夏海「なつみちゃんわるくないもーんwww」 (269)

冷たい雨が土を叩く。
いつもなら憎く思う雨も、今日ばかりは空に感謝しなきゃならない。

地面に刺さる、シャベルの音を消してくれるから。

震える両手は寒さのせいか、それとも焦る気持ちのせいか。
とにかく今は、これをなんとか埋めなきゃならない。

それから、日が完全に落ちる前に、家に戻って
ねーちゃんとはぐれた…ことを母ちゃんに伝えないと。

はぐれちゃったものは仕方がない。

そうだ、うちは悪くない。

-居間 土曜日 午後1時

夏海「あー…もう宿題飽きたぁ~」
夏海「ねーちゃんねーちゃん!れんちょん連れてほたるん家遊び行こうよ!」

小鞠「えぇ~…夏海まだ宿題できてないでしょー?」

夏海「ほたるん家でやればいいじゃんかァ~」

私はいつもこんな感じだ。後先はあまり考えない、行き当たりばったりの性格。

小鞠「も~わかったよ 支度するからちょっとまってて」
小鞠「てか、あんた蛍の家に電話したの?」

夏海「へ?なんで電話なんかするの?」

小鞠「いや…ふつう人ん家に遊びに行く時は電話くらいするでしょ」

夏海「んーそっかな、ほたるん家の人は東京から来たんだもんね」
夏海「じゃあねえちゃん電話ヨロシク~」

電話越しに人と話すのはなんだか苦手だ。
相手の表情や仕草がわからないから。

小鞠「はぁ?自分でやりなよそんくらい・・」カバンガサゴソ

夏海「(ねえちゃんが電話したほうがほたるん喜ぶのに ほんと鈍感だよね~)」

ほたるんは姉ちゃんがとても好きだ。
友達としてっていうか、うまく言葉が見つからないけど、なんというかとても好きみたいだ。

夏海「はいはいわっかりましたよ~だ」ドカドカ

小鞠「廊下は静かに歩く!」

夏海「へいへい」

小鞠「あ、ちょっと夏海!」
小鞠「れんちょんは風邪で昨日来なかったじゃん、今日もまだ寝込んでるよきっと」

夏海「あ~そうだっけ?せっかくの土日なのに災難だよね~」
夏海「秋の土日に風邪引くなんか、ベタなことするよねぇれんちょんも」

れんちょんが風邪で学校を休むのは初めてな気がする。
ちなみに、私は小学校も中学校も休んだことはない。

夏海「んーじゃあ二人でいこっかしゃーないし」

小鞠「そだね、はやく電話してきなよ」

夏海「わかってるよー」ドガドガ

小鞠「廊下は!…まったくもう」

-玄関

夏海「…」プルルルル ガチャ

電話の相手「もしもし、一条です。」

夏海「もしもしほたるん?今日ほたるん家で遊べない?」

電話の相手「あら、蛍のお友達かしら 今、蛍にかわりますからちょっとまっててね」

夏海「あ、ごめんなさい蛍ちゃんのお母さんでしたか(アセアセ)」

電話の相手「いえいえいいのよ、ちょっとまっててね」

夏海「はい、おねがいします」

夏海「(家電はこれだから不便だよね~ほたるん携帯とかもってるのかな)」
夏海「(ま、持ってても電波入んないんだろうけど)」

電話の相手「もしもし、蛍ですが」

夏海「おーほたるん!」

電話の相手「あ、夏海センパイですか?こんにちは、どうしました?」

夏海「いや~今日さ、ほたるん家で遊べないかなーって」

電話の相手「ええ、大丈夫ですよ!小鞠センパイも来るんですか?」

夏海「うん、ふたりで。宿題も・・」

電話の相手「ガタガタ!ドガン!」

なにか、たくさんの物が落ちるような音が聞こえた。
以前行った時に、ほたるんの部屋の前で聞いた音だ。

夏海「ちょ、どうしたの大丈夫?」

電話の相手「だ、大丈夫です!じ、じぁ、じゃあ、へやを掃除するのれ切りますにぇ!(ガチャン)」

夏海「あ、ちょっとま…切れちゃった」
夏海「まいっか」

小鞠「夏海~?どうだったの」

夏海「ん、オッケーだってさ なんか忙しそうだったけど」

小鞠「ふ~ん…あ、お母さんにメモ置いとかないと」

姉ちゃんは家を開ける時、決まってメモを残しておく。

夏海「ねーちゃんは几帳面だねー中学生なんだからどこ行ったって心配しないって」

小鞠「うっさいなぁ、わかってるけど一応置いとくの!」

夏海「へいへいご自由に~」

-家への道 午後1時30分

夏海「うぅ~!最近冷えるねぇ~こりゃコート着てもよかったかも」

この季節、秋から冬へと変わっていく。
気温がぐっと低くなるのは毎年のことだ。

小鞠「ほんとだねぇ…う~風が冷たいなぁ~」
小鞠「てか夏海、そのリュックはなんなのさ」

夏海「これ?これはねぇ、なつみちゃん特製探検セット!」

小鞠「…はあ?」

夏海「いや、はあ?って」

小鞠「探検じゃなくて、蛍んち行くんでしょ」

夏海「そーだよ? でもね、ウチほたるん家までの近道見つけちゃった~」

小鞠「近道?そんなんあったっけ」

夏海「昔使ってたみたいな道なんだけどね~けっこう草とかボーボーだし」
夏海「だから探検セットがなくちゃね!」

小鞠「えーそんなとこ通りたくないよ」

夏海「大丈夫だって!なんと5分は短縮できるんだよ~(夏海調べ)」

小鞠「そんな大したこと無いじゃん…」

夏海「まま、いいから夏海ちゃんにまかせてついて来なって」

小鞠「わかったよ…てか、探検セットってなに入ってるのさ 危ないもの入れちゃダメなんだよ?」

夏海「えーとね、まず鎌でしょ?ノコギリでしょ?あと折りたたみシャベルとライターと・・」

それっぽいものを適当に詰め込んだリュック。
探検とか、知らない場所にいくのは今でも好きだ。

小鞠「危ないもんだらけじゃん!」

夏海「こまちゃんはお子ちゃまだな~いまどきの中学生はこれくらい持ってるよ」

小鞠「いや…あんただけだろ」

夏海「あっは、そうかな~?」
夏海「えーっと、たしかこっちだったっけ」

少し枯れかかった草木に覆われ、道という道はなくなっている。
