絢辻「あなたをあたしのものにします」中多「ふぇ……?」(446)

絢辻(失態だわ……まさかこの数日間で2回も手帳を落とすなんて)

中多「あの、先輩? これ、先輩のですよね……?」

絢辻(しかもよりによって拾ったのが1年生なんて……橘君は同じクラスだからまだ監視しやすくてよかったのに)

中多「先、輩……? あ、あの……?」

絢辻(……そうよ、まだ焦る必要はないわ。問題は手帳の中身を見られたかどうかであって)

中多「そ、そのぉ……ぐすっ……」

絢辻「拾ってくれてありがとう。あなた、1年生よね? お名前は?」

中多「あ、な、中多です。1-Bの中多紗江です」

絢辻「私は絢辻詞。これ、すごく大切な手帳なの。拾ってくれて本当にありがとう、中多さん」

中多「え、えっと……ど、どういたしまして」

絢辻「ところで、どうしてこの手帳が私のものだってわかったの?」

中多「あ、それは……」

絢辻「もしかして……中を見て確かめたり?」

中多「ち、違います! その、先輩が手帳を落とすところをちょうど見てて……」

絢辻「そうだったの。ごめんなさい、プライベートなことも書いてあるから少し気になって」

中多「だ、大丈夫です。気にしてませんから」

絢辻(嘘は……吐いてなさそうね。見るからに嘘を吐けるような子じゃないし、今回は大丈夫――)

橘「絢辻さーん、言われたとおり資料持ってき……あれ、中多さん?」

絢辻(ああもう、また面倒なのが……)

橘「中多さん、どうしたの? 僕になにか用?」

絢辻「ううん、私の手帳を拾ったから届けに来てくれたの」

橘「ええっ、絢辻さんの手帳を!? な、中多さん大丈夫!? 変なことされてない!?」

中多「へ、変なこと……?」

橘「急にネクタイを締め上げられたりとか、復唱を強いられたり――いっ!?」

絢辻「橘君? なに言ってるのかな?」

橘「い、いえ……なにも」

絢辻「次、余計なこと言ったらこの学校にいられなくするわよ?」ボソッ

橘「は、はひっ」

絢辻「それよりも、橘君と中多さんは知り合いだったのね」

橘「僕の妹が中多さんと同じクラスなんだ。それで話すようになってね」

中多「そ、そうなんです。せんぱ、あ、橘先輩にはすごくお世話になってて……」

絢辻「……お世話になってる? 橘君に?」

橘「あはは、照れるなぁ」

絢辻「橘君、ちょっと」

橘「え?」

絢辻「あなた、この子にいかがわしいことしてないでしょうね」ボソボソ

橘「し、してないよっ」

中多「……?」

絢辻「中多さん、あんまり橘君に隙を見せちゃダメよ?」

中多「え、え? 隙?」

絢辻「男子はみんな狼なの。だから気をつけないと」

橘「ちょっと絢辻さん!?」

中多「えっと、よくわかりませんけど……た、橘先輩は信頼できますから!」

絢辻「え……」

橘「中多さん……ありがとう!」

絢辻(……なんか面白くないわね)

絢辻「まぁいいわ。橘君、中多さんを送ってあげて」

橘「え、でもまだ仕事が」

絢辻「今日はいいわ。あとは私ひとりでやるから」

橘「うん、わかったよ。じゃあ帰ろうか、中多さん」

中多「はい」

絢辻「中多さん? 手帳の件、本当に助かったわ。ありがとう」

中多「あ、そ、そんな……」

絢辻「あと橘君、わかってると思うけど……くれぐれも送り狼にならないようにね」ニコニコ

橘「……了解です」

帰り道

橘「ねえ中多さん、絢辻さんとは本当になにもなかったの?」

中多「ふぇ? どういうことですか?」

橘「例えば……絢辻さんの態度が急に変わったりとか」

中多「そんなことはなかったと思います」

橘「そっか……中多さんは手帳の中を見たりしなかったよね?」

中多「はい、持ち主は絢辻先輩だってわかってたので」

橘「ならいいんだ。とにかく、あの手帳のことはすぐ忘れた方がいいと思うよ」

中多「忘れる……ですか?」

橘「うん……今までどおりの学校生活を送りたいならね」

中多「え……」

翌朝

絢辻「あら、中多さん。おはよう」

中多「あ、絢辻先輩。おはようございます」

絢辻「結構早いのね。いつもこの時間なの?」

中多「その、電車が止まったりしても大丈夫なように……」

絢辻「ふふ、心配性なのね」

中多「あ、す、すみません……」

絢辻「どうして謝るの? 私はいいことだと思うわよ」

中多「あ、ありがとうございます」

絢辻(調子狂うわね……)

絢辻「中多さんは普段橘君とどういうお話をしてるの?」

中多「橘先輩と、ですか?」

絢辻「ええ。なんだかふたりが話してるところって想像できないから気になったの」

中多「その、橘先輩とは……と、特訓をしてます」

絢辻「特訓? なんの?」

中多「あ、アルバイトを始めたいんですけど……わ、私は人見知りなので、それを克服する特訓をしてもらってます」

絢辻「アルバイトね。中多さんってすごいのね」

中多「そ、そんなことないです」

絢辻「あるわよ。なにか目標を持って行動するって、簡単に見えてすごく難しいことだから」

中多「あ、う……ありがとうございます……」

絢辻(むしろ問題は橘君ね。特訓、特訓ねぇ……)

絢辻「中多さん、もしよかったらその特訓の内容を少し教えてもらえない?」

中多「えっと……誰とでも淀みなく話せるようになる練習とか」

絢辻「うん、他には?」

中多「大きな声を出す練習やお茶汲みの練習もしました」

絢辻(案外普通ね。杞憂だったかしら)

中多「あとは……は、早着替えの練習を」

絢辻「ふーん、早着替えねぇ……え、早着替えっ!?」

中多「は、はい。アルバイトの服装に素早く着替えるために必要だからって」

絢辻(あの変態……やっぱりしてるじゃないの、いかがわしいこと)

放課後

橘「それじゃあ今日も特訓を始めたいと思うんだけど……その前にひとついいかな?」

中多「はい?」

絢辻「なに?」

橘「どうして絢辻さんもいるの?」

絢辻「中多さんがアルバイトを始めるために頑張ってるって聞いたから、私も手伝いたいと思ったの。昨日のお礼も兼ねてね」

中多「お、お礼だなんて……」

絢辻「気にしないで、私がそうしたいだけだから。それとも私がいるとやりにくい?」

中多「そ、そんなことないです! 絢辻先輩がいてくれると心強いですっ」

絢辻「ふふ、そう? じゃあ私も良いお手本になれるように頑張るわ」

橘(ぼ、僕の立場が……)

