて、わたしはそのあとの今日一日を、寝て過ごした。

 夜戦の夢を見た、気がした。

01月03日

 今日も夢を見た。

 また夜戦の夢だ。
 たくさんの深海棲艦、大破しかけの艦娘、ねっとりとした重みのある夜の海。
 狙いをつけて、祈るようにして魚雷を放つ。
 わたしが祈っていた相手はきっと、これまでに轟沈した何人もの先人たちでもなく、偉大な功績を残した過去の英霊でもなく、わたしがその瞬間狙いをつけ撃沈させんとしていた、深海棲艦だ。

 祈るのは哀れみや悲しみのせいではないし、罪悪感のせいでもない。
 わたしが彼らに祈るのは、彼らがわたしに一番近づいてきてくれるからだ。
 彼らへの親愛の念から、きっとわたしは祈っていた。

 大体のところは、そんな夢。

 目が覚めてすぐに、これだ、と呟いていた。
 ただ、なにについてこれだと考えたのか、すぐに思い出せなくなった。
 なんとか思い出さなければならない、と思った。
 今のわたしに関わる大切なことだと予感した。
 しかし思い出そうという試みは逆効果で、わたしはバランスを失った。

 激しい虚脱感。
 大切なものを失った、という出どころの分からない感情に襲われて、わたしは自分を見失う。
 思えば、わたしの名前はなんだっただろう。
 今のわたしは、わたしじゃない。
 わたしでないとすれば、どうすればいいだろう。
 あれになりたい。
 深海棲艦。
 ああしてシンプルになれれば、そうすれば……

01月04日

 昨夜、いつ寝たのか思い出すことが出来ない。
 昼にうたた寝をして、夢を見たのは覚えている。
 そのあと起きて、日記を書いて、その途中で意識が途絶えた。
 気付いたときにはもう、今日だ。

 ずっと家にいたのが悪かったのかも、と考えて、今日は昼から外に出た。
 行くところもないから、近くをぶらぶらしていると、数日前の男に会った。
 こんにちは、とこちらから声をかける。

「ああ」男は少し驚いたようだった。「今日ははじめから話してくれるんだ」
 サービスのつもりで、少し微笑んでやる。
「この辺りに用でもあったの?」
 不思議なことに、口を出た言葉は敬語ではなかった。
 知って間もない男にそういう口のきき方をするのは、わたしには珍しいことだったはずだ。
 なぜか嬉しそうな表情で、「うん」と男は頷いた。
「語学の勉強をしてるんだ。その先生がこの近くにいてね」
「今から行くところだった?」
「いいや、帰りだよ」
「そう」
 それは良かった、と思った。都合が良い。
 昨日の不安定な気持ちが尾を引いているから、気を紛らわしたかったのだ。
「良かったら、この街のこと案内してくれないかな」
 わたしの頼みに、彼は「なんだそれ」と笑った後に了承した。
 無理のない、自然な笑い声だった。

 彼はいくつかの場所を案内した後に、公園へわたしを連れてきた。
 やや大きな敷地を持つ公園で、話によるとここは、過去には兵士の射撃訓練場にもなっていた、とのことだった。
「だからこの辺りの土壌は鉛汚染の影響がちょっと残ってるらしいんだ」
「射撃訓練だけで鉛汚染されたりするものなの?」
「さあ。もしかすると他のものも色々あったのかもな」
 それは例えば化学兵器などだろうか、と想像してやめた。
 わたしを含め、今どき化学兵器なんて詳しい人はそういない。
 昔は違っただろうが、今は化学兵器が役に立つ時代じゃないからだ。
 深海棲艦に化学兵器は効かない、とのことだ。
「あっち、行こうよ」
 彼に誘われてついていく。

 公園の敷地の半分ほどは、小高い丘になっている。彼が向かうのは、その丘の頂上のようだった。
 頂上にはなにかのモニュメントらしきものがあった。
 大きさは、大人ひとりが直立したのと同じくらいの高さと幅。
「いつだったか語学の先生に聞いたんだけどさ、この――」
 彼がモニュメントについてなにか説明しようとしたときだった。
 彼を含む辺り一帯の景色がすべて、粘度の高い液体の動きで、底へと落ちていった。

