愛「反抗期だよー!」 舞「ふーん?」 愛「げえっ! ママ!」(174)


 踊り場に大好きな二人を見つけるだけで、あたしは嬉しくなれるんです。

愛「涼さん、絵理さん! おはようございまーす!」

絵理「愛ちゃん、今日も元気?」

愛「はい! げんきですよー!」

涼「おはよう、でも、声が大きいよ?」

愛「ねえ! どうして部屋に入らないんですか?」

絵理「新しいプロデューサーが、来てるの」

愛「!!」

涼「僕たちはもう挨拶して、これから自主レッスンに行く」

愛「挨拶してきます!」

ガチャ バタン。

絵理「行っちゃった」

涼「まあ、あのプロデューサーさんは愛ちゃんのパワーにも負けないだろうね」

絵理「亀甲縛りより年の功?」

涼「それちょっと違うような……どこがかはちょっとわからないけど」

絵理「ふふっ?」

ガチャ バタン

愛「挨拶してきました……」

涼絵理(あれ? 元気ない?)

愛「う~。どうしよう絵理さん涼さん、あの人、あたしの嫌いな人でした……」

涼絵理「えっ?」


~876プロ前通り~

絵理「ねえ、愛ちゃん? 前に会ったことあったの? プロデューサーと」

愛「初めてですけど……」

涼「ま、とにかく、駅に向かおうよ」

 涼さんは男の人だけど、まだ女の子の格好で歩きます。
 でも最近、お兄ちゃんだなあと思うことがあります。

愛「うう~」

 気にしてくれる2人に申し訳なくて、頭を抱えちゃいました。

 そのプロデューサーさんはちょっとの間だけ働くそうです。
 涼さんが男の子になって、男の子アイドルとして売り出していくけど
 女の子が男の子になるなんて何が起きるかわからないから
 経験ホウフなプロデューサーさんを呼んで
 ついでにまなみさんにも勉強してもらうんだって社長は言っていました。

 
愛「じゃあじゃあ、スゴ腕プロデューサーさんなんですか!?」

P「腕はどうでしょう。少なくとも期間は長いですよ。15年ですね」

愛「15年! あたしが生まれるより長いんですね! すごいです!」

P「ありがとうございます」

 大学を卒業して……大学って22才で卒業だっけ? 37才になるのかな。
 てことは……一年前はあたしの3倍だったことになります!

 そういう男の人と話すのはあんまりないから、思わずまじまじと見ちゃいました。

 地味なスーツでまじめで優しそうな印象です。
 ママと同じ指に指環をしてるから、結婚もしてるはずです。
 もしかして子どもはあたしと同じくらいかもしれません!
 
 あたしがじーっと顔を見ていたら、少し困ったように眉を下げて
 でも目はそらさないでいてくれました。
 
 ママよりもずっと年上だけど、パパってこんな感じなのかも。
 
 嬉しくってにっこり笑うと困ったような顔のままでうなずいてくれました。
 わかった! このひとは優しい人です!

 
 まあ、スーツの襟にステッチが入ってて
 ズボンの裾も折り返してて
 袖がカフスボタンだからママは嫌いだろうけど。
 
「ステッチが入ってる男にろくな奴はいないわよ、愛」
「裾がダブルの男にろくな奴はいないわよ、愛」
「カフスしてる男にろくな奴はいないわよ、愛」

 ぴったりですよ!!
 
愛「うふふ」
 
P「どうしましたか?」

愛「なんでもないです。プロデューサーさんの格好が
 いつもママが言ってるとおりだったから」
 
P「……え?」

 プロデューサーさんの困り顔が固まっちゃいました。

P「お母さんが、……舞さんが、私のことをなにか?」

愛「……え?」


愛「あ、な、なんでもないです。
 ステッチっていうんですよね? その襟のと
 ズボンの裾を折るのと
 カフスボタンが、全部ママが嫌いだったからおかしかっただけで」
 
 プロデューサーさんは、おかしいくらいほっとしたみたいでした。
 それだけであたしはわかりました。
 
 この人もみんなと同じだって。
 お仕事で会う、ずっと年上の、昔のママを知ってる人たちと同じ。
 
 あたしを向いててもあたしは見てない。あたしの向こうにママを見てる人たち。

 その目で見られると、なんだか頭をぎゅうっと
 押さえつけられたような気分になっちゃいます。

 今もなっちゃいました。




~876プロ前通り~

涼「なるほどね」

絵理「愛ちゃん、かわいそう」

愛「あ! いいえ! あたしが変にひがんでるだけですから!」

 口に出してハッとしました。
 あたし、ひがんでたんですね。ママのこと。

 アイドルデビューして、それなりにお仕事もできるようになって。
 CDも出して写真集も出してファンクラブもできて。
 でも、日高舞の娘だってバレた時、そんなの全部吹き飛んじゃいました。

 ママと一緒に番組を、という依頼だけで3日くらい事務所の電話がずっとリンリン言ってました。

「私は愛の仕事にはノータッチだから。
 復帰はまったく考えてないわよ。
 もし万が一そういうことがあったとしても
 私の娘だってわかったら愛を特別扱いするようなところとは
 絶 対 に 
 お付き合いしないからよろしくね。

 それと、警察呼んであるから散ったほうがいいわよ」

 ママが取材の人たちにそう言ったのがひと月前です。

 
 ママのおかげで変に仕事が増えたり減ったりはしませんでしたけど
 それでも、比べられちゃうのはしょうがないですよね。
 
 しょうがないんですけど。わかってるんですけど。
 
 ママと比べてがっかりされるとしょんぼりしちゃいます。
 

~自宅~

舞「~♪ 愛ー。そろそろ机拭いてくれるー?」

愛「はーい」

舞「何、元気ないわね」

愛「なんでもないよ。あ、今日来た新しいプロデューサーさんが
 ママの嫌いなファッションだったよ」

舞「え? プロデューサー変わったの? まなみさんて人は?」

愛「涼さんの男の子デビューを助けてくれるんだって。
 あと、すごい人だからまなみさんも一緒にお勉強するんだって」

舞「そうなんだ。それがどうしたって?」
 
愛「襟がステッチで、ズボンが折り返しで、カフスボタンなの」

舞「最悪ね。でも、不潔でさえなければ気にしない方がいいわよ。
 私が嫌ってるのも大した理由じゃないし」
 
愛「うん。いいお父さんって感じだった」

舞「……けっこう年なの?」

愛「んーとね? 37かな? 15年も働いてるって言ってたから」

舞「……37」


愛「ママ?」

舞「もうすぐできるから、お味噌汁とご飯よそって」

愛「あと冷蔵庫からおしんこだよね」

舞「そう。ところで愛、そのプロデューサー、なんて名前?」

愛「えーとね、携帯のメモもらったんだ」

 ママはそのメモを見て、首をかしげて返してくれました。
 知ってる人じゃなかったみたいです。

 今日もご飯は美味しかったです! おやすみなさーい!

 
~翌日 876プロ~

 涼さんが給湯室から手招きしてました。

涼「愛ちゃん愛ちゃん。ちょっと」

愛「何ですか? 涼さん」

涼「昨日、律子姉ちゃんにプロデューサーさんのこと聞いてみたんだ」

 涼さんのイトコのお姉さんは765プロでプロデューサーをしています。
 竜宮小町を考えた人なのに、まだ20才!
 まなみさんも尾崎さんも話したあとで
 いっつも「緊張した」って溜息つくスゴい人です。

 あ、でも、あたしたちには優しいんですけどね。
 あ、じゃなくて、あたしと絵理さんには優しいんですけど。
 
涼「それでね、律子姉ちゃん、名前を聞いたらお茶吹いてた」



愛「え?」
 
涼「律子姉ちゃんがプロデューサーになって1年なんだよね。
 その姉ちゃんですら名前を知ってるんだから、スゴい人なのかも」
 
愛「律子さんは何て言ってるんですか?」

涼「信じてついていけば間違いないって。それはいいんだけど。
 愛ちゃんもプロデュースするのかってわざわざ訊かれたんだよね」

愛「?」

涼「愛ちゃん、心当たり――なさそうだね」

絵理「あ、愛ちゃんこんなところにいた」

愛「絵理さん?」

絵理「愛ちゃん、愛ちゃんちの電話番号って03-XXXX-8700?」

愛「そうです。教えましたっけ?」

絵理「ううん? 前に何かの書類で見た?
 その時、あー、ハナマルなんだって思ったの」


涼「8700でハナマルか。愛ちゃんにぴったりだね」

愛「えへへー。それで、うちの番号がどうかしたんですか?」

絵理「プロデューサー、愛ちゃんのお母さんと知り合いかも?」

愛「え?」

絵理「携帯が机に置きっぱなしで、着信があって渡したの」

涼「その番号が愛ちゃんちの電話番号だったの?」

 絵理さんはうなずいて、あたしは涼さんと顔を見合わせました。

絵理「それで、会う約束をしてたみたい?」

P「外回りに行ってきます」

 玄関のほうでプロデューサーさんの声がして、3人ともビクっとなりました。
 ちなみに3人でいちばん仕草がかわいいのは涼さんだったと思います……。
 

 
絵理「愛ちゃん、涼さん、鉛筆持ってる?」

愛「あ、ありますけど」

 渡した鉛筆を持って、絵理さんはプロデューサーさんの席に行きました。
 メモ用紙のいちばん上の
 何も書かれていない紙を鉛筆でシャッシャとなぞって
 
絵理「うそ? うまくいった」

涼「絵理ちゃんってすごい」

 メモ帳には、時間と駅と何かの名前が浮き上がっていました。
 
絵理「(カチカチ)うん。これ、喫茶店。麻布だね?」

涼「も、もう検索したんだ!?」

愛「ここでママとプロデューサーさんが会うんでしょうか?」

絵理「たぶん間違いない? 何を話すか聞いてみたいな」


涼「確かに。あ、でもわかるの時間だけだね」

絵理「日付が書いてないってことは明日? それにこの喫茶店は火曜日定休?」

愛「絵理さんすごいです! 探偵さんみたいです!」

 そういうと絵理さんはすこしかっこつけて顎に手を当てました。
 いつものポーズとあんまり変わらないんですけど。

涼「そうかあ。明日の11時か。
 それでどうするの? 愛ちゃん?」

愛「え?」

絵理「この喫茶店に待ち伏せして、2人の話を盗み聞きする?」

 盗み聞き? え?

