咏「わかんねぇ……すべてがわかんねぇ……」(252)

えり「三尋木プロ、急いで下さい!対局始まっちゃいますよ!」

咏「ちょ、ちょっと待ってよ~、和服じゃ走れねーしー」

えり「もう、もっと裾をたくしあげて走ればいいでしょ」

咏「そんなはしたないマネ……ふぎゃっ!」ドテッ ゴツン

えり「み、三尋木プロ!? 大丈夫ですか!」

咏「う、うう……」

咏「あいたたたたー……」

えり「大丈夫ですか……? 思いっきり頭打ってましたけど」

咏「ん、あれー……アンタ誰?」

えり「何をふざけてるんですか……なんともないなら、早く行きますよ」

咏「あれっ、ここってどこ?」キョロキョロ

えり「もう、いつまでやってるんですか……早く立って下さい三尋木プロ」

咏「みひろぎ……って、私のこと?」

えり「何をわかりきったことを」

咏「あれっ、そうだっけ……うーん、思いだせねー……」

えり「えっ……」

咏「うーん、わかんねー……すべてがわかんねー」

えり「も、もしかして本当に忘れちゃったんですか?」

えり「まさか、さっき頭ぶつけた衝撃で……?」

咏「てゆーか、ここどこなんだよー、帰りたいよー」

えり「か、帰っちゃダメですよ……これから仕事あるんですから」

咏「仕事~? あんた私の仕事仲間なわけ?」

えり「まあ、そんな感じですね。
  私がアナウンサーで、あなたがプロの雀士です」

咏「え、私が? プロ雀士? うっそだー」

えり「本当ですよ……もしかして麻雀のことも忘れたんですか?」

咏「忘れるも何も、麻雀なんてやったこともないよ」

えり「完全に忘れている……」

咏「んで? これから私たちは何の仕事すんの?」

えり「え、ああそれは……」

「あっ、針生さんに三尋木さん、こんなところにいたんですか!
 早くしてくださいよ、もう始まっちゃいますよ!」

えり「あ、はいすぐに行きます! ほら、急ぎますよ!」

咏「ほえ?」

実況席

えり「ふう、なんとか間に合った……」

咏「ここで何すんの? てゆーかそもそもこれ何のイベントなの?」

えり「ああ、高校生麻雀部の全国大会をやってるんです……で、実況と解説をするんですよ」

咏「へえー、そーなんだ。頑張って~」ヒラヒラ

えり「ちょっと、三尋木プロもここで解説するんですよっ」

咏「えっ、いや無理無理! 私麻雀のことなんてわかんねーし」

えり「大丈夫です、いつもの調子でやってくれれば」

咏「いつもの調子ってのがわかんねーんだって」

えり「とりあえず私が話をふったら、はぐらかしてくれればそれで構いませんので」

咏「そんな適当でいいの……?」

えり「はい、いつもそんな感じなので」

咏「どんだけ適当なんだよ私は」

えり「あ、そろそろ始まりますよ」

咏「ええー、なんか緊張するなあ~……」

えり『おっとここで待ちを変えました……これはどういうことでしょう』

咏『うーん、わかんねー』

えり『点差はほとんど開いておりませんが、
   この4校の中ならどこが一番強いんでしょうねえ』

咏『いや知らんし』

えり『ここで五萬切りですか……ということは、どうなるんでしょう』

咏『さっぱりわかんねー』

えり『おっと、振り込んでしまいましたね。どうでしょう三尋木プロ』

咏『うーん、知らん』

えり『前半戦は特に大きな動きもないまま終わりましたね』

咏『そうだねー、知らんけど』

えり『そろそろ終盤に入って来ましたが、どうでしょう、ここまで見てきて』

咏『全然まったく何一つとしてわかんねー!』


玄「今日の解説はいつにもまして適当だね……」

憧「いっつもこんな感じじゃない?」

えり「はあ~、なんとか終わった……」

咏「おっつかれー」

えり「三尋木プロもお疲れ様です……
   記憶喪失になったのに駆り出しちゃって」

咏「てゆーか、ほんとにあんなんで良かったわけ?
  『しらねー』と『わかんねー』しか言ってないけど」

えり「大丈夫です、いつもどおりなんで」

咏「いつもの私が心配になってきたよ……」

えり「で……まだ記憶は戻ってないんですよね」

咏「んー、全然思い出せないや」