 文字通り、その場所は底だった。
 この世界で一番深いところ。
 わたしは、いつ閉じたか分からない瞼を開いた。
 あたり一面、闇に覆われていた。
 いや、正確な表現じゃない。
 闇が横たわっていた。
 わたしは闇の一部だった。
 どこにあるのか分からない瞼を何度か動かしたところで、急激な加速を感じた。
 どこかで声も聞こえる。
「――ん発見! 砲雷撃戦、よーい!」
 誰の声だったかな、と思い出そうとする回路が一瞬だけ浮上して消えた。
 こっちだ、となにかを確信した方向へ動く。
 すぐ近くを、冷たい塊が飛んでいく。
 空はどうやら、黒い色をしているようだった。
 わたしが浮かぶのは、それとは少し違う、透明な黒。
 その世界の端に、彼女はいた。

 酷く遠い距離だが、わたしが身にまとう五感のセンサは、彼女の存在を明確にとらえた。
 当たらなければどうということはない、ともう一発飛んできたなにかを避けて、接近する。
 身体が軽かった。
 今、わたしはあるべき形をしているはずだ、と確信した。
 距離が近づく。
 ここだよ、と誰かが囁いた。
 そんなこと、言われなくても分かっているよ。
 身体に染み付いた記憶が、正確なタイミングをわたしに教えてくれる。
 わたしは祈った。

 そして目覚めた。

 窓と、床と、敷布団があった。
 わたしは布団の上で、片方の膝を抱えて座っていた。
 いつ夜になったのか、記憶になかった。
 なにかがおかしかった。

01月05日

 今日は一日中、家にこもっていた。
 なのにわたしは、同時に海に存在していた。
 ただの夢にしては、身体が重い。

 布団の横には、今日の朝起きたときにはなかった封筒があった。
 封筒はもう破られていて、中には1枚の紙切れが入っていた。

 ―― 明日、深夜0時より少し前に、モニュメント前で。 死に損ないより ――

 いつこれを受け取ったのか、覚えがない。
 身体に鎖でも縛り付けておくべきだろうか、なんて考えた。

01月08日

 何日か、帰ることが出来なかった。
 久しぶりの家だから、一応、また日記に記しておこうと思う。
 あとになって忘れるのは良くない。

 06日の24時の少し前、モニュメントでわたしは彼女と再会した。
 わたしより少し先に解体され、艦娘ではなくなった同僚だ。
 公園のベンチでわたしたちは話をした。

「うちに妹がいるの」
 脈絡もなく、彼女はそう言った。
「そうだったんだ」
「で、前に妹が変な構えなんかして、艦娘さんの真似ぇ、なんて言ったの。それを見てなぜかわたし、頭にきちゃって、つい叱っちゃったんだ。やめろ、って」
 彼女が、やめろ、と口にするところを想像してみた。
 きっと怖い、と思った。真剣なときの彼女の声は、近寄りがたいものがある。
「理不尽なことをしたかな」と彼女は苦笑する。
「疲れてるんだよ」
「かもしれない」
「妹さんは不知火が艦娘だったこと知らなかった?」
「うん。まだそんな歳じゃないからね」
「ふうん」
「そっちはどう?」
 なんのことだろう、と考える。

「普通の人に戻ってからの生活。どう?」
「ああ」
「さほど良くない?」
「分からない」
「夢を見たりは?」
「なんの夢?」
「海の」
 ぞっとする声だった。
 だがなぜぞっとしたのか、わたしには分からなかった。
 わたしが答える前に、彼女は「わたしさ」と話を始める。
「足りない、って思うのよね」
「なにが?」
 尋ねたものの、本当はその必要はなかった。
 尋ねずとも、なにが足りないのかなんてこと、分かっていた。
「だからかな。わたしは、夢を見るの」
 これ以上、彼女にわたしがなにかを質問する意味はないと思った。
 わたしが彼女になにかを言う必要はない。
 彼女は話を続けた。