一応砂利は敷かれているが、土と混ざり原型はない。

小鞠「ちょ、え~こんなとこ行くのぉ?…」

夏海「ヘーキヘーキ、ちゃんとついてきなよー」ガサガサ

小鞠「ちょっとまってよ!」

-獣道 午後2時30分

探検セットから取り出した鎌で、草を分けながら進む。

小鞠「ねぇ、明らかにけっこう時間経った気するんだけど…」

姉ちゃんが腕時計を見ながら嫌味のようにそうつぶやく。
近道で迷っては元も子もない、それはわかってる。

夏海「あっれ~?迷っちゃったかなぁ」

夏海「たしかここらへんに吊り橋があった気が…」

夏海「あ!あった!あれだあれ!」

小鞠「ええ?どれさ、あたし見えないんだけど」

夏海「ほらこっち来て、もうすぐつくから」

小鞠「手引っ張らないでよ!」

夏海「あっはは、ゴメンゴメン」

夏海「ほーらもうすぐつくよ」

-吊り橋 午後2時40分

夏海「うっわ~思ってたより古い橋だねこりゃ」

夏海「つか落下防止のアミ取れてるし」

小鞠「ほんとにこれ渡るの~…怖いよぉ」

夏海「ねーちゃんホント怖がりだよね~」
夏海「じゃ、先行くよーっと」ガタガタ

小鞠「ちょっ、そんな走ったら危ないでしょ!」

夏海「大丈夫だって~そんな長い橋じゃないんだし」

ところどころ、木が腐って穴が空いている。
そこから下の川が小さく見えて、恐怖感が膨らむ。

夏海「ほらねーちゃんも来なよ!」グラグラ

小鞠「ええ~いいよ怖いし…」

夏海「大丈夫だってほら!」

小鞠「もぉわかったからちょっとまって」グラグラ

小鞠「なんでこの橋あみ付いてないのよぉ…」

よく使われる吊り橋は、手すりと橋桁をつなぐように
落ちないよう金属アミや柵がついている。
もう何年も昔から使われてないであろうこの橋に、そんなものは必要なかった。

夏海「ねーちゃんは怖がりだなぁ~ 吊り橋ってのはこういうモノなんだよ!」

夏海「でも手すりしかついてないってのは、気抜いたら落ちちゃうねこりゃ」

小鞠「怖いこと言わないでよ!」

夏海「大丈夫大丈夫!落ちたって死にはしないよ下が川なんだから」

小鞠「川ってこの川10cmくらいしかないでしょ!!絶対バキバキになっちゃうよ!!」

夏海「こまちゃんはほんとに怖がりだな~」

夏海「ほーら早くこないともっと揺らして先行っちゃうよ~クスクス」

このこまちゃんは偽者だな
本物だったら露骨に怖がったりしない

わざと体を動かし橋を揺らす。
古く小さな吊り橋は、少しの風でも大きく揺れた。

小鞠「いやぁちょっとやめてよぉ!」

夏海「うひぁー!真ん中はやっぱ怖いなぁー!」

小鞠「やめてよそういうこと言うのぉ…ううぅ来るんじゃなかったぁ…」

夏海「てかねーちゃんさ、そんな中腰で歩いてたら危ないって」グラグラ

夏海「ちゃんと立って歩きなよ、手すりちゃんと持たないとすりぬけて落ちちゃうよ」

小鞠「そんなこと言ったってこわくて立てないんだもん!」

夏海「うっへぇ、そんなに怖いんだぁ」

小鞠「うるさいなぁもう…さっさと渡るよ」トコトコ

半べそをかいてゆっくり歩みを進める姉ちゃんを見て
私はまた、いたずら心を刺激された。

夏海「(いひひ、ちょっと脅かしてやるか…)」


…といた…いい…
きっと…する…


夏海「(…え?)」

夏海「(なんか聞こえたような)」

誰かの声が聞こえた。よく聞き取れなかった。
姉ちゃんか?いや、姉ちゃんはもっと子供みたいな声だから違う。

夏海「(気のせいかな)」

小鞠「ううう…」

夏海「(よぉ~し…)」

夏海「うわあああ!!!!!ねえちゃんうしろおおおおおお!!!」

私は声を張り上げた。
目一杯の怖い顔と共に。

小鞠「ひぃぁっ!?」

姉ちゃんは手すりをはなして後ろへ下がった。

とてもびっくりした顔で。


よろけて、とっさに出した右足は、橋から外れた。

夏海「ちょっ!?ねえちゃんあぶな・・・」


-吊り橋 午後2時45分

とっさに伸ばした手は、姉ちゃんの手には届かなかった。
もし届いていても、おそらくは…

小鞠「…えっ?」

橋の道筋から外れた姉ちゃんは、叫ぶでもなく、恐怖に歪んだ顔になるでもなく
まるで自分になにが起きているかまったくわかっていない

きょとんとした顔、という表現がとてもよく似合う表情で私を見ている。

顔が見えなくなってすぐに、たくさんの水がはねる音と
硬い物体が地面にぶつかる大きな音が同時に聞こえた。


それはほんの数秒の出来事なのに、とても長い時間に感じる。

夏海「……え、うそでしょ」

鳥肌が全身を冷たくする。気持ち悪い。
手のかじかむ寒さなのに、汗が額を伝う感触がする。

私は無我夢中で走った。
ブーツは泥まみれになり、服にはヤブハギの種がたくさんくっついている。

だが今はそんなことを気にしている場合じゃない。

夏海「はっ…はぁ…うそ、うそうそ…ないない」

そうだ、姉ちゃんに限ってまさかそんな、きっと大丈夫だろうと
案外スリキズくらいで済んでたり、もしかしたら骨折なんてしてたり。

帰り道に、二人で母ちゃんになんて言えばいいか小競り合いをしたり。
病院代もきっとたくさんかかるだろうし、怒られるだろうなぁ。と、

そんなことを考えながら、獣道をどんどん下っていった。

-川辺

夏海「ハァ…ハァ…姉ちゃん!」

夏海「確かこのへんの…」

夏海「あ…居た」

ピクリとも動かない体を覆うように、薄く赤色に染まった川の水が流れる。
水を赤く染めていたものが、まだ新しい血だと気づくのはたやすかった。

紅葉を終え、ひらひらと川へ落ちる葉と同じ色だ。

さっきまで遮るものがなかった浅い川は、その障害物で流れをゆるやかに変えた。
川上のほうに頭を向けたそれに、流された落ち葉達が捕まる。
その葉っぱ達は、いつもよりもずっと赤く見えた。