愛「あ、明日って学校ですよね」

 2人ともきょとんとした顔をしました。
 当たり前です。お仕事がはいるようになったから
 学校を休むのにも慣れちゃったって笑ったのはつい昨日なんですから。


涼「気が進まないならやめておく?」

 ああ、涼さんはやさしいなあ。

絵理「わたしは、はっきりさせた方がいいと、思う?」

 絵理さんもやさしいです。
 
愛「……あたし、行ってみます。この喫茶店」

絵理「それはムリ」


愛「えっ」

絵理「話が聞こえるくらい近い席だったら、お母さんに気づかれる、きっと」

涼「それに、月曜の午前中に愛ちゃんが1人で喫茶店にいたら
 たぶん補導されちゃうと思うよ」
 
愛「ああ……」

 残念なような。
 でもホッとしたような。
 
絵理「だから、わたしたちも一緒に行ってあげる。ねえ、涼さん?」

愛「え? そんな、悪いです」

涼「遠慮しないでよ! 愛ちゃんの大事なことじゃないか。
 あ、でも僕たちだって近くに座れないよね」

絵理「大丈夫だ、問題ない?」

 絵理さんも涼さんも大好きです!



~翌日 午前10時 喫茶店~

 その喫茶店は半分地下になってるところで
 薄暗くて、ねむーくなる音楽がかかってるお店で
 奥の方の席で、3人ともココアを頼みました。

絵理「これ、耳につけて?」

涼「ラジオ?」

愛「なんですか?」

絵理「FMを受信できるラジオ」

涼「地下だと電波入らないよね?」

絵理「電波はサイネリアが出す?」

涼「ネット廃人ってそんなこともできるの?」

絵理「わたしならできるけどサイネリアにはまだムリ。
 だからFMトランスミッターを使う」
 

 
 絵理さんの話をまとめると
 鈴木さんがプロデューサーさんとママのすぐ隣に座って
 髪留めがマイクで
 鈴木さんのバッグの中にあるFMトランスなんとかで
 あたしたちに話してる声を送ってくれるそうです。
 
 カラン、とドアが開く音がしてみんな頭を下げました。
 念のためお店のいちばん奥の席に座ってるけど
 ママかプロデューサーさんか、どっちかが奥のほうに来たらアウトです。

 絵理さんはきっと大丈夫って言ってましたけど。

 
 
涼「(プロデューサーさんだ)」


絵理「(こっちに来そう?)」

涼「(ううん。窓際の席に座ったよ)」

絵理「(やっぱり?)」

愛「(どうしてわかったんですか!?)」

絵理「(あの席が、いちばんEモバの電波が入るから、かな)」



 プロデューサーさんはこっちに向くようにしてソファに座りました。
 さっそくパソコンを取り出して開きました。
 
絵理「(できる人はちょっとの空き時間でもメールチェックする。これ常識?)」

涼「(それはイケメンだ!)」

絵理「(涼さんの規準が、わからない)」

愛「(こっち気づかないですね)」

 そして。
 11時少し前に、ほんとにママがお店に入って来ました。
 
愛「(ママ……。いつものカッコだ)」

 ちょっとホッとしました。
 だって、もしかしたら、ほんのちょっとだけ、
 プロデューサーさんとママが昔お付き合いしていたとか
 そういうことも想像しちゃったりしてたから。
 
絵理「(サイネリア、ゴー)」

 絵理さんがすごい速さでメールを打つと、
 1分もしないうちに鈴木さんが入って来ました。

絵理「(イヤホン、つけて?)」



 ザー
 ザザ

 焦ってラジオを調節すると、ママの声が聞こえてきました。

舞『――コンしたのね』

P『おかげさまで』

舞『あの時付き合ってたひと?』

P『別の相手です』

舞『ふーん。で、まだプロデューサーやってるの? どこで?』

 ママ、怒ってる?

P『ショットの仕事でつないでいますよ。それでもう14年』

舞『よく辞めなかったわね』

P『辞めませんよ』

舞『恥ずかしくはないんだ。すごいわね。真似できない』

 ママ、ちょっと子どもっぽいかも。


P『追い出されない限りはしがみつきます。この業界が好きなんです』
 
舞『どうせ吉原の接待が忘れられないんでしょ?』

P『ああいうことは、今はもう、やっていません』

舞『まああんたに金を任せる人ももういないわよね』

絵理「(すごく、険悪?)」

涼「(14年前って、愛ちゃんのお母さんが
 アイドルの頃の知り合いってことだよね?)」

舞『石川さんも甘いわよね。いつ問題起こすかわからない人なんか使って』

P『権限を限定して、常に監視して、期間を抑えて。
 そういう使い方なら大きなトラブルは起きないものです』
 
舞『ひとごとみたいに。
 でもそうやってあれから飼い殺しだったのね。いい気味だわ。
 昔は10年で社長になるとか言ってなかったっけ?』
 

 
P『はは。そうでしたか』

舞『何がおかしいのよ?』

P『いえ。少し前に会った人を思い出しましたんです。
 その子は若手が5年で社長になれると信じていた。
 15年前の私は10年かかると思っていたんですか。
 なるほど最近の若い人は気宇が壮大だ』
 
舞『どうでもいいわよそんなこと』

 しん、と静まりました。

舞『とにかく!
 あなたに愛の近くにいてほしくないの。
 これでも親バカなのよ。
 娘に汚い物は見せたくないわ』
 
P『それは石川社長におっしゃってください。
 社長が解消と言えばもちろん従います』
 
舞『契約の面倒くささくらいは知ってるわよ。
 だからこうしてあなたの良心にすがってるんでしょ』
 

 
P『私の良心は、汚い物を見せないように
 そうならないように努力することで』

舞『――ねえ。さっきからなによその言葉づかい』

P『当たり前でしょう。あなたはうちのアイドルのお母様ですから』

舞『ああ言えばこう言うんだから! 
 だいたいなんで引き受けたの?
 石川さんはあなたが私のプロデューサーだったことを知ってるわよね。
 愛が私の娘だって言われなかったの?』
 
P『876プロに日高舞の娘なんておりませんよ。
 いや、戸籍の上ではいるのかもしれませんが』

愛「……」

P『誰々の娘なんて安い売り方をする子は1人もいません』



 そのまま事務所に戻ったら学校をサボったのがばれちゃうので
 涼さんのお買い物に付き合ってご飯も食べました。
 
 ママがあそこまで子どもっぽく怒るのを初めて見たので
 なんだかずっとドキドキしてましたけど
 反対に2人はすごく明るくなってました。

絵理「つまり……まとめると?」
 
 プロデューサーさんはアイドル時代のママと働いてて
 その時2人はケンカ別れしちゃったんです。
 よく追い出されなかった、ってママが言ってたから
 プロデューサーさんが悪いことをしたのかも。
 
愛「涼さん、吉原の接待ってなんですか?」

涼「うーん。吉原ってあれだよね。時代劇で花魁がいるところ。
 でも今は花魁なんていないよね?」
 
絵理「今もあるって、google先生が言ってる」

涼「そうなんだ? それってもしかして」

絵理「うーん、新宿の歌舞伎町みたいな感じ、なのかな?」


 ママはプロデューサーさんのことをとても嫌いみたいですけど
 むかし悪い人だったとしても、今は違うんじゃないかな?

絵理「でも、ひどい人じゃなさそう?」

涼「うん、愛ちゃんを『日高舞の娘』として売りだそうとする人なら
 肝心のお母さんにあんな態度はとらないよ」
 
 それで今は、ママの娘じゃない、あたしをアイドルとして見てくれる……。
 
 なんだか燃えてきました!

 あたし、がんばっちゃいますよー!


~数日後 都内公園~

愛「がんばりたいんですよー!」

P「いいことです」

愛「がんばりたかったんです」

P「伝わってきました」

愛「あたしのがんばりが足りなかったんでしょうか……」


 がんばると決めて最初のお仕事はテレビのお料理番組でした。

 といってもお料理するのは小学生の子どもたちで
 あたしはその子たちのお姉さん役でした。

 ああいうのもちゃんと脚本があるんですね!

 あたしの役割は、画面の端っこでいつも遊んでいる男の子の面倒。
 公園での料理だからお料理より楽しいことがたくさんあって
 ついふらふら離れちゃう四年生の男の子タケシくんを
 あたしがこらーって連れ戻して、最後はちゃんとまじめな顔でお手伝いしてくれる。
 
 そういうあらすじだったんですけど。
 
P「実際のところいいものが取れましたよ」

愛「うう。そうですかあ?
 あたしはもっと、タケシくんと取っ組み合いとかしたかったです」

P「はは。そうなったら楽しかったでしょうね。
 特に今回はリーダーのマキちゃんがとてもテレビ映えする子でした。
 あれならもっと子役たちに重みをおいて
 タケシくんはもう少しわんぱくでもいけましたね」
 
愛「ですよね!」

P「でも、その場でいきなり構成を変えることはできないんですよ。
 みんな、今ある台本でイメージをしてきているんですから」

 
愛「うう……わかってるんですけど」

 うそです。ぜんぜんわかってません。
 もっといいものになるかもと思ったら
 ダメでもともとそっちに突っ走るべきなんじゃないでしょうか?
 