「夢でわたしは魚雷を撃ってるの。
 いつだったかの戦いみたいに、なにも考えずに、ただ目の前の敵のことだけを考えて。
 それはとても気持ちよくて――」
 その通りだ、と思った。
 その瞬間に彼女の声がどこか遠くに追いやられて、わたしは夢に落ちた。
 現実が海に覆われて、わたしは敵の横へ回り込もうとした。
 くそっ、と敵が漏らした。
 言葉を返してあげようとは思わなかった。
 返してあげるべき言葉があるかも分からなかった。
 わたしが撃った砲弾が敵を突き飛ばす。
「ほら」と耳元で声が聞こえた。「分かるでしょ?」
 その瞬間に、現実に引き戻された。
 不知火がいる。
「わたし……」と声が漏れる。「今、どうしてた?」
「普通に受け答えしていたよ」
「本当?」
「うん。でもわたしは経験者だから、あなたが夢を見てたことも見抜けた」
「夢……」
「正確には、夢じゃないのかもしれないけどね」
 だとしたら最悪だ、と思った。
 考えない方がいい。それよりも――
「普通に受け答えできてたの?」
「身体は意識を必要としないのかもね」
「わたしなんかいなくても、わたしの身体はわたしを演じる……?」
「そういうこと」

 それはいつか彼女が言っていたセリフだった。
 場面は違えど、内容は同じ。
 戦闘中、夢中になりすぎて意識が消える、という話だった。
 意識が消えても、わたしは戦い続けることが出来る――不知火は以前、わたしにそう語った。
「わたしたちは終わった方がいい」
 不知火が静かに告げる。
 口元が笑っている。
 絶対に良くない兆候だ、と感じた。
 その次の瞬間に、不知火がナイフを突き出してきたので、ああやっぱり、とわたしは安心した。
 自分の想像は当たっていた。
 想像は恐怖だけど、現実は恐怖ではない。
 少しだけ避けようと思ったけれど、思いが弱かったのか、わたしはうまく避けれなかった。
 脇腹を切っ先がかすめて、破けた服の下から血が滲みだす。
 すぐに、立っているのが苦しくなった。
 脇腹を抑えて地面に座り込むわたしに、彼女がゆっくりとした口調で語る。
「わたしが出撃した最後の戦いで、わたしは死ぬべきだった。
 あの戦いが一番、綺麗な時間だったから。
 救助しようとした子は見つからないし、うっかり敵に急襲されたりしたけれど、わたしにとってあの戦いが、一番、混じりけのない時間だったの」
 恍惚の表情でそう口にしたと思ったら、すぐに次の瞬間には顔を歪めて「なのに……」と彼女は呟いた。
 わたしが見たのはそこまでだった。

 さっき落ちかけた夢にもう一度落ちて、わたしは海を進んだ。
 先ほどの敵はもう、海の底へ落ちただろうか。
 わたしはなにをしているのだろうか。
 なんのために、わたしは敵を落としたのだろうか。
 自由のためだろうか。
 わたしの精神の、世界とのズレを埋めるため。
 ズレがわたしを不自由にしている。
 きっとそうだ。
 きっと……

 目が覚めたときには、わたしは病院にいた。
 付き添いに、見たことのある顔がいた。
 幼なじみに似た顔だった。
 彼は、散歩中に倒れてる君を見つけた、とのことだった。
 わたしが艦娘になる前に、よく馴染んだ顔だった。
 彼の顔をそうだと感じたことは、これまでに一度もなかったはずだった。

 なにか条件が変わっただろうか、と考えた。
 外界への認識に関わる、わたしの条件。

 ひとつズレが埋まったからだろうか、と思いついた。
 その夜と次の日を入院して、今日、わたしは退院した。

 帰ってから、彼のことを思い出そうとした。
 わたしは彼と親しかった。
 それは幼い頃の話だ。
 艦娘ではないわたしについての話。
 思い出せたのはそこまでだった。

 世界とのズレは、わたしが敵をひとつ沈めるごとに近づいていくのだろうか。
 ズレが、ずれる前のわたしを隠しているのだろうか。
 だとしたら……

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