ほむら「さやかの唄」(371)

(さやか魔女化直後)

何度経験しても苦しいものは苦しい。気がつくと私は枕を濡らしていた。
まどかからの拒絶。初めてでは無いにせよ、このワルプルギスの夜間際にくる精神的な波はいつも私を痛めつける。
朝日が差し込む時間ではあるが、カーテンが閉められ今なお暗い隔離された空間が憂鬱な心をなお一層際立たせた。
……学校に行かなくてはならない。ベッドから徐に立ち上がると髪をかきあげる。
制服のままベッドに身を投げたお陰でスカートに皺が目立つがこの際そんなことは気にしてなどいられない。
ワルプルギスの夜の訪れまであまり日数が無いにせよ、精神状態が不安定なまどかを一人にしておくのは危険だ。
このままインキュベーターの口車に載せられてはたまったものではない。
冷蔵庫から栄養ゼリーを取り出し乱暴に扉を閉めると、玄関へ向かった。
靴を履き、ドアノブに手をかけた。
私はこの瞬間が大嫌いだ。この瞬間、私の焦りと言う名の時計が動き始める。
ゆっくりと扉を開けた。するとそこには見慣れた姿があった。

「……杏子」

通路の転落防止柵の上に腰掛け、俯いていた彼女は罰悪そうに口を開いた。

「悪いな、その……後をつけるような真似をして」
「なんの用かしら」

恐らくさやかを助けるために手を借りに来たとか大方そんな所だろう。
まどかを頼らず自分のところに来た、という点が少々気になるが今は黙っておくことにした。

「相談がある」

杏子を部屋へ招き入れる事にした。
恐らくインキュベーターがまどかに接触するのは下校のタイミングだ。
それに相談といっても日が暮れるまでかかるような話ではないだろう。
遅刻したところで特に不利益はない。どうせ義務教育だ。出席日数などあってないようなものなのだから。

「あ、あのさ」
「なにかしら」

私は杏子に向かい合うように座ると彼女の顔に視線を向けた。
いつもであればしっかり目を合わせ、寧ろ威嚇するほどの勢いで睨みつけるはずだが今日はなかなか目を合わせない。

「恥ずかしい話なんだけど、ちょっと気になったんだよ」

話の切り出し方が妙に歯切れが悪い。

「夢を見たんだ」
「は?」

話の本筋が見えるまで黙っていようと思っていたのだが、思わず言葉が出てしまった。
この期に及んで怖い夢の話でもしにきたというのだろうか。

「き、気になる夢だったんだよ。さやかと関係あるんじゃないかと思った。
 お前何かと詳しそうだしさ、何か知ってるかもしれないって思ったんだよ」

しばらく杏子の顔を眺めていたが、この状況で人を馬鹿にしに来る訳も無いだろう。
彼女は彼女なりに真剣に考えた結果なのだろう。目元のくまがそれを物語っている。

「いいわ、続けて頂戴」

「昨日の夜さ、あの後私なりにいろいろ考えたんだけど、途中で何か嫌になって横になったんだ。
 お前らが行ってる学校の近くの病院の屋上でさ。朝一でまどか捕まえて話を聞こうと思ってたし」

話が始まると、杏子はいつもの様に私の目を見つめていた。
この危機的な状況でこんな話をするのも決まりが悪いというのはよく分かる。

「そんで夜遅くになんか足元に何かが垂れるような感覚で目が覚めたんだよ。
 そしたらいたんだよ、あたしの足元に使い魔がな」
「使い魔?そんなに近づいていたのになんでわからなかったのよ?
 貴方ぐらいの魔法少女ならそのぐらいわかるはずでしょう」
「それだよ。たとえ寝てたとしてもあたしが気配に気づかないわけがない。
 事実、ソウルジェムにはなんの反応もなかった」

ソウルジェムに反応がない?そんなことがありうるのか。

「だからもしかしたらさやかが呼んでるんじゃねえかと思ってさ……
 話しかけたんだ。おいさやかか、さやかなのかって。
 見た目はかなりエグかったけど、きっとアレはあたしに助けを求めてるんじゃないかって思ったんだ」

杏子は立ち上がり、私の前に仁王立ちになった。

「なあほむら……お前、そういう経験ないか。
 ソウルジェムに反応しない使い魔や魔女って、聞いたことないか?」

「残念ながら聞いたことも、実際に出会ったこともないわね。
 正直貴方の言っている話も信じられないわ」

私は杏子に座るように促すと、足を組み直し大きくため息をついた。

「そんなこと、或るはずがないもの」
「じゃ、じゃあなんだよ!ほむらはさ!」

私の胸ぐらを掴み顔を引き寄せ、怒鳴りつける。
彼女の表情は必死そのもので、彼女なりに考えて相談しに来たというのに一蹴されたことに腹を立てているようだ。

「ほむらは!あんな肉塊がそのへんを動きまわるっていうのかよ!」

……肉塊?

「あの使い魔はなぁ!私に抱きついてきたんだぞ!助けてくれってな!
 ゴボゴボいってて聞き取れなかったけど、きっとあたし達に助けを求めてんだよ!苦しんだよ!」

肩で息をしながらまくし立てる。心なしか目が充血してるように見えた。
私をソファに放り出すと、杏子は私の隣に崩れるように腰掛ける。

「抱きつかれた途端に頭痛がして気づいたら朝だったよ……
 もしかしたら夢だったのかもしんねぇ。だけさ、あたしは夢じゃないって思うんだ」

そういうと杏子は天井を見上げた。前髪に隠れて見えないが、その目元に涙が溜まっているのがわかった。

「貴方の言いたいことはよくわかったわ。要するに、さやかを助けるために力を貸せ、と」

杏子は袖で顔を乱暴に拭うと、小さく頷いた。朝一番に彼女が私に相談に来たことはこれが初めてだ。
いつも午後以降にまどかの様子を見に行って遭遇するか、魔女空間内に入ってから出会うことが多かった。
彼女の苦痛にゆがむ表情に私の既に小さくなってしまった良心が締め付けられた。
ワルプルギスの夜を迎え撃つにあって協調関係を結んでいるのだ。
ここで下手に知りうる結果で杏子を失うよりは、満足行くまで付き合うというのも選択肢としてありだろう。

「いいわ。協力してあげる」

その言葉を聞いて杏子は一瞬驚いた様子だったが、すぐに立ち上がり私の両肩を掴んだ。

「本当か!本当にやってくれんのか!?」
「何度も言わせないで頂戴」

私は彼女から目を背けた。冷徹を貫いているつもりでも、やはりこういう瞬間は少々恥ずかしいものだ。

「それにしても……」

一つ気になる事がある。
ソウルジェムに反応しない使い魔の存在。
何度もループを繰り返し魔女との遭遇を繰り返してきたが、未だかつてそういう魔女に出会ったことはない。
杏子も初遭遇、あの巴マミでさえソウルジェムの反応は魔女探しの基本と言っている辺り、これはやはり夢なのではないか。
同じような状況のループは過去にも存在した。同じタイプの魔女と戦い続けているとは言え、突然にその様な変異が起こるものだろうか?
魔女が元の魔法少女であることを考えると、ループ期間1ヶ月の間に他の新たな魔法少女が近辺で魔女化して気づかないという事もおかしいだろう。
特にさやかの一件以来、インキュベーターの動きに注視しているのは私だけではない以上、その存在は明らかになる可能性が高い。

「本当にそれは使い魔だったのかしら?」

杏子は杏子で、これが夢物語であるに越したことはないだろう。なにせ、見知った人間が肉塊を散らしているなど想像もしたくないに違いない。
また、使い魔なら使い魔でかなリ大きな脅威であるには違いない。これはかなり厳しい戦いを挑まれそうだ。

「わ、わかんねえけど……でも、朝起きたら足首んところに赤黒いあとが残ってた」

ほら、と杏子は足をソファの上に載せた。確かにその足首には太い筆で撫でたような跡が残っている。

「何か血のようだけど」
「あぁ、だけど怪我した記憶はないぜ」

私は立ち上がると髪をかき上げた。

「兎に角、まずはさやかを探しに行くことね」
「そうだな。多分まだ線路近くの廃墟の中に結界があると思う」

杏子は突然立ち上がった私に一瞬躊躇ながらも一歩後ろから部屋を出るべく歩き出した。
再び玄関を開き外へ出る。下の市道には既に見滝原中学の生徒の姿は無い。
本来であればもう既に一限の授業が始まる頃だろう。遠くでチャイムの音が聞こえる。

「ところでさやかの体はどこにあるの?」
「駅前の空きビルの小部屋さ。冷房つけっぱなしだし鍵もかけたし多分大丈夫だ」
「そう」

私は軽く相槌を打つと学校とは逆方向に歩き出した。まずはさやかの結界の様子を見に行くのが先決だろう。
制服のまま出歩くのは少々リスクを伴うが、魔法少女の格好で出歩くよりはマシだ。
喧騒な繁華街を杏子とともに早足で進んでゆく。程なくしてソウルジェムがさやかの居場所を指し示し鈍く光を放った。