えり「何を忘れて、何を覚えてるんですか?
   自分の名前とか、住所とか、生年月日とか、電話番号とか……」

咏「住所とか生年月日……うーん、思いだせねー」

えり「ベネズエラの大統領の名前は? アルバニアの首都の名前は? ちょうりょうばっこを漢字で書くと?」

咏「ウゴ・チャベス。ティラナ。跳梁跋扈」

えり「なるほど、一般常識は覚えていると」

咏「常識かこれ」

えり「どうやら自分自身や自分の周りのことと、麻雀に関する記憶が
   綺麗サッパリ抜け落ちてしまってるみたいですね」

咏「なるほどねー。困っちゃうねえ」

えり「こういう時はやっぱり病院でしょうかね……何科かな、精神科?」

咏「いや、でももう夜だし……病院あいてなくね?」

えり「あー……そうかもしれませんね」

咏「病院は明日でいいよ。今日はとりあえず帰ろう、なんか疲れちゃったしー」

えり「帰るって言ったって……自分の家がどこか覚えてるんですか?」

咏「……わかんねー、はは」

えり「笑ってる場合じゃないでしょ……
   住所がわかるものとか、持ってないんですか?」

咏「うーん……あ、免許証あった」ゴソゴソ

えり「ふむ、ここからそう遠くもないですね。
   なんか心配なんで、家まで送っていきますよ」

咏「お、マジで? 助かるよ~、記憶ないまま歩きまわるのは不安だしさー。
  いやー、私は優しい友達を持ってるみたいでよかったー」

えり「べ、別に友達とかでは……」

――
―――
―――――


えり「えーと……この辺ですよね、住所によると」

咏「マンション松岡……マンション松岡……うーん、どこだろ」

えり「あのーすみません、マンション松岡ってどこにあるかご存じですか」

通行人「ああ、それならすぐそこの、あのデカいマンションですよ」

えり「えっ、あ……あれが!?」

咏「うっわー、私あんなでっかいマンション住んでんの? マジで!?」

えり「す、すごい……」

咏「麻雀のプロって儲かるんだねー! 我ながらすげー」

えり「と、とりあえず……中入りますか」

咏「どんな部屋なんだろ~、楽しみ~」

えり「えーと、601号室ですね……」

咏「うっはー!しかも最上階じゃん!」

えり「まさかこんなすごいお宅にお住みとは……」

室内

咏「うわー、すっげー広いよー!」

えり「おお……こんな豪華なマンション初めてですよ」

咏「うっはー、シャンデリアとかある! テレビもでけー! 眺めいいー!」

えり「自分の部屋に感激しないでくださいよ」

咏「いやでもこれマジですごいよー?
  ほら、このボタン押したらスクリーン降りてくるし!」ウィーン

えり「はあ……」

咏「なんか信じらんないな~、私がこんなすごいとこ住んでるなんて。
  麻雀のプロってこんなに儲かるもんなの?」

えり「そりゃあプロの中でもトップの人はめちゃくちゃ稼いでらっしゃいますけど……
   まさか三尋木プロがここまでとは……」

咏「わっはは、失礼だな~」

えり「あ、ちょっとお手洗い借りていいですか?」

咏「いいよー、場所わかんないから自分で探してね」

えり「はいはい」ガチャバタン

咏「……」

えり「ふう……ほんと広いですねこの家」ガチャ

咏「あ、トイレの場所分かった? どこ?」

えり「このリビングを出て廊下を右に曲がったところの突き当りですよ」

咏「そっかー、なるほど」

えり「じゃあ、私そろそろおいとましますので」

咏「えっ、もう帰っちゃうの?」

えり「はい、いつまでもおじゃましてるわけにも……」

咏「明日も仕事?」

えり「いえ、明日はオフですけど……」

咏「ふーん……」

えり「? どうしたんですか?」

咏「いやあ……その、私、今記憶喪失中なわけじゃん?」

えり「はあ」

咏「さっきえりちゃんがトイレ行って一人きりになった時、初めて気づいたんだけどさ……
  自分で自分のことがわからないのって……めっちゃくちゃ心細いんだよね」

えり「…………」

咏「だからその……こんな広い家に一人で残されちゃうと、
  ちょっと不安っつーかなんつーか」

えり「…………」

