ソニー「ウオオオオオオッ」ビーン「ウオ? ウオ、ウオ!」(46)


ソニー「ウ、ウオオ、ウオ!」

ビーン「ウオ……、ウオウオ」

ソニー「ウオオオ?」

ビーン「ウオ!」

ソニー「ウオー……」

ビーン「ウウウ。ウオ? ウーオ!」

ソニー「ウオ、ウオ、ウオ!」

ビーン「オオ、ウオ、ウーオ!」

何言ってるかわかんねぇww

ハンジ「流石ビーンだな!!カッコイイイよ」

ビーン「ウオオオ!」///テレッ


ソニー「……分からないってよ」

ビーン「ウオ?」


ソニー「仕方ねえだろ。ここの連中の言葉にいちいち訳しながら話するしかねえな」

ビーン「ちっ、面倒くせえ」

ソニー「あの眼鏡バカ女と同じだ。自分から積極的に学ぼうって姿勢はこれぽっちもねえ」

ビーン「少しは考え直してもらいてえもんだな」

ソニー「無理な期待はしちゃいけねえよ。……さて、お互い様だがお前さんも災難だな」

ビーン「別にどうだっていいよ。少し退屈してたところだ。あのバカ女は頭に来るが」

ソニー「全くあの女ときたら、人を棒切れで突っついたり部屋を暗くしてみたり、やることは猿と大して変わらねえな」


ビーン「あの頭喰いちぎってやりてえよ」

ソニー「まあ、生温かく見守ってやろうじゃねえか」

ビーン「生温かくって懐かしいなその言葉使い。お前どこの生まれだ」

ソニー「日本だ」

ビーン「奇遇だな。俺もだ」

ソニー「マジかよ。俺は東京に住んでたがお前は」

ビーン「東京? あの、花の東京~って歌に歌われてる?」

ソニー「……随分古い歌知ってんだなお前。で、お前はどこ」


ビーン「○○○(聞き取り不能)だ」

ソニー「何だそりゃ? ……どうやら俺の生きてた時代の方が先らしいな」

ビーン「そうみたいだ、先輩と呼ばせていただきます」

ソニー「よろしくな後輩」

ビーン「よろしくおたの申します」

ソニー「言葉使いが何となく不穏でこええよお前。まあいいや。お前、人間だった時の記憶はあるか?」

ビーン「そりゃありますよ先輩。……ただ、どっちかっていうと思い出したくないことの方が多いんですが」

ソニー「分かるような気もするな」


ビーン「先輩には思い出したいことは数々ありますわけで? 何でも昔はいい時代だったって聞きましたけど」

ソニー「さほどいい時代じゃねえよ」

ビーン「そうでしょうかねえ。食い物が有り余るほどあって、面白え遊びもわんさとあったって聞きますぜ」

ソニー「確かにな。食い物のありがたさを身に染みて感じることなんてなかった……」

ビーン「いいですね。ぜひ聞かせてください」

ソニー「そうか。じゃあ、こうしてても退屈だし聞いてくれ」


・・・・・・・・・・・・・

俺が人間として生きていたのは、いろいろ面倒なことが始まるちょっと前の時代だった。

気を付けてりゃいきなり殺されたり、食われたりする心配もない国だったんだよ、昔の日本てところは。その国の中でも俺は、まあ恵まれた階級に属してはいたんだろうな。

東証一部上場企業って知ってるか? そうか聞いたことだけはあるか。俺はそういう会社の人事部に勤めていて、32歳で課長職だからそこそこ恥ずかしくないポストには就いてたってことだろう。

俺が課長になってた人事第2課では、新入社員の採用や不祥事対策、それから「交通整理」なんかをやってた。どっちかって言えば気楽な仕事だ。本格的にもみ消しが必要な不祥事やかなり面倒になってきた交通整理は人事第1課の担当になる。人事第1課長は俺より年次が上で、すぐ上が部長っていうまあ格上のポストだから仕方ないがな。

どこから始めようか。……じゃあ切りのいいところで、新人採用の面接があった日からにしよう。

なんてことを話してるんだ、巨人共・・・


俺の勤めてた会社は汐留にあるオフィスビルの22階から上に入居してた。その日俺は窓の外に富士山が見える28階のオフィスで、同じ課の主任の女と2人で採用希望者が入ってくるのを待ってた。