ブーツに入る川の水は、きっと雪のように冷たいはずだけど
まるでぬるま湯のように温度を感じなかった。

夏海「ね…ねえちゃん、大丈夫だよね…」

夏海「返事してよ…」

虚ろな目はわたしの顔を見てはくれなかった。
むなしく空へ向いている顔は、生きている人間の表情ではない。

明らかに、もうダメだ。 
胸に手を当てる。鼓動はなかった。

夏海「いや…嫌だよ……」

夏海「…そんなとこでいつまでも寝てちゃ風邪ひくぞ~」

夏海「あはは、なんてね~…」

夏海「……」

夏海「どうしよう…どうすればいいんだろ…」


夏海「と、とりあえず、川から引き上げないとダメだよね、そうだよ…」

服が水を吸い、ただでさえ重いと想像していたけど
まったく力の無い人間は思ったよりもずっと軽くて、現実をより実感させた。

夏海「うっ…はぁ…姉ちゃん…ほんと軽いねぇ…」ザッ

夏海「はぁっ…そんなじゃっ…身長のびないよ」ズリズリ

夏海「…姉ちゃん…ううっ起きてよぉ……」

夏海「ううぅぅ、ねぇちゃん…」

-川辺の森

空は私の気持ちを投影するように、分厚い雨雲が覆い尽くしていた。
家を出た時はまばらな白い雲が見えるだけだったのに。

夏海「あたし、捕まっちゃうのかな…」

夏海「これ、どうにかしなきゃ…」

私は探検セットの中から、折りたたみシャベルを取り出した。
自分が殺したようなもの。きっと、警察に捕まってしまう。

夏海「ここなら…きっと見つからないだろうな…」


そうつぶやき、降りだしたまばらな雨で少し濡れた土にシャベルを何度も突き刺す。
柔らかくなった土は掘るのに好都合だったが、冷たい雨が背中を叩く。


それは体温と共に、正常な思考も奪ってゆく。

まずいものは、とりあえず埋める、それはもしかしたら動物の本能なのかもしれない。


殺したのは私だ。だから、隠さないと。
私が、びっくりさせなかったら。

夏海「くっ…っしょっと…はぁ、はぁ、これくらい掘れば」

50cmくらいは掘れただろうか。
小さい体は穴にすっぽりと収まりそうだ。

夏海「私が…」

夏海「私が…殺しちゃったんだよね…」

夏海「ごめんね、姉ちゃん…」

それの右足から、靴がなくなっていることに気づいた。
きっと川に流されたんだろう。

私は、2時45分で止まった姉ちゃんの腕時計を外し、ポケットに入れた。

掘り返した土を、両手でかき集め、そっと上からかけると
そのうち、姿は見えなくなって、さらに上から土をかぶせ固めた。

土まみれの手が雨に打たれて、芯まで冷え、思うように手先が動かない。

夏海「はあ…なんか眠くなってきたよ…」
夏海「いっしょに寝よっかねえちゃん…」

土と雨にまみれた上着は、もう汚れを気にすることもなかった。

私はその埋め立てた土の上で、眠りについた。

-隣町の病院- 土曜日 午後6時

目の前に白い蛍光灯の明かりが見える。
明らかに、さっきまで居た場所とは違うのは分かった。

蛍「夏海センパイ!目が覚めましたか!?」

夏海「ん…ほたるん……ここ、どこ?」

蛍「隣町の病院です!センパイ、川のそばで倒れてたんですよ!?」

夏海「え…あ、そっか…」

そうだ、私は姉ちゃんとあの吊り橋に行って、それから…

夏海「あ、姉ちゃんは…」

蛍「……」
蛍「まだ…見つかってないみたいです…」

ほたるんのこんな顔は初めて見た。
まるで、一番大切な物を、誰かに壊されてしまったような。

諦めと、悲しみと怒りと、そんな色々な感情が混じった複雑な表情。そう見えた。

夏海「あたしは…」

蛍「先輩はどうして、あんな場所に居たんですか」

夏海「ほたるんの家に、行こうと思って…」

蛍「…私の家に行くのに、獣道を通る必要はありませんよね。」

夏海「…あそこが……近道だったの…」

イスが倒れる音がした。床と金属がぶつかる鈍い音
それと同時に、誰かが私の胸ぐらを掴んだ。誰だろう。この部屋に居るのは、おそらくほたるんだけだ。

蛍「先輩が!先輩があんなとこ行かなかったら!!ううぅ…」

顔に温かいものが落ちてきた。それは紛れも無く涙なんだろう
なぜかさっきより悪くなった視界では、その人の顔がよく見えない。

目の前がよく見えない。そうか、私も泣いてるんだ。

夏海「ごめん、ごめんね、ゆるし…」

その時、病室の引き戸がギシギシと音を上げ開いた。

一穂「ちょっ!ほたるん、やめなってなにしてんのさ!」

知っている声だ。その人はほたるんの両肩を掴んで私から離した。

蛍「えっぐ…せんせぇ…私…うわああああん!!」

一穂「まぁまぁ落ち着いて、ちょっと待合室に戻っといてねぇ」
一穂「夏海と二人で話したいからさ」

蛍「うう…ぐすっ…わかりました…ごめんなさい先輩、取り乱しちゃって……」

夏海「ん、ああ…いいよべつに、気にしないで」

ほたるんが病室から出て、私はその人と二人きりになった。

夏海「…水一杯ちょうだい」

一穂「お茶なら水筒にあるから、ちょっとまってねぇ」ガサガサ

一穂「…あのね」

一穂「こまちゃんさ、たぶんダメだろうって、警察の人が。」

ダメだろう。濁ったその言葉が何を表しているかは自分が一番良くわかっていた。

夏海「…」

一穂「吊り橋のすぐ下の川から、靴が見つかったんだって」

一穂「あの高さから落ちて、靴もなしに遠くへ行くのはムリだろうから」
一穂「近くの森か、川で流されたか。」

一穂「あそこは浅い川だけど、急な大雨で水かさが増してたからって。」

一穂「今も警察の人が探してくれてるけど…ね」

夏海「そうなんだ…」

わかってる。私が埋めたんだ。ちゃんと覚えてる。
都合の悪いことだけ、忘れてちゃったらどれだけ楽だろう

あの時にびっくりさせたから落ちちゃったんだから。
私が落としたも同然なのに。

一穂「…なんか、覚えてることとか、話してくれる?」

夏海「あ、あの、母ちゃんは?」

一穂「一応連絡はしたけど、家には居ないみたいだから、まだこの事は知らないよ」

夏海「そっか…」

夏海「えっと…覚えてることね」

一穂「うん。ムリはしなくていいからねぇ」

夏海「あそこは、前にうちがみつけたほたるん家への近道なの」
夏海「危ないとは、思ってたけど…」