中多「教官、今日はどの練習から始めますか?」

絢辻「……教官?」

中多「あ、これは特訓中は橘先輩のことを教官と呼ぶようにしてて」

絢辻「それ、橘君に言われたの?」

中多「そうです」

絢辻「中多さん、ごめんね? 橘君、ちょっとこっちに」

橘「はい……」

絢辻「中多さんがおとなしいのをいいことになにさせてるの?」ボソボソ

橘「いや、そっちの方が雰囲気出るかなぁって……」

絢辻「教官に関しては彼女も気にしてないからいいけど、もしあたしの前で変なことやらせたら……わかってるわね?」

橘「わかってます……」

1時間後

橘「今日はこのくらいにしておこうか」

中多「は、はい。ありがとうございました」

絢辻「中多さん、お疲れ様」

中多「絢辻先輩……ど、どうだったでしょうか?」

絢辻「うん、初めて見たけどよかったんじゃないかな。自分に自信を持てばもっとおもいきりよく話せると思うわ」

中多「自信、ですか……」

絢辻「急に自信を持つなんて無理な話だから、これから少しずつ自信をつけていけばいいのよ」

中多「……はい! 頑張ります!」

絢辻「私も時間があるときは手伝うから、いつでも声かけてね」

橘「特訓に付き合ってもらっちゃったけど委員の仕事は大丈夫なの?」

絢辻「ええ、今から片付けるわ」

橘「じゃあ僕も手伝うよ」

絢辻「いいわよ。それよりそろそろ暗くなるから、あなたは中多さんを送ってあげて」

橘「でも今からひとりでやるのは大変じゃない?」

絢辻「慣れてるから平気。ほら、中多さんも待ってるから」

橘「……中多さんを駅まで送ったらまた戻ってくるよ」

絢辻「その頃には終わってるわよ」

中多「あの……絢辻先輩、これからすることがあるんですか?」

絢辻「うん、委員の仕事を少しね」

橘「絢辻さんは委員をかけ持ちしてるから仕事が多いんだ」

中多「そ、それなのに特訓に付き合ってくれたんですか?」

絢辻「可愛い後輩のためだもの。中多さんが気に病む必要はないわ」

中多「……その仕事、私も手伝います」

絢辻「ダメよ。帰りが遅いと親も心配するでしょ?」

中多「ま、まだ大丈夫ですっ。それに3人でやったらきっとすぐ終わりますから」

橘「そうだよ、絢辻さん。中多さんを送るのはそれからでも遅くないでしょ?」

絢辻「まったく……それじゃあ手伝ってもらおうかしら」

橘「ふぅ~……終わったぁ」

中多「終わりましたぁ……」

絢辻「中多さん、ありがとう。あ、ついでに橘君も」

橘「ついで!?」

絢辻「ふふっ、冗談よ。助かったわ、ふたりとも」

中多「あ、絢辻先輩……委員の仕事、また手伝ってもいいですか?」

絢辻「え……? 今日やってわかったと思うけど、なにも面白くないわよ?」

中多「絢辻先輩が特訓に付き合ってくれるから、そのお返しというか……ダメでしょうか?」

絢辻「別に気にする必要はないって言ったのに……わかったわ。そのときはよろしくね」

中多「は、はいっ! ありがとうございます!」

絢辻「もう、お礼を言うのは私の方なのに……さて、外も暗いしはやく帰りましょう」

帰り道

橘「絢辻さんはそっちだったよね? 僕たちはこっちだから」

絢辻「……私も駅まで付き合うわ」

橘「え、どうしたの?」

絢辻「橘君が中多さんに変なことをしないように見張っておかないと」

橘「だ、だからそんなことしないって!」

絢辻「いたいけな後輩に早着替えをさせるような人の言葉を信用できると思う?」

橘「な……なんでそれを?」

絢辻「中多さん、その人の近くにいると危険よ? こっちに来て?」チョイチョイ

中多「あ、はい……」スッ

橘「中多さぁん!?」

2週間後

絢辻「うん、もうバッチリね」

橘「そうだね。僕たちから教えられることはもうないよ」

中多「絢辻先輩、教官……ありがとうございます!」

橘「お礼を言うのはまだ早いよ。アルバイトに受かることが目標なんだから」

絢辻「たしかファミレスが希望だったかしら?」

橘「薫がバイトしてるところだね」

中多「あ、でも……商店街にある喫茶店もいいかなと思ってるんです」

絢辻「いいんじゃない? ファミレスよりも落ち着いた喫茶店の雰囲気は中多さんによく合ってると思うわ」

橘(商店街の喫茶店……あの制服が可愛いところかな?)

橘「まあ心配しないでも大丈夫だよ。中多さんの可愛さならどこでも絶対受かるって」

中多「か、可愛いだなんて……」

絢辻「橘君、セクハラ禁止」

橘「ただ可愛いって言っただけだよっ!?」

絢辻「中多さん、面接で緊張したときはこの特訓を思い出してみて。きっとうまくいくわ」

中多「はい……この特訓を無駄にしないためにも、絶対受かってみせますっ」

絢辻「ふふっ、面接なんて通過点に過ぎないんだからそこまで気張らなくても平気よ。今の中多さんなら大丈夫」

橘(やっぱりこっちの絢辻さんはいいこと言うなぁ)

絢辻「今日は特に仕事も残ってないし、もう帰りましょうか」

中多「あ、それじゃあお手洗いに行ってきます」

タッタッタッ……

橘「絢辻さん、僕からもお礼を言っておくよ。ありがとう」

絢辻「なによ、急に。気持ち悪いわね」

橘「僕ひとりだったらきっと中多さんもここまで成長することはなかったと思うから」

絢辻「なに言ってるのよ。あなたがいたからこそ、でしょ。あまり自分を過小評価しない方がいいわ」

橘「そ、そうかな?」

絢辻「あ、反応がむかつくからやっぱり今のなし」

橘「ええーっ!?」

橘「それにしても不思議だなぁ……どうして絢辻さんは特訓に付き合う気になったの?」

絢辻「別に……ただの気まぐれよ」

橘「本当に?」

絢辻「あとはしいて言うなら、あなたを見張っておくためにね」

橘「僕はそこまで信用されてないのか……」

絢辻「いいじゃない、中多さんからは信頼されてるんだから」

橘「それは絢辻さんも一緒でしょ?」

絢辻「違うわよ。彼女が見てるのは所詮猫被ってるあたしだもの」

絢辻「正直ね、少し後ろめたくもあるの。彼女を騙しているようで……おかしいわよね、他の人にはこんな感情抱かないのに」

橘「僕はそうは思わないよ。むしろそれが普通じゃないかなあ」

絢辻「そうなの? なにが普通なのかってよくわからないのよね」

橘「いっそのことばらしてみちゃうってのはどう?」

絢辻「無理よ。きっと幻滅させるわ」

橘「中多さんは……そんな子じゃないと思うよ。受け入れてくれると思う」

絢辻「でも保証できるわけじゃないでしょ」

橘「保証はできないけど……」

絢辻「別にいいわ。もともと彼女にばらす気はないから」

絢辻「どうせ彼女がアルバイトに受かったらこのおママゴトもおしまい。そしたら変な罪悪感に苛まれることもなくなるわ」

橘「もう中多さんと関わる気はないってこと?」

絢辻「関わる理由がないじゃない」

橘「絢辻さんにはなくても、向こうにはあると思うよ」

絢辻「ふーん、例えば?」

橘「具体的なことは言えないけど……中多さんは絢辻さんを慕ってるから」

絢辻「それだけ? そんなの今のクラスメイトと変わらないでしょ」

橘「うーん、なんていうか……結局絢辻さん次第なんじゃないかな」

絢辻「じゃあ余計無理ね。言ったとおり、彼女に今のあたしを見せる気はないから」

橘「でも、見せたくなるときが来るかもしれないよ? それこそ今回特訓に付き合ってくれたみたいに、気まぐれに」

絢辻「さぁ、どうかしらね……」

中多「す、すみません。お待たせしました……あれ?」

絢辻「ううん、大丈夫よ。それじゃあ帰りましょう」

橘「そうだね」

中多「あの、先輩……?」

橘「ん? どうしたの?」

中多「もしかして、なにか大事な話してました……?」

橘「んー……大事な話ってわけじゃないけど」

絢辻「そうよ。他愛もない話しかしてないわ。ほら、中多さんも鞄持って?」

中多(どうしたんだろう……どこか変な空気のような……)