咏「今現在、私のことを私よりよく知ってるのはえりちゃんだからさ、
  一緒にいてくれると安心ってゆーか」

えり「…………」

咏「だからその……今日泊まってってくんないかなー、なんて……」

えり(うっ……こんなしおらしい三尋木プロを見るのは初めてだ……
   いっつも飄々としてる分ギャップが……)

咏「だ、ダメかな……」

えり「……わ、わかりましたよ……
   やっぱり一人にするのも不安なので……泊まらせてもらいます」

咏「マジで!? ありがとー、私はほんとにいい友達持ったよ~」

えり「だから友達とかじゃないですし……」

咏「いやー、えりちゃんがついててくれるならもう安心だ!
  今夜は女二人でパーっと騒ぎますか!」

えり(さっきのしおらしさは何処へ……)

咏「よーし、とりあえずご飯にするか~」

えり「あ、何か買ってきましょうか」

咏「あーいいよいいよ、出前とろう出前! 寿司とか!」

えり「す、寿司ですか」

咏「せっかくえりちゃんが泊まりに来てくれたんだから豪勢に行かないと~。
  これ、新聞に挟まってた寿司屋のチラシ」

えり「また高そうな寿司屋ですね~。えっと、番号は……」ピッピッポッ

寿司屋『ハイ!小鍛治寿司です!』

えり「あ、出前をお願いしたいんですけど……松岡マンションの601号室」

咏「特上2人前ね!」

えり「えっ」

寿司屋『へい、特上2人前!すぐお持ちいたしやす!』

咏「あと日本酒もつけてね~」

えり「ちょっと三尋木プロ、特上なんて……」

咏「だーいじょうぶ、全部私のおごりだから! 遠慮なんかしなくていいって!」

えり「はあ……」

――
―――
―――――

咏「寿司うめー、久々に食べた気がするわー」モグモグ

えり「お寿司食べた記憶あるんですか?」

咏「いやないけど」

えり「そうですか……」

咏「しっかし、ここが私の部屋ってのは、
  やっぱまだ信じらんないな~」キョロキョロ

えり「何か思い出したりしませんか?」

咏「うーん、さっぱりだねー。
  てゆーかまず私がプロ雀士だったってとこから思い出せないわ。
  ホントにプロだったの?」

えり「間違いなくプロ雀士ですよ。ほら、そこに雀卓もあるじゃないですか」

咏「はあー、これで私は麻雀打ってたわけか」

えり「そうですよ、本棚にだって麻雀の本がいっぱい並んでますし」

咏「へえ、なんか人んちの本棚観てる気分だわ」

えり「あっ、この雑誌……」

えり「ほらこれ、三尋木プロの特集記事ですよ」

咏「うっわ、私が雑誌に載ってるよ! へえーマジすか~」ペラペラ

えり「結構雑誌のインタビューとか受けたりしてるんですよ。
   たしか月刊麻雀ガイドの8月号でも……ほら」

咏「うはー、ホントだ~。
  へえ、私ってほんとにプロの雀士だったんだねえー。
  しかも結構強かったみたいだし」

えり「そうですよ、だから早く記憶を取り戻してもらわないと、……
   あと週刊少年雀鬼の21号と、去年のNEW麻雀11月号にも記事があったような」

咏「ねー、もしかして」

えり「なんですか?」

咏「えりちゃんって私が雑誌に載ったのを全部チェックしてるわけ?」

えり「なっ……いや、別にそんなんじゃないですよ。
   ただ仕事柄、常に新しい情報を入れておかないといけないので……」

咏「ふーん、私のファンってわけじゃないのかー」

えり「ち、違いますよ……それとその、えりちゃんっていう呼び方……」

咏「え、何?」

えり「いえ、なんでもないですっ」

えり(なんか調子狂っちゃうなあ……
   まあ記憶戻るまではしかたがないのかも)

咏「私そろそろお風呂入ってくるよ」

えり「え、あ、はい……一人で大丈夫ですか?」

咏「別にお風呂の入り方まで忘れちゃったわけじゃないよ~。
  もしかして一緒に入りたかった?」

えり「別にそういうんじゃないですから」

咏「なんだ、つれないな~。じゃあ入ってくるから~」

えり「はいはい……」

えり(さてと……他に三尋木プロが載ってた雑誌はなかったかな)

えり(というか三尋木プロ、麻雀雑誌片っ端から買ってるのか……?)