P「お疲れ様でした。今日は帰りましょう。
 今週中には第一稿のVが上がってくるはずです。
 それを見ながらもう一度このお話の続きをしましょうか」

愛「え? 続き、していいんですか?」

P「仕事をして、日高さんが納得していないことがあったら
 その説明をしてあげるために私たちはいるんですよ。
 せっかく仕事をしたんだから栄養にしないともったいないでしょう」
 
愛「はーい!」


 事務所に戻ったら涼さんが飛んできました。

涼「プ! プロデューサーさん! さっき! あの! 電話があって!」

P「はい」

涼「ジュ、ジュピターの天ヶ瀬さんが駅まで来てるって!」



 ジュピター!
 ちょっと前まで大人気だった男性アイドルです!
 解散したって話を聞いてたんですけど。

P「誰か迎えに行きましたか?」

涼「お、岡本さんが」

P「昨日思いついて頼んだばかりなので
 メールで連絡を済ませてしまいました。
 涼さんはあまりメールは読まないんですね?」
 
涼「あ、あの、社内メールは仕事のない日はあんまり読んでなくて
 もしかして送ってもらってたんですか!?」

P「いいえ。送信者責任といって
 メールが読まれたかどうか確認するのは送った人間の責任です。
 電話をするべきでしたね。すみません」

涼「あ、そんな!」
 
P「涼さんが受けてきたレッスンはすべて女の子としてのものでした。
 トレーナーさんも女性の仕事が多い方です。
 今日は涼さんというよりも、トレーナーさんに男性アイドルの
 実践的な振りつけと勘をつかんでもらうのが目的です」

 
涼「は、はい」

P「天ヶ瀬さんは3人のなかでいちばん努力家でしたから、
 理屈で話してくれるでしょう。
 身長も涼さんと……もう、162ではありませんね?」

涼「あ、はい。今165かな?」

P「変声期がまだ始まっていないこと、手と足が身長に比べて大きいことを
 考えると確実に天ヶ瀬さんくらいにはなるでしょう。
 彼の動きは参考になりますよ」

涼「じゃあこれからレッスンスタジオに?」

P「はい。車で行きますので用意をしてきてください」



~事務所 ミーティングデスク~
 別の日。まなみさんと絵理さん、プロデューサーさんが
 机でむつかしいお話をしています。
 あたしはそのそばで3人のお話を聞いてます。

絵理「確かにソーシャルは楽しそう。でも課金兵にはなりたくない?」


P「そうですよね。射幸心だのなんだと批判されるのは、
 批判している人たちも魅力を理解できるからです
 そして自分や知人が何かのきっかけで溺れかねないと警戒するからです」

 プロデューサーさんはだいたい涼さんにつきっきりで
 あたしの方も時間があれば一緒にいてくれますけど
 絵理さんとは一緒にお仕事していません。

 たまに尾崎さんが忙しい時付き添いするくらいです。
 絵理さんには尾崎さんがいるから当たり前なんですけど。
 
 だから絵理さんとプロデューサーさんが話してるだけでなんだか嬉しくなっちゃいます。

絵理「プロデューサーはやってみた? ソーシャルゲーム」

P「はい。人気があったものをいくつか、2ヶ月間。
 無課金で1ヶ月。もう1ヶ月は5万円課金してみました」

絵理「すごく真剣。よく、やめられたね?」

P「だいたいわかった、と思いましたからね」

まなみ「でもガチャってイメージがよくないですよね。
 事務所として関わるのはどうなんでしょう」



P「イメージが悪いのは儲けようとするからです。
 逆にいえば、不当に利益を得ようとしない限り批判はされません。
 手法自体は有効なのに毛嫌いするのもよくない」

絵理「それは、そうかも? でも儲けなくてもいいの?」

P「CDもPVも簡単にダウンロードできるような昨今で、
 確かに私たちは新しい儲け方を考えないといけません。
 が、それはパチンコのまがいものではないはずです。
 そうなると、ライブや物販もそうですが、もう一つあります」

まなみ「なんですか?」

P「やっぱりCDやDVDなんですよ。
 私たちのファンだけはきちんと買ってくれる状況を作る。
 つまり、ファンのモラルを高める努力をすることです」

絵理「そんなに甘くない、と思う? だって、タダだから」

P「控えめな指摘ですね。
 絵理さんは違法ダウンロードはしますか?」

絵理「う……この流れで言わせる?」


P「これは申し訳ない。では違法コピーをしてもいいと
 誰かに思わせる要素を挙げます。
 納得できないものは指摘してください」

絵理「うん、わかった。でもあんまり、期待しないで?」

P「岡本さんも。
 まず一つ。その商品を購入するだけのお金がない場合」
 
 これはあたしもわかります!
 うんうんとうなずいたらプロデューサーさんは笑ってくれました。
 
P「次は、もう既に商品が店頭になく購入できない場合。
 ここまでは当たり前ですね」
 
P「続いて、商品それ自体に価値を見出していない場合。
 あれば嬉しいけれど、必要ではない場合ですね」
 
絵理「よくわからない……たとえば、どんな?」

P「水谷さんがネットアイドル時代に作った3作目のPVを見ました。
 フルメタルジャケットのハートマン軍曹のセリフを使用していますね。
 あれは、DVDを購入しましたか?」

絵理「うう……YouTubeから。ごめんなさい」



P「謝る必要はありません。
 私は実際、そこは厳密に問題視するべきではないと思っています。
 なぜならあのPVを完成させるためにハートマン軍曹は必要ではないからです。
 だからお金を払うように規制するコストの方が大きくなります」

P「そして最後に、これがいちばん大きな条件だと思いますが
 違法ダウンロードをしたことを誰にも知られなくていい場合」

絵理「うん。そうね。わたしもいま、ハートマン軍曹のこと言うの、ためらった?」

まなみ「でも、パソコンでちゃちゃってコピーできちゃいますよね?
 誰かに知られる場合のほうが少ないですよね?」

P「誰にも、というのは他の人のことじゃありませんよ。
 四知――知ってますか?」

絵理「英語で都市の」

P「それはシティです。
 四知とはむかしの中国の故事で
 要するに、悪事をしても自分はそれを知っています
 という意味ですね」

絵理「……やっぱり、苦手?」

P「何がですか?」

絵理「なんでもない、です」


P「私たちは普段、自分のしたズルを許して忘れます。
 だったら、つどつど思い出す環境をファンに与えればいい」
 
絵理「それって、どういう?」

P「ファン同士の交流をもっと盛んにさせる。
 それも、オンラインではなく現実で。
 ガチャはそのために使いたいと考えています」
 
絵理「よく……わからない?」

P「ガチャは無料。無料の登録会員のみが1日1回引くことができます。
 そして一度引いたものを再度引くことはなく、
 一度引いたものは再ダウンロード自由です」

絵理「うん……続けて?」

P「手に入るものはスマートフォン向け画質の十数秒程度の動画ファイル。
 数分の動画を分割したものです。
 その代わり配布期間はデイリーで3~4は提供します」

絵理「毎日3? そんなに……あ、でも、
 短くていいなら1分のファイル分割で3つは作れるかな?」


P「公式サイトに画像ファイルの一覧を作り、それぞれの残数を公表します。
 ノーマルは1000ファイル以上落とせますが、レアは50ファイル以内です。

 ダウンロードするとファイルの冒頭にダウンロード者のニックネームとIDが刻印されます。
 そしてこのファイルは、会員同士が直接やり取りするならコピー無制限とします」

絵理「つまり、コピーを前提としてる?」

P「はい。デイリーで3提供され、ガチャで手に入るのは1日1ファイルですから
 1人では絶対に集めきれません。

 一方で、ノーマルにも総数があるから
 かならず誰かがレアを手に入れます。

 みんなで挑み、手に入れた人は感謝だけを受け取って分け与える。
 そんな環境を作りたいんです。
 そして、ファイル交換の最大の場をライブとしたいのです」

まなみ「知らないファン同士が知り合うきっかけになりますね!」

P「狙いはそれです。ファンに現実の知人を増やすこと。
 現実の知人の前で違法ダウンロードをしているとは
 なかなか言わないものです。

 他の曲は落としたとしても
 あなたたちの曲や映像にはお金を払ってくれる人が増えればいい」


絵理「認証は、どうするの?」

P「そこはすみませんが門外漢です。
 一つ考えているのが、ファイルを渡す側のメールアドレスにパスコードを送り
 それを受け取る側の画面から入力させるものですね」
 
絵理「んー。でも、それなら直接会わなくても
 電話とかメールでパスを教えられる?」

P「はい。そこはあまり厳密にやらないほうがいいでしょう。
 オフラインでは会えない事情のある方もいらっしゃるでしょうから
 その方々が手に入れる手段は残したい」
 
絵理「だいたいわかってきた……うん、イメージできた。
 少なくとも、そのやり方で悪口は言われない、と思う?」

まなみ「でも、プロデューサーさんには涼くんの件をお願いしたのに
 こういうことまで考えていただけるんですね」
 
P「いや、これは涼さんのためなんです」

 むつかしい話で眠っちゃいそうだったんですけど
 涼さんのため、という言葉で目が覚めました!
 涼さんのためならあたしもがんばって起きてますよー!

絵理「涼さんの、ため?」


P「これまで女性だったアイドルが男性として売りだすのは
 私にとっても初めての経験です。
 展開が異次元すぎます。
 なるべく体制は万全にしたいんです」
 
まなみ「万全、ですか?」

P「はい。主に二つあって
 一つは、ファンを騙していたというマイナスを
 すべて事務所が吸収すること。
 もう一つは、公式の発表より前に
 涼さんが男であることを浸透させることです」

まなみ「事務所が吸収……」

P「当たり前ですよ。何を言ってるんですか。
 涼さんが女性アイドルのデビューを望んでいたとでも言うつもりですか。
 本人の希望に沿わない嘘をつかせたのは誰ですか」

まなみ「あ、あの」

絵理「プロデューサー、もしかして、怒ってる?」

P「いえ、怒ってはいません。
 怒ったら冷静な判断ができませんから。
 だから怒りません」


 プロデューサーさんはいつもの笑顔でした。
 でもすっごく怖いのは気のせいでしょうか……。

P「全部ひっかぶるために事務所はクリーンでなければいけません。
 その一環ですね。ボロ儲けできるガチャを導入しながら
 サービスに徹すれば必ず評価されます。
 岡本さん。絶対に忘れないでください。
 ルールがあったら完璧に守らなければいけません。
 でなければそこを刺されて終わります」
 
まなみ「さ、さすがはミスターコンプライアンス」

愛「こんぷらいあんす? ってなんですか?」

 プロデューサーさんがよく呼ばれるあだ名です。
 そう呼ぶ人たちは、なんかいやらしい感じがして好きじゃありませんでした。
 だから悪口だと思ってたんですけど。

絵理「(カチカチ)遵守? 従順? 法令遵守?」

愛「ホウレイジュンシュ?」

まなみ「ルールをしっかり守る人ってことよ」

愛「それっていいことですよね?」

 だったらなんで、悪口みたいな感じだったんでしょう?
 芸能界だとそういうのはダメなんでしょうか?


