ほむら「私がまどかのこと嫌うはずないのに……」 (10)

 ※新編叛逆の物語のネタバレあり

 魔獣。彼女が書き換えた世界の中で、人の世の呪いが形を持ち、絶望を振りまく存在。

 魔獣は狩りつくせるということはない。見滝原市の中だけでも、全滅させた翌日には新たな魔獣がまた湧いてくる。人間が呪いを生み続ける限り、魔獣もまた存在し続ける。
 
 そんな風に世界が書き換えられたのだから当たり前のことだけれど、魔獣との果てない戦いは少しずつ私をすり減らしていった。
 
「君は本当は鹿目まどかのことをどう思っていたんだい?」

 そう、少しだけ疲れていたのだろう。だからこんなインキュベーターの問いかけに迂闊にも答えてしまった。懐かしい彼女の名前が、私じゃない誰かの口から聞けたことが、嬉しくて。

「あなたはあの子のことを覚えているの?」

 インキュベーターは首を振った。少し考えれば、当たり前のことだ。

 こいつが彼女のことを知っているはずがない。彼女が確かに存在したということを、私以外は知らないんだ。

 こんなこと、幾度となく確認したことのはずなのに。

「覚えてはいないよ。覚えていないというより、僕の認識する世界の中には鹿目まどかという存在はどこにもいない。ただ君が話してくれたことから仮説は立てられる。そこから鹿目まどかの人間像も推測できるからね。君と彼女が、どんな関係にあったのかも」

「聞かせてもらえる? あなたがどんな風に考えたのか興味があるから」

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「珍しいね。君が、僕の話をそんな風に前向きに聞くなんて。いつもどこか上の空なのに」

「……」

 珍しいというのなら、インキュベーター方だ。珍しいというより、ありえない。

 感情を持たないはずのこいつが、どうして私がまどかをどう思っていたかになんて興味を持つのだろう。

 私は今更不安になった。

「そんな顔をしなくても大丈夫さ、ただの好奇心だよ。人間の感情は、僕たちにとっても重要な研究対象だからね。そのデータを収集する機会があるのなら、それを逃さないようにするのは当然だろう?」

「あなたがただの好奇心だけで人の心に興味を持つなんて、思えない」

「それは僕と君の立場の違いの問題だね。いかに効率よく呪いを収集するか、エネルギーを回収するかは僕たちの永遠のテーマだ。

だからこそ僕は、魔法少女が魔女になるという君の仮説にも、その仮説に登場する鹿目まどかという少女にも、興味を持ったんだからね」

 魔女。久しぶりにその名前を聞いた。

もうこの世界では、私の頭の片隅の中にしか存在しない概念だ。

そういえばいつかこいつにも、魔女やあの子がいた世界のことを、さわり程度に話したことがあった。

 そんな夢物語と大差のない話を覚えていて、興味を持って研究しようというのだから、インキュベーターの呪いの回収にかける情熱には恐れ入る。

 ただの研究心だけなら、こいつが想像したという『鹿目まどか』についての話を聞いてもいいかもしれない。

 そう思ってしまった。

「まず僕がしたことは、君から聞いた情報を整理することだ。魔獣の存在しない世界。魔法少女が絶望の果てに行き着く存在だという魔女。魔女になってしまう魔法少女を救済するという祈りで魔法少女になった鹿目まどか。
そして、唯一鹿目まどかの存在を覚えているという君」

「ここで当然ひとつの疑問が浮かぶよね。なぜ君だけが鹿目まどかに関する記憶を持ち越しているのか。

 このことは君は教えてはくれなかったね。まあ当然だろう。人間には誰しも自分だけのものにしておきたい記憶というものがあるそうだから。

僕たちにはとうてい理解のできないことだけれど、経験的にはそういうものがあるということを僕は知っている。まあ君が教えてくれないのだから、僕としては推測するしかない」

「そこで君が以前、鹿目まどかがいた世界では別の願いで魔法少女になったと言っていたことを思い出した。

今とは別の願い、鹿目まどかがいた世界で君が叶えたかった願いというのだから、それはきっと鹿目まどかに関することだろう。

恐らく、鹿目まどかが魔女になるか死んでしまうかしたんじゃないのかな? 