夏海「でも、面白そうだからねーちゃんと二人で入ってったの」

夏海「それで…あの橋のとこまでいっしょに行って」

本当の事を話すべきか。

でも、びっくりさせたところまで話しちゃったら
後もぜんぶ話さないといけないし。

今になって、なんてバカな事をしたのかと、後悔が胸に刺さる。
ふつう、あそこは助けを呼ぶところだろう。ふつうは。

突然の衝撃的な出来事は人間を簡単に、そして強く狂わせる。

もちろん、自分が落としたんだという罪悪感からと考えれば、わからなくもないかもしれない。
なんだか他人ごとのように、私は考えていた。

夏海「それで…あの橋はうちが先に渡り始めて」

とりあえず、今は嘘をつこう。
今は、今だけは。

夏海「それから、怖い怖いってねーちゃんが言いながら」

夏海「うちの後ろからゆっくりついてきて」

嘘だけど

夏海「ねーちゃんは橋のまんなかくらいで」

嘘なんだけど

夏海「手すりを掴み損ねたみたいで」

意図的につく嘘。
それも、人の生き死にを乗せた大きな嘘
緊張と罪悪感で口もうまく動かない。手はかすかに震えてしまう。

夏海「それから…大きな音がして…」

夏海「振り向いたら、ねーちゃんが居なくて」

一穂「ん…わかった。もういいよ。」

一穂「話を聞いた限り、夏海は悪くない。気にしないでって言い方は変だけど」

一穂「心のキズは時間が癒してくれるの。今はなにも考えないで休んでていいからねぇ」

優しさが痛い。哀れんだ視線が痛い。
あんな過ちをした自分が、嘘をついた自分が受けていいものじゃない。

夏海「…うん」

一穂「それに、まだ決まったことじゃないから。案外、ひょっこり帰ってくるかも」

一穂「とりあえず、お母さん帰って来ないことにはどうもできんからねぇ」
一穂「んっと、卓と雪ねぇはいっしょに買い物行ってるんだよね」

夏海「うん、グニャグニャの峠の向こうにあるとこ」

一穂「ああ、西のほうね」
一穂「あそこは怖いくらいグネグネだから、車酔いしやすい君らにゃキツいねぇ」

一穂「そっか…じゃあ、ゆっくり休んでていいからね お茶、ここ置いとくよ」

夏海「うん、わかった」

病室の扉が開く。冷たい風が入ってくるのを肌で感じた。

夏海「…あのさ、私は誰が見つけてくれたの?」

一穂「ああ、都会から野鳥観察に来た人たちが見つけたって、警察の人が。」

夏海「ん…そっか」

冷たい風が止み、一人になった。
少し広い病室には、掛け時計の音だけが虚しく響く。

夏海「姉ちゃん…」

夏海「これ、夢じゃないのかな。」

わかってる。これは現実
マメが痛い両手、すこしざらつく顔、初めて見たあんなほたるんの姿。
これが夢なら、どれだけいいか。

わかってるけど。

これから一生、姉ちゃんの居ない日々が続くんだ
いままでみたいな楽しい毎日はもう無い。

せっかくほたるんも転校してきて、もっと毎日元気で学校へ行けるはずだったのに。

いつも4人で遊んで、勉強して、ただなにもせずぼーっとする
それも、もうずっとできない。

そんな考えが、一つ、また一つと浮かんでは消える。
そして浮かぶたび、消えるたびに、心臓が針を刺したように痛む。

不思議と涙は出ない。現実があまりにも重くてつらいからだ。

夏海「はぁ…どうしたらいいのかな」

夏海「どうしようも、ないけど。」

窓の外は相変わらずの大雨。
時々、灰色の雲が一瞬だけ光る。少し時間を置いて、大きな雷鳴が響いた。

夏海「姉ちゃんだったら…コタツに潜っちゃうだろうなぁ」

夏海「……」

-病室 土曜日 午後11時

どれくらい時間が経っただろう。薄暗かった外は、もう真っ暗だ。
一応、都会である街の街路灯が、人の居ない夜道を照らしていた。

コンコン

病室の扉がノックされた。
扉を開けたのは母ちゃんだった。

夏海「あ…母ちゃん」

雪子「…夏海、怪我の具合は大丈夫かい」

夏海「あ、う、うん。もう大丈夫だよ」

雪子「そう、よかった。」

なんだか様子がおかしい。
いつもうざいくらい明るくて、いつも元気に怒りちらしていた母ちゃん。

うつむいて、目には光がない。

当然かもしれない。自分の子供が、突然居なくなって。
見つかってなくて。きっと、もう駄目だろうって言われたとしたら。

雪子「小鞠のこと、もう聞いてるの」

夏海「う、うん。一穂姉ちゃんから聞いたよ…」

雪子「そう…」
雪子「あの子のことだから、いつも心配してたけど」

雪子「まさか、本当にこんなことになっちゃうなんて」

夏海「か、母ちゃん、私が…」

雪子「夏海は悪くないのよ、もう中学生なんだから、ある程度は小鞠の責任。」

雪子「…でも、危なっかしい場所じゃ、あの子は・・」
雪子「夏海はそれをよく知ってるもんだと、てっきり思ってた」

夏海「うちは…なにも…」

なにもしてない。私は悪くない。
私はいつも、決まってそう言っていた。悪くても、そうでなくても。

雪子「あんたは、なんか隠してることなんかないでしょうね。」

夏海「え」

唐突に発せられたその言葉
いつもなら、身振り手振りを付け加え笑いながら反論するだろう。

夏海「な…そんなの……ないよ…」

雪子「そう、ならいいのよ」

怖い。いつもの怒り方や、皮肉の言い方とは違う。
なんだか、人間じゃないものに問い詰められたような冷たい感覚。

雪子「じゃあ、お母さん警察の人と話さなくちゃなんないから」

雪子「静かに寝てなさいね」

夏海「うん」

また冷たい風が入ってくる。

うつむいたままのお母さんの背中は、なんだかもう二度と会えないような
昔には戻れないような、そんな気がして。

夏海「あっ、ちょっと母ちゃん」

呼び止めた声は、母ちゃんに届かなかった。
ピシャリ、と扉が閉まる。

また一人になった。
一人は嫌だ。性に合わないし、やっぱり寂しいし。

夏海「…なんだか、眠い」

夏海「もう、夜だからかな」

夏海「ほたるんは帰っちゃったのかな」

夏海「月曜、学校で謝んないとだめだよね…」

夏海「れんちょんになんて言えばいいのかな」

夏海「もし…」
夏海「もし、次に目を開けた時」

夏海「ぜんぶ元通りで、夢だったなら」