帰り道

橘「今日は時間もあるし、どこか寄って帰ろうか」

中多「あ、いいですね」

橘「中多さんはどこか行きたいところある?」

中多「私は……先輩たちがいるならどこでもいいです」

橘「中多さん、君って子はまったく……絢辻さんは?」

絢辻「そうね……神社に行きたいわ」

橘「じ、神社?」

絢辻「ええ。橘君には悪いんだけど、中多さんとふたりで行きたいの」

中多「え、え……?」

橘「……うん、わかったよ。じゃあ僕は先に帰ってるね」

中多「せ、先輩?」

神社

絢辻「ごめんなさい、急に神社だなんて。つまらないわよね」

中多「私は大丈夫ですけど……橘先輩はよかったんですか?」

絢辻「ええ、きっと察してくれてるだろうから」

中多「察する?」

絢辻「実はね……中多さんに話さなきゃいけないことがあるの」

中多「橘先輩がいると言えないようなことなんですか……?」

絢辻「彼がいるとやりにくいの。あ、橘君に隠し事があるってわけじゃないから安心して」

中多「ほっ……よかったです。もしかして、先輩たちが喧嘩しちゃったんじゃないかと思って」

絢辻(本当にいい子ね……優等生を演じてるだけのあたしとは大違い)

絢辻「早速本題なんだけど……実は私、猫被ってるの」

中多「へ……猫?」

絢辻「つまり、普段はいい子を演じてるだけなの。今まで中多さんが見てきた私も演技してる姿なの」

中多「は、はぁ……」

絢辻「もっと驚いていいのよ?」

中多「その……実感がなくて」

絢辻「じゃあ今から本当の私を見せるわ。いい?」

中多「は、はいっ」

絢辻(……どうすればいいのかしら)

中多「えっと、先輩?」

絢辻「ご、ごめんなさい。なんだか会話がないとダメみたいで」

中多「あ、そんな焦らないでいいですから……」

絢辻「う、うん。わかってるんだけど……あーもうっ、やっぱり橘君を連れてくるべきだったかしら?」

中多「あ……もしかして今の、ですか?」

絢辻「そ、そうね。こんな感じだわ」

中多「せ、先輩、頑張ってくださいっ」

絢辻「う、うるさいわねっ。どうして年下のあなたに応援されないといけないのよ!」

中多「ふぇっ……!?」

絢辻「ああっ、ごめんなさい、じゃなくて、あーホント調子狂うわね!」

10分後

絢辻「というわけで、これが本当のあたしなの。わかってくれた?」

中多「……はい」

絢辻「どう? 驚いた?」

中多「なんだか、意外でした……」

絢辻「まあ当然よね。幻滅した?」

中多「し、してませんっ」

絢辻「正直に言ってくれていいのよ。自分でもこんな人間が好かれるなんて思ってないから」

中多「本当です! こ、こんなことで先輩を嫌いになったりしません!」

絢辻「そう……変わってるわね、あなた」

中多「橘先輩は知ってるんですか?」

絢辻「ええ。このことを知ってるのはあなたと橘君だけよ」

中多「そ、そんなに少ないんですか?」

絢辻「そもそも誰にも教えるつもりはなかったのよ。橘君のときも偶然が重なっただけで」

中多「じゃあ、どうして私に……?」

絢辻「彼に唆されたっていうのもあるけど、結局は気が咎めただけね。あなたを騙しているようでなんだか嫌だったのよ」

中多「私は……騙されたとは思ってません」

絢辻「本当に? 今までの優しい絢辻先輩は全部演技だったのよ?」

中多「今の絢辻先輩も……きっと優しいと思いますから」

絢辻「ちょっとあなた、本気で言ってるの?」

中多「だってこうして教えてくれたから」

絢辻「はぁ……おめでたいわね」

絢辻「とにかく! あたしの話はそれだけだから!」

中多「え、あ、はいっ」

絢辻「じゃあ帰りましょ。駅まで送るわ」

中多「あの、先輩っ!」

絢辻「なに?」

中多「私……先輩の秘密を教えてもらえてよかったです」

絢辻「……だから調子狂うって言ってるのよ」ボソッ

中多「え?」

絢辻「なんでもないわ。グズグズしないではやく帰るわよ」

翌日

橘「絢辻さん、昨日はどうだったの?」

絢辻「どうもこうも、別になにもないわよ。ただあたしの本性を教えてあげただけ」

橘「中多さんはなんだって?」

絢辻「びっくりしたって、それだけよ」

橘「そっか。やっぱり中多さんはいい子だね」

絢辻「そうね。いい子すぎてこっちが戸惑うわ」

橘「でもよかったじゃないか。可愛い後輩に嫌われなくて」

絢辻「はぁ? あたしは別に嫌われたってよかったわよ。鬱陶しい後輩につきまとわれなくて済むし」

橘「あれ? 昨日は幻滅されるから話したくないって言ってなかったっけ?」

絢辻「っ……! 橘君、これ以上無駄口叩くとお仕置きよ」

放課後

中多「あ、先輩」

絢辻「あら、どうしたの? 今日は特訓はないはずよね?」

中多「今日は先輩のお仕事を手伝おうと思って」

絢辻「特訓のお返しでもないのに、物好きねぇ。なにもいいことないわよ?」

中多「いえ、その……せ、せ……」

絢辻「なに? ウジウジしないではっきり言っちゃいなさい」

中多「せ……先輩のおそばにいられるだけで嬉しいですから」

絢辻「ああ、そういうこと? じゃあ図書室で待ってて。橘君も呼んでくるから」

中多「え……?」

絢辻(薄々わかってはいたけどやっぱり橘君なのね。まあ彼は少し、ううん、だいぶ変わってるけど……お人好しだから好かれるのかしらね)

図書室

絢辻「中多さん、どうしたの? 手が止まってるわよ?」

橘「ははっ、疲れちゃったかな?」

中多「あ、違うんです。その……少し、気になることがあって」

絢辻「どこがわからないの?」

中多「お仕事のことじゃなくて……先輩たちのことなんですけど」

橘「え、僕たち?」

絢辻「中多さんにしては珍しいわね。あたしたちのなにが気になるの?」

中多「えーっと……せ、先輩たちはお付き合いしているんですか……!?」

絢辻「……は?」

橘「な、中多さんからはそう見えるの?」

絢辻「ちょっと、なに嬉しそうにしてるのよっ!」

橘「いや、だって……本当に嬉しいから」

絢辻「このバカっ……あたしは不本意だわ!」

橘「ひ、ひどいよ絢辻さん……」

絢辻「はぁ、もう……なんでそんなふうに思ったのよ」

中多「橘先輩が絢辻先輩の秘密を知ってたのは付き合ってるからなんじゃないかって思って……」

絢辻「昨日言ったでしょ。この人に知られたのはただの偶然だったの」

橘「というより、あれは絢辻さんの早とちりじゃ……」

絢辻「橘君、なにか言った?」

橘「いえ、なんでもないです」

中多「じゃあ、普段から絢辻先輩が橘先輩に仕事のお手伝いを頼んでるのはどうしてですか……?」

橘「ああ、それは僕が絢辻さんの秘密を知っちゃったから脅され――いたっ!?」

絢辻「橘君が善意でお手伝いしてくれてるの。そうよね、橘君?」

橘「……そうです」

絢辻「中多さん? あたしたちはあくまでただのクラスメイトなの。付き合うことなんて絶対にありえないから安心してちょうだい」

橘「そ、そんなぁ……」

絢辻「またっ、あなたはっ……!」

絢辻(中多さんの前でそんな反応したら彼女が傷つくってわからないの!?)