P「それはともかく。
 体制を整えた上で女性のデビューは事務所の作戦だと言い張ります。
 そうすれば、涼さんに非難を向かわせずにやり過ごせる可能性が出ます」

絵理「そもそも、涼さんが悪いなんて誰も考えない?」

P「そうであってほしいものです。
 もう一つが、噂と映像を使って浸透させることですね。
 お披露目のミニライブは年末を予定していますが
 それまでには公然の秘密になっているのが望ましい」

絵理「レア映像で男の子の涼さんを見せる?」

P「いえ。あくまで女の子の姿で。
 ただ、しっかり探せば男であるという指摘ができるように散らします。
 例えば、マグカップが一つだけ大きいとか」

絵理「でも、涼さんのマグカップ、3人でいちばんかわいい?」

P「それが涼さんのであると示す必要はありません。
 ただ、画面のすみに涼さんのイメージカラーでごついマグカップが映ればいい。
 他には、二つ動画を合わせると、トイレに行って戻ってくる時間が
 女の子にしては短いことに気づくとか」


愛「男の人って短いんですか?」

P「トイレの所要時間は、男女の平均で14倍差があるそうです」

愛「そうなんだ!」

P「そういう、あやふやな傍証を積み上げることで
 ファンの間に覚悟を積み重ねてもらいます。

 変声期が終わるまでは女の子としても活動するかもしれませんね。
 猶予期間を設定するわけです。
 ただ、いじられ役になるからやりたくはありませんが」
 
 そう言うとプロデューサーさんはくたびれたふうに椅子にもたれました。
 
P「いたましい話です。
 ただこの件は前例がなさすぎるから
 ベストの選択はもちろんベターな選択すらもわかりません。
 涼さんには申し訳ないけど、手探りで進むしかない」

 
P「水谷さんに話を聞いてもらったのは
 まず、私のプランがネット世界にどう思われるか意見が聞きたかったから。
 
 そして、動画を社内で大量生産することが今の環境で可能か
 判断していただきたかったからです」
 
絵理「ガチャとか認証とかのプログラムは作らない?」

P「そこはプロに頼みます。あくまで動画を作るところだけ」

絵理「うん……問題ない、と思うけど。
 2日くらい考えたい? サイネリアにも意見を聞きたい?
 涼さんの大事なことだから」

P「2日なら充分です。わからないことがあったら
 夜中だろうとすぐに電話で訊いてください。
 岡本さんは社長説明用の資料作りです」
 
まなみ「またシゴかれるんですね……」

P「資料づくりは数をこなすしかありません。がんばりましょう」
 


 むつかしい話が終わったみたいなので、
 プロデューサーさんを引っ張ってテレビの前に行きました。

 あのお料理番組のDVDが届いたのでこれからチェックです。

 絵理さんもそのまま一緒に見てくれることになりました。
 涼さんが最近ダンスとボーカルのトレーニングで忙しいから、
 絵理さんは何かと理由をつけて一緒にいてくれます。

 こうしていると家族みたいだなあって思っちゃいます。
 プロデューサーさんがパパで、絵理さんがお姉ちゃん。

絵理「愛ちゃん、可愛い」

愛「えへへ! ありがとうございます!」

 できあがったビデオは想像してたよりもずっとずっと楽しかったです。

 最初、リーダーのマキちゃんはわんぱくなタケシくんに困ってたけど
 愛おねえちゃん(あたしです!)がうまくタケシくんのやる気を出させてあげて
 そのタケシくんがもっと小さな子たちをまとめて最後の盛りつけをする。

 そしてみんなの「いただきます!」

 自分が出た番組なのに、ハラハラして、安心して、嬉しくなっちゃいました。


P「いい出来ですね」

愛「はい!」

絵理「マキちゃんも、可愛い」

愛「はい!」

 タケシくんが小さな子たちをまとめはじめた時の、
 ほっとしたマキちゃんの顔はとってもとってもよかったです!

P「さて、検討と指摘はあとでするとして
 日高さんとは少し内容について話してもいいですか」

愛「え? でもいい出来なんですよね?」

P「はい。番組としてはいいです。
 あとはアイドル日高愛として」

愛「え? うーん?」

 プロデューサーさんはもう一度最初から再生してくれました。

愛「あ! 最後の食べてる美味しいシーンで
 あたしのアップだけありませんでした!」


P「そうです。料理番組でいちばん大事なのは最後の笑顔です。
 食べる時の笑顔だけで仕事を取れる人もいるくらいですからね。
 けれど今回は使ってもらえなかった。

 これはもう契約不履行レベルで、もちろん指摘しますが
 どうして使ってもらえなかったかわかりますか?」

愛「うう。あたし、変な顔してましたか?」

P「笑顔はとてもよかったですよ。今回は、良すぎたんです」

 あたしはプロデューサーさんの言ってることがわかりませんでした。
 いい笑顔を使ってくれないなんて、そんなことあるわけありません。
 それくらいのことはあたしにだってわかります。

P「納得がいかない顔をしていますね」

愛「はい! ぜんぜんわかりません!」

P「いい返事です。
 ではここで日高さんの笑顔を組み込んだらどうなるか想像してみましょう。

 この番組は、最後のアップは芸能人から子どもたちという順番にしています。
 なぜか?
 こと笑顔という単純な表情にかけて
 芸能人は子どもには絶対に勝てないからです」


絵理「それは、そうかも?」

 絵理さんはそれからあたしの方を見てにっこりと笑ってくれました。

絵理「愛ちゃんの笑顔にも勝てない?」

愛「ありがとうございます!
 でも、あれ?
 それってあたしが子どもってことですか?」

絵理「気づいた? えらいね」

愛「ひどいです!」

P「水谷さんの言う通りです」

 プロデューサーさんまで!?

P「大半の芸能人は日高さんの笑顔には勝てない。それが最後のアップから外された理由です」

愛「え?」


P「収録が終わった時のことを思い出してください、日高さん。
 あの時日高さんはしょげてましたよね」

 え? そんなことあるわけありません。
 だってこんなに楽しそうな番組だったんですから……あれ?

P「しょげてましたよ。もっとやれるけどやらせてもらえなかったって」

 そうでした。
 あたしはちょっとフホンイだったんでした。
 
P「あの時日高さんはベストじゃないと思っていた。
 実際、スタッフみんな6割くらいの力しか使っていなかったはずです。
 それは大人の芸能人たちもそうです。

 彼らのほとんどは夜にも仕事があっただろうし
 次の日もその次の日も仕事があったから。
 日高さんのようにいつも10割全力とはいかないんです」

絵理「私も、わかる。愛ちゃんと全力でダンスすると、翌日がだるい?」
 
P「水谷さんはもっと頑張って。
 へとへとになってもご飯を食べて眠れば復活できる年頃ですよ。
 今無理をしないでいつするんですか」
 
絵理「あら。やぶ、つついちゃった?」

 
愛「でも、それっておかしいです!」

 とっても美味しかったから、思いっきり笑うのは当然です!
 それであたしだけが外されるなんて
 納得とかどうとかじゃなくて意味がわかりません!
 
P「でも、みんなが6割の力をあわせて作ったVを見て
 日高さんは最初満足してましたよね」

愛「うう。それは、そうですけど」

P「そういうものなんですよ。
 全員が6割の力で作ってもソツなく良い物ができあがる。
 それはスタッフのノウハウのお陰でもあるし
 日々進歩しているハードとソフトのお陰でもあります。

 何より、今はそのレベルのもので良いとされているんです」
 

 
愛「じゃあ、プロデューサーさんは、あたしに手を抜けって言うんですか?」

 手を抜けって、口に出してみましたけど
 うんそうだよって言われたらどうしたらいいのかわかりませんでした。

 だって全力でぶつかるのは簡単だけど
 止まってるのも簡単だけど
 痛くないようにぶつかるとか
 直前で止まるとか
 すっごく難しくないですか?
 
P「いや? 日高さんにはずっとそのままでいていただきたい。
 日高さんのためにも、みんなのためにも」
 
絵理「みんな?」

P「すぐにわかりますよ。きっと」

愛絵理「?」



 次の日、あたしは歌番組に出演してました。
 少し前に出した「はなまる」がスーパーの店内音楽で人気になって
 それで呼ばれたんです。
 
 ちなみに有線会社さんに売り込んでくれたのは
 まなみさんのアイデアだったそうです。

「私にはできない発想です」ってプロデューサーさんがとっても喜んでました!

 歌い終わって、ふーってしてたら、殺されるかと思いました。

??「すごいの! すごいの! すごかったのー!」

愛「うわわわわっ!?」

 振り向こうとしても、ぎゅーっと抱きつかれて見えませんでした。
 でも誰かはわかりました。
 
 新人No.1アイドルの星井美希さんです。
 
美希「愛、すごいね!? 律子のイトコなんだよね!?
 あははっ! ほんとすごいの! カワイイの!
 さっすがは律子のイトコなのー!!」
 
愛「あ、あの、律子さんのイトコは涼さんです!」


美希「ほえ? そうなの?
 でもそんなのどーでもいーの!
 愛ほんといっしょーけんめいで、とってもとってもキラキラしてたの!」

 星井さんはしばらくあたしをもみくちゃにしてから
 ディレクターさんのところに走っていきました。

 星井さんの撮影はもう終わったはずなのに、またスタッフさんたちが動き始めました。
 
 ライトの下で星井さんがあたしに向かって手を振りました。
 
美希「愛ー!」

 もう身体いっぱいで手を振ってくれてます。
 よくわからないけど、あたしもうれしくなって手を振りました。

美希「愛に負けないようにミキがんばるからねー! 見ててねー!」



P「はは。なるほど。星井さんらしい」

まなみ「笑い事じゃありませんよ。
 星井さんのリテイクはもう完璧。
 その結果、愛ちゃんのシーンが30秒も削られるんですよ」


P「本気の全力の星井さんにはさすがにかないませんでしたね」

まなみ「愛ちゃんもすごくいい出来だったんですけど。
 で、それでですね。
 来週なかばから愛ちゃんに急なオファーが入ってるんです。
 全部765プロがらみです」
 
P「そうなんですか。それはよかった」

まなみ「星井さんが言ったらしいです。
 愛ちゃんといっしょの仕事は楽しいって。
 でもそんなことでこっちにオファー入れさせるなんて」

P「765プロは飛ぶ鳥を落とす勢いですからね」

まなみ「あの人たち、愛ちゃんを潰す気なんでしょうか」

P「そうかもしれませんね」


まなみ「あの、プロデューサー?」

P「はい?」

fまなみ「765の男性の方から言われたんですけど」

P「おや」

まなみ「愛ちゃんの勉強になるからどんどん仕事入れていいって
 許可したんですか?」

P「許可ではなくお願いですが、そのとおりです」

まなみ「やっぱり……来週半ばから再来週
 765プロとの仕事が3本ですよ。全部飛び入りで。
 スケジュール縫ってうまくすべりこんできたから断れないし
 これじゃ愛ちゃん潰れちゃいますよ!」

P「潰れそうなら助けましょう。
 でも日高さんは潰れないんじゃないかな」


~二週間後~

愛「プロデューサーさん、もうばたんきゅーです……」

P「よくがんばりましたね。はいココア」

 なんだかすごかった一週間でした!

 それまで2日続けてお仕事ってあんまりなかったのに
 4日続けて、1日休んで、2日でしたよ!?

 あたしが想像してた売れっ子アイドルは毎日朝から晩までスケジュールが入ってます。
 今ならわかります。そんなの絶対にムリです!
 
愛「みなさんすごかったです……」

 雪歩先輩は自分が主演のミニドラマにわざわざ私の役を作ってくれました。
 セリフは少なめだったんですけど、一緒のシーンが多くて。それが2日。
 
 真さんと春香さんは情報番組のレポーターに呼んでくれて
 あずささんはあず散歩に呼んでくれて。
 
 どうしてそうなったのか、わけがわかりません。


P「どんどんVは上がってきますよ。まずは星井さんとの番組ですね」

 星井さんはもう、すごかったです。
 リテイクはその前に見ていたのとはぜんぜん違いました。

P「星井さんはすごいでしょう」

愛「すごいです」

 とってもかないません。
 765プロの皆さんはいい先輩でやさしくしてくれますけど、ライバルです。
 ライバルに毎日毎日負けちゃってたからさすがにしょんぼりです。
 
P「これはリテイクだったんですよね」

愛「そうなんです。星井さんに抱きつかれて、お話をしたら
 いつの間にかリテイクが始まってました」
 
P「前に話しましたよね。料理番組の時に。
 10割の力を出すのはみんなのためにもいいって。
 あれはこのことです」
 
愛「え?」



P「星井さんはすごいでしょう」

愛「すごいです」

 とってもかないません。
 765プロの皆さんはいい先輩でやさしくしてくれますけど、ライバルです。
 ライバルに毎日毎日負けちゃってたからさすがにしょんぼりです。
 
P「これはリテイクだったんですよね」

愛「そうなんです。星井さんに抱きつかれて、お話をしたら
 いつの間にかリテイクが始まってました」
 
P「前に話しましたよね。料理番組の時に。
 10割の力を出すのはみんなのためにもいいって。
 あれはこういうことです」
 
愛「え?」

P「765プロの皆さんは日高さんより一歩先に人気が出ました」

 ほんとに一歩だけなんでしょうか。
 あたしは遅れてるだけなんでしょうか。
 自信がなくなってきました。


P「毎日のように仕事が入り、若い彼女たちでも体力がもちません。
 ごくごく自然に、力を抑えてこなすようになります。
 以前はお昼の生番組がありました。あそこで発散していましたが」
 
 生っすかですね。
 あたしも楽しく見てたんですけど、いきなり終わっちゃいました。

P「10割の力でがんばると周りから浮くのはよく知っていますよね?
 彼女たちもそうなって、どこで全力を出していいのかわからずに、
 不完全燃焼でいたはずです。
 そんな時に、星井さんは日高さんを見つけました」
 
愛「あたしを?」

 ――愛ほんといっしょけんめいで、とってもとってもキラキラしてたの!

 あれってホントのことだったのかな。
 
P「星井さんのところには翌日にはVが届いたはずです。
 リテイクの、全力の、魅力的なVがね。
 日高さんの映像と一緒にみんなに自慢する星井さんが目に浮かびます」
 
 プロデューサーさんはなんだか星井さんのことを知っているように話します。



P「それで早速、調整がつけやすい子たちから
 日高さんと仕事をするように動いたんでしょう。
 全員とまではいかなくても、あと何回かは希望が来ると思いますよ。
 そしてこれからも、全力で仕事をしたかったら日高さんを呼ぼうとするでしょう」

愛「うう~。あたし、もつんでしょうか」

P「全力でぶつかって、こてんぱんにされてきてください。
 それが売上になるし、日高さんの成長になりますから」
 
愛「でも、毎日あんなにきついお仕事なんて~」

P「毎日にはならないはずですが、考え方を変えましょう。
 楽しかったですか?」
 
愛「はい! とっても!」

P「これからも楽しめそうですか?」

愛「はい! もちろんです!」

P「だったら心配ありませんね」

愛「あ、あれ? そうかも。あれ?」

 プロデューサーさんはおかしそうに笑っていました。
 それで不安がどっかにいっちゃいました。


 あたしがすっかりプロデューサーさんと仲良しになると
 やっぱりママと仲が悪そうなのが気になります。
 昔ママのプロデューサーだったなら、今だって仲良くすればいいのに。
 
 そう思ったときハッとしました。
 
 ママがアイドルのお仕事をやめたのは妊娠したから。あたしができたから。
 その時プロデューサーさんはどう感じたんでしょうか。
 ママはすごい人気者だったって言われます。
 妊娠はもう日本中がびっくりするくらいのニュースになったって。
 
 プロデューサーさんもすごくびっくりしたんじゃないでしょうか。
 
 もしかして。
 ママがプロデューサーさんのことを悪く言ってたのは
 それが関係あるのかもしれません。
 
 例えば、パパとケンカしちゃったとか……
 ママの引退に反対したとか……
 そうでもないと、やさしいママがあんなに嫌うのはおかしいです!
 
 でも、でも、そうしたら。
 プロデューサーさんはあたしのことをほんとはどう考えているんでしょう。
 

 
 もしかして
 
 もしかして。

『この子さえ生まれなかったら舞は引退しなかった』
 とか思ってるんじゃ……。

 
舞「愛? 愛? どうしたの?」

愛「あ、ごめんママ。ぼんやりしてた」

舞「ふふ。おかしなの」

愛「んー」

 お仕事のない、土曜日の午後です。
 おひさまが差し込んでくる窓際で、ママはお洗濯をたたんでいます。

 あたしはお出かけせずにおうちにいることにしました。
 今日はあのお料理番組が放送されるから、ママと一緒に見るんです。

 あたしは寝転がって、ママのふとももの上に頭を乗せました。
 ママがお洗濯物を取り込んでる時にこうすると
 ママは私の顔の上でお洗濯物をたたみます。
 
 お日さまと洗剤のにおいに包まれるのがとっても気持ちいいんです。

 
愛「ねえママ」

舞「なに?」

愛「涼さんのプロデューサーさん、
 昔のママのプロデューサーさんだったんだよね?」

舞「なに? あいつが言ったの?」

愛「う、ううん。
 一緒にいたら『親子二代だね』って言ってくる人がいて」
 
舞「まあそうね。あいつが入社してすぐ私の担当になって
 私がやめるちょっと前に担当じゃなくなったのよ」
 
愛「今みたくすごい人だった?」

舞「ろくなもんじゃなかったわよ」

 ママのふとももが固くなりました。
 怒ってる感じです。
 あたしはママから離れました。
 

 
舞「いやな奴だったわ。
 自分のやり方を押し付けてきて、こっちの意見は聞かない。
 あのころ私は今の愛と同じくらいだったから怖くて従ってたけど。
 休みはくれない友だちとも遊べない。
 いやな奴にもペコペコさせられる」
 
愛「……そうなんだ」

舞「あんた、あいつにつらいことさせられてないわよね?
 何かあったらすぐに言うのよ?」

愛「ぜんぜん! すっごくやさしいよ」

 次の言葉は、言ってすぐ後悔しました。
 
愛「パパってあんな感じなのかな」

 ママの顔色が変わりました。
 
舞「そういうの、冗談でもよして、愛」



愛「ご、ごめんなさいママ」

舞「ほんとはママね、
 愛の近くにあいつがいると思うだけでいやなのよ」

愛「ごめんなさい……」

 でも。
 
 どうしてもママの言うことが正しいとは思えませんでした。
 
 パパみたいって言ったのはあたしが悪かったけど
 いつも私たちのために頑張ってくれてるプロデューサーさんに
 ひどいことを言われたまま終わりたくありませんでした。
 
愛「でも」

舞「なによ」

愛「いい人だよ、プロデューサーさん」

 ぱちん、という音はほっぺたが痛くなってから聞こえました。
 あたしはただぼんやりと、ほっぺたを抑えてママの顔を見ていました。

 
 ママは泣いていました。 
 ママが泣くところを初めて見ました。

 

 
舞「いい人なわけないじゃない!」

舞「あいつが! あんな事件を起こしたせいで! みんな現場から外されて!
 みんなで花火を上げるはずだった!
 あいつがいちばんやりたがってたじゃないの!
 それは信じてたから
 それだけは信じられたから
 あんなやつでも我慢してたのに……」
 
 あたしはおろおろと手元のタオルをつまんだりねじったりしてました。
 もうタオルにはおひさまのにおいは残っていませんでした。
 
 ママは正座したまま、顔を隠そうともしないで、ぽろぽろと涙をこぼしていました。
 
舞「あの時、あのメンバーじゃなきゃできなかったのよ
 私、鯉沼さん、真城さん、神田さん、落合さん、あいつ……。
 みんなバラバラになっちゃって
 私は妊娠なんかしちゃうし」
 
愛「え?」



 さっき叩かれたほっぺが、触られたわけでもないのにもっともっと痛みました。
 
愛「ママ、いま」

 ママの顔は、紙粘土みたいに白くなってました。
 目が真っ赤で、髪が乱れて、ママじゃない知らない人みたいでした。

舞「うそ。うそよ、愛」

 『この子ができなかったら引退しなくてよかったのに』と
 プロデューサーさんが思ってるんじゃないかって怖がってたけど。

愛「いま、いま、なんて」

 でもちがいます。
 プロデューサーさんにどう思われたって
 あたしはどうでもよかったんです。

舞「愛、うそだから」

 あたしが怖かったのは。

 同じことを。

愛「ママ、あたし……
 生まれないほうが、よかったの?」

 ママも思ってるんじゃないかって……。




 気がついたら知らない場所を1人で歩いていました。
 とにかく家を飛び出して、前も見ないで一生懸命走って。
 そんなに遠くまで来てるはずないけど、みたこともないところでした。
 
 泣きながら歩いていたから、通りがかったおばさんが交番まで連れて行ってくれました。

 おうちの人は? と言われて電話を渡されて
 少し考えたあとで、その番号を押しました。
 
P『はい、もしもし』

 プロデューサーさんの声を聞いたとたんにまた涙がぼろぼろ流れてきました。
 
P『もしもーし。どちらさまですか?
 ……。
 もしかして、日高さんですか?』
 
愛「はい。愛です……お父さん」

P『おと……?
 どこにいるんですか? この番号、家じゃありませんよね?』

 
愛「あの、交番……」

P『今、水谷さんの立ち会いをしています。
 あと1時間で上がり、家に送ってから迎えに行きます。
 待っていられますか?』
 
 あたしは何もしゃべれなくて、ぶんぶんと頷きました。

P『よさそうですね。
 それではお巡りさんに代わってください。
 私が行くまでそこにいさせてもらうようお願いします』
 
愛「ごめんなさい、ごめんなさい」

P『大丈夫、安心して。大丈夫だから』

 泣きながら電話機をお巡りさんに渡しました。

 
 
 プロデューサーさんが来るまでには涙も止まりました。

 すごく不思議なんですけど、「泣き顔見せちゃうのか」って考えたら
 ぱたっと止まっちゃったんです。
 
 それでも、交番の前に事務所のバンが止まった時にはじわっときちゃいましたけど。
 

 
 2人でお巡りさんにありがとうをして
 とりあえず、ということでファミレスに落ち着きました。
 
P「聞きたいことはたくさんありますが、お母さんには?」

 あたしが首を振ると、プロデューサーさんはすぐに携帯を取り出しました。

愛「ママには言わないでください!」

 そう言ったんですけど、プロデューサーさんの目を見たら
 何も言えなくなっちゃいました。
 お仕事の時は見たことがないくらい怖い顔でした。

P「日高さんですか? 私です。愛さんを保護してます」

 そして、電話を耳から離して顔をしかめました。
 向かいに座っているあたしにもママの声が聞こえてきました。
 ああ、怒ってる……。

P「日高さん、落ち着いてください。何も心配は。ですから、いえ、それは……」

 プロデューサーさんは困り顔のまま息を吸うと、少しだけ大きな声を出しました。
 
P「落ち着け、舞! いい子だから」


 あたしと同じで電話の向こうのママもびっくりしてしまったみたいでした。

P「迎えに来るのはいい。でもそれは君が落ち着いてからだ。
 愛さんが不安なのに君まで取り乱してどうする。
 ドラムを聞け。ベースを見ろ。
 一旦切るから、落ち着いたらまた電話してきてくれ」
 
 プロデューサーさんは電話を机の上に置くと、ふうと息を吐きました。

P「さて。お母さんの方はいずれ落ち着くでしょう。
 それまで待って、送っていきますよ。
 デザートでも何か――」
 
愛「あの! プロデューサーさん!」

P「はい」

愛「ごめんなさい。今日ちょっとママに会いたくなくて」

 いくらあたしだって、ママがあたしを好きなことは知ってます。
 でも、今日のことはすごくショックだったし
 どうやってママと話したらいいのかわかりません。

P「そうですか……」

愛「今日、おうちに泊めてもらえませんか?」


P「は?」

 電話がまた震えました。

P「私です。はい。はい。落ち着いたね。
 それでだけど、愛さんが今日は家に帰りたくないと言ってるんだ。
 彼女は今とても興奮している。君もだろう。
 今日はお互い頭を冷やしたほうがいいと思うけど、どうですか。
 ――ああ、うん。
 なら、どこか泊めてくれる親戚の家でも」
 
 プロデューサーさんの言葉で慌てました。
 うちは涼さんの家とは違うから
 仲の良いイトコのお姉さんはいないんです。

P「――ああ、そうか。となると
 え? 嫁? それはまあ、いるにはいるが。
 いや、それは――まあ、たしかにそうは言ったが」

 プロデューサーさんの顔は、いつもに戻っていました。
 いつも、あたしや涼さんや絵理さんと話すときの顔です。

 まなみさんや尾崎さんへの厳しい顔じゃなくて。
 あたしたちへのやさしい顔でした。

 その顔のまま電話を切りました。
 「明日朝送っていく」と言ったので
 今日は帰らなくていいことはわかりました。


P「まあ、お母さんの方は落ち着きました」

愛「ママ、怒ってました?」

P「心配してましたよ。悪い子ですね」

愛「ごめんなさい……」

P「まずは何か食べましょうか。
 昼から食べていないので腹が減りました」
 
 あたしのお腹も賛成して、2人で顔を見合わせて笑いました。
 


P「なるほど、反抗期ですか。
 きっかけが私というのは心苦しいけれど、おめでとうございます」

愛「反抗期ってどなったりすることですよね?
 でもあたし、ママのこと大好きです」
 
P「反抗期というのは親を嫌いになることじゃありません。
 それはたまたま出てくる態度の一つなだけで
 親子ともに気づかず、始終ニコニコと終わる反抗期だってあります」
 
愛「そうなんですか?」
 


P「はい。子どもは生まれてきて、まず誰を頼りにしますか?」
 
愛「ママです!」

P「そう。親ですね。
 子どもの世界は狭いから、親が正しいと考えてすべてうまくいきます。
 でも、中学生になったあたりでしょうか。
 親のルールじゃいけないことが増えてきます。
 実は、親がすべて正しいわけじゃないことに気づき始めます」
 
 そうです。ママがなんと言おうと、プロデューサーさんはやさしい人です!
 
P「そうすると子どもは自分なりの考え方――価値観といってわかりますか?」

愛「な、なんとなく。
 リンゴよりバナナが好きってことですよね?」
 
P「まあ、今はそれでよしとしましょうか。
 お母さんがバナナよりリンゴが好きでも
 愛さんはバナナが好きです。
 それはつまり、愛さんの世の中では
 バナナの方がいいものだということになります」
 
愛「ママとケンカせずに半分こできます!」



P「お母さんはいい人だから半分こしてくれるでしょう。
 でも中には、自分が好きなんだから
 愛さんもリンゴを好きになれという親もいます。
 
 それにリンゴとバナナだったらふつうの親は気にしませんが
 もっと大事なことの場合
 子どもに自分と同じ考えをしてもらいたがります」
 
 ママはプロデューサーさんがあたしのそばにいることに我慢してくれてました。
 だけど、目の前で好きだというのは許してくれませんでした。
 そういうことなのかな?

P「念のため言っておきますけど、それは子どものことが大事だからです。
 世の中はとても大変なところで自分はなんとかやってこれました。

 この考え方で失敗しないことはわかっているんです。
 だから、子どもには同じように幸せになってもらいたいんです。
 親はすべて、子どもの幸せを願っているんですよ。わかりますね?」

愛「はい」

 
P「しかしそれは、子どもにとっては押しつけにすぎません。
 親子といっても別の人間です。
 身体がちがうように考え方がちがうのも当たり前なんです。
 だから、子どもは少しずつ親のコピーではなく
 自分で考えるようになります」
 
P「それを歓迎する親のもとでは反抗期は目立たずに終わります。
 押さえつけようとする親のもとでは
 お互いケンカのようなことになるでしょう。
 でも、子どもにとってのゴールはどちらも同じです」
 
愛「それって、なんですか?」

P「親を許すこと」

愛「許す……?」

P「まだまだ不十分で、いきあたりばったりで、考え不足で、いい加減な
 それでも一生懸命つくりあげた自分だけの考え方を大事にして
 同時に、親だって完全じゃないんだということに気づくこと。
 今まで完璧で正しいと思っていた親の
 間違っているところ、ダメなところに気づくこと。
 
 そしてそれをやさしく許すこと。

 子どもは、まず親を許すことで
 一人の人間として、他の人間を許してあげられるようになるんです」


 許す。
 ママはいつも正しいから、間違ってるのはあたしだから
 ごめんなさいはあたしがすることで
 許してくれるのはいつだってママの方でした。
 
 許す。
 
 ママを許すなんて想像もできません。


愛「よくわかんないです」

P「そういう時はどうするんですか?」

愛「今わからなくてもあとで思い出してわかるから、真面目に聞いてます」
 
P「その通り。日高さんは本当にいい子ですね」

 あたしは鼻水をすんとすすって、にっこり笑いました。
 
P「それで、話の流れで今夜は私の家に来てもらうことになりました」

 プロデューサーさんはどこか困ったような顔をしていました。
 それでようやく、大事なことに気がつきました。

愛「あ! だったらプロデューサーさんの奥さんに会えます!」


P「いや、それが無理なんですよ」

愛「ええ? でもさっき電話でママにいるって」

P「あれは嘘なんです」

愛「え?」

 うそ?

P「私は実は、独身なんです」

 え?
 


愛「おじゃましまーす!」

P「お願いですから静かにしてください。
 聞かれたら親戚の子どもだと言いますが
 聞かれないにこしたことはないから」

愛「あ、ごめんなさい!」

P「ボリュームが落ちない……。
 今更ながら涼さんの気持ちがわかりますね」



 なんと、あたしは今プロデューサーさんの家にやってきています!

 お部屋は台所の他には1部屋だけでずいぶん散らかってます!
 脱ぎっぱなしのシャツはあちこちにあるし、ビールの空き缶が20個以上並んでます!
 お布団は敷きっぱなしで枕もとは雑誌が積まれてます!
 
 あたしがこんなに散らかしたら、座れなくなるくらいママにお尻を叩かれます!

愛「すごく汚いですね!」

P「そうでしょうか?
 一応、3時間掃除すれば男友達を呼べる程度には
 普段から片づけているつもりなんですけど」

愛「ママはいつもきれい好きだから、大掃除でも3時間もかけませんよ! うちは!」

P「ですからちょっと声を落としてください」

 そう言われてあたしは口を両手でふさぎました。
 そのぶん目で一生懸命あたりを探検すると、1枚の写真を見つけました。
 
愛「あー! ママですよね!」

P「そうですよ。若い時の日高さんのお母さん
 私、あとは仲の良かったスタッフたちです」


 写真の中のママはびっくりするくらい子どもでした。
 隣にいるのがプロデューサーさんで、こっちも若くてかっこいいです!
 ママはプロデューサーさんと肩を組んで、すごく大きく口を開いて笑ってました。

愛「あれ? この後ろの人」

P「見覚えがありますか?」

愛「はい」

 前に一度現場で挨拶したことがあります。
 カントクさんがぺこぺこしてたから、すごくえらい人なんだと思います。
 あたしが覚えているのは、苦手な人だったからです。

 あたしを見ないで、あたしの後ろのママを見ている人だったからです。
 
愛「この人、アイドルだったママと友だちだったんですか」

P「友だちではないですね。
 皆さん、その当時はあるテレビ局のスタッフです。
 左から……」
 
 みんな、ママが泣きながら言った名前でした。

愛「あたし、この女の人以外は会ったことあります」

 みんな、あたしの向こうのママを見ていた人たち。
 あたしが苦手だった人たち。
 


P「そうかもしれませんね。
 みなさんもう役員になっていますがたまに現場でお見かけします。
 舞さんの娘さんがデビューしていると聞けば顔を見に来るでしょう」
 
愛「そんなにママは人気者だったんですね……」

 プロデューサーさんは黙って紅茶のおかわりをくれました。

P「人気者、というのとは少し違いました。
 彼女は太陽でした」
 
愛「太陽?」

 おひさま?

P「どこにいても周りを照らして熱くさせる。
 でも近づきすぎるとやけどする。
 料理番組のオンエアは見ましたか?」

愛「あっ! 見てないです……」

 その時間、あたしは交番でしょんぼりしてました。
 今日だけで、ほんとにほんとにたくさんのことがありました。


P「録画してあるのであとで見ましょう。
 ちゃんと日高さんのアップも使われてましたよ。
 子どもたちに挟まれてましたけど」

 そうでした。あたしが笑いすぎるからって
 最初はアップを外されてたんでした。

P「お母さんにも同じことがいつも起きていました。
 彼女が関わると共演者やスタッフの力不足や手抜きがバレてしまうんです。
 彼女と仕事をすると食われる、と言われて営業は大変でしたよ。
 露出を増やして、イメージを操作して
 ファンやスポンサー側が求めるようにするしかなかった」

 ――休みはくれない友だちとも遊べない。
 ――いやな奴にもペコペコさせられる。

P「それでも彼女に惹かれて集まる人たちがいました。
 それがその写真のメンバーです」

P「みんな今の私くらいの年齢で、素晴らしい職人たちでした。
 全員が才能とやる気の塊で、そんな人たちが1つの局の同期に集まったのは、
 結果だけ見たら奇跡としか思えない」


P「テレビの現場で暴れまわり
 そろそろ現場は離れようかと考えはじめた頃
 彼らは日高舞という素材を見つけたんです。

 いまでは舞さんだけが凄かったように言われます。
 ですが実際はあべこべです」

 あたしが生まれる前のママのことを
 まるでついさっきのことみたいに話すプロデューサーさんと一緒にいるのは
 なんだかとても不思議な感じがしました。

P「舞さんはその頃、ただのおしとやかでかわいらしい
 世間知らずの女の子でした。
 ただ一つ、静かな負けん気だけは強かった。
 泣きながらもう嫌だ、帰りたいって喚いて
 じゃあ帰るか? と聞くと歯を食いしばって戻って行きました。
 そこが気に入られたのでしょう。
 その写真の人たちは徹底的に舞さんをしごきました」

P「人間が成長するのは全力を出した日だけです。
 14才から15才のあいだ、舞さんは毎日全力だったんです。
 愛さんが音を上げかけたような暮らしを1年以上。
 それも業界トップの人たちと取っ組み合いで。
 残した結果は、ささやかにすぎると私は思います」

愛「すごい……」


P「時代もよかった。あの頃はまだ、テレビは娯楽の王様でした。
 テレビには大人が全力をかける価値があった。
 今、どうかは、口には出したくありませんが」

P「みんなが6割の力を出して、ノウハウと技術で合格点のものに仕立て上げる。
 それはとても大変なことで、とても素晴らしいものですが
 最後の良かった時代を知っている私にとっては少し残念ですね。
 
 その写真の全員が今この時代にいたとしても
 花火を上げようと想像することさえできなかったはずです」

 その言葉には聞き覚えがありました。

愛「あの、プロデューサーさん。花火を上げるってなんですか?
 ママも言ってました」

 ママがやりたかったこと。
 この写真の人たちと一緒に。

 プロデューサーさんは目をまんまるにしてあたしの顔を見ていました。

P「……舞が?」

愛「みんなでやりたかったって」



 プロデューサーさんは何回か目をぱちくりさせると
 なんにも言わないでお台所に行きました。流しで顔を洗って……
 あれ? このお家、洗面所がないんですか? 不思議なお家です。
 トイレはあるんでしょうか。心配してるうちに戻ってきました。

P「花火を上げるというのは、私たちの合言葉みたいなものです。
 それは、私たちが、その写真のメンバーがやりたかった企画です。
 21週で土曜日19時から20時。プロ野球に真っ向勝負を挑むドラマの生放送です」

愛「生放送? あれってお昼の番組だけじゃないんですか?」

 春香さんたちが少し前までやってた生っすかは生放送だったはずです。

P「最近ではそうですけど、私が生まれる少し前までは夜の生放送もよくあったんです」

愛「そうなんですか~って、ド、ドラマ!?」

P「はい。ドラマです」

愛「生放送でドラマ!?」

 このあいだ、雪歩先輩と一緒にミニドラマを撮りました。
 ほんのちょっと、30秒くらいのシーンで刻んでつないでましたよ!?

愛「ええっ!? セットの移動はどうするんですか!?」

P「他のシーンを回してる間にどんな大スターでも走ります」


愛「衣装はどうするんですか!?」

P「その場で着替えますよ。当たり前でしょう」

愛「ええっ!? もし転んじゃったら」

P「転ぶ姿がお茶の間に届きます」

愛「もしカメラが壊れちゃったら」

P「ほかのカメラだけで回しつつ、その場で直すか替えを用意します」

愛「地震は」

P「何事もないかのように振る舞うか、無理なら即興で組み込みます」

愛「火事」

P「映らないように消すか、無理ならば自然に舞台を移します。
 実際、小さなボヤ程度ならば消し止めて警察への報告もなかったといいますし」

 プロデューサーさんの目がいきいきとしてきました。


P「その日いい俳優がいたらその人が主役を食います。
 脚本家は詰めっぱなしですぐにストーリーを変更して
 カメラはいい表情の人だけを追い続けます。
 下手すると、映るはずだったセットに座ったままで
 結局出番のない人だって出るでしょう。

 最高のキャストとスタッフが、その日の最高を伝えるために
 最初から最後まで真剣勝負です。
 まさに花火です。全力で戦って、終わったら酒瓶片手にぐったりする」

愛「あたまがくらくらします」

 今のお仕事だと失敗しても帰るのが遅くなるだけです。

 でもその生放送というのは、終わればぴったり時間どおりに帰れるけど
 次の日の学校でみんながあたしの失敗を知ってるわけです。

 というか、あたしなんか映れないかもしれません。

 ママは、今のあたしとそんなに違わない年で、
 この写真の人たちとそんなことをやろうとしていたんです。 

愛「あたしが生まれなかったら、ママはそれをできたんですね」

 また鼻がぐずぐずしてきました。

P「違いますよ」


P「違いますよ」

愛「え?」

P「できなくなった原因は、私が罪を犯したからです。

 そのメンバーの中で私の役割は根回しと人集めでした。
 舞さんの影響力を強めて反対する人たちを減らし
 協力してくれる人たちを増やすこと。
 特に舞とやりあえるような名優を集めること。
 つまり制作の仕事ですね。

 そこで私は焦りすぎて、ルールを破りました。
 事務所のお金を使い込んで強引な接待をしたんです」

愛「あ……」

 プロデューサーさんが『ミスターこんぷらいあんす』って呼ばれるのは
 褒められてたわけじゃなかったんです。
 昔ルールを破ったことを
 きっと今でも言われてるんです。

 だからあんなに、まなみさんにルールを守れって言ったんでしょうか。


P「写真の仲間たちはみんな、無理を言って現場に残っていたんです。
 私のことがあって、わがままを言いづらくなって
 それぞれ現場を離れてしまいました。
 本当は、最後に花火を上げて
 安心してくれって言って送りだすつもりだったんですけど」

愛「……」

P「私以外の誰が欠けてもできないことでした。
 それを、いちばん必要ではなかった私が台無しにしたんです」

 プロデューサーさんの顔はさっぱりしてました。
 でも、話しかけられないくらい寂しそうでした。

P「とても残念ですが、過ぎたことです。
 昔には戻れません。
 それに、日高さんがいます」

愛「え? ええ? なんでそうなるんですか!?」

P「765プロの子たちの話ですよ」

愛「え? え?」

P「私たちは別に生放送がしたかったんじゃありません。
 力を抑えることが当たり前になりつつあったテレビ業界、いや芸能界に
 全力を振り絞った証を残しておかなければと思ったからです。
 それをいちばん表現できるのが生放送だっただけです。
 舞さんはそこで主役を守りきって
 スタッフや共演者、全員から全力で挑まれる目標として芸能界に輝いたはずです。
 力を抜かない世界を、せめて一角だけでも残して伝える。
 それが、そのメンバーにとっての最後のおつとめだったんです。
 私が潰したのはそういうものでした」

P「でも、日高さんが出てきました。
 不器用で、才能もなくて、あるのは元気だけで
 でも、一生懸命がまわりにあふれるような女の子が」

 そ、そこまでも言わなくていいじゃないですかあ。

P「舞さんは太陽になる予定でした。
 近寄らなければ凍え死ぬ。うかつに触れたら焼き殺される。
 そうして芸能界の張りを守る予定でした。
 それは寂しくて辛いことですが、舞さんはやさしい子でしたから
 前の世代の人たちの願いを継ごうとしてくれていたんです」

P「愛さんは違います。
 愛さんはのびのびと遊べるおひさまになるんです。
 挑まなければ仕事がないから、ではなくて
 愛さんと一緒だとめいっぱいできて楽しいから
 みんなが寄ってくるおひさまになるんです。
 765の子たちが寄ってきたように」


愛「そ、え、そ、そうなんですか?」

 ほんとのところ、プロデューサーさんの言ってることの
 半分もわからなかったです。
 こんなあたしがおひさまとか……
 でもママの言葉を思い出しました。

 いいこと言ってるなと思ったら、とにかく一生懸命聞いておきなさい。
 愛がわかる年ごろになったらぱあっと思い出すから。

 ママは、写真のすごい人たちの言ってたことを
 そうして思い出してきたんじゃないでしょうか。
 
 きっと、プロデューサーさんの言ったことも。

P「わかってませんね」

愛「はい! ぜんぜん! でも覚えます!」

P「はは。いい返事です」

愛「えへへ」

P「ご褒美に一ついいものを見せてあげましょう」



 隣りのお部屋もプロデューサーさんが借りてるお部屋でした。
 そこに連れて行かれて、びっくりして動けなくなりました。
 
 事務所の本棚の何十倍かわからないくらい、たくさんの本とCDとDVDが並んでました。
 全部芸能界の雑誌で、アイドルのCDで、DVDで、ビデオテープもありました。

 あたしがあたりを見廻している間に、おっきなテレビから音楽が流れててきました。
 
愛「ママだ……」

 若いママが、キラキラしたステージに立っています。
 とっても優しそうな顔は
 あたしが見たどんな昔のママよりも、今のママに似てました。

P「彼女の最後の歌です。タイトルは『ALIVE』
 この時すでに、お腹にはあなたがいます」
 
愛「!!!」

 そう言われてテレビに顔を近づけたけど、もちろんおなかはペタンコです。

P「まだ外からはわかりませんね。
 ただ、誕生日から逆算して、気づいていてもおかしくない頃です。
 私は気づいていたと思います」
 
  ひとつの命が生まれゆく
  二人は両手をにぎりしめ 喜びあって……

  
P「この曲、作詞家から上がってきたのは
 この映像の一年前のことでした。
 私がまだプロデューサーをしていたころです。
 2人とも一度聞いてボツにしました」
 
愛「!?」
 
P「私も舞さんも自分たちが輝くことしか考えていませんでした。
 そんな2人にとって、この曲はあまりにつまらない。
 自分たちには成功しかないと考えていましたからね」
 
  しかし闇は待ち伏せていた……希望失って悲しみに暮れ……
  
P「どん底にいた時、この曲がテレビから聞こえてきて
 背中を押された気がしました。
 舞は新しい気持ちで歩き出そうとしている。
 私も、もう一度やろうと思いました」

  どんな時も命あることを忘れないで
  未来の可能性を信じてあきらめないで

P「876に来た最初の頃にお母さんに言われたんですよ。
 まだこの業界にしがみついているのかと。
 恥ずかしくないのかって。
 自分で背中を押しておいてひどい話です、まったく」


愛「ママ……」

 ゆっくりしたメロディが気持ちいい。
 あたしはそれにあわせて身体をゆすっていました。

  小さなあなたに願ったのは 愛し続ける優しさ
  けして揺るがない強いこころ もてますように……
 
 初めて聞いたのになんだか懐かしい曲でした。

 画面が暗くなりました。
 あたしはそれでも身体をゆすっていました。
 
P「人気絶頂だったアイドルの突然の妊娠は
 もちろん大スキャンダルでした。
 しかしファンの動揺がそれほどでもなかったのは
 この曲のおかげだったと思います。

 私も思いましたからね。
 『あんなに愛している子を生むのだから
  もう祝うしかないじゃないか』
 ってね」


愛「プロデューサーさん……」

 ――うそ、うそよ、愛。
 
 ママの顔を思い出しました。
 
 ――愛、うそだから。

 ママは嘘だと言ったけど、嘘じゃなかった。
 あたしが生まれなかったほうがよかったって
 きっと何度も何度も思ったはずです。
 そうでしょう? 
 だって、こんなにキラキラした世界で活躍してたんだもの。

 ママはそれでもあたしを産んでくれた。
 それなのに、後悔しちゃいやだ、なんて言えません。
 ママはあたしを選んでくれたんだから
 後悔させないのはあたしのお仕事だったんです。

 でも、あたしはそれをちゃんとしてきたんでしょうか。

P「ファミレスの電話で、ひどいことを言ってしまったと。
 謝ってくれと。お母さんは泣いていました」


 もうこらえられませんでした。

愛「……プロデューサーさん、ママに会いたいです。
 ……ごめんなさいって、大好きだよって言いたいです」

P「はい」

愛「……ごめんなさい。おうちに帰りたい」

 あたしは目をぎゅっとつぶって、でも涙が止まらなかったけど
 プロデューサーさんがうなずいてくれたのはわかりました。

P「送っていきます。帰りましょう」

 プロデューサーさんの言葉を遮るように、ドアを叩くうるさい音が聞こえました。
 隣りの部屋でした。
 
舞「愛! 愛! いるの!? 帰ろう? ママよ!」

 顔を上げて、プロデューサーさんの顔を見て
 あたしは走り出しました。

愛「ママ! ママぁ!」

 部屋を出る時、何かにぶつかったみたいで
 プロデューサーさんの慌てた声と、何かがたくさん落ちる音が聞こえました。

~タクシー車内~

舞「……それにしても、独身オヤジの部屋に
 中学生の女子を引きずり込んだのね、あの変態」

 ママにぴったりくっついて。腕に包まれて。
 耳の中ではまだあの歌がゆっくり流れています。
 
愛「変態じゃないよう。
 あたしたち、たくさんたくさん迷惑かけたんだからね!」

 ママは小さく笑うとあたしの身体をゆすりました。

愛「ママ、ごめんね」

舞「ママこそごめんね」

愛(あ……)



 なんで今まで気づかなかったんだろう。
 ママはいま、本当にごめんなさいと思ってます。
 これまで、ごめんって言ってくれてても
 口だけだと思ってました。
 
 でも違います。
 ママも悪いことをしたと思ってて
 ほんとに謝りたかったんです。

 でもあたしは、ママが謝るなんて思わなかったから
 許してあげるなんて考えもしませんでした。

 ママもいつも、何かしちゃった時は、あたしに許してほしかったんです。

愛「いいよー。許してあげます!」

舞「何よ! 生意気に!」

 ほら、とってもホッとしてます!
 
愛「ゆーるしーてあーげまーすよー。ママー」


舞「何よその歌」

愛「今日、一緒にお風呂はいってくれたらかな」

舞「どうしちゃったの」

愛「だってあたし反抗期だもん!」

舞「は? え? 反抗期?」

 あたしは身体の向きを変えて、ママの髪の毛の中に顔を埋めました。
 少し汗臭いけど、ママのにおいです。
 大好きなにおいです。
 
愛「あたし、反抗期なんだよ」

 だから許してあげるんです。
 もう子どもじゃないから。
 ママは絶対じゃなくて完璧でもないって知っちゃったから。

 だから、ママが悪くても許してあげて
 大変で寂しいときはいっしょにいてあげるんです。

舞「え、なに。これがゆとり教育ってやつなのかしら……?」


愛「それ、土曜日いっつもお休みするヤツでしょ?
 何年か前におわったんじゃないかなあ」

舞「でもゆとり教育以外にこの気味悪さを説明できないわ」

愛「どうでもいいよう。ねえママ。
 ALIVEって曲、あたしが歌っていい?」

舞「あー、あの曲かあ。
 思い出の曲なんだけどね。
 でもまあ、いいわよ。他の子に歌われるより。
 愛は昔から好きだったものね」
 
愛「え? 今日初めて聴いたよ?」

舞「覚えてないのね。
 愛が赤ちゃんの頃、グズった時はいつもハミングしてあげてたのよ」

 だから、なつかしい気持ちになったんでしょうか。

舞「でもいいわね。面白いわ。
 あの変態はALIVEをダメだって言ったからね。
 いい気味よ。結局愛は私のもとに戻ってきたんだわ」
 
愛「もう。ママったら」


 ママはまだプロデューサーさんに反抗期してます。
 いつになったら許してあげられるんでしょう?
 
愛「先輩だからあたしが教えてあげるよ」

舞「さっきから何言ってるの?」

愛「反抗期のやり方」

舞「ゆとり教育ってほんとにまずいのかしら……」






~876プロ前通り~

 街なかがすっかり赤と緑のクリスマスになったある日。
 あたしは事務所にいく途中で郵便ポストに寄りました。
 友だちには30日くらいに慌てて出してるけど
 その年賀状だけはちゃんと1日に届いてほしいからです。
 
 届け先は、プロデューサーさんのおうち。
 
 涼さんの準備が終わって、プロデューサーさんは876プロを離れました。
 今はまなみさんと涼さんが
 メールと電話でアドバイスを受けるケイヤクらしいです。
 まなみさんたら毎日一回は怒られて、嬉しそうにしてます。

 だからもう会うことはありません。
 年賀状を喜んでくれたら嬉しいです。

 
 

 
 年賀状には写真を載せました。
 
 あの料理番組みたいにニコニコ笑ってるあたしと
 嫌そうな顔でそっぽ向いてるママ。
 ママは相変わらず困ったひとです。

 これからも年賀状はだそうと思います。

 ママがまだ反抗期だってことを
 プロデューサーさんには伝えないといけません。

 考えたけど、ママだけが悪いんじゃないです。
 プロデューサーさんも、今の気持ちでちゃんと謝らないとだめです。

 だから、プロデューサーさんがちゃんと謝って
 ママがちゃんと許してあげるまで
 年賀状は出そうと思います。

 何年かあと、とっても喜んでくれるといいな。
 お正月の朝に、洗面所とトイレがないあの不思議なおうちで。
 今からそれが楽しみです!


涼「愛ちゃーん!」

 事務所の前で涼さんが手を振ってます。
 今日は876プロ3人の年末合同ライブ。
 男の子になった涼さんのおひろめのライブです。

 もう、ネットでは当たり前になってるんですけど
 男の子としてステージに立って、正式に認めるのは今日が初めてです。
 
 すごいプレッシャーのはずなのに、涼さんはいつもどおりの笑顔でした。


 涼さんのソロの前に、あたしが1人でALIVEを歌います。
 
「愛ちゃんの歌に励ましてほしいんだ。愛ちゃんのALIVEは元気が出るから」

 涼さんにお願いされました。

 
 今日は一生懸命歌います。
 いつも一生懸命ですけど
 一生懸命の記録を塗り替えるくらいの一生懸命です。
 
  どんな夢も願っていればいつかは叶うよ
  怖がるのは恥ずかしくない 最初だから

 そうだよね! ママ?
 そうですよね! プロデューサーさん?


 大きく息を吸い込んで
 顔いっぱいでにっこり笑って
 ぶんぶん手を振って
 あたしは走り出しました。
 
 今日はすごくいい日になるよ。みんながニコニコする日になるよ。
 なんでか、それがわかりました。



<おしまい!>

 読んで下さった方々、ご支援くださった方々。
 本当にありがとうございました。お疲れ様でした。

 すぐ落ちますが、ご指摘等ありがたく拝聴いたします。


 最後に一句

  載せてみて はじめて気づく 構成のいびつさ
  それにつけても サルの怖さよ


 ありがとうございました!

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