北沢志保「ありのままで」 (22)

 志保は自然な笑顔を作ることが苦手です。

笑顔を作ろうとすると強張ってしまい、自分がイメージするような笑顔を作れないのです。

なので、時間がある時には事務所の給湯室へ向かい、置いてある鏡に向かって笑顔の練習をします。

頬をつまんでみたり引っ張ってみたり、目を見開いてみたりウインクを作ってみたりして理想の表情を作るための訓練をしているのです。

その練習は三十分以上に及び、集中しすぎてしまうと向かってくる誰かの足音が聞こえるまで続きます。

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 ある日、志保がいつものように給湯室へと向かうと人の姿がありました。

「あら、志保ちゃんお疲れさま」、と風花が言いました。

風花は休憩用のお茶を用意しているようで、湯のみと急須を取り出し用意しておいたお盆の上に乗せました。

「えっと、ここ使うのよね? ちょっと待ってね。もう少しでお湯が沸くから」

「あ、いえ、特に用事があったわけではないので」

「そうなの?」

まさか笑顔の練習をするのに使いますと言うわけにもいかないので、志保は「はい」、と答えて次のレッスンが行われる場所へ行くことにしました。

「あ、志保ちゃん、クリスマス会に参加してくれてありがとうね」、部屋を出ようとした志保に声が掛けられました。

 風花さんに誘われた病院でのクリスマス会、この行事こそ今志保が笑顔の訓練に励むことになったきっかけなのです。

思うようにできない笑顔への不安が表情に出たのか、「あの、もしかして不安なことがある?」、と風花がすかさず声をかけました。

「いえ、そんなことはないですよ。むしろ楽しみです」と、志保は努めてはっきりと答えました。

 志保の中で、クリスマス会が楽しみであることは間違いないのです。

普段はなかなか行けない場所で誰かと交流することができる。

しかも、それが子どもたちともなれば是非笑顔になってもらえるものを届けたいと思いました。

しかし、誰かを笑顔にするためにはまず自分が笑顔でなければならない。そう思うと、今の笑顔では足りないと思いました。

「それなら嬉しいな。この前選んだ絵本も持っていってみんなと読みましょうね」

「はい。それじゃあ、私はレッスンがあるので。お疲れさまです」、と言って志保は給湯室から離れると、足早にレッスンへと向かいました。

 家に帰り着いた志保は、これまで以上に理想の笑顔に近づけるように努力しようと考えていました。

せっかく誘ってくれた風花に迷惑をかけるわけにはいきません。

志保はこれまで調べてきた方法をノートに書きだし、見直し、スマホに収めている過去の活動を振り返り、できる限りの方法で笑顔の秘密を探りました。

 ノートのページをめくり続けると、「いつもどおり自然に」、と赤く囲んだ文字を見つけました。

いつの日かプロデューサーに笑顔の作り方について相談した時に返ってきた答えです。

志保はその言葉を目にして深呼吸を一つ入れました。「自然か……」、と呟きながら改めて映像を見直します。

映像の中の自分は、笑顔と言えるかは分かりませんが柔らかい表情をしているようには見えます。

志保は力が入り過ぎていたことを自覚しました。

 しかし、今回子どもたちに見せたい笑顔と画面の中の笑顔はまた少し違いました。

本番までにうまくできるようになるかな。志保はそう考えることは既にうまくいっていないということを理解していました。

結局納得のできる笑顔は作れないまま、明日に支障が出兼ねない時間帯になったので眠ることにしました。

「自然に笑うって難しいね」、と一緒にベッドに入ったぬいぐるみに話しかけながら眠りました。

 数日後、志保と風花は再び給湯室で顔を合わせました。

その時風花は志保の姿勢に違和感を覚えました。心なしか顔色も優れていないように見えたのです。

「志保ちゃん、もしかして具合が悪いんじゃない?」

「え、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

「うぅん、それならいいんだけど……」。風花は志保の大丈夫、という返答で余計に心配になりました。

「あ、そうだ。志保ちゃん今日はこれで終わりなのよね?」

「そうですね……」

「それなら私とちょっとお茶飲んで休憩していかない? ほら、クリスマス会のことも話しておきたいし」と急須を手に振り返りました。