「あいつ……本当に魔女になっちまったんだな」
「ええそうよ。美樹さやかは汚れを溜めすぎたわ……私の警告も聞かずに」

杏子が機嫌悪そうに舌打ちをしたが、私は聞かないふりをした。

廃ビルの中に一歩足を踏み入れると、すぐにその空間の異変を実感できた。
勿論魔女空間があるということも含めてであるが、なぜか空気が異様に重い。
そして何よりも、何かが腐るような、本能的に接近を拒絶するような臭いが漂っている。
まるでヘドロの中を泳いでいるような不快感に吐き気を誘われるが、それを体の奥に押し戻す。

「昨日来た時と髄分様子が違うようね」
「あ、あぁ……この様子だとどうも昨日の夜あたしが見たもんは夢じゃないみたいだな」

タイルが剥がれ、薄汚れたコンクリートがむき出しの階段を上がってゆく。
不意に靴底に薄べったい筒状のものを感じ、足元に視線を落とす。

「な、何よこれ……」

赤く、薄べったい膜のようなものが落ちていた。
それは生物の臓器を連想させ、踏んだ靴底から染みこんでくるような感覚に襲われた。
私は階段のへりに靴底を何度も擦りつけた。

「きもちわりい、なんでこんなもんが……」
「と、兎に角先を急ぐわ」

嫌な予感がした。

「この奥のようね」
「あ、ああ……」

私と杏子は緑色のペンキが剥げかけた、両開きの扉の前に居た。
床には落書きがあるが、その上を何かが貼ったようで文字が扉の方向に向かってこすれて読みにくい。

「Love me do、ね……」
「どういう意味だ?」
「さあ?それよりも準備はいいかしら」

私は足元の「m」を踏みにじるように右足を強く踏み込んだ。
この先に見覚えがある空間が広がっているのか、それとも未知の空間が広がっているのか。
あわよくば前者のほうが良い、と思ってしまう自分がなんとなく寂しかった。
知らない空間があり、そこで新たに再び人間に戻れる可能性を探れる方が良い、と思える自分は随分遠くに行ってしまったようだ。
目をつぶりくだらない邪念を振り払う。私は進まなければならない。進むために有利な選択肢を選んでいるだけ、と強く念じる。

「行くわよ」

私は勢い良く扉を開くと中に駆け込んだ。
そして、すぐにその足を止める。

こんな光景をかつて見たことがあっただろうか。簡潔に言うならば、答えは後者だった。
未知の光景。それも、恐らくこの地球上の誰もが見たことのないであろう空間。いや、口にする事すら厭わしい。
なんと邪悪な空間だろう。私はその場に釘付けにされたように動けなくなった。

「なんだよ……なんなんだよこれ……!昨日と全然違うじゃねえか!」

言葉を発する事のできる杏子はまだ良いほうだろう。私は言葉を発することすら忘れ、その壁の、天井の、床の、悍ましい光景に凍りついた。

肉塊。

空間の平面という平面に張り巡らされた血管とうごめく臓器のようなもの。
それは静かに脈打ちながら、どす黒い静寂を保っていた。
黒いリノリウムの床を這うように肉塊が地を這っていた。それは互いに繋がっており、まるで何かの体内であるようだ。

「これは一体……」

私は思わずソウルジェムを確認しなおした。ソウルジェムはさも当然とばかりにこの空間が魔女空間であることを示し輝いている。
近くの壁を見る。そこには確かにさやかの魔女が飾ったであろう、演奏会のポスターのようなものがかけられている。
勿論その上には血管と臓物が垂れ下がっており、奥へ続く廊下の壁も同様だ。

「ま、魔女空間が何者かに侵食されている……?」

そうとしか考えられない。昨日の魔女化の時点からこの空間に大きな変化があるとは思えない。

「おい、ほ、ほむら……どうするんだよ」
「ど、どうするって……それは……」

この見ることすら嫌悪される廊下を進むしか無いだろう。

私は床に巣食う肉塊を避けながら奥へと進んでゆく。
やむおえず細い筋状の肉塊を踏むたびに背筋に冷たいものが走り、頭がクラクラと混濁する。
むせ返るような汚臭をこらえ、一歩一歩と中へ進むも一向に扉からの距離は離れない。

「ほむら、お前……爆弾とか持ってるんだろ?このへんの気持ちわりいブヨブヨ、ぶっ飛ばしてくんねーか?
 さっきから歩きにくくて仕方がねえよ……」
「い、いやよ!下手に魔女を刺激したらどうするつもりよ……」

それに飛び散った肉片のシャワーを浴びてしまったら正気を保てる自信がない。
きっとそれは杏子もそうだと思う。たとえこれがさやかだったものの一部だったとしても耐えられるシロモノではない。
寧ろ、そう思うからこそ耐えられないということもあるだろう。
昨日まで普通に喋って、生活していた人間が今日こんな姿になっているとしたら……考えることすら悍ましい。



とうとう最後の扉の前に立った。
以前の経験からいえば、この扉の向こう側には巨大なホールが広がっているはずだ。
そしてその空間の真ん中には「さやか」が鎮座し、彼女のためだけのコンサートが介されているはずである。
だが、私はそんな生やさしいものが存在しているとは到底思えないのである。
第一、この距離にいるにもかかわらず一向に音楽が聞こえて来ない。聞こえてくるのは何かの唸り声。
絞め殺されているような、しぼり出すような、何か醜いものの叫び声のような。
言葉では形容しがたい。粘性のある、気泡の破裂音とでもいえば良いだろうか。

私にはこの扉を開ける勇気がなかった。
どうしても、さやかがこの先に居るとは思えなかった。居ると信じたくなかった。
魔女化した彼女のその悲痛な姿とはまた別に、恐らく私はこの先に居るであろう何かのその容姿を見る事が出来ない。
やっぱり私は……耐えれらないのだ。どうしても過去のさやかが……忘れられないのだ。

「あたしが開ける」

扉に手をかけることすら出来ずに棒立ちしていた私の横から杏子が前へと進み出た。

「さやかはあたしを呼んでるんだ。だから私はさやかを助け出さないといけない」

ドアノブが回った。

嗚呼。

扉の向こうの光景を見た瞬間、私はその現実から意識を遠ざけかけた。
嗚呼。かくも邪悪で、かくも毒々しく、かくも悲痛な彼女の姿。

「う、うぁ……!」

扉を開けた杏子はそのままの体勢でこの赤黒い光景に飲み込まれていた。
その口から漏れるのは救済の言葉でも、励ましの言葉でもない。全てに絶望を奪われ、言葉すら統制を失っているだけだ。

空間に満ちたよどんだ汚水のような大気が肌を舐め、目に映る光景は全てを絶望一色に染めていた。
ドームもステージも、生々しい肉塊に覆われていた。
彼女を覆っていた甲冑も剥がれ落ち、溶けゆく肉体を支えられずに崩れ落ちるままの魔女。
何処を見つめているのかわからない瞳が肉の間に白く光り、使い魔すらその周りに姿はない。

「うっ……」

思わず口元を抑え屈み込む。その屈みこんだ視線の下すら毒々しいものがうごめいている。
もう私の精神が持たない。限界だ。呼吸が乱れる。

その時である。

「ほ、ほむら!後ろだ!」

振り向くまもなく私はバランスを崩し前に倒れこんだ。
そのまま頭から赤黒い肉塊に飛び込み、肺いっぱいにあのドロドロした重たい空気が流れこんできた。
嫌悪感と恐怖が限界を振り切り、どちらが床かもわからなくなりパニックに陥る。

「嫌、嫌アアアアァァァァァッ!」

盾から武器を取り出すことすら忘れ肉塊から離れようと我武者羅にもがく。
だがそれを背中にのしかかった肉塊が許さず、頭を押さえつけられたまま動ける限り暴れまくる。
口に腐った血液のような粘性のある液体が流れ込み、猛烈な吐き気を覚えた。
嘔吐するも昨晩から何も食べてない胃には何も入っておらず、胃液の酸味が尚も吐き気を助長する。

「―――――!!」

杏子が何かを叫んでいるのが聞こえた。
だがその声も突然遠くなり、どうやら私同様に魔女に拿捕されたようだ。

頭を覆われ呼吸も難しくなると、不意に強い頭痛に襲われた。
脳をかき回されているような、今までに経験もしたことのないほどの痛み。
手足の先の感覚が凍ったように冷たくなる。

私はここで死ぬのか……
痛みが徐々に心地よくなってゆく。だがまだ嘔吐は収まらない。
私はこの現実を逃れ、意識を手放すことにした。

ごめんなさいまどか。私は貴方を苦しめただけだった。こんなどうしようもない私を、どうか許して下さい。

ごめんね。ごめんねまどか。

――どのぐらいの時間が経っただろうか。
眼を開くと、そこには「さやか」の魔女空間が広がっていた。
狂気に見を飲まれるような肉壁はいつの間にか姿をけしている。周りを使い魔がうろうろしていた。
気づけば例の「コンサート」も開催されているようで、なんとなく聞き覚えのある音楽が聞こえる。