えり(ん、なんだろうこのノート)

えり(あっ、これ……全国大会に出る選手のデータじゃ……)

えり(すごい、自分が解説する対局の選手を一人一人研究してたのか)

えり(私も一応はざっとデータに目を通しはしたけど、ここまで細かくはやってなかった)

えり(三尋木プロ、水面下でこんな努力を……)

咏「あがったよ~」

えり「早っ!」

咏「そうかな? てゆーか何見てたの?」

えり「あ、いやなんでも……って、なんて格好してるんですか!」

咏「あっいや、脱衣所に浴衣が置いてあったから着替えようと思ったんだけど
  帯の締め方がわかんなくってさ~」

えり「はあ」

咏「えりちゃん分かる?ちょっとやってくんね?」

えり「いや、私もわかんないですよ、浴衣の着付けなんて」

咏「なーんだ……これだから現代っ子は困るね~」

えり「三尋木プロも分かってないじゃないですか……」

咏「いや、記憶があった時の私は分かってたんだよ。だから私の勝ちね」

えり「勝ち負けとかいう問題ですか」

咏「えりちゃん次お風呂入っていーよ。あ、お風呂もすんげーでかいからびっくりすんなよー」

えり「へえ、そんなに……じゃあお風呂お借りしますね」

咏「あ、そうだえりちゃん……」

えり「なんすか」

咏「あのさー、記憶が戻ったらさ、
  この『記憶がなかった時の記憶』は失われちゃうのかな?」

えり「えー……どうなんでしょうねえ」

咏「うーん、もし記憶が引き継がれなかったらまた混乱しちゃいそうだし、
  記憶喪失中に何があったかメモに残しといたほうがいいかね」

えり「そうですね、万一のためにもそのほうがいいんじゃないでしょうか」

咏「だよねー。じゃあ早速書いとこっと」

えり「私お風呂お借りしますんで」

咏「あいあーい」



えり「記憶が戻ったら……か」

えり「もし今の記憶が失くなってしまうのだとしたら……」

咏『だからその……今日泊まってってくんないかなー、なんて……』
咏『ありがとー、私はほんとにいい友達持ったよ~』
咏『せっかくえりちゃんが泊まりに来てくれたんだから!』