この主任は俺より2つ下で、既婚だがまだ子供はいなかった。部長の評価は非常に高く、俺の後釜にも名前が上がってて自分もその気でいたらしいが、俺には少し煙たい女だった。俺のささいなミスも決して見逃さないし、妙なところで依怙地になる。その上融通が利かない。言ってみれば、社業のための自分の評価を犠牲にするようなことは絶対にしないタイプだ。……こんな話はお前さんには退屈だろうな。でもその頃はこういう面倒くさいあれこれがクリアすべき条件みたいなもんで、今に比べりゃ退屈しのぎに不自由はしなかったってことなのさ。

まあ、あくまで今から思えばだが……

その女主任が、窓の外の富士山を背に負いながら俺に男子学生の履歴書を見せた。

「絵に描いたように優秀ですよ。ほんと、非の打ちどころがありません」


「すばらしいね。ぜひうちで役立ってもらいたいもんだが」

「いやあもう、こういう人はどこに行ったって通用しますよ」

女は嬉しそうに笑ったが俺は笑わなかった。そんな俺の態度が気に障ったのか、女はセルフレームの眼鏡の奥に微かな不満をにじませて笑うのをやめ、そのどこへ行ったって通用する学生を呼び込みに立ち上がった。

「失礼します」

学生が入ってきた。整ってはいるがどこといって惹き付けるでもない顔立ち。でもお勉強はとてもできる、よくできたぼくちゃん。

「御苦労さまです、人事第1課長のソニーです」

「女主任です。お掛けください」

俺は履歴書を見ながら質問するが、はっきり言ってどうでもいい内容ばかりだ。

「1年間アメリカに留学して、TOEICは930点ですか…… 弊社を希望した理由を改めてお聞かせください」


「はい、御社は常に先鋭的な事業方針を追求され、グローバルに市場展開する姿勢を一貫して堅持しておられるところが、私の琴線に触れたと言えます」

琴線だと? 何言ってんだこいつ。どこの会社へ行っても同じこと言ってんだろお前。

「弊社ではどのような業務をなさりたいと?」

「はい、御社の専門分野でもコンシューマーの琴線に触れる商品の開発は日進月歩でアドバンスが続いている現状に鑑みますと、若い頭脳を最大限に生かして取り組めるのではないかという期待を抱きました」

「そうですか! 私どもも柔軟な考え方を積極的に取り入れていかないと生存競争に勝ち抜いていけないと常日頃から思っているのです。では…… 役員面接に進むかどうかは後日お伝えしたいと思いますので、……本日はこれまでということで」

「ありがとうございました」

男子学生は一瞬、気落ちしたような表情を見せて、それでも丁寧に挨拶して帰っていった。


「ご苦労さんだったね」

「そうですね。やはりすばらしい人材でした」

女主任は次に面接を受ける女子学生の履歴書を渡した。経歴なんかよりまず写真を見る。悪くない。ただこの頃は、かなりあくどい修正をする女もいるから実物を見るまでは何とも言えない。

女子大生が入ってきた。俺は立ち上がって、自己紹介がてら顔から体全体を舐めるように見る。うむ悪くない。


「どうぞお掛けください」

女子大生は丁寧に腰をかがめて一礼してから、着席した。胸の膨らみ具合、腰の張り具合。実に悪くない。

「大学では英会話サークルに所属されていて、ネイティブレベルの会話力はつけておられる、ということでよろしいのですね?」

「はい。そのように自負しております」

「結構です。弊社では海外の取引先との接点も多いので心強い。ところで、お得意なのは何でしょうか?」

「はい。松葉崩しと仏壇返しです」

食品のありがさが、分かったのなら人間食うなや(ГГ"Д"///)


「なるほど。松葉崩しはともかく、仏壇返しを得意とされている人というのは珍しいですが、かなり自信はお有りなのですか」

「はい。御社に勤務されている先輩の(ここで女子大生は営業1課の課長代理の名を挙げた)からも高い評価を頂きました」

「そうですか、即戦力と言ってよいですね! 分かりました。では、役員面接を行う場所は、この少し先のAホテルに取っておくことにしたいと思います。正式な面接の実施については本日中に連絡しますので、きょうはここまでということで」