私は身を起こすと辺りを見回した。

「……杏子?」

その呼び声に反応する者はいない。何処へ行ったのだろうか。
改めて周囲を見回す。さやかの魔女がステージの上で指揮を取っており、彼女を使い魔が囲っている。
魔女はほむらをまっすぐ見つめており、その存在に気づいていないはずはないが、何故か攻撃は仕掛けてこない。
今まで苦しんでいたあの残酷な空間はどうなったのか。そして魔女はなぜ攻撃をしてこないのか。
疑問が積もるばかりであるが、ふと背後に気配を感じ時を止めようと盾に手を触れた。
しかし。

「ひぃっ!?」

指先にぬめりと生暖かさを感じ、咄嗟にのけた。
盾が例の肉塊に覆われていた。先ほどと同じように不気味に脈打ち、気色悪い粘液を分泌している。
必死に肉片を引きちぎり放るが、事態は一向に好転しない。

「何?何なのよ!?」
「その盾はしかたがないよ。沙耶にはどうしようもなかった」




背後に深緑色の長い髪を靡かせ、白いワンピースに身を包んだ少女が立っていた。

「あ、貴方は……?」
「沙耶だよ」

その少女……沙耶は、サンダルをぺたぺたと鳴らしながら歩み寄ってきた。
背は私と同じぐらい。年齢もさほど変わらないように見える。
沙耶はまじまじと顔を覗きこむと、んー、と顔をしかめた。

「やっぱりイマイチだったかなぁ……貴方達、不思議な体してるんだね」
「……貴方は魔法少女ではないのかしら?」
「魔法……少女?」

首をかしげる様子から、彼女がそういったものから無縁な存在であることがわかる。
だとすれば、魔女空間に居るのはかなリまずい。私は盾が洋服に付かないよううでを伸ばしたまま、彼女の肩をとって扉へと促した。

「ここは危ないわ。早くここから出ないと魔女に襲われてしまうわ」
「魔女……?ふぅーん。じゃあ、さやかは魔女?それとも魔法少女?」

その言葉に私は思わず沙耶の両肩を持ち強く迫る。

「さやか!?あなたあれがさやかだってわかるの!?」
「えー?貴方は分からないの?普通に沙耶には教えてくれたよ」

その言葉に私は言葉を失った。この少女……沙耶は魔女の言葉がわかるというのか。
そういった能力を持った魔法少女が居てもおかしくはないが、彼女は魔法少女を知らない様子だ。
であるとすると、彼女は一体全体どのような存在だというのだろうか?
沙耶もまた、このような容姿をしているだけで魔女なのだろうか?

「さやかがね、助けて、苦しいって言ってたんだよ」

続かない会話に焦れったく思ったのか、再び沙耶が口を開いた。

「さやかは別の女の子に好きだった男の子を取られちゃったんだって。
 ずっとずっと好きだったのに、命を投げ出すぐらい大好きだったのに。
 さやかには勇気が無かったの。その子に好きっていう、その一言が言えなかった」

この沙耶という少女はさやかが魔法少女になった経緯をどうやら知っているようだ。

「だからね、私と一緒だなって思ったんだ。
 私も好きな人に好きって言えなかったから。私もずるかったんだ。
 ずっと待ってた。好きって言ってくれるのをずっと待ってた。だから、手遅れになっちゃった」

沙耶は寂しそうに微笑むとさやかの魔女を見上げた。

「さやかはとても悲しんでた。こんな体じゃもう誰にも愛してもらえない。
 もう誰も私を見てくれないってね。でも、それは違うと思うし、それじゃあいけないって思ったんだ」

沙耶はくるりと踵を返すと、もういちどほむらに向き直った。

「だからね、もう一度さやかが愛されるような世界を作ろうと思ったんだ。
 そうすればきっと愛してもらえると思う。それに……」

彼女は私から視線をそらすと、悲しそうに笑った。

「もう一度私も、郁紀に会って、愛してもらいたいから」
「郁紀……?」

沙耶はえへへ、とごまかすように笑った。

「でも、貴方はその世界には行けないかもしれない。
 だって貴方、作り替えたそばからすぐに元に戻ろうとするんだもん。
 今までそんな人間には会ったことがないから驚いちゃったよ」
「作り変える……?」

そう、と沙耶は強く頷いた。

「だから貴方は……」

その瞬間、扉が勢い良く開け放たれた。

「ほ旡ラ!大襄――お、淤前マ豐蔬ん梁……!?」

扉から飛び出してきたのは、あの肉塊だった。
汚らしく唾液を飛ばしながら、金切り声を上げて私をじっと見つめていた。

「こ、来ないで……!!」

その言葉は伝わらないのか、逆にその悍ましい怪物は、一歩一歩、ゆっくり距離を縮めてくる。

「大丈ブ橢憑蜂む騾……淤前は痲橢間に合甕!」
「やめてっ!!」

盾の中から拳銃を取り出そうとするも、うまく立てが動作しなかった。
纏わりつく肉片に邪魔されうまく機能しない。

「動いて……!動いてよ……!」
「爾ッとシ點廬!」

恐怖のあまりに身動きの出来ないほむらをよそに、ジリジリとその距離を詰め、遂には匂いすら感じる距離にまで迫る。
肉塊はその容姿に似合わない俊敏さでほむらに襲いかかると、頭を手に持っていた汚物まみれのパイプで殴った。
強い衝撃にほむらの視界は暗転し、再び意識が遠くなる。
体が痙攣を起こし体が弓状に反る。手足が冷たくなりだんだんと肉塊の叫び声が小さくなる。
沙耶が何かを言っている声が聞こえた気がしたが、何を言っているのかを聞き取ることは出来なかった。

再び目を開けると、そこには見慣れた天井が広がっていた。
どのぐらい時間がたったのかは分からないが、個人的には随分短時間で2回も昏倒したような気がしていた。
私は自宅のソファの上で横になっていたようだ。私はこのなんとも言えない控えめな弾力がなかなか気に入っている。
上体を上げると、そこには杏子の姿があった。床に座り、ソファにもたれかかるようにして寝ていた。
彼女の手にはタオルと保冷剤が握られていた。床には使いきったグリーフシードが転がっている。

「杏子、貴方……」

自分にかかっていたタオルケットを杏子の肩にかけると、そばにしゃがみこんだ。
目に涙を浮かべ、悲しそうな表情で唸り声を上げている。かなりうなされているようだ。
私は杏子の肩をぽんぽん、と二度叩く。彼女は驚いたように顔を上げ、すぐに私の顔を見てもう一度小動物のように驚いた。

「お、ほむらぁ!」

杏子はそう言うと柄にもなく私に飛びついた。

「よ、よかったほむら……あたし……お前まであのままああなっちゃんじゃないかって……」

彼女はしゃくりを上げて泣いていた。私にはよくわからないが、今日この背中をゆっくりと撫でた。

「バカね。私があんなになるわけ無いでしょう……」

すると彼女は三度驚き私の顔をまじまじと眺めた。

「ほむら……もしかしてお前、覚えてないのか?」
「は?」

私は再びこの聞き返しを使うことになった。

「佐倉杏子……貴方は何を言っているのかしら」
「な、なんだよ改まって……お前、本当に覚えてないのか?」

杏子は何か言いたげに、しかしモゴモゴと言葉を濁らせた。

「何よ」
「いや……覚えてないなら覚えてないほうがいいかもしれねえって思ってさ」

きまり悪そうに視線をそらし、お前のためだぜ、と小さく漏らした。
煮え切らない態度にしびれを切らし、私は強く杏子を問いただす。

「……本当に言っていいのか?」
「えぇ。何かを隠されているよりはよっぽどいいわ」
「それじゃあ……まぁ、うん、えっとだな……」


「――私があの肉塊の仲間に?」
「ああそうだ。まああそこまではひどくなかったけど体中の皮膚や臓器が剥がれ落ちてゾンビみてえだった。
 魔法少女とか、ああじゃなくて見た目的にまさにゾンビって感じ」
「じょ、冗談でしょ?」

だから言いたくなかったんだよと杏子は大きくため息をついた。
この状況で冗談を言うとは思えないが、にわかには信じがたい話だった。

「お前を見た瞬間もうダメかって思ったけどさ、キュウべえの言葉を思い出したんだ。
 魔法少女はソウルジェムさえあれば肉体はどうとでもなるって言ってだろ?
 だからお前は元に戻るって信じて気持ち悪いけどここまで担いで戻ってきた」

気持ち悪いの一言にむっとしたが、ここで私が怒るのはお門違いというものだろう。
だがどうも気になる。私の記憶では一度もその様な姿になった記憶はない。
最初に怪物に襲われて気を失った時にも、二度目に襲われた時にも、私の体は間違い無く綺麗なままだった。
しかし二度目に襲われる直前に出会った沙耶という少女や、汚染されていない魔女空間を見たことを考えるとかなり不可解である。