中多「そうだったんですか……すみません、変な勘違いしてて……」

絢辻「本当よ、まったく……ところであなたと橘君はどうなの?」

中多「え、ええっ!? わ、私と橘先輩はなにもないです……!」

絢辻「どうかしらねぇ。あなたが親しく話せる男子ってだけで充分特別だと思うけど?」

中多「あ、あう……」

絢辻「橘君はどう思ってるの?」

橘「ぼ、僕? そりゃあ中多さんに好かれてたらすごい嬉しいよ」

絢辻「あら、お互い満更でもないみたいじゃない」

中多「あ、絢辻先輩っ、からかわないでください……!」

絢辻「ふふ、ごめんなさいね。反応が面白いからつい」

絢辻「男女が仲良く見えるからってなんでも色恋沙汰に結びつけちゃダメよ」

橘「そうだね。そうだとしたら僕は今頃薫と付き合ってることになるよ」

中多「薫?」

絢辻「あたしたちのクラスメイトよ。橘君と仲が良いの」

中多「橘先輩……やっぱり女の子と仲が良いんですね」

橘「いや、それほどじゃ……」

絢辻「大丈夫よ、今橘君と1番仲の良い女の子は中多さんだから」

中多「そ、そういうことじゃないですっ」

起きた

絢辻「余計な話してた割にははやく終わったわね」

橘「絢辻さんが中多さんをからかってた時間が1番長かったけどね」

絢辻「うるさいわね。それよりも中多さんはこの後時間ある?」

中多「この後は……特に用事はないです」

絢辻「昨日はあんなことになっちゃったから、今日こそどこか寄って帰らない?」

中多「はい、喜んでっ」

橘「あのぉ……絢辻さん? 僕にお誘いの言葉がないような」

絢辻「え、当たり前でしょ? あなたは誘ってないもの」

橘「ひ、ひどい!」

絢辻「冗談よ。あなたも付き合いなさい」

絢辻(むしろあなたがいないと中多さんが喜ばないのよ)

喫茶店

橘「中多さんが働きたいのはこんな感じの喫茶店?」

中多「はい。あ、でももっと制服が可愛いです」

橘(制服が可愛い……やはりあそこか)

絢辻「橘君、やらしいこと考えてないでしょうね」

橘「ま、まさか。中多さんだったらどんな制服でも映えるだろうなと思っただけだよ」

絢辻「ふーん……まぁそのとおりね。あなたならきっとどの制服でも似合うわ」

中多「あ、あんまりおだてないでください……」

絢辻「お世辞なんかじゃないわよ? そもそも今のあたしはお世辞なんて言わないから」

中多「絢辻先輩もきっと似合うと思いますよ」

橘「絢辻さんのウェイトレス姿……あだだっ!?」

絢辻「声に出てるわよ、声に」

橘「ほ、本当に似合うと思っただけなのに……」

中多「もし私がアルバイトを始めたら、絢辻先輩も制服を着てみませんか?」

絢辻「え……いやよ」

中多「そんなぁ……」

橘「中多さんのじゃたぶんサイズが合わないんじゃないかな?」

中多「あ……そうですね。絢辻先輩は背が高いから」

橘「それもあるけど、む――いででででつ!?」

絢辻「橘君、それ以上言うと耳が裂けるわよ?」

絢辻「そんなことより、中多さんはどうなのよ。もう電話はしたの?」

中多「はい。今週の土曜に面接だそうです」

絢辻「そう。受かるといいわね」

橘「面接官が男の人だったら間違いなく受かるよ」

絢辻「でもそれはバイト先で中多さんがセクハラされないか心配ね。橘君にも騙されてたのに」

橘「だ、だからあれはあくまで特訓の一環であって……!」

絢辻「あーはいはい。もうその言い訳は聞き飽きたわ。中多さん? バイト先で男性に変なことされたらすぐあたしに言うのよ」

橘「絢辻さんに言ってどうするの?」

絢辻「もちろん……その男を社会で生きていけなくするわ」ニコッ

中多「あ、ありがとうございます……?」

橘「絢辻さんって……過保護?」

絢辻「は、はぁ!?」

橘「だって中多さんのことばかり気にかけてるから」

絢辻「特訓に付き合ったんだから最後まで面倒見ようと思ってるだけよ」

橘「最後までってどこまで? バイトを始めてからのことも気にしてるようだけど」

絢辻「ああもう、うるさいわね。ただ中多さんのことが心配なだけよ、悪い?」

橘(なんていうか、子離れできない親を見てるような気分だ)

中多「わ、私は絢辻先輩が気にかけてくれてすごく嬉しいですっ」

絢辻「別に……あなたのためじゃないわよ。ただの自己満足」

翌日

絢辻「昼休みに来るなんて珍しいわね。どうしたの?」

中多「お昼をご一緒しようと思って……あ、もちろん迷惑じゃなければですけど」

絢辻「いいわね……と言いたいところなんだけど、橘君はもう学食に行ったみたいなのよね」

中多「絢辻先輩はこれから学食ですか?」

絢辻「ええ。中多さんも学食?」

中多「はい」

絢辻「ならふたりで行きましょうか。運が良ければ橘君も捕まるだろうし」

学食

絢辻「橘君いないわね。テラスで食べてるのかしら」

中多「そうかもしれません」

絢辻「ごめんなさいね、ふたりきりになっちゃって」

中多「いいんです。先輩がいれば」

絢辻「ふふ、ありがと。いつもはクラスのお友達と食べてるの?」

中多「はい。美也ちゃ、あ、橘先輩の妹の美也ちゃんと食べてます」

絢辻「ふぅん。今日はどうしたの?」

中多「朝、先輩に会えなかったから……その、どうしても一目顔が見たくて」

絢辻「くすっ、なぁにそれ? 放課後になったら会えるのに、おかしな子ね」

中多「先輩……私がお弁当を作ってきたら、食べてもらえますか?」

絢辻「くれるって言うならもちろん頂くけど……わざわざ作ってくる気なの?」

中多「と、特訓のお礼にと思って……」

絢辻「お礼ならあたしの仕事を手伝ってもらってるじゃない」

中多「でも、それだけじゃ足りないような気がしたんですっ」

絢辻「そんなことないわよ。すごく助かってるわ」

中多「う……だ、ダメでしょうか?」

絢辻「ちょっと、ダメとは言ってないでしょ。楽しみにしてるわ。その代わり半端なものは許さないわよ?」

中多「は、はい。腕をふるって作ってきます!」

絢辻「いつ作ってきてくれるの?」

中多「先輩さえよければ、明日にでも」

絢辻「わかったわ。橘君にも声をかけておいた方がいいのよね?」

中多「えっと……あの、それは……」

絢辻「別に恥ずかしがらなくてもいいのよ」

中多「そ、そうじゃないんです……今回は、絢辻先輩だけで……」

絢辻「言われてみれば、お弁当を3人分作ってくるのも大変ね」

中多「は、はい。橘先輩にまた別の機会にと思って……」

絢辻(要はあたしで先に練習しておくってことね)

中多「あと、もうひとつお願いがあって……」

絢辻「遠慮しないでいいわよ。なに?」

中多「たまにでいいので……またこうしてお昼をご一緒してもいいですか?」

絢辻「……? 別にかまわないけど。そもそも許可を求めるようなこと?」

中多「ほ、本当にいいんですか?」

絢辻「嘘吐く理由がないでしょ。あなた相手ならあたしも猫被らなくていいから楽だもの」

中多「しぇんぱい……ありがとうございますっ」

絢辻「いちいち大袈裟ねぇ」

放課後

中多「先輩、お待たせしました。あれ、橘先輩はいないんですか?」

絢辻「少しやることがあるから遅れるって。どうせ下らないことだろうけど」

中多「そ、そうなんですか?」

絢辻「下らないだけならマシだわ。犯罪になるようなことをしてなければいいけど」

中多「あ、あはは……」

絢辻「まあいいわ。彼が来るまではふたりでやりましょう」

中多「はい」

絢辻「ん……」

中多「ふぇ?」

絢辻「ん、すぅ……」

中多「せ、先輩?」

絢辻「あ……ごめんなさい。少しウトウトしてたみたい」

中多「疲れてるんですか?」

絢辻「昨夜遅くまで起きてたから、そのせいね」

中多「先輩、少し寝てていいですよ? 私だけでも進められますから」

絢辻「ほんと? じゃあそうさせてもらおうかしら……橘君が来たら起こしてちょうだい」

中多「わかりました。先輩、おやすみなさい」

絢辻「うん、おやすみ……」

橘「中多さん」

中多「あ、橘先輩」

橘「絢辻さん、寝てるの?」

中多「昨日徹夜して、疲れてたみたいで」

橘「絢辻さんが寝てるところなんて初めて見たよ。絢辻さんは授業中も絶対に寝ないから」

中多「え? そ、それって普通じゃ……」

橘「うっ……ほ、ほら! 絢辻さんって他人に隙を見せようとしないタイプでしょ? だからこうして無防備に寝てる姿が意外だなぁって」

橘「中多さん、絢辻さんから信頼されてるんだね」

中多「え、そ、そんな……でも絢辻先輩、寝顔も素敵です」

橘(たしかに、この寝顔は犯罪級の可愛さだな)