「ありがとうございます」

女子大生は俺に体のラインをこれ見よがしに強調しながら立ち上がって、最初と同じように腰をかがめて挨拶した。役員面接もきっと順調に違いない。そう思った。


「そんなに仏壇返しがお気に召したんですか課長」

女子大生が退出した後、女主任が無表情に履歴書をしまいながら言う。後輩よ、お前さんには理解しにくいだろうが、この手のセクハラ関連単語が問題化するのには複雑な力関係と空気の兼ね合いが関係している。時にはそれが交通整理の重要なツールになったりもするんだがな。

俺が黙っていると、女主任が軽い溜息をついて言葉を続けた。

「私の時と大分変わりましたね。女子大生がこういう場所で松葉崩しとか仏壇返しとか、平気で口にできるようになるなんて!」

「まあいいじゃない。率直に言ってもらった方が助かるよ」


「それにしても…… 営業1課長にはこのこと知らせときます?」

「黙ってた方がいいよ。まだ役員面接前なんだし」

「あの手の肉弾営業要員の需要ってまだあるんでしょうか」

「実はね、営業2課にいた腕利きの女性が退職したもんだから、その手の要員が足りなくなってたところなんだ」

「その穴埋めが必要になってるわけですか…… で、その腕利きさんどうしたんです」

「引き抜かれたんだよ。さる代議士の秘書ってことで」

「また! うまくたらし込んだんですね……」

「そんな人聞きの悪いこと言わないの。次の総選挙で与党候補として擁立されるって話もあるんだよ」

「ええ? 嘘!」

女主任はこれ見よがしに目を丸くした。自分の守備範囲じゃないって意思表示だな。


「役員面接は明後日ですよね? 課長は同席されます?」

もう日は傾いてた。麓まで雪を被った富士山が赤い。冷え込みもきつそうだが、俺の頭は今晩の予定のことで一杯になってた。俺はその晩、婚約者とデートする約束があった。

「冗談じゃないよ。君が行ったら?」

「また課長! それこそご冗談もいいところですよ」

あの時の、セルフレームの奥の目。そして横いっぱいに広がった女の口は…… 巨人になった後でも唐突に俺の頭に突然浮かんできて、そのたびに俺は、あれは一体なんだったんだろうと必死に記憶を手繰ったもんだ。そんなことを何十回、何百回と繰り返せば、人間ではなくなってても忘れなくなるもんさ。

「じゃ女主任、1時間経ったら彼女の携帯に連絡しといて。僕はこれから人に会うんで、そのまま直帰。……あと、きょうのメモは明朝僕が役員室に持っていくから何もしなくていいよ」


新橋にある人材派遣会社の業務部長と派遣社員の受け入れについて簡単な打ち合わせをしてから外に出た時は、もう8時近かった。12月の冷気が顔に突き刺さるようだった。今になってみれば、人間の体ってのはつくづくデリケートにできてたと思う。ちょっとした気温の変化で毛穴が開いたり塞がったりして、情緒面にも微妙な影を落とすこともある。そういう変化もまた楽しいと言えば楽しかったな。そう思わないか?

新橋から歩いて銀座に出ると、道行く人の装いも変わる。帰宅途中に一杯ひっかける店へと徒党を組んでいる親父連中は減って、小金の落とし場所を落ち着かない様子で探しているみたいな業界人風が多くなる。俺はその日、銀座にある和風レストランで婚約者と食事をする約束をしていた。

8時少し前に店へ入ってみると、婚約者はもう待っていた。どれくらい待ったのか分からないが、1人で先にオーダーを出したりするような女じゃない。そういった適度な慎ましやかさも、人によっては窮屈に感じる場合もあるらしいが、俺には好ましかった。カジュアルな振る舞いの陰に原石が隠れていると思われた時代はとうの昔に過ぎ去っていて、今では人品の卑しさの露呈でしかない。俺は営業から人事に移って5年の間に、そんな例を山ほど見てきていた。幻を追い求めても無駄だってことだ。


彼女とは知り合って3年になっていた。大学時代のサークルの会合で後輩の友人として来ていたのが接点で、まあ、幸運な出会いだったんだろう。俺より4つ下の彼女は当時大学院で言語学を勉強していて、博士課程に進むかどうか迷っていたところだった。自分の研究分野に思い入れはあっても、世間体や親の意向との間で板挟みになっている様子が感じられたので、俺は自分の意思に素直になるようにとアドバイスしてやると、そのうちに彼女の方からいろいろな相談を求められるようになった。俺との付き合いが続く中で彼女は博士課程に進み、3カ月前、俺と彼女は正式に婚約した。その頃は会うたびに、教授の手伝いや研究の難しさについてたっぷり話を聞かされるようになってた。