「最初にお前が背後から襲われた時、あたしは別の肉の塊に捕まってた。だけど必死に抜け出してなんとか結界の外まで逃げたんだ。
 あの時なぜかお前の姿が見えなくて助けてやれなかった……それはまぁ、悪かったよ」
「いえ、結果的に助けてくれたんだもの、気にしてないわ」
「へへっそうかい……
 んでだ、あたしがもう一回あの魔女空間に突撃した時、お前は言ったとおりゾンビになってた。
 もし仮にだ、一回目の攻撃の時に気絶して、2回目あたしがぶん殴った時にも気絶したとしたら……
 お前がその綺麗な魔女空間を見てたのは、ゾンビ化してた時ってことになるよな」

杏子が怪訝そうに首を傾げた。
彼女の言うことが正しいとすれば、確かに私が「綺麗な魔女空間」を目撃するタイミングはそれ以外にないことになる。
つまりそれは……私が怪物になった時にだけ、綺麗な魔女空間が生まれたことになる。

「なあ……もしかしてさ」
「ええ、多分私も同じ事を考えていると思うわ」
「だよなぁ……
 怪物になると、綺麗なものとあの気持ちの悪いものが逆に見えるようになるってことじゃねえか?」

すると、私があの空間で正気を保っていた時に話していたあの少女「沙耶」は本来であれば怪物ということになる。
1度目に私を襲ったのが沙耶で、2度目に襲ったのが杏子だとすれば、全ての辻褄が合う。
あの時私に盾が汚く見えたのも、うまく取り扱えなかったのも、体の機能が正常に働いていなかったからだとすれば納得がいく。

「だとすると、恐らく事の原因はあの沙耶という子にありそうね」
「ああ、少なくとも二度目に踏み込んだ時、人間の形をした生き物はお前しかいなかったしな」

杏子はうんうんと大きく頷くと、そばにあった紙袋からりんごを取り出しかぶりついた。

「貴方、よくあんなものを見た跡にものが食べられるわね……」
「見た目がぜんぜん違うだろ―?そりゃさすがに今寿司や焼肉食えって言われたらキツイさ。
 そもそもこれはお前に食わせてやろうかと思って買ってきたんだしよ」

お前の金だけどな、というと杏子はニシシと笑った。
私は杏子からりんごを一口だけもらう。それを見て満足したのか再び笑を浮かべながらりんごを美味しそうにほうばっている。
どうやら日付は変わっていないようだが、とっくに放課後というべき時間は過ぎていた。
時計はまもなく午後8時を回ろうとしている。

「あいつに取り込まれると互換の美しさの判別が全く逆になるのよね。
 正直ってこれはあいつを攻略して美樹さやかを連れ出すにあたってなんの意味もなさないわ。
 杏子、貴方何かあいつに攻撃を加えて気づいたことはないかしら」
「気づいたこと……そうだなぁ」

杏子は袋の中から新たなりんごを取り出し、袖で磨きながら視線を宙に泳がせた。

「あー、あの怪物めちゃくちゃ回復が早いんだよな」
「回復?」
「ああ、普通に切ったり殴ったりする程度じゃすぐに修復されちまう。
 なんかこうもっと吹っ飛ばすとか粉々にするとか、そういう方法を探さないとな」



ふっとばすだけであれば手元に手製の爆弾も迫撃砲もある。しかしその回復力や取り込み能力を考えるに、大きなパーツが残るのはあまり良くない。
飛ばした肉片からでも回復される可能性が高い上に、最悪の場合そこから別個体が生まれる可能性も否定出来ない。
粉微塵にするぐらいの方法を取らないと危険だ。むしろその粉ですら残るのは怖い。

「粉砕、か……細かい粒子にするのも不安ではあるけど一番現実的ではあるわ」
「でもどうすんだよ、爆弾じゃあそんな粉にはならないぜ」
「ええ、私もそれを考えていたところよ」

「液化窒素を使って組織を殺した後に、回復しないよう粉砕するというのはどうだい?」

「てめぇは……」

いつの間にか、インキュベーターが私の背後に座っていた。
何時でも人を見据える冷酷な瞳と変わらぬ表情が私に強い不快感を与える。

「貴方の手出しは無用よ、インキュベーター」
「いやぁ、実はそうも行っていられなくてね」

きゅっぷい、とわざとらしく声を発すると、インキュベーターは杏子と私の間に位置する床に移動した。

「君たちが今日の午前中に遭遇したあの生き物が僕達が構築したエネルギー回収システムに鑑賞していてね。
 どうやら魔女の成長とエネルギーを利用して自分の都合のいいように何かを散布するシステムを寄生させてしまっているんだ。
 あの1体だけならいいけど、あそこからプログラムを含んだウイスルを散布されたりすると、手が回らないレベルの事故が起きてしまう」

「だから私達を利用して駆除をしようと?」
「まあ無理にとは言わないよ。でも駆除しないと君たちだって困るだろう?
 もしかしたら君たちが生きるために必要なグリーフシードを発生した端から横取りされてしまうかもしれないんだ」

けっ!と悪態をつくと杏子はりんごを乱暴にかじった。シャリシャリという音だけが部屋の中を満たしている。

「液化窒素で固めてそこを破壊すればいいというわけね?」
「そうさ。杏子が戦う様子を観察させてもらったけど、君たちの知っての通りアレの修復力は尋常じゃないよ。
 すごい勢いで組織同士が付合してしまってね、手におえないよ」

正直に言ってこれからまたあの空間に戻るのは気が進まない。
だがこのままさやかを放っておくわけにも、また沙耶により魔女システムが更に厄介なものに変貌してしまっても困る。
私は大きく息をつくと、立ち上がり髪をかき上げた。

「……決まりね」
「おい、その液化窒素とかいうのは何処で手に入れるんだ?」

早足で歩き出した私を杏子が追いかけてきた。インキュベーターもその後ろについて着ているようだ。

「病院よ、治療で使っているはずだからボンベ一本分ぐらいはあるはず」
「そ、そんなんで足りるのかよ」
「まぁあの沙耶を名乗る怪物を殺すだけならなんとかなるわ」

アパートの階段を下る。頬を撫でる夜風が涼しい。

「なんとかしなくてはならないのよ」


午前中歩いた繁華街を再び例の廃ビルの方へと歩いてゆく。
喧騒の中に聞こえる人々の言葉は正に日常……つまり、何の変哲もない、極めて平凡な生活から生まれる言葉ばかりである。
私達魔法少女とは違い、この世を支えている常識というものが針の穴のような小さな綻びが、決定的な崩壊を導くことなど思ってもいない。
人間の魂というものがかくも汚れやすく流されやすいものだと気づいている者がいたとしてもごく僅かであろう。
日常と非日常はこれほどまでの薄い皮一枚で隔てられているというのに、その皮一枚向こう側を知る、もしくは覗く事ができるのはごく一部の者のみだ。
そしてそんな余りにも残酷で無慈悲な世界を支えているのは脆く儚い思春期の少女達である。この世界は余りにも危うい。

私と杏子は口をつぐんだまま歩みを進めてゆく。
閉店間際の店頭に並んだ液晶テレビから殺人事件の起訴断念を伝える音声が流れている。
5名を殺害し、その肉を食らうという通常では考えられない猟奇的な犯行。このニュースは私もよく記憶していた。
犯人は心神喪失状態の大学生。責任能力を問われるも手術により脳障害を患っており一時期脳外科手術のあり方を世論が激しく非難していたように思う。
たまにこうして思い出したように進展が出される度に人々はそれを思い出すであろうが、もう脳神経医学会の前でデモや抗議をする市民は居ない。
人間は感情に流されやすい。そして事情に染まりやすい。こうしたことからも簡単に分かりそうなものだが。
だが滔々と述べる私もこれを言える立場にはないだろう。何故なら個人的な感情でこの世界を巡り、かき乱しているのだから。

「さあ、ついたわね」

不気味に口を開けた廃ビルの前に立つ。大通りに面しているというのにその入口の近辺の足元だけ嫌に寒い。
本能がこのビルに入ることを拒絶し、頭痛を覚える。だがここで歩みを止めてはいけないと五感が訴えるのである。
笑う膝を叱咤し階段を登る。

鉄の扉を開く。吐瀉物を浴びるような、立っているだけでも辛い臭気に身を侵される。
靴の裏からは外を歩いていた時のような、乾いた音はもうしない。耳障りな湿気を含んだ音が平常心をじわじわと蝕む。

「くっ」

体の細部が腐り落ちてしまうような感覚にとらわれるが、そんな事が実際に起こっているわけではないのはわかっていた。
仮に腐り落ちたとしても、杏子が言っていたように私達の体はソウルジェムがアレば何度でも元に戻るのだから。

「何度来ても酷い臭気だ。君たちのように感情がある人間にはかなり辛いんじゃないかな。
 本当はやってはいけないんだけど、今回は特別だ。ソウルジェムの濁りが早かったらグリーフシードを融通してあげよう」
「お前がそんな事言うなんてな、その方がよっぽど気持ちわりいぐらいさ」
「そんな憎まれ口を叩けるぐらいなら、あまり心配しなくてもよさそうだね。
 君も言ってくれれば協力するよ、暁美ほむら」

本来ならこんなところで恩を売られて後で何かつけこまれそうだ、と断るところだが、今回はそうも言ってられなそうだ。
事実私のソウルジェムはじわじわと汚れを深めている。私は自動小銃を手に取り、両手で構えながら奥へと足を進める。
ぐちゃぐちゃという咀嚼音にも似た不愉快な音が廊下に響き渡る。