えり「ちょっともったいない気がする……
   って、何考えてるんだ私は……まったく」

えり「ふう……いいお湯でした」

咏「あっ、おっかえり~」

えり「何観てるんですか?」

咏「これ? レコーダーに録画されてたんだよね~、昨日の試合」

えり「昨日の……って」

咏「なんか見てて思い出せないかなーって思ってさ~」

えり『二回戦からは、上位2校の勝ち抜けになります』

咏『2校って……なんかヴァイオレンス感たりなくねー?』

えり『そうですか?これでも普通のトーナメントと同じく半分が敗退、
   それもランダム性が強い競技でですよ? 頂きに至る道は狭く、遠く険しく……』

えり『彼女たちにとってチャンスの時期は短く限られている……
   それが厳しくないだなんて、私には思えませんよ!』

咏「あっははは、えりちゃん何語っちゃってんのー?」

えり「いや……忘れて下さいこれは……
   私もちょっと恥ずかしかったなって思ってるんですから」

咏「もう一回リピートしようっと!」

えり「やめい!」

咏「な、なにも殴らなくても~……」

えり「口で言ってもやめないからですよっ、まったく」

咏「てゆーかここでえりちゃんの黒歴史を止めたところで
  全国規模で放送されちゃってるから意味ないと思うけどね~、ははっ」

えり「いいんですっ、とにかく私の前で見せつけられたくないので」

咏「しっかしえりちゃんがこんなポエマーだったとはねぇ~。
  意外な一面ってやつ?」

えり「も、もういいじゃないですか! もう寝ますよ!」

咏「ええ~、まだ12時じゃーん。
  これから二人で騒ごうと思ってたのに~」

えり「私は12時に寝るんですっ」

咏「仕方ないな~……ところでどこの部屋で寝るんだろ」

えり「さあ……」

咏「さっきえりちゃんがお風呂はいってる間に色々見て回ったけど、
  ベッドのある部屋がなかったんだよね」

えり「うーん、じゃあそっちの和室を寝室に使ってるんでしょうか」

咏「まあ残るはそこしかないよね」

和室

えり「あ、押入れに布団一式ありましたよ」

咏「お~、じゃやっぱりこの部屋が寝室なんだ」

えり「でも、布団一人分しかありませんよ」

咏「あら、ほんとだ……押入の奥とかにもない?」

えり「うーん……見当たんないですね……」

咏「そっか~、じゃあ仕方ないね~」

えり「そうですね、私はリビングのソファーで寝ますよ」

咏「え、なんで? 一緒の布団で寝ればいいじゃん」

えり「えっ、いやさすがにそれは……」

咏「いーじゃん、二人で寝よーよ、せっかくなんだしさあー」

えり「ええ、もう……分かりましたよ」

咏「やった~、ははっ」

えり「はあ、まさか三尋木プロと同じ布団で寝ることになるとは……」

咏「ははは、いい記念じゃーん」

えり「うーん……やっぱ狭くないですか?」

咏「いいじゃん、その分くっつけて」

えり「枕も一つのを半分こだし……」

咏「いいじゃん、その分おたがいの顔が近くて」

えり「まったく……じゃあもう電気消しますよ」

咏「はーい」

プチッ

咏「…………」

えり「…………」

咏「はあー……一日が終わったね」

えり「……なんだか大変な一日でしたよ今日は」

咏「私も、未だに自分の状況を受け入れられてないよ~。
  えりちゃんがいなかったらどうなってたか」

えり「お力になれたのなら、何よりですよ」

咏「ごめんねー、付きあわせちゃって」

えり「いえいえ……」

咏「いやー、しかし……」

えり「なんですか?」

咏「こうやって家に誰かが泊まりに来るっていうのは
  初めてな気がするよ」

えり「そういう記憶はあるんですか?」

咏「いや、記憶にあるわけじゃないけどさ……
  なんか感覚的にそう感じるだけ」

えり「そういうもんですか」

咏「記憶が戻ったら、はっきりするんだろうけどさ」

えり「早く戻るといいですね……明日、病院行きましょう」

咏「うーん、でも……戻りたくない気もするんだよね」

えり「なんでですか?」

咏「この今の記憶が無い時の記憶が、なくなっちゃいそうでさ」

えり「あー……さっきも言ってましたね」

咏「そ。だから、こうやってえりちゃんと一緒に寝たり、
  お寿司食べたりしたことも忘れちゃうのかなーって」

えり「…………」

咏「いや、もちろん記憶は元に戻さなきゃいけないけどさ。
  仕事にも差し支えでるし、いろんな人に迷惑かけちゃうだろうしさ」

えり「…………」

咏「でも、今日の楽しかったことがなかったことになっちゃうのは、
  ちょーっと寂しいよねえ」

えり「大丈夫ですよ」

咏「え?」

えり「もし記憶が元通りになって、記憶喪失中の記憶を忘れてしまったとしても」

咏「…………」

えり「私が、ちゃんと覚えてますから」

咏「えりちゃん……」

えり「今日という時間は、三尋木プロだけが過ごしたんじゃありません。
   私も一緒にいたんです。同じ時間を、記憶を共有してるんですよ。
   だから三尋木プロが忘れても、
   私がまたいつでも今日のことを話して聞かせてあげますよ」