「早かったね。そっちの仕事はどうなの」

「全然。時間が空いたから早く来たの。外歩いてても寒いし」

俺はコートをボックス横のハンガーに掛けて、揉み手しながらメニューを開いた。鱸のグリルに鮑のソテー、刺身盛り合わせ…… そんなところが食欲をそそったので婚約者に同意を求め、いつものように「ソニーの好きなものでいい」という返事を聞いてオーダーを出した。

ビールで乾杯してから、頃合いを見計らって俺は話を切り出した。


「なあ。そろそろ日程を詰めておこうかと思うんだけど。ちょっと真面目な話」

もちろん、式の日取りその他のことだ。大きな声では言えないが、俺も自分の年齢が気になり始めていた。独身時代を切り上げるのには頃合いがある。具体的なことをしっかり詰めてしまえば、後は社内でのレールと同じように、傍目には順調と見える人生の予想図が描けるはずだと考えていた。

彼女は視線を斜め下に向けてグラスを置いた。

「そうね。式場の予約なんかも考えておかなくちゃいけないし」

「場所にこだわってると、半年ぐらい先までは難しくなるからね」

「ねえソニー。いつだったか、私たちが結婚してからの話をしたの覚えてる?」

「……子供のこと?」

「うん」


あまり持ち出されたくない話題だった。でも相手からは、どうにも話を逸らさないとでもいうような構えが感じられて、俺は自分の腰が引けていく気がした。

「一緒になるからには、子供は1人でもいた方がいいと思うんだ。2人とも仕事を持っていることを考えれば、望みすぎはできないと思うが」

「そういうのと違うの」

「違うって?」

「ね。未来に生きていく子供たちは、それは私たちの子供とは限らないけど、本当に幸せに生きていけるのかって、時々考えることがあるの」

そう言って婚約者はビールのグラスに軽く口を付ける。鮑のソテーが運ばれてきた。昔の日本には美味い物がたくさんあったよ。お前さんは知らないかもしれんが。

「一緒に暮していればそれで十分、家族でしょ? 私だって子供は欲しい。でも、やっぱり私たちの責任って重いと思うのよ。ごめんなさい。このごろ何だか、妙にそのへんのこと考えると気が重くなっちゃって」

「先のことは考えれば考えるほど気が重くなると思うけど」


「そうね! レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を学部の時読んで、私たちがどんなに楽な生活をしていたってこれが世界の現実なんだなって思った時、幸せとか明るい未来っていうのが、急にうそ寒く思えてきたことがあったのね。……幸せを私たちなりに追いかけても、所詮はうそで塗り固めた張り子のようなものでしかないとか…… 昔のことなんだけど。だったら、男と女がただ、一緒に住んでいるって偶然だけでも奇跡みたいなものかもしれない。違うかしらね」

最後の一言は俺への問い掛けではなくて、どこか斜め下に潜んでいる何者かに向けられているかのようだった。俺は俺で、右に左によく動く彼女の瞳を見つめながら、何かが壊れていっているのを為す術もなく眺めているような気がしていた。

「僕と君がここでこうして会っているのも奇跡だよ。食べないの?」

俺は自分から鮑にナイフを入れて切り始め、そうよね、冷めないうちに、という婚約者の声を頭の先に聞いた。

「そういえば、私たちまだクリスマスの予定入れてないわよね」

「……だったね。うちの会社ちょうど書き入れ時だから参っちゃうよ」

「遅くなってもいいわよ。ね、私、水族館に行きたい」

「イブにかい?」


「うん。きっと空いてるんじゃないかしら」

「だろうね。わざわざクリスマスイブに行く場所でもないと思う。どこか心当たりあるのかい」

「品川駅を降りたすぐのところにあるの。結構遅くまでやってるから」

それからは水族館で見る魚とか、イルカやクジラの話しかしなかった。子供が何人欲しいなんて話ができるわけもない。5年先10年先の話ばかりしてたら疲れ果ててしまう。取りあえずは一週間後のイブの予定を考えながら浮き浮きするのが上手な生き方だと、当時は信じて疑わなかった。

レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」なら俺も読んだ。大切な女性と会っている時に話題にするには少々不吉すぎる書物だ。滅びゆく者たちは特有の表情を持っている。悲しみと優しさの入り混じった、一種独特の明るさ。倒れていった南米先住民の多くは、それを神の意志として従容と受け入れることができたんだろうか? 今、俺たちが相手をしている眼鏡のバカ女や目付きの悪いチビは、あの書物に登場する人々よりもずっとギラギラして、滅びの運命を拒絶しているように俺には思えるんだがな。


その年のイブは6時半ごろに社を出て、携帯で連絡を取り合いながら品川駅で合流した。駅の外の空気は叩けば割れる氷みたいな冷たさで、俺と婚約者はごく自然に腕を組んで肩を寄せ合った。

「馬鹿みたいに寒い」

「ほらこれ。クリスマスプレゼントその1」

俺は事務用カバンからマフラーを出して、剥き出しの彼女の首に巻いた。

「ありがとう」

彼女は少しうつむきながら言った。コート越しに伝わる体温がひときわ高くなったように感じたのは、俺の気のせいだったんだろうか。


婚約者の言ってた水族館は、本当に駅からすぐの場所にあった。学校が冬休みに入ったからだろう、幼い子供を連れた母親の姿が多くて、歓声を上げる子供の声が四方から耳に入った。海の動物たちは寒さにもめげず仕事に励んで、客に愛想を振り撒いていた。マンタやサメが頭上を泳ぎ回るガラス張りのトンネルは特に婚約者の気に入ったらしく、俺たちはスマートフォンでお互いの写真を撮り合ったり近くの人にツーショットの撮影を頼んだりしたから、行き交う家族連れにはかなり邪魔くさかったことだろう。

ひと通り魚たちとのご対面を済ませたところで、アシカのショーを鑑賞した。アシカってのがこんなにも芸達者で、人間と意思疎通のできる動物だというのを知ったのはその時が初めてだった。今でもよく覚えてる。人間の言葉を正確に理解して客に手を振ったり首を傾げたりにやけ面をしたり…… 今、俺たちの目の前で二本足で立って走り回ってる奴らは本当に同じ人間なんだろうか? あの時、婚約者と二人で見たアシカショーの光景を思い出すと不思議で仕方がなくなる。あれからどれだけの時間が経過したのか皆目見当がつかないから、思い出補正ってやつの可能性も否定できないがな。

水棲動物たちに癒されて水族館を出てみると、雪がちらつき始めてた。ホテルへと続く上り坂に沿って、街灯の下にベンチが並べられてある。婚約者はそこに座りたいと言った。

「風邪引くよ」

「ちょっとだけ。外の空気がきれいだし、雪を見たいの」


今年初めての雪を見る気持ちは俺にも分からないではなかった。

「アシカって本当に利口だね! 笑っちゃった。漫画みたい」

ベンチに腰を下ろした彼女の白い息が、1メートル近く先まで届くのを何とはなしに俺は目で追った。それにしても寒い。俺が彼女の腰に手を回すと、自然に彼女の頭が俺の頬の下にもたれかかってきた。遠くでクリスマスソングが鳴り響いてた。

「不思議ね。この時期はみんなはしゃいでて」

「キリスト教徒は日本人の1%もいないはずなんだけどな。それでもクリスマス商戦にはきっちり乗ってきてくれるから、デパートは大助かりだ」

「イスラム教も便乗したらどうかしら。ラマダンの時には断食商戦とかできたりしない?」

「それでもイブの前はクリスマス商戦?」


「そう」

「日本は平和だよ」

「本当に」

細かく笑う婚約者の頭が震えて、髪に舞い落ちる雪が静かに溶けていった。

「ねえソニー。私たちはいつも12月24日には浮かれてるけど、イエス・キリスト本人にとってはどうなのかしらね。苦難に始まり苦難に終わった人生の、まさに始まりでしょ。そんな日に、私たちはお祭り騒ぎをするのよね」

「自分の人生を振り返ってため息をつくのは凡人のすることだからね。僕たちは彼を、そういう人間じゃないっていう立ち位置に祭り上げてる」

「本当は私たち、この日は彼の痛ましい生涯を思って慎ましく過ごすべきなのかもね」

俺は人の子イエスの生涯を思った。父なる神に対し、なぜ自分を見捨てたのかとの叫びを残して終えなければならなかった生涯。もし、他の誰も気づいていない真実が、この俺にだけ白日の下のように明らかにされたとしたら。本当にそんな境遇に置かれたら、やはり彼のように振る舞うしかないのだろうか?