夏海「私、勉強も頑張る…し、ちゃんと言うことも……聞くし」

夏海「それに…」

-病室 日曜日 午前9時

朝だ。

左手で畳をまさぐる。時計を見るために。
いつもならざらざらした感触を覚えるはずの左手が冷たい金属の柵に触れた。

そうだ、ここは病院。

そして昨日は…

夏海「夢じゃない、そんなわけないよね…」

目の前に誰かいる。
それが姉ちゃんだったらいいのに。

楓「お、起きたか」

夏海「ん、なんだ…駄菓子屋かぁ」

当然、姉ちゃんじゃなかった。
たぶん、あの調子じゃほたるんや母ちゃんではないと想像したけど。

楓「駄菓子屋じゃねぇっつーの、ったく」

楓「あー…昨日は、大変だったないろいろと」

夏海「うん…」

楓「一応見舞いだ、ほれ、駄菓子ここ置いとくからさ。」

夏海「ありがと、楓」

楓「ん、そう、名前で呼ぼうな。」

夏海「うん…今、何時だっけ」

楓「んーあ~今はな~」

そう言って、ジャケットの袖を上げ腕時計を見た。

扉が突然開く。ノックはなかった。
開けたのは一穂姉ちゃんだった。なんだか真剣な顔に見えるけど

まさか、あれが見つかっちゃったのかな。

一穂「楓、ちょっといい?」

楓「ん、夏海ちょっとまっててな あ~今は9時ちょい過ぎだよ」

夏海「うん、ありがと」

楓「おう」

楓が部屋から出た。扉の取手に手をかけ勢い良く閉めた。
だが、扉はあと10cmくらいを残して開いたままになった。

冷たい風が隙間から入ってくる。
昨日を思い出すこの感覚。橋の上に吹いた、あの冷たい秋風。

二人は病室の外でなにか話してるようだった。

すこし開いた扉から、その会話は嫌がらせのように流れてきた。

楓「…夏海の母ちゃん居なくなったって本当かよ」

一穂「うん…警察の調書が終わって、今日になって家誰も居なくて」

一穂「車もなくなってて、ポストんとこに」

一穂「しばらく家を開けます。って…」

楓「…蒸発、ってやつか」

一穂「そうだね…」

楓「ムリもねぇけどよ…夏海が居るのに」
楓「あの兄貴は居なかったのかよ」

一穂「うん。あれで、親にはついていくタイプだからねぇ…」

楓「んだよそれ…」
楓「まさか、どっかで心中なんてしちゃいねぇよな」

一穂「…なんとも、言えないねそれは……」

楓「いくらなんでも急すぎるっつーの…夏海に、なんて言ったら」

うそ、うそうそ

母ちゃんが?嘘だよ、たまたま買い物に行ってるだけだ。

でもしばらく家を開けますって…

昨日もなんか様子が変だったし。
やっぱり私に怒って家出しちゃったのかも

ぜんぶ私のせいだ…私の…

一穂「ごめんねぇ~楓、横取りしちゃって」

楓「あーおまたせ、っと何の話だっけ」

夏海「母ちゃん、家出しちゃったって」

思わず、口に出た言葉。

楓「あ…聞こえてた…か…」

二人はしまった、という顔をしていた。
でも、聞いてしまったもの、言ってしまったものはどうしようもない。

夏海「私のせいなんだ、私が姉ちゃんを…」

楓「…夏海のせいじゃない。事故ってのはいつ誰に来るかわかんねぇもんなんだ」

事故。
事故じゃない。
あれは事故なんかじゃ

夏海「あれは私が…!」

一穂「いいの、もうええのよ、それ以上言わなくて」

そう言って、私の手を握った。

一穂「ウチに来ればいいんだからさ。」
一穂「心配しなくていいの…」

夏海「うっ…えっぐ…」

一穂「泣かなくてええんよ、大丈夫、大丈夫だから」

自然と涙がこぼれてしまう。
受けてはいけない優しさのはずなのに。

楓「…」

結局、姉ちゃんは橋から勝手に落ちてその後行方不明。
私はそれを探してる途中にケガをした、ということになった。

ケガと、あの出来事による精神的な疲労で、記憶が混乱している、と。

急な大雨で捜索が難しかったのと、人のあまり入らない場所で目撃者もいなかったから
土を堀り、あれを埋めたことも見つからなかった。

野鳥観察の人たちは大雨の中倒れていた私に驚いて、あの埋めた場所を
気にかけている暇がなかったらしい。


月曜日。自分の家には誰も居ない。

私は、宮内家で暮らすことになったからだ。
親も兄も消えてしまった今、まだ中学生の私は誰かの世話にならないといけない。

-宮内家 月曜日 午前7時30分

一穂「ええ、はい…そうですか、わかりました。」

一穂「ほたるん、今日休むって、学校に電話したみたい。」

夏海「ん…そっか」

ほたるんは姉ちゃんがすごく好きだったみたいだから。
相当ショックを受けただろうことはすぐにわかる。

ほたるんへの申し訳ないという気持ちで、胸が詰まる。

慣れない場所と、苦しい心であまり良く寝ることができなかった。
けだるい体を起こしながら、とりあえずほたるんに謝ることを考えた。

夏海「うち、ほたるん家にお見舞い行ってくる」

一穂「…今日はやめとき、まだ、きっと苦しいだろうから。」

正論だ。大人の考え。
素直に従うしかない。きっと、ほたるんのほうが私よりも辛いかもしれない。

夏海「あ…そうだね、そうかも…」

れんげ「きょう学校ないのん?」

一穂「ん~今日は臨時休校だからねぇ」

生徒の心情を考え、ということで、何日かの臨時休校が決まった。
もともと、私達とほたるんしか生徒が居ないわけだから。

れんげ「ふーん」

れんげ「あ!なっつん、にゃんぱすー」

夏海「ん、れんちょんおはよ」

れんげ「あれ?なんでなっつんウチん家いるのん」

夏海「今日からしばらくお泊りさしてもらうんだよ~」

れんげ「なっつんウチの人になるのん!」

夏海「ん~まあ、そうかもねぇ」

ウチの人、か。
いつまで続くかわからない生活に
足の付かないような不安を感じるけど、こうなったものはどうしようもない。

母ちゃん、兄ちゃん 早く帰ってきてほしいな
みんな居なくなっちゃったら、うち一人ぼっちだから。

-宮内家 火曜日

つい三日前の出来事が、とても遠いように感じる。
いつも聞こえる姉ちゃんや母ちゃんの声は、今も、これからもたぶん無い。

寂しさか、悲しさか、虚しさか、なにかわからないような感情が
心臓を握るように締め付ける。
たくさんのことがいっぺんに起こって、自分でも訳が分からなくなってしまう。