遂にコンサートホールへ入る両開きの扉の前へやって来た。
現実離れした抽象的な魔女空間と咬み合わない余りにもリアルな臓物が垂れ下がるそれはかなり不安定な印象を与える。
中からは相変わらず音楽の代わりにうめき声が漏れだし、さながら地獄の扉の前のようだ。

「行くわよ」
「ああ、後ろは任せな」

今度は私が扉にてをかけた。そしてゆっくりと扉を開く。予想していた以上に重たい。
床の上に張り巡らされた肉塊を扉との隙間に巻き込み、床に赤黒い引きずり痕を残る。
猛烈な吐き気を抑えながら、人一人分開いた扉から静かに中へ忍び込む。
見覚えのある、出来ればもう二度と見たくなかった光景が広がっている。
私は周辺に気を配り、こちらに向かってくる者が居ないか気を配りながら、壁にそって歩き出した。
後ろから同様にして杏子が出てきた。チッ、と小さい舌打ちが聞こえた。

「どうやらこの状態で何人か取り込んでしまったようだよ、ほら」

インキュベーターの言葉通り、ところどころの床の上にあの怪物がずりずりと這いまわっていた。
怪物はこちらの存在に気づいてはいるようだが、襲いかかる様子はない。

「奴らから見ればあたしたちの方が怪物なんだっけな」
「ええ、恐らくこちらに向かってくるのはあの沙耶という怪物だけだと思うの」

そうか、と杏子は胸に槍を抱えるようにして持ちながら答えた。縮こまった背中が、昔の私を彷彿とさせる。
彼女は言葉を続ける。

「なあ、ほむら。お前はその沙耶って怪物は魔女だと思うか?」
「さあ、わからないわ。インキュベーターの言葉を信じるなら違うんじゃないかしら」
「信じるも何も、君たちにだってわかってるはずだ。
 杏子が襲われた時ソウルジェムが反応してなかったと言っていたし、ほむらの経験で言えば魔女と言葉が通じるわけがない。
 性別はわからないけど、恐らく彼女もまた地球外からきた生命体の一つだと思うよ」

「地球外生命体、ね」
「エイリアンってことか。そんなに大それたものなのか、これが」
「そうさ。ただ、最近そういう生き物がこの星にやってきた痕跡はないから長い間地球で眠っていたんだろう。
 そもそも地球上の生命体でこんな内部臓器を保護せずに大気にさらして長時間生きていられる生物は居ないよ」

もしこの怪物が我々と同じような存在だとすれば、恐らくは魂や知能といったものを、一時的に地球上の生命体の部品を使って
適当につなげて外部にアクセスしている外付けハードウェアの類であるといも考えられる。

「もしかしたら僕達以外にも、こういう存在と戦っている連中が居るかも知れないよね。
 今までに一度も聞いたことも、接触したこともないけど可能性は無くはないし……」
「無駄話はどうやらここまでのようね」

インキュベーターの言葉を遮り、私は銃口をコンサートホール中央へ向けた。
それに合わせ、即座に杏子も槍を構え腰を落とし身構える。

「あれが……沙耶かい」
「わ、わからねえよ……あんなもんの見分けがつくわけ無いだろ……」
「でも、彼女から微妙に魔女の気配を感じるわ。さやかの魔女と同じ気配だけど」

ふむ、とインキュベーターは何かに納得したように怪物を見つめる。

「ホ蟲騾、ヤッ畭戻っ癡ャッ澹ダ禰」

何かを喋っているようだが、その言葉を聞き取ることはデキなかった。
ずるずると触手と膨れ上がった腫瘍のような体を引きずりながら、こちらへ向かってくる。

「来るぜ」
「ええ、準備はできているわ」

だが、私達が一歩を踏み出すより前に動いたのは沙耶ではなかった。
ステージ上にうごめくさやかの魔女……だったものが、突然天井高く伸びたかかと思うと、大きく不気味な雄叫びを上げた。

「淤淤痾痾ア゛ア゛ア゛ア゛アアアァァァ!!」

直後、魔女の体から四方へ沙耶と同じような触手が伸び、それぞれがこちらに向けられた。
伸ばされたそれは明確な敵意を持って私達めがけて振り下ろされる。
間一髪でその場を離れるが、巻き添えを食った付近の肉塊から破片と分泌液が飛び散り、容赦無く体に降り注いだ。

「うっ……」

あの肉片の中で溺れかけた時の記憶が不意に鮮明に蘇り、強い吐き気が私を襲う。
バランスを崩し床にそのまま倒れこむと、既に狂気に侵されつつある精神を奮い立たせ、壁伝いに起き上がり、盾に手のひらをかざした。
杏子はコンサートホールの中階部分に着地したようで、幸いにも怪物からも、さやかの魔女からも遠くへいた。

「時間停止……!」

その瞬間、雄叫びが止み、触手は宙に停止し、すべての動きが止まった。
だがここでこの行動が極めて軽率であったことに気付かされる。
沙耶が元いた場所に居ない。怪物の見分けがつかない私達にとってこれは致命的だ。
……仕方があるまい。どっちにしろ攻撃の主力はあのさやかの魔女だったもの。
杏子には申し訳ないが、まずはそちらを潰すしか無い。

私は今にも私に振り下ろされんとしている触手に飛び移り、触手を伝いさやかの魔女へと走り寄る。
時間が停止して居る為、足を踏み出す度にあの肉塊の気持ちの悪い柔らかさを感じずに済むのは幸いである。
盾から液体窒素の入ったボンベを取り出すと、その側面に時限爆弾をセットする。
そして砲丸投げのように遠心力を利用して、その肉壁の途中から覗かせている瞳付近へと投げ入れた。
素早くその場を離れつつ、盾の中からRPG-7を取り出した。数があまり無い為普段は使わないが、今正にその使い時だろう。

時間が再び動き出す。
杏子が私に向かって何かを叫ぶのと同時に、液体窒素で満たされたタンクが勢い良く爆ぜた。

「壹夛ァ゛ァ゛痾゛アアアア壹脾ィ゛ィ゛ィィ――――!!」

鼓膜が腐り落ちるような湿った叫びがホールに響いた。
的確に私と杏子を狙い撃ちしていた触手が宙で不規則に振り回され、液体窒素を振り落とそうと暴れまわる。

「喰らいなさいッ!」

RPGの引き金を引く。強い衝撃に耐えられず私は後ろに吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。
間髪入れずにさやかの魔女の瞳付近に着弾し、爆発と同時に白い破片が当たりに飛び散り充満した。
視覚のみならず、意外にも触手一本を破壊する大健闘を見せる。
私は聖火を見届けると素早く体勢を立て直し、壁を蹴り杏子の方へと飛んだ。




(やはり思ったとおりだったね。お手柄だよ、暁美ほむら)

インキュベーターがテレパシーで話しかけてきた。
直接声を出さないのは恐らく聴覚によって我々の場所を悟られないためだろう。

(ああ、そのとおりだよ。ただ、もう一人の沙耶という生き物が見ている可能性が高いから効果がある可動化は怪しいけどね)
(いえ、警戒するに越したことはないわ……杏子、聞いてたかしら)
(聞こえてたよ。これからはテレパシーで声掛け合うぞ)

私にむかって一瞬目配せすると、先程爆ぜたさやかの魔女を見つめた。
一気に畳み掛けるべく杏子は中階から飛び出すと、さやかの魔女へ斬りかかる。
本来であればさやかを助けだすべく動きたかったであろう杏子にとって、この戦闘が私以上に一層辛いことは容易に想像ができる。
だが、杏子は友人ではなくこの魔女システムを……いや、この世界の平穏を取った。
決して破られてはいけない、この他人の日常を取ったということになる。

(悪いなさやか……でも、こうするしか無いんだ……すまねぇ)

頭上高くにやりを振り上げ、ダメージの大きい部分を切断すべく振り下ろす。
だが、その瞬間のことだ。

(……杏子!危ない!)