「どうしたの? 自分が十字架に掛けられるところでも想像した?」

俺の頬の下の頭が動いて、街灯の光を反射する瞳が俺に向けられた。キスをするタイミングかもしれなかったが、周囲が気になって思いとどまった。

「僕は臆病だから無理だよ。臆病だし、おまけに寒がりだ」

俺は目を離さずに、彼女の手を取って立たせた。予約した店では暖かいディナーコースが待っているはずだ。その後は二人だけの夜を幸せに過ごせればいい。


年末は仕事納めに向けて慌ただしく過ぎていった。俺と婚約者は大晦日から元日にかけてそれぞれの実家で過ごし、2日に二人そろって初詣をした。昼は川崎大師に近い日本料理屋で鰻を食べ、夜は懐石料理をつついた。彼女は上機嫌だったが、俺は「具体的な日取り」や将来の家族設計は話題にしなかった。

1月はいつもと変わらずに過ぎていった。

2月に入って間もなく、彼女と連絡がつかなくなった。携帯はメールも通話も繋がらず、PCのアドレスも通じなくなっていた。大学の研究室に聞いてみると、1月末に助手を退職して、その後の連絡先は分からないとのことだった。自宅の電話も解約された後だった。

彼女の実家に電話すべきか迷っているうちに、婚約指輪が局留め小包で届いた。指輪のケースを封入した段ボール箱に紙切れ一つ入れられてなかったのを見て、俺は怒り狂ったりあきれ返る元気も失くしてしまった。俺は一体今まで何をやってきてたんだと思う気力すら湧き起こらなかった。でもすべては現実に起きたんだ。むしろ、俺にじたばたする時間を与えなかった彼女の判断を歓迎すべきなのかもしれない。事態は実に鮮やかに手際よく、事務的に処理されたわけだ。


取りあえず俺は生存する方向を選んだ。だとすれば、過ぎたことは可能な限り早急に忘れてしまうに限る。そうしなければ傷ついた獣のように餌食にされるだけだからだ。もっとも人間にできるレベルのことは限られてる。仕事ではミスも多くなったし、声は自然とでかくなり部下に当たり散らすことも多くなった。俺の陰口が至るところで叩かれるようになったのも当然意識してた。

そして酒量も増えた。家に帰ってウイスキーをボトル半分ほど空けないと寝付けない。目が覚めてみると、さて婚約者にどんなメールを打とうかと考え始めた自分に戦慄する。10分ほど悶絶してから鏡に向かって自分の頬を平手打ちし、冷水を頭から浴びる。そうやって出勤するようなざまだった。

荒れている頭の中でも、殺伐とした雰囲気を周囲に振り撒くのは考えものだと思い、作り笑顔に努めるようになった。電話口では落ち着いた様子がなくなった。突然馬鹿笑いをしたり、無闇に大声で相づちを打ったりする。それまで苦手だと思っていた社内の先輩にまで意味もなく愛想良くするようになった。自分が壊れていくことに、俺は加虐的なのか被虐的なのかよく分からない快感を覚え始めていた。

それでも3月初めの自分の誕生日に、俺は身をよじらんばかりにしてメールが来るのを待った。俺が33歳になったことは、今の彼女にとっても無意味なはずはないという思い込みが頭のどこかにこびりついて離れなかった。結局俺は、日付が変わるまでの間に意識が無くなるまで泥酔しただけだったがな。


・・・・・・・・・・・・・・・

幸か不幸か、塞ぎの虫に取りつかれている時間は長く続かなかった。戦争が始まったからだ。拍子抜けするくらい簡単に戦争は始まった。といっても最初は、俺たちの生活が極端に変わったわけじゃない。多少物価が上がったことを除けば、テレビでは相変わらずお笑い芸人がうるさいだけの馬鹿話を叫んでたし、どうでもいいドラマも流れていた。変化を強いて挙げれば、アイドルグループが野戦服めいた衣装を着て踊るようになった程度だろう。

開戦から最初の2~3週間は、同盟国との合同部隊がどの辺りを進軍中とかいったニュースが報道されていたが、ある日を境に、戦線が全く動かなくなった。戦況に関して何とも腑に落ちない内容ばかりがメディアを埋め尽くすようになると、戦争報道自体の分量が目に見えて減り始めた。