ふと、あの時、姉ちゃんをびっくりさせなかったら。そう思ってしまう。

あの時、吊り橋に行かなかったら。

あの時、近道しなかったら。

あの時、ほたるん家に遊びに行こうと思わなかったら。

あの時、宿題の問題がすぐ解けていたら。

ふとした行動の連続が、この結果を産んでいるわけだから
昔を後悔しても、どこから後悔すれば良いのか次第にわからなくなってくる。

でも、すべてがもう遅い。もう過ぎてしまったから。

私はこれらの現実を背負ってこれから生きていくほかない。

-宮内家 金曜日 午後1時

一穂「夏海、どこ行くのん昼間っから」

夏海「ん、ちょっとね」

一穂「一応、学校休みってことやから、あんまし一人でうろうろしたらダメよ」
一穂「あとでれんちょんと隣町まで買い物行くけど、一緒にいかんの?」

夏海「あーうちはいいや」

一穂「なんかほしいもんは?」

夏海「べつにないかなぁ~」

夏海「じゃ行ってきまーす」

一穂「んー、夕方までには帰ってくるんだよ~」

夏海「はいはーい」

もともとよく遊びに来ていた家だ。
私の性格も手伝って、すぐに慣れることはできた。

もちろん、あの日の記憶は一週間近く経った今も薄れないままだ。

私は、あの場所、あれを埋めた場所へ行くことにした。
姉ちゃんに謝りに。それと、まだ、埋まっているか、確認しに。

-川辺の森

夏海「たしか…この辺りだったと思うんだけど…」

どこも草にまみれて埋めた後なんかわかりっこない。
それに、野山だと動物が臭いをたよりに荒らしに来るなんてこともある。

無我夢中で降りて、訳もわからないまま掘って埋めてしまったのだ。
具体的な場所なんて覚えていない。

でも、あの生々しい手の感触、記憶から消えない赤い水の色。
それだけは確かに頭に刻まれていた。

夏海「あ、たぶんこの辺りだっけ」

不自然に草が生えていない辺りを見つけた。
川からの距離、踏み倒された背の高い草を見ても、たぶん自分がここを選んだと察することができる。

あの夜以来、曇りが続いてじめじめした土には、動物や、それ以外のなにかに
掘り返されたような跡はなく、安心した。

夏海「姉ちゃん、ごめんね」

夏海「こんなとこに埋めちゃってさ。」

夏海「……」

返事はない。当然だ。

夏海「母ちゃんと兄ちゃん、どっか行っちゃったよ」

夏海「姉ちゃんが死んじゃったから、おかしくなっちゃったのかな」

夏海「でも、自分の子供がそうなったら、当たり前かもね」

夏海「あれはあれで人の親なんだね~あはは」

自分の声だけが森に響く。
返事がほしい、また声が聞きたい。でもそれは叶わない。

夏海「でもさぁ、ちょっとおどかしたくらいで落ちちゃうなんて」

夏海「姉ちゃんもドジだよね~ ちょっとシャレになんないよ」

夏海「あはは…ほんとにさ…」

-宮内家 午後3時

夏海「ただいま~」

夏海「あ…買い物行ってるんだっけ」

夏海「……」

また、一人だ。
自分は一人という場面を経験したことがあまりないことに気づいた。
独りは寂しいものだと、いまさら気付かされる。

夏海「あ、ほたるん…しばらく会ってないなぁ」

夏海「…謝りに行かないと」

もう一週間だ。
友達の声をしばらく聞いていない。
人恋しさも手伝って、私はほたるんの家へと向かっていた。

もちろん、あの道は通らない。もう二度と通らない、つもり。

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_____
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?「……み……きろっ……つみ……!」