ソウルジェムの濁りがそろそろ危ないが、反射的に盾に手をかざし時間を停止する。
一気に跳躍し、魔女の正面で目を見開いている杏子を抱きかかえ、そのまま魔女の背後へと回り込んだ。
時間が動き出すと同時に、今まで杏子が板であろう空間を勢い良く触手が通過した。

(……なっ!?お、お前……)
(間一髪ね……もうそろそろソウルジェムが限界だわ)

再び中階へ降り立つと、杏子の肩にいたインキュベーターが背中からグリーフシードを取り出す。
投げられたグリーフシードを受け取り、ソウルジェムから汚れを吸い取り出す。

(今君にダウンされてしまうととても困ってしまうからね。前にも言ったけど必要になったらいつでも言って欲しい。
 それにしてもやはりあの魔女は正面の視覚だけではなくて、どうやらあの張り巡らされた肉壁の視覚も利用できるようだね。
 いや、もう魔女言っていいのかさえわからないけど)

インキュベーターは下階の床をじっと見つめている。
丁度ホール入り口の柱の陰になっているここは、魔女からは見えないようだ。
だが同時にここから私達にも魔女は見えない。無論沙耶を始めとする怪物だって見えない。

(……此処に来たのは少々早計だったようだ。一回撤退して体勢を立て直そう)

インキュベーターの提案に私はコクリと小さく頷いた。
杏子は不満気にインキュベーターを睨みつけたが小さく舌打ちをして罰が悪そうに視線を逸らした。

(杏子、私に捕まりなさい。これからここを脱出するわ)
(は、なんでだよ)
(いいから)

無理やり今日この手を引っ張るともう片方の手で盾に触れて時間を停止させた。
何が起きているのか理解できずに当たりを見回す杏子を余所に、出口めがけて跳躍した。
そのまま一気に廊下を駆け抜け、結界入り口の扉を蹴破った。
半ば倒れこむように外へ飛び出すと同時に再び時間が動き出した。

「……クソっ!さやか……!」
「しかたがないわ……私だってこんな経験初めてですもの」

杏子は右腕出壁にもたれかかり、壁を殴る。彼女にとってはこれは3回目の侵入だ。
魔女一体に対して無力な自分に対する情けなさと、さやかに対する申し訳なさで彼女の精神も限界が近い。

「近いうちにもう一度、アタックするしかないようね」
「そうだね。何とかしてあの沙耶という怪物をなんとか見分けないと。
 多分全ての回復能力や肉体の組み換えを担っているのは彼女だ。
 そこさえ潰せればなんとかなるかもしれない」

私はインキュベーターの言葉にただ無言で頷きながら、杏子の背中を優しく撫でる事しかできなかった。

部屋に戻った私は、なかなか寝付くことが出来なかった。
目を閉じれば暗闇の奥からあの怪物が襲ってくるんじゃないか、という恐怖が私にしつこく付き纏う。
杏子が眠りについた後で、空が明らむまで私は何度も部屋の中を見回していた。
インキュベーターが見張っていると入ったものの、あの怪物に襲われたては手も足も出ないだろう。
私は久々に恐怖に涙した。巴マミがいてくれたらどんなに良かっただろう、と強く後悔した。
すべての事の発端は私が何を刷るにも不器用で、回りくどくて、根性無しで、意気地がない事なのだ。
もし私に勇気があって、皆に本当のことを伝えられてさえいれば、こんなループが訪れることもなかっただろう。
今にもあのソファの下から、モニターの裏から、カーテンの影から、アレが襲いかかってくる気がした。
怖かった。怖くて仕方がなかった。
私がやっとうとうとと眠りについたのは、窓から朝日差し込み部屋がぼんやりと明るなってからだった。
こんなにも陽の光が暖かいものだとは思わなかった。

――気づけば時計が昼過ぎを回っていた。

「目覚めたようだね暁美ほむら。随分うなされていたけど疲れは抜けたかい?」

インキュベーターが私の枕元に立っている。あの変わらない表情を見て安心する日が来ようとは。
私は起き上がると部屋を見回した。

「……杏子は?」
「ああ、彼女なら君が寝付くのと入れ替わりで出ていったよ。
 なんでも思いついたことがあるからって言ってね」

……なんだろう。とても嫌な予感がする。


身だしなみを整え、部屋を後にする。
強い日差しに照らされて、白い清潔感のあるビルのタイルや窓ガラスが美しく光を反射している。
ああ、この街のなんと平穏で美しいことか。何も知らずにこの日常の有難さに気づかない通行人達に恨みすら覚える。
インキュベーターを肩に載せ、整った街並みを抜けてあの廃ビルの方へ歩いて行く。

「まだ何も対策は決まってないじゃないか。今行ったところで結果は変わらないと思うけど」
「ええ、そんな事は百も承知よ。結界が広がっていないか見に行くだけ」
「なるほどね」

駅前の大型画面で昨日病院から液化窒素が盗まれたと報じられていた。
管理方法が問われているようだが、多分問うだけ無駄だろう。カードキー付の倉庫でしっかりと管理されていたのだから。
もう一本拝借しようかとも思ったが、この分だと盗みに入るのは危ないだろう。
残った液化窒素はボンベ一本分。これを武器にどう立ち回るかが問題だ。

「ほむらちゃん……!」

そして私は最も会いたくなかった人物の遭遇を果たしてしまった。

「鹿目、まどか」

「ほむらちゃん!2日も学校来ないし……探したんだよ!」
「……」

私は無言でまどかの顔を見つめた。この子をこれ以上の悲劇に付き合わせる訳にはいかない。
何も言わずにこの場を立ち去ってくれないか。さやかについて知りたいのは山々だろうがそう願ってしまう。
だが私の期待を悪い意味で裏切るのがこの子だ。まどかは私の視線を物ともせずに言葉を続ける。

「ねぇ……さやかちゃんの事、なにか知ってるんでしょ?」
「……」

ただ黙って、彼女を視線で牽制する。

「黙ってないで教えてよほむらちゃん!だって……だって……さやかちゃんかわいそうだよ……!」

この子はたださやかが魔女化してしまったことだけを知っているはず。
なら尚の事、いまさやかが置かれている状態や、私達が戦っている相手の話は知らないほうが身のためだろう。
お願いだから。引き下がって。

「ねえ、ほむらちゃん!」

私の口からくっ、と小さく言葉にならない言葉が漏れた。

昨日の夜何を思っただろうか。
勇気がない。勇気がないからこそ、事実を離せないからこそ、事態を悪化させ続けてきたのだ。
まどかだけじゃない。マミにも、さやかにも、杏子にも本当のことを伝えられずに居る。
だが本当にそれで信じてもらえるのだろうか。本当に信用してもらえるのだろうか。
怖いのだ。今微妙な均衡を保っているこの平穏が、人間関係が、これ以上崩れるのは怖い。
……でも今は違う。今から伝えるのは自分のことではない。
彼女にとって最も大切な人の一人である、さやか。そのさやかの現実を伝えなければならない。
まどかはこの見るに耐えない醜く残酷な現実を受け止められるだろうか。
自責の念が強い彼女が果たしてこれ以上耐えられるだろうか。
インキュベーターは思うはずだ。ここで真実を伝え、まどかが折れて契約に漕ぎ着ければ全てはそのまま解決すると。
今のところ、そのインキュベーターは不気味な沈黙を守り、ただ私を見つめているだけだ。
選択権は私にある。

「……さやかは」

口を開いた。

「貴方の知っての通り、魔女化してしまったわ」
「それはわかってる……でもほむらちゃん、杏子ちゃんと一緒に何かしてるじゃない」

これ以上深みに彼女を突き落としていいのだろうか。今この瞬間に、私は決めなければいけない。
はぐらかすことも、真実を伝えることもできる。この2つの選択肢があるのは今だけ……

「今朝杏子ちゃんに会ったんだよ」
「……え?」

思わず耳を疑った。

「杏子ちゃん、今さやかちゃんと助け出すために頑張ってくれてるんだって。
 それでね、ほむらちゃんも協力してくれてるって聞いたの」

ええそうよ、と軽く相槌を打つ。まどかが何処まで知っているのかを見極めなくてはならない。

「でも杏子ちゃんは私は絶対にさやかちゃんに近づいちゃいけないって言ってた。
 たしかに私は魔法少女じゃないし、魔女をやっつけることは出来ないけど……
 でもきっと力になってあげられると思うの!」
「いい加減にして!」

「まどか……!貴女は何も知らないからそんな事が言えるのよ!
 私達が今何と対峙しているのか、どんな選択を迫られているのか知らないから……!」
「ほ、ほむらちゃん……」
「私や杏子ですら手に負えないの……!
 インキュベーターの手を借りてすらどうにも成らないの……!」

私はまどかに背を向けると袖口でメモをと拭った。

「怖いのよ……逃げてる自分が嫌なのよ。
 貴女に合わせる顔なんて無いのよ……!」

こらえようにも涙が溢れ出し止まらない。

「貴方の優しい気持ちがとても辛い。
 その優しさがいつか制御の効かない結果になってしまうのに……
 心の何処かで貴女ならもしかしたらって思ってしまう自分がほとほと嫌になるの」

その刹那、私の背中が暖かい物で包まれた。そして強く、抱きしめられた。

「ほむらちゃんの気持ちはよくわかったよ。
 私に契約してほしくないのも、自分の為なんかじゃないってわかってるよ。
 でもね……少しずつおかしくなっていく杏子ちゃんやほむらちゃんを見てるのだって、とっても怖いんだよ」

「私、もう一人になっちゃったんだよ。
 マミさんもさやかちゃんも、居なくなっちゃったから……」
「まど……か」

胸に回されたまどかの手に自分の手を重ねる。その手は冷たく、そして小さく震えていた。
彼女の手を強く握りしめた。

「さやかのことはどうしても言うことは出来ないわ……でも」

手を振りほどくと、まどかに向き直る。そして今できる精一杯の微笑を彼女に向けた。
不安に押しつぶされそうなのは私もまどかも同じ事なのだ。だがそれを共有したからと言って状況が好転するとは限らない。
むしろまどかの場合、これ以上の重荷になった場合、一人では支えきれずに近いうちに全てが無に帰すことになるだろう。