次には、芸能ネタを除いてニュース自体が消滅した。政治、経済関係のニュースはネットも含めて一切報道されなくなった。匿名掲示板やブログなどを回ってみても、こういう誰が見ても異常な事態を取り上げているサイトが全然ない。信頼できそうだと思われる海外のサイトにアクセスすると画面が固まってしまう。やがて、新聞は1枚だけのタブロイド版になってほとんどが芸能ネタになった。


ネットではある日を境にポータルサイトの更新が停止した。テレビを点ければドラマと音楽、バラエティー番組の再放送だけをやっている。一方、街角では厳しい顔で立つ警官の数だけが増えていった。近所では立ち話をしている人も見かけない。すぐに警官が飛んできて解散させるか、どこかに連行するからだ。

勤務先では、どうやら戦況が不利なのは確かだという話が聞けたが、具体的なところを知っている者は誰もいなかった。その日がやってくるまでは。

ある晴れた日。花粉の飛散も収まってそろそろ夏の暑さが始まるかと思われた午後、出し抜けにそいつはやってきた。

敵国のマークを付けた戦闘爆撃機の3機編隊が轟音を響かせて低空を飛び、爆弾とナパーム弾を投下した。俺は300メートルほど離れた首都高の上に火柱が上がるのを社屋から見てた。空襲警報なんて鳴らなかった。そいつらが飛び去った後に避難指示が出たのには笑ったよ。もっとも、避難ったってどこへ逃げりゃよかったんだろうな? 日比谷公園? 1時間後の第2波は避難民で立錐の余地もない日比谷公園に爆弾を落としたよ。蜘蛛の子を散らすように公園から溢れ出た避難者は永田町や霞が関方面に殺到したが、噂では機動隊はその連中に発砲したって話だ。


その日、敵軍が九州、北陸、四国、東海、北東北の各地に上陸したとの情報を俺たちは非公式なところから知った。敵は銃も大砲の弾も効かない巨人兵を前線に立てている。巨人兵は素手で戦車を叩き壊し、兵を頭から貪り喰っている。民間人も見境なく喰い殺してるって噂だった。巨人兵の正体は全く不明、というか民間レベルにそれ以上の情報は何も伝わってこなかった。連中はいずれ東京に現れる、映画に出てくるゾンビの大型種みたいなもんで、人間は1人残らず喰われるだろうって噂を聞いても、本気にしている奴なんていなかった。そりゃそうだ、そんな出来の悪いホラー映画みたいな話を誰が信じるかって!

知ったところでどうにもならない。そもそも日本列島の各地に、そんな敵が上陸してきてるんなら逃げ場なんてどこにある? あらゆるメディアは沈黙、政府は何の情報もよこさない。唯一考えられる逃げ場所は国外だが、空港や港は閉鎖されて軍隊が筒先を外に向けて警戒してるし、飛行機も船もまるっきり動いてないときた。

空爆の日から3日後。会社はとうに臨時休業で、俺は自宅マンションにじっとしてた。正午ごろ、ヘリがやかましく爆音を響かせながら国民へのメッセージを伝え始めた。


区役所に名簿が張り出してある、それに記載されている人間は優先的に地下シェルターへ避難できると言ってた。半信半疑で区役所に足を運んでみると、大学入試の合格者一覧みたいな大判の紙が張り出されていて、俺の名前もそこに載っていた。人数は全員で500人もいなかったと思うな。周囲は悲鳴と怒号でひどい有様だった。自分だけ逃げようって奴はぶち殺すとか騒いでた親父もいたっけ。とはいえ、俺は選ばれたわけだから、24時間以内に所定の場所へ集まれって指示に従い、手近の荷物をまとめて集合場所に向かった。

都営地下鉄の駅の一番深い場所に目立たないようにエレベーターが設置されていて、俺たちはそれに乗り込んだ。エレベーターが動いてたのは15秒ぐらいだろうか。俺たちは地下鉄構内からさらに深い場所に下ろされた。そこは高さ4メートルほどの天井から、橙色の照明が白っぽい壁を照らし出しているホールみたいなところで、50人ほどの先客がいたと記憶している。

それから俺たちは、ホールの突き当たりにあるドアから別の部屋へ向かうよう係官に指示された。その時ようやく、俺の聡明極まる頭脳にドジを踏んだかもしれないという予感が走った。シェルターだからってのこのこ連れて来られたが、ナチスに連行されたユダヤ人みたいなものだったんじゃ? そう考えると一斉に鳥肌が立ち心臓が早鐘みたいに打って、まともに歩いていられなくなった。隣を歩いてるおっさんの顔を見ると、やっぱり同じ予感にとらわれたのか顔面蒼白だ。