橘「中多さん、絢辻さんの髪触ってみれば?」

中多「え、髪ですか?」

橘「うん。すごくサラサラできっと最高の触り心地だと思うよ」

中多「橘先輩、触りたいんですか?」

橘「そうしたいところだけど、ばれたら僕の社会的立場が危ういからね。だから中多さんにやってもらおうと思って」

中多「わ、私は別に……」

橘「触ってみたくないの?」

中多「……触ってみたいです」

橘「こんなチャンス滅多にないよ! するなら今しかない!」

中多「う……」

中多「しぇ、しぇんぱい……失礼しますっ!」

サラッ……

中多「ふあっ……す、すごいサラサラ……」

絢辻「んぅ……んー?」

中多「っ……!?」

絢辻「中多さん……? もぉ、なにしてるのよ。悪戯なんてあなたらしくな――え? 橘君?」

橘「え、え? ぼ、僕は見てただけでなにもしてないよ?」

絢辻「はぁ……困ったわね。どうやって躾けようかしら、この駄犬」

橘「だ、だから僕はなにもしてな――」

絢辻「なんで橘君が来たらすぐ起こさなかったのよ」

中多「先輩の寝顔がかわ、じゃなくて、すごく気持ちよさそうに寝てたので、気が引けて……」

絢辻「あたしのためを思ってくれたのは嬉しいけどね……一生の不覚だわ。彼に寝顔を見られるなんて」

中多(また見たいなぁ……)

絢辻「あとあの悪戯はなに? どうせ橘君に唆されたんでしょ?」

中多「で、でも私も触ってみたいと思ってましたから……」

絢辻「あたしの髪を?」

中多「は、はい……」

絢辻「はぁ……言ってくれればいくらでも触らせてあげるわよ。あなたならね」

絢辻「素朴な疑問なんだけど、あたしの髪を触ってなにが楽しいの?」

中多「サラサラで触り心地がいいから、触ってるとなんだか気持ちいいんです」

絢辻「それってそこまでいいものかしら」

中多「あと……先輩はいい匂いしますから」

絢辻「……匂い?」

中多「先輩の近くにいると、先輩のいい匂いがして……なんだかドキドキするんです」

絢辻「自分じゃよくわからないわね。あなたはあたしの匂いが好きなの?」

中多「好き、です……」

絢辻「ふーん……」

絢辻「この距離でもわかる?」

中多「ん……もう少し近づかないと……」

絢辻「それならあたしによりかかっていいわよ」

中多「え……?」

絢辻「ほら、もう少し椅子を寄せて」

中多「は、はいっ」

ガタガタッ

絢辻「もっと体を預けて……どう? これならわかる?」

中多「はい……先輩のいい匂いがします」

絢辻(あたしに妹がいたらこんな感じなのかしら……おかしいわね、あたしも妹のはずなのに)

中多(先輩……)

絢辻(……ん? この腕に当たってるものって、もしかして……)

中多(先輩、先輩……)

絢辻(ちょっと……おかしいでしょ、あたしより1歳年下なのにこれなの!?)

中多(先輩の匂いに包まれたい……抱きしめてほしい)

絢辻(大きいとは思ってたけど、ここまでなんて……一体なにを食べて育ったらこうなるの?)

中多(しぇんぱぁい……)

絢辻(とりあえず橘君にはあとでもう1回お仕置きしておきましょう)

絢辻「中多さん……中多さん?」

中多「へ……? あ、はいっ!」

絢辻「ぼーっとしてたみたいだけど大丈夫?」

中多「す、すみません……先輩の匂いと体温が、すごく心地良かったから……」

絢辻「眠くなっちゃった?」

中多「そ、そうです」

絢辻「じゃあさっさと残りの仕事を片付けちゃいましょう。そろそろ橘君も復活するだろうから」

中多「あ、あの……橘先輩が起きるまで、このままでもいいですか?」

絢辻「……もう、しょうがないわね」

翌日

絢辻「ごめんなさい、待たせちゃった?」

中多「大丈夫です。私も今来たところですから」

絢辻「よかった。さて、どうしましょうか。もう食堂は埋まってるかしら」

中多「かもしれません」

絢辻「天気もいいし、中庭でも行く?」

中多「先輩がそれでいいなら」

絢辻「じゃあ中庭で食べましょう」

絢辻「あら? お弁当1つだけ?」

中多「私はパンが1つありますから」

絢辻「それだけで足りるの?」

中多「少食だから大丈夫です」

絢辻(少食でここまで育つですって……?)

中多「どうかしましたか?」

絢辻「ううん、なんでもないわ。それじゃあ早速頂いていい?」

中多「はい。ど、どうぞっ」

絢辻「いただきます。ぱくっ」

中多「……」

絢辻「……」

中多「あの、先輩……?」

絢辻「はぁ……」

中多(も、もしかして……美味しくなかったのかな……?)

絢辻「中多さん……とっても美味しいわ」

中多「え……」

絢辻「とっても美味しいって言ったの。聞こえなかった?」

中多「よ、よかったですぅ……」

絢辻「ふふ、そんなに緊張した?」

中多「せ、先輩が急に押し黙るから、お口に合わなかったのかなって……」

絢辻「あなたのオロオロする顔が可愛いからついからかっちゃったのよ」

中多「うぅ……先輩、ひどいです」

絢辻「言ったでしょう? あたしは優しくないって。それにしてもあなた、料理もできるのね」

中多「で、できるってほどじゃ……」

絢辻「高校1年生でこのレベルなら充分できるって言っていいと思うわよ」

中多「そうでしょうか?」

絢辻「自分をおとしめるのはあなたの悪い癖よ。もっと自信を持てって前も言ったじゃない」

絢辻「とにかく、ここまで出来るなら橘君も絶対美味しいって言うから安心していいわよ」

中多「え? 橘先輩?」

絢辻「ええ。次は橘君に食べてもらうんでしょ?」

中多「いえ、橘先輩にはまた別のお礼をしようと思ってます」

絢辻「は……? あたしは橘君の前の練習台じゃなかったの?」

中多「練習だ……ち、違います! 先輩を練習台に使ったりなんてしません!」

絢辻「そ、そうだったの……ごめんなさい、勘違いしてたみたい」

中多「先輩、もしかして美味しいっていうのも……」

絢辻「あ、それは違うわよ。本当に美味しいから美味しいって言ったの」

絢辻「ねぇ、中多さん。変な質問していい?」

中多「変な質問……?」

絢辻「中多さんって橘君のことが好きなのよね?」

中多「す、す……っ!?」

絢辻「橘君には言わないから、本当のことを教えてほしいの。あなたは橘君が好きなのよね?」

中多「……橘先輩にはすごく感謝してます。でも、好きではないです」

絢辻「あたし、今までなにやってたのかしら……」

中多「せ、先輩?」

絢辻(つまりこの子は本当にあたしにお礼がしたいだけでお弁当を作ってきたり、仕事を手伝ってくれてるのね……)

絢辻(あたしの人を見る目もまだまだってことね……)