小鞠「夏海!起きろってば!」

夏海「うわぁ!」ガバ

夏海「え?あれ?姉ちゃん?」

小鞠「まったく夏海また宿題の途中で寝てたでしょ」

夏海「は?宿題?……あっ夢かぁ」

今回はここまで

- 一条家の前 午後4時

一人で道を歩くのも、なんだか暇で
両端の空間というものを持て余している気がした。

いつも誰かがそこに居たから。

真新しい家のインターホンを押す。カメラが付いている最新のものだ。
ほたるんの部屋はカーテンが閉じていた。

家の人「はい、どちらさまでしょうか」

夏海「あの、越谷夏海といいます。ほたるん…蛍ちゃんの友達の」

家の人「ああ…夏海ちゃんね、来てくれて悪いんだけど」

家の人「あの子今病院に居るのよ」

夏海「え…病院、ですか」

ケガや病気をしたとは聞いていない。学校はずっと休んでいたけれど。

夏海「蛍ちゃんの様子は…」

家の人「あの子ねぇ、あの事故以来、なにも食べなくなっちゃって」

家の人「体を崩して病院に連れてったんだけど」
家の人「先生は精神的なものだって。」

夏海「そう…ですか」

家の人「それで今は、県庁がある市の総合病院で入院してるの。」
家の人「つい、昨日からね」

夏海「……わかりました、どうもすみません。」

家の人「いいのよ、こちらこそごめんね」

家の人「お互いにつらいけれど、頑張ってね、なにかあったら相談してちょうだい」

やさしい励みの言葉が、心に針を刺されたように痛い。
みんなに嘘をついた自分の罪悪感が、より針を押し込む。

夏海「…ありがとうございます。それでは」

-宮内家 午後9時

一穂「…それで、ほたるんはどうだって」

夏海「今は精神的につらくて、なにも食べてないって。」
夏海「だから、県庁んとこの病院で入院してる。」

一穂「そっか…」
一穂「一応、学校は土日明けから再開するんだけど」

一穂「れんちょんと二人だけってことになりそうやねぇ」

夏海「そうだね……」

一穂「とりあえずさ、宿題はたっぷり用意してるんだから」
一穂「勉強遅れないようにちゃーんとやるんだよ~?」

夏海「うへぇ、勘弁してよ」

一穂「これからは密着教育だからなぁ~」

夏海「いやああ!!」

れんげ「密着なのん!?」

夏海「うわあ最悪だぞ~れんちょん!」

宮内家 日曜日 午後2時

なにもやることがない。
いつもなら、誰かとぶらぶらしたり、喋ったり、ゲームしたりしてた。

今は誰も居ない。
この村には、分校のみんなしか友達がいないから。遊ぶ人もいない。
相変わらず、れんちょんは一人で不思議な遊びをしてる。

目の前に霞がかかっているように感じる。
一週間前の出来事は、鮮明に、生々しく思い出すのに
今、眼の前の風景は現実味がない。

一穂「なっつん宿題したんかい?」

夏海「ん、今からやるよ」

夏海「あーめんどくさいなぁ~えーと数学だっけぇ?」

プリントと教科書の山からそれらしい紙を引っ張りだす。

ほとんどの問題がわからない。
勉強嫌いの自分のせいだけど。

夏海「ん~…んー?」

夏海「ねーちゃんこれわかんないんだけどぉ」

夏海「あ…」

夏海「(そっか、姉ちゃんもう居ないんだっけ)」

ふいに現実が突き刺さる。
泣いても後悔しても、遅い。
切り替えて、心をいれかえて、もうそれしかない。

一穂「んー呼んだか~?」

夏海「あっ…ね、ねーちゃんさぁ、ここわかんないんだけど」

一穂「どれどれ~んーあーここはねぇ」
一穂「ここをこうすると、こうなるから、後は公式で…」

夏海「お!なるほど!さすが本物の先生だけあるね」

一穂「いや、どういう意味それ…」

新しい、姉ちゃん、ってことでいいか。

-旭丘分校 月曜日

いつもより3人少ない教室は、とても広く静かに感じた。
中に私物の入った姉ちゃん、兄ちゃんとほたるんの机を見ると、なんだかまた心が痛くなる。

一穂「はーい、じゃ今日は3人で勉強しましょうねぇ」

れんげ「なんで3人なのん?」

れんげ「こまちゃん最近ぜんぜん見ないのん」

れんちょんには、まだあの事は言っていない。
いくら賢くても、理解するのは難しいだろうから。

一穂「なんだろうねぇ、まあそのうちくるんちゃう~」

れんげ「ふーん」

本当はもう二度と来ない。
れんちょんが、それがどういうことなのか理解するのは、いつの話になるんだろうか。

-旭丘分校 水曜日 午前8時

なにしてるんだろう。消しゴムに向かってエンピツを突き立てている。
れんちょんはいつも不思議な遊びをしている。

あんなふうに、私も一人でも楽しくやってけたらいいな。

外から足音が聞こえてきた。廊下側の窓を見るとふたつの人影が見える。
古い引き戸が、耳障りな音を立てて開いた。

一穂「は~いみんなおはよー」

一穂「さ、入って入って、大丈夫だからねぇ」

誰かはわかってる、この学校に生徒はあと一人しか居ないから。

蛍「……」

一穂「ウチちょっと職員室行ってくるからねぇ」

ひどくやつれた顔だった。
目元は赤く晴れていたし、髪型はうまく整っていない。

夏海「あ……おはよう、ほたるん」

蛍「おはようございます。先輩。」

うつむいて床を見つめながら、吐き捨てるようにそう言った。
私の顔は見てくれなかった。

夏海「えっと、その…学校来てくれてうれしいよ」

夏海「あ~…一時間目なんだっけ」

返事はない。
イスに座ったほたるんは、じっと机を見つめている。

夏海「確か一時間目は国語だったっけ、あはは…」

夏海「……」

-旭丘分校 木曜日 午前10時30分

今日もほたるんは来た。
でも昨日から様子に変化はない。れんちょんも、ほたるんも授業中も黙々とプリントを完成させている。

先生は、相変わらず教壇で寝てる。
だから、教室はとても静かだ。

窓から校庭を眺めてみる。誰もいない。
この季節、村はいつも曇りがちで、時雨れる。

だから、外じゃ遊べない。一緒に遊ぶ人も居ないんだけど。

夏海「…あ」

雪だ。
暗い空から白い小さな粒がひらひらと落ちてくる。

毎年、結構な量の雪が降る。
でも、初雪はやっぱり気分が高揚する、はずだったけど。

-宮内家 木曜日 午後7時

ここは他人の家だ。
だからいまひとつ落ち着け無い。もう慣れたとはいえ。

ストーブの前で三角座りになる。
数分もすると、顔が火照り汗が出てくる。

私はこれからどうしようか考えていた。

夏海「ずっとここには居れないよね。」

夏海「……」

とりあえず、中学校を出るまではなにもできないから。
それまではここに居よう。

昔のことはできるだけ思い出さないようにして。
学校も、ちゃんと行って。

-旭丘分校 金曜日 午前8時

夏海「おはよーれんちょん。」

れんげ「にゃんぱすー」

二度目の挨拶。同じ家を一緒に出てるから。

夏海「おはよーほたるん。」

返事はない。わかってるけど、一応挨拶はする。
会釈が返ってきたように見えたけど、きっと気のせいだろう。

夏海「今日は寒いねぇ、昨日雪降ってたんだ~」

夏海「って、ほたるんも知ってるか」

夏海「遠くで雷がなると、決まってすぐに雪が降りだすんよ」

夏海「まったく、冬は嫌んなっちゃうよねぇ~」

もちろん、返事はない。

-旭丘分校 月曜日

夏海「おはよーれんちょん。」

れんげ「にゃんぱすー」

夏海「おはよー…ほたるん。」

夏海「今日も寒いねぇ」

夏海「そろそろマフラーつけてもいいかも」

相変わらず、うつむいて机を見ている。
顔のやつれは、日増しに強くなっていた。

今日も返事はない。


おそらく、これからもずっと。

この夏海精神タフすぎだろ

-農道 12月

近所の道を散歩してみる。
薄く積もった雪を踏む。ギシギシとした感触は、あんまり好きじゃない。

すれ違う人も居ない。やっぱり、ここは田舎だ。

隣町の病室から見た風景は、きっとそんなに都会ということもないんだろうけど
朝から行き交う人はみんな忙しく、まるでアリのようにせっせと移動していた。

相変わらず、左右の空間は広く、一人うつむいて歩みを進めていた。

なにをやっても楽しくない。

もう、あれからどれくらい経ったのかもわからない。
物事ついた時からなにひとつ代わり映えしない村の風景は、時間の感覚を狂わせる。


いつか、いつの日か、どうにかこんな状況を終わらせたい。


そう、思い始めた。

-某所 

あの日から何年経っただろう。3年?4年?5年?もう、10年くらい経つかも。

月日の記憶は、あの日を境になんだか曖昧になってしまった。

友達の居ない日々というのは、とてものろく感じたが、過ぎてしまえばなにをしていたのか
自分でもよくわからない。

私は、大阪で仕事をしながら暮らしている。
中学を出てすぐに、誰にも言わず貯金だけを持って家を出た。
ここでの生活には案外すぐに慣れた。あの村から離れたくて、すがるようにきた都会。