そこで君は、彼女を助けるという願いで魔法少女になった」

「この仮説なら筋が通るんだ。死んでしまった誰かを助けようという祈りは時間操作の魔術を発現させることが多い。

おかしいと思ったんだよ。弓を武器とする君から時間操作の才能が感じられるなんてね。

だけど世界が書き換えられる以前の君がその魔術を身につけていたというのなら納得がいく。

そして君は時間操作を駆使して、同じ時間を繰り返し、鹿目まどかの命を助けるために身を粉にした。

けれどその結果、鹿目まどかに異なる時間軸の因果が集中してしまい、ついには世界のルールを書き換えるに足る魔翌力を彼女は手に入れてしまったというわけだ。

それで君の身を案じた彼女は、君ごと魔法少女を救うために救済の祈りで魔法少女になった」

「と、僕の仮説はこんなところだね。どうかな、少しは事実に即した部分があるといいんだけど」

 ……ほとんど私の記憶と同じような推測を立てている。これがインキュベイターの洞察力だというのだろうか。

「どうかしら。もう大分昔のことだから、忘れてしまったわ。お役にたてなくて申し訳ないわね」

 今の世界では、彼らと対立関係になくて良かったと、心から思う。

 もっとも彼らにとっては魔女のいた世界でも私たちと対立していたというつもりはないのだろうけれど。

 きっと「解釈の違い」というに違いない。

「ふぅん。君の記憶も大部分が色あせてしまったというわけか。まあ無理もない。人間の記憶というものは僕たちと違ってあやふやなものらしいからね」

「……訂正するわ。まどかのことはよく覚えている。あの子があなたの仮説の通りの人間だったかどうかは教えるつもりはないけれど」

「僕の仮説通りだと、第二次成長期にしては自己犠牲の塊みたいな女の子だからね。

鹿目まどかという少女は。君の夢物語だけの中にだけ存在すると考えたほうが、納得がいく」

「まどかは、この世界に、確かにいた。あなたにだけは彼女の存在を否定されたくない」

 語気が荒くなる。……こんな奴を相手に熱くなったところでしょうがないのに。インキュベーターの言葉に、口が勝手に反応してしまう。

「でも君が鹿目まどかに対して何を思い、感じたかを少しも教えてくれないじゃないか。

それじゃあ彼女の存在を僕に否定されても仕方ないんじゃないかな」

「私はまどかのことをただ助けたかっただけ。あの子がいなくなってしまう運命を変えたかっただけよ」

「だけど変えられなかった」

「……何のこと? 彼女が死んでしまう運命は変えられた。魔女になって世界を滅ぼしてしまうという結果は避けられた。私の願いは十分に遂げられた」

「君の目の前にある結果はなにも変わっていないじゃないか。鹿目まどかという存在は姿を消し、君はひとり取り残された。

しかも、彼女の記憶をもったままね。これじゃあ鹿目まどかを見殺しにしてしまうのと、何が違うのかわからない。

いや、もっと悪いかもしれないね。君は、鹿目まどかに関する記憶を誰とも共有できないんだから。」

「……」

 言葉に詰まる。確かにそうかもしれないと、思ってしまった。

 まどかのことを覚えているのは私だけ。彼女がいなくなってしまった寂しさも悲しみも誰とも共有することができない。誰にもわかってもらえない。

 こんなこと、とうの昔に覚悟したことだったはずなのに。いや、もしかしたら気づかないふりをしていただけだったかもしれない。

 彼女が愛した世界を守るという目的だけに目を向けて、彼女に取り残されたという事実からは目をそらした。だから、インキュベーターから指摘された当たり前のことに、言い返せないのだあろうか?