中多「あの、私からも1つ聞いていいですか?」

絢辻「え……なに?」

中多「先輩は……好きな人っているんですか?」

絢辻「好きな人? いるわけないでしょ」

絢辻「ずっと優等生を演じて生きてきた人間なのよ? 誰も本当のあたしを知らない」

絢辻「誰もあたしを好きにならない。好きになってもそれはあたしの表面だけ。そんな人をあたしが好きになるわけないでしょ?」

中多「でも……これからはわかりませんよね? 先輩の秘密を知ってる人なら……」

絢辻「それって橘君のこと? 前にも言ったと思うけど、彼とはそういう関係じゃ――」

中多「た、橘先輩じゃないですっ」

絢辻「じゃあ誰?」

中多「それは……」

絢辻「ふぅ……この話はもうやめましょう。あたしに恋愛なんてできると思えないわ」

中多「あ、諦めちゃうんですか?」

絢辻「少なくとも、今はね……ごちそうさま。お弁当、美味しかったわ」

中多「……」

放課後

橘「……」

絢辻「……」

中多「……」

橘(なんだか空気が重いな……いつもは絢辻さんの隣に座る中多さんが、なぜか今日は僕の隣だし)

橘「ねぇ、ふたりとも――」

絢辻「ああもうっ……面倒くさいわね!」

橘「うわっ。あ、絢辻さん?」

絢辻「橘君、悪いけど少し席を外してもらえる?」

橘「う、うん。わかった」

絢辻「中多さん」

中多「は、はい」

絢辻「こっちに来て。あたしの隣に座って」

中多「え、え、え?」

絢辻「いいから、はやく。あたしの言うことがきけないの?」

中多「き、きけますっ」ガタッ

絢辻「いい子ね。じゃあ座って。はい、昨日みたいにあたしにもたれかかって」

中多「あ、絢辻先輩……?」

絢辻「ちゃんとあたしの匂いを感じる?」

中多「感じます……」

絢辻「そう。じゃあ少し話をしましょう」

絢辻「あなたはなんであんな質問をしたの?」

中多「好きな人のことですか?」

絢辻「それ以外ないでしょ」

中多「す、すみません」

絢辻「謝らないでいいわ。あの質問をした理由は?」

中多「う……」

絢辻「答えたくないならいいわ。次ね、あなたはあたしに好きな人がいないと困るの?」

中多「そ、そうじゃないです。でも、先輩が恋愛を諦めちゃうのは……いやです」

絢辻「……今から、すごくバカな質問をするわ」

絢辻「あたしの勘違いだったら笑ってくれてかまわないから」

絢辻「あなたは、中多さんは……あたしのことが好きなの?」

中多「あ、わ……わ、私は……は、い」

絢辻「そう、やっぱりそうなのね。ふふ、今度こそ勘違いじゃなくてよかった」

中多「ご、ごめんなさ……」

絢辻「だから、謝らないでいいって言ってるでしょ。あたしはそういうことに偏見はないから」

中多「本当ですか……?」

絢辻「ええ。じゃなきゃ今頃あなたのことを突き飛ばしてるわよ」

絢辻「でもそうなるとはっきりさせておかなきゃいけないことがあるわね」

絢辻「あなたが好きになったのは今のあたしじゃないでしょ? 特訓に付き合ってた頃の猫を被ってたあたしよね?」

中多「好きになったのは、そうです……でもっ、今の先輩も好きです!」

絢辻「あなたならそう言ってくれると思ったわ」

中多「先輩は、先輩ですから」

絢辻「それで、あなたはあたしとどうしたいの? 付き合いたいの?」

中多「そこまでは……わかりません。私も、こんなこと初めてで……」

中多「ただ、先輩のそばにいたいです」

絢辻「あなたの想いを知った上で、あたしの気持ちを言うわね」

絢辻「あなたに好かれているという事実は純粋に嬉しいと思う。でも」

絢辻「あたしは、あなたのことは好きじゃないわ」

中多「っ……!」

絢辻「というより、よくわからないの。誰かとここまで親しくなったことがないから」

絢辻「今あなたに抱いてる気持ちが恋なのかどうかも、判断できないの」

絢辻「でも、あなたがあたしにとって特別な人なのは間違いないわ」

絢辻「自分からこの秘密を話す気になるなんて今までありえなかった。それだけでも、あなたは他の人とは違う」

絢辻「さっき、あなたと少し気まずい空気になったとき、すごく嫌だった」

絢辻「あなたがあたしから離れてしまうんじゃないかと思うと辛かった」

絢辻「今、あたしの口からたしかに言えることはね……あなたにそばにいてほしいってこと」

絢辻「だからね……あなたをあたしのものにします」

中多「ふぇ……?」

絢辻「なによ、その反応は。いやなの?」

中多「あ、いえ、嬉しいですっ。そばにいてもいいんですよね?」

絢辻「いてもいい、じゃないわ。いなきゃいけないの。あなたはこれからあたしのものなんだから」

中多「は、はい! 先輩のそばにいます!」

絢辻「あたしの方だけ気持ちをはっきりさせてないことはどうでもいいの?」

中多「先輩のそばにいられるだけで嬉しいですから」

絢辻「単純ねぇ……そんなことじゃいつか悪い男に騙されるわよ」

中多「先輩は騙したりしないって信じてます」

絢辻「もう……調子狂うわね、ほんと」

中多「しぇんぱい……」ギュッ

絢辻「ちょ、ちょっと……図書室なんだから、あんまりそういうのは……」

中多「でも、先輩から離れたくないです」

絢辻「抱きつかなくてもいいでしょ?」

中多「ダメなんです、先輩のものだからもっとくっつかないと」

絢辻「どういう理屈よ、もう……しょうがないんだから」

ナデナデ

中多「んっ……しぇんぱぁい」

絢辻「橘君が戻ってくるまでだからね」



橘(そろそろ終わったかと思って戻ってみれば……なんだこれは)

絢辻「橘君、戻ってこないわねぇ」

中多「戻ってきてもらいたいんですか……?」

絢辻「そうね……もういいかなって思ってきてるところよ」

中多「えへへ、私もです」

絢辻「でもこれじゃあいつまで経っても仕事が片付かないのよね」

中多「じゃあ、あと5分経ったら始めませんか?」

絢辻「あら、5分でいいの?」

中多「……やっぱり10分はほしいです」



橘(なにを話してるんだろう……出ていくタイミングがつかめない)

中多「先輩、先輩」

絢辻「なに?」

中多「あの……き、き……」

絢辻「木? 木がどうしたの?」

中多「し、してほしいです……キ――」

橘「もう話は終わった?」

中多「ひぇっ……!?」

絢辻「橘君、今戻ってきたところ?」

橘「うん。そろそろいいかなと思って。仲直りできたみたいだね」

絢辻「そもそも喧嘩してたわけじゃないわよ」

中多「ぐすっ……」

橘「やっぱり絢辻さんの隣には中多さんがいた方がしっくりくるね」

絢辻「ふん、当然でしょ」

橘(しかしこうして並んでいると、本当に大きさの差がよくわかるな……)

絢辻「橘君、どこ見てるのかなぁ?」

橘「な、中多さんのリボンが曲がっているような気がして……あ、あはは」

絢辻「へぇ、そうなの。でもおかしいわね、曲がってないみたいだけど」

橘「あ、あれー? 僕の気のせいかな……?」

絢辻「下手な嘘ね……いい? 今後中多さんをいやらしい目で見たら承知しないからね」

橘「今までそんな目で見たことは一度も……」

絢辻「わかった?」

橘「わ、わかりました」

橘「なんだか絢辻さんの過保護ぶりがさらに増したような」

絢辻「これは過保護とは違うわよ」

橘「いや、どう見ても過保護じゃ……」

絢辻「あなただって自分のものを人に取られるのはいやでしょ? それと一緒よ。言わば所有権の主張ね」

橘「そんな身勝手な……中多さんを所有物みたいに言うのは聞き捨てならないよ」

中多「い、いいんです」

橘「え、いいの?」

中多「はい。だって私は……絢辻先輩のもの、ですから」

絢辻「ね、わかってくれた?」

橘(本当になにがあったんだ、ふたりの間で)