「私と杏子も必ず帰ってくる。信じて」

そう言うと、私は彼女の答えから逃げ出すようにその場を足早に立ち去った。

「どうしてだろう……私、ほむらちゃんを信じたいのに……でも……」

仁美「……」

「やはり君はまどかに契約してほしくないんだね。まどかなら一撃で全てを解決できるかもしれないのに」
「協力関係とは言え、基本的な考え方を変えるわけじゃないわ」

ようやくインキュベーターが口を開いた。やはり何か魂胆があってのことなのだろう。
まどかの姿が見えなくなると、私はグリーフシードを取り出し大通りを西へと進んで行く。
人ごみの中には見滝原中学生の制服姿も目立つ。
私もいつかあのように、この通りを誰かと何も気にせず歩く日が来るのだろうか。

「これで此処に来るのは3度目ということになるね」

インキュベーターは私の方から降りると一人で建物の中に入っていった。
そして後ろを振り返ると、一瞬その目を細めた気がした。

「とても言いにくいんだが……」

わざとらしく言葉を貯めた。そして

「この中にもういるんだ、杏子が」

>>132
あw

「な、なんですって……!」
「いや、君がまどかと喋っている時に気づいたんだが……
 僕だって魔法少女の位置を正確に把握できるわけじゃない。
 でもほぼ間違いなさそうだ。ずっと同じ位置から動かない……」

その事実に言葉を失った。杏子はこの中にたった一人で居るというのか。
すべての液化窒素は私の盾の中にある。つまり杏子はほぼ丸腰で中に入ったことになる。

「あの馬鹿……!」

私は走りだしたインキュベーターのあとに続くように廃ビルの中に駆け込んだ。
この階段を初めて一人で登るのは初めてだ。
何故一人で入ったのだろう?何か対策を思いついたのか、それともどこからか液化窒素かその代用品を見つけ出してきたのか。
いくらさやかに思い入れがあるにしても何も持たずに入るなどという自殺行為を杏子がするとは思えない。

あの忌々しい扉の前にたった。追いついた私の肩にのったインキュベーターが私に話しかけた。

「ほむら、いいのかい?まだ手立てはついてない」
「ええ、ダメで元々よ……杏子が無事なら連れ戻す、それだけよ」
「ふむ。まあそれが無難だね」

私は錆びついたドアノブに手をかけた。

「まって!ほむらちゃん!」

振り返るとそこにはまどかが立っていた。

「鹿目まどか、君は……」

言葉を失った私の代わりにインキュベーターがまどかに問いかけた。
まどかは肩で息をしながら私の顔をじっと見つめていた。

「ほむらちゃんに着いて行けばさやかちゃんが何処にいるかわかると思って……
 ごめんね。でも……どうしてもホムラチャンの言葉が信じられなかったんだ」
「貴方は何処まで愚かなの、鹿目まどか……!」

この期に及んで牽制をしたところでもう手遅れだろう。
まどかはじりじりと私との間合いを詰める。

「この中に居るんだよね……さやかちゃん」

決して目を逸らしてはいけない。

「ねえお願い……私を連れて行って……!
 さやかちゃん、きっと私ならわかってくれると思う!だから……!」

私は……

1. 少ない確率にかけて、まどかを連れて行くことにした。

2. まどかを連れて行くのは余りにも危険すぎる。置いていくことにした。

>>150までに多い方

>>134

小説版的に、さやかが死んで2日後なら仁美はもはや友達とカウントされてないと思うから大丈夫


1

「……ごめんなさい、まどか」

私は彼女を優しく抱き寄せると、盾からスタンガンを取り出しす。
音のない空間に強い破裂音がしたかと思うと、まどかはそのまま気を失った。

「まあ妥当な判断だね」
「跡になってしまったらごめんなさいね、でも貴方にこれ以上ひどい傷を負わせる訳にはいかないから……」

気絶しているまどかの体を抱き上げると、階段の踊場まで戻り、彼女を座らせた。

「インキュベーター、貴方に頼みがあるわ」
「なんだい?」

私の肩から降りると、インキュベーターはまどかの顔をまじまじと覗きこんだ。

「しばらく起きる気配はないね」
「ええ、だから彼女が起きるまでここで様子を見ていて欲しい……
 あと、万が一彼女の身に危険が及ぶようならこれを」

私はまどかのスクールバッグの中に自動小銃を忍ばせた。
インキュベーターは怪訝そうに私の顔をのぞき込んだ。

「君が居ない間に僕がまどかに契約を迫らないとも限らないのに、いいのかい?」

わざとらしく問いかけるインキュベーターを、私は髪をかきあげ一蹴した。

「えぇ、協力関係である以上、そういうことはしないと信じているわ」
「それをちらつかせられては困ったね。分かった。彼女の様子を見ていよう」

扉の前に戻ると、私は思い出したように盾の中からボンベと魔法瓶を取り出した。
これから戦うに当たり、杏子が既に消耗していた場合ほぼ一人で沙耶と戦わなくてはならない。
その場合、このかなりの重量があり嵩張る窒素ボンベではかなり不利な戦いを強いられる。

「確か病院では消毒の時に魔法瓶に入った液体窒素を使っていたはずだから大丈夫よね」

二つの魔法瓶に小分けにすると、私は再び立てに収納し魔女空間へと潜入した。
相変わらず下水管を通っているようなベタついた空気ではあるが、今度は私の足に杏子の命がかかっている。
ここまできて足元の肉片を気にするのは野暮だ。構わず踏みつけながら中へ中へと進んでゆく。
コンサートホールの入り口までやってきた。私はゆっくりと扉を開く。
昨夜と同じように扉と床の隙間に巻き込まれた肉片が赤黒い跡を残す。どうやらあの後ここにあった「何か」は元通りになったようだ。

(恐ろしいまでの回復力だわ……)

ホールをくまなく見渡すが、杏子の姿は見えない。さやかの魔女もおとなしくしており、触手は露出していない。
……まさか。そんな事って。



(ホ蟲騾カ?)

聞き覚えのある唸り声が聞こえる。怪物特有の、あの湿った言葉が。
だが、私の耳に聞こえるわけではない。つまりこれの意味するところは。

(聞コえル插、ホ蟲騾)

……やはりそうなのか。

(杏子……杏子なのね)

答えを聞きたい。だがこの憶測が事実であることは同時に私にとって恐怖でもあった。

(盂ン)

多分これは肯定だ。杏子、貴方もそんな姿になってしまったというの……?
頬から血の気が引いて行く。方々で怪物が地面を這いずりまわっている。この中の一人が、杏子という事実。

「あぁ……なんてこと」

私はその場に崩れ落ちた。

想定はしていたが、それが現実となって目の前に突きつけられ、私は愕然とした。
私は、この邪悪な存在と、たった一人で戦わなくてはいけないという事実がたまらなく怖くなった。
足がガクガクと震え、頭がクラクラと揺れた。そんな馬鹿な話があって良いのか。
その時、再びあのテレパシーが頭の中で木霊した。

(落チ着罫、ホ蟲騾)

……落ち着け。私にはそう聞き取れた。

(嚮ス縷シカ那華ッたん橢。
 幸イ、テ禮パ弑ナラ、少シ慧聞キ酉ヤ簾イみ弖エ橢)
(ええ……注意深く聞けば、聞き取れるわ)
(ア夛シモ龕張禮バお眞エノ言發ガ慧カ縷ヨ)

だが、私があの怪物のような姿になった時とは違い、どの怪物も人間とはかけ離れた姿をしている。

(貴方は何処に居るの?)
(壹リ口ト反體臥ワにい縷。
 時關経っチ眞っ夛聲デス臥夛モ大賦変わっ夛ッ弖、沙耶臥壹ッて夛)
(時間が……って、姿が……ダイ……変わった?)