「……それであなたは何が言いたいの?」

「だから最初から言っているじゃないか。僕は、君がそんな鹿目まどかのことをどう思っているのか聞きたいんだよ。研究の一環としてね」

「愚かな子だと思っていたとでも言えばいいの?」

「それは一面では真実だろうね。誰かを助けたいなんて思うことは、基本的にはある種の傲慢さがないと成立しない気持ちだ。

君がどこかで鹿目まどかのことをそんなふうに思っていたのは確かだろう。だけど、僕が聞きたいのはそういうことじゃない。

もっと単純に好悪の話だよ。好き嫌いの感情だね。君が鹿目まどかを好いていたのか嫌っていたのか、それが聞きたいんだよ」

「嫌いなわけないじゃない。……嫌いな相手を助けたり、しない」

 少しだけ、目の奥が熱くなる。

「じゃあ好きだったというのかな? それは、どういう風に?」

「……どういう風? あなたが何を言いたいのか、わからない」

「君は以前、鹿目まどかは弓を武器とする魔法少女だったといったよね。

そして君がいま手にしている武器もまた、弓だ。これは単なる偶然の一致で片付けてしまってもいいことなのかな?」

「……私がまどかと成り代わったと言いたいの? 彼女がいた場所を、私が奪ったとでも?」

「そこまでは言ってないさ。だけどそれは君が鹿目まどかに憧れていた気持ちの表れなんじゃないかな。

僕が思うに、君は鹿目まどかに憧れていたんじゃないかな」

「私がまどかに……? そんなこと……」

 インキュベーターは私を無視して続ける。

「そして憧れというものは容易に嫌悪に変わりうる。当然だね。いわば手近な偶像崇拝だ。

その理想像が崩れてしまえば、それまでの憧憬が嫌悪に転化する。だから君はそうじゃないのかと思ったわけさ」

「……仮に私がまどかに憧れていたとしても、その憧れは今も崩れていない。私の中のまどかは、私が助けたいと思ったあの頃のままよ」

「ふぅん。それならそれでいいんだけどね」

「あなたたちの理屈で人間の感情なんて測れない。感情をもたないあなたたちじゃ理解できないことなんて膨大にある。

だから二度と今夜みたいな質問を私にしないで」

 私が強い口調でそう言うと、インキュベイターはやれやれとでも言うように首を振って消えていった。

 今夜は魔獣ももう出ないだろうから、明日までは私は用済みだというわけだろう。

 あんな奴にまともに受け答えをしてしまったことを悔やむ。

 私ももう眠ろう。明日になればまた魔獣が湧いてくる。疲労困憊した身体では、遅れを取るかもしれない。……まだ魔女になるわけにはいかない。彼女が愛した世界を守るためにも。

 そうして昔のことを思い出したまま、眠りについた。彼女を夢に見た気がした。

   ***

 長い夢を見た。まだ私が魔法少女だった頃の夢。私がまどかと離れ離れになっていた頃の夢。
 
 あの時は、インキュベーターがなぜあんなことを尋ねたのかわからなかったけれど、今ならわかる。私がソウルジェムの中に作り出した魔女結界に、まどかを招き入れるのかどうかが知りたかったのだろう。インキュベイターによる遮断フィールドに覆われた、私の世界。無意識に私が招き入れた人間しか存在できない世界に万一まどかがいなかったとしたら奴らにとっては骨折り損だ。だから、あんな回りくどい聞き方をして、私のまどかに対する気持ちを確かめた。

「私がまどかを嫌うはずがないのに……」

 だけど奴らには、きっとわからないのだろう。感情がないインキュベーターには、感情の極みにも理解を示さない。本質的に愚かな生き物なのだ。

 私はひとしきりダークオーブを眺めたあと、再び眠りについた。


おわり

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