特にこの後予定のなかった志保は「いいですよ」とだけ返事をして棚から自分の湯のみを取り出しました。

 お茶を飲みながらレッスンの話や好きなお菓子の話、それから今日の夕ご飯の話までひとしきり話したところで、

風花は「クリスマス会に向けて、何か不安なことがあったりしない?」と切り出しました。

志保の表情が少しだけ曇りました。風花は先日の出来事も合わせて、不安を抱えていると確信しました。


 一方、志保は正直に打ち明けるべきか迷っていました。

このままでは本当に風花に迷惑をかけてしまうかもしれません。

しかし、今考えていることは自分自身の問題であり誰かに相談して解決することでもないと思えたのです。

2つの気持ちで揺れている間、風花はじっと志保が口を開くのを待っていてくれました。

「あの、すごく個人的なことなんですけど、いいですか……」

 志保は話してみる決意を固めました。「もちろん」、と風花は促します。

「私、その、みんなの前で笑顔になれるか、笑顔にできるか分からなくて……」

志保はここ数日の練習や家で考え試していたことを話し始めました。

よほどため込んでいたのか、志保は数分話し続けました。そのことには志保自身も話しながら驚いてしまいました。


「そっか……。話してくれてありがとう。笑顔……難しいよね」

「……はい」



「でもね、私はもう志保ちゃんはみんなを温かくしてくれる笑顔持っていると思うわよ」

「へっ……?」

 志保にとって意外な言葉が返ってきたので、思わず反射的に声が出ました。

「この前、クリスマス会で読む絵本を決めたじゃない?」、と風花は続けます。


「あの時、絵本を選んだり私に教えたりしてくれた時の笑顔、とても素敵だったもの」

「プロデューサーさんからも聞いていたけど、ほんとに絵本が好きなんだなぁって」


「…小さいころよく夜になると両親が読んでくれたんです」

「そう。素敵なご両親ね」

「……はい」。風花はだいぶ穏やかな表情に戻った志保を見て安心しました。

ここにその時の写真か映像があれば説得力も増すんだけど、と思いましたがさすがにありません。

風花は少しでも自信を確かなものにしてもらいたくて頭を巡らせます。

そして、ある案を思いつきました。


「ねぇ志保ちゃん、もしよかったらこれから2人でお散歩行ってみない?」

 2人は事務所から歩いて10分ほどのところにある公園にいました。

自動販売機の近くにあるベンチに腰を下ろし、ゆっくりと辺りを見回しました。

しばらくすると、風花が「ほら、あの子たち見てみて」と芝生の広場でサッカーをしていた少年たちの方を指さします。

少年たちは大きな笑顔を浮かべながら全力でボールを追いかけていました。「ね?」、と風花は志保の方へ向きます。

「そうですね。楽しかったら自然と笑顔って浮かぶんですよね」、と志保は風花が伝えたかったと思うことを呟きます。


「うん。だから、一生懸命頑張ることも大切だけど、志保ちゃんが楽しんでいたら自然と志保ちゃんの笑顔が出てくると思うの」


「私の……笑顔」


「うん♪」

「今日は本当にありがとうございました」、といつもよりも深い礼を志保はしていました。

「ううん、こちらこそ。こんなに大事に考えてくれていたなんて。きっと素敵なクリスマス会になるわね」

「はい。絶対にそうしましょう」。風花は"しましょう"という言葉に嬉しくなりました。

 さて、クリスマス会ですが、大成功に終わりました。

志保の読み聞かせは聴きやすいと病院のスタッフにも好評でした。

それから、みんなで歌を歌ったり何も付いていないツリー型の用紙に飾りを貼りながら完成させたり参加した全員にとって充実した日となりました。



「で、これ……いつまで貼っておくんですか?」

「う~ん、1月号が出来るまでだから1ヵ月くらい?」

 志保は自身の笑みが大きく掲載された、今月の活動を知らせる掲示物を見ながら苦笑いを浮かべていました。

これを当分の間仲間から見られると思うと恥ずかしくて仕方がありません。

しかし、今回のおかげで少しだけ自信が付いたのも確かです。

「ありがとう」、掲示物に向かって心の中でそっと呟いて、志保は今日のレッスンへと向かいました。

おしまい

拙い作文にお付き合いいただいた方、本当にありがとうございました
読んでくださった方の中にある2人のイメージと遠くないと嬉しいです

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