咏「……うん、ありがとう、えりちゃん」

えり「ですから三尋木プロは、安心して記憶を取り戻して下さい」

咏「いやー、いい台詞だ、感動的だね。
  やっぱえりちゃんってポエマーの素質があるよねー」

えり「なっ……真面目に言ったのに、茶化さないで下さいよ」

咏「あはは、ごめんごめん。
  でも本当に私はいい友達を持ったなって思うよ」

えり「ありがとうございます……
   それにしても、三尋木プロに友達だなんて言われるの、今日が初ですよ」

咏「あれー、そうなの? 普段から仲いいんじゃないんだ~」

えり「まあ仲良くなくはないですけど……
   えりちゃん、なんて呼ばれたのも初めてですし……」

咏「はっは、そっか。
  じゃあまあ、今日をきっかけに、記憶が戻った私とも仲良くしてやってよ」

えり「それは……まあ、三尋木プロの記憶が戻ってから考えますよ」

咏「えー、きびしいな~」

えり「ふふふっ」

咏「あははっ」

えり「……」

咏「…」

――
―――
―――――


咏「うーん……あれ?」

咏「なんで家で寝てるんだ……」

咏「えっと、確か全国大会の会場にいたはずだけど……」

咏「そしてなんでこの人まで一緒の布団で……」

えり「Zzz......」

咏「わかんねぇ……すべてがわかんねぇ……」

咏「いったいどういう状況なんだよお……」

咏「ん……なんだこれ」カサッ

咏「メモ?」

『記憶が戻った私へ』

咏「私の字だこれ」

咏「なになに……『私はXX日の昼、記憶喪失になりました』……」

咏「うは、マジすか」

咏「ふぅ~む なるほどなるほど なるほどー」

咏「どうやら記憶喪失っつーのはマジっぽいなー」

咏「昨日の昼から今朝までの記憶がすぽーんと抜けてるし……」

咏「そのあいだに何があったか私にも分かるように」

咏「記憶のなかった時の私はこうしてメモを残してくれたと」

咏「それから『最重要事項』……なんだこれ」

咏「『えりちゃんに多大な迷惑をかけたと同時に御恩をこうむったので
   多大な感謝をするように』……か」

咏「はは、えりちゃんって……そんな呼び方したことねーし」

咏「ま、でもここで寝てるってことは」

咏「記憶のない私を面倒見てくれたってことだよね」

えり「Zzz......」

咏「まーったく、柄にも無いことしてくれちゃって」

咏「でもま、この人以外に頼れる人がいなかったのも事実か……」

咏「しゃーない……そのぶんは恩返しさせてもらいますか」

えり「…………」

えり「…………」

えり「…………」

えり「…………」

えり「…………」

えり「…………」

えり「う、うーん…………」

えり「もう朝か……」

えり「あれっ、三尋木プロ……?」

えり「もう起きてるのかな……」

えり「あ、なんかいいにおいがする」

えり「台所から……」

えり「…………」

えり「……三尋木プロ?」

咏「おー、起きたんだ。おはよー」

えり「おはようございます……」

咏「もうちょっと待ってねー、もうすぐお味噌汁できるから」

えり(割烹着……)