憧れていた東京へは行けなかった。ほたるんの故郷だから、なぜか申し訳なくて。

結局、事件は行方不明ということで時効になった。

だから私が本当のことを話しても、罪には問われないだろうけど
いまさら事実を話したところで、姉ちゃんは帰ってこない。

それに、信じてもらえるかすら、わからない。

長い月日が流れても、ふいに思い出す。

落ちる瞬間の、姉ちゃんの顔。
水しぶきが上がり、すぐに聞こえた鈍い音。

そして、冷たい土と雨の感覚。

あの県の、あの村の名前を、たまに耳にした時、私は心が締めつけられる。
誰かが、私の後ろからいつも追ってくるような、誰かが私を責めるような気持ち。

一生、これは付きまとうだろう。私の責任だ。


だから、もう終わりにしようと思う。

何年か前のあの日、願ったように。

-県道 午前1時30分

夏海「あ、そこの砂利道のとこで止めてもらえます?」

タクシー「はいはい、でも姉ちゃんよ、こんな田舎でなにすんのさ?」
タクシー「ここいらは夜んなると真っ暗だよ?県道もあーんま車通らねえし」

夏海「私の…地元なんで、大丈夫ですよ」

タクシー「あ~そうかいね こりゃ失敬 じゃ、お代は4590円ですわ」

夏海「えっと、じゃあちょうどで」

苦しいのは、今となっては自分だけだから。
誰にも迷惑はかからないだろう。

車のドアが開く。
辺りは昼なのにどこか薄暗く、人の気配はなかった。

あの日とまったく変わらない光景。

タクシー「へい、まいどおおきに」
タクシー「ああお客さん、これ、ウチの会社の電話番号やから、よかったら帰りに」

夏海「…すみません、たぶん使わないと思いますから」
夏海「それに、ここ、圏外でしょうし」

タクシー「あ~そりゃ残念ですわ、ほなおおきに、きいつけて」

夏海「ええ、どうも」

車が砂埃を巻き上げながら舗装道へと戻ってゆく。

私が最後に会った人が、中年のおじさんだったのは少し残念だ。

兄ちゃんみたいな、かっこいい人がよかった。

もしも過去へ戻れたら、私は自分になんて言うだろうか。
逃げろ、ちゃんと話せ、とかかな。まぁ、埋めるな、とは言いたいよね。

-獣道 午後2時

夏海「んしょ、んっしょっと」

夏海「あれぇ、ここらへんだったはずなんだけどなぁ…」

枯れかかった草達を分け、道を進みながら私は過去を思い出していた。

あの後、ほたるんはまた学校へ来なくなった。
れんちょんも私も、同じ家、同じ教室だけどあんまり話さなくなったし。

夏海「ここも少しは様変わりしたらしいねぇ」

夏海「あ!あった、まだ壊れてないや」

みんなそれぞれ別々の道に進んで、会う機会もなくなった。
もしかしたらどこかで母ちゃんや兄ちゃん、ほたるんとすれ違っていたかもしれない。

でも、たぶん、気づいても、気づかなくても、声をかけることはないだろう。

声をかける機会も、今日でなくなるわけだし。


夏海「しっかしこの吊橋も、ずいぶんボロボロになっちゃったなぁ。」

たいした風じゃないのに大きく揺れる吊り橋を中腰で進む。
手すりの錆が手袋に刺さる。

夏海「う~怖いなぁ すごいぞ、当時の夏海ちゃん!」グラグラ

夏海「あーやっぱ真ん中からの景色はいいねぇ~」

割りと高い場所に作られているこの橋。
眺めはとてもいいもので、隣町の山もここからだとよく見える。


夏海「ん…もうすぐ2時45分だね」

夏海「11月、あの日のあの時間。」
夏海「今年はけっこう、暖かいな。」

あの時間が、近づいてくる。

手すりから手を離し、あの日の姉ちゃんみたく、その場でしゃがみ込む。

あの日より朽ちた橋は、すこしの風でぐらぐらと揺れを増す。

下を覗いてみる。高さは、20mはあるだろうか。
本能的な怖さが足を震わせる。

夏海「姉ちゃん、今、そっちに行くからねぇ。」

姉ちゃん一人じゃ寂しいだろうし。私だって寂しいから。

あの日の昼、姉ちゃんが書いたメモをポケットから出した。

「蛍の家に行ってきます。」丁寧なかわいい字だ。

夏海「いや…でも、姉ちゃんが居る方にはいけないかも」
夏海「私は悪い子だから。」

ひとり、そんなことを考えながら笑った。


夏海「じゃあね、みんな。これで終わり」


一応、書いておいた遺書を置いておくことにした。
きっと誰も見ないだろうけど。

バッグは、これから行く場所には必要ないから。それを重石に。

向こうどんな所だろうか。相変わらず、知らない場所に行くのは好きだ。


-吊り橋 午後2時45分


勢い良く、足を伸ばす。

吊り橋がぐらり、と揺れた。


浮遊感に全身が包まれる。


ふと昔を思い出すと、姉ちゃんの明るい笑い声が

どこからか聞こえてくるような


そんな気がした。



おわり

もしも過去へ戻れたら、私は自分になんて言うだろうか。


夏海「(いひひ、ちょっと脅かしてやるか…)」

やめといたほうがいいよ。
きっと後悔する。

夏海「(…え?)」

誰かの声が聞こえた。よく聞き取れなかった。
姉ちゃんか?いや、姉ちゃんはもっと子供みたいな声だから違う。

自分の声によく似ていた。でも、少し大人っぽい。

夏海「(なんか聞こえたような)」

夏海「(気のせいかな)」

小鞠「ううう…」

夏海「(…やめとくか、ホントに怖そうだし)」

夏海「ほーらこまちゃん、もうすぐ終わりだからね~」

小鞠「なにその口調は!姉にむかっていうことじゃないでしょ!」

夏海「あっはは~怖がりさんにはちょうどいいでしょ」

小鞠「うー!むかつくぅ~!」グラグラ

夏海「あー結構楽しかったね~ でもここ危ないし次からはやめとこっか」

小鞠「ホントだよぉ…うう怖かった」

夏海「はいはいごめんごめん、じゃさっさと行こ~けっこう時間過ぎたし…」


おわり

あとがき

なっつんくさそう
ほたるんはいいにおい

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2013年12月15日 (日) 12:39:55   ID: rp9jte4R

ふざけんな死ね、こんな糞上げんじゃねーぞハゲ。
とっとと消せやコラ。

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