後ろを振り返ると…… ああやっぱり。自動小銃を構えた兵士が4人、行列の両脇を固めている。でも、哀れな人間の群れは後ろからぞろぞろ歩いて来て、立ち止まってもいられない。俺は地獄の口みたいに開いているそのドアを通った。

ドアが閉まった。灯りが一斉に薄暗くなって、四隅のスピーカーから爆音のような声が響いてきた。

「ようこそ! 皆さんは選ばれた人間です! 皆さんは永遠の生命を手にすることになりました。おめでとうございます!」

次の瞬間、天井からガスのようなものが噴き出し、一斉に悲鳴が上がった。意識が途切れるまで2~3秒くらいだったろう。


俺が人間だったのはそこまでだ。意識が戻った時、俺は以前より2メートル以上は高い目の位置から世界を見ていた。周囲では大きさが様々に異なる巨人が、車が乗り捨てられて信号機の消えた道路を闊歩していた。静まり返っている以外は見慣れた東京の街の風景だ。

悲鳴を上げて逃げ回る人間の後を追いかけると、交差点上にひと塊になって逃げ場を失った群衆にぶつかった。あとは…… 周りの巨人と同じように、俺も捕まえ次第頭から貪り喰うだけだった。時折、頭上を軍用機が爆音を上げて通り過ぎて行ったっけ。

それから先はただただ同じことの繰り返しだった。追いかけ、捕まえ、喰って吐く。

……ただ、俺は誰かを探しているような気がしていた。

それらしい後ろ姿を見つけると、先を越されないように走り寄って振り向かせる。そいつが探している相手だろうがなかろうが後は喰うだけだ。終わればまた次を探して、足の向く方へ進んでいった。

時々、随分と長い意識の空白ができてるらしい…… その間俺は眠ってたのか、それとも意識のない巨人として歩き回ってのか、さっぱり分からない。再び意識を取り戻した時、以前は町だったところはすっかり荒れ果て、俺たちの前を逃げ回る人間たちの様子が違っていた。身なりも汚らしくなり、痩せこけて顔を悲哀が色濃く覆っていた。俺はそんな連中の中にも、誰かを探そうとしていたんだと思う。


そうした意識の空白を何回も何十回も挟んで、途方もない時間が流れた。……かつての日本人の容貌をした者はいなくなった。俺たちの前を逃げ惑うのは薄汚い中世の衣装のような服を着た白人ばかりになった。そんな連中の中に俺はある日、遠い昔の甘い記憶を呼び覚ます背中を見つけた。間違いないと思った。

とうとう俺は、探し続けた背中を見つけたんだ。あれがそうでないはずはない。俺は他の人間には目もくれず、そいつに走り寄った。肩に手を掛けて振り向かせた時、俺の目に飛び込んできたのは、そりゃあ似ても似つかない異国人の顔だったさ。でも、怯えた目の奥から、俺の探していた女の魂が笑いかけているのが分かった。

─やっと見つけてくれたのね。

頭の中に声が語りかけてきたすぐ後、俺はその女の頭を喰いちぎっていた。




俺の話はここまでだ。後輩よ、お前にも話せることがあるなら、気が向いた時でいいから聞かせてくれ。


~~何者かによるソニー、ビーンの殺害事件が発生!~~

ハンジ「うぎゃあああああ! ソニー! ビーン! 嘘だと、嘘だと言ってくれ!」

グンタ「貴重な被験体を…… 兵士がやったのか?」

エルド「ああ。犯人はまだ見つかってない。夜明け前に2体同時にやられたらしい。見張りが気付いた時には立体機動ではるか遠くだ」

グンタ「2人以上の計画的作戦ってわけか」

オルオ「見ろよ。ハンジ分隊長がご乱心だ……!」

エルヴィン「君には何が見える? 敵は何だと思う? すまない、変なことを聞いたな」

ハンジ「(ソニーの死骸に近づく。小声で)せっかくまたお会いできたのに、こんな形でお別れだなんて本当に残念です。ところで課長! 役員室にメモを持っていっていただけました? お忘れじゃありません?」


終わり

ありがとうございました。
よいクリスマスを。

すんません。

>>11訂正

×人事第1課長のソニーです
      ↓
○人事第2課長のソニーです

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