時間経過とともに体があの怪物に侵食されていく、ということだろうか。
そうなると早めに杏子を救い出さねばならない。
私は壁沿いに立ち上がると、盾から魔法瓶を取り出した。

(い壹カヨ矩葵キ勲だ、ホ蟲騾。ア夛シに慧沙耶を見倭ケ縷コト臥デ葵縷。
 ダ殻ア夛シ倭ワざ砥丸腰デ撰ニュ宇シテ鼓ノ簾臥タ煎ナッ夛ん橢)
(……わざと敵に取り入ったということね?)
(夛分痾ッ弖る)

杏子の言葉を聞くには全神経をテレパシーに集中させる必要がある。
奏している間にも一部の怪物は私に警戒し始め、逃げるように私から遠ざかってゆく。

(時關がナ壹。ア夛シは凝レ插騾沙耶ニ近ヅ居幣取リ淤さ繪縷。
 淤前ニ倭時間稼魏を夛の蟲。沙耶の葵を脾ケ)
(沙耶の気を引けばいいのね)
(痾ア。幸イに裳奴倭テ禮パ駟イに気付壹弖イ那壹)

私は一旦魔法瓶を盾にしまうと、中からアサルトライフルを取り出した。
そしてさやかの魔女を向き直ると深く腰を落とし身構える。

(さや插ニ倭悪壹ガ魔女を狙繪)
(わかってるわよ。私からじゃ貴方達は見分けがつかないもの)
(よ駟、頼ン橢)

私は跳躍すると魔女の肉壁めがけて乱射をはじめる。
効き目がないのは最初からわかっている。だが、明らかな陽動と分からない用、できる限り有効な手立てを選び攻撃を行う。

(杏子……頼んだわよ)

ちょっと中断 すぐ戻る
杏子が沙耶を取り押さえ、ほむらに分かるようにして沙耶を殲滅する作戦

――目覚めると、夕日の差しこむ階段に座っていた。
私が追いかけていたはずのほむらちゃんはいつの間にか立ち去ってしまったのか、姿はない。
ビルには相変わらず微かに鼻を刺激する腐敗臭が漂っている。

「もう目覚めたのかい、鹿目まどか」
「キュウベェ……」

踊り場から数えて3段目にキュウべぇが座ってしっぽをせわしなく動かしながらこちらの様子を伺っていた。
私は立ち上がると当たりを見回した。首筋に攣ったような痛みが走る。
携帯電話の時計を確認する。……このビルに入ってからまだ30分も経っていない。

「驚いたよ、まさかこんなにも早く目が覚めるとはね。
 暁美ほむらの予定よりもかなり早いんじゃないかな」
「ほむらちゃんはどうしたの?」
「魔女と戦ってるよ。どうやら杏子と一緒らしい」

私はカバンを手に取ると階段を駆け上がった。

「何処に行くんだいまどか!そっちは危険だ!」
「だめだよ、ほむらちゃんが、杏子ちゃんが、それに……さやかちゃんを助けなきゃ!」

あの扉の前に立った。この扉の向こうで今も、ほむらちゃんと杏子ちゃんは戦っている。
さやかちゃんもきっとこの奥で待っていてくれているはずだ。きっと私にもできることがある……!

「やめておいたほうがいい、まどか。この先に言っても君にとって何の利益もない。
 むしろ君は極端につらい現実と向きあわなくてはいけないことになる。
 それに何も身を守る術が無いじゃないか。今ほむらや杏子を頼るのはどう考えても酷だ」
「わ、私だってちゃんと持ってきてるよ……パパには内緒で持ってきたんだ……」

私はスクールバッグを開くと中を除く。パパはママの護身のためと言って買ってきたが結局ママは持ち歩いてくれなかった特殊警棒。
だが、そこにあったのは父親の部屋から無断で持ちだした特殊警棒ではなかった。

「な、なにこれ……拳銃?」
「ほむらの置き土産だよ」

キュウベエはやれやれといった感じで拳銃に戸惑う私を見上げていた。

「中に銃弾は7発入ってる。どうせ君は止めても行くだろうし、僕も一緒に行くよ。
 でも中にはいったら絶対に僕やほむらの言うことを聞くんだ。この中の危険行動は君一人の安全の問題だけでは済まない」

私は力強く頷くと扉を開けた。

中に入ると、この世のものとは思えないような光景が広がっていた。
壁という壁に張り巡らされた血管と神経束、床に広がる肉塊と天井からだらしなく下がった管のような何か。

「な、なにこれ……」
「これがさやかの魔女結界の成れの果てさ。足元に注意して」

赤黒く変色していない床を選びながら一歩一歩、及び腰で歩みをすすめる。
鼻が腐り落ちるほどの臭いが肌にべたべたとまとわりつく。ハンカチを取り出すと口元を抑える。
今すぐにでもここから逃げ出してしまいたくなるが、私にはそれは許されないと思う。

「ほむらちゃんは……この中で戦っているの?」

キュウべぇはこの臭気の中だというのに表情ひとつ変えずにまっすぐに通路の奥を見つめていた。

「そうさ。ほむらはもうこの中で3回も戦っている。杏子はこれが4回目になるね。
 この強烈な臭いの中でたった一人でほむらを救出してきた杏子はさすがとしか言いようが無い」
「そ、そっか……」
「まどか、口元は抑えないほうがいい。銃を使い慣れていない君は恐らく片手で銃は撃てないと思うよ」
「わかったよキュウべえ」

私は口からハンカチを外すとポケットの中に戻した。
今にも肺の中を侵食され、体の中から腐り落ちそうだ。

通路の終着点までやってきた。少し広まった空間に両開きの扉が不気味に設置されている。
革靴と靴下は赤黒い液体まみれになり、まるで死体の海を歩いてきたかのようだ。実際似たようなものだろうが。
体中にまとわりつく寒気と腐敗臭に私の神経はかつて無いほどの疲弊を見せていた。

「これから先は声を出してはいけない。だから会話はテレパシーだけだ。
 僕が杏子やほむらの会話も中継してあげるから、君もよく注意して聞いて欲しい」
「う、うん、わかったよ……」
「本当に大丈夫かい?やっぱり引き返したほうがいいんじゃないかい?」

扉の向こうから微かに漏れている不気味なうめき声と雄叫び、そして銃声が私の両足を床に釘付けにしてしまっていた。
何か湿ったものが破裂して飛び散る音が聞こえた。続けて何かかなりの質量を持ったものが泥沼に落ちるような音がした。
だが、そこからは何一つとして人間らしい音は聞こえない。

「……だ、駄目だよ……私だって……さやかちゃんを守れなかった責任があるよ」
「……そうかい?」

キュウべぇが何時になく不機嫌なように見えた。
感情を伴わない、少女の魂をエネルギーに変換するための機械のような存在であるはずのそれすら、彼女に批判的に見えた。
こんなもの、一時的な気の迷いが、自分に対して妥協する言い訳を提供しているに過ぎない。
そんなものが許されるわけがない。思いすごしで無くてはならない。
私は目を強くつぶり、扉をゆっくりと開けた。

扉の開放と共に、粘性のある何かが潰れゆく包皮から漏れだすような、ねっとりとした音がする。
見てはいけない。これ以上、私の理性の糸を摩耗する万物を気に留めてはいてない。

目を閉じたまま、扉の隙間から身を乗り出し、壁伝いに数歩進んだ。
まるで沼の上を歩いているようなやわらかさを持った床。それが沼ではないと飛沫の生暖かさが私に無慈悲に訴える。
意を決してまぶたを開く。

目の前に居た「何か」と目があった。肉と肉の間から息苦しげに向けられた視線が私の視線とつながった。

(弖、テ雌え滿ド插弩ウ駟てコ鼓ニ!)

その声が、かろうじて保たれていた私の理性の糸をいとも簡単に切断した。

「い、いやああああァァァァァァァァァッ!!!」

恐怖にショートした思考が、「銃」と「引き金」という2単語の間で永久ループに陥り凝固する。
ぬるま湯を一気に凍らせるほどの圧倒的恐怖と混乱。
真っ白になる頭が、私の体に本能として身を守るようにとせき立てる。
絶対的な攻撃力と閃光が、私の安全と理性を保証する事を盲信する。
勢い良く放たれた弾丸はその肉塊に命中し、気色の悪い野性的な叫びを引き起こした。

(駄目だまどか!撃っちゃいけない!)

キュウべえの静止を理解するほどの領域は最早頭の何処にもない。
発泡の勢いで後ろに尻餅をつき、スカート越しに生暖かい粘液と深いな柔らかさが臀部を包んだ。
この不快さが更に私の理性を完膚なきまでに破壊し尽くした。
本能が私の眼の前にいる敵を排除すべく、「銃を撃つ」という行為に全身を徹させた。

(や雌……イ夛……)

続け様に放たれた閃光が突如止み、私の手中にある唯一の「安心」は、撃鉄が空を叩くだけの道具に成り下がる。

「まどか!貴方は……貴方は何故……!」

遠くでほむらちゃんの声が聞こえた。腰が抜けて動けなくなった私はほむらちゃんへ手を伸ばした。

「ほ、ほむらちゃん!ほむらちゃあぁん!」

それは余りにも絶望的な光景だった。コンサートホールになぜか置いてきたはずのまどかが居る。
そして唯一標的が何処に居るかを指示できる杏子が彼女に渡した護身用の銃で容赦無い鉛の雨に打たれていた。

(ほ、ほむら!触手に集中するんだ!)

インキュベーターの呼びかけに気づいた時には既に遅かった。
私の体は触手に絡め取られ、コンサートホールの壁にたたき付けられた。
背中に強い衝撃が走り、胃液を吐いていた喉からは血がほとばしる。埃と赤黒い粘液が飛び散り、私の頭上から容赦無く降り注ぐ。
動きを封じられた私にはもう興味はないとばかりに、触手は私の体を肉壁から引き剥がし、同じく肉片まみれの床にたたきつけた。
致命的なダメージが入ったようだ。体が痙攣し、血の泡が口元から溢れ出る。
言葉を発しようにも呼吸もままならず、陸に打ち上げられた魚のように体が波打つ。

最後に頭をよぎったのは、何故か魔法少女姿をした巴マミと、鹿目まどかの姿だった。
二人で助けにくきてくれないかな。先輩と、鹿目さんで……
私一人じゃ、無理でした。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom