マスター「ウチに酒は置いてねぇよ、ミルクを頼むんだな」 (114)

酒場──

ギィィ……

客「ふう、あちいあちい」ザッ…

マスター「いらっしゃい」

客「暑いなマスター、夏ももうすぐ終わりだってのによ」パタパタ…

マスター「なにを飲むんだい?」

客「マスター、酒を出してくれや」

マスター「ウチに酒は置いてねぇよ、ミルクを頼むんだな」

客「!?」

客「ちょっと待てや、コラ」

客「酒がねぇってのは、どういうこった」

マスター「そのまんまの意味だってことだ、ボウヤ」

客「な……ボウヤだとォ!?」カチン

客「ざけんな!」

客「ここは酒場だろうが!? 酒場なのに酒がねぇってのはどういうことなんだ!」

客「えぇ!?」

アッハッハッハッハ……!

客「!」

グラサン「耳がついてねぇのかい、小僧」

グラサン「マスターは、ここに酒なんざねぇっていってんだろうが」

スキンヘッド「そういうこった!」

スキンヘッド「ミルクも飲めねぇガキはとっとと帰るこった!」

覆面「ミルクがどうしても飲めねぇんなら」

覆面「家に帰ってパパの小さなナニでもしゃぶってやがれ! ヒャハハハハッ!」

アッハッハッハッハ……!

客(ぐ……! たしかにオヤジのは小さい……当たってやがる……!)

客「じゃあ聞くがよぉ……」

客「そういうアンタらはなにを飲んでんだよ!?」

グラサン「ハァ?」

スキンヘッド「決まってんだろ?」

覆面「も、ち、ろ、ん」

グラサン&スキンヘッド&覆面「ミルクだよ!!!」バババッ

客「ゲ!?」

客(本当にミルクじゃねーか!)

グラサン&スキンヘッド&覆面「カンパーイッ!!!」カチンッ

グラサン「…………」グビッグビッ

スキンヘッド「…………」グビッグビッ

覆面「…………」グビッグビッ

グラサン「──っぷはぁ! うめぇ~なァ!」

スキンヘッド「やっぱミルクは最高だぜ!」

覆面「五臓六腑に牛さんの乳が染みわたるねぇ!」

客(なんなんだ、こいつら……!)

客「ふざけんなってんだよ!」

客「ここは酒場なんだろ!? だったら酒出せや! あぁ!?」

マスター「まあまあ、そうカリカリしなさんな」

マスター「もしかしたら、カルシウム不足かもしれないぞ?」

マスター「だったら、ミルクでカルシウム補給──」

客「るっせぇんだよ!」

客「俺が酒を出せっていってんだからよォ……」

客「大人しく酒を出しゃいいんだよ、酒をよぉ!」

客「ミルクなんざガキの飲み物だ! んなもん飲んでられっかよ!」

マスター「ほう……?」パチンッ

客「え?」

グラサン「…………」ガタッ

スキンヘッド「…………」ガタッ

覆面「…………」ガタッ

客「な、なんだよ!?」

グラサン「…………」ザッザッ

スキンヘッド「…………」ザッザッ

覆面「…………」ザッザッ

客「お、おい、近づいてくんじゃねーよ!」

グラサン「ミルクが本当にガキの飲み物かどうか……」

グラサン「自分の目で確かめてみるか? ん?」

客「え……」

グラサン「こっち来いや」グイッ

客「う、うわっ! はなせよ!」

グラサン「いいから来い!」

マスター「しっかり教育されてこいよ~」

客「オイオイ、おっさん」

客「ずいぶん町から離れちまったけど……」

客「どこまで行くんだよ、オイ!?」

客「こんなとこにミルクを売ってる店なんかねーぞ!?」

グラサン「いいから、黙ってついてこい。もうすぐだ」

グラサン「ほら、あれだ」

客「あ、あれは──」

牧場──

モォ~…… モォ~……

客「ここは……牧場!?」

グラサン「おう」

グラサン「ここでたっぷりと、ミルクの素晴らしさってもんを教えてやる」

客(オイオイ、マジかよ……)

客(酒場で酒を頼んだら──)

客(とんでもないことになっちまった!)

モォ~…… モォ~……

客「牛がいっぱいいる……」

グラサン「今は放牧の時間だ」

客「放牧?」

グラサン「自由に牧草地を歩き回らせる時間だ」

グラサン「あいつらは朝、牛舎を出て、夕方には牛舎に戻ってくる」

グラサン「ほれ、寝てる奴もいれば、草食ってる奴もいる」

グラサン「いい乳を搾り出すためにな」

モォ~…… モォ~……

客「どこの牧場も、こういうことをしているの?」

グラサン「いや……放牧をしていない酪農家も多い」

客「放牧しないってことは、つまり牛たちは──」

グラサン「一生、牛舎の中で暮らすってこった」

客「そんな! それじゃ牛が可哀想だ!」

グラサン「……そういうだろうと思っていたぜ」

グラサン「だがな、可哀想だとか可哀想じゃないとかじゃ商売は回らねえんだ」

モォ~…… モォ~……

グラサン「例えば、ここのような放牧酪農を行うには」

グラサン「当然、広い土地を必要とする」

グラサン「それに牛を外に出すってことは」

グラサン「牛の状態が、温度や湿度や日光など、自然環境に大きく左右される」

グラサン「アクシデントで大切な乳牛がケガをすることだってある」

グラサン「ようするに、ムラがあるんだな」

客「なるほど……」

モォ~…… モォ~……

グラサン「一方、ずっと牛舎で育てる方法は、環境に左右されることはねえ」

グラサン「常に一定量の乳を得ることができる」

グラサン「つまり放牧とちがって、ムラが少ない」

グラサン「ただし、牛がずっと牛舎にいるわけだから」

グラサン「牛は運動不足になりストレスが溜まる。清掃とかの手間もかかる」

グラサン「こんな風に、一長一短ある」

グラサン「俺はこのとおり放牧での酪農を行っているが」

グラサン「どっちが正しいか正しくないかなんて、簡単には決められねえもんさ」

客「ふうん……難しいんだなぁ」

グラサン「あとは──」

グラサン「ウチのように放牧してる牧場の牛の乳は」

グラサン「脂肪分が少なめであっさり風味」

グラサン「牛舎で育てた牛の乳は、脂肪分が多めで味わい濃厚」

グラサン「──っていわれてるな」

グラサン「俺はあっさり味もこってり味も好きだがな」

客「へぇ……」

客(なんだか、ミルクを飲みたくなってきたじゃないか!)

グラサン「それじゃ、搾乳……乳搾りでも体験してみるかい?」

客「えっ、いいの!?」

グラサン「ウチは観光牧場じゃねえから、本来やらせることはないんだが──」

グラサン「せっかく来てもらったんだからな」

グラサン「あっちにこれから乳搾りしようとしてた牛がいるんだ」

グラサン「きっとたっぷりといい乳を出してくれることだろうぜ」

グラサン「一緒に来てくれ」

客「うん!」

モォ~……

グラサン「バケツを用意して、と」ゴトッ

グラサン「まず、このぶら下がってる乳首の根っこを」

グラサン「親指と人差し指で挟むんだ」

客「えぇ~と……」スッ…

客「こう?」キュッ

グラサン「そうそう、それでいい」

客「牛ってあったかいんだな……」

グラサン「牛の体温はだいたい38℃前後だからな。そりゃあったかいさ」

客「ふうん、人間より体温が高いのか……」

モォ~……

グラサン「んでもって、上から人差し指、中指、薬指、小指の順に握るんだ」

客「よ、よし……」ゴクッ…

グラサン「そう緊張すんなって。失敗したって牛が死ぬわけじゃねえんだ」

客「えいっ!」ギュッ…

ジョロロロロロ……

客「うおおおおお……出たぁ~!」ギュッ…

ジョロロロロロ……

グラサン「ハッハッハ、なかなかやるじゃねえか。いいスジしてるぜ」

グラサン「んじゃあ、最後にウチで取れたミルクを飲ませてやろう」

客「う、うん」

グラサン「そら、飲んでみろ」

客「…………」グビッグビッ

客「──っぷはぁっ!」

グラサン「どうだ?」

客「う、美味い!」

客「さっぱりした味わい!」

客「スッキリしたノドごし!」

客「にもかかわらず!」

客「クリーミィな舌触りと奥ゆかしい濃厚さを漂わせている……!」

客「こうして改めて飲んでみると」

客「ミルクとは……ミルクとは、こんなにも美味しいものだったのか!」

客「パンのお供じゃない……十分主役になれる逸材だッ!」

グラサン「ハハハ、ありがとよ」

グラサン「ちょっと褒めすぎな気もするが、悪い気はしねえな」

客「100%本音だって!」

客「ありがとう!」

客「ありがとう……おじさん!」

客「俺……もっと、ミルクのことを知りたくなっちゃったよ!」

グラサン「よし……それなら」

グラサン「今度はあのスキンヘッドさんについていくんだな」

スキンヘッド「フフフ……」スッ…

グラサン「さらなる牛乳世界(ミルク・ワールド)がお前を待ってるだろうぜ!」

客(ミルク・ワールド……!)ゴクッ…

スキンヘッド「さ、俺についてきてくれ」

客「今度はどこに行くの?」

スキンヘッド「それはもちろん──」

スキンヘッド「ついてからのお楽しみだぜ!」

客「ったく、もったいつけるんだから……」

スキンヘッド「だって先に話しちまったら、つまらねえだろ?」

スキンヘッド「ほら、あそこだ!」

客「あ、あれは──」

ミルク工場──

客「ミルク工場!?」

スキンヘッド「そのとおり」

スキンヘッド「搾りたての牧場のミルクが上等だってことに異論はねえが」

スキンヘッド「あの酒場で俺たちが飲んでたミルクを始め」

スキンヘッド「市場に出回ってるミルクは、こうした工場で作られる!」

スキンヘッド「それを知らずして、ミルクを極めたとはいえねえぜ!」

客「た、たしかに……!」

スキンヘッド「まず、最初の工程がこれだ」

スキンヘッド「農家から送られてきたミルク“生乳”を受け入れ、検査する!」

スキンヘッド「抜き取り検査で、味や香り、細菌、抗生物質などを調べ」

スキンヘッド「この検査に合格した生乳だけが、工場に送られていくんだ」

客「へぇ~」

客「搾った乳は全部ミルクとして売り出されるのかと思ってたけど」

客「そういうわけでもないのかぁ……」

スキンヘッド「さて、検査を通ったミルクが工場に入ったわけだが──」

スキンヘッド「この段階の生乳には、目には見えないような」

スキンヘッド「小さなゴミが入っている」

スキンヘッド「これを取り除くには、どうすればいいと思う?」

客「う~ん……」

客「えぇと……顕微鏡で調べてゴミを一つ一つ取り除く?」

スキンヘッド「ハハハ、そんなことをしてたら時間がいくらあっても足りねえさ」

スキンヘッド「ゴミの除去には、あの機械を使うのさ」

客「これは……?」

スキンヘッド「“クラリファイヤー”っていう機械さ」

スキンヘッド「清浄機とも呼ぶ」

客「これでどうやってゴミを除去するの?」

スキンヘッド「生乳をものすごい勢いで回転させて、ゴミを飛ばすのさ」

客「へぇ~」

客「これでミルクがキレイになるってわけか」

スキンヘッド「で、キレイになったミルクは低温で管理される」

客「どうして?」

スキンヘッド「牛乳ってのは栄養が豊富だからな……雑菌が増えやすいんだ」

スキンヘッド「だから、低温で管理しなきゃならねえ」

スキンヘッド「キレイになっても、雑菌だらけじゃなんにもならねえだろ?」

スキンヘッド「これも品質保持のため、だな」

客「ミルクを作るのって、大変なんだなぁ~……」

スキンヘッド「次の工程は、“均質化”だ」

客「均質化?」

スキンヘッド「この“ホモジナイザー”って機械で」

スキンヘッド「ミルクの中にある脂肪のつぶ、脂肪球を細かく砕くんだ」

スキンヘッド「これをやらないと、ミルクの中に脂肪が浮いてきちまう」

スキンヘッド「ミルクになめらかさを与えるためには、絶対欠かせない工程なんだ」

客「ふむふむ」

客「この機械のおかげで、舌触りなめらかなミルクが飲めるのか!」

スキンヘッド「さて、ここまできたら“殺菌”をする」

スキンヘッド「殺菌方法には色々な種類があるんだが」

スキンヘッド「今、主流となっているのは──」

スキンヘッド「120~130℃で2~3秒加熱する“超高温瞬間殺菌法”だな」

スキンヘッド「ウチの工場もこれを用いている」

スキンヘッド「高温の蒸気の中にあるプレートに、牛乳を通過させることで殺菌する」

客「たった2、3秒で殺菌が終わるんだ。すごいなぁ」

ゴウンゴウン……

スキンヘッド「殺菌されたミルクは、ああやって次々紙パックやビンに詰められる」

客「おお~!」

客「いつも店で見るミルクだ!」

客「どんどん完成品が出来上がっていく!」

スキンヘッド「いや……まだ完成じゃない」

客「ええっ!?」

スキンヘッド「この後、厳しい出荷検査を経て、合格した製品だけが」

スキンヘッド「晴れて出荷されて、店に並ぶことができるってわけだ」

客「最後の最後まで、厳しいんだなぁ……」

スキンヘッド「どうだい、少しはミルクのことが分かったかい?」

客「うん、分かった!」

スキンヘッド「じゃあ最後に、出荷する製品を飲んでみるといい」スッ

客「いただきます!」

客「…………」ゴクッゴクッ

客「美味しい!」

客「さっきの牧場で飲んだのもよかったけど、こっちもグーだよ!」

客「いつも家で飲んでる味なのに、作ってるところを知ると一味ちがうや!」

スキンヘッド「ハハハ、ありがとよ」

マスター「終わったようだね」ザッ…

客「マスター!」

マスター「さて……ミルクを作るのがいかに大変か、分かったかな?」

客「とてもよく分かったよ!」

客「さっきは子供の飲み物、なんてバカにしてゴメンなさい!」

客「ミルクは子供だけじゃない……みんなの飲み物だ!」

マスター「フフフ、それはよかった!」

客「俺、これからはいっぱい牛乳飲むよ!」

グラサン「ただし、飲みすぎには注意だぞ? 腹を下しちまう」

スキンヘッド「どんな飲み物や食べ物だって、とりすぎるとろくなことにならないし」

覆面「家計を圧迫することにもなりかねないからな」

客「分かってるって!」

マスター「酒もミルクも、飲みすぎ注意! ──ってことだな!」

アッハッハッハッハ……!

客「じゃあ俺、そろそろ帰るよ」

グラサン「おう、俺たちも楽しかったぜ」

スキンヘッド「また工場にも遊びに来てくれよな!」

覆面「寄り道せずに帰るんだぞ!」

マスター「さようなら!」

客「うん、さよなら~!」タタタッ

マスター「…………」

マスター「さて、我々も酒場に戻るとしますか」

酒場──

覆面「皆さん、本当にありがとうございました」ペコッ…

覆面「ウチの息子が未成年なのに酒場で酒を飲む、なんていいだしたのを」

覆面「どうしよう、と相談したら……こんな芝居をしてくれて……」

覆面「心なしか、今日一日で性格も素直になったようで……」

< 覆面(42) 会社員 >

マスター「ハハハ、かまいませんよ。なんたって、常連さんの頼みなんですから」

< マスター(35) 酒場経営 >

グラサン「私としても、酒飲み仲間は大切にしたいですしね」

< グラサン(33) 酪農家 >

スキンヘッド「それに……我々も面白がってやってたところがあるしな」フッ

< スキンヘッド(47) ミルクメーカー工場長 >

覆面「しかも、おかげで……例年のように月末に苦労せずに済みそうですよ」

それからしばらくして、ある小学校の教室にこんな作文が貼られていた。



 『ぼくの自由研究』

 ぼくは夏休みに牧場とミルク工場に見学にいきました。

 牧場では、牛がモーモーとないていました。かわいかったです。

 乳しぼりはとても楽しかったです。

 また、牧場でもらったミルクはとてもおいしかったです。
 
 ミルク工場では、いつも飲んでいるミルクができるようすを、

 見学することができました。

 工場の人がいつもこうしてがんばっているから

 ぼくたちはおいしいミルクを飲むことができるのだな、と感動しました。

 ぼくはミルクが大好きになりました。





<おわり>

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