咏「それにしても昨日は迷惑かけちゃったみたいでゴメンねー」

えり「えっ……もしかして三尋木プロ、記憶戻ったんですか?」

咏「うん、もうバッチリ戻っちゃったよ~。
  そのかわり、昨日記憶がなくなってからの記憶は忘れちゃったけど」

えり「あ、そうなんですか……でも良かったですよ、早いうちに戻ってくれて」

咏「私も自分でホッとしてるわ~。よし、お味噌汁できたっと」

えり「なにか手伝いましょうか?」

咏「いやーいいよいいよ。それより納豆食べられる?」

えり「はい、大丈夫です」

咏「生卵つけようか」

えり「ネギもお願いします」

咏「ネギ派か。私はちりめんじゃこ派だな」

えり「じゃこ派なんて初めて見ましたよ」

咏「では、いただきます」

えり「いただきます……
   まさか三尋木プロの手料理を食べる日が来るとは思いませんでしたよ」

咏「あっはは、結構自信あるんだけど。どうかな?」

えり「…………」ズズッ

えり「へえ、美味しいじゃないですか。意外」

咏「意外とは失礼だな~、これでも料理できるほうなんだぜー」

えり「はは、でも普段の三尋木プロからじゃ想像できないですよ。
   なんか昨日からずっと、三尋木プロの意外な一面を見続けてる気がします」

咏「まーそうだね、今まで仕事での付き合いしかなかったし、
  プライベートではやっぱり違う姿を見たり見せたりするもんだね」

えり「ですねえ」

咏「でもま、意外に思ったのは私も一緒だよ。
  まさかえりちゃんが私に付きっきりで居てくれるなんてさ」

えり「ぶっ……記憶戻ったのに、なんでまだその呼び方なんですか」

咏「いーじゃん別に~。イヤなの?」

えり「恥ずかしいんで、やめてください」

咏「えー、なんでさ~」

えり「恥ずかしいものは恥ずかしいです」

咏「そんなツンツンしないでよ~えりちゃーん」

えり「うぐ……」

咏「ほら、いい機会だしもうちょっと仲良くなろうぜ~。
  えりちゃんも私のこと咏ちゃんって呼んでいいからさ~」

えり「呼びませんっ」

咏「冷たいな~、一緒の布団で寝た仲じゃん」

えり「それは布団が一枚しかなかったからですよ……
   ていうかそれ、人前で言うのやめてくださいよ」

咏「なんで?」

えり「あらぬ誤解を招きそうなんで」

咏「ふーん……じゃあ『えりちゃん』って呼ばせてくれたら言わないでおく」

えり「きょ、脅迫ですか?」

咏「人聞き悪いなあ。交換条件だよ」

えり「同義ですよ……」

咏「ね、いーでしょ?」

えり「うう……分かりましたよ」

咏「うはっ、やった~! えりちゃ~ん!」

えり「そのかわり、二人でいる時だけですよ!
   他に人目がある時はやめてくださいねっ」

咏「それでも断然OKだよ~。さ、次はえりちゃんの番」

えり「え、私?」

咏「私のことを、咏ちゃんって」

えり「嫌どす」

咏「えー、なんでー? ちゃん付けで呼び合う仲になろうよー」

えり「呼びませんよっ」

咏「なんでよー呼んでよーえりちゃーん」

えり「いーやーでーすー」

咏「咏ちゃんって呼んでくれるまで帰さねーからなー」

えり「はいはいうたちゃんうたちゃん、これでいいですか」

咏「心こもってねー!」

えり「注文が多いですねえ」

咏「一番大事なとこだろーよ。
  人の名前ってゆーのはね、もっとちゃんと大切に呼ばないといけないの」

えり「分かりましたよ……まったく」

咏「おっ」ワクワク

えり「ゴホン、えー……咏ちゃん」

咏「おおー……おほほほ」

えり「なんですか、急にニヤニヤしだして……」

咏「いやあ、なんかいいなあと思って。おほほ」

えり「もう、変なことさせるからお味噌汁冷めちゃうじゃないですか」ズズッ

咏「んっふふふ。おかわりあるよ」

えり「はあ、じゃあ後でいただきます……」

咏「えりちゃんのためにいっぱい作ったからね~」

えり「そんなに食べませんよ、私」

咏「いいじゃんいいじゃん、今日くらいはもりもり食べてよ」

えり「え~、もう……今日だけですよ」

えり「ふう……ごちそうさまでした」

咏「おそまつさまでした」

えり「朝からごちそうになってしまって……」

咏「別に気にしなくていいって。
  そうだ、また休みの日の前とかにはさ、泊まりに来てよ」

えり「え?」

咏「なんかさ、こう広い家に住むのは楽しいけど……
  やっぱ一人暮らしだと寂しくなる時もあるからさ」

えり「彼氏でもお作りになったらどうですか」

咏「わかってないなー、男と女友達とじゃ違うんだって。
  私はえりちゃんに泊まりに来て欲しいわけ、わかる?」

えり「はあ」

咏「朝だけじゃなくて、昼ご飯も晩ご飯も作ったげるしさ」

えり「そ、そうですね……じゃあまあ、暇な日はおじゃまさせてもらいます」

咏「やった~、えりちゃんが泊まりに来てくれる、あっはは」

えり「ふふっ、まったくこの人は……」

      お     わ      り        

疲れたからおしまい
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