2週間後

橘「あれ?」

梅原「大将、どうした?」

橘「いや、絢辻さんがいないなぁと思って」

棚町「絢辻さんだったらさっき1年生の子とどっか行ったわよ」

橘「ああ、中多さんか」

梅原「そういや俺もよくその子と絢辻さんが一緒にいるのを見かけるな」

橘「仲良いからね」

棚町「最近休み時間になるとよく来てるけど、なにしてんの?」

橘「さあ。そこまでは僕もわからないよ」

保健室

中多「先輩、どうですか?」

絢辻「うん、心地良いわ。あなた、本当に柔らかいわね……このまま寝ちゃいそう」

中多「休み時間、終わっちゃいますよ?」

絢辻「残念ね。次の昼休みもしてくれる?」

中多「はい、喜んで」

絢辻「じゃあよろしくね」

中多「……えへへ」

中多「そろそろ時間ですね」

絢辻「そう……ねぇ、中多さん」ムクッ

中多「はい?」

絢辻「抱きしめていい?」

中多「ふぇ……? きゃ!」

絢辻「あなたに触れてるとすごく落ち着くの」

中多(先輩、やっぱりいい匂い……)

絢辻(ダメね、あたし……すっかり甘えちゃって。まだ自分の気持ちもはっきりさせてないのに)

中多「先輩……今度の日曜日、私の家に来ませんか?」

絢辻「あら、デートのお誘い?」

中多「で、デートなんでしょうか」

絢辻「それとも、あたし襲われちゃうのかしら」

中多「お、おそ……っ!?」

絢辻「冗談よ。日曜日ね、わかったわ」

中多「ありがとうございます。それじゃあそろそろ戻りましょう」

絢辻「そうね。また昼休みにね」

日曜日

絢辻「予想はしていたけど、あなたってお嬢様だったのね」

中多「わ、私はお嬢様なんかじゃ……」

絢辻「豪邸と言っても差し支えない家じゃないの」

中多「すみません……」

絢辻「別に責めてるわけじゃないわよ。ベッドに腰掛けてもいい?」

中多「あ、どうぞ」

絢辻「ほら、あなたもこっちに来て」

中多「はい。失礼します」

絢辻「家っていいわね。他人の目を気にしないでいいから」

中多(せ、先輩の吐息が耳に……!)

絢辻「学校じゃ誰もいない場所を探すのが大変で……中多さん?」

中多「は、はい?」

絢辻「顔赤いわよ。大丈夫?」

中多「だ、大丈夫ですっ」

絢辻「緊張してるの?」

中多「あう……」

絢辻「あなたの部屋なのに、面白いわね。緊張するとしたら普通あたしの方でしょ」

中多「せ、先輩は緊張してないんですか?」

絢辻「あたし? そうでもないわね。あなたといると不思議と落ち着くから」

中多「うぅ、私だけですか……」

絢辻「あなたこそなんでそんな緊張してるの? 学校でふたりで話してるときと変わらないじゃない」

中多「そ、そうですけどぉ……」

絢辻「けど……なにかしようと思えばなんでもできるのはたしかね」

中多「な、なにかって……?」

絢辻「例えば……あなたをこのまま押し倒したりとか?」

中多「ふぇっ!?」

絢辻「もう、本気にしないでよ。するわけないでしょ」

絢辻「それとも……もしかしてそういうことを意識してるの?」

中多「あ、あのあのっ……!」

絢辻「へぇ、意識してるのね」

中多「あうぅ……」

絢辻「純情そうに見えて、意外とエッチなのね」

中多「ちが、違うんですっ! 私が考えてるのは、そうじゃなくて……」

絢辻「どんなこと考えてるの?」

中多「……言えません」

絢辻「つまり、言えないくらいのことってわけね」

中多「な、なんでそうなるんですかっ」

絢辻「ちょっと意地悪しすぎちゃったかしら」

中多「先輩、ひどいです」

絢辻「ふふ、ごめんなさい。そういえばバイトの方はどうなの?」

中多「順調です。先輩たちの特訓のおかげです」

絢辻「男の人から変な目で見られたりしてない?」

中多「……たぶん」

絢辻「どうかしらね、あなたが気づいてないだけかもしれないわよ」

中多「そ、そんなことないです」

絢辻(あるのよ……最近男性客が急に増えだしたもの)

絢辻「あなたは危機感が薄いから心配だわ」

中多「だ、大丈夫ですっ」

絢辻「あたしのものを邪な目で見る人間がいるって事実だけで腹立たしいわ」

中多「そんな怒らなくても……」

絢辻「怒るわよ。あなたはわかってないだろうけど、あたしはあなたがすごく大切なのよ?」

中多「え……」

絢辻「他の誰よりも大切なの。だからもう少し自覚してちょうだい」

中多「……はいっ♪」

中多「今度、先輩の家に行ってみたいです」

絢辻「来ない方がいいわよ」

中多「え……どうしてですか?」

絢辻「つまらない家だもの。あたしは今すぐにでも家を出たいわ」

中多「お家、好きじゃないんですか……?」

絢辻「ええ、大っ嫌いよ」

中多「そんな……」

絢辻「なんであなたが悲しそうな顔するのよ。あなたのそんな顔は見たくないわ」

絢辻「笑って、中多さん」ギュッ

中多「ひゃうっ」

絢辻「せっかくふたりきりなんだから、もっと楽しみましょう」

中多「く、くすぐったいです」

絢辻「くすぐってなんかいないわよ?」

中多「話すたびに、吐息が、耳に……」

絢辻「じゃあこういうのはどうかしら……ふー」

中多「ひゃわっ!?」

絢辻「あはは、可愛い反応ね」

絢辻「あなたからはなにかないの?」

中多「え?」

絢辻「こんなことしたいとか、こうしてもらいたいとかよ。今日は好きなだけ甘えていいのよ?」

中多「あ……ありますっ」

絢辻「なぁに? 教えて」

中多「あ、でも……」

絢辻「遠慮しないで。言ってみて」

中多「あの、その……せ、先輩と……」

絢辻「あたしと?」

中多「……キス、したいです」

絢辻「き、キス?」

中多「あ、す、すみません! い、今のは聞かなかったことに……!」

絢辻「待って、違うの。いやってわけじゃないの。ただ……」

中多「や、やっぱりいやなんですね……ぐすっ」

絢辻「だから違うって言ってるでしょ! 本当にしていいものか考えてるのよ」

中多「私は……先輩としたいです、キス」

絢辻「あなたもよく考えて。あたしたちはまだ付き合ってるわけでもないのよ?」

中多「ま、まだ付き合ってないだけです……っ!」

絢辻(そうよね……結局はあたし次第ってことよね)

中多「先輩、私知りたいです……先輩の気持ち」

絢辻「あたし、は……」

中多「先輩は……私のこと、どう思ってるんですか……?」

絢辻「……」

中多「嫌い、ですか?」

絢辻「そんなわけないわ!」

中多「でも、好きじゃないんですよね……」

絢辻(好きよ、好きに決まってる。でも本当にいいの? あなたはあたしを……裏切らない?)

絢辻「あたしは、あなたを……」

中多「あの、先輩っ。お腹は減ってませんか?」

絢辻「え……お腹?」

中多「近所で美味しいって評判のケーキを買っておいたんです。よかったらどうですか?」

絢辻「あ……そうね、せっかくだし頂こうかしら」

中多「じゃあすぐ持ってきますね」

タッタッタッ……

絢辻「はぁ……気を遣わせちゃったみたいね」

絢辻(それにしても最低ね、あたし……散々彼女の優しさにつけこんでおきながら、好きの一言も言えないなんて)

数日後

橘「絢辻さん、今日もこれから委員の仕事?」

絢辻「そうよ」

橘「僕も手伝った方がいいかな」

絢辻「中多さんがいるから大丈夫よ」

橘「ははっ、それもそうか。ふたりはあいかわらず仲が良いね」

絢辻「実際はそう単純でもないんだけどね」

橘「ん、どういうこと?」

絢辻「……ちょうどいいわ。少し話があるから付き合いなさい」

屋上

橘「中多さんはいいの? もう図書室にいるんじゃ」

絢辻「少しくらい待たせても平気よ。それよりも、今から話すことは絶対に中多さんに言っちゃダメよ」

橘「うん、わかった。それで話っていうのは?」

絢辻「うーん、そうね。どこから話そうかしら……あなたからは今のあたしと中多さんの関係はどう見える?」

橘「今の絢辻さんと中多さん? 仲の良い先輩後輩、かな」

絢辻「やっぱりそう見えるわよね。でも実際は違うの」

橘「絢辻さん……後輩いじめはよくないよ」

絢辻「なに勘違いしてるのよ! あたしが彼女をいじめるわけないでしょ!」

絢辻「実は以前、中多さんに告白されたの」

橘「こ、告白っ!? 中多さんが絢辻さんに!?」

絢辻「告白って言っても、普通に好きって言われただけよ」

橘「中多さんが絢辻さんに……そ、それで絢辻さんはなんて返事したの?」

絢辻「適当にお茶を濁したわ。そのときは自分の気持ちもよくわかってなかったし」

橘「そうなんだ……今のふたりの様子を見るに、普通にOKしたものかと思ったよ」

絢辻「たしかにそう見えるでしょうね。だって今はあたしも彼女のことを好きだもの」

橘「ああ、絢辻さんもね……え、絢辻さんも好きなの!? 両想いってこと!?」

絢辻「彼女が心変わりしてないかぎり、そうなるわね」

橘「じゃ、じゃあふたりはこれから付き合うの?」

絢辻「問題はそこなの。あたしたちは付き合ってもいいのかしら」

橘「両想いなら断られることはないと思うけど」

絢辻「そうじゃなくて、同性と付き合って問題ないのかってことよ」

橘「それは……問題ありまくりじゃないかな」

絢辻「やっぱり付き合うべきではないわよね」

橘「そうかな? 女の子同士でも両想いなら付き合っちゃっていいと思うけど」

絢辻「でも結婚もできないし子供もできないのよ? それで本当に幸せになれるの?」

橘「そこまでは考えてなかったなぁ……だけど、今自分の気持ちを我慢するのはいいの?」

絢辻「……」

橘「絢辻さんはそれで幸せなの?」

絢辻「橘君のくせに生意気ね」

橘「善意で言ったつもりなのに……」

絢辻「今付き合っても別れたら意味ないじゃない」

橘「普通付き合う前に別れることなんて考えないよ」

絢辻「女同士なんて……長く続くはずないわ」

橘「中多さんが絢辻さんに愛想を尽かす姿は想像できないなぁ」

絢辻「なにが起こるかわからないでしょ」

橘「そんなこと言ってたら誰とも付き合えないよ……」

橘「細かいことを言い出したら埒があかないよ。もっとポジティブに考えた方がいいんじゃないかな」

絢辻「……中多さん、あたしを嫌わないでいてくれるかしら。こんなあたしを」

橘「それは大丈夫だと思うよ。僕が保証する」

絢辻「あなたに保証されてもねぇ……」

橘「少しは信じてよ……」

絢辻「とりあえず、あたしが余計なことを考えすぎてるのはわかったわ。ありがと」

橘「中多さんと付き合うことにしたの?」

絢辻「そうは言ってないでしょ」

図書室

絢辻「待たせちゃってごめんなさい」

中多「大丈夫です、気にしてませんから」

絢辻「早速で悪いんだけど、もう帰りましょう」

中多「えっ? お仕事はいいんですか?」

絢辻「今日はいいわ。それよりも寄りたいところがあるの。付き合ってくれる?」

中多「もちろんです、先輩」

絢辻「ありがと。じゃあ行きましょ」

神社

中多「ここ、ですか……」

絢辻「覚えてる? あたしがあなたに初めて本性を見せたとき」

中多「忘れるはずありません」

絢辻「あなた、すごく驚いてたわね」

中多「だって、本当に意外でしたから」

絢辻「ふふっ……でもあなたが受け入れてくれて嬉しかったわ」

中多「私が先輩を拒むはずありません」

絢辻「あなたは優しいものね」

絢辻「あれからずっと、あたしはあなたの優しさに甘えてたわ」

中多「え? 甘えてたのは私の方で……」

絢辻「ううん、あたしは甘えてたの。あなたの好意につけこんで、自分の寂しさを紛らわせてた」

中多「寂しさ……?」

絢辻「わからないわよね。でもそのまま聞いて」

絢辻「あたしはね、あなたが考えてるような人間じゃないの。面倒なことは大嫌いだし、寂しがり屋だし、臆病者なの」

絢辻「今まで曖昧な態度をとってたのもそう……ただ怖かったの」

絢辻「ずるいわよね。あなたの気持ちを無理矢理聞き出しておいて、自分はなにも言わないなんて」

絢辻「でもやっぱり怖くて……もしあなたに拒絶されたらって思うと、なにも言えなかった」

絢辻「今日こそは頑張ろうと思って、ここに来たんだけど……まだ、怖いの」

絢辻「ごめんなさい……こんな姿、幻滅するわよね」

中多「……幻滅なんて、しません。でも、先輩はずるいですっ!」

絢辻「っ……!」

中多「先輩は……私に言いました。自分に自信を持てって」

中多「なのに、その先輩が自分に自信を持てないのは、ずるいと思います」

中多「私は先輩のこと、好きですっ。何度でも言えます。先輩が好きです」

中多「だから、怖がらないでください……私は、先輩を拒絶したりしません」

中多「先輩……私のこと、信じてください」

絢辻「本当に……信じていいの? わたしから離れない?」

中多「離れたりしません。ずっと先輩のそばにいます」

絢辻「こんなわたしでもいいの?」

中多「先輩じゃなきゃ、いやです。先輩が好きなんです」

絢辻「わたしも……わたしも、好き。中多さんのことが好きよ」

中多「えへへ……先輩の気持ち、やっと聞けました」

絢辻「ごめんなさい、こんなに遅くなってしまって」

中多「いいんです。ずっと待つつもりでしたから」

中多「私たち、これから付き合うんですよね……?」

絢辻「わたしはそのつもりよ」

中多「じゃ、じゃあ……これからは名前で呼んでほしいです」

絢辻「もちろんいいわよ、紗江」

中多「はう……しぇんぱぁい……」ギュッ

絢辻「ねぇ、紗江……この前できなかったこと、しない?」

中多「ふぇ? できなかったこと?」

絢辻「もう、とぼけないでよ……キスに決まってるでしょ」

中多「あ……し、したいですっ」

絢辻「いやだって言われたら泣いてるところだったわ……好きよ、紗江。愛してる」

中多「んっ……」

後日

絢辻「紗江……」

中多「しぇんぱい……」

絢辻「もう眠い?」

中多「少しだけ……」

絢辻「疲れちゃったのね。わたしはここにいるから、そのまま寝ちゃいなさい」

中多「先輩……おやすみのキス、してほしいです」

絢辻「甘えんぼなんだから、しょうがないわね……ちゅっ」

中多「んぅ……えへへ♪ 先輩、おやすみなさい」

絢辻「おやすみ、紗江」